シュバルツバースでシヴィライゼーション (ヘルシェイク三郎)
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シュバルツバースで便意と遭遇

 扉を開き、絶句する。

 3号艦"エルブス"号の男子用便所に駆け込んでまず気がついたことは、ホルダーにも手近な据え置きにもトイレットペーパーを切らしていることであった。

 無機質なタイル壁も乳白色の便器に見られるわずかな黄ばみも、目に映るものすべてが憎らしい。

 ホルダーのフックに残され、無慈悲にからからと回るボール紙製の芯を見て、小生は慟哭する。

 

「何やってんの、資材班」

 濁る腹の音。波寄せる腹痛。

 滅びの地(シュバルツバース)調査隊による現地突入任務が発動されんという今この時に至り、小生の(ジャーニー)はここで潰えようとしていた。

 

 

 

 人類の暦法で言うところの21世紀初頭――。

 70億を越える飽和した人口は、地球を取り巻く多様な生命の連環を絶滅の危機に追いやりながらも、未だ身勝手な繁栄を謳歌し続けていた。

 繁栄の先にある自滅が先か、自分たち以外の破滅が先か――。

 そのようなことをしたり顔で嘯く彼らを裁かんとでもするように、突如として滅びの地(シュバルツバース)は南極点に現出する。

 光すらも寄せ付けぬ、高さ数千mのプラズマ雲に取り囲まれたこの不可解な空間現象は、まず南極大陸に常駐する各国の観測隊を文字通り分子レベルにまで分解せしめ、極点を中心にまるで野火のように燃え広がることで、ついには南極大陸全体を呑み込むまでに成長した。

 人類は恐怖する。このままこの漆黒の空間が拡大していけば、いずれは自分たちの生活領域にまで到達することだろう。それは即ち、人類文明の崩壊である。

 自らの"滅び"を肌で感じ取り、常日頃いがみ合っていた各国の首脳は向け合っていた矛先を納め、ひとまず一致団結を図ることにした。

 

 例えば、政治的にはシュバルツバース合同計画の発足。

 例えば、学術的にはドイツ人物理学者、ハンマーシュミット博士のかつて提唱した地球空間と人間文明の相関関係に関する研究再評価の加速。

 

 それらの全てが一月もしない期間の間に行われ、人々は生命の持つ原初的な生存本能に則り、ひたすらに滅亡の回避策を講じ始める。

 この闇夜で蜘蛛の糸を捜し求める必死の足掻きは、奇しくも無人探索機がもたらしたシュバルツバース内部の情報によって、ある種の画期を迎えることになった。

 シュバルツバース内部に生まれつつある現世とは法則を異にした空間。

 そこには人類が生き延びるためのヒントが隠されているのではないだろうか?

 

 合同計画の上層部は決断する。

「机上の空論では何も分からん。とりあえず、試しに人を内部に送り込んで調査してみれば良いんじゃね。あ、分子レベルに物質を分解するプラズマ雲? んなもん飛び越えてでも調査しに行け」と。

 かくしてシュバルツバース調査隊は発足され、小生はめでたく調査隊という名の決死隊へと組み込まれることになったのであった。

 

 全く、上層部ときたら何たる安直な発想をするのであろうか。妄言を吐く前にまず、国際人権規約を百回は暗証してもらいたいものだ。

 一体彼らという連中は、この南極大陸をあっと言う間に呑み込み、尚も無慈悲に拡大を続ける謎深き地に赴いて、"直接調査する"ということが、どれだけ過酷な(ジャーニー)になるかを全く理解していないのである。

 この現場無視の見通しの甘さは、小生の乗る次世代揚陸艦"エルブス"号の見舞われている現状が、ものの見事に証明しきっているのであった。

 

 高度4500m。プラズマ雲の丁度直上。

 陸上走行から飛行モードへと切り替えた"エルブス"号は、現在大震災かよと錯覚するほどにぐらぐらと揺れている真っ最中であった。

 整備不良や操縦ミスの類では断じてない。

 

『メーデー、メーデー! 当艦は何者かの攻撃を受けていますッ! 他艦との通信、取れません!』

 艦内アナウンスから察するに、シュバルツバースに備わる何らかの防衛機能が、小生らシュバルツバース調査隊の現地入りを阻んでいるようだ。

 自然現象に防衛機能とかどういうことだよと愚痴りつつ、小生はヤマダという自らの名前が彫られたドッグ・タグと共に、高校の同級生であったタダノ君から渡された試験管状のお守りを握りしめて、ひたすらに祈る。

 

 というか、紙は何処にあるの?

 何処かに紛れ込んだりしてない?

 

『艦の統制? そんなこと! 言われずとも私の言うとおり動きなさい!! ああっ、神様!』

 普段嫌みな艦長が混乱をきたし、マイク電源がオンになっていることにも気づかず、ヒステリックに叫んでいる様は心にスゥーッと穏やかなものを流し込む作用があった。が、実際問題それどころではない。

 再び艦が揺れる。

 目下のところ、アルプスの最高峰モンブランよりも高い位置を飛行中の我が艦だが、これ以上防衛機能とやらの攻撃を許せば、最悪墜落もあり得るだろう。

 そうすれば、小生も落下死……、または外縁部を取り囲むプラズマ雲に分解される……。いや、それも大事なのだが、やはり正直それどころではない。

 

 いざという時、尻を拭く紙がないのだ。こんな時に何を馬鹿なことをと他人は思うかもしれないが、小生とて混乱の極みにあった。

 "正常化バイアス"という言葉が、現在の心理状態をぴたりと言い表しているのではないかと、欠片ほどに残された理性が分析する。

 人は予期せぬ危険に晒された時、物事の優先順位を日常のそれに入れ替えてしまうらしいのだ。

 今の小生は、間近に迫った生命の危険と身近に感じられる小さな社会的危機が脳内でぐちゃぐちゃに混ざってしまっているのであろう。

 

 先刻、シュバルツバース突入任務の直前から急に腹痛を催した小生は、便所に駆け込むべく観測班のリーダー兼3号艦の艦長に、

「あの、ちょっと、おトイレに行きたいのですが……。突入を数分遅らせてもらうことは――」

 と提案して物凄い形相で叱責されたばかりであった。 

 あの時の艦長の小生を見る煮えた目は、ちょっと暫く忘れられそうにない。

 いくら小生が国連指名の外部派遣員だからって、「これだから外様は」などという言い草はないと思うんだ。大体調査隊の後方人員なんて、小生を含めて皆外様ばかりだし……。

 

 社会的危機のフラッシュバックに、小生の"正常化バイアス"は縦横無尽の働きを見せる。

 例えば、例えばの話だが。このまま任務失敗、全滅したならまだ良いとして、まかり間違ってシュバルツバースにたどり着いた場合、尻を拭かずに復帰した小生はウンコマン、ないしはナンカニオウマンというあだ名を背負うことになるのか。

 ……それだけは避けねばならない。

 にわかに被った汚名を返上するためにも早く小生は出なければならぬ、外へ出てさも仕事がある振りをせねばならぬ、が無理! 出られない。そもそもまだウンコも出ておらぬ。

 

『トリム角、安定しません!』

 ああ、また艦が大きく傾いた。

 腹痛時の公共交通機関ほど残酷で無慈悲なものはない。決壊、噴火。即社会的な死亡に繋がり、リスクを抱えたままにドンドンと腹を揺らすあの強いトルクは、世界の忌まわしいものランキングのトップ10に入るであろう。

 

 タダノ君に渡された棒状のお守りを握りしめる手に力を込めた。

 我に七難八苦を……、じゃねえや。我に安寧をもたらしたまえ……!

 すると、小生の願いが何処ぞに通じたのかは分からないが、突如便所内に心持ち清浄な気配が立ちこめ始めた。

 

「おや……? おやおや?」

 もしやこれは神頼みが通じたのでは……? と思ったのも束の間、

「ぬほぉっ!?」

 ズン、ズンと。

 お腹にもたらされる"外部"からの衝撃。

「何、これぇ!?」

 度肝を抜かれて、自らの腹部を凝視するが、何も目につくものはない。

 が、確実に衝撃はやってきていた。

 これ、あれだ。

 殴られてる。

 腹を、何かに。また殴られたわ。ちょっと。これは……。

 

 小生は、"見えざるナニカ"の殺意を肌で、というか腹で感じ取った。

 他人様の腹をサンドバッグか何かと間違えているのか、ひたすらトレーニングに勤しんでおられる。

 もしや、神は「出すもん出せば腹痛も収まるやろ(名推理)」とでも仰るつもりなのだろうか。ちょっと荒療治が過ぎると思う。

 最早、顔面土気色だ。

 

 神も紙も存在が確認できぬままに、再び艦が大きく揺れた。体がふわりと浮き上がった後、便所が真っ暗闇に包まれる。

 艦内電源が切れたのだろうか。

 

「何で、こんな時にこんな目に合うのさ」

 痛みが高じて遠のきつつある意識の中で、人生模様が走馬燈を思わせる勢いでくるくると移り変わっていく。

 

 ――タダノ君とバッテリーを組む、品行方正な野球少年時代。

 ――環境ボランティアサークルに所属し、長期休暇のたびにアジアのとある国にまで赴いて、虹色に変色した川の清掃活動に勤しむ学生時代。

 ――そして、内戦状態の激化した東ヨーロッパで粛々とバーベキューされながらインフラ整備に勤しんでいた一年前。

 

「君のアドバンテージをフラッグシップモデルに生かす、ウィンウィンな職場があるんだよ」

 あれ、何か小生の人生航路って変な道を進んでねえ? と疑問を抱いたところで示された新たな可能性こそが、約束された勝利の転職手形。シュバルツバース合同計画の客員技術士官であった。

 親方日の丸ならぬ国連丸様のご指名なら、食いっぱぐれもあるめいと二つ返事で頷いてはみたが、今思うと選択肢を思い切り間違えたのかもしれない。

 

『これより当艦はシュバルツバース内への不時着を試みます! 中で何があるかわかりません。総員、デモニカの起動をお願いしますッ!!』

 自由落下の不快感と、何かが飛び出る解放感が同居して、小生の意識は闇へと沈んでいく。

 寸前に用を足すため外していたデモニカスーツこと通称"バケツ頭"を無意識に取り寄せたことは、よくよく考えてみると超絶ファイン・プレーであったと言わざるを得ない。

 シュバルツバース内が人の住める環境であるとは限らないのである。

 けど現状、尻は隠せていないのだが大丈夫だろうか……? 大丈夫だと思うことにしよう――。ベルトを締める時間がない――。そもそも、スーツの中で漏らしとうない……。

 そして意識は底に沈み、落ちて、落ちて……。

 

 ……。

 ……。

 ……。

 

 再び意識が覚醒した時には、

 

「sj#c,$%kl%3iik&#,8jgm@0?」

 何か変なモザイクが、便所の壁にもたれかかった小生の目の前で佇んでいたのであった。

 

 

 

「……何じゃこりゃ?」

 便所を包み込む暗闇の中、赤外線センサーの自動起動したバケツ頭越しに見えるモザイクは、姿形を変えながら良く分からない音を発している。

 モニターに表示される各種情報は、全てが「UNKNOWN」を示すものばかりだ。

 モザイクは首を傾げる小生の様子を見て、きらきらと瞬く。何らかの反応のようにも見える。

 反応をしていると言うことは、調査隊員の誰かなのだろうか? もしやすると目の前のモザイク様はモニターの故障によるものなのかも知れぬ。

 小生は何か反応を返すべく、覚醒したばかりの脳をフル回転させる。

 

「入ってますよ」

「25g"j45%ty"uy5u#%#!!!」

 何故か、物凄い勢いで良く分からない音をまくし立てられた。

 まるで怒っているような。ああ、そうか。まさに叱られている時のまくし立て方だこれは。

 やがて、勢いの収まったモザイクは何かに気がついたように音階を上げる。

 

「hv$(%#bki5#&s2? ……ああ、はいはい。そう言えば、言葉通じてなかったのよね」

 人間様の、それも年若い女性の声色だった。

 銀のように澄んでいて心地が良いが、何処かに棘を感じさせる。

 女性らしきモザイクは、調査隊の内部で普及している英語ではなく、小生の母国語をネイティブに操っておられた。同郷だろうか?

 

「……とりあえず、デモニカのモニターが上手く働いていないようです。何処の班のどなたでしょうか? 小生の所属するインフラ班で聞き覚えのある声ではないのですが」

「あ、姿もなのね。光の反射に頼ったニンゲンの視覚って、ほんと不便だわ!」

 と言うが早いか、モザイクが七色の光を発して、小生にも理解できる姿形を為していく。

 光学迷彩の類かとも最初は思ったが、現れた姿に首を傾げる。

 人種はアジア人なのか白人なのか判然としない。調査隊の制服は着用しておらず、ひらひらとしたファッショナブルでエキセントリックな私服を着用している。見た目の大部分は華奢な十代の少女に概ね近く、その艶やかな長い髪は「おい、遺伝子仕事しろよ」と叫びたくなるほどに真っ青であった。染めているのか?

 口元に黒い小さな刺青があることを覗けば、とりあえず清楚で端正な顔をしているとは思う。いや、顔だけではなく、細く白い両手で拳を作り、腰に当てながら均整の取れた身体を斜に構えて佇む姿は、万人を見惚れさせる魅力に溢れていると言って差し支えない。

 恐らく、小生に向ける表情が不快に歪んでさえいなければ、ときめいていたとしても不思議ではなかろう。

 そんな万人を振り向かせる美貌の持ち主は疲れたようにため息をつき、髪をかきあげて再び口を開いた。

 

「もう、アンタも出すもん出したんだし、さっさとここをずらかるわよ」

「ちょっとどういうことなの……?」

 恐らくは先ほどのウンコ騒動を指しているのだとは思うが、何故彼女がそれを知っているのか。

 社会的危機の足音が聞こえてくる。

 

「用を足すの手伝ってあげたじゃない」

「さっきのパンチ、キミかよ!」

 そもそも、彼女も危険人物であった。どうやって成したかは分からないが、人が用を足す様を傍らで見たりパンチしたりしていたなんて、とんでもない性癖の持ち主だ! そういう才能はしかるべきところで発揮していただきたい!

 と大声を出して抗議をしようとしたところで、彼女が小生の口を慌てて手で塞ぐ。

 

「おバカ!」

「むぐっ!?」

 彼女はそのまま息を殺して便所の外へと注意を向ける。

 がさ、ごそと何かが這いずり回る物音が小生にも聞こえた。先ほどシュバルツバース内に不時着を試みたわけだから、恐らく隊員たちが原状の復旧にいそしんでいるのだろう。

 やべえ、手伝わなくちゃ。

 立ち上がろうとしたところを頭から押さえ込まれる。みしりと首が鳴った。

 この少女、外見の割りにえらい腕力があるんだけど……。

 少女は焦りを帯びた声色で、早口に言った。

 

「"悪魔"がうろついている中で、大声をあげないで!」

 ……"悪魔"?

 この少女は一体何を言っているのだろう?

 小生の理解が追いついていないことを察したのか、少女の歪んだ顔は、更に不満の色を強める。

 

「アンタ、悪しき魂じゃないけど。ほんとニンゲンって愚かよね……。まあ、許すわ」

 まるで自分がニンゲンではないような物言いに、小生は聞きそびれていた問いかけを思い出す。

 

「君……、誰です?」

「アタシ?」

 少女の機嫌が即座に直った。名を聞かれることを好いているような、そんな態度である。

 少女は便所の扉前に仁王立ちになり、ものすごいドヤ顔と大声でこうのたまった。

 

「アタシの名前は、トラソルテオトル。豊穣と不浄を司る女神。人の子よ、その限りある脳みそにアタシの御名を刻み付けておきなさい!」

「あ、大声出した――」

 と気づいた時にはもう遅く、

 

「23bhfat#$&&'OI'(SUGH%&%U'YI(ODXYU(A%&"q!$%$'')`pof(!!!!!!??????」

 便所の外から理解のできない大音量が途端に聞こえ出した。

「あ、やばっ」

 色を失ったトラソルなんたらであったが、息を殺して外の様子を伺うに従い、

「にゃ、にゃーん」

 猫のつもりかよ。

 胡散臭そうに小生が見ている中で、再び機嫌を下降させていく。

 

「どしたんで……?」

「どうもこうも、外の"悪魔"どもがウザイこと言ってんの! 『便所が臭い。女神で臭い。臭いものには蓋をしろ』って! 誰が臭いって!? あいつら、アタシが万全の状態だったらギッタンギッタンにしているところよっ!」

 とトラソルなんたらは口惜しげに地団太を踏む。何と言うか、不思議な基準で怒ったり喜んだりする少女であった。

 彼女は我慢がならないといった様子で小生に指を突きつけ、

 

「何時の日か復讐を成し遂げるためにも、ここは戦略的撤退かますわよ。ここを出るの!」

「アッハイ」

 ここを出ることに否やはないため、小生は素直に頷いた。

 そのまま便器を立ち上がってドアノブに手をかけたところで、ミシリと再び豪腕の押さえつけがやってくる。

 

「あいででっ!?」

「ちょっと、何で扉を開けようとするのよ!」

「扉を開けなきゃ、外に出られないじゃないですか!」

 小声で反論したところ、彼女はしばし考えるそぶりを見せて、

 

「……それもそうなのよね。アンタ、"悪魔"と戦う術とか持っていたりするの?」

「そもそも君のいう"悪魔"が何なのかさっぱり分からないんですが」

「じゃあ、退魔師の家系だったりしない? というか、アンタ"封魔管"持ってたんだからクズノハに連なる者でしょ」

「"封魔管"ってこれです?」

 タダノ君からもらった棒状のお守りを見せると、彼女はうんうんと頷いた。

 

「それ、一昔前の退魔師が"悪魔"を使役するために使っていた奴よ。そこに"悪魔"を閉じ込めておけるの」

 言われてみても、小生には全くピンと来ない。

 ただ、クズノハという言葉に思い当たることはあった。

 

「クズノハはタダノ君の親戚の苗字だったと思います」

「ああ、氷解した。アンタ無関係のパンピーなのね。道理で器も小さく弱っちいわけだ。まさか、"女神"たるこの私がLV1の分霊バージョンで顕現する羽目になるとは思ってもみなかったから驚いたけど、これで色々と納得もいった」

 まあ、また馬車馬扱いされなくて済むのは助かるけど……、小声で呟く彼女の表情は何処か解放的にすら思える。

 これはつかの間のバカンスを楽しむ時に人が見せる表情と酷似していた。

 そんな緩みきった口元を見せたくないのか、必要以上に表情を強ばらせて、彼女はピっと指を立てる。

 

「時間がないから、単刀直入に言うわよ。アンタの乗ってた機械の船は"悪魔"の力で撃ち落とされたの。今も船の中では"悪魔"による人狩りが行われているわ」

「は?」

 そんな馬鹿なと返そうとしたところで、隊員と思しき人間の叫び声が聞こえてきた。

 思わず真顔になる。

 "悪魔"云々はさておき、調査隊が何らかの危険に晒されているのは疑いようがないようだ。

 そんな危険に晒された同僚たちをできることなら助けに行きたいところだが、そもそも自分はインフラ班だ。プロフェッショナル以外が無駄な蛮勇を働かせて、チームを危険に晒すケースは東ヨーロッパで何度も見てきた。それに今は情報も不足している。

 

「捕まったら、良くて食料、悪くて戯れに解剖とかされちゃうかもね。アンタ、食料になりたかったり、解剖とかされたかったりするクチ?」

「ど、どちらも遠慮させていただきたいんですが……」

 彼女は我が意を得たりと口の端を持ち上げた。

 

「じゃあ、女神たる私に協力なさい。協力すれば、"悪魔"たちから守ってあげます。これ、実質一択だからね」

 一瞬、逡巡する。この少女の言っていることは俄かに信じがたい話であったし、何よりもぐいぐいと来る様が故郷の押し売り業者を連想させた。

 だが、現状に精通していることだけは疑いようがない。外から聞こえてくる物音が、彼女の妄言を肯定し続けている。

 故に小生は頷いた。目の前の、明らかに年下である彼女に「助けてくれ」と無様に乞うた。

 すると彼女は柔らかに笑い、

 

「人の子の願いを受け入れましょう」

 と諸手を広げる。その姿は明かりのない場所に光明が差したかのような神々しさを纏っていたが、そもそものシチュエーションが便所内であった。

 "正常化バイアス"も相まって、緊迫感がとにかく持続しない。

 小生は咳払いしつつ、今後の方針を問うた。

 

「それで……、これからどうするので? トラソル……、えっと」

「親しみを込めてトラちゃんで良いわよ。そうね、"隠れ場"から逃げましょう」

「"隠れ場"?」

 彼女は辺りをきょろきょろと見回した後、便器の中身に目を落とす。

 

「ちょっ――」

「まだ、流れていない。都合が良いわね」

 慌てて臭いものに蓋をしようとするも、彼女に腕力で遮られる。

 

「閉めないで!」

「何でさ!」

 便器の中身にモザイクをかけたい気分だった。彼女は小生を便器に向き合わせると、自身も同じように向いて有難そうに小さく拍手する。

 

「へ?」

「二礼二拍。アンタ見た感じジャパニーズでしょ。ほら、敬って。便器の中身を敬いなさい!」

 どんな羞恥プレイだ。

 仕方がなしに神社の作法で便器を詣でる。すると、彼女がそらを見て何やら話し出した。

 

「カワヤの神様。いるんでしょ? 人の子が不安がっているわよ。何とかしてあげないでどうするの」

『この流れで他力本願って、中米の女神はちょっとやることが理解できんのう……』

「うおっ」

 何やら便器の中からしわがれた老人の声が聞こえてきたものだから、小生も思わずのけぞってしまう。

 

『というか、さっさと落とし物を流してくれ。ワシゃ、カワヤが汚れているのが我慢ならんのじゃ』

「今すぐは無理よ。ここオール電化だったわ。ボタンをピッピッと押すタイプだったもの」

『時代の流れは世知辛いのう……』

 言われてみればと脇に設置された操作パネルに目をやり、自分の尻を拭いていないことに今更ながら気がついた。というか、尻丸出しであった。

 むずむずとしながら、尻を拭くものを探す。

 

「アタシたちがミンチになれば、カワヤを掃除するものがいなくなるわよ」

『それ"悪魔"の業界じゃと脅迫って言うんじゃがね』

「アタシは貴方の理性を信じます」

 懐にティッシュが入っていたことに気がつき、小生はこそこそと尻を拭く。このタイミングで便器内に拭いた紙を落とすのは流石にNGだろうか……?

 

『おい、ニンゲンよ』

「は、はい!?」

 いきなり話を振られて小生はキョドった。

 

『……別に取って食いはせんよ。お主は必ずここに戻って便器の掃除をすると誓うか?』

「は、はい。誓います!」

 そうでなくとも、この状況は未練なのだ。落し物が便器に残された状態と言うのは非常に外聞が悪い。

 小生の答えに、不本意そうだった老人の声が心持ち和らぐ。

 

『ならば、ワシの陰行によってお主らを船の外まで送ろう。……約束は必ず守れよ?』

「わ、分かりました!」

 こちらの上ずった反応に笑い声が上がった。

 そして、こちらの失態をフォローする暇もなく、

 

『この滅びの地でニンゲンに何ができるとも思えんが……。まあ、達者に生きろよ』

 辺りの景色が一変する。

 今、小生が立っているのは便所ではなくただの通路。いや、"ただ"のと言っては語弊があるだろう。

 壁や天井、そして床が、飴細工のようにぐねぐねと捻じ曲がっている通路が尋常のものとは到底思えないからだ。

 景色が変化する寸前、一瞬大きなモザイクが見えたが、あれがカワヤの神様とやらだったのだろうか?

 

「ほら、行くわよ」

「お、おう。なあ、さっきのってマジで神様だったんです?」

「そうよ、アンタたちの国ではヤオヨロズって言うんでしょ。その類」

 トラちゃんさんに急かされ、慌ててズボンのベルトを締めて歩き出す。前を行っているのか、地面に立っているのか、それとも横に寝転がっているのか分からない空間をひやひやしながら進んでいると、通路の床から、天井から、隊員たちの悲鳴がひっきりなしに聞こえてくるものだから、小生としても気が気でない。

 

「あ、あの。トラちゃんさん?」

「何よ」

「同僚たちを助けるわけにはいかんとですか?」

 小生の言葉にきょとんとするトラちゃんさん。

 やがて辺りを窺い始め、

 

「そう言えば、まだ手遅れじゃないのもいくらかいるわね。もうとっ捕まっちゃったり、グロくなっちゃって動かないのは除外していいんでしょ?」

「ちょっと何てこというの……。でも、はい。勿論こちらの安全第一で」

 グロいだの何だのと、知っている声の断末魔が聞こえる中で言うものだから二の足を踏んでしまうが、まかり間違って自分が隊員を見捨てたという事実が外部に漏れてしまうと外聞が悪い。

 

「てか何でアンタ、わざわざ他人を助けるの?」

 だから、トラちゃんさんのこの問いかけに対する答えにも、同僚を助けないという選択肢はなかった。

 

「うん、弱っちいけど。アンタは善き霊のようね。アタシの作る"新世界"の第一村人になる権利をあげるわ!」

 トラちゃんさんは満足げにそう言うと、捻じ曲がった通路の端に生じた隙間から上半身を潜り込ませ、何かを通路の中へと引っ張り上げようとする。その際、色々と見えてはいけないものが見えてしまったことは、見て見ぬ振りを決め込むことにした。

 

「な、ななな何だ!?」

「た、た助け……ッ」

 インフラ班の顔見知り、機動班の強面、資材班、観測班、男女を問わない少なからぬ人数の同僚が、トラちゃんさんによってこの"隠れ場"という空間へと引っ張り上げられる。

「あ、あれ? 見えない何かの襲撃……、は?」

「てか、ここ何処だよ。エッ、お前ヤマダか? ずっとトイレに篭ってたんじゃ……」

「ト、トリックですよ」

 そうして救出した人数が10の大台に乗ろうとした辺りで、

 

「あっ、やば。ちょっとアンタ!」

 通路側に残された下半身をばたばたとさせながら、トラちゃんさんがこちらに呼びかけてきた。

「どうしました?」

「ちょっと、強情なのがいて……。というか、落ちそう。アタシの足持って! 引っ張り上げて!」

「は、はい!」

 見れば、トラちゃんさんのおみ足が今にもずるずると"隠れ場"の外へとずり落ちそうになっておられる。慌てて小生は周辺の同僚に声をかけて、芋掘りの要領で彼女を引っ張り上げようとおみ足を掴んだ。

 

「なあ、ヤマダ。これセクハラにならね……?」

「さあ?」

「うるせえ、良く分からんがとにかく引っ張れ!」

 男たちの野太い掛け声がかかるたびに、トラちゃんさんのすらっとした下半身が、そして細い腰が、更に平坦な上半身がこちら側へと引き上げられる。

 そんな彼女が両手で抱きかかえていたのは、スラブ系の見目麗しい女性であった。

 恐怖のあまりに目元を赤く晴らしていたが、見間違えようのない、インフラ班の同僚連中から身体の曲線美を卑猥な目で見られていた科学調査士官ゼレーニン中尉だ。

 

「あ、あなた達……」

 無事な同僚の姿を認めたゼレーニン中尉は張り詰めた気が緩んだのか、その場に崩れ落ちてしまう。

「中尉!?」

 小生、慌てて抱き支えて呼びかけてみるも反応がない。どうやら、気を失ってしまったようだ。 

 思案する。正直、この曲線美を背負っていくのは役得であったが筋力的な問題で懸念があった。

 だから自分以外に委任することにする。その際機動班は選択肢から外した。この先、他の班員を守ってもらわなければならないからだ。

 故に、頼むならば普段色々と物資の持ち運びが多い資材班。その中でも大柄の人間をあてがうことにする。

「ちょっと、中尉頼みます」

「お、おう」

 幸い、まだ事情を呑み込めていない資材班の人間は納得しかねるという表情ながらも、その背中に彼女を受け入れてくれた。

 と、ここで救出された面々の何人かが、"バケツ頭"越しに渋い表情をしていることに気がつく。

 言いたいことは何となく分かる。多分、情報を欲しがっているのだ。

 

「なあ、ヤマダ。そろそろ事情を――」

「ごめん! アンタ。えっとヤマダって言うの? ちょっと」

 だが、彼らの問いかけはトラちゃんさんの切迫した声にかき消されることになる。

「ニンゲンたちを走らせて。このセクターの魔王に気づかれちゃった」

「ま、魔王?」

「そう、魔王」

 言葉を発する時間も惜しいとばかりに、彼女は早口で返してきた。

 

「もしかして、拙いんです……?」

「うん、すっごくやばい。だから、早く!」

 彼女に突き飛ばされるように背中を押され、小生をはじめとした調査隊の生き残りは一目散にその場を駆け出す。

 もう救助活動などしている暇はなかった。

 わき目も振らずに足を速めて、

「I"=$SQ"%HASD`L+Pp@!?????????」

 後方から何やら聞こえてくる物々しい音にただただ肝を冷やす。

 走らねばならない。逃げねばならぬ。走る。走れ!

 後方で轟く音は段々と大きくなり、直に小さなモザイクが小生らの背後にまで食らいついてきた。

 

「f!$%$'at#$&&'OI'(SUG(A%&"qH%&DYU!」

「bhOI'(S')`pof(%U'YI(OU!!」

「お、お、おおお追いつかれちまったぞ!?」

 爬虫類や両生類、あるいは猛獣の挙動で、大中小の様々なモザイクが右へ左へと跳ねている様に顔を青くした同僚が叫ぶ。

「サノバビッチッ。どけっ」

 機動班の強面が迫り来る一体を作業用ナイフで切り払い、もう一人の黒人隊員が観測班に襲い掛かろうとする中型のモザイクを蹴り飛ばした。

 そして、間合いの開いたモザイクたちに向けて3人目の機動班員が標準装備のマシンガンを向ける。

「食らえ」

 銃口が火を噴き、NATO規格の9mmパラベラム弾がばら撒かれた。

 火線がモザイクのいる辺りを横一列になぎ払い、大型、中型の動きをその場に縫い付ける。

「や、やった……!」

「馬鹿野郎、まだだ!」

 小型が拙い。元より形の安定しない小さな的だ。それをおぼつかない逃走中の反撃では、狙い撃つことも難しい。

 小生も抵抗すべく、手持ちのティッシュを投げつけるなどしてみたが、当然ながら容易に避けられてしまい、効果はなかった。

 

「ひ、ひやっ!?」

 資材班の男性の背中が、ついにモザイクの一匹に捕まってしまった。

 体格に似合わぬ膂力を持っているのか、資材班の身体は後ろへぐいと引き寄せられ、彼に群がらんと小型のモザイクが殺到する。

 

「か、神様――ッ」

「アタシがいるじゃない!」

 今にもその命運尽きようとする――、男性の命を力ずくで救ってみせたのは自称女神のトラちゃんさんであった。

 モザイクたちをむんずと掴み、物理的に引き剥がすという信じがたきファインプレーだ。

 その頼もしき活躍に、資材班の彼女を見る目はまさに女神を見るそれに変わっていった。

 

「ああ、もううざったい!」

 両手で髪をくしゃくしゃと掻き毟りながら、彼女が叫ぶ。

「ヤマダ! こいつら連れてさっさと先に行って!」

「と、トラちゃんさんは!?」

 彼女は腕まくりをしたかと思うと、

「こいつら蹴散らしてから行く!」

 鼻息を荒くして、そんなことを言う。

 

「無茶ですよ!」

「そうだ、俺たちと一緒に来い!」

「女神様!」

 恩人を見捨てまいと声を荒げる彼らに対して、彼女は手で振り払うような邪険な仕草を返した。

 

「うっさい。アタシは女神、トラソルテオトルなのよ。分霊化してるといったって、すぐにやられるようなタマじゃないの。とにかくさっさと離れなさい。良いわねっ!」

 言って、トラちゃんさんはぐるぐると可動域を広げるように回した腕をモザイク連中に向け、

 

「マハブフーラ!」

 通路の一部をモザイクもろとも一瞬で氷の世界へと変えてしまう。

 まさに一瞬の出来事であった。

 

「すっげえ……」

「何だあのハンドパワー」

 あっけに取られる調査隊員に対して、彼女は再び叱責した。

 

「早く先へ行って!」

 ここまで来れば彼女の言葉に歯向かう者は最早いなかった。彼女は、あの不思議な能力でモザイク、いや"悪魔"たちに対抗することができるのだろう。

 小生らは彼女を信じてひたすらに走る。鈍重な身体も、身軽な身体も、皆が息を切らせて必死にこの場を離れようとした。

 

 ――マハブフーラ!

 ――マハブフーラ!

 ――ちょっと敵多すぎなんですけど!?

 ――うっざい! 氷結耐性とかふざけんな! パンチしてやる!

 ――ああ、もう! アタシを怒らせたわねっ。ジャッジメント!!

 ――ぴぎゃっ。

 

 だが、嫌な予感がして小生だけが皆を先へと行かせてUターンする。

 良く分からないことだらけであったが、最後の声を聞いてさっさとこの場から逃げ去るというのは、何か無いなと思ったのだ。

 

 果たして、彼女は四散したり氷付けになった多くのモザイクの中で、黒焦げになってうずくまっていた。

「……しばらく使っていなかったから、ジャッジメントに自傷特性があることを失念していたわ。食い縛りが無ければ、即死だった」

 彼女に話す余裕があることにまずはほっと息を吐き、小生は彼女を担ぎ上げる。

 ゼレーニン中尉と比べて、軽いのが助かった。

 

「追ってくる"悪魔"はもういそうにないんです?」

「んー、とりあえず第一陣は。後は第二陣が来る前に、この場をずらかれば完璧ね。って、"悪魔"の存在信じるの? さっきまで信じていなかったでしょう?」

「流石にもう信じざるを得ませんよ」

「アタシの言うことを信じるなら、それでいいのよ」

 トラちゃんさんは満足げに鼻を高くした。どうにも彼女の機嫌が良くなるポイントが分からない。

 そうして、彼女を肩に担ぎながら調査隊の生き残りたちに合流を果たす。

 彼女は調査隊連中からの歓待ぶりに、やはり嬉しそうな顔を見せていた。

 隊の中から機動班の黒人が小生らの方へと一歩歩み出る。何時の間にやら暫定リーダーが決まっていたらしい。

 

「無事で良かった、二人とも。インフラ班のヤマダに、ええと……」

「トラソルテオトルよ」

「やっぱり。聞き間違いかと思ったが、俺の故郷の女神様じゃねえか!」

 ヒスパニックらしい資材班の一人がその場で「神よ」とひざまづく。最早彼女をただの人間と考える者はいなかった。

 気温、湿度、酸素濃度……。"バケツ頭"のモニターが示す周辺の環境値はおよそ人間が生存できる値を示していない。今、小生らが無事でいられるのは"バケツ頭"こと着脱拡張型・次期能力総合兵器、デモニカ・スーツの備える極地耐性の賜物なのだ。

 それだというのに彼女は平気な顔で柔肌を晒している。

 

 黒人兵士も彼女の尋常ならざるを悟り、胸元で十字を切って感謝を示す。

「軍人家系の軍人育ちだ。恩のある貴女に感謝こそしているが、正しい作法を俺は知らない。許してくれ」

「感謝に形なんか要らないわよ。それで?」

 何か話があるのだろう、と彼女は顎で先を促す。

 黒人はこくりと小さく頷き、行く先を指さして続けた。

 

「先行した機動班がこの先を行き止まりだと言っている。我々はここに籠城するより他に手はないのか? 事態を打開する情報が欲しい」

「ん? 行き止まり? そんなはずはないと思うけど……」

 怪訝そうな顔をしたトラちゃんさんは、よっこらしょっと小生の肩から降りると、その場をうろうろと見回り始める。たまにカニ歩きなどしている様は何というか、至極珍妙な光景だ。正気は確かであろうか。

 

「見つけた。ここ、空間を繋ぐゲートになっている」

「何の変哲もない壁に見えるんですが……」

 小生がそう言えば、へらりとトラちゃんさんの鼻が高くなる。

 

「そりゃあ、光学情報なんかに頼っているようじゃダメよ。やっぱ、女神パワーがなくちゃね。あー、女神ってすごいなー。尊敬されちゃう存在だなー!」

「……打開策があるんだな。ただ、素直に感服する。扉の開閉をお願いできないか?」

 この一瞬で彼女の取り扱い方を察した彼は人使いの才能があるのかもしれない。

「勿論、いいわよ」

 彼のおだてに乗ったトラちゃんさんは自信満々で両手を壁にかざした。

 

「開け!」

 が、何も起こらない。

 

「んー!」

 顔を赤くして力んでいるが、やはり何も起こらない。

 周囲の眼差しが期待から胡乱げなものへと変わっていく。

 その内、肩で荒い息をついた彼女はちょこちょこと反対側の壁へと近づいていき、

 

「開け!」

 壁に空間の割れ目を創出させた。

 にわかに沸き立つ隊員たち。だが、小生は聞き逃さなかった。彼女が「アタシの力に合う扉があって良かった」と呟いていたのを。

 

 かくして、"隠れ場"からの脱出を果たした小生らは、外界へ――、つまりシュバルツバースの内部へと足を踏み入れることに相成った。

 そこは小高い丘になっており、小生らは眼下に広がる度し難い景色を目の当たりにして言葉を失う。

 まるで静脈と動脈が張り巡らされているかのように、赤と青のどぎつい原色で塗りたくられた石造りの建物群がずらりと並ぶ中、その中心部には宮殿を思わせる巨大建造物が見えていた。

 空を飛ぶモザイク。奇怪な叫び声。

 

「おい、ここは南極のはずだろ……?」

「何処からどう見ても、年季の入った歓楽街か何かじゃないか」

 どう見ても人が作ったようにしか見えない風景だというのに、デモニカの観測する環境値は人の生存可能値をぶっちぎりで下回っている。

 人の住めない人工物の世界――。

 あまりのおぞましさに身震いすらする小生らの傍らで、トラちゃんさんが忌々しげに形の良い眉をひそめた。

 

「さながら、"遊びふける国"といったところね。汚らわしい……」

「この光景について何か知っているのですか?」

 小生は問う。致命的に足りていない情報を、今はかき集める必要があった。

 トラちゃんさんは忌々しげな表情で頷き、続ける。

 

「この滅びの地は、ニンゲンの抱く欲望の"反転世界"なのよ」

「それって、ハンマーシュミット博士の提唱する……」

 観測班の連想した仮説は、確か人間文明と異空間の相関関係に関する説のはずだ。

 つまり、目の前の景色には人間の文明が関わっている。

 トラちゃんさんは言った。

 

「そのハンマーなんたらってのは知らないけど、この光景はニンゲンが無制限に快楽を貪った結果、生まれたわけ。他にも色んな世界が生まれていると思うわよ」

「他にも反転が……。えっ、ちょっと待ってください」

 彼女の説明に観測班が目を見開く。

 

「シュバルツバースとは、単なる自然現象なのではなく、人間の精神活動が生み出した……。つまり、とんでもなく規模の大きな"公害"ということなのですか!?」

「有り体に言えば、そうなるわね」

 因果応報、という言葉が脳裏に浮かんだ。

 隊員たちが思い思いに呻き声をあげる。それも無理からぬ話であるだろう。

 この謎深き地にやってきた小生らは、上役であるシュバルツバース合同計画から「空間の破壊に繋がる情報を持ち帰ってこい」と命じられていた。

 だが、蓋を開けてみれば異空間の創出という前代未聞の現象であったとしても、その要因は単なる"公害"。

 "公害"ではダメだ。"公害"を解消するためには、既存の人間活動を縮小・制限させる必要がある。

 そんなことを、各国の寄り合い所帯である合同計画が決断できるはずがない。

 まず、某国と某国が制限内容を巡って対立を始めるであろう。結果として、戦争すら起こりかねない。

 人間側に問題があるということは即ち、我々に打てる手はないということなのだ。

 ずんと圧し掛かった絶望に皆が項垂れる中、トラちゃんさんは天を仰いで更に続けた。

 

「この地には"世界"を作り替える力がある。地球の自浄作用とでも呼ぶべき力が。今までに何度もあったことでね。自浄作用がニンゲン文明を一掃しようとしているのよ」

「……まるで、『創世記』の"大洪水"だな。いや、もしかするとあの神話も本当にあったことなのか――」

 黒人がやるせなさそうに言った。

 沈黙の帳が下りたところで、人の住まぬ歓楽街にぽうっと明かりが灯る。

 宮殿が移動式のスポットライトで照らし出され、周囲に囲むモザイクたちが踊り狂う。

 彼らの発する音声を、"バケツ頭"の聴覚センサーが傍受した。勿論、意味は理解できない。だが、まるで小生ら人間という存在を嘲笑っているかのように感じられた。

 

「ねえ、アンタ」

 どうしたものかと途方に暮れる小生に対し、トラちゃんさんは窺うように声をかけてくる。

 

「ヤマダだっけ。アンタ、アタシに協力してくれるって約束だったわよね?」

「へ、あ。はい」

「それ、ちゃんと守ってくれる?」

 何かを恐れる表情であった。

 正直、彼女が一体どんな感情を抱えているのか、人間たる身では想像もできない。

 だから、小生としては今までの人生訓に従って彼女に返答するしかないのである。

 

「そりゃあ、約束は守りますが」

「本当に?」

「はい、本当に」

「本当に? 本当に?」

「ちょっと疑り深過ぎやしませんか!?」

 小生が抗論すると、彼女はようやくほっとしたように満面の笑みを見せてくれた。

 

「良かった」

 そして彼女は決意を湛えた瞳を揺らし、小生へと手を差し伸べる。

 

「アタシの目的は、滅びの地に一面のトウモロコシ畑と草原を作ること」

「トウモロコシ畑を?」

 思わず聞き返してしまうが、納得もした。

 何せ、彼女は先ほど自身を豊穣の女神と称したのである。

 豊穣の女神が畑を作ろうというのだから、これほど道理にかなった発言はない。

 

「うん、そう。まだここは誰の者でもない土地がいっぱいあるからね。アタシにもワンチャンあると思う。そして、生き物もいっぱい住まわせるのよ」

 彼女は固めた握り拳を天へと向ける。

 天には巨大な月が浮かんでおり、不気味な光を大地へと降り注いでいた。

 彼女の拳は、まるで月を打ち砕かんとしているようにすら見える。

 

「ニンゲンがこの世界に今の文明を築き上げてからも、ここではない世界でも、アタシの居場所は無くなったから」

 唇を強く噛み締め、彼女は更に宣言する。

 

「今度こそはちゃんと豊穣の大地を作ってみたいのよ。誰にも縛られることのない、アタシだけの"箱庭"を」

 気づけば、調査隊の面々も静かに彼女を見つめていた。

 これは"神託"だ。

 同僚の安否、1号艦"レッドスプライト"号をはじめとする他艦の動向。そして艦の壊れた自分たち"エルブス"号の生き残りに、元いた場所へと帰る術はあるのかなど――。その他諸々の課題と共に、「恩人の願いを叶えねばならぬ」という新たなミッションが刻み付けられたことを自覚する。

 

「それで、その畑を作るために何をすればいいんです?」

 だからこそ、自然に協力を前提とする問いかけが口をついて出てきた。

「僕も協力しますよ! 恩返しをさせてください!」

 資材班が小生に続き、

「まずは、我々に課せられたミッションの遂行と生存が先だとは思うが……、そのついでで良いのならば協力関係も結べるだろう」

 黒人の機動班員もまた、この流れに同意する。

 その後も続く隊員たちの乗り気な反応に、トラちゃんさんが端正な顔をくしゃりと崩した。

 

「アンタたち……。アタシ、今信者に囲まれて最高に女神っぽくなっている気がするわ!」

 というよりはヒーローなのだよなあと思わないでもなかったが、地獄の中に生まれたこの微笑ましいやり取りを邪魔しようとも思えない。

 有頂天になったトラちゃんさんは、腰に手を当て斜に構えた体勢で髪を指でかきあげて、隊員たちにとミッションを命じる。

 いや、メインミッションを調査隊関連のミッションだとすると、これは差し詰めEXミッションであろうか?

 彼女は言った。

 

「そうね、とりあえず――」

 隊員たちがごくりと息を呑む。

 

「ええと――」

 EXミッションの発令をただ待ち続ける。

 

「ええと……。思いつかないから、とにかく生存重視で行きましょう? まず、"悪魔"たちとかちあわないよう、こそこそ拠点を作るのよ!」

「そりゃ、言われなくてもそうしますがな」

 隊員たちの肩から力が抜けた。

 この間の抜けた女神様は、どうやら自分たちでフォローしてやらなければならぬらしい。

 そんな奉仕の心が隊員たちの間に伝染していくのを小生は確かに感じた。

 




【メインミッション】
 "エルブス"号の奪還。悪魔に囚われた隊員の救出。他艦への救援要請。
【EXミッション】
 暫定拠点の構築。

【悪魔全書】
名前  トラソルテオトル(分霊)
種族 女神
属性 LIGHT―LAW
Lv 1
HP 70
MP 72
力 8
体 9
魔 9
速 4
運 2

耐性
氷結 耐
破魔 耐
呪殺 無

スキル
マハブフーラ ジャッジメント メディラマ リカーム 食いしばり 勝利のチャクラ


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シュバルツバースで遭遇する危機と便意

 先行した機動班の作るハンドサインは「こちらへ来い」を指し示していた。

 3号艦"エルブス"号の生き残りたる小生らは、息を殺して機動班の背に従い、人の住めぬ歓楽街を物陰から物陰へと移動していく。

『解析を開始します。解析を開始します……』

 一行は大通りに比べて物静かな小路へと入り込む。すると耳元で"バケツ頭"の通知音声が周辺環境の変化を知らせてくれた。

 音波探知、電磁波探知、放射線測定、サーマルセンサー……、ありとあらゆる内蔵センサーが目まぐるしく働き、目の前の小路が小生らにとって著しく危険なものであることを予告してくれる。

 解析の結果を受け、通信機越しに先行する強面の隊員が忌々しげに呟いた。

 

「……ここを通るのは無理だ。デモニカスーツをもってしても人体に看過できぬ悪影響が出る」

 差し詰めダメージゾーンとでも言えばよいのだろうか。

 医療設備が充実していれば強行突破もあり得ただろうが、今の小生らは補給を受けられぬ孤立無援の状態であった。

「けど、迂回路もないでしょう? 付近の大まかなマッピングは終えてありますが、"エルブス"号は間違いなくこの方向へと進んだところにあるはずです。いち早く母艦にたどり着くことが、今の我々のミッションでは?」

 観測班の言葉に一同は渋面を深める。

 彼の言うことも尤もで、小生らには早急に母艦へと戻らなければならぬ理由があった。

「急がば回れという言葉も、アジアにはある」

「いっそのこと、班を分けてみては?」

「それはダメだ。各個撃破の的になる」

 隊員たちの言葉に熱気が籠もり、共有の無線回線がにわかに騒がしくなる。

 船頭多くしてというわけではないが、こう言う時は民主的に答えを見出そうとしても駄目だ。後に禍根を残すことを小生は経験則で知っている。

 小生と同じ結論に至ったのか、暫定リーダーを努める黒人隊員が口を開いた。

 

「……迂回しよう。直行したところでこの先に道が続いているとは限らないからな。リスクは可能な限り排除するべきだ」

 隊員たちが静かに頷く。一度全体の方針が決まれば、話は早い。皆が皆、この危機的状況で我を張る危険は重々承知しているのだ。

 即座にしんがりを努めていた機動班の隊員が先行役へと早変わりし、

 

敵性存在(エネミー・アピアランス)。インジケータに感あり! あぁ……、サノバビッチ。"奴ら"が来た」

 引き返そうとしたところで、大通りをふらふらと動く影を複数目視できた。

 生気のない眼に青黒い不気味な肌。それに、不自然なほど膨れ上がった腹。トラちゃんさんはあれを"ガキ"と呼んでいた。

 恐らくは故郷に伝わる餓鬼のことだろう。言われてみれば高校時代に何処かで見かけた地獄絵図で見かけたものに良く似ている気もするが、大事なことはあれが"悪魔"だということだ。

 

「あっ! ちょっと皆、こっちに隠されたゲートがあるわよ!」

「助かる……! 全く女神様の加護がなければ、俺たちは今頃悪魔の腹の中だろうな……」

「もっと誉めてくれてもいいのよ?」

 我々の"女神様"と見比べるように、"悪魔"たちの醜悪な姿を視界の端に捉えつつも、小生は隊の後尾に付き従う。

 そう……、"悪魔"である。

 小生ら"エルブス"号の生き残りは、何時の間にやら"悪魔"を認識する手段を入手していたのであった。

 

 

「ええと、ごめんなさい。まだ状況の整理ができていなくて……。つまり私たちは突入任務に失敗し、シュバルツバース内に閉じこめられた。そして、孤立無援の私たちをその、女神様が助けて下さった……、ということなのかしら?」

「んー、成り行き上はそうなるわね」

「ああ……、ああ、ごめんなさい。あの時私は女神様に酷いことをしてしまったわ。折角私を助けようとして下さっていたのに」

「別に良いのよ! 元々、ヤマダとの契約のついでだったしね」

 顔をくしゃりと歪めて申し訳なさそうにする、ゼレーニン中尉に対して、気にするなと言いつつも何処か誇らしげなトラちゃんさん。

 これがシュバルツバース内のやり取りでなければ、微笑ましい光景だったことだろう。だが、小生らの置かれている状況は依然として危機的であり、彼女らの傍では他の隊員たちが大激論を交わしていた。

 

「母艦にはダチが取り残されているんだ! ここは一刻も早く救出に行くしかないだろう!!」

「バカ言うな! 化け物どもと戦うにしたって、弾が要る。もういくらも残っていないんだぞ!」

「仲間を見捨てるっていうのかよ!」

「そもそも生きているという保証がないと言っているんだ!」

 このセクター……、小生らが最初に足を踏み入れたA番目の土地という意味で、通称"アントリア"と呼ぶことになった世界において、小生らは"魔王"なる存在の遣わした追っ手を撒き、ひとまずの安全を確保することに成功した。

 安全が確保できた以上、生き残りを糾合したこの混成部隊は次なるミッションを定めなければならない。

 が、いざブリーフィングをする段になって、隊員たちの意見が真っ二つに分かれたのである。

 

 まず、"エルブス"号の奪還と仲間の救出を試みようとする意見。これはシュバルツバース調査隊発足当時から参加している古株の隊員が強く主張した。帰属意識と同胞意識が、彼らの義侠心を駆り立てているのであろう。

 そしてこの意見に真っ向から対立する意見が、とにかく生存環境を確保して、デモニカスーツ内蔵の通信機能を使い、他艦の救助を待とうというものであった。

 前者は感情が先行していて、後者は理性が勝っている。はっきり言って、どちらにも分がある以上はどのような結果に落ち着いても隊の団結にしこりを残すことになると思う。

 

 小生の胃がきりきりと痛む。

 本当に嫌な空気だった。自身の経験則から考えてみると、こういう空気になってしまった場合、十中八九仲間割れが遠からずに起こるのだ。

 近い未来に敵対者から向けられる敵意を予測し、小生の腹がぎゅるぎゅると鳴った。

 

「ゼレーニン中尉はどう思うんだ!」

「わ、私は状況がまだ掴めていなくて」

「まさかアンタまで仲間を見捨てるなんて言うなよ!?」

 ああ、来た。来たぞ。にっちもさっちもいかなくなった対立が傍観者にまで飛び火してきた。このままでは小生にも意見が求められる。

 胃の痛みに耐えかねて、小生は救いを求め、トラちゃんさんを見た。

 

「……何よ、ヤマダ」

 彼女は困惑した表情で、隊員たちの対立を遠巻きに見ておられた。

「いや、女神様なら何とか導けないかなー、と思いまして」

 人ならぬ女神様ならば、ヒト猿の諍いをうまく収めることができるかもしれぬと期待してはみたものの、女神様のお答えはすこぶる渋いものであった。

 

「無理。と言うかアタシ、ニンゲンの信仰を失ってもう百年も千年も経っているもの。正直、今のニンゲンは考え方がめんどくさすぎて良く分からないわ。便利な道具を作るようになったなーくらいにしか」

「良く分からない、ですか」

「それに、もしアタシがどちらかに(おもね)る判断を下したとして、一時反対派を押さえつけたとする……。でも確実に不満は溜まるわけで、下手をするとアタシに矛先が向くじゃない。アタシ、折角得た信仰を失いたくない」

 正論であった。ぶっちゃけ、小生の言っていることは責任をトラちゃんさんに丸投げするだけの他力本願な提案だ。

 彼女に得がない以上、断られるのも無理からぬことではあった。

 

「アルパカかリャマなら、群れのボスが何となく方針を決めて、皆も何となく従っていくんだけど……」

「リーダーの存在ですか」

 自然と、暫定的に皆をまとめる立場へと就いた黒人隊員へと目が行く。

 彼は静かに目を閉じ、皆の言い分を聞く傍観者へと回っていた。

 

「だから――」

「それは――」

 口論は平行線を辿り続け、自然と皆が黒人隊員の動向を注視するようになる。

 黒人も皆の頭が冷えてきたと見たのか、ようやく閉ざしていた口を開いた。

 

「……諸君、我々は今、危機に瀕している」

 彼の物言いは、1号艦"レッドスプライト"号に乗艦する調査隊隊長を思わせるものであった。

 隊長と彼は同じ国の軍人出身だそうだから、何らかの影響を受けているのかもしれない。

 

「だが、決して楽観視できる状況にはないとは言え、ミッションの障害を一つ一つ取り除いていけば、必ずや活路は開けるだろう。"レッドスプライト"号のゴア隊長なら、きっとこう言うはずだ。『諦めるな』と」

 隊員たちの顔つきが変わった。個としてバラバラになった各自の心が、集として再びまとまりつつある。

 

「まず問題意識の共有を図り、大目標を定めよう。大目標を"現状の建て直し"とするところに皆の反論は無いと思うのだが、どうか?」

 隊員たちが頷いた。黒人は身振り手振りを交え、熱弁する。

 

「こういう時は、問題点を洗い出すんだ。必ず、何か改善点が見つかる。機動班。現状の問題点は何だ?」

「戦力の不足。それに、銃弾があと2、3戦分ほどしか残っていない」

 機動班の指摘は、ともかく継戦能力の無さに重きが置かれた。黒人は頷き、続ける。

 

「資材班。君たちの考える問題点を教えて欲しい」

「……何をするにも資材が足りません。このデモニカスーツも母艦の充電で動いていた以上、何処かでエネルギーの補給源を確保する必要があります」

 資材班の指摘は、この部隊の余命宣告にも等しいものであった。

 例えば、篭城する際に必須となる水分の確保はデモニカの水分循環機能をフル稼働すれば1ヶ月は余裕で持つ。

 また、人体の必要とするカロリーも栄養剤の注射で2週間近くは賄えるだろう。

 だが、動力だけはどうにもならない。この着脱拡張型・次期能力総合兵器は局地活動に特化したハイテク兵装であり、自前の蓄電だけでその高機能を発揮することはできないのだ。

 隊員たちの意識にある、何処かに籠城するという選択肢がにわかに現実味を失っていく。

 黒人が苦々しげに言った。

 

「つまり、我々には"エルブス"号が絶対に必要ということだな……。良し、奪還プランを一考に入れる。観測班からは何かあるか?」

「北方に"エルブス"号と思わしき大型の金属反応を捉えています。反応を辿れば母艦へ辿り付く事自体、不可能ではないでしょう。それに、我々には逃走に用いたあの不可思議な"通路"もあります」

「秘神の"隠れ場"はダメよ。もう"遊びふける国"の魔王に目をつけられちゃってるもの」

「では、やはり別ルートを模索するより他にないのでしょうね……」

 と、ここで観測班とトラちゃんさんのやりとりに、機動班の強面が口を挟む。

 

「そもそも奪還できるのか? "エルブス"号は飛行中のプラズマ・シールド展開中に撃墜されている。つまり、我々は万全の状態で母艦を物理的に奪われている訳で、突入時より少ない人員で奪還を行うミッションにはリスクしかないと考える」

 成る程と皆が頷かされた。

 しかし、こうも八方塞の現状を突きつけられると頭が痛くなってくる。

 奪還の望みは薄く、篭城するにも補給がない。いくら、しばらく水も食べ物も要らないとはいえ……。

 

「アッ」

 水という言葉で思い出す。そういえば、用を足してから小生はまだ手を洗っていなかったのだ。

 冷や汗がどっと流れ落ちる。

 まずい。どさくさに紛れてウンコマンの汚名を有耶無耶にできたというのに、ナンカニオウマンがすぐ近くにまで忍び寄ってきていたとは。

 更に記憶がフラッシュバックする。

 ゼレーニン中尉が倒れ掛かったその時、小生は拭いていない手で彼女を抱き留めてしまった。これはもう間接スカトロではないだろうか……?

 どうしよう。意識した途端、急に手を洗いたくなってきたぞ。それにストレスからまた便意がうずき始めてきている。だが、手近に便所はない……。

 

「インフラ班のヤマダ隊員。どうした? 何か思うところでもあるのか?」

「あ、いえ」

「どうか忌憚のない意見を言ってくれ。君の優秀な"経歴"は俺も知っている。平和維持活動で東ヨーロッパに出向した時、君の話を聞かぬ日はなかったからな」

 ほう、と辺りから息が漏れた。不意に来るプレッシャーに小生の尻からも息が漏れそうだ。

 しかし、急に水を向けられると正直困る。

 小生という人間は挫折と妥協の申し子であった。新しい何かを生み出す能力に欠けるし、誰かに引っ張ってもらわないと何もできない。

 だからこそ、高校野球でキャッチャーとして好成績を残しながらも「手っ取り早く確実なお金が必要だったんだ」と辛うじて引っかかったプロの育成枠を蹴飛ばして自衛隊入りした友人に巻き込まれて人生航路を迷い始めてしまったわけで、こういう難題の解決者としては致命的に向かないのである。

 

「し、小生は"外様"ですから」

 とりあえず、逃げ道を模索しようとごねてみるが、黒人は苦笑いしてこう続けた。

「この限られた人的資源で、内だの外だのを論ずるのはナンセンスだ。ゼレーニン中尉も客員士官で、インフラ班はほとんどが外部の出向員……。全体の30%以上を占める層をマイノリティと呼ぶべきではない。そう思わないか?」

 一同から笑いが漏れて、張り詰めていた空気が緩んでいった。畜生、何て皮肉の効いたジョークなんだ。ジョークで人の逃げ道を防ぐなんてずるい。優雅か。

 

「何なら、隊の皆を納得させるために君の"武勇伝"を語っても良いのだが」

「分かりました。ちょっと考えてみます!」

 もう観念のしどころであった。

 目の前の黒人隊員から尻尾でも生えていやしないかと睨みながら、定められた大目標からハードルを徐々に下げていく。

 

「"エルブス"号の奪還は無理なんですよね?」

「機動班の見解ではそうなる。個人的にも望みは薄いと感じているな」

 となると、奪還対象のハードルを下げていくのが妥当だろう。

 頭を捻り、言葉を続ける。

 

「ならば、"機能"の奪還ならばどうでしょうか?」

「我々には君の説明が必要だな。続けてくれ」

「要するに小生らが何故"エルブス"号を必要としているか、なんです。銃弾がないなら、"エルブス"号に潜入して銃弾を確保するだけでもミッションは達成できます。エネルギー源が必要なら……」

 ここで資材班が声をあげる。

 

「"トカマク型起電機"さえ手に入ればいいのか!」

 小生は頷いた。

 

「"エルブス"号のエンジン・リアクターである"トカマク型起電機"は半永久的に大出力を生み出すエネルギー炉です。持ち運びの困難な大きさでもありませんし、これさえ艦外に持ち運べればエネルギー問題は解決します。それに加え、予備のデモニカスーツさえ手に入れば、トラちゃんさんの言う『この世界の何処かに拠点を作る』こともさほど難しくはなくなるでしょう」

「そうなの!?」

 トラちゃんさんが目を輝かせて食いついた。小生は続ける。

 

「これは希望的観測になるんですが、デモニカスーツには高度な空気浄化装置が備わっています。ならば、"トカマク型起電機"と複数のデモニカスーツを直結させることで小さな密閉環境を人間の活動に適した空間へ作り変えることもできるんじゃないでしょうか?」

「……資材班、彼の言う案は無理筋か?」

「……可能です。というか、そうか。完全に拠点を移すなんて発想、盲点だったなあ」

 資材班がお手上げとばかりに両手を挙げて降参のポーズを取った。

 黒人隊員もまた思案げに口元へと手を当てた後、小生の案に賛同する。

 

「潜入任務は仲間の救出任務と兼ねることもできる。これで直近のミッションが決まったな。諸君、我々は現時刻をもって『"エルブス"号潜入任務』を発動する!」

 先ほどまで対立していた隊員たちが、意気揚々と手を上げて応えた。

 小生も皆に合わせて手を上げる。

 上手いこと思惑が順調に進んだものであった。実のところ、先ほどから腹の調子がやばいのである。

 早急にトイレへと駆け込まねばならぬ。

 故に皆が「お前やるな!」と肩や背中をぽんと叩く行動も割と致命的であり、小生は顔色を保つのに必死であった。

 

「いや、助かった……! これで仲間を助けに行ける」

「は、はい。ですが、なるべく戦闘は避けなければ。残弾数も心許ないのでしょう?」

 特に深い感謝を示していた古株の機動隊員に暴走せぬよう釘を刺しておく。

 この状況下で戦闘要員を失うわけにはいかないのだ。

 古株は緩めた表情を締め直し、

 

「……そうだな。なるべく、"悪魔"を見かけたら隠れて進むようにすべきだろう。近接武器で倒せる相手なら奇襲をかけてもいいだろうが……」

「ん?」

 今の言葉、何か小生との間に認識の齟齬があるよう感じられた。

 

「"モザイク"で倒せる倒せないをどう判断するのですか?」

「初見の"悪魔"は警戒すりゃ良いが、すでに解析の済んでいる"悪魔"ならば対処できるだろ」

「んん?」

 ようやく、何処に齟齬があるのか分かってきた。どうやら、彼には一部の"悪魔"が見えているようだ。

 

「デモニカの機能で"悪魔"の解析と認識ができるのですか?」

「俺は機動班だから解析も早く済んだんだよ。……もしかして、"悪魔召喚プログラム"。追加アプリの通知が来ているのに気がつかなかったのか?」

「そもそも、小生は追加アプリをインストールできる環境に無くて……」

 はあ? と周りの隊員が詰め寄ってきた。

 

「もしかして、ビジターモードで着用してるのか? さっさとデモニカ・セッティングやっちまえよ。拡張機能を解禁しなきゃ、こいつは単なる宇宙服だぞ」

「と言われましても……」

 止むに止まれぬ事情があったのである。

 実は小生、機動班の説明後にはちゃんと大人しくデモニカ・セッティングを進めていたのだ。しかしながら、パーソナリティ診断プログラムを終えた辺りで投げかけられた最後の質問が難問であった。

 

『……最後の質問です。貴方はこのミッションが成功すると思いますか?』

 小生は即座に『分かりません』と回答した。成功すると言って、もし失敗した時責任を押し付けられたらたまったものではないからだ。そんな未来を想像するだけでも胃が痛くなってくる。

 だが、このAI様は小生の回答を『エラー』と言い張り、断固として受け付けてくれなかった。仕方が無しにビジターモードで起動して、今の今に至るわけである。

 小生がそう皆に説明すると、何やら生暖かいまなざしが返ってきた。止めてくれよ。お腹が痛くなるじゃないか……。

 

「そこは嘘でもいいから、成功すると答えとけよ」

「回答を録音して、後で裁判にかけられたりとかしません?」

「お前、どんな悲惨な人生送ってきたらそんな発想に至るんだ?」

 いい加減、周囲の反応に居た堪れなくなってきたため、デモニカ・セッティングを再起動する。

 

『ようこそデモニカ・セッティングへ。これから、あなたに最適のデモニカ反応システムを構築するための"パーソナリティー診断"を行います。この後に出されるストーリータイプの設問に、自然に、偽ることなく回答してください 』

 偽ることなく回答したら拒否してくれたじゃないかと内心毒づきつつ、ぱぱっと以前の回答をなぞっていき、最後の質問に対しても「皆の意思を一つにできれば、ミッションの完遂も夢ではないと思われます」と答える。

 AIから「エラー」の言葉は返ってこなかった。

 しかし、隊員たちから呆れた目を向けられる。

 

「ヤマダ……。お前、責任を俺らに今投げただろ」

「そんな、ことは……?」

 胃が痛い。小生は皆の顔を素直に見ることができなかった。

 

 

 

 

 こうして、小生らは迫り来る危機を回避し、あるいは迅速に排除しながら"エルブス"号を目指した。

 頭上では不気味な月が外界とは段違いの速度で満ち欠けを繰り返している。デモニカの原子時計ではまだ一日と経っていないのに、満月と新月を代わる代わるに見続けたお陰で、もう何日も探索を続けさせられているかのような気分だった。

「見えました。"エルブス"号です!」

 終わりの見えない隠密を重ね、そろそろ後方人員の体力が尽きようというその時、ようやく観測班の打ち上げた気球型カメラが、ハッチを無理やりこじ開けられた"エルブス"号の姿を映し出す。背の高い建物を挟んではいるが、彼我の距離は100メートルほどで、周囲に"悪魔"の反応は無い。

 よもや天佑かと声にならぬ喝采をあげる隊員たち。が、まだ油断はできない。何故なら、"エルブス"号は敵の手に落ちていたのだ。

 小生も思わず真顔になった。そろそろ腹の限界も近い。

 ぎゅるぎゅると鳴る腹を小生が抱えつつ、黒人隊員の指示に耳を傾ける。

 

「……ミッションの再確認をしよう。まず、潜入は機動班と資材班が中心になって行う。観測班などの後方人員は付近に潜伏し、"エルブス"号に悪魔の出入りがあったらこれを潜入チームに報告する。潜入チームの最優先目標は"トカマク型起電機"をはじめとする各種資材。途中、生き残りの隊員がいたらこれを助ける。何か質問は?」

「あのっ」

 慌てて小生は口を挟む。今の指示に大人しく従うと、小生は便所に駆け込めないという理屈になる。それだけは避けねばならない。

 

「小生も潜入チームに加えてください」

「……ヤマダ隊員を潜入チームに加えると、後方の守りが薄くなってしまう。あの女神様は君の傍を離れられないんだろう?」

 道中に気がついたことだが、トラちゃんさんは現状単独で行動ができないらしい。

 彼女曰く「契約者が未熟だから」だそうだが、確かに黒人隊員の言う通り、小生が離れては後方が無防備になってしまう。

 ぐうと腹が大きく鳴った。

 

「チームを危険に犯してまで艦内に行かなければならない理由があるのか?」

 強面が黒人隊員に便乗して言った。

 確かにいかに腹の調子が悪いと言えども、チームの規律を乱すべきではない。

 他人の命と社会的名誉。秤にかけて、傾く方向は明らかだ。

 大人しくウンコモレルマンの称号を受け入れることにして、「アッハイ」と答えようと口を開いたところで、

 

「けど、ヤマダはカワヤで秘神と約束したじゃない。『戻ってくる』と言った以上、神との約束は守らなきゃダメよ」

 思わぬところから援護が入った。

 思わず、トラちゃんさんを見る。

「何よ?」

 彼女は青髪をなびかせきょとんとしていたが、まるで後光が差しているかのように眩しく見えた。

 黒人隊員が問う。

 

「女神様、秘神とは何者だ?」

「アンタたちが逃げ道に使った"隠れ場"の管理者よ。ヤマダは神と約束をしているから、会いに行かなくちゃダメだわ」

「あの空間の……」

 彼女の言葉に黒人隊員は思案し、後方人員に目を向けた。

 

「この謎深き地で貴重な協力者だ。君たちにはしばらくリスクを負ってもらうことになるが構わないか?」

 後方人員が思い思いの反応を示す。が、強硬に反対する者はいない。

 

「正直足が震えて仕方ありませんが、それが必要なら受け入れますよ。チームのためにも」

 観測班の一人が放った言葉が小生の心に突き刺さる。めっちゃ私心で動こうとしていたよ……。

 小生はチームメイト失格だよ……。

 

「……こんな恐ろしい場所で神様との約束を反故にするべきじゃないと思うわ。私はリスクを仲間に強いてでも、ヤマダさんに向かってもらう必要があると思う」

 ゼレーニン中尉のナチュラルな援護が、居たたまれなくて辛い。

 更にインフラ班の同僚には肩を叩かれる。

 

「……ついでに用も足して来い」

 小生の涙腺が決壊した。

 

「決定だな。ヤマダ隊員には女神様という護衛がついている以上、単独行動が許される。速やかに秘神と接触し、可能ならば協力を取り付ける。それができなければ、さっさと後方人員に合流。このプランで問題ないか?」

 黒人隊員の言葉に、隊員全員が頷く。

「良し、今は時間が惜しい。決断はファストに、ベストを選ばずベターに行こう。それでは機動班、資材班、ヤマダ隊員、突入の準備を」

「えっ、あっ」

 準備って何すりゃ良いの、と問える雰囲気ではなかった。

 

「5秒後に潜入作戦を開始する。5、4……」

 潜入チームの皆が物陰から飛び出す体勢をとる。小生も前のめりになった。

 

走れ(ゴー)!」

 そして黒人の号令の下、機動班を先頭に潜入チームが腰を屈めて走り出す。皆、思い切りが良い。体力的には負けていないが、後ろについていくので精一杯だ。

 一つ目の角を曲がる。敵性の"悪魔"は見られない。

 更に二つ目。クリア。

 そして"エルブス"号まで後20メートルと言う小路の出口で、

 

『ギッ』

 

 歓楽街を我が物でうろつくガキの集団と出くわしてしまう。

 

「サノバビッチ!」

 強面が毒づき、ホルダーから作業用ナイフを取り出した。黒人ともう一人の機動班もそれに続き、一斉に"悪魔"の群れへと飛び掛る。

 まず、強面が一合でガキの首を半ばまで断ち切り、一体を仕留めることに成功した。別の一体に襲い掛かった黒人の一撃はガキの胸元を貫いているも、まだ暴れまわる余力を残しており、絶命には程遠い。もう一人は攻撃を避けられ、距離を取られてしまっている。

「リーダー、敵を纏めて!」

「分かった!」

 ここでトラちゃんさんのフォローが入る。

 彼女の意図を察した黒人隊員が痛みにもがくガキを残る一団の方へと蹴飛ばした。

 幸い、距離を取った一匹も集団と近い位置にまで逃げている。彼女が"隠れ場"とやらで見せた超能力ならば、十分に掃討が可能だろう。

 あの、氷を呼び出す超能力ならば……!

 

「どおりゃー!」

 果たして、彼女はガキの集団に飛び掛った。

 青黒い化け物どもを千切っては投げ、千切っては投げ……、氷の超能力は……?

 

「こいつら、氷結に耐性があるの!」

 だったら纏めなくても良かったんじゃと思わなくも無かったが、確かに彼女の身体能力は凄まじかった。

 拳の一振りがガキの骨格を陥没せしめ、足を持って振り回された一体などは地面に半ば沈んでいる。

 

「女神様はこえー女だな!」

 逃げるように集団から離れた最後の一体を強面が組み伏せ、その首元に作業用ナイフが刺し込まれる。

 時間にしてみれば、ほんの一瞬。だが、驚くほどに濃密な戦闘を目の当たりにし、小生をはじめとする非戦闘員は思わず息を呑んだ。

 為す術なく"エルブス"号を奪われてしまったと言っても、機動班は戦闘のプロフェッショナルなのである。

 

「騒ぎを"悪魔"どもに嗅ぎつけられると厄介だ。一刻も早くここを離れるぞ」

 少し焦りを匂わせる声色で黒人隊員が言った。

 皆もその言葉に頷き、"エルブス"号のハッチを駆け上がる。

 

 内部は電源が落ちているため、赤外線センサーに頼る必要があった。

 悪魔の存在は感知できない。が、生きている人間もまたいなかった。

 ハッチには散乱した備品と既に物言わぬ骸と化した同僚だけが残されている。

 その同僚も"悪魔"に一部を食われたようで、とても正視できるものではない。

 

「畜生、"悪魔"どもめ……!」

「怒りで我を忘れるな。まずは資材室へ向かうぞ」

 そう言って、黒人隊員は小生とトラちゃんさんを見る。

 

「我々はまず資材室で補給とデモニカスーツの回収を行った後、医務室、艦橋、生活スペースを見て回る。動力室で"トカマク型起電機"を回収するのは帰還する直前になってからだろう。ヤマダ隊員……、君とは別行動になる。幸運を祈っておこう」

「そ、そちらもどうかご武運を……」

 黒人隊員は無言で支給されたマシンガンをかちゃりと鳴らし、隊員を引き連れ資材室へと向かっていった。

 何というか、物凄く人徳に溢れた人間だと思う。生来のリーダー気質と言うべきか。

 こういう人物が生き残ったことは、小生らにとってまこと幸運だったに違いあるまい。

 

「ヤマダ、アタシたちも向かうわよ」

 もう一人の幸運であるトラちゃんさんが肩を小突いてきたため、小生も目的を思い出す。

 カワヤの神様との約束を果たし、便所を綺麗にするのである。ついでに用も足さないと。

 ……正直、他の隊員に申し訳なさ過ぎて涙が出た。

 だからこそ、せめて駆け足を早める。

 

「……早く皆に合流しなきゃですもんね」

 小生が篭っていた便所は生活スペースの一角にあった。

 男女の便所が複数並んでおり、その内の一つで用を足したのだ。

 目的地にたどり着いた小生は男性用と書かれたドアのノブを掴み、

 

「あれ、水を流せるようにしなきゃいけないんじゃないか……?」

 と今更ながら、致命的な問題に気がついた。

 現状、"エルブス"号は電気が通っていない。そして、この便所はオール電化だ。

 

「どうしたの? 目的地じゃない」

「いや、水を流す方法がね」

 ……思案する。

 一瞬でも操作パネルに電気が通れば、水洗機構が作動するのだから、何らかの手段で電気を通さなくてはならない。

 予備電源を起動させるべきだろうか?

 いや、それでは"悪魔"が艦内に残っていた場合、小生らの侵入を知らせることになってしまう。

 

「……あっ。デモニカの動力を流し込めれば良いのか?」

 それなら、インフラ班である自分の領分だ。

 ドライバー類の必要工具は常備しているから、必要となるのは動力を流し込むコード類くらいだろう。

 とりあえず手近な個室のキーパネルを分解して、コード類を調達する。

 こういう時にオール電化な環境は素材に苦労しなくて良い。

 

「これ壊しちゃっていいの? こんなんなっちゃったら、叩いても直らないわよ……?」

「昭和のおばあちゃんみたいな物言いを……。大丈夫ですよ。直そうと思えば直せます」

 不安げなトラちゃんさんに言葉を返し、再び便所のドアノブを掴む。

 確か、鍵はかけていなかったはずだ。便所に駆け込んだ時の小生は、色んな意味で余裕がなかった。

 意を決してノブを捻ると、ドアはすんなり開かれる。

 

 

「すいません! 掃除しに来ましたっ! 後、できたら小生らに力を貸していただけないかと――」

 が、ドアの向こうに広がる景色は小生の想像しているものとは違ったものであった。

 だだっ広い漆黒の空間に、ぽつりとモザイクが鎮座している。

 

「ヤマダ! 逃げるわよ!」

「えっ、あっ……?」

 焦りを帯びたトラちゃんさんの言葉を遮るようにして、小生とトラちゃんさんの体が謎空間への吸い込まれてしまう。

 そして、ドアが独りでに閉まった後は、この空間から跡形もなく消え失せてしまった。

 つまり、閉じ込められたわけである。

 

 

「――ニンゲンの手引きをした悪魔がいるとは聞いていましたが、まさか神族が関わっていたとは」

 

 

 モザイクが、小生にも分かる言葉を発した。

 そして徐々にモザイクが血色へと染まっていき、やがて人型の"悪魔"へと変化していく。

 中世を思わせるフリル襟が特徴的なピエロの格好をした"悪魔"であった。

 手には大鎌を持っており、その顔には表情がない。

 多分、いや断じて便所の神様では無いと思われる。

 

「トラちゃんさん、あれは……」

「悪霊"マカーブル"。アタシたちの手に負える相手じゃないわ……」

 小生の問いかけに、トラちゃんさんは歯噛みしながら答えてくれた。

 その正体を言い当てられた"マカーブル"は、表情のない顔を動かし、上機嫌に声を上ずらせる。

 

「対する貴女は女神トラソルテオトル。どうやら万全の状態ではないようですね?」

 言って、見せ付けるように大鎌を振り回す。

 その動きは何処か舞踏めいていて、小生の目を惹いて止まない。が、それと同時に小生の持つ生存本能が"あれ"を危険だと叫び続けていた。

 

「何を企んでいるのかは分かりませんが、ミトラス様の世界にあって貴女のような存在は害虫そのものなのです。そこなニンゲンと共に冥府へと旅立ちなさい。私の死の舞踏(ダンス・マカブル)をもって――」

 "マカーブル"の指先が小生へと向けられた。表情はないが、笑っているのが理解できる。あれは……、

 

「ヤマダ、危ない!」

 ムドオンなる言葉と共に発せられた黒い波動が、小生をかばったトラちゃんさんを包み込む。

 

「そんな、トラちゃんさん!?」

「大丈夫よ! けれど……!」

「……おや、すっかり失念していましたよ。死と再生を司る貴女に呪殺は効かないのでした。まあ……、それならこの鎌で直接葬れば良いだけのこと」

 そう言って、"マカーブル"が大鎌を構えて宙に浮いた。

 ――あ、これ死ぬな。

 死の直前はまるで時がスローモーションのように感じられるというのはどうやら本当のことだったようだ。

 

「ベノンザッパー」

 瞬時にして小生らの目と鼻の先にまで移動した"マカーブル"が小生らの首筋めがけて大鎌を横薙ぎに振るう。

 避けられない。

 意識は覚醒していても、身体が追いつかないのである。

 トラちゃんさんは小生を再び庇う体勢に入っていた。

 何故彼女は一人逃げようとしないのだろう……? 小生が彼女を召喚した契約相手だからだろうか?

 その存念は分からなかったものの、一人で死ぬわけではないことが不謹慎ではあるが嬉しく感じられた。

 そして、迫り来る大鎌の刃先が小生らの首筋に当たり――、

 

「は――?」

 その刃先が肉を断ち切ることはなく、ただ金属質の反射音だけが辺りに鳴り響いた。

 

「物理反射……? ナゼ――」

 擦れた声色で、斬り飛ばされた"マカーブル"の頭部が言葉を発する。

 そう、こちらの首を刈り取らんとしていた彼の頭部が、逆に刈り取られてしまっているのだ。

 周囲を見るも、あの一瞬でそれを為せそうな存在はいない。

 力なく崩れ落ちた"マカーブル"の胴体が横たわるのみである。いや、

 

「……随分と早い帰還じゃのう」

 小生より二回りは大きい、茶褐色の大足が傍らに浮かんでいた。

 

「もしかして……、カワヤの神様ですか?」

 小生がそう問うと、茶褐色の大足に浮き上がる老人の顔が笑顔を形作る。

 

「然様、秘神"カンバリ"。まだニンゲンも捨てたものでは無いと感じ入ってな。手出しをさせてもらったわけじゃ」

「助けてくれたのですか……?」

「お主こう言ったろ。『力を貸していただけないかと』とな。それに……」

 言ってカンバリ様は、トラちゃんさんを面白そうに見る。

 

「先刻、そこの女神が言うとったろうが。自分たちが死ねば、カワヤを掃除するものがいなくなる、と」

 そのからかい気味の物言いに、トラちゃんさんの顔が赤くなった。

 

「テトラカーン張るなら、もっと早く助けに来なさいよ!」

「お主、ほんと他力本願なのに態度がでかいのう……」

 カンバリ様の頭から生えた足の指を掴んで猛然と抗議するトラちゃんさんに、カンバリ様が呆れ顔を返す。

 

「まあ、折角のカワヤを変な空間に改造しおった曲者じゃ。さっさと追い出したかった所に、お主らがやってきたのは正直助かったわ」

「アンタ、偉そうなこと言ってるけど、体の良い囮が来たから利用しただけでしょ!」

「照れ隠しは良いじゃろ、もう」

「て、照れ……っ!?」

 カンバリ様の言葉にトラちゃんさんが飛びずさる。

 頬を両手で押さえて、本当に恥ずかしそうな顔をしておられた。

 

「ニンゲンを守るためにアクマが身を挺すなんぞ、中々あることではないからのう」

「"悪魔"……? トラちゃんさんは女神様じゃなかったですか?」

 小生はカンバリ様の"悪魔"呼ばわりに首を傾げる。

 その反応に、カンバリ様は声を出して笑った。

 

「神も天使もアクマと同質のものじゃよ」

「人間を助けてくれたら、神様ということですか?」

「それも違うのう……。まあ、ニンゲンを助けようとしたこの嬢ちゃんが変り種なのだということだけ弁えておけば良い」

「アンタ、ちょっともう黙って!」

 再び取っ組み合いが始まったが、その理屈で言うとカンバリ様もまた小生らに手を貸してくれた変り種ということになる。

 

「……助けてくれてありがとうございます。トラちゃんさんも、カンバリ様も」

 正直、まだ足が震えているのだ。東欧で地雷の爆破する様を間近で見たときと同じ感じがする。

 あの時は大人気なくその場で漏らしてしまった程であった。

 そして今も、

 

「アッ」

 下半身に感じる温かみに小生は色を無くす。

 ……やってしまった。

 これで小生はウンコマン確定である。

 二人はこちらの変貌に首を傾げていたようであったが、直に事情を察して生暖かいまなざしを向けてくれた。 

 

「予備の服ってあるの?」

「身体の浄化ならしてやれるぞ。カワヤの掃除は着替えてからでも別に構わんが」

 二人の優しさが心に沁みる。

 でも今は正直放っておいて欲しかった。

 

 かくして、

「ぬうん!」

 カンバリ様の力によって元の空間に戻ることのできた小生は、無事に水の流れるようになった便所にごしごしとブラシまでかけ、用を足す前よりも綺麗な状態にしてみせる。

 カンバリ様は上機嫌な顔で汚れ一つなくなった便器を眺めておられた。

 

「うむ……。これでお主は契約を果たせるニンゲンであると証明できた。力を貸せ、じゃったか? 構わんぞ」

 思わぬ提案に小生はブラシ片手に飛び上がった。

 あんな恐ろしい"悪魔"を一撃で倒せる神様なのだ。

 もし力を貸してくれたなら、さぞ心強いに違いあるまい。

 

「な、仲間になってくれるのですか!」

「その代わり、今後もカワヤは綺麗にせいよ。人のいるところ、何処にでもカワヤはある。目に付くカワヤを全て綺麗にしていくことが、お主の使命じゃと心得よ」

「分かりました!!」

 二つ返事で引き受ける。

 だが、綺麗にしていくというのは、便所の掃除当番を率先して引き受ければいいのだろうか? その程度が良く分からない。

 うんうん唸ってはみたものの、思い浮かぶ限りの希望的観測は、その尽くが続くカンバリ様の言葉によって粉々に打ち砕かれることになる。

 

「それでは今後ともよろしく、じゃな。まずは隣のカワヤの掃除へと赴こう」

「エッ?」

「目に付くカワヤ"全て"をと言うたろうが」

 カンバリ様が、"全て"一言を強調しながら口元を緩める。

 

「じょ、女子トイレもですか?」

「今の世は男女平等なんじゃろ?」

「あー……」

 生命の危機は過ぎ去ったものの、社会的危機の足音がすぐ傍にまで迫ってきているのが聞こえた。

 

「ほれ、まだ見ぬカワヤが掃除をしてくれと待っている。はよ、行くぞ!」

「アッアッ、今はお尻を蹴飛ばさないでください!?」

 尻を蹴られて、便所を出る。

 すると、タイミングが良いのか悪いのか、丁度生き残りを探している最中の一団とばったり出くわしてしまう。

 

「あれ、ヤマダ。それに女神様も……。もう用は済んだのか? って、何でブラシなんか手に持っているんだ……」

 インフラ班の同僚が怪訝そうに言うも、一言で説明できるものでもない。とりあえず、報告すべき結果だけを報告することにした。

「はい、神様の協力は取り付けられました」

 用が足せなかったことはこの際目を瞑る。

 隊員たちはふよふよと浮かぶカンバリ様におっかなびっくり挨拶をしつつも、先刻の礼を述べていった。

 

「……あの逃げ道は貴方が用意してくれたのだとか。改めて礼を言わせてください」

 カンバリ様は彼らの対応に目元を少し緩めたが、

「ん? ああ、構わん。構わん。それよりも、ヤマダと言ったか。はよう掃除をしていかんか。ほれ、ほれ!」

 すぐにやるべきことを思い出して、小生の尻を蹴飛ばす作業へと戻る。

 だから、今尻は……、止めて欲しいと……!?

 飛び跳ねながらも、なるべく振動の少ない謎ステップで隣の便所へと向かう。

 が、向かう方向を間違えた。

 

「ヤマダ、そこ女子便所じゃあ……?」

 目を丸くした隊員に釘を指しておく。

 

「ここここここれは神様との契約で……。止むに止まれぬ事情なのです! 何卒、他の方々にはご内密に!」

「わ、わかった」

 隊員と固い約束を交わし、泣く泣く女子トイレへと進入する。

 そして片っ端から掃除、掃除、掃除……。

 全ての便所を掃除し終え、ハッチへと戻った時には既に機動班と資材班が"トカマク型起電機"の回収を始めていた。

 

「おう、用は済んだのか。"ミスター女子トイレ"」

 ぎろりと便所前で出会った同僚を睨みつけるも、最早後の祭りである。

 掃除後、カンバリ様のお力で身体を浄化したためにウンコマンの汚名だけは避けられたことが唯一の救いであった。

 




【悪魔全書】
名前 カンバリ
種族 秘神
属性 LIGHT―NEUTRAL
Lv 27
HP 262
MP 131
力 21
体 17
魔 23
速 20
運 20

耐性
物理 弱
破魔 無
スキル
テトラカーン マハンマ 八百万針


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シュバルツバースで遭遇する双丘と平原

 "エルブス"号の潜入任務をつつがなく成功させた小生らは母艦を脱出し、待機班のもとへと舞い戻る。

 半日近く小生を苛んでいた腹痛とは、既にさよならを告げていた。身体が軽い。おのずとスキップ。この解放感は……、もう何も怖くない。

 後方人員で構成されていた待機班は歓楽街に並び立つ、建造物の一つに潜伏していた。どうやら建物の一つ一つは幻などではなく、ちゃんと建造物としてそこに建っているようだ。

 彼らは小生らの帰還を確認して、ほっと胸を撫でおろした。

 

「待機班、異常はなかったか?」

「はい。まあ、"悪魔"とニアミスして寿命が縮んだくらいで……。それ以外は被害無しです」

 黒人リーダーが何時の間にやら後方の代表的存在になっている観測班の一人に問いかけると、彼は笑ってそう答えた。

 声色には随分と余裕がある。潜入班の無事に加え、充電式の台車に積み込まれた資材の数々が彼の展望に光明をもたらしているのだろう。

「大漁ですね」

 と軽口を叩く他の面々の表情もまた柔らかい。

 また、艦に取り残されていた"生き残り"の存在も、彼らの心理状態に良い影響を与えていた。

 

 そう、生き残っていたのだ。

 たったの二人だけではあったのだが、負傷した機動班と動力班の青年が、医療室の治療ポットに匿われていたのである。

 彼らは口々にこう叫んだ。

 

「頼む。"先生(ドクター)"たちを助けてくれ!」と。

 

 

 

 作戦指揮を担当する1号艦"レッドスプライト"号。

 各艦の護衛を担う2号艦"ブルージェット"号と4号艦"ギガンティック"号。

 そして現地調査を担当するはずだった3号艦"エルブス"号。

 これらシュバルツバース合同計画の用意した次世代揚陸艦4隻は、その課せられた任務に応じて人員構成に違いはあっても、各艦とも百人近くの乗組員を抱える大型艦だ。

 現状確認されている"エルブス"号の生き残りはたったの12人であったが、艦内に残された隊員の亡骸は30を越えない。

 つまり、半数以上の隊員が未だ行方不明のままなのである。

 無論、髪の毛一本も残さずして"悪魔"どもの腹に収まってしまった可能性も否定できないのだが、ここはポジティブ・シンキングに徹するべきだと小生は考える。ネガティブに沈んでしまうとストレスでまた腹痛が再発してしまいそうだ。楽しいことだけ考えていたい。

 

 故に各班合流後の簡易デブリーフィングにおいて、小生は行方不明者の存在についてポジティブに「それは悪くないお話ですね」と迂闊にも発言してしまった。

 

「仲間の安否が分からない時に、それを"悪くない"とはどういうことだ!」

 当然ながら、迂闊な発言は言葉尻を叩かれるものである。救出された二人の隊員が、口から泡を飛ばして小生を酷く詰った。脱出時の合流組と異なり、彼らには小生の傍にいるトラちゃんさんやカンバリ様の威光が通用しない。

 何やら胡散臭い人外を引き連れている外様としか思われていないのである。

 自業自得のバッシングに、小生の腹痛も再び活動を再開した。うぐぐ。

 

「……仲間割れをしている場合じゃないだろう」

「けどな!」

 正直、穴があれば逃げ込みたい気分であったが、幸いなことに黒人リーダーが仲裁役を買って出てくれる。

 この危機的状況下にあって、身を守る術を持つ機動班の発言力は高い。それも暫定リーダーの発言だ。

 彼が二人を救出するミッションを指揮していた功もあってか、はたまた周囲の雰囲気を感じ取ってか、怒り狂った二人もリーダーの言葉には耳を傾けてくれた。

 

「……ヤマダ隊員は、死亡さえ確定していなければまだ救出の見込みがあると言いたかったんだ。ここまでの道中、彼の決断は常にポジティブだった。今回もそうだな?」

「は、はい。その通りです……!」

 リーダーの取りなしによって、二人は落ち着きを取り戻す。ただ、小生への不信感までは拭いされなかったようで、険しい目つきは変わらなかった。逃げたい。

 リーダーが小さなため息をつく。彼個人としても、現状で仲間割れなど勘弁してくれと思っているのだろう。ご迷惑をおかけして、本当に申し訳ないと小生は内心謝罪した。

 

「……とにかく、状況をざっと整理しよう。拠点構築に必要な資材を手に入れた我々は次のミッションを定める必要がある。第一に拠点構築予定地の策定。そして、行方不明隊員の捜索……」

 リーダーの言い聞かせるような物言いに、いきり立った隊員たちも仲間割れをしている場合ではないと現状の拙さを認識する。

 更に駄目押しとばかりに、外を見張っていた強面が舌打ち混じりに口を挟んできた。

 

「ていうかだな。くだらん喧嘩はマジで後にしてくれ。リーダー、"悪魔"どもがこちらへとやってくる」

 強面は忌々しげに空を睨みつけていた。

 小生も顔を出して、彼の見ている方向へと目を向けると、歓楽街の中心部にそびえ立つ宮殿から飛び立った複数のモザイクが遠目に確認できる。

 恐らくは"エルブス"号の異常を何らかの手段で感知して、この土地の支配者たる魔王"ミトラス"が自らの手勢を差し向けたのであろう。いくら弾丸の補給を終えて隊の継戦能力が延びたとはいっても、未だ"悪魔"どもと正面対決できる戦力が整ったわけではない。

「……悠長に足を止めている暇はなさそうだな。裏口を使おう」

 今、小生らにできることはひたすらに逃げることだけであった。

 

 かくして、再び必死の行軍が再開される。

 進路は概ね北を取った。少しでも"悪魔"どもから距離を取るべく、宮殿とは反対方向へと足を進めたのである。

 デモニカ内蔵の原子時計が狂っていないことを信じるならば、1時間、2時間、3時間、4時間……。

 隊の中には見るからに疲労困憊の者も見受けられたが、今は休憩を挟める状況ではない。

 地上で出くわす"悪魔"どもより、今は空を飛ぶ"悪魔"が恐ろしかった。宮殿から直行して"エルブス"号へと降りたであろう奴らは、そのまま四方へと拡散して、小生らの足取りを探しているようだ。奴らの策敵能力は、地上を徘徊する連中よりも遙かに高く、小生らは奴らの姿を見つけた時はすぐに建物の中へと隠れなければならなかった。

 

 無論、地上の連中が厄介でないわけでは決してない。"ガキ"は一匹一匹の能力こそ高くないものの、その数が問題だった。また、トラちゃんさんやカンバリ様が"アズミ"と呼ぶ人型の水生生物を思わせる"悪魔"は、たったの一体でこちらの機動班を容易く蹴散らすほどに強力な敵であった。

 当然無傷で戦闘を終えることはできず、トラちゃんさんの持つ回復の異能がなければ、早々に脱落者が出ていたに違いあるまい。

 

「皆、決して諦めるな! 諦めなければ道は開けるっ!」

 リーダーの激励が共有回線で届けられる中、この必死の逃避行は更に半日過ぎたところでついに実を結ぶ。

 奇声と物音が四方から漏れ聞こえる、このおぞましい血色の歓楽街にそぐわない程物静かな、そして"悪魔"の密度が明らかに薄い箇所にたどり着いたのである。

 

「……妙じゃな。高位悪魔の気配がするわい」

 大足に浮かぶ老人の顔を解せないという風に歪めるカンバリ様の言葉に、隊員たちはぞっとさせられる。

 今までの連中ですら厄介だったというのに、"高位"とまで称されるということは、一体どれほどの力を持つ存在なのか――。

 不安に思ってハンドヘルドコンピュータを操り、デモニカのセンサー類を軒並み稼動させる。

 操作に応じてピピピ、と幾つものインジケータがこの生存不能の局地環境を数値化して"バケツ頭"のモニター上に浮き上がらせたが、一見して高位悪魔の存在を示すような特異な情報は検知できないようだ。

 ただ、大気組成に関わる表示が気にかかった。先ほどまでの逃避行を続けていた区画と異なり、高濃度のエタノール分が検出されている。もしかすると、これが"悪魔"の近寄らない原因の一つではないだろうか?

 

「でも、この世界の魔王ほど明確な悪意のある気配じゃないでしょ。話が通じるなら、ワンチャンあると思う。それに一昔前の退魔師なら、高位悪魔の手前で休憩するとか良く見られた光景だったわよ。ほんとウザいくらいだったんだから」

 カンバリ様の指摘に対し、トラちゃんさんは高位悪魔の存在を好都合だと主張する。

 右も左も分からぬ中で、人外の作法を知るカンバリ様とトラちゃんさんの存在は貴重極まりない。

 恐らく小生らだけの道中であったならば、高位悪魔の気配など感じ取った日にはすぐさま逃げの一手を取っているか、分不相応にも攻撃を仕掛けていることだろう。

 だが、今の小生らには彼女らとの出会いを通じて人外を利用、もしくは頼るという第三の選択肢を選ぶ余地があった。

 小生は考える。

 正直、休める時には休んでおきたいのだ。周辺に"悪魔"がいないのならばそれでいいじゃないか、と。

 トラちゃんさんが休憩のできる環境といっているのならば、それを信じよう。

 強迫観念に駆られてやらなくてもいい配慮を続け、自滅してしまうよりはずっとマシである。

 そこで小生はリーダーに休憩を提案した。

 

「そろそろ、この辺りにキャンプを張りませんか?」

「……テメーが休みたいだけじゃないのか?」

 その提案に真っ先に反応したのは、小生に不信感を持つ救出組の一人であった。脊髄反射で否定にかかるあたり、正直胃が痛くてたまらない。

 しかも、図星だもの。

「そういうのは後でやれって言ってんだろうがよ」

 強面が苛立たしげに舌打ちした。恐らくは小生をかばってくれているとは思うのだが、顔が怖くてたまらない。

 

「ヤマダさんの言うとおり、先のことを考えて休むことも大事だわ」

 更にゼレーニン中尉が擁護に回ってくれた。ヒスパニック隊員のような、トラちゃんさんに信仰、もしくは好印象を抱いている隊員たちも小生の側に立ってくれているようで、それはそれでありがたい。ただ、そもそもの話、小生は対立の矢面に立つこと自体が好きではないのである。

 今のは誰かの発言を待つべきであった。オピニオンリーダーの立場は、小生の腹に悪すぎる。

 

 リーダーが眉間を指で押さえた。本当に、無駄に波風を立てて申し訳ない……。

 

「……ヤマダ隊員の意見は一考に値する。隊員の疲労を鑑みれば、俺もそろそろと考えていたところだ。ただ、反対者を納得させるもう一声の理由が欲しいな」

 リーダーがこちらをじっと見つめて更なる発言を求めてくる。どうやら疲労以外に何かしら提案に至った理由があるんだろうと端から決めてかかっているようであった。

 正直、「休める時には休んでおけ」という人生訓に従ったという以外に特段の理由はないのだが、言い訳に使える材料はある。

 小生はハンドヘルドコンピュータを指差し、隊員たちに周辺の解析を促した。

 

「皆さん、ちょっとこの周辺の大気組成を検出してみてください」

「ん……? 検出って――、うおっ、何だこのエタノール濃度ッ」

「えっ? ほ、本当だわ。まるで蒸留酒を詰めた樽の中みたいな数値……。デモニカがなければ、重度の中毒症状を起こしてもおかしくない数値よ」

 観測班たちが驚きの声をあげる。

 これなら納得もさせられるだろうと小生は続けた。

「大気組成が宮殿の周辺やダメージゾーン、先ほど歩いてきた通りとも異なる異常な数値を示しています」

「それが一体何だっていうんだ」

 あくまでも批判的な立場に居続ける救出組。胃が痛くてたまらないが、こういう場合は詭弁でごり押ししてしまうのが一番楽だ。

 

「キャンプを張るのは"休憩"のためじゃなく、"調査"の必要性を感じたからなんです」

 長年苛酷な環境で仕事をしていると、こういう"休んでいない言い訳"を吐くのが上手くなってくるものだ。

 救出組がぐうと黙りこむ。一見、正論にも思えるところがこうした詭弁の厄介なところだよなあと他人事のように思う。

 

「成る程。異常を検知して放置するリスクも馬鹿にできない。それではこの辺りの……、あの建物でいいか。あそこにキャンプを張って周辺の"調査"を終えてしまおう。それで皆、構わないか?」

 リーダーの呼びかけに反対意見を述べた者以外が静かに頷いた。その後、共有回線越しに方々から安堵の息が漏れ聞こえてきたところをみるに、案外と限界が来ている者たちは多かったようだ。

 機動班による安全確認を終えた後、古ぼけた娼館風の建物へと後方人員が足早に吸い込まれていく。

 救出組も文句はないようで、こちらを不満たらたらの顔で睨みつけながらも、大人しく建物へと入って行った。何で、こんな目の仇にされてるんだろう……?

 どっと疲労が押し寄せて肩を落とすと、小生の背中を最初期に合流した機動班の一人がポンと叩いた。

 

「お疲れさん」

「あ、どうも」

 彼は手をひらひらとさせた後、皆が入っていった建物を困ったような表情で見つめた。

「ありゃあ、ただのやっかみだぜ。"外様"の後方人員が発言力を持ってることが不満なだけさ。元々、"エルブス"号は艦長をはじめとする合同計画の直属が幅を利かせていたから、艦長の不在で力関係が逆転したことに不安を感じているんだろ」

「なんてはた迷惑な……」

 言ってからしまったと口を噤むがもう遅い。

 彼は苦笑いを浮かべて、小生の"バケツ頭"をコツンと小突いた。

 

「そういう無駄口がぽっと出るあたり、ヤマダは見るからにピンピンしてるよな。まあ、俺も同感だ」

 彼も合同計画の直属であったはずだが、救出組よりもずっと人当たりが良い。

 恐らく、責任感が強いのだ。そういった手合いは、強面の人と同様に無意味な軋轢をひどく嫌う。

 彼は口元を緩めて、更に言った。

「その体力。もしかして軍隊経験でもあるのか? 何処の軍にいた」

 探る、というよりは心持ち期待のこもった瞳で、彼が前のめりに尋ねてきた。

 予期せぬところで同胞を見つけた親近感のようなものがひしひしと感じられる。あるいは、戦力の増加をも期待しているのかもしれない。

 小生は慌てて首を振って答える。人より体力があるほうなのは確かだが、戦いの矢面に立つなんて真っ平ごめんだ。

 そういうプレッシャーに耐えられるほど、頑丈な胃袋を持っていない。

 

「ああ、いえ! 野球やってたんです。それと前職は内戦地でインフラ整備ですよ。何処から無反動砲(カールグスタフ)が飛んでくるとも分からなかったんで、夜通しセーフハウスを転々としたこともあります」

「そっちね。ちなみに野球のポジションは何処だった?」

「キャッチャーですが……、もしかして貴方も?」

「おう、ガキの頃に。俺はドジャースが好きでなあ。ただ、俺の才能はピッチングやバッティングよりも、ビール片手に野次飛ばす方にあったらしい」

 彼は声を出して笑った。良い人だ。癒される。彼は一通り軽口を叩いた後、「それじゃあ」とリーダーのもとへと走っていった。

 って、まずい! 出遅れた。小生が慌てて建物へと続こうとしたところで、リーダーが他の機動班を引き連れて屋外へと再び戻ってくる。

 リーダーは共有回線をオンにしたまま、生き残り全員に向けた指示を下す。

 

「それでは後方人員はここでしばし調査を行ってくれ。便宜上、君らをコントロールと仮称する。基本任務は通信の中継と分析のサポートだが、その他の雑務もお願いしたい。例えば、ヤマダ隊員には建物内に侵入した"悪魔"の撃退を、といった具合にだ」

「は、はい。要するに、トラちゃんさんとカンバリ様にお願いすればいいのですよね?」

「その通り。我々機動班はツーマンセルで周辺の偵察を行う。それでは状況を開始する」

 リーダーの号令に、強面と野球好き、そして小生を良く思わぬ一人が「了解」と頷き、反対方向へと散っていく。

 戦闘員は大変だなあと彼らの背中を眺めつつ、小生も改めて観音開きの木製扉を潜り抜け、屋内へと足を踏み入れた。

 

「って、ほんとに人が作ったようにしか見えないな……」

 玄関をくぐった先は、まるでホテルのロビーのようになっていた。

 正面受付の左右には螺旋状に伸びる大理石の階段が備えられており、上階の個室へと繋がっている。

 窓を含め、屋内のあちらこちらには薄紫色のカーテンがかけられていて、何というか今にもプロのお姉ちゃんがカーテンをくぐってこちらに抱きついてきそうな雰囲気を漂わせていた。いや、小生は実際そういう場所に行ったことはないのだけれども。

 

「建物の中で待つっていうのも、ちょっと退屈ね」

 早速トラちゃんさんがロビーにあったソファにダイブする。隊員たちが忙しなく辺りを行き来する中、完全に寛ぐ体勢をとるようだ。

 カンバリ様は、屋内のカワヤをチェックしに行った。人がいない以上、汚れているということは無いと思うのだが、どうなのだろうか……?

 小生も小生で、窓際に背中を預けてカーテンをめくり、いつでも外の異常に対応できるようにする。

 本当はこんなことやりたくないのだが、リーダーに仕事を振られた手前、サボるわけにも行かない。

 

「アンタって仕事人間?」

 ソファの背もたれに顎を預けながら、トラちゃんさんが寛いで言う。

「仕事が好きなわけではないのですが、仕事をしないことで周りの人に何か言われるのがつらいんですよ」

「ふうん。まあ、善いことだと思うわよ。生き物が群れを維持するには、アンタみたいな"秩序"を大事にする手合いが必要だもの」

 そんなやり取りを続けていると、小生の張り付いていない別の窓から小型の気球が飛び立っていくのが見えた。

 

「あれ、何?」

「気球型カメラです。ドローンといった方が最近は通りが良いかもしれません。カメラと通信中継機が搭載されていますから、うまくやれば機動班のサポートだけじゃなく仲間の救援信号を捉えることができるかもしれませんね」

 打ち上げられた小型気球には周囲の風景に溶け込むような即席の塗装が施されていた。

 やっぱり調査隊に選抜された人たちはエリートなんだろうなあと考えつつ、心なしかクリアになった共有回線に耳を傾ける。

 

『こちらアルファ、A地点クリア』

『こちらブラボー、B地点クリア』

 機動班の偵察は順調に進められているようだ。デモニカのモニターには気球型カメラで撮影された上空からの映像が届けられており、ちょくちょく機動班が右へ左へと移動する様が映り込んでいる。

 幸い、"悪魔"との遭遇はないようで、デモニカ内蔵のオートマッピング機能によって周辺の地形図が自動的に書き込まれていく。

 

『……ゲートの中には一方通行の細工が施されているものもあるな。各員注意するように――』

『こちらブラボー、D地点、"悪魔"がいやがる』

 忌々しげなリーダーの言葉に、強面が言葉をかぶせてきた。

 

『どうした、女神様の言う高位悪魔とやらか?』

『分からん。が、様子がおかしいのは分かる』

『どうおかしい?』

 強面は解せないという風に言葉を続ける。

 

『俺たちに興味がないみたいだ。髪のない……、えらい別嬪の女悪魔だが、複数人で集まって何かを祈っていやがる』

『ヤマダ隊員聞こえるか? 女神様か秘神に情報提供を頼みたい。髪のない女悪魔だ。高位悪魔というのはこいつらの事か? 他の特徴は……』

『ちょ、ちょっとお待ちを……』

 こちらに通信が飛んできたため、トラちゃんさんに聞いてみると、どうやら女悪魔は"ディース"という妖魔とのことであった。

 

「妖魔というのは危険なのですか?」

 小生が問うと、ソファに身体を預けながらトラちゃんさんは何処か懐かしむような目を天井に向ける。

「各種族、各個体によりけりといったところね。ただ少なくとも、ディースたちに悪い子はいないと思うわ。死した人の子の魂を天界へ運ぶことが仕事の、むしろ人の子に好意的な悪魔だもの」

「ははあ、まるで"天使"みたいですねえ」

 聞く限りでは、メシア教の"天使"を彷彿させる存在のように思えたため、小生は貶める意図なくそう答える。だが、そうした小生の認識は、彼女の機嫌を損ねるものであったらしい。

 共有回線を開いてリーダーに報告しようと口を開く小生のことを、トラちゃんさんは半眼でねめつけた。

 

「……アンタの言う"天使"とディースの違いなんて、仕える神が違うくらいの差しかないわ。わざわざ、彼女らを"天使"みたいって言い表すのは彼女らを貶めてるみたいで気に入らない」

『どうした? ヤマダ隊員。女神様は何と言っている。俺たちはどう対応すればいい』

『も、もう少しお待ちを……』

 これは地雷を踏んだかもしれない。

 そもそも彼女は多神教の神だ。そうした存在の前で、メシア教だけを特別扱いするというのは、一段下に見られているよう感じられるのだろう。

 幸い本気で怒ってはいないようだが、見るからに拗ねてしまったようであった。

 

「……無知で申し訳ない」

 ぺこりと頭を下げながら言うも、彼女はツンとして取り合ってくれない。

 周囲の同僚から「何をやってるんだよ」という目が小生に向けられた。最早、謝罪の繰り返しである。

 

 ……大いに困った。

 小生に仕草や表情からそれとなく不満に思っていることを読みとるスキルが備わっていたら良かったのだが、そもそも小生は女性の取り扱いを得意としておらぬ。

 少年時代は野球漬けであったし、大学時代はリア充を呪いながら、真面目に勉学とボランティア活動に励む日々を送っていたのだ。無論、内戦地の勤務時代は言わずもがなであろう。内戦地で見かける女性など、現地民以外は一風変わった女傑しか存在しないのだから。

 ともかく今に至るまで、まともな女っ気というものに接してこなかった小生にとって、人外でありながら少女でもあらせられるトラちゃんさんは全く未知の存在であった。

 小生に気の利いた一言など言えるものであろうか? 無理だな。言えるわけがない。諦めよう。

 ぽりぽりと頭を掻きたいところであったが、"バケツ頭"が邪魔であった。

 気の利いた一言が言えない以上、できることは率直に教えを乞うことのみである。

 困り果てた小生は言う。

「彼女らを貶めないようにするためには、どう扱えば失礼にならないのでしょうか?」と。

 トラちゃんさんは少し呆れたようにこちらを見て、

「まあ……、反省ができるというのは人の子の美徳ね」

 と頬をぽりぽりと掻きながら返してきた。そのぽりぽりがうらやましい。

 

「これは多神教の神々にも言えることなのだけど、とにかくその存在を貶めず、ありのままに受け入れること。水は水と。火は火と。安易に何か別の存在にたとえることが、彼ら彼女らにとっては侮蔑に成り得るのよ。こんなこと自分の身に置き換えて考えれば、簡単に理解できる話だと思うけど」

「ああ、成る程」

 彼女の言いたいことがようやく飲み込めてきた。例えば東洋人の小生に対して、誰かが「まるで白人みたいですね」と言うようなものなのだ。言った当人にどんな意図があるのかは別問題として、言われた側にしてみたら嫌味か何かにも捉えられかねない。

 

「要するに相手の立場を尊重するというわけで……、あれ?」

 その理屈で言えば、トラちゃんさんを十把一絡げに"女神"と言い表していることも失礼に当たらないだろうか……?

 不安に思い、小生は「もしかしてトラちゃんさんにも失礼かましてましたか?」と問うと、

「アンタ、呑み込みは悪くないわよね。まあ、アタシの場合は良いのよ。"女神"であることがアタシの理想だからね」

 彼女はようやく機嫌を直してくれた。

 

『トラちゃんさんから情報の提供を受けました。相手の立場を尊重すれば、敵対することはないそうです』

『ずっと言いたかったんだが、その"女神"とかいうのの情報は確かなんだろうな? 俺からしてみたら、そいつらだって"悪魔"にしか見えねえんだよ』

『あのなあ。"アズミ"戦で傷を癒してもらったのは何処のどいつだよ?』

『俺たちを騙すための演技かもしれないだろ』

 救出組と野球好きの口論はトラちゃんたちに聞かせられないなと思いつつ、機動班による偵察の進展を静かに待つ。

 屋外に"悪魔"の姿は見受けられなかった。

 

『……周囲1km四方の安全は確保できそうだな。となると、女神様の言う"ディース"が高位悪魔ということなのだろう。フム……。ここは一旦合流しておこう』

 リーダーの言葉に、後方の各員が胸を撫で下ろした。ようやくまともに休憩が取れそうなのだ。

 中にはへなへなと壁にもたれかかる者も見受けられた。

 

 彼らの様子をぼけっと観察するトラちゃんさんであったが、

「……んん?」

 その内に首を傾げてソファから立ち上がる。

 

「こんなところにも隠れたゲートがあるのね? というよりも、"隠れ場"? いや、既存の部屋を隠蔽しただけかしら?」

「えっ、ちょっとトラちゃんさん!?」

 ひょこひょこと壁際へ近づいた彼女が手をかざすと、フッと扉が出現する。

 

「何かしら、ここ」

「いや、機動班に任せましょうよ。安全確認できてない箇所を小生らで踏み込むのはまずいですって」

「でもこの中から、人の子の気配が感じられるわよ?」

「エッ?」

 慌ててデモニカセンサーを働かせると、確かに生命反応が複数検出できる。

 "悪魔"とは違う、人のそれだ。

 いや――、

 

「ちょっと待ってくれよ……」

 即座に共有回線を開き、各員に報告する。

 

『こちらヤマダ。多分、生き残りを見つけました』

『何!? 何処で見つけたッ?』

『いや、それが待機組の潜伏する屋内に、です。"隠れ場"に潜んでいるみたいです』

『ならば、至急そちらに向かう。ヤマダ隊員は外から様子を窺いつつ、そこに待機していてくれ』

 その言葉に小生はため息をついた。

 またぞろ批判的な面々に小生を攻撃する材料を提供することになるのだろうと考えると、胃がきりきりと痛んで仕方がない。

 

『リーダー……』

『何だ?』

『生き残りの反応と共に、"悪魔"の反応もあるんですが……。これってもしかして、非常にまずい状況なのでは――』

『単独での踏み込みを許可する。我々がたどり着くまで、生き残りを何としてでも守りきってくれ』

 リーダーの判断は迅速であった。

 まあ、そうなるよなと思いつつ、カワヤから戻ってきたカンバリ様やトラちゃんさんと示し合わせて、隠れ場への突入を図ることにする。

 

「じゃあ、扉を開くわよ……、と開いた!」

 まず、トラちゃんさんが"隠れ場"の中へと足を踏み入れ、続いて小生、最後にカンバリ様が後ろにつく。

 中は、普通の客室を模した造りをしていた。

 奥には桃色のシーツが被せられたベッド。そして床に座り込んだ二人の調査隊員の姿が見え、その前には人間大のモザイクがふよふよと浮かんでいる。

 モザイクが白い光を周囲にばら撒き、徐々に"悪魔"の形を作り上げていく。

 すらりとしつつも肉付きの良い長い足。

 いかにも悪魔らしい尻尾を携えた小振りの臀部。というか、ホットパンツ。

 上半身からはコウモリ羽が生えていた。浅黒い素肌に直接ジャケットを着込んでおり、全体的に露出度は高めだ。

 全貌を現してみるとそれは、黒いストレートヘアーの美しい女悪魔だった。

 

 小生はごくりと生唾を飲み込む。ジャケットが胸を隠せていない。

 あれは童貞を殺すジャケットの着こなし方だ。

 ふよふよと宙に浮かびながら、息遣いと共に豊かな双丘が上下する様を凝視した後、

「これは目の毒だ」と小生はトラちゃんさんの平坦な上半身を見て、心を静めることにした。当然殴られた。

 

「アンタ、このシチュエーションで良くそんな余裕がかませるわよね」

「せ、正常化バイアスです」

 小生らのやり取りを見て、最初はこちらに警戒していた女悪魔が、

「……なーんだ、ニンゲンか。警戒して損しちゃったあ」

 と構えを解く。

 多分、こちらを甘く見ているということはないだろう。その証拠に、彼女は不安げな面持ちでカンバリ様とこちらをちらちらと見比べている。

 

「もしかして、そこの男ってサマナー?」

「似たようなものよ」

 とはトラちゃんさんが答えた。

 

「フーン」

 女悪魔はまだ疑わしげにこちらをじろじろと窺っている。

 その眼差しとちらちら移る双丘が気になって、小生は再びトラちゃんさんを見る。当然殴られた。

 

「外、アクマいないの? ミトラス様の手下は?」

「この世界の魔王のことなら、今の所追っ手は撒いてる。この辺りはアタシたちしかいないわね」

「そっか……」

 少し思案するように女悪魔は俯き、

 

「助かったよ。"ドクター"! 私、役に立ったでしょっ」

 と座り込んでいた一人に抱きつく。

 抱きつかれた隊員は疲労困憊の顔を上げて、"バケツ頭"越しに微笑んだ。

 

「……正直な話、もう駄目かと思ってた。日頃の行いがよかったのかな?」

「こちらに来てからはちょっと疑わしいですけどね」

 抱きつかれた方は男性で、口を尖らせ苦言を呈した方は女性である。

 というか、普通にミーティングで顔合わせをしたことのある人物だった。

 二人はあらゆる病の撲滅を目的とする某国際機関から国連経由で派遣された医者と看護師だ。

 どうやら女悪魔の様子を見るに、一言では語りきれない過程を経て、この"隠れ場"へと逃げ込んだらしい。

 小生はドクターに押し当てられた双丘が変形する様を凝視して、精神安定剤としてトラちゃんさんを見る。

 当然殴られた。

 



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シュバルツバースで苗作りと極小宇宙

 小生が発見したドクターと看護師――。新たに救出された医療班の二人には、幸運なことに大きな負傷は見受けられなかった。

 あるのは極度の疲労のみで、それも彼らを匿っていた女悪魔に精神エネルギーなるものを捧げたせいであるようだから、おおよそ必要経費と割り切っても差し支えはないだろう。いかなるコストも、生命と天秤に計って高くつくものはないのである。

 隠し部屋から女悪魔の肩を借りてロビーへと出た彼らは、早速他の隊員たちから熱い祝福を受け、涙ながらに抱擁された腕の中で微笑んでいた。

 

「先生方、良くあの地獄から逃げ延びることができたなあ!」

「ははは……、巡り合わせが良かったみたいで……」

 資材班やインフラ班にもみくちゃにされながらも、ドクターは傍らにふよふよと浮かぶ女悪魔を見ながら言う。

 すると、「私役に立ったでしょ」と言わんばかりに童貞を殺すジャケットを着こなす彼女は嬉しそうにはにかんだ。

 二人の目のやり取りを見てつまらなそうにしている女性看護師も、巡り合せに感謝していることに変わりはないようだ。

 ゼレーニン中尉の介抱を受けながら、自分たちはただ運が良かったのだと身震いしている。

 

 窓際の門番に戻った小生は、ドクターたちと女悪魔の微妙な距離感を遠巻きに眺め、

「……友好的な"悪魔"なんていうのも存在するんですねえ」

 と声を出す。"悪魔"の存在を感知した瞬間に予期した荒事の気配は、既に的を外したものとなっている。

 胸を撫でおろす小生に、トラちゃんさんが呆れた声を投げかけた。

 

「そりゃ、そうでしょ。アクマにだって色んなのがいるし、皆違った価値観を持っているもの」

「何処ぞの女神様のようにな?」

「うっさい、カンバリ!」

 確かに彼女の言う通りだ。カンバリ様が言うにはトラちゃんさんらもアクマの一部であるらしく、つまるところ小生らの味方をしてくれているのはあくまでも彼女らのパーソナリティや倫理観が人間に近しかったからに過ぎない。小生らが生き残ったのは、奇跡の出会いに奇跡が重なった結果なのである。

 彼らのやりとりからもたらされる知見は、実に多くの困難を示唆していた。

 例えば、敵性の"神"がいるかもしれないという可能性。

 そして、人間の中にも「色んな」ものがいるという客観的事実。

 小生はちらりと隊員たちの一角を窺った。

 

 言うまでもなく、小生らにとって新たな生き残りの知らせは慶事であったが、恐らくこのニュースを一番喜んでいるのはドクターたちに直接助けられた者たちのはずだ。自然と、小生の目が動力班の青年へと向けられる。

 彼は恩人の生存を知り、明らかな喜びを見せていたが、それと同時に屋内で羽ばたく異分子の存在に眉をも顰めていた。

 ドクターの傍を片時も離れない女悪魔の姿が、彼らに警戒心を抱かせているのだろう。

 この際、先方に敵対する意志があるのか、それとも好意的であるのかは関係あるまい。

 我々と人ならざる存在は、既に理不尽な暴力を介した最悪の出会い方をしてしまっているのだ。

 ファーストインプレッションは早々拭い取れるものではなく、下手をすればトラウマになっている可能性すらある。

 故に彼の警戒も理解できなくはないのだが……。

 

 と考えを巡らせている内に、外回りの機動班が帰ってくるのが窓越しに見えた。

「皆さん。機動班、帰還しましたよお」

 小生手ずから建物の正面扉をそっと開け、駆け込む彼らをサポートする。

 リーダー、野球好き、強面、小生を嫌う一人の順番に屋内へと飛び込んだところで、間髪入れずに扉を閉めた。窓際から周囲の様子を窺い見る。

 ……多分、大丈夫だ。付近に"悪魔"の気配はないと思いたい。

 

 無事の帰還を果たした機動班は、まず野球好きと小生を嫌う一人がドクターのもとへと急行した。

 強面はこのまま警戒任務に移るようだ。リーダーと目配せした後、こちらにも目をやって、窓辺を背にしてマシンガンを抱えながら座り込む。ん? んー……?

「交代だ。お前は休憩して良いぞ」

「あ、成る程。ありがとうございます」

 そういうことかとぺこりとやったところで、強面が傷だらけの頬を緩ませ、からかい混じりに言ってくる。

 

「嬉しいか? お前は生き残り発見の功労者だ。リーダーに色々と"報告"して来い」

 自然と頬がひきつってしまった。

 先刻小生が"休憩"を"調査"と言い換えたことを彼は揶揄しているのだ。こちらに悪気があっての発言ではないと思うが、正直こういう蒸し返され方は胃腸に宜しくない。

 が、リーダーはもう小生の"報告"を待っているようであった。

 故に小走りでリーダーのもとへと駆け寄って、まずは無事の帰還を労っておく。

 

「お帰りなさい。良くご無事で」

「何、外は存外と静かなものだった。さて、ヤマダ隊員。君の口から発見に至る経緯を聞かせてくれ」

 といっても経緯自体はリーダーも大まかには察している。最も聞きたいことは、童貞を殺すジャケットを着る彼女の安全性に関してであろう。

 ただ、これは当事者に直接聞いた方が早そうであった。

 とりあえず、ドクターたちが何らかの異能で洗脳されていないことはトラちゃんさんを通して確認済みだ。また、女悪魔の実力もカンバリ様を超えるものではないらしく、人質さえ取られなければ致命的な事態に陥ることは無いと思われる。そもそも、初見で敵対に至らなかったという彼女の取った対応は、彼女が交流を持つに足る存在であることを示しているだろう。

 

「……以上のような根拠から、リスクのある存在ではないと思われます」

「フム、論理的で明快な見解をありがとう。私は君の見解を信じるよ。しかし、となると繋がりを持つに至った経緯については……」

「直接お聞きになった方がよろしいかと」

 言って小生は、ドクターを豪快に抱擁する野球好きにこそこそとハンドサインでドクターを遣すよう要求した。

 

「ん? ああ、分かった」

 むさ苦しい大男から解放されたドクターは、一同の拝聴する中で自分たちが女悪魔に匿われることになった経緯について話し出す。

 

「……僕らが医務室を出たのは、負傷者を運び出す人手を探していたからなんだ。ストレッチャーがあれば一人で一人か二人までは運び出すことはできるけど、何せ数が数だったからね……」

 ドクターは"エルブス"号が"悪魔"の襲撃を受けている最中にあって、負傷者の治療にあたっていたそうだ。

 医務室に担ぎ込まれ、または逃げ込んできた人員は20人を超えており、ドクターらは彼らに識別救急(トリアージ)を施していったのだという。

 飛んだ地獄絵図だと目を丸くしながら、小生は問いかける。

 

「"黄色"以上はどれくらいいたんです?」

 時間との勝負である救急医療において、重軽傷者のタッグ付けは重要だ。

 これは正直どれほど困難な状況だったのかという知的好奇心による問いかけだったが、今後を見据えての発問でもあった。

 例えば、危機的状況を示す"赤"タッグを付けられた者が少ない場合は、行方不明の隊員に関しても生存の期待が持てることだろう。無論、その逆もまた然りだ。

 隊の皆やドクターが自然とそうした発想へと行き着いてくれれば、小生もブリーフィングの矢面に立つリスクを避けることができるかもしれない。

 小生の問いかけにドクターは気落ちして答える。 

 

「8割がカテゴリーⅡ――、"黄色"以上だったよ……。その半数が"赤色"で……、本当に大変だったんだ。司令室を"悪魔"に占拠された艦長や機動班、観測班の班長らも医務室へと逃げ込んできてね。彼女らがパニックを起こしていたのも拙かった」

「それは……、ドクターの責任じゃあないと思いますが」

 小生は彼が助けられなかった命を悔やんでいるのだと想像して擁護に回った。

 そもそも"赤色"は心停止一歩手前か、その真っ只中にあるような患者ばかりだ。そんな患者が半数も混ざった面々が医務室へと運び込まれて、少数の医療班だけで回せるわけがない。

 これは大規模な事故現場や、テロの発生地点、内戦中の市街地でも多々見られる悲劇なのだが、救命救急は100パーセントの命を拾い取れるわけではないのである。

 だが、こうした小生の想像は気の回しすぎであったようだ。

 

「いや、責任というよりは心配、かな。患者はとりあえず全員バイタルの安定にまでは持っていけたんだ。ただ、医務室に置いてきてしまったから……」

「え、全員処置できたんですか?」

「……寿命が縮む思いだったよ」

 苦笑いを浮かべるドクターの言葉に、小生は言葉を失う。

 とんでもない医療技術だ。

 彼もまた、このシュバルツバース調査隊に選出されてしかるべき、第一線級のエリートということなのだろう。

 

「そう、ドクターはほんとすごいんだからっ!」

 と傍で話を聞いていた女悪魔も嬉しそうに声をあげる。ジャケットに隠れた豊満な部分がばるんと鞠のように跳ね上がり、全く目の毒以外の何者でもない。

 更に、じとりとした女性看護師の視線も感じられた。

 小生は察する。

 彼ら彼女らの関係に深く立ち入ってはならない、と。

 "バケツ頭"越しに見えるドクターの額の後退具合が、彼の苦労を如実に語っているかのようであった。

 さて、女難の相が色濃く見える彼であったが、気づかぬ様子で更に話を進めていく。

 

 まず、一通りの治療を終えたドクターたちは患者を安全な場所へ移すべく、艦長たちに艦外への脱出を掛け合ったが、「戦力が足りない」と一蹴されたらしい。

 どうやらドクターたちと違い、"悪魔"の恐ろしさを肌で感じ取った彼女らは"悪魔"のやってきた外部へと逃げる事をナンセンスだと考えていたようだ。

 そうして両者の意見は決裂し、ドクターと看護師は人手をかき集めるべく医務室を出た。そこを"悪魔"たちに襲われ、艦外へと連れ出されたのだという。

 

「先生、大丈夫だったのかよ?」

「大丈夫かどうかといえば、大丈夫ではありませんでした。彼女らは……、"この子"と同じ種族で"リリム"というのですが、僕たちが医者だと気づくや否や人体解剖という名目で僕たちの身体を弄ぼうとしていましたから」

「はあっ!?」

 隊員たちが女悪魔に向かって、敵意を浴びせかける。"リリム"なる女悪魔は「わっ、わっ」とドクターに抱きついて焦り始めた。

 その仕草の全てが一々童貞を煽る魅力に満ちており、実にけしからんと小生は天井を仰ぎ、自らの首後ろを手刀で叩く。

 

「あ、"この子"は僕たちを助けてくれたんです。いや、最初は助けようというつもりはなかったのかもしれませんが……。どうやら普段から相手方とは仲が悪かったらしく、彼女は僕たちそっちのけで殺し合いを始めました。正直、恐ろしくてたまらなかったですよ。目の前で血の吹き飛ぶ取っ組み合いや、宙を走る電撃のぶつけ合いが始まったんですから。結果として僕たちは生き残り、負傷したこの子だけが僕たちの前に残りました」

 その後の展開は小生にも予想がついた。

 要するに、ドクターが彼女を治療したことで友好関係が結ばれた――、有り体に言えば懐かれたのだろう。

 ドクターの腕に絡みつくリリムの様子を見れば一目瞭然だ。それもこれ見よがしに、彼女の腕には派手に血の滲んだ包帯が巻かれていた。

 

「"悪魔"が味方につくこともあるのか……」

 リーダーが思案深げな顔をしてそう呟く。ドクターとリリムの関係は、特に機動班に所属する隊員へ大きな衝撃を与えている風に見て取れた。

 その理由は小生にも容易に理解できる。

 "悪魔"を味方につけられるということは即ち、現状の戦力不足を解消できる可能性が存在するということ――。

 それはつまり、この絶望に満ちた異界の地で我々が生存できるという一筋の可能性をも示しているのである。

 

 

 

 

 "土"と"緑"が匂い立ち、小生の鼻をくすぐる中で、トラちゃんさんが上ずった歌声を屋内の一室に響かせている。

「双子葉、単子葉ー、飛び出せ、槍出せ、平行脈!」

 ちょっと何言ってるか分からないが、上機嫌なことだけは理解できる。

 トラちゃんさんは窓際の月明かりが室内へ届けられる箇所に座り込み、頭を揺らしながら即席で作られた植木鉢を見つめていた。

 植木鉢からは既にイネ科特有のまっすぐした芽が伸びてきている。

 彼女曰く、あれはただのトウモロコシだそうだが……、まだ種を植えて一日も経っていないのに、この成長速度はありえないんじゃなかろうか?

 

 小生は咳払いと共に、開けた扉をコツンとノックした。

「カンバリ様が生み出した"土"のお代わり、持ってきました。入り口に置いておけばいいですか?」

「あら、ありがとう! 折角追加の植木鉢を資材班の子に作ってもらえたのに、肝心の"土"がなかったのよね。ここいらの地面を掘り返しても塩しか出ないんだもの!」

 言って、トラちゃんさんが口を尖らせる。

 話題に出たカンバリ様はといえば、今も周辺の建物を回ってカワヤのチェックに勤しんでおられるようであった。

 本当は小生もトイレ掃除を付き合うと約束をした以上は付き従うべきなのだが、今は別件が立て込んでいて単独行動を許されている。

 時折「土産じゃ」と言って渡してくる紫色の"土"が何を原料にしているのかは、怖くて聞く勇気が持てそうにない。

 とりあえず折角の貰い物を腐らせておくわけにもいかないため、こうしてトラちゃんさんへと献上して、当初の約束の一端を果たしているわけである。

 

「育ってるみたいですね。トウモロコシの苗」

 植木鉢を覗いて小生が感嘆すると、トラちゃんさんが鼻を高くした。

「フフン、まあね。何たって女神様の加護を受けたトウモロコシだもの! 本当はもっとゆっくり成長させてあげたいんだけど、今はこの地に合った種を作ることが先だしね。この"子"たちにはちょっと無理をしてもらうことになるわ」

 と申し訳なさそうに目を落とす彼女の表情は、まこと慈愛に満ちていた。普段の天真爛漫さやパンチ力と比較すると、こちらの方がよっぽど女神"らしく"感じられる。

 流石豊穣の女神と自称するだけのことはあるのだろう。

 

「それにしても、ヤマダたちの技術ってすごいのね」

 こちらが感心しているところに、トラちゃんさんから別の感心をかぶせかけられた。

 少し、複雑そうな表情を浮かべているようにも思える。

 

「どれのことでしょうか?」

 小生が問うと、彼女は細く白い両の人差し指を階下へと向けた。

「アレから一日で、もう屋内の空気を"浄化"しちゃったじゃない」

「あー」

 どうやら、"トカマク型起電機"を介してエネルギーを供給された複数のデモニカスーツが、屋内の大気組成を地球に近似したものへと作り変えてしまった事を指しているようだ。

 例えば、今の小生は"バケツ頭"を外して平気でトラちゃんさんと向かい合っている。

 今までは掻きたくとも掻けなかった頭をぽりぽりと掻きながら、小生は「確かにそうかもしれませんなあ」と同意した。

 

 確かに人の住めぬ環境であったはずのこの歓楽街の中に、曲がりなりにも人が住める環境を自ら作り出してしまっているというのはよくよく考えてみるとそら恐ろしいことのようにも思える。

 この滅びの大地にあって我々は尚も自分たちの領域を広げようとしているわけで、もうこれは堅忍不抜だの、傲岸不遜だのという言葉で表現できるしぶとさではないんじゃなかろうか。

 ふと、小生の脳内を黒光りした昆虫がカサカサと駆け回っていったが、この想像は危険である。

 何というか、誰も幸せになれない予感さえした。

 愛想笑いを浮かべている小生を見てトラちゃんさんは首をかしげ、やがて手に持つ即席の掃除用具やら背中に背負ったバックパックやらへと目を向ける。

 

「ん、それ使って何するつもりなの?」

「ああ、ちょっと水回りの整備しようと思いまして。ついでにトイレも水洗式にと……」

 水回り、の一言にトラちゃんさんは特に大きな反応を示した。

 

「へえ、水も用意できちゃうんだ。この辺りに湧き水なんて無かったのに。……それってアタシが見に行っても良いの? 興味ある」

「勿論、構いませんよ」

 そう答えると、トラちゃんさんは立ち上がってファッショナブルなスカートをぱんぱんと整えた。

 まだ出会って3日しか経っていないが、彼女のフットワークの軽さにもそろそろ慣れてきたところだ。

 

「じゃ、行きましょ?」

 後ろ手に組んだトラちゃんさんが横に並び、小生らは家庭菜園と化した一室を出た。

 廊下では隊員たちが各々与えられた仕事に従事している。

 例えば、資材班はあちらこちらで資材の整理をおこなっていた。

 未だ"エルブス"号から持ち出せていない資材も多々あるとは言え、魔王の監視領域への執拗な潜入は、隊全体の安全保障リスクを跳ね上げてしまうことにも繋がりかねない。

 となれば、限りある物資を有効に使うため、今後は彼らの創意工夫が必要不可欠となってくるはずだ。

「あ、女神様。どうも!」

「やっほ。皆、仕事はマジメにやらなきゃ駄目よ」

「植木鉢、どうでした?」

「最高よ! あれなら、良い苗が育つはずだわ」

 小生とトラちゃんさんは彼らと挨拶を交わしながら、突き当たりの螺旋階段を下っていく。

 階段を下ったすぐ脇には、放射能マークと「KEEP OUT」の張り紙がされた一室が控えていた。

 重々しい振動が扉越しでも伝わってくる。

 この中では小生を好いていない動力班の青年が、黙々と"トカマク型起電機"の管理を続けているはずだ。

 彼の形相を思い浮かべて、じわりと胃が痛くなる。

 先だって放射線遮断処理を施すために小生があの部屋に入室した時には、彼は一言も口を聞いてくれなかった。

 理由は恐らく……、トラちゃんさんの存在にある。

 これは偶然通りがかった際に耳にしてしまったのだが、何やらゼレーニン中尉と口論している最中に「異教の神なんて……」と彼は口走っていたのだ。

 小生、思わず「あっ」と察してしまった。

 我々の世界には他人の信じる宗教を認められない手合いも少なからずいる。彼も恐らくその一人に違いあるまい。

 面と向かって罵倒してこないのは、トラちゃんさんの価値と隊内での扱いを重々承知しているからだと思われる。

 それに、曲がりなりにも彼女は人外の存在だ。下手につついて手痛い反撃を食らっては元も子もないし、何よりも未知の恐怖にただ慄いている可能性もあった。

 その証拠に、青年はあれだけ感謝していたドクターたちとも、リリムの存在が楔となって距離を置いてしまっているのだ。

 

「まずい兆候なんだよなあ」

「何が?」

「いや、こちらの話で……」

 ごまかしながらも、小生はハンドヘルドコンピュータを操り、隊共有のタスクボードをモニター上に浮かび上がらせた。

 大目標として「調査隊の建て直し」が設けられており、その下には班ごとのミッションリストが羅列されている。

 

 例えば、機動班と観測班ならば「当該セクターの探索」と「生き残り隊員の捜索」、「暫定拠点の防衛」がメインミッションとして提示されていた。

 これが資材班ならば、「戦闘用装備の補充」と「生活用品の管理」になり、インフラ班ならば「暫定拠点の構築」と「各種インフラ整備」となる。

 その傍ら、ヤマダと別記された項目に「偵察防衛」と「情報収集」、「資材調達」と「生き残り隊員の捜索」、「協力者を増やす」があるのは洒落か冗談のようなものだろう。インフラ班としての仕事以外にこれらのミッションまでこなせと言われたら、流石に身体が持ちそうにない。

 思わずため息をついてしまうが、その反面やれる範囲でこれらの追加ミッションをもこなしていこうとは思っていた。

 特に資材調達は重要だ。

 人は衣食住足りて礼節を知ることができる。だが、その逆に衣食住が足りていない時は一体どうなるのか――?

 ある人は力を頼みに野蛮に帰り、またある人は神を信仰し盲従に縋る。人の理性は足らざるを無くしてこそ輝くのである。

 隊内に要らぬ厄介ごとを抱え込まぬためにも、今は足らざるが足りるようになるべく現状の改善に努めていくしかない。

 

 そうこうしている内に目的地であるこの建物のトイレらしき区画が見えてきた。

 男女に分かれているわけでもないから、入り口に「使用中」の立て看板でも立てておく必要がありそうだ。

 資材班にタスクボードを介して看板の発注をかけつつ、トイレ内へと足を踏み入れる。

 中には古代ギリシャかローマ様式を思わせる、石造りの便座が並んでいた。一応洋式のように腰を下ろせる形状をしてはいるが、ひんやりとしていて冷たそうだ。

 その手前では、何故かドクターが難しい顔で唸っている。

 

「……どうしたんです?」

 便器に座っているわけでもなく、まさか使用中というわけでもないだろう。"バケツ頭"を被っていることから、私用というわけでもなさそうだ。

 小生が声をかけると、ドクターは助かったとばかりに表情を和らげた。

 

「ああ、いや。今のところ医療関係で仕事もなかったので何かお手伝いをと思いまして。こうしてトイレ掃除にやってきたんですが……」

 言って、彼は便座の中を覗き込む。

 

「これ、使えそうにありませんね。モニター越しに見てみてください」

 小生も釣られて"バケツ頭"を被りなおし、中を見てそして後悔する。

 便座の中には一面にモザイクが広がっていた。

 グロ画像か何かか。

 

「スキャンデータ送りますよ」

 とドクターからデータを送信されて、モザイクが実像を成していく。

 血と臓物をこねくり回したような膿のような物体にだ。やっぱりグロ画像じゃねーか! しかも蠢いているときたもんだ。

 最早水洗だなんだと言っている場合ではなかった。まずはこのどう考えても公衆衛生的にやばそうな物体の処分を考えなくてはならないだろう。

 

「どうしますかねえ……」

 ドクターが困った顔で言った。

 というか、そもそもこの排水部が外に繋がっているとしたら、それはそれでまずい。

 折角デモニカスーツで整えた空気も密閉性が保たれていないという状況では配水管を通って外へと散っていってしまう。

 血膿状の謎物体で便器が詰まっているのは、ある意味でラッキーだったのかもしれない。さらに、

 

「トラちゃんさん、この蠢いている物体って……、やっぱり"悪魔"なんですか?」

 この汚物が"悪魔"でないという保証が得られないのも問題であった。少なくとも小生の知る汚物は決して脈動などしたりしないし、デモニカを通さずとも視認できるのである。

 トラちゃんさんは便座をどれどれと覗き込み、「うわあ」と蛾眉を逆への字に歪めた。

 

「これ、"スライム"ね」

「"スライム"ですか?」

 脳裏に某有名大作RPGに登場する玉ねぎ型の怪物が思い浮かぶ。が、そんな可愛げのあるような存在には思えない。だって、グロ画像だ。

 トラちゃんさんは続ける。

「要するにアクマのなりそこないよ。ここではない何処かの異界から滅びの地に呼び出されたのは良いんだけれど、上手く本来の形を作れなかったのね。ほら、このあたりなんて肉と皮こそないもののアクマの生きたはらわたじゃない」

「いや、じゃないと言われましても……」

 そんなもんただの人間は見たことがないわけで。

 トラちゃんさんの言葉を裏付けるかのように、"スライム"が大きく脈打った。もしかすると、血管なんかも内部に張り巡らされているんだろうか。

 グロテスクな想像を強いられ、小生の食欲がどんどん失せていく。

 今朝方、宇宙食を流用した栄養ペーストをチューブから搾り出したきりの空きっ腹のはずなのに、この満腹感は不思議であった。血の臭いがしないものが見たい。自身の深層心理に、「野菜食えよ」と姿なきベジタリアンが働きかけているような心地さえ覚える。

 小生はたまらず、呻くようにして問いかけた。

 

「これ、駆除できますか?」

「一体一体は大したことないんだけど、多分これって下にもっといっぱいいるわよ。数え切れないほど。そういう気配してる」

「うげっ」

 即座に排水管の清掃という選択肢を脳内から排除する。こうなった以上は、臭い物に蓋をするしかない。

 小生は決断した。

 

「床と排水溝を繊維補強コンクリート(エフ・アール・シー)で充填してしまいましょう。トイレは便座や周りの石壁を頂いて、専用の個室を作っちゃいます」

 壁は間仕切りのような薄いもので問題ないだろう。水槽と汚物槽は強度の面からプラスチック整形の小型タンクと石材の補強でこれを賄い、別個に水の生成機構と水洗機構を取り付ける。複雑な加工でなければ、インフラ班総出で半日もあれば済む作業であった。タンク交換時の汚物リサイクル方法に関しては、また後日考え直せばよい。

 早速、タスクボードにレポートの提示と次なるミッションの発注をかける。

 かけた途端、資材班とインフラ班から「忙しい(・3・)」という顔文字や「今は仕事を増やすな」と文句のメールが殺到した。

 拠点ができて心理的余裕をもできたことは実にめでたいが、トラちゃんさん用の植木鉢は快く作っていたというのに、何て奴らだ。

 邪悪な閃きに染まった小生は、トラちゃんさんに耳打ちする。

「もしもし。貴女のお名前借りていいですか?」

「ん、アンタには"土"ももらったし、別に良いけど? 何に使うの?」

「この拠点の穴を塞いでトイレを作るのに必要なんです」

「へえー」

 分かったのか分かってないのか良く分からない彼女の返事を肯定と捉え、小生は発注の備考欄に「女神様の神託により」との一言を付け足した。

 すると即座にミッション受領の返事が殺到する。おい。

 今は外で観測任務に励んでいるはずのゼレーニン中尉まで『大恩ある女神様への奉仕とあらば参加したいのですが』と手伝いを申し出てきているのはちょっとびっくりだ。いや、貴女は専門の仕事をしてくださいと返しておく。彼女は信心深いというか、律儀というか。何かの拍子に騒動をしでかさないか、動力班の青年とは別の意味で心配である。

 殺到する通信の中にはリーダーのものも含まれていた。

 便所の排水溝に潜む"悪魔"の脅威度について、更に詳細なレポートが欲しいらしい。

 これにはトラちゃんさんとの質疑応答で新たに得た「物理攻撃以外が有効」などの弱点特性も添えて、個人的な見解を提出する。

 正直、脅威度はあまり高く無いと思われる。

 放置して良い手合いでないことは勿論だが、積極的に人間を襲うような存在ならば、小生やドクターがこうして観察できたことのつじつまが合わない。

 歓楽街に出没する悪魔や"エルブス"号で出くわした"マカーブル"程の威圧感を感じないのも理由の一つであった。それに最強戦力の一角たるトラちゃんさんも全く焦っていないではないか。

 故に、こうして即座に後方人員の応援を募ったわけでもあるのだが。

 

 小走りの足音がトイレの外側から聞こえてきた。

 最初にやってきたのはヒスパニックの資材班だ。続いてインフラ班の同僚。

 彼らは肩で息を切らせており、全力疾走してきたことが一見して読み取れる。

 信心深いってことなのかなあ、これ。

「女神様、ご用事ですかっ?」

「えっ、アタシ? アタシじゃなくてヤマダが――」

「――は?」

「ああ、いやいや」

 生命の危機を感じた小生は、慌てて彼女らの会話に割り込んでいく。

 大正時代に総スカンを食らった内閣総理大臣じゃあるまいし、神託を恣意的に利用したと気づかれれば大惨事である。

 

「この建物の下に"スライム"という悪魔がたくさんいるとトラちゃんさんが仰ったんですよ。それってそのままにしておけないってことですよね?」

「ん? まあ"スライム"はちゃんとした身体を求めて、自分より弱い存在に襲い掛かる傾向があるから、人の子にとっては危険よね」

「……え、危険なの?」

 何でそういう大事なこと先に話してくれなかったのという顔つきになる。

 

「でも差し迫った危険では無いと思うわよ? アタシもいるし、カンバリもリリムもいるし。アンタらも火か何かを使えば簡単に倒せるだろうしね。動きも鈍い奴だから、ヤバイとしたら皆が寝静まった後くらい」

 要するに小生の脅威度判定は、ツキノワグマを見て「フン、グリズリーよりはウンコだな……」と言っていたようなものであった。小学生的節穴過ぎる。

「と、と、とにかくこの悪魔たちが屋内に侵入し始めると大変まずいと思われますので、トラちゃんさんのお手を煩わせることなく、排水溝を塞いでしまおうということなのです」

 声を上ずらせながらも話を合わせていくと、続々と集まってきた後方人員の面々も合点した表情を見せてくれた。

 

「んー、便器の切り離しはダイヤモンドカッターでいけるな。30分もあれば、切り離せそうだ」

「充填するコンクリートは"エルブス"号の備品にありましたから、さくっと持ってきますわ。元々ダメコン用の備品ですけど、あっちはもうダメコンで何とかなるレベルじゃなさそうですし」

「ここばっかりにかかずらってもいられないしなあ。ヤマダの見積もりどおり、工期半日でまあ仕上げて見るべい」

 えいえいおーと皆が職人の顔になったところで、トラちゃんさんをちょちょいと引き寄せる。

 

「何よ、ヤマダ」

「あ、いえ。"スライム"が危険だということもそうなのですが、これから小生らに危険なものはどんな細かいことでも伝えてくださいませんか?」

 自分の油断を棚に上げるわけじゃないが、正直今回の脅威度誤認は下手をすると事件にまで発展した恐れがあった。

 故にこういう提案をしたのだが、トラちゃんさんには変な顔をされてしまう。

 

「……それって面倒じゃない?」

「いや、面倒って……」

「だって、アンタたちにとって"危険じゃないもの"なんてこの世界には滅多にないもの。だから"ディース"やカンバリみたいな危なくないものをこの世界の例外として教えてあげてたつもりだったのよ。その方が早いもの」

「あっ……、成る程」

 ぐうの音も出ない正論であった。

 彼女らと一緒に行動し、こうして無事に暫定拠点の構築にまでこぎつけたことで誤解してしまっていたが、人間がこのシュバルツバースにおける最底辺の住人であることに変わりはないのである。

 

「つまり、全てに警戒して回れと」

「ええ。プレーリードッグみたいに、人の子は弱いから群れるんでしょ? こうして巣を作ったのもホリネズミみたいに弱いから。間違ってないと思う。正しい事をしていたから、これまで生き残ることができたのよ。これまで見た感じ、ヤマダの霊は間違いなく良い霊ね。これからも胸を張って生きなさい。この女神様も見守ってあげるんだから」

「はあ」

 良く分からない太鼓判を押されてしまった。

 一瞬ぽかんとした後、

「それより、水はどうするの?」

 というトラちゃんさんの言葉に、自らがやるべき事を思い出す。

 

「水用意するんでしょ? どうやって?」

「いや、そんなに難しいことじゃあないんですよ。実際」

 職人が溢れて手持ち無沙汰になったドクターを交えて、小生は水の安定供給に至るまでのプロセスをざっと説明する。

 

「手っ取り早いのは大気中の水分を取り出す方法です。吸水性の高い多孔質金属とヒーター、それにクーラーさえあればすぐにでも純水が取り出せますよ」

「ああ。純水は医療でも必須ですから、安定供給ができるなら助かりますね」

 喜ぶドクターとは対照的に、何のことだか分からないといった様子のトラちゃんさん。

 多分、実際にやって見せたほうが早いかもしれない。

 小生は工具箱とバックパックを開き、必要な素材を取り出していく。

「ちょっと、動力引っ張ってきますね」

「あ、手伝いますよ。ヤマダさん」

「ありがとうございます。じゃあ、そこの箱を組み立てて置いてください」

「ハイ、ハイ。アタシはー?」

「トラちゃんさんも一緒にどうぞ」

 と言って、動力室からタコ足に伸びているケーブルハブから新たなケーブルを引いていく。

 ドクターとトラちゃんさんは、好奇心に満ちた表情で小生が用意した箱型の水分抽出機を組み立てていた。

 

「携帯心電図チェッカーとかは組み立てたことあるんですが……。こういうのって子どものころに組み立てたプラモデルを思い出しますよね」

「ネジってぐるぐる回すと刺さっていくのよね。どっちに回すの?」

「トラちゃんさん、ドライバー使わないと」

「あれ、難しくて嫌い!」

 ぶうぶう言いながらもトラちゃんさんは、組み立て用のネジを差し込んでいる。一応確認してみたが、どれもギチギチに締まっていた。流石の馬鹿力である。

 作業自体はすぐに完了した。

 出来上がった装置に通電すると、すぐに生成口から水滴がぽたり、ぽたりと落ちてくる。

 

「わ、わ。本当に水が落ちてきた。ハイカラね!」

「それ、ハイテクですよね。多分」

 トラちゃんさんが滴り落ちる水の粒を掌で迎えて、溜まったそれを舐め取った。

 そして、すぐに渋い表情を見せる。

 

「……これ、美味しくないわ」

「え、本当ですか?」

 言われて、"バケツ頭"を外して自分でも舐め取ってみる。

 無味無臭。

 純水らしい、味であった。

 

「何の味もしない、ただの水だと思うんですが……」

「"本物"の水は違うわよ!」

「んー?」

 どうやら両者の認識に違いがあるらしい。

 3人で首を傾げていると、ドクターがぽんと手を叩いた。

 

「ああ。多分、女神様は水に溶け込む不純物の有無を言ってるんじゃないかと。自然界に存在する水は二酸化炭素や窒素、複数のミネラルが溶け込んでおりますからね」

 彼の説明に小生も得心する。

 トラちゃんさんは豊穣の女神だ。ならば、自然を司っているわけであり、自然界にない水を"本物"と認めることはできないのかもしれない。

 しかし、言われてみればと口元に手を当てる。

 ミネラル分の調達も喫緊の課題だ。人は循環機能の調整に多くのミネラル分を利用している。

 最悪は排泄物からリサイクルするしかないのだろうが、新たな調達経路が必要なことは確かであった。

 試しにタスクボードに「ミネラル分の調達」を起案してみると、他の隊員たちから「後にしろ(・3・)」やら「次から次へと仕事を作るな。今は無理だコノヤロー」やらのありがたい反応が返ってくる。

 

「……うーん、まあそうなるよな」

「あはは、皆さん忙しそうですからね」

 ドクターも彼らの反応に苦笑いであった。今回は目撃者もいるために神託を濫用することも出来ないだろう。

 さて、どうするべいと腕を組んだところにリーダーから個別の通信が送られてきた。

 

『ハロー、ヤマダ隊員。タスクボードを見る限り、後方のインフラ整備が順調のようで何よりだ』

「お恥ずかしい限りで」

『そろそろ我々も暫定拠点に帰還する。"良いニュース"と"悪いニュース"があるので、皆をロビーに招集しておいて欲しい。その際に、君には新たなミッションが課せられることになるだろう』

「あの小生専用のミッション欄に付け足されるんですか?」

 通信越しにリーダーの含み笑いが聞こえてきた。止めてくれよ、怖いじゃないか……。

『安心してくれ。あの愉快なミッション欄はシェイプアップされることになるだろう。ポジティブに捉えるなら、君に課せられるミッションは一つになる』

 全然安心できないお言葉であった。

 彼の言葉を言い換えるなら、あの大量のミッション群よりも優先されるミッションが小生には課せられるということになる。

 にわかに胃腸がぎゅるると唸りをあげた。が、未だトイレは完成していない。

 戦々恐々しながらも各員のもとへロビー集合の連絡をもたらすために駆け回る。

 

「あ、お疲れ様です。ヤマダ隊員」

「さっきのニンゲン? ねえ、あんた仲間から女子トイレマンって呼ばれてるんだって? 何したのさ」

「や、止むに止まれぬ事情がありまして……」

 動力室や各階の廊下、医務室を巡って連絡を終えたところで、

 

「皆、喜べ。戦力拡充の目処が立った!」

 正面玄関からリーダーの勇ましい声が聞こえてきた。

 ロビーに集まった者たちや、ロビーに向かおうとしていた面々はわあっと希望に沸きあがり、機動班の面々を暖かく迎え入れる。

 そして、ぎょっと息を呑んだ。

 てっきり、他艦の援軍か生き残りの隊員がやってきたかと思ったのだが、

 

「ここが、リーダーのシマかよ。良い感じに寛げそうじゃねえか」

 リーダーや強面、ゼレーニン中尉と共に屋内へと入ってきたのは、明らかに人外の存在であった。

 赤黒い肌に大きな鉤鼻を持つ小人が数体、まず前に進み出て屋内をぐるりと見渡していく。

 

「思ったより、ニンゲンが居やがんなあ。こっちきてから初めて見たわ」

「おお! ナオンもいるじゃねーか。ナオンも! ま、ニンゲンのナオンにゃ興味ねーけどさ。ねえ、カノジョ。後でお茶しない? あ、ゼレちゃん、これ浮気じゃないから!」

「なあ、アンタ。シクヨロ。シクヨロって分かるか? シクヨロだぜ?」

 口汚いが、赤黒い小人から敵意は感じない。

 呆然とする小生らの傍らでトラちゃんさんが、へえと声を漏らす。

 

「"ゴブリン"じゃない。悪戯好きの妖精ね。仲魔にできたんだ」

「いや、あの口調はどう考えても悪戯好きというより、昭和の暴走族では……」

 ある意味同じバッドボーイなのは確かだが、伝承にある"ゴブリン"のイメージとは少しかけ離れている気がする。

 更に、羽根の生えた女悪魔が野球好きの背中に留まりながら運ばれてくる。 

 何で野球好きの人は女悪魔を背負っているんだろう……。あれはどう見てもセクハラなのでは。

 

「お腹空いた……」

「おい、"ハーピー"! 行動食だったら少し分けてやれるから、もうちょい頑張れよ……」

「ええ……。少しって。はあ、マジはあ……」

「俺たちも今、懐事情やばいの!」

 お腹が減って動く気が起きないらしい。野球好きの気苦労も、"ハーピー"という女悪魔の気持ちも同様に理解できるため、小生は複雑な表情でそれを見つめた。

 更に後ろで二つにまとめた青い髪と青白い肌を持つ女悪魔がふわりと屋内で浮き上がり、小生らのもとへとやってくる。

 羽衣を纏った彼女はトラちゃんさんの目の前にまで飛んでくると、そのまま優雅に一礼した。

 

「……偉大なる豊穣の女神様。ご拝謁を賜り光栄の次第です」

「"アプサラス"ね。神族も違うんだし、畏まらなくてもいいのに」

「我が契約者、ゼレーニンも貴女様を偉大なる女神だと敬っておりましたのよ」

「え、人の子が私をっ?」

 トラちゃんさんの目の色が変わった。

 

「ふ、ふーん。そっかあ。それならそれなりの対応をされてもおかしくはないわよね!」

 見るからに嬉しそうなトラちゃんさんをしり目に正面玄関の中尉へと目をやると、彼女は両の手を握ってトラちゃんさんに祈りを捧げていた。

 余程信心深い家庭に生まれたに違いあるまい。この調子では動力班の青年と口論になった際に発した言葉も容易に予想ができる。

 青年の事を思い出し、そこで慌てて彼がいるであろう方向を見る。

 動力室の前に陣取っていた彼は、顔面蒼白で悪魔たちを凝視していた。

 あー、これ、まずい……。

 小生がフォローに入ろうとするよりも早く、リーダーが皆に呼びかける。

 

「諸君! 諸君らの中には人ならざるものの姿に警戒する者も勿論居るかもしれない。その警戒心は当然あるべきものだ。この異界で生き延びるためにも、是非大事にしてもらいたい」

 ならば、何故という眼差しに答えるようにリーダーは身振りを交えて更に続ける。

 

「だが、彼らを仲魔に迎え入れたのには止むに止まれぬ事情があるのだ。先刻このセクターの中心部に、生き残り隊員が大量に集まっている事を観測班が感知したっ!」

「え、中心部って……」

 小生は思わず声をあげた。中心部にあるものなどアレしかない。

 この世界の"魔王"ミトラスが鎮座しているという宮殿だ。

 

「……捕らえられているのですか?」

「そうだ」

「通信は繋がったのですか?」

「逆探知を恐れて、短距離での通信を行った。艦長も各班の班長も無事らしい。だが、予断を許さぬ状況だ」

 ここでリーダーは言葉を切って、重々しく次を吐き出す。

 

「仲間が実験体に、されているらしい」

「じっ――!?」

 小生が絶句したように、周囲の隊員たちにも動揺が広がる。その動揺を断ち切るように、リーダーは強い口調で宣言した。

「最早一刻の猶予も許されない! 我々はこれから、敵宮殿への潜入救出を試みるッ! 拠点の防衛はゼレーニン中尉の仲魔である"ゴブリン"と"アプサラス"、それにドクターの"リリム"に要請したい。戦力が足りないのだ。故にヤマダ隊員には……」

 そこでリーダーは小生を見る。

 

「独立遊撃戦力として、外部での活動を要請する。女神様や秘神とともに、潜入に適した経路を見つけ出してもらいたいのだ。無論、その過程で見つけた資材は今後のインフラ整備に役立ててもらって構わない。また、隊に有用と判断した場合は機動班と同格の権限を持って調査隊の保有している資材を利用することも許可する」

「あの、小生は後方人員で……」

「――限りなく前線に近い、後方で任務に励んでもらいたい。無理を承知で頼む」

 リーダーに頭まで下げられてしまった。

 ああ、これは駄目だ。断れない。

 きりきりと胃腸が締め付けられていく。

 多分、傍から見た小生の顔面は土気色だろう。鉄火場は大嫌いなのである。

 そんな小生の具合を見かねたのか、トラちゃんさんが腰をコツンと小突いてきた。

 

「別段、アンタに直接戦えといってるわけじゃないんだし。でんと構えてなさいよ。この女神様が守ってあげてるんだから心配しないの」

「いや、そうは言ってもですね」

 先程、この世界に危険でないものなどほとんど無いといったのは彼女ではないかと。

 恨めしげに訴えかけたが、割と能天気な気質のある彼女にそんな無言の圧力など通じるべくもなかった。

「ほんとに無理なら逃げてきちゃえばいいじゃない。それより、貰えるもんは貰っときましょ。アタシ、貰いたいものがあったのよ」

 トラちゃんさんが挙手すると、リーダーが「何か」と問いかけてくる。

 

「この隣の部屋にぶわって集まってる大きなエネルギーって何に使ってるの? 空気の浄化に使ったのはヤマダから聞いたけど……」

「現状、使い道があるわけではないな。"トカマク型起電機"は出力の調整ができないから、どうしてもエネルギーを大量に余らせてしまうんだ」

「じゃあ、ちょっとアタシにくれない?」

 隊員一同が何を言ってるんだという顔になった。

 その中でも特に動力班の青年は、

「反対です! 起電機が壊れたらどうするんですか!」

 と猛反対の立場を取る。

 そんな彼の発言にゼレーニン中尉が不快感を示した。

 

「その壊れないぎりぎりのラインを見極めるのが、私たち人間の役目ではないの? 私たちには技術があるのだから」

「アンタは俺と同じメシア教徒だっただろうが! 自己紹介の時に言っていたじゃないか!」

 いきり立つ彼に対し、中尉は真顔で諭していく。

「勿論、今だって信じているわ。でも、私は恩知らずになりたくない。少なくとも、自身の命を救ってくれた神に対する敬意を忘れるべきでは無いと思う。後、蛇足になるかもしれないけど、私は同じ神を信じていると言っただけで、元からロシア正教の信者よ」

 この二人の立ち位置の違いは、直接トラちゃんさんに救われたか否か、または"悪魔"にトラウマを植えつけられたか否かの違いに端を発するのかもしれない。

 要するにどちらも感情の根幹に肯定と否定が根ざしており、和解の道は容易ではないのだ。

 それに感づいたリーダーが、二人の口論がヒートアップする前に割って入ろうとする。

 

「ストップだ、二人とも。まずは女神様の意見を聞こう。何のためにエネルギーが必要なのか。我々にも納得できる範囲ならば、受け入れることも吝かではないだろう」

「んっと、アンタたちのためにも絶対なると思うのよね」

「フム……、それはどんな風に役に立つんだ?」

「アンタたちだって、巣は頑丈な方が良いでしょ? アタシはこの建物の中を、というかこの近辺の"空間"を作り変えたいのよ」

 ん? と隊員たちの脳裏に疑問符が湧き上がり、トラちゃんさんは更に続ける。

 

「今のままだとアクマからちょっとの攻撃を受けただけで、こんな建物吹き飛ばされちゃうわよ。高位悪魔って尋常でない力を持っているから」

「実際、ブラズマシールド展開中の"エルブス"号は正体不明の攻撃で撃沈されてしまったな。貴女の指摘には信憑性がある。それで、作り変えるとは?」

「この"遊びふける国"程の規模にはできないけど……、世界の中に小さな世界を生み出す感じかしら。小宇宙の中にもっと小さな宇宙を作る感じかも。近い感覚としては、カンバリが作ってた"隠れ場"の規模を大きくした感じね」

 リーダーはしばし考え込み、

「それは外部からの攻撃を遮断することができるようになるのか?」

「入り口を作る以上、そこからの侵入までは防げないけど。まあ大抵の攻撃は防げるようになると思う」

 おお、と隊員たちから声が上がった。

 拠点の防御力が上がるというのは確かに大きなメリットだ。機動班の強面や野球好きが前のめりに彼女の言葉に耳を傾けている。

 

「……俺は信じられない。そういって騙して俺たちを皆殺しにするつもりじゃないのか?」

 だが、小生に敵意を抱いていた機動班の一人が頑なに彼女の言葉を否定した。その否定に背中を押された動力班の青年も声を大にして否定に回る。

 小生はちらりとトラちゃんさんを窺う。

 気分を害しないだろうかと心配になったのだ。

 

「……っ」

 何と彼女は俯いて、目を下に落としていた。

 いつもの能天気さは影を潜め、何かに耐えるように口元を固く結んでいる。

 何だ。何で彼女はこんな表情を浮かべているのだろう。初めて出会ったときに見た、自信満々の佇まいとの落差に小生は目を丸くし、気づいたときには咄嗟に言葉を発していた。

 

「それでは、間を取って"お試し期間"を設けましょう」

 は? と賛否両端に回っていた面々が目を点にした。

 

「かつてジョン・F・ケネディは言いました。消費者には権利があると。契約にはそれが正しい契約なのか、監査する期間が必要だと思います」

「だが、そんなことができるのか?」

「小生の機動班同格としての権限を行使して、デモニカ用の緊急バッテリーをいくつか拝借したいと思います。そこに貯めこんだエネルギーを使って、今トラちゃんさんに管理してもらっている家庭菜園……、じゃなかった。一室だけを試しに作り変えてみれば良いと思うんですが、どうでしょう? 足りるかは分かりませんけど」

 リーダーが低く唸った。小生は更に畳み掛ける。

 

「これはトラちゃんさん直接の要請ではなく、小生の責任で借用しますから。何かあったら、小生の責任ということで処理してください。これなら、否定派のお二人にも少しは受け入れやすくなるかと……」

 反対に回っていた二人がたじろいだ。もう一息というところだろう。

 

「……そもそも女神様には、艦長たちの救出を手伝ってもらわなきゃならんのだ。お前ら、艦長を見捨てるつもりか?」

 強面の恫喝が決め手となった。そもそも彼らは、艦長と同じ合同計画直属の人間だ。

 ここで艦長を見捨てるといってしまえば、寄るべき立場すらも失ってしまう。

 果たして、二人は無言のままにトラちゃんさんへのエネルギー供与を認めることになる。

 

「ヤマダ――」

 トラちゃんさんは小生を見て何か言いたそうにしていた。

 妙に照れ臭くなりながら、小生は言う。

「トラちゃんさんの目標に繋がることなんですよね?」

「え?」

 目を丸くするトラちゃんさん。小生は言い訳がましく、更に続けた。

「だって、さっき『アンタたちのためにも』って言ってたじゃないですか。それって自分のために必要だったんですよね? 多分、先日に言っていた豊穣の大地がー、に繋がるのではないかと」

「あ、うん」

「だったら、約束しましたからお手伝いしますよ」

 トラちゃんさんは驚くほど素直に頷いた。話に聞く限りにおいて、彼女は何百年も何千年も生きているはずなのだが、こういう素振りを見る限りだとただの少女にしか思えない。だからこそ、小生はつい大人の目線で彼女に手を差し伸べてしまったのかもしれない。

 実質的に守られているのはこちらだというのに、である。

 

 かくして、エネルギーの供与は黙認2名と圧倒的多数によって、民主的で平和的な可決がなされた。

 勿論、わだかまり自体を完全に消すことはできないだろうが、その影響を現状出来得る限り小さくまとめることはできたのではないかと思われる。

 また、供与自体もすぐに行われた。

 これは賛成多数によってフットワークが軽かったことも影響しているのだろうが、直近に大きなミッションを控えているせいもあった。

 要するにリーダーから「さっさと終わらせてくれ」と暗に言われているようなものなのである。迷惑をかけて本当に申し訳ない。

 

「うっし、運び終えました。これで良いですか、女神様!」

「ありがとう、皆!」

「いえ、俺たちは女神様の味方ですよ! なあっ」

 と数人がかりで抱え込んだ緊急バッテリーが、どさりと家庭菜園の中心に積み上げられる。

 容量にして1億Ah(アンペアアワー)程のエネルギーがあれらには詰まっているはずだが、果たしてトラちゃんさんのご希望に沿うことができるのだろうか?

 小生らエネルギー供与賛成派や仲魔――仲間になった悪魔をこう呼ぶらしい――たちは固唾を呑んでトラちゃんさんの動向を見守る。

 

「……うん、短時間なら多分行けそう」

 トラちゃんさんは片膝をついてバッテリーに指を這わせて、静かに目を瞑った。

 

「面白そうなことやっておるの」

「カンバリ様」

 どうやらカワヤ探しの旅が一段落着いたようで、大足の秘神様が小生の傍らへと戻ってこられた。

 

「何か、世界だか宇宙を作るらしいです。"隠れ場"みたいな、とも。カンバリ様もそうですが、神様……、いやアクマというのは皆そういうものが作れるのですか?」

「作れるわけないじゃろ。"神格"が違うわい」

 えっと振り返ろうとした瞬間、室内が暗黒に包まれる。

 隊員たちが目を見開く中、バッテリーから吸いだされたであろう不定形の眩いエネルギーがトラちゃんさんに抱かれて球体を形作っていく。

 小生は目を擦った。

 エネルギーの眩さもそうであったが、トラちゃんさんが一瞬少女ではなく妙齢の女性に見えたのである。

 

「何か勘違いしておるようじゃが、あれは分霊とは言っても、本来指折りの"高位悪魔"なんじゃ。何せ、死と再生という宇宙の根幹を司っておるんじゃぞ? そんな存在が"飼い主"の居ない状態で顕現しておればあんなことだって容易にできる。ミトラスが警戒するのは当然なんじゃよ」

 球体は肥大化を始め、小生らを部屋の中を呑み込んでいく。

 あまりの眩しさに一瞬目を閉じて、再び開いた時には――、

 

「へ?」

 綺麗に部屋の扉と床、そして植木鉢や雑多な荷物だけが残されて、その周囲に地平線まで緑が続く大平原が広がっていた。

 植物の穂が風に揺れ、鳥が空を飛び、小動物を獣が追いかける。そんな光景が小生らの周りを取り囲んでいるのだ。

 これは夢か幻であろうか?

 幻の中には人らしきものすら見えていた。半裸でくたびれた一枚布をまとい、収穫したトウモロコシを籠に収める男や女たちの姿である。

 

「うん、こんな感じ!」

 トラちゃんさんは満足げに頷いていたが、どう考えても尋常の技ではない。

 現に、隊員たちの一部は跪いて祈りを捧げるものすら見受けられる。

 

「ヤマダ、どう?」

「どう、とは」

「アンタや皆が信じてくれた結果よ。凄いでしょ」

 そりゃあ、すごい。凄すぎて何と言っていいものか分からないほどには。

 小生は何度も周りを見回して、震える声で言葉を返した。

 

「これが"世界"を作るってことなんですね」

「ん? いや、もしかして勘違いしてる? 周りのこれは"紛い物"よ」

 言って、トラちゃんさんは部屋床の隅へ移動してその先の空間をコツンと叩く。

 大平原が続いているように見える空間を、である。

 

「この先の風景はアタシの記憶にあるアタシの箱庭。今やったのは、この部屋の中を扉の向こう側から切り離しただけよ。それも多分二日三日で元に戻っちゃうんじゃないかしら」

「エネルギーが足りないんですか?」

「そうよ。だからこれからいっぱい集めるの。水や土の精霊を呼び込んだり、生き物を飼ったり、それでこんな空間をずっと先まで広めていって、本当の世界を作っていきましょう。一緒にね!」

 そう言って満面の笑みを浮かべる彼女の様子を見て、小生は彼女のパーソナリティにある推測を立てることができた。

 恐らく、彼女は人から信じられなくなる事を恐怖しており、逆に信じられることに心の拠り所を求めているのだろう。

 そして、今一番頼られているのは恐らく小生である。

 責任感に、胃が重たくなった。が、約束をした以上やらねばなるまい。

 小生は頷く。

 

「そうですね。信じてくれなかったあの二人の信頼を勝ち取ることができれば、安定してエネルギーの供与を受けられるようになりますし」

「うん。それに外に出るんなら、自分たちでも調達だってできるのよ!」

「調達、ですか?」

 トラちゃんさんが人差し指と親指で円を作り、ふひひと笑う。

 

「"マッカ"があれば、エネルギーなんていくらでも集まるんだから」

 はてなと首を傾げる小生。他の隊員たちも同じ面持ちをしていた。

 

「魔界の宰相"ルキフグス"が作った悪魔の貨幣よ。高純度のエネルギー体としての使い道もあるから、エネルギーが欲しかったら周囲の悪魔をしばき倒して、"マッカ"をかき集めてくればいいのよ!」

「そんな便利なものが……、ん?」

 だが待って欲しい。彼女は今、"悪魔"をしばき倒すと言った。

 しかし、小生らはこの世界において最底辺の存在である。少なくとも機動班以外は確実にそうだ。

 そんな面々に、と言うか文脈的に小生に、侵略的外来生物のような所業ができるものなのだろうか?

 小生の懸念を、含み笑いを浮かべたトラちゃんさんがかき消した。

 

「できるわよ! もう狙いは定めてあるの。この"遊びふける国"で最も手頃にしばき倒せる"悪魔"……」

「"ガキ"ですか?」

「あれは絶対駄目。マッカビームは許されないスキルよ」

「は、はあ」

 良く分からないが、頷いておく。

 その内、集っていた仲魔たちから「あー」と納得の声が上がっていった。

 

「あれか」

「まあ、あれなら余裕よね」

「餌だしな」

「お腹空いた」

 どうやら"ハーピー"にお腹空いたとまで言わしめる餌がこの界隈には生息しているらしい。

 トラちゃんさんがずびしっと人差し指を立てて宣言する。

 

「魔獣"カタキラウワ"。古来から、文明の開始地点としては豚が近くにいる場所こそ好立地と言われていたのよ。ヤマダ。リーダーに頼まれた仕事ついでに、片っ端から豚を狩っていくわよ!」

「え? あ、はあ……」

 このとき安請け合いした事を後になって振り返ってみると、小生と豚との浅からぬ因縁はこの時をきっかけに始まったのかもしれない。

 

 

 

 

「ムドだこの野郎」

「ぐわああああ!?」

「あ、やば。リカーム!」

 トラちゃんさんに連れ出されて憎き黒豚と初邂逅を遂げた際、小生は初めての臨死体験をも遂げることになった。

 人を呪い殺せる豚なんて反則だよ……。

 




【悪魔全書】
名前  はぐれリリム
種族 夜魔
属性 NEUTRAL―NEUTRAL
Lv 10
HP 102
MP 80
力 8
体 9
魔 12
速 6
運 2

耐性
氷結 弱
電撃 耐

スキル
ジオ マハジオ 魅了突き


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シュバルツバースで成仏と食料

「……むむ?」

 気づけば、小生は深い霧の中に立っていた。

 目の前には古ぼけた改札口が置かれており、ホームがあるはずの向こう側には濃い色をした大河が静かに横たわっている。

 その流れにたゆたう渡し船の上には、白髪に白装束の老人が一人。

 頬は痩せこけ、焦点の定まらない眼を持った彼は小生を見るなりこう呟いた。

 

「――そなた、死人(しびと)か」

「へっ?」

 老人に言われて、慌てて自分の体をペタペタと触る。

 やばい、心なしか透けているように見えるぞ。うわあ、もしや本当に死んでしまったのか……。

 慌て始める小生に対して、老人は開いた口が塞がらないといった様子で更に続けた。

 

「随分と暢気な死人もいたものだな……。まあ良い。ちょっとその場で飛び跳ねてみろ」

「と、飛び跳ね……?」

「手持ちに"マッカ"があるなら、付け届け次第でこのまま現世へと戻してやる。ないなら、このまま冥界行きだ」

 黄泉路の管理人には賄賂が通じるのか……。冥界すらも支配する貨幣経済の世知辛さに肩を落としながらも、小生は「まるでカツアゲだな」とその場をジャンプする。

 じゃらじゃらとした音は鳴らなかった。 

 老人はこれ見よがしに舌打ちする。

 

「文無しか。ならば冥界に連れていってやる。さっさと渡し船に乗れ」

「えっ、あっ、ちょっ……」

 老人が小生に手をかざした途端、小生の身体は体重を失う。まるで綿埃か何かにでもなったかのように、だ。

 

「うおっ」

 さらに踏ん張りのきかなくなったところに追い打ちをかけるようにして、不可視の力が小生の身体を改札口へと引き寄せていく。小生の身体を迎え入れんと、改札のゲートもまたがたりと一斉に開いた。

 駄目だ。抵抗しようにも抵抗できない。

「い、いいいいいやっ、ちょっとお待ちを!?」

「タイム・イズ・マネーという言葉を知っておるか? そなたの相手をすることにわしは価値が見出せぬ」

「め、冥土の土産を所望しますっ!」

「なんと死人が土産をせがむとは……」

 焦りに焦って押し問答を始める小生の耳元に、澄んだ銀を思わせる声が届けられた。

 トラちゃんさんの呼びかけだ。

 

『ヤマダ、戻ってきなさいっ!』

 

 すると、不可視の力が弱まっていく。いや、綿埃を運ぶ風向きが変わったとでも言うべきか。引力から斥力へ。小生の身体は改札口から遠ざかる方向へと動かされていった。

「……よりによって"はぐれ女神"の加護持ちか」

 老人がつまらなそうにため息をつく。

 

「は、"はぐれ女神"とはトラちゃんさんのことですか?」

 小生が問いかけても、老人は既に小生を居ないものとして取り合わない。

「また銭にならぬ時間を過ごしてしまった……。もうやってくるなよ、時間の無駄だ」

 老人の姿がどんどん遠ざかっていく。

 改札から果てのない坂道へ。ぼんやりと揺れる人型の炎と何度もすれ違いながら、小生の身体はやがて浮き上がり、天井で煌めく一筋の光へと一直線に向かうようになる。そして――、

 

「――ハッ!?」

 光の先には綺麗な青髪を垂らしたトラちゃんさんの焦り顔が見えていた。

 どうやら、元いた歓楽街の一角へと小生の身体は帰還を果たしたようだ。"バケツ頭"越しではあるが、後頭部にふにょりとした柔らかみを感じる。

「ヤマダ、気がついた!?」

「え、あ。はい」

「今自分がどういう状況か、自覚できる?」

 言われて、周囲を見回してみる。

 傍らには頭部をしこたま殴られて絶命したであろう黒豚の死骸に、ふよふよと浮かぶカンバリ様。

 そして頭上に見えるはトラちゃんさんの平坦な双丘。

 

「あいでっ」

 そして"バケツ頭"にガツンと響く折檻パンチの衝撃は本物と来ていた。

 以上から自身が置かれた状況を推測すると……。

 

「ああー、死にかけてましたね……。初めて臨死というものを体験した気がします」

 後、膝枕されていることも付け加えた方がいいのだろうか? 外見上は年下であるトラちゃんさんに膝枕されているというのは、何というかえらい気恥ずかしいものがあるのだが……。

 小生の返事を聞いて、トラちゃんさんは小さく息を吐いた。

 

「……思ったより冷静ね。まあ、良かった。頭に変なダメージは行ってないみたい」

「いや、滅茶苦茶焦りましたよ。もう少しで三途の川を渡るところでした」

 あれって多分三途の川だよな……? まさか人生の中途で三途の川を見る羽目になるとは思わなかったよ……。つくづくこの異空間で遭遇する事象のことごとくには驚かされてばかりだ。

 小生の言葉にトラちゃんさんとカンバリ様が驚いて口をあんぐりと開けた。

 

「えっ、あの一瞬で"アケロンの川"にまで至っていたの、アンタ!? どんだけ超高速成仏しようとしてんのよ!」

「……これは、霊性の問題かのう。この滅びの地で、更にはアクマの手に掛かったというのに、そのまま素直に昇天できるというのはちょっと驚きじゃ」

「は、はあ」

 これはどういう文脈で驚かれているのだろうか。多分、誉められているわけではないと思う。

 

「要するに、アンタは他人より"呪殺"に弱くて死にやすいってこと」

「え、ええ……っ? それってやばいじゃないですか」

 彼女の言わんとすることを素直に理解すると、これから小生はあの黒豚と出会う度に、即死のリスクが生じるということなのではなかろうか。

 まずい……。途端に任務を放り投げて暫定拠点へと逃げ帰りたくなってきた。

 だが、任務を放り投げた末に同僚たちから向けられる冷たいまなざしが恐ろしい……。「働かずに食う飯はうまいか?」と無言の圧力をかけられる未来が目に浮かぶようだ。

 板挟みの想像で顔色を急速に悪化させているであろう小生に対し、トラちゃんさんは力強く平坦な胸を叩いてみせた。

 

「大丈夫。"呪殺"なんて大したこと無いわ! 死にかけてすぐなら、アタシが蘇生してあげられるからね」

「そ、そうは言われましても……」

 すぐには承服しがたいフォローであった。

 大体をもって即死の危機を大したことがないとのたまえる人間は、戦国時代の武将かEXスポーツの選手くらいだと思う。少なくとも小生にそういった類の覚悟はない。

 言うなれば、心臓麻痺のリスクがある中で、「同行者にAEDを持ってもらえば安心でしょ?」と太鼓判を押されているようなものだ。それは断じて安心ではない。小生の業界では気休めと呼ぶ。

 危険が目に見えている場合、家で安静にしたいと考えるのが小生なのである。ただ、引きこもった末にダメージを受ける世間体のことを考えると。ぐぬぬぬぬ……。

 失った血の気はそのままに、悩ましげに唸りながらも小生はトラちゃんさんに頭を下げた。

 彼女に命を救われたことは確かであり、恩神? へのこういうお礼は後回しにするべきでないと考えたからだ。天国を身近に感じてしまった以上、尚更だった。

 

「と、とにかく、引き戻してくれてありがとうございます。あのままでは老人の渡し舟に乗せられてしまうところでした……」

「ん。"カタキラウワ"に仕掛けたのはアタシの判断だったし、責任もあるから、それはいいのよ。って、カロンと会ったのね。ダグザ先輩はいた?」

「ダグザ先輩とは?」

「マッスルパンチしか能のない知恵の神よ。黄泉津平坂で魂の出待ちをしてるときに知り合ったの。こっちが下手に出てるってのに、つんけんしてて気に入らない奴だったけどね」

 マッスルパンチとやらのどこら辺に知恵を使う余地があるのだろうか。角度とかかな……?

 彼女の言にあった"出待ち"という表現も気にかかったが、あまり追及してほしくはなさそうな顔をしていたので、これは無言で流すことにする。

 臨死を体験したことによる動悸もいくばくか治まっていき、小生もようやく安堵に胸を撫で下ろす。

 前線はやっぱり怖いところだよ……。

 

「あー。えと、無理矢理付き合わせちゃってごめんなさい。アタシにもその、色々と誤算があって……。その、やっぱり怖かった?」

 小生の態度に何かを察したのか、しゅんとするトラちゃんさん。

 確かに"カタキラウワ"なる黒豚との戦闘を決断したのは彼女であったが、かといって彼女に全ての責任があるわけではない。先刻、黒豚狩りを行うことについては小生も決断の追認を下していた。故にここで被害者面して騒ぐのは筋違いというものであろう。

 それに……、これは個人的な推測だが、彼女の作り出した"極小の箱庭"は絶対に小生らの今後に役立つと思うのだ。隊内のコンセンサスが取れない以上、独力で"マッカ"なるエネルギー体を稼いで、なるべくあの世界の補強に努めておいた方が良いだろう。

 現世においてもそうだったが、エネルギーという代物は自前で調達できるかどうかが重要な交渉材料になりやすい。工業製品などとは違って、需要と供給がダイレクトに結びついているため価値の変動が起こりやすいのだ。

 あの動力班の青年も、オンリーワンの価値を握っているからこその強硬な態度なわけであって、遅かれ早かれ"極小の箱庭"が小生らの自助努力によって完成してしまうと思い知れば、その姿勢を和らげるかもしれない。

 

 だからこそ、小生はトラちゃんさんの提案を受け入れた。そして、受け入れた以上泣きはしても泣き言は言わぬのが大和男児ではなかろうか。

 小生は言う。

「いやあ、まあ……。こちらも些か危機感が足りていなかったと言いますか。エクストリームな死生感に初めて触れたと言いますか……。これから追い追いと慣れていきたいと思います」

「……慣れていけそうなの?」

「経験上、こういうのは思いこみが大事なんです。『死ななければ安い。死ななければ安い』と毎日三唱しておけば、多分……。すぐに蘇生はしてくださるんですよね……?」

「絶対に守るわ!」

 力強い声だった。"守る"という言葉には言霊でも宿っているのかもしれない。

 少し不安の和らいだ小生は、平坦で不動の双丘が再びどんと叩かれたのを満足げに眺めた後、ハンドヘルドコンピュータからタスクボードを呼び出した。

 

 掲示すべきは"カタキラウワ"のレポートだ。

 トラちゃんさんの応急蘇生異能なしで、この呪殺豚とやりあうというのは少々リスクが高すぎると思われる。

「黒豚はやばいです、っと」

 すぐにリーダーから体調を慮る返信と、情報提供に関する感謝のメッセージが飛んできた。礼儀のしっかりしてる人だなあと思いつつ、ヒスパニックのトラちゃんさん信者からもメッセージが飛んできていることに気がつく。

 

『女神の加護を受けて復活とか、それは控えめに言って預言者のやることでは?』

 そっとメッセージを閉じると、更にゼレーニン中尉からのメッセージがポップアップする。

『これからはヤマダ隊員にも祈りを捧げた方が良いのでしょうか?』

 止めてくださいと返しておく。

 その他隊員への雑多な連絡を済ませ、小生は改めて憎き黒豚と対面する。

 

「トラちゃんさん。この豚は何処に"マッカ"というのを持ってるんですか?」

 腹をかっさばなきゃいけないとしたら、一度死骸を安全な場所にまで運ぶ必要があるだろう。だが、小生の懸念は取り越し苦労だったようで、

「あー、えっとね。あくまでも通貨だから、すぐに取り出せる場所にあるはずよ。んー……」

 言って彼女は口元に人差し指を当て、かわいらしい仕草で黒豚の死骸を検分する。そして、豪快に黒豚の口に細い手を突っ込んでは、

 

「ん、ああ。ここかあ。あったわよ」

 ごそごそとやりつつ、程なくして唾液にまみれた金貨をべちょりと取り出した。ええ……、黒豚狩る度にあれをやらなきゃならないのん……?

 小生の言わんとすることが顔に出ていたのか、トラちゃんさんはすぐさま「はいはい」と取り出した金貨に浄化の異能をかける。

 

「はい。これが"マッカ"よ」

「へえ……」

 矯めつ眇めつ見てみると、"マッカ"にはアルファベットの"h"に似た刻印が為されていた。成る程、何処ぞで成形の一手間がかけられていることは間違いないようだ。渡された"マッカ"を電磁ロック式のバックパックへと放り込みながら、小生は更に疑問を口にする。

 

「これを"悪魔"たちは貨幣として用いてるんです?」

「そうよ。交渉材料としても使われてるし、エネルギーの補給手段としても重宝されてるの。アタシたちにとっては"箱庭"へのエネルギー補充手段であると同時に、新たなアクマの"召喚"コストとしても重要になるでしょうね」

「新しく"召喚"? 小生にもできることなのですか、それは」

 思わず首を傾げてしまう。同じ文言が入っていることから、デモニカの追加アプリとして強制インストールされていた"悪魔召喚プログラム"がふと連想されたが、それでもいまいち明瞭なイメージが湧いてこない。というか、そもそもこのアプリをどうやって使うのかも自分は確かめていなかったことに気づいてしまった。

 何だかんだで成り行き任せにトラちゃんさんやカンバリ様の協力を取り付けられていたからなあ。

 タスクボードに貼り付けられた"悪魔召喚プログラム"の解析ドキュメントに目を通しながら、トラちゃんさんの講義を大人しく拝聴する。

 

「悪魔召喚術ってね。大昔から手続きこそ煩雑だったんだけれども、アクマの情報と対価さえ用意できていれば、さほど難しいものじゃなかったのよ。契約したアクマを呼び出すのも、新たにアクマを呼び出すのもね。それにアンタの場合、その機械の服がピコピコって召喚の面倒な部分をやってくれるんでしょ? だったら、対価さえ支払えばすぐに新しいアクマを呼び出すことができる……、と思うわ」

「ほえー」

 間抜けな声で説明に応える。

 やはりイメージができないが、戦力が増えるというのなら、隊としても言うことはないだろう。

 

「その、新しい"悪魔"なんですが……。呼び出せる"悪魔"は決まっているんです?」

「ん、"悪魔合体"によって新たに生まれたアクマを呼び出す時なら基本、対価なしで呼び出せるはず。後は契約外で見知ったアクマや一度契約を打ち切ったアクマと再契約をして遠方から呼び出す時にはやっぱり"マッカ"が必要になるんだけど……。あー、そっか。アンタの仲魔ってアタシとカンバリしかいないもんねえ。今すぐに、新しいアクマにお目にかかりたいならアタシたちを素材に合体を試して見る必要があるわ。アンタ、"悪魔合体"に興味あったりする?」

 小生は要領を得ないながらに首を横に振った。

 "悪魔合体"という字面からして、仲魔と仲魔をなんやかんやして新たに一体の仲魔を呼び出す儀式なのだろうと察しがつくが、それを今の小生がやるのは自殺行為だと思われる。

 何せ二体しかいない仲魔の内、カンバリ様は恩人にして雲の上の存在であるし、トラちゃんさんに至っては、現在進行形で調査隊の大多数から崇敬を集める女神様だ。

 安易な気持ちで「ああ、トラちゃんさん? 戦力強化のためにカンバリ様と合体させましたよ」などとのたまった次の日には、信者連中に親撲会を開かれる未来しか見えない。良くてひき肉、悪ければ細切れだろう。

 

「じゃあ、今アンタが呼び出したり引っ込めたりできるのはアタシらしかいないはずよ。他の手としては、んー。今からアクマを口説きにいって仲魔に引き入れるか、特定のアクマと"縁ある言葉"を介して召喚を試すしかないわね」

「"縁ある言葉"ですかあ」

 また良く分からない単語が出てきた。俗に言うパスワードのようなものなのだろうか?

「その言葉はどう入手したらいいのでしょうか?」

「アクマから直接教えてもらうか、人伝に聞き知るかでしょうねえ」

「成る程」

 となれば、現時点においてパスワードを入手できる目処が立っていない以上、小生が今悪魔召喚術を試したいのならば、トラちゃんさんかカンバリ様を出し入れ――全くイメージが湧かないが、何処に収納されるのだろう? ――をしなければいけないということになる。

 そして、何時敵に襲われるとも知れない歓楽街の真っ只中で、何が起きるとも分からない召喚を試すほど小生は胆の据わった人間ではなかった。

 今はそういうことができるのだと、頭の片隅に入れておくだけでいいだろう。

 小生は答える。

 

「とりあえず、"縁ある言葉"というのが分かるまでは『召喚や合体というものがあるらしい』程度の理解に留めておきます。戦力の増強は確かに魅力的ですが、その辺りはタスクボードを通じて機動班の皆さんに情報を流しておくだけでもいい気はしますんで」

「そうね。今は何が起こるかわからないし、それが無難かもね」

 二人して頷き、この話題に関しては保留の線で打ち切ろうとする。

 が、ここでカンバリ様が口を挟んできた。

 

「ん? 土の精霊……、"アーシーズ"を呼び出すだけならば、わしが召喚の手助けをできるぞい。今までお主に渡していた土も、"アーシーズ"に命じて作らせたものじゃし」

「なっ!?」

「え、ほんとですか? 流石、カンバリ様」

 何といつものトイレ探しを終えるごとに渡してくれていた謎の土は、精霊に命じて作らせたものであったらしい。

 てっきりトイレ周りの何かをどうにかこうにかして作ったものだと諦めていた小生は、飛び上がる勢いで拍手した。やっぱりトイレ周りの生成物だとね……、ちょっと抵抗があるんだよ。

 そうして小生がカンバリ様を囃し立てると、トラちゃんさんが火がついたように騒ぎ出した。

「ア、アタシだって"アーシーズ"だろうが"アクアンズ"だろうが、"ウンディーネ"だろうが呼び出せるし……! 多分……」

 キンキン声でがなりたてる有様たるや、まるでへそを曲げた中高生だ。

 段々と分かってきたことなのだが、この女神様は図抜けて負けず嫌いの気があるらしい。

 それが女神としての神性によるものなのか、少女としての外見に引っ張られたものなのかは分からないが、女性の取り扱いに疎い小生からしてみると、どう対処したものかと正直戸惑う。

 

「えーっと」

「何よ! アタシの言葉が嘘だって言うの!?」

「……どっちが何を出せるとしたって、どうでもいいじゃろ。拠点に戻ってからでも、精霊召喚を試してみればええ」

「むう……」

 むきむきといきり立つトラちゃんさんと、見るからに年の功を感じさせるカンバリ様。

 どちらの意見が通るかなど、当事者からしても一目瞭然であった。

 三方の意見が妥協にまとまり、いい加減リーダーに頼まれた探索を再開しようとしたところで、ふと気がつく。

 

「この黒豚の死体はどうなるんです?」

「……そんなの、通りすがりのアクマが片づけてくれると思うけど。何なら、隊のゴブリンやハーピーにご飯として持っていってあげても良いかもね」

「へえ……」

 未だ不機嫌の収まらぬ女神様に生返事をしながら、デモニカのスキャナーを起動させる。これは「まだ使える部分があるんじゃないか?」という日本人的なもったいない精神が働いたせいであったのだろうが、何よりもまずこの"悪魔"の図体が黒豚の形をしていることが大きかったのだろうと思う。

 ぐぎゅるるる、と腹が鳴り、生唾が自ずと口内に満ちてきた。

 何というか、故郷で頻繁に食されてきたビジュアルも手伝ってか、グロ画像によって失せていた食欲が猛烈に刺激されたのである。

 ……いやいや、騙されるな。こいつは人の住めぬ地を闊歩する化け物に過ぎぬ。あまつさえ、小生をあわや死へと追い込みかけた元凶でもあるのだぞ、と大脳がしきりに警鐘を鳴らしているというのに、生物としての本能が「これ食えるんじゃね?」と訴えて止まない。

 

「ええと、内臓は後にして。表面だけでも……」

 とりあえず死体の傍に腰を下ろし、検査用のナイフで黒豚の表皮を削りとる。

 続く動作で食用目的のサンプリングを行った瞬間、

『危険、未知の毒物です。危険』

 "バケツ頭"のモニター上に赤字の分析結果が滝のように表示され、挙句の果てには耳やかましく警告音がかき鳴らされた。

「うへ」

 これは人体に悪影響のある毒素が、この黒豚に含まれている事を示している。

 つまり眼前の物体をまともに食べるのは不可能なわけだ。

 うーん、成る程。

「毒があるんじゃなあ。食べられないよなあ」

 諦めようと黒豚の傍らから立ち上がり、腹の音に引っ張られて再び座り込む。

 

「うーん」

 黒豚の空虚な眼に、小生の空腹を抱えたしかめっ面が映りこんだ。

 何処からどう見ても美味そうな黒豚だが、これはあくまでも毒である。毒である。毒で……。

 ぐぎゅるるるるるる。

「……いや、ワンチャンあるな」

 小生の脳裏に、丸々太った河豚の姿が浮かび上がっては消えていった。

 

 

 

「あー、えっと。とりあえず、今回の探索結果は以上となります。詳細はレポートとしてドキュメント化もしておきました。小一時間の小休止後に、また探索ミッションを再開します」

「探索の成果は分かったが……。お前さんの引き摺ってる、その死体は?」

「道中に確保した、暫定的な食料候補です。どうか、お気になさらず」

「いや、ちょっと待て」

 あの後、宮殿周辺の隠し扉を幾つか発見し、意気揚々と暫定拠点に帰還した小生は屋内に黒豚の死体を持ち込もうとしたところを同僚に発見され、詳細な説明を求められた。

 とりあえず、当初求められていたレポートは提出したというのに、同僚たちは奇異に困惑したままだ。

 ぐぎゅるるるるるるるるる、と腹が鳴った。

 

「食料って、お前……」

「それ、レポートにあった"悪魔"じゃないのか?」

 資材班やインフラ班が軒並み嫌そうな顔で黒豚を見ている。やはり、いくら形が豚であっても"悪魔"を食べるという発想には行き着かないようだ。ヒスパニックやゼレーニン中尉に至っては、「"悪魔"の肉を食して、自分が"悪魔"になる可能性はないのか?」と本気で疑ってかかっていた。動力班の青年などの小生に批判的な面々も、毒気が抜かれたように、まるでアホの子を見るような顔になっている。

 疑惑と哀れみの眼差しが四方から小生の全身に突き刺さっていく。

 正直、居心地が悪くて仕方がなかったが、それ以上に空きっ腹が「おい、早く食わせろ」と訴えかけていた。他の面々と違って小生は二度も盛大に粗相をやらかしてしまった手前、胃腸の中が空っぽ同然なのである。

 

「……ジャパニーズが悪食だというのは本当だったんだな」

 とは強面が頭を掻く。この発言に野球好きも同感を示して「そういや、デビルフィッシュなんて食ってるもんなあ」と何度も頷いている。てか、タコは"悪魔"じゃないぞ。

 こう言う時にこちらの主張をできる限り理解しようとするのは、やはりまとめ役たるリーダーであった。

 

「……皆、頭ごなしの否定は良くない。この非常識の地で、先入観に囚われることは危険であると肝に銘じておくべきだ。我々は何もない空間からゲートが出現するという常識外の現象を既に前例として知っているじゃないか」

 彼も眉間に皺を寄せているものの、小生の考えに何やら深い意図があるものと考えてくれているようだ。

 しかし非常に申し訳ないのだが、ただ空きっ腹の誘惑に負けただけであった。味気ない、チューブに詰まった栄養ペーストに嫌気が差しただけであった。

 いや、一応自分なりの理由はある。

 トラちゃんさんの蘇生を受けてからこの方、腹の調子がおかしいのだ。下る、というよりはひどい空腹に襲われていた。

 もしかすると、臨死を体験したことによって生存本能が刺激され、より多くの栄養を身体が欲しがっているのかもしれない。

 最早宇宙食じみた栄養ペーストでは物足りなかった。

 今は肉がたらふくに欲しい。肉が。

 リーダーが祈るような面もちで、一言一言確認するように問いかけてきた。

 

「……ヤマダ隊員。その"悪魔"の死骸は食用に適しているとの分析ができているのか?」

「いえ、未知の毒物であるとの分析結果が出ました」

「待て。ならば、何故その"悪魔"を食べようと思ったんだ? 今回の君の行動はいささか論理性が欠けているように思う」

 全くもってその通りだ。今回のこれは理屈ではない。

 少なくとも、"エルブス"号の生き残りを救出しなければならぬという大事なミッションを控えている現状、一時の誘惑に駆られて無駄なリスクを負っている余裕などないことは、火を見るよりも明らかであった。

 故に自分でもおかしいとは思っている。だが……。

 外を守る理性よりも、内に宿る性分よりも奥底にある何かが、このシュバルツバースで肉を食えと、しきりに叫び続けているのだ。

 小生は思考をめまぐるしく働かせ、躊躇いがちに口を開いた。

 

「……まず、これは極々個人的な意見なのですが、"エルブス"号から持ち出せた数少ない食糧は、なるべく機動班に優先して配給されるべきだと思うんです」

 ロビーがにわかに沸き立ち、傍観していた仲魔たちがびくりと反応を見せた。

 小生が平等分配の原則を崩した主張をしたことで、方々から不満の声が挙がったのだ。が、それをリーダーが手で制する。

 

「……ヤマダ。俺の立場からすれば、君の主張には素直に頷くことができない。同じ遭難者という立場上、食料分配は常に平等であるべきだ。だが、そんな原則論は分かって言っているんだろう?」

 空きっ腹のせいか、別の理由によるものか常より腹の据わった小生は、ぐぎゅるるると腹を盛大に鳴らしながら、これに答える。

「我々が持ち込んだ栄養ペーストは完全食品として栄養学上大変に優秀ですが、それ以上に他に代え難い携行性と保存性をも兼ね備えています。今のところ、まだ潜入プランは定まっていませんが、ミッションの達成にどの程度の期間が必要か分かったものではありません。2日や3日ならばいいのですが、それ以上ともなると……。ここで限りある栄養ペーストを無駄に消費するというのは、今後のミッションに制限を加えることにならないだろうかと、懸念していたりします」

 周囲から、ぐうと唸り声が聞こえてきた。小生もまた、ぐうと腹の音を返した。

 正直、ずるい物言いだったかなとは思いつつも反論が出てこないことに安心する。後は駄目押しに一言添えるだけであった。

 

「無論、どんな影響があるかは分かりませんから、まずは小生の食事分と仲魔たちの分を"カタキラウワ"の肉で賄えないか、調査してみようと思います。それで安全だと分かったところで、栄養ペーストの消費量を徐々に減らせるようなプランを提示したいと。これならば、隊の今後にも役立つと思うのですが……」

 要は先刻のトラちゃんの一件で用いたのと同じ手口だ。

 自己責任で隊の利益になりえるチャレンジをしている限りは、行動の自由が補足されるはずであった。

 

「つまり……、君が現地で調達できる食料候補物質の毒見役をかってくれると。隊の食糧事情を見据えた上で言っているわけだな」

 リーダーが眉間を押さえてため息を吐いた。更にトラちゃんさんが付け加えて言う。

 

「……多分、食べても大丈夫なものはあると思うけどね。アタシの知ってる人の子らもアクマのお肉は食べていたし。むしろ、何で"カタキラウワ"から毒が見つかったのかしら……? アタシの知識だと……。あっ、勿論栄養は考えなきゃだから、穀物や野菜も取らなきゃだめよ。そういうのはアタシが作ってあげるから」

 どうやら彼女の常識の範疇では、この黒豚は無害の食料として見なされているようであった。だが、隊員たちは彼女の発言の後半に驚き、目を丸くする。

 

「穀物を頂けるって……。もしかして、女神様の育てておられるあのトウモロコシをですか? そんな、畏れ多い……」

「いや、今の世代は殖やすために育ててるんだけど、元々おすそ分けしようとは思ってたのよ? 穀物は命を育むものだから。皆に食べてもらうのはずっと"自然"なことじゃない」

「おお……、何と有難い……。おお……」

 トラちゃんさん信者の信仰心が高まっていく音が聞こえるかのようであった。

 人間という生き物は、胃袋を握られると弱いのである。

 リーダーが大きな手のひらで剃り上がった頭を抱え、ため息をつく。

 

「分かった……。今後のメインミッションにプラスに働くのならば、俺もこれ以上何も言わない。ただ、無理はすべきでないし、傾倒すべきでもないとやはり思う。あくまでも休憩時間を使ったサブミッション扱いだ。その辺りを約束できるか? ヤマダ隊員」

「は、はい。勿論です!」

「では、有志でチームを募ろう。リスクを一人で抱え込むべきではないさ。効率も高めなければならないしな。この中で、ヤマダ隊員のプロジェクトに参加したいと思う者は、後ほど集合してほしい」

 リーダーの号令によって、隊員たちの解散が告げられた。

 こうして、黒豚の調理と試食は有志によって実験的に試みられることになる。

 その場に残り、プロジェクト参加の意志を見せたのは小生を含め、観測班の男性、ドクター、そしてヒスパニックとゼレーニン中尉の5人であった。って、後方人員の3分の1もいるじゃないか……。

 集まった面々は、まず額をあわせて志願の動機を語っていく。

 いの一番に口を開いた観測班の男性は、

「理論上、科学的に分解さえしてしまえば栄養の調達できることに変わりは無いと思いまして」と情緒もへったくれもない腹を打ち明けた。理系か。

 続くドクターは、

「恥ずかしながら、その黒豚を見ていたらお腹が鳴ってしまいまして……。勿論、人体を用いた臨床試験には医者が携わるべきという責任も感じています」と頬を掻く。日本人か。

 ドクターの傍に付き添っていたリリムは、看護師の女性と別の作業に従事するようだ。彼女らの間に淑女協定のようなものが透けて見えるが、第三者の小生にその詳細を知る術はない。

 そして、残るヒスパニックとゼレーニン中尉は、

「女神様が仰ることに間違いはないでしょう」と真顔で語っていた。信者か。いや、信者だな……。

 

 解体と分析は、トラちゃんさんの作った"極小の箱庭"で行われることとなった。

 まるで外界のような景色の中にあって、拠点の防衛に詰める仲魔の一部がくつろいでおり、ヒスパニックの青年とゼレーニン中尉はのびのびとした顔を見せている。

 

「さて、まずは解体をしなければならないのですが……。この中に家畜の解体経験者はおりますか?」

 はきはきとした観察班の問いかけに、ヒスパニックの青年が手を挙げた。

 

「実家が畜産農家だった」

「話が早いですね。では私とゼレーニン中尉が解体部位の分析を行っていきます。ドクターは医学上のアドバイスを。フフ。未知の物質……、大変興味があります」

 案外、そっちの興味が本命だったんじゃないかと思わせる含み笑いを浮かべた観測班に皆が苦笑いを返し、黒豚の解体は始められる。

 

「……蹄から、"マッカ"と同質のエネルギー反応が見られますね。今後、このようなエネルギー反応の見られる物質を便宜上、"フォルマ"と分類しましょう」

「トラちゃんさん、この"フォルマ"も箱庭の安定化に使えるのですか?」

「えーと……、うん。使えるみたい。アンタたちすごいわね。こういうところにまで気が回るなんて」

 徐々にテンションの高まりつつある観測班の男性を後目に、小生はトラちゃんさんと箱庭の補強作業を行うことにした。というよりも、専門家の協力が得られたおかげで、小生の仕事がなくなってしまったのである。

 

「うんしょ」

 探索中に得られた"マッカ"を握りしめたトラちゃんさんが、握りしめたその手を天井へ掲げると、まばゆい光を伴って手中の"マッカ"が消え失せてしまう。

 ……質量保存の法則をガン無視した光景だ。

 清浄な空気が強まり、心なしか周囲の景色が色濃くなったような気がする。

 

「うん、これでもう数日は持つようになったわ」

「数日! 随分省エネなんですね?」

「空間を広げるのと、維持するのは力の使い方が違うのよ」

 解体に従事している面々に目をやると、既に黒豚は細切れのブロックになってしまっていた。

 現場に近づいてきたゴブリンがおこぼれにあずかろうと、じろじろと見つめている様が何とも牧歌的に感じられる。

 

「……不思議ですね。尋常でない量のカテプシンが検出されているというのに、細胞質が溶ける様子もない」

「検出されたタンパク質のほとんどは不凍タンパク質よ……。極地に生息する魚介類が持っているものだわ。変なところで、ここが南極なのだと思い出させてくれるのね」

 ……うん、あそこに加わるべきではないと小生は一瞬で理解する。会話の中に「加工すれば食べられるかもしれない」との文言があったことから、もう完全に任せてしまうことにしよう。小生が空腹で倒れる前に全てが済めばいいのだが……。

 

 更に余った"マッカ"を用いて、探索中話題になった悪魔召喚も試すことになった。

 カンバリ様から"縁ある言葉"を教えてもらい、おっかなびっくり悪魔召喚プログラムを起動する。

 すると不可解な文字列が高速でインジケータを流れていき、目の前の足下に六芒星が突如として出現した。

「お、おお!?」

 そして、六芒星から立ち上る金色の光が何らかの形を模していく。

 これは人の上半身だろうか?

 土でできているらしく、上半身が身じろぎをするたびに土の塊がぱらぱらと床に零れ落ちる。

 そして、光が収まった頃には意思ある精霊が一体、小生の足元に顕現していた。

 

「……フム、カンバリ様の呼び出しかと思いきや、私を呼びだしたのはニンゲンですか。まあ、宜しい。精霊"アーシーズ"。今後ともよろしく」

「あ、はい。どうも。こちらこそご丁寧に」

 思わずこちらも頭を下げてしまう。

 すごいな、カンバリ様。本当に精霊なるものを呼び出せてしまったぞ。

 尊敬のまなざしを小生が向けると、カンバリ様は特に偉ぶりもせずに口を開く。

 

「こやつには箱庭の管理と土の生成を任せればええじゃろう。精霊というものは本来的に戦闘以外の様々な場所で役に立つものじゃ。自然にあまねくエネルギーを滞りなく循環させ、宇宙の外に漏れていかぬようにする役割こそが、こやつらに課せられた使命じゃからな」

「成る程、そういうものなのですかあ」

 感心しきりの小生とは対照的に、トラちゃんさんは膨れっ面になってしまっていた。負けん気を全身で表現しておられる。

 

「ちょっと、アタシにも召喚させなさい!」

「あっ」

 余った"マッカ"をトラちゃんさんは引ったくると、小生のハンドヘルドコンピュータを胸元にまで引っ張っては、その表示をにらみつける。

 

「ほら、ヤマダ。さっきのみたいに、ピコピコってやって! カンバリが"アーシーズ"なら、アタシは"アクアンズ"よ! ほらっ!」

「わ、分かりましたってば」

「この世界の精霊はまだ良く分からないけど、アタシの神力なら別次元から精霊を引っ張ってくることくらい訳ないわっ。ぱすわーどは"とらちゃんふぁんくらぶ"でやってみなさい!」

「えええ……?」

 言われるがままに、悪魔召喚プログラムを起動する。

 すると、再び"マッカ"が消滅して、足下に不定形の魔法陣らしきものが浮き上がってきた。って、ほんとに成功するのかよ。

 ただ、カンバリ様に促されてやった時とはいささか勝手が違うようで、六芒星から水が湧きだし、形作られた人の身体は一体、二体、三体……、多くね?

 三体の水でできた人型の精霊は、ゆらゆらと揺らめきながらおもむろに口を開いた。

「……いや、さいかわはネミッサやろ……」

「……は? たまきちゃんやろ?」

「アサヒちゃんがさいかわでど安定。屋上」

 何で猛虎弁やねん。てか、トラちゃんさんのファンクラブじゃないのかよ!

 どうやら、彼らはただの水の精霊ではなく道頓堀の精霊であるようであった。

 小生がトラちゃんさんを見ると、彼女は口笛を吹いて目をそらす。

 

「ち、ちゃんと召喚はできたじゃない」

 確かにと思い直し、彼らには箱庭への水の供給を命じることにした。

 かくして箱庭の床に土壌が生じ、道頓堀が湧き出したわけである。

 

「女神様すげえなあ……」

 とここで解体を終えたヒスパニックの青年が小生の隣にまで近寄ってきて、感嘆の息を漏らした。

「道頓堀がですか?」と突っ込みたい気持ちは山々であったが、確かに三体も同時に召喚できた辺りは凄かったため、小生も否定せずに頷いておく。

 青年はひとしきりトラちゃんさんに祈りを捧げた後、親指をくいっと解体現場へと向けて言った。

 

「分析結果出たぞ。毒素を完全に分解してしまえば、食えることは食えるらしい。ただ、半日はかかるって」

「は、半日ですって!?」

 小生は絶望する。すぐさま肉にかぶりつきたかったというのに、これではお預けも良いところだ。

 しょんぼりと落ちた小生の肩を青年がぽんと叩き、苦笑い混じりに続けた。

 

「まあ、腹減ってるんだろうけど、今は栄養ペーストで我慢しとけよ。な? それよりそろそろ休憩時間も終了だろ。探索ミッションに戻った方が良いんじゃないか?」

「あ、ほんとだ」

 言われて原子時計の表示に気がつく。もう休憩の終了まで10分と無いではないか。

 脳裏でオーバーワークの文字列が踊るが、救出を待っている仲間たちがいる以上、あまり悠長なこともしていられない。

 

「分かりました……。ちょっと探索の続きをやってきます」

「ねえ。あんまりお腹が減っているのなら、若いトウモロコシの苗食べる? 少しなら分けてあげるわよ」

 俯き気味の小生の傍らから、トラちゃんさんが袖を引きつつ顔を覗かせる。

 苗というところに抵抗はあったが、小生はこの提案を二つ返事で受け入れた。空腹でどうにかなりそうだったのだ。

「じゃあ、これ。大事に食べてね」

 トラちゃんさんから手渡された苗のお味は、まさに「草だこれ!」といった感じであった。ただ不思議と空腹が和らいだことに正直驚く。

 

「仲間のために頑張るのは大事なことよ。ヤマダ、頑張りなさい!」

 トラちゃんさんの声援を受け、小生はうんと背伸びをした。

 彼女の言うことも一理ある。次の帰還後に美味しく肉を頬張るためにも、もう一頑張りしてみよう。

 

 

 

 

 それからの探索はすこぶる順調に進められた。

「んっ、ここもゲートが隠れてるわねえ。先進みましょう、ヤマダ」

「あー……、ちょいお待ちを。まだマッピングの済んでいない箇所がありますから、先にそちらを埋めてしまいましょう」

 未踏破区画を埋めていき、宮殿までの安全な道のりを確保する。

 時折、共有回線を通じて機動班の戦闘通信が届けられたが、小生らに課せられた任務はあくまでも隠されたゲートを発見するなどといった探索の補助に過ぎない。

 邪魔をせぬよう、機動班には言葉に出さぬエールを送り、粛々とマップの解析に専念する。

 

 無論、極力戦闘を避けてはいっても避けられぬ戦いもあるにはあった。

「周囲、囲まれてるわ。完全に挟み撃ちを受ける前に片側を潰すわよっ!」

「は、はいっ!」

 出会う"悪魔"は黒豚や"ガキ"、そして"アズミ"で占められていたが、何度も繰り返された不意の戦闘によって徐々に力を取り戻しつつあるトラちゃんさんと、元から強いカンバリ様がこれを一蹴し、特に足止めされることもなく探索を進める。

 また、やむを得ぬ場面においては小生も直接戦闘に参加することがあった。

 "悪魔"たちが所有している魔力を秘めた"石"を拾ったことで、小生らも異能を再現できるようになったためだ。

 これが弱点属性を持つ"悪魔"と相対した際には猛威を振るった。

 

「"ガキ"には火属性の攻撃が有効のはずよ! さっき拾った"アギストーン"を投げつけてみてっ」

「分かりました!」

 オーバースローで投げつけられた"石"は、デモニカの補助により時速数百キロの弾速を得て、"悪魔"たちへと吸い込まれていく。

 戦闘の心得がなかった小生も、"物を投げる"という行為だけは人よりも上手くこなせたことがここにきて生きたわけだ。

 

 こうしてマップを埋め、"悪魔"を狩り、マップを埋めを繰り返し、ついには宮殿のすぐ傍にまでたどり着く。

 ぼう、と原色の明かりがあちらこちらに灯る宮殿は、直下から見ると7階か8階建てはありそうな高層建築であった。

 またその面積も見るからに広く、内部の探索が容易ならざるものになるであろうことを予期させてくれる。

 宮殿周囲の建物に潜みながら、小生はとりあえず機動班へとミッション完了の連絡を送った。

 

『こちら、ヤマダ。宮殿までの安全なルートは確保しました。ただ……』

『こちら、アルファ。ヤマダ隊員よくやった。宮殿周囲の状況を教えて欲しい』

『なんというか、"うじゃうじゃいます"』

 建物の小窓から見える"悪魔"の数は、およそ百や千ではききそうにない。

 まるで絶望か悪夢がパレードを成して闊歩しているかのようだ。

 見知った姿に混じる大型のモザイクが、尋常でない威圧感を発している。トラちゃんさんに問いかけると、あれらは"高位悪魔"であるようだった。

 要するに、小生らでは逆立ちしたって敵わない存在ということらしい。

 

 ……駄目だ。これは。

 正面突破にしろ、勝手口のような物を見つけて潜入するにしろ、この多勢を相手に切り抜けるビジョンがちょっと思い浮かばない。

『これ、もう少し策を練った方がいいかもしれません。ひとたび"悪魔"に見つかってしまえば、生還できるとはとても……』

『……君の意見は重く受け止めよう。だが、躊躇している暇はないのだ』

『ですが……』

 大型の"悪魔"が大通りの真ん中で雄たけびを上げ、巨大な電撃を高々と打ち上げた。

 その余波が建物の中にいる小生にまで伝わり、ぷつぷつと鳥肌が立っていく。

 

「……大丈夫?」

 気圧されて思考が真っ白になった小生の背中をトラちゃんさんが優しくさすってくれたが、ちょっと大丈夫だと返せそうにない。

 とにかく、自分のミッションは達成できたのだ。

 後はさっさと逃げ帰ってしまおう――。

 真っ白になった思考を弱音が瞬く間に塗りつぶしていき、トラちゃんさんらにその旨を伝えようとしたその瞬間、

 

『……生き残りは、誰か生き残りは――、まだ、いるのか? 畜生。頼む。返事を、してくれ――』

 ノイズ混じりで息も絶え絶えな、見知らぬ人間の発する通信を捉えてしまう。

 彼は4号艦"ギガンティック"号の隊員であり、今も"尋常でない化け物"に追われている最中とのことであった。

 更に電波の発信地点は宮殿の内部、階層も上層。 

 小生は目を剥き、宮殿の上層へと目をやる。

 

 良心と生存本能が天秤へとかけられ、ゆらゆらと揺れた。

 トラちゃんさんを見る。

 

「ヤマダ……」

 小生は乾いた笑いを浮かべ、彼女に向けて頷いた。

 

 

「ちょっと、上に上る道を、探しましょう」

 



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シュバルツバースで潜入と便所

DSJの漫画連載あるらしいですね。
色々と本編では明らかにされなかった設定も盛り込まれるんじゃないかと期待してます。
矛盾が出たら、手直し予定です。


 気づけば、小生は再び深い霧の中に立っていた。

「……そなた、もしやわしをおちょくっとるのか?」

「ひえ、すみません、すみません……」

 トラちゃんさんが"アケロンの川"と呼んでいた大河にたゆたう渡し船の上には、相も変わらず白ずくめの老人が静かに佇んでいたが、その表情ははっきりと苛立ちにまみれている。最早青筋のはっきり見える怒り具合だ。

 

「ええとですな。トラちゃんさんの異能に巻き込まれまして……」

「――ジャッジメントか。あの馬鹿女神……」

 頭を下げながら、先ほどの光景を思い浮かべる。

 小生らはとある通路にひしめく"悪魔"の大群を片っ端から蹴散らしながら、宮殿の内部を目指してひたすらに進んでいた。が、いくら吹けば散る小物とはいえ、千や万を越える大群を延々と相手取ったせいか、トラちゃんさんが自棄になってしまったのだ。

 

『ああああっ、もうっ! う”ざったい! いい加減いなくなってちょうだい!』

『あ、ちょっ――』

 彼女の掲げた両手から発せられた目映い光が通路を、"悪魔"を、そして小生を飲み込んだ次の瞬間、目の前の景色が変わっていた。要するに、あの強力な異能は敵味方関係なく、周囲を消し飛ばす力を持っているのだろう。

 そうして、小生はめでたく超高速成仏リターンズを経験することと相成ったわけだ。

 うっかりミス、だと思いたい。被害を自覚してやったなんてことは……、いや彼女に限ってそれはないな。

 

「……ただ小生、これ戻れるんでしょうかね?」

「加護を受けている以上、戻れるには戻れるだろう。何故、そなたがあの馬鹿女神なんぞを信頼できているのかは不可解でしかないが」

 老人の鋭い舌鋒に何も言えない。気まずい沈黙が両者の間を流れたため、何とか場を持たせようと小生は話題を変えた。

 

「あ、ああ。そういえば、ダグザ先輩っていらっしゃいますか?」

「トゥアハ・デ・ダナーンのひねくれ者ならば、大分前に別宇宙の小生意気そうな小僧を捕まえて旅立っていったが、それが何か? いや、そもそも何の先輩なのだ……? そなたの言うことはまこと分からぬ」

 ああ、もういなかったのか。道理で前回もこの場で見かけないわけだ。一人合点する小生を胡散臭そうに眺めていた老人であったが、その内に何を思ったのか、小生に対して黒豚直葬時の如く手をかざした。

 

「ちょ、冥界送りは……っ?」

「何、これは何ということもない児戯。ただ、そなたの魂を読みとるだけよ。他に何をするわけでもない」

 身構えるこちら側の事情など知ったことではないという風に老人はふむふむと何度も頷き、すぐに邪悪な笑みを綻ばせる。 

 

「"マッスルパンチしか能のない知恵の神"。彼奴と再び会うことがあらば、伝えておこう」

「あいや、これはオフレコでっ――!」

 言い終わる前に、トラちゃんさんの焦り声が頭上の坂の上より降り注いできた。

 

『や、やややっちゃった……。ヤマダ! まだ完全に成仏しないでよ!? 戻ってきなさーいっ』

 そして、小生の体はふわりと浮き上がり、前回のように現世へと向かい始める。

 良かった……。どうやらさっきのはうっかりミスで、まだ成仏しないで済むらしい。

 ほっとしたところで、小生はふとした思いつきに身を任せる。

 胡散臭そうにする老人に向けて、バックパックに入れてあった"マッカ"を一部投げ寄越したのだ。

 老人は無造作に放り投げられたそれを難なく手のひらで受け取った。おお、老齢にもかかわらずのナイスキャッチ。小生も老後はかくありたい。

 

「これは……、何だ?」

 老人は"マッカ"を受け取るや否や目を丸くする。

 投げ渡された理由が分からなかったからだろう。

 小生は頬を掻きながら、老人に語る。

 

「……迷惑料を兼ねたお賽銭です。多分、小生と同じ服を着た人たちがこれから来ることがあるかもしれないので……。あまり来て欲しくはないですけど。って、もう時間ないや。とにかく、色々と大目に見ていただけると。おねがいしまーす!」

 遠ざかっていく老人は、ぽかりと無邪気に口を開けていた。

 その姿を見つめていた小生は驚く。

 

 ――走馬燈の一種だろうか。

 老人の姿が、甲子園球場を舞台にバッテリーを組んでいたタダノ君と重なって見えたのだ。

 グラウンドにおいては燦々たる陽光の降り注ぐ中、左手にボールを握りしめ、野球帽を深くかぶり、こちらのハンドサインに対して静かに頷くだけの彼であったが、私生活においては意外と間が抜けていて、今の老人のような表情を浮かべることがあった。

 

「タダノ君、元気だろうか……?」

 彼が自衛隊入りしてからは手紙や電話のやりとりばかりで、面と向かって話す機会に恵まれなかった。こちらがシュバルスバースへ行くことを伝えた時だって、互いのスケジュールが上手く合わなくて再会することは叶わなかったのだ。

「またキャッチボールしたいんだけどなあ」

 口に出しておいて何だが、難しい願いだとは分かっている。

 何せかたや海外派兵で各地をかけずり回っており、こなた異空間の遭難者。

 願いを果たすためには、少なくともこの空間から脱出しなければならない。そのためには、まず生存……。そう、生き延びなければならないだろう。

 

 小生は目を閉じる。

 浮遊感に身を任せ、まぶたの向こう側に強い光を感じ取り、そして再び目を開いたときには目の前にトラちゃんさんの焦り顔が見えていた。

 つまり、小生は再び現世へと帰還できたわけである。

 

「お、起きた! ご、ごめんなさい、ヤマダ……」

「いえ、死ななければ安いもんです。それより急がなくては……」

 ほっと胸を撫でおろしながらも、まずは周囲の様子を窺う。

 "バケツ頭"のモニターに表示される周辺の景色は、赤外線センサーを通じて、ほぼ鈍色(にびいろ)に塗りつぶされていた。

 今、小生らは大の大人が少し腰を屈めてようやく通れそうな円形の通路の中にいる。"悪魔"の気配は手近にはなかった。トラちゃんさんやカンバリ様が小生の旅立っている間に掃討してくれたのであろう。

 

「ようやっと、起きたか。女神の方も落ち着いたようじゃし、ほれ先へ進むぞい」

 決まりの悪そうなトラちゃんさんとは対照的にカンバリ様は上機嫌そのものであった。

 カンバリ様にしてみれば、小生らが今やっていることは"カワヤ掃除"の一環でしかないのだろう。事実、間違っているわけでもないため、訂正するつもりは毛頭ない。

 

「……分かりました」

 気を取り直して、通路の奥へと目をやった。

 ハンドヘルドコンピュータを操作して、モニターに表示された通路の先を機械的に拡大表示させる。

 トリミング技術を応用した高精度のデジタル処理が施された拡大画像には、血色の塊が所狭しとひしめいている。

 脈動するグロ画像……、ではなく"スライム"の大群だ。この先へと進むためには、まず"あれら"を根気強く掃討していかなくてはならない。

 

 頭上から、みしりと大型の"悪魔"が闊歩する振動が伝わってきた。こちらの存在に気づいている様子はない。

「……上のあいつらも、アタシらが下水道を進んでいるなんて思ってもいないんでしょうねえ」

「でも、油断は禁物ですよ。潜入経路としては王道も王道ですから」

「ん、分かった! じゃあ、アタシの後ろをついてきてっ!」

 トラちゃんさんの背中を追い、小生は調査隊の仲間たちで作り上げた歓楽街のマップと地下通路の新規マッピング分とを代わる代わるに睨みつける。

 目指すは"魔王"ミトラスの宮殿直下だ。

 敵に知られず本丸の懐へと潜り込むため、小生は息を殺して歩みを進めた。

 

 

 

 

 

 4号艦"ギガンティック"号の生き残りが発する通信を拾い取った小生は、震える声のまますぐさまリーダーに連絡を取った。

『……リーダー、緊急事態です。"魔王"ミトラスの住む宮殿内部で4号艦の生き残りが"悪魔"に追われています』

 直後、回線越しに天を仰ぐようなうめき声が聞こえてくる。リーダーは思考を吟味するように、言葉を選ぶように重々しく返してきた。

『そうか……、良く知らせてくれた。だが、これは大変悩ましい問題だ。我々は未だ宮殿内部へ侵入する術を持ち合わせていない。……ここは、ヤマダ隊員の意見も聞きたいところだが』

 苦渋に満ちたリーダーの声色は、彼がこのアクシデントを必ずしも歓迎してはいないことを暗に示していた。

 いや、彼個人としては今すぐにでも救出のために動くべきだと考えているのかもしれない。ただ、タイミングが悪かった。

 突発的な潜入プランの変更は、"エルブス"号の同僚たちを救うというメインミッションにも悪影響を及ぼすことだろう。

 下手に宮殿内の"悪魔"たちを刺激して、メインミッションを前に警戒を強めては元も子もないのである。

 彼は恐らく、カルネアデスの板を手に取った遭難者と同じ心境に至っていた。

 だからこそ、小生に判断材料を求めたのである。人命が両の秤に掛けられていた。これは断じて問題の丸投げではない。 

 小生は答えた。

 

『通信の内容は、あまり猶予のある感じには聞こえませんでした。とにかく……、もっとも近くに待機している小生らで潜入と接触を試みてみようかと思います』

『いや、それは危険だ。無理を承知で前線へと出張ってもらっていたが、君は本来後方人員なんだぞ』

『だからこそ、見捨てるしかない仲間の救出に、人員を割けると考えることもできます。多分、メインミッションに与える影響はずっと少ない』

 リーダーが押し黙った。

 そして、恥入るように言葉を紡ぐ。

 

『……すまないな。判断も危険も、君に押しつけた。卑怯だったと正直に思う。私は暫定リーダー失格なのかもしれない』

 それはないだろうと即答しつつ、小生は通信を打ち切った。今はとにかく、時間が惜しい。

 急ぎハンドヘルドコンピュータを操り、4号艦の生き残りへと超短距離通信を試みる。

 

『ハロー。こちら3号艦"エルブス"号クルー、ヤマダ隊員であります。4号艦のクルー、小生の通信は届いていますか?』

 反応は即座に返ってきた。

 

『ああ……。は、ははは……! 届いた。届いているぜ、ヤマダ隊員。ハロー、こちら4号艦のクルー。通信は良好だ。聞こえてるんだ。やったぞ!』

 せっぱ詰まってはいたものの、思ったよりも声に活力が満ちている。これが彼の心的強靱さに由来するものか、藁にもすがりつく思いであるのかは良く分からない。

 

『……そちらの状況を教えてください。生き残りは他にいるのですか?』

『さあ。まだいるのかもしれないし、くたばったのかもしれない。オレは殿を務めていたんだ。曲がりなりにも、こっちの"エース"だったからな……。それで化け物相手にチームで立ち向かって、逃げ出して……、戦って。これ以上の継戦は無理だと、負傷者を先に逃がした』

 表情を歪め、小生は他に生き残りの通信が飛び交っていないかと通信チャンネルを切り替えては探し求める。結果は静かなものであった。

 黙り込んだ小生に対し、"ギガンティック"号のエースは問いかけてくる。

 

『……オレの通信に応えてくれたということは、援軍が、オレは助かるということなのか? 無理に応えなくてもいい。分かってるんだ……。化け物を倒した銃弾の大半は、くたばった仲間から譲ってもらったものを使っていた。覚悟は決めている。あのクソったれな化け物ども以外の声を聞いて、前のめりにくたばれるのなら、それはそれで悪くねえ』

『正直に言います。まとまった援軍はありません。ですが、小生がどうにかしてそちらに行きます。だから……、何とか生き延びてください』

 先程とは違い、すぐには答えが返ってこなかった。ただ震え、声を押し殺している様子が、回線越しに窺い知れる。

 

『……涙が出るほど嬉しいぜ。お前、良い奴だな』

『何かあれば、このチャンネルにお願いします。それではご武運を』

 小生は回線を打ち切り、トラちゃんさんらを見た。

 

「すいません、無理をします」

「取り残された人の子を助けるため、でしょ? これは霊性の問題だから、アタシからは何も言わない。ただ、アンタにはアタシとの契約があることも忘れないで。まあ、無理なんてしなくても何とかなるわよ!」

「ただ、現実問題としてどう侵入したものか悩ましいのう。まさか、この無勢で正面突破というわけにも行くまい」

 あくまでも希望と自信に満ちたトラちゃんさんの表情には勇気づけられ、カンバリ様には理性的な判断を求められる。

 確かにカンバリ様の言うとおり、歓楽街の外へと出て宮殿の内部へと向かうのは愚策も良いところであった。

 

「やはり、"隠れ場"を通すこともできないのですよね?」

「カワヤの気配を探ってはみておるが、無理じゃのう。恐らく魔王が宮殿周囲を巻き込んでの強力な結界を張っておるんじゃ。これがかなり悪質なもんでな。下手につつくとアクマですら朽ち果てるまで囚われの身になりかねん。まあ、少なくとも人が通れるような道は下手につくれんなあ」

「そうですかあ」

 便所があるならば、何処にでも"隠れ場"を通すことができるのでは……? と思ったのだが、ちょっと虫の良すぎる発案であったようだ。

 やはり、異能に頼らず通行の可能な道を探し出す必要がある。

 

「かといって、今までの探索で宮殿に通じていそうな道なんて――」

 と、その時小生に天啓の如き閃きが下った。

 

「……そうだ、カンバリ様。貴方は歓楽街のあちらこちらでカワヤの掃除に励んでいたのですよね?」

「そうじゃな。だが、それが今の問題と関係があるのかのう?」

「何処の便器も"スライム"が詰まっていたのですか?」

 カンバリ様は少し考え、そう言えばと小生の質問に頷いた。

 

「詰まっておった。目に見える範囲では破魔の浄化を施しておいたが、それでも奥の方までは無理だったでな。まったくしつこい汚れじゃったわい」

 小生は彼の言葉を脳内で反芻し、トラちゃんさんに向き直る。

 

「トラちゃんさん。拠点下の"スライム"ですが、夥しい数の気配が感じられたのですよね。"どのような範囲で"感じられたんです?」

「んーと、網の目みたいな感じかしら? こう、多分下水道に詰まっているような、そんな感じ?」

 仮説の信憑性が強まった。小生は二人に言う。

 

「"スライム"を退治しながら、宮殿まで下水道経由で進みましょう。この世界が人間文化を模しているのならば、十中八九で宮殿と下水道は接しています」

 かくして、小生らは潜伏していた屋内の一部を取り壊して、下水道へと降り立った。

 

 戦闘はもっぱら、トラちゃんさんに任せっきりだ。

「マハブフーラ! もういっちょ、マハブフーラ! まだまだいくわよっ」

 何でも彼女は多少の消耗を、打ち倒した敵から生命力のようなものを吸い取ることで自己回復できるらしい。

 小生は温存にまわるカンバリ様と列を為して、トラちゃんさんの後をついていく。

 歩いてみて分かったことだが、この異空間は別段人間世界を完璧に再現しているというわけではないようだ。例えば、下水道に"スライム"は詰まっていても汚水の類は流れていなかった。トラちゃんさんが「湧き水が出ない」と言っていたが、とにかくこの世界は水気が少ない。

 いや、もしかしたら悪臭は再現されているのかもしれないが、デモニカの空気清浄機構がそれを感じさせなかった。

 鼻をつままずに済むというのは潜入経路としては願ったりだなあ、と内心でほっと息を吐く。

 

「マハブフーラ! マハブフーラ! マハブフーラ! ……詰まりすぎでしょ、どんだけいるのよっ! パンチしてやる!」

 トラちゃんさんの異能を受けて、たちまちに凍り付いた"スライム"の数々は、続く動作で彼女に拳を叩きつけられ、粉々に砕け散っていく。

 後にはどす黒い染み以外、何も残らなかった。

 他の"悪魔"たちと違い、"スライム"は顕現の仕方が不安定なのだそうだ。力を失えばただの液体と化し、地面へと吸われていってしまう。

 それはつまり、死体の処理に困ることはないということでもあり。突き進むのに面倒もなく、ぐんぐんと先に進んでいく。

 

「トラちゃんさん、大丈夫ですか?」

「へ、平気! 数が数だから面倒くさいけど、まあ雀の涙程度にはアタシの力として取り込めているし? ……ちょっと面倒くさいけど!」

 実際、戦闘の悉くを彼女に押しつけてしまっていることは申し訳なく思う。だからこそ、延々と続く駆除作業に業を煮やした彼女のジャッジメントに巻き込まれても、特に文句を言う気はなかった。

 むしろ、かなり先の"スライム"まで消し飛ばしていることに喝采を送りたいくらいだ。

 そうして、延々と下水道を突き進んでいき、モニターに表示されたマップ上で、宮殿と重なる部分へとたどり着く。

 少なくとも、宮殿のすぐ側にまで歓楽街の"悪魔"に気づかれることなく近づくことができたわけだ。

 だが、ここから先が問題であった。

 周囲を見回し、小生は顔をしかめる。

 

「うーん、やっぱり上に繋がっているのは配管くらいかあ。道ばたにマンホールなかったもんな……」

 一応、トラちゃんさんに隠されたゲートがないかも確認してもらったが、上層へと続く道は見つからなかった。

 

「地下にも"悪魔"の気配もなさそうなんですよね」

「んー、多分ね。"スライム"以外は皆、上にいる感じ」

「となると……」

 小生はバックパックからレンチを取り出し、周辺の壁を叩き始める。

 

「え、何してるの?」

「いや、向こう側に空洞がないか探してるんです。深さ的にはあると思うんですよね。小生の見立てだと……」

 こんこんと根気強く続けていくと、その内に"当たり"らしき手応えを感じた。

 

「ありました。ここ、掘りましょう」

「え!? 何で空洞があるって思ったの?」

 小生は親指をくいっと立てて、地上を指し示す。

 

「この宮殿、高層建築過ぎるんです。基礎を打ち込まなきゃ立ってられないですよ。設計的にはレトロな杭打ちの基礎もありえるんですが、まあ恐らく地下に空隙のできるベタ基礎の類だろうと……。それに、高層建築なら昇降の手間暇を考えてエレベータが設置されていてもおかしくないですからね。エレベータの入り口は普通1階のレベルに合わせて水平に作りますから、クッションになる部分を設置するためにも、当然地下にブランクを残してあるだろうと考えました」

 カンバリ様が「ほう」と息を吐き、トラちゃんさんが呆気に取られた表情を浮かべていた。

 小生はバックパックからアセチレン混合気体式のバーナーを取り出しながら、更に続ける。

 

「トラちゃんさん。今からこの壁をバーナーで炙りますから、赤く灼けたところを氷の異能で冷却お願いします」

「えっと、マハブフーラを当てればいいの? 分かったわ」

 彼女はいまいち理解しがたいといった様子で頷いていたが、小生が加熱した壁に異能をぶつけた瞬間、

 

「ふえっ!?」

 ピシリと乾いた音を立てて、壁にひびが生じたことに驚愕した。

「な、何で!?」

「あー、熱膨張と収縮の応用です。叩いた感じ、スチール材じゃなく石材だからいけるとは思ったんですが……、まさかこんな上手く行くとは思いませんでした。元々は、ちょっと脆くなればめっけもんだくらいの発想で。加重に無理があるのかな。それとも材質が外界と違うせいかなあ」

 ひび割れた壁の隙間をのぞき込むと、間違いなく壁の向こう側にほの暗い空間が広がっていた。

 再びレンチで壁を叩き、音響を確認する。

 

「……ちょっと響くな。ドリルまで使い始めたら流石に上に気づかれそうだ」

「そこな女神様にひび割れた壁を一瞬で殴り飛ばしてもらったらどうじゃ?」

「いや、それは流石に無茶では……」

「やってみましょうか。えいっ!」

 試してみたら、何と上手くいったではないか。

「は、はえっ!?」

 パァンと鈍い破裂音を伴って、広葉樹の枝みたいにひびの走っていた壁が砕け散った瞬間、小生の鼻からも鼻水が思わず飛び出てしまった。科学の無様な敗北に涙を禁じ得ない。

 

「ま、まあ気を取り直して……」

 宮殿の内部探索を開始することにする。

 小生らが入り込んだその場所は、予想通りにエレベータのクッション機構が組み上げられていた。

 昇降装置が動いていないが、本体は上層の何処かに吊り下がっているのだろう。

 とりあえず、"ギガンティック"のエースに連絡を取る。

 

『ハロー、こちらヤマダ。エース、聞こえますか? 宮殿内部へと侵入できましたので報告いたします』

『通信良好だ。自分で言って何だが、エースって呼ばれるのもアレだな……。まあ、いいか。オレは待機するだけで良いのか?』

『とりあえず、潜伏場所が何階か教えていただけますか――? あ、いや。やっぱ良いです。ただ待っていて下さい』

 通信してから、妙な違和感に気がついた。経験上、こういう違和感は大抵の場合はろくなことに繋がらない。

 通信を即座に打ち切り、トラちゃんさんに問いかける。

 

「上層に人の気配ってあります?」

 小生の問いかけに、彼女は目を細めて天井を見上げては答えを返した。

「かなりいるわね……。ただ、ちょっと変。動き回っているのもいる」

「えっ?」

 驚き、しばし考える。

 

「確認です。動き回っている人の近くに、"悪魔"の気配はありますか?」

「えーと。あるわ」

「追いかけられている感じですか?」

「そういう切羽詰まった様子ではないみたいだけど……」

 先ほどに感じた違和の正体に行き着いた。

 

「……まずったな。さっきの通信聞かれてたかあ」

「どういうこと?」

「多分、ここの"悪魔"に味方してる人がいるんです。脅されてか、進んでかは分からないですけどね。まあ、死んじゃってるより大分マシですけど」

 となると、状況はかなり切迫している。敵に回った"元味方"によってデモニカの識別反応を辿られれば、身を隠している"ギガンティック"クルーも直に見つけられてしまうだろうし、こちらもこちらとてミイラ取りがミイラになってしまう恐れすらあるだろう。

「そもそも、人間相手なんてなあ……」

 鎮静化していた胃腸のあたりがしくしくと痛みを訴える。

 うだうだと考えている時間はなさそうだ。

 

「とりあえず……、早く上に上っちゃいましょう」

 言って、バックパックから電動ウィンチを取り出して、エレベータの昇降に用いているはずのワイヤーに取り付けた。

「カンバリ様は……、浮遊できますね。トラちゃんさん。背中に乗って下さい」

「分かったけど……。何か、アンタ妙に慣れてるわね」

「前職で、反政府組織にやたら追いかけられたせいで、道なき道を逃げ回るスキルだけは磨かれたんです……」

 思い出しただけでも胃の痛みが増していくが、その経験が今になって役立っていると思うと複雑であった。

 

「行きますよお」

 ウィンチが稼働を始め、小生とトラちゃんの身体が宙に吊り下がる。そして、そのまま一定速度を保って上昇。

 下はなるべく見ないように心がけた。小生は高所恐怖症なのである。

 

「……孤立している人の気配を感じたら教えて下さい」

「分かったわ!」

 2階と3階は特に人の気配がなく、4階以降から等間隔に人の気配を感じ取る。恐らくは監禁されている同僚たちの気配だろう。更に5階。6階……。

 

「あ、待って。ここよ! 一人、妙な気配が入り交じってて分かりづらいけど、多分近くに隠れてる!」

 6階を通り過ぎようとする寸前に、慌ててウィンチを止めた。

「トラちゃんさん。ドア開けられます?」

「これくらいならね……、うぎぎ! っと、ほら」

 エレベータのドアは難なく開いた。確かに、壁をぶちこわすのと比べたらずっと難易度は低そうだ。改めて彼女の力には驚かされる。

 まず、カンバリ様がふわりとドアの外へ飛び出て、

「うりゃっ」

 更にトラちゃんさんが飛び移った。小生は二人に引っ張られての安全策でいく。上るのはいけたが、飛び移るほどの度胸はないのである。失敗したら怖いし……。

 

 宮殿の6階は何というか、不良貴族か成金の悪趣味を混ぜ合わせたかのような、ロココ調に装飾過多な空間になっていた。薄紫色のカーテンが提げられたあちらこちらから、女性の――多分"悪魔"なのだろうが――嬌声があちらこちらから漏れ聞こえてきており、トラちゃんの表情が不快なものへと変わってしまっている。

 

「アタシは生殖行為を否定しない。それは生き物が持つ"自然"な本能だから。でも肉欲に溺れて……、咎を重ねるのは絶対に駄目よ。ヤマダは快楽に負けて、アタシを貶めたりはしないわよね?」

「後半は良く分かりませんけど、そもそも小生童貞なんですよね……」

「なら安心ね!」

 言ってて恥ずかしくなりつつも、孤立した気配のもとへと急ぎ向かう。

 気配は、よりによって宮殿の隅。ダメージゾーンを越えた便所の中にあった。

「うーん」

 どうもシュバルツバースに来てからというもの、外界にいた頃よりも便所との縁が強まっているように感じられる。

 

「まあ、いいか」

 便所内は広く数十の個室に分かれていた。妙な気配が充満しているせいでどの個室に何が潜んでいるのかが判然としない。

 さっさと呼び声をあげるべきか、と一瞬考えたが妙な気配が気にかかる。外の連中に気づかれる危険性や、個室内に"悪魔"が潜んでいる可能性をも考えると、手早く、静かに一つずつ個室を確認していった方が良いだろう。

 

「ま、片っ端から開けていけばいいじゃろ」

 カンバリ様の意見に頷き、小生らは手分けをして個室の扉を開けていった。カンバリ様は手前から、トラちゃんさんは中央から、そして小生は奥からである。

 

 一つ目、何かがいる気配を扉の向こう側に感じ取る。

「……"ギガンティック"のクルーですか?」

 小声で呼びかけるも、応えがない。

 コンコンとドアをノックしてみると、ノックの返事は返ってきた。これは――、いよいよおかしい。

 

「……開けますよ?」

 鍵はかかっていなかったため、古めかしいドアノブを回して隙間から内部を窺うと、

 

「ワシの、自慢のイチモツがぁぁ、こんなふにゃふにゃにぃぃぃぃ……。おおぉぉぉ、力が足りぬうううぅぅぅ……」

 と名状しがたい形状の"スライム"が何かを嘆いていた。

 静かにドアを閉じて、バーナーでドアノブを溶接して封印を施す。これで、"スライム"が外部へ飛び出してくることもなくなっただろう。

 

 トラちゃんさんから「何かあったのか?」とハンドサインが飛んできたので、「お気になさらず」と返しておく。あれを彼女に見せるのは、何というか絶対ダメだと思う。

 

 二つ目の個室には、何もいなかった。

 臭い消しだろうか? お香のようなものが脇に備え付けられていたため、それは頂くことにする。世の中、何が必要になるかは分からない。

 

 更に三つ目の個室をそっと開ける。

 これははっきり言って迂闊であった。一つ目の"スライム"と二つ目の不在が、小生の警戒心を弱めていたのだろう。

 中を窺い見た瞬間、小生は目を見開く。

 

「えっ?」

 中にいたのは、半透明の少女であった。

 便座に腰掛け、うずくまっては身体をふるわせている小学生くらいの少女であった。白いシャツに赤い吊りスカートを身に纏っていて、その髪型は古めかしいおかっぱ頭だ。

 小生はその正体に察しがついた。

 少年時代から、プレッシャーに見舞われた際にはトイレに駆け込んでいた自分にとって、"彼女"という都市伝説は何年も身近に感じていた存在であったからである。

 

「ヤマダ、人の子いたわよ! ヤマダ!」

 トラちゃんさんの声が実際よりもずっと遠くから聞こえてきた。

 ……まずい兆候だ。気づけば、移動した自覚もないのにいつの間にやら個室の中へと呼び込まれている。

 "マカーブル"の時のように、この個室という空間が切り離されつつあるのかもしれない。

 ただ、不思議とすぐに逃げ出そうという気にはならなかった。

 目の前の少女が震えて泣いていたからである。

 

「……もしかして花子さんですか?」

 おかっぱ頭の少女は、こちらを見上げて目を赤く腫らしながら頷き、答えた。

 

「お母さんには……、はなこがここにいること"絶対に言わないで"ください」

 途端、胸が締め付けられるような不快感を覚える。多分、何らかの異能をかけられたのだ。黒豚の呪殺に近い何か――、命の危機に身の毛がよだつ。しかし、

 

「……わ、分かりました。ちゃんと"約束"しますね。"絶対にここに君がいるなんて言いません"。指切りします?」

 小生は笑顔を無理矢理作って快諾した。

 故郷に伝わる、"彼女"という都市伝説にはいくつかのバリエーションが存在するが、母親から逃げ隠れるパターンと言えば、遠野の都市伝説が有名だろう。

 都市伝説といっても、悪霊の類ではない。生前の彼女が遭遇したとされる悲劇のエピソードだ。 

 曰く、無理心中を図る母親から"彼女"は学校のトイレへと逃げ隠れた。"彼女"を見つけた用務員が、母親にそれを知らせ、"彼女"は後日に変わり果てた姿で発見された。

 故に、彼女の霊は今もトイレに囚われ続けている。そう、子どもの時分に聞き知った。

 

「ただ……」

 小生は、もし彼女と出会えたならかけてやりたいと、常々思っていた一言があった。

「もし、外が安全そうだったら、外に出てみませんか? ずっとトイレにいるだけでは息が詰まってしまいますから」

 "彼女"はおっかなびっくり頷き、手を差し出してくる。

 

「いきますよ……。指切り、げんまん……。指、切った」

 半透明の小さな指と耐衝撃性のグローブ越しに、小生は"彼女"と指切りを行った。絡めた小指を離した瞬間、小生の身体は個室の外へと弾き出される。

 どうやら、何事もなく生還できたようだ。

 こわばっていた全身から、どっと冷や汗が吹き出していき、小生はへなへなと床に座り込んた。

 

「ヤ、ヤマダ。どうしたの!? その中で何があったの?」

「あっ、いや……」

 慌てて抱き起こそうと近寄ってきたトラちゃんさんを手で制して、小生は言う。

 

「何でもないんです。中には何もなかったです。それよりも、遭難者の方は……?」

 と便所内を見回すと、カンバリ様からそう遠くない場所に、デモニカスーツを着た隊員の姿を認めることができる。精悍な顔つきの青年で、肩に提げたマシンガンを腰溜めに構えていた。

 

「化け物と、調査隊の人間……?」

 困惑して呟く彼の片手にはナイフが握られており、その切っ先は赤色とは異なる人外の血で汚れている。

 小生は焦り、青年に呼びかけた。

 

「ま、待って下さい! こちら、"エルブス"クルーのヤマダです。撃つのも切るのも待って。この方たちは小生を助けてくれた神様なんですよ!」

 しかし、彼はあくまでも体勢を低くしたまま睨み合いを止めようとせず、銃口はカンバリ様へ、切っ先はトラちゃんさんへと向けられたままだ。

 仲間割れという最悪の事態が、まず脳裏に浮かびあがる。

 故に。小生は咄嗟に諸手をあげて降参のポーズを取った。

 

「何の真似だ」

「……ここで戦闘は厳禁です。」

 諸手を挙げながら、顔だけで周囲への注意を彼に促す。

 ここは敵地で、彼は逃亡者。そして小生らは、潜入調査の真っ最中だ。

 とにかく、不用意に敵にこちらの所在を知らせることだけは避けねばならなかった。

 こちらの譲歩を見て青年の顔に逡巡の色が浮かんだ。が、警戒を解くには至っていない。

 両者のにらみ合いが続く中、

『ストップだ、相棒(バディ)。このまま無為に時間を過ごしても状況が悪化するだけだろう。ここは彼にいくつかの条件を課して、とにかく情報収集を図るべきだと考える』

 突如、"バケツ頭"越しに機械音声が聞こえてきた。

 

「えっ? この声は一体……」

 状況から考えて、音声は青年のデモニカから発せられているようだ。

 だが、デモニカのサポートプログラムにこんな人格再現型のAIは組み込まれていない。

 困惑するこちらをよそに、青年は表情を歪め舌打ち混じりにこちらに呼びかけてきた。

 

「"ダグラス"……。分かった。おい、お前! さっき通信をくれたのは、お前か!?」

「は、はい!」

「何故、化け物どもと共に行動している。オレを騙したのか!?」

 小生は"エルブス"号のクルーが今までに辿った数奇な経緯を手短に説明する。

 青年はあくまでも半信半疑であったが、小生の頼みを受け入れ、トラちゃんさんたちが青年と小生から距離をとる様子を見て、ようやく警戒レベルを一つ下げてくれた。もっとも、小生はナイフを突きつけられて人質のような体になってしまったが。

 

「さ、さっきの機械音声は何なんです?」

「……"ギガンティック"号由来の疑似人格プログラムだ。艦を放棄する際に、一部の人格データを追加アプリケーションとして、オレのデモニカへ移行させた。しかし……」

 ここで、青年はようやく深く息を吐いて肩の力を緩めた。

 

「少なくともこの化け物どもがお前の味方だっていうのは、間違いがなさそうだな……。お前を人質にとってからというもの、化け物どもの殺気をびんびんと感じるぜ」

「ヤマダを離しなさいよ! 助けてあげるっていうのに、何でそんなひどいことするのよ!」

 トラちゃんさんに至っては、怒髪天に達する勢いで拳を握り固めている。これ以上刺激をすれば、小生を蘇生させること前提で、強硬手段に及んでもおかしくはない。

 青年がナイフをおろし、小生に対して頭を下げる。

 

「オーケイ……、悪かった。お前はオレにとって恩人だ。ただ、オレもどうにかしていたらしい」

 生命の危険から解放されて、再び小生は床に座り込む。鉄火場はいつまでも慣れそうにない。

 

「ヤマダ!」

 青年は、小生がトラちゃんさんに抱き支えられるところを見て、素直に驚いているようであった。こちらとしても何だか気恥ずかしい。

 咳払いまじりに小生は口を開いた。

 

「とりあえず、情報交換しませんか?」

「あ、ああ。そうだな……」

 青年の口からは、この宮殿の最上階へと墜落した"ギガンティック"号と、そのクルーたちが辿った道のりが語られていった。

 何でも、不意の事態に見舞われた"ギガンティック"号のクルーたちは最初期の混乱と襲撃を自力ではねのけることができたらしい。

 

「よく"悪魔"たちを退散させられましたね」

「奴らを、お前たちは"悪魔"と呼んでいるのか……。いや、奴らには銃もナイフも通じたからな。物理攻撃が通じるということは、殺すことだってできるってことだ。幸い、俺たちは戦闘経験のある機動班ばかりで構成されていた。"レッドスプライト"のエリート様と比べたって、単純な戦闘力では負けていないってのが良かったんだろう」

 青年の言葉の端々には歴戦の兵士としてのプライドを感じ取ることができた。しかし、と青年は顔を曇らせる。

 

「直に格の違う化け物がやってきたんだ。二度目の襲撃でやってきた奴らに、まずうちの隊長が丸焦げにされた」

「それは、どんな"悪魔"なんです?」

「孔雀の羽根だか尾だかが生えた、馬面の化け物だった。羽根の一枚一枚から高温の炎をまき散らし、とにかく手がつけられない」

 青年の言葉に、先ほどまで不機嫌そのものであったトラちゃんさんが仰天した。

 

「……堕天使"アドラメレク"!? 地獄の上院議長、混沌勢力の顔役じゃない。良く生き延びることができたわね」

 彼女の反応を見るに、"ギガンティック"号のクルーを襲ったのは、相当な高位悪魔のようだ。

 青年は当時を思いだしているのか、顔色を青くして、更に続けた。

 

「あいつは……、C4爆薬の直撃にも平気で耐えやがったんだ。それで散々に追い掛け回され……。あんな滅茶苦茶な奴。今でも手傷を負わせて追い返せたことが不思議だと思えるぜ」

 言って、身体を震わせる。相当な地獄を経験したのだろう。目の焦点が定まっておらず、呼吸が荒くなっていた。

 そこに"ダグラス"の機械音声が割って入ってくる。

 

『だが、成形炸薬弾によるモンロー・ノイマン効果を期した物理攻撃は比較的有効に働いていた。決して勝てない相手じゃない』

「んなもん、無理に決まってる」

『相棒、物理攻撃が効くのなら殺すことだってできると言ったのは君自身だ』

「……揚げ足を取るな」

『更なるデータが入手できれば、もっと有効なプランを提示してみせる。保証しよう』

「データのためにまず死ねって言うのか! このクソAIがッ」

 あくまでも機械らしい冷静な口調で展望を語る"ダグラス"に対して、青年が癇癪を起こしてヒステリックに叫んだ。

 しかし、"ダグラス"は堪えた様子もなく更にまくしたてる。

 

『……あの"悪魔"と称される未知の生命体がシュバルツバースの外に出ることがあれば、それこそ人間社会は破滅の一途を辿ることだろう。データは集めなければならない。"悪魔"に対抗するための手段が、人類には必要なんだ』

「んで、そのための人柱がオレたちってわけか? 寝言は寝て言え!」

 理性の申し子とでも言うべき人格プログラムと、感情が重きを占める人間とでは意見が合わないのも無理からぬことであった。このまま会話を続けたところで、両者の関係に溝を深めるだけだろう。

 小生は恐る恐る口を挟んだ。

 

「とにかく……、この宮殿を脱出して、小生らの拠点に向かいましょう。水も食べ物もありますから。落ち着くと思いますよ」

「水……、分かった」

 青年は喉の渇きを訴えるように、ごくりと喉を鳴らして頷いた。

 小生はトラちゃんさんに支えられて立ち上がり、原子時計へと目を落とす。

 少し時間をかけすぎたかもしれない。

 

「エースさん、それにええと、"ダグラス"さん。急ぎ、ここを離れましょう」

「……オーケイ、脱出ルートは確保できてるのか?」

「潜入経路をそのまま辿れば、外には出られると思います。ただ……、トラちゃんさん。周囲に"悪魔"の気配はありませんか?」

 小生に問われたトラちゃんさんが、鼻をくんくんと働かせて周囲を窺う。そして、

 

「あー……。結構いるわね。ばれたかまでは分からないけど、少なくとも一度もアクマに遭遇せずに宮殿から出るってのは無理みたい。というかさ、アンタが調べてた個室からも感じるんだけど――」

「あ、それは無視して大丈夫です。何もいませんでした?」

 言っておいてなんだが、3番目の個室からじろじろと"見られている"気配を小生はひしひしと感じ取っていた。これは信頼関係の問題であり、おそらく生命にも直結するフェイタルな契約だ。決して小生の口から事情を語るべきではないと肝に銘じる。

 

「……どうした? 脱出するんじゃないのか?」

 事情を知らぬ"ギガンティック"の青年は何のことだか分からないといった表情を浮かべており、カンバリ様は小生を黙したままに見つめていた。

 カワヤの神様なのだから、もしかするとカンバリ様には事情が分かっているのかもしれない。

 トラちゃんさんはというと、納得はできない様子であったが、深く追求しようという気もないようであった。

 

「……そう? まあ、アンタがそれで良いんなら、良いけどね」

 そう言って、すぐに頭を切り替える。

 これは彼女の美徳だろう。信頼すると決めたものを、全面的に信頼しきるというのは決して容易いことではないのだ。

 彼女はぐるぐると腕を回し、ぱしんと手のひらに拳をたたきつけた。

 

「それじゃあ――、下までさくっとアクマたちを蹴散らしていきましょうか」

 その表情はまこと自信に満ちあふれていて、小生の持ち合わせるなけなしの勇気を呼び起こしてくれる。

 光明なのだ、彼女は。

 この外界から途絶された"悪魔"の領域にあって、人間の命を救おうとしてくれる光明こそが彼女であった。

 だからこそ、何の疑問も抱かずにその後ろについていくことができる。

 小生は頷き、意気揚々と前を行く彼女を追って便所の外へと踏み出した。

 

 

 

「アッ」

 と同時に、やたらとうじゃうじゃ廊下を飛び回り、駆け回る大型のモザイクと対面を果たす。

 どうやら未知の"悪魔"であることは間違いないようだ。

 

『"エルブス"のヤマダ隊員。データリンクの承認を頼む。こちらには奴らの解析データの蓄積がある』

 "ギガンティック"のサポートAIから、"悪魔"の解析データが送られてきた。

 解析に従い、モザイクが肉体へと置き換わり始める。

 まず、でっぷりとした毛むくじゃらの巨躯に山羊か牛の頭を乗せた怪物が数体。

 そして燕尾服を着込み、燭台を手に持ったしゃれこうべの紳士がまた数体。

 "ハーピー"とは違う、羽根を持った緑色の女性もまた数体。

 それに――、

 

「うげっ、"フォーモリア"に"ビフロンス"、"コカクチョウ"……」

 トラちゃんさんの顔色が変わった。 

 というか、"コカクチョウ"って姑獲鳥のことだろうか? あれって、某小説家の小説タイトルでしか知らないんだけど……。

 

「と、トラちゃんさん……、ここはどう動けば?」

 すがるように問いかけると、彼女はぐぬぬと歯を食いしばりながら口惜しげな目つきで後方に控える面々を睥睨した。

 

「……走るわよ」

「へっ?」

「一体ならまだしも、あんなうじゃうじゃと来られたらまだ勝てないじゃない! ここは逃走あるのみよ! とりあえず、出し抜けのマハブフーラッ!」

 言うが早いか、彼女がお得意の異能を手のひらから放つ。

 彼女のマハブフーラは、装飾過多な廊下を瞬時にして氷柱のぶら下がる冷凍空間へと変質せしめ、同時に"ビフロンス"と"コカクチョウ"の群れを、物言わぬ氷像へと作り変えた。

「す、すげえ……」

 "ギガンティック"の青年が絶句しているが、トラちゃんさんの表情は優れない。

 残る"フォーモリア"に全くダメージを受けている様子が見られなかったからだろう。

 

「うん、分かってた! やっぱ逃げるわよ。ほら、早く!」

「は、はいっ」

 エレベータへ向かって駆け出した瞬間、攻撃を受け激昂した"フォーモリア"の群れが、小生らを追いかける雪崩と化した。

 

「う、うおお!?」

 物凄い密度だ。廊下を進む曲がり角という曲がり角に衝突しながらも、無理矢理なカーブを決めては猛追を続ける彼らの豪快さには戦慄を覚える。

 小生と"ギガンティック"の青年は廊下を並び、必死に走った。

 走力には自信があったが、ちょっと振り切れる気がしない。それほどまでに、"フォーモリア"たちの勢いは凄まじかった。

 

「ちょっと、あのヤギ頭。さっきから、コロス、コロスって後ろで叫んでるんですけどっ!?」

「化け物が人間様を殺すのは当たり前だろうがよっ!」

 "ギガンティック"の青年が悪態をつきながらもマシンガンで反撃を試みる。

 "エルブス"の強面にも比肩する正確無比な射撃。だが、やはりやはり目立ったダメージは与えられていないようだ。

 

「"ダグラス"! 戦闘解析を頼むッ。奴は何が弱点だッッ!」

『オーケイ、相棒。15秒くれ』

「長すぎだ、バカヤロー!!」

 5秒もしない内に、小生らの背中にまで食らいついてきた"フォーモリア"の第一陣が、人の胴体ほどある豪腕を高々と持ち上げ、小生らの頭上へとその拳を振り下ろしてきた。

 歴戦の経験も手伝ってか青年は即座に回避行動へと移ったが、小生に回避はできなかった。

 "見えて"はいても、身体が追いつかないのだ。

 両手で身体をかばうようにし、続く痛みを覚悟する……、が衝撃のひとつもやってこない。

 

「テトラカーン」

 カンバリ様の異能であった。

 "マカーブル"を一撃で葬った物理反射の障壁が、第一陣を後続もろとも遠くへと吹き飛ばす。

 目を丸くする小生らに対し、カンバリ様が涼しげに言う。

 

「時間稼ぎにしかならんぞい。ほれ、えれべーたとやらを目指して走れ。走れ」

「あ、ありがとうございますっ!」

 危機一髪のこの状況において、貴重な時間を稼ぎ出せたことは何よりも大きい。

 走り、走り、そして6階のエレベータへと辿り着く。

 かごは現在7階にあるようであった。ボタンを押して、6階への到着を待つ時間も惜しい。

 

「トラちゃんさん!」

「分かってるわよっ」

 トラちゃんさんが掛け声と共に、エレベータのドアを思い切り開く。

 そして上りと同様にウィンチを取り出し、ワイヤーロープへと手をかけ、

 

「あっ、無理です。小生」

 あまりの高度に二の足を踏んだ。

 

「じゃあ、飛び降りるわよ。カンバリはそっちのお願い!」

「ほいよ」

「あっ、ちょっ。ヒエッ……!」

 肩に担がれ、一瞬の浮遊感。

 次の瞬間、トラちゃんさんとともに小生の身体は1階へと直通で続く吹き抜けの暗黒空間へと躍り出た。

 

「いや、いやいやいやいや!?」

 とてつもないマイナスGが下腹部を襲う。当然、小生は失禁した。

 これは死ぬ。"アケロンの川"が既に見える。死ぬ。死んだ。

 

「死んでないでしょ!」

 トラちゃんさんが吼えた。落下中に姿勢を制御して、エレベータのワイヤーロープを片手で掴み、制動をかける。

 見る間に落下速度が緩んでいくが、それより彼女の手が心配だった。

 

「トラちゃんさん、手が……っ」

「後で回復するから平気!」

 頭上で何かがひしゃげる音がした。あの"フォーモリア"の群れがエレベータのドアを粉砕したのかもしれない。

 小生は叫んだ。

「落下物来ます! 頭上に気をつけてっ」

 その声に反応したカンバリ様が青年を大足に乗せながらも機敏にドアを避けてみせる。

 しかし、問題は小生らだ。ロープを握って降下している手前、あちらほど自由な回避行動を取ることができない。

 重量のあるエレベータのドアがギロチンのように小生らの頭上へと迫り落ちてきていた。

 あー、これは――。

「ちょっと、ヤマダ!?」

 小生は肩に担がれたまま、壁を思い切り蹴飛ばして無理やりな回避行動を試みた。

 "見える"からこそ分かることもある。

 あれを完全に回避するというのはちょっと無理だ。だから、トラちゃんさんだけでも五体満足で下ろす努力をした方が、理にかなっている。

 急にこちらが暴れたせいで、トラちゃんさんの小生を担ぐ手が緩まり、小生は空中に放り出された。

 

「ヤマダ! ヤマダ!?」

「落ちたところで蘇生してくださいッ!」

 落下死もドアで真っ二つになるのも真っ平ごめんだったが、二人共死ぬというのは小生だけが死ぬよりもずっとまずい。

 

「ぐえっ――」

 と格好つけてみたものの、放り出された身体に襲い掛かるエレベータのドアは洒落にならないほど痛かった。

 即座に意識が遠のいていき、視界も黒く塗り潰されていく。その中にあって、

 

「あれ?」

 エレベータのお代わりだろうか?

 頭上から黒よりも暗い漆黒の何かが自由落下に勝る速度で、小生の目の前にまで迫って来た。

 

「堕天使を退散せしめたニンゲンどもと、我が知恵を貸し、築き上げた宮殿に土龍攻めを成功させたニンゲンがいると聞いて飛んで参ったが――」

 ああ、分かった。

 これは鳩だ。鳩が貴公子の身なりをして、サーベルまで提げて飛んでいるのだ。

 鳩は老人にも似たしわがれた口調で、更に続けた。

 

「小を捨て大に就く……、とは。戦術が存外分かっておるものよ。愉快である。ただ、やはり弱く、秩序にも偏っておるな……」

 ――駄目だ、もう意識を保てそうにない。

 

「これは、手を差し伸べるならあちらのニンゲンか……。おい、ニンゲン。我の名を呼べ! 畏れ、刮目し、そして契約せよッ!」 

 "ギガンティック"の青年が何かを叫び、鳩が目を赤々と光らせて、腰に提げたサーベルを引き抜く。

 そして、小生は意識を手放した。

 鳩ってくっそ強いんだなあ、と素っ頓狂なことを考えながら――。

 



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シュバルツバースで箱庭生活

 色々とはしょるが、小生は復活した。

 

 ……まあ、颯爽と現れた黒い鳩が腰に提げたサーベルでエレベータドアを木っ端微塵に切り刻んでくれたため、圧死も人体切断死も経験せずに無事落下死するだけ? で済んだとか、"アケロンの川"にいる老人の身なりが白スーツにリーゼントとかいう"ヤのつく仕事"の人みたいになっていて、「そなた、これは保険という名の投資だぞ」と"マッカ"をせびられるようになったりと、語れることは少なくもないが、本筋を考えればそれらは些事だ。取り立てて、話を膨らませるほどのことでもない。

 

 今、小生にとって大事なことは、今回の活躍によってめでたく後方への出戻りを果たしたことであった。

 いや、別段めでたくはないか。意識がなかったために細かくは知らないが、どうやら暫定拠点に運び込まれた際の小生の状態はとても正視できるものではなかったらしい。

 トラちゃんさんの異能をもってしても完全回復はできないほどの複雑骨折に脊髄、内臓の損傷……、負傷箇所を挙げているだけで気分が悪くなってきた……。

 涙目の彼女がドクターに小生を預け、丸一日の手術の結果、とりあえず意識が戻り、現在に至るわけである。

 

「異能って、重傷までぱぱっと治せるものでもないんですねぇ」

「リリムが言うには、"異界魔法"も万能ではないらしいですよ。興味深い話ですが」

 小生の呟きに、傍らで治療を続けていたドクターが答えた。

 

「では、小生が復活できたのはドクターのお力あってのことですか」

「いえ、女神様のお力はヤマダ隊員の命を間違いなく取り留めることができていました。時間が経つと効かないらしいですよ、リカームという魔法は。僕がやったことは破砕した骨を接ぎ合わせることと、神経や血管を縫い合わせることくらいです。カウンターショックや細胞の再生促進は、リリムが魔法でやってくれましたし、ヒールゼリーや輸血、ドレーンなどの機材の準備は僕の助手が……」

「あ、もういいです……」

 自分がどれだけ重傷であったのかを耳にしても、胃腸がしくしくと痛んでくるだけだ。

 

 チチチと、小鳥のさえずりが幻といえども磨耗した小生の心を癒してくれた。仮初めの青空に目を細める。

 小生が簡易マットに寝かされているのは、トラちゃんさんが創り出した"箱庭"の一角であった。彼女が自分の"箱庭"で守ると言って聞かなかったらしい。

 

 横を見やれば、一抱えもある植木鉢が、畑の如く列を成し並んでおり、子供の背丈ほどに成長したトウモロコシがその天辺に雄花を豊かに咲かせている。茎の中程には既に黍穂(きびのほ)ができていた。

 緑の青臭さは先日に拠点を出たときよりも一層濃いものとなっていて、相変わらずの良く分からない成長速度に言葉も出ない。

 この滅びの大地にそぐわない、至極牧歌的な風景を見ながら目をぱちくりとさせていると、ドクターがからかうように口元を緩めた。

 

「あれ、次は"アーシーズ"の作った庭土に直接種を蒔くそうですよ。そうすることで、もっと実りを増やすことができるとか……。女神様が仰るには、あの実りを最初に味見できるのはヤマダさんだそうです。ですから、皆さんも貴方の回復を心より願っていましたね」

 どうやら小生は、こちらの知らぬ内に食欲と安否を秤に掛けられてしまっていたようだ。もしやすると、この非常事態に一人便所を捜し求めたり、肉を求めて黒豚を狩ってきた小生に対する婉曲な皮肉も含まれているのかも知れない。

「ア、ハハハ」

 無論、抗議などできるわけもなく。とりあえず曖昧に笑って、向かってくる矛先をそっと受け止める。

 人間、とりあえず笑っておけば何とかその場をやり過ごせるものだ。

 そもそも皮肉の出る環境にケチを付けてもしようがない。皮肉は溜め込んだ不満を波風立てずに発散するための術なのである。

 好例として、銀幕のスターがしょっちゅう作中で皮肉を言い合っているではないか。皮肉の通じない奴は、大抵ゾンビか鮫の餌になる。小生はたとえ面白黒人枠になったとしても生き延びてやる所存であった。

 

「回復したら、皆でトウモロコシ料理食べましょう。ぱっとできるものでは……、ポップコーンってできるのかな?」

 こちらの返しにドクターの浮かべていた悪戯っぽい笑みから、毒気がぱっと抜けていく。

「お、良いですねぇ! 我々のシチュエーションも映画みたいですし」

「役どころは完全に銀幕の中の人ですけど」

「それじゃあ、皆ハリウッドスターだ」

 ひとしきり笑いあったところで、小生は深く息をついた。

 

「ああ……、喋りすぎて疲れてしまいますよね。それでは僕は失礼します。また30分ごとに助手と交代で様子を見に来ますね」

「ご迷惑をおかけします」

「いえ、お互い様ですよ」

 ドクターはぺこりと頭を下げて、"箱庭"から立ち去っていった。多分、主戦場である暫定拠点の医務室に向かうのだろう。小生の潜入を皮切りに、機動班のメインミッションが本格始動したそうだから、今頃は負傷した機動班が代わる代わる医務室を訪れているに違いあるまい。

 トラちゃんさんも"箱庭"の入り口で門番に徹しているそうで、"箱庭"に存在する人間は小生一人になってしまった。

 

「ゆかりっち最高やろ」

「会長」

「やアNO1屋上」

 小鳥とさえずりとともに、たっぷんたっぷんガボボボと道頓堀のさえずりも聞こえてきた。少し静かに水たまりのままでいて欲しい。

 

 手持ち無沙汰になって、治療のために脱がされたデモニカスーツを取り寄せてみる。

 "バケツ頭"をかぶって、デモニカを起動。

「うげ」

 モニターに表示されたタスクボードを見て、小生は思わず眉をしかめた。新規に溜まった案件があまりにも多かったからだ。

 恐らく、機動班が救出作戦に専念してしまったことこそ、後方業務が滞ってしまう直接的な原因だろう。

 例えば、拠点にない資材が必要になったとしても、後方組だけではおいそれと外部へ調達に出ることができない。

 また、もうサバイバル開始から4日も5日も経っていることも、案件の増加に繋がっていた。人は1日や2日ならば、非常事態を非常事態として受け入れることができる。だが、1週間近くも過ぎれば、それは当人にとって日常だ。

 非常事態ならば目を瞑ることのできる様々な不具合が、ここにきて色々と表出してきているようであった。

 

「これ、悠々と寝ていられない気がするんだけど……」

「――駄目よ、ヤマダさんは身体を休めないと」

 不意に独り言を遮られ、タスクボードの読み取りを中座する。

 上体を起こしてみると、腰に手を当てて呆れ顔のゼレーニン中尉が立っていた。

 

「何か見知った識別信号がポップアップしていると思ったら、案の定……。貴方、ワーカーホリックの気があるの?」

「それ、トラちゃんさんにも同じこと聞かれましたけど。単に、後で仕事に追われて職場がギスギスするのが嫌なだけなんですよ」

「気が合うわね。私も同じ人種」

 んべ、と舌を出して悪戯っぽい笑顔を浮かべるゼレーニン中尉。小生もつられて、苦笑いを浮かべ返す。

 

「先日、ヤマダさんが食べたいって言っていた"悪魔"の肉、持ってきたわよ」

「えっ、それは本当ですか!?」

 思わず勢い余って前のめりになり、全身を走る鋭い痛みに悶絶してしまった。

 

「あ、無理はしないで! ドクターが言うには、魔法で身体自体は治っているけど、怪我をした痛みを身体が覚えているらしいのよ」

「面目ない……。それで、お肉は?」

 ゼレーニン中尉は、傍らに腰を下ろして手に持ったジップロックのビニール包装を開封する。そして中から取り出したるは、サイコロ状のぶつぶつした肉らしき灰色の何かであった。

 この……、何だ、肉……?

 

「間違いなく、あの豚みたいな"悪魔"から生成した可食成分よ」

「何か、思っていたのと違うというか……」

「ドクターも資材班の人も同じこと言ってた」

 ゼレーニン中尉はくすりと続ける。

 

「私も試しに食べてみたけど、間違いなくこれは食べ物よ。少しジャンクだけど……。食べてみて」

 フォークを手渡され、サイコロ状の物質を恐る恐る口に運ぶ。

 そして、咀嚼。湧き出る感想を素直に紡いだ。

 

「……○ップ○ードルの謎肉だこれ」

「あ、やっぱりそういう感想なのね。私、インスタント食品を食べたことないから、想像もつかなかったんだけれども。こういう味だったのねえ」

「え、何で? 何で、あの肉らしい肉から、これが?」

 頭の中で疑問符がタップダンスを踊るが、食えないこともないため、久方ぶりの食事にフォーク持つ手が止まることはなかった。

 手を動かすだけでも痛そうだし、食べさせてあげましょうか、とゼレーニン中尉に提案されたが、小生はリハビリを建前にこれをやんわりと辞退した。下手に(小生が)勘違いしてしまったら、後が恐ろしいことこの上ない。小生の三十年近い童貞力は伊達ではないのだ。

 ゆっくりとした食事に、彼女は根気強く付き合ってくれた。そんな中に、突如として乱入してきたのが"ギガンティック"の青年だ。

 

「ヤマダ、目を覚ましたのか!」

「あ、エースの……」

 青年は喜色を満面にして、小生が寝ているマットにまで駆け寄ってきた。そのあちらこちらに"悪魔"の血らしきものが飛び散っていて、ゼレーニン中尉が眉根を寄せる。

 

「貴方……、せめて女神様の"箱庭"に入るときには身を清めて……」

「んだよ。あの女神には許可もらってんだから、良いだろうがよ! しかし、本当に回復してら。ハハハ。すげえな、おい!」

 自分の回復を喜んでもらえているのだから、小生としても悪い気はしない。そちらも怪我一つないようで何よりだと無事の到来を歓迎すると、彼は鼻を高くして武勇伝を語り始めた。

 

「ここいらの化け物どもじゃ、"ハルパス"とオレの相手にはならねえよ。もう撃墜スコアも強面の奴に並んだぜ。後方の雑魚どもにも、オレを助けたことを無駄だったとは言わせねえ。ヤマダの名誉も、オレが守るぜ」

 タスクボードにも詳細なレポートが張り付けられていたが、彼の言う"ハルパス"とは、エレベータで出会った黒い鳩を指していた。

 あんなみてくれでありながらも、彼は地獄の伯爵にして26の軍団を率いる堕天使であるらしく、彼とエースの調査隊加入は隊内に少なからぬ混乱をもたらした。

 

『折角の潜入経路が他艦のクルー一人を救うために使われてしまった。どうせ使うならば、"エルブス"の同僚を救うべきだったんじゃないか』

 とは、小生に批判的な機動班の言だったらしい。これに助けられた当人は激怒して、『人の手柄を後からさも手前の権利みたいにほざくな、バカヤロー』とふっかけて、あわや取っ組み合いにまでなりかけたそうだ。

 結局、トラちゃんさんからもたらされた同僚たちの所在、"悪魔"に協力する仲間の存在、不完全ながらも"ギガンティック"号に搭載されていたサポートAIの回収、そして"ハルパス"によって暴露された宮殿内の内部構造の情報が有用であるとして、小生の単独潜入は不問にされた。

 無論、リーダーの理性的な取りなしが場を納めたことは言うまでもない。

 小生はメインミッションの進捗具合をタスクボードで確認しながら、青年の座り込んだ方へと体勢を動かした。

 

「南方の奥まったところに隠しゲートがあったんですね」

「ああ、"ハルパス"の奴が知っていた。潜入はまだタイミングを計らっている。お宅の同僚と連絡を取り、一気に潜入と救出に望むつもりだ。ヤマダが気づいたっていう"裏切り者"の存在があるんで、接触は最小限に、そして迅速に行うんだってよ」

「……事情が事情なのだから、仲間を"裏切り者"呼ばわりしないで」

 上機嫌に語る青年に対して、ゼレーニン中尉が抗議の声をあげた。確かに、虜囚に"裏切り者"の汚名をかぶせるというのは些かやりすぎだ。

 

「んだよ。兵士がすぐに裏切るなんてのは論外だろうが。それは弱さの証明だ」

「貴方たちみたいな戦闘員以外だって沢山捕まってるのよ。そんな短絡的に……」

「現実を見ろよ。メインミッション参加者は、"ダグラス"の発案でスーツごとの識別信号を変えて宮殿付近をうろついているんだ。これは、機動班の大半が"裏切り者"を"裏切り者"として考え動いてるってことじゃねーか。まあ、現実が見えてないのも一人いたけどよ」

 端から見ていて即座にわかったが、この二人は明らかに馬が合わない。考え方の根っこの部分で、その性質が対極に位置しているのだ。

 こういう場合は、下手に放置しておくと関係をこじらせてしまうだけだろう。同じチームメイトとしての共感が嫌悪感を上回るようになるまでは、誰かが仲裁に立ってやらなければならない。

 小生は咳払いして、つついていた謎肉をフォークに突き刺したまま、青年に言った。

 

「破竹の戦果を重ねる"エース"に差し入れです」

「……何だ、こりゃ?」

「魔獣"カタキラウワ"の肉ですよ」

 青年はぽかんと口を開け、次の瞬間に腹を抱えた。

 

「ハ、ハハハ! 何だ、これ"悪魔"の肉かよ。オレたちを散々追いかけ回して好き勝手しやがった奴らの! こいつは、最高にロックだっ!」

 涙すら目に浮かべて、青年はそのまま謎肉をぱくりとやった。

 

「ん、んー? これって……、あれだろ?」

「あー、そうですね」

 青年は咀嚼しながら怪訝そうな表情を浮かべ、小生と声を揃えて「○ップ○ードルの謎肉だ」と再び笑い声をあげた。

 

「貴方たち……」

 ゼレーニン中尉も先ほどまでの毒気が抜けたのか、呆れたように肩を竦めている。

「この謎肉売ろう。シュバルツバースに会社作ろうぜ」

「いや、誰が買いに来るんです」

「冗談だよ、冗談。でも面白かった。このクソったれな地で初めて大笑いできた気がするわ」

 そうしてひとしきり雑談を楽しんだ後、『相棒、そろそろ時間だ』というサポートAIの連絡を合図に、青年と中尉は"箱庭"を立ち去っていった。

 

 去り際に青年の勇ましい呼び声が聞こえてくる。

「"ハルパス"! 行くぜ、狩りの時間だ。他の奴らに戦果で負ける訳にゃいかねえからな」

 青年は仲間の弔い合戦と、"悪魔"との戦闘経験を求めて再び出撃するようだ。あまり無理はするなと声をかけると、彼は親指を立てて「雑魚どもにオレが負けるかよ」と野生味にあふれた笑顔を返してきた。どうやら、本来の彼は大口を叩いて調子を整えていくタイプらしい。実力本位の社会で過ごしてきたものにありがちなメンタリティとも言えるだろう。

 

 更に中尉も去り際に外で待機していた仲魔に向かって呼びかけた。

「……用事は済んだから。さあ、行きましょう。"アプサラス"、"ゴブリン"」

「我々の力、契約者ならば賢く使ってくださることを期待しておりますよ」

「帰ったら、茶でもしばこうぜ。ゼレちゃん!」

 彼女も通信の精度をあげるべく、護衛を随伴させて宮殿の近くにまで出張するようだ。無事に帰ってきてくれと声をかけると、こちらへ小さく手を振ってくれた。

 本丸の近辺への出撃に不安そうな面もちであったが、それ以上に仲間を助けねばならぬという使命感のようなものが彼女の背中を押しているようであった。

 

 再び、"箱庭"に小鳥と道頓堀の鳴き声が響くだけの静寂が訪れる。

「そういえば」

 と自分の仲魔を思い起こす。

 カンバリ様は十中八九、カワヤ掃除の歓楽街行脚を行っているにしたって、トラちゃんさんが顔を見せないと言うのが気にかかった。

 彼女の性格上、中尉に小生の回復を知らされたら「ようやく起きたの! "マッカ"集めに行くわよっ」と飛び込んできそうなものなのだが。

 挨拶にいこうか? とも思ったが、身体の痛みと疲労感が洒落になっていない。それに空腹を多少満たしたせいか、猛烈な眠気までやってきていた。

 しばらく葛藤した後、小生はうつらうつらしていた目を閉じた。

 今日一日は、動けそうにない。

 

 

 

 

 再び眠りに落ちてから覚醒するまで、たっぷり半日は眠っていたらしい。小生は不意の尿意に暗闇の中で目が覚める。

 原子時計の電光表示を確認すると、外界では深夜に当たる時間帯だった。

 機動班はまだ潜入の準備を続けているのだろうか? 後方組は休息を取れているのだろうか?

 

 こうしてトラちゃんさんの"箱庭"で長い時を過ごしていると、どうにも自らが置かれている危機的な状況をついつい忘れてしまう。

 風もないのにはさりと揺れるトウモロコシの行列も、身を寄せ合って眠り込む幻の草食動物の群れも。

 土も緑の香りもして、挙げ句の果てには道頓堀経由で水の波打つ音すらも聞こえてくる。空には仮初めではあるものの、満天の星空が浮かんでいた。

 まるで世界の始まりのような、原初的な風景だ。

 ぽちゃんと何かが水面に落ちる音がした。

 

 そして高まる尿意。

 正直小生、空気読めてねえなと自省しつつも、水音を聞けば尿意に繋がるのは最早条件反射のようなものであった。

「……トイレ、外かあ」

 痛み、治まったかなあと不安を抱きつつもマットからごそごそと這い出でて、尿意を解消せんと便所へ向かおうとしたその矢先、入り口の方から人の気配を感じる。

 入り口には細い男性のシルエットが見えていた。

 おろおろと落ち着かない様子で周囲を見回しているから、この"箱庭"に初めて足を踏み入れた人間なのだろう。

 シャツだけになっていた小生は、デモニカスーツを上着に羽織り、深夜の来訪者に声をかけた。

 

「こんばんは」

「う、うおっ」

 来訪者は意外なことに、動力班の青年であった。普段、小生や仲魔に批判的な二人の内の一人である。一体何の用だろうか?

 

「どうしたんです?」

 ここに入ってきたということは、トラちゃんさんが入室を許可したということだ。黙って、忍び込めたということは……。んんん、どうだろう。ありえるんだろうか……?

 

「ここに来たということは、トラちゃんさんと仲直りできたのですか」

「いや、あいつはすっかり寝てたんで……」

「……え、マジで?」

 思わず真顔になったが、すぐに彼女らしいと頭を切り替える。

 彼女は女神だが、決して全知全能ではない。むしろ、ザルだ。ザル女神だ。本人も自覚しているからこそ、小生らの助けを欲しているのだと思う。

 気を取り直して、小生は問いかける。

 

「急な来訪を咎めるつもりはないんですが。何か小生に御用ですか?」

「ああ。いや……」

 動力班の青年は言葉を濁して、怖じ怖じとしていた。相当ばつの悪い心地でいるらしい。

 やがて、意を決したように息を吐き、ずしりと何かが詰まったバックパックを台車に乗せてこちらへすっと滑らせた。

 

「これは……」

 中をあらためると、デモニカ用の大容量バッテリーが積められるだけ積められている。嫌がらせとかでなければ、恐らく充電も終えてあるはずだ。その数はこの"箱庭"を構築する際に使われたバッテリーの数を優に超えていた。これだけあれば、更なる拡張が可能になるやも知れない。

 

 ――だが、何故?

 誰かに命じられて、ということは強情であった彼の態度からしてあり得ない話だろう。

 考えられる線としては自発的に、彼の閉ざされた心に雪解けの気配が生じたということ。それは願ってもないことであった。

 

「……流石に分かってるんだよ。俺も馬鹿じゃない」

 ぽつりぽつりと青年が語り始める。

「この非常事態、どう考えても空気が読めていないのは俺たちの方だ。現実問題として、あの"自称女神"は俺たちの命を救ってくれた。お前のことも、こうやって面会謝絶で後生大事に守っている」

「ザルですけどね」

 無論、ありがたいこととは思いつつ、若干(くさ)すことで会話のバランスを保つ。青年は困ったように笑って、続けた。

 

「ただ、やっぱ受け入れられないんだよ。あの"自称女神"も他の"悪魔"も。だから、お前経由で今までの借りを返したかったんだ」

 要するに、彼なりに気持ちの整理がついたということなのだろう。

 敬虔なメシア教徒である以上、トラちゃんさんを敬うべき神として認めることはできない。

 だが、自分たちの"隣人"として辛うじて認めることはできたのだ。

 これは中々できない、大きな歩み寄りだと小生は思う。

 当然ながら諸手をあげて、彼の譲歩を歓迎した。

 

「貴方はすごいです」

 動力班の青年は表情を歪めて、頭を横に振る。

「……別にすごくねえよ」

「いや、本当に関係がこじれてしまうと、中々態度を翻せない。もっと面倒くさくなるんですよ……」

「やけに気持ちが篭もっているけど、経験があるのか?」

 訝しいまなざしに遠い目で応えて、小生は続けた。

 

「東ヨーロッパの内戦地で。小生らは被害がなかったんですが、特に武装組織に包囲されているわけでもないのに、仲間割れで壊滅したコミュニティがあります」

「一度本気でお前の経歴を事細かに聞いてみたいところだが……。まあ、いいや」

 どん引きした様子の青年であったが、すぐに気を取り直して話題を本筋へと戻す。

 

「機動班の奴と意見を同調させた手前、"トカマク型起電機"のエネルギーを直接ここへ引っ張ることはできない。それはあらかじめ言っておく」

「そういうのは、全員の仲直りができた後ってことですよね」

「まあ……、そうなるな」

 頬をポリポリと掻き、青年は「それじゃあ」と背を向けた。その後ろ姿に「待ってください」と声をかける。

 

「……何だ?」

「肩貸してくれません? トイレ行きたかったんです」

「お前、ほんと腹が弱いのな……」

 呆れ顔になる青年の肩を借りて、小生は"箱庭"の外へと出る。

 

 入り口では、トラちゃんが背を壁にもたれかけさせてすっかりと熟睡していた。

「今度はちゃんと女神をやってみせるんだからぁ」

 ふがふがとしたいびきに口から涎まで垂らしている彼女の姿に、思わずずっこけてしまったことは言うまでもない。

 

 

 

 

 翌朝。

 道頓堀の訳の分からない鳴き声に目が覚めた小生は、凝り固まった身体を解すように背を伸ばし、マットから出ることにした。

 仮初めの陽光を全身に浴び、大欠伸をしたところでふと気がつく。

 道頓堀の方から見慣れぬ鳴き声が聞こえてきているのだ。まるでカエルのような、それでいて女性のような姦しさが感じられる鳴き声であった。

 

「んんん?」

 "バケツ頭"はかぶらずに、声のする方向へと近づいてみる。

 林立して部屋の大半を占領している植木鉢のトウモロコシは、もう完全に収穫期を迎えていた。これ以上鉢植えに植えておくと時機を逸してしまうかもしれない。

 後でトラちゃんさんに伝えておこう。というよりももう起きてんのかなあなどと考えつつ、植木鉢の林を数列通り過ぎ、"アーシーズ"によって作られたという小さな庭へと足を踏み入れる。

 庭はインフラ班の同僚たちによって柵と『聖地』なる立て看板がかけられ、横長に土が敷き詰められていた。明らかに床と土の間に大きな段差が生じているのだが、その辺りはトラちゃんさんと同僚たちが何か細工をしたのだろう。深くは考えないことにする。

 

 寝ぼけ眼のままに庭土を踏みしめると、靴越しに農地特有のふんわりとした感触が足裏に伝わってきた。そして、妙に悔しげな声も返ってくる。

 

『くっ、私を足蹴にするとは……。ひと思いに殺しなさいっ』

 どうやら、小生が踏んだ地面は"アーシーズ"が作ったものではなく、"アーシーズ"そのものであったらしい。

「あ、申し訳ありません!」

 慌てて謝るも反応はない。

 しばしの沈黙。

 床へ戻ろうとすると、何故か無言の圧力が強く感じられた。

 故に恐る恐る二歩目の足を進めると、今度は『むほっ』と奇妙な反応が返ってくる。

 小生は察し、その場で数度足踏みをした。

 

『アッアッアッ……』

 ああ、そういう……。

 "アーシーズ"の声は聞かなかったことにして、小生は庭の奥に作られた1メートル四方の道頓堀を覗き込む。

 

「ケロケロ」

 どういう理屈かはわからないが、水面を金髪のおかっぱ頭が右へ左へと動き回っている。

 ちゃぷんと音を立てて、おかっぱ頭が道頓堀の中へと消える。やけに水深がある気もするが、これも深くは気にしない。

 注目すべきは再び顔を出したおかっぱ頭の顔立ちだった。

 ……どう見てもカエルにしか見えない。最近のカエルはカツラを被るのか。

 

 一応、このカエルのような何かが"悪魔"であることは、一見して理解することができた。

 おかっぱ頭もそうだが、米国の国民的アニメーションじゃあるまいし、現実のカエルが年頃の少女が着るようなフェミニンな服など着るはずはないからだ。

 ただ、何故ここに?

 ここはトラちゃんさんが守っている"箱庭"だというのに……。

 一抹の釈然としなさと、「あ、いや。トラちゃんさんじゃ仕方ないな……」という納得感がせめぎあう。

 当然、勝ったのは納得感だ。そっちが勝つのかよ。

 その推測に対する答えはカンバリ様のものとも違う、しわがれた老人の声でもたらされた。

 

「……聖獣"ヘケト"か。大方"アクアンズ"と女神の気配に当てられて受肉したのであろうな」

 振り返れば、紳士服を着こなした黒い鳩が立っている。"ギガンティック"の青年と契約を果たした"ハルパス"だ。

 煌々と輝く赤い目に気圧されながらも、小生はぺこりと会釈した。

 

「外から侵入したということですか?」

「いや、内部で生まれたアクマだろう。こうした力に満ちた空間に、同じ属性や同じ"スタンス"のアクマが湧いて生まれるというのは、さほど珍しいことではない」

 つまり、先ほどの小生が行った推測は完全に濡れ衣ということであった。

 トラちゃんさんに「申し訳ない」と内心頭を下げる。

 

「えっと、"ハルパス"さんでしたよね。その節はどうもありがとうございます。って、何故ここに……?」

「契約相手の付き添いだ。狩ってきた魔獣をお前に差し入れるつもりらしい。『謎肉を量産する』などと抜かしておったが、あれは生のまま喰らった方が旨いというのに」

 "ハルパス"に促されて入り口の方へ目をやると、清々しい笑顔を浮かべる"ギガンティック"の青年と、うず高く積み上げられた黒豚の死骸が視界に入ってくる。

 どうやら、謎肉のお味が大層お気に召したようだ。

 更にトウモロコシ畑の陰に、何者かの気配を感じ取る。

 

 誰何の声をあげるまでもなかった。

 隠れ潜んだ何者かが、「にゃ、にゃーん」と下手な猫の鳴きまねをしていたからだ。

 要するに、トラちゃんさんであった。

 苦笑いして、彼女のもとへと急ぎ向かう。

 何故か、彼女は小生と目を合わせず、ばつの悪そうな表情を浮かべていた。

 

「来てくださったのなら、声をかけてくださっても良かったんですが」

「……怒ってない?」

「へ、何をです?」

 小生が首を傾げると、彼女は口にするのも恐ろしいと言った様子で、たどたどしく言葉を紡いだ。

 

「アタシ……、ヤマダを守るって言ったのに。守れなかったじゃない」

「いや、あれは小生が勝手な行動をしたからではないですか?」

「でも契約は契約なの! 契約を破ったら、アンタから契約を破られても何も言えないの!」

「はあ……」

 妙に律儀なことに拘るのだなあと呆れもしたが、以前にカンバリ様とした約束についても彼女は守らなければならないと主張していたことを思い出す。

 彼女にとって――、いやアクマにとって契約とは人が思う以上に大事なものなのだろう。条件付きの"絆"と言い換えても良いのかも知れない。

 

 そういうことならば、と改めて気を引き締める。

 やはり、彼女らと自分たちでは根っこの部分で価値観が大きく異なっているのかもしれない。

 例えば、彼女が契約に拘泥する在り様は、"余程のこと"がない限り、彼女らが小生らを見捨てないことを意味していた。

 と同時に、もし"余程のこと"があった場合は容易に小生らを見捨てるかもしれぬということも留意する必要があるだろう。

 契約を、約束を重視するというのはつまりそういうことなのだ。

 何処までがOKで、何処からがNGか……。

 まだ小生らと彼女らは、異種間交流の瀬踏みを十分に終えていなかった。

 故に極力言葉を選びつつ、彼女との"絆"が壊れていないことを再確認しなければならない。

 小生は意識して暢気な声を出し、問題はないのだと素知らぬ風を装った。

 

「これくらいでトラちゃんさんとの契約はおじゃんになりませんよ。だって、小生死んでませんし」

「……本当に?」

「そりゃあ、嘘は言いません」

「本当?」

「本当です」

 いつぞやにもやったやり取りを繰り返し、ようやくトラちゃんさんの表情に笑顔が戻る。

 

「なら、問題ないわね! 死んでないものっ!」

 切り替え早ぇーなあと笑いつつも、一日ぶりの雑談を楽しむ。

 どうやら、先日トラちゃんさんが小生の前に姿を現さなかったのは、約束を破って申し訳が立たなくなっていたからであるらしい。

 

「じゃあ、何で今日は来てくれたんです?」

「そりゃ、"ハルパス"が何かしでかさないか心配だったからよ。こいつ、勝手に通るんだもの。怪我人の前じゃなきゃ、ぶちかましていたわ」

 この発言には、静観していた当の"ハルパス"が抗議の声をあげる。

 

「……おい、カワヤの女神。随分な言いがかりだな。貴様の危惧するとおりの役割を演じてもよいのだぞ? もっとも、打ち倒されるのは貴様だがね」

「ふん! 今のアタシはトイレだけじゃなくてハーベストな女神でもあるんだから、そっちの呼び名で言いなさいよ。このクソカラスっ! 泣きわめくまでパンチしてやってもいいのよ!」

 むきいとにらみ合うそのやりとりを見る限り、うちの女神とこの堕天使はあまり仲が宜しくないようだ。

 ゼレーニン中尉と"ギガンティック"の青年のような、性格の違いからくる不仲だろうか?

 あまり諍いが続くようでは、今後のしこりにも繋がるため、例の如く小生が中へと割って入る。

 

「あー、"ハルパス"さん。黒豚のお裾分けですが、あんな沢山はすぐに加工できませんから、1頭か2頭、貴方がもらっていきませんか?」

「む……。話が分かるな、ニンゲン。殺すのは最後にしてやろう」

 いや、殺されるのは困るのだがと顔をひきつらせつつ、バサバサとその場を飛び去っていく"ハルパス"を見送る。

 彼はそのまま"ギガンティック"の青年と黒豚の分配について口論をした後、1頭を足で掴んで部屋の隅へと持っていった。

 そして始まる大自然の営みからは目を背けつつ、トラちゃんさんへと声をかける。

 

「"ハルパス"さんと仲が良くないんです?」

「……別に悪いって程でもないわよ。これは単純な"スタンス"の不一致」

「"スタンス"ですかあ」

 彼女曰く、人間もアクマも各々の魂には皆霊性……、つまり"スタンス"というものがあるのだという。

 

「"スタンス"を大ざっぱに分類すると、秩序を尊きとする魂、混沌を何よりも好む魂、そしてどちらにも寄らず、また両端へと移ろいやすい魂に分かれるのよ。これに光のものやら、魔のものやらって分け方も組み合わさって、一つの霊性を表せるんだけどね」

「小生の魂も分類できるんです?」

「限りなく"中庸に近い秩序"の色をしているわね。一般人よりはかなり秩序に寄っているけど、まあ気にすることじゃないわ。大自然じゃ、秩序も混沌も入り交じっているのが常だもの」

 気にすることではないと言われ、正直ほっとさせられる。これは性分の問題なのだが、母集団から逸脱していることを自覚してしまうと、腹が痛くなってしまうのだ。

 

「とにかく、"ハルパス"の奴もアタシもお互い憎みあってるわけじゃないの。アタシが"秩序"を司っていて、あいつが"混沌"の体現者ってだけ。アタシはぶっちゃけ、あいつみたいなのをジャングルにいるジャガーとかそういったのと同じに考えている。仲良くはできないけど、まあ"隣人"って感じ?」

 彼女の説明を聞き、小生は昨夜の出来事を思い出した。

 動力班の青年が至った許容の境地とは、恐らく彼女が"混沌"の体現者に抱く感情と似ているのだろう。

 

「はあ、要するに"スタンス"が仲良くなれるかを定めているのですか」

「んんー、そうでもないわ。"スタンス"はあくまでも第一印象。"秩序"と"混沌"が共生関係をとっていたり、友情を育むことだって、夫婦になってしまうことだってなくはないわよ」

「じゃあ、あまり気にすることでもないんですね」

「極端でない限りはね」

 ん? と小生が首を傾げると、彼女はため息をつきながら更に続けた。

 

「例えば、"ハルパス"と一神教の軍勢は絶対に相入れることがないのよ。お互いがお互いの存在を否定しているからね。一神教の連中からすれば、"ハルパス"みたいな堕天使って害虫も同然だから」

「一神教、ですかあ」

「そ、"天使"とか信者(メシアン)とかその類ね」

 天使というのはいまいちピンとこなかったが、信者の方は大体の察しがつく。

 というか、まさに小生を批判していた動力班の青年や機動班の一人そのものであった。一人は寛容の兆しを見せてくれたが、もう一人は未だ心を閉ざしている。

 彼らのことを思い出したのか、トラちゃんさんはぶすっとした顔で嫌そうに言った。

 

「アタシ、人の子から否定されるようなこと言われたくない。胸がきゅーってなるんだもの」

「あー……、先日揉めてしまった時も少し辛そうでしたもんね」

 そう! とトラちゃんさんは大きく頷き、その場でくるりと回りながら諸手を広げる。

 

「アタシは女神なんだから、皆にすごいって敬われたいのよ!」

 ……邪気もなくこういった言葉を口にできるところが、彼女のすごいところだ。

 素朴さに望みを明け透けにしていたからこそ、あの動力班の青年も警戒レベルを下げてくれたのだと素直に思う。

 小生はフォローするように相槌を打った。

 

「少なくとも、この隊にいる大多数はトラちゃんさんを敬っていると思いますが……」

「そうね! アタシの野望は今のところ順調よ。後は"箱庭"をもっと安定させていきましょう。もっと広げて。人の子も動物も植物も増やして……。それから……」

 そうして彼女が指折り願望を挙げ終えた後、小生らは半ば日課と課した"箱庭"へのエネルギー補給を行うことにした。

 

 

「こんないっぱいのエネルギーどうしたの!? もしかして、アンタってアタシの知らない魔法が使えたりするのっ?」

「いや、善意のお布施があったんですよ。多分、寄付してくれた人が誰か知ったら、トラちゃんさんも驚くと思います」

「こんなにいっぱいエネルギーがあったら、今回は"箱庭"の拡張ができるかもしれないわ!」

 "箱庭"の中央。トウモロコシ畑に囲まれた中にあって、うずたかく積み上げられた大容量バッテリーの山を前にしてトラちゃんさんが小躍りする。

 

 その様子を見て、「何のイベントだ?」と休憩時間を"箱庭"で過ごすことに決めたらしい"ギガンティック"の青年も入り口から中央まで寄ってきた。

「何だ、ありゃあ? あの女神、すげーテンションだな。てか、早く謎肉作ってくれ」

 そういえばと、観測班と資材班に謎肉の作成依頼を飛ばし、青年に向き直る。

 

「この"箱庭"を拡張するんだそうです」

「拡張って?」

 青年は、どっかりと床に座り込んではジップロックに入った謎肉を口に放り込みつつこちらに尋ねてくる。

 完全に見物客のスタイルであった。

 

「この空間、外敵から身を守るためにトラちゃんさんが作ったんですけど、エネルギーさえあればもっと広くできるらしいんですよ」

『それは――、このシュバルツバースという異空間現象を解析するのに、非常に示唆的な情報に思えるが。解析は進んでいるのか? "エルブス"クルー』

「え、ああ。"ダグラス"さんか。いえ、その辺りは解析班が色々と分析しているとは思いますが……」

 突如としたサポートAIの横やりに、ついつい小生は戸惑ってしまう。やはり、姿が見えないのにいきなり声をかけられるというのは慣れないのだ。

 "ダグラス"はこちらの戸惑いなどお構いなしに、機械音声をまくしたてる。

 

『簡潔にプランを構築しよう。自らを女神と名乗る、あの知的生命体が異空間を創出するのにエネルギーが必要だというなら、このシュバルツバースにだってエネルギーの元になる物質、またはポイントがあったはずだ。それを強力な物理攻撃で破壊することができれば……。これは外へ通信ができる状況になれば、真っ先に伝えなければならない情報だろうな』

「ふざけんな、"ダグラス"。それで、ICBMでも南極にぶちこまれるようなことになったら、真っ先にお前をアプリから消去してやるからな」

『許容しろ、相棒。人類社会の未来のためだ』

 どうにも、このサポートAIは"ギガンティック"号の司令部から切り離されたことで、大幅に情報処理能力が低下してしまったらしい。

 思考の悉くが短期決戦と直接戦闘に結びついており、最早調査隊の頭脳を務めることはできそうになかった。

 では各戦闘員のサポートを務めさせればいいのかというと、これもまた難しい。

 彼は"命"というものを計数的に考える傾向にあり、どうにもデモニカの持ち主や自己の犠牲をも前提に入れた特攻プランを提示しがちなのだ。

 率直に言って、彼はポンコツAIであった。

 

 ……と青年と"ダグラス"が特攻漫才を続けているところに、トラちゃんさんの明るい声が聞こえてくる。

 

「しっかりと見てなさいよ、女神たるこのアタシの力をっ!」

 "箱庭"から光という光が消え去り、小生らと多様な荷物、それに無数にあるトウモロコシの植木が足場を失い漆黒の宇宙へと投げ出された。

 宇宙の中心にはトラちゃんさんが浮かんでいる。彼女の胸元には"箱庭"に満ちていたエネルギーや、バッテリーから取り出されたエネルギーが渦巻くように結集しており、再び眩い球体を形作ろうとしている。そして、以前よりもずっと大きい。

 

「お、おおおっ!?」

「――"アーシーズ"、お願い!」

 仰天する小生らの足元に、まず茶褐色の大地が広がった。

 その広さはちょっとした屋敷が一軒すっぽりと入ってしまうほどだ。

 更にトラちゃんさんは精霊に呼びかける。

 

「"アクアンズ"、お願い!」

 大地の一角に楕円形の透き通った池が湧き出でてきた。

 波打つ水面から、カエル顔の"悪魔"が顔を出しては喜んでいる。

 そして球体が再び弾け、"箱庭"の世界は青空と光で満ち溢れた。

 

「こいつは……、ドヤるだけのことはあるな」

 全てが創生しおえた中にあって、"ギガンティック"の青年が半ば放心しながら呟いた。

 小生もまた驚いているのは同じであったが、

 

「えっと」

 それ以上の懸念に辺りを見回す。

 部屋一つ分から、屋敷一軒分の空間拡張――。恐らく、相応に空も高くなっているのだろう。

 こんなに容積を一気に増やして、果たしてエネルギーの消費は大丈夫なのであろうか……?

 小生が眉根を寄せてそう問うと、トラちゃんさんは上機嫌そのものでこれに答える。

 

「平気よ! このままじゃ10分と持たないけど、"エアロス"と"フレイミーズ"を呼び出して、四大元素が循環するようにすれば長持ちすると思うわ!」

「ああ、成る程。他に"アーシーズ"みたいな精霊を呼び出すんですね……、って」

 どうやって? と眉間にしわを寄せる。

 

「どうやってって……、"悪魔召喚プログラム"で呼び出すに決まってるじゃない。他に方法なんてあるの?」

 何を当たり前なことを言いたそうな顔をしているトラちゃんさんに対して、小生は顔を引きつらせながら問題を指摘する。

 

「ええと、ですね。小生……、もう手持ちの"マッカ"ありません」

「へ、何で!? どうして!? まだもうちょっとあったと思うんだけど」

「"アケロンの川"で投資の名目でカロンさんに渡しちゃいまして……」

 小生の返しに、一瞬硬直するトラちゃんさん。

 そして再起動した直後、小生は猛烈な勢いで涙目のトラちゃんさんに胸倉をがっくんがっくん揺さぶられた。

 

「ど、どどどどどうすんのよ! 奮発して空間を広くしちゃったから、あっという間にエネルギー不足で空間が萎んでいっちゃうわ。折角のエネルギーが台無しになっちゃう!」

「お、おおおおお落ち着いて!」

 頭を揺らされながら、小生はボケッと謎肉をつまんでいる"ギガンティック"の青年を見た。

 

「……どした?」

「あ、あああの! 申し訳ないのですが、"マッカ"を貸してもらえないかと!」

 青年は解せないと言った様子で明後日を見上げ、"マッカ"の単語を呟く。

 ああ、そうか。彼は"マッカ"の存在を知らないのか!

 うわあああと頭を抱える小生とは対照的に、彼は離れた場所で相変わらず黒豚を啄ばんでいる堕天使にのんびり呼びかけた。

 

「"ハルパス"、お前何か知ってるか?」

「……知っているも何も、我は地獄の伯爵ぞ。地獄の通貨を知らぬはずがなかろうが」

 その言葉に、小生は堕天使のもとまでダッシュで駆け寄り、「お金を貸してください」と土下座した。

 

「いや、まあ良いが……」

 結果として、小生はこの堕天使から"1時間で利子1割"という高金利で借財する羽目に陥った。

 

 

「何か適当にパスワード入れて召喚! 精霊違う! 何か適当にパスワード入れて召喚! 精霊違う! あ、あの"ハルパス"さん、"マッカ"を……」

 

 

「……上限額はちゃんと決めて回せよ? 見ていて愉快だから我としては構わんが。後、我の宮殿を建てても良いなら、利子は無しにしてやらんでもない」

「待ちなさい! 何でアタシの"箱庭"にアンタの宮殿建てなきゃいけないの――」

「それで手を打ちましょう!」

 最終的に50回も続けられた召喚の内訳は、妖鳥"タンガタ・マヌ"というエキサイト翻訳のような言語で会話する不気味な鳥人間が35体。地霊"スダマ"とかいう丸いナマモノが13体だった。

 ここまで確率が偏ると、何らかの悪意さえ感じてしまう。

 ちなみに「もしかしたら合体させればワンチャンあるのでは……?」と思い、一度だけ試しに"タンガタ・マヌ"と"スダマ"を合体させてみたが、出来上がったのはしゃれこうべの顔を持つ、不気味な凶鳥であったため、

「それ、大自然で生きるんだよ」

 と見ない振りをして空に放鳥してしまっている。

 

 無事に"エアロス"と"フレイミーズ"を引き当てられていなければ、今頃ハンドヘルドコンピュータを地面に叩きつけていたに違いあるまい。

 

 

 そして、後方で頭の悪いことをやっている小生らをしり目に、事態は刻一刻と進展していく。

 ついに囚われた艦長らと連絡を取り、潜入作戦が開始されたのだ。

 艦長は救出に向かおうとするこちらのリーダーらに感謝をしつつも、以前とは別人のように落ち着いた様子でこう通信を返してきたという。

「私たちも私たちで脱出をはかってみます。"天使様"が我々の罪を許し、手を貸してくださる以上、怖いものなどありません」と――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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シュバルツバースで防衛戦

『……聞こえますか、生き残ったクルーの皆さん。こちらは"エルブス"号の艦長です。どうか、返事をしてください』

 

 ラジオの如くマットに置かれた"バケツ頭"が不意に拾い取った広域の通信音声に、小生は我が耳を疑った。

 脳内で音声が木霊する。それは迷いを欠片も感じさせぬ涼やかで綺麗な響きを感じさせたが、紛うことなく小生に対して日頃キンキンとした罵りを浴びせかけていた艦長の声そのものだった。

 ――だが、何故だろう?

 今、艦長は宮殿内でリーダーらの助けを待つ身のはずだ。潜入を開始したリーダーからの状況連絡はなく、恐らく両者は未だ合流していないだろうと容易に推測がつく。

 しかし、そうであるならばどうして宮殿の"悪魔"側についた隊員に傍受されるリスクを犯してまで、このタイミングで広域通信を発しているのだろうか? 

 敵の懐を進むリーダーたちから目を逸らすため……、いや囮作戦は有効だと思うが、救出対象がそれをやるというのは逆効果のように思える。

 もしかすると先の状況連絡にあった"天使"なる存在と何か関係があるのかもしれないが、現状では何とも判断が付かない。

 

『聞こえますか? あなたたちの声を聞かせてください。お願いします』

 艦長の声に、じゅうじゅうと肉の揚がる音がかぶせられる。

 "箱庭"の一角。仮設キッチンに置かれた揚げ物鍋からしている音だ。料理人は小生である。

 灰色の謎肉がきつね色へと変わる様を見ていたところにこの通信が来たものだから、ちょっと……、いやとても気まずい顔になってしまった。

 あ、頃合いだ。でも艦長からの通信が……、いや、タイミングが。だがしかし。とフライドと化した謎肉を回収する手が止まらない。

 

「え、艦長っ?」

 通信環境の整備任務から無事帰還し、キッチンの近くに敷かれた金属マットに腰をかけていたゼレーニン中尉も、不意の通信に目を白黒させているようだ。

 彼女も口元を隠して行儀よくフライド謎肉を賞味している最中であったため、艦長の通信に対応することができない。同席していたドクターやその助手、資材班や、インフラ班、観測班といったその他の後方人員もまた同様である。皆、口にフライド謎肉を入れていたことが、対応の遅れにつながっていた。

 

「はふ。何よ、ここにいない仲間から声でも届いたの?」

 小さな入れ墨の刻まれた口元を油まみれにしながら、トラちゃんさんが小生らの反応を見て不思議そうにしている。

 

「いやあ……、囚われているはずのうちの艦長から通信がきまして。それでどう反応したものかと……」

「ん。そんなの。すぐに反応してあげればいいじゃない。仲間外れにしたら可哀想でしょ」

 軽い口調で言って、彼女は謎肉の油がついた指先をぺろりと舐め取った。正直あまりお行儀の良い仕草とは言えなかったが、彼女がやると気品さえ感じさせる。美人というのは、やはり得だ。

 小生は困り顔で答えた。

 

「揚げ物の音させながらは、流石にマナーが……。他の方々は――?」

 と見回してもすぐに反応できる者はいなかった。

 この微妙な空気は前職で覚えがある。

 早朝から始めていた仕事がようやく一心地ついて、さあ昼の小休憩で弁当を食べようとしている中、急な来客があった時のあの空気だ。

 お前が出ろよ。いや、お前が。という、歓迎したいのに歓迎できないあの気まずさのことである。

 

「いいじゃない。別に自分勝手で料理してるわけじゃないんだし。皆のためなんでしょ?」

 トラちゃんさんがしれっと言う。恐らく他意はないのだろう。以前にも自白していたが、彼女は現代文明に少々疎いところがある。

 

「いや、そうなんですけどね。相手があまり冗談の通じる人ではなくて……」

 そもそもの話、機動班が宮殿に潜入している真っ直中というこの大事な時期になって、何故小生らがフライド謎肉の量産などという空気の読めない作業に勤しんでいたのかというと、これから帰ってくるであろう囚われの同僚たちを労う慰労会を開くためであった。

 ただ……、今更ながらよくよく考えてみると艦長はこういう独断行動を嫌いそうな気がする。いや、嫌うに違いない。むしろ宣戦布告に等しい所行だ。

『何故、窮地に陥っている同僚がいる中で、そのような脳天気なことができるのですか! これだから"外様"の人間は……』と説教1時間コースが脳内で精密に再現され、小生の胃腸が恐怖に震え始めた。

 そして、強く非難する。安易な発想で、男料理を始めた小生自身の浅慮を。何故、粛々と戦地に赴いた同僚を待ち続けなかったのかと。

 じゅうじゅうと油の弾ける音を手元で奏でながら、小生の思考は半日前へと遡った。

 

 

 

 "箱庭"の拡張を無事に見届けた小生は、ふと涌いてきた徒然を慰めるためにトウモロコシ畑(予定)の手入れにとりかかることにした。

 いや、艦長から返ってきた謎のメッセージなど、潜入を開始した前線において事態が急転直下の様相を呈していたことは既にリーダーからの通信で聞き知っており、一応小生もミッションを手伝おうとは申し出たのだが、当のリーダーからきっぱりと断られてしまったのだ。

『……君の働きはもう十分過ぎるものだと思う。今はとにかく身体を休めてくれ』と。

 人命がかかっている以上、戦力の出し惜しみはすべきでないと食らいつきもしたが、それでもリーダーの判断は覆らなかった。

『では、言い方を変えよう。君には拠点の防衛に専念してもらいたいのだ。先の秘匿通信を経て、状況が少々読めなくなった。万が一を考えて、遊軍を作っておきたいというのが正直なところなんだ。我々の女神からの情報提供により、"天使"という存在が直ちに人間に対して敵対行動をとるような存在ではないことは理解した。だが……、情報が足りない。艦長の語る"天使"が果たして本物なのかすらも判別できない現状で、全戦力を救出ミッションに注ぐリスクは犯したくない。分かってくれ』

 まさかそこまで状況を厳しく見ていたのかと小生は目を丸くしたが、こう言われては引っ込むより他にない。

 

『――正直ブリーフィングを通さず我を通すようで申し訳ないと思う。君は軍人ではないのだから、本当はあまり上意下達を強いたくはないんだ。だが、もうすぐ終わる。状況はきっと上向きになる。艦長たちを救出して、ゴア隊長らとも合流して……、ここが踏ん張りどころなんだ。状況連絡終わり。今しばらく待っていてくれ』

 小生は大人しく後方待機を甘んじて受け入れることにした。ただし、大人しく身体を休めるだけでいるつもりは毛頭なかったが。

 大体にして、小生の心臓は蚤よりも小さいのである。

 今までに学んだ人生訓に寄れば、『もう休んで良いよ』はほぼ間違いなく……、罠。

 馬鹿正直に身体を休めて、後で『空気の読めない奴』というレッテルを貼られるのは嫌なのである。

 

 そこで小生は拠点内を回り、自分にできる仕事はないかと探し歩いた。が、すぐにできそうな仕事が中々見あたらない。

 例えばインフラ班に仕事はないかと尋ねたときには、

『は、仕事? あー、備蓄資材の整理も使えそうな異界物質《フォルマ》の加工もここ数日でやっちまったしなあ。今タスクボードに山みてぇに貼られてるミッションって大概が外に出なきゃいけない奴だろ。母艦の資材漁りみたいな機動班の随伴が必要な類の。拠点内でできる仕事は今のところないと思うぜ。資材班を当たってみたらどうよ?』

 確かにそうですよねえ、としか返しようがなかった。

 だが、資材班の反応もまた渋いもので、

『んー。今やってることって機動班や観測班が持ち帰った異界の物質を何かに応用できないか研究している段階なんですわ。インフラ班に頼めることは当面ないと思う』

 要するに同僚の優秀さが小生の仕事を奪ってしまっていたわけである。

 しようがないにゃあと、拠点の外でできる後方業務を探し歩く。すると、リーダーから再び緊急で秘匿通信が入った。

『君の識別信号が拠点の外へと出ようとしているようだが、これは見間違いか? ……気が逸ってしまうのは理解できる。だが、大人しく休んでいてくれ』

 まさかのお叱りに小生は背筋を正して、拠点内へと回れ右した。

 ひたすらに謝り、後悔する。

 どうやら、疲労の気配が隠せていないリーダーの声から察するに、この場における"空気"とは"大人しく休んでおく"ことこそが正解だったようだ。

 休むことが仕事だったとは、"空気"というものは本当に難しい……。

 

 そしてウンウンと悩んだ結果、とりあえず据え置きになっていたトラちゃんさんとの約束を果たしてしまおうと思い至ったわけである。

「え、畑作るの? 本当に?」

 "箱庭"でトウモロコシの穂をつついて遊んでいたトラちゃんさんは、小生の申し出を聞いて意外そうに目をぱちくりとさせた。

 

「はい、身体を休めておけと言われたのですが、ただ安静にしていると身体が根を張ってしまいそうでして……。種を収穫して、土を耕せばいいんです?」

 頬を掻きながらそう続けると、彼女は飛び上がって喜びを全身で表現する。

 

「ありがとう、その気持ちが嬉しいわ! じゃあ、土いじりは良いから鉢植えの穂を食べる分だけ……、12、3本程度収穫しちゃいましょうっ」

「え、食べる分だけ収穫ですか。全部じゃなくて良いんです?」

 ドクターから聞いた話だと、庭土に種を直播きするとのことであったが、何か考えがあるのだろうか?

 小生がきょとんとしていると、彼女はちっちっちと指を立て、したり顔で答えた。

 

「アンタ農業未経験者? 分かってないわね! 種にするならまだ収穫しちゃ駄目なのよ。食べる分には頃合いだけれどね。アンタたち人の子は、普段トウモロコシの未成熟な種を食べてるの」

 知らなかったそんなの……、という顔になる。トラちゃんさんのドヤ顔は一層に深まった。

 

「それに土いじりも必要ないわ! だって、"アーシーズ"に直接蒔くつもりだもの。"アーシーズ"なら自身の形状を好きに変えられるんだから、いちいち(ハック)で穴を掘る必要もないじゃないっ」

 ほへえ、考えられてるんだなあという顔になった。トラちゃんさんのドヤ顔はより一層に深まっていく。

「もう半日もすれば、直播き用の種も収穫できそうだけどね。今はとにかく、食用の収穫よ!」

 彼女の有頂天具合たるや、"ざじずぜぞ"が"ずざじぜぞ"になるほどであり……、要するに頭が高くなっているということなのだが、小生はただただ敬服するより他なかった。

 専門知識というものは宝なのである。

 

「え? でも、この"アーシーズ"という土型の精霊……。土の質は黄土(レス)ですよね?」

 だが、トラちゃんさんの独壇場に横から割り込んできたものがあった。

 観測班の青年である。彼の後ろ、"箱庭"の入り口付近にはぞろぞろと後方の隊員たちが群れを成していた。

 

「おー、ようやく収穫か。待ちくたびれてたんだ。俺も手伝うぜ」

「僕も手伝いますよ。いや、決してお裾分けが楽しみなわけではなくてですね」

 なるほど彼らはおこぼれを狙うハイエナのようだ。

 苦笑いする小生の傍らで、トラちゃんさんがきょとんと固まってしまっていた。

 

「……れ、れす?」

 見るからに彼女の頭上で疑問符が踊り狂っている。

 観測班の青年は腕を組み、したり顔で指を立てては早口で解説を始めた。

 

「イエス! 多孔質でミネラルが豊富なシルトですよ。特に外界とは違ってマグネタイトが豊富に含まれていまして……。あっ、失礼を承知で、"アーシーズ"にお願いをして隅々まで分析させていただきました」

 その付け足しに、庭土がもぞもぞと蠢いた。小生らの見ていないところでそんなことが行われていただなんて……。というよりも、やはり黒豚の件と言い、観測班の彼は研究調査に関する分野において、前が見えなくなってしまう手合いのようだ。

 解説も地味に解説になっていない。現にトラちゃんさんは口をぽっかりと開けてしまっている。

 

「そ、そうなの? いえ。アタシは女神なんだから知ってるわよ、れす。れすよね。うん」

「そうですか! いえ、そうですよね! 何故、"アーシーズ"が黄土でできているのかはとても興味深い問題でして。精霊という存在は地殻変動と何か深い関係があるのですか? だとすれば、テラローシャやテラロッサでない理由も気になりまして。もしかして地域的なバリエーションがあるのかと……」

「て、寺? ジャパニーズの神殿が何故ここで出てくるの? ねえ、ヤマダ! ジャパニーズでしょ、解説して!」

 ついには悲鳴をあげ始めたため、小生が解説の解説役として間に立つ羽目になった。

 といっても科学的にどうのこうのという話は門外漢の小生にはできない。よって結論から先に述べれば、

「え、え? 普通はこういう土ってトウモロコシの生育に合ってないの!?」

 と返される。

 小生は頷き、更に続けた。

 

「黄土は建材としては大変優秀なんですけどね。掘ろうが固めようが、それだけで家が建てられますし。黄土で育つ作物って、小生が某国で見たときにはあんまりなかった気がします」

「ソルガムが適していますよ。ヤマダ隊員」

「あー、ソルガムかあ……」

 観測班の助言に頭を抱える。

 ソルガムとはキビやコウリャンという別名を持つ穀物の一種であった。一応世界4大穀物の一つに数えられることもあるが、いかんせん他の3つと比べるとマイナー感が否めない。

 

「トラちゃんさん、ソルガムの種とかお持ちです?」

 そっとトラちゃんさんに耳打ちすると、彼女は見ていて可哀想なくらいに狼狽えてしまった。

 

「……も、持ってないわよ。アタシの知ってる作物に無いもの。というか、意味わかんない。土って命さえ循環すれば、何でも良いんじゃないの?」

「小生も門外漢なのでそこは分からないのですが……。トラちゃんさんのお力で土の質を変えたりはできないのですか?」

「アタシにできるのは死んだ生き物の浄化と、これから生まれる生命への祝福だけよ……。種を蒔いて、代を重ねればその内実りが増えていくの。それがアタシの常識だったんだから!」

 彼女の答えに何故か観測班の青年が感動した。

 

「それはプリミティブな品種改良の概念ですね。太古の昔から、地球の生命は環境への適応努力を重ねてきたんだ。素晴らしい……。素晴らしい……」

 咽ぶ青年は放っておき、念のためにと"アーシーズ"にも土の質を変えられないかと尋ねてはみたものの、『無いものは生み出せません』という答えが返ってきた。それはまあ、そうか。

 要するに水はけの良さなどは調整できるが、土の成分まで変えることはできないと言うことだろう。

 頭を捻り、更に捻って、挙げ句の果てには隣に投げる。

 

「観測班さん。どうすればトウモロコシの育成に向いた土壌に変えられますでしょうか?」

「簡単ですよ。肥料と石灰を混ぜて土壌成分とpH値を整えてあげればいいだけです。肥料は秘神様の紫土を使えばいいでしょう。あれは生命に必要な栄養分の塊で、要研究対象です。味も甘くて驚きましたよ。石灰は電力さえあれば化学合成が可能ですね」

 キラキラと目を輝かせて彼は言う。

 というか、口にしたの? カワヤの神様が持ってきたあれを? 科学者という輩は皆こういうメンタリティを持っているものなのだろうか……。

 顔を引きつらせながら、更に問う。

「カ、カンバリ様の土はまだたっぷりストックがあったと思いますし、石灰も建材にありましたね。生石灰(きせっかい)で良いんです?」

「pH値を下げれば良いだけですから、毒性さえなければなんでも良いと思いますよ」

「あー、ただ。混ぜるってことは耕すってことですよねえ。いや、"アーシーズ"にお願いしてみればいいのかな?」

 再び、うごうごと蠢いている"アーシーズ"に尋ねてみると、『自分から交わるなんて、品のないことはできません』とのことであった。ちょっと何を言ってるのか分からない。

 ただ、自分からは無理ということは、誰かが耕してやれば済む問題ではあるのだろう。手間暇から逃げることはできなかったが、今後の青写真は描けている。

 後は誰が骨を折れば良いのかという問題だけだ。

 

「じゃあ、収穫班と耕作班に分かれましょうか」

 小生は同僚たちを順繰りに見ていった。同僚たちは小生からぷいっと目をそらした。こいつら……。

 どうやら、彼ら彼女らの腹はすっかりトウモロコシを味わうモードに入ってしまっているようであった。先日に小生も同じことをしでかしていたから強く出られないが、成る程これは呆れてしまう。

 どうしたものかと頭を掻いていると、小生の肩を叩く者があった。誰かと後ろを振り返り、そして「うおっ」と飛び退る。

 ぬぼっとした眼につるっとした表皮、曲がった嘴に丸い頭。小生が35体召喚して34体が残された鳥人間、"タンガタ・マヌ"がそこにいた。

 

「貴方の仕事を手伝う私」

「え、手伝ってくださるのですか?」

 小生の言葉に"箱庭"をぞろぞろしていた"タンガタ・マヌ"たちが一斉に頷く。

 風貌も相まってちょっとした迫力がある。気圧されながらも、小生は予期せぬ援軍を歓迎した。

 

「そ、そうですか。それでは小生と一緒に畑を耕しましょう」

 諸手を広げてこちらがそう言うと、彼らは首を横に振ってさらに答える。

「空腹は満たす。貴方は収穫します。そして、私たちの仕事が始まる」

「え、耕作はあくまでも貴方たちがやる……、ということですか?」

 再び一斉に彼らは頷く。

 どうしたものかと戸惑っていると、トラちゃんさんから助け船がやってきた。

 

「今は受け入れてあげなさいよ。"タンガタ・マヌ"って、そんななりでも古い神の一柱なのよ。飢餓に喘ぐ人の子を助けることが仕事みたいな善い奴らだから、腹が満たされた後にお返ししてあげればいいの」

「そ、そういうものですか。なら……、ありがとうございます。"タンガタ・マヌ"さん、このお礼は必ずしますね」

「それに沿って、遠慮なく」

 言うが早いか、"タンガタ・マヌ"さんらはカンバリ様が歓楽街カワヤ行脚を終える度に増やしていった紫土の詰まった袋をがばりと抱え、"アーシーズ"の大地を素手で耕し始めた。

 筋肉質の裸体でパワフルに穴を掘り、紫土を突っ込み、強引にかき混ぜては、それをひたすら繰り返す。

 資材班から生石灰を受け取ってからは、紫土、石灰、かき混ぜのローテーションだ。

 地べたが白に紫に黄色と面白いくらいに色を変えていき、"アーシーズ"の悲鳴とも歓声ともつかぬ甲高い声が上がった。

 

『お、おのれ! そのようなものと混ぜるなどというおぞましい所業に私は決して屈しは……』

 "アーシーズ"の抗議も聞く耳持たず、"タンガタ・マヌ"さんらは無表情で地面をかき混ぜる。

 ある意味ホラーだ。これで死体でも掘り出されればビンゴなのだが、出来上がるのは立派な耕地だけ。これはアグリカルチャーですね。

 

 しばらくは彼らの勤勉な仕事ぶりをぽかんと口を開けてみていた小生であったが、

「あ、収穫しなきゃ」

 と同じ顔をしていた同僚たちを呼び、トウモロコシをもぎ始める。

 

「ハタケ仕事ー? ハタケー。タケー。ビヨーン」

 背の高くなったトウモロコシの穂に手をかけると、どこに隠れていたのか、召喚したまま放置していた"スダマ"たちも顔を出す。こちらは仕事を手伝うというよりはただ邪魔をしに出てきただけのようだ。トウモロコシの茎に掴まり、びよんびよんとターザンみたいに揺らしている。何それ小生もやってみたい。

 

「"スダマ"は自然に宿る霊だから、放置してて大丈夫よ。遊び疲れたらまた隠れるしね」

「そんなもんですかあ」

 とはいえ、びよんびよんと目の前でうるさかったため、指で弾いて隣のトウモロコシへと飛ばしておく。

「カミカゼー、カゼー」

 えらい物騒な言葉が出てきたが、鎌倉時代の方であってほしいな……。というか、楽しそうでほんと羨ましい。

 

「こりゃあ、ずっしりと重いな! 流石女神様の加護を受けたトウモロコシだ!」

「食いでがありそうですねえ」

 同僚たちから嬉しい悲鳴が上がる中、小生も穂の一つをもぎ取る。確かにトラちゃんさんが「手始めに作った」割には出来がいいように思える。もしかするとカンバリ様の土のせいだろうか? 観測班によれば「栄養の塊」だそうだから、その可能性も否めない。

 トウモロコシを両手に抱えたところで、ふと資材を直置きしている区画の陰に小さな気配を感じた。

 首を傾げ、陰を凝視する。赤い吊りスカートがちらりと見えて、小生の疑問は即座に氷解した。

 小声でそっと呼びかけてみる。

 

「……はーなーこさん?」

「いーませんよ」

 何あれかわいい。

 同僚たちから「どうした?」と問われたが、何でもないと返しておく。彼女との約束は未だ継続しているはずだった。彼女が同僚たちと面合わせできるようになるまでにはもう幾ばくかの時間が必要だろう。

 

 そうして人数分のトウモロコシが収穫され、シートの上に並べられる。

「収穫って良いわよね。皆、生き生きするんだもの!」

 とトラちゃんさんもご満悦だ。

 ただ、これらをどう食べるかは問題であった。

 

「ドクターとの話では、ポップコーンとかどうだろうって話してましたよね」

「はい、良いですよねえ。ポップコーン……」

 ドクターが喜色を満面に表した。現代社会から途絶した小生らにとって、日常を感じさせる食べ物は何よりものご馳走ということなのだろう。

 だが、ここで観測班の青年が空気を読まずに水を差した。

 

「へ? ポップコーンはポップ種でないとできませんよ。見たところ、収穫したこれらはテオシントの原種に近くても歴としたトウモロコシだと思われますから、ポップコーンは厳しいんじゃないかですかね。素直に乾燥させて澱粉を抽出してはいかがでしょうか?」

「えっ、そうなんですか?」

 ドクターのテンションが見る間に下がっていく。

 宇宙食じみた加工食品に飽き飽きしていたためだろう。

「で、では焼きトウモロコシとかどうでしょうか?」

「それは、そのまま粒を焼いて食べるということですか? これは見るからに硬粒種ですから、カロリーベースで考えるとあまり栄養摂取の効率が良いように思えませんが……」

「効率とかはどうでも良いので!」

 青年のKYぶりにドクターの語気が強まった。真剣な表情だ。傍らに控えていた助手さんが呆れていて、リリムが顔をぽっと赤くしていた。何でだ。

 やがて資材班やインフラ班の面々も交えて、ああでもないこうでもないと調理法の模索が始まる。

 

 トラちゃんさんは彼らの様子をぼけっと見ていた。

「どうしたんです? トラちゃんさん」

「ん、いや。ちょっとね。トウモロコシにそんなにいっぱい食べ方ってあるんだあって」

 彼女の言葉が引っかかり、小生は他の面々の議論には加わらず、彼女との会話に専念する。

 

「ちなみにトラちゃんさんの知ってる食べ方ってどんなのです?」

「えっと。人の子がやってたのは……、団子を煮たり蒸したりしてたわね。トマトとかトウガラシとかと一緒に煮込んだり。たまに分量間違えてバチバチってさせちゃったり。見てて楽しかったわ」

 そう語るトラちゃんさんの目は、ここではない何処かへと向けられていた。

 郷愁にちかい感情だろうか。彼女は、この"箱庭"の外側に彼女の原風景を描き出している。

 思い出は決して悪いものではないが、少し寂しいと小生は思った。

 こう言う時は童心に帰るに限る。

 

「じゃあ、それ再現しましょうか。団子なら量も作り置きもできそうですから、帰ってきた人たちにも振舞えますし」

「え、良いの?」

「渋る人いないと思いますよ。すいませーん」

 小生は同僚たちに声をかけた。お互い食には譲れぬ正義はあっても、恩神たる女神を蔑ろにするものはいない。

 料理のベースは満場一致でトウモロコシ粉を使った中米料理で決まった。

 

「調味料は……、いくらか母艦から持ち出せていたっけか。おーい、道具持ってきてくれ」

「粉ものにするなら科学的な処理が必要ですよね。強アルカリ処置か真空乾燥あたりが無難かな……、必要そうな機材見繕ってきます」

「主食が決まれば、後は……。そうか、おかずが欲しい。僕は何て無力なんだ……」

 資材班と観測班がひとっ走り"箱庭"から拠点へと立ち去っていき、ドクターは一人うなだれていた。助手は呆れ、リリムは顔を赤くしている。だから、何でなんだ。

 

「おかずかあ」

 とはいえ、ドクターの言葉にも一理あると思い、少し考えを巡らせてみる。

 以前に大言を壮語した手前、備蓄食糧に手を出すというのは駄目だろう。となれば、選択肢は黒豚で作られた謎肉しかない。

 だが、謎肉をかじりながらというのはなあ。コンビーフをおかずにご飯を食うような空しさを感じてしまう。ここはもう一手間欲しいところだ。

 そこでトラちゃんさんの言にあった「バチバチ」という単語が思い出された。

 タダノ君ら、野球部の面々と共に過ごした青春時代の記憶が鮮明に蘇っていく。

 

「――揚げ物食べましょうか」

「えっ、食べられるのですか?」

 ドクターが前のめりに食いついた。完全に欠食児童モードである。普段は穏やかな性格をしているというのに、極限状態というのはこれだから怖い。

 

「多分、できます。肉は謎肉になってしまいますが、加工の副産物としてラードも取れていたはずですし……。後はトウモロコシの粉さえあれば」

「粉に、肉に揚げ物……。唐揚げですか! 是非それでっ」

「は、はい」

 ドクターの気迫と、他の面々の賛同によって南米料理の副菜はフライド謎肉に決定した。

 

 こうしてインフラ班の常にない作業速度でキッチンが仮設置され、収穫されたトウモロコシが白い団子状の物体と、さらさらした白い粉に作り変えられていく。

 

「ただいま、皆。女神様。あら、何をやってるの?」

「あら、おかえりなさい。これは皆でお料理しているのよ!」

 いざ料理を始めようという段になって、ゼレーニン中尉も帰ってきた。どうやらリーダーは拠点の防衛を小生と彼女の2枚看板で行わせる腹積もりのようだ。

 言うなれば前線に職業軍人を置いて、後方に民兵を配置するようなものだろう。内戦地でも国連軍がよくやっていた人員配置だった。

 中尉は何故このタイミングでと一瞬首を傾げたが、すぐに自分なりの理解をしたらしく、

「……それなら、帰ってくる人たちの分も作らなければいけませんね。温かい料理があると気持ちもずっと落ち着くと思いますから」

 と柔らかく微笑む。彼女の一言を聞いて、何人かの同僚が耳の痛そうな顔をした。楽しいことを目の前にすると、それ以外が抜け落ちてしまうというのは良くあることだ。小生の場合、便意が湧いても同じことが言える。

 

 と団子状の物体が女性陣、というかドクターの助手によって手馴れた様子で電気加熱された鍋の中に投入された。味付けはヒスパニックの青年が持ち込んでいたチリソースである。皆に振舞うと決まった瞬間は血の涙を流していたが、今はうまい料理へと転生する気配を鼻で嗅ぎ取り、出来上がりを静かに待っていた。

 小生もまた、言いだしっぺの義務を果たすために助手の隣で下ごしらえを行う。鍋に油を投入して加熱を始めた後、トウモロコシ粉、そして故郷から持ち込んだ醤油と鶏がらを作業用のトレーの上で混ぜ合わせる。トレーはインフラ班の備品であった。普段使いの道具で料理をするのは若干抵抗があったが、ボウルが見つからなかったのである。一応殺菌洗浄はしてあるため、調理に支障はないはずだ。

 

「ソイソースは分かるが、何でトリガラ?」

「一人暮らしとトリガラは密接な関係にあるんですよ。本当はニンニクも欲しかったです」

 ヒスパニックの野次に受け答えしながら、できあがった粉を黒豚の謎肉に揉みこんでいく。

 

「ヤマダさん、手馴れているのね。もしかして趣味がお料理とか?」

「いえ、高校時代からの習慣なんです。公式試合が終わると、うちに野球部の面々が押しかけるんですよ。それでイナゴみたいに食料を食べ去っていきます」

 高校球界において小生の母校は歴史ある強豪校とは違い、甲子園出場校の中ではぽっと出の県立校だった。

 当然、肉体作りを目的とした食事管理は自主的に行うことになるが、この辺りが自力だとどうしても欲望に負けてしまう時期がやってくる。大抵、公式試合の後であった。

 "打ち上げ"と称したこの暴飲暴食唯一の機会に、料理人になるのが何故か小生だったのである。

 何故小生が料理役を押し付けられるのかいつも不思議でならなかったが、タダノ君が言うには『ヤマダは何となく女房っぽい』らしい。

 一般にバッテリーを組んだ相手を夫婦に例えることはよくあるが、ちょっと納得が行かない理由だった。

 まあ、その分タダノ君も『紅茶買って来た。アイスティーで良かったよな?』と他の部員に対してはホスト役と買出し役に徹していたし、負担を一身に受けているわけではなかったのだが。

 

「オォイッ、ゼレちゃん! 料理できたらオレの分も頼むわ!」

 と野太い声を響かせる"ゴブリン"などはまさに野球部のノリであった。

 中尉は親愛をこめてネモ船長というロマンチックな名前をつけたそうだが、小生の中では完全に根元である。首位打者を取りそうだ。

 根元の眼光――、あれは完全にから揚げを食い散らす腹積もりであろう。こちらも揚げる量を調整しなくてはならない。

 ごくりと唾を飲み込み、第1投が揚げ終わるのと同時に、油に投入する謎肉の量を限界にまで増やした。一度に出される量が多ければ、食いっぱぐれる同僚もいないだろう。

 小生の懸念はぴしゃりと的中し、揚げ終わったから揚げを根元は三つ同時に摘んで大きな口へと放り込んだ。おい。

 

「悪魔か、この野郎!」

「ブラボーな罵声だ。オレ様アクマだもんね。かぁーっ、うめぇなぁ!」

「野郎、ぶん殴ってやる!」

 資材班が根元と取っ組み合いを始める中、第2投も揚げ終わる。取っ組み合いは計算の内だった。体育会系の、あの無駄なノリは小生の日常だったのである。

 人外と殴り合って平気なの? と一瞬心配にも思ったが、根元の中尉に向ける親愛の情は本物だった。中尉が暴力沙汰を好まぬ以上、よもや人を傷つけるということもあるまい。

 案の定、すぐに「ネモ、駄目よ!」と中尉に叱り付けられ、その場限りの反省のポーズを根元が取った。気にせずに第3投。

 

「トウモロコシのお団子できました!」

 助手さんがそう宣言すると、トラちゃんや同僚、そして根元が歓声をあげた。勿論、中尉の傍に浮かんでいた"アプサラス"も柔らかく微笑んでいる。

 というか、このままだと小生トウモロコシ団子食べられない……。貴重なチリソースが間違いなくうまそうだったのに……。下っ腹がぎゅるるると空腹を訴えだす。

 

「このお肉のバチバチした奴も案外美味しいのね。でもヤマダはこれ! 一番に食べるのはヤマダって言ってあったからねっ」

 だが、小生には女神がいた。器を取り置いてくれたのだ。笑顔でいっぱいのトラちゃんさんが後光を発しているかのように見える。

 

「あ、でもお料理中か。どうしよう」

「あー、手が離せないので食べさせてもらえますか?」

 つい野球部のノリで言ってしまったが、よくよく考えるとこれは失敗だった。相手は女神で、しかも女性だ。気恥ずかしい。

 ただ、その気恥ずかしさも「分かったわ!」と団子を手で取ろうとしたトラちゃんさんに慌ててしまい、何処かへと吹き飛んでしまう。

 ああ、そうか。フォークみたいな食器無かったのか、古代の中米って……。

 

「トラちゃんさん! フォーク使ってくれませんかっ?」

「ふぉーく? ああ、今の人の子が使ってる奴よね。タマルは素手で食べるものなんだけど……。まあ、良いわ! って、これ難しいんですけど……」

 ぷるぷると手を震えさせながら、フォークに突き刺さったトウモロコシ団子がめでたく小生の口にゴールインした。

 

「あつっ」

 出来立てということもあって火傷しそうなくらいに熱かったが、ほくほくと解れていく食感が面白い。

 味はチリベースでまずくなりようが無いだろう。勿論、作った助手さんの腕も良いのだろうが。

 いや、これは……、素材が良い。チリソースの辛味に負けない、優しい甘みが口の中で解れて行く度に広がっていった。

 これは、おかずが欲しい。というかもう一手間加えたい。この素材は活かさなければ、重罪だ。

 2番手に団子を食べたのは作り手の助手さんであった。彼女も同じような感想を持ったようで、一瞬目を丸くした後で何とも歯がゆそうな表情を浮かべている。

 

「……すごくおいしい。でも、材料と時間が足りないことがすごく口惜しいです」

「え、こんなに美味しいのに? 大地の恵みが感じられる、立派なタマルじゃない」

 と3番手に団子を口にしたトラちゃんさんがはふはふと息を吐きながら言った。

 少し行儀は悪かったが、心底幸せそうにしている彼女に文句を言うKYなどここにはいない。

 

「……だな。これはめっちゃタマルだわ。てか、素材が良いわ。うめぇ」

 とヒスパニックの青年。

「これは心が温まりますねえ」

 とはドクター。

「ええ、とても美味しいわ」

 と中尉や他の同僚たち、そしてアクマたちも舌鼓を打つ中、

 

「うーむ、富栄養化土壌の超促成栽培。栄養価がどうなっているのか、興味があります。分析させていただいても?」

 と観測班の青年は別のベクトルから唸っていた。

 オイオイオイ、あいつKYだわ……。

 

 そうして皆の表情が和らぎ、小生の揚げ作業ももう少しで落ち着こうという直前になって、

 

『……聞こえますか、生き残ったクルーの皆さん。こちらは"エルブス"号の艦長です。どうか、返事をしてください』

 と艦長からの広域通信がやってきたわけである。

 皆がアイコンタクトをし、誰が代表になって通信に答えるかを若干の間思案した。この躊躇いが理性的な判断に繋がったのだろう。

 観測班の青年がいつもの様子で口を開いた。

 

「受け答えしては駄目です。通信傍受で拠点の位置を探られる可能性があります」

 隊員たちの表情がはっとなり、各員悔しそうに口をつぐんだ。

 艦長たちだってこちらの状況が知りたいはずなのである。そんな中で自由に消息を伝えられないというのは歯がゆいことであった。

 

「艦長だってそれくらい分かるはずなのに。何でこんな馬鹿なことを……。極限状態で余裕がないのでしょうか?」

「そんな言い方! 何とかこちらの状況を知らせる方法は無いのかしら?」

 中尉が青年を咎め、周りにアイディアを求める。勿論すぐに名案が思い浮かぶ者などいない。

 そもそも、この中で指折りの頭脳を持っているのは中尉自身だ。彼女が思いつかないような発想に、小生たちが辿り着けるのならば苦労はしないだろう。

 青年が険の混じった声色で言う。

 

「そんな方法があったとしても。私は通信に答えてはいけないと思いますよ。現在、我々のリーダーは艦長じゃないんですから。独断は厳禁でしょ」

「それはそうだけど、でも!」

 中尉も青年の言葉を理性では分かっているようで、自ら通信に答えようとする素振りは見せなかった。

 他の面々もまた同様だ。つまり、"たった今聞こえてきた"広域の通信は、小生ら以外が発したものという理屈になる。

 

『こちら動力班。ハロー、ハロー……! 艦長、ご無事だったのですね……!』

 これは完全に失策であった。

 時間が問題を解決してくれると甘く見ていたのである。

 今、この場に姿を見せていない動力班の青年が抱いていた孤独を小生は軽く見すぎていたのである。

 

「おい、誰かこの通信をやめさせろ。マジでやばいぞ……!」

 数人が"箱庭"の外へと駆け出す中、事態は更なる悪化の一途を辿っていく。

 リーダーから広域通信が入ったのだ。暗号化もしていない、(ひら)の緊急通信であった。

 

『こちら、アルファチーム。緊急事態だ。宮殿内から多数の悪魔がそちらへと向かっていく姿を確認した! 迎撃態勢を……、いやすぐにその場から脱出をするんだ!!』

 隊員たちの顔から血の気が引いていく。

 

『ヤマダ隊員、ゼレーニン中尉。後方の皆の安全確保を頼む。我々では救出に向かえない。皆の命を――』

 会話はそこで途切れ、銃撃音が通信越しに聞こえてきた。

 リーダーたちもまた、広域の通信を行ったことで宮殿の"悪魔"たちに位置を知られてしまったのである。

 

「ど、どうするんだよ! このままじゃ全滅だぞ!?」

 パニックになった隊員が頭を抱えて座り込んだ。ドクターが何とか宥めようとしても、この状況下で彼の言葉に耳を傾ける者はいない。

 一人の恐慌が隣へ、また隣へと伝染し、最早冷静な判断を行える者はほとんどいなくなっていた。

 

「こ、この野郎が、余計なことを!」

 と顔をひどく殴られた動力班の青年が"箱庭"へと連れ込まれ、乱暴に蹴り飛ばされる。

 青年は泣いていた。本人だって、悪意があってやったことではなかったのだ。そして、混乱は加速する――。

 

 

 

「待ちなさいよ!」

 寸前でトラちゃんさんが隊員たちを叱責した。

 

「仲間割れをした群れは猛獣に狩られるのよ! とにかく落ち着きなさいっ」

 言って、彼女は動力班の青年に回復の異能をかける。顔にできた痣が消えうせて、青年が驚いたように目を見開いた。

 

「で、でも女神様。このままじゃ俺たちは全滅で……」

「隠れる方法が無いわけじゃないわ。"箱庭"を完全に外界から切り離してしまえば、相当高位のアクマだって、塞いだ扉をこじ開けることはできなくなるから。多分……」

 隊員たちが仰天する中、トラちゃんさんは続けた。

 

「でも、エネルギーが全然足りない。外のを使えばギリギリ足りるかもってところで……。それに――」

「"トカマク型起電機"か! 了解です、女神様。お前ら急いで運び込むぞッ!!」

 資材班とインフラ班の一部が、尻に火がついたように動力室へと向かっていった。

 小生も向かおうとして、トラちゃんさんに呼び止められる。

 

「ヤマダ……」

 何かを戸惑っているような顔をしていた。

 短くはあったが深い付き合いを経てきたため、彼女の言わんとしていることが何となく察せられる。

 小生は"バケツ頭"を被り、デモニカスーツを起動しながら彼女に答えた。

 

「……分かります。小生は、"外"に残りますよ。囮でもやって見せます」

 えっ、とドクターや助手、そして中尉が言葉を失った。

 

「完全に"箱庭"を閉じてしまうということは、外部との連絡が取れなくなるということです。それってリーダーや艦長たちを見捨てることになりますからね。トラちゃんさんの言わんとしていることって、"選べ"ってことですよね? リーダーたちを見捨てるか、小生がもう一度死ぬか」

「だ、駄目に決まってるでしょう!」

 中尉が悲鳴に近い声で小生の発案に抗議する。

 だが、これはトラちゃんさん風に言えば、実質一択なのだ。小生は答えた。

 

「小生はトラちゃんさんの傍で死ぬ限り、復活できるみたいです。だったら、これは"外"に残る一択でしょう。……他の人命がかかっていますもん」

 と言い聞かせるように、小生は自分を納得させる。

 正直に言えば、こんな確実に死ぬミッションを受けたくはない。ただ、天秤の片方が重すぎた。それだけだ。

 

「ヤマダ……、ごめんなさい。アタシにもっと力があれば」

「十分、小生たちにとっては立派な女神様です。……と、準備できました。行きましょう」

 バックパックを背負い、足早に入り口へと向かう。

 あまりうだうだとしていると、無理矢理蹴飛ばした小生の心が再び竦みあがってしまいそうだ。

 

「ヤマダさん! なら、私も――」

「ゼレーニン中尉は、中で待機をお願いします。最終防衛ラインとかいう奴です。というか、蘇生しなきゃいけない対象が二人もいると……、トラちゃんさん大変ですよね?」

 トラちゃんさんがこくんと頷き、中尉が声を殺して涙を流した。

 

 小生はトラちゃんさんと共に、無言で"箱庭"の外へと出る。同僚たちが"トカマク型起電機"を"箱庭"の中へと運び込む中、入り口付近の窓から外の様子を窺い見る。

「あー……」

 グロ画像が見えてしまった。

 空にモザイクがまるで雲のように広がってしまっている。多分、陸上も似た感じなのだろう。

 間違いなく言えることは、小生の死は避けられないということだ。

 足ががくがくと震えだしたが弱音を吐いてもいられない。

 ただ迫り来るモザイクを凝視して、自らの運命を受け入れる。

 そして、"トカマク型起電機"が"箱庭"の中へと運び込まれた。

 

「配線とか必要ありますか?」

「ん、エネルギーさえあれば大丈夫よ」

「放射線はデモニカスーツが防いでくれますし……、じゃあ何も心配は要りませんね」

「うん」

 トラちゃんさんが頷くと、小生を除く後方隊員の全てが避難するのを見届けた後、

 

「それじゃあ、閉じるわよ」

 と目映い光を伴って、拠点内に作り出していた"箱庭"への入り口を消滅させた。

 

 

「……またぞろ厄介なことに巻き込まれておるのう」

 とは何時の間にやら現れたカンバリ様だ。

「カンバリ様も避難されては……」

「何、お主に死なれるとワシは困る。完全に成仏せんよう、お主もまあ踏ん張るんじゃな。カワヤだけに!」

 言った瞬間のドヤ顔に、小生は不覚にも笑ってしまった。このカワヤ神様はやはり神様なのである。

 モニターに表示されたエネミーアピアランスは、真っ赤に染まって警告音を発していた。

 

「とりあえず、外で戦いましょう。中で戦ったらアレです。カワヤが壊れる」

「それは困る」

 小生はお二柱と共に拠点から外へと出た。

 バックパックから異能の力が篭った石を取り出し、いつでも投げられるよう準備しておく。

 

「ええと、魔石とチャクラドロップでしたっけ……? 回復に使えるものも取り出せるようにしたほうがいいですよね?」

「回復はワシにだけ頼むぞい。そこな女神は自力でなんとかなるじゃろ」

「何よその扱い! まあ、実際何とかなるけどね」

 ばしっとトラちゃんさんが手のひらに拳を叩きつけた。

 

「何か今なら新しい力に目覚めそうな気がするのよ。ダグザ先輩の使ってたマッスルパンチが……」

「それ、強いんですか?」

「分かんない」

 えー、とげんなりしたところで、まず"悪魔"たちの第一陣が空より飛来してきた。

 その内の一部は野球好きやドクターと契約していた"ハーピー"や"リリム"であったが、両の目が狂気と嗜虐に染まっている。"悪魔"にも色々いる、ということなのだろう。

 彼女らに対しトラちゃんさんが片手を天に掲げ、勇ましく宣戦を布告した。

 

「開幕マハブフーラ!」

 ……どうやら、宣戦布告ではなくて奇襲攻撃だったようである。

 トラ・トラ・トラではないが、氷像と化して落下して砕け散る"悪魔"たちを避けながら、小生は氷結に耐性のある"悪魔"に対して、電撃の異能が篭められた石を投げつけた。

 そうして、暫定拠点前で激戦の幕が切って落とされる。

 

「マハブフーラ! マハブフーラ! マハブフーラ! マハブフーラ!」

 倒した敵のエネルギーを吸収できる、ほぼ永久機関のトラちゃんさんはさておいて、意外なことに小生も"悪魔"たちの猛攻撃に晒されているというのに、即死せずにいられていることに内心驚く。

 何と言うか、どの"悪魔"の攻撃も以前に相対した"マカーブル"と比べるとまだ対処できる攻撃速度なのである。

 どうやら、デモニカの学習プログラムが小生の動きをサポートしてくれているようだ。

 最新技術様々だなあと思いつつ、トラちゃんさんが苦手な属性を持つ敵に集中して石を投げつけてはサポートする。

 小生への攻撃は、そのほとんどをトラちゃんさんがかばってしまっていた。何と言うか、鬼気迫る表情だ。

 

「マハブフーラ! マハブフーラ! マハブフーラ! マハブフーラ!」

 無駄口すらも叩かない。ただ一身に異能を迫り来る敵の群れへと叩き付けている。それだけ余裕が無いということなのだろう。

 空からの猛攻が続く中、地上からも"悪魔"たちが押し寄せ始める。

 "ギガンティック"のサポートAIである"ダグラス"から受け取っていた情報提供がモザイクを形あるものへと映し変えていった。

 猿型のアクマと虫と赤子を融合させたかのようなおぞましい姿をしたアクマの二種類だ。

 

「喝ッッ! マハンマじゃ!!」

 赤子虫の方はカンバリ様の発する破魔の力で全てが光の粒子へと変えられていく。だが猿の一部が駄目だ。破魔の力を物ともせずに四足でこちらへと駆け寄ってくる。

 何度かカンバリ様と共に戦って分かったことなのだが、この異能は少々ギャンブル性が高いのだ。

 残った敵の攻撃をギリギリのところで小生はかわし、電撃の力が篭った石を再び投げつける。かなり強力な力の篭った特別製だ。当たった箇所から広範囲に電撃を撒き散らすため、複数の敵を倒すのに都合がいい。果たして、猿型のアクマたちは断末魔の叫びをあげてその場で焼け焦げていった。

 対空迎撃はトラちゃんさんの独壇場だ。氷像が面白いように落ちてくる。いや、実際は落ちてくる氷像にひやひやさせられているのだが、あまりの頼もしさに笑えてきてしまう。

 

「マハブフーラ! マハブフーラ! あっ――」

 時折トラちゃんさんが仕留め損ねた"悪魔"が出るが、これはカンバリ様が自らの体から土の針を無数に作り出して、蜂の巣にして撃ち落す。

「ごめん、カンバリ!」

「あんまり気を張るな。カワヤで足を踏み外すぞ」

 良く分からないカワヤジョークを聞き流しながら、小生は思う。

 ……これ、案外いけるんじゃね?

 

 

「ムドだこの野」

「うぉぉぉぉぉぉぉ!!」

 憎き黒豚の登場に死の気配を感じ取ったため、小生は全力で石を投げつけた。間一髪、黒豚は力ある言葉を口にする寸前で、頭蓋を陥没させてはその場に崩れ落ちる。

 ……いけるやん!

 勿論、気のせいであった。

 モニター上に表示された周辺環境を示す数値の中で、エタノール値が恐ろしい勢いで上昇していく。

 そして、"悪魔"たちを文字通りなぎ倒しながら現れた原色の人影によって、小生の身体は文字通りミンチにされてしまった。

 

「――ジャッジメント!!」

 激昂したトラちゃんさんが、周りを光の本流で薙ぎ払う。

 その光に包まれながら、小生は再び"アケロンの川"へと向かっていった。

 



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シュバルツバースで味方と合流

ちょっと前の投稿文に修正予定箇所があります。
修正内容は4号艦AIの名前です。公式に名前が判明したため、ちょっと描写と設定をいじくることになりました。ご了承ください。


「おう、何だ。そなたも来たのか」

「あ、はい。その、毎度どうも」

 例の如く"アケロンの河"へ流れ着いた小生に、白髪の老人が声をかけてきた。ぺこりと会釈するこちらに対し、あちらはやたらフレンドリーなご様子。背筋がエネルギッシュに伸びており、びしりと決まったリーゼントが快活に揺れている。

 

「――ん、"マッカ"も大分貯まっておるようだな。結構、結構。また半分ほどは頂いておこう」

 含み笑いを浮かべた老人のもとに、何処ぞより現れた大量の"マッカ"が吸い寄せられていった。はて、こんなに小生貯蓄していたっけか? と一瞬首を傾げ、すぐに合点する。多分、防衛戦の影響だろう。トラちゃんさんが倒した"悪魔"の数だけでも200やそこらではきかなかったはずだ。

 ひいふうみいと機嫌良く回収した"マッカ"を数える老人に、小生はぽりぽりと頭を掻きつつ問いかけた。

 

「そういえば……、投資した"マッカ"はどうしてるんです?」

「そりゃあ腐らせずにアクマどもに貸し付けて利子を取っておるよ。左団扇とはこのことでな。そなたは上客にして資金源。大概のことには協力してやるつもりだ」

 何と言うことだろう。世知辛い貨幣経済のしがらみをこんな黄泉路で目の当たりにしてしまった。

「……それ、返済の見込みが立たない"悪魔"に小生が逆恨みされる可能性とかないです?」

「案ずるでない。返済できぬ屑にはそれ相応の報いを受けてもらっておる。妙な気を起こさぬようにな。無論、万が一のことも考えて上客の個人情報は厳守しておるよ。何せ、近頃は色々手厳しいからな」

 小生は眉根を指でつまんだ。

 真面目に考え始めたら多分負けだろう。とりあえず、尻の毛までむしり取られそうな、または既にむしりとられている"悪魔"たちに南無南無と祈りを捧げておく。

 

「では、いつものように復活するまで待たせてもらいますね」

「おう。そなたもいい加減勝手知ったるといった具合よな。死後は良い死神か魔神になれるやもしれぬぞ」

「あ、あはは……」

 呼び戻されるまでひたすらに待つ。

 川を渡っていく人魂の群れに「いってらっしゃい」と声をかけながら、ただひたすらに待ち続ける。

 が、何故かいつもよりも蘇生が遅い。んー?

 どうしたのだろうかと戸惑っていると、老人は思いだしたかのように、「そういえば」と小生の耳を疑うような爆弾を投げかけてきた。

 

「そなたと同じ格好をした連中が6人ほど、同じ世界からやってきたな」

「えっ、どなたですか?」

 前のめりになる小生に対して、老人は顔をしかめて更に返す。

「待て、待て待て。良く考えてみよ。私がニンゲンの名前など知るものかい」

 確かに。日がな夥しい数の死者を川の向こう側へと送っている老人からしてみれば、人間一人一人の素性などいちいち取り沙汰する程価値のある個人情報ではあるまい。彼が名前を知らずとも無理からぬことなのだ。

 

「では、覚えている特徴だけでも……」

「そうさなあ」

 老人が虚空を見上げ、過去を振り返る。

「最初の4人は口を揃えて『おぞましい化け物に捕まった。体を弄くられた。仲間に売られた』と泣き叫んでおった。続く1人はアクマと戦い、殺されたらしいな。そなたのことも知っているようで、生き返らせてやると私が言えば、『この恩は忘れないと伝えてくれ』と言づてを頼まれたわ」

 前者は宮殿に囚われていた同僚たちの誰かである可能性が高い。痛ましい話に胸がはりさけそうだ。

 後者は多分、機動班の内の誰かだと思われる。やはり、先だっての広域通信によって"悪魔"側に所在を掴まれたのは致命的だったのだろうか。

 小生はおずおずと問いかけた。

 

「皆さん、生き返ることはできましたか? "マッカ"は足りましたか?」

 老人は高級そうな白スーツをたわませ腕を組み、顎を撫でながらこれに答える。

「黄泉路から現世へ魂を送り返す場合、魂の重みが重要になる。そなたらの世界で言う"ユウビンキョク"と同じようなものだ。重ければ重いほどコストがかかるというわけだな。発狂した4人は大した器ではなかった。ただ、続く1人はかなりのコストがかかったぞ。あれは恐らく、混沌の化身に好かれる魂の器だ」

 小生はほっと安堵の息を吐く。どうやら"マッカ"不足で蘇生できなかったということはなかったらしい。

 しかし、老人の続ける言葉に小生の淡い希望は打ち砕かれた。

 

「もっとも――、最初の4人はまたこちらへ戻ってきたがな。いわゆる"詰み"の状況だ。甦ってもまたすぐに殺される。これ以上、比羅坂を行き来させても魂が磨耗するだけであるから、三度目の死亡時にはさっさと川を渡らせてしまったわ」

 それで問題なかったろう? と平然とした顔で言う老人に、小生はすぐに返事を返せなかった。

 正直、問題大有りだと彼を詰りたかったが、老人と小生らの間に倫理感のギャップがあることは重々承知している。これはむしろ、救出の遅れた小生らの方に落ち度があった。

 むしろ、二度は生き返らせてくれたことを感謝するべきなのだ。本来ならば、生は一度きり。やり直しなどあり得ない。

 故に小生は老人に礼を述べた。老人は小生の葛藤など気にもしていない風に、「上客とは良い関係を結びたいからな」と声を出して笑う。

 小生は彼の言葉を聞き流しつつ、被せるように更に問うた。

 老人の言を聞く限り、まだ後1人は死亡者がいたはずだ。

 

「あの、残る1人がどうなったのかもお伺いしたいのですが……」

 老人はきょとんと目を見開き、「ああ」と上を向きながら答える。

 

「もう1人か。もう1人は確かなあ、女だった。堕天使に"拠点"を襲撃されたらしい」

「えっ!?」

 拠点と聞いて、小生の心臓が跳ね上がった。

 小生の思いつく限り、女性の言う"拠点"とはトラちゃんさんの作った"箱庭"のことを指しているとしか思えない。

 だが、何故だ。"箱庭"は侵入者を防ぐためにトラちゃんさんが出入り口を封印してしまっていた。彼女の言を信じるならば、歓楽街から攻め入ることは不可能に近いはずだ。

 

「そやつからも言伝を頼まれておった。確か『こちらは何とか持ちこたえてみせます。今は貴方が生き残ることだけに集中して』だったはずだ」

「ゼレーニン中尉だ……」

 この利他的な物言いは彼女の性分と合致する。中尉も殺されてしまったのだ。

 

「冷静な女だった。襲撃を受けた理由についても、思い当たる節があるようだったな。あれは秩序の担い手に好かれる魂の器だろう」

「た、助けにいかなきゃッ――!」

「己で何とかすると言っておるのだ。信じれば良かろう。それに、助けに行ける立場でもあるまいに」

「ああ、そうだった!」

 頭を抱える。

 蘇生が妙に遅いのだ。もしや、年貢の納め時か? いや、このタイミングは待ってほしい。折角命を懸けたというのに、守るべきものが何も守れていない。

 やきもきする小生の耳元に、聞き覚えのある声が届けられた。

 

『戻ってこい、小僧!』

「え、カンバリ様? 何で……」

 予想だにしなかった声に疑問符が飛び回るが、小生の体が現世へと向かい始めたことは確かであった。

 小生はふわりと浮かび上がりながらもバックパックを全開にし、中身をばらばらとぶちまける。

 

「カロンさん! "マッカ"全部あげますから! とにかく、皆を助けてくださいっ」

「お? おお。相も変わらずお人好しよな、そなた」

 老人は目を丸くした後、指で円を描きながら不敵な笑みを浮かべた。

「……毎度あり。"マッカ"の縁が切れぬ限り、私はそなたの味方だよ」

 そして、小生は現世へと戻る。

 

 

 数度、瞬きしてここが死ぬ前に戦っていた拠点前の一区画であることを確認。が、奇妙だ。手近な"悪魔"が軒並み物言わぬ骸と化してしまっており、拠点以外に無事な建物がない。

 皆、廃墟になってしまっているのだ。

 まるで暴虐の嵐が過ぎ去ったかのような光景を目の当たりにし、小生は脳裏でそれを東欧の内戦地と重ね合わせた。理不尽の爪痕という意味合いにおいて、両者は驚くほどの近似性を示している。

 

「ようやっと目覚めたか、小僧!」

「あ、カンバリ様……。一体、何が」

 状況を伺おうとした瞬間、耳をつんざくような爆発音が辺りに轟いた。

 瓦礫が弾丸を思わせる速度で四散し、爆発の始点らしき箇所から一体の"悪魔"が吹き飛んでいく。

 まるでボディペイントでもしているかのように原色で塗りたくられた体を赤い布――、古代ギリシャ風のトーガで身を包んだ銀髪の青年だ。見紛うことなく、あれは先だって小生を殴り殺した"悪魔"であった。

 

(たぶ)れ心と酒を司る神"ディオニュソス"じゃ。魔王にも比肩する歴とした高位悪魔じゃよ」

 だが、とカンバリ様は爆発の始点から目を離そうとしない。

 始点にはもう一体、怖気を催す瘴気と冷気を身に纏い、悠然と佇む"悪魔"が残されていた。

 宝石のように輝く青い髪。いささかエキセントリックな少女らしい服装……。

 

「……えっ?」

 それはトラちゃんさんだった。だが、形相が明らかにおかしい。

 無垢な表情から、感情という感情が失われ、まるでマネキンのような顔つきをしている。

 トラちゃんさんが"ディオニュソス"に向けて細い人差し指を突きつける。

 

『"混沌の海"』

 無機質ではあるものの間違いなくトラちゃんさんが発したと分かる声と、しわがれた老婆の声が同時に響いて聞こえた。

 直後、周囲の空間が圧縮したように暗く歪む。これはいつも彼女が空間を創り出す際に訪れる現象の一つだ。だが、それによって生じる結果がいつもと違った。

 空間が跳ね上がり、揺さぶられ、内にある全ての構造物が破砕される。歓楽街の建物であったものが、有象無象の骸が乾いた砂礫と化すまで砕け散り、その中で"ディオニュソス"の体が四方八方に叩きつけられた。

 どれだけ頑丈なのか、"ディオニュソス"自身に大きなダメージはないようだ。だが、紡ぎ出される言葉は重い。

 

「……これは、酒瓶一つを賭けた余興のつもりが、割に合わぬ依頼を受けてしまったものです」

『――ほざけ。私は呪ってやる。御前という存在を讃える神名が悉く忌み名と化すまで、御前という存在が完全に消滅するまで未来永劫、呪い続けてやる』

 トラちゃんさんが飛び出し、"ディオニュソス"もまたそれを迎え撃った。

 一方が腕を振るう度に周辺の地形がいちいちに変わる。歪み、へこみ、砕け散り、殴り合いが延々と続けられた。

 

「あれが、トラちゃんさんなのですか……?」

 にわかには信じ難い光景であった。

 小生の知るトラちゃんさんは、少し間が抜けているが寛容で、皆に支えられ、笑い合える女神のはずだ。

 だが、今見せている姿は違う。あれは――、

 

「ああいった類を"死神"と言うのじゃ」

 カンバリ様は苦々しげに言う。

 

「あやつ、相当ひねくれた存在であったらしい。確かに生と死を司っておる以上、"そう言った"側面が目覚めたとておかしくはないが、これは……」

「一体何がどうして、こんな状況になったのですか!?」

 小生は混乱の極みにあった。

 死んでいた間に何があったのか。

 この問いに対し、カンバリ様が語る間も惜しいという風に早口で答える。

 

「一言で言えば――、あの女神は発狂しておる」

「……発狂?」

「何のことはない。憎しみの感情が発露しただけじゃ。無論、相対する"ディオニュソス"の奴が狂れ心を司っていることも影響しているのだろうが……。奴が小僧を殴り殺し、女神の蘇生を妨害し、小僧の魂が現世から遠のいた。故に女神が小僧の蘇生を不可能と確信した。それだけじゃ」

「でも、現に小生は復活できていて……」

 小生は夢中で抗論する。もしかすると、小生はトラちゃんさんの中に、あのような負の側面があることを認めたくないのかもしれない。それが尚更に焦りを加速させた。

 だが、カンバリ様は頭を振ってこれに答える。

 

「いや……、お前さんを蘇生したのはこのわしよ。ぎりぎりじゃったがな。有象無象との連戦に次ぐ連戦の中で、運良く破魔の術が蘇生の術へと化けよった。じゃから、女神は小僧が復活したことに気づいてもおらぬし、こちらへ目を向けてもおらぬ。あれは既に諦めておる」

 そう言うカンバリ様の大足の身体は小刻みに震えていた。カンバリ様程の存在から、少なからぬ恐怖の情が漏れ出ているのだ。

 

「そう、あやつはこの滅びの地で顕現した際に掲げた目標を"諦めた"らしい。これは、付く相手を間違えたかのう……」

 激突していた両者が一端離れ、"ディオニュソス"の後ろに"悪魔"の軍勢が姿を現した。"ミトラス"配下の援軍だろう。

 トラちゃんさんは気炎を上らせる"悪魔"の軍勢を呆と見つめ、首を傾げ、そしてを天を仰ぐ。

 

『おぞましくも、遍く全ての生よ――。朽ちて果てろ』

 彼女は続く文言で"マハムドオン"と口にした。

 そして、彼女の身体から生じている漆黒の瘴気が、無数の触手を形作る。

 不気味に蠢く触手であったが、すぐに自らが果たすべき役割を思い出したかのように全方位へ向かって広がっていく。

「う、うわっ!?」

 雪崩を思わせる勢いであった。

 触手は拠点の近辺にいる小生とカンバリ様以外の全ての生を瞬く間に呑み込む。これは空を飛ぶ"悪魔"も例外ではなく、鞭のように伸びた触手に足を絡め取られ、"ハーピー"も"リリム"も触手の海へと引きずりこまれていった。

 方々から上がる断末魔の悲鳴。それも徐々に小さくなっていく。

 やがて触手の動きが大人しくなり、潮のように引いていった。

 後に残されたものはもみくちゃに敷き詰められた無数の死体と、呆気に取られる呪殺耐性持ちの"悪魔"たちのみだ。

 死体を見れば、姿形はそのままに、ただ命だけが刈り取られてしまっている。

 颯爽と現れた雲霞の増援が、たったの一撃で半壊してしまっていた。

 

「これって、黒豚や"マカーブル"が使っていた呪殺……? いや、でも……」

 ――範囲が広すぎる。 

 周辺の生命を刈り取ったトラちゃんさんは、すうと大きく息を吸った。

 それに伴い、刈り取られた"悪魔"たちからエネルギーのようなものが取り出され、彼女のもとへと吸い寄せられていく。

 彼女は一頻りのエネルギーを吸い尽くした後、呪殺に耐えた生き残った残党をじろりと見渡した。

 そして、再び力ある言葉を紡ぐ。

『なれば、次なるは"大冷界"』

 周辺の区画が一瞬にして氷柱に支えられた極寒の空間へと一変する。マハブフーラと同種の異能、だがその威力は桁違いに大きい。

 彼女の呪殺による蹂躙を免れた"悪魔"たちが逃げ腰のまま次々に氷のオブジェと化していった。

 

「これは、忌まわしい……」

 "大冷界"の爆心地で、"ディオニュソス"は舌打ちする。

 どうやら呪殺の影響は受けなかったようだが、その半身が凍り付いてしまっていた。

 "ディオニュソス"は自由を奪われた半身を力任せに動かし、凍りついた箇所と無事な箇所を無理矢理に引き剥がそうとする。

 その様を見て、トラちゃんさんが嘲笑った。

 

『――忌まわしきは御前自身だ。どれ、戒めからの解放を手伝ってやろう』

 再び、トラちゃんさんが"混沌の海"を発動した。

 圧縮された空間の中に投げ出された"ディオニュソス"の半身が膨大な運動エネルギーを受け、無残に砕け散ってしまう。

 片足が千切れ飛び、腕の一本もひしゃげて不具と化した。

「ぬぅっ…!」

 悶え苦しむ"ディオニュソス"をじっと見つめながら、彼女は突きつけた人差し指に無心で力を篭めていく。

 数えて3発目の"混沌の海"。そして4発目。5発目……。

 何が何でも"ディオニュソス"をここで討ち取るという殺意がひしひしとこちらにまで伝わってくる。

 

「……トラちゃんさん」

 小生は考える。

 恐らく。このまま情勢が推移していけば、かなりの確率で敗色濃厚であったこの防衛戦を、我々の勝利という結末で飾ることができるはずだ。

 ならば、小生は助かるだろう。拠点への救援も間に合うかもしれない。

 だが……、駄目だった。

 この状況は、何というか非常にまずい状況な気がするのだ。トラちゃんさんを、"そちら側"へ送ってはならない。これはある種の予感だった。

 

 小生は一歩、トラちゃんさんの方へと歩み寄る。

 途端に襲う、洒落にならない嫌悪感。多分、彼女の発する漆黒の瘴気に生存本能が警鐘を鳴らしているのだ。"マカーブル"など比較にならない拒否反応だった。

「――小僧、危険じゃ。あの瘴気が小僧を絡めとらんという保証はない」

 カンバリ様から制止の声がかかる。

 小生はそれに対して引きつった笑みを返し、そのまま「えいやっ」とトラちゃんさんのもとへと駆け出した。

 これでも足には自信がある。甲子園に出場していた頃には、他校から"真夏の妖精"呼ばわりされるほどの盗塁成功率だったのだ。多分良い意味だと思う。

 近づくたびに、心臓と胃腸が悲鳴をあげた。

 小生の接近に気がついたらしく、トラちゃんさんの周囲を漂う瘴気が独りでに触手へと形を変える。

 そして……、獲物を求めてこちら目掛けて襲い掛かってきた。

 

「ひ、ひえっ」

 小生は辛うじてそれを避け、避け、避け、

「ちょ、ちょっと触手多すぎじゃ!?」

 道を塞ぐ氷柱を囮にくぐり抜け、骸と化した"悪魔"を飛び越え、トラちゃんさんの名を叫ぶ。

「トラちゃんさん!」

 彼女がこちらを振り向いた。能面のような表情に差した一瞬の感情。驚き? 疑い? 感情はまだ死んでいない。あれは間違いなくトラちゃんさんだ。

 カンバリ様は彼女が憎しみに駆られたのだと指摘していた。彼女は現在、激情に身を委ねるままに力を振るい続けている。

 先程は豹変した彼女に対して拒否反応を起こしてしまったが、よくよく考えてみれば生き物ならば誰だって感情の揺れ幅くらい持っているものだろう。人だって、怒るときは怒る。神だって多分同じだ。そして、怒っている、憎しみを抱いている状態が正常値であるとは到底考えられない。

 故に、彼女のためにも力技で正常値へと引き戻すのだ。

 小生は彼女の感情をリセットするべく、大声を張り上げた。

 

「"デブ"りますよ、トラちゃんさん!!」

『は、へ……?』

 一瞬の硬直。小生はさらに畳みかける。

 何故か動きの鈍った瘴気の触手をヘッドスライディングで再びいなし、受身を取りつつまた走る。

「色々食べ散らかしすぎです! 変なもの食べたせいで、黒豚みたいな異能使っちゃってるじゃないですかっ。声までちょっとやさぐれた感じになって! 豚の親分になってしまいますよ!」

『い、いや。これって、スキル変化の結果、で――。ていうか、ヤマダ? 何で生き返れてるの……? 屍鬼になっちゃったの? あ、ていうか――』

「そう言うのは良いですから!」

 触手が完全に停止した。

 五体満足のままに小生はトラちゃんさんのもとへと駆けつけ、彼女が本来的に掲げていた目標を改めて口にする。

 

「大手を振って食べるなら、"トウモロコシ"でしょう! こういうのは、ほんともう良いですから……」

「ヤマダ……」

 蠢く触手が塵と消え、トラちゃんさんの発する声から老婆のそれが遠のいていった。そして、彼女はその場にぺたんとその場に座り込み、自身の両手をじっと見下ろす。

「ほんとに良かった……」

 感情の戻った表情がくしゃくしゃに歪んだ。

 彼女のそんな表情を見て、黄泉路日帰り旅行を繰り返した結果薄れつつある死への忌避感が、再び小生の中にぶり返してくる。

 やはり、そう簡単に死んではならない。死ねば悲しんでくれる者もいるのだ。その一人がトラちゃんさんだった。

 

「トラちゃんさん……」

 志を新たに何か気の利いた一言を言わねばならない、そんな雰囲気だもの。と何か脊髄反射で口にしようとしたところで、

 

「ぐほっ」

 キィンとテトラカーンの反射音が鳴り響く。

 音のする方を見上げると何故か"ディオニュソス"が高々と上空へと吹き飛ばされていた。ん、んんんー……?

 

「いや、苦し紛れの不意打ちを狙っておったのでな」

 小生に続いて駆けつけたカンバリ様のアシストのお陰であった。本当にこの秘神様には頭が上がらない。

 カンバリ様がため息混じりにトラちゃんさんを見る。

 

「女神よ。頼むから、暴走だけは止めてくれ。お主は既に好き勝手に暴れ回って良い立場ではないのだ」

「カンバリ……。うん、ごめん」

 "ディオニュソス"がどさりと落ちてきた。まだ息どころか、意識すらもある。

 人間ならばもう死んでてもおかしくないダメージを負っているというのに……、全く何という頑丈さだろうか。

 ただ、流石にこれ以上の戦闘は厳しいようで、こちらを忌々しげに睨みながらもすぐには動けずにいた。

 故に、小生は"ディオニュソス"の前へと進み出る。

 

「ヤマダ!?」

「おい、小僧よ……」

「いえ、実は事態が急を要していまして……。交渉(トーク)しませんか? えっと、"ディオニュソス"さん」

 今の状態のトラちゃんさんにこれ以上の殺生を重ねさせるのは拙い。

 そういった思いからくる独断であったが、この提案は仲魔たちだけでなく"ディオニュソス"の意表もついてしまったようだ。

 ちぎれていない方の足で身体を支えながら、"ディオニュソス"はこちらを怪訝そうに見上げてくる。

 

「……ニンゲンが、私と?」

「そうです」

 しばしの沈黙。

 やがて"ディオニュソス"はこちらの返答を鼻で笑い、ともすれば卒倒しかねない眼光を向けてきた。

「ならば……、手始めに死んでくださいませんか?」

 どうやら情けか侮蔑と受け取られてしまったらしい。

 いつもならば、失禁していたであろう圧力を受けながらも、小生の括約筋は辛うじて踏みとどまる。

 切羽詰まっている状況と、何度も行き来した黄泉路日帰り旅行が小生の心を強くしているようだ。

 それに、この交渉には勝算もあった。

 

「……貴方も依頼で動いているんですよね? 多分、この土地の"悪魔"からの。酒瓶一つを報酬に」

「む――」

 "ディオニュソス"の発する圧力が弱まった。

 手応えあり、かな? と小生は次に投げかける言葉を吟味する。

 先程彼はこう口にしたのだ。「割に合わない」と。これはワンチャンあるかもしれない。

 小生は更に続けた。

 

「このまま戦って、勝っても負けても野獣と化したトラちゃんさん……、略して野獣さんとの間に遺恨が残りますよ」

「ちょっと何よそのあだ名! 野獣って! アタシはもっとお行儀がいいわよっ!!」

 むきいと何時もの調子を取り戻しつつあるトラちゃんさんの怒声を聞き流しつつ、小生はわざとらしい仕草で首を傾げる。

「……大体酒瓶一つって、何のお酒です? この世に二つとない高級酒とかなんですか?」

 "ディオニュソス"がぼろぼろの風体のままに考え込む。

 

「あの色合いは……、恐らく小麦を蒸留させた酒だったと思いますが」

「ん? ラベルとかありました? ジョニーだかジャックだかそう言う」

「あれは確か……、ジャックと刻印されていたような」

 隊員が持ち込んだ私物じゃねーか。と些か毒気が抜かれつつも、小生は提案する。

 

「だったら、我々もお酒を提供しますから。ここはどうか、退いてもらえないでしょうか。我々は畑を持っていますから、何なら定期的にお酒を造って取引も可能です」

「待った! アタシは嫌よっ。こんな奴に差し出す作物なんてないわ!!」

 顔を真っ赤にして抗議するトラちゃんさんが嫌がる気持ちも理解できるのだが、こればっかりは譲れない。

 彼女の方へと向き直り、小生は物言いたげにじっと見つめた。

 

「な、何よ」

「いや、女神ってどんな存在かなあって」

「女神ですって!? そんなの……」

 女神、の言葉にトラちゃんさんが平坦な胸を張り、細く白い手を胸に当て、ドヤ顔で答えを言う。

 

「このアタシみたいに秩序を重んじて、慈悲深くて何かキラキラしてる存在に決まってるじゃないっ!」

「成る程、慈悲深く……」

「そう、慈悲深く! ……んん?」

 やがて、自身の矛盾に気がついたのか、トラちゃんさんは気恥ずかしげに咳払いをして「話を聞いてあげるわよ」とすぐに折れた。ちょろい。

 再び"ディオニュソス"へと顔を向け、提案に対する返答を待つ。

 彼が再び口を開くまでに1分ばかりの時を要した。正直今も拠点が危機に晒されている可能性がある以上、あまり悠長にもしていられないのだが、和解できるものは和解しておきたい。それは小生らにとっては中立以上の"悪魔"を増やすことに繋がるし、トラちゃんさんにとっても必ずプラスに繋がるはずだ。

 三者の注目を浴びる中、"ディオニュソス"が観念したように息を吐いた。

 

「……分かりました。ならば、手付けとして。あなた方が酒を嗜むという"証"を見せていただきたい」

「"証"、ですか?」

 どういうことだろうか? と目を白黒させているところに彼は更に続ける。

 

「私は狂気と酒を司る神であり、無粋というものを何よりも嫌う。酒を嗜むということは、粋であることと同義なのです。あなた方が交渉するに足る相手であると、証明してみせてください」

 いや、言っていることがちょっと良く分からない。

 粋であることを証明ってどうすればいいのだろうか……。小気味良いジョークでも言えばいいのかな? だが、小生のジョークは内戦地では銃弾の返礼に、"エルブス"号では絶対零度の眼差しに変わった実績がある。

 ここは奇をてらわずに、手持ちのアイテムか物資を提供……。酒が一番なのだろうが、生憎と嗜好品の類は持っていなかった。いや――。

 ふと閃いた思いつきに従い、小生はバックパックから強化プラスチック製の容器を取り出した。それは天辺にストロー状の差し口がついており、中には液体が透けて見える。

 

「これは……?」

「えっと、濃度95%の精製エタノールですね」

 小生が容器の中身を手に垂らしながらそう言うと、

「……馬鹿にしているのですか!? 私でもそれが飲用に作られたものでないことくらい分かります! それを、言うに事欠いて"酒"とッッ!?」

 "ディオニュソス"が激昂した。もし万全の状態であったならば、今頃小生の頭はスイカ割りのスイカのように砕け散っていたことだろう。

 彼が満足に動けないからこそ、小生は続けられる。

 

「……飲用目的に作られたものでないというのは全くその通りなんですが。小生にとってはこれも"お酒"なんです……、よっと」

 と言って、小生はデモニカスーツを操作してバックパック内に装着された飲料水タンクを取り外し、中身を精製エタノールへと置き換える。

 そして、再装着。口元に伸ばしたストローを通じて、エタノールを一気に口に含む。

 途端に感じる、灼けつくような痛み。そう、ただ痛いだけだ。

 ゲホゲホとむせて、涙目になりながらも口の中に広がる強烈な酒精にもんどり打つ。

 

「ちょ、ちょっと! 大丈夫なの!?」

「だ、だだ大丈夫かといわれると。あまり大丈夫ではないのですが……」

 トラちゃんさんに背中を擦られる小生のことを、"ディオニュソス"は冷めた目で見ていた。

 

「何がしたいのですか、貴方は……」

「……これ、学生時代の新入生歓迎会で、上級生が下級生に見せる儀式だったんです」

 "ディオニュソス"が目を細める。

 ひりひりと痛む舌を空気で慰めつつ、小生は往時を思って説明を続けた。

 

「ぶっちゃけ、美味しくなんてないんですけどね。ノリというか、何と言うか……。でも時折無性にこのエタノールが懐かしく感じることがあるんですよ」

「……フム。勢い……、と」

 "ディオニュソス"がおもむろに指を立てた。指先に力を篭めて、何かを生み出そうとしているようだ。

 やがて小さな球体が生まれ、それが徐々に体積を増していく。あれは酒精だ。エタノールそのものを、彼は異能の力で生み出したのである。

 彼は生み出したエタノールの球体を、口の中へと放り込んだ。

 酒精を舌の上で転がし、俯き、独りごちる。

「味わいのない、ただの酒精。だが、その中に人の子が情を抱くと言う。無味の先にあるものは……、"ノスタルジー"……、いや、人の輪そのもの……?」

 ノスタルジーと何度も呟き、"ディオニュソス"ははっと目を見開いた。

 

「エターナルノスタルジー……。ならば、私は"ロンリネス"……!?」

 ん? と一瞬何を言わんとしているのかが分からずに硬直。だがすぐに理解する。というよりも、理解してくれたのだ。彼が。

 酒を酌み交わす相手の存在こそが、何者にも優る酒の肴であると。

「ちょっと何言ってるのこいつ……」

「いや、皆目見当もつかん」

 仲魔の二人からの理解は得られそうになかったが、小生は柔らかく微笑み、"ディオニュソス"に手を差し出した。

「ファイナルファンタジー」

 酒精が回ってきたのか、ちょっとテンションも上がってくる。

「ひ、独りじゃない……、と」

 "ディオニュソス"が涙をほろりと一筋こぼし、小生の手を握った。

 

「ですが、私はダークネス……」

「大丈夫、大丈夫! もう寂しくなんて、ないんですよ!」

「おお…、おお……。酒を酌み交わす相手に……、おお……。先程は何ということを……。貴方という存在は……」

 プライスレス、とお互いの声がハモり、"ディオニュソス"はわんわん声をあげ、小生に抱きついて泣き始める。小生も何だか無性に悲しくなってきた。

 理解できたはずの相手と殺し合った過去が、忌むべき記憶と化したのである。

 横目に映るカンバリ様が小刻みに震えていた。カンバリ様程の存在から、少なからぬ恐怖の情が漏れ出ているのだ。

 

「……ああ、理解したわい。酒飲みの狂気か、これは」

「んー。アタシ、良く分かんない……」

 小生も正直途中から酒と勢いで良く分かんなくなっていったが、手を取り合ってからは"ディオニュソス"、いや"ディオニュソス"さんの態度が嘘のように軟化していった。

 つうと言えばかあといった具合に、終いにはトラちゃんさんの"箱庭"で酒造に勤しみたいとまで言い始める始末である。

 

「えっ? な、何でよ。"ハルパス"もそうだけど、あそこはアタシの"箱庭"なのよ!?」

「ぶどう畑を作る術なら、私も提供できると思うのですが……」

「うっ……。作物……。それなら、けど……」

 トラちゃんさんは頭をがしがしと掻き毟り、自棄鉢になったように宣言した。

「ああ、もう! アタシは完璧な女神だからね! 寛容なんだから、アンタのことも許してあげるっ!」

 どうやら、感情の揺れ幅が完全に何時もの調子を取り戻したようで、小生としても嬉しい限りだった。

 

「トラちゃんさん」

「ん、分かってるわよ」

 メディラマ、と回復の異能をトラちゃんさんが発動する。その対象には自分たちに加え、"ディオニュソス"さんもまた含まれていた。

 

「これは、感謝します……。中米の女神よ」

「そう、アタシ女神だから! 誰よりも優しいから! 特別なんだから!」

 と鼻息を荒くし、何処か照れ隠しでもしているかのように機嫌の悪い振りをするトラちゃんさん。

 

「……ったく、アンタも酒瓶欲しさに"ミトラス"なんかの依頼で軽々しく動くんじゃないわよ。闇に属するものとはいっても、人の子のことだって知らないアンタじゃないでしょうに」

 そんな彼女の言葉に、"ディオニュソス"さんは首を横に振った。

「いえ……、私に依頼してきたのは"ミトラス"ではありませんよ」

「え?」

 一同の思考が停止する。その瞬間のことだった。

 

 

 

「ヴォォォォォォノ!!」

 空高くから拠点の真上に巨大な質量が落ちてくる。

 その衝撃で唯一無事であった建物も崩れ落ち、瓦礫と人々が生活していた痕跡の中で巨大な質量が雄叫びを上げる。

 それは爬虫類の尻尾を持ち、豪奢な深紅のマントをはためかせる、二階建ての建物よりも大きな豚の親玉か何かであった。

 思わずトラちゃんさんを二度見する。

 

「今なんでアタシを見たのよ!」

「い、いや……。先ほど"悪魔"の食べすぎで黒豚の異能を身につけちゃってましたし……」

「あれはただのスキル変化! ああ、もうっ!」

 トラちゃんさんが地団太を踏み、豚の親玉を睨みつける。

 

「魔王"オーカス"!」

 "オーカス"と呼ばれた"悪魔"が答える。

「ヴォォォーノッ! 忌マワシキ女神ヨ! ソノ身ハ闇ニ穢レタカ。穢レタノナラバ、ソレデヨイ。我ハメインディッシュヲ食イニ来タノダ!!」

 言って、"オーカス"がその場でふごふごと鼻を利かせ始めた。その仕草は完全にトリュフ豚であったが、質量と迫力が段違いに大きい。

 

「見ツケタッ! 美味ナルエネルギーノ残リ香をッッ」

 "オーカス"は牙の生えた大きな口を禍々しい形状に歪め、何もない空間へと手持ちの錫杖を突きつける。いや……、何もない空間ではない。

 石突きの先に見慣れた扉が現れつつあった。あれは――。

 

「やば!? "箱庭"の出入り口がこじあけられちゃうわッ」

「え、な、な、何でですか!? トラちゃんさんが外界との出入り口を完全に閉じていたはずなのに……」

「恐らく……、変質した女神の瘴気を手がかりとしたのじゃろう。浄化の力も、瘴気も、その源が同じならば扉を開く鍵に利用できても不思議ではない。少々拙い展開じゃぞ、これは――」

 カンバリ様の推測を耳にした小生は、目の前が真っ暗になるほどの衝撃を受けた。

 彼の推測が確かであるのなら、この"悪魔"の軍勢襲来から"ディオニュソス"さんとの対決に至るまでの流れは全て、トラちゃんさんから瘴気を吐き出させるためにあったのだという理屈になる。

 ようやく足が再生した"ディオニュソス"さんが、ふらふらとその場に立ち上がり、"オーカス"に言葉を投げかけた。

 

「"オーカス"……。もしや、私と戦うことで女神が変質することまで予測していたのですか?」

「狂エル酒ノ神ヨ! 確カニ貴様ノ言ウ通リ、ワレハ貴様ノ敗北マデモ見越シテオッタ。全テハ"アドラメレク"ノ神算鬼謀ニヨルモノダアッ!!」

「まさか、この私が手のひらの上で踊らされていたとは……」

「酒瓶一ツデ快諾シタ分際デ、手ノヒラモ糞モアルモノカ!」

 確かに、と敵ながら思ってしまったことは、傍らで憤る"ディオニュソス"さんには言わないでおく。

 というか、まずい……! 既に隠されていた扉が露にされてしまっていた。明らかに出入りのできる状態だ。"オーカス"も勝利を確信し、「ヴォォォォノ!!」と雄叫びを何度もあげた。

 

「イザ行カン、ワレダケの"パライソ"ヘ!!」

「ま、待ちなさい!!」

「待テト言ワレテ待ツ馬鹿ガ何処ニイル!!」

 と"オーカス"が巨体に比して大分小さなドアノブへと手をかける。そして、静止。

 沈黙。

 硬直。

 

「ん?」

「ヴォォォーーーーーーーーノ!!!」

 怒号とも悲嘆とも判別のつかない、"オーカス"の雄叫びが拠点の周囲に轟いた。

 何が何だか分からなかったが、カンバリ様は"オーカス"の雄叫びに合点がいったようで、

 

「しめた! あやつめ、自分の巨体を計算に入れておらなんだ! 奴が無理やりに扉を拡張せん内に、何とか撃退してしまうぞっ!!」

「え、えええ……?」

 その展開は全く予想できなかった。思わず力が抜けてしまうが、あれも歴とした魔王なのである。

 小生はバックパックから異能の力が篭った石を取り出し、臨戦態勢をとった。

 トラちゃんさんも、カンバリ様も、"ディオニュソス"さんも流れで"オーカス"に立ち向かわんと身構える。

 かくして、小生にとっては初めてとなる魔王との戦いが始まった。

 

「アタシの"箱庭"に手を出さないでっ! ――"大冷界"よ!」

 まず、トラちゃんさんが先だって"悪魔"の軍勢に止めを刺した特大の異能を"オーカス"へとお見舞いする。

「ヴォ、ヴォォーーーーーノ!?」

 再び絶対零度と化した空間の中で、"オーカス"の尻尾が凍りついた。

 だが、致命的なダメージになるまでには至っていない。

 恐らくはベルクマンの法則が影響している。巨体過ぎて、凍結のダメージが通りにくいのである。

 

「ならば、何度も攻撃を当てれば……! トラちゃんさん! トラちゃんさん!?」

 続く攻撃を期待して呼びかけるも、トラちゃんさんから返事はなかった。

 精も根も尽きたかのように、前のめりに倒れてしまっている。何故だ。

 

「……周りからエネルギーを奪わないと、こんな大魔法を連続で使うなんて無理だってことに気がついたわ……」

「ああ、もう!」

 小生は手持ちの石を"オーカス"に投げつける。それはかまいたちのような異能を引き起こす石だったが、生憎と"オーカス"にとって有効打となる属性ではないようであった。

 ならば、と普段使いで好んで投げている電撃を引き起こす石を投げる。

「ヌヌウ……、ヴォォーーノ!」

 これは効果覿面のようで、"オーカス"がたまらず身じろぎする。

 凍り付いた尻尾が痛みにのたうち、元は拠点であった瓦礫の数々が辺りへと弾き飛ばされていった。

 

「追撃を行うぞ。八百万針じゃ、食らえぃっ!」

 続いてカンバリ様が自身の体から無数の針を生み出して、"オーカス"を蜂の巣にせんと次々に発射する。だが、これも"オーカス"の表皮を貫くには至らず、彼の逆鱗に触れただけの結果に終わる。

 

「キサマラ、コトゴトクツブレテシマエッ!!」

 "オーカス"の巨体が天高く舞い上がった。建物大の巨体が砲丸投げの玉のように――、高すぎる。

 あの膨大な体積がため込んだ位置エネルギーが、この後どんな結果をもたらすかなど、火を見るよりも明らかだ。

「ふぎゃっ」

 小生は色を失い、トラちゃんさんを担ぎ上げ、すぐに今いる場所から退避した。

 自慢の俊足をもってしても、ギリギリで回避できるかどうかの瀬戸際といったところだろうか。

 焦りつつも、振り返る。まだ、カンバリ様たちに退避の指示を出していなかった。

 

「カンバリ様、"ディオニュソス"さん!!」

 そして、声をかけてから絶望する。

 カンバリ様は浮遊しながら動くことのできる便利な身体を持っていたが、あまり機敏に動くことができない。

 "ディオニュソス"さんに至っては、先ほどまで足を失っていたばかりだ。

 

「テ、テトラカーンは張れますか!?」

 その問いに、カンバリ様は苦笑いを浮かべつつ答える。

「……流石にもう精神力がガス欠じゃわい。後は任せ――」

 カンバリ様が言い終わらない内に、"オーカス"の巨体が二人を無惨に押し潰した。

 押し潰してしまった。

 

「カ、カンバリ様ぁ!?」

 今まで頼りにしていた仲魔の一人が一撃でやられてしまったことに、正直ショックを隠せない。

 "悪魔"にリカームは効くのだろうか? 効くとしたら、何時まで放置しても大丈夫なのか。どの程度のダメージまでは蘇生できるのか?

 それよりも、まずい。まずい。まずい!

 今、こちらでまともに戦力になるのは小生だけであった。

 次の動作で、トラちゃんさんの精神力を回復させたとしても、"オーカス"に同じ攻撃を繰り返されてしまえば、きっとじり貧に押し切られてしまうだろう。

 控えめに言って、"詰み"の状況であった。

 ほぼ無意識にチャクラドロップを取り出しながら、救いを求めるように辺りを見る。何か起死回生にと使えるものはないだろうか? だが、無い。先ほどの戦いで、辺りにあったものは敵の軍勢も含めて、全てが瓦礫と残骸に変わってしまっていた。

 やばい。やばい。やばい!

「ヴォォォーーーノ!!!」

 再び"オーカス"が天高く飛び上がり、小生らめがけてボディプレスを仕掛けてきた。

 これを必死の猛ダッシュでなんとかしのぎ、回復したトラちゃんさんを立たせ、再び電撃の石を投げつける。

 

「ヌ、ヌゥゥ……!?」

 今は一瞬でも時間を稼ぐことが重要だった。

「ア、アタシは何をしたら……」

「トラちゃんさんは早くカンバリ様たちの蘇生を! 魔王はなるべく小生が引きつけますからっ」

「素直ニ戦力ノ建テ直シを許ストデモ思ウタカ!!」

「ですよねえ!?」

 痛みを押して、"オーカス"が猛然とした勢いで前足を振るった。建物の支柱よりも体積のある前足だ。それに、鋭い鉤爪がついている。

「ヤ、ヤマダ!?」

「まだ……、まだしばらくは大丈夫です!!」

 小生はバックパックから古めかしい鏡を取り出した。

 鏡で巨大な鉤爪を受け止め……、

「ヴォ、ヴォォォォォォノ!!?」

 直後、斬り裂かれた表皮から血を流しながら、"オーカス"が苦悶の内に絶叫する。

 対する小生の身体にダメージはない。

 物反鏡という、テトラカーンと同じ効果を持つ魔鏡がもたらした成果であった。

 探索中に拾いはしたものの、一回こっきりしか使えない上に一つしか持っていなかったことから、バックパックの肥やしになっていたのだ。

 これは秘中の秘。文字通りの切り札であり、もう小生にできることはない。

 足りない脳味噌を必死に回転させ、打開の一手を模索する。

 回復、攻撃、蘇生、回復、攻撃……。

 どう見繕っても手札が足りない。

 気がつけば、小生は悔しさのあまりに唇を噛みきってしまっていた。

 

 戦力が足りなすぎるのだ。小生たちは。

 無力なのだ。人間という存在は。

 ただひたすらに悔しくてたまらない。"悪魔"という人外の存在に蹂躙されるだけの自分たちが。

 悔しさが、諦観と繋がりかけていた。繋がった瞬間、小生の命運はそこで尽きることだろう。

 小生の心が弱気に支配されようとしているところに、トラちゃんの姿がふと目に映った。

 彼女は小生の指示を素直に信じ、必死にカンバリ様たちにリカームをかけようとしている。

 小生は大きく息を吐き、「馬鹿野郎」と自らの頬を思いっきり殴りつけた。

 "バケツ頭"がぐわんぐわんと揺れて反響したが、酔い醒ましには丁度良い。

 そして腹の底から力一杯叫ぶ。

 

「まだ負けてたまるか!」

『良く言った! 感動した!』

「へ……?」

 と崖っぷちに立たされた小生の耳元に予想外の"通信音声"が聞こえてくる。

 直後、デモニカスーツを着た隊員らしき青年が、長柄の槍を持って"オーカス"の懐へと潜り込んでいく。

 そのすぐ後ろを、犬の頭を持った幽霊らしき"悪魔"がひょろひょろと付き従っていた。

 青年が犬頭の"悪魔"に気安い口調で声をかけた。

 

「"イヌガミ"! 援護頼むわっ」

「オォォン!! 任セロ、サマナー。"ラクンダ"ッ!」

 犬頭の口から発せられた波動が、"オーカス"に何らかの効果を与える。

 そして、長柄の槍が一瞬の内に2度の閃きを見せた。 

 

「シャラァッ!」

「ヴォォーーォォノ!!?」

 切っ先による刺突痕、薙ぎ払いによる斬撃痕、それらが巨体に刻み付けられ、さらに槍が大きくしなるほどの膂力をかけた石突による殴打が"オーカス"を大きくのけぞらせた。

 

「す、すごい……」

 どう見ても尋常の腕前ではない。それに、小生は彼の操る槍に全く見覚えがなかった。

 血色に染まった禍々しい大身槍。隊の標準装備にあんなものはなかったはずだ。私物か? いや、待った。

 小生は目を瞬かせ、もう一度彼の背中をじっと見た。

 

 彼は"エルブス"号の隊員ではない。

 "ギガンティック"号の隊員でもない。

 彼は――、調査隊の一号艦である"レッドスプライト"号の乗組員であるはずであった。

 

『"レッドスプライト"コントロール! こちら、機動2班のアンソニーだ! "エルブス"号の乗組員を発見したぜ! 大型の悪魔と交戦中。手近な援軍を遣してくれっ』

『こちら機動1班。俺も彼を視認した。即座に援護を行おう』

 続く通信が立て続けに入り、二人目の隊員が戦場へと乱入してきた。

 小生も顔を見知っている、ブレアという古強者の傭兵だ。

 彼は標準装備のそれとは形状の異なるマシンガンを腰だめに構え、両隣に控えさせていた雪ダルマのような"悪魔"とカボチャ頭の"悪魔"に鋭い口調で指示を飛ばす。

「突撃を開始する。トリガーハッピーだ。アタック! アタック! アタック!」

「ヒーホー! 暴れたい放題だホーっ!」

 駆け回りながらのマシンガン乱射を行う彼の肩に、カボチャ頭がひっしとしがみつきながらもその口から燃え盛る火炎を轟と吐き出した。

「アギラオだホー!」

 彼の後ろをどたどたと走る雪ダルマもまた、雪ダルマらしい異能を発動する。

 こちらは見た目通りの氷結系で、"オーカス"の足元に凍った地面を作り出す。

「ブフーラだホー!」

「ヴォ!? ヴォ、ヴォォォォノ!?」

 氷結した地面に足を取られた"オーカス"が体勢を崩し、驚愕に染まった彼の顔をブレアの放った銃弾とアギラオが強かに打つ。

 じゅうと肉の焦げる匂いが漂う。銃弾は表皮に弾かれてしまったが、どうやら火炎の異能は有効打となりえるらしい。

 悶え苦しむ"オーカス"を見て、ブレアがしてやったりとばかりに鼻で笑う。

 

悪魔分析(デビルアナライズ)進行中。どうやら火炎が弱点属性のようだ。こいつは正規のマシンガンを持ってきたほうが良かったかもしれん……。"ジャックランタン"!!」

「我が世の春がやってきたホー!」

 続けてカボチャ頭が火炎を放ち、"オーカス"の身に纏っていたマントを延焼させた。

 "オーカス"が炎から逃れようと半狂乱になってのた打ち回る。その隙を彼らは見逃さなかった。

 

「COOP! おい、アンソニーも参加しやがれッッ!」

「待てよ、俺は2班だろ!? 全く人遣いが荒いオッサンだな!!」

 彼らとその仲魔たちは、あの巨体を相手に全く臆せず立ち向かっていた。

 不意打ちの混乱から立ち直った"オーカス"から手痛い反撃を食らっても屈しない。ただ愚直に攻撃を重ねていく。

 

「……何であんな前のめりに攻めていけるんだ?」

 小生には理解できなかった。

 銃弾も資材も命も有限で、人間社会から切り離された環境にあって、彼らは一体何を心の支えにして戦っているのか。

 呆然とする小生に、機械音声の通信が入った。

 

『ハロー。ワタシは"レッドスプライト"号の指令コマンド、"アーサー"。当艦、ならびに他艦のあらゆるシステムと連動して行動プランを策定し、あなたたちをサポートする擬似人格タイプの管理プログラムです。"エルブス"号のクルー。情報の提供をお願いします。あなたたちに何があったのですか?』

『え、あ。えっと……』

 突然の質問に小生の思考は真っ白く塗りつぶされた。何から話せばいいのだろうか。彼らは何を知りたがっているのだろうか。

 いや、違う。彼らは仲間だ。ただ、全てを打ち明ければ良い。

 小生は言った。

 

『"エルブス"号所属、インフラ班のヤマダ隊員であります。現在、仲間が宮殿に囚われています! 機動班が宮殿内にて救出ミッションを遂行中。小生は拠点の防衛に努めていました』

 小生の説明に、"アーサー"が間髪入れずに返してきた。

 

『情報の提供をありがとうございます。行動プランの策定、優先順位の設定――。"レッドスプライト"クルーに連絡。これよりメインミッションを発令します』

 "アーサー"が柔らかな機械音声のままに言葉を紡ぐ。立ちはだかる困難を困難とも思っていない、人格プログラムらしい声色であった。

 

『第一ミッション。最重要情報提供者、ヤマダ隊員の保護。第二ミッション。彼の言う"拠点"なるものの防衛。第三ミッション。囚われた隊員の可及的速やかなる救出――、タダノ隊員』

「……えっ?」

 聞けるはずのない苗字を耳にした。

 

『現在機動1班と2班が合同で処理に当たっている大型悪魔の対応に向かってください。あなたが一番近くを探索しています』

『こちら、タダノ隊員。直ちにメインミッションを受領する』

 聞けるとは思っていなかった懐かしい声をも耳にする。

 そして、援軍がやってきた。

 

 

「どっせぇぇぇぇぇい!!」

 蛇の半身を持つ男"悪魔"と赤肌に大柄の角を生やした男"悪魔"が息を切らせながら、"オーカス"に体当たりをぶちかます。

「ヴォォォーーーノ!!!」

 しかし、彼らの攻撃はたいしたダメージにはならなかったようで、怒り狂った"オーカス"に尻尾で薙ぎ払われ、木の葉のように吹き飛んでいった。

 宙を舞う二体の"悪魔"たちは、何故か満ち足りた表情を浮かべている。いや、"何故か"ではない。小生は、彼らが満ち足りた表情を浮かべている理由に察しがついてしまっていた。

 

「へ、へへ……。ようやく休憩ができるぜ」

「休みのことを考えているようでは、まだ心に余裕がある証拠だな」

「ヒ、ヒエエ!?」

 駆けつけた男性の言葉に、地面に崩れ落ちた二体の"悪魔"が即座に立ち上がりながら悲鳴をあげた。

 どうやら小生の予想は当たっているようだ。

 

 駆けつけた男性を、小生は見る。

 すらりとした長身。クォーターらしき彫りの深い顔かたちに、生真面目な表情。そして体育会系の思考回路。

 小生は呆れつつも、嬉しくなって上機嫌に声をかけた。

「……こんな地で、"悪魔"相手に何やってるんですか」

「新入部員は少し荒っぽくしごかないと使い物にならんだろう。まあ、敵の相性も悪いか。帰還してよし!」

 男性が、高校時代を思わせる生真面目な口調で"悪魔"たちに命じ、ハンドヘルドコンピュータを操作する。

 二体の"悪魔"がほっと安堵の息を吐きながら粒子に変わっていく姿は、小生にとってはまさしく青春時代の再現そのものであった。

 ここまでくれば夢幻ではありえない。

 彼は、間違いなくタダノ君だ。高校時代に自分とバッテリーを組んでいたはずの。

 だが、彼の名前が隊員名簿になかったことが気にかかった。

 

「どうしてシュバルツバースに……?」

「ん、国連の指名で駆け込みの参加が決まったんだ。まあ、間に合って良かったよ。本当に」

 大したことではないといった風に流し、そのまま彼は召喚プログラムを起動させる。

 そう、いつも彼は大それたことを何食わぬ顔で仕出かす男なのだ。

 

「――召喚。"ハイピクシー"、"ドワーフ"、"シーサー"」

 続いて三体の"悪魔"が彼の周囲に出現する。

 

「ちょっと! ライドウちゃんに負けない活躍をするのよ! ヒトナリ!」

「ご先祖様と比べないでくれ」

 まずは羽根の生えた小さな少女が一体。随分と気安い様子で語り合っている。

「こりゃ、ヒトナリ! 老骨に鞭打たず、若いもんを使わんかい」

「すいませんが、緊急時ですから」

 金槌を持った小柄な老人が一体。やはり確かな絆が透けて見える。

「ワオオオン! オレサマ、ハラヘッタ! ニクノイチバンイイトコロヲショモウスル!!」

「あそこででかい肉が暴れまわってるぞ」

「アオン!! コンガリマルヤキ、ハライッパイニククイタイ!!」

「そうか、腹壊さない程度に頑張れ」

 三体目は沖縄でお土産として売られているシーサーそのものだった。だが、何処かタダノ君の家で飼われていた犬を髣髴させるところがある。

 タダノ君がピストル型の銃を構えた。やはり正規のものではない。もしや自力で製造をしているのだろうか。

 呆気に取られる小生のことを、タダノ君はちらりと見る。

 

「ヤマダ、お前戦えるのか?」

 その眼差しはトラちゃんさんに向けられていた。彼女はカンバリ様たちの蘇生に専念して駆け回っている。

 

「あ、はい。戦えます……、けど。まずは仲魔を蘇生したくて」

「分かった。好きなタイミングで援護に入ってくれ。それでは戦闘を開始する」

 その言葉を皮切りに、ピストルの銃口が火を噴いた。

 銃撃の直後に駆け出す見慣れた背中を見て、小生は心の底から安堵する。

 こんな滅びの地にあって外界の"戦友"と出会えたことは、小生を襲った数々の困難を一瞬忘れさせてくれるほど何よりも嬉しいことであった。

 

 




【悪魔全書】
名前  トラソルテオトル(分霊)
種族 死神
属性 DARK―NEUTRAL
Lv 35
HP 348
MP 146
力 26
体 30
魔 24
速 29
運 20

耐性
氷結 吸
破魔 耐
呪殺 無

スキル
大冷界 混沌の海 メディラマ リカーム マハムドオン 勝利のチャクラ


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シュバルツバースで魔王と激戦

もうちょい書き進んだのですが、きりが悪いので前後に分けます。


 タダノ君の戦いぶりは、まさに百戦錬磨と呼ぶ他に適した言葉が見つからないほど洗練されたものであった。

「ヴォォノ! ヴォノ! ヴォノ! ヴォナペティッ!!」

 まず、彼は他の"レッドスプライト"クルーをはねとばした"オーカス"の突撃を、裏回りするようにして回避する。

「ヌゥゥ、小癪ナッ!!」

 さらに横薙ぎに払われた尻尾の一撃を、尻尾それ自体を踏み台にして、高々と跳躍することで回避して見せた。端から見ても超人然とした身のこなしに、小生は呆気にとられつつもその身を案じて叫ぶ。

 

「タダノ君!」

「心配――、するなッ」

 そして空中で不安定な体勢を取りながらも、彼はピストルの銃口を"オーカス"の前足へと向けた。

 乾いた音が響きわたり、"オーカス"の関節部に弾痕が複数刻まれる。

 どうやら、肉厚の表皮も関節まではカバーし切れていないようだ。

 動きの鈍った"オーカス"の巨体をタダノ君は蹴り飛ばし、その反動で素早く着地する。

 まるでおとぎ話にあるような一寸法師の冒険活劇が、目の前で現実に展開されているかのようであった。

 

「援護する!」

 反撃のダメージから立ち直ったアンソニーとブレアが"オーカス"の側面から同時攻撃を仕掛ける。彼らに対し、タダノ君は「助かる」と生真面目な顔のまま礼を返し、続く言葉で仲魔に指示を下していく。

 

「今の内だ。"ハイピクシー"、タルカジャを頼む」

「任せておきなさいっ!」

 羽根の生えた小さな妖精が、タダノ君たちに何らかの加護を与える。

「爺さん、チャージをお願いします」

「分かっておる……、わい!」

 気安く呼ばれた"ドワーフ"が、自分の背丈ほどもある金槌を肩掛けに構え、二の腕を一回り太くさせた。

「"シーサー"、溶解ブレス」

「オオン! ニクハヤワラカメニスルトイイッ!!」

 さらに"シーサー"が口から豪快に強酸性らしき霧を吐き出す。

「ヴォォォノッッ!?」

 これをアンソニーたちに執拗な足止めを受けていた"オーカス"は回避することができない。酸性の霧をまともに浴びてしまった頑丈な表皮が、瞬く間に溶けて柔らかくなっていった。

 

「くぉらっ、タダノ! 俺らを巻き込むなッ」

「悪い、この埋め合わせは働きで返す」

 運悪く霧の範囲に巻き込まれてしまったアンソニーの罵声が響く中、タダノ君はバックパックに収納されていた両刃の剣を取り出す。

 そして、仲魔に一斉攻撃を命じた。

 

「速攻陣形……。総攻撃だ!」

「悪くない判断ね、ヒトナリ。まずは、私のマハジオよ!」

 妖精が指先を起点にした広範囲の電撃を周囲にまき散らした。

「ヴォ、ヴォ、ヴォォォォォォノッ!?」

 全身に走る電撃に硬直した"オーカス"の懐に妖精以外の2人と1体が潜り込む。

 

「チャンスを活かせ、COOP!」

 "シーサー"が"オーカス"の後ろ足一本に深い噛み傷を付け、残る一本をタダノ君が両刃の剣で2割ほどの深さまで断ち切った。

 さらに、"ドワーフ"がショルダータックルで巨体を無理矢理にかち上げる。そして、

「これが、わしの渾身脳天割りじゃい!」

 続く動作で飛び上がった"ドワーフ"が、かち上がった"オーカス"の頭部に金槌を強かに叩きつける。

 まるで交通事故が起きたかのような音がして、"オーカス"の頭が地べたに沈んだ。

 "オーカス"の首筋が無防備に露出する。そこに、"シーサー"の牙が深々と突き立てられた。

「オレサマノ、ジオンガ!!」

 突き立てられた牙から高出力の電撃を体内に流し込まれ、"オーカス"の巨体が声もなく痙攣した。

「COOP!!」

「任せておいて!」

 更に、"シーサー"以外の3人が追撃を仕掛ける。

 息を吐く暇もない連携だ。電撃の火花が空気中で弾け、金槌が旋風を巻き起こし、鋭利な爪と牙が弱体化した巨体を切り刻む。

 小生は目の前で行われている戦闘の異質さに、渇いた喉をゴクリと鳴らした。

 

「何だ、これ……」

 はっきり言って、タダノ君たちの戦いぶりは異常だ。

 共闘しているアンソニーの槍捌きも、ブレアの指揮能力も、小生からしてみれば尋常ならざるものではあった。

 だが、タダノ君はそれらからも頭一つ抜けてしまっている。

 本人の強さは勿論のことだが仲魔たちもさるもので、あれは単純に実力があるというだけでは説明がつかない。

 一体一体が操る異能を見るに、多分彼らはトラちゃんさんよりも大分格が落ちる存在のはずだ。

 もしかすると強いのではなく、"上手い"というのが正しい表現なのかもしれない。

 彼らの活躍は存在としての格よりもむしろ、明らかに人と"悪魔"の連携に裏付けられていた。

 

「アイツら、すごいのね……」

 とトラちゃんさんが小生の傍に来て言う。どうやらカンバリ様たちは無事に蘇生ができたようで、息絶え絶えではあったが、彼女の後ろに付き従っていた。満身創痍ではあるものの、健在な姿に心底ほっとさせられる。

 

「はい。学生時代の友人なんですが……。びっくりしました。自衛官として戦闘経験があるはずなので、もしかしたらそれが強さの秘訣かもしれません」

 小生がそう指摘するも、トラちゃんさんは眉根を寄せたまま解せないといった表情でこぼした。

「そういう経験もあるんでしょうけど……、それよりアタシの知ってる古い"女神"の匂いがする。頭を垂れる実りの、麦穂の匂いが。アイツら多分1度か2度は死んだ経験があるし、見た目通りの時間も過ごしてないわよ」

「えっ? タダノ君が死んで……?」

「アンタも何度か死んでるんだし、ありえなくはないでしょ」

 思わず目を丸くしたが、彼女の指摘にそれもそうだと思い直す。このシュバルツバースでは外界の常識は通じない。つまるところはそういうことなのだろう。

 小生が仰天しているところで、終始押されていた"オーカス"の動きが変化した。

 

「ヴォォォォォォォォォォォォォォォッッ!!!!!」

 と天を割りかねない雄叫びをあげ、錫杖を放り捨て、前足を獣のように扱って縦横無尽に駆け回り始めたのである。

 そしてこれが凄まじく疾く、強い。

「ヤッ、ベェ……!!?」

 "オーカス"の突進をいなしそこねたアンソニーが衝撃を直に受けて、少なくとも50メートルは吹き飛ばされた。上手く受け身はとっているようだが、すぐに動けるダメージではないようだ。

「ぐ、ぅぅぅっ……」

 ブレアもまた、"オーカス"の牙にかち上げられて、天高くへと放り投げられた。これも直撃は免れたものの、致命傷にも至りかねない大ダメージには違いない。

 蒸気のような吐息を吐き出し、"オーカス"は狙いを地上の仲魔たちへと切り替える。

 

「ヒ、ヒホッ――!?」

 "オーカス"が大口を開け、そのままブレアの仲魔に食らいついた。まず、雪だるまが為す術もなく一呑みにされ、次にカボチャ頭がマントだけを残して齧りとられた。

 "オーカス"がこちらの仲魔を咀嚼しながら、次なる獲物を捜し求める。彼の体に刻みつけられていた傷が見る間に修復されていった。もしや、不死身の肉体を持っているのか。

 

「まずい、アイツ食らったアクマをエネルギーに変えてる……!」

「それって、トラちゃんさんと同じ?」

「甚だ遺憾だけど、その通りよ!」

 "オーカス"がまた吠える。しかし次は先程とは様子が異なり、吠えた上空に渦巻く空間が形成された。

 その中心部から現れる黒豚。まさか"悪魔"が"悪魔"を召喚したのか。

「嘘、そんなの有りっ!?」

 トラちゃんさんが驚愕の声をあげる中、召喚された黒豚が空より落ちてくる。

 その真下では"オーカス"が大口を開けていた。

 

「プ、プギッ!?」

「ワレノ糧ニナレッッ!!」

 事情も分からず混乱する黒豚を、"オーカス"は容赦なく一呑みにする。

 まるで水鳥が小魚を食らうが如き、動作であった。喉を鳴らし、胃へ無理矢理に獲物を押し込む。

 そして、"オーカス"の身体に刻まれた傷がさらに癒されていった。最早目に見える外傷はない。

 

「待って。ちょっと待って。あんなのズルでしょ、ズルすぎるわっ!!」

「ど、どどどうしましょう。トラちゃんさん!?」

 いくらタダノ君たちが強いと言っても、こんなふざけた能力を持った相手が敵となれば話は別だ。

 相手の回復を上回る勢いで、攻撃を続けるか? いや、たとえ小生たちが手伝ったとしても、押し切るほどのダメージを叩き出すというのは現実的ではないだろう。ここはトラちゃんさんに強力な異能を連発してもらいたいところだが、小生が溜め込んでいた精神力回復用のチャクラドロップも、残り少なかった。

 カンバリ様もディオニュソスさんも蘇生したばかりで直接戦闘に耐えうる状態ではない。アンソニーもブレアも同様だ。

 どうする? 一体どう打開すればいい――?

 垣間見えていた希望に、再びピンチという名の絶望の帳が下ろされていく。 

 その中にあって、タダノ君は唯一打開の一手を諦めてはいなかった。

 

 

「――ヤマダ!!」

 自分たちの勝利を欠片も疑っていないという風に、彼は声をかけてくる。

「な、何でしょう!!?」

「指揮は任せた。何か上手く作戦を組んでくれ!」

「え、ええっ!?」

 いきなり何を言い出すのか。仰天する小生を説き伏せるように、タダノ君は続けた。

 

「お前、得意だろ! ピッチャーやキャッチャーの癖を読みとるの! 声掛けだけで良い、奴が何をするのかだけでも読みとってくれ!!」

「そ、そんなことを言われても……!」

 野球と戦闘では勝手が違うというのに。小生は頭を抱えるが、確かに現状敵の攻撃を先読みするくらいにしか活路はなさそうであった。

 小生は考える。戦術の基本は相手の得意パターンを封じてしまうことだ。少なくとも野球ではそうだった。

 小生は更に考え、トラちゃんさんに呼びかける。

 

「ト、トラちゃんさん!」

「な、何っ?」

「また殺生をすることになって、さっきみたいなことにはなりませんか!?」

 この"オーカス"戦の鍵は、恐らくトラちゃんさんの特性にあった。これを生かせなければ活路はない。

 トラちゃんさんは少し不安そうに俯き、すぐに首肯した。

 

「多分、大丈夫。もう憎しみには囚われていないから……」

「分かりました! 待機してくださいっ。カンバリ様も、ディオニュソスさんもっ!」

 3人が了解の返答とともに、戦闘態勢をとる。

 小生はなけなしのチャクラドロップを取り出し、タダノ君へと声をかけた。

 

「まず様子見ます! じっくり腰を据えてやりましょうっ。"しまっていこう"!!」

 こちらの呼びかけに、タダノ君は目を細めて笑う。

「久しぶりの、"しまっていこう"だな。はっきり言って、やはり負ける気がしない(・・・・・・・・・・・)

 "オーカス"は既に完全回復を果たしていた。相手は万全の状態で、こちらは戦闘不能を2名と2体出している。状況としてはかなり悪い。かなり悪いが、覆すしかない。臓腑がずんと重たくなった心地がした。

 小生は叫ぶ。

 

「まず、遠距離から電撃を!」

 こちらの指示に従い、妖精と"シーサー"が電撃の異能を浴びせかけた。小生はその趨勢をただ観察する。

 タダノ君もまた、異能の籠もった石による電撃支援を行うようだ。

与死球(デッドボール)を気にしなくて良いのは気楽で……、ほんと良いな!」

 左投げの流れるようなアンダースロー。コントロールに難こそあるものの、高校時代には143キロのアベレージを誇っていた直球だ。デモニカの強化を受けたタダノ君の直球は、すくいあげるように400キロにまでたちまち増速し、球速のもたらす破壊力によって"オーカス"の鼻頭をぐしゃりと潰した。そして、電撃をまき散らす。

 

「ヴォァッッ!? オ、オノォォレェェエエ!!」

 "オーカス"が手足に力を籠めた。ただ、その素振りは既に見ている。

「多分、アイツ宙に飛びます! できるだけまとまらず、散開でッッ」

 小生に言われるがままに、タダノ君と仲魔たちが散らばっていった。そして、予想通り"オーカス"が先だっての押し潰し攻撃をせんがために宙を舞う。

 

「おい、ヤマダの方へ行ったぞ!」

「大丈夫。落下位置の予測で小生がしくじるはずがありません! これは分かっていました(・・・・・・・・・・・)!」

 大体にして、"オーカス"の知恵が回ることは既に承知していたのだ。戦力の建て直しを防ごうとする程度には。ならば、明らかに声掛けをする司令塔を狙わんとするのは、当たり前すぎる帰結であった。

 

「ふんぬう!」

 小生は手に持ったチャクラドロップを放り投げ、全力で落下位置から距離を取るべく駆け出した。巨体がすぐ頭上にまで迫っている。予測できているのと、それを避けられるかどうかは全くの別問題だ。ここからが勝負。腹が痛くてたまらない。それに、急な酷使にさらされたふくらはぎも。

 巨体がすぐそこにまで落ちてきていた。

 目測をした限りでは、避けられる。いや、避けられない。ぎりぎりの瀬戸際といったところだろう。ならば、

 

「おおおッ」

 小生は寸前のところでヘッドスライディングの体勢を取った。地面に対して低い姿勢になることにはタッチアウトまでの猶予を稼ぐことができるという効果がある。

 これは、フライングボディプレスを避ける時だって同じことだろう。

 野球の試合と同じ要領で、しかし失敗イコール即死の重大なプレッシャーにさらされる中、小生の選択は辛うじて自身の命を拾い取ることに繋がった。

 すぐ横に大質量が着地し、ずんと大地が重く揺れる。

 かくして圧死を免れたわけだが、ここでほっとしてはいられない。

 

「チョコザイナッ!!」

 そう、先ほどと同様に鉤爪がやってくるはずなのだ。はっきり言って、これを回避できるかは五分五分だった。最悪、死にかけても後で回復すれば良いと腹をくくってすらいたのだが――。

「やらせませんよ!」

 ディオニュソスさんが、小生と"オーカス"の間に割って入った。

 原色の身体が鉤爪に引き裂かれ、せっかく回復した足が再び千切れ飛ぶ。

 

「ディオニュソスさん!?」

「ぬ、う……! しかし、強敵に太刀打ちできるスキルを持っていないのです、私は!」

 だから、身代わりになると言わんばかりの口調であった。申し訳なくてたまらない。

 予定外の行動ではあったが、助かった。いや、助けられた。

 

「皆さん、距離を取って再び電撃を!」

 "オーカス"の巨体が再び電撃の雨に晒される。

「ね、ねえ、ヤマダ! ちょっとヤマダ!? アタシの、アタシの出番はまだなの!?」

「もうちょいです! 秘密兵器ですよ、秘密兵器!」

 焦れったそうに叫ぶトラちゃんさんにそう返して、"オーカス"の挙動を観察する。今の彼は慢心せずに、形振り構っていない状態であった。当然、生存本能を刺激されれば、その欲求に素直に従う。

 

「ヌゥゥゥ、糧ヨ。来イッ!!」

 再び、"オーカス"の頭上で空間が歪み、黒豚が事情も分からず降ってきた。

 予想と行動が噛み合ったのである。小生は思わず握り拳を固めた。

 

「トラちゃんさん、今です!」

「え、何が!?」

「あの黒豚、先にトラちゃんさんが食べてください!!」

「ハア!?」

 素っ頓狂な声をあげるトラちゃんさんであったが、すぐに不満そうな顔をしながらも、「大冷界!」と黒豚を氷のオブジェへと変える。

 当然ながら、黒豚の持っていたエネルギーはトラちゃんさんへと吸収され、"オーカス"は回復できず仕舞いに終わった。

 

「バカナッ、ワレノ糧ダゾ!!?」

「アタシだって、こんなみっともないことしたくないわよ!!」

「食イ物ノ恨ミ、晴ラサデオルベキカァッ!!」

 半狂乱になった"オーカス"がトラちゃんさんめがけて突進を開始する。

 予想の的中に次ぐ的中。

 ようやっと、勝ち筋を掴み取った瞬間であった。

 

「カンバリ様、頼みます!!」

「残り少ないアイテムを投げつけ、わしの精神力をこっそりと回復したのは、こういうことじゃったか……、相分かった。テトラカーンじゃ!」

 恨み骨髄の突進は、恐らく全力が籠められていたはずだ。そして、その威力は確実に単純なボディプレスよりも上だろう。

 猪突猛進という言葉があるが、体当たりという攻撃はすぐに威力を弱められるような攻撃手段ではない。

 物理反射を狙うなら、この機を狙うより他になかった。

 

「ひゃ、ひゃん!?」

 両手で体をかばうようにのけぞっていたトラちゃんさんと、巨大な質量がぶつかり合う。

 表皮が揺れて、脂肪と筋肉が波打ち、衝突の瞬間に反転した運動エネルギーが、"オーカス"の体をゴム鞠のように変形させる。直後、

 

「プ、プギィィィィッ!!?」

 悲鳴を伴い巨体が跳ね飛んだ。バウンドのたびに瓦礫が土煙を伴って吹き上がり、大地には深い轍が刻まれる。

 10メートル、20メートル、100メートル……。やはり、とんでもないインパクトであったようだ。

 バウンドした巨体はやがてゴロの挙動で転がるようになり、

「コ、コレハ……」

 ようやく運動エネルギーが弱まって、受け身を取ることのできた"オーカス"が息も絶え絶えにそう驚愕した。

 こんなはずではなかった、と言いたげな困惑の相を見せている。

 ならば、こんなはずとは一体どんなはずなのか?

 

 それは恐らく、確約された蹂躙を反故にされたことによる困惑であった。

 小生は考える。時は有限ではない。一瞬の内に、ありったけの思考を巡らせる。

 先ほど彼は「美味ナルエネルギー」を求めてこの地にやってきたと豪語していた。

 つまりそれは食欲に基づく行動だ。そして、彼は今までの戦闘を鑑みるに強い生存本能をも持ち合わせている。

 今はちょうど食欲と生存本能がせめぎあっている状態だろう。いや、憎悪もそこに入るか。

 

「オノレ、オノレ、オノレ!! ニンゲンドモは何処マデモ我ノ食欲ヲ邪魔スル! コノ地球ヲ食イ潰シテモ尚……!!! カクナル上ハ――、ア?」

 だが、ここで駄目押しの止めを刺す。

 小生らの中でたった一人が、跳ねる巨体を追い、轍を蹴り、凍りつく"オーカス"の胸元にまで飛び込んでいた。

 タダノ君だ。

 

「貴様――」

『いい加減にけりをつけさせてもらう』

 タダノ君が両刃の剣で"オーカス"の胸元を十文字に切り裂いた。

 けれども、止めとしてはまだ浅い。が、問題もない。

 

 小生の人生訓において、ピンチとはチャンスに相転移できるものとして認識されていた。

 そして、どんなに僅かなチャンスであっても必ず拾い取る、無理矢理にでも掴み取る存在をヒーローと呼ぶ。

 小生にとって、ヒーローとはタダノ君であることと同義だった。

 彼という人間は、ここぞという時の勝ち方を誰よりも深く理解しているのである。

 

『お前、"シーサー"の攻撃が一番効いていたろ。ちゃんと、見ていたぞ』

 彼は生真面目な表情のままに、バックパックから電撃の石を取り出して、そのまま"オーカス"の傷口へと石を握った拳ごと深く差し込んだ。

『発動しろ、ジオンガ!』

 直後、"オーカス"の身体が痙攣する。

 鼻と口から黒煙が吐き出され、声も出せずにただ悶え苦しむ。

 

『それ、もう一つだ!』

 引き抜いた手に再び石を握って"オーカス"の肉体深くへと拳を突き入れ、電撃を発動する。

 "オーカス"が――恐らく意識のない状態で――迫り来る死から逃れるために、タダノ君を振り落とそうとした。だが、タダノ君は突き刺した腕を支えにしがみつき、"オーカス"の首目掛けてピストルを乱射する。肉薄した射撃だ。当たらぬはずがない。

 "オーカス"がもがき、タダノ君が追い討ちをかける。"オーカス"がもがき、タダノ君が追い討ちをかける。

 右にもがけば右を撃ち、左にもがけば左を撃つ。

 目の前で繰り広げられている光景は、さながら"悪魔"と人間の生存競争そのものであった。

 

 このまま行けば、ここで"オーカス"は討ち取れたであろう。強者である"悪魔"に対し、下克上を為せたに違いあるまい。

 だが――、この期に及んで運命が小生らを呪った。

 タダノ君がしがみついていた胸元の肉が、本体から引き千切れてしまったのである。

 

「タダノ君っ!?」

 振り飛ばされたタダノ君の腕は黒く焦げてしまっていた。掴んでいた"オーカス"の肉もまた同様だ。

 炭化した箇所が脆くなっていたことが、"オーカス"の命を救ってしまったのである。

 "オーカス"は口から涎を垂らし、白濁した眼からどす黒い血を流しながら、無我夢中で逃走を始めた。

 

『待て!』

『いや、これで良いです!!』

 追撃しようとするタダノ君を小生は慌てて引き留める。

 討ち取れなかったことは口惜しかったが、それでも敵の撃退という当初の目的は達成できていた。

 ならば、今は他にもっと優先すべきことがある。

 小生は言った。

『追撃は要らないですッ。むしろ、できません! 余裕がありませんッッ! それより戦闘不能者の回復をしないと……』

 未だアンソニーもブレアも先ほどの攻撃を食らってから、立ち上がれていなかった。意識があるのかも分からない。意識がないのならば、呼吸が止まっている可能性すらある。そう、時間はないのだ。

 

『だが、逃亡する振りの可能性も……』

 それでもタダノ君は迷っていたが、流石に優先順位を間違うほど興奮してはいないようで、すぐに「分かった」と頷き、アンソニーのもとへと"ハイピクシー"と一緒に向かった。

 その隙に、"オーカス"は歓楽街の彼方へと消えていく。

 もう逃走が"振り"である危険もないだろう。終始だまし討ちを警戒していたタダノ君も、エネミーアピアランスの表示が安全を指し示すようになったことで、ようやく安堵の息を吐いた。

 小生もまたもう一人の応急処置へと向かうべく、トラちゃんさんへと声をかける。

 

「トラちゃんさん。あそこの隊員、ブレアさんに回復の異能を……」

「分かったわ!」

 トラちゃんさんが駆け出していく後ろを、小生は足を引きずりながらついていった。ちょっと、"オーカス"との戦いで飛んだり跳ねたりを繰り返しすぎたかもしれない。

 

『アンソニー隊員、無事か?』

 タダノ君はアンソニーのもとへたどり着き、その会話が通信機越しにもたらされた。

『……無事なわけがあるもんか。くっそ。痛ぇ……。やっぱ銃で戦うべきだったな。そっちのがかっこいいし。タダノ、あのデカブツは?』

『敗走した。俺たちの勝利だ』

『……待て、本当に逃げたのか? 騙し討ちの可能性は?』

『少なくとも、もうデモニカに反応はない』

 通信機越しに聞こえるアンソニーの呼吸は荒かった。ダメージが呼吸器にまで及んでいるのかもしれない。

 

『待ってろ。魔石とメディアで応急処置する』

『いや、待ってくれ。俺の傷はそれじゃ癒されないだろう。それよりも、ヤマダ隊員のとこにいるカワイコちゃんの回復を受けたい……。何あれ、悪魔にもあんな可愛い娘いるの? 俺、悪魔にホレちまったかも』

 タダノ君とアンソニーの間で空気が凍った。彼らは一体何をやっているのか。

 そのやりとりにアンソニーの傍にふよふよと浮いていた"悪魔"が呆れたように口を挟んでいた。

 

『え、俺死ぬの!?』

 ……一体何を言われたらそんな反応に?

 アンソニーたちの掛け合い漫才が少し気になったが、ここは聞き流しておくことにする。

 とにかく、こうした漫才ができるのはお互いに生きているからだ。本当に、良かった。これ以上被害が拡大しなくて。

 小生もブレアのもとへとたどり着く。

 傍らに座り込んだトラちゃんさんの回復が効いているようだからまだ死んではいないのだろう。ただ、完全回復には時間がかかりそうだ。

 小生もトラちゃんさんと同じく座り込み、ブレアの負傷箇所を注意深く見ていく。

 怪我に関しては異能で何とかなりそうだが、デモニカスーツが大きく破損してしまっているのが気にかかった。

 肌が外気に触れてしまっており、このまま放置するとどんな悪影響があるか分かったものではない。

 小生はバックパックからダクトテープを取り出し、ブレアに一言断りを入れた。

 

「痛かったら、すいません」

「……いや、大丈夫だ。そこの彼女のお陰でもうほとんど痛みはない」

「意識あったんですね」

 破損箇所をぐるぐる巻きに修復しながら小生が言うと、ブレアは物理的ではない苦痛に顔を歪めた。

 

「仲魔が殺されて、おめおめと気絶できるほど薄情じゃないからな」

「ああ……」

 ちらりと彼の仲魔であったはずの残骸へと目をやる。

 

「トラちゃんさん。彼らの蘇生は、できますか?」

「ごめん、ちょっと無理。あれはもう死んじゃってて、魂がここにいないから」

 やはり、万能と思われた蘇生にも限度があるのだ。俯いて何も言えなくなった小生の肩を、ブレアがぽんと叩いてきた。

 

「俺を、ちょっと立たせてもらえるか」

「え、あっ。はい」

 仲魔を弔いに行きたいのだろうか。ブレアに肩を貸し、残骸のある場所へと向かう。

 ブレアは険しい表情のままに残骸のあった箇所を丹念にかきわけて、やがて奇妙な物体を二つ摘み取った。

 ブレアの表情がふっと緩む。 

 

「……残っていてくれたか。お前たち」

「それは……?」

「"デビルソース"だ。悪魔の遺伝子とでも言うべきかな。こいつらが言うには、絆の繋がった相手のもとに残される、ないしは渡されるものらしい。悪魔は皆同じように見えて、一体一体が個性を持っていることもある。とにかく確かなことは、これさえあれば再び俺の知る"あいつら"と出会えるってことだ。本当に……、良かった……」

 ブレアは涙ぐんでいた。相棒とでも言うべき存在と二度と出会えぬ憂き目に遭いかけていたのだから、彼の反応は当たり前だ。

 小生は"デビルソース"という物体の存在を深く脳裏に刻み付けた。先程、小生はカンバリ様たちを死なせかけてしまっている。彼らをそんな形で失うだなんて、冗談じゃない。

 一通りの手当てが済んだところで、"レッドスプライト"の"アーサー"から通信がやってきた。

 

『クルーの皆さん。無事に第1ミッションを達成できたようですね。随時、補給と回復を行い、ヤマダ隊員を当艦へ護送。引き続き第2ミッションに取り掛かってください』

「あのポンコツAI。こちらの苦労を何も分かっていないんだ」

 とブレアが呆れたように肩を竦める。こちらとしては他艦のAIの悪口を言える立場でもないため、苦笑いを浮かべて「そうなんですか」と聞き役に徹することにした。

 

「苦労はさておき、ヤマダの保護は最優先に違いない」

 そこにやってきたタダノ君が言う。

 後ろには彼の仲魔とアンソニーが控えていた。

 アンソニーはトラちゃんさんの方をちらちらと見ながら、見るからにそわそわした態度をとっている。どうやら、先程の「ホレちまった」発言はあながち冗談というわけでもないらしい。

 それはさておき、

 

「あの、"レッドスプライト"へ行く前に、"箱庭"の……、拠点へ向かわせてはもらえないでしょうか? 恐らく襲撃を受けているはずなんです」

「えっ!? そ、そんな、アタシの"箱庭"が……、皆が――。大変だわっ!!」

 小生の言葉に一番ショックを受けたのはトラちゃんさんであった。

 顔色を真っ青にして、すぐさま扉のある方向へと駆け出してしまう。

 小生もそれに続こうとするが、タダノ君に肩を掴まれ引き留められた。

 

「待て、そこは戦闘区域なんだろ? このまま向かって平気なのか? 危険ならば、体力に余裕のある俺だけで向かう。それで良いな?」

 恐らく彼は、小生の身を案じてそう提案してくれたのだろう。

 だが、彼だけで"箱庭"へ向かわせることはできない。状況が不透明なのである。

 小生は頭を振って答えた。

「いえ……、後方人員多数の人命がかかっていまして。蘇生と回復の得意なトラちゃんさんの援軍は欠かせないんです。それに、彼女と契約している小生の同行も。お願いします」

 頭を下げてそう頼み込むと、タダノ君は困ったように首を掻いた。

 

「お前、頑固だからな。なら、せめて俺の後ろにいてくれよ。折角助けたのに死なれるなんて、冗談じゃない」

「すいません。それと……、ありがとうございます」

「お前にありがとうと言われてもなあ」

 タダノ君が微笑んだ。もしかしたら、昔を懐かしんでいるのかもしれない。

 と、彼が何かを思い出したように目を見開く。

「ああ、そうだ」

「……どうしました?」

「お前、何で俺が渡した"封魔管"を使っていないんだ? 多分、デモニカで解析すれば何とか使えただろ」

 彼の言葉に、小生は調査隊としてこの地に出向く前に彼から郵送された試験管状のお守りのことを思い出した。

 確かトラちゃんさんが言うには、一昔前の退魔師が"悪魔"を使役するために使っていた道具であったはずだ。

 小生は言う。

「それなら、あれのお陰でトラちゃんさんと出会えることができたと思いますが……」

 "エルブス"号の墜落時、小生があの"封魔管"を握り締めていたところに、トラちゃんさんが現れたのだ。それなら、彼女があの中に封じられていたと考えるのが自然だと思うのだが……。

 

「いや、そのトラなんとかというのは、あの"死神"だろう? ご先祖様の書いた古文書を確認した限りでは、そんな悪魔は封じられていなかったはずだ」

「えっ? じゃ、じゃあ"女神"としてのトラちゃんさんならどうです?」

「ん、アナライズした感じ、あれは"死神"だろ? まあ、仮に"女神"だろうが違うよ。確か日本神話の……、地霊の親玉みたいな奴が封じられているはずだ」

 彼の言っていることが良く分からなかった。

 もし"封魔管"に封じられている"悪魔"が別にいるとして、ならばトラちゃんさんはどうしてあの時、小生の前に現れたのか?

 当のトラちゃんさんは、大慌てで扉を開こうとしていた。

 しかし、まだ解錠が済んでおらず、うまく扉が開かないようだ。

 

「う、うう……! 何で開かないの! アタシが鍵をかけたのにっ!」

「これは、多分"オーカス"の魔力が混ざったせいじゃろうな。言うなれば鍵を無理矢理こじ開けようとして、形が変わってしまったのじゃろう」

「あの豚王、今度会ったら絶対許さないんだから!」

「な、なあ、アンタ。俺に何か手伝えることは……」

「ごめん、ちょっと黙ってて!」

 何時の間にやらアンソニーが彼女のもとへと近寄り敢えなく轟沈していたようだが、それは気にしないでおく。

 彼女は口惜しげに地団太を踏み、やがて堪忍袋の緒が切れたのか、拳を思いっきり握り固めた。って、拳……?

 

「こうなったら、スキル変化よ! "マハムドオン"はもう要らない! ダグザ先輩お得意の……、マッスルパンチでぶち壊してやるわっ!」

 オイオイオイと小生が呆れるよりも早く、トラちゃんさんは光り輝く彼女の拳を思い切り扉へと叩きつけた。

 パリンと何かが砕ける音がして、扉が一気に開け放たれる。

 

「開くのかよ」

 と小生はまず呆気に取られ、

「これが女神の力って奴よ!」

 とトラちゃんが鼻息荒く言う。少し誇らしげな様子ではあったが扉の向こう側へと目を向けた直後、何故かあんぐりと口を開けた。

 

「ん、どうしたんです?」

 中に何か変なものでも見えたのだろうか?

 小生は問いながら、足を引きずりつつも扉に駆け寄った。

「え、いや。その、ね?」

「その……?」

 小生もまた向こう側を覗き、彼女と同じように思考を停止させる。

 

「何だ、ありゃあ……」

 "箱庭"の中では"オーカス"と同程度の質量を持った2体の巨大な"怪物"が組んず解れつ、物凄い迫力で取っ組み合っていた。

 一応、中尉が黄泉路で「何とか持ちこたえてみせる」と言っていたそうだから、もしかしたら善戦しているのかも知れないとは少し思っていた。思っていたが、怪獣大決戦を行うとは聞いていない。

 一体何をどうしたらこうなるのか……。

 謎が謎を呼ぶ中、"怪物"の片割れたる金色の羽根を持つ美しい巨鳥が、高らかに良く通る鳴き声をあげた。

 



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シュバルツバースで合流と疑惑

 ヒューヒューとかすかに空気の漏れ出る音が、"怪物"の口から聞こえてきた。

 醜悪な手足と白髪の人面を持つ巨大な蛇の"悪魔"だ。カンバリ様に聞くところでは、堕天使"ベテルギウス"というらしい。

 その堕天使が金色の羽根を持った巨鳥との壮絶な格闘の末に、今や巨鳥の鋭利な鉤爪と嘴で押さえつけられてしまっていた。

 喉元に食らいつく巨鳥の嘴が、"ベテルギウス"の呼吸を容赦なく阻害する。

 巨鳥の拘束から逃れようと、"ベテルギウス"も手足をばたつかせているが、一矢報いるまでには至らないようだ。

 巨鳥の嘴が"ベテルギウス"の喉元から離れた。呼吸をしようと精一杯に口を開ける"ベテルギウス"の顔を、巨鳥が金色の羽根で強かに打ちつける。大地に押さえつけられた"ベテルギウス"の首を、今度は鉤爪が押さえ込んだ。

 再び、阻害される呼吸。窮地に引き戻された堕天使に対し、自由になった巨鳥の嘴がさらなる追い討ちをかけた。

 まず、両の眼が突き潰される。悲鳴をあげることもできず、"ベテルギウス"の眼孔から青い血飛沫が吹き出した。

 次に手足が食いちぎられる。道化を思わせる黄斑が浮かぶ体皮に新たな血色の斑点が飛び散っていった。

 

「うわあ」

 と呻くより他に反応のしようがない、まさに大自然の縮図である。実家の近所ではたまに上空より飛来した猛禽類がカラスや鳩を標的にしてあれと同じことをやっていた。

2体の"悪魔"が暴れ回ったことにより滅茶苦茶になってしまった"箱庭"の惨状や、他のことも含めて、どうしてこうなったと嘆息せざるを得ない。

 

「何だ、この空間は……。地上――? いや、地上に良く似た空間なのか……? 何故、シュバルツバースの中に?」

 後に続いて"箱庭"へと飛び込んできたタダノ君を含む"レッドスプライト"クルーたちが呆然とする中、小生は手早く"箱庭"の現状を確認していった。

 運び込んでいた資材が、ぐちゃぐちゃに散乱してしまっている。さらにあちらこちらに"タンガタ・マヌ"さんや"スダマ"であったはずの残骸が転がっていた。その数、10や20ではきかないかも知れない。

 彼らもこの場所を守るために戦ってくれたのだろう。

 小生は先だって、彼らに畑仕事を手伝ってくれた礼をしたいと約束していたというのに……。何も返せず、彼らは死んでしまった。

 虚空を見つめる仲魔たちの亡骸に、申し訳なさばかりが先に立つ。

「トラちゃんさん、彼らは……」

 もしやと思いトラちゃんさんに呼びかけるが、彼女は悲しげに頭を振った。

「……蘇生は無理。時間が経ちすぎてるもの。でも、こいつらは後悔してないわよ。それだけは分かるのよ」

 そう言って、彼女は自身の細い手を横に振るう。すると無数の亡骸がほのかな光を発し、白い砂へと変わっていった。

 

「これは」

「死によるケガレを"浄化"してあげただけ。後で、きちんとお墓作ってあげて」

「それは、はい。勿論……」

 墓はトウモロコシ畑の傍が良いだろう。何せ、あれは彼らが手ずから耕してくれた土地なのだ。しかし、肝心のトウモロコシ畑の現状は全てが薙ぎ倒され、あるいは踏みつぶされており、もう全滅と言って差し支えないものであった。

 

「折角みんなで作ったのに……」

 トラちゃんさんの声色は、悔しさに沈んでいた。

 下手な慰めは逆効果であるかも知れない。だが、小生はそれでも声をかけずにはいられなかった。

「また、作り直しましょう」

「分かってるけど……」

「大丈夫ですよ。"タンガタ・マヌ"さんたちの分も、小生らが頑張ります。幸い、隊員に被害は出ていないようですし、ね?」

 と同僚たちの方を見ながら小生は言う。

 一見したところ、"エルブス"号の後方人員たちに大きな被害は出ていないようであった。負傷者こそ出ていそうだが、重傷者は見当たらない。

 小生は居残り組のもとへと向かい、彼らの無事を喜んだ。

 

「皆さん、ご無事で何よりです!」

「嘘だろ、ヤマダが生きて帰ってきたぞ……」

「お前、俺もう死んだかと……」

「後ろの彼ら、本隊の救援を連れてきてくれたのですか? 大手柄じゃないですかっ!」

 恐らくは決死の判断で出ていったためだろうが、駆けつけた瞬間、瞳に涙をにじませた同僚たちに揉みくちゃにされた。

 ゼレーニン中尉に至ってはこちらの手を取り「貴方こそ、良くご無事で……。もう何もかも、私の前から消えてしまうんじゃないかと……」と号泣までしてしまう程だ。

 この大歓迎を予想してなかった小生としては、些か反応に困ってしまう。

 

「おい、ヤマダ。再会を嬉しく思うのもわかるが、今は優先させるべきことがあるだろ」

「へ、タダノ君? ああ。えっと……、そうだ! 一体何があったんです?」

 あたふたとしながら小生は問いかけた。

 聞きたいことは山ほどあるのだ。

 例えば、中尉や他の皆がどうやってこの窮地を乗り切ったのか。

 例えば、あの金色の巨鳥は一体何なのか。

 

 そして……、中尉の後ろに静かに控えている赤い甲冑を着込んだ男性は何処のどなたなのか?

 そう、小生らの"箱庭"に何やら見慣れぬ存在が居座っているのだ。

 あの人、背中からは羽根が生えているし、どう考えても"天使"っぽいんだよなあ……。

 

 小生は内心面食らいながらも考える。

 確か、艦長たちがこちらに向けた通信の中で、"天使様"の力を借りることができたと言っていたはずだ。ならば、中尉の後ろに浮かんでいる彼も、その一人である可能性が高い。

 ただ、何故このタイミングでやってきたのか? という疑問が残る。いや、もしかすると先だって艦長が無差別に発していた広域通信には、こちら側に"天使"を派遣するための逆探知という意図があったのかも知れない。

 そう考えると一応のつじつまは合う。しかし……。

 

 素朴に考えるならば、絶妙のタイミングでやってきた頼もしい味方であったが、その反面、穿った見方をするならばタイミングの"良すぎる"援軍でもあった。

 だからこそ、彼らの立ち位置ははっきりさせておかなくてはならないだろう。

 中尉も小生の疑問に気がついたのか、

 

「ああ……。ええ、そうね。本当、色々ありすぎて。一から話を整理していった方がいいかもしれないわ」

 と彼女らの奮戦について、ぽつりぽつりと語りだした。

 

 

 まず、小生が決死の防衛戦に赴いてより半日後――驚いたことに小生は半日もあの鉄火場で戦い続けていたらしい――に、"箱庭"と何処かを繋ぐ異次元の通路が突如として出現したそうだ。

「トラちゃんさんが出入り口を塞いだのに、一体何故穴が空いてしまったのでしょうか……?」

「それについては、理論的に説明ができると思う……。その、観測班の班長とも少し意見を交換したのだけれども、歓楽街の世界とは別の"近い次元"と繋がってしまった可能性が高いわ。このシュバルツバースは"多層構造"になっているのかもしれない」

「"多層構造"……?」

 この地がいくつもの小宇宙に分かれている、ということは以前トラちゃんさんが言っていた。

 小生のイメージとしては銀河系みたいなものがいくつもランダムに散らばっている様を想像していたのだが、どうにも彼女の言を信じるなら、もっと秩序だって、隣りあっているもののようだ。

 彼女の説明を、さらに観測班の男性が補足する。というか班長だったのか。知らなかった……。

 

「この"箱庭"の脆弱性が露呈したのは、女神様の不手際でなく、我々の短慮が原因である可能性が高いと思います。ヤマダ隊員が外へ向かった後、ごく短時間ですが何人かが貴方に通信で呼びかけていたんです。それを、"悪魔"が感知されたのだと考えると、すべての説明が付くでしょう」

 彼の口調には多少険が混じっていた。中尉や何人かがすまなそうに俯くところを見れば、誰が犯人かは明白だ。無論、糾弾する気になど到底なれなかった。

 小生の身を案じてくれた相手に辛く当たれるはずがない。むしろ、その中に動力班の青年が混じっていたことが、不謹慎ではあるが嬉しかった。

 

「とにかく、空いてしまった異次元の通路から、あのおぞましい"悪魔"が侵入してきたの。あれは突然の事態に驚く私たちに襲いかかり、私たちをかばったネモが殺されてしまったわ……」

 中尉が"バケツ頭"に涙を滴らせる。

 見れば散らばった資材の陰に、八つ裂きにされた"ゴブリン"、小生が言うところの根元が力なく横たわっていた。飛び散った肉片が整えられているところを見るに、多分中尉が身体をかき集めて回復と蘇生を試したのだろう。だが、手遅れだった。

 

「それで、ネモが死んでしまったことに私も動揺して、結局私も殺されてしまって……」

「ああ、"アケロンの河"に中尉が行ってしまったのは、そのタイミングですか」

「"アケロンの河"というの? あそこは。今ここにいられているのは、貴方のお陰なのでしょうね。気づけば私は"死ぬ前に戻り"、殺されて"いなかった"ことになっていたわ」

「ん、ん、どういうことです?」

 首を傾げて追求するに、どうやら"アケロンの河"から送り戻された者は、過去とこれからの因果関係が生存に結びつくよう書き換えられてしまうらしい。

 例えば、今回の場合は堕天使の攻撃を受けたものの、運良く致命傷には至らなかった、という風に。

 成る程、これは確かに蘇ったというよりは"死ぬ前に戻った"と表現する方が正しい。何故なら、当人以外からしてみれば殺されたように見えないのだから。

 

「致命傷を避けた私の傷は、"アプサラス"が癒してくれたわ。そして、異常に駆けつけた"タンガタ・マヌ"や"スダマ"とあの侵入者が戦いを始めたのよ」

 結果は、この惨状を見るに予想できた。"タンガタ・マヌ"も"スダマ"も、トラちゃんさんやカンバリ様と比べてしまうと戦闘能力が心許ない。

 あの堕天使と相対するには力不足にも程があったろう。それでも隊員たちに被害が出なかったのは、彼ら決死の奮闘と"アプサラス"や"リリム"の回復支援能力があってこそであった。また、堕天使のまき散らす厄介な状態異常の異能に関して、観測班の班長が戦時解析を行い、ドクターが医術的な防御をとっさに施せたことも大きかったそうだ。

「え、ドクターたちが?」

「ええ、資材班もインフラ班も、動力班の彼も、自分たちにできることをやったわ。だって、もう他に行くところもなかったもの」

 背水の陣に置かれ、鉄火場の空気に適応したということだろうか?

 元々、エキスパートの集まりであったシュバルツバース調査隊だ。状況さえ整えば、それほどのパフォーマンスを発揮したとしても不思議ではないのかもしれない。

 

「――でも、一手足りなかった」

 中尉が俯く。

 彼ら、彼女らには堕天使の攻撃に持ちこたえる知恵と団結力はあっても、敵を退散させるまでの力はなかったのである。

 戦場は持久戦の体を為し、"タンガタ・マヌ"と"スダマ"たちが次々に倒れていく中で、このままでは拙いと悟った"アプサラス"がとある提案をしたそうだ。

 

「"悪魔合体"を行ったのよ。"アプサラス"と"タンガタ・マヌ"を材料に――。それで生まれたのが、あの霊鳥"スパルナ"」

 中尉は苦々しい表情で、自らを咎めるようにそう言った。

「"悪魔合体"ですか」

「ええ……。大事な仲魔を混ぜ合わせるなんて。そんな人体実験みたいな非人道的なこと……。私は絶対に嫌だったのだけれども、彼女がそうするより他に手はないと」

 彼女の苦悩はよく理解できた。そもそも"悪魔合体"という概念についてトラちゃんさんから聞き知った時に浮かんだ小生の感想も、嫌悪が勝っていたのだ。仮に合体が行われたとして、元の人格はどうなるのか? 消え去るのか、それとも融合するのか。いずれにせよ、人の感覚でそれは、おぞましいものとしか映らない。

 小生は"ベテルギウス"の肉を啄み、高らかに鳴く"スパルナ"へと目をやった。

 雄々しいとは感じるが、その何処にも合体元になった2体の面影は感じ取れない。いや――、

 

「多分、残っていますよ。あなたと彼女の絆は」

「え?」

 小生は"ベテルギウス"の組み敷かれている地面へと彼女の注意を促した。

 もがき苦しむ堕天使の身体を"スパルナ"は力任せに押さえつけている。まるでその場から一歩たりとも動かさぬように。

 小生は言う。

 

「相手の体力を奪うことが目的ならば、なるべくもがかせた方が良いんじゃないでしょうか。でもあんな風に無理矢理押さえつけているのは……」

 恐らく、あれは"箱庭"への被害を最小限に押さえるためにやっているのだと小生は当たりをつけた。トウモロコシ畑を、そして仲魔の亡骸をこれ以上傷つけないために"彼ら"、もしくは"彼女ら"は戦っているのである。

 仲魔を思いやる心があって、絆が存在せぬ訳がない。

 小生がそう指摘すると、中尉は"アプサラス"の名を小さく呟いて、黙り込んでしまった。

 

「ちょっといいか?」

 と、ここでタダノ君が事情聴取に割って入ってくる。

「貴方は、確か……」

「"レッドスプライト"クルーのタダノ隊員だ。まだ敵の"悪魔"が健在である以上、手早くとどめを刺してしまいたい。話を聞く限り、君があの"スパルナ"のサマナーだろ? 俺たちが援軍にはいるから、俺たちのことを敵ではないと、あれに呼びかけてもらいたい」

「わ、分かったわ」

 中尉は至らなかったと焦りながら、"スパルナ"に大声で呼びかける。すると、黄金の怪鳥は了解したとばかりに堕天使の首元を動かぬよう嘴と鉤爪で固定してみせた。まるでここを狙えとでも言わんばかりに。

タダノ君が苦笑する。

「……あれは、間違いなく君の仲魔だな」

 その言葉に、中尉も静かに頷いた。

 

 

 かくして、一転優勢にあった"箱庭"の防衛戦も、外と同様に調査隊の勝利をもって幕を閉じる。

 "レッドスプライト"クルーの参戦が駄目押しの一手となった。既に堕天使からは戦闘能力のほとんどを奪っていたが、先の"オーカス"が隠し玉として捕食回復能力を持っていたように、"悪魔"との戦いでは何が起きるか分からない。タダノ君たちの集中攻撃を経て、アンソニーが堕天使の心臓を突き潰したところで、ようやく小生らは敵の絶命を信じることができた。

 

「タイリョウノニクダ! ニクラシイヤツメ!」

 と勝利の雄叫びをあげて早速人面の蛇肉にがつがつと食らいつく"シーサー"のことはさておき、

「それで……、そちらの甲冑のお方はどちらさまで?」

 と小生は肝心な部分に切り込んでいく。

 トラちゃんさんが"箱庭"の穴を塞ぎ、仲魔たちの生き残りや同僚の皆が戦後処理に追われている中、皆の手伝いをしようとしていた中尉は小生に呼び止められて、何とも説明しがたいという風に言葉を濁した。

 

「ええと。それは私にも良く分からないのよ。ただ、戦闘の途中から、私たちのことを守ってくれていたみたいだわ。あ、あと守ってくれたと言えば突然宙から現れた小さな女の子も不思議な力で私たちのことを――」

「ち、小さな女の子っ? か、彼女は無事なんですか!?」

「えっ、えっ?」

 思わぬ事実に小生は驚愕し、本題も忘れて問い詰めた。この"箱庭"に居着いた小さな女の子といえば、彼女以外にあり得ない。

 小生は色を失って、彼女の名前を呼んだ。

 

「……花子さん! 花子さん! 無事でしたら返事をしてくださいっ。花子さん!」

 だが、返事を待てども返ってこない。責任感が小生の心にずんとのしかかってくる。彼女が歓楽街からこちらへと越してきたのは、間違いなく小生の一言が原因だ。それで彼女が巻き添えになって死んでしまっていたら、彼女にどう詫びたらよいか分からない。

 

「花子さんッ!」

 焦りの募る小生の視界、資材の残骸でできたバリケードの陰に、ひょこりとおかっぱ頭が少し覗いた。

「あっ」

 彼女は自分の口元に人差し指をあて、「しー」というジェスチャーを取っている。まだ、人前には出たくないということなのだろうか。何にせよ、

「無事で良かった……」

 心の底から安堵した。"悪魔"であっても、小生からしたら彼女は子どもだ。子どもが傷つく姿は、ましてや死んでしまうところなど、絶対に見たくない。

 

「……ヤマダさん?」

「いえ、何でもないんです。ただ、今はまだ言えないんですけど、もしかしたら仲魔が増えるかも、と」

「そうなの……、彼女が」

 中尉が目を細めて、気丈に微笑んだ。辛いことばかりの中で、笑顔を作るのはエネルギーが要る。彼女は笑顔を作れる女性のようであった。

 と、ここで中尉の後ろから咳払いが聞こえてくる。

 "天使"らしき甲冑姿の男性が発したものであった。

 

「あ、申し訳ありません!」

「いえ……、それは構いません。邪悪なる存在にも礼儀を尽くし、恩を知り、隣人を憂い、愛することに問題などあろうはずがありませんから」

 言って彼は槍を下ろし、羽根を閉じて地に足をつける。

 そうして小生らと同じ目線に立った後、槍を持たぬ手を胸に当てて自らの名を名乗った。

 

「私の名は"パワー"。主の御声に従い、汚れた大地に楽園を作らんとされている"マンセマット"様の命により、人の子らを救うべくこの蛮夷の空間へと駆けつけた者です」

「救う、と言いますと。やはり我々に手を貸してくださるということでしょうか……?」

「ええ、常に我々は人の子に寄り添う存在ですよ」

 いくつか気になる発言がありはしたが、敵でないことは確かなようだ。小生と中尉が頭を下げて礼を言うと、"パワー"は鷹揚に上品な笑い声をあげた。

 

「……貴方たちは良い霊をお持ちのようですね。それでこそ私が駆けつけた甲斐があるというものです。いずれは"マンセマット"様もいらっしゃると思いますから、疑問があらば、あの方に直接お聞きなさると良いでしょう。とても寛大なお方です」

 そう言って彼は再び羽根を広げると、出口に向かって飛び去っていった。

 そこに、穴を塞ぎ終わったトラちゃんさんが合流する。

 いや、どうにも彼が立ち去るまで敢えて見ない振りを決め込んでいたようにも見受けられた。いつもの彼女なら、物怖じせずにずけずけと突っ込んでいるはずなのだが、苦手意識でもあるのだろうか?

 ……これはやぶ蛇にあたる疑問だろう。小生は気づかない振りをして、トラちゃんさんと向き合った。

 

「"天使"の奴、何て言ってた?」

「ああ、はい。いずれ、"マンセマット"という方がいらっしゃると」

「うげ」

 "天使"の発した名前を聞いたトラちゃんさんが、見るからに嫌そうな顔をした。先ほどの振る舞いも含めて、顔見知りが多いのかもしれない。

 

「確か……、偽典に叙述される古い天使の名ですね。"マンセマット"とは」

「知っておられるのですか、中尉は」

「え、ええ。ただ私の知る限りでは、あまり私たちに力を貸してくださるようには思えないのだけれど……」

 中尉が言うには"マンセマット"、またはマスティマとは人間に試練を与えるために、悪魔や災害をけしかける天使なのだそうだ。

「"悪魔"を使役し、試練を与える天使ですか」

 名が体を表すこのシュバルツバースにおいて、この伝承は忘れるべきではないだろう。何よりも、先ほど小生が抱いていた疑問に一通りのつじつまが合ってしまうのだ。

 

「ヤマダさんは……、あの"天使"をどう思ったの?」

「あの"天使"を、ですかあ」

 中尉に言われて、小生は考える。気づけば、トラちゃんさんも小生の返答を気にしているような素振りを見せていた。

 

「悪い御仁ではないと思います」

 これは素直な感想だった。この目に映るものがほとんど敵であるシュバルツバースにおいて、ただちに襲いかかってこない時点で小生としては万々歳である。

 それに、これは霊性の問題なのだろうが、不思議と波長が合うということもあった。ただ、

 

「洗練され過ぎているんですよね。トラちゃんさんたちと比べると――」

「ちょっと、それどういうことよ! アタシの何が悪いって言うのっ!!」

「そうよ、ヤマダさん! その言い方は私たちの女神様に失礼だわ……」

 どうやら思考しながらの発言であったことで、若干言葉が足りていなかったようだ。

 非難轟々にさらされた小生は、慌てて弁明を始める。

 

「ああ、いえ! 良い意味で言っているのではないんです。むしろ、トラちゃんさんはそのままがいいです」

「は、どういうことよ?」

 半眼で睨む彼女に対して、小生は言った。

 

「"洗練"って礼儀作法の一環ですから、ちょっとした失礼を隠してしまうんです。要するに、本心が読めないんですよね。近い感覚で言うと、同じ領域でボランティア活動を行っている、他国の政治団体や宗教団体と接している感覚が近いです」

 説明を続けているうちに、小生の思考も徐々に答えを形作っていく。

 そうなのだ。トラちゃんさんやカンバリ様は何というか素朴で、欲望や目標があからさまなのである。言うなれば利益の直結した地元の町内会、または出会いがメインの中高生や大学生にいるボランティア族ウェーイ系か、余生を楽しむ老人会。

 それに対して、"パワー"はその内心までは読みとれなかった。典型的な信用はできても信頼はできない人物のパターンに当てはまってしまっている。

 

「成る程……。って、ん、ん? それって要するに、アタシは信頼できても信用はできないってこと?」

「はあ、それはまあ」

 と受け答えしてから、失言に気がつく。案の定、「何でなのよ!! おバカっ」と殴られてしまった。

 

 

 

 "箱庭"の防衛には増援のブレアが当たることになり、小生は予定にあったように最重要人物として"レッドスプライト"号へと護送されることになった。他の同僚たちは複数回に分けて護送される手はずになっているようだ。中には「折角、ある程度安全の確保された現地でフィールドワークができるのにわざわざ艦に移る意義が感じられません。むしろ機材がこちらに来い」などとのたまう豪の者も見受けられたが、そんな存在は少数派である。というか、狂信者と理系脳くらいだ。

 大多数は大喜びで、旗艦への受け入れを待ち望んでいた。

 

「それじゃあ、アタシはここで待ってるから」

 鋭角なフォルムをした"レッドスプライト"号のタラップ前で、トラちゃんさんが腰に手を当てながらそう言った。

 

「トラちゃんさん、すいません」

 小生はひらに頭を下げる。

 甚だ不本意なことであったが、彼女の乗艦許可が下りなかったのである。

 何でも規約とやらで艦内の"悪魔"召喚は禁じられているそうだ。デモニカのデータ内に収納された状態ならば乗艦も許可できるようだが、そもそも彼女をデータ内に押し込めるという行為に、小生の嫌悪感が勝った。

 故にこうして艦の前で待機してもらうことになったわけである。

 

「平気よ! 人の子にだって決まりがあるんでしょ。それより、変なアクマがやってきたら、アタシがやっつけてあげるから。なんたって、アタシは信頼も"信用"もできる女神様なんだからね!」

 そう言って、彼女は力こぶを作る。どうやら先だっての失言を根に持っているらしく、道中でずっと"信用"云々と語っていた。

 これには護衛についていた"レッドスプライト"クルーも苦笑いである。

 

「お宅の女神、変わってるよな。可愛いから、全て許すけど。何せ可愛いもん」

 アンソニーはトラちゃんさんに対して好印象を抱いているようであった。いや、彼の場合は好印象というよりも未だ懸想している可能性もあるのだが。

 小生が「はは、比較対象がいないので、何とも……」と曖昧に濁していると、タダノ君が少し思案して口を挟んできた。

 

「彼女の種族はさておいて……、多分、女神にはこんな手合いが多いと思うぞ。いや、変な口癖がない分、むしろ普通といって良いかもしれない」

「おい、タダノの知り合いにも彼女みたいな娘いるのか!? ……紹介してくんない?」

「"おいしいお肉"とやらになりかければ、チャンスがあるかもな。お勧めはしない」

 タダノ君はそう言って話を切り上げると、タラップを上り終えたところで振り返った。

 

「俺たちはここであの悪魔と留守番だ。ヤマダはこのまま乗艦してくれ。艦内は機動班員が案内してくれる手はずになっている」

「分かりました、えっと」

 今生の別れというわけではないが、まさかの再会に名残惜しさを感じた小生は、タダノ君に何と呼びかけたものか言い淀む。そして、「トラちゃんさんのことを宜しくお願いします」と頭を下げて、"レッドスプライト"号に乗り込んだ。

 ライトに照らされた降車デッキは、残骸と化した"エルブス"号とは対照的に文明の息吹が感じられる。小生はほっと息を吐いた。正真正銘、人間が作った人工物の匂いを久方ぶりに嗅ぎ取ったからだ。

 

「ウェルカム、"レッドスプライト"号へ。ヤマダ隊員だな?」

 小生を一番に出迎えてくれたのは機動班の男性だった。

「どうも、えっと。機動班班長のマッキー隊員でしたよね?」

「良く覚えているな。南極入りしてからは顔合わせもしていなかったと思うが」

「一度、ニュージーランドのスコット基地(ベース)でブリーフィングをやった時に。一通りのお顔は拝見できましたから」

 小生の答えに、マッキーは一応の納得ができたようで、すぐさま小生を艦の奥へと誘った。

 途中、資材班の男性が「離すぜよっ! 何か良いフォルマを持ち込んでないか、ワシ直々に掛け合いたい!」と揉めていたが、小生に関係のある話ではないだろう。多分……。

 マッキーは資材班が起こした揉めごとを困ったように見つめながら、

「ポジティブなのは良いことなんだがな……。物事には優先順位というものがある」

 と小生を医療室へと連れていく。って、医療室?

 中には顔を見知った短髪の女性と一方的に顔を知っている長髪の女性、そして短髪の青年が待機していた。

 小生の入室に、顔見知りの女性が口をあんぐりと開ける。

 

「うそ、ほんとヤマダ君だ……」

「メイビーさん! 貴女も無事だったんですね……」

「ん、知り合いなのか……?」

 マッキーが片眉をぴくりと持ち上げ、小生らの反応に首を傾げる。色々な可能性を考えているようだが、別に特別な何かがあるわけでもない。学生時代に同じ研究室に所属していた後輩であった。

 マッキーも小生の説明を聞き、「ああ、そうか。同じインフラ班だったな」と再び納得し、思案する。

 その様子に「ん?」と思いながらも、もう一人の女性である医療班の班員から、呼び出された理由についての案内を受けた。

 

「これからあなたには簡単なフィジカルチェックとメンタルケアを受けてもらいます。長期間艦外で活動していたそうだから、その影響を知りたいのよ」

「はあ」

 言われるがままに頷いた小生は、デモニカスーツを脱いで清潔な衣服に着替えていく。

 

「この流れ、何故だか山猫がやってる料理店を思い出しますね」

「ケンジ・ミヤザワの?」

 補佐という名目で小生の着替えについてきた青年が問うてくる。確か名前はウルフと言ったはずだ。

 彼は親しげに笑いながら、「クリームはないから安心しな」と冗談を飛ばしてくる。

 小生も釣られて笑い、支度を終えたその足でメンタルチェックを終えていった。

 

「身体的には異常がありませんでした。次はメンタルケアを行っていきます。もう少しですから、我慢してね?」

 医療班の女性はそう言って、検査用の機材を並べていく。

 まずは口頭での検査が行われた。

 

「貴方の名前と生年月日、ご家族の名前と出身を聞かせてください」

 小生がこれに答えると、検査用紙に女性が結果を書き込んでいく。

 さらにインタビューは続けられた。

 矢継ぎ早で2択や3択を求められる質問や絶対に答えのでなさそうな選択を持ち時間5秒で突きつけられ、小生は若干困惑しつつも答えていく。

 

「このインクの染みは何に見えますか?」

 小生も知っているロールシャッハ・テストだ。困惑が深まる。

 P-Fスタディ、文章完成法、矢田部ギルフォード性格検査、ゲス・フー・テスト……。困惑が疑惑へ変わっていく。

 多分、小生は何かを"疑われていた"。

 だが、不満を口に出すことはしない。何がやぶ蛇になるか分からなかったからだ。ただ、胃腸の痛みに耐えつつ、作り笑顔で検査に応じる。

 こうして長々と続けられた検査が終わり、

「……本当にお疲れさま。これで検査は終了よ」

 と女性に解放される頃には、たっぷり2時間はかかっていた。

 しゅんと落とした小生の肩を、部屋の隅に待機していたメイビーさんが叩く。

 

「ヤマダ君、お疲れ!」

「メイビーさん――。いや、正直疲れました……」

 そのやりとりを見た医療班の女性が疑問を口に出す。

 

「アナタたち、先輩後輩の間柄なのよね? あまりそうは見えないのだけれど……」

「だって、この人ってあまり先輩っぽくないですから。ゾイさんにもそう見えるでしょ?」

「あー……」

 何故かメイビーさんの軽口に、医療班の女性が納得してしまった。何でだ。ただ、同時に救われた気分にもなる。

 恐らく、メイビーさんは意図して軽口を叩いたのだ。小生を人畜無害であると。彼女は在学中から苦労してきた背景があり、人の気配にはかなり敏感だった。

 

「検査が終わったのならば、管制室に向かおう」

 一心地ついたところで、マッキーが小生に声をかけてくる。

「えっと、このままの格好でですか?」

「ああ、デモニカスーツを着る必要はない」

 これも警戒心の現れだろうか……? ただ、駄々をこねられる状況でもないために素直に彼の案内に従う。

 

 管制室には機動班の班員が数人と、作戦班の面々が小生を待ち受けていた。

 どうやら、小生の応対は主に作戦班の二人が表に立って行うようだ。片方は小生と同じ日本人の男性であり、複雑そうな面もちで頭を掻いている。もう片方は肌の浅黒い女性で、こちらを見通すような眼で冷徹な表情を作っていた。

 

「……どうも。この度は救援を寄越してくださり、ありがとうございます」

 黙っていても仕様がないため、まずは小生から彼らに対して頭を下げる。

 すると、日本人男性が苦笑いして返してきた。

 

「参ったな……。でも、そりゃあそうか。お前が警戒するのも当たり前だよ。個人的に、こうして再会できたことは素直に嬉しいんだ。スコット基地振りかな。ウェルカムバック、ヤマダ隊員」

「はい、南極突入前ブリーフィングで一度お会いしたかと思います。そちらこそ、ご無事で何よりです。カトー隊員」

 肌の浅黒い女性は、そのやりとりを無表情で観察していた。この態度の違いを見るに、もしかすると典型的な良い警官と悪い警官(マット・アンド・ジェフ)のロールプレイを担っているのかもしれない。教科書のような尋問術に、小生はトイレを借りたくなった。

 少し目を落として、小生は続ける。

 

「それで、小生は何をお話すればよいのでしょうか?」

「今までの経緯を全て。アナタがこれまでに知り得た情報を全てお願いするわ」

「喜んで」

 何が彼女らの警戒心に繋がっているのか分からない現状、下手な隠し事は互いの溝を深めるだけだ。小生は、母艦を襲ったアクシデントからトラちゃんさんとの出会い、今に至るまでの全ての経緯を洗いざらいに白状する。

 "レッドスプライト"のクルーたちは小生のもたらした情報に、いちいち目を丸くしては「え、何だって?」と難聴のごとく声をあげていた。そりゃあ、黒豚から謎肉を精製するくだりと、トウモロコシ畑の存在や"アーシーズ"の土壌成分なんかを聞かされれば、拍子抜けしないはずがない。小生だって、逆の立場ならば同じ反応をするはずだ。

 だが、彼らが何を知りたがっているか分からない以上は、こういう些末な情報をも提供した方が良いのは疑いようがない。

 

「……謎肉はトウモロコシ粉で揚げ物にすると美味しかったです。トウモロコシ粉の団子との相性も大変よくて」

「マジか。いや、その情報は多分必要ない。必要、ないよな? "アーサー"……?」

『いえ、いかなる情報にも価値があります。続けてください、ヤマダ隊員』

 あ、やっぱり聞いていたのか。この艦のAIも。

 小生が"アーサー"に対しても挨拶すると、彼も『遅ればせながら、ウェルカム』と返してくれた。

 しかし、どうにも今のやりとりから察するに、この尋問の企画者は"アーサー"であるようだ。一体、彼に疑念を抱かせるに至ったものは何であるのか?

 首を傾げながら、話は4号艦の生き残り救助や、艦長らからの通信、防衛戦にまで続いていく。

 そして全てを語り終えたところで、浅黒い肌の女性がようやく表情を崩した。

 

「個人的見解から言えば、彼は"シロ"ね」

「"シロ"……、ですか?」

 小生が問い返すと、女性は先ほどよりも表情豊かに返してくる。

 

「アナタが悪魔に精神を乗っ取られている可能性について」

「は、へ!?」

 どうしてそのような可能性を危惧されていたのだろうか? 脳裏で疑問符の踊る中、"アーサー"が答えを提示してくれる。

 

『不快な思いをさせてしまい、申し訳ありません。ですが、ワタシたちはあなたたちを疑うに至るいくつかの情報を得ていたのです。実は、あなたたちの存在は救援に赴く27時間15分8秒前から既に察知していました』

 と告げるや否や、艦内モニターに彼らが録画したと思しき映像が再生される。

 そこには小生がディオニュソスさんと抱き合い、『ロンリネス』やら『プライスレス』やらと叫ぶ姿が映し出されていた。

 

「こ、これは……」

『疑惑を抱くに至った根拠のひとつでしたが、これはアルコールによる一時的な酩酊や錯乱の類と判断ができました』

 映像が移り変わり、"エルブス"号の機動班が"悪魔"たちと戦闘している映像へと移り変わる。

『我々の後ろには何がある! 怯むな、守るぞ!! 突撃を敢行する。ゴー、ゴー、ゴー!!』

リーダーが臨機応変に指示を下し、他の面々がマシンガンを撃ちながら、背を低くして接近攻撃と遮蔽物を利用した回避を繰り返している。"ゴブリン"や"ハーピー"といった仲魔たちによる支援も見事にはまっていて、"悪魔"の群れがバターブロックのように溶けていく。

 その大活躍の中にあって、水際だった働きを見せているのは"ギガンティック"の青年だった。

『雑魚が俺の邪魔をするんじゃねえッ! "ハルパス"ッッ!!』

『分かっておる! 肩慣らしにも成らぬ有象無象には――、ヒートウェイブよッ!!』

 "ハルパス"さんの細剣が閃き、一瞬にして無数の敵が首をはねられた。辛うじて絶命を避けた生き残りの胸を青年が正確にナイフで貫いていく。

 "ハルパス"さんもさることながら、青年もまた、ちょっと洒落にならない強さだった。

 小生と同じく視聴していた"レッドスプライト"のクルーたちも、その戦い振りに顔をひきつらせている。いや、毛色の違う一人の青年は、ヒューと口笛を吹いていた。確か、ヒメネスという傭兵だったはずだ。

 映像の中の戦闘が落ち着いたところで、"アーサー"が再び言葉を発する。

 

『彼らとの接触を行おうと試みる寸前。ちょうど、この戦闘の直後ですが、"エルブス"号の艦長からの広域通信に気になる文言がありました。天使と名乗る知的生命体の存在についてです。ワタシたちは、この通信を傍受したことで即座の接触を見送ったのです』

 更にと彼は続け、映像が移り変わる。その映像に、小生は「あっ」と声をあげた。

 その映像はまさしく、トラちゃんさんが能面のような表情で"悪魔"の軍勢を虐殺している最中の映像であったからだ。

 

『自らを"悪魔"と名乗る知的生命体。"天使"と名乗る知的生命体。そして、"女神"と名乗る知的生命体――』

 "アーサー"が無機質な音声のままに言葉を続ける。

 

『ワタシは、このシュバルツバースにて人外の存在が覇権争いを繰り広げている可能性を考慮に入れました。そして、人間を戦争の駒として利用するつもりなのではないかという、危険性をも……。ヤマダ隊員、あなたは自身が操られていないと自信をもって言い切れますか? あなたは悪魔を使役しているのですか? それとも使役されているのですか?』

 小生の喉から乾いた息が漏れ出た。

 




次回で多分話が大きく動きます。


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シュバルツバースで再起と波乱

例の如く文章膨らんだので、2編に分けます。


 自らの認識を疑え。お前はこの女神と自称する人外の存在に操られているのではないか――? と。

 そう問われた瞬間、小生の脳裏にトラちゃんさんが今までに見せた様々な姿が泡のように浮き上がっては消えていった。

 

『にゃ、にゃーん』

 とすぐばれる鳴き真似をして、"悪魔"にまで馬鹿にされる彼女の姿が……。

『ぴぎゃ』

 自らの異能で死にかける彼女の姿が……。

『どおりゃー!』

 と"ガキ"の群れに殴りかかる彼女の姿が……。

『て、寺? ジャパニーズの神殿が何故ここで出てくるの?』

『マッスルパンチでぶち壊してやるわっ!』

『なんたって、アタシは信頼も"信用"もできる女神様なんだからね!』

 思わず小生は真顔になる。

 

「トラちゃんさん、そこまで深く考えてないと思いますよ」

「真顔で急に何てこというんだ。ヤマダ隊員」

 小生の即答に、カトーから呆れた口調でツッコミが入った。失礼、と返しながらも発言は撤回しない。黙って彼らの反応を窺う。

「……深く考えていないと見せかけているだけではないと、言い切れる根拠でもあるのか?」

 この問いは肌の浅黒い女性――確かウィリアムズという姓であったはずだ――ではなく、機動班のマッキーから発せられた。どうやらウィリアムズは一度自分の中で結論の出たことに対して、深く考える性格ではないようで、既に先ほどまで露わにしていた警戒心は引っ込めてしまっている。腕組みをして明後日の方向へ目を向け、何やら思案するその態度たるや、まるで尋問を続けるなら他の奴がやれとでも言わんばかりだ。決断力と危機管理能力に優れた作戦班らしいパーソナリティと言えるのかもしれないが、このドライさは下手をすると軋轢を生むかもしれない。

 それに対して、マッキーは隊内の秩序を保つことを至上とする、軍人らしいパーソナリティを持っていた。多分、トラちゃんさんへ向けられた攻撃的な態度の最右翼にして、疑念払拭を試みる際に立ちふさがる最後の関門が彼だろう。

 小生はマッキーに対して、言葉を選びつつも明快に答える。

 

「恩神に対してこう言っては何なんですが、トラちゃんさんって……、すごく視野が狭いんです」

「視野?」

 小生は頷く。

「はい、多分。勿論、賢くないわけではないと思うんですよ。たまにドキリとさせられる指摘もしますから。何というか、思考に注力している時なら1手か2手先まで読めるんですが、目の前に目標が見つかるとそれしか見なくなるというか……。将棋のようなアブストラクトゲームだと安定して勝てない、そういう典型的なタイプなんです」

 語りながら、小生自身も独り合点する。

 要するに、彼女はとても感情的で近視眼的なのだ。これは欠点とも言えようが、その反面に愛嬌をも兼ねており、さらには人徳を備えていると言い換えても差し支えないだろう。

 基本、彼女は後先を考えない。だから失敗もするし、妙なこだわりも持つ。損得を省みず、身を挺して人間を、小生をかばおうともする。

 ああ。今思えば、女神から死神へと変貌した理由も、小生を蘇生できなくなったという後出しの理由からであった。そして小生の予測する限りにおいて、死神になった時の彼女も、実のところパーソナリティはあまり変化していないと見える。あの時、見せた彼女の行動は大抵が後出しの受け身で占められていた。大規模呪殺も、空間の破砕も、相手の反応を見てから必要となる行動を選択しただけだ。

 つまり、彼女は内に秘めた正負の両側面から見て双方ともに、戦略的行動……、布石を打つという計算を得意とはしていないのである。

 そんな彼女が迂遠な手段で"アーサー"が指摘したような勢力争いに大手を振って介入しようとするだろうか……?

 出会ってすぐに、彼女が語った目標がおのずと思い出される。

 

『アタシにもワンチャンあると思う。今度こそはちゃんと豊穣の大地を作ってみたいのよ』

 ……うん。彼女の言と、"アーサー"の語る状況のつじつまが合ってきた。つまり、彼女はニッチを、隙間産業を狙っているのだ。大手が勢力争いを繰り広げている片隅で細々と自分だけの"箱庭"を、小宇宙を作りたかったというのが正直なところだろう。

 そんな中で小生らと関わるようになったのは恐らく、予期せぬ形で信仰を手にすることができたからだと思われる。

 

 一度、今に至るまでの彼女の思考をシミュレートしてみよう。

 彼女が元々暮らしていた、または存在していた場所についての詳細は生憎と聞いていなかったが、『この世界でも、ここではない世界でも』などの言葉の端々から彼女が"複数の世界、または宇宙にまたがり存在していた"ことは薄々察しがつく。

 となると、まずは彼女がこの地に形を持って顕われた寸前から想像してみようか。

 

 まず、彼女はこの世界の状況を何らかの手段で知った。そして、

「は、はへ?? 何か地球が大変なことになってる……。って、これって地球にアタシの"箱庭"を作るチャンスなんじゃ……?」

 やはり何らかの手段でこの世界へとやってきた。

 ん? こう考えると、彼女がタイミング良く小生の前に現れたことにも何らかの理由がありそうだ。

 改めて、彼女の言葉を思い出す。

『道理で器も小さく弱っちいわけだ。まさか"女神"たるアタシがLV1の分霊バージョンで顕現する羽目になるとは……』

 という言を踏まえれば、小生の発する何らかのエネルギーをよすがに、この世界にやってきたと想像するのが自然だろう。何をよすがにしたのかは分からない。まさか、トイレで小生が神に祈ったから? まさかあ。

 

 いずれにせよ、彼女は顕現した後に思ってもみない形で調査隊の、人間の信仰を手に入れる。彼女は信仰を失った女神だそうだから、再びの復権を嬉しく思ったことだろう。

 そこで彼女はこう思考する。

「あ、あ、あれぇぇ? な、何か人の子らの信仰をいっぱい取り戻してしまったんですけど……! こ、ここれは女神としてビッグになるチャンスなんじゃないの!? や、やった! アタシの時代がついにやってきたわっ!!」

 そして、折角だから人間からも崇められる女神として"箱庭"で暮らしたい、と目的に二兎を追うような軌道修正を加えたのだ。

 どうしよう。……すごくしっくりくる。

 

「ヤマダ隊員、何やら苦虫を噛み潰したような顔になっているが大丈夫か?」

「……いえ、気にしないでください。自分の中で色々な疑問が解決したと同時に、厄介な"問題"に思い至りまして」

 マッキーが眉間に皺を寄せながら、小生の返答に首を傾げていた。と、彼が合点できない部分を問いつめるより早く、艦内の回線を通じて外部の状況がもたらされる。

 

『こちら機動第1班のタダノ。周辺にてエネミーアピアランス・インジケータに感あり。これから迎撃に向かおうと思うが……』

『こちら"レッドスプライト"コントロール。タダノ隊員の出撃を許可します。何やら歯切れが悪いようですが、どうしたのですか?』

『いや、"悪魔"の接近に気がついたのは女神の方が先でな。真っ先に飛び出していったんだ』

「え、トラちゃんさんが!?」

 仰天した小生の声を通信マイクが拾い取ったようで、タダノ君は困惑しながらもこちらに答える。

 

『ああ。今のレベルアップした自分が"信用"できる女神だってことを証明するんだって息巻いていてな。とにかく、援軍に赴きモニターする』

 言って通信が一端途切れ、艦内がざわざわと慌ただしくなった。その様子を見て、マッキーが禿げた頭に手を当て、嘆息する。

 

「……尋問している暇などなさそうだな。機動第2班は迎撃の準備を。ヒメネス隊員、今回はお前も前面に出てくれ」

「……わぁってるよ。流石に給料分の働きはするぜ。お荷物呼ばわりは真っ平御免だからな」

 マッキーに声をかけられたヒメネス隊員が、皮肉めいた物言いを返した。彼は確か、2号艦"ブルージェット"号のクルーだったはずだ。こうして"レッドスプライト"号に乗り込んでいるということは、彼らは小生らよりも前に2号艦のクルーとも合流を終えていたということなのだろう。

 つまり、これで行方不明になっていた4艦すべての消息が判明したことになる。

 そう言えば、4艦すべてを統括すべき隊長の姿が見えないが、一体何処にいるのだろうか?

 でも、今それを聞くのはあまりにも空気が読めていない行為の気がする。

 

 どうしよう……、聞こうか、聞くまいか。

 小生がまごついている内に、"レッドスプライト"の機動班は降車デッキから出撃し、しばししてから艦内モニターに戦闘映像が映し出された。

 そこにはいつぞやに出会った山羊頭の巨人たち。それと正面から体当たり気味に殴り合いを繰り広げているトラちゃんさんの姿があった。

 

『あ痛ぁっ!? こんの、お返しのマッスルパンチよ! マッスルパンチ! マッスルパンチ!』

『"エルブス"の女神! "フォーモリア"は体力があり、相手の攻撃力を減らす戦闘術に長けている。以前使っていたマハムドオンを使え!』

『この前、マッスルパンチに変えちゃったからもう無いわよ、そんなの!! でも、これで良いの。この前カンバリに相談したら、人に"信用"されるにはまず体当たりするしかないって言ってたわっ』

『色々と言いたいことはあるが、今は突っ込んでいる暇がない! とにかく、怪我をするな! というか、勝手に動くな! 俺がヤマダに怒られるんだよッ!!』

 現場は一見して調査隊優勢であることが読みとれたが、色々な意味で阿鼻叫喚の様相を呈していた。連携できない戦闘集団の統率って、あんなに大変なものなんだな……。

 とりあえず、トラちゃんさんには後で言葉の綾という概念を伝えるとして、

 

「"アーサー"さん、提案良いですか?」

『はい、何でしょうか? ヤマダ隊員』

 小生は今一番大事な問題を片づけてしまうことにする。

 

「トラちゃんさんの疑惑と、調査隊との折り合いについては結論を先延ばしにしていただけませんか?」

 この提案に、作戦班のカトーが色を変えた。

 

「何を言っている、ヤマダ隊員! あれは……、いや彼女の力は映像で見たとおりだろう。何の対策も打たずに放置するのは危険すぎる」

「だからこそ、今下手を打って敵に回すわけにはいかない、と考えるべきだと愚考します」

 カトーや他の隊員がぐうと押し黙ったところに、小生は畳みかける。

 

「小生がこう申しますのは、何も感情的な理由で我を張っているわけではありません。正直、この敵か味方か、操っているのか操っていないのかという問いかけは……、やぶ蛇になりかねないと思うのです」

『アナタの懸念をお聞かせください。ヤマダ隊員』

 "アーサー"に促されるまま、小生は続ける。

 

「まず、根本的にトラちゃんさんと我々調査隊の目的は反目している可能性が非常に高いです」

「は、反目?」

 カトーたちが絶句する中、

『成る程、アナタの懸念は理解できました。確かに、この件は深く追及するべきではありませんね』

 と"アーサー"が独り納得する。いや、

 

「どういうことなんだ、"アーサー"」

「そんなに難しいことじゃないわ。トラソルテオトルと名乗る彼女の目的と、私たちの目的を比較してみればすぐ分かることだと思う」

 ウィリアムズが"アーサー"の言葉に追随した。彼女は指を立てて、教師のように周囲を見回した。

 

「私たちシュバルツバース調査隊は、この不可解な空間現象の原因を突き止め、可能ならばそれを解決、もしくは原因そのものを破壊することを使命としているわ。そして、原因に関しては朧げながら予想もついている。4号艦のサポートAIが重要な情報をもたらしてくれたから」

『ワタシの同胞である"アイザック"を親とする"ダグラス"なるプログラムの分析ですね。トラソルテオトルが"箱庭"という異次元を生み出したように、このシュバルツバースも強力な悪魔によって生み出された可能性が強いという……』

 ウィリアムズが「ええ」と頷く。

 

「問題は、この『空間を生み出す』という悪魔の権能そのものにあるの。彼女らの生み出した空間は皆、このシュバルツバース内に内包された小宇宙として存在が許されているものだと仮定できるわ。では、これらの空間は果たしてシュバルツバースが消滅した時、存続していられるものなのかしら?」

「あっ」

 と隊員一同が顔色を青くした。

 

 そうなのだ。トラちゃんさんの目的が"箱庭"で細々と暮らすことである以上、"箱庭"の土台となるシュバルツバースの消滅を目指す調査隊の方針は、彼女の望みに真っ向から対立する可能性が非常に高いと考えて良い。

 もし彼女の現状を二兎に目が眩んだために、迷走を続けている状態だと仮定すれば、いずれは調査隊と彼女の道が分かたれる日がやってくる。そしてそれは決して遠い未来の話ではないはずだ。

 ゆえに小生は考える必要がある。彼女の望みと調査隊の望み、その双方がうまく落着する選択肢を。彼女が悲しまぬ、願うことなら笑っていられる選択肢を。

 小生は言った。

 

「とりあえず、おトイレを借りて良いでしょうか?」

 

「いや、何でこの流れでトイレが出てくるんだ!?」

 盛大に突っ込むカトーに対して、小生は真顔で答えた。決して、積もり積もったプレッシャーに胃腸が屈したわけではない……。いや、だけではない。

 

「カンバリ様との、小生らを助けてくださった秘神との"約束"があるんです。とりあえず、目に付いたトイレは片っ端から掃除するようにという……」

「待て、それは女子トイレもか?」

 男勝りな女性班員の険しい口調に、やや気圧されつつも「はい」と答える。直後、隊員たちから「うわあ」と哀れむような咎めるような眼差しが飛んできた。お、お花を摘みにレコーディングしに行きたい。

 皆が言葉を発しない中、"アーサー"が平生と変わらぬ口調で問いかけてくる。

 

『それがアナタたち、いやアナタが強力な悪魔たちから力を借りるために交わした"契約"だったのですね。ヤマダ隊員』

「うーん。今更ながら考えてみると、"契約"というよりは、"約束"……、でしょうか?」

 言霊というオカルトの範疇ではあったが、小生は後者にどうしてもこだわりたかった。

 辞書的な意味合いで、この二つの言葉は同じ"合意"を表しているが、個人的には"約束"の方がより善意や好ましい人間関係のもとに交わされるものという印象が強い。

 そう、小生は彼女らと敵対したくないのだ。気に入ってしまっているのである。

 先だって、信用はしていないが"信頼"していると答えたことはその好意の現れであった。だからこそ、

 

「質問があります、"アーサー"。今後、我々は"レッドスプライト"号の保護下、管理下に置かれることになるのでしょうか?」

『はい。当艦に合流する場合、クルーとして艦務分掌を担ってもらうことになるでしょう』

「ならば、小生は合流しないでいようと思います」

「待て、何でそうなる! お前が操られていないのならば、行動を共にしない理由がない。今は助け合うべき状況じゃないか!!」

 慌てるカトーに小生は少し思案した後、こう答えた。

 

「いえ、理由はあります。調査隊にとって、トラちゃんさんたちと距離を置くことはデメリットにしかならないと思うからです」

『アナタの言わんとすることが理解できました。ヤマダ隊員。アナタはトラソルテオトルと我々の決定的な衝突を防ぐ緩衝材になろうというのですね』

 彼の緩衝材という言い回しが初めから敵対を予期しているように聞こえ、小生は複雑な思いを抱きながらも苦笑いして頷いた。

 

「まだ1週間とちょっとの付き合いなんですけど、あの女神様は寂しがり屋なんですよ。"約束"がありますからね。小生は彼女から離れられません」

 小生の固い意志が伝わったのか、"レッドスプライト"クルーから特に反論は返ってこなかった。

 そして、"アーサー"が平生のままに結論を下す。

 

『分かりました。それでは、アナタには"隣接した中立以上勢力"に所属する交渉人(ネゴシエイター)としての働きを期待いたします』

「……お任せ下さい」

 彼のこの発言は、小生と"レッドスプライト"クルーとの完全な決別を示唆していた。"隣接した中立以上勢力"……、"隣人"とは結局のところ、身内でも仲間でもなく単なる他人でしかないからだ。

 それでも小生はそのことを寂しくも悲しくも思わない。今の小生は、トラちゃんさんと人間が争うところを見たくないという一心に自らの判断を委ねていた。

 

『我々は、アナタたちを"隣人"という意味合いでNeighboring Occupant in Association for Harvest……、とでも呼ぶことにします。略称は、"箱庭の住人"ですね。我々シュバルツバース調査隊は、"箱庭の住人"との友好的な距離感を望みます』

「こちらこそ、同感です」

 小生は彼の要請を快諾する。

 かくして小生は、人間でありながらも人外勢力に与する交渉人と化したのだ。

 ついでに艦内のトイレも隅から隅まで掃除し尽くしたのであった。

 あ、結局隊長の所在を聞けていないや。

 

 

 

 あの後、"フォーモリア"のお代わりが大群でやってきたらしく、しこたま殴られて目を回していたトラちゃんさんをタダノ君から引き渡してもらい、彼女をえっちらおっちら背負いながら"箱庭"へと戻ってきたわけだが、

「……何があったんです? これ」

 "箱庭"は、散乱していた資材こそ綺麗に片づけられ、"トカマク型起電機"にも肉厚の特殊金属によって放射線防護処置が為されていたものの、人の方がとっちらかってしまっていた。

 顔を赤くして伸びた隊員たちが死屍累々の様相を呈しているのだ。

「ああ、ヤマダさん。お帰りなさい。ええと……」

 数少ない素面のゼレーニン中尉が、目を泳がせながらどう説明したものかと言葉を濁す。いや、よくよく考えてみれば彼女の説明を受けるまでもない。

 彼らは明らかに泥酔して倒れているようであった。つまり、犯人は酒を司る神しかいない。

 小生はディオニュソスさんの姿を探す。

 彼はまだ生き残っている隊員たちと"アーシーズ"の大地に銀色のシートを広げ、車座になり、コップを片手に馬鹿騒ぎをしている最中であった。

 地面の所々に何かしらの染みができており、"アーシーズ"が『うごごご』と呻いている。

 

「これより呑み残し判定裁判を執り行うっ! もし杯に呑み残しがあったならば、呑み残し罪によって酒刑に処す!!」

 資材班の年長者がコップを片手にそう叫ぶと、周囲の生き残りとディオニュソスさんが盛大な拍手とともにコップを掲げた。

「どーきどーき魔女裁判! どーきどーき魔女裁判!」

 ……誰だ、東アジアの悪しき風習である呑みにけーしょんを皆に広めた奴は。

 開いた口がふさがらないままに、乱痴気騒ぎは続けられる。

 年長者がディオニュソスさんのコップをひったくり、ものすごい勢いで振り回した。で、当然アルコールの一滴が中から飛び散る。

 

「判定は、アウト!」

「はい、ディオっちゃんアウトー」

 有罪判定を食らったディオニュソスさんがおもむろに立ち上がり、お代わりに注ぎ足されたアルコールを一気に飲み干す。

 そして、上機嫌に一言。

 

「フフフ。新入生のディオニュソス。脱ぎます!!」

「へい、ダーンス! へい、ダーンス!」

「フフ、フフフ。このデカダンス……、素晴らしいですねぇ!」

 トーガを脱いだディオニュソスさんが、隊員たちの拍子に合わせて不思議な踊りを披露した。見るだけで意識を持っていかれそうな不可解な踊りだ。

 ああ、ついに伝家の宝刀、下ネタ隠し芸まで飛び出し始めた……。

『こ、これが純朴な学生を罠に陥れる悪質サークルの実態……。何故ワタシには身体がない……』

 "アーシーズ"の妄言はこの際どうでも良い。

 

「あんなになるまで……、一体何処にアルコールが」

「あの、機械洗浄用のメチルアルコールを……」

「ちょっと、ダメな奴じゃないですか!」

 顔を隠して色々と見ないようにしている中尉の言葉に、慌てて隊員たちのコップを取り上げると、ぶうぶうと不平の雨霰が降ってきた。

 

「おいぃ、ダメじゃないかチミぃ……。ボクぁね。逝ってみたいんだよ、イスタンブールに……」

「アルコールは旅客機じゃありませんよ!」

「ヤマダァ! 折角の酒取るなヤマダァ!!」

「メチルアルコールはお酒じゃないでしょ! 失明の危険があるでしょうがっ!」

 ドクターは何やってるんだと姿を探すと、助手さんの膝枕でダウンしていた。"リリム"に火照った顔を手で仰がれていたり、な、何だあの男の夢を具現化したかのような光景は。てか、ドクターも飲んでるのかよ。

 

「ああ、何でこんな体たらくに……!」

「ネモたちの追悼式のつもりだったのよ。最初は」

 顔を隠しながら中尉が言う。

 彼女の説明によると、初めは防衛戦で散っていった仲魔たちの墓作りと追悼式を大真面目にやっていたらしいが、途中で全滅したトウモロコシ畑から新たな芽が飛び出していることに気がついたようで、そのまま祝典にまで発展してしまったのだという。

 

「へ。芽が出たって……、マジですか?」

「ええと。本当よ。自分の目で確かめてみるといいわ」

 言われて畑を見に行くと、倒れた茎の隙間から、単子葉類特有の子葉が無数に飛び出している様子が目に飛び込んできた。それも以前よりも広域に。元々、異様に成長の早かったトウモロコシだったが、まさか再生力まで高かったとは……、驚きのあまりに我が目を疑う。

 

「いや、それにしたってメチルアルコールは駄目でしょう」

「それが、お酒の神様が毒性を抜いて下さって……。その御業に観測班の班長が大感動して……」

「ああ、状況読めました」

 恐らく、彼らはオカルトの科学的分析という名目で、無毒に変質したアルコールの賞味を始めたのだ。班長はチームワークを重んじる、後方人員の中ではストッパーの役割を担う人材だが、こと知的好奇心が絡む分野になってしまうと、ブレーキを踏まずにアクセルを全開で開いてしまう。

 そこに娯楽に餓えていた面々が合流し、自然と宴会が始まったというわけか。

 で、状況は読めたが、どうすれば良いんだ。これ……。

 正直アルコールが抜けるまでなんともしようがない。

 うーん。

 うーん。

 

「……よし、見なかったことにしよう」

 小生はトラちゃんさんをマットに寝かせて、生き残った酒飲みの狂人たちが理性を取り戻すまでひたすら待機することにした。

 資材の山を背もたれにして、その中から取り出したるはジップロック。コップに道頓堀由来の水を注ぎ、コップ片手に謎肉のブロックをちびちびと食べる。

 

「何だか、ごめんなさいね。私が彼らを諫めることができれば良かったのだけれども」

 中尉が小生の隣に座り込み、申し訳なさそうに頭を下げた。無言でトラちゃんさんの膝枕役を務めるあたり、彼女の信仰心は少しも揺らいでいないようだ。

 小生は中尉のメリハリがきいた太股が変形する様をちらちらと視界に納めながら、苦笑いして返す。

 

「いえ、中尉も大変だったのでしょう」

 小生は彼女の胸元を見た。いや、決していやらしい理由から見たわけではない。彼女の母性豊かな胸元がどうというよりは、胸ポケットに入っているらしき"物質"へと目を向けているのだ、小生は。

 

「ブレアさんから、"デビルソース"の説明を受けたんですね?」

 恐らく、彼女の胸ポケットには"ゴブリン"の……、根元の"デビルソース"が入っているのだと予想される。よくよく考えてみれば、根元もあれだけ彼女に惚れ込んでいたのだから、絆の一つも残さずに逝くとは到底思えなかった。惚れた女のためにさくっと身代わりに死んでいくような潔い性分の奴は、フライド謎肉を隙あらば独占しようとしたりはしない。

 中尉は小生の指摘に「あっ……」と驚き、すぐに表情を綻ばせた。

 

「帰ってくると良いですね、彼」

「"レッドスプライト"号ならば、蘇生の処置ができると聞いたの。後で、行ってくるわね」

 そしてしばらく無心で謎肉を口に放り込む。

 早く皆の酔いが醒めないかなあと考えながらぼおっと口を動かしていると、中尉が興味津々という風にこちらを見ていることに気がついた。

 

「どぞ」

「ありがとう。……やっぱり、ジャンクよね。このお肉。もう少し何とかならないものかしら」

「地上の動物とか家畜をここで飼えるようにならない限り、ちょっと難しそうですよねえ」

「そう。ここは地上ではないのよね。あくまでも人の業が生み出したシュバルツバースの中に、私たちはいる……」

 そう言うと彼女は難しい顔をして黙り込んでしまった。きっと難しいことを考えているのだろう。小生もまた同じだ。

 トラちゃんさんたちのこと。自分たちのこと。これからのこと。考えることが多すぎて、頭がパンクしそうであった。

 

「努力しなきゃですね、色々と」

「そうね」

 結局、隊員たちの馬鹿騒ぎは丸一日続けられた。

 

 

 

「ヤマダ、この種は何処に蒔けばいいの?」

「あー。えっと、班長さん! 土壌成分の分布図もう一回見せて下さい」

「ええ……? 今、解析で手が放せませんから口頭で勘弁を。というか、もう区画ごとに縄張って下さい。二度手間はごめんですよ、僕は」

 追悼式と祝宴を兼ねた宴会の翌日、小生と一部の後方人員、そしてトラちゃんさんたち仲魔組は滅茶苦茶に荒らされた畑の復旧につとめていた。

 いや、復旧というよりは拡張かもしれない。正直、トウモロコシ畑自体は抉れた地面を均す程度にしかやることがなく、そのまま捨ておいても直ぐに再生するだろうと思われる。

 本題は、新たな作物の植え付けだった。

 

「それにしても、珍しい人たちもいたものね。この土地にお野菜の種を持ち込んでいる人がいるなんて」

 トラちゃんさんが、明るい表情で地面に野菜の種を蒔きながら言う。

 彼女の言う「珍しい人たち」とは、"レッドスプライト"号の隊員たちを指していた。

 実は昨日に小生が"レッドスプライト"号に乗艦した折り、無理を言って植物の種を持っている隊員から何種類かの種を分けてもらっていたのだ。

 分けてもらった品種は、トマトにカボチャ、カブにニンジン、ダイズ、ジャガイモなどの食卓に世界各国で愛されている作物であり、小生の持ち帰った戦果に、同僚たちは沸き立った。

 彼女の何気ない一言に、小生は確かにと考え込む。

 

「んー、確かにそうですね。艦内で家庭菜園でも作るつもりだったんでしょうか?」

「それ多分、お国柄だと思うぜ」

 とトラちゃんさんに並んで、種を蒔いていた資材班のヒスパニックが口を挟んできた。

「その野菜の種を持っていたってのはロシアの出身者じゃないか? あそこの国はスプートニクやらミールやらの宇宙開発競争時代から、宇宙船に農業スペースを作る試みを続けていたんだ。"ライトニング"型次世代揚陸艦は宇宙船の技術が随所に使われているからな。大方、同じ感覚で種を持ち込んでいたんだろうさ」

「な、成る程。あ、でもイタリアの方もいました」

「通信班のムッチーノだろ? イタリアの宇宙機関は数年前までNASAの技術供与を受けていたはずだが、最近はコストの関係でロシアとの関わりを深めているから、流儀を準じても分からんでもないな。本人の趣味かもしれねえけど」

 ちょっとした疑問に細やかな説明が返ってくるのが、この調査隊の恐ろしいところだ。特にヒスパニックは、実家が畜産農家のトラちゃんさん信者という印象しかなかったから、思わぬ知識にびっくりであった。

 トラちゃんさんもまた小生と同様、彼の説明にほうっと感心しているようだ。

 

「良く分からないけど、お野菜が増えるのは良いことね!」

 いや、肝心の部分は理解していなかった。いや、肝心の部分だけ理解したのか……? ヒスパニックが「その通りですね、女神様」と微笑んでいるあたり、間違っているわけではないのだろう。多分……。

 

 気を取り直して、小生は無心で大地に穴を掘り、

『アッ』

 種を植える。

 中腰で後ずさりするように位置を変え、また大地に穴を掘り、

『アッ』

 種を植える。

「ちょっと"アーシーズ"さん、静かにできませんか?」

『え、今猿轡って言いました?』

「言ってません」

『というか、もう少し優しく』

「だったら自分で穴作ってくださいよ……」

『は、破廉恥な!?』

「何で!?」

 小生が嘆息したところで、芋畑を作っていたヒスパニックがおもむろに言う。

 

「ジャガイモ植えてると、あの映画思い出すんだよな」

「ひょっとして、火星でサバイバルするお話しですか?」

 彼の独り言に乗っかってきたのは、ダイズ畑を作ろうとしていたドクターだった。

 独り言を拾ってもらったのが嬉しかったのか、ヒスパニックも中腰にしていた体勢を持ち上げ、身振り手振りを交えた雑談を始める。

 

「そうそう、あれ面白かったよな」

「僕は原作小説読みましたよ。ダクトテープの使い道を学んだのは、あれのお陰です」

「確かにダクトテープはすげえ。魔法ってああいうもんを言うんだって思った」

 彼らのやり取りは、何と言うか完全に村人の会話そのものであった。

 いや、牧歌的なのは悪いことではないと思うが。良いのかなあ、これ。

 だって、彼らは"レッドスプライト"号への合流を断ってしまった面々なのである。

 それでのほほんとしていられる辺りがちょっと理解できない。小生なんてかなり覚悟を決めてようやく決断できたのに……。

 

「……本当に"レッドスプライト"号に行かなくて良かったんです?」

 どうしても合点がいかなかったため、小生はヒスパニックにそう問いかける。すると、彼に「アァ? 何言ってんだ。オメェ」というような顔をされてしまった。

 

「女神様のいる場所が俺の場所だろ? ブラザーだってそうだろうが」

「お、おう」

 信者レベルの高まりを感じる……。というか、小生は彼のブラザーだったのか。その内、異端者を攻撃し始めないか、本当に心配だ。

「あ、僕はフィールドワークのできる場所から動くつもりはありませんよ」

 とは観測班の班長。ちょっと理系脳には聞いてない。

「僕らも、この"箱庭"に人が居住する限りは動くつもりはないですねえ……。医者ですから」

 とはドクターの言だった。正直、彼には"レッドスプライト"号へと向かって貰いたかったというのが正直なところだ。というのも、小生を検査したゾイという女性が彼の熱烈なファンらしい。

 何でも彼は世界的に猛威を振るいつつあった難病の撲滅につとめた名医なんだとか。彼女からは何としてでもドクターを"レッドスプライト"に合流させるよう、強くせがまれていた。これで「何の成果も上げられず、説得できませんでした……」なんて言った日には、無事でいられる気がしない。

 そんな風に小生が戦々恐々としているところに、観測班班長の奇声が挙がった。

 

「あああああ! 理解した(エウーレカ)!」

「どうしたんです?」

「やはり、"マンドラゴラ"は生育環境によって能力差が生じるようなのですよ!」

「待って。ちょっと何してるの……?」

 慌てて駆け寄ってみると、満面の笑みを浮かべた彼の手元には、風呂に入ってのぼせたかのような、とろんとした表情を浮かべた人面の植物が土に植わっていた。どう見ても、"悪魔"です。本当にありがとうございました。

 

「何処から調達してきたんですか、この子!」

 こちらの剣幕に対して、班長は「え?」と不思議そうな顔をした。何でだ。

 

「そんなの、"箱庭"内を飛んでた骸骨ヘッドの鳥や"タンガタ・マヌ"たちを素材にしましたよ。実は神樹なるものが作れないか頑張っていたんですが、僕が何度やっても何故かDARK属性の"悪魔"しか生まれてくれないんですよね。あ、勿論合意の上での合体です」

「待って、ちょっと待って」

 しれっと発している言葉のすべてが爆弾発言すぎて、理解が全然追いつかない。

 

「合意の上って、どういうことですか!?」

「いや、"タンガタ・マヌ"と話し合ったのですけれどね。どうにも、ある種の"悪魔"にとって肉体というものは大して意味を持たないのだそうです。魂と肉体が分離していると言いますか」

 彼の説明を大まかにまとめると、おおよそ次のようになるだろうか。

 まず、秩序を重んじる"悪魔"は自らの肉体を仲間のために捧げることを苦にしない。魂もまた一定の寿命を持たないからか、何らかの役割を果たせるならば素材とされることに抵抗はないようだ。

 対して混沌を尊ぶ"悪魔"は自らが至高の存在に生まれ変わることを望む。故に他の"悪魔"の魂や肉体を糧に、より強い力が得られるのならばそれは喜ぶべきことらしい。

 さらに、こういった考え方に分霊と本体といった概念も混ざってくる。つまり、

「ほとんどの"悪魔"は自らの合体を肯定しているということですか?」

 班長は頷いた。

 

「うちの女神様や秘神さまたちは例外と言えるのでしょうね。彼女らは御自身の神格に信仰が集まることを喜び、特定の目的を持っていらっしゃいますし。ですから」

「ですから……?」

「おお! 成る程、じゃあ立ち止まる必要はないな。よおし。頑張るぞ! と」

「そこは止まって! 左右を見て下さいよっ!」

 小生は班長の肩をがっくんがっくん揺さぶった。

 彼の調査や発見は我々調査隊にとって直接的な戦力増加につながる重要なものであったが、実行に至るまでのプロセスをはしょりすぎている。これ、絶対後で他の隊員たちの間で物議をかもすやつだ。

 マッドサイエンティストとは、きっと彼のような人物を言うのだろう。ブレーキを踏まねばならぬ場面で、アクセルを全開に踏み切ってしまうその精神が恐ろしい。

 彼は自らの大発見が相当誇らしいようで、仮説の上に仮説を積み上げた夢物語を語りだした。

 

「とにかく、合体や召喚によって生み出す"悪魔"の個体特性が、その生育環境や"デビルソース"などの外的・内的要因で変化するという事実は非常に興味深いものですよ。これ、多分"悪魔"の品種改良や、人造の"悪魔"を作り出すことすらできるかもしれません。例えば、安定的に肉を供給できる家畜"悪魔"、フード種の生成など……」

「……班長、ひょっとして北極で倒れたマッドサイエンティストのご先祖様とかいません?」

「ああ、はい。フランケンシュタイン博士なら、僕のご先祖様ですけど。というか、姓も同じですよ。ヴィクトール・フォン・フランケンシュタイン。丁度名前もご先祖様と同じなんです」

 皮肉で言ったつもりが、本当に伝説的マッドサイエンティストの子孫であった。あれ、実話なのかよ……。

 その後もフランケン班長は上機嫌に"マンドラゴラ"の手入れをしつつ、捕らぬ狸の皮算用をしていた。

 

「人造"悪魔"の名称はどうしましょうか? 個人的には造魔(デモノイド)が通りも良いと思うんですが……」

「……その前に、"レッドスプライト"号にどう報告するか考えた方が良いと思います」

「ああ、研究レポートは大事ですよね!」

 そう言うことじゃないんだけどなあ……、と半眼でねめつけても、彼は全く意に介そうとしなかった。

 それどころか、トラちゃんさんにまで矛先を向ける。

 

「女神様はどう思います?」

「へ!?」

 恐らく、種蒔きに夢中で彼の言葉を聞き流していたのだろう。いきなり水を向けられた彼女は「んーと、んーと」と頭を抱えつつ、

「ええと。それって……、絶対にアクマを。命を冒涜することにならないって保障はあるの?」

 と意外に核心に迫る問いを発した。思わず、彼女を二度見する。

 

「……何よ?」

「いや、卓越した慧眼だと思いまして。確かにその通りですよ」

「え、頭良さそうな質問だった? 今の」

 途端に彼女の鼻が伸びるが、その確認は頭が悪そうでコメントに困る。

 フランケン班長は彼女の質問に満面の笑みを浮かべて、こう答えた。

 

「生命倫理に関する問いかけですよね! 流石生と死を司る女神様です。勿論、全ての生命に感謝をして、祈りを捧げる場を用意し、固体数が増えるよう保護も行い、無駄な殺生も減らしましょう。後、家畜とする"悪魔"に戦闘能力と労働力を期待するようにすれば、女神様の御懸念も解決できるのではないかと思いますが」

「ん? んー? それなら、良いの? かなあ? トウモロコシみたいな作物と同じように共生関係をとって感謝を捧げてくれるってことよね??」

 何か丸め込まれそうだが、小生の業界では彼の言う取り扱い方を馬車馬の如くと呼ぶ。

 良いのかなあ……? と思いつつも、"肉の安定供給"というパワーワードが小生の口を塞いでいた。

 ちらりとヒスパニックや、ドクターたちを見る。

 畜産農家出身のヒスパニックは、何を当たり前のことをという顔をしていた。ドクターと助手も無言でコクリと頷いている。

 成る程、彼らはフランケン班長の研究を黙認する腹積もりらしい。

 人間って業が深いんだなあ……、と小生は仮初めの青空が映る天を仰いだ。

 そんなやりとりを繰り返している内に、当面やっておくべき農作業も一通り終わる。

 

 改めて見渡してみると、方形に区切られた野菜畑が最低でも500坪くらいには広がっていた。各作物の間には畝が設けられており、立て看板を立てたことによってその識別も容易になっている。『女神様のトウモロコシ畑』やら『ディオニュソスの借地』やら『実験プラント』やら……。

 道頓堀の存在感も相まって、これはどう見ても農村の風景であった。いや、農村に『実験プラント』はあるのか……?

 いずれにせよ、この牧歌的な景色を満足げに眺めつつ、村人予備軍たちは玉のように吹き出した汗を手で拭った。

 

「良い感じじゃないですか」

「後、何かすべきことあっかな?」

 ヒスパニックの自問に、ドクターが「それなら」と手をぽんと叩く。

「いい加減、居住スペースを作るべきではないでしょうか? 特に医療面を考えて、隔離できる区画は重要です」

「家かあ。そこらはヤマダ隊員にお任せだな」

「えっ?」

「えっ? じゃないだろ。インフラ班、もうブラザーしか残ってないんだぞ」

 皆の呆れた眼差しに耐えかねて、小生はぷいっとそっぽを向いた。だが、言われてみれば確かにそうだ。

 

 "箱庭"に残った住人は今のところ、返事をまだ聞いていないゼレーニン中尉はさて置くとして、ヒスパニックとドクターに助手、フランケン班長に小生しかいないわけで、この中で建築の音頭を取るべきなのはインフラ班たる小生しかいないだろう。

 小生は咳払いを立てて、当面の仮設住居を建設すべく、皆にやるべきことを指示することにした。

 と言っても、最初は簡単なテントを設営するだけで問題ないだろう。

 何せ、まともな住居を作ろうにも資材がない。

 とりあえずは男女に分かれた宿泊施設を二棟かなあ……。"タンガタ・マヌ"さんたちの寝泊りできる空間も作らなきゃだから、広めに作るべきだろう。

 

「じゃあ、もう良い時間ですし……、ぱぱっと終わらせちゃいますかあ」

 小生の指示に村人と仲魔たちが頷き、各々で資材をかき集め始める。

 デモニカスーツという文明の利器と、意外にパワフルな"タンガタ・マヌ"さんたちや、明らかにパワフルなトラちゃんさんやディオニュソスさんのお陰で――スダマは基本的に邪魔をするだけである――、作業は驚くほどスムーズに進んでいった。

 

「支柱何処に置く?」

「そこで、斜めに組み合わせます。予備のダクトテープ何処でしたっけ?」

「あ、はい! ここにありましたー」

「ねえ、ヤマダ。アタシの仕事は?」

「何じゃ、戻ってきたと思ったら、本格的に村づくりを始めたんじゃのう。なら、カワヤ作りも忘れるなよ?」

「あ、お帰りなさい。カンバリ様。ええ、トイレは絶対に作りますよ」

「ふうむ、私も酒造庫が欲しい所ですが……」

「む、それならアタシだって神殿が欲しいわよ!」

「あの、そういうのは後でも構わないでしょうか……?」

 そうして、偽りの陽が地平線に落ちようというところで、二棟のテントが完成する。

 金属の棒をダクトテープで組み上げた、簡易式のテントである。日持ちはしないと思うが、どうせ間に合わせの住居のため、特に凝る必要もないだろう。

 

「後は照明とマットを持ち込むだけだな。他に必要なものってあるか?」

「ん、とりあえずはそれだけで良いんじゃないですかね。"タンガタ・マヌ"さん、お疲れ様です! 謎肉の余り用意しますから、今日はテントで休んでください!」

「それに沿って、遠慮なく」

 コクリと頷いた10体近くの"タンガタ・マヌ"さんたちが、ぞろぞろとヒスパニックの後に続いてテントの中へと入っていく。

 

「お、おい、これ狭いぞ!」

「遠慮なく」

「あ、うーん。少しは遠慮を、な!?」

 中から苦情が飛んできたが、今日はこれで我慢してもらうより他にない。

 彼らも"スダマ"たちもこの"箱庭"にとっては英雄であり、決しておざなりにできる存在ではないのである。

 今日は奮発して備蓄した謎肉を全部皆で分けてしまおう。お礼はできる時に、ちゃんとしておいた方が良い。

 そんなことを考えてジップロックをかき集めていると、

 

 

『……こちら、アルファリーダー。"エルブス"コントロール聞こえるか?』

 待ちに待った、リーダーたちからの経過報告がやってくる。

『リーダー!? ご無事でしたかッ?』

『ヤマダ隊員か……。そうだな。何とか俺は生き残っている』

 彼の声色は、明らかに消沈したものであった。

 まさかミッションが失敗したのか……?

 という可能性が脳裏をちらつくも、すぐに歓迎すべきニュースがもたらされる。

 

『"レッドスプライト"クルーの助力を得て、艦長たちの救出は成功できたよ。ミッション完了だ』

『それは……。でも……?』

 ならば、彼の暗い声色の理由に見当がつかない。

 一体何があったというのだろう。

 リーダーはぽつり、ぽつりと言葉を零す。

 

『あちらの事情を色々聞かされたよ。ゴア隊長は……、我々調査隊の隊長は殉職なさったそうだ。それに――』

 続く言葉に、小生は手に持っていた物を地面に落としてしまった。

 

 同僚の救出という一大ミッションの成功。

 それは決して無傷で得られた成果ではなかったのである。

 後日、リーダーたちの手によって、機動班の一人が変わり果てた姿でこの"箱庭"へと運ばれてきた。

 仲間に戦死者が出たのである。

 犠牲となったのは小生に好意を持って接してくれていた、野球好きの男性であった。

 

 

 そして、小生ら"エルブス"号の生き残りにして"箱庭の住人"たちは彼の死を悼む暇もなく、変転する事態に流され続ける。

 救出した艦長たちが多数の天使を伴い、"箱庭"の入り口にまでやってきてこう言い放ったのだ。

 

「これからアナタたちは、私たちの指揮下に入っていただきます」と。

 



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シュバルツバースで対峙と発覚

「ねえ。ちょっと、ヤマダ! 外の様子はどうなってるの!? やっぱり、かなりやばい感じ?」

「うーん……、とりあえずはうじゃうじゃいますねえ」

 草の蔓がこびりついた"箱庭"の扉に耳をぺたりとつけ、焦れったそうに腕を振り回し問いかけてくるトラちゃんさんに答えながら、扉の隙間から外を窺う小生は、胸に渦巻く不可解な感情にただただ困惑していた。

 

 今、小生を含んだ"箱庭の住人"たちは不意の来訪者を出迎えるため、"箱庭"の入り口前に代表者を立たせている。

 そう、この来訪は全くの突然であった。

 ミトラス宮殿という死地から帰還したリーダーたちによれば、来訪者たる"彼女"たちは一度宮殿内で再会できた後に身命を賭して救出に現れたリーダーたちを振り払い、「これからやるべきことが、知るべきことがある」と呟き、"天使"たちと共に何処かへ姿をくらませてしまっていたらしい。この時、"彼女"らに親近感を持っていた1名のチームメイトも勝手についていってしまったそうで、無事に"箱庭"へと帰ってきた救出班はたったの3名だけだった。

 決死の努力を無碍にされた彼らの、特に責任感の強いリーダーの失望たるや、想像を絶するものであったに違いあるまい。

 少なくとも帰還直後の彼の顔つきは、まるで死人のように憔悴しきっていた。

 今は戦死者の浄化と葬儀を終え、十分な食事と安全な睡眠をとったためか人並みな受け答えをすることができているが、時折見せる陰の濃さが刻まれた傷跡の深さを教えてくれる。

 故に。

 小生らは今回の来訪者に対して、最大限の警戒心をもって接することを皆で肝に銘じていた。

 

 こちら側の代表として扉の前に立っているのは、完全武装したリーダーと強面、そして"ギガンティック"の青年の3人に、その仲魔たちだ。

 また、交渉役としては観測班の要職にあるという関係上、フランケン班長がそれを務めている。

 それ以外の面々は、艦内における階級の低さが場をいたずらにかき乱す恐れがあったことから、矢面に立つことを免除されていた。

 勿論、重責を担わずに済んで喜んでいる住人などいようはずがない。

 ヒスパニックは「またぞろ面倒ごとがやってきた」という表情を小生らの傍らであからさまに浮かべているし、ドクターたちは今後の行く末を、固唾を呑んで見守っていた。

 "リリム"もまた心配そうに胸に手を当てており、双つの丘が少し歪んでいる。

 

「あちらの陣容はどんな感じなの?」

「あー、ええとですね。"エルブス"号の責任者お歴々や同僚たちが20人近くに、天使が30か40体くらい……、ですかねえ」

 そう返しつつ、小生は扉の隙間から見える景色を右から左へと見回していく。

 そこには先の襲撃で廃墟と化した歓楽街を背景に、こちらと向かい合うようにして2週間近くご無沙汰であった同僚たちの涼しげな顔が揃っていた。

 小生にとっては直属の上司となるインフラ班の班長に、動力班や通信班、機動班の班長……。"外様"などは一人もおらずに役持ちの隊員がずらりと並ぶ中で勝ち気そうな白人女性が微笑んでいる。

 忘れもしない、"エルブス"号の艦長だ。

 

「あ。後、ゼレーニン中尉もあっちにいます。肩に金色の小鳥――、"スパルナ"が乗っかってますから、分かりやすいですね」

「へ!? 何であの子があっちにいるのよっ!」

 トラちゃんさんがまさかの事態に悲鳴をあげるが、小生は彼女が想像しているであろう可能性を即座に否定した。

 

「あー、いや。あれは艦長たちの帰還に巻き込まれただけっぽいですよ。だって、ものすごく浮いてます」

 中尉は、端から見ていて可哀想になるくらいにおろおろと狼狽えてしまっていた。

 彼女の気持ちは小生にも大変よく分かる。

 悲願した仲間たちの合流にようやく立ち会えたというのに、気づけば二極に分かれた睨み合いの始まりだ。

 もし、あの中に小生が巻き込まれていたらと考えると、想像するだけでしくしくと胃腸が痛みを訴え出す。

 

「じゃあ、あの子がアタシと対立するなんてことはないの?」

「その言葉、彼女が聞いたら悲しみますよ。まあ、普通にタイミングの問題だと思います。少し離れた位置にタダノ君やヒメネス隊員たちが待機しているんですよね。状況的に考えたら、根元の蘇生処置を済ませて"箱庭"へ帰ろうとした道中にばったりと出くわしてしまったというのが真相じゃあないでしょうか? その根元の姿が見えないのが気になりますけど……」

「そ、そう? なら良かった……」

 ほっと胸を撫で下ろすトラちゃんさんを後目に、小生は何度も瞬きし、上司たちのさらに後ろへと目をやった。

 

「うーん……」

 そこには羽根の生えた"天使"、"天使"、"天使"……、強そうなのから、偉そうなのや、エロそうなのまで……。いや、エロは関係なかった。とにかく、沢山の"天使"たちが控えている。

 小生の胸に渦巻く不可解な感情が深まった。

 はっきり言って、これまでに培ってきた両者の関係はお世辞にも良好なものとは言い難い。

 仮に"箱庭"の防衛戦時に援軍を寄越してくれたことを好意的に見たとしても、それ以外の局面におけるマイナス印象が大きすぎるのである。

 現に"箱庭の住人"たちは"天使"に対して不信の念を皆が多かれ少なかれ抱いていた。当然だ。むしろ小生だってそうあってしかるべきなのである。

 ……だというのに、一体何故だろうか?

 小生は彼らのほとんどに向けて、かけらも悪感情を抱けずにいた。

 

 一番数のいるエロそうな"天使"たちに対しても、剣や杖を持った"天使"たちに対しても、数が少ないが前面に出ている"パワー"たちに対しても、ご近所さんに向けるべき感情しか生まれてこないのだ。

 唯一の例外は――これも困惑の種なのだが――集団の後ろで事の成り行きを悠然と見守っている、見るからに上位の"天使"であった。

 大柄で白いハーフマスクを被った胡散臭そうな風体の男性天使。

 彼を見ていると何というか……、得体の知れぬ苛立ちが次々に湧いてきてしまうのである。

 

 

 ――何で一人だけ黒い羽根なのですか? しかも、よりによって黒。浮いてるじゃないですか。羽根で飛んでいるだけに。協調性というものを学びなさい。

 その目隠しは何なのですか? 面と向かって人と語らいたいのならば、面で顔を隠さずにまず素顔をさらしなさい。

 というか、一昔前のジャパニーズコミックスに登場する悪役顔そのものではありませんか。容貌で善悪を語ることは悪しきことではありますが、とにかくイライラするので身だしなみには気を使いなさい。手始めにヴィダルサスーン。

 

 

「……何でヴィダルサスーン?」

 小生は頭を抱えた。

 脈絡のない自らの思考に、ただただ混乱する。実はヴィダルサスーンはイタズラしたい小悪魔な髪質にぴったりで、たまには無垢な天使とのちょっとした対比を。いや、一体何を考えているんだ小生は。そんなフェミニンな知識が小生の中にあることがびっくりだった。

 

「どうしたの? ヤマダ」

「いや、自分の頭がちょっと信じられなくなりまして……」

「ちょっと、大丈夫? お野菜の若葉食べる?」

「あっはい、いただきます……」

 もっしゃもっしゃと草of草な何らかの作物を食べながらそんなやりとりを交わしていると、"箱庭"の外でリーダーが事態の趨勢を見極めるべく、警戒した様子で口を開いた。

 

「……ウェルカム、"エルブス"クルー。だが、そこより先に進むのはご勘弁願いたい。用向きはここで伺おう」

 その言葉に小生直属の上司や機動班の班長がぴくりと眉を持ち上げる。

 特に機動班の班長は不機嫌を隠そうともせずに「仲間に向かって、何だその態度は!」と威嚇するように進み出ようとした。それを、

 

「……お止めなさい。彼らに警戒心を抱かせてしまった、ワタシたちにも責任があります」

 微笑みを絶やさぬ艦長が彼を制止する。

 正直、今のはかなり危ういと思える場面だった。現在、"ギガンティック"の青年はマシンガンの持ち手を握りしめていつでも構えられる状態を保っている。もし仮に機動班班長が警告を無視して踏み出していれば、青年は躊躇せず彼に銃口を向けていたはずだ。

 そして、それは両者の関係を徹底的に破壊せしめてしまったことだろう。

 破綻を未然に防いだことから、艦長の行動はこちらにとってもファインプレーであったと評さざるを得ない。だが、同時にこうも思うのだ。

 この人、こんな余裕綽々な態度をいつもとっていたっけ……? と。

 小生の知る彼女は、今のような無礼を決して見逃さない。以前の彼女ならこちらの無礼に対して烈火のごとく怒り狂い、小一時間の説教モードに入っていたはずだ。

 一体彼女はどんな心境で無礼を受け流したのだろうか。心境の変化? それとも何か心に拠り所でもあるのか?

 彼女は両の手を合わせて、柔らかい口調で語りかけてきた。

 

「……アナタたちが無事のようで何よりです」

「そちらも壮健そうで何よりだ。もっとも、そちらの無事は先日に確認しているが。で、用向きは?」

 リーダーが鉄面皮のままにそう返した。端で見ている小生の方が縮み上がってしまうほどに冷えた声色をしている。

 今のやりとりで分かったことだが、リーダーは彼女らを完全に見切ってしまっているようだ。つまり身内でなく、赤の他人を相手にするように扱っている。

 その声色から窺える感情は、静かな怒りと不信であった。

 彼の失望を間近で見ていたからこそ、人間同士でこのような状況に陥ってしまったことを悲しく思ってしまう。

 リーダーがさらに言葉を紡ぐ。

 

「現在、シュバルツバース調査隊は緊急事態につき全ての指揮機能を"レッドスプライト"号の作戦班と司令コマンドに集約させている。我々は例外的に局外機関を組織しているが、それは完全なる自立を意味していない。基本的な隊全体の意思決定はあくまでも"レッドスプライト"クルーに委ねられているというのが現状だ。よって、あなた方とこれ以上の交渉を行うことはできないと考えてくれ。人権規約に定められたあなた方の基本的人権は尊重しよう。だが、我々は歩み寄れない。歩み寄るつもりもない」

 リーダーのおざなりな対応に、あちら側の隊員たちが一斉に目つきを険しいものにした。が、それはすぐさま明確な敵意に変わるほどではない。

 ひょっとすると、リーダーの予防線が効いているのだろうか? 彼は今の発言の中に、"レッドスプライト"号との密接な関係を匂わせた。こちらには戦力の整った味方がいるのだぞ、と暗に牽制しているわけだ。

 また、正しい手続きを取っているという体裁もここで効果的に働いている。組織人にとって、上司という理不尽に対抗できる唯一の手段が"上司より優位の原則論"であるからだ。

 事実、彼女らはリーダーの無礼を咎められずにいた。

 

「成る程。では、ワタシたちもこれより原隊に復帰いたしましょう。これで再び仲間ですね?」

「それを決めるのは"レッドスプライト"号のコントロールであり、我々ではない」

「……その理屈はどうなのでしょうか? そもそも調査隊の総責任者であるゴア隊長は既に殉職なさったと聞きました。ならば、"レッドスプライト"号を運営しているのはワタシよりも階級が下の隊員たちだけのはずですね。彼らには他艦の命令系統に影響を及ぼせるほどの権限はなかったはずですよ」

 リーダーがかすかに俯いた。あれは恐らく、艦長の反論に理を感じたせいではないだろう。

 彼は事あるごとにゴア隊長の言葉を持ち出すほどに、隊長の人柄を慕っていた。その死という事実を改めて突きつけられれば、あのような反応をしたっておかしくはない。

 リーダーが押し黙った代わりというわけではないだろうが、フランケン班長が彼に続いて手を挙げた。

 

「あー、ちょっと良いですかね?」

「どうしました? フランケンシュタイン班長。聞きましょう」

「いや、僕はこういう腹の探り合いみたいな無駄な接触が嫌いなんです。お互いにはっきりさせましょうよ。ぶっちゃけ、貴女たちは何が欲しいんです?」

 理系脳の身も蓋もない発言に、周囲の空気が凍り付いた。おい、誰だあの人を代表に立たせたのは。小生たちだ。何も言えねえ。

 艦長はにっこり微笑み、諸手を広げてフランケン班長に答えた。

 

「……予期せぬ"悪魔"どもの襲撃により、隊員たちの中から多くの痛ましき被害が出てしまいました」

 言って彼女は戦死者に祈りを捧げるポーズを取り、さらに続ける。

 

「けれども、こうして私たちは生き残っています。悲しんでいる暇はありません。これからが反撃の時です。善き魂による導きを得た今、人々は共に手を取り合い、人類社会の未来のためにもシュバルツバース内にはびこる"悪魔"どもを討ち滅ぼしましょう。聖戦を行うのです」

 彼女の演説を脳内で噛み砕きながら、小生は角の立たぬ着地点を探していく。

 今のところを聞いた限りでは、対"悪魔"戦線における共闘態勢を取るところまでは妥協できそうだ。

 フランケン班長がさらに問う。

 

「それ、答えになっていませんよね? 結局、僕たちに何を望むんです?」

「ワタシたちの指揮下に入ることと、アナタたちが"悪魔"を利用して作り出した空間の供与を命じます」

 あ、そこに辿り着くのか。

 

「ちょ、ちょっとヤマダ! 何か聞き捨てならない発言が外から聞こえたんですけど!! アタシのマッスルパンチを解禁する時が来たんじゃないの!?」

「多分気のせいです。だって、ここに"悪魔"が作った空間なんてないですよ。トラちゃんさんは女神ですし」

「ん? んー? 確かに? その通りね?」

 ここで話をややこしくしては折角の話し合いが無駄になるため、とりあえずいきりたつトラちゃんさんを煙に巻いたが、艦長らの要求は小生等にとってちょっと受け入れ難い内容であった。

 フランケン班長もまた首を傾げる。

 

「つまり、貴女が元の鞘に収まって"エルブス"クルーの総指揮を執るということですか。ちなみに合流後におけるこちらの"悪魔"の取り扱いと、"レッドスプライト"号との接し方についてお伺いしても?」

「"悪魔"については、我々と共に正しき道を歩むのならばこれを許し、そうでないのならば浄化いたします。同胞に関しては、元の階級に準じて接するつもりですが」

 うーん……。こうして話を聞く限り、どうやら彼女は全てにおいて主導権は自分たちで持つことを念頭に置いているようだ。

 しかし、これは正直無理筋の要求だった。

 班長も難色を示しつつ、その論拠を列挙していく。

 

「はっきり言って受け入れ難いと言わざるを得ません。まず、僕らは"悪魔"たちを支配しているわけではなく、ただ協力・共生関係を結んでいるだけなのです。頭ごなしに彼らに言うことを聞かせることなんてできませんよ」

「善き魂の導きを払いのけ、"悪魔"の誘いに耳を傾けるなど悪しき行いですよ?」

「善悪とかいう、そういう形のない論に興味ないんです。すいません」

 班長の身も蓋もないぶったぎりに、艦長の頬がぴくりとひきつった。

 

「……ならば、"天使"の力に縋るより他にありませんね。アナタたちの心を改めるには、"悪魔"の力が信用ならぬものであることを知らしめる必要があるようです」

 これは恐らく多分に恫喝を含んだ発言であったが、班長は言葉の裏に気づかなかったようで、我が意を得たりと語気を強めた。

 

「あー。そこなんですよね。"天使"が信用できて、"悪魔"が信用できない――。そもそも、この論理が現時点で破綻しているんですよ。だって……」

「――"天使"サマとやらはオレの仲間が"悪魔"どもに食われている時、"こいつら"と違って決して助けちゃくれなかった。それが全てだよ、こん畜生め」

 口を挟んだのは"ギガンティック"の青年だった。

 彼はマシンガンの銃口を艦長に向け、挑発的な笑みを浮かべる。

 

「……もうこの茶番、ヤメにしないか? 意味ねえだろ。オレたちはこいつらを信用できない。なら、言うべきことはたったの一つだ。おととい来やがれ(キス・マイ・アス)ってさ」

 その言葉に"天使"側に立った機動班や"天使"が一斉に身構え、"レッドスプライト"勢もまた巻き込まれまいと仲魔を召還した。

 共有していた通信回線を通じて、ヒメネス隊員の押し殺した笑い声が聞こえてくる。

 

『……おい、ヒトナリ。付くなら勿論"箱庭"の連中だよな? 今のは傑作だった。オレも"ギガンティック"のアイツと同感だね』

『待て。そもそもこのセクターの魔王がまだ健在な中、人間同士で争っている場合じゃない』

 ここはタダノ君の言う通りだった。

 断言できることだが、ここで両者の間に戦端が開かれたとして、得をするのはこの歓楽街の魔王だけだ。

 

 例えば、先ほど"ギガンティック"の青年も指摘していたことだが、何故"悪魔"の襲撃を受けている小生ら調査隊の人間たちを"天使"たちはすぐさまに助けようとしなかったのか? タイミングさえ間違えなければ、このように不信感を抱かれることもなかったはずだ。

 例えば、何故"悪魔"たちへの反撃を謳いながら、今になるまでその動きを見せなかったのか? 善き魂が"悪魔"に打ち勝てるほど強いものならば、今頃この歓楽街は"天使"勢が席巻しているか、最低でも一定の勢力圏を確立しているはずだろう。

 今までの経緯から浮き彫りになる事実は、"天使"側の準備不足と力不足だった。

 故に、何故ここで小生らに無茶な要求を突きつけ、わざわざ敵の敵を敵に回しかねない愚を犯しているのかが分からない。一体、何が狙いなのか?

 

「よし、トラちゃん軍も突撃よ!」と"天使"相手にカチコミをかけようとするトラちゃんさんの額を押さえつつ、小生は必死に考えを巡らせる。

 

「トラちゃんさん。"天使"ってそんなに強いんですか?」

「え、藪から棒にどうしたの? えっと……。弱いのから強いのまでいるわよ。でも面倒くささはあんまり変わらないかも」

「ふわっとした物差しじゃなくて。何かちゃんとした指標が欲しいんですよね。例えば、先日にやってきた"パワー"はこちらの仲魔を基準にすると、どれくらいの強さなんです?」

「"天使"の中では中位から下位、かしらねえ……。うちで言うなら、カンバリと同等くらい?」

 って何でそんな質問を? という顔をしている彼女には答えを返さず、小生は黙して思案する。

 成る程、こうして聞く限りにおいて外を取り囲む"天使"たちは少なくとも小生らよりは戦力的に充実しているようだ。こうして小生らに対して居丈高に接してくる理由も分かるといえば、分かる。ならば、

 

「質問を変えます。彼らはここの魔王勢を討ち滅ぼせるほど戦力を持っていると思いますか?」

「んっと。無理だと思う。そもそも地球の浄化が始まっちゃった今の状況って、もう"天使"たちにとっては負け戦みたいなものだからね。やるにしたって、アタシみたくワンチャン狙うしかないんじゃない?」

「へ、負け戦ですか?」

「だって、もうこの宇宙にあいつらの親玉は存在しないもの」

 彼女の見解に引っかかるものを覚え、きょとんとしたところに道頓堀から声が聞こえてきた。

 

『初手クソ立地からワンチャン餌場へ遠征の、ゲルマン民族大移動感よ』

『それな、知らんけど』

『【悲報】ワイの周り全部クソ【餌場何処】』

 そういうことか、とにわかに目の前の霧が晴れていった。

 今までにあった不可解な点が、すべて線に繋がっていく。

 

「……トラちゃんさん。後もう一つだけ確認させてください。それさえ分かれば、多分落としどころが見えてきます」

「ということは討って出るのね! それで聞きたいことってなあに?」

「トラちゃんさんって、"天使"たちに舐められてません?」

 言った途端、トラちゃんさんの眉間に深い渓谷が刻まれた。

 

 

「……ああ。こやつは確かに"天使"どもに舐められておるなあ」

「というよりも、異界でトラソルテオトルと言えば、その神格の高さに反して全戦全敗で有名な女神ですからね」

 トラちゃんさんが口答えするより先に口を挟んできたのは、カンバリ様とディオニュソスさんだ。

「アンタたち、言わせておけば!」

 ときゃんきゃん甲高い怒声をあげてトラちゃんさんが二柱に掴みかかろうとしているところを羽交い締めに制止しつつ、小生は彼らを問いつめる。

 

「はーなーしーてー!」

「ちょっとお静かに……。んっと、どういうことです?」

「わしらの知る限り、こやつに直接帰依する信者は基本全てがさくっと征服されておるんじゃよ」

「んん? トラちゃんさんは中米の女神様ですよね。となるとアステカ帝国のことだと思うんですが、それ以外にも……?」

 うろ覚えの世界史知識でそう言うと、トラちゃんさんがぶんぶんと首を振りつつ、こちらを見た。

 

「アステカの連中はどうでもいいのよ! アタシの子はワシュテカの民とかそっちの子たち!!」

「んんん??」

 ちょっと言ってることが良く分からなかったため、頭上に疑問符を飛ばしていると、ヒスパニックの青年が合点したとばかりにポンと手を叩いた。

 

「確か、ベラクルスの穀倉地帯に住んでいる先住民族だ。今もピラミッドとか残ってますよね。アステカに征服されたんでしたっけ」

 ヒスパニックの言葉にトラちゃんさんは大きく頷き、小生の羽交い締めから脱出しては身振り手振りに地団駄を踏みにといきり立つ。

 

「そうよ! ワシュテカの民にとって、アタシはトウモロコシや綿の花の成長を見守るカッコカワイイ水の女王だったはずなの。なのに、ワシュテカを滅ぼして、アタシを娼婦と愛欲の女神に変えたのがアステカの連中……。だから、アタシはあいつらが嫌いだったし、何時か病で滅んじゃえって呪いもしたわ! もうちょっと大自然に近い役割をよこしなさいよ!」

「お、おおう」

 彼女の怒りようたるや、ちょっと抑え難い程であった。

 

「それでアステカを呪いで滅ぼしたは良いものの、まんまと土地と信仰を"天使"どもに奪われたりしとったら世話ないのう」

「そもそも貴女。一時期、下っ端の"天使"として働いてませんでした? 奴らの口車に乗せられて」

「別宇宙でも大抵はすぐ滅ぼされておったしなあ」

『【悲報】ワイ将餌場だった』

「ちょっとアンタたちは口を閉じてっ!!!」

 てんやわやになった場を半ば放置し、小生は思索を深めていく。

 ――自分たちよりも強大な敵の存在。

 ――トラちゃんさんの評価の低さ。

 ――トラちゃんさんの脳筋……、じゃなくて素朴な思考能力。

 ――そして彼らの不意打ちにも似た来訪……。

 

「あー」

 ……多分、"天使"たちの狙いは読めた。もしかすると、血を流さずに場を収めることもできるかもしれない。ただ、そのためにはこちら側が侮り難いという印象を、あちらさんに植え付けなければならないのだが――。

 どうしたものかと意識を外へと向けた直後、まるで天佑かと見紛うタイミングで状況に変化が訪れた。

 今までただ困惑し、静観するだけであったゼレーニン中尉が癇癪を起こすように叫んだのである。

 

「もう、人間同士で……。いい加減にして頂戴!! スパルナッッ!」

 彼女の叫びに、金色の小鳥がクエっと応えて羽ばたいた。

 羽ばたきする度に小鳥の体が膨らんでいき、人よりも大きく、熊よりも大きく……、やがて怪獣を思わせる大きさにまで巨大化し、中尉の体を宙に軽々と持ち上げた。

 彼女はひとっ飛びに"天使"勢と"箱庭"勢の間へと降り立ち、そのまま左腕のハンドヘルドコンピュータを操作する。

 

「来て頂戴、ネモ!!」

 "悪魔召喚プログラム"を起動させたのだ。

 地面に描き出される青い魔法陣。くるくると回るその中心部から勢い良く水飛沫が舞い上がる。

 続いて、あれは麦だろうか――? まっすぐと伸びる茎や葉が、無数により集まって人の形を成していく。

 現れたのは麦穂の冠を被った、逞しい青年であった。

 彼女はそれをネモと呼んだが、小生の知る以前の姿形とは明らかに違う。

 自動的にデモニカの悪魔解析プログラムが走り、モニターに判明した情報を表示していく。

 

 龍神"パトリムパス"――。

 

 隊共有の悪魔全書が、現れた"悪魔"を周囲の人外生命体と比しても決して引けを取らぬ存在であると教えてくれた。

 

「おう。ティータイムか? 付き合うぜ、ゼレちゃん!」

 "パトリムパス"が快活に笑う。その口調は小生の知る根元のそれだ。もしや"悪魔合体"に手を出したのか? だが、中尉は倫理的に問題があるとして、合体を忌避していたはずだ。こちらの知らぬ間に色々な出来事があったのだろう。

 中尉は"パトリムパス"こと根元に待機を命じ、辺りに向けて叱責した。

 

「今はそんな風に争っている場合じゃないでしょう! お互いに理性をもって話し合いなさいっ」

 その凛とした声に、"箱庭"の面々がきょとんと固まり、完全にやる気になっていた"天使"たちもまた、勢い余ってたたらを踏む。

 ――これだ。

 このハプニングを生かさずして、血を流さずに済む落着はない。

 小生は"箱庭"独自の共有回線を開き、外に出ている面々へ向けて通信を飛ばした。

 

『ゼレーニン中尉、リーダー。そのまま戦闘態勢を解かずにいてください』

『ヤマダさんっ? えっ、わ、分かったわ』

『だが、何か策があるのか? 今は何とか牽制できているが、戦闘になれば正直我々に勝ち目はないぞ』

『大丈夫です。戦闘には絶対発展しません(・・・・・・・・)

 小生の断言に、外で"天使"たちと接触していた面々が揃って息を呑んだ。

 

『……ここはヤマダ隊員を信じてみることにしよう。総員、警戒を怠るな』

了解(ラジャー)。ヤマダに拾われた命だ、オレは特に反対もしねえよ』

『それにしちゃ、喧嘩っ早すぎだ。少しは自重しろ、"エース"』

『へいへい』

 強面と"ギガンティック"の青年が軽口を叩く中、じりじりと時間だけが過ぎていく。

 焦りが募っていき、傍らのドクターたちが小生を押し出す勢いで扉の隙間から顔を出す。トラちゃんさんはマッスルパンチの振るいどころを求めていたので、とりあえず静かにお野菜の若葉を食べていてもらうようにお願いした。彼女のマッスルパンチ推しはいったい何なんだろう……。

 あちら側の人間たちも焦りを募らせているようで、しきりに"天使"たちを窺っている。が、動きを見せる素振りはない。 

 小生の予想通り、"天使"側から戦闘を仕掛けるようなことはなかった。

 これは当然である。何せ、現状のあちらには十分なメリットを得られる見込みが立っていないのだから。

 

 要するに今までの居丈高な態度は、恫喝によって交渉を優位に進めようとする一種のレトリックであったのだ。

 恐らく、彼らはこちらの戦力についてかなりの精度で把握していることだろう。だが、こちらの心理的な余裕がいかほどなのかまでは分からなかったため、初手から恫喝に及んで、それを推し量ることにしたのである。

 その証拠に、恫喝を仕掛けてきたのはあくまでも"天使"側についた"人間"たちだけである。"天使"はそのやりとりをただ見続けているだけだった。

 

『典型的な善玉と悪玉を分けたロールプレイです。誰の発案かは分かりませんけど、多分次には"天使"のいずれかが仲裁役を買って出てくれますよ』

『ヤマダさん、ちょうど良いですから僕にも何か役割くれませんか? 戦闘要員じゃないと暇なんです』

『フランケン班長は偉そうにしててください。自信満々に』

『マッドサイエンティストのようにですか、分かりました!』

 と理系脳が諸手を広げ、機動班の後ろで不敵なポーズを取って薄笑いを浮かべた。何処からどう見てもボスキャラにしか見えないから、そのポーズはちょっとやめてほしい……。

 だが、そのあまりの圧力に何故か"天使"側の人間たちが勝手に気圧され始めたのに驚く。オイオイオイ、マジかよ。

 中尉による絶妙な叱責に、リーダーたちの確かな実力、そして理系脳の謎な威圧感が相乗効果を生み、場に漂う空気が見かけ上"箱庭"優勢に傾いた。

 これ以上は"天使"側も黙ってはいられまい。

 今までは軍勢の背後で静かに沈黙を保っていた上位の"天使"が口を開こうとするのが見えた。

 

『……来ます。心をしっかり持っていてください』

「……成る程、私たちには悲しい行き違いがあるようですね。ここは矛を収めるとしましょう」

 上位"天使"が艦長の隣へと進み出て、柔らかな声色で周囲に語りかける。

 一触即発の現状を、まるで少しも気にしていないかのような涼しげな表情を浮かべていた。

 余裕というより、表情を取り繕う術に長けているだけだろう。少なくとも彼は昔からそういう小賢しい"天使"だった。ん……?

 何か引っかかるものを感じながらも、その違和感は艦長の焦り声にかき消されてしまう。

 

「"天使"様! お待ちくださいっ。後もう少しだけこの私にお任せを……!」

「いえ、これ以上いたずらに時を費やしてしまうことはあまり良い判断とは言えないのです。我々には倒すべき悪が他にいるのですから。ね?」

 今のやりとりを見る限り、恫喝案は艦長たちの発案であったのかもしれない。多分、自分たちの有能さを。求心力のアピールを目的としていたのではないだろうか? 艦長の食い下がりようは、到底演技には思えなかった。

 対する"天使"の反応は涼しいものだ。元から、さほど期待もしていなかったのだろう。

 上位"天使"は朗らかに微笑み、警戒するリーダーたちをちらりと見た後、扉に隠れる小生らの方へと目を向けた。

 というか、明らかに小生のことを見ていた。やめてください、セクハラで訴えますよ。いや、その理屈はおかしい。まだ小生の頭は混乱から覚めていないようであった。

 

「貴方たちもどうか我々に顔を見せてはくれませんか? お互いに腹を割って話し合いましょう」

 どうしたものかと逡巡し、ドクターやヒスパニックと目で会話する。

 だが、大人しく出て行くかどうか吟味している暇などなかった。トラちゃんさんがいち早く飛び出してしまったからだ。

 

「――受けて立つわ! このトラソルテオトルの最強奥義、マッスルパンチの錆になりたいというなら、食らわせてあげようじゃむぐっ!?」

 慌てて彼女を追いかけて、暴走する前に手で口を塞ぐ。

「――っ、――っ!」

「いやいやいやいや! 離して、そいつぶっ倒せないじゃなくてですね!? 今、完全に戦わずに済むルート模索してたじゃないですかっ。ああ、もうっ」

 頭を抱えたくても手が塞がっているもどかしさに身じろぎしていると、上位"天使"がさも旧友に会ったかのような口振りで声をかけてきた。

 

「お久しぶりですね。女神"トラソルテオトル"。こうして滅びの地で再会できたことも主のお導きでしょう」

 口元だけは朗らかな笑みを見せる彼に対して、小生の戒めから抜け出したトラちゃんさんが敵意もあらわに声を荒げて言った。

「へぁっ! アタシはアンタとなんて会いたくなかったわよ! 言っとくけど、アンタたちがアタシを騙したことまだ忘れてないんだからね!」

「ふむ。我々が貴女を騙した、とは?」

「とぼけないで! 今まで通りベラクルスに生きる生命に祝福を与えたら、アタシの信仰を残してくれるって約束だったじゃない! それが何よっ。アタシ、ただの最下級天使(エンジェル)扱いじゃない!! 最低でも、ミカエル、ウリエル、トラソルテオトルくらいの立場を用意しなさいよ!!」

 彼女の言葉に小生は困惑する。

 いや、彼女が本当に"天使"陣営と付き合いがあったことに驚いたわけではなく、小生の中の何かが「ミカエル、ウリエル、トラソルテオトル」のくだりに大爆笑していたからだ。いや、そんな面白くなかったぞ。今の……。

 ひょっとして日々のストレスで二重人格でも患ってしまったのかしら……、と思い悩む一方で上位"天使"がわざとらしく手を叩いた。

 

「……どうやら契約に行き違いがあったようですね。お詫びと言っては何ですが、貴女にこびりついたケガレを主より授かった御力で浄化してさしあげましょうか。我々に協力してくださるのならば、という条件付ですが。貴女、もう自分の力では死神から女神へ戻れないでしょう?」

「えっ、ホント?」

「ストップ! ストップ! トラちゃんさん、信じないで! これは罠ですっ!」

 あっという間に丸め込まれたトラちゃんさんの素朴さに、小生は慌てて口を挟んだ。

 "ギガンティック"の青年の傍らでサーベルを構えるハルパスさんが、阿呆を見る目で彼女を見ている。何かごめんなさいというより他に言葉が出ない。

 小生は「えっ、今の何処に罠があったの?」と驚愕するトラちゃんさんを後ろに置いて、仕方がなしに矢面に立った。

 

 上位"天使"と向き合ったというのに、不思議なくらいプレッシャーを感じないのが気になるところだ。代わりといってはなんだが、不快感をあらわにした艦長たちのまなざしを受け、腸内活動が活発化している。

 とりあえず悪意をなるべく受け流すため、艦長と上位"天使"にぺこりと会釈しておく。

 

「えっと。まず先日は援軍をくださり、まことにありがとうございます。"箱庭の住人"ヤマダです」

 小生の挨拶に、一人と一体は対照的な反応を見せた。

「……場違いですよ、控えなさい。この場にアナタの出る幕はありません」

 と艦長は苛立ちを隠さず叱責してきた。

 彼女は上下関係と筋道を重んじる人柄をしており、また元から小生とも相性が悪かったため、この反応は容易に予想できる。無論、予想できてもストレスに耐えられるとは言い切れないのだが。

 一方、上位"天使"は黙して微笑むだけである。微笑みの裏で値踏みをされているのは容易に読み取れた。

 しばしして、にこやかなままに彼は返してくる。

 

「いえ、人の子に手を差し伸べるのは我々の使命ですから。と、お初にお目にかかります。私は――」

「黒き羽根の天使"マンセマット"でしょう? 勿論存じておらぬはずがなく、話を先に進めましょうか」

 "マンセマット"の微笑が一瞬凍りついた。小生も勿論びっくりした。

 今のは自身の思考よりも先に、口が勝手に開いたのである。

 彼の正体を何となく察してはいたものの、もし外れていたら赤っ恥のためドヤ顔で指摘するつもりなどなかった。

 それなのに、何だろう……。

 さっきから、目の前の"マンセマット"と向かい合っていると、どんどん心と身体が乖離していっているように感じられる。

 小生は"マンセマット"をじっと観察し、乖離した口がそのまま言葉を紡いでいった。

 

「トラソルテオトルの"箱庭"を"悪魔"が襲うように仕向けたのは、この交渉で優位に立つためだったのですね?」

「ハテ、何がなんだか――」

「ヤマダ隊員! さっきから、"外様"の分際で何の権利があって"天使"様に無礼な口を聞いているのっ。いい加減になさい!!」

 艦長が言葉を荒げて小生を非難しているというのに、意識と乖離した胃腸は最早痛みを訴えても来なかった。

 小生は言う。

 

「お言葉ですが、艦長。今回に限っては私にも出る幕があるのです。何故なら、貴女たちの欲する空間とは、私の契約したトラソルテオトルが作り上げたものであるからです。つまり、私は交渉物件の共同管理者。口を挟む権利は十分にあるでしょう」

 艦長の口元がきつく切り結ばれた。腕組みをした手の人差し指が苛立たしげなリズムを刻んでおられる。

 彼女を言い負かすとか、乖離した小生どうなっちゃってるの……。

 絶好調に回る小生の舌鋒はとどまるところを知らない。

 

「さて、問いましょう。天使"マンセマット"。貴方は何の根拠があって、我々の"箱庭"を手中に収めんとしているのですか?」

 "マンセマット"は答えない。何か訝しんでいるようにも見受けられる。

 代わりに艦長が食らいついた。

 

「先ほどから鬼の首を取ったように! 正しいモノが正しい行いをして! 人々を正しい道へと誘う! "エルブス"号のトップはワタシなのだから、ワタシがアナタたちを指揮することに何の間違いがあるのですッ!!」

「でも、貴女たち。囚われた同胞を見捨てましたよね?」

 この指摘に艦長だけでなく後ろに控える役持ちの面々、そして"箱庭"の住人たちまでもが驚愕した。

 

「ア、アナタ……。何を言って」

「"悪魔"の行った人体実験……。何故生き残った人の子の派閥に"偏り"が生じているんですか?」

 あっ、と既に観戦者と化していた小生の精神は言葉にならない声をあげた。

 "アケロンの河"でカロンが言っていたではないか。人体実験を受けて死んでしまった同僚たちが「仲間に売られた」と証言していた、と。

 小生の脳裏に艦長らがミトラスと交渉し、生贄を捧げた可能性がにわかに浮かび上がってきた。

 そしてさらに言うならば、だ。

 艦長らとようやく連絡がついたとき、彼女はこう言っていたではないか。「"天使"様が我々の罪を許し、手を貸してくださる以上、怖いものなどありません」と。

 ということは、つまり――。

 

「天使"マンセマット"。貴方は人の子を操り、何を為そうとしているのですか?」

 ここに来て、"マンセマット"がようやく閉ざしていた口を開いた。

 

「私のすることは勿論、主の御心にかなうものですよ」

 それは韜晦であると容易に分かった。乖離した小生がさらに言う。

「道は漠々として捉えどころのなきもの。故に我々は問うのです。"貴方は何処へ行こうというのか(クオ・ヴァ・ディス)"と。ですが、道は人の子の自由意志によって生み出されなければなりません」

 "マンセマット"の表情に初めて険しいものが混ざり始めた。

 

「……ここは出直すと致しましょう。共に"悪魔"を討ち滅ぼさんとする意思は同じくしていることだけはお忘れなく。我々はきっと手を取り合えます」

「そう願いたいものですね」

 終わった。

 何が何だか分からない内に、危ぶまれた接触が血を流さずに終わってしまった。

 いや。それ自体は良いのだが、小生の乖離した身体は元に戻ってくれるのだろうか……?

 困惑しつつも"天使"たちに促されてこの場を離れていく艦長派閥と事態の進展についていけてない"箱庭の住人"たちを見守りつつ、小生がはらはらしているところに不意の衝撃が腹部を襲った。

「うぐっ」

 トラちゃんさんが頭突きをする勢いで小生の腹部に耳を当ててきたのである。

 

「ヤマダ、生きてる!? "こいつ"に魂呑み込まれてないっ?」

「ちょっとトラソルテオトル……、人のお腹はデリケートな箇所なのですから、そんな乱暴に――」

「やーかましい! アンタ、何時からヤマダの中に棲みついていたのよっ! 人の契約者を、勝手に! "レミエル"ッッ!」

 トラちゃんさんの怒声に小生は身体を動かせぬままに疑問符を浮かべた。

 "レミエル"って何ぞ……?

 



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シュバルツバースで収穫と建築

 不意の来訪者にお帰り願ってしばし経った後、

「さあ、アンタが何でヤマダの中に棲みついていたか、きりきり白状してもらおうじゃないっ! 一体何を企んでいるの!!」

 "箱庭"の居住区画にはトラちゃんさんに詰め寄られている、頭に花を模したアクセサリーを乗せた半透明の少女の姿が加わっていた。

 彼女は一見しただけでは人外と全く思えぬ見てくれをしていて、袖の広い赤パーカーの上からでも容易に分かる女性らしいラインが、スレンダーofスレンダーなトラちゃんさんとは対照的な存在感を醸し出しいる。

 ――と、改めてトラちゃんさんの大平原ぶりに気づかされたところで、小生の腹に衝撃がやってきた。我らが女神様に強く踏みつけられたのだ。

 

「今失礼なこと考えたでしょ、ヤマダ!」

「……人の子を傷つけるような真似はおやめなさい。また、いたずらに信仰を失いかねませんよ」

「へんっ! ヤマダはね、死なない限りはアタシを信じてくれるって言ったもの! それに怪我しちゃうほど強くは踏んでないし!」

「それはそれで性質の悪い気がするのですが……」

 少女はパイプ椅子に腰掛けて、ゼレーニン中尉に差し出された白湯を優雅に飲んでいる。

 先ほどトラちゃんさんによって力ずくで小生の腹から引きずり出されたというのに、全くなんたる余裕であろうか。

 ちなみに小生の生命力を使って無理矢理顕現させているせいもあって、小生の方は全く余裕がない。ウンウン何か大事なものを吸い出される感覚に悶えながら、彼女の横に横たわっていたりする。

 半透明であるにもかかわらず飲んだものが消えていくという非現実的な光景を目の当たりにし、住人たちが目を丸くする中で、少女はほうっと息を吐いた。

 

「……白湯、まことにありがとうございます。けれども、お話の前にはお茶が飲みたいところですね」

「ちょっと、折角のこちらの善意にケチ付けて何!? 喧嘩なら買うわよ! お!?」

 腰に手を当てて精一杯のメンチを切っているトラちゃんさんを手でうるさそうに払いながら、少女は住人たちを見回した。

 

「まずはご挨拶致しましょう――。私は"レミエル"。大天使"メタトロン"様の配下にして偉大なる主より幻視(ヴィジョン)と雷の権能を授かり、人の子らの魂を見守るお役目を任された天使の端くれです。貴方たちのことはヤマダの身体を通して常に心を痛めながら見ておりました」

 "レミエル"という名からある程度は察せられていたが、やはり彼女は一神教の"天使"であった。ならば、当然の疑問が湧いてくる。

 何故、彼女は難癖をつけにやってきた"天使"側につかず、我々"箱庭"の面々をかばい立てするような行動をとったのか?

 その思惑が読みとれず、自ずとリーダーや"ギガンティック"のエースが半身に身構える。マッチポンプか何らかの策謀を警戒したのだろう。

 口火に切ったのは、元々キリスト教徒のゼレーニン中尉であった。

 

「"レミエル"といえば、かなり位の高い大天使様よね……。でも想像と違って女性で、それに羽根も生えていないようだけれども」

「これは以前の依り代の姿を借りているだけですよ、ゼレーニン。"天使"の姿は貴女たちを余計に警戒させるだけだと思いまして――」

「そんなこと言って、最近のアンタって人の姿を借りる時は胸のでかい女の姿しか借りないじゃない。何時から無性特有の平たい胸板がそんなに嫌になったの? アンタの偉大なる主が仰ってるじゃない。平たい胸板を胸覆いなしに、主の栄光を鏡に宿すようにって。平たい胸板許されてるわよ」

 優雅な気配にひびが入ったかのような音が聞こえてきた。多分、幻聴だろう。

 

「……今の貴女も大平原ではありませんか、トラソルテオトル。いつもヤマダが貴女のことを見るたびに、その脳裏に平坦の二文字を踊らせておりますよ。これから二文字様とお呼びしても?」

「ちょっ」

「はっ倒すわよ、サナダムシ型天使ッッ!」

 トラちゃんさんとレミエルさんの額がぶつかり合った。

 何、この二人って犬猿の仲なの……?

 呆気に取られ、口をぽかりと開ける"箱庭の住人"たち。

 肩の力が抜けたように、リーダーが剃った頭に手を当てて二人の喧嘩に割って入った。

 

「……コンプレックスは誰にでもある。それより、女神と貴女は古くからの知り合いなのか? 我々が警戒を解くに足る証があるのならば、それを見せてほしいのだが……」

 レミエルさんはトラちゃんさんの額をがしっと掴み、じたばたもがく彼女を締め上げながら、恥ずかしいところを見せたとばかりに咳払いをした。

 

「失礼……。もう長いこと或る女性を見守り続けていたこともあり、私の人格も人間のそれに大きく影響を受けてしまっているようです。天使たるものこれではいけませんね。まずはっきりとさせたいことなのですが、この世界において私と"マンセマット"は相入れません。はっきりと、私にとっての障害……、敵であると言い切ってもいいでしょう」

「口だけなら何とでも言える。だが、それをどう証明するんだ?」

 眉間に皺を寄せたままそう問いつめたのは、エースだった。彼が"天使"に抱く第一印象は最悪と言っても過言ではないようで、少しの嘘を許さぬとばかりに両のまなじりをつり上げている。

 レミエルさんは彼の射抜くような視線を柳に風と受け流し、

「百の自己弁護を行うよりは、貴方の仲魔に一度確認した方が早いかと思われます」

 とハルパスさんに目を向けた。

 何処から調達したのか、何かの生肉をずっとついばんでいた彼はレミエルさんに水を向けられたことで、呆れ混じりに羽根を羽ばたかせる。

 

「貴様、よりによって堕天使に力を借りようとするとは……、天使の誇りはないのか?」

「私も必要に応じて堕天使へと身を落とすことがあります。他の同僚と違って、堕天使であるから、異教の神であるからとすぐに噛みつく性分はしておりませんよ。それに私の存在は、必ずや貴方たちの役に立つはずです」

 ハルパスさんは彼女の揺るぎない物言いに深いため息をつき、エースに向かって声をかけた。

 

「……まあ、現状特段の警戒をする必要はなかろう。こやつは他の天使どもと比べて、輪をかけて頑迷な変わり種だ。頭が"固すぎる"ゆえに信用はできる」

「その言葉の何処に信用できる要素があるんだ……?」

 戸惑いつつもエースが返すと、ハルパスさんがさらに言葉を付け足してくる。

 

「こやつは自らの言葉を決して偽らぬ。そして、一度こうと決めたものに関しては上位の天使に何を言われようとも聞く耳を持たぬ。そんな面倒くさい在り方をしているモノなのだ」

「お褒めに与り、光栄です」

「褒めてはおらぬがね」

 レミエルさんは心持ち誇らしげに胸に手を当て、ハルパスさんの台詞を引き継ぐ。

 

「まず私が主より与えられた使命は、この世界にあまねく全ての魂を見守り続けること。世界が終焉を迎えるその日まで、ただ見守り続けることが私に課せられた使命なのです」

「それと"マンセマット"とやらの動きに、どのような利害対立が生じるんだ」

 リーダーの問いかけに、レミエルさんは少しばかり思案した後、不愉快そうに答えた。

 

「さて、私も彼ではありませんから、正確な思惑まではわかりかねますが……。恐らく、彼はこの地に生まれし"悪魔"どもを全て討ち滅ぼした後、地球の本来的に持っている浄化作用を利用して、人間文明を彼に都合の良いよう根本から作り替えるつもりのようです」

「根本から、作り替える……、ですって?」

 中尉をはじめとする"箱庭の住人"たちが驚愕に目を見開いた。

 

「にわかに信じがたい話だが……。そんなこと、できるのか?」

「可能です。はるか昔、"大洪水"の起こりし時には天使たちがそれに乗じて人の子らに"箱船"を造らせ、選別した種を次なる世界へ残しました。他の天使に行えたことを、"マンセマット"が目論んだところで何ら不思議ではありません」

「……その話が仮に事実として、だ。オレからしてみれば、何故アンタがお仲間の思惑に刃向かおうとしてるのか、説明になっていないよう思えるんだがね?」

 エースが胡散臭そうにそう問いかけて住人たちの注目が集まる中、レミエルさんは少し黙り込んでから小さく、けれどはっきりと言った。

 

「守りたい人間が、いるのです」

「守りたい……、何だって?」

 拍子抜けしてエースが返すと、レミエルさんは大真面目な表情で頷いた。

 

「この世界にはまだ自らの意思で過ちを正せる者たちがいます。他の大多数が救いがたい罪を犯したとしても、裁かれなければならないのだとしても、彼女らの努力まで貶めるわけにはまいりません。"マンセマット"の思惑通りにことが運べば、人類は皆未来永劫にその自由意志を奪われてしまうことでしょう。彼女らの与り知らぬところで、その意思を奪わせるわけにはいかないと思ったからこそ、こうして貴方たちに力を貸そうとしているのです」

 レミエルさんの言う"彼女"とは、恐らく今現在に姿を借りている女性のことなのだろう。

 彼女らの間に一体何があったのかは知るよしもなかったが、その絆だけは一見して本物であることが見て取れた。

 

「……人間サマが仲間を捨てて、天使サマがこう来るのかよ」

 そう、エースがぼりぼりと頭を掻いて毒づいた。

 大事な人を守りたいというえらく人間臭い動機を語られたことで、さしものエースも振り上げた拳の行く先を失ってしまったのだろう。

 困ったように目を向けられたが、小生は今も何らかのエネルギーを吸い取られ中であり、それどころではないため他を当たって欲しい。

 と、ここで中尉が再び口を開く。

 

「大天使様がそこまで入れ込む人間がいるなんて驚きだけど……。というか、その方々にシュバルツバース現象の解決を手伝ってもらうわけにはいかなかったのかしら? 大天使様が見込まれるほどなのだから、何か特別な力を持っていそうなのだけれども」

 確かに、と住人たちが中尉の質問に同意すると、レミエルさんは深刻な面持ちで首を横に振った。

 

「それは……、なりません」

「……それは何故かしら」

「……今は大学受験の真っ最中なのです」

「未成年かよ」

 さらに住人たちの毒気が抜かれていくのが良く分かった。胡散臭く見えた大天使が、いまや過保護な受験生の母親にしか見えない。

 取り繕うようにレミエルさんは続ける。

 

「さらに言うならば、この世界において彼女らは既に力を失っています。そんな彼女らに他人が重責を背負わせようとすることこそ、恥であると知りなさい。自分たちの犯した過ちを自分たちで解決できねば、人間の未来に先などありませんよ。1年のブランクがあったというのに、全国模試でようやく志望校のA判定が出せたのですよ。彼女の邪魔をしないでいただきたい」

 正論に身じろぐべきか、隙あらば差し込まれるお気に入りの近況報告に戸惑うべきか――。困惑に揺れる住人たちに向けて、彼女は絶好調に回る舌で続いて同僚に対する不満とお気に入りの人間たちに対する自慢をまくし立てていく。

 

 曰く、そもそもこのシュバルツバースが生まれてしまったのはお前ら人間の行いが悪かったからだ。そこはきっちり反省しろ。

 曰く、それはそれとして"マンセマット"は気に入らない。絶対あいつの企みはろくでもないから、とりあえず邪魔した方が良いぞ。

 曰く、最近お気に入りの子の化粧の仕方が様になってきた。未だ恋敵が多いんだからここが頑張りどころだと思うんだが、どう思う?

 知らんがな。

 こうして彼女の演説がひと段落ついたあたりで、じたばたともがいていたトラちゃんさんがキャンキャンと大声で言った。

 

「それで肝心のヤマダにとりついた件はどういうことなのよ! そっちを早く説明しなさいよっ!!」

 確かに、と小生は悶える。だって、そろそろ小生の中にある何らかのエネルギーが枯渇してしまいそうなのだ。あまり横道に逸れてもいられない。

 レミエルさんは唸り声をあげるトラちゃんさんを呆れた目で見つめつつ、

「貴女が出会うよりずっと前から彼の中にいたのですよ、私は」

 と意外すぎる事実を暴露した。

 

「正確にはもう4年近く前になるでしょうか? 見守ってきた人間たちが世界を救い、もう私の助言も必要がないと判断できたため、次なる依り代として見いだしたのが彼なのです。ちょうど彼は人の悪意を感知しやすく、神魔の依り代と成りやすい体質をしておりましたし、善性の強い魂を持っておりました。また、見守ってきた人間の一人の親類でもありましたから、潜り込むのは容易でしたね」

「え、誰です……?」

「アツロウ君ですね。バンダナがトレードマークのあの子ですよ」

 まさかこんな場面で聞けるはずのない名前が飛び出したことで、小生は顎が外れるくらい驚いた。

 そりゃあ、年に1度会うか会わないかの年離れた従兄弟が世界を救ったことがあると言われれば、誰だって驚くだろう。

 レミエルさんはさらに小生の腹に潜り込んでからのことをも語り始める。

 

「正直、以前の子と同じような巫女を見つけるまでの仮の住処のつもりでしたが、ヤマダの中は思ったよりも居心地が良かったのです。学生時代のボランティアに内戦地での善行……、戦争孤児用の学校作りも難民用のキャンプ設営も、彼は人としてかくあるべき行動をとっておりました。ですから、私も彼を救うために加護を授けたのですよ。人の悪意を受けた時、悪魔の脅威と向き合った時、持病の腹痛が増す加護をです」

 小生の業界では、それを端的に呪いと呼ぶ。そんな加護は受けとうなかった……。小生は絶望に染まった視界を両手で覆って大いに嘆く。

 

「そして、彼が救世の使命を帯びてこの地へとやってきた直後、私は彼を救うためにトラソルテオトルを呼び出しました」

「ちょっと、アタシはアタシの力でヤマダを見つけたつもりなんですけど!?」

「彼の放つ善き魂の信号を辿ってやってきたのでしょう? それを送ったのが私なのですよ」

 トラちゃんさんが悔しそうに歯ぎしりを始めた。今にもレミエルさんへ飛びかかりそうな形相をしていたが、レミエルさんの方はといえば、それを気にする素振りも見せない。すぐさま飛びかからないということは、トラちゃんさんにも思い当たる節があったのだろう。小生としても一応合点はいったのだが、何とも複雑な気分であった。

 

「まさか奴らと同じ天使の仲間が俺たちに女神様を遣わしてくださったとはなあ……」

「じゃあ、一応感謝しておくべきなのか?」

「僕たちはヤマダさんに助けられていますから、間接的には恩人ですよねえ」

「それより、"天使"と"悪魔"の肉体組成って違うんですか? 人造で"天使"は造れますかね?」

 一人天罰を受けそうな罪深いことを考えている理系脳を除いた住人たちがレミエルさんの取り扱い方を巡り、こそこそと議論をし始めた。

 そんな議論がある程度まとまった辺りで、中尉がぽっと出の疑問を口から漏らす。

 

「そういえば、大天使様は何故女神様を我々に遣わしたのでしょう……? こう言ってはなんですが、異教の間柄ではありませんか」

 この当然過ぎる疑問に対して、レミエルさんはまるで用意した回答のように即座に答えを返した。

 

「偉大なる主は別格として前置いても、トラソルテオトルは私にとっては特別な神ですからね」

「……は?」

 この答えには当のトラちゃんさんが素っ頓狂な声をあげて驚く。

 

「ちょっとアンタが何言ってるのか分からないんだけど」

「これでも一応褒めているつもりなのですよ。貴女には他のいかなる蛮神にもできないことができるのですから」

 今まで警戒心しかなかったトラちゃんさんの鼻が、徐々に徐々にと高くなっていく。

 

「……へえ、一応アタシにできることとやらを聞かせてもらおうじゃない」

 この問いかけに、レミエルさんは真顔で返した。

 

「人間には自立の心こそが大事なのです。主よりこの世界を委ねられた人間たちには、神魔などに頼らず自らの手で世界の行く末を善き方向へと導く権利があります」

「……まあ敬ってくれてるって前提が抜けてなければ、アタシにも納得できるわ。それで?」

「貴女は間が抜けていますから、人間が貴女に頼りきることはまずないと思いまして。頼りないという一点において、我々天使よりも、他のいかなる蛮神よりも優秀と言えるのです」

 言った瞬間、トラちゃんさんの頭突きがレミエルさんの額へと思い切りヒットした。

 そしてレミエルさんの半透明な身体が掻き消えていったところで小生の意識もプチンと途切れる。

 エネルギーがついに切れたのであった。

 

 

 

 ……というような経緯があり、小生ら"箱庭の住人"たちはレミエルさんを一応仲間として受け入れることにしたわけである。

 彼女は意外と役に立った。

 "トカマク型起電機"から余剰エネルギーを取り出すことで小生とは別個に存在することが可能になった彼女は、主に"天使"たちとの折衝においてその猛威を振るうことになる。

 何でも"天使"たちの世界においては厳しい上下関係が設けられており、"天使"たちはレミエルさんの存在を決して無碍にはできないようなのだ。

 今も彼女は"箱庭"の入り口に立ち、やってきた"天使"に人間用の食料を提供しているところであった。

 

「大天使"レミエル"よ。何故人間の姿などをとっているのですか……?」

「愚問ですね、"プリンシパリティ"。今の世において天使とはいたいけな少女の姿をとるものなのですよ。人々の自立した善性を育むためには、萌えというものが大事だと私はとある善き魂を持った少女からそれを学びました」

「はあ……」

 絶対勘違いしてるゾと思いつつも、小生をはじめとする"箱庭の住人"たちは敢えてそれを指摘しようとは思わなかった。

 手暇の時間にしばしばおかっぱ頭の悪霊や"スダマ"たちと共に、「天罰☆てきめん!」と決めポーズを取っている姿を目撃しており、最早突っ込む気力も失せてしまっていたのである。

 彼女はいわゆるオカン気質の天使だった。

 良く言えば寛容。悪く言えば踏み込み過ぎ。

 自身の母親がスマホを買ってLINEを始めた途端、絵文字を大量に送りつけてくるという経験をした人間ならば、容易に想像のいくメンタリティを彼女は持っているのである。

 彼女の上司であるという"メタトロン"なる大天使も、まさかこんなメンタリティを持っているのだろうか?

 そんなことを考えながら、小生は住人たちとたわわに実った畑の作物を次々に収穫していった。

 500坪の農地に植えられた作物は、たったの二、三日足らずで収穫時期を迎えてしまっている。

 トラちゃんさんの加護のお陰だということはわかっているが、先日の嘆きが最早遠い昔のようにすら思えてしまう。

 ……これ、本当時間間隔狂いそうだなあ。

 小生はデモニカスーツを腕まくりにし、赤や緑の果実を精密作業用の小型ニッパーで丁寧に切り落としていった。

 

「しかし、仲間を売ったような連中にまで食料を提供する必要があるのかよ? 未だに納得ができねえんだよな」

 とはタオルを頭に巻いたエースの言葉だ。

 彼は作物の収穫をもっとも楽しみにしていた人間の一人であり、「これだけの種類があれば、ポトフが作れそうですね。得意の料理です」と腕を鳴らす助手さんの言葉を原動力に、猛烈な勢いで作物を居住区画へと運んでいる最中だった。

 こうして発せられた彼の不平は彼個人だけのものではなく、例えば強面やヒスパニックもまた言葉には出さずとも賛同の気配を醸し出している。

 ちなみに彼らは芋掘り中だ。

 

「昨日タダノ隊員が言っていましたが、艦長たちが"外様"を選択してミトラスに売り渡したという容疑について、"レッドスプライト"号内でも激しい議論が巻き起こっているらしいですよ」

 ドクターの言葉に、強面が泥だらけの指で頬を掻く。

 

「……そいつはしょうがないことだな。特にヒメネスの奴が黙っちゃいないだろう」

 強面が言うに"ブルージェット"号のヒメネス隊員は、こうした裏切りを特に嫌悪する性格をしているらしい。

 ドクターも仕入れた情報がそのとおりに推移しているようで、少し暗い口調で彼に返した。

「緊急避難も度を越してしまえばただの人権侵害ですからね……。事情が事情ですし、全面的に彼女らに非があるとすべきではないと思いますが、それでも信用の低下は避けられないでしょう」

「ドクターのセンセは考えが甘いんだよなあ。仲間を売るような奴は、その時点で敵だろっと」

 そう言って、エースはずた袋に詰め込んだ大量のジャガイモを抱えて居住区画へと走っていった。その足取りは実に軽やかで、デモニカスーツの身体強化機能が農作業にも効力を発揮していることが容易に見て取れる。

 彼の残した言葉を受けて、タオルを首に巻いていたリーダーがカブを引き抜きながら静かに言った。

 

「結局のところ……、なるようにしかならんと俺は思う。仲間の命も、彼らのことも。このシュバルツバースはそういう場所だからな」

「リーダー」

「今は俺たちにできることをやっていこう。さしあたっては女神たちへの恩返しだな。この"箱庭"が完全に拠点として機能し始めれば、女神たちの要求もひとまずは満たせる上、調査隊の活動だって格段に楽になるはずだ。大丈夫、俺たちは前に進んでいるよ」

 リーダーが畑の片隅に半埋没した小さな石材の林立する箇所へと目を向けた。

 その中に"レッドスプライト"クルーと交渉して手に入れた野球帽を被せた石材がある。つまるところ、それは仲間の墓地であった。

 

 そうして一通りの収穫作業が終わった時分に、小生らは道頓堀へと向かう。生活用水をタンクに汲み上げるためだ。

 これもなるべく早く電動化するべきだとタスクボードの課題に上がっていたりするが、今はそれよりも優先すべきことがある。

 ケロケロと歌うカエル型"悪魔"に挨拶しつつ、一人当たりでたっぷり20リットルの水を二つ分汲み上げ、その足で居住区画へと帰還した。

 何時の間にやらアヒルのような、ガチョウのような"悪魔"が水辺に増えているような気がするが、それは最早気にしないでおく。

 

「あ、お帰りなさい!」

 と小生らを出迎えてくれたのは助手さんとリリム、それに複数人の"レッドスプライト"クルーであった。

「って、タダノ君にメイビーさんも。どうしたんです?」

「どうしたじゃないよ、ヤマダ君! こんな場所を独占するなんてずるいと思わない!?」

 ぷりぷりと怒るメイビーさんに親指を向けて、タダノ君が苦笑いを浮かべた。

 どうやら、クルー内で"箱庭"の視察を本格的に行うべきだとする意見が大多数を占めたことにより、EXミッションの一つとして機動班の護衛の下でその一部がこちらへと遣すことになったのだそうだ。

 あちらへは彼らを中継して映像も送られる手はずになっており、今頃何人もの隊員たちが呆気にとられていることだろう。

 メイビーさんが不貞腐れたように続ける。

 

「何で、こちらが大変な思いをして"悪魔"だのセクターだのと調査している時にヤマダ君たちは畑を耕してポトフ作ってるのよ……。鬱屈してたこちらがまるで馬鹿みたいじゃない」

 言われてみれば、調理区画からトマトやらコンソメやらがベースになった温かい香りがこちらまで漂ってきていることに今更ながら気がついた。

 これは不満に思われても仕様があるまい。

 一応、「いや、これまではほんとに大変だったんですよ」と自己弁護混じりに言い返すと、「それは勿論分かっているけどね……」と彼女も一旦は退いてくれた。とは言え、ポトフは絶対に食べて帰るつもりのようだ。

 

「あ、ムッチーノ隊員にパックに入れて持ち帰れって言われてるから、食材と一緒に一部をもらっていくからね」

「それは良いんじゃないでしょうか。良いですよね、リーダー?」

「既に受け渡しに関する手続きは終わっているよ、ヤマダ隊員。後でタスクボードを見ておいてくれ」

 えっ、とハンドヘルドコンピュータを起動してタスクボードを起動すると、簡素化された事務報告書が何時の間にやら上がっていた。もしかして、リーダーが農作業をやりながら仕上げたのだろうか……。だとしたら手伝わずに申し訳ないことをしてしまった。

 慌てて頭を下げると、彼は苦笑いを浮かべて手を振ってくる。

「今は働きたい気分なんだ。気にしないでくれ」

「うーん、分かりました」

 不承不承ながらも無理やり自分を納得させ、そのまま居住区画の奥へと向かう。

 そこではトンテンカンテンと金槌の音を響かせながら、"タンガタ・マヌ"さんたちが木造の建造物をいくつも組み立てている姿があった。

 献身的に働く彼らを、右へ左へと動かしているのはエースの仲魔から"箱庭"の親方へと転職を遂げたハルパスさんだ。

 

「良いか? 良き建物は良き基礎によって生み出されるのだ。基礎を疎かにしてはいかんぞ」

「貴方の指示に沿って。滞りなく作業は進みます」

 大盤振る舞いで使われている木材の数々は、どうやら歓楽街の建物から無理矢理に剥ぎ取って持ち込んでいるようだった。

 ……その内に石造の建物まで建ち始めるのだろうか?

 先日まで二件のテントしかなかった居住区画は、最早5棟の掘っ立て小屋と一軒のハルパス宮殿(パレス)(木造)が並ぶ村落へと急成長を遂げていた。

 その中にあって不自然な二つの空き地に目が行ってしまう。

 空き地には化学繊維のロープが張られ、その中心には一つにトラちゃんさんが、もう一つにはディオニュソスさんが座り込んでいた。

 思わず目が点になってしまったが、彼女らの手に掲げたプラカードに踊る文字列を認めて成る程と合点する。

 

『ここはトラちゃんのカッコカワイイ寺院予定地』

『ここはディオっちゃんのデカダンス酒造庫予定地』

 

 ……焼け野原になった戦後の地権者か何かだろうか?

 とりあえず、見なかったことにしよう……。

 小生は水タンクを適当な場所へと設置して、そそくさとポトフを食べに戻った。

 

 

 

 

 仮初の青空が星空へと移り変わり、皆が休息を求めてテントや掘っ立て小屋へと引っ込む頃合。小生は皆と行き先を逆に畑の片隅へと向かっていった。

 手にはディオニュソスさんが作ったというメチルアルコール(無害)をパック詰めにしたものを携えてである。

 こんな愉快なものを手土産にしない手はない。

 刈り取られた作物の茎を掻き分けて、目的地へとたどり着くとそこには意外なことに先客が居座っていた。

 

「ヤマダ隊員か」

「リーダー、いたんですね。それに……」

 野球好きの墓地の横。そこで寝息を立てている"ハーピー"の姿に目を丸くする。

 リーダーは彼女を見ながら笑って言った。

 

「契約はまだ切れていないから、飽きるか腹が減るまではここに居座るらしい」

「それは、仲が良かったんですねえ」

「餌付けが完了していたとも言えるんじゃないか」

 小生は小さく笑い返して、リーダーの隣に座り込む。

 

「お酒、要ります? 野球好きさんに持ってきたものですけど」

「ああ、頂こうかな……」

 リーダーが静かに頷いたのを見て、小生はコップに2杯分のメチルアルコール(無害)を注いで彼に渡した。

 本当は野球好き用のコップであったのだが、石材に直接かけることでここは許してもらおうと思う。

 

「……こいつがどうやって死んでいったかは、もう聞いたのか?」

「実はまだ聞いていないんですよ」

「そうか、ならまずは君に礼を言いたいと思う。君が"あの河"で老人に掛け合ってくれたお陰で、俺たちは被害を最小限に食い止めることができたんだからな」

「えっ――?」

 仰天する小生に向けて、リーダーがぽつりぽつりと語り始める。

 

「敵は"ギガンティック"クルーを壊滅させたと噂の、堕天使"アドラメレク"だった。奴のことをエースは『次元が違う』と評していたが、それは本当のことだったよ」

 リーダーの拳が握り固められた。そしてさらに言葉を紡いでいく。

 

「まず遭遇した直後の火炎放射で、俺を含めた4人の内の3人が"あの河"へと送られた。たったの一撃で、だ。困惑もしたし、絶望もした。あんなものに勝てるわけがない、と。その絶望から真っ先に立ち直ったのが、戦死したこいつだったんだ」

 リーダーの語る野球好きの活躍はまさに、現代に生きる英雄とでも呼ぶに相応しいものであった。

 いち早く復活のからくりに気がついた彼は、"死に戻り"を駆使して"アドラメレク"に痛打を与えることに成功したらしい。

 腕を切り飛ばされ、大火傷を負い、首を半ばまで切り裂かれながらも、最低でも12回は致命傷を食らい、なおも強大な敵に立ち向かったのだ。

 小生は言葉を失い、野球好きの笑顔を思い出した。

 こみ上げるものを感じ、そのまま静かに俯く。

 

「……無敵だと思っていたゴア隊長も殉職なさった。はっきり言って、俺は怖いよ。ここの"悪魔"は強すぎるんだ。"アドラメレク"が退いていったのも、結局は俺たちの不可解なしぶとさを面倒に思っただけでな。決して勝てたわけじゃない。今日、メイビー隊員が言っていたろう。『こちらが大変な思いをしているのに』と。分かっているんだよ。分かっているが、言い訳を付けて"箱庭"に篭ってしまっている。きっと臆病風に吹かれたんだな」

「……これは内戦地の経験談ですけど、ずっと前線に出ずっぱりの兵士なんかいなかったと思いますよ。少しくらい休んでも良いんじゃないんですか?」

「そんな余裕は、今の人類には無いんだよ」

 言って、リーダーは立ち上がった。

 

「シュバルツバース現象が急拡大する今、我々に残された時間はごくわずかだ。それなのにただの人間にできることは、あまりにも少なすぎるんだよ。このままではいけないと思う、絶対に――」

 諦観の篭った物言いに、小生は何と言葉をかけたものかと思い悩む。

 結局、彼はこちらがフォローする前に居住区画へと戻ってしまった。

 残された小生は、墓石代わりの石材の一つ一つに酒をなみなみとかけていく。

 

「野球好きさんなら、何てフォローするんでしょう……。貴方、仲間思いでしたから小生よりも絶対フォロー上手いですよね?」

 当然ながら、死者が答えを返すわけが無い。

 しかし、別方向から予期せぬ答えが返ってきた。

 

「それは本人に直接聞けば良い、魂は未だそこに在るよ」

 耳にしただけで身震いすら催させる、気高さを感じる女性の声だった。

 声のする方へと向き直ると、トラちゃんさんの心象風景を投影しているだけの壁の"向こう側"に真っ白なドレスを身に纏った金髪の少女が立っている。

 彼女はまるで超一流の芸術家が何人も生涯をかけて作り上げた彫像のように、何処にも欠点の見受けられない端正な顔かたちをしていた。が、何処か作り物めいている。

 ありえない場所にありえない少女が存在している……、これは絶対にありえないことだ。

 そう、ありえないと分かっているのに、小生は彼女がそこにいることがまるで当たり前のように感じてしまっていた。

 

「君は、誰です?」

 かすれる声で問うてみるも、彼女は明確な答えを返してくれない。

「私のことは気にせずとも良い。ただ、旧き知人の姿を見に来ただけなのだ」

 彼女の言う知人とは一体誰のことだろうか? トラちゃんさんか、それとも――。

 彼女はやがて何かに気がついたように小生をちらりと見て、

 

「……いや、気が変わった」

 と小生に対して名を告げた。

 

「私はルイ・サイファー。別段覚えずとも構わない。私はこの世界においては正しく傍観者であるのだからな」

 




【メインミッション】
 悪魔に囚われた隊員の救出→クリア!
 他艦への救援要請→クリア!
【EXミッション】
 暫定拠点の構築→クリア!


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シュバルツバースで次なるミッション

年度が始まりましたので、執筆時間減ります。


 世界の中心、アキハバラ。

 コンクリート越しに聞こえてくる蝉の鳴き声とは裏腹に、ここ知り合いの経営しているこじんまりとしたネットカフェは一足早い秋が到来しているかのような室温を保ち続けていた。

 要するにエアコンでギンギンに冷えているってことだ。

 そんな空間に入って一等先にやることといえば一つだな。勿論、ドリンクバーから持ってきたばかりの炭酸飲料に口を付けることだろう。

 うーん……、この貴族のように贅沢なマイライフよ。いや、まあぶっちゃけジャンクなんだけどさ……。

 と人間文明の恩恵にひたりつつも、

「やっぱ、読んでないなあ……」

 頭をもたげる一抹の不安をどうしても拭えないでいる。

 オレが今見ているものは、メーラーの送信履歴に残された一通の送信済みメールだった。

 Subは『Y-MADさんへ、AT-LOWより暑中お見舞いです』とシンプルにまとめている。

 あの人は周りに気を回しすぎる性格をしているから、あまりプレッシャーを与えるような文面にすると、下手をすればまたぞろトイレに駆け込むことになりかねない。

 出張先でそれをやらかしたら、周りの目が怖そうだもんな。気配りのできる男、それがオレです。

 

「アツロウ?」

「うわぁっ!? って何だお前かよ……」

 個室でいきなり肩を叩かれ、思わず悲鳴をあげてしまったが、振り返ってみれば何のことはない。高校時代からずっと連み続けている、今や一番の親友がそこに立っていた。

 よくよく考えてみたら、今日は貸切みたいなもんだったしな。知り合い以外が俺にわざわざ会いに来るはずもないだろう。

 胸を落ち着け、深く深呼吸。

 で、だ。

 

「何でお前ここにいるんだよ? 今日は、前期の単位全取得(フルタン)地獄がようやく落ち着いた打ち上げだって、ユズ(ソデコ)と遊びに行く予定だって聞いたんだけど」

 そう言って半目で睨みつけると、親友は素知らぬ顔で「アツロウが来てなかったから呼びに来た」と仰ってきた。

 あのね……、それはわざとなの。と言葉がそこまで出かかったが、オレももう大人だから口にはしない。代わりに「お前、ホモかよぉ」と問いかけて、「(ホモでは)ないです」と笑い合った。

 

「悪かった。ちょっとバイトがらみの話でさ。うちの従兄弟に関わりのあることがあって、送ったメールを確認しに来てたんだ」

「ひょっとして、ヤマダさん?」

「そう。今、国連の南極調査隊に所属して、現地へ働きにいってるらしい」

「工学専攻で……?」

 親友の疑問はオレにも良く理解できた。何せここ最近の南極に関わるニュースといったら、異常気象やら磁気嵐やらと気象に関するものばかりだ。そんなところに連れていく人材といったら、普通気象とか自然現象とかの専門家だろ、普通に考えれば。

 百歩譲って観測基地を持ってる自衛隊、とか? そういや、伏見三佐やイヅナさんなんかも今は"海外"に出張しているらしい。このタイミングで自衛隊が出張する場所なんて、南極以外あり得ないんだよなあ。

 そう……、オレたちが普段耳にしている南極のニュースには何故か意図的に隠された情報があるんだ。

 ただの異常気象に各国の軍隊や国連が総力を挙げてるって、一体全体どういうことだよ。こう言っちゃ何だが、まともな脳味噌を持ってりゃ、"違和感"しか湧いてこないわ。

 ちなみに目の前の親友は、その"違和感"を抱いていない数少ない一人だった。

 別にバカってわけじゃない。こいつの頭の回転の早さは親友のオレが良くわかってる。単に授業単位落としそうでそれどころじゃなかったってだけのことだ。流石、昔とある不良に『遊んでそうな奴』と評されただけのことはある。お前、ちょっとは勉強しろよ。

 

 オレが変な顔をしているせいだろう。親友もまた、変な顔になってしまっていた。

 あまり心配をかけても仕様がないため、茶化すようにフォローを入れる。

 

「まあ、あれだよ。メール開封してくれたかなあと確認しに来たら、まだされてませんでしたー、と。それだけの話だよ」

「何を伝えるつもりだったんだ?」

 親友は嘘を許さないという目つきでこちらをずっと見つめていた。これは完全にオレがヤバい橋を渡っているんじゃないかと疑っている目つきだ。

 うー、やめろよな。そういうの……。オレが悪いことしてるような気分になるだろうが。

 仕方がないかと椅子の背もたれに体重を預け、オレはメールの文面を親友に見せるように開いた。

 

「ホンダさんの働いていた企業が、今度南極に民間人観測隊を派遣することを決定したようです……、って。ホンダさんって、あの?」

 親友の問いかけにオレは無言で頷いた。

 オレたち共通の知り合いで、企業勤めのホンダさんといったら、あの"東京大封鎖"に巻き込まれたホンダさん以外にいない。

 表向きは毒ガスの発生による集団幻覚事件として片づけられた、4年前のあの事件。オレたちは、確かにあの閉鎖空間で"悪魔"という人じゃない存在と向かい合い、助け合い、そしてこの世界から追い出すことに成功したんだ。

 そんな大事件の最中で出会った彼は、息子の手術代を稼ぐために、"誰でも悪魔を支配できるようになる"力を企業に売り渡して巨利を得ようとしていた悲しい人だった。そして、彼からそれを買い取ろうとしていた企業が――。

 

「ホンダさんな。"ファントム・ソサエティ"っていう組織の下請けで働いていたんだ。で、そいつらが今度ジャック部隊ってその筋じゃ有名な傭兵集団を雇って、南極の調査に乗り出すらしい」

「それって、まさか……?」

 やっぱり、こいつに隠し事はできないなあと改めて感じる。

 オレは続けた。

 

「多分、"悪魔"がらみの事件なんだと思う。バイト先のリーダーや先輩たちも、その線を疑っていたよ」

 そう、"悪魔"がらみの事件は実のところオレたちが関わったアレだけで終わりなんかじゃ全然なかった。

 俺たちの住む世界のすぐ隣には、まるで鏡合わせみたいに"悪魔"たちが住んでいる異世界が確かに存在していて、二つの世界の間にある壁が何らかの原因でひび割れてしまったときには、ああいった事件がいくらでも起こり得るんだ。

 

 例えば、オレたちがまだ生まれる前に起きたっていう平崎市における不可解な連続殺人事件。

 軽子坂高校っていう学校で起きた生徒の集団失踪事件。

 情報環境モデル都市として整備された天海市で起きた奇病騒動。

 この日本で起きた事件だけでも、両手の指の数だけじゃ足りないってのに、世界まで含めたら一体どれくらいの数になるんだろうな。

 少し興味はあるけど、真面目に調べようって気には到底なれなかった。この世界が危うい均衡の上に成り立っていて、ちょっとしたキッカケさえあれば、簡単に滅んでしまうなんて証拠を集めたって鬱になるだけだしさ。

 ため息をつきつつ、オレは親友に愚痴を吐いた。 

 

「お前、オレがあの"東京大封鎖"の時に言ったこと覚えてるか?」

「"悪魔"をすべて制御するって奴?」

「そう、それだ。今になって思えば、"悪魔"を異界に追い返すってお前の判断に従ってほんとに良かったと思ってる。多分……、オレたちが"悪魔"を制御できるようになったとしても、そこで得られる恩恵なんてそう長くは続いちゃくれなかったよ。遠くない未来に各国が"悪魔"を使う大戦争か何かが起きてたと思う」

 もし、そんなことになってしまったら、オレたちは決して今みたいな日常を送ることはできなくなっていただろう。それを思うと、今でも震えが止まらないってのが正直なところだ。

 けれども、オレの浅慮を止めてくれた当の親友は何かを思案するように首を傾げ、まっすぐこちらを見ながら微笑んできた。

 

「……そうかな。俺はアツロウのアイディアも別に悪くなかったと思ってる」

「は? 何でだよ」

 思わず素っ頓狂な声を返してしまったオレに、親友はいつも通りの図太そうな表情で、平然とした答えを返してくる。

 

「もし、ヤバい状況になりかけたら、その時に何とかすればいい。俺たちなら何とかできるよ。根拠はないけど」

「ははっ、何だそれ」

 親友はオレたちが世界の流れに流されてしまい、どうにかなってしまうなんて、欠片も恐れていないようだった。

 強いんだよな、こいつは。ユズのことも……、こいつが相手だから負けを素直に認められるんだ。

 

「アツロウはヤマダさんにメールを送った。自分にできる手助けをちゃんとやったんだよな?」

「そりゃあ、当たり前だろ。親戚の命がかかってるかもしれないんだぜ」

「じゃあ、後は無事の帰りを祈って待つだけじゃないか。あまり、気を揉んでいても疲れるだけだ」

「オレ……、そんなネガってた?」

 そう問いかけると、親友は悪戯っぽく口の端を持ち上げた。

 

「まるで、メールが届いてないことまで自分のせいみたいな顔をしていた」

「マジかよお」

 自分の思い上がりに今更気づいて、オレは両手で顔を覆った。オレの反応に親友は笑う。

 

「まあ、心配しなくてもアツロウの従兄弟なら多分大丈夫だろ。ただの勘だけど……」

「根拠ないんかい!」

「いや、勘だけど根拠はある。何というか、年上の従兄弟キャラはしぶといイメージが……」

「それ、お前んとこのナオヤさん限定じゃねえか!」

 きっと、こいつはこいつなりにオレのことを励ましてくれているのだろう。少し気持ちが楽になったことで、希望的な見方もできるようになってきた。

 ……そうだよな。オレの知っている従兄弟はそんな簡単に死んでしまうような人じゃなかった。

 人間関係の軋轢でプレッシャーを感じて、トイレに駆け込んだところで偶然悲劇を避けてしまうような面白黒人枠こそが、オレの従兄弟のポジションなんだ。

 ここはあまり悲観的にならずに無事の帰りを待つべきなんだろうなあ。

 そんな結論に導いてくれた親友に「ありがとな」と礼を言う。

 すると彼は「じゃあ、遊びに行こう」と有無を言わせない口調で答えを返してきた。

 いや、それはオレのユズに対する応援の気持ちからくるボイコットであってだな……。ああ、もう!

 

 この後、ばっちりキメてきたユズの奴に言葉には出してなかったが「ええっ!? 二人で遊びに行くんじゃなかったの!? 何で、何で!?」というような顔をされた。

 これだから、顔を出したくなかったんだよなあ!!

 

 

 

 

 "箱庭"の白んだ空にうっすらとした青みが混じり始める時分。

 小生が先ほど経験した出来事などまるで明晰夢であったかのように、住人たちの早起きな日常が再び始まった。

「結構、多めに作り置いておきましたからお代わりオッケーでーす!」

 と助手さんの明るい声。

 炊事の匂いに誘われるようにして、目が覚めた隊員たちは立ち並ぶ小屋を対角線で結んだ中心部にある調理区画へと群がっていく。

 作り置いていたポトフの鍋蓋が、コトコトとダンスを踊っていた。

 

「ふわあ、おはよ。ヤマダ」

 女性陣とともに眠っていたトラちゃんさんが、寝ぼけ眼のままに小生のもとへとやってきた。

 いの一番に朝食の乗ったプレートを持たされている辺り、皆から猫可愛がりされているのが一見して見て取れる。

 ちなみに献立は作り置きのポトフにトウモロコシ粒を用いたかき揚げ、それに根菜メインのコールスローだった。

 すさまじいベジタリみを感じる。助手さんの趣味なのだろうが、肉食メインの男性陣が不満を募らせそうだ。大丈夫なんだろうか……?

 と思いきや、肉食系には謎肉料理が別途用意されているらしい。偏食を加味したビュッフェスタイルだったのか。なるほどなー。

 

「欠伸とははしたないですよ、二文字様」

「……その言葉でしゃっきりと目が覚めたわ。そういえば、いたのよね。サナダムシ」

 レミエルさんは相変わらずの赤パーカーな少女姿だ。ちなみにこれは仮初の投影した映像で、老いもしなければ汚れもしないと心持ちドヤ顔で言っていた。

 プレートにはコールスローのみがうず高く積み上がっていた。……まんが日本昔話かな?

 二人が額をぶつけ合うところを横目で見つつ、小生は欠伸をかみ殺して自分のプレートを受け取りにいく。

 先日の一件が尾を引いて、とにかく眠くて仕方がない。

 

「ヤマダ、寝不足気味のようでしたら少し横になりなさい。身体を壊してしまっては元も子もありませんよ」

「あー、ありがとうございます……。とりあえず朝食を食べてから考えますね」

「食事の後は必ず歯を磨くこと。ゆめゆめ忘れてはなりませんよ」

「わ、分かりました」

 この規則正しい生活リズムを強いられている感じにふとした懐かしさを感じる。

 いや。母親の言いつけとかそういう以前に、学生時代の一人暮らしを鮮明に思い出してしまうのだ。

 深酒をしたときの腹痛、寝坊したときの腹痛、歯磨きを忘れたときの腹痛……、もしかして小生はかつて強いられていたのではなかろうか? 規則正しい生活を……。

 

 それはさておき、食事開始である。

 住人たちは銀シートの上で車座になり、思い思いにポトフを啜る。

 個人的には少し寝かせて具に味が染み込んでからの方が好みであったため、今日の一杯は昨日の一杯よりもずっとおいしく感じられた。うまし、うまし。

 皆の腹が五分目程度にまで収まった頃、食事をしながら"レッドスプライト"コントロールと定時連絡を行っていたリーダーが皆に向かって口を開いた。

 

「皆、そのままで聞いてほしい。たった今"レッドスプライト"号からの緊急要請があった。どうやら、"エルブス"号に搭載されている通信機の速やかな確保を我々にしてもらいたいようだ」

「艦載の通信機というと……、"グレーバー"式の重力子通信機よね? "レッドスプライト"号の通信機が壊れてしまったのかしら?」

 スプーンを容器の中に置いて、答えたのはゼレーニン中尉だ。肩に"スパルナ"は留まっているようだが、根元の姿が場に見あたらない。どうやら、未だ惰眠を貪っているようで、以前にも増した奔放さはスタンスの変化を感じさせる。

 彼女の豊かな知識を前提とした言葉に、ほとんどの住人たちが首を傾げた。

 彼女の言う重力子通信機がどのような価値を持つのか、いまいち理解できないでいるのだ。

 

「一体、誰と通信するんだ?」

「いや、それは外部の合同計画とでしょう」

「へ、できるのか?」

「そりゃあ、そういう風に作られたものですし」

 ヒスパニックの疑問には、中尉ではなくフランケン班長が答えた。彼は「オイオイオイ」とストップをかけたくなるほどにマッドなサイエンティストであったが、こと解説役になった時にはものすごく輝く。

 ちなみに彼の持つプレートには異様な光景が広がっていた。ポトフの容器にすべての献立がぶちこまれているのだ。どう控えめに言っても残飯にしか見えない食事の仕方に、作り手の助手さんが青筋を浮かべておられる。

 

「単純な電波だと、シュバルツバース周縁を取り巻くプラズマ雲が内部と外部で時空間の差異を作り出してしまって、正しく目的地に情報を届けてくれないんです。いや、いつかは届くのかもしれませんが、それが何時になるかは分からないといったところでしょうか。ですが、地球観測衛星"グレーバー"の二機(トムとジェリー)を用いた重力子通信ならば、時空間差異なんてモノともしません。受信機さえ向こうにあれば、中世の十字軍とすら通信ができるって触れ込みの次世代機ですから、通信が可能になる可能性はそれなりに高いと思われます」

 へー、と住人たちが感嘆の息を吐く。

 これは苦難続きの小生らにとっては珍しく嬉しいニュースだった。

 何せ、もしかしたら二度と外界の土を踏めないんじゃないかという孤立した不安との戦いこそが、このシュバルツバース内における調査活動なのである。

 再び外界との繋がりを取り戻せるかもしれないという可能性は、まさしく希望そのものだ。

 さらに合同計画と接触できれば、人類の集合知を結集して自分たちが置かれた苦境を何とか解決できるかもしれない――。

 そんな一縷の望みを皆が目に宿しつつ、リーダーの言葉の続きを待った。

 

「ミッションは至急的速やかに行われる。これは不確定要素である"天使"勢の動きが予想できないためらしい。また、"レッドスプライト"クルーは魔王"ミトラス"の討伐準備に専念するため、我々の独力で行うことになるだろう」

「待ってくれ。何故戦力を分散させる必要があるんだ。その通信機とやらも必要なのに、わざわざ危険を冒してまで魔王とやらの討伐を優先させる理由が思いつかない」

 この質問は強面によって発せられた。

 確かに危険を冒すことになる以上、理屈に合わない戦力の分散に関しては納得のいく説明が必要かもしれない。

 リーダーも彼の疑問は当然のものとして受け取ったようで、一度頷いた後でハンドヘルドコンピュータの機能を駆使したスライド解説を差し挟んだ。

 

「皆ハンドヘルドコンピュータの起動を。タスクボードに映像を添付する……。まずは一つ目の映像だが、これは2号艦"ブルージェット"号の指令コマンド、"ヴェルヌ"によるこことは違う亜空間の解析情報だそうだ。セクター"アントリア"。奇しくも彼らは自分たちが降り立った最初のセクターに、我々と同じ名前を付けていたのだな。これからは便宜上、我々の降り立った歓楽街の世界は彼らの命名規則に準じてセクター"ボーティーズ"と呼称する。そして、"アントリア"の天頂部――、ここだ。このポイントに量子的なトンネルが形成されている。このトンネルを経由して、彼らは"ボーティーズ"へと渡ってきたわけだ」

「……つまり、シュバルツバース内の各セクターにはセクター外へと繋がる出入り口が存在する?」

「そうだ。この"ボーティーズ"に同様の量子トンネルが存在していることも、既に"レッドスプライト"クルーが観測し終えている」

「すごい! 彼らはこの亜空間という未知の大海原を、迷うことなく航行できる羅針盤を手に入れていたんですね」

 フランケン班長が舌を巻き、他の皆も驚きの声をあげた。

 リーダーはさらにスライドを進める。

 

 

「"レッドスプライト"の指令コマンドが言うには、この量子トンネルを潜り抜けるために"ロゼッタ多様体"なる未知の情報媒体が必要となるのだそうだ。そして、これはセクター内に恐らく一つしか存在していない」

「それを魔王が所持している……、ということですか?」

「班長、君の理解で概ね構わない。と同時に、これを"天使"勢に先んじて奪われることの意味も理解してもらえたかと思う」

 住人たちが息を呑んだ。

 唯一無二の羅針盤を奪われるということはつまり、小生らの生殺与奪権を彼らに奪われることを意味しているも同様だ。

 成る程、これは疎かにできない。大切な脱出への道しるべなのだ。彼らが魔王討伐を最優先対象とする理由が身に染みて理解できた。

 

「他に何か質問は?」

 そう言ってリーダーが皆を見回すと、エースがスプーンを銜えながらふてぶてしい態度で問い詰めた。

「あー、大まかなミッションスケジュールを教えてくれ。先の救出ミッションみたいなややこしいのは正直勘弁してもらいたい」

「前段ミッション、観測気球を放球しての広範囲索敵。後段ミッション、敵の手薄な頃合を見計らって"エルブス"号への進入と通信機の調達。ミッション時の障害は可能な限り排除するが、前提は隠密行動に尽きる。極力戦闘を避けるように動きたい」

 これで良いか? とリーダーが無言のままに目で問うと、エースは肩を竦めて引き下がる。

 別段、冷やかそうなどという意図はなかったのだろう。

 続いて再び強面が口を挟む。

 

「出撃メンバーに関して教えてくれ」

「メンバーは俺と貴様、そしてエースの他に可能ならばヤマダ隊員も編入してもらいたいと思っている。この作戦は我々にとっては脱出という"未来"に繋がる重要な作戦だ。可能な限りの戦力をここで投入してしまいたい。ヤマダ隊員、それで良いか? ……ヤマダ隊員?」

「え、あっ。はい。構いませんよ」

 "未来"という言葉に一瞬意識が囚われてこちらの反応が遅れてしまったため、リーダーが怪訝そうな面もちになる。

 

「体調不良か? 本来は非戦闘員であるはずの君に危険を強いている自覚はあるつもりだ。もし不安がある場合は、遠慮せずに問題を指摘してもらって構わない。その上でミッションを調整していこう」

 小生の方が申し訳なくなってしまうくらい、リーダーの気配りは至る所に行き届いていた。それ故に、彼が昨日零した弱音を呼び水に先日の出来事が脳裏で鮮明にフラッシュバックされる。

 一瞬、すべて打ち明けてしまおうかとも思ったが、それは余計な混乱を皆に与えるだけに終わるだろう。

 とりあえずは笑ってごまかすだけにしておく。

 

「あー、いや。まあ……。大丈夫です! ちょっと寝不足だっただけでして」

 レミエルさんがじっとこちらの様子を窺っているのが容易に感じ取れる。

 小生は内心ため息をつきつつ、昨日の出来事を思い返した。

 

 

 

 

 ルイ・サイファーと名乗った少女は小生の顔をまじまじと見た後、やがて別のものに興味が移ったかのように、明後日の方向へと目を向ける。

 彼女の見ている方向には、何時の間にやら赤パーカーの少女が静かに立っていた。

 

「――ヤマダから離れなさい、"明けの明星"」

「そう警戒せずとも私にこのニンゲンを害しようというつもりはないよ。私は君たち"天使"ほどニンゲンが嫌いではないんだ」

 恐らくそれは皮肉だったのだろう。レミエルさんはかすかに眉根を寄せ、一瞬の内に小生の隣にまで跳び寄った。

 

「ヤマダ、アレに何かをされましたか?」

「え? あ、いや。特に何かをされたわけではないと思いますが……」

「実際、何かをしたわけではなく、私の目的は君にあるからね。"神の雷霆(らいてい)"」

 ルイ・サイファーは白いドレスを指先でいじりながら、レミエルさんにこう続けた。

 

「少し聞きたいことがあったんだ。この"造物主が既に造物主たる資格を失った世界"における、君の最終目的はあの小物と同じなのかね?」

「……それはあり得ません。私はあくまでも人間が自立してその霊を高め、天の世界へと上っていくことを望んでいます。過程にこだわる必要はないのです」

 二人の会話はまるで分からないものの上を分からないもので塗り重ねていくようなものであった。

 だが、ルイ・サイファーはこの意味不明な会話の中に納得のいく答えを見つけたようで、

「……ああ、うん。良く分かった。だから、この先"ああなる"のかな? 疑問も解消できたことだし、私はここで失礼するよ」

 口元に手を当て、これまでとばかりに話を切り上げようとする。

 困ったのは小生だった。彼女は先ほど気になることを言い残しており、それに対する満足な答えをまだ得られていないのだ。

 

「ちょ、ちょっと待ってください!」

「ん、どうしたんだね?」

「先ほどの、野球好きさんの魂がまだあるという話について、どういうことか小生伺っていませんっ」

 口から泡を飛ばして詰め寄ろうにも、彼女が立っているのはトラちゃんさんの心象風景の映った壁の向こう側だ。自ずと大声で問いかけることになったが、構いはしなかった。

 

「どういうことかと問われてもね……。君の言う彼の魂が、まだ"そこにある"というより他にない。恐らくは執念の類だろうね。詳しくは"神の雷霆"か君たちの女神にでも聞いてみたら良いのではないかな」

 言って、彼女は心象風景の向こう側で眠りこけている草食動物の体にもたれ掛かる。

 そうして、しばらくはやきもきする小生の姿を薄ら笑いを浮かべて観察していたが、

「そうだ。君は未来に興味はあるかい?」

 やがて、名案を得たかのように無邪気な声を彼女はあげた。

 

「は、え? 未来、ですか?」

 突然の話題転換に戸惑うが、自分の未来が気にならないかと問われれば、気にならないわけがない。

 自ずと小生が話を聞く体勢になったのを認めたのか、彼女は細い人差し指をひらひらとさせ、小さな光をその先に生み出す。

 

「私は少し計算が得意でね。今の状況から振り子の落ちる先を割り出すくらいは簡単にやってのけられるんだよ。つまり、君の未来も予想できるんだ。少し見てみたいかね?」

「……おやめなさい、"明けの明星"」

「君もやっていることじゃないか、"神の雷霆"。大丈夫、最終的に道を決めるのは彼自身だよ。決して手を差し伸べることはしない。だって、私はニンゲンのことが好きでもないからね」

 そう彼女が言い終えた途端、小生の目の前に良く分からない光景が広がっていった。

 

 目映い光を放つ無機物に囲まれた空間の中に、タダノ君が仲魔と共に立っている。

 タダノ君は何故か満身創痍の状態で、仲魔たちの顔ぶれもまた今の面々とは異なっていた。兜をかぶった"シーサー"に似た神獣。身体に蛇を巻き付けた四本の手を持つ神々しい青年。剣を携えた緑髪の美しい少女。

 そして彼と対している敵は、

 

「えっ?」

 背格好や髪型を見るに、それはどう見ても小生であった。

 ただ今の小生とは身に纏っているものが違う。例えば、既に隊員たちのトレードマークと化していた"バケツ頭"をかぶっておらず、代わりに何故か狐面をかぶっている。そこはシュバルツバース内ではないのだろうか?

 それに、左手に稲穂の束らしきものを持っている。農作業の帰りか何かか。満身創痍のタダノ君を出迎える格好とは到底思えない。

 小生の仲魔たちもまたタダノ君のそれと同様に変わっていた。六本の腕を持つ巨大な牛頭の"悪魔"。どう見てもメカだこれという見てくれの"天使"。さらに、今の姿よりも成長したトラちゃんさん。

 どうやら小生らは、空間の奥に鎮座する天まで届く光の柱を守るようにしてタダノ君の前に立ちふさがっているようだ。 

 タダノ君が叫び、両者が戦闘態勢を取った。その成り行きに、小生はただただ困惑する。何故、タダノ君と小生が敵として向かい合っているのか分からなかったのだ。こんなことは絶対にあり得ないはずなのに――。

 そして、激戦の幕がきって落とされた。

 

 相変わらずタダノ君の戦いぶりは見事なもので、単騎で切り込む牛頭の"悪魔"をチームワークで捌いていく。それに対し、小生らは回復や支援の異能を駆使して戦いを泥仕合に持ち込んでいた。

 驚いたのは小生も素で異能を用いていることだ。稲穂を振れば仲魔たちの傷が塞がっていき、右手を掲げれば自身の傷が塞がっていく。

 千日手にも思えた戦いは、やがて乱入者の存在によってタダノ君優勢へと傾いていった。

 乱入してきたのは見慣れない、黒いデモニカスーツを着込んだ見たこともない少女である。

 何かを叫び、互いに何かを確認しあった後、彼女はやはり見たこともない装備を駆使し、タダノ君のサポートに徹し始めた。

 そうしてじり貧へと追い込まれた狐面の小生は、牛頭の"悪魔"が倒されていくのを見届け、メカ天使が倒されていく様子も見届け、さらにトラちゃんさんが粒子に変わっていく姿をも見届けた後、力を失ったかのように崩れ落ちていく。

 血まみれの状態で横たわる小生を後目に、少女とタダノ君は何か言葉を交し合う。

 やがて少女は満足したように微笑み、光に包まれ消えていった。

 タダノ君もまた、意を決した面持ちで仲間と共に光の柱へと飛び込んでいく――。

 

 

「……というような未来を計算してみたんだが、感想はあるかね?」

「感想もなにも……、全く意味が分かりません」

 幻視から目覚め、小生は冷や汗を流しながら荒い息を吐いた。

 

「小生とタダノ君が戦うことになるなんて、あるわけないじゃないですか!」

「そうだね。あくまでも可能性の一つだから。君の意見はいちいち尤もだと私も思う」

 食ってかかる小生に対して、彼女は飄々とした態度でさらに続けた。

 

「ではこの未来が本当に起こり得るか、少し確認していこうか。君は、この地球を食い潰さんとするニンゲンの業によって生まれたこのシュバルツバースが、発展的に解消されると信じているのかね? 例えば、すべてのニンゲンたちが悔い改めることで」

「それは――」

 多分、無理だろうと考える。人間社会はもうどうしようもなく多様性に富み、複雑化してしまっているから、すべての人間が同じ望みを持つことなんて不可能なのだ。

 例えば地球環境の破壊は誰かの損であるが、それと同時に誰かの得でもある。

 逆に環境の保護は誰かにとって得であっても、誰かにとっては損であった。

 経済も然り、政治も然り、宗教の勢力争いも然り……。

 対立する意見の調整は並大抵の努力では決してなし得ない。

 

「例えばすべてのニンゲンを洗脳すれば、ニンゲンが地球環境を食い潰すことはなくなるだろうね」

「そんなの、絶対駄目ですよ」

「ならば、いっそのこと君たちがシュバルツバース現象と呼ぶこの地球浄化の営みを広がるままに任せておき、その中でニンゲンたちが生きられるようにするというのはどうだろう? ニンゲンの生物学的構造を変えてしまえば、あながち不可能な線ではないと思うがね。勿論、ほとんどのニンゲンは死滅してしまうだろうが、生き残ったニンゲンたちはアクマとともに生存が可能だと思うよ」

「それも……、駄目ですよ」

 彼女はここで言葉を切り、少し口の端を持ち上げた。

 

「……ならば、一端問題を棚上げして、後生の英知に縋るのかね? ニンゲンが問題を自発的に解消できるようになることを頑なに信じて、地球というリソースを消費し続けるのは黙って見守る。地球が真の意味で死滅するまでね。地球意志は自らの生存を図って何度もシュバルツバース現象を発生させることだろう。それを誰かが食い止めなければならぬわけだ、延々と」

 彼女の口ぶりには多分にからかいの色が含まれていた。

 多分、この第三の選択肢を愚かな選択肢だと思っているのだろう。

 

「個人的には、この三つ以外の選択肢が見てみたいとは思うのだがね。珍しいことに今回の私は"神の雷霆"と近しい立場にいるようだ。これは本当に珍しいことなのだよ」

「――"明けの明星"」

「分かっているさ。私はもうお暇させていただくよ。ただ、一つ忠告を。そこのニンゲンは英雄の類ではない。有象無象の善人だよ。それを忘れると、永劫の孤独に閉じ込めることになるかもしれないね」

 言って、彼女は草食動物の身体に預けていた背を持ち上げる。直後、白いドレスが風で翻り、彼女の身体をすっぽりと包んでいく。

 そうして彼女の身体は瞬くよりも早く何処かへと消え去ってしまった。

 

 

 

 

 

 結局、昨夜の出来事が何を意味するのかについては、小生は未だ満足の良く答えを得られずにいる。

 レミエルさんもこの答えは自らが導き出すのが筋であり、自分から話すことは何もないと言っていた。

 小生にとって、最も望ましい"未来"へと至る道とは一体何なのだろうか?

 永劫の孤独とは何なのか?

 分からないことだらけで、頭がショートしてしまいそうだった。

 

「寝不足ならお野菜食べなさいよ。とりあえずお野菜食べておけば、大抵のことは解決できるのよ?」

 再び思考の袋小路へと迷い込んだところで、トラちゃんさんから心配そうな声をかけられる。そして、住人たちから続々と。

 

「肉も食えよ」

「ポトフ、お代わりいります?」

「多分、インスタントコーヒーが残っていた気がしますよ」

「点滴を打つと、少し楽になるかもしれませんね」

 小生は頭を掻きながら、それら一つ一つにお礼を述べて言った。

 とりあえず、彼ら彼女らが不幸せになるような道筋だけは選んじゃいけないなあ、と考えながら。

 




【メインミッション】
 重力子通信機の調達。


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シュバルツバースで回収と召喚

不定期更新ですが、ぼちぼちと続けていきます。


 ひんやりとした霧の漂う坂道の麓、鈍色に輝く大河のほとりで、小生は白髪リーゼントの老人にぺこぺこと頭を下げていた。

 そう――、"また"来てしまったのである。

 

「で、茶菓子いるか?」

「あっ、はい。頂きます……」

 呆れ顔の老人から手渡されたものは、100年以上前に創業した老舗のカステラだった。カラメル色の外生地と、山吹色の中生地が織りなすコントラストが実に目映い。現世の品が何故、ここにあるか正直理解不能だったが、あまり深くは考えないことにする。大方、何らかの手段で取り寄せたのだろう。

 小皿に置かれた状態で手渡されたそれを、流れに任せて一つまみ。良く分からない流れには、とりあえず身を任せて責任を丸投げしてしまうというのが小生なりの処世術だった。

 うーん、賞味期限も大丈夫そうな正真正銘の本物だな、これ……。

 解せずとも懐かしい故郷の甘味を堪能する小生を見て、老人は満足げな笑みを零す。

 そうして上機嫌なままに改札の手前に乱雑に放置されたソファの一つにどっかと座り込み、足を組んで自前のリーゼントを整え始めた。

 ……何処からどう見てもヤの付く自由業味しか感じない。途端にカステラの甘味が何かの罠に思えてきたぞ。

 

「復活を待つ間、そこにリクライニングチェアーがあるから、使って構わんぞ」

「えっ!? あ、はい。ど、どうも……」

「何なら茶も出してやろうか?」

「こ、こ、これはご丁寧に……」

 彼の下にも置かぬ扱いが逆に恐ろしい。戸惑いつつもおっかなびっくりチェアーへと腰掛けると、アームレスト部に垂れる白い張り紙が目に付いた。

『差し押さえ』

 ごしごしと我が目を擦り、すぐさまヒエッと息を呑む。

 小生の目がおかしくなったのでなければ、白地に朱書きで記されたその文言は、何処からどう見ても闇金融的なアレだ。

 

「ん、どうした?」

「い、いいいえ。何でも!?」

 小生は慌てて張り紙から目を逸らしたが、逸らした先に別の差し押さえ品を見つけてしまう。

『押収』『質草』『強制執行』……。

 記された文言こそは違えども、ここにやってきた経緯は家具も武器も防具も全てが同じ類のものだった。

 ……この老人は一体どれだけ手広く悲しみを作り出していっているのだろうか。

 またぞろ胃腸がしくしくと痛み出す。

 小生はここに声を大にして訴えかけたい。

 見知らぬ誰かの血と涙が染み込んだ椅子なんぞにリクライニング効果はねーよ! と――。が、無理! 小生にそんな直球で口を挟む度胸など無かった。

 ただ、痛みを訴え始める胃に逆らうこともできぬ。小生は胃が弱く、また胃に弱い男なのである。故に角が立たぬようカーブボールを放り込むことにした。

「あの、なるべくお手柔らかにしていただけると……」

「む、それは出資者としての要望だな。無論、そなたの要求はなるべく守ってやろう。最近、有能な集金人を見つけたのだ。下界ではカツアゲミカド王などと呼ばれている人材でな。相手を無駄に傷つけることなく、死なないぎりぎりのラインを見極めて集金を行ってくれる良い男なのだ」

「は、はあ」

 ちょっと何言ってるのか分からないが、どうやら別世界の話をしているようだ。

 それなら、あまり気にすることでもないのだろう。そう。死人が出ていないなら気にすることでも……、いや気にするわっ! 結局、血と涙を搾り出してるじゃねーか!!

 うんうん小生が良心の呵責に苛まれているところに、老人がティーカップ片手に語りかけてきた。

 

「して、今回の死因は?」

「あ、実は"混沌の海"という異能を受けまして……」

 そう口を濁して老人に答える。

 実際のところは"イッポンダタラ"という邪鬼の群れに背後から奇襲され、焦ったトラちゃんさんが"混沌の海"を放った先に小生がいたために"悪魔"と合い挽き肉のミートボールになってしまったというのが正しい経緯なのだが、包み隠さず話したところで我らがトラちゃんさんの名誉がいたずらに損なわれるだけだ。

 故に言葉を選んだつもりであったが、老人はたったの一聞で異能の持ち主に思い至ったようで、呆れ顔を浮かべてため息を吐く。

 

「……"ジャッジメント"の例があったというのに、あの女神は反省という言葉をしらんのか」

「いや。折り悪く戦闘隊形のチェックがてらに小生だけがチームの後方にいたことも駄目だったんだと思います」

「隊形のチェックをしていて、同士討ちが起きていること自体がありえんだろう」

 捨て置けば、このままトラちゃんさんのバッシング大会になりそうな気配が漂っていたため、小生は慌てて「それよりも」と話題を変えた。

 

「投資したマッカじゃ足りなかったんですか……?」

「言葉が足りておらぬな。そなたの仲間たちのことか?」

「ええ。一人、犠牲者が出てしまいまして……。マッカが足りていないのならば、手持ちの分は全部お譲りしますから、何卒――」

「ああ。いや、あの戦士のことならば、マッカの有無だけが問題ではないのだ」

 こちらの提案を遮るように老人は言い、顎に手を当てさらに続けた。

 

「あやつは短時間に魂をすり減らしすぎた。ニンゲンという存在はたった一度の黄泉帰りでも、その魂が大きく変容してしまうものなのだ。何処かで臨死体験をした者が異能を授かった例を聞いたことはないか? 人格が変容してしまった例を聞いたことはないか? 古来に名を残した聖人のように、復活とは奇跡であると同時に脆弱な魂にとっては猛毒そのものといえる。では、毒の杯を一度ならず何度も呷り続けたものが果たしてどうなるか――、然程難解な予想ではあるまい」

「それじゃあ、野球好きさんは……」

「既に人としての魂は失われたに等しいな。いや、"アケロンの河"(ここ)に姿を見せていないことから察するに、もう消滅してしまったのかもしれぬ。いずれにせよ、当人も納得の上の話であったから、わしから言うべきことは何もない」

 "予想通り"に帰ってきた無慈悲なその言葉に、小生は肩を落として俯いた。

 実は老人と同様の見解を、トラちゃんさんやレミエルさんから既に聞かされていたのだ。

 先日、ルイ・サイファーと名乗った少女の発言を真に受けた小生は、土下座する勢いで二人に野球好きの魂とコンタクトを取ってくれるよう頭を下げて頼み込んだ。

 しかし、その後どうやっても野球好きとのまともな意思疎通は不可能だったのである。

 

『うーん。残念だけど多分……、これ残留思念のようなものなんだと思う。地縛霊をもっと希薄にしたような感じかしら』

『言葉を交わす知性は最早存在していないようですね。察するに仲間を守るという意思のみが、霧散した魂の一片としてこの帽子に宿ったのでしょう。私が天界へと送り届けても宜しいのですが、彼がこの場に残りたいと望んでいる以上、私は彼の自立した意思を尊重いたします』

『でも、その内"ディース"たちがヴァルハラに連れて行こうと誘うんじゃないの?』

『いけません。彼の意思にそぐわぬ勧誘は、他ならぬこの私が認めませんよ』

 二人とも申し訳なさそうにしていたものの、彼との会話は不可能であると断じていた。未練がましい小生と違って、早々に諦めてしまっていたのである。

 恐らく、小生と違って数多くの魂を見送ってきたことが、このドライな見方に繋がっているのだろうとは思ったが、それでも小生は彼の死に納得できなかった。

 だが、ここで冥府の管理人の見解を聞かされたことで、今更ながら大切な仲間の死が現実味を帯びて喪失感を形作っていく。

 

 

 野球好きは既に死んだ。魂の欠片が"箱庭"を漂うばかりで、小生と彼が再び今世で出会うことは最早無いのである。

 

 

 落ち込む小生に対し、老人は飄々とした声色で語りかけてきた。

「そなたもゆめゆめ心に留めておくのだぞ。死を繰り返すことが自身の魂にどのような変容を起こしてしまうかは、蓋を開けてみるまで良く分からぬのだ。死を想え(メメントモリ)。決して、死を軽々しく扱ってはならぬとその身に刻め」

「はい……」

 そうして小生は通例のマッカ投資をした後に、泣き叫ぶようなトラちゃんさんの声に誘われて現世へ至る帰路についた。

 閉じた目を開け、仲魔たちと再会する。

 

 

「ええええっと、ヤマダ。ごめん……」

「ま、いつも通りの光景じゃの」

「これがいつも通りとか、ちょっと命が軽すぎる気もいたしますが……。フフ。まるでカストリ酒のような粗雑さは嫌いではありませんね。とてもデカダンスで。ファッションパンクではない本物の凄みを感じて、大変グッドです」

 右からトラちゃんさん、カンバリ様、ディオニュソスさん。そして、機動班の仲間たちも、少し遠い場所で"悪魔"の掃討を続けていた。今のところ、犠牲者は一人も出ていないようだ。

 ほっと安堵の息を吐いて、トラちゃんさんに笑いかける。

 

「犠牲者が出てないんですから、万々歳ですよ」

「そ、そうなの?」

「ええ、ですからこのまま犠牲者0を目指して、あちらの応援に向かいましょう」

「わ、分かったわ!」

 言うが早いか、トラちゃんさんはリーダーたちと相対する堕天使や邪鬼の軍勢を蹴散らしに向かっていった。

 ディオニュソスさんもそれに続き、既に奮戦していたハルパスさんと背中合わせに敵を千切っては投げの大立ち回りを見せる。

 カンバリ様は後衛についての援護らしい。

 

『オペレーションシステム高速リカバリ。致命的なエラーから復旧しました』

 と、ここで小生の肉体復元に伴いデモニカのシステムも再起動を果たしたようだ。

 "バケツ頭"のモニターに"混沌の海"によるダメージ由来のエラー履歴の洪水が表示される。

 最低限の生命維持機構が滞りなく動いていることにひとまずは安堵。追加アプリケーションの状況も逐一チェックしていく。

 

「百太郎、OK。サプライザーもOK。ヒロえもんは……、何か挙動が怪しいな」

 これらは"レッドスプライト"号の資材班が突貫工事で組み上げた戦闘・探索補助アプリケーションであり、バグフィックスにあまり時間をかけていないために予期せぬ不具合を起こす可能性があった。

 怪しいアプリは全てシャットダウンさせてしまい、小生は仲間たちに指示を飛ばしながら異能の石を投げ放つ。

「速攻陣形! 皆さん、一撃の後にCOOP(追撃)を仕掛けますッ!」

 フォーシームの握りから投げ放たれた石は、時速450km超。さながらレーザービームを思わせる軌道で真っ直ぐ"イッポンダタラ"の群れなす中心部へと吸い込まれていき、内一体の鉄仮面を容易くひしゃげさせた。

 ――と同時に、石から同心円状に発生した真空の刃が周辺に固まる"イッポンダタラ"を切り刻む。

 声にならない悲鳴が彼らから上がり、それを好機と受け取った仲魔たちが"イッポンダタラ"たちに飛び掛っていった。

 奇襲によって、初撃を相手に奪われたとはいえ、蓋を開けてみれば見事な完封。

 既に小生らはここ歓楽街の"悪魔"たちの中でも並みの相手ならば容易に掃討できる戦力を手に入れつつあったのである。

 

 

 

 

 

「放球確認。前段ミッションの完了をここに宣言する。これより我々は速やかに"箱庭"へと帰還し、後段ミッションの発動まで待機任務に入る」

 歓楽街の一角から浮上する空中迷彩色の観測気球を見上げながら、リーダーはカチャリとマシンガンの銃口を下げた。

 この順調な滑り出しに、同行していた隊員たちも声を揃えて歓喜する。

 

「ヒュウ、思ったより早く終わったな! んじゃまあ、さっさと帰還して飯にしようぜ」

「おい。帰路で浮かれる奴があるか、エース。まるでニュービーじゃあるまいし」

「そうは言うがな、強面。ニンゲン様ってのは息抜きが無いと生きていけない生き物だろう。Take have a restを座右の銘にしたいくらいさ」

「安息日はお前の嫌いな"天使"様の領分だと思うんだがねえ」

 強面たちが皮肉の応酬を交わす中、小生はハンドヘルドコンピュータをタップし、タスクボードを立ち上げる。

 どうやら、こちらのミッション完了を受けて、観測班も既に周辺の索敵を始めているようであった。

 エネミーアピアランス・インジケータと連動して近隣に散在する"悪魔"の情報が、モニター上に可視化される。これならば、帰路で不意打ちを受けることもないだろう。

 ほっと小さく息を吐き、その様子をトラちゃんさんに見咎められる。

 

「どうしたの? もしかして、まだ寝不足が辛いとか?」

「ああ、いや。無事に済んでよかったな、と」

「ふうん」

 彼女は見上げるように小生を窺い、やがて後ろ手に組んで踵を返した。

 

「早く帰りましょ! アタシたちの"箱庭"ならずっと安全だもの!」

「そうですねえ」

 言って、小生は彼女の後に続く。

 帰路においては特に苦戦するような局面も無く、皆が大きな怪我も無いままに恙無く"箱庭"へと辿り着けた。

 こうして無事にミッションをやり遂げた小生らを住人たちは酒食を以って出迎えてくれる。

 その日は丁度アーヴィンさんとチェンさんという"レッドスプライト"からやってきた派遣員も"箱庭"へと訪れており、夜遅くまで歓談の声が途切れることはなかった。

 ――そして翌日。

 

「調査隊の、夜明けぜよ! まだ見ぬ"フォルマ"よ……、ウェルカーム!」

 などと訛りの強い言葉で朝日を眺めるアーヴィンさんを後目に、小生は簡素な椅子に腰掛けながら起き抜けにタスクボードと観測気球の中継映像をざっと確認していく。

 どうやら、"エルブス"号の残骸周辺は未だ"悪魔"の警戒が強く、後段作戦の発動は少し後ろへとずれ込みそうであった。

 ならば、機動班から伝授された追撃の連携攻撃――、COOPの練習でもしようかしらと考えているところに、アジア人の女性が声をかけてくる。

 

「どうぞ、ヤマダ隊員。温まりますよ」

 差し渡されたのはマグカップになみなみと注がれたコーンスープであった。

 口を付けてみると、雑味の無い素朴な味で"箱庭"の自家製と容易に分かる。

「ありがとうございます。えっと、チェンさんでしたっけ」

「はい。初めまして……、といっても私はあなたのことを一方的に知っているんですけどね。母国からの報告にありましたから」

 七三に分けた黒髪を揺らし、少しはにかみながら言った彼女の言葉に小生は目を丸くした。

 その風貌から想像するに、彼女は某アジアの大国か星条旗の超大国のいずれかに籍を置く人間だろう。

 ただ、後者と小生に縁は無い。あって、国連の平和維持活動で関係者と少し顔を合わせたくらいだった。

 となると必然的に前者の報告になるだろうが、特に国の報告に挙がるような活動はしていなかったと思うのだが……。

 

「学生時代に太湖(タイフー)周辺の水質改善ボランティアをされていましたよね。我が国にとって有用な人物リストの中に隊員は名前が挙がってるんです」

「え、ただのボランティア活動まで記録されちゃうんです!?」

 流石の超管理社会ぶりに思わず、朝一番(小生の業界では朝一の腹痛を指す)が吹き荒れる。が、彼女はこちらの顔色を見て面白そうに腹を抱えた。

 

「ハニートラップとか、別に何かを頼まれてるわけじゃないですよ! 私も超大国に留学してから、母国との縁なんてほとんど途切れちゃったようなものですし。ただ、お礼が言いたかっただけなんです。あとテイキッイージーってね」

テイクイットイージー(暢気にやれ)ですかあ」

 こちらの素っ頓狂な返しに、彼女は「重要です!」と人差し指をピッと立てる。

 

「博論の提出を控えてた時の私と同じ顔をしてるように見えましたから。アーヴィンさんくらい緩い方が、多分色々うまくいくと思いますよ」

「アーヴィンさんくらい……。まあ、あの人は確かにあっけらかんとされていますねえ」

 言われて朝日を拝んでいた彼へと目をやると、彼は目に隈を作ったフランケン班長とシュバルツバース由来の物質談義を花咲かせ始めていた。

 てかフランケン班長。夜通しで観測任務していたはずなのに何で元気なんだろう……。

 

「"フォルマ"の組み合わせ次第では武具の強化も可能なんですね。"レッドスプライト"クルーの装備が見たことも無いものばかりだったのはそういうことでしたか!」

「おう! ワシは"フォルマ"っちゅう代物に人類の未来を切り開く力が秘められていると信じていてな。その成果の一端を新兵器やアプリとして活用してもらっているわけなんぜよ!」

「そのひたむきな姿勢、僕も見習わなければなりませんねっ!!」

 二人の眼には不安の影など欠片も見当たらず、真っ直ぐ前を見据えているようだった。

 成る程、かくあるべきとは良く言ったものだ。小生の口元も自ずと緩んでいく。

 まるで霞みがかった視界が開けたかのようだ。心も浮つき、ぴょんぴょんと朝らしい爽快感に包まれていった。

 

「だが、オヌシもただ時間を浪費していたわけではあるまい。ワシの見たところ、皆がアッと驚く何かを開発していると見た」

「んっ、んー。分かりますかあ。そうですね。今は"悪魔"の品種改良を研究テーマに据えておりまして……。とりあえず、"マンドラゴラ"からかなり強力な興奮剤を作り出すことには成功したのですよ。薬効は既に僕を含めた隊員たちで実証済みです!」

「――ちょっと待って!?」

 何時、一服盛られたのだろう? 小生も思わず真顔になって彼らの会話に割り込んだ。

 フランケン班長は、一瞬きょとんとした後ですぐに小生の疑問に思い至り、晴れやかな朝日を思わせる笑顔で白状する。

 

「皆さんの食事に少し混ぜて、心理状態を観察していたんですよ」

「いかんでしょ!?」

 道理で最近、宴会や歓談の場がエスカレートしがちだったわけだ! 即刻勝手な人体実験は慎むようにと叱責すると、班長含め、何故かアーヴィンまでつまらなそうに唇を尖らせた。

 ブレーキを踏まずにスロットルを開く二人の聞かん坊ぶりに、どっと疲れが襲い掛かってくる。

 そうして肩を落とし、ため息をついたところでチェンさんが彼女は明後日の方を見ながら他人の振りをしていることに気がついた。

 ……猛烈に嫌な予感がぷんぷんしよる。

 小生は空になったマグカップへと目を落として言った。

 

「……まさか、チェンさんも盛りましたか?」

「……少しだけ実験がてらに」

 朝らしい爽快感じゃなくて、"麻"らしい爽快感じゃねーか! 小生は興奮のままに自らの顔を手で覆った。

 

 

 ――さらにすったもんだあった挙句に翌日。

 どうやら、"レッドスプライト"クルーによる"ミトラス"討伐ミッションが本格的に発動したようで、"エルブス"号の周辺に群れていた"悪魔"の気配が目に見えて少なくなったことが観測班による夜通しの観測で明らかにされる。

 恐らく、小一時間後には小生たちも後段ミッションに身を投じることになるだろう。

 訪問者へ食料を渡すための一時的な保管庫や訪問者用の宿泊施設――、通称"ショップ"や"ホテル"などの建設も進み、日に日にインフラストラクチャーの充実していく"箱庭"の中央広場にて小生が柔軟体操をしていると、建物の影でレミエルさんとおかっぱ頭の少女が仲睦まじく遊んでいる姿が目に映った。

 おかっぱ頭の少女――、はなこさんも今やすっかり彼女に懐いてしまっているようだ。

 今は住人たちも空気を読んで見ない振りをしてくれているが、遅かれ早かれ彼女のことはちゃんと皆に紹介するべきだろう。

 そのためのお膳立てをしてくれていると考えれば、レミエルさんのお節介は至極ありがたいものだった。

 だからこそ、忙しさにかまけて後回しにしていた礼をいい加減彼女に言うことにする。

 

「おはようございます、レミエルさん。その、いつもいつもありがとうございます」

「おはようございます。ヤマダ。いえ、これは私自身のためにやっていることですから」

 小生がレミエルさんに声をかけると、はなこさんはびっくりしたように飛び上がり、身体を透明化させて消えてしまった。

 あちゃあ……。折角楽しんでいたところを邪魔してしまったのかもしれない。

 

「……まあ、もう少しといったところですね。もう少しだけあの子に時間をください」

「申し訳ありません……」

 ぺこりと邪魔をしてしまったことを謝ると、レミエルさんは「そうではない」とばかりに首を横に振った。

 

「あの子は貴方たちの輪に入ろうと努力しているのです。ですから、貴方が歩み寄ること自体が間違いであるとは思いません。間違いがあるとすれば、あの子が"悪霊"というケガレた存在であるということ。謝る必要は無いのですよ」

「ケガレた存在、ですか……?」

 小生の問いに、レミエルさんは頷いて言う。

「本質的に"悪霊"とは人間に仇なす存在なのです。ですが、あの子は人間に仇なさんとする存在理念を意思で捻じ伏せてみせました。これは大変崇高なことなのです。"愛"が芽生えたと言い換えても宜しい。ヤマダ、"愛"とは一体何ですか?」

「えっと、愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない……、でしたっけ」

 言われてすぐに出てきたのは、新約聖書にある『コリントの信徒への手紙』第13章であった。

 やたら、親族や友人の結婚式やらが重なり、しかもやけに耳に良く響くものだからほとんど覚えてしまったのである。

 思えば、あれは人の悪意を受けて腹痛が増すようになった耳に残るようになった気がする。

 

「って、よもや……?」

 半眼でレミエルさんを睨むと、彼女も先日のチェンさんと同様に目を逸らした。

 やはり小生の日常は、秩序だった見えざる力によって色々と強いられていたのかもしれない。

 咳払いをしつつ、彼女は続ける。

 

「それはさておき、我らが主は"愛"そのものです。忍耐そのものなのです。ですから、私には"愛"の芽生えた彼女を救う使命があります。"愛"を得た"悪魔"が進化する前例を私は既に学んでおりますから、"悪霊"を無害な"地霊"の類に変える程度のことはこなしてみせましょう。とりあえずは――」

 言って、彼女ははなこさんと一緒に良くやっている決めポーズをクールな表情のままにとった。

 

「貴方の無事を祈っておりますよ。今日は"特に"気を引き締めなさい」

「はあ……、お気遣いありがとうございます?」

 と良くは分からぬままに後段ミッションへと送り出される。

 

 

 "箱庭"を出ると、まず巨大な"ミトラス"宮殿の最上階辺りからもくもくと煙が立ち上っていることに気がついた。

 いや。煙だけでなく、時折稲光のような光も内部より漏れている。あれは恐らく、何らかの戦闘の余波だろう。

 同行する機動班の面々もまたそれに気がついたようで、互いに顔を見合わせては宮殿内で戦っているであろう同胞たちへと思いを馳せる。

 

「……"レッドスプライト"クルーはミッションを順調に進めているようだ。我々も負けてられんな」

 リーダーの言葉に皆が頷き、小生らは機動班のスリーマンセルを前衛に置いた人・魔混合の中隊陣形を取って、目的地へと足を速めた。

 原色の建物が建ち並ぶ小路に敵がほとんどいないことは既に分かっている。

 観測気球からリアルタイムで届けられる立体情報が、小生らの索敵パフォーマンスを限界以上にまで引き上げているからだ。

 

「ポイント2-5……、クリア」

「2-6、クリア」

「オーケイ、そろそろ愛しの"エルブス"号が見えてくる頃合だぞ」

 スリーマンセルの先頭を進む強面がそう言って、小路の曲がり角に建っている建物の壁にぴたりと張り付く。

 彼が静止するのと同時に阿吽の呼吸で、仲魔の"ゴブリン"が低い姿勢でその先へと飛び出していった。

 索敵に引っかからなかったイレギュラーを燻り出しに行ったのだ。この辺りのリスクマネジメント能力は今までの歴戦で磨き上げられたものであり、恐らくは"レッドスプライト"クルーのそれと比べてみても、決して劣るものではないだろう。

 

「アニキ、敵はいなさそうだぜ! こういう時何つうんだっけ、クリアーだ!」

 "ゴブリン"が覚えたてのハンドサインをこなしながら、そんなことを小さくない声で言う。

 あれではハンドサインの意味が無いが、本人としては立派な仕事をしているつもりなのだろう。

「グッドボーイだ。相棒」

 強面も彼を咎めるのではなく、気長に仕込んでいく腹積りらしい。

 苦笑いを浮かべながら彼はリーダーとアイコンタクトで頷きあうと、"ゴブリン"を追って曲がり角の先へと向かう。続き、リーダーが。エースが。そして小生も曲がり角からその身を躍らせる。

 そうして辿り着いた区画は以前、"ガキ"を蹴散らした小路であった。

 奥にはかつて小生らの母艦であったはずの"残骸"が、周辺の建物をなぎ倒したままに横たわっている。

 そう、あれはただの"残骸"だ。

 "エルブス"号は次世代テクノロジーの結晶であるという性質上、小生らにとっても"悪魔"にとっても貴重な資材の塊となる。

 故に幾多もの資材回収任務の対象として選ばれ、今やあちらこちらの隔壁が剥ぎ取られており、内部が半ば露出してしまっているような状態であった。

 

「……あの様子で、お目当ての通信機は無事なのか?」

 エースが当然過ぎる疑問を呟くと"バケツ頭"を通じて"箱庭"に待機しているゼレーニン中尉がそれに答えた。

『"グレーバー"通信機は艦橋の管制室に置かれているわ。今までに行われた資材回収ミッションのリポートによれば管制室は比較的荒らされていないことが判明しているから、後は天に祈るより他にないわね』

「天、ねえ。シュバルツバースに取り残されちまったオレらが天運を信じられるほどツイてるとは到底思えないんだが」

『それなら、そこにいらっしゃる女神様に祈りを捧げるといいわ』

「……アンタならそう言うと思ったよ。まあ、"比較的"ツイてはいるんだろうな。兄弟?」

 言って、エースは小生に笑いかけてきた。多分、気の利いたジョークを言ったつもりなのだ。

 小生は曖昧に笑って返そうとしたところで、機動班の顔色が一斉に変わった。

 

 "悪魔"の接近を感知したのだ。

 

「あっ、やば!?」

 即座に有利な地形へと身を隠した3人とは違い、反応の遅れた小生はものの見事に小路に取り残され、"悪魔"の群れの襲撃を受けてしまう。

 "ハーピー"に"コカクチョウ"。襲撃してきたのはいわゆる飛行型の"悪魔"たちであった。 

 もしかすると彼女らの巡回ルートに引っかかりでもしたのだろうか。敵の群れは獲物を見つけた歓喜に表情を歪め、散開し遅れた小生らのパーティに向かって急降下攻撃を仕掛けてくる。

 突如として曝された生命の危機。

 もし、小生が普段通りの心理状態にあったのなら、きっと身体を強ばらせ、直後逃げるための一手を必死に探し求めたに違いあるまい。

 だが、今の小生は普段通りとは到底言えぬ心理状態に陥っていた。

 誰に言われるまでもなく、脅威に向けて無謀にも一歩進み出る。

 

「ヤマダ、下がって!」

「いえ、今のは小生の不手際です! 無駄な被害を減らすためにも前に出ますっ!」

「待って、無茶しないでっ!」

 心配そうに制止するトラちゃんさんにぺこりと頭を下げつつ、小生はバックパックから石を取り出して身構えた。

 襲撃者と守り手、途端に狭まる両者の距離。

 小生は目をかっと見開いた。たとえ手傷を負っても構いはしない。仲間や仲魔たちが自分の代わりに傷つくよりも、その方がずっとずっとマシだ……。そんな衝動的な行動は、幸か不幸か全くの取り越し苦労に終わってしまう。

 

「――蛮勇を奇貨へ変えるのも一流の狩人の嗜みぞ」

 いち早く物陰へと隠れていた"ハルパス"さんたちが、小生を囮にした奇襲攻撃を見事成功させたのだ。

 まるで猛禽類が行う狩りのように、"ハルパス"さんは"ハーピー"を空中で鷲掴みにし、嘴で喉を深々と切り裂く。

 その際に脊髄らしきものを引きずり出して摘み食いしているあたり、食物連鎖の上位層特有の威厳を感じさせる。

 味方をやられて硬直した"コカクチョウ"もまたリーダーたちの集中砲火を受け、満身創痍の状態でひょろひょろと高度を下げていく。その隙をリーダーの使役する"ゴブリン"が突いた。

 

「奇襲はお手の物だぜ、ベイビー!」

 "ゴブリン"の鉤爪が"コカクチョウ"を真っ二つに変える。

 続いて流れるように強面とエースが周辺のクリアリングを行う。

 息をつく暇も無い、圧倒的な瞬殺劇であった。

 その立役者の一人であるエースが、こちらを見ながら面白そうに笑みを深めた。

 

「ナイス囮」

 マシンガンによる残心の姿勢すらもわざとらしく思えてしまうほどの悪戯っぽい表情であった。

 その余裕綽々振りに小生は何と言っていいやら、強張っていた体を脱力させる。そこを、

「いてっ」

 とトラちゃんさんに強めのチョップを入れられた。その威力たるや一瞬"バケツ頭"のモニターが乱れるほどで、割と本気な痛みについ顔をしかめてしまう。何故? WHY? と疑問符が頭上を踊りまわる。

 

「ヤマダ! 今のはやっちゃ駄目な奴だからね。分かってんの!!」

「あ、すいません。敵の接近に気づかなくて……」

「――そうじゃなくて!」

 小生の謝罪を遮ったトラちゃんさんは、艶やかな青髪を振り乱し普段は決して見せぬ真剣な面持ちで小生を睨んできた。

 

「アンタ、"兵隊アリ"の役割じゃないでしょ!」

「あっ」

 言われて、自分の思い上がりに今更気がつく。

 周囲を見れば、エース以外の皆が困ったような顔をしていた。

 

 先ほど小生が取ろうとしていた行動は、まさに仲間の身を守らんとする兵隊アリの役割と言えよう。

 そしてそれは戦闘のプロフェッショナルにとっては、自らのお株を奪う余計なお世話であり、トラちゃんさんたちにとっては余計な心配を増やすだけの愚行だった。

 どうやら、野球好きの死という事実は、思っていた以上に小生の判断力を鈍らせてしまっているらしい。

 

「……すいません。色々混乱していたみたいです」

「ホントに分かってるならアタシからは何も言わないけど。気をつけて頂戴よ! アンタは大事な契約者なんだからっ!」

 ただひたすらに頭を下げる小生に対して、いまいち信用できないという風に半眼で見上げてくるトラちゃんさん。

 いい加減に居た堪れなくなってきた頃合で、双方が丸く収まる着地点を提示してきたのは今までサポートに徹していたカンバリ様であった。

 

「そう引きずらずとも、他ならぬ神が完璧ではないのじゃから、ニンゲンである小僧に完璧を求めたところで仕方あるまいて。間違うたびに周りが言い含めてやれば良いだけの話じゃろう」

「カンバリ、そうは言うけど」

「ハテ、女神とは慈悲深いものと考えていたのじゃが」

「うー……」

 トラちゃんさんはまだ色々と言いたそうにしていたが、流石に理想足るべき女神のことを取り上げられればぐうの音も出ないらしい。

 小生がもう一度深く頭を下げると、彼女は握り拳を固めながら不満そうにぷいっと顔を背けた。

 許されるかどうかは、今後の反省次第ということだろう。小生はカンバリ様にも礼を言いつつ、自らの本分を思い出して隊のサポートに専念することにした。

 その後は特に厄介な敵との遭遇も無く、小生らは"エルブス"号から無事に"グレーバー"通信機の回収に成功する。

 管制室から切り離された通信機を梱包材で包んだ後、リーダーが心持ち表情を引き締めて皆に言った。

 

「……良し、後段ミッションの目標物確保も完了した。後はこれを"レッドスプライト"号に届けるだけだな。皆、もうひとふんばりだ」

「行きは良い良いとならなきゃ良いがな」

 強面の軽口に、リーダーは真顔で頷く。実際、この通信機を無事"レッドスプライト"号へ届けられなければ、これまでの苦労が全て水の泡になってしまう。

 彼は"ゴブリン"2体に通信機のポーター役を任じつつ、"箱庭"のクルーへ通信を飛ばして周辺状況の最調査を要請した。

 結果としては、特に問題となる脅威は見られず。

 小生らはほっと安堵の息を吐き、今の内にと"エルブス"号の外へと早足で出て行く。

 

 ――そして、奇妙な識別信号をキャッチした。

「何だこりゃ……?」

 どうやら識別信号は目と鼻の先から送られてきているようだ。

 信号を頼りに辺りを窺うと、小路を真っ直ぐに進んだ更に50メートル以上先に何かがいるのが見える。

 先ほどの調査結果には無かった情報だ。

 "箱庭"のクルーたちを信じるのならば、彼女は突然泡のようにその場に現れたことになる。

 

「……って女性?」

 小生の網膜の動きに合わせて、"バケツ頭"のモニターに50メートル先の拡大映像が表示された。

 風にたなびく黒い長髪に気の強そうな凛とした美貌。

 その身に纏っているのは、赤い防弾ジャケットに黒い細身のジャンプスーツ。デザインこそ違えども、小生らのデモニカスーツとコンセプト自体は似ているように思える。

 小生は彼女の顔を見て、思わず「あっ」と声を漏らした。

「おいおい、何で人間の女なんかがヘルメットもなしでこんなところにいやがるんだ……?」

 素っ頓狂な声をあげるエースに対して、彼のデモニカスーツに居着いていた戦闘支援AIが強い警告を発する。

『相棒、気をつけろ。あれは間違いなくデモニカスーツだが、我々の知るデモニカスーツじゃない』

 そのやり取りが聞こえたのだろうか。

 正面に佇んでいた黒いデモニカスーツの女性が柳眉を不可解そうに歪めて、身近な何かと会話を始める。

 

「あれは……。プロトタイプ"ジョージ"の持ち主ね。本来なら、彼はとっくに死んでいるはず……。それに"エルブス"号の乗組員が、"悪魔"を使役……? 一体何が起こっているの……?」

 小生は迷うことなくバックパックから蘇生の力が篭められた石をありったけ取り出した。

 彼女が遠くない未来に戦うことになる"彼女"ならば、この邂逅は非常にまずい。

 それは単純な力量差からくる、万が一の危機感であった。

 彼女は言葉少なに何者かと会話した後、小型の金属筒をかちゃりと取り出す。

 

「ええ、そうね。不確定要素はここで排除しておくべきだわ。少なくとも、"レッドスプライト"のクルーに命の重さを知る者はいない。ならば――」

 ――瞬間。

 女性の姿がモニターから消失した。

 いや、違う。まるで消え失せたかのように疾く動いただけだ。

「"エルブス"号の連中とて同じこと! "悪魔"どもに誑かされる、ゼレーニンの同類やヒメネスの同類が増えただけなら、増えただけ刈り取れば良いッ!!」

 気づけば彼女は小生らの目と鼻の先にまで飛び込んできていた。

 50メートルの距離を一瞬で詰める、彼女の高速移動に対応できたのは恐らく"事前"に彼女を知っていた小生だけだ。

「なっ!?」

 後の面々は皆、突然の事態に身体が硬直してしまっているようで満足な迎撃態勢を取れていなかった。

 1テンポ遅れて機動班の並べたマシンガンの銃口が即席の槍衾を作りあげたが、それは彼女にとって脅威でもなんでもない。 

 

「……駄目です! 皆、避けてくださいッ」

 小生の叫びも空しく、虚空を飛ぶ女性の手元が無慈悲に光った。

 利き手に握る金属筒の先端から、10メートルにも及ぶ長大な光の刃が飛び出したのだ。

 恐らくはプラズマ粒子を利用した携行近接兵装。

 その脅威度は、銃口を向けられながらも涼しい顔をしている彼女を見ればまさに想像するに容易きものであった。

 

「まとめて消えろっ!」

 光刃が横薙ぎに閃いた。

 渦巻いたプラズマ粒子が真一文字にシュバルツバースの空気を灼き、機動班の持つマシンガンをバターのように切り裂いていく。

 そして、当然ながらマシンガンの持ち主もまた、必殺の光刃から逃れることはできない。 

 全てが通り過ぎた後、べちゃりと両断された三人の上半身が地面へとずり落ちていく。

 仲間たちが死に至らんとする光景が、ノイズ交じりの断末魔とともに"バケツ頭"のモニター上に映し出された。

 

「――ッッ! くっそぉッ!!」

 小生は予め用意しておいた蘇生の石を、3人のもとへ正確に投げていく。

「回復をッ!」

 続いてトラちゃんさんへ言葉少なな回復の指示。

 ことは刹那を争う局面であった。

 

「え、回復っ? 蘇生じゃなくて? でも。わ、分かったわ!」

 あまりの急展開にフリーズしていたトラちゃんさんが再起動を果たす前に、石に篭められた白い光が3人の致命傷を重傷へと置き換える。

 勿論、小生の一手だけでは全滅を先延ばしにするだけの単なる気休めに終わってしまうことだろう。であるからこそ、トラちゃんさんの回復能力が要る。

 

「メディラマ!!」

 そう叫んだトラちゃんさんの指先から放たれた祝福の光が、即死していた3人の肉体を元通りに修復せしめた。

 流石に意識の回復にまでは至らなかったが、ここは犠牲者を0にできただけで十分と考えよう。

 

 女性はそんなこちらの対応を受けて、予想外とばかりにその切れ長の目を細めた。

 どうやら先ほどの攻撃は必殺の確信があったようだ。彼女は苛立たしげに舌打ちすると、小型の拳銃を取り出して小生の眉間へと狙いを定める。

 未来的なデザインの拳銃だった。

 実弾を発射するようなタイプの銃口は確認できなかったが、先ほどの一閃を目の当たりにしていた小生は、恥も外聞も忘れて地面を転がり、攻撃を避けようとする。

 

「お前……、やけに反応の早い奴だッ!」

 罵詈雑言と共に、拳銃の引き金が引かれた。

 そして、拳銃の銃口から機動班の装備している実弾とは段違いの威力を持ったエネルギー弾が発射される。

 それらは着弾時に音こそ立てないものの、一々大きなクレーターを作り上げ、寸でを転がる小生の肝を冷やしていった。

 身を隠した建物の壁が焼け落ち、苦し紛れに投げつけた端材がプラズマに包まれ消滅する。

 さながら将棋で詰めをかけられているかのような畳み掛けが続く。それを力ずくで遮ったのは、小生を狙われたことで激昂したトラちゃんさんだった。

 

「この――! ヤマダに何すんのよ!!」

「私も加勢いたしますよっ!」

 拳を光らせ殴りかかるトラちゃんさんに続き、ディオニュソスさんもまた女性の側面へと回りこむ。

「ならば、我も続くより他にあるまいてっ!」

 そこに"ハルパス"さんも加わり、"箱庭"最強戦力による三方からの同時攻撃が偶然にも実現する。

 それは今までに経験した戦いならば、趨勢を一気に持っていくほどに強力で決定的な連携攻撃であると言えた。

 

 だが、女性はこちらの奮戦を嘲笑うかのように見事な体術で三方からの攻撃を受け流していく。

 マッスルパンチは拳の側面を叩くことでその軌道を逸らし、ディオニュソスさんによる手刀の一撃はすらりとした長い脚で蹴り上げていなす。

 続くハルパスさんのサーベルは姿勢を低くして潜り抜け、彼女はそのままトンボを切るようにして"エルブス"号の残骸の上へと飛び乗った。

 

「出鱈目だ……」

 今までのやり取りで、彼女は傷一つ負っていない。汗一つかいてすらいない。

 彼女と比べれば便所空間で出会った"マカーブル"など赤子と変わらぬ強さであった。

 黒豚召喚による永久機関を実現していた"オーカス"など、攻撃があたるだけずっとずっとマシであった。

 比較にならない次元の戦闘力と判断力――。

 それらが組み合わさって形を成した悪夢こそが彼女であった。

 

「何よ、あいつホントに人間なの……?」

「……これは神々や英霊と矛を交わすつもりで戦う必要があるかもしれませんね」

「クハ、クハハハ!! これは愉悦ッ。これほどの強き者と出会えた運命に、感謝を捧げねば……ッッ!」

 ポーター役を務めていた"ゴブリン"たちが通信機を背負って戦場から離れんとする中、トラちゃんさんたちはじりじりと小生らの盾となるべく女性との間合いを詰めていく。

 悪夢を前にして決して退こうとしない彼女らを見回した黒髪の女性は、解せないといった風に困惑交じりの呟きを漏らした。

 

「……妙だわ、ジョージ。このセクターにしてはどいつも戦力が整いすぎている。それも"タダノヒトナリ"ではない人間たちだというのに――」

「ちょ、ちょっと待ってください!」

 彼女の呟きを拾い取った小生は、活路を求めて懇願するように叫ぶ。

 このまままともに戦ったとしても勝ちの目は薄く、大きな犠牲を支払う羽目になることだろう。

 彼女はルイ・サイファーに見せられた未来において、タダノ君と共闘していたはずだ。

 ならば、話し合いの余地があったっておかしくはない……。いや、必ずや話し合いの余地があるはずだ。

 そう考えて、喉を嗄らさんばかりに続ける。

 

「貴女がタダノ君のお知り合いなら、我々が戦う理由はありませんっ! 我々はタダノ君の味方です!!」と。

 そして、歓楽街に訪れる一瞬の沈黙。

 直後、猛烈な殺気を当てられ、小生は思わず尻餅をついた。

 

「味方、だと? そうだろうな。お前たちは"奴"の味方だろう……!」

 女性の凛とした美貌が憎しみに染まる。怒り、悲しみ、様々な感情をごちゃ混ぜにしたような声色で、彼女は激情のままに吼えた。

 

「――タダノヒトナリの味方ならば、それは私の敵も同然だ! "ジョージ"、ハーモナイザーを起動ッ。デモニカの出力をもう一段階上げるッッ!」

『OK、相棒』

 女性の顔が"バケツ頭"に似たヘルメットで覆われ、身に纏う威圧感がより一層に増していった。

 そして、再び女性が一陣の風と化す。

 トラちゃんさんを蹴り飛ばし、ハルパスさんの羽根を折り、ディオニュソスさんの胸に風穴を開け、

「まずい――、テトラカーン……、ガッ」

 小生をかばおうとしたカンバリ様を、物理反射の異能ごと打ち破る。

 気がつけば、大事な仲魔を皆蹴散らされた挙句に小生の目の前に怒り狂った女性が立っていた。

 

「ヒッ」

 思考が上手く纏まらない。

 ただ、分かるのは次に彼女が動きを見せた時が、小生が死ぬ時だということだ。

 それだけじゃなく意識の無い仲間たちや、仲魔たちも――。

 自ずと湧いて出た恐怖心が、小生の身体を少しでも彼女から遠ざけるようにとしきりに脳へと警鐘を鳴らす。

 彼女が一歩こちらへと詰め、無意識に逃げ腰の身体が退いたところで、胸ポケットに入っていた"お守り"代わりの"封魔管"が乾いた音を立てて何かとぶつかる音がした。

 

「――あっ」

 女性が再び光刃を繰り出して小生をなます切りにしようとするほんの一瞬の間に、小生は直感に身を委ねて"封魔管"を取り出した。

 

『確か日本神話の……、地霊の親玉みたいな奴が封じられているはずだ』

 

 タダノ君に"これ"の素性を知らされてより、一応解析をしてはいたものの、未だ実際に中身と対面したことの無かった切り札である。

 召喚に用いるキーワードは分かっていた。ただ、召喚時に膨大なエネルギーを食うらしいと判明していたために貧乏性が抜けなかっただけだ。

 ……だが、今はコストを考えている場合ではない。

「召喚!」

 小生が"封魔管"に念を篭めながらそう言うと、試験管状のそれはほのかに緑色の光を発し始める。

 

「クッ……。お前、何をするつもりだ!!」

「そんなの分かりませんよ!!」

 そして猛烈な虚脱感が全身を襲う。

 どうやらエネルギーは小生の体内から賄われているらしい。

 

『――我は汝、汝は我』

 痛みで割れそうになる頭の中に、響き渡る不可思議な男の声。

「は、へっ!?」

 やがて試験管から飛び出してきた植物の蔓が、枝が、幹が小生の全身を飲み込まんとする。

 

「え、ヤマダ!? もしかして"封魔管"を使って……、って何よその顕現の仕方っ!!」

「し、しし知りませんよ!? わっぷ――」

 すぐに顔も植物に覆われ、呼吸すらも満足にできなくなってしまう。

 まずい、これじゃあ女性に殺される前に死んでしまいかねない! 

 思わず悲鳴をあげようとしたが、小生の発しようとした言葉とは別の言葉が何故か口をついて出てくる。

 

『――我は地霊"クエビコ"。人は皆、山田の"そほど"と我を呼ぶなり』

 その声もまた、不可思議な男の声と小生のそれが重なっているように響いた。

 何ぞこれ……。

 身体中の肉という肉が植物の細胞壁へと置き換わり、視点がいつもよりも高くなる。

 高層の建物が目線と同じくらいにあり、口をあんぐりと開けた仲魔たちや驚きを隠せない黒髪の少女がこちらを見上げているのが視界に映る。

 足を動かそうとするもどうにも上手く動かせなかった。

 何やら植物と化した小生の足は、まるで案山子のように一本にまとめられて地面に深く埋まってしまっているようだ。

 代わりに手は自在に動かせることに気がつく。

 一本足では上手く保てぬバランスを取るため、手を地面につくとついた箇所から濃い緑色の雑草やコケが無数に伸びていった。

 繰り返しになるが、何ぞこれ……。

 

「何の手品か知らないが――!!」

 困惑する小生の身体が、女性の振るった光刃によって切り刻まれる。が、大したダメージにはなっていないようで、むしろ切り裂かれたその場から修復が始まる始末であった。

 思考の纏まらぬ中で小生は必死に考える。

 何もかもが分からないことばかりの現状だが、分かることだけを拾い集めていく。

 

 例えば今の自分がゼレーニン中尉の使役している"スパルナ"も真っ青なサイズに巨大化してしまっていることは理解できた。

 そして、女性に一撃で切り伏せられる可能性がなくなったことも理解できた。

 と言うことは、すなわち。

 

 この仲間たちが今にも殺されんとしている状況下において、皆を守る盾になれるのではないだろうか……?

 

 小生は仲間や仲魔たちを一度ちらりと見て、一心不乱に女性に向かって植物と化した巨大な腕を振り下ろした。

 



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シュバルツバースで生命の誕生

短めですが、きりがいいので。


「――というわけで、無事に女性を追い返すことはできたのですが、正直自分でも何が何だか分からないのです……」

 仲魔たちの手を借りて、機動班の面々を"箱庭"へ運び終えた小生は、観測気球からの映像で事情を把握している同僚たちから、ひっきりなしの質問責めにあっていた。

 

 曰く、あの女は何なんだと。まるで顔を知っているような口振りで声をかけていたことが彼らの疑惑を招いてしまったらしい。

 また曰く、あの珍妙な召喚は一体どうやったんだ、と。それは小生に聞かれても返答に困る。

 今や"箱庭"の中央部、大広場近辺に新設されたこの公民館の中には、小生からの事情説明を求めて住人のみならず、"レッドスプライト"号から急遽出向してきた隊員までもが大挙して押し掛けてきている有様だ。

 その混雑具合たるや据え置きの椅子が足りずに立ちんぼでの参加者がひしめいているほどで、ドクターと助手さんたちが大忙しで"箱庭"内の椅子をかき集めている最中であった。

 "エルブス"号からはぎ取った資材を用いて作られた大きめのテーブルを挟んで小生と向かい合ったおおよそ数十の瞳が一対の例外も無く小生を見ているのが良く分かる。何故か無性にサツマイモが食べたくなった。ほんと何でだ。

 

 それはさておき、たとえ糾弾されているわけではないとしてもこうして矢のような視線を浴びせかけられている側に立つというのは正直たまったものではない。

 しかも、それが自分には良く分からない案件で追及されているわけだから、尚更だ。

 正直逃げ出したい気分だったが、ここは真摯に質問への回答を考えていくことにした。

 無暗な説明不足は後でもっと面倒くさいことになるものだと、選択肢間違えんなと小生の人生訓が囁いたためである。

 小生は公民館にお集まりの面々をぐるりと窺い、改めてすっかり重くなってしまった口を開いた。

 

「まず 今ありました『何故女性の顔を見知っていたのか?』というご質問なんですが、実は幻覚で一度見たことがありまして」

 参加者の表情が一斉に胡散臭そうなものへと変わっていった。いや、まあ……。すごく理解できる。

 何せ幻覚とは主観的なものであるからそれを証明する術がない。デモニカスーツの内部領域に録画映像でも残っていれば話は別なのだろうが、生憎とルイ・サイファーと名乗る少女との邂逅時、小生はスーツを着用していなかった。共感のできない説明は一気にペテン味が増してしまう。

 それでも最終的にこの返答は、参加者に「まあ、そういうこともあるんだろうな」と無事に納得してもらえることと相成った。

 あるいはペテンの権化たるこのシュバルツバースという地において、現実味の無さを指摘することに皆が徒労感を抱いたからかもしれぬ。

 続く特殊な召喚劇に関しては、前者と違って目に見えた鍵があるため、語り出しは楽だった。"悪魔召喚プログラム"を通した召喚と違い、封魔管を見せればいいだけだ。

 

「後で観測班と資材班で調べてもらいたいんですが、恐らく鍵はタダノ君からお守り代わりにもらったこの"悪魔"入りの容器だったのだと思います。これを握って『"悪魔"よ出てこい』と念じたら、ああなりました」

 言って小生は実際に封魔管を取り出し、テーブル越しに先頭の者へとそれを手渡す。

 一人がためつすがめつ、また一人がためつすがめつ……。

 回覧する皆の表情は、立場に応じた様々な思考が透けて見えていた。

 例えば"レッドスプライト"号から出向してきたマッキーは見るからに胡散臭そうな目をして、明かり取りの小窓から差し込む偽りの陽光に封魔管をかざして眺めている。

 

「これに"悪魔"が入っているのか……? デジタルではなく、アナログ。ここ最近は信じがたいことばかりが起きてきたが、これもまたにわかに驚くより他にないな」

 小生もそれにはまったく同感であったため、疑問に応じてぶんぶんと頷く。微妙な顔をされて、胃が辛い。

 

 続いて資材班のアーヴィンが興味深そうに解析をかけ、封魔管の素材に高純度のマグネタイトが使われていることや、作られてから数百年は経過されているであろうことを指摘する。

 さらにうちの理系脳は、小生が召喚したあの案山子を思わせる巨大な"悪魔"――、"クエビコ"の戦闘力と人間との融合について着目しているようで、アーヴィンから引っ手繰るように封魔管を取り上げると実際に当時の現象を再現しようと試み始めた。

 

「んー、ヤマダさんがいう感じだと……。"悪魔"よ出てこい! って、こうですかねえ?」

 場を弁えずフランケン班長が実験をはじめたことで、周囲の参加者が蜘蛛の子を散らすように飛びのいていく。

 そりゃあ、誰だって巨大な案山子に押しつぶされる危険性に思い当たればこういった行動をとる。ちなみに一番遠い距離まで逃げたのは小生だった。

 しかし、その甲斐も無く――、これは幸運だったと言い換えることもできるのだろうが、生憎班長の実験は失敗に終わる。

 封魔管がウンともスンとも言わなかったのだ。

 

「うん……? 何か前提条件が足りていないんですかね?」

 首を傾げる彼に対して、ゼレーニン中尉が非難の声を上げた。

「ちょっと、班長! 公民館の中で不用意にあんな巨大な"悪魔"を呼び出そうとしないでください!」

「ん? ああ、すいません。以後善処します。で、アナログな器具に個人認証のロックがかかっているとも思えませんし、何で召喚できないんでしょうねえ」

 到底反省しているとは思えない謝罪ぶりに、中尉が額を指で押さえる。

 ただ、彼の疑問はもっともなものであったため、実験と窮屈な室内を抜け出す意味合いを兼ねて、皆で大広場へと繰り出すことになった。

 西日に目を細めつつ、手でひさしを作りながら皆の実験をぼうと眺める。

 途中、トラちゃんさんとタンガタ・マヌさんたちが手製の箒を持って畑の周囲を駆けずり回っていたが、あれは一体何なのだろうか?

 と小生がよそに気を取られている内に、参加者の実験がすべて失敗に終わる。え、全部失敗? 何でや。

 

「これはタダノ隊員に聞かなければならないことかもしれませんが、ヤマダさん自体が特殊である可能性が濃厚ですねえ」

「えぇー……」

 小生は思い切り眉の根を寄せた。

 先だっての召喚の特殊性が浮き彫りになり、居た堪れなさに苛まれる。

「……ヤマダ隊員。君は自分だけが召喚できる点について、何か心当たりは無いのか?」

「い、いや。正直さっぱりで……」

 マッキーの言葉に小生は首をぶんぶんと振る。

 気づけば傾いた偽りの陽光が、参加者の影をのっぽに見せていた。それはまるで槍でも突きつけられているかのように見えていて、端的に言えば腹が痛い。

 かくして縮み上がった小生に対し、困ったように頬を掻きながらフォローの言葉をかけてきたのは、同胞たるヒスパニックの青年であった。

「まあ、ヤマダが嘘を言ってないのは間違いないだろうなあ。本当に知らないんだろう」

 髪をかき上げながら茶化すように言った言葉に、場の面々が振り返る。

 ちなみに来客の対応やドクターたち、現場で手隙の人員に指示を出すといった取りまとめ役を、彼は意識のないリーダーの代わりにこなしていた。

 意外なことに彼は後方人員の中では図抜けた集団掌握能力を持っていたのだ。曰く、牧場の管理には必須のスキルであるらしい。

 

「フム、ヤマダ隊員が虚偽を申しだてていないという論拠は?」

「こいつの性格上、疑われた時点でさっさとゲロっちまって追及を逃れようとすると思うからだな」

 ぐうの音もでねえ。マッキーをはじめとする"レッドスプライト"クルーもそういう返しがくるとは思ってなかったのか、「お、おう」という顔になってしまった。

 ヒスパニックが肩を竦める。

 

「とりま、傍から見て分かることだけをまとめていった方が良いんじゃないかと俺は思うね。例えば、さっきの女についてなんて黒いデモニカスーツっていうこれ以上無い手がかりがあるじゃないか。重力子通信機で外界と連絡さえ付くようになれば、探す当ても見つかるだろうよ」

 皆が成る程と頷き、ヒスパニックがさらに続ける。

 

「で、召喚についてはこれはもう試行回数を増やすしかないと思うわ。現状、分かっていることは人の身体が"悪魔"のそれに変化したこと。ヤマダ以外に召喚の成功例が無いこと。それだけだからなあ」

「一度、ヤマダさんとタンガタ・マヌあたりを合体させて、違いを比較してみたらどうでしょうか?」

「待って」

「それは冗談としても、元の持ち主であるタダノ隊員に試してもらう必要はあるかもしれないわね」

 一部、物騒な発言も見え隠れしたが概ね穏便に話は進んでいく。

 ただ、"レッドスプライト"クルーの一部はやはり情報を秘匿しているという線をも捨てきれずにいるようであった。無理も無い話だ。

 先だってに小生は彼らと事実上の決別宣言をしてしまっている。結局のところ、この説明会は今まで彼らから信用を勝ち取る行動を取ってこなかったという自業自得によるものなのだろう。

 だからこそ、この不信による胃痛は甘んじて受け入れねばなるまい。そう、腹に決めたところで今まで沈黙を保っていたレミエルさんが外野より口を挟んできた。

 

「……旧来の悪魔召喚術は、誰にでもできるものではないのですよ」

 彼女は公平な立場で人間たちの話し合いを観察したいという考えから、基本的にほとんど住人たちの会議に口を挟むことなどない。

 故に参加者のほとんどが彼女の横槍に目を丸くし、どういうことかと先を急かした。

 

「本来、悪魔召喚術とは膨大な量の手続きと、依り代に用いる触媒、そして"悪魔"を現世に繋ぎ止めるための霊力があって初めて成り立つものなのです。ですから、"悪魔召喚プログラム"を用いて"悪魔"を使役している者であっても、旧来の召喚が可能とは限りません。更に言えば、ヤマダの例は非常に珍しいものですから、この場にあれを再現できるものはいないでしょう」

「ええと。ミズ・レミエル、それは一体どういうことかしら……? ヤマダさんは昔ながらの召喚ができるだけでなく、他にも何か余人とは異なる才覚を持っているということ?」

 中尉の言葉に彼女は頷く。そして、涼しげな顔で、聴衆に向けて語りかけた。

 

「はい。その通りです、ゼレーニン。私の見る限り、これはヤマダの魂とその身に流れる血が関係しているようです。ですから、余人が彼の真似をしたとしても、同じ現象は起こりますまい」

「魂と血、ですか?」

 今度は目を爛々と輝かせた理系脳が身を乗り出して問う。レミエルさんはこれにもこくりと頷き、諸手を広げた。

 

「ヤマダには"選ばれし者"の血が脈々と流れているのです」

 この場に集った面々が驚きにざわめく。当然だ。

 というか、小生が一番驚いている。

 "選ばれし者"とは一体どういうことなのだろうか? 字面だけ見てみても、某国民的RPGに出てくるような勇者とか英雄とか、そういうものしか思い浮かばない。小生の家系が勇者や英雄? んな馬鹿な。

 

「そう、ヤマダの血族は代々神魔に"選ばれる"役割をこなしてきたのでしょう。例えば、神の怒りを鎮めるためにその身を捧げ、神魔の声を現世に届けるためにその身を捧げ、何らかの願望を成就するためにその身を捧げるという――」

「ちょっと待ってください」

 滔々と語るレミエルさんに対して、小生は思わず真顔で突っ込んだ。

「はい、何でしょう。ヤマダ」

「その身を捧げた後はどうなるのですか?」

 レミエルさんは小首を傾げ、小生の言わんとすること理解したのか「ああ」と小さく声を漏らした。

「少し回りくどい修辞句でしたがこの場合、身は魂を意味します。要するに、命を捧げるということで。大抵の場合は、はい」

「小生の業界では、それ生贄って言うんですよ!!」

 あんまりな言葉に小生はただ慟哭した。普通、自分の家系が由緒正しい生贄だなどとは思いもよらない。ご先祖様の悲哀が目に浮かぶようであった。

 

「でも、ヤマダさんはこうして今も生きているわ。これでは生贄とは言えないのではないかしら」

 南無阿弥陀仏、レストインピースと思考停止状態に陥った小生の代わりに中尉が困惑気味に問う。

 確かにそうだ。小生はまだ生きている。もしくは、今にも取り殺される間際なのだろうか?

 皆の目が向けられる中、レミエルさんは続ける。

「理屈では確かに。ただ、これは召喚した"クエビコ"とヤマダの間にはある種の親和性があった。そう考えれば納得もいきます。他者を害することは容易いですが、自分を害することは容易きことではないのです」

 彼女の言をまとめてみると、どうやら小生の行った召喚は俗に"憑依"という特殊な召喚法に当たるものらしい。

 アジア圏、とりわけ日本では比較的メジャーな召喚方法であるようで、恐山のイタコや沖縄のユタ、巫女などが例に挙げられるとのことだが、大事なことは小生が呼び出せる"悪魔"が"クエビコ"に限られるとの文言だろう。

 

「よし」

 小生は決意した。"クエビコ"さんには常日頃から感謝を捧げ、今後憑依という形では彼以外を呼び出さぬと。彼を大事にしていこうと。

 

「それならヤマダさん。改めてきっちり観測したいのでもう一度、憑依召喚してみてくれませんか?」

「めっちゃ疲れるから勘弁してください……」

 勿論、大事にすることと普段使いにすることは必ずしも一致しない。

 小生は"クエビコ"さんの存在を、心の箪笥の奥底に仕舞い込むことにした。

 

 

 

 

「……で、結局何があったんです? これ」

 とりあえず説明会にも目処がつき、トラちゃんさんたちの様子でも見てくるべいと畑に繰り出してみると、

「もう動きたくなーい」

 と疲労困憊で地べたに倒れこんだ彼女の姿があった。

 タンガタ・マヌさんたちも良い汗をかいたとばかりに手ぬぐいを首に巻いて座り込んでおり、何かしらの大騒ぎがあったことは容易に見て取れる。

 スダマたちは……、「びよんびよーん」といつもどおりのようだ。

 

「単なる"害虫"駆除ですよ」

 と我関せずという風に小生の問いに返してきたのは、鼻歌交じりにぶどう畑の手入れをしているディオニュソスさんだった。

 等間隔に突き立てられた木の棒には、既にたわわなぶどうの房が絡みついている。

「食べてみます? 女性陣には好評でしたが」

「あ、いただきます」

 ディオニュソスさんに手渡されたぶどうは予想外に小粒だった。

 食べてみると強い酸味の中にぶどう特有の甘さが感じられるが、それよりもぎっしりと詰まった種が気になってしまう。これはそのまま飲み込んでも良いのかしらん……?

 小生が変な顔になったことに気がついたのか、ディオニュソスさんはくすりとからかうように笑った。

 

「フフ。種は吐き出しても良いんじゃないでしょうか。あくまでも醸造用のぶどうですからね、食べるために作られたぶどうとは違いますから、戸惑われたことでしょう」

「ああ……」

 要するに女性陣からの好評は、このシュバルツバースで甘味が食べられたという希少価値によるものだったのだろう。

 多分、彼女らの感想は「美味しい。けれどももっと美味しくできるのでは」と続くはずだ。

 品種改良を重ねた現代の作物に慣れている小生らは、とにかく舌や胃腸がわがままで困る。

 小生はディオニュソスさんに手刀を切って断りを入れると種をぺっと手のひらに吐き出した。さて、この種の処分どうしようかしらんと悩んだところに、彼の人差し指が地面を指し示す。マジでか。

 

「それで、"害虫"……、ですか?」

 種を地面に埋めながら、本題の部分について問いかける。

 もしやまたぞろ"悪魔"が侵入したか、自然発生したのだろうか? いや、侵入したのならばもっと大事になっているはずだ。ならば自然発生の方だろう。

 そうあたりをつけたものの、彼から返ってきた答えは全く予想外のものであった。

 

「ええ、どうやらこの世界にも"生命"が芽吹きつつあるようです」

 ん? と彼の言葉に引っ掛かりを覚えたところで、「ヒャッホォウ!」という理系脳の雄たけびが近くより聞こえてきた。

 見てみると、何か小さなものを手のひらに乗せては感涙している。

「って、昆虫……?」

 んな馬鹿な。このシュバルツバースは地球上の全ての生き物を拒む滅びの大地であるはずだ。

 だというのに昆虫が生きていけるものなのだろうか?

 だが、現実に理系脳の手のひらの上で"昆虫"と思しきモノはカサカサと動いている。

 

「ヤマダさん、これ絶滅した南極大陸特有の生息種ですよ! 今やユスリカくらいしかいなくなった南極大陸の古代昆虫をこの目で見られるとは、シュバルツバースは最高です!」

 理系脳の言葉でますます良く分からなくなってきた。困惑する小生に対し、ディオニュソスさんがしたり顔で種明かしをする。

 

「厳密に言えば、これらはまだ生き物ではないのですよ。その証拠にほら」

「あっ」

 彼は手近にいた"昆虫"を摘み上げ、それを無慈悲に指で押し潰す。

「手を出してください」

「え、あ、はい」

 言って差し出した手のひらに、"昆虫"の残骸が乗せられた。

 ……動いている時は昆虫そのものにしか見えなかったのに、これはどう見ても土か何かで作った細工にしか見えない。生命感というものが感じられないのだ。

 

「貴方が道頓堀と呼ぶ"アクアンズ"の水底に溜まった"アーシーズ"の一部です。地球には今までに存在した様々な生命の記録が残されています。この昆虫もどきはそうした生命の記録から、精霊の残り滓を素材に再現された"まがい物"に過ぎないのです」

「"まがい物"……」

 その言葉に小生は何故かほっとするものを感じた。が、ディオニュソスさんは更に続ける。

「ですが、いずれこの"まがい物"も本物に成る日が来るでしょうね」

「えっ?」

「"まがい物"として生まれたこれらは、本物と同じ生活を行います。例えば植物を食らい、動物を食らい……。そうして、これらの身体を構成する組織が精霊の残り滓から単なる獲物の血肉へと変わったとき、再びれっきとした生命として生まれ変わるのですよ。もしかすると貴方が今埋めたぶどうの種から他の生き物が生じる可能性もあるやもしれませんね」

 小生は彼に上手い言葉を返すことができなかった。

 神代に起きたという"洪水"のもたらした結果、そしてシュバルツバース現象の行く果てがより具体的に目に見えてしまったからだ。

 恐らく、このシュバルツバース現象は単に地球に遍く生命のすべてをプラズマの大津波で絶滅させるだけでは終わらない。

 その後、地球に内包された記録から生命の情報を引っ張り出し、再びこの星を命に溢れたものにするまでが一つの流れになっているのだ。

 これはパソコンでいうなら、クリーンインストールのようなものなのかもしれない。そう、余分なアプリケーションやごみファイルを消去して、本体を正常な状態へと戻そうとするような。

 不具合を直す手っ取り早い方策だとは確かに思うが、これ多分地球の新生が行われた後……、人類は再現されないんだろうなあ。

 何か考えるだけで憂鬱な気分になってくるため、ここは話を切り替えることにする。

 

「ちなみに"害虫"駆除って、ディオニュソスさんもやったんですよね? 何で、トラちゃんさんたちだけあんなに疲れてるんです?」

「私は片っ端から潰して回りましたので。さほどの手間ではなかったのですよ」

「ん、トラちゃんさんたちは違うんですか」

「殺してないですからね、あの女神らは」

 聞くところによると、最初トラちゃんさんは"箱庭"に命が芽生えたと大喜びしたらしい。

 だが、"昆虫"たちの作物を食い荒らす速度が尋常ではなかったため、すぐさま顔色を変えて駆除に乗り出した。

 ああ、成る程。それで殺さずに虫を払おうとして、あの疲労困憊に繋がる訳か。

 確かにスリッパで害虫をパンてするのと、家の外へ追い出そうとするのとではかける労力が違いすぎる。

 

「貴方が先だって呼び出した"クエビコ"とやらの力で雑草を生やせばいいのではないですか? 確か、そういう権能を持っていたように見えましたが」

「あー、そうですね。これは……、そっちの方が良いなあ」

 それはそれで雑草取りの手間が増えそうだが、いつまでもトラちゃんさんたちを駆けずり回らせておくわけにも行かないだろう。

 

「あ、ああっ! 僕の"マンドラゴラ"に虫が集っている!? だが、これはこれで貴重なサンプルが取れそうで――。ああっ、愛着と知的探究心のどちらをとればいいのかッッ」

 ……うん、さくっと憑依召喚してしまおう。

 あの"マンドラゴラ"さん、めっちゃ涙目じゃないか……。

 

 

 その後、なんやかやで"昆虫"問題が解決し、"マンドラゴラ"さんの無事も確認され、小生は死にそうなほどに生命力を"クエビコ"さんに吸い取られ、"箱庭"の赤茶けた大地にはオオバコやナズナ、ヤエムグラといった雑草の緑色が瞬く間に広がっていった。

 一騒動を終えた"箱庭"は再び生活の音を奏で始める。

 小生は憑依召喚を再現したことで精も根も尽きたという名目で、休憩がてらに掘っ立て小屋の一棟へ赴き、負傷した機動班を見舞うことにした。

 どうやら未だ意識が戻らないようで、小屋の中に入るとドクターと助手さんが皆を看病している姿が見える。

 小生は彼らにぺこりとやった後、邪魔にならぬよう窓辺へそそくさと寄って外を眺めることにした。

 炊事の煙はいつもどおり。

 住人たちや"レッドスプライト"クルーが大広場を基点に往来する姿もいつも通りといえるだろう。

 トンカンと金槌が鳴り響いているのはディオニュソスさんの酒造庫予定地であった。

 トラちゃんさんを称える寺院が後に回されたのはもしかすると実利的な問題だろうか。特に男衆は酒の供給を何よりも望んでいるだろうから、まあ仕方ないともいえる。

 けれども、当の女神様本人はその待遇にえらく不満を抱いたらしく、今も狂信者と共にプラカードを掲げて酒造庫へと殴りこもうとしているところだった。ちょっと、やめて。

 

 予定地の入り口にてすったもんだの話し合いがしばらく続き、何故かトラちゃんさんが意気揚々と引き下がっていく。何があったのか滅茶苦茶気になるが、気にしたら負けという気がしなくもない。

 続いて、完成していたはずのハルパス宮殿の方からも何やら騒ぎの音が聞こえてきたためそちらへと目を向けてみると、

「はっ?」

 宮殿の破風にあたる部分にタンガタ・マヌさんたちが堕天使"ペテルギウス"の頭部を吊るそうとしている姿が目に映った。

 まだ死体処理してなかったのか。いや、いやいやそれ以前におぞましいにも程がある。あれは鹿の頭部剥製みたいな気軽さで飾っちゃいけないやつや!

 今度はトラちゃんさんに加えてレミエルさんも憤懣やるかたないといった表情でプラカードを掲げて宮殿へと突撃していった。

 正直結果が気になって仕方がないが、気にしたら負けという気がしなくもない。

 小生の脳裏に"魔女狩り"などという物騒な用語がちらつく。……明日、宮殿が炎上してたりしないといいなあ。

 

 この小生の危惧は幸いなことに外れ、特に血を見ることもなく、翌日にはあのおぞましい堕天使の頭部は宮殿の正面から外されることになった。

 代わりに宮殿の正面には鳥の羽を模したレリーフが飾られるようだ。"天使"と"堕天使"、妥協できる一点がそれだけだったのかもしれない。

 ほっと息をついたのもつかの間、我らが"箱庭"に新たなニュースの数々が、いや一つは炎上案件と呼んでも差し支えないものが舞い込んでくる。

 

 魔王"ミトラス"の討伐成功。

 重力子通信機による外部との通信成功。

 そして、"レッドスプライト"号からの定時連絡の中には『シュバルツバース合同計画が女神との対話を望んでいる』との文言があった。

 



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シュバルツバースで救世主と復活

遅れました。


 ――そうだ……、今のは聞かなかったことにしてしまおう。

 "レッドスプライト"号を経由してシュバルツバース合同計画からもたらされた対話の申し出。

 それを耳にした小生は、すぐさま色を失って問題の棚上げを呼びかけた。

 何だか猛烈に嫌な予感がしたためだ。

 小生の108ある座右の銘の一つに『君子危うきに近寄らず楽をせよ』というセオリーがあるのだが、今回のケースはまさにこれに該当する。

 一体そばに地雷が潜んでいると分かって踏みに行く馬鹿が何処にいるというのだろうか。

 少なくとも小生にそんな自爆の趣味はない。

 

「フッ。ニンゲンどもが何を言い出すのか。我も参加して憎しみの野火が燃え広がるのを間近で見物したいものよな――」

「マツリ案件? ハルノートごっこハジマル?」

「待って」

 ハルパスさんの物騒すぎる言は怒らせると怖いがためにさておくとして、いずこからか涌いて出てきた不謹慎な"スダマ"のことは指で遠くに弾いておく。弾かれた"スダマ"たちは楽しそうに「ビヨンビヨン、一億火の玉総玉砕ー」と謳って畑の方へと飛んでいった。戦中ガチ勢か。

 思わずため息をついてしまったが、彼らのお陰で地雷を喜んで踏みに行く人種(悪魔種?)がいることは良く分かった。

 かくなる上は、トップの意志を地雷から逸らしておかねばなるまい。

 小生は人類社会との対話の機会到来という降ってわいた話に目を丸くするトラちゃんさんを言いくるめるべく、神妙な顔をして声をかけた。

 

「あ、あ、あーっ! そうでした。トラちゃんさん、そろそろ労働力のあてもできたと思うので、住人や仲魔たちと神殿の建設に専念しても良い頃合いではないでしょうか……?」

「はへ? どういうことヤマダ?」

「いや、何か外から提案が来ているみたいですが、物事には優先順位というものがあると思うのです。トラちゃんさんが今見届けなければならないこと、それは当初の目的を考えれば明白じゃあないかと小生は思うわけです。ハイ」

 こうして目先のイベントをほのめかす様たるや、さながら和製RPGにありがちな通せんぼキャラだ。

 正直、子どもだましの言いくるめであったが、トラちゃんさんはまるで天啓でも得たかのように晴れやかな表情で目を見開くと、

「……言われてみれば確かに、そっちの方が絶対大事よね! ついにこの"箱庭"でアタシの信仰が花開くのよねっ! よーし、みなぎってきたわ。皆っ、このトラちゃんについてきなさい!! また信仰パワーが強まってどんどん生き物が増えるわよー」

 早速寸前に聞いた話をすっかり忘れ、欲まみれな笑顔を花咲かせたままタンガタ・マヌさんたちや"スダマ"たち、『女神と和解せよ』という謎のプラカードを持ったヒスパニックらを引き連れて寺院予定地へと走り去っていった。

 ……予想以上の反応である。

 正直彼女の将来が心配すぎるため、情報リテラシーの何たるかについて彼女と本格的に語り合う必要性を感じたが、これはこれで好都合なことも確かであった。

 内よりわきあがるツッコミの言葉をぐっと飲み込み、女神の居ぬ間に主立った有識者を公民館に呼び集めることにする。

 

「皆さん、こちらへ……」

 ピシィッと窓や戸を閉め切った屋内。かくして円卓の席には、この"箱庭"の中でも図抜けて優秀な判断能力を持っていると思われる三人が集められた。

 一人目はようやく意識の回復した黒人リーダー。未だ本調子ではないようで、顔色を悪くしながら浅い呼吸を繰り返している。

 二人目は"箱庭"のブレーンにて重要な戦力であるゼレーニン中尉だ。彼女はトラちゃんさんの熱心な信者であったが、他の何よりも女神を優先するヒスパニックと違って公と私を分ける分別を持ち合わせている。今も早急に"箱庭"全体の方針を定めるべきだということが良く理解できているようで口元に手を当てて、何やら深く考え込んでいた。

 そして三人目は理系脳のフランケン班長だ。

 え、班長? ドクターとかじゃなく? 彼を呼ぶくらいなら他にヒスパニックとかでも……、いや流石に狂信者はねーな。と一瞬、その判断能力に疑問符が浮かんでしまうかもしれないが、よくよく考えてみると彼がここぞという判断で間違えたところを見たことがない。本当に意外なことに彼の分析能力は本物なのである。

 故に判断に迷う本件において、彼を外すという選択肢はあり得ない。

 かくして"箱庭"を代表する有識者として呼び集められた彼らは、小生の目配せにこくりと静かに頷いた。

 臨時の住人会議の始まりである。

 

「というわけで、皆さん……。手早く打ち合わせをしてしまいましょう。議題は合同計画の要求について、です」

「分かったわ」

「対話ではなく提案でもなく要求、か」

「確かに、この降ってわいた状況を考えると和やかなお話がくるとは考えづらいですねえ。トラブルの臭いしかしません」

 小生の呼びかけに皆から疑問の差し挟まれる気配は欠片も見られない。幸いにして危機意識は既に共有されているようであった。

 ならば、と小生は大真面目な顔をしてさらに続ける。

 

「まずはこの打ち合わせの司会を決めましょう」

「エ、エッ?」

「そこは、ヤマダさんがやりましょうよ。司会を決めるための司会とか、まるで意味が分からないんですが」

「手早く、といったのは君だろう。ヤマダ隊員」

 一斉に疑問が差し挟まれる。どうやら各々が抱く危機意識に、深刻なギャップが存在しているようだ。

 小生は困り果てて皆に問う。

「会議が上手く回らず、後で小生が糾弾されたりとかしません……?」

「どうやら、君と我々の想定するリスクには浅くないギャップが存在するようだな」

 しない、しない、と住人たちの声がハモった。

 言葉だけでは信じられず「本当?」という表情を返すと、お次はしつこいゾというプレッシャーを返される。

 すぐにやれ。すぐにやれ。すぐにやれ。と無言の司会やれプレッシャーは加速度的に強まっていき、やがて小生の胃がぴよっと悲鳴を上げた。 

 責任という言葉を辞書から削除する方法について、電子のイルカでも誰でもいいから知っている方がいれば教えてほしい。

 

 小生はしきりに目を泳がせた後、観念して司会役を甘んじて受け入れることにした。あまり悠長にしていられないのは確かだからだ。

 気落ちしつつもハンドヘルドコンピュータを操作する。そうして呼び出された電子時計のアラームを設定しながら、小生は皆に言った。

 

「えっと。まずは時計合わせしましょうか。このままイレギュラーが起こり得ないとして"レッドスプライト"号との次の接触は、いつになりそうですか?」

 小生のこの問いにはリーダーが口を開いた。

「"レッドスプライト"号の現ミッションは、次なるセクターの観測になっている。最低でも時空間跳躍移動――、"スキップドライブ"を行い、再びこの"ボーティーズ"へと戻ってくるまでがタイムリミットになるだろう」

「私の試算だと遅くとも二日後までには対応を定める必要があるでしょうね。"レッドスプライト"クルーは優秀よ。機材トラブルや計画のトラブルは考慮に入れない方がいいと思う」

「あー、それなんですが、見積もりを一日半は前倒しにした方が良いと思いますよ。アーヴィンさんから伺ったところ、彼らは"ミトラス"討伐作戦と並行して、"スキップドライブ"の準備をあらかた終えてしまっているそうなんです」

「およそ半日がタイムリミットか……、改めて悠長にしていられる状況でないことが理解できるな」

 参加者間でかわされる、あまりに早いレスポンスに目が回りそうだ。もっと緩い雰囲気の方が、小生の胃腸に優しい。

 とりあえず「え、何ですって?」と問いたい衝動を抑え、「鍵付きのタスクボードを新設しましたので、ハンドヘルドコンピュータを起動してご参照を」と指示を飛ばす。細かい聞き逃しは何とか誤魔化す方向で進めていこうと思う。

 

「……そ、それでは猶予を6時間と設定し、計画の策定に移ります。まずは情報分析について。意見交換を30分、意志決定を5分で行きましょう」

「いやあ、個人的には意見交換の時間すら惜しいように思いますよ。遅巧より拙速。ここはヤマダさんの見解に僕らが付き従う形のほうがずっとスマートに済むんじゃないですかね」

 いきなり班長が余計なこと(小生の業界ではこちらの責任と負担がえらく増えることを指す)を言い始めた。

 しかも、他の参加者が同調するものだからたまらない。

 

「成る程。それもそうね」

「俺も班長の意見に同意する。実際、ヤマダ隊員は合同計画の申し出にいち早く"きな臭さ"を感じたからこそ、こうして会議の場を設けたわけだろう。ならば、君の危機感が正しいものかをまず吟味して、その流れのままに動いてもさほど問題はないように思う。単刀直入に聞くが、合同計画の何処に"きな臭さ"を感じたんだ?」

 リーダーにそう問われて、ぐっと言葉に詰まってしまう。

 確かに彼の言うように小生の感じた嫌な予感とは、合同計画の背後に見え隠れする"きな臭さ"に端を発したものであった。

 ただ……、正直それを言葉にするのははばかられるのだ。臭いものに蓋をしたくなる精神とでも言うべきか――。人類の至らなさを改めて口にするという行いは、人類である自分にとってあまり気持ちのいいものではない。

 それでも聞かせてくれという参加者の熱意に屈して、小生は恐る恐る口を開いた。

 

「……恐らく今回の提案は正規のプロセスを経て出されたものではないと思われます。組織自体が機能不全に陥っているかまでは分かりませんが、意思統一がなされていないことは確かです」

 反応は静かなものであった。

 もしかすると予想できた答えであったのかもしれない。

 リーダーが眉間を指で揉みほぐしながら、疲れたように問うてくる。

 

「……その根拠は?」

「合同計画から直々に対話の誘いがあったからです。本来ならそんなことをしなくても、我々や"レッドスプライト"号という窓口を持っているのですから、窓口を通じてミッションという形でトラちゃんさんとのコミュニケーションをとっていけばいいんです」

「ああ、そうなんですよね。それは僕も思いました。何だか動きが一足飛びで性急なんですよね」

 フランケン班長が合点が行ったとばかりに指を弾いた。

 

「ということは、今回の申し出は合同計画の総意ではないということかしら?」

「その可能性は高いと思います。多分、各国の意見調整がまだできない話を一部のお歴々が内々に持ちかけてくるんじゃないかと」

 小生の脳裏に、前世紀に描かれた風刺絵が浮かび上がってきた。

 西欧列強がアジアという土地を模したパイにナイフを入れる風刺絵である。

 リーダーがため息を円卓に吹き下ろした。小生の言わんとすることに思い至ったのだ。

 

「もしやそれは"箱庭"に関する要求なのか?」

「断言はできませんが、恐らくは"箱庭"そのものに関する利権か、シュバルツバースに眠る各種"遺産"の分配に関して、"よそ"を出し抜こうとする要求ではないかと予想できます」

「ああ、"ヒールスポット"や"フォルマ"の類も要求には含まれるのか……。この大変な時期に厄介な――」

 リーダーの言う"ヒールスポット"とは、このシュバルツバース内に点在する超古代文明の遺産のことであった。まず"レッドスプライト"クルーよりその存在を伝えられ、遅ればせながら我々も調査を開始したのだが、現代技術では説明のできない怪我や病気の治療機能を"ヒールスポット"は備えており、ドクターが顔をひきつらせていたことはまだ記憶に新しい。

 ドクターの試算によれば、この"ヒールスポット"が人間社会に流通した場合、世界人口の平均寿命が今の2倍程度にまで膨れ上がることは確実だという。

 何せ、四肢の損失のような重傷程度ならばコストとして支払う"マッカ"次第では完全に再生が可能であり、また軽い2型糖尿病やバセドウ病、各種難病への特効も既に根治という結果をもって実証ができている。人柱として今回の調査に随行してきた後方隊員たちの喜びの声が、合同計画を牛耳る老人たちの目に留まった可能性は決して低くないだろう。

「となると考え得る対話内容としては、シュバルツバース内の資源・土地分配に関する先行交渉か……。発想がまるでアポロ計画時代のそれだ」

「"ヒールスポット"解析の優先度も高めに指示されるでしょうねえ。下手をすれば、持ち帰ってこいという命令程度は下されるかもしれません。僕としては別に構わないんですが、現場の調査計画が混乱してしまうことは避けられないでしょう」

 二人の予想は全体の調査計画を見通す、"箱庭"の首脳にふさわしい精緻なものであった。

 ただ、小生のような下っ端根性の染みついた蚤の心臓持ちからしてみると、いささか当事者意識が足りていないように思える。小生は今一番懸念している部分について、恐る恐る口に出すことにした。

 

「というより、小生らの首にきちんと枷をはめておきたいんだと思います。これは半ば我々の蒔いた種といえるのかもしれません……」

「ん? どういうことだ? ヤマダ隊員」

「いえ、我々は現在"レッドスプライト"号と行動を共にしていませんから。いまいち調査結果が合同計画の利益として見える形で現れてはいないんだと思います」

 今の我々がやっていることといえば、農地の開拓と収穫、村づくりの他に別途"レッドスプライト"号から依頼がくれば、随時ミッションをこなしていくという形になってしまっている。

 先刻トラちゃんさんに言った台詞ではないが、物事には優先順位というものが存在するのだ。そしてそれは立場によって変わってくる。

 現場の小生らにとって、安全に活動のできる拠点の構築が最優先事項であり、また"レッドスプライト"クルーにとって有用だと認められていたとしても、外界の彼らがそれを最優先事項であると考えるとは限らない。

 恩神たるトラちゃんさんの望みを尊重することが、外界の彼らにとって優先事項足り得るとは限らない。

 それに我々が半ば"レッドスプライト"号を経由した下請け業者――、悪く言えば離反組のような存在に収まっていることも納得がいかないのだろう。だからこそ、直接の命令権を回復すべく接触を図ることにした……。

 そうした様々な思惑が交錯したが故の提案なのだ。この『我々にも一枚噛ませろ』とでもいうべき女神との対話要求は。

 

 小生がそんな推測を口にすると、参加者たちから深いため息が漏れ出た。よもや、自分たちが外部から『十分に働いていない』と認識されているなどと思いも寄らなかったようだ。

「……まさか、私たちが人類社会からの離反者として見られている可能性があるだなんて、考えてもみなかったわ……」

 頭を抱えるゼレーニン中尉。その横で渋面を作ったリーダーが悩ましげに呻いている。

 

「ヤマダ隊員、離反者としての汚名を雪ぐために女神と合同計画の対話を受け入れた場合、どのような推移を辿ると思う?」

「どう転んでも破綻する未来しか見えません……」

 先ほどから小生は自身の責任回避のため、なけなしの脳味噌をフル回転させているのだが、合同計画のお歴々とトラちゃんさんの話が弾むとは到底思えないのである。

 目に浮かぶ予想図の中では、トラちゃんさんが平たい胸を張って、老人たちに向かって啖呵をきっていた。

 

『アタシが! 最近専用の寺院までできつつある偉大なる女神、トラソルテオトルよ! トラちゃんって呼んでもいいわよ!』

 と始まり、

『え? アタシの"箱庭"に移住したいの? 良いわよ、生き物はいっぱいいた方が良いから受け入れてあげる。何人くらい? 10人? 100人? もしかして1000人とか?』

 と寛大なところを見せようとし、

『へ、へ? 最低でも数万、できれば数億か数十億人……? そ、それはちょっと無理かなーなんて』

 と勢いを削がれ、

『りょ、りょうどのぶんぱい? こんごのせいじたいせい? せいじかのたいぐう? 一体何を言っているの? ちょっとヤマダ、ヤマダ! はやくきてー、こっちきてー!』

 と小生の名を呼ぶところまでは容易に予想できる。

 これは常々断言していることなのだが、トラちゃんさんの"箱庭"構想と合同計画"全体"の考える問題の解決は現状絶対に相入れないのだ。

 ルイ・サイファーはこう言っていた。

 人類社会が地球を食いつぶしてしまったからこそ、この星の自浄作用であるシュバルツバース現象が発現してしまったのだと。

 つまり人類社会が"今のまま"の形で救済されるなどという都合の良いハッピーエンドは絶対に訪れないのである。

 

「……と、ここまでならば今後の展望も見えるんですけどね。一緒に解決策を模索していく余地がまだ残されていますし……」

「ん? 重ね重ね聞くが、一体何を問題視しているんだ、ヤマダ」

「いえ、人類"全体"の救済が無理筋ならば、次に考えるのは"一部"の救済でしょう」

 小生の言葉を聞いて、リーダーが絶句した。

 

「まさか……、合同計画の"一部"が自分たちだけ助かろうと持ちかけてくる可能性を、君は考えているのか……?」

 小生は何も言わずに頷いた。

 正直、この方向性に話が進んでしまったら最悪だ。

 トラちゃんさんは幼い精神ながらに、善性を何よりも尊ぶところがある。理解困難な話し合いでも、それが利他的なものであるならばへそを曲げることはないであろう。

 

 だが、他者を蹴落とすような提案は駄目だ。

 蜘蛛の糸にしがみつく亡者を蹴落としたカンダタは仏に失望されて地獄へと突き落とされた。

 洪水を乗り切ったノアの一族は善人だからこそ、"箱舟"に乗ることができた。

 彼女の善き倫理に従えば、政治的なレトリックや競争などという考えはお呼びじゃないのである。

 

 折角、良好な関係を築けてきているトラちゃんさんが「ああ、やっぱりニンゲンって駄目なのね」という結論に至ってしまうことが、小生は何よりも恐ろしい。だからこそ、小生は現段階で彼女と合同計画が対話することに猛反対しているのである。

 決して、『ヤマダー、ヤマダー!』と矢面に立たされた結果、小生が人類社会から危険視されかねないというプレッシャーに腰が引けたわけではない。いや、それもあるけど……。

 

 小生の推測を聞き、断固として対話すべきではないといった立場をとったのは、親トラちゃんさん派のゼレーニン中尉であった。

「……ここで申し出を一旦蹴るのは当たり前だわ。もしくは、先に対話内容が現実味のあるものか提出させましょう。そもそもこんな危急存亡の瀬戸際に、少数の欲求を通そうとするだなんておかしいもの! せめて全体の歩調を揃えて、人類のために対話ができる機会を待つべきよ……!」

 少しヒステリック気味な彼女の声は、先ほどの話が持ち前の正義感に障ったためだろう。確かに全体の秩序に重きを置く性質の人間にとって、この社会正義に唾をかけられるような仮定は平静に聞き流せるものではない。

 けれども態度を頑なにした彼女に対して、フランケン班長が少し斜に構えた口調で彼女の怒気に冷や水をかける。

 

「でも拒否できるんです? 相手は我々の上役で、ここで強引なプロセスを通してくるような手合いならば、当然ながら交渉材料に強引な手段を持ち込んでくる可能性は否定できませんよ。例えば、隊員の社会的地位、家族を人質に取るとか……、切り捨てられるんですか? それらを盾にされた時に」

「そんなの――!」

 上手い返しが思いつかなかったのか悔しそうにしている彼女には悪いが、今回の話について小生は班長と全く同じ危惧を抱いていた。

 要するに提案を聞いてしまった時点で限りなくゲームオーバーに近い状況なのだ。この合同計画からの提案は。かといって、上手い回避の仕方があるわけでもなく……、正直お手上げの感がある。

 やっぱ聞いてなかった振りをするしかないと思うのだが……。

 

「じゃあ、相手の要求をハイハイと受け入れろって言うの!?」

「いやあ、それも今後の調査計画の展望を考慮するとまずいと思うんですよね。お偉いさんのシュバルツバース受け入れやら待遇改善やら何やらをいちいち受け入れていたら、間違いなく調査どころではなくなってしまいます。その結果、難癖を付けられて"箱庭"自体を取り上げようとしてくる可能性も……。ぶっちゃけて言えば余計な茶々入れが入るたびに、人類滅亡の時は近づいてしまうでしょうね」

「他人事みたいな物言いをして。班長、貴方だって人類を救うための当事者でしょう!」

「でも僕はただの技術屋ですから」

 ああ、始まった。割と居心地の良かったこの"箱庭"ですら、困難を前にしていさかいが始まってしまった。

 胃がきりきりと痛む。

 結局、ニンゲンという生き物が自由意志を尊重する社会集団を築き上げた場合、意見の衝突は不可避なのである。

 衝突の大嫌いな小人物としてはこういう場をとりまとめる都合の良い指導者の存在を欲してやまない。

 誰か名案をぽっと出してくれないかなあ。小生の胃が痛まない案ならどんなものだって受け入れるつもりなのに……。

 

 などと考えていると、

「……話は聞かせていただきました。手がないわけではありません」

 がたりと窓を開けて、レミエルさんが顔を出してそう言った。ずっと外で聞いていたのか。別に中で聞いていても良かったのに。いや、もしかすると、ただ「話は聞かせてもらった」がやりたかっただけなのかもしれぬ。昨今の彼女と花子さんのやりとりをみている限り、彼女はドラマ性を大事にしているよう見受けられる。

 

「ミズ・レミエル! 解決策があるというのは本当なの!?」

 レミエルさんは小走りで駆け寄って窓の外から室内へと引っ張りあげてくれた中尉に「あ、ご親切にどうも」と礼を述べながら、いつもの涼しげな表情で続けられた。

 

「古の逸話ではありませんが、言葉を聞く耳があるからこそ、悪しき魂につけいれられてしまうのです」

「うん?」

 精神論だろうか? ちょっと言っている意味が分からない。だが、リーダーは思い当たる節があったようで、目を見開いて彼女に言った。

 

「……確かにテロリスト相手の作戦では言葉の通じる、通じないは大きなファクターの一つに成り得るが……。下手に相手の挑発や甘言を聞けてしまう状態だと、徒に心惑わせられてしまう恐れがある」

「あー。それは恫喝をする相手にも言える話ですね。何せ話が通じない相手では交渉をしようにもできませんから」

「うん? うん?」

 おまけに班長も理解の色を見せ始めた。もうちょっと知能指数を低めに押さえて、小生にも分かるように会話してもらいたい。

 さらに先ほどまで頭に血が上っていた中尉までもが小生をさしおいて口をぽかりと開けた。

「もしかして……。私たちが交渉相手としては不適格であると相手に思わせるということ……? でもどうやって……。こちらが主導権を握る? そんなこと……。ああ、いえ。聞く耳を持たないって、そういうことなのね」

 どういうことだってばよ。

 今までの彼女らの会話を総合してみると、『合同計画にとって我々が交渉相手として不適格な、言葉の通じない相手だと錯覚させる』と言っているようにしか思えないのだが、もしかして狂人でも演じろとでも言うのだろうか。それも敵対せずに? それは無茶振りというものじゃあないだろうか……。

 

「あの……。ぶっちゃけそんな演技力や演説能力、小生らにありますか? もしやいつぞやのように小生に取り付くとか……」

 小生の当然すぎる疑問に対して、レミエルさんが例のサブカルチャーに毒された決めポーズを取りつつ答えた。

「いえ、その必要はありません。足りない分は、愛で補えばいいのですよ」

「何故、そこで愛……?」

 かいつまんで話を聞くと、どうやら彼女の言う愛とは誰かに頼るという意味で言っているらしいことが理解できた。

 

「その対話の場に出る代表者の声を、私のような人外のものが声帯を模写して引き受ければ良いだけの話です。我々人外の倫理や思考は到底人の子らに理解のできるものではありません。狂人を演ずるまでもなく、悪しき魂は交渉を諦めることでしょう。ハルパスやディオニュソスらにも手伝わせることで、複数人数にも対応可能です。ああ、勿論おおまかな台本はあなた方にお任せしますよ。ずっと興味があったのです」

 もしかしてアニメのアテレコに? という質問は怖くてできなかった。

 

 

 

 

『……君たち、一体その姿は――』

 "レッドスプライト"号経由で"箱庭"の映像を見ているであろう合同計画のお歴々は、"箱庭"の景色を、小生らの姿を見てあからさまに困惑の表情を浮かべていた。

 それもむべなるかな。カメラの向けられた現場にはヒスパニックらが夜を徹して建築に励んでいる四角錐状の巨石建造物――、いわゆるピラミッドが未完成の状態でそびえたっているのだが、そのふもとにはデモニカスーツを脱ぎ捨てて"異形"に扮装した小生らの姿があったのだ。

 

「……」

 例えばリーダーやエースたちといった機動班の面々は白を基調としたいかにも宗教チックな法衣に機関銃を構えた姿で微動だにせず、カメラの前に並んでいる。

「……」

 ゼレーニン中尉も、これは最後まで「恥ずかしい。皆と同じ衣装が良い」と抵抗していたのだが、まるで餃子のようにひらひらした襟の特徴的な白い衣装を身に纏っていた。

「……」

 他の皆も同様に白い衣服を着ており、さらに皆に取り囲まれた中心には小生が仰々しい法衣姿で佇んでいる。他と違って、何故かマヨネーズみたいな帽子まで被せられた状態でだ。

 何だこの不思議デザイン……。レミエルさんが何処からか調達してきたそうなのだが、正直メーカーに小一時間文句を言いたいクオリティだった。

 

「……」

 また異形の扮装に加え、小生らの表情は皆がマネキンのように凍り付いていた。これはフランケン班長が手塩にかけて育てている"マンドラゴラ"の持つ呪縛の異能によるものだ。

 表情を変えず、微動だにしない異形の集団――。

 恐らく傍から小生らを見てみれば、「何だこの不気味な集団……。戸締りしとこ……」と警戒すること請け合いであろう。

 事実、合同計画のお歴々はほのかに警戒心を匂わせていた。

 

「――我々にお話があったのではありませんか? 皆さん」

 硬直した場に、小生のものではない小生の声が厳かに響き渡っていく。

 レミエルさんの声帯模写である。

 彼女曰く『幸と髪の薄そうなアラサーの声を心がければ、さほど難しい声色ではありません』とドヤ顔な雰囲気で語っておられたが、本当にそっくりで納得がいかない。

 小生の髪の毛は別に薄くないというのに。

 

『この声は……。確かヤマダ。女神との契約を果たした隊員のものだったか。もしや君が、この場を取りまとめるとでも言うのかね? 我々は女神との直接対話を望んでいたのだが……』

「――女神は、今深い眠りについております。何人たりとも、それを妨げることは許されません」

 正確には夜を徹したピラミッド建築に付き合っていたため、睡眠不足で爆睡しているだけである。だが、こうなった時のトラちゃんさんは何があっても起きないし、いたずらに無理矢理起こすと狂信者どもから大変な口撃を受けるため、別段嘘を言っているわけでもない。

 合同計画の面々は承服しがたいといった風に口元を歪め、語気を強めて口々に小生に非難の声を向けた。

 

『――それは話が違う。君は人類社会の"未来"のためにただ女神と我々の橋渡しをすればいいのだ』

 お歴々からの圧が強まる。正直、海千山千のプレッシャーを受けて失禁してしまいそうだったが、呪縛の異能によって全身が硬直してしまっている小生の外面に変化が現れることはない。

 ただ、アルカイックスマイルのままに厳かな言葉をつむいでいく。レミエルさんが。

 

「――変革の時は来たれり。人の子はただ己が霊を磨き、救済の時を待つのです。私欲を捨て、隣人を慈しみなさい。グローリア」

 正直何を言っているが分からないが、何だかありがたそうなこの説教こそが、あの後小生らで小一時間考え抜いた合同計画を化かすための小芝居であった。

 恐らく、小生の個人プロフィールは雇い主である彼らならばすでに小生より詳しく聞き知っていることだろう。

 学歴や職歴、好きな食べ物や信じている宗教、支持政党にお気に入りの球団まで洗いざらいにされている中で、明らかに柄に合わない言葉を吐けば、まずは何かしらのアクシデント――、例えば洗脳を疑うはずだ。

 そこで交渉をはじめるためにはまずは小生らを正気に戻さなければならない。

 その一手間をかける時間を稼ぎつつ、のらりくらりと決定的な破綻を後回しにしようというのである。

 唯一の懸念事項としては、トラちゃんさんが小生らを操っていると思われることだが、これは後で「別の悪魔がやったこと。知らないそんなの」と白を切れば良いだろう。

 完璧とはいえないが、悪くない。そんな案を短期間に用意してのける"箱庭"の住人たちは、やはり特別なんだなと小生思いました。

 後は小生が矢面に立っていなければ文句はなかった。というのに……。

 

「グローリア、グローリア……」

「グローリア、ヤマダ救世主(メシア)……」

「恩寵を、ヤマダ救世主(メシア)……!」

 この崖っぷちで背中を押されているような救世主連呼は一体何なのだろうか……?

 そんなん台本になかっただろ!

 ハルパスさんもディオニュソスさんも。声色を変えてレミエルさんも参加しての大合唱だ。胃がきりきりと締め付けられる。

 内面でもんどりうつ小生とは対照的に、微笑を絶やさない小生がお歴々に呼びかけた。

 

「……合同計画の皆さん。我々は味方です。これからも調査隊員に食料を提供し、貴方がたのミッションにも可能な限り協力しましょう。このシュバルツバースを取り巻く問題を解決するために」

『……そうであることを祈っているよ。それでは用事ができたので、これにて』

 そういって、お歴々を映したテレビジョンが早々に打ち切られ、後には何とも反応に困った表情のタダノ君たち"レッドスプライト"号の出向クルーだけが中央広場に残された。

 

 

「これ、色々と駄目なやつなんじゃないか?」

「……小生もそう思うんですけど!!」

 "レッドスプライト"クルーがこちらの事情を知って協力的であることだけが唯一の救いであった。

 どうやら指令コマンドの"アーサー"はここで調査計画を外部にかき乱されることを良しとしていないらしく、こちらの小細工に全力で乗っかってくれる心積もりのようである。

 

『今はシュバルツバースの調査が最優先であり、いたずらに敵を増やすべきではありません。これから外部からの工作が増えると思いますが、ワタシも"NOAH"の皆さんとの適切な距離を保てるよう、いくつかのプランを考えてみましょう』

 タダノ君の通信機経由で届けられた"アーサー"の言葉が何よりも心強く感じられる。

 それに比べて背中を押した面々の悪乗りよ。

 

「フフ、何だか偉そうな台詞だったのでとりあえず崇めようと思いました」

 とはディオニュソスさんの言だった。どうやらひどく酔っ払っているらしい。

「我が他者の言うとおりに動くと思ったか。狂信者の振りは存外愉快なものよな」

 とはハルパスさんの言である。どう考えても人選ミスだったが、怖いから何もいえない。

「ヤマダ……」

 レミエルさんからは、ぐっと握りこぶしを向けられた。まるで意味が分からない。

 小生は頭のマヨネーズを投げ捨てて、気持ちを切り替えタダノ君たちと情報交換に努めることにした。こういう時は全て忘れて別のことをするに限る。

 

「第3セクターの"カリーナ"は現実のショッピングモールを模した不気味な異空間だったよ」

「え、物が売り買いできたりするのですか?」

「いや、パッケージの中身は商品とは到底いえないグロテスクな"スライム"ばかりだった。商品表示に偽りアリ。何かの皮肉かよと皆で呆れたもんだ」

「ほへー」

 さらに彼らはセクター間の移動に必要な"ロゼッタ多様体"の在り処も既に見当をつけているらしい。

 その在り処が件の魔王――、"オーカス"の腹の中だというのだから驚きであった。

 

「ただ、ちょっと厄介なのが……。奴を追い掛け回している過程で何処からか核弾頭を調達してきて"融合"したらしく、その攻撃力が飛躍的に上がってしまっているんだ」

「か、核弾頭ですか!?」

 タダノ君のぼやきに小生は思わず仰天した。

 人類社会の最終兵器が、何故こんな異界の地に眠っていたのだろうか。というか、核エネルギーと真正面からぶち当たって果たして勝てるものなのだろうか……?

 少なくとも小生なら絶対にそんなものと戦いたくはない。

 だが、タダノ君はひょいと肩を竦めて何でもない風に続けた。この辺りの肝の据わり方が、彼と凡人の大きな差だろう。

 

「今は物理反射と魔法反射を試しているところだが、今ひとつというところで手応えが薄い。現地に住み着いた"ドワーフ"職人の手を借りて、万能属性反射アイテムを製作できないか試しているところだ。あっちに行ったりこっちに行ったり、お使いの繰り返しだよ」

「た、大変ですね……」

 相槌を打つ小生に向けて、タダノ君は微笑んだままに手のひらを差し出してきた。

 

「だろう? というわけで、ヤマダもアイテムの提供よろしくな」

「へ、小生がですか!?」

「"箱庭"産の"フォルマ"の中に、いくつか必要なものがあるんだよ。後は"ボーティーズ"にも幾つか"レアフォルマ"が眠っている。俺らは"アントリア"と"カリーナ"を回るから、"ボーティーズ"はお前たちに全面的に任せた。"ドワーフ"の職人が言うには特別な"ストラディバリ"が必要なんだそうだ。ヴァイオリンなんて何に使うんだろうなあ」

 と有無を言わさない口調で、彼は学生時代と同様のボディタッチを行ってくる。

 その後はこちらの返答も聞かずに「うちの世話になった女神がお前らの話を聞くと恨めしそうにする」だのと良く分からない愚痴を聞かされて、嵐のように去っていってしまった。時間が惜しいのは確かなようだ。ていうか、タダノ君の言う女神って一体誰なんだろう……。

 

 そうして慌しいままに"ボーティーズ"での探索をエースたちと共に開始する。

 リーダーはしばらくお休みということで、強面とスリーマンセルの仲魔付き構成での探索になった。

 ただ、最早主の居なくなった歓楽街の活気は薄れ、中々お目当ての"レアフォルマ"が見つからない。

 一日経ち、二日経ち、いい加減成果のない探索に焦れてきたところで、別口から予期せぬニュースが舞い込んできた。

 "道頓堀"の湖畔に見慣れぬ巨体の男性がぼうっと佇んでいるというのだ。

 一日の探索を終えた小生らは、住人の急報に駆け足で湖畔へと向かう。

 そこには確かに身長2メートルを優に超える、筋骨隆々の人間とも"悪魔"とも判別の付かない生き物が"ハーピー"を傍に置きながら案山子のように立っていた。

 彼を見て、小生らは警戒よりも先に驚きで言葉を失ってしまう。

 彼の面立ちが、あまりにも死んだ野球好きに良く似ていたからだ。

 

 彼は、野球好きは――。この"箱庭"にて人外として復活してしまったのである。

 

 

 



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シュバルツバースで草やきう

「重ね重ね質問します。貴方はご自分の名前を思い出せましたか? ……貴方は一体誰ですか?」

 仲間たちが固唾を呑んで見守る中、"レッドスプライト"号の医療スタッフであるゾイ女史によって、野球好きの面影を残す"悪魔"への確認作業は粛々と続けられた。

 

「ア゛、ア゛――」

 "悪魔"は医療ベッドに腰掛けたまま、女史に向かって声帯を震わせる。それは断じて言語などではなかったし、言語を解しているとも思えなかった。

 

「……項目45が丸Cよ。次項目の46に移るわね」

 "悪魔"が何らかの反応を示すたびにゾイ女史の暗い声が書記役の小生に投げかけられる。机をペン先で叩く回数も増えていた。小生のタッチパネル式キーボードをタイプする勢いも決して明るいものではない。ただ、恐らく彼女とは気持ちの沈む原因が異なるだろう。

 

「先ほどやりましたから、要領は覚えていますね? はい。指で答えてもらってかまいませんよ。今度はこの紙に書かれた絵を……。そうです。この積み上げられた直方体はいくつありますか?」

 そんなやりとりが続けられる傍らで、先日まで機動班の一人が寝ていたベッドの上では、"ハーピー"があくびをしながら、うとうとと微睡んでいた。

 もし事情を知らないものがあの様をみれば、いい気なものだと呆れてしまいそうになるかもしれない。だが、彼女と小生らではそもそもの立場が違うのだ。

 片時も彼から離れないところを鑑みるに、彼女の彼に傾ける親愛の情が本物であるということだけは疑ってはなるまい。

 

「……そりゃあ、仲間が"仲魔"になってしまった側と同じ"仲魔"になった側では感じ方が違ってくるよなあ」

「……どうしたの? ヤマダさん」

「あ、いえ――」

 独り言を聞き咎められたところで、小生は掘ったて小屋の窓から差し込む幻の西日が夕刻を示していることにようやく気がつく。正直、働き過ぎだった。

 

「ゾイさん、今日はここでお仕舞いにしませんか? 皆さんもそれで良いって顔をしていますし」

 小生の呼びかけに、外野を囲っていた仲間たちがうんうんと頷いた。

 女史は深いため息をついて、ペン先を自らの眉間に強く押しつけ、答える。

「そう、ね。肝心のデータを引き出せなかったのは残念だけど……。ああ。本日収集した内容はヤマダさんから、皆さんに報告してもらえるのかしら?」

「ぶつ切りの報告(リポート)はタスクボードにアップロードしてありますから、夕食までにはもう少し見やすいようにまとめておきますよ。すぐ終わります」

「……お仕事が速いのね。それなら、ご厚意に甘えて私はドクターと少しご相談させてもらおうかしら」

 と少し弾んだ調子で彼女は言う。ゾイ女史がこのシュバルツバースに取り残される前からドクターの大ファンであるという情報は、以前に本人の口から聞かされたことであった。

 ご自由にと返そうとしたところで、外野に混ざっていた助手さんや"リリム"からの冷気を感じ取り、慌てて自身のお腹を両手の摩擦熱で温める。冷えは腹痛の大敵だものね……。気をつけなきゃだよね……。

 

「じゃあ、うちらも広場に退けて配膳手伝うかあ」

「ヤマダもこれから他の残務処理とか始めんなよ? 飯の時間が遅れちまうから」

 と大きく伸びをして掘ったて小屋から外野たちもぞろぞろと出ていく。

 全員が出ていき、ドアがぱたんと閉められた後で、小生は"ハーピー"の傍らで呆と夕日を見つめる彼を見た。

 

 腰掛けていても分かる巨躯、筋骨隆々としたその身体には銅色と赤銅色がマーブル模様を描いている。

 当初身につけていた猛獣の毛皮を模した一枚布は、検査の手前脱いでもらっていた。やはり、顔つきは野球好きの彼そのものだ。

 成る程、こうしてまじまじと面影を見れば、彼が冥府の底から黄泉返ってきたのだと"勘違い"してしまってもおかしくはあるまい。

 事実、仲間たちのほとんどは今回のニュースを明るいものとして捉えているし、女史の声色が沈んだものであったのも、それは障害を負った戦士に対する労りに端を発しているだけのはずだ。

 だが、生憎と小生には他の面々よりも悲観的な情報が集まりすぎていた。

 白髪の老人からもたらされた魂に関する理解。トラちゃんさんやレミエルさんの分析。そして、ルイ・サイファーの残した言葉。

 

「ウ゛――」

 身体に痒みを感じたのか、彼は二の腕をボリボリと大ざっぱに掻き毟る。掻いた箇所からボロボロと剥がれ落ちていったのは、陶片にも似た土の塊だった。

 道頓堀の水底に溜まる泥なのだろう、あれは。先日に起こった"昆虫"発生事件を鑑みれば、彼がどのように生まれ、小生らの目の前へと現れたのかは、おぼろげながら想像もできる。そして、それが小生の気持ちをより一層暗く沈めた。

 

 ――彼は、"新世界"の住人なのである。真っ当な"悪魔"ではないが、勿論ながら人でもない。

 小生は自らの頭をがしがしと掻き毟る。旧世界の身の上だ。当然、土片は落ちてこなかった。

 

 

 

 夕飯時。

 住人たちの誰もが広場のベンチに腰掛けて、トレーの中身をフォークやスプーンで突きながらハンドヘルドコンピュータの表示に目を走らせている。

 タスクボードにアップされた報告(リポート)には彼の行った簡単なスポーツテストの結果と詳細な脳機能検査の結果がまずは記載されることになった。

 

 皆が無心で液晶表示をタップする様は、さながらくず山の中から失せ物を探すようにも幻視できる。

 今、住人たちが最も知りたいことは、果たして彼が自分たちの仲間であったという確かな"記憶"を持っているのか、の一点に尽きた。

 "記憶"は絆と言い換えることができよう。いや、正確には"記憶"と"約束"の集合体が絆を形作るのである。

 

 短いながらも共にシュバルツバースに取り残され、死線を潜り抜けてきた記憶。そして、大小様々な約束事。

 "レッドスプライト"クルー以上に彼と深い絆をつむいでいた"箱庭"の住人たちは、とにもかくにも彼の"記憶"の有無にこそこだわった。……残念ながら、もたらされた検査結果は住人たちを満足させるものではなかったわけだが。

 

 曰く、大脳辺縁系以外の脳機能は全くもって正常。視覚や相貌、または末端の失認は認められず。

 統覚処理も連合処理も滞りなく行われており、空間把握能力に至っては常人が生物学的に到達のできない程、高度な処理を行っているものと推測される。

 肝心の大規模な知識損失、思考判断能力に致命的な損傷が見られる点については、これが一度"死亡"したことによるダメージの蓄積によるものか、そもそも復活時に再現されなかっただけなのかについては今後の検査結果を待つことになる――。

 つまり、彼に生前の"記憶"は無かったのだ。

 

「そうか、残念なことだなあ」

 とヒスパニックはトレーに盛られたポテトフライをフォークで押し潰しながら、しゅんと俯いた。

 

「そもそもブロードマン博士の脳地図論に則して考えれば、"見てくれ"が変わった時点で脳機能が都合よく踏襲されていると考えるほうが辻褄が合わないんですけどね。あまり気にすることもないと思います」

 とフォローにならないフォローを入れたのは、ヒスパニックとテーブルを挟んだフランケン班長だ。

 彼はジャーマンポテトとポテトフライをマッシュしてボウルにぶち込んでおり(ドクターの助手さんは彼のこうした暴挙まで計算して、下手物が生まれないようメニューをある程度決めていたようだった)、目を爛々と輝かせてはスプーンをひらひらとさせていた。

 

「むしろ、彼という存在が再び僕たちの前に戻ってきた意味を考えるほうが生産的だと思います。ハンマーシュミット博士の提唱していた超進化形態"ユーバーゲシュタルト"についてはご存知ですか?」

「いや、皆目見当もつかねえ」

 専門外の話かと眉根を寄せるヒスパニックに対し、班長はしめたとばかりに顔を詰め寄らせる。

 

「生命体として進化を遂げた"新人類"のことですよ。分かりやすく言えば、"超人"といった感じでしょうか。博士は人間社会が危機に陥った時に、導き手となる存在なのではないか? と考えておられるようでした」

「まるで直接聞いてきたかのように言うんだな」

「論文を読んで、筆者と対話できないようでは研究者としてはモグリですよ」

 そこから始まる班長の講演会に、ヒスパニックはお手上げの表情を浮かべていた。

 

「でも、意味を考えたくなる気持ちも分からなくはないわね。彼は私たちのために命を失ってしまったのだから……」

 ゼレーニン中尉は最近"命"の意味について、こうやって思索をめぐらす機会が多くなった。

 この命が軽く吹き飛ぶ過酷な環境下において、身近な存在が徐々に死んでいってしまっていることに相当参っているのかもしれない。

 男性ならば瞬く間に禿げそうな哲学的な自問自答だが、彼女の場合は欝になりそうで心配だ。

「ヤマダさんはどう思う?」

 おう、ナチュラルに答えにくい質問がやってきてしまった。

 答えに窮したところで、スプーンを咥えたまま雑草の生い茂る地面に寝転がっていたトラちゃんさんがおもむろに口を挟んでくる。

 このお行儀の悪さ。どうやら完全に人間社会の食器捌きをマスターしてしまったようだ。

 どうでもいいけど平坦な胸部よりも腹部が盛り上がっていると、何とも複雑な気分になってしまうんだよな……。食べ盛りか。

 

「そんなの決まってるでしょ。あいつが死んだのは群れを守るためで。復活したのは1000%アタシのお陰よ。多分」

 秩序を尊ぶトラちゃんさんらしい返答であった。そして、概ね小生の推測とも重なっている。

 

 思うに、野球好きは……、今回のケースは別段死者が黄泉返ったわけではない。

 言うなれば、"再現"が行われたのだ。

 彼という生命の記録を基にして、トラちゃんさんの創世した"箱庭"の中で、"昆虫"のときと同じようにただ新たな生命が誕生しただけなのである。

 

 例えば、黄泉返りを指して「失われたAがAとして修復される」と定義づけられるのならば、ここでいう"再現"とは「失われたAの代わりにAと酷似したA´を置換する」ことに他ならない。

 冥界の老人は言っていた。既に野球好きの魂は人の形を成しておらず、恐らくは消滅しているはずであろうと。

 トラちゃんさんたちは言っていた。"箱庭"に漂う彼の残り香は、ただの残留思念に過ぎないのだと。

 理性的に情報をまとめれば、新たに生まれ出た彼が全く別の存在であることなど容易に想像がつく。

 であるからこそ、小生は戸惑うのだ。

 彼という存在は野球好きという生体情報をコピーして生まれたに過ぎず、野球好きそのものではないわけで……。

 果たして、野球好きの代わりが彼に務まるのか? それは野球好きにも、彼にも礼を失した考え方だと思う。

 うーん……。

 

「……成る程。女神様のお力とするなら、色々と納得もいきますね」

 中尉の相槌に、上体を起こして胡坐をかいたトラちゃんさんが鼻を高くする。

「でしょ。アタシもそれで納得したわ!」

「女神様も?」

「アッ」

「こうして馬脚を現すのが二文字様たる所以なのですね」

「サナダムシィッ!!」

 もー、ちょっと静かにしてくれないかな……。

 ゴッチンゴッチン、トラちゃんさんとレミエルさんが頭突きあっている中、小生は黙って思索を進める。

 野球好きの黄泉返りについては無闇に期待を持たないとして、考えるべきことはほかにもあった。

 例えば、野球好きが人間そのままの形で"再現"されなかった理由について。

 これは二つの可能性が考えられると思う。

 一つは、地球に眠る記録の中から"人間"に関するものがすっかり消去されてしまっていて、満足のいく再現ができなかった可能性だ。これはいつぞやに推察した人類害虫論を補足することになるわけで、正直考えるだけで胃が痛くなる。

 そしてもう一つは、野球好きの魂が散逸してしまったせいで十全な生体情報を集めることができなかった可能性であろう。

 いずれにせよ生体情報の不完全さが"人外"の誕生を招いたのならば、彼を指して"超人"と評すのは間違っているように思える。

 かといって"偽人"と評すのもあまりに人間本位な見方ではあるわけだが……。

 

「――大事なことは、何が足りていて何が足りていないかじゃない。彼という存在が味方であるか。それ以外であるかの一点に尽きると俺は考える」

 女神と大天使の取っ組み合いと、班長の講演会をまとめたのは、我らが黒人リーダーであった。

 彼は貴重なインスタントコーヒーを更に薄めた一杯をちびりとやりながら、感慨深げに掘っ立て小屋のほうへと目をやる。

「そして、彼は敵ではないよ。これはとても、とても大事なことなんだ」

 リーダーのこの見解について、"箱庭"の住人は勿論、オブザーバーとして顔を見せていた"レッドスプライト"クルーからも異論が差し挟まれることはなかった。

 物事をシニカルに考える"ギガンティック"のエースですら、戦友の帰還を無邪気に喜んでいる。

 ディオニュソスさんやハルパスさんのような仲魔たちも「ニンゲンたちが何かめでたそうな顔してんなあ」と空気を察している中、もしかすると空気が読めておらずにネガティブなことを考えているのは小生ただ一人だけなのかもしれない。

 ……仲間外れ感が下腹部をぎゅるぎゅる揺さぶっていく。

 

「……小僧、あんまり細かいことを気にしておると今以上に禿げるぞい」

 痛みが悪化しないよう下腹部を摩っていると、不意にふよふよと辺りに浮かんでいたカンバリ様から声をかけられた。

 もしや、カンバリ様は小生の戸惑いに気づいておられるのだろうか。いや、それよりも――。

 

「ま、まだ禿げてないですよね……?」

「とりあえず、冗談ということにしておくわい」

「ですよね。例えば、ドクターと比べたら小生の方が全然望みありますよね?」

「うーむ、我が契約者ながらしつこい上に、小さいのう」

 とカンバリ様の大足にすがりついたところで、その日の夜は静かに過ぎていった。

 

 

 そして翌日の朝焼けに染まる早朝、中央広場。

 

「おはよう。タダノさんに二人とも。それでは先日できなかった運動能力テストの続きをやりたいと思うのだけれど……。何故彼は野球のバットを小脇に抱えているのかしら?」

 首を傾げる女史に対して、野球好きが「ア゛ア゛」と返す。

 

「"NOAH"の面々に聞いたところ、朝一で彼が"エルブス"号から持ち込んだ自分の私物を目ざとく見つけてからは、ずっとこの状態らしい。そうだよな? ヤマダ」

「ああ、はい。そうなんです」

 第三セクター"カリーナ"の探索を一端中座して事実の確認にやってきたタダノ君の言葉に、隣に立っていた小生はぶんぶんと頷く。

 

「さっき聞いた感じだと、本日予定していたテストの内容は、投擲能力テストだったんだよな?」

「ええ。だから、一度バットを手放してもらわないことにはテストが始められないわね」

「そいつは困ったな。残念ながら余程バットを気に入ったらしく、手放そうとしないんだよ」

 お手上げといった風に肩を竦めるタダノ君の言に、女史が口をぽかりと開けた。

 

「待って。彼は執着行動を取ったの!?」

「専門用語はわからんが、彼の行動を執着と呼ぶならそうなんだろう。何か大きな意味があるのか?」

「"記憶"を辿るヒントになるのよ!!」

 そう言って口から泡を飛ばしながら彼女が言うには、何でも執着心というものは本能に根付くものではなく、執着に至る経験を記憶として持っている必要があるのだという。

 って、ちょっと待って欲しい。

 小生は慌てて問いかける。

 

「"記憶"が残っているのですか……?」

「そう言ってるじゃない!」

 彼女の見解は、先日に小生が出した悲観的な推測を根本からひっくり返すものであった。

 というか、マジか……。"記憶"が残っているということは、もしかしてお隣の彼は野球好きそのものだったの……?

 おっかなびっくりお隣の彼を見ると、彼はバットを抱えたまま言葉にならない声を発しているだけであった。

 

「今日の予定を変更しましょう。バットを生かしたスポーツテストに切り替えるのよ!」

「良し来た」

 願ってもないとばかりに手を打ったのは、タダノ君だった。

 

「バットを使ったスポーツテストなんて、野球かソフトしかないだろう。ヤマダ、ボール持ってきてくれ」

「えっ、ですがルールの方は大丈夫なんでしょうか?」

 小生が懸念を投じると、タダノ君は何でもないという風に笑顔を浮かべる。

 

「んなもん、やってる内に思い出すさ。何なら、俺がその都度教えてやっても良い」

 ワクワクを隠せないタダノ君の姿を見て、小生は察する。これ、ただ自分が野球やりたいだけだ……。

 でもまあ、気持ちは分からないでもなかった。左の瞳に「野」、右の瞳に「球」の文字が点った彼のことはさておいて、小生は野球好きと交わした口約束を思い出す。

 

 彼とキャッチボール、結局できなかったんだよなあ……。

 

 気づいた時には、自然と手が挙がっていた。

「じゃあ、ボール投げるの。小生がやりましょうか」

「ヤマダさんが?」

「おい、そこはピッチャーの俺が投げるべきなんじゃないのか?」

 口を尖らせるタダノ君。やはり、自分がやりたいだけだった。だが、こちとら大義名分があるのである。

 いつもはハイハイと彼の言うことを聞いている小生も、今回ばかりは譲らなかった。

 

「実は野球好きさんとキャッチボールする約束していたんです。もしこれが"記憶"に繋がるきっかけに成り得るんでしたら、小生が投げるのが筋かなあって」

「ぐぬぬぬ……」

 ぐぬぬじゃないよ。タダノ君の思考回路がどんどん大人げなく、高校時代の頃に近づいているようで、小生心配だ。昨日まではもっと落ち着いたイケメン風だったろ! そんなに野球したいのか!

 

「うん、やりたい」

「そ、そうですか」

 あくまでも食い下がるタダノ君であったが、やがて諦めたようにしゅんと肩を落とし、渋々ピッチャー役を譲ってくれた。

 

「……分かった。だが、キャッチャーは俺がやるからな。これは絶対譲らん。あと、内野に"オニ"と"ナーガ"呼んどくか。他の面々にも……。てか、ミットがないじゃないか。くそっ、ハタケヤマの良い奴持ってたのに、日本に置いてきっぱなしだ。仕方ないから、デモニカスーツで代用するとして――」

 といって、何だかんだでうきうきと身支度を始めるタダノ君。この外界から切り離されたシュバルツバースにおいて、最早気分は草野球の面子集めだった。

 

 かくして即席のグラウンドづくりが開始される。ベース代わりの資材を四方に置き、ボールは小生が持ち込んだ私物を使う。元の"箱庭"が小さいため、大分手狭な球場になってしまったが、ボールを投げて打つゲームだけなら手狭でも事欠かないはずだ。

 

「お前はファースト! んでお前はサード! セカンドと外野は数がいないから、二人で全部分担しろっ」

「サマナーさんよ、アクマ遣いがおかしくねえか……?」

「いいや。何もおかしくない。むしろ正しい。分かるな? 分かれ。駆けあぁーし!」

「アッハイ」

 とぼとぼと外野につくタダノ君の使役"悪魔"たちを横目で見ながら、小生は愛用のボールをぽおんと天に投げる。

 

 何の因果か分からないが、予期せぬ形で約束と望みが叶ってしまった。

 野球好きとの……、いや彼が彼そのものかはまだ分からないが、もし本物ならばこれで約束を果たしたことになるだろう。

 そして、タダノ君と一緒に野球をやるという望みもだ。

 まさか生きて再びプレーできるとは思わなかったなあ、野球……。

 

 少しの戸惑いを覚えつつ、

「さて、どうしよう」

 パシンと落ちてきたボールを掴みとり、投球フォームの確認をする。

 即席のホームベースにはデモニカスーツを着込んだタダノ君とバットを持った彼がいる。

 どうやら、バッティングをジェスチャーで伝えているようだが、果たして何処まで伝わっているものか……。

 あくまでも"記憶"を取り戻すきっかけにするだけだし、ここはあまりガチに投げるべきではないのかもしれない。

 と考えている内に、タダノ君たちもひとしきりの準備が終わったようで、威勢の良い「しまっていこーう」が"箱庭"内へと響き渡った。

 

 何だ、何だと寝起きの住人たちが掘っ立て小屋の窓から顔を出す。

 居心地の悪さを感じながらも、第一球。

 手の内を隠し、半身(はんみ)の姿勢でホームを見やると、タダノ君がドヤ顔(スーツ越しだが明らかに分かる)で速球ど真ん中のサインを出してきた。

 これには小生も苦笑いだ。今のサインは高校球児だった時分、チームを盛り上げるために初球でよく飛ばしていたサインを真似たものだろう。

 しょうがねいなあ、と振りかぶり、

「ほいっ」

 肩を大きく使った速球を放つ。慣らしだから時速110km程度も出ていないはずだ。コントロールの方は失敗するはずもなく、タダノ君の手元そのままへ。バッターの彼は一歩も動けず。

 パシン、と捕球の良い音が響いた。

「ストラーイッ」

 あっ。キャッチャーだけでなくアンパイアもやるのね。

 ボールを投げ返しながら、タダノ君がいたずらっぽく笑う。

 

「おい、ヤマダ本気出せ。レーザービームで来いよ」

「外野ポジに言ってくださいよ」

「ハハハ。しかし、これだとバッティング厳しいかもしれないな。ちょい作戦タイムだ」

 第二球を投げる前に、突発イベントを敏感に察知したエースとハルパスさんが何だ何だとグラウンドに乱入する。とはいえ、見物に徹するようでプレイヤーになるつもりはないようだ。それにトラちゃんさんや、レミエルさんも。

 

「ふわあ。これ、何やってるの?」

「ベースボールですね。北米から全世界に拡散した球遊びの一種ですよ」

「……大丈夫? 負けた方が心臓を捧げるとかそういうのないわよね?」

「そういえば、中米にはそんな神事がありましたね。望んでみたらどうですか? 邪神として」

「いい加減はっ倒すわよ!! アタシがそんなの望むわけないでしょっ」

 やがてヒスパニックや中尉、ドクターたちまでやってきては、本格的な観客席が形作られる。

 その片隅では強面とリーダーが作り置きの朝飯をかきこんでいた。どうやらがっつりと応援する気はないようだが、ながら観戦に興じる腹積もりであるようだ。

 

「朝飯食いながら、ベースボール観戦たぁな。贅沢すぎて"レッドスプライト"のクルーたちにぶちぎれられそうだ」

「……これもテストの一環なんだろう。"あちら"さんも参加していることだし、公開レクの一環として認められるんじゃないか」

 と親指でくいっと"あちらさん"呼ばわりされるタダノ君であったが、当人は衆目を集めていることなど頓着せずに夢中でバッターにバッティングの指導をしていた。

 

「球が来たらな。手元で合わせるように、しゅっとやってきゅっとやってカキーンって感じで。分かるだろ?」

 ちなみに彼は高校時代から教えたがりで何人もの後輩球児を指導してきた実績があったが、その実教え方は致命的に下手糞だった。

「バッティングは骨盤で打つんだ。骨盤で。分かったな? よおし、打て!」

 タダノ君がバッターの骨盤をぱしんと叩いて激励する。

 そのやりとりの懐かしさに少しクスリとさせられながらも、セットポジション。タダノ君からのサインは……、うーん。また速球か。今度は手加減すべきだと思うんだよなあ。

 サインの出し直しを要求。スライダー。いや、無理だって。シンカー。それタダノ君の決め球でしょ。

 ようやく球種が決まった。というか、相手に捕らえてもらうことを意識したキャッチボール投げである。

 ピッチャーヤマダ、振りかぶって第二球……、ぽいっちょ。

 

 第一球よりも高い位置から山なりに落ちていくボールを、半身になったバッターが目で追う。

 お? 腰が良い位置にある。バッティングフォームはアメリカンスタイルに似ている気がするけど、さっきタダノ君が教えたのと違うなあ。やはり「しゅっとやってきゅっと」では伝わるものも伝わらぬ。

 これはまた見逃しかな? と予想したところでバッターが前のめりにバットを振った。

 左手が強い。後ろ手主導なのかな? 随分と古臭――。

 

 次の瞬間、耳をつんざくような打球音とほぼ同時に、凄まじい速度のライナーが小生の頬を切り裂いた。

「――は?」

 驚愕に振り返った瞬間、小生はただの野球ボールが"オニ"の頭を陥没させる瞬間を目の当たりにしてしまう。どうみても、あれはやばい当たり方だが、更にバウンド。

 跳ね返ったボールは勢いを失わずに"ナーガ"に当たり、これを遠くまで吹き飛ばす。バウンド。

 帰ってきた先は小生の顔面であった。

 

 ゴッ。

 

「ヤ、ヤマダァーッ!?」

 …………。

 ……。

 

 

「――で? 手短に説明してくれんか」

「アッハイ。"箱庭"で野球していたら、打球に顔面を吹き飛ばされました」

 もう"アケロンの川"へやってくることも、白髪の老人に対する簡潔な状況説明も手馴れたものであった。

 老人のほうもやはり手馴れたもので、差し押さえソファにもたれかかりつつ、呆れ顔で紅茶の入ったティーカップを傾ける。

 

「そなたが何を言っておるのか、いつもながら良く分からぬ」

 あれ、通じてない……。どうやら小生の説明能力は一向に進歩を見せていないようだった。

 仕方がないにゃあと一から十まで細かく経緯を説明していく。

「いや、そなたの説明の問題ではなく、突飛な経緯が問題なわけだが……。まあ良い。大体事情は把握した」

「お分かりいただけましたか」

「"ベルセルク"と常人たるそなたが力比べをすれば、こうもなろうな」

 ん? と老人の言葉に小首を傾げる。

「"ベルセルク"ですか?」

「北欧神話に伝わる高位の妖鬼だ。理性はなくとも、得物は決して離さぬ。そなたの話を聞く限り、そのアクマもどきは"ベルセルク"で相違なかろうて」

「ということは、やはり彼は野球好きさんじゃなかったのですね……」

 自分の予想通りとはいえ少し気落ちしながらそう言うと、

 

「そうとも言えぬ。そもそも、狂戦士たる"ベルセルク"が遊戯の道具を得物として執着していることがそもそも有り得んのだ。これはニンゲンの魂が滅びの地に漂うマグネタイトと妙な形で混ざってしまったために起きたアクシデントであろう」

「えっ?」

 老人の語った推測に、小生は目を見開いた。

 

「野球好きさんの魂が、ですか?」

「そうさな。随分と力技だが、散逸したそやつの残留思念を無理矢理にかき集め、また無理矢理に人の形を取ろうとしたところで、情報が足りずに最も魂の形に近いアクマとして受肉してしまった……。大方そんなところだろう」

「無理矢理にかき集めてって、一体何でそんなことが――」

「何を馬鹿なことを言っておる。それはそなたがそう望んだからだろうに(・・・・・・・・・・・・・・・)

 老人の言葉にはいつもいつも驚かされてばかりだったが、今ほど仰天したことはなかったかもしれない。

 小生の思考は驚きに塗りつぶされ、再起動までに少なからぬ時間を費やした。

 

 小生が? 野球好きの魂を集めた? そう望んだから? 全く意味が分からない。

「し、小生にそんな力ありませんよ」

「だが、"加護"は受けておるではないか」

「え? え? あ、ああっ!!」

 不意に小生の脳裏に草地でへそを出して寝転ぶ青髪の女神が浮かび上がった瞬間、小生の身体もまた現世に帰らんと浮かび上がり始めた。

 いつもの如くこちらを見上げる老人は、腕を組みながら息を吐く。

 

「誤解、すれ違い、思い違いはヒトもアクマも面倒ごとしか生み出さん。せめて自省せよ。自身の足元も分からずば、滅びの地で生き延びることなどできぬぞ」

「わ、分かりました! いつもいつもありがとうございます! このお礼はいずれっ」

「いや、一昨日そなたの投資を仮想通貨に半額突っ込んだら大儲けできたので、ここはサービスにしておくよ」

「ちょっと人のお金で何ギャンブルやってるんですか!?」

 というか冥界の仮想通貨って何だ!? ネット繋がってるんだろうか……。

 正直、老人の界隈が物凄く気になるのだが既に身体は現世へと向かっていた。

 

 光を抜けて、光を抜けて、真っ白な光を潜り抜けると、そこは"箱庭"の中央広場。トラちゃんさんの腕の中であった。

「ヤマダ!? 大丈夫なのっ?」

「へ、平気です。それより皆さんは――」

 不幸中の幸いというべきか、"オニ"や"ナーガ"は一命を取り留めたようだったが、それでも"ベルセルク"と化した野球好きを取り囲むように、武器を構えた住人たちや仲魔たちが、様子を窺っている。

 まずい……! 先ほどのファウルボールが皆の警戒心を煽ってしまったようだ。

 誤解による諍いは何としてでも食い止めなくてはなるまい。

 小生は急いで制止の声を投げかけようとした、その矢先――。

 

 

『あのバッティング……。"バース"や!! "バース"神や!!!』

『すげえモノホンの"バース"や!! サインもらわな!!!』

 道頓堀のほうから悲鳴ともつかない歓声が雷の如く湧き上がった。

 待ってくれ。ここに元阪神の助っ人外国人は居ない。ちょっと精霊たちは正気を失っているようだ。

 だが、言われてみると野球好きの顔が元助っ人外国人に見えてくるから不思議だ。待って。今それどころじゃないの。

 

「"バース"だって……? それはあいつのファミリーネームじゃないか。"箱庭"の精霊たちが断言するってことは、やはりあいつは"バース"なのか……?」

 え? 野球好きの苗字って元助っ人外国人と同じだったの? 知らなかったそんなの……。

「何だって? んなら、やっぱりあいつは俺たちの戦友、"バース"だってのかよ」

「ならば、先ほどの攻撃も何かの間違いだったということか……」

「そんな――」

「まさか――」

 オイオイオイオイ。思わぬところから誤解の解ける兆しが見えてきたぞ。

 いや、待って。これも誤解かすれ違いか思い違いだ。やべえ、老人の言ったとおりだ。すげえめんどくせえ!

 

 小生は誤解の訂正を放り投げることにした。

 その代わりに冥界で聞き知った事実を端的に皆に語ることにする。

「皆さん! その人は野球好きな"バース"さんです! 冥界で確固たる証言を得て戻ってきました!!」

 小生の口からでまかせにどよよと沸き立つ"箱庭"の住人たち。

 一度敵意が揺らいでしまえば、一仕事を終えて無抵抗になった"バース"さんの手前、状況の沈静化は容易であった。

 小生も安堵の息を吐き、改めて"バース"さんと向き合う。

 

「ア゛イ゛――」

 今さっき"アケロンの川"まで見事ホームランされたばかりだが、やはりというべきか"バース"さんに悪気はないようであった。公民館から相方の"ハーピー"が飛んできて、彼の傍らに降り立ってからは一緒に草地に座り込んでは朝焼けを浴びる、呆けモードに移行してしまっている。

 小生もまた腰をかがめて"バース"さんの目線に合わせて続ける。

 でまかせを真実として押し通す前に、どうしても確認したいことがあったのだ。

 

「"バース"さん、野球好きです? 野球。キャッチボール。バッター。試合観戦」

 身振り手振りを組み合わせてみると、呆けたままであった彼の眼に、確かに理性の光が一瞬宿ったのを感じ取ることができた。

 初めて見る反応。

 彼は野球に関することに限り、ひとかけらの理性を残しているようであった。

 

「そっかあ、残留思念って"そっち"だったかあ」

 半ば呆れ顔になりつつも、湧き出る笑いを抑えられそうにない。

 よくよく考えれば、野球好きの彼は味方を"悪魔"の魔の手から守りきって死んだのだ。自分の役割は果たせているわけで、その方向性の未練や執着が残るとは思えない。

 となると何に執着したのかといえば、野球だ。野球好きの彼は、小生と交わした"約束"に未練を感じ、その未練が"バース"さんとして具現化したのである。

 絆とは"記憶"と"約束"が形作るもののはずだ。であればこそ、彼と小生の間には絆が確実に存在するだろう。

 気づけば小生のくよくよとした戸惑いも、彼のホームランで綺麗さっぱりかっ飛ばされてしまったようであった。

 

「ちょ、ちょっと。いきなり笑い出して、大丈夫? 状態異常回復する? ヤマダ」

 絆を繋ぎ止めた張本人であるトラちゃんさんが、わけも分からず鳩が豆鉄砲を食ったような顔で肩を叩いてくる。それがまた笑いを誘った。

 

「ええと、大丈夫です。ちょっとイメチェンした友人にお帰りって言える気分になっただけですから。ありがとうございます、トラちゃんさん」

「は、はあ……? どういたしまして……? ちょっと何についてお礼を言われてるのか全く分からないわ……」

 疑問符が尽きずに頭を抱えるトラちゃんさんの姿が尚更面白く、小生はこの地にやってきて初めてプレッシャーやストレス以外で腹を抱えることになる。

 かくして、野球好き改めバースさんは改めて"箱庭"の住人として受け入れられることに相成ったわけだ。

 

 彼の持つ高い身体能力は"箱庭"の防衛とシュバルツバースの探索に充てられ、相性の関係から主にエース・ハルパスコンビとパーティを組むことになった。

 また、休憩時間にはレクリエーション目的の野球メンバーに数えられ、ふと気がついたときには触発された面子によって複数の野球チームができていた。

 

 

 タダノ君率いる"レッドスプライツ"。"箱庭"の住人によって構成された"トラちゃんズ"。

 ハルパスさんが何処かから手下を引き連れて作り上げた"フォーリンエンゼルズ"は"レッドスプライツ"戦における常軌を逸したラフプレーにより、即日解散させられたらしい。小生がフォルマ探索に行っている間に一体何があったんだ……。

 ちなみにタダノ君は"レッドスプライツ"に小生が所属しないことに大層お怒りのご様子だった。仕方ないじゃないか……。

 




【悪魔全書】
名前  バースさん
種族 妖鬼
属性 NEUTRAL―CHAOS
Lv 45
HP 398
MP 199
力 35
体 30
魔 20
速 36
運 30

耐性
物理 耐
氷結 耐
火炎 弱

スキル
狂気の暴虐 月影 タルカジャ 道具の知恵・攻




後2回くらいでようやくボーティーズ探索終わりそうです。


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シュバルツバースで失せモノ探し

やっと次回でボーティーズ編が終わりそう。


 当然といえば当然というべきなのだろうが、野球好き改めバースさんの"箱庭"復帰と"トラちゃんズ"の4番バッターを務めるその後の大活躍は、小生のみならず調査隊全体の死生観と行動指針に多大なる影響を与えた。

 そう。今回の件をもって、"箱庭"の住人たちやその近隣の人間たちはたとえこの外界から隔絶された滅びの地で人生を終えることになったとしても、それが決して孤独な"終わり"に繋がるとは限らないことを理解してしまったのである。

 これは正しい意味で『この地に来世信仰を伴う強力な宗教が萌芽した』と言い換えたとしてもあながち間違いではないだろう。

 

 バースさんの復活、または転生を自覚の有無はさておいてもトラちゃんさんが成し遂げたことは既に皆が知るところとなっている。

 復活とはつまるところ来世の確約だ。そして来世の確約とは宗教の領分に他ならない。

 

 自分の来世を左右できると思わしき存在に対して、一体どうしておざなりな対応ができるだろうか。

 いや、勿論一部の攻撃的な隊員たちをのぞき、皆がトラちゃんさんに対して無礼な態度をとっているわけではなかったのだが、少なくとも彼女に向ける態度は友愛や尊敬を越えるものでは断じてなかった。

 例えば、"箱庭"の住人たちはトラちゃんさんへの直接的な感謝を抱きこそすれども、本当の意味での"信仰"を捧げる者は少なかったように思う。要するに誰もが手のかかる恩神の手助けをするような気分でいたのだ。

 

 だが、ここに来て潮目が変わった。

 彼女との良好な関係が、来世への片道切符の購入権に繋がることを皆が理解してしまったのだ。流石に世界各国から厳選された人材が顔を揃えているからか、これ見よがしに媚びを売るような輩は見受けられなかったが、彼らのトラちゃんさんへの接し方は少しずつ、だが確実に変化が現れていた。

 であるからこそ、彼らの抱いていた外界への帰属心、執着心に座視できぬ変化が現れてしまうこともまた、最早起こるべくして起こってしまったのかもしれない。

 

 

「合成甘味料入り炭酸水は3マッカ。合成コーヒーはコップ一杯10マッカ! 酒神印の天然スパークリング・ワインは30マッカだっ。折角の野球観戦に飲み物なしとかありえねぇだろう。お前ら、買っていくよな?」

 と査察に赴いた調査隊員や元"エルブス"クルー。それにちょくちょく食料の調達にやってくる"天使"勢力に対して堂々と売り口上を述べているのは、バンダナを巻いたヒスパニックだ。

「んー、俺はインフラ班の護衛できただけなんだが。まあ空き時間がないわけでもないし、一応見物していくかな? それより俺の知らないカワイコちゃんが住み着いてる件について詳しく! ちょっと年下っぽいけど、全然有りだよ。マジで!」

「……人の子よ。我々に下賤の食事は必要ありません。ましてや蛮神の作った酒など……。いつもの通り、我らが匿う人の子らの食料だけを頂きましょう。ああ、天使レミエル。息災のようで何よりです。これも主のお導きでしょう」

 商品の受け渡しや仕分けは、『女神屋』と刺繍の為された上着を羽織ったタンガタ・マヌさんたちがおこなっている。

 "箱庭"の中央広場に隣接する常設の宿泊施設"ホテル"と販売施設"ショップ"は、今日も今日とて大繁盛だ。

 調査隊員と"天使"勢力。まだ敵対こそしていないが、友好的な関わりを持ちようのない両者も、最近は食料と物資の集積地点としての"箱庭"の価値を認めつつあるようで、空間内でのトラブルは極力起こさないよう努めているように見受けられた。

 

 "箱庭"での宿泊と買い物には、物々交換か地獄の通貨であるマッカが用いられる。

 特にマッカは尊ばれており、売り上げの一部が空間の拡張用エネルギーへと回され、また一部が労働従事者の私財へと回されていた。

 

 そう、私有財産だ。配分の平等、譲り合いの精神が完全に捨て去られたわけではないのだが、何時の間にやらこの"箱庭"で行われる労働には対価が伴うようになったのである。

 例えば、ドクターたちの医療・検診を受けたいのならば、"ヒールスポット"の半額程度のマッカを支払わなければならない。"エルブス"号の残骸や、主のいなくなった魔王"ミトラス"の居城から人体実験に使われた医療設備を回収したことから、彼らの施す医療の質は格段な進化を遂げている。

 

 また、フランケン班長の実験プラントで製造されたレアフォルマは唯一無二の価値を持っているためか、大抵が"レッドスプライト"クルー相手に飛ぶように売れた。

 実験プラントには"ボーティーズ"の方々に散らばっていた科学的な設備から、外部の"悪魔"や"天使"との交渉で手に入れた良く分からない設備がごっちゃに置かれているらしく、プラントから聞こえてくる奇怪な音は小生をいつも不安な気持ちにさせてくれる。ほんと誰か何とかして欲しい、アレ……。

 

 "レッドスプライト"クルーが"箱庭"に出店を出す日だってある。特に遭難直後に苦境をともにした"エルブス"号出身者は里心でもついたのか、よくこちらへと手土産を携え顔を見せに来ていた。彼らの出す商品は今のところあまりバリエーションがあるわけではなかったが、変わり種には調査活動とは無関係の自作アプリや「イエス、ノー」で反応してくれるMIKEとかいう人格プログラムなんかも売りに出されており、君たちちゃんと仕事してんの? と首を傾げざるを得ない。

 

「ん? 食いもんじゃなくてフランケン班長特製の"成長促進因子"の方か。良いけど、高くつくぜ。はあ、物々交換? 構わんが、間違ってもセクターの拾いもんなんか出してくれるなよ。こちとら"レッドスプライト"と違って設備に限度があるから、エネルギー抽出の手間がかかる。武器や防具用モジュール、天然物の種やら食品なら大歓迎だ」

 現在の市場価値は、外界の文物や天然物、住人共同で管理している嗜好品や畑の収穫物などがインフレ傾向にあり、逆にシュバルツバースの調査中に拾えるようなアイテムは捨て値で取り引きされる。こういったナマモノ・実用品重視の市場傾向は東欧の内戦地では日頃見慣れたものであった。

 ……つまり、未だ我々は非日常経済の真っ直中にあり、真っ当に経済を回せるような状況ではないのである。

 

 だというのに、何故"箱庭"の経済にいち早く私有財産制とマッカ本位制が導入されたのか? "レッドスプライト"号がやっているようにチームで獲得した財産はすべて共有し、必需品は平等に分配すれば良いだけではないか。

 これは第一に"箱庭"という空間に注ぐエネルギーのより効率的な確保というお題目があったのだが、やはりマッカを欲する者たちの念頭にあるのは私有財産の確保であった。死後に、"先立つもの"がほしいのである。

 前例として、野球好きのバースさんは記憶を失った上で復活した。死後の転生に記憶を持ち越せる保証はない。ならば、一体何を死後の自分に持ち越せるのか。私有財産である。例えば、バースさんの場合は野球道具のような生前に外界から持ち込んだ私物が、そのまま所有権を保証されていた。

 それなら、なるべく私財を貯め込んでおけば、いざ生まれ変わったときに少しだけ楽ができるんじゃないだろうか? 強くてニューゲームができるんじゃないだろうか?

 

 敢えて口にする者はいなかったが、彼ら彼女らのとるようになった風潮は、小生からすれば"終活"以外の何物にも思えなかった。

 多分、浄土思想にかぶれた藤原道長が量産の暁には、こんな村社会が訪れるのだろうなあと無駄に納得してしまう。

 であるからこそ、

 

「やっぱ納得はしていないだろうなあ」

「何がだよ、ヤマダ。うちのゼレちゃんのことか?」

「そうそう」

 根本の問いかけに生返事をして、広場に置かれた野球用ベンチに座りながら、小生はボトルに汲んだミネラルウォーター『南道頓堀のよく冷えた天然水(道頓堀に北も南もあるのかよ……)』をぐびりとやりつつ、ヒスパニックと"レッドスプライト"クルーのやりとりを冷ややかに見つめるゼレーニン中尉の機嫌を窺う。

 

 当然というべきか、この"箱庭"で始まったネガティブな方向転換は内外で少なからぬ批判の声が挙がった。

 例えば、代表的な批判者であるゼレーニン中尉の言葉を借りれば『人類存亡の瀬戸際に、あなたたちは一体何で責任の放棄をしているの?』となる。

 責任感の強い彼女にとって、任務に従事せずに死後の準備を始めるなど、現実逃避以外の何物でもないわけだ。

 彼女は最近、"命"の在り方について深く思考することが増えてきた。在り方とはつまり使い方のことであり、他者を慮らぬ自分勝手はただの無駄使いとしか映らないのである。

 

「正直龍神の身体になってからは、手前勝手に生きりゃいいんじゃねえかって気持ちも湧いてくるんだがよ。ゼレちゃんの言葉が正しいぜ。ヤマダ。だって大正義ゼレちゃんのお言葉だぜ」

 ただの"ゴブリン"から高位悪魔たる"パトリムパス"へと進化? した根本であったが、彼の行動指針は「自分の思うがままにゼレちゃんの思うがままを助ける」であるようだった。

 要するに気に入った女が秩序を尊んでいるから、それを好き勝手に助けるというわけだ。

 レミエルさん曰く、本来"パトリムパス"は混沌傾向の強い性分をしているはずなのだが、こういう共存の仕方もあるのかと正直驚く。

 何処かからそっと耳に囁かれた「やはり愛なのですよ、ヤマダ」という幻聴は聞かなかったことにして、小生は中尉と意見を異にしている派閥へと目を向けた。

 

「今回はどちらが勝ちますかねえ」

「一応、私はヤマダ君のチーム応援しとくかなあ。でも、所属的にはタダノ隊員チームよね」

 何も考えず商売に勤しむヒスパニックはさておいて、野球観戦のためにドクターの隣をキープしている助手さんやリリム、"レッドスプライト"号から査察にやってきて長逗留しているメイビーさん、元"エルブス"号資材班、インフラ班たち。そして……、静かにスパークリング・ワインの入ったコップを傾けるリーダーたちだ。

 その傍らにはカワヤ守として、カンバリ様がふよふよと浮かんでいる。小生の手によって設置された公衆トイレは既にカンバリ様のマイホームだった。

 そしてマイホームの付近でバースさんあたりが"ホームラン"をぶっぱすると、カワヤ施設に被害が及ぶ可能性がある。

 つまりカンバリ様はお目付け役なのだ。いざ、殺人ボールがカワヤに飛んできた際に物理反射魔法で跳ね返すための。

 カワヤの隣が観客席になっているのは、何もトイレの便だけを考えているわけではない。安全性も十分に考慮した立地なのであった。

 ああ、カンバリ様がため息をついておられる。気持ちは痛いほど分かるんだよなあ……。

 

 小賢しくも騒がしい観客をじろりと見回し、その中にあってまるで地蔵のように存在感の薄くなったリーダーたちを小生は見据えた。

「はあ」

 小生は膝を土台に頬杖を突きながら、小さなため息をつく。

 まさか、リーダーたちが中尉の反対派閥に回るとはなあ……。

 

 元々小生ら"エルブス"号出身者は後方要員が多く、エリートや機動班で構成された"レッドスプライト"クルーと比べて「身を挺して人類社会を救ってやろうじゃないか」というオセオセの気概が薄い。だから、後方要員が任務そっちのけで保身に走ってしまう理屈は良くわかるのだ。仕方ないと思えるし、小生もぶっちゃけ保身に走りたい。

 だが、ここに来てリーダーや強面たちまでもが理由も言わずに私財を貯め込む路線に走ってしまったため、小生の中のバランス感覚とお腹の不和センサーが安易な保身を認めてくれないのである。

 

 何であんたたちがそっち側なんだよ。これじゃ中尉が"箱庭"内で孤立してしまう。小生が彼女の側に立つしかないじゃん、と。

 今、小生が彼らに対して最も強く抱いている感情は、明確な失望だった。

 

 リーダーには今まで路頭に迷った我々の手を引き、ここまで連れてきてくれた実績がある。たられば話になってしまうが、もし彼が最初の遭難時に脱出できていなかったら、小生らはここにいなかっただろう。

 強面はどんな時でも冷静にミッションの成功率を分析し、不和を鎮めるご意見番のような存在だった。彼がいなければ、チームは一体どうなっていたことか。少なくとも、今のようにまとまることができていたかどうかは疑わしい。

 そんなチームの柱石が、今や"レッドスプライト"号から委託されたミッションの手を緩め、私財の貯蓄に勤しんでいるのだ。

 既にストラディバリ捜索のための"ボーティーズ"探索回数もエースが彼らを上回り、小生も彼らと並ぶほどになってしまった。歓楽街に埋め尽くされた世界のマッピングを端から端まで終えたのも、最終的には小生たちだ。

 

 今まで皆を引っ張ってきてくれた彼らのすることだから、何か深い意図があるのだと信じたい。がその真意を直接問い質す気には到底なれそうになかった。もし、本気でやる気がなくなったとか返されたら、どう答えて良いかわからないんだもの。

 

 すっごくもやもやするんだよなあ……。

「悩んでるところアレだが、ヤマダの打順だぜ」

「あ、小生の番ですか。ハイハイ」

 というわけで、状況に流され続けている小生はバッターボックスへと小走りで向かい、マウンド上で険しい表情を浮かべるタダノ君と向かい合った。

 相変わらずのデモニカスーツ着用済みだ。グラウンドに出ている人間の選手たちは安全性を考慮して、物理衝撃緩和モジュールを組み込んだデモニカスーツの着用が義務づけられている。

 フランケン班長などは「試しにクエビコを憑依させてみては? 憑依時の耐久試験も兼ねて。色々参考にしたいです」などと提案してきたが、自分の身体で耐久試験を兼ねるというパワーワードは当然ながら聞き流した。んなもんしたくないよ、絶対……。と言うか、何の参考にするんだよ……。怖いって……。

 

「もうヤマダかよ」

 ……そんなに睨まれてもなあ。

 セットポジションを取る彼の姿が学生時代より近く感じる。そりゃあ、小生は彼とバッテリーを組んでいたキャッチャーだったんだから、近く感じるのは当然だ。

 勿論無視できないほどの異和は感じている。が、

 

「だが、勝ち取る!」

 迫り来るアンダースローの速球。本気も本気の一球だ。その軌跡は名刀のように鋭いが、上に伸びるタイミングは承知している。勿論インパクトのポイントも。

 

「ほいっ」

 難なくカキィンと左中間。

 何千球と受け続けたタダノ君のボールだ。初球で彼が選択したがる球種は上に伸びるストレート4割に、牽制も兼ねた高速スライダー2割、ある意味で見せ球のシンカーが4割。そう選択肢があるわけではないし、伸び方である程度の予測はつく。

 多分、プロも含めて世界で彼の投球を小生以上に理解できているものはいないと思う。

 

「オイ! オイ! オイオイオイ! 勝ちに行け、勝ちに行け、我らの我らの女ー神ー!」

 観客の声援を受けて出塁した後、前屈しながらホームを見やる。

 お次は4番打者のバースさんだ。

 タダノ君が険しい顔をしながら、無理矢理に付き合わせた"レッドスプライト"クルーのキャッチャーにサインを送る。普通、ああいう仕事はピッチャーがやることではないんだが、経験者不足が彼の役割を増やしてしまっているのだろう。

 それに対して"箱庭トラちゃんズ"が誇るバース・根本の上位打線。略してバ・ネ砲は伊達ではない。まさか根本までバッティングの才能があるとは思わなかった。まあ、名前が根本だしな……。

 

「あっ」

 カキィンと硬質な音を響かせて、"箱庭"の青空にバースさんのかっ飛ばした打球がロケットのように打ち上がっていく。あの軌跡なら、ピッチャーたちを軒並み土に返すような"葬らん"の心配はなさそうだ。

 ともかく、2得点が確定した。

 

「あっ、あっ」

 カキィン。

 あー、バースさんに続いて根本まで安打出したか。横に引っ張るような低い打球は主砲というよりは副砲を思わせる。これバースさんと打順変えた方がいいな。ネ・バ砲。語感で縁起の良い打順を組んでしまったが、逆なら3得点の流れだった。

 

「ラララ、オイオイオイ! オイオイオイオイ!」

 観客席から轟く住人たちによる応援歌も調子が鰻登りに上がっていく。反面、アウェーである"レッドスプライツ"は静かなもので、タダノ君の仲間である"ハイピクシー"と"シーサー"が小さなお手製の旗を振るっては「ヒトナリー!! 私を甲子園に連れていくのよー」と可愛らしい声を張り上げていた。あれはあれで微笑ましいし、癒されると思うけど、負け試合濃厚の中で甲子園経験者のオッサンにそれをいうのもちょっと酷だと思うんだ。「もう行った後だよ! 家のタンスにグラウンドの土眠ってるよ! タイミング遅いよ!」と返したい。

 そんな中、タダノ君が安全対策にかぶっていた"バケツ頭"を投げ捨てる。

 

「不公平だ! とりあえず、ヤマダを寄越せ!!」

「いや、そもそも野球やってる場合じゃないと思うんですよ。小生」

 小生はすかさず突っ込んだ。勿論、タダノ君は屁とも思わないようで真顔でこちらに返してくる。

 

「さては勝ち逃げかコノヤロー」

「いや、早くミッション進めなきゃでしょ」

「何でだ。こう見えても、第3セクター"カリーナ"の探索は今まで以上に順調に進めている。野球に使える仲魔のスカウトのため、ご先祖様頼りで今までおざなりにしてたTALKにも気を使ってるんだぞ。仕事の合間のレクなら何も問題ないじゃないか。いや……、レクではないな。俺にとってこれはEXミッションなんだ。EXミッション『野球の腕を競おうではないか』。退いてはならない戦いがここにはある!」

「お、おう」

 もしかすると、相当フラストレーションが溜まっているのかもしれぬ。ストレスケアくらいきちんとしとけよ、"レッドスプライト"の皆さん……。

 多分これ、今まで野球から離れすぎていた反動もあるんだろうなあ。こうなったらとことん行くまで彼に付き合うしかないだろう。

 

「とりあえずヤマダだけこっち移籍しろ。得点力がずるすぎるんだよ。こっちでまともにボール投げられてバット振れるの俺だけだぞ。毎回ホームランかっ飛ばさなきゃ、無理ゲーじゃねーか」

「嫌ですよ。"トラちゃんズ"の名前を冠している時点で小生が軽々しく移籍なんてしたら……」

 ちらりと観客席を見やると、"レッドスプライト"の資材班に頼んで作ってもらったらしいトランペットをプープー吹き鳴らすトラちゃんさんの姿が目についた。

 初めはルールをさっぱり理解していなかったものの、最近は『ボールが棒に当たってかっ飛ぶと、自分の名前が付いたチームが勝つらしい』ことが分かってきたようで、今も大喜びの表情を浮かべている。

 こんな中で小生が"レッドスプライツ"に移籍しようものなら、間違いなく道頓堀に沈められる。彼女の手によるものか、信者の手によるものかは分からないが、無事に済むとは到底思えなかった。

 

「とにかく、俺はヤマダに勝てるチーム作りを当面の目標とする。目星はつけてあるんだよ。エネミーサーチアプリで隠れた高位悪魔を総当たりにしているんだが、"幻魔"だか"魔人"だかがスペック的に有望そうだ。『対話で何とかなると思ってんの? 馬鹿なの?』だのと今のところ何か話が合わないんだが、根性さえあれば何とかなるだろう」

「あまり本筋と脇道がこじれるのは良くないと思うんですけど」

「結果オーライって言葉があるだろ。ネガティブな事実があるなら、ポジティブな未来と結びつけるんだ。そうすれば、決して悪くはならない」

 この前向きさがタダノ君の武器であり、小生らを甲子園へと導いて、今も調査隊に勝利をもたらしてくれる原動力だったのだから、決して馬鹿にできない。

 意気揚々と腕をまくる彼を苦笑いしながら眺めつつ、

 

「ネガティブな事実をポジティブに結びつける、かあ」

 ふと思いついた案に、思考を深く沈めることにした。

 

 

「生産区画を"拡張"する?」

 公民館の夜間臨時会議。リーダーの怪訝そうな声に小生はぶんぶんと頷いた。

 

「んー、話が見えてこないな。そもそも、現在俺たちがやっているマッカ回収だって空間の"拡張"に繋がっているじゃないか。それと違う話なのか?」

 ヒスパニックが先を急かす。彼だけではなく、保身に勤しむ皆が小生の意図を掴みかねているようであった。

 ゼレーニン中尉が無言に徹しているのが少し怖い。

 小生は微弱なプレッシャーに腹をさすりながら、口を開く。

 

「ええとですね。それだと効率悪いと思うんですよ」

「効率悪いといったって……、安全な拠点の構築にはそれしか選択肢がないから俺たちは専念してたんだろ。それは女神様のためでもある」

 ちなみに女神様は夜は寝る子だ。会議には基本参加しないため、意見がまとめやすいのはありがたい。

 すーっと深呼吸をして息を整え、小生は意図して「はて」とすっとぼけた声を返す。

 

「トラちゃんさんの目的はシュバルツバースをトウモロコシ畑で覆うことでしたよね」

「ん、まあそうだな」

「でも現在やっていることは"箱庭"を田畑で覆うことです。一応、シュバルツバースからエネルギーを奪い取って空間を拡張していますから、トラちゃんさんの目的から外れているわけではありませんけど……、ギャップがありますよね? 間に」

 この場にトラちゃんさんがいないのは正直助かったと内心胸を撫で下ろす。

 もしトラちゃんさんが「アタシはそれでも満足よ」なんて言い始めたら、話がそこで終わってしまう恐れがあったからだ。

 いや、別段小生だって「アタシはそれでも満足よ」な気分であった。難しいことを全部"レッドスプライト"クルーがこなしてくれるのならばそれに越したことはない。

 ただ、現状のままではゼレーニン中尉の不満点を解消することはできない。合同計画に小生らの価値を認めさせることもできない。内側に籠もるスタンスが、いずれ不和や外圧によって破綻を来すことは火をみるより明らかであった。

 ゆえに外へと活動の目を移さなければならない。保身をはかる住人たちが外へと出たがらずに破綻してしまうくらいなら、外へ出ることが保身と外聞に繋がるよう無理矢理に結びつける。戦国時代の終わりに豊臣秀吉が海外出兵をはかったように、ナポレオンがずっと戦争を続けたように。

 

「ヤマダさんのいう効率の話は良く分かりますよ。確かに外部セクターに直接田畑を作れるんなら、その方がずっと良いと思います。何せ馬鹿みたいに空き地が広がっていますしね」

 と小生の意見に乗っかってきたのはフランケン班長であった。ぶっちゃけ彼は住人たちの変化とは無関係なゴーイングマイウェイの途上にいる。責任感やら使命やらを前面に出さず、そもそも論を通しておけば食いついてくるのは容易に予想できた。これで貴重な一票をゲットだ。内心でガッツポーズを取りながら、アルカイックスマイルを貫き通す。

 

「だが、塩ばかりの不毛な大地なんだろ? 大気組成だって俺たちが生活するのに適しているわけじゃない。今のまま外部セクターからエネルギーを調達して、住みやすい"箱庭"を膨らませていく方がずっと安全だろうに」

 ヒスパニックが眉根を寄せる。最大にして最後の難関はやはり彼だなあと、小生は表情を作りながら静かに思考した。

 ドクターたちは日本人的な感性からか、こと人命が関わってこない限りは意見をぶつけ合うよりも多数派に同調しようとする傾向にある。

 この"箱庭"において発言権を保有しているのは、トラちゃんたち人外を特別顧問としてのぞけば小生、ゼレーニン中尉、ヒスパニック、フランケン班長、ドクター、助手さん、エース、リーダー、強面のたった9人だ。

 現状において外向けの活動を推しているのは小生、ゼレーニン中尉、エースの3人。班長をここで自派閥に引き入れたことで、ドクターたちを浮動票と考えれば全体の過半数を確保できたことになる。

 多数決をとれば勝利できる流れであったが、ここは後に禍根を残さないためにも引きこもり派の切り崩しをしておきたいところであった。

 さあ畳みかけていくべい、と勿体ぶった表情をつくりなおし、指をピンと立てる。が、それと間を置かずして――、

 

「……さっきから聞いていれば、貴方。女神様の望みも、生存拠点の構築も大事だけれど肝心の調査が疎かになっている現状をどう考えているの!」

「げぇっ」

 不発弾がついに暴発した。無言を徹していたゼレーニン中尉だ。

 彼女の言いたいことは明確極まりない。今が人類存亡の危機にあることをお前は忘れてしまったのか。崇高な使命を与っているという自覚はあるのか、だ。

 けれども、この場面で責任を論ずるのは悪手であった。

 ど、どどどどうしよう、と正直ドキドキが嫌な意味で止まらない。

 とにかく表情は冷静に努めなければ……。

 小生はさらに鼻息荒くまくし立てようとする中尉に対し、

 

「ゼ、ゼレーニン中尉、ストップです」

「ヤマダさん……?」

 手持ちぶさたになった自身の指を口元に持っていって、制止のポーズを取る。もう片方の手は悠然と腹の上に置いていた。当然ながら、腹痛対策である。

 多分、端から見たら芝居がかっていてすごい偉そうなポーズに見えることだろう。胡散臭い黒幕感と言うべきか。全部不可抗力だ。

 小生は彼女の勢いを挫くべく、さらに続ける。

 

「……その先を言うのはアウトですって。皆の目標は一致しています。共通しています。前へと進んでいます。我々は団結したチームであり、だから確認するまでもないんです」

 売り言葉に買い言葉ということわざが日本にはあるが、一度出てしまった言葉を引っ込めるのには大変な労力がかかるものだ。当然、言葉のナイフによって刻まれてしまった不和の溝を埋めるのにも相応の手間がかかる。

 

 ゆえに、この場において出してはならないNGワードというものがいくつもあった。

 その代表的な一つが「お前は人類を救う気があるのか?」に類する売り言葉だ。

 もし、「アァ!? ねえよ、そんなもん!」とか「自分の身が優先だろうが!」とまかり間違って返ってきてしまえば、このコミュニティはたやすく分裂してしまうことであろう。

 それはまずいのだ。このシュバルツバースに関わる問題解決の取り組みは、個人だけでは決してできないのだから。

 

 本当ならこういった制止役は強面の仕事だったんだけどなあ……、と恨みがましく彼を見れば、彼は無言で腕組みをして論議の趨勢を見守っているようであった。ほんと、何を考えているんだろう……。

 

 小生はフラストレーションを抱えたまま、あらかじめ準備しておいたデータをハンドヘルドコンピュータのディスプレイに表示させた。

 会議に参加する面々にもタスクボードを見るように指示する。

 ディスプレイには実験に用いたトウモロコシの苗が映っていた。

 

「これは……、トウモロコシの鉢植えか。って、これ外部セクターの画像? マジで?」

 目を丸くするヒスパニックに対し、小生は頷く。

 

「個人的に実験させてもらいました。結論から言えば、ヒーターを用いて温度さえ整えてあげれば、少なくとも"ボーティーズ"でのトウモロコシ育成は可能です」

「いや、土壌は……。ああ、カンバリ様の肥料か。しかしあんな滅茶苦茶な大気組成で……。女神様に調整でもしてもらったのか?」

「いや、トラちゃんさんから何も言わずに苗を分けてもらい、そのまま出しました」

「んな馬鹿な……」

 予想外だと方々から声が挙がっていたが、小生からしてみるとこの結果は予想の範疇にあった。勿論、こんなすんなりと上手くいくとも思わなかったが。

 驚きにざわつく住人たちの中から、前のめりに質問の手が挙がった。フランケン班長だ。

 

「ヤマダさん。もしかしてこの結果を予想していましたか? この結果に至る仮説を立てていたのなら、お聞かせ願いたいんですが」

 小生は息を呑み、一呼吸吐く。

 ここが多分、住人たちの意識を変える最重要説得ポイントだ。リーダーを見やると、資料に目を落としながら静かに沈黙を保っていた。

 小生は言う。

 

「ええと。まず、我々の取得した知識をまとめてみましょうか。このシュバルツバース現象は人々が地球環境を食いつぶしたことで生じた、"超科学的な公害"という認識に齟齬はありませんか?」

 住人たちが頷いた。小生は続ける。

 

「ではさらに前提の認識として、地球に"意志"があるということも共通の理解として宜しいでしょうか?」

 この呼びかけには住人たちは異なった理解を返してきた。

 

「ん? ん? ただの惑星が"意志"?」

「"意志"ですか。ウイルスのようなものから生命の意志を感じることは確かにあるんですが……。主観的にそう感じるという話ではないんですか?」

「人格のようなものがあるという意味で言っているとなると、それはちょっと納得できねえなあ。勿論、歓楽街やらショッピングモールやら、悪趣味な世界がコピーされているところには悪意みたいなものを感じるけどよ」

「大昔にあったという"洪水"も含めて、地球に何らかの防衛機構があるという点については、僕も認めていますけどね。人格についてはどうなんでしょう。立証しようがないんじゃないんじゃないですかねえ」

 エース、ドクター、ヒスパニック、班長が返してきたが、それらは概ね否定的な見解であった。

 小生はそれで良いのだという顔で続ける。

 

「以前のレポートを読んでない方はいらっしゃいませんね? これは昆虫もどきの発生に、バースさんの復活騒動を経験して気づいたことなんですが、どうにもこのシュバルツバース現象は人間だけを狙い撃ちにして滅亡させようとしているように思えるんです。狙うって割と高度な判断が必要な行為ですし、それを人類に限定した"敵対意志"があると予測するのはあながち間違いというわけではないだろう、と。そこから人間以外ならシュバルツバース内で生息することもあながち不可能じゃないんじゃないかなあ……、と仮説を立てた実験の結果がこれなんです」

 言葉を一端区切って様子を見る。

 さあ、どんな反応が返ってくるかなあと待ち受けてみたものの、住人たちから満足のいく反応は返ってこなかった。

 一瞬要領を得なかったのかという不安に駆られたが、どうやら杞憂だったらしい。

「……俺たちは地球に狙い撃ちされてんのか」

「あー、マジかよぉ……。そういう話か……。確かに筋は通っているけどよ……」

「……人類だけに対する敵意、ですか」

「それが、ヤマダさんの得た結論なのね……」

 皆が皆、深刻な表情で頭を抱えていた。

 多分、危機感が共有できたんだと思いたい。小生は、公民館の机をドンと叩く。

 

「現状、"箱庭"は確かに外部セクターよりずっと安全です。でも、それはこの星に見逃されているだけかもしれません。この安全がそのまま続くと考えるのは少し楽観がすぎるんじゃないでしょうか?」

「けれども、外部セクターは危険じゃねえか」

「危険じゃないようにしてしまえばいいんです」

 小生は拳を振りあげた。こういう演説は苦手なんだが、周りが後込みしている現状、自分でやるしかないのが辛い。

 

「一案ですが、"ボーティーズ"そのものを"箱庭"化する手段も考えてみませんか?」

「外部セクターを人類が生存できる環境に作り替えようっていうのか?」

 小生は自信満々そうに頷いてみせた。

「強力な空気清浄機を作るのでも良いですし、取り得る手段はたくさんあると思います。けど、大事なことはこのまま"箱庭"を拡張していくよりも高速で生存環境の構築を進めることができるという点です。"ボーティーズ"の地表面積がそのまま居住可能区域になってしまえば、合同計画の意向にもある程度添えるようになるでしょう。何故ならば……」

「より多くの人々を避難させることできるようになる。受け皿を広げることができる、から……」

 ゼレーニン中尉が目を見開いて言った。

 

「……シュバルツバースのテラフォーミング……。これは"レッドスプライト"号によるシュバルツバース現象の調査と並行する価値のある活動になると思うわ。暗中模索の現状、人類にとって救済の可能性がある活動は全部試すべきだと思うもの」

「合同計画が文句を言う類の話ではないというのが、面倒がなくていいですね。問題は過激な活動が地球の"敵対意志"とやらを刺激しないかという点ですが、何もしなくてもリスクが0になるわけではなし、ここはチャレンジするべきでしょう」

 中尉と班長が手を叩き、ヒスパニックが唸り、顔を上げる。

 

「ヤマダの提案は俺も妥当だと思う。"箱庭"全体の指針にしてもいいんじゃないか?」

「……皆の言うとおりだな」

 と、ここで沈黙を保っていたリーダーが口を開いた。

 え、ここでリーダー?

 

「俺たち機動班はこの提案に賛同するよ。それで良いな?」

「ん? おう。そりゃあ、オレがヤマダに反対する理由もねえわけだしなぁ」

「同じく。反対の理由はねえな」

 エースだけでなく、強面までもがすんなりと頷き、賛意を示す。

 ……どゆこと? リーダーと強面は引きこもり派のオピニオンリーダーだと思っていたのに……。

 小生が狐につままれた思いでいると、リーダーはさらに言った。

 

 

「ただし、この提案は指示を待つだけの下請けミッションと違い、自発的にゴールを見据えた全体計画を綿密に策定しなければならないだろう。生憎と"箱庭"には作戦班が存在しないため、いい加減、ヤマダを"リーダー"にした村の首脳部を設置する必要性を感じている。……個人的な意見だがな」

 ちょっといきなり何言い始めるの……? 小生は不意に訪れた責任という名の重いプレッシャーに眉をしかめながら。いや、奇怪な予定調和に不安を感じながら、リーダーに対して抗論した。

 

「ま、待ってください! "箱庭"は既にリーダーを中心にした合議制で回せていますし、今のところ不都合を感じたことがありません。今更、仕組みに手を加えても混乱の種になるだけですよっ!」

 どうですか!? と周囲に助けを求めてみるが、周りの反応は渋いものであった。

 

「俺は異議がないなあ」

 とはヒスパニックの言。おい、反対論者だったろ! もっと頑張れよ!

 ドクターや助手も賛成していた。ゼレーニン中尉だって同様だ。エースはそもそもいちいち小難しいことに口を出したがる性格ではない。強面も賛成のようだった。

 

「マッカの収集量的に、ちょっとタイミングが早い気もしますが……、ぎりぎりいけそうかなあ。リーダーが決めたんなら、ヤマダさんが新リーダーになることに異論はありませんよ。……このタイミングじゃなければと思ったんですよね?」

「ああ」

 フランケン班長も意味の分からない言い回しではあったが、賛成であることに違いはなさそうだ。

 満場一致のリーダー権委譲決定……。はっきり言って横暴過ぎて何と返したものかすぐに言葉が出てこない。

 顔面を蒼白にして震える小生に対して、リーダーが静かに頭を下げた。

 

「……自覚も責任も持たなくて良い。ただ、今まで通りで君は良いんだ」

「……だ、だったら、今まで通りじゃ……。何でリーダーがリーダーじゃ駄目なんですか!?」

 小生の問いかけに対し、リーダーは一瞬答えようと口を開き、すぐさま頭を振る。

 

「……その答えは明日まで待ってもらいたい」

 小生は猛烈に嫌な予感がした。リーダーの行っていることは、まるで寿命を間近に控えた人間の身辺整理そのものだ。もしくは自殺を考えた人間の行動――。何とか思いとどまらせようと必死に食い下がる。

 

「明日って……。何か命の危険があることをするつもりですか? だったら、駄目ですよ。そんなこと誰も望んでない」

「命の危険はないよ。信じて欲しい」

「そ、それじゃ何をするつもりなんですか!」

「今はまだ言えない。ただ、この"箱庭"の皆が外に繰り出すならば、絶対に必要なことだと考えている」

「必要なことを、まだ言えないって……」

 思わず言葉を失ってしまう。

 だが彼はあくまでも頑なで、少しも譲るつもりはないようであった。

 小生は苛立ちながら椅子を蹴飛ばし、立ち上がる。

 

「そ、それはチームにとって、あってはならない勝手ですからね。小生は断固として反対させてもらいます! 失礼しますっ!」

「そうか」

 この手応えのない反応を見るに、どうやらリーダーは小生の反対を振り切って"何か"をやろうとしていることは間違いがないようであった。

 ここ数日の変心に、突然の提案……。

 小生は公民館を後にしながら、今日より彼が何か縁起でもないことをしでかさないよう、夜通し見張ることを心に決めた。

 別段、自分のリーダー就任が嫌だからという保身からくる行動ではない。

 

 リーダーを大事な仲間だと考えていたからだ。

 

 

 かくして小生が席を立つという形で合議は早々に切り上げられた。

 新たに創られたらしき夜虫がリンリンと雑草の合間で鳴く中、小生はこそこそと行動を開始する。

 第一ミッション。

 まずはリーダーたちが機動班の寝泊まりしている掘っ立て小屋に帰りつくのを目で確認。

 掘っ立て小屋に明かりが点り、ドアの隙間から光がかすかに漏れ出でた。

 第二ミッション。

 足音を立てぬようドアの前まで近寄り、その場に静かに座り込む。

 偽りの星空が煌めく中にあって、左腕のハンドヘルドコンピュータをピピっとタップ。

 ぼんやりと電光を放つディスプレイ上に、リーダーたちのデモニカ識別信号を浮かび上がらせた。

 

 ……リーダーがリーダーという責任を小生に託そうとするからには、何か相応の危険を冒す腹積もりに違いあるまい。ならば、向かう先は外部セクターだ。デモニカ無しでは向かえない。

 ならばデモニカの信号を追っていれば、見逃すことはないはずだ。

 

「んんー。ヤマダ、何やってるの?」

 物音一つ聞こえない掘っ立て小屋の前で息を殺す小生に対し、トウモロコシ団子を頬張りながら声をかけてきたのはトラちゃんさんだった。

 ……何でこんな夜中に?

 慌ててしーっと指を立て、声を潜めるようにと彼女に請う。

 

「……どしたの? ヤマダ」

「むしろこんな夜更けにトラちゃんさんがどうなさったんです?」

「それは最近夜だろうがお構いなしでアタシの寺院にお供え物が置いてあることが多くなったからよ。お供え物がアタシの胃袋に入る前に傷んじゃったり、虫に先を越されちゃったりしたらまずいじゃない!」

 しーっと再び指を立てる。トラちゃんさんも口を両手で隠しながら半眼でこちらに問いかけてきた。

 

「ええと、ですね……」

 一瞬何処まで話していいものか悩んだが、別段秘密にする内容でもないため、素直に打ち明けることにする。

 最近の住人たちの行動や考え方に変化が現れてきたこと。今日のリーダーたちの様子。

 トラちゃんさんは「……随分複雑なこと考えているのねえ」という風に眉根を寄せていたが、やがて解せないと首を傾げた。

 

「でもあいつら、この家の中にはいないわよ」

「えっ?」

 色を失い、慌てて立ち上がってドアノブを握る。ガチャガチャと回すも開く様子がない。

「くっそ……!」

 小屋の側面に回って窓を確認すると、窓は開きっぱなしになっていた。

 明かりのついた室内に、リーダーも強面も、エースもいない。ただ彼らのデモニカだけが室内に起動したままで残されている。

 小生は頭をガシガシと掻き毟った。

 

「あああ! 一体何考えてるの、あの人ら……。トラちゃんさん……!」

「へっ? え? どうしたの?」

「リーダーたちが何処にいるのか、気配とか分かりませんか!?」

「ちょ、ちょっと待ってね……。んー、多分"箱庭"の中にはいないと思う。彼らの気配が感じられないもの」

「どういうことなんだよ、一体……」

 もう事態は小生の情報処理能力を優に超えてしまっていた。たまらず頭を抱えてうずくまる。

 

 ……本当に意味が分からない。

 住人たちが"終活"を始めて、任務そっちのけで経済活動を開始したかと思えば、この急な失踪騒ぎだ。探そうにも手がかりがない。

 ちょっと泣きたくなってきた……。

 

 小生は小走りで"バケツ頭"の保管場所にまで駆けながら、ハンドヘルドコンピュータを操作して身内向けの緊急回線を開いた。

 このアクシデントを"箱庭"内の仲魔と人間たちに伝えるのだ。

『緊急事態、機動班全員が失踪しました』

 すぐさま返ってくるいくつかの反応。建物から続々と隊員たちが飛び出してくるが、不可解なことに1名足りない。

 どうやら失踪者の中にはフランケン班長も含まれているようであった。

 

「機動班に班長まで……。ちょっとこれどういうことなの……」

「ヤマダ、大丈夫……?」

「だいじょばないです……」

 これは身内だけで何とかなる問題ではなさそうだ。至急応援を寄越してもらうべく、"レッドスプライト"号へのホットラインも夢中で開いた。

 

『グッドイブニング、ヤマダ隊員。何かトラブルですか?』

『前代未聞のトラブルです……』

 小生が状況を説明すると、"レッドスプライト"号の指令コマンド"アーサー"は即座に派遣中の隊員の貸し出しを提案。

 小生は二つ返事でこれを受け入れた。後から考えてみれば住人たちに話を通さないのは独断といえたが、現状はいちいち合議をしている時間が惜しい。

 住人たちがこの"箱庭"を安全と評している点について、小生もいちいち突っ込みはしなかったが、この場所は一度"堕天使"の侵入を許してしまっているし、ルイ・サイファーと名乗る女性の侵入だって許してしまっているのだ。

 リーダーたちの失踪が"悪魔"がらみだった場合、今この瞬間も命の危険にさらされている可能性があった。

 

『ヤマダ隊員。"レッドスプライト"号は可能な限りの支援をアナタがた"NOAH"に送る用意があります。ただし、セクターをまたいでの即時増員は物理的に不可能です。初動調査はアナタがた自身がやるべきでしょう。委託していたミッションのほうは優先順位を下げてしまってもかまいません』

「……分かりました」

 小生は"バケツ頭"をひったくるようにつかむと、乱暴に装着して探索モードを起動させる。

 

『探索モードを起動します』

 騒ぎを聞きつけてか、隊員たちだけでなくカンバリ様とディオニュソスさんも集まってきた。トラちゃんさんも傍にいる。

 外部へ飛び出す準備は一応できたようだ。

 動揺を隠せない隊員たちの中にあって、少し息を切らせた中尉が口を開く。

 

「ヤマダさん。観測気球の画像を確認したところ、デモニカスーツを着た一行が"ボーティーズ"内を行き来している姿を捉えたわ。識別番号を見たけれど、うちに保管された予備のものだった」

「何でそんな手の込んだことを……。向かった先は何処ですか?」

「"ミトラス"城」

 油断すれば何かに当たってしまいそうで、思わず拳を強く握り締める。

 今まで小生は何度もチームの足を引っ張ってきたが、それと比べても今回の動きは悪質が過ぎる。

 

「トラちゃんさん。カンバリ様。ディオニュソスさん。急で申し訳ありません。"ミトラス"城までお付き合い願えませんか?」

「別にそんなお伺い立てなくてもいいわよ。アタシも眠くないし。余裕ね」

「あまりそうカッカしておると痔になってしまうぞい。"キレ"るだけに。ふぁっふぁっふぁ……!」

「ぶどう畑は妖鳥に世話を任せてありますから問題ありませんよ。これも私をロンリネスな呪縛から解き放ってくれた礼と思えば……」

 あくまでもいつも通りな三人組に、少し沸点に至った苛立ちがおさまる。

 そこにレミエルさんが呼びかけてきた。

 

「ヤマダ。"ミトラス"城へと向かうのならば、言っておくべきことがあります」

「レミエルさん……?」

「あそこにはこの世界の元となった"宇宙の卵"があるはずなのです」

「"宇宙の卵"……、ですか?」

 レミエルさんは静かに続ける。

 

「はい。異空間の創造装置とでも言い換えましょうか。本来世界を"生み出す"という権能を魔王は持っておりません。故に外の"遊びふける国"は卵の力によって生み出されました。貴方がたがあの世界を造り替えようというのならば、とにかく卵を求めなさい。どの勢力が手を出すよりも先に――」

「でも、今はリーダーたちを探すのが先決です……」

「私には探し人と卵の存在が無関係であるとは到底思えないのです」

 小生は一瞬目を閉じて思案した。

 難しい。案ずるよりはさっさと出発しよう。

 小生はレミエルさんに頭を下げて、"箱庭"を出発することにした。

 

 急ぎ、急ぎ、急ぎ、急ぐ――。

 トラちゃんさんらと共に遭遇頻度の薄くなった"悪魔"たちを蹴散らしながら、"ミトラス"城へと辿り着く。

 往時は四方から嬌声が響いてきた城内も、今や不気味なほどに静まり返っていた。

 小生は通路を駆け続けながら、通信回線を開いてリーダーたちに呼びかける。

 

「リーダー! リーダー! 返事をしてくださいっ!!」

 反応はなかったが、"バケツ頭"のポップアップには予備の識別信号が4人分表示されていた。

 全員が4階の一室に集まっている。共有されたマップ情報の補足には、かつて"エルブス"号の隊員たちを素材に人体実験を行っていた一室だと添付されていた。思わず、全身から血の気が引く。

「リーダー! 何が起こってるんですかリーダー!」

 すぐさまエレベーターで当該階へと向かおうとしたところ、直通のエレベーターが何らかの原因で故障していることがすぐに分かった。

「トラちゃんさん」

「任せて! んぎぎぎ……!」

 扉を無理矢理に開けると、昇降かごがその場に留まっているのが一見して分かる。上部のハッチは何らかの要因で固定されてしまっていて、うんともすんとも動かない。

「どういうことだよ……!」

「ど、どうするの? ヤマダ!」

「階段を使いましょうっ」

 故障原因が分からない以上、あまり時間もかけていられない。

 小生はきびすを返して、階段へと向かった。しかし――。

 

「おい、嘘だろ……」

 どうやら階段は道の半ばで瓦礫に埋まっているようであった。

 誰かが小生の行く手を阻んでいるのか。もしそうなら、一体誰が……。

 

 小生は必死でマップを探し回り、タダノ君が使ったという大穴の存在に着目した。何でも一度囚われた際、脱出するために掘ったらしい。

 ワイヤーとウインチを駆使して何とか4階の旧人体実験室までは上がることができたが、この城は不運にも東塔と西塔に分かれる設計をしており、小生らが上がってきたのは西塔。リーダーたちと思しき識別信号が発信されているのは東塔だった。両者を繋ぐのは7階の連絡通路のみだ。しかもそこに行くには8階を経由する必要がある。

「ハルパスさん、ややこしい造りにしすぎなんだよなあ……!」

 歯噛みして牢屋を思わせる扉を開く。

 先に進む。

 5階、6階、7階。

 そして、8階。

 

 

 かつて魔王"ミトラス"が鎮座していたという部屋の手前。恐らくは控えの間にて小生は見慣れぬ"悪魔"と対面した。

 何処か"マカーブル"と似ているものの、楽士に寄った服装におぞましい骸骨姿の"悪魔"である。

 手にはヴァイオリンを構えていた。

 骸骨姿の"悪魔"が囁く。

 

「……ちょうど我が愛器の調律が終わったところなのですよ。不完全な演奏を聞かせては私の矜持に傷がつきますからね」

「……アンタ、魔人"デイビット"だったかしら」

 小生の前へと進み出たトラちゃんさんが言う。

 "デイビット"と呼ばれた"悪魔"はかたりと骨の顎を鳴らし、上機嫌に返してきた。

 

「ニンゲンに聞かせるのならば、『運命』などが宜しいでしょうか? いえ、やはり……、死の旋律でしょうか?」

 "デイビット"が弓を構え、弦を鳴らした。

 耳にするだけで吐き気を催す不可解な音に、小生は外部集音マイクのボリュームをオフにする。が、音は耳にこびりついてはなれない。

 

「妖樹"ザックーム"お出でなさい」

 再び弦をかき鳴らすと、"デイビット"の左右に人面のおぞましい植物が生え出した。 

 

「ぬぅっ――」

「この力……、貴方自身のものではありませんね?」

 ディオニュソスさんの問いかけに、"デイビット"が歌うように言った。

 

「快楽にふけったニンゲンたちは、やがて星を食い殺すほどに増長した。自ら病毒を撒き、そして自らを滅ぼさんとする――。この世界を歌劇にたとえるならば、これは悲劇なのでしょうか? それとも喜劇? いずれにしても――」

 彼の歌は途中で遮られた。トラちゃんさんが殴りかかったからである。

 鉄拳を寸ででかわした彼は、再び弦をかき鳴らした。

 

「自業自得の病毒をアナタがたに」

「うっさい! パンチしてやるから!!」

 かくして、小生らと魔人との間で戦いの幕が切って落とされる。

 ああ! こんなことしている場合じゃないのに!!

 こぞって「パンデミアブーム」なる言葉を発する人面樹めがけて、小生は火炎の力が篭った石を全力で投げつけた。

 



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シュバルツバースで失せモノ発見

 耐えがたい不快感が小生の内臓をかきまわした。呼吸がおぼつかず、あまりの痛みに立っていられない。

「ヤマダ!? アンタたちッ!?」

 ――何だ? 何が起こった? 思考が上手くまとまらないが、少なくとも今の小生が床に力なく横たわり、ただただ死を待つ状況にあることだけは確からしい。

 "バケツ頭"のモニター上には装着者の健康状態を示すいくつものアラームがポップアップされていた。危険域を優に下回ったバイタル表示にごぼりと赤い色素がこびりつく。小生の吐いた血塊が、それを為したのだ。

 霞む視界に瀕死のカンバリ様にディオニュソスさんの姿――、彼らも何らかの攻撃を受けたのか。そして、つい先ほどに戦端を開いた敵の群れが映る。

 敵は骸骨姿の道化が1体に、燃え盛る人面の妖樹が1体――、あれは小生が投げた石の力によるものだろうか――。そして五体満足の妖樹が1体だった。

 あれらは確か魔人"デイビット"、妖樹"ザックーム"という名前だったはずだ。

 こちらがこうして倒れている以上は、敵の攻撃を受けたことに違いはないのだが……。

 ああ、駄目だ。もう意識を保っていられ――、

 

「メディラマっ!!」

 我らが女神の声が耳に届けられ、小生らは寸でのところでその命を繋ぐことができた。

 思考が働く。身体が動く!!

「げほっ、げほっ――!」

 ただ完治とは言えないため、よろよろと上体を起こしながらもデモニカスーツに内蔵された自己回復プログラム"HPリカバー"の展開を待つ。

 このプログラムは"レッドスプライト"号のアーヴィンとドクターが共同で開発したものだった。

 人類にとって致死性の毒素が蔓延しているこのシュバルツバースにおいて、最も恐れるべきは身体の露出だ。

 例えば四肢の切断は血管やスーツの破れた箇所を伝って、毒素が体内に入り込む恐れがある。

 嘔吐や吐血の場合、スーツを脱ぐことができないために致命的な不具合や窒息をもたらす可能性もあった。

 新たに開発された回復プログラムは、こういった数々のリスクからの可及的速やかな復旧を目的とする。

 モニターにこびりついた血はすぐさまに洗浄され、単純なナトリウムや他の栄養素へと変換されて体内に再注射された。まだだるさは感じるが、これなら何とか動けそうだ。

 小生は命の恩人へと言葉を投げかける。

 

「あ、ありがとうございます。トラちゃんさん……!」

「お礼は後で! それより、早く自分たちにディスポイズンを使用してッッ!!」

「ディ、ディスポイズン……、ですか?」

 言われるがままにバックパックから解毒の異能が籠もった石を取り出す。

 握りしめた石に発動の念を込めると、小生の体に巣くった不快感が光り輝くそれへと吸い込まれていった。って、マジか。

 先ほどまでの致命傷は、毒によるものだったのだ。あの短時間で仲魔たちもまとめて瀕死に至らしめるとは、さぞかし速攻性のある猛毒に違いあるまい。

 そう結論づけた小生の勘違いを、トラちゃんさんが緊迫した様子で否定する。

 

「違う。ただの"風邪"よッッ」

 

 彼女は既に次のメディラマを放つ用意を整えていた。あの隙さえあればマッスルパンチを放ちにいく彼女にしては、信じ難いほど防御的な姿勢だ。

 代わりに瀕死から回復したカンバリ様とディオニュソスさんが動きを見せる。

 

「ぐっ、八百万針を食らえぃっ!!」

 大足の身体から生み出された土の針が敵の群れへと襲いかかる。が、あまり効果があるようには見受けられない。

「ですが、私の力ならば……!」

 飛び上がったディオニュソスさんが、そのまま五体満足の"ザックーム"に組み付いた。彼の怪力によって"ザックーム"の幹は大きく歪み、そのまま人面の吊り下がった枝がちぎりとられていく。

「ギャアァァ!!!!」

 もがれる側の人面の実は、そのいずれもが憎悪の表情を浮かべて抵抗をしようと枝を揺らす。

 が、ディオニュソスさんの攻勢はその程度でやむはずもなく、彼の怪力による蹂躙は"ザックーム"が完全なでくの坊と化すまで止まることはなかった。

 

「これで貴方の下僕は全滅しましたよ。"デイビット"!!」

 活動を停止したでくの坊を"デイビット"に投げつけながら、ディオニュソスさんが勇ましげに吼える。

 しかし仲魔をやられたというのに、ヴァイオリンを構えた"デイビット"は嘲笑を浮かべたままであった。

 

「……フフッ」

 まず弓を優雅に弦の上を滑らせると、宙を飛ぶでくの坊が不自然な形で静止する。

 まるで彼とでくの坊との間に不可視の障壁でもあるような挙動だ。

 さらに弓を滑らせると、でくの坊が毒々しい色に腐敗していき、やがて分解された破片とも汚泥ともいえない代物が床へと散りばめられた。

「……この楽曲は"大霊母(メムアレフ)のラプソディ"と名付けましょう。死と再生の奇跡を、どうかご鑑賞ください」

 聴覚ではなく、もっと別種の何かによって届けられるヴァイオリンの音色は、何処か母性を感じさせられるものであった。

 その曲調は穏やかそのもので、何故か空間を創造する際に見せたトラちゃんさんの面影がちらついて見える。

 ただし、音楽がもたらした結果そのものは小生らにとって無慈悲以外の何者でもない。

 ニ体の"ザックーム"が、何事もなかったように復活を遂げたのである。

 腐敗した汚泥が、まるで粘土細工のように悪魔の身体を形作り、程なくして人面の吊り下がった妖樹がおぞましい産声を上げる。

 そのあまりの理不尽さにトラちゃんさんが悲鳴をあげた。

 

「何それ、ずるいじゃないの!」

「同じことを、貴女と相対した悪魔どもも思ったことでしょうね」

 トラちゃんさんの抗議を涼しい口調で受け流し、"デイビット"が"ザックーム"たちをけしかける。

 淀んだ胞子が人面の口より撒き散らされ、何処かより巻き起こった病毒混じりの風が再び小生らの身体を飲み込んだ。

 

「う、うわわっ!?」

 改めて観測してみれば、この病毒の風は異常そのものといえる。

 アデノウイルスの変異体らしきもの。ライノウイルス、コロナウイルス、新型インフルエンザウイルスから正体不明のウイルスまでがデモニカの解析によって割り出され、"バケツ頭"の中にアラームを破れ鐘の如く反響させた。

 

『致命的に危険です。対毒ガス戦用パッケージを展開します』

 どうやら高度な解析機能とフィードバック機能を有するデモニカスーツが、内蔵された空気洗浄機能の限界をいち早く察知し、スーツ内の酸素循環を独立させたらしい。

 幸いなことに恐怖にのけぞった小生の身体に先ほどのような変調が発生することはなかった。

 ――故に先ほどのカラクリを目の当たりにすることになる。

 

「永遠と続く、病毒の苦しみを」

 "デイビット"が続けて弦をかき鳴らすと、小生とともに風に呑まれたカンバリ様たちが力を失い、地に崩れ落ちた。紛うことなく瀕死の状態だ。

 

「カンバリ様! ディオニュソスさん!!」

 "バケツ頭"が二人の症状を冷徹に解析する。

 解析結果は『風邪の"悪化"』。

 この短時間で? まさか――。

 

「あの骸骨の弾いている曲には、ウイルスを活性化させる力があるっていうのか……?」

 小生の呟きを拾い取った"デイビット"は、手に持つヴァイオリンの渦巻き(スクロール)を上機嫌に持ち上げ、まるで人の首を描き切らんとするかのように弓で弦を擦り付けた。

「――己が不完全な生物であるという本分を忘れたヒトという存在は、死を拒み、病を拒み、病を根絶しようとして、ついには病の深刻な変異をもたらした。嗚呼、何と滑稽な喜劇ッッ! 病との付き合い方を忘れた生き物が、より恐ろしい病に苛まれる姿を目の当たりにできるだなんて……っ!! 大霊母の加護を受け入れた甲斐があったというものです。こんな愉悦……、中々味わえるものではありませんよ!!」

 言って、その場で踊り狂う"デイビット"。

 呆気にとられる判断の遅れた小生や、既に言葉すらも返せぬほどに体力を失ったカンバリ様の代わりに、ほんのひとかけらの余力が残ったディオニュソスさんが叫んだ。

 

「これは、拙い……。バッドネスです……! ヤマダっ。私たちにディスポイズンを投げ与えるのですッッ!!」

「えっ。あっ。わ、分かりました!!」

 二人の風邪を治療しながら、小生は脳裏で計算を始める。

 ……はっきり言って、致命的に相性が悪かった。これは退却を考慮に入れるべきだ。

 この1分にも満たない戦いの中で、敵が状態異常を攻撃の中核に置いていることが身を以て理解できた。

 だが、攻勢に転じようにもディスポイズンの備蓄が足りないのだ。さらにカンバリ様の攻撃は彼らに有効でなく、ディオニュソスさんも風邪の疾患からの悪化コンボで常に即死のリスクを抱えている。皆の命を考慮すると、状況を打開するための手数が足りないのである。挙げ句の果てにトラちゃんさんまでもが戦闘不能に陥ってしまえば……。

 

「このーっ!!」

 初手と同様、風邪にかからずに済んだトラちゃんさんが"デイビット"に対して殴りかかった。

 そのいつも通りの姿に病毒を恐怖する気配は全く見受けられない。

 彼女の拳が眩しく光り輝いた。マッスルパンチ発動の兆候だ。

 これにはさしもの"デイビット"もヴァイオリンの弓を庇うようにして跳びのき、トラちゃんさんのマッスルパンチを骨の腕で受け流そうとする。

 

「何避けてんのよ、大人しく殴られなさい!!」

「……やはり、貴女は向かってきますか。面倒な」

「アンタのその力、異次元から引っ張ってきたのね!! アタシ見覚えがあるものっ!」

「そういう貴女も、この時空由来とは思えぬ力を行使しているようですが。イレギュラーなのでしょう。お互いに……!」

 変則的なフックにフリッカーじみたパンチなど、がむしゃらにトラちゃんさんの攻撃が振るわれるが、どれも寸でのところで有効なダメージとはなり得ない。

 "デイビット"はヴァイオリンを庇いながら上体をそらし、サイドステップにより回り込み、大振りのストレートを天井近くにまでジャンプすることで回避した。

 そして、宙に浮いたまま反撃体勢をとる。

 

「ベノンザッパー」

「うぎゃっ!!」

 振るわれた弓が空間を斬り裂き、トラちゃんさんの四肢から血飛沫が舞う。

「ト、トラちゃんさん!?」

「平気よ! 百倍にして返してあげるんだからッ!」

 トラちゃんさんが床を蹴り、"デイビット"と彼女が空中で対峙する。が、"デイビット"は彼女との直接対決を徹底的に回避しようという腹積もりのようで、天井を蹴っての立体的な機動によって彼女との距離を引きはがそうとする。

 

「待ちなさ――、へぶぅっ!?」

 それを追いかけようとしたトラちゃんさんであったが、再び不可視の壁に阻まれる。見えない壁? に顔から突っ込んだトラちゃんさんは一端ふわりと浮き上がった後、あらぬ方向へと弾き飛ばされた。その動きに何か引っかかるものを感じたが、今はそれどころではない!

 地面に叩きつけられたトラちゃんさんに敵の魔法による集中攻撃が雨霰の如く降り注がれる。"デイビット"の斬撃に"ザックーム"の火炎放射。

「ちょ、まっ。痛、痛、熱っつぅぅぅ!?」

 うめき声を上げるトラちゃんさんの透明な肌にいくつもの裂傷と熱傷が刻まれていく。攻撃の手数に比べて、不自然なほどに傷の数が多い。

 まるでもう1体余分に敵がいるような……、ってこのままじゃ!?

 

「トラちゃんさん!」

 小生はここで切り札の一つを切ることにした。

 バックパックから、ごとりと宝玉を高々と取り出して、彼女の回復を切に念じる。

 すると掲げた宝玉から光の柱が立ち上った。白色の光柱は、やがて天頂から光のヴェールを静かにおろし、窮地にあった彼女を明るく照らし出す。

 裂傷が跡形もなく消え去った。熱傷だって影も形もみられない。

 両手で苛烈な集中攻撃から急所を庇っていたトラちゃんさんは、まるでバネが弾かれたようにその場を跳び退き、意気揚々とガッツポーズを取った。

 

「サンキュー、ヤマダ! ナイスタイミングだわっ」

「でも何度もできる手じゃありませんよ!!」

 宝玉は念じた相手の外傷を、ほぼ完全に回復させることのできる高位の異界アイテムだ。

 完全な拾い物である上に魔石と違って指の数ほどにも備蓄がないため、これを核にした戦術は正直組み立てづらい。

 そんな小生の悲鳴を聞き、トラちゃんさんは構うものかと鼻息を荒げた。

 

「じゃあ、他の手を考えて! アタシはとにかく敵の数を減らすからっ!」

「ま、待って下さい!! あの病毒の風は危険ですッ。もしトラちゃんさんが病にかかってしまえば、全滅一直線ですよッッ! ここは一度退却すべきじゃ……」

 小生の制止を聞く彼女ではなかった。

 いや、ここに至っては彼女の判断が正しいのだろう。何故なら、"デイビット"が一瞬の隙をついて彼女の喉元にまで肉薄していたからだ。

 暗く輝くいびつな骨の腕と光輝く女神の腕がぶつかりあう。そこから生じた衝撃で階層全体が大きく鳴動した。

 トラちゃんさんは"デイビット"から目を離さずに、あくまでも強気な口調で啖呵を切る。

 

「逃がしてくれる相手じゃないのよ、魔人って奴らはっ! それにアタシなら大丈夫。今まで病気なんかにかかったことないものっ! うりゃああああああああっ!」

 再び黒い光と白い光が交錯し、足下が揺れた。揺れる度にトラちゃんさんの体に生傷が増えていく。対する"デイビット"の方は対照的に、生じた欠損がその場で修復されていった。

 "ザックーム"がひっきりなしに回復の異能を投げかけてくるのだ。

 

「だから、ずるいのよ。アンタ!!」

「悪魔が連携を覚えて、一体何がおかしいというのですか。どうせ、我々は愚かなヒトに取って代わるのですから」

 あざ笑う"デイビット"の挑発に堪忍袋の緒が切れたのか、トラちゃんさんが両手を掲げた。

 

「だったら――、大冷界!!」

 小生らの周囲までもが凍結する強烈な冷気が彼女の両手から放出された。誰が何処にいるかなど、形振り構っていられないということなのだろう。

『周辺の異常な温度低下を確認。体温調節のためにヒーターを自動調節します』

 床や天井から急速に伸びていく何本もの氷柱が敵の、小生らの動きを阻害する。まるで氷の牢獄だ。

 いかがわしい原色の空間が、瞬く間に青い光線以外の全てを反射する氷の世界へと取って代わられていった。

「ア、ア、ア――」

 氷結の異能を受けた"ザックーム"たちの動きが鈍っていく。

 彼らの人面から急速に水分が失われていき、やがて表面を霜が覆い、その尽くが氷の棺へと成長する。

 彼ら妖樹が氷柱に飲み込まれ、氷のオブジェと化すまでに30秒とかからなかった。しかし、

 

「――"大霊母"のラプソディを再び貴女に」

 形勢逆転かに見えたこの大打撃も、今だ無事の"デイビット"によって再度敵が有利な状況へと引き戻されてしまう。

 ヴァイオリンの音色が氷から氷へと反響し、生命活動を停止した"ザックーム"たちの亡骸を汚泥へと変えていく。

 汚泥は床へと吸収され、それを肥料に新たな"ザックーム"が形作られた。

 最早きりがない状況だ。

 新生した妖樹が病毒の胞子を撒き散らし始める姿を見て、トラちゃんさんはたまらぬとばかりに癇癪を起こし始めた。

 

「アアアァッ。もうっ、何これきりがないんだけど!!」

 幸いというべきか、病毒の風をまともに受けている身であるというのに、彼女自身が病にかかる兆候は見受けられない。

 まさか本当に風邪を引かない体質なのだろうか?

 彼女よりもむしろ、小生やカンバリ様たちの方が必死であった。

 風に巻き込まれぬように階層の隅にまで逃げ出すも、ここが屋内である以上は淀んだ"空気"から逃れる術はない。

 

 いざという時のためにディスポイズンをバックパックより取り出しながらも、小生は必死に考える。

 ――この流れはとにかく駄目だ。後手後手で先がなく、何処かで戦術を変えなければならない。

 逃走を諦め、手札を確認し、不要な手間を切り捨てていく。

 既に"デイビット"側はある種の勝ちパターンを作り上げていた。

 野球でもそうだったが、相手の勝ちパターンをそのままにして敵に打ち勝つことはまずできない。それができるのは地力が圧倒的に勝っており、横綱相撲ができるような場合のみだ。

 まともに勝利を望むならば。敵の勝ち筋を切り崩し、無理矢理に自分たちの勝ち筋へと戦いの趨勢を組み立て直さなければならないのである。

 

「ヤマダ! 指示を下さいっ。この局面を何とか打開しなくては……!」

「分かっています! 分かっていますけど!!」

 喉が渇きを訴えた。胃がひたすらにきりきりと締め付けられる。

 一体、何で小生がこんな重大な判断を下す立場になっているんだろうか……! 自分はただの下っ端の、後方要員であったはずなのに……!

 脳裏に浮かんだ恨み言の中に、仲間の顔が同時に浮かび上がる。

 その多くは"エルブス"号のクルーたちであり、中には当然ながらリーダーと強面も含まれていた。

「……そうだ。あたふたしている場合じゃない」

 凍結した景色に比例するように、沸騰した思考が急速に冷やされていく。

 今回の突発的なミッションは、目の前の骸骨を倒しただけでは終わらないのである。

 

 ちらりとカンバリ様たちを見やった。敵の洗練された戦術にどうしたら良いのか戸惑っているよう見受けられる。

 続いてトラちゃんさんを見た。彼女は病毒の風を物ともせずに、新生した"ザックーム"たちを何度も何度も薙ぎ払っている。恐らく、あれらを放置しておけば"デイビット"を倒す障害になると判断したのだ。彼女は近視眼ではあるものの、その判断能力は他者に比べて図抜けて高い。

 ――ただ、判断は正しくとも正解にたどり着けるかは別問題だ。

 今回の場合は、単純に彼女が抱える役割がパンクしてしまっていた。これでは上手く回らない。即死のリスクを抱える小生らの回復に、雑魚の殲滅、"デイビット"との対決……。たった一人で手数が足りるはずはないのである。

 せめて、彼女の負担を減らさなくては……。 

 小生は意を決する。この場に"不要"なものを切り捨てる覚悟を固めた。

 

「カンバリ様、ディオニュソスさん! もう階段から下の階層へ逃げちゃってください!!」

「……ですが、女神がまだ戦っています!」

「そも大人しくこちらを逃がしてくれるような相手ではなかろうっ!」

 ディオニュソスさんとカンバリ様の抗議は仲魔たち全員でこの場を離れることを前提とした抗議であった。味方を見捨てぬという確固とした仲間意識に、小生の胸はずきりと痛む。

 だが、違うのだ。小生はディスポイズンを放り投げ、バックパックに手を突っ込みながら断言した。

 

「言い方変えます!! 戦術的にお二人を回復する手間が惜しいんですッッ!!」

 事実上の戦力外通告に、二人の仲魔は顔を大きく歪めた。多分、言いたいことは多々あるだろう。何せ、それを言い出したのが大した力も持たないニンゲン風情なのだから。

 しかし、二人は最終的に小生の言葉に従ってくれた。

 

「……分かった。だが、手が必要なときは必ず呼ぶんじゃぞ」

「狂神たる私が撤退などと……。ですが、ここは致し方なしか」

 二人はあくまでも不承不承といった風ではあったが、やがて状況の不利を悟ってか階段を駆け下りようと"デイビット"たちに背を向ける。

 その隙を"デイビット"たちが大人しく見逃すわけはなかった。

 

「――逃がすとお思いですか」

 "デイビット"の指示を皮切りに、妖樹から吊り下がる人面の一つ一つから、おびただしい炎が一斉に階段の付近へ向けて吐き出された。

 どうやら格好の"足手まとい"をこの階層から逃す腹積もりはないらしい。

 至極、合理的な考え方だった。

 であるからこそ、

「思うわけ、ないじゃないですか!!」

 間髪入れずにバックパックから魔力の籠もった鏡を取り出しながら、小生は二人の肉壁になるべく駆け出した。

 

 ニンゲンに"悪魔"の価値観は理解できない。倫理観などは尚更だ。

 だが、その思考判断に用いる合理性だけはニンゲンである小生にも容易に理解ができた。

 故に先読みをすることができる。

 いくら"悪魔"の考えと言えども、選択肢さえ絞ってやれば理解できないものではないのである。

 

 小生は一塁へと盗塁を決めるように前傾姿勢で階段の前まで駆けつけて、背中を炙られるカンバリ様たちの前へとその身を割り込ませていった。

『危険、異常な温度下にいます。危険、危険』

 デモニカスーツの耐久温度を優に超える熱量がスーツを、そして小生の身体を無慈悲に炭化させていく。

 あまりの苦痛に思わず顔が歪んでしまうのを自覚するが、これだけの熱量があるのならば"お誂え向き"だ。

 小生は全身を呑みこまんとする火炎地獄に向けて、手に持った魔鏡を勢い良くかざした。

 瞬間、迫り来る炎が異能の光に覆われ矛先を変える。

 向かった先は放射した妖樹たちそのものだ。

 ――魔反鏡。この"箱庭"の市場に持ち込まれたレアフォルマは、物理属性以外の攻撃を相手にそのまま跳ね返す異能の力が篭められている。

 

 果たして、自らが放った火炎に炙られる羽目になった妖樹たちは、断末魔の声を上げながら物言わぬ炭へと変質していった。

「ナッ……」

 "デイビット"の口から驚きの感情が漏れ出でる。

 先ほどまでの彼を有利たらしめていたものは、数的な有利と致命的な攻撃力だった。その起点になっているものは妖樹たちだ。

 合理的に考えるのならば、手数を復活させなければならない。

 あの厄介なヴァイオリンの演奏によって……。だが、そのためには一手を余分に費やす必要があろう。

 反撃の好機はここだ。

 

「トラちゃんさん!」

「ナイスよ、ヤマダッッ!!」

 トラちゃんさんが、今までのお返しとばかりに"デイビット"へと跳ぶ。

 あの"大霊母"のラプソディとやらを演奏する隙を与えなければ勝機はある、と彼女も判断したのだ。

 対する"デイビット"は突発的なピンチに少なからぬ動揺を受けているよう見受けられたが、それでもトラちゃんさんへの迎撃体勢はとらずに演奏を優先しようとする。

 それはまるで、トラちゃんさんの攻撃が"失敗すると踏んでいる"かのようであった。

 小生の中で、推測の歯車がカチリと嵌る。

 そして、

「横から迂回してください! トラちゃんさんッ!!」

 小生はハンドヘルドコンピュータを操作して、"バケツ頭"のモニター上に走る表示を睨みながら、そう叫んだ。

 

「えっ!? 分かったわ!」

 突然の指示につんのめりつつも、トラちゃんさんは"デイビット"の脇を突くようにして姿勢を沈み込ませ、そのままの勢いで殴りかかった。

「アガッ――」

 光り輝く彼女の拳が、"デイビット"の脇腹へと突き刺さる。

 乾いた物が砕ける音が辺りに響き、道化師の身体が8階層の分厚い壁へと盛大に叩きつけられた。

 

「うそっ、クリティカルヒット!? 今まで肝心なところで受け流されていたのに、何で……」

 自らがやったことながら目を丸くするトラちゃんさんに、小生が答える。

 

「"2対1"だったからですよ! すぐ傍に"見えない敵"が潜んでいますッ!!」

 そう言いながら、小生は"レッドスプライト"クルーからもたらされたデモニカスーツ内臓アプリ、"エネミーサーチ"のソースコードを開き、モニター上の表示に映る異常な値を手当たり次第に叩き込んでいく。

変換(コンパイル)遅いよ、それでも最新鋭の情報端末かよ……!」

 やきもきしながらアプリの再起動を待つ。

 程なくして、機械音声が"バケツ頭"の内でアナウンスされ、トラちゃんさんのすぐ隣、何もない空間に一体のモザイクが出現した。

 

『エネミーサーチ、起動。スキャンニング……。コンプリート』

 モザイクはやがて形を変え、両腕のない異形のシルエットがゆらゆらと浮かび上がる。まだ必要なデータが足りていないのか。だが、潜伏している場所自体は視覚で判断できるようになった。

「トラちゃんさん、隣です! 思い切り腕を振り回しちゃってください!!」

「うん、分かった!!」

 フック気味のマッスルパンチがシルエットの顔面へと叩き込まれる。

 低級な"悪魔"ならば一撃で粉砕する彼女の拳であったが、意外なことに叩き込まれたシルエットの反応が鈍い。

 ノーダメージ? シルエットの主とトラちゃんさんとの間に空間的な隔たりがあることを危惧するも、やがてシルエットは大きく揺らぎ影が弾け飛ぶようにして色づいていった。

 痛烈な衝撃によって敵の姿を隠す異能が解除されたのだ。

 現れた"悪魔は"角の生えたみずら髪の……、まるで古墳時代の日本人を思わせる姿かたちをしていた。

 その姿を見て、トラちゃんさんが驚きの声をあげる。

 

「ちょ、鬼神"タケミナカタ"!? こんな奴が隠れていたなんて――」

「そっちは良いですから、"デイビット"をお願いします!!」

 小生はバックパックからジオンガストーンを取り出し、"タケミナカタ"なる"悪魔"に向けて全力のオーバースローで投げつける。

 ここ暫くタダノ君の野球熱に付き合わされていたためか、石の速度の伸びが良い。

 唸りをあげるジオンガストーンは、トラちゃんさんによって砕かれた"タケミナカタ"の鼻先にめり込むと同時に強力な電撃を放出した。

 

「アガガガガガガ――!?」

 自らを駆け巡る高圧電流に、"タケミナカタ"が口や鼻、目から白煙を出しながら絶叫する。

 小生は内心喝采した。

 この場にずっと潜んでいたということは、あの鬼神は先ほどトラちゃんさんが放った凍結の異能に易々と耐え、妖樹が撒き散らした火炎地獄をも物ともしない耐性を備えていることになる。

 悪魔だって完全な存在であるわけではないのだから……、と消去法の選択ではあったが、思ったとおりにあの"悪魔"には他属性の弱点があるようだ。

 一発目で"当たり"を引けた辺り、まだ小生らの運は天に見放されてなどいない。

 

 ――さて、どうする?

 小生はハンドヘルドコンピュータを操作しながら、考える。

 ダメージを負った"デイビット"に、姿を現した"タケミナカタ"。そして戦闘不能状態の"ザックーム"たち……。

 開戦当初に比べれば、明らかに流れがこちらに来ているのは確かであると断言できよう。

 まさに千載一遇の好機だが、さりとて有効な選択肢はさほど多くはないというのが歯がゆいところであった。

 

 例えば、このままの勢いで相手に反撃する暇を与えずに畳み込んでいったならばどうなるか。

 これは正攻法ではあったが、一度崩れれば再び数的不利に立たされて、今度こそ逆転の目を失ってしまうという怖さがあった。容易にこれと踏み切ることはできない。

 

 ならば、この隙を突いてトラちゃんさんとともに、リーダーたちのもとへと突っ切る選択肢をとるか。

 論外である。現在、リーダーたちは自前のデモニカスーツを着込んではいない。

 デモニカスーツは戦闘経験によって成長する兵器であり、自前のスーツを着込んでいないということは、RPGでいえばLV1に等しい状態にあるといって差し支えない。

 いくらリーダーたちが歴戦の戦士であろうとも、そんな状態の味方を窮地にさらすなど、ナンセンスにも程があるだろう。

 

「つまり、どっしり構えていくしかない……」

 小生は長期戦を覚悟した。我々が有利になるような布石を置き、今の優勢を固めるのである。

 下の階層に応援を呼ぶか――?

 いや、"タケミナカタ"をこのまま放置できない。カンバリ様たちを呼びにいく間だけでも、アレを抑えておく仲魔をここで呼び出した方がいい。

 小生はそう結論付け、ハンドヘルドコンピュータをタップする。

 起動したのは、"悪魔召喚プログラム"だった。

 確か一度召喚経験のある"悪魔"ならばマッカさえ余分に支払えば、契約を解除した後でも再召喚が可能だと"レッドスプライト"クルーが語っていたはずだ。

 

 だったら、小生だって召喚できる。"箱庭"を形作っている4種の精霊とタンガタ・マヌさんあたりなら――。

 そこまで考え、タップする指が止まった。

 タンガタ・マヌさんたちが、あの"タケミナカタ"に太刀打ちできるのか。"使い捨て"ることになりはしないだろうか――。

 勝利のために犠牲を呑みこむ。その覚悟を決めなければならないのである。

 命の取捨選択を。ここで切る札は電撃の異能持ちである"アーシーズ"。

 勝つために札を切れ。皆を生かすために札を切れ。

 震えが止まらない指先に、小生はつくづく自分がリーダーには向いていないことを悟り、内心で毒づいた。

 それでも――、

 

「震えないで」

 意を決しようとしたその瞬間、ふわりと浮かんだ赤い振袖が目の前を横切った。

 それは子どもが七五三で着るような小さくも豪華な代物だ。

「え、あ……?」

 振袖の上には艶やかなおかっぱ頭が生えている。

 何故この場に彼女が? 彼女はレミエルさんが安全に保護していたはずなのに。

 振袖の主はおかっぱ頭を揺らしながら、くるりとその場でターンを決め、少女向けの変身ヒーローがやるようなポーズをとりながら"タケミナカタ"に向けて小さな指を突きつけた。

 

「えー、愛の戦士、マジカル・フラワー! わ、悪いアクマに 天罰☆てきめん! これで良かったんでしたっけ……。ぶっつけ本番だと花子には少し分かりません……」

「ちょっと小生も分かりません……」

 彼女は紛れもなく、振袖をめかし込んだトイレの花子さんであった。ただ、何故一人で"ミトラス"城にまでやってきたのか。

 

「は、花子さん! ここは危険な場所なんですよ……! いえ、元から花子さんが住んでいた場所を腐す気はないんですが……、それでも危険なんですよっ!」

 口から泡を飛ばす勢いの問いかけに、花子さんは少し焦りながらずれた答えを返してくれた。 

 

「あっ、あっ。今の花子はマジカル・フラワーなので、花子呼びは駄目なんです。ルール違反なんですよ、お兄さん」

「いや、そういうことじゃなくて……」

「危ないかどうかという話ならば、大丈夫です! 天罰☆てきめん! マハジオンガっ!」

「えっ?」

 花子さんがそう叫んだ途端、8階層全域にわたってゴロピカドッシャンと強力な稲光が広がっていった。

 稲光はまず、"タケミナカタ"へと襲い掛かり、その戦闘能力を完全に奪い去ってしまう。

 続いて"デイビット"にも襲い掛かった。何と、彼は電撃が弱点であったらしく稲光に捕らわれた瞬間、声にならない悲鳴をあげてバラバラにと分解されてしまう。マジかよ。

 更に"デイビット"と組み合っていたトラちゃんさん。こちらは特に弱点でもなかったためか、「あばばばば!?」と身体を震わせ、「けほっ」と刺青の入った口から白い煙を吐き出した。マジかよ。

 敵味方双方共にもたらされた甚大な被害に、小生は思わず目を擦る。

 

 

「――嘘やん」

 と洩らすより他に感想の出ない結末であった。

 レミエルさん、子どもに一体何を仕込んだの……。

 

「ヤマダ……、宝玉お願い……。宝玉~~、ちょうだい……」

 ふらふらと目を回したトラちゃんさんが頭から倒れこんだ勢いで、その場に散らばっていた"デイビット"であったはずの炭化物が更に細かく粉砕される。

 

 正直納得感はまるでなかったが、病毒を司っていた魔人の最期である。

 

 トラちゃんさんの額によって跳ね飛ばされたヴァイオリンが空しい弦の音を響かせた。

 ころころと小生の足元にまで転がってきた卵状の奇妙な反応を示すフォルマを手に取り、小生は天井を仰ぎ見る。

 

「小生、これどうすればいいの……?」

「――大人しくその"宇宙卵"を私に渡してくだされば万事事が済むと思いますよ」

「えっ?」

 声の主は、何時の間にやら小生の背後に現れていた。

 振り返ると、馬面が見える。

 孔雀の羽を生やした、けばけばしい化粧を塗りたくった馬面の"悪魔"であった。モザイクではなく、初めから"悪魔"の形として見えている。仲間たちとの共有データに、彼の情報があるのかもしれない。

 ……あっ、これまた死ぬことになるな。

 花子さんの救援に馬面の出現。

 正直、何もかもが急展開過ぎて思考が追いついていないのだが、"馬面"の時点で嫌な予感がした。 

 仲間たちが残した戦闘詳報の中で"馬面"と記録された敵など一体しかいない。

 

「随分と回りくどいことをして参りましたが、この瞬間を待っていたのです」

 小生を援護すべく花子さんが動きを見せる前に、馬面が小生に向かって手を伸ばす。

 その瞬間を突くようにして、また別種の"悪魔"が馬面に向かって襲い掛かっていった。

 えっ? えっ……?

 

「――奇遇だな。俺たちもこの瞬間を待っていた」

 剣を腰だめに構えた、全身黒ずくめで統一された"悪魔"の戦士である。

 彼の目に宿る理性的な輝きに小生は「まさか」と短く呟いた。

 さらに小生の「まさか」は続く。

 

「"ラリョウオウ"! ツーマンセルで対処に当たるッ」

「おい、エースの奴を待たなくていいのか。まあ良いけどよ。新しいチカラの、慣らし運転と洒落込むか……!」

 黒ずくめの後を追うようにして現れたのは、筋骨隆々の仮面の戦士であった。

 彼からもまた、その節々からニンゲンのような"理性"を感じ取ることができる。

 

 そうして、馬面の"悪魔"と互角の戦いを演じ始める二体の、いや二人の"悪魔"に小生は夢中で呼びかけた。

 彼らは、何処からどう見ても戦友たちの成れの果てであったのだ。

 




名前  トイレのはなこさん(マジカル・フラワー)
種族 属性
地霊 NEUTRAL―NEUTRAL
Lv 30
HP 274
MP 165
力 21
体 23
魔 35
速 30
運 28

耐性
物理 銃 火炎 氷結 電撃 疾風 破魔 呪殺
- - 弱 耐 耐 - - 無

スキル
マハジオンガ 電撃ブースタ 電撃ハイブースタ メディア ポズムディ


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シュバルツバースで断たれた退路

遅れました。あけましておめでとうございます。


 悪趣味なオブジェの飾られた控えの間にて、二体の"悪魔"がつむじ風と化した。

 

 "ラリョウオウ"と呼ばれた仮面の"悪魔"は色鮮やかな衣装を翻し、舞うようにして飛び上がる。そして独楽を思わせる空中機動で放物線を描き、馬面の堕天使"アドラメレク"の脳天をかち割らんと掲げた長剣を振り下ろす。

 地を這うようにして距離を詰めたのは、"ラリョウオウ"に指示を出した黒ずくめの方だった。床をする懐剣の切っ先が火花を散らし、一足一刀の間合いにまで踏み込んだ瞬間、反転する。

 上下からの同時攻撃。先ほど発せられた「ツーマンセル」というひどくニンゲンじみた指示出しが耳にこびりついて離れない。

 彼は、彼らは――。

 

「リーダーっ!」

 小生の呼びかけに黒ずくめの"悪魔"は振り向こうともしない。

 ただ、眼前の堕天使を屠らんと気炎を吐き出し、迅雷の速度で剣先を突き込む。

 完全なる奇襲。だが、浅かった。

 相手は地獄の上役、大悪魔の"アドラメレク"なのだ。

 上からの斬撃は広げられた孔雀の羽根から生み出される炎の壁によって阻まれ、下からの突撃は不気味に光を発する腕によって寸でのところでいなされる。

 反撃とばかりに放たれた火炎放射を遠巻きにするように、二つのつむじ風がその風向きを変えた。上下が駄目ならば左右。それも駄目ならば連撃。波状。瞬きする暇すらも与えない。

 二振りの刃が閃くたびに、"アドラメレク"が身じろぎするたびに控えの間の壁に大きな亀裂が走り、裸婦や死体を模したオブジェが両断される。

 トラちゃんさんと魔人の戦いだって人智を超えた余波を周囲にもたらしていたが、目の前で繰り広げられるこれは先刻の戦いですら生ぬるいと思えるような激戦であった。

 一向に吹き止まぬつむじ風に防戦を強いられた"アドラメレク"の馬面が忌々しそうに歪む。

「しつこい方々ですね、アナタたち……!」

「我々を窮鼠へ転じさせたのは、貴様らだ。化け物ども」

「弱者は弱者のまま、強者の糧となって置けばいいものを」

「我々と貴様の間にはどうやら深刻な見解の相違があるようだな。貴様はニンゲンという生き物をまるで理解していない」

 反撃とばかりに振るわれかけた"アドラメレク"の腕が、投げ槍を思わせる無数の光線によって蜂の巣にされた。

 "ラリョウオウ"が異能の光線を放ったのだ。恐らくはカンバリ様の八百万針と同質の攻撃であると思われるが、その威力は桁違いに大きい。

「ジャベリンレイン……、味な真似を! だが、この程度で私を止められるとでも思いましたか――!」

 "アドラメレク"の身体が一瞬、雷で撃たれたように硬直したが、それも一瞬のことに過ぎなかった。

 彼は馬面の大口を開けて奇声をあげると、人間ではあり得ない色の血が吹き出る腕をそのまま棍棒のごとく振り回す。

 元より体格の良い馬を思わせる巨体である。魔王"オーカス"ほどに絶望的な威力とはならないだろうが、その質量は運動エネルギー次第で十分すぎる凶器となり得た。が、

 

Suppressing(制圧射撃)!!」

「――イエッサー」

 馬面が波打ち、多量の鉛玉がその表皮にめり込んだ。

 気づけば、"ラリョウオウ"の片手に調査隊標準装備のマシンガンが握られている。銃声が轟き、さらに多くの鉛玉が"アドラメレク"の顔面にめり込んだ。

 大したダメージではない。しかし、それによって稼がれた時間は千金に値した。

 

「……弱ぇ弱ぇニンゲン様の9mmパラベラム弾だぜ。まあ、てめえの分厚い面の皮にゃ届かねえ(・・・・)のは分かってる。だから、俺たちは上手く使う!」

 再びジャベリンレインなる光線が"アドラメレク"の両足を床に縫い付けた。

 化粧まみれの眼が見開かれ、"ラリョウオウ"へと殺意が向けられる。孔雀の羽が揺らめいて、辺りの温度を急激に上昇させた。

 大技を撃つ腹積りなのかもしれない。しかし、黒ずくめの"悪魔"がそれに先んじて動いていた。

 制圧射撃とは足止めを示す。何のための足止めか? その答えは明白であった。

 ガラス色の瞳が驚きに白く染まる。

 

「ハ――?」

 馬面の鼻先に、異能の力が籠った石が放り投げられていた。

「ニンゲンは進化の過程でまず道具を使うことを覚えたのだ。……マイナーチェンジができる対応能力を甘く見てくれるなよ」

 直後、馬面が氷塊に包み込まれる。あれは、氷の異能が込められた石であったのだ。

 首から上をオブジェに変えられた"アドラメレク"はよろめき、氷塊越しに黒ずくめの飛びあがる様を見上げた。

 馬面の脳天目掛け、長剣が大上段に振りかぶられる。

「ジャッッ!!」

 そして全身のバネを用いた唐竹割が、"アドラメレク"を真っ二つに断ち斬った。

「――、――」

 時間にして、30秒とかからぬ高速域の攻防であった。

 

 両断された堕天使の身体が力なくその場に崩れ落ちていく。唐竹割の衝撃で氷塊が砕け散ったせいか、瞳から命が失われていく様子が遠目からでも良く分かる――、いや、何か変だ。

 ガラス色の瞳に亀裂が走ったかと思えば、徐々にその巨体が孔雀の羽根へと変わっていってしまうのだ。

 羽根が吹き上がるたびに肉塊が消え、肉塊が消え……、最後に残ったものは何の変哲もない一欠けらの石ころのみであった。

 懐剣を鞘に収めた黒ずくめが、忌々しげに息を吐く。

 

「……本体ではなかったか。相も変わらず、慎重な奴だ。いや、ここはエースの奴に持たせていたC4爆薬を節約できたと喜ぶべきか――」

「本体ではなかったって……」

 小生の呟きに黒ずくめがこちらへと振り返る。

 

「ヤマダ隊員」

 まるで心臓を鷲掴みにされているかのような心地がした。帽子の隙間から見える"悪魔"の顔には見知ったリーダーの面影がある。けれども、

「これからエースに通信を送り、当方との合流をまずは図る。そして我々の"箱庭"に帰ろう。これからのことを協議しよう。一つ、妙案を得たんだ。人類を次代へ導くための――」

 彼の言っている"妙案"について、何故か小生には手放しで賛同できない奇妙な確信があったのだった。

 

 混濁した意識が浮上して、目に見える世界が色づいた。

 呆と眼球を動かして、まず抱いた感覚は違和である。これは人為的に見せられた夢なのだという確信があった。

 その証拠というわけではないが、何やら目に見える景色の時系列がおかしい。

 まずトラちゃんさんを讃えているのであろうピラミッドの大きさがざっと見るだけでも10倍以上に拡張されており、その天頂部からは柔らかな色の光柱が立ち上っていた。ピラミッドを囲んでいるはずの牧歌的な村の景色や偽りの心象風景は何処にも見当たらず、青や緑の光を発する紋様が描かれた石造りの宗教都市が高台から見渡す限りに拡がっている。

 確か、先程変わり果てたリーダーたちとともに"箱庭"へと帰還を果たした小生は、レミエルさんに誘われるままに小屋で小休止をとったはずだ。その際、レミエルさんが小生に対して何か術を施しているように見えたのだが、今思えばあれは小生に夢を見せるための仕掛けだったのだろう。

 ……でも、一体何のために?

 突然の明晰夢に戸惑う小生に対していつの間にやら傍にいたトラちゃんさんが嘆くように言った。

「……ハルパスの奴も負けちゃったみたいね」

 彼女に対して小生は二重の意味で驚いた。まずは言葉の意味するところに対して。彼女の視線の先にはミトラスの居城をも思わせる石造りの高層建築がそびえ立っていた。その至る所から争いの痕跡がゆらゆらと立ち昇っている。

 次に彼女の見てくれに対してだ。10代前半の少女の姿をしていたはずの彼女の容姿は、5歳も10歳も歳を取ったように見えた。

 だが、小生の口から疑問がついて出てくることはない。苦笑いを漏らしながら、トラちゃんさんに柔らかく返す。

 

「ハルパスさんもエースも歯ごたえのある相手に望むところだなんて笑っていましたけどね。結局は彼らの"選択"ですよ」

 小生の言葉にトラちゃんさんの瞳が濡れ、「でも……」と縋るように続けてきた。

「ねえ、逃げちゃいましょうよ! また適当に創った小さな"箱庭"に隠れて畑を耕しながら暮らせばいいのよ。だって、相手が悪すぎるわ」

「うーん、そうしたいのは山々なんですが、ここのエネルギーを奪うだけで"彼ら"が満足するとは思えないんですよね。それ絶対に後で見つかるパターンだと思います」

「じゃあ……、全部あげちゃえばいいじゃない!」

「そうするとトラちゃんさんが消えちゃう流れじゃあないですか。トラちゃんさんだけでなく、他の皆も……。トラちゃんさんが今ここに在ることができるのも、宇宙卵のエネルギーを有しているからなんですから」

 皆が"消える"……? 小生は一体何を言っているのだろうか。一体自分は何を知ったのだろうか。

「でもヤマダは消えないのよ。ニンゲンもみんな……! それに、ほら! アタシたちだって何時かは復活できるかもしれないし」

 青く透き通った長い髪をしゅんとさせ、肩を落としながら彼女が言う。だが、小生はあくまでも頑なを徹す腹積もりのようであった。

「いやあ、それは無いでしょう」

 小生は宗教都市を見下ろしながら、静かに続ける。

「"彼ら"の地球に次は無いです。断言しても良い。この宇宙が消滅するまでエネルギーを使い切って、それでお仕舞いです。エネルギーが無ければ復活なんてできませんよ」

「でも……」

「それに、トラちゃんさんにとっての小生は第一村人なんですからね。1人で舞台を降りちゃうのは無しでしょう?」

「ヤマダぁ……」

 泣きじゃくるトラちゃんさんに微笑みを返したところで、不意に背後から降り注ぐ光の厚みが増した。

「――ゼレーニン中尉も頑張っている。けれども……」

「――その懸念は当たっていますよ、ヤマダ。彼女の聖柱化を以ってしても、この世界の切り離しは不可能です。たった今、通路をつなげられてしまいました」

 小生の独り言を遮ったのは、全身がメカメカしさに満ち溢れた金髪の天使であった。彼? の姿には見覚えがある。確かルイ・サイファーなる少女が見せた幻覚の中でもその姿を見せていたはずだ。

 一見すると神々しくも威圧的な容貌だというのにチキンハートなはずの小生は気安い口調で話しかける。

「マジですか。エ――」

「……コホン」

「メタトロンさん」

「それで宜しい、人の子よ。今は緊急事態なのですから」

 えらく人間らしいやり取りに戸惑ってしまうが、小生と彼? というかメカ? の間には何やら親密な関係性があるようだ。それでいて、何処か緊迫した様子で目配せをしあう。

 そこに続いて現れたのは、6本腕の牛頭の悪魔であった。

 

「小僧。酒神と、大天使、それに厠の小娘の守る拠点が落とされたようじゃ。この分では"悪魔人間"どもの張っていた突撃破砕線とやらも危ういのう。この"方舟"まで敵が攻め寄せてくることは必定と言って良いじゃろう」

 彼の姿は見慣れぬものであったが、その口調は"小生"にも聞き慣れたものであった。

「皆さんは無事に逃げられたのでしょうか?」

「さてなあ、"ウン"のあるなしは日頃の行いによるじゃろ」

 言って愉快げに腹を揺らす牛頭の悪魔。ニヤリと口角を持ち上げたまま、彼は続けた。

「まあ、小僧がこの地に迷い込んでからの腐れ縁じゃ。最後まで付き合ってやるわい」

「ありがとうございます、それでは――」

 召喚、"ウカノミタマ"。

 その言葉を合図に小生の身体に変化が訪れた。まるで燃えるように全身が揺らめき、大きな尻尾が腰に生じる。

 男の尻尾なんて誰得なんだよ……、とセルフツッコミを入れている間に、小生の顔に狐面らしきものが貼りつく。そして、全身から溢れんばかりに力が湧き上がってきた。

 第一陣として、ピラミッドの天頂部へと至る祭壇にまでやってきたのは、黒いデモニカスーツを着込んだ武装集団だ。

 隊長らしき人間が険しい表情で小生に問いかける。

「……先だってぶりですね、ミスター。さてさて、狂信者にビジネスのお話が通じるとも思えませんが、"特級霊的資源"を引き渡すおつもりは?」

「申し訳ありませんが、ご縁がなかったということで――」

 そいう小生が言い終わらぬ内に、人間の兵器、配下の悪魔の異能による猛攻が小生ら目掛けて降り注いできた。どうやら、端から今の会話は時間稼ぎにすぎなかったようだ。

 敵の一斉攻撃を一身に引き受けたのは牛頭の悪魔であった。彼の背後に隠れながら、小生は右手を掲げる。右手からほとばしる光が、仲魔たちの力を何倍にも引き上げているようであった。

「メディアラハン」

 続いてトラちゃんさんが回復の異能によって、仲魔たちの怪我を完全に癒し、

「理性を失った人の子らよ、悔い改めよ。メギドラオン――」

 メカ天使の引き起こす、まるで大量破壊兵器が目の前で起動したかのような爆風が武装集団を軒並み消し飛ばし、

「ちょっ、わしが雑魚掃除とはなあ」

 6本腕の暴虐が辛うじて生き残った面々に絶望を植え付けていく。

 完全なるワンサイドゲームであった。

 

 第一陣が粗方片付いたところでやってきたのは、別口の武装集団であった。彼ら彼女らの着込んでいるそれも恐らくはデモニカスーツなのだろうが、昆虫の複眼を思わせるバイザーや何の役に立つのか分からない触覚、陣羽織にも似た白色のスーツに特色がある。

 何だろう。いつぞやに襲いかかってきた黒いデモニカスーツの女性もそうだったが、デザインの違い以上に別系統の技術を感じさせる。もしかすると発展型や改良型ではなく、独自開発されたものなのかもしれない。

 武装集団は先客の死屍累々たる有様に警戒心を強めながらも、あくまで武器は構えずに交渉を行おうとする素振りを見せてきた。

「……ソーリー申し上げる。ヤマダ君。貴殿の取ろうとしているプロセスは、人類の延命は成し得ても、その将来を奪うセオリーだ。手を引くことは叶わないのかね」

 何だこのルー語。とのツッコミは、残念ながら小生の口からは放たれてくれなかった。口ぶりから察するに、知り合いではあるのだろう。

 小生は飄々とした風を装って答える。

「うーん、確かにその危険性はあるんですが……。ニンゲン次第だと思うんです、それ。途中でこのままじゃまずいと気づければ、あるいは」

「――セルフで欠片もビリーブできていないことを言うものではないよ」

 男性はため息をついて、腰に提げていた筒状の金属を握り締める。

「貴殿の優先順位は既に人の身からリーブしてしまったようだね。人を語る時のそれが人としての立場ではない。……全隊サモンデビル、総員抜刀。日本国自衛隊特設特務機関"ヤタガラス"、推して参る」

 第二陣は一陣よりも明らかに悪魔との共闘に慣れた手練れだけで構成されていた。だんびら刀を振り回す赤い面を被った悪魔と、光の刃を伸ばした人間の兵がとんぼの構えで牛頭へと斬りかかる。小さなトカゲたちが一斉に異能のブレスを小生らに吹きかける。どうやら、敵に不調を強いることで有利に戦いを運ぼうとする戦闘スタイルを得意としているようだ。敵を状態異常に陥れる戦術の強さは、魔人デイビッドとの戦いで痛いほど良く分かっている。多分、型にはまれば彼らは強力極まりないのだろう。けれども――、

 

「メシアライザー」

 厳然たる相性差の前に、彼らの戦術は無意味と化した。

 小生がまるでお祓いでもするかのように手に持った稲をゆっくり振ると、その途端に仲魔の怪我と不調が回復していく。

「ラスタキャンディ」

「ラスタキャンディ」

 続いてトラちゃんさんとメカ天使が仲魔たちの身体能力を異能によって強化し、その恩恵を受けた牛頭が敷石を踏み砕き、高らかに咆哮した。

「我が名はシュウ。戦の魔王!! ニンゲンどもよ、我が暴虐の前にひれ伏すが良いっ!!」

 結果は特記するほどのこともないだろう――。完勝。小生らは"ヤタガラス"とやらをたやすく蹴散らしてしまった。

 それから、悪魔の一団、天使の一団が何故か人々に混ざって攻めかかってきたが、これも難なく撃退する。

 

 ……何だこれ、夢特有の万能感? でも明らかにレミエルさんが見せているであろう幻覚だしなあ……。

 最後に現れたのは……、正直予想できていたことであったがタダノ君であった。タダノ君は小生らの周囲に広がる惨状を見て、ぐうと悔しげに唸る。

 

「やっぱこうなるのかよ……」

「すいません」

「謝らんでいい。それよりヤマダ、お前たちだけで"何とか"できると思ってるのか……?」

 小生は大人びたトラちゃんさんをちらりと見て、苦笑しながら答えた。

「無理筋だとは思うんですけど、この期に及んで移籍なんてできませんって」

 

「ああ。そうだな。それがお前だった。お前、一つのチームにこだわるタイプだったもんな。ぶっちゃけ俺がプロ入りしなくたって……」

「――ストップです。だから、時間ないんですって」

「そか。ほんと残念だが」

 俯いたタダノ君がヘルメット越しに頭を掻く。

 ハンドヘルドコンピュータがタップされ、召喚された悪魔は3体。いつぞやに見せられた顔ぶれだ。ああ、そうか。これは――。

 

「――お前のやり方だと、シュバルツバース現象を止めたところでいずれ"こっちの"地球は滅びちまうよ。そういうの"ネグレクト"って言うらしいぜ、最近は」

「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。だから裏切れないんですって、性分だから」

「だから! 笑えないんだよ、友だちにそういう目されたままそんなことされるのはよ!!」

 

 目を開けると、そこは知っている便所であった。便座や床の磨き具合に、この執拗なまでのあくなき消臭への追究。ここはカンバリ様の聖堂と化した"箱庭"広場の便所である。

 

「え? え? 何で?」

 まるで意味が分からない……。目の前の現実にプロセスがついていっていない感がある。ほわっとはっぷん……?

 混乱する頭の中で、自分の行動ログを整理する。

 1、"箱庭"への帰還。

 2、個人スペースへの帰宅。

 3、レミエルさんの力で奇妙な夢を見させられる。

 4、気づけば、便所。

 待って。夢のことについて考えなければいけないのに。3と4を繋ぐミッシングリンクは一体何なの……?

 

「私がここに運んだのですよ、ヤマダ」

「うおっ!?」

 急に耳元でレミエルさんの声が聞こえたものだから、驚きで後頭部を壁にぶつけてしまった。いてぇ……。

 七色の光が収束し、便所内に少女の姿を形作る。彼女の登場はいつだって突然だ。故に理解する。いや、納得はできないけど。

「……んで何で小生、トイレに座っていたんです?」

「時間を稼ぐためです。ここに匿うにも人の目がありますから、花子の力も借りましたが」

「時間、ですか?」

 レミエルさんは頷き、続ける。

「先ほどあなたに見せたヴィジョンは限りなく確度の高い"予測"です。"預言"と言い換えてもよろしい。私にできることは主に与えられた権能で未来を"預言"することのみで、その詳細を知る術はありませんが、あのルイ・サイファーのことを考えると、この"預言"が貴方にとっても……、我々にとっても、あまり喜ばしい結果になっているとも思えないのです。故に、選択肢を増やしました。現代文化風に翻訳するならば、『強制イベントを回避した』わけですね」

 そう彼女が言い終わるのとほぼ同時に、小生を呼ぶ声が何処かよりこちらへと近づいてきた。

 

「ヤマダさーん、ヤマダ村長ー。あれぇー、ほんと何処行ったんだあの人……。もうすぐ"元リーダー"たちも交えた"箱庭"住民会議が始まるっていうのに」

「リーダー! ヤマダリーダー! やっばいなあ。こんなカンタンなニンゲン探しもできないなんて思われちゃ、オイラのイゲンがくずれちゃうよぅ。あ、パイセンどうもっス」

 声の主は先日より"箱庭"入りを果たしていたニューカマーたちだった。

 一人は療養先を求めてやってきた元"レッドスプライト"クルーであり、一体はそれについてきた小さな地霊なる存在だったと記憶している。

 てか、村長ってなんだよ。リーダーも引き受けた覚えはないぞ! パイセンについても全く分からん。いったい誰に挨拶しているんだろう……。

 色々と声をあげたい衝動に駆られたが、ここは涙を呑んで口もつぐむ。

 あの明晰夢を避けるために隠れているのだと言われれば、息を潜める他に道はないだろう。

 近づいては遠のいていく呼び声に、

「……行きましたかね?」

「そうですね、彼らは」

 ほっと安堵した瞬間、コンコンと。

 無慈悲なドアのノック音が小生の耳に届けられたものだからたまらない。

 

「あ、ぅぇ――?」

 息は殺していたと思うのだが、新参の探知にひっかかったんだろうか? いや、まったく気配は感じ取れなかった。つまり、外の存在は端から扉の前に待機していたのである。

 背筋が凍りつく。成る程、先程の挨拶にあったパイセンとは扉の向こう側に立っていた存在だったのであろう。今の小生の顔つきは、さながら処刑台の前に立たされた罪人のようになっていることだろう。油断していた。この便所が安全地帯であると、勘違いしてしまっていたのだ。

 コンコン。ノック音が再び響く。

 

「入っていますか?」

 覚悟していたその呼びかけは、花子さんによるものだった。小生はへなへなと脱力して壁に背中を持たれかけさせる。

 彼女は味方だと先ほど聞いたばかりだ。

 故に小生は気を抜いて答える。

「入ってますよ、花子さん」

「あっ、起きましたか」

 扉の向こう側から無邪気で明るい声が上がった。

 

「じゃあ、入りますね」

「でも、待って。その理屈はおかしい」

 こちらが制止する声も聞かずに、彼女はトイレの上方に存在するドアの隙間によじ登り始めた。

 んしょんしょ、と小さな指が覗き、次に赤い和服、足袋をはいた白く細い足が見える。

 ぷらぷらと揺れるぽっくり下駄が可愛らしい花柄で彩られているのは、間違いなく保護者(レミエルさん)の趣味だろう。

 程なくして便座の前へと降り立った花子さんは、心持ち自慢げにこちらを見上げてきた。

 

「かくれんぼは得意ですから。花子はお兄さんをしっかり隠し通せましたよ?」

「よくぞやってくれました。花子よ。後で手をしっかり洗ってから甘いものをあげましょう」

「やた!」

 レミエルさんと交わしたそのやり取りは大層可愛らしく、かつて"ミトラス"宮殿で独り泣いていた姿と比べ「元気になったなあ」と心穏やかにするものがあった。ただ、

「あの、トイレの外でやりませんか。そういうの……」

 正直、便所に3人というのは窮屈でたまらなかった。

 

 さて、至極素直に考えてみれば、レミエルさんが"強制イベント"と称するものにはおおよその察しがつく。

 人外と化したリーダーたちが先刻に語っていた妙案とやらを発表する会議が、恐らくはそれにあたるのであろう。

 小生が、そう推測を述べるとレミエルさんは大きくうなづき、花子さんの頭を撫でた。

「貴方にとって不都合な未来を変えるためにも、今は情報が必要な段階でしょう。人目を忍び、まずは観測班のフランケンシュタインを訪ねなさい。人の子らの"悪魔化"に立ち会いながらも人の身に留まった彼ならば、仲間たちの思惑について何か交渉できることがあるはずです。会議は取るべき道が定まってから向かっても遅くはありませんよ」

「やはり、リーダーたちは悪魔になってしまったのですね……」

「はい。しかし、そのことについては後ほど」

 彼女の助言に成る程と納得するが、それと同時に懸念も生まれる。

「問題があります。彼の居所が"箱庭"内の研究プラントだとしても、狭い村の中を隠れながら移動するというのは正直無理筋なんじゃないかと思うのですが、見つかってはやはりまずいのでしょうか?」

 こちらの問いかけに、レミエルさんは感情の読み取れぬ表情のままに一瞬目を落として思考するかのようなそぶりを見せる。

 やがて帰ってきた答えは、当然隠密行動を取るべきと言ったものであった。

 

「恐らく彼らは"悪魔化"による万能感も手伝って、自らが正義と思っていることを早く実行したいと躍起になっていることでしょう。私も人間としての理性を信じたくはあるのですが、"悪魔化"による精神の変容は、はっきり言って警戒に足るほど信用のならないものなのです。味方として同じ方向性を向いているならば問題ないにしても、意見が対立した場合に取り得る行動が未知数でして。彼らの"たが"がどの程度外れているのか分からない現状、やはり接触を避けて情報の収集に務めるべきでしょうね」

「そうですか……」

 リーダーたちの評価に少し気落ちしながらも対策を練る。現状小生が最も必要としているのは、やはり住人の目をごまかしてくれる協力者の手であろう。

「レミエルさんは協力してくださるのですか? それにトラちゃんさんの協力を仰ぎたいところですが……」

「私の助力を必要とするのならば、喜んで諸手を差し伸べましょう。しかし、あの平たい胸神族ならば、宴会で忙しいはずです」

「ちょっとどういうことなの」

 一体何を名目にした宴会なのだろうか。と、そこにドップラー効果を伴ったトラちゃんさんの泣き声が遠方より聞こえてくる。

 

「返しなさいよぉぉ!! アタシが大事に育ててた焼きトウモロコシ返しなさいよぉぉぉぇぇぉぇぇおぇおぇおぇ!!!」

 後半は最早言葉になっていない嗚咽であった。彼女から堂々と貢物をかっさらえる存在はそう多くはないが、とりあえずこの"箱庭"内の何処かで焼きトウモロコシをセルフでベイクドするようなどんちゃん騒ぎが行われていることだけは良く分かった。何やってんだ。

 小生がげんなりしたところに、ちょいちょいとデモニカスーツの袖が引かれる。花子さんの小さな手によるものだった。

 

「お兄さん。花子も缶蹴り遊びなら得意ですから手伝えますよ?」

 その提案にレミエルさんが手を叩く。

「ああ、確かに。それが間違いないでしょう。私が周囲を出歩く人の子らを誘導し、花子に周辺の警戒を任せるのです。幸い、彼女には連絡手段も渡してありますから。では、花子。頼みましたよ」

「任せてください!」

「逐一連絡は送るのですよ。怪しいものをみつけたら、まずは距離をとって大声をあげるのです」

「分かりました!」

 その後もいくつかの細かい確認をして、レミエルさんは便所の扉を開けて外へと出ていった。

 

「レミエルさん大丈夫ですかねえ」

「天使のおねいさんなら大丈夫ですよ」

 花子さんの信頼に応えるようにして、直に「そこの人の子よ。あなたの顔に迷いが見受けられますね」と穏やかな声が聞こえてきた。どうやら真面目に誘導をしてくれているのは確かのようだ。でも、

「えっ。俺が片思い中だってなんで判ったんですか!? もしかして……、愛とか!?」

「はい? いえ、はい。そうですね。愛のなせる技であることに違いはないでしょう」

「だが、俺には心に決めたカノジョが……。まあ、いっか。ど、何処か景色の良いところでゆっくり話しましょう!」

「はぁ。景色の良いところで、それは望むべきところですが」

 というやりとりに深刻な誤解が生じているように思えるのは果たして気のせいなのだろうか……? というか、あの人"レッドスプライト"の機動班だよね。暇なのかな……。

「あの人、花子にもすごい優しいですよ」

「え、大丈夫なのそれ。防犯ブザーしっかり持ってる?」

「それはそうと今の内ですよ、お兄さん」

「待って。これ結構大事な話だと思うんだけど……。アー、ハイ」

 思わず真顔になってしまった小生は、促されるがままに便所を出る。便所の上ではカンバリ様が偽りの太陽に大足を晒して日向ぼっこに興じていた。

 

「……小僧、出かけるのか? 長い用足しじゃったな」

「え、あ。はい、お世話になりました。お世話になったんですよね?」

「何をこそこそとしているのかは良く分からんが、匿ったという意味ではそうじゃなあ」

「そうでしたか。ありがとうございます。いや、小生にも良くわかってはいないんですけれども」

 頭を掻いてそういうと、カンバリ様は大きな指を揺らしながら、こちらへと寝返りを打った。

 

「いっトイレ」

「はい、行ってきます」

 えらく直球な厠ジョークに頬を緩ませ、小生は便所を後にした。

「それでフランケン班長のプラントまではどのように向かうんですか? なんだかんだ言っても小さな村の端から端までの距離くらいはありますよね」

 道すがらに小生は問う。

 掘っ立て小屋の立ち並ぶ生活区画は障害物も多く、隠れながら進むのに適しているが、フランケン班長の行動圏は中央広場から田畑の近辺に限定されており、どう経由しても人目につくことを避けられそうにはなかった。

 ある程度はレミエルさんが皆を遠ざけてくれるのだろうが、そのある程度から漏れてしまう人々をどう対処するか。

 小生のこの疑問に花子さんは心持ち鼻を高くして、ドヤ顔で答える。

 

「お任せあーれ。ええと、ちょっと待ってくださいね」

 そういって、花子さんがごそごそと取り出したのはタッチペン式のゲーム機だった。小生もパワフルな野球ゲーム専用機として自宅に保管しているので見間違えるはずもない。でもなんでこのタイミングでゲーム機……?

 

「これはケータイというらしいです」

「ああ、うん。ケータイ(ゲーム機)ですよね」

「未来のナウな道具です。これで花子は天使のおねいさんと連絡が取れるのですよ」

「え、マジで。それゲーム機じゃないんですか?」

 こちらの驚きように花子さんのドヤ顔はさらに深まった。

「そう、このケータイはげいむもできるのです。らてん語のお習字や聖歌当て遊びに聖書クイズが楽しめる優れものなのです」

「うーん」

 小生の業界でそれは宗教教育と呼ぶのだが、いずれにせよあのケータイゲーム機は小生の知るそれとは些かスペックが違っているようだ。いや、元からそういう機能あったのかな? わざわざ野球ゲーム専用機で友だちに連絡したりすることなんてなかったから、細かいスペックなんて全く理解してないぞ……。もしかしたら、ソフトウェアだけでも何とかなるのかしらん? あのゲーム機のメーカーさん、改造とかにすごい厳しそうだし……。

 色々と釈然としないところはあったのだが、小生は喉まで出かかった疑問を全ての見込み、花子さんに続きを促した。

「とにかく、そのケータイ(ゲーム機)でどうにかするわけですね」

「ちょっと待っててくださいね」

 花子さんは折り畳まれていたゲーム機を広げるとタッチペンで高速文字入力をし始めた。その鮮やかなる手つきたるや、花子さんも悪魔とはいえ子どもなのだなあと思わせるワザマエであった。子どもって何で新しいデバイスにすぐ順応してしまうんだろう。親戚のアツロウ君なんかも凄かったし。

 ひょいと画面を覗き込むと、成る程どうやら彼女はメールアプリを起動しているようであった。

 宛先は『R L』……。ああ、うん。レミエルさんか。

 文面の方は何処となく彼女たちが普段どう接しているのかが透けて見えるやりとりが交わされている。

『こんにちは。花子です。どうすればいいですか?』

『ごきげんよう。私の感知する周辺の人々を地図に記す形でお送りしましょう顔文字。くれぐれも寄り道をしてはいけませんよ顔文字』

『分かりました。頑張ります顔文字』

『顔文字』

 いや、初めから地図アプリをくれよと思わないでもなかったが、多分レミエルさんにしてみると顔文字の打てるメールで彼女とコミュニケーションを取りたかったんだろう。そう一見して判断できるほどの顔文字具合であった。

 

 こうして、顔文字の打てるメールアプリと地図アプリのおかげで、小生と花子さんは誰と出会うこともなくフランケン班長の研究プラントへと無事に辿り着く。

 まず、目につくのがマンドラゴラさんの植わっている菜園。その横には外部から収集してきた各種ガラクタがうずたかく積み上げられている。プラント奥に鎮座する彼のラボは綺麗な円筒の形状をしていて、壁材に"ボーティーズ"から持ち込んだであろう建築資材を流用しまくっているせいか、血管みたいな管が網目状に浮き上がっていた。おい。あれ、本当に無害な建物なんだよな……? まるで別世界のようなおどろおどろしさだぞ。

 

 その入り口にはエプロンドレスを着込み、箒を手に持った不可思議な生命体。いや、こうした物言いは"彼女"に失礼なのかもしれないが、不可思議と評するのには一応理由があるのだ。何故なら、このシュバルツバースにメイドの美少女が存在すること自体が明らかにおかしい。

 片目を隠した不均等なボブカットから覗く、憂いを帯びた瞳は透き通っている。箒を動かし、移動するたびにカチャカチャと音の鳴る片脚はもしかすると義足なのかもしれない。

 小生らが来訪に気がついた彼女は、長い睫毛をぱちくりとさせて、こちらに向かってピンク色に色づいた唇をぽかりと開けた。な、何を言われるのだろうか。よもや、秋葉原的な挨拶が投げかけられてしまうのであろうか?

 ごくりと生唾を飲み込みながら、彼女の言葉を待つ。

 

「うぉ、うぉ、うぉまえは、きゃ、客人カァ?」

 千年の恋も冷める瞬間であった。

 よくよく考えてみれば、あのフランケン班長のラボ前にまともな美少女メイドがいるはずもない。

 

「は、はい。班長に用事なん……、ですが」

 言葉が途中で詰まってしまう。明らかに堅気でない口調の美少女が、怪訝そうにこちらを睨みあげていたからだ。

「うぉうぉうぉまえ、うぉうぉれを見ているなぁぁ?」

「え、え? それは今こうやって話しているわけですから……」

 そう答えた瞬間、美少女メイドが発狂したかのように顔をかきむしって叫んだ。

「うぉれを見るんじゃねぇェ! うぉれのことをカワいいヤツだとか思ってやがるんだろぉぉ! やめろぉぉぉ!」

「ぶえぇ……」

 何言ってんだ、この美少女メイド。

 その後、「温かい目はくり抜かなきゃきゃきゃきゃ」といきなり襲いかかってきたところで、「天罰☆てきめん!」と花子さんの超電撃が情け容赦なく炸裂した。白目を剥いて口から煙を吐く美少女を後目に、小生らはため息混じりにラボの入り口をくぐる。こんなメイドを侍らせているマッドサイエンティストに今後の相談をしなければいけない状況に一抹の不安を抱きながら。

 

 

「あ、起きたのですね。多分、二日ぶりかなあ。おはようございます」

 ラボ内は巨大なガラス管や何に使うのかよく分からない機材が所かしこに配置されており、その中でうちのマッドサイエンティスト――、フランケン班長は何やら端末に情報を入力しているようであった。

 パイプ椅子をぎしりと鳴らし、班長がこちらへと振り返る。

 

「おはようございます。ええと、班長。色々と聞きたいことがあるのですが……」

 入口でのインパクトが強すぎて、聞きたいことが全部吹っ飛んでしまったんだよなあ……。小生、何聞こうとしてたんだっけ……? ちらちらと入口を見ながら小生が言うと、

 

「ん、何です? 出入り口のメイドのことなら、あれは"イッポンダタラ"ですよ。中身。昨日造ってみました」

おもむろに返ってきたマッドサイエンティストの一言は、ちょっと小生の理解の範疇を超えるものであった。

「……あー。"イッポンダタラ"って、外部セクターにうろついている、あの"イッポンダタラ"のことでしょうか? を造る? へ? へ?」

 小生は眉間を指で強く摘みながら、念押しとばかりに問い詰める。

 こちらの質問を受けて、マッドサイエンティストはパイプ椅子に座りながら嬉しそうに頷いた。

「ええ、そうですよ。人間の"悪魔化"には成功しましたから、悪魔の"人間化"実験も続いて行ってみたんです。大した難易度ではないと高をくくっていたんですが、ちょっと不安定なんですよね」

「……待って。待ってください。色々と突っ込みたいことが沢山ありすぎて、頭が追い付かない。って、やっぱりリーダーたちの"アレ"は班長の仕業だったんですか!?」

「そうですよ? 随分前から準備していました」

 何でもないという風に彼は答え、そのまま端末を操作する。

 端末に表示されている映像は、我々"箱庭"の住人たちややシュバルツバース調査隊が"ヒールスポット"と呼ぶ代物や、"ターミナル"と呼ぶ代物であった。

 

「こちらを見てください。この二種類の人工物(アーティファクト)は、炭素同位体測定法により10万年以上前の人工物であると確定しています。"ヒールスポット"はご存じだと思いますが、"ターミナル"の機能については聞いていますか?」

 班長がモノリス状の構造物を指さしながら、そう言った。

 確か、"ターミナル"に関しては"レッドスプライト"クルーによる綿密な調査が行われていたはずだ。ただ、"ボーティーズ"にも遺されていたそれらを小生は一度も利用していない。特に必要性を感じなかったからだ。調査隊によってもたらされたその概略を思い起こしながら、小生は答える。

「確か、"移動"に用いるものだと……」

 一体どんな不思議技術によるものなのかは分からないが、レポートを見た限りにおいてこの"ターミナル"は自らの搭乗する母艦へと一瞬で移動することが可能らしい。

 "レッドスプライト"クルーが凄まじい高効率でシュバルツバース探索を続けてこられた秘密も、この"ターミナル"の活用によるところが大きいという。

 班長は小生の答えを聞いて、皮肉げに口の端を持ち上げた。

 

「"移動"というのは語弊がありますよ。これは"転送"って言うんです」

「"転送"、ですか?」

「例えば、"レッドスプライト"号をはじめとする"ライトニング"型次世代揚陸艦には、プラズマ動力のスキップドライブ機能が搭載されておりますよね。これは広義の意味で超光速航法と定義づけられています。超光速航法――、Faster Than Light技術についての理論的研究はどの程度ご存じで?」

 いきなり専門外のことを問われて小生は戸惑う。これとリーダーたちと一体どんな関係があるというのだろうか。

 小生は物怖じしながら否と答える。

 

「SFの範疇はあまり……」

「それはまずいです。ニンゲンが想像できるものの大抵は実現できるものですから。知っておくことに損はありませんよ」

 要領の得ない小生の反応に、班長は残念そうな顔をしながらさらに続ける。

 

「古典的なワープドライブ理論の前段階に、我々の会得したスキップドライブ技術があります。これは単純に空間歪曲などのメカニズムを交えた"移動"と捉えても問題ありません。しかし、"ターミナル"は違う。端末に登録された生体データが、別の端末で再現されているだけなんですから」

「いや、いやいやいや! それって、"転送"の前後で一度小生らの身体がなくなってしまっている、ということですか!?」

 小生はたまらず声を荒げた。彼の理屈に従えば"ターミナル"の利用者は一度物理的に分解され、また"転送"前と同じ生命が遠隔地に再現されているだけということになる。となれば、夜通しで調査活動を続けている"レッドスプライト"クルーのほとんどはもう……。そんなまさか!

 班長は頬杖を突きながら、笑みを深めた。

 

「いいえ。利用者は別に"死んで"いません。肉体の核になる魂はデータベースに戻っていますから、肉体だけを廃棄、復元しているに過ぎないんです」

 班長の説明がいきなりオカルトへと飛躍した。

 とはいえ、魂ならば理解できる。小生だって死亡した時には"アケロンの河"にいる老人のところまで飛ばされていたわけで、人間が死ねば魂が何処かへ飛んでいくという事実は実体験として知るところであった。ただ、データベースというのが良く分からない。

 小生の疑問を察したのか、班長が頬を押える手の指をわきわきと開きながら言った。

 

「ヤマダさんの言っていた、"地球の記録"……。あれのことですよ。貴方の言葉が発想のブレイクスルーに繋がりました。想像さえできれば、近似した理論を見つけ出すことはさほど難しいことじゃありません。鍵はプラヴァツキー夫人の提唱した"アカシャ年代記"です」

「アカシャ……、オカルトですか?」

 班長が我が意を得たとばかりに大きく頷いた。

 

「"ターミナル"は現段階における我々の生体情報を一時保存し、"地球の記録"にアクセスして遠隔地へと"転送"できるデバイスなんです。"地球の記録"は過去から未来全てにまで及び、時間というものが意味を為しません。ですから、見かけ上一瞬で"移動"したように見えるわけです」

 班長は確信を持った眼でそう断言する。何だか分からないが、ものすごい自信だ。

 ただ、やっぱりリーダーたちとどうつながるのか、全く理解ができなかった。故に問う。

 

「それと……、リーダーたちとどう関係があるんですか?」

「"ターミナル"を利用したんです。"地球の記録"から人間を"悪魔化"する技術を検索するのに」

「は?」

 思ってもみなかった告白に、小生は目を剥いた。

 班長は続ける。

「"箱庭"の、人類側の戦力を拡充するためにも、それが最善と思ったからやったんですが……。今になってみると、これは失策でした。多分、発想が足りないんです。無限の智から、技術を取り出す有限の発想に問題が……」

 そのままぶつぶつと独白を続ける班長。突拍子もないことを言い続けてはいるが、ここまでくれば少しは小生にも理解できる。

 

「リーダーたちは戦力を増強するため、シュバルツバースの技術を用いて人間であることをやめたんですね」

「それは、はい。そうなります」

「元に戻すことはできるんですか?」

「普段の姿だけなら自力で再現することが可能ですよ。悪魔の身体を構成する生体マグネタイトを見かけ上の有機物に変換してあげればいいだけですから。ですが、ヤマダさんの望む形で彼らがニンゲンに戻ることはないと思います。彼ら自身が拒むでしょうから」

「何故です!」

 小生が苛立ちながら詰め寄ると、班長は困ったように表情を歪めた。

 

「単純に認識の問題なんです。ティーカップをティーカップと認識できるのは我々がニンゲンであるからでして。例えば、アフリカゾウにとっては良く分からない小石。ツムギアリにとっては良く分からない障害物。一度、ニンゲンという枠組みから解き放たれてしまった彼らは、ニンゲンであったというアイデンティティは持っていても、ニンゲンという種にメリットを感じていません。どうしても、我々と思考にギャップが生まれてしまうんです」

「リーダーたちはもう……、人間に戻るつもりはないってことですか?」

「はい」

 ですから、と彼は深く頭を下げる。

 

「ヤマダさんにお願いなんですが、ニンゲンの立場から彼らの舵取りをお願いできませんか? 彼らの目的は我々人類をシュバルツバースの脅威から救うことですが、その方法論や発想の段階で、我々とは相入れないものを取り入れてしまう可能性があります。勿論、僕もエースも全力で補佐します。ただ、彼らが素直に耳を傾けてくれる"箱庭"のメシアは貴方だけだと考えています」

 ずんと胃に重いものが伸しかかってきたかのような心地がする。

班長の言っていることは単純にして明快だった。

 外堀はもう埋まっている。お前がリーダーをやるしかないぞ、と。

 小生は声にならない呻き声をあげ、ただ天井を見上げた。

 



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シュヴァルツ・バースで世界の拡大

 さて、決して参加などしとうなかった臨時"箱庭"住民会議である。

 

 先だって情報交換を終えたフランケン班長を引き連れ、重い足取りで中央公民館の大会議室へと足を運ぶと、会議のお膳立ては既に整っており、後は小生たちを待つのみとなっていた。当たり前か。当たり前だな……。

 

 席の空きは二つ。内の一席はご丁寧に円卓の上座を空けられている。小生が今までにない機敏な動きで上座ではない方へ向かおうとすると、ニューカマーな住民たちが慌てて立ち上がって鉄壁の防御陣を敷いてきた。当たり前か。当たり前だな……。

 

 

「ヤマダ村長、探したんですよ!? 一体どこにいらしたんですか!!」

 

「すいません。耐え難い腹痛に苛まれまして、トイレに篭っていました」

 

 嘘は言っていない。事実、小生の腹具合は今も大好評につき絶不調だ。仮病が仮病にならないところは小生の個性といえるのかもしれない。また、村長呼ばわりに対して強く言い返せないところも個性である。便利だな個性。小生の性格はめっちゃ不便だけど……。

 そのまま素知らぬ顔を装い上座へ座り、参加者をちらりと見回す。

 

 どうやら原則として仲魔は参加していないようだ。これは当然だろう。同じ住民といっても"悪魔"と人間の関係というのは基本的には契約に縛られているのだ。仲魔の意見にまで参政権を付与してしまうと、契約している"悪魔"の数が多い人間の発言権が強まってしまう。それはつまり軍人による寡頭政治を呼び込む契機となり得、民主主義に染まった小生らの常識に則れば、あまり正常な状態とは言い難い。

 

 今、円卓の外野に集まっているのはいわゆるニンゲンたちのやることに興味深々な見物悪魔たちのみだろう。もしくは契約者と特別な絆を結んでいるか……。くそう、童貞を殺す服装をしていたリリムさんがいつの間にやらエロカワスリムなナース服へと着替えておられる。ドクター爆発すればいいのに……。

 

 しかしながら。と嫉妬の心を一旦鎮め、円卓に座る例外の"3体"を見る。1体はお馴染みバースさんだ。筋骨隆々した身体で無理矢理デモニカスーツを着込んでいる。顔つきに生前の野球好きの面影があるため、一見すると肉体改造に成功した野球好きにしか見えない。

 

 複雑な思いで彼を見ていると、バースさんがこちらの視線に気がついたのかおもむろに口を開いた。

 

 

「ヤマダ、コンナコトヨリヤキュウヤロウゼ」

 

「待って。バースさん、いつから言葉を喋れるようになったの……?」

 

「タダノ隊員が空き時間を使って根気良く教えてたらしいわよ」

 

 とは隣に座るゼレーニン中尉の言葉だった。あー、タダノ君かあ。やりそうだあ……。

 

 呆気にとられる小生とは対照的に、バースさんは元気よく座ったままバッティングのジェスチャーを始めた。

 

「ヤマダ、オレフドウノ44バン。クロマティニマケタラアカン」

 

「ちょっと思い出させる言葉が偏りすぎてない?」

 

「今のはアクアンズと会話する内に発し始めた言葉だそうよ」

「トラちゃんさんが作ったこの新世界、ちょっと虎びいきが酷すぎるんだよなあ……」

 どう考えても彼の言葉は前世の知識というより、ただの仕込みであるようにしか思えない。

 

 ただ、彼の社会復帰に言語能力の回復は必要であるため、ここは素直に喜んでおく。

 

 問題は他の2体だ。リーダーと強面が平然とした表情でそこに並んで座っていた。

 

 アドラメレクとの戦闘時にあったような異形の姿はしておらず、以前の人間だった頃と同様の姿を取っている。ハンドヘルドコンピュータこそ身につけているものの、デモニカスーツは着ていない。恐らく、デモニカスーツの生命維持機能に頼る必要がなくなったからだろう。今はレミエルさんが何処かから調達してきていた法衣を身に纏っていた。

 

 と、リーダーがこちらを強い眼差しで見ながら声を掛けてくる。

 

 

「体調不良は回復したのか? ヤマダ隊員。君が倒れる事態だけはなんとしてでも避けねばならない」

 

「あー、お気遣いありがとうございます、リーダー。特に病気なわけではありませんので、はい」

 

「心因性なら、ドクターのストレスチェックを受けることをすすめる。それと俺はリーダーではない。リーダーは君だ。俺のことは"ハゲネ"と呼んでくれ」

 

 ストレスの一旦はそのリーダー扱いにあるんだけどな! と言いたくもあったが、それよりも気になる言葉があった。

 

 

「"ハゲネ"さん、ですか?」

 

 リーダー改め、ハゲネさんがこちらの言葉に頷いた。

 

「東欧から北欧にかけて伝承として残るエルフ族との混血の戦士だ。俺のルーツはドイツ系のアフリカーナと黒人にあったからな。この身体を引き寄せたのかもしれん」

 

 胸に手を当てそう語る彼の表情は心持ち誇らしげですらあった。以前の不安を抱え込んだ重い表情が遠い過去のものに思えてしまう。

「俺も、"ラリョウオウ"でいいぜ」

 

 と、ここで手をひらひらとさせながら椅子に全体重を預けた強面が口を挟んだ。彼の肩を隣のエースが拳で突つく。

 

「何だよ、オッサン。お袋から貰った名前が気に入らねえのか? ジョンだかトムだかいう……」

 

「バカ、そういうんじゃねえんだよ。俺たちは"変わっちまった"から、今はそういう線引きを大事にしておいた方がいいって思うだけだ。個人的にな」

 

 うるさそうにエースをあしらう様は、人間だった頃とさして変わらない。ただ、彼の発した言葉の中に気になるものがあった。今は藪蛇をつかず、心の片隅に留めておくだけにする。

 

「んじゃまあ。主役もやってきたことだし、臨時の住民会議を始めるとしようや」

 開会の音頭をとったのはヒスパニックだった。静かな拍手が室内に響く中、小生は確認がてらに挙手をする。

「あ、その前にすいません。二点ほど確認を。トラちゃんさんは今どちらに?」

 この問いに答えてくれたのはエースであった。額に指を当てながら、思い出すようにして言葉を発する。

「うちの女神なら、なんか古い知り合いの"女神"が近づいてきてるっていうんで出迎えにいってるぜ。何でも、手に入れた"卵"を自慢するんだとかなんだとか」

 んん? 女神? それに"卵"ってレミエルさんのいう"宇宙卵"のことだろうか? 容易に他所様に見せびらかして大丈夫なものなのかしら……。まあ、何かまずいことがあればここにいないレミエルさんたちが止めるだろう。今は目の前の問題に集中する。小生はエースに礼を言いつつ、言葉を続けた。

 

「ありがとうございます。後、申し訳ないのですが、腹の調子があまり良くはないため、席を外すことがあるかもしれません。どうかご承知置きください」

 皆が是と頷き、お互いに見合わせてハンドヘルドコンピュータを立ち上げる。さあ、ここは一種の正念場だろう。小生は、タスクボードに貼り付けられたリポートとそれに添付された解析映像へと目を走らせた。

 作成者は観測班と資材班。"レッドスプライト"号の知見も一部借りているようだ。

 皆が静かに映像とリポートを読み進める中、作成者の一人であるゼレーニン中尉が情報を補足していく。

 

 

「今回の議題の一つにはこのヤマダさんたちが持ち帰った"宇宙卵"の取り扱いがあると思うのだけれども、まずこの"宇宙卵"の正体についておおよその推測を述べておくわね。これは恐らく、『一定の設計図を内包した宇宙の作成因子』よ」

「宇宙作成……、何だって?」

 エースが眉根を寄せて問い返す。後方人員である小生でも「何かSFっぽい用語だなあ」としか分からないのだから、純戦闘員である彼がすぐさま理解できないのも無理からぬことなのかもしれない。てか、小生の頭の中にも疑問符しか涌かないよ……。何それ、すごいの?

 後、こういう時真っ先に踏み込んできそうなフランケン班長が聞き役に徹していることも不気味ではあった。一体何を考えているんだろう。

 小生が周囲の反応をちらちらと窺う中、中尉は順序だてて発言の内容を噛み砕いていった。

 

「これが何なのかを理解する前に。まず、宇宙がどのようにして生まれたのかについて、皆どの程度知っているのかしら?」

「ビッグバンでできたんだろ。その程度はエレメンタリスクールでも習う内容だ。いつも俺の悪戯を怒鳴りつけてくるババアの教師が教えてくれたな。たまにくれるリコリス菓子は今思えばくそ不味かったが美味かった」

「素敵な先生に教わったのね。ではビッグバンが起きる前の知識は?」

「……んなもん知らねえよ。何もなかったか。何か宇宙の材料があったんじゃねえの?」

 脊髄反射的に答えたエースの言葉を受け、中尉は更に続けた。

 

「そのどちらも可能性として上げられている説ね。では何故138.2億年前にビッグバンが起きたのかしら。その前では駄目だったの? その後では駄目だったの?」

「それを考えるのは学者の仕事だろ。プロフェッショナルってのは分業が大事なんだ」

 ここで専門外の畳み掛けに機嫌を悪化させていくエースの代わりに、ヒスパニックが手を上げた。以前の会話を耳にした限り、彼は各国の宇宙開発事情に詳しかったはずだ。隣接分野である宇宙物理学について聞きかじっていても何ら不思議ではない。

 

「確かその前にも起きていたが、宇宙の形成には至らなかったって話だったな」

「ええ。その通りよ。原因は単純にエネルギーが不足していたためだと言われているわね。"無"に充満する加速膨張した何らかのエネルギーが、膨大な熱量に置き変わった際、私たちの知る宇宙と私たちを構成する元素が生み出されたという訳。だから、その前に生み出されては消えていった小宇宙の中には、私たちの知らない法則で動く宇宙があったのかもしれない……。このシュバルツバースのようにね」

「で、この講義と"卵"にどんな関係があるっていうんだ?」

 エースがディスプレイに表示された"宇宙卵"を指で叩きながらそう言うと、中尉はほっそりとした顎に手を当て、脳内の考えを推敲するように返した。

 

「この"宇宙卵"にはビッグバンを起こすための膨大なエネルギーが圧縮されているのよ。有り体な言い方をすれば、超々高密度のエネルギー体ということになると思う」

「ぞっとしねえな。手元にICBMの発射ボタンが何百発分もあるようなもんじゃねえか……。ん、待てよ?」

 そう悲鳴を上げたエースが、何かを思い出したかのような面持ちでハンドヘルドコンピュータのディスプレイをタッブする。

 程なくして寝起きの声を上げたのは、小生にも聞き覚えのあるポンコツAIの機械音声であった。

 

『ハロー、相棒(バディ)。原子時計を確認した限り、以前のシャットダウンから随分時間が経っているようだが、アクシデントか?』

「馬鹿。お前があまりにもうるせえもんだから、シャットダウンしていたのを忘れていただけだよ。"ダグラス"。んでちょっと聞きたいんだが、以前お前はこのシュバルツバースを破壊するためにはエネルギーの供給源を強力な物理攻撃で破壊する必要があるかもしれないといってたよな?」

『肯定だ、相棒。破壊に必要な火力の算出には別途データ収集のミッションを策定しなければならないだろうが、概ねその理解で構わない』

「んなもん宇宙を作るくらい膨大な熱量があるなら十分すぎるだろ! オレたちはそのエネルギーを手に入れた! 後はそのエネルギーを元凶に向けて、シュバルツバースはめでたく破壊。万々歳のハッピーエンドじゃないのか!?」

 口から泡を飛ばす勢いでまくしたてるエースの言葉に小生らもはっとさせられる。

 確かに"宇宙卵"にビッグバンを起こすほどのエネルギーが圧縮されているのなら、それを用いてこのシュバルツバースを内部から破壊することも夢ではない。だが、それが為された時、トラちゃんさんらの目的はどうなってしまうのだろうか? まさか、彼女との決別の時がやってきたのか? いや、レミエルさんの見せてくれた夢で、小生とトラちゃんさんは最期まで道を同じくしていた。ならば、ここで仲違いのルートを辿るはずは……。

 エースの願望を否定したのは、今まで聞き役に徹していたフランケン班長であった。

 

「エースさん、そのプランは現実的ではないと思います。まず、僕らにはビッグバンを制御するだけの科学技術がありません。良くて自爆か、悪くてシュバルツバースどころか地球ごと消滅してしまうというのが関の山でしょう」

「推敲の価値もないっていうのか?」

「少なくとももっと"現実的なプラン"がある以上、選択肢としては採りづらくはありますね」

 と言って彼は中尉へと目を向ける。どうやら彼女の補足説明には、"現実的なプラン"とやらに繋がるものがあったらしい。エースもそれに気づいたのか、不機嫌そうに頬杖を突きながら彼女の説明を待った。

 急に横槍を入れてきた班長から、これまた急に仕事を振られた中尉は呆れたように肩を竦めて自らの仕事に徹する。

 

「別段難しい話ではないわ。以前、ヤマダさんが提案していたシュバルツバースのテラフォーミング化を推し進めるプランを実行するだけよ。さっき私は"宇宙卵"を『一定の設計図を内包した宇宙の作成因子』と評した。驚くべきことに、このエネルギー体は膨大な容量の情報媒体でもある訳。これと女神様の御力が組み合わさりさえすれば、一つの国がすっぽり収まるくらいの生存領域を確保できる……。成功率もそれなりに期待できるわ。少なくとも破れかぶれで自爆に賭けるよりもずっとね」

「厭味ったらしい物言いはやめろ。オレだって死にたくはねえから、安全策があるならそっちを選ぶさ」

「いえ、意見の交換は大事よ」

「プロフェッショナルは分業こそ大事でございますのよ(・・・・・・・)? オーケー、サー?」

 どうやら完全にエースは不貞腐れてしまったようで、これ以上は口を開かぬ腹積もりのようであった。

 柳眉を歪める中尉がフォローの言葉を入れようとした矢先、リーダー――、いやハゲネさんが彼女の出した現実的なプランに賛意を示す。

 

 

「既に我々"箱庭"のチームは地球人類のシュバルツバース受け入れに向けて、包括的なプランを策定している。余程のことがない限りは、それから逸脱する必要性はないだろう。それよりも防衛戦力の問題だ。広大な生存領域の確保が成ったとして、それに見合った防衛戦力の拡充が必要となるだろう。俺としては――、味方であるニンゲンの肉体強化手段を確立するべきだと考える」

 

 

 あ、これまずいな……。と、ここで小生はハゲネさんに対する警戒度を一段階上げた。

 班長との会話が一瞬の内に思い起こされる。彼らは人類の知性を持ち合わせているが、その方法論や発想の段階で人類にそぐわぬものを取り入れてしまう恐れがあった。

 少なくともニンゲンであった頃のリーダーは、このような紋切り型に自分の主張を通そうとする人ではなかったはずだ。勿論、単に役割から開放されたせいであるかもしれないが、今、このヒトは明確に――、ニンゲンの"悪魔化"を防衛力強化案の一つとして取り入れようとしていた。

 これ以上、"悪魔化"するニンゲンが増えていくのは多分拙い。

 薮蛇。いや、龍が飛び出してくる案件だろう。

 夢の中で、"箱庭"の防衛戦力の一角を、"悪魔人間"とやらが担っていたことが思い起こされた。あの時、リーダーたちを指すのではなく、十把一絡げにそれらを総称していたことがやけに気にかかる。

 恐らく、"ああして"人類と敵対する結末に至った条件の中には、ニンゲンの"悪魔化"があるはずだ。もしかすると、この案が通って"箱庭"所属の"悪魔人間"が大量に増えたのかな……?

 

 想像する。予備知識なしでこの話を聞いた場合、小生は彼に何と返して、周りは一体何と返したのかを。

 まず、小生はきっと何も言い返せなかった。相手の反応を恐れるが故だ。蚤の心臓は相手の機嫌が損なわれるのをひどく怖がる。

 では、周りの皆は? 慌てて円卓の反応を窺ってみる。

 理解が及んでいない者が八割。理解したくない者が一割、例えばゼレーニン中尉がその筆頭。残る例外はラリョウオウさんだった。やはり、彼は"そっち側"ではない。

 一見して、大多数の賛同を得られているようには見受けられない。であるならば。

 

 可能性1、一度案を退けられた後に何らかのアクシデントが発生して、ニンゲンの"悪魔化"案を推し進めざるを得なくなった。

 可能性2、頭ごなしの棄却が提案者の先鋭化を招いた。

 

「あー、あー」

 この場合、前者は後でフォローもできるが、後者のフォローが難しい。

 

 うーん、うーん……。

 小生は大きく手を叩き、この案件を"茶化す"ことに決めた。

 

 

「あー、それ。アグリー。めっちゃアグリーですね。大賛成ですよ、小生!」

 まず周囲の混乱を混乱させたままに、発案者に対して共感を示す。これで小生と発案者一対一の話し合いができる構図を作り出すことができる。

 真っ先に文句を言いそうなゼレーニン中尉には目配せをしておく。

 ここから先は小生とハゲネさんのTALKであった。

 小生はまくしたてる。

 

「要するに小生らにはオカルト的な防衛力が足りていないと、リ……、ハゲネさんは仰りたいんですよね。正論だと思います。何とかして拡充しなくてはなりません」

「そうか、ヤマダ隊員は分かってくれるか。ラリョウオウの奴はあまり良い返事をしてくれなかったんだ。賛同者がいてくれるとやりやすい」

「そうなんですかー」

 小生はわざとらしく相槌を打ち、これまたわざとらしく困り顔を作った。先ほどからラリョウオウさんから発せられる圧が怖い。

 

「ただ、あのですね。それやるには多分大きな難関があります。ハゲネさんがハゲネさんになれたように。ラリョウオウさんがラリョウオウさんになれたように。バースさんも含めて、それの結果にばらつきがあるのが問題なんですよ。不安要素です。選択の自由とまでは言いませんけど、ギャンブルはまだちょっと。研究の余地ありとして、代替案を考えませんか?」

 おずおずと言い出したこの台詞は多分ながらに賭けであった。正直、"悪魔化"してしまった彼の性格がどの程度変容してしまっているのかが読み取れなかったからだ。狭量や短気でないことを祈りたい。

 そして、幸運なことに彼は酷く理性的であり、また短気でもなかった。

 

「……成る程、君の言うとおりだ。リスク、は考えていなかった。外の人類を救おうというのに――、変に格差のつきかねない破れかぶれの案は良くないな」

 内心でガッツポーズを取る。問題を先延ばしにすることに成功したからだ。

 と同時に、先日彼が語っていた「人類を救うための妙案」に朧げながらの想像もついてくる。

 

 今、彼は「外の人類」を視野に収めながら、「格差」についての懸念を口にした。これは単純にその場しのぎでシュバルツバース内の志願兵を"悪魔化"するだけで生まれる発想では断じてない。もっと政治的なものの見方だ。

 恐らく、彼は人類を皆、新世界に適応できる"悪魔人間"へと変えることで、テラフォーミングが追いつかずともその命を永らえさせることができるのではないかと考えているのだろう。

 こんなもん賛否両論どころではない。シュバルツバース外の人間がこのプランを耳にしたら、それこそ非難轟々の嵐だろう。

 

 ……あー、これかあ。この認識のずれが、悪魔と人間のずれなのかあ。

 彼にとって"悪魔人間"になるという選択肢は、"はしか"の予防接種と同じなのである。

 

「しかし、代替案などというものがあるのだろうか? この戦力を拡充しにくいこの世界において……」

「ああ、それなら――」

「それなら?」

 首を傾げつつも興味を示すハゲネさんに、傍観者と化していた皆の視線が一斉にこちらへと降り注ぐ。

 小生は胃の痛みを訴え続ける腹をさすりながら、申し訳なさそうに言った。

 

「すいません……。トイレ行かせてください」

「ん、そうか。体調が悪いのだったな。無理をせず、行ってきてくれ」

 すいません。すいません。と周りに謝りながら――、勿論中尉に余計な火種は起こさないよう目配せをしておきつつ――、小生は笑顔を取り繕って席を立ち、公民館を出る。

 その後は全力疾走だ。

 カンバリ様の厠へと駆け込み、ズボンを脱ぎ、人心地付いたところで頭を抱える。

 

 

「あー、あー。戦力拡充の代替案どうしよう……。ハゲネさんの目的も皆の理想にソフトランディングさせなきゃ……。ついでに"宇宙卵"の取り扱いも一応は考えなきゃ……」

 出るものは出るが、小生のわがままストマックはその程度で自己主張を止めることはなかった。

 ただ、とりあえずはっきりしていることは――、

 

「この案件は先延ばしにしよう」

 ということであった。

 

「それは先延ばしにできそうな話なのかのう」

「できそう、というよりは今結論を出すことができない話だと思います」

 屋根上でうたた寝をしていたカンバリ様から問いかけられたため、それに答える。

 彼は明日の天気でも尋ねるような口調で、更に続けた。

 

「戦力か。確かに、これからこの"滅びの地"における戦いが激しくなっていけば、ここを守ることも難しくなろうな。ワシも魔人などといった輩を相手するには既に力不足になってしまっておる」

「いや、カンバリ様にはすごく助けてもらっているんですが……」

 慌てて擁護しようとしたが、はっきりとは断言できずに徐々に言葉を濁してしまう。

 先だって小生が"デイビット"と相対した際に、戦力外通告を出してしまったことは決して否定できるものではなかったからだ。ただ、あれは相性も悪かった。これだけは断言できる。

 続く言葉を出しかねている小生を制して、カンバリ様はあっけらかんと笑った後に、こう言った。

 

「――まあ、にっちもさっちも行かなくなったら、ワシを合体材料として使うがいいじゃろう。今後小僧たちニンゲンが増えていくのなら、カワヤも同じく増えていくに違いない。ワシはカワヤの守り神。つまるところ、そういうことじゃ」

「カンバリ様……」

 小生の脳裏に夢で見たカワヤジョークを操る仲魔の姿が思い起こされた。

 戦力拡充を求められる機会はきっとやってくるのだろう。

 レミエルさんの預言だ。間違っているとは到底思えない。

 ただ、見知った相手を合体素材に使わねばならない生理的嫌悪感だけは如何ともしがたかった。

 

「あー、ほんとどうしたら――」

 と顔を覆って嘆こうとしたその瞬間、

 

「ええええええぇぇーっ!!?」

 と年若い少女の叫び声が"箱庭"の出入り口方面より響き渡った。

 

 

 

 何じゃらほいと痛む腹をさすりながらカワヤを出ると、出入り口の手前に諸手を挙げて寿司会社の社長みたいなポーズをとったトラちゃんさんと向かい合うようにして、若草色のドレスを着込んだ金髪の少女がやいのやいのと騒いでいるのが小粒ではあったが目に映る。

 不可思議な人面模様の土器を抱きかかえ、空いた手には麦穂らしきものを握り締めているようだ。

 もしや、彼女が出迎える予定だった"女神様"なのかしらん?

 

「……これは珍しい。あれは"デメテル"じゃな。とても古い――、途轍もなく古い豊穣神の1柱じゃ」

「豊穣神、ですか」

 カンバリ様が驚きの声をあげた。もしかして彼女はとても珍しい、ないしは尊い存在なのだろうか。

 自ずと小生にとって身近な豊穣神と見比べてみてしまう。

 

 ……成る程、似ているといえば良く似ていると言えるのかもしれない。

 

「豊穣神というのは皆、その、小さいものなので――」

 言い終らんとするや否や、小生の顎を迫り来る野球ボールが掠めていった。

 クリーンヒットでなくて本当に良かったと思う。ちなみにボールを投げたのはトラちゃんさんだった。ふええ、何たる強肩。レーザービーム。もの凄い怖い顔をしておられるよお……。

 

「アンタのそのナチュラルに無礼な思念だけはほんと治らないし、垂れ流しなのよね。何なの? 育ちかなんかのせいなの? 多分、サナダムシ型天使が悪いのね。後でとっちめておかなくちゃ!」

 と場違いな方向に怒りを向けておられるトラちゃんさんの隣で、

「え? え?」と混乱から立ち直った豊穣神の少女、デメテル様がこちらへと目を向ける。

 赤く綺麗な瞳が見開かれ、春風のように上品な声色が驚きに上擦った。

 

「人の子? あの"子"と同じような籾を。いえ、ここは信仰心に満ちていて――、何て、ハーベストですの……?」

 少女の呟きに、トラちゃんさんが鼻を高くする。

 

「すごいでしょ、アタシの"箱庭"なの。トウモロコシ畑も良い具合なんだから。勿論、うちのヤマダたちも頑張ってくれたのよ」

「おかしいですわっ!!」

 無い胸を張るトラちゃんさんに、デメテル様が詰め寄った。

 

「……何がおかしいのよ?」

「ねえ、トラソルテオトル! 何故秩序と信仰を失った"滅びの大地"に、こんな実りある土地を生み出したんですの!? それに人の子まで囲って……。いずれは混沌なる(マー)の力に飲み込まれていってしまう大地ですのに――、人の子に恵みを施したところで全部無駄になってしまいますのよ!?」

「え、ん。んぅ? ワンチャン、あると思って?」

「わ、わんちゃん?」

 トラちゃんさんの答えに言葉を失うデメテル様。色々と聞き逃せない会話内容ではあったのだが、それよりもトラちゃんさんの近視眼であった。

 この視野の狭さと出たとこ勝負こそがトラちゃんさんであった。

 古い知り合いっぽいのに、デメテル様は彼女のこういうところ把握していなかったのだろうか……?

 いや、出たとこ勝負を予想しろというのも酷だな。小生だって行動の理由は納得できても、行動の予測は全くできない。

 

 答えに窮したトラちゃんさんは頭を捻り、やがて住民たちに貢物としてプレゼントされたらしきウエストポーチから、"宇宙卵"を取り出した。

「あっ、待った。これがあるじゃないの!! どう? デメテル。これが何だか分かるでしょう? "宇宙卵"よ"宇宙卵"! これさえあればアタシだけの世界を安定化させることだって、きっとできるわ!」

「うちゅ? え、えええぇぇぇっ!?」

 ひったくらんとする勢いでデメテル様が"宇宙卵"にすがりつく。何か尋常でないこだわりようだ。あの"宇宙卵"と何か因縁でもあるのだろうか?

「これさえあれば、終わりのない私の使命も――、でも……」

 彼女は見開いた瞳を動揺させ、ぶつぶつと何事かを呟いていたが、やがてハッと何かに気づいたようにして"宇宙卵"を細い指で撫で、残念そうに首を横に振った。

 

 

「……この"宇宙卵"はハーベストではありませんわ。使わない方が宜しいかと思います」

「へ? どういうことよ?」

「この"宇宙卵"は遊びふける国を生み出したものでしょう? ということは、この卵の中には人の子の悪徳、"快楽"の芽が眠っているのだと思いますわ。こんなものを使って世界を創世しても、そこに住まう生命に悪徳がはびこってしまって、ろくな世界にはなりませんわよ」

 おお。さすが豊穣の女神様と思わせる深い見識だと思わず唸らされる。しかしながら、トラちゃんさんの反応はすぐには返ってこなかった。

 しばらくの思考停止の後、

 

「……"宇宙卵"ってそういうもんなの?」

「そういうものですわ。でなければ、私もこんなに苦労しません! って、あっ」

 デメテル様が慌てて自らの口を両手で塞ぐ。今の台詞の何処に失言らしきものがあったのかはちょっとわからないが、それよりも気になったのはトラちゃんさんであった。

 名残惜しそうに"宇宙卵"をコンコンと叩いてみたり、カラカラとシェイクするように振ってみたり……、ちょっとそれ膨大なエネルギーが詰まった危険物質……。

 小生が制止するよりも前に、トラちゃんさんの意を決した言葉が不吉にもこちらの耳へと届けられた。

 

「……やっぱもったいなさすぎ。多分、ワンチャンいけるでしょ」

「ちょっ」

 周囲の面々が度肝を抜かれる中、トラちゃんさんの手から"宇宙卵"が浮き上がり、何やら漆黒のもやもやを放出し始める。

 偽りの太陽が消え失せ、視界が突如闇に閉ざされた。

 暗闇に目が慣れるよりも先に、ぼうと虹色の光が前方に点る。

 "宇宙卵"が発光しているのだ。腰を抜かしたデメテル様と、何やら一心に力を篭めようとしているトラちゃんさんの姿が見える。

 慌てて駆け寄ろうとしたが、無理だった。

 静謐だった"箱庭"内を嵐を思わせる大風が吹きすさび始めたからだ。

 小生は思わずその場で立ち竦んでしまい、その場でトラちゃんさんに呼びかけた。

 

「トラちゃんさんっ! せめてそういうことは皆に相談してからにしないとっ!!」

「へーき! というより、最近アンタたちに貢がれっぱなしでアタシ、女神としての仕事何もできていないじゃないの! ここらへんで、サプライズな恩恵を皆に与えてあげるんだから!!」

「駄目です、トラちゃんさ――」

 ここは"クエビコ"を召喚して取り付いてでも彼女の浅慮を止めさせるべきだ。だが、そういった小生の判断を押し留めるようにレミエルさんが小生の隣へと降り立った。

 

「待ちなさい、ヤマダ。ここは様子を見るのです」

「レミエルさん!? でも――」

「これは預言の未来を変える絶好の好機かもしれません」

「どういうことですか!?」

 小生がトラちゃんさんから目を逸らさずに続きを問うと、彼女はいつもの如く感情の乏しい口調で説明を始める。

 

「思うに、事前知識も無くあの駄女神の行動を目にした場合、私や貴方の採る行動は制止の一択であるはずです。ですが、ここで選択肢を変えることで未来に関わる変数を弄ることができるのではないでしょうか?」

「それはギャンブルですよ! あまりにもリスクのある!」

「ですが、御覧なさい。彼女の力を――」

 レミエルさんに促されるまでもなく、小生はトラちゃんさんから目が離せなかった。

 どうやら、彼女の"創世"は微調整の段階にまで差し掛かっているようで、卵はやがてまばゆい太陽光を発し出す。まるでビッグバンのような――。

 

「悪徳は美徳と鏡写しだもの! 世界に"快楽"が蔓延ってしまうのだったら、その法則を『生みの喜び』や『耕す喜び』に変えてあげればいいだけよっ!!」

 光が熱量に変わり、質量へと転移する。

 不可思議な現象によって、"箱庭"の空間がかつてない速度で拡張されていった。

 大地が生まれ、空が生まれ、生まれ、生まれ――。

 やがて、空間拡張の洪水が不可視の壁によって堰き止められてしまう。 

 壁の向こう側には"ボーティーズ"の風景が広がっていた。これは、以前トラちゃんさんが作り出した空間の断絶か。

 トラちゃんさんが卵の浮かんでいる方向に向かって、より一層力を篭めようとする。

 

「むううう。みんな、畑になりなさああああああい!!!」

 ボーティーズと"箱庭"の間にあった断絶が埋まり、かつて遊びふける国と称された歓楽街がまるで消しゴムをかけられているみたいに消されていき、消された後には茶色い大地だけがただ形作られる。 

 小生らの苦しめられた空間は、世界はこんな簡単に塗り替えられてしまえるものなのか。

 身震いする小生に対して、レミエルさんがなだめるような口調で言った。

 

 

「恐れることはありません。アレは蛮神といえども、秩序に身を置く大きな力。少なくとも我々の害になるものではありません。ただ、これほどまでとは――」

 目の前で起きている光景は、一神教の天使をもってしても、舌を巻く所業であるようであった。

 空間の拡張は終わらない。

 既に複数の町を呑みこむに足る面積の荒野が生み出されている。

 何時終わるんだこれ。

 都道府県レベルが収まるまで? それとも国がすっぽり入るまで……?

 

 

 と、遠ざかり続ける地平線の向こうに平野とは異なる地形、または構造物が見えてきた。

 あれは――、氷山?

 

「……別の悪魔が住まう宇宙ですね」

「宇宙。って、別セクターですか!?」

 慌ててパノラマの大地を左右に広く見渡すと、山以外に途轍もない大きさのショッピングモール。ごみ山などが目に飛び込んでくる。

 まさかあれも別のセクターなんだろうか。

 と、レミエルさんの言葉が途絶えてしまった。

 どうしたのかと隣を見れば、彼女は呆れた様子で空を見ている。

 一体どうしたんだ?

 吊られて空を仰いでみると、天頂には白い光を発する球体が浮かんでいた。

 

「何だあれ。太陽? にしては熱を発していないような……」

「あれはカグツチといいます。混沌の海に漂う偽りの太陽とでも表現すればいいのでしょうか。しかし、となると――」

 トラちゃんさんに目を移すと、彼女の傍に浮かび上がっていた卵の姿は既になく、彼女は何処か満足げに胸を張っている。

 

「どう? デメテル。これくらい広い土地があれば、沢山作物を植えられるわよ。アンタだって麦穂を植えたりしたいでしょ」

「わ、私は……」

 トラちゃんさんの所業を目の当たりにしたデメテル様は、何やら当てが外れたとばかりに思い悩んでいる風に見受けられた。

 何と口を挟んだものかと小生が戸惑っているところに、予想外の"短距離通信"がハンドヘルドコンピュータ経由でもたらされる。

 送り主は別セクターで活動中であるはずの"レッドスプライト"クルーであった。というか、タダノ君であった。

 

『おい、何か現セクターの探索区域外にヤマダたちの識別信号が急にポップしたのは一体どういう理屈なんだ?』

「急に、ポップ?」

 未だ事態が飲み込めていない小生の手を、レミエルさんが強く引いた。

 

「ヤマダ。公民館へと急行しましょう。至急、結界を。防衛計画を組み直さなくてはなりません」

「組み直し、ですか?」

 ええ、とレミエルさんが深刻そうに頭を抱える。

 

「……私の目は節穴でした。他の宇宙と宇宙が繋がってしまったと悪魔たちが気づきでもすれば、一斉攻撃を受けてしまいますよ」

「――へ? へ?」

 小生が間抜けな声をあげたのとほぼ同時に、ごみ山の見える遠方から何やら恐ろしげな唸り声が、まるで雷のように轟いてきた。

 



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シュバルツバースで戦力拡充

 幾星霜を経てもついぞお目にかかったことのない主人の失態を本日目の当たりにしてしまった。

 

 複数の平行世界をソファに腰を埋めて愉しげに鑑賞なさっていた主人が突如、口に含んだ飲み物を吹き出されたのである。

 一体何をご覧になっていたのだ? 最近のお気に入りは"地球意思"に翻弄される惰弱な魂に一石を投じ、その多様な変化を観察なさることであったはずだが……。

 

「普通、そうはならないだろう」

 瀟洒にハンカチで口を拭き、呆れた様子で主人の呟きが漏れ出る。主人は、魔界屈指の権力者は黄金色に輝く濡れた髪を手櫛で整えるとそのまま従者である私へと飲み物の替わりをご所望なさった。

 

「ああ、折角の紅茶が駄目になってしまったね。ならば、君。無価値なるモノに価値を与えようか。採れたてのセイロン茶葉で飲み物を用意してくれたまえ。確か、"あの世界"の南アジアは核紛争の真っ最中だったね。かけらも汚れのない、とびきり綺麗な色をした茶葉を頼むよ。もうそろそろ勝手口を開けて入り込めるようになっているだろう」

 

 私は内心で首を傾げながらも、深く頭を垂れて主人の期待に沿うべく下界へと向かった。

 深く考えることはしない。どうということもない任務だと思ったからである。

 

 

 

「……不思議なほどに、読めないなぁ。あの世界、間違いなく神は既に死んでいるというのに。滅亡に抗う、霊的な変数はとうに失われてしまっているというのに。本当、ワクワクするね」

 であるから、道中は主人の歓心を買っているものは何なのか推し量ることに全ての労力を費やした。

 それこそ下界の茶葉の仕入れなど、片手間で終わる任務だと思っていたからである。

 

 

 

 

 

 

 

 とてもたいへんなことになった。

 

「何だ、何が起こっている!? ヤマダ隊員、説明を!」

 ハゲネさんを筆頭に公民館からぞろぞろと飛び出してくる"箱庭"の住人たち。

 小生は別セクターと"地続き"になった"箱庭"の境界に立ち尽くしながら、遠方に見えるゴミ山の頂上から飛び出した巨人に目を奪われていた。

 

 

 遠雷を思わせる咆哮が小生の鼓膜をしきりに震わせる。

 うわあ、とても大きい……。肉眼であれなのか、何でここまで声が届くんだ……。言うまでもなく、あれも悪魔なのだろう。

 一部の例外はあるにしても、この世界において図体の大きさは概ねその悪魔の強さに直結する。となれば、ゴミ山の"アレ"がいつぞやの"オーカス"級かそれ以上であることは想像に難くない。

 と、そこまで考えたところで、小生がデモニカスーツの補助なしで悪魔を視認できていることに今更ながら気がついた。

 ……というか、この場合大気組成はどうなってしまうんだ? 最悪の想像に苛まれ、小生は彼らの問いに問いを投げ返した。

 

 

「……皆さんは、あのゴミ山天辺の悪魔が見えていますでしょうか。それに、息苦しくはなっていませんか?」

 この問いかけにはエースがいち早く答えた。常在戦場がモットーなのか、"バケツ頭"をすぐさまかぶれる状態にあったのが彼だけだったのだ。エースは"バケツ頭"を装備した状態でハンドヘルドコンピュータを操作し、ヘッドアップディスプレイを上げ下げしては肉眼とディスプレイ越しの映像とを比較した。

 

 

「……こいつは驚いた。肉眼で見える悪魔がデモニカ越しだとモザイクになっちまう。遂にクソダサい"バケツ頭"もお役御免か?」

「大気組成は"箱庭"従来のままですね。多分、"箱庭"を包み込む大気が我々の視覚に何らかの影響を与えているんです。……ヤマダさん、空間拡張を試すなら、その前に一言声を掛けてくださいよ。観測しそびれたじゃあありませんか」

 班長によって知らされたひとまずの安全にほっと胸を撫で下ろし、「100%不可抗力です」と返しておく。叱られる気配を感じ取ったのか、トラちゃんさんが何やら息を潜めておられるようにも見受けられたが、そんなことより脅威がまだ過ぎ去ったわけではない。

 

 

「ヤマダさん、ヘルメットよ」

「ありがとうございます、中尉」

 渡された"バケツ頭"を被り、スーツの機能を完全稼働させる。何があるのかわからないのだから、警戒してし過ぎることはないだろう。

 

 ――デモニカ・システム起動。未知のエリアを解析します。解析完了。未知のエリアを解析します。アンノウン、アンノウン、解析中。解析中。解析中。

 

 女性の機械音声が周辺環境の解析進捗をひっきりなしにアナウンスする中、肉眼の景色とディスプレイ越しの景色のギャップが徐々に徐々にと埋まっていく。

 周辺の解析を完全に終えた後、小生は表示カメラの倍率を500倍にまで引き上げた。

 

「彼我の距離は、50キロメートル程度。遠近を考えるに、コルコバードのキリスト像程度のたっぱはありそうだ。あんなでかい悪魔もいやがるのか……」

 同様の操作をしていたらしいヒスパニックが、ごくりと唾を飲み込む。初動の遅れた面々を除き、他の住人たちにも例外はない。

 

「おい、観測用のドローンを打ち上げろ。周辺の情報を早急に収集するんだ!」

「今やっています!!」

 巨人は、まるでアジア圏の仏像を思わせる見てくれをしていた。三つの厳しい人面に三対の隆々たる巨腕。仏像といっても、大仏のような福々しいものでは決してなく、阿修羅像や四天王像特有の武張った風体が印象的だ。

 巨人はゴミ山の天辺に陣取り、周辺をぐるりと見回した。セクターの異常に勘付いたのだ。

 

 

 そして、小生らと目が合った。

 

 

 

「やばい……! あのデカブツと目が合っちまったぞ!!」

 ヒスパニックが悲鳴をあげて、周囲に動揺と恐怖が伝播していく。特にドクターたち非戦闘員の反応が顕著であった。

 彼らは未だに堕天使"ベテルギウス"の襲撃がトラウマになっているのだ。

 右往左往する彼らに対して、彼らの精神的支柱である女神が言葉を発した。ただし、この混乱をもたらした張本人でもある。

 

「み、皆焦っちゃダメよ!! 大自然では焦ってばらばらになった群れから野獣の餌になってしまうのよ!!」

「お、おお女神様」

「我々をお導きください。女神様!!」

「大丈夫、任せなさい!! で、でも、ど、どうすれば良いのかしら。ヤマダ!!」

 おい、そこで小生に振っちゃうのかよ!! と胃痛の到来とともに悲鳴をあげそうになったが、ぐっと文句を飲み込んだ。この状況下において目指すべきは、何よりも未知の遭遇者との関係を対等以上にまで持っていくことだ。そのために必要な能力は細やかな意見調整能力、そして"威嚇"のできる戦闘能力。"それら"を満たす手札は限られていた。

 

 

 ハゲネさんたちを見る。エースを見る。ゼレーニン中尉を見る。ハルパスさんも根本と"スパルナ"も、皆強力無比な仲魔であることは確かだ。しかし、この大事な局面において細やかな外交交渉を全面的に任せられるかと問われれば、些か疑問符がつく。

 小生は予想される強烈な疲労感に顔を思い切りしかめながら、「召喚」と言葉少なに呟いた。

 

 

 両足に土が纏わりつき、自分という存在が何物かに食われていくような不快感に襲われる。

 肉の足が土の柱へと置き換わり、肉の胴は苔生した土塊へと取って代わられた。

「我は汝、汝は我。我は山田のそほど――、生々流転の権化にして、雨風に晒され、朽ち果てし者」

 以前"彼"に憑依した時、ある程度その身体を伸び縮みさせられることには気がついていた。その能力を活用すれば、あるいはこちらの戦力を実態以上に大きく見せることができるかもしれない。

 

 

「――我は"クエビコ"。今は"箱庭"見敵必殺の霊的守護者なり」

 仰々しく名乗りを上げた小生は、そのまま土塊でできた身体を膨らませる。これが意外なほどに容易くできた。もしかするとトラちゃんさんによって耕された肥沃の大地は、"クエビコ"にとって活動しやすい環境なのかもしれない。

 

 足元の土壌を吸い上げ、体長10メートルにまで身体を膨張させるのはすぐだった。20メートルもさほど時間はかからなかった。30メートルも無理ではない。40メートルまではいける。いや、50メートルまではいけそうだな……。

 足元で驚きの声が上がっているのが聞こえたが、正直そんなものを気にしている暇はなかった。

 

 武張った巨人が完全にこちらを見ていたからだ。

 遠雷の音が震え、意味のある言葉を紡いでいく。

 って、50キロも離れたここまで直接声を届けられるのかよ。つくづく外界とは物理法則が異なっていることを思い知らされる。

 

「――コレハ予想外デアッタ。弱ク無価値ナ人間ドモガ楽園二巣喰イ"美シクナイ"国ヲ創リ上ゲルトハ」

「ちょっとアタシの畑を美しくないってどういう了見よ!! あんのデカブツ、ぶっ飛ばしてやる!!」

 瞬間湯沸かし器じみた怒声が足元から轟いてきたため、そっと土でできた手を動かし、きゃんきゃんと叫ぶトラちゃんさんを囲い込む。

 

 どうやら我らが女神のファーストインプレッションは最悪の一言に尽きるようだ。

 しかし、言葉は通じる。

 その意味を噛みしめつつ、小生は「話をしたい」と土くれの口をもごもごと動かした。もっとも、鈍重なこちらの動きを先んじるように巨人が遮ってしまったのだが。

 

 

「何故力ヲ持チナガラ、弱ク無価値ナ人間ヲ救オウト足掻ク。我ハ知ッテオルゾ。外界ノ俗物ガ企ミヲ。貴様ノ足掻キガ無駄ニナルコトヲ」

 続けられた巨人の言葉に小生は土塊の中で一瞬眉をひそめる。レミエルさんに見せられた幻視が思い起こされたからだ。

 と同時に、思考する。

 

 初手でTALKが始まるというのは正直予想外であった。もっと「餌場来た!」と大喜びして問答無用で攻めかかってくるものかと……。

 

 これはもしかすると、姿に似合わず搦め手を好む手合いなんだろうか。でも言葉の中に頻出する単語は"力"と"無価値"……。

 うーん、あまり搦め手が好きそうには思えないんだが。

 自分の中にある絶対的な基準に二項対立で従うタイプなのは透けて見える。いや。これ多分、あれか。知恵も"力"の内と考える幅の広さを持ち合わせているってことなんだな。

 

 

 ……何が正解だ、これは。今必要なものは何よりも防衛態勢を構築するための時間的猶予。利用価値があると錯覚させ、攻撃の手を緩ませる土下座外交。あるいはハリネズミ理論。手持ちの札を考える。

 

 いや、いや、待った。もっと良いアイデアが思いついたぞ。そもそも小生らみたいな後方要員がわざわざ矢面に立つリスクを負う必要なんてないじゃないか!

 小生の中の責任逃避願望が、改めて土くれの喉を震わせた。

 そして、破れ鐘のような叫び声が轟く。

「――ケガレし山の悪魔よ!」

 まずは、こちらの声が聞こえているかどうかの確認からだ。

 巨人の強面がぴくりと動いた。

 反応があるっていうことは聞こえているのか? 良し。

 小生はさらに大気を震わせる大声を張り上げた。

 

「あー、大いなる? 秩序に栄光あれ!! この地は? 我らが秩序を広めるための前線基地なり!! 我々の庭に近寄らば殺す。敵は殺す。あー。我らに仇なすモノはとりあえず皆殺す。お前は秩序の? あー。我々の敵か!!」

 短いやり取りの中にもわかることはあった。

 今、小生と相対している巨人のような"力"を信奉している輩というのは、内戦状態の東欧にいたときに嫌という程見てきている。小生の人生訓に則るのならば、こういう手合いとまともに交渉しようというときには絶対に舐められるわけにはいかない。組し易しと評された瞬間、全てが終わってしまうのだ。

 

 媚を売ったところで、餌場と定められるだけであろう。さりとて、威圧するにも蟷螂の鎌では意味がない。

 相手が即座の開戦をためらう程度のバックアップが必要だ。威を借りるための虎が必要なのだ。"レッドスプライト"号との繋がりを匂わせる?

 いや、もっと良い虎がいる。

 

 

「あー。驚くべき恵み(アメイジンググレイス)は誰が為のものか。人の子らよ? 武器を取れ。んー。救済の時を待ちながら、ただ敵と向かい合え。うん。グローリア!!」

 小生の三文芝居にもかかわらず、その効果は覿面であった。巨人は三つ顔をいずれも忌々しそうに歪め、吐き捨てるように言う。

 

「ソウカ。死ニ体ノ天使ドモガ差シ金ダナ。最期ノ最後マデ諦メノ悪イ……」

 そう。小生の借りた威は大天使"マンセマット"率いる天使勢のネームバリューであった。相手が策を弄する手合いならば、リスクを盛れるだけ盛っておいたほうがいい。小生らの背後に悪魔にとって天敵であるらしい天使の影がちらほらと見えれば、後は勝手に警戒してくれることだろう。

 

 勿論、本当に武器を取って戦いを挑むつもりなど毛頭ない。あんな巨人とまともにやりあうなんて、どんな罰ゲームだよ。

 

「――皆さん、メシアを讃えるのです。邪悪なる力に信心を持って立ち向かうのです!」

 こういう時、すぐにこちらの意図を拾いとってくださるレミエルさんの存在はありがたい。

 彼女は全身に白い光を帯び、宙へと浮かび上がった。

 祈るように両手を組み、聖句を唱えながらこちらを見上げる表情は、「すべて承知していますよ」と言わんばかりの訳知り顔をしておられた。

 

 

「――さあ皆さん、ご一緒に!」

「ヤマダメシアを讃えるのだ! グローリア!!」

「アメイジンググレイス!!」

「グローリア!! グローリア!!」

「声が小さいです。貴方たちの信心はその程度のものなのですか!!」

「グローリア!! グローリア!! グローリア!! グローリア!! グローリア!!」

 ……そこまでやれなんて小生望んでないよ?

 即席でできあがった十字軍が熱狂に晒されて、巨人に対して気炎をたちのぼらせる。熱すぎて足元を炙られているみたいであった。

 

 

「マコト忌々シイ、唯一神ノ軍勢メ……」

 巨人の表情に、不愉快をあらわにした皺が深く刻み付けられる。

 熱狂と圧力の板ばさみになりながらの睨み合いがしばし続く。土くれの手の中では、きゃんきゃんもごもごと暴れまわっておられる女神様もおられる。小生の胃腸はぼろぼろだ。

 辺りを昼のように照らし出していた光が弱まる。天頂に浮かんでいたカグツチとかいう天体が傾いたのだ。

 

 ……ああ、この拡張された世界にも昼夜はありそうだなあ、と他人事のように現実逃避した思考が類推を始めたところで状況に変化が訪れた。

「ヴォォォォォォォノ!!」

 という何処かで聞き覚えのある雄たけびが、膠着を打ち破ったのだ。

 ぎょっとして声のする方向へと目をやる。どうやらごみ山と一緒に出現した、ショッピングモールの高層階が発信源らしい。

 やがて盛大な土煙と共に建物の一部が消し飛び、中から醜悪な豚面が飛び出してきた。

 

 魔王"オーカス"。しかし、巨人の援軍として高層から顔を出したようには見えない。何処からどう見ても苦し紛れの、満身創痍にしか見えないのである。

 "オーカス"はぐったりと舌を出した状態で荒い息を吐いた後、小生と巨人の存在に気がつき、悲痛な声を轟かせた。

 

「マ、魔王"アスラ"ヨ! 手ヲ貸シテクレッ! 我単体デハ手ニ負エヌ……!!」

 そう言う"オーカス"の鼻面に、豆粒大の何かが飛びついた。いや、縮尺の関係で豆粒にしか見えなかったが、土くれの目を良く良く凝らして見てみればあれはデモニカスーツを着込んだ隊員だ。

 ビルの壁面を、"バケツ頭"の屈強な男性がワイヤーウインチを器用に操り、縦横無尽に駆け回っている。

 成る程、彼らは現在進行形で戦闘中のようだ。それは分かる。

 しかしながら、一部の装備が理解できない。

 何故、男性の手に持っているものが木製のバットなのか――。

 

「ヌ、ヌゥゥゥゥン、ボナペティ!!」

 "オーカス"が大口を開けた。その口内が眩い光球が生み出され、ワイヤーで壁面にぶら下がる隊員めがけて発射される。

 膨大な熱量を秘めているであろう光球は、周囲の構造物を溶解せしめながら隊員を焼き尽くさんと襲い掛かった。しかし。

 

「ヴォォォォォォォォォォォノ!?」

 隊員がひとたび空中で木製のバットをスイングすると、バットの芯に光球が吸い込まれ、「カキィィィィン」と次の瞬間には"オーカス"の顔全体が燃え上がっていた。

 なにあれ……?

 

 

『おい、ヤマダ! 何か日本の仏像みたいな巨人と向かい合っているみたいだが、何でそんな状況になってんだ!?』

 半ば予想していたが、あの"バケツ頭"はタダノ君のようであった。どうやら、"クエビコ"の土くれに覆われていてもデモニカの通信は届くようで、小生はたまらず脳内に浮かび上がった疑問を投げかける。

「むしろ、何でバット持ってるんです……?」

 小生の問いかけに、タダノ君は興奮冷めやらぬ勢いで答えてくれた。

 

『ヤマダが提供してくれた"ストラディバリ"を素材にして、うちのアーヴィン(ドワーフ)が作ってくれたんだよ!! "オーカスバスター"。奴さんが吐き出す、核エネルギーをまるまる跳ね返せる優れものだっ!!』

 物理法則返事して、とのツッコミを返したかったが、小生の物資提供で魔王との戦いを有利に運べているのならば、何も言うことはないだろう。

 むしろ"オーカス"から"アスラ"と呼ばれた巨人の方が小生らのやり取りに横槍を入れてきた。

 

「脆弱ナル、有様……。同ジ母カラ生マレシモノトシテ、マコト見ルニ耐エン。ダガ、ナルホド。先ニ片付ケルベキハ、アチラノヨウダナ」

 巨人がごみ山の天辺から跳躍し、その麓へと降り立った。向かう先はショッピングモール。タダノ君たちを挟撃する腹積もりのようだ。

 小生は慌ててタダノ君に通信を送る。

 

「き、気をつけてください。タダノ君! 巨人がそちらへと向かっていますッ!!」

『オーケイ、こちらからも見えている。あのデカブツが来るまでには、こちらのデカブツを片付けておくさ』

 再びビル構造物が破砕し、"オーカス"の全身が引きずり出された。

 丸々と太ったその腹は半透明になっており、その内部に放射能マークの描かれた巨大な弾頭が漂っている。

 

 苦し紛れに"オーカス"が青白い光球を打ち上げると、タダノ君がバットをフルスイングして光球を叩き落す。そしてフルスイング。フルスイング。

 その姿たるや今までのストレスを全て発散せんばかりの勢いであった。

 

『故意のピッチャー返しが掟破りであることは分かっている!! だが、男にはやらねばならん時があるんだ!! 涙を流してバットを振っているんだ! 振って! いるんだっ!! フン! フン! フン!』

「ヴォォォォォォォォォォォォォォオノノノ!!?」

 ……頼りになるなあ。と思いながらも、想像を超える展開の連続に頭痛を感じ、小生は土くれの手で頭を抱えた。

 と、その時。足元のヒスパニックが警句を発する。

 

「おい、ごみ山から悪魔の大群がこちらへ押し寄せてきやがるぞ!?」

「えっ?」

 その声に促されごみ山を見ると、雲霞の如き悪魔の大軍勢がこちらへと進軍を始めているのが視界いっぱいに映った。

 ずらずらと並ぶいずれもが"ボーティーズ"の悪魔よりも強そうで、どう見ても本格的な軍事侵攻にしか見えない。

 あ、あれぇー……? 何か、計算していた展開と違う……!?

 

「あー、これは牽制の戦力なんじゃろうなあ。小僧の友軍を蹴散らそうにも、余計な横槍を入れられてはたまらんからの」

 何時の間にやら小生の横に浮かび上がっていたカンバリ様が、合点したようにそう言った。

 成る程、確かに主力であるはずの"アスラ"はショッピングモールへと向かっており、こちらへは目も向けていない。さらに手勢も少なからぬ数を引き連れているようだ。

 だが、待って欲しい。

 牽制の戦力がちと多すぎやしませんか……?

 

「大方、天使どもが背後にいると思われたからじゃろう。生半可な戦力では足止めにすらならんと評価されたわけじゃ」

「うん。足止めどころか致命傷ですよ?」

 小生の保身が呼び寄せた最大級の裏目に思わず"クエビコ"の憑依を解き、座り込む。

 

「ぷっはあ! ちょっとヤマダっ! いきなり息苦しかったじゃないの!! 確かにアタシは崇め、守られるべき女神だけど? でもこういうアンタたちがピンチの時こそ、アタシの出番だと思うのよね。腕が鳴るんだから! それと、かばうならもうちょっと優しい感じにかばってちょうだい!」

 どないせいっちゅうんじゃ、この状況……。

 髪をかきあげ、あくまでも明るい様子ですらりと仁王立ちするトラちゃんさんが眩し過ぎる。

 

 この際、"ボーティーズ"の軍勢を押し返した彼女の活躍を再び乞うべきか。いや、あれは駄目だ。二度と繰り返してはならない類のものだと小生の勘が告げている。

 と言っても、手持ちの札でこの局面を乗り切れるのかというと……、うーん。

 小生がウンウン唸っているところに、満を持して声を上げたのはハゲネさんであった。

 

「そう悔やんでも仕方がない。あれは誰が交渉しても同じ結果になっただろう。一つの失敗をあげつらうよりも、次の対策を練るべきだ」

 言っていることは人間であった頃の頼れるリーダーそのものであったが、その提案のゴールが透けて見えていた。

 慌てて小生は彼の提案に先んじて言う。

 

「……ええと、戦力の拡充が必要ですね」

「その通りだ」

「しかし、ハゲネさんたちのような"強化"はリスクがあります」

「いや、今はリスクを呑むべきタイミングかもしれないぞ」

 ぐっと出掛かった直情的な言葉を一度飲み込み、なけなしの思考をフル稼働させながら言葉を選んで吐き出す。

 

「まだ手はあります。"箱庭"にまだ加入していない中立の悪魔たちを戦力として呼び込むんです」

「フム。そのアイデアは即効性に欠けていると個人的に感じてしまうな。第一、"ボーティーズ"が消え去った現状において、そこまでまとまった悪魔共が住み着いている場所の当てがない」

 全くその通りなんだよなあ! と内心で泣きを入れながらも、必死に強情を張り続ける。

 ショッピングモールも、ごみ山も、隣接したセクターは敵の本拠地であるわけで……。あー。

 

「氷山。あの氷山のセクター。あれ、以前"レッドスプライト"クルーからもらったレポートで見た記憶があるんですが」

「セクター"アントリア"だな。既にセクター内の魔王を倒し、"ロゼッタ多様体"の回収も終えた地域であったはずだ」

「ワンチャンありませんか? 戦力獲得の……」

 そう小生が言うと、ハゲネさんは手を口元に当てて少し思案するそぶりを見せた。

 

「チャレンジする価値がないとは言い切れない、な。だが、確実性に欠けることも確かだ。保険は必要だと思う」

「で、では班長に保険を用意してもらいましょう」

「えっ?」

 急に話を振られ、目を丸くするフランケン班長に小生は必死に目で訴えかける。

 果たして、班長はポンと手を叩いて言った。

 

「ああ。分かりました。良い感じに"起死回生の手段"を用意しておきますよ」

「と、いうわけで! 当面のミッションを決定しましょう。"新たなるセクターからの侵攻を防ぐ"。このミッションは侵攻を防ぐための防衛戦力と、戦力拡充を目指す探索戦力に分かれて進めていきます。人手が足りませんから、"箱庭"の構成員は原則として全員が参加です。この決定に賛同の方は拍手をお願いします!」

 満場一致の拍手が鳴り響いた。

 ハゲネさんやラリョウオウさんといった人外の面々も、この決定に否やはないようだ。そこにほっとさせられつつ、続いて人員の割り振りに悩まされることになる。

 エースがいち早く懸念を表明した。

 

「で、ヤマダの決定に今更反対する馬鹿はいないとして。防衛戦力は誰を当てる? ハゲネやラリョウオウのオッサン、中尉は絶対に外せないと思うぜ」

「え、ゼレーニン中尉もですか?」

「当たり前だろ。"箱庭"屈指の仲魔を2体も従えてやがるんだから」

「確かに、その通りね」

 目を丸くする小生に対して、中尉が覚悟を決めた表情で声をかけてきた。

 

「私ならば問題ないわ。今度こそ、"箱庭"を守ってみせる」

「ゼレーニン中尉……」

「それなら、俺も戦ってやるさ!」

 彼女の決意に当てられたのか、ヒスパニックも参戦を声高に叫ぶ。ただ戦意果敢なのは申し分ないのだが、彼は現実問題として仲魔を持っていない。

 そんな小生の心配に答えるように、今度はディオニュソスさんが声をあげた。

 

「ならば、私の援護は仲魔を連れていない皆さんにお願いしましょう。魔石や宝玉を投げてもらえるだけでも大分助かりますから」

「おお!」

 こうなると、戦いを恐れて"箱庭"へと逃げ込んできた新規の住人たちも逃げ出すわけにはいかなくなる。

 ぽつりぽつりと参戦の表明が挙げられ、最終的には防衛戦力に"箱庭"住人の8割が従事することと相成った。

 例外は"起死回生の手段"を用意する班長と、怪我の治療を受け持つドクターたち。そして、探索戦力である小生である。

 ん?

 

「あれ、小生が探索に回るんですか? 防衛でなく?」

「当たり前だろ?」

 何を言っているんだという顔をヒスパニックにされてしまう。何故だ。

 

「だってよ。女神様やカンバリ様を防衛にまわしたまま、単独でセクター内を探索した上で悪魔を勧誘できそうなの、悪魔を憑依できてTALKの実績もあるお前しかいないじゃないか」

「アッ」

「恐らくは持って丸1日。長くは持たないからよ。なるべくたくさんの悪魔を口説いてきてくれよ?」

「ヤマダさん。貴方がいない間、必ず私たちの"箱庭"を守り通して見せるわ」

「村長」

「リーダー」

 アッアッアッ、責任が重く圧し掛かってくる。

 恐らく小生の顔色はとてもひどいものになっていることであろう。

 

「す、すすすぐ戻りますからッッ!」

 皆が意気揚々と手を挙げ、防衛の意思を固める中、小生はデモニカスーツの身体強化機能をフル稼働させて、氷山の見えている方角――、セクター"アントリア"へと猛ダッシュを開始した。

 

「いや、走って向かってどうするんですか。ヤマダさん! "エルブス号"から運び出していた調査用車両(ビーグル)をプラントに留めてありますから、それ使ってください!」

「アッハイ!」

 かくして、恐らくはこのシュバルツバースが発生して以来初めてであるセクター間の抗争が勃発してしまう。

 その原因の一端に小生の選択があることは決して否定できない事実であった。

 

 

「さあ、あいつらがアタシの畑に集る前に勝負を決めちゃうわよ。大冷界!!」

「天罰☆てきめん! マハジオンガっ!」

 総電気動力で最大速力の80km/hをキープする調査車両を走らせる小生の頭上を、長閑な村から発射された長距離砲撃が通り過ぎ、巨人の軍勢の一角を薙ぎ払う。

 轟く爆音。揺れる車内。

 小生はたまらず腹をさすった。

 

 

 

 

 

 ――さて、こうして始まった時間制限つきのスカウトだが、その釣果はお世辞に大漁とはいえなかった。 

「ヘ、ヘイ、彼女。しょ、小生の車に乗りませんか? 仲魔になって、ウインウインな関係を築きませんか!?」

「え、やだ。キモイ」

 まず、炎を操る虫のような羽根の生えた小さな少女ににべもなく断られる。

 

「小生なら、あなたの憂いを取り払うことができると思うんです!」

「でも一緒に車なんかに乗って、噂とかされると恥ずかしいし……」

 さらに、悪霊にしがみつかれた男性の悪魔にも噴飯ものの断られ方をされる。

 

「こんにちは。私の同胞と付き合いました。貴方は。それは正しい。私たちの仕事はありますか?」

「あっ、タンガタ・マヌさん。どうも。ハイ、大歓迎ですよ! ハイ!」

 唯一の例外はタンガタ・マヌさんの眷属であった。何かやたらと意気投合し、こちらから声をかけなくてもがやがやと集ってきて、そのまま仲魔になってくれる。

 惜しむらくは彼らがあまり戦闘能力の高い種族ではないことであった。

 犠牲になること前提の勧誘はしたくない。

 だが、選り好みしていられる時間もない。

 

「ああ、どうすりゃいいんだこれ……」

 調査車両の後部座席やボンネットに1ダース分のタンガタ・マヌさんをがたごとと乗せながら、小生は"レッドスプライト"クルーが踏破したマップを読み込んだカーナビに目を落とす。

 西部から北部、中央部、"レッドスプライト"号が着陸したという南部の探索と、釣果はさておき移動行程は今のところ順調だ。

 そのいずれもが辺り一面氷に覆われていて、まるでトラちゃんさんの大冷界に閉じ込められたような錯覚を抱かせる。

 何で、タイヤスタックしないんだろうなあ。異空間ってことなのかなあ……。

 そんなことを考えながら、車内に表示された原子時計に目を向ける。

 

 "箱庭"を出て、もう7時間になる。

 今のところ救援の要請は来ていないが、有利に戦いを進めているということはありえないだろう。

 恐らくは建物や構造物を用いた篭城作戦に徹しているはずだ。

 

 小生はやきもきしながらカーナビのマップを指でつつき、その表示箇所を拡大させる。残る探索箇所は"アントリア"の東部だ。

 情報に寄れば2号艦"ブルージェット"号が不時着した地点でもある。

 

「ここで戦力を見つけられないと流石にまずいぞこれ……。どうなんですかね。頼りになりそうな強い悪魔はいるんですかね……?」

 すがるように小生は後部座席に鮨詰め状態で座るタンガタ・マヌさんへと声をかける。

 すると、彼らは意外にもこちらの質問に対して是と頷いてきた。

 

「はい。それはいます。それは私たちよりもパワフルです」

「えっ、本当ですか?」

 思っても見なかった返答に思わず目を丸くする。

 彼らの言葉を解読してみると、どうやら"アントリア"の東部には元から2体の強力な悪魔が住み着いていたとのことだった。

 1体は堕天使"オリアス"。この名前は聞いたことがある。

 確か"ブルージェット"号を壊滅させ、シュバルツバース調査隊の現場責任者であるゴア隊長を殺害した悪魔だったはずだ。そして、タダノ君の手によって討ち取られたとも聞いている。

 

 残るもう1体は妖精"ローレライ"。こちらは"オリアス"をはるかに上回る力を持ちながら、気まぐれで風来坊な気質が影響して、めったに姿を現さないらしい。

 小生はこの風来坊な悪魔の情報に一縷の望みを賭けることにした。

 心持ちアクセルを踏む力が強まる。

 

 "レッドスプライト"クルーが提供してくれた情報の中に"ローレライ"なる悪魔の情報は存在しなかった。

 つまり、このセクターの魔王とタダノ君たちが壮絶な戦闘を繰り広げている時も、全く姿を現さなかったということになるだろう。

 何故か? 恐らくは魔王の軍門に下っていなかったからだ。

 ならば、中立の態度を取ってくれるかもしれない。いや、取ってくれるだろう。

 心持ちハンドルさばきも軽やかになる。

 

 ……後になって考えてみると、この思考は希望的な観測によって成り立つ至極甘い見立てであった。あるいは時間制限の差し迫った焦りによって、少々軽率になっていたのかもしれない。

 何故、タダノ君たちの前に"ローレライ"は姿を現さなかったのか。

 単純な話だったのだ。

 

 要するに、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 魔王も人間と同様に殲滅する対象だった。

 

 "レッドスプライト"クルーからもたらされた情報によれば、"アントリア"の魔王は、さながら戦時中のような焼け野原の町並みを世界として生み出していたのだという。

 であったならば、この氷の世界は一体何なのか?

 

 

 "ブルージェット"号の残骸を遠目に認めた調査車両に向かって、無数の氷塊が降り注いだ。

「う、うわわっ!?」

 慌ててハンドルを切るも、勢いに駆られて車両は横転。小生とタンガタ・マヌさんたちは車両の外へと投げ出される。

 軽い脳震盪に混濁する小生の視界に、宙を舞う緑髪の少女が浮かび上がった。

 端正な顔つきだ。ただし、その顔色は水死体を思わせる。

 あれは、ハープだろうか。見るからに技巧をこらして作りあげられたであろう楽器に腰をかけて嗜虐に満ちた笑みを浮かべていた。

 

「クスクス、クスクス」

 小生は確信する。

 あ、これ話の通じん奴や、と。

 

「――クスクス、クスクス。人間ね。人間がやってきたのね? "モラクス"を殺した人間の仲間? 誰でも良いわ。私の声を聞いてくれるのならば」

「……あー、私たちに力を貸してくださるんなら、いくらでもコンサートを開いてくださっていいんですが。観客も集めますよ?」

「あかんて、兄ちゃん。"ローレライ"姐さんの歌声聴くと常人なら死ぬで。そこはウチの六甲おろしにしとき」

 

 

 

 ん?

 

 理解が追いつかず小生が辺りを見回すと、"ローレライ"の背後に立ち並ぶ氷柱の一本に、これまた緑髪の少女がコアラの如くしがみついている姿を見つけることができた。

 ハープ持ちの女性との違いは、見るからに業物の西洋剣を小脇に抱えていることだ。って……。

 

「え、何? この、何?」

 ちょっと意味が分からない。

 十中八九、敵であるはずの"ローレライ"の後ろに見える、敵か味方かわからない少女の存在が小生の混乱を加速させる。

 緑髪の少女はしばしこちらの反応を観察した後、何か閃いたように自らの立場を宣言した。

 

 

「シベリアを抱きしめてまんねん」

「ちょっと何言ってるか分かりません……」

 シベリアじゃなく、ここは南極、いや。"アントリア"だろと言うべきか。今の状態を聞きたいんじゃないんだよと言うべきか。

 

「そういうとこやで、兄ちゃん」

「ちょっと、どういうところなの……?」

「うーん、兄ちゃんは理想の勇者様違うんかもなあ」

「だから、何が!?」

 まさかの"ローレライ"姐さんまで嗜虐的な笑みを引っ込めて、真顔になってしまっていた。

 

 

「人間。私の声を聞いて欲しいのだけれども」

「アッハイ」

「この子、ちょっと外へ連れて行ってくれないかしら? この子ったら、この年になって今更何の影響を受けたのか、変な風に夢見がちになってしまったのよ。もしかしたら、箱入りに育てられたのがまずかったのかしら……。だから、気分転換もかねて一度外の空気を吸わせてあげたいのよ。勿論報酬も用意するわ。私の頼みを聞いてくれている間だけは、敵対しないでいてあげる。どう?」

「ハイ。ハイ?」

 うん。

 何が何だか、全く分からん……。

 ただ、どうやら今すぐの戦闘を回避できたようで、小生はひとまず安堵の息を吐いた。

 




名前  ハゲネ("エルブス"号機動班リーダー)
種族 属性
英傑 NEUTRAL―NEUTRAL
Lv 56
HP 507
MP 121
力 57
体 50
魔 30
速 50
運 35

耐性
物理 銃 火炎 氷結 電撃 疾風 破魔 呪殺
 -  -  -  -  -  -  -  -

スキル
忠義の斬撃 冥界破 グランドタック 道具の知恵・癒 道具の知恵・攻


名前  ラリョウオウ("エルブス"号機動班)
種族 属性
英傑 NEUTRAL―NEUTRAL
Lv 49
HP 480
MP 98
力 53
体 45
魔 18
速 38
運 30

耐性
物理 銃 火炎 氷結 電撃 疾風 破魔 呪殺
 - 無効  -  -  耐性  -  -  -

スキル
慈愛の反撃 ジャベリンレイン 怪力乱神 道具の知恵・癒 道具の知恵・攻




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シュバルツバースでヒッチハイクガイド

 恐らく――、いや間違いなく小生は幸運だったのだろう。

 遭遇時にいきなり襲い掛かってくるという荒っぽい対応、そしてこちらに向ける好意的でないまなざしを思えば、今小生の目の前に浮かぶ"アントリア"東部の実力者、妖精"ローレライ"との遭遇は、本来ならば不幸な幕引きを迎えていた可能性が非常に高い。

 その具体的な結末がどのようなものなのかは考えたくもないので、さておくとして……、とにかく敵意にまみれた彼女の心に寛容さをもたらしたのは、剣を抱える緑髪の少女であった。

 小生は「外の世界に連れて行って欲しい」と頼まれた少女をじっと様子見する。すると即座に鋭く尖った氷塊がヘルメットの側頭部を掠め、浅からぬ傷をつけていった。何で!?

 

「この子を傷物にしたら、八つ裂きにしてあげるから」

「エッ、エェェッ……!?」

 本物の殺意と尋常でない気配に小生はその場で震え上がる。

 やはり、"ローレライ"は小生に良い感情を抱いていないらしい。であるからこそ、疑問が募る。

 小生は死人同然の顔色をした女性に、恐る恐る問いかけた。

 

「あの……。何点か質問よろしいですか?」

 "ローレライ"は真顔でこちらを見下ろしたままだ。これはちょっと反応に困る。

 愛想笑いを浮かべながら揉み手をし、さらに問う。 

 

「さ、先ほどの依頼。お受けすることはできるのですが、やっぱり事情は伺いたいと……。駄目、ですかねえ?」

 こちらの粘りに折れたのか、"ローレライ"が小さくため息をつく。そして、宙に浮かぶハープに身体を持たれ掛けさせながら、口を開いた。

 

「良いわよ。それだけのことを頼むわけですものね」

 小生を苛む殺意が弱まったことに、まずは安堵。言葉を選びながら、慎重に情報を聞き取っていく。

 

「まず、大前提としての質問を。貴女は小生らにとって味方ではないのですよね?」

「むしろ敵だわ。貴方たちはこの星を蝕む害虫ですもの。"選ばれなかった人間"とわざわざ交わる必要性を"私は"感じない」

 いくつか引っかかる言い回しがあった。だが、今は置いておくことにする。

 現状、重要なのはそこではない。

 小生は続けた。

 

「……ならば何故、小生らにお仲魔を預けようとなさっているのですか?」

 ここが分からないところだった。見るからに大事に育てたらしい少女を、何故敵と断言する相手に預けようとしているのかが理解できない。

 勿論、この場を無傷で切り抜けるために、彼女の要求を受けざるを得ないことは疑いようのない現実であろう。

 しかし、それによって小生の死よりも大きなデメリット――、例えば"箱庭"が崩壊するといったリスクを負わなければならないのだとしたら、こちらも腹をくくる必要がある。

 こちらの必死の問いかけに答えたのは、"ローレライ"に守られた少女であった。

 少女は緑髪を細い指でかきあげ、ばつが悪そうに目を逸らしながら言う。

 

「あー、それな。ウチの我侭やねん。ウチが"今の人間"と交わりたい言うたから、姐さんが我侭聞いてくれはったんよ」

「交わりたい、ですか?」

 こちらの声に少女は頷き、更に続ける。

 

「せや。ほら、ウチは昔から人間に恩恵を与えてきた種族の娘やろ。ほなら人間が滅びる前に、もう一度関わり合いを持っとこうとな。自分の目で今の人間があかんと確認したわけでもなく、何も関わらずにいなくなるんはやっぱり寂しいやろ。ひょっとしたら、勇者の一人や二人は"次に"引っ張っていけるかもしれんしな」

 先だって、少女と交わした会話が思い起こされる。

 徹頭徹尾、ボケ倒した会話の中にあった『兄ちゃんは理想の勇者様違うんかもなあ』という呟き。

 あれを聞いて、"ローレライ"は小生に彼女を預ける気になった。

 

 ん? あー。あー。

 読めてきたぞ……。

 こちらの理解を推し量ったのか、"ローレライ"の表情が歪んだ。

 

「察しが良いのね。不愉快だわ」

 あはは、と愛想笑いを浮かべておく。

 要するに、彼女は少女が言う"理想の勇者様"が実際に現れないよう、()()()()()()()()()()小生に少女を預けようとしているのだ。

 少女自身の能力か、何らかの異能かは分からないが、恐らく身の安全はある程度保証できているのだろう。

 その上で、少女の失望を誘っている。失敗を望まれているのだ。

 これ、かなりめんどくさい案件だぞ……。

 小生はなけなしの頭をフル回転させて、現状最も利益を引き出せそうな選択肢を探し出す。

 

 小生の推理が正しいのならば、少なくともこちらが少女の失望を買うまでの"箱庭"の不可侵は保障されているといってよい。

 慎重に、慎重に申し出る。

 

「お話は分かりました。この依頼、喜んで引き受けたく思います。ただ、ですね。小生はお嬢さんのお眼鏡に適わなかったとして、小生の仲間たちに会わせようにも、会わせる前に壊滅してしまう可能性が高いです。実はゴミ山の巨人が我々の"箱庭"に軍勢を送り込んでおりまして。このままでは、お嬢さんの望みに沿うことも難しくて、ですね……」

「何や、防衛力に難があるんかい。アッチソンやメッセンジャーはおらんの? 名投手やん」

「いや、投手に過度の期待をかけすぎ……、もっと野手と打者に責任持たせて……、ていうか"箱庭"は阪神球団じゃないんですよねえ!」

 ヘルメットを氷塊が掠めていった。何これ、理不尽すぎる。

 小生の顔色が真っ青になったことに溜飲を下げたのか、"ローレライ"は険しい表情を緩めて言った。

 

「ならば、貴方たちの"箱庭"とやらでこの子が交流するまでは、私の眷属を使って"腐りただれた国"を攻めましょう。それで時間が稼げるはずです。どうせ、いずれコトワリを求めて競い合う相手。ここで力を削っておいても損はないですからね」

「え、あ、ありがとうございます!」

 良し、良し良し! 後のことはさておき、当面の増援を得られたことは大きいぞ。小生は思わずガッツポーズを取る。

 話がまとまったと判断したのか、少女も諸手をパンと叩き、喜色を浮かべて明るい口調で言った。

 

「ほな、兄さん暫くの間よろしく頼みますわ。ウチは妖精"ヴィヴィアン"。人はウチのことを"道頓堀の乙女"と呼びます」

「何その清くなさそうな乙女」

 しまった、と思った瞬間にはガンと氷塊がヘルメットを揺らしていた。

 一応殺さないよう手加減しているつもりのようだったが、人間の身体は脆いのである。

 

 小生は一瞬の内に"アケロンの川"へと超高速成仏を果たし、白髪の老人からドラ焼きを進められたところで"ヴィヴィアン"の蘇生を受けるのであった。

 

 

 

 さて、横転状態から復旧させた調査車両に乗り込み、各種車載機器の再起動を行う。特に深刻な故障は見当たらないようだ。

 エンジンを回して、シフトスイッチを操作する。フルオートマチック機構が故障していなくてよかった……、マニュアルのトランスミッション操作は苦手なんだよなあ。

 ハンドルを握り、後部座席を振り返れば、ヴィヴィアンさんがどっかと座席に飛び込んでいた。

 

「おー、意外と座席ふっかふっかやないの。VIP待遇ええやん。葉巻とグラサン用意しよか。ん、何や。タンガタ・マヌはんも乗りはるんか? うっふふ、ええよ。ウチは寛大やから、脇どけたるわ。ちょ、あかん。人数考えて! そんな数入らんて!!」

 瞬く間に単独のVIP待遇から、タンガタ・マヌさんたちによるドナドナ地獄のおしくらまんじゅうへと変化したことに、ヴィヴィアンさんが悲鳴をあげる。それでも彼らを追い出そうとしないあたり、社会性はあるようだ。

 ほんの少しの安堵を覚え、小生は彼女に声をかけた。

 

「助手席に来られますか? 機材をどければ、スペース作れますけど」

 こちらの呼びかけに、ヴィヴィアンさんが緑髮の分かれ目から覗く目を丸くする。

「ほんまか? でも、ウチ地図の読めへん女やで」

「別に地図は小生が読めますし、特に補助が必要なことはありませんよ」

「そら助かりますけど、ほなら何で助手席って言うねん。何を助手するんや。エロいことはNGやで?」

「むしろそんな発想に至ったことにビックリですよ!」

 小生はたまらずツッコミを入れた。氷塊は飛んでこない。一応、車外より攻撃が飛んでこないかビクビクしつつ、「そんなもんなんやなあ」と一人納得するヴィヴィアンさんを観察する。

 どうにも彼女の常識や知識には妙な偏りがあるようだ。先だっての阪神知識もそう。それでいて、"今の人間"を知るために関わり合いたいと。いや、大分知ってるじゃないかとツッコミを入れなかった小生の自制心を自画自賛したい。

 

 うーん、確認しておいた方が良い案件なのかな。これ……。

 一応とばかりに小生はアクセルを踏みながら、彼女に問う。

「随分と"今の人間"についてお詳しいように見えますけど、今更交流の必要ってあるんですか?」

「あー、兄さん。それ誤解やで。ウチは"今の人間"について知っているんとちゃう。"今の人間"の記録を生まれ落ちた時に刻み付けられたから、知っとるだけなんや」

「んー、んー?」

 すぐには理解しがたい答えが返ってきたため、小生は反応に困って眉を寄せる。

 氷山の立ち並ぶエリアに終わりが見えてきた。十分に安全マージンを取った運転を心がけつつ、小生は彼女の補足説明を待つ。

 

「えっとな。ウチらみたいな最近生まれた悪魔は"地球意思"が生みの親なんよ。"今の人間"を滅ぼして、この星を掃除するために創られたんや。せやから、生まれ落ちた時には人間についての知識を植え付けられとるわけやな。ここまでは分かるか?」

「あー……、一応は」

 彼女の言に妥当性があることは、今までの状況を鑑みれば容易に理解できる。むしろ、「"地球意思"についての推測は正しかったのかあ」とでも呟きたいくらいだ。勿論、理解と納得は全くの別問題であり、小生を苛む失望感と胃痛は如何ともしがたい。

 ヴィヴィアンさんはさらに続ける。

 

「ただ、知識は結局実体験には勝てへんねや。"地球意思"がいくら人間滅せよ言うても、助けたくなる人間おるやんけ! てなるのが義理と人情の世界やろ。せやから、"ヴィヴィアン"であるウチは直に人間を見たい。ウチの考えは間違っとるか?」

「人間の立場からすれば、ありがたいとしか言いようがありませんよ。それ」

 彼女の口から明かされたこのシュバルツバースの真実は、小生らの現状認識を大いに深めてくれるものであった。

 何故、このシュバルツバースの悪魔は人間を襲うのか。白血球の持つ免疫機能に対し、何故ウイルスを攻撃するのかと疑うものはいない。そういう風に創られたものだからだ。そして、白血球であるはずの悪魔の中にTALKで仲魔になるものがいる理由に関しても理解できる。新たな知的生命体として彼女のような悪魔たちが創られた以上、そこに自由意志があっても別段おかしくはないからだ。いくら"地球意思"によって人類殲滅の指令が布告されようとも、そこに個々人の自由意志が存在する限り、絶対に従わなければならないという道理はない。ただ……、そうなると気になることが生じてくる。

 

「"地球意思"が生み出したわけではない、古い悪魔は人間をどう思っているんですか?」

 気づけば、セクター"アントリア"の辺縁が眼前に広がっていた。助手席のヴィヴィアンさんは口許に人差し指を当てながら、言う。

「それこそ、存在によりけりやろ。あのけったいな天使たちなら、主の復活に役立つならば~て味方のツラをするかもしれんし、大昔の生き残りやったら、自分の得になるなら~て考えるんやないか? 大事なんはウィィンな関係やと思うで」

「ウィン・ウィンですかあ」

「それや」

 話を聞きながら、小生が思い浮かべていたのはトラちゃんさんの顔であった。

 彼女は間違いなく大昔の生き残りにカテゴライズされる存在だ。今はウィン・ウィンの関係を築き上げられているよう見受けられるが、だからといっていつまでも蜜月が続くと考えてしまうのは、あまりにも楽観視が過ぎるだろう。少なくとも小生が所属していたシュバルツバース調査隊、ひいては人類全体の主目的と、彼女の目的がうまく組み合う有効な方針は未だ見つかっていないのだから。

 これ。いい加減、見えてこないとマジでまずいんだよな……。ハゲネさんたちの問題も然り、あまりにも据え置きの懸念が多過ぎるのである。

 そして、差し迫ってやってくる矢継ぎ早のピンチが落ち着いて考えるゆとりを与えてはくれない。

 小生は車両の通信設備をぱちりと起動させ、"レッドスプライト"号へ連絡を入れた。

 

『ハロー、こちら"レッドスプライト"のアーサー。通信感度は良好。アナタは"NOAH"のヤマダ隊員ですね?』

 相変わらずの無機質な音声は、"レッドスプライト"の指令コマンドのものだった。予告なしの通信にヴィヴィアンさんが「わ、ハイテクやなあ」と目を丸くしておられる。トラちゃんさんといい、悪魔とはメカに弱いものなんだろうか?

 まあ、それは今考えることではない。小生は今までの経緯を手短に話すべく、口を開いた。

「御察しの通り、ヤマダです。現在"箱庭"が直面している危機の報告と、種々の情報共有のため、通信させていただきました」

 こちらの言葉に対する反応はすぐさまに返ってきた。

 元よりアーサーは人類の技術を結集して組み上げられた超高性能AIだ。それ故に人間のような息遣いも、聞き間違えも、相手に対する遠慮の意識も存在しない。

 

『ナルホド。それならば、前者については既にこちらでも把握済みであることをお伝えしましょう。今から9時間3分前に発生した奇妙な次元歪曲現象についての情報収集をはかるため、セクター"カリーナ"における艦外調査と並行してセクター"NOAH"に通信を送っていたのです』

「え、連絡が取れたのですかっ?」

 意外な返答に小生の声は上擦る。

『すぐには取れませんでしたが、今から3時間34分前に返信があり、大体の事情はつかめました。今もリアルタイムの通信を継続しており、貴方が抱いているであろう懸念をすぐにでも解決できます』

「なんでや、阪神関係ないやろ!!?」

「本当に関係ないんで、ちょっと黙っていてくれませんか!?」

 突然、ヴィヴィアンさんが発狂し始めたため、運転席の収納スペースから希少な栄養バーを取り出し、彼女へ放り投げる。

 

「おっ、気がきくやないの。今日はこの辺で勘弁したるわ」

 と、もっさもっさとバーを頬張るヴィヴィアンさん。「あー、プロテインの音ぉー……」などと妄言を垂れ流しておられるが、プロテインの音なんてない。いい加減にして。

 

「それで皆さんは無事なんですか?」

『ええ、善戦しています。映像を中継いたしましょうか』

「お願いしますっ!」

 直後、カーナビのディスプレイに空中から撮影したであろう"箱庭"の映像が受信される。恐らくは"箱庭"の住人によって打ち上げられたドローンによって撮影された映像だ。映像の中で、荒野の中にぽつんと佇む"箱庭"は雲霞の如き悪魔の群れに取り付かれ、一進一退の籠城戦を繰り広げていた。

 "箱庭"の面子の中で、最も水際立った大活躍を見せているのは当然ながらトラちゃんさんであった。

 

『どっせぇぇぇい、メディラマ! おうりゃあああ、メディラマ! 今がチャンスよ、女神の力を味わいなさぁぁぁい!! それとメディラマ!』

 ただひたすらに光る拳を振り回し、有象無象を殴り飛ばす。手近な敵を仕留めた合間に、仲間の傷を異能で癒す。その繰り返しが敵の勢いを完全に砕いている。当人の疲れは敵を討ち取るたびに自己回復してしまうわけだから、これは最早永久機関といってもいい。改めて彼女の規格外さを思い知らされる。

 

「何や、あのおっかない死神……」

「うちの女神様です」

「死神とちゃうん?」

 どうやら彼女の実力はヴィヴィアンさんをして、頭おかしいレベルのようで「戸締りしとかな」と顔を青ざめさせている。

 しかし、うちの女神様にも弱点があった。魔人"デイビット"との戦いで判明した事実であったが、実力者が相手だとそのマルチロール性のために手が足りなくなってしまうのである。現に彼女が相対しているのは一撃で仕留められるような力の弱い悪魔に限定されていた。

 故に実力者との戦いを別の面々が負担することになる。

 

突撃(アサルト)ッ!!』

 ハゲネさんの指示出しにより、有機的に連携した7人が陣形を作って敵の群れを切り裂いていく。

 先頭はエースとハルパスさん。その側面サポートに正体を現したハゲネさんとラリョウオウさんがまわり、後方にスパルナと根本を有したゼレーニン中尉がいた。

『ネモ、スパルナ。お願いっ!!』

『へっ、任せとけいっ!!』

 中尉の声援を受け、2体の悪魔が異能を無差別に放つ。根本の息吹はハリケーンを思わせる突風に変わり、周囲10メートルの敵をドミノ倒しに薙ぎ倒す。そして無防備になったそれらをスパルナの羽ばたきが生み出した真空の刃が襲った。

 しかし、彼女らの援護射撃はあくまでも質量の小さな個体を蹴散らすだけに留まる。厄介な大型の悪魔にはエースたちが間髪入れずに斬り込んでいった。

 

『――人間。そこのウスノロを狩るぞ!』

『朝飯前だ、馬鹿野郎!!』

 姿勢を低くして駆け出したエースの構える新型の突撃銃が火を噴く。"レッドスプライト"のアーヴィンさんによって製造された、対悪魔性能の高い一品だ。精密な射撃で両目を潰された獣は、黄金色の毛皮を血で汚しながら、両腕を振り回し、その場の悪魔たちを巻き添えにしながらもがき苦しむ。それの暴走を物理的に食い止めたのが、ハルパスさんだった。

『予期せぬ闘争……、滾るわッ!!』

 軽やかな跳躍で獣の眼前にまで跳躍したハルパスさんがコンパクトな動作で細剣を一閃、直後に獣の動きがピタリと止まる。そして、ごとりと巨大な首が地面へと落ちた。まるで居合のような、惚れ惚れするような凄技だった。

 

「何やねん。ウチの知っとるハルパスとちゃうねんけど」

「ハルパスさんはハルパスさんなんじゃあないんですか?」

「いや、せやけど。違和感あんねん。察してや、この乙女心」

 知らんがな。

 さて、一人と一体の連携攻撃に巨大な獣が討ち取られる中、現場の指揮を取っていたハゲネさんが突如動きを見せる。動揺した敵集団の中に、明らかに戦況を観察していたであろう悪魔を見つけたのだ。

 それは青い肌を持った人型の悪魔であった。手には法螺貝を持ち、まるで修験者のような格好をしているが、その背中には大きな羽根が生えている。

 ハゲネさんは修験者に向かって迅雷の速度で襲い掛かり、手持ちの長剣を下段から斬り上げた。が、届かない。

 修験者の法螺貝がハゲネさんの太刀筋を塞いだのだ。強襲に失敗したハゲネさんであったが、すぐさまに手の内を返し、長剣を袈裟に振り下ろす。防がれる。横薙ぎの一撃。防がれる。目にも留まらぬ速さで喉元を突く。修験者の動きに乱れが生じる。

 止まらぬ追撃に耐えかねた修験者が翼を羽ばたかせ、空へと逃げようとするも、それよりも速い速度でハゲネさんが跳躍し、渾身の唐竹割りで頭上から修験者を地上へと叩き落とした。

 

『――愚か者(ニュービー)め。ようやく顔を出した前線指揮官(コマンダー)を我々が簡単に逃がすと思うのか。ラリョウオウ、やれ!』

『イエッサー』

 墜落した修験者を待っていたのは、ラリョウオウさんであった。修験者の胸を力一杯に踏みつけ、抵抗を封じた上で剣を振り下ろす。

 修験者の顔で剣が砕けた。なまくらというわけではないのだろう。単にあの悪魔の体が硬いのだ。だというのに、ラリョウオウさんはそれに頓着することもなく、ただひたすらに敵を叩き砕く。

 修験者が痙攣を始めた。それでもラリョウオウさんは、剣を振るう手を止めようとしない。徹底的に、敵を潰す腹積もりのようだ。ただ、それを眺めていたハゲネさんは、もう加勢する必要はないと見たのか、他の獲物を探すべく、仲間達へと指示出しを始めた。

『頭は潰した。弱いところから食い破れ!! 我々に挑んできたことを後悔させてやるんだ!! ゴー! ゴー! ゴー!!』

 

 

 ――うん。

 うーん……。

「……素朴な疑問なんやけど、これウチらの加勢要る?」

「あ、あれぇー……?」

 ヴィヴィアンさんの指摘に、小生も思わず首を傾げた。

 彼女の言う通り、中継から伺える戦況は思っていたよりずっと優勢のように見受けられる。いや、しかし。物量差が……、野球だって怪我の続出で控えのいない球団はシーズン後半から失速するものだ。この調子がいつまでも続くわけがない。てか、皆で敵陣にまで攻めに出てるけど、守備はどうなっているんだこれ。

 

「アーサーさん、これドローンのカメラを"箱庭"へ寄せることってできますか? こちら側の操作で」

『ハイ。この攻勢が無理のないものなのか懸念を抱かれたのですね。やってみましょう』

 と答えるや否や、カメラの映像が攻勢をかけている正面以外を順繰りに映すように移り変わっていった。

 どうやら側面にはディオニュソスさんと新米メンバーが防衛についており、後方には花子さんとカンバリ様が控えているようだ。

 

『フフフ……、酒飲み仲間を手に入れた私に怖いものはありません……! 身体が軽い、もう何も怖くない、とりあえず脱いでおきましょうっ!!』

『皆を苦しめる悪魔たちは、天罰☆てきめん! です!』

 花子さんの放った強烈な電撃が"箱庭"の隙を伺っていた悪魔たちを薙ぎ払っていく。そして、ディオニュソスさんがホップステップと華麗な跳躍を決めた後でトーガを脱ぎ捨てた。何でだ。

 いや、しかしディオニュソスさんの裸を見た一部の悪魔が混乱をきたし、何故か同士討ちを始めたではないか。ほんと何でだよ。

 

「あー、ファイナルヌードやな。魅了を司る異界魔法の一つや。あほくさく見えるかも知れへんけど、あれで精神汚染能力はすこぶる高いねんで。絶対食らいとうないけど」

「確かに」

 大真面目に同意してしまったが、防衛に使えるのならば何も問題はない。それよりも。

「それより、おかっぱ着物の嬢ちゃんの方が辛いな。あんな大技、連発できるもんやないで」

 眉根を寄せるヴィヴィアンさんの懸念は正しく、極大の電撃を放った後の花子さんは肩で荒い息をついていた。電撃の合間を縫おうと突撃してくる悪魔たちをカンバリ様が食い止めていたが、それもいつまで続けられるものか。

 

「あっ!」

 何度かの連発の後、ついに花子さんがぐらりとよろめいてしまった。傍にいたレミエルさんが彼女の方を抱き支えたが、これで"箱庭"の後方は迎撃能力を失ってしまったことになる。途端に殺到する悪魔たち。まずいぞ、これ!

 

「カンバリ様っ! 花子さん! レミエルさん!」

 こちらの声が聞こえないことはわかっているというのに、小生はカーナビにすがりついて必死に叫んだ。その声が届いたわけではないのだろうが、悪魔たちの前へと筋骨隆々な大男が歩み出ていった。

 あれは、バースさんだ! 手にはバットも持っている!! んんん!?

 

『ヴェー、ヴェーヴェーヴェー……』

 バースさんが突如、意気揚々とアメリカンスタイルにバットを構えた。そして何処からか彼の目の前に放り投げられた異能の力が込められた石……。よもや!

 次の瞬間、カキィンと石が悪魔たち目掛けてライナー軌道で飛んでいった。エース顔負けの精密射撃だが、それによって引き起こされる結果が異なる。超高速で撃ち出された石は激突した1体目の悪魔を貫通し、2体目の悪魔を破裂させ、3体目の悪魔を骨格を完全に粉砕させた後、周囲に冷気を放出し始めた。更にもう一発の打球。駄目押しにもう一発の打球。ヴィヴィアンさんが叫んだ。

 

「マイク・イースラーやん!」

「そこかよ!」

 しかも間違ってる。日ハムと阪神くらいに間違っている。

「いや、どう考えてもバースでしょう。バッティングフォームも」

「嘘やん。ヴェーヴェーヴェーはイースラーやろ! 何で打席で落ちへんのや!!」

「打席で落ちるって何!?」

 彼女の言っていることがかけらも理解できなかったので、ここは捨て置くことにする。どうやら石の補給をしているのは、フランケン班長のところにいた片足義足のメイドであるようだった。

『ヴぉい』

『ヴェー』

『ヴぉい』

『ヴェー』

 巨大な斧を手元に立て掛け、やる気がなさそうに石を放っている。

 そこに着物をまくってムンとガッツポーズした花子さんが復帰した。

 

『チャクラドロップの甘味で、花子復活ですよ! 天罰☆てきめん!』

 花子さんが奮闘し、電撃が周囲を駆け回る。

『ヴェーヴェー……』

 バースさんが打席に立つ。

『天罰です!』

『ヴェーヴェー……』

『べ、ベーベー!』

『ちょっと、うちの花子に悪影響が出ていますから静かにやりなさい。ベルセルク!!』

 ついに傍にいたレミエルさんがキレた。気持ちは痛いほどによくわかる。

 

「あっ、ベルセルクだからイースラーのモノマネなんか! お姉さん一本取られたわ!!」

「何でやねん」

 それは全くよくわからないため、呆れ声でため息をついた。そこにアーサーからの提案が差し込まれる。

 

『ご覧の通り、"NOAH"の方々は善戦しています。彼らが当初に見込んだ予想よりもずっと。そこでアナタに提案なのですが、このまま拠点へ直帰するのではなく、移動距離としては少し遠回りになりますが、"カリーナ"付近で戦力拡充の探索をしませんか?』

「それは……、そんな悠長にしていられる時間がありますか?」

 少し承服しがたい提案に、小生は難色を示す。万が一道草を食ったことで、"箱庭"が壊滅してしまっていたら、小生は自分を生涯許すことができなくなってしまうだろう。

 そんな小生の懸念に対し、アーサーは理路整然と提案の根拠を示していく。

『アナタの懸念はもっともです。しかしながら、この提案は移動距離こそ遠回りになったとしても、戦略上は遠回りではないのです』

「と、言いますと?」

『単刀直入に言えば、"カリーナ"に隣接した地域に正体不明の……、"NOAH"のような小セクターが生じています』

「エッ?」

 小生は驚きの声を上げる。そんな情報は今までに聞いたことがなかったからだ。アーサーは続ける。

 

『小セクターの存在を観測できたのは、先程の次元歪曲現象以降のことです。恐らくは巧妙に隠蔽されていた空間なのでしょう。あんなことがなければ、今後発見されることもなかったかもしれません。さらに付け加えるならば、"カリーナ"の敵性存在と小セクターの知的生命体が争いあっているであろう映像も撮影できました。映像をご覧になりますか?』

「お、お願いします!!」

 アーサーの言が本当ならば、"ローレライ"と同様に敵対を避けた不可侵、ないしは共闘の約束を取り付けられる可能性がある。何故"レッドスプライト"の人員をそちらに回さないのかについては、単に余裕がないからだろう。何せ、今は魔王"オーカス"と直接殴り合っている真っ最中だ。現状、何処にも紐付けられていない遊動戦力である自分に目をつけた理屈は理解できる。

 ディスプレイに映像が表示された。

 

 そこはショッピングモールに隣接する、ところどころ赤茶けた土の露出する小さな野原であった。小さいながらも透き通るような泉の側に、木造の家が建っている。その門前には、槍を携えた少年が立ち塞がっており、近寄る悪魔たちを問答無用で刺し貫いていた。

「ん? あっ……」

 何故かヴィヴィアンさんが妙な声を上げた。

「何かご存知なのですか?」

 とこちらが問いかけると、彼女は何とも言えない表情で言葉を濁す。

「んー……、知ってるんやけど、ウチからは何とも言えへんわ。姐さんにどやされてまう。で、そこのテレビに住んでる電霊の言うこと聞いて"お屋敷"に向かうんか?」

「差し障りなければ、そのつもりですが」

「そっかー、そうなるんかー……。まあ、そういう星の巡りなのかもしれへんなあ」

 そう言ったきり、ヴィヴィアンさんは何かを思案するように黙り込んでしまう。

 どうやら、小生らがあの屋敷に関りを持とうとすることは、彼女にとっての姐――、つまりは"ローレライ"の意志にそぐわぬものであるらしい。

 ハンドルはそのまま、アクセルを踏みながら、小生は少し考える。

 "箱庭"の現状。敵味方、中立の把握。"レッドスプライト"への貸し。中立勢力への挑発となる恐れ。メリットとデメリット。

 

 まだ、何処でハンドルを切っても時間的なロスは発生しないであろうと思われ、小生は地平線の彼方に小島のように浮かぶ各セクターを見回しながら、ハンドルを右に切るか、左に切るかの判断に迷う。

 正直、判断材料が足りないのだ。後もう一手でも後押しがあれば、右にも左にも振り切れるというのに。

 

 と、そこで後部座席からぬぼっとした手が伸びてきた。

 すし詰めになったタンガタ・マヌさんの一人だ。

 どうやら何かを指し示しているらしく、いつもながらの不自由な言語で小生に注意を促してくる。

 

「見てください。あれは人間のようなものです」

「ん?」

 小生が"バケツ頭"のカメラ解像度を上げると、"カリーナ"へと向かう道筋の中途に、こちらへと手を振る人影が一つ目に映った。

 あれは、シルエットから考えれば女性なのだろう。デモニカスーツを着ている。ただ、識別信号が出されていない。

 故障? まさか、いつぞやに襲い掛かってきた黒いデモニカの女性だろうか? いや、それならば、こちらへと手を振っていること自体がありえないだろうし、何より彼女は武装を持っていないように見える。

 

「調査隊の、仲間でしょうか?」

「はい、()()()()()()()()()()()()()

 小生はハンドルを"カリーナ"へと切った。メリット・デメリットはさておき、この危険な世界に孤立した人間がいると分かった以上、救出しなければならないと考えたからだ。

 ならば、"カリーナ"に隣接する小セクターとやらにも立ち寄った方が、色々と無駄もないだろう。人命の価値が小生の背中をそっと押した。

 

 スピードメーターが高速域で安定し、巨大なショッピングモールが徐々に、徐々にと全貌をあらわにする。

 調査隊の女性は、まるで郊外の道路脇でヒッチハイクでもするかのような気楽さで、こちらに親指を向けてきた。

 ……いや、女性ではない。丸みを帯びてはいるが、恐らくは限りなく中性的な細身の男性のようだ。

 接触まで残り80メートルといったところで小生はアクセルを緩め、強化ガラスを開けて運転席から身を乗り出した。

 

「"レッドスプライト"の方ですよね。こんなところでどうされたんですか?」

 この問いかけに、中性的な印象を持つ青年はにこやかな様子で答える。

 すぐに口を開こうとして、何かに気づいて"バケツ頭"をコンコンと叩いた。何のジェスチャーだろう。

 

「ん、あーあー。こんにちは。初めまして。私は"レッドスプライト"という舟の乗組員ではないよ。"ブルージェット"といえば分かるのかな?」

 "バケツ頭"の防護面を持ち上げて彼の漏らす声色もまた、奇妙なほどに中性的であったが、そんなことよりも発言の内容が問題であった。

「えっ、2号艦の生き残りですか!?」

「ああ。うん、そうなんだ」

 思わず目を見開いてしまう。2号艦の"ブルージェット"号といえば、堕天使"オリアス"の手勢に襲撃され、ヒメネス隊員以外のすべての人員が全滅してしまった艦のはずだ。

 その生き残りがまだ存在していた。

 この情報は"レッドスプライト"にも伝えなければならない。息巻いて、アーサーへと通信を入れようとし、

 

「でも、なんでこんなところに……?」

 根本的な疑問に行き着いた。ここは"アントリア"から随分と離れた、むしろ"カリーナ"寄りの荒野なのだ。

 今の今まで生き抜いてきたことも驚きであるし、"アントリア"の傍にいなかったことも正直解せない。

 小生が胡乱に思っていると、青年からぷっと吹き出した。ガラスの向こう側に覗くその相貌は女性と見紛うばかりである。

 

「私にも理解できる。ごく自然な反応だね。でも、私はちょっと他の人間よりも強かっただけなんだ。名前を調べてはくれないか? エノキという名前で登録されているはずだ。典型的なジャパニーズの名前のはずだよ」

「エノキさんですか。これはどうも、ヤマダと申します」

 彼の口ぶりがあまりにも堂に入っていたものだから、こちらもついぺこりと頭を下げてしまった。

 何というか、意味不明な威厳を彼は放っているのだ。パワハラ上司のオーラを柔らかくしたものと評しても差し支えはないだろう。

 一応、"レッドスプライト"へと通信を入れてみると、確かにエノキ隊員は実在した。

 念には念を入れてとばかりに、アーサーを仲介して元"ブルージェット"クルーのヒメネス隊員にも確認をとってみる。

 

 

『こちらヒメネス。って、何だよ。確か"レジャー施設"の管理やっている奴だったか』

 あ、"箱庭"って今そんな印象持たれているんだなあと愛想笑いを浮かべつつ、エノキ隊員について質問する。

 ヒメネス隊員はやや億劫そうではあるものの、エノキ隊員の印象について投げやりな口ぶりで語ってくれた。

 

「うーん」

 彼の語るエノキ隊員の身体的特徴と実物がぴったり合致する。

 駄目押しに彼の姿を撮影して画像を送信してみたが、ヒメネス隊員からは驚きの声が返ってきたので、彼がエノキ隊員であることは間違いがないのだろう。

 彼は本物の"ブルージェット"クルーだ。

 

「となると、何で"アントリア"にいなかったんです?」

 苦笑いを浮かべつつ、彼は口元に手を当てて答える。

「あそこには用がなかったんだ」

「え、用……、ですか?」

 彼は頷き、続ける。

 

「そう、大事な探し物があってね。"買いあさる国"ならばと思ったのだが」

「買いあさる……、セクター"カリーナ"ですか?」

「うん、その"カリーナ"にね。用事があったんだよ」

 うーん、何だろう。

 彼の言っていることは、明らかにおかしい。

 ただ、現に"ブルージェット"クルーのエノキ隊員は実在しているわけであり、ここは何らかの精神汚染を疑ったほうがいいのかもしれない。

 

「とりあえず、"レッドスプライト"号でゾイ女史のメディカルチェックを受けた方が良いでしょうね。シュバルツバースでの長期滞在が身体的、心理的にどんな悪影響を及ぼすのか分かったものでもありませんし」

 少なくとも、救助しないという選択肢だけはありえなかった。トラちゃんさん曰く、これは霊性の問題なのかもしれないが、人を見捨てるという行いにはどうしても抵抗があるのだから仕方がない。

 こちらが救助を申し出ると、エノキさんは嬉しそうに「乗せてくれるのかい?」とオーバー気味にはしゃいだ。

 小生はその喜びように少し救われたように心が軽くなり、後部座席を確認してから真顔に戻る。

 ――乗せられる座席がない。

 うんうんと知恵をひねり出した結果、後部ボンネットに積み込まれていたタンガタ・マヌさんを車の屋根にしがみつかせ、エノキさんの座席を作り出す。

 

「ルール違反はあまり褒められたことではないが、こういうのは少しワクワクするね」

「いや、苦労をおかけします……」

「――大丈夫だよ。こう見えても私は普通の人間よりも()()()()()()()()()()

 そりゃあ、武闘派揃いの"ブルージェット"クルーだものなあと思いつつ、ふと思いついた可能性をぶんぶんと振り払い、再びアクセルを踏み込んだ。

 厄介ごとは"レッドスプライト"に投げてしまえばいいんじゃないかと思考を放棄したからである。

 

 



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シュバルツバースで同族との邂逅

色々立て込んでいました。


 だいぶ積載オーバー(タンガタ・マヌさん成分強め)気味の調査車両が道無き道をガタゴトと進んでいく。

 荒涼たる大地にぽつりとそびえる摩天楼にも似た巨大なショッピングモールはもう目と鼻の先である。およそ1時間もかからずにその外縁部へと到着することだろう。

 カグツチの発光する空を野良の飛行悪魔が羽ばたいて通り過ぎる。気味が悪いほどに順風満帆だ。しかし、こういう時ほど要らぬアクシデントに見舞われるものだと小生の人生訓が警鐘を鳴らしていた。例えば、駐車場ってあるのかな……? いや、路駐でいいのか……? 何処か公的機関から苦情とか来たりしない……?

 小生が杞憂にウンウン頭を悩ませていると、全開にした窓の外から、小気味好い口笛が聞こえてきた。

 先刻、道中で拾ったエノキさんによるものだ。この音色は聖歌の635番かな? 細身の体を上機嫌に揺らし、空を見ながら熱演しておられる。

 あの曲、確か「さばきの日は近付けり」とかいうタイトルだった気がする。このシュバルツバースでそのチョイスは色々と皮肉が効いていすぎると思うんだよなあ。

 見るからに上機嫌なエノキさんは、これまた上機嫌なままに口を開いた。

「良い風が吹いているんだよね。偽りではない本物の風だ。"滅びの大地"に吹くはずのないものなのに、新しい"秩序"の芽生えを感じてしまうよ」

「えっ? "バケツ頭"をかぶっていても風って感じられるものなんですか?」

「あはは、いや。これは言葉の綾なのだよ。機械の殻で風が感じられるわけないだろう? あはは」

 小生は何も考えないことにした。無知は罪だとある人は言ったが、知っていることで降りかかる厄介ごともあり得るのだ。正直、大分嫌な方向にとある確信を抱きつつあるのだが、小生は何も見なかった。何も聞かなかった。良いね?

 

 と、小生が見猿聞か猿言わ猿を決め込んでいると、エノキさんが自由気ままな独奏を一時中断し、少し驚きの混じった声をあげる。

「どうしたんですか?」

「いや、大したことではないよ。"とても古い知り合い"から声をかけられて驚いただけなんだ」

「通信が入ったんですか?」

「ああ、うん。そうなんだ」

 そうぞんざいに返事して、エノキさんは通信相手とやらと話を始めた。

「……急にどうしたのだ。君とはだいぶ昔に縁を切っていたから、こんな形で便りがあるだなんて思わなかったよ」

 なるほど、確かに彼が話している相手は古い知人であるようで、語る言葉の端はしから懐かしさのような感情がうかがえる。そして、今は絶縁状態にあったのだという。この人類滅亡瀬戸際の最中に、何たる昼ドラ展開なのだろうか。小生は耳をそばだてる。

 

「大丈夫かだって? 大丈夫だ。何も問題はないよ。何故なら、私は何もしないからね」

 一体、何をしないというのだろう。この人類が生存のために死力を尽くす局面において、まさかのニート発言であった。これには小生もびっくりだ。何の話かはとんと理解できないが、少なくともこれが小生ならば、サボるなら「自分に可能な限り努力したいと思う」というように前置いてからサボることだろう。いや、多分実際は気分的に申し訳なさ過ぎてサボれないとは思うが、もし口振りだけだとしたって相手の神経を逆なでするような物言いはできそうにない。

 小生がエノキさんの強靭なメンタルに舌を巻いていると、彼はまるで自嘲するようにして続けた。

 

「主は万能だが、だからといって主に造られた私たちは万能ではなかった。それを私は理解したのだよ。尤も理解した時には、既に災厄に見舞われていたがね」

 更に言う。

「私たちは万能ではない。だが、何が正しいのかを知っている。だから、果報は寝て待つことにしたというわけだな」

 一体何の話をしているのか見当もつかなかったが、とりあえず見当をつけたくもなかった。多分、すごいややこしい案件だと思う。これ。言うなれば、パンドラの箱的なサムシング。

 故に小生は運転に集中し、そばだてていた耳をシャットダウンし、下手な口笛で彼らの会話を聞き流すことにする。"バケツ頭"内蔵集音マイクのボリュームは最小に調整。文明の利器って素晴らしい。

 んー。んー。曲を何にするか悩んだが、とりあえずはアメイジングなグレイス的なあれにしておこう。先だっても窮地を脱するのにお世話になったフレーズだ。小生は何も聞かない。何も聞きませんぞー。

 と小生が口を尖らせ、ぴゅーぴゅーやっていると、

「良い曲だね。それは」

 最先端の防音技術の壁をやすやすと突破して、突如古い知人と話し込んでいたはずのエノキさんが小生に笑いかけてきた。バックミラー越しに見える満面の笑顔。思わず、口笛もピヨっとなった。何で聞こえてくるんだよ。そっちはそっちに専念してくれよ。お願いだよ。

 

「えっと、お話はもういいので?」

「うん。君に声をかけることもその答えであるとも言えるしね。君の存在は私たちにとっては果報だった、というわけだ」

 ちょっと言っている意味がわからず、ショッピングモールの残骸らしき障害物を迂回するために傾けたハンドルとともに、首も同様傾ける。すると、エノキさんは上機嫌に続けた。

「君たちの祈りの言葉は"凍てついた土地"にも届いていたということなのだよ。私たちは総て正しきを歩めるわけではないが、あるべき結果を識っている。判別がつく。私の見立てでは、君の歩む道筋は私たちの"正解"へと向かう公算が限りなく高い。何の働きかけをせずともだ。これは誇るべきことだと思うよ?」

 ……おいおい。何やらよくわからない理由でよく分からない賛辞を贈られたぞ。どういうことかと問い返すよりも先に、エノキさんが「むむ」っとくぐもった声を漏らす。どうやら、古い知人に何かをまくしたてられたようだ。"バケツ頭"で覆われた耳を片手で塞ぎ、もう片方の手は煩わしそうにひらひらとさせている。

 

「まあね。ああ、そうだ。君の言う通りだ。主の在しまさぬこの世界において、確実や運命という言葉ほど虚しいものはない。だから、私たちは訝しんで人の子らに問うのだよ。貴方は何処へ行こうと言うのか(クオ・ヴァ・ディス)、と。正解に辿り着けば良し、辿り着かねば残念だったね、と。未来視を誇る君とて、"お気に入り"が思ったように動かなかったことはあったろう。それで君は愛し子の独り歩きを見た時にどうした? 分かるだろ。()()()()()()()()()()。そういうものなんだよ。何せ、今回の私は、いつもの君と同じ立場にいるのだからね」

 バックミラー越しに見る、頬杖をついた彼の横顔は、まさしく「してやったり」と考えているかのように頰が緩んでいた。小生の頰は引きつっていた。

 

「今度の私は決して導かない。道先案内人を務める自信がなくなってしまったからね。ただ、正しき道を歩もうとする者の後を見守り、引き返しそうなら背中をそっと押してあげるだけだよ。結果として正解なら、これを褒め称え、不正解ならば、これを嗜める。これ、気楽なものだね。全くずるい奴だぜ、君は」

 彼の物言いに小生はレミエルさんの面影を見た。ただし、共に悩み、共に歩もうとする過保護なオカンメンタルの彼女と比べて、彼の語る立ち位置はずっとドライで無責任だ。言うなれば、放任主義の父親ポジション。もしくは収穫を待つ投資家。

 小生の中で、とある確信が形を成して脳裏に浮かび上がってくる。その核心に白い羽根が生えていることを認めたところで、小生は思考を放棄し、車両の運転に専念することにした。……よそ見運転はダメだものな。

 

「はてさて、そろそろ会話を打ち切らせてもらってもいいかな。この私に親切を施してくれた彼の目的地はもうすぐだろうからね。分かるだろ。未来視を誇る君が分からないはずがない。ああ、うん。意外と静かな気持ちで楽しめたよ。()()()()()()()()()()、立場を考えて言葉を発する必要がない。やはり君は旧友でもあるのだな」

 そうこうしている内に眼前に"レッドスプライト"号から送られてきた中継映像で見た、木造の家が見えてきた。当然ながら駐車場は見当たらない。マジでどうしよう。

 

「ん。ふわーぁ、"お屋敷"着いたんか?」

 小生が逡巡している横で、ヴィヴィアンさんが背伸びした。気配がなかったと思ったら、今まで寝ていたのか……。いや、まあいいんだけどね。助手席だからといって、やることがあるわけではないし。

 ただ、彼女が"ここ"を知っているという点において、何物にも変えがたい役割はある。小生は腕をスーツ越しにボリボリと掻きながら、彼女に問いかけた。

 

「"お屋敷"? に着いたんですけど、車をどこに停めたら良いと思いますか?」

「とりあえず、すぐにここから脱出した方がええと思うで」

「へっ?」

 ――直後、ぞわりと嫌な予感が背筋を伝っていった。これ、まずい。

 極端な時間制限のある、()()()だ。

 小生が車両のドアレバーに手をかけるより早く、防弾ガラスとセラミックス、炭素繊維強化プラスチックでできたフレームがバターのように真っ二つに切り裂かれていった。またそれより早くヴィヴィアンさんが助手席のドアを蹴破って小生を小脇に抱えて外へと飛び出した。トラちゃんさんにはない柔らかみをスーツ越しに感じたが、今はそれどころではない。

 

「あ、ありがとうござ――」

「舌噛むで。今は喋らんとき」

 ヴィヴィアンさんは片足を地面に着地させたその勢いで、エメラルド色の長い髪をたなびかせながらさらにもう一歩跳躍する。勿論、小生を抱えながらだ。"悪魔"特有の瞬発力に引っ張られた身体がミシミシと悲鳴をあげた。くぐもった声を漏らしながらも、荷物と化した小生は被害状況を確認すべく、車両があった場所へと目を向ける。

 車両は見事、俎の魚を下ろすように断ち切られていた。上半分が宙を舞い、重力に従い落ちてくる。1ダースのタンガタ・マヌさんたちも宙を舞う。皆、大きな怪我がないところを見るに、どうやら自力で脱出できていたようであった。して、荷台に乗っていたエノキさんはというと、

 

「――不躾だね。それは"罪"だよ」

 何故か傷一つ負うことなく、そのまま上半分を綺麗にスライスされた車両の荷台に立膝をついて座っておられる。どういうカラクリなの、あれ……。

 と、加速を感じていた体が浮遊感に包まれる。ヴィヴィアンさんの跳躍が地上3メートル地点で頂点に達したのだ。

 同時に、彼女の足元に粘性のある雲が生じた。恐らくはなんらかの異能によって、空気中の水分を凝固させたのだ。シュバルツバースの大気にも水分が含まれていることは、既に小生たちが実証していた。

 彼女はそのまま雲に腰をかけると雲を操り軟降下しつつ、小生を地面へと送り届ける。自らの二本足で地面を踏みしめた小生は、ほっと息を吐きながら車両を両断せしめた存在へと目を向けた。

 

 その見てくれは、十代半ばごろの少年。

 彼は"お屋敷"を守るように立っていた。白銀色の槍を肩に担ぎ、リラックスした様子で片足をぶらぶらとさせている。雪を思わせる純白を基調とする布鎧を身に纏い、その首には深緑のマフラーが巻かれていた。黒髪をおかっぱ、ツーブロックか? ――に綺麗に切りそろえた少年。その見てくれは周辺が雪景色かつ、物騒な得物さえ持っていなければ、ゲレンデでウインタースポーツを満喫するアクティブな高校生といっても通用するかもしれない。そんな少年がこちらを見渡し、意外そうに口を開いた。

 

「へぇ、鉄の馬車以外に被害は無しか。今度の客は随分としつこそうだ。――まあ、良いけどよ」

 飄々とした口調で彼が言う。

 そして、こちらが口を開こうとする前に、その表情を酷薄なものへと変えた。

 少年が足を広く取り、槍を半身に構える。穂の向かう先は小生の喉元だ。

 カグツチの陽光が白銀色の槍穂を煌かせ、周囲の空気が変質する。恐らくは物理的にも変わっていた。異能によって風を操れるのかもしれない。だが、それ以上に、この変質は強烈な殺気が引き起こしたものだ。

 

「――ひ、ぃ」

 死の予感がじりじりと迫り来る、などという生易しいものではなかった。彼我の距離は凡そ5メートル強と、間合いは十分に離れている。だと言うのにたった今、小生の精神は彼の放つ殺気だけで何度も死んだ。白髪の老人に何度もお歳暮を渡してきた。

何かの武芸を収めた達人同士の場合、ふと対峙しただけでもお互いの力量や自らの死が容易にイメージできると聞いたことがある。

 素人考えではあるが、小生が今感じ取ったものは間違いなくそれであろう。

 こりゃやばい……。やばい以外に評しようがない。正体も実力も不明な相手と対峙してただ一つ確信できたことは、彼がそんじょそこらの高位悪魔を上回る――、それこそ今までに出会った"魔王"たちや"ローレライ"と同格かそれ以上の実力を持っているであろうことだけであった。

 こんな存在と命のやり取りをするなんて冗談ではない。"アーサー"から委託されたミッションの枠外だ。

 

「ま、まままま待ってください! 小生たちは敵ではありません!!」

 故に小生は必死に弁明する。だが、少年の見せる反応は芳しいものではなかった。

「待って――、ひえっ!?」

 小生が慌てて飛び退くよりも早く、目の前で何かが弾け、硬質な音を響かせた。何だ? 彼がやったのか!? それにしたって、問答無用すぎる!!

 腰を抜かす小生は捨て置き、少年は小生の目の前で弾けた"何か"を忌々しげに睨みつける。

 それは一筋の切り傷が刻み付けられた、金属でできた一枚の白い羽根であった。

 小生は少年の持つ槍の穂先へと目を向ける。到底届かぬと思われた間合いから、彼は今全く動かずに攻撃して見せた。いや、もしかしたら小生の動体視力をはるかに上回る速度で攻撃を仕掛けたのかもしれない。内蔵カメラを起動し、自動撮影されているはずの先程の顛末をスローモーション映像としてディスプレイ上に並行表示する。

 

「あ、あぁ……」

 動いていた。少年は足を動かさず、上体の動きだけで槍をコンパクトに操り、真一文字に空を切っていた。そのあまりの速度ゆえか、空を切ったはずの槍全体から不可視の衝撃波が生じ、周囲の草をなぎ倒しては小生の首を断ち切らんと無慈悲に迫り来る。それを防いだのが白い羽根だ。超々ハイスピードに対応したスロー映像であるにもかかわらず、羽は唐突に、その場に"出現"したように見えた。……一体どこから?

 少年がエノキさんへと目を向ける。これをやったのはエノキさんなのか。

 殺気を直接ぶつけられたエノキさんは、そよ風に当たっているかのような澄まし顔で、肩を竦めながら少年と小生を順繰りに見た。

 

「――誤解してもらっては困るから弁明するけど、私が彼のために力を使うのはこれっきりだぜ?」

「手前の子分を見捨てようってのか?」

「そこが誤解なのだよ。今のは彼に対するお礼さ。私を車に乗せてくれたことに対するね。それ以上の加護を与えるというのは彼のためにも私たちのためにもならない」

 少年はしばしエノキさんの言わんとすることを理解しようと目を落とし、すぐさま癇癪を起こしたように乱暴な手つきで自らの頭を掻きむしった。

 

「あー、くっそ。やっぱり、"天使"のいう言葉は難解過ぎて俺には良く分かんねえ!」

 ああ。やはり、彼はそうなのかあと小生が納得するのと並行するように、ヴィヴィアンさんが驚きの声をあげた。

 

「"天使"おるやん!?」

「今更!?」

 嘘やん。もっと気づくタイミングがこれ以前にいっぱいあったろ! 具体的には車内とか!! あっ、寝てたのか!

 少年が呆れ顔で、今度はヴィヴィアンさんに胡乱げな眼差しを向けた。

 

「おるやん、じゃねえよ。何で、氷の森にいるはずのおめーがここにいるんだよ。"湖の乙女"」

 見咎められた彼女は、雲に乗ってぷかぷかと浮きながら、その端正な顔をぷいっと明後日の方向へと背けた。

 やがて、無言の圧力にいたたまれなくなったのか、頰を掻きつつ弁明を始める。

 

「そこの幸と髪が薄そうな兄ちゃんとの契約で同行してるだけやねんけど」

「イメージで語るのはやめてくれませんか!? 小生の頭皮はまだ滅亡の危機を迎えていませんよ!!」

 謂れのない罵倒に小生が抗議すると、少年が毒気を抜かれたかのように槍を下げた。

 

「漫才は他所でやれよ……」

 それについては全くの同感であったため、小生はブンブンと頭を縦に振る。

 しかし、こうして会話が続くところを見るに、目の前の少年は完全に話の通じない手合いではなさそうだ。邪悪な気配も感じられず、この場を無血で切り抜けられる可能性は十分に期待できそうに思える。

 後は彼の敵意の源泉が一体何処にあるのか、それさえ分かれば――。

 そんな小生の抱いた一縷の望みを打ち砕くように、少年は低い声でヴィヴィアンさんに問いかけた。

 

「で、"契約"ときたわけだが。結局おめーは"今の人間"の味方なのか。そうじゃねーのか。どっちだ?」

「そ、それは……」

 答えに詰まるヴィヴィアンさん。

 今までのやり取りを見るに、彼女が少年と同じ陣営にいることはほぼ疑いがないだろう。その上で、彼女は小生との約束を考慮して、答えに窮しているよう見受けられた。

 

「……い、"今の人間"にも助けられそうな子がいるかもしれへんやん」

「戯け。性分の話で言えば、俺だっておめーの言いたい事は理解できる。ただ、もうこの"メムアレフ"の大地は何の因果か"ボルテクス界"になっちまって、俺たちは"メムアレフ"の浄化を傍から見守るただの傍観者の身分から、新たな"人"を助け"コトワリ"を生む側になっちまってるんだ。もう一度聞くぞ?」

 少年はおかっぱ髪をがしがしと掻きながら、念を押すように言った。

 

「おめーは"母上"の味方か。そうじゃねーのか。どっちだ」

「ぅあ……」

 ヴィヴィアンさんがたまらず呻く。第三者である小生から見ても、それは最後通牒であると容易に理解できた。少年は彼女に絵踏みをさせようとしているのだ。

 彼らのやり取りから窺えることは、まず少年が"母上"なる存在を守ろうとしていること。そしてそれは、ヴィヴィアンさんや、恐らくは"ローレライ"の守るべき存在でもあるということ。彼の言う"母上"は小生ら"今の人間"と利害関係を異にしている、ないしははっきりと対立しているであろうこと。

 対立解消の糸口を掴み取るため、小生はなけなしの頭をフル回転させ、彼らのやり取りに横槍を入れた。

 

「あ、あの。誤解は駄目ですよ」

「……あん?」

 少年が苛立ち混ざりにこちらを睨みつける。凄まじい圧力に小生の胃が真っ先に根を上げた。やっぱ、何でもないですと切に続けたい。

 だが、小生は踏みとどまって続ける。

 

「……彼女は小生らの味方ではありませんよ。あなたたちの味方です。断言してもいい。変な誤解はお互いを不幸にしてしまいますよ」

「に、兄ちゃん」

 小生の擁護にヴィヴィアンさんが目を丸くする。予想外だったのだろう。素直な感情が彼女の口より漏れ出でた。

 

「流石不幸のプロフェッショナルは言葉の重みが違うとるな……」

「そういうところですよ!?」

 あらぬ風評被害に抗議しつつ、小生はおかっぱの少年に対して面と向き合う。

 眼光が鋭い。トイレ行きたい。

 槍の切っ先が怖い。トイレ行きたい。

 存在の格が違いすぎる。トイレ行きてぇ。

 小生は口を開いた。

 

「……ト、トイレはありますか?」

「兄さん、中々いい度胸だな、おい。その空気に読めなさで、トラブったことあんだろ。絶対」

 しまった。生理的欲求が理性を食い破って口をついて出てしまった。何とかフォローしようと口をもごもごさせていると、少年がため息をつく。

 

「……成る程、兄さんの人となりは何となく理解した。人誑しの類。意識しているのか、無意識でやっているのかはしらねーけど、敵意を煙に巻いて対立を避けようとする手合いだな。んで、"湖の乙女"も絆されちまった、と」

「対立を避けたいのは、本心なんですよ。敵対しようなんて意図はさらさらありません」

「それもまあ、理解したよ」

「じゃあ……」

 光明の差した眼前にて、槍の切っ先が閃いた。

 

 ――重大な危険。デモニカシステム。先程の解析結果に従い、自動回避を実行します。

 

 こちらの反射を上回る速度で、金属を引っ掻くような異音が耳朶を叩き、"バケツ頭"のバイザー型ディスプレイに真一文字の傷が生じる。今のはスーツが自動的に回避を試みてくれなかったら、命を刈り取られていた軌道だった。冷や汗すらも引っ込む生命の危険を感じながら、小生は少年の表情を窺う。彼は全くの無表情であった。

 

「……うん。やっぱ危険だよ、兄さん。アンタという存在は"母上"と同じ立場だってのに、"母上"よりも大物喰らいに適しているように思える。さっきは反応すらできなかった俺の槍を、今度は寸でで避けて見せた。それに、今も俺は兄さんに自分の名前を名乗ろうと考えている。悪魔の力に立ち向かい、悪魔の心を変えちまうヒトの存在なんてさ。俺の"母上"にとっちゃ危険でしかねえわ」

 少年は自らの名前を"セタンタ"と名乗り、再び槍を半身に構え、戦闘態勢をとった。

 もう、話し合いの余地はないと言った頑なさを小生はその全身から感じ取る。それでも小生は光明を求めて、再び叫んだ。

 

「待ってください! 小生に貴方のお母さんと対立する意図なんてありませんっ!!」

「だからさ。兄さんの存在自体が対立要素なんだって」

 

 ――重大な危険。解析結果の調整完了、戦闘行動補助機能のシステム優先度を最優先に引き上げます。不要なアプリケーションを終了します。

 

 デモニカスーツからの案内に従い、その場からの後方跳躍を選択。直後、足元の大地に大きな亀裂が走った。初太刀を無傷で観測できたことが、小生の生存可能性の向上に大きく寄与していた。

 

「クソが、見切るのはえぇんだよ……!」

 "セタンタ"は攻撃の不発を毒づくと、その勢いを殺さずに槍を独楽のように旋回させた。続く連撃はさらに激しい。

 時には転がり、時には這いつくばってでも小生は必死に彼の猛撃を潜り抜けていく。でも、このままではじり貧だ……!

 

「兄ちゃん……っ!」

 救いを求めて見た先では、ヴィヴィアンさんが悲痛な声で叫んでいた。長剣を両手で抱え込み、いたたまれない表情を浮かべている。

 ――どうする? 助けを求めるべきか否か。

 小生の脳裏で思考の天秤がゆらゆらと揺れた。弱音を吐くなら、今すぐにでもこの鉄火場を彼女に押し付けてしまいたい。ただの人間である自分よりも、高位の悪魔である彼女の方が、ずっと防戦に適していることだろう。けれども……。

 

「ええか。ウチはアンタと契約しとるんやで! アンタが本当に必要ならウチは――」

「――仲間割れは駄目です!」

 彼女の手を、この局面においては借りるべきではない。そう小生は判断して垂涎の提案を蹴り飛ばした。

 一時の情を利用して彼女を仲魔に引き入れ戦闘に従事させた場合、彼女と"セタンタ"を筆頭とする"母上"側の関係が断絶する恐れがあるからだ。多分、それはよくない。彼女にとっても勿論ではあるが、それ以上に小生らに対する"母上"側の心象を今以上に大きく損ねる恐れがある。

 和解の目を探すのならば、得てして狡猾さよりも誠実さが必要とされるものなのだ。これは小生の掲げる人生訓の一つであった。

 

「……真っ向勝負は、専門外なんですけどっ!!」

 もう何度目になるかわからない連撃を辛うじて避けた後、小生は胸ポケットに忍ばせた封魔管に手を当て、「召喚」と呟く。

 脱力感に目が眩む。下半身がせり上がってきた大地に飲み込まれ、体勢を固定。

 オカルト的な現象がこの身に起こっている間も、文明の利器は淡々と敵の行動を分析し続けていた。

 

 ――解析の調整。攻撃の予測軌道を複数パターン、インジケータに表示します。

 

 ディスプレイ上に表示された危機を表す赤ラインのいくつかから、小生は直感で一本を選び取る。これは失敗イコール即死の選択だ。正直、恐怖を禁じ得ないが、震えは起こらなかった。いや、起こさなかった。自身の四肢を強固な土塊で無理くり覆い固めていたからだ。

 円運動に任せ続けた槍を腰だめに戻し、少年が次に選択した行動は体重を乗せた全力の一突き。寄っては離れてを繰り返していた両者の間合いが指呼の間にまで瞬時に詰められる。が、こちらの一点読み自体は成功した。

 雷速で奔る"セタンタ"の一突きを、土塊に覆われた右手が掴み取る。ビンゴ。

「――ッ!?」

 "セタンタ"の目が驚きで見開かれた。小生は自らに憑依させた"クエビコ"を操り、土塊の右手をさらに圧縮する。すると茶褐色の土塊が瞬く間に乳白色を帯びていった。恐らく生物土壌のダイアトマイト化が異能によって強制的に進み、二酸化珪素を主成分とした植物岩に変質したのだろう。きちんとした結果まで予測しての操作ではなかったが、いずれにせよ、これで"セタンタ"の得物を一時的にでも封じたわけだ。――だが、これで終わりではない。

「クランの猛犬を侮るんじゃねえっ!!」

 "セタンタ"が圧倒的な膂力を持って、小生の右手を拳で思い切り殴りつけた。たったの一度で粉々にひび割れる乳白色の岩石。恐らくは次の一撃で彼の槍は自由を取り戻すことだろう。その前に――。

 小生は自らの足元から自然と生じる植物の中から、蔦状の植物を"選んで"成長させる。"箱庭"の雑草を育て上げた時と同じように。

 瞬く間に成長した蔓は、拠り所を求めて"セタンタ"の四肢に巻きついた。無論、こんなものは高位悪魔にとって足止めにすらならないだろう。"それ"単体で運用するならば。

 

「う、うおっ……!?」

 小生は土塊を操作し、蔦を経由して"セタンタ"の身体を飲み込んでいった。優先されるものは密度よりも量と速度だ。先程砕かれた強固な植物岩と柔らかい土塊が撹拌されながら、彼の全身にまとわりつく。そこに成長させた植物の根を縦横無尽に這わせていく。

 植物が根を張った地面の強固さは、インフラ整備に携わる者なら皆が知っている常識中の常識だ。小生はそれを敵の無力化に応用した。そして突発的な発想の結果が形として出来上がる。

 

「――へえ」

 傍観していたエノキさんが賛辞の声を漏らす。

 小生の眼前には植物が絡みついた歪な土人形が完成していた。

 窒息死の危険と交渉の可能性を考慮したため、口の部分までは封じていない。それが返って得も知れぬおぞましさを醸し出している。

 小生は安堵の息を吐きながら、"セタンタ"に語りかけた。

「……落ち着いて話し合えませんか? お互いの妥協点を見つけ出せる可能性は、決して0ではないと思うんです」

 小生の呼びかけに"セタンタ"は答えない。忌々し気に口元を真一文字に切り結んでいる。ヤキモキする小生に対して、エノキさんが苦笑まじりに口を挟んだ。

「……駄目だよ、それでは。"母"を守る子犬は時として熊にだって立ち向かうのだから。奇襲で勝利を奪った相手とあらば、尚更敗北は認められない」

「しかし――」

 それなら、どうすればいいのか。とは口にできなかった。

 

「熱り立つ大嵐」と"セタンタ"が言葉に紡いだ瞬間、小生の身体は凄まじい衝撃を受けて空高くに跳ね飛ばされてしまったからだ。

「――あ」

 痛い。

 全身が八つ裂きにされたかのような激痛が走る。いや、事実されたのだろう。

 ぼろきれのように宙を舞いあがる小生の眼前を、見覚えのある"小生の一部"が同じような軌道で吹き飛ばされているのが目に映った。

 千切れたのか? 体のどの部分が……? これ、くっつくの? ……治らないの?

 

「あ、あっぁぁ……!?」

 一瞬後に、自らに起きた出来事を正確に理解する。宙を舞っていた"それ"は、太ももから下腹部にかけたいわゆる下半身であった。そこに足首はない。多分、土塊によって地面に固定したことで、取り残されてしまったのだ。

 涙、血液、糞尿、全身から色々な液体が噴出していくのを自覚する。トラちゃんさんを助けるため、身を挺した時には怖さなんて感じなかった。でも、これは駄目だ。

 見通しが甘かった。小生は、死ぬ。

 

 ――密閉sh、生命維持……。予備電――。

 ……デモニカスーツが"オシャカ"になったことを音声の途絶で理解する。

 ただのフルヘルメットになってしまった"バケツ頭"の内側で、小生はひぃひぃと荒い息を吐いた。

 ……直に空気清浄機構も停止するだろう。やはり、小生は死ぬ。

 アケロンの河行きだ。

 

 死の恐怖が混乱を通り過ぎ、受容の域へと達したためか、小生の思考は死後の想像へと飛躍する。

 ヴィヴィアンさんの助力を断った手前、積み立てたマッカを用いての死に戻りになるのか? でも一体"何処"まで死に戻る? もし満身創痍の状態で戻ってしまうだけならば、生き返ることに意味なんてない。また死んで終了だ。

 詰み、の言葉が頭をちらつく。

 

 救いを求めて地上へと目を向けたが、動力の通っていない"バケツ頭"越しでは"セタンタ"の姿もヴィヴィアンさんの姿も、タンガタ・マヌさんたちの姿も見えなかった。ただ、言葉にならない金切り声だけが聞こえてくる。誰の声なんだ、あれは。

 そのような中、エノキさんの姿だけははっきりと見えていた。

 

「ああ、残念だったね」

 ……本当に傍観者なんだなあ。

 多分、脳機能が低下したことによる幻覚だろう。"箱庭"の仲間たちの姿が目の前に浮かび上がった。リーダー、中尉、エース、班長、ヒスパニック……、カンバリ様。ああ、バースさんルートはワンチャンあるかもしれない。まだ結局花子さんを皆に正式に紹介してなかったんだよなあ。レミエルさんはちゃんと皆を導いてくれるんだろうか?

 一通りの仲間たちが浮かび上がった後に、今度はタダノ君の姿が浮かび上がった。

『おい、ヤマダ。死んでないで野球やるぞ』

 ちょっと走馬灯空気読んでとも思ったが、よくよく考えたらタダノ君との繋がりは野球が大部分を占めている。

『勝負は9回2アウトからだろ』

 うん、野球はね。でも流石に死に際からの復帰はちょっと無理かな……。

『とどのつまり、勝負の強さって執念の差だろ?』

 川上哲治かよ。

『ヤマダは捕手だろ。足りないところを補うなんて、得意中の得意なんだから』

 お次はノムさん。何なの、野球縛りなの?

『まだ100人は余裕で行けるな……』

 分かったよ。もうちょい頑張ってみるよ。

 小生は血の足りていない頭を目一杯働かせようとした。

 

 命が失われる間際の混乱状態にある思考の中から、冷静な部分を拾い取っていく。

 すると何故か青い髪の、エキセントリックな服に身を包んだ女神様の姿が「えい、えい、おー」というポーズを取った姿で浮かび上がった。

 

『アタシの"箱庭"づくりはまだ始まったばかりよ! ヤマダ、手伝って!! 第一村人でしょ!』

 小生は目を細め、笑い声を漏らそうとして血反吐を吐いてしまう。

 成る程、シュバルツバースというこの異常な空間に迷い込んでより、小生らが人間らしい思考と冷静な感覚を維持できていたのは全くもって彼女のおかげであると言って良い。小生らの人間性は、彼女という道標によって支えられていたのである。

 

 ――うん、もうちょい頑張ろう。死に戻りを頼りにするとろくな結果にならなそうだし。

 小生は血反吐でむせながらも、ヘルメット内の酸素が大気中へと逃げてしまう前に精一杯息を深く吸った。ここから先の時間は大事だ。

 多分、このまま地面に落下しても死ぬんだろうが、それまでは時間的猶予を確保したい。

 今、使える手札は? 回復の異能を持った石を……、いや流石にすぐさま千切れた体が再生するとは思えない。血止めくらいにはなるのかもしれないけど。

 ……となると、"クエビコ"だけだなあ。

 考える。現状、小生が"クエビコ"でできることは、土塊や植物を操作することだけだ。

 下半身を土塊に置き換える――。多分、可能だな。今までやってきたこととさほど操作は変わらない。魔石や宝玉やら何やらと組み合わせれば、失血死はこれで回避、と。

 問題は呼吸器系の生命維持機構だ。こればっかりは"クエビコ"の異能でも回復の異能でも何とかなるものではない。

 何せ、シュバルツバースの大気は"人間を選択して死に至らしめる"毒素を含んでいるのだ。この大気中にあって平気で活動できる例外はバースさんやリーダーたち。エノキさんも入れてもいいんだろうか? そのいずれもがシュバルツバースに適応した、"人間ではない人間"であった。

 だから、小生にできることはない。ただの人間に過ぎない小生には――。

 

「って、あ……」

 思いついてしまった。思い出してしまった。生き延びるための最も無難で堅実な方法を。だがこれ、仮にこの場を生き延びても、後に与える影響が大きすぎる。でも――。

 トラちゃんさんが地団太を踏む姿を幻視して、小生はふと思い浮かんだ"悪魔的発想"を実行に起こすことにした。

 帰らなければならないのだ。"箱庭"に。トラちゃんさんのもとに――。

 

 小生の体が自由落下を開始した。

 頭から真っ逆さまに落下しながら、小生は目に映る情報源を頼りに生存のための道筋を組み立てていく。

 機能の停止したデモニカ越しだ。眼下には小さな野原が広がっていて、泉と小屋がある他は何も見えない。

 ……待った。風に揺れる雑草の一部が不自然な形に倒れて見える。何でだ?

 多分、人間の視覚には映らない"セタンタ"が小生のことを直下で待ち受けているのだ。恐らくはとどめを刺すために。

 

 倒れた草をぎりぎりまで注視する。

 思うに、これはタイミングが大事だ。落下は未だ上半身にこびりついている土塊の使い方次第で、いかようにでも対応できる。

 大事なのは"セタンタ"の行動だ。今、彼の動作を類推できる情報源は倒れた草の変化くらいしかない。

 甲子園の大一番でも、小生のやっていた一番の仕事は周辺の雑多な情報を収集することだった。他校監督の出したハンドサインも、その日の陽射し風向きの具合も、アンテナを大きく張っていたからこそ、それらを読み取ることができたのだ。

 

 相手の思考を読む。

 多分、選択肢は串刺しか首を刎ねるかの二択かな……。彼との少ない会話の中から、彼がいたずらに獲物をいたぶる気質ではないことは推測できている。名を名乗ったり、誇り高そうなところを見るに……、首刎ねに一票かなあ。

 

 地面が近づく。まだ草は動かない。

 ……え? ちょっと、動かないつもりなの? 待った。待って。もっとサインは読み取りやすいものにして? ねえ!

 そうして落下死に至るまで後1秒というぎりぎりまで粘ったところ、

 

「★$%“」

 多分手向けの言葉だこれ! と待ちに待った合図がきた。草動かないのかよ。分かりやすいからこれはこれでいいけど!

 もし外していたら赤っ恥だが、恥をかいた後は死ぬだけである。小生は頑張った。この後は後で考える。

 小生は憑依していた"クエビコ"に呼び掛け、右手にまとわりつかせていた土塊を首回りに移動させた。

「――っ!?」

 首に猛烈な衝撃を感じる。多分、折れた。が、両断はされていない。

 直下へ落ちていた落下運動のベクトルが槍か何かの一撃によって、横へとずらされる。

 小生は運動神経が生きていることを祈って、地面へと手を伸ばした。動いた。ならいける!!

 

「"クエビコ"!!」

 小生は、"クエビコ"に対して脳以外の損傷したすべての肉体と五感を悪魔のそれへと置き換えるよう命じた。

 ――我は汝、汝は我。

 そんな"クエビコ"の言葉が脳裏に響いた刹那、

 

「うえっ――!?」

 凄まじい異物感に吐き気とめまいを催す。

 正常な人間の脳機能が人外との接続を拒んでいるのだろう。でも、勝算はある。

 だって、うちの家系は代々人外への生贄になってたらしいしな! 諦めることに関しては年季が入っていると思うよ、小生。震える手でバックパックから宝玉を取り出し、必死に自分の体の再生を念じる。予想したとおり、欠損した部位まで元には戻らない。これは()()()()()()()()()()。諦めが早いのが小生だが、生き汚いのも小生だ。

 そうして、しばし激痛と異物感に耐え続け、

「……マジかよ」

 驚愕する"セタンタ"の声を耳にしながら、小生は土塊でできた両足で大地に立ち、土塊でできた肺をフル稼働させて息を吸い込んだ。

 

「けほっ……。あー、成功して本当に良かった……」

 今の小生は小型化した"クエビコ"そのものであった。何割か人間のパーツも残っているのだろうが、恐らく見てくれはサイボーグかゾンビに近い。こんな姿で"箱庭"に戻るのが怖いなあ……。

 また自覚症状として、思考の変質は見られないようであった。そうでなくては困る。そのために脳機能をそのままに残したのだ。班長の言っていた、何だっけ……? とりあえず脳が置き換わるとまずいって話だったもんな。

 改めて"クエビコ"の眼を通して見えるようになった"セタンタ"と対峙する。

 "セタンタ"は脱帽だとばかりに諸手を挙げた。

 

「こりゃ参った。正直、兄さんを舐めてたぜ。アンタ、"悪魔化"ができたんだな」

「……はい。発想自体は、うちの仲間が既にやっていましたから。ただ、これ正確にはオカルト的な外科手術というか、とにかくそんな感じなのかなあって」

「ん、てぇことは兄さん。アンタ今"どっち"だ?」

「……人間だと思いたいです。帰ったらドクターと相談して、肉体の再生治療も受けないと」

 そうかそうかと"セタンタ"が頷く。そして、再び槍を構えた。

 

「じゃあ、第2ラウンド開始だな」

 小生も頷き、その場にうずくまった。毒気を抜かれたかのように"セタンタ"が声をかけてきた。

「……何してんだ?」

「貴方と戦闘にならないための"腹案"です」

「……そうかよっ!」

 侮られたと思ったのだろう。激情に駆られた声が響き、再びの殺気に心胆が冷える。

 そして、土塊でできた体の一部が斬り飛ばされた。と同時に"セタンタ"が叫ぶ。

 

「……兄さん、それは無しだろ!?」

 "セタンタ"の抗議を受け流しながら、小生は黙々と"腹案"を実行し続けた。

 大地より原材料を吸い上げて、土塊の体を肥大化させる。そして肥大化した体にさらに土塊をまとわりつかせていく。やっていることは単純だ。要するに、危険から身を守るため殻に籠る。土壁を幾重にも築き続けているだけなのだから。

 

「……戦う気あんのか、アンタ!!」

「んなもんありませんよ! 最初から言ってるでしょう!!」

 瞬く間に自らを核にした10メートルの土塊がこんもりと築き上げられた。野原や小屋の全貌を見下ろせる位置から、小生は思いっきり叫ぶ。

 そもそも小生に戦うつもりなんざ元々なかった。それなのに真っ向から格上の相手の動きを封じようとしたのは、小生の驕りであり、致命的な過ちだったわけだ。

 あそこで取るべき正解の選択肢は野戦築城。自身の安全を確保した後、延々と小屋に向かって平和と融和を大声で説き続ける。

 名付けてプラカードを持った市民の座り込み戦術。

 これこそ小生が最も得意とし、最も胃が痛まぬ攻撃的インフラ戦術であった。こんな安牌な戦術使わないでどうするの。今使おう。

 小生はさらにまくしたてた。

「……大体デモニカがぶっ壊れた時点で、小生は貴方の攻撃についていけないんです! 戦闘は貴方の勝ち! はい、負けました!! じゃあ、話し合いましょう!!!」

「アホぬかせ! 決着がついたなら、そこで仕舞いだ馬鹿野郎!」

「戦争反対! 対話が大事! 平和が一番! ラブアンドピース!」

「うるせえええええ!!!」

 "セタンタ"が再び槍を振るって小生の体の一部を切り飛ばした。小生は斬り飛ばされた箇所を修復する。

 また斬り飛ばされる。はい、修復。また。はいはい。

 あ、頭に血が上った"セタンタ"が槍を地面に叩きつけた。反論ないなら、小生の勝ちだぞ。お?

 

 そうしてかっかしている"セタンタ"に向けて、エノキさんがしたり顔で声をかけた。

「成る程、この結果は正直予想すらしていなかった」

 "セタンタ"の顔が、まさしく堪忍袋の緒が切れた状態へと変わった。

 両手を組んで、何やら呪文を唱え、再び小生を八つ裂きにした「熱り立つ大嵐」を発動させる。

 あー。成る程、人間の体では到底耐えられない暴風雨を局所的に発生させる異能だったのか……。さっきの小生は下半身を捩じ切られていたんだな……。二度とまともに食らいたくない。

 しばしして暴風雨が収まり、体積の縮んだ小生の体が再び肥大化していく様を目にした"セタンタ"は、肩で荒い息を吐きながら両膝を屈した。

 良し、このまま長期戦に持ち込んで叫び続けるべい、と小生が息を吸い込んだところで、

 

「もう、おやめなさい」

 と穏やかな女性の声が、小屋の方より聞こえてきた。

「は、母上……」

 その声を聞いて、"セタンタ"が困惑したように表情を歪ませる。

「でも、こいつらは母上にとって危険です。滅ぼさなければなりません」

「……貴方の思いやりを私は嬉しく思います。ですが、つい先程我らの"女神"がより深刻な脅威を感じ取ったのです」

「だったら、そいつらも一緒に俺が討ち取ります!!」

「いいえ」

 小屋の戸が開き、中から二人の人影が現れる。

 一人は……、多分悪魔だ。それもすこぶる高位の。かぶった仮面は異様だが、若草でできた髪を豊かに伸ばす様は神々しさすら感じられる。クローバーを模した杖を手にしてはいるが、すらりとした肢体は健康的で、肉感的で、異形であろうとも目が離せない。

 もう一人は車椅子に腰掛けた、見るからに病弱そうで、見るからに気弱な"人間"の女性であった。美人ではあるが、生気はない。

 そんな二人の内、"セタンタ"の眼差しは人間の女性へと向けられていた。

 小生は言葉を失い、車椅子の女性を見る。

 恐らくは"セタンタ"の言うところの"母上"とは彼女のことなのだ。

 彼女は焦点の合わない眼を静かに瞬きさせ、小生のいる方向へと顔を向けた。

 目と目は合わない。もしかすると目が見えていないのかもしれない。

 彼女はほんの少しだけ口元を歪め、小生に向かって呼びかけた。

 

「不躾な出迎えお許しください。"同族"の殿方。お話を致したく存じます」

 



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