俺の義妹が可愛すぎて生きるのが辛い (水代)
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悲報義妹まだ出てこない①

 

 かつてこの世界には、魔物と呼ばれる存在が溢れていた。

 数百年前、かつての人類は魔物と呼ばれる存在と千年近く争っていた。

 かの有名な千年戦争である。争っていた、と言っても実際には人類は劣勢に追い込まれていた。

 魔王と呼ばれる存在は魔物を無尽蔵に生み出し続け、人類を常に数で押し続けていたからだ。

 だがそんな時、一人の英雄がアイギスという名の女神の力を借り、魔王を打ち倒すことによって、世界に溢れていた魔物たちはその数を大きく減じた。

 

 千年戦争の終結である。

 

 戦争を終結させた英雄の名をアーサーペンドラゴン、後に『英雄王』と呼ばれる男である。

 『英雄王』は千年戦争の後、国を作り上げた。そして、『英雄王』の元に一丸となった人々の力によって、世界は急速に平和を取り戻していった。

 そうして世界に平和が戻り、魔物の脅威が忘れられると共に、『英雄王』と共にあったはずの女神アイギスの名も人々の記憶から抜け落ちていく。

 

 後に残ったのは、初代『英雄王』の作り上げたログレスという名の王国と、その逸話の数々だけだ。

 その王国の中ですらも、アイギス信仰というのは年々縮小化されていくほどに人々の生活は安定し、平和がもたらされていた。

 

 それでも、未だに女神を信仰する人たちは確かにいて。

 

「……バケモノだ」

 

 癒しの奇跡たる、神官の治癒(ヒール)を弾いた俺を見て、村人の誰かがそう呟いた。

 何が起こったのか、自分で分からない。

 

 そもそもの始まりは七年前。

 

 ()()()()()()()()()()()ことから始まる。

 

 一体、どうしてこんなことになったのか、自分で分からないことではあるが。

 自分は以前、こことは違う世界で生きていた知識がある。

 どうやらその世界で死んで、こちらの世界で……俗に言うところの生まれ変わり、をしたらしい。

 とは言え、知識こそあれ、前世の自分が一体どんな人間だったのか、まるで記憶も無く。

 まだろくに言葉も話せない頃、ふと自分が生まれ変わったことを自覚した。

 そこからは自意識の発達だけは早かったが、それ以外はちょっと変な知識があるだけの普通の子供として、この世界で育ってきた。

 

 この世界には以前の世界よりも随分と文明的には劣っている、らしい。

 テレビも無ければ、電話も無い、それどころか自分が住んでいる村に至ってはガスコンロや水道すら存在しない。

 以前の世界にあった文明の利器は軒並み無い、何もかも自分の手で、と言ったあり様であったが、そもそも以前の世界における経験というものが記憶から欠落してしまっている以上、馴染むのは容易だった。そもそもが赤子からのスタートだったというのも良かったのかもしれない。まあ赤子の時のことなど、寝て起きたらいつの間にか過ぎていたと言った感じではあるが。

 四歳、五歳になって体が出来上がってくると、親についていって家の外で『仕事』をするようになった。

 

 そうして家の外の世界を知ると、それが自分の知る世界と全く異なる世界なのだと、改めて思い知らされた。

 

 この世界には魔物と呼ばれる存在がいる。

 

 過去、それこそ何百年と昔には世界中に溢れていたらしいが、現在となっては、ゴブリンやウルフといった力の弱い魔物が時折現れるくらいのものである。

 とは言え、魔物は人を襲う脅威だ。特に森に囲まれた中にある集落である自分たちの住む村はいざ、という時に警護のいる王都などとは違い、自衛の手段が必須となる。

 

 故に、ある程度大きくなるとこの村の子供たちは武器を与えられる。

 

 自分に与えられたのは子供の手には大振りな短剣(ダガー)だった。

 

 身を守るためだけでなく、森での採取や狩りで仕留めた獲物を解体するのにも使えて便利だから。猟師の息子である自分にはちょうど良い武器だったのだろう。

 来る日も来る日も父親から短剣の扱い方を習いながら、森の恵みを得る術を学んでいた。

 時には魔物に遭遇することもあったが、幸いゴブリンやウルフの一匹くらい、父親でも追い払えたし、弱らせた魔物へとトドメを刺すこともさせられた。

 幸い、自分は肉体と資質に恵まれていたらしい。子供ながらに大人顔負けの運動能力と知識で狩りも戦いも採取も急速に身に着けていった。

 そうして少しずつ、森での生き方、魔物との戦い方を学んでいき。

 

 田舎の地方のさらに森の中とかいう文明からやや隔絶された場所にある村では暦という概念が薄いためはっきりとしたものではないが、恐らく七度目となるだろう誕生日を迎えた翌月。

 

 ――――村に巡回の神官がやってきた。

 

 それ自体は珍しいことではない。アイギス信仰自体は薄れつつあろうと、回復魔法の本家は神殿であり、神殿の権威が堕ちることは無い。

 そう、魔法……この世界にはそう呼ばれるものが存在するらしい。

 メイジ、ウィッチ、プリースト、他にも様々な魔法の使い手が存在しており、その中でもプリースト、つまり神官は神殿で回復魔法を学んだ者がそう呼ばれるようになる。

 どんな傷をも瞬く間に癒してしまう奇跡の癒し、それ故に神官たちは定期的にこのログレス王国内を巡回し、各村へとやってきては無償で怪我人を治癒してくれる。

 

 それとは別に、もう一つの役割もある。それが出産の立ち合いである。

 医者というものが相当に大きな街くらいにしかなく、あっても診療所程度の国では、治癒の魔法が使える神官が村々を巡り、出産の立ち合いをすることが多い。

 衛生という概念すら薄い文明レベルのため、この世界における出産時の妊婦や赤子の死亡率は非常に高い。だがそこに神官が一人立ち会うだけで、その死亡率を大きく減じることができる。

 尤も、一切の金銭的なやり取りも無く神官を遣わしているのはここログレス王国を除けば非常に少ないらしいのだが。

 だからこの国では妊娠が分かった時から近くの神殿へと届け出をすれば、出産時期になると神官がやってきて妊婦へと付いていてくれる。

 

 何とも便利な制度であり。

 

 だがそれも今は都合が良かった。

 

 ――――母が妊娠していたのだ。

 

 弟か、それとも妹かは分からないが。

 すでに出産まで幾ばくの余裕も無いというほどに膨れ上がった母の胎を毎日見ていただけに、村にやってきた神官を見て、父と二人で安堵の息を漏らした。

 

 だから、だろうか。

 生まれてくる新しい家族に、浮かれていたせいだろうか。

 採取の途中に襲われた魔物に油断して手痛い怪我を負ってしまったのは。

 すぐに村に来ていた神官の元へと連れていかれ、初めての治癒魔法を受けることとなった。

 これまで自分はその治癒を受けることは無かった。別に神官がどう、とかいう話ではなく、単純に治癒を受けるほどの怪我をすることが無かったからだ。

 故に、自分が治癒を受けるのは七歳のこの時が初めてとなった。

 

 採取中に現れた魔物に手傷を負わされすでに魔物は屠ったが、未だ子供の体でゴブリンのこん棒で殴られた腕は赤く腫れあがっており、痛みはあれど動くことから骨折こそしてはいないだろうが、けれど痛々しい様相を呈していた。

 神官の人が来た時のために村の中央に作られた簡易テントのような診療所へと案内され、椅子に座っていた神官の前に立ち。

 

「ヒール!」

 

 神官の女性の指先から放たれた光が自分の赤く腫れあがった左腕へと宿っていく。

 

 そして。

 

 ぱぁん、と音を立てて光が弾けた。

 は? と、誰かが口を開けて、声を漏らした。

 そうして神官が、一切治る様子の無い自分の腕を見て、一瞬硬直し。

 

「ヒール!」

 

 二度目の治癒を試みるが。

 

 ぱぁん、と再度光が弾かれた。

 

「……これは、一体」

 

 目を見開き、ぽつりと呟いた神官を他所に、ざわめく村人たち。

 村の広場の中央でやっていたのが災いし、その瞬間を多くの村人たちが見た。

 

「……バケモノだ」

 

 癒しの奇跡たる、神官の治癒(ヒール)を弾いた俺を見て、村人の誰かがそう呟いた。

 何が起こったのか、自分でも分からない。

 ただ、ひたすらに不味い状況なのは分かっていた。

 

 どうすればいいのか分からず、動けない自分を。

 

「来い」

 

 父親が手を引いて歩きだした。

 村人たちが呆然と見送る中、そのまま村の外まで出て。

 

「剣はあるな?」

「え、あ……うん」

 

 時には村の中まで魔物がやってくることもあるためいつも腰に下げている短剣の柄に無意識的に触れる。

 それを見た父親が一つ頷き。

 

「なら、出ていけ……そしてもう帰ってくるな」

 

 告げられた言葉は、文字通りの絶縁だった。

 

 

 * * *

 

 

 それが、父親なりの精一杯の妥協だったのだと、冷静になって気づいた。

 気づいた時にはもう随分と村から離れていたが。

 あの村には父だけでなく、母もいる。母のお腹の中には新しい家族もいる。

 

 バケモノだ、と自分を見て村人の誰かが呟いていた。

 

 あのまま村の中にいては不味いことになる、それは分かっていた。

 だから、父は先手を打った。

 そういうことなのだろう、きっと、そういうことなのだと思う。

 

 剣はあるな、と聞いた。

 その意味もまた、そういうことなのだろう。

 

 この世界で生きるためには戦う術が必要だ。

 そのための剣であり、森での生き方(サバイバルスキル)である。

 

 ――――生きろ、と暗にそう言われたのだと、気づいた。

 

 そこに気づいた時にはすでに一昼夜が過ぎていた。

 ただ茫然と土を塗り固めただけの道を歩いてた。過去の大戦時のようなどこにでも魔物がいる危険地帯、というわけではないが、それでも決して安全というわけでも無いその場所で、意識がはっきりとするまで襲われなかったのは、幸運としか言いようが無かった。

 

 そうして思考が回りだす。回りだして、困窮した。

 どうすればいいのか、まるで分からなかった。

 分からないまま、けれど行く宛ても無いままに歩いた。

 二日で限界が来て、空腹で倒れた。

 当然だが村は見えない。道があるとは言え、自動車なんて便利な物はないのだ、馬なんて金持ちしか持っていない。近隣の村まで大人の足で歩いて数日。子供の足なら一週間と言ったところか。町まで行こうとすればもっとかかる。

 見渡す限り、森、森、森。一本に真っすぐ伸びる道をこのまま歩いても、先に飢え死ぬのが先だろうことは容易に予想がついた。

 

 どうすればいいのだろう、どこにいけばいいのだろう。

 

 そんなことを考えて、考えて、考えて。

 

 取り合えず何か食べて空腹を満たそうと思いついた時には、すでに体は動かなかった。

 

 このまま死ぬ、それが分かっていながらも気力も体力も限界に達していた体はあっさりと意識を手放し。

 

 死にたくないな。

 

 薄れていく意識の中でそれだけを思った。

 

 

 * * *

 

 

 がらがらと馬車の車輪が舗装された道をがたごとと車体を揺らしながら走る。

 

「やれやれ……揺れるな、だから遠出は嫌いだよ」

 

 馬車の中でローブを纏った老人が一人、嘆息する。

 揺れを抑える魔法、というのもあるにはあるが、そんなもの移動中常に使っていては魔力のほうが持たない。

 だからこうして布地を重ね合わせたクッションで衝撃を抑えてやるしかないのだが、それにしたって揺れるものは揺れる。

 とは言え、後半日ほどの辛抱でもある。

 

「帰ったらまたゆったりと過ごすことにしようかね」

 

 久々の遠出だったが、まあそれに見合うだけのものはあった。

 自らの家がある街とは別の街へと移り住んでしまった娘夫婦は元気にしていたし、可愛らしい孫娘も順調に成長しているようで、思い出すだけで口元が緩んだ。

 

「む?」

 

 ふと馬車の外の景色の中に映った村の姿に、すでに帰り道も半ばに差し掛かっていることに気づき。

 

「ふむ……多少走らせるかな」

 

 手の中にある分厚い書を片手に持ち。

 

「ほれ、急げ、急げ」

 

 ()()()()()()()()に向かって言葉を放りながら、その身に秘めた魔力を解き放つ。

 直後、馬車がその速度を上げる。

 がたがたがたがたがた、と揺れも激しい物となるが。

 

「これこれ、揺らすでないぞ」

 

 老人が馬車を撫でるように手を滑らせた途端に揺れが収まる。

 

「ほほ、快適快適」

 

 ぐんぐんと速度を上げる馬車に反して揺れの静かな内部で、老人が一人笑い声を零す。

 代償とばかりにその身の内にある魔力は目に見えて減っていっているが、その総量からすれば微々たるものに過ぎない。

 とは言え、減った魔力はすぐに戻るようなものではない。数日かけてゆっくりとまた溜まっていくものなので、そう簡単に減らすような真似はしたくないのが本音だが、いつまでもこの揺れる馬車の中で森ばかりの変わらない景色を見続けているよりは精神的にも良いだろうと判断した。

 

 付与魔術師、と老人のような存在を差して総称されている。

 

 物質に魔力を付与することで、魔術的変化を起こす者たちの総称である。

 自他からその泰斗と称される老人からすれば、御者の居ない馬車を動かすことも、馬車から揺れを失くすことも赤子の手を捻るがごとき容易いことであった。

 

 とは言え、どれだけ魔術の研究を進めようと、人間の身である以上は、根本的に魔力の量という問題が絡みついてくる。

 いかな素晴らしい魔術を使えようと、魔法を唱えることができるようと、魔力が有限である以上は限界というものがある。

 

 だが老人はそれを嘆いたことは無い。

 

 魔道とは世界の深層を覗き込むことだと、魔術師は良く言うが、付与魔術師というのはそうではない。

 付与魔術は単体で意味や効果を持つ通常の魔術と違い、何かに『付与』することで初めて効果を持つ。

 つまり、それ単体では何の意味も持たなず、他の物質があって初めて意味と効果を持つ。

 

 付与魔術は、他の魔術とは違う、人のための魔術である、と老人は考えている。

 世のため人のため、とまで言うつもりはない。そこまでの博愛精神は老人には無いが。

 人を守るため、人の生活を豊かにするため、それがこの魔術の根源であり、根本である。

 だからこそ、老人もまた自ら生み出した魔術の大半を隠さない。

 教えを請われれば素直に教え、助けを求められれば手の届く限りは助ける。

 

 尤も、無計画に何でも放出していては世の調和が乱れるため、ある程度の選別はしているが。

 

 何事も適度に、が重要なのだ。

 過ぎたるは猶及ばざるが如し、という言葉が東の国にはあるらしいが、全く持ってその通りだ。

 強すぎる力は結局、自らに災いとなって降り注ぐ。

 だからこそ、分散するのだ、人に、民に、分け与えた力は災いから転じて福となる。

 そんな老人の考え方を、娘夫婦も理解してくれていた。だからこそ、わざわざ別の街へと移り、そこで付与術師として人のための魔術を振るっているのだから。

 そしてそんな両親を慕う幼い孫娘もまた、良い付与術師になるだろう。

 

「次は簡単な魔導書でも持って行ってやるかね」

 

 もう当分遠出は嫌だと先ほど言ったばかりにも関わらず、もう次のことを考えている自分に気づき、思わず苦笑する。

 

 

 ――――瞬間、それが視界に映った。

 

 

「止まれ!」

 

 それが何かを認識するのと、停止の命令を出すのはほぼ同時だった。

 土を盛って固めただけの道をその蹄と車輪で大きく抉りながら、馬車が急速に速度を落とす。

 完全に馬車が止まったのを確認すると即座に老人がローブをはためかせながら馬車から飛び降りる。

 タッタッタ、と来た道を戻るように土の道を走り。

 

「……なんと」

 

 道の端、草むらに倒れ込む子供を見た。

 

 

 

 




テンマ(アビで魔法耐性-15)!
シルセス(スキルで魔法耐性-20/最大-30)!
エステル(150秒魔法耐性半減)!
イングリッド(範囲内の敵の魔法耐性70%減少)!

以上、作者が使ってるアンリちゃんのお供。

あとミヤビちゃんとナナリー&クリッサ、偶に鬼刃姫。
だいたいの敵はこれで死ぬ。

アンリちゃんが弱いとか言ってるやつに言いたい。

可愛い! それだけで全部許される!


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悲報義妹まだ出てこない②

『この世の全てをちりにしろ』

これをこの小説の合言葉にしよう。


 

 目を覚ますと見知らぬ天井が見えた。

 

「……生きてる?」

 

 ここどこ、とか、なんでここに、とかよりもまず先に、自分が生きているという事実に驚いた。

 どれだけの時間かは分からないが眠っていたお陰だろうか、体の感覚は戻ってきている、動かそうとすれば動く。

 とは言え、倦怠感は強い。さらに言えば空腹感は酷い。正直、今すぐにでも飢えて死んでしまいそうなほどだった。

 上半身を起こせば、体にかけられていた布団が滑り落ちる。視線を移せば、村を出た時に着ていたボロボロになった服から、比較的新しい小奇麗な物に変わっていた。

 

 誰かが倒れていた自分を連れて帰り、服まで着換えさせてここに寝かせてくれた、と考えるのが普通なのだろうが。

 

 ――――誰が? 何のために?

 

 暮らしぶりを見れば分かる通り、日々の暮らしすら精一杯な人間が道端に転がった子供を助けてくれる可能性など皆無に等しい。

 いや、拾って連れて帰るくらいならお人よしがしてくれるかもしれないが、新しい服を与えてベッドに寝かせてくれるなどどんなお人よしだ、それは。

 だいたいこんな白いシーツのベッドなど村でも見たことも無いし、掛布団なんて贅沢品、街の人間だって持っているほうが少ないだろう。

 とすれば、余程の金持ちだろうか、だが何故そんなやつらが道端で野垂れ死にかけている小汚い子供など拾うのだろうか。

 

 そんな思考にエネルギーを回した結果、ぐう、と腹の音が響く。

 

「……お腹空いた」

「ほほ、ならば夕飯にするかね?」

 

 ぽつりと呟いた独り言に、言葉が返ってきた。

 視線を向けると、ローブ姿の老人が部屋の入口に立っていた。

 

「誰?」

「なに、ただの隠居爺さ」

 

 失礼な言い方だったかもしれない、と直後に気づくが、老人は特に気を悪くしたような様子も無く、自身の寝るベッドの傍までやってくる。

 こちらの顔色を窺うように顔を近づけると、老人と言ったその顔が思ったよりも若々しいことに気づく。

 皺も少なく、肌も張りがある。とは言え、髭剃りなんて便利なものが無いため伸び放題になった顎髭が胸元の辺りまで伸びており、色素が抜けてすっかり白くなった髪と髭が老人が老人であることを証明していた。

 老人が伸ばした手が自身の頬に触れる。

 ぺたぺた、とまるで触診のように老人の手が顔を撫でまわすので、くすぐったくなって思わず顔を逸らす。

 

「おお、すまん、すまん。少し顔色が良くなったな。どれ、食事も用意してあるから、おいで」

「…………」

 

 人が良すぎて余りにも怪しかった、怪しかったのだが、村を追い出されてからの急展開と、何よりも今も自分の腹で盛大に合唱している空腹感に負けてベッドから起き上がり、老人の後をついていこうとして。

 

 ふらり、と体が揺れる。

 

「っと、大丈夫か?」

 

 咄嗟に老人が差し出した手に抱えられ、抱き留められる。

 大丈夫、と返しはしたが、空腹と疲労でふらふらの体は、真っすぐに立つことすら難しかった。

 そんな自身を見かねてか、老人が自身の背に手を回し。

 

「ほれ、このまま行こうか」

 

 そのまま抱き上げる。七歳の子供の小さな体とは言え、この老人の細腕のどこにそれだけの力があるのかと思うほど軽々しく自身の体を抱え上げた老人に目を丸くする。

 そうして老人に連れられてきた広間のような場所で、中央にどんと置かれたテーブルの上に並ぶ料理の数々に目を釘付けにされる。

記憶の中の世界にあるような遥かに進んだ文明の料理と比べれば確かに劣るが、それでも村の中では見たことも無いような豪勢な料理の数々に、漂ってくる匂いに、再び腹の音が鳴り響いた。

 

「はは、随分と空腹のようだし、早速食事にしよう」

 

 大きな机に反比例するかのように、二つだけぽつんと置かれた椅子の片方に自身を座らせると、そのまま反対側へと行き、老人もまた残った椅子に座る。

 目の前に並ぶ食事に手が伸びそうになるが、自制する。

 本当に良いのか? そんな疑問が頭の中に浮かぶ。

 状況の唐突さや、展開の都合の良さが相まって、優し気な笑みを浮かべる老人も、机の上に置かれた数々の料理も、全てが怪しく見えてくる。

 

 そんな自身の躊躇を知ってか知らずか、老人が食前の祈りを済ませ、皿の一つに手を伸ばす。

 大皿から小皿へと料理を取り分け、こちらに気づく。

 

「どうしたんだい? ほら、おあがりなさい」

 

 老人の言葉と同時に、ぐう、と腹がまた鳴り、空腹の余りに眩暈がする。

 怪しくとも食べなければ死ぬだけか、とすぐに悟り、皿へと手を伸ばす。

 まるでビュッフェか何かのように大皿に盛られた料理を取り分けながら食べる形式らしい。

 老人の食べ方を真似るように小皿にちまちまと料理を取り分けながら食べる自身を見て、老人が苦笑する。

 

「私を真似る必要はないから、食べたいようにに食べなさい。それが一番美味しい食べ方だからね」

 

 そんな老人の言葉に、一瞬手が止まるが、老人を見て良いのだろうか、と視線を送ればこくり、と頷き返される。

 

「子供が遠慮する必要はないよ」

 

 そんな老人の言葉に、遠慮を捨てて大皿へと直接フォークを突き刺しては口へと運ぶ。

 食べても食べても足りないと言わんばかりに、体がもっともっとと栄養を要求するかのように手を動かさせる。ほとんど無意識で動く手と口に、思考は呆然としていた。

 

 ――――なんだこれ、すごくおいしい。

 

 普段村で食べていたようなものは、だいたいが森で取れた木の実や狩った動物が中心だ。

 そこに買い置きの黒パンや井戸から組んできた水など。

 だがそれでもまだマシな部類なのだ。何せ、毎日森で採れたばかりの新鮮な果物や血抜きして日の経っていない肉を食べれていたのだから。

 これが街のほうになると、一度市場を経由するため、果物はドライフルーツに、肉も燻製干しにされ、カチカチで旨さが半減する。

 正直、料理なんて呼べるほどの物ではない、実質的には保存食のようなものばかりだ。

 だがそれだって仕方の無い部分はある。この世界には冷蔵庫やクーラーボックスなんて便利な物はない。

 つまり、生ものを長期保存するには乾燥させるのが一番で、二番目が砂糖や塩に漬けることだが、砂糖も塩も基本的に内陸地であるこの国では高級品だ。

 正直、味が濃いだけで贅沢と呼べるような食事事情の中で、味が付いていてそれでいてかつしっかりと調理された食事など、七年のやや短いとも言える人生の中では初めての出来事だった。

 

 無我夢中、なんて言葉、きっとこういうことを言うんだろうなあ、なんて頭の片隅でそんなことを考えながら。

 

 気づけば、卓上の皿全てが空っぽになっていた。

 

「……え」

「ほほ、よく食べたな、見ていて気持ち良い」

 

 老人がそんな自身を見て笑うが、こちらはそれどころではない。

 村での生活はその日その日を節約しながら生きていた。だってそうしなければ明日食べる物まで無くなってしまう。

 だから自分は、これまでお腹いっぱいになるまで食べたこと、というのが無かった。

 むしろ、今この時代、この国で満腹になれるまで食べることのできる人間のほうが少ないだろう。

 だから、自分がどれだけ食べることができるのか、なんてこと、知らなかったわけだが。

 

 それでも、明らかにおかしいと分かる。

 

 卓上に並べられた料理の数々は、明らかにこの七歳の子供の体に入りきるような量では無かったはずだ。

 ほとんど無我夢中で食べ尽くしていたからこそ、気づかなかった。

 そして何より。

 

 ――――まだ満腹を感じていない。

 

 まだまだ食べることができる、という事実に、初めて自分の体が異常だと気づいた。

 否、異常は以前からあったのだ。

 明らかに子供とは思えないほどの運動神経だとか、神官の回復魔法を弾いたことだとか。

 それを気にしていなかった、否、気にする余裕も無かった。

 

 今こうして、状況が落ち着いて、初めてそれを気にする余裕ができた。

 

 だからこそ、疑問に思う。

 

 ――――自分は一体何なのだだろうか。

 

 

 * * *

 

 

 ――――ふむ、食べたか。

 

 目の前で卓上に上げられた皿の全てを空にした少年を見て、老人は笑みを浮かべるその胸中でぼそりと呟いた。

 食べる量にも驚いたが、それよりもあの料理全てを食べて平然としている少年に、驚愕の念を隠せない。

 

 魔法薬と呼ばれる類の物がある。

 

 例えば飲むだけで体組織が劇的に再生する、例えば塗るだけで皮膚を硬質化させる、例えば振りかけるだけでその姿を変化させる。

 など、通常ではあり得ないような効果を生み出すものばかりであり、その劇的な効果の反面、副作用も大きい。

 今少年が食べた料理の数々には、それら魔法薬の中からとりわけ害の少ないものをいくつか選んで混入させていたのだが。

 

 少年は全て平らげ、それでいて一切、何の効果も現れていなかった。

 

 あり得ない、と断じて良い現象だった。

 

 いや、そもそもその前からしておかしかったのだ。

 老人とて、ただの興味で折角の食事にそんな危険物を入れたわけではない。

 全ては少年を拾った時に起こった出来事が始まりだった。

 

 付与魔術というのは基本的には無生物に対して使用する魔術だ。

 それはかける魔術に対して無生物は一切の抵抗をしないためであり、逆に言えば、抵抗しないならば生物にでも付与することができる。

 とは言え、体に他人の魔力が宿るというのは想像以上の違和感があるようで、普通にやってもまず通用しない。

 だが意識が無いのならば別だ。

 

 最初に少年を見つけた時、すでに意識不明でかなり衰弱していた。

 特に空腹が酷かったのか、頬もやつれており、今にも死にそうな様相を呈していた。

 だからこそ、生命維持のための魔術をいくつか少年へと付与しようとして。

 

 ――――その全てを弾かれた。

 

 意味が分からなかった。

 確かに個人によって多少効き目が強い弱いというのはあるが、一切通用しないというのは聞いたことも無い。

 しかも攻撃魔法と違い、使ったのは付与魔術、どちらかと言えば回復効果に分類されるものだ。

 老人の知識に無い不可思議な現象に、老人がまず最初に思ったのは、何故という疑問より先に焦燥だった。

 魔術が効かない、ということは少年の生命が刻一刻と消えようとしていることであり。

 

 即座に少年を連れて帰ることを決めた。

 

 弱っている少年の体を抱え上げ、馬車へと乗せる。

 幸い馬車の中には老人が持ってきた保存食があったが、意識を失っている状態で物を食べさせるわけにもいかないため、なんとか少年を起こそうと体を揺するが一向に目覚める気配もない。

 間に合うかどうか、分からないがけれどとにかく急ぐしかない。

 そう結論付け、馬車を走らせる。

 

 普段は使わないほどの全力で魔力を振り絞り、半日はかかるだろう道中をその半分以下の時間で走破し、家に戻ると同時に少年を寝室に寝かせる。

 後は助かるかどうか、という懸念だけだったが、寝室のベッドの上で寝息を立てる少年の顔色が先ほどよりも良くなっていることに気づく。

 単純な空腹だけではない、きっと疲労や心労などもあったのだろう。それらが少しずつ解消されて、快気に向かっているのが分かった。

 とは言え、このまま何も食べなければ餓死ということもあり得るだろう。

 何か無いか、と家の中を漁り、地下に保存してあった果実を見つける。

 見つけた果実に擦りおろし、適当に水で薄めてほぼ液状と化したそれを少年の口に少しだけ含ませる。

 意識の無い少年に余り大量に食べさせると喉を詰まらせるだろうから、最初は舌を湿らせる程度に。

 唾と共に嚥下されたそれらを見て、匙の半分ほどを。そうして少しずつ少しずつ飲み込ませていく。

 意識は無いが、それでも生命として本能が食物を必要としているのか、無意識化でも与えられた物を食べようと少年の口が動いていた。

 

 そうして多少の食物が体に入ると、僅かな時間で少年の体は回復していく。

 すっかり顔色も良くなって、呼吸も安定した。

 とは言え、まだまだ足りないのか、時折鳴る腹の音は止まらないし、全体的に細いのは否めないが。

 

 そうして状況が落ち着くと、やはり気になるのは少年を拾った時のこと。

 

 もう一度付与魔術を少年へとかける。だがすぐに弾かれる。

 

 一体どういうことだろうか。

 

 分からない、分からないが、実に不可思議。

 そして同時に興味深くもある。

 一体どうなっているのか、知りたくもある、が。

 

「まあ、それは後でも良いだろう」

 

 今は少年が目覚めた時のために、何か食べる物でも作っていよう。

 

 と、その時ふと思いついたのが。

 

 魔法薬を摂取したらどうなるのだろうか、という実験。

 

 少年の体は魔法を弾く、それはすでにここまでで証明されている。

 それは体外からの魔法を弾くのか、だったら内側から効果の出る魔法薬ならどうなのか。

 そんなことを考える。

 とは言え、魔法薬は効果に比例するように副作用も大きい。

 そんな簡単に使えるようなものではない。

 

 だが効果の薄いものだってある。

 

 自らの思考に対して、まるで悪魔の囁きのように反証が飛んでくる。

 

 ほとんど害のないようなものだってあるはずだ。

 

 それは確かに。

 

 だったら、どうなるのか…………どうせ食べても害があるわけじゃないんだ。

 

 あの魔法を弾く現象には興味はある、多大に。

 本人に言わないのは悪いかもしれないが、別にそれで死ぬわけでも体調を悪くするわけでも無い。

 

 だったら、まあいいか。

 

 老人の思考が脳内の悪魔に屈した瞬間だった。

 

 



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悲報義妹まだ出てこない③

アイギスは基本的に情報が少ない、というか制作陣もそこまで深く考えてないんじゃね? 的な部分が多いため、基本的に独自設定とかねつ造が多いです。
嫌だ、という人は素直に読むのを辞めましょう。


では今回も。

『この世の全てをちりにしろ』


 

 書庫の窓を開けば日の光が薄暗い室内に射し、明るさを増す。

 埃っぽい空気を吐き出すように二度、三度と開閉し、換気をすると共にはぁ、と息を吐く。

 

「掃除しないとなあ……」

 

 閉め切っていると一呼吸でせき込み出す酷い埃の量に窓の外の新鮮な空気を吸い込みながら再び呼吸を止める。

 振り返り、ずらりと並ぶ本棚に並べられた本の背表紙を見やりながら、その中から一冊、二冊を本を抜き出す。

 まだ七歳の身には随分と大きい本だと思うが、さして苦も無く両手に持って書庫を出る。

 

「今日はまだ用事あるし、明日こそ……掃除しよ」

 

 そう言って昨日も同じことを言ったな、なんて心の中で呟きながらも二人暮らしには広すぎる屋敷の廊下を小走りに進んでいき、書庫から近くの一室の前までやってくる。

 

「爺ちゃん、持ってきたよ」

 

 とんとん、と両手が塞がっているため足で扉をノックすれば。

 

「これ……扉を蹴るなと何度も言ったじゃろ」

 

 扉が開き、呆れた様相の老人が出てくる。

 よれた藍色のローブの裾を引きずりながら老人が嘆息し、その手の中にある二冊の書物を見て柔らかい笑みを浮かべる。

「おお、持ってきてくれたか……」

 七歳児の手で持つには大きすぎる本も老人からすればさして大きい物でも無い、二冊とも片手で受け取り部屋の中へと戻っていくのでその後をついて行く。

 

 部屋の中は非常に質素だった。

 

 ベッド、机、椅子、以上。

 いっそシンプルと言っていいほどに最低限の物しかない部屋だったが、けれど机や床の上に散らばった大量の紙が実際の面積よりも部屋の中を狭く感じさせた。

「爺ちゃん……もっと片づけてよ」

 ぼやきながらも床に落ちている紙を拾っていく。

 紙と言えばそこそこ高級品なのだが、魔術師たちにとっては必需品であり、屋敷に文字通り山のようにあるのでこうして贅沢な使い方をしていても最早気にしなくなった。

 どれもこれも大量の殴り書きが書かれてはいるが、捨ててあるということは老人からしたら必要無い物だろう。

「済まんな……どうにも考え出すと他のことに手がつかんでな」

 済まないと口では言いながらも、すでに視線と意識は手の中の本へと注がれていることは自明の理であり、言っても無駄だとここ半年の付き合いで理解していた。

 

 半年、だ。

 

 自分が老人に拾われた日からそれだけの月日が経つ。

 暖かい食事と寝床、老人はそれを提供する代わりに自分の実験に付き合うことを提案してきた。

 付与魔術師の泰斗(その道の大家)たる老人にとって、自分のような体質の人間は初めて見たらしく、一体どういう仕組みでそうなっているのか興味深いらしく、非人道的なことはしないと約束すると言いながら受け入れるか否かを問うてきた。

 とは言っても選択肢など無い。七歳児がこの世界で生きる術などそう多くはない、というかとてつも無く難題だ。

 実験という言葉に多少の不安はあるが、それでも食いっぱぐれることも無く寝る場所に困ることも無い、それだけでも十二分な価値があった。

 そしてそれ以上に自分でも知りたかった。自分のこの体質が一体何なのか……化け物と呼ばれたこの不可思議な体のことを。

 

 そうして自分は老人の提案を受け入れ、それ以来老人の屋敷に厄介になっている。

 

 当初は実験という言葉に不安も覚えていたが、やっていることは健康診断の真似事や副作用の小さな魔法薬を飲んだり、その過程を見たり、後は老人の手伝いをしたりと本当に危険なことは無く、今となっては安定してた生活を送っていた。

 この実験がいつまで続くのか、終わる時が来たとしてその時自分がどうなるのか。

 未来への不安はあれど少なくとも今の生活は安定していた。

 

 

 * * *

 

 

 家事は自分の仕事だった。

 当初は老人がやっていたのだが、実験も基本的には経過観察が多くやることも無い身。

 世話になっている礼を少しでもしようと老人……爺ちゃんを手伝うようになり。

 自分の中に薄っすらと残る前世の記憶を活用し作った料理の数々が爺ちゃんに好まれたため料理番は自分の仕事となった。

 次いで洗濯や掃除などもやろうと思ったのだが、そこはさすがは付与魔術師の泰斗か。

 

 ゴーレムと呼ばれる鉄製だったり木製だったりする人形に魔術を付与したソレが箒片手に廊下を掃除するし、水桶に突っ込んだ衣類の類は爺ちゃんが片手間で唱えた魔法であっという間に綺麗になる。

 

 なんだこのチートな生活魔法と思わずにはいられない。

 

 自分も使えたら相当に便利だろうな、とは思ったのだが残念ながら使うことはできなかった。

 爺ちゃんは付与魔術は人のための魔術だとしている。

 そのためもし学びたいという意欲があるのならば誰にでもその門戸を開いている。

 そのため自分も学びたいと言えば教えてはくれた……のだが。

 

 魔法を使うには魔力と呼ばれるものが必要になる。

 

 これは神官の使う回復魔法も同じであり、他の魔術師たちの使う攻撃魔法も同じだ。

 魔力というのは基本的にどんな人間にでも存在する。

 この世界は目に見ることはできないが魔力に満ち溢れており、人は生まれたその時から大なり小なり魔力を身に宿す。

 魔力とは内側から溢れる力でなく、外から取り込む力であり、同時に体の内側に留めることのできる量には個人によって大きな差があるらしい。

 魔術師とは特に多くこれを貯めることができる人間がなるものであり。

 

 自分の魔力量は絶大としか言うしかないらしい。

 

 調べた爺ちゃんが目を見開くほど、正直本当に人間か怪しいほどの魔力量であると言われた。

 ならば自分にも魔法が使えるのか、と言われればノーであった。

 

 問題となるのはまたもや自分の体質であった。

 

 付与魔法や回復魔法など、本来プラス効果の魔法すらも弾く自身の体質はただ魔法を弾くのではない。

 

 ()()()()()()()()()()()()()のだということが分かった。

 

 つまり体内には大量の魔力があるにも関わらず、自分はそれを一切表に出すことはできない。

 まさしく宝の持ち腐れ、そして自分が七歳の子供にも関わらず大人同然の身体能力を持つ理由もまたこれだった。

 体内で魔力を燃料としてエネルギーを生み出している。

 体内で消化しきれないほどの大量の魔力をそうやって消費しているらしい。

 魔力とは本来人間の身には過ぎた力だ。

 ある程度までは蓄積することはできるが、一定のラインを超えると肉体の変質すら及ぼすこともある。

 だがこの魔力が表に出ないせいで肉体は変質しないし、入ってくることも無いせいで抜き取ることもできない。

 人間は呼吸するだけで大気中の魔力を吸収するらしく、生きているだけで魔力は溢れていく。

 だが発散できない、そのために魔力を別のエネルギーへと変換し、無意識的に肉体を強化しているのではないか、というのが爺ちゃんの推論だった。

 

 こうして半年にも及ぶ実験の結果。

 魔法を発露できず、遮断もするのに魔力は吸収はでき、変換して発散することはできるという意味の分からない体質が判明した。

 

 全く持って意味が分からない、自分もだが推察した爺ちゃんもまた首を傾げ、過去どれだけ遡ってもこんな体質の人間見たことも聞いたことも無いと言っていた。

 そうして凡その概要は分かったが、結局原因のほうは何一つ分からないままあっという間に半年が過ぎて。

 

 

 * * *

 

 

「明日、来客があるから出迎え頼むぞ」

「え?」

 

 二人だけで夕食の席を囲みながら、ふと爺ちゃんが呟いた一言に目を丸くする。

 ふわふわのパンを齧れば僅かな酸味とフルーティな香り。

 この半年の間に前世の記憶を頼りに作った天然酵母のパンは白パンには及ばないものの今まで食べていた黒パンと比較すれば比べ物にならないほど柔らかく美味だった。

 基本的に黒パンが固いのは日持ちさせるために乾燥させるからであり、一日で消費するなら別物のごとく柔らかい。とは言え、毎日パンを焼く手間というのもあるのだが、基本的に村に居た時のように朝から森に出ることも無く、爺ちゃんの手伝いをするくらいしかやることも無いため時間だけは余っているのだ。

 基本的に夜だってやることも無い上に明りも少ないのでさっさと寝るし、日の出前に起きては毎日パンを焼くのは最早日課である。

 そうして焼いたパンも爺ちゃんが毎日大量に廃棄する紙で包んで保管すれば夕食くらいまでなら乾燥せずに持つ。

 さらにそこにスクランブルエッグと庭で育てたトマトから作った特性のソースを乗っければ時代を考えれば随分と豪勢な……ってそうではなくて。

 

「来客? このお屋敷に?」

「うむ……先週手紙が届いてな、孫娘がやってくるらしい」

「お孫さん?」

 

 この屋敷には爺ちゃんと自分しか住んでいない。

 家族のことを聞いたことはあるが、どうやら爺ちゃんの付与魔術と理念を継ぎ、付与魔術師として別の街で人のために働いているらしい。

 

 人が好い、とは思う。とは言えこの平和なご時世だ。それで問題無いのだろう。

 魔物の脅威は限りなく少なく、戦争なんてこの近辺で起きる気配も無い。

 

 ログレス王国は英雄王の直系たる王家が支配している。そして周辺の国々は全て英雄王の血筋の分家が統治しており、周辺全ての国の王族がログレス王家の血縁ということもあって、小国ながらもログレス王国は周囲からそれなりに重んじられていた。

 まあ力関係だけで言えばログレス王国は否定しようもなく小国なので戦争でも仕掛けられれば滅びる可能性もあるのだが、英雄王の直系という立場はこの世界においてそれなり以上に重みのある立場であり、これを迂闊に滅ぼせば世界中に喧嘩を売るようなものであり、どの国も手出ししてくることは無かった。

 長く続く平和は人を腐らせるというが、けれど爺ちゃんやその家族はそんな平和のぬるま湯に漬かることも無く、志と理想を持って生きているようだった、正直眩しい。

 

 問題はその家族……というか孫娘が明日ここに来るらしいということだが。

 

「お孫さんっていくつ?」

「まだ四か五だったはずだな」

「俺より下か……ご両親は?」

「忙しいらしくな、しばらく家を出て戻らんらしい……だからこちらで孫娘を預かってくれ、と言われた」

「一人で来るの?」

「いや、娘……母親のほうが送ってくるらしい、とは言え本人はそのまま婿、父親のほうへと向かうらしいが」

 

 と言うことはしばらくこちらに住むのか。

 まあ元々爺ちゃんの一人暮らし、自分一人増えて二人暮らしにしても随分と広い屋敷だし孫娘一人増えてもスペース的な問題は一切無いのだが。

 

「俺は……居ても良いの?」

「問題無い。お前さんの体質の謎もまだまだ分からんことだらけだしな。まだまだ実験に付き合ってもらうぞ」

 

 そんな爺ちゃんの答えにほっと安堵の息を漏らす。

 何だかんだ、生家を追い出された身だ。住む場所や食べる物の問題もあるが、それに加えて単純に人恋しい。前世の記憶なんてあっても、所詮ただの七歳児なのだ。

 

「お孫さんは……俺のこと知ってるの?」

「うむ、娘夫婦には伝えておるからな、孫にも伝わっとるはずだ」

 

 そっか、と息を吐き。

 

「じゃあおもてなしの準備しないとね」

「うむ、頼んだぞ」

 

 告げる爺ちゃんの声に、一つ頷いた。

 

 

 * * *

 

 

 付与魔術というのは本当に便利だ。

 魔力がある限り燃え続ける不可思議な炉から火種を貰い、竈に火を起こす。

 抜いても抜いても込められた魔力がある限り沸き続ける魔法の水が甕を満たしているので鍋にたっぷりと水を取って竈に置く。

 勝手口から出てこの半年の間に許可をもらって庭に作った菜園から実った野菜を適当に収穫していく。この菜園だって付与魔術が使われており、成長促進の付与された土で作られた野菜は実りが早く、そして美味だ。

 冷蔵庫などの保管技術の無いこの時代において、生野菜というのは非常に高価だ。

 大抵の人間は干した乾燥野菜をスープなどで戻して食べるのが基本なのだが、屋敷を見ればわかる通り爺ちゃんは人並み以上の金持ちなためこういう無駄な時間が作れる上に魔術で割となんでもできてしまうためこんなものは無いかと提案しては爺ちゃんが楽しそうに新しい魔術を作ってくれたりする。

 

 付与魔術を人の生活に役立てる。

 

 それが爺ちゃんの理念であり、むしろこういう生活に密着した魔術というのは歓迎しているらしい。

 そしてそんな爺ちゃんの魔術の恩恵に今日も預かりながら朝食を作っていく。

 前世の知識というのは凄まじく曖昧で、特にどんな人間だったのかという記憶に関してはほぼ無いと言っても過言ではない。逆に知識的な記憶はいくらか頭の中にありその中には食に関する知識もあった。

 

 人が生きるためには栄養が必要であるが、この時代においてそんな概念は存在しない。

 食えるものを食う、それが基本であり、食を選べること自体が贅沢だった。

 腹が満たせるならば何でも良く、だからこそ食べる物によって体に影響が出るなんて考えは自分の知る限り誰も持っていない。

 とは言えそんな誰も持っていない知識を自分は持っているのだ。

 さらに爺ちゃんのお陰で食を選べる立場にもある。

 故に食べて美味しく、尚且つ栄養のある食事というのを考えて毎日提供している。

 一体前世の自分はどういう人間だったのか分からないが、何であれ前世の自分が学んだ知識が今こうして生きているのだから覚えてもいない自分に感謝である。

 

 それに今日からは爺ちゃんの孫娘もやってくるのだ。

 

 どんな子なのかは分からないが、同じ家で暮らす以上は仲良くやっていきたい。

 そして一番手っ取り早く人と仲良くなるならば食卓を囲むことはとても重要だ。

 美味しい食事は人を幸せにする。

 そのために普段は使わないちょっと高い食材も使って仕上げていく。

 

「それにしても……」

 

 孫娘か。

 

 ―――どんな子が来るのだろう。

 

 仲良くなれると良いな。

 

 そんな期待に胸を膨らませた。

 




この小説書き始めて早くも四か月(にしてまだ三話目)。
次回、ついにアンリちゃんが出てくるぞおおおおおおおお。


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速報義妹ついに登場①

『この世の全てをちりにしろ』


 かたんかたん、と木製の車輪が舗装された道を音を立てながら回り続ける。

 奇妙なことに先頭を引いて走る馬もまた木で出てきており、にも関わらずまるで生きているかのような滑かな動きで苦も無く馬車を引いていた。

 朝靄がまだ残る早朝から馬車は速度を緩めることも無く走り続ける。

 

「ねえ、おかあさん」

「うん? どうかした?」

 

 そんな馬車の中に二人の親子がいた。

 分厚い本を開きながらそこに書かれた内容を視線を追う母親の袖を娘が引くと、母親は視線を娘へと移す。

 どこか気弱そうな少女だった。まだ五歳にもならないから仕方ないのかもしれないが、人見知りで危なっかしい娘であり、これからしばらくの間、この小さな娘を手放さなければならないと思うと少し心が痛む。

 

「やっぱり……ボクも、おかあさんといっしょがいい」

 

 告げられた言葉に、またか、と思いつつもその頭をそっと撫でる。

 一緒に居れるならばそれが良いに決まっている。子への愛情を失くしたわけではないし、むしろずっと可愛がっていたいと思うほどだ。

 それでも、夫の手伝いに行けばきっと自分も夫も仕事に忙殺されてこの子の面倒を見ることができなくなるだろうことは分かっていた。

 下手をすれば昼夜関係の無く仕事に追われることになる、そんな不安定な生活にまだ幼い子供を突き合わせるわけにはいかず。

 

「すぐにお仕事終わらせて帰ってくるから……だからお爺ちゃんのところで少しだけ待ってて、ね? お願いよ、アンリ」

 

 最愛の子(アンリ)を胸の中に抱き留めながら、何度となく頭を撫で、髪を梳いてやる。

 さすがと言うべきか自分と夫の子だ、幼いながらも聡明であり、最終的にはうん、と頷いてくれる。

 それでも、我慢させている、それが分かるからこそ辛いものもある。

 一緒が良いと言っていながらも、それが難しいことだと本人も分かっているのだ、それでも言わずにはいられないのだろう……当然だ、まだ四歳の子供なのだから。

 

「それに、お爺ちゃんのところにもアンリと同じくらいの子供がいるらしいし、お友だちができるかもしれないわよ?」

「…………」

 

 無言での返答。そっと視線を逸らした娘の様子に、嘆息する。

 父から半年ほど前に子供を一人引き取ったと連絡を受けた時は何事かと思ったが、何でも父をして聞いたことも見たことも無いような相当な特異体質の子供らしく、しかも行く当ても無いということで好奇心半分、同情半分で引き取ったらしい。

 七歳、ということでアンリとは約三つ違うことなるが、これまで自分たちの仕事の関係上、家で大人しく本を読んでいることの多い子で、同年代の友だちというのが一人もいないまま育ってきた。

 そのせいもあってか人見知りが強く、家族以外にはどうしても気後れする、というか一歩引いてしまうため余計に交流の輪も広がらず、どうしたものかと以前から考えていたのだ。

 

 そこで今回の話である。

 父曰く、良い子らしいし、どうにか娘の友だちになってくれないか、と期待はしているのだ。

 自分は未だに会ったことは無いが、父の人物評なら信じられるし、父だっているのだ。

 他に親戚筋がいるわけでも無し、娘を預けるとしたら最早一択だった。

 

 不安そうに上目遣いで見つめる娘をもう一度ぎゅっと抱きしめる。

 

 父の家は近い。

 それはつまり、この子と離れる時も近いということで。

 

「すぐよ……またすぐに一緒に暮らせるようになるから」

「……うん」

 

 まだ夫の元へ行っていないので完全な目途は立たないが、それでも最低一年はかかりきりになるだろう。

 聡明な娘はそれも理解していて、それでも尚頷く。

 

「おかあさん……がんばってね、ボク……おうえんしてるから」

 

 それでも尚、笑顔で見送ってくれる。

 

「ええ……頑張ってくるわ」

 

 手の中の愛しさを忘れまいと、最後にもう一度だけ抱きしめた。

 

 

 * * *

 

 

 夕方半ば。

 

 まだ爺ちゃんの孫娘さんは到着しない。

 とは言え、この世界における移動手段の最速は馬であり、前世のように車などありはしない。あっても精々馬車である。馬というのは当然ながら生物であり、二十四時間走り続けることなどできはしない。

 人間もそうだが馬もまた速度と体力が反比例するもので、速く走る馬ほどすぐに体力が尽きてしまう。

 一般に馬車などに使われている馬でも一時間前後で一度は休憩を挟まなければならず、馬車に搭載する重量次第ではもっと短くもなる。

 とは言え前世の世界とは別の世界だ、魔法なんてものがあり、魔物なんてのがいるように、時折超人染みた人間というのがいるし、馬だって前世の知識で知るものよりもずっと能力の高い物も多い。

 それでも、限界というものはある。

 

 だからこそこの世界において、村や町からの移動とは簡単に行えるものではない。

 相応に準備をし、相応に時間をかけて行うものだ。

 

 付与魔術師というのはその辺りは相当にカットできる存在でもある。

 無機物に生命を吹き込むのが付与魔術師の本質であり、ゴーレムとはその最たるものだろう。

 魔力を吹き込み続ける限り、疲れず、休まず、走り続ける馬。

 そんなものを作れるのが付与魔術師という存在であり。

 爺ちゃんの娘夫婦の住んでいる街からこの屋敷まで普通なら三日、遅ければ五日ほどかかる道のりらしいが、爺ちゃんはこの距離を一日で走破できる。

 爺ちゃんの教えを受け継いで匹敵する、とまではいかないもののかなりの腕を持つという爺ちゃんの娘ならば同じように一日、今朝届いたという出立の連絡から見て恐らく今日の晩には到着するだろう、とのこと。

 

 それならば今はまだ来ないということなのだが。

 

「……んー」

 鍋の中のスープをかき混ぜながら少しだけ味見する。

 最近少しだけ凝っている香草類を使ったそれは以前作った失敗作と違い強く主張することも無く優しい香りがした。

 少しだけ奮発した鳥の肉と今朝焼いて乾燥させたパンで作ったパン粉、それから地下室に保管しておいた卵と後はいくつかの香草と野菜を混ぜて作ったハンバーグもどきはすでに種を焼くだけとなっており、いつでも完成させることはできる。

 トマトと香辛料で作ったトマトソースが今朝作ったオムレツのために作ったものがまだあるし、ケチャップとは大分違うがそれでも今あるもので作ったハンバーグのソースとしては上等だろう。

 それから副菜として庭で取って来た葉物野菜を使ったサラダ、上からクルトンとチーズを塗して大皿に入れてある。酢が無いのでマヨネーズは作れないがまあ前世と違い、野菜自体が新鮮かつとても美味しいのでドレッシングの類が無くても十分いける。

 

 後は昼過ぎから作り始めたパンが焼ければ夕飯の完成である。

 

 知識と材料をフル活用して作ったこの世界における最高レベルの夕食だと自負する。

 

 基本的にこの世界調理技術がまだ未熟なので材料だけあってもこれだけ創意工夫を凝らした料理というのは滅多に無いだろう。

 この一食に作った料理の代金だけで以前の自分の食事凡そ百食分くらいにはなるのではないだろうか。

 好きに使えと言ってくれた爺ちゃん様々である。

 

 とは言え、孫娘ちゃんがこれらを気に入ってくれるかどうかは未知数だ。

 

 一応秘密兵器も用意してあるが……今日からまた見知らぬ他人と生活しなければならない、と考えると多少不安にもある。

 何よりこの家に住む正当な権利が向こうにはあって、自分には無いというのは恐ろしい。

 さすがに爺ちゃんもいきなり追い出すようなことはしないだろうが……。

 豪勢な夕食には打算も多大に含まれてはいるが、けれど孫娘と仲良くなれるかどうか、というのは自分にとっても割と死活問題なのだった。

 

 鍋に蓋をし、火を消す。

 余熱がぐつぐつと煮えているが、まあ直に落ち着くだろう。

 それよりもとミトンをつけて窯を開く。

 途端に放たれる小麦の香りに一瞬頬が緩みそうになる。

 

「……良い感じ」

 

 前世のように食パン型などというもの無いので単なる丸めただけのロールパンだが材料的に言うとほぼ塩パンもどきである。

 中にバターを巻いたこれが爺ちゃんの好物であり、ちょくちょく焼いているので加減などはもう慣れたものだ。

 とは言え、子供なら甘い物も好きだろうし、棚から秘蔵のイチゴジャムを取り出す。

 正直食べ合わせとかどうなんだろうと思わなくも無いのだが、甘ったるいジュース片手にショートケーキを食べれるのが子供という生き物だ。

 

「まあ嫌なら使わないだろうし……置くだけ置いておくかな」

 

 後は家では定番の果実水でも出しておけば良いだろう。

 

「……いやー、ほんと使ったなあ今回」

 

 この家換算でも三日分くらいは材料を使った。

 まあ爺ちゃんが毎日消費する大量の紙に比べれば大した値段でも無いし、爺ちゃんも孫娘の歓迎のためならこのくらい許容してくれるだろう。

 

 視線を向け窓の外を見やる。

 

 時計なんて便利なもの無いので、空模様から大雑把に時間を把握するしかないのだが、そろそろ空も黒に染まって来た。

 夕方より夜と言ったほうが良い時間であり。

 

「そろそろかな?」

 

 呟いた瞬間。

 

 こんこん、と玄関のドアノッカーが鳴った。

 

 

 * * *

 

 

 玄関を開け、そこに居たのは一組の親子らしき女性と幼女だった。

 もしかして、そう思った自身の内心を他所に女性が一歩前に出る。

 

「キミがお父さんが話していた子ね……ごめんなさい、お父さんはいるかしら?」

「あ、はい……すぐ呼んできます」

 

 こちらから聞くまでも無く、爺ちゃんの娘さんだというのは理解できたので、女性の言葉に頷く。

 

「その必要は無いぞ」

 

 そうして屋敷へと戻ろうと振り返ったその場に、気づけば爺ちゃんがいた。

 いつの間にと思ったが、口には出さず爺ちゃんへと視線を向け。

 

「アンリ、先に中に入ってなさい」

「お前さん、悪いがアンリを案内してやっておくれ」

 

 女性が娘らしき幼女に声をかけると幼女が不安そうに母親を見つめるが、やがてこくりと頷いてこちらにやってくる。

 爺ちゃんもまた自身にそう告げると女性と二人で庭のほうへと歩いていく。

 どうやら自分か、それともこの子にか、余り聞かせたい話ではないということだろうと察する。

 

「それじゃあ……こっちに」

「う……あ、はい」

 

 幼女に声をかけると、びくり、と一瞬震え不安そうな眼差しを自身をみつめながら頷く。

 警戒されているのかその距離は先ほどまでより一歩遠い。

 年齢が年齢だけに仕方ないと考えながら玄関のやや重い扉を開き、幼女に入るように促す。

 幼女が庭に歩いて行った母親の姿と屋敷、それから自身を何度も見やり、それでも先ほど言われたからかやがておずおずと歩き出し、屋敷の中へと入る。

 その背を追って屋敷に戻り、玄関を閉めると共に重い扉がどんと音を立て、幼女がびくりとまた跳ねる。

 

「先に部屋に案内する? それともお腹空いた?」

「うぇ……あ……その……」

 

 見たところ荷物らしきものは持っていないのだが、どうすべきか幼女に尋ねてみるが、すっかり怯えた様子で答えに詰まっている。

 一瞬だけ考えこみ、じゃあこっち、と幼女を案内する。

 歩き出す自分を追う幼女だったがその距離は遠い。

 

 ―――これ追い出されるかもなあ。

 

 なんて危惧が沸いてくるが、かと言って無理に詰め寄っても余計に拒絶されるだけだろう。

 何とか仲良くなるしかないのだが。

 

「……これは秘密兵器の出番かなあ」

 

 呟き声は小さく、幼女には届かなかった。

 

 

 * * *

 

 

「行ったようだな」

「そうね……」

 

 屋敷の庭は老人が魔法をかけたとは言え、手入れ自体は少年がやっている。

 割とまめに手入れしているらしく、整えられた様子の庭は過去の雑草が伸び放題だった時の影も無かった。

 

「綺麗に手入れされてるのね」

「あやつがやったことだよ」

「……ふふ、お父さんがそんな手間なことするはずないものね」

 

 分かっている、とばかりに苦笑する娘に老人が少しだけむっとする。

 とは言え家族なのだ、この程度で怒りはしない。

 

「それで、本当にあの子を一年以上も預けるつもりなのか?」

「ええ……お父さんも知ってるとは思うけど、今度行く場所は少し治安の問題があってね。あの子には忙しさを理由にしたけど、本当はそっちが大きいわ」

「……お前たちは、大丈夫か?」

「大丈夫よ、お父さんに色々教えてもらったもの」

 

 そんな娘の苦笑に、少しだけ押し黙った老人だったが、やがて嘆息し。

 

「そうか……」

 

 それだけ言葉を吐き出して、沈黙する。

 そんな老人の様子に、娘が少し笑みを浮かべ。

 

「良い子そうね、あの子」

「ん? ああ、あやつか……そうだな、まだ来て半年だが、まるでずっと以前から居たかのように思えるよ」

「そっか……それなら私も、安心してアンリのこと任せられるかしらね」

「人見知りの強い子だからな……どうなることやら」

「ねえお父さん」

 

 娘から視線を外し、空を仰ぎながら呟いた老人に、娘があっけからんと告げる。

 

「あの人にも相談してみてだけど……戻ってきたら、あの子、うちの子にしちゃいましょうか?」

「……何?」

 

 空を見ていた老人がぎょっとしながら娘へと視線を移す。

 

「手紙で読んだ限りだと、ここを出ても行くところなんて無いんでしょ? 一年後、もしその時にアンリが懐いてるようなら、本格的に引き取っても良いんじゃない?」

「…………」

 

 そんな娘の提案に、即答はできないとしばしばかり沈黙し。

 

「……はぁ。好きにしなさい」

 

 やや投げやりながらそう告げた。

 

「ふふ……なら好きにさせてもらうわ」

 

 悪戯っぽく笑みを浮かべる娘に。

 

「……はぁ」

 

 もう一度老人が嘆息した。

 

 

 

 




アンリちゃん可愛い、アンリちゃん、可愛いよ。アンリちゃん、アンリちゃんとても可愛いんだ、アンリちゃんびくびくしてて可愛い、アンリちゃん人見知りアンリちゃん、可愛い、可愛い、とても可愛い、可愛いんだ、可愛いんだよ!
ああ、アンリちゃん、アンリちゃん可愛いよ、アンリちゃん、マジ可愛い、とても可愛い、すごく可愛い、アンリちゃんアンリちゃんアンリちゃぁぁぁぁぁん。


きんこーちゃんピックアップ3回ほど引いたらアンリちゃん(2枚目)出ました。
もう書くしかないじゃない(


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速報義妹ついに登場②

『この世の全てをちりにしろ』


 

 

 

 新鮮な卵というのはけっこうな高級品だ。

 前世において日常的に食べるような類の物だったかもしれないが、この世界においては流通と保存技術の問題というものがある。

 この世界に誰でも運転できて速度もある便利な自動車は無いし、コンセント一つあれば長期間食べ物を保存できる便利な冷蔵庫も無い。

 いや、これは凡そほとんどの物に言えることだが。

 基本的に長期間の常温保存のできない物以外はひたすらに価格が高くなる。

 

 同じことが牛乳にも言える。

 

 さらに言えば王国は地球でいうところのヨーロッパ風の気候なので砂糖の類も南国から輸入頼りでありひたすら高くなる。

 

 つまりプリンは超高級品である。

 

「わあ……」

 

 机の上に置いたプリンに幼女……アンリが手を出すまで酷く場が重苦しかった。

 名前はここ、食堂に来るまでに互いに紹介はしたのだが本当にそれだけの最低限の会話をして以降黙ってしまったアンリに最終兵器とばかりに甘味……プリンを出したのだが、どうやら初めて見る様子だったらしいアンリが備え付けられたスプーンを手に取り口に運ぶまでにも長い時間を要した。

 何度となくこちらとプリンへと視線を往復させ、警戒と興味の視線を滲ませながらそれでもようやく一匙掬い、口に運べば目を丸くして感嘆の声を零した。

 口の中で蕩けるような未知の触感と甘さにアンリが目を輝かせる。

 

 やはり女の子なら甘い物には目が無いだろうという前世知識は正しかったらしい。

 

「美味しい?」

「……うん」

 

 初めてこちらを見てくれた気がする。

 同時に自分が見ていたことに気づいたらしく、顔を赤くして縮こまる。

 それでも自分の問いに気恥ずかしそうにしながらも頷き。

 

「ならもう一つどうぞ」

 

 自分の目の前に置いていたプリンの乗った皿をアンリの目の前に差し出す。

 差し出された皿と、自身へと視線を数度往復させて。

 

「……いいの?」

「いいよ」

 

 確認するように尋ねた言葉に頷くと、少しだけ躊躇し、けれどおずおずと手を伸ばす。

 手繰り寄せた皿を目の前に持ってきて、それからスプーンを手に取る。

 数秒目の前のプリンを見つめ、動かないアンリに思わず首を傾げ。

 アンリの視線がこちらを向く。どうしたの? と視線を問いかければ。

 

「あ、あの……その……」

 

 ごもごもと口ごもりながら、それでも。

 

「あ……ありがとう」

 

 つっかえながら、それでも言い切ったその言葉に。

 

「……うん」

 

 少しだけ気恥ずかしさを感じながら、頷いて、笑みを浮かべた。

 

 

 * * *

 

 

 色々と用意はしたものの、プリン二個でものの見事にお腹いっぱいになったアンリが先ほどからうとうととしている。

「アンリ……部屋の準備はしてあるからもう寝たら?」

 何度かそう提案しているのだが、その度にアンリはふるふると首を振って。

「おじいちゃん……くるまで、まつ」

 眠そうに片言でそう告げてはうとうとと頭を揺らす。

 見ているこっちが危なっかしいと嘆息し、厨房へと向かう。

 

 厨房と地下室は繋がっている。

 冷蔵庫の無い世界では地下というのは温度が安定して低く食料品の保管に向いた場所なのだから当然と言えば当然だが、薄暗い地下室には付与魔術を使った灯りを置いてある。

 お陰でそこそこ広い地下室でも迷わず目的の物を探り当てることができる。

 

 壺だ。蓋がしてあってなるべく密封してある。

 封を開けるとさっと中身を小袋一杯分ほど移して即座に封をする。

 長時間封を開けると中身がダメになってしまうので作業は急いだ。

 

 目的の物を手に入れると厨房に戻り机の上に置かれた箱に袋の中身を入れる。

 蓋を開ければ中は機械仕掛けになっていて、その中に袋の中身……黒茶色の豆が転がる。

 実はこれにも付与魔法が使われていてゴーレム操作の応用で自動で作業してくれる。

 ほどなく中身が完全に粉々になったのか、動かなくなった箱を開くと前世で嗅いだことのある香りが放たれる。

 

 珈琲だ。

 

 勿論今の自分にとっては初めての香りである。

 なんだか落ち着くような、初めてのようで、懐かしさも感じる、そんな不思議な香り。

 数週間前に南からの交易品として輸入されていたのを思わず買ってしまったのだが、粉にするための粉砕機を作るのに時間がかかり、未だ自分も、爺さんも飲んではいなかったりする。

 

 布の切れ端で作った簡易的なパックを出して粉を入れていく。

 中身が零れないようにきゅっと口を縛って完成だ。

 

 お茶を淹れる用に用意していたお湯の入ったポッド(付与魔法で保温されている)から湯を出してカップに注ぎ、パックを入れる。

 ぐるぐると回しながら煮だせばカップの中の湯があっという間に黒くなる。

 一口飲んでみれば確かに珈琲の味がする。

 

「苦い……」

 

 未だ子供の身にそのままは苦味が強いのでプリンを作った余りの牛乳を入れて味を調整する。

 さらに同じ物をもう一つ作ってそちらには砂糖を入れて甘くする。

 

「これでよし」

 

 盆にカップを載せて再び食堂に戻る。

 それほど時間をかけたつもりも無かったが、どうやらすでに限界を迎えてしまったらしいアンリが食堂の大きな机に突っ伏して寝息を立てていた。

 

「あちゃ……無駄になっちゃったか」

 

 珈琲は眠気覚ましに使えると前世の知識が教えてくれていたので用意したのだが、どうやら時すでに遅かったらしい。

 すやすやと安らかに寝息を立てて眠るアンリを起こすのも忍びないかと考えながら机の上に盆を置く。

 窓の外を見やればどうやらまだ爺ちゃんたちもまだ戻る様子はないらしい。

 

「……ん、仕方ないか」

 

 二階の寝室から薄手のブランケットを一枚持ってきてアンリにかけてやる。

 ログレス王国は地理的に年中寒暖の差も少なく安定した気候をしているが、それでもこんなところで寝ていれば風邪だって引くかもしれないし、温かくしておいて損は無いだろう。

 

 健やかな寝顔である。

 

 丸一日馬車に乗りっぱなしだったのだろうから疲れているのもあるだろう。

 まだ夕方だが旅疲れもあって眠ってしまっても仕方ない。

 それにしても、最初はどうなるかとも思ったが。

 

「どうにかなりそう……かな?」

「そうか、それは良かった」

 

 誰にともなく呟いた独り言に、けれど言葉が返って来る。

 振り向けば、食堂の入口に爺ちゃんが立っていた。

 

「娘さんは」

「もう帰ったよ……遅いし泊っていけと言ったんじゃがな」

「そっか」

 

 話ながらも爺ちゃんがアンリの隣に座り、お盆の上に乗ったカップに視線を向ける。

 

「これは?」

「珈琲。この間取り寄せたやつ」

「おお、出来たのか」

「飲んでみる?」

「頼む」

 

 告げる爺ちゃんに砂糖の入ったほうのカップを渡す。

 受け取り、カップに口をつけて、目を丸くする。

 

「甘いな」

「砂糖入れてるからね」

「ふむ……不思議な味わいじゃわ」

「美味しい?」

「うむ」

 

 爺ちゃんは割と甘党だ。

 バターロールが好物なのは以前にも言った通りだが、秘蔵の苺ジャムだって元は爺ちゃんが好んで食べるから作っている部分もある。

 魔法使いというより研究者と言ったほうが正しいのだろう爺ちゃんは考えることが多い。というか酷い日は一日中部屋に籠って本とにらめっこしながら紙にひたすら書き殴っていることもある。

 たくさん考えると甘い物が食べたくなるものであり、そういう理由もあって歳の割に甘い物が好物なお茶目な爺ちゃんである。

 

「味わい深いのもそうだが、気分がすっきりするな」

「眠気覚ましにもなるからね」

「ほう……良いな」

「じゃあまたあったら買って来ようか」

「うむ、その辺りは任せる」

 

 この家の家計は何気に自分が握っている。

 七歳児にそんなことさせて大丈夫かよ、と思うかもしれないが爺ちゃんは基本的に出不精だ。

 引きこもりというわけではないのだが、家で作業することが多く自分が来る前は配達のようなものを頼んでいたらしい。

 今でも重い物はいくつか配達してもらっているのだが、自分でも買える物は自分で買うようにしている。

 買い物に行くたびに爺ちゃんに購入費を借りていたらもう任せる、とか言って金庫ごと預けられた。

 剛毅というか面倒臭がりというか、信頼されているととってもいいのだろうかと少しばかり悩んだ。

 

「爺ちゃん、夕飯どうする?」

 

 ちらりと視線を向ければすやすやと寝息を立てるアンリの姿。

 そんな孫娘の姿に柔らかい笑みを浮かべその頭を撫でながら爺ちゃんが少し考え。

 

「もう少し待とう……今日から三人で暮らすのだから、食事くらい一緒が良い」

「そっか……」

 

 三人で、と言われて安堵する自分がいる。

 半年で馴染んだつもりでいて、やはり生家を追い出されたというのはそれなりにトラウマらしい。

 そんな自分の不安が表情に出ていたのだろうか。

 

「おいで」

 

 爺ちゃんに呼ばれ、近寄れば。

 

「よしよし……安心せい、お前さんはここに居ても良い。だからそんな不安そうな顔をするな」

「……うん」

 

 頭を撫でられる感触に、少しだけ涙腺が緩む。

 歯を食いしばって堪えて、無理にでも笑みを作る。

 

「スープ……温めてくるよ」

 

 爺ちゃんの答えを聞かないままに、その手から逃れ厨房へと向かう。

 頭から失われた暖かさに、少しだけ名残惜しさを感じながら。

 あれ以上撫でられていたら泣いてたな、そんなことを思った。

 

 

 * * *

 

 

 パンにサラダ、スープにハンバーグ。

 食卓に並ぶ料理の数々にアンリが目を白黒させる。

 

「すごい……」

 

 ぽつりと呟くその様子に苦笑しながら。

 

「全部こいつが作ったんじゃよ」

「ふぇ……?」

 

 爺ちゃんの一言に俺を見やり、また驚く。

 食事の準備をしている間にすっかり目を覚ましたらしい。

 プリンでお腹いっぱいになったのかと思えば、さすが子供というかハンバーグの匂いにお腹が鳴って頬が紅潮する。

 そんな様子に爺ちゃんと二人で苦笑しながら皿を並べていき、ナイフは危ないのでフォークとスプーンを用意し。

 最後に果汁ジュースの入ったコップとプリンの乗った皿をアンリの元に並べて終了だ。

 

「わあ……」

 

 プリンが出てきたあたりでまた目を輝かせるアンリ。

 先ほどのプリンが余程好評だったのだろう、作った側からすれば嬉しい話である。

 

「はは……待ちきれぬ様子であるし、ではいただくか」

「いただきます」

「……? いただきます?」

 

 手を合わせて呟く自分や爺ちゃんを真似るようにアンリが呟く。

 前世知識のせいか、やらないと何となく落ち着かないだけなのだが、いつの間にか爺ちゃんも習慣付いていた。

 西洋風の世界なのに、ここだけ和風だななんて思いながらもフォークでサラダを食べながらちらりとアンリを見やる。

 

 さて本日のメインゲストは自分の料理をお気に召してくれるだろうか?

 

 なんて心配は杞憂だったようで、ハンバーグやスープ、サラダも美味しそうに食べている。

 ただ自分より年下の子供には量が多かったらしく、食べきれなかったらしいパンが残っていた。

 その割にプリンはしっかり食べていたのは、甘い物は別腹理論なのだろうか。

 小さく見えても立派に女の子だった。

 

 

 * * *

 

 

 風呂というのは贅沢な文化である。

 実際問題、水を潤沢に使用し、湯を沸かすための火も必要とする、しかも使ったらそれを廃棄する。

 一般人がこれを毎日やると一週間もしないうちに破産する程度には金がかかる。

 だが付与魔術師がこれをやろうとすると、水を出すのも魔法、それを沸かすのも魔法。

 廃湯は冷まして庭の畑にでも撒けば良いとローコストで実現することができる。

 

 通常の魔術師というのは戦うための魔法を扱うものだが、付与魔術師は人のための魔法を扱う。

 

 この差が大きいというべきだろう。

 有体に言えば、応用性が高く、何にでも使える。

 ただ何でもできる代わりにどれも専門には敵わないという器用貧乏になりがちなのだが、泰斗たる爺ちゃんの手にかかればどれもこれも専門家並の性能を発揮する。

 

 果たして自分は将来的に爺ちゃん無しで生きられるのだろうかと思うほどに付与魔術に依存している自覚をしながらもその利便性に頼られずにはいられない。

 果たして自分は爺ちゃんの邪魔をしているのではないかと心配になったこともあったが、そもそも人の生活の役に立つための付与魔術であり、アレをして欲しい、コレをして欲しいという要望はそういう意味でも実験の役割もあり、それなりに役には立っているらしい。

 

「ほら、動かない」

「……う、は、はい」

「流すよー?」

「わわわ、わ」

 

 桶に組んだお湯を頭からかける。

 髪を泡立たせていた石鹸が流れ落ち、アンリがふるふると顔を振る。

 

「めがいたい」

「ちゃんと目閉じてないから……ほら、お湯で洗って?」

「うん……」

 

 目をきゅっと瞑ってお湯で洗っているが、それじゃ意味がないだろと言いたい。

 仕方ないので持ってきたタオルをお湯につけて。

 

「アンリ、これで痛いところ拭いて」

「うん……ありがとう」

 

 ごしごしとタオルで目を擦るアンリが背筋をぶるりと震わせる。

 

「寒い?」

「……ちょっと」

「じゃあ、湯船入ろっか」

 

 まだ目が痛いらしいアンリが目を瞑りながら頷くのでその手を引いて湯船まで連れてくる。

 大人が入る用に深いところと子供が入る用の浅いところに別れている、まるでプールだなと初めて見た時は思ったがこうして子供二人で入る分には助かる。

 

「ほら、肩まで浸かって」

「……ほわ~」

 

 子供用に少し足元が高くなっているのだが、小柄なアンリの場合、座っていても普通に肩まで浸かっているようだった。

 自分もまた足を延ばし、体を倒して肩まで浸かると、じんわりと熱が沁み込んできて、アンリと同じように声を漏らす。

 

 夕食を食べ終えた後、爺ちゃんは一服すると言って二杯目の珈琲を片手に食堂で本を読み始めた。

 アンリは軽く寝て目が冴えたのかどうしようかときょろきょろしているし。

 そこで夕食の片づけを終えた俺に爺ちゃんがアンリを風呂に入れてやってくれ、と言われたので今のような現状になっている。

 

 同じ釜の飯食った仲、なんて言葉が前世であったが。

 

 一緒にご飯食べて、一緒に風呂入って。

 

 それなりに仲が良くなったとは思う。

 少なくとも、最初の時のように視線を向けただけで震えられたり、言葉を話すたびに反応に困ってちらちら視線を向けられるようなことも無くなった。

 

 どう言おうと、これから一緒に暮らす……そう、家族になるのだから。

 

 いつまでもコミュニケーションできないでは困るし、結果的に良かったのだろう。

 

「アンリ」

「ん……なに?」

「これから、よろしくね」

 

 ぽかぽかとした全身にリラックスしていたアンリが首を傾げ。

 そうして自分の言葉に少しだけ驚いたように目を丸くし。

 

「うん……よろしく、おねがいします」

 

 少しだけ恥ずかしそうに頬を染めながら、それでもそう言って微笑んだ。

 

 

 




ア イ ギ ス 人 気 闘 票 開 催 !!!


Q.誰にする?

A.アンリちゃんでしょ!



人気投票前に一人でも多くのアンリちゃんファンを増やすべく、書いてみた。


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速報義妹ついに登場③

 

 

 屋敷の住人が一人増えて、半年が経った。

 つまり俺がこの屋敷に来てちょうど一年くらいになる。

 基本的に俺はこの屋敷で爺ちゃんの実験に付き合う以外やらなければならないこと、というものは無い。

 その実験だって朝食や夕食の時にいくつか魔法薬を飲んだり、定期的に健康診断のようなものを受けたりするくらいで本当にこれで何か分かるのだろうかと思ったりもするのだが、爺ちゃん曰く原因らしきものが全くもって分からないので現状手探りで慎重にやっていくしかない、らしい。

 

 アンリとは初日のこともあり、それなりに良好な関係を築けているとは思う。

 それがまだ家族と呼べるようなものなのかどうかは分からないが。

 

 生まれ育った村を追い出されて凡そ一年。

 

 それでも俺は今日も生きている。

 

 

 * * *

 

 

 朝の始まりは日が出るよりも前だ。

 

 前世では夜になっても電灯があれば遅くまで明るさを保っていられるが、電気なんて通っていないこの世界では夜の明りと言えば蝋燭がメジャーだ。

 とは言えここは付与魔術師たる爺ちゃんの屋敷だ、付与魔術を利用した明りなんてのもあるが、それだって魔力を消耗するため必要以上には使わないに越したことは無い。

 なのでこの屋敷は基本的には夜八時くらいには全員就寝する。遅くても九時が限度だろう。

 

 当然ながらその分、朝は早い。

 

 目を覚ませば午前四時。

 だいたい毎日七時間から八時間は眠っているので目覚めは早い。

 起きたらすぐに朝食の支度に取りかかる。

 とは言っても、夕食の残りのスープやパンを温めたり、庭から新鮮な野菜を収穫してサラダにしてあとは適当に果物や飲み物を用意するだけだが、この世界の朝食としてはそれだけでも十分過ぎる。

 後は最近暇に飽かして鶏の世話を始めたので屋敷で消費する分くらいの卵も供給されるようになった。

 さすがに牛を飼うほどのスペースは無いというか、そんな技術が無いので断念したが、卵が安定して手に入るようになったお陰で料理にも一気に幅が広がった。

 朝食のおかずにスクランブルエッグや目玉焼きなども追加できるようになったのは大きい。

 まあ醤油なんてものあるはずも無いし、胡椒の類は超が付く高級品なので必然的に味付けがケチャップ風味のトマトソース一択になるのだが、それでも爺ちゃんやアンリには好評だった。

 

 この世界、基本的に文化が未発達というか未熟なので、うろ覚えの前世での料理でも十分に凝った料理になる。

 まあそれは生家の食事風景を見れば分かったことだが、爺ちゃんのようないわゆる金持ちに分類される人たちでも素材が新鮮だったりちょっと珍しい物があるだけで調理という意味ではそれほど差が無いようだった。

 

 手間のかかるものの大半が前日の残り物だけにあっという間に支度は終わる。

 時刻は五時半。爺ちゃんはそろそろ起きてくる頃合いである。

 すぐに地下倉庫に入って珈琲豆を取ってくる。

 箱型粉砕機(ゴーレムポッド)に豆を入れて製粉している間にお湯を沸かしておく。

 

 半年前に飲んで以来、すっかり珈琲好きとなった爺ちゃんは必要なら金に糸目をつけず珈琲を愛飲するようになった。

 現在地下室の一部を改造して作られた珈琲豆の保管専用の地下倉庫には凡そ一か月分ほどの大量の珈琲豆が保管されている。

 交易品によって南から流れてくる珈琲豆はログレス王国では貴重品であり、しかも交易頼みのため入荷は不定期だ。

 爺ちゃんなど以前半年分くらいまとめて買おうとしていたのだが、珈琲豆というのは完全密封しても一か月前後で風味が切れるので諦めさせたのだが、今度は地下倉庫を作り魔法によって状態を固定するという超荒業で一か月分の珈琲をいつでも楽しめるようにした。

 正直もう珈琲好きというか、カフェイン中毒だろってレベルの愛好ぶりだが、意外にも一日の摂取量はそう多くない。

 というか朝の一杯以外は研究中に一日かけてちびちびと一杯か二杯飲むくらいであり、じゃあなんでこんな大量に買い込んだんだよと思わず呆れる。

 

 まあ俺としても珈琲の香は嫌いではないので時々飲ませてもらっているのだが、残念ながらまだ五歳のアンリには珈琲の良さは分からないらしい、たっぷりとミルクと砂糖を入れなければ飲めないし、それでもまだ苦いと舌を伸ばしていた。

 というか軽く猫舌気味らしいアンリはそもそも熱い飲み物というのが苦手なようだった。

 基本珈琲は冷めると不味いので大人になっても飲まないかもな、と言ったら爺ちゃんが少し落ち込んでいた。

 

 六時直前になると階段を降りてくる足音が聞こえる。

 沸かした湯を注いで、手早く珈琲を作る。

 珈琲の入ったカップを食堂に持って行くのと爺ちゃんが食堂に入ってくるのがほぼ同時だった。

 

「おはよう……毎朝早いな」

「おはよう、爺ちゃん。その分早く寝てるしね」

 

 家での娯楽なんて本を読むくらいのものだが、日が落ちればそれも難しい。

 必然的に就寝は早くなる。研究者でもある爺ちゃんは寝る前に本を読んだり、書き物をしたりもう少し遅く起きているようだが。

 

「ふう……朝はこの一杯に限る」

 

 机の上に置いた珈琲に口をつけて、爺ちゃんが何か気取ったような台詞を吐く。

 

「すっかり珈琲好きだね」

「この苦味と甘さが良い……頭がすっきりする」

 

 因みにミルク半々のお砂糖三杯だ。最早珈琲を飲んでいるというか砂糖と牛乳に珈琲が混じっているといったあり様だが、爺ちゃんはこれを気に入っているようだった。

 

「朝食できてるけど、少し待っててもらえる?」

「ああ。あの子はまだ?」

「うん、これから起こしてくるから」

 

 頼むよ、と珈琲を飲みながら椅子に腰かけた爺ちゃんを後目に食堂を出て階段を昇り二階に向かう。

 そうして二階の一室をこんこん、とノックし。

 

「アンリ?」

 

 声をかけれど返事は無い、まあいつものことだと扉を開く。

 部屋の中にはぽつんと一つベッド、その横にクローゼットがあるだけだ。基本的に寝る時以外は使っていないのでどうにも殺風景だが、そもそも前世でいうところのインテリアなんてよっぽどの金持ちや王侯貴族でも無ければ置いていない。まあ爺ちゃんはそのよっぽどの金持ちのほうに分類されるのだが、爺ちゃん自身内装にほとんど拘らない。精々食堂に花瓶を置いて花を活けているくらいか……いや、それだって余りにも殺風景だから俺がやったのだが。

 

 ベッドの中で布団に包まって眠る少女の姿を見つけ、今日はいたか、と思う。

 まだ五歳のこの少女は両親が忙しかったせいか一人でいることに慣れてしまっていた。

 だがこの屋敷は基本的に人がいなくなることが無い。いつでも爺ちゃんや俺がいる。

 一人で食事、一人で寝て、一人で起きる。そんな生活が長かった反動なのか、人恋しさというものを覚えたのか、屋敷に来てしばらくの間はいつでも俺や爺ちゃんの後をついて過ごしたり、夜になると部屋にやってきて布団に潜り込んだりしていた……というか多少落ち着いたとは言え、今でも時々やってくる時がある。

 爺ちゃんが何も言って無かったので多分いるだろうとは思っていたが、まあ時々部屋に起こしに来てももぬけの殻な時がある。

 

 とは言えそれを咎めるつもりも無い。

 

 まだ五歳の小さな少女なのだ。そもそもからしてまだ親の愛情が欲しい年頃だろうし、その両親から離されて平静でいられるわけも無い。

 自分は親ではないし、そもそも血の繋がった人間でも無いが……まあ同じ屋敷に住む家族として、精一杯できる限りのことはしてやりたいと思う。

 

 それは半年の間に、自分が爺ちゃんからもらったものだから。

 

 

 * * *

 

 

「起きて~アンリ。もう朝だぞ~」

 

 ぷに、ぷに、と頬を突けば柔らかな感触が返って来る。

 

「ん……んぅ……」

 いやいや、と寝返りをうつアンリ。

「起きろ~……起きないとまた頬突っつくぞ~」

 肩を揺らす。割と揺れているはずなのだが、全く起きる気配は無い。

 仕方ないのでまた頬を突くが寝返りをうって逃げる。

「これでも起きないか……」

 最終手段だ、とアンリの耳元に口を寄せ。

 

「ふぅ~」

「うひゃぁぅ?!」

 

 そっと息を吹きかけると同時に、アンリが素っ頓狂な悲鳴を上げて目を覚ます。

 全身に感じる寒気にがばっ、と上半身を起こしぶんぶんと首を振って周囲を見渡し。

 

「レッくん?」

「おはよう、アンリ」

 

 俺の姿を認めると同時にアンリが嘆息する。

「もう……普通に起こしてよ」

「普通に起こしても起きないアンリが悪いな」

 言いながらクローゼットから着換えの服を取り出しアンリに渡す。

「ほら」

「ありがとう、レッくん」

 寝巻を脱いでシンプルな黒地のシャツに白のスカートを履かせる。

「もう一人で着れるよ?」

「この間そう言って上着を裏返して着てなかったら信じたよ」

「うぅ~」

 アンリが顔を赤らめながら寝巻を籠に詰め込むとそれを受け取る。

「爺ちゃん待ってるから行くよ」

「あ、待ってよ、レッくん」

 

 籠を抱えて部屋を出る俺を追いかけるようにアンリが慌てて靴を履いて追いかけた。

 

 

 * * *

 

 

 朝食が済むと屋敷の住人はそれぞれが好きに過ごしだす。

 基本的にこの屋敷の住人にやるべきことは無い。誰も働いていないからだ。

 とは言え、街の人が爺ちゃんを頼ってきたりすることもあるし、何より自分でやっている研究もあり、日中は部屋に籠って本を読んだり何かを書いてたりしている。

 俺は朝食の片づけや昼食の準備、夕食の仕込み、掃除や洗濯などやるべきこともそれなりにある。とは言えたかが三人……しかも老人一人に子供二人である、量だってたかが知れている。その気になれば昼までにはだいたいやることが終わる。

 

 唯一何もやることが無いのがアンリだ。

 まだ五歳の少女に家事をさせるにも気が引けるし、爺ちゃんの研究を手伝うには幼すぎる。

 

 そんなアンリだがこの半年、毎日のように屋敷の一室で文字の勉強をしている。

 

 両親の背を見て育ったからか、将来的には同じ付与魔術師になりたいらしい。それを知って爺ちゃんが気持ち悪いくらい顔がにやけていた。

 爺ちゃんも孫娘が自分や自分の娘夫婦たちと同じ道を志してくれたことが嬉しいらしく、書庫からいくつも本を見繕ってアンリに渡していたのだが。

 

 アンリ五歳、未だ爺ちゃんの読むレベルの専門書の文字なんて読めない。

 

 仕方なく俺が代わりに読んでやっている……勿論家事の合間にだから長くは時間は取れないが。

 村では基本的に文字の読み書きなんて教えてもらえないが、幸い、と言うべきか街の神殿に行けば日曜学校のようなものがあり、俺は行っていないが母親が昔行っていたらしく、簡単な読み書きなら教えてもらえたし、村を追い出されて爺ちゃんの屋敷に来てからは、頼まれた本を書庫から持ってくるために本のタイトルと簡単にでも内容を読む必要があったので爺ちゃんにきちんと習った。

 爺ちゃんの書庫には多くの本があるが、前世にあったような本とは違い、あらすじどころかタイトルすら付けられていない本も多い。

 というかこの世界……というか時代の本というのは研究者が自分の成果を纏めて記録するための物が多く、そもそも他人に読ませることを前提としていないことが多い。

 そのため内容も作者本人にしか分からないような内容も多く、本を読むことがそのままイコールで内容を解読することに繋がることもそれなりにある。

 そんな有様なのに、爺ちゃんの手伝いをする最中であの本この本を取ってきてくれと言われるため、流し読む程度でいいので中身を読んで中身を確認できる必要性があったからだ。

 

 アンリの場合、両親共に忙しかったらしいし、その人見知りな性格もあって基本的に一人で遊んでいることが多かったため、結果的に誰にも文字を教わることもできずにいた。

 とは言えまだ五歳なのだ、文字が読めなくても仕方ないし、そう焦ることでも無いと思うが、かといって根本的にこの屋敷、爺ちゃんが独り暮らししていただけあって娯楽というものがほぼ無い。

 本が読めなければやることが無いという程度には暇になる。

 

 そんなわけで俺が午前中に家事をやっている間にアンリは爺ちゃんが過去に俺のために文字の勉強用に写した本を読ませている。

 まあ言ってみれば絵本のようなものである。

 俺の場合、前世の影響もあって文字を覚えるのも早かったのだが、アンリの場合まず文字を覚え、そこからさらに単語を覚える必要がある。そこまでやって初めて初心者用の簡単な本を読むことができる。

 

 午後になって家事を終わらせると俺もアンリの勉強に付き合うようにしている。

 

 

「『そうしてアーサーはめがみアイギスとともにまおうをたおし』」

 

 英雄王の物語は王国の子供ならだいたい十回くらいは読んだことのある絵物語だ。

 ある意味ログレス王国というのは英雄王と英雄王を導いた女神アイギスへの信仰で成り立っている国であり、小国のログレス王国が周辺大国に攻められることも無いのは、ログレス王家が英雄王アーサーの直系の子孫であるからだ。

 千年に渡って続いたと言われる千年戦争は文字通り地上の全てを巻き込んだ世界を巡る戦いだったと言われる。

 しかもそれがおとぎ話でなく現実の物語であるというのは現代にまで続くアイギス信仰や伝承などで分かっている。

 ログレス王国初代国王にして『英雄王』アーサーペンドラゴンは文字通り、世界を救った英雄なのだ。

 

 ログレス王国で育った子供たちは皆、英雄王の物語を読んで育つ。

 世界を救った英雄が作った国、その誇りは現在にまで残る英雄王の血族、つまりログレス王家への信仰、敬意、忠誠となる。

 良く出来たシステムである。とは思えど、そもそもの話、ログレス王家は別に今でも良き統治者であり、歴史ある家によくある腐敗なども無い、ログレス王国は平穏で長閑な小国であり、そんな故郷が俺は嫌いでは無かった。

 

「『おしまい』」

 

 パタン、と本を閉じると俺の膝の上に座ったアンリがはーと息を吐く。

 

「英雄王様すごいかったね」

「そうだな」

「でもボクのお爺ちゃんもすごいよ」

「ああ、そうだな」

「ボクも早く、お爺ちゃんみたいな立派な付与魔じゅちゅ……魔術師になりたいなあ」

「噛んだ」

「噛んでないもん」

 

 ぷくーと頬を膨らませるアンリの頬をぷにぷにと突くとぷしゅーと口から息を漏れる。

 

「爺ちゃんみたいになりたいなら、早く字が読めるようにならないとな」

「うん」

 

 まあアンリも爺ちゃんと同じで学ぶことを苦にする性質ではないのでそう遠くない内に本だって読めるようになるだろうな、と思いながら。

 

「それじゃまあ、昨日の続きやるぞ」

「うん!」

 

 楽しそうに俺の膝の上で騒ぐ少女の姿に、笑みが零れた。

 

 

 

 




はー……アンリちゃん、尊い。


原作ではアンリちゃん基本的に敬語口調しか使わないので、素の口調は完全に想像です。
アンリちゃんのキャラとか性格的に多分こんなんじゃないのかなという予想。


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朗報義妹が義妹になる①

『この世の全てをちりにしろ』

二次覚醒アンリちゃん可愛すぎかよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!


 ぶんと振るった短剣が獲物の体を切り裂く。

 だがそれは致命傷とまでは言えず、悲鳴を上げながらも獲物は逃げ出す。

 

 何事もそうだが、技量とは使わなければ落ちていく物である。

 

「……あちゃあ」

 

 握った短剣の重さに体が振り回されるのを自覚する。

 傷口から多量の血を流しながら、それでも逃げようとする獲物を一息に追い詰め、トドメを刺す。

 本当は最初の一撃で絶命させるはずだったのに、狙いがズレて仕留めきれなかった。

 たった一年と少し、使わないだけであっという間に錆びついてしまったと自覚する。

 

 剣の腕だけではない、狩りの腕自体だ。

 

 狙いがズレたのは気づかれたからだ。

 そもそも気づかれるより早く握った短剣で一撃の元で仕留めるのが理想なのに、気づかれた、隠れきれなかった、隠しきれなかった。

 

 鈍っていると自覚する。

 

 狩人の家に生まれて、父親に技を仕込まれ、幼い頃から何度も狩りをしてきたはずなのに。たった一年前までその繰り返しだったはずなのに。

 爺ちゃんの家に世話になるようになってからそんな必要が無くなってしまった。

 自然の中で自然と共に生きる狩人と、街中で人と共に生きる今の生き方は真っ向から相反していると理解しているのでまあそうもなるだろうと理解はできるが、けれど納得できるかと言われればまた別の話だ。

 

 狩人としての技は、父親に習った物だ。

 

 あの村を出て、家族との縁も切れ。

 

 父親にもらった短剣とその技だけが、かつて自身が家族と共に暮らしていたことの証明で、繋がりなのだ。

 

「鍛え直さないと」

 

 教えられたことは全て覚えている。

 ただ頭に残っていても体から抜け落ちていた。

 たった一年。けれど一年である。取り戻すのにどれだけの時間がかかるだろう。

 爺ちゃんのところで暮らすようになって、食べるに不自由が無くなった。住むに不自由が無くなったし、着るに不自由が無くなった。

 良いことばかり、それでも不自由が無くなったからこそ衰えてしまったものがあった。

 

「ああ、そっか」

 

 考えていて、そうして気づく。

 

「未練かな、これは」

 

 捨てられた村への、家族への未練。

 捨てた村への、家族への未練。

 ちょうど一年。

 村ではすでに自分の妹が生まれているのだろう。

 

 残念ながら自分はもう会うことはできないだろうけれど。

 

「今だって別に悪くはない、か」

 

 実の妹の代わりというわけでは無いが。

 

 義妹ができることだし。

 

 

 * * *

 

 

 先週ほどのことである。

 爺ちゃんの娘さん、つまりアンリの母親が屋敷にやってきた。

 アンリが屋敷に預けられてからちょうど一年。

 遠くの街での仕事にもひと段落ついて戻って来たらしいのだが。

 

「ねえ、良かったら―――」

 

 これでアンリも母親と一緒に元の街に戻るのだろう。

 けれどそれを少し寂しいと思ったのも事実。

 広い屋敷に爺ちゃんと二人。それが苦痛だったわけでも無いが、それでも毎日楽しそうに笑みを浮かべるアンリの姿にこちらもまた楽しかったのも事実。

 だからアンリがいなくなることに一抹の寂寥感を感じていた自身に、彼女の母親は言った。

 

「―――良かったら、私たちの子供にならない?」

 

 突然の提案だった。

 驚き戸惑う自身に、すぐに答えは出さなくても良い。ゆっくり考えて欲しいと彼女は言っていた。

 次に会う時にまだ答えを聞かせて欲しいと告げて彼女はまた屋敷を去って行った。

 アンリを置いていくことに疑問を覚えたが、どうやらもう少しだけ用事があって一週間か二週間程度、アンリも爺ちゃんの家に滞在するらしい。

 

 つまりそれが返事の期限、ということなのだろう。

 

 一人考えてみる。

 あの人の子供に、それはつまり。

 

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 そのことに抵抗があった自分に驚いた。

 条件だけ考えれば文句がつけようがないほどに良い話だった。

 それなのに、そう分かっていて、それでもどうして自分はその話を素直に受け入れられないのか。

 

「……家族、かあ」

 

 家族。その言葉で真っ先に出てくるのは……やっぱりあの村のこと、両親のこと。

 そして生まれてくるだろう妹のこと。

 

「…………」

 

 思い出し、けれど同時に今の屋敷の住人たちを『家族』と思うような感情もあって。

 もやもやする。心の中が霞がかったかのように不明瞭で、自分がどうしたいのか、どう思っているのかすら良く分からない。

 それでも考えて、考えて、考え抜いて。

 

 

 * * *

 

 

 ―――そうだ、森へ行こう。

 

 では無いが、別に。

 とは言え、(ここ)が自分の中の原風景であるのも事実。

 そうして屋敷でのことを全て終わらし久方ぶりにやってきた森で。

 

「ちょっとショック、かも」

 

 まさかここまで腕を鈍らせているとは思わず、内心が口を突いて出た。

 とは言え、単純な実力で言うならば一年前よりも随分と強くなったという自覚がある。

 腕が落ちたのに強くなったとはおかしな話ではあるが。

 単純に、体内に渦巻く物(マリョク)の使い方が上手くなった、というだけの話だ。

 

 自身の極めて特異な体質によって自身の中には人外染みた魔力が溜まっているらしい。

 けれどまあ、自身がそれを自覚するこはできないのだが、とにかく普段から自分がそれを転換することでエネルギーにし、そうして蓄積され続ける魔力を発散しているらしく、子供ながらに大人顔負けの身体能力はそういったところから来ているらしい。

 

 とは言えかつての自分ならばそれを知ったところでどうにもならなかっただろう。

 

 魔力の扱いなんて、あの村の人間が知るはずも無いし、それを知る機会も無かった。

 だが爺ちゃんの屋敷ならば話はまるで変わる。

 魔術師たる爺ちゃんに、その爺ちゃんが集めた書籍から得られる知識の数々。

 普段から魔力という物に触れることの多い環境は、自身に魔力というものの扱い方を意識させるのには十分で。

 

 ぐるぅ、という唸り声を魔力で強化された聴覚が捉えた。

 

 がさごそと近づく音に視線を向ければ、草陰から飛び出してくる狼の姿。

 子供の自身とほぼ同じ体格の狼が牙を向いて襲い掛かって来るその光景を視認しながら。

 右手に持った短剣の柄でその鼻頭を叩きつける。

 子供の細腕で殴りつけたそれは、けれど大きな運動エネルギーを持って狼の巨体を吹き飛ばす。

 明らかに質量の差を無視したその一撃は、つまり魔力による物であり。

 

「これで、トドメ、っと」

 

 地を蹴り、吹き飛ばされ転がる狼との間合いを詰め、短剣を振り下ろす。

 ぐさり、とその脳天に突き刺さった短剣でさらに()()()、声をあげる間も無く狼が絶命する。

 転がったまま動かない狼を足蹴にして、反応を見る。

 

 ―――動く様子は無い。

 

「死んだか」

 

 魔物の場合、偶にここから起き上がってくる時があるので気が抜けない。

 とは言え、自分と同じサイズの獣までこの様である。

 前世において魔力などというものは空想の産物ではあったが、この世界においては確かに存在する『エネルギー』であり、それを使えば技なんてものが必要無いほどに強い力になってしまう。

 

「とは言え、か」

 

 だからと言って父親から受け継いだ物をむざむざ腐らせるのも勿体ないし、何よりも申し訳無い。

 それに鍛えたからと言って何か無駄になるわけでも無い。数は多くは無いが、それでも魔物などというものが跋扈する世界なのだ、強くあることに損は無い。

 

 記憶の中の父親の姿を思い起こす。

 

 その動きを思い出しながら、ゆっくり、それでいて丁寧に、型をなぞる様に何度も何度も剣を振る。

 鈍った体で、何度も、何度も。

 

 迷いを振り切るためにも。

 

 ―――未練を断つ。

 

 そう決めたから。

 

 

 * * *

 

 

「お爺ちゃん……レッくんは?」

 

 朝から見かけない家族を探し、アンリは祖父の部屋の戸を叩いた。

 相変わらず紙が散乱し、片隅には本が積み上げられた部屋である。

 換気のために彼がいつも開けるようにしている窓は今日は閉め切られており、部屋の中はインクの匂いに満たされていた。

 

「む? アンリか……あの子なら今日は出かけているぞ」

「おでかけ?」

 

 うむ、と頷く祖父に困惑する。

 

「どこに?」

「さてな? 森に行ってくるとは聞いたが、どこにいるかまでは……」

「……もり?」

 

 一体何故そんなところに、というアンリの疑問に気付いたのか、祖父が手招きする。

 特に拒否する理由も無くアンリが祖父のところにとことこと歩いて行き。

 

「あやつは今少し悩んでいる。そっとしておいてやりなさい」

「……はーい」

 

 一瞬戸惑ったが、けれど祖父がそう言うならばそうなのだろうと自分を納得させる。

 正直事情や理由はさっぱりではあるが、彼には何らかの悩みがあるらしい。

 今日も本を読んでもらおうと思ったのだが、居ないとなるとどうすべきか、そんなことを考え。

 

「アンリ」

「なーに、お爺ちゃん?」

 

 部屋を出ようと背を向けた直後に、祖父に呼び止められる。

 振り返ると、祖父が少しだけ先ほどとは違う様子でアンリを見つめていた。

 

「アンリは……あの子のことを、どう思っている?」

「レッくん?」

 

 うむ、と頷く祖父の問いにアンリが少し考え。

 

「えっとね、レッくん好きだよ!」

 

 まあ五歳児の思考など安直な物である。

 質問の意味をよく考えることも無く、ただ思ったことを答えたアンリに祖父はそうかと嬉しそうに破顔する。

 

「なら……あの子が家族になったら、嬉しいかい?」

「家族? でもレッくん、お父さんでもお母さんでも、お爺ちゃんでもないよ?」

 

 続けて問われた言葉の意味を考えるがよく分からず首を傾げる。

 少し質問が難しかったか、と祖父が一度呟き、少し考えた様子で。

 

「あの子がアンリの兄になるとしたら、嬉しいかい?」

「おにいちゃん?」

 

 そうだよ、と頷く祖父の言葉に思案する。

 

 ―――お兄ちゃん、お兄ちゃん、レッくんが、お兄ちゃん?

 

 考えてみて、けれどやっぱりよく分からない。

 実感が湧かないというべきか、いまいちピンと来ない。

 ただ……一つだけ。

 

「家族とか、お兄ちゃんとか……よく分からないけど」

 

 それでも。

 

「ずっと一緒にいられるなら、嬉しいよ」

 

 そんな答えに祖父が一度沈黙し。

 

「……そうかい」

 

 告げつつ、笑みを浮かべながらアンリの頭をそっと撫でた。

 

 

 * * *

 

 

 衰えたとは言え、一度は身につけた技術である。

 老齢したならともかく、若年のこの身では覚え直すのも早い。

 

 とは言え。

 

「まだ身体能力に振り回されてるなあ」

 

 昔から大人顔負けに運動神経の良い体ではあったが、魔力を意識的に運動能力に転換する(すべ)を覚えてからは殊更それが強まった。

 前世の常識ではあり得ない超人もびっくりの運動能力に意識のほうがまだ追いついていないのを自覚する。

 とは言え体と意識のズレとて超人的な動きによってカバーされてしまうので問題ないと言えば問題無いのだがどうせならきちんと使いこなしたい。自分の体なのだ、これは。

 

「覚えて損は無いしね」

 

 むしろ性急に覚えるべきだと思う。

 強すぎる力は身を滅ぼすというが、この力は子供の自分には完全に持て余してしまう類の物である。

 しっかりと御することができるようにしておかなければならない。

 スイッチのオンオフはある、だがそれは意思一つで切り替わるような簡易なものであり。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 まあそんな何かがある予定も無いのだが。

 制御できないままにしておくと、何かの拍子にうっかり発動してしまうこともあるだろうし。

 もしそんなことになれば。

 

「……誰かを傷つけるかもしれない」

 

 その時、自身の一番近くにいるのはきっとあの二人だから。

 あの屋敷の……()()を傷つけるかもしれない。

 そう考えて、ふと気づく。

 

「家族、かあ」

 

 自然と、そう思っている自身がいた。

 そう思えることに驚く自身がいた。

 

「ま、そういうことなんだろうなあ」

 

 ぐるぐると思考が迷走していた。だから考えを纏めようと、思いを確かめようと街の近くの森までやってきた。

 無心になって走って、剣を振って、それで多少すっきりした頭はようやくそのことに整理をつけたらしい。

 

 切り捨てたわけでも無いし、割り切ったわけでも無い。

 

 ただちょっとした気づきのようなものだ。

 少なくとも、自分は村にいる両親や生まれているだろう妹を家族だと未だに思っているし。

 

「屋敷にいる爺ちゃんやアンリのことも家族とも思っている」

 

 別にそれは相反することはない、そのことに気づいただけであり。

 

 結局、そう思うこと自体が答えなのだ。

 

 考えてみればそれだけのことであり。

 

 何を迷っていたのやら、そんな自分に苦笑し、嘆息した。

 

 

 




あらすじちょっと変えました(キチガイ

取り合えず魔力に関してなんでもありになってるけど、そもそも公式に大した説明無いのでええねん(

因みにレッくんの未練って家族のことじゃなかったり……(うらばなし感


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朗報義妹が義妹になる②

『この世の全てをちりにしろ』

アンリちゃん可愛い。
アンリちゃん尊い。
アンリちゃんマジもう無理、サイコー過ぎ。


 

 付与魔術の根本とは『抽出』と『付与』だ。

 

 『付与』魔術、である以上『付与』が根本であるのは理解できるが、では『抽出』とは一体何なのか。

 答えは『属性』である。或いは『概念』と言っても良いのかもしれない。

 

 この世界には『属性(エレメント)』というものがある。

 前世でイメージできるような『火属性』だとか『水属性』だとか『土属性』だとか『風属性』だとかそういう観念だ。

 魔法なんて物が存在するのだから、まあそう言うものがあっても良いのだろう。

 とにかくそれは普通の人間には分からないし、知覚することもできないが、魔術を扱う人間にはある程度馴染みの有る物らしく、世界中どこにでも満ち溢れている物らしい。

 魔法のある世界でまともな物理法則になんて期待するほうが間違っているのかもしれないが、物質が燃えるのはそこに『火属性』が作用しているから、なんて素面で言われても正直意味が分からないとしか言い様が無い話ではある。

 

 とは言え現実にその証左として『属性精霊(エレメンタル)』と呼ばれる存在がいる。

 

 すごく分かりやすく言うと『属性』のエネルギーが具象化した存在であり、知っている人間から言えばそれはある種の『現象』らしい。

 ただし精霊にも意思はある、自我は無いか相当に希薄らしいが。

 まあその辺はどうでも良いとして。

 この世界には『属性』というものがあって、それは世界中のあらゆるところにそれが満ちており、この世界における『現象』の多くにはこの『属性』の力が働いている、この三つが大事なところだ。

 

 例えばコップの中の水をお湯に変える魔術を使う時。

 

 爺ちゃん曰く、最初からいきなり『火属性』を『付与』することはできないらしい。

 何故ならコップの中で揺れる水にはすでに『水』と『氷』の属性が密集しており、いきなり『火』の属性を入れようとしても『隙間』が無いらしい。

 因みに何故水に『氷』の属性があるのか、水を凍らせれば氷になるから……ではない。

 

 つまるところ温度だ。

 

 『冷たさ』という概念に対して、この世界においては『氷属性』が働いている、と認識される。

 

 科学的に言えば『熱い』も『冷たい』も同じ温度の上下でしかない。

 もっと細かく言えば分子の運動で熱量が上下する。つまり熱いも冷たいも同じ『温度』という括りで見られる。

 だがこの世界の法則で言うと熱いとは『火属性が高い』状態で冷たいとは『氷属性が高い』状態と言える。

 

 故に最初に『氷属性』を水から『抽出』するのだ。

 

 そうして『抽出』されてできた隙間に今度は『火属性』を『付与』する。

 

 これによって水に熱量を加え、お湯へと変化させることができる。

 因みに抽出する氷属性の量によってお湯の温度も変化するらしい。

 

「と、言うことだ。分かったか?」

「全く分からない」

 

 首を振る俺に、爺ちゃんが嘆息する。

 

「ボク、わかったよ」

「おお、そうかそうか。さすが私の孫だ」

「えへへ……」

 

 さすがに血筋ということなのか、理解した様子のアンリに破顔する爺ちゃん。

 別に愛想が悪い人でも無いが、普段以上に嬉しそう……を通り越してにやけたその顔は立派な爺馬鹿である。

 とは言え別にそれが悪いわけでは無い。

 家族が大事だというのはそれは良いことなのだから。

 

 ……家族、か。

 

 爺ちゃんに頭を撫でられて笑みを零すアンリを見ながら、二人に聞こえないようにそっと呟いた。

 

 

 * * *

 

 

 アンリの母親から養子の誘いを受けて早一週間。

 そろそろ答えを返す必要があるだろう。

 とは言え、答え自体はもう決まっていて、なら何故まだ返答をしていないのか、と言われれば簡単な話。

 

 居ないのだ、アンリの母親が。

 

 確か一週間から二週間くらいは爺ちゃんの屋敷、つまり今の俺の住んでいる家に一緒に住むという話だったのだが、どうにも忙しい人で朝早く……それこそ日の出と共に起きているような俺とほぼ同じ時間に起きて朝食もほどほどに出て行って、帰って来るのは俺やアンリが眠った後。

 

 正直これを住んでいると表現していいのかどうか悩む。

 

 ただ同じ家に『寝泊まり』しているだけ、と言ったほうが正しいのでは?

 

 顔を合わせるのも朝の僅かな時間だけだし、朝から忙しそうにあくせくとした様子で支度をして飛び出すように出かけるのを見ていると呼び止めてこの間の返事なんですが、なんて言いだし辛い。

 アンリの父親のほうも遠くの街で忙しくしているらしいし、ワーカーホリックか何かなのだろうかこの夫婦と思わなくも無い。

 まあ確かにアンリをこの屋敷に預けたのも理解できる、これで親の役目を果たしているとか言われたら子にビンタされても仕方ないレベルだ……まあしないだろうけど。

 

 とは言え期限を区切ったのは向こうなのだ。

 多分どこかで返答を聞いてくるだろうからその時に答えれば良いかと今は鷹揚に構えている。

 別に今すぐ返答しなければどうこう、という話でも無いのだ。

 

 それはそれとして話は変わるのだが、以前にも言った通りアンリがこの屋敷に着てからすでに一年以上が経つ。

 つまり一年もの間アンリはこの屋敷で暮らし、その中で日々勉強をしていたわけだが、最近ようやく文字の学習に終わりが見えてきた。

 と言ってもさすがに専門的な言葉などはまだ読めないがそれでも日常的に使う文字や絵本などは大よそ独りでも読めるようになった。

 ならまあ取り合えずこれで日常生活においては不便しないだろう、とまずは一区切り。

 

 と言うわけで今日は爺ちゃんが『付与魔術』の授業を行うことになったのだ。

 

 

 * * *

 

 

 ついでにお前さんも聞いていくかね? との爺ちゃんの言葉に甘えて付与魔術について色々教えてはもらったものの、はっきり言って『さっぱり』というのが本音だ。

 

 というのも、付与魔術、という名の通り『魔術』なのだ。

 先も言った『属性』など魔術師ならば感覚的に感じ取れたり理解できたりする類の物らしいのだが、残念ながら俺にはその感覚というものが完全にシャットダウンされている。

 なので魔術師の感覚を前提とした教えを受けても一欠けらたりともそれに共感できないのだ。

 

 逆に幼くとも魔術師としての素養があるのだろうアンリは爺ちゃんの喋っている言葉の内容など大半理解できていないだろうにも関わらず、感覚だけで何を言っているのか実感している節がある。

 他人に説明するための言語化はできずとも、感覚的に語られている内容が理解できる……そういうものなのだと爺ちゃんは言っていた。

 

 不思議な世界である。

 

 魔法なんてものがあるのも不思議な話。

 属性精霊なんてものが実際に存在するのも不思議な話。

 そして属性の力が現象を起こしているというのも不思議な話。

 だが同時に物理の力が無いわけでも無いのだ。

 

 当然の話、皆が皆魔力を扱えるわけでは無い。

 そもそも魔力を持たないという人間のほうが多いのだ。

 じゃあ魔力を持たない人間はどうやって生きているのだと言われれば物理的法則に従って生きているのだ。

 

 狩人だったうちの実家で言うなら火起こしは摩擦熱を利用した着火装置を使って行っていた。

 もしくは近所の家から種火をもらってきたこともある。

 そこに魔法的な力は一切ない。そこに『属性』なんて物は一切感じられない。

 あるのかもしれない、あの村の住人たちが自分たちの家で起こす竈の火にも属性の力はあるのかもしれない。

 だがそれを起こすのはあくまで物理の力だ。

 

 結論を言えば、物理の力でも現象は起こせる。だが魔法の力でも現象は起きる。

 

 つまりこの世界は『物理的な法則』と『魔法的な法則』の二つの力が作用しているということだ。

 

 だからどうした、と言われれば困るのだが。

 

「不思議だなあ……」

「……? なにが?」

 

 隣に立つアンリが首を傾げるので、何でも無いよ、と告げて苦笑する。

 コンロに火を点けながら朝の内に調理を済ませておいた具材の入ったフライパンを火にかける。

 

「レッくん」

「うん、ありがとう」

 

 今朝生みたての卵をアンリが丁寧に水洗いしてくれたので布で水気を切ってやる。

 さらにそこから半分ずつ数を分けるとボウルに割って行く。

 

「レッくん、これは?」

「アンリも一品作ろうか。前にやりたいって言ってたしね」

 

 半数に分けられた卵を目の前に置かれ、アンリが首を傾げるのでそう告げると、うわあ、と喜色満面でこちらを見る。

 俺が作っている様子を見て、前からアンリもやってみたいと言っていたのだが包丁を使わせるのも火を使わせるのも怖いので、材料の水洗いくらいしか任せていなかったのだがさすがにそれだけでは料理しているとは言えないだろうし、何よりこれまでの言動を見るに自分の想定よりもアンリは理性的で聡明な子だ。

 俺の見ていないところで怪我したり、危ないことをしたり、という心配も無さそうなので簡単な物を一品作ってもらうことにする。

 

「じゃあまずはアンリもこのボウルに卵を割って行こうか」

「はーい」

 

 ふりふりとエプロンの裾を揺らしながらアンリがボウルを受け取って目の前に置く。

 自分もそうだがアンリも作業台が高いので足台を使っての作業だ。足場が少ないので少し不安にもなるが、まあ見た限りで問題は無さそうなのでこちらはこちらで作業を進める。

 

「あ……からはいっちゃった……うーん、とれない」

 

 後ろで聞こえる声に苦笑しながらボウルの中の卵を菜箸でかき混ぜていく。

 因みに王国は基本洋風文化なので当然『箸』なんて物はないが、言っちゃなんだが同じサイズの木の棒二本並べるだけの話なので作るのは割と簡単だった。

 かき混ぜた卵を別のフライパンに流し込んでいくと、熱されたフライパンの上ですぐに卵が固まって行く。

 適度に菜箸でかき混ぜながらもう一つのフライパンで今朝の内に炒めておいたひき肉とタマネギを卵の上に落とし、最後に卵で包んでいく。

 

「ほい、一つ目っと」

 

 皿の上に乗せればオムレツの完成である。

 時間がかかるであろう中の具材を朝の内に作っておいたので後は卵で包むだけの簡単な作業だ。

 手慣れた手つきで二つ目、三つ目と作り終えて。

 

「レッくーん」

 

 困ったような声音でアンリが呼ぶのでそちらを見やれば。

 

「あらま」

 

 砕けた卵の殻がボウルの中に大量に浮いていた。

 失敗しちゃったんだな、と思いつつ泣きそうになっているアンリの頭の上にぽん、と手を置く。

 

「大丈夫大丈夫、これくらいなら問題無いから」

 

 告げてもう一つボウルとザルを出して漉してやればあっという間に卵と殻が別かれる。

 そうしてボウルに残った卵をアンリに渡してやり。

 

「じゃ、次は牛乳と砂糖を入れてよく混ぜようか」

「うん、わかった!」

 

 冷蔵庫へととてとてと走って行くアンリの姿を見送りながら嘆息する。

 まあ当然ながらまだまだ覚束ない手つきだ。

 いくら歳の割に賢いからと言って、見ていてハラハラする時もあるし、思わず手を出してしまうそうになる時だってある。

 役に立っているかと言われても正直それほど、としか言い様が無い。

 自分一人でやっているほうが気楽だし、早いだろうことも事実。

 

 でもそれでも、嬉しく思う。

 

 初めて会った時を考えれば信じられないほどにアンリと仲良くなれたと思う。

 そのことが嬉しいし、こうして一緒に料理している時間はとても好ましい。

 

 ―――家族だから。

 

 それはきっとそういうことなのだろう。

 もう何だかんだと言って一年以上一緒に暮らしているのだから。

 だからこそ、余計に『はっきり』させたいと思う気持ちもある。

 そのことを彼女に告げたからと言って突然何か変わるわけでは無いとは分かっている。

 そこに緊急性が無いことも、急がなくてはならないわけでもないのも、分かってはいるのだ。

 

 ただそれでもはっきりとさせたい。

 

 俺は。

 

「……家族になりたい」

 

 そう思ったから。

 

 

 * * *

 

 

 冷蔵庫、と皆がこの場所を呼んでいるのは一番この場所を活用している少年がそう呼んだからだ。

 付与魔術の力によって温度が低温に保たれた部屋には少年が買い込んだ多くの食材が溜め込まれている。

 

「えっとぉ……たしかこのへんに」

 

 カップ片手に少女、アンリは壺も封を一つずつ開いていく。

 液体系はだいたい壺に貯蔵されているので、多分この中のどれかが牛乳だ。

 食材の種類ごとに少年がそういう風に整理してくれているので余りこの場所を利用することの無いアンリでも分かりやすい。

 

「あ、あったー」

 

 壺の中に満たされた白い液体を認め、アンリを声をあげる。

 後はこの中身を手持ちのカップに掬って少年のところへと持って行けば良いだけだ。

 そう考えて。

 

「……レッくん」

 

 ふと先週の祖父との会話を思い出す。

 

 ―――あの子が家族になったら、嬉しいかい?

 

「かぞく……?」

 

 それはアンリにとって両親のことを指す言葉だった。

 こちらの屋敷に来てからは祖父のことも含まれるようになった。

 ではあの少年はどうだろうか?

 あの少年はアンリにとって『家族』になるのだろうか。

 

「…………」

 

 少し考えてみて、けれどやっぱり分からない。

 あの時以来、祖父はそのことを口にはしなくなったが、けれど幼いながらも明晰なるアンリの頭脳はたった一度だけの会話を決して忘れることは無かった。

 

 だからこの一週間、ずっと考えていた。

 

 それを誰かに口にすることは無かったが。

 

 だからこそ、一つの結論にたどり着く。

 

「……おにーちゃん」

 

 そう呼べば、少年は一体どんな顔をするのだろう。

 

「ふふっ」

 

 少しだけ、そんな悪戯心が芽生えた。

 

 




体操服アンリちゃん可愛すぎだろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおうおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!!

あ、10連でお迎えしましたよ(煽り

因みにグランドエンチャンターとゴーレムマスター両方作りました(

https://twitter.com/clamlate/status/1245668258356719616



あ、それと付与魔術に関してのあれやこれやはだいたいオリ設定です。
アイギス基本的に設定情報が少なすぎるので、全年齢イベントでちょこちょこ情報回収しながら適当に整合性合わせて書いてます。これはそういう小説なので悪しからず。


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朗報義妹が義妹になる③

 

 

 ―――ほとんど無意識だったのだ。

 

 その時、ふっと自分に覆いかぶさったその人を見て。

 

 人通りの多い街中の大通り。

 雑踏を流されながらゆったりと進む人々。

 そして遠くから聞こえた悲鳴。

 

 もう気づいた時には遅かったのだ。

 

 雑踏をかき分け、時に跳ね飛ばしながら。

 目前に暴走する馬車が迫っていて。

 

 ―――嫌だ。

 

 死。

 

 脳裏に過ったその一文字。

 背筋が凍った。

 何より。

 

 自身を庇おうとするその人たちを見て。

 

 ―――絶対に、嫌だ。

 

 何よりも、そう願った。

 

 

 * * *

 

 

 いつものコップになみなみと注がれた珈琲を片手に息を吐く。

 ゆったりとした時間を過ごしながらコップの中の珈琲を飲み切ってしまうと厨房のほうへと向かう。

 厨房には保存の魔術が付与された鍋がいくつか置かれている。

 しばらく食事の支度は必要無いようだ。別に自分だって作れないわけではないのだが。

 

「律儀者よな」

 

 屋敷を長く空けるからと一週間分くらいの食事の用意が残されていた。

 普通なら腐敗を考えてしまうような状況でも付与魔術で保存を付与すれば二週間くらいなら問題は無い。

 そうしてやってきた厨房で、シンクにコップを浸けて軽く濯ぐと魔術で乾燥を付与してさっさと乾かしてしまう。

 棚にカップを片付けるとトタトタと階段を降りる小さな足音が聞こえてきた。

 

「やれやれ……寝坊助よな、あの子も」

 

 苦笑しながらそんな孫のことが可愛くて仕方ないのだからどうしようも無い話だ。

 そもそも今日に限って言えばこんなに遅いのは()がいないからというのもあるのだろう。

 

「早く戻って来い……なんぞと、思う日が来るとはな」

 

 呟きながら棚にカップを並べて……。

 

 ぴしり、と突如としてカップに亀裂が入る。

 

「む……古びておったか? もう長いしな」

 

 古びて脆くなっていたところに棚に置いた衝撃で亀裂が入ってしまったらしい。

 こうなってはもう使えないと嘆息しながらカップを片付けようとして。

 

「やれやれ……何事も起きなければ良いのだが」

 

 呟き、近づいてくる足音に早くカップを片付けようと動き出した。

 

 

 * * *

 

 

 ぱかりぱかり、とすでに半日以上かけて馬車は移動を続けているが、馬車を引いて走る馬は全く疲れる様子を見せない。無尽蔵のスタミナで持って生気も無く、(いなな)きの一つすら無く淡々と足を動かし続ける。

 いっそ機械的ですらあるが、そもそも馬と言っても石で出来た馬を生物と言えるはずも無いので確かにこの馬は機械と言っても良いのかもしれない。

 

 ゴーレムというのは付与魔術師にとって最も基本的な魔術の一つだ。

 本来、木や石、鉄などを使って人の形を模して戦わせるための木偶らしいが、爺ちゃんが生活に寄与したアレンジを加えた結果、不眠不休で魔力がある限り走り続けるゴーレム馬というものが出来上がったそうだ。

 

 そして魔術師(メイジ)魔女(ウィッチ)の魔法というのは一種の秘伝であり、魔法使いが自らの弟子たちに脈々と受け継がれていく物なので当然ながら爺ちゃんの作った魔術というのはその子であるアンリの母親にも受け継がれている。最終的にはアンリにも受け継がれるのかもしれないが、まあ今はまだ先の話だ。

 

「暇そうね」

 

 馬車の中で呆けながら窓の外の景色をぼうっと見ていた俺を見てアンリの母親……センリさんが苦笑した。

 ゴーレム馬車の最大の利点は御者がいらないことだろう。

 ゴーレムというのは人間とは違う方法で生物を知覚しており、人間よりも遠距離から人の接近に気づける。

 だから最初にプログラミングさえしっかりしておけば人が通る時は速度を落とし、人が近い時は一度止まる、人が近くに居ない時は走り出す、と条件付けされた判断で自動的に目的地へと向かってくれる。

 まあ元々、長距離の人の行き来というのはそれこそ行商人くらいしか無いので、ゴーレム任せでも比較的問題無く進行できるようだった。

 

「後どのくらいで着きそうですか」

「そうね……まあ昼前には着くわよ」

 

 揺れる馬車の窓から空を見上げれば日がすでに天辺半ばまで昇り詰めている。

 あと二、三時間も無いくらいかな、と内心で計算しながら、そうですか、と返す。

 

「ごめんなさいね、遠くまで着いてきてもらって」

「いえ……そんなこと」

「もう、そんな堅苦しい言い方する必要無いのよ? ()()()()()()()

「はい……いや、うん」

 

 この世界は記憶の中の前世ほど文明が発達していない。

 封建制度が未だに当たり前の世界で『戸籍』なんて物は存在しないので、養子云々に関しては本人たちが認めているのならば割とすんなり話が終わる。

 これが貴族だとか王族だとかとなるとややこしかったり面倒だったりすることになるのかもしれないが、俺は元はただの村人だし、爺ちゃんたちも魔術師として一部で名を馳せているものの身分的には平民だ。

 だからアンリの母親であるセンリさんが提案し、当人である俺が承諾した段階で一応俺は爺ちゃんやアンリの『家族』になった。

 

「あら、街が見えてきたわね」

「あ……」

「そんなに緊張しなくて良いのよ? あの人には最初から話は通ってるんだから」

「えっと、はい」

 

 俺が家族となった件については爺ちゃんも了承してくれたし、アンリも喜んでくれた。

 ただまだ一人会っていない人がいて。

 

「あそこにいるんですよね……アンリのお父さん」

 

 アンリの父親、ヨウさんだ。

 

 

 * * *

 

 

 センリさんとヨウさんは夫婦で各地を転々としている。

 

 ―――付与魔術とは人のための魔術である。

 

 それは自らの師である爺ちゃんの教えを実践するためだ。

 因みに爺ちゃんの実の娘はセンリさんだが、ヨウさんもかつて爺ちゃんの弟子をしていたらしい。

 実際付与魔術というのは実に生活に根付いた魔術だ、他の魔法は戦闘を想定した物ばかりなのに比べて実に応用性が高く使い勝手は良い。

 

 だが反面その使い手は少ない。

 

 付与魔術師は他の魔法使いと比較するとやや戦闘能力に欠ける面がある。

 華々しくそして大きな力を持つ他の魔導に傾倒する魔法使いが増える中で、物質に性質を付与するという分かりづらくそして見た目地味な付与魔術は人気に欠けるのは事実だ。

 だからこそ二人の活動は付与魔術というジャンルそのものの布教、普及の意味もある。

 

 まあ爺ちゃんの最終的な理想というのを知らないので、それ以上のことは分からないが、爺ちゃんが街の便利な魔術師とするならばこの夫婦の場合、活躍の場を求めて東奔西走の何でも屋のような存在だ。

 一応以前アンリが住んでいた街に本拠というか家があるらしいのだが、依頼を受けると遠くの街までゴーレム馬車でかっ飛ばしてしょっちゅう出かけているので年間で家にいる時間というのはそう多くないらしい。

 

「で、今はこの街で依頼を受けて来てるのよね」

 

 爺ちゃんが街の住人からの細々な依頼を受けるのに対して、センリさんたちは街からや或いは大きなところでは国からの依頼を受けるらしい。

 いわゆる公共事業のようなものを請け負うこともあるらしく、そのため一度依頼を受けるとそれなりに長い期間その地に滞在することになるらしい。

 

「だから普段は私かあの人、片方ずつ交互に仕事に行くんだけど……今回のはちょっと大きな仕事で二人とも出ずっぱりになっちゃったのよね」

 

 さすがに四歳の娘一人家に置いていくのも、というわけで師であり祖父でもある爺ちゃんの家にアンリを預けることにしたらしい。

 と言っても当初は半年ないし、数か月程度で終わると思っていた仕事も想像以上に長引きすでに一年。

 

「さすがにこれが終わったらしばらく休養ね……蓄えはあるし、一年くらいお父さんの屋敷でアンリと五人で過ごすのも悪くないわね」

 

 五人。

 爺ちゃん、センリさん、ヨウさん、アンリさん……それから、俺で五人。

 ナチュラルにその枠に俺が入っていることに何だかむず痒さを感じた。

 

「あの人との待ち合わせの場所までもう少しだけど……さすがに街中でゴーレムを走らせるわけにもいかないし、ここからは歩きになるけど、良いかしら?」

「あ、はい……いや、うん、大丈夫、です……だよ」

 

 まだそれほど良く知っているわけでもない相手に砕けた口調というのも中々難しく、四苦八苦しながらの俺に苦笑しながらセンリさんが街の大通り脇に馬車を止める。

 追随するように馬車から降りるとごった返した人波が視界に映る。

 

「……うわあ」

 

 生まれてからずっといた村は小さなもので、爺ちゃんの屋敷のある街もそれほど大きいわけでも無いのでこれほど大きな街でたくさんの人を見るのが記憶にある限りでは初めての経験だった。

 

「ほら、行きましょう?」

「あ、はい……うん」

 

 そうして街を行き交う雑踏を呆然と見ていると、センリさんに手を引かれる。

 センリさんの誘導に逆らうこと無くなされるがまましばらく街の中を進んでいくと。

 

「あ、いたわ」

 

 そんな呟きと共に、センリさんの視界がとある一点で止まる。

 視線を追っていくと、そこにいたのは眼鏡をかけた優しそうな男性。

 男性の視線をこちらを……正確にはセンリさんを捉え、その表情が和らぐ。

 

 ―――ああ、アンリの親だこれ。

 

 すぐに気付く。

 何と言うか、その顔に浮かべた柔らかい笑みが本当にアンリのそれに良く似ていた。

 外見的にセンリさんに似たのかとも思っていたが、しっかり父親の血も入っていたらしい。

 どうにかこっちへとやってこようとしているのだが、人が多すぎてこちらも向こうも中々距離は縮まらない。

 とは言え人込みをかき分け、ようやく両者が手の届く距離までやって来て。

 

 瞬間。

 

 ―――ッ!!!

 

 遠くから悲鳴が上がった。

 

 

 視界の先では人がごった返していて見ることができない。

 どう足掻いても十にも満たないこの小さな体では視界が確保できなかった。

 逆にセンリさんとヨウさんはそれに気づいたらしい。

 

 大通りの向こう側から暴走する馬車の姿に。

 

 パニックになった人が逃げ惑い、逃げ損ねた何人かが轢き殺され、そうして暴走馬車の猛威が迫って来る。

 咄嗟に逃げようとしてヨウさんがセンリさんと俺の手を引っ張る。

 何も見えなかった俺は引っ張られる手に、一歩分だけ踏み出すのが遅れて。

 

 どさり、と転んだ。

 

 ヨウさんがつんのめりながらも態勢を立て直し、俺を起こそうとした瞬間にはすでに暴走馬車は猛然とした勢いのままにもう目の前にまで迫っていて……。

 

 ―――ほとんど無意識だったのだ。

 

 その時、ふっと自分に覆いかぶさったその人を見て。

 

 人通りの多い街中の大通り。

 雑踏を流されながらゆったりと進む人々。

 そして遠くから聞こえた悲鳴。

 

 もう気づいた時には遅かったのだ。

 

 雑踏をかき分け、時に跳ね飛ばしながら。

 目前に暴走する馬車が迫っていて。

 

 ―――嫌だ。

 

 死。

 

 脳裏に過ったその一文字。

 背筋が凍った。

 何より。

 

 自身を庇おうとするその人たちを見て。

 

 ―――絶対に、嫌だ。

 

 何よりも、そう願った。

 

 

 * * *

 

 

 どん、と衝突音。

 

 同時に()()()()()()()()

 ぐるぐる、ぐるぐると回転しながら。

 ほんの一秒少々の浮遊、その光景がまるで十秒にも感じられた。

 

 直後、破砕音。

 

 馬車が砕け、窓にはめ込まれた硝子が派手な音と共に割れて飛散する。

 ちょうど誰もいない空間に落ちたのは不幸中の幸いだろうか。

 だが今はそんなことどうでも良いとばかりに誰もが馬車から視線を外し、たった一点を見つめていた。

 たった一点。

 今の今、空を舞った馬車に轢かれようとしていたはずの少年と少年に覆いかぶさる男性。

 

 そして少年が突き出した腕と手のひら。

 

 何だ今のは―――。

 

 誰もがその疑問に答えを返せずにいた。

 少年の何倍も大きい馬車は確かに少年を引き殺さんとばかりに猛然と走っていたはずだった。

 なのに、なのに、なのに。

 

 少年の突き出した手のひらに触れた瞬間に()()()()()()()()()()()()

 

 馬車は完全に砕け、繋がれた馬は体を強く打った挙句に馬車に圧し潰された。

 

 対して少年は、少年を守ろうとした男性は?

 

 呆然としながら自らの手をひらを見つめていた。

 

 何だ今のは?

 

 何なのだ今の光景は?

 

 果たして今の光景は真実なのだろうか。

 集団で見た幻覚だったと言われたほうがまだ納得できるほどに非現実的な光景に、それを見ていた誰もが少年を見つめ、声を失っていた。

 

「大丈夫?!」

 

 いち早く動き出したのは少年の連れの女性。

 呆然とする男の背を叩いたかと思うと男を正気に戻し、正気に戻った男と共に少年を連れてどこかへと歩いていく。

 その後ろ姿を呆然と見つめたままやがて人の波にその背が消えた頃ようやく一つの言葉が出てくる。

 

 

「―――バケモノだ」

 

 

 それがその場にいた誰もが抱いた共通の感想だった。

 

 



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俺の義妹が可愛すぎて生きるのが辛い①

 

 

 

 とんとん、と扉をノックするが反応は無い。

 何度か声もかけたがそれでも一切の返事は無かった。

 

「……はぁ」

 

 嘆息し、踵を返す。

 そのまま階段を降りて行き、食堂へと戻ればすでに先に席に着いていた二人がこちらへと視線を向ける。

 その視線に首を横に振ると先ほどの自分と同じように二人もまた嘆息した。

 

 一週間。

 

 新しく自分の孫となった少年がこの屋敷に戻ってきてからすでに一週間が経とうとしていた。

 

 そして。

 

 一週間、一度たりともも少年は少年に与えられた部屋から一歩たりとも出てくることは無かった。

 

「どうしたものかな」

 

 街で何があったのかは聞いた。

 自分からすれば娘夫婦を守ってくれたのだから感謝こそすれどそれ以外にどうこういうつもりも無い。

 娘夫婦だって同じようなものだ。

 だが本人からすれば……。

 

「どうしたものかな」

 

 同じ言葉を繰り返しながら考えてみる。

 結局のところ、本人の意識の問題なのだ。

 自分からすれば異質ではありこそすれ、排斥するような物では無い。

 世界には自分の知らない不可思議な力を持った存在がごまんとおり、少年がその中の一人だったとして珍しいし、興味も湧くが、結局それだけだ。

 

「もしかすると」

 

 似たようなことが過去にあったのかもしれない。

 少年にとってトラウマになるようなことが、過去同じように。

 出会った時のことを思い出す。

 まだたった一年ほど前のこと。

 道端で死にかけていた子供のことを。

 

「まだたった一年なのか」

 

 いつの間にかいるのが当たり前のように思っていた自分に驚いた。

 

 

 * * *

 

 

 荒い息を吐きだしながら震える両手で肩を抱く。

 体の内から溢れだしそうになるナニカを必死になって押しとどめるように。

 

 体が熱くて仕方が無い。

 

 血管の中をマグマが通っているような熱と痛みが全身を駆け巡る。

 一瞬でも意識を飛ばせばその瞬間、押しとどめた物が溢れそうになって。

 

 ―――またあの時のようなことになってしまう。

 

 そう思うと怖くて怖くて眠ることすらできない。

 一体何なのだろう自分は。

 一体どうなっているのだろう、自分の体は。

 

 この屋敷に戻って来てからどのくらいの時間経ったのか。

 

 一日か、二日か。

 

 この閉ざされた部屋に籠りきっているせいでどうにも時間の感覚が無い。

 だが一日二日は経っているはずだ。

 なのにまるで眠れないし、まるで空腹にならない。

 排泄も無いし、何だったら呼吸を止めてしまっても生きていられる感覚すらある。

 

 バケモノ。

 

 街で誰かが言ったその言葉が。

 かつで村で言われたその言葉が。

 どうしても頭から離れない。

 

 自分の体が普通じゃないのは分かっていた。

 でもだからと言ってそこまで気にしていたわけじゃないのだ。

 だって極論を言えば自分の体は魔法を……魔力を通さない、それだけだったから。

 それよりもっと切羽詰まった問題があって、村から追い出されたことのほうが命に直結する大きな問題だった。

 だからそれが解決されて、爺ちゃんに拾われて、正直自分の体の異常を忘れてた、と言うわけではないが気にしていなかった。

 

 つい先週までは。

 

 見てしまった。

 見えてしまった。

 手のひらに触れた瞬間、馬車が弾けて吹き飛んでしまったのを。

 跳ねて転がった馬車の残骸を見て。

 

 そこに乗った誰かの姿を見てしまった。

 

 もし、もしも、だ。

 

 自分の身近な誰かがあんなことになってしまったら。

 

 そう思うと他人に触れることすら怖くなった。

 部屋に籠り、鍵を閉ざし、片隅で震えた。

 それが決して、もし、の話ではないと直感的に分かってしまったから。

 自分の中で渦巻く力に、溢れだしそうな力に、今の自分ならそれが出来てしまうと理解してしまったから。

 

 怖い。

 

 怖い。

 

 怖い。

 

 爺ちゃんが、センリさんが、ヨウさんが……アンリが。

 触れられることが怖くて、怖くて、怖くて。

 傷つけたくない、だから拒絶した。

 

 いつ収まるとも知れない力の奔流を抑えつけながら、食べることも、眠ることも止めて、ただただ震えた。

 

 少しずつ、少しずつ増していく力から目を背けながら。

 

 

 ―――そうしてまた夜が明けようとしていた。

 

 

 * * *

 

 

「お爺ちゃん、レッくんは?」

「まだだよ……今はそっとしておいてやっておくれ」

 

 この一週間で何度聞いたか分からない台詞に、けれど首を振るしかできないことが恨めしい。

 その度に目の前の可愛い孫娘が寂しそうな表情を浮かべるのが胸に痛い。

 

「いいかい、アンリ……決してあやつの部屋に近づいてはいけないよ。あやつのことはワシらに任せておくれ」

「…………」

 

 一瞬戸惑うような、そして何か言いたげな表情をするが、けれどすぐに頷く。

 賢い子だと思う。理解力が高く、手がかからない、良い子だ。

 けれどそれが娘夫婦たちがこの子に余り構ってやれないが故にそういう風に育ってしまったのだと思うと、そしてそのことに対して助かったと思っている自分に溜め息を吐きたくなる。

 

 とは言えまだ幼いこの孫娘を今の少年と会わせるわけにはいかない。

 

 この一週間、元より人間離れしていたはずの少年の魔力が日に日に膨れ上がっているのを感じる。

 元より魔力が外に出ない少年の体質故に今はまだその影響が出ていないが、もし少年の限界を超えるようなことになれば。

 

「屋敷ごと吹き飛びかねないな」

 

 魔力自体は純粋なエネルギーだ。

 そこに指向性を持たせるのが魔術であり、魔力単体で運用しても効率が悪いとしか言い様が無い。

 だがそれでも少年の内に秘められた桁外れの魔力の量を考えるならば多少効率が悪い程度では誤差にしかならない。

 

 呟きながらどうしたものか、と何度となく自らに問いかける。

 少年に関して、一年以上様々な実験を繰り返したことである程度のことは分かっている。

 だが同時に分からないこともまだまだ多く、今どうして魔力が膨れ上がっているのか、それは分からないことのほうに分類されている。

 

 つまりこの先どうなるか自分にも予想できない、ということだ。

 

 諦めるつもりは毛頭無いが、それでも最悪の事態だけは予期しておかねばならない。

 

「そうはなっては欲しくないがな」

 

 呟きながら、駆けていく孫娘の後ろ姿を見つめた。

 

 

 * * *

 

 

 ―――はっとなる。

 

 あれだけ意識を落とさないと気を張り詰めていたのに、いつの間にか眠っていたか、気絶していたかしたらしい。

 自分の体が無事であることを確認すると同時に、周囲に被害を及ぼしていないだろうかと視線を上げて。

 

「―――えっ」

 

 ()()()()()()けれど()()()()()()景色に絶句した。

 

 少なくとも自分は一度も見たことが無い、けれど自分の中の記憶では見覚えのある光景。

 

 そこは狭い部屋だった。

 

 白い壁紙は古くなっているのか少し黄ばんでおり、ところどころにシミがついていた。

 隅にはどんと折り畳み式のベッドが置いてあり、そのすぐ横にはパソコンの置かれた木製のデスクとキャスター付きの椅子。

 天井からは電灯が吊り下げられており、そこから紐が伸びている。

 

「ここって」

 

 窓辺に立ってカーテンを開く。

 同時に差し込む陽光に目を細めながら。

 

 ()()()()()()()()()()を呆然としながら見やる。

 

 都市部だ。

 地名は知らない。

 そこまでは出てこなかった。

 ただその光景を見てそこが『別世界』なのだと気づいた。

 

「……なんで」

 

 何で俺はこの場所にいるのだろう?

 そのことに疑問を抱き、口にしようとして。

 

 がら、と。

 

 背後で横開きに扉が開いた。

 

「……あん?」

 

 缶ジュース片手にこちらを見やり、目をぱちくりとさせる少年がそこにいた。

 黒い髪に黒い目という珍しい風貌ではあったが、それ以外に取り立てて特徴の無い普通に少年。

 けれど、何故だろう。

 少年を見た瞬間、背筋に寒気が走ったのは。

 

「あー? あー、あー!」

 

 しばらくこちらを見つめていた少年だったが、何かに気づいたかのように大きく声を挙げ。

 

「お前あれか、つか何でここにいんだよ。()()()()()()()()だぞ」

 

 心底不思議そうに呟き。

 そうしてすぐにはっとなって。

 

「あぁ……()()()()()()()

 

 ニィと、口元を弧に描く。

 

「使ったな? だから反動で『混ざった』のか……うん、良いな。それ……面白い、何より面白いぞ」

 

 独り言のように問いかけておきながら勝手に納得し、独りで哂いだす。

 否、きっとそれは独り言なのだろう。

 よいせ、とベッドに腰かけた少年がこちらへと視線を移す。

 心の奥底まで見透かしているかのようなその黒い瞳に思わず怯み。

 

「まあそう怯えるなよ……なあ、ゴシュジンサマよ」

 

 告げる言葉の意味が分からず首を傾げ。

 

「自分の中に自分の知らない力があって困ってるんだろ?」

 

 続けざまに放たれた言葉は今自らが直面している問題まさにそのもので。

 

「なんでそれ」

「知ってるさ、知ってるよ。ゴシュジンサマのことだから、なんでも知ってるのさ、オレは」

 

 少年が口元に手を当てる。

 その手の向こう側で心底楽しそうに嗤っているのが理解できた。

 

「オレがゴシュジンサマの悩みを解決してやるよ。だから、なあ……」

 

 ヒヒッ、と嘲笑するかのように自分を見て少年は嗤い。

 

「契約しようぜ」

 

 それは文字通りの、悪魔の契約だった。

 

 

 * * *

 

 

「むー」

 

 祖父と別れ、頬を膨らませながら自室へと歩を進める。

 自らに充てられた部屋に戻ると少しばかり荒っぽく扉を閉め、部屋の隅に置かれたベッドへと真っすぐ進み、勢いそのままに飛び込む。

 ぼふん、と軽い衝撃と共にベッドが揺れると共に、定期的に天日干しされている布団が柔らかくアンリの体を受け止めてくれる。

 普段ならばその柔らかさ、心地よさにうとうとしてしまうところだが、今日は違う……いや、ここ一週間は、というべきか。

 

「むーむー!」

 

 ベッドの上に寝転がり、手元に引き寄せた枕を抱きしめて唸る。

 もやもやとした感情を振り払うかのようにゴロゴロと何度となく寝返りを打ちながら考える。

 

 分からない、分からない、分からない!

 

 ずっとずっと考えているが、どうして祖父がダメと言うのかが分からなかった。

 けれど祖父がアンリに嘘を言うとも思わない。ならばきっと何か『義兄』の部屋に入ってはならない事情があるのだろうとは予想している。

 

 とは言え、理由は言えないがとにかくダメでは納得だってできない。

 

 この一週間ずっと同じような思考を繰り返しながらベッドの上で悶々としているが、何一つとして思考は先へ進む様子を見せない。

 

「むー……レッくんだいじょうぶかな」

 

 そうして最終的に来るのはいつも義兄への心配だ。

 この半年の間で一週間以上も顔を見なかったのは初めてのことだった。

 だって義兄はアンリがこの屋敷に来るより前からここで祖父と一緒に住んでいた人で。

 だからアンリにとっていつだって屋敷にいるのが当たり前の存在だった。

 

「レッくん」

 

 名前を呼ぶとぽっかりと心に開いた空白を自覚してしまう。

 寂しい、まだ十にも満たないアンリにだったが、両親が多忙でありよく家を空けていたせいで今となってはすっかり慣れたはずの感情で。

 

「うぅ……」

 

 なのにどうしてだろうか。

 

 朝目を覚まして食堂に行っても、早起きして朝食を作っているはずの少年が居なくて。

 昼に書庫で本を読んでいても、一緒に読んでくれるはずの少年が居なくて。

 夜に眠る前におやすみ、といつも挨拶してくれる少年が居ない。

 

 そうして毎度毎度気づくのだ。

 アンリがこの屋敷に住み始めてからいつだっていてくれた少年のことを。

 両親が居ないことに慣れてしまったとは言え、別に寂しくないわけではないのだ。

 満たされない心を、苛む孤独を、いつだって一緒にいて埋めてくれたのは義兄だった。

 

 その義兄が居なくなってしまったことで満たされていたはずの心に再び空白が生まれた。

 

 空虚な感覚はやがて小さな痛みとなって胸を刺す。

 

「…………」

 

 一週間だ。

 義兄が帰って来てから、部屋に閉じこもってしまって一週間。

 祖父に止められて何度となく自制してきた。

 祖父がダメだと言うから。

 行ってはならない事情があるんだろうから。

 だから。

 だから。

 

 

 ―――だから何なんだろう。

 

 

「あいたいな」

 

 胸を突いて出た無意識の言葉は、けれども、だからこそ、今のアンリにとっての心の底からの本音で。

 

「…………」

 

 様子を見るくらいなら、良いよね?

 

 そんな風に、自分に対しての言い訳をあっさりと済ませると、さっとベッドから跳び起きて、そのまま部屋の外へと駆け出す。

 先ほどまで義兄の部屋の前にいた祖父はすでに一階へと降りたのだろう姿が見えなかった。

 今がチャンスとばかりに義兄の部屋の前に立ち。

 

 そっと扉に耳を充てようとして。

 

 ぎぃ、と。

 

 触れた瞬間に扉が開く。

 

「ふぇ?」

 

 呆けたような声がアンリから出ると共に。

 どたん、と支えるものが無くなった体が床にぶつかる。

 

「い、いたひ……」

 

 じんじんと痛む頬に手を当てながら開いた扉を見やり。

 

「……アンリ?」

 

 そこに居た少年の姿を認め。

 

「レッくん?」

 

 少年の名を呼んだ。

 

 




今回出てきた少年はシリアス路線に行くとそれなりに重要キャラだけど、アンリちゃんといちゃいちゃしてるだけの路線に行くとほとんどモブ同然になります(

×××××「え? オレってば主人公の能力の根幹よ? え? モブ?」

いやだって……アンリちゃんといちゃいちゃするだけなら別にレッくんの秘密とかどうでもよくね?


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