氷菓 ~もう一人の探偵~ (たけぽん)
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氷菓
1. 伝統ある古典部への道のり


氷菓映画化記念ということで(おせーよ)オリジナル要素を交えながら書かせていただきます。ちなみに、作者は「今さら翼といわれても」まで読んでいます。それでは、少しでも楽しんでいただけると幸いです。


 高校生活と言えばバラ色、バラ色といえば高校生活、何て具合に高校生活とバラ色は深いつながりがある。西暦2000年現在じゃあまだだろうけど、いずれはそういうテーマの小説や漫画なんかができるんじゃないだろうか。

 とはいっても、全ての高校生がバラ色を望んでるかというと、それは一概にそうだとは言えない。世の中には勉強やスポーツや色恋沙汰にも関心のない高校生だって結構いるはずだ。だからと言ってそういう人にバラ色を押し付けるのは真にバラ色とは言えない。バラ色がバラ色であるためには他者ではなく自分がそれを謳歌すべきだろう。それに、バラ色って定義も人それぞれだろうし。でも、やっぱり高校生活って言うとバラ色を期待しちゃうよね。まあ、楽しければ何でもいいけどさ。

 

 放課後の教室で、僕、夏目龍之介はそんな思いを巡らせながら机の上の書類にペンを走らせる。この書類が何なのかというと、神山高校古典部の入部届けだ。この春、僕の入学した神山高校は部活動が盛んで、運動部は全国大会に出場したりしてるし、僕はまだ知らないけど、文化祭ではクイズ研やお料理研が結構凄い催しをやるようだ。まあ、古典部は部員いないらしいから、文化祭とは関係ないんだろうけど。何故僕がそんな部活に入ろうとしているかというと、今朝方面白い話が飛び込んできたわけで、『楽しくないことならやらない、楽しいことならなんでもござれ』をモットーとする、つまるところ『娯楽至上主義』の僕はそれに即飛び着いたわけだ。

 

ところで、入部届けってどうやって受理してもらえば良いんだろうか。部員はいないのだから顧問の先生かな、それとも『あの人』の言っていた、『訪れるであろう先客』とやらに渡せばいいんだろうか。その先客が部員であるかも分からないし、やっぱり顧問の先生で良いのかな。そう思い教室を出て、職員室へ向かう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ファイト!ファイト!ファイト!……」

 

 開けられたままの窓から、何か運動部のような掛け声が聞こえてくる。

いいねえ、バラ色だねえ。いや、実際彼らがバラ色かは知らないけど、僕にはそう見えた。見えただけだからそうだと断定するのはバラ色じゃないね。反省反省。実のところ、僕も運動部に入部しようかななんて思ったりもしていた。運動は嫌いじゃないし、そういうので汗をかいてバラ色!なんてのも良いかなくらいには考えていた。でも、心からそれを楽しいと思えるかというと、運動というものは『娯楽至上主義』にはどうにも向いていない気がするんだよね。厳しい練習とか、涙を流しながら勝利を噛みしめたりするのは、達成感はあっても、僕の望む『楽しさ』は無い。

 

「失礼しまーす」

 

職員室に入り、古典部の顧問を探すがその姿は無い。近くにいた先生に聞くと、どうやら今は手が離せないらしい。クレーム対応かなんかかな?分からないけど、教師って仕事は僕にはあんまり向いてなさそうだね。クレーム対応なんて何も楽しくない。まあ、そんなことをいったら楽しい仕事なんて数えるほどしかないんだろうけどね。今は多少夢見たっていいじゃない。なにせこれからバラ色の高校生活を送るんだから!

とはいっても、僕自身なにがバラ色でなにがそうでないかなんてのは全く分からない。そもそも僕が目指しているのがバラ色なのかも分からない。なにせ経験が無いからね。自分の中に無いものに対しては言葉以上に感じるものは無い。僕はとりあえずバラ色を目標設定してるけど、それは絶対でも無い。灰色のほうが楽しいならそっちに飛びつくさ。

顧問がいないならとりあえず部室に行ってみよう。見たところ、古典部の部室のカギは無い。おそらくは先客が持っていったんだろう。先客ってどんな人なんだろう。まあ、行けば分かるか。

  古典部の部室は、特別棟の四階の端っこらしい。神山高校でも最辺境にあるね。最辺境だからといって、そこまでの道のりを浪費だなんて思っているようでは娯楽至上主義は名乗れない。そこまでの道のりを楽しんでこそでしょうよ。例えば階段の掲示版なんかには噂に聞く「秘密倶楽部」の勧誘メモが隠されているかもしれないし、今すれ違った大きな脚立を持った用務員は、何か悪の組織の幹部かもしれない。まあ、大半が「そんな訳無い」で片付くわけだけど、そういった空想をしながら回りをみるのは結構楽しいもんだ。僕の16年が物語っているよ。

 さて、特別棟の端っこに来たわけだけど、この教室が古典部の部室なんだろうか。まあ、とりあえず失礼しますかね。横開きのドアに手をかけると、堅い手ごたえが返ってきた。鍵がかかってるのか。でも鍵は先客が持っていった訳だし、そうすると先客の仕業だろうか。仕方ない、扉をノックし、声をかける。

 

「すみませーん。開けてもらっても良いですかー?」

 

すると、中でガタン、と音がした。先客が驚いて古典部の備品を壊してしまったんだろうか。そうなると、厄介だね。いや、でも反省文なんて書くのもそれはそれで楽しいかもしれない。いかに先生をうならせる名文を書くか考えたりしてね。それからすぐ、鍵が開けられ、扉が開く。

 

「すまない、少し寝てしまっていたようだ。まあ、はいりたまえ」

 

そう言ったのは整った顔立ちで、髪は黒く腰まで伸びており、セーラー服が良く似合う……けど、とても小柄で、小学生と見間違うくらいの女の子だった。あくびをしており、目には隈が出来ている。先客だろうか?と思ったが、『あの人』の言う先客は、言葉通りなら今日初めて部室を訪れるはずだ。そんな人物が鍵を内側から掛け、しかも爆睡なんてするはずもない。それにしても小さいな。

 

「今、私に対して失礼なことを考えていなかったか?」

「いえいえ、けしてそんなことは」

「そうか、ならいい」

 

許されたらしい。

 

「して、わが読書研究会に何の用かね」

「……はい?」

 

この子は何と言っただろうか、読書研究会?たしか僕は古典部に来たんじゃなかったっけ?でも、この子が言うにはここは読書研究会らしい。『あの人』が間違ったとは考えにくい。ならば、これはどういうわけだろう。

 

「君、見ない顔だが、一年生かね?」

「あ、はい。一年D組の夏目龍之介です」

「ひょっとして、入部希望者かい?それはそれは!いやあよく来てくれた!」

 

どうやらこの子は勘違いをしているようだ。それもそうだ、見る限り他に人はいないようだし、最辺境に部室があるということはこの読書研究会は廃部寸前くらいの状況なのだろう。奥を見ると、本が散らばっている。さっきの音の正体はこれか。それはそうと、誤解を解かなければ。

 

「あの、古典部はどこでしょうか」

 

その言葉に彼女はひどく落胆したようだ。こちらが誤解されるようなことをしてしまったので何とも申し訳ない。

 

「……古典部ならあっちの端だ。多分君は逆端に来てしまったのだろう」

 

なるほど、端っこ違いか。向こう側は地学講義室と書いてあったので部室では無いと思いこんでいたわけだ。まあでも、これで古典部の場所が分かった。さっそく行こう。

 

「……うむ?」

 

彼女は急に首をひねりだした。

 

「どうかしたんですか?」

「いや、良く考えたら、私は鍵をかけた覚えは無いのだが……どういうことだ?」

 

ん?鍵をかけた覚えはない?でも鍵はかかっていた。単に忘れただけだろうか?どういうことだろうか。

 

「記憶違いでは?」

「いや、部室に入った後、鍵を机の上におき、それから触っていない。それは確かだ」

 

つまり、彼女は部室で寝ていたら、いつの間にか外側から鍵をかけられ、閉じ込められたというわけか。まあ、内側からでも鍵があれば開閉出来るみたいだけど。つまり、これはちょっとした事件だ。

 

「まあ、いいか、夏目君といったかな、古典部に用があるのだろう?私はいいから行きたまえ」

「いや、待ってくださいよ」

「どうした?」

 

彼女は僕の顔を覗き込む。多分、今の僕は凄くニヤついて、いや違うな、そう。満面の笑みを浮かべていることだろう。

 

「これ、凄く楽しそうじゃないですか!」

「は?」

「いや、だってですよ?閉ざされた鍵、閉じ込められた女子生徒、そこに一人の来客……これはもう謎を解けってことでしょう!」

 

僕はものすごい勢いでまくしたてる。これだ、これだよ!小説にあるようなとまではいかないけど、こんなミステリーはなかなか起こるもんじゃない。これを見過ごしてバラ色になれるものか!

 

「ふむ、確かに。私もミステリーを読むが、実際にそう言われるとなかなか気を引かれるな」

 

読書研究会だけあって、いろんな本を読んでいるようだ。今度お勧めを聞いてみようかな。

 

「で、何か分かるのか、夏目探偵?」

「いえ、まだ何も。そういえばお名前を聞いていませんでしたね」

 

捜査の基本は、周辺の事物に対しての認識から成る。ってのは今勝手に作ったんだけど、流石に名前くらい知らないとこれからの会話がやりにくい。

 

「おっとすまなかったな。私は平塚愛梨。2年生だ。」

「それで平塚先輩。先輩はいつ部室へ?」

「5分くらい前だったかな。机で本を読んでいたら寝落ちして、君のノックで目が覚めた」

 

寝落ち早すぎでしょ、面白いなこの人。でもそれを起こしてしまったのは申し訳ない。それにしても、平塚先輩の言葉通りなら、やはり内側からは鍵をかけてはいない。だが鍵は閉まっていた。ううむ。情報が少ないかな。

 

「今日、何か変わったことは?」

「そういえば、来たとき鍵がかかっていなかったな。多分、昨日顧問の先生が最後に部室をでたらしいから、閉め忘れたんだろう」

 

いや、鍵が開けっ放しって、泥棒でも入ったらそれこそ事件だ。全く、顧問の先生もものぐさだなあ。それに、先輩は貸し出し用の鍵を持っている。ということは先生の閉め忘れで無ければ何者かがマスターキーで開けたことになる。誰が?何のために?

 

「おっと、少し暗くなってきたな。すまないが、そこの電気のスイッチを入れてくれないか」

 

言われた通りスイッチを入れる。なんだいやけに明るいな。蛍光灯があたらしいのかと思ったが、よく見ると単に蛍光灯がきれいに掃除されているだけだ。ホコリひとつない。平塚先輩が掃除したんだろうか。そんなに細かいところまで掃除する人には見えないけど。

……ん?待てよ?

 

「夏目君。何か分かったね」

 

そんなに顔に出ていたとは。僕はポーカーフェイスってのがまるで出来てないんだな。

 

「下の階に行きましょう。きっと、再現されてますよ」

 

部室を出て、階段を下りると、そこには男子生徒二人、女子生徒が一人いた。

 

「あら、こんにちは。あなたたちも再現を見に?」

「千反田さん。それはないよ、聞き耳立ててた訳じゃないんだし彼らは僕たちの事情に関係してるとは思えない」

「そう……ですよね。すみません。なんだかそんな気がして」

 

千反田と呼ばれた女子生徒には見覚えがある。確か名の知れた家の跡取りだとかなんとか。男子生徒の方は、一人は知らないがもう一人は同じクラスの福部里志君……だったかな。

 

「いえ、実は密室の謎を解きに来たんですよ」

 

すると千反田さんは目を輝かせて僕の方を見てきた。

 

「密室ですか?ちょうど私たちも密室について謎を解きに来たんです!なんで知っているんですか!?」

「い、いや。そっちの事は知らないですけど、こちらの平塚先輩が読書研究会の部室で閉じ込められていたんですよ」

 

あれだね、この千反田さんって人はどうにもパーソナルスペースが狭い。こんな人にはあったことが無かった。

 

「あれ、平塚さん?」

 

千反田さんの興味はあっという間に僕から平塚先輩に移ったらしい。忙しい人だなあ。

 

「ああ、えるではないか。久しぶりだな。うちの学校だったのか」

 

えるという言葉に一瞬理解が追いつかなかったけど、どうやら千反田さんの名前らしい。

 

「知り合いか?」

もう一人の男子生徒が千反田さんに尋ねる。

 

「おいおいホータロー、まさか平塚家のことも知らないのかい?」

 

福部君は肩をすくめ首を振り、処置なしという感じだ。ずいぶんとオーバーなアクションだなあ。同じクラスだけど、今まで福部君に注意を向けたことは無い。ただ、彼が総務委員と何かの部活を掛け持ちしているってことは誰かから聞いた。……誰だろう?まあいいや。

 

「また、なんとかの名家なのか?」

 

ホータローと呼ばれた男子生徒は少しめんどくさそうに言葉を返す。見た感じ福部君と彼は親しい間柄のようだ。

 

「平塚家は千反田家と同じ地域から農業では無く福祉系の施設の運営をするようになった、

立派なお家だよ。さっき説明した病院長入須家からの信頼も厚く、これからの日本の福祉をしょってたつ家なのさ!」

 

それは知らなかった。凄いな福部君。まるでデータベースみたいだ。これは勉強も得意なタイプなのかな。

 

「まあ、私の家の話は置いておいて、君たちも密室がどうとかいっていたな」

「君たちもってことは、平塚先輩たちも密室に?」

 

福部君の問いかけに平塚先輩は今までの事を説明する。

 

「私だけじゃなく、平塚さんも密室に……?折木さん、私、気になります!」

 

千反田さんはホータロー君に詰め寄る。彼の名字が折木なのだろう。

 

「「それは、もうすぐ分かる(分かりますよ)」」

 

ホータロー君と僕の声が偶然にも重なる。それに驚き、僕らは顔を見合わせる。

どういうことだ?いや、どういうことも何も、ホータロー君も僕同様、密室の謎を解いたってことだろう。しかも、先にこの階にいるってことは僕より早く。……ん?待てよ、『折木ホータロー』だって?

ははあ、なるほどね。どうやら彼が先客のようだ。

 

そして、解は示された。僕たちの目の前で、大きな脚立を持った用無委員がある教室から出てくると、ポケットから鍵を出し、フロアの教室のいくつかに次々と鍵をかけ始めたのだ。つまり、彼のしたことは、教室の鍵を開け、中で作業をする。それが終わると次の教室で作業。それを繰り返し、最後に鍵を閉めて回る。平塚先輩と千反田さんは悪いタイミングで入りこんでしまい、閉じ込められたのだ。読書研究会の部室の蛍光灯がきれいになっていたのは、用務員が気をきかせてくれたのだろう。

 

「凄いです折木さん!それと……」

「ああ、ごめんなさい。自己紹介が遅れました。僕は夏目龍之介って言います」

 

すると、福部君が驚いた顔をする。

 

「ああ!そうか、君が夏目君か!うちのクラス名簿になんともおしゃれな名前があるなと思って気になってたんだよ!」

 

どうやら福部君も僕が同じクラスであることを知っていたようだ。それにしても、僕の名前はおしゃれかな?夏目漱石と芥川龍之介をくっつけただけなんだけど。

 

「える、どうやら彼は古典部の入部希望者らしいぞ」

「そうなんですか!よろしくお願いしますね、夏目さん」

 

千反田さんは目を輝かせる。こんな女の子とこれから部活をしていくなんて、なんだかバラ色っぽいね。でも、ホータロー君はどうにも不思議そうな表情だ

 

「なあ、夏目。お前はどうして古典部なんかに?」

 

参ったな、ホータロー君以外の人に二人きりで聞かれたら答えても良いんだけど、今は答えられそうに無いな。かといって何も言わないのも失礼だよね。あ、そうだ、あるじゃないか!ここに来た理由がもう一つ!

 

「楽しくないことならやらない、楽しいことならなんでもござれ」

「は?」

「僕のモットーなんだよね。僕は自称『娯楽至上主義者』なんだ。廃部寸前の部活を助けるなんてこんな楽しいことは無いよ」

 

ホータロー君は唖然としている。千反田さんも一瞬固まった。意外にもそれにすぐ反応したのは福部君だった。

 

「いやあ、何とも面白いね、『娯楽至上主義』とは!ホータローの『省エネ主義』とは似ても似つかない!」

「失礼な奴だな」

 

福部君がいうにはホータロー君は『やらなくても良いことならやらない、やらなければいけないことなら手短に』をモットーとする『省エネ主義』らしい。高校一年生にしては、なかなか面白いモットーだなあ。僕も人の事言えないけど

 

「あ、そうだ、夏目さん、折木さん、入部届けはもう出しましたか?」

「まあ……一応」

 

ホータロー君はどんよりしている。まあ、『省エネ』じゃないよね、部活動なんて。僕はまだ提出していなかったので、千反田さんに渡しておいた。多分、この流れだと部長は千反田さんになるだろうしね。

 

「福部さんはどうですか?古典部」

「いいね。今日は面白かったし。うん、入るよ」

 

福部君も入部決定。

 

「あ、そうだ。平塚先輩」

 

さっきから蚊帳の外だった平塚先輩に声を掛ける。

 

「ん?どうかしたのかね」

「読書研究会は、先輩に入部届けを出せばいいんですか?」

 

実際、読書研究会もなかなか楽しそうだ。楽しいことならなんでもござれさ。

平塚先輩は僕の言葉に顔をほころばせる。

 

「そうか!はいってくれるか我が研究会に!歓迎するぞ、夏目君!」

 

 

 

帰り道、千反田さんと平塚先輩は自転車で別方向。ホータロー君は本屋へ寄っていくと言ったので、僕は福部君と二人で歩いていた。

 

「ところで夏目君」

「なんだい福部君」

「君、何か隠してるよね」

 

おっと。能ある鷹は爪を隠すってやつかは知らないけど、福部君にはばれてしまったようだ。まあ、僕はポーカーフェイスが苦手だからね。

 

「なんで分かったんだい?」

「それは、君が古典部を知っていたからさ。僕はこれでもデータベースを自称してるけど、古典部の事を知ったのはつい最近なんだ。なにせ古典部を知っていたのは一部の上級生だけだった。夏目君もデータベース志望なら話は違うけど、『娯楽至上主義』の君がそんな些細な情報収集をするとは思えない」

 

確かに、僕は上級生を捕まえて部活情報を聞いたりはしない。それは僕にとって楽しくないからだ。ホータロー君に福部君。全く面白い人たちと同じ部活になったもんだ。明日からの毎日が楽しみだ。

 

「それで?僕の推論は当たってたかい?」

「そりゃあもう素晴らしいくらいにね。探偵向きだね」

「単なるデータの応用さ、探偵役ならホータローや君の方が向いてるよ。それに、データベースは結論を出せないんだ」

 

福部君なりのモットーか。ますます面白いね。

 

「実は、今朝、こんな手紙が届いてね」

 

そういって僕は鞄から便箋を取り出す。

福部君なら内容を見れば察しがつくだろう。

 

「どれどれ……。ははあ、なるほど」

 

どうやら察してくれたようだ。

 

「なるほどね、これはあの場では隠さざるを得ない」

「でしょ?あの人に逆らうと大変だからね」

 

まあ、その分あの人には恩義も感じてるけど。

 

「これで、僕も真実を知る者になったわけだ」

 

真実を知る者とは、なかなかに良いセンスだ。流石福部君。

 

「さて、福部君。僕はここを右に曲がったら家なんだ」

「そうか、じゃあ今日はここで。」

 

そう言って道を曲がろうとすると後ろから福部君の声がした。

 

「そうだ、真実を知る者同士、もっと親しくいやっていこうよ、龍之介!」

「了解したよ、里志」

 

そうして、僕たちは帰宅した。

 

 

 

 

 



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2. 優雅なる読書研究会の活動

 よく考えたら、古典部とは何をする部活なのだろう。里志いわく古典部の存在を知る上級生はいても、活動内容を知っている人は一人もいないらしい。あの人に聞けば分かるかもしれないけど、あの人が今どこにいるか分からないし、自分たちで答えを出すほうが何倍も楽しいだろう。その分、読書研究会は基本的に本を読み、文化祭で本紹介のための文集を作るという活動目的がある。まあ、あくまで研究会だからせいぜい30部くらいしか作らないらしいけど。

 古典部が復活し、読書研究会の部員が一人増えてから1カ月。放課後の僕は日ごとに古典部の部室である地学講義室と読書研究会の部室に顔を出していた。古典部に行けば千反田さん、ホータロー君、里志の誰かがいるので適当に雑談なんぞしながら時間をつぶす。まあホータロー君は基本的に会話に参加はしないのだけど、千反田さんの家の作物にクラシックを聞かせたらものすごく成長した話や、里志の実は川中島の戦いは歴史的にそこまで重要な戦じゃなったって話に驚かされたりしている。読書研究会の部室に行けば、平塚先輩と一緒に紅茶を飲みながら(この紅茶、平塚先輩が淹れてくれるんだけど、ものすごく美味しい)本を読んで、感想を言い合ったりしている。まあ、活動らしくはないけど活動しているのが読書研究会だ。今のところ、ふたつの部活は僕にとって『まあ楽しい』と言える。まあ、まだ一カ月だし、文化祭が近くなれば今以上に楽しくなるだろう。いくら『娯楽至上主義』と言っても、娯楽が無いから即死、なんてことはあるはずもない。それに、平穏な日々こそ真に楽しいと言える。

 そんなわけで、今日は読書研究会の部室にいるわけで、小雨の音をバックグラウンドミュージックに、読書している。

ふと気付くと本を読み始めてからもう30分も経過している。今呼んでいるのはたいして有名ではないけどそこそこに面白いと言われる恋愛小説だ。バラ色を目指しているから恋愛小説を読んでいるわけではない。なにせ僕は恋愛というものに楽しいというイメージが無いからだ。まあ、経験が無いからなんだけど。この本に関しては、表紙の絵がきれいだったから思わず手にとって買ってしまったわけだ。

 

「ふう……」

 

平塚先輩が読んでいた本を閉じ天を仰ぐ。どうやらこれは先輩の癖らしい。

 

「どうでしたか、その本は」

「うむ、まだシリーズの1冊目なんだがすぐに次が読みたくなるくらいに面白いな」

「へえ、そんなに」

 

平塚先輩は読書家であると同時に批評家の側面も持っている。つまらない本はかなり辛辣に評価する。そんな先輩が絶賛するのだから、相当面白かったのだろう。ぜひとも読んでみたい。

 

「おっと、もうこんな時間か。今日は家の用事で帰らなければいけないんだった」

「そうなんですか。じゃあ今日の活動はここまでですね」

「ああ、そうだ。夏目君。悪いがそこの本を図書室に返しておいてくれないか。期限が今日なんだ」

 

指さされた方を見ると、ハードカバーが5冊、文庫本が10冊積まれていた。これは、相当な量だな……。ホータロー君なら卒倒するだろう。

 

「そのかわり、今読み終わったこの本を貸してやろう」

 

それは、なかなかに良い条件だ。この本は先輩の私物のようだし、貸し出し期限も無い。これを読めるなら多少の苦労は苦にならない。

 

「わかりました。では先輩、帰り道気をつけてくださいね」

「ああ。それでは、戸締り頼んだぞ」

 

そう言って先輩は部室を後にする。

それからしばらくして、僕も部室を出る。もちろん本を抱え、なんとか右手を使い鍵をしめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ、龍之介じゃないか」

 

図書室へ行くと里志がカウンターに持たれながら出迎えてくる。里志の向かいには幼い顔の少女が座っていた、流石に平塚先輩よりは高校生に見える。あれ、でもあの人確か2年生だったような……。やめよう。平塚先輩が読心術なんて隠し持っていたらとんでもないことになる。日ごろの行いがかしこまった場での振る舞いにあらわれるように考えていることも態度に表れかねない。なにせ僕はポーカーフェイスが苦手なのだ。

 

「ふくちゃん、この人は?」

 

少女が尋ねる。ふくちゃんって誰の事だろうと思ったけど、里志のことか。福部だからふくちゃんね。

 

「彼は夏目龍之介。同じクラスで我が古典部が誇る名探偵の一人さ!」

 

少し誇張されているような気がするけど、里志の紹介は簡潔にまとめられている。

そして里志は今度は僕の方を見て、

 

「龍之介、こちらは伊原麻耶花。僕とホータローと同じ鏑矢中の出身で、図書委員と漫画研究会の所属だ」

「よろしく。えっと、夏目君」

 

伊原さんはそう言いつつも少し警戒しているようだ。まあ、初対面の異性に対しては普通の対応かな。

 

「よろしくね、伊原さん」

「ところで龍之介、その大量の本はなんだい?」

 

里志は僕のもつ本に気付く。そうだ、これ返しに来たんだった。

 

「読書研究会で借りてる本でさ、期限が今日までなんだって。伊原さんこれ、お願いできるかな」

 

伊原さんは本の量に驚いていたけど、返却を受理してくれた。

 

「ねえ、ふくちゃん。さっきの話、夏目君にも聞いてもらわない?彼、名探偵なんでしょ?」

「ん。そうだね」

 

何の話だろうか。僕が里志言うところの名探偵であることが関係しているらしいけど。

 

「実は、この図書室で二つの奇妙な出来事があってね。とりあえず最初は時空を超えた落し物の話から聞いてもらおうかな」

 

時空を超えるとはまた何ともファンタジックな話だな。一つ目でこれなら二つ目は次元断裂とかしちゃいそうだな。

 

「私が昨日図書当番を終えて、戸締りして帰ったの。そして今日来て扉を開けたら、これが落ちてたの」

 

伊原さんが見せてくれたのは。青いハンカチと、少し破損した丸い形の金属だった。なんだこれ、どっかで見たような……。

 

「里志、この金属はなんだっけ?」

 

すると里志は肩をすくめやれやれといった感じで制服のとある場所を指さした。

 

「ああ、校章か」

 

神高生は制服に校章を付けることを義務付けられており、入学式の日に配られていた。普段気にしないからすっかり忘れていた。

 

「それで、何が不思議なんだい?誰かが忘れていったのを今日発見しただけじゃないの?」

「それが違うの、昨日図書室を閉めるときに確認したし、何よりこれがおちていたのは入り口のドアのすぐ近くだったの」

 

確かに、伊原さんはもちろん、どんなに目が節穴な人だって入口の前に落ちているものに気付かないはずがない。図書室をでる以上、必ず目にするところにこれはあったのだから。

 

「やっぱり、誰かが忍び込んだのかなあ……?」

「いや、麻耶花は鍵をかけたんだろう?それなら鍵が無いとドアは開かないよ」

 

確かに、それは先月の密室事件で証明されている。

 

「つまり、ここに入ってこれを落とした生徒は何らかの方法で鍵を手に入れたってことか」

「どうだい龍之介?」

 

これは…これは非常に……

 

「これ、凄く楽しそうじゃないか!」

「よし来た!」

 

里志は指をパチンと鳴らす。

 

そして、伊原さんと里志、そして僕の推理が始まった。

確か図書室の鍵は図書委員が司書の先生に許可をもらって始めて手に入れることが出来るはずだ。つまり、この時点で図書委員以外の生徒は対象から外れる。もしくは図書委員を介して鍵を手に入れたのかもしれないが、そこまでして図書室に忍び込む意味がない。

 

「視点を変えよう。なぜ、その生徒、仮にxは時間外に図書室に入ったのか」

「忘れ物でもしたとか?」

「何言ってるのふくちゃん。昨日私が見た時忘れ物は無かったって言ったじゃない」

「おっと、そうだった」

 

つまりxには忘れ物意外に図書室に入る必要があったのだ。なんだろう……全然わからない。

 

「摩耶花、昨日は何か変わったことは無かったのかい?」

「うーん……そういえば昨日は新しい本を業者さんが持ってきたけど」

「業者さんかあ。でも神高卒業生でもなけりゃ校章なんておとさないだろうしねえ」

 

そもそも卒業生だったとして、校章なんてもちあるかないでしょうよ。

……ん?待てよ?

 

「龍之介、何か分かったね?」

「そうなの?夏目君!」

 

ああ、やっぱりすぐ顔に出ちゃうんだなあ。そういえば昔からババ抜きで勝ったことなかったっけ。

 

「うん。多分分かったよ。」

「説明願おうか、名探偵龍之介君」

 

里志が茶々を入れている間に考えを整理する。よし、大丈夫だ。

 

 

 

 

 

 

「まず、xは正攻法で、つまり正式な方法で鍵を手に入れたんだ」

「ほうほう」

「そして、図書室の鍵を開け、用事を済ませ、鍵を閉めて出た。その時に校章とハンカチを落とした」

「仮に正攻法で入ったとしてもその用事ってなんなの?生徒が図書室で密輸でもするって言うの?」

 

伊原さんは僕の推理に不満たらたらのようだ。それでも、僕は言葉を続ける。

 

「そもそもだよ、なんで僕らはxを生徒だと決めつけたんだろう?」

「それは、校章を落としたからじゃない。まさか卒業生が来たなんてバカなこといわないでしょうね」

 

そのバカなことを言った本人は音のならない口笛を吹いている。誤魔化し方が下手すぎるよ。

 

「そもそも学校の関係者なら卒業生じゃ無くても校章を持っててもおかしくないよね?つまり、xは生徒では無く、図書室の鍵を自由に使えて、昨日、業者の持ってきた本を確認しに来た人物ってことだよ。つまり……」

「……司書の先生だね!?」

「その通り」

 

里志はなるほどなるほどと感心していた。伊原さんは驚いた表情で僕を見ている。

 

「すごいね、夏目君。ホントに名探偵みたい」

「いや、問いかけが楽しそうだっただけさ」

 

いやあ本当に楽しかった。やっぱり里志は面白いネタを提供してくれるなあ。本当に感謝感謝だよ。

 

「そういえば、謎はもう一つあるんじゃなかった?」

「おっとそうだった。ではお聞き願おうか、もう一つの謎、それは……」

 

里志がそう言うのと同時に入口の扉が開かれた。図書室への来客のようだ。

 



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3. 名誉ある古典部の活動

 

 

図書室に入ってきたのは我らが古典部部長千反田えるさんとそれに連れられてきたホータロー君だ。ずいぶん面白いタイミングで入ってきたなあ。しかもこれで古典部員はフルコンプリートだ。偶然ってのもすごいもんだ。

 

「あれ、折木じゃない。久しぶりね、会いたく無かったわ」

 

唐突に伊原さんがさっきまでとは打って変わってテンションの低い表情と声でホータロー君に挨拶した。いや、これははたして挨拶なんだろうか。

 

「よお。会いに来てやったぜ」

 

確か二人と里志は同じ中学だったんだっけ。伊原さんのこの態度は中学の時に何かあったからなのだろうか。まあ、あんまりおもしろくなさそうだからいいや。

その後も二人は一言二言交わし、黙り込んでしまった。

 

「相変わらず仲がいいじゃないか。さすがは鏑矢中ベストカップル」

 

見かねた里志がフォローを入れるのかと思ったら、なにをいってるんだこいつは。火に油を注ぐとはまさにこのことだ。まあ、いつもの里志ジョークだろうけどさあ。

 

「ふざけるな」

「こんな陰気な男、なめくじの方がまだましよ」

 

ほらね。もうやめようよ。伊原さん怖いよ。

 

「大体ふくちゃん、私の気持ち知っててよくもそんなことが言えるわね」

 

あらまびっくり。どうやら伊原さんは里志に惚れているらしい。この感じだと中学の時からみたいだね。里志ははぐらかしてるみたいだけど。

 

「そういえば、夏目さんはどうしてここに?今日は読書研究会の方へいくと伺ってましたが……」

 

おっと。そういえばいたね、千反田さん。

「いや、平塚先輩に頼まれて本を返却しにきたんだよ。千反田さんたちは?」

 

「文化祭で文集を作ることにしたので、バックナンバーがないかと思いまして」

「へえ、カンヤ祭に出品するんだ。よくホータローが承諾したね」

 

確かに。まあホータロー君は押しに弱そうだし、僕だって千反田さんにどうしてもと頼まれたら思わず承諾してしまいそうだ。

 

「里志、カンヤ祭って言ったか?」

「知らないのかいホータロー。カンヤ祭。神高文化祭の俗称だよ」

「またお前の付けた俗称じゃないだろうな」

 

確かに、そう思うのも仕方ない。だって里志だし。

 

「いや、ホータロー君。平塚先輩もカンヤ祭って言ってたよ。結構メジャーな俗称なんじゃないかな」

 

一応助け船を出しておく。まあ、里志とちがってジョークでも何でもなく、単なる事実だ。

 

「夏目が言うなら本当のようだな」

 

「それで、図書委員さん。古典部の文集のバックナンバーはありますか?」

「えっと……見たこと無いかな。書庫にはあるかもしれないけど今、司書の先生が会議でまだ来てないの。後30分くらいで来ると思うけど、待つ?」

 

千反田さんはホータロー君に確認をとり、ホータロー君は窓の外を見てから待つことを承諾した。外の雨が強くなってきてるから、雨宿りも兼ねているのだろう。

 

「そうだ、龍之介。さっきの話の続きをしようか」

「どういうお話ですか?」

 

千反田さんは興味深しんのようだ。まあ、僕も話の続きには大いに興味がある。

 

「この図書室で奇妙なことが二つあってね。ひとつはさっき、龍之介が解決したんだけどね」

「本当ですか夏目さん!どんな話ですかっ!」

 

千反田さんは僕に詰め寄ってくる。相変わらずパーソナルスペース狭いなあ。

 

「ま、まあ、それは今度話すよ。それより僕としては二つ目を聞きたいんだけど」

「そうですか……。分かりました。でも、絶対今度教えてくださいね!」

 

千反田さんは引きさがってくれた。さて、二つ目の謎はなんだろうか。一つ目が時空をこえた落し物なんだからきっとそれを超えるものすごいものなんだろう。期待に心が躍るとは今の状況を言うのだろう。

 

「愛なき愛読書さ」

 

へ?なに?愛なき愛読書?それはスケール的に一つ目よりちぢんでないか?里志。出す順番が逆でしょうよ。

 

「そんなにがっかりしないでよ龍之介。これも結構な謎だからさ」

 

そ、そうなのか。ここは里志の言葉を信じよう。どうか里志ジョークじゃありませんように……。

 

「私が当番で金曜の放課後にここに来ると、、毎週この本が返却されてるの。しかも5週連続。これだけでもかなりおかしいでしょ?」

 

伊原さんはそう言ってカウンターの端から大きな本を取り出した。

 

「人気のある本なんですか?」

 

いや、それは無いでしょ。確かに見事な装丁だけどタイトルは『神山高校五十年の歩み』所謂学校誌だ。価値的には朝礼の校長先生のお話くらいなもんだ。つまり、高校生にとっては全くの無価値。

 

「ちょっと見てもいいですか」

 

千反田さんはそれを開き近くの席に座っていたホータロー君の本の上にかぶせた。ホータロー君はげんなりしつつも本に目を通す。

 

「別にこれを毎週借りる奴がいても不思議じゃないな」

 

まあ、確かに。変わった人なんてたくさんいるからねえ。里志や千反田さん。それに僕みたいに。

 

「あんたここで本借りたこと無いでしょ。ここの貸し出し期限は2週間もあるのよ?毎週借りる必要性が無いじゃない」

 

なるほど。そういえばそうだ。ということはこれはおかしな状況だ。

 

「伊原さん。誰が借りたかって確か貸し出しリストに書いてあったよね?」

「うん。裏表紙にリストがついてるわ」

 

千反田さんがリストを取り出し、

 

「あら?」

 

声を漏らす。

 

「どうしたんだい?」

 

リストを見ると、確かに奇妙なことが書かれていた。

 

今週の借主は、2年D組、町田京子。

先週は、2年F組、沢木口美崎。

先々週は、2年E組、山口亮子。

先々々週は2年C組、嶋さおり。

その前の週は2年F組、平塚愛梨。

 

「ようするに、毎週違う人間が借りているってことか」

 

しかもその中には平塚先輩の名前もあった。もう帰っちゃったし、そもそも答え聞いちゃったら面白くもないけどね。

 

「それに、毎週金曜日に貸し出されています」

「そうなの。全員その日の昼休みに借りて放課後に返すの。そんなんじゃ読む時間も無いじゃない?」

「どうだい、千反田さん、龍之介」

 

ここで僕と千反田さんに聞いたのはつまり、あの言葉を待っているのだろう。まあ実際これは……。

 

「ええ、私、気になります!」

「そうだね、これは楽しそうだ!」

 

里志はまた指をパチンと鳴らす。

 

「どうしてでしょう、折木さん」

「お、俺?」

 

ホータロー君は突然の指名に面喰っている。里志の方を見ると。からかうような笑みをホータロー君に向けている。なるほど、そういう狙いもあったわけだ。

 

「さあ、考えてみましょう!折木さん、夏目さん!」

 

ホータロー君は少し悩んだ後、承諾した。まあ、ここで言い逃れたほうが後あと『省エネ』を脅かしかねないだろうし、妥当な判断だ。

 

「ふくちゃん、夏目君はともかく折木って頭良かったっけ?」

「あんまり。でもこういう役に立たないときはたまに役に立つんだ。なにせ古典部の誇る名探偵のもう一人はホータローだからね!」

「勝手に探偵にするな」

 

まあそういうわけで僕とホータロー君の共同捜査が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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4. 愛なき愛読書

十戒だったかに二人の探偵は邪道みたいに書いてあったきがしますが、コナン君と服部君は二人で事件に臨む時もあるし、二人で一人の仮面ライダーも探偵だし、大丈夫だと信じます。


 

 

 毎週別の人間が同じ本を借りてその日の内に返す行為が5連続でおきても、それ自体はあり得ないことでも無い。でも、流石に出来すぎだよね。それに、それじゃあ千反田さんは納得しないだろうし、僕としてもそんな結論は楽しくもなんともない。

 話を戻すと、これは偶然では無く何か意味があっての事だと考えるべきだろう。

 

「夏目、この本が読まれるために借りられたと思うか?」

「それはないね。昼休みに借りて放課後に返すんじゃとても読む暇なんてあったもんじゃない。授業中に隠れて読もうにもこの本はでかすぎる」

「とすればこの本は図書の本分を果たすためではなく、別の意味を持って貸し出されているということになるな」

 

ホータロー君の推理を目の前で見るのはこれが初めてだけど、彼の推理の仕方は僕と良く似ている気がする。まあ、理由は分かりきっているけどね。

 

「本を、読む以外に使うとしたらどう使う?」

 

ホータロー君にしては珍しく真剣に聞いたんだろうけど、返ってきた答えは浅漬けがつかるとか盾になるとか枕にいいとか、実用性の無いアイデアばかりだった。あ、でも漬物石はいいかもね。今度やってみようかな。

 

「もういい。視点を変えよう。なぜ毎週別の人間が借りるのか」

「偶然じゃないなら彼女らに共通点は無いけど、この本を金曜日に使うことが流行っている場合。まあ女子だし占いとかかな。でもそんなピンポイントな占いなんてあるの?」

 

そういって女性陣をみるが首を横に振る。里志もそんなのあるわけ無いだろといった表情だ。

 

「なら、彼女らが結託してこの本を使用し、当番制で返しているって可能性が濃厚だな」

 

ホータロー君はそう言って貸し出しリストをみる。

 

「おい、夏目。良く考えたら平塚先輩に聞けば一発じゃないか。携帯番号、知らないのか?」

 

そこに気付くとは、流石『省エネ』折木ホータローだ。実際先輩の電話番号は知っているけど、そんな簡単に回答にたどり着いてしまっては楽しくない。

 

「先輩は今日家の用事があるって言ってたし、迷惑じゃないかな」

 

よし、嘘は言って無いから、表情にも出てないはず。里志の方をみると『ナイス!』と言わんばかりに目配せしてきた。

 

「仕方ない。なら何かの合図とかはどうだ?本が表なら可、裏なら不可。とか」

「そんなわけ無いじゃない。ほら」

 

伊原さんは本の返却箱を指さす。なるほど、そこには本が乱雑に積み重なっている。これじゃあ裏も表も分かりはしない。

 

ううむ。僕もホータロー君もキーは揃えたが、あと一歩が足りない。なにかもう一つ、ヒントは無いだろうか。

そう思っていると急に千反田さんが本の表紙に顔を近づけた。

 

「な、なに、どうかしたの?」

「何か匂いがします」

 

伊原さんの問いに千反田さんはそう答える。

 

「そう?……何も匂わないけど」

「なにかの刺激臭です。シンナーのような」

 

千反田さんの言葉には驚いたが、彼女が嘘を言うような人じゃないのも分かっている。ということは本当にシンナーのような匂いが本からするのだ。

 

 

ん?待てよ……?

 

「ホータロー、龍之介、何かわかったね?」

 

「そうだね、多分分かった」

「だな、確定はできんが。千反田、少し運動する気はないか、行ってほしいところがあるんだ」

「え?あ、はい。どこでしょうか?」

「騙されちゃだめだよ千反田さん。ホータローに使われるなんてあっちゃいけない。ホータローは使ってこそなんだから。どこなんだい、ホータロー」

 

随分な言い方だが、ホータロー君は自分も行くことに決めたようだ、まあ、今日は雨で体育無かったしね。可処分エネルギーがあるんだろう。そして、伊原さん、千反田さん、そしてホータロー君は図書室を出た。僕と里志は留守番だ。

 

 

 

「それで、彼らはどこへ向かったんだい?」

 

留守番を任された、というか押し付けられた里志は少々不機嫌なようだ。仕方ないので僕はそれに答える。

 

「美術準備室だよ」

「へ?校舎の反対側じゃないか。ははん。それでホータローは渋った訳か。で、そこになにが?」

「あの本を使うとすれば、やっぱり五時間目か六時間目の授業中しかない。もしくはその両方だね。そして平塚先輩を含め本を借りたのは2年生。学年が同じでクラスが違う彼女らが関係する授業と言えば?」

「なるほど、選択科目、それも芸術科目だね!なるほど確かにあれなら絵のモチーフには申し分ない」

「そう、そしてあのでかい本の一番楽な管理法が毎週図書室に返すことだったんだ」

 

おそらくホータロー君たちは今頃2年生の書いた作品を見ているだろうね。まあ、多分肖像画かな。十中八九平塚先輩はモデルでは無いだろうけどね。そして千反田さんが嗅いだ匂いとやらは絵の具の匂いだったのだろう。まったく。凄い嗅覚だ。

 

しばらくして、ホータロー君御一行が戻ってきた。伊原さんはホータロー君が謎を解いたことにとても悔しそうにしていたけど、里志がなんとかするだろう。

 

「さて、帰るか」

「何言ってんだよホータロー。まだ文集が見つかってないじゃないか」

 

ホータロー君は結構抜けてるところあるからなあ。

「すみませんね伊原さん。御苦労さま。もう帰っていいわよ」

 

しばらくして入口から入ってきた教師が伊原さんに話しかける。どうやらこの人が司書のようだ。ネームプレートには『糸魚川養子』と書いてある。

 

「先生。古典部の福部里志です。僕たち、文集を作るためにバックナンバーを探しているんですけど、書庫をしらべてもいいでしょうか?」

 

里志が早速交渉を始める。

 

「古典部?文集?」

 

先生は少し驚いているようだ。まあ、こないだまで廃部寸前の部活だったからね。

 

「貴方達、古典部なの。そう……。残念だけど、文集のバックナンバーは書庫にもないわ」

 

ありゃりゃ残念。それにしても妙にはっきりと答えるね。まあでも無いと言っているし無いんだろう。

 

 

「……困りましたね」

「ねえ、千反田さん。古典部の部室は昔からあの地学講義室だったのかい?」

「え?」

 

僕の発言に、みんなが驚く。なんだい、そんなに変な事言ったかな?

 

「そうか!確かに、昔は違う場所にあって、そこに文集があるかも!ナイスだよ、龍之介!」

 

とはいっても、それがどこかは分からないんだけどね。まあ、地道に探すしかないかな。こればっかりは楽しくなくても仕方ない。ホータロー君流にいうなら『やらなければいけないこと』だ。

 

「あ、そうだ」

 

僕はポケットから、さっきのハンカチと校章を取り出す。

 

「糸魚川先生。これ、落し物ですよ」

「え?ああ、これ無くしたと思ってたのよ。良かった……」

 

どうやら大切なハンカチだったようだ。

 

「でもよく私のだってわかったわね」

「まあ、少し頭を働かせまして」

 

すると、先生は僕の方をまじまじと見つめる。なんだろう、顔に何かついてたっけ。

 

「あなた、名前は?」

「夏目龍之介ですけど……」

「……そう。ごめんなさい勘違いだったみたいだわ」

 

なにを勘違いしたんだろうか。まあいいか。

 

「さて、今度こそ帰るか」

「そうですね。……収穫もありましたし」

 

千反田さんってときどきよく分からないこと言うよね。

そう思いながら鞄をもちあげ、帰ろうとした僕の耳には、千反田さんの小さなつぶやきが聞こえたような気がした。

 

「お二人なら、もしかしたら……」

 

 

 



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5. 省エネ主義の決断

 

 

ある日曜日。僕は千反田さんに呼び出された。なんでも学校以外で会いたいそうだ。しかも会う場所を、喫茶店「パイナップルサンド」に指定された。あの豪農千反田家息女の呼び出しに、よくわからないままイエスと返事してしまうあたり、僕も人間味あふれてるなと実感する。いや、何をのんきなことを言っているんだ。ああ、早く変わってくれよ、信号。

 

 

 

 

 なんで僕が信号にこんなにも思いを馳せているかというと、ちょっと言い訳がましいけど、千反田さんからの電話が12時半にかかってきて、その電話で目が覚めた僕に対して提示された時間は1時半。つまり僕は一時間の間に準備をして、喫茶店まで行かなくてはならなかった訳だ。そして、「パイナップルサンド」については知ってはいたが実際に行くのは初めてだった。案の条、周辺で迷ってしまった。近くを歩いていたおばあさんに聞いたところ、通りを数本間違えていたらしくなんとか軌道修正しているうちに時計の針は1時20分をまわる。

 うん。駄目だこれは、遅刻確定。千反田さんに謝罪したいけど彼女は携帯を持っていない。まあ、このペースなら遅刻って言っても5分10分くらいだ。到着してから謝罪しよう。

 それにしても、このままただ罪悪感を抱えながら走っているのも楽しくない。せっかくだし、千反田さんの要件とは何かを考えてみよう。

 まず、時間。今日は日曜日、大抵の高校生にとっては

休みの日である。そして場所。千反田さんは学校外で会おうというところを特に強調していた。「パイナップルサンド」に指定してきたのは、彼女の行きつけだとかそういう理由だろうか。それは最後に考えることによう。そして誰が。千反田さんと僕だ。何をするのか。これに関しては全く手掛かりがない。千反田さんは学校外で会いたいとしか言わなかった。つまりまとめると休日に学外で、千反田さんと僕が何かをするわけだ。

女性が男性を呼び出す理由として最も簡単に思いつくのは、色恋沙汰だろうか。いや、それにしては急すぎる。そもそもそういう類の用事なら前もってなんらかの兆しがあるはずだ。でも、先週末の僕は読書研究会の方に顔をだしていたので千反田さんとは会っていない。というわけで色恋説、却下。

後はなんだろう。そうだな、お茶した後買物に付き合わされる、とかだろうか。いや、でもそれなら確実に来てもらえるように前もっての誘いや向かう店の説明があってもいいはずだ。千反田さんは変わった人だけど、常識が無い訳じゃない。というわけで買い物説、却下。

新たに思ったのは千反田さんが何をするか言わなかったのは言いにくいことだったからということだ。とすると、ひょっとして人生相談とかだろうか。それだと、あんまり力になれそうにはないけど。そして、最後の疑問は、なぜ、「パイナップルサンド」なのかということ。普通、休日に待ち合わせを申し込むなら、場所の選択権が申し込まれる側に回ってくるはず。今回の場合、要件すら伝えてないのだから、それくらいの配慮があってもおかしくは無い。考えられる可能性は2つ。要件そのものがそこでしかできない場合と、『もう一人』の誰かがいて、その人物がそこを指定した場合だ。後者について補足すると、僕と千反田さん、そして『もう一人』にとって、その場所が行きやすい(交通面とか立地条件とかで)ところで、千反田さんはその案を採用したということだ。

もう一度まとめると、千反田さんは何か重要な相談をするために、僕と『もう一人』の人物に召集をかけた。って感じかな。

 

 

 

 

 

 

 

僕が到着したのは1時40分。予想通り遅刻は10分だった。店内にはいってあたりを見回すと、千反田さんはすぐに見つかった。いや、千反田さんは僕に背中を向ける形で座っていたので、僕が判別につかったのは、向かいに座る人物だった。どうやら二人とも僕の入店には気づいていないようだ。

 

「やあこんにちは。遅くなってごめんね、道に迷っちゃってさ」

 

席に近づきそう話しかけると、千反田さんはすぐに反応してくれた。

 

「あ、夏目さん!良かった……。遅いので何かトラブルに巻き込まれたのかと心配してました」

 

ありゃ、それは悪いことをしちゃったな。今度からは日曜でももう少し早く起きよう。

 

「それで、お前も呼び出された訳か、夏目」

「そうだね、待たせてごめんよ、ホータロー君」

 

『もう一人』の正体がホータロー君だとは驚いた。彼がせっかくの日曜に人の呼び出しに応じるなんて思ってもいなかった。でもまあ、彼は人の気持ちを無下にしたりする人でも無い。僕の見た限り、彼の『省エネ』主義は単なるものぐさとは違うようだし。

とりあえずホータロー君の隣に座り、コーヒーを注文する。コーヒーを待つ間、ホータロー君が何故この店を気にいっているか、千反田さんは自分がいかにカフェインに弱いかなんて話をしていた。コーヒーが来たので、僕は砂糖を入れる。

 

「おい、夏目。流石に入れすぎだろう」

「え?そうかな?いつもこれくらい入れてるんだけど」

 

向かいをみると千反田さんも目を丸くしている。どうやら僕の砂糖に関する常識は世間一般のものとはかけ離れていたようだ。

 

「それで、千反田。俺たちに何か用か」

「はい?」

 

ホータロー君は顔をしかめた。

 

「何のために俺たちを呼び出したかってことだ」

「このお店を指定したのは折木さんです」

「帰る」

「ああ、待ってください!」

 

もはや漫才の領域だね。僕は苦笑いしつつも助け舟をだすことにした。

 

「千反田さんは、なにか相談があるんだよね?」

「どうして分かったんですか!」

 

おっと、千反田さんの好奇心を刺激してしまったようだ。ここで僕の推理を長々説明していると今度こそホータロー君が帰りかねない。

 

「千反田、それならそうと早く言え。何の相談だ」

 

ナイス、ホータロー君。

 

「えっと……、その」

 

千反田さんはどうにも歯切れが悪い。どうやら僕が思った以上に重要な話らしい。

参ったな。僕はシリアスには向いていないんだよな。

 

「明日の晩御飯でも迷ったのかい?」

 

なんてジョークを言ったところ、場が凍りついた。里志って結構頑張ってジョーク考えてるんだね。

が、それがきっかけで千反田さんは話し始めた。

 

「実は私、お二人に頼みがあるんです。でも、本当はこれは私だけの問題ですから、お願いできる筋合いではありません。……なので、とりあえず話を聞いてください」

「話してみろよ」

「はい」

 

少し間を開けて、千反田さんは口を開いた。

 

「……私には関谷純という伯父がいました。十年前にマレーシアに渡航して、七年前から行方不明です。

昔の私は、伯父によく懐き、いろんなことを尋ねていました。どんなことを訊いたのかはほとんど覚えていませんが、伯父はそれらすべてに答えてくれました」

「それはなんとも博識な伯父さんだね」

「お前の伯父の事はわかったよ。だが、それがどう頼みにつながるんだ?」

「私がお二人に頼みたいのは……私が伯父から何を聞いたのかを思い出させてほしいということです」

 

そこまで話して、千反田さんは話をきった。僕は、いやホータロー君も唖然としていた。言われたことの意味が理解できなかったのだ。千反田さんが何を聞いたかを僕らに訊く、だって?

 

「……無茶苦茶だ」

「無茶苦茶だね」

「すみません、先走りすぎましたね。伯父にまつわる思い出の中で、ひとつだけ強く覚えていることがあります。思い出したいのはそれだけです」

 

千反田さんはココアで口を湿らせてから、また話しだした。

 

「私が幼稚園児の頃、私は伯父が『コテンブ』だったことを知りました。家に合った『スコンブ』に語呂がよく似ていたからだと思います。私は『コテンブ』に興味を持ちました」

 

すこんぶに古典部とは、さっきの僕のジョークより笑えないけど、子供の、それに千反田さんの好奇心なんて読み切れるわけがない。

 

「私は伯父に『コテンブ』の話をいろいろしてもらいました。そしてある日、『コテンブ』についてのなにかを尋ねました。いつもなんでもすぐに教えてくれた伯父がその時だけ答えを渋ったように思います。それが悔しくて随分駄々をこねて、伯父に答えてもらいました。そして、その答えを聞いた私は……」

「お前は?」

「……泣きました。恐ろしかったのか悲しかったのか、大泣きしました。でも、なぜか伯父はそんな私をあやしてくれませんでした」

「それで?」

「中学生になる頃に、私はそれが気になりました。伯父が答えを渋ったのは何故なのか、何故あやしてくれなかったのか。お二人はどう思いますか」

 

僕は少し考えてみた。千反田さんの好奇心にいちいち答えるような気さくな人が、泣く子をほうっておいた理由とは。

まあ、理由は一つしかないよね。

 

「千反田さんの伯父さんは撤回できないことを話したんじゃないかな。とても肝心なことを」

「だろうな」

「私も手は尽くしましたが、どうしても思い出せなかったんです。必要なてがかりが、みつからなかったんです」

 

それが、千反田さんが廃部寸前の古典部に入部した理由なんだろう。しかも33年前のことを知っている人なんて、いまの神高にはいないだろう。

 

「で、なんでそれを俺たちに?」

「それは、お二人が部室の鍵の時も、図書館での二つの話も、私が想像しなかった結論を出してくれたからです。お二人なら、答えを出してくれると思うのです」

 

千反田さんの言葉に、僕とホータロー君は言葉に詰まる。それもそうだ。千反田さんがわざわざ日曜に僕たちを呼び出したのは伯父さんの話を他人にあまり知られたくないからだ。そんな話をされてしまった上にそれを僕らに委ねられたわけだ。

 

「すみません。無茶な話だとは思います。でも、お二人は伯父同様に私の疑問に答えてくれました。だから……」

 

僕たちに伯父さんを重ねていたってことか。そういえば、何年か行方不明が続くと法律的に死亡扱いになるんだったっけか。千反田さんの伯父さんの失踪期間は七年。多分該当しているだろう。

ホータロー君は尚も黙り込んでいる。『省エネ』主義の彼からしたら、この話は『やらなくてもいいこと』だ。それに、僕たちには、千反田さんに対して責任がとれるとは思わない。それに……、僕にとってこれは『楽しいこと』なのだろうか。つまり、この話は僕たち二人の主義に反しているのだ。

しばらくして、意外にもホータロー君が口を開いた。

 

「俺は、お前に責任はとれないが、話を聞いてしまった以上、何もしないとも言わない。だから、その話を心に留めておいて、ヒントになることがあったら報告しよう。解釈に手間取るなら手助けもする。それでよければ」

「……ありがとうございます。折木さん」

 

ホータロー君は薄く笑う。ホータロー君が拒絶しなかったことには驚いた。多分彼自身も。里志に話せば、ものすごくオーバーリアクションをとってすっ転ぶだろうね。

 

「夏目さんは、どうでしょうか」

 

千反田さんの問いに対して、僕はためらいつつもありのままの気持ちを答えることにした。

 

「ごめん。僕は遠慮するよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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6. 娯楽至上主義の決断

 

「楽しい」とはなんだろうか。凄く哲学的な話だが、人は楽しい事の無い世の中で生きていけるほど強い生き物じゃない。子供がゲームセンターに行くのはゲームが楽しいからだし、大人が仕事をした後にお酒を飲むのは楽しさで鬱憤を晴らすためだ。とにもかくにも、生きる上で「楽しい」ことは必要不可欠だ。

 では、夏目龍之介にとって「楽しい」とはなにか。それは僕にも分からない。例えば、本を読むのは僕にとって楽しい。でも、数学の勉強は楽しくない。結局のところ、「楽しい」

というのはその人の主観でしかない。つまり、『娯楽至上主義』というのは主観で成り立っているのだ。

 そんな僕にとって、入学してから起きた密室事件や図書館の二つの謎を解明するのは、とても楽しかった。それは、ホータロー君の言葉を借りるなら「やらなくてもいいこと」だったからでもある。つまり、もし解決できなくても誰も被害をこうむらない、気楽な話しだったのだ。

 だからこそ、僕は千反田さんの頼みには乗れなかった。僕は直感的にそれが「楽しい」事では無いと思ったのだ。

 千反田さんの誘いを断ってから、僕は古典部に顔をだしていない。里志もそれを気にしているようだけど、何かあるのを察してくれたのか無理に誘ってはこない。そんなわけで僕は今週、読書研究会の部室で、来るべき期末テストの勉強をしている。勉強も楽しいわけではないけど、何かしていないとどうかしてしまいそうだからだ。じゃないと頼みを断った時の千反田さんの残念そうな表情が脳裏をちらついて仕方ない。

 

 

 

 

 

 

 

「今日は、古典部には行かないのかね?」

 

向かいでノートに数式を書いていた平塚先輩にそう聞かれると、僕の集中力はそこで途切れてしまった。

 

「ええ、まあ……テスト前ですし」

 

なんてごまかしてみたけど、僕の事だから表情にはっきりと出ていることだろう。平塚先輩がそれに気付かないとも思えない。

 

「そうか」

 

どうやら里志同様何かあることを察してくれたようだ。

しかし、それから僕は勉強に全く集中できなくなった。時間だけが過ぎていく。20分くらい経っただろうか。平塚先輩が教科書を閉じ、静かに立ち上がった。

 

「夏目君。場所を変えないか?」

「え?」

「君も集中力が切れているようだし、近くのファミレスにでも行かないかという提案だ」

 

場所をかえても、今日はもう集中なんてできそうにないけど、せっかく先輩が気を利かせてくれた訳だし、僕はその提案に乗ることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

校舎を出て、正門へ向かう。ふと、横を見ると挌技場が目に入った。そういえば、あの建物だけやけに古いよなあ。里志だったら『時のとまりし格技場』とか命名するんだろうか。でも、今の僕はその謎を追求するような気分でも無い。

 

「そういえば」

 

先輩の声に僕の意識は空想から引き戻される。

 

「どうかしましたか?」

「君と学外で行動を共にするのはこれが初めてだな」

「そういえばそうですね。つまりこれは初デートですね」

 

なんて冗談めいた事を言ってみた。多分「年上をからかうものじゃないぞ」とおしかりを受けるだろうね。

 

「で、デートっ!?い、いや、その、そういうつもりでは無くてだな!」

 

なぜか先輩は慌てふためいている。なんだい随分と可愛い反応だね。

 

 

 

 

 

 

学校を出てしばらく歩くと、目的のファミレスが見えてきた。有名なチェーン店だ。とはいっても、僕は来たことは無かったけど。

入店すると店員が席へ案内してくれた。

 

「あれ、愛梨じゃん」

 

席に座ろうとすると、別の席から平塚先輩の名前が呼ばれる。声の方を見ると、神高生と思われる男女がひと組座っていた。

 

「やあ、二人とも今日も仲が良いな」

「まあな。今日はここの新メニュー、辛みそラーメンを食べにきたんだ」

 

男子の方が答える。どうやら、平塚先輩の知り合いのようだ。ということは先輩だろう。僕は会釈しておく。

 

「あれ、愛梨その子ひょっとして彼氏?なんだー隅に置けないなもう」

 

女子のほうが僕を見て先輩に尋ねる。

 

「い、いや、その、そう言うのじゃ無くてだな!彼は、わが研究会の部員なのだよ!だからその、彼氏とかでは……」

 

どうやら先輩はこういう話に耐性が無いらしい。慌てふためく先輩ってのもなかなか良いもんだね。先輩カップルとの話はそこで終わり、僕らも席についた。

 

「僕はパンケーキとコーヒーにしようかな。先輩はどうします?」

 

すると先輩は少しためらいながら答えた。

 

「そ、その……。辛みそラーメン……」

 

さっき男の先輩が言ってた新メニューか。どうやら乙女心より食欲が勝ったようだ。

そんなわけで、店員を呼び注文してから、僕らは勉強を始めた。

とはいってもやっぱり頭に入ってこない。比較的得意な英語をやってみても、簡単な単語のスペルを何度も間違える始末だ。仕方ないので、先輩から借りた本を読みながらパンケーキの到着を待つことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もう、信じられない!」

 

いきなり大きな声がしたので、店内が静まり返る。声の方を見ると、さっきの先輩カップルの女子の方が走って店を出ていった。

 

「お、おい!」

 

取り残された方の先輩があわてて追いかける。ちなみに会計は済ましてから。

 

「どうしたのだろう」

 

先輩はそうつぶやく。確かに、さっきはいかにもカップルらしく仲良くしていたように見えたのに、急に喧嘩になった訳だから、一部始終を見ていなかった僕らにとっては大きな疑問だ。

 

「さあ、どうしたんでしょうね」

 

でも、今の僕にはどうだっていいことだ。再び本に意識を戻そうとする。

 

「夏目くん。二人に何があったのだろうか」

 

しかし、先輩はそれを許してくれなかった。

 

「電話で聞いてみたらどうですか」

 

あの二人と先輩は仲が良いようだったし。携帯番号くらい知っているはずだ。

そうだな、と言いつつ先輩は携帯を手にする。何回かコールした後、相手が電話に出たようだ。

 

「ああ、私だ。いったいどうしたんだ?……え?いや、ちょ、ちょっとまて!」

 

そう言った後先輩は携帯を耳から離す。

 

「どうでした」

「あんなやつ知らない。もう別れる。と言って切られてしまった」

 

どうやら相当ご立腹の用だね。まあ、女心となんとやらというし、多分明日には仲直りしてるんじゃ無いだろうか。

 

「どうしたものか……。あの子は一度言ったことは撤回しない主義だからなあ……」

 

どうやらそうもいかないらしい。意地というか、プライドが高いんだろうか、あの先輩は。

そして、平塚先輩は僕の方を見ると、

 

「夏目君。私は友達として、あの子たちがあのまま別れるのは見ていられない。どうにかして、原因をつきとめてくれないか」

 

と、頭を下げてきた。僕は、また日曜の事を思い出してしまった。千反田さんの残念そうな表情を。それに、今回の事だって、仮に僕が推理に失敗すればあの二人は、本当に別れてしまうだろう。そんな責任を負うのは「楽しい」事ではない。

 

「頼む、夏目君。君にしか頼めないんだ」

 

でも、あの平塚先輩がこんなにも必死に僕を頼ってきている。ここで断れば、僕は千反田さんと先輩にずっと申し訳ない気持ちのまま過ごさなくてはならない。そんなことになれば、僕のバラ色は崩壊する。

 

「……分かりましたよ、少し考えてみましょう」

「ありがとう。夏目君」

 

そして、僕は考えることにした。

 

僕たちがここに入店してから約30分。あのカップルが入店したのはそれより少し前だろう。でも、僕たちが来た時にはあの二人は喧嘩しているようには見えなかった。そうすると、事が起きたのは僕らが席に着いてからの間ということになる。その間に起きえることとすると、

 

 

食事を終える。

 

飲み物をおかわり。

 

何らかの会話。

 

店員と会話。

 

と言ったところだろうか。おそらくだけどこの中で直接喧嘩につながるのは何らかの会話だろう。問題はその内容。話題なんて考えるだけ無限にあるが、ここはファミレスで起こり得そうな会話を考えてみよう。

 

試験勉強について。現に僕たちは勉強しに来た訳だし、見てはいなかったけど彼らが勉強していて、それが原因で喧嘩に発展した。例えば「お前の教え方が悪い」「そっちの頭が悪い」みたいな。

いや、でもさっき男子の先輩が女子の先輩を追いかけた時、鞄に勉強道具をしまっている様子は無かった。

 

とすると食事に関してだろうか。「食べ方が汚い」とか。ふと彼らの座っていた席を見てみたが、すでに食器は下げられてしまっていた。ううむ。しっかりみていればよかった。なんとかして知る方法は……。

 

「お待たせしました。パンケーキとコーヒー。そして辛みそラーメンになります」

 

僕らの注文したメニューが運ばれてきた。そうだ、この店員さんは確かさっき注文を取りに来た人だ。もしかしたら……、

 

「すみません。さっき走って出ていった高校生が何を注文したか分かりますか?」

 

店員は唐突な質問に面喰っていた。まあ普通、そんな質問されないだろうしね。でも、僕の真剣さが伝わったのか、彼は答えてくれた。

「辛みそラーメンが二つと牛乳が3つです」

「ありがとうございます」

 

店員さんが去ってから、僕らは品に手をつけた。ふむ、このパンケーキ美味しいな。

 

 

「こ、これは随分辛いな……」

 

先輩の辛みそラーメンは名前の通り相当辛いらしい。そりゃあ牛乳くらい無いとやってられないだろうね。

 

「さっきの二人は、ラーメン好きなんですか?」

「ん?ああそうだな、彼氏君の影響でな、神山市のラーメン全てを食べると豪語していたな。こだわりもそうとう強いらしい」

 

とすると、喧嘩の種はラーメンか。そう思いつつ僕はコーヒーに砂糖を入れる。

 

「お、おい夏目君。流石に入れすぎだろう」

 

日曜のホータロー君と同じセリフだ。やっぱり僕の砂糖に関する常識は、一般とは違うようだ。

 

……ん?待てよ?常識?

 

 

「夏目君。何か分かったようだね」

「ええ、多分わかりました」

「説明を頼む」

 

僕は息を大きく吸い、話し始めた。

 

「おそらく、あの二人の争いの種は辛みそラーメンです」

「彼らはラーメンへのこだわりが強いから、その行き違い、ということか?」

「ええ。そうだと思います」

「しかし一体何の行き違いかね」

 

僕はコーヒーを少し飲んでから、再び話し出す。

 

「鍵となるのは、彼らの注文したメニューです」

 

彼らが注文したのは、辛みそラーメンと牛乳。そして何故か牛乳は3つ。何かの本で読んだことがあるけど、辛いものを食べた後、牛乳を飲むと、口の中の辛さが中和されるそうだ。だからこそ彼らは、牛乳を頼んだ。

 

「先輩、その辛みそラーメン。スープまでのめと言われたらどうしますか」

「どうにもこうにも、この辛さでは無理だ。断るだろうな」

「そう。でも、牛乳には辛さを中和する力がある」

「……!まさか……」

 

 

 

 

そう、おそらくあの男の先輩は食べ終わったスープに2本目の牛乳を入れて飲んだのだろう。もちろんそれ自体は個人の趣向だから責めることでも無い。だが、彼は彼女にもそれを強要したのだろう。もしかしたら強引に入れたのかもしれない。だからこそあの先輩は、それに激昂したのだろう。彼の常識は彼女の常識では無かった。これが真相だ。

 

「なるほど。それならつじつまが合うな」

 

平塚先輩は満面の笑みを浮かべていた。それを見た僕も、自然と笑っていた。

 

「久しぶりだな、君のその表情を見るのは」

「え?」

「君は、楽しいと感じた時、そういう笑顔を見せる。最近は全くだったがね」

 

そう……なのか。先輩の言うとおりなら、僕は今、楽しいと感じているようだ。この話が始まった時は全く楽しくなんか無かった。でも、今は……。

 

「そうですね、なんだか楽しいです」

 

そうか、簡単なことだったのかも知れない。人の気持ちは変化する。たとえその時楽しくなくても、いつか楽しいと思えるときが来るかもしれない。今の気持ちだけで「楽しい」かそうでないか決めつけるのは早計というものだ。ならば、『娯楽至上主義』というのは変容していくものだといえる。

 

「先輩、ありがとうございました」

「どうやら、迷いは晴れたようだな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日、僕は放課後になると地学講義室へ向かった。

扉をあけると千反田さんとホータロー君が来ていた。まあ、僕が呼び出したんだけど。

 

「その、お久しぶりです。夏目さん」

「どうも、このところ顔をだせなくてごめんね」

 

千反田さんは気まずいようだ。そりゃ僕だって気まずい。でも、僕にはやらなくてはいけないことがある。

 

「それで、何の用だ、夏目」

 

ホータロー君の言葉に、僕は深呼吸をしてから答える。

 

「その、いまさら都合が良いかもしれないけど。千反田さんの伯父さんの件、僕も協力したいんだ」

 

しばらくの沈黙のあと、千反田さんが口を開いた。

 

「ありがとうございます、夏目さん!とても助かります!」

「そうだな、夏目の助力が得られるなら大分助かる」

 

ホータロー君も承諾してくれた。

 

「それじゃあ、よろしく」

 

果たしてこれがバラ色につながるのか、いまの僕には分からないけど、それでも後悔はしないだろう。

 

 



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7. 始まりはどこだ

 

 僕らの通う神山高校は一応進学校を名乗っているけど、実際のところそれに値するとは到底思えない。どちらかと言うと勉学よりも部活動に重きを置いているように感じる。

 でも、高校生活と言えばバラ色と方程式が完成しているように、高校生活と言えば試験というのも式として成立している。そして現在、1学期期末試験が行われており、部活動禁止命令により古典部も読書研究会も活動を休止している。まあ、そもそもほとんど活動らしい活動をしていないのだから普段通りにしても良いように思えるけど。残念ながら鍵が貸し出されていないのだから仕方ない。

 

 

 そんな退屈な定期試験も今日で終わり。僕は最後の科目のテスト用紙を提出して、帰路についていた。試験といえば、古典部の面々の学力はなかなかに興味深い。

 まずは里志。彼はデータベースを自称しているだけあって雑学に秀でている。だから僕も最初は里志は勉強もできるタイプだと思っていた。が、その考えは中間テストで破壊された。点数は知らないけど、赤点があったということは本人から聞いた。要は里志にとって重要なのは彼が知りたい事だけなのだ。

 

そして、そんな里志を追いかけて古典部に入部した伊原摩耶花さんは、かなりの努力型と言えるだろう。伊原さんは、人の間違いに厳しいのと同時に自分の間違いにも厳しい。要はストイックといったところだろう。ただ、学業を究めるために努力するのとは少しずれている。それでもやれることはやっているので点数は高い方だ。

 

そして部長の千反田えるさんはトップクラスの成績をたたき出している。掲示によると中間は学年6位。それだけではなく千反田さんにとって高等教育というのは物足りないらしく、それが彼女の好奇心の源なのかもしれない。

 

最後に、『省エ主義者』折木ホータロー君と『娯楽至上主義者』であるこの僕、夏目龍之介は俗に言う普通だ。順位を言うと僕は350人中176位。ホータロー君もそのへんだと言っていた。ホータロー君としてはテストは手短に済ませたい『やらなくてはいけないこと』だし、僕にとっては『楽しくないこと』だ。まあ、だからといって、僕も常識が無いわけじゃない。勉強の重要性は理解はしている。ようはダブルスタンダードと言う奴だ。

そういうわけで、期末試験の結果も大体予想はつく。

 

 さて、試験も終わったわけだし、封印していたあれを見てみるか。そう思って僕が取り出したのは春に家に届いたのと同じカラーの便箋。『あの人』からの連絡は随分久しぶりだ。

中身を取り出し、内容を確認する。

……まったく。『あの人』はエスパーか何かなんだろうか。読み終えた後、僕はそれを鞄にしまう。まあ、僕が動かなくても『彼』が動くのだろうし、僕は別の方面からしらべて見ようかな。

 

 

 

 

翌日の放課後、僕は部室……ではなく図書室へ向かった。

 

「あら、あなたは……」

「1年の夏目です。こんにちは、糸魚川先生」

 

平塚先輩の借りた本を返すために、図書室には頻繁に来ている。糸魚川先生とも結構会うことがある。

 

「今日は古典部の活動はお休み?」

「いえ、後で部室に行く予定です。今日は昔の神高の写真集を見に来たんですけど」

「そう……。その本なら向こうの棚にあるわ。ゆっくり見て行きなさい」

「ありがとうございます」

 

言われた通りの本棚に向かうと、写真集はいつかの学校誌の隣にあった。結構大きいんだなあ。

本を持ち、適当な席に座りそれを広げる。今日の目的は関谷純について調べることだ。まあ、とりあえず人物像を明確にするために写真で容姿を確認しようと思ったわけだ。

33年前のページにたどり着くのは至難の道だった。なにせこの本、ページが多い。

しばらくして、関谷純の写真を見つけた。どうやら古典部で撮った写真らしい。白黒で分かりづらいが、関谷純と言う人物は普通の身長で普通の体系。そんでもって普通の顔だ。つまり、なんとも平均的な容姿ということだ。別の写真を見てみる。これは、体育祭の写真かな、どうやら関谷純はそんなに目立つ訳ではないが、探せば見つかるという感じらしい。

また、ほとんどの写真で、関谷純と一緒に写っている男子生徒がいた。名前の欄をみると、どうやら『瀬戸直行』という人物らしい。関谷純と同じクラスで、古典部の副部長だったようだ。写真を見る限り彼らは仲が良かったようだ。

 

 

 

30分くらい写真集を見た後、それを棚にもどし、部室へ向かうことにした。

と思ったら図書室のドアの付近に、千反田さんと、伊原さん。そしてホータロー君がたたずんでいた。

 

「みんな、何してんの?」

「省エネ中」

 

意味が分からない。伊原さんの方を見て説明を求める。

 

「折木のお姉さんからの手紙に、文集は生物講義室室の薬品金庫にあるって書いてて、行ってみたんだけど……」

 

伊原さんの話によると、生物講義室には壁新聞部の遠垣内先輩がいて、なかなか室内を見せてくれなかったようだ。なんとか交渉して、見つかったら持っていくという話に落ち着いたようだ。

 

「それは、十中八九文集は見つかるだろうね」

「どうしてですか!?遠垣内さんは無いと言っていましたよ!?」

「まあ、ホータロー君には分かってるみたいだけど」

 

ホータロー君は、僕を睨む。いや、ごめんね。千反田さんが口を開こうとしたとき、ホータロー君はそれをさえぎり僕に話しかけてきた。

 

「夏目、お前は何しに図書室に?」

「ああ、少し昔の写真を見にね」

 

伊原さんもいるのでこれ以上は言えない。ホータロー君も千反田さんも察してくれたようで、それ以上は何も言ってこなかった。

 

「そろそろ戻るか」

 

その言葉によって僕たちは部室へ戻った。

 

 

 

 

 

地学講義室に入ると、なんと、ではなくやはり教壇の上に薄いノート状のものがつまさっている。これが文集だろう。伊原さんと千反田さんは目を丸くしている。そりゃそうだ、僕だって『あの人』の手紙がなければ驚いていたさ。ホータロー君が「よし」とつぶやいているところからして、遠垣内何某先輩はなんらかの知恵試しによって敗れたのだろう。

 

「ちょっと折木、これ、どういうこと?」

 

伊原さんがホータロー君に詰め寄る。ホータロー君は小声で伊原さんに何かを話しだした。その間に僕は文集の方に目を向ける。結構量があるんだな。古典部の歴史を感じ……るのだろうか、よくわからないな。千反田さんがそのうちの一冊に手を伸ばし、黙々と読み始めた。その真剣な目つきは、「パイナップルサンド」での一件を彷彿とさせる。

 

「夏目さん、これ……」

 

千反田さんが、文集を僕に差し出してきた。

縦横の寸法はキャンパスノートくらいだろうか、そんなに厚くもない。仕上がりとしては結構立派なもので、表紙にはデフォルメされた犬と兎が描かれている。

たくさんの兎が輪になってその中で一匹の犬と兎が噛み合っている。なんとも不気味な感じがする。直感的に怖いとまで思った。なにが怖いって、その光景を見るまわりの兎が

妙に可愛らしいしぐさでそれを眺めているとろだ。

 絵の上には当然ながらタイトルが書かれている。「氷菓 第2号」発行は1968年。それにしても……

 

「ひょうか?」

 

文集の名前を口に出してみる。

 

「変な題名だな」

「うん。よく分からないわね」

 

いつのまにか話を終えたホータロー君と伊原さんが僕と同じ感想を口にする。

 カンヤ祭って名前もそうだけど、タイトルってのは何らかの意味を込められていてしかるべきだ。でも、「氷菓」ってタイトルにどういう意味が込められているかなんて全く分からない。アイスクリームがなんだというんだ。

 

「この表紙の絵は上手いのか?」

「上手いと思う……というか私は結構好きかな」

 

ホータロー君の疑問に伊原さんがそう答えたのは少し驚きだ。短い付き合いだけど、伊原さんが好き嫌いを率直に述べるなんて滅多になかったし。それだけ、この表紙にはインパクトがあるってことか。伊原さんはぶつぶつと考察を始めてしまい、こちらから意識を切り離してしまった。

 

「それで?これがどうかしたのかい?」

 

そう聞くと、千反田さんは僕ら二人を教室の隅へ連れていった。

 

「これです、私はこれを見つけたんです。これを伯父に聞いたんです。これは何かと」

「思い出したのか?」

 

千反田さんは僕の持つ氷菓を指差した。

 

「これには、伯父の事が載っていました。33年前、この古典部で何かがあったんです。最初のページを見てください」

 

表紙をめくると、そこには序文が載っていた。

 

   序

 

 

今年もまた文化祭がやってきた。

 

関谷先輩が去ってからもう一年になる。

この一年で、先輩は英雄から伝説になった。文化祭は今年も5日間盛大に行われる。

しかし、私は思うのだ。例えば10年後、誰があの静かな闘士、優しい英雄を覚えているのだろうと。

争いも犠牲も、先輩たちのあのほほ笑みさえも、全ては時の彼方へ流されていくのだろうか。

いや、そのほうがいい。覚えていてはならない。あれは英雄譚などではけして無かったのだから。

全ては主観性を失い、歴史的遠近法の彼方で古典になっていく。

いつの日か、私たちも、誰かの古典になっていくのだろう。

 

                         1968年 十月十三日

                                郡山 養子』

 

「これって……」

「この去年とは、33年前の事です。ならば、関谷先輩とは伯父の事でしょう。伯父にはなにかがあったんです。そして伯父の教えてくれた答えは、古典部に関することでした……」

 

僕は安堵した。つまり、これで解決だ。

 

「よかったな。これでもう大丈夫だろう」

 

そのホータロー君の言葉に対して、千反田さんは絞り出すような声で答えた。

 

「でも、もうちょっと、もうちょっと思い出せないんです!あの日、伯父は何を語ってくれたんでしょう?33年前、伯父になにがあったんでしょう?」

 

千反田さんは鼻声なのか涙声なのか判別できないような声を響かせる。

 

「調べてみたら?」

 

別に突き放した訳じゃない。これは好機なんだ。千反田さんの過去を取り戻せるなら機会はこれを措いてないはずだ。

 

「そうだな、調べてみればいいさ、33年前のことを」

「でも、憶えていてはならないって書いてあります……。調べたら不幸なことになるかもしれません。これは、忘れたほうがいい事実なのではないでしょうか……」

 

千反田さん、それは優しすぎるよ。

 

「でも、調べたいんでしょ?」

「もちろんです。でも……」

「千反田。これは33年も前のできごとだ。そこに書いてあるじゃないか。『全ては主観性を失い、歴史的遠近法の彼方で古典になっていく。』」

「……」

「時効ってことだね」

 

僕とホータロー君は笑いを作る。千反田さんもそれに頷く。

それにだ。これは第2号なのだから、関谷純に起きた事とは創刊号に書いてあるはずだ。

……と思っていたが、それは甘かった。文集の山を漁っていた伊原さんが、憤然とした声で言ったのだ。

 

「なによこれ、創刊号だけ抜けてるじゃない!」

 

ここまで来て、尚も僕らには試練が与えられるようだ。この時、僕は自分の口元が緩んでいることに気付かなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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8. 千反田邸への道

 

 

 

夏休みに入った7月末、僕は家の近くのバス停に向かっていた。

なぜ、バスに乗ろうとしているかというと、千反田さんの家に行くためだ。

……失礼。省きすぎたね。

ちゃんと説明すると、ことは一週間前に遡る。古典部文集『氷菓』を手に入れ、関谷純の影を見つけたものの、創刊号が見つからなかったあの日。ホータロー君は創刊号がないならそこまで面倒見切れんぞなどと言っていたが、千反田さんに対してその主張は意味を成さなかった。僕はというと、乗り掛かった船を降りるなんてのは『娯楽至上主義』に反するので、なんとかホータロー君を説得した。

 結果、ホータロー君は、千反田さんを言いくるめ、里志と伊原さんにも協力を要請することを提案した。千反田さんは、「パイナップルサンド」の時は他人に話すことを嫌がっていたように見えたけど、その案にあっさり乗ってきた。どういう心境の変化だろうか。

 その翌日、古典部緊急総会が招集された。里志と伊原さんは快く引き受けてきた。僕たちとは大違いだ。そして、関谷純について調べて、それを文集のネタにするという形で、古典部の方針は決まり、一週間後、つまり今日、千反田さん家で検討会を行うことになった。

 

 

 

 

 

 

 そういうわけで、僕は千反田さんの家へ行くためにバスに乗ろうとしている。ホータロー君と里志は自転車で行くようだが、あいにく僕は自転車を持っていない。歩いて行くには、千反田邸は遠すぎるということで、僕はバスを選んだ。 

 

 バス停に到着すると、見知った人物がバスを待っていた。僕は後ろから彼女に話しかけた。

 

「やあ、伊原さん」

 

驚いたのか、伊原さんはびくっとしてから振り向いた。悪いことしちゃったな。

 

「ああ、夏目君か。びっくりさせないでよ」

「ごめんごめん」

 

そういえば、伊原さんと二人で会うなんてのは学校でも一度も無かった気がする。

里志に悪い気がするけど、偶発的に会ってしまったのだから仕方ない。

 しばらくしてやってきたバスに僕らは乗り込んだ。

 

「夏目君、資料は準備できた?」

「うん。まあ一応ね」

「そっか。じゃあ仮説の方も期待できそうね」

 

仮説?そういえばそんな話もあったっけか。資料集めに夢中で忘れてた。なんて言ったら伊原さんに何言われるか分かったもんじゃない。僕はなるべく無表情を心がけて、適当に答えた。

 

 

 

 

「ねえ、夏目君」

 

しばらくの沈黙の後、伊原さんは僕に話しかけてきた。

 

「夏目君は、自分の事どう思う?」

「どういう意味かな」

「ほら、夏目君と、それから折木も今までいくつか謎解きしてきたじゃない?でも二人ともそれを自慢したり、驕ることも無いじゃない?それってどうしてなのかなって」

 

そんなこと考えたことも無かったけど、伊原さんは心から疑問に思っているようだ。

 

「そうだね……。確かに僕は他の人より閃きというか、発想力が優れていると思うことはあるよ。でも、それだけさ。誰だって得意なことの一つや二つあるだろう?だから、僕は謎解きが得意だと思うけど、それを自慢しようとは思わない」

「へえ。達観してるんだね」

「そうかな?ホータロー君も似たようなこと考えてると思うけど」

 

すると伊原さんは首をぶんぶんと振り否定してきた。

 

「折木は全然違う。あいつは謎を解くたび『これは運が良かっただけだ』しか言わないの。私は全然わからなかったのに。ほんとむかつくわ」

 

なるほど。確かにそれはとらえ方にとってはひどい話だ。

例えば、ある運動部に補欠がいたとして、彼はレギュラーになるために必死に努力するだろう。それこそ身を削る思いで。なのに、レギュラーで試合で活躍し、MVPにまで選ばれた人物がいたとして、その人物が「成功の秘訣はなんですか」という問いに対し、「運が良かっただけです」なんて答えたら、それは補欠にはあまりに辛辣に響くだろう。

つまり、ホータロー君は自分の能力を自覚していない。それは、僕流に言うと「楽しさ」を捨てている。まあ、そういう意味でも今回の検討会は重要なものになるだろうね。

 

 

 

 

***

 

 

 

バスを降り、そこからしばらく歩くと、大きな門が見えてきた。

 

「これはすごいな……」

「ほんとにね……」

 

僕らはしばらくポカーンと門を見ていたが、我に返り、門をくぐった。

インターホンを鳴らすと使用人……ではなく千反田さんが出迎えてくれた。

 

 

「お待ちしていました」

「こんにちは。里志とホータロー君は?」

「まだですね、そろそろ来るとは思いますけど」

 

自転車とバスならそんなもんか。僕らは十畳くらいある広い部屋に案内された。いや、本当に広いんだこれが。とても落ち着かない。

 

「適当に座ってください」

 

その言葉に従い、伊原さんは座布団に座り、鞄から資料を取り出し、机に並べていた。僕はその向かいに座り、資料の確認を始めた。

 

 

それからしばらくして、ホータロー君と里志がやってきた。

 

「遅かったわね」

「遅れてはいない」

 

いやあ、この二人のやり取りはいつ見てもギスギスしてるね。

 

ホータロー君は僕の左隣に座り、里志は上座に座った。最後に千反田さんがホスト席に座る。

全員が席に着いたので、千反田さんは一呼吸してから一言。

 

「始めましょうか、検討会」

 

その言葉に全員が誰にともなく礼をした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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9. 栄光ある古典部の謎解き

しばらく原作通りです。オリジナル要素が少なくなってしまいますが、話の流れ上必要なのでご了承ください。


 

 

いよいよ始まった検討会、司会は千反田さんになった。まあ、部長だし、だれも異議は無いだろう。

 

 

「今日は集まっていただきありがとうございます。今回の会議の目的は33年前、私の伯父、ひいては古典部に起きた事件はなんだったかを推定することです。なお、何らかの事実が判明したら、今年の文集の記事としても取り上げる予定です」

 

 

おお、なかなかの名司会。流石千反田家息女。

 

 

 

「手順としては、資料の配布と報告、次に要約、次に33年前と繋ぎ合わせて仮説の発表、最後に仮説の検討。という流れで行きたいと思います。では、私から時計回りで行きたいと思います」

 

そういって千反田さんは印刷された資料を配り始める。

これは、事の発端、『氷菓』の序文か。原点から攻めていくってことだね。一度見た文章だけど、一応、僕は内容に目を通す。

 

 

   序

 

 

今年もまた文化祭がやってきた。

 

関谷先輩が去ってからもう一年になる。

この一年で、先輩は英雄から伝説になった。文化祭は今年も5日間盛大に行われる。

しかし、私は思うのだ。例えば10年後、誰があの静かな闘士、優しい英雄を覚えているのだろうと。

 

争いも犠牲も、先輩たちのあのほほ笑みさえも、全ては時の彼方へ流されていくのだろうか。

いや、そのほうがいい。覚えていてはならない。あれは英雄譚などではけして無かったのだから。

全ては主観性を失い、歴史的遠近法の彼方で古典になっていく。

いつの日か、私たちも、誰かの古典になっていくのだろう。

 

                         一九六八年 十月十三日

                                郡山 養子』

 

 

咳払いをして、千反田さんが話し始める。

 

「私の調べた資料は『氷菓』そのものです。毎年の文集の傾向を把握する必要もありましたし、序文以外でも33年前のことについて言及しているかもしれないと思ったからです。でも、やっぱり33年前の事について触れていたのはこの序文だけでした。創刊号があればよかったんですが……。とにかく、これから読みとれることをまとめたのが、こちらのプリントです」

 

二枚目のプリントが配られる。

 

1、 先輩は去った

2、 先輩は33年前の時点で英雄であり、翌年には伝説だった

3、 先輩は静かな闘士で優しい英雄だった

4、 先輩は『氷菓』を命名した

5、 争いと犠牲があった

6、 先輩には協力者がいた?

 

流石に成績上位者、要点をしっかり把握した完成度の高いプリントだ。これはみんなのハードルが上がっちゃったね。

 

全員がプリントを一読したのをみて、説明が再開された。

 

「まず1ですが、先輩、つまり伯父は神高を中退していて、最終学歴は中卒でした。つまり、去ったということでしょう」

 

まあ、「関谷先輩が去ってから」と序文に書かれているし、神高中退ってのは予想の範疇だよね。

「次に2ですが、これは時間の経過とともに誇張されていっただけだと思います。3は面白いですよね、先輩が優しかったりするのはともかくとして『闘士』で『英雄』だったことがわかります。これは5ともつながっていますね。争いによって先輩は闘志になって英雄になって犠牲になったんです。4と6は気になりますが、今回の件とはあまりつながりが無さそうなので飛ばします。以上が報告になります。質問はありますか?」

 

僕からは特にないかな。おかしいところは無かったし。

すると伊原さんが発言した。

 

「あのさ、『あれは英雄譚などではけしてなかった』ってとこをすっぱり無視したのと、それと、つながりはないって言ってたけど6はどこから読みとったの?それに結講重要だと思うんだけど」

 

里志が、それはわかると言いたげにしているが、妙なところで律義な里志は千反田さんのターンに割って入ったりはしない。

千反田さんは即答する。

 

「まず、英雄譚のくだりは書き手の心象ですから。見る人によって違います。6の協力者というのは『先輩たちのあのほほ笑みさえも』というくだりだけ、先輩たち、と複数になっているからです。ですが、単純に神高生全員を差すかもしれませんし、不確定なので今回は飛ばそうかと」

 

まあ、確かにそうだよね。単純にそこだけ誤植だったかもしれないし。

 

「私の仮説はこうです。伯父は何かと争って、その結果学校から去った。その原因ですが、先ほどの序文に『もう一年になる』とあるところから伯父が退学したのはカンヤ祭の一年前、やっぱりカンヤ祭の時期です。つまり、カンヤ祭で何かがあった。ところで、これは友人から聞いた話なのですが、皆さんは『文化祭荒らし』をご存知ですか?」

 

里志が待ってましたと言わんばかりに答える。

 

「知ってるよ。売り子を恐喝して、売り上げを強奪していくってやつだね。去年神山市の高校が何件か被害にあってるんだ。」

 

千反田さんは頷く。

 

「そこから考えられるのが、その年のカンヤ祭は文化祭荒らしの標的になり、伯父はそれに暴力で対抗した。その結果伯父は英雄になりましたが、暴力を振るったことで責任をとって学校を追われたんです。それを惜しんだ後輩がこの文を残した。と考えられないでしょうか」

 

ふうん。確かに矛盾はないかな。

僕はそう思ったが、ホータロー君と里志はそれにたいして同時に口を開いた。

 

「却下だ」

「却下だね」

 

却下とは、そんなにおかしいところがあったかな?

 

「駄目ですか。どうしてですか?」

「千反田。お前は文集を作ろうって話の時言ったじゃないか。神高文化祭は模擬店禁止なんだろ?金がないんじゃ文化祭荒らしは寄ってこないだろ」

 

へえ、模擬店駄目なんだ。知らなかった。

でも、その意見には納得できない。

 

「でもさ、ホータロー君。それは可能性の問題であって、お金関係なしに動く人もそこそこいたんじゃないかな」

「うっ」

 

ホータロー君は言葉に詰まる。

 

「情けないなあホータロー」

 

里志が笑った。

 

「ほう。じゃあお前の説を聞かせてもらおうじゃないか」

 

その問いに対し、里志はわざとらしく咳払いをした。

 

「そもそも、千反田さんのあげた文化祭荒らしってのは33年前だと不思議も不思議、ほとんどあり得ないんだ」

「なんで?」

 

勿体ぶる里志を伊原さんが促した。

 

「33年前って言うより、1960年代って言った方が分かりやすいかな。ほら、考えてみてよ。国会議事堂、プラカード、デモ……」

「里志、何の話をしているんだ」

 

みんなは全く分からないようだ。でも、ここまでヒントが出れば分かる人には分かる。

 

「学生運動だね」

「その通り、なかなか勉強してるね、龍之介」

 

里志にそんな事を言われるとは。もはやジョークの域だ。

そんなことにはお構いなしに里志はことばを続ける。

 

「文化祭荒らしみたいな暴力行為は1960年代だとほとんど見られないんだ。なにせ喧嘩の相手が国家とかだったんだから。つまり、ブームじゃないのさ」

 

見てきたような事を言うね、まったく。

 

「なるほど。時代性と言うのは盲点でした」

 

これだと千反田説は風前の灯、というかもう消えてるね。

すると、あまり発言していなかった伊原さんが急に千反田さんに手を合わせた。

 

「ごめん、ちーちゃん」

「急にどうしたんですか?」

「私の説だと、ちーちゃんの説が成り立たないの……。次が私の番だけど……」

 

ホータロー君がムッとしている気もするが、このままでは検討会が進められない。

 

「それじゃあ、千反田さんの説は一時取り下げってことで、伊原さんの番にしようよ」

 

誰からも異議は上がらなかったので、伊原さんの番に回る。

伊原さんから配られた資料はものすごい量の文字が書いてあった。

 

「これ、図書室にあった『団結と祝砲1号』って本のコピーなの。2号以降は見つからなかったけど、これも33年前の事がかいてあったわ。」

 

伊原さんの説明を聞きながら資料に目を通す。特に大事なところはこの赤線が引いてあるところだろう。ええと、なになに……

 

『 すなわち、我々は往々にして大衆的であり、それゆえに反官僚的主義的な自主性を維持するのである。けして反動勢力の横暴に屈しはしない。

 

 昨年の六月斗争においても、古典部部長関谷純君の英雄的指導による果敢なる実行主義によって無様にも色を失った権力主義者たちの姿は記憶に新しいところであろう』

 

なにこれ、随分と過激で小難しい文語だね。これが時代性というものなんだろうか。

果敢なる実行主義ってところがもろにだ。

 

「まず、要約だけど、この反動勢力ってのが先生を指してるとして、前の年の6月に斗争があって、関谷純がそれを指導した。その実行主義っていうので、先生たちを困らせた。って感じかな」

 

へえ、これトソウじゃなくて斗争(トウソウ)って読むんだ。知らなかった。

 

「この団結と祝砲ってなんか胡散臭い感じがするね」

 

里志の発言に伊原さんがムッとする。

 

「どういうこと?」

「いや、なんか大学とかの華々しい運動にあこがれた人が書いたのかなってさ」

「それが何よ」

「いいや、独りごとさ。それじゃあ、麻耶花の仮説を聞こうか」

 

伊原さんは里志に文句でも言いたそうだが、話し始めた。

 

「まずはちーちゃん説の否定。6月と10月じゃ差が大きすぎるし。それで、関谷純は

果敢なる実行主義で先生たちに暴力をふるった。まあ、殴る蹴るだったかは定かじゃないけど、暴力に近いことをやっちゃった。理由としては、一行目の自主性がどうのってところから考えると、何らかの形で生徒の自主性が損なわれて、関谷純たちは反発して行為を起こしたってことじゃないかな」

 

伊原さんは全員を見まわす。何か意見はないかということだろうね。

 

「うーん……なんだかわかるようでわかりませんね……」

 

千反田さんがそう漏らす。

 

「どういうこと?」

「摩耶化の説は、教師が生徒に不利益な何かをして、それに反発した生徒が暴力行為で訴えたってことだよね」

 

里志の言葉に伊原さんは頷く。

 

「お前の説は抽象的すぎるんだ。もっともこれ以上は読みとれんが」

 

ホータロー君が付け加える。僕もそれに頷く。

 

「でも、矛盾はあった?」

 

伊原さんはちょっといらいらしているんだろうか。まあ、でも気付いちゃった以上指摘しないと駄目だよね。

 

「伊原さんは千反田さんの説を時期的な理由で否定したけど、『氷菓』も『団結と祝砲』両方を信じるとすると騒動は6月で退学は10月になるよね。千反田説のその部分を否定できる要素はない。暴力による退学だとしたら、この4カ月のズレはおかしいと思うんだ」

「確かに、無視できない数字ですね」

「だね、文化祭をもってもう一年、っていってるし」

 

里志と千反田さんはそれを認めたようで、ホータロー君は黙ってうなずいた。

 

「むー、細かい性格してるねー」

 

伊原さんはくちびるをとがらせる。なんだい、可愛らしいね。同じような容姿だけど、平塚先輩はこんな仕草しないだろうね。

 

「方向性は悪くないけどね」

 

里志のフォローに、伊原さんも機嫌を直したようだ。まあ、確かになんとなく方向性は分かった気がする。

 

「じゃあ、私の番はこれで終わりかな。ふくちゃん、次お願い」

 

里志は頷き資料を配り始める。

 

「あ、そうだ。僕の資料で摩耶花の説は部分否定されるね。言い忘れてたよ」

 

絶対わざとだと思うけど、まあいいか。

配られた資料は『神高月報』。たしか壁新聞だね。掲示板で見たことがある。33年前にはすでに存在していたんだ、これ。ということは数百号はあるのかな。

 資料として有用なのはその一部だったけど、なるほどこれだと伊原さんの説は否定されるね。

 

 

『伝説的な一昨年の運動ではけして暴力は振るわれなかった。たとえ理不尽な弾圧だとしても、我々は非暴力不服従を貫いたのだ』

 

「僕が調べたのは壁新聞部の『神高月報』のバックナンバー。図書室に眠っていたよ。だけど、33年前の話に触れていたのはこの一節くらいだったよ。で、要約するけど、とりあえず暴力は振るわれなかったってあるから摩耶花の説は軌道修正。そして『我々』ってところから事件は全学影響するものだったと考えられるね」

 

この資料の事件ってのが僕らの調べてる事件と同じって保証はないけど、流石に同じ年に大きな事件が2連続で起きるとも思えない。あったとしても、何らかの差別化があってしかるべきだろうし。

 

「では、仮説をお願いします」

「うーん。千反田さん、悪いけど仮説は立たないよ。たったこれだけじゃあ伊原説を修正するのが関の山さ。それに、データベースは結論を出せないんだ」

 

言うと思ったよ。まあ、里志だし、いいか。

次は僕の番なので資料をみんなに回す。

 

「これは……写真ですか?」

「うん。これは図書室にある神高写真集、まあ活動記録用のものかな。」

 

流石に全部はコピーできなかったけど、必要そうなものは持ってきたつもりだ。

用意したのは、古典部の集合写真と、そのほかは関谷純の写っている写真を数枚。

 

「僕が調べたのは関谷純その人について。まず、もう分かり切ってるけど、彼は古典部の部長だった。一枚目の写真を見る限り、部員はそこそこいたみたいだね。そして、2枚目は体育祭の写真。彼の周りには結構たくさんの友人がいたことが伺えるね」

 

すると、千反田さんは僕の方をまじまじと見つめてくる。

 

「どうかしたの、ちーちゃん」

「いえ、この伯父の隣の人物なんですけど、夏目さんに似ていませんか?」

「千反田、話が逸れるだろ。似ている人間なんてごまんといるさ」

 

僕も写真を見てみる。似ているか、と言われても微妙なところだ。まあ、でもちょうど話そうとしていたことにつながるね。

 

「その人は瀬戸直行って人で、古典部の副部長をしていたらしいよ。関谷純とは仲が良かったらしく、ほかの写真でも一緒にうつってるよね」

 

みんなが一通り写真を見終わったところで、僕は話しを再開した。

 

「ここから考えると、関谷純はそこまで目立つ人ではなかったけど、交友関係は人並みにあったことが分かる。でも、彼はその関係をなくすことを覚悟で、事件を指導した。つまり、事件はそれほど大きなものだった。」

「なるほど……。人間関係は盲点でしたね。それじゃあ、仮説をお願いします」

 

ぐっ。ここまで来て仮説がないなんてのは流石に格好がつかないよね。なんとか誤魔化せないかな。あ、そうだ。

 

「実はまだ、仮説が固まりきってないんだ。だから、いったん保留にしてホータロー君の番にまわしてくれないかな」

 

ホータロー君は何故かためらいつつ資料を回す。

さて、今の内に何か考えないとね……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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10. 二人の探偵

 

 

 

ホータロー君の資料は、いつだったかの学校誌、『神山高校50年の歩み』のコピーだった。なるほど、公的記録から調べてきたのか。資料に目を通して見る。

 

○4月、英田タスク校長による学業重視宣言

○6月30日、放課後に「文化祭を考える会」

□10月13~17日、文化祭

□11月15~18日、2年生修学旅行

○12月2日、交通事故多発による全校への注意喚起

 

 

………………………………………………

 

 

 

                                  』

 

これ、なにを要約するんだろうか。ホータロー君の方を見ると途方に暮れていた。別にいい加減にこれを持ってきたわけじゃないだろうけど、これ単体だとあまり意味がないのも確かだしね。

 

するとホータロー君は顔を上げ、

 

「すまん。トイレ借りてもいいか」

 

と千反田さんに尋ねた。

 

「ええ、構いませんよ。お手洗いは真っすぐ行ってつきあたりです」

 

ホータロー君は立ちあがり、床の間を後にする。その時彼が今までの資料をポケットに忍ばせたのを僕は見逃さなかった。

 

ホータロー君が出て行ってしばらくしてから、僕は適当な理由をつけてその後を追った。

千反田さんの言葉通り、真っすぐ行ってつきあたりにトイレはあった。

扉をノックし、声を掛ける。

 

「ホータロー君」

「なんだ夏目、もう少しかかるから後にしてくれないか」

 

とぼけ方が下手だなあ。僕が言えたことじゃないけど。

 

「僕も仮説を用意して無くてさ。どうだい二人でまとめを考えないかい」

 

ちょっと間をおいてから、ホータロー君が出てきた。

 

「そうだな。お前の助力が得られるならありがたい」

 

そして、僕たちは考え始めた。

 

 

 

 

***

 

 

「悪いが仮説を用意してくるのを忘れていた。だから俺たちの番は終わりにして、まとめに入らないか」

 

床の間に戻った僕たちを見て、里志は意地の悪い笑みを浮かべた。

 

「二人とも、何か思いついたね」

「多分ね。大体の説明はつくんじゃないかな」

「やっぱり、お二人なら出来ると信じてました」

 

う、うん。それはありがたいね。

 

「聞かせてください」

「そうだね、ぜひ聞こうじゃないか」

「期待してるわよ」

 

ホータロー君がたじろいでいるので、とりあえず僕が口火を切ることにした。

 

「そうだね。わかりやすく5w1hで説明するよ。いつ、どこで、だれが、なぜ、どのように、なにを……だったね」

 

みんなの視線が僕に向く。

 

「まず『いつ』。33年前だね。問題は6月か10月かだけど、ここは『氷菓』と『団結と祝砲』両方を信じて、事件は6月、退学は10月と考えよう」

 

伊原さんが不満そうな顔をする。確かに、矛盾していると言ったのは僕だしね。

すると、ホータロー君が話を続けてくれた。

 

「次に、『どこで』。これは分かり切っているが、神山高校でだ。で、『誰が』これも分かっているが関谷純だ」

「補足すると、全校生徒も事件の主役の一端だろうね」

 

『神高月報』にはそう書いてあったしね。

 

「『何故』。全校生徒の起こしたことだから、相手は教師陣ということになる。その理由は自主性が損なわれたからだ。で、事件の原因は文化祭だ」

 

みんなの顔に疑問符がうかぶ。まあ確かに、ぱっと見ただけじゃそこまで考えないよね。

僕は補足する。

 

「ホータロー君の資料を見てみて。『文化祭を考える会』ってのがあるだろう?」

「これ?でも、今はやってないけど当時は恒例行事だったかもしれないじゃないか」

 

里志の疑問ももっともだ。だから僕は説明を続けた。

 

「この頭のマーク。丸と四角があるでしょ?」

「そっか!四角が恒例行事で丸がその年だけにあったことでしょ!」

「多分ね。なんで33年前に限ってそんなものが開かれたのか。それは生徒たちが要求したから。つまり、この話し合いの後、10月に文化祭が開かれたんだ。そして、重要な手掛かりが『氷菓』に書いてあるんだ」

 

その場所に、ホータロー君が線を引く。

 

「ここだ。この一年で、先輩は英雄から伝説になった。文化祭は今年も5日間盛大に行われる。文化祭が行われるなんてのは最初からわかっているのに、不自然だと思わないか?つまりこれは『5日間』ってのが英雄の戦果だったってことさ」

「そして、その前の項目には校長の学業重視宣言が記載されてるよね。つまり、この宣言の一環として、文化祭の縮小があった。だからこそ生徒たちはたちあがったんだ。そして、

『どのように』とは果敢なる実行主義。最後に何を『非暴力不服従』を貫いたらしいし、ボイコットとかかな。あとは俗に言うデモ行進とか。その運動によって、学校側は文化祭縮小を断念した。でも、その代表として『関谷純』は退学になった」

 

そして、最後にホータロー君が付け加える。

 

「事件と退学の時期のずれについては、騒動の中心人物をすぐに退学にすると騒動が肥大化する可能性があった。夏目の資料によれば関谷純には仲のいい友人もいたようだしな。だから、退学が熱狂がおさまってからになった」

 

 

 

説明を終え、僕たちはため息をついた。こんなに長々としゃべったのは随分久しぶりだ。

 

「いや、お見事だよ、二人とも」

「凄い、凄いです二人とも!たったこれだけの資料でここまで……。最初にお二人にお願いしたのは間違ってませんでした!」

「まあ、凄いんじゃない」

 

どうやら、みんな納得してくれたようだ。

 

「みなさん、質問はありますか?」

 

質問はなかった。千反田さんが締めに入る。

 

「では、今の話を軸に文集を作っていきましょう。詳しくは、また後日に。それでは、お疲れさまでした」

 

そして僕たちは帰路に就いた。

僕は、ふと思った。

 

 

 

 

 

でも、なんで千反田さんは泣いたんだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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11. 歴史ある古典部の真実

 

 

日が暮れて、田園が夕日で橙色に染まる中、自転車を押すホータロー君と里志。その後を僕は歩いていた。伊原さんは急ぎの用ができたとかで、バスで帰ったけど、僕は何となく歩いて帰りたい気分だった。まあ、途中までだけど。

 

「しかし、驚いたね。二人の言う通りなら、僕たちのカンヤ祭は関谷純という高校生の青春を代償に成り立っているわけだ。それはそうと、僕は二人が謎解きをしたことにも驚いたよ」

「俺たちの能力を疑っていたのか?」

「入学以来、二人はいくつか謎解きをしてきた。時には二人で協力して。愛なき愛読書や、聞くところだと辛みそラーメンや壁新聞部部長の謎とかもね」

 

辛みそラーメンの一件については、平塚先輩から聞いたんだろうか。

 

「まあ、そうだね」

「たまたまだ」

「重要なのは結果じゃないよ。問題は二人が今日謎解きをしようとしたことさ。ホータローにとっては『やらなくてもいいこと』の範疇だし、龍之介にとってはあまり『楽しい』ことでもない。なんでかは分かってる。千反田さんのためだろ」

 

まあ、千反田さんのためってのは半分正解だ。困っている千反田さんを放っておくことができなかった。それは僕のモットーからは外れているように感じた。でも、平塚先輩のおかげで僕は『娯楽至上主義』の新たな境地を開こうと思えた。いってみれば半分は僕自身のためだ。ホータロー君はどうだろうか。

 

「だけど、今日は引くこともできた。今日、謎解きの責任は僕たちの中で5分割されてた。それこそ、誰かに押し付けて逃げてもよかったんだ。でも、二人は協力してまで回答を見つけようとした。なんでだい?」

 

それは僕というよりホータロー君に向けられた言葉のようだった。

 

「いい加減、灰色にも飽きたからな」

 

灰色とはおそらく、『省エネ主義』のホータロー君の生活への比喩だろうか。バラ色の対義語が灰色かは分からないけど。

 

「隣の芝生は青く見えるもんだ」

「……」

「お前ら、夏目も含めてだが、お前らを見ているとたまに落ち着かない。だが、俺は落ち着きたい。だから、推理でもしてお前らに一枚噛みたかったのさ」

 

里志は少し沈黙した。里志が沈黙するなんて珍しい。

 

「ホータローは、バラ色が羨ましかったのかい」

「かもな」

 

 

 

 

 

***

 

それから、帰宅した僕はシャワーを浴びて、適当に晩御飯を作り、テレビをみながら食べていた。今日の推理はおそらく間違っていない。でも、帰ってから思い返すと何か違和感を感じる。

バラ色。それが何かは分からないけど、僕はバラ色を目標にしている。きっとそれは『楽しい』から。では、関谷純は。彼はどうだったのだろう。今日の推理を思い返すと、彼はバラ色だ。友のために、みんなのために立ち上がり、英雄となり、伝説となった。

 

……では、神高を去った後の彼は?

ふと、そんな疑問を感じた。高校生活といえばバラ色。でも彼はそれを途中で打ち切った。

鞄から今日使った写真を取り出す。この人物、瀬戸直行は親友である関谷純の退学をどう受け止めたのか。例えば里志やホータロー君が退学になったら僕はどう思うだろうか。イメージしにくいけど、嬉しくはないだろう。瀬戸直行にとって、ひいては全校生徒にとって、英雄の退学はどう捉えられたのだろう。

 

 

しばらく考えていると唐突に電話がなった。いや、前触れのある電話なんてないか。

 

「もしもし。夏目です」

「もしもし、俺だ、折木だ」

 

ホータロー君から電話とは珍しい。なんだろうか。

 

「今日の推理についてなんだが、どうにも納得できないことがある」

「奇遇だね。僕もそう思ってたところさ」

 

 

 

 

***

 

 

翌日、僕は私服で学校へ向かった。ホータローくんと合流し、いくつかの確認をとると、千反田さんたちに、部室に来るように連絡した。

しばらくして、三人はやってきた。伊原さんは他に用事があるらしく、ムッとしていたし、里志はほほ笑みつつも、僕らに対して訝しげな表情を浮かべている。千反田さんは僕らの顔を見てすぐに

 

「私、まだ知らないといけないことがあるようです」

「大丈夫だよ、大抵は今日補足できると思う」

「補足って何よ」

「補足は補足だ。不完全なものを完全体にするための作業だ」

 

そう言ってホータロー君は『氷菓』の序文のコピーを取り出した。

 

「不完全って、二人の推理がかい?」

「わからん。方向が違ったか、踏み込みが甘かったのか」

「わからんって、あんたねえ」

「ま、まあ伊原さん。とりあえず聞いてよ」

 

僕はホータロー君からコピーを受け取り机に置く。

 

 

「氷菓をもっと大事にするべきだったんだよ。あれは英雄譚などではなかったって書いてあるんだ」

「そこは昨日話したじゃないか」

「まあ、そうなんだけど。あとこの『犠牲』ってところ。これは『ギセイ』なのかな。調べたんだけど、『イケニエ』とも読めるよ」

 

ため息混じりに里志が言った。

 

「読み方に別解があったとして、どっちが本当かなんてそれこそ書いた本人にしかわからないじゃないか」

 

もちろんその通り。昨日の読み方が間違っていたかなんてのは正確な解はない。なにせ国語なのだから。数学とは違う。

でも、知る方法はある。

 

「本人に聞けばいい」

「いや、本人って言っても……」

「この序文の筆者。郡山養子さん。33年前に高校一年生なら、現在は48か49歳」

 

千反田さんが驚いた表情で尋ねる。

 

「探したんですか?その人を?」

「そんなことするわけないだろ、すぐそばにいたさ」

 

その言葉に反応したのは、やはり伊原さんだった。

 

「そっか!司書の糸魚川養子先生ね。旧姓が郡山なのね」

「あの養子って字は珍しいからね、うん。なるほど」

 

伊原さんは一声うなると毒づいた。

 

「やっぱり二人ともヘンだよ。私だって気付かなかったのに」

「まあ、閃きには運が絡むからな」

 

また、運か。まあ、それは今はいいや。

 

「とにかく、糸魚川先生に聞けば33年前のことはわかると思うよ。『氷菓』のタイトルの意味とかもね」

「でも、証拠はあるの?」

「ぬかりはない。実はもう確認をとった。2年の頃は部長だったとさ。さて、そろそろ図書室へ行こう」

 

 

 

 

 

 

 

夏休みの図書室ってのもなかなかに乙なものだ。全てのブラインドが下ろされ、冷房も一応きいていて、カンヤ祭の準備や勉強をしている生徒であふれかえっている。糸魚川先生はカウンターの内側で書類にペンを走らせている。

 

「糸魚川先生」

「ああ、夏目君。……古典部ね」

 

それから図書室を見まわし、

 

「混んでいるし、司書室へ行きましょうか」

 

と司書室へ案内された。

司書室はこぢんまりとしており、僕らは来客用のソファに詰めて座った。しかし、それでもホータロー君が余ってしまい、先生が出してくれたパイプ椅子に座った。

 

「それで、何か私に聞きたいことがあるのよね」

「はい。そうです。その前にもう一度みんなの前で確認したいんですけど、糸魚川先生の旧姓は郡山で間違いありませんね」

 

先生は頷く。

 

「では、これは先生の書いたものですね」

 

ホータロー君がポケットから例のコピーを出して先生に渡した。先生はそれをみてやわらかい笑みを浮かべた。

 

「なつかしいわね。そう、これを書いたのは私よ」

 

そして、先生は僕らを見まわし言った。

 

「なるほど、あなたたち、33年前の運動について訊きたいのね。……でも、どうして?」

 

その問いに、千反田さんが短く答える。

 

「関谷純が、私の伯父なんです」

 

先生は、その名前が出た時、とても驚く……と思ったけど、あら。と声を漏らしただけだった。

 

「そうなの……。関谷純さん……。なつかしいわね。お元気なのかしら」

「わかりません。7年前から行方不明です」

 

しかし、先生は動じない。人間というのは長く生きてると物事に動じなくなるんだろうか。

 

「そう。いつかもう一度お会いしたいと思っていたのに。残念だわ」

 

関谷純って人はもう一度会いたいと思うような魅力的な人だったのかな。それとも先生にとっては相当特別な人なんだろうか。

 

「糸魚川先生、教えてください。33年前、なにがあったのか。どうしてあれは英雄譚じゃなかったのか。なんで伯父は文集に『氷菓』と名付けたのか。……折木さんと夏目さんの推測はどこまで正しかったのか。わたし、気になるんです」

「推測?なんのことかしら」

 

先生は僕たち二人の方を見る。

すると、里志が口を出した。

 

「先生。折木と夏目は、断片的な資料をつなぎ合わせて、33年前の事を推測したんです。ちょっとこいつらの話を聞いてください」

 

予想通り、もう一回話さないといけないようだね。でも、当事者に推測を話すっていうのはちょっとばかし覚悟がいるね。多分間違ってはないと思うけど。僕とホータロー君は昨日同様、5w1hで話し始めた。

 

 

 

「……というわけです」

 

先生は、僕たちが話している間、ずっと口を閉じていた。そして、里志が途中で渡した資料を確認すると顔をあげた。

 

「これだけで、今の話を組み立てたの?」

「いえ、こいつらの推論をかき集めて、二人でまとめただけです」

 

 

しばらく間をおいて、先生がふうっ、と息を吐いた。

 

「あきれたものね」

「見当違いですか?」

「いいえ、見てきたようだわ。二人の言ったことはほとんど事実よ。まるで見透かされているようだわ」

 

 

よかった。隣を見るとホータロー君も安堵の表情を見せている。

 

「それで、この上何を聞くのかしら?」

「わからないんですけど、二人はまだ不十分だっていうんです」

 

そう、僕たちの話は不十分だ。僕たちの疑問はただ一つ。関谷純は、彼の高校生活はバラ色に殉じたものだったのか。その意をこめて、僕は質問した。

 

「関谷純は、望んで全校生徒の盾になったんですか」

 

しばらくの沈黙の後、先生は話しだした。

 

「本当に見透かされているようだわ。そうね、随分昔の話だけど今でもよく覚えているわ」

 

そして、旧姓郡山養子は、33年前の事を話しだした。

 

「その頃の文化祭っていえば、みんなの生きる目標だったわ。日本中のうねったエネルギーが、神高では文化祭で形になってた、ってところかしらね。でも、その年の、いえ、その少し前から、それは暴動まがいのものになっていたわ。エネルギーの歯止めが利かなくなっていたの。そして、その年には校長先生の学業重視宣言がなされた。それを生徒たちは文化祭潰しだと思ったのね。文化祭の日程が5日間から2日になった時、生徒たちは大騒ぎしたわ。その後は、もう……。ひどかったわ。学校を誹謗中傷する、張り紙に始まって、デモ行進や演説会なんかもやってたわ。そして、学生側の統一意思を表明しようってところまで話しは進んだの。」

 

先生はそこでひとつ咳払いをすると、千反田さんのほうを向き、話を再開した。

 

「そこで結成された学生連合のリーダーにされたのが、あなたの伯父、関谷純さんよ。実際のリーダーは、表には名前を出さなかったの。結局、文化祭の縮小計画は潰れるんだけど、熱にうかされて、運動はエスカレートしていったの。それが一番盛り上がった時、生徒たちはキャンプファイアーで気勢をあげたわ。でも、それがきっかけで、格技場で火事が起きたの」

 

それは、いくらなんでもまずい。学校施設の破壊なんて、言い逃れできない犯罪行為だ。

ふと、格技場がやけに古かったのを思い出した。あれはその時再建されたからだったのか。

 

「そして、その火事にたいしての見せしめとして、関谷さんが、処罰されたの。夏目君。関谷さんが望んで盾になったかって聞いたわね。もう、わかるでしょう?」

 

僕たちは何も言えなかった。ひどいとかむごいとか、そんな単純なことすら言えなかった。

 

「あの表紙は、それを表現してたんだ……」

 

伊原さんの言葉に、僕ははっとする。そうか、あの相打ちになっている犬と兎、そしてそれを眺めるたくさんの兎。犬は学校。兎は生徒。そして、犬と相打ちになっている兎が関谷純。

そして、里志が神妙に言う。

 

「あの、先生はカンヤ祭って言わないんですね。ひょっとしてカンヤ祭のカンヤは『関谷』って書くんじゃないですか」

「ふくちゃん、どういうこと?」

「カンヤ祭の由来さ。英雄をたたえて『せきたに祭』、その読みを変えて『カンヤ祭』。でもそれは欺瞞だよ。彼は望んで英雄になったわけじゃなかった」

 

確かに、それを知っている人ならそんな言葉は使わない。

 

「先生、伯父が文集に『氷菓』と名付けた理由をご存知ですか」

 

千反田さんの言葉に先生は首を振る。それだけは僕にもわからなかった。里志も伊原さんも、わからないという表情だった。

だが、ホータロー君は違った。彼の表情は、なんだか苛立っているように見える。僕らに対してだろうか。

 

「わからないのか?今の話を聞けば答えはわかりきってるだろ。くだらない駄洒落だ」

「何言ってるんだいホータロー?」

「このタイトルは、俺たちのような古典部の末裔にまで思いを伝えるためのものだ、夏目、わからないのか。お前、英語はそこそこ得意だろうが」

 

 

英語?駄洒落……?いったい何を言っているんだホータロー君は。氷菓。英語だとアイスクリームとかアイスキャンディー。

 

……ん?まてよ?

 

「わかったみたいだな」

「ちょっと、二人だけでわかってないで説明してよ」

 

僕は近くにあった紙に持っていたボールペンである文章を書き、みんなに見せた

 

「お前の伯父が残した言葉はこれだ」

 

ホータロー君の言葉に、千反田さんは瞳を大きく見開いた。気付いているのかいないのか、その瞳からは涙が流れていた。

 

「思い出しました。私は伯父に『ひょうか』の意味を訊いたんです。そして、伯父は私に、強くなれと言ったんです。もし私が弱かったら、仲間を失い、最後にはひとり、悲鳴もあげられなくなるって。そしたら私は生きたまま死ぬと。」

 

千反田さんが僕たちを見る。それは曇りひとつない、真っすぐなまなざしだった。

 

「私は、生きたまま死ぬのが怖くて泣いたんです。……よかった。これで伯父を送れます……」

 

 

 

 

僕の持った紙には、関谷純の思いが、33年越しに書かれていた。

 

 

I scream.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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12. 終わりの始まり

「氷菓」事件は完結です


 

 糸魚川先生との話も終わり、古典部の面々は、図書室を後にした。

ただ一人、僕を残して。

 

 

「貴方は一緒にいかないの?夏目君」

「ええ、実はもう一つ、個人的に訊きたいことがありまして」

 

そう、僕はもう一つ訊きたいことがある。いや、訊かなくてはならない。英雄の、その仲間の事を。

 

「……瀬戸直行とは、どんな人物だったんですか」

 

僕からその名が出たことが意外だったのか、それとも予見していたのか、そんな曖昧な表情を先生はしていた。そして、ゆっくりと話しだした。

 

「瀬戸さんは、33年前の古典部の副部長で、関谷さんの……古くからの友人だったわ」

 

やっぱり、僕の思った通り、というかあの写真の通り、瀬戸直行は関谷純と親交があったようだ。だからこそ、僕はひとつ、とても気になることがあった。それは、瀬戸直行と関谷純、この二人のバラ色への疑問だ。

 

「関谷純が学校を去ったあと、瀬戸直行はどうしたんですか」

「……」

 

糸魚川先生は、悲痛な表情を見せる。それもそうだ。さっきの関谷純の話も、この瀬戸直行の話も、きっと彼女にとっては辛いことだったはずだから。

僕は、言葉を続ける。

 

「神高写真集を見ていると、当然ですが途中から関谷純の姿は消えていました。

……そして瀬戸直行の姿も」

 

おそらくだけど。僕には答えがわかっている。問題は、その結果だ。

 

 

「瀬戸さんは、関谷さんの退学を心から悲しんでいたわ。自分は友達なのに何もできなかったって。文化祭の後の彼は、もはや抜け殻だったわ。古典部を退部して、学校にもあまり来なくなった。……そして、彼は関谷さんの後を追って、退学したわ」

 

先生の言葉は、その声は震え、かすれていた。

 

「……その後の彼の行方を知っていますか」

 

こんなに沈んだ声で他人に言葉をかけるのは生まれて初めてだ。それほどに僕は真剣で、そして投げやりだった。

 

「その後、彼と連絡を取れた人はいなかったわ。今も、消息がわからないそうよ」

 

関谷純は、文集『氷菓』に、叫べ、強くあれといった意味を、思いを込めて学校を去った。だが、彼の一番の友人にはそれは伝わらなかった。友は、叫ぶことができなかった。

それが、『氷菓』の真実。カンヤ祭という名には、英雄と、その友の犠牲が刻み込まれていたのだ。

 

「そうですか」

 

そう言って僕は沈黙した。

すると先生は僕に語りだした。

 

「最初貴方を見た時は驚いたわ。目元や、笑った時のえくぼが、瀬戸さんによく似ていたから。ひょっとしたら、彼の息子さんなのかとまで思ったわ。」

「そんなに、似ていましたか」

「ええ、顔だけじゃなく、本を読んでいるときの姿勢や、本の扱いなんかもね。でも、あなたの名前は夏目だものね。」

 

 

僕は、何と答えればいいのだろうか。それは、僕自身にもわからないことだ。

だから、精一杯の笑顔で、

 

「ええ、僕は夏目龍之介です」

 

と答えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

図書室を出ると、ホータロー君が壁によしかかっていた。

 

「なにしてるんだい?」

「お前を待ってた」

 

女子だったらこういうセリフにバラ色を感じるんだろうか。生憎僕は男子なのでわからない。

冗談はさておき、僕たちは玄関を出て、帰路に就いた。

 

「千反田が、ありがとうだと」

「それは、僕だけに向けた言葉じゃないんじゃないの?」

「違いないな」

 

ホータロー君は笑みを浮かべる。彼のこんなに純粋な笑みは初めて見たかもしれない。おそらく本人もそんな表情をしているとは思っていないだろう。

だが、その笑みはすぐに消え、真面目な顔で僕を見つめてきた。

 

「なんだい?」

「お前は、俺の姉貴を知っているんじゃないのか」

「なんのことかな」

 

なんてとぼけてみたけど、僕は忘れていた。僕はポーカーフェイスが苦手なのだ。

 

「最初におかしいと思ったのは、お前と初めて会った日だ。里志が言ってたが、廃部寸前の古典部について知っていたのは、一部の上級生だけらしい。それなのに、お前は、古典部を尋ね、入部した。まるで『誰か』に教えてもらったように」

 

僕は無言で続きを促す。

 

「次におかしいと思ったのは、里志とお前の距離感だ。最初お前たちは互いに名字で呼び合うような仲だった。なのに、翌日からは、ファーストネームの呼び捨てだ。里志はああみえて、友人は選ぶ方だ。だから、お前らはなにか秘密を共有しているんだと思った。『誰か』についての秘密を」

 

僕はもうお手上げと言わんばかりに両手を上げたが、ホータロー君は言葉を続ける。

 

「最後に、これは俺だけの勘違いかもしれないが、……俺とお前が似ているからだ。性格とかではなく、考え方が。まるで同じ『誰か』に育てられたように」

 

ホータロー君はは一息ついてから、結論を述べた。

 

「全てに該当するとしたら、姉貴、折木供恵しかいない」

 

 

僕は笑い声をあげた。それ程にこの状況は面白い。

 

「どうなんだ」

「うん、そうだよ。僕は君のお姉さん、供恵さんと知り合いだ。」

「やっぱりか。まったく、あのくそ姉貴……」

「ごめんよ、供恵さんから、君には伏せておくように言われていたから」

 

ホータロー君はげんなりした表情で、僕に尋ねてきた。

 

「それで、お前は姉貴とどこで知り合ったんだ?」

「……」

 

僕は少し沈黙した。いや、別に話しても良いんだけど、言われた方が反応に困る内容なのが問題だ。すると、ホータロー君はそれを察したのか、

 

「いや、別にいいんだが」

 

と言ってくれた。

 

 

 

 

 

供恵さん。あなたの弟と一緒にいるのは、心から『楽しい』と思えますよ。

 

 

 

―――ベナレスからの手紙―――

 

夏目龍之介殿

 

前略

 私は今ベナレスにいます。

久しぶりね龍之介。先生から聞いたけど、高校合格おめでとう。神山高校とは、なかなかにあんたらしい選択ね。

さて、無事高校生になったあんたに、ひとつ指令をくだすわ。なに、楽しいこと好きのあんたにも利得がある話よ。

 

古典部に入りなさい。

 

伝統ある部活よ。そして私が所属していた部活でもある。

訊いた話だと古典部は現在部員ゼロで、廃部寸前らしいの。だから、あんたに古典部を守ってほしいの。

え?あんたの利得がないじゃないって?

そんなことないわよ。古典部には、訪れるであろう先客がいるわ。しかも、私の弟。どう?楽しそうでしょ?

 

ちなみに、弟には私のことは伏せておくこと。あいつが自分で気付くまではね。

それじゃあ、またね。

 

 

 

 

かしこ

 

                               折木供恵

 



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愚者のエンドロール
13. オープニングクレジット


 夏。それは一年に一度必ず回ってくる四季の一つである。

 

仮に春をバラ色の「予選」とするなら夏はバラ色の「本戦」とでもいうべきだろうか。それくらい、バラ色にとって夏は重要だ。スポーツの試合がもっとも盛り上がるのは夏だ。目立つ所では甲子園、小さいところでも多くの大会が開かれ、スポーツマンたちが青春をかけて戦いに挑む。夏祭りなんかじゃ、春にできたカップルがお互いの仲を深めたり、はたまた些細な行き違いで破局したりする。

それくらい、夏、それも高校生の夏とは重要な戦いなのだ。それが、バラ色への道なのだ。

そして、バラ色を志す『娯楽至上主義者』、この僕夏目龍之介は、高校生活初の夏休みの真っただ中だ。しかし、残念ながら運動部の所属では無い僕には大会もないし、夏祭りに一緒に行く恋人もいない。それでも、高校生活といえばバラ色なのだから、なにかしていたい。そういうわけで僕の夏休みは部活動にささげることにした。

その一環として、夏休みの初めには僕の所属する古典部についての謎解きをした。とはいっても、それは楽しいだけではなく、僕にバラ色について深く考えさせるものでもあった。それでも、みんなで集まって行った検討会は、僕の人生ではトップクラスの楽しさだった。

しかし、夏休みはまだ半分以上ある。古典部での一件だけでは僕は不完全燃焼だ。なにせ『娯楽至上主義者』だからね。そういうわけで、次の僕の活動は、兼部している読書研究会の文集作りになった。読書研究会でだす文集は、その年に発売された新刊をメインに、他に部員のお勧めの本を紹介するもので、今年は30部作られるそうだ。……そんなに売れるんだろうか。

 そういうわけで、その文集についての話し合いのため、僕は読書研究会部長の平塚先輩に呼ばれ、学校に向かっている。そもそも、部員は僕たち二人しかいないんだからわざわざ学校に集まらなくてもいいような気がするんだけど。

 

「あれ、龍之介じゃないか」

 

名前を呼ばれたので振り向くと、そこには我が古典部の部員にして自称データベースのエセ粋人……と、言いすぎたね。僕の友達の福部里志がいた。里志と会うのは、こないだ糸魚川先生を尋ねたのが最後だから実に一週間振りだろうか。

 

「やあ、里志。今日は手芸部かい?」

「いや、今日は総務委員会さ。文化祭に向けて準備だよ」

「そりゃ、お勤め御苦労さま」

 

里志は古典部の他にも部活を掛け持ちしており、さらに総務委員会にも所属している。総務委員会が具体的に何をしているかは知らないけど、総務というのだから大事な仕事なんだろうね。

 

「龍之介は?補習かい?」

「里志じゃあるまいし……それに補習はまだ先だろ?」

 

里志が昼間にのんきに歩いてる時点で明らかな事実だ。

 

「しつれいだなあ。今回は数学だけだよ」

「ひとつでもあるなら問題じゃないか」

 

まあ、里志にとって高等教育というのはそこまで重要じゃない。彼は自分の興味があることをとことん調べえ知識を蓄える、データベースなのだから。それでも、赤点はまずいだろうけどね。

 

「それで、龍之介は?」

 

そういえばまだ質問に答えていなかった。

 

「今日は読書研究会の文集についての話し合いさ」

「へえ、部員が二人なのにわざわざ学校でやるんだ。すごい気合いの入りようだね」

 

里志も僕と同じこと思ったみたいだね。まあ、文集作りは楽しそうだから全然良いんだけど。

 

「文集といえば、里志は原稿できたかい?」

 

原稿というのは古典部の文集の原稿だ。伊原さんが大割をつくり、古典部員たちにはそれぞれ原稿作りという仕事が与えられた。僕はホータロー君と一緒に33年前の出来事について書くことになっていて、今週の始めに、役割分担をきめ、書き始めている。

 

「い、いやあ、まだ構成の段階でね、あはは」

 

里志の反応からして全く手つかずのようだ。伊原さんが聞いたら雷が落ちるだろうね。僕は期日しっかり守ろう……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうこう言っている間に、学校に到着し、玄関で里志と別れる。読書研究会の部室は特別棟四階の端。最辺境である。これだけ暑いと階段を上るだけで汗が止まらない。ハンカチで汗を拭き、部室に入る。

 

「やあ、時間通りだな夏目君」

 

平塚先輩は椅子に座り読んでいた本を机に置き、僕を迎えてくれた。うん、本当に小学生と見間違いそうになるくらいの小柄だ。

 

「こんにちは、平塚先輩」

 

そう言って僕も椅子に座る。鞄から文集に使う本を何冊かだす。

 

「ほう、ミステリー系かね」

「ええ、本屋で面白そうなのを何冊か見つけまして」

「私は最近はやりだしたライトノベルをもってきた」

 

平塚先輩の読んでいたのは最近人気のライトノベル。たしか主人公がヒロインの作った部活にはいって、そこに宇宙人未来人超能力者が入部してくる非日常的日常ストーリー、だったかな。作家の発想って本当にすごいなと舌を巻く。

 

「じゃあ、始めますか?」

「いや、まってくれ。もう一人来るから」

 

もう一人?新入部員だろうか。もしくはオブザーバー?

そう思っていると、部室のドアが開いた。

そこに立っていたのは、凛とした雰囲気でとても高校生とは思えない程の貫禄のある女子生徒だった。

 

「遅いぞ、冬実」

「すまない。すこし問題があってな」

 

その生徒は平塚先輩と親しげに言葉をかわすと僕の隣の席に座った。

 

「ええと、平塚先輩。この人は?」

「なんだ夏目君、彼女を知らないのかね」

 

その言い方からするとさも知っているのが当然って感じだけれど、僕はまったく分からない。生徒会長?は男だったきがするし、どこかの部長さんかな?でもそうすると読書研究会の部室にいる意味がわからない。しかし、これは多分知らないと失礼に値するのだろう。

 

「もちろん知ってますよ」

「いや、その顔は絶対知らないだろう」

 

僕の虚勢は数秒で看破された。やっぱり表情は誤魔化せないか。

すると、来客は僕たちのそんなやり取りを見て微笑んでいた。なんだかすごく恥ずかしいうえに申し訳ない。

 

「すまない。愛梨の言っていた通り、面白いなとおもってな」

 

平塚先輩、なに吹き込んだんですか……。

 

「私は2年F組入須冬実。この読書研究会の部員だ」

 

どうやら平塚先輩と同じクラスの人だったらしい。それに思い出した。入須とはあの病院長入須家のことだ。前に里志が言っていた。平塚先輩の家とも親交が深い家だったはずだ。

というかそれよりも驚きの事実を聞いたぞ……。

 

「読書研究会の……部員?」

「そうだが」

 

いや、そうだがって。僕はてっきりここの部員は平塚先輩と4月に入部した僕だけだと思っていた。でも、思い返してみると平塚先輩はそんなことは言っていなかった。ということは実は他にも部員はいるのだろうか。

 

「いや、部員は私と冬実と君だけだぞ」

 

そうなのか。いや、それより最近の僕の思考筒抜けすぎじゃない?ポーカーフェイス云々以前の問題かもしれないなこれは。

 

「まあ、それより文集作りの会議を始めようではないか。冬実、本を出してくれ」

「ああ」

 

入須先輩が出したのは夏目漱石と芥川龍之介の著書が数冊。純文学が好きなのかな。

 

「そういえば、君の名前は夏目龍之介、だったな」

「はい、そうですけど」

「まるでこの本の著者たちの名前をくっつけたようだな」

 

入須先輩の言葉に僕はどう答えていか分からなかった。そもそも、適当な言い訳が通用するような人にも思えない。

すると、平塚先輩が助け船を出してくれた。

 

「冬実、なに言っているんだ。名前はともかく名字まで他人から付けられるわけないだろう」

「それもそうだな。すまない。それでは始めようか」

 

そういうわけで、会議が始まった。

今年発売された本は大体人気なものが分かり切っているので、会議の主題は自由枠についてとなった。僕は本屋で見つけた『春季限定いちごタルト事件』を強く推した。なにせこの本はミステリーにして主役は僕らと同じ高校生。しかも殺人とか物騒な事件はほとんど起きない。全国の高校生に読んでほしいくらいだ。続編もあるが、人気だったのか本屋では買えなかった。

 なんて熱中して話しあっていると、のどが渇いてきた。鞄を探ると、なんと飲み物を忘れてきてしまったようだ。仕方ない、水飲み場まで行くか……。

 

「すみません。水飲んできます」

 

そう言って席を立とうとすると、入須先輩が鞄を探り出す。

 

「実は、学校に来る途中に駄菓子屋で飲み物を買ってきてな。ちょうど三本あるからみんなで分けよう」

 

名家の娘が駄菓子屋なんて行くのか。いや、それは偏見だね。誰だって駄菓子屋に行きたくなることぐらいあるよね。

そう思いながらペットボトルを受け取る。中身は普通のスポーツドリンク。ペットボトルにしては口が大きいけど、そういうタイプのもあるよね。

 

「きゃっ!」

 

なんとも可愛らしい声がしたと思ったら、その主は平塚先輩だった。どうやらふたを開けた時に中身が少しこぼれてしまったようだ。

 

「大丈夫ですか先輩。これ使ってください」

 

僕はポケットティッシュを差し出す。

 

「す、すまないな夏目君」

 

いつも落ち着いている平塚先輩でもこぼすことなんてあるんだな。珍しいところを見れたのは運が良かったのかな。

僕もふたを開け、のどを潤す。

 

「それにしても、よくちょうど三本もありましたね。一本いくらでした?」

 

そう言って僕が財布を出そうとすると入須先輩がそれを制止する。

 

「実はな、これの内一本は当たり、つまり無料で手に入ったものでな。だから、お金はいらんよ」

「いや、でも当たりは一本なんでしょ?それじゃあその分は平塚先輩に回して、後輩の僕が払うべきでしょう」

 

なんてカッコつけてみたけど、本当のところはジュース一本のお代でも少々痛い。なにせ今日の為に結構本を買ってるわけだから。

 

「いや、遠慮するな夏目君。私が払うから……ん?」

 

平塚先輩の顔に疑問符が浮かんでいるように見える。これは、なんだか面白そうな予感がする。

 

「どうかしたのか、愛梨?」

「いや、さっき一本は当たりだったと言っただろう?だが、これも、君たちのペットボトルも特に変わったところが無いように見える。はたしてこれは何をもってあたりで何をもってハズレなのだろうかと思ってな」

 

そう言われて手に持ったペットボトルを見てみると、確かに何の変哲もない。マークがついているわけでも、当たりやハズレと書いてある訳でもない。

ふと、入須先輩の方を見ると、一瞬だが彼女が笑みを浮かべたように見えた。

 

「そうか、では夏目君、ゲームをしよう。君が愛梨の疑問に答えられたら、お代に関しては君の言うとおりにしよう。どうだい?」

 

その言い方だと、入須先輩には答えが分かっているのだろう。つまり、これは僕への挑戦ということだ。これは……これは実に……。

 

「夏目君。その顔はいつものあれだね?」

「ええ。これは楽しそうです!やりましょう!」

 

そいうわけで、僕と入須先輩のゲームが始まった。

 

 

 

 

 

 

***

 

入須先輩が駄菓子屋で買った三本の飲み物の内、一本は当たり、すなわち一本買ったら無料でもう一本が手に入ったという奴だ。しかし、当のペットボトルにはどれも当たりハズレが分かるような目印が書いてあるわけでは無い。つまり、一見判断基準が分からないが、隠された目印があるのか、店の人のみにしか判断できない何かがあったのか。

 

「入須先輩。そもそもこのジュース、どのように売られていたんですか?」

「水と氷がぎっしり入ったクーラーボックスからふただけが見えていて、掴んでひきぬく方式だ」

 

どこにでもありそうな売り方だ。つまり、売りかたになにか細工があるわけでは無さそうだ。

 

「一応聞きますが、先輩はペットボトルになにかしていませんよね?」

「当然だ。そうでなければこのゲームはフェアじゃない」

 

まあ、当然だね。それにしても今日は暑いな。もう一度のどを潤す。

うーん。特に何の変哲もないスポーツドリンクだ。

 

「そもそもだが、店の人にしか判断できない基準があったんじゃないか?」

 

平塚先輩も僕と同じ事を思ったらしいけど、それはほとんどあり得ないだろう。

 

「でもですよ、店の人にしか判別できないものだったら、店の人がよっぽどの人格者で無い限り不正を疑われます。つまり商売にならないんですよ」

「なるほど……。確かにそうだな」

 

そもそも、店の人が人格者だったなんてオチではなにも楽しくない。入須先輩だってそんな話をゲームにしたりしないだろう。

 

「そうだ、夏目君」

「なんですか?」

「あまりこちらから情報を与えすぎるのはフェアじゃない。質問はあと一回にしてくれないか」

 

いきなりの条件追加。なかなかにひどい。いや、最初からこうするつもりだったのかもしれない。となると、最後の質問はしっかり考えないと。

 

 

しばらく考えてから、僕は入須先輩に再度話しかける。

 

「では、最後の質問です」

「何かな」

「その当たりのペットボトルを今持っているのは誰ですか?」

 

かなり危険な賭けだ。入須先輩が分からないと言えばそれまでだから。

だが、入須先輩は答えてくれた。

 

「……愛梨だ」

「え、私?」

 

平塚先輩のペットボトルを見る。僕たちのと変わったところは見られない。

 

「先輩、少し貸してくれませんか?」

「あ、ああ」

 

平塚先輩からペットボトルを受け取る。中身はどうやら僕のと同じスポーツドリンクのようだ。そして、どの角度から見ても変わった様子はない。

つまり、今現在当たりハズレを見分ける基準はどこにも存在しない。

……ん?……待てよ?

 

 

「夏目。その顔は何かわかったね」

「ええ、多分。でも最後にひとつやることがあります」

 

そういって僕は『平塚先輩の』スポーツドリンクでのどを潤す。

 

「え?ちょ、ちょちょちょっと!な、夏目君!何をしているのだろうかね!?」

 

平塚先輩の言語が崩壊しているけど、まあそれはいいや。取りあえず、確認は終わった。

 

 

 

 

 

「それで、答えはでたのかい?」

「ええ。多分あってると思います」

「では聞かせてもらおう」

 

僕は自分の考えを脳内でまとめ、話し始める。

 

「まず、この三本のペットボトル、平塚先輩の当たりのペットボトルにさえ、当たりハズレの基準となるような印は見られません。かといって客にわからないようでは商売にならない。ではやはり、なにかしらの基準があると考えるのが妥当でしょう」

 

入須先輩は黙ったまま続きを促す。

 

「そして、僕が今現在で手に入れた情報は三つ。ひとつはこのペットボトルの口が普通のものより大きく、小さいものなら簡単に入れることができるということ。ふたつめは平塚先輩がこぼすほど、当たりのペットボトルの中身は多かったこと。最後は当たりのスポーツドリンクはハズレのものより味が薄いこと」

 

僕は一息ついて結論を口にする。なんだかんだ言って、この瞬間の高揚感というのは計り知れないものだ。

 

「つまり、当たりの基準は確かにあったが、時間経過で消失し今現在では存在しておらず、ペットボトルの中身を増やし、味を薄くする要因であるもの。つまり、氷です。当たりのペットボトルには氷が入っていて、ハズレには入っていなかった。これが真相です」

 

部室が沈黙する。

が、しばらくして入須先輩が拍手した。

 

「いや、本当に凄いな。その通り。当たりのペットボトルには氷が4つ入っていた」

 

どうやら僕の推理は当たっていたようだ。よってゲームは僕の勝利となった。久しぶりにとても楽しい謎解きだった。

 

「凄いな夏目君。そ、その、私のペットボトルに口をつけた時は暑さでどうにかしてしまったのかと思ったが、相変わらず君の閃きには驚かされる」

「いやあ、そう言ってもらえるとうれしいです」

「それで、ゲームは君の勝ちだが、お代はどうする?」

「そうですね、楽しい時間を過ごさせてもらったお礼として僕が払いますよ」

「そうか、なら受け取っておこう。だが夏目君。君はポーカーフェイスが下手なようだな」

 

小銭を受け取りながら入須先輩が言う。

 

「ええ、まあ。結構困ってるんですよね、これ」

「目線や喋り方で随分変わるものだぞ。どれ、少し教えてあげよう」

 

それからしばらくは、入須先輩によるポーカーフェイス指導に時間を費やすことになった。

 

 

 

 

 

***

 

今日の活動は終わり、読書研究会の面々は帰宅することになった。平塚先輩は鍵を返しに行くついでに文集の経過報告をするようなので、僕と入須先輩は先に昇降口へ向かった。

 

「今日はありがとうございました、入須先輩。とても楽しかったです」

 

靴を履き替えながらお礼を言っておく。

 

「そうか、それはよかった」

 

外靴をはき、上靴を下駄箱にしまって振り向くと入須先輩がこちらを見つめていた。

 

「な、なんですか?」

 

 

 

 

「夏目君。君に頼みがあるんだ」

 

 

 



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14.古典部集合

 

 

 

ログナンバー00209

 

あ・た・し♪:なるほどね。でもごめんねー。

名前を入れてください:いえ、そういう事情なら仕方がないです

あ・た・し♪:流石に私も距離と時間は動かせないもんねー。

名前を入れてください:他に、そういうことができる人に心当たりはありませんか

あ・た・し♪:うーん。

あ・た・し♪:使い方によっちゃ使えるのが二人いるわ。

あ・た・し♪:でも、片方はあんたでも使いこなせるかわからないけど♪

 

 

 

 

***

 

天は人の上に人を作らず、人の下に人を造らずという。とはいってもこれには続きがあって、生まれた時は平等だけどその後に差ができるのは学問に励んだか否からしい。だがしかし、天の造りし人間の中にはそんな前提を覆すゲームの言葉で言えばチート級の才能をもって生まれる者もいる。そういうところでは、福沢諭吉のこの名文を否定する気持ちもわからなくはないよ。

夏休みのある日、学校への道のりで、僕はホータロー君と里志とそんな話をしていた。

 

「龍之介の言うとおり、ホータローはちょいとばかし卑屈がすぎるね。とはいっても僕にも天賦の才は無さそうだ。大器晩成って言葉はこういう時に大切になってくるもんだね」

「俺が卑屈ってのは誠に遺憾だが、まあ天才は天才で普通の生活を得られんことを考慮すれそこまででもないのかもな」

「ホータローに普通の生活がおくれるかな?」

 

ホータロー君は意味がわからないという様子だ。里志も意地が悪いなあ。

 

「僕は福部里志に才能が無いのは知ってるけど、折木奉太郎までがそうなのか、そして夏目龍之介がそうなのかは保留したいな」

 

自分に才能が無いって思うのはちと早計だけど、まあ僕とホータロー君が全くの普通人かというと僕はそうは思わない。そう言う意味では里志の言葉は的を射ている。

が、ホータロー君はそれを里志ジョーク、いや福部リアンジョーク(進化しました)として受け取るべきか迷っているようだ。

 

「俺からすればデータベースを自称しているお前が自分を普通人だと言い張るのも保留したいところだな」

「いやいやホータロー。確かに僕の興味は幅広いけどそんなもの極めたってクイズ王にすらなれやしないよ。ただ手広いだけじゃね」

 

そうかな?まあでも本人が言うんだからそれでもいいかな。

 

「大体、俺たちが普通人じゃないってのはどこから導き出したアンサーなんだ」

 

里志はやれやれといった感じで神山高校を指差す。

 

「校舎がどうかしたか?」

「いや、里志が指差してるのは地学講義室だよ。要は『氷菓』の時のことでしょ?」

「その通り。『氷菓』事件の二人の推理を見てしまった以上、二人の評価は保留だよ」

 

氷菓だけに?なんていったらこの場にブリザードが吹きそうだからやめておこう。というか、あれは里志的には事件だったのか。

 

「あの事件を解決したのは二人だろ?」

「べつに解決ってほどじゃない。ただの運だ」

 

運。それはあくまでホータロー君の自己評価だと思うけどね。

 

「まあでも、実際僕とホータロー君の貢献は大きかったんじゃないかな?ほら、運も実力の内っていうじゃん」

「ナイスだね龍之介。ところで今何時だろう」

 

そう言って里志は手に持っていたきんちゃく袋から時計を取り出す。いつも持ち歩いているようだけど、いったいその袋には何が入っているんだろう。

 

「げ、十時か。ちょっと急ごうよ。千反田さんはともかく摩耶花は遅刻に厳しそうだ」

 

 

 

 

 

 

 

そんなこんなで暑い中長い階段を上り、僕たちは特別棟の四階へ来ていた。古典部の部室は読書研究会の逆端に位置する。ハンカチで汗を拭って部室へ入る。

 

「遅い!」

 

里志の予想は的中した。教室のどまんなかで伊原さんが仁王立ちしていた。

そりゃあ午前十時集合だったのに遅れてきたわけだから、過ちにたいして厳しい伊原さんが怒るのも無理はない。

 

「ふくちゃん、何か理由があるの?」

「自転車が使えなくて……」

「そんなの前からわかってたでしょ!」

 

ちょうど今、駐輪場は整備中だからね。

 

「大体夏目君。あなたがいながらなんで遅刻するの!」

 

あ、こっちに矛先が向いた。実を言うと朝方送られてきた手紙を読んでいたら出発が遅れてしまったわけで非は僕にある。ここは謝っておこう。

 

「ごめんなさい。伊原さん」

「摩耶花、龍之介もこう言ってるし……」

「ふくちゃんも同罪でしょ、原稿も全然だし」

 

里志はそれでも苦しい抗弁を試みる。

 

「い、いや、ホータローだって遅刻してるじゃないか」

 

伊原さんはホータロー君に視線を向けたがそれも一瞬。すぐに里志の方に向き直る。

 

「折木は、どっちかというとどうでもいいし」

 

ホータロー君ェ……。

ところで、僕たち古典部は5人で構成されているわけで、あと一人、部長の千反田さんの姿が見えない。

 

「ひどい、ダブルスタンダードだ」

「何言ってるの、そんなことないって」

 

このはげしく無意味なやり取りに言葉を挟むのは気がひけるけど、とりあえず確認はしないと。

 

「伊原さん。千反田さんがいないけど」

「そうなの、ちーちゃんまだ来て無くて。心配ね」

 

まさかのトリプルスタンダードだった。

そのすぐ後。噂をすればなんとやら、ドアが開き、千反田さんが入ってきた。

時計の針は既に十時半。千反田さんは深々と頭を下げる。

 

「遅れてすみません」

 

それにしても、千反田さんが遅刻とはね。伊原さんがそれを疑問に思ったのか、千反田さんに尋ねた。

 

「どうしたのちーちゃん。なにかあったの?」

「ええ、少し話し合いが長くなりまして」

 

ホータロー君が何の話し合いだ、と言わんばかりに口を開こうとするが、その前に千反田さんは続けた。

 

「何の話し合いかはまたあとで話します」

「そうか、ならいい」

 

あんまり納得しているようには見えないけど。

そもそも、なんで古典部が集まったかというと、それはほかでもない文集『氷菓』のデザイン、つまりはフォントや紙質についての話し合いのためだ。

それに関しては漫研所属の伊原さんが、カタログやネット記事を集めて予算内でどう収めるかのプランをいくつか提示し、僕たちがその中から選ぶことになっている。

 

「これが予算内で一番良い紙なんだ。特にこれはインクの乗りがね……」

 

 

 

 

 

 

 

 

編集会議は一時間くらいで終わり、印刷所への注文を伊原さんが後でするという。伊原さんにおんぶにだっこで申し訳ない。

そういうわけで僕らは昼食をとることにした。僕は今朝作った弁当を取り出す。今日は卵焼きが上手く出来たんだよね。いや、弁当を作っていたのは遅刻とは関係ないんだ。あの手紙が悪いんだ。

 

「ところで皆さん、これから予定はありますか」

 

おもむろに千反田さんが聞いてくる。

伊原さんとホータロー君は首を横にふる。里志は少し考え込んだが、首を振る。手芸部とかと迷ったのかな。

 

「夏目さんはどうですか?」

「うん。僕も特に予定はないよ」

 

 

 

 

 

 

「それなら、試写会に行きましょう!」

 

 

 

 

 

 

 



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15. 古典部と試写会

 

千反田さんの言う試写会とは、2年F組が文化祭に向けて作ったビデオ映画の試写会の事で、千反田さんの知人がF組で、感想を聞かせてほしいとのことらしい。

とは言っても、F組で映画ということはいよいよその時が来たということだ。どうせなら何も知らない立場で楽しみたかったけど、まあどうせ古典部のみんなも巻き込まれるのだろうし我慢しようかな。

 

 

「それで、ちーちゃん。どんな映画なの?」

「たしかミステリーだと言っていました」

「へえ、それは面白そうだね」

 

前方を歩く里志たちの後ろで僕はホータロー君に話しかけた。

 

「ミステリーだって。ホータロー君はミステリー好きかい?」

「まあ、普通だ。そもそも自主制作なんだろ?あまり期待するべきじゃないと思うが」

 

まあ、ごもっともな言葉だね。とはいっても僕を含めみんな初見なんだから、あまりマイナスな先入観を持つのもいただけないかな。

 

 

試写会の会場である視聴覚室にはすでに暗幕が下りていた。外のまぶしい光をすっぱりカットして、室内は暗い。その暗がりの奥から、女子生徒が現れた。一瞬びっくりしたけど、すぐに正体は分かった。

 

千反田さんが呼びかける。

 

「お言葉に甘えて来ちゃいました」

 

隣を見るとホータロー君が何とも言えないような表情をしていた。

 

「ああ、よく来た」

 

その相手……入須先輩はそう言って僕たち一人一人を見る。

 

「ようこそ。今日は来てくれてありがとう」

 

千反田さんが僕たちを紹介する。

 

「こちらが伊原摩耶花さん。こちらが福部里志さん。。そしてこちらが夏目龍之介さんと折木奉太郎さん。私が入っている古典部の方々です」

 

紹介の途中、入須先輩の表情が微妙に変わった。笑った、のだろう。

 

「今日はよろしく。私は入須冬実」

 

その自己紹介のすぐ後、里志が大きく反応した。

 

「ああ、やっぱり入須先輩でしたか!見たことあると思ったんです」

「君は、福部里志君といったか。すまないが、見覚えが無い」

「そうですか、いや、でも6月末の文化祭実行委員での音楽部と演劇部の争いの調停、あれは本当に見事でした!」

 

里志がジョーク以外でこんなに褒めるなんて事があるんだね。珍しいワンシーンを見れた。

 

「そうだったかな」

 

しかし、とうの本人は全く覚えていないようだ。里志、無念。

 

「ちーちゃんとどういう関係なの?」

 

伊原さんがその脇で小声で聞く。

 

「私たちの家同士でお付き合いがありまして」

 

まあ、平塚先輩ともそうらしいし、千反田さんと家ぐるみの付き合いでもなんら不思議じゃないね。

 

「それはともかく」

 

入須先輩が話をもとに戻す。手に持っていたビデオテープを掲げる。

 

「今日、君たちに来てもらったのは、このビデオテープを見てもらうため。これを見て、ぜひとも率直な意見を聞かせてほしい」

 

随分と端折った言い方だけど、まあ先に見たほうが分かりやすいのかな。

だが、ホータロー君は疑問に思ったらしい。

 

「それだけでいいんですか?見て、感想を言うだけで?」

「それではおかしいかな」

「つまり、ホータロー君が言いたいのは、見た後に僕たちがそれを批判しても撮り直しが聞くわけでもないのに見せてくれる理由がわからないってことだね」

 

ホータロー君は頷く。が、入須先輩は満足したように頷き答えた。

 

「もっともな疑問ね。確かにただ見てもらうだけでは意味がない。だが、まずは見てもらった方が効率的だと思う」

 

ホータロー君はしぶしぶ承諾する。それをみて入須先輩は続けた。

 

「このビデオ映画にはタイトルがまだない。仮称は『ミステリー』。ビデオが終わったらひとつ聞きたいことがあるから、そのつもりで見てくれるとありがたい」

 

 

そう言われ、僕たちは適当に席に着く。

 

「では、健闘を」

 

そう言って先輩は教室を出た。ほどなくして、前方にホワイトスクリーンが下りてきた。

さて、いよいよ幕開けか。

 

タイトルが決まっていないので、当然タイトル画面は存在せず、映像はいきなり始まった

そこには6人の生徒が写っており、どこかの山道を歩いている。ナレーションによると、文化祭に出す展示物の内容として、ナラクボ地区という廃村についての取材へ向かっているところらしい。

6人は全員2年F組の生徒で、

がっちりとした体形の『海藤武雄』。

細い体で眼鏡をかけている『杉村二郎。

肩までの栗色の髪をいじっている『山西みどり』。

背が低く、丸顔の『瀬之上真美子』

優しそうな顔をした『勝田竹男』。

地味な装いの『鴻巣友里』

というらしい。タケオって二人いるんだけど、まあ名字で呼べば区別可能だからいいか。

隣を見ると里志がいつの間にか用意した紙にペンで彼らの名前を書いている。ひょっとしてあのきんちゃくの中身だろうか。どこぞのネコ型ロボットのようだ。

 

「里志、ナラクボ地区ってのは?」

「昔鉱山があったところで、交通は不便だけど、鉱山の全盛期は隆盛を極めたってね」

 

さすがデータベース。これで本人は才能が無いなんて言っているんだから驚きだ。

そう言っているうちに、一同は目的地へ到着していた。

カメラが辺りの風景をなめるように映す。自主制作だから仕方ないけど、あまり上手いカメラワークじゃない。それでも、ナラクボ地区の風景はそれをカバーできるほどの迫力だった。

 

『なるほど、これは取材のしがいがありそうだ』

『とりあえず、今夜休める場所を探して、取材はその後だ』

 

海藤先輩と勝田先輩の会話はとてもぎこちないものだったけどなんとなく、その宿泊場所で事件が起こるんだろうなと感じはした。

 

『それなら、あそこが良いんじゃない』

 

鴻巣先輩が指差した方には、劇場のような建物があった。

 

『そうね、あれなら雨もしのげそうだし』

『よし、じゃあ行こう』

 

劇場前にシーンが移り、6人は劇場に入っていく。最後に鴻巣先輩がつぶやいた。

 

『嫌な予感がする』

 

「館ものか!」

「館ものなの?」

 

里志と伊原さんが同時に声を上げる。最も伊原さんの方は不満げだけど。あんまり好きじゃないのかな、館もの。

 

再びシーンは移り、劇所の中から再開。建物の中には当然明りは無く、外と比べて、映像は見づらくなった。

 

『どうやら、屋根はしっかりしているな』

『まあ、当時の鉱山にはお金があったみたいだし、山奥じゃこれくらいの娯楽が無いとやってられないよね』

 

そのやり取りに里志がほう、と感心している。里志としては気にいるセリフだったみたいだね。

その後、一同は各部屋の鍵を見つけ、手分けして泊まれそうな場所を探しだした。その間に見取り図も公開され、里志が書き写す。

 

「普通なら、みんなで行動すると思わないかい?」

 

里志がホータロー君に囁く。それが聞こえたのか、伊原さんがホータロー君を睨む。ホータロー君は解せないといった表情で、手短に返事する。

 

「それがどうした」

「つまり、この後誰かが事件に巻き込まれるんだ」

 

再び伊原さんがホータロー君を睨む。これぞダブルスタンダードだ。

そして、一同はそれぞれの部屋を探索しに行き、ロビーは無人になる。カメラはそれを最後まで写していた。

 

 

再びナレーション。

 

『事件はこの後に起こる』

「そうだろうとも」

 

うん、里志をミステリー映画に誘うのは絶対にやめよう。

 

 

その後、杉村先輩と海藤先輩を除いた面々がロビーにもどってくる。

 

『ガラスが散らばってて掃除しないと使えないわ』

『こっちもそんなもんだ』

『杉村君、そっちはどう?』

 

瀬之上先輩が呼びかけると、二階の窓から杉村先輩が顔を出す。

 

『割ときれいだから、使えそうだよ』

 

さて、これで被害者は決まったね。その後、海藤先輩の様子を見に一同は部屋の前までやってきた。勝田先輩がドアノブに手をかけるが、どうやら鍵がかかっているようで、鴻巣先輩ともう一人誰かが(映像が足元だけで判別できない)がマスターキーを取りに走る。

一瞬のカットの後、鍵は開きドアが開けられる。

 

 

 

 

 

 

 

室内は大きな窓から光が差し込んでおり、その前で海藤先輩が取れている。少し見づらいが海藤先輩の腹部は血糊がべっとり付いていて、その傍らには小道具と思われる腕が。あまりにリアルだったのでびっくりした。千反田さんはものすごく動揺している。作りものとはいえ、怖いものは怖いよね。

 

「海藤!ちくしょう、だれが!」

 

勝田先輩が窓に駆け寄り、窓を開けようとする。建てつけが悪いらしく多少時間がかかったが上開きの窓が開かれる。外には壁ぎりぎりまで夏草が茂っていた。

勝田先輩は素早い切り替えで他の経路を探し回りカメラがそれを追うが、部屋に通じる道は他には無かった。

 

 

そして。

映像はそこで消えた。

 

「え?おわりなの?」

 

伊原さんが気の抜けた声で呟く。

 

「みたいだね」

 

里志がそう返答している間にスクリーンは巻き上げられていく。

 

「え、だってまだ終わってませんよ?」

「いや待て、機材の故障かもしれん」

 

ホータロー君がそう言うと、背後から入須先輩が答える。

 

「それは違う、テープはここまでよ」

 

当然だけど入須先輩は全く動揺していない。それはテープがここまでということの裏付けでもある。

 

「それじゃあ、結末はあなたの胸に式なんですか?」

「それも違う」

 

みんなポカーンとした様子なので、僕は入須先輩に尋ねる。

 

「つまり、これは未完成ってことですね?一応説明はしてもらえますよね?」

「もちろん説明はするよ夏目君。でもその前に、このビデオ、技術的にどう思う?」

 

どう、といわれても正直に言っていいものなのだろうか。

しかし、やはり率直に伝えるべきだと思ったのか、伊原さんが答えた。

 

「正直に言うと、稚拙、だと思います」

「そうだな、私もそう思う。技術の無いものがいくら情熱を注いでも結果は知れたもの」

 

なんとも辛辣な真理だね。しかも表情一つ変えずに。

 

「だが、それはそれでいいと思う。結局は自己満足の世界よ。だから完成度が低いのは問題じゃない。なら、このビデオにとって致命的な事態とはなんだと思う?」

 

少し考えたのち、里志が答えた。

 

「完成しないことですね」

「そう。それでは自己満足にもならない。このビデオはロケ地が特殊で、夏休みの間にしかできない。そんな中、ミステリーの脚本は本郷真由という生徒に託された」

「そんな無茶な……」

「そう、そのせいで本郷は体調を崩してしまった」

 

素人から見ても、一時間のミステリーの脚本を一人で書きあげるのは至難の業だと思う。

 

「まさか、俺たちにその続きを書けと言うことでは……」

 

ホータロー君はなんとも不安そうにそう尋ねる。そりゃあ『省エネ』の彼からしたらそんなことやってられないだろうね。

 

「そんなことは頼まないさ。本郷は解決編を書くところで倒れてしまった。だから、見るものが見れば犯人を割り出せるはず。それを君たちにやってほしい」

 

つまりは映像から本郷先輩の作った謎を解き明かせということだ。

 

「でも、はたして映像の中にちゃんと手掛かりが撒かれているんですか?」

 

里志の問いももっともだが、入須先輩はすぐに答える。

 

「それは大丈夫。あの子はしっかりミステリーの勉強をしていた。十戒も九命題も二十則も守ったはずよ」

 

十戒とか九命題とかはたしか探偵小説のルールみたいなものだったはず。たとえばぽっと出の真犯人とか複数人の探偵とかはタブー、みたいな。

 

「つまりは問題は適切に提示されているから、そのうえで犯人を当てろって事ですね」

 

僕の言葉に入須先輩は頷く。

それを見て里志たちは顔を見合わせる。

 

「犯人を当てろっていわれてもなあ、データベースは結論を出せないんだ」

「そうね、私も自信ないわ」

「あの、海藤さんは亡くなっていたんでしょうか」

 

しばらくあれやこれや言った後、三人は同時に僕とホータロー君に視線を向けてきた。

 

「……なんだよ」

「いや。こういうのは二人の出番じゃないかなってさ」

 

ホータロー君はものすごく嫌そうな顔だ。

 

「それほど真剣にみてなかったんだ」

「僕も、あれ一回じゃ何とも言えないかな」

「じゃあ、もう一度見せてもらいましょう!」

 

埒が明かないと思ったのか入須先輩が諭してくる。

 

「あくまで意見でいい。気楽に言ってくれ」

 

そんなこと言ったらホータロー君は本当に気楽に答えかねないけど……。

 

「山西先輩だと思います。態度が悪かったし」

 

ほらね。

 

「折木さん、真面目に考えてください!」

「大体、なんで先輩はミステリーが題材になることを止めなかったんですか」

 

ホータロー君の言葉に入須先輩は目を伏せる。が、冷厳な口調のままそれに答える。

 

「私は最初企画に参加していなかった。三週間北海道にいてね。こっちに戻ってきて事態の収拾に乗り出したのが一昨日。最初からいたらこんな計画を進めはしない」

 

一昨日って言うと読書研究会で集まった日になる。たったこれだけの期間でこれだけ手をまわしてるんだから大したものだ。

だがホータロー君は納得していないようで、次の質問を投げかける。

 

「どうして俺たちなんですか。神高にはかなりの生徒がいる。それなのに何故古典部を?」

「まず、千反田と面識があったこと」

 

入須先輩は少し間をおいて言葉を続ける。

 

「そして『氷菓』の事を聞いたからだ」

 

先輩の視線が僕たち二人に向く。ホータロー君は誰がそれを伝えたのかわからないようだった。

 

「君たちの話は4人から聞いていた。一人は千反田。一人は学外の人間。そして平塚愛梨と遠垣内将司」

 

遠垣内ってのはたしか壁新聞部の部長さんだったっけ。文集のバックナンバーを探していた時にホータロー君がひと泡ふかせたっていう。学外の人間ってのは、まあ多分明らかだ。

 

「君たち二人ならこのビデオの探偵役を務められるかもしれないと思った」

「変な期待は困ります」

 

やれやれ、ホータロー君はどうやら乗り気じゃないようだ。

 

「そうか、なら残念だけど試写会はこれで終わり。ありがとう」

 

そうは言ってるけど入須先輩は僕の方を見ている。なんとかしろということだろうか。仕方ない。なんとかしよう。

 

「それじゃあ、ビデオは最悪未完成ってことになっちゃうね」

 

そう言いつつ僕は千反田さんを見る。千反田さんに話題をふれば恐らく……。

 

「それは困ります!そのビデオが完成しないのはとても悲しいです、私は嫌です!」

 

よし来た。あとはもうこのままでいける。

 

「それに、どうして本郷さんが信頼と体調を損ねてまで途中でやめてしまったのか、私、気になります!」

 

ホータロー君はなんとも渋い表情をしている。『省エネ主義』の彼でも、千反田さんの好奇心には勝てない。

さらに里志が追い打ちをかける。

 

「そうだよホータロー。それに事件解決にはちょっと情報が足りないよね」

 

つまり、情報があれば解決できると、そう言いたいのだろう。

 

「ここでそれを引き受けて駄目だったらどうする。先輩方の前で土下座でもするのか?」

「まあまあ、ホータロー君。それなら、オブザーバーってのはどうだい?」

「どういうことだ?」

「入須先輩の言う通りなら、F組の人たちも解決のために動いているはずだよ。だから、その人たちの意見を聞いて参考意見を述べるって感じでさ」

 

入須先輩の方を見て、返答を待つ。

 

「夏目君の言うとおり、私のクラスにも探偵役志願者はいるわ。それならオブザーバーでも構わない」

 

さあ、どうする?折木ホータロー。

 

「……それならまあ」

 

ここで断ればおそらく永遠に千反田さんに頼まれ続けるだろうし、妥当な判断だよね。

 

 

 

こうして、ホータロー君は解決に参加することに決めた。

 



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16. ヴァンダインの二十則

 

 

試写会が終わり、僕たちは校門をくぐり帰路についていた。

 

「前に言ったけど、入須先輩はかなり有名だよ、ほら、あそこ」

 

五人で並んで歩いていると、一番端の里志がそういって遠くに見える病院を指差す。

 

「彼女の家はあの病院の経営者なんだ、それに平塚先輩の家と一緒に福祉施設、特に児童福祉施設の運営にも力を入れていてね」

「そりゃすごい」

 

ホータロー君が気のない返事をする。

が、里志は構わず話を続ける。

 

「けど、入須冬実が有名なのはそれだけじゃない、あの人にはあだ名があるんだ。なんだと思う?」

「知らん」

 

が、里志は構わず話を続ける。

 

「女帝だよ!」

「へえ」

 

が、里志は構わず……ってこれ以上はかわいそうだね。ホータロー君にかわりに僕が返答する。

 

「なんで、女帝なの?」

「美貌もさることながら、人使いが荒くて、それでいて上手いんだよ。周りの人間は彼女の手駒になるって噂さ」

 

そらりゃあ凄い。ホータロー君なんかは上手く使われちゃいそうだね。いや、僕にも資質あるよねきっと。

 

「それにしても、せっかく女帝が登場したんだから僕らもシンボルの一つぐらい欲しいもんだよね」

 

「シンボルって?」

 

里志は宙を眺め、少しして切りだす。

 

「まず、麻耶花は正義だね。審判と迷ったけど。正義は苛烈って言うしね」

 

女帝に正義となると、なるほどタロットカードか。それにしても苛烈な正義とは、ぴったり伊原さんそのものだね。思わず笑ってしまう。

 

「夏目君、何笑ってるのよ」

「ごめんなさい」

 

やっぱり伊原さん怖いよ。いや、これは僕が悪いか。

 

「それじゃあふくちゃんは?」

「僕は、そうだね愚者……いや、魔術師かな?愚者は千反田さんに譲るよ」

 

たしかに、千反田さんは愚者って感じだね。あくまでタロットの愚者ね。

 

「たしかに、私も愚者だと思います。それでは折木さんは?」

 

里志は即答した。

 

「それはもちろん、力さ」

「ホータロー君が力?星とかじゃなくて?」

「うん。断然力だね」

 

確か力の意味は強固とかエネルギッシュだったような……。

ははあなるほど。そういう見方もできるかもね。里志らしい。

 

「ふん。どうやら褒めているわけじゃ無さそうだな」

「そうでもないさ!」

「さいで。それで、夏目は何になるんだ?」

 

僕か。僕はなんだろう。星?それとも戦車とかかな?

 

「そうだねえ、龍之介は……ジョーカー?」

「いやいや里志、それトランプじゃないか」

 

せっかくいろいろ考えたのに、まさか別ジャンルから例えられるとは。

 

「でも確かに、夏目さんはなんとも例えがたい感じですよね。なんというか、白紙というか……」

 

白紙って、そりゃあ無いよ千反田さん。僕の16年はなんだったんだ……。

 

「ま、まあ、龍之介。白紙ってことはこれからなんにでもなれるってことだよ、うん」

 

なんでいい話みたいにまとめてるんだよ。これも福部リアンジョークか……。

 

 

 

 

***

 

千反田さんたちと別れ、僕は家の近い里志と二人で歩いていた。

もう夕方だと言うのにお日様はまだまだ月に出番を譲ろうとしない。

 

「いやあ、それにしても暑いね。どうだい、そこの駄菓子屋で飲み物でも買わないかい?」

 

家はもうすぐなのだから我慢すればよさそうだが、僕も冷えた飲み物が欲しくなったので、里志の提案に乗ることにした。

駄菓子屋の扉は開放されており、僕らは店主のおじさんに軽く挨拶して、飲み物コーナーを探す。

 

「お、あったよ龍之介。ってなんだこれ」

 

里志のほうを見ると、氷のぎっしり入ったクーラーボックスの中からペットボトルのふたが見えている。どこかで聞いた売り方だ。

 

「おじさん。一本ください」

「はいよ。120円ね」

 

お金を渡し、里志は一本引きぬく。出てきたのは炭酸飲料だった。ペットボトルからカランと音がした。どうやら氷が4つ入っているようだ。

 

「当たりだね」

「当たり?」

 

里志はぽかんとしている。僕も少し驚いた。どうやら入須先輩が訪れた駄菓子屋とはここのようだ。病院の近くに大きな家があるって里志が言ってたからここまではかなり遠いと思うけど、こっちに何か用事でもあったのかな。

 

「おお、お兄ちゃん運が良いね。当たりだよ。ほらこれおまけのもう一本」

 

そう言っておじさんはレジの奥のクーラーボックスからペットボトルを取り出す。なるほど、これで当たりの連鎖は起きないってことか。

 

「じゃあ、龍之介にあげるよ」

「ああ、ありがとう、じゃあ半分出すよ」

 

そう言って里志に60円渡し、店の外のベンチに向かう。

ベンチに座り、飲み物でのどを潤していると、唐突に里志が話しかけてきた。

 

「なんだか、今日の龍之介はいつもと違ったね」

「そうかい?どのへんが?」

「上手く言えないんだけどね、なんだか事件への興味が薄いって言うか」

「そんなことないよ。ただ、今回は本郷さんの脚本への挑戦ってことになるでしょ?」

 

里志が、それが?といった顔続きを促す。

 

「ヴァン・ダインの二十則に、複数人の探偵の共同捜査はタブーってあるでしょ?だから、今回はこっそりホータロー君と勝負しようかと思ってね」

「なるほど。それなら二十則にはぎりぎり触れないかもね。なんだい龍之介、粋じゃないか」

「そうでしょ」

 

どうやら里志は納得してくれたらしく、いつの間にか飲みおえたペットボトルをゴミ箱に投げる。それは見事な放物線を描き……ゴミ箱の隣に落ちた。

 

「何してんのさもう」

「あはは、上手くいかないもんだね」

 

里志はペットボトルを拾い、しっかりゴミ箱に入れる。

 

「それじゃあ、龍之介、また明日。二人の推理対決、楽しみにしてるよ」

 

そう言って里志は鞄を持って走り去っていく。僕は、ベンチに深く座りなおし、鞄から今朝の手紙をとりだす。いつの間にか切手が外れていた。全く、しっかりつけとけばいいものを。手紙を再び読んだあと、僕は空を仰いでひと言つぶやく。

 

 

 

 

 

 

「まったく。つまらないなあ」

 

 

 

 

 



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17. 古丘廃村殺人事件

小説通り3日構成にしようかとも思いましたが、アニメのように一日のあいだの出来事にしたいと思います


 

翌日。再び古典部メンバーは部室に集合した。目的は言うまでも無くビデオの殺人事件の検討だ。ホータロー君が来るかどうかわからなかったけど、なんと千反田さんが直々に迎えに行ったようだ。流石部長。

 

「それで、ちーちゃん。今日はどうするの?」

 

伊原さんの質問に千反田さんは答える。

 

「入須さんからの使いを待って、スタッフの方に話を聞きます」

 

 

まさかこの人生の中で『使い』なんて言葉を直に聞く機会が訪れるなんて思わなかった。

 

「いつの間に打ち合わせしたんだ?」

「チャットです。神高のサイトに生徒だけが使えるチャットルームがあるんです」

 

インターネットか。科学の力ってすごいね。僕も今度使ってみようかな。古典部でチャットとかしたら楽しそうだし。

 

「約束は一時ごろなのでそろそろですね」

 

それからほどなくしてドアが静かに開かれた。

 

そこに立っていたのは背の低い女子生徒とそれより背の低い女子生徒……というか平塚先輩だった。

 

「やあ、夏目君」

「やあって……、先輩も使いの一人ですか?」

「いや、古典部の部室の場所がわからないと言われてな。案内してきたところだ」

 

それはどうもお疲れ様です。なんて思っているともう一人の先輩が深々と頭を下げる。

 

「江波倉子といいます。よろしくお願いします」

 

僕たちが一年生だと知っているのに随分と礼儀正しい人だなあ。見習おう。

 

「入須から話は聞いていると思いますが、今日はこれからうちのクラスの探偵役志願者たちに皆さんを引き合わせます。……準備がよければ案内しますが」

 

準備といっても特に準備することも無い。僕たちは席を立ち、準備完了という意思表示をする。

 

「では行きましょう」

 

言葉に従い、地学講義室を出る。

 

廊下を歩いている間、千反田さんたちは江波先輩にいくつか質問していた。話によると、探偵役志願者は三人。撮影班の人と小道具班の人と広報班の人らしい。

 

「平塚先輩は何か役割あったんですか?」

 

列の後ろを歩く僕は同じく後ろを歩き何故かついてきた平塚先輩に尋ねる。

 

「いや、私は企画に参加していなかったんだ。読書研究会の準備もあったしな」

 

そういえば前に部室に入須先輩が来たとき、平塚先輩は『遅いぞ』と言っていた。企画が危機に直面していると知っていればそんなことは言わないだろうね。

 

「それにしても、なんだかうちのクラスの為に申し訳ないな、古典部も文集の制作があるだろうに」

 

まあ、文集に関してはこの進度でも問題ないはず。里志はどうかわからないけど。

 

「いえ、まあ大丈夫ですよ。これはこれで結構楽しそうですし」

 

すると先輩は少し僕の顔を見つめた後、静かにこう言った。

 

「あまりうるさくは言わないが、まあ、無難にやりたまえ」

「……そうですね」

 

 

しばらく歩いていると、江波先輩は一般棟の一つの教室の前で足を止める。この時期の一般棟は特別棟と違い文化祭への活気は少し落ち着いている。夏休みなのでほとんどの教室が無人だ。プレートを見ると2年C組と書いてある。たしかこのクラスはクラス展示をしないらしいから、長時間使うにはちょうどいいということだろう。

 

教室のドアを開けると教室の後ろの方に四角くくっつけられた机があり、三人の生徒が座っていた。彼らは僕らの入室に気付くと席を立ちこちらへやってきた。

僕らと三人が向かい合うと江波先輩が彼らを紹介してくれた。

 

「右から撮影班の中城順哉、小道具班の羽場智博、広報班の沢木口美崎です」

 

僕らも千反田さんから順に挨拶する。僕は特に何も変わらず、夏目龍之介です、よろしくお願いしますと挨拶したが、僕の名前を聞いたとき、羽場という先輩と沢木口という先輩が僕の方を興味深そうにみていた。なんだろう、初対面のはずだけど、僕の挨拶ヘンだったかな。

 

 

「それではまず、中城と話してください。私たちは隣の教室にいますので終わり次第呼んでください」

 

江波先輩たちはそう言って教室を出ていった。

 

「それでは夏目君。私もここで失礼するよ、古典部も大事だが、読書研究会の文集の原稿も頼むぞ」

「あ、はい。なるべく早く仕上げます。先輩もその、ありがとうございました」

 

平塚先輩は手をひらひらと振って教室を出ていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

中城先輩と向かい合わせに机に座り、いよいよ検討会が始まった。

中城先輩は、僕たちが緊張していると思ったのか自分から話しだした。

 

「いやあすまんな、厄介な話を持ち込んで。ノリで始めた話でもオチがつかんと寒いからな」

 

ノリでしたか。まあでも、僕たちがオブザーバーを務めることを不快に思っているわけでは無さそうで良かった。

隣で里志がきんちゃくからペンと手帳を取り出す。記録係を務めてくれるようだ。

すると千反田さんが思い出したように鞄からなにか取り出した。

 

「これ、知り合いのお店の試供品なんですが、皆さんでどうぞ」

「これは、ウイスキーボンボンだね」

 

そう言いつつ里志が手を伸ばす。ほかの面々も同じように。

 

「夏目さんもどうぞ」

「いや、僕チョコレート苦手なんだよね」

「お前、コーヒーには砂糖どっぷり入れるじゃないか」

「それとこれとは別なんだよ……」

 

なんて話をしていると里志が大きく咳をする。

 

「かはっ。これ、随分きついね」

 

伊原さんもホータロー君も同じ反応をする。食べようとしていた中城先輩はそれを見てポケットにしまった。ポケットがドロドロになりそうだ。千反田さんは特に変わった様子はない。こういうのは得意なんだろうか。

アイスブレイクも十分すんだが、そういえば僕たちは特に質問を整理していなかった。なので、時間稼ぎも兼ねて伊原さんが話しだす。

 

「それにしても大変でしたね先輩」

「全くだ、まさかこんなつまずき方をするなんてな」

「撮影はやっぱり大変でしたか」

「ああ、大変だったな、特に移動が。往復だけでも二時間だからな。まあ、そのほかは楽しくもあったがな」

 

僕も何か聞いてみるか。

 

「なんでナラクボにしたんですか?」

「ん?ああ、見た目が面白いって推した奴がいたんだよ」

 

ううん、これは入須先輩が人に助けを求めるのも無理ないくらい適当だね。

 

「本郷さんの容態はどうですか」

 

千反田さんも質問する。

 

「あんまりよくないみたいだな。まあ、あいつを責める訳にもいかんだろうがな」

「あまり丈夫な方では無かったんですか」

「そうだな、学校を休むこともあるし、撮影にも来なかったしな」

 

まあ、脚本家が撮影に参加する義理もないでしょうけどね。

 

「本郷先輩の脚本は、不評だったんですか」

 

今度は里志が質問する。結構ずばっと聞くね。まあ里志らしっちゃ里志らしいか。

 

「そんなことはないぜ、誰もケチ付けたりしなかったぞ」

「では、内心そうしたかったと?」

 

ホータロー君も意地が悪いなあ。中城先輩は憤慨したようで、少し声を荒げて抗議したが、千反田さんがたしなめてくれた。どうどう。

 

「それで、その脚本の人から誰が犯人かって聞いたりしませんでしたか」

 

伊原さんが一気に核心にせまる質問をする。

 

「うーん。俺が知る限りじゃそういうことはだれも聞いてないな、探偵役すらわからん」

 

これは……想像以上だな。

 

「ああでも、鴻巣に頑張れとか言ってた気がするな」

 

それくらいは誰にでもいいそうだけど

 

「それじゃあ、あのミステリーのトリックが物理的トリックだったのか心理的トリックだったのかは」

「どう違うんだ?」

 

伊原さんは失望したような顔つきだ。ここに僕たちしかいなかったら間違いなく悪態をついていただろう。

 

「こんなもんかな」

 

しかし中城先輩はどこか満足げだ。まあ、いろんな意味でこんなもんかもしれない。

 

「じゃあそろそろ俺の考えを聞いてもらおうか」

 

いよいよ中城探偵の推理が始まるようだ。これは、期待していいんだろうか。というか出来れば期待したかった。

 

 

「みんなミステリーの作法がどうとか言ってるが俺から言わせれば客はそんなの気にしないさ。犯人はお前だ!って決めつけて、犯人が涙ながらに事情を話す。これさえやっときゃいけるだだろ。本郷の仕事は俺には無理だが、あえて言うなら派手さが足りないな。その点海藤の死に方は派手でよかったな」

 

 

えーっと……。

 

「ようはドラマが撮れてればいいんだよ。タイトルも『古丘廃村殺人事件』とかにして客を呼べるようにしないとな」

 

要は二時間ドラマ的な展開をお望みな訳か。まあ確かに、このあいだの壁新聞によると神高生の大半はこの半年、あまり本をよんでいないらしいし、糸魚川先生も最近図書室がさびしい感じがするなんて言っていたし。それを考慮すればミステリーのトリックを気にする神高生なんて数えるほどしかいないかもしれない。

 

「それで、先輩は犯人がどうやって犯行を実行したとおもいますか」

 

里志が笑いの表情を崩さずに問いかける。

 

「あの事件はようするにあれだろ、密室ってやつだ。海藤が死んでた部屋には他に出口が無い。さて犯人はどうやって殺したんでしょうって問題だ。簡単だよ、窓を使ったんだ」

 

……窓?

 

「里志、見取り図を」

 

ホータロー君も気になったのか、里志にそう告げる。

 

「イエスサー!ちょっと待って」

 

きんちゃくから昨日書いていた見取り図のコピーを出してきた。

それによれば海藤先輩が死んでいたのは上手袖。たしか劇中だと右側の通路からここに入ってたから、やっぱり密室なのは間違いない。舞台裏はガラクタでふさがれていたわけだし。

 

「あの、本郷さんは現場の下見にはいったんでしょうか」

 

たしかに、千反田さんの言うことは重要だ。下見なしで見取り図だけで脚本を書いたなら使えないルートを想定していたかもしれないよね。

 

「いや、本郷も6月……いや、5月の終わりごろに下見に行ったみたいだぞ」

「そうですか、ありがとうございます。話を続けてください」

 

中城先輩の話は続く。

 

「つまり犯人は上手袖の窓から入り、そして出た。こうすりゃドアなしで海藤を殺せるだろ」

 

しかし、伊原さんはそれに異を唱える。

 

「でもそれはミステリーとして出来が悪すぎます。それに、あの窓の外には夏草が生い茂っていて、足跡などはありませんでした」

 

それに、これでは犯人も特定できないよね。

 

「本郷が忘れてたのかもしれん」

「それを言ったらおしまいです」

 

中城先輩は少し考え込んだが、すぐに閃いたようで勢いよく話しだす。

 

「そうだ、夏草だ!本郷が下見に行った時には夏草は生えてなかったんだ。だから本郷は使えると勘違いしたんだよ!つまり次の撮影の時に夏草を刈り込んで途中から撮り直せばいいんだ!」

 

中城先輩はそう息巻いていてもはや取り付く島も無い。千反田さんが丁寧にお礼をしたが、それすらまともに聞いていないようだった。

 

 

 

数分後。江波先輩を呼ぶ前に僕らは少し話しあう時間を取ることにした。

 

「あれで良いの?通っちゃうの?」

 

伊原さんが唸る。

 

「まあ物理的には十分に可能だからねえ」

 

そう言う里志も不満そうだ。

 

「折木さんと夏目さんは、あれが本郷さんの真意だったと思いますか?」

 

「思わない」

「思わないね」

 

僕らは口をそろえてそう言う。

 

「どういうことだい?矛盾を見つけたってことかい?」

「そうなるな」

「え、矛盾あるの、どういうこと!?」

 

伊原さんがホータロー君に詰め寄る。

 

「落ち着いてよ伊原さん」

 

そう言ってたしなめると、ホータロー君が口を開いた。

 

「中城の案は物理的には可能だ。だが、ごく簡単な物理的解決はごく簡単な心理的側面から否定されるってことだ」

「随分と回りくどい言い方だねホータロー。実に探偵役らしい」

「やかましい」

 

千反田さんが僕に要約を求めるような視線を向けてくる。

 

「つまりね、物理的には可能だけど、犯人の心理を考えてみるととても実行できないってことだよ」

 

千反田さんは尚も頭上に?を浮かべている。

 

「中城の案だと、窓から侵入するには必然的に劇場の外を通らなきゃいけない。夜ならともかく、昼間だぞ?どこの部屋から向かっても必ず誰かの視界に入る」

「だね」

 

里志がふむ、と顎を撫でる。

 

「なるほどね。確かに僕が実際に殺人をするなら中城案はとてもとれないね」

「でも、本郷先輩がそれに気づいていたかは分からないわよね」

 

まあ、確かに。

 

「まあ、確かめる方法はあるけど」

 

僕がそう言うと同時に江波さんが扉を開いた。僕らが遅いから様子を見に来たのだろうか。

 

「どうでしたか」

「中城先輩の案は却下です」

 

里志が皮肉交じりに笑って里志が答える。

 

 

「そうですか。では次は……」

「あ、すみません。本郷先輩の書いた脚本が欲しいんですが、可能ですか?」

 

少々強引にお願いしてしまったけど、江波先輩は頷き、

 

「わかりました、用意しておきます。それまでの間、彼の話を聞いてください」

 

と答えてくれた。そしてその隣の羽場先輩が教室に入ってくる。また視線が僕に向いた気がするけど、本当になんなんだろうか。不安だ。

 

 

まあ、ともかく、第二ラウンド開幕だね。

 

 



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18. 不可視の侵入

ものすごく間があいてしまい大変申し訳ありません。氷菓、再開したいと思います。


第二ラウンド開始かと思われたが羽場先輩の携帯が鳴り、彼はそちらの対応をするために席を立ってしまった。そんなわけで僕らは取り残されたまま各自適当に時間を潰していた。

 

「ところでみんな、探偵小説はどれくらい読んでるのかな」

 

何かの文庫本を読んでいた里志がそれを伏せ、そう聞いてきた。

 

「ふくちゃん、なんでそんなことを?」

「さっきの中城先輩の話を聞いて思ったんだけど、一口にミステリー、探偵小説っていっても捉え方が人それぞだぞってね。だから僕らの探偵小説観を確かめておきたいなって」

 

確かに、中城先輩の二時間ドラマ的なものも広義で言えばミステリーだ。僕らの中でミステリーに関する考えに大きな差があったりしたらオブザーバーは務まらない。

 

「摩耶花はどうだい」

「私は、普通かな。クリスティーとかクイーンとか」

 

有名どこだね。

 

「なるほど、王道だね。日本のはどうだい?」

「日本のはあんまり読んでないかも。あまり好みの作家がいなくて」

 

伊原さんはかなりミステリーを読みこんでいるようだ。確かにビデオを見に行くときも興味を示していたし。

 

「ホータローは?」

「そんなに読まないが、まあ黄色い背表紙のを何冊かってところだな」

 

ものすごく分かりづらい言い方だ。

 

「となると日本人作家だね」

 

里志は今のでわかったらしい。さすがデータベース。

 

「龍之介はどうだい?」

「僕は……そうだね、米澤穂信かな」

「よねざわ?」

 

ホータロー君はなんだそれといった様子だ。

 

「なるほど、小市民シリーズだね」

 

里志がものすごく偉大に見えてきた……。。

そして里志の視線は千反田さんに向く。

 

「私は、読みません」

「え」

 

それは意外だ。日常からいろんな謎を引っ張り出してくる千反田さんのことだから推理小説は好みだとばかり思っていたよ。

 

「全く?全然?」

「私はあまりミステリーを楽しめないと思うくらいには読みました。ここ数年は全くです」

 

読んだうえで拒否してるなら、まあ真っ当だね。

 

「じゃあ、里志はどうなんだい?」

 

里志ならものすごくマニアックなのを知っているかもしれない。

 

「んーと、僕はね……」

 

ん?なんだかいつもと違う口ぶりだ。

すると伊原さんが笑みを浮かべながら言った。

 

「私知ってるわよ。ふくちゃんはシャーロキアンにあこがれてるのよね」

 

シャーロキアンってのは確かシャーロックホームズの熱狂的なファンのことだ。ホームズの本編についてはさることながら、ものすごいわき役なんかについてその末路を研究したりするらしい。

 

「シャーロキアンって言うかあこがれるのはホームジストなんだけど……」

 

 

違いがよくわからない。

 

 

それから数分後。やっと羽場先輩が戻ってきた。随分長い電話だったけど、まあそれはいいや。とくに興味が無いし。

 

 

「いやあ、すまない。少々面倒な要件でね。改めて、小道具班の羽場智博だ。よろしく」

 

僕らも適当に会釈する。

 

「君たち、ミステリーの話ができるんだってね。うちのクラスの連中はてんでミステリーに疎くてねえ」

 

 

しばらくはそんな話をしていたが、いよいよ羽場先輩が本題に入る。

 

「まあ、ミステリーが作家と読者の勝負だとするなら、相手がアマチュアの本郷じゃちょっと物足りないけどな」

 

随分と自信たっぷりな様子だ。これはいけるかもしれない。

 

「本郷さんはミステリーに詳しくなかったようですね」

「ああ、この企画を始めるまでは読んだことも無かったそうだ。ほら、あれが本郷の一夜漬けの資料さ」

 

羽場先輩は奥の机を顎で指す。話に夢中で気付かなかったけど、そこには何冊か本が積んであった。江波先輩が用意してくれたんだろうか。僕らは席を立ち、それを見に行く。

 

「わあ、延原訳だ。それも新装版」

 

里志が声を上げる

それはシャーロックホームズだった。なるほど、これは確かに一夜漬けといえる。本の表紙はまるで輝くように綺麗だ。つまり買われてから間もない事を示している。里志は興味深そうにホームズを手に取っているが、その横の伊原さんはなんだか冷めた様子だ。

 

「ホームズで勉強しようとしたの?」

 

確かに、ホームズはミステリーの中では素人向けという評判だから、それで勉強した本郷先輩の脚本に不安を抱くのも当然だろうね。

 

「そうなんだ、だから素人だっていうんだ」

 

この羽場先輩って人は結構無神経な人なんだな。里志がシャーロキアン志願者だってことは知る由もないだろうけど僕らの中にホームズファンがいないという確信はどこにもなかったろうに。仮に伊原さんがホームズファンだったらこの後の検討会は相当に面倒だったかもしれない。

 

「そうともいえるでしょうね」

 

しかし、里志は特に気にすることもなくそう答える。

 

「まあドイルの専門はミステリーではないですしね」

 

一応全世界のシャーロキアンのためにフォローしておく。その言葉がおきに召さなかったのか羽場先輩は渋い顔でこちらを見ている。気まずくなったので僕は適当に一冊手にとってみる。

 

「ん?」

 

適当にぱらぱらめくっていると、メモのようなものが挟まっていた。

 

「ホータロー君。こんなものがあったけど」

「折木さん、これを見てください」

 

偶然にも千反田さんと声が重なってしまう。

 

「あら、すみません。夏目さんからどうぞ」

「いや、千反田さんからどうぞ」

「お前らなにコントしてるんだ。どっちでもいいから早く言え」

 

千反田さんはこういう時、人に譲ることを譲らない性格なので、僕からになった。

 

「これなんだけど」

 

僕がホータロー君に渡したメモはこんな内容だった。

 

『シャーロックホームズの冒険

 

○ボヘミアの醜聞

△赤毛連盟

×花婿失踪事件

△ボスコム谷の惨劇

×オレンジの種五つ

◎唇の男

 

 

 

                       』

 

 

それは各章のタイトルと、その上にマークが書かれているものだった。

ホータロー君はそれを見た後、千反田さんのもつ紙に目をむける。

 

「ひょっとして、そっちのもこんなやつか?」

「あ、そうです。なんでしょうか、この印!」

「さあな、使えるネタに印をつけたとかだろ」

「そうでしょうか?私、気になりますよ」

 

ホータロー君は怪訝な顔でメモを見つめる。

 

「なあ、夏目……」

「そろそろ推理を始めないかい?」

ホータロー君が何か言いかけたところで、しびれを切らしたのか、羽場先輩が口早に言う。そんなに自分の推理に自信があるのだろうか。僕たちは本を机に置き、元の席に戻る。

 

「すみません。それじゃあお願いします」

 

千反田さんの言葉に羽場先輩は大いに頷き、胸ポケットにさしてあるボールペンを取り、くるくるとまわしながら咳払いを一つする。

 

「じゃあ聞いてもらおうか。まず聞くけど、あのミステリーは難しいと思うかい?そうだな、夏目くん。どう思う?」

 

急なご指名だね。難しいかどうかといわれるとそりゃあ今回の一件は難しい部類に入るだろうね。僕たちは本郷先輩の事を何一つ知らないし、まだ脚本すら見ていない。それに何より簡単な話なら女帝から依頼なんてされる訳もない。

 

「今もなお解決していない事を考えると難しいんじゃないですかね」

「そうかい、君はそう思うかい」

 

羽場先輩は何故か嬉しそうな顔をしている。

 

「まあ、君の言うことも間違いじゃない。あの入須ですら答えに至っていないわけだしね。ただ、僕に言わせればこのミステリーは簡単な部類だよ」

「そ、そうですか」

「それじゃあ前置きはこれくらいにして本題に入ろう。まず前提として、あの殺人は計画的なものじゃない。あえて言うなら半計画的といったところかな。犯人はたまたま条件が整ったから海藤を殺した。これはいいかい?」

 

それは確かに。どうやらミステリー好きというのは伊達じゃないようだね。

 

「……なぜですか?」

 

千反田さんは不思議そうに聞いた。すると羽場先輩は上機嫌に答えた。

 

「何故って、全てが計画的に行われたとしたら、どうやって海藤をあの部屋に誘導できたって言うんだい?鍵をとったあの時、各々は自分の意志で、無作為に鍵を選んだ。つまり、海藤があの部屋に行ったのは結果的にというだけだ。そこで犯人はその状況を利用しようと考えたってわけさ」

 

手品師のトリックでもない限り羽場先輩の言うことは最もだろう。そして羽場先輩は鞄からい一枚の紙を取り出す。それをみて里志が驚きをしめす。

 

「先輩、これをどこで!」

「ん?もしかして君らこれ貰ってないのか?町役場に残っていたそうだけど」

 

それは映画の舞台になった劇場の見取り図だった。各部屋の位置や窓の位置まで正確に書かれている。里志は大きなため息をはく。里志の書いた見取り図の存在意義が完全に消えちゃったからね。

 

「続けるが、あれは密室殺人だ。現場である上手袖に続くドアは封鎖されていて使えないのが2つと死体発見時に開けられたのがひとつ窓に関しても封鎖されたものと、劇中で開けられたものがある。もっとも開けられた窓の外には夏草が茂って足跡もない。つまり犯人は普通には逃げられなかったわけだ」

 

中城先輩の推理をあっさり飛び越え、そして笑う。

 

「だが、海藤は殺され犯人は部屋にいなかった。典型的な密室だな。だが、密室というのは死体発見時にそれが成立していればいい。じゃあどうするか。

まず思いつくのは犯人がマスターキーを使い現場に入り、その後で鍵を元の場所に戻した。これはどう考えても面白くない。それに鍵のある事務室に入るには玄関ロビーを通る必要がある。が、ロビーは全員の視界に入るところにあり、それをかいくぐって事務室に入るのはよほど幸運でなければ無理なんだよ。そして、ロビーを通ることができなかったということは1階の右側通路そのものが侵入不可能なエリアってことになる。この意味がわかるかい?夏目君」

 

また僕か。羽場先輩になにかした覚えはないけど、ここまで当てられるのはなにかしたってことなのかな。

 

「物理的トリックを仕掛ける余地が無いってことですか」

 

羽場先輩は一発で正解を言われたのが残念だったのか、怪訝な顔をする。しかしすぐに話を再開する。

 

「それと同じ理由で被害者が密室を作ったという説もない。機械仕掛けの殺人も早技殺人もありえない、うでが落ちるほどの斬撃をうけているわけだからね。つまり、この密室を正攻法で解くのは正面から突破するのは不可能だ」

 

先輩は一息つき、僕に向かって再び話し出す。

 

「それじゃあ夏目君。この密室、どう解けば良いと思う?」

 

まあ、先輩がこの話をどう持っていきたいかは大体予想がつく。なにせまだ検討されていない手段が存在するわけだし。ただ、さっきの反応からして普通に答えると機嫌を損ねるかもしれない。ホータロー君の方を見ると、『手短にしてくれ』と目で訴えてきた。

 

「さあ、わからないです」

 

これでいいかな。案の定羽場先輩は満面の笑みで声を高くした。

 

「駄目だなあそんなんじゃ!まあ、無理もないか。これを見ればわかるかな?」

 

先輩は再び鞄に手を入れると、ザイルを取り出した。

 

「僕は小道具班でね、海藤の手とか血糊も用意したんだ。しかしながら本郷はムラッ気があったのか、血糊なんかは圧倒的に量が足りなかったんだ。でも、このザイルに関しては強く念押ししてきた。人がぶら下がっても切れないロープを用意してくれってね。そして鴻巣はあれでも登山部なんだ。ここまで言えばわかるよな?」

 

周りを見ると、伊原さんとホータロー君はわかっているような顔をしている。里志はいつもの微笑なので判断できない。千反田さんは……わかって無さそうだね。

 

「つまり、1階から侵入できないなら2階から入ればいいんだよ。本郷のトリックは単純明快、2階の窓からザイルを使って現場に入り海藤を殺害、その後ザイルで2階に戻る。あの映画にタイトルをつけるなら僕は『不可視の侵入』と名付けるね」

 

羽場先輩は渾身のドヤ顔で僕らの方を見る。特に僕の方に胸を張っていた気がするけど、それは今は重要じゃない。

 

「さあ、次は君らの意見を聞こうか?」

 

聞こうかといわれても何か異議を唱えたとしてこの自信満々の羽場先輩が快く聞きいれるとも思わない。古典部の面々は全員そろって僕の方を見る。こんなに熱烈な視線を向けられたのは初めてだ。いやあ照れるなあ。なんてバカなこと考えてても仕方ないね。

 

「すばらしいご意見でしたよ。入須先輩に良い報告が出来そうです」

 

僕の言葉に羽場先輩は鼻をふん、とならし意気揚々と教室を出ようとした。

 

「羽場先輩」

 

しかしホータロー君がそれを引きとめる。

 

「なんだい?」

「いえ、大したことでは無いんですが、出来上がった映像を見ましたか?小道具、よく映ってましたよ」

 

すると先輩は苦笑して首を振る。

 

「実はまだ見ていないんだ。推理に明け暮れていたもんでね」

 

そういって今度こそ先輩は教室を出た。

 

 

***

 

「なんか、腹立つ」

 

先輩が出て行ってからすぐ、伊原さんがそう漏らす。

 

「どうしたのさ摩耶花」

「あの態度!ふくちゃんは何とも思わなかったの?ホームズまでバカにされて!」

 

伊原さんが怒るのはいつもの事だが、今はいつもの何倍もの迫力だ。

 

「まあ、ホームズが初心者向けなのは一面の真実さ。龍之介も言ってたけどドイルの本業は歴史小説とかなんだし」

「そうじゃなくて!……もういい!」

 

なんだか険悪なムードなので僕は話を進めることにした。

 

「それで、みんなは羽場案はどう思う?」

 

すぐに答えたのは里志だった。

 

「まあ、良いんじゃないかな。詰まらない結論ではあるけどね」

「確かに、本郷先輩がザイルを指示したのは決定的よね」

 

伊原さんも、不満そうではあるが賛同する。

 

これで賛成2票だけど、3票目はどうかな?

 

「ちーちゃんは?」

「私は……賛成できません。さっきの中城さんの案もなのですが、どうにも違和感を感じます。本郷さんの真意はそこには無いんじゃないかと思うんです。……すみません、説明になってませんよね」

 

反対に1票。

 

「ホータロー君はどう思う?」

 

するとホータロー君はジトーっとした目で僕を見る。

 

「夏目、お前わかってて聞いてるだろ」

「どういうことだいホータロー?」

 

里志が疑問を口にする。

 

「説明してあげなよホータロー君」

「お前なあ……」

「どういうことよ折木?反対ってこと?矛盾があるの?」

「……羽場案は実行そのものが不可能だ。ビデオの内容を思い出してみろよ、あの窓がどう映っていたか」

 

真っ先に気付いたのはやっぱり里志だ。

 

「そうか、あの窓は建てつけが悪いんだ。勝田先輩がなかなか手間取って開けていたのを思い出したよ」

「その通り。あの窓から侵入するにはザイルにぶら下がり、夏草を痛めないように不安定な体勢でがたがたやらなきゃいけない。その間海藤先輩がつったっているってのも間抜けな話だろう。現地での取材なしで脚本を書いたのならあれでも通るが映像をみると明らかに矛盾しているんだ」

「だから折木さんは羽場さんにビデオをみたか聞いたんですね!」

 

その通り。最初から本郷先輩は窓の建てつけなんて気にしていなかった。気にしているなら窓に油でもさすように指示したはずだ。

 

「てことは、これも……」

 

伊原さんが言い終わる前にドアが開き江先輩が入ってきた。

 

「どうでしたか」

「羽場先輩の案は却下です」

 

里志の言葉に先輩は「そうですか」とそっけなく言う。

 

「では、最後の一人を呼んできます。それと」

 

先輩はぼくの方へ来ると一冊の冊子を渡してきた。

 

「脚本です。予備ですので返却の必要はありません」

 

僕は先輩にお礼をしてから表紙を眺める。そこには当然だがタイトルは書かれていない。

 

 

 

 

 

 



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19. ブラッディビースト

3人目が来るまで、僕は脚本を読んでみることにした。結構細かく書いてあり、やはり中城案も羽場案も実行不可能はことは確定した。

 

「いいないいな。私も欲しいです」

 

気がつくと千反田さんが僕の背中に覆いかぶさり脚本を覗いている。

 

「ちょ、ちょっと千反田さん!近いって、離れてよ!」

「ふふふ、大丈夫ですよ。大丈夫♪」

「僕が大丈夫じゃないから!」

 

どうやらウイスキーボンボンが今になって効いてきたらしい。助けを求めるように里志たちを見ると、ものすごく意地の悪い笑みを浮かべている。

 

「はは、龍之介がそんなに慌てるなんてね。これは珍しいものを見た!」

「夏目君も女の子には弱いのね」

「この裏切り者―!」

「おい千反田。その辺にしとけよ」

 

いや、君が一番悪い顔してるよホータロー君。

 

「そのとおり!浮気はいけないぞ夏目君!」

 

声の方を見ると、江波先輩と最後の一人、確か沢木口先輩……が立っていた。江波先輩はお辞儀をすると教室を出ていき、沢木口先輩が椅子に座る。僕もなんとか千反田さんを引き離し、椅子に座らせる。酔っ払いめ。大人しくしていなさい。

 

「ちゃお!あたしは沢木口美崎、広報班ね、よろしく!」

 

先輩はだれにともなくウインクする。

 

「さて、君があの夏目君な訳ね」

 

さっそく推理を開陳するのかと思えば先輩は僕に視線を向ける。

 

「ええ、夏目ですけど……以前お会いしましたか?」

「ちっちっちー。夏目君。今の日本はどんどん情報化してるんだよ?会って無くても知られることもあるのよ!」

 

なにそれ怖い。ひょっとして僕はインターネットかなにかに晒されているのだろうか。悪趣味な人もいるもんだ。

 

「そんな顔しなくても、単に平塚から聞いただけだって!」

 

それなら今の脅しは必要だったんでしょうか。僕、気になります!

 

「それで、平塚先輩はなんて?特に問題になることはないと思いますけど」

「ふっふっふ。とぼけても無駄だよ。平塚は研究会の可愛い後輩だって言ってたけどあたしは知ってるんだよ、君たちがあつあつのカップルだって事を!」

「は?」

「は?」

「へ?」

「え?」

「ええ!?」

 

僕たちは間抜けな声を出す。唯一千反田さんだけが驚きを示した。

 

「そうだったんですか夏目さん!それなのに私なんのお祝いも出来ずに……式は?式はいつなんですか!?」

「ちょ、ちょっと落ち着いてよちーちゃん」

 

隣をみると里志が必死に笑いをこらえている。なんて奴だ。ホータロー君はというと、呆れた笑みで千反田さんの言葉を聞いている。

 

「ゴホン。沢木口先輩、それってどこ情報ですか?」

「ん?えーと、たしかうちのクラスの子がファミレスでデートしてるのを見たって言ってた」

 

あの時のラーメンカップルか。どうやら仲直りできたようだけど、代わりにとんでもない地雷を置いて行ってくれたもんだね。

 

「えっと、あれはデートではなく、テスト勉強に行っただけであって僕と平塚先輩は付き合ってはいないんですが……」

「えー!うっそー!?なんだそうなんだー」

 

里志以上のオーバーリアクションだね全く。だが、先輩は意外とあっさり信じてくれたようだった。

 

「そっかー。じゃあ羽場にもまだ可能性あるわけだ」

 

ああ、羽場先輩のあの敵意はそういうことだったのか。伊原さんの方に目を向けると里志同様笑いをこらえていた。羽場先輩にたいして少し思うところがあったのだろうか。

 

「ま、それはそれとして。推理のほういっちゃいますか!」

 

自分から始めた話題を軽々と放り投げ、先輩は本題へと移った。

 

「その前に何か質問がれあれば聞くわよ。といっても広報班としての情報くらいしかないけどね」

「それじゃあ、質問します」

 

口を開いたのは千反田さんだった。沢木口先輩は「どうぞ」と元気よく答える。

 

「どうして映画を撮ることになったんですか?」

「それは、多数決で」

「ミステリーになったのは?」

「それも多数決」

「本郷さんが脚本を書くことになったのは?」

「それは他薦だね」

 

つまりはほとんどまともな議論は行われず、本郷先輩も自らの意志では無く「できるから」という理由で脚本を書くことになったわけだ。なんというか、ずさんだ。

 

「気になるなら議事録あるよ。ほら」

 

そういって沢木口先輩は鞄からノートを取り出し千反田さんにわたす。なんだか千反田さんの表情に違和感を感じた。千反田さん、そして里志を介して僕のもとに回ってきた議事録には意外にも多くの事が書かれていた。

 

○月×日

議題 クラス展示について

 

・なにをするか

 

演劇 5

お化け屋敷 8

ビデオ映画 12○

 

・内容

 

大河ドラマ 1

ラブコメ 9

ミステリー 11○

ギャグ 3

白票 1

 

・凶器

 

ナイフ 12 ○

ハンマー10

ロープ 3

 

(本郷に一任)

 

死者数

 

1人 6

2人 7 ○

3人 2

全滅 5

百人ぐらい 4

無効票 1

 

(本郷に一任)

                」

 

 

「それともうひとついいですか?」

「なに?」

「沢木口さんは本郷さんとは親しかったんですか?」

「うーん。普通にクラスメートって感じかな」

「そうですか……」

 

どこか落ち込む千反田さんをよそに沢木口先輩は話を始めた。

 

「まず、ミステリーって言ったら普通どんなの想像する?じゃあ、君」

 

指名されたのはホータロー君。

 

「オリエント急行とかですかね」

「マニアックねえ。普通なら13日の金曜日とかエルム街の悪夢とかでしょ?」

「いや、それじゃあホラーでしょ」

「いや、ホータロー。よく考えてみてよ。ミステリーってのは広義ならホラーやサスペンスも含まれてるって考えも十分あるって」

 

確かに、里志の言うことにも一理あるね。問題はそれが今回の映画にも言えるかどうかってところだけど。

 

「あたしの考えはこう。海藤が死んでいた部屋にはだれも入れなかった。それなら簡単よ。7人目がいたに決まってるじゃない!だって本郷はあの6人のほかにもう一人ビデオに出る人を探していたんだし!」

「それ、初耳なんですけど」

 

伊原さんの呟きは沢木口先輩には聞こえなかったようだ。

 

「みんなの疑心暗鬼が高まったところで満を持して怪人の登場!そんでカップル一組だけ残して後は全滅。最後に二人が怪人を倒して朝日にキッスで決めね!タイトルは、そうね『ブラッディビースト』とか!」

 

みんなは唖然としている。そりゃそうだ。例えるならババ抜きで遊んでたところに急にロイヤルストレートフラッシュで私の勝ちねと言われたようなものなのだから。

 

「で、でもそれなら密室は?」

 

我に返った伊原さんがなんとか異議を唱える。

 

「別にいいじゃない。密室くらい。怪人よ?。壁抜けくらいできるでしょ」

 

そう言って沢木口先輩はるんるんと教室を出て行ってしまった。

 

「違います違います!絶対に違います!沢木口さんの案は絶対に本郷さんの真意とは違います!」

 

千反田さんが普段とは全く違うテンションでわめきたてる。これは、本当によっぱらっているんじゃなかろうか。

 

「でも、否定できる?論理的に」

 

里志が諭すように言う。

 

「違うったらちがうんです!……あ」

「どうしたのちーちゃん?」

 

なにか思いついたのかと思ったら、千反田さんはよろけ、とろんとした目であらぬ方向を見ている。

 

「万華鏡のようです」

 

万華鏡?あ、よく見ると千反田さんの顔がいつも以上に白い。色白ってレベルでは無く白い。これは……。

 

「千反田さん?だいじょう……」

 

里志が言い終わる前に千反田さんはばたりと机に突っ伏してしまった。ほどなくして小さな寝息が聞こえてくる。

 

「ちーちゃん?おーい」

「これは……」

 

里志は半笑いだ。

 

「潰れたね」

「潰れたな」

 

さっきから酔っぱらってはいると思ったけど、ウイスキーボンボンの数個でこんなことに……と思って机の上の箱に目を向けるとウイスキーボンボンは影も形もなく、代わりに丁寧に折られた包み紙がふたの上に並んでいる。

 

「全部食べたんだ……」

 

なんというか、大人になったら酒癖が悪くなりそうだ。悪酔いする千反田さん。想像すら怖くてできない。

 

「まあ、寝かせといてやろう。ところで、お前たちは沢木口案をどう思う?」

 

ホータロー君の目線が里志と合う。里志は肩をすくめほほ笑みつつも首を横に振る。

 

「あの大胆な発想は気に入ったけど、実際そうだったとは考えがたいね。まあ否定する根拠なんてものもないんだけど」

「それは残念だ。俺も結構気に入ってる」

 

確かに、今までの問題を一網打尽にできる名案といえば名案だ。でも……。

 

「夏目、お前はどうだ」

「面白いのは確かだけど、ここまでミステリー、というと駄目だね、推理物らしさを醸し出しているのにいきなり怪人登場!なんて事をやるほどこの本郷先輩って人がユーモアが効くとは思えない。それに……」

「それに?ひょっとしてまた何か矛盾があるのかい?」

 

僕はホータロー君に視線を向ける。ホータロー君は不思議そうに僕を見たけど、特に文句も言わずに話し始めた。

 

「確かに、沢木口の案には矛盾がある。そもそも本郷が最初から怪人による大量虐殺を考えていたなら、それに必要な小道具の手配くらいするだろう。ところが実際、一番必要なものが手配されていないじゃないか」

「一番必要なもの?」

 

伊原さんが訝しげに首をかしげる。

 

「ほら、羽場が愚痴ってたあれだよ」

「そうか、血糊ね?」

「そう、わんさか殺人シーンを作ろうってのに血糊が少ないんじゃホラーとしては成り立たない。」

「ホラーに死者一人じゃさびしすぎるしねえ」

 

ホータロー君は頷く。まあ、沢木口先輩がふざけていたわけではないのだろう。でも先輩は小道具班の仕事の状況なんて気にしなかったんだろう。なにせ噂だけで確信をもって人をカップルだと言えるくらいなんだから。

しかしこれで、僕たちは全ての案を却下してしまったわけだね。

 

でも、この事件はまだ終わらない。

 

 

 

 

 

僕は、どうしたらいいんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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20. 力と女帝

沢木口との会見終了後、江波が来るものだと思っていたが待っても彼女は来なかった。沢木口案の結果を伝えなくては先方も困るだろうに、どういうつもりだろうか。しかし、日も落ち始め、そろそろ学校も閉まってしまうので俺たちも教室を後にした。

千反田は伊原が連絡をとり、なんとか家から迎えを手配できた。伊原も心配なのでついて行くそうだ。俺は夏目と里志の二人とともに昇降口へと向かう。

 

「結局全部却下しちゃったけど、あのビデオ映画、どうなるんだろう」

 

里志は解りきった事を聞いてくる。なので俺もわかりきった答えを返す。

 

「未完成、だろうな」

「わびしいねえ。兵どもが夢のあとか」

「他人事か」

「他人事だよ。僕もこれで結構忙しいからね、これ以上はやってられないよ」

 

そういって里志は大きく伸びをする。

 

「それじゃあ、僕はこっちに用があるから」

 

そう言って昇降口をでて校門を過ぎるといつもとは違う方向へ里志は歩いて行った。

 

「……」

「夏目、お前はどう思う?」

「……」

「おい、夏目?」

「え?な、なに?」

 

いつもの夏目とはどこか違うような反応だ。いつもなら里志に便乗してよくわからない事を言ったりするはずだが。最近のこいつは何か違和感がある。

 

「だから、あのビデオ映画、どうなるかって話だ」

「さあ、どうだろうね」

「意外だな。お前なら自分一人でも答えを見つけようとするのかと思ったが」

 

現にこいつは『娯楽至上主義』なんぞを公言しているのだから。

 

「まあ、僕も読書研究会の文集とかあるし」

「……そうか」

「ねえ、ホータロー君」

「なんだ?」

「君にとって里志はなんだい」

 

なんだ、急に気持の悪いことを聞いてきたぞ。

 

「中学からの……悪友ってところか」

「それじゃあ千反田さんや伊原さん。古典部そのものはどう?」

 

なんなんだ、なぜそんなことを聞いてくるんだ。これも夏目言うところの娯楽なのか?

 

「……まあ、居心地はいいな。千反田も伊原も悪い奴ではないしな」

「そっか」

「お前、自分のことは聞かないんだな」

 

まあそもそも他人に自分のことをどう思っているかなんて事は聞かないのが普通だ。仮に俺がそんな事を聞けば里志は大爆笑するだろう。だが、なんとなく俺は、夏目がその答えを求めているように感じたのだ。

 

「俺は、正直お前のことはよくわからない。千反田たちと違ってお前は自分の事をあまり喋らないしな。わかっているのはお前が『娯楽至上主義者』で姉貴と関わりがあること。それくらいなもんだ。だが……」

 

だが、入学してから夏目と出会い、古典部に入り、愛なき愛読書や『氷菓』について謎解きをしてきた。その時間は俺にとって、悪くは無かった。だが、俺たちの関係は、俺にとって夏目龍之介とはなんなのか、その答えは掴めそうで掴めない。俺とこいつは一体なんなのだろうか。

 

「すまん。何でもない。結局お前は謎だらけだ」

 

すると夏目は薄く笑う。

 

「そっか。ごめんね、変なこと聞いて」

「まったくだ」

 

 

 

 

しばらく歩き、俺は交差点で夏目と別れ、道端の石ころを蹴りながら歩いていた。そもそも、他クラスのビデオ映画なんぞに俺たちがあれこれ悩む義務なんてないんだ。気の毒だがスタッフたちの無計画性が問題なのだ。そう思い石ころを大きく蹴ると車道へととんでしまった。ゲーム終了。そう思い視線を前にもどすと、前方に俺を待つ入須冬実の姿があった。入須は俺が自分に気付いたことを確認し俺の方へ歩み寄ってきた。

 

「少し、茶を飲むだけの時間を貰えないだろうか?」

 

不思議と、素直に首を縦に振れた。

 

 

 

 

 

***

 

入須に連れて行かれたところはあずき色の暖簾に電気仕掛けの行灯が灯る、見るからに瀟洒な佇まいでとてもじゃないが高校生が学校帰りに立ち寄るような店には見えなかった。暖簾のすみに小さく『一二三』と店名が書かれていた。中に入ると何と全席がボックス、無論畳敷き。入須は上品に正座してやってきたウエイトレスに抹茶を注文した。

 

「君はどうする」

「……えっと」

「安心したまえ、払いは持つよ」

「じゃあ、水出し玉露を」

 

これがどんなお茶かは知らないがメニューの一番上なので俺はこれを選んだ。それにしても、茶というのが本当に茶とは思わなかった。

 

「中城は駄目だったのか」

 

俺は頷く。

 

「羽場も」

「はい」

「では沢木口は」

「無理だと思います」

 

しばらくの沈黙のあと入須は息をはいた。

 

「聞かせてほしい。中城の案を否定したのは誰だった」

「俺と夏目です」

「では、他の二人も」

「はい、俺達です」

「どこが拙かった」

 

問われるままに俺は今日の一部始終を話した。その間に玉露と抹茶が到着した。入須は抹茶をすすりながら俺の話を聞いていた。

 

 

「だから、沢木口先輩の案もとれないと考えました」

 

最後にそう言って、俺はようやく茶に手をつける。入須は湯呑にふれたまま、口を開いた。

 

「君は最初、私があの事件について頼んだ時、変な期待は困ると言った。だが君たちは、いや、『君は』中城たちの案をことごとく葬った。私がそうなるのではと思った通りに」

 

思った通り?誰も正解を出せないと?

 

「彼らは結局器じゃない。どれだけ頑張ってもあの事件を解決するのに必要な技術が彼らにないのは解っていた。無論、彼らが無能だとは言わない。得難い技能を持っている。だけどそれが今回の難局に役立つわけではない。『君』がいなければ私たちは彼らの案を採用し、あとでほころびに気付き、企画は最悪の形で終わっていただろう」

「待ってください。それだとあなたは最初から」

「そう、最初から私は中城たちにも、古典部にも用は無かった。最初から折木君、君だけが目当てだった」

 

入須のその言葉は冗談には聞こえなった。かといって真実だと信じていいかといわれるとはっきりとはわからない。それに……。

 

「俺だけと言いましたが、あなたは最初、俺と『夏目』に対して話を振ったんじゃないんですか。俺たちが『氷菓』についての謎を解いたから」

「確かに夏目龍之介は優れた推理力を持っている。だが、彼には大きな弱点がある」

「弱点?」

「一つは優しすぎる点。簡単に言うとお人好し。私がビデオの解決を求めた時、彼以外の古典部員は少しためらっていた。特に君は。だが夏目君は難色を示さなかった。おそらく彼だけにオブザーバーを頼めば遠慮して中城たちの案を強く否定できなかっただろう。そしてもう一つは、メンタルの弱さ。『氷菓』事件の時、彼は一度千反田の頼みを断った。自分の主義の崩壊を恐れて」

 

なぜそれを知っているのだろうか。だが、確かに夏目は一度千反田の頼みを断ったし、間違えて訪れた読書研究会に入部したのも平塚先輩への同情が無かったとは言えない。そう言う意味では入須の言うことは間違っていないかもしれない。

 

「ですが、俺一人では『氷菓』を解決に持っていくことはできなかったのは事実です。」

「それはどうだろうか。君は一人でも遠垣内を欺いたり様々な謎を解いてきたと聞くが」

 

つまり入須は、『氷菓』事件は俺一人でも解決できたのでは、と言いたいのだろう。その言葉に俺はよくわからない苛立ちを覚えた。だがそれと同時に少し優越感も感じていた

 

「それに、夏目君と君では大きな差がある。折木君。君が今まで謎を解いてこれたのは何故だと思う?」

「それは……ただ運が良かったからですよ」

「やはりな」

 

やはり?

 

「折木君。それは違う。君が謎を解けたのは技術があったからだ。何物にも代えられない技術が」

「そんなことは……」

「だが、君はそれを自覚していない。才能ある者の無自覚は才能のないものから見ると残酷だとは思わないかい?だれでも自分を自覚するべきだ。そうでないとみている側がばかばかしい」

「それなら、夏目にも技術はあるんじゃないんですか」

 

俺はなぜこんなにも夏目を擁護するのだろうか。だが入須はそれを考える余裕すら与えてくれない。

 

 

「確かに。夏目君にも技術はある。だが、彼はそれを自覚している。自覚していて尚、彼は君と二人でないと『氷菓』事件を解決できなかった。だが君は無自覚のままで事件を解決した。つまり、君が自覚さえすれば彼以上の力がある。君は、特別よ」

 

俺が……夏目より……。

 

 

 

別に俺は夏目に対して劣等感を抱いているわけではない。だが、客観的にみるとそうは見えないのかもしれない。それに、俺に技術があると言ったのは入須だけでは無い。千反田も、里志も、伊原だってそんな事を言っていた。俺自身、中城たちに比べれば自分の方ができると思っていたんじゃないか?

 

……信じてみよう

 

その価値はあるんじゃないだろうか。

 

 

 

 

 

 



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21. 白紙と星

ホータロー君と別れた後、僕は近所の公園のベンチに腰かけていた。それにしても今日は暑いね。もう日は落ちかけていると言うのに、流石夏だ。シャツのボタンを何個かはずし、制服の上着を脱ぐと暑さは多少誤魔化せた。

 

「どうしたらいいんだろうね。僕は」

 

物心ついたとき、僕には何もなかった。趣味も、好物も、友達も、そして家族も。そんな僕が今現在バラ色を目指す娯楽至上主義者なのは、折木供恵さんに出会ったからに他ならない。あの人が僕に世界をくれたのだ。鞄から取り出した封筒。試写会の日に届いたこの手紙にはただ一言、『Help is not needed』 と書かれている。『助けは要らない』。これが今回のあの人からの指令であり、僕はそれに従っている。あの人は変な人だけど意味のないことは言わない。あの人の言葉に従っていれば楽しいことに巡り合える。だから僕は古典部に入ってからの毎日を本当に楽しく過ごしていた。

 

でも、いま僕は何も楽しくない。こんなことは初めての事で、どうしたらいいかさっぱりわからない。

 

「はあ……」

「どうしたんだ、そんなに深いため息をついて」

 

急に聞こえた声にびっくりして手紙を落とす。拾い上げてから立ち上がり、声の方を見ると、そこには誰もいなかった。

 

「いや、いるぞ!下を見ろ下を!」

「ああ、平塚先輩でしたか」

「まったく。失礼な後輩だな」

 

そう言って頬を膨らませる様子は本当に小学生の様だ。思わず笑ってしまう。

 

「うむ。君にはやはり笑顔がにあっているよ」

「急に口説いてくるなんて、随分積極的ですね」

「なっ!何を言っているんだ君は!い、今のは別に口説いたとかそういうのでは無くてだな!」

 

はは、本当に面白い。やっぱり平塚先輩と一緒にいるのは楽しいなあ。

 

「そ、それはともかく。どうだいそこの駄菓子屋にいかないかい?」

「良いですけど、なんでまた急に?」

「私の家がやっている施設の子どもがどうしても食べたい駄菓子があるらしくてな。いろいろ回ったのだが、見つからなくてここまで来たんだ」

 

そう言えば平塚先輩の家は福祉業界では名の知れたグループで児童福祉施設に力を入れているって言ってたっけ。

 

「いいですよ。気分転換もしたかったし」

 

上着と鞄を持ち上げ、僕は了承の意を伝えた。

 

 

 

***

 

それにしても、ここ数日でこの駄菓子屋にはものすごく縁がある。入須先輩がジュースを買ってきたのも、里志とここでジュースを買ったのも、そして今日平塚先輩とここを訪れたのも。偶然なのか必然なのか。必然って考えると楽しいかもしれないけど今の僕はそんな気分にはなれなかった。

小さな暖簾をくぐり店内へと入る。こないだと同じく店主のおじさんが出迎えてくれる。

 

 

「いらっしゃい。あれ、お兄ちゃんこないだも来てたねえ。今日は友達じゃなくて彼女といっしょかい。青春だねえ」

 

確かに、男女二人で行動を共にするというのはそう見られる可能性も十分あるわけだ。あのラーメンカップルが過敏なわけではないと言うことだね。

 

「い、いえ!わ、私は彼女とかではなくて!夏目君は私の後輩であって……」

 

なにより、先輩がここまで慌てふためいて否定するのが一番誤解される理由なんだろうけど。でもなんだか、先輩のこういうところは見ていて安らぐ。供恵さんとは全く違う形だけど、先輩は僕に活力を与えてくれる。

 

「ん?お兄ちゃん夏目って言うのかい?」

 

店主のおじさんが唐突に尋ねてくる。

 

「そうですけど……どうかしましたか?」

「いや、こないだ綺麗なお姉さんが『このへんで夏目という家を知らないか』って聞いてきたんだよ。それも二人も。お兄ちゃんはモテモテなんだねえ」

 

僕の家を?いったい誰だろうか?

 

「あの、それっていつの話ですか?」

「えーと、一人は昨日でもう一人は一昨日だね」

 

昨日と一昨日?随分最近だ。

 

「その二人、どんな人でした?」

「うーんと、昨日の人はは大人っぽくて、大学生ぐらいだったかな。一昨日の方は彼女さんと同じ制服を着ていたよ」

 

 

 

昨日一昨日で僕を尋ねた二人の女性。まさか……でも、それならつじつまが合う。

 

だとしたら……

 

「夏目君」

 

意識を現実にもどすと平塚先輩が僕を呼んでいた。

 

「なんですか、先輩?」

「私たちのクラスの為、古典部のみんなの為、そして折木くんの為。そんな考えは一度捨てるべきだと私は思う。君はもっと自分の為に行動してもいいんだ。それを周りが認めなくても、私は君の考えを尊重する」

「いや、僕は別に……」

「ここ最近は入須の指導もあって改善していたが、やっぱり君は」

 

そうか。たとえ入須先輩や里志たちにはわからなくても、この人にはわかっちゃうんだな。

 

「そうですね、僕は」

 

 

 

 

 

 

 

 

僕はポーカーフェイスが苦手なんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

家に帰ってから、俺はベッドに倒れこんだ。ぼーっとしていると先ほどの茶屋での入須との会話が脳裏をよぎる。

 

『君は、特別よ』

 

特別。今まで自分が特別だと思ったことは無い。どこにでもいる普通の、灰色の省エネ主義者、それが俺の自己評価だった。あの里志が自分に才能がないなんて言う世の中で、俺に才能があるなんて思いもしなかった。だが、神高に入ってから、俺は入須言うところの技術で謎を解いてきた。だがそれを自覚していなかった。

だが、それよりも俺が何度も脳内で反復するのは入須のこの言葉だった。

 

『君が自覚さえすれば彼以上の力がある』

 

なぜその言葉がこんなにも引っかかっているのだろうか。もしかしたら俺は無意識のうちに自分と夏目を比較していたのだろうか。夏目に勝ちたかったのだろうか。夏目には今回の件を解決できないと言われた時俺の中に生まれたふたつの気持ち。苛立ちと優越感。とても同時に湧いてくる感情だとは思えない。だが、確かにその二つは俺の中にあった。

 

「ああーくそ!」

 

考えていても何も浮かばない。俺はベッドから起き上がり本棚の前にかがむ。この部屋には以前使っていた姉貴の私物がいくつかあり、この本棚にもおかしな本が並んでいる。その中から手に取ったのは『神秘のタロット』。そう言えばこないだ里志たちが自分たちをタロットに例えていたっけか。たしか入須が『女帝』、伊原が『正義』、千反田が『愚者』で里志が『魔術師』、俺は……『力』だったか。目次から『力』のページを探し開く。

 

Xi .力

 

内面の強さ、闘志、絆を表す。

 

なんだこれは。ぜんぜん俺とちがうじゃないか。なぜ里志はこれを俺だと言ったんだ。そういえばあの時、あいつは冗談を言っているようだった。里志の冗談ならなにか筋が通っているはずだ。

 

しばらくして、唐突に俺は里志のジョークを理解した。説明文の一節にこうあるのを見つけたからだ。

 

『力は獰猛なライオンが優しい女性にコントロールされている絵に象徴されます』

 

おのれ、里志の奴。俺は別に入須や千反田にコントロールされている訳じゃない。何しろ俺はだな……。

いや、『力』かもしれない。なるほど、里志らしい。タロットの意味では無く絵から俺をイメージするとは。見方を変えたってことか。

……見方を変える?そう言えば千反田と里志は、夏目の事を白紙だと言っていた。俺にはその意味がいまいちピンとこなかった。この本を見ても、『戦車』なんかは夏目に該当すると思っていた。だが、白紙というのは見方を変えれば最初から白一色で塗られているということだ。あいつらがそういう意図で言ったのかは分からないが、そう考えると白一色の夏目に何か別の色を与えれば何かが変わるのかもしれない。

それと同じく、今回の事件も何か別の要素を加えれば……。

 

「だめだ、わからん」

 

こういう時、夏目ならどうするだろうか。入須に頼んで何度もビデオを吟味するのだろうか。それとも……。って、そんなことを考えてどうする。俺と夏目は違う人間だ。あいつがやることを俺がやっても何の意味もない。そもそも今回の夏目はいやに非協力的だ。千反田たちへ説明する時も俺を介してという形だった。

もしかして……。

さまざまな思考をいったん打ち切って俺は茶の間に足を運び電話を手にとる。

 

 

 

「もしもし、俺だ。少し話がある」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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22. 革命前夜

翌朝、空はからっと晴れ渡り道行く人々は半袖半ズボンがデフォルトになっているが、それでもなお暑さは襲ってくる。僕も本当なら半袖で半ズボンでいたいところだが、神高の教師陣は何を血迷ったか文化祭準備期間は制服で登校することを義務付けている。いくら夏服でも暑いものは暑いよね。

何故僕がそんな事を考えながら学校へ向かっているかというと、発端は昨日の夜のホータロー君からの電話だった。なんでも、入須先輩からあのビデオテープを受け取り少し考えたいというのだ。タイムリミットは今日の1時。省エネ主義者折木ホータローが急にやる気になった理由は容易に想像できるけど、僕も彼に話すことがあったから断りはしなかった。

 

「あれ、龍之介」

 

世間は狭いもので、振り向くと里志がいた。僕と同じく夏服に身をつつみ、マウンテンバイクに乗っている。

 

「龍之介も学校かい?」

「そういう里志は……あ、今日は数学の補習だったね」

 

その言葉に里志はげんなりする。補習がいやならちゃんと勉強すればいいのに……っと、僕も人の事を言えるほどの成績じゃないんだった。こういうのは伊原さんに任せた方がいいね。

 

「龍之介の用事を当ててみようか、ずばりビデオの件だろ」

 

里志はエスパーだったっけ、それとも心理士?

僕が不思議そうにしていると里志は笑いながら種明かしをしてくれた。

 

「さっきホータローにあってね。入須先輩からの勅命だって言ってたよ。その道を進んで行ったら龍之介にあった。これはもしかしたらと思ってね」

 

なるほど、ホントに世間は狭いね。それにしても里志の話だとホータロー君は遥か後ろを歩いているのか。ちょっと早く家を出すぎたかな。

 

「里志も補習が無ければ一緒に考えれたのにね」

 

すると里志は少し影のある表情をした。今までに見たことのない里志の表情だ。

 

「時間があっても、僕はたいした事はできないだろうさ。言ったろ?データベースは結論を出せないんだ」

 

そんな里志の言葉に僕は何も言えなかった。それを察したのか、いつもの表情に戻った里志はハンドルにひっかけてある巾着から一冊のノートを取り出した。

 

「まあ、一応、これを僕だと思って頑張ってくれよ」

 

ぱらぱらとめくるとそれはビデオについての分析や見取り図が記されていた。昨日はもうこれ以上はやってられないと言っていたけど、里志なりに考えてくれていたようだ。

 

「ありがとう。使わせてもらうよ」

「……なんだか昨日までと違うね、龍之介」

「そうかい?」

「そうだよ。だって今の龍之介はまるでこれから思いっきりいたずらを仕掛けてやろうって感じの子どもみたいな顔してるよ」

 

その言葉に僕はあえて答えなかった。そんなことをしなくても里志にはすぐに分かるだろう。なにせ僕は……ってこれはもういいか。

 

 

***

 

部室でホータロー君を待っていると、先にやってきたのは伊原さんだった。どうやら漫画研究会で用事があったようで、その後の図書当番との合間に来たようだ。せっかくなので伊原さんにも手伝ってもらおうと思ったが、肝心のビデオをもったホータロー君が来ないんじゃ話にならない。

 

待つこと10分。ホータロー君はやってきた。

 

「遅いわよ折木。もうあと10分で図書当番始まっちゃうじゃない!」

「お前が待ってるなんて知る由もないんだからしかたないだろ」

「夏目君も待ってたわよ。それも私より長く」

「それは……すまん」

「いいよ別に。伊原さんたちと違って僕は今日一日暇だからさ」

 

ホータロー君は鞄からビデオを取り出しビデオデッキにセットする。というか、そんなものがこの部室にあったなんて知らなかった。その間伊原さんはぶつくさ文句を言っていたが、「あと5分だけ」と言ってテレビの方に視線を向ける。

 

最初は再生されたビデオを飛ばし飛ばしに流し見る。全編見ていると伊原さんの時間が無くなっちゃうからね。

 

そしてビデオはクライマックス、海藤先輩の死体が発見されるシーンへと移る。やっぱりこの小道具の腕は見事なもんだ。

 

「そう言えば千反田はどうした?」

「ちーちゃんは……二日酔い……」

「そ、そうか……」

 

それは、レアケースだね……。

 

「まあ、でもさ」

 

 

気を取り直すように伊原さんが椅子の背もたれにもたれる。

 

「このビデオ、話しそのものより映像としての出来が悪いわよね」

「それってどういうことだい?」

「これがそれなりの演出とカメラワークで撮られてればもっと興味を引くものになってると思うの」

「なるほどな、確かに普段見るような映画はもっと良質な映像だった気もする」

 

ホータロー君が納得して頷いていると、伊原さんは立ちあがった。

 

「それじゃあ、私もういかなきゃ。本当ならもっと手伝いたいんだけど、あんたが急に言い出すからよ、折木」

「いつまで根に持ってるんだお前は」

「でも……ごめんね二人とも」

 

極まり悪そうに言う伊原さんに手を振りながら見送る。

 

 

 

「さて、夏目。そろそろ本題に入るぞ」

 

ホータロー君は不敵に笑った。僕もそれに答えるように笑う。

 

「「さあ、革命の始まりだ」」

 

 

 



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23. 革命

お久しぶりです……というにはかなり間が空いてしまいましたね。本当に申し訳ありません。ぶっちゃけるとほかの小説を書いていて、本作へのモチベーションが下がってしまっていたのが原因です、申し訳ない。こんな適当な作者の作品ですが、読んでいただけると幸いです。


時刻は12時を回り、入須先輩との約束の時間は目前に迫っていた。僕とホータロー君はその間、何をするでもなくただぼーっとしていた。これから起ることを考えればとても雑談や読書をする気にはなれなかった。

そうしていると、ドアが控え目にノックされた。

 

「どうぞ」

 

ホータロー君の言葉に従い、ドアが開かれる。入ってくるのは当然、『女帝』こと入須冬実先輩だ。入ってきて最初に、先輩は僕の方を見る。分かりづらいがどうやら僕の存在に驚いているようだった。

とり合えず、僕たちは椅子から立ち上がり、向かいに用意した席を勧めた。先輩が座ったのを見て、僕たちも再び席につく。

 

「まず聞きたい。結論は出たか、出なかったか」

 

開口一番、先輩は本題を持ちだしてくる。ホータロー君が言葉ではなく。頷くことで返答する。先輩の視線が再び僕に向くが、僕は気付かないふりをする。

 

「……そう。では聞こう」

「はい」

 

ホータロー君の声は震えていたが、それでも話を始めた。

 

「あの謎のキーはやはり密室です。海藤が死んでいた部屋にはメンバーの6人は入ることもでることもできなかった」

 

先輩は頷く。ホータロー君は勢いに乗れたらしく、核心に入っていく。

 

「密室の構成については昨日話したので簡略化させてもらいます。上手袖は密室。窓は傷んでいて出入りできない。つまり犯人はドアから出入りしたとしか考えられない。ならどうやってか。ドアにトリックを仕掛けられたかどうか、映像には映っていません。なら、犯人は事務室に残されたマスターキーを使って出入りしたと考えましょう。だが、マスターキーを手に入れても上手袖に入るための右側通路にはいることはできない。それはロビーが杉村の監視下にあるからです。つまり、先ほども言ったように現場にはいれた人物は6人の中にはいません」

 

そこでホータロー君は言葉を切り、先輩の方を見る。先輩は彼の言いたいことをまだ理解できていないようでだまって続きを待っている。

 

「6人の中に犯人がいないなら答えはただひとつ。……あの場には7人目がいた」

「7人目?沢木口が言うようにか?」

「ある意味ではそうです。沢木口が言っていましたが、本郷は7人目の登場人物を探していたそうです。だが映像には6人しか写っていない」

 

先輩は尚も無言で続きを促す。

 

「でも本郷の脚本はフェアに書かれたとあなたも言っていました。つまり、突如現れた怪人が犯人、とは考えられません。そして、さっきビデオを見直して気付いたんですが、少しおかしい場面がありました。里志がそのことについて手長に書いてくれているので読みます。

……見取り図を見つける。懐中電灯らしき照明あたる

……通路暗し。懐中電灯つかわれる

どうですか?」

 

先輩はすぐに答える。

 

「懐中電灯だな」

「そうです。しかし登場人物の誰も、懐中電灯を持っているシーンが無い。そしてもうひとつ。映画好きのやつが言っていましたが、あの映画の致命的な欠陥は演出と、カメラワークの悪さだと。確かに、カメラワークには何の工夫もないように見えました。だが、それに理由があったとしたら?カメラマンがつねに一定の位置から動かないのは6人と同じ場所にいたからだとしたら?」

「……まさか、君たちはカメラマンが7人目の人物だと言うつもり?」

 

ホータロー君はうなずく。

 

「彼らは7人でグループだったんです。画面に出てくる6人とカメラで撮影する一人。映像を見直すと役者たちカメラを意識するような場面が多々あります。彼らはそこにいるカメラマン、いや7人目を意識していたんです。懐中電灯も7人目が持っていた。カメラワークも7人目が役者たちと同じ場所から動けない存在であることを示していた」

 

先輩がホータロー君の言葉に大きな興味を向けているのは僕にでもわかる。

 

「そして、メンバーが劇場内部に散った時、カメラは全員を見送ってからシーンアウトした。つまり、7人目は最後までロビーに残っていた。

ゆえに犯行は簡単です。7人目は全員がロビーから消えたのち、事務室からマスターキーを入手。海藤を殺害しそれを使って密室を作る。その後ロビーでメンバーが戻ってくるのを待っていた」

 

ホータロー君はそこまで一気に言い終わり、机の上に置いてあった緑茶の缶に手を伸ばす。

先輩は少し黙って考えていたようだが、やがて晴れ晴れとした表情で手を叩いた。

 

「おめでとう。君は見事本郷の謎を解いたようね。まったく大胆な発想だけど、矛盾点は一つもないあ。ありがとう。これで映画は完成するわ」

 

先輩はそう言ってホータロー君に右手を差し出す。

『女帝』がホータロー君の推理を認めた。

 

ならば

 

僕たちの勝ちだ。

 

「……というのがあなたの望み通りの結果なんですよね?入須先輩?」

 

僕の、夏目龍之介のその言葉に、先輩はどんな反応をするだろう。ずっとそう考えていたが、答えは意外にも単純だった。

 

『女帝』は、呆気にとられていた。

 

 

***

 

夏目のその言葉に、入須は呆気にとられていた。『女帝』がこんな表情をするのを果たしてどれくらいの人間が見たことがあるだろう。

 

「……どういう意味かな?」

 

そう尋ねる入須の表情には今までの余裕は一つもない。一方夏目は落ち着いた表情でそれに答える。

 

「入須先輩、あなたはさっきのホータロー君の推理に矛盾が無いと言った。確かに、映像と推理だけを見れば矛盾はありません。でも、映画を作っているのは映像だけではない、ということです」

 

尚も夏目は言葉を続ける。その様子は怒っているようにも、悲しんでいるようにも見えなかった。それは例えるなら、いたずらを楽しむ子どもの様だった。

 

「本郷先輩は脚本を書くということに関しては他の生徒より資質があった。でも彼女はミステリーに関しては全くの素人だった。だからこそ彼女はミステリーを勉強した。『シャーロックホームズ』を使って」

 

それはあの時羽場も言っていたことだ。俺も実際にピカピカの表紙の単行本を見せてもらった。

 

「以前里志から聞いた事なんですが、先輩は叙述トリックというものをご存知ですか?」

 

入須は黙っている。答えられないのか、それとも答えないのか。どちらにせよこのままでは話が進まないので代わりに俺が答える。

 

「叙述トリックは文章の見せ方で読者をだますやり方です。さっきの推理で言えば映像の見せ方で7人目を隠した。つまりそういうことです」

「そして、叙述トリックはホームズの作者であるコナン・ドイルの時代には『存在』していないんです」

 

そう。俺も里志がその話をしていた時一緒にいたから聞いている。あれはいつだったか、下校するときにミステリーの話になった時だった。里志の話だと叙述トリックが表舞台に出てきたのは20世紀に入ってかららしい。つまり、ホームズでミステリーを勉強した本郷には叙述トリックなんて概念は存在しないのだ。

 

「だが、本郷がホームズ以外のミステリーを読んだかどうかは君たちにも、そして私にもわからないことだ」

 

入須はなんとか反論を試みる。俺一人なら、夏目一人ならここで終わっていただろうが、俺たちは『二人』だ。

 

「確かに、今の夏目の話だけでは不十分でしょう。ですが、もっと大きな矛盾があるんですよ」

「……それは?」

「あのビデオの中には『ザイル』が登場していない」

 

そう、羽場達小道具班は本郷の指示によってザイルを用意していた。それも本郷はザイルの強度にやたらこだわっていたらしい。そこまで重要視していたアイテムが、さっきの推理には登場していない。当然入須がそれを把握していないわけがない。なのに入須はさっきの俺の推理を認めた。それはなぜか?その答えは―

 

「先輩が求めていたのは『探偵』じゃなくて『推理作家』だったんでしょう?」

 

俺の言葉に室内に沈黙が訪れる。しばらくして、入須が口をひらいた。

 

「まったく。やはり君たち二人には敵わないな」

「それは認めると言うことですね?」

「そうだ。だが、夏目君。君が約束を破るとは思わなかったな」

「僕は何も言ってませんよ?全部、ホータロー君が見抜いたことです」

 

その言葉に入須は再び驚きの表情を見せる。

 

「あなたと夏目に何か繋がりがあることはあの試写会の時から分かっていました。あの時、夏目の対応はいくらなんでも迅速すぎた。古典部にオブザーバーを提案したのだって。普段の夏目ならオブザーバーなんかじゃなくて自分から探偵役に志願したはずです」

 

なにせこいつは『娯楽至上主義者』なんだから。

 

「あなたはあの試写会以前に夏目に接触し、古典部に伝えたより細かい内情を伝えたんでしょう。そしてそれを俺たちには伝えないようにと約束した」

 

入須は黙って俺の言葉を待つ。

 

「いったいどんな内容だったのか、詳しくは解りませんが、一つ確かなのは、本郷の脚本は、クラスの人間たちが満足するには『不十分』だったと言うことです」

 

そう言って俺は胸ポケットからさっき夏目とともに吟味した2枚の用紙を取り出す。

 

「まずこっちの紙は、本郷が使っていたシャーロックホームズの本に挟まっていました。申し訳ありませんがその時一枚拝借させてもらいました」

 

俺は入須にそのメモをわたす。

 

その内容は以前見たとおり、各話のタイトルに○とバツが書かれているものだ。

 

「俺は最初、これは使えるネタに印をつけただけだと思っていましたが、千反田がとても気にしていたので、里志に聞いてみました。すると、帰ってきた返答はバツがついている話しは全部死者が出る話だとのことです」

「つまり、本郷先輩は、ハッピーエンドを好み、悲劇が嫌いだった。僕たちが注目したのは二つ。血糊の少なさと、アンケート結果のおかしさです」

 

夏目の言葉に合わせて俺はもう一枚の紙を入須に渡す。

 

「このアンケートですが、無効票というのが一つあります。他のアンケートには白票という記述があるのに、この『死者数をどうするか』というアンケートには無効票がある。『百人くらい』なんて解答すら記述されているのに無効票とはなんでしょう?」

 

俺はそこで一息つくと、話しを続ける。

 

「殺人がおこるミステリービデオで却下される死人数、それは0です。本郷の脚本では死者はでないはずだった」

 

入須は諦めたようには口を開いたが、同時にその口角が少し上がったようにも見えた。

 

「そう。本郷の脚本は死者が出ないものだった。私は夏目君に、『本郷はプレッシャーで続きが書けず体調を崩した、結末は決まっているが、まだ彼女はそれを書けていない。矛盾点が無ければ君のアイデアを採用する』と言った」

 

だが実際には本郷は脚本を書き終えていた。だがクラスメイト達が暴走し、脚本から大きく逸脱した映像ができてしまった。

 

「本郷先輩は、既に撮られた映像を否定できなかった。だからこそ入須先輩に頼ったんですよね?先輩は彼女を守るために完成している脚本を未完成にした。そしてクラスメイトやホータロー君たちをあつめて推理大会とみせかけたシナリオコンテストを開催した」

 

入須はそこでようやく、小さな笑い声を出した。

 

「お見事だ。折木君、夏目君。あの人の言うとおり、君たち二人は私には扱いきれなかった。しかしこのままでは結局ビデオは未完だな」

「いえ、未完にはなりませんよ。さっきホータロー君が話した推理をそのまま使えばいいんです」

「だがあれは……」

「確かにあの推理は間違いです。でもそれを間違いだと判別できるのは内情を知っている人たちだけです。何も知らない観客からすればなんの矛盾もない傑作ですよ?まあ、ザイルに関しては先輩が上手く誤魔化してあげてくだい。得意でしょ?」

 

夏目が目上の人間に対してこんな挑戦的なことを言うのを俺は始めて聞いた。もしかしたら白紙の上に、なにか色がついたのかもしれないな。

入須は自嘲的に笑った。

 

「最後に、折木くん。君はなぜ、夏目君の嘘を見抜けたんだい?彼には相当ポーカーフェイスを教え込んだのだが」

「それは単純なことですよ」

 

 

「こいつが一度も、『楽しい』と言わなかったからです」

 

理由はそれだけで十分だ。

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

「ところで先輩。一つ聞きたいんですが」

 

全てが終わり、入須先輩が椅子から立ち上がる前に僕は尋ねた。

 

「なんだい?夏目君」

「先輩、一昨日僕の家探してませんでした?」

「……なぜ知っているんだ?」

「駄菓子屋のおじさんが言ってました」

 

一昨日僕の家を探していた、神高の制服を着ていた女子。それはきっと入須先輩で間違いない。

 

「夏目、何の話だ?」

 

ホータロー君は訝しげに僕の方をみる。僕が何と答えようかと迷っていると、唐突にドアが開き、女性の声がした。

 

「それはあたしが説明したげるわ」

 

その女性をみて、ホータロー君と先輩は驚きを隠せないようだった。なぜなら、その人物は――

 

「あ、姉貴っ!?」

「久しぶりね、奉太郎」

 

そう、その人物はホータロー君の姉にして僕の恩人でもある折木供恵さんだった。

 

「先輩、なぜここに?」

 

入須先輩が尋ねる。その言葉にホータロー君は驚く。彼は供恵さんと先輩の繋がりを知らないのだから当然だね。

 

「何故って、それは可愛い弟たちと後輩の勝負の結果を見に来たからに決まってるでしょ?」

「おいまてよ姉貴、姉貴は先輩とどういう関係なんだ?それに弟『たち』って?」

「質問が多い!」

「あだっ!」

 

供恵さんのチョップがホータロー君の脳天に直撃する。うわあ、痛そう。

 

「ま、それはさておき」

「さておくのかよ……」

 

ホータロー君のツッコミは意に介さず、供恵さんは僕の方を見る。

 

「おめでとう龍之介。あんたはまた一つ『自分』をみつけられたみたいね」

「そうですね」

 

供恵さんから送られてきた手紙の真意はホータロー君を助けるなという命令では無い。自分に言い訳をして、友達を見捨てる助けをするなということだったんだ。そしてそれは、いつまでも楽しみを供恵さんから与えられているだけではいけないというメッセージでもあった。

 

「それにしても、冬実にちゃんと手紙送っとけって言ったのに『多分送れました』なんていうから自分で確かめに来ちゃったじゃない」

「先輩が明確な住所を送ってこないからですよ……」

「文句言わない!」

「ふにゃっ!」

 

今度は先輩にチョップがあたる。こんな可愛い反応する『女帝』を見てると笑いをこらえるのが大変だ。

 

「ってことは、姉貴は全部しってたのか……」

「そうよ」

「なんでこんな面倒なことを……」

「前にあんたに言ったでしょ。今はやすんでてもいいけど、きっとあんたをまたやる気にさせてくれる存在が現れるって」

 

何の事だか分からないけど、ホータロー君はしぶしぶ納得していたようだった。

 

「それじゃ、あたしはもう行くわ。今日の夕方には日本をでなきゃいけないしね」

 

そう言って、供恵さんは去って行った。まったく嵐のような人だよね。

 

 

 

***

 

 

 

「いやあ、楽しかったね!」

 

帰り道、僕とホータロー君は例の駄菓子屋のベンチでラムネを飲んでいた。

 

「楽しいというか、俺はかなり疲れたぞ」

 

そう言ってホータロー君は一気にラムネを飲み干す。

 

「まあ、少しは楽しかったか……」

「ホータロー君って、ひょっとしてツンデレなの?」

「ツン……なんだって?」

「はは、何でもないよ」

 

僕もラムネを飲み干し、立ち上がる。

 

「それにしても、ビデオはあれで完成するとして、里志たちにはなんて説明しようね」

 

里志や伊原さんが叙述トリックやザイルについて気付かない訳は無いし、千反田さんの勘も侮れない。三人を満足させる言い訳は僕には思いつかない。

それを聞いたホータロー君はげんなりした顔をする。

 

「やっと終わったと思ったのに……」

「ま、二人で考えようよ、ホータロー」

 

僕の言葉に、彼は少し目を見開く。だがすぐにいつものように薄く笑い、返事を返してくる。

 

「そうだな、龍之介」

 



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幕間劇
24. Whose?


夏休みも終わり、文化祭に向けての準備で神高の校内は随分とあわただしくなってはいるけれど、それでも学生の本分は勉強というのが一般の考え方な訳でいつも通り授業は行われているし、当番や委員会も普通に回ってくるわけで、今日の僕は掃除当番だった。流石の娯楽至上主義者の僕でも掃除という行為は娯楽とは正反対に位置しているため、真面目にやらざるを得ない。まったく、つまらないことこの上ないね。つまらないけど当番表には今日の掃除当番の欄に僕の名前が書いてあるから仕方ない。さっさと終わらせて部室で里志や千反田さんの面白い話を聞きたいところだよ。

 

「夏目~ゴミ出し行ってくれよ」

 

そう言って僕に掃除当番で一番面倒な役割を押し付けてくるのはクラスメイトの……山くん?じゃなくて峰くんだったか。よく覚えていない。仕方ない、名前を思い出せないお詫びにゴミ出しに行ってあげようか。

ゴミ箱を受け取り、教室を出る。神高では教室で出たゴミを下駄箱の近くの大きなゴミ箱にまとめることになっている。僕の所属する1年D組は1年生の教室のなかでも一番下駄箱に遠いわけでなおさらゴミ出しの役は人気がない。そもそも掃除当番で人気の役職なんて知らないけどね。歩きながら何か暇つぶしになる娯楽は無いかと辺りを見ていると、ちょうどA組の教室から千反田さんがゴミ箱を持って出てくるのを見つけた。

 

「やあ、千反田さん」

「あ、夏目さん。今日は始めましてですね。こんにちは」

「奇遇だね。千反田さんもゴミ出し係かい?」

「じゃんけんに負けてしまいまして」

「千反田さんでも運が悪いことがあるんだね」

「そうなんですよ!私今日までじゃんけんで負けたことないのにどうしてでしょう?私、気になります!」

 

それは多分、誰かがずるしたんじゃないかな……というかじゃんけんで負けたことのない人って本当にいるんだ。そっちのギミックの方が気になるんだけど。

 

「そういえば、入須さんが映画の完成の打ち上げ会に夏目さんと折木さんを誘ってほしいと言っていましたよ?確か今週末に」

「へえ、いいね打ち上げ。僕も行こうかな……あ」

「どうかしましたか?」

「いや、その日は平塚先輩に実家の児童養護施設に来てほしいって言われててさ」

「そうですか。では入須さんに伝えておきます」

「うん。悪いね」

 

多分ホータローも打ち上げには行かないだろうし、ちょっと申し訳ないな。今度謝っておかないと。

そんな話をしているうちに僕たちは下駄箱までやってきた。一端ゴミ箱を地面に置き、大きなゴミ箱のふたを開ける。

 

「千反田さん。お先にどうぞ」

「ありがとうございます。では、失礼して……ん?」

 

ゴミを入れようとした千反田さんの手が止まる。

 

「どうしたの?」

 

そう尋ねた矢先、千反田さんは何を血迷ったかゴミ箱に手を突っ込んだ。

 

「ちょ、ちょっと千反田さん?何してんのさ!」

「夏目さん!これ見てください!」

 

ゴミ箱から出てきたその手には四角い物体が握られていた。じっと見てみると、それはゲーム機だった。折りたたみ式で、開くと画面と操作ボタンの二面に分かれるタイプの結構新しいタイプのやつだ。

 

「これ、見るからに新品だね」

「私はよくわからないのですがこういうゲーム機って結構高価なものなんですよね?」

「そうだね。一万円くらいするんじゃないかな」

 

まったく。こんな高いものを捨てるくらいなら僕にくれればいいのに。どこの誰だか知らないけど罰あたりな事するね。

 

「夏目さん!」

 

千反田さんがぐいぐいと近づいてくる。これは、いつものあれだね。まあ、僕も少し、いやかなり……。

 

「私、気になります!」

「うん。これは楽しそうだね!」

 

僕たちは取りあえずゴミを捨て、急いで教室に戻り掃除当番を終え、古典部の部室に急ぐ。

多分里志とホータロー辺りは部室にいるはず。出来れば伊原さんもいると助かるんだけど。

地学講義室の扉に手をかけ、勢いよく開く。

 

「あれ?」

「だれもいませんね」

 

古典部の部室には誰もいなかった。鍵が空いてたから誰かいたのは確実なんだけど……。そう思っていると、机の上に一枚のメモと鍵が置いてあった。それは里志の字だった。

 

『委員会総会の緊急招集があったので一端失礼します。机の上のお菓子はお詫びなんで適当につまんどいてください』

 

委員会総会とは生徒会を中心に神高の全委員会が大会議室に集まってする会議のことで、当然里志の所属する総務委員会も参加する。となると伊原さんも不在か。後はホータローだけどこの時間にいないのを見るにさっさと帰ってしまったようだ。

 

「仕方ない。僕らだけで何とかしようよ」

「そうですね。折木さんがいないのは残念ですが、夏目さんがいるし問題ないですね!」

「それじゃあ、考えてみようか」

 

 

 

放課後、下駄箱近くのゴミ箱に捨ててあった最新ゲーム機。普通に考えて、そんな高価なものを学校のゴミ箱に捨てるなんておかしい。そもそも神高はゲーム機の持ち込みは禁止されている。違反のものを隠し持ってくるなら分かるけど、ゴミ箱なんかに捨てて、もし教師に見つかったら問題になるだろうしね。

 

「つまりは学校で捨てることに意味があったってことかな?」

「じゃあもしかして、家でゲームが禁止されていて、それが親御さんにばれそうになったから捨てた、とかでしょうか?」

「いや、それなら家以外のゴミ箱ならどこでもいいことになっちゃうよ」

「たしかにそうですね……」

「そもそもこれ、誰のゲーム機なんだろう?」

 

ゲーム機をいろいろな角度から見ても名前すら書いていない。ささっているソフトを起動してみたけど、中身を見ても有益な情報は一つも無かった。

 

「千反田さん。今日学校内でなにか変わったことってあったかな?」

「そうですね……あ!」

「なに?」

「私のクラスに山口さんという方がいるんですが……」

「うんうん」

「いままで一度も休んだことのない山口さんが学校を休んだんです!」

 

ズコー。

 

「い、いや、そういうことじゃなくて……」

「でも、ゲーム機をすてた山口さんが自責の念で休んだという事は……」

「ううん。神高のゴミ箱は毎日当番がゴミを出すし、下駄箱のゴミ箱だって毎週水曜、つまり昨日業者が回収していったばかりなんだ」

「なるほど……それじゃあゲーム機が捨てられていたのは今日、と言うことですね」

「そうなるね」

「あ、そう言えばもう一つ」

「うん?」

「今朝、持ち物検査がありました!」

「そうなの?D組は無かったけど……」

「今日は全学年A組だけだったみたいです」

「へえ。それじゃあ明日はB組かな?」

「それは分からないです。抜き打ちらしいので」

「ふーん。じゃあ里志に忠告しておかないとだね」

 

里志はいろいろ変なものをもってくるからなあ。急に持ち物検査なんてきたら大変だ。

 

……ん?待てよ?

 

「夏目さん?」

「千反田さんのクラスの今日の掃除当番で掃除にいなかった人はいた?」

「?いえ、みなさんいらっしゃいましたけど」

 

「なるほど……。千反田さん。ちょっと運動しない?」

「運動、ですか?」

「うん。確かめたいことがあるんだ」

 

千反田さんの了承もえられたことで、僕たちは手分けして2年A組と3年A組の教室へ向かってあるものを確認した。

 

「どうだった?」

「ええ、該当しました!」

「そっか。それじゃあ僕はゲーム機を返してくるよ」

「はい!それじゃあ私は部室で待ってます!」

 

 

部室棟へ向かっていく千反田さんんを見送り、僕は大会議室へと向かった。

 

 

***

 

まつこと30分。どうやら委員会総会は終わったらしく、委員会の生徒たちが会議室から出てくる。その中には里志や伊原さんの姿もあったけど、今はそれより重要な人物がいる。

 

「はあーつかれた」

 

その人物は一番最後に出てきた……というか一番最後にでざるを得ない人物だった。

 

「生徒会長がそんな事言ってていいのか?」

「へーい。流石総務委員会委員長様は立派だよな~」

 

出てきたのはふたりのイケメン。片方はメガネをかけた真面目そうな人物。もうひとりは少しパーマらしきものがかかっている結構フランクそうな人物。前者は総務委員会委員長の田名辺治朗先輩。そしてもう一人は生徒会長の陸山宗芳先輩だ。二人とも朝礼や全校集会で良く前に立つので神高の生徒で知らない人はいないだろう。……多分。

 

「あの、すみません」

 

僕はその二人に声をかける。

 

「ん?君は……」

「こんにちは田名辺先輩、陸山先輩。僕は1年D組の夏目龍之介と言います」

「はあ……ムネ。知り合いかい?」

「いんや、知らん。治朗の知り合いじゃないの?」

「えーっと、どっちの知り合いでもないです」

「じゃあなにかな?さっきの総会でなにか意見があったかい?」

 

田名辺先輩がやさしい口調で尋ねてくる。

 

「実は、これを会長に返そうと思って」

 

そう言って僕はゲーム機を陸山会長に渡す。

 

「え!これ!え?なんで君が持ってんの?」

 

会長は心の底から驚いているようだった。

 

「おい、ムネ。生徒会長がこんなもの持ち込んでいいのか?」

「い、いやあこれはなんというか……あ、君夏目君だっけ?なんでこれが俺のだって分かったのかな?」

 

露骨に話をそらそうとする会長の為に、僕は事のいきさつを話した。

 

「これ、下駄箱のところのゴミ箱に入ってたんですよ。でもこのゲーム機は最新型。簡単に捨てるなんておかしいですよね?そして仮に捨てたいんだとしてもゴミ箱なんていくらでもあります。学校のゴミ箱に捨てたことがばれればそれだけで問題になります。つまり、このゲーム機の持ち主は学校でこのゲーム機を捨てなければいけない理由があった」

 

そこまで言うと、田名辺先輩は感心したように頷く。これだけで僕の言いたいことの大半を理解したって顔だ。このひと、やっぱり頭いいんだなあ。

 

 

「そして、今日、全学年のA組で持ち物検査があった。しかも抜き打ち。違反のものを持っていれば当然没収されます。このゲーム機も違反品の一つです。そこで持ち主は考えた。一端これを隠そうと。でも鞄や制服はチェックの対象。教室内で隠せる場所は限られている。そこでたどりついたのがゴミ箱だった。神高では下駄箱のゴミ箱に全てのゴミが集まるし、回収は来週の水曜日まで無い。つまり、最終的に下駄箱に行けばゲームは回収できる」

「ちょっと待ってもらえるかな。その理屈だと持ち主が発見する前に君の様に見つけてしまう生徒がいる可能性がある。そこはどう説明するんだい?」

 

 

田名辺先輩はとても楽しそうに質問してくる。試されている、と言うことだろうか。

ならば乗ってやろうじゃないか。

 

「はい。その通りです。だから持ち主も下駄箱は最終手段だった。もっと確実にゲームを回収する手段があったからです」

「それは?」

「それは、自分でごみ出し係をやることです。持ち主は掃除当番だった、だからゴミ出しに乗じてゲームを回収すればよかった。幸いゴミ出し係は一番人気の無い役職ですし。なら、何故ゲームは回収されなかったのか。それは、掃除当番より優先の事態が起きたから。それがこの委員会総会です。つまり持ち主は持ち物検査が行われたA組で何らかの委員会に所属しており、今日掃除当番の人物。それでさっき、各学年のA組の掃除当番表を確認したんですが、該当するのは2年A組で生徒会所属の陸山先輩だけだったというわけです」

 

 

そこまで言い切って二人の様子を伺うと。二人は拍手をした。

 

 

「いやあ、お見事!そして俺のゲームを拾ってくれてありがとう!」

「ムネの言うとおり。見事だったよ夏目君。まるで推理小説の中に入ったような気分だった」

「ありがとうございます。僕も放課後を有意義に使えてとても楽しかったです。それじゃあ、人を待たせているのでこれで失礼します」

「おーう。今度一緒にゲームしようなー」

「まったく、少しは反省しろよな?」

 

 

 

 

 

 

 

―――立ち去って行く夏目龍之介を見送る田名辺治朗は誰にも気付かれないように不敵に笑うのだった―――

 

 



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