銀の鍵、黄金の果実 (Hastnr)
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『銀の鍵、黄金の果実』(上)

 『銀の鍵、黄金の果実』(上) 

 

 

 

 

 ――かくして、虚構に彩られた舞台(セイレム)はその幕を下ろした。

 絶望と狂気、憎悪と罪過が降り積もる澱みの中、若きマスターとそのサーヴァント達は”大いなる異端”の降臨を阻止し、痛みの果てに一人の少女を悲嘆の闇より救い出した。

 ”外に出た”少女は、旅を続ける。とある重大な使命を帯びた”時空を旅する紳士”を師父――否、伯父として。

 ここではないどこか、今ではないつか、”親友”と再開できる日を夢見ながら、身の内に宿した”鍵”の力と共に少女は宇宙の深淵を行く。

 

 これより語られるは、少女が進む旅路の断片。

 辿りつくのかすらも定かではない虚構(フィクション)

 ほんの一時折り重なる世界を描く為――今一度、舞台の幕が上がる。

 

 

――――――

 

 

「――んっ……」

 

 空を飛び交う小鳥達の陽気な声。風に揺れる草木の葉が奏でるざわめき。

 耳朶を擽る心地よい音に導かれ、少女は――アビゲイル・ウィリアムズは、失っていた意識をゆっくりと覚醒させた。

 

「ここ、は……?」

 

 開いた視界に映る、抜けるような青空。衣服越しに背中へ伝わる柔らかな草の感触。仰向けに倒れ伏していた体を起こしながら辺りを軽く見回せば、青々とした葉を湛えた木々の向こうに、陽光を反射して煌めく大きな湖の姿がちらりと映る。

 

「伯父様がいない……やっぱり、はぐれてしまったのね……」

 

 ゆっくりと立ち上がりながら、アビゲイルはここに至るまでの顛末を思い返す。

 虚構と現実が入り交じる魔女狩りの地・セイレムにて、”座長さん”、ティテュバ、そしてカルデアより来た一座の皆々に見送られ、伯父であるランドルフ・カーターと共に旅立ってからどれくらいが過ぎただろうか。

 生ける”銀の鍵”である己の力を制御する術を少しずつ学びながら、アビゲイルは伯父と共に多くの世界を旅してきた。

 決して猫を殺してはならぬという戒律が敷かれた猫のための街・ウルタール。

 武を纏い、侠に生きる――そんな男達が闊歩する雷鳴響く異郷・東離。

 覇道を行く大財閥が収める熱狂魔都市・アーカムシティ。

 宇宙の彼方、半神半人の王女が治める雪と氷の星・ボレア。

 異界と人界が交わり、異常が日常と化した街・ヘルサレムズ・ロット。

 口笛と銃火の音が似合いそうな、荒野広がる守護者(ガーディアン)の惑星・ファルガイア。

 その他多くの名のある、あるいは名も知れぬ場所を、街を、星を――アビゲイルは”門”の導きのままに彷徨い続けてきた。

 生来セイレムより出た事のないアビゲイルにとって、目にするもの全てが新鮮であり、辿り着く場所全てが刺激的だった事は言うまでもない。

 乾いた荒野の風や、吹き荒ぶ冷たい雪の感触。小麦の粉を練って焼いた焼餅(シャオビン)や、白いキノコのような姿をした少年と一緒に食べたハンバーガーの味。人懐っこいたくさんの猫達や、行き倒れた探偵をも迎え入れる優しいシスター。容易には語り尽くせぬ出会いや経験の全てが、今のアビゲイルにとって大切な思い出となっている。

 奇跡すらも超えた運命の果て、いつかまた”親友”と巡り合う事ができたら、自分が見てきたたくさんの世界の話をしたい。眠れなかったあの夜、座長さん達が外の世界の話をたくさん聞かせてくれたように。

 そんな旅の途中で――アビゲイルは、時空間を彷徨うようになって初めて、命の危険を感じた。

 

(なんだったのかしら、あれは……)

 

 思い返そうとしたアビゲイルの背筋に、ゾクリと怖気が走る。

 それは、旅の過程、とある世界を訪れた時のことだった。あらゆる生命が消滅し、廃墟だけが残ったような空虚な街。その一角を歩いている時、”それ”は何の前触れもなく現れた。

 

(ひどい匂いだったわ……それに、あの恐ろしい姿……)

 

 突如として周囲を満たした腐敗臭、そして、死臭。セイレムの食屍鬼(グール)達が放っていた物と同じ――いや、それ以上に濃密な死の香りと共に、ビルの角から突如吹き出した濃紫色の煙。その棘々しい煙の中から現れた顔、そして全身は、まるで不出来なステンドグラスを寄せ集めて作られた狼――否、『猟犬』とでも言うべき怪物。

 爛々と光る二つの目。剥き出しになった乱杭歯。半開きになった口から鞭のように細く靭やかな舌が覗き、そこからこぼれた唾液が地面に触れると、しゅうしゅうと嫌な音と煙を上げる。燐光のように妖しく輝く青白い膿に全身を覆われた四足歩行生物の姿は、友好的なものとはとても思えなかった。

 

「バカな、ティンダロスの――!?」

 

 瞠目したカーターの唇からその言葉が漏れた直後、猟犬はその強靭な四肢を用いて、アビゲイルへと飛びかかってきた。

 

「きゃあああっ!!」

 

 咄嗟に頭を抱えてかがみ込んだアビゲイルのすぐ上、数秒前まで頸動脈があった空間を猟犬の爪が薙ぐ。

 

「逃げなさい、アビゲイル!」

「は――はいっ!」

 

 伯父の叫び声に弾かれるようにして、アビゲイルは駆け出した。

 それからの事は、よく覚えていない。

 闇雲にかけだしたアビゲイルを追う足音が、一つ、また一つと増えていくなか、アビゲイルは伯父の事を心配する余裕もなく、人気の無い街路を必死で駆け抜け続けた。そうして、ついに息が切れて倒れ込む寸前、目の前に開いた新たな『扉』にアビゲイルはその身を飛び込ませ――気づけば、アビゲイルはこうしてここに倒れ込んでいた。

 

(どうしましょう……喉が乾いてしまったし、お腹も……)

 

 限界まで走り続けた体はもうへとへとで、からからに乾ききった喉は水分を求める。軽い食事を取る直前に襲撃されたせいで、お腹は今にも空腹でくうくうと鳴り出しそうだ。

 周囲に危険な気配も無さそうだったため、その本能的な欲求に従ったアビゲイルは木々の向こうを目指して歩を進める。

 

「わあっ! なんて、綺麗なところなのかしら!」

 

 木々を抜けた先に広がる光景を目の当たりにし、アビゲイルの口から思わず感嘆の声が溢れた。

 故郷の入江を彷彿とさせる、青く正常な水を湛えて水平線の向こうまで広がっていそうな巨大な湖。その湖へ向け、白い飛沫を上げる大瀑布。

 彼方に視線を向ければ、陽光を浴びてさんさんと輝く葉で作られたような、太く巨大な蔦の柱が青空目がけ真っ直ぐに屹立しており、空には白い雲に混じって、三日月型をした浮遊大陸がいくつも漂っている。

 よほど土壌が豊かなのか、辺りを見回しても草木が枯れている所はほとんど無い。その緑色をした草の合間からは、赤や紫、濃い青など様々な色をした見たこともない植物たちが花開き、その命を存分に謳歌していた。

 自然の美に満ちた光景に目を奪われながら、アビゲイルは湖の畔にかがみ込むと、澄んだ水を両の掌で掬い上げた。

 

「冷たくて、気持ちいい……飲んでもよいお水なのかしら?」 

「――ええ、大丈夫」

 

 背後から聞こえてきた朗らかな声に驚きながら、振り返ったアビゲイルの視界が捉えたのは――女神。

 そう見紛うほどに神々しいオーラを放つ、一人の女性だった。

 肩まで伸ばしたアビゲイルと同じ金色の髪を風に揺らし、清廉にして艶やかな白布の衣をまとって穏やかに微笑む彼女の様を、他に何と例うべきか。

 その姿に思わず見惚れてしまったアビゲイルへ、女神はゆったりとした足取りで近づいてきた。

 

「こんにちは」

「こんにちは! 女神さま……で、いいのかしら?」

「女神様? ……確かに、そういうものかもしれないけど……」

 

 戸惑うアビゲイルの前に女神はかがみ込み、目線の高さを合わせる。

 

「初めまして。私の名前は、高司 舞。貴女のお名前は?」

「アビゲイル、アビゲイル・ウィリアムズと申します。……あの、マイさんと、お呼びしても?」

「もちろん」

「それでは、マイさん。ここは……」

 

 自分がいったいどこに居るのか、そう問いかけようとしたまさにその瞬間――くう、と小さな音を立てて、アビゲイルの胃が空腹を訴えた。

 

「ごっ、ごめんなさい。私ったら……」

「ふふっ。先に、ご飯にしたほうが良さそうだね。

 貴女の話もちゃんと聞きたいし、よかったら私のお家に来ない?」

 

 羞恥のあまり頬を林檎のような真赤に染めながら、アビゲイルは小さく頷いた。

 

 

――――――

 

 

「では、舞さんも時間を旅する人だったのね?」

「ある意味ではね。……でも、私の場合、流されたっていう方がいいのかな……?」

 

 心地よい音を奏でながら流れる小川から少し離れた一角。雄大な幹を地から伸ばし、四方に伸ばした太い枝から青々とした葉を茂らせる大樹の側に作られた、簡素ながらも落ち着いた風情を漂わせる四阿で、マイの料理を御馳走になったあと。

 食後のデザートに、と。瑞々しいオレンジ、よく熟した黄色いバナナ、放射状にカットされたメロン、ひと房まるごとのブドウが入った(バスケット)を持ってきた舞と共に木陰に腰掛けたまま、アビゲイルは自分が体験してきた様々な事を話し、舞が経験してきた多くの事を聞いた。

 かたや、異端にして禁忌なる庭園に囚われていた”生ける銀の鍵”。

 かたや、さながら戦国時代が如き激しい闘いを見つめ続けてきた”始まりの女”。

 共にもはや徒人には非ざる者同士、辿ってきた道筋に驚きこそすれど、それが互いを排する理由には成り得ない。それに、どこか姉御肌で面倒見がよく、そしてよく笑う舞の姿は、どこか哪吒やティテュバを彷彿とさせるものがあった。

 

「アビゲイルはすごいよね。いろいろな時間や場所に、『門』を開けるんでしょ?」

「はい。でも、まだ自由自在というわけではなくて……。私、もっともっと上手に、この力を使えるようになりたいです」

「どうして?」

 

 そう問いかけながら、舞はバスケットの中から一房の葡萄を掴み上げる。そうして、よく熟したハリのある紫色の実を一粒、房からぷちりとちぎり取ると、皮のまま口内へと運ぶ。

 アビゲイルもまた、三日月状に分割され、皮にのったまま食べやすいサイズにカットされたメロンの身にフォークを突き刺し、小さな口を開けてかぶりつく。口いっぱいに広がる芳醇な香りと甘さ、とろりとした果肉の感触をしばし堪能した後、アビゲイルは改めて口を開いた。

 

「大好きな人達に、約束したんです。ある方が無くしてしまった大切なものを、お返しすると。

 ……たとえ、どれほど多くの時間がかかったとしても」

「そっか。頑張り屋さんだね、アビゲイルは」

 

 優しい舞の手が、アビゲイルの頭を撫でる。さらさらとしたブロンドヘアは舞の指に絡むことはなく、風に弄ばれる稲穂のように揺れる。

 

「舞さんだって、とっても頑張り屋さんよ」

「私が? そうかな?」

「ええ、そうよ。だって、こんなに綺麗な惑星(ほし)を作ったんでしょう? 

 きっと、すごく大変な事だったと思うわ」

 

 頭を撫でられるまま、アビゲイルは大樹の枝越しに輝く青空を見上げる。気ままに飛んでいた一羽の小鳥が、アビゲイルの側まで羽ばたいてくると、そのまま彼女の肩にちょこんと乗った。

 誰も知らぬ宇宙の果てに存在する、命に溢れた豊かなこの惑星が、かつては一片の命もなく、光すら届かぬ暗黒の星だったと誰に信じられよう。輝きに満ちた故郷を捨て、誰も知らぬ宇宙の果てという闇の中に光を灯しに行く。それがどれだけ困難な事なのか、まだ幼いアビゲイルには想像すらつかない。

 かつて神は『産めよ、増えよ、地に満ちよ』と仰ったが、それを実際に成し遂げ、この星を今の姿に為すまでには、きっと無数の苦難があったのだろう。それを経て尚、舞は柔和な微笑みを浮かべる。

 

「私は、一人じゃなかったから。大切な人と一緒だったから、何も怖くなかったし、どんな苦しみも乗り越えられたの」

「大切な、人?」

「ええ。強くて、優しくて……たとえ泣きながらでも、一歩ずつ前に進んでいく人」

「……素敵な方ね。その方も、ここにお住まいなのかしら?」

 

 小動物のように辺りを見回すアビゲイルの問いに、舞は静かに首を横に振った。

 

「そうだよ。でも、今はちょっと出かけてるの」

「お出かけに? 残念、ぜひ一度お会いしてみたかったのに……」

「大丈夫だよ。ちょっと遠く(・・・・・・)まで、出かけてるだけだから。

 仲間と一緒に、すべき事を終わらせたら、すぐに戻ってくるよ。

 だから、それまでは――」

 

 舞が言葉を続けようとした、その刹那。

 惑星に吹く清浄な風と、果実の芳香を吹き散らすように、突如として辺り一体に死臭が溢れ出す。時を同じくして、木の葉の先端から、欠けた石の尖った部分から、カットされたメロンの皮の断片から――様々な『鋭角』を通って、青白い煙が次々に噴き出してくる。

 

「なに、これ……?」

「――逃げましょう、舞さん!」

「え?」

「早く!!」

 

 突然の事態に戸惑う舞の手を引き、四阿を飛び出したアビゲイルの背後で、異形の猟犬達が一匹、また一匹と不浄の煙の中より姿を表す。

 半開きになった獣の口からこぼれた唾液が、しゅうしゅうと音を立てながら四阿の床になっていた木材を溶かす。悍ましき体躯から溢れ落ちた青白い膿じみた流体が触れる先にあった植物は尽く枯死し、その膿が流れ込んだ川には小魚の死体が無数に浮かび上がる。

 

「アビゲイル! あれは、いったい!?」

「わかりません! ですが……私は、あの怪物に襲われて、ここに逃げてきたんです!」

 

 その正体も、どうやってアビゲイルを追ってきたのかすら定かではない怪物から逃げるため、舞と共にアビゲイルは必死に小川より離れ、森の中へと駆けていく。

 あの廃墟の時と同じように、背後から迫る死の気配は時を追うごとに増えていく。舞の案内のおかげで地の利はこちらにあるとは言え、相手は敏捷な獣。そういつまでも逃げ切れるはずもない。

 いったいどんな理由があって、己がこんな怪物に襲われなければいけないのか。もしやこれは、セイレムを去ったアビゲイルに、『お前の罪を数えよ』と言外に告げる、世界の理による断罪なのか。

 理不尽な状況に対する困惑と、舞を巻き込んでしまった申し訳無さが――ほんの一瞬だけ、アビゲイルの意識を散漫にさせた。

 

「――きゃあっ!」

「アビゲイル!?」

 

 巨木の脇を通り抜けようとした寸前、アビゲイルは地を這うように伸びた太い根の上で脚を踏み外し、うつ伏せに倒れ込んだ。

 打ち付けた体がじんじんと痛む。しかも、間の悪いことに――脚が、動かない。転倒した際に根と根の隙間に妙な引っ掛かり方をしてしまったのか、どれだけ力を入れても抜け出すことができない。

 

「大丈夫、アビゲイル!?」

「にっ、逃げてください、舞さん! 私に構わず!」

「そんなこと、できるわけないでしょ!」

 

 駆け寄ってきた舞は、倒れ込んだままのアビゲイルの側にかがみ込むと、彼女の脚を木の根より外そうと手を動かす。しかし、その努力が実を結ぶよりも、凶暴な猟犬達が獲物との間に存在していた僅かな距離を埋める方が早かった。

 曲線を排し、歪んだ超多面結晶構造体(トラペゾヘドロン)めいた肉体を持つ獣ならざる獣達が、低い唸り声を上げながら木々の合間より姿を表す。

 その数、5頭。

 扉の導きによって、多くの世界を旅してきたアビゲイルだからこそわかる。

 これは、こいつらは――人と同じ宇宙に居てはならぬ存在。決して同じ天を仰ぐこと叶わぬ恐怖の化身。

 対峙するだけで正気(SANITY)を貪り喰らわれるような恐怖に襲われたアビゲイルの前で、猟犬の一頭が牙をむき出しながらその口を大きく開けると、ムチのようにしなる長い舌を伸ばし、尖った先端部をアビゲイルに向けて叩きつけた。

 

「――! ダメっ!!」

「舞さん!?」

 

 咄嗟にアビゲイルの上に覆いかぶさった舞の体に、猟犬の舌が容赦なく突き刺さる。白い衣ごと舞の柔肌を貫く、肉を穿つ猟犬の舌。驚愕に見開かれたアビゲイルの視界に、その光景ははっきりと映り込んだ。

 

「舞さん! どうして!!」

「よかった……あなたが、無事で……」

 

 アビゲイルの小さな体を抱きしめ、護りながら、舞は気丈に微笑む。

 その体を突き刺す魔獣の舌が、まるでパイプラインのように、金色の『光』を舞の肉体から吸い上げていく。その光が、舞の力――そして、命そのものであることを、第六感とでも呼ぶべきアビゲイルの超常的な感覚は、残酷なほどにはっきりと捉えてしまった。

 狂乱の吠え声をあげる猟犬達に光を奪われ続けながら、アビゲイルを守るためになんとか堪え続けていた舞だったが、ついに限界を迎えたのか、苦悶の声と共に意識を失う。

 肌から血の気が消え去り、呼吸しているのかどうかすら怪しくなった舞の体から猟犬達の舌が外れ、そのままアビゲイルの上に倒れ込む。幸か不幸か、舞の体がぶつかった衝撃で今まで挟まっていた脚が根の間から外れ、アビゲイルはようやく自由を取り戻した。

 

「舞さん、しっかりして! 舞さん!」

 

 身にまとう超常のオーラを喪い、金色に輝いていた髪すらも黒色に変わってしまった舞を抱き抱えたまま、アビゲイルは猟犬たちから少しでも距離を取ろうと必死に体を動かす。

 しかし、どんなに必死になろうと所詮は子供。意識を失った大人の体を抱えて満足に動く事ができようはずもない。

 舞を引きずりながら地を這うように必死に後ずさるアビゲイルを嘲笑うように、猟犬達は舌なめずりをしながら半円形の包囲陣を形成すし、じりじりとその距離を縮めてくる。

 今のアビゲイルに戦う力は無く、『扉』が開く気配も無い。

 故に――絶望が、アビゲイルの終着点(ゴール)だった。

  

(伯父様……ラヴィニア……マシュさん、座長さん……!)

 

 死を目前にして、これまで出会った多くの友人達の顔がアビゲイルの脳裏をよぎる。約束を果たせぬままここで散る事への後悔が、アビゲイルの心を締め付ける。

 その走馬灯ごと獲物を引き裂くべく、2頭の猟犬達が左右から同時に飛びかかった。

 

(こんなところで、おしまいだなんて……!!)

 

 人の骨すら容易に断つであろう鋭い獣の爪が迫る中、アビゲイルはぎゅっと両の瞼を閉じ、声にならぬ声を心の内で叫ぶ。

 恐怖に自ら閉ざした視覚。腐臭に支配された嗅覚。倒れた時に口の中を傷つけたのか、血の味に満ちた味覚。まだ舞の生命の温もりを感じている触覚。

 もはや数瞬の後には喪われるのであろう五感。その最後の一つ、聴覚が捉えるのは『開裂』の音。

 世界に、『裂け目(クラック)』が刻まれる音。

 噛み合わさった金属が引き剥がされる際の断末魔に似た、『空間』が裂けていく音を。

 

《――カチドキアームズ!》

 

 裂け目(クラック)の彼方より、決意に満ちた鬨の声が上がる。

 立ち塞がる絶望を尽く打ち砕く者の為、重厚なる武具を召き喚ぶ声が響く。

 

《いざ、出陣! エイ、エイ、オオオオオオオッ!!》

 

 悪夢に支配された狩場に『勝鬨』の声が轟く。

 直後、何かが固い物体に叩きつけられた時の衝撃が音となってアビゲイルの体を揺らし、同時に獣のものと思しき甲高い悲鳴が鳴り渡った。

  

(何が、おきたの……?)

 

 恐る恐る瞼を上げたアビゲイルの視界に映るのは、殺意を露わにした魔獣――その前に立ち塞がる、異形の姿。

 いつか伯父が話してくれた東洋の戦士・『サムライ』を彷彿とさせる、重厚にして威厳ある甲冑(アーマー)をまとう騎士(ライダー)――いや、鎧武(・・)者と呼ぶべきか。

 輝くほどの橙色に染めぬかれた全身を覆う重装甲。陽光を反射してまばゆい程に輝く金色の角飾り。胸に刻まれた(サムライソード)の紋章。背にマウントされた二枚の旗。

 

「――待たせたな」

 

 勇壮な姿をした鎧武者の言葉に、アビゲイルは半ば呆然としながら頷く。アビゲイル、そして倒れたままの舞を一瞥したあと、鎧武者は二人を背に庇うように魔獣達の前へと立ちはだかる。

 その姿を追ってアビゲイルが視線を前方に向ければ、低い唸り声を上げて威嚇する猟犬3頭と、叩きつけられた木の根本からようやく体を起こす残りの猟犬の姿が見える。先程アビゲイルが肌で感じた振動の正体は、鎧武者が2頭の猟犬を吹き飛ばした際の衝撃(インパクト)とみて間違いないだろう。

 

「人が留守にしてる間に、好き放題やってくれたみたいだな」

 

 兜に覆われた鎧武者の眼が、猟犬達を睥睨した刹那。アビゲイルには一瞬、あの猟犬達が恐怖にすくみあがったように見えた。

 

「だけどな……それも、もう終わりだ」

 

 静かな怒りに満ちた声と共に鎧武者は背中に手を伸ばし、そこにマウントされていた旗を引き抜く。両の手に構えられた二振りの旗が、闘気(オーラ)によって作られた舞い飛ぶ無数の火の粉を纏う。

 

「ここからは俺のステージだ!」

 

 それは星を蹂躙する悪意への怒りと、絶望に屈せぬ誓いを共に胸に抱き、守るべき命を背負って戦う者。

 青く輝く故郷を捨て、宇宙の闇の中へ光を灯した『始まりの男』。

 決意の旗を天へと掲げ(Rise Up Your Flag)――アーマードライダー鎧武 カチドキアームズ! いざ、出陣! 

 

「はああッ!!」

 

 獲物の前に立ちはだかる鎧武を貫かんと、猟犬達は恐るべき速度で舌を伸ばす。銃弾の如き急加速で風を切り裂いて迫る5本の尖った舌に向け、鎧武が両手の旗を力強く振るって叩きつけた直後、まとった炎が閃刃となって迸り、猟犬達の舌を一瞬で炭化させる。

 感覚器官を灼かれた痛みに悶える猟犬達が晒した隙を逃すまいと、鎧武は地を踏みしめ猟犬との間合いを詰める。

 

「なんなんだ、お前たちは!? なぜ舞達を狙った!」

 

 問いかける鎧武に対し、猟犬は返答の代わりに攻撃を繰り出す。

 破壊力すら持つ強烈な吠え声(バトルクライ)。吐き出される濃紫色をした死の瘴気。ムチのように伸縮し迫る尾。骨ごと肉を噛み砕く牙。鋼鉄すらも斬り裂く爪。

 連携を企図したか、あるいは偶然か。奇しくも全くの同タイミングで放たれた猟犬達の必殺の一撃は、逃げ場のない必滅の強襲となり、包囲陣の中心にいた鎧武へそのまま突き刺さる。

 

(――っ! いけない!)

 

 空気振動を喰らい、毒液じみた紫の死臭に全身を覆われ、爪を、牙を、尾を突き立てられる鎧武――その光景を目にし、アビゲイルは思わず息を呑み、その身を案じる。

 彼が一体どういう存在であるのか、知らなかったが故に。

 

「……答えるつもりも、大人しく去るつもりも無いんだな」

 

 男の声が響く。

 荒ぶる炎の風が、まとわりつく瘴気を吹き散らし、牙と爪を突き立てていた猟犬達を吹き飛ばす。

 その風の中心に立つ、鎧武。その甲冑(アームズ)には一筋の傷もなく、一片の曇りも生じていない。

 さもありなん、戦場に立つその男こそは、試練の果てに全てを超えた者(オーバーロード)。たかだか『あの程度』の攻撃で、かすり傷一つすら付くはずもない。

 

「なら、容赦はしない!」

 

 右手に大筒――『火縄大橙DJ銃』を。左手に刀――『無双セイバー』を携えた鎧武は、火縄大橙DJ銃の銃口に無双セイバーの刀身を差し込む。納刀にも似たその動作によって、二つの武器は一つに融合(ミックス)を果たす。

 そして今、鎧武の手の内に顕れるは、諦めと絶望を両断する一刀――『火縄大橙DJ銃・大剣モード』!

  

《カチドキチャージ!》

 

 腰に巻いたベルト――『戦極ドライバー』から外された『カチドキロックシード』を、鎧武は大剣のコア部へとセット。大剣に集約されたロックシードのエネルギーが刃に宿り、闇を照らす眩い輝きを放つ。

 

「おう――りゃあああああああああああああッ!!」

 

 剣刃、一閃。

 裂帛の気合と共に解放された強大な力が、横薙ぎに振り抜かれる光の剣閃となって、猟犬達をまとめて薙ぎ払う。暗黒の淵よりい出し穢れた猟犬達は光に触れた瞬間燃え盛る火柱を上げて爆散し、肉片一つすら残さず消滅した。

 天を貫くように立ち上る4本の火柱。その爆炎が消え去ったあと――アビゲイルの視界には、もう猟犬達の姿は映っていなかった。

 まばたき一つか二つ分の時間、大剣を構えたまま残心を崩さなかった鎧武であったが、やがて周囲に危険が無くなった事を確信したのか構えを解くと、体ごとアビゲイル達の方へ振り返った。

 その体から装甲(アームズ)が解除され、光の粒子となって空中に溶け込んでいく。

 

(女神様の次は、神様……?)

 

 光の中より現れ出づる男。

 舞と同じ黄金の髪。怒り、嘆き、諦めの全てを味わい、そして乗り越えてきた事を感じさせる精悍な顔立ち。その肉体を守る白銀の鎧。惑星に吹く風に白い騎士外套(マント)をなびかせ、神々しきオーラをまとった男は、アビゲイルの上に倒れ込んでいた舞の体を片手で抱え上げ、もう片方の手でアビゲイルを引き起こす。

 

「怪我は無いか?」

「はい、私は大丈夫です……ただ、舞さんが……舞さんが……!」

「ああ、分かってる。心配しなくていい」

 

 大樹の根本へ跪いた男が、そこへ舞を慎重に横たえると、舞の体に金色――いや、オレンジ色に輝く光の粒子が集まりだす。その粒子がまるで生命力を補ったかのように、舞の肌から失われていた血の気が元に戻り、黒く変わっていた髪も金色に変化する。

 

「これで大丈夫だ。もう少し休めば、目を覚ますさ」

「本当? よかった……本当に、よかった……!」

 

 アビゲイルの目の端に、じわりと熱い雫が貯まる。それがこぼれ落ちるより前に、慌てて袖口で拭ったあと、アビゲイルは改めて男の方に視線を向けた。

 眠りについたままの舞へ、慈しみに満ちた微笑を向けていた男は、アビゲイルの視線に気づいて顔をそちらに向けた。

 

「初めまして。アビゲイル・ウィリアムズと申します。

 先程は危ないところを助けていただき、本当にありがとうございました」

「どういたしまして。俺の名前は、葛葉 紘汰。

 なんだなあ……わかりやすく言ったら、今は宇宙の神様、かな?」

「……やっぱり……」

「え?」

「な、なんでもありません! どうか、お気になさらず……」

「お、おう……」

 

 ぱたぱたと手を振って誤魔化すアビゲイルに、どこか怪訝な顔をしつつも頷く『神』――葛葉紘汰。

 それはアビゲイルが出会った、二人目の優しい神様だった。

 

 

―――――

 

 

「――へえ、なかなか面白い物を”喰った”じゃないか」

 

 鬱蒼と茂る森の中。

 一人の女――否。一人の女を思わせる姿をした”それ”は、嗤いながら呟く。

 後頭部でまとめられ、食虫植物の花弁のように広がった長い黒髪。縁のない眼鏡越しに除く享楽的ながら鋭さを秘めた眼光。スーツに似たパンツスタイルの上下。その胸元は大きく広げられ、スイカのように大きな双丘によって作られた谷間が露わになっている。

 こんな森の中にいるより、もっとふさわしい場所――例えば、裏通りの一角にひっそりと佇む古書店など――がありそうな、そんな雰囲気を放つ”それ”は、右手に込めた力を少しばかり強めた。

 

「おいおい、そう暴れないで欲しいなあ。確かに、僕の上司と、君の上司は敵対しているケド……僕は結構、君たちの事を気に入ってるんだよ?」

 

 嘯く”それ”の手の中で、猟犬――青白い膿をまとう時の狩人・ティンダロスの猟犬が呻く。

 首を片手で締め上げられ、四肢をバタバタと動かしながら必死に抗う猟犬。人間など遊び半分で狩り殺すティンダロスの猟犬、その全力の抵抗も虚しく、”それ”の右手はびくともしない。

 鎧武・カチドキアームズの斬撃を既の所で回避し、なんとか生き残った最後の一頭。それは僥倖というべきだったが――その僥倖は、今ここに尽きようとしていた。

 

「まあ、安心していいよ。君が”喰った”モノは、僕が有効に活用させてもらうから……さ」

 

 めきり、と。

 生物でいうところの、首の骨が折れる音が響き――ティンダロスの猟犬は、その命を散らす。

 ぐったりと脱力したその死体から、金色の輝きが溢れ出していく。

 

「おっと、あぶないあぶない。材料が消えてしまうじゃないか」

 

 空いた左手で”それ”が指をぱちりと鳴らすと、溢れ出した金色の光と猟犬の死体、更には”それ”の内より湧き出る闇が絡まりあい、掌の中に収束していく。

 光は穢され、闇に堕ちる。金色は喰われ、濃紫色に腐り落ちる。

 右手の中に顕れた『禁断の果実』。それは、禁忌の扉にかけられた(ロック)であり、悪意を撒き散らす種子(シード)

 あるべき輝きを失い漆黒に染まったそれは、希望を嘲笑う醜悪なる模倣品――暗黒(ダークネス)・『極ロックシード』。

 

「さて、どこまで楽しませてくれるかな……? この世界の葛葉紘汰(かみさま)は」

 

 森の中、”それ”のけたたましい嗤い声が響き渡る。

 その額には、炎のように燃える三つの眼が煌々と輝いていた。

 

 

 

  『銀の鍵、黄金の果実』(上) 終

 

――――――

 



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『銀の鍵、黄金の果実』(下)

  『銀の鍵、黄金の果実』(下)

 

――――――

 

 

 そこは、足跡さえ見えぬ、誰もいない世界の果てであった。

 そこは、命死に絶え、形あるものは皆崩れ去る時の果てであった。

 そこは、死すら死ぬる永劫の果てであった。

  

「――始まった」

 

 天を見上げ、呟く者が一柱。

 それは、男であった。

 男は、父であり、魔を統べる者(マスター)であり、そして、神であった。

 白き衣を纏い、寄る辺なき永劫を進む男であった。

 

「あやつか」

「ああ」

 

 乾いた瓦礫を踏みしめ、男の側に歩み寄る小さな姿が一柱。

 それは、女であった。

 女は、母であり、人ならざる魔(ネクロノミコン)であり、そして、神であった。

 白き衣を纏い、寄る辺なき永劫を進む女であった。

 

「――征くぞ」

「承知」

 

 男が伸ばした手を、女の手が掴む。

 動く物無き世界に、数千年ぶりの風が吹いた。

 

 二人の姿は、もうどこにも無い。

 

 

――――――

 

 

 明晰夢。

 夢の中で『これは、夢だ』と自覚できる夢のこと。

 

《オレンジアームズ! 花道・オンステージ!》

 

 天に刻まれた鋼鉄の裂け目(クラック)が開き、朝日の様に輝く巨大な果実を喚ぶ。

 蒼い強化スーツを纏った戦士の真上に降り来るその果実が折り紙(ペーパークラフト)のように展開・変形し、(アーマー)へと変わる光景を間近で見つめながら――アビゲイルはようやく、これが自分の見ている夢であることを理解しつつあった。

 そして、これが葛葉紘汰という男の軌跡(ユメ)であることも。

 

『ここからは、俺のステージだ!』

 

 果実の鎧(オレンジアームズ)を纏う戦士(ライダー)・鎧武。

 『戦極ドライバー』を装着し、『無双セイバー』、そして『大橙丸』を手にした彼の行路を阻まんと、かつて多くの存在が立ちはだかった。

 時にそれは、敵意をむき出しにした怪物(インベス)だった。信念を、あるいは悪意を込めた刃を振るう戦士(ライダー)だった。容赦なき運命を征服した超越者(オーバーロード)だった。そして、世界に進化と変化を求める、理由のない悪意そのものであった。

 戦いの中で磨かれていく力と呼応するかのように、鎧武は新たな姿を得る。

 

《レモンエナジー! ミックス! ジンバーレモン! ハハーッ!!》

 

 ――そして、失っていく。

 目の前で怪物と化してしまった、自分と同じただの若者の命を。

 嘘に縛られた仲間と築いていた、永遠に続くと信じていた友情を。

 さもありなん。『失う』という意味では、彼は起点からしてそうだったのだ。

 禁断の果実(ロックシード)の力を手に入れたその日――強大な力に酔いしれたまま、友の命を己が手にかけたあの瞬間から。

 争いはまた、争いの種を残し、時が経つまま悲しみの実を育てる。

 

《カチドキアームズ! いざ、出陣! エイ、エイ、オオオオオオオッ!!》

 

 しかし、それでも。

 何度も傷つき、倒れ、己の罪に押し潰されそうになろうと――鎧武はその脚を止めることはなかった。

 世界を支配する理不尽に、世界を覆い尽くそうとする絶望に、屈することなく抗い続けた。希望の代価に犠牲を要求する、世界のルールそのものに戦いを挑み続けた。

  

《フルーツバスケット! ロック・オープン!》

 

 たとえ、手に入れた力がどんなものであったとしても。

 その力の果てに待つのが、残酷な運命だったとしても。

 鎧武はその手を伸ばす。

 この世界最強のパワーの鍵を開け、誰もが求める未来を目指すために。

 そして、あらゆる諦念と絶望に屈しなかったもう一人の戦士(オーバーロード)と、世界の命運をかけた激戦を超えた果て。

 ついに運命の勝者となった鎧武は――葛葉紘汰は、『神』へと至る。

 

「……どうして」

 

 祝福された世界を追われ、荒野へと旅立つ男と女。

 天に刻まれた裂け目の彼方へ去っていく二人の姿を見送るアビゲイルの唇から、ぽつりと問いがこぼれ落ちる。

 

「どうして紘汰さんは、そんなに強くいられるのかしら……」

『――いや、そんなことはないさ』

「紘汰さん……?」

 

 気づけば、アビゲイルの隣に、今しがた宇宙へと旅立っていったはずの紘汰が立っていた。ただ、その姿はまるで霞に映った光学映像のようにぼんやりとしており、向こう側が透けて見える程に薄い。

 おそらくは精神だけの存在となって、アビゲイルが見ている夢の中に干渉してきているのだろう。

 

「ごめんなさい。私、あなたの過去を勝手に……」

『謝らなくていい。おおかた、俺達の力が共鳴したせいで、こんな夢を見てるんだろうからさ。

 それに……ここに来る途中で、俺も君の過去を見ちまった』

「……セイレムでのこと、ね」

『ああ』

 

 頷く紘汰に、アビゲイルは正面から向き合う。

 

「私はあの街を、愛していた……いいえ、今だって愛しているわ。私にとっての全ては、セイレムにあるのだから」

『ああ、わかるよ。俺も、俺を育ててくれた沢芽(ざわめ)市が好きだった』

「……でも、私は決して許されない罪を犯したわ。故郷でも……偽りの、セイレムでも……」

 

 アビゲイルの罪の告白を、紘汰は真剣な面持ちで静かに聞き届ける。

 

「それでも、座長さんは……私の大切な方は、仰ってくれました。

 罪にまみれ、魔神の誘惑に抗えなかった私でも、セイレムを捨てて生まれ変わってもいい……それを決めるのは、私自身だと」

 

 それは決して、神様はお許しにならない事だろう。

  

『……そうだな。その通りだ』

 

 ――だというのに。

 葛葉紘汰(かみさま)は微笑みながら、アビゲイルの頭を優しく撫でる。その答えを、肯定する。

 

『どんな過去を背負っていようと、新しい道を探して、先に進むことは出来る。

 諦めない限り、人は変わる事ができるんだ』

「……私も? 私も、変われる……変わってもよいの?」

『ああ』

 

 迷い、問いかけるアビゲイルに、紘汰は力強く頷く。

 『変われる』のだ、と。『変わっていい』のだと、肯定する。

 誰にでも、行きたい明日を選べる希望がある。その希望を守るのが、己の務めなのだからと。

 

『――《変身》だよ、アビゲイル』

「《変身》……」

 

 《変身》。

 それは、葛葉紘汰が、そして多くの戦士(ライダー)が叫び続けてきた言葉。

 過ちを繰り返さぬ為に。大切な誰かを守るために。己の信念を貫き通す為に。課せられた責務を果たすために。

 己が内に秘めた無数の願いと共に、戦いに挑む英雄達が受け継ぎ、掲げ続けてきた(ふる)く気高き聖約。

 

『今までの自分が許せないなら、新しい自分に変わればいい。

 俺みたいな奴でさえ、違った自分になれたんだ。アビゲイルにだって、きっとできるさ』

「紘汰さん……」

『さあ、もうとっくに朝が来てる。目覚めの時間だぞ、アビゲイル』

 

 そう言って、顕れた時と同じように紘汰は唐突に姿を消す。

 そして、世界が崩れ始める。空も、大地も、建物も、何もかもが砂で作られていたかのように、さらさらと微かな音を立てて流れ散っていく。

 その流れに身を任せたまま、アビゲイルは静かに目を閉じた。

 深い海の底から、ゆっくりと体を浮上させていくような感覚が全身を包み――再び目を開けた時、アビゲイルの意識は夢を振り切り、覚醒の世界へと帰還していた。

 

「おはよう、アビゲイル。よく眠れた?」

「……おはようございます、舞さん」

 

 まだ少し眠い目をこすりながら、アビゲイルは舞の問いかけに頷いた。

 猟犬たちの襲撃を退けたあと。紘汰、そして舞と共に、アビゲイルは四阿まで戻ってくると、ひとまずはそこで一晩を過ごしていた。

 視線を転じれば、惑星を照らす朝の光が空を青く染め上げ、植物たちが今日もまたその繁栄を謳歌する姿がはっきりと映る。

 

「舞さんこそ、よく眠れて? 怪我の具合は……」

「もう、すっかり大丈夫。心配してくれてありがとう、アビゲイル」

「よかった……。そういえば、紘汰さんは何処に?」

「少し前に、『用事がある』って言って出ていったけど……あ、戻ってきた」

 

 舞の言葉を受けてアビゲイルが振り返れば、ちょうど紘汰が、四阿へと続く道を歩いてくる所だった。

 

「ただいま、舞。それと……おはよう、アビゲイル」

「おかえり、紘汰」

「おはようございます。紘汰さん」

「早速だけど、二人共。いい知らせと、よくない知らせがある。

 ……いい知らせの方だけど、ついさっき、アビゲイルの伯父さんと連絡が取れた」

「伯父様と!?」

 

 紘汰は一度言葉を切り、驚愕と興奮で思わず大きな声を上げてしまったアビゲイルが落ち着くまで待った後、再び口を開いた。

 

「ここからそう遠くない”宇宙”にまで来ているみたいだ。少し時間はかかるけど、そのうちここに辿りつくはずさ」

「よかった……伯父様も、ご無事だったのね」

「ああ。向こうも、アビゲイルが無事だって伝えたら喜んでたよ」

「本当にありがとう、紘汰さん」

 

 微笑む紘汰に、アビゲイルは心からの礼を述べる。

 こことは異なる世界よりの声を聞き届ける力。それは本来、暴虐に晒された者達の祈りを聞き届ける為のものらしいのだが、カーター自身が常人に非ざる旅人であった事が功を奏し、互いの言葉を届けあう事がかなったそうだ。

 

「紘汰、それで……よくない知らせっていうのは?」

「ああ、それなんだけど……」

 

 問いかける舞に、紘汰は険しい顔つきで頷く。

 

「アビゲイルを襲った怪物がいただろ? そいつの最後の一体が、どこを探しても見つからないんだ」

「見つからない? 怪物は、紘汰が全部倒したって、アビゲイルから聞いたよ?」

「いや……一体だけ、取り逃がした。そいつがまた襲ってくるんじゃないかと思って、調べてみたんだけど……」

 

 『空振り』という事を示すように、紘汰は首を横に振る。

 オーバーロードとして高みに至った身体能力に加え、聴覚を強化するアームズ――『ジンバーピーチ』の力すら行使したそうなのだが、それを以てしても猟犬の居所を掴むことは叶わなかったらしい。

 

「逃げ出した……とか?」

「いや、宇宙を越えてアビゲイルを追ってくるような奴だ。そう簡単に諦めるとは思えない。

 たぶん、今もどこかに潜んで――」

 

 それは、ほとんど同時だった。

 言葉を途切れさせた紘汰が眉間に皺を寄せて振り返るのと、奇怪な鳴き声が響き渡ったのは。

 金属板を尖った物体で引っ掻いた時の音に似た甲高い鳴き声がアビゲイルの耳朶を打ち、パニックに陥った小鳥たちが森の中より一斉に飛び立つ。

 その群れの中に君臨する巨影。この世にありえざる、見たことがあるはずもない怪鳥の正体を――アビゲイルは、そして彼女の記憶を見た紘汰は、知っていた。

  

「シャンタク……!?」

 

 その名を先に口にしたのは、はたして紘汰か、あるいはアビゲイルだったか。どちらにせよ、彼らの前に顕れたものが何であるかは変わらない。

 その姿を簡潔に記すなら、醜悪な有翼馬(ペガサス)となるだろう。

 馬に似た長い頭部に妖しく光る一対の目。昆虫の関節のように蠢く無数の牙らしき物体に覆われた口元。首には(たてがみ)の代わりに、鋭く切り出された水晶めいた硬質物体が並び、そこから繋がる前脚の無い胴体、長く平べったい尾、猛禽類を想起させる巨大な翼のに至るまでの全てが、光沢のある鱗に覆い尽くされている。

 その異形もさることながら、成人男性の4倍はあろうかという巨躯を、翼をゆっくりと上下させるだけの羽ばたきで、木々の梢より高い空中へ留めているその光景自体が、この生物――生物という範疇に納まる存在であればの話だが――の異常性を際立たせていた。

 その姿を目にしているだけで、常識が、良識が、見識が――自身の正気を保証する礎が、啄まれるように削れていく。

 

「舞、アビゲイルを頼む。あいつは……危険だ」

「わかった、紘汰も気をつけて。アビゲイル、こっちにおいで」

「はい!」

 

 舞が自身の背にアビゲイルを庇う一方、即座に戦闘態勢に意識を切り替えた紘汰は四阿を飛び出していく。

 それを待ち構えていたかのように、シャンタクの両目が縞瑪瑙の輝きにも似た妖しい光を宿す。直後、翼をフルスイングするかのような強烈な羽ばたきが空気を圧縮。指向性を持った砲弾となった圧縮空気の塊が、地を駆ける紘汰を目がけ放たれる。

 

「はっ!」

 

 跳躍した紘汰の足元に圧縮空気塊が炸裂し、まるで投下式火薬兵器で爆撃でもされたかのように深々としたクレーターを穿つが、その時には既に、地を蹴って跳躍した紘汰の体はシャンタクと同じ高さにある。

 

「でぇりゃあッ!」

 

 重力の(くびき)を引きちぎる跳躍。それはもはや、機をのがさぬ神の飛翔。

 その飛翔の勢いを活用して繰り出した水平回転蹴りシャンタクの横っ面を蹴り飛ばした紘汰は、そのまま捻り込むように体を回転させ、シャンタクの顔面目がけ、強烈な踵落とし(ストライク)を叩き込む。

 頭部に二連撃を喰らったことで、さしもの怪鳥も相当堪えたのか、か細い悲鳴じみた鳴き声を上げながら地面へと墜落していく。その怪鳥と入れ替わるように、紘汰の眼下に広がる森の木々をなぎ倒しながら上昇してくる新たなシャンタクが二体。

 

「まさか、こいつらもメガヘクスって言うんじゃないだろうな!」

 

 突如現れた増援に、かつての強敵を想起する紘汰。空中にあるその体を狙い、低高度に位置を取った二体のシャンタクが同時に空気塊を放つ。

 足場無き空中。逃げ場など、あろうはずが無い。

 ――否。そもそも逃げる必要など、あろうはずが無かった。

 

《フルーツバスケット!》

 

 黄金の果実――紘汰の手の中に収まった『極ロックシード』が、目覚めの声を上げる。

 その声に呼応して天空に形成された無数のクラックを通り、果実の姿を象ったアームズ達が次元の彼方より次々に飛来し、紘汰を狙う空気塊を弾き飛ばす。

 

「――変身ッ!!」

 

 男が叫ぶ。

 守りたいという祈り。見捨てないという誓いと共に。

 ヒトとして戦い、戦い抜いて、ヒトを超え、ヒトを棄て――神の領域に至った者が叫ぶ。

 丹田――体内全ての気を生み出すその器官を守るようにセットされた戦極ドライバーへ、極ロックシードが装填される。

 

《ロック・オープン!》

 

 封印(ロック)を解かれた、黄金の果実の強大な力、そして、招来された全てのアームズが一つになって、光り輝く鎧を形成する。

 それは、闇を祓う光の大将軍。

 魔を断つ破邪の聖銀。

 あらゆる絶望を砕く、無数の祈りと願いを重ね合わせた希望の結晶。

 憎悪に燃える空より、正しき怒りを胸に抱き顕れる永遠の戦士(エターナル・チャンピオン)

 その名は――。

 

《極アームズ! 大・大・大・大・大将軍!!》

 

 全身から迸る神気で二体のシャンタクを諸共に吹き飛ばし、清浄なる大気に騎士外套(マント)を靡かせながら、悠々と大地へと降り立つ者。

 アーマードライダー鎧武・極アームズ! 威風堂々、ここに顕現!

 

「ここからは――俺のステージだ!」

《ウォーターメロンガトリング!》

 

 ガトリングガンと大型シールドが一体化した武具を招来した鎧武は、体勢を立て直し迫り来るシャンタクの群れに砲口を向けて構えると、シールド内に仕込まれたトリガーを引く。

 高速回転する銃身からエネルギー弾が次々に撃ち放たれ、その嵐を真正面から浴びたシャンタクの一体が内側から膨れ上がるように爆散する一方、残る二体のシャンタクは仲間の死を気に留める事も無く、羽ばたきを加速させる。

 

《ソードブリンガー!》《アップルリフレクター!》

 

 右手に長大な刀身を備えた両刃の騎士剣を、左手に紅に輝く巨大な盾を装備し、鎧武は二体のシャンタクを迎え撃つ。

 上方より振り下ろされたシャンタクの凶爪に騎士剣の刃を合わせ、文字通り火花を散らしながらその猛襲を打ち払う一方、地を駆けながら突進してきたもう一体のシャンタクを、鎧武は左手の盾で真正面から受け止める。

 シャンタクの頭頂部に生えた水晶にも似た硬質の角と紅の盾がぶつかりあった余波が猛烈な風となり、辺りに生えていた木々の葉を散らし、枝をもぎ取っていく。

 

「二人の所には行かせない!」

 

 大型トラック、いや、ロケットエンジンを接合した重戦車と正面衝突するのにも等しい衝撃を受けようと鎧武は微動だにしていなかった。そのまま盾をあえて内側に引き込めば、支えとなる前脚がない事が災いし、シャンタクは突進の勢いのままぐらりと大きくバランスを崩す。

 その隙を見落とすような者であるならば、葛葉紘汰という男は今この場に立っていない。

 

「おぅらあッ!」

 

 舞うように繰り出されたソードブリンガーの刀身が、シャンタクの喉笛を貫く。いかに強固な怪鳥の鱗と言えど、その刃を止めること能わず。首の後ろからソードブリンガーの切っ先が覗くほどに深々と刀身を突き刺されたシャンタクは、ごぼりと粘着質な音を立て、口の端からどす黒い血を吐き出しながら絶命する。

 そのままソードブリンガーとアップルリフレクターを手放し、鎧武は腰のドライバーに手を伸ばす。

 

《ソニックアロー!》

 

 青き三日月が如き姿をした武具――創世弓・ソニックアローを構え、鎧武はその視線を上方へと向ける。プリズムの如く輝くその眼が睨むのは、青い空に大きな弧を描きながら旋回し、加速を続ける最後のシャンタクの姿。恐らくは限界まで加速し、自身の重量と速度を以て相打ち覚悟で鎧武を轢き潰す腹積もりなのだろう。

 そう見て取った鎧武は、腰のホルダーからレモンエナジーロックシードを取り出し、ソニックアローへとセットする。

 

《ロック・オン》

 

 引き絞られた創世弓の先に、エナジーロックシードの力が輝きとなって集約されていく。

 古の大英雄達の如く天に弓引く鎧武に向け、最終加速フェイズを終え超音速に達したシャンタクが迫る中――鎧武はその矢を解き放った。

 

《レモンエナジー!!》

 

 それは地を穿つ雷鳴、あるいは天を駆ける流星の一条。

 人の(わざ)と異界の力が合わさりし輝きの一矢が、シャンタクの突撃をも上回る速度で蒼穹を貫く。

 真正面からその矢を喰らい、頭から尾の先に至るまでを直線上に刳り取られた最後のシャンタクは、己の死に気づくことすらできなかった。ただ、解き放たれたエナジーロックシードの力の余波を浴びて空中で爆炎へと変わる、さっきまでシャンタクだったものの破片だけが怪鳥の死を物語る。

 

(すごい……)

 

 その圧倒的な力を目の当たりにし、アビゲイルは内心で驚愕の声を漏らす。

 鎧袖一触とはまさにこのことか。戦いを終えてみれば、三体のシャンタクは鎧武に傷をつけるどころか、まともな一撃を喰らわせる事すら出来ぬまま、一方的に蹴散らされるばかりだった。

 襲い来る脅威を倒した鎧武は、そのアームズを解除――することなく、それどころかむしろ警戒を強めたような隙のない構えで、増援のシャンタク達が飛び出してきた方角を睨みつけた。

 

「……紘汰さん?」

「だめ、アビゲイル。じっとしていて」

「舞さん?」

 

 鎧武の様子に怪訝なものを感じ、身を乗り出しかけたアビゲイルを舞が押しとどめる。

 

「なにか、居る……」

 

 当惑と警戒、そして隠しきれない恐怖を孕んだ舞の声。その真剣な声音に、アビゲイルが事の重大さを理解した直後だった。

 この場に、否、この星に――いや、それでも足りぬ。

 この宇宙に、この世界そのものに似つかわしくない、決して響き渡ってはならぬ拍手の音が、実にゆったりとしたテンポで響き渡る。

 

「――いやはや、わざわざセイレム版を連れてきたのに、瞬殺とはね。

 さすが神様というべき、かな?」

 

 拍手の主。シャンタクを放った者。

 それは女であった。女の姿をした、何者でも在り、何者でもない、ナニカであった。

 黒い髪。胸元が大きく開いた黒いスーツ状の上下。アンダーリムの眼鏡の向こうに見える紅の瞳。蠱惑的な笑みを浮かべ、悠々とした足取りで歩むその眼鏡の女を、鎧武は睨みつける。

 まるでそのナニカが――不倶戴天の敵であるかのように。

 

「お前は、誰だ」

 

 その鎧武の声は、アビゲイルが聞いたことのない、深く重い声色をしていた。

 ――もし、アビゲイルが年相応のただの子供であったなら、その声と共に鎧武の全身から放たれた強烈な威圧感によって、一瞬で気を失っていたに違いない。

 それでもアビゲイルの全身を粟立たせた、重々しい神の声を真正面から受け止めながら、眼鏡の女は笑う。

 くつくつと、ただ嘲笑(わら)う。

 

「なかなか難しい事を聞くね、君は。名前なんて、僕にとっては全く以て意味のないものだというのに」

「っ!? それは……!!」

 

 嘲笑う眼鏡の女。その右手の中に握られている、漆黒に染まりし黄金の果実――暗黒(ダークネス)・極ロックシードを視界に捉え、鎧武が驚愕の声を漏らす。

 

「ある時は神父(ファーザー)。またある時は女王(クイーン)。またある時は浮上する恐怖(テラー)。アイスクリームをきらさないメイドだった事も、あったかな?

 しかして、その実体は――まあ、今回はこれにしておこうじゃないか」

《フルーツバスケット!》

 

 戯けた様子の女。その手の中で起動した暗黒の果実が、くぐもった、絡み合う触手の蠕動にも似た粘着質な音を溢れ出させる。

 その呪言と共に封印を解かれ、鍵の形状を成した暗黒・極ロックシードを、女は自らの下腹部――ヒトで言うところの『丹田』の辺りに、深々と突き刺した。

 

編神(へんしん)

《ロック・オープン!》

 

 けたたましい嘲笑と共に、女の体がばらばらに解け――『チクタク』と耳障りな音を立てながら再構成されていく。女を中心に渦巻く『黒い風』が『方程式』めいた紋様を描く中、『嘆きもだえる』かのような動作と共に『膨れ』上がり、瞬く間に収縮を始めたその体から『皮膚』が喪われ、下半身から『三本の足』が生え伸びる。

 

「なっ……なんなの、あれは……」

 

 繰り広げられる悍ましい光景に視線を絡め取られ、アビゲイルの精神は一瞬で正気と狂気の限界点まで押し込まれる。強烈な嘔吐感が胃の腑から口元まで駆け上がり、へたり込みそうになるアビゲイル。その彼女を気遣う余裕すら、今の舞からは失われていた。

 追い打ちをかけるかのように、女――もはやそう呼んでいいのかはだいぶ怪しいが――は、『三本の足』のうちの一本を無造作にもぎ取り、無造作に投げ捨てる。

 膝関節の部分で折れ曲がったまま地面に転がったその脚は、暫しの間びくりびくりと蠕動したかと思うと、突如『黒いライオン』めいた姿の怪物へ変わり、舞とアビゲイル目がけ飛びかかる。

 

「――させるか!」

《メロンディフェンダー!》

 

 エメラルドグリーンに輝く盾を招来した鎧武が、ライオンの進路上に割って入り、その強襲を阻む。

 漆黒の爪と、神緑の盾の激突。そのたった一合に、大気は恐怖の絶叫を上げるかの如き大音声と共に振動し、衝撃の大きさを物語る。

 守護者の盾に頭部を潰されたライオンが黒い粒子と化して消え去った一方、鎧武が構えたメロンディフェンダーの全体にも無数の亀裂が走り、やがて盾としての機能を失って粉々に砕け散った。

 

「さあて――さっきの質問に答えようじゃあないか」

 

 そして、喪われし護り(ディフェンダー)の彼方に、鎧武は見た。

 『影溜まり』を纏うかの如き『混沌』の化身(すがた)を。

 

「僕は、『暗黒』の大将軍」

 

 それは狂気だった。それは悪夢だった。それは邪悪だった。それは使者だった。それは道化だった。それは怪物だった。それは主人だった。それは破滅だった。それは妄執だった。それは太母だった。それは機巧だった。それは愚弄だった。それは女王だった。それは血肉だった。それは黒幕だった。それは端役だった。それは数式だった。それは暴嵐だった。それは冥王だった。それは邪神だった。

 それは、N■■■ら■■■手■pであった。

 白銀の鎧をまとう鎧武・極アームズを光の結実とするならば、それは闇の終極であった。

 

「いや……せっかくこんな宇宙(ところ)まで来たんだ。君たちと、彼ら(・・)の流儀に合わせよう。

 この姿、今の僕の名は――」

 

 光など一欠片も持ち合わせてはいない漆黒の総身。

 血と臓物を黒檀ですり潰した物を塗りたくったかのような、凝縮された闇の化身は、そのボディラインだけを見れば鎧武・極アームズと瓜二つ。強烈な光を背に立つ者の足元に『這い寄る』影の如く、装甲からマント、戦極ドライバーから刀めいた兜飾りに至るまで、形状だけは全く同一に模倣(トレース)した贋作(フェイク)

 それは、光を嗤う闇の大将軍。

 生命力に満ち満ちた果実の姿の代わりに、『く』の字に曲がった三枚羽の風車めいた紋様が描かれた胸甲を纏う者。

 翼を広げた虹色の孔雀を思わせる大型のラインアイの代わりに、貌なき顔の上に燃え盛る三つの巨大な眼を持つ者。

 異形なる神。白銀の光を嘲る、漆黒の影。

 その名は――。

 

「アーマードライダー・『悪心影(アナザーシャドウ)』!!」

 

 その瞬間、世界に、宇宙に、悪の名が刻まれる。

 高らかに謳われし永遠に消える事のないその名によって、星は(のろ)われる。

 

「さあ、存分に(ころ)しあおうじゃないか。星の守護者!

 唾棄されるべき希望の化身、あらゆる魔を断つ破邪の聖銀よ!

 ここからは――僕の舞台(ステージ)だ!!」

 

 悪心影が、舞台の幕開けを告げる。

 その一声を皮切りに、星が穢れていく。世界が悪徳に螺子(ねじ)曲がる。 

 木々は腐り、水は濁り、空気は澱み、命はおぞましき怪異へと変容しながら滅んでいく。

 魚が。小鳥が。野兎が。無垢なる命の群れが。

 捻くれ、へし折れ、千切れ、歪み、溶け、ひび割れ、裂け、弾け飛び、砕け――ただただ、無意味に死んでいく。生命の輪の中に還ることも無いまま、ただ物言わぬ骸に変えられていく。

 葛葉紘汰の怒りに火を付けるには、それは十分すぎる挑発だった。

 

「――ふざけるなあああああッ!!」

《無双セイバー!》《大橙丸!》

 

 輝ける()の鋭刃――大橙丸。そして無双セイバーを続けて招来し、左右の手に携えながら、鎧武は悪心影に飛びかかる。

 上方より下方へ振り抜かれる刃。X字を描くように交差する軌道を描く二刀(トゥーソード)

 その剣閃の交点、必死必殺の領域に立つ悪心影は――微塵も動じることなく、腰のドライバーへと手を伸ばす。

 漆黒の極ロックシードが、唸る。

 

《――皇餓!》

 

 神域に響く、硬質の激突音。

 それは、ぶつかり合う(はがね)刃金(ハガネ)が奏でる、死闘の為の前奏曲(プレリュード)

 

「なっ……!?」

「おやおや? きみ(オリジナル)に出来ることが、ぼく(デッドコピー)に出来ないと思ったかい?」

 

 鎧武が振るった二刀を、二刀を以て受け止めた(・・・・・・・・・・)ばかりの悪心影が、けたけたと嗤う。

 その両手に握られているのは、長大なる刀身を成す片刃の曲刀。鉄の塊をそのまま削り出したかの如き、刀身と柄が継ぎ目無き一体を成す、無骨なる殺戮の武具。

 悪心影の身の丈ほどもあろうかという長刀は、たった今『召喚』されたばかりの刃。

 それは、この宇宙には在り得ざるはずの物。闘争に餓えたる皇が如き神の模造品、その断片であった。

 

「――後ろに避けて! 紘汰さん!!」

「っ!!」

 

 驚愕が生んだ一瞬の空隙を裂いて響き渡る、アビゲイルの叫び。

 その声に導かれるように、鎧武は全力でバックステップ。

 追いすがるように突き出された三本目(・・・)四本目(・・・)の切っ先が空を裂いたのは、そのコンマ数秒後の事だった。

 

「へえ……何故、君がこの奥の手(・・・)を知っているのかな。アビゲイル・ウィリアムズ」

 

 左右の手――背中から生えたもう一組の左右の手に、元よりあった左右の手に握る物と同じ曲刀を握りしめたまま、悪心影はその燃える三眼でアビゲイルを睨みつける。

 

「きみは……僕の牢獄にも、鮮血の悪夢にも在り得ざる存在だろうに」

 

 必殺を企図した刺突の体勢のまま、脇の下をくぐるように正面へ突き出された、二組めの腕。アビゲイルの警告が無ければ、その剣は確実に鎧武の胸部を貫いていた。

 背を覆うマントの下に隠されていたわけではない。攻撃動作の直前に至るまで、確かにその腕は存在しなかった。

 刺突の瞬間に、悪心影の背に召喚されたのだ。二振りの長大なる曲刀ごと。

 それは、常識の埒外より振るわれる外法の刃。たとえ神とはいえ、知らぬ者が避けられるような剣ではない。無論、これが再戦(リベンジマッチ)なら避けようもある――が、この宇宙に、こんな邪剣を振るうものは存在しない。

 故に、絶対に避けられるはずが無いのだ。

 ――彼女が、ここにいなければ。

 

「わ、わたし……ど、どうして……」

 

 驚愕と恐怖、困惑に目を見開きながら、アビゲイルは口をぱくぱくと動かす。

 知るはずもない――だが、()っていた。あの『神の模造品』――『鬼械神(デウス・マキナ)』が、不意打ちの為の腕を隠し持つ事を、識っていた。

 見たこともない――だが、(おぼ)えていた。まるで直接刃を交えた事があるかのように、アビゲイルは――あるいは、アビゲイルの中にある何かが――憶えていた。

 その知識は。その記憶は。切なる叫びとなってアビゲイルの喉を震わせ、鎧武を窮地より救う切欠となった。

 

「何故だ! 答えろ、アビゲイル・ウィリアムズ! 生ける銀の鍵よ!」

「――どこを見ている、悪心影!」

《影松!》

 

 漆黒の十字槍――影松を招来した鎧武が、さながら黒い嵐の如き連撃を振るう。

 悪心影が振るう鈍色の四刀と、鎧武が振るう漆黒の槍が幾度となくぶつかり合い、フルオートでぶっ放されるマシンガンもかくやというほどに激しい音の連なりを作り出す。

 

「まだやる気かい? 鎧武(オリジナル)!」

 

 後から増えた方の腕を消し去りながら、悪心影は手にしていた四刀をまとめて投擲する。

 

「当たり前だ! 悪心影(アナザーシャドウ)!」

《スイカ双刃刀!》

 

 切っ先から柄に至るまでの全てに殺意を込めた長刀が風を裂いて迫りくる中、鎧武は両端に刃が付いた巨大な薙刀を招来し、その軸を蹴り飛ばす(オーバーヘッドキック)。神力篭もる長刀と薙刀が空中で激突し、爆炎を産みながら諸共に砕け散る。

 

《ベルゼビュート!》

 

 その爆炎を裂いて、獲物に飛びかかる餓えた毒蛇の如く鎧武に迫るロープ。血に濡れた肉色をしたその綱を構成する材料は、人の臓物。つなぎ合わされ、撚り合わされた肉の管が影松を絡め取り、飴細工か何かのように無残にへし折る。

 咄嗟に槍から手を離し、腕を引き込まれる事を避けた鎧武を狙い、蠢く腸管の群れが迫る。悪心影に操られた肉の蛇が、鎧武を狙う。

 しかし――蛇を操るのは、何も彼奴の専売特許ではない。

 

「はあッ!」

 

 鎧武の叫びと共に奔った深緑の縛鎖が、肉色の縛鎖を絡め取る。

 それは、オーバーロードのみが操る事を許される侵略植物。ヘルヘイムの名で呼ばれし、進化の試練を与える者達。

 今や鎧武の力の一部となった太く靭やかな緑の蛇の群が、悪心影が操る肉の蛇の群を縛り上げ、その動きを阻む。

 

「まったく、そんな力まで手に入れているとは」

 

 晴れた爆炎の向こうで、悪心影が呆れたように肩を竦める。

 白銀の鎧武と、漆黒の悪心影。間合いをとって睨み合う二人の大将軍の間で、深緑/肉色の蛇達が絡み合う。強大な力によって操られた鎖達は限界まで張り詰められ、ぎちり、ぎちりと、軋んだ音を立てて互いの動きを封じあう。

 ヘルヘイムの蛇はともかく、もう一方の力は、この宇宙で初めて放たれた暴食(ベルゼビュート)の魔。皇餓の外法と同様、見覚えのある者がいるはずもない。知る者があるはずもない。

 故に、そこに隠された悪意は必死必殺の牙となる。

 

(……いけない)

 

 ――だというのに。

 いや、『だからこそ』というべきか。

 アビゲイルの胸の内で、また何かが叫ぶ。優しき神に迫る危機を叫ぶ。

 知らぬ/識っている光景が、見えぬ/憶えている映像となって脳裏を駆ける。

 

(……星の精(スター・ヴァンパイア)……不可視の、迷彩兵装……!)

 

 それはボロ布をまとったゾンビを思わせる、巨大にして強大、そして醜悪なる『神の模造品』――鬼械神(デウス・マキナ)・『ベルゼビュート』が操る武具の一つ。そして恐らくは、その認識不可(ステルス)性を活かして、今や遅しと葛葉紘汰の命を狙って蠢いているのであろう存在。

 その存在を、鎧武は――いや、この宇宙に生きとし生ける者全てが知らない。アビゲイル以外の誰も、その存在を知らない。故に、このままいけば、さほど時を置かず不可視の殺意がその身を貫く。

 

 《――させぬ》と。

 アビゲイルの胸の内にある何かが叫ぶ。

 

 《させてはならぬ》と。

 気高き獅子の如く吼える。逸る心臓の如く響く。そして、アビゲイルに乞う。願う。祈る。

 

 《我と共に神を守護(まも)れ》と咆哮する。

 その無音にして大いなる声無き咆哮を、アビゲイルは言葉として紡ぐ。

 

「紘汰さん、気をつけて! あなたの近くに、見えない敵がいるわ!」

「――ああ!」

《イチゴクナイ!》《パインアイアン!》

 

 アビゲイルの警告(アラート)を聞き取った鎧武の行動に、一切の迷いは無かった。

 苺の果実の表面を飾る種子達のように空中に展開された無数のクナイが、そのまま四方八方に撃ち放たれ、即席の超攻性防御結界(・・・・・・・)を生成。その大半は目標を捉える事無く地面に突き立つが――そのうちの数本が、なにもないはずの『空間』に突き刺さる。

 そのクナイを目印に振り回されたチェーン付きアイアンハンマーが、何かを打ち砕いた確かな手応えを返した直後、クナイが突き刺さっていた『空間』が爆裂四散する。

 

「こいつはおまけだ! 悪心影!」

「――ちいっ!」

《クラーケン!》

 

 絶対不可視の兵装を打ち砕いた勢いのまま、鎧武はパインアイアンを振り回し、遠心力による加速と共に悪心影へと叩きつける。

 実に忌々しげな舌打ちと共に、悪心影はまた新たな力を召喚。

 両手の中に招来された流水を凍りつかせて生成した氷の盾を掲げ、振り下ろされるハンマーヘッドを真正面から受け止めると、そのまま追撃の拳を叩きつけて盾ごとハンマーヘッドを粉砕する。

 

「まったく、『屍食教典儀(皇餓)』に続き、『妖蛆の秘密(ベルゼビュート)』まで……。

 本当に君は一体なんなんだい? アビゲイル・ウィリアムズ。

 今のアーカムならともかく、無限螺旋(アーカム)にも、鮮血怪異(アーカム)にも存在しなかった君が、なぜ獣の七頭(アンチクロス)を知っている?」

 

 その問いに答える言葉を、アビゲイルは持たない。

 己の力を満足に制御することすら叶わぬアビゲイルに、どうして己の根源を知れようか。

 よしんば知っていた所で、この得体のしれぬアーマードライダーに教えてやるつもりなど、これっぽっちも無いというのがアビゲイルの偽らざる本音であったのだが。

 

「ま、いいさ。元から君がお目当てだったんだ。

 わからないことは、あとからじっくり時間をかけて調べればいいだけさ」

「寝言は寝てから言え、悪心影(アナザーシャドウ)。お前の出番は、もう終わりだ」

《マンゴパニッシャー!》

 

 大型の戦闘用鉄槌(ファイト・オブ・ハンマー)――マンゴパニッシャーを両手で構え、鎧武は静かに告げる。

 

「いいや。出番を終えるのは君だよ、鎧武(オリジナル)

《レガシー・オブ・ゴールド!》

 

 悪心影の胸甲が左右に展開し、大口径の砲口がその姿を表す。変化はそれだけに留まらない。悪心影の背後、何もない空間がまるで小石を投げ込まれた水面のように波立ち、そこから無数の砲身が突き出される。

 戦車の主砲を思わせる大口径砲を備えた砲身。その砲口一つ一つに宿る魔力の輝きが、全て必殺の威力を秘めている事を言外に指し示している。

 

「実に、実に名残惜しいが、主役の出番はここでお終いだ。

 人々の希望を背負って立つ英雄は、虚しく命を散らしてあっけなく退場。それがこの物語の結末なんだからね」

「そんな三流脚本家の結末……俺がぶっ潰してやる」

《極オーレ!》

 

 戦槌の先にロックシードのエネルギーが集約され、果実を象った光を形成する。

 

「おうりゃあああああああああああああ!!」

「轟け、フレイザーの砲火よ!」

 

 振り抜かれたパニッシャーから迸る魔力と、砲口から放たれた魔力が激突。しばしの間、空中で競り合っていた高エネルギーの塊達だったが、やがて互いの存在を否定しあう力の奔流となって溶け合い、巨大な爆炎を上げる。

 惑星に吹く風がその爆炎を吹き散らすより早く、鎧武は地を踏みしめて悪心影との間合いを詰める。

 

《無双セイバー!》

 

 必殺の一撃を放ったばかりで重さの残る体を無理矢理に動かしながら、鎧武はパニッシャーを棄て、無双セイバーを招来。正眼に構えたその鋭い切っ先を道標にして、爆炎の中を突っ切る。

 果たして、悪心影は――その向こうにいた。

 無防備に晒された、棒立ちの体。おあつらえ向きに開いたままの胸甲。背後の空間より突き出た砲身は、一つたりとも鎧武の方を向いていない。今更どんな力を召喚しようが――否、そんな時間など入り込む余地のない必殺の間合いに、鎧武はたどり着いている。

 あとはもう一歩踏み込み、右手の剣を突き出せばいい。頭でも、心臓でも、胴でも、あるいはその全てでも、貫くことが叶う。

 戦場の終極。反応速度の交錯の中で生まれた、無限に等しいほどに引き伸ばされし一瞬の中で――魔を断つ剣が、ついに届く。

 

「ああ、そうだ。君は勝つ。勝ってよいのだよ。

 ――あの二人を見殺しにして、ね」 

 

 混沌が嗤う。

 三眼燃える仮面の下で嗤いながら、鎧武を、葛葉紘汰を誘惑する。

 このまま最後の一歩を踏み出し、悪心影を倒せと嘯く。

 金色に輝く魔力を湛えた無数の砲身――その軸線上に捉えられた、舞を、アビゲイルの命を見捨てて勝利せよと囁く。

 砲火が放たれるまでのほんの一瞬。その一瞬を勝利の為に使い潰して、悪を討てと嘯く。

 

「でも――できないだろう? 君は『守りたいと祈り』、『見捨てないと誓った』のだから」

 

 混沌が哂う。

 葛葉紘汰の誓いを嘲り、祈りを陵辱し、誇りに汚泥を浴びせかけながら、悪心の将が哂う。

 爆炎を目くらましにした鎧武が乾坤一擲の一撃を狙ったように、悪心影もまた企図していたのだ。相手が間合いを詰めてくるだろうと予期した上で。

 それは、砲身の角度を少しばかり動かすだけの、仕掛けとも罠とも呼べぬ稚拙な、そして陳腐(ベタ)な物だったが――やさしいかみさま(・・・・・・・・)を死地に導くのであれば、それは十分すぎる程に凶悪だった。

 

「だから、君はここで退場だ」

 

 混沌が嘲笑う。

 目前に迫った勝利を棄て。必殺の一撃へと繋がる踏み込みを棄て。

 舞とアビゲイル、そして砲身が作り出す直線上へ飛び込んだ愚かな男を嗤い、哂い、嘲笑い――鬼械神(デウス・マキナ)・『レガシー・オブ・ゴールド』の砲に込めた膨大な魔力を解き放つ。

 砲身群から放たれた金色に輝く魔力の奔流が一つに融合し、巨大にして極太の破壊光線(ビーム)となって星を灼く。

 守るべき者のために立つ、鎧武を灼く。

 

「ぐっ――があああああッ!!! あ゛あ゛アアアアアッ!!!」

 

 盾を招来する時間など入り込む余地は無い。

 無双セイバーが一瞬で蒸発する中、その白銀の体を金色の殺意の前に晒し、鎧武は必死に立ち続ける。

 魔の力が生み出す膨大な熱量を受け止める白銀の鎧は、溶融、沸騰、蒸発、しかし直後に再構築というプロセスを一秒の合間に数百度も繰り返す。『極ロックシード』が持つ通常のロックシードを遥かに越えた出力と、『始まりの男』たる葛葉紘汰が持つ、世界を自在に作り変える程に強大な力によって成される小さな奇跡。

 神気を(やじり)の様に放出し、鎧武は一条の光線を双つに引き裂き続ける。遥か後方にて身を寄せ合う舞、そしてアビゲイルに、破壊の奔流を浴びせぬ為に、己の体を剣と為し、盾に替えて立ちはだかる。

 

「――ああ゛あ゛!! ぐううう、がはぁっ、あ゛ああ゛ぁあああ!!」

「痛いだろう? 苦しいだろう? 存分に味わい給え、神の怒りを!」

 

 悪心影の嘲りが、鎧武の耳に届く。

 実際、その嘲弄は真実を指し示していた。鎧の再生と光線の裂断に、鎧武は持てる出力のほとんど全て使っている。そうせざるを得ないほどに凄まじい魔力の嵐。それを浴び続ける肉体は、激痛を叫ばないはずがない。

 至る所に負った深い火傷。手足の感覚などとうの昔に失せ、内臓機能がやられたらしく口から血が幾度も溢れ出す。顔を覆う兜が割れた際の衝撃と熱で左目が潰れたか、視界の片側はいつのまにか暗い。

 黄金の果実を口にした事によって肉体が強化されていなければ、とっくの昔に全身が消滅している。

  

「……こん、なの……! ぐっ……ロシュオ達に比べたら……なんてことあるか……ッ!」

 

 それだけの破壊力を浴びようとも、鎧武は膝を屈しない。

 かつて立ちはだかった強敵達。拳を交え、刃を交え、互いの誇りと信念をぶつけ合った勇士達との戦いが、彼を強くした。

 そして、今。彼の後ろには舞とアビゲイルがいる。

 神の戦いを、征く道を見つめる者がそこにいる。守るべき命がそこにいるのだ。この程度で倒れてなどいられるものかと意地を張る。そのちっぽけな、なけなしの意地(プライド)一つで、今にも崩れそうな己を支える。

 灼かれた腕を交差させ、崩れそうな脚に力を込める。例え肉体が滅び去り、魂だけとなろうと、ここから一歩たりとも引き下がるつもりは無い。

 ここで斃れる事が己の弱さだというのなら――今の鎧武には、その弱さと折り合うつもりは一欠片もありはしなかった。

  

「俺が――みんなを、守るんだああああああああああああッ!!」

《バナスピアー!》《極スカッシュ!!》

 

 招来されたスピアーを右手に掴み、鎧武は残った全エネルギーを込める。

 既に溶融を始めたスピアーが完全に消滅するまでの、たった1秒。その1秒を喰らいつくし放たれる渾身の一撃。強大なる者(オーバーロード)に挑む力の具現、黄金に輝く槍の如き巨大な実芭蕉(バナナ)のオーラが、金枝篇(レガシー・オブ・ゴールド)の砲火を貫き通して悪心影に迫る。

 

「死に損ないのくせに、やるじゃないか」

 

 神をも穿てと放たれた金色の刺突を、悪心影は到達寸前で体を逸らして躱す。

 乾坤一擲の一撃は、獲物を捉える事は能わず。

 なれどその一撃は、悪心影の背後から伸びる砲身群を確かに貫いた。伝播する魔力の暴走によって、レガシー・オブ・ゴールドの砲身が次々に爆散していく。

 そして、永遠に続くかと思われた砲撃が止む。

 金色の砲火に耐えきった白銀の鎧武者は、全ての力を使い尽くし、がくりと膝をつく。

  

「――ぐ、ああっ……」

 

 その体から白銀の装甲が失われ、光となって空中に散じていく。

 その体から黄金の神力が喪われ、光となって惑星に散じていく。

 鎧を失い、力を喪い、息を切らしながら、それでも崩れ落ちた膝に力を入れて必死に立ち上がる者。

 それはまだ若き青年だった。

 世界の命運という重すぎる荷物を背負うにはあまりにも若く、そして凡百な――ちっぽけな青年であった。

 

「へえ、あれを受けてもまだ生きてるとはね……大方、どこかにバックアップを仕込んでいたって所かな?

 だけど……その様子じゃ、死なないようにするのが精一杯だったようだね?」

「どうかな……お前が相手なら、これくらいがちょうどいいハンデだろ」

 

 強気の笑みを浮かべて嘯く葛葉紘汰の額から、一筋の赤い液体がつつと流れ落ちる。その赤い血が流れ込む左目には未だ光が戻っておらず、力なく垂れ下がったままの右腕はぴくりとも動かない。内蔵に負ったダメージは回復しきっているはずもなく、こうして立っているだけで脂汗が噴き出し、残った命が削られていく。

 しかし、彼はまだ生きている。

 理不尽な悪意の前に立ちはだかる理由など、それで十分だ。

 

「そんな体でよく言う。もはや、変身すらまともにできないだろうに!」

《ロードビヤーキー!》

 

 悪心影の両腕が、押し潰された法衣の袖めいた、あるいは航空機の翼めいた平べったい形態に変異する。

 

「スペル・ライフル・シュート!」

「ぐああああッ!!」

 

 悪心影の両腕、その先端から放たれた高密度の魔力弾が、葛葉紘汰めがけて放たれる。まともに動かぬ体を引きずり、ギリギリのところで直撃を避ける事には成功した紘汰だったが、足元で炸裂した魔力弾が生み出す爆炎に弾き飛ばされ、為す術無く天へと打ち上げられる。

 

「おおっと。まだ終わりじゃないんだなあ、これが」

《サイクラノーシュ!》

 

 三眼燃える悪心影の顔が上下逆さまに反転し、胸部に3つの人面疽が浮かび上がる。両肩から伸びる、金属で作られた太いヒトデの脚めいた4本の突起物は、どこか魔術師が纏うローブを思わせる。

 歌うように、奏でるように、哂うように、人面疽たちが複雑怪奇な呪言の三重詠唱を紡ぐ。その呪言によって瞬時に展開された超重力結界が、未だ宙にある紘汰の体を捕らえ、凄まじい勢いで真下へと叩きつける。

 

「――かはっ……!」

 

 うつ伏せのまま地面へと叩きつけられた紘汰の胸部から、めきり、めきりという骨の砕ける音が響く。無理矢理に排出された肺の空気が意図しない音となって溢れるのと同時に、腰の戦極ドライバーから極ロックシードが外れ、そのまま地面を転がっていく。

 

「おや、それが君の力の源かい? またバックアップから復活されても面倒だし……壊しちゃおうか」

 

 地に転がった極ロックシードに、悪心影が視線を向けた瞬間だった。

 

「――させないわ!」

「アビゲイル!?」

 

 金色の髪を靡かせた小さな影――アビゲイルが四阿を飛び出す。

 困惑する舞の声を背に、魔力砲の余波で未だ沸騰を続ける大地に左右を挟まれながら、アビゲイルは前へ前へと駆け、地面を転がるようにしながらも極ロックシードを両手で掴みとる。

 

「アビゲイル、逃げろ……!」

「逃がすわけがないだろう? さあ詠唱(うた)え! ガルバ、オトー、ウィテリウス!!」

 

 悪心影の胸甲に植え付けられた人面疽たちが再び詠唱を始め、重力結界を展開。自分の体重が百倍にでもなったかのような強力な重圧によって、舞、そしてアビゲイルは、たまらず地面へと倒れ伏す。

 それでも必死に体を丸め、ロックシードを握った両手を抱え込んだアビゲイルの側へ、倒れたままの紘汰の横を興味なさげに通り過ぎた悪心影が迫る。

 

「さあ、アビゲイル。いい子だから、その黄金の鍵を僕に渡すんだ」

「いや……絶対に、イヤ! あなたなんかに、渡さないわ!」

「おやおや、アビゲイルは悪い子だねえ。これは……お仕置きの必要がありそうだ」

 

 くつくつと哂いながら、悪心影は右足を後ろに引き――アビゲイルの無防備な脇腹を、何の躊躇いもなく蹴り飛ばした。

 

「――っぅああああっ!!!」

「アビゲイル!」

 

 体にめり込んだ固いつま先の感触は、即座に激痛となってアビゲイルの神経を駆け巡る。

 アーマードライダーの一撃を受けた小さな体は、その威力にされるがまま地面を転がっていき、その進路上に呪縛されていた舞に受け止められることでなんとか停止する。

 

「――ああっ……ひうっ……!」

「アビゲイル、しっかりして! アビゲイル!」

 

 視界が痛みに明滅する。必死に呼びかける舞の声を、遠くに感じる。気絶すら許されぬ激痛の中、無数の涙を流しながら、アビゲイルはそれでも必死にロックシードを握りしめる。

 これだけは、決してあの悪魔に渡してはいけない。胸の内の声を聞くまでもなく、そう確信できる。

 

「さて、次はどうしようか。アビゲイル? 指先から少しずつ、少しずつ、すりおろされてみるかい?

 それとも、蛆虫達に君の内臓を食い破らせようか?

 なんだったら……君の代わりに、そっちの女の方をなぶり尽くす方が効果的かな?」

「――やめろ」

 

 あえて悪辣な手段を挙げながら、悪心影が悍ましい算段を始めた直後。

 後ろから聞こえてきた低く、そして必死の声に、悪心影はゆっくりと振り返りアビゲイル達に背を向けた。

 

「二人に、手を……出すな……!」

「君もしぶといねえ。そんなに彼女らの事が大切かい? 葛葉紘汰」

 

 一際その圧力を増す超重力の結界の中、悪心影を睨みつける者がいる。

 まるで、傷つき、歪み、刃毀れた剣のようにボロボロになった体を、力づくで立ち上がらせる葛葉紘汰。その姿を、悪心影はただひたすらに嘲弄する。

 

「君も知っているだろう? そこにいるアビゲイル・ウィリアムズが、セイレムで何をしたか。

 彼女がどんなに邪悪な力を宿した人間か……いや、そもそも『人間』ですらない事を、さ」

「ああ、知ってるさ。アビゲイルが、セイレムでしたことも。あの子の中にある、力のことも。

 あの子が――サーヴァントだって事も」

 

 ごきり、みちり、と音を立て。

 結界の中、一歩、また一歩と歩みを進める紘汰の体が、その重圧に負け、少しずつ、少しずつ破壊されていく。

 

「ならば、なぜ守ろうとする? それを知って尚、なぜ彼女のために戦おうとするんだい?」

「……決まってるだろ」

 

 前へ、前へと。脚を踏み出す。傷つき、砕かれ、壊されながら。それでも葛葉紘汰は前に進む。

 

「俺は、みんなを守りたいと祈った。もう、誰も見捨てないと誓った。

 だから――そこに泣いている子供がいるのなら、助けるに決まってるだろうが!!」

 

 叫ぶ。

 全身の血を滾らせ、傷口から血を迸らせながら、葛葉紘汰は叫ぶ。

 祈りを紡ぎ、誓いを掲げ、砕け散りそうな身体(じぶん)を動かす心臓(エンジン)を稼働させる。

 

「そんな……そんな幼稚で野蛮な理屈一つで、彼女を守るというのか!

 異端を――『外なる神々』を呼び覚まし、この宇宙そのものを滅ぼす力を持つバケモノを!」

当たり前だ(・・・・・)!」

 

 襲い来る重力圧に全身が軋む。傷口からは血が溢れ出し、動かぬ右腕は今にも千切れ落ちそうだ。

 それでも、進む。前へ、前へと進む。

 

「どんなに強い力を持っていたって、それで全てが決まるわけじゃない!

 その力で、怪物になるか、英雄(ヒーロー)になるか……それを決めるのは、力を持ったそいつ自身の意思だ!」

「今更信じるとでもいうつもりか! 人の心を棄て、幾度も誤ちを犯した、この怪物(アビゲイル)を!」

「――誤ちを犯さない人間(・・)なんて、どこにもいない。誰だって争うし、傷つけあう事だってある。

 だけど……その度に、人はやり直す。間違いを正しながら、少しずつ歩いて行けるんだ!

 俺はその可能性を信じる――そして、アビゲイル(ひと)が歩む、これからの未来を守る!」

 

 まだ動く左腕に力を込め、かろうじて動く脚を踏み出す。

 繰り出される悪心影の拳をほとんど倒れ込むような動きで躱した紘汰は、握った左拳を振るい、悪心影の顔面目がけてクロスカウンターを叩き込んだ。

 

「お前が、その未来を閉ざす存在だというのなら――俺は、お前を絶対に許さねえ!」

 

 三眼燃える漆黒の仮面に拳が突き刺さり、小さな、本当に小さなひび割れを刻む。

 それと同時に、悪心影の顔面に突き刺さった紘汰の拳の骨が粉々に砕け散る。

 

「――なら、未来を見ること無く死に給え。愚かなる希望の化身よ」

 

 殴りつけた紘汰の腕を弾き、返す一撃で後方へと大きく吹き飛ばす。

 

《ダークネス・極スカッシュ!》

 

 受け身も取れぬまま大木へと激突し、それでもかろうじて立つ葛葉紘汰にトドメを刺さんと歩む悪心影。その右手に、暗黒の闘気――否。凍気が、収斂していく。

 術式を組み上げていく手刀の構えを為す右手に集うは、絶対零度すらも超越する負の無限熱量。全てを無の静寂に停止させる(ゼロドライブ)は、必死必滅の一撃にして、神をも滅ぼす極低温の刃。

 その必滅の奥義を受け止めることは、ボロボロに傷つき、魂一つで立っているような今の葛葉紘汰には絶対に不可能。

 それを――アビゲイルは知っている。その事実をを知りながら何も出来ない。

 どうしようもない無力感がアビゲイルを苛む。

 

(何も……何もできないの? こんな力があっても、私には何も出来ないの!?)

 

 世界と世界の狭間に、門を開く力。人の身には在り得ざる超常の力。そんな力があっても、今のアビゲイルは恩人一人救うことが出来ない。

 あの時、絶望と共に振るった外なる神の力が今ここにあれば――いや、未熟なアビゲイルがあの力を再び取り戻しても、異界の存在に成り果てて、再び世界に痛みを撒き散らそうとするのが関の山だ。

 アビゲイルは知らない。

 戦い方を知らない。己の力の使い道を知らない。異界の神が持つ力を知っていても、それに抗う術を知らない。悪夢の如き理不尽に、立ち向かう術を知らない。世界に痛みを与える事はできても、世界を守る方法を知らない。

 故に、彼女に為し得ることなど、何ひとつありはしない。

 

 

 ――本当に(・・・)

 

 

 

『ああ、まったく――』

 

『きみはわがままだね、アビゲイル』

 

 

 

(――っ!?)

 

 アビゲイルの脳裏に去来する、暖かな声。

 遠き彼方、今まさに異端を生み出さんとするセイレムの地で聞いた声。

 どうして忘れることができようか。アビゲイル以上にわがままで、旅が好きで、新たな友人に出会いたくてたまらない――一座の長(マスター・オブ・カルデアス)の声を!

 

(――そうよ。私は、知っている……識っているわ!)

 

 アビゲイルは識っている。

 異界の神にならんとしたアビゲイルの前に立ちはだかった、ちっぽけな人間の姿を。

 ほんの少しばかり魔術が使えるだけの、ただの凡人でありながら、サーヴァント達と同じ戦場に立ち続けたあの人(マスター)の姿を。魔術回路を全開まで酷使し、アビゲイルを止めようと命をかけたマスターの姿を。

 たとえ己自身に戦う力は無くとも――絆を結んだ英霊(ヒーロー)と共に、世界を覆う痛みの前へと立ちはだかったその姿を。

 大いなる使命(Grand Order)を背負い、世界を守ったその勇姿を、アビゲイルは知っている。

 その強さを、アビゲイルの霊基(からだ)が憶えている。遠い遠い時間の果てに至ろうとも決して途切れぬ(えにし)となって刻まれている。

 

(それだけじゃない。私は、知っている。絶望に屈しなかった、騎士(ライダー)の事を。

 ……これはきっと、紘汰さんの記憶)

 

 アビゲイルは識っている。

 世界を覆う理由なき悪意に立ち向かった、葛葉紘汰の戦いを。痛みと喪失、死と戦いに満ちた、悪夢の如き道を。

 しかし――彼が見る夢は、悪夢だけではない。

 その道の中で行き交った全ての者が、葛葉紘汰の敵だったわけではないことを知っている。

 志を同じくし、世界を守ろうとした仲間がいたことを知っている。時に道に迷い、時に袂を別ち、それでも英雄(ヒーロー)として立ち上がり、理不尽な悪意に抗った達者がいることを知っている。

 彼の進んできた道が――そして、これから進みゆく道が、決して孤独なものではないことを知っている。

 

(――じゃあ、これは……? これは、誰の記憶?)

 

 アビゲイルの脳裏を駆け巡る数多の――否、もはや無限と言うべき大量高密度の記憶の渦。

 鬼械神(皇餓)鬼械神(ベルゼビュート)鬼械神(クラーケン)鬼械神(レガシー・オブ・ゴールド)鬼械神(ロードビヤーキー)鬼械神(サイクラノーシュ)

 暴君君臨す塔の如き巨躯を誇る名も知れぬ(ネームレス)鬼械神(デウス・マキナ)

 鮮血に染まりし邪竜が如き、最凶最悪の鬼械神(デウス・マキナ)

 ドリルが生えたドラム缶じみた破壊兵器(ロボ)

 背の高いビルが立ち並ぶ覇道魔界都市(アーカム)が、ミニチュアの集合体(セット)のように感じられるほどに巨大な姿を持つ『神の模造品』達――一機を除いて――を相手に、戦い続けた記憶。幾度となく傷つき、数え切れぬほど倒れ、無限に等しき数の敗北を重ね、それでも決して折れなかった剣の記憶。

 葛葉紘汰の記憶と同様に、アビゲイルの記憶と共鳴する『神』の記憶。それを繋ぐ『鍵』となるのは――。

 

(私の中にある力……『銀の鍵』の記憶……!)

 

 無数の宇宙を渡り、無限の世界を繋ぐ『銀の鍵』の記憶。それを認識した瞬間、アビゲイルの視界の全てを、真っ白に輝く光が包む。

 いつの間にか重力結界の軛から解き放たれている事を疑問に思う事すら出来ぬまま、アビゲイルは目の前に在る、その巨大な造形物を見上げる。

 ごうごうと唸りを上げながら、円周軌道で高速回転を続ける鋼鉄の柱。光り輝く無数の魔法陣によって幾重にも取り囲まれながら、残像が残像を描くほどの速度で回転を続ける無数の金属柱。

 その中心で燃え、砕け、生まれ、膨らみ、弾け、電光を迸らせる無数の球体。その一つ一つが、無数の世界に繋がる門であり、無限に等しいエネルギーを供給するために作られたこの機関の一部――即ち、心臓の要であった。

 それは人の心臓に非ず。人間のために在るもの(・・・・・・・・・・)を動かす、『獅子の心臓』。

 その核を為す機関の名を、アビゲイルはもう知っていた。

 

「『銀鍵守護神機関』。あの無限の戦いは……あなたの記憶なのね?」

 

 アビゲイルの問いに応えるかのように、機関(エンジン)が一際強く、ごう、と唸りを上げる。

 平行世界から汲み上げられた超霊的エネルギーが光を生む。その輝ける光の中、揺らぐ巨大な影が一つ。『獅子の心臓』の主。実在と非実在の狭間に留まりしその影を、その姿を、アビゲイルは見た。

 天を貫いて聳えるその勇姿は、鬼械神(デウス・マキナ)達にも引けを取らぬ、全長50メートルはあろうかという巨躯の人型。

 戦人がかぶる兜を思わせる、鋭く真っ直ぐな角が伸びる頭部になびく(たてがみ)

 太く雄々しい腕を支えるように張り出した巨大な肩。

 踝から膝上までを覆うように屹立する脚部シールドは、その巨大さも相まって、それ自体が砦であるかのような印象を与える。

 事実、それは砦であった。宇宙の深淵、そこに満ちる邪悪より人類を守る、巨大にして最後の砦であった。

 その砦が――その影の正体が何なのかを、今のアビゲイルは知っている。

 それが、この宇宙には決して存在しないものであることを――そして、自分のように邪悪を承けた存在を討つための剣で在ることを知っている。

 それでも、アビゲイルは願う。

 

「……お願い。あなたの力を、私に貸して。

 戦う力を……大切な人達の為に戦う力を、私に与えて!」

 

 立っているだけで押し潰されそうな重圧の中、今にも逃げ出そうとする脚の震えと必死に戦いながら、アビゲイルは巨大なる影を真っ直ぐに見つめる。

 影が動く。その右腕が僅かに動き、開かれた右手の指――そこだけでもアビゲイルの倍は大きいのだが――が差し出される。その巨大な指先に、アビゲイルは両の掌で包み込むようにして触れる。

 

「くううっ――! ああああっ!!」

 

 触れ合う手を通して流れ込む莫大な魔力、神力、霊力。文字通り沸騰する全身の血。心臓の拍動(ビート)は加速に加速を重ね、沸き立つ超高速血流に乗って全身へと運ばれた莫大な熱量が、アビゲイルの魔力回路を無理矢理に押し広げる。

 痛む。全身が壊され、全神経を千切られるような痛みが奔る。アビゲイルが全世界に与えようとした救済が、アビゲイルの全身を駆け巡る。

 それは、言葉にならざる問い。神に抗う神の力と縁を繋ぎ、御さんとする覚悟はあるかという問い。

 その問いに、アビゲイルは首を縦に振る。

 

「……ええ、私……とってもわがままなの……」

 

 以前のアビゲイルなら、決して肯定しなかった問いに、立ち向かう。

 

「だからね……信じているの。あんなに、あんなにたくさん、恐ろしい罪を犯した私にも……、

 サーヴァントの私でも、変わっていける未来が、きっと待っている、って……」

 

 邪神のアビゲイルなら、決して認めなかった可能性を、肯定する。

 

「私は、信じるわ。私自身を――そして、私を信じて、明日を繋いでくれた座長さん(マスター)を!

 私が変われると信じてくれた、葛葉紘汰(かみさま)を!

 たくさんの優しい人たちが生きる明日が、今日のあとに続いていくことを!

 だから……あなたも私を信じて! 明日へ翔ける翼――魔を断つ永遠の剣よ!」

 

 英霊(サーヴァント)のアビゲイルが叫ぶ。

 その霊基(からだ)霊基(たましい)霊基(いのち)の全てをかけて叫ぶ。

 その叫びは、決して折れぬ気高き誓約(ツルギ)。結ばれた絆の証。神にはなり得なかった身で、今再び神に挑まんとする意志の顕現。

 ――その答えは、果たして『機械じかけの神(デウス・エクス・マキナ)』に届いたのか、否か。

 確かな事があるとすれば、瞬きを終えた次の瞬間、アビゲイルの目の前には元通りの光景が広がっていたという事だけだ。

 

(戻って、きた……)

 

 どくん、と。一際大きく高鳴る心臓の音。

 血流に乗って全身を駆け巡る、膨大な魔力の残滓。その残滓で重力結界をぶち破りながら、アビゲイルはゆっくりと立ち上がる。

 その手に握りしめていた、黄金の果実――世界を開く鍵・『極ロックシード』を、天へと掲げる。

 己が何を為すべきか、今ならばはっきりと分かる。

 

(私は……知っている。ちゃんと、知っていた。

 理不尽への抗い方を。絶望に立ち向かう術を。みんなが、私に教えてくれていた!)

 

 起動(スイッチ・オン)した瞬間、荒れ狂うほどに完全励起(マキシマムドライブ)するアビゲイルの魔術回路。異界へと接続する己の身の内に、『獅子の心臓』との完全共鳴(オメガトライブ・シェイクハンズ)を確立。己自身を一つの銀鍵守護神機関(フルスロットルエンジン)と為し、サーヴァントの持つ強大な魔力に平行世界より流れ込む莫大な霊力を加えて精査編纂・再充填(スキャニング・チャージ)超加熱魔力融合型(ニトロプラスタイプ)純粋エネルギー塊として集約し、最終精練(クリティカル・ビルドアップ)

 準備は整った。後はそのエネルギーの塊に指向性を与え、向かうべき道を指し示すだけでいい。そのための縁は既に結ばれ、そのための言葉はアビゲイルと共にある。

 さあ、今こそ高らかに謳い上げよう。現在過去未来――恐らくは無限の数を重ねて唱えられた、魔を断つ誓い。

 世界最強の聖句を。

 

「――憎悪の空より来たりて」

 

 アビゲイルは謳う。

 記憶(おもいで)の中にはっきりと描き出される姿と共に、アビゲイルは謳う。

 遠き彼方、運命の果てに流れ着く先にいるマスターの姿を謳う。その傍らに寄り添う、優しき少女の姿を謳う。

 たとえ今の自分に戦う力が無くとも、あの二人と同じように、戦場に立ち続けることができると信じる。

 優しく、気高き英霊達――歴史に名を刻んだ英雄(ヒーロー)達と共に、戦う事ができると信じる。

 

「正しき怒りを胸に」

 

 アビゲイルは謳う。

 軌跡(ゆめ)の中ではっきりと見た景色と共に、アビゲイルは謳う。

 戦い、戦い、戦い続け、ついに神の座に至った戦士の在り様を謳う。

 たとえ、今の自分に宿るのが全てを破壊するための力だとしても、その力で誰かを守る事ができると信じる。

 霊基に刻まれし己の本質が狂気を呑みし世界の破壊者(フォーリナー)であるとしても、その力で誰かの盾になれると信じる。

 

「我等は魔を断つ剣を執る!」

 

 アビゲイルは謳う。

 無限螺旋の中で幾度も傷つき、そして鮮血に染まるとも、決して折れなかった意志と共に、アビゲイルは謳う。

 たとえ今の自分に見えるのが宇宙の暗黒だけだとしても、そこを照らし出す光が在ると信じる。

 憧憬を抱き、敬畏を捧げ、勇気と共に信じる。

 故に、その()()ぶ。

 

「汝、無垢なる刃――デモンベイン!!」

 

 そして、世界にその名が刻まれる。

 デモンベイン。

 それは斬魔の使命帯びし大聖。地に咆哮轟かせ、天に飛翔する機神の名。

 魔道の窮極たる鬼械神(デウス・マキナ)、その紛い物。『機械神』とでも呼ぶべき、最弱の鬼械神。宇宙の闇黒を享け入れられぬ者の、脆弱な心が生み出した機体。

 なれど、それは決して折る事なき機体(ツルギ)。宇宙の闇黒に抗い続ける者が生み出した、人間の為に在る、最弱にして無敵の偽神(デウス・マキナ)であった。

 

 しかし――この宇宙に、この世界に鬼械神(デウス・マキナ)は存在しない。故に、神の模造品(レプリカ)模造(コピー)した、レプリカ以上に粗悪な瓦落多(ジャンク)たるデモンベインは存在しない。

 いくら呼び声をあげようと、存在しないものが応えるはずはない。

 

 ならば、少女の――アビゲイルの声に、応える者は無いのか?

 その祈りは、その涙は、哄笑せし邪神の前に露と消え去るだけなのか?

 

 答えは言うまでもない。その問いかけ自体が愚昧の極み。

 この世界に、デモンベインは存在しない。機械神(デモンベイン)は存在しないのだ。どれだけ祈ろうと、存在し得ぬ巨大なる鋼の神が舞い降りる事はない。

 

 しかし、それでも――デモンベインは存在する(・・・・・・・・・・・)

 なぜならこの世界には、彼らがいる。

 世界を蝕む悪意に屈しないと誓った者がいる。決して諦めない(ネバー・ギブアップ)道を歩む本物がいる。己の拳に魂を燃やして進む者がいる。危険(デンジャラス)な芳香を放つ兵者(ツワモノ)がいる。

 そして――英雄の姿を胸に燃やし戦う、若き龍がいる。

 それは、この世界の明日を奪わせまいとする祈りの結晶。この先に続く明日を守らんとする誓いの化身。

 その意志が、その祈りが、その誓いが証明する。たとえ鬼械神(デウス・マキナ)なき世界であろうと、魔を断つ剣(デモンベイン)が存在することを証明する。

 

 故に、来る。

 久遠の果てより、霊子(アエテル)の海を越え、祈りに応える者が来る。

 縁を辿り、絆に導かれ、召喚の呼び声に応え――大団円の英雄達(デウス・エクス・マキナ)が顕れる。

 その予兆は、クラックとなって現出した。

 

「――クラック!? 馬鹿な、一体誰が……!!」

 

 今まさに必殺の術式を組み上げようとした悪心影の真横に開く、二つのクラック。

 世界と世界を繋ぐ境界。エンジン音を高らかに響かせ、そのクラックより飛び出してきたのは二台のバイク。片や、白き嵐・サクラハリケーン。片や、紅の征服者・ローズアタッカー。エンジンを全力で稼働させたままの鋼の騎馬が、高く上げた前輪を悪心影に叩きつける。

 全開の速力が上乗せされた躯体。その二台分の突撃を受けた悪心影であったが、地面に脚をつけたまま前輪を左腕で受け止める。

 

「この程度、甘く見るな!」

 

 稼働を続ける後輪の力によって大きく後方へと押し込まれた悪心影であったが、すぐさま体勢を立て直し、右手の手刀を振り抜く。その右手に宿る魔術は未だ完成に至らずとも、二台のバイクをまとめて貫き、爆散させるだけの威力は有している。

 ――それで十分だった。鋼の騎馬(ロックビークル)二機による全力の吶喊と、爆裂するロックシードのエネルギー。それを用いて時間と距離を稼ぎ、倒れた葛葉紘汰に手を差し伸べるだけの余裕を作り出そうとするのであれば。

 

「――大丈夫ですか、紘汰さん」

 

 手刀が直撃する寸前にバイクから飛び降りた男が、紘汰の前にかがみ込む。

 

「ミッチ……お前、どうして……」

 

 灼け残った右目が捉えたその姿に、紘汰の口から驚愕の声がこぼれ落ちる。

 

「約束したじゃないですか。紘汰さんや舞さんがピンチの時は、たとえ宇宙の果てだって駆けつけるって。

 もう、忘れちゃいましたか?」

「……忘れるわけ、無いだろ」

 

 握りしめたまま砕けた拳をなんとか動かし、紘汰は今できる精一杯の力で親指を突き立てる(サムズアップ)

 ミッチ――呉島光実もまた、力強く親指を突き立て返す。

 遠き彼方、星星煌めく宇宙の海を超え、呉島光実はやってきた。偽りの救世主を打ち倒したあの日、追いつくことの出来ぬ背に叫んだ誓いを導き手として。

 大切な仲間を、危機から救うために。

 そして、葛葉紘汰の元に駆けつけたのは、何も呉島光実一人ではない。

 

「――ったく。相変わらずボロッボロだな、紘汰」

「ザック……!」

「安心しろよ。今度は俺が、お前の代わりにガツンと一発ブチかましてやるからよ……っと」

 

 紅と黒をベースにしたジャケットを身にまとう男――ザック。

 かつて駆紋戒斗の後を継いでチームバロンを率い、そしてネオ・バロンの策謀を打ち砕いた男。

 沢芽市での激闘の真実を知る数少ない一人でもあるザックは、紘汰の左腕の下に体を滑り込ませると、同様に右肩を支えた光実と共に、紘汰の体を支えて立ち上がらせた。

 

「二人共……どうして、どうやってここに……」

「ある人に頼まれたんです。『紘汰さんを助けるために、力を貸して欲しい』って」

「ま、最初は驚いたけどな。お前がピンチだってんなら、行かない理由を探すほうが難しいっての」

「ミッチ、ザック……二人共、本当に、本当にありがとう……!」

「お礼の言葉なら、あの女の子に言ってあげてください。あの子が呼んでくれたおかげで、僕らはここに来れたんですから」

「ああ。それにほら、見ろよ紘汰。ここに来てるのは、俺達二人だけじゃない」

 

 ミッチとザックに両肩を支えられ、なんとか歩く紘汰。

 その視線の先、ようやく重力結界から解き放たれたばかりの舞、そしてアビゲイルに手を貸しているのは見知った――忘れようもない戦士(ライダー)達の姿。

 

「なんとか間に合ったようだな、葛葉」

「貴虎!」

 

 かつて、犠牲によって世界を救おうとした男。そして、世界を蝕む悪意に屈せぬ決意を得た男――呉島貴虎。

 ユグドラシル無き今も、世界を守るためにその力を振るい続ける若き英傑は、世界を救った神を前に変わらぬ微笑みを見せる。

 

「お前には多くの借りがある。返しきれるものではない事は重々承知しているが……僅かばかりでも返せればと思ってな。

 それに、どうやらそこの師弟二人も同じ考えのようだ」

「お、俺は別に! ただ、前に追い返された時の文句を、直接言ってやろうかと思って……」

「はいはい、変なところで意地を張らない。

 ちなみにワテクシは、麗しのメロンの君がゆくところなら、例え地の底でも宇宙の果てでもついていくだけよ」

 

 貴虎が導く視線の先にいるのは、かつてと変わらぬ調子の二人。

 一端の職人として、沢芽市を――そして、シャルモンの厨房を守る者、城乃内秀保。

 そして、全てにおいてその師たる歴戦の傭兵にして稀代のパティシエ、凰蓮・ピエール・アルフォンゾ。

 かつて沢芽市で繰り広げられた、世界の命運を懸けた死闘。その死闘の日々を戦い抜いた5人のアーマードライダー達は、葛葉紘汰を危機より救うため、今再び集結の時を迎えていた。

 間違いなく、それは奇跡の瞬間だ。その奇跡を為した『鍵』たる存在――アビゲイル・ウィリアムズは、掲げていた極ロックシードを、紘汰へと差し出す。

 

「これをお返しするわ、紘汰さん」

「ああ。……ずっと守ってくれてありがとな、アビゲイル」

 

 光実に手伝ってもらいながら紘汰が開いた右手の中に、アビゲイルは極ロックシードを置く。

 究極のロックシードが紘汰の掌に触れた瞬間、膨大なエネルギーが光となって迸り、葛葉紘汰が負った傷の全てを、文字通り『またたく間』に癒やす。

 灼けた左目が世界の姿を捉えるようになり、動かなかった四肢が完全な機能を取り戻す。黒い色に戻っていた髪が金色に染まっていく。

 

「これが、葛葉が手に入れた『極ロックシード』の力……」

「いや……違う、貴虎。それ以上だ。こんなに凄い力、今まで感じた事もない」

「なに? どういうことだ」

 

 バックアップからの再生どころではない。まるで紘汰の体だけ時間が巻き戻ったかのような秒単位での急速回復。

 その力を生み出した要因は、一つしか考えられない。

 

「これも、皆を呼んでくれたのも、君のおかげなんだろう? アビゲイル」

 

 問いかける紘汰に、アビゲイルはこくりと頷く。

 

「極ロックシードの力と私の力を共鳴させて、地球から皆さんをお呼びしたの。

 武器を召喚する力と、扉を開く力を融合(ミックス)させて、宇宙に道をつなぐことができたから、こうして皆さんに声をかける事ができたの」 

「――そうか、やはり君か。君が彼らを喚んだのか。アビゲイル・ウィリアムズ」

 

 突如として吹き荒れた風がロックビークルたちの爆炎を吹き散らし、炎が消え去ったその向こうより、悪心影が姿を表す。

 両腕を翼めいた装備に変異させた――恐らくは『ロードビヤーキー』の力の招来――悪心影が、煌々と燃える三眼でアビゲイルを睨みつける。

 

「機神招喚……いや、違う。英霊召喚でもない。ドライバーの力を得ただけの、ただの人間5人を呼び集めて僕に勝つつもりとは――ずいぶん甘く見てくれたものだね!」

《皇餓!》《ベルゼビュート!》《レガシー・オブ・ゴールド!》《サイクラノーシュ!》《クラーケン!》

 

 次々に招来される、鬼械神の力。その一つ一つが招来される度に、悪心影の体が裂け、それぞれが別の個体となって顕現する。

 曲刀を携えた悪心影。襤褸布に身を包んだ悪心影。砲身を従えた悪心影。人面疽の浮かび上がる悪心影。巨大な腕を持つ悪心影。そして、翼じみた器官を持つ悪心影。

 天に仇成す逆十字(アンチクロス)、その力をまとう六騎の影が並び立ち、嘲笑の六重奏を響かせる。

 

「分裂した、だと……!」

「ああああああありかよ、そんなの……!!」

「アリもアリ、大アリだよ。ついでに言えば、こんなこともできるんだよ。

 そこにいるアビゲイルが、道を開いてくれたおかげでね」

 

 人面疽の浮かび上がる悪心影が両手を天に掲げると、その掌の間に青い球体のホログラフが浮かび上がる。光に満ち溢れたその惑星こそ、太陽系第三惑星――地球。

 悪心影の胸部に埋め込まれていた3つの人面疽が、拘束を引きちぎるようにして浮き上がると、地球を模したホログラフの中へ次々に飛び込んでいく。

 

「……何をした、貴様」

「簡単なことだよ、呉島貴虎。僕の可愛い可愛い使い魔を、ちょっと地球まで送ってあげただけさ。

 お供に怪物達をたくさんつけてね」

「なに……!」

「さあて、大変だ。今頃地球は大騒ぎ。ガルバ、オトー、ウィテリウス。シャンタクの群れにエルダーグールの大軍団。

 守る者(アーマードライダー)無きあの星が、いったいどれだけ持ちこたえられるかな?」

 

 地球のホログラフを消し去りながら、悪心影たちはけたたましい高笑いを響かせる。

 悪心影の言う通り、地球を守らんとするアーマードライダーは今やここにいる6人だけ。よしんばドライバーとロックシードを持ったユグドラシルの残党なり下部組織なりがいるとしても、そんな連中が己の保身以外で戦うはずもない。

 その事実は、世界を駆け巡り残党たちと戦ってきた貴虎が誰よりも知っている。

 

「――そうだな。貴様の言う通り、残っているアーマードライダーは(・・・・・・・・・・)、私達だけだ」

「だろう? この星を守って地球を見捨てるつもりかい、呉島貴虎」

「この星を……葛葉を見捨てるつもりは無い。それに、地球を見捨てたつもりもない」

「……なに?」

 

 一切の焦りを見せない貴虎の様子に、悪心影の高笑いが止む。その兄の言葉を継ぐのは、光実だ。

 

「世界を守るライダーは、僕達だけじゃないんだよ」

「バカな。何を言って――」

 

 驚愕のうめき声と共に、悪心影の動きが止まる。

 

「その様子だと、お前にも見えたみたいだな。悪心影」

「葛葉……紘汰……!」

 

 その光景を、人ならざる者は使い魔達の眼を通して目撃する。

 その光景を、人を超えた者達は己が持つ超感覚を通して知覚する。

 その光景を、人は見えずとも知っている。世界を覆う危機の前に集う、正義の系譜(ジェネレーション)の雄姿を知っている。

 

「なんだ、これは……! なんなんだ、これは!?」

 

 悪心影が叫ぶ。ありふれた、陳腐な、そして邪悪は決して知らぬ光景を目撃して叫ぶ。

 無辜の命を蹂躙せんと迫る怪物達。解き放たれた悪意の前に立ちはだかり、襲い来る悪意に立ち向かう戦士たちの光景(すがた)を。

 宇宙に青く輝く宝石――太陽系第三惑星を背負い、衛星軌道上で使い魔(ガルバ)を迎撃する魔術師(マギウス)――否、全ての竜の力(オールドラゴン)を解放した希望の魔法使いの姿があった。

 炎の中より出でし不死鳥の如き紅の翼を広げ、魔法使いと共に高高度を羽ばたきながら使い魔(ウィテリウス)と戦う、かつてどこまでも届く腕を求めた戦士の姿があった。

 紅の、そして漆黒(ダーク)のスーパービークルを疾駆(ドライブ)させ、地上に降りた使い魔(オトー)に戦いを挑む親子の姿があった。

 患者の運命を変えるために無敵の力を振るう、医者にしてゲーマーである戦士の姿があった。英雄達の魂と共に、己の命を燃やす戦士の姿があった。宇宙に旅立つ友達(ダチ)のため、無数の敵とまとめてタイマンを張る戦士の姿があった。風のたどり着く(まち)を守る、二人にして一人の探偵である戦士の姿があった。

 世界を覆う無数の痛みに立ち向かう、決して絶える事なき希望の姿――『仮面ライダー』達の姿が、そこにあった。

 

「――ふざけるな! ふざけるなふざけるなふざけるな!!

 希望だと!? 神話の怪物(モンストロルム)を上回る英雄だと!? 伝説の戦士達(レジェンドライダー)だと!?

 認めない! こんな想定外の――僕の筋書きを超えるご都合主義など、認めてたまるものか!」

「あら、即興劇(アドリブ)は苦手なのかしら? 座長さん達に、お芝居の作り方を教わってくるべきね」

「黙れ……黙れ、アビゲイル・ウィリアムズ!」

「いいえ、黙るのは貴女よ。お生憎様だけど、貴女の書いた脚本はここでお終いなのだから。

 ここからは、大団円に向かうご都合主義に満ちたお話(デウス・エクス・マキナ)上演(ステージ)――そうよね、紘汰さん!」

「ああ、その通りだ! 皆、いくぜ!!」

 

 紘汰が、そして、地球より召喚された5人の戦士たちが、各々のロックシードをその手に握り、掲げる。

 世界の未来を閉ざす敵――大罪掲ぎ逆十字(アンチクロス)の前に集いしは、人と、神魔と、機巧(ドライバー)の三位一体。

 それこそ即ち、逆十字を超える者達(クロス・オーバー)

 

《ロック・オープン!》《ブドウ!》《メロンエナジー!》《クルミ!》《ドリアン!》《ドングリ!》

 

 封印を解錠された錠前(ロックシード)が唸りを上げ、異界の力の招来を告げる。

 人を越えた力をまとい、人知を越えた悪意に挑む――その決意を掲げながら、戦士たちは叫ぶ。幾度となく紡がれ、脈々と受け継がれ続けてきた、誇り高き誓約の言葉を。

 

「変身!!」

 

 天に轟くは決意の叫び。

 地を揺るがすは力の顕現。

 クラックの彼方より顕れる果実の姿をした装甲は、戦士たちの鎧となり、兜となり、そして仮面となる。

 

《フルーツバスケット! 大・大・大・大・大将軍!!》

《ブドウアームズ! 龍・砲! ハッハッハッ!》

《メロンエナジーアームズ!》

《クルミアームズ! ミスター・ナックルマン!》

《ドリアンアームズ! ミスター・デンジャラス!》

《ドングリアームズ! ネバーギブアップ!》

 

 さあ、遠からん者は音に聞け。近くば寄って目にも見よ。動揺する悪心影の前に、並び立つのは六つの勇姿。

 破邪の聖銀・アーマードライダー鎧武 極アームズ!

 絶技冴え渡る若き龍・アーマードライダー龍玄!

 明媚たる白き月光・アーマードライダー斬月・真!

 勇猛たる炎の拳闘士・アーマードライダーナックル!

 強壮たる現代の剣闘士・アーマードライダーブラーボ!

 不撓不屈の重闘士・アーマードライダーグリドン!

 顕現せし六人のアーマードライダー――『仮面ライダー』達は、ついに倒すべき敵の前に立つ。

 

「さあ、行くぞ悪心影(アナザーシャドウ)。ここからは――俺達のステージだ!!」

「来るがいい! 全身全霊を以て、かかって来るがいい! 混沌の運命に抗いし愚か者たちよ!」

 

 待ち受けるは六体の悪夢。

 立ち向かうは六騎の英雄。

 光指す世界の命運を懸け、最終決戦(GRAND BATTLE)の幕が上がる。

 

 

――――――

 

 

「――四刀流か。妙な手を使う者もいたものだ」

 

 創世弓・ソニックアローのフックに手をかけ、弓弦を引き絞りながら、呉島貴虎――アーマードライダー斬月・真は、相対する敵を睨みつける。

 視線の先に在るのは、鎧武極アームズの姿を真似た漆黒のフェイク。両肩より2本、背より更に2本、計4本の腕それぞれに長大な曲刀を携えた悪心影(アナザーシャドウ)・皇餓。

 横たわったままの凶鳥(シャンタク)の死体を視界の端に納める戦場の一角。一挙手一投足を丁度倍する距離を挟み、斬月・真と悪心影は静かに睨み合っていた。

 

「君の恐怖心を肌で感じるよ、呉島貴虎」

「だとしたら、脳をまるごと取り替えるべきだな。今更、貴様ごときを恐ろしいなどと思うものか」

 

 60億の人類を抹殺するという悪鬼の所業。その片棒を自分が担いでいたという事実に比べれば、たかだか腕が多い邪神(・・・・・・)程度、何の事はない。

 素早くフックを引き、斬月・真はソニックアローを三連射。エナジーロックシードのエネルギーで形成された光の矢が空気を斬り裂きながら飛ぶ。

 音速(ソニック)で迫る三本の矢を、悪心影は三振りの曲刀を自在に操り、尽く斬り伏せる。しかしそれは、斬月・真の目論見通りの行動だった。

 

「はあッ!」

 

 三矢を釣り手として用い、剣を振り抜いたばかりの敵の懐めがけ斬月・真は一気に間合いを詰める。アーマードライダーが持つ超人的なスペックを活かし、一瞬にして縮む相対距離の中、斬月・真は手にしたソニックアローを振りかぶる。

 

「甘い甘い!」

「貴様がな!」

 

 振り下ろされた四手目の剣を、掲げたソニックアローのブレード部で受け止めながら、斬月・真は更に前進。刃と刃が互いを相食み生み出す火花を背に浴びながら、強烈な踏み込みと共に拳を突き出し、そのまま悪心影の胸部に叩き込む。

 岩塊すら粉々に砕く拳を受け僅かに姿勢を崩した悪心影の反撃が迫るより早く、後ろ回し蹴りを叩き込んでその体を後方へ押し込みながら、斬月・真は追撃の矢を撃ち放つ。

 光の矢が悪心影の胸甲を打ち、ぶつかったエネルギーが火花となって舞い散る。

 

「《皇餓》の剣を掻い潜るとは。ただの人間にしてはやるじゃないか、呉島貴虎。次は……こちらの番だ」

 

 四刀を構えた悪心影が、剣の間合いへと踏み込む。

 上段よりの振り下ろし。下段よりの斬り上げ。逆手に持ち替えた剣による奇襲。それら本命の三手すら、全て『誘い』に思える程に鋭い刺突。

 文字通り『手数』の差を武器にした絶え間なき連撃を、斬月・真は必死に凌ぎ続ける。ソニックアローのブレードを振るって剣閃を弾き、喉元に迫る鋒を間一髪で躱す。直撃こそさせないものの、その殺意の嵐は幾度となく斬月・真の装甲をかすめる。

 『一手』読み誤れば即死の状況下で、四手を相手に必死に持ちこたえ続ける斬月・真。その白き戦士に迫る三連撃。

 

「もらったよ!」

「ちいッ!」

 

 刺突を敢えて受け流させた直後、真下から天上へ斬り上げる二振り同時の斬撃を受けたソニックアローが、斬月・真の手を離れ天高く飛んで行く。

 無手となった斬月・真の心臓を狙い繰り出される凶刃。その鋒を避けるため大きく後方へと跳んだ白き騎士の背に、死後硬直が始まって久しいシャンタクの死体が触れる。

 退路を絶たれた――斬月・真がそう察するに、時間は不要だった。

 

「さて……チェックメイトのようだね。呉島貴虎」

 

 悪心影が構える。その四刀の構えが形成するは必殺監獄(キルゾーン)

 前に踏み出すならば迎えて斬る。左右に飛ぶなら追って斬る。動かぬならば踏み込んで斬る。刃金に抗する鋼無き今の斬月・真が活路を見出さんとするならば、後方に全力で跳ぶことで剣の間合いより逃れる他に無いが、そうするにはシャンタクの死体が邪魔となる。

 

「君自身の無力さを骨身で味わいながら、切り刻まれて死ぬといい」 

「断る」

「……何?」

「たとえ何があろうと、私は……もう二度と、貴様のような世界を蝕む悪意には屈しない」

「ならば――その決意と共に死にたまえ! 白の騎士(ライダー)!」

 

 地を転がるようにして真横へと移動し、振り下ろされた最初の一刀を寸前で躱した斬月・真を狙い、悪心影が振るう追撃の双刃が迫る。

 互いの間合いは詰まり、刀身は長大。最早回避は間に合わぬ距離。いかな奇跡、いかな僥倖を以てしても、その身を守る術などありはしない。

 ならば、選ぶべき道は一つ。

 僥倖を以てどうにもならぬというのならば――必然を以て斬り抜けるまで。

 

「――借りるぞ、藤果」

 

 斬月・真は両手を伸ばし、シャンタクの死体に突き刺さっていた剣を抜き、打ち捨てられていた盾を掴む。

 振り下ろされた曲刀の刃を、まだ怪鳥の血に濡れた両刃の騎士剣が受け止める。突き込まれた曲刀の鋒を、紅に輝く大盾が弾く。

 それらは鎧武が招来した『禁断のリンゴロックシード』の武器。凶鳥を屠った武具にして、かつて『呉島』の為に犠牲となった彼女(イドゥン)が振るった復讐の刃。それが『呉島』の一族たる己の罪の証だとしても、今はそれを振るうことを躊躇わない。

 予想だにしない迎撃行動に悪心影がたじろいだ一瞬を逃さず、斬月・真は両の手に携えた剣と盾を曲刀に叩きつけることで相手の体勢を崩し、稼いだ僅かな時間を使って体勢を立て直す。

 

「さあ、仕切り直しだ。悪心影(アナザーシャドウ)

 

 右手に騎士剣(ソードブリンガー)、左手に大盾(アップルリフレクター)を構えた斬月・真が、剣戟の間合いへと踏み込む。

 迎え撃つは四刀の嵐。上下左右、あらゆる方向から間断なく襲い来る刃を、盾が弾き、剣が受け流す。幾重にも重なり合って響く鋼と鋼の激突音をBGMに、じりじりと後ずさる悪心影を追って、斬月・真は更に前進。

 悪心影が一秒の間に繰り出すは、四手が八手、八手が十六手に重ね映る程に凄まじき速度の剣。その尽くを最小限の動作で躱し、躱しきれぬ剣のみを盾で受け、剣で弾き――敵の動作の僅かな乱れを見てとるや的確に反撃を叩き込み、少しずつ敵の気勢を削いでいく。

 

「何故……何故この剣に追いつける! 呉島貴虎!」

「こちらの方が、付き合いが長いものでな」

 

 音速の矢すらも斬り裂く、悪心影の剣閃。しかし斬月・真が振るいし剣、掲げし盾は、その剣速すらも凌駕し、一手、また一手と、必殺の一撃を叩き込むための勝機を手繰り寄せていく。

 形成される超音速決戦領域(Supersonic Showdown)。ゲネシスドライバーから供給されるエナジーロックシードの力が貴虎の実力を引き出しているという面も確かにある。しかし、それだけではない。

 まるで剣と盾(アームズ)そのものに導かれるようにして振るわれる最小動作かつ最大効率の動作が、斬月・真が得手とする戦闘スタイルが持つ可能性を遥か高みへと誘い、神域に届く剣閃を生み出し続けている。

 そして辿り着いた勝機――回避不能な間合いの内で、悪心影の剣を弾き、振り抜かせ、次撃に移るまでのわずか一刹那。その刹那の間に決着を付けるべく、斬月・真はエナジーロックシードの力を解放する。

 

「そこだ!」 

《メロンエナジースカッシュ!》

 

 ソードブリンガーの刀身を染める、金色の閃光。

 斬月・真が手にした闇を打ち払う光の剣が刹那の瞬間を貫き、悪心影の装甲を深々と貫通しながら、肩から腰までを袈裟斬りに叩き斬る。

 音をも超えるその剣。それこそまさに紫電一閃。

 

「これで――チェックメイトだ」

「どうやら、そのようだね……呉島、貴虎……」

 

 ソードブリンガーが突き刺さった直後、悪心影が握っていた刀身が消滅し、背中から生えていた腕もまた同時に消えて無くなる。

 ドライバーから火花を噴き出し、もはや絶命寸前といった様子ながら、それでも悪心影は嘲弄の姿勢を崩さない。

 

「だが、忘れるな……たとえ僕が倒れても、まだ第二第三第四第五第六の僕が……」

「安心しろ。そいつらもすぐに、お前と同じ運命を辿る」

 

 その場で体ごと回転するようにして斬月・真がソードブリンガーを力強く振り抜き、悪心影の肉体を上下に分割する。

 背を向けた斬月・真の背後で、月に吼える黒き魔物が爆散し、天高く届く爆炎を上げながら消滅した。

 

 

――――――

 

 

「――くっそおお! ちょこまかちょこまか、飛び回りやがって!」

「こっちの触手達も――ああもう、鬱陶しい!」

 

 上空から降り注ぐ霊的光子砲(スペル・ライフル)の嵐。地より迫る内臓触手の群れ。

 巨大な翼じみた器官を持つ悪心影・ロードビヤーキーと、襤褸布を全身にまとった悪心影・ベルゼビュートを相手に、城乃内秀保――アーマードライダーグリドン、そして凰蓮・ピエール・アルフォンゾ――アーマードライダーブラーボは揃って悪態をつく。

 重甲を纏う戦士たる者(ビー・ファイター)達は、師弟の連携を活かして互いの背を守りあいながら、二体の悪心影達による攻撃をなんとかしのぎ続けていた。

 

「おやおやあ? さっきまでの勢いはどこに行ったのかな?」

「僕達を倒してみせるんだろう? いつまでそこで遊んでいるつもりだい?」

 

 空を舞う悪心影が嗤い、地を踏みしめる悪心影が嘲笑う。

 近接戦闘(インファイト)を主体とする二人にとって、上空から絶えず降り注ぐスペル・ライフルの弾雨と、臓物触手によるトリッキーな攻撃は非常に相性が悪い。

 ジャンプすれば触手が邪魔をし、殴りかかれば砲弾が襲い来る。端的に言えば、ジリ貧であった。

 

「――凰蓮さん。あの布被ってる方、任せてもいいですか?」

「あら、仕掛ける気ね。何をするつもり?」

 

 ドリノコとドンカチの連携攻撃によって触手を打払いながら、グリドンは頷く。

 

「厨房を飛んでるハエは叩き落さないと、でしょ?」

「アンタ、それは……」

「秘密兵器その一ってやつです。こんな事もあろうかと、ザックから借りておいたんですよ。

 ――策士ですから」

 

 グリドンが腰のホルダーから取り出したのは、緑と黒に輝く錠前・スイカロックシード。そのロックシードが持つ強大な力と、扱いの難しさについて今更知らぬ凰蓮ではない。

 

「やれるの?」

「誰に鍛えられたと思ってるんですか。それより、あのグロい方の相手、お願いしますよ!」

《スイカ!》

 

 空中に開いたクラックから姿を表した巨大なスイカアームズが、悪心影・ロードビヤーキーの軌道を乱し、砲火に一瞬の間隙を作り出す。その隙を逃さず、ドングリアームズを解除したグリドンは前方へと駆け出す。

 

「おっと、そうはさせないよ!」

「それはワテクシのセリフ!」

 

 アーマーを失い無防備となったグリドンを狙って放たれる悪心影・ベルゼビュートの触手。肉色をした蛇を、投じられたドリノコが貫いて無力化する中、グリドンは天より降り来る巨大なアームズをその身に纏う。

 

《スイカアームズ! 大玉ビッグバン!!》《ジャイロモード!》

 

 スイカアームズをジャイロモードへと変形させたグリドンは、背面のジェットスラスターを全開に吹かして飛翔。大質量を大出力を以て強制的に浮き上がらせ、その加速のまま空中を漂う悪心影・ロードビヤーキー目がけて体当たりを敢行。その一撃は惜しくも敵を掠めるに留まったが、戦場を天地の二つに切り分けることには成功した。

 

「お前の相手はこっちだ! ハエ野郎(ロードビヤーキー)!」

 

 両腕の先から砲弾をばら撒きながら、グリドン スイカアームズは悪心影・ロードビヤーキーを相手に空中戦を繰り広げる。ロードビヤーキーの機動を舞い飛ぶ飛鳥のそれとするならば、スイカアームズの機動は出力に物を言わせた格闘型戦闘機の強襲。全身にかかるGを戦極ドライバーの力で軽減しながら、グリドン スイカアームズは悪心影の機動に食らいついていく。

 グリドン スイカアームズの猛襲へ対処せざるを得なくなった空中の悪心影は、地上に砲撃する余裕を失う。それは即ち、ブラーボが自由に動けるようになった事を意味していた。

 

「さあて……坊やに負けてられないわね!」

 

 鋸刃を備えた双剣・ドリノコを振りかざすブラーボ。全身に棘を生やした危険な戦士に相対するのは、襤褸布を全身にまとった悪心影・ベルゼビュート。二つに繋がったトンファーを思わせる、大型のナックルガードめいた装備で拳を覆った悪心影・ベルゼビュートは、振り下ろされたドリノコを真正面から受け止める。

 

「おや、僕の相手は君かい?」

「ええ。どうにもあなたからは……ワテクシとのキャラ被りを感じて仕方ないのよ!」

 

 ドリノコとナックルガードが幾度となくぶつかり合い、無数の火花を散らす。歴戦の傭兵たるブラーボが、砲撃される心配のないこの好機を逃すつもりなどあるはずもない。

 近接戦闘に持ち込むことで、リーチの差という触手の利点を潰すことに成功したブラーボは、ドリノコを縦横無尽に振るい続ける。

 

「ならば……悪夢に落ちるがいい! 飲み干したまえ、バッド・トリップ・ワイン!」

 

 正気を侵す瘴気をまとい突き出される悪心影の両拳。その必殺の一撃を、ブラーボは膝関節を曲げながら体を大きく後ろに倒し、既の所で回避する。

 

「パティシエ――舐めんじゃないわよ!」

 

 背が地面に着く直前、録画された映像を逆回しするかのような動きで立ち上がったブラーボは、悪心影・ベルゼビュートの無防備な胴にドリノコを叩き込む。最初の一撃で敵の体勢を崩し、二撃、三撃と続けざまにドリノコを振るい、ぎゃりぎゃりという擦過音を上げながら敵の装甲を削っていく。

 

「なるほど。人間にしては、なかなかできるようだ。アーマードライダーブラーボ」

「褒め言葉として受け取っておくわ。皮肉ではなくね」

「だけど……もうひとりの方は、どうかな?」

 

 悪心影が思わせぶりに上げた視線の先。ブラーボが視界に捉えたのは、イカロスの如く太陽目がけて真っ直ぐに上昇を続ける悪心影・ロードビヤーキーと、それを追うグリドン スイカアームズの姿。

 背後から撃ち放たれる砲撃を器用に回避しながら上昇を続けたロードビヤーキーは、最終加速と共に自身の体を捻り込むようにして体勢を急変更(インメルマン・ターン)。頭が地に、脚が天に向いた体勢から撃ち放たれる無数のスペル・ライフルの魔術弾が、急な姿勢変更に対応しきれなかったスイカアームズに真正面から突き刺さる。

 

「うわああああっ!?」

「坊やっ!!」

 

 防御も回避も間に合わぬまま、装甲を霊的エネルギーの嵐に穿たれ続けるスイカアームズ。やがてエンジンまでがやられたか、断末魔の悲鳴を上げながら巨大なスイカアームズが爆発四散する。

 グリドンの命運、ここに尽き――。

 

「――まだだああああ!!」

《マツボックリ!》

 

 諦念を打ち破る叫び声と共に、燃え盛るスイカアームズの破片から飛び出す影。その影の上に形成されたクラックから降り来るは、漆黒の果実。

 

「秘密兵器、その二! 行こうぜ、初瀬ちゃん!!」

《マツボックリアームズ! 一撃・イン・ザ・シャドウ!!》

 

 爆炎の中から飛び出した影――グリドンは、スイカアームズを棄て、降り来るマツボックリ型のアームズにアームズチェンジ。その身に展開されるは俊敏な忍びの如き軽量装甲。長槍を手に、和の甲冑まとうその姿こそ――アーマードライダーグリドン マツボックリアームズ!

 

「パティシエ、舐めんなあああああああ!」

《マツボックリオーレ!》

 

 カッティングブレードを倒しマツボックリロックシードの力を開放しながら、グリドンはスイカアームズの破片を足場に垂直跳躍。ドングリアームズと比較して軽量な装甲の特性を活かし、真上から突っ込んでくる悪心影・ベルゼビュートが対応するより早く、その脳天に槍の穂先を突きこむ。

 燃える三眼輝く面ごと胴を貫いた影松が、悪心影の体内にロックシードのエネルギーを流し込み、肉体を内側より爆散させる。

 その光景は、地上にいたブラーボ、そしてもう一人の悪心影の目にもはっきりと捉えられていた。

 

「おやおや……これは、これは……」

「言ったでしょう? パティシエ舐めるなって」

《ドリアンスカッシュ!》

 

 あまりの出来事に驚愕するあまり隙を晒した悪心影に必殺技を叩き込むことなど、歴戦の傭兵にしてみれば赤子の手を捻るようなものであった。

 ブラーボの鶏冠(トサカ)から解き放たれたエネルギー波が悪心影・ベルゼビュートの胴を撃ち、まとっていた襤褸布を吹き飛ばす。その下から現れた肉体に、ロックシードの力を込めたドリノコが叩き込まれると、もう一体の悪心影も耐えきれず消滅した。

 

「所詮は水瓶座の坊やの模倣品。本物(ワテクシ)に敵う相手じゃなかったわね」

「――お、凰蓮さん! キャッチ! キャッチしてくださあああい!!」

「あら、空を飛べそうな秘密兵器その三は?」

「あ、ありませんよおおお!」

「全く、まだまだ詰めが甘いわね……」

 

 そう言って、ブラーボはため息を一つ。

 一端のアーマードライダーとして気合を見せた弟子を受け止めてやるべく、ブラーボは落下地点を目指して走り出した。

 

 

――――――

 

 

 斬月・真が皇餓と。ブラーボとグリドンが、ロードビヤーキーとベルゼビュートと戦いを繰り広げている頃。

 アーマードライダー鎧武 極アームズ、アーマードライダー龍玄、アーマードライダーナックルは、残った三体の悪心影――いや、今や一体に融合した巨大な悪心影と対峙していた。

 

「分裂したと思ったら、今度は合体かよ……!」

 

 ザック――アーマードライダーナックルが、目の前に姿を表す怪異を睨みつける。

 

「「「いかがかな? 最終決戦の相手には、ふさわしい姿だろう?」」」

 

 九つの眼を炎の如く輝かす無貌にして無貌ならざる顔から、嘲笑の三重奏(コーラス)が響き渡る。

 サイクラノーシュ、レガシー・オブ・ゴールド、クラーケンの力をまとった悪心影達が一つに融け合ったその姿を例えるならば、三面六臂の巨大人馬。

 サイクラノーシュの太く尖った四つ脚に支えられた巨躯は膨張を続け、その全高は既に10メートル近くにまで拡大。体の左右からは三組六本の太い腕が突き出し、その総身からは膨大な魔力がばちばちと音を立て噴き出し続ける。腰の戦極ドライバーめいたパーツには、三つの暗黒・極ロックシードがセットされ、三つの貌が合一した頭部に燃え盛る九つの眼が、矮小なるライダー達を睥睨する。

 その姿はまさに、神――星を強襲する、巨大にして邪悪なる軍神の姿そのものだった。

 

「でかくなった所で、俺達のやることは変わらない――ミッチ、ザック、行くぞ!」

「はい!」

「おう!」

 

 軍神の脅威を恐れる事無く、鎧武、龍玄、そしてナックルは前方へと駆け出す。

 巨大悪心影が展開した無数の砲門から放たれた金色の魔力を掻い潜りながら、龍玄がブドウ龍砲を連射。放たれたエネルギー弾によって砲撃の勢いが緩んだ瞬間を見逃さず、更に前へと踏み込んだナックルが敵を拳の間合いに捉える。

 

「うらあッ!!」

 

 ナックルの拳を形成するグローブ状の武具・クルミボンバーが巨大悪心影の前脚を直撃する。その渾身の一撃によって太い脚が浮き上がったのも束の間、後ろ脚でその巨体を支えた巨大悪心影が振り下ろす前脚を、ナックルは後方に飛び退る事でなんとか回避に成功する。

 

「今です、紘汰さん!」

「行けえッ、紘汰!」

「任せろ!!」

《極スカッシュ!》

 

 龍玄、そしてナックルの叫びを背にしながら鎧武は跳躍。果実のオーラを纏いながら放たれる必殺のキックが、巨大悪心影の頭部に突き刺さる――その直前、悪心影は両腕の一組を動かし、巨大な氷の盾を生成。

 鎧武 極アームズの両脚を真正面から受け止める。

 

「なっ――」

「「「その程度かい? 鎧武(オリジナル)。やっぱり、出力が違いすぎるねえ」」」

 

 鎧武渾身の一撃を軽々と受け止めた巨大悪心影は、氷の盾を解除すると同時に四本の手で鎧武の四肢を掴んで拘束し、そのまま宙吊りにする。

  

「紘汰さん!」

《ジンバードラゴンフルーツ!》

「させるかよ!」

《ジンバーマロン!》

 

 二つのエナジーロックシードが解放の雄叫びをあげ、ジンバーアームズとなって顕現。

 創世弓・ソニックアローを手にしたアーマードライダー龍玄 ジンバードラゴンフルーツアームズ、そして拳にスパイクを纏うアーマードライダーナックル ジンバーマロンアームズが、鎧武を拘束する悪心影の腕を狙って光の矢と鋭い棘(スパイク)を高速乱射。

 しかし悪心影は残る二本の腕を広げ、分厚く巨大な氷の壁を再度展開。己と鎧武をその氷壁の内側に囲い込みながら、二体のジンバーアームズによる同時攻撃を軽々と弾き飛ばす。

 

「「「おや? もしかしてそれは……『攻撃』のつもりかい? そんなわけないよねえ」」」

「てめえ……!」

「「「さあて、どっちが先かな? 君たちがこの水神防壁(パワーウォール)を破るのと、葛葉紘汰の手足がもげちゃうのは」」」

「――ぐああああああああああああああああッ!!」

「紘汰さん!!」

 

 嘲笑う巨大悪心影が、めきめきと音を上げる程に強烈な力で鎧武の四肢を締め上げる。いかな白銀の超装甲とは言え、長くは持ちこたえられぬ直感させるだけの音と、激痛に呻く紘汰の声が響く。

 

「させるか! ザック!!」

「おうよ!!」

《ドラゴンフルーツスカッシュ!》

《ジンバーマロンオーレ!》

 

 ソニックアローを構えた龍玄は、両拳に炎を燃やしたナックルと共にエナジーロックシードの力を全開放し、氷壁の向こうの悪心影を目がけ光の矢と拳を象った炎を撃ち放つ。

 どちらも、並の怪物(インベス)程度なら十数体まとめて薙ぎ払う威力を秘めた必殺攻撃であることは間違いない。しかし、それを同時に喰らいながらも、巨大悪心影が展開する防壁はびくともしない。

 弾かれた光の矢が天高く飛んでいく一方、炎の拳は邪悪なる防壁に受け止められ、それ以上先へ進む事が叶わない。傷一つつくことなく、水滴一つ落とすこと無く、氷の壁はそこに在り続ける。

 

「そんな……!」

「冗談だろ!!」 

「「「ああ、ああ。残念、実に残念だねえ。君たちの力では、どうやら今の僕には届かないようだ」」」

 

 最早、鎧武の命運定まれり。人ならざる神はそう嘲笑い、人は呆然と天を見上げる。

 

「――だったら、『私たちの力』ならどうかしら!」

 

 神があざ笑い、人が絶望に呑まれかける中に響き渡るは――人を越えた英霊、アビゲイル・ウィリアムズの声。

 

「フングルイ ムグルウナフ フォマルハウト ンガア・グア ナフルタグン――」

 

 詠唱。詠唱。詠唱。

 巨大悪心影に勝るとも劣らぬ膨大な神気を全身から放出するアビゲイルが言霊を紡ぐのとほぼ同じくして、氷壁に突き刺さった炎の拳が白き輝きを放ち、その熱量を急激に高めていく。炎が触れている氷壁の一部がじわりじわりと涙を流し始め――やがてその涙は沸騰し、水蒸気となって気化していく。

 

「イア! クトゥグア!!」

 

 人智を越えた口決が結ぶは、遥か遠き紅蓮の星・フォマルハウトに住まう神性の名。混沌の大敵にして、万物を尽く灼き尽くす紅蓮の妖神・クトゥグア。

 その名が響いた瞬間、炎の拳はそれまでの数倍、いや、数万倍の超熱量を備えた火焔(プラズマフレア)となり、分厚い巨大氷壁の全てを即座に蒸発させる。しかも拳はそこで留まらず、ようやく相見えた獲物に喰らいかかる獣の如く、悪心影の顔面へと襲いかかる。

 

「イア! イタクァ!!」

 

 炎が収まらぬ内に、アビゲイルは更に詠唱を追加。礼賛されるは氷嵐の化身。ウェンディゴの異名を持つ、風の中を歩む死の神性・イタクァ。

 更にアビゲイルは、己の内と繋がる銀鍵守護神機関との縁を辿り、口伝に紡がれし氷の巨人とは異なる姿をイタクァに与える。

 その依代となるのは、天高く弾き飛ばされたソニックアローの光矢。ロックシードのエネルギーを糧に、アビゲイルの口決が編む召喚術式が組み上げたのは、氷と風をまとう牙と爪を備えし白き凶鳥。

 甲高き咆哮を上げながら顕現したイタクァは、己の体を六発の白き氷霧弾丸(ダイアモンドダスト)へと変貌させると、ジグザグに折れ曲がる複雑な軌道を描きながら巨大悪心影の腕を目がけて突進。着弾点から巨大な氷柱を生え伸ばしながら、悪心影の腕を一挙に氷結させる。

 

「――っ!」

 

 凍結された悪心影の腕の力が弱まった隙に、鎧武はなんとか拘束から抜け出すと、悪心影の胴を蹴り飛ばし後方へ跳躍。仕切り直しのための間合いを確保するその姿を視界に納めながら、アビゲイルは更に詠唱を紡ぐ。

 

「我が手に(しろがね)の鍵あり。虚無より現れ、その指先で触れ給う」

 

 紡がれる奥義解放の呪句(コマンド)。それに反応したアビゲイルの細胞全てが完全励起し、膨大な魔力を生成。その魔力に呼び寄せられたか、アビゲイルの脳内にこの世のならざる者達の姿が次々に像を結ばんとする。

 なれど――アビゲイルが結ぶは邪神の(すがた)に非ず。指先を剣の如く伸ばしたアビゲイルが結ぶは魔を祓い、邪悪を灼き尽くす印。

 

「我が父なる神よ――その大いなる強壮の御名と、ヴーアの無敵の印に於いて(・・・・・・・・・・・・)!」

 

 世界に扉を開けと叫ぶ声を脳髄に聞きながら――アビゲイルは荒唐無稽(オトギバナシ)な、本来の己では決して紡ぐことの叶わぬ詠唱を響き渡らせる。

  

「力を――与えよ! 『光殻湛えし虚樹(クリフォ―・ライゾォォォム)』ッ!!」

 

 膨大な魔力と共に紡がれ、そして高らかに謳いあげられしは、いずれの宇宙にも在り得ざる呪文。

 口決を紡いだばかりのアビゲイルの足元から、二角の欠けた五芒星を思わせる紋章を抱いた円陣が広がり、清廉なる異端(Heretics)の神気を解き放つ。

 その術式と、(ふる)紋章(サイン)によって織り成されるは、高貴なる幻想の強制改変(リアニメーション)

 遍く宇宙に門を開く程に強大な銀の『鍵』の力を、アビゲイルは『錠前(ロックシード)』持つ戦士たちへの祝福(バフ)へと強制再編。まるであの人の――英霊(サーヴァント)に魔力を送るマスターの如く、身の内に漲る力を戦士たちに繋ぐ。

 さあ、風よ唸れ。炎よ燃えよ。聖なる刃よ来たれ。世界を弄ぶ暗黒を討ち祓う為に。

 

「これは……!」

 

 アーマードライダー龍玄 ジンバードラゴンフルーツが手にするソニックアローが、風に乗りて来る氷神(イタクァ)の如き蒼白に染まる。

 その弓に宿るは窮極の風。無窮の空を超え、禍風(まがつかぜ)に挑む刃金の翼(Ambrose)が如き強大な力が、龍玄へと舞い降りる。

 

「おおっ!?」

 

 アーマードライダーナックル ジンバーマロンの両手を覆う篭手に、フォマルハウトより来る炎神(クトゥグア)の炎が宿る。

 その拳に宿るは断罪(さばき)の炎。逃れ得る者は無く、そして触れし者は死すらも死せん永劫(Aion)の如き熱を放つ意志がナックルに力を与える。

 そして――。

 

《無双セイバー!》《火縄大橙DJ銃!》

 

 招来されし無双セイバー、そして火縄大橙DJ銃。空中で合一を果たし大剣となって鎧武の手に納まるその武具に、アビゲイルの魔力が融合。燃える五芒の星を描く紋章が大剣を包み込むように光り輝き、その刃を白銀に染め上げる。

 光を纏いながら迸る銀の神気。覚醒の咆哮を上げる黄金の力。それはあらゆる邪悪にとっての天敵にして、邪神に抗う為に顕れし奇跡の化身。

 白き王・アーマードライダー鎧武 極アームズの手に執られし、気高き無垢なる刃。それ即ち――因果を超えて魔を断つ剣(DEUS MACHINA DEMONBANE)

 

「紘汰さん! 私が、皆さんに力を託すわ! どうか、どうか勝利を!」

「ああ! 確かに――受け取った!」

 

 魔を断つ大剣を手に、鎧武は力強く頷く。

 新たな力を得た三騎のライダー。その前に立ちはだかりし巨大悪心影は、ついに爆炎と氷河を打ち払い、禍々しき九つの眼が燃える貌を以て、ライダー達を、そしてアビゲイルを睨みつける。

 

「「「その力……そうか! 記憶(ユメ)を辿り、宇宙を越えて――荒唐無稽(デウス・マキナ)の力を借りたか! アビゲイル・ウィリアムズ!」」」

「ええ、ご推察の通り。でも、そんなに意外な事ではないでしょう? 

 それとも……あなた(デッドコピー)にできた事が、わたし(フォーリナー)にできないと思っていたのかしら?」

 

 口元を上着の袖で半ば覆い隠しながら、アビゲイルはくすくすと微笑う。

 多くの世界に於いて、嘲笑する事はあっても、される事はそう無い■■■■■■■■■■にとって――それは最大級の挑発であり、侮辱。怒りと悪意が、悪心影の中で膨れ上がる。

 

「――ッ!!!」

 

 もはや声にすらならぬ怒りは、殺意のみが込められた攻撃となって表された。

 無数の砲身より解き放たれる金色の魔術。暗黒極ロックシード三つ分の出力によって大幅に増幅されたその威力は、側を掠めただけで人間など骨も残さず消滅させるほど。

 ――しかし。

 

「ふッ!」

「はあああッ!」

「おぅらあッ!!」

 

 時空間歪曲エネルギーを込めた大剣が。風神の爪の如く閃く創世弓の刃が。燃え盛る凶暴な閃光を纏う拳が。

 砲口より放たれる魔力(ビーム)を真正面から打ち砕き(・・・・)、粉々に吹き飛ばす。

 破壊力を失って世界に散らばっていく砲火の破片群は、舞台に立つ役者を彩る煌めきに満ちた金紙吹雪の如く英雄と英霊を演出する。

 その叫び煌めく金色の光(Bright Burning Shout)を背に、三騎のライダーは翔ける。

 巨大悪心影から放たれる無数の砲火、負念を固めた術式、巨大な氷塊。更には招来された長刀から放たれる斬撃の波動、蠢く肉の触手、荒れ狂う疾風。六本の腕を持つ怪異が向ける破壊の嵐が、ライダー達を狙い迫りくる。

 しかし、脚を止める者は誰一人としていない。プラズマフレアを燃やす拳が氷塊を蒸発させ、触手を焼き払う。風と氷の力を宿す光の矢が金色の砲火を砕き、暗黒の術式を貫く。魔を断つ大剣が斬撃ごと長刀を斬り払い、荒れ狂う疾風を薙ぎ払う。

 悪心影の体より、汚泥のようにどろりと溶け落ち生まれる無数の怪物――無形の落とし子達が、数を以て圧倒しようとするも、今のライダー達にとっては風の前の塵と等しい。四方八方から襲いかかる怪異たちが、一瞬よりも薄い刹那の中で次々に砕かれ、穿たれ、斬り裂かれ。一体残らず消滅する。

 桁外れの魔力と魔力、常識外れの呪力と呪力の激突が無数の爆轟を生成し、刃金と刃金の交錯が生み出すビートが決戦場に響き渡る。世界そのものが爆裂するかのような相剋の中、邪神は狂乱のままにその力を振るう。

 

「「「さあ、踊れ踊れ踊れ! 矮小なる端役達よ! 破滅の結末へと向かって踊り続けろ!」」」

「誰がテメエの思い通りになるかよ!!」

《ジンバーマロンスカッシュ!》

 

 間合いを詰めたライダー達を踏み潰さんとした悪心影が、その巨大な前脚を持ち上げた直後。真下へと飛び込んだナックルが、エナジーロックシードの力を解放する。

 引き込まれた右の拳に、超高密度魔術式で形成された白く輝く魔法陣が展開。視認も叶わぬほどの速度で高速回転しながら、ナックルの拳に眩い光を宿らせる。

 

「ぶち抜けええええええええッ!!」

 

 もはや『魔法使いの杖』とでも呼ぶ程に魔術式に満ち満ちた右拳を用いた、渾身のアッパー。ナックルの拳に宿る無数の魔術文字を圧縮した『呪文螺旋(スペル・ヘリクス)』が、着撃と同時にその術式を全解放。

 そこより出ずるは火焔神性(クトゥグア)の熱。邪悪を掻き消し叫びを上げる凶暴(Evil)閃光(Shine)が、悪心影の前脚を諸共に貫き消滅させる光の槍となって迸り、その巨体を空中へと打ち上げる。

 

《ジンバードラゴンフルーツスカッシュ!!》

 

 空中に在る悪心影目がけて追撃の矢を放つのは、アーマードライダー龍玄。

 限界まで引き絞られたソニックアローから放たれた超高密度エネルギーの矢が、二頭の龍となって空を翔ける。吹き荒ぶ窮極の風をまとい、全てを凍てつかす絶対零度の爪牙を得し二頭龍は、仇敵への邂逅を果たす絶好の機会を逃すはずもない。雷光を思わせる自在可変軌道を描きながら、戦闘機(エーテルライダー)の如く飛翔する龍の(あぎと)が、天に撥ね上げられた悪心影に喰らいかかる。

 氷原神性(イタクァ)の牙が鉄杭の如く鋭い巨大氷柱となってその顔面を貫き、吹き荒れる疾風神性(ハスター)の風が死神の大鎌(デスサイズ)の如く悪心影を斬り刻みながら空中に押しとどめる。

 

「後は、お願いします――紘汰さん!!」

「任せろ、ミッチ!!」

 

 魔を断つ大剣を手に、金色の神気を放つ白銀の大将軍が駆ける。

 

《極スカッシュ!》

 

 鎧武の両足に流れ込む強大な次元破壊(ストライク)の力。跳躍と共に悪心影の胴を打った鎧武の両足から解き放たれたそのエネルギーの余波は推進力となり、黒の魔王(ライダー)と白の大将軍(ライダー)を天へと打ち上げる。

 唸りを上げる大気を貫き、蒼穹を斬り裂きながら瞬く間に第一宇宙速度へ達した二騎は、瞬く間に成層圏を突破し、ついに衛星軌道へと到達。

 白い星々に彩られた漆黒の宇宙――命の存在を拒む無空の空間に、二柱の神は辿りつく。

 

「ここが君の終極か! 葛葉紘汰!」

「いいや――ここは、お前の終極だ!!」

 

 蒼く輝く星を背負い、青き星に背を守られながら、鎧武は叫ぶ。

 

「この宇宙を――この光射す世界を、お前のような邪悪の好きにはさせない!!」

《極オーレ!!》

 

 守護者が手にする大剣の刀身に、金色の錠前と銀の鍵より捧げられた膨大な魔力が流れ込む。地平線の彼方より昇り星を照らす朝日の如く煌々と輝くその刃が宿すのは、クトゥグアの熱すら凌駕する無限熱量(・・・・)

 魔を断つ剣をその手に携え、全身より放つ神気を推進力としながら、星の守護者が天を翔ける。

 

「無に還れ、悪心影(アナザーシャドウ)! お前の舞台(ステージ)は――これで、終わりだ!!」

 

 決別の叫びと共に、白銀の王が、漆黒の王に大剣を振り下ろす。

 その剣が描く一撃こそ、光射す世界を狙う暗黒を、乾く事も飢える事も許さぬままに無に帰す、窮極にして最終の必滅奥義(インパクト)

 無限熱量を込めた剣閃は、巨大な悪心影を過たず一刀両断。残る最後の一つとなった頭部、そして胴体までを縦一文字に叩き斬り――吹き荒れる光の中へ消滅させていく。

 

「――終わり、か。確かに……そのようだね」

 

 剣に断たれ、熱に灼かれ、その肉片一つに至るまで完全昇華させられながら、それでも悪心影は嘲笑う。

 

「この僕は、ここで終わる。だが――それで何が終わるわけでもないことは、分かっているんだろう?」

「ああ。わかってるさ」

 

 悪心影の底意地の悪い問いを、鎧武は肯定する。

 邪悪な神の一柱を倒した所で、救いを求める声は絶える事はない。世に争いの種は尽きず、無数の宇宙にて繰り広げられる痛みが消える事はない。

 それでも。たとえ、それが宇宙の真実であったとしても。

 

「――戦い続けるさ。生きている限り、ずっと」

「そうかい……なら、次に会える日を楽しみにしているよ――『仮面ライダー』」

 

 最後の最後まで嘲弄する事を忘れないまま――悪心影は無限熱量の輝きに焼き尽くされ、細胞一つ残さず消滅した。

 宇宙を侵そうとした邪悪の化身、その一つが潰える。

 千の――いや、無限に等しき貌を持つ邪神、そのたった一つの貌。それを滅した所で、何かが大きく変わるわけではないのかもしれない。

 しかし、葛葉紘汰が――仮面ライダー鎧武が、一つの邪悪を打ち破り、一つの宇宙を守り抜いたという事実。それは、どこかの宇宙の中心で眠り続ける暗愚にして蒙昧たる神にすら否定することのできない、確かな真実だった。

 今日もまた戦いを乗り越えた事に僅かばかりの安堵を覚えながら、鎧武は静かに戦闘態勢を解く。

 

「あっちは、とっくに片付いてたみたいだな」

 

 軌道上で静止しながら、鎧武はその視線を遥か彼方にある遠き故郷――地球へと向ける。

 悪心影が送り込んだ無数の邪悪なる者達は、鎧武が決着をつけるより早く、地球を守る先輩と後輩(レジェンドライダー)達によって尽く殲滅されていたという事実を、鎧武の超越者としての感覚が捉える。

 その事自体には何の不思議もない。仮面ライダー達が邪悪と戦ったのだから、それは当然の帰結だ。

 しかし唯一、不思議な事があるとすれば――。

 

「――あんた達なんだろ? 俺の後輩(ドライブ)や、アビゲイルに力を貸してくれたのは」

 

 振り返った視線の先。

 真空・無重力の宇宙空間の中で、青き星と己の間に静かに佇む男と女の姿を、鎧武は視界に捉える。

 片や、長身の男。片や、小柄な女。

 気配で大方理解し、視覚に捉えて確信に至る。どちらも鎧武と同じ――苛烈なる戦いの果てに超越者となり、神の座に至った者達であると。

 

「ほう、気づいておったか。異界の神よ」

 

 長い髪を後頭部でまとめた、どこか幼子を思わせる小柄な女性が、僅かに眼を丸くしながら答える。

 

「まあな。ドライブの相棒(ベルト)は地下で眠ってるし、アイツの息子(ダークドライブ)は本来、もっと先の時間に居る。

 大方、もう一人のドライブは――『未来から呼び寄せた(サプライズ・フューチャー)』ってとこだろ?」

「ああ。以前、別の妾達にも同じような事があってな。彼の者の息子にも、少しばかり時間を飛翔(ジャンプ)してもらったのだ。ベルトを届けるついでにな」

 

 どこか懐かしげな微笑を浮かべながら事の次第を明かす小柄な神と、それを愛おしげに見つめる精悍な神。

 変身を解除した鎧武――葛葉紘汰は、ふわりと宇宙を漂いながら、二柱の神の側に近づく。

 

「俺は葛葉紘汰。この宇宙の神様で――『仮面ライダー鎧武』ってとこかな」

「俺は大十字九郎。そしてこっちが、アル・アジフ。通りすがりの――旧い神だ」

 

 精悍な男――大十字九郎が、紘汰が差し出した手を握り、二柱は固い握手を交わす。

 神々の邂逅。その事実の重みは、この宇宙そのものをぶるりと震わせた。今頃、感受性の強い者なら発狂――とまではいかなくとも、強烈なインスピレーションに突き動かされて創作活動にのめり込んでいる事だろう。

 

「悪かったな、葛葉紘汰。俺たちの敵――無貌の邪神が、この世界にも迷惑をかけたみたいだ」

「気にすんなよ、九郎。これくらい、いつものことだ。大した事ない」

「俺達ももう少し早く来れればよかったんだが、あいつも色々厄介なヤツでな。旅人にちょっかいを出そうとしていた、別のあいつの相手をしてたら、時間がかかっちまった。

 ……ま、今の戦いぶりからしたら、どうやら助太刀は無用だったみたいだが」

 

 そう言って、九郎は微笑う。無限を超える永劫、あの邪神と戦い続けてきた神が微笑う。

 その隣に佇む小柄な女性――アル・アジフは、蒼く輝く星を見つめる。その視線は、今日も生を謳歌する命への祝福と、奇妙な運命を背負った金色の旅人への慈愛に満ちあふれた、母の視線であった。

 彼女の艶やかな髪を優しく撫でながら、大十字九郎もしばしの間、命あふれる星を見つめ――そして、その視線を虚空へと移す。

 

「――もう行くのか、九郎」

「ああ。あの厄介者が、またどこかで暴れてるみたいだからな」

 

 紘汰の問いかけに、九郎は静かに頷く。

 どこかの宇宙。遠き彼方、こことは違うどこかの宇宙で、策謀を巡らせる邪悪の化身が世界を侵そうと蠢き始めた。その兆候を人知を超えた感覚で捉えた二柱の神は、また新たな戦いに旅立つのだ。

 葛葉紘汰同様、光射す数多の世界を守るために。

 ならば、かけるべき言葉は、たった一つ。

 

「じゃあ、またな(・・・)。九郎、アル・アジフ」

「――ああ。また会おう(・・・・・)。紘汰」

 

 ほんの一瞬、己が超常の存在であることを忘れる事ができたかのように。

 気さくな微笑みを浮かべながら、葛葉紘汰と大十字九郎は互いの右拳を軽くぶつけ合わせる。

 片や、数多の宇宙を渡り、邪悪を討ち滅ぼす為に戦う神。片や、数多の世界を巡り、涙と嘆きを止める為に戦う神。

 神々の征く道は決して安寧に満ちた物ではないだろうが――彼らは決して、孤独ではない。魔を断つ剣が一振り限りではないように。

 またいずれ、同じ戦場に立つこともあるだろう。そんな未来予知めいた予感を抱く紘汰の前で、大十字九郎とアル・アジフは、湧き立つ光の粒子に包まれながら、この宇宙を去っていった。

 

「さて……俺も、戻るとしますか。みんなのところに」

 

 青き生命の星に視線を向け、紘汰は微笑む。

 久々に会うことのできた、かけがえのない仲間たち。彼らが帰る場所は地球であり、別離は必然であるとは言え――別れを惜しむ時間くらいはある。

 そして、小さな友人の旅立ちを見送るくらいの時間も、きっと。

 紘汰はクラックを開き、その向こうへと飛び込んだ。星にて彼の帰りを待つ、仲間たちの元へ帰るために。

 

 

――――――

 

 

 そして、一つの戦いが終わった。

 生ける銀の鍵・英霊アビゲイルを狙って顕れた邪悪なる神は、白銀の神の前に敗れ去った。

 善なる神々の戦いは続く。数多の世界を越え、無限の宇宙を重ね――恐らくは永劫の果てまで、終わることはない。

 

 アビゲイルの旅もまた、続く。

 旅の終着点はここではない。積もる別れは切なくとも、それは脚を止める理由とはならない。

 故に、アビゲイルは若き神が見守る世界を離れ、新たな扉を潜る。次なる世界へと続く路を行く。

 訪れる未来が帰り着く場所なのかは分からないが――『あてのない旅』とは、往々にしてそういうものだ。

 

(そして、あなたもまた旅立つのね――座長さん。あてのない、はるかな旅に)

 

 実体を持たぬ、異常にして正常の通廊。異世界へと続く路をを流れ行きながら、アビゲイルは心の内で呟く。

 世界と世界を繋ぐ扉を介して触れ合う世界の狭間。その狭間に飛び込む時に一瞬だけ見えた、遥か彼方の光景。

 今は遠き故郷の星――そして、カルデアを襲う異聞帯(ロストベルト)の脅威。切り捨てられた歴史の尖兵に蹂躙される星見の塔と、漂白される一人ぼっちの惑星。居場所を追われ、多くの命を失いながらも、喉元に迫った危難を逃れたマスター。

 苦難に見舞われた恩人達に、助力したいと思わないはずがない。しかし、アビゲイルが旅する宇宙と、あの人達がいる宇宙はあまりに遠く、そしてアビゲイルは未だ『鍵』の力を使いこなせていない。今のアビゲイルが、カルデアに力を貸す事は不可能だ。

 それでも、アビゲイルはそれを悲しいとは思わない。

 

(だって、座長さんなら、大丈夫だから)

 

 識っている。

 アビゲイルは識っているのだ。

 あの日、自分に――そして、異界の神様に立ち向かった、強くて優しい人。その前には、多くの苦難が立ちはだかるだろう。無数の嘆きがその脚に絡みつき、無数の絶望がその身に牙を突き立てるだろう。

 それでも、あの人は前に進み続ける。絶望のほとりで叫び、嵐の向こう側で戦い続ける事を識っている。

 そしていつか――あるいは、もうとっくに――その側には、『本当の自由』を手に入れたアビゲイルが居て、共に旅路を征く事を識っている。

 縁は既に結ばれているのだ。今のアビゲイルがその側に在る事はできなくとも、遠き彼方のアビゲイルが、必ずあの人の力となる。時間と空間を超え、門を開く鍵の力に導かれて。

 完成も崩壊も永遠に訪れない物語(セカイ)を越えて、神様にすら否定できない大団円(ハッピーエンド)へ辿りつく。逆光に灼ける世界に、眩き色彩を取り戻すと、一片の迷いもなく信じられる。

 

(だから――)

 

 アビゲイルの旅は続く。

 流されるまま、無数の世界を渡る旅。流れ着く先も分からぬ、あてのない旅。それでも、あの日の約束がその脚を導いてくれる。

 だから、己の中にある力を、いつか己が物とする時までは――アビゲイルは導かれるままに歩み続ける。新たな物語(セカイ)へと、歩み出す。

 そして、今日もまた。

 

「おや、そろそろ出口のようだね。準備はいいかい、アビゲイル」

「ええ、もちろん。伯父様」

 

 共に時空を旅する紳士――ランドルフ・カーターの言葉に、アビゲイルは首肯する。

 虚無を孕む銀色の光に包まれていた視界が開け、同時に体を包んでいた浮遊感が薄れていく。

 コンクリートで作られた固い地面を両足でゆっくりと踏みしめながら、アビゲイルはカーターと共に周囲を軽く見渡す。

 

「これは、また……妙な世界にたどり着いてしまったようだね」

 

 背の高いビルやマンションが立ち並ぶ、現代的な――アビゲイルからすれば未来の――町並み。旅路の中で幾度も目にし、すっかり慣れてしまった光景だけに、伯父が何を指して『妙な』などと口にしたのか、アビゲイルにはすぐに分かった。

 

「そうね。でも、きっと……とっても面白くて、素敵な世界な気がするわ」

 

 天を突くようにそそり立つ、空を裂く壁(スカイウォール)

 紅の光を放つ壁によって裂かれたこの世界に待つ、新たな出会い(ベストマッチ)に胸を躍らせながら――アビゲイルはまた、新たな一歩を踏み出した。

 

 

――――――

 

 

 永劫過ぎし時の彼方。

 どこかの宇宙。

 どこかの外典(セカイ)――その裏側。

 

 死闘につぐ死闘、限界を幾度も越えた激闘の果て。ボロボロに傷ついた一匹――いや、一騎の黒き竜が、ついに大地へと堕ちる。

 其は幻想の化身・黒き悪竜ファヴニール。かつては黒瑪瑙の如く壮麗にして、そして一振りの大剣の如く精悍であったその姿は、今や見る影もない。

 全身に刻まれた裂傷。強固な鱗に穿たれた幾つもの穿孔。冠の如き角は諸共に折れ砕かれ、雄々しき翼の片割れは半ばより千切れとんでいる。噴き出す血は止まることを知らず、胸の紋章は今にも輝きを失わんとしている。

 それでも――それでも悪竜は、その両眼を以て『敵』を睨みつけ、その四肢を以て大地を踏みしめながら、『敵』の存在そのものを否定し尽くす程に強烈なドラゴンブレスを叩きつける。

 

《Aaaaa――AAAAAAAAAAAAAAAAA――!》

 

 幻想をも失墜させる竜の息吹を真正面から浴びた『敵』――山羊のそれに似た角と、蝙蝠の如き翼を持つ異形の女が、苦悶の声を上げる。

 ファヴニールの巨躯をも超える巨大な女の姿をした異形の神性。その肉体を構成する物質が一瞬の内に昇華され、跡形も残さず消滅する。

 こうして十体目の『敵』を屠った所で、ついに限界を迎えた竜の全身から力が抜け、その首が大地に横たえられる。

 

《AAaaAAAaaAaaaaAaA――!》

 

 そして、またも。

 たった今倒したばかりの異形神性と、全く同じ姿をした異形神性が産声を上げながら母胎(・・)より生まれ落ちる。

 異形の母たる存在――異形をあくまで神性とするならば、母胎は正に神。ファヴニール、そして異形神性以上の巨躯を以て、四本の脚で大地を踏みしめる獣の如きその姿。足元に広がるは湧き立つ混沌の汚泥。それはまさに世界の有り様そのものを塗り替える、原初の神であった。

 そして、人と魔獣が入り交じったかのような――あるいはその全ての原点であるかのような――姿をしたその神の首元に、まるで装飾品であるかのように接合されているのは、悪竜の下より奪われし万能の願望器。

 即ち――大聖杯。

 

「――くん! しっかりしてください、ジークくん!」

 

 束ねた金色の髪を揺らし、白き旗を携えた一人の聖女が、倒れた竜へと駆け寄る。

 泥より湧き出る無限の怪異達と戦い続け、傷ついたその(カラダ)を間近で目にしたファヴニール――いや、ジークの胸中に、悲しみが湧き上がる。

 守ろうとした大聖杯を、何とも分からぬ姿なき無貌神に奪われ、その力を魔獣母胎・ティアマト顕現に利用されてしまったこと。そして、永遠を越えて会いに来てくれた彼女を、その困難に巻き込んでしまったこと。

 その無力感が悪竜の――竜と英雄の力を受け継いだはずの少年を苛む。

 黒き竜にトドメを刺さんと迫りくる巨大な異形神性と、泥より湧き出づる無数の怪異。倒れた少年を守るため、傷ついた体で敵に立ち向かわんとする聖女の気高き背の姿を仰ぎながら、ジークは胸中で血の涙を流す。

 

(すまない……すまない……。俺には……大聖杯を守る事も……君を、守る事も……。

 俺は何一つ、やり遂げる事ができなかった……)

 

『――そんなことねえよ、ジーク。お前、すげえ頑張ったじゃねえか』

 

 届くはずの無い静かな声が、世界を越えて二人の元に届き――そして、鎧武乃風が吹く。

 

《極スカッシュ!!》

 

 嘆きに応え、悲しみを止めるために――次元を越えて『彼』は顕れた。

 世界の裏側。その天に開いたクラックから降臨するは金色の閃光。神力に満ち満ちたライダーキックが、流星の如く異形神性を貫き、光の粒に換えて完全消滅させる。

 更に、その着地点を中心に、見たことのない植物が広がっていく。全てを呑み込む混沌の汚泥が逆に侵食――否、『侵略』され、蔦のような、蛇のような植物へと置き換わっていく。

 呆然としながらその光景を見つめるジーク、そして聖女。その二人を守るように周囲に広がった植物の群れが、迫る怪異の肉体を絡め取り、そのまま粉々に打ち砕く。

 

「――大丈夫か、二人共」

 

 威風堂々と戦場を歩む、白銀の甲冑をまとう男。プリズムの如く輝く目が、聖女と邪竜を睥睨し、頷く。

 彼は、安心したように微笑んだ――ジークには、なぜかそのように見えた。

 

「事情はだいたい分かってる。あいつは――あのティアマトは本来、この世界にいないはずの存在だ。

 それが大聖杯の力を糧に、邪神の手で無理矢理顕現させられている――俺は、それを止めに来た」

「あなたは……あなたは、いったい……?」

「通りすがりの『仮面ライダー鎧武』――そして、神様かな」

「仮面”の”ライダー……? か、神さま……!?」

 

 目を丸くして当惑する聖女をよそに、白銀の神――仮面ライダー鎧武は二人に背を向けると、巨大なるティアマトを睨みつける。

 

「あとは俺に任せろ。傷が癒えるまで、二人は休んでいてくれ」

『……戦うつもりなのか? あなたは』

「ああ。その為に来たんだ。あいつをあのまま、表側の世界に出すわけにはいかないからな」

 

 ジークが竜の舌と音に載せた言葉を正しく理解し、鎧武は頷く。

 

「い……いくらなんでも無茶です、仮面のライダーさん!」

「無茶じゃないさ。これが初めてってワケでもないしな」

「でも、あの数を相手に……一人で戦おうだなんて!」

 

 見つめる視線の先で、既に10体以上の異形神性を産み落としたティアマトのおぞましき光景が、聖女に狼狽の言葉を叫ばせる。

 立っているのがやっとという程に傷ついた体で、今にも助力を申し出そうな聖女に背を向けたまま、鎧武は静かに首を横に振る。

 

「俺は一人じゃない。俺達はいつだって、独りじゃないんだ。

 ――そうだよな、大十字九郎! アル・アジフ!」

 

 その言葉とともに、鎧武の右手が天高く掲げられる。

 響き渡る、世界開裂の音。世界の裏側に、ティアマトをまるごと飲み込めそうなほどに巨大な裂け目が開き――その裂け目と同じ程に巨大な、光り輝く紋章円が姿を表す。

 クラックの彼方より、響く声。それは最弱にして最強の剣を喚ぶ詩。

 

『憎悪の空より来たりて』

『正しき怒りを胸に』

『我等は魔を断つ剣を執る!』

 

 響き渡る聖なる句。その音だけで、ティアマト、そして異形神性の群れが、揃ってその身を竦ませる。

 識っているのだ。その声と共に顕れる存在が何かを。

 識っているのだ。その名を。

 邪悪を討ち滅ぼす者を表す言葉。魔を断つ意思の化身――それが何者かを。

 

『汝、無垢なる刃――デモンベイン!!』

 

 そして、世界が爆裂する。

 轟音と共に顕現するは、天高く聳える鋼の機神。紅の翼を持つ、神殺しの刃金。

 その着地の衝撃で地を覆う植物と汚泥を諸共に吹き飛ばし消滅させながら、大地に降り立ったデウス・マキナ。

 鬼械神・デモンベイン。

 荒武者の如きその鋭い瞳が、ティアマトの姿を――そして、その背後で糸を引く無貌なる邪神の気配を捉える。

 

「――言っただろ? 独りじゃないって」 

《無双セイバー!》《大橙丸!》

 

 輝ける二刀を招来し、両手に携えた鎧武が、その鋒を向ける。巨大なる獣、そして、それを呼び覚ます邪神に向けて。

 黄金の心を輝かせ、彼は進む。白銀の心臓を駆動させ、彼らは征く。

 血と戦いに満ちた聖者の路を。幼子たちが生きる、光射す世界に繋がる死闘の路を。

 

「ここからは――俺達のステージだ!!」

 

 祈りと共に。決意と共に。誓いと共に。

 そして今日もまた、どこかの世界で―ー生命の詩と共に、新たな物語(ステージ)の幕が上がる。 

 

 

 

 

  『銀の鍵、黄金の果実』(下) 終

 



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