ありふれた職業と人理の盾 (やみなべ)
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IF「ありふれた職業すらありませんが、なにか?」

ふと思いついた「ぐだ子がハジメとクラスメイトだったら」というイフのお話。
面白そうではあるのですが、帰還後がどうやっても血生臭くなり過ぎるのでボツに。悪くないと思うんですけどね…残念。


月曜日。

それは一週間のうちでもっとも憂鬱な始まりの日…だった。

きっと大多数の人はこれからの一週間にため息を吐き、前日までの天国を思ってしまう…のだろう、私もそうだった。

 

でも、今は違う。人理焼却と人理漂白、二度に亘る人理の危機を経て私は“ありふれた日常”というものの得難さを、尊さ、そしてその儚さを思い知った。

当たり前のように続き、これからも変わることなくあり続けると思っていた日々。だが、その認識が大間違いであったことを今は知っている。日常なんてものは些細なキッカケ一つで脆くも崩れ去り、一度失われたものを取り戻すことは奇跡のようなことなのだと……つまり、こうして失ったはずの日常に帰って来られた私は、文字通り“奇跡”の中で生きているのだろう。

 

「…輩」

 

だからだろうか。帰ってきたはずなのに、どうしても“違和感”と言うか、“非現実感”を覚えずにはいられない。

それはふとした拍子で湧き上がる。

 

例えば、朝目を覚まして視界に飛び込んできた自室の天井に。

 

例えば、十数年共に暮らしてきた代り映えしない父母との会話に。

 

例えば、通いなれた通学路を半ば無意識に歩いている今の状況に。

 

カルデアでの日々が濃厚過ぎた…と言うのももちろんあるのだろう。カルデアが完全解体されてから数ヶ月が経ったはずなのに、今でもつい騒々しいみんなの声を、不穏な気配を、懐かしい誰かの後姿を探してしまう。

契約を、縁を、絆を結んだサーヴァントたちはみな退去した。生き残った職員は十数人程度だが、彼らもそれぞれの道を歩き出している。もう、私たちの道が交わることはないのだろう。

 

(それは、きっといいことなんだろうけどね)

 

元々住む世界が違ったというのもあるが、それ以上に“生きて未来へ進める”というのは良いことだ。

死んでしまった人、還ってしまった人、あるいは“無かった”ことになってしまった人々には、それすら望めないのだから。それ以上を望むのは、きっと贅沢なのだろう。

 

「先…?」

 

そうとわかっていても、これからも何度も思い返してしまうのだろう。

あの、どうしようもなく追い詰められていながらも、騒々しくて危なっかしい日々を。

本当に、思い返せば思い返すほどに、私のような凡人が良くあの険しい道を歩き切れたものだ。支えてくれた人、道を切り開いてくれた人、背中を押してくれた人…出会った全てに、感謝するばかりだ。私一人だったら、それこそ最初の最初で躓いて終わりだったはずだから。

 

遠いあの日々、離れ離れになってしまった人たちのことは寂しく思う。

それでも、その一欠片がこうして傍にいてくれるのだから、十分に……

 

「先輩! そのままだと電柱にぶつかってしまいますよ!」

「ほわっ!? あ、あっぶなぁ…ありがと、()()()

「先輩、またレムレムしていたんですか? もしや寝不足では……」

 

心配そうにのぞき込んでくるのは、たった一人残されたあの日々を共有できる半身と言っても過言ではない、愛おしき後輩。

そんな彼女が自分と同じ制服を着て、同じ通学路を歩いているのには不思議な感慨が湧いてくる。

 

「あ~、昨日マシュが寝かせてくれなかったからねぇ。遅くまで、あんなに熱く燃え上がって……」

 

通学路を歩く、自分たちと同じ制服を着た学生たちが一様に「えっ!?」と言う顔を向けてくる。

ヘイ諸君、特に男子共、今君たちなに妄想した? 怒らないから、正直に白状してみなさい。ご褒美に、邪悪経典に載ってた情報操作で社会的に抹殺してあげるよ?

……まぁ、その妄想が一から十まで間違っている、とは言えないのがちょっとアレだけど。昨夜は違うけど、一昨日はその…ね?

 

「ご、ごめんなさい。嬉しくて、つい……」

「マシュってさ、無自覚に罪作りだよねぇ。いや、私の言い方も悪いんだけど」

「はい?」

「うん、なんでもない。マシュは学校好きだもんね、嬉しくておしゃべりが盛り上がっちゃうのは仕方ないよね。まぁ、夜中の二時は流石にきついから、もちょっと手加減して欲しいけど」

「気を付けます……」

 

ションボリ項垂れている後輩の頭を撫でてやれば、はにかみながら潤んだ上目遣いを向けてくる。狙ってやれるほど世間慣れしていないのは良く知っているが、くれぐれも男どもには向けないで欲しい。同性の私ですらグラッと来そうになるのだ、色々持て余している野獣がおかしな気を起こしては事だ。

素の腕力、身体能力なら私の方が上…というか、マシュはどちらかと言えば華奢で非力だから、本気で迫られたら大変だ。裏技がなくもないとはいえ、それは推奨されない。

ようやく帰ってくることができた日常だが、私たちの場合色々と面倒な制約の上に成り立っているのだから。

 

その後はぼんやりすることもなく、マシュとのおしゃべりを楽しみながら通学路を進む。

ボケッとしてても怒ることなく付き合ってくれるのは嬉しいが、これではどっちが先輩かわかったものではない。だから一部から、“藤丸の嫁”扱いされているんだろうなぁ……まぁ、結果的にこうしてサポートをさせてる私のせいなんだけど。

そのまま校舎に入り、階段を上った三階が私たち二年生のフロア、対してマシュは一年生なのでもう一つ上の階。

というわけで、階段を上ったところでいつも通りに分かれることに。

 

「さて、それじゃ私はこっちだから」

「はい、お昼にまた伺いますね」

「偶には教室の友達と食べてもいいんだよ?」

「私もできればそうしたいのですが……」

 

上の学年である私とばかり付き合ってるから…と言うのもあるのだろうが、マシュは芸能界でもめったに見ることのない美少女だ。儚げな容姿、片目を隠すような髪型がミステリアスさを与え、スタイルだって良い。外国人なのに日本語も堪能で礼儀正しいのだが、それがかえって近寄りがたさを生んでいるのだろう。

それこそ、ステレオタイプの似非外国人みたいな喋り方だったら、もう少し親しみやすかったのだろうか?

マシュはマシュでかなり…凄く……とてつもなく特殊な環境下で生きてきたから、普通の人間とのコミュニケーションには戸惑ってしまうらしく、こうして入学して一ヶ月が経とうとしているのにまるっきりクラスに馴染めずにいる。

 

(先輩として、相棒として、そして()()として、何とかしてあげたいのは山々だけど……)

 

首を突っ込んでどうこうなる問題でもないのが悩ましい。

 

(いっそのこと、うちのクラスの女子とかから交友関係広げるかなぁ……谷口さんとか上手く巻き込めば行けると思うんだけど。でも、中村さんがなぁ……)

 

今のところは大人しくしているが、不穏なものを感じるクラスメイトの存在が頭をよぎる。

人間大なり小なり人とは違うところがある以上、“完全な真人間”なんていないと思っている私だけど、彼女はかなり危うい気がする。加えて、私に“危うさを正す”なんてマネはできない。今までだって何とか折り合いをつけてやっては来たけど、決して矯正できたわけじゃないし、しようと思ったこともない。

私にできることと言ったら、“受けれ入れ”て“寄り添う”くらいなんだから。

 

(そして、きっと中村さんはそれを望んでいない。彼女がそうして欲しいのは、きっと……)

「先輩? あの、もしお邪魔なようなら……」

「ああ、いや、そうじゃないんだ。そうだ、今度クラスの友達と遊びに行くんだけどマシュもどう?」

「え、私も? いいのでしょうか?」

「大丈夫大丈夫。それでさ、今日のお昼は教室で食べようと思うんだけど、そこでその子たちに紹介してもいい?」

「はい! 大丈夫です、問題ありません!」

「うん、それじゃまたお昼にね」

 

そうしてマシュと別れて教室に入れば、既に何人かのクラスメイトの姿が。机にカバンを置き、一通りの支度を済ませてから近場の女子グループに合流する。

 

「おはよ、優花、妙子、奈々」

「おはよう、藤丸さん」

「見てたわよ~、また今日もあの後輩ちゃんと一緒だったでしょ。仲好いんだから~」

「ほら、あんまり茶化さないの」

「ふふん、何しろ可愛くて可愛い自慢の後輩だからね!」

「うへぇ、朝から惚気られたわ……」

 

“やってらんな~い”とばかりに手で仰ぐ友人たち。これなら今日も上手いこと誤魔化せそうかな?

別に個人的には隠さなくてもいいと思うんだけど、それで周りからアレコレ言われるのは面倒だし、適当にはぐらかすのが吉ってね。

 

「……ねぇ、やっぱり付き合ってるんじゃないの?」

「仲が好いを通りこしてる感はあるしね」

「ちなみに私の初恋は、ちょっと軽い感じでチキンのアラサーでしたがなにか?」

「「「男の趣味が悪い」」」

「ほっとけ」

 

一応言っておくと、これはホント。というか、いつの間にか嘘を吐けない体質になっていたので、私の言動には基本的に嘘がない。まぁ、誤魔化したりはぐらかしたり、言葉のトリックを使ったりはするけど。

あの頃はそれどころじゃなかったから自覚が薄かったけど、今思えば私はドクターに恋していたのだと思う。気付いたのはシバの女王からソロモン王の話を聞いたり、逆にドクターの話をしたりしていた時。

彼女と私はある意味対照的だった。ソロモン王を愛していたからロマニ・アーキマンを知りたかった彼女と、ロマニ・アーキマンに恋していたからこそソロモン王を知ろうとした私。恋敵になってもおかしくなかったのにそうならなかったのは、好きな相手が“同じだけど違う人”だったからだろう。

 

私が男だったら、もしかしたらダ・ヴィンチちゃんに恋したり…しないな。男女関係なくアレをそういう対象に見るのは多分無理。尊敬してるし大好きな人だけど、恋愛対象は無理だわ。いやでも、ちっちゃくなったダ・ヴィンチちゃんならなくもない? 難しい問題だ、論文一本書けるレベルの難題かも。

でも、我ながら不思議なのはその次がマシュだったことなんだよね。ゴルドルフ新所長とかムニエルくんだって、別に悪くはなかったはずなのになぁ…というか、自分がネロちゃまと同じ両刀使い(バイ)だったことにちょっとびっくり。かといって、マシュ以外の女の子にはそういう意味では何とも思わないし…マシュだったから? それとも、ドクターで男に見切りをつけたのかな?

わからん。自分のことなのに全然見当がつかない。

 

なんて自分でもイミフな思索にふけりながら友人たちと喋っていると、始業チャイム間近と言うところで教室がざわついた。入ってきた男子生徒に他の男子の大半が舌打ちや睨みを向け、女子もあまり友好的な反応を示さない。目の前の友人たちは無関心なだけまだマシな方だろう。中には、あからさまに侮蔑の表情を向ける者もいる。まぁ、この教室では別に珍しくもないことなんだけど。

 

「よぉ、キモオタ! また徹夜でゲームか? どうせエロゲでもしてたんだろ?」

「エロゲで徹夜とかマジキモイじゃん~」

(またやってる、飽きないねホント)

 

下品な笑い声をあげる男子生徒たちに呆れて言葉もない。

オタクと言う存在への風当たりが強いのが今の社会だが、それにしたって偏見が過ぎる。オタクと呼ばれる人たちが内包する熱量、そこに起因するバイタリティは並外れている。無趣味だったり無為に過ごしたりしているより、彼らの方がよほど“人生”を謳歌しているだろう。

なにより“好きこそものの上手なれ”という言葉があるが、彼らはその体現だ。“好き”の一念で磨かれた技術、育まれた発想力が今や一大産業に成長しつつある。

創作者はもちろん、ROM専だってその一翼だ。生み出された作品に込められたメッセージ、奥に秘められた暗喩を読み解くためには一定の教養が必要になる場合も少なくない。オタクと呼ばれる人たちは、下手な常識人よりよほど優れた知見を持っていたりするのである。彼らを只“オタクだから”と見下すのは、見識の低さを露呈しているとわからないのだろうか……わからないんだろうな。そうじゃなかったらあんな、明らかに頭悪い風に絡まないだろうし。

 

「……まったく、どうして男子ってこう子どもっぽいかな」

「天之河くんを見習ってほしいわよね」

「どうするの、立香。幼馴染のこと、放っておいていいの?」

「幼馴染って程の付き合いはないんだけど……」

 

確かに、小学生の頃から度々同じクラスになったりはしたけど、ほとんど話したことはないから“知り合い”以上ではない。まぁ、見てて気分の良い物ではないけど……

 

「へぇ、やっぱりオタクは好きじゃない?」

「あ、そういうんじゃなくて。もっと単純に“必要ない”だろうから」

「?」

 

不思議そうな顔をする友人たち。でも、それも仕方のないことだと思う。あの旅を経験する前の私だったら、もう少し別の反応をしたと思う。

だけど、今ならわかる。彼に助けは必要ない。他の誰かだったら心に傷を負ったり、なんなら自分を追い詰めてしまったりするのかもしれないけど…彼は違う。南雲ハジメにはこの場の誰も持ちえないしっかりとした土台と芯がある。だから彼は誹謗中傷を笑って受け流し、飄々としていられるのだろう。

 

多くの生徒は彼の笑顔が卑屈になり、遜っているが故と思っているようだが、今ならそれが違うとわかる。

アレは単に“どうでもいいから聞き流している”だけなのだ。男子生徒たちの下卑た嗤いなど、彼にとっては“発情したネコの鳴き声”以下、一顧だにする価値もないから反論しないだけなのだ。そんな相手に助け船など、余計な世話以外の何物でもない。

 

「ホント、見る目がないよね。私も、みんなもさ……」

 

人類史にその名を刻んだ英傑たちを見てきたからだろう。人を見る目が養われたのか、南雲君が今までとは違った意味でクラスから浮いていることがわかる。誰も彼もが浮足立った子どもばかりの中、彼だけは地に足がついている。

彼はあの年で既に自分の生き方を定め、そのために必要なものを取捨選択しているのだ。授業態度がいい加減かつ成績もギリギリのライン見えるのは、不真面目だからではなく、必要最低限の労力を割くに留め、余ったリソースをより重要な方面に振り分けるため。要は優先順位の問題だ。

そしてこれは、“将来”というものを描けていない大方の生徒たちにはできないことだ。“何をしたいのか”が定まらないから、“どう努力すればいいか”がわからない。万事に真面目に取り組むというのはもちろん美点だが、裏を返せば“どこを目指しても良い様に備えている”ということ。目指す先が定まっている者にとって、それは無駄以外の何物でもない。

 

彼が大成するかどうかはわからない。だが、大成するだけの下地はある。

皆がスタート地点にすら立っていない状況の中、彼だけは既に全速力でスタートを切っている。このアドバンテージの大きさは計り知れない。多くの生徒は優等生の“天之河光輝”を学年一…あるいは、学校一の優良物件と思っているだろうが、その実南雲ハジメこそが“隠れ超優良物件”なのだ。彼の前では、完璧超人と名高い天之河君ですら一人の子どもに過ぎない。男子が彼に突っかかるのは、南雲君が自分たちとは違うと感じ取ってるからって部分もありそう。このあたり、天之河君も似た様な理由なんじゃないかなと思ってる。

異質な存在を排除したがるのは、生き物として当然の本能でもあるし。

 

まぁ、あの旅を経験するまでそれに気づけなかった私も、大概人を見る目がない。

しかし、気付いたのなら今からでもアプローチをかけるという手もあるにはあるだろうが…そんな気は微塵もない。

一つは私には既にマシュがいるから、浮気なんてしませんよ?

もう一つは、それだけの優良物件である南雲君でもまだ私基準の“イイ男”には物足りないから。いや、これは単に基準がバグってるだけなんだけどね。流石に、英霊レベルを求めるのは間違ってるよ、うん。

そして最後にして最大の理由、それは……「白崎香織を敵に回したくない」これに尽きる。

 

「ほら見て、白崎さんがまた南雲にかまってる」

「南雲もねぇ、白崎さんの手を煩わせて悪いと思わないのかな?」

「天之河君の注意も全然真面目に聞いてないみたいだし……」

(うわぁ、天之河君の無謀さには頭が下がるなぁ。あの二人の間に割って入るとか、自殺願望でもあるとしか思えないんだけど……自覚がないってのが哀れと言うかなんというか。南雲君も、さっさと腹を括っちゃえばいいのに)

 

つい先日までの“二大女神”、最近ではマシュも含めて“三大女神”と名高い女子生徒の一角であるところの白崎香織。彼女だけは南雲ハジメの真価に気付いていた。変に彼の自己評価が低かったり、本人も恋愛感情に疎かったりするせいで空回っているが、彼女だけが南雲君との距離を詰めようと懸命にアプローチしている。

何故か、親友の八重樫雫以外はそこに恋愛感情があると思っていないのが不思議でならないが……それはともかく、私は密かに白崎さんを尊敬している。自覚の有無はともかくとして、彼女の人を見る目は本物だ。南雲ハジメを選んだという一点が、何よりの証拠だろう。特に、あんなに派手で目立つ天之河君をスルーして南雲君一点狙いと言うあたり、スゴイとしか言いようがない。

 

(ただあの子、清姫とかに近い匂いがするんだよねぇ。愛が重いというか、クソデカ感情を秘めてるというか)

 

重過ぎる愛を向けられるのには慣れているけど、それに起因する敵意を向けられるのはホントに勘弁。私が南雲君に助け舟を出さないのもそれが理由だ。万が一にも好感度稼いだりしちゃったりしたら後が怖い。彼の場合、放っておいても大丈夫そうというのもあるけど。

 

後になって思い返せば、この時の私はすっかり気が緩んでいたんだと思う。

平穏な日常に帰って数ヶ月、非日常から遠ざかっていたんだから当然なんだろうし、そもそも気を引き締めてたって何ができたとも思わないけど。

でもさ、それにしたって……“疑似時間跳躍(レイシフト)”、“虚数潜航(ゼロセイル)”と来て今度は“異世界召喚”ってなに? そのうち“異世界転生”でもしちゃうの、私?

おい神様、アンタそんなに私が嫌いか。流石にこれには抗議…あ、ダメだ。うちの神様全く当てになんなかったわ!? むしろ面白半分に引っ掻き回しそう……。

 

あ、今黒髭の電波っぽいの受信した。

 

「デュフフフフ……異世界で“俺Tueeee”こそ王道中の王道。お姫様、ツンデレ騎士、ケモっ娘、クーデレ魔術師に純真無垢な聖女を囲ってハーレムを作るのですぞぉ!!」

 

女の私にどうしろと? それとも逆ハーでもやれってか? フザケンナ!

 

 ・

 ・

 ・

 

で、召喚された場所は場違い感甚だしいどこぞの神殿(?)と思しき場所。

周りには一様に白地に金の刺繍がなされた法衣のようなものを纏い祈りを捧げる信徒のような人々。

この時点で、私の錆付いたはずの危機管理能力が「ヤバイよヤバイよ!」と警鐘を鳴らしている。

 

挙句の果てに、一際豪奢な格好した教皇を名乗るお爺さん(一身上の都合により名前で呼びたくない)には総毛だった。見た瞬間に分かった、アレ、絶対ヤバい人だ。どれくらいヤバいかと言うと、一見するとまともそうだけど中身はキャスターのジル・ド・レェ並みにイッちゃってる。場合によってはそれ以上。

天之河君も“聞きたいことしか聞かないタイプ”の一歩間違うと狂人まっしぐらな人だけど、アレはもう完全に手遅れ。どれくらい手遅れかというと、バーサーカーと同等かそれ以上だろう。

 

そんなのが恍惚と自分とこの神様について語るんだよ? 絶対ヤバいって。

基本、カルデアでの経験から神様案件はビタイチ信用しないことにしてるからさ。エレちゃんとかケツァル姐さんとか割とマシな部類だけど、それでもやる時はやっちゃうからね。

 

しかもその神様、滅びに瀕した人間を救うために私たちを召喚したとか宣うんですけど。

ないわー、マジないわー。ねぇ、バカなの? アホなの? なんでみんなその話鵜呑みにしてるわけ? 幾ら異常事態だからってもうちょっと冷静に…あ、ダメだ。冷静になれないから異常事態なんだった。私みたいに異常事態慣れしている方が普通はおかしいんだった。

にしても、普通異世界人召喚する前に自分とこの人間に加護でも祝福でも与えるでしょ。なんなら降臨するって手もある。それすっ飛ばして異世界召喚って、絶対ワケアリじゃん。神様間のルールで直接干渉禁止ってなってる可能性もあるけど、それで異世界召喚がアリな理由がわからない。これならまだ“人間がやらかして面倒ごと押し付けようとしてる”って流れの方がマシじゃん。

だってこれ、神様側に絶対何かあるもん。しかも超碌でもないヤツ、そうじゃなかったら異世界召喚なんてどう考えてもクッソ面倒くさいことわざわざしない。

 

その上、「世界を救えばエヒト様も救世主の願いを無碍にはしますまい」ってなに?

全く微塵も帰れる保証がないんですが? 神託で私たちを召喚するのは伝えたのに、帰れるかどうかについてはノーコメントとは何事? これ、帰れなくても「教皇が勝手に言ったこと、神様関係ありません」ってなる流れなんじゃない? なのになんで天之河君超やる気になってるの? なんでこんな場面で妙な扇動スキル発揮してるわけ? みんなもさぁ…目の前の希望に縋りたい気持ちはよ~くわかるけど、こんなショボい詐欺に引っかかってるのを見ると将来が心配だよ。

 

まぁ、私の場合帰っても絶対碌な目に合わないってわかってるし、帰還自体は諦めてるから冷静でいられるってのもあるんだろうけど。だってさ、“異世界召喚された人間”なんて絶対魔術協会が放っておかないって。よくて実験動物、下手すると標本にされるのがオチだもん。

 

なにより、一番気に食わないのは……

 

「邪悪な魔人族は邪法によって魔物を使役し、エヒト様に祝福された我ら人間族を滅ぼさんとしているのです。この世界を創られた至上の神の御意志に反するなど、許されざる悪に他なりません。どうか、是非そのお力を発揮し、〝エヒト様〟の御意志の下、魔人族を打倒し我ら人間族を救って頂きたい」

 

別にね、他力本願なことについては何も言わないよ。私だって散々みんな(サーヴァント)の力を借りたんだから、人のことをどうこう言える資格なんてないし。

“至上の神”とか“祝福された人間族”とか、身の毛もよだつような選民思想も、まぁ我慢できる。実際に神様に祝福さ(呪わ)れた人を知ってる身としては、そんな能天気に言えることとは思えないけど。

 

問題なのは、魔人族とやらを「邪悪」だとか「汚れた存在」と切って捨ててること。

実際そうなのかもしれない。言葉の通じない、破壊と殺戮が生き甲斐の連中って可能性もある。そういうのも見てきたし、無いとは言わない。

だけど、その判断をこっちに押し付けないで欲しい。別に皆にまで私の考えを押し付ける気はないけど、私は「顔を知らない相手を殺す」つもりはない。半ば以上この世界に骨を埋める覚悟はもうできているから、生きるために戦うことも、そのために奪わなきゃいけない命があることも理解している。それでも、私は「相手のことを何も知らずに殺す」ことはできない。

 

「いくつか、質問してもいいですか」

「ふむ、何なりとお聞きくだされ。如何様な問いにも答えてご覧に入れましょうぞ」

「藤丸さん?」

「では、遠慮なく。まず、さっき私たちが帰れるかどうかについて“エヒト様は無下にしない”と仰ってましたけど、具体的にはどう“無下にしない”んですか?」

「ま、待ってくれ、藤丸さん! そんなの聞くまでも……」

「言質はちゃんと取るものだよ、天之河君。“きっと”“だろう”は禁物、教皇さんは“帰れる”とは明言しなかった。神様のことだから迂闊に口にできないのもわかるけど、そこはハッキリして欲しいですね。

 まぁ、聞いておいてなんですけど、答えられるとは思ってません。仮にそちらの願い通りに全て終わったとして、どうなるか…あなたもわからないんでしょう? だって、ちゃんと明言した方が報酬としての効果は高いですからね。はぐらかしてる時点で……」

「ゴホン、神の御意志を人の身で推し量るなど、あまりに畏れ多いことですな」

「……………そういうことにしておきましょうか」

 

敬虔な信徒が相手ならそれで黙らせられるのだろうけど、宗教について適当な日本人にはそれでは足りない。私たちは正月には神社を参拝し、身内が死ねばお寺で供養し、結婚式は教会で挙げる人が大半だ。この時点ですでに神道、仏教、キリスト教と無節操ったらない。そんな人間に「神の御意志を云々」と言ったところで、推測することを止められるはずがない。ある程度の人の中には、神様に対する不信感が植え付けられただろう。

 

「それじゃ次に……」

 

その後もいくつかの質問をするが、望んだような答えは返って来なかった。大体がお茶を濁すか誤魔化すか…まぁ、あちらにとって不都合な質問だったのは間違いないだろう。何しろ、その度に私に向けられる視線が剣呑になっていくし、クラスの空気も悪くなっていく。

正直、混乱が収まっていないこの時点でまとまりを乱すようなことを言うのは本意じゃない。変に暴走して収拾がつかなくなるのは怖い。加えて、私の立場がどんどん悪くなっていくのが肌で実感できる。こんなのは、正直言って下策も下策だろう。

 

だけど、私にはどうしても急がなければならない理由があった。

今ならまだ、私にはクラス内にそれなりの発言力がある。天之河君ほどではなくても、そこそこの人に私の声は届くだろう。でも、明日以降はわからない。予定では、明日私たちの能力を調べることになっているらしい。

異世界召喚されたからって、私は自分が特別な能力を授かるなんて夢想できるほど楽天家じゃない。自分の凡人っぷりは自分が一番わかってる。だからきっと、私は大した能力を示すことはないだろう。そうなれば、自然と私のクラス内での発言力は低下する。こんな状況では、より高い能力を持った人が発言力を強めるのが自然な流れだから。それを理性的にコントロールすることを期待するには、私もみんなも子ども過ぎる。いや、大人にだって難しいことだ。

だから今のうちに、私の言葉が少しでも多くの人の心に届くうちに話さなければならなかった。そうしなければ、きっと遠くない未来、みんなは後悔するかもしれないから。それがわかっているのに何もしないなんて、私にはできない。

 

自分の行動が原因で仲間を失う、自分の選択で誰かの命を奪う…あるいは、何の罪もない人々からすべてを奪う決断を下す。その苦しさを、重さを知るからこそ、“何も知らない”ままでなんていさせられない。

せめて、教皇に食って掛かるんじゃなくて身内だけの場で問題提起するのが賢いやり方なんだろうけど、それができるかもわからない。食事の場であればみんな揃っているはずだけど、果たしてこの話ができるだろうか。それ以降に、どこかで話をする機会があるか。あるかどうかわからない機会に賭けるくらいなら、今この瞬間を逃してはならない。もっとも多くの情報を持っているであろう人物から何の情報も引き出せない、その事実だけでも意味がある。

 

「最後に、魔人族について教えてください」

「ですから、先ほども申し上げた通り……」

「“邪悪”とか“愚か”とか、そんな抽象的なことを聞きたいんじゃありません。彼らの生活様式は? 文化は? 何を重視し、何に怒り、何を好み望むのか。私が知りたいのはそういうことです」

「そんなことを知ることに何か意味がありますかな?」

「少なくとも私は、“何も知らない相手なら殺せる”とは考えられません。彼らがどういう“人”なのか、それを知らずには戦えません」

「人って…藤丸さん、魔人族は魔物を使役してるんだろう? それなら魔物と同じような存在なんじゃ……」

「そうかもしれない。でも、()()()()()()かもしれない。私たちは、そんなことすらわからないんだよ。私たちの世界だって、人種問題は未だに解決の兆しすら見えてない。なら、人間族と魔人族の違いが黒人と白人程度の違いしかないとしても、別に何も不思議じゃないと思うけど? それとも、魔物の仲間じゃないと困る理由でもあるのかな?」

「いや、でも! 人間族を滅ぼそうとしている時点で彼らは“悪”じゃないか!」

「そもそもどうして滅ぼし合うほどの戦争になるのか、っていうのも気になることだけどね。普通なら、適当なところで支配下に置いて搾取するとかじゃない? だいたい、何で敵側のことなのにそんなに確信を持って言えるのかな。相手の事情をよっぽど詳しく分かってないと言い切るのは難しいと思うよ。あるいは、自分たちも滅ぼそうと思ってる、とか?」

「そ、そんな野蛮なことあるわけないじゃないか! どうしてそんな恐ろしいことが言えるんだ!」

「わからないからだよ。何もわからないから、色々考えずにはいられない。考えておけば、備えることができるからね」

「だからって!」

 

教皇さんに対する質問だったはずが、いつの間にか天之河君との問答になっていたのはどういうことなんだろうね。まぁそれも、彼の主張は願望が混じったものばかりだから切り崩すのはなんてことない。私が口にするのは「そうじゃない可能性」だけでいい。何も情報を持たず、教皇さんも詳しく話したがらないから願望に対して推測をぶつけるだけの不毛極まりない問答だけど、私にとっては好都合だった。

だって、多くの可能性を考えることこそが私のねらいだったんだから。その意味では、天之河君はいい仕事をしてくれた。魔人族に「都合のいい悪役」であって欲しい彼と、「そうじゃない可能性」をぶつけるだけの私、討論としては笑っちゃうくらいにお粗末だったけど、少しずつみんなの間で議論が始まったのを見た時は安堵の息が漏れた。

 

(これで、とりあえずは大丈夫かな。私の発言力がなくなっても、もう種は蒔かれて芽吹いてる。この先どうなるかは、成り行き次第だけど……)

 

出来るなら、望む方向に持って行けるだけの力があればよかったんだけど、それは多分無理だろう。それだけの影響力が今の私にはないし、今後は低下の一途だろう。

なにより、私の存在は教皇さんたちにとっては邪魔なものになったはずだ。この先、あの手この手で私の立場が悪くなっていくのは想像に難くない。それこそ、よっぽど強力な力でもない限り。

 

(………………………………さて、どうやって逃げるかな)

 

この時点で私は、()()()について検討を始めていた。

いやだってさ、遅かれ早かれ粛清されちゃいそうだし。それに、元々魔人族や亜人族のことを知りたかったから旅には出るって決めてたしね。それが堂々と行くか、それともコソコソ抜け出すかの違いでしかないし。

 

でも、捨てる神あれば拾う神あり、とはよく言ったもの。まさか、思いもよらぬところからヘッドハンティングされるとは思わなかったなぁ。

 

 ・

 ・

 ・

 

そんなことがあった翌日、早速訓練と座学が始まった。そこで予定通り私たちは自分たちの能力を“ステータスプレート”なるもので確認することになったのだけど、なんか見慣れたものに近くて懐かしくなったのはちょっと秘密。

それはともかく、一部例外を除きみんなが華々しい天職やステータス、スキルを持っている中、当の私はと言うと……

 

藤丸立香 17歳 女 レベル:1

天職:()()

筋力:10

体力:10

耐性:10

敏捷:10

魔力:10

魔耐:10

技能:星の加護・神々の祝福・聖者の祈り・魔力操作・運命力欠乏・言語理解

 

まさかの「天職:()()」。プーッ! 我ながら笑っちゃうんですけどwww

……いや、マジでクラスのど真ん中で爆笑したらドン引きされたんだよね。アレはちょっと恥ずかしかった。具体的には、魔術協会の一部から「最後のマスター(ラスト・ワン)」とかクッソ恥ずかしい二つ名付けられたと知った時並みに恥ずかしかった。

 

ちなみに、「天職:なし」はクラス内で私だけ。やったね、ナンバーワンよりオンリーワン。少ないっていうのは希少価値だ! ……あとは需要があれば完璧だったんだけどなぁ、惜しい。

 

「……余裕だね、藤丸さん」

「だいたいの状況は楽しんだもん勝ちだよ、南雲君。嘆いたって状況は変わらないんだから、ポジティブにいこうよポジティブに!」

「クソ強メンタルか!? ああでも、多分君みたいな人が最後まで生き残るんだろうなぁ」

「ふふ~ん、なんだかんだと生き残ることにかけては一家言あるのだよ」

「なら、僕もしょげてたらみっともないかぁ」

「ん、どれどれ、見してみんさいハジメン」

「……君、キャラおかしなことになってない?」

「まぁまぁ、知り合いのパリピに倣ってみただけだから気にしないで。でも今思い返すと、凪子さんってある意味最強だったけど一周回って“陽のコミュ障”だったんじゃないかって思う時もあるんだよねぇ。いやでも、分かっててやってた節があるし、違うのかな? ハジメンはどう思う?」

「いや、僕その人知らないし……」

「元気ないなぁ…パンツ見る?」

「見ないよ!?」

「……良かった。ノリと勢いで言ってみたけど、“見る”って言われたらどうしようかと。危うく殺されるところだった」

「恥ずかしいとかじゃないんだ……っていうか、誰に?」

 

みんなそれなりに気を遣ってくれてたけど、現地調査の最中とかあんまり気にしてなれなかったからね。今更下着や裸見られたくらいじゃ驚かないよ?

まぁそれはそれとして、基本的に見守るつもりでいたけどこういう状況になったんならちょっとくらいは背中押した方がいいかな。そうじゃないと、最悪の場合も考えられるし。

 

「……南雲君さぁ、早めに腹括った方がいいよ、マジで。でないと手遅れになる」

「なんの話?」

 

君の後ろから私に現在進行形で“目で殺す”を仕掛けてる般若様のことですよ。なにあれ、スタンドってやつですか? 怖いわぁ…さっきから震えが止まらないんですけど。

 

にしても、南雲君の天職は「錬成師」かぁ。つまり鍛冶師、案の定というかなんというかクリエイター系だったか…おじいちゃん(千子村正)に会わせてみたいなぁ。キャラは全然違うけど、多分気が合うと思うんだよねぇ。

それと一つ分かったことがある。このステータスの数値、多分身体能力とかじゃなくて上乗せ分だ。だって、そうじゃないともやしっ子の南雲君とレオニダスブートキャンプを突破した私の筋力・体力・耐性・敏捷が同じとかありえない。なんなら、天之河君が相手でも勝てる自信あるし。

 

「ところでさ、この加護とか祝福とかって……」

 

それねぇ…メッチャ心当たりがあるんだよなぁ。三ツ星の狩人(トライスター)は「祝福なんて呪いみたいなもんだぞ」って言ってたけど、私って呪われてるのかな?

え? 運命力欠乏? 一種のバッドステータスです、お気になさらず。あと、魔力操作なんてなかった、いいね?

 

「は、はぁ……」

 

あと、ちょっと心配してた「私がみんなを巻き込んだ」説はこれで完全に否定された。己惚れるつもりはないけど、それでも自分がかなりアレな人生を歩いてることは自覚してるから「もしかしたらそうなのかなぁ……だとしたら申し訳ないなぁ」と思ってたんだけど、それならもう少しステータスが別のものになってたはず。

多分、エヒト神の本命はチート揃いのクラスメイトの中でも異彩を放つ“チート・オブ・チート”と言わんばかりの「天職:勇者(天之河光輝)」くんなのだろう。つまり、私たちは巻き込まれただけのモブ…私の巻き込まれ体質も大概だな、今更だけど。

 

とはいえ、これを機に案の定私のクラス内での立場は微妙なものに。

何しろ、「落ちこぼれ」の南雲君以下だからね。どんな効果があるのかよくわかんないスキルはあるけど天職ないし、ステータス低いし、是非もないよネ♪

 

なので、その後は魔人族や亜人族、各地の情報を求めて図書館に入り浸る日々。

なにしろ、夜逃げをする可能性が日増しに強くなってきている。非戦闘職の南雲君は元より、私まで何故か戦闘訓練させられてるからね。自分で言うのもなんだけど、私直接戦闘には絶望的に向いてないよ?

いや、街の不良くらいだったら適当にいなせるとは思うんだ。サーヴァントの動きに目が慣れたのか、拳に勢いが乗る前に逸らすとか割と余裕だし。まぁ、殴るのとか嫌だからそのまま持久戦に持ち込んで相手の体力切れを待つことになるんだけど…これで戦争とか無理無理。

 

でも、それが何で夜逃げにつながるかって? だってさぁ……

 

「南雲君」

「ん~」

「メルドさんはともかくとして、お偉いさんたち絶対私たち殺すつもりだよね」

「あ~……やっぱり?」

「だって、そうじゃなかったら私たちみたいな足手まといを戦場に出す意味ないでしょ。

 特に南雲君は生産職っていう利用価値があるのに戦わせるとかイミフ過ぎるし。そうなると、生贄の羊(スケープゴート)って考えるのが普通じゃない?」

「つまり、僕たちの役目は魔物…できれば魔人族に殺されてみんなのヘイトを稼ぐことか…ゾッとしないなぁ」

 

錬成師に求められる役目は強力な武器を作ることだけど、ぶっちゃけみんなに配られた王国秘蔵の再現不可能な“アーティファクト”と比べれば、名刀と爪楊枝も同然。あ、私には何ももらえなかったのあしからず。まぁ、貰っても活かせるとは思えないから別にいいんだけど。それはともかく……つまり、南雲君…というか、錬成師に求められる本当の役割は“普通に優れた武器”を作ることなので、劇的に戦況を変えるような兵器など期待されていないのである。条件さえそろえば、彼なら作れそうな気もするけど…変な期待を持たれると、かえってややこしくなりそうなのでお口にチャック。本人も納得しているので、すっかり二人で旅行計画を立てる大学生みたいなノリで図書館に入り浸っている次第である。

そして、そんな役立たず…特に聖教教会から邪魔者認定されたであろう私を有効に活用するための策が、生贄の羊(スケープゴート)というわけだ。まぁ、マジで無能(無職)な上に余計なことばっかり口にするお邪魔虫とはいえ、仮にもエヒト神によって召喚された“使徒”の一人だ。それを馬鹿正直に排除するわけにはいかないんだろう。合法的に処理するためには、“魔人族に殺された”方が都合がいい。加えて、召喚された面々の中には今もなお戦いに対して及び腰な人も少なくない。だが、上層部はそれでは困るのだ。せっかくの才能の持ち腐れなどあり得ない。では、どうすれば彼らの戦意を昂揚させられるか。その答えが、私たちの死だ。

要は魔人族の手によって殺されることで「魔人族憎し」の感情を植え付け、仇討ちという名目で戦わせようというのだろう。厄介者もしっかり活用しようとする辺り、とってもエコだね……はぁ、効果的なんだろうけど、捨て駒にされる側としてはたまったもんじゃない。というか、なんで南雲君まで……なので私たちとしては、本格的に実戦投入される前に何とかトンズラせねばならないのである。

 

(まぁ、その前に南雲君には身辺整理して欲しいところだけど)

 

なにしろ、現在進行形で首筋が寒い。二階の本棚の影からこちらを見ている般若がいる。彼女が心配しているようなことは全くないので、早いとこ安心させて欲しい…と思っていたところで、読んでいた本に影が差す。

 

「ほぉ、アンジカ公国ですか。過酷な旅になりますが、良い国ですよ。物流の要衝でもあるので、各地の文化が混ざり合い独自の文化を築いているので一見の価値がありますね」

 

見上げてみれば、そこにいたのは男子である南雲君よりも頭半分は背の高い白髪の美女だった。

 

「あの、あなたは……」

「失礼しました。私は……」

「フェリシア! 勝手に動き回るんじゃねぇって言ってんだろうが!」

「メルド、図書館では静かに。常識ですよ」

「……お前に常識を説かれるとは思わなかったよ」

 

豪放磊落を地で行くメルドさんには珍しく頭の痛そうな様子を見せている。

とはいえ、気の置けない間柄のようでもあるので、もしや……

 

「恋び「違う!」ですか」

「こいつは俺の古い知り合いというか、腐れ縁でな。召喚された勇者一行に興味があるってんで、こうして案内してるわけだ」

「まぁ、体のいい監視ですね」

 

“クスクス”と笑う姿には品があり、そういう扱いをされていることに対する不満は見られない。

 

「当然だろ。いくら金級冒険者とはいえ……」

「金級って、確か冒険者の最高位じゃないですか!?」

「はい。若輩の身ではありますが、金級に叙していただきましたフェリシア・グレイロードと申します。以後、お見知りおきを」

「そら、これで目的は果たしただろう。さっさと帰れ」

「まだお二人だけなのですが……」

「いくら金級冒険者とはいえ、そうホイホイと城の中に入れられるか」

「まぁ、当然ですね。それに、二人だけとはいえ十分な収穫です。お二人とも、これも何かの縁。何かお困りのことがありましたら、こちらにご一報を」

「あ、ありがとうございます」

 

そう言って渡されたのは、地球で言うところの名刺のようなもの。南雲君は目を白黒させながら受け取っていたけど、正直私はそれどころじゃなかった。

 

(うわっ、何この人。こっちで会ってきた人の中で間違いなく一番“只者じゃない”)

 

別に威圧感があったわけじゃないし、見てわかる何かがあったわけでもない。

でも、古今東西の英傑と出会い、語らい、彼らの振る舞いを見てきた私の直感が告げている。この人は間違いなく、当代きっての傑物だと。金級冒険者が実際どれくらいすごいのかはよくわからないが、それでもこの人を評価するには不足だろう。

なんというか、もしかしなくてもとんでもない人とのコネができてしまったのではなかろうか。

 

「フェリシアさーん! そろそろ帰りましょうよー! ジロジロ見られていい気がしないんですぅ」

「そら、ツレがお待ちかねだぞ」

「そのようですね。では、お二人ともまたどこかで」

 

まさか、この時出会った人と各地を旅することになるとは、夢にも思わなかったけれども。

 

 

 

そしてこれからさらに数日後。訓練を目的としたオルクス大迷宮で、私たちは人生で何度目かになる転機を迎えることになる。




この世界だと、フェリシアは割と早い段階でガーランドに見切りをつけて出奔しています。世界を放浪し、情報を集めたり仲間を集めたりしながら、大迷宮を攻略する日々。この時点で三つか四つは攻略してるかも? でも、そのやり方はミレディたちのそれに近いので、このまま進んでいってもいずれは詰む…この人、どうやっても人生バッドエンドばっかりだな。
ただ、そんな彼女の転機はいつだって藤丸立香なのでしょう。メルドとは密かに連絡を取り合う仲だったのですが、そのツテで召喚された子どもたちを見に来たらなんか面白そうな男女を見つけてヘッドハンティングした次第。まさか、それが自分の人生を大きく変えるとは、この時は夢にも思わなかった事でしょう。

余談ですが、協力者の中にはほぼ確実にシア…というか、ハウリアがいるでしょうね。ハジメと関わっていないので、厨二病を発症することなく強くなってるかも。ただ、その分突き抜けてはいなさそうですが。
場合によっては、先にオルクス大迷宮も攻略している可能性があるので、ユエもいるかもしれませんね。ただ、ティオは多分いないと思う。里から出て来ないとまず会わないし、フェリシアも竜人族が生き残ってるとは思わないだろうから。

ちなみに、マシュの扱いについては未定。一緒にいるのか、それとも地球に取り残されたのか…どうするのがより面白いんでしょうね。あと、こっそりロリンチちゃんはマシュと一緒に藤丸家に転がり込んでいる…なんて可能性もあったり。彼女、普通のサーヴァントとも違う状態になったので、そういう可能性もありだと思います。


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プロローグ

また新しいものに手を出してしまいました、反省はしている。ただし、全然懲りていないので、多分意味はない。その結果がこれだし。

とりあえず、なんとな~くプロットを書いてみたら完結までの大筋ができてしまったので、「やってみるか」のお試し精神で起こしてみた次第。

一応目標としては、いつものくどいくらいにねちっこく書くのではなく、いっそ淡白なくらい進行重視で行きたいなぁ、と。
まぁ、のっけから目標を達成できていないんですが。

ちなみにこちら、チラシの裏の「やみなべのネタ倉庫」から昇格した作品です。
他にもいくつかネタが入っているので、気が向いたら見てやってください。


 

「世界座標を観測、極東日本」

「時間軸座標……確定。あら、西暦二千年代初頭だわ。大当たりじゃない」

「こらこら諸君、久しぶりの慣れ親しんだ時代だから浮かれるのもわかるが、それは早とちりってやつだぜ。

 ここでしくじれば、またどことも知れない土地、いつだかわからない時代、下手をするとどこぞの剪定事象や異聞帯(ロストベルト)に流されてしまいかねないってこと、忘れてないかい」

「すみません、ダ・ヴィンチ所長代理」

「至急、証明作業に入ります」

 

僅かに緩んだ空気を若々しく張りのある声が戒める。

威厳とかそういう類のものは感じさせないはずなのに、その声には聴く者の芯に響く何かがあった。

それを示すように決して強くはない声を受けて、即座にそれなりの広さがある室内の空気が引き締まった。

それは声の主への全幅の信頼の賜物であり、彼らが即座に己を戒め切り替えることのできるプロフェッショナルの集団であることの証左だった。

 

「アンカー固定、存在証明……完了」

「お、今回はずいぶん深くいったな。計測したところ、向こう数年留まれそうですよ」

「へぇ、そいつは有難い。大抵、もって数ヵ月、下手すると数日で流されてしまうっていうのに」

「所長代理、申し上げたいことがあります!」

「いや、皆まで言わずともわかっているさ。せっかく長期的に腰を下ろせるんだ、羽を伸ばさなくちゃ損ってもんだ」

「さっすが天才!」

「わかってますね!」

「なぁに、私は万能の天才だからね。人の心理を読み取るくらい訳ないさ。

 とはいえ、それも全ての作業を終えてからだ。さぁ、あとは細々とした雑事だけとはいえ、だからこそさっさと済ませてしまおう」

「「「はい」」」

(とはいえ、本当にこれだけ長期で留まれるのは久しぶりだ。

 何かあるんじゃないかと疑ってしまうのは……考えすぎだといいんだが。

 まぁ、何かあるなら対処するし、何もないなら羽を伸ばす。やることに変わりはないか)

 

『人理継続保証機関 カルデア』それが彼らの所属を示す名称。

かつては国連所属の秘匿機関として活動していたが、それも随分と昔の話だ。

時を超え、世界を超え、虚数の海にすら潜ってきた彼らは、気付くと世界に居場所を失っていた。

 

―――――――――――――どこにでも行ける。

――――――――――――――――――――――その代わりに、どこにもいられない。

 

それが今のカルデアだ。

度重なるレイシフトとゼロセイルの弊害、存在が不安定になってしまったが故の結果。

人類史を救うために繰り返したそれらの代償は、安くはなかった。

 

とはいえ、彼らに後悔はない。

やらなければならなかった。そうしなければ彼らに残された道は“終わり”だけ。

終わるのが嫌なら進み続けるしかなく、進んだ代償が現状だとしても仕方がないと思う。

“終わる”ことに比べれば、まだマシだから。

生きるために戦い続けた彼らは居場所を失ったが、まだ生きている。

 

“ならまぁ、なんとかなるさ”

 

数々の苦難を乗り越えてきた彼らにとっては、これもその一つに過ぎない。

しかし、それはそれとして折角の長期的な安定滞在だ。

次はいつこれほどの長期にわたって留まっていられるかわからない。

ならば、今だからこそできることをするべきだろう。例えばそう……

 

「みなさん、お疲れさまでした。作業はどうですか?」

「ああ、キリエライト君。ちょうど今、最後のシークエンスが終わったところだ」

「折角だし、藤丸君と一緒に外を散策してきたらどう? ついでに、周辺情報も集めてくれるとありがたいんだけど」

「はい。では、先輩を探してきます」

「マシュ、ちょっといいかい?」

「? どうかしましたか、ダ・ヴィンチちゃん」

「うん、ちょっと聞きたいんだが……君、学校に行ってみる気はあるかい?」

「………………………………………………………………はい?」

 

 

 

  *  *  *  *  *  *  *  *

 

 

 

月曜日。それは、一週間の内で最も心身双方が重くなる始まりの日。きっと大多数の人が、これからの代わり映えのしない退屈な時間に、あるいは面倒極まりない試験や仕事に溜息を吐き、前日までの天国を懐かしむ。

 

だが、中にはそうではない者がいる。

学業や職務に生き甲斐を見出す者、一般的な就業または学業の形式に捉われない者、あるいは…………社会生活そのものに対し、未だ新鮮な感性を抱いている者。

 

マシュ・キリエライトもそんな一人。

生まれてからの14年を特殊機関の無菌室で過ごし、以降も過酷な訓練や任務に従事してきた彼女にとって、多くの者にとっての「ありふれた日常」こそが「刺激に満ち溢れた非日常」なのだ。

それは仲間たちの粋な計らいで入学した、極々ありふれた公立校での一年間の学生生活を経た今でも変わらない。

 

いったいどうやって調達したのか不信極まりない資金を元手に、金策に長けたキャスターやアサシン、または黄金律持ちのアーチャー(小)などの力を借りて得た活動資金。

これにより買い上げたマンションでの日々は、かつての雪山とは比べるべくもない鮮やかな色彩に満ちている。

 

―――季節の変化と共に移り変わる自然の草木と花々が

 

――――時に青く澄み渡り、時に暗く閉ざされる空が

 

―――――通学路ですれ違う多種多様な年齢、服装の人々が

 

――――――休日に友人や同僚、あるいは仲間……そして何よりも信頼する先輩と出かける街並みが

 

どれだけ経験しても、色褪せることなく飛び込み彼女の心に(いろどり)を与えていく。

 

かつて、長い永い旅路の中で触れた事柄も少なくない。

だが、それらはすべて断片的だった。まるで季節の、人々の営みの、時間の一部を切り取ったような欠片たち。

しかしいま、彼女はその大いなる流れの一部に身を置いている。

 

ある魔術師には、世界は一枚絵に映るという。

その意味が、少しだけ分かったような気がした。

 

そんな一年。

カルデアでの観測では向こう数年滞在が可能という事だが、具体的な数字ははじき出されていない。

既に一年が経過した以上、もしかしたら明日にでもその時は来てしまうかもしれない。

 

それはもう、どうやっても抗えないものであることをマシュは知っている。

少なくとも今のカルデアの技術では、流されようとする自らの存在を固定し続けることはできない。

いつかは何らかの方策は見つかるかもしれないが、現状では“ない”のだから。

 

そのことをマシュはよく理解しているし、これまでに何度も繰り返してきたことだ。

だがそれでもあと二年、あと二年だけで良いからと……そう、願わずにはいられない。

 

(叶うなら、どうか皆さんと一緒に卒業を迎えたい。贅沢な願いなのかもしれない。でも、わたしはそれでも……この人たちと一緒に、この学び舎を巣立ちたい。私は確かに、それを望んでいる)

 

ほぼ同年代の年齢の少年少女たちだけで構成されたコミュニティに身を置いたのは、初めての経験だった。

外交的であり能動的な彼女だが、生来の弱気さもありどう立ち振る舞えばいいかわからず、初めて尽くしの「教室」で立ち尽くしていたのは記憶に新しい。

しかし、クラスのムードメーカー的な少女が率先して話しかけてくれたことに救われた。

後から知ったことだが、日本では外国人の同級生と言うのは珍しく、件の少女も相当な勇気を振り絞ったらしい。

そんな初めての“学友”への感謝の念は、きっと生涯忘れない。

 

彼女がきっかけとなり、よく話し遊びに出かける友人ができた。

クラス全員と打ち解けたとは生憎言えず、ほとんど話したことのない生徒も少なくない。

特に男子とは、なかなかうまくコミュニケーションが取れないのが目下の悩みだ。

 

(あとどれだけここにいられるかはわかりませんが……必ず皆さんと打ち解けて見せます! 単一民族の国である以上、人種の違う私は遠巻きにされてしまうのは仕方ないのでしょう。ですが、それでも!!)

 

胸の内で誓いを立て、自らを奮い立たせる。

だが、世間慣れしていない彼女は知らない。

自らが秘かに……実は割と公然と校内で“三大女神”と呼ばれ、男子生徒たちの憧れの的になっていることを。

上手くコミュニケーションが取れないのは、偏に彼らがマシュに話しかけられてもドギマギしてしまうからだという事も。

ついでに、彼女に“大学生の恋人がいる”という噂があることも。

そんな彼女の勘違いを知ってか知らずか、教室の戸を開いたマシュに今日も元気な声がかかる。

 

「おっはよう! マシュマシュ!」

「はい、おはようございます鈴さん」

「うんうん、今日もマシュマシュはフカフカだねぇ~」

「っ!」

 

激しい戦いの中で培われた勘……ではなく、某ヒゲ面ダメ人間のせいで養われた女の勘が身の危険を告げる。

マシュは咄嗟に身を引きつつ腕で身体…具体的には胸元をガード。

 

「むむっ……マシュマシュは相変わらずガードが堅いなぁ」

「鈴さん、手つきがいやらしいです」

「え~、こんなのただのスキンシップだよスキンシップ~」

「鈴、目が完全に危ない人になってて説得力ないよ。マシュちゃんをあんまり困らせないの」

「ぶ~、エリリンまでそんなこと言って~」

「ありがとうございます、恵里さん」

 

ホッと一息ついたマシュに、中村恵里はなんとも微妙な表情を浮かべている。

一見すると困った親友への呆れと、迷惑を被った友人への気遣いの混合物に見える。

だが、とにかくひたすらにキャラの濃い連中との対人経験が豊富なマシュは、その表情に引っ掛かりを覚える。

 

(なんでしょう? 恵里さんの表情が時々……作り物めいて見えてしまう。気のせい、でしょうか?)

 

微かな悩みを抱えたまま、比較的仲の良い女子生徒たちとあいさつを交わしながら自らの席に足を運ぶ。

カバンを開き、支度を済ませている間も思索を巡らせるが、答えは出ない。

いっそのこと、人を見る目にかけては怪物染みている関係者に見てもらうべきかとも思うが、それは流石に大事にし過ぎだと自戒する。

というか、某童話作家に引き合わせたりしたら、かえって大変なことになりそうだ。

人を見る目があり過ぎる上に、とにかく徹底的にコキおろすのは如何なものか。

 

とはいえ、そんな思索も長くは続かない。

落ち着いたころ合いを見計らって、次々に女子生徒たちが集まってくる。

三大女神の内、二人は基本的に一緒にいる上に、爽やかな笑顔が眩しいことこの上ないイケメンまでいると来た。

なんというか、結構近寄りがたく感じる時もあるのだろう。

 

その点、マシュは常に特定の誰かと一緒にいるわけではない。

人種が違う事で近寄りがたく感じたこともあったが、それも一年経てば何のその。

むしろ、世間慣れしていないせいか放っておけない雰囲気があるので、「みんな(女子)でマシュを男子から守ろう」みたいなノリすらある。加えて……

 

「それでマシュさん、休みの間はどうしてたの?」

「ほらあの、コンビニとかでバイトしてる先輩さんとは最近どう?」

「わ~、良いなぁ! 私も素敵な彼氏とかほしぃ~♪」

「確か、同じマンションなんだよね。もしかして、よく部屋に通ってたりするの! キャー♪」

 

まぁ、そんな感じで噂の恋人の話が聞きたくて仕方がねぇのである。

ただ、それだけではなく他にも……

 

「ねぇねぇ、花屋でバイトしてるお兄さんと知り合いなの? 良かったら紹介して、お願い!」

「そういえば、料理を教わってるって言ってたあの黒い人、この前お婆さんおんぶして歩道橋渡ってたよ。今時いるんだねぇ、あんな人」

「それより私はこの前一緒に買い物してたっていうお姉さんが気になる! 素敵だよねぇ、若奥様って感じで」

「う~ん、私はむしろあの三つ編みの金髪美人が気になるかなぁ。銀髪のカッコいい人と一緒にいたんだけど、もしかしてあの二人って恋人? 友達がさぁ、失恋したぁってしょげてるのよ」

 

とか、

 

「ところで、大丈夫? なんか付きまとってる人がいたでしょ?」

「ああ、あの人。ちょっと年上だけど、カッコいいよあの人」

「でも私、この前あの人が他の人に声かけてるの見たよ、駅前で」

「あ、私、本屋でナンパしてるの見た。どう見ても結婚してますって人」

 

などという、マシュのちょっとよくわからない交友関係の広さが話題になることが多い。

ちなみに、この話が出たあたりからマシュの機嫌が急速に下降していく。

いや、機嫌が悪くなるというよりも、目が一瞬で氷点下に突入するのだ。

ここにはいない誰かに向けて、心からの軽蔑の念を送りながら。

 

で、全っ然関係ない話なのだが、とあるデパートで見目麗しいご婦人(既婚者)にさらっとコナをかけつつ、ツレの赤髪の優男と「人妻いいよね」「いい」とか無言の会話していた時、某湖の騎士が「違うんだ、誤解だ!」と突然叫んだりしたとか。

まぁ、心の底からどうでもいい事だが。

 

そんな具合に、それなりに楽しく、時にあまり愉快ではない話題で盛り上がっていたところへ、お世辞にも品が良いとは言えない笑い声が教室内に響く。

思わずマシュを含めた女子生徒たちがそちらへ視線を向けると、そこには一人の男子生徒がいた。

 

(あれは……)

「あ、南雲だ」

「ま~た白崎さんに面倒かけてるわよ」

「なんで直そうとしないのかしらね、どういう神経してるのよ」

「白崎さんも、なんだってあんなオタクに……」

 

視線の先には、南雲と呼ばれたハッキリ言ってしまえばパッとしな、冴えない少年がいた。

周囲の皆の彼に向ける視線、態度、言葉共に友好的な成分は皆無。

男子の中には舌打ちする者や睨む者もおり、女子の中からも侮蔑の視線を向ける者がいる。

 

ただ、マシュにはその意味がよくわからない。

いや、僅かに漏れ聞こえる「オタク」の意味は分かるし、彼らが南雲少年の正面に立つ後ろ姿しか見えない少女……白崎香織が理由で反感を持っていることも分かっている。正確には、香織の気遣いを受けても少年……南雲ハジメの行動に改善が見られないせいらしい。

 

ただ、それらの事実と彼らの感情がマシュの中では結びつかない。

言ってしまえば、ハジメは「オタク」なだけだし、香織がハジメに話しかけるのは彼女の自由意思で、それをどう受け取るかもハジメの自由意思に過ぎない。

多少避けている風ではあるが、無碍に扱うというほど扱いが悪いわけではないし、香織の方にも不快感はないのは明らか。ならば、あとはもう当人たちの問題の筈だ。

 

(なのに、なぜ皆さんは南雲さんに手厳しいのでしょう?)

 

心の底から首をかしげるマシュ。

彼女は知っている、世の中には本当の意味で“どうしようもない”相手がいることを。

彼女は知っている、人と人がわかり合うのは難しく、一筋縄ではいかないことも多いことを。

まぁ彼女の場合、一般人を相手に比較対象とするには問題ばかりの連中が思い浮かぶので、これはこれで不適切と言わざるを得ないのだが。

 

だが気付けば、いつの間にかハジメの周りにはさらに人が増えていく。

 

一人は凛々しい少女……八重樫雫。

 

一人は甘いマスクの少年……天之河光輝。

 

一人は熊の如き体格の少年……坂上龍太郎。

 

三人が三人とも、校内でも指折りの有名人たちだ。

ただ、男子二人からの受けはあまり良くないらしく、何やら苦言を呈されている。

代わりに、雫の方からは何やら苦労性の気配が滲んでいた。具体的には……

 

(いつもながら、エミヤ先輩を彷彿とさせますね、八重樫さんは)

 

性別も年齢も何もかも違うし、似た点を探す方が外見的には難しい。

ただこう、雰囲気と言うかなんと言うか、面倒ごとを背負い込もうとするところが、某オカンあるいはメシ使い、または家政夫ととてもよく似ている気がする。

 

(あ、そういえば……)

 

とそこで、マシュは一昨日のちょっとした出来事を思い出す。

些細なことではあるが、だからと言ってなかったことにするマシュではない。

まだ感情の機微……と言うほどのものでもないが、この年代特有の幼さに慣れていないマシュは席を立つと、まっすぐハジメの元へと向かう。

そして、何やら真顔で苦言を呈する爽やか少年に、妙にずれた返事を返す香織を尻目にさらっと用件を伝えた。

 

「おはようございます、南雲さん」

「ぇ? お、おはようキリエライトさん」

「先日紹介していただいた小説、大変興味深い内容でした。また、おすすめの本がありましたら教えてください」

「あ、うん」

「ありがとうございます。それと、そろそろ席に着いた方がいいですよ。もうじき予鈴がなる時間です」

「そう、みたいだね」

 

伝えるべきことを伝えたので、さっと踵を返すマシュ。

しかし、振り返ってみればなぜか妙に静まり返った教室と学友たちが彼女を出迎えた。

 

「みなさん、どうかしましたか?」

 

皆の反応の意味が分からず、首をかしげて見せる。

だが、これと言った返事は返ってこない。

それを不思議に思いつつ、マシュはそのまままっすぐ自分の席へと戻っていった。

ただし、その後ろでは……

 

「ま、マシュちゃん! え、南雲君と何があったの!?」

(あ~、この子はまた暴走しなきゃいいけど……)

 

ぽか~んとする周囲を尻目に、「トンビに油揚げを持ってかれた!?」とばかりに動転する香織と、そんな彼女の勘違いに呆れる雫の姿があったとさ。

 

 

 

そんなこんなで時間は過ぎ、なぜか周囲から「南雲に何されたの!?」「大丈夫だった!」と、的外れな心配をされたりしつつ、時刻は昼。

弁当組に属するマシュは、鈴をはじめ仲の良い友人たちと一緒に机を囲みおしゃべりに花を咲かせていた。

 

「わぁ♪ 毎日のことだけど、キリエライトさんのお弁当キレイ!」

「ホントだよね、その上野菜多めでバランスも良いし」

「ねぇマシュマシュ、今度鈴にも……」

「鈴、流石にそれはちょっと」

「いやぁ、でもうちのママのより断然美味しそうだもん、その気持ちはわかる」

「「「「確かに」」」」

「そ、そうでしょうか? 盛り付けも味付けも、まだまだだと思うのですが」

「え~、マシュちゃん理想高過ぎぃ」

「こりゃ彼氏さんは幸せ者だねぇ~」

 

マシュとしては、自信を持てるのは栄養バランス位なので、皆の評価に恐縮しきりだ。

まぁ彼女の場合、目標が家事の達人である紅い弓兵なので、無理もないのだが。

実際、自作の弁当を一口食べた感想と言うのが……

 

(……やはり、まだまだです。なかなかエミヤ先輩やブーディカさん、キャットさんのようにはいきません。

 先輩にお弁当を作るのは、まだ先ですね)

 

自身が納得のいかないものを出すわけにはいかないという拘りでもあるらしく、そんなことを考えている。

外野から見れば、今でも十分売り物になるレベルなのだが……特に、マシュの手作り弁当となれば、男子あたりが月のお小遣いを全額突っ込みそうなプレミアがつくこと請け合いだ。

 

で、それはそれとして、教室の片隅では朝と似た様なやり取りが再開していた。

 

(南雲さん、また白崎さんや天之河さんに……)

 

距離があるとはいえ、色々な意味で人間離れした身体スペックを持つマシュにとってはこの距離でも会話の内容を拾うことは難しくない。

 

(昼食の内容について、のようですね)

 

とはいえ、マシュが変に口出しするのも良くないだろう。

理由こそよくわかっていないが、今朝の不自然な沈黙は自身に原因があることくらいはわかっている。

ただでさえどういうわけか立場の悪い彼に、余計な波風を立てるのは忍びなかった。

 

だがそこで、地震速報に偽装した緊急アラームが携帯端末から発せられ、マシュは弾かれたように立ち上がる。

 

「はい、マシュ・キリエライトです!」

『マシュ! 今すぐその場を離れるんだ! 説明は後、とにかく大至急!!』

「っ!? ですが、ここには……!」

「え?」

「マシュマシュ?」

「いったい、どうし……」

 

友人たちの存在により生じた、一瞬の逡巡。それが、運命を分けた。

端末から声が聞こえるのと前後して、足元が輝きだす。

 

(これは、魔法陣! でも、こんな形式は見たことが……!?)

 

古今東西の魔術に触れてきた彼女をして、未知の術式。

それだけで事の緊急性の高さは明らか。

しかし、彼女にはどうしても友人たちを見捨てて自分ひとりが逃げ出すことはできなかった。

 

その結果、マシュは脱出の機会を失ってしまう。

加速度的に増す魔法陣の輝きはやがて最高潮に達し、目を開けていることすらできなくなる。

 

(先輩!!)

 

声に出すことすら叶わず、マシュは友人たち諸共光に呑まれこの世界から消失した。




一応カルデアの調査で、この世界にも神秘が少なからず残っていることは判明しています。
また、局所的に空間の揺らぎがあることも観測済み。
ただし、現状大きな問題にもなっていないし、所詮異邦人の自分たちが関与することではないとして放置の方針。が最重要人物の一人であるマシュの失踪を機に、カルデアも本気になることに。

ちなみに、一部サーヴァントたちも息抜きがてら現代生活を満喫中。一部例外を除いたバーサーカーや色々と現代での社会生活に問題のあるサーヴァントはその限りではありませんが。
で、金髪三つ編みの美人さんと銀髪のイケメンのカップルと言うのは、言わずもがなでしょう。きっと、いつか必ず来てくれると信じています。個人的には三姉妹で取り合ったりして欲しいなぁ。長女は恋人として、次女は騎竜として、三女はトナカイさんとして、な感じで。


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第一章「蠱毒変生迷宮 オルクス」 副題「奈落のバケモノ」
001


第一章始まり始まり~。
結局やっちまった。
サクサク進めたいとか言っておいてこの有様。
ま、こうなると分かっていましたけどね。

早々に独自設定やオリキャラの影やら出てきますが、そういうものだと思ってください。


カルデアがいっそ“大人げない”レベルでありとあらゆる手練手管を用いて手に入れたマンションの最上階…からいくつか下。

ワンフロア丸ごと……どころか、5階分丸っと用いた仮設詰め所に、一人の青年が息を切らせながら飛び込んでくる。

ちなみに、なぜ最上階ではないかと言うと、一番上でないと納得しない奴がいる……と言えば、ご理解戴けるだろう。気位の高すぎる奴が多いのだ。ついでに、無駄に高い所が好きな奴もいる。まぁ、勝手に他所に住まいをこさえている連中もいるので、目の届く範囲にいてくれるだけ、まだマシな部類だったりするのだが。

 

「ダ・ヴィンチちゃん!」

「フォウ!」

 

青年……藤丸立香が室内に入ると同時に、白いふわふわとした生き物「フォウ」が飛び込んでくる。

立香はそれを危なげなく受け止めると、自らの肩に乗せ、あらためて視線を持ち上げる。

 

「ああ、お帰り立香君。バイトの方は無事抜け出せたようだね」

新シン(新宿のアサシン)が入れ替わってくれたから……って、そんなことよりマシュは!!」

 

マシュが籍を置く学校、それもどういうわけか彼女のクラスにピンポイントで発生した“揺らぎ”。

急ぎマシュに脱出を促したものの、結局は間に合わず、現在も彼女の消息は不明のまま。

時を同じくしてマシュがいなくなったと連絡を受けた立香は、急ぎバイト先を早退しようとするが身内(肉親)の不幸でもないこともあって認めてもらえなかった。

だが、カルデアの所長代理を務めるのは人類史上屈指の天才。レオナルド・ダ・ヴィンチ(万能の天才)がその程度の事態を予想していないわけがなく、変装に長けたアサシンを一人派遣してくれたおかげだ。

 

全く以てどうでもいい事だが、ある意味ではダ・ヴィンチを上回るであろう某名探偵はそれすらも読んでいたので、自分も変装とか得意なのに、傍観者に徹して「何。初歩的なことだよ、諸君」とか言って頼んでもいない解説をはじめ、職員一同から大変白い目で見られて株が大暴落していたりする。

 

「目下、キリエライト君の行方を捜索中だが……」

「正直、手掛かりは皆無に近いわ。何らかの魔術か、それに近い物による転移だと思うのだけど、未知の術式で追跡できないの。いまは警察に偽装して痕跡を調査しているけど、望みは薄いわね」

「そんな……」

「フォゥゥゥ……」

「ふむ、何をそんなに慌てているのかね。既に必要なピースは揃っているというのに」

「フォ!?」

「…………すみません、今ちょっとあなたのペースに合わせてる余裕ないんで、分かり易くお願いします」

 

これまでに数々の苦難を乗り越えてきた立香だが、流石に無二の相棒が行方不明とあっては心中穏やかではいられない。

適当に流しつつ必要なところだけ耳に入れる、というホームズとの付き合い方が実践できないくらいには。

そんな立香の普段はまず見られない苛立ちを感じ取ったのか、流石のホームズも今回は大人しくもったいぶることを辞めた。それでも、このセリフは抜かさないあたり筋金入りだが。

 

「何、初歩的なことだよ。確かにミス・キリエライトの行方は追えない。何しろ相手は未知の事象、今までのやり方が通用しなくて当然だ。だが、ここに一つ確かなものがある」

「……」

「そうとも。思い出してみたまえ、彼女は何者か。そして、君は彼女の何なのか。それさえわかれば……」

「だから! 分かり易く!! お願いします!!!」

「フォウ、フォ―――――ウッ!!」

 

一応、これでも彼にしてはもったいぶっていない方なのだ。

普段なら、もっと迂遠に、遠回しに、まるで渦巻のようにぐるぐると少しずつ確信に近づいていく。

しかし、今回は割と簡単に辿り着けるような言い回しをしているが、それでもやっぱりメンドクサイ事に変わりはない。

重ねて言うが、今の立香にそれに付き合う余裕はないのである。

 

「いやぁ、私が言うのもなんだとは思うんだけど、天才ってやつはホントどうしようもないねぇ」

「はいそこ! わかってるんだったらまぜっかえさない!」

(おぉ~、ホントに余裕がないぞ。これは、いよいよ二人の仲も進展するのかな?)

「ふむ、仕方がない。少々風情にかけるが……」

「カルデアのマスターが、令呪を以て……」

「わかった、マスター。いったい何を命令する気かは知らないが、落ち着き給え。

 君の令呪に強制力はない筈だが、いまは軽く自害させられそうな気がする」

「だったら、はやく……」

 

ハイライトの消えた無機質な瞳に、ホームズだけでなく職員一同が肝を冷やす。

 

「君はマスターでミス・キリエライトは君のサーヴァント。つまり、君たちの間には契約による繋がりがある。

 要は電波の逆探知と同じだ。君と彼女の繋がりを遡ることで、彼女の行方を追う。多少時間はかかるだろうが、これが現状最も確実な手段だろう。我々が君の迎えにアキレウス(最速の英霊)を向かわせたのは、現実問題としてミス・キリエライトの捜索に君が必要不可欠だったからだ」

「……今思い返すと、割と生きた心地がしなかった」

 

全サーヴァント中名実共に最速のアキレウスに抱えられて、最短距離を突っ走るのはいくらなんでも無謀過ぎた。

先ほどまでは必死だったので感覚がマヒしていたが、今になって足が生まれたての小鹿になっている。

 

「とにかく、そういうわけだから立香君。君は急ぎコフィンに入ってくれ。そこからマシュとのラインを遡ってみる」

「っ、お願いします!」

「フォウフォウ!」

 

勢い良く頭を下げ、一つ下のフロアに設置されているコフィンへと向かう。

当たり前のように、ちょっと生物学的にどう分類していいかわからない謎の小動物も肩に乗せたままだ。

そんな彼の背中を、ダ・ヴィンチをはじめとした仲間たちが暖かな視線で見送る。

 

「やれやれ、先ほどまであれだけ狼狽していたってのに、希望があると分かったら目の色が変わったね」

「まぁ、そういう子じゃなかったら人理修復なんてできやしませんでしたから」

「確かになぁ。微かな希望に縋る、なんて精神じゃ無理だった。微かな希望を必ず掴み取る、どうやって何か知るか……くらいでないと」

「私としてはいい加減少しは進展してほしいですけどね。初々しいのも見てて萌えますけど、流石に飽きてきましたから」

「おいおい……」

「まぁ、藤丸君が行方不明になったり、意識不明になったりすることはあっても、キリエライトさんがなるのは初めてだ。そういう意味で言えば、確かに何かが変わるかもしれないなぁ」

「実際いまの彼、男の顔してましたし」

「そうか? 随分前からそんな感じだったと思うが……」

「正確には、女のために戦う男の顔、ですかね。ほら、ラーマきゅんとか」

「いや、きゅんって……いまさらだが、お前そういう趣味か? さっきも、萌えとかなんとか……」

(はっ! しまった、つい!?)

「ほらほら君たち! そろそろ立香君がコフィンに入る。無駄話はあとだ。

 立香君の気持ちもわかるが、マシュは私たちにとっても大切な娘。なんとしても、取り戻すよ!」

「「「「はいっ!」」」」

 

 

 

  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 

 

 

人理継続保障機関フィニス・カルデアは、元々魔術の名門アニムスフィア家が創立した組織だ。

当然ながら、アニムスフィアの影響を色濃く受けている。

組織が掲げる目的だけでなく、様々な面でそれは散見されるし、人材育成についても同様だ。

 

生まれてからの時間の大半をカルデア内で過ごしてきたマシュも、その例に漏れない。

彼女が魔術を学んだのは約二年間。その間に師事した人物はアニムスフィアの魔術師ではないし、アニムスフィアが得意とする系統の魔術も修めていない。

 

とはいえ、ではその系統に関して全くの無知かと言えばそれも違う。

色々と複雑な事情のある恩師からは「まぁ、カルデアに属する上での嗜みの様なものと思うと良い」として、それなりのことは教わっている。

そして、カルデアを創始したアニムスフィア家は魔術協会は時計塔に君臨する十二の貴族(ロード)の一つ。天体科を統べ、天体運動を研究し司る魔術師だ。

 

そのため、マシュも地球上であれば星図なしで星座を見つけるくらいのことは分けない。

逆に言えば、そんな彼女が星空を見上げ……星座を一つも見つけられないとなれば可能性は二つ。

一つは、遥かな過去かいつかの未来……いずれにしろ、21世紀の地球からはかけ離れた、悠久にも思える星々の瞬きが変化するほどに遠い時代である場合。

もう一つは、ここがそもそも……地球ですらない場合。

 

何が言いたいかと言えば、今彼女が置かれている状況は“そういう”ものだという事。

 

「やはり、見つからない……やっぱりここは、私の知らない空の下なんですね」

 

自分でも往生際が悪いと分かってはいるが、流石にそう簡単には飲み下せそうにない。

様々な特殊事象を経験し、遥かな時の彼方や全くの別世界にすら踏み込んだことがある彼女にとっても、これは青天の霹靂だった。

 

いや、引き起こされた結果だけを見れば、似たような事態は過去の経験の中にもある。

問題なのは、自分たちの足で踏み込んだわけではないこと、極めて善良な一般人であるクラスメイト達も一緒であること、なにより……

 

「先輩、私どうしたら……」

 

彼女が誰よりも信頼する藤丸立香(マスター)がいないこと。

任務の中ではぐれたりすることはあれども、初めから引き離されたことは流石にない。

それが彼女の不安を掻き立てる最大要因だった。

 

未知の魔法陣から放たれる光に目を覆い、次に開いた時にまず飛び込んできたのは見慣れた教室ではなく巨大な壁画。

待ち構えていたように姿を現した法衣の集団から進み出たうっかり駄女神(イシュタル)と同じ名の老人の言を信じるなら、ここは「トータス」と言う名の異世界らしい。

 

(先輩も、こんな気持ちだったのでしょうか?)

 

マシュが一人で特殊事象に関わるないし巻き込まれることはなかったが、その逆のパターンは何度かあった。

立香はその全てにおいて持ち前の図太さを発揮し、マシュたちもいつの間にかそれが当たり前になっていた。

 

だが、いざ自分が同じ状況に放り込まれて、改めて立香の肝の据わり具合、神経の強靭さを思い知る。

いつとも知れない時代の、どことも知れない場所に、孤立無援でいることのなんと恐ろしい事か。

 

 

―――いったいどうすれば帰れるのだろう。

 

――――――いったいこれから、どう立ち回ればいいのだろう。

 

―――――――――いったいいつになれば立香(マスター)に、仲間たちに会えるのだろう。

 

 

―――――――――いつも軽妙な言い回しで不安と緊張を解きほぐしてくれるダ・ヴィンチはいない。

 

――――――いつも共に戦ってくれる頼もしき英霊たちはいない。

 

―――いつもマシュを励まし、支えてくれる立香(先輩)はいない。

 

 

分からないことばかり山積みで、あるものよりないものの方が圧倒的に多い。

個々に一室ずつ与えられた、天蓋付きベッドと華美ではないが確かに高級品とわかる家具で纏められた豪奢な部屋が孤独感を際立たせる。

 

 

場違いとしか思えないような城の中でも、違和感と緊張感を抱く程度で済む。

 

獣や賊どころか、怪異や魔獣が跋扈する森での野営には慣れている。

 

高度200メートルからパラシュートなしで放り出されたこともある。

 

一呼吸するだけでも体を蝕む空気自体が毒のような環境も知っている。

 

しかし、こんなこと(孤独)は初めてだ。

 

(いいえ、それでも私にはまだクラスメイトの皆さんがいる。私は、一人(孤独)じゃない。

 先輩は、たとえ一人でもあきらめなかった、絶望しなかった。

 足搔き続けて、歩き続けて、ちゃんと私たちのもとに帰ってきてくれた。

 なら、私もやらないと。私は、先輩のサーヴァントなんだ!!)

 

かつて、立香が乗り越えた過酷な状況を思えば、こんなことで根をあげてはいられない。

帰るために。もう一度、あの手を握るために。今できることをしよう、そうマシュは自分自身に言い聞かせる。

 

(ふぅ……すこし、落ち着きました。

 ですが、考えれば考えるほど状況は良くありません。

 確かに、選択肢は事実上ないに等しいとはいえ……)

 

イシュタルと名乗った老人から聞かされた話は以下の通りだ。

 

一つ、召喚したのは彼らではなく、エヒト神なる存在によるもの。

一つ、この世界には人間族の他に魔人族や亜人族がおり、それらとは別に魔物と呼ばれる存在もいる。

一つ、そのうちの魔人族が魔物を使役し、人間族は滅びの危機に瀕している。

一つ、エヒト神はそのための救世主として、マシュたちを召喚したらしい。

一つ、人間族を救えば、エヒト神もマシュたちを地球に帰してくれるかもしれない。

 

およそ、重要なのはこのあたりだろう。

 

(いえ、あと一つ。どうやら、この世界はまだ神権政治に近い政治体制を敷いているという事。

 神の言葉は王の言葉より重い。それは、城に入った私たちを国王様たちが“立って出迎えた”ことから間違いないでしょう。つまり、人間族側の実質的な支配者はエヒト神であり、教皇はその代理人の様なもの)

 

これは、場合によっては非常に危うい。

マシュたちを呼び出した存在は、少なくとも人間族側の領域では絶対的という事だ。

エヒト神の批判はおろか、その神意を疑うようなことを口にするだけで袋叩きにされかねない。

一応「神の使徒」として扱われるようだが、「相応しくない」と判断されればどうなることか。

帰る手段を失うどころか、この世界に居場所がなくなる可能性も高い。

 

(言動には、細心の注意を払うべきですね)

 

人間族も危機的状況なので、そうそう切り捨てられたりはしないだろうが……神の思考は人間のそれとはかけ離れていることを、マシュは神霊系サーヴァントたちとの交流の中で知っている。

どれほど絆を結び、信頼関係を構築しようとも、「全く別の存在」であることも事実なのだ。

何がきっかけで神の不興を買うかわからない以上、注意し過ぎるという事はない。

 

(調べることが多いですね。エヒト神のこと、魔人族のこと、それに今日までの歴史も。

 ダ・ヴィンチちゃんたちのバックアップの心強さが、身に沁みます)

 

エヒト神がどういった神格なのかわかれば、地雷の位置もわかるかもしれない。

何より、戦う事になるであろう魔人族が一番の問題だ。

魔人族の詳細と彼らとの歴史がわかれば、この戦争の原因がわかるかもしれない。

相手が何を目的としているかが分かれば、落としどころを見つけることもできるかもしれない。

 

(まさか、魔人族の殲滅なんて馬鹿なことは考えていないでしょうし……)

 

人間族存亡の危機とイシュタルは言っていたが、マシュは多少の誇張があると思っている。

多種族と考えると話が大きくなるが、魔人族も人間族も民族の一種と考えれば分かり易い。

一つの民族を丸ごと根絶やしにするなど、現実的ではないし何より非道に過ぎる。

長く争っているとはいえ、同時に長くこの世界で生き続けてきた隣人でもあるのだ。

黒人と白人の歴史からもわかる通り、些細な違いでも差別と排斥を生み、両者に深く広い断絶を生むだろう。

しかし、長い時間をかけてそれらを根絶は難しくても、隔たりを埋めていくことができることもまた、歴史が証明している。

生きるか、滅ぶか。そのどちらかしかなかった、マシュたちが経験してきた戦いとは根本的に異なるのだ。

 

「当面の問題は、この世界について調べることと皆さんのこと。

 一応の意思統一がされているのは良いのですが……」

 

帰れないだけではなく、戦争に駆り出されるとなれば、平和な日本で生きてきた彼らがパニックになるのは無理もない。

それを早い段階で治めることができたのは僥倖だ。天之河のカリスマ性のおかげだろう。

 

とはいえ、手放しに喜べる状況かと言えばそうでもない。

今のところ、エヒト神に縋るしか帰還する手段がない以上、人間族の救済のために戦う以外の選択肢はないも同然だ。そのために一致団結できる下地ができたのは良いことだろう。

意思統一が為されず、それぞれが好き勝手に動いては(いたずら)に混乱と不和を招くだけだ。

 

だがそれは、所詮「最悪ではない」と言うだけに過ぎない。

いったい、クラスメイト達のうち何人が自分たちがこれからすることを理解しているだろう。

唯一共に召喚された大人である畑中愛子は「ダメですよ~」と訴えていたあたり、オロオロしつつもその意味を理解していたように思えるが、生徒の大半は「帰還」と言う希望に目が眩み、その場の勢いに流されてしまった感がある。

 

彼らが駆り出されるのは魔“人”族との戦争であり、戦争であるからには“人を殺す”のだ。

 

そして、命を落とすのは敵ばかりではない。場合によっては、仲間を失うことだってあり得る。

 

マシュは、仮にもマスター候補主席として訓練を受けていた身であり、既にいくつもの実戦を経験している。

当然、この二つのこともすべて承知している。

 

しかし、彼らは違う。専門の訓練を受けていないし、もちろん実戦の経験もない。せいぜい、街の喧嘩やルールのある試合が限度だろう。

いったい、彼らはどのタイミングで自分たちがしようとしていることに気付くのか。

最悪のタイミングで気付くことになれば、それこそ取り返しのつかないことになる。

 

「いっそのこと、多少私の素性を明かしてでも注意喚起をすべきでしょうか? いえ、でも……」

 

客観的にそれを裏付けるものを、今のマシュは持ち合わせていない。

仮に皆に対し「私は戦闘訓練を受け、実戦も経験済みです」と言いだしても、錯乱していると思われるのがオチだろう。その程度のことは、容易に想像がつく。

 

では、素性を明かさずに指摘するのはどうか。

こちらも、効果はあまり期待できない。マシュは人種が違う事もあって目立ちはするが、クラスの中心人物と言うわけではなく、影響力がある方ではない。

 

というより、効果があるのも考え物だ。

良くも悪くも、「人間族を救えば帰れる」「そのために戦う」この二つが彼らの心を支えている。

それを迂闊に挫けば、結局は収拾のつかない混乱を生み出すかもしれない。

 

(混乱を防ぐためにも、ある程度の意思統一は必要。かといって、今の精神状態で戦争に参加するのは危険すぎます。妥協案としては、戦争に参加するまでの間に徐々に気付いていくこと。

 でも、それが上手くいったとしても問題が残ります。果たして、皆さんに人を殺させていいのでしょうか……)

 

帰るためには戦争に参加するしかなく、戦争に参加するからには人を殺すことになる、あるいは自分か仲間が死ぬ。

これはもう、切っても切れない関係だ。

仕方がないと言えば、それまでのこと。現状では、そもそも選択肢がないに等しいのだから。

 

しかし、マシュは知っている。

彼らがどこにでもいる、ありふれた、善良な人々であることを。

気怠そうに教室で授業を受け、他愛のない話で盛り上がり、些細なことで笑顔を浮かべ、放課後になれば愚痴をこぼしながら帰っていく。

そんな面白みのない平和な日常を生きてきた人たち。

 

その、なんと尊い事か。

どこにでもある、ありふれた日々…………素晴らしい。

面白みのない平和な日常…………結構なことだ。

 

いったい何の問題があるだろう。

彼らは人を「殺せない」のでも「殺さない」のでもない。そもそも、そういう機会のない世界で生きてきた。

その幸運を、その奇跡を、蔑ろにしていい筈がない。

 

「なんとか、皆さんが戦わずに済む方法があれば……」

 

そんな、自分でもあり得ないと分かりきっていることを夢想せずにはいられない。

かつて立香が魔術の素人で、マスター候補の中でも補欠でありながら人理修復のために戦い続けたように、彼らは「生きる」ために、「帰る」ためにそうするしかないのだ。

 

だが、マシュは知っている。

立香がその実、過酷な闘いの日々にどれほど心身をすり減らしていたことか。

そうするしかなかった。しかし、それは何の気休めにもならないし、救いにもならない。

 

降りかかる負荷は、着実に積み重なっていく。

それを誰よりも傍で見ていたし、自分自身もそうだった。

 

だからこそ、彼らには別の道をと望まずにはいられない。

 

 

 

  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 

 

 

結局、良い考えなどそう都合よく降りてきはしない。

色々と経験豊富なのと若さのおかげで多少の寝不足は苦にもならないのが、今回は幸いした。

 

睡眠時間二時間ほどにもかかわらず、マシュはそうと感じさせないいつも通りの様子で、早速始まった訓練と座学のための、言わばオリエンテーションの様なものに参加していた。

まず生徒たちに配られたのは、12センチ×7センチ位の銀色のプレート。

 

微かに魔力の感じられるそれを、生徒たちは不思議そうに角度を変えて観察したり、軽くたわませてみたり、中には舐めたり匂いを嗅いだりしている者もいた。

そんな生徒たちに対し、騎士団長メルド・ロギンスが説明を始める。

本来こんなことは文官か、精々中堅の騎士団員あたりに任せれば良さそうなものだが、豪放な性格の持ち主らしく、公然と「面倒な雑事(書類関係)を副長に押し付ける理由になった」と呵々大笑していた。

 

「よし、全員にプレートは持ったな? こいつはステータスプレートと呼ばれる、自分の客観的なステータス……要は力だの早さだのを数値化してくれるものだ。

最も信頼のある身分証明書でもあるから失くすなよ。何しろこいつがあれば迷子になっても平気だからな」

 

軽く冗談を交えて説明するメルドに、チラホラと「ならねぇよ」や「子どもじゃあるまいし」と言った声が返ってくる。

如何にも歴戦の勇士と言った風貌に普通なら緊張しそうなものだが、「これから戦友になろうってのに何時までも他人行儀に話せるか!」と、部下だけでなく生徒達にまで言い放ったのが良かったのだろう。

うまい具合に、肩の力が抜けている。

 

「プレートの一面に魔法陣が刻まれているだろう。そこに、一緒に渡した針で血を一滴垂らす。それで所持者が登録され、ステータスが表示されるようになる。

ああ、原理とか聞くなよ? そんなもん誰も知らないからな。神代のアーティファクトの類だ」

(神代のアーティファクト(人工遺物)……聖遺物や概念武装の様なものでしょうか?)

「アーティファクトはまだ神やその眷属達が地上にいた神代に創られた魔法の道具のことだ。

現代じゃ再現できない、強力だったり特別だったりする力を持った貴重品だぞ。

ま、ステータスプレートの場合、複製するアーティファクトと一緒に昔からこの世界に普及しているものだから実感は薄いかもな。普通、アーティファクトと言えば国宝になるもんなんだが、これは一般市民にも流通している。身分証に便利だからな」

(なるほど……キャスターの皆さんや、エミヤ先輩なら何かわかるかもしれませんね)

 

片や魔術の方面で人理にその存在を刻んだ超人たち(一部例外あり)、片や贋作者(フェイカー)とも称される異端の投影魔術師。彼らなら、同じものを……とはいかなくとも、何かしらのヒントは見つけ出せる気がする。

 

まぁ、それはともかく。

生徒のほぼ全員が顔を顰めながら指先を針で刺していく。中には、思い切りが悪く何度も行ったり来たりするもの、刺さりが浅くやり直す者もする者もいるが、マシュに躊躇いはない。

浮き上がった血を魔法陣に擦りつけると、魔法陣が淡く輝き、表示された内容に目を通していく。

 

マシュ・キリエライト 17歳 女 レベル:1

天職:守護者

筋力:70

体力:80

耐性:150

敏捷:40

魔力:100

魔耐:150

技能:諞台セ晉カ呎価・魔力操作・毒耐性・呪詛耐性・全属性耐性.・物理耐性・言語理解

 

サーヴァントのステータス表記にも似ていることから、あまり違和感はない。

表示がA~Eなのか、それとも数字なのか程度の違いだ。あとは、それなりに個人情報が載っているのと、スキルに相当する技能という欄があることくらい。

天職と言うのは、サーヴァントで言うところのクラスのことだろう。

 

(天職は…………守護者、ですか。ステータスも耐性と魔耐重視、次に魔力と体力が来て、筋力そして敏捷。

 概ね、サーヴァントとしての私のステータスとバランスは同じですか。ただ、この数値が高いかどうか……高いもので150、低いものは40。果たしてこれは、どの程度のものなのでしょう? まぁ、『耐性』という技能が四つあるというのは、私らしい気もしますが)

 

ステータスのバランス、技能の種類共に、彼女のクラスがシールダー(盾兵)であることを思えば納得の構成だ。

 

一言で言えば「堅い」! とにかく「堅い」!! ガッチガチに「堅い」!!!

 

大事なことなので、二回どころか三回言ってしまうくらいに堅いのだ。

ステータスのみならず技能には耐性系が四つも並び、一つは物理攻撃全般に効果を発揮し、一つは魔法全般を網羅している。代わりに、攻撃系の技能がないのがらしいと言えばらしい話だが。

恐らく、ギャラハッドの霊基が影響を及ぼしているのだろう。

ただ、問題が一つある。

 

(しかし、この文字化けしてしまっている『諞台セ晉カ呎価』とはいったい? 私の霊基が不安定なのと関係があるのでしょうか?)

 

この世界に召喚されてからと言うもの、どうにも霊基が安定しない。

サーヴァントとしての力が全く出せないわけではないのだが、とにかく不安定なのだ。

例えば、与えられた自室のベッドをコンディションの確認のため持ち上げようとしたところ、軽々と持ち上がる時もあれば、途端に支えきれなくなったりを繰り返していた。デミ・サーヴァントであり、身の丈を超える大盾を主武装とする彼女にとって、天蓋付きベッドを持ち上げるくらいは容易いはずなのに。

 

法則や規則性がないか試してみたが、それらしきものはとんと見られない。

一つはっきりと言えることがあるとすれば、基本的に本来の性能は発揮できず、僅かに霊基が安定した時だけ本来の力を発揮できるらしいという事だけ。

こんな有様では、とてもではないがデミ・サーヴァントとしての力を計算に入れて行動するわけにはいかない。

 

不幸中の幸いは、普通の少女レベルにまで力が落ちていないことか。

ただこれが、異世界に召喚されたことによる恩恵なのか、デミ・サーヴァントの力が僅かでも使えているのかは判断がつかない。

イシュタルによれば地球は「上位」の世界に属するらしく、下位世界に召喚されたことが影響している可能性もあるからだ。そもそも、そうでなければわざわざマシュたちを召喚する意味がない。

 

「全員問題なく見れたか? 何かあれば今のうちに言っておけ」

(問題はあるのですが……この場で言って良いものかどうか)

 

普通に考えれば、早いうちにこの文字化けについて確認するべきなのだろう。

ただ、マシュの特殊な境遇を考えると、馬鹿正直に伝えるべきかは悩みどころだ。

しかし、そんな彼女の葛藤を他所に、メルドはどんどん話を進めていく。気付けば、今更言い出せるような状況ではなくなっていた。

 

「説明するぞ……と言っても、そう難しいもんはないがな。まず、最初に“レベル”があるだろう? こいつは各ステータスの上昇と共に上がり、100が上限……つまり、その人間の限界だな。仮にレベル100に到達すれば、それはもう潜在能力を全て発揮した極地ということになる。ま、そんな奴はそうそういないが」

 

言ってしまえば、自身の潜在能力の限界に対して、どこまで到達できているかを数字で示しているという事だ。

ある意味、これ以上ないほどに分かり易い目安だろう。

 

「ステータスは日々の鍛錬で向上させるだけじゃなく、魔法や魔法具で上乗せすることもできる。

詳しいことはわかっていないが、魔力の高い者は自然と他のステータスも高くなる傾向があるな。このあたり諸説あるが、魔力で無意識に補助しているのではないか、という考えが一般的だ。

それと、後で装備を選んでもらうから楽しみにしておけ。何せ救国の勇者御一行だ。国の宝物庫大解放だぞ!」

(宝物庫……いえ、流石にギルガメッシュ王のそれに近いレベルを期待するのが間違っているのはわかっていますが、せめて盾だけでも良いものがあれば……)

 

なにしろ、今の彼女は武装を展開することすら覚束ない状態だ。

一晩試した範囲で最も霊基が安定した時ですら、展開できた時間は極僅か。

盾持ちであることにそれなり以上の誇りもあるし、なにより正真正銘命を預けることになるのだ、この点だけは妥協したくない。

 

その後も、メルドはステータスプレートに表記されている内容について説明していく。

“天職”とは身も蓋もない事を言ってしまえば「才能」であり、最後の項目である“技能”と連動しているらしい。ただ、天職があるから技能を得るのか、技能があるから天職が決まるのかは定かではないが。

天職持ち自体が希少であり、中でも戦闘系は千人に一人、ものによっては万人に一人という事もあるようだ。非戦闘系の場合も少なくはあるのだが、精々が百人に一人、十人に一人という珍しくないものもある。

ちなみに、技能は才能と言うだけあり先天的なもので、後から増えたりはしないとのこと。ただし、例外として「派生技能」と言うものがあり、一つの技能を長年磨き続けた末に、いわゆる“壁を越える”に至ることで取得する後天的なもののようだ。

 

ステータスについては見たままだが、大体レベル1の平均は10くらいとのこと。

なので、なるほどマシュのステータスは、軒並みこの世界では人間離れしているらしい。

 

そうして、今後の訓練の参考のためにと、ステータスの報告へと移っていく。

その中で分かったことだが、なにもステータスが異常に高いのはマシュだけではないようだ。

これで、マシュのステータスの高さがデミ・サーヴァントとは直接関係がない事がわかる。

まぁ、多少影響を与えるくらいはしているかもしれないが。

 

なにしろ、部分的にでもこの男のステータスに匹敵、ないし上回っているとなれば、クラスメイト達の中でも尋常ではないことは明らかだ。

その男と言うのが……

 

天之河光輝 17歳 男 レベル:1

天職:勇者

筋力:100

体力:100

耐性:100

敏捷:100

魔力:100

魔耐:100

技能:全属性適性・全属性耐性・物理耐性・複合魔法・剣術・剛力・縮地・先読・高速魔力回復・気配感知・魔力感知・限界突破・言語理解

 

これである。

まず、天職からして「勇者」と来た。その上、全てのステータスが綺麗に100。技能欄に至っては、全員に共通している「言語理解」を除けばマシュの倍の12。

いっそ胡散臭くなってくるくらいに飛びぬけている。

反面、魔力は同等、耐性と魔耐に至っては1.5倍だ。選ばれし勇者様さえも上回るとなれば、ギャラハッドの霊基の影響をまず考えるのは当然だろう。

 

とはいえ、メルド達からすれば期待通り……あるいは、期待以上の結果に満足する以外にない。

団員たちの中には、エヒト神に感謝の祈りを捧げている者までいる。

メルドですら称賛を惜しまない。自身のレベルが62であり、ステータス平均が300前後である以上、光輝の成長性によってはあっさり追い抜かれてしまう可能性が高いのに、だ。

 

まぁ、それだけ器の広い男という事の表れだ。

マシュとしてはこの手のタイプには些か心当たりがあるだけに、親近感すら湧いていたりする。

 

そのまま、各人のステータス内容の報告が進んでいく。

流石に光輝ほど満遍なく、あるいはマシュのように部分的にでも飛びぬけた者は少ないが、それでも全員が戦闘系であり、この世界基準で見れば十分に抜きんでていると言って良い。いわゆる“チート”という奴だ。

 

やがてマシュの順番が回ってくるが、結局文字化けしていることをどう誤魔化すか、上手い案は浮かんでこなかった。

だが、流石にこの状況でステータス内容を報告しないという選択肢はない。

絶対に怪しまれるし、不信感を持たれても困る。

仕方なく、マシュは内心で深く重い溜息をつきながらメルドの元へと歩みを進める。

 

「あの…………どうぞ」

「ふむ、どれどれ…… “守護者”か。治癒師が生命線なら、守護者は結界師に並ぶ守りの要だな。

おおっ! ステータスも頼もしい限りだ。お前がいるのといないのとでは、生存率が大違いだ、ろぅ……」

 

ステータスプレートの内容を読むにつれて視線が下がるが、やがてメルドの語尾が弱くなる。

まるであり得ない者でも見たかのように凍り付き、思わずと言った様子で息を呑む。

 

(やはり、文字化けするというのは普通のことではないのですね。最悪の場合、逃げ出すことも覚悟した方がいいかもしれません)

 

魔術協会では、奇跡とでも称すべきと希少能力を持つ魔術師に対し、「封印指定」というものが発令されることがある。これはその能力を永遠に「保存」するために、対象の魔術師を「貴重品」として優遇し、「保護」するというものだ。しかしそれは名目にすぎず、実際は一生涯幽閉し、その能力が維持された状態で保存する…言ってしまえば、ホルマリン漬けの標本にして飾るのとなんら変わらない。

サーヴァントたちとの関係構築能力があまりにも優れているという事で、サーヴァントとの交渉役、あるいは彼らを現世に繋ぎとめる楔として、立香を封印指定に……という流れがかつてあった。結局最終的には発令には至らなかったものの、一時は一部血の気の多いサーヴァントたちが「時計塔、逝っとくか?」な感じに猛り、あわや「全面戦争か!?」と肝が冷えるどころではなかった。

この世界でも似たような制度があったりする可能性を否定できない以上、マシュが逃亡を考えたのは無理もないだろう。

 

だが、ここで一つメルドとマシュの間に認識の齟齬があった。

マシュはステータスプレートの文字化けにばかり意識が言っていたし、まだまだこの世界の常識に明るくない。

故に、気付かなかった。自身の技能欄に並ぶ、あるいは「文字化け」という異常事態さえも上回る内容が記載されていることに。

なにしろ、彼女にとってそれが載っているのは当たり前のことだったから。

 

「あの、なにか」

「……いや、まさかそのナリで守護者とは、と思ってな。期待している。

 ああ、それと言い忘れていたが、ステータスの数値と技能は隠すことができる。このあたりは下手にバレると命に関わるからな。基本的には隠すようにしておけ」

 

自失は一瞬、メルドは即座に平静を取り繕うと、そう告げてプレートをマシュに返す。

それがかえってマシュの警戒感を煽ったのだが、とりあえずそのままプレートを受け取る。

 

(カサッ)

「?」

 

いつの間に返却されたプレートの陰に、折り畳まれた一枚の紙が添えられていた。

マシュが不審に思いつつメルドを見返すと、メルドは真剣な眼差しを向ける。

まるで「今は何も言うな」と訴える様に。

分からないことばかりだが、少なくとも一つ言えることがあった。

それは、メルドの目に敵意や悪意の類が感じられなかったという事。

 

(この紙は、部屋に戻ってから見るべきですね)

 

プレートと共にポケットに紙をしまい、マシュは今後のことを考える。

何が書かれているかは不明だが、その内容次第では身の振り方を考えるべきだろう。

とりあえずメルドのことは信用するが、それでも警戒を怠るわけにはいかない。

味方と思っていた相手が実は……という経験もあるだけに、当然の心構えだろう。

 

「マシュマシュは守護者かぁ……大丈夫? 聞いた感じ、前衛の盾役でしょ?」

「キリエライトさん、あんまり気が強くないし、無理しないでね」

「ありがとうございます、皆さん。でも、私も私にできることをしたいですから」

 

心配して集まってくる友人たちに、マシュは申し訳ない気持ちを押し隠して答える。

確かに戦うのは今でも怖いが、それでも「私がしっかりしないと」と言う思いもあるが故に。

 

そうしてステータスの報告はつつがなく進んでいくが、ある少年の所でストップがかかる。

マシュの時に一瞬表情を凍らせた以外、基本的にホクホク顔だったメルドが突然挙動不審になったのだ。

具体的には笑顔のまま「うん?」と首を傾げ、プレートを叩いてみたり、光にかざしてみたりしている。

やがて、見間違いでも誤表示でもないことをようやく受け入れたのか、ものすごく微妙な表情でプレートを返却して一言。

 

「まぁ、その……なんだ、強く生きろ」

「なんですかそれ!?」

「…………確か、ハジメだったな」

「はい」

「お前さんの天職“錬成師”だが、こいつは言ってしまえば鍛冶職だ。

 技能にある“錬成”で鉱物の形を変えたり繋げたりできる、加工に便利な天職だな」

 

歯切れの悪い説明だが、それも無理はあるまい。

協力無比な戦友を多数得たところに冷水を浴びた形……と言うのもないわけではないが、突出した能力を示す仲間たちの中に、明らかに一人だけ悪い意味で浮いた存在がどうなるか、想像がついてしまったのだろう。

説明すればするほどに、彼……南雲ハジメの立場が悪くなることがわかるだけに。

そして、その予想は全くうれしくないことに的中してしまう。

 

「お~い、南雲ぉ~。お前、鍛治職でどうやって戦うんだよ?

 足引っ張って仲間死なせるとか最悪じゃん。頼むぜ、マジでよぉ~」

 

以前からやけにハジメに絡んできていた「檜山大輔」が、ニヤニヤしながら嫌味ったらしく語り掛ける。

別に親しくもないのにわざわざ乱暴に肩を組んでくるのも、嫌がらせの一環だろう。

周囲を見れば、男子を中心にニヤニヤ嗤っている者が見受けられる。

 

もちろん、そうでない者もいる。

マシュの他にも、香織や雫などは顔に「不快」と大書されている。

 

「まぁ、出来る限りのことはやるつもりだよ」

「なら、ステータスはどうよ。天職がザコい分、ステータスで活躍してくれるって“俺”は信じてるぜぇ~」

 

信じていると言っているが、そのベクトルが真逆なのは明らかだ。

彼はハジメのステータスが低いであろうことを確信すると同時に、心から願っているのだろう。

 

ハジメはそんな大輔に、実に億劫そうな表情でプレートを渡す。

何をどうしたところでからまれるのだ。当然の反応だろう。

 

そして、初めのプレートを見た大輔は爆笑した。

それも、わざわざ内容を声高に読み上げるというサービス付きで。

 

「ぶっは! はははははは!! 何だこれ! オール10ってパンピーにもほどがあんだろ!」

「マジかよ! おい檜山、それ俺らにも見せろって!」

「わかったわかった、ほらよ」

「ぎゃははは~! うっわ、マジだ! ってか平均が10なんだから、場合によっちゃその辺の子どもより弱いんじゃね?」

「ヒァハハハ~、無理無理! 直ぐ死ぬってコイツ! 肉壁にもならねぇよ!」

 

取り巻きにプレートを投げ渡すと、内容を見た他の連中もハジメに嘲笑を浴びせる。

次々と笑い出す生徒に、いよいよ我慢の限界に達した香織が憤然と動き出す。その背後に、うっすらと陽炎のようなものが立ち昇っていることに気付いたマシュは、思わず一歩後退る。

香織の背後の陽炎を見るまでは、彼女同様憤然としていたマシュの頭を一瞬で冷やす迫力。

悪霊やゾンビに始まり、竜種とすら渡り合ってきた彼女をたじろがせるとは、彼女はいったい何者なのやら。

 

だが、香織の怒りが爆発するその前に、ウガーと怒りの声を発する人がいた。みんなのちっこい先生(マスコット)、愛ちゃん先生である。

 

「こらー! 何を笑っているんですか! 仲間を笑うなんて先生許しませんよ! ええ、先生は絶対許しません! 早くプレートを南雲君に返しなさい!」

 

ちっこい体で精一杯怒りを表現する愛子に、流石に毒気を抜かれたのかプレートがハジメに返された。

愛子がハジメを励まそうと歩み寄っていくのを見届けたところで、マシュは別の形でハジメを援護しにかかる。

ハジメが嘲笑されたのは、要はステータスが低く、天職も非戦闘系の中でも特にありふれたものだからだ。

 

その事実は覆らない。ならば、その有用性を明らかにすればいい。

ありふれた天職と言うが、それは言い換えれば「ありふれていなければ困る」という事だ。

鍛冶……すなわち、金属の加工は生活から軍事まで幅広く関わる重要な技術であり産業。

日本の町工場の加工技術が世界的に認められていることを知っていれば、軽視しようとは思わないはずなのだが。

 

そんな重要技術の担い手が千人に一人とか万人に一人では、正直お話にならない。

国が成り立たないとは言わないが、極めて不便な生活と貧弱な軍隊の出来上がりだ。

それこそ、緊急時にしか役に立たない下手な戦闘系天職よりも必要性・重要度共に断然上だろう。

 

(それをわからせる必要がありますね)

 

などと考えてしまうくらいには、マシュも怒っているのである。

 

「メルドさん、いくつかお尋ねしたいのですがよろしいでしょうか」

「うん? ああ、構わんぞ」

「錬成と言う技能は鉱物の加工が可能とのことですが、それはミリ単位、あるいはそれ以上の精密加工も可能なのでしょうか?」

「可能不可能で言えば可能だ。ただ、精密な錬成となると、相当な熟練者に限られるな。確か、そういう派生技能もあったと思うが……」

「南雲さんにできると思いますか?」

「わからん。わからんが……可能性は高いと思う。お前たちは誰もが抜きんでた力を持っている。ハジメの場合、それが“技術”と言う形で現れるのかもしれん。少なくとも、それが“絶対にない”と言える奴はいないだろう」

「同感です。私たちの世界でも、精密な加工技術を持つ人は国の宝として重要視されていました。南雲さんが精密な錬成をできるようになれば、私たちの世界の品々を作ることも……っ!?」

 

そこまで言ったところで、ふっとマシュはある可能性に気付いてしまう。

その可能性に戦慄し、マシュは思わず口を噤んでしまった。

 

(もし……もしも“アレ”がこの世界にもあるとしたら、南雲さんの重要性はこの場の誰よりも高いかもしれない。 彼はこの世界の技術を、文化を、戦争を“一変させてしまう”可能性がある!)

「どうした?」

「あ、いえ……なんでも、ありません」

 

一瞬確認すべきかとも思ったが、恐ろしくて聞くことができなかった。

 

マシュが思い至った可能性。それは、炸薬を用いた兵器の存在。

もしこの世界に火薬かそれに類するものがあり、ハジメが精密な錬成を可能にすれば、それらを作り出すことができてしまうかもしれない。

個人の力量に左右される部分の大きいこの世界で、誰が使っても一定以上の威力を期待できる近代兵器の存在はあまりに危険だ。銃が開発され、飛行機が発明され、地球の戦争はそれまでと大きく違うものになっていった。

それと同じことが、この世界でも起こってしまうかもしれない。

いや、一足飛びで強力な兵器を生み出せば、両者の勢力バランスを大幅に崩してしまうだろう。

そうなれば……

 

(魔人族の絶滅……それが、現実味を帯びてしまうかもしれない)

 

昨夜は現実的ではないと否定した種の絶滅。

銃火器などの存在だけでそれが可能になるわけではないが、それでも今よりよほど可能性があるように思う。

その考えに思い至ってしまったが故に、マシュはそれ以上口を開くことができなかった。

 

そんな彼女の内心を知ってか知らずか、周囲のハジメに向ける視線の色合いが少し変わっている。

“役立たず”“お荷物”と思っていた相手が、実は大きな可能性を秘めていることを知ったからだろう。

その意味で言えばマシュの企みは上手くいったと言えるし、香織や雫は僅かに溜飲が下がったらしく、しきりに頷いている。

ただ、そんな状況をマシュは手放しには喜べずにいた。

 

 

 

ちなみに当のハジメはと言うと、励まそうとした愛子にトドメを指されていた。

 

 

 

  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 

 

 

その日の晩。

マシュはメルドから渡されたメモに従い、人目を忍んで王城内を歩いていた。

メモには警備兵の目を盗むルートとタイミングや各人に付けられた世話役の撒き方が記されていたので、隠密行動が得意とは言えないマシュでも問題なく自室を抜け出すことができた次第である。

 

そうして歩くことしばし、白亜の柱の陰から聞き覚えのある声がかけられた。

 

「こっちだ」

「……」

 

声に従い柱の陰に向かえば、そこには周囲から見え難くなっている通路。

マシュは前を行く大柄な背中を追いかけ、やがて薄暗い部屋へと招き入れられる。

警戒は無論解いていないが、日中のやり取りもあり話だけでも聴くべきと言うのが彼女の判断だった。

 

「それで、私にいったい何の御用でしょう。メルド・ロギンス騎士団長」

「そう警戒するな……と言うのも無理な話だな。ま、見ての通り手ぶらなんだ。少しは安心してくれ」

「ムリです。あなたほどの騎士なら、私を絞め殺すくらい訳はないでしょう」

「まぁ、それはそうなんだが……」

「こうして、夜中にあなたと二人でいることが最大限の譲歩です」

「つくづくその通りだな。しかし、お前何者だ? あいつらとちょいと毛色が違うようだが」

「同じ学校の友人です。ただ、少し特殊な訓練を受けてはいますが」

「少し特殊、ねぇ。まぁ、そいつは良い。用ってのはお前さんのステータスについてだ」

 

本来は聞き流していい内容ではないはずだが、本題ではないことから今は流すことにしたらしい。

 

「……私のステータスが、何か? やはり、文字化けしているのが問題なのでしょうか?」

「文字化け? ああ、まぁそっちも厄介なことではあるな。ステータスプレートの故障なんて聞いたこともない。

 とはいえ、そっちを誤魔化すのは不可能じゃない。それこそ、『故障だ』の一点張りでも割と何とかなるだろ」

「? では、いったい……」

「俺が問題にしているのは、『魔力操作』の方だ」

「それが、なにか?」

「座学で聞いて違和感を持たなかったか? 本来、俺たちは魔力の直接操作はできない。魔力を使うためには、どれだけ適性があっても魔法陣が必要になる。これは、魔人族であっても例外じゃない。例外は…………魔物だけだ」

 

仮にも魔術の心得があるマシュは、当然魔術回路の開発も済ませている。

そのため、彼女にとって魔力そのものを操作するのは“できて当たり前”のことだった。

 

故に、認識に齟齬が生まれたのだろう。

今日知ったばかりのこの世界の常識は当然馴染んでおらず、それが問題だという意識が薄かった。

それよりも、これでもかとばかりに不審な内容があり、そちらに意識が持っていかれてしまったのもある。

 

「つまり、私は魔物として処理されるという事ですか?」

 

ここに一人で呼び出したのは、秘かに粛清するためか。

その可能性が頭をよぎるが、それにしては迂遠すぎる。

実際、メルドからは今もなお殺意の類が感じられない。

 

「いや、俺が言いたいのはそいつを誰にも見せるな、という事だ。幸い、今回のように指導するためでもない限り、基本的にステータスや技能は隠すのが常識だからな。見せなかったとしても、別に不審には思われんだろう」

「…………いいんですか? 私は」

「魔物と同じ、か? どう見たって俺たちと同じ人間だろう。大昔には先祖返りとかでそういう奴もいたらしいからな。とはいえ、今の人間族にそんな奴はいないはずだ。バレても、碌なことにはならんだろ」

 

魔力操作の秘密に迫るための人体実験、などぞっとしない。

マシュとしても、その忠告はありがたく受け止めさせてもらう。

 

「その……………ありがとうございます。それと」

「感謝は貰うが、謝罪ならいらんぞ。むしろ、当然の反応だ。

 あいつらは少しばかり警戒心が緩すぎる。お前さんみたいなのがいてくれた方が、俺としても安心だ」

「なるほど」

「用件はそれだけだ、明日も早いからな。もう戻って寝ろ」

「はい……」

「どうした?」

「いえ、一つだけ教えて欲しいのですが、あのメモはあらかじめ用意していたのですか?」

「まぁ、念のために…な。まさか本当に役に立つとは思っていなかったが」

「そうですか、重ね重ねご配慮ありがとうございます。それでは、失礼します」

 

最後に深く一礼して、マシュは部屋を後にする。

残されたメルドは、秘かに隠していた酒瓶を取り出すと器にも注がずに、そのまま煽った。

 

「ふぅ~……魔力操作、か。そういや、アイツはどうしてんだかな」

 

思い出すのは、かつて二度刃を交えた敵の姿。全身を漆黒の甲冑で覆った槍使い。

一度目は辛勝し、二度目は完敗した。生命があったのは、辛勝した時に命を見逃したから。

まぁ、それ自体は結果論でしかないのだが……それはともかく、完敗を喫した時言われたのだ。

 

「『これでいいのか』か。どうなんだろうな。アレから何度も考えたが、未だに答えは出ん。

 だが、あいつらは俺たちとは違う。だからこそ、その答えを見つけられるかも……ってのは、他力本願が過ぎるか」

 

もう一度酒を煽り、メルドは小窓から覗く月を見上げる。

きっと、両者はいつか出会う事になるだろう。

その時果たして、どのような答えが出るのだろうか。

あるいは答えなど、どこにもないのかもしれない。

 

「エヒト様、どうかあいつらの道行きにご加護を」

 

これから教え子となり、いずれ戦友となる者たちの未来を神に祈る。

その意味を、彼はいずれ知るのだろうか。それとも……知らずに終わるのか。

それは―――――――――――神にすらわからない。




タイトルが「ありふれ」側なので、章の主題や副題はFGO風にしてみました。
まぁ、なんというかオルクス深部とハジメのあれってどう見ても蠱毒にしか思えないんですよねぇ。



ちなみにいま開示できる範囲の情報はこんな感じ。

第一章「蠱毒変生迷宮(こどくへんじょうめいきゅう) オルクス」 副題「奈落のバケモノ」

第二章「永世枯渇領域(えいせいこかつりょういき)     」 副題「■■■女神」

第三章「人魔交錯■■ ■■■■■」 副題「悪しき魔人」

第四章「混沌蹂躙戦域(こんとんじゅうりんせんいき) フェアベルゲン」 副題「■■■」

第五章「神聖極光大戦(しんせいきょっこうたいせん) ■■■■」 副題「光を放つ者」

第六章「迷宮巡礼飛船(めいきゅうじゅんれいひせん) フェルニル」 副題「匠の業」

第七章「創世応報神殿(そうせいおうほうしんでん) エヒトルジュエ」 副題「創世神の目覚め」

終章「神話訣別世界(しんわけつべつせかい) トータス」 副題「誓いを此処に」

再構成を謳っている手前、原作とは動き方が変わります。
また、六章は唯一と言って良い緩い内容になる予定。
ま、書いてみないと分かりませんけどね。これ自体が嘘予告になる可能性も否定できませんし。
ただ、現状のプロットではこの流れで進むことになるかと。


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002

ほとんど表記はしていませんが、マシュは基本的に眼鏡をかけています。
眼鏡を取るのは、戦闘時や訓練時などだけです。なので、前話まではずっと眼鏡キャラだったと思っておいてください。
やっぱり、マシュには眼鏡か盾ですよね!


「ダ・ヴィンチちゃん」

「……」

「あんまりこういう事言いたくないんだけどさ」

「…………」

「マシュがいなくなってもう一週間経ったよね」

「……………………」

「良いニュースも悪いニュースも聞かないんだけど」

「…………………………………………」

「何か分かったことある? いや、状況……進んでる?」

「……………………………………………………………………………………てへっ♪」

「ウンウン、カワイイカワイイ……って誤魔化されると思うなよ!!」

 

自分の外見の良さを知り尽くした上での「てへぺろっ♪」に、遂に立香の堪忍袋の緒が切れた。

ここで殊勝な態度……は性格上在り得ないとしても、せめて真面目に答えてくれれば立香も「邪魔してゴメン」と素直に謝ったことだろう。

だが、返ってきたのは自分の外見の良さを知り尽くした上での「てへぺろっ♪」。

 

これには、流石の立香もイラっと来た……それどころか、堪忍袋の緒が弾け飛んだ。

頭の片隅では無理を言っていると自覚していたのだが、そのことに対する申し訳なさは最早ない。

それどころか、申し訳なく思っていたこと自体に腹が立ってくる。

 

「わ~、立香君が怒った~! 徹夜で頑張る美女になんて心無いことを! 見給え! 玉の肌はガサガサ、髪に艶はなく、目の下には隈がくっきり!! これでは百年の恋も冷めるというものだろう!」

「美女なのは否定しないけど、別にダ・ヴィンチちゃんに恋とかしたことないし」

「う~わ~真顔で言い切ったよこの子」

「だいたい、サーヴァントに睡眠不足も栄養失調もないでしょ。どっちも嗜好品同然で、なくても問題ないけど、あった方が良いものでしかないんだし」

「心の栄養は不足するのさ!!」

「うん、普段なら俺も美味しい食事と快適な睡眠を推奨するよ。俺で力になれるなら、いくらでも力になる。心の潤い、大事だよね」

「そうそう」

「ただし、あくまでも“普段”ならだから! いま非常事態だから!! カルデア始まって以来、最大の危機だから!!! マシュの安否とダ・ヴィンチちゃんの心の平穏なら、マシュ一択だから!! 悩む余地も時間もないから!! ダ・ヴィンチちゃんだってそうでしょ!」

「全く以て同感だけど、それでもはっきり言われるとなんか悲しいなぁコンチクショウめ!!

というか、そんなにマシュが大事なら、何でものにしようとしないかなぁ君は!」

「そ、そそそそそれはいま関係ないだろ~~~~~~~~っ!」

「フォ! フォ! フォ~ウ!(特別意訳:ヘ! タ! レ~!)

 

カルデア、絶賛迷走中。

過去の蓄積から、容易くとはいかないまでもそう時間をかけずにマシュの行方を追えると思っていたが、思いのほか手古摺っている。

 

「立香君、それに所長代理……ちょっと黙ってくれません?」

「私たち、もう五徹なんですけど?」

「俺たちサーヴァントじゃないからさ、分かるでしょ?」

シェフ(エミヤ)も頑張ってくれてるけど、とっくに限界さ…フ、フフ、フフフフフフフフフフフフフフ」

「ぁ、はい」

「私も悪かった。だから、そんな目で見ないでくれ。ちょっと息抜きしたかっただけなんだよぉ~」

 

仲間たちの良い感じに光のない据わった視線に、二人は抱き合う様にして震えている。

伊達に人理の危機を救った者たちではない。

その迫力は十分すぎるほどに歴戦の勇士だ。まぁ、今はその方向性がちょっとおかしなところに向いているが。

 

「……ゴホン。真面目な話、進展はないに等しいのが現状だ。確かに立香君とのパスは辛うじて繋がっているんだが、事実上『あることがわかる』程度でしかない」

「つまり、辿るためにはもっと別の何かが必要ってこと?」

「あればいいんだけどねぇ。だが、正直当てはない。ならあとは、今あるか細い繋がりをどう補強するかだ。

 マシュの方で何らかのアクションがあれば、あるいは」

「でも、確か今のマシュは……」

「うん。君との契約がこれだけ弱まっていると、霊基も安定しないだろう。これでは、とてもじゃないが望み薄だ。無理に力を使おうとすれば、どんな反動があることか……」

 

マスターはサーヴァントが現世にとどまるための要石なわけだが、その意味は大きい。

どれほど魔力に余裕があっても、マスターがいなければスキル「単独行動」でも有していない限り、ものの数時間で消滅してしまう。彼らは強力無比でありながらも、同時に極めて不安定かつ儚い存在なのだ。

 

それは、デミ・サーヴァントであるマシュであっても例外ではない。

肉の器があるおかげで消滅の危険こそないが、マスターの有無が与える影響はやはり無視できないものだ。

マスターの有無、あるいは距離が霊基の安定に影響し、不安定になれば当然力を振るう事すら難しくなる。

 

レイシフトの適正こそ驚異の、あるいは奇跡の100%を誇る立香だが、それ以外の点について……特に戦闘能力に関しては素人に毛が生えた程度に過ぎない。カルデアからのバックアップのおかげで、数少ない使える魔術の効果こそ強力ではあるが、それさえなければ足手纏い以外の何物でもない。

そんな彼が前線に出ている理由は、ひとえにサーヴァントたちへの魔力供給と霊基の安定を図るためだ。

魔力供給もまた、基本的には距離によって効率が左右されてしまう。

こういった理由から、立香は足手纏いを承知の上で前線に出ざるを得ない。

 

だが今は、距離云々以前の問題だ。

世界まで隔てられてしまえば、当然魔力供給は不十分、霊基の安定など望めるはずもない。

今のマシュは“普通の女の子”とまではいかないまでも、大幅に弱体化してしまっている。

いったい何を目的とした召喚で、何が待ち受けているかわからない世界に、そんな状態のマシュが自分の手も声も届かない状態でいる。立香が焦るのも無理もない話だ。

 

(俺には、何もできることがない……!)

 

カルデアに来るまでの立香は、ごく普通の一般的な日本人だった。

魔術の薫陶など受けてはいないし、特別武芸の心得があったわけでもない。

カルデアが用いる機材をいじれるような、専門的な知識も技術もない。

彼にできることはただ一つ、サーヴァントをはじめとした他者と言葉を交わすことだけ。その中で、彼らの心や在り様を受け止め、信頼関係を築き、共に戦場を駆け抜ける。

しかし、いま彼が言葉を交わすべき他者はおらず、駆け抜けるべき戦場もない。

 

故に、今の彼は無力だった。

 

その事実を、立香は血を吐くような思いで飲み下す。

いや、“ような”ではなく実際に唇の端から血が垂れている。

歯を強く噛み締めすぎて、どこかを切ってしまったのだろう。

もしかしたら、握った拳の内側では爪が皮膚を割いているかもしれない。

立香のそんな精神状態もわかっていたからこそ、ダ・ヴィンチは敢えて空気を読まない発言をしたのだが、どうやらあまり効果はなかったらしい。

 

「立香君、分かっているとは思うが敢えて厳しいことを言わせてもらうけど、自分を責めちゃいけないぜ。

 君には君の、私たちには私たちの役目がある。今は私たちが無理をする番だが、いずれ君にも無理を、無茶を、無謀をしてもらう時が来るかもしれない。それまでに体調を万全に整えるのが、君の今の役目だ」

「…………わかってる」

「ならよし。ではサー・べディヴィエール、我らがマスターを寝室まで強制連行だ」

「お任せを、レディ! さぁ、マスターこちらへ。このべディヴィエール、騎士の誇りにかけてあなたを無事お送りいたします」

「いや、そんなことでかけていいの騎士の誇り!? 随分安くない!?」

「ほぉ、頼光殿や清姫殿がいつこちらにいらっしゃるかわかりませんが?」

「よろしくお願いします! 命だけじゃなくて、その他諸々纏めて守ってください!!」

「ああ、言っておくけど8時間は部屋から出ないでしっかり休むように。君がここのところまともに眠れていないことに気付いていないとでも?」

「ちなみに、もし万が一にも抜け出そうとしたり、しっかりお休みいただけなかったりした場合……」

「場合?」

「メッフィー殿に監視役をお願いしますので、そのおつもりで」

「それ最悪クラスの人選じゃないかな……!? 絶対休憩にならない!!」

「でしたら、しっかりお休みください。それとも、いっそ頼光殿たちにお任せしましょうか?」

「ハイ、大人シクシマス」

「よろしい。ま、モーニングにはシェフ(エミヤ)特製滋養強壮メニューが待ってるから、楽しみにしておきたまえ。その際、オカン(エミヤ)のお説教がセットでついてくるかは、君次第だが」

 

そうして、いい加減観念した立香は大人しく自室へと護送(連行)されていく。

何が一番の決め手だったかは……敢えて考えまい。

 

 

 

  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 

 

 

異世界トータスに召喚されて早一週間。

生徒たちは魔法や武芸、あるいは技能の鍛錬に精を出す日々。

それはマシュも変わらず、「女子更衣室」代わりの一室で解放された宝物庫から選んだ装備を身に付けていく。

 

「なんていうかさ」

「はい?」

「キリエライトさんの装備って、何度見て物々しいわよね。いや、前衛…それも盾役なんだから仕方ないってわかってはいるんだけど、ね?」

「あぁ、それは私も思う。こんな外国人美少女がゴツイ鎧を着てるギャップがすごいのよ」

 

比較的親しい間柄の女子のコメントに、周囲の者たちも「うんうん」としきりに頷いている。

おしゃべりに花が咲いて若干手元がお留守な分、服がはだけていたり、下着姿だったりとあられもない格好の者が多いが、同性しかいないので問題はない。

 

「ま、私としてはマシュさんの格好を見た男子共の打ちひしがれたところがツボだったけど」

「わかるわかる。いったい何想像してたんだか……」

 

ビキニアーマーとまではいわないまでも、部分的に露出が激しかったり、無駄にスタイルが強調される謎鎧だったりを期待していたのだろう。例えば、マシュ本来の武装の第一段階のような。

薄っぺら過ぎて透けて見える男子たちの下心に、女子たちの目は自然と汚物へ向けるような色を帯びていく。

 

「ふっ…………男子ザマァ!」

「制服だと分かりにくいけど、マシュちゃんスタイル良いのよねぇ」

「出るところは出て引っ込むところは引っ込む、これが人種の差か……」

「着痩せするタイプって、ホントにいるのよね。私、都市伝説か何かだと思ってたもん」

「いやぁ、眼福眼福。目の保養っていうのはこういう事だよね」

 

流れに便乗して『デュフフフ……』なんて声が聞こえてきそうな眼差しを向けてくる鈴に、マシュは本能的な危機感を抱く。

気付けば体が勝手に動き、鈴の視線から柔らかな双丘を隠そうと身をよじっていた。

ただ、心に小さなおっさんを飼っている鈴的にはそれがさらにそそるらしく、ますます目つきが危なくなっていく。

 

「あの、鈴さん? 目が怖い気がするのは私の気のせいでしょうか」

「気のせい気のせい~」

「気のせいじゃない! アンタ、これ以上不埒な目を向けるようならセクハラで突き出すわよ」

「わ~!? シズシズ冗談だってば冗談!」

「そうであることを願うわ……まったく」

 

生真面目であるが故の苦労人気質を遺憾なく発揮する雫に、周りから同情の眼差しが集中する。

日頃の苦労が偲ばれるばかりだ。

 

「ところでマシュさん」

「はい?」

「今日こそ一本、取らせてもらうわよ」

「わぁっ、今日も雫ちゃんが燃えてる……」

「ア、アハハハハハ……」

 

王者(チャンピオン)に挑む挑戦者を思わせる眼差しを向けられ、マシュとしては笑って誤魔化すしかない。

スタイルこそ違えど、同じ前衛職という事もあり、訓練でも割と手合わせをする機会の多い二人だが、今のところ決着はついていない。

 

正確には、スピード重視で動き回りながら攻撃してくる雫に対し、マシュが徹底的に守りを固めるという形で膠着状態になるのだ。

マシュは自分からは攻めないので雫に負けはないが、同様に雫の攻撃も全て防がれるので勝つことができない。

ただ、実はやろうと思えば反撃できたタイミングもあるのだが、剣道全国大会で優勝するほどの腕前相手にそれをすると、どうしてそんなことができるのか詮索されるのは間違いない。

今のところ、自身の素性を明かすかどうか決め切れていないだけに、迂闊なことはできないのだ。

 

(そうすれば、あなたも本気になってくれるでしょ?)

(っ! さすが……と言えばいいのでしょうか。気付かれていたのですね)

 

ただ剣腕に優れているだけでなく、洞察力・観察力ともに秀でているらしい。

マシュ自身演技の類が上手い方ではないとはいえ、それでも見抜かれていたとは……。

 

正直に言えば、マシュとしては雫に対し多少なりとも罪悪感があった。

雫は真剣に訓練に取り組み、マシュから一本取るために全力を注いでいる。

そんな相手を騙し、実力を偽る様な不誠実なことをしていることが申し訳なかった。

 

だが、当の雫はマシュの姿勢を「不誠実」あるいは「侮り」とは捉えなかったらしい。

マシュにも何らかの事情があることを察し、本気を出すに値する相手であることを示そうとしている。

そんなだから、彼女を「お姉様」と慕う自称「義妹(ソウルシスター)」が増殖するのだが。

 

(まぁ、あんまりいい気分じゃないのは確かなんだけど、少なくとも彼女はわざと負けようとは一度もしなかった。実力を隠すつもりならそうすればいいのに、しなかったのは……マシュさんなりの誠意なんでしょうね)

 

それが、雫がマシュに対して抱く印象で、基本的にその認識は正しい。

問題点があるとすれば、たとえ一本取れたとしても彼女が人前で実力を示すことはないだろうという事。

少なくとも、何らかの決断が為されるその時までは。

 

「でも、鎧もそうだけど私はマシュちゃんの盾が一番ギャップあるかなぁ。

 体が見えなくなる大きさって……」

「確かに、いったいどんな巨漢がこんなの使ってたのかしら?」

「まぁ、その分安心感もすごいんだけどね」

「なるほど、治癒師の香織にはそう見えるのね。

手合わせの時にはまるで隙がないから、私としては絶望感すらあるんだけど……でも、実戦では盾の陰から飛び出して奇襲を仕掛けるとかするんだろうし、そう考えると頼もしいわね」

 

雫と香織、親友同士でマシュの盾についてそれぞれの感想を口にしている。

訓練の始まる時間はほぼ同じなので、更衣室ではこうやって前衛と後衛が一緒になることも多い。

反面、訓練が始まった後は中々会う事もないのだが。

しかし、マシュ自身としてはまた違った感想が浮かんでくる。

 

(確かにサイズの上では申し分ないのですが……心許ないというのが正直なところですね。

 とはいえ、これ以上のものはありませんでしたし、仕方がないのですが)

 

ハイリヒ王国の宝物庫が開かれ、皆がそれぞれに装備品を選んでいた時。

マシュはまず副武装となる細身の長剣を手早く選び、動きやすさと強度のバランスを考えて鎧を吟味するところから始めた。結果、視界を確保するために兜はなし、代わりに四肢や胴体の守りが固い重厚な鎧で決めた。

 

そして最後に、本命の盾選び。これがとにかく難航したのだ。

まず一通りの盾を流し見し、最も大きなタワーシールド(首から脛あたりまで覆えるサイズ)を手に取り一振り。

感想は一言「軽い」だった。そこから先は、近くにいた騎士団員に「もっと重いものを、出来れば身体が隠れるくらいの大きさで」と注文を付け続けることに。

最終的に残ったのが二つの盾。一つはサイズと重量的には満足のいく…ただし、アーティファクトとしての性能は皆の主武装より一段下がる大盾。もう一つが、マシュの首から腰あたりまでのサイズの一級アーティファクト。

性能を取るなら後者だが、使い慣れているのは前者の方。どちらを取るべきか散々悩んだ末に、マシュは前者を選んだ。

決め手は……

 

「どちらにしても満足のいくものではありませんから、使い慣れた大きさの方が良いと思って」

 

らしい。

彼女の基準で見れば、一線級のアーティファクトでも不満が残る。

満足のいく性能でないのなら、慣れ親しんだタイプの方が良いと考えての選択だった。

内心では「心許ないけど仕方ない」と思っていたわけだが、これは比較対象が悪い。

彼女本来の武装である盾の性能は、場合によっては星の地表を焼き払うほどの一撃すら防ぎ切る代物だ。

そんなものと比較されては、神代のアーティファクト(笑)が泣いてしまう。

 

「ぁ、みなさんそろそろ時間です。少し急ぎましょう!」

「わ、ホントだ!」

「魔法の先生、怒らないけど注意する時の笑顔が黒くてかえって怖いんだよねぇ~」

「香織、それじゃまた後で」

「うん! 雫ちゃんも怪我しないでね」

「した時は治してね、治癒師様」

「もう!」

 

姦しいやり取りをしながら、彼女たちは三々五々それぞれの訓練場所へと散っていく。

ただその道中、マシュは悩みながらも隣を歩く雫に一言告げた。

 

“今夜、会えますか?”

 

 

 

  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 

 

 

マシュたちの一日のスケジュールはそれほど過密なものではない。

訓練は基本的に午前か午後の片方で、もう片方は自由時間と言う名の自主トレーニング。

一応自由時間扱いなので、必ずしも全員が訓練に勤しんでいるわけではない。

 

だいぶ緩いように思えるが、それも今の内だろう。

初めの内からあまりスパルタで進めて、嫌気が差されては困るが故の配慮。

いずれ徐々に訓練時間が伸びていき、真実「訓練漬け」と呼べる日々になっていくはずだ。

 

とはいえ、今はまだ時間的な余裕がある。

折角なので、マシュはこの機に調べ物を進めるべく、訓練初日から空き時間さえあれば王立図書館に足を運んでいた。

訓練を軽んじているわけではないが、そちらは後からいくらでもできる。

対して、調べ物ができる時間は今だけ……どちらを優先すべきか、考えるまでもないだろう。

決して、趣味の読書に興じているわけではない。

 

ただ、ここ数日の間に王立図書館を訪れるクラスメイトが増えた。

それは……

 

「こんにちは、南雲さん。またお会いしましたね」

「あ、キリエライトさん……えっと、こんにちは」

「今日は何の本を?」

「はは、また錬成の教本を探そうと思って。戦闘では役に立たないけど、唯一の技能だからね。埋もれさせるわけにもいかないし」

「先日も言いましたが、南雲さんの錬成は大変有用だと思います。ですから……」

「うん、それはわかってるつもりなんだ。だからこそ、ちゃんと勉強しておこうと思ってさ」

 

銃器関連の話こそしていないが、マシュは一応自分なりの考えをハジメには伝えている。

彼の錬成の腕前が上がっていけば、今までこの世界になかった……だが地球にはある品を作り出せるかもしれない、と。そして、自分たちの生存率を上げる可能性があることも。

それは一応功を奏したようで、錬成に対して彼もそれなりに前向きな様子だ。

 

「あ、それと聞きたいんだけど、地図とかって何か心当たりある?」

「地図ですか……ちなみに、どういったものを?」

「えっと、出来れば各地域の特色とか、国の特徴とかがわかるような」

「それでしたら……」

 

ハジメより数日早く図書館に入り浸っていたマシュは、この世界のことについて徹底的に調べてきた。

まだ日数が浅いので徹底的にと言ってもたかが知れているが、地理と歴史が主。

それをハジメも知っていたからこそ、手っ取り早くマシュに尋ねたのだ。

以前より会話がスムーズなのは同じ図書館組だからなのと、マシュが彼の天職に対し期待し、技術向上に協力的だからだろう。

誰しも、自分を認めてくれる相手を無碍にはできないし、心を開きやすいものだ、普通は。

あまりグイグイ来るタイプが相手だと、逆に下がってしまう事もあるが。

 

ハジメはマシュに薦められた本を探しに行き、マシュはこの世界の歴史書を開く。

専門書と言うほどのものではなく、大まかな歴史の流れがわかる種類のものだ。

その分掘り下げられてはいないが、大筋の流れを知るには十分。

ここから注目すべき点を絞り、専門書へと進んでいくことになるだろう。

ではどんな方向性の歴史を調べているかと言えば、当然「魔人族」関連だ。

とはいえ、思っていた以上に難航しそうだが……。

 

(…………これは、厳しいかもしれませんね)

 

別に必要はないが、訓練や戦闘時以外は常につけている眼鏡の位置を直しつつ思う。

彼を知り己を知れば百戦殆うからず、とは兵法書「孫子」の一節。

『敵と味方の実情を熟知していれば、百回戦っても負けることはない』と言う意味だ。

 

にもかかわらず、あまりにも魔人族に対する情報が少ない。

彼らが、人間族が信仰するエヒト神とは別の神を奉じていることはわかっているが、その神の名すら出てこない。

『ガーランド魔王国』と言う名前は出てくるが、どういった政治体制を取っているかも不明。

最大の敵国に対して、情報が少なすぎる。

 

(まるで、意図的に情報が隠蔽されているような……)

 

そうとしか思えないほどに、情報が出てこない。

これでは魔人族側の目的、狙いがまるで見えてこないのだ。

宗教的対立が問題の一因なのだろうが、この手の問題は理屈で解決することが難しい。

そもそも、どういった点が対立の原因なのかがわからないのでは、手の打ちようがない。

かと言って、他の対立要因も「これは」というものが出てこない。

 

(すこし、視点を変えるべきかもしれませんね。こんな時、ホームズさんがいてくれたら……)

 

色々と絡みにくい所のある人物だが、その「明かす者」の代表としての力は確かなものだ。

彼の協力があれば、この戦争の真実を明かすこともできるだろうに……。

とはいえ、通信ができない以上ないものねだりでしかないのも事実。

マシュは気持ちを切り替える意味合いもあって、一度席を立って別の本を探しに行く。

 

特に意図したわけではないが、ハジメが座る席の後ろを通る際、今彼が読んでいる内容が目に入る。

彼が読んでいたのは、「北大陸魔物大図鑑」という直球なタイトルの分厚い書籍だった。

 

(南雲さんは南雲さんなりに、出来ることをしようとしているんですね)

 

マシュとメルドのやり取りは上層部にも伝わっているはずだが、それでもこの国……ハイリヒ王国はハジメを前線に送るつもりでいるらしい。

いったいどういうつもりなのか、マシュには全く理解の外だ。

しかしそれでも、厳然たる事実として彼は訓練へ参加せざるを得ない状況にある。

いずれは実戦にも参加することになるのだろう。それに備えて、やがて戦う事になる魔物を少しでも知ろうとしているのだ。ステータス・技能共に戦闘向きではない以上、あとは知恵と知識が頼みの綱。そのための読書。

効果の薄い訓練や自主トレよりも、はるかに現実的かつ効果的な手段だろう。

 

出来ることは少なくとも、出来ることを妥協しない。

そんなハジメの背中に一瞬立香の姿が重なり、マシュの眼差しが柔らかく暖かなものになる。

がその瞬間、マシュは「すわ清姫か!?」と言わんばかりの怖気に襲われた。

 

反射的に身体が臨戦態勢を取りそうになる中、周囲に視線を配ると……

 

(あれは、白崎さ…ん?)

 

本棚の陰からこちらを除く、香織の姿があった。

疑問符がついてしまったのは、いつぞや見た陽炎がまたも彼女の背から立ち上っているからなのだが……気持ち、以前より輪郭がはっきりしてきた気がする。

こう、人型っぽい感じに揺らめていて、不穏さが半端じゃない。

アレをアレ以上成長させてはいけない、彼女の経験がそう告げているのだが、具体的な方策は浮かんでこない。

スキル「啓示」でもあれば、最適な行動を見つけることもできるのだろうが、生憎彼女は「啓示」も「直感」も持っていない。

見て見ぬふりをすると後がもっと怖そうなので、マシュはなんだか無性に回れ右したい気持ちを必死で抑えながら香織のもとへと歩み寄る。

 

「あの、白崎さん? そんなところで何を……」

「マシュちゃん、南雲君といつの間に仲良くなったのかな? かな?」

「え? …………何度かお話させていただく機会があっただけで、仲が良いかと言うと」

 

どうなのだろう、と言うのがマシュの率直な感想だ。

彼女としては特に苦手意識もないし、会話に苦労もしない。

普通に話し、普通に接することのできるクラスメイト、と言うのがマシュの認識だ。

マシュの様子から懸念が杞憂だったことを理解し、背後の陽炎と共に香織の不穏な気配が霧散していく。

その事に、内心ビクビクしていたマシュはほっと息をついた。

 

「ところで、白崎さんはどうしてこちらに? 何か調べものですか?」

「え? いや、その、特には……南雲君も何か調べてるの?」

「はい。図書館ですし」

「そう、だよね。えっと、どんなのか聞いても良い?」

 

その問いに僅かにマシュは思案するが、別に隠すほどのことでもないと結論する。

ハジメの調べ物は、胸を張って言えるものだから。

 

「錬成とこの世界の地図、それに魔物についてですね」

「地図と魔物?」

「はい。各地の特色を知っておくことで、戦闘時に地形や天候を活用するつもりなのではないでしょうか?

 地の利と言うのは、重要な要素(ファクター)ですから。

 魔物についてもそうです。どんな魔物がいて、どんな特徴があり、弱点の有無がわかれば勝率が上がります。

 それは、ひいては全体の生存率にもつながるでしょう」

「…………」

「南雲さんは、頑張っていますよ。できることを自分なりに、それはとても尊敬できることだと思います」

「……うん!」

 

マシュの言葉を香織は嬉しそうに噛み締める。

 

「もしかして、南雲さんに御用ですか?」

「ううん、何でもない。邪魔しちゃったらいけないし、私戻るね!」

「え、あの……」

 

何処か陰のあった様子から一転し、香織は軽やかな足取りで図書館を後にする。

結果的にマシュは訳もわからないうちに取り残されてしまった形だ。

だが、香織はそのことにはちっとも気付かず、ただ羽が生えたように軽い体と心で駆けていく。

 

「南雲君も頑張ってる! 私も、私にできることを頑張るぞ、おー!!」

 

白崎香織、特技「突撃」。

未だ気付かぬ胸の奥の想いのまま、彼女は今日も突き進む。

 

 

 

  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 

 

 

その日の深夜。

皆が寝静まった頃、雫は訓練場の中央に立っていた。

得物として選んだ刀とシャムシールの中間のような剣を正眼に構え、精神の統一を図っている。

 

今か今かとはやる心を落ち着け、研ぎ澄ますために。

彼女の見立てが正しければ、心身ともに絶好調な上に、精神統一も万全な「これ以上ない」状態でかからなければ、勝ち目は薄い。いや、どれほど人事を尽くしても足りないであろう相手なのだから。

そして、やがて待ち人が姿を現した。

 

「お待たせしました」

「別に、たいして待ってないわ。むしろ、おかげで万全に近い状態に持って行けたと思うから」

「そうですか」

 

鋭い眼差しを向ける雫に対し、マシュは落ち着いた様子で応対する。

とはいえ、それは外側だけ。

その実、心臓は早鐘を打っているし、緊張と不安で胸がいっぱいだ。

本当にこれでよかったのか、いまだに自信が持てない。

 

それでも、もう決めてしまったのだ。

人前ではまだ、今の状態での本気を出すわけにはいかない。

しかし、半ば以上見抜いている雫一人しかいないのなら……。

 

「一つ教えてください。八重樫さんは、私のことを怒っていますか?」

「……そうね。気付いた時は色々思ったけど、でも私の知るあなたはそういうことをする人じゃない。

 ならきっと、何か理由があるんでしょ?」

「はい」

「そのことも、教えてくれるのかしら?」

「……信じてもらえるかは、分かりませんが」

 

力を見せれば、その理由を問われるだろう。

それも承知の上で、マシュは雫と一対一で会う機会を求めた。

この苦労性の、とても優しいクラスメイトへのせめてもの誠意を示したかったから。

 

「では、行きます!」

「っ!」

 

今まで防御一辺倒だったマシュが、初めて雫に対し前に出た。

雫が動き出すその寸前。絶妙なタイミングで機先を制し、マシュが仕掛ける。

 

雫と比較すれば、決して速いとは言えない踏み込み。

だが、無駄のない鋭さがある。

先手を打ったマシュが手にした大盾をかざして突っ込んでくる。

 

「はぁっ!」

「とっ!」

 

雫は十分な余裕を以て、軽やかなステップでそれを回避。

そのままがら空きの背中に剣を向ける。

本当に充てるつもりはない。いくら重装甲の相手とは言え、クラスメイトを切りつける気はなかった。

しかしその考えは、少々甘い。

 

(やばっ!)

「やぁぁっ!」

 

マシュは急ブレーキをかけ、右足を軸に体ごと回りながら大盾を振りぬいてくる。

あの重量、あの勢いでぶつけられれば、剣を持つ雫の方が不利。

弾き飛ばされるかへし折られるか、いずれにしろそこで勝負が決まってしまう。

故に太刀筋を強引に逸らし、剣と盾の正面衝突を避ける。

 

「その腰の剣は飾り!?」

「飾りではありませんがオマケです!」

(攻撃と防御、両方ともメインはあの大盾ってことね。

 あんな戦い方、いったいどこで覚えたのよこの子!)

 

衝突を避けた結果、すれ違う形で両者の距離が一度開く。

 

実家が道場をやっていることもあり、雫も使えるかどうかはともかく、武器術全般に割と詳しい。

だがそんな彼女から見ても、身の丈ほどもある大盾を用いた武術など聞いたこともなかった。

 

しかも、動きの一つ一つが洗練されて無駄がない。

一つの動作が次の動きに連結している……なんてもんじゃない。

マシュの動きは、何手も先の動きを睨んだ上で最適な体勢に持っていけるよう計算され尽くしていた。

 

実際、一度広めに距離を取ろうとした雫に対し、速度で劣るはずのマシュが肉薄してくる。

雫が距離を取ろうと下がる前に、既に体勢を整え距離を詰めてきているからだ。

いくら雫でも、体勢不十分のバック走で万全の体勢の全力疾走から離れるのは分が悪い。

 

(本当に、いったい何者なのこの子!)

「ふっ!」

(これだけ重量があれば、振り抜いた後に隙ができる筈なのにそれがない。

 力任せに降ってるんじゃなくて、先の先の、そのまた先まで考慮して身体を動かしてる証拠ね)

「まだです!」

「ここで蹴りぃ!?」

 

かすめるだけでも危険な大盾のフルスイングに意識を向けさせ、意表を突く足元への蹴り。

倒れこそしなかったものの、僅かに雫のバランスが崩れる。

 

このあたり、経験の種類の差が表れた形だろう。

雫の経験はほとんどが「試合」と言う形式に則ったもの。

使うのは手に持った武器だけで、狙える個所も限られている。

対して、マシュの経験はほぼ「実戦」だ。使えるものは何でも使い、狙えるものは何でも狙える。

 

実際にどれを選択するかは本人次第だが、条件は相手も同じ。

自分は選ばなくても、相手が選ぶ可能性はある。

故に、「考えられる全て」を考慮することが反射の域で身についている。

 

そういう戦いをしてきた彼女からすれば、この程度の駆け引きはできて当然。

仲間の中には「要は勝てばいいんだ、勝てば。剣の技など戦闘における一つの選択肢に過ぎん。勝つためなら、殴るし蹴るし噛みついてもやるさ」とか言っちゃう騎士もいる。

それこそ、正真正銘どんな外道な手段であろうと実行する暗殺者もいるのだ。

マシュなど、まだまだかわいいものだろう。

 

なんとか体勢を立て直そうと身をひねりかけるが、雫はすぐにそれを放棄。

崩れた体勢をさらに傾け、その場に倒れこむ。

直後、彼女の体のあった位置を大盾が風を切って通り抜けていった。

あのまま立て直そうとしていれば、今のが直撃していただろう。

 

(とはいえ、状況は最悪だけど!)

 

なにしろ、今彼女は床に倒れこんでいる、選べる選択肢はあまりに少ない。

起き上がるか、転がってはなれるか。

いくつかの選択肢が脳裏を駆け巡るが、時間はあまりに少ない。

マシュは大盾を振りかぶり、勢いよく振り下ろそうとしている。

 

(剣道に拘ってられないわね……)

 

無謀かもしれないが、転がる勢いを利用して剣を投げつける。

マシュはそれを盾で危なげなく弾くが、その一瞬で雫には十分。

彼女は最速で起き上がりつつ、今度こそ距離を取ることに成功した。

 

そして、盾を構えなおしたマシュと正面から向き合い、おもむろに両手を上げた。

 

「まいった、私の負けよ。さすがに、あなたを抜けて剣を拾うのは無理だろうしね」

 

潔く、自身の敗北を認める。

足搔こうと思えば足搔けるが、これ以上は見苦しいだろう。

もし実戦の場だったとしたら、剣を拾うよりも逃げる方を優先すべき場面と考えたからだ。

そんな彼女の真意を、マシュは正しく拾い上げている。

だからこそ、返された言葉は……

 

「いいえ、今回も引き分けです。私はあなたを倒しきれず、あなたは私に勝てなかった。違いますか?」

「あなたがそう言ってくれるのなら、私にはイエス以外の返事はないわね」

 

手合わせに一区切りをつけた二人は、雫の剣を回収した上で広い訓練場の壁際に背中を預け、隣り合って座る。

あらかじめ用意しておいた水に口をつけ、一息ついたところで雫が口を開いた。

 

「マシュさん、あなた本当に何者なの? 私、これでも一応全国で優勝したこともあるんだけど?」

「……実は―――」

 

詳細はぼかしつつ、マシュはかいつまんで自らの素性を言葉にする。

とある機関の施設で育ったこと。

そこで少々特別な訓練を受けていたこと。

そのため、今まで学校には通ったことがなかったこと。

今は機関での仕事が落ち着いており、仲間たちから「折角だから学校でも」と薦められて入学したこと。

マシュの関係者はほぼその機関の関係者とイコールであること。

そんな具合だ。

 

「……なるほどね。そりゃ話せないわ」

「信じていただけるんですか?」

「そうじゃないと、マシュさんの実力が納得いかないもの。

 それにあなた、嘘とか苦手そうだし」

 

嘘が得意ではないのは事実だが、実力に関しては微妙なところだ。

件の機関と無関係ではないが、訓練自体はあまり関係ないのだから。

彼女の今の力は、訓練とは別の要因によるものであることは……言わない方がいいだろう。

 

「いくつか聞きたいことがあるんだけど」

「私に応えられる範囲でなら、どうぞ」

「メルドさんはこのことを?」

「少しお話ししましたが、詳しくは」

「光輝と手合わせしないのって、やっぱりわざと?」

「はい。今の状況で天之河さんの影響力に影を落とすわけにはいきませんから」

「確かに、またパニックになったら事よね」

 

マシュはわざと負けて違和感を持たれないほど演技が上手くない。

下手に怪しまれないよう、光輝との接触は避けていたのだ。

光輝自身、雫以外の女子とは手合わせしようとしないのも好都合だった。

 

「……なんで、私には教えてくれたの?」

「一つは、八重樫さんに気付かれてしまったからです」

「一つってことは、他にもあるのよね?」

「はい。それを踏まえた上で、あなたが冷静に状況を理解しているように思えたからです」

「……………………………私たちはいずれ人を殺す、そうじゃなければ死ぬ。そういうことよね」

「はい」

 

多くの生徒たちは、まだそのことを正しく理解できていない。

あるいは、目を逸らしている。皆をまとめている光輝ですらも、だ。

 

だが一部には、それらを理解できている生徒がいる。

その一人が雫だった。

 

「いずれ、皆さんが自分たちの置かれている状況を理解して立ち止まる時が来るかもしれません。

 場合によっては、最悪の場所で。それは……」

「戦場、ね」

 

雫の言葉に、マシュは無言で首肯する。

戦場で現実を理解し、思考停止にしろ葛藤にしろ陥ればそれは生命取りだ。

 

「私に何をさせたいの?」

「八重樫さんには、皆さんを引っ張っていってほしいんです」

「光輝の代わりにリーダーになれってこと?」

「いいえ、そこまではわかりません。成り行きによってはそうなるかもしれませんが、今は何とも。

 お願いしたいのは、戦場から離脱するよう先導してほしいという事です」

「あなたはその時、どうするの?」

「私は、守護者ですから」

 

つまり、殿を務めて皆を守るという事か。

それは、あまりにも危険な役割。皆が逃げ切るまでの間、マシュには撤退が許されない。

彼女の守りの堅さは今まさに実際に体験したが、それでも危険であることに変わりはない。

 

「……すごいのね」

「え?」

「ううん、なんでもない」

 

本音を言えば、雫は怖いのだ。

見知らぬ世界に突然放り込まれたことが。

魔人族との戦争に身を投じなければならないことが。

生き物を殺さなければならなくなることが。

自分が、親友が、クラスメイトが死ぬことが。

死への恐怖、殺す恐怖。それらが胸の内でずっと燻っていた。

 

だからこそ、マシュの姿が眩しく感じられる。

しかし彼女は知らない。皆を守るために殿を務めると言ったマシュ自身が、雫と同じように恐怖に震えていることを。

 

マシュと雫の違い、それは経験でも覚悟でもない。

自らを奮い立たせる存在の有無。いや、雫にも自らを奮い立たせてくれる相手はいる。

しかし、マシュは彼の役に立てるのなら生命すら惜しくはない。それだけのものを、あの日から貰い続けている。

だからこそ、彼女は恐怖を飲み込んで戦う事ができるのだ。

 

いまもそう。

戦う事は怖い。いつも彼女を支えてくれた立香(先輩)がいないことが、恐怖と不安をさらに掻き立てる。

それでもなお戦おうとするのは、己が立香(マスター)のサーヴァントであると自負するが故だ。

彼ならきっと、みんなを守るために全力を尽くすだろう。

ならば、彼のサーヴァントである自分がそれを放棄してはいけない。

その思いの表れだ。

 

「わかった、わかりました。でも、流石に私ひとりじゃ荷が重いわ。

 他に、任せられそうな人っている?」

「そう、ですね……南雲さんでしょうか?」

「南雲君が? そういえば、一緒に図書館で本読んでるんだっけ?」

「正確には少々違いますが……それはともかく、なんというか南雲さんは大変現実主義な方のように思います」

 

自身のステータスが低いことも、戦闘向きでないことも、全てを受け入れた上でできることを模索している。

そして、出来ることを一つずつ抑えていこうとする堅実さ。

それらは、彼が冷静に現実を見据えているからこそだろう。

 

「なるほど、ね。私の親友の見る目は確かだったって事かしら?

 うん! それは、結構鼻が高いわね」

 

香織の人を見る目が確かだったことが、親友として誇らしいらしい。

本当に、仲のいい二人だ。

 

「あの……もしかして、白崎さんは南雲さんのことがお好きなのでしょうか?」

「本人に自覚はないみたいだけど、まず間違いないわね。というか、そうでもなかったらあんなに頻りに話しかけないと思うけど? まぁ、それを言ったらクラスのほとんどが鈍いってことになるわけだけど」

「そういう、ものでしょうか?」

「マシュさんだって経験あるんでしょ? ほら、大学生の恋人さんと……」

「恋人? あの、どなたのことを言って……」

(もしかして、この子も香織の同類? 恋人同士だと思ってたら、実は違ったってこと? また面倒な……)

 

そういうのはもう、親友だけで腹いっぱいだと言わんばかりにため息をつく。

願わくば、マシュには悪いがこちらにこれ以上負荷をかけないで欲しいと思ってしまう。

それだけ、普段からいろいろ苦労しているという事だろう。

まだ若いのに、ご苦労なことだ。

 

「はぁ~~~~~~~……」

「あの、なにか?」

「ううん、何でもないから気にしないで」

「はぁ……八重樫さんがそういうなら」

「あ、それ!」

「え?」

「その八重樫さんっていうの。前から思ってたんだけど、ちょっと一線引きすぎだと思うのよ。

 そりゃ、さっきの話を聞けばわからないでもないけど。それでも、私はあなたともっと親しくしたいし、みんなも同じはずよ。だから、まずその一歩。私のことは、八重樫じゃなくて雫って呼んで。マシュ」

 

気負いの欠片もなく、当たり前のように差し出された手。

それを前に、僅かに何かをかみしめる様に口元を引き結んだあと、マシュはその手を握り返す。

 

「……………………………はい、雫さん。これからも、お願いします」

「ええ、こちらこそよろしく!」

 




さて、問題は次回だ。ハジメがいじめられているシーンを入れるか否か……いっそぬいて、さっさとオルクスに突入するのもありなんですよねぇ。


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003

対ベヒモス戦。
マシュとっても頑張ります、身を削って頑張ります。
でも、頑張りが報われるとは限らないのが世の常なわけで……。


(マシュがクラスメイト達と姿を消して、早半月か。

 未だにこれと言って進展はなし。やれやれ、流石にこれは私でも堪えるね)

 

かつての旅路も果てしなく遠く険しいものだったが、それでも少しずつ進んでいる手応えがあった。

しかし、今の状況にはそれすらない。

数多の苦難を共に乗り越えてきたタフな職員たちにも、疲労の色が濃い。

 

肉体的な疲労のピークと言う意味では通り過ぎている。

失踪から一週間ほど経ち、安否は分かれど座標の特定ができないことが判明したあたりで、連日の徹夜による強行軍で肉体的には限界を迎えていたからだ。

状況打開の妙案がない事もあり、所長代理命令でしっかり休憩を取ることが厳命された。

一応、その前から休息は進められていたのだが、結局誰一人として自発的に休もうとしなかったことから、彼らがどれだけマシュの身を案じていたかわかる。

 

とはいえ、結局何の進展もないまま時間だけが過ぎていく現状に、今度は精神的な限界が近い。

せめて何か一歩でも進展があれば、それを足掛かりにもう一度進むことができるのだが。

 

(一応、当てがないわけじゃない。ただ、それには大きな危険も孕む。

 立香君(マスター)と離れ離れになっているあの子が“それ”をしなければならない状況も、“それ”をすることによる反動も、出来ることなら一切合切願い下げなんだけどなぁ。

 だけど、“それ”なしにはもう座標の特定は不可能と考えるしかない。

 悩ましいね……まさか、この(天才)が己の無力さを思い知る日が来ようとは……)

 

珍しく、本当に珍しいことにダ・ヴィンチは己の力のなさを自室兼工房の椅子に体を預けて噛み締める。

貴重な体験であるのは事実だが、正直全くうれしくない。

なるほど、世の凡人たちが天才を羨む気持ちが少しだけ分かった気がする。

 

だが突如として鳴り響いたけたたましい警報が、痛いほどの静寂を引き裂いた。

 

「っ!? これは……!」

 

警報の意味を即座に理解したダ・ヴィンチは、椅子を蹴倒し、鍵どころか扉も締めずに自室を飛び出す。

やがて警報が治まると、続いて切羽詰まったアナウンスが建物内に発せられた。

 

『緊急事態発生! 緊急事態発生! 管制班及び解析班は至急持ち場についてください! 繰り返します、管制班及び解析班は至急持ち場についてください!』

 

アナウンスが発せられるのと時を同じくして、ダ・ヴィンチの懐の端末が振動した。

彼は走る速度を緩めることなくそれを探り当て、耳へとあてる。

 

「私だ!」

「所長代理、報告します!」

「この警報の意味なら分かってるさ。今管制室に向かっている。他に何か伝えることは?」

「ありません!」

「よろしい。では私がつくまでの間、拾い切れる限りのデータを拾うんだ! 取り零すんじゃないぞ!

それと、得られたデータはそのままでいいから解析班に回すように。いつ反応が途切れるかわからない以上、今はスピード重視、いいね!」

「了解!」

 

必要な指示を出し終え、わざわざ通信を切る手間も、懐に戻す時間すら惜しんで疾駆する。

直接戦闘向きではないとはいえ、それでも人類の超越者たる英霊の一角。

その走力は十分に人間の限界を超え、風どころか弾丸のような速度で廊下を駆け抜ける。

 

同時に、今の状況に対する複雑な思いもあった。

状況が動き出したことは朗報だろう。だが、同時にマシュがそれだけの事態に見舞われていることを示している。

とても、手放しで喜べる状況ではない。

 

(マシュ、あまり無茶するんじゃないよ)

 

決してはそう離れてはいないはずの管制室。しかし、今だけは1mが1km以上に感じられた。

そんな遥か彼方にも思えた管制室にようやく辿り着いたダ・ヴィンチは、自動ドアが動き出した瞬間、僅かな隙間へと体を滑り込ませる。

 

「待たせたね、諸君。この天才が来たからにはもう安心だ、得られたデータは片っ端からこっちに回しなさい」

「「「「はいっ!!」」」」

 

皆を叱咤するための軽口を飛ばしつつ、定位置の座席に腰を下ろすと、文字通り目にも止まらぬ速度で手元のキーボードをタイプしていく。

正面に映し出される10以上のモニター全てに忙しなく目を走らせ、一文字たちとも逃すことなく人類史上最高峰の頭脳に叩きこむ。

単純な計算や総当たりが必要な情報処理は機械に任せ、勘や直感が必要になる部分は自前の頭脳で処理。

 

カルデアの職員たちは、皆それぞれの分野においてはその道の超一流だ。

テロや襲撃のおかげで、慢性的な人不足の中過酷な任務を遂行してこられたのも、彼ら一人一人が極めて優秀なスタッフだったからに他ならない。

どんなブラック企業よりも過酷な勤務体制と、困難を極める任務の中で培われた能力はまさに百戦錬磨。

そんな彼らが10人がかりでなんとか処理していたデータを、ダ・ヴィンチはたった一人で捌いていく。

むしろ、それ以上の速度と効率で処理されていく光景には、慣れているはずの彼らでも苦笑を禁じ得ない。

 

これが英霊、これでこそ人理にその名を刻む英傑。

彼らとて、一般的に見れば十分「秀才」または「天才」と称賛される能力の持ち主だが、本物は格が違う。

正真正銘、人類史上で5指に入るであろう頭脳の怪物。『万能の天才』それがレオナルド・ダ・ヴィンチなのだ。

 

とはいえ、苦笑を漏らしたのはほんの一瞬。

そんなことは元よりわかりきっていたことだし、何よりも今は時間が惜しい。

ダ・ヴィンチのおかげで、処理効率は一気に倍以上になった。

この機を逃すことなく、彼らはそれまで手を付けられなかった領域のデータ処理に没頭する。

 

だが、それも長くは続かない。

彼らの処理能力が限界を迎えたためではなく、単純にデータ処理が終わったからだ。

飛び込んできたデータの質・量ともにでたらめなものだったが、時間的にはそれほどのものではない。

 

そのため、警報が発せられてからここまで実の所数分しか経っていない。

しかしそれでも、これは大きな一歩だった。

 

「さぁみんな、これから忙しくなるぞ。A班は解析班と協力してデータの解析を」

「はい!」

「B・C班は解析されたデータから座標の特定」

「了解!」

「DからF班はマシュとの魔術ラインを遡り再構築」

「お任せを!」

「G班は魔術ラインに沿って通信ラインの再設定。

終わったところから、魔術・通信ラインの補強を。

ここで見失うわけにはいかない、踏ん張りどころだぞ!」

「応っ!!」

 

手早く今後の作業の指示を出し、自身もまた担当する作業に集中する。

色々と懸念事項や不安要素はあるが、それでも事態が動き出したことに変わりはない。

ならば、懸念も不安も払拭するためにも、今はまずマシュとの魔術・通信ラインの確保が最優先だ。

とそこで、再度管制室の扉が開く。

 

(ははぁん、立香君も慌てて走ってきたってところかな?

 まぁ、いくら私がインドア派とはいえ、人間の彼よりかは足が速いから仕方ないねぇ)

 

加えて、立香とダ・ヴィンチとでは管制室までの距離が違う。

久しぶりの長期滞在という事で、マシュや立香の部屋は管制室からは離れた場所に設けられている。これは、極力カルデアの設備とは関わらず、ありふれた日常の中にいられるよう配慮された結果だ。

逆に、事実上の最高責任者であるダ・ヴィンチの場合、いつ非常招集がかかってもいいように、管制室まで15m程度しかない。この立地は、色々無理の効くサーヴァントであることも理由の一つだ。

 

なので、立香がどんなに急いだ所でダ・ヴィンチより遅れて到着することになるのは必然。

彼のことだから、事態が終わった後に到着したことに対し思うところもあることだろう。

ダ・ヴィンチは「やれやれ仕方ない」と保護者面するため、一度作業の手を止め、『あまりの天才っぷりに、感動のハグとかされちゃうかナー?』とか、頭の沸いたことを考えながら立香を迎えるべく振り向く。

そして、そこにいたのは……

 

「マシュ! マシュは無事なのですか、ダ・ヴィンチ殿!!」

「ドフォ――――――――ウ!?」

「なんで君が先に来ちゃってるかな湖の騎士(ランスロット卿)!!

 立香君はどうしたんだ、立香君は! 私渾身のキメポーズとドヤ顔、どうしてくれるんだ!」

「いったいなんのことでしょう? とりあえず、今日のあなたも絶世の美女ですが」

「うん、わかり切っていることだけど一応『ありがとう』と言っておこう。

 最近は立香君もマシュも擦れてきて、素直な反応を返してくれないんだ。寂しいねぇ~……ってそうじゃなくて、質問に答えてくれないか」

「マスターですか? そういえば、先ほど追い抜いた人影。もしやアレがマスターだったのでは?」

「おいおい、そこはしっかりキッチリ抱えてきなよ。それだったらまぁ私も妥協したっていうのに」

「む、申し訳ない。マシュの身に何かあったのかと思うと、いてもたってもいられず……」

(ギクシャクしていながらも、『我が子』『娘』として認識してるんだよなぁ、彼……というか、傍から見る分には思春期の娘と、邪険にされる女性関係にだらしない父親みたいな感じなんだよなぁ)

 

だからまぁ、取り乱して周りが見えなくなり、マスターを追い抜いていの一番に駆けつけてしまったのも、分からないではない。まぁ、ギルティ・オア・ノットギルティで問われれば、即断で「ギルティ」なのだが。

で、そんなすっかりパパな騎士にやや遅れて、立香が息せき切って管制室に飛び込んでくる。

 

「ダ…ダ・ヴィンヂじゃん、マジュは!?」

「ほらほら、まずはこれでも飲んで息を整えたまえ」

 

まともに呼吸もできていないせいで、言葉も不明瞭になっている。

まずは落ち着かせるために水を一杯飲ませ、一息つかせる。

 

「それで、マシュのことだが……とりあえず座標はある程度絞り込めた。やはり案の定世界の壁を越えているが、それでも場所は分かった。今はより詳細な位置情報の精査をしているところだよ。

 同時に、魔術及び通信ラインの確保と補強に努めている」

「マシュは無事?」

「今のところ詳細は不明だ。まぁ、今も微かだがラインが繋がっているし、命に別状はないだろう」

「そう…………よかった」

「マスター!」

 

安心して力が抜けたのか、膝から崩れ落ちる立香。

倒れそうになる立香をわきからランスロットが支え、手近な椅子に座らせる。

とはいえ、安心してばかりもいられないのが現状だ。

 

「確かに命に別状はないが、前にも話したろう? 今のマシュは霊基が不安定になっているはずだ。そんな状態で力を振るえば、どんな反動があるかわからない。

 そして、今回は彼女が力を強引に振るったからこそ、一時的にラインが活性化したことで辛うじてたどることができたんだ。つまり、彼女は相当な無理をしたという事になる。

 依然、予断を許さない状況だという事は理解してほしい」

「…………」

「とはいえ、それでも前進は前進だ。時間はかかるだろうが、マシュの位置情報の精査を終え、ラインの再構築と補強が済めば、いよいよ君の出番だ、立香君。

 今回はレイシフトを応用することになるだろうから、そのつもりでいてくれ」

「マシュを連れ戻すんだよね?」

「マシュ一人ならそれでいいんだが、今回の場合はね。

クラスメイトを残して一人戻ることを善しとするかと言えば……」

 

答えはわかり切っている。

 

「ありえません。ギャラハッドの霊基の有無にかかわらず、あの子がそれを善しとするはずがありません」

「お、流石に言い切るね。とはいえ、立香君も同意見だろ?」

「俺としては早く無事な姿を見たいけど、たぶんそうだと思う」

「なら、マシュだけを連れ戻すというのは最終手段だ。私としても、出来るだけあの子の意向は汲んでやりたい。なら、やることは一つだろ?」

「わかった」

「準備ができ次第行ってもらうから、今から準備をしておくといい。では、私は作業に戻らせてもらうよ」

「行きましょう、マスター。私も、僭越ながらお手伝いさせていただきます」

「うん。とりあえず、まずは必要になる装備一式と礼装の確認」

「あとは人間がいるのなら活動資金も必要でしょう」

「となると、換金性の高いものを持っていく必要があるな」

「問題は、こちらの貴重品があちらでも同じかどうかですが」

「だね。とりあえず……」

 

必要になるであろう物を相談しながら、立香たちは管制室を後にする。

マシュの身を案じる気持ちは変わらないが、準備ができたらすぐに動けるよう備えるのが最優先なのだから。

 

 

 

  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 

 

 

 【オルクス大迷宮】

 

それは、全百階層からなると言われている文字通りの“大”迷宮。

このような大迷宮がこの世界には7つあるとされ、そのことから「七大迷宮」などとも呼ばれる代物だ。

 

とはいえ、大迷宮と呼ばれていながらも、この迷宮は冒険者や傭兵、新兵の訓練に非常に人気がある。

それはこの迷宮の特徴として、階層が深くなるにつれ強力な魔物が出現することが挙げられる。深く潜れば強力な魔物に出くわすが、逆に言えば浅い階層ならそれほど危険はない。このように難易度が階層と直結していることから目安が設けやすい事と、出現する魔物が地上の魔物に比べ遥かに良質の魔石を体内に抱えているからだ。

 

魔石とは、魔物の全てが体内に保有する物だ。逆に言えば、魔石を持たないものはどれほど異形で強力であっても、魔物とは呼ばない。

魔石は魔物の力の核と考えられ、強力な魔物ほど良質で大きな核を備えている。また、魔石は魔法の触媒として非常に優秀で、魔法陣作成の原料となる。ただ描くだけでも発動するが、魔石を用いることで飛躍的に言力が向上する。その効果は約三倍、驚くべき効果だ。

 

その他、日常生活用の魔法具などにも原動力として使われる。

魔石は軍関係だけでなく、日常生活にも必要な大変需要の高い品なのだ。

 

ちなみに、良質な魔石を持つ魔物ほど強力な固有魔法を使う。

固有魔法とは、詠唱や魔法陣を使えないため魔力はあっても多彩な魔法を使えない魔物が使う唯一の魔法である。一種類しか使えない代わりに詠唱も魔法陣もなしに放つことができる。魔物が油断ならない最大の理由だ。

同時に、魔力操作の技能をメルドが隠すよう指示した理由でもある。

 

そして、そんな魔物蔓延るオルクス大迷宮へ挑戦するため、マシュたちはメルド団長率いる騎士団員達と共に、宿場町ホルアドを訪れていた。

到着してすぐに迷宮に挑戦するようなことはせず、宿屋で一晩過ごし、翌朝から潜ることになる。

基本二人一組で部屋を取っているが、男女ともにメンバーが奇数なため、さすがに年頃の男子と女子を同じ部屋に押し込むわけにもいかず、ハジメとマシュはそれぞれ一人部屋をいただくことになった。

 

マシュもハジメに倣い、オルクス大迷宮に挑む具体的な日程が決まってからは、魔物に関する本にも目を通している。

所詮付け焼刃の知識だが、ないよりはマシだろう。それに、マシュとしては魔物関連の知識はハジメがメイン、自分は補佐くらいに考えている。

 

むしろ問題なのは、結局ハジメの同行を撤回させられなかったことだろう。

今回は潜っても精々二十階層までとのことで、戦闘向きではないハジメがいても十分カバーできるレベルらしい。

それ自体はまぁいいことなのだろうが、本当なら連れて行かないのが最善である以上、喜ぶことはできない。

 

何が起こるかわからないのが戦場だ。

それを知るマシュとしては、万が一もないように彼には残ってもらいたかった。

もし彼に何かあれば、間違いなく香織は深く傷つき泣くのだろう。

友人の涙と心の傷を想像するだけで、マシュは胸が苦しくなるのを自覚する。

それだけは、なんとしても防がなければならない。

 

「……少し、夜風に当たってきましょうか」

 

最早深夜と呼べる時間帯だが、マシュは気分を変えるためにカーディガンを羽織って自室を後にする。

夜風に当たって頭を冷やせば、嫌な想像も払う事ができると期待して。

 

この宿は王国直営という事もあり、中々に広く立派な造りをしている。

それなりの広さのある中庭もあり、マシュは隅のベンチに腰かけて星空を見上げた。

 

トータスに召喚されて二週間が過ぎた。

状況は一向に改善または変化の兆しもみられず、ただただ流されるままに訓練の日々を過ごしている。

オルクス大迷宮に来る前には、王都近郊で魔物ですらない獣や小型の魔物の討伐を経験したりもした。

マシュにとっては慣れたことだが、クラスメイト達にとっては初めての「生命の搾取」である。

ほとんどの者が罪悪感や恐怖心を紛らわせるため、不自然な形で気持ちを高揚させていたのが印象深い。

 

(できれば、あの時に気付いてくれればと思ったのですが……)

 

さすがに、そううまくはいかない。

野兎や狐のような魔物とはいえ、それでも生命は生命。

何か感じることがあればと期待したが、興奮してしまってそれどころではなかった。

 

とはいえ、全員が全員そういうわけでもない。

自他ともに認める最弱のハジメは、命を奪う時に沈痛そうな表情を浮かべていた。

数少ない冷静に状況を受け止めている雫もまた、生命を絶った時の表情は酷く苦いものだった。

それに気づいたマシュがフォローしたりもしたが、どの程度力になれたことか。

ちなみに、最近妙に仲の良い姿が目撃されることから、自称義妹(ソウルシスター)共には羨望と嫉妬の視線が向けられ、一部生徒から百合百合しい誤解をされていることを当人たちは知らない。

一応、親友を取られたような気持ちになった香織に妬かれたりもしたが、それは可愛いものだ。だって、背後に陽炎が立ち上らなかった、それだけで充分である。

 

「…………はぁ、あまり遅くなっても行けませんね。そろそろ戻りましょう」

 

夜風は気持ちよかったが、正直あまり心は晴れなかった。

懸念材料が多過ぎるくせに、安心材料はほとんどない。

手放しに喜べることがあるとすれば、雫やハジメとの距離感が縮まったことくらいだろう。

 

そうして自室に戻ろうとベンチから腰を浮かせたところで、マシュはとんでもないものを見つけてしまった。

 

「あれは…………白崎さん? なにをして……」

 

丁度ベンチとは中庭を挟んで反対側の窓の向こうに、長く艶やかな黒髪の美少女の姿。

続いてその正面の扉が開かれると、ハジメが姿を現した。

気が付くと、マシュは足音と気配を殺し、息をひそめてじりじりと近づいていく。

 

「こ、こんな夜中に何を……」

 

多少距離を詰めた程度では何を話しているかわからないが、二・三やり取りをした後、何とハジメは香織を部屋に招き入れてしまったではないか。

いくらマシュが世間知らずとはいえ、それでもその意味するところは分かる。つまりこれはいわゆる……

 

「これが日本の伝統文化『ヨバイ』!! お、大人です! 大人過ぎます白崎さん!!

 そして、それをあっさり受け入れるなんて、南雲さん実はケルトな人だったんですね!!」

 

香織がハジメに好意を抱いていることは雫から聞いていたし、応援する気持ちもあった。

とはいえ、これは流石に予想外。雫の話では好意を自覚していないとのことだったが、まさか一足飛びで行きつくところまで行きついてしまうとは……。

 

「…………御二人とも、どうかお幸せに」

 

勝手に想像して勝手に結論を出して戦慄するマシュは、これまた勝手に二人の前途を祝福する。

三つ目の良いことがあった。それは、クラスメイトが晴れて結ばれたことだ。

それが完全無欠の勘違いであることを指摘してくれる親切な人は、深夜の中庭には当然いない。

 

(これは、卒業の前にお二人の結婚式があるかもしれませんね。

 作法やマナーについて、エミヤ先輩に教えていただかないと。いえ、それこそ赤ちゃんができる可能性も……)

 

世間知らずと言うのも、困ったものである。

 

 

 

  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 

 

 

そして明くる日。

まだ日も昇らない早朝、一行はオルクス大迷宮正面入り口の広場に集まっていた。

 

誰もが少しばかりの緊張と未知への好奇心を浮かべており、この点においてはマシュもまた例外ではない。

元々ごく限られた世界しか知らなかった彼女にとって、世界と言うのは驚きと発見に満ちている。

それが異世界ともなれば、なおのこと。

 

ただ、もし彼女がもう少し擦れていたのなら、また別の感想があっただろう。

なにしろ、博物館のようなしっかりした入場ゲートが設けられ、制服姿の女性が笑顔で迷宮への出入りをチェックしている。広場には露店が並び、迷宮への挑戦者とは関係のない観光客までいる始末。

なんというか、「大迷宮への挑戦」という目的からするとイマイチ盛り上がりに欠けるのだ。

まぁ、それを心底残念に思っているのはハジメ位なものだろうが。

 

とはいえ、流石に迷宮内部まで観光地まがいのお祭り騒ぎではない。

むしろ、外の賑やかさとは打って変わり、迷宮の名にふさわしい静寂と緊張感で満たされている。

 

オルクス大迷宮は緑光石という発光する特殊な鉱物の鉱脈を掘って出来ているため、視界に問題はない。

基本的に通路は縦横5m以上あるが、集団戦を想定するなら決して広いとは言えない。

基本的には縦に隊列を組み、各人が前後左右それぞれの担当を警戒するのがセオリーらしい。

 

(二人並んだらもう手狭になりますね。上手く連携しないと、互いに足を引っ張ってしまう。

 後衛も視野を保ちづらいですし、距離の計り方や仲間の動きを正確に予想することが求められる。

 訓練に使われるというのも納得です)

 

迷宮内部の構造を見ながら、流石に実戦経験者らしい感想を抱く。

今マシュは、雫や香織と共に最前列の集団に参加している。生徒たちはいくつかのパーティに分かれており、最前列にいるのは現状最も優秀な者たち。

まず彼らに実戦を経験させ、後ろの者たちにそれを見せるつもりなのだろう。

 

やがて、天上の高さが7・8mほどあるドーム状の開けた空間にでる。

壁の隙間という隙間から灰色の毛玉が湧き出し、物珍しげに辺りを見渡していた一行に緊張が走った。

 

「よし、光輝達が前に出ろ。他は下がれ! 交代で前に出てもらうから、そのつもりでいろよ!」

「「「「「「「はい!」」」」」」」

「メルドさん、あの魔物は?」

「あれは……坊主、分かるか?」

 

光輝からの問いを、メルドはやや後ろにいたハジメへと振る。

彼が魔物について知識を蓄えていることは、すでに周知の事実だからだ。

 

以前、大介たちがハジメを訓練と称していたぶった時のこと。

香織たちが割って入ることで事なきを得たが、そこで光輝が持ち前の些か視野の狭い正義感を発揮し、「檜山たちも南雲の不真面目さをどうにかしようとしたのかもしれないだろ?」とか「訓練のない時は図書館で読書に耽っているそうじゃないか」とか「俺なら少しでも強くなるために空いている時間も鍛錬に充てる」とか言い出し、最終的に「もっと努力すべきだ」と締めた。

これにはさすがに幼馴染の香織や雫も黙ってはいられず「この世界のこと、戦うかもしれない魔物について調べることのどこが不真面目なの?」や「身体を動かすことだけが努力じゃないでしょ。光輝、あなたまさか勉強は努力の内に入らないとでも思ってるの?」と窘められた。

光輝としては、(幼馴染二人が揃ってハジメを擁護することに)釈然としないものがあるようで渋い顔をしていたが、実際にハジメが聞かれたことにスラスラ答えるところを見ては、流石に納得せざるを得なかったようで「不真面目」などの発言を謝罪した。

 

以来、香織や雫がこの世界のことや魔物について積極的にハジメから意見を求めるため、一部の生徒も以前のマシュとメルドのやり取りから思うところがあったらしく、ハジメに対しての風当たりがやや改善されつつあった。

メルドもその辺りのことは知っているので、あえて彼に話を振ったのだろう。

 

「あれはラットマンという魔物で、動きは早いけど力も耐久力も弱い筈です。みんななら落ち着いてやれば問題なく倒せる魔物じゃないかと」

「よし、まさにその通りだ。聞いたな、お前たち。ここで手間取るようじゃ、先が思いやられるぞ」

 

ハジメの言葉通り、ラットマンとの戦闘自体は特に山も谷もなく圧倒出来た。

ある者は剣で、またある者は拳で、時に魔法やアーティファクトの力を使って。

 

ただ、その外見が名前通りネズミっぽいくせに、二足歩行で上半身がムキムキだったのが問題だった。

八つに割れた腹筋と膨れあがった胸筋の部分だけ毛がなく、ぶっちゃけ気持ち悪い。

前衛の雫など、思わず頬が引き攣ってしまったほどに。

 

逆に、同じく前衛のマシュはケロッとしていた。

もっと気色の悪い魔獣やら腐臭を放つゾンビ、天を衝く肉柱に目玉がびっしりある様な存在なんかと対峙してきた手前、これくらいでは動じない。

まぁ、「気持ち悪いです」「フォウさんが懐かしい」とはもちろん思っていたが。

 

そうして、一行は順調に迷宮を潜っていく。

交代しながら戦闘を繰り返し、すっかり説明役、歩く辞書にされてしまったハジメは自分の番が終わってからもずっと最前列手前に居座る羽目に。

まぁ、回復役として同じく最前列手前が定位置になった香織はほっこりしているが。

ついでに、マシュと雫が二人揃って視線や身振り手振りで二人を焚きつけていたのはご愛敬だろう。

例えそれをメルドに見咎められ、軽く説教されてしまったとしても。

 

迷宮が危険な場所なのはわかっているし、TPOは大事だ。

だがそれはそれとして、友人の幸せも大切なのである。

 

そんなこんなで、一流の冒険者か否かを分けると言われる二十階層にたどり着いた。

現在の迷宮最高到達階層は六十五層らしいが、それは百年以上前の記録。

今では超一流で四十層越え、二十層を越えれば十分に一流扱いだ。

破格の能力を持っているとはいえ、初日にここまで来れるというのも大概だろう。

 

とはいえ、それが彼らの実力かと言えばそうでもない。

迷宮で怖いのは何も魔物だけではないのだ。最も怖いのはトラップ、致死性のものから地味に足を引っ張ってくるタイプまで、多種多様なトラップが仕掛けられている。

 

この厄介な見えない敵は、騎士団員たちが長年の経験と勘を駆使し、罠を見つけるための道具「フェアスコープ」で無力化、ないし避けて通らせてくれたことが大きい。

彼らが素早く階層を下げられたのも、騎士団員達の誘導あってこそだ。

メルドからも、トラップの確認をしていない場所へは絶対に勝手に行ってはいけないと強く言われている。

 

とはいえ、こうまで順調だと気が緩む者が出てくるのも必定。

初めは緊張感で引き締められていた心身が緩み、余計な余裕を持ってしまう。

それが、致命的な事態を引き起こすことになるとは知らずに。

 

二十層にもなると一種類の魔物だけではなく、複数種類の魔物が混在したり連携を取ったりして襲ってくるようになる。これを経験することで、大迷宮初回の訓練の締めとする予定だった。

だが、所詮予定は予定。予定など、いくらでも覆るのである。

 

現在、四十七層までは確実なマッピングがなされ、迷う事もなければトラップに引っかかる心配もない……筈だった。

迷宮の各階層は数km四方に及ぶ広大なもの。マッピングが人間の手によって行われる以上、どれだけ万全を尽くしても、完璧にとはいかない。

それ自体は当たり前のこと。しかし、当たり前でありながらも滅多にハズレを引くことがないために、そのことを失念していしまうのもまた人間だ。

 

二十層の一番奥、二十一層への階段までたどり着くことが今回のゴール。

神代の転移魔法の様な便利なものは現代にはないので、また地道に帰らなければならない。

一行は若干弛緩した空気の中、ここでも縦列を組んで進む。

やがて、先頭を行くマシュ達やメルドが立ち止まり、訝しそうなクラスメイトを尻目に戦闘態勢に入った。

 

「擬態しているぞ! 周りをよ~く注意しておけ!」

 

メルド団長の忠告が飛ぶ。

直後、前方でせり出していた壁が突如変色しながら起き上がった。

壁と同化していた体は褐色となり、二本足で立ち上がる。

カメレオンのような擬態能力があるらしい。

 

「南雲君!」

「あれはたぶんロックマウント! 腕力が強いから気を付けて!」

「ありがと!」

 

最早皆まで言わずともわかるようになり、雫の要請を受け即座にハジメは情報を提供。

すっかりそういったやり取りも慣れたらしく、皆の動きも徐々にスムーズになっている。

 

だからではないが、戦闘自体は一応特に怪我人が出ることもなく終えることができた。

多少危うい場面もあったりしたものの、経験豊富なマシュが落ち着いて対応し、光輝が“勇者”らしく過剰火力で薙ぎ払う事で無事終結。

ただし……

 

「へぶぅっ!?」

「この馬鹿者が! こんな狭いところであんな技使って崩落でもしたらどうすんだ!」

 

メルドのお叱りを受け、バツが悪そうにする光輝。

周りに仲間たちが集まり、苦笑いしながら慰める。

 

その時ちょっとした、全てが終わった後から考えれば致命的なハプニングが起こった。

ふっと香織が崩れた壁の方をみあげると、そこには緑光石とも異なる輝きがある。

 

「……あれ何かな? キラキラしてるけど」

「ほぉ、あれはグランツ鉱石か。大きさも中々だ、珍しいこともあるもんだ」

 

白く発光する鉱物が花咲くように壁から生えていた。

まるでインディコライトが内包された水晶のような美しさだ。

 

グランツ鉱石とは、言わば宝石の原石のこと。

特に何か効能があるわけではないが、その涼やかで煌びやかな輝きが貴族のご婦人ご令嬢方に大人気。

加工して指輪・イヤリング・ペンダントなどにして贈ると大変喜ばれるようで、求婚の際に選ばれる宝石としてもトップ3に入るとか。

そんなことを聞かされては、年頃の女子としては夢を見ずにはいられない。

 

「素敵……」

 

香織が話を聞いて頬を染めながらうっとりとする。

誰にも気づかれないよう注意しつつ、チラリとハジメに視線を向けた。

もっとも、雫やマシュにはバレバレだが。

 

「だったら俺らで回収しようぜ!」

「こら! 勝手なことをするな! 安全確認もまだなんだぞ!」

 

制止の言葉も聞かず、大介はヒョイヒョイと鉱石の場所に辿り着いてしまった。

メルドは急ぎ止めようと追いかけ、騎士団員の一人はフェアスコープで鉱石の辺りを確認する。

そして、一気に青褪めた。

 

「団長! トラップです!」

「っ!?」

 

メルドも騎士団員の警告も一歩遅く……どうしようもなく致命的だった。

グランツ鉱石に触れた瞬間、鉱石を中心に魔法陣が広がる。

鉱石の輝きに魅せられ不用意に触れた者へのトラップ。

この程度の罠にかかるものに、この先に進む資格なしと言わんばかりだ。

魔法陣は瞬く間に部屋全体に広がり、輝きを増していく。

それはまるで、召喚されたあの日の再現だった。

 

「くっ、撤退するぞ! 急げ!」

 

皆は急いで部屋の外に向かうが……間に合わない。

部屋に光が満ち、視界を白一色に染めると同時に一瞬の浮遊感に包まれる。

 

空気が変わった。

 

次いで地面に叩きつけられ、尻の痛みに呻き声を上げる者が多数。

それに対し、メルドや騎士団員達、一部の前衛職の生徒は既に立ち上がって周囲の警戒をしている。

 

(どうやら、先程の魔法陣は転移の類のようですね。

空間転移は魔法の域にある魔術なのに、それをやってのけるなんて……この世界の神代の魔法も侮れません!)

 

転移した場所は、巨大な石造りの橋の上。

ざっと100mはあるだろうか。天井も高く20mを超え、橋の下は全く何も見えない深淵の如き闇が広がっている。まさに、落ちれば奈落の底だ。

 

橋の横幅は10mくらいありそうだが、手すりどころか縁石すらない。

足を滑らせれば掴むものもなく奈落の底へ真っ逆さま。

生徒達はそんな巨大な橋の中間にいた。橋の両サイドにそれぞれ奥へと続く通路と上階への階段が見えるのが救いだろうか。

 

「メルド団長、急いだ方が!」

「ああ! お前達、直ぐに立ち上がってあの階段の場所まで行け。急げ!」

 

マシュの嫌な予感はメルドも同様らしく、険しい表情をしながら指示を飛ばす。

生徒たちは疑問の声を上げる余裕もなく、わたわたと動き出す。

 

当然ながら、迷宮のトラップがこの程度で済むわけもなく、撤退は叶わなかった。

階段側の橋の入口に現れた無数の小さな魔法陣から大量の魔物が出現しからだ。

更に、通路側にも巨大な魔法陣が出現。そちらから現れた一体の巨大な魔物を見て、メルドは呆然と見つめながら呻く様な呟きを漏らす。

 

「まさか、ベヒモス……なのか……」

「ベヒモス?」

「南雲さん!」

「ごめん、知らない! 少なくとも、20層とかそこらに出てくる魔物じゃないと思う!」

 

限られた時間の中で調べられる内容には限度がある。

そのため、今回の訓練で必要になるであろう範囲にハジメが重点を置いたのは、何も間違っていない。

 

その間にも、小さな無数の魔法陣からは骨格だけの体に剣を携えた魔物……竜牙兵に似た“トラウムソルジャー”が溢れる様に出現し続けていた。

空洞の眼窩からは魔法陣と同じ赤黒い光が煌々と輝き、目玉の様にギョロギョロと辺りを見回している。

その数は既に百体近くに上っており、なおも増え続けている。

 

だが、そちらにばかりに気を取られてもいられない。

メルドが“ベヒモス”と呼んだ魔物は、大きく息を吸うと凄まじい咆哮を上げる。

 

「グルァァァァァアアアアア!!」

 

体長10m級の体躯、太く逞しい四本の脚と頭部に兜のような物を取り付けた魔物。

もっとも近い既存の生物に例えるなら、トリケラトプスだろうか。

鋭い爪と牙を打ち鳴らしながら、頭部の兜から生えた角から炎を放っているという付加要素が付くが……。

 

そこからはもう大混乱としか言いようがない。

メルドは騎士たちを指揮し、ある者には生徒たちを率いて退路を切り開くよう指示を出しつつ、自身はベヒモスの足止めへと向かおうとする。

 

だが、ここで光輝の正義感が悪い方に働く。

急ぎ生徒たちを安全な場所まで撤退させ、その上で自分たちも退避するというのがメルドのプラン。

それに対し、光輝は「見捨ててなどいけない!」と踏みとどまろうとする。

なんとか光輝を説得しようとするも、そんなことはベヒモスの知ったことではない。

 

咆哮を上げながら突進してくるベヒモス。

ハイリヒ王国最高戦力が、全力の多重障壁でそれを阻もうと動き出す。

ここで止めなければ、撤退中の生徒たちに命はない。

 

「「「全ての敵意と悪意を拒絶する、神の子らに絶対の守りを、ここは聖域なりて、神敵を通さず、“聖絶”!!」」」

 

2m四方の最高級の紙に描かれた魔法陣と四節からなる詠唱、さらに三人同時発動。

一回こっきり一分だけの防御であるが、何物にも破らせない絶対の守りが顕現。

純白に輝く半球状の障壁がベヒモスの突進を防ぐ。

 

衝突の瞬間、凄まじい衝撃波が発生しベヒモスの足元が粉砕される。

橋全体が石造りにも関わらず大きく揺れた。

撤退中の生徒達から悲鳴が上がり、転倒する者が相次ぐ。

 

メルドの指示に従い撤退の支援に向かおうとしていたマシュは、時に転倒したものを助け起こし、時に斬りかかってくるトラウムソルジャーを阻み、時に前後の状況に視線を配る。

 

トラウムソルジャーは三十八層に現れる魔物。

今までとは一線を画す戦闘能力を持っているが、弱体化していても無理に攻めさえしなければ問題はない。

いなし、弾き、逸らし……確実に行ける時だけ大盾をぶつけて奈落の底に突き落としていく。

とはいえ、状況はあまりよろしくない。

 

(後方もそうですが、それ以上に階段側の混乱が酷い。騎士たちは連携を取れていますが、皆さんは冷静さを欠いてむしろ騎士たちの邪魔になっている。なんとか生命こそ無事ですが、それもいつまでもつか……)

 

マシュの脳裏によぎった選択肢は二つ。

一つは自身もまた階段側へと向かい、混乱の鎮静及び退路の確保に協力する。

一つは後方へと下がり、最大の脅威であるベヒモスの足止めに参加。代わりにメルドを階段側へ向かわせ、統率してもらう。

 

だが、どれも妙案とは言えない。

前者はマシュでは影響力に乏しく、おそらく焼け石に水だろう。トラウムソルジャーが相手では、彼女もそう無茶はできない。初期ステータスこそ高いが、未だレベルはようやく10を超えたばかり。既にステータスは並みの騎士を上回っているが、それでも技術や経験を込みで考えても、騎士数人分の働きが精々だろう。退路の確保に専念しても、効率は決していいとは言えない。

後者の場合、ベヒモスの攻撃をある程度防げる自信はある。だが、そう何度も止めることはできないだろう。メルドの抜けた穴をふさぎ切れるかと言えば、正直自信がない。

 

(なら、あとは……武装を展開して一気に押し切るしか、でもそれは……)

 

あまりにリスクが高い。現状、彼女が武装を展開し、デミ・サーヴァントとしての力を振るえるのは十数秒が限界だ。しかも、本来のそれとは比較にならないほど弱体化している。

具体的には、トラウムソルジャーたちを圧倒することはできるが、ベヒモスを仕留められるかは厳しい位。一時的優位には立てるだろうが、攻撃より防御に長ける分、倒しきれない可能性が高いのだ。

 

加えて、時間一杯まで力を使えば、恐らくマシュはしばらく行動不能になる。

これまで何度か検証してみた結果なので、まず間違いない。

 

ベヒモスを倒しきれればいいが、失敗すれば歩くのが精一杯の足手纏いを抱える羽目になる。こんな賭けはできない。

階段側ならトラウムソルジャーを確実に薙ぎ払えるものの、これまた十数秒のリミットがネックになる。

たったそれだけでは、か細い退路を通すのが限度だろう。そこでも結局足手纏いの出来上がり。

状況を考えれば、あまりにも分が悪い。

 

(せめて、私が動けなくなっても何とかなる状況の見通しが立たないことには……)

 

賭けに出ることすらできない。

とその時、マシュの視界の端で一人の女子生徒が後ろから突き飛ばされて転倒してしまう。

 

「きゃっ!」

「っ! この……倒れて!」

 

何とか助けに行こうとするが、立て続けに襲ってくるトラウムソルジャーを迎撃しながらだと厳しい。

ここでマシュが離れれば、この場所が崩れかねない。

また、それなりの距離があるため、人の波で隔てられているのも厄介だ。

 

「あ」

 

そんなマシュと彼女の目が合う。だが、どうやっても手は届かない。

その間にも一体のトラウムソルジャーが、彼女の頭部目掛けて剣を振り下ろす。

 

(ダメッ! 誰か、助けて……先輩!)

 

一瞬、マシュは少女が血飛沫を上げる姿を幻視した。

しかし、それは幻に終わる。

 

トラウムソルジャーの足元が突然隆起したのだ。

 

トラウムソルジャーはバランスを崩し、彼女から逸れた地面を叩くに終わる。

更に、地面の隆起は数体のトラウムソルジャーを巻き込んで橋の端へと向かって波打つように移動して行く。

その波は、やがて骸骨どもを奈落へと落とすことに成功した。

 

「今のは、錬成?」

 

戦う手を止めないまま、マシュは今の光景の意味を理解する。

視線を巡らせば、橋の縁から2mほど手前に座り込みながら荒い息を吐くハジメの姿があった。

ハジメは連続で地面を錬成し、滑り台の要領で魔物達を橋の外へ滑らせて落としたのである。

 

本来戦闘向きでない技能を有効に活用する。

それは、今日の訓練でも度々見られた彼ならではのアプローチだった。

道具とは、要は使い手次第であることを改めて思い知る。

 

ハジメは魔力回復薬を飲みながら倒れたままの女子生徒の下へ駆け寄る。

女子生徒の手を引っ張り立ち上がらせると、呆然としている彼女にハジメが笑顔で声をかけた。

 

「早く、前へ。大丈夫、冷静になればあんな骨どうってことないよ。

うちのクラスは僕を除いて全員チートなんだから!」

 

自信満々で背中をバシッと叩くハジメ。

そんな命の恩人をマジマジと見る女子生徒は、次の瞬間には「うん! ありがとう!」と元気に返事をして駆け出した。

 

「南雲さん!」

「キリエライトさん?」

 

ようやく周りの敵戦力をある程度減らせたところで、マシュは人波をかき分けてハジメと合流する。

 

「みなさん、混乱しています」

「うん。アランさんが纏めようとしているけど、上手くいってない。みんなパニックになりながら滅茶苦茶に武器や魔法を振り回している。このままじゃ、いずれ死者が出るかも……」

「はい。そうしている間にも魔法陣から続々と増援が送られてきて、状況は悪くなる一方です」

「何とかしないと……」

「なにか、方法はありませんか?」

「そう言われても、僕にできることなんて……いや、別に僕がやる必要はないんだ。必要なのは強力なリーダー、道を切り開く火力……これだっ!!」

 

何か妙案が浮かんだらしく、ハジメの表情にそれまでの焦りとは違う希望の色が浮かぶ。

ハジメは手短にマシュにその案を伝える。自分では妙案だと思うが、客観的な意見が欲しかった。

もし愚策を献策することになれば、本当に全滅してしまうかもしれない。

ならば、この用心は当然だろう。

 

「――――――なんだけど、どう思う?」

「策自体は良いと思います。ですが……危険です」

「危険なのはどこでも同じだよ。それに、他の場所じゃ役に立たないけど、あそこでならできることがある。それなら、ね?」

「…………………………白崎さんがあなたを好いている理由が、分かった気がします」

「え? あ、いや……」

「あなたは、少し先輩に似ている気がします。それに、私も友達が悲しむのは見たくありません」

「キリエライトさん?」

 

今マシュは、自分の力の使いどころがわかった気がした。

確かにハジメの策は有効だろう。しかし、リスクも高い。それに、失敗した時にも後がない。

だがマシュには、彼の策に対する修正案がある。

 

「南雲さんの策は有効ですが、より確実にベヒモスの動きを止める必要があるはずです。

そこでまず、私がベヒモスの動きを止めます。合図をしたら、そのタイミングで行ってください」

「で、でも!」

「私の天職は守護者だそうです」

「それは、聞いてるけど……」

「適材適所、違いますか? 私は私にできることをします。ですから南雲さん、あなたも」

「…………わかった」

 

僅かに逡巡した後、ハジメはゆっくりと首肯する。

彼とて、別に死にたいわけではないし英雄願望もない。

生き残れる可能性が少しでも高くなるなら、それに乗るのは当然だ。

 

とはいえ、マシュはどうやってベヒモスを止めるかを敢えて説明していない。

すれば確実に止められるし、納得してもらう時間が惜しいからだ。

 

ハジメはてっきり、今までの戦い方の延長として盾で防ぎ、その一瞬の停滞を利用するつもりなのだろうと思っている。

その勘違いを、マシュは利用したのだ。

 

「ではいきましょう。時間がありません」

「うん!」

 

二人は光輝達やメルドのいるベヒモスの元へ向けて走り出す。

 

ベヒモスは依然、障壁に向かって突進を繰り返していた。

衝突する度に壮絶な衝撃波が周囲に撒き散らされ、石造りの橋が悲鳴を上げる。

障壁も既に全体に亀裂が入っており砕けるのは時間の問題。

メルドも障壁の展開に加わっているが気休めにしかなるまい。

 

「くそ、もうもたんぞ! 光輝、早く撤退しろ! お前達もだ、早く行け!」

「嫌です! メルドさん達を置いていくわけには行きません! 絶対、皆で生き残るんです!」

「くっ、こんな時にわがままを……!」

「光輝! 団長さんの言う通りにして撤退しましょう!」

 

光輝と違い、雫は状況がわかっているようで諌めようと腕を掴む。

とそこへ、一組の男女が光輝の前に飛び込んできた。

 

「天之河くん!」

「無事ですか、皆さん!」

「なっ、南雲!?」

「南雲くん!?」

「マシュまで、どうして戻ってきたの!?」

 

驚く一同。

ハジメもそうだが、盾役として皆を守るために先行したはずの彼女が戻ってきたことに驚きを禁じ得ないのだろう。

しかし、そんな皆の反応を無視してハジメは必死の形相でまくし立てる。

 

「早く撤退を! 皆のところに!」

「いきなり何だ? それより何でこんな所に……ここは君達がいていい場所じゃない! ここは俺達に任せて……」

「そんなことを言っている場合じゃありませんっ!」

「あれが見えないの!? みんなパニックになってる! リーダーがいないからだ!」

 

光輝の胸ぐらを掴みながら指を差すハジメ。

その方向にはトラウムソルジャーに囲まれ、右往左往しているクラスメイト達がいた。

パニックのあまり訓練の事など頭から抜け落ち、誰も彼もが好き勝手に戦っている。

スペックの高さが命を守っているが、それも時間の問題だろう。

 

「一撃で切り抜ける力が必要なんだ! 皆の恐怖を吹き飛ばす力が! それが出来るのはリーダーの天之河くんだけでしょ! 前ばかり見てないで後ろもちゃんと見て!」

 

 呆然と、混乱に陥り怒号と悲鳴を上げるクラスメイトを見る光輝は、ぶんぶんと頭を振ると頷いた。

 

「ああ、わかった。直ぐに行く! メルド団長! すいませ……」

「下がれぇ――!」

 

光輝が振り返った瞬間、メルドの悲鳴と同時に遂に障壁が砕け散る。

咄嗟にハジメは前に出ようとするが、それより数瞬早く飛び出した人影があった。

 

「―――――――え?」

「武装…展開。シールダー、吶喊します!!」

 

マシュは手にしていた大盾を投げ捨てながら、障壁を張る騎士たちのさらに前に躍り出る。

その体を淡い光が包み込み、それまでの甲冑とは様相の異なる鎧が巨大な盾と共に顕現した。

 

「やぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

身の丈を超える十字架型の大盾を押しだし、ベヒモスから放たれる衝撃波の全てを受け止める。

本来、強力な防御障壁でもない限り防げないはずのそれを受けきるなど、尋常なことではない。信じがたい光景を目の当たりにし、どこからか「……スゴイ」と誰かが、あるいはその場にいた全員が、知らず知らずのうちに呟く。

とはいえ、マシュとて決して余裕があるわけではない。

 

(くぅっ! 『いまは遥か理想の城』(ロード・キャメロット)が使えれば……)

 

じりじりと、だが確実にマシュの守りが押され始めている。宝具を使えれば難なく防ぎきれるだろうが、霊基が安定していない現状では望むべくもない。それどころか、本来の性能の半分も発揮できていないのが実情だ。遠からず、マシュの守りも突破されるだろう。彼女が守りたいものを守るためには、更なる一手が必要だ。

マシュもそれを理解している。故に、霊基が安定していない状態では無謀と理解していながらも、敢えてその一歩を踏み込む。

 

 

「……宝具、偽装登録。『仮想宝具 疑似展開/人理の礎』(ロード・カルデアス)!!」

 

 

十字盾が光を放ち、前面に守護障壁が展開される。それは先ほどまでの危うさが嘘のように、微動だにすることなくベヒモスの突進とそれに伴う衝撃波の全てを受け止めた。

間もなく衝撃波が治まると、とっさに身をかがめていた皆は顔を上げ、ベヒモスの正面に佇むマシュに視線が集中する。

 

「みなさん、それぞれの持ち場へ! 天之河さんたちは階段に向かってください、早く!!」

「わ、分かった」

「メルド団長、詳しくは南雲さんに聞いてください。南雲さん、説明をお願いします。それと、くれぐれも私が合図するまで決して動かないでください」

「それは、分かったけど……まさかっ!」

「その、まさかです」

 

振り返らずに告げるマシュの言葉に、皆がその意味を理解する。

 

「やめろ、無茶だ! 死ぬつもりか!!」

「マシュ、やめなさい!」

「すみません、私には時間がないんです。いきます!」

 

皆の制止の声を振り切り、ベヒモスに向けてさらに前へと飛び出していく。

内心で、恐怖に震える己を奮い立たせるための言葉を口にして。

 

(マスター……私に力を!)

 

明らかに先ほどまでとは別次元のスピード。

雫も含めてこの場にいる誰よりも早く、ベヒモス目掛けて駆けていく。

そして、思い切り身体を引き絞り、渾身の力で大盾を振り抜いた。

 

「はぁっ!!」

「ルァッ!?」

「嘘だろ……」

「……スゴイ」

 

マシュの一撃を横っ面に浴びて、ベヒモスの体勢が大きく崩れた。

着地すると同時に前足を払い、落下してくる顎に向けて大盾を打ちあげる。

 

続け様の頭部への攻撃が効いたのか、ベヒモスの動きは鈍い。

マシュはこの機を逃さず、畳みかける様に攻撃を加えていく。

 

百年以上前、かつて“最強”と言わしめた冒険者をして歯が立たなかったはずの化け物が、たった一人の女の子に圧倒されている。

その光景に、豪胆なメルドも度肝を抜かれていた。

しかし、彼は間もなく気付く。一方的に打ちのめしていながら、辛うじて目で追う事の出来るマシュの表情には、全く余裕がない事に。

 

「まさか、あんな隠し玉があるなんて……」

「ったく、キリエライトも人が悪いぜ」

(いや、今まで使わなかったからには理由があるはずだ。

 恐らく、あの文字化けした技能が関係しているんだろう。限界突破のように、後から相当な反動があるに違いない。なら、いまは!!)

 

感嘆の声を漏らす雫や同パーティの坂上龍太郎に対し、メルドの思考は冷静さを取り戻していた。

 

「光輝達は急いで階段へ迎え! 嬢ちゃんが作った時間を無駄にするな! ボケっとしてないで急げ!!」

「「「は、はい!」」」

 

呆然と立ち尽くしていた光輝達だったが、メルドの叱咤を受けて大急ぎで駆けだす。

一瞬忘れかけていたが、今は決して余裕があるわけではない。

事実、階段側はいまも大混乱の真っ最中。いまこそ、勇者の力が必要な時なのだ。

 

「それで坊主、お前の策ってやつを聞かせてくれ」

「はい、それは―――――――」

 

ハジメは手短にマシュにしたのと同じ話をする。

それは、この場の全員が助かるかもしれない唯一の方法。

ただし、あまりに馬鹿げている上に成功の可能性も少なく、ハジメが一番危険を請け負う方法だ。

 

「そいつの成功率を上げるために、嬢ちゃんが戦っていると……」

「多分、長くは持たないんだと思います。明らかに、異常なレベルの強化ですし」

「同感だ。あの調子で戦えるなら倒せるだろうが、時間制限か何かでダメージを与えて弱らせるのが精々なんだろう。そこで、弱ったところをお前さんが足止めすると……」

 

メルドは逡巡するが、既に賽は投げられている。

最早、止めることも変更することもできないのだ。

 

「……やれるんだな?」

「やります」

「ま、女があそこまでやってんだ。やらなきゃ男が廃るか……にしても、まさかお前さんに命を預けることになるとはな。……嬢ちゃんと一緒に必ず助けてやる。だから……頼んだぞ!」

「はい!」

 

あと問題となるのはタイミング。マシュが言うには合図をするらしい。

その合図とやらがいつ来てもいいように、ハジメは全神経を目の前の戦いに集中させ、いつでも動き出せる体勢を整える。

そして、その合図の時はそう遠くない。

 

(くっ……体が、霊基が軋む。身体が今にも砕けそう……

もう限界時間は超えてるはずなのに動けるのは、多分……)

 

限界を超えたことと引き換えに、何かを削っているのだろう。

それでなくても全身の骨に亀裂が入り、筋線維が千切れ、神経にヤスリをかけたかのような痛みが走っているのだ。ハジメのため、すこしでも生存率を上げるためにダメージを与えているが、それももう……。

 

「南雲さん!! お願いします!」

「っ!」

「これでっ、倒れて!」

 

最後の一撃とばかりの打ち下ろしが鈍い音を響かせ、ベヒモスの頭部から鮮血が舞う。

しかし致命傷とはいかず、まだその四肢はしっかりと地面を捉えている。

出来れば倒しきりたかったが、そうはいかないらしい。

 

それでもマシュの一撃を受けて、ベヒモスの頭部は地面に向けて深々とめり込んだ。

と同時に、ハジメがベヒモスの頭に飛びつく。

いつの間にか赤熱化していた角の余波がハジメの肌を焼く。

だが、そんな痛みは無視してハジメも詠唱した。名称だけの詠唱。最も簡易で、唯一の魔法を。

 

「“錬成”!」

 

石中に埋まっていた頭部を抜こうとしたベヒモスの動きが止まる。

周囲の石を砕いて頭部を抜こうとしても、ハジメが錬成して直してしまうからだ。

 

「ご武運、を。必ず、戻って、きてくださ…い」

「はは、それフラグっぽくてちょっと怖いんだけど。まぁ、頑張ってみるよ」

 

息も絶え絶えのマシュは、最後の力を振り絞ってメルドの元まで戻る。

彼を目の前にしたところで力尽きたのか、倒れるように崩れ落ちる。

いつの間にか体を覆っていた見慣れぬ鎧も、十字架型の盾も消えていた。

 

「ったく、わからんことばかりだが助かったぜ! あとは坊主と俺たちに任せな!」

 

メルドはマシュを肩に担ぐと、自らの役目を果たすべく所定の位置へと向かう。

その間にも、ベヒモスは足を踏ん張り力づくで頭部を抜こうとしている。

しかし、今度はその足元が錬成され、ずぶりと一メートル以上沈み込む。

更にダメ押しとばかりに、ハジメはその埋まった足元を錬成して固める。

 

ベヒモスのパワーは凄まじいが、マシュが与えたダメージは相当なものらしい。

どれだけもがいても、小さな亀裂が石畳に入るだけ。

度重なる頭部への打撃のおかげで、上手く力が入らないのだろう。

ハジメに油断はなく、万全を期するため僅かな亀裂も錬成し直して抜け出す事を許さない。

ベヒモスは頭部を地面に埋めたままもがいている。中々に間抜けな格好だ。

 

メルドに担がれたマシュは、その光景を見てようやく安堵の息をついた。

 

(これなら、なんとか……)

 

無茶をした甲斐はあったようで、何もしないよりグッとハジメの生存率は上がったはず。

皆で生きて帰らなければならない、その一心で全身を襲う凄絶な痛みにも耐えた。

 

とはいえ、マシュももう限界だった。

 

「お前達! 今まで何をやってきた! 訓練を思い出せ! さっさと連携をとらんか! 馬鹿者共が!」

 

メルドの檄が飛ぶのと前後して、まるで電源が切れるかのように唐突に意識がブラックアウトする。

 

マシュが目を覚ますのは、これより数日後のこと。

全てが、そう何もかもが終わった後のことだった。

目を覚ました彼女を待っていたのは、あまりにもつらい現実。

 




結局ハジメは奈落の底へ。魔王爆誕フラグが立ちました。

マシュはある意味一番肝心な時に意識不明。超がんばった反動です。
ある意味、その場にいたのに意識がないって、一番精神的にきますよね。
別にマシュをいじめるつもりはないんですが、結果的にこんな感じに。

とはいえ、ここまでは原作の流れのまま。
次から少しずつ流れが「おや?」な感じに変わっていきます。いけたらいいなぁ。




ちなみに、カルデアがマシュのことを観測したのは、限界である十数秒を超えたあたりから。これやんなきゃ見つけてもらえないとか、どんだけハードなのやら……。


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004

終わらねぇ~!!!

何が終わらないかは、読んでいただければわかるかと。
折角の三連休、創作意欲も鰻登りなうちに良い所まで行きたいのに~。


ハイリヒ王国王宮内、召喚された生徒たちそれぞれに与えられた私室の並ぶ一角。

正午を回ろうかと言うこの時間帯、生徒たちはもっぱら訓練や早めの昼食のために部屋の外にいることが多い。

また、部屋の清掃やベッドメイキングも朝の内にメイドたちが済ませてしまうこともあり、この区画に人の気配はない……はずだった。

 

しかし、今は少々事情が違う。

先日行われたオルクス大迷宮での初訓練。

経験豊富な騎士団員を多数同行させ、足手纏いがいてもカバーできるよう進んでも20層までとするなど、安全管理には万全を期した。

 

にもかかわらず起きてしまった、練達の騎士団員たちでも対処しきれない不測の事態。

結果、率先して対処に当たった騎士団員たちを中心に多数の負傷者を出し、そして召喚者の中から死者・行方不明者が一名。

 

それまで順調と言って良い成長を見せていた召喚者たちだったが、この一件が各人の心に与えた傷と衝撃は大きかった。

生命の危機に直面した恐怖もそうだが、よく見知ったクラスメイトが目の前で奈落の底へ落ち、思ってしまったのだ「次は自分かもしれない」と。あるいは、遅ればせながら気づいたのだろう「生命の儚さ」を。

マシュが懸念し続けた事態、その一端が現実のものとなってしまったのだ。

 

あの後、宿場町ホルアドで一泊し、早朝には高速馬車に乗って一行は王都へと戻った。

とても迷宮内での実戦訓練を継続できる雰囲気・状況ではなかったし、勇者の同胞が死んだ以上、国王や教会上層部にも報告が必要だったことから、当然の対応だった。

また、生命に関わったり今後の活動に支障をきたしたりするような重傷者こそいなかったが、もう二名意識不明の生徒がいたのも大きい。一名は特に外傷などはなかったものの、反面もう一名の体の内側はボロボロだった。

 

ホルアドの宿では回復系魔法の使い手に治療に当たらせ、王宮に戻ってからも高レベル治癒師が力を尽くした。

おかげで、丸二日を要しはしたものの、彼女の体を傷ひとつない状態まで回復させることができた。

少女……マシュのそんな状態もまた、生徒たちの心に負荷を与える一因になってしまったのは皮肉なことだろう。

 

騎士団側の動きは迅速かつ的確だった。

ホルアドに滞在する時間を極力短くし、マシュの治療と並行して最速で王都へと帰還を果たすことで、少しでも早く最悪の記憶から離れるようにしたのだ。

その後も、勇者一行の精神的ケアのために奔走している。

 

とはいえ、その全てが功を奏したわけではない。

迷宮内でのことがフラッシュバックして恐怖に震える者、不安感から周囲に苛立ちをぶつける者がチラホラ現れ、中には自室に引き籠る様になってしまった者までいる。

今も、必要なものにはカウンセリングの様なものが行われたり、引き篭もってしまった者の部屋の前では定期的に声がかけられたりしている。

他にも、彼らほど顕著ではないながら暗く塞ぎがちな生徒たちを、気分転換に王都観光に連れ出すなどの配慮が継続して行われている。

 

あるいは、王国・教会側の人間が死者に鞭打つような態度を見せたことも一因にあるかもしれない。

当初こそ愕然とした彼らだったが、唯一の死者が(彼ら基準で)無能の“ハジメ”と知って安堵の息を漏らしたのだ。ハジメは生徒の間からも評価が高かったわけではないが、自分なりのアプローチで皆に貢献しようとする姿勢に、徐々に評価が上がってきている最中だった。

特に親しくしていたわけではなかったとしても、“死んだのが無能でよかった”と態度に出されては、穏やかではいられない。自然、生徒と王国・教会側の間には軋轢が生まれていた。

 

それらが複雑に絡まり合い、王宮内はどこか落ち着かない雰囲気で満ちている。

 

そんな中、マシュは今も自室の豪奢な天蓋付きベッドで昏々と眠り続けていた。

身体の傷は全て治療できたのに、なぜ目覚めないのか。

同じく意識の戻らない香織については、ある程度理由がわかっている。

しかし、彼女については本当に何もわからない。

香織と違ってマシュは決定的な場面を目撃していないので、精神的な要因ではないだろう。

かと言って、肉体的には問題はない筈、なのに目覚めない。

 

友人たちは意識の戻らない二人を心配し、訓練に身が入らないこともあって、足繁く二人の部屋を訪れている。

特に雫は、一日の大半を二人の部屋を行き来して過ごし、食事すらどちらかの部屋で取っているほど。

今日もまた、彼女は二人の部屋の花瓶を新たな花と交換しながら、目覚めぬ友人の様子を見守っていた。

 

「……私は、どちらを望んでいるのかしらね」

 

花を片手に廊下を歩きながら、小さく零す。

目覚めて欲しいのか、目覚めてほしくないのか。彼女自身にすら判然としない。

二人が今の状況を、ハジメへの王国・教会側の仕打ちを知れば、怒るだろうか、悲しむだろうか。

いずれにせよ、誰よりも心を痛めることだろう。

 

香織は、心からハジメのことを想っていた。

 

マシュは、ハジメを生かすために身を削って戦った。

 

そんな二人が直面するであろう現実を思うと、雫の心はどうしようもなく重くなる。

気付けば、目の前にはマシュの部屋の扉。

本来ならそれぞれに付けられた専属のメイドに開けてもらうのだが、同性であり親しい友人という事もあり、雫は二人の部屋の鍵を預かっている。決して、どう見たって年上の筈のメイドさんから「お姉様!」呼びと共に鍵を渡されたわけではない。きっと、あれは心身ともに疲れた雫の幻聴だ。そうに違いない。

 

(コンコンコン)

 

どうやらこの世界でも、親しい間柄でのノックは3回が基本らしい。

案外知られていないことであり、雫も最初は知らなかった。

まさか、二回がトイレ用とは知らず、お付きのメイドがこっそり教えてくれた時は赤面したものだ。

 

それはともかく、親しき仲にも礼儀あり。

返事はないと知りつつやったノックには、やはり何も返ってこない。

 

「マシュ、入るわよ」

 

最後にそう一声かけてから扉を開ける。

しかしそこで、彼女は思いもよらないものを見た。

 

「マ、シュ?」

 

ベッドに身を横たえたまま顔だけを扉の方に向け、だが確かに瞼を開けてこちらを見る友人の姿。

まだ意識がはっきりしないのか、僅かに遅れてマシュは少しばかりずれた返事をする。

 

「雫、さん? えっと、おはようござい…まふっ」

 

最後まで言い切るより前に、駆け出した雫がマシュを抱きしめる。

これが自分の夢でないことを確かめるように。

強く強く、だが細心の注意を払って。

 

「雫さん…苦しい、です」

「ごめんなさい。でも、少しだけこうさせて」

「? ……はい」

 

理由こそわからないもの、肩を震わせる雫を静かに受け入れる。

聞きたいことは色々あるが、マシュは焦らない。

雫に抱きしめられた時の衝撃で、それなりに頭がはっきりしたおかげだ。

彼女は抱きしめられながら周囲に視線を配り、ある程度自らの置かれた状況を理解する。

 

(ここは……王宮の私の部屋。つまり、あれからそれなりに時間が経っているという事。

 その間ずっと意識がなかったとすれば、雫さんが心配するのは当然ですね)

 

心配をかけてしまったことを申し訳なく思いつつ、見たところ彼女に怪我がない事に安どする。

どうやら、無事に迷宮を脱出することができたらしい。

ならば、あの時の無茶も無駄ではなかった。そう思うと、少しだけ誇らしい気持ちになる。

 

(ブーディカさんならきっと……っ! これは……)

 

かつて自分がそうしてもらったように、雫のことを抱きしめ返すなり、頭を撫でるなりしようとしたところで、マシュは自身の体の異常に気付く。

 

(腕が、上がらない? いえ、動かすことはできるけど……あの時の反動ですか)

 

身体が、魂が、霊基が軋む感覚を自覚しながら続けた無茶。

反動があることは覚悟の上だったので、“やはり”と言うべきだろうか。

全く動かないわけではないのだが、酷く重く碌に持ち上がらない。痛みがないのが不幸中の幸いだろう。

 

思い返してみれば、声を出すのにもかなりの労力が必要だったように思う。

仕方なく、マシュはしばらくの間されるがままになることにし、これからのことに意識を傾ける。

 

時間一杯まで使うと歩くのが精一杯になってしまうが、それ以上になるとこれほどの反動が来るらしい。

これは迂闊に使うわけにはいかないだろうと、改めて自らを戒める。

 

やがて雫も落ち着いてきたのか、抱きしめる力が緩んできた。

そこでマシュも、整理していた質問事項を訪ねるべく口を開く。

 

「雫さん、あれからどれくらい経ちましたか」

「……もう三日になるわ」

「そんなに……あれからどうなったのでしょう? どうやら、無事に脱出できたようですが」

「……………………………………」

「雫さん?」

「…………マシュ、落ち着いて聞いて。実は……」

 

雫の口から語られた内容は、マシュにとっても大きな衝撃だった。

彼女が意識を失った後、作戦通りハジメはベヒモスを足止めし続け、体勢が整ったところで離脱を開始。

ここまでは良かったのだが、ハジメに代わる足止めとして放たれた魔法の雨の中から一発が逸れ、直撃。

ハジメは奈落の底へ落ちてしまったのだと言う。

また、香織は必死に手を伸ばすが届かず、自分も飛び込んでしまいかねない勢いだったようで、最終的にはメルドの手で気絶させられたらしい。

 

「そんな……私が、しっかりしていれば……」

「マシュのせいじゃない! あなたはボロボロになってまでベヒモスを相手取ってくれたわ。感謝こそすれ、非難する人なんていないし、させない。香織もきっと、同じことを言うと思うわ」

「……は、い。そういえば、白崎さんは?」

「まだ眠っているわ。治癒師の人が言うには、精神的ショックから心を守るための防衛措置じゃないかって」

「そう、ですか」

 

意識を失っている間にそんなことになっていたとは知らず、マシュの表情が後悔に歪む。

意識があったところで、あの時の彼女に何ができたわけでもない。そんな余力はなかった。

では、切り札の使いどころを見誤ったのかと言えば……それは結果論に過ぎない。

あの時はハジメが確実にベヒモスに接近・足止めできる状況を作ることが最善だと思ったし、それは正しい。

まさか、最後の最後でそんな事故(・・)が起こるなど……可能性がなかったわけではないが、計算に入れるには低い可能性だった。マシュの判断は間違っていない。

 

ただ、メルドなどは単純な誤爆とは考えにくいと判断しており、生徒たちからの事情聴取を今も上層部に訴えている。

仮に本当に流れ弾による事故だとしても、白黒はっきりさせた上でケアすることが、長期的には最善と確信しているからだ。むしろ、有耶無耶にする方が後々で問題になる可能性すらある。

しかし、上層部は生徒たちへの詮索を禁じた。教皇と国王の双方から命令されては、一騎士団長に過ぎないメルドにはもうできることがない。

助けると口にしながら何もそれを果たせず、今も何もできずにいることに、メルドが心を痛めていることを知る者は少ない。

 

「それでマシュ、あなた身体の方はもう大丈夫なの? 一応、傷は全て治ってるはずだけど……」

「え? それは……もちろん、大丈夫で」

「嘘」

「うっ……」

「苦手そうだなって思ってたけど、やっぱりね。あなた、本当に嘘が下手。

 私だってそう鋭い方じゃないと思うけど、それでもわかるもの」

「いえ、雫さんはむしろ鋭い方だと……」

「はいはい。で。実際の所は?」

「……ほとんど力が入りません。腕を上げるのも一苦労で……」

「なるほどね。どうりで、身体を起こす時に力が入ってないと思ったら……」

 

話し始める前に上半身を起こす際、雫も背中に手を添えて手伝ったのだが、あまりにも力が入っていなかった。

その時から、ある程度察していたのだろう。

 

「あの時の力が原因?」

「はい。本来なら十数秒で解けてしまうのですが、どうやらやろうと思えばそれ以上もできるらしく……。

 一応、時間内であれば一時的に身体が動かなくなる程度で済むんですが」

「それだって十分大事だけど……まぁ、あれだけの力だものね。納得がいくと言えばそうだけど。

 ……ああ、そうね。先に言わなきゃいけないことがあったんだった」

「え?」

「ありがとうマシュ。私たちのために、身を削って戦ってくれて。本当に感謝してる」

 

居住まいを正し、深々と頭を下げる。

そう、本当なら最初に言わなければならなかったこと。

伝えなければならない嫌な知らせが多いことから失念してしまっていたのだ。

 

「そ、そんな!? 頭を上げてください! 私は結局何も……」

「確かに南雲君を助けられなかったけど、それは私たち全員の責任よ。あなたが一人で背負うようなことじゃない。むしろ、あなたが一番頑張ってくれたんだから」

「…………」

 

確かにそうではあるが、だからと言って気楽に流せるようなことではない。

しかし、視線を上げれば雫の表情も苦い。彼女もまた、責任を感じているのだろう。

とその時、マシュの脳裏にある王の言葉がよぎる。

 

「『過程と結果はワンセットじゃない。結果を出せない努力に意味はない、なんて愚かしい詭弁だ。過程と成果はそれぞれ独立したものだよ』」

「ああ、それは確かにそうかもしれないわね」

「私ではなく……」

「例の機関の人?」

「ええ、まぁ……」

 

こういう時、ある程度事情を知っている相手がいることはありがたい。

隠し事が多い身とはいえ、それなりに正直に話をすることができるのだから。

 

「そういえば、何か欲しいものとかある? その身体じゃ、何か取りに行くのも大変でしょ。

 今からみんなに伝えてくるけど、何かあれば取ってくるわよ。あぁ、お腹はどう? 何日も食べてないけど」

「そう、ですね……軽食など戴ければと。

あと、私の端末とステータスプレートを取っていただけますか?

 身体のことも含めて確かめたいことがあるので」

「スマホのこと? いいけど、まだ電源生きてるの?」

「特別仕様なんです」

「なるほど……」

 

普通ならすでにバッテリー切れになっているだろうが、そう言われれば納得もできる。

正確には、フランケンシュタインのスキル「ガルバニズム」を解析・応用し、所有者の魔力をバッテリーに変換する機能があるのだ。直流・交流コンビを競合させることで、より高性能なものが日夜開発されている。

おかげで、所有者さえ健在なら、事実上バッテリーの心配がいらない便利仕様だ。

もちろん、いくら多少事情を説明しているとはいえ、話せない内容の一つだが。

 

「はい」

「ありがとうございます」

「……どう?」

「すべてのステータスが十分の一以下まで下がっています。恐らく、これが反動なのだと……」

「また厄介な……」

 

回復するかどうかも、今の段階ではわからない。

時間経過で回復してくれればいいが、そうでないなら事実上の戦線離脱だ。

他にも離脱する者は出てきそうだが、いま愛子が生徒たちを守るため、言葉と立場、実績や能力を武器に必死に国と教会の上層部を相手取って戦ってくれている。『作農師』という天職と農耕関係で出鱈目な技能を有し、すでに実績を上げている愛子の言葉ならば無視はできまい。

恐らく、希望者の戦線離脱は認められ、それなりに今後の生活も保障されるだろう。

マシュも仮に回復しない、ないし回復が遅くとも、生活に心配はいらないはずだ。今の状態が長く続くなら、長期的な介助が必要だろうが、それも含めて。

 

まぁ、実の所、一時的にせよベヒモスを圧倒した彼女には、光輝と同等の期待がかけられているので、回復のために全力が尽くされるだろうし、回復すれば戦線離脱は流石に認められないだろうが。

その意味では、雫としてはいっそ完全回復しなくてもいいのではと思ってしまう。

 

(そりゃあの力は強力だけど、その度にこんなことになるくらいなら……)

 

危機的状況の度に友人が身を削って戦うなど、誰が望むものか。

マシュ一人に全てを背負わせるなど、あって良い筈がないのだから。

 

「それじゃ行ってくるけど、くれぐれも無理しないのよ。今はゆっくり体を休めること、いい!」

「ふふっ、はい」

「よろしい。それじゃ、またあとで」

 

まるでオカン(エミヤ)のようなことを言う雫がおかしく、ようやくマシュにも笑顔が戻った。

それにとりあえず満足した雫は、報告がてら軽食を貰いに部屋を後にする。

だが、雫の姿が見えなくなったところで、マシュはベッドに体を横たえると涙を堪える様に瞼を閉じる。

そうしなければ、今にも目から涙があふれそうだったから。

 

(先輩に……会いたい。私、どうしたら……)

 

今の自分にできる範囲での全力は尽くした。それは間違いない。

しかしそれは結局、なにも為すことができなかった。

 

一緒に生きて帰って欲しかった。

誰にも死んで欲しくなかったし、傷ついて欲しくなかった。

 

香織の意識が戻ったら彼女はどうなってしまうのだろう。

心が壊れてしまわないだろうか。

彼の後を追ったりしないだろうか。

そんな不安が後から後から溢れ出し、後悔と自責の念に苛まれる。

 

先ほどは騎士王の可能性の一つの言葉を引用したが、それでも心を軽くするには至らない。

過程においては全力を尽くしたが、結果が伴わなかった。

結果を出せない努力に意味はない、と言いたくなる気持ちもよくわかる。

 

(助けて、先輩……)

 

 

 

  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 

 

 

マシュが目覚めてからさらに二日後、香織も遅れて無事意識を取り戻した。

流石に相当取り乱したらしいが、それも雫のおかげで落ち着きを取り戻したと聞く。

マシュと違って身体には問題がなかったことから、直ぐに見舞いにも来てくれた。

 

第一声は感謝の言葉、続いてマシュの身体を気遣い、治癒師としてマシュの身体を治すために全力を尽くすと息巻いていた。

その時の彼女は、目を赤く泣きはらしながらも確固たる覚悟と決意を秘めた“強い目”をしていた。

ハジメの後を追ってしまうのではという不安は、杞憂だったらしい。

 

また、他の友人たちも少しずつ心を立て直してきているようだ。

マシュの見舞いに来る頻度はやや減り、代わりに訓練を再開した者もいる。

ペースも程度も違うが、少しずつ目に生気が戻ってきていることには一安心だろう。

 

そうして、さらに三日が経った。

オルクスでの悲劇から丸八日。

マシュが目覚めてから五日が経っている。

そんな日の夜、中々ベッドから移動することもままならないマシュの部屋に、雫と香織が訪れていた。

 

「それで、身体の調子はどう? 少しは良くなってるの?」

「魔法の方は全然効果なしなんだけど……」

「ええ、一応少しずつですが回復してきています。今日は一人で食事もできましたから」

「逆に言うと、今までは食べさせてもらわないとダメだったってことよね?」

「……はい」

 

確かに回復はしてきているが、それでも完全回復までの道のりは遠い。

 

「数値的に見ると、五日間で平均5ほどですね」

「つまり、一日かけて1回復するペースね」

「マシュちゃん、元々高いのだと200超えてたんだよね?

 だとすると、完全に戻るには何ヶ月もかかりそう……」

「はい、ご心配おかけします」

「別に責めてるわけじゃないの。まぁ、心配してるのは確かだけど」

「マシュちゃん、絶対無理しちゃだめだよ。もう十分すぎるくらい頑張ったんだから、今はしっかり休んでね」

「そうそう。愛ちゃんも言ってたでしょ? 休むのも大事だって」

「わかってはいるのですが……」

 

それでもジッとしていられないというのが本音だ。

実の所、人のいないタイミングを見計らってリハビリしているのは、言わない方が良さそうだ。

なんとなくだが、キッツイお叱りを受けそうな気がする。

 

「そういえば、またオルクスに向かうと聞きましたが、本当ですか?」

「今すぐじゃないけど、近いうちに…ね。ま、この子はいまにも突っ込んでいきそうだから、止めるのが大変なんだけど」

「うん。確かめたいことが、あるから」

 

お付きのメイドから聞いた話を振ってみると、そのような答えが返ってきた。

マシュとしては早過ぎる気もするが、二人とも意思は堅いように見える。

特に香織の場合、目覚めてすぐに見舞いに来た時の目を思い出すと、梃子でも動かないだろう。

彼女がどんな決意を秘めているかマシュは知らないが、誰にも覆せないだろうことはわかる。

それがきっと、その「確かめたいこと」と関係しているのだろう。

そして、マシュにもそれがなんとなくわかっていた。

 

「南雲さんを、探しに行くんですね」

「…………マシュちゃんも、南雲君は死んでるって思う?」

「それは……」

「わかってる。雫ちゃんにも同じことを言われたし、あそこに落ちて生きてる方がおかしいっていうのも。

 でも、誰も確認したわけじゃない。可能性はないも同然かもしれないけど、完全なゼロじゃない。

 だから私は……信じたい。自分のこの目で確かめるまで、私は南雲君が生きてるって信じたいの」

 

香織は決して気が触れたわけではない。

生存の可能性が限りなくゼロに近いことは理解している。

理解した上で、それでも微かな生存の可能性を信じ、ハジメを助けに行こうというのだ。

強くなって、今度こそ守れるように。

 

その決意を、その覚悟を、どうして否定できるだろう。嗤う事ができるだろう。

それにマシュは知っている。限りなくゼロに近い可能性、しかしゼロでないなら現実になることがあることを。

そして……

 

「死んだと思っていた人が実は生きていた、ということは稀に良くあることです。

 ですから、白崎さんは何も間違っていないと思います」

「ふふっ、稀なのによくあるの?」

「ええ、稀なのにこれが結構良くあるんです」

 

マシュの言い回しが面白かったらしく、部屋が笑いで包まれる。

 

「あ~、そういえばしっかり笑ったのって随分久しぶりな気がするわね」

「そうだね。ここの所、訓練とか勉強で忙しかったし、それどころじゃなかったから」

「……すみません。私もいっしょに行けたらいいのですが」

「さっきも絶対無理しないで。今はしっかり休んで……」

「そうそう。というか、無理をするのはこの子だけで十分よ。

 香織のフォローだけで私には手一杯なんだから、これ以上は無理!」

「え~…ひ、酷いよ雫ちゃ~ん」

「事実でしょ、全く。香織の突撃は今に始まったことじゃないけど、ついて行くのってほんと大変なんだから。私じゃなかったらとっくに音を上げてるわよ」

「う~……いつもありがとうございます~」

「よろしい。ま、安心して突っ走りなさい。フォローはしっかりやってあげるから」

 

そんな二人のやり取りを、マシュは優しい眼差しで見守っている。

自分は決して入っていくことのできない、強く深い絆で結ばれた関係性。

寂しいと思うこともあるが、それ以上に……

 

「本当に、お二人は仲が好いんですね。すこし、羨ましいです。

 幼馴染、というのは私にはいませんでしたから」

「いやぁ、幼馴染だからってみんながみんなそういうわけじゃないけど……」

「だねぇ。雫ちゃんが私の一番の親友だからだもん!」

「まったくこの子は……私にとっても同じよ。幼馴染だからっていう部分がないわけじゃないけど、それ以上に親友だからでしょうね。きっと、出会うのがもっと遅かったとしても、そう変わらないんじゃないかしら?」

「親友、ですか。いいものですね」

「何言ってるの、マシュだって親友だと思ってるんだけど、私」

「え、いえ、でも私は……」

 

未だ多くのことを隠している。

雫との距離が近づいたのもこちらの世界に来てからだ。

とても親友と呼んで貰えるような、そんな立派なものではない。

そんなマシュの内心を察してか、雫はやや不機嫌そうな眼差しを向ける。

 

「ふ~ん、つまりそう思ってたのは私だけってこと?

 残念、マシュは私のことなんて何とも思ってなかったのね……」

「い、いえ! 決してそんなわけでは! ただ、その、私にはもったいないというか……」

「友情に勿体ないもへったくれもないわ! お互いが相手をどう思ってるか、それが全てでしょ!

 私はマシュのことを親友だと思ってる! それ以外に何が必要なの、違う!」

「マシュちゃんは雫ちゃんのこと、どう思ってるの? ただのクラスメイト? それとも友達?」

「…………………………………………私も、雫さんのことを大切なお友達と思っています。

 良ければ、親友……と呼ばせていただければと」

「なら、それで良いじゃない。ね?」

「……………………………はい」

 

頬を赤く染めながら、マシュは花開くような笑顔を浮かべる。

生まれて初めての「親友」、そんなものが自分にできるとは思ってもみなかった。

いつか離れ離れになることは決まっている。だがそれでも、この得難い絆を大切にしたい。

そう思う事は、間違っていないはずだ。

 

とそこで、それまでほんわかした笑顔を浮かべていた香織の表情が、徐々に変化していく。

優しげだった雰囲気が段々すねたものになり、ジトッとした視線がマシュと雫の間を往復する。

単刀直入に言って、妬いていた。

 

「で、でも雫ちゃんの一番の親友は私だから! そこは絶対譲らないから!! だよね、雫ちゃん!!」

「…………さぁ、どうかしら? 香織のことは親友だと思ってるけど、一番が不動とは限らないわよねぇ~」

「え~~~~~~~~~~~っ!? そんなぁ~……」

 

雫はイタズラっぽくそんなことを言い、香織は大げさに凹んで見せる。

お互いへの信頼関係があってこそのやり取りだ。

 

(やっぱり、白崎さんには敵いませんね)

「…………………ところで、マシュちゃんにとって雫ちゃんは親友として、私は?」

「え、それは……その、白崎さんのことも大切な……」

「クラスメイト」

「ガ~ン!? 私だけ、仲間外れ……」

「雫さん!!」

「ごめんなさい。マシュってクールそうに見えて反応が良いから、面白くって」

「雫ちゃんのことは名前で呼んでるけど、私は苗字だよねぇ~」

「そうね、確かに距離を感じるわね」

 

ジト目を向けてくる香織と、流し目の雫。言いたいことは一目瞭然だ。

 

「その…………………香織さんのことも、大切なお友達だと」

「えへへ~、私もマシュちゃんのこと、大切に思ってるよ」

 

親友、と呼べるほどではないかもしれない。

だが、そう呼ぶ日も遠くない。そう感じさせるには十分だった。

 

(白さ…香織さんともこれからたくさんお話ししたいですね。私のことも、香織さんのことも)

 

現状、雫にだけ伝えた自分の秘密。

別に、話したからと言って距離が縮まるわけではないし、そんな理由で話していい事でもない。

ただそれでも、香織にも伝えたいと思った。自分のことを、少しでも知って欲しいと。

秘密が多いことへの罪悪感ではなく、もっとお互いを知り合いたいと思うが故に。

 

「あ、そういえば、前から聞きたかったんだけど、マシュちゃんの恋人さんってどんな人なの?」

「香織、香織」

「なに、雫ちゃん?」

「どうも、一応そういう関係じゃないらしいのよ。ただまぁ、なんというか……」

 

話を聞くと、ほとんど惚気話も同然だったりする。

しかも、普段どんな感じに接しているかを聞けば、どこが恋人でないのか不思議でならなくなるものばかり。

しかも、立香の部屋に通い詰めているらしく事実上の通い妻だ。

 

「わーわーわー! マシュちゃんすご~い……」

「まったく、これで付き合ってないって何の冗談かしら」

「 ? ? ? 」

 

マシュを他所に盛り上がる二人。

だがそんな時、突如としてベッド脇のサイドテーブルに置かれていた携帯端末のアラームが鳴り響いた。

 

「っ!?」

「え、そのスマホまだバッテリー残ってるの?」

「というか、マシュこの後何か予定でも……」

 

雫はこのアラームを何かの予定を知らせるために設定されたものと思ったらしい。

しかし、そうではない。

碌に移動もできないマシュに予定などないし、そもそもこれは“着信”のアラームだ。

 

「すみません、失礼します!」

 

思うように動かない身体をもどかしく思いつつ、マシュはいまできる最速の動作で端末を取る。

耳にスピーカー部分を当てれば、そこから聞こえてきたのは懐かしくも頼もしいダ・ヴィンチの声だった。

 

「マシュ! 聞こえるかい、聞こえるなら返事をしてくれ」

「はい! はい! マシュ・キリエライトです! ダ・ヴィンチちゃん!」

「よぉっし!! ご苦労、諸君! 通信が繋がったぞぉ!!」

 

普段のどんな時でも余裕に満ちたダ・ヴィンチからはかけ離れた、喜色に満ちた声。

続いて、歓声のようなものが聞こえてくる。ダ・ヴィンチの口ぶりからして、カルデアのスタッフたちの声だろう。

世界を超えて通信を繋げたとなれば、彼らをして相当の苦難があったはず。

それが実を結び、かけがえのない仲間の声を聴けた喜びが爆発したのだ。

 

「いやぁ、大変だったね、マシュ。だがもう大丈夫、とりあえず君の位置座標は完全に捕捉したし、通信及び魔術ラインも確保した。さすがにいつでもいくらでも、とはいかないが、何があったか聞くくらいは問題ない。映像のやり取りができるほどのものではないのが残念だが、それでも声が聞けたのは何より。

 さて、できれば再会ならぬ再聴? それとも再話かな? まぁ、なんでもいいか。なんかそんな感じのものを喜び合いたいところだが、早速何があったか聞かせてくれないか?」

「それは、その……」

 

出来ればマシュとしても早急に状況説明に入りたいところだが、この場には雫と香織がいる。

果たして二人に何も言わないまま話を進めてしまって良いものか。

そう思って二人を見やると、香織は状況についていけていないのか呆然とし、ある程度事情を知っている雫は無言で続きを促している。

雫としても驚いてはいるし、聞きたいことは山ほどあるが、今はそれよりも重要なことがあることを理解してくれているのだろう。

どうやって通信しているのかをはじめわからないことだらけだが、この通信が貴重かつ重要なものなのは明らか。

それこそ、場合によっては帰還の目途が立つかもしれないのだから。

香織に対しても、彼女が上手くいってくれることだろう。

マシュは目で雫に感謝を伝えると、ダ・ヴィンチへの報告に意識を傾ける。

 

「ん? もしや、何か厄介な状況なのかな?」

「いえ、問題ありません。それでは報告します」

 

あの日、学校で何が起こったのか。

今日までに体験した出来事の数々や見聞きしたアレコレ。

もちろん、クラスメイトの一人が奈落の底に落ちたことも。

それら全ての要点を捉え、無駄なく迅速にマシュは口頭で伝えていく。

 

マシュの「とある機関に属している」という話を信じていなかったわけではないが、その姿を見て改めて雫もあの話が事実なのだという事を実感する。

今のマシュは彼女たちと共に学び舎で過ごした「同級生」ではなく、なんらかの組織に籍を置く人間なのだと。

 

「なるほどなるほど。いや、ようやく通信が繋がったと思ったら、想定していた以上に大ごとになっているね」

「あの、ダ・ヴィンチちゃんはこの状況をどう思われますか?」

「ん? ふぅむ、エヒト神と言ったかな? まずその神様が胡散臭いね、神様の思考が我々のそれとはかけ離れているのは今更だけど、色々と不審点が多い……が、情報が少なすぎる以上、推測の域を出ない。今はそんなことより、より現実的な話をすべきじゃないかな」

 

実際、マシュが調べた範囲でもエヒト神のことは魔人族同様あまりよくわかっていない。

ダ・ヴィンチの言う通り、極めつけに怪しく胡散臭いが、結局のところはっきりとしたことは言えない以上、それ以外の事項を優先すべきだ。

 

「というと?」

「マシュ、戻ってくる気はあるかい?」

「それは、今決めなければいけませんか?」

「とりあえずラインは確保しているし、レイシフトを応用すれば連れ戻すことはできる。

 ただ、さっきも通信のことで『いつでもいくらでもとはいかない』と言ったように、中々このレベルで維持するのは厄介でね。次はしばらく先になりそうだ。一級の霊地でもあれば、その限りじゃないんだが」

 

つまり、今決めなければ次はかなり期間が空くという事だ。

次がないわけではないだけマシだが、それでも戻るなら早い方がいいだろう。

維持が難しい状況では、何かトラブルがあればラインが寸断される恐れもある。

マシュもそのことは理解している。理解しているが……。

 

「君は敢えて言わなかったようだが、観測データを見る限り状況が良くないのはわかってる。

 霊基が不安定な状態で、随分無茶をしたようだね」

「申し訳ありません」

「別に責めているわけじゃないさ。そのおかげでこうして見つけ出せたのだし、君にそうまでして守りたいものができた、というのはそれ自体喜ばしいことだ。ロマンも、きっとそう言うだろうさ」

「……はい」

「ただ、そんな状態の君を放置するわけにはいかない。君はあらゆる意味でカルデアの重要人物だ。能力的にもそうだし、戦力としても、一個人としてもそうだ。

 我々としては、今すぐにでも戻ってきて欲しいというのが本音だね」

「…………………」

「それで、マシュ。君はどうする?」

「私は……残ります。クラスメイトを、親友と呼んでくれる人達を置き去りにしていくことはできません」

 

マシュは決然と、断固とした意志を以て宣言する。

例えそれで帰る機会を永遠に失うのだとしても、ここで一人おめおめ逃げ出すことはできない。

それをすれば、もう自分には皆を友と呼ぶ資格は無くなる。

きっと、(ギャラハッド)が遺してくれた霊基(からだ)も失われることだろう。

なにより、マスター(立香)のサーヴァントを名乗れない。

 

「親友、か。ああ、君を学校に行かせて正解だった。良い人たちに、出会えたようだね」

「ごめんなさい。我儘だと自覚していますが、それでも私は……」

「うん、まぁ君ならそういうと思っていたよ」

「へ?」

「我々としても、君の意思は極力尊重したい。

 となれば、次善案で行くか。いや、ホントはこっちになるだろうと思ってたんだけどさ」

「次善案、ですか?」

「じゃ、立香君。後は任せたぜ」

「は? ま、まさか先輩を!?」

「当然だろう。君たちはコンビだ、マシュが戻らないなら藤丸君がいくしかないだろう」

「ちょっ、待ってください、ダ・ヴィンチちゃん! それは……!」

「だが断る。エクストラオーダー発令。マスター・藤丸立香は現時刻を以て、異世界トータスに着任!

 今回は通信・魔術ライン双方の維持が困難なことから、魔術ラインの維持を優先する。

十分な支援は難しいが、魔力供給などは可能な限り保証しよう。

これまでの全ての経験を活かし、この特例中の特例から、マシュ及びその学友たちを連れて無事帰還せよ!」

『アンサモンプログラム、スタート。 霊子変換、開始』

「だ、ダメです! 先輩はカルデア唯一のマスターなんですよ!

 先輩を必要のない危険に晒すわけには……!」

 

なんとか引き留めようとするマシュだが、既にレイシフトに向けてカルデアは動き出している。

世界を隔てた場所にいるマシュには止めようがない。

 

「当の本人たっての希望だよ。我々としては、その唯一の人材にヘソを曲げられては大変だ。

 というわけで、彼が“やる”と言ったら我々は拒めないのさ♪

 もういっそ、彼が所長で良いんじゃないかな?」

「拒む気がないだけでしょう! 先輩を丸め込める人なんて幾らでもいるじゃないですか!」

「ハハハ! どいつもこいつも“できるけどやらない”と何も言う前からボイコット済みだ。

 ま、諦めたまえ。あぁそれと、立香君を送ったら通信はしばらくできないと思ってくれ。彼とのラインがあればこそな部分があったからね。二人ともそっちに行ってしまうと、魔術ラインの維持が限度なんだ。

では――――――――――――レイシフト、開始!!」

『全工程 完了。エクストラオーダー 実証を 開始 します』

「あ、あ~~~~~~~~~っ!」

 

無機質な電子音声の最終宣告。

同時に、室内を暴風が埋め尽くした。

 

「きゃっ!?」

「ちょ、なんなのいったい……!?」

 

突然の事態に驚く二人。

暴風は長くは続かず徐々に治まっていき、代わりに中心だった場所に何かがいた。

それは風が治まるのを待つことなく駆けだすと、マシュの細いが起伏に富んだ肢体を力いっぱい抱きしめる。

 

「マシュ!」

「せ、先輩!?」

「良かった、無事で本当に良かった!」

「先輩……ご心配おかけしました。私は、ここにいます」

 

マシュはゆっくりと自身も立香の背に手を回し抱きしめ返す。

すると、さらに立香の抱擁が強くなる。

 

その温もりが消えないように。

もうどこへも、誰にも奪われないように。

大切な、何よりも大切な宝物を掻き抱く。

 

正直言えば少しだけ苦しかったが、マシュはそれ以上に嬉しかった。

もう一度会えたことが、もう一度声を聞けたことが、もう一度立香に触れられたことが。

本当に涙が出るほどに嬉しくて、心から安堵したのだ。

さっきまではあれほど立香が来ることに反対していたのに、いざ再会してしまえばもう自分を抑えられない。

 

(先輩、私は……)

 

立香の胸に顔を埋め、その体温を、匂いを、感触を全身で感受する。

だが、それを傍で見せられている側からすれば堪らない。

 

(い、居辛い……)

(私たち、完全にお邪魔虫だよね……)

 

映画のワンシーンのように感動的なのは良いのだが、もう完全に二人の世界になってしまっているので、居場所がないこと甚だしい。

二人も感動していたり、思い合う二人の再会を喜んでいたりしないわけではないのだが、突発的事態の連続とわからないことだらけなせいで、それに浸れないのだ。

 

というか、放っておくとこのままラブシーンに突入しそうな雰囲気すらある。

出来ればそうなる前にこの場を離れたいのだが、下手に動くと空気を壊してしまいかねない。

いくら居辛いとはいえ、この空気を壊すのは忍びなかった。

正確には、自分のせいで壊れるのは色々と罪悪感がある。

 

上手くすれば、マシュの想いが実るかもしれないのだ。

ようやくハジメへの想いを自覚した香織も、そんな親友を見てきた雫も、それを邪魔したくない。

かと言って、友人のラブシーンを至近距離で見せられても正直困る。目のやり場がないわけではないが、同じ部屋の中にいて見ない振りをしろというのも無理な話。

そんな二人の『誰か助けて』という心の声が聞こえたわけではないだろうが、幸いこの場にいるのは4人と“1匹”だ。

 

「フォウフォウ! フォーウ!」

「フォウさん!? またついて来てしまったんですか?」

「フォウ!」

「フォウも心配してたんだよ」

「そうでしたか。ごめんなさい、ご心配おかけしました」

「ンキュ~」

((よしっ!!))

 

白いふわふわした小動物(分類不明)のおかげで、徐々に怪しさを増していた空気が無事ぶち壊された。

マシュには悪いが、行きつくところまでいかなくて、それを目撃しなくて割と本気で安堵する。

 

「……すみません、先輩。私のせいでこんな事に……」

「気にしないで、いつもは俺がマシュに心配させてるんだからさ。

 そもそも、召喚されたのだって別にマシュのせいじゃないんだしさ」

 

フォローは入れてみるが、ない筈の責任を感じて「シュ~ン……」と落ち込むマシュ。

 

「あ…そ、そうだ! マシュ、もしかして彼女たちが?」

「は、はい。お友達の八重樫雫さんと白崎香織さんです」

「はじめまして、藤丸立香です。こっちは……フォウ。マシュがお世話になってるみたいで」

「あ、いえ……」

「むしろ、助けてもらったのは私たちの方というか……」

 

マシュの背に回していた手を放し、二人に向き直る立香。

フォウに関して、どう説明していいかわからなかったのは秘密だ。

ただ、若干マシュが名残惜しそうにしていたのに気づいていた二人の返事はやや硬い。

 

「マシュは年の近い知り合いっていうと俺とか所長ぐらいしかいなかったから、これからも仲良くしてください」

「あ、当たり前です! ねぇ、香織!」

「うん! 嫌だって言ったって離さないよ!」

「だってさ、マシュ」

「はい。私もお二人に会えてよかったです」

 

息巻く二人に、マシュの表情も綻ぶ。

 

「ところで、どうやって来たんですか? ここ、異世界ですよね……」

「ぁ、それは……」

「あの、言えないなら別に無理には……」

 

香織の質問は至極当然のものだが、マシュが口籠るのも仕方がない。

これは、そう簡単に話していいことではないのだから。

それを察している雫がフォローを入れるが、今回に限って言えばそれは杞憂だった。

 

「いや、大丈夫。ダ・ヴィンチちゃんも無理に隠さなくていいってさ。

 そもそも、異世界召喚なんてされてる時点で今更だって」

「なるほど、確かに……」

「それは、聞いても大丈夫という事でしょうか?」

「うん。それと、別にそんな畏まらなくてもいいんだけど……」

「いえ、流石にそういうわけには」

 

二人とも、年上の男性相手に馴れ馴れしい言葉遣いができるような性格の持ち主ではないのである。

 

「というか、さっきからちょこちょこ出てくるダ・ヴィンチちゃんって……」

「レオナルド・ダ・ヴィンチ……なわけないですしね」

「いや、そうだけど」

「はい。ダ・ヴィンチちゃんはその人です」

「「はい?」」

 

そうして、今度は香織と雫に事情を説明する番になった。

立香とマシュが「人理継続保証機関フィニス・カルデア」という組織に属していること。

ただし彼らは、トータスとも違う異世界から流れてきた者たちであること。

その異世界は彼女たちの地球と酷似しているが、魔術や神秘が公ではないにしろ存在していること。

そんな魔術を用いて過去の偉人・英雄……総称して英霊と呼ばれる存在を召喚することができ、現在カルデアの所長代理を務めるレオナルド・ダ・ヴィンチもその一人であること。

マシュはそんな英霊の一人から戦闘能力を譲りうける契約を交わしており、ベヒモス戦の力はその一端であること。

立香は英霊たちと契約し、彼らを現世にとどめる要石の役目を担っており、マシュの力も彼がいてこそ安定すること。

これらのことからもわかる通り立香たちはそちら側の人間で、紆余曲折あって存在が不確定になり、漂流生活の末に彼女たちの世界に流れ着いたことなど。

あまり詳しい説明ではないにしろ、概要位は包み隠さず二人に教えてしまった。

 

「今考えると、こういう事になるから年単位でいられたのかな?」

「わかりませんが、可能性としては在り得るかと……」

「なんというか、色々理解が及ばないんですが……」

「大丈夫、実は俺もよくわかってない!」

「胸を張らないでください、先輩。まぁ、先輩はカルデアに来るまではごく普通の生活を送っていらしたそうですし、無理もないのですが」

「待って! さっき残るとか言ってたけど、戻れるのにマシュちゃんは残ったの!?」

「はい。私は、皆さんを置いていくことなんてできません」

「一緒に戻るってわけには、いかない理由があるのよね」

「残念ながら、カルデアの有する技術による移動は、対象にも高い適正が求められるんです。

 私や先輩には適性がありますが、皆さんの場合は未知数。

 当然、検査しなければわかりませんし、そのためにはそれなりの設備が必要になります」

「そうだね。適性の有無を調べることは、現状無理だろうし」

「そもそもレイシフト適正自体が希少なんです。一万人に一人でもいれば良い方、高適正ともなればさらに確率は下がりますから」

「えっと、もし適性がない人がその移動をしたらどうなるの?」

「移動できないならまだマシ。最悪、どこかの隙間に落ちて行方不明、なんてこともあるって聞いた覚えが」

「はい、その通りです」

 

さすがに、それを聞いて試そうとは思わない。

まぁ二人の場合、帰れたとしても今はまだ帰ろうとは思わなかっただろうが。

 

「じゃあ、もう一つ。さっきの話だと、いつかはまた別の世界に行ってしまうってことよね?」

「そう、なります。カルデアの計算では、卒業までは何とかもつはずだったのですが……こんなことがあってしまったので、はっきりとしたことは……」

「そっか、ずっといられたらいいのに」

「私も、そう思います。ですが、現状私たちを世界に固定する方法はありません。

 ならせめて、皆さんとの時間を、思い出を大切にしたい。それが私の願いです」

 

万感を込めたマシュの言葉に、二人は静かに「ありがとう」と告げる。

自分たちとの時間をそんなにも大切に思ってくれる友人には、感謝しかない。

 

「あぁそうだ。ダ・ヴィンチちゃんから霊基グラフのコピーを預かってるんだ。これを使って応援を呼べってさ」

「みなさんを……できるんですか?」

「魔力とか通信状況の都合でここだと二人が限度らしい。どこか一級の霊地があれば、最大七人呼ぶこともできるらしいけど……」

 

ちなみにその場合、基本七クラスを呼ぶのが望ましいとも。

これはクラスが重複していたりすると霊基が安定しなくなる為で、バランスよく召喚した方が良いのだ。

霊基が不安定だと、いつどのタイミングで不具合が出るかわからない。

エクストラクラスでも構わないのだが、イレギュラーな分不確定要素も多く推奨はされない。

通信もままならない以上、まずは安定性を優先すべきなのである。

 

「どんな方を召喚するかは選べるんですか?」

「いや、精々クラスを絞るのが限度らしい。それでも、稀にエクストラクラスが割り込んだりするらしいけど」

「それは……賭けですね」

「うん」

「静謐さんはまだマシとして、頼光さんや清姫さんが来たときは、私が先輩を守ります!!」

「ぁ、うん。静謐も静謐で不安だけど、積極的じゃないだけまぁ確かに。

あとは黒ひげとかも不安だ。ケモミミとかいるらしいし、絶対暴走する……」

「アタランテさんたちなら返り討ちにしてくれますが、この世界の亜人と言う方々はあまり強くないそうですからね。それに不安と言えば、ヒトヅマニアの御二人もです」

「イスカンダルもなぁ……征服だぁとか言いだしそうだし」

「神嫌いのギルガメッシュ王も危険かと……」

「奴隷制もあるんだっけ? だとすると、コロンブスなんて来た日にはどうなることやら……」

「…………」

「まぁ、みんな個性の塊みたいなものだからなぁ」

「はい。エミヤ先輩ではありませんが、頼りになる方々の反面、暴走力も尋常ではありませんから」

「「はぁ~……」」

((なんかよくわからないけど、大変そう……))

 

英霊……偉業を為し、人理にその名を刻んだ超越者たる彼らは、色々な意味で一筋縄ではいかない。

能力、精神、スキル、そして暴走力、すべてにおいて無駄に超一流であるが故に成し得た偉業だ。

手綱を握るのも一苦労なのである。

 

「……ごめん、ちょっと愚痴になった」

「あ、いえ……」

「なんというか、お疲れ様です」

「偶には吐き出すことも必要だと思います、先輩」

 

多少なりとも吐き出して冷静になったようで、立香もちょっと申し訳なさそうにしている。

 

「さて、いい加減これからのことを話そうか。何か意見とか聞きたいことがあれば、遠慮せずに言って欲しい。正直、俺はそれほど頭が良い方じゃないしね。みんなで考えよう」

「これからのこと……」

「最終目的は皆さんを元の世界に帰すこと。そのためにはどうすればいいか、ですね」

「やっぱり、戦争に勝って人間族を救うしかないのかな?」

「それが一つの方法だね」

「サーヴァントの力はこの世界でも絶大です。失礼ではありますが、メルド団長でトップクラスの実力なら、正直なんとでもなるかと」

 

それこそ、一軍を単騎で薙ぎ払う事も不可能ではない。

対軍・対城宝具を持つ者がいれば、戦果はさらに増すだろう。

この世界では知名度補正が働かないが、それを差し引いても過剰戦力と言って良い。

まぁ、魔人族側の戦力がどういうものかまだよくわかっていないので、人間族側を基準にしてではあるが。

 

「先輩、一つ……我儘を言ってもいいでしょうか」

「我儘?」

「マシュ?」

「これは皆さんの帰還に直接関係ないのかもしれません。

 先輩のお傍を離れるなんて、サーヴァント失格だと理解しています。

 ですが、それでも私は……南雲さんを探しに行きたいと思っています」

「マシュちゃん……」

「香織さんは生きている可能性がゼロではないのなら、生存を信じると仰いました。

 私も、彼の生存を信じたい。生きているのなら、助けに行くのは早い方がいい。

 時間が経てば経つほど、ただでさえ低い可能性が下がっていきます。

 ですが、霊基の安定した私ならより深い階層、最下層まで行ける筈です。

 だからどうか、私がオルクス大迷宮へ向かう事を許してください!」

 

香織がハジメを探すためにオルクスへ向かうと言った時、本当はマシュも行きたいと思っていた。

彼女ほどではないにしても、マシュもまたハジメの生存を信じたいと思っている。

意識のないうちに起こってしまった出来事故に、実感が持てないというのもあるのだろう。

なにより、遠からず今生の別れを迎えるとしても、かけがえのない友人の恋を大切にしたかった。

 

故に、彼女は初めて自分から立香と離れて行動することを選択する。

立香を自分の我儘に巻き込むわけにはいかないから。

だがそんなマシュの訴えは、当然受け入れられるものではない。

 

「ダメ」

「……先輩」

「俺もいっしょに行く」

「っ! で、ですがそれは!?」

「足手纏いなのはわかってるけど、俺がいた方がマシュの霊基も安定する。結果的に、その方が確実だ。

 なにより、俺はもうマシュを目の届かない所に行かせる気はないよ。少なくとも、この一件が片付くまでは」

 

それは、ともすると愛の告白にも思えるセリフ。

そう思ったのは何も香織や雫だけでなく、言われた本人であるマシュは顔を真っ赤にしている。

 

「せ、先輩。それって……」

「ああ、まぁ……そういう事だから。

ついでに、今呼べる限りのサーヴァントも連れていく。その上でなら、許可するよ」

「………………………………はい、ありがとうございます、マイマスター」

 

マシュは自身の胸元に両手を置き、今にも泣きだしそうな表情で答える。

 

「じゃ、まずは再契約しないとかな」

「はい。よろしくお願いします」

「―――告げる。

汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。

人理のよるべに従い、この意、この理に従うのなら―――――」

 

それは契約の言の葉。

二人を繋ぐ、絆を結び直すための儀式。

 

「我に従え―――ならばこの命運、汝が剣に預けよう!」

「シールダーの名に懸け誓いを受けます、あなたが……あなただけが私のマスターです、先輩」

 




なんとか再契約まではいけた。
でも本当は、休み中にオルクスに飛び込むところまではいきたい。
今日中に行けるか? 頑張れ俺!!


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005

長くなったので半分に切ろうとした。
後半部分がバグって消えた……orz


「シールダーの名に懸け誓いを受けます、あなたが……あなただけが私のマスターです、先輩」

 

デミ・サーヴァントであるからか、それとも別の理由からか。

契約が成った瞬間、刹那の間瞬いた光。それを以て、二人の契約は結ばれた。

マシュは二・三度手を握っては開きを繰り返して具合を確かめると、勢いよくベッドから飛び降りる。

 

「マシュ!?」

「マシュちゃん!?」

「大丈夫です、二人とも」

「どうやら、上手くいったみたいだね」

「はい、マスター。シールダー、マシュ・キリエライト、霊基の安定を確認。

それに伴い、体調も回復したようです」

「そっか、良かった。できれば、ちゃんと休んで回復してからにしたかったんだけど……」

「善は急げですよ、先輩」

 

驚く二人を尻目に、二人はさも当たり前のように会話している。

二人にとっては、むしろこの状態の方が自然なのだ。

 

「さて、それじゃあその南雲君を探しに行くわけだけど……オルクス大迷宮だっけ?」

「はい。八日前に、サーヴァントの力を使った場所なのですが」

「ああ、やっぱりそこなんだ。なら、好都合か……」

「どうかしましたか、先輩」

「いや、なんでもその辺りで聖杯に似た反応があったらしいんだ」

「聖杯がこの世界に?」

「あくまでも“似た反応”だけどね。能力がなのか、魔力の質がなのか、それとも別の理由なのかはよくわからないけど、何かの手掛かりになるかもしれないから探してみるといいってダ・ヴィンチちゃんがね」

 

聖杯というにはやや反応が小さく異質なこともあり、彼らの知る「聖杯そのもの」ではないと思われる。

とはいえ、帰還方法の当てが「戦争に参加して勝利すること」だけというのは困りものだ。

別の可能性がありそうなら、それを調査することも必要だろう。

 

「もしかして先輩、初めからそのつもりだったんですか?」

「調査には行く必要があると思ってたよ。できれば自由に動きたかったし、ここの人たちにはあまり知られたくなかったから、抜け出すつもりではいたんだ」

「―――――――――――――――」

「そ、そんな目で見ないで。別に、意地悪とかそういうんじゃなくて……」

「わかってます。私が望んだことでもありますし、何も問題ありません」

「フォ~ゥ?」

(いやぁ、「不満です」って思いっきり顔に書いてあるし……)

 

単に言い出すタイミングがなかっただけなのだが、仕方がないとも思う。

実際、マシュは相当な勇気を振り絞って「我儘」とやらを口にしたのだろうし。

 

「あ、あの!」

「ん?」

「香織さん」

「私も…私も連れて行ってください!」

「香織、あなた……」

 

二人のやり取りをそれまで驚いた様子で見守っていた香織だったが、ここにきて痛切な声で訴えた。

その気持ちはマシュも雫も理解している。

間違いなく、彼女こそが最も南雲ハジメの生存を信じ、願っている。

そして、生命を賭してでも助けに行きたいと望んでいるのだから。

 

「………………………………あの、私からもお願いできませんか」

「雫ちゃん? えっと、いいの?」

「ダメって言ったって聞かないでしょ。だったら、まだマシュたちと一緒の方が安心だもの」

「ごめんね、ありがとう」

 

雫が同行を願い出ないのは、これ以上足手纏いが増えてはいけないと考えたからだ。

サーヴァントの力の程を雫は上手く想像できないが、それでも今呼べるのはあと二人だけ。

マシュも数に入れるなら、戦力と呼べるのは三人限り。

 

立香の実力は未知数だが、それほど強そうには見えない。

香織も治癒師というだけあって、戦闘ではなくサポートがメインだ。

そこへ雫まで同行しては、一対一でガードしなくてはならなくなる。

これでは、いざという時の選択の幅が狭まってしまう。

彼女としても、できれば幼馴染の親友を守るために同行したいが、邪魔をしてしまっては本末転倒。

それがわかるくらいには、彼女はこの状況でも冷静さを保っていた。

 

「いやぁ、それは……」

 

とはいえ、立香としてはそう簡単に頷くわけにもいかない。

生半可な実力では、サーヴァントたちの足手纏いになってしまう。

そんなのは自分ひとりで十分だし、香織を危険に晒すのにも抵抗があった。

 

しかし、香織の決意は固い。彼女は「護身用」にという事で扱いを習っていたナイフを取り出す。

何をするのかと思っていると、片手で長く艶やかな黒髪を束ね、一思いに……切ってしまった。

 

「「「…………」」」

「どうか、お願いします!!」

 

彼女なりの目に見える形での決意表明。

あれだけ伸ばすには相当な時間がかかったことだろう。

日々の手入れを欠かしてこなかったからこその、艶と濡羽色(ぬればいろ)だ。

それを、一切の躊躇もなく断ち切る。女の命とまで称される髪を、だ。

さらにそこへ、思わぬところから援護射撃が飛んでくる。

 

「マスター、私からもお願いします」

「マシュまで……」

「香織さんの回復魔法は貴重です。呼べるサーヴァントが限られている以上、後方支援ではなく、直接戦力だけを呼べることにはメリットがあります」

 

香織の同行には確かにデメリットも多いが、メリットがあることをマシュは強調する。

実際、サーヴァントを二騎しか呼べない中では、回復をはじめとした後方支援タイプを呼ぶ余裕はない。

かといって、不測の事態を考慮するなら、色々なタイプがいて欲しいのも事実。

特に回復役は、いざという時に必要不可欠な人材だ。

 

それでも、メリットとデメリットを秤にかければ、デメリットに傾く。

サーヴァントの戦闘能力とマシュが交戦した65層の魔物から推測できる最下層クラスの力を比べれば、回復役はまず必要ない。

立香もそれはわかっている。わかった上で……彼は折れた。

 

「わかった。まぁ、一人くらいなら大丈夫か」

「先輩!」

「あ、ありがとうございます!!」

「立香さん。香織のこと、よろしくお願いします」

「任せて……って、別に俺が守るわけじゃないんだけどね」

 

こうして、南雲ハジメ及び聖杯と思しき“何か”の探索に、白崎香織の同行が決まった。

とはいえ、問題が全くないわけではない。

 

「でも雫ちゃん、私たちが突然いなくなったら……」

「まぁ、当然大騒ぎになるわよね。マシュは病人扱い、香織は貴重な回復役ですもの。

 やっぱり、王国や教会には伝えないんですか?」

「エヒト神っていうのが、どの程度信用していいかわからないからね。

 万が一に備えて、別のアプローチも必要だと思う。幸い、俺はそっちからすればイレギュラーだろうし。自由に動くには好都合だ」

「聖杯らしき“何か”のこともありますから、行動を縛られるのは望ましくありませんしね」

 

どういった性能・性質のものかはまだ不明だが、ものによっては迂闊に他者の手には委ねられない。

そういう意味でも、王国や教会から干渉されることは避けたいのだ。

つまり、今が夜なのをいいことに、こっそり抜け出してしまうに限る。

 

「そう、ですね……わかりました。私が上手く誤魔化しておきます」

「いや、それには及ばないよ」

「え?」

「君さえよければなんだけど、暗示をかけて今夜のことは忘れてもらうこともできる。

 あんまり得意じゃないんだけど、本人が受け入れてくれれば、それなりにはなるだろうし」

 

その場合、マシュと香織は置手紙だけを残して失踪した、という形になる。

雫とて嘘や誤魔化しが上手い方ではないが、そもそも覚えていないのなら不自然さもない。

まぁ、忘れている間は憔悴も狼狽もするだろうが、それは勘弁してもらうしかないだろう。

一応暗示が解けるキーワードを「藤丸立香」と設定。本来知らないはずの人物の名前に設定すれば、まず解けることはないだろうし、逆にこちらから解くのは簡単になる。

 

「そんなこともできるんですね……」

「先輩は神代の魔術師にも師事していらっしゃいますから」

「才能なさ過ぎて微妙な顔されるけどね。いっそ笑うなり怒るなりしてくれた方が傷が浅いよ」

 

こう、何とも言い難い表情で「ガンバレ」「成長してるよ、うん」とか優しく言われても困るのである。

 

「先輩。できれば、せめてパーティの皆さんにはご挨拶したいのですが」

「そうだね、私たちの勝手な理由でみんなに迷惑かけるんだし……」

 

自分勝手なことだとはわかっているが、それでもこれだけは譲れない。

ならば、ちゃんと自分たちの想いや考えを伝えて、頭を下げるのが筋だろう。

『勝手だ』と怒られるかもしれない。『無謀だ』と引き留められるかもしれない。

だが、例えそうだとしても、諦めることはできないのだ。

 

「とはいえ、すっかり真夜中だからなぁ……さすがに明け方になったら目立つだろうし」

「なら、今起きてる人だけでも」

「…………わかった。俺は万が一にも見つかるとまずいからここを離れられないし、呼んできてもらって良いかな? その間に、マシュと具体的なところを詰めておくから」

「わかりました。それなら、私と香織で声をかけてきます」

「あ、先に行かないでくださいよ!」

「大丈夫、マシュが許してくれないから」

「もちろんです!」

 

そうして、二人は手分けしてパーティメンバーである天之河光輝、坂上龍太郎、谷口鈴、中村恵里に声をかけに行く。本当は愛子にも声をかけに行きたかったのだが、生徒たちの選択の自由を確保した段階で、彼女はまた忙しなく農地改革のために動かざるを得なかった。

生徒たちの分まで働き、さらに実績を積むことで前言撤回させないために。

とはいえ、一応定期的……基本、七日に一度程度の頻度で戻って生徒たちの様子を見たり、王国と教会が約束を反故にしていないか睨みを利かせに来たりすることも認めさせたので、ずっと不在なわけではない。

ただ、今は王都周辺にはいないので声のかけようがないのだ。

 

数分後。

やはり、真夜中という事もあって眠りについている者もいたことから、パーティ全員集合とはいかなかった。

大声を出すなり強くノックするなりすれば起こせただろうが、それでは異変に気付かれてしまう。

まぁ、寝ているとは限らず、ないとは思うが真夜中の外出をしている者もいたかもしれないが、そこまでは流石に分からない。

結局、マシュの部屋に集まったのは光輝と鈴の二人だけ。

 

龍太郎は脳筋の健康優良児なので、十中八九今頃夢の中だろう。

恵里は本好きの典型的図書委員タイプなことから、夜中まで起きて読書していることを期待していたのだが、ノックしても反応はなく、どうやら早々に眠ってしまったらしい。

 

逆に、光輝はハジメが“知識”という形で貢献したことに思うところでもあったのか、恵里のお株を奪う形で魔物図鑑を開いていた為、呼びかけに応じることができた。

鈴もまた、自身の適性に合った結界系の魔法に関する教本を読んでいたことが幸いした形だ。

 

マシュの部屋に集められた彼らは、香織や雫が聞いたのとほぼ同様の説明を受けることになる。

多少の動揺や疑う様子なども見られたが、一応は納得してくれた。

このあたり、マシュの人徳と短くなった香織の髪、なにより初対面ながら妙に「話を聞く」ことと「話を聞かせる」のが上手い立香の手腕によるところが大きい。伊達に、古今東西の曲者たちとのコミュニケーションに日夜悪戦苦闘していない。

 

言葉が通じないバーサーカー(狂戦士)などまだ可愛いもの。

言葉は通じるが話の通じないタイプのバーサーカー(狂戦士)もいれば、狂化とは関係なく価値観・思想と言ったものの相互理解の難しいサーヴァントも少なくない。

あるいは、下手なことを言うとその場で首が飛びかねない王様系、どれほど気に入ろうと人には理解できない唐突さで殺しに来ることがある鬼種、そもそも人間のことなど種としてはともかく個人レベルでは基本関心のない神霊等々。

まともにコミュニケーションをとることすら難しい連中がいくらでもいるのだ。

そんな連中とすら相互理解を為し、信頼関係を構築してきたのが藤丸立香である。

 

多少不信感を持たれているとはいえ、所詮相手は高校生。

百戦錬磨を通り越し、一部サーヴァントからすら「最近のマスターのコミュ力はバケモノ染みてきた」と言わしめる立香にかかれば、この程度は造作もない。

 

例え、ほぼ確実に死んだであろうクラスメイトを探すため、立香たちとオルクス大迷宮に行くと香織が宣言し、光輝などが大反対したところで問題は何もない。

どこぞの扇動皇帝(赤ダルマ)のように丸め込んだり詭弁を弄したりするわけではなく(そもそもそういう事ができる性格じゃない)、ただ真摯に相手の言葉と心に耳を傾け、そこから読み取った相手に伝わる言葉を選ぶのみ。

で、どうなったかというと……

 

「……香織の熱意は分かった。俺としては反対なんだが、それが香織が前に進んでいくために必要なことなら……仕方がない。俺も、南雲に死んでいて欲しいなんて思っちゃいない。できるなら生きて、みんなと一緒に元の世界に帰りたいさ」

(こ、この人何者なのっ! “あの”光輝に香織の想いを理解させて、なおかつ納得させるなんて!?)

 

幼馴染相手に失礼な話だが、雫が驚愕するのも無理はない。

善意と正義感の塊なのは良いのだが、自分の正しさを疑わず、不都合な事態に直面するとご都合解釈する悪癖がある彼に、自分の世界にはない事柄を理解させるのは至難の業だ。

雫も何度となく試みては上手くいかなかったそれを、初対面にしてやってのけ、さらにその先まで……。

それがどれだけのことか、散々苦労してきた雫だからこそよくわかる。

正直、立香のコミュ力には戦慄すら覚えていた。

 

「フォウ? フォウフォウ!」

「あ、うん。ありがとう……」

 

色々ショックを受けていた雫の肩に飛び乗ったフォウが、案じるように顔を覗き込む。

凛々しいながらも可愛い物好きな彼女としては、フォウの仕草一つ一つが癒しになる。

『触りたいなぁ』『モフりたいなぁ』と思っている間は来てくれなかったが、邪念がなくなると近づくどころか頬を摺り寄せたりまでしてくれた。

想像と期待を裏切らない極上の肌触りに癒されつつ、話は着々と進んでいく。

 

「光輝君……ありがとう」

「かおりん、気を付けてね! 鈴も応援してるから!」

「くれぐれも無茶はするなよ。香織の気持ちは分かったけど、俺は君のことが心配なんだ」

 

こういう誤解されそうな言い回しも光輝の特徴の一つだが、相手が香織なら大丈夫。

そもそも極めつけに鈍感な彼女には、光輝の言葉を「そういう方向」で受け取る心配がない。

加えて、彼女の「恋愛対象」は南雲ハジメただ一人。

他の男など「男性」ではあっても「異性」ではないのだ。

その意味で言えば、立香と同行することにもそういう心配がいらないので助かる。

 

「みんな、そこに並んで。今から暗示をかけるから」

「雫ちゃん、鈴ちゃん、光輝君。いってきます!」

「気をつけてな」

「かおりん! 絶対あきらめちゃだめだよ!」

「香織……頑張って」

「ありがとう、雫ちゃん。私、雫ちゃんがいてくれてよかった」

「お互い様よ。必ず、帰ってきなさい。南雲君も一緒に、ね」

「うん!!」

「マシュも気を付けて。香織のこと、お願い」

「はい、任せてください」

「それじゃ、いくよ……」

 

暗示をかけられた三人は、虚ろな表情になってそれぞれ自室へと帰っていく。

それを見送った後、マシュと香織は着替えや旅支度を済ませ、早速王宮から抜け出すために動き出した。

 

「でも、どうやって抜け出すんですか? この辺は先生が私たちが安心して眠れるようにって、巡回ルートから外してくれるよう頼んでくれたから大丈夫だったけど……」

 

本来、召喚された生徒たちは最重要人物だ。

そのため、彼らの私室が並ぶエリアは厳重な警戒態勢が敷かれている。

とはいえ、それでは生徒たちも気が休まらない。

そこで私室が並ぶエリア内は警備の巡回ルートから外し、その分周辺を手厚くしているのだ。

エリア内なら割と自由に動けるが、一歩でも出ればあっという間に見つかってしまう。

何しろ、技能「気配遮断」を有する天職「暗殺者」持ちすら見つけ出す、優秀な技能「気配感知」持ちが警備にあたっているのだ。

頭抜けた潜在能力を持つ生徒たちの中でも、ここを抜け出せるのは極めつけに影の薄い遠藤浩介位なものだろう。

アサシンのサーヴァントでもなく、隠密行動のプロでもない立香たちでは、彼らの警戒網を抜けることはできない。

 

まぁ、別にそれで何の問題もない。

なにしろ、通路を通って出ていかなければならないという決まりなどないのだ。

こちらには、人外の身体能力を有するデミ・サーヴァントであるマシュがいる。

やりようなど、それこそいくらでもあるのだ。

 

「大丈夫大丈夫。ほら、お誂え向きに大きな窓があるじゃないか」

「え? それって、まさか……」

「大丈夫ですよ、香織さん。上空200mに放り出されるより、はるかに安全ですから」

「それじゃ、まずマシュは俺を降ろして。次に香織さんね」

「はい、お任せください、マスター」

 

流石にあって間もない女の子を呼び捨てにするわけにもいかず、とりあえず「さん」付けで呼ぶ立香。

二人は当たり前のようにそんな会話をしているが、香織は既に信じられないものを見るような目で見ている。

その間にも、二人はさっさと窓を開け……飛び降りた。

 

香織は慌てて窓の下を覗き込むが、真夜中という事もあってよく見えない。

ただ、少しするとマシュが特に大変そうな様子もなく平然と壁面を駆け上がってくるではないか。

 

「では、次は香織さんです。口をしっかり閉じてください、舌を噛むと大変です。

 それと、怖ければ目を閉じていることを推奨しますが」

「……大丈夫、開けてる」

「わかりました」

 

オルクス大迷宮に向かい、場合によってはあの奈落に飛び込むことになるのだ。

この程度の高さからの落下に怯えていては、お話にならない。

香織はそう自分を奮い立たせると、マシュに抱きかかえられながら人生初のノーロープバンジーを体験する。

 

「――――――――――――――――――――――――――っ!?」

 

落下の時間は僅かに数秒。しかし、その間香織は必死に悲鳴を飲み込んだ。

衛兵に気付かれるわけにはいかない以上、悲鳴など言語道断。

無理を言ってついて行くのだ、こんなところで足を引っ張ってはいられない。

 

ある程度落下したところで、マシュは壁面を蹴って反対側の壁へ。

それを繰り返しながら落下速度を殺していき、音もなく着地した。

そこには先に降りた立香が降り、心配そうに香織の様子をうかがっている。

 

「大丈夫? 少し休んだ方が……」

「大丈夫、です。早くいきましょう!」

 

完全無欠の強がりだが、それを指摘するほど無粋ではない。

立香もマシュもそれ以上は何も言わず、先へと進む。

本来なら脱出も侵入も困難な国家の最重要施設だが、サーヴァントのような出鱈目な身体能力の持ち主など想定していない。

マシュは立香と香織を抱え、越えられないはずの壁を越え、届かないはずの堀を跳んで行く。

 

結果、割とアッサリ脱出は成功した。

 

「こんな簡単に出られちゃうんですね」

「それがサーヴァントだよ。まぁ、マシュの場合はデミ・サーヴァントっていうのが正しいけど」

「本来のサーヴァントは私以上の能力がありますから」

 

なるほど、魔人族との戦争には過剰戦力かもしれないといった理由がよくわかる。

 

「この後はどうするんですか?」

「まずサーヴァントの召喚を済ませて、必要なら買い出しもかな」

「一応私たちも準備はしてきましたけど」

「まぁ、装備品は問題ないと思う。でも、場合によっては迷宮に長く潜ることになるし、食料をはじめ入り用なものは多い。買い出しとそのための活動資金の工面は必須だよ」

 

それに、立香の格好も正直この世界では少々目立つ。

ワイシャツにブレザー、そこへネクタイを締めた今の服装は、地球でならなにも違和感はない。

しかし、この世界ではありふれたものとは言い難いのだ。

書置きには行き先を書かなかったのだが、それもひとえに追いつかれる可能性を少しでも下げるため。

まずないとは思うが、それでも少しでも捜索の手が分散してくれた方が助かる。

その一環として、立香も極力目立たない格好になることが望ましい。

 

一度迷宮内に入ってしまえば、目立つもへったくれもない。

この服も、こう見えて立派な魔術礼装なので、最終的にはこちらに着替えることになるだろうが。

 

「ああ、そうですよね……」

 

準備や手配の全てをメルド率いる騎士団が済ませてくれたこともあり、その辺りが抜けていたらしい。

まぁ、実の所活動資金の工面や買い出しはホルアドでも問題ない。

立香の服装だけは早めになんとかする必要があるだろう。香織も髪を切っているとはいえ、念には念を入れるならマシュと共に変装する必要がある。

 

「まぁ、その辺りは来てくれるサーヴァント次第かな。っと、ここなんか丁度いいかな」

「ですね。入り組んだ路地の奥なので、外部からは見えにくいですし、召喚にはうってつけかと」

 

なにぶん、王都という事もあり人は多い。

深夜なので起きている者は限られるだろうが、目撃者は少ないに越したことはない。

 

幸いなのは、王都というだけありそれなりの霊脈が通っていることだ。

分かっていて都を築いたのか、霊脈が通っているから都に発展したのかは定かではない。

とりあえず、そのおかげで魔力が収束するレイポイントの捜索には事欠かなかった。

この路地裏も、召喚サークルを設置するだけなら問題はない。

 

「さて、問題はどのクラスを呼ぶかだけど……マシュの意見は?」

「とりあえず、ライダー(騎乗兵)バーサーカー(狂戦士)の方々は避けた方が良いかと。

 オルクス大迷宮は全体で見れば広大ですが、通路そのものも点在するドーム状の空間も決して広くはありません。ライダーの方々の力を活かせる環境ではありませんし、バーサーカーの方は、その……」

 

常に暴走の危険を孕む以上、探索と言った繊細な任務には不向きだ。

 

「アステリオスを呼べるなら、考慮してもいいんだけどねぇ……」

「確かに、アステリオスさんはある意味迷宮の専門家ですから」

「まぁ、迷宮の中で待ち構える側だけど」

「ですね」

「とりあえず、回復は香織さんに任せるとして……あとはセイバー(剣士)ランサー(槍兵)アーチャー(弓兵)キャスター(魔術師)アサシン(暗殺者)の五騎。

 迷宮の探索ってことを考えるなら、前衛と後衛を一人ずつかな。いざという時に俺と香織さんを守れるように、前衛はマシュを入れて二人は欲しいし」

「はい、あとは斥候ができる方がいると助かります」

「じゃあ、そっちはランサーかアサシンだけど、『百貌』を確実に呼べるならアサシン一択なんだけどなぁ」

 

探索を目的としている以上、数が持ち味の『百貌のハサン』は最高の人材の一人だ。

が、確実に呼べる保証はないし、アサシンだと『守る』という役目にはあまり向かない。

守る前に殺ってしまえばいいのだろうが、それでも万が一のリスクは付きまとう。

できるだけ、手堅い布陣を整えたいというのが本音だ。

 

「斥候と前衛か後衛を兼任できるってなると、アサシンだとちょっと不安が残るか」

「残念ながら。三騎呼べるのなら、確実にアサシンのどなたかを呼ぶのでしょうが……」

「つまり、前衛はセイバーかランサー、後衛はアーチャーかキャスターってことだね。

 キャスターなら索敵もできるだろうけど……」

「万が一にも作家系の方々が来たらと考えると……」

「うん、キャスターはない。じゃ、消去法で前衛兼斥候にランサー、後衛にアーチャーで決まりかな」

「どちらにも迷宮探索に不向きな方はいますが、それがベターですね」

 

作家系サーヴァントは基本戦闘能力が皆無だ。その分独特な能力を有しているが、今は必要ないし使い処もない。

それに引き換え、残るクラスなら求める能力から外れても、最低限戦力にはなる。

まぁ、一部「迷宮探索」という目的そのものに向いていなかったり、そもそも一緒に来てくれなかったりするサーヴァントもいるが、それはどのクラスでも同じこと。

恐らく、この組み合わせが最も「ハズレ」を引かない可能性が高い。

 

こっそり、アーチャーなら「俵藤太」が来てくれるといいなぁ、とか思っていたりするのは秘密だ。

彼がいれば、食料品を運ぶ手間が省ける。間違っても、扱いに困る英雄王とかは来ないで欲しい。

神とか出張ってくるようなら、ぜひ来てほしいが……。

 

同様に、半ばライダーみたいなアルトリアやネタキャラ過ぎるジャガーマンは、ランサーの中でもご遠慮願いたい。前者は迷宮という空間では狭すぎるから。後者は突っ込み役がいくら居ても足りず、精神的疲労感が半端ないからだ。

能力的には不向きだが、なんだかんだで冥界の女主人、地の女神であるエレシュキガルなんかは、環境的に相性が良さそうなので有難い気もするが。

 

「マシュ」

「はい、先輩」

 

マシュは十字架型の大盾のみを実体化させ、地面に設置。

すると淡い光と共に、複雑巧緻に編み込まれた魔法陣が浮かび上がった。

 

「召喚陣、展開完了。どうぞ、先輩」

 

ここにこの世界初となる、サーヴァント召喚の儀式が行われようとしていた。

 




とにかく話を理解させるのが難しいこの頃の勇者君ですが、立香の手にかかればこんなもの。
とはいえ、いくつかの要素が絡んだおかげでもありますが。

まず第一に、立香と光輝が良くも悪くも初対面であること。このおかげで、印象は良くもなければ悪くもありません。とりあえず「話くらいは聞こう」と思える状態だったのがあります。もしここで会わずにハジメとのアレコレがあってから説得しようとしても、そもそも「聞く耳もたず」になりどうにもなりませんでした。
うちの立香くんは言葉が通じなくてもどうにかなりますし、話が通じなくても何とかできます。ついでに、種族が違っても意思疎通できるある種の怪物です。が、致命的な弱点が一つ。相手に「話を聞く気」があることが絶対条件。話を聞く気のない相手には、どうにもならないのです。

第二に、勇者君がなんだかんだ言ったところで、根本的には善性であること。死んだと決めつけているクラスメイトがいても、「死んでるのと生きてるの、どっちがいい?」と問われれば「生きていて欲しい」と答えますし、幼馴染が恋をしていればちゃんと応援します。例外は、相手が自分の価値観的にどうやっても受け入れがたい場合でしょう。
今の段階ではハジメへの印象はややマイナス程度。そのため「香織が惹かれる要素がない」と思い、恋愛感情については懐疑的です。ただ、「気にかけていたクラスメイトの心配をする」事は理解できるので、そっち方面で切り崩した感じですね。
あとは「食べ物の好き嫌いの理由を全部説明できる?」「世の中には、手のかかる人がかわいく思える人もいるんだよ」などの言い回しも使ってそうです。

光輝は今の段階なら、理解さえできれば納得はしきれないまでも、ある程度は認めることができます。認め切れない部分については、「また会った時に確かめる」という心境ですかね。そもそも、生存についてはほぼ諦めているので、気持ち的には「香織の気持ちの区切り」「納得させる」ために同行を認めた感じですから。
香織が危険な場所に行くことに同意したのは、手も足も出なかったベヒモスを圧倒したマシュ以上の護衛がつくことが確約されているからですし。

これが檜山だと、理解できたところで納得は絶対しないので、立香でも説得は無理です。あれは香織が欲しいのであって、彼女の心情や幸せは頭にありませんから。ここが勇者君との違いですねぇ。
勇者君は香織の心情を理解できれば、一応その方向に向けて慮るでしょう。彼女の幸せを願ってもいます。なので、香織の為になるのであれば、納得できる範囲で歩み寄ることもできるかと。

立香はあくまでも「意思疎通の怪物」であって、相手の意思を捻じ曲げることはできません。お互いの意思・感情・主張・信条を理解し合うことはできても、それらを曲げさせることはできないのです。
今回で言えば、香織の頼みを聞き入れたのがある意味それです。断ることはできましたが、香織自身に撤回させることはできなかったでしょう。立香側の事情や主張、考えを伝えることはできますし、香織にとって受け入れがたい内容があったとしても理解はさせられます。しかし、香織の意思を曲げることは彼にはできません。もしそれをするとしたら、別の人間が必要になります。

要は、理解さえできればある程度自分の主張を曲げてくれる人は説得でき、これが今の勇者君。
逆に、理解したうえで自分の主張を曲げない相手には無力なのです。ハジメがドパンやった後だと、態度が頑なになるので勇者はこっち側になります。

つまり、今じゃなければ説得できなかったわけですねぇ。タイミングって大事。


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006

結局オルクスに入れなかった……全てク●●●●●のせいだ!!
まぁいいや、とりあえずオルクスに入る前にやりたいことは大体やったし。

そして、強行軍はこれにて終わり。
燃え尽きてはいませんが、もう限界……。
多分、オルクスは言ったら一気に加速……したい。切実に。


浮かび上がった召喚陣に魔力が注ぎ込まれ、加速度的にその輝きを増していく。

 

「素に銀と鉄。 礎に石と契約の大公。

降り立つ風には壁を。 四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ」

 

全身を駆け抜ける魔力を原因とする異物感。

立香はそれに歯を食いしばって耐えながら、さらに魔術回路の回転を上げていく。

 

閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)

 繰り返すつどに五度。 ただ、満たされる刻を破却する」

 

長い詠唱だ。この世界の魔法の常識から考えれば在り得ないほどに。

香織もその長さに目を見開き、驚きを隠せずにいる。

だが、これでもまだ半ば。

 

「――――告げる。

 汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。

 人理の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ」

 

魔法陣の輝きは最早直視することができない域に達していた。

同時に吹き荒れる風が、広いとは言えない路地を蹂躙する。

香織はもうまともに目を開けていることもできず、その場で屈んで倒れないよう踏ん張っている。

無理もない。光は閃光に、逆巻く風は暴風と化しているのだから。

 

「誓いを此処に。

 我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者」

 

そして、最後の一節が紡がれる。

 

「汝三大の言霊を纏う七天、

 抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ―――!」

 

締めの詠唱と共に、光と風が爆ぜた。

まるでそれまでの激しさが嘘のように静けさを取り戻し、光は夜に溶け、風が頬を撫でる。

香織がようやく目を開けると、そこには二つの人影が表れていた。

 

一人は赤い外套を纏い、白い髪と褐色の肌が印象的な偉丈夫。

 

一人は青い装束と血色の槍を携えた、野性味溢れる勇士。

 

どちらも、立香やマシュにとっては見知った相手であり、信頼する仲間だ。

両名はその場で立ち上がると、まっすぐ立香を見据えて告げる。

 

「サーヴァント・アーチャー」

「サーヴァント・ランサー」

「「召喚の招きに応じ参上した」」

「ふむ、今回は私か。では、精々期待に応えるとしよう」

「よぉ、まぁ気楽にいこうや、マスター」

 

口上を終えた二人は、それぞれの人柄の滲み出る挨拶を以て締め括った。

 

分かっていたはずなのに呆然とする香織。

それに対し、マシュは気色に満ちた様子で立香に小声で話しかける。

 

(やりました、マスター! 今回の召喚は大成功です!!

クー・フーリンさんは、およそランサーのサーヴァントの中でも前衛兼斥候としてトップクラスでしょう!

 エミヤ先輩も、遠・中・近距離すべてに対応できて、なおかつ支援もこなせるので大変頼りになります!

 何より、先輩に美味しい食事を食べてもらえます!)

(ああ、うん……そうだね)

(先輩?)

(いや、確かに二人ともすっごく頼りにはなるんだけど……あれ)

(あれ? …………あ゛、そういえばあのお二人は確か……)

(能力はともかく、性格的に相性が悪いんだよなぁ)

 

『あっちゃ~』とでも言いたげに天を仰ぐ立香。

彼のリアクションを責められる者はいまい。

なにしろ、今まさにその懸念が現実のものになろうとしているのだから……。

 

「むっ……また貴様か、クー・フーリン。

 どうしてこう、毎度毎度君は私が召喚された先にいるのだ! ストーカーか!」

「そりゃこっちのセリフだ赤いの! どこに召喚されてもそのツラ拝むこっちの身にもなりやがれ!

いい加減運命とか感じちまいそうだ……あぁヤダヤダ!!」

「それこそこちらのセリフだ! この腐れ縁、いい加減断ち切ってくれる!!」

「おぅ、上等だ! いい加減、てめぇの辛気臭ぇツラも見飽きたってもんだ! 白黒つけようじゃねぇか!!」

 

その瞬間、両者の間で物理的衝撃すら感じられるような凄絶な殺気が衝突した。

 

(なに、これ……!?)

 

ベヒモスを前にした時の恐怖など生温い。

立っていることはおろか、呼吸すら困難な殺意の奔流。

自身に向けられたものではなく、あくまでも“余波”に過ぎないにもかかわらず、香織は今にも意識を手放してしまいそうだった。

マシュは慌てて香織の傍に寄り添おうとするが、その手が彼女に触れる寸前で止まる。

 

(嘘……)

 

なんと、香織はギリギリのところでエミヤとクー・フーリンの殺気に耐えているのだ。

今にも飛んでしまいそうな意識を握り締め、崩れそうな脚に活を入れる。

それはひとえに、“南雲ハジメの生存”を信じる彼女の想いと、彼を助けに行く決意と覚悟のなせる業。

その強い意志が、心が、彼女にここで無様に倒れることを許さない。

今度こそ必ず、ハジメを守るのだと。そのためにも、こんなところで膝をつくわけにはいかない。

 

「はいはい、じゃれ合いはそこまで! まったく、仲が好いんだか悪いんだか……」

「じゃれてねぇよ!」

「不本意ながら全く以て同感だ。だが、マスターの意向に背いてはサーヴァント失格だ。

 君はどうかね、クー・フーリン。それとも、クランの猛犬は躾がないっていないのかな?」

「ちっ、わぁったよ。俺も異論はねぇ。というか、テメーは一々一言多いんだよ!

 嫌味言わなきゃ話もできねぇのか!」

「さて、私は単に相手に合わせているだけなのだがね……」

「おう、そりゃどういう意味だ?」

「ご想像にお任せしよう」

「けっ、つくづくいけすかねぇ野郎だ」

 

口では分が悪いと分かっているのか、クー・フーリンも仕方なく矛を収める。

実際、今はそんなことをしている場合ではないし、これで彼は忠義者だ。

まずはマスターの意向を最優先にしてくれる。

 

「それで二人とも、状況の説明はいる?」

「いや、不要だ」

「ダ・ヴィンチから一通りのことは聞いてる。

 通信こそできねぇが、こっちの状況はしっかりモニターしてたぜ」

「それじゃ、早速ホルアドってところに向かうから、よろしく!」

「おう。嬢ちゃん、荷物寄越しな」

「は、はい」

 

立香の指示を受け、それぞれが自らの役目に沿って動き出す。

クー・フーリンは三人の荷物をまとめて担ぎ、エミヤは立香を背中におぶる。

立香としては「恥ずかしいなぁ」「でも仕方ないんだよなぁ」と言わんばかりのなんとも言い難い表情。

何が悲しくて、二十歳目前にしてムサイ野郎の背中に乗っからねばならないのか。

だが、今はそんなことを言っていられる状況ではないので、何も言わないが。

 

「マシュ、彼女のことは任せるぞ」

「私が、ですか?」

「ああ。初対面の男より、同性であり友人である君の方が安心だろう。

 悪いが、今回は私がマスターを運ばせてもらう」

「なるほど、了解しました。さすがエミヤ先輩、見事な気配りです!」

 

尊敬の眼差しを向けるマシュに肩を竦めて応える。

マシュも、急ぎ香織の元へと駆けていく。

 

「え? え? ど、どういうこと?」

「すみません。どうやら、あまり穏やかではない手段で向かう事になりそうです。

 香織さん、くれぐれも舌を噛まないように。失礼します。

それとフォウさんも、しっかりつかまっていてください」

「わひゃっ!?」

「フォ~ウ!」

 

一言謝って、フォウを肩に乗せたマシュは香織をお姫様抱っこで抱き上げる。

 

「マシュ方向は?」

「三時の方角に王都内外を繋ぐ門があります。周辺は結界が張られているそうなので、そこから出ましょう!」

「確かに、わざわざ結界を破って事を大きくする必要はないな」

「おっし、じゃあいくぜ!!」

 

クー・フーリン、エミヤ、マシュの三人は一足飛びで壁を駆け上がり屋上へと昇る。

そのまま指示された方向へと風を置き去りにする速度で走り出した。

体感速度としては既に新幹線にも劣らない。風が乱暴に肌を叩き、凄まじい速度で暗い景色が流れていく。

 

つまり、最短距離を突っ走って王都を抜けるつもりなのだ。

何と無茶な…と言いたいところだが、軽々と壁を駆け上がり、屋根から屋根へ道路を飛び越えて渡っていくことができるなら、確かにその限りではないのだろう。

 

間もなく王都内外を繋ぐ門が見えてきた。

本来なら夜間は門は閉じられているのだが、王都ほどの大都市の流通を維持するにはいくつかの門は開けておかなければならない。これは、その一つだ。

その分警備は厳重だが、抜け道はいくらでもある。

 

「おい、あの馬車に紛れるぞ!」

「承知した。マシュ、遅れるな」

「はい!」

 

三人はエミヤが出した黒い外套を被り、門の警備を務める兵から死角になる影に身を潜めた。

隠密行動の苦手なマシュだが、他の二名はそれなりに心得がある。

彼らに先導され、無事見つかることなく王都を抜け出すことに成功。

 

平野に出たところで、再度スピードを上げて走り出す。

それも、速度は先ほどよりさらに上がっている。

平坦な道な分、速度が出しやすいのは当然のことだった。

 

「嬢ちゃん、どっちだ!」

「もう少し右へ……はい、その方角です! この先に中規模の街があるはず、そこで準備を整えます!」

「クー・フーリン、少しペースを落とせ! 我々にはそれでは早い!」

「あん? ちっ、しゃーねーか」

 

英霊の中でも屈指の敏捷性を誇るクー・フーリンが本気で走れば、二人では追いつけない。

特にマシュは敏捷のステータスが低い上に、デミ・サーヴァントという事もあって不利になりがちなのだ。

エミヤの苦言は、根本的にはマシュへの配慮から来ている。

 

「あ、あと夜とはいえ極力人目につかないよう気を付けて! ばれたら面倒だから」

「わぁってるよ! 安心しな、夜目は効く方だ。他の奴らがいたら適当に迂回すっからよ」

 

黒い外套を纏って闇夜に紛れている分、見つかり難くはあるだろうが絶対ではない。

残す痕跡・情報は少ないに越したことはないのだ。

 

「わわわ……」

「大丈夫ですか、香織さん?」

「な、なんとか……」

 

思いのほか激しい揺れに動揺しながらも、香織はヒシッとマシュにしがみつき姿勢を保持。

同時に夜空や暗い地平線など、出来るだけ遠くへ視線を向ける。

 

これは地面が近くなったことで尚更体感速度が上がったことも理由の一つだ。

最早、いったい何と比較すればいいのかわからないほどのスピードで走っている。

これで前の二人はペースを落としている方という事実に、最早言葉もない。

 

「マスター、君の方はどうかね? できれば頑張って欲しいのだが」

「う、うん、なんとか……うっぷ! 頑張る……」

「期待しよう。まぁ、無理はせんことだ。無茶なのはわかり切っている。むしろ、耐えている彼女に私は感心するよ……おっと、これは失言だった。忘れてくれ」

「聞く、余裕、ない……」

「……そのようだ!」

 

速いことは速いのだが、とにかく揺れるのがこの移動手段の難点。

短距離ならまだしも、長距離の移動には死ぬほど向かない。

何がダメかというと……………………「酔う」のだ。それも激しく。

 

緊急時にはこの移動手段を何度かとった立香でさえ、未だに“慣れる”という事のない激しい振動。

舌を噛む程度ならまだ可愛いもの。次第に気分が悪くなり、最悪担がれたまま……という事もあり得る。

香織が夜空や地平線と言った遠くのものを見る様にしているのも、そういう事だ。

少しでも気を紛らわせようとしているのである。

 

そして、エミヤも立香も紳士だ。

そんな乙女の尊厳にかかわることには、当然気付いていない。

もしかしたら背後からちょっと優雅ではない音が聞こえたりするかもしれないが、これだけ風がうるさいのだ、聞き間違いか何かだろう。そうに違いない。

 

やがて、そんな強行軍も終わりが近づいてくる。

王都周辺という事で、このあたりにはそれなりに街や村もある。

一行が目指していたのは、そんな中でも中堅程度の大きさの街。

ここで、馬車をはじめとした今後必要になるものなどを買い揃え、ホルアドに向かうのだ。

 

なにしろ、この移動手段は早いことには早いのだが快適性が致命的に欠けている。

目的地はホルアドではなく、その先の大迷宮。より正確には、その遥か底にいるであろう南雲ハジメの捜索と救出だ。道中で体力を使い果たしてしまっては、それこそ本末転倒である。

本当は宿で一泊できればいいのだが、それで捜索の手が及んではせっかく稼いだ距離と時間が無駄になる。

というわけで、ある程度の距離を稼いだ後は体調の回復を図りながら移動できる馬車が望ましい。

出来れば幌付き、最低でも荷台が必須だ。

 

そんなわけで、街の手前についた立香たちは、近くの林に一度身を隠す。

何故そんなことをしているかというと……

 

「では、行ってくる」

「マシュ、クー・フーリン。香織さんのことは任せたよ」

「はい、お任せください先輩。お気をつけて」

「おぅよ。ま、土産に酒でも頼むわ」

「うぅ~~~~~~~~~……」

「香織さん、お水です。ゆっくりどうぞ」

 

香織がいい加減限界だったから……ではない。いや、確かに限界だったのだが、そこではないのだ。

二人ともタイプこそ違えど掛け値なしの美少女。当然目立つ、ものすごく目立つ。

たぶん、一度顔を見れば男女問わず忘れないくらいに。

そんな二人がのこのこ街に入るのは大変危険だ。顔を隠すことはできるが、万が一にも見られれば足がついてしまう。

この街とて、王都からそう離れてはいない。捜索の手が及んだ時、顔を見られていれば進行方向が予測されてしまう。

 

しかし、逆に言えば街に入らなければ問題はない。

なので、顔どころか存在すら知られていない立香とエミヤで街に入り、持ち込んだ貴金属や宝石を売って資金を得て、必要な物品を調達する。そうすればあら不思議、謎の美少女二人の影も形もない、まさに完全犯罪。プロフェッサーMもビックリだ!?

 

ちなみに、何でクー・フーリンを残していくかと言えば、立香の過保護と心配性の表れだ。

名目は香織の護衛だが、その実ようやく再会できた後輩から目を離すのが心配で仕方ないだけである。

エミヤもクー・フーリンも察しているが、敢えて何も言わない。

経験豊富な人生のヴェテランの余裕だった。

 

そんなわけで、二人は街の門へと向かっていく。

既に明け方も近く、門前は早くも人の賑わいの兆しを見せている。

買わなければならないものも少なくないので、それなりに時間がかかるだろう……というマシュの予想は、あっさり覆された。所要時間なんと驚きの5分、驚異の早業である。

 

「マシュ――――――――――――っ!?」

「先輩? 随分早いですが、どうかされたんで……」

「なんか、前に並んでた人がカードみたいの見せてから入ってたんだけど!? あれなに!? もしかして、俺も持ってなきゃ不味い!?」

「カード……あっ!? す、すみません先輩! すっかり失念していました、マシュ・キリエライト一生の不覚です!」

「あん、うっせぇな。どうした?」

「そのカードはステータスプレートと言って、この世界で言うところの身分証のようなものです。それなり以上の街では、これを提示しないと街に入れないんだそうです!」

「ええっ!? 俺そんなの持ってない!」

「わ、私が一緒に行けば……」

「いや、それじゃ本末転倒だろうが。だいたいんなもんなくても、黒んぼにでも担がせて壁超えりゃいいだろうが。この街には見たところ、結界の類はなさそうだしよ。

 それに、この手の街は入るのは厳しくても出るのは緩いもんだぜ?」

 

気配遮断のスキル持ちのアサシンではないので、もう明るくなり始めた今、王都を出た時のような手段は使えない。エミヤたちだけなら霊体化していけるが、立香も伴ってとなると無理だ。

だが、クー・フーリンの言う通り、飛び越えてしまえば問題はない。

ただしそれも、この場に限っての話だ。

 

「いえ、大迷宮へ入るのにもステータスプレートは必要です。ホルアドもかなり大きな街ですから、結界はなくても警備は厳しいでしょう。毎回非正規の手段で侵入するのは望ましくないかと……」

「なんだよ、結局それがいるってことは、足がついちまうじゃねぇか」

 

そう、結局ホルアドについてしまえば、霊体化できない香織とマシュはステータスプレートを提示しなければならない。そうなれば当然、足がついてしまう。

そのため、できれば捜索の手が届く前にホルアドについてしまいたい。

だからこそ、徹底して足跡や痕跡が残らないように動いてきたのだ。

 

暗示にかかった雫は、おそらく当然のように香織たちの捜索を願い出るだろう。同時に、香織の目的地が大迷宮であろうことも察するはずだ。とはいえ、彼女たちの認識では歩くので精一杯のマシュを連れていれば、その歩みは遅くなる。また、人や物の出入りを調べる限り、不審な様子もない。

生活の全てを王宮が見てくれていたマシュたちは、ほぼ現金を持っていないのも周知の事実。そのため、馬車などに乗ろうとすれば、所持品を売って金銭を工面するか、不正な手段で乗り込むしかない。

当然、それをすればこれまたどこかに痕跡が残る。

 

つまり、普通に考えれば一切の痕跡を残さずに王都から出ることは不可能なのだ。

特にマシュも香織も隠密行動に長けた天職ではない。影の薄さ生涯世界一位「遠藤浩介」なら歩いて、正面から、誰にも声をかけられずに、素通りできるだろうが。

そんなわけで、恐らく捜索はまず王都内及び念のためにその近隣で行われるはず。もしかしたらホルアドにも伝令が届くかもしれないが、それこそ保険程度のものだろう。

 

故に、ホルアドまでなんとか痕跡を残さず辿り着ければ、大迷宮への侵入もできると踏んでいたのだ。

最悪、迷宮には力づくで乗り込んでしまえばいい。一度は行ってしまえば、あとはどうとでもなるのだから。

とまぁ、そんなプランとも呼べないプランだったのだが、まさかこんな形で躓くとは……。

 

「確かにホルアドでは痕跡が残ってしまいます。最悪それは仕方ないとしても、痕跡を残す機会は少ない方が良いでしょう。折角ですし、先輩にはこの機にステータスプレートを調達していただくのが無難かと。

 上手くすれば、私たちの分は紛失したという事で誤魔化せるかもしれませんし。できなくても、なんとか時間ギリギリまで対策を考えるつもりです」

「でも、そう簡単に再発行とかできるの」

「割と小さなものなので十分紛失の可能性はありますから……確か、冒険者ギルドで再発行してもらえると聞いた覚えがあります」

「わかった。なら、エミヤに中に入れてもらって、そこでステータスプレートを発行してもらおう。

 あとは当初の予定通り。ちなみにそれって、盗んだとして使える?」

「いえ、登録した人でないと表示できないそうです」

「意外にセキュリティがしっかりしてるなぁ……」

 

そう呟きながら、立香は侵入できそうな場所を探していたエミヤと合流しに行く。

元より不法侵入するつもりなあたり、良い性格をしている。

 

「ステータスプレート……あっ、そういえば……」

 

一つ確かめておきたいことがあったことに、気付くマシュ。

早速、暇を持て余しているクー・フーリンに相談してみることに。

 

「あの、一つお願いがあるのですが?」

「あん?」

「実は――――――――――」

 

マシュたちがそんなやり取りをしている間に、立香とエミヤは無事街への侵入に成功。

警備の緩さを嗤うようなことはしない。

どこの世界に、垂直の壁を人ひとり担いで駆け上がるようなビックリ人間がいると思うだろうか。

そんなものどこの誰も想定していないのだから、防ぎようがない。

 

「さて、多少のトラブルはあったが無事入れたな。で、まずはやはり質屋かね?」

「うん。とにかく俺たちいま無一文だし」

 

というわけで、マシュに教えてもらった質屋…コインと袋が描かれた看板が目印の店を探す。

それ自体はあっさり見つかったのだが、立香はふと思う。

 

(あれが質屋なら、銀行ってどんなマークなんだ?

 それとも、この世界に銀行はまだない?)

 

まぁ、割とどうでもいい疑問だ。

そんなことよりも、この時重大な問題が発生していたことに立香たちは気付いていなかった。

街の中を歩く中でヒントはあったのだが、物珍しさが先だって気付かなかったのが悔やまれる。

その問題とは、この世界に来て二度目となるカルチャーショック(?)。

 

「**************************」

(何言ってるかわっかんねぇ~~~~~~っ!?)

 

召喚された者たちは共通で所有する技能「言語理解」。

しかしそれは、自分の意志でやってきた立香には与えられなかったらしい。

今まで同郷の者たちとしか話していなかったので、全く気付かなかったのだ。

言葉が通じなければ、コミュニケーションも何もあったものではない……普通なら。

 

「***? *******、*******。**********!」

(なめるな! 言葉が通じない? その程度日常茶飯事だぁ!! 話が通じない連中に比べればなんぼのもんじゃい!! 真なる異文化コミュニケーションの神髄、見せてやる!!)

 

コミュニケーション関連になるとテンションが上がるのか、立香の何かに火が付き、キャラがぶれている。

 

まぁ実際、彼にとってみれば言葉が通じない程度は問題にもならない。

バーサーカー連中には割とそういうサーヴァントが多い。むしろ、言葉が通じるのに話が通じない連中のほうが厄介だ。なにしろ、どうやったら伝えたいことが伝わるのか、創意工夫しなければならないのだから。

言葉が通じない“だけ”なら何とでもなる。

 

「******! *******、***! **********」

「これで200? 安い! せめて900! え? こっちとセットで1700? …………よし、売った!!」

「********? **********。***!? ********!」

「これとこれのセット? ダメダメ、そっち800、こっちが1050。これ以上はビタイチまからないぞ!

 ……あっそ、じゃいいや。別の所にもっていくから」

「****! *************!!」

「初めからそうしてればいいんですよ。よし、セットで2000、毎度!」

(なぜ、言葉が通じないのに商談が成立しているんだ?

 最近、ますますマスターのコミュニケーション力が突き抜けてきた気がする。彼はいったい何になろうとしているんだ? 神か? コミュ神にでもなろうというのか?)

 

『やだなぁ、そんなマスター』などと思いながら、目前の謎の光景にエミヤは頭を抱えたい衝動にかられていた。

まったく会話が成立していないのに、なぜか意思疎通は問題なく図れている。

謎だ、激しく謎だ。

 

いや、特異点を巡る旅を経て、更なる艱難辛苦を乗り越え立香も逞しく成長したのだろう。

それ自体は喜ばしいのだが、方向性が間違っている気がするのは気のせいか。

 

ちなみに、妙に商魂たくましいのはダビデやどこぞの女王と言った、守銭奴共の影響だろう。

なにしろ個性の塊揃いなのがサーヴァントという存在だ。

朱に交わって紅くなるどころか、“黒”を“白”に染め上げるくらいはしかねない。

 

「ふぅ、熱い交渉だった! やっぱり現地の人との魂の交流こそが旅の醍醐味だよ。そう思うだろ、エミヤも」

「……アア、ソウダナ」

 

良い汗かいて爽やかな笑顔を浮かべる主に、アーチャーはどこか遠い目で答える。

なんか良い事言っている気はするのだが、素直に賛同したくなかった。

ちなみに、背後では「また来いよ! 今度はもっと値切ってやるからな!」と伝わらない言語で、店のおっちゃんが手を振っていた。

 

「それで、次はどうするのかね? 馬車か、それとも物資の調達か、あるいは……」

「ステータスプレートかな。身分証がないと買えないとかだと二度手間だし、他のは馬車に積んだ方が手間が減る」

「了解した。では、冒険者ギルドだったか。確か、目印は一本の大剣が描かれた看板だったな」

「うん。え~っと、さっきのおじさんの話だと……」

「待て、価格交渉ならまだ数字だけでなんとかなるだろう。だが、店の場所などどうやって……!?」

「ノリと勢い」

(それで伝わるのか?)

「ボディランゲージは万国共通だよ。バーサーカーにだって通じる、異世界で通じない理由があるの?」

 

正直、「当たり前でしょ」みたいに言い切られても困る。

少なくとも、それで通じる自信がない。いや、ある程度は通じるだろうが、それにしたって限度があるだろう……。話の通じない系バーサーカーや天之河光輝と意思疎通を図れるコミュ力は伊達ではない。

 

「あ、ここだ」

(本当に迷わず着いてしまうとは……)

「う~ん、まさにって感じだなぁ」

「確かに、あまり行儀は良くなさそうだ。マスター、私から離れるなよ」

「もちろん! 話が通じない位なら何とかなるけど、いきなり暴力振るわれたら俺何もできないし。ペンは剣より強いけど、剣はペンより早いからなぁ」

 

身の程を弁えている、と言えばその通りではあるのだが……なんだか釈然としないエミヤであった。

 

年季の入った木製の扉を開ければ、まず目に飛び込んできたのはカウンター。ただし、人が多すぎて隙間から一瞬そんな感じのものが見えただけだ。

左手側に視線を向ければ、食事処があり酒も置いている様子。そちらも人でいっぱいで、食欲をそそる大味な匂いと、僅かなアルコール臭からの推測だ。

上下左右に視線を巡らせれば、壁や床には破損と修復が繰り返されたらしい痕跡が見られ、天井には血痕。

不衛生だったり整備が行き届いていなかったりと言いたいことは色々あるが、敢えて何も言うまい。

どうせ、カードを発行してもらって、そのまま「はい、さようなら」なのだから。

 

「***、***********?」

「*******************。***********」

「**********、********。**************」

「**。*******、************」

「ほぉ、存外冷静じゃないか。何を言っているかはわからんが、警戒してくれているらしいな。

てっきり、早々に難癖付けられるかと思っていたのだが」

「期待してた?」

「まさか。私は平和主義だぞ、余計なトラブルはゴメン被る」

「嘘じゃないのは知ってるけど、素直に頷きたくないなぁ」

「君にだけは言われたくないと、今私は思っているよ」

 

不躾に周囲の冒険者たちから向けられる視線に、二人は特に動じた様子も見せない。

当然だ。エミヤは色々訳ありな特殊例の英霊とはいえ、それでも英霊は英霊。

それも戦う事を得手とするタイプの。もっと得意なもの(家事全般)もあるが、戦闘能力は人間レベルでは足元にも及ばない。

立香は立香で自身の腕っぷしはほどほどだが、とにかく強面・強者への耐性が異常だ。迫力という面で言えば、ここの冒険者たちなど子猫に等しい。勝てる勝てないはともかく、特に気圧されたりはしない。

 

が、なにもみんながみんな荒くれながら分別のある者たちばかりではない。

特に経験の浅い若手の中には、気ばかりが大きく、何にでも噛み付く野犬のような者も稀にいる。

 

「**、********! ****、***! *********!! ******、**!」

 

もうこれでもかと言わんばかりのチンピラ風の男が、エミヤに向けて吠え掛かる。

しかし、そもそもこの世界の言語を知らない彼には、文字通り「遠吠え」以上の意味はない。

一応自分に向けて吠え掛かっているのは理解できるが、かと言って応じてやるつもりもなし。

なので、丁重に無視させてもらっていたのだが、どうやらお気に召さなかったらしい。

 

(まぁ、そうだろうとは思っていたが……)

 

無視以外の選択肢を取らなかったのは、立香のように意思疎通できる自信がないからだ。

伝わらない言葉をいくら重ねたところで、この男が引き下がるとは思えない。

その後ろには仲間と思しき、これまたチンピラ風の男が3名と、化粧の濃い女が2名。

ある者は槍を、またある者は杖を、手甲を付けた者やナイフを腰に下げている者もいる。

まぁ、大凡オーソドックスな武器ばかりで、武器の質も……目を引くものはなし。

物珍しさには欠けるが、案外堅実なのかもしれない。

今まさに難癖をつけている男も、得物は幅広の長剣だ。

 

「*****。**********。**、****。**************、***?」

(さて、どうしたものか……)

 

わざわざ相手をしてやる気はないが、いい加減鬱陶しくなってくる。

自分から仕掛けてこないのは、吠えるばかりで度胸がないのか。それとも、賢しくも正当防衛を主張するための仕込みなのか。

 

(いずれにせよ、放っておけばそのうち飽きるだろう)

 

別にどちらでも構わなかったので、エミヤは無視を決め込む。

立香は立香で荒事にならないのなら放置の方針なのか、何も言ってこない。

基本、各サーヴァントの方針を尊重するのが彼のスタイルなので有難いと思っているのだが、こういう時はその訳が分からないレベルに突入しつつあるコミュ力を発揮してほしいとも思う。

とはいえ、サーヴァント(召使)として主に頼るのも格好がつかない。

 

結果、そのままチンピラは放置することに。

 

「できればさっさと要件を済ませたいのだがね」

「朝だからかな? 結構人が多くてなかなか進めない……」

 

依頼者が殺到しているのか、それとも依頼を受けるために冒険者が集まっているのか。

どちらかは知らないが、とにかく人が多い。

強引に人込みをかき分けて進もうかと思うが、変な人にぶつかるとトラブルの元になりそう。

急いでいるからと言って、トラブルになれば返って時間を食ってしまう。

大人しく人がはけるのを待つべきか……などと思っていたら、どうやらチンピラの方がもう限界らしい。

 

「****!! ***********!!」

「はぁ、それを抜けばこちらも応戦せざるを得ないのだがね」

 

腰の長剣を抜き、切っ先を向けてきた。

しかも、ゆらゆら揺れる切っ先はエミヤだけでなく立香にも向いている。

流石にそこまでされては無視するわけにもいかない。万が一にもマスターである立香が傷を負えば、サーヴァントの沽券にかかわるし、マシュに合わせる顔がない。一応、彼もまたマシュの「先輩」なのだから。

 

(止めようとする者もいないわけではないが、これではな)

 

仲間たちはチンピラを囃し立てているので論外。

周りの冒険者連中の内大半が静観を決め込み、煽りも宥めもしない。

自分から火中の栗を拾いにはいかないが、せっかく火に飛び込むバカがいるのだから、その火の質を見極めようというのだろう。中には、チンピラを案じて制止の声をかける者もいるが……あれでは望み薄だ。善良なのは良いが、“強気”とは言えないので押し切れずにいる。

 

(腕は悪くなさそうだが、色々と貧乏くじを引きそうだな。同情するよ)

 

刃を向けられているエミヤや立香のためか、あるいは返り討ちになるとわかり切っているチンピラのためか。

いずれにせよ、彼の善意には感謝している。ならばせめて、彼が自責にかられないよう、丁重に制圧することを決める。

誰のためでもなく、他者のために面倒な役回りを引き受けたお人好しのために。

 

(彼に感謝することだ。でなければ、相応に痛い目を見てもらうところだった)

「お手柔らかにね」

「無論だ」

 

エミヤの内心などお見通しとばかりに一言入れる立香に応え、最速で無力化すべく動き出す…………寸前、巨大な影が落ちた。

 

(殺気はないが、なん…だ?)

 

目の前のチンピラは脅威の欠片もないので、さっさと視線を上に向ける。

明かり窓からの逆光で黒いシルエットしか見えないが、チンピラの背後に身長180代後半のエミヤがなお見上げる人影がそそり立っていた。

恐らく身長2m強、全身は分厚い筋肉の鎧で覆われ、頭は禿頭。その天辺には一房の長い髪が生えており、三つ編みに結われている。ここまでであれば巨漢の冒険者だと思うだろう。

実際エミヤもそう思ったし、特徴的な髪形も辮髪(べんぱつ)(主にモンゴル周辺の男性の髪型で、頭髪を一部を残して剃りあげ、残りの毛髪を伸ばして三編みにし、後ろに垂らしたもの)だと思えば何もおかしなことはない。

 

立香ほどではないにしろ、生前は世界各国を回った彼はそれなり以上に“異文化”というものへ理解がある。

部外者から見れば奇異に映るものでも、当人たちにとっては当たり前なことなどいくらでもある。

力士が取り組みの際に“廻し”しかつけないことも、日本人なら不思議に思わないが、海外ならその限りではないのと同じ。

 

しかし、問題なのはその後だった。

その三つ編みの先端がピンクのリボンで纏められているのは……まぁ、良いだろう。個々人の趣味だ、とやかくは言うまい。

だが、刹那の時間で光に慣れた目に映った光景のインパクトは絶大だった。

まず、劇画かと思うほど濃ゆい顔!!!

 

「ぶはっ!?」

「お~」

 

動く度に全身の筋肉が「ピク♪ ピク♪」と動き、「ギシ! ミシ!」と音を立て、両手を頬の隣で組み「くね♡ くね♡」と動いている。

服装のインパクトはさらに凄まじい。女性の胴ほどもある腕は付け根まで、大樹の如き脚は太腿半ばまでむき出しになり、上半身から腰の下あたりまでを一つの巨大なハート(濃淡を使い分けたピンクを基調に白いフワフワとしたファーのようなもので縁取っている)が辛うじて隠している。

 

後ろは見たくない。

見なくても大体想像がつく。

本当は想像したくもないのだが、どう見たってこれは……

 

「裸エプロンか!?」

「わぁ~、だいた~ん!」

 

立香の感想が盛大にズレているが、今はそれどころではない。

正直、歴戦のエミヤをして視覚的インパクトだけで意識が飛びかけた。

むしろ、どうして立香は平然としているのか。

あれか? 外なる神々的な何かとつながりのあるサーヴァント、クラス:フォーリナー(降臨者)とも契約しているからか? いや確かに、これはそれに比肩するインパクトと言えなくも……。

 

とそこで、エミヤは気付いた。

さっきまで吠え立てていたチンピラもいい加減異変に気付き、今まさに振り返ろうとしていることに。

そして、彼はなんだかんだ言いつつ根っからのお人好し。

咄嗟に、そのお人好しっぷり……要は皮肉屋の仮面の下の“素”が出てしまった。

 

「**? **********……

(特別意訳:あん? いったい何見てやがん……)」

「バカ者! やめろ! 見るなぁ!!」

「**~*、*********~*。

(特別意訳:あら~ん、良い漢がいるわねぇ~ん)。

******、*・*・*、**♪

(特別意訳:おねぇさんの、こ・の・み、よん♪)

 *~*、***、*************~*

(特別意訳:あ~ん、でもぉ、そっちの子も可愛いぃぃわぁ~ん)」

「*(特別意訳:ば)」

「*?(特別意訳:ば?)」

「******~~~~~~~!?

(特別意訳:バケモノだぁ~~~~~~~!?)」

「******、*************、*****************、************、*********!!

(特別意訳:どぅぁ~れが、外なる神も泡吹いて気絶する、傍にいるだけで魂が深淵堕ち待ったなし、名状しがたき不浄なる者だ、グルァァァァァァァ!!)

 

その瞬間、名状しがたき不浄が天地を揺るがす咆哮を挙げ、ギルドが震撼した。

いや、事実としてギルドの建物そのものが揺れたのだ。割と深刻そうな軋みを上げて。

エミヤは自身に向けられたわけでもないその咆哮に、思わず一歩後退る。

周囲も酷い有様だ。ただし、彼らの言葉が分かればこう聞こえただろう。「ぎゃ~! なんだあのバケモノはぁ~!」「あ、新手の魔物か!?」「いや、オルクス最下層から這い出したボスだ!!」「ま、まさかクリスタベル!? なぜアイツがここに! とっくに冒険者業は引退して、ブルックの街に隠居したはずじゃ!?」まさに阿鼻叫喚である。

 

(なるほど、異世界トータス……このようなバケモノがいるとは、どうやら一筋縄ではいかんらしい!!)

 

エミヤは割と真剣に死を覚悟した。一命を賭してでも、マスターだけでも無事離脱させなければと。

ちなみにその足元では、先のチンピラが泡吹いて失禁しつつ気絶していた。

しかし、そちらに気を配る余裕は彼にもない。

なにしろ、守るべきマスターが自分から渦中に飛び込んでいくのだから。

 

「っ! 何をしている、マスター!」

「…………」

 

無言のまま一歩前に出て、ジッとバケモノを見上げる立香。

同じくジッと立香を見下ろすバケモノ。

下手に動けば立香が危ない。その事実が、エミヤの動きを止めていた。

ただし、いつバケモノが動いてもいいように、あらゆる事態に対応できるよう備える。

 

そして、その時は訪れた。

両者の腕がゆっくりと持ち上がり……………がっちりと握手を交わしたのである。

 

「…………………………………………は?」

「いや、ありがとうございます。おかげで助かりました」

「********、************************♪」

「荒事にはしたくなかったんで、困ってたんですよ」

「***♡ *********、**。*****************、*****************」

(通じている、のか? マスターのコミュ力は、遂にバケモノにすら届いたというのか!?)

 

まるで親しい友人と談笑するかのように朗らかな立香。

バケモノの方も、先の咆哮が嘘のよう輝く笑顔(?)を浮かべながらクネクネとシナを作っていた。

エミヤにはただただ不気味でしかないその動きを、立香は当たり前のように受け入れている。

どんなサーヴァントをも受け入れる懐の深さを頼もしいと思ってきたが……この日、エミヤは初めて立香を「恐ろしい」と思ったそうな。

 

その後、すっかり打ち解けたバケモノの計らいでステータスプレートの発行に始まり、馬車選び、必要な品々の購入の全てが順調にいった。半額以下まで値切れたのは、立香の手腕だけが理由ではあるまい。

むしろ、「タダでやるから帰ってくれ」と泣きつかれていたようにも見えた。

真相は、考えない方が良いだろう。知らなくていいことが世の中にはある。

 

加えて、あのバケモノ…………信じがたいことに目利きに優れるだけでなく、センスも良い。

まず馬からして上質だ。若く健康でありながら気性は穏やか、速度には長けないものの持久力に優れているので、馬車用の馬としては最適だった。

幌の仕立ても実によく、シンプルでありながら縫製はしっかりとしており、エミヤも思わず唸る職人技が光っている。さらに、所々に細やかな刺繍が縫い込まれているという、遊び心に溢れた逸品ときた。

車の方も良い木材を使い、ニスが良い味を出している。削り出しから組み上げまで、完璧な採寸で一部の隙もない仕上がりだ。

正直、ホルアドまで乗っていくだけにしては上物過ぎる。これほどの物が手に入るとは思っていなかったし、望んでもいなかった。ぶっちゃけ、ホルアドまで持てばいいか、くらいの気持ちだったのである。

それが、蓋を開けてみればこの結果。

 

オマケに、必要な品々も質だけでなく品が良く、それでいてリーズナブル。

主夫として、悔しいが敗北感すら覚える審美眼だった。

 

恐るべし、謎のバケモノ。何が謎って、どうしてそのセンスを自分に活かせないのかが一番の謎だ。

 

(結局言葉は通じていなかったようだが、いったいどうやってこちらの要望を伝えたのだ?

 男二人にもかかわらず、女性用の品まできっちり揃えている。マスターのコミュ力か? それとも、あのバケモノの洞察力か? わからん………私には全くわからん!!)

「どうしたのエミヤ、頭抱えて。前見ないと危ないぞ」

「…………………………ああ、そうだな」

 

馬車を歩かせている最中なのだから至極真っ当な指摘だが、なんだかとっても釈然としない。

 

「良い人だったなぁ、クリスタベルさん」

「ん? クリスタ……誰だ?」

「一緒に買い物してくれたあの人。面倒見良いし、大らかだし、良い人だろ?」

「色々言いたいことはあるが……どうやって名前を知った?」

「そんなの話してれば分かるじゃん」

「言葉がわかるのかね?」

「まだわからないけど、話してればいくつかの単語はわかるようになるよ」

「まぁ、それは……」

 

確かにその通りなのだろう。文法は無理でも、いくつかの単語は指差しや繰り返して出てくることで察しが付く。

名前もそうやって知ったのだろうが……やっぱり納得いかない。

 

「というか……クリスタベル? あのナリでか?」

「え、何か問題ある? 可愛いと思うけどなぁ……」

(せめて、人を見かけで判断するなと言ってくれた方が、まだ気が楽なんだが……)

 

そんなイマイチかみ合わないやり取りを続けつつ、マシュたちの待つ林へと向かう。

時刻はまだ正午にもなっていない。結果的に、クリスタベルのおかげで迅速な準備ができたのだから、感謝するのが筋なのだろう。そう、自分を納得させるエミヤだった。

 

「あ、今日は偶々こっちに仕入れで来てただけで、いつもはブルックっていう街でお店やってるんだって。

 ほら、これお店の地図。お友達価格で割引してくれるってさ。また会いたいなぁ~」

「やめろ!?」

 

 

 

  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 

 

 

クリスタベルの見立ては本当に素晴らしい。

馬車の乗り心地はよく、速度こそあまり出ないが実に快適だ。

これなら、車中で眠ってもさほど負担にはなるまい。

 

そのことは喜ぶべき事なのだが、御者を務めるエミヤはドッと疲れていた。

 

「どうしたんだ、アイツ? 妙に疲れてるけどよ……」

「えっと、どうしてでしょう? 立香さんはむしろ嬉しそうだったけど」

「なんでも、親切な人に随分良くしていただいたとか。この馬車も、その人の薦めだったそうですよ」

「ほぉ~……異世界も捨てたもんじゃねぇなぁ~」

「うん、クリスタベルさん、ホントに良い人だった。今度皆にも紹介するよ」

「はい、お願いします、先輩」

 

真相を知らないが故に幸せなのか、それとも……。

 

「そういえば先輩、ステータスプレートはどうだったんですか?」

「ん? こんな感じ」

 

藤丸立香 19歳 男 レベル:1

天職:召喚師

筋力:20

体力:30

耐性:15

敏捷:20

魔力:25

魔耐:15

技能:召喚[+使い魔契約][+英霊召喚]・魔力操作・毒耐性・■■・対話[+対象理解][+相互理解]

 

既に派生スキルが四つ出ていた。

初期値はしょぼいが……ハジメよりはマシである。

そして、やっぱり言語理解はなかった。代わりに『対話』なる技能があり、既に派生技能が出ている。恐らく、これが立香のコミュニケーション力を技能として表示しているのだろう。

 

「わっ、すご~い……」

「使い魔契約は私との再契約が理由でしょうか? 英霊召喚も恐らく……」

「うん、これってどういう基準なのかな? できるようになった、あるいはできたから出るのか、それとも出たからできるようになるのか……」

「マスターの場合は、前者っぽいけどな」

 

マシュと契約したり、サーヴァントを召喚したりしたから出現した、と見るのが確かに妥当だろう。

立香一人でははっきりとしたことは言えないが、一つの可能性としては考慮に値する。

 

「でも、この『■■』って、いったい……」

「それが説明文もこの調子でさっぱりなんだ」

 

おかげで、冒険者ギルドは一時騒然となったが、こちらもクリスタベルのおかげで事なきを得た。

どういうわけか支部長に顔が利くらしく、極一部のギルド職員しかこのことは知られていない。

つくづく謎の多いバケモノだ。『秘密を纏って女の魅力は増すのよ~ん♪』とか言ってそうだが。

 

「マシュは何か分かる?」

「いえ、私も内容不明の技能がありましたが、私の時は文字化けしていましたから」

「あ、そんなのあったんだ。あれ、もしかしてそれって……」

「はい。やはりデミ・サーヴァントの力のことを指していたようです。先ほど確認したら『憑依継承[+霊装顕現]』となっていました。おそらく先輩同様、使ったものが増えていくのではないかと……」

「ま、元々できるんだからなきゃおかしいわなぁ」

「はい」

「そういえば、クー・フーリンさんたちはステータス・プレートは良かったんですか?」

「ん? 俺らは今更成長なんぞしねぇからな、無駄無駄。

 街に入るのも、迷宮に潜るのも霊体化しとけばいいだけだしよ」

「あ、そうなんでしたっけ……こうして普通に話せるのに、幽霊みたいなものっていうのも変な感じですけど」

「ま、追々慣れろや」

 

などと、クー・フーリンの竹を割ったような性格と立香の性質もあり、香織もすっかり打ち解けた様子だ。

馬車も順調に手に入り、移動もスムーズ。

この調子なら、夜中までにはホルアドにつくだろう。

馬車内で仮眠を取り、ホルアドでも一泊したら、食料などを揃える。

そうしたらいよいよ、オルクス大迷宮へ突入だ。

 

「はぁ……打ち解けるのは結構だがマシュ、白崎嬢、それにマスター。君たちは一度眠れ。昨夜から寝ていないのだぞ」

「あ、はい」

「うん、それは確かに」

「あの、エミヤ先輩。一つ、お願いがあるのですが」

「何かね?」

「クー・フーリンさん」

「おう。どけ、交代だ」

「なに? まぁ、よかろう」

 

御者をクー・フーリンが強引に交代し、今度はエミヤが幌の中に入る。

幌の床にはカーペットが敷かれ、板の上にじかに寝るより快適だ。

因みにここでもセンスの良さが光り、落ち着いた雰囲気を演出しているのが余計腹が立つ。

 

「それで、頼みとは?」

「はい。まず、私と先輩に共通する『魔力操作』という技能についてなのですが―――――――」

 

以前メルドに言われたこと、自分なりに調べたことなどを総合して話す。

とはいえ、それ自体は大した情報ではない。

この世界では魔力を直接操作できるのは本来魔物だけなので、それがばれると少々面倒というだけ。

大迷宮内では、さして関係のない事だ。

それが、マシュと立香に限った話なら……。

 

「先ほどクー・フーリンさんに香織さんのことを調べていただいたところ、魔術回路“らしき”ものがあるそうです」

「ほぉ……まぁ不思議な話ではないな。魔力があるだけでなく、どんな形であれ使えるのだ。なら、似た様なものがあったところでおかしなことはない」

「はい。なので、もしもそれを開くことができれば、香織さんにも『魔力操作』ができるようになるのではと……」

「なるほど……危険性については?」

「私から説明はしました」

「はい。魔力操作ができる様になれば、魔法が使いやすくなるかもしれないんですよね。なら、私!」

「具体的にどう影響するかは、試してみないと分からんな。生憎、マスターもマシュもこちらの魔法とやらには適性がない。どう作用するかは現状未知数だ。それに、我々のやり方は苦痛を伴う。また、運用を誤れば命に関わるぞ」

「わかってます。それでも私は……強くなりたいんです! 今度こそ、南雲君を守らなきゃいけないんです!」

「……………………………………」

「……………………………………」

「………………………………………………………………………………………」

「………………………………………………………………………………………」

 

香織とエミヤとの間で視線がぶつかり合う。

やがて、折れたのはエミヤの方だった。

 

「一つ聞く、なぜ私なのだ? 確かに魔術の心得はあるが、私は所詮三流以下の半人前だぞ。

 引き換え、そこの男はルーン魔術においても超一流だ。私よりよほど……」

「俺らの頃とは構造(つくり)がちげぇんだよ! だいたい、んな細けぇのは性に合わねぇ」

(面倒ごとを押し付けおって!)

「あの、ダメ……でしょうか」

「はぁ、よかろう。少なくともマスターやマシュよりはマシだろうさ。

ならば、私にできる限りのことは教えよう。まぁ、大したことは教えられんがね。

 まったく、こんなことならキャスターでも呼ぶべきだったのではないかな?」

「いやぁ、それ今更だし…………シェイクスピアとか来たらどうするの?」

「…………そうだな、私の失言だった」

 

劇作家としては間違いなく人類史上随一なのだが、性格はもう本当にどうしようもない。

香織の現状には喜色満面食いつくだろうが、その後が極めて不安だ。

絶対に会わせてはいけないサーヴァントの一人である。

 

「では、せっかく時間があるのだ。今のうちに回路だけでもこじ開けるが、構わんかね?」

「はい! 大迷宮に入ったら、それこそそんな暇ありませんから」

「承知した。言っておくが、私もそう上手くはやれんぞ。相当強引な手段になるが……覚悟を問うのは無粋か。だが、その前に……」

 

香織の背後に立ち、首筋あたりから魔力を通そうとしていったん手を引っ込める。

代わりに彼が呟いたのは……

 

「――――投影(トレース)開始(オン)

 

詠唱と共に手元に出現したのは、ハサミと櫛。

ついでに、香織の正面に姿見が表れていた。

 

「わぁっ、すごい……」

「馬鹿の一つ覚えだ。そう大したものではない」

「でも、なにをするんですか? 魔術回路? っていうのを開くんじゃ」

「その前にやることがある。

君は思い人に会いに行くのだろう? なら、身だしなみには気を遣うべきだ」

「あ……」

「それとも、その髪で会いに行くつもりかね? まあ、それで良いというのなら私は構わんが」

「えっと、出来るんですか?」

「本職ほどとはいかんが、美容師の真似事くらいならばな」

「お願いします」

「承知した。君は髪質も良い、毛先を整えるくらいで十分だろう」

 

その後、エミヤは香織の髪を整えた―――――――――――――――約一時間かけて。

凝り性というか面倒見が良いというか、つくづくオカンである。




香織強化イベント発生。とりあえず魔力操作はできるようになる……はず、多分。

ちなみに、召喚されたのがこの二人なのは、初め位鉄板で行こうか、という理由から。
大体いつも一緒に呼び出される名物コンビですしね。仲悪いけど。

ちなみに、一度召喚したサーヴァントを全員送還しないと次が呼べない、という裏設定があったり。つまり、一級の霊地があっても七騎呼ぶためには、二人とも送還するのが必須条件。
誰を呼ぶかはあんまり考えてません。メッセージとかいただければ考慮します。理由があるとより考慮します。


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IF「ストレスがマッハ」

本作小ネタの詰め合わせ。
本編とは全く関係ありません。
こんなんだったらストレスたまるだろうなぁ、という思い付きです。
楽しんでいただけたら幸いです。


※召喚されたのがこの人たちだったら、どうする?

 

浮かび上がった召喚陣に魔力が注ぎ込まれ、加速度的にその輝きを増していく。

 

「素に銀と鉄。 礎に石と契約の大公。

降り立つ風には壁を。 四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ」

 

全身を駆け抜ける魔力を原因とする異物感。

立香はそれに歯を食いしばって耐えながら、さらに魔術回路の回転を上げていく。

 

「閉じよみたせ。閉じよみたせ。閉じよみたせ。閉じよみたせ。閉じよみたせ。

 繰り返すつどに五度。 ただ、満たされる刻を破却する」

 

長い詠唱だ。この世界の魔法の常識から考えれば在り得ないほどに。

香織もその長さに目を見開き、驚きを隠せずにいる。

だが、これでもまだ半ば。

 

「――――告げる。

 汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。

 人理の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ」

 

魔法陣の輝きは最早直視することができない域に達していた。

同時に吹き荒れる風が、広いとは言えない路地を蹂躙する。

香織はもうまともに目を開けていることもできず、その場で屈んで倒れないよう踏ん張っている。

無理もない。光は閃光に、逆巻く風は暴風と化しているのだから。

 

「誓いを此処に。

 我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者」

 

そして、最後の一節が紡がれる。

 

「汝三大の言霊を纏う七天、

 抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ―――!」

 

締めの詠唱と共に、光と風が爆ぜた。

まるでそれまでの激しさが嘘のように静けさを取り戻し、光は夜に溶け、風が頬を撫でる。

目を開けるとそこには、二つの人影が表れていた。

 

どちらも、立香やマシュにとっては見知った相手であり、信頼する仲間だ。

なのだが……この組み合わせは、些か不味い。

 

片や筋骨隆々とした肉体にホワイトライオンの頭という異様な風貌の持ち主。最早人間ではなかった、外見的には。

 

ただ、こちらだけなら特に問題はない。多少言動と外見がアレなだけで……。

問題なのはもう片方……というか、彼と一緒にもう片方が召喚されたことだ。

 

で、その片割れというのが、右腕に帯電する籠手を備え、コートを羽織った黒髪の紳士。これが問題だ。

 

「サーヴァント・キャスター」

「サーヴァント・アーチャー」

「「召喚の招きに応じ参上した」」

「……」

「……」

「……」

「……」

「……」

「……」

「なぜ貴様がここにいる、ミスター・すっとんきょう」

「それはこちらのセリフだ凡骨。私がいる以上貴様の出る幕はない、疾く動物園に帰るがいい」

「顔のことは気にするな! これは、アメリカの象徴だ!」

(アメリカってなんだっけ? ライオンなの?)

 

香織は 混乱 している

 

「……………………………………おっと、手が滑った」

「ごっ!?」

 

ライオンの手が紳士の肩に当たる、グーで。ジャブではなくストレートで。

 

「いやぁ、すまんすまん」

「…………………………………………………………………おっと、電気が滑った」

「アババババババババ!?」

 

ライオンの毛並みが逆立つ。なんか、レントゲン写真的なシルエットも見えた。

 

「先輩、止めなくていいのでしょうか?」

「誰かエレナさん(ママ)連れてきて!!」

 

 

 

※召喚されたのがこの子たちだったら、色々誤解される。

 

浮かび上がった召喚陣に魔力が注ぎ込まれ、加速度的にその輝きを増していく。

 

「素に銀と鉄。 礎に石と契約の大公。

降り立つ風には壁を。 四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ」

 

全身を駆け抜ける魔力を原因とする異物感。

立香はそれに歯を食いしばって耐えながら、さらに魔術回路の回転を上げていく。

 

「閉じよみたせ。閉じよみたせ。閉じよみたせ。閉じよみたせ。閉じよみたせ。

 繰り返すつどに五度。 ただ、満たされる刻を破却する」

 

長い詠唱だ。この世界の魔法の常識から考えれば在り得ないほどに。

香織もその長さに目を見開き、驚きを隠せずにいる。

だが、これでもまだ半ば。

 

「――――告げる。

 汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。

 人理の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ」

 

魔法陣の輝きは最早直視することができない域に達していた。

同時に吹き荒れる風が、広いとは言えない路地を蹂躙する。

香織はもうまともに目を開けていることもできず、その場で屈んで倒れないよう踏ん張っている。

無理もない。光は閃光に、逆巻く風は暴風と化しているのだから。

 

「誓いを此処に。

 我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者」

 

そして、最後の一節が紡がれる。

 

「汝三大の言霊を纏う七天、

 抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ―――!」

 

締めの詠唱と共に、光と風が爆ぜた。

まるでそれまでの激しさが嘘のように静けさを取り戻し、光は夜に溶け、風が頬を撫でる。

目を開ければそこには、8つの人影が表れていた。

 

「サーヴァント・アーチャー、クロエ・フォン・アインツベルンよ。

 マスター、贅沢は言わないけど、毎日の魔力供給(・・・・)お願いね♪

 釣った魚にはエサを上げないといけないのよ?」

 

「サーヴァント・ランサー、ジャンヌ・ダルク・オルタ・サンタ・リリィ・ランサー・サンタ、召喚に応じ参上しました! よろしくお願いしますね、トナカイさん! え? マスターじゃないのか? 私がサンタでサーヴァント、マスターさんがマスターでトナカイさん! 実に論理的です、何か問題でも? え? 乗るのか? 鞭で打つのか? はぁ……」

 

「サーヴァント・ライダー、召喚に応じ……って何するのさ、アン! なんでそんなグイグイ背中を押すんだ!」

「いえ、ここはメアリーを前面に押し出すべきかと……私では場違いなので」

「どういう意味!?」

 

「サーヴァント・キャスター、ナーサリーライムよ。こんにちは、素敵なマスター。また一緒に(絵本)をめくりましょう」

 

「サーヴァント・アサシン、ジャック・ザ・リッパー。あ、おかあさ~ん!」

 

「サーヴァント・バーサーカー、日輪の寵姫、茶々なるぞ!

茶々しってる。これっていわゆるロリコン伯爵ってやつよね!」

 

「サーヴァント・フォーリナー、アビゲイル───アビゲイル・ウィリアムズ。はじめまして、マスターのお友達かしら? 良ければアビーって呼んでくださいな。すぐお友だちになれると思うわ。え? 後ろの触手はなにか? 妙に肌色率が高い(第三再臨)けどマスターの趣味なのか? これは、その……」

 

ハジメが 白い目で 見ている

 

「…………………………………」

「なに? 言いたいことがあれば言えば?」

「……いや、なんでも。まぁ、趣味は人それぞれだよな。わかってる、俺はちゃんとわかってるから」

「おい、なんだよその『わかってます』アピール。ホントにそう思ってるなら目を見て話せよ。何で距離を取るんだ! 誤解してる! 絶対誤解してるだろ!!」

「とりあえず、ミュウには近づくな、ロリペド野郎」

「おいって!!!」

 

 

 

※召喚されたのがこの人(たち)だったら、どうする?

 

浮かび上がった召喚陣に魔力が注ぎ込まれ、加速度的にその輝きを増していく。

 

「素に銀と鉄。 礎に石と契約の大公。

降り立つ風には壁を。 四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ」

 

全身を駆け抜ける魔力を原因とする異物感。

立香はそれに歯を食いしばって耐えながら、さらに魔術回路の回転を上げていく。

 

「閉じよみたせ。閉じよみたせ。閉じよみたせ。閉じよみたせ。閉じよみたせ。

 繰り返すつどに五度。 ただ、満たされる刻を破却する」

 

長い詠唱だ。この世界の魔法の常識から考えれば在り得ないほどに。

香織もその長さに目を見開き、驚きを隠せずにいる。

だが、これでもまだ半ば。

 

「――――告げる。

 汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。

 人理の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ」

 

魔法陣の輝きは最早直視することができない域に達していた。

同時に吹き荒れる風が、広いとは言えない路地を蹂躙する。

香織はもうまともに目を開けていることもできず、その場で屈んで倒れないよう踏ん張っている。

無理もない。光は閃光に、逆巻く風は暴風と化しているのだから。

 

「誓いを此処に。

 我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者」

 

そして、最後の一節が紡がれる。

 

「汝三大の言霊を纏う七天、

 抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ―――!」

 

締めの詠唱と共に、光と風が爆ぜた。

まるでそれまでの激しさが嘘のように静けさを取り戻し、光は夜に溶け、風が頬を撫でる。

目を開けるとそこには、二つの人影が表れていた。

 

「うふふふふ。ますたぁ、あなたの清姫でございます! ところで、どんな風に生まれて、どんな風に生きてきたのか。好きな食べ物は何で、嫌いな食べ物は何で、好きな女性のタイプは何で、好きな男性のタイプは何で、一日のスケジュールはどう動いて、浴場ではどこから洗い出すのか、身長・体重・視力・握力・速力・持久力・肺活量・フルマラソン経験の有無……。 ああ、大事なことを忘れておりました。懇意にしている寺があるかどうかも――そろそろ 教えて ください ますわよ ね?」

(先輩! 大丈夫ですか、先輩!!)

(大丈夫……ハァハァ、ハァ…清姫一人なら、まだ何とか……)

「うふふ、うふふふふ。

 うふふふふふふふふふふふ…………。

 み

 い

 つ

 け

 た

 ☆」

「あら?」

「あらら?」

「「あらあら?」」

「わたくしが」

「二人?」

「ではこれで二倍!」

「あなた様を愛せるというもの!」

 

「逃げてください、先輩!!」

「おうちかえる!!」

 

 

 

※召喚されたのがこの人たちだったら、多分胃が保たない。

 

浮かび上がった召喚陣に魔力が注ぎ込まれ、加速度的にその輝きを増していく。

 

「素に銀と鉄。 礎に石と契約の大公。

降り立つ風には壁を。 四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ」

 

全身を駆け抜ける魔力を原因とする異物感。

立香はそれに歯を食いしばって耐えながら、さらに魔術回路の回転を上げていく。

 

「閉じよみたせ。閉じよみたせ。閉じよみたせ。閉じよみたせ。閉じよみたせ。

 繰り返すつどに五度。 ただ、満たされる刻を破却する」

 

長い詠唱だ。この世界の魔法の常識から考えれば在り得ないほどに。

香織もその長さに目を見開き、驚きを隠せずにいる。

だが、これでもまだ半ば。

 

「――――告げる。

 汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。

 人理の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ」

 

魔法陣の輝きは最早直視することができない域に達していた。

同時に吹き荒れる風が、広いとは言えない路地を蹂躙する。

香織はもうまともに目を開けていることもできず、その場で屈んで倒れないよう踏ん張っている。

無理もない。光は閃光に、逆巻く風は暴風と化しているのだから。

 

「誓いを此処に。

 我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者」

 

そして、最後の一節が紡がれる。

 

「汝三大の言霊を纏う七天、

 抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ―――!」

 

締めの詠唱と共に、光と風が爆ぜた。

まるでそれまでの激しさが嘘のように静けさを取り戻し、光は夜に溶け、風が頬を撫でる。

目を開ければそこには、8つの人影が表れていた。

 

「サーヴァント・セイバー───ガイウス・ユリウス・カエサル。ところでマスター、物は相談なのだが……私と君、双方にとって悪い話ではないぞ」

 

「サーヴァント・ランサー、ジャガーの戦士、ここに見参! タイガーじゃないからそこんとこ夜・露・死・苦! ハイそこ、目を逸らさない!」

 

「サーヴァント・ライダー、牛若丸、(まか)り越しました。武士として誠心誠意尽くさせていただきます……え? ネタキャラと問題児はもうお腹いっぱい? 承知しました主殿! この牛若丸が、そ奴らの首を取ってご覧にいれましょう!」

 

「おやおやおや? お腹をおさえて如何なさいました、マスター? ご気分が優れない様子。では、不肖このキャスター・メフィストフェレスが秘蔵の一発芸を披露いたしましょうぅ!! 3(サァン)2(ニィィ)1(イチィ)、パアァッッッツ! 世界は終わりィッ! イヤァァッホオォォウウゥゥ!!!」

 

「サーヴァント・アサシン……ああ、クリスティーヌ、クリスティーヌ……もっと近くでその声を聞かせておくれ。私の愛しいクリスティーヌ」

 

「サーヴァント・バーサーカー、スパルタクス。さぁ、圧制者はどこだぁ!!」

 

「………………………コフッ!」

「先輩!? 血が! 先輩が血を吐きました!?」

「胃が、胃が痛い……」

(苦労してんなぁ、こいつ)

 

「サーヴァント、アヴェンジャー。召喚に応じ参上しました。さぁ、更なるストレスをその弱り切った胃にかけるがいいわ! あらあら、泣いてしまうほど辛いのかしら……ちょっとなによ。何で拝んでるのよ! は? 『邪ンヌちゃんマジ天使』? 気色悪い、近寄らないで下さい! ってかホントに寄るなぁ!?」

 

 

 

※邪竜対駄竜……のその後。

 

「お主はわらわの新たな扉を開いてしまったのじゃ。責任は取ってもらわねばならん」

「責任……そうか、分かった。俺にできることなら何でも言ってくれ」

「うむ、実に潔い! 種族は違えど、そなたも竜の系譜という事じゃな! では、差し当たって……」

「……なぜ、四つん這いになって俺に臀部を向けているんだ?」

「た、叩いてくれていいんじゃよ?」

「叩くのか?」

「な、なんなら蹴ったり踏んだり…いや、貫いてくれても……いいんじゃよ?」

「………………………………………わかった。難解だが、善処しよう」

「ってジーク君に何やらせようとしてるんですか、あなたは!? ジーク君も律義に応えないでください!!」

「ええい、邪魔するでない! これはご主人様との愛を育む大切な時間なのじゃ!!」

「妙な世界にジーク君を巻き込むなと言ってるんです! だ、大体ジーク君の恋人は、こ、この私……あ、あなたの出る幕はありません!」

「なんじゃと!? ……………………………いや、二号、妾というのも悪くは……」

 

 

 

「ハハハハハハ! 見たか聖女三姉妹! これぞ、わらわとご主人様だからこそできる空中デート! 竜化した時のサイズもピッタリ、まさに運命の出会いと思わんか!」

「…………………………………………殺しましょうか、あの変態」

「あんたと意見が合うなんて吐き気がするけど…………同感ね。あの邪竜のことはどうでもいいけど……ええ、ホントにどうでもいいのだけど…………あの駄竜は殺す」

「あ~! 私のトナカイさんを返しなさ~い!」

 

 

 

※あなたたちは病気です

 

「あなたたちは病気です」

「あ?」

「はい?」

 

唐突に、何の前触れもなくかけられた声に、魔王とその右腕が振り向く。

そこにいたのは、「クリミアの天使」の異名で知られる「近代看護教育の母」。トータスに魔法を必要としない医療技術を普及させるべく、医大進学を目指す遠藤浩介にとっては到底無視できない存在「フローレンス・ナイチンゲール」。

『衛生』の概念を生み出し、医療に多大な貢献をした彼女の功績は本物だ。

浩介はもちろん、ハジメですら尊敬の念を抱く鋼鉄の白衣。

 

その言葉だけに、流石に無視はできない。

一応自覚症状はないのだが、彼女が言うのなら耳を傾ける価値はある。

 

「えっと、婦長?」

「俺らが病気だと? まぁ、発症前なら自覚症状もないのが普通だろうが、遠藤はともかく俺もか?」

「だよなぁ。俺ならともかく、南雲が風邪ひくとか想像できねぇ」

「ええ、病気です。迅速な治療が必要です」

「ほぉ……まぁ、アンタがそこまで言うんだ。検査くらいは受けておくか。遠藤はどうする?」

「そうだなぁ。他ならぬナイチンゲールの言う事じゃ、無視はできないよな。ちなみに、婦長の見立ては?」

「あなたたちの病、それは……」

「「それは?」」

「厨二病です」

 

空気が凍った。というか、二人の目が死んだ。一番言われたくない言葉だった。

 

「「………………」」

「あなたたちは頭の病気です。今すぐ開頭手術が必要です」

「「頭の病気じゃねぇよ!?」」

 

ある意味頭の病気かもしれないが……。

 

「開頭手術と聞いて不安なのですね。ですが、ご安心を。最新の治療法があります」

「聞けよ、人の話!!」

(あ~、そういえばこの人バーサーカー(話聞かない系)だっけ)

「ドクター・パラケルススが開発した最新の治療薬、これがあればあなた方の頭も必ず完治することでしょう」

「だから頭は関係ねぇ! つーか、そこはかとなく不安になる奴の作じゃねぇか!」

「『良かれと思って』とか言って、なんかする気がするんだよなぁ……」

「その名も……」

「ホントに話聞かねぇなぁこいつ!? ってかそれ、妙なオーラ出てねぇか?」

「万能細胞・スパルタクスW」

「スパル……」

「タクス、だと?」

 

二人に戦慄が走る。

実はちょっと「それで“卿”が治るなら……」とか思ってた浩介の受けた衝撃はより大きい。

 

「スパルタクス氏の驚異的な回復力に着目し、どんな細胞にも馴染むよう改良した万能細胞です。

 まず、あなた方の脳を切除します」

「おい」

「今切除って言った。切除って言いましたよね!?」

「そこにこの細胞を埋め込み、再生させます」

「もう治療でも何でもねぇだろ!」

「ってか、あの人(スパルタクス)の細胞なんて頭に入れたら、乗っ取られそうなんですけど!?」

「……………………それは治療拒否という事でよろしいでしょうか」

「当たり前だ! つーか、そんな手術受けるバカいるか!!」

「俺も嫌です!」

「そうですか…………わかりました」

(ん? 案外物分かりが良いな)

(ま、まぁ患者の同意なしに治療はしないだろ)

 

確かに、普通ならそうだ。

だが忘れてはいけない。相手はランクEXの狂化が付与されたバーサーカー(狂戦士)、普通など望むべくもないという事を。

 

「私はあなた達を救いましょう――――――――――――――あなた達を殺してでも」

「助けるために殺してどうすんだ!?」

「やっぱ話通じてねぇ!?」

 

 

 

※実は足柄山の出身では?

 

「よぉアビィ!」

「アビィ言うな、俺は浩介だ。だいたい、それだとアビゲイルと被るだろ、金時さん」

「おいおい、俺のことはゴールデンって呼んでくれって言ってんじゃねぇかよ、アビスゲート」

アビスゲート(深淵卿)言うな!! 遠藤浩介だって言ってんだろ!」

「注文の多い奴だぜ」

「なにそれ? なんで俺物分かり悪いみたいになってんの? なにその『やれやれだぜ』みたいなリアクション。超腹立つんだけど? え? 俺が悪いの? 俺なんか悪いこと言った? 喧嘩売ってんなら買うよ? 負けると分かってるけど買うよ? 女のために魔王に喧嘩売った男だよ、俺? 勝ち目がない程度で引くと思うなよぉ!?」

「あ、アビスゲート(深淵卿)殿!」

「だからアビスゲート(深淵卿)じゃねぇ!!」

 

話しかけてきたのは坂田金時に風魔小太郎。

正直、『メンドクサイのに絡まれた』と思う浩介。

良い人たちなのだが……ハウリア族とフィーリングが合い過ぎている。

嫌味でも揶揄いでもなく、素で「アビスゲート(深淵卿)」と呼んでくるから苦手なのだ。

 

「以前からお聞きしたかったのですが、アビスゲート(深淵卿)殿はどちらのご出身で?」

「だからアビスゲート(深淵卿)じゃ……はぁ、もういい、疲れた。

 で、出身? どこにでもいる都会っ子ですが?」

「では、ご両親は?」

「は? 父さんは確か静岡で、母さんが神奈川だったはずですけど?」

「へへ、言いたいことがわかってきたぜ、イビルウィンド」

(イビルウィンド? ああ、風魔だからね。精神年齢小学生と素で中二病とか、めちゃくちゃやりづれぇ……いや待て、段蔵さんもだから風魔一族そのものがそうなのか? ……………勘弁してくれ)

「ええ、そうなのです金時……いえ、ゴールデン殿。もしやと思い……」

「いやだから、何が聞きたいんですか?」

「はい。ご両親の実家の近くに足柄山…箱根山はありませんか」

「まぁ、あるけど……そういや、どっちからでも行けるっけ」

「やはり!」

「おう、やっぱりか! こいつはなかなかゴールデンな縁もあったもんだぜ」

(何言ってんの、この人たち)

 

言っている意味が分からず、すっごい訝し気な顔をする浩介。

 

「良いですか、アビスゲート(深淵卿)殿」

「っ…………もういいよ、それで」

「足柄山は別名金時山とも言うのです。当然、名の由来は……」

(チラッ)

「へへ、そういうこった」

「つまり、俺の両親の実家は金…ゴールデンさんの地元だと?」

「はい。そして、我ら風魔一族も同じく足柄山に拠点を置いていました。

 つまり、ゴールデン殿は足柄山の大先輩なのです!」

(スーッ)

 

なんとなく意味を理解し、浩介の顔から血の気が引く。

つまり、浩介の両親の実家近くの山の先輩が小太郎(イビルウィンド)で、その大先輩が金時(ゴールデン)だと。

 

「前からフィーリングが合うとは思ってたが、まさかそんな縁があるとはなぁ」

「はい。恐らく、同郷故のシンパシーという奴でしょう」

「よっしゃ、今夜は足柄トークとしゃれこむか!」

「はい、お供します!」

(俺のアビスゲート(深淵卿)ってもしかして、こいつらのせいか!?)

 

真実は、誰にも分らない。

 




実は、今回入れてないネタがいくつかあったことを後から思い出しました。
端的に言うと……

●魔法少女優花ちゃん、ルビーに目を付けられる

●魔王様、愛娘の友達兼護衛を立香に紹介してもらおうとするが、悪影響の方が大きそうなので断念

●召喚したら(キャスター以外)みんなアルトリアだった 名前を呼ぶと全員振り向く、どうしろと?

●召喚したら衛宮ファミリーが来たので、日頃の感謝を込めて異世界観光家族旅行を企画……長男の気苦労が偲ばれる

●サーヴァントども、平和になった異世界でハメを外す(やりたい放題)、立香に苦情殺到

●ハロウィンイベント IN トータス 特設アリーナ席に魔王様御一行をご招待 サプライズでドル友も来てくれるってよ

なんて感じ。


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007

今回は超ハイペース。ガンガン先に進んでいきます。
ただし、あくまでも私を基準にしてですが。


 

快適な馬車の旅が始まって早数時間。

気が付けばとっぷりと日も暮れ、オルクス大迷宮を要する宿場町ホルアドも目と鼻の先。

日が暮れてしばらくたつとはいえ、深夜になる前に着けたのは僥倖だろう。

大きな街が近いこともあり、ホルアドへと向かう人や馬車の灯りがチラホラ。

 

そんな人の営みに紛れ込みつつ、立香はかつてない緊張感を味わっていた。

数多の苦難、いくつもの修羅場を潜り抜けて来た彼だが、根っからの一般人であり庶民。

怖いものは怖いし、危険が間近に迫れば緊張もすれば足が竦みもする。

その上で一歩を踏み出せる資質を、彼と契約した英霊たちは“得難い”と認めているのだ。

 

とはいえ、今の場合そんな御大層な話とは何の関係もない。

立香の緊張の理由。それは……

 

「……あ、んぅっ…んっ! ぅん……ぁ、あぁっ!」

 

背後から聞こえる喘ぎ声が原因だった。

魔力が全身を駆け巡り、脈動しながら閉じていた経路を押し開く感覚は独特なもの。

その感覚に翻弄され、熱を帯びた体で香織は必死に耐えているのだろう。

そんな中から零れた声に反応し、劣情を催すなど最低だ。

 

そう、最低だと理解している。

理解はしているのだが……

 

「はぁ、はぁっ……ふぁっ! は、ぁ……っ! だ、め……耐えなきゃ、これ…くら、い……んんっ!!」

 

本人は耐えようと頑張っているのだろうが、こうも艶めかしい声で喘がれては……。

立香とて健全な青少年。正統派美少女の香織にこんな声を出されては反応してしまいそうになる、色々と。

今も前かがみになりそうな自分を何とか抑え込んでいるのだ。むしろ、よく頑張っている方ですらある。

ただ、多少モジモジしてしまうのは許してほしい。

 

(き、気不味い……)

 

不謹慎だし、最低だと自覚しているからこそ、背を向けてせめて見ないようにしているのだが、湧き出る罪悪感が和らぐわけではない。

まぁ、見えないからこそ逆に反応してしまったり、妄想してしまったりする部分もある。

実際、本人の意思とは無関係に、脳内では背後の香織の様子がかなりの精度で描かれようと……

 

(ぶるっ!?)

 

したところで、背筋が粟立つ。まるで、突然背中を冷水が伝ったかのような悪寒。

ゆっくりと、おっかなびっくりで視線を真横に向けてみれば、そこには眼鏡を「クイッ」と直す後輩(マシュ)

薄暗い筈なのに、なぜか光が反射してメガネを隔てた目は見えない。

ただ、そこから向けられる視線の冷たさだけは本物だった。

 

(ジ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~)

 

軽蔑とか嫉妬とか色々混じった極寒の視線がチクチク刺さる。

ただでさえ持て余していた罪悪感が、最早噴火の勢いで湧き上がってくる。

別に悪いことなど何もしていないはずなのだが、まるで浮気現場を見つかったかのような心境だ。

 

そんな主に、何とも言えない生暖かい眼差しを送る二人の心境はと言えば……

 

(若いな)

(若いねぇ)

 

この一言に尽きるのだった。

ちなみに、この時フォウが何をしていたかというと。

 

「フォウフォウ」

 

横たわる香織の傍につき、柔らかな肉球でその頬をプニプニしていた。

たぶん、苦しそうな彼女を心配しているのだろう。

決して、喘ぐ美少女を間近で堪能しているわけではない。きっと、恐らく……たぶん。

 

「おっ…………門が見えて来たぞ」

「そうか。では、そろそろ仕上げといくか。マシュ、白崎嬢を」

「…………」

「はぁ……マシュ」

「え? あ、はい! わかりました!」

(助かった……)

「先輩」

「え? な、なに?」

「あとで ゆっくり オハナシ しましょう ね」

「…………………………はい」

 

エミヤに促され、マシュはまだ自力では起き上がることのできない香織を助け起こす。

エミヤはエミヤでなぜか刷毛やら銀ベラやらを構えノリノリの様子。

 

「お前、ホントなんでもできるよなぁ……」

「できることができるだけで、別になんでもできるわけではない。これの場合、生前変装や潜入が必要な場面もあって身に付けただけだ。生憎、暗示や幻術でだまくらかせるほどの腕はなかったのでな。

 とはいえ、それでもどこぞの侠客の足元にも及ばんが」

 

呆れ顔の同僚に、「なんでもない」と言わんばかりの態度。

本心からの言葉なのだろうが、それにしても色々芸達者な男である。

まぁ、いろいろと便利なので、別に文句はないのだが。

 

「そいじゃ、マスター。俺はそろそろ消え(霊体化し)とくから、御者は任せたぜ」

「私もこちらが終わり次第、霊体化するのでそのつもりでいてくれ。あとは、手筈通りに」

「わかった」

 

クー・フーリンから手綱を預かり、少し不慣れな手つきながら馬車を門の方へと進ませる。

背後では、着々とエミヤの手による変装が進んでいることだろう。

 

ホルアドまでの道中で相談した結果、二人には変装をした上で立香の奴隷という扱いになってもらう事になった。

亜人族は魔力を持たず、またステータスプレートを手に入れる手段もない。

その関係から、奴隷として買われたばかりだとプレートを所持していなかったとしても不思議はない。

このあたりの事情を利用し、エミヤの手でハリウッドばりの特殊メイクを施せば…という案が可決された。

 

さすがに明るい日中だと、本物を間近に見たこともあるであろう門番を欺くのは難しいかもしれない。

しかし、幸いなことに今は日も暮れた夜。乏しい灯りの下では、多少の違和感は闇に紛れてしまう。

しかも、一人は苦しそうに喘いでいるのだ。奴隷の一人が体調を崩しているとでも言っておけば、深く詮索されることはないだろう。

香織が苦しげに喘いでいるのは本当のことなので、演技の必要もない。

 

ただまぁ、立香としては自分の外聞やらなんやらがちょっとだけ気になってしまうのだが。

なにしろ、二人が掛け値なしの美少女であることに変わりはないのだから。

いくら暗くても、恐らくこの点だけは騙せないだろう、門番の『男の本能』的に。

 

(ケモミミの美少女奴隷を二人も連れた若い男、しかも一人は苦しそうに喘いでる…って、絶対変な想像されるよなぁ……いや、俺の風評くらいどうでもいいんだけどさ)

 

嘘とは言え、二人を奴隷として扱わねばならないことには罪悪感がある。

それとは別に、男として名誉なようで不名誉な、あるいは不名誉なようで名誉な誤解をされることに、なんとも微妙な表情になる。

今も背後では着々と変装が進み、手の込んだことにわざわざ襤褸切れのような服を着て、さらに薄汚れたメイクまで施されていた。薄暗い状況も相まって、「ちょっとイケナイ」感じが強調されている。

 

(ここで振り返るのは……きっと地雷だ)

 

研ぎ澄まされた危機察知能力が、絶対に振り返ってはいけないと告げている。

ファンタジーとエロスの同居した眼福な光景を目にすることができるだろうが、代わりに失うものが大きすぎる。

きっと、ここで振り返った瞬間、先ほどとは比べ物にならない軽蔑の視線が向けられるに違いない。

ちょっともったいない、なんて思ったりもしつつ、マシュを敵に回す愚だけは犯すまいとあらん限りの自制心を発揮する立香なのであった。

 

 

 

  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 

 

 

翌日、早朝。

 

無事にホルアド入りを果たし、柔らかな……とは言い難いベッドで一夜を明かした一行。

クリスタベルが好意で見立ててくれた上物の馬車を早々に手放すことには抵抗があった物の、探索に何日かかるかわからず、世話をしてやる余裕もない以上は持ち続けているわけにもいかない。

人を見る目に関してもかなりのものがある立香が選んだ店で、内心クリスタベルに感謝と謝罪の念を送りつつ、馬車を売却。

 

その資金も使って保存食をはじめとした探索に必要な品々を揃え、立香は大迷宮手前の入場ゲートに並んでいた、ただし一人で。

妙に荷物が多いこともあって胡乱げな目で見られたりはしているが、特別詮索はしてこない。

それなりの装備に身を包んでいるし、一応心得のありそうな動きをしているからだろう。

気休めにしかならないとはいえ、武闘派の英霊たちに教えを乞うたのも無駄ではなかったらしい。

 

「オルクス大迷宮へようこそ。ステータスプレートの提示をお願いします」

 

ほどほどに美人な受付嬢が愛想良く笑いかけてくる。

毒とトラブルだけでなく美人にも耐性のある立香は特に動じた様子もなく、手に入れたばかりのステータスプレートを渡す。もちろん、数値や技能欄は伏せたままで。

ただ、それでも年齢や性別、天職にレベルは見えてしまう。

受付嬢の眉がピクリと動き、訝しそうに立香へと視線がうつる。

 

「レベル1、ですか?」

(コクリ)

「ここは大迷宮、生命の保証はできません。正直に申し上げれば、無謀かと」

 

レベルの低さから苦言を呈されるのも想定の内。

実際には何を言ってるかわからないが、様子から見て想像はつく。

 

そこで、懐から紙とペンを取り出し、その場でサラサラと書いて……いるように見せる。

実際には、朝の内に「言語理解」の技能を持つ二人に手伝ってもらい、こちらの世界の言語で書いた文字の上をなぞっているだけだが。

内容としては「自分は見習い兼荷物持ちで、買い出しに時間がかかってしまったので仲間は先に行っている」といった内容だ。自分で話さないことに眉を顰められるが、二枚目を出して「初対面、特に美人相手だと緊張してしまうので」とも追記した。

一応事情も分かり、悪い気もしないとあって納得してくれたらしい。

 

「わかりました。とはいえ、迷宮内は魔物が蔓延っているので十分に気を付けてください」

(コクリ)

「確認ですが、初めての挑戦でお間違いありませんね」

(コクコク)

「それでは、こちらで注意事項の説明をいたします。その後に同意書へサインをしていただくので、ご了承ください」

 

このあたりの流れはマシュたちに聞いていたので、言葉がわからなくても問題はない。

注意事項の説明を受けながら「同意書にサインさせるって、訴訟とかでもあったのかな」なんて思考が横道に逸れたりはしたが。

まぁ、そもそも何を言ってるかさっぱりわかっていないので、説明の意味もないのだけど。

いくら立香でも、一日二日で未知の言語を習得することは無理だった。

 

そんなこんなで諸々の手続きを終えた立香は、ようやく大迷宮への第一歩を刻む……

 

(っと、そろそろかな?)

 

前に立ち止まり、後ろを振り返る。

すると、入場ゲートを隔てた少し先で、突然何かが砕ける音がした。

 

「な、なんだぁ!? 何が起こった!?」

「冒険者同士の喧嘩らしいぞ?」

「おいおい、どんなバケモノ同士の喧嘩だよ。黒……いや、金か?」

「離れろ! 近くにいると巻き込まれるぞ!」

「なんだってんだチクショー!」

 

いい感じに大混乱である。

人垣もあって詳しいことは見て取れないが、一瞬赤と青、二色の何かが交錯するのが見えた。

つまり、あの二人が入場ゲート付近で暴れているという事だ。

 

いくら仲が悪いとはいえ、無暗に喧嘩を始める二人ではない。

なら当然そこには理由があり、目的がある。それは……一言でいうなら“陽動”だ。

 

「お待たせしました、先輩!」

「よし、混乱してるうちにさっさと行こう。二人も適当なところで切り上げてくるだろうし」

「はい!」

 

香織を抱えたマシュが、入場ゲートを飛び越えて立香の隣に立つ。

雫の動きは想定していた以上に早く、なおかつ油断がなかった。

ホルアドについた頃には、既に香織とマシュの似顔絵が出回っていたのである。

一応変装していたので見咎められはしなかったが、入場ゲートの強行突破はよろしくないと判断せざるを得なかった。マシュと香織が迷宮に入ったことがバレれば、雫たちも追ってくるだろう。回復役の一人を欠いた状態で無理をすれば、それこそ命が危ない。

なので、エミヤとクー・フーリンに陽動を仕掛けてもらい、その混乱に乗じてマシュが香織を抱えて侵入。という策が講じられた。立香が一緒でなかったのは、この方がより確実だと判断したから。

存在を知られていない立香に関しては隠蔽する必要もなかったので、これで十分。

 

「……戻って、来たんだね」

「香織さん」

「さぁ、行こう。南雲君を探しに」

「…………はいっ!」

 

強い意志を感じさせる眼差しで入り口を見上げる香織を促し、三人は一足早く大迷宮へと入っていく。

 

 

 

  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 

 

 

陽動に当たっていた二人が霊体化して追いつき、本格的な探索に入るまでそう時間はかからなかった。

ただ、ある程度想定していたとはいえ、それでも思いのほかこの迷宮探索は骨が折れそうだ。

 

「これは、中々に厄介なことになりそうだ」

「だなぁ」

 

ぼやく赤と青の二人に、残る三人が首をかしげる。

 

「問題はこの縦穴だ。マシュ、これがその南雲(なにがし)とやらが落ちた孔で間違いないのだな」

「はい。南雲さんが落ちたのは、20層で発見したトラップによって転移した場所の縦穴でしたが」

「えっと、確か場所は……三十層半ばって雫ちゃんが言ってたと思います」

「となると、それでも65層はあるという事か」

「こいつはがっつり時間がかかりそうだなぁ」

「あの、それはどういう事でしょう?」

「これだけの縦穴だ。恐らく、ほぼすべての層と接していると考えるべきだろう、違うか?」

「……はい。思い返してみれば、いくつかの階層でこの縦穴を見た覚えがあります」

「そのなんとかって坊主が一番下に落ちてるんなら俺らも下まで降りればいい。だが、もしどこかで引っかかってたりしたらどうだ? 下から登っていくか、それとも上から降りていくか、どっちの方がマシかねぇ?」

「なるほど。つまり、縦穴に面しているすべての層を隅々まで調べなければならない、と」

「こっちには俺と香織さんがいるから、二手に分かれるのも危ないもんなぁ……」

「……」

 

オルクス大迷宮の各階層の広さは、四方数キロにも及ぶ。

しかもただ数キロ四方に広がっているわけではなく、複雑に通路が入り組んでいるのだ。

これをくまなく探すとなると、サーヴァントがいる状態でも相当な時間を要するだろう。

 

「貴様のルーンではどうだ?」

「会ったこともねぇ相手だぞ。正直、あんま当てにならねぇなぁ。キャスターで現界した俺か、師匠なら話は別だろうけどよ」

「ちっ、役に立たん」

「お前が人のこと言えんのか? 一応魔術師が本業だろうが」

「本業というなら殺し屋か暗殺者、掃除屋あたりが妥当だろうよ」

 

要は術による捜索の補助は期待できない、ということだ。

となると後は、地道に足を使って探すしかない。

 

「……………………………行きましょう」

「ほぉ……」

「へぇ、良い女じゃねぇの。この嬢ちゃんが惚れた男か、俺も興味が湧いてきたぜ」

「はい、行きましょう、香織さん。南雲さんが待っています」

「食料はたっぷり用意したし、諦めずに行こう」

 

香織の一言に、皆が僅かに笑みを浮かべる。

 

まずはハジメが落ちた30層半ばまで進み、そこからは階層一つ一つをくまなく捜索。

見つからなければ次の階層へ、という形になる。

一度最下層まで降りてから登っていくことも考えたが、ハジメが脱出を図っている可能性もある。

下から登るより、上から降りる方が出会う可能性が高いと踏んでの判断だった。

 

探索そのものは、時間はかかれど特に苦労はない。

現れる魔物ではサーヴァントの相手は荷が勝ちすぎる。

正に瞬殺。一合どころか、出会った瞬間に命を絶たれてしまうのだから当然だが。

故に、見落としのないように周囲に意識を向ける傍ら、雑談をする程度の余裕はあった。

 

「ところで、エミヤ」

「なにかね?」

「香織さん、すっかり元気そうだけど、どんな感じ?」

「……」

「どうしたの?」

「あぁ、いや……………………一言でいうなら、天才だな」

「……マジ?」

「未だ魔力の感触には慣れていないが、スイッチはできているし、魔力を操る感覚も身に付けている。

 突発的な事態に制御を誤る可能性は否定できないが、平常時の魔力コントロールはすでに相当なものだ。

 元からあった埋もれた才能だったのか、それともこちらの世界に来て得た物かはわからんがね」

 

エミヤの言う通り、香織は無事「魔力操作」の技能を得ることに成功した。

それどころか、日進月歩どころの話ではない、秒進分歩とでも呼ぶべき速度で成長している。

経験の浅さから不意を突かれると制御が乱れることもあるが、そうでなければ魔力制御は目を見張るものがある。

戦闘が圧倒的過ぎてサポートの必要がない事から、今も歩きながら魔力を起こし、自主的に訓練を続けていた。

 

その甲斐あって、基本ステータスはほぼ据え置きながら、魔力と魔耐が異常な速度で向上している。

あとは、休みなく歩き続けることで体力もそれなりに上がっているのだが、今は関係ない。

 

「そういえば、さっきから何かブツブツ言ってると思ってたけど……」

「詠唱をどれだけ減らせるか、そちらも並行しているらしい。アドバイスを求められたので、一応それらしいことは教えたが……」

 

エミヤがほぼ一言で魔術を扱う姿を見て、自分も同じことができれば……と思ったようだ。

教えられることは教えると言った手前、エミヤも情報の出し惜しみはしていない。

元々面倒見が良く世話焼きな気質であり、親友にも通じる部分があることから香織も話しやすいらしい。

求められたことを教えていたら、あれよあれよという間に成長していくのだ。

一を聞いて十を知る、と言わんばかりの成長速度である。

 

「恐らく、扱う魔力の性質は我々のそれと全く同じではないはずなのだが、それでも自分なりに即座に応用するセンスは驚嘆に値するな。遠からず、魔力の運用効率や術式の応用・改善などにも目を向けるだろう。

 私が教えられることもそうあるまい。まったく、恋する乙女は強いというべきか、なんというべきか……」

「俺、直ぐに抜かれるんじゃない?」

「安心したまえ」

「え?」

「魔力制御に関しては既に追い抜かれている」

「おっふ……」

 

まさか一昼夜も経たずに追い抜かれるとは思っておらず、地味にダメージを受ける立香。

才能がない事は自覚しているし、それにめげずに努力してきたはずだが……心が折れそうだった。

 

「あ、立香さん。ちょっといいですか?」

「え……なに?」

「立香さんのスイッチってどんなイメージなのかなぁって。

 私の場合、こう……脊髄に焼けた鉄串を差し込む感じなんですけど」

「メチャクチャ痛そう!?」

「えっと……エミヤさんに魔力を通された時、そんな感じがしたので……」

 

閉じ切っていた所に無理矢理魔力をねじ込んだのだ。確かに、そういう印象を抱いても無理はない。

恐らく、その時のイメージが元になってスイッチが出来上がってしまったのだろう。

本来なら、少しずつ経路を緩めていってからやるべきことを、色々な段階をすっ飛ばしたのだから仕方がないが。

 

「それで、立香さんはどんなイメージなのかな、と。

 他の人のイメージも参考にしたらって思って」

「そ、そう……俺の場合は、指先に火が灯るイメージかなぁ。エミヤは撃鉄を落とすイメージって言ってた覚えがあるけど」

「ふむふむ、なるほど……」

 

ちなみに立香の場合、カルデアに来てすぐ、全ての始まりと言って良い爆発があった時のことが根幹にある。

マシュの手を握り、自身もまた火に巻かれようしていたあの時。

あの時の印象が、立香のスイッチを形成する上での土台になっていた。

案外、香織とそう変わらない形成過程である。

 

「おっ、だいぶ開けた場所に出たな。そろそろ一休みといくか」

「そうですね。昼食のために休憩して以来、もうかれこれ数時間は歩き続けですから」

「あ、あの! じゃあ私、少し周りを……」

「却下だ」

「エミヤさん、でも私……」

「香織さん、気持ちはわかる……とは言わないけど、無理はしない方が良い。君はあくまでサポート役だし、ずっと魔力操作の訓練と並行しながら歩いてたんでしょ。

 魔力を回している間は疲れにくいけど、それは自覚がないだけだ」

「はい、私も先輩たちと同意見です。あまり無理をすれば、身体を壊してしまいます」

「……わかった。なら……」

「もちろん、魔力も一度止めるべきだ」

「香織さんたちにとっても魔力は危険なもののようですから、疲労した状態での魔力の使用も控えるべきかと」

「つまり、今は大人しく休めってこった。例の坊主を見つけても、嬢ちゃんがくたばっちまったら元も子もねぇだろ」

「……………………………………はい」

 

正論であることはわかっているので、香織も最終的には諦める。

その間に、エミヤが主導となって食事の用意。日持ちする保存食しかないので限界はあるが、そこはシェフの腕の見せ所。古今東西、文化も風習も異なる英霊たちの舌を満足させ、時に特異点で碌に食料も確保できない中で腕を振るってきた男の技量は伊達ではない。

結果、出汁の取りようもないと思われる状況の中、割と和風な夕食が出来上がっていた。

 

「…………あれ、なんでだろ。涙が止まらないよ……」

「もう一ヶ月近く和食はご無沙汰だったのだろう? なら、無理もあるまい。

 今はゆっくり食べて、心と体を休めろ。まだまだ先は長いのだからな」

 

懐かしい味に郷愁が溢れ出す。知らず知らずの内に張り詰めていた心と体が緩み、食べ終える頃には香織の身体は猛烈な眠気を覚えていた。それに抗うことはできず、間もなく彼女は夢の世界へと旅立っていった。

 

「それ、昨日の夕食でもよかったんじゃないの?」

「かもしれんがね。迷宮に入ればこうなることは予想できた。なら、むしろ今緊張の糸を解す方が良いだろうと思っただけさ」

「なるほど……」

 

夕食の始末を手伝いながらの問いに返ってきた答えは、実に彼らしい気遣いに満ちたものだった。

迷宮に入れば香織は絶対に無理をする、せずにはいられない。

だからこそ、その時にこのとっておきの和食(っぽいなにか)で緊張の糸を解きほぐしたのだろう。

実際それは功を奏し、今の香織は年相応のあどけない顔で眠っている。

この様子なら、明日からの探索でも暴走する可能性は低い。

 

焦る気持ちもわかる。今すぐにでも飛び出してしまいたいのも無理はないだろう。

だがそれでも、彼女が無事でいることが大前提。いくらハジメを見つけられたところで、彼女にもしものことがあってはせっかくの感動の再会が台無しになってしまうのだから。

 

エミヤの目論見通り、翌日からの香織は熱意と冷静さの双方を併せ持つようになっていた。

ハジメを見つけるために、次会ったとき彼を守れるようになるために必要なことは何でもする。

同時に、自分の中で一線を引き「ここまで」というラインを決めてそれ以上の無理はしない。

ただし、そのギリギリまでは攻めるが。

 

迷宮に入ったばかりの頃の危うさは最早ない。

地に足をつけ、自分にできる限りのことをして、彼女なりに進んでいく。

ただ、エミヤも想定していない事態というのもありはしたが。

 

「さて、では次は……白崎嬢、そこには塩をもう一摘み頼む」

「はい、先生!」

「……………………………その呼び方は何とかならんのかね?」

「だって、魔力の使い方だけじゃなくて、お料理も教わってるんですから……これはもう、先生と呼ぶしかないじゃないですか!!」

「なにが“呼ぶしかない”のか分からんのだが……」

「あ、あと私のことは香織で良いですよ」

「人の話を……聞く気がないな、あれは」

「すみません、エミヤ先輩。香織さんはこう……思い込んだら一直線なところがあるようで」

「まぁ、それが彼女の原動力の一端なのだから、否定はせんがね」

 

エミヤの料理に感銘を受けたようで、魔力関連に続き料理でも「押しかけ弟子」状態だった。

素直で憶えも悪くないので、エミヤとしても邪険に扱えない。

想い人に手料理、それも故郷の味を……と努力する姿を見せられては、応援するしかなかった。

 

そうしているうちにも、迷宮探索は順調に進んでいく。

流石に一つ一つの階層をくまなく探すためペースは速いとは言い難いが、それはあくまでも彼らにとっての話。

この世界の冒険者たちを基準にすれば異常な速さであり、到達深度だ。

 

実力差があり過ぎて立香と香織のサポートはいらず、戦闘時の二人はすっかり傍観者。

特にエミヤとクー・フーリンが競うようにして屠っていくので、マシュも割と暇を持て余している。

 

それでも、因縁のあるベヒモスが出てきた時は流石のマシュも猛った。

エミヤとクー・フーリンを下がらせ、一人前に出ると情け容赦なく撲殺したのである。

過去の因縁に決着をつけたマシュの顔は実に晴れやかだったが、返り血が頬についた状態の笑顔はぶっちゃけ怖かった。秘かに立香が「マシュは怒らせないようにしよう」と誓うくらいには。

ただ、もっと怖かったのはベヒモスに光の消えた眼差しを向ける香織だったのは、更なる秘密だが。こっそり「この子、清姫に近かったりしないよね?」とか思ったのも秘密である。

 

そんなこんなでオルクス大迷宮に潜ること早五日。

いよいよ、迷宮の最深部も近い。オルクス大迷宮は全百層からなると言われており、それが事実なら、だが。

しかし、そこまで来ても南雲ハジメの影も形も見当たらない。手掛かりすら皆無。

 

この状況には、一度は冷静さを取り戻した香織も心中穏やかではいられなかった。

もしや……あるいは“やはり”というべきか、ハジメは既に……そんな考えを振り払えずにいる。

だが、むしろエミヤとクー・フーリンに言わせれば、生存の可能性は高いという事になるのだが。

 

「そう暗い顔すんなって。俺としては、むしろその坊主はしぶとく生きてると思ってんだからよ」

「同感だ。ああ、無論慰めの類ではない」

「そう、なんですか?」

「死んでいるのなら魔物に食われて肉片すら残らんだろうが、衣服や装備品はどうだ?

 いくら連中が悪食でも、流石にそこまでは食わんだろう」

「それは……はい」

「ああ、そっか。そういう“食べられないもの”が見当たらないってことは……」

「確かに。いまのこの世界で50層以下へ入れる冒険者はいません。なら、彼らが遺留品を持ち帰ることもない以上、それらは残されるはずです。なのにそういったものがないという事は、南雲さんが生きている何よりの証拠になります」

「話に聞く南雲少年の力量や性質では、これだけの下層から迷宮を登ってくることはほぼ不可能。なら、なんとか身を潜めていると考えるのが妥当だろうな。それでも、この状況で生き延びていることに変わりはない。大したガッツじゃないか」

 

普段のそれとは違う、本心からのエミヤの言葉。

彼はいま、心からの称賛を南雲ハジメに対して送っている。

この状況下で今も生き延びているとしたら、それはまがりなりにも英霊である彼をして、そう言わせるほどのことなのだ。

 

「おう、全くだ。鍛えりゃいい戦士になりそうだぜ。

だが、問題なのは飯だな。その坊主が落ちてかなりの時間が経ってやがる。水さえあればある程度飯がなくても何とかなるとはいえ、それにも限度ってもんがある。魔物の肉ってのは食えねぇんだろ?」

「はい。魔物の肉は人体にとって有毒らしく、過去食べた人は例外なく体がボロボロに砕けて死亡した、と」

「魔物の魔力が原因かもしれんが、はっきりとしたことは分からんな。マスターも、いくら毒に耐性があるとはいえ、迂闊なことはしないように」

「いや、エミヤの美味しいご飯があるのに、なんでそんなゲテモノ食べないといけないのさ」

 

その当然の反応に場が笑いで包まれる。

とはいえ、確かに食料の問題は深刻だ。ようやく見つけたら餓死していました、ではシャレにならない。

 

立香たちは相当な量を買い込んできたので、まだある程度余裕はある。

迷宮が全百層であることから逆算して消費してきたし、ここから一人連れて出るまでの分も確保してある。

まぁ、何かのトラブルで数日単位で足止めされるようなら少々危ないが、腹をすかせた青少年一人の腹を満たすなら全く問題はない。

 

しかし、そんな彼らの歩みも95層を超えたあたりから曇りだす。

餓死の可能性も高まってくるというのもあるが、それ以上に流石におかしいと思いだしたのだ。

本当に、南雲ハジメは生きているのか。まったく痕跡が見られなかったのは生存の証ではなく、もっと別の理由ではないのか、と。

 

それでもハジメの生存を信じて進み続け、やがて彼らは到達した。

オルクス大迷宮最深部。第百層、最後の最後の関門を前にして、彼らは何を見るのか……。




オルクス大迷宮(表向き)の最深部到着です。
ここに来るまで、エミヤとクー・フーリンが無双してくれたのでピンチな場面は皆無。たまにマシュも前に出て戦う程度。
本来なら香織は寄生状態なのですが、その分魔力・魔法関連で地道かつ昼夜問わずの無茶な訓練を続けていたので、そっち方面は出鱈目に向上しています。派生技能もたっぷり。
得意な回復・光魔法関係ならほぼ無詠唱・ノータイムで使える上に、効果も優秀です。
まぁ、戦闘担当が強すぎるので全く日の目を見ませんが。

ネックは戦闘を任せきりで経験が乏しいことくらい。
魔力・魔耐以外のステータスは低いのですが、魔力操作の派生技能で補えるので問題なし。



さぁ、次はいよいよ深層に突入……になるかな?
ハジメとの再会はどのタイミングになるやら……。


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008

ようやく深層突入です。
とはいえ、まだハジメとの合流は先ですが。

どうも、ハジメが迷宮突破に動き出したのが奈落に落ちてから9日目くらいのようなので、ちょうど立香たちが大迷宮に入った頃と同じなようです。

さぁ、最下層に到達するまで5日かかりましたが、今頃どこまで行っているやら。
相当なペースで降りてるはずですが、それでもユエと出会うまでは結構苦戦したりもしているようですし、限度はあるでしょうがね。


「ま、ここまでの連中に比べればマシだったが……シケてんなぁ。もうちょい歯応えのある奴はいねぇのかよ」

 

自慢の朱槍を一振りし、クー・フーリンは物足りなさそうに呟く。

彼の足元には、通常のライオンの十倍はあろうかという体躯と、分厚い甲殻の皮膚を持つ魔物が倒れている。

 

「幻想種が跋扈する時代に生きた君を基準にされてもな…と言いたいところだが、確かに拍子抜けではある。

 ネメアーの獅子を彷彿とさせる割には、随分脆いようだな」

「おう、俺の蹴り一発で割れる甲羅に何の意味があんだかねぇ」

「一応言っておくけどさ、クー・フーリンが本気で蹴ったら俺の胴体千切れるから。基準にするには物凄く不適切だから」

「……はい。私は正直、甲羅が割れた時のあの魔物の驚愕の顔が忘れられません。他人事には思えませんでした」

 

同じく守りに自信がある身として、無視できないものがあったらしい。

マシュの瞳には、うっすら同情の涙が浮かんでいた。何しろ、甲羅が割れた瞬間「ウソでしょ!?」と言わんばかりの顔をしていたのだ。マシュも、自身の盾が事も無げに砕かれたりしたら、同じような顔をするだろうと思ってしまう。

 

だが、今はそんな哀れな魔物の事はどうでもいい。

いや、マシュ的にはあんまりどうでもよくなかったのだが、もっと大事な問題があるのだ。

残念ながら、ネメアーの獅子モドキへの同情もそこそこに、周辺に目を配る。

しかし、結果は芳しくなかった。

 

「どうして……どうして、いないの? ここまで来たのに! どうして、どこにもいないの!?」

「香織さん……」

「どこかに見落としがあった可能性はないかな?」

「その線は薄かろう。私もこの男も探索に手を抜かなかった」

「つっても、魔物の腹に収まったにしては手掛かりがなさすぎるしなぁ。どうなってんだ? もしかして、自力で出た後か?」

「それならば話は簡単なのだがな」

 

状況的に、その線は薄いと言わざるを得ない。

かと言って、ここが最下層である以上もう打つ手がない。

あとは迷宮から出るついでに、改めて隅々まで探すくらいしか……しかし、それで見つかる可能性はやはり皆無に近い。そんな漏れがないように徹底的に調べ尽くしたのだ。ついでに造ったマップだけで、一財産になることだろう。

 

「とはいえ、あとできることと言えば……」

「フォウ! フォ―――――ウ!!」

「どうしたんだ、フォウ? いきなり暴れ出し、うわっ!?」

「先輩こちらへ!」

「クー・フーリン!」

「おう! 嬢ちゃん急げ!」

「きゃっ!?」

 

突然ドーム状の空間が揺れ始める。マシュは即座に盾を頭上に掲げて立香を庇い、最も足の速いクー・フーリンが呆然と佇む香織を連れて滑り込んでくる。エミヤもやや遅れて盾の下に入るが、揺れは長くは続かず、直ぐに治まってしまった。

ただし、壁の一部に盛大な亀裂が入っているので未だ予断は許さないが。

 

「なんだったんだろう、今の?」

「わかりません。マスターは安全が確認できるまでここにいてください」

「そうだな。我々で調べてくる、それまでは動かないことだ」

「嬢ちゃんもそれで良いな」

「ぁ、は、はい」

 

落石や崩落、それこそ落盤が起こったところで問題のない二人が安全を確かめるべく盾の外に出る……前に、無防備にもフォウが飛び出した。

 

「ふぉ、フォウさん!? ダメです、まだ危険があるかもしれません!」

「フォウ!」

「フォ~~ウ! フォウフォウ!」

 

二人の静止の声も聞かず、まっすぐに亀裂の入った壁へと向かうフォウ。

フォウはその小さな前足で亀裂の入った壁を叩くが、パラパラと欠片のようなものが落ちてくるだけ。

しかし、エミヤはその意図するところをなんとなく察していた。

 

「ん? これはもしや……クー・フーリン」

「あん?」

「あそこの壁を蹴ってみろ。遠慮はいらん」

「壁ってあの罅割れたのか? 別にいいけど…よっとぉ!!」

 

まっすぐに壁へと駆け、その勢いを利用して蹴りつける。

すると、罅割れた壁は容易く砕け散り、奥に通路が続いていた。

どうやら、迷宮はまだ終わっていないらしい。

 

「先輩、これは……」

「うん。行ってみよう」

「香織さん」

「うん。大丈夫だよマシュちゃん。諦めないって、決めたんだから!」

 

それまでどこか呆然として、焦点の定まらなかった香織の瞳に光が戻る。

エミヤとクー・フーリンを先頭に、三人はその後に続く。

通路は決して長いものではなく、間もなく先ほどのドームほどではないがそれなりに開けた空間に出た。

 

ただ、奇妙な点が二つ。

一つは中心近くに二つの直径五メートルほどの窪みがあること。

もう一つはその中間に、石碑のようなものが立っていること。

 

「マシュ、読める?」

「……はい、問題ありません」

 

石碑に書かれた文字は立香たちには読めなかったが、マシュには問題なく読み解くことができる。

かなり古そうに見えるが、まったく劣化した様子はない。

 

「視たことのない鉱物だな。硬度も相当なものだ。ミスリルのような神秘を帯びた鉱物に近いようだが……単に硬いだけだな。それ以外にこれといった特性はない。宿る神秘も申し訳程度か」

「つまり、俺らの脅威にはならねぇってことか?」

「これ単体ではな。何らかの処理を施せば……アーティファクトといったか。何らかの魔術…こちらの魔法を付与すれば、話は別だろう」

 

逆に言えば、それがされていなければさして脅威にはならない、という事らしい。

基本が霊体のサーヴァント相手に、通常の物理攻撃は意味がない。

彼らを傷つけるには、相応の神秘や魔力の宿った攻撃が必要になる。

そのルールはこの世界でも同じようで、香織の持つこの世界でも最上級のアーティファクトの杖を用いれば、一応効果があるというくらいだ。純粋な武器ではなく魔法の補助がメインなので、直接攻撃するタイプのアーティファクトならまた違ってくるだろうが。

 

「それで、なんて書いてあるの?」

「…………どうやら、私たちはようやく迷宮の半分に到達したようです」

 

石碑にかかれていた内容を要約すると以下のようになる。

 

オルクス大迷宮は100層構造の迷宮二つによって成り立っている。

今まで立香たちが進んできたのはその前半であり、本番はここから先の後半…ここが最下層なら、深層とでも呼ぶべき領域らしい。

前半と違い一度入れば最下層を踏破するまで脱出はできず、蔓延る魔物の質も段違い。

二つの窪みにはそれぞれ転移の魔法がかけられており、右は深層に繋がり、左は外部と繋がっているようだ。

 

「つまり、装備や消耗品が不十分なら一度外に出て揃えてこいってことか」

「はい。ただ、一方通行のようなので、もう一度ここに来るには再度迷宮を潜ってくる必要がありますが」

「親切なのか厳しいのかよくわからないなぁ……」

 

ただ、有難くはある。もう食料をはじめとした消耗品は7割以上を使い切っている。この状態で改めて100層を探索していくとなると、物資が心許ない。

 

「定番だと、迷宮を攻略するとご褒美的なものがありそうだけど、その辺は?」

「いえ、なにも書かれていません。ただ、必要以上に危険性について書かれていると思いますが」

「挑戦することや攻略すること、それに付随する名誉とかが報酬……みたいなものかな?」

「下手にエサをちらつかせて無謀な行動に出ないようにという配慮もあり得るな。必要以上に危険であることを強調するというのも気になる。まぁ、その場合この石碑を立てた人物はなかなかのお人好しのようだが」

 

もし後者の場合、本当は報酬があるという事もあり得るが、結局それが何かは分からない。

報酬が不明……それこそ“ない”かもしれない状態で飛び込む者はそういないだろう。

あるいは、そんな相手をこそ求めているのかもしれないが。

 

逆に、最深部にある“なにか”を外敵から守るためのブラフという可能性も否定しきれない。

とはいえ、情報源が石碑一つしかないので状況的に確証を得ることができない。

どんな予想も、これ以上はあまり意味がないだろう。

 

「まぁ、我々の目的を考えれば選択肢はないな」

「だね。南雲君のこともそうだし、結局聖杯らしきものも見つかってないし」

「つーことは、まだ楽しめそうだな」

「フォ~ウ……」

 

不敵な笑みを浮かべるクー・フーリンに対し、呆れたように首を振るフォウ。

 

「とはいえ、改めて百層潜るとなると物資に不安が残ります。ここは一度物資の補給に向かうべきかと」

「…………そう、だね。私たちが倒れちゃったら、元も子もないし」

「香織さん……」

「大丈夫だよ、マシュちゃん。ちゃんと、わかってるから」

 

本当は今すぐにでも魔法陣に飛び込みたいはずにもかかわらず、必死に自分を抑えているのは明らかだ。

冷静なのは良いのだが、やはり憔悴がありありとみて取れた。

焦っているのもあるが、丸五日間歩き詰めだったのが影響しているらしい。基本的には戦闘への直接参加はないとはいえ、本人たっての希望で時間を捻出しては経験を積んできたのも大きい。

例えば食事の準備中、あるいは就寝前などに手近な魔物を相手にマシュやエミヤが手加減しつつ戦闘を引き延ばし、香織が魔法で支援するという形だ。一応立香も参加していたのだが、如何せん基礎魔術以外に使える物もなく、かといって前に出して戦わせることもできない。それをするには、下層の魔物は立香には強すぎる。

そんなわけで、専ら邪魔にならない隅っこで小さくなっていたのだが……正直、色々情けなくて消えてしまいたくなったのは、一度や二度ではない。

 

閑話休題(それはともかく)

そういった事情もあって、香織の体力は限界をとうに超えている。ここまで保っただけでも凄まじい事だし、全ては「ハジメを助ける」という強靭な意思の力のなせる業だった。

 

しかし、それもいい加減限界が近い。

いま少しでも緊張の糸が緩めば、直ぐにでも倒れてしまいかねない。

急ぎたいのは山々だが、ここは一度しっかりと休ませるべきだろう。

 

「ここは一応安全地帯のようだが、それでも絶対とは言い切れん。

 念のため私も残り、クー・フーリンがマスターに同伴して物資を補給してくることを提案するが」

「私たちは迂闊に外を歩けませんし、それしかありませんね」

「わかった」

「俺も別に構わねぇぜ。いい加減、辛気臭い空気に嫌気が差してきたところだ。ちょいと羽も伸ばしたいしな」

 

エミヤの提案は妥当なものだったので、特に異論は上がらない。

そのまま必要となる物資の確認を進め、こっそり今後のことを打ち合わせる。

 

(マスター、悪いが少し時間を稼いでくれ。少なくとも二日、出来れば三日は休ませたい)

(南雲君のことを考えると不安が残るけど、仕方ないか……)

(ああ。こんなところでは気も休まらんだろうが、香織がここを離れるとは思えん。まぁ、どのみち迂闊に外をで歩けん以上、彼女たちには残ってもらうしかないわけだが)

 

立香たちと違い、香織はトータスに来るまで普通の女子高生だったのだ。特別な訓練も受けていない。

確かにエミヤの言う通り、それなりの時間を休息に充てる必要があるだろう。

待ちきれなくなる可能性もあるが、そこは上手く宥めるしかない。

エミヤが残るのも、料理などを教えてせめてもの気晴らしをさせるという狙いがあった。

 

(オッケー、こっちは任せた。ついでに外で情報収集もしてくる)

(うむ。恐らく君のことは行方不明扱いになっているだろうが、こういう場所だからな、珍しくはあるまい。

 入場ゲートの受付担当にだけ気を付ければ、入ることは問題ないだろう)

 

同じ受付嬢に当たれば大事になるが、そうでなければ怪しまれる前にそそくさと通ってしまえばいい。

そこは立香が気を付ければ、まぁ何とかなることだ。

 

その後、いくつかの確認を済ませてクー・フーリンを伴った立香は左の窪みに仕込まれた転移陣に入る。

すると間もなく光に包まれ、目を開ければいい加減見慣れた緑光石と岩壁に囲まれた空間。

とはいえ、球体上の空間からまっすぐ伸びた階段状の通路を抜けていけば、そこは……

 

「おおっ、こんなところに出るのかぁ」

 

オルクス大迷宮の入場ゲートからやや離れた岩壁の隙間から外に出る。

いくら見えにくいとはいえ、こんな場所が今まで誰にも発見されなかったとは考えにくい。

発見したは良いが、石碑に書かれていた通り一方通行でこちらからは移動できずに「意味のない空間」として捨て置かれたのか、認識阻害の類でも掛けられているのか……。

いずれかは定かではないが、とりあえず戻ってこられたことだけは確か。

 

「とりあえず、入場ゲートを通らないで済むのはありがたいなぁ」

 

何しろ、五日間に渡って出てこなかった相手だ。死亡扱いになっているのは間違いない以上、絶対ひと悶着ある。

一応外部と繋がっているとのことだったのでそちらのことは大丈夫とは思っていたが、それでも余計な面倒を背負わなくて済んだことには安堵する。

代わりに、再入場する時は上手い事やらなければならないが。

 

「さて、見た限り今は……夕方か。端末のおかげで時間はわかってたけど、実感なかったからなぁ。ちょっと感動」

「ま、ずっと日も差さない迷宮の中だったからな、しゃーねーわ」

「そいじゃ、まずは買い出しか? この時間ならまだ店もやってるだろうしよ」

「いや、買い出しは直前で良いよ。日持ちする物しか買わないとはいえ、宿まで持っていくのも面倒だし。俺はちょっと情報収集とかして時間潰すつもりだけど、その間は自由にしてくれてていいから」

「一応俺は護衛なんだけどよ……」

「いくら俺でもそこらの人には負けないよ?」

「隕鉄扇はともかく銃はやめとけ。あとで絶対に面倒ごとになる」

「わかってるって。そもそも、トラブルにならないようにするからさ」

「マスターならトラブルになる前に収められるはずなのはわかってるんだけどよぉ……」

 

立香ならば、相手がゴロツキだろうと何だろうと上手く対話を成立させてやり過ごせるだろう。

その程度のコミュニケーションができなければ、個性の闇鍋状態なカルデアのマスターは務まらない。

ただ、それでも尚トラブルに巻き込まれることがあるから、こうして心配しているのである。

 

「ホントに危なくなったら令呪で呼ぶさ。俺の令呪でもそれくらいはできるよ」

「ま、その辺りが妥当か。わぁったよ。んじゃ、ついでに……ほれっ」

「はいはい。これ、お小遣いね」

「よっしゃ! さぁって、とりあえずは酒だな、酒! あとメシ!」

「俺がいないからってハメ外し過ぎないでよ。言葉通じないんだから」

「わぁってるよ」

 

お小遣いという名称については聞き流し、嬉々として街へと繰り出していくケルトの大英雄。

それを見送った立香は、まず再度迷宮に入るまでの宿を決めに行く。情報収集などは明日からだ。

 

具体的には、マシュや香織への手配の状況と雫たちの近況だが……こちらはオマケ。

本命は、迷宮最下層に残らざるを得なかった二人の気晴らしになる品の物色である。

 

ハジメのこともあるのであまり時間を浪費するわけにはいかないが、香織の休息のこともある。

きっちり、エミヤに求められた三日後に戻るつもりだった。

 

 

 

  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 

 

 

三日後。

当初の予定通り、必要な物資の補給を終えた立香たちは改めて迷宮へと入った。

ちゃんと前回とは別の受付を通ることで騒動は回避。人の出入りを管理することで死亡者を把握するシステムだが、一度も出ずに入場を繰り返しているかまではチェックされないのだから当然だろう。

 

とはいえ、前回のように地道に潜っていくような真似はしない。

今回は目的地がはっきりしている以上、その必要がないのだからショートカットできるところはしていく。

具体的には、件の縦穴を利用してまっすぐ降りていくのだ。

立香一人では無理なそれも、クー・フーリンがいれば問題ない。

 

大の男がこれまたガタイの良い男に抱えられるという、なんともむさ苦しい光景なのが問題だが。

それさえ無視すれば、これほど早い迷宮移動手段もない。

 

器用に縦穴の壁を伝い、時に飛び跳ね、あるいは走り抜けていく。

それでも100層は相当な深さだったが、無事に最下層に到達。まぁ、ある意味当然なのかもしれないが、この孔はさらに下まで続いているらしく、危うく通り過ぎるところだったが。

 

さて、ここで問題になったのが香織だ。

素直に話せば絶対に了承しないと思い、黙って三日間強制的に休息をとってもらったわけだが……思い切りへそを曲げていた。

それも予想していたのでご機嫌取りの品々や友人たちの最新情報を手土産にしたのだが、効果は薄い。

まぁ、友人たちの最新情報に関して言えば予想通りの状況だったので当然だが。

 

とはいえ、香織もなぜ立香たちが三日間戻らなかったかはわかっている。

納得はいかないながらも感謝の言葉を口にし、この問題はこれで区切りとなった。

そうして五人は消耗品の漏れがないかを再度確認し、今度こそ右側の窪みの転移陣に入る。

 

目を開ければそこは、オルクス大迷宮の前半よりもなお自然の洞窟然とした空間だった。

 

「……ここがオルクス大迷宮の後半、ですか」

「あの石碑の内容が事実だとすると、かなり危ない場所らしいし急いだ方が良いね」

 

色々と思うところはあるが、それら全てを横に置き、早速探索に入る。

とはいえ、やることは変わらない。これまでそうしてきたように、エミヤとクー・フーリンを中心に魔物を薙ぎ払い、手の空いている三人がくまなく周辺を探る。その繰り返しだ。

 

確かに大迷宮本番というだけあり、魔物の質は前半とは比べ物にならない。

単純な戦闘能力だけなら、最下層のネメアーモドキの方がこの階層にいる兎や狼の魔物より強いだろう。ただ、彼らは数が多い。平均してネメアーモドキの八割ほどの力を持った魔物が群れを作っているのだ。前半最後の関門として一頭で待ち構えていたネメアーモドキと比べ、どちらが厄介かは言うまでもない。

まぁ、それでもさすがにサーヴァントである二人は危なげなく殲滅しているが。

 

ただ、今回は今までと違う点が一つある。

それは……

 

「り、立香さんこれ! 見てください!」

「これは……横穴?」

「はい、横穴です。それも、明らかに不自然な」

 

丁度、人ひとりが辛うじて通れそうな程度の大きさの横穴が発見できた。

今までは手掛かりらしきものは一切なかったが、初めての不自然な痕跡である。

 

「……っ!」

「待って、香織さん」

「は、放して! 南雲君がこの先に……!」

「いるかもしれない。だけど、違う(・・)かもしれない。もしかしたら穴を掘る習性のある魔物もいるかもしれない」

「だけど、錬成師のハジメ君ならこのくらいの穴!!」

「そうだね。だけど、もしも南雲君の掘ったものだとしても、今もここにいるかはわからない。

 いないだけならいいけど。魔物が巣にしてる可能性だってあるんだ」

 

それはまさに正論だった。

ハジメの作った穴かどうかはこの際問題ではない。問題なのは、今この穴の向こうに何が(・・)いるかだ。

ハジメがいれば良し、何もいなくてもまだ良い。だがもしも、魔物がいれば香織では危険だ。

直接戦闘に向かない彼女が、穴を抜けた先で魔物と一対一になる。あるいは、穴の途中で出くわしても、結果は見えている。特にここはオルクス大迷宮後半、深層とも呼ぶべきこの領域はこれまでと魔物の質が違う。

それは、実際に戦ったエミヤたちも認めるところだ。

 

「……私が入ります」

「マシュちゃん……」

「エミヤ先輩たちにこの穴は狭すぎますが、私なら問題ありません。盾も、一時的に消しておけばいいだけですから」

「ゴメン、頼める?」

「はい」

 

武装の全解除ではないとはいえ、最強の守りである盾を持たないマシュを危険に晒すのは立香とて本意ではない。代われるものなら代わりたいと、いったいこれまで何度思ってきたことか。

それでも、今は彼女に任せるしかなかった。

マシュの言う通り、身長180センチ後半と体格の良いエミヤやクー・フーリンにこの孔は少々手狭なのだ。

故に、横穴内部の確認はマシュが適任と言える。

 

「「…………」」

 

そうして立香と香織が無言で待つことしばし。

エミヤとクー・フーリンは周囲の警戒がてら魔物を排除している。

その戦闘音だけが響く中、やがてマシュが横穴から姿を現した。

 

「マシュちゃん! ハジメ君は!?」

「中は(もぬけ)の殻でした。ですが……これを」

「これは……銃弾、かな? こっちは拳銃っぽい?」

「はい。恐らく間違いないかと」

 

近代のサーヴァントの中には好んで銃器を使う者もいる。

おかげですっかり見慣れてしまったそれに、マシュが見せたものはよく似ていた。

 

「これは、やっぱり南雲君が?」

「そうだよ! 錬成師のハジメ君なら作れるかもしれない!」

「確かに、南雲さんならできるでしょう……いえ、彼にしかできません。この世界にまだ銃器が存在しない以上、南雲さんだけが銃器を作ることが可能なんです」

 

香織はようやく見えた希望に喜びを露わにするが、マシュの表情は苦い。

無理もないだろう。確かにハジメが生きているであろう痕跡の発見は喜ばしいが、これは事情が少し違う。

南雲ハジメはただ生き延びただけではなく、その先へと踏み込んでいる。

 

「ほぉ、銃か。少々不出来だが、素人の作と考えれば中々だ。いや、これが試作品だとすれば、完成品があるはずだな。となると、逃げるでもなく身を潜めるでもなく、その少年は戦う事を選んだという事か」

「はい。この世界に火薬はありませんが、銃を作ったという事は代わるものを見つけたのでしょう」

 

それは、かつてマシュが抱いた懸念が現実のものになったという事。

かつて無能と見下された少年は、この世界を一変させ得る“(兵器)”を手に入れたのだ。

その危険性、影響力は最早勇者をも容易く上回るだろう。

 

なにより、あの他者と争う事を極力避けようとしていた少年が戦う事を選んだのだ。

そこに至るまでに、いったい何があったのか……想像することもできない。

マシュが素直にハジメの生存を喜べないのも無理はなかった。

彼が生存を勝ち取るために手にしたものは、あまりにも大きく重い。あるいは、それだけのものがなければ彼は生き延びられなかったのだろう。そのことを思えば、どうしても心が重くなってしまう。

 

香織もやがてそのことに思い至ったのだろう。

優しく穏やかで、対立して面倒を起こすより苦笑いと謝罪でやり過ごす、香織が強いと称した南雲ハジメはもういないのかもしれない、と。

だが、例えそうだったとしても……南雲ハジメは生きている。これに勝るものなどない。

 

「……それでも、ハジメ君は生きてる」

「香織さん……」

「なら、それが一番だよ。生きていてくれれば、私はそれで良い。生きてさえいてくれれば、また会えるんだから。変わっちゃったのかもしれない、変わらないと生きられなかったのかもしれない。

 どっちでもいい。どっちだとしても、ハジメ君のせいじゃない。生きたいって思うのは、当然のことだよ」

「そう、ですね。確かに、その通りです」

 

マシュも知っている。“生きる為”そんな当たり前で普遍的な願望のために足搔き続けた人のことを。

彼はその果てに七つの人類悪の一つ、クラス・ビーストの一角すら乗り越えた。

ハジメもまた、同じように足搔いているのだろう。自分なりの、彼にできるやり方で。

 

その答えが「銃」という武器であり、「戦う」という選択だったというだけの話。

変わってしまったのかもしれないが、それは仕方のない事だ。

変わらない人間など、いないのだから。

ハジメがどのような変化を遂げたのかはわからないが、香織はそれすらも受け入れる覚悟を決めていた。

彼女の想いも恋ではない何かに変わるかもしれない。しかしそれでも、ハジメと再会するという根本的な部分は変わらないし、変えるつもりもなかった。

彼女たちの全ては、それ(再会して)からなのだ。

 

ただ、問題はこれだけではない。

 

「あれ? そういえばマシュ、そっちのそれって……骨と毛皮?」

「……恐らく、魔物のものと思われます」

「え? それってつまり……」

「ハジメ君が、魔物を食べたってこと? だけどそれは……」

「はい。魔物の肉は人体に有害なはず。にもかかわらず、それを食べて生存しているという事になります。

 南雲さんに毒物への耐性はなかったはずですが……」

 

いったいどうやって猛毒に等しい魔物の肉を食べて生存しているのかは不明だ。

だが、横穴に残された骨や毛皮からはそうとしか考えられない。

疑問は尽きないものの、答えは出ない。いくら毒への高い耐性があるとはいえ、立香も試そうとは思わなかった。

とりあえず、ハジメに餓死の心配はいらない……というだけで十分だろう。詳しくは本人に会ってから聞けばいい。

 

余談だが、この横穴には他にも水溜まりのようなものがあったのだが、マシュも詳しくは調べなかった。

調べようにも道具も何もなかったし、まさかよくわからない液体を舐めるわけにもいかないのだから当然だろう。

相当な神秘を内包しているようだったが、毒とも薬ともつかないものに迂闊には触れない。

まさかそれが、ハジメが魔物の肉を食べて生き延びることができた理由だと、いったい誰が思うだろうか。

 

「とはいえ、これは大きな進展だ。南雲少年は生きている、少なくともここから先へ進んだことは間違いないだろう。戦う術を身に付け、安全だがどん詰まりの穴倉から出る……大したものだ」

 

心の弱いものなら絶望的な状況に発狂するか、良くて穴倉に引き籠って出てこなくなる。

それをせず脱出のために動き出したとなれば、相当な決意と覚悟が必要だろう。

話に聞く南雲ハジメの印象からはかけ離れているが、それが事実なのだ。

 

「良い根性してんじゃねぇの、師匠が気に入りそうだ」

「ですが、実際進展としては大きいでしょう」

「深層に入ったら後はもう降りるしかないからね。南雲君も上がれないことには気付いているだろうし、先を目指しているのなら急いで追いかけた方が良いか」

「はい。今までのように隅々まで探さずとも、ある程度の探索で切り上げ、次の層に移ることができます」

 

ハジメの痕跡を追ってどんどん下へと潜っていき、なくなれば追い抜いたと考えてその階層ともう一つ上を探せばいい。そう考えれば、今までより格段にペースが上がる。

 

ハジメに追いつく日も、そう遠くはないだろう。

微かな希望に縋る日々は終わりを告げたのだから。

 

 

 

ちなみに……

 

「しっかし、魔物の肉ねぇ……旨いのか?」

「何なら調理してやるが?」

「いや、いらねぇ……」

「まぁ、サー・べディヴィエールでもいれば、分かるかもしれんがね」

「……べディ、見た目に反してゲテモノ平気だからねぇ」

「案外、率先して試してみようとするかもしれませんね」

「…………」

 

四人の会話の中でチラチラ出てくる、ここにはいないサーヴァントの話。

それを聞いて香織は思う「キャラ濃いなぁ」と。

 

だが、千里眼を持たない彼女は知らない。

いずれ自身もまた、彼らといい勝負なキャラの濃い連中と出会う事を。

ついでに、自分自身がその中にカウントされることになるとは、全く思っていなかった。




遂にハジメの痕跡を発見した一行。ここから怒涛の追い上げじゃ―――――――っ!

とはいえ、状況からハジメの変心の一端を垣間見て心中穏やかではいられません。しかし、それも含めて受け入れる覚悟を決める香織。何も知らないところに唐突に表れた原作と、自分から追いかけて痕跡から状況を推察したことの違いですねぇ。


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009

ようやくここまで来たぞぉ~!


オルクス大迷宮後半、彼らが深層と呼ぶ領域に突入して数日が経過していた。

 

探索そのものは、一応順調に進んでいる。

生息する魔物は単純に強い以外にも、特殊な固有魔法を有している場合もあり厄介ではあるが、そんなものはカルデアでの任務の数々で最早慣れっこ。その都度適切に対処し、さして障害にはならなかった。

 

むしろ、問題だったのは環境の方。

一寸先も見えない闇などまだマシな方。立香や香織の目には見えずとも、視力に優れたエミヤやクー・フーリンの野生の勘の前では対した問題ではない。

厄介だったのは、何処もかしこもタールのように粘着く泥沼のような環境だったり、薄い毒霧で満たされた環境だったりした階層の方だ。

前者は、前の階層が真っ暗闇だったこともあり魔力の節約もかねて用意した急拵えの松明が仇になった。降りてすぐのところで松明から零れた火がタール状の何かに引火。一気に階層全体に燃え広がり、危うく丸焦げになるところだった。どうやら、外見だけでなく性質もタールに酷似しているらしい。火が零れたのが入ってすぐのところで本当に助かった。灼熱の火山や極寒のツンドラ地帯に踏み込んだこともあるので、過酷な環境にも慣れているつもりだったが限度がある。

後者は、立香やサーヴァントたちには問題はなかったのだが、香織が危なかった。サーヴァントに生半可な毒は通じないし、立香やマシュは毒への耐性がある。しかし、そんなものとは無縁の香織にとってはまさに地獄だ。急いで引き返し、まず立香とマシュ、それにクー・フーリンで階層内を探索。ハジメの姿がない事を確認すると、香織の護衛兼毒から守るための手段を徹底的に施していたエミヤに担がれて大急ぎで階層を突破した。

余談だが、この階層を突破してから何気なくステータスプレートを見てみると、技能「毒耐性」に[+無効化]という派生技能が出現していた。恐らく、通常の毒耐性では防ぎ切れない類の毒もあるのだろう。それすら防げるのがこの[+無効化]と思われる。まぁ、宝具の域に達した毒すら通じない立香なので、それも当然かもしれないが。

 

ただ、そういった環境要因以外ではこれといった問題もなく進むことができている。

強いて言えば、問題というほどではないが気になることが二つ。

一つは深層第一層にいた兎の魔物が一匹、なぜかさらに下の階層で立香たちのことを物陰からチラチラ見ていたこと。襲ってくる気配がなかったので放置していたが、あれはいったい何だったのやら……。

もう一つが、45層を超え折り返し地点を目前にしたあたりでのこと……

 

「ひっ!」

「……おい、今の」

「ああ、何か凄まじい悪寒が……だが、どこか懐かしくもある。なんだ、いまのは?」

(プルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプル)

「せ、先輩! 先輩がチワワのように震えています!? どうしたんですか、先輩!!」

ヤンデレ(清姫)怖いヤンデレ(清姫)怖いヤンデレ(清姫)怖いヤンデレ(清姫)怖いヤンデレ(清姫)怖いヤンデレ(清姫)怖いヤンデレ(清姫)怖いヤンデレ(清姫)怖いヤンデレ(清姫)怖いヤンデレ(清姫)怖いヤンデレ(清姫)怖いヤンデレ(清姫)怖いヤンデレ(清姫)怖いヤンデレ(清姫)怖いヤンデレ(清姫)怖いヤンデレ(清姫)怖いヤンデレ(清姫)怖いヤンデレ(清姫)怖いヤンデレ(清姫)怖いヤンデレ(清姫)怖いヤンデレ(清姫)怖いヤンデレ(清姫)怖いヤンデレ(清姫)怖い」

「重傷だな……」

 

数々の修羅場を潜り抜けて来た一同をして、心胆を寒からしめる謎の気配。

立香はサーヴァント界の正統派ヤンデレ「嘘つき絶対焼き殺すガール(清姫)」に似た気配を感じたのか、すっかりトラウマスイッチが入ってしまっている。普段は問題なく接することができるし、信頼もしているのだが…………怖いものは怖いのである。

 

「あれ、みんなどうしたの?」

 

突然足を止めた仲間たちに、香織は不思議そうに「こてん」と首をかしげている。

実に可愛らしいしぐさであり、大変よく似合っているのだが……この場には不釣り合いだった。

 

そのまましばらく、立香が落ち着くのを待つ。

ようやく悪夢から覚めた彼は、深い深い安堵の息をつくと共に香織から全力で視線を逸らす。

その頬は、誰の目から見てもはっきりとわかるほどに引き攣っていた。

 

「えっと、どうかしました……?」

「ううん、なんでもない。ほんと、何でもないから」

「でも、なんでこっち見てくれないのかな? かな?」

「さぁーっ、南雲君を探さなくっちゃ! はやくみつけないとなぁーっ!」

 

なんとか顔を覗き込もうとする香織から顔を背け、わざとらしい声で強調する。

挙動不審な立香に残る三人も不思議そうな顔をしているが、それも長くは続かない。

今度は彼らも見てしまったのだ。香織の背後に立香が見たものを……。

 

「ひぃっ!?」

「のわっ!?」

「い、今のは……」

「「「般若っ!?」」」

 

香織の背後にヌッと何の前触れもなく出現した、刀を構えた鬼面の白装束……即ち、般若の姿。

これまでは白い靄状……せいぜいぼんやりとした輪郭しか見えなかったそれが、確かな形を得ていた。

ただし、当の本人に自覚はないようで、驚いた様子で自分の後ろを振り返っているが。

 

「え、なに、般若っぽい魔物がいるの!? どこ、どこっ!?」

 

自分の尻尾を追うワンコのようにその場でくるくると回り続ける香織。ゆったりとした法衣のような戦闘服がひらひらと舞い、ダンスのように見えなくもない。

普段なら状況も忘れてそんな香織にほっこりしてしまうところだが、立香もマシュも今はそれどころではなかった。

詳しいことはわからないが、あれはヤバい。出てきてはいけない何か……その一端に違いない、と。

とはいえ、このままなかったことにすることもできない。已む無く、最も親しいマシュが一歩踏み込むことにした。

 

「あの、香織さん?」

「なに? マシュちゃん…はっ、まさかまた私の後ろに何かいるの!? 私、何か悪いものに憑りつかれてるの!?」

 

なにしろ、実際に目の前に大きな括りでは幽霊のようなものであるサーヴァントが二名立っている。

当たり前のように姿が見え、普通に会話できる上に、色々頼りになる……特にエミヤは親友に通じる部分もあることから、まったく怖いとは感じていないのだが……本来香織はホラー系が心底苦手。こんな薄暗い所で、和風な感じの魔物に気付かないうちに接近されていたとなれば、心中穏やかではいられない。

 

「ち、違います! 別に何もいませんから」

「そ、そう? なら、良いんだけど……でも、どうかしたの?」

「その……もしや疲れてはいませんか? 深層に入ってからも、探索に訓練にと頑張っていらっしゃるみたいですし……ここの魔物は強力で環境も過酷です。南雲さんにまだ追いつけないことで焦っていたりは……」

「…………………………大丈夫だよ。そりゃ、確かに焦る気持ちはあるけど、でも深層に入る前よりずっと安心してる。だって、私たちはハジメ君の後を追ってるんだって、その実感があるから」

 

痕跡の一つも見つけられず、当てもなく探していた大迷宮前半とは違う。

中々追いつけないことへの焦りはもちろんあるが、それ以上に彼の痕跡を見つける度に安心する。

ハジメはまだ生きている、彼は自分の足で前へ前へと進んでいるのだ、と。

そして、そんな彼に自分も負けてはいられないと奮い断つ。今度こそハジメを守れる自分になるために、この過酷な世界を一人で突き進む彼を守れるようにならなければ。

焦ったり立ち止まったりしている場合ではないのだ。

 

なにより、はじめの内は数日は経過していたハジメの痕跡が、今は精々一日……場合によっては、それ以下の時間しか経過していないことがわかる。

それだけ、ハジメとの距離が近づいていることの証だろう。

 

「そう、ですね。南雲さんに追いつくまであと少し、なら今が頑張り時なのでしょう」

「うん! ぁ、でも……」

「でも?」

「さっき、ちょっと変な感じはしたかな?」

「変な感じ、ですか?」

「うん。上手く表現できないんだけど、なんかこう突然……」

 

その時の感覚を思い起こそうと、腕を組んで「う~ん」と可愛らしく首をかしげながら視線を彷徨わせる香織。

直後、彼女の顔から表情が消えた。一切の感情が消失した無機質極まりない……そう、まさに能面のような!

 

「この泥棒猫!! って叫びたくなった……かな?」

「ど、泥棒猫…ですか」

「フフフ、オカシイネ? フフフフフフフフフフフフフ……」

「香織さん!? しっかりしてください、香織さぁん!?」

「フォ~…ラ~?」

 

能面顔のまま、全く笑っていない笑顔と無機質な笑い声が迷宮内に木霊する。

香織の背後には再度般若が出現し、身の丈もある大太刀を肩でトントンしながら舌舐めずりしていた。

そういえば、さっきから全く魔物が近寄ってこないのだが……ついでに、ようやく正気に戻った立香も、迷宮の壁際でまたもチワワになっている。なぜか、エミヤも一緒になって。

 

「大丈夫か、こいつら?」

 

なんとか香織を正気に戻そうとワタワタするマシュや、抱きしめ合う立香とエミヤを呆れた様子で見ながら一言。

ただし、そのクー・フーリンもちゃっかり距離を取っているので、あんまり大丈夫ではなさそうだが。

 

ちなみにこの瞬間、ここからいくつか下の階層で白髪隻腕の少年がとある吸血姫と出会っていたことなど、彼らにわかるはずもなし。ついでに、さらっと口説き文句を交えながら名前を付けたり(否定できない)、その未成熟な裸体をじっくりたっぷり視覚で堪能したり(これまた否定できない)、協力して難敵を乗り越えたり、少し腰を落ち着けて互いの身の上を話したりしていたのだが、もちろん知る由もない。

 

ただそのやり取りの中で、変わり果てたハジメの心の奥底から浮き上がってくるものがあった。

月の綺麗な晩、オルクス大迷宮に入る前夜のこと。もう遠い昔のような一夜の逢瀬。

オタクで無能な彼を「強い」と言い、「守る」と約束してくれた少女。

クラスメイトのことなど最早どうでも良いと思っていたし、今もそれは変わらない。

ただ一つだけ、彼女との約束“守られてやれなかった”ことが少しだけ引っかかる。

ささやかな感傷を振り払うように頭を掻き、ハジメは奈落の底で出会った吸血姫と共に再度歩き出す。

 

――――――――――――再会の時は近い。

 

 

 

  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 

 

 

香織が謎の情緒不安定さを見せてからさらに丸一日。

中間地点である50層で、それまでと異なる様相の高さ三メートルはある装飾された荘厳な両開きの扉を発見した。しかし、扉の向こうにあったのは謎の立方体と散乱する魔物の死骸。戦闘痕は新しく、相当に激しい戦いが比較的最近行われたことが如実に見て取れた。

 

大迷宮深層にいる者など、ハジメ位しか考えられない。

いよいよ彼との再会の時も近いと感じ、香織は見るからに浮足立っている。

短くなった髪を無意識のうちに弄り、意味もなく服の埃を払い、手にした杖を布で磨く。

少しでも見栄えする格好で想い人に会いたいという、乙女心の現れだった。

 

ハジメの心が自分たちの知る頃とは変わっていることは理解している。

怒っているかもしれない。恨んでいるかもしれない。憎んでいるかもしれない。

 

それでもやはり、香織はハジメに会って想いを伝えたかった。

 

あの日の約束を守れなかったことを謝りたかった。

 

そして、今度こそ彼を守りたかった。

 

ただその思いひとつで、彼女はここまでハジメを追ってきたのだから。

どんな罵倒も、どんな拒絶も受け入れる覚悟はある。彼を守れなかった自分には、それが相応しいと思っている。

その上でもう一度、ハジメとの距離を縮めるのだ。

 

今度こそ、その手を掴むために。

共に元の世界に帰るために。

一緒に歩みたいと望むが故に。

 

 

 

そして、やがてその時は訪れた。

 

オルクス大迷宮後半、深層57層。

これまでにもあった密林などと同じように、脈絡もなく現れた水で満たされた階層。

湖……ではないだろう。水が一定方向に流れていることから川と呼ぶべきだろうが、流れが速く最早急流どころの話ではない。落ちればあっという間に流され、案外さらに下の階層まで行けるかもしれないが……試してみる気にはなれない。今までの様子からして、そんなショートカットが許されるとは到底思えなかった。

確実に、流れの先にはDead end間違いなしな“何か”が待っている。

 

それでなくても足場になる岩は間隔が広く、加えて人ひとりがやっと立てる程度な上、苔生してよく滑るのだ。

これはもう絶対に落とす気満々だろう。実際、水中からは蛇や蜘蛛みたいな魔物が頻繁に姿を現し、襲うというより水中に引きずり込みにかかってくる。自分たちのフィールド(水中)に引き込んでから仕留める気らしい…地味に嫌らしいことだ。

 

そんな階層の中ほどで、遂に香織は大小二つの人影を発見した。

どちらも彼女の知る南雲ハジメとは似ても似つかない。

片や、腰まで届く目にも鮮やかな金糸の髪をなびかせ、薄汚れた少々大きすぎる外套を羽織った小柄な少女。

片や、180センチに迫ろうかという背丈に白髪、細身をしなやかな筋肉で覆う隻腕の男性。

 

香織の知る南雲ハジメは、165センチほどの比較的小柄な背丈と筋肉とは縁遠い黒髪の少年だった。

どちらの後ろ姿ともかけ離れているが、それでも香織には一目でわかった。

あの男性こそが、彼女がここまでひたすらに探し続けた「南雲ハジメ」その人なのだと。

故に、あるいは当然のように、彼女はその名を叫んでいた。

 

「ハジメ君!!!」

 

それまで軽快に足場になる岩を飛び跳ねていた二人の動きが止まった。

続いて、男性…ハジメと思われる人物がゆっくりと香織の方へ振り替える。

やや遅れて少女もそれに倣うが、香織の目に彼女の姿は映っていない。

 

今の香織の視界は、南雲ハジメで埋め尽くされている。

変わり果てた姿、失われた左腕、鋭い眼光。かつての面影などほとんど残されてはいないが、それでもその顔立ちは確かに南雲ハジメのもの。それだけで、香織の胸は歓喜でいっぱいだった。

 

―――――――ようやく会えた!

 

―――――――――――――やっと追いついた!!

 

―――――――――――――――――――――生きていてくれた!!!

 

それだけで、言葉にならないほどの感情が胸を満たす。

話したいこと、かけたい言葉、謝らなければならないことが山とあったはずなのに、もう言葉にならない。

マシュと立香もそんな香織の心情を思い、目尻を拭う。

余計なことは言わない。それは無粋というものだ。それがわかっているからこそ、ただ静かに見守る。

香織の瞳からはポロポロと涙の雫が溢れ出し、こんな場所でなければ今すぐにでも駆け寄って抱きついていたことだろう。

 

だが結果的には、こんな足場の不自由な場所での再会でよかったのかもしれない。

 

「白…崎?」

 

驚愕に目を見開いていたのも一瞬のこと。

間もなく状況を理解したハジメは、「隙あり」とばかりに襲いかかってきた蛇型の魔物を見向きもせずに銃撃。

寸分の狂いもなく額を撃ち抜かれた蛇は水中へと沈むが、それにも見向きもしない。

片割れの少女が気づかわし気な視線をハジメに向ける中、彼は小さく零す。

 

「ったくよぉ。つくづくいい趣味してやがんぜ、ここは」

「ハジメ、大丈夫?」

「ああ、問題ねぇ。少し驚いたが……大丈夫だ。むしろ、心配は……あいつらにしてやれ」

 

そう言って、ハジメは手にした大型の銃…命名「ドンナー」を構える。

まっすぐ銃口を香織に向けて。

 

「南雲さんっ!? なにを……!」

「よりによって、白崎にキリエライトとはな。なるほど、俺にとっちゃ無視できない相手、悪くない人選だ。

 確かにお前らが相手なら躊躇する……前の俺ならなぁ!!」

「まずっ!? 香織さん、こっち!」

 

ハジメのやろうとしていることに気付き、脚力を強化した立香が咄嗟に香織に飛びつき、そのまま抱えて隣の岩に飛び移る。

刹那遅れて香織のいた場所を、轟音と共に何かが走り抜けた。立香が飛びついていなければ、今頃香織の心臓を的確に撃ち抜いていたことだろう。

 

「ちっ、外したか! あの程度の動きで避けられるとは……俺も少なからず動揺してるってことかよ。情けねぇ!」

「やめてください、南雲さん! 私たちは……」

「黙れよニセモノ。あいつらがこんな所にいるわけねぇ。キリエライトならワンチャンあるだろうが、あの力も時間制限付きだ。白崎を連れてここまで来れる筈がない。ならここにいるお前らは、ニセモノ以外の何物でもない! さすが奈落の魔物ってところか? 今度は精神攻撃かよ」

「あ~、なるほどなぁ~……ま、間違っちゃいねぇか」

「確かにな、彼の知る情報だけならその帰結は当然だろう。

 しかし、魔物と思っているとはいえ清々しいまでに容赦がないな。

 随分、深層の魔物に揉まれたと見える」

 

どうやら、香織たちを魔物が固有魔法で化けたか何かと勘違いしているらしい。

言っている内容はハジメの持つ情報が限られていることを考えれば、あながち間違ってもいない。

実際、立香が来る前の状態なら、仮にマシュが全快してもここまで来れなかっただろう。

 

「ハジメ、知り合い?」

「奈落に落ちる前の知り合いだ」

「……ハジメを裏切った人?」

「……………………いや、薄紫の髪の方は結構俺を買ってくれてた奴だ。正直、アイツには感謝してる。

 黒髪の方は……俺を、無能だった頃の俺を守るなんて抜かす物好きだよ」

「……そう。私がやる?」

「いや、確かにやりにくいのは事実だが、むしろ頭に来てる。ユエは手を出さないでくれ。

俺の前にその姿を晒した報い、受けてもらうぜ!!」

 

ハジメからすれば、数少ない味方だった相手を汚された気持ちなのだろう。

それは確かに許せないと思うはずだ。あるいは、傍らの少女と出会う前であれば、そんな怒りすら抱かなかったかもしれないが。良くも悪くも、ユエと呼ばれた少女のおかげでハジメは最後の一線を踏みとどまることができた。

 

代わりに、思い出してしまったものがあるからこそ……許せないのだ。

彼女たちなら、いつか本当に自分を探しに来てくれるかもしれない。

しかしそれは今じゃない。今の彼女たちにそれはできない。

反面、彼女たちならするかもしれない行動だからこそ、ハジメは香織を見た瞬間、僅かに気が緩んだ。

 

“生きる”という、この領域においては著しく困難な願いを叶えるには、恨みなど余計な雑念、その全てを切り捨てたはずの自分が、僅かでも気を緩めてしまった。

それはきっと、嬉しかったから。奈落の底に落ちた自分を探すために追いかけてきてくれたことが。

それはまだハジメが変心する前、あの横穴の中で願っていた“夢”そのものだったから。

 

かつての自分の弱さが燻っていることが許せない。

香織たちを汚されたことが許せない。

ならばやることは一つ。弱さの象徴を砕き、大事だったものを汚した敵を徹底的に排除する!!

 

ただ、そんなハジメの事情は香織にはわからない。

彼女からすれば、突然ハジメが殺意と共に銃口を向け、躊躇なく引き金を引いたという事実だけだ。

そのショックは他者の想像を絶することだろう。しばし呆然とし、やがて悲痛に顔が歪む。

 

ハジメが怒っていることも、憎んでいることも、恨んでいることも覚悟していた。

していてもなお、深く心に突き刺さる。あの日、手の届かなかったことが悔やんでも悔やみきれない。

香織は心がバラバラになりそうな悲嘆と後悔に苛まれる。

 

「マスター、説得の余地は? 私としても、これは流石に見るに堪えん」

「ゴメン、ムリ! 言葉が通じなくても何とかするし、話が通じなくてもやりようはある。それこそ種族が違ってもいける自信はあるけど、どれも相手に話を聞く気があればこそだから……」

 

今のハジメのように意思を固めてしまった相手には、立香ではどうにもならない。

彼のコミュニケーション力も、そもそも相手に「話を聞く気」がなければ意味がないのだ。

今のハジメは、これ以上精神的に揺さぶられないよう完全に心を閉ざしている。

 

「そんな……これでは、香織さんがあまりにも……悲しすぎます」

「やむを得んな。多少手荒になるが制圧させてもらおう。話はそれからだ」

「おっ、ようやく話がまとまったか」

「ああ、私が少年とやろう」

「なら、俺はあっちのお嬢ちゃんか。んじゃ、行くぜぇ!!」

「ハジメ、男の方も知り合い?」

「いや、知らん。大方、昔ここまで来た冒険者か何かのコピーだろ。気をつけろよ」

「……ん、手強そう」

 

そのままハジメとエミヤ、ユエとクー・フーリンの間で戦端が切って落とされる。

ハジメとて、目の前の男の厄介さは肌で感じていた。

元は平和な国で育ったとはいえ、オルクス大迷宮深層を50層まで単独で踏破したのは伊達ではない。

その感覚が物語っている。相手は、今までに戦ってきた魔物たち以上の難敵だと。

 

しかし、それでも認識が甘いことを彼は知らない。

順調に階層を下げてきたハジメたちだが、それでも彼らにとって魔物たちとの戦いは悪戦苦闘の日々だった。

それに対し、エミヤとクー・フーリンにとっては「多少歯応えのある」程度の敵に過ぎない。

如何に実力を上げてきたとはいえ、地力の差は歴然。今尚、ハジメたちは圧倒的不利な立場にいるのだ。

 

(弾丸をマジで切って落とすとか、どんな腕してやがんだ、こいつ!)

(隻腕の割によくやる。狙いは正確、照準も早い。立ち回りに粗さはあるが、瞬間的な判断力も上々だ。

 なるほど、ここまで進めたのも納得がいく。

 しかし、空中を跳ねるか。たしか、そんなことができる魔物がいたが……話に聞いた容姿からの変貌と併せて考えるなら、魔物を食ってその能力を得たか?)

 

歴戦のエミヤから見ても、ハジメの動きは悪くない。魔物由来と思われる技術を次々と繰り出し、それらをしっかり使い熟している。

手に入れてからの時間を考えるなら、驚異的な習熟速度だ。

 

「いやはや、末恐ろしい事だな、小僧」

「ぬかせ!」

「どうせなら銃の使い方を少し教授してやりたいところだが、生憎手持ちがなくてな。今はこれで許せ」

(弓? つーか、あんなもんどこから出しやがった!?)

「そら、避けてみろ」

「どこに……ぬぉっ!?」

 

あらぬ方向へと射られた矢が、軌道を変えてハジメに襲い掛かる。

あらかじめ矢羽を千切っておき、軌道をズラすという妙技だ。

しかも、それだけでは終わらない。

 

「ふむ、大した危機回避能力だが……いいのか、そこは死路だぞ」

「ちぃっ! 何手先まで読んでやがんだ、こいつ…がぁっ!?」

 

避けた先で、狙いすましたように頭上から降り注ぐ矢の数々。

あらかじめ回避先を予想し、そこに矢を射ていたのだろう。

単に腕が良いだけではなく、百戦錬磨からくる圧倒的なまでの経験の差による先読みだった。

 

ハジメもそれを何とか迎撃するが、すべてを落とすことはできない。

風の爪を纏わせたドンナーの隙間を抜け、二本の矢が肩と脹脛に刺さる。

肩の傷は元より先のない左なのでさほど問題はないが、脹脛の傷が痛い。

ただでさえ押されているというのに、ここで機動力が損なわれるのは手痛い損失だ。

 

(ユエは……)

 

視線を向ければ、そこには同じく押され気味の相棒の姿。

次々に魔法を放ってはいるが、野生の獣染みた俊敏な動きを捉え切れていない。

あえて槍の間合いに捉えようとはしていないからこそ無傷だが、その表情は苦い。

自分が遊ばれていることを理解しているのだろう。

 

(相性が悪いな。俺の方がまだマシか……そこも含めて判断して当てたんだとすれば、始める前から詰まれてるも同然じゃねぇか!!)

 

詠唱も魔法陣も必要としないため、魔法の発動が異常に早いユエだが、それでもハジメの銃撃には及ばない。

攻撃が到達するまでの速度もハジメの方が上回るだろう。反面、攻撃の多様さはユエに軍配が上がる。

 

そういった二人の特徴を看破し、相性の良い相手をぶつけてきたらしい。

ハジメなら、まだクー・フーリンの動きに対応できる可能性がある。まぁ、実際にはスキル「矢避けの加護」があるので、ハジメでは致命的に相性が悪いのだが。

 

逆に、ユエは足を止めて戦うエミヤの方が戦いやすい。範囲攻撃系の魔法を使えば、あの気障な顔を崩すこともできるだろうに。

ただ、それも全て後の祭り。

戦う前、戦術ではなく戦略の段階で敗北を喫しているのだ。この現状も当然のものだろう。

 

(何とかユエと合流して……いや、そうじゃねぇ! 信頼するのと依存するのは違うだろ! この程度の敵乗り越えられないで、どうして迷宮の外に…元の世界に帰れるってんだ!!)

 

そう、ハジメとてやられっぱなしでいるつもりはない。

相手が強いことは最初からわかっていた。想像以上ではあったが、想定以上ではない。

まだ、出し抜くための秘策は残っている。

 

「さて、そろそろ諦めてはくれないかな? 私としても、香織の手前あまり君を傷つけたくないのだが」

「ぬかせ!」

「……不屈の闘志は結構だが、その銃の威力が如何に高くとも私には届かんよ」

「だろうな。お前相手じゃ切って落とされるのがオチだ……このままならなぁ!!」

「む? ……なにっ!?」

 

突如としてハジメの腕からドンナーにかけて、赤い光がスパークする。

同時にハジメが引き金を引くと、赤い閃光がエミヤ目掛けて突き進む。

エミヤは咄嗟に回避しようとするが……間に合わない。

 

「…………」

(どうだ!)

 

確かな手応えに、ハジメが獰猛な笑みを浮かべる。

念のためにと隠しておいた固有魔法「纏雷」を用いたレールガン。

それが起死回生の一手となり、エミヤの右肩を深々と貫いた。

 

レールガンの威力なら、右肩から先が吹っ飛んでいるはず。

これで弓は使えないし、双剣の戦力も半減。

仕留めきれなかったのは口惜しいが、それでも逆転には十分だろう。

そう、思っていたのだが……

 

「まったく、とてつもない小僧だ。数週間前まで一般人だったとは思えん」

「なっ……当たって、ないのか?」

「いいや、しっかり私の右肩を捉えていたよ。だが、通常の物理攻撃は私には意味がない。まぁ、固有魔法とやらが乗った一撃だっただけあり、それなりのダメージにはなっているがね」

 

逆に言えば、決定的なダメージにはなっていないという事。

実際、痛みもあれば動かしにくくもあるとはいえ、動かせないほどではない。

 

(倒しきれないまでも、戦力を削ぎたかったんだがな……)

「背中のそれにも同じようなことができるとなれば、流石に脅威だな。まぁ、あるとわかっていれば対処のしようはあるが」

(だろうな。こいつならそっちにも対応してくるだろう。他にも固有魔法はあるが、こいつを倒しきるとなると……ド畜生!? どうすれば……)

「ふっ、まだまだ敗北を認める気はないか」

「たりめぇだ! 俺は、何が何でもここから出て……故郷に帰るんだよ!!」

 

圧倒的不利を前にしながら、それでも折れないハジメに皮肉気な笑みを浮かべるエミヤ。

それに食って掛かるハジメだったが、続いて放たれた言葉は彼の予想を大きく裏切った。

 

「そうか……ならば、私が敗北を認めよう。油断があったにせよ、それを含めて策の内、見事だ少年」

「な、に……?」

「そういうわけだ、ランサー。こちらは任せるぞ」

「あん? 情けねぇなアーチャー。こんなガキに不覚を取るとはよ、焼きでも回ったか」

「否定はせんよ。だが、君も努々気を抜かんことだ。この少年、なかなかどうして油断ならん」

「ほぉ……お前がそこまで言うか。……おもしれぇ」

「……させない!」

 

標的をハジメに変更し、距離を詰めようとするクー・フーリンに向けて魔法の弾幕を放つ。

しかしその尽くを回避されてしまい、足止めにもならない。

それどころか、指の間に細身の長剣のようなものを持ったエミヤがそれを投擲し、逆に彼女を牽制する。

 

ハジメもドンナーで迎撃するが、矢避けの加護は飛び道具に対する防御スキル。

狙撃手を視界に捉えた状態であれば、どのような投擲武装であっても肉眼で捉え対処できるこれは、ハジメにとって天敵と言って良い。

 

ハジメは相性を考えてエミヤをハジメに、クー・フーリンをユエにぶつけたと思っていたし、それはあながち間違ってはいない。

ただ、ハジメでは勝ち目がないからこそクー・フーリンではなくエミヤが相手取ったというだけで。

 

「よぉ坊主、ちょいと俺とも遊んでいけや」

「おもしれぇ、やってやろうじゃねぇか!」

「ダメェ!!」

 

あと一度の跳躍でハジメを槍の間合いに捉えられるというとこで、当然の静止の声が響く。

思わず四人は戦う手を止め、反射的に声の主へと視線を向ける。

そこにいたのは、泣き腫らした目のまま涙をぬぐって立つ香織の姿。

 

「嬢ちゃん?」

「お願いします。ここは、私に任せてください」

「クー…ランサー。アーチャーも」

「……………………………………わぁったよ。好きにしな」

「承知した」

 

心を立て直した香織とマスターである立香のとりなしもあって白旗を上げて引き下がる。

エミヤもまた、投擲用の剣「黒鍵」を構えたままそれ以上は動かない。

もしもの時のために香織を助ける用意は怠らないが、今は彼女の意思を優先するつもりのようだ。

 

香織は体の隅々まで魔力を流し、肉体を強化。

少々危ない足取りではあるものの、岩から岩へと跳躍を繰り返しハジメとの距離を詰めていく。

やがて、両者の距離があと飛び石一つ分になったところで、ハジメは香織に改めて銃口を向けた。

 

「キュ~?」

「ありがとう、大丈夫だから」

 

心配そうに、あるいは励ますように香織の顔を覗き込むフォウ。

香織は優しくその毛並みを撫でながら、香織は決然と顔を上げる。伝えなければならないことがあるのだ。

 

ハジメの変わりようや銃口を向けられたことにショックを受けなかったといえば嘘になるが、それでも全く予想していなかったわけではない。

その可能性は、深層第一層の横穴に残されたものを見つけた段階で覚悟していたのだから。

 

香織は込み上げてくる何かを堪えるように服の裾を両の手で握り締め、グッと奥歯を噛み締める。

しかし、堪えきれずに再度ホロホロと涙をこぼれ始めた。嗚咽を漏らしながら、それでも目の前のハジメの存在が夢幻でないことを確かめるように、片時も目を離さない。

対してハジメはどこまでも冷徹な視線を香織に向けている。その厳しい目が、決して騙されはしないと物語っていた。

 

「ハジメぐん……生きででくれで、ぐすっ、ありがどうっ。あの時、守れなぐて……ひっく……ゴメンねっ……ぐすっ」

「…………言いたいことは、それだけか」

 

香織の言葉が胸を突かなかったといえば嘘になる。

だがそれでも、所詮はニセモノ。この程度で気を許すものかと、ハジメは自分自身に言い聞かせる。

 

香織も、ここにきてようやくこみ上げってくる物が落ち着いてきた。

その言葉はより明瞭になり、同時に確かな意思を宿してハジメへと向けられる。

 

「ぐすっ……あなたに、会いに来ました」

「……」

「雫ちゃんやマシュちゃん、いろんな人に無理を言ってここまで来ました」

「もういい」

「ハジメ君は生きてるって信じてた。信じたかった。だから……!」

「もうやめろ!」

 

そんなわけがないと、目の前の(現実)を振り払おうと引き金にかかる指に力がこもる。

それでも、香織はハジメから目を逸らさない。

そこに怯えはなく、畏れはなく、ただただまっすぐハジメの目を、その奥の心を見据えていた。

 

「くっ……」

 

目を逸らしたのはハジメの方。敵から目を外すなんて言語道断なはずなのに、香織の目を見返すことができなかった。

その意思に、想いに……認めがたい事だが、ハジメの敵意も、覚悟も圧倒されてしまったのだ。

 

とそこで、ハジメの手を冷ややかな手が優しく握る。

香織から逸らした視線を向ければ、そこにはこの奈落で唯一信頼する相棒がいつの間にか傍らに立っていた。

 

「……ハジメ」

「ユエ?」

「……たぶん、この人は本物。嘘は言ってない」

 

ハジメ自身、どこかでそうであって欲しいと思う自分がいた。

そうであったなら、どれほど……。

 

「なんで、分かるんだよ」

「……ん、女の勘」

「なんだそりゃ……」

 

ユエの返事に、思わず苦笑いが浮かぶ。

しかし、ユエの目は真剣そのもの。茶化したり揶揄ったりしている様子はないし、そんな意味も理由もない。

なにより、それが最後の一押しになった。

 

「俺は、正直信じられねぇ。だけど、お前の言う事なら信じられる。信じて……いいんだな」

「………………………………………ん」

「なんか妙に間があったけど、良いんだよな? 信じて」

「………………………………………………………………ん」

 

聞けば聞くほど間が開くのが若干不安だった。ついでに、いつの間にかユエの視線がハジメから外れ、代わりに香織へと向けられている。

そこには警戒心や敵意がふんだんに練りこまれており、顔にはデカデカと「不本意です」と書かれている。

本当は香織のことを擁護などしたくないのだが、しないわけにもいかない…という感じだ。

 

(この女、ハジメのなに? ハジメは私のハジメ、それで私はハジメのもの。これは絶対、世界の掟)

 

それがユエの偽らざる本音だ。ただ、同時にこうも思う。

 

(…………………………………………でも、この女が死んだらハジメはきっと悲しむ。すっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっごく嫌だけど、仕方ない)

 

こんな奈落の底までハジメを追いかけてくるほどの想いだ。生半可なものではないだろう。

自分のそれには及ばないまでも、まぁ多少は汲んでやってもいい……と、自分自身の何かに弁明する。

 

なにより、かつてハジメを守ろうとした相手で、ハジメ自身悪くは思っていないらしい。

そんな相手を手にかけてしまえば、ハジメはどうなってしまうのか……という不安もあった。

なので、極めて不本意ながら、香織を擁護せざるを得なかったのである。

 

「………………………わかった」

「……ん」

「白崎……で、良いんだな」

「うんっ! うんっ!!」

「色々訳が分からなくて混乱してるんだが……」

「あ、待って! その前に……『天恵』」

「お? マジか……詠唱をすっ飛ばした? ユエじゃあるまいに……」

「む……」

 

香織の回復魔法を受けて、ハジメの肩と脹脛の傷が一瞬で治癒する。

ハジメの知るころとは比べ物にならない効果だ。加えて、詠唱を破棄しての発動。

一体今日までの間に、彼女に何があったのか。ハジメの混乱に拍車がかかる。

 

ついでに、自分のアイデンティティを若干侵されたと感じたユエの眉が歪む。

 

「……どう? もう違和感とかないかな?」

「あ、ああ。いや、すげぇな。いつの間に……」

「ハジメ君には言われたくないよ」

「あ~、まぁそりゃそうか」

「ふふっ」

 

自分の変わり様には自覚があるだけに、返す言葉もない。

香織は香織でしてやったりと言わんばかりに可憐な笑顔を浮かべている。

まるで、奈落に落ちるより前……まだ地球にいた頃のような感覚だった。

まぁ、あの頃もこんな風に言葉を交わすことはなかったし、そうなるとは思っていなかったのだが。

 

「その…………なんだ。心配かけたな。まぁ、この通りしっかり生きてっから、謝る必要はないし……ありがとよ。探しに来てくれて……正直、うれしかった」

 

そういって感謝を告げるハジメの眼差しは、いつか見た「守ってくれ」と言った時と同じ、香織を気遣う優しさが宿っていた。その眼差しに、あの約束を交わした夜を思い出し、胸がいっぱいになる。

ようやく治まった思いが再度爆発。思わずワッと泣き出し、そのままハジメの胸に飛び込む。

 

「のわっ!? あ、あぶねっ!?」

 

文字通り胸元に飛び込んできた香織に危うくバランスを崩しかけるが、なんとか持ち直す。

代わりに、反射的にしっかり抱きとめてしまった腕のやり場に困る。今更離すわけにもいかないし、そもそも離して香織が落ちたら大変だ。

他の誰かだったら邪険に扱っても全く良心が痛まないのだが、縋り付いて泣く香織の純粋な好意は無碍にできない。

ただその反面、微妙に背筋が寒い。

 

「えぇっと、ユエ…さん?」

(プイッ)

 

冷え切った視線を向けてくる相棒の方を見れば、すっかり拗ねた様子でそっぽを向かれてしまう。

仕方なく、ハジメはぎこちない動作で香織の背中を軽く摩って宥めつつ、助け船を寄越してくれそうな相手に視線を向ける。

 

(助けてくれ、キリエライト)

(南雲さん、もっとしっかり香織さんと思いを交わしてください。私は何も見ていませんから、どうぞ)

(いらねぇよ、なんだよその気遣い!?)

 

一切言葉にせず、アイコンタクトのみにしてはやけに具体的な意思疎通が成立していた。

ちなみに、他の連中はと言えば……

 

(いや、襲ってくる魔物をしっかり落としてくれるのはありがてぇんだけどよぉ……)

 

こんな無防備な姿をさらしていながら無事でいられるのは彼らのおかげだ。なにせ、エミヤとクー・フーリンが水中から姿を現す魔物を、一匹残らず仕留めてくれている。それ自体には感謝しているが、せっかくだからもうちょっと別方面へのフォローもしてほしい。視線が合うたびに「男の見せ所だぜ、坊主」とか「まぁ、心配をかけた報いだ。諦めたまえ」とか言いたげな視線と良い感じの笑顔が向けられるのが、微妙にイラっと来る。

 

立香は立香で、まるでドラマのワンシーンに感動したかのようにハンカチで目元を拭っていた。

 

そうして、香織が改めて落ち着くのを待つことしばし。

今度こそ本当に落ち着きを取り戻した香織は、まだ涙の残った瞳でハジメを見上げる。

密着していることへの気恥ずかしさはあるが、同時にその温もりを感じ、生命の鼓動を聞けることへの喜びが勝っていた。

ただ、ほんのり頬を染めて潤んだ瞳を向けられる側のハジメとしては、大変落ち着かなかったが。

 

「髪、白いんだね」

「色々あったからな」

「腕も、ないんだ。私に治せたらよかったのに……」

「生命があっただけめっけもんだよ。気にするな。

 そういうお前こそ、髪短くなってんじゃねぇか」

「あははは…まぁ、私の方も色々あって」

 

ハジメはこともなげに言うが、きっと想像を絶するような過酷な環境を生き抜いたに違いない。

何度も、心身共に壊れそうになったに違いない。

いや、もしかしたら……一度壊れてしまったからこその今の彼なのかもしれない。

 

香織もハジメと同じ道を歩んできたが、それはあくまでも物理的なものだ。

香織の周りには信頼できる友人がいて、守ってくれる心強い大人がいた。

だが、ハジメにはどちらもいなかった。一人深層に放り出され、多くのものを失い、そこから這い上がってきた。

いったいどれほどの苦難、どれほどの絶望、どれほどの逆境だったのか想像もつかない。

 

人ひとりを壊し、変えてしまうには十分すぎる時間と環境だ。

ハジメが香織に躊躇なく銃口を向け、引き金を引くことに容赦がなかったのはそうしなければ生き延びることができなかったから。

暴力を振るう事をためらわないその変心にショックを受けていないわけではないが、受け入れるための土台はすでにある。

何より、それでもなお彼は香織の言葉に耳を傾け、気遣ってくれている。

 

変わってしまったが、変わっていないところもある。それだけで、香織には十分だった。

自分の想いもまた変わるのだろうかと、思っていたが……どうやらそんなことはないらしい。

 

自分自身の想いと再度向き合い、香織の瞳に決意と覚悟が宿った。

今まで以上に瞳に“強さ”を宿し、その思いを言の葉に乗せる。

 

「……貴方が好きです」

「白崎……」

 

香織の表情には、羞恥と想いを告げることが出来た喜びが宿っている。

 

「もう、あなたを一人にはさせない。ここからは私もいっしょに行く…いつまでも、どこまでだって」

「俺は……」

 

流石に、こんなにも真剣な思いを向けられて逃げるわけにはいかない。

覚悟と誠意の込められた眼差しに、ハジメもまた真剣さを瞳に宿して今の自分に出せる精一杯の答えを告げ……ようとしたところで邪魔が入る。

 

「ハジメは私の」

「おい、ユエ……」

「ハジメは私の」

「あの、ユエさん?」

「ハジメは 私の」

「お~い……」

「それで、私はハジメのもの。もう売買契約は成立済み、お前の出る幕はない」

 

どうやら、地味に「一人に」とか言われたのがお気に召さなかったらしい。

あとはまぁ、女の意地的なアレコレもあるだろう。

 

「そういえば……ハジメ君? この子は誰なのかな? かな?」

「あ~、こいつはユエって言って……ほら、上の階になんか場違いな門があっただろ? あそこに封じられていてだなぁ……」

「ううん、そんなことはどうでもいいの」

「いや、よかねぇだろ」

「そんなこと どうでも いいの」

「ぁ、はい」

 

奈落の魔物たち相手に一歩も引かないハジメをすら圧倒する威圧感。

少し視線を上げれば、そこには何故か迫力満点の般若さん。

なぜか、いい具合に裾とかが赤く染まっているのだが……あれは返り血ですか、そうですか。

 

「そんなことより、なんで…裸なの? ハジメ君の趣味なの? 裸コートがブームなの? なら、私だって……!」

「いや、待て。落ち着け! 別に趣味とかじゃない! これは単に、ユエがマッパで封印されてて、これしか着る物がなかっただけで……」

「そう、ハジメが私を丸裸にした。隅々まで見られた。もうお嫁にいけない。ハジメに貰ってもらうしかない」

「ユエさん!?」

 

わざわざ引っ掻き回すようなことを言うユエに、ハジメの顔が驚愕に歪む。

無論、確信犯だ。既成事実(?)を並べ立て、自分の優位を強調しているのだ。

まぁ、この程度で折れるようなら香織もこんなところまで追いかけてきてはいない。

ユエからしてみれば、軽い牽制……ジャブのようなものだった。

ハジメにとっては、既にノックダウン級の幻の左を貰ったような気分だが。

 

「ハジメ君…………………………見たの、見てないの、どっち?」

「………………………………見ました」

「………………………………」

「おい、待て。何ごそごそしてるんだ、何いきなり脱ぎ出そうとしてるんだ白崎ぃぃぃぃぃぃっ!?」

「私も脱げばイーブンだもん! まだ負けてないもん!」

「ふっ、それで私に並べると思うなら甘い。私はもうハジメの初めてを貰ってる」

(クワッ!?)

「は? いや、いったい何のことを……」

「初めては激しくて…熱くて濃厚、この上なく美味だった」

「は、ははははははははははははははははハジメ君」

「落ち着け白崎。なんかよく分からん笑い声みたいになってるぞ。

 それと、ユエの言ってることは別にいかがわしいことじゃない、こいつは吸血鬼で……」

「ハジメ君を脱がせて私も脱ぐ!!!」

「そんな『あなたを殺して私も死ぬ』みたいなノリで何言ってんのお前!?

 誤解だ! 話を聞けっての、おい!?」

 

実際には、ユエが言っているのはハジメから初めて吸血した時のことだ。

まぁ、情報が足らないのはわざとなので、狙い通りなのだろうが。

 

「先輩、これがいわゆる昼ドラという奴なのでしょうか?」

「どこでそんな言葉憶えたの? まぁ、どちらかと言えば修羅場ではあると思うけど……」

「イマイチ深刻さが足らんな。あれではいいとこ痴話喧嘩だろう」

「なに解説してんだ、お前?」

「俺の話を聞けぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」

 

そんなハジメの絶叫が虚しく迷宮内に木霊する。

 

ちなみに、最終的に誤解は全く解けず……

 

「……仕方ない。ホントは私と“私のハジメ”だけで十分なんだけど……お前が泣いて頼むなら特例で同行を認めてあげる」

「お前じゃなくて、香織だよ。あと“私のハジメ君”だから、そこは間違えないでね。あ、泣いて云々は聞かなかったことにしてあげる」

「……いい度胸。なら、私はユエでいい」

「ふふ、ユエ。これからよろしくね?」

「こちらこそ。とりあえず、敗北感に打ちひしがれる心の準備をしておくことを勧める」

「ユエも、負けて泣いても知らないよ?」

「……ふ、ふふふふふ♪」

「あは、あははははは♪」

「もう勝手にしろ、お前ら」

 

この有様だ。

 

告白されたのは自分なのに、いつの間にか蚊帳の外に置かれている現状はもう諦めた。

さっきから散々「人の話を聞け」と言っているのに、二人揃って全く聞きやしない。

『聞かれても答えてやるもんか』と若干拗ねても許されるだろう。

 

「先輩、やはり見間違いではありません! 香織さんの背後に刀を構えた般若が!?」

(プルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプルプル)

「ちっこい嬢ちゃんの方は暗雲と雷を背負った龍か……派手だねぇ。俺の見間違いか?」

「……正常だろ? 私にも見えている、頑張りたまえ少年。私は応援している、応援“だけ”している」

 

 

 

ちなみにその後、ようやく立香たち男性陣の紹介や今日ここに至るまでの互いの情報交換が行われた。

一瞬帰れる可能性に期待したハジメだったが、現状不可能なことを知り落胆。

とはいえ、すっぱりと気持ちを切り替え……たのだが、物はついでとばかりに香織が強烈なプッシュを慣行。結果、ハジメは「白崎」から「香織」に呼び方を改められ、なんだかんだで他の面々も名前呼びで統一された。

サーヴァントのことには大分驚いたようだが、そこはサブカルチャーの申し子(オタク)のハジメ、さっさと状況を受けれてしまったのは流石の一言だろう。

 

また、ハジメの現状を確認する中でこんな話が出たりもした。

 

「しかし、話を聞く限りまるで混沌だな。自我の方は問題ないのかね?」

「ああ、特には……ってなんだ、その混沌ってのは?」

「詳細は省くが、君のように様々な生命を内に取り込んだ術者のことだ。その結果、元の人格は薄れていったと聞いているが…その心配は今のところ杞憂なようだな」

「…………一応気を付ける」

「そうしたまえ」

 

他にも……

 

「聖杯?」

「うん。一応探してるんだけど、ちっとも見つからなくてさ。何か心当たりない?」

「つってもなぁ……強いて言えばこれくらいか?」

 

そういってハジメが取り出したのは、バスケットボールぐらいの大きさの青白く発光する鉱石。

神秘的で美しい石だ。アクアマリンの青をもっと濃くして発光させた感じが一番しっくりくる表現だろう。

 

「キレイ……ハジメ君、これって?」

「こいつから滴る水には回復効果がある。俺がここまでこれたのも、そもそも魔物の肉を食って生きていたのもこいつのおかげだ」

「へぇ~……つまり、生命の恩人ならぬ生命の恩石だね」

「そうなるな……って拝むな拝むな」

「えへへ……あれ? みんなどうしたの?」

「そ」

「そ?」

「「「「それだぁ~~~~~~~~~~~~~っ!?」」」」

 

どうもエミヤが調べた限り、この石の魔力容量は“聖杯”と呼ぶにふさわしいレベルらしい。

 

立香たちは知らないことだが、実はこの石は【神結晶】と呼ばれる歴史上でも最大級の秘宝で、既に遺失物と認識されている伝説の鉱物だったりする。

神結晶は、大地に流れる魔力が、千年という長い時をかけて偶然できた魔力溜りにより、その魔力そのものが結晶化したもの。結晶化した後、更に数百年もの時間をかけて内包する魔力が飽和状態になると、液体となって溢れ出す。その液体を【神水】と呼び、これを飲んだ者はどんな怪我も病も治るという。

欠損部位を再生するような力はないが、飲み続ける限り寿命が尽きないと言われており、そのため不死の霊薬とも言われている。ハジメが生命を繋いだのもこの力があったからだ。

 

「ん? でも、聖杯ではない?」

「ああ、少なくとも願望機としての機能はないようだ。とはいえ、下地となる魔力容量は膨大。優れた術者なら願望機として作り替えることもできるだろう。言うなれば、聖杯の原石だな。

 まぁ、実際に願望機として使うには魔力を満たし、“願いを叶える”という機能を付ける必要があるだろうが」

「へぇ~」

「ですが、ハジメさんがこれを確保していてくださり助かりました。上手く使えば、あるいは元の世界に帰る一助になるかもしれません」

 

なんてことがあった。

そして現在、一同が何をしているかというと……とりあえず、休息をとるには全く向かない階層を抜けて一つ下へ。周辺の魔物を適当に掃討し、安全を確保したら一休み。

今はシェフ(エミヤ)の指示の下、助手のマシュと香織が手伝いながら夕餉の準備中。

ただし、そこからやや離れたところでは、ハジメが倒した魔物をこんがり焼いて野生児的にモグモグしていた。

 

「…………美味しいの?」

「いや、不味い。だが、ステータスは上がるし固有魔法は手に入るしで食わない理由がねぇ」

「ハジメ君も魔力操作できるんだよね」

「ああ。あの妙にエプロンの似合う白髪の話だと、魔物の魔力が閉じてた経路を無理矢理開いたみてぇだな。香織とはやり方が違うが、結果的には似たようなものらしい」

「なら、俺たちなら食べても大丈夫ってことかな?」

「試してみるか?」

「身体の構造から替わってるんだよね……痛かった?」

「発狂するかと思うくらいにはな」

「………………………………………やめとく」

「ま、賢明だな。俺だって好きで食ってるわけじゃねぇ」

 

いくら毒への耐性があり、既に魔術回路を開いているとはいえ、試してみたいとは思わない。

身体を作り替えるのもそれに伴うすさまじい痛みもご免だ。

元々直接戦闘には向かないので、固有魔法やステータスの向上にも興味はない。

ハジメの場合は上手くハマったようだが、立香が得ても宝の持ち腐れだろう。

 

「…………何をやっているのかね、君達は」

「あ、エミヤ。いや、魔物肉の感想をちょっと……」

「……あんだよ」

「不味いと聞こえたが?」

「まぁ、不味いな。固いわ臭いわで、正直食えたもんじゃねぇ」

「…………………………………………………………………貸せ」

「あっ!? てめっ、何しやがる!」

「少し待っていろ」

 

まだ捌いていない魔物を一頭丸々持ち去っていくエミヤ。

しばらくすると、なんとも言えない香ばしい匂いが立ち込めてきた。

脳内の食欲を司る部位をダイレクトに刺激する匂いに、ハジメの腹が「グ~ッ」となる。

 

久方ぶりのまともな、そして文明的な食事だ。腹の虫も元気になろうというもの。

しかし、香織たちの調理が終わるより前に、エミヤは一枚のステーキを持ってきた。

 

「? まだ準備は終わってねぇんだろ?」

「食え」

「は?」

「良いから食え。まずはそれからだ」

「…………」

 

訝しみながらも、「ジュウジュウ」と肉が焼ける音が滑り込んでくる。

焼き色、香り、全てが食欲のスイッチを連打していた。

もう、とてもではないが辛抱できない。そして、意を決して一口頬張ると……

 

「ウメェ―――――――――――――――――――――――――――ッ!!!!!!」

 

と絶叫。あとはもう滂沱の涙を流しながら一心不乱に齧り付く。

気付けば、500グラムは下らなかったであろう肉がものの3分で消えていた。

 

「旨かったか?」

「………………………悔しいが、超旨かった」

「エミヤはカルデアの食を預かってるからねぇ」

「……アンタいったい何の英雄だよ」

「それは置いておけ」

「で、今の何の肉だ?」

「先ほど持って行った亀の肉だが」

「やっぱりか…………つーか、どうやったんだ? 俺も同じ魔物は食ったが、全然味も歯応えも違うし、臭みもなかったぞ」

「たわけ、血抜きもしないで旨いわけあるか。料理は下拵えが肝心、それさえしっかりしておけば余程の大失敗でもしない限り不味くはならん」

「マジか……いや、確かに碌に血抜きも下処理もしなかったけどよ。やり方知らねぇし」

「もう一皿あるが……」

「くれ! あるだけ全部!」

「はぁ…………待っていろ」

 

目を爛々と輝かせるその姿は、奈落の魔物と渡り合い、倒して喰らうバケモノからはかけ離れている。

むしろ、幼い腹ペコ少年のようだ。

 

そんなハジメの様子を微笑ましそうにチラチラ見守りつつ、「さすがです!」とエミヤの手腕に感銘を受けていた香織だったが……同時にこうも思う。

 

(もしかして、一番のライバルは先生!?)

 

性別を超越した、その圧倒的女子力に戦慄を隠せない。

とはいえ、それならそれでやることは一つ。

 

「……あの、先生?」

「なんだね」

「今度、魔物の美味しい料理の仕方、教えてくれませんか?」

「………………………………………なら、まずは捌き方からだな。血抜きに始まり、筋や臭みの処理……覚えることは多いぞ」

「はい!」

「ぬぬぬ……」

「どうかしましたか、ユエさん?」

「……私も憶えた方が良いかな?」

 

着々と戦力(女子力)を整え外堀を埋めにかかる恋敵に、チート吸血姫のユエも対抗心を燃やすのだった。

まぁ、女子力という意味ではすでに大幅に後れを取っているのだが。

 

そんなこんなで、再会と合流を果たした一行はさらに下へ下へと進んでいく。

ハジメを探すという目的は達成し、聖杯らしきものも見つかった。

なら後は、最深部を目指すのみ。

 

当然攻略のペースは劇的に向上し、まもなく第100層へと到達する。

 




ハジメさんの胃袋は見事に鷲摑み…ただしエミヤに、良いのかそれで?

それはともかく、なんとか合流するところまで来ました。
ハジメ的には香織もユエも特別な存在ですが、それでも一番をはっきりさせる責任はあると思っています。なので、実はすでに一応の順位はあるのですが……二人とも話を聞かないで勝手に戦ってしまうので、ハジメさんは拗ねておられます。いつかそれを告げる日は来るのだろうか?

ちなみに、現在のハジメのステータスだと基本的にはエミヤたちには及びません。ただ、例えば腕相撲とかするとエミヤだと苦労します。この先もステータスが上がり続けるので、最終的には…すごい事になりますねぇ。


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010

とりあえず、これにて第一章は完結です。
最後駆け足になりましたが、まぁ別にいいよね?


「……………………………………」

 

誰かの声が聞こえる。

遠いような、近いような。優しく、温かな、心を包み込んでくるような甘い声。

 

「……メ、……………メ…………」

 

身体を包む柔らかな感触と相まって、浮上しかけた意識がまたも沈みこみそうなる。

 

「………メ…き…。…ジメ……?」

 

意識を引っ張り上げようと、なけなしの理性が奮闘する。

そこで、右手首から先にそれまでとは違う温もりが生じた。

 

「……?」

 

温もりはゆっくりとスライドしていき、手首から肘へ進むと戻っていき掌へ、そしてまた進むを繰り返す。

 

「……んん! ハ…メ……し………!」

 

目を開けるのも億劫なので、掌まで来たところで手をムニムニ動かす。

弾力があるスベスベの何かは、手の動きに合わせてぷにぷにとした感触を伝えてくる。何だかクセになりそうな感触。つい夢中になって触っていると、なんだか右腕が汗とは違う何かでしっとりしてくる。

 

「あ、ぅん……。ハジ…激…い……!」

 

何やら艶かしい喘ぎ声。しかも、手を動かせば動かすほどに息遣いは荒く、艶を帯びていく。

猛烈に嫌な予感。微睡んでいたハジメの意識が一気に覚醒する。

 

慌てて体を起こす。

まず目に飛び込んできたのは、そろそろ見慣れてきた純白のシーツに豪奢な天蓋付きの高級感溢れるベッド。

続いて、太い柱と薄いカーテンに囲まれたパルテノン神殿を彷彿とさせる部屋。

 

ただ、そんなもの今はどうでもいい。

問題の右腕へと視線を移せば、そこには……

 

「…………………………………またか、ユエ」

「……んぁ………ぁう……。ハジメ、おはよう」

 

大きめのカッターシャツ一枚を羽織っただけのユエがハジメの右手に跨り、ゆっくり前後にスライドしていた。……“何を”とは言わない。

ちなみに、挨拶している間も前後運動は止まらない。

ついでに、なぜかはじめも上半身裸だった。昨夜は間違いなく上下ともに着て眠ったはずなのだが……。

 

「ああ、おはよう。で、なにしてる?」

「……………………マッサージ?」

「誰の……いや、どこのマッサージだよ、それ」

「やん……ハジメのエッチ」

「人の腕に“ピーッ”擦り付けてる奴が何言ってやがる! この天然エロ吸血姫!!」

 

振り払おうとするが、ユエの細腕からは考えられない力でしがみ付かれてしまい、全く振りほどけない。

 

「くっ……どこから出てんだよ、その力」

「……愛のなせる業」

「さいですか……」

「……ん。さぁ、ハジメ」

「あ? おい、何シャツ脱いでんだよ……」

「朝ごはんは私。た・べ・て?」

「……いくら俺でもお前を食う気はないぞ」

「ここで誤魔化すのは男らしくない」

「ぐっ……」

 

据え膳食わぬはなんとやらではないが、確かにその通りだった。

ここではぐらかして逃げれば、“ヘタレ”の称号を甘んじて受け入れねばなるまい。

 

「今なら邪魔は入らない。さぁ、め・し・あ・が・れ♪」

(ぐぅ、落ち着け俺。いくら年上といえど、見た目はちみっこ。動揺するなどありえない! 俺は断じてロリコンではない! え~っと、色即是空 空即是色……続きはなんだ!?)

 

生理現象で朝から元気な息子と本能を鎮めようと、よく知りもしないお経を唱えようとして早々に挫折する。

とはいえ、そう簡単に煩悩に屈するわけにはいかない。ここが変態紳士か否かの瀬戸際なのだ。

 

しかし、外見がちっこくてもそこは年上。大半の時間を封じられていたとはいえ、その前だけでもハジメより長く生きている。加えて、ユエは元とはいえ吸血鬼族の王族。王族最大の責務の一つは子孫を残すこと。そのための手練手管は当たり前のように仕込まれているし、相手を“その気”させる手法も当然含まれる。

 

要は何が言いたいかというと……童○少年を篭絡するくらい、何とでもなるのである。

 

「ふふっ……ハジメ?」

「……ユエ、落ち着け」

「大丈夫。お姉さんが、リードしてあ・げ・る」

 

幼さを残す少女の容姿に、大人の艶めかしさ。

小さいながらも確かな柔らかさを備えた肢体を密着させ、耳元にフッと息を吹きかけられる。

甘い香りが鼻腔をくすぐり、金紗のような髪が風に踊っている。

段々と頭に靄がかかり、抗う気力が失われていく。

 

(俺、よく頑張ったよな? 今日まで散々誘惑されて耐えて来たんだし……もういっか)

 

理性の鎖が千切れ、内なる獣が解き放たれる。

ユエの折れてしまいそうなほど細い体を力いっぱい抱きしめ、首筋にキスを……しようとしたところで部屋の扉が爆ぜた。

 

「ちっ、もう来た……」

「ユ~~~エ~~~~~~~~~~~~ッ!!!」

 

扉は木っ端みじんに砕け散り、その向こうには思い切り後ろ廻し蹴りを振り抜いた香織の姿。

いまは戦闘服でもあるゆったりした法衣ではなく、どこから用意したのかカジュアルな服装にエプロン姿。

正直、ハジメ的にもグッとくるものがある。

ただ、露わになった美脚と短いスカートの向こうの純白まで見えてしまっているが…本人はそれどころではないらしい。

 

「ご飯作ってる間に何しようとしてるの!!」

「なにって……ナニ?」

「な、ななななななななっ!」

「ふっ、この程度で赤くなるおこちゃまに用はない。今は大人の時間。

でも、それはそれとして美味しいご飯をいつもありがとう。ハジメも初めてだし、冷める前に終わらせる。あとで美味しくいただきます」

「させない! ハジメ君の貞操は私が守るんだから!!」

(あ、危なかった……)

 

香織の乱入がなければ、危うく一線を踏み越えてしまうところだった。

いや、ユエとそういう関係になるのが嫌なわけでは全くないし、ハジメも健全な青少年。そういったことへの興味関心は当然ある。「やりたいか、やりたくないか」と聞かれれば、「ヤりたい」と即答するくらいには。

 

ただまぁ、ユエと香織、系統こそ異なれどこの上ない美少女二人からありったけの好意を向けられている状況には思うところもある。

 

(いや、嬉しいんだけどな。ただ、人として最低だよなぁ……)

 

ハーレムや二股にロマンというか憧れを感じないでもないが、同時にそれが最低な行為だという自覚はある。

日本で生まれ育った中で培った、倫理観や道徳観念も完全には失われていないのでなおさらだ。

なので、二人とも大切に思ってはいるが、あくまでも「特別は一人」と伝えようとした。

それこそが、ハジメなりの責任の取り方だと思ったから。

 

だがその際、例によって例の如くユエが香織を挑発し、香織がヒートアップ。

プロレスで言うところの「手四つ」状態になり、熾烈な力比べがはじまった。

ちなみに、いくら魔力操作ができるようなったからと言って、香織ではユエと力比べをしても勝ち目はない。にもかかわらず拮抗しているのは、なんだかんだでこのやり取りを楽しんでいるユエが合わせているからだ。

王族だった彼女にとって、こうして遠慮なくぶつかってきてくれる相手は貴重なのだろう。

まぁ、それはともかく……

 

「ふっ……小さい女」

「な、どういう意味!?」

「香織は私がハジメと関係を持つのが許せない?」

「あ、当たり前でしょ! ハジメ君は、わ、私のハジメ君なんだから!」

「だから器が小さい」

「にゃっ!?」

「私はハジメが他に女を囲っても問題はない。もちろん、ハジメが望むなら香織も受け入れる。

 むしろ、ハジメを想ってここまで追いかけてきた香織のことは認めてるし、歓迎する。

 私には必要ないけど、香織の回復魔法はハジメの大きな助けになる。女としても、仲間としても信頼してる」

 

珍しく口数が多い。ついでに、若干頬が赤くなっている。

それが何よりも如実に、ユエの香織への信頼と好意を表していた。

釣られて、香織もなんだか照れ臭そうにしている。

 

「え? あ、ありがと……でも、それじゃなんでこんなことしてるの?」

「大事なのは私がハジメの一番“特別”であること。そこは譲らない。

 でも、それ以外は許す。香織とは器が違う」

「ぬぬぬぬぬ……」

「でも、それは仕方ない事。私は王族、香織は庶民。王と民では考え方が違う…………ふっ」

 

実に、勝ち誇った笑みだった。

まぁ、確かに王族にとって最大の責務の一つは子孫を残すことだ。

ユエの時代でも今のトータスでも、王族の重婚や貴族が妾を持つことは一般常識である。

 

なので、ユエとしては自分がハジメの“特別”でさえあれば、香織の存在は問題ではないらしい。

それどころか、香織の想いも行動力も認めているし、好感すら抱いている。

迷宮攻略の中で実力は認めているし、気心も知れている。頻繁に喧嘩してはいるが、最早コミュニケーションの一環、一種のじゃれ合いのようなものだ。喧嘩するほどなんとやらという奴である。

それに香織が“二番”なら、仮に今後増えたとしても協力して上手くやれるという打算もある。

そういった諸々もあって、ユエは香織がハジメと関係を持つことには反対していない。

 

「私は受け入れられる、香織は受け入れられない。これが器の差。王者と庶民の格の違い。

 でも嘆くことはない。人それぞれ分というものがある」

「ぬぅ~~~~~~~っ」

「ただ…………憐れ。可哀そうな香織」

「ぬぁ~~っ! 可哀そうじゃないもん! わ、私だってそれくらい受け入れられるもん! ハジメ君とユエが…その……アレコレしたって大丈夫だもん!」

「なら問題ない。それじゃハジメ、早速……」

「させないんだから――――――――っ!」

「おい、いい加減俺の意見聞けよ」

 

さっきからずっとハジメも意見を言おうとしていたのだが、いつもの調子でスルー。

結局香織もユエに流される形で三人で関係を持つ形を受け入れてしまった。

まぁ、後で冷静になって「あれ? なんでこんな事になったんだっけ?」と首を傾げたりはしたが、後の祭りである。

 

一応ハジメも折に触れて自分の考えを伝えようとしているのだが、二人揃って全く聞きやしない。

“聞きたくない”とかそういうのではなく、そもそも“聞こえていない”のである。

ハジメがその話題を振ると、早々に二人の間で喧嘩が勃発。勝手に盛り上がり、あっという間にハジメは蚊帳の外……その繰り返しだった。

一度や二度ならハジメも次の機会を待とうとするが、通算30回を超えたあたりで諦めた。ついでに拗ねた。

後から二人が当初の話題を思い出して聞きに来たりもしたが……

 

「教えてやらねぇ」

「今際の際にでも教えてやるよ」

 

と、頑として口を割らない。

なのでいつの間にか、ユエは「私がハジメの本妻」と主張し、香織が「私がハジメ君の正さ…恋人だもん」と主張し、ハジメが「はいはい、そうですねぇ」と適当に流すのがいつものパターンになっていた。

 

そして、今日も今日とて二人の“一番争い”は当のハジメをほっぽり出して進んでいく。

 

そんなお隣さんのいつも通りな様子に、立香とマシュは並んで昼食を食べながら一言。

 

「今日も元気だなぁ」

「そうですねぇ……あ、先輩お茶は如何ですか?」

「あぁ、ありがとう」

 

痴話喧嘩の絶えないハジメたちと、縁側が似合う感じで落ち着いている立香たち。

大迷宮の中とは思えない緩みっぷりだが、さもありなん。

つい先日、彼らはついにオルクス大迷宮の完全攻略を果たしたのだ。

今まで張りつめていた分、気を緩めても許されるだろう。

 

「ったく、アイツら……ちったぁ人の話聞けっての」

「やぁ、ハジメ。おはよう」

「おはようございます、ハジメさん」

(新婚通り越して熟年夫婦みたいになってないか、こいつら?)

 

言うと二人とも顔を真っ赤にして照れるので、敢えて何も言わない。見てると砂糖を吐きたくなるのだ。

なので、実際に口から出たのは別の言葉。

 

「おう、おはよう。いつも早いな」

「いや、一応もう昼時だからな?」

「昨夜も遅くまでアーティファクトの開発ですか?」

「まぁな。色々試したいこともあるしよ……赤いのが横から口出ししてくるのがうぜぇけど。どこまでオカンなんだ、アイツ」

「エミヤのアレは筋金入りだからなぁ」

 

合流して間もないうちは「くん」付けだったのだが、同性で年も近いということもあり、立香もすっかり口調が砕けている。

 

「あ、そういえばハジメさん。ダ・ヴィンチちゃんから設計図の添削データが届いてますよ」

「おっ、流石に早いな。わかった、飯食ったら見る」

「では、お食事にしますか?」

「ああ……いや、アイツらが来るのを待つわ。香織も、どうせまだ食べてないんだろうし、先に風呂に入ってくる」

「二人が喧嘩してる間じゃないと、おちおち風呂も入れないからなぁ」

「ああ。油断してると襲われる……香織もユエに触発されて、最近タガが外れてきてるからなぁ」

 

遠からず、初体験どころか3Pする羽目になるのではと、割と恐々としている。

まだ、流石にそこまで割り切ることはできないのだ。

 

「頑張れ、超頑張れ。俺も経験がある」

「清姫に源頼光、静謐のハサン? だっけか。お前も大変だな」

「はい、先輩の『寝床に勝手に潜り込んでくるトリオ』でしたから」

 

カルデアでは割と似たような境遇だったこともあり、立香の励ましの言葉は切実だ。

まぁ、話が通じる分ユエたちなど可愛いものだ。

正直、立香のことを知っているおかげで「俺はまだマシだな」と思えている。

 

「……何なら相談してみる?」

「英雄色を好むっていうだろ。あいつらの恋愛観だとか結婚観だとかなんて参考にならねぇだろ」

「確かに、ケルトは自由だからなぁ……」

「……エミヤ先輩もさらっと『可愛い子なら誰でも好き』という人ですから」

 

赤と青、両者への尊敬の念とか信頼とかが大暴落しそうだ。この話題をこれ以上進めてはいけない。

 

「ところで、今はなに創ってるんだっけ?」

「この前は確か、魔力を動力にする二輪車でしたよね?

 これで大体準備する物はできたというお話でしたが……」

「ああ、今は四輪車をな」

「へぇ~」

「へぇ~…って、一応お前ら用だぞ」

「あ、そうなの?」

「俺らは二輪にサイドカーで十分だからな」

「あ、そっか。ごめん、助かる」

「お互い様だよ。まさかあのレオナルド・ダ・ヴィンチにアドバイスを貰えるとは思わなかった。さすがあの時代に航空機の設計図なんてもんを作った天才……俺とは発想力が違う。おかげで、変換効率が四割上がった。

それにニコラ・テスラもそうだが、トーマス・エジソンは流石だな。ダ・ヴィンチの発想を使いやすい形に再構築してくれた。正直、あのままだとワンオフ品になりそうだったからなぁ。

折角だし、出来れば飛空艇とかも作りたいんだが……」

「そんなものまで作れるの?」

「いや、多分無理だ。魔力を動力にするだけじゃ足りない。その辺りは今後に期待だな」

 

今彼らがいるのはオルクス大迷宮最深部、最後の関門を超えた先にある反逆者、あるいは解放者の間。

最後の扉を抜けた先には広大な空間が広がり、住み心地の良さそうな住居やある種のビオトープのような施設が整えられていた。天井には疑似的な太陽があり、時間帯によって月のようになるので時間感覚が狂う事もない。

一面が滝になり、流れ落ちた水が川となって奥の洞窟へと消えていく。水中には魚も泳いでいた。

加えて緑も豊かで畑もあり、この中だけで全てが完結している。

住居には炊事場から風呂まで完備され、書斎に工房らしきものまであった。まさに至れり尽くせりである。

 

「にしても、よくこんな地の底に通信が届くな」

「まぁ、別に電波で通信してるわけじゃないし。ここが超一級の霊地だからだよ」

「サーヴァントも召喚できる、だったか?」

「うん。ここでなら七騎召喚することもできるって。まぁ、その前にエミヤたちは一度送還しなきゃいけないけど」

「なら、そいつは作業が終わってからにしてくれ。小言はうざいが、まだアイツから教わることはある。

 ダ・ヴィンチたちが発明家、あるいは技術者ならあいつは職人だな。あいつの魔術のイメージ法は錬成にも応用できる。結構消耗するが、ネジやバネみたいな細かい部品の精度はずいぶん上がった。

 それに、香織が八重樫の心配をしててなぁ。俺も前は結構世話になったし、なんか用意するかと思ってよ」

 

劇的な変心を遂げてしまったハジメだが、ユエと香織のおかげもあって最近はだいぶ柔らかくなった。

『香織の親友』だからではあるとはいえ、他者に配慮できる余裕ができたのがその証左だろう。

 

「ああ、雫さんは剣士なんだっけ?」

「はい。そういえば以前、剣だとしっくりこないとこぼしていました」

「ああ、剣道なら一応ベースは刀だよね。村正ほどじゃないけど、エミヤもある意味専門家だからなぁ。

俺も渡したいものがあるし、一緒に届けるよ」

「できるのか?」

「当てはある。たぶんだけど」

「ま、それなら頼むわ」

「なら、まだ当分はエミヤに残ってもらわないといけないなぁ」

「香織さんも、まだ極意を教わっていないと仰っていましたから」

「エミヤも、レシピ集とか書き起こしてたっけ……」

(ゴクリッ)

(すっかり胃袋掴まれてる……)

「……余程香織さんが可愛いようですね」

「もう、半ば親の心境なんじゃない?」

 

憶えも良く熱心な生徒に、エミヤもだいぶ入れ込んでいるらしい。

 

「ああ、そういや頼まれてたもんの追加ができたぞ。そっちはどうだ、“生成魔法”の腕は上がったか?」

「微妙かな……俺には適性があんまりないみたいだ。昨日、ようやく1個目ができたとこ。一つ作るのに結構時間食うし、相手を選ぶからあんまり実用的じゃない」

「クラスカード、だったか?」

「はい。カルデアに召喚されたサーヴァント……といいますか、少々例外的な方が持っていたものを参考にしたものです」

「簡単に言うと、俺と契約してるサーヴァントと疑似契約する魔術礼装かな。サーヴァントそのものは召喚できないけど、繋がってる相手の宝具やスキル、ステータスなんかを部分的に降ろすことができる……はず」

「はず?」

「どうも、かなり相性の良い相手でないと作動しないようで……先輩の場合、特別相性の良い方はいないらしく……」

「自分じゃ使えない、と。結局お前がお荷物なのは変わんねぇんだな。

 鉄扇やら銃やらは一応改良したけど、くれぐれも前には出るなよ、弱いんだから」

「ハッキリ言ってくれるなぁ……」

 

事実なので否定できない。

迷宮攻略の報酬として与えられた“生成魔法”。

これは“魔法を鉱物に付加して、特殊な性質を持った鉱物を生成出来る魔法”であり、要は「アーティファクトを作る」魔法だ。

この世界では“神代魔法”の一つに数えられるものだが……立香たちには珍しくもない。彼らの魔術には、魔術礼装と呼ばれるこの世界で言うところのアーティファクトに相当する品がある。

 

とはいえ、全く同じものというわけでもないらしい。

おかげで、立香は自分から伸びる契約ラインをコピーし、ハジメがステータスプレートを参考に造ったカードへと接続することで、疑似的なクラスカードを製作することに成功した。

ただし、性能面ではオリジナルに到底及ばない。使うには接続先の英霊と余程相性が良くなければならず、使えたとしても霊基が不安定だった頃のマシュのように時間制限付き。加えて、使用後には小さくない反動がある。

それでも、せめて立香が自力で身を守れるくらいには……と思ったのが、結果はこの有様。

とりあえず、この世界の数少ない知り合い向けに相性が良さそうな英霊を見繕い、製作する方針だ。

そして、その記念すべき一つ目が先日ようやく完成したわけである。

正直、使い勝手が悪いわ時間かかるわで、あんまり役に立ちそうにないが……ないよりはマシだろう。

秘かに、これからも変わらず立香の盾になれることを、マシュが喜んでいるのは秘密である。

 

ちなみに、神代魔法の習得はマシュにも出来たがエミヤたちはできなかった。

このあたり、生者であるマシュとの違いなのだろうか。

あるいは、人間以上の存在である英霊には神代魔法を習得させる魔法が作用しないのかもしれない。

 

「それで、そろそろ今後の方針を決めようぜ。お前、これからどうするつもりだ?」

「……」

「先に俺の考えを言っておこうか? 俺は故郷に帰る。そのためには、大迷宮を攻略して神代魔法を手に入れるのが一番の近道だと思う。神代魔法の中に、元の世界に帰る魔法があるかもしれないからな」

「……確かに、エヒト神の気まぐれに縋るよりもその方が現実的でしょう」

 

オルクス大迷宮を攻略して分かったことがいくつかある。

そのうちの一つが、世界には七つの大迷宮があり、それらを攻略することで神代魔法を習得することができるという事。ハジメは、そこに故郷へ帰還する希望を見出していた。

生憎、大迷宮の全ての所在はわかっていないが、まずはわかっている所と目星がつけられるところからあたっていくつもりらしい。

ただ、分かったことはそれだけではない。

 

「解放者“オスカー・オルクス”の言う事が事実なら……俺はエヒト神…いや、エヒトを神と認めない」

「……」

「……」

「話したよな。カルデアには神霊系のサーヴァントもいる。神の血を受け継ぐ英霊もいる。人理修復の旅の中で、“原初の母”と対峙したこともあった。

 彼らの全てが人間に好意的なわけじゃないし、中には『人間の苦しみ』を善しとする神もいる。それどころか、ある人は『神々は人間を救わない』とも言っていた。

俺は、それを否定しない」

 

大迷宮を攻略してもう一つ分かったことがある。それは、この世界における神の真実。

神々は、人々を駒に遊戯のつもりで戦争を促していた。人間、亜人、魔人、三種族の対立の根幹は、神々の暇つぶしにあったのだ。

ここオルクス大迷宮を作った“オスカー・オルクス”は、そんな世界の真実を知り、これに打ち壊そうとした“解放者”という組織の中心人物であり、失われた神代魔法の一つ“生成魔法”の使い手だったらしい。

 

人理修復の旅を経て、異聞帯(ロストベルト)をも超えて様々なものを見て、聞いて、触れて、考え続けてきた。いまだに答えは出ない。何に対して答えを出すべきかも定まらない。

だがそれでも、一つだけはっきりと言えることがある。

 

ソレ(エヒト)は神ではない。

 

「どんな形であれ、どんな感情を抱いていたにせよ、彼らは人間を人間という“一つの種”として見ていた。

 だけどエヒトは違う。アレは人間を見ていない。人間ではなく“ 駒”、“玩具”として見ている。

 そんなものを、俺は神とは認めない。どんなに理不尽でも、どれだけ身勝手でも、どうしようもなく理解不能でも、それでも神は神として、人間という存在に対して何かを為している。

 それは“加護”かもしれないし、“神罰”かもしれない。あるいは“拒絶”や“否定”だったり色々だ。

 でも、エヒトはそれすらしていない。そんなものは……断じて神じゃない」

「つまり、解放者の遺志を継いで神を斃す、か? だとしたら、俺たちの道はここまでだ。お前には感謝している。お前なりの理由があったにせよ、俺をもう一度香織と合わせてくれた。それに関しては、どれだけ言葉を並べても足りないくらいに感謝している。だから、今俺にできる限りのことはする。ただし、そこまでだ」

「…………」

「もしお前が俺にも協力しろというのなら、断る。俺がこの世界に対して何かしてやる義理はないし、そのつもりもない。別に復讐なんぞする気はないが、それはこの世界の全てが俺にとってどうでも良いからだ。俺の邪魔をするのなら、お前たちだろうと敵と見做す」

「わかってる。俺も、お前にそれを強制するつもりも、望むつもりもない」

「お前たちだけで斃すのか? ま、頑張れ。応援くらいはしてやるさ」

 

それだけ言って、ハジメは席を立とうとする。まるで、これで話は終わりだという様に。

しかし、立香の話はまだ終わっていなかった。

 

「いや、俺たちだけで斃すのは無理だ」

「あん?」

「というか、その辺に関しては成り行きに任せるつもりだしな。

 解放者の言っていることがどこまで信じられるかもわからないし、そもそも『認められない』と『斃す』はイコールじゃないだろ?」

「確かにな。……それなら、これからどうするつもりなんだ?」

「お前と同じさ。解放者たちの足跡を追えばもっとヒントがあるかもしれない。とりあえずはそれを探すところからだよ。

 なにはともあれ、まずは当初の目的……マシュたちが帰れるように、が最優先かな。そこは目的が合致するだろ? そこから先、あるいはそれ以外はその時次第だよ」

「はい。私も、まずは皆さんと帰る方法の模索が最重要だと思います。

 エヒトのことは……正直判断しかねますが、今は今できることをしましょう」

 

エヒトを否定する様子から少し不安もあったのだが、どうやら杞憂だったようだ。

いや、元々彼らはそうそう突飛な行動をする人間ではない。どちらかと言えば、今言った通りできることを一つずつやっていく堅実なタイプだ。

そのことは、解放者の間にたどり着いてから聞いた、立香たちの道程からもわかることだというのに。

 

(俺も、思いのほか冷静じゃなかったのかもな)

「どうかしたか?」

「いや、とりあえず言いたいことはわかった。つまり、当面の方針は同じってことで良いんだな」

「まぁ、そういうこと」

「一緒に来るつもりか?」

「当面の方針が同じとはいえ、どこで意見がぶつかることになるかわからないし、別行動が良いだろ。大迷宮の目星もある程度ついているとはいえ、とにかく範囲が広い。

 せっかくだから、二手に分かれていこう」

「ま、その方が効率的だな。俺も、一々行動方針をぶつけるのはメンドクサイ」

 

なにしろ、ほぼ確実にあると分かっている「ハルツィナ樹海」と「グリューエン大火山」でもかなりの距離がある上、候補に挙がっている「ライセン大峡谷」と「シュネー雪原の氷雪洞窟」も具体的な場所の目星はついていない。さらに、まだ目星すらついていない大迷宮も二つある。

ハッキリ言って範囲が広すぎるので、確かに二手に分かれた方が効率的だ。

 

「どの方面から攻める?」

「俺たちはグリューエン大火山を経由してシュネー雪原へ向かう。ハジメたちはハルツィナ樹海とライセン大峡谷を頼む」

「一応聞くが、理由は?」

「火山も雪原も慣れてるし、魔術なら結構レジストできる。逆に魔力が拡散するライセン大峡谷はサーヴァントには相性が悪い。俺も、ただでさえ足手纏いなのにこれ以上はなぁ……」

「……そうだな。香織とユエもヤバいが、お前よりはマシだ。香織も接触すれば回復魔法に問題はないだろうし、ユエなら上手くやるだろう」

「問題ないか?」

「ああ、それでいこう。とはいえ、そうなると通信手段がいるな。リアルタイムとはいかなくても、それなりに情報共有できた方が都合が良い」

「頼めるか?」

「任せろ。開発と製造は俺がやる代わりに、そっちは技術提供と助言頼むぞ」

「俺がやるわけじゃないけどな」

 

世界を超えて通信を繋げることのできるカルデアの技術力と、契約しているサーヴァントの協力があれば難しい事ではないだろう

その後もいくつかの点を確認し合い、エミヤたちの送還及び新たなサーヴァントの召還のタイミングや出発までのスケジュールなどを詰めていく。

 

「っと、すっかり話し込んじまったな。あいつらも満足しただろうし、とりあえずメシ食ってくる」

「ああ、ごゆっくり」

 

そして、なんやかんやと時間は過ぎていく。

なにしろ、やることはいくらでもあった。

 

オスカーの住居を調査し、残された情報や使えそうな資材の回収。

香織と対抗心を燃やしたユエへの、エミヤによる料理をはじめとした家事の指導。

カルデアと連絡を取り合いながら、今後の動き方の確認やハジメへの技術協力。

オルクス大迷宮を出た後は別行動という事もあり、エミヤとクー・フーリンによる戦闘訓練などもあった。

 

そうして、諸々の準備がようやく整おうかという日。

 

「レディ……ファイッ!」

 

立香の声を合図に、男二人ががっちり手を握り合い、頑丈な金属製のテーブルに肘をついて汗水たらして力比べを始める。

力は拮抗し、どちらも一歩も譲らない。

しかしその均衡も長くは続かず、徐々に形勢が傾き始める。

 

「おっ! やるじゃねぇか!」

「ぐぉぉぉぉぉぉぉぉ…ったりめぇだ……おらぁっ!」

 

最後のダメ押しとばかりに力を乗せ、青髪の男の手の甲がテーブルに着く。

 

「……ん。ハジメの勝ち」

「やったぁ! やったね、ハジメ君!!」

「あ~、負けちまったか。やるじゃねぇの、坊主」

「ほう。ついにクー・フーリンにも勝ったか。まったく、ここまでくると人間とは思えんな」

「ゼェゼェ……いよっしゃぁ!!」

 

これまで負けっぱなしだった分、喜びも一入なのだろう。

汗だくのまま天高く拳を突き上げ、勝利の雄叫びを上げるハジメ。

かつてのオタク少年はどこへやら、すっかり男臭くなったことだ。

 

「ですが、まさか本当にクー・フーリンさんに勝ってしまうとは。驚きです」

「もしかして、手加減した?」

「さぁ~ねぇ~……」

「とりあえず、彼の腕力はサーヴァント換算でCないしBランク相当と言えるだろう。

まさにバケモノだな」

「恐るべし、魔物肉。もうこれ、新機軸のトレーニング法と言えるんじゃない?」

「命懸けになるので、普及はしないと思いますが……」

「やっぱ最後のヒュドラとケルベロス、それに阿修羅が効いたな。

さすが大迷宮のラスボス。手古摺った甲斐はあったぜ」

 

そう、今日この日までハジメはせっせと大迷宮最深部で待ち受けていた魔物たちをモグモグしていたのだ。

実際に戦った時は「ラスボスは一体が王道だろ!!」と文句を言っていたものの、今となってはそれも良い思い出だ。

 

まぁ、実際に倒したのはヒュドラだけで、残る二体はエミヤとクー・フーリンが倒したのだが。

とはいえ、ヒュドラ一体でも十分すぎるくらいに難敵だった。ヒュドラにはハジメとユエ、それに香織の三人で当たったのだが、誰か一人でも欠けていれば勝てなかったかもしれない。少なくとも、相応の負傷は覚悟しなければならなかっただろう。

 

「でも、あの時は本当に危なかったよね」

「……ん。いきなり結界で分断された時はどうしようかと思った」

「……はい。私と先輩、エミヤ先輩とクー・フーリンさん、それにハジメさんとユエさんと香織さん。チームが偏り過ぎでしたから」

「マシュ、改めてありがとう。傍にいたのがマシュじゃなかったら俺死んでた、間違いなく死んでた」

「い、いえ! 先輩の正サーヴァントとして当然のことですから……」

 

何しろ、エミヤやクー・フーリンならともかく、他の三人だったら守り切れずに死んでいた可能性が極大だ。

立香がマシュの手を握り、あらためて感謝するのも当然だろう。

 

恐らく、三体現れたのはこちらの人数ないし戦力を考慮しての対応と思われる。

マシュはとにかく立香を守るために専守防衛、その間にエミヤが結界を自身の宝具で塗り潰して救援に向かい、逆ハリネズミにして阿修羅を仕留めた。マシュがしっかり立香を守り切ったからこそだろう。

クー・フーリンは危なげなくケルベロスを翻弄し、最後は今まで出番のなかった愛槍の本領で心臓を貫いて見せた。

ハジメたちは、チームがある意味オーソドックスだったこともあり奇をてらったことはしていない。ハジメが前衛、ユエが後衛、香織がサポート。香織が回復以外にも防御や魔力操作の派生技能として現れた[+他者強化]を用いて支援し、何度かあった危ない場面を乗り切ることができた。

実際にはエミヤたちが助けに入ろうとしたのだが、ハジメたちにも意地がある。最後のケジメとして、自分たちの手でこの難関を乗り越えたかったのだ。さすがに本当に危なそうなら手を出しただろうが、ギリギリ手助けされることなく撃破。

自分たちの手でオルクス大迷宮を踏破したと胸を張れる成果を上げたのである。

 

余談だが、あの結界はかなり厄介な代物だった。

何しろ、ある種の空間遮断だったらしく、まともな方法では突破できない仕様なのである。

エミヤが宝具を使ったのも、それが理由だ。

 

ただ、同時にこれが帰還への手掛かりが存在する信憑性を高めもした。

空間関係の魔法は現在では失われていることから、神代魔法に含まれる可能性が高い。

転移以外の使い方もあることから、帰還の一助になる可能性は否定できない。

これもまた、ハジメが各大迷宮を巡ることを決めた理由だ。

 

まぁ、それはそれとして、ケルベロスをモグモグしていたハジメがある時クー・フーリンに一言。

 

「食うか?」

「…………お前、俺の誓約(ゲッシュ)のこと知ってて言ってんのか?」

「あぁ……アンタそういえば犬食えないんだっけか」

「ついでに、目下からの食事の誘いも断れないよ」

「改めて聞くと、最悪の組み合わせだろそれ。何考えて決めたんだよ」

「何も考えていなかったのだろ?」

「うるせぇよ」

「どういうこと?」

「クー・フーリンさんは太陽神の子であり王族でもありましたから」

「つまり、クー・フーリンより目上の人間の方が少ないんだ。誘いを断れば誓約(ゲッシュ)を破ってしまうし、犬を出されればこれまた誓約(ゲッシュ)を破ってしまう」

「……ん。確かに最悪」

 

なんてことがあった。

まぁ、そんな感じに色々な魔物をモグモグした結果、ハジメのステータスは晴れてサーヴァント(人外)の域に達したわけだ。まさに“奈落のバケモノ”である。

 

「ま、坊主も良い餞別になっただろ」

「……………その余裕なツラが気に食わねぇ」

「おいおい、これ以上引き延ばしてどうすんだよ。だいたい、もう食うもんがねぇだろ」

「ちっ……」

 

実際、これ以上食べる魔物もいないし、食べたところでステータスが上がるとも思えない。

最後の方など、いくら食べてもステータスが上がらなくなっていたのだから。

これ以上は、迷宮の外に出て新しい魔物を食べてみるしかないだろう。

まあ、大迷宮深層の魔物に勝る魔物がそういるとも思えないので、望みは薄いが。

 

「さて! とりあえず、これで準備は万端で良いかな?」

「まぁな。必要なアレコレは“宝物庫”に放り込んだし、アーティファクトをはじめ整えられる準備は整えた。

 義手の調子も上々。今の俺たちにこれ以上はない、そう断言できるくらいにはな」

「……ん。確かにこれ以上は蛇足」

 

オスカー・オルクスの住居でできる限りのことはした。

装備を整え、今できる限りの鍛錬を積んだ。

ならば、あとは迷宮の外に出て為すべきことを為すだけだ。

 

一点問題があるとすれば、鏡を見たハジメが危うく発狂するところだったことくらい。

白髪に義手、これで眼帯が加われば見事な厨二病患者の出来上がりだった。いや、既にかなり危ないラインに突入しているからこそ、膝を折ってしまったのだろうが。

ヒュドラ戦の際、香織の支援がなければ片眼位なくしていたかもしれないので、その日のハジメはいつになく香織にやさしかった。

 

「なら、あとはお前の準備だけだな」

「ああ。……二人とも、ここまでありがとう。みんなによろしく」

「ふむ。礼には及ばんよ、サーヴァントの責務を果たしただけだ」

「マスターもそうだが、坊主たちもしっかりやれよ」

「先生、今までありがとうございました!」

「……ん。いつも美味しいご飯ありがとう。これからは私たちがしっかりハジメを養う」

「いや、どういう意味だよそれ」

「ハジメさん。ご飯の時、とても目がキラキラしていましたから……」

(餌付けされてたとしか言いようがないよなぁ)

 

そうして、エミヤとクー・フーリンは送還された。

たった二人いなくなっただけなのに随分と寂しくなったように感じるのは、それだけ二人の存在が大きかったことの証だろう。

 

「……よかったの? 二人に家族への伝言とか頼まないで?」

「なに伝えろってんだよ。いや、伝えたいことがないわけじゃねぇが、どうやって信じてもらうんだよ」

「そう、だね。カルデアの人たちにこれ以上迷惑はかけられないから」

 

実際、オスカー・オルクスの住居に入ってすぐ、再度通信を取った時にそういった提案はあったのだ。

ただ、詳しい事情を説明できるわけもないので、結局伝言などは頼まないことにした。

代わりに、家族の近況だけは教えてもらったが……あまり心は軽くならなかった。

 

当然と言えば当然のことながら、ハジメたちが失踪してからは大騒ぎになったらしい。

現代の学校で起きたメアリー・セレスト号事件だと過剰なくらいメディアは加熱し、マスコミの動きにハジメたちの家族も晒されたようだ。警察の事情聴取などが行われるのは仕方ない事ではあるが、デリカシーの欠片もないマスコミのやり口は肉親たちからすれば追い打ちをかけられているに等しい。

カルデアからの情報提供はできないが、それでもフォローくらいはと、秘かにマスコミなどに圧力や工作が行われ、残された家族の身辺はとりあえず穏やかなようだ。

その点についてはハジメも香織も感謝し、少しだけ安心することができた。

 

「で、あいつらを還したら今度は新しい奴らを召喚するんだろ?」

「ああ、マシュ」

「はい、マスター。召喚陣を設置します」

「そういや、実際に見るのは初めてか」

「……ん。ちょっと楽しみ」

 

二度目の香織にはやや余裕があるが、初体験の二人は興味津々である。

だが、いざ召喚を始めようとしたところで、唐突に立香が詠唱を辞めてしまう。

 

「どうかしましたか、先輩?」

「いや、ただ……」

「ただ?」

「なんだか、清姫が待ち構えている気がして……明日じゃダメかな?」

 

特に理由のない悪寒が立香を襲う。

今召喚すると、すごく大変な事になる気がした。

マシュとしては立香が嫌なら日を改めるくらいは良いと思うのだが、外野が許してくれない。

 

「ダメだ」

「いや、でもさ……」

「俺は召喚を見届けたらすぐにでも出るつもりだ。だから今やれ」

「きょ、今日でも明日でも大して変わらないし……」

「それは召喚も同じだろ。待ち構えているなら、それこそ今日でも明日でも同じだ」

「確かに、正論ではあります」

「ハジメ君……」

「……ん。鬼畜なハジメ……でも好き」

「あぁっ!? ユエ、抜け駆け!」

 

その後、すったもんだの押し問答の末、一応借りがある身のハジメの方が折れる形で明日に変更になった。

しかし、密着したユエが小さく、誰にも聞こえない位の声でハジメに問う。

 

(香織にまだ教えてないけど、いいの?)

 

それは、ハジメが奈落に落ちた真相のこと。

香織はまだあれが魔法の誤爆だと思っているようだが、真実は違う。

あの時の魔法は意図的に誘導されたものだったし、その犯人もハジメは知っている。

 

ユエも犯人が誰かまでは教えられていないが、ハジメが故意に落とされたことは知っている。

同時に、ハジメがそのことを頑なに香織に教えようとしないことも。

 

ハジメはユエに視線を合わせると、微かに首を横に振る。

今までと同様、これからも話す気はないという意思表示だ。

この問答も一度や二度ではない。そして、ハジメの意思は全く揺らがない。

これは、香織は知らなくていい事だから。

 

きっと、犯人を知れば香織は怒り、檜山大介を許さないだろう。他ならぬ、ハジメのために。

だが、ハジメはそれを望まない。白崎香織の心を、恋のために奈落の底までハジメを追いかけてきてくれた優しい少女の心を、怒りや憎しみで汚すことを望まなかった。

なにより、どんな形であれ香織の心に自分以外の誰か、ましてやあんな小物が深く入り込むなど許せるはずがない。

 

(ま、くだらねぇ独占欲なんだけどな)

 

その自覚はある。それでも、ハジメはこのことを香織に伝えることはしないと決めていた。

ユエもまたそんなハジメの想いを汲み、口を閉ざす。彼女にとっても香織の存在は既に小さなものではないのだから。

 

とまぁ、ここで終わっていれば感動的なのだが……まだ続きがある。

ついに枯渇してしまった神結晶を活用した装飾品をユエと香織に渡したあたりから、雲行きが怪しくなってきたのだ。

帰還の際に使えるかもしれないので、神水を得られなくなってしまっても神結晶は大事に保管しておく必要がある。とはいえ、少し位削っても問題ない事はダ・ヴィンチにも相談済み。

そこで、結晶の膨大な魔力を内包するという特性を利用し、一部を錬成でネックレスやイヤリング、指輪などのアクセサリーに加工し、特に魔法の使用頻度の高い二人に渡したのだ。

ハジメとしては電池のように魔力をストックしておき、いざという時に魔力枯渇で動けなくなることのないようにとの配慮。

そうして二人に“魔晶石シリーズ”と名付けたアクセサリー一式を贈ったのだが、ユエは「プロポーズ?」とつぶやき、香織は言葉にならない様子で感動の涙を流していた。

 

その末に……

 

「香織」

「……うん」

「いま、私たちの気持ちは一つ」

「そう、だね。一番とか二番とか、特別とかそうじゃないとか、今だけはどうでも良いよね」

「……ん。今だけは“二人とも特別”という事にしておく」

「は? お前ら、いったい何を……」

「ハジメ君」

「ハジメ」

「おい、なんだその目は? なんか魔物より飢えた目をしてる気がするんだが……」

「魔物だなんて、ハジメ君酷い……」

「でも否定できない。確かに私たちは飢えている……ハジメの愛に」

「ごめんね、ハジメ君。ユエとのこと見ても我慢してたんだけど……もう、我慢できそうにないの」

「私はユエ。ハジメの愛に飢えた狼さん」

「ごめんね、はしたなくてゴメンね。でもお願い……私の、私たちの全部を貰ってください」

「ちょっ、待て! 何二人で俺の腕をがっちりホールドしてんだよ! なんで寝室に引き摺ってくんだよ! 『優しくする』ってどういう意味だ!? あっ、アッ―――――――――――――――――――――!!」

 

ドナドナが聞こえてきそうな様子で、連行されていくハジメであった。

 

「あの、先輩? フォウさんも、なぜ私の目と耳をふさぐのでしょう?」

「マシュはそのままでいて」

「フォ~ウフォ~ウ……」

「はぁ……」

 

召喚が翌日に改められたのは、実際にはこちらの理由の方が大きかったのかもしれない。

その日立香は、たいしてうまくもない遮音結界を張ることに全力を注ぎ、微かに漏れ聞こえる(つや)やかで(あで)やかな物音から全力で目を逸らすのだった。もちろん、マシュの部屋にも同様の…あるいはそれ以上に力を込めて施術を施して。

 

(お、治まれ! 俺のリビドー!)

 

マシュの部屋に吶喊していかなかったことは、果たして褒めるべきか、呆れるべきか。




次からは第二章。シリアスさんはお休みです。ギャグもお休みです。ほのぼの行きます。多分短くなる…はず。

さて、次に呼び出す七騎、いい加減決めないとなぁ……。




第二章「永世枯渇領域     」 副題「繁栄の女神」


お楽しみに。空欄が何を意味するかは、まぁいずれ。


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第二章「永世枯渇領域     」 副題「繁栄の女神」
Interlude01


第二章開幕。今回はその導入というか、別視点ですね。
ハジメ一行と立香一行が旅だった頃の「〇〇〇」の様子です。


宿場町ホルアド。

オルクス大迷宮を擁する、あるいはオルクス大迷宮に依存する形で発展してきたこの街は、その名に恥じず大小様々な宿屋が乱立している。大迷宮への挑戦者をはじめとした人の出入りも多く、深夜であっても人足が途絶えることはない。

 

そんな活気溢れる夜のホルアドを、行き交う喧騒とは裏腹に一人の少女が寂しく肩を落として歩いていた。

擦れ違う誰もが思わず目で追ってしまう整った顔立ち。高い位置で結われた黒髪は長く艶やかで、ランプの灯りを受けて宝石を散りばめたかのような輝きを放っている。

冒険者が多く訪れることからどちらかと言えば治安が良い方ではないこの街を、それも夜に出歩くのは些か無防備に過ぎるだろう。いつもであれば、酔漢や荒くれ者の格好の餌食だ。

 

しかし、彼女に手を出そうとする者は一人もいない。

この街の誰もが知っているのだ。少女……八重樫雫は彼らが束になってかかったところで及びもつかない強者であり、ハイリヒ王国と聖教教会というこの上ない大物がバックについていることを。

そんな相手に迂闊に手を出せば、物理的にも社会的にも手痛い授業料を払う事になる。

 

だから例え、普段は凛とした雰囲気とキビキビとした足運びが特徴の彼女が、はっきりと分かるほどに消沈した様子で歩いていたとしても、バカなことを考える者はいない。

それが、誰にとって幸運なことかはわからないが。

 

人波の中を縫うようにして進んでいくが、誰かとぶつかるようなことはない。どれほど気落ちしていても、身体に染みついた体裁きがそんな無様を許さない。

だが、厳然たる事実として頭は垂れ、足取りは重く、背中も心なしか丸まっている。

引き締まった身体と凛とした雰囲気が相まって、実際以上に背が高く見える彼女だが、今は逆に随分と小さく見えた。まるで、一人迷子になってしまった童女のような頼りなさ。

八重樫雫という少女を知る者が見れば、一瞬別人ではないかと思うだろう。

身に付けた世界最高峰の装備が放つ輝きも、どこか曇って見える。

 

暗澹たる空気を纏ったまま、雫は酒場や道具屋などに足を運ぶ。その選択に、これといった法則性は見いだせない。同時に、どこも長くは留まらず、店主や客と二三話をしては出ていってしまう。

それを幾度か繰り返したのち、彼女は深く溜息を吐くと自身が滞在する王国直営の宿へと踵を返す。

 

間もなく宿の門前が見えてくると、そこには浮かない表情の少女が一人立っていた。

 

「鈴……」

「シズシズ、また一人で出歩いてたの?」

「……ごめんなさい。どうしても、ジッとしていられなくて」

「…………」

 

かけなければならない言葉がある。しかし、それを口にすることが憚られる。

そもそも、自分が言おうとしている程度のこと、雫がわかっていないはずがない事を理解しているのだ。

クラスのムードメーカーとして、時に“敢えて”空気を読まない言動を見せる彼女だが……あるいはだからこそ、“雫のため”になんと言葉をかければいいかわからず、口を噤んでしまう。

友人の心からの気遣いを察し、雫の頬がぎこちなく綻ぶ。心配してくれる鈴を少しでも安心させようとしてのものだが、あまり上手くはいかない。

そんなどこか無理のある微笑みが、なおさら鈴には痛ましく思えてしまう。

 

「大丈夫よ。街中だからって油断はしてないし、そうそう不覚は取らないから」

「……それは、わかってるけど……」

「………………………………………おやすみ。鈴も早く寝なさい、明日も朝から迷宮に入るんだから」

「……うん、おやすみ」

 

結局何を言えば良いかわからず、宿へと入っていく雫に力なく答えることしかできなかった。

ホルアドに戻ってきてから……いや、それ以前、香織とマシュが姿を消してからというもの、誰よりも雫が気を不安と焦燥にかられていることは知っている。

迷宮攻略のあと、ほぼ毎日のようにこうして夜のホルアドを徘徊していることも、その目的も。

 

香織とマシュが姿を消した日の朝。雫は即座にメルドを介して王国上層部に二人の捜索を依頼した。

彼女らがホルアド…オルクス大迷宮を目指しているであろうことは容易に想像できたから。

直ぐに王都からの人や物の出入りがチェックされ、周辺の都市には地球で言うところの「検問」が敷かれた。

治癒師としての香織の重要性、マシュが見せた想像以上の力は王国…ひいては人間族にとって貴重なもの。

つい先日間抜けにも奈落に落ちた無能と違い、彼女らが無為に失われることなどあってはならない。また、召喚された生徒たちからは既に少なくない脱落者が出ている。これ以上戦力が失われることは、何としても避けねばならなかった。

 

だからこそ、王国の動きは早かった。

二人がいなくなっていることが判明して1時間と経たないうちに、全ての体制が整うほどに。

 

とはいえ、本来ならそれで十分なはずの所を、雫が強硬に主張したことでホルアドにまで二人の捜索依頼が飛ばされた。ハイリヒ王国の王子が積極的に雫の進言を後押ししたことも、一因にあるだろう。

 

誰もが、これだけやれば二人が見つかるのも時間の問題だろうと思っていた。特に、マシュは碌にベッドから動くこともできない状態だったのだから。そんな彼女を伴って動ける範囲など限度がある。

しかし蓋を開けてみれば、二人の所在はおろか足取りすら杳として知れない。

雫の「二人はホルアドに向かったに違いない」との進言から、そちら方面への対処が優先されたことから、別方面へ向かったことも考慮されたものの、結果は同じ。

 

どこの街へ向かったか……どころではない。王宮を如何にして抜け出し、どこを通り、王都の外へ出たのか否か。それすらわからないのだ。

 

結局何の進展もないまま時間だけが過ぎ、今も捜索は続けられているものの依然手掛かりはない。

雫としては自身も捜索に加わりたかったが、「捜索」という地味かつ時間と根気のいる仕事に一人や二人戦闘系天職持ちがいたところでは意味はない。こういったことは、捜索範囲が絞り込めないこともあり、必要なのは人手なのだから。

 

なにより、魔人族との全面戦争がいつ起こるかわからない現状では、勇者一行には一刻も早く力を付けてもらわなければならない。貴重な戦力が二人も失われてしまったかもしれないとなれば尚更だ。

騎士にとっての剣や鎧のように弁論を自在に操る海千山千の官僚や司祭相手に、雫では勝ち目はない。

最終的には説き伏せられ、戦闘訓練を兼ねた大迷宮攻略が再開された。

 

以来、無駄と知りつつも、雫は時間さえあれば香織とマシュの手掛かりを探そうと街へ足を運んでいる。

迷宮攻略の関係で時間帯は夜が多く、いつの間にか夜歩きが日課になってしまっていた。

本来なら、いくら彼女が剣道の有段者で、全国大会での優勝経験もあるとはいえ、治安に不安のある夜の街を出歩くなど危険すぎる。しかし、この世界に来て得た…あるいは目覚めた力のおかげで、その心配はいらない。

故に、度々夜歩きを控えるよう仲間やメルドから注意されても、やめるつもりはなかった。

少なくとも、二人の無事がわかるまでは……。

 

(香織、マシュ……いったいどこにいるの? 無事でいるの? 何を、考えているの?)

 

与えられた部屋の前で立ち止まり、何も言わず…置手紙と香織のものと思われる髪だけを残して姿を消してしまった親友たちに胸中で語り掛ける。

 

当然、答えは返ってこない。

そっと息を吐くと鍵を開けて部屋の中へ。

初めてホルアドを訪れた時、この部屋は雫と香織の二人部屋だった。

いまも二人分のベッドが置かれているが、使われるのはいつも片方だけ。

雫は長く使われていないベッドに視線を向け、いる筈のない人影に想いを馳せ……ようとしたところで、目を見開く。

 

無理もあるまい。

使う者のいないはずのベッドに、誰かが腰かけているのだから。

反射的に顔を上げ、親友の名を呼ぼうとしたところで気付く。

香織が使っていたベッドに腰かける相手が香織ではないことに。それどころか、顔も知らない初対面の男だったことに。

 

「やぁ、おかえり。う~ん、でも女の子の夜遊びは控えるべきじゃないかなぁ? ほら、そういうのって、なんか危ないだろ?」

「……」

「おや? 警戒させてしまったかな?」

 

真夜中と言って良い時間帯、自室に見ず知らずの男がいつの間にか入り込んでいたのだ。警戒するなというのが無理な相談だろう。

雫は腰の剣を抜き放ち、正眼に構える。狭い屋内で剣を振るうのは難しいが、やりようはあるし威嚇くらいにはなるだろう。

場合によっては、どこかしらに切っ先を突き付けることも考慮に入れる。

 

「どこの人かしら? 鍵がかかっていたはずだけど」

「うん? ああ、僕たちには意味がないからね。素通りさせてもらったよ。ところで……」

 

剣を構えていることなどお構いなしに立ち上がると、特に臆した様子もなく距離を詰めてくる。

それだけ腕に覚えがあるのか……とも思うが、内心で否定する。

口調などは軽薄に聞こえるものの、只者ではない雰囲気があるので実力者ではあるのだろう。

だが問題はそこではなく、剣を構えている相手に無防備に距離を詰めてくるその神経だ。

まるで、雫の構える剣など何の脅威もないと言わんばかり。それこそ、風船でも構えているかのような気楽さであり、それ故の自然体。

それが何よりも、雫の中の警戒心を煽る。

 

(ハッタリ……じゃないわね。この人は本当に、私の剣に脅威を感じていない。

 一応これ、この国トップクラスのアーティファクトなんだけど……)

「君はアビシャグ? いや、アビシャグじゃない? むむ……(しげしげ)」

(何言ってるの、この人?)

 

頭の上から爪先まで、じっくり観察してくる不審者。

近づくほどに後退るので、相対的な距離はほぼ変わっていないが精神的にはドン引きだった。

救いがあるとすれば、その視線に下心のようなものが感じられなかったことか。

 

「………………いや、やっぱりアビシャグじゃないな。惜しい、実に惜しいんだけどなぁ~」

(……よくわからないけど、斬った方が良い気がしてきたわ)

「マスターも人が悪い。貴女が僕の守備範囲からちょっ……とだけ外れていることを見越して僕を寄越したらしい。てっきり、僕しか単独行動スキルを持っていないからだと思ったけど、ふむふむそういう事か」

「マスター? あなた、やっぱりどこかの国の使いかなにか?」

「貴女は美しい。でも僕には縁の薄い美しさだった。まぁ、今回はそういう話らしい」

 

勝手に一人で納得する不審者。言っていることが一から十までさっぱりわからない。

ただ、なんだか先ほどまであった警戒心とかがなくなっていく。

警戒を解いたわけではなく、警戒することが馬鹿らしくなっただけだが。

とそこで、それまで暗くてよく見えなかった相手の顔が、雲間から差し込んだ月明かりで明らかになる。

 

(…………大層な美男子だこと。まさか、これで篭絡しようなんて……ないわね)

 

そこにいたのは、雫とほぼ同じ背丈の緑髪の美男子。

ちょっと中々お目にかかれないレベルで整った顔立ちだが、その程度で心動かされるような雫ではない。

むしろ、言動がいろいろ不審だったり意味不明だったりして、それどころではない。

 

それに、てっきりハイリヒ王国以外の國からの引き抜きか何かと思ったのだが、どうも事情が違うらしい。

 

「それで、いったい何の用があって女の部屋に潜り込んだのかしら? 私、これでも色々忙しい身なのだけど」

「それは友達のことかい? 必要だったとはいえ、君も大変だね」

「っ!? 香織たちのこと、何か知っているの!」

「うん、知っているよ。僕はそのために来たんだから。でも、教える前に……」

「何か要求でもあるの?」

「いや、そんなものはないさ。ただ、一言聞いてほしいだけだよ。僕はマスター、『藤丸立香』の使いだってね」

「っ!」

 

その一言を聞いた瞬間、怒涛の勢いであの日の夜の出来事が克明に蘇る。

香織とマシュが何を考え、どこへ向かったのか。そして、そのきっかけとなった出来事も。

 

「……そう。なら、あなたがサーヴァントなのね?」

「うん。アーチャー、ダビデ。僕はやるよ、かなりやる」

「ダビデ? まさか、ダビデとゴリアテの?」

「そうそう。いやぁ、君みたいな可愛らしい子にも知られているなんて、僕も捨てたもんじゃない。

 君の背……ごほん、もう少しだけ僕の守備範囲に入っていたら、是非ともお近づきになりたかったんだが」

 

特に理由はないが、なんとなく改めて距離を取る。あと、一発くらいは殴っても良いと思う。

 

「あなたが来たという事は、立香さんたち……香織とマシュは無事なのよね?」

「うん。僕は少ししか会っていないけど、マスターたちも君の友達も元気にしていたよ」

「そう、よかった……」

 

あの晩のことを思い出したとはいえ、立香とマシュのことが心配だったことに変わりはない。

先ほどまでよりはるかにマシとはいえ、安否がわからないことに変わりはなかったのだから。

 

「でも、なぜあなただけがこんな忍び込むようにして……」

「それについてはマスターから色々預かってるよ。手紙とか贈り物とか」

「……まずはその手紙を見せてもらえますか?」

「ああ、どうぞ」

 

ダビデは相も変わらずの気安さで手紙を渡してくる。

まだ完全には警戒を解かずに……というか、性格的にあまり相性が良くなさそうだからか、なんとなく一歩下がってしまいつつ、受け取った手紙に目を通していく。

 

それなりの情報が書き込まれた手紙はそれなりの量があり、最後まで読み切るには時間がかかる。

ダビデは特に急かすような真似はせず、代わりにのんびりと竪琴を弾き始める始末。しかも、それがまた無駄に絵になるので若干イラっと来た。人が真剣に手紙を読んでいるというのに……文句を言わなかったのは、苛立ちを上回るほどにその調べが美しかったからだ。そうでなければ、静かにしろと苦言の一つも漏らしたことだろう。

 

とはいえ、手紙の内容は情報量もさることながら、冷静沈着さが持ち味の雫にとっても驚きを隠せないものだった。一度最後まで読み切り、特に無視できない部分については再度読み返す。

その上で、一度瞑目して自分自身の中で情報を整理し、ゆっくりとそれらをかみ砕いていく。

 

「……色々言いたいことはあるのだけど」

「僕に言われても困るなぁ」

「……とりあえず、南雲君も無事なんですね?」

「あの白髪の子かい?」

「元々は黒髪なんですけど、今はそうらしいですね」

 

片腕や髪の色をなくした姿を想像し、「厨二病?」とか一瞬でも思ってしまったのはなかったことにする。

本人にとっては一大事ばかりなのだし、流石に不謹慎に過ぎると自戒した。

まさか、当の本人が同じことを思って精神的大ダメージを負っていたなどと、誰が想像できるだろう。

 

「うん、元気にしていたよ。女の子たちともよろしくやっているようだった」

「それはそれで驚きを隠せないんですが……」

 

親友との仲が進展した様なので、それ自体は喜ばしいのだが……なにをどうしたら大迷宮で出会った吸血姫と二股することになるのやら。雫の知る南雲ハジメからは、だいぶかけ離れている。

しかも、香織は香織でそれを受け入れてしまっているというのだから、本当に「何があった」と頭を抱えたくなる。まぁ、当の香織は満更でもないようなので良いのかもしれないが。

 

「……………………………………これが、この世界の真実なんですね」

「さて、それはどうだろう? あくまでも、解放者とやらの主張だ。別の見方もあるかもしれないね。実際、彼らは反逆者とも呼ばれたらしいし」

 

確かにダビデの言う通りなのだろう。雫たちが知っているのは教会と解放者、ある意味対局の位置にいる者たちの主張だけだ。それ以外の第三者、客観的な視点に欠けている。

これではまだ判断材料が足りない。立香たちはその辺りの補強もかねて動いていくつもりのようだが。

とはいえ、手紙には今後の立香やハジメたちの行動方針の他に、解放者側の情報とその扱いについても書かれていた。

 

(確かに、この情報はまだ私だけの所にとどめておいた方が良いわね。光輝に知られると、色々厄介そうだし)

 

光輝の性格と悪癖を考慮するに、大多数の人間が信じている神を「狂っているかもしれない」と言われても素直には信じないだろう。鵜呑みにしないのは別にいいのだが、むしろ情報元のハジメや立香に対し不信感を持ちかねない。立香はまだしも、ハジメに対しての印象があまり良くないのでそちらに流れやすい。

かと言って、万が一信じたとしてもそれはそれで問題だ。ああいう性格なので、「神を斃そう」「人々を救おう」と言い出して後先考えずに暴走しかねない。いや、正直そちらの方が困るわけだが。

 

解放者たちの言っていることが正しいと仮定した上でだが、いま馬鹿正直に動いても彼らの二の舞になる。

立香もその危険性を考慮して、表立って敵対的な行動をするのは避けるべきであることを言及していた。

そして、光輝にそんな器用な真似は絶対にできない。

だからこそ、最も冷静に受け止めてくれるであろう雫にのみこうして情報を提供し、今後の対応について彼らなりの考えを書き記しつつ、あとのことは一任しているのだ。

 

(何でもかんでも押し付けないで欲しいけど、実際のところ適任は私なのよねぇ……あの日のことを知っているのは私と光輝と鈴だけ。光輝は論外、鈴も結構分かり易い性格してるし……)

 

消去法で、こうするしかなかったという事は理解していた。

文面からも雫への配慮や申し訳なさが滲んでいるので、仕方がないと納得する。

 

(とりあえず、情報収集兼帰還に繋がる神代魔法の取得を目指して、今は二手に分かれて大迷宮の攻略を進めていく方針なわけね。現代には伝わっていなくても転移の魔法とかあるわけだし、可能性はある。

 なら、私がすべきはみんなの邪魔にならないよう何も知らないフリを通すこと。そして、あちらへ余計な目が向かないよう、精々大々的に存在をアピールすることね)

 

要は、今までやってきたことをそのまま進めていくという事だ。

ハジメたちに全てを任せきるのは申し訳なく思うが、彼らが動きやすい状況を整えるのが今できる最高の支援方法だろう。

それに、結果的に解放者たちの情報が虚偽だったとしても、当初の流れを進めていけばエヒト方向の希望はつながる。どちらの方法も今の段階では切り捨てるべきではない以上、これがよりベターだろう。

 

「それで贈り物っていうのは?」

「ああ、これだよ。こっちがマスターからで、こっちが白髪の子から。伝言もあずかってるけど?」

「聞かせてください」

 

質感などがステータスプレートによく似たカードと、細長くもずっしりとした重みのある包みを受け取る。

 

「マスターからは『色々無理させて申し訳ない。何かの助けになればと思って送るけど、くれぐれも無理はしないで欲しい』ってさ。マスターの英霊を見極める目は間違いないだろうけど……それ、かなり体に負担がかかるらしいから、気を付けた方が良いよ」

「らしいですね。マシュのようになるかもしれないらしいですし、下手に使うと怪しまれますから、慎重に使い処は見極めるつもりです」

「それがいいだろうね。あと、彼の方からは『色々世話になった礼だ』ってさ」

「………………………ホントに別人みたいになってますね」

 

召喚される前のハジメなら、もう少し別の言い方をしただろう。しばらく会わないうちに、随分とそっけなくなったものだ。と思ったのだが、存外大切な相手にはまだまだ甘さを残しているらしい。

 

「そうなのかい? ああ、それと『香織を送り出してくれて感謝してる。責任を取る覚悟はあるから、そこは信用してくれていい。あと、無理はするな。八重樫に何かあると香織が悲しむ』ってさ」

「そうですか……」

 

あくまでも「香織のため」の配慮ではあるが、それだけ親友が思われているとなれば安心できる。二股と聞いていろいろ不安なのだが、一応うまくやれているのなら良しとしよう。

もちろん、再会した時にはしっかり「O・HA・NA・SHI」させてもらうが。

いくら本人が納得済みのこととはいえ、二股野郎を見逃す気はない。まさか、再会する時にはさらにケモミミと変態が増え、加えて義娘までいるとは思いもしない。

 

「それにしても…………こんなものを作れるとはね。まったく、どこが“ありふれた天職”の“無能”なのかしら? 実力もバケモノレベルらしいし……詐欺よね、これ」

 

細長い包みから出てきたのは、黒塗りの鞘に入った日本刀。

鞘からゆっくり抜刀すれば、月明かりを飲み込むような漆黒の刀身が現れた。刃紋はなく、僅かな反りが入っており、先端から少しの間は両刃になっている。いわゆる小烏丸作りと呼ばれる刀に酷似していた。

ハジメは日本刀自体には詳しくないが、立香の召喚したサーヴァントの一人が剣の専門家であったことから、彼の監修を受けて作り上げた一振りだ。

 

世界一硬い鉱石を圧縮し、さらにただ頑丈なだけではなく粘りも両立した業物。切れ味は素人が適当に振っても鋼鉄を切り裂き、ハジメが取得したいくつかの固有魔法も仕込まれている。当然、雫が使える様に調整済みだ。

さらに、鞘の表面には魔力を散らす効果が付与され、これ自体も刀身と同じ素材でできているため頑丈さは折り紙付きという細やかさ。これは、魔法はほとんど使わず、逆に魔法に晒される危険が多い事からの仕様だ。鞘というよりは、事実上の対物理及び対魔法に使える盾に近い。

 

総合力では光輝の聖剣と互角か、下手をすると上回りかねない代物である。

こんなものを作れる人間の、一体どこが無能なのやら……。

しかも、当の本人はステータスが軒並み一万を超えるバケモノっぷりと来た。加えて香織も魔力の直接操作ができるようになり、回復・光魔法の腕は極まりつつあるらしい。その上、同行者である吸血姫は全属性に適性のある魔法方面のチート性能。まったくもって手が付けられないチームである。

立香は立香で、本人は弱っちぃが「最堅」とでも称すべきマシュがいるほか、古今東西の英傑を7名随伴しているというのだから……

 

「私たちなんて可愛いものよね」

 

そう言いたくなるのも無理はない。ないとは思うが、教会から邪魔者認定されて敵対させられたりしないかが不安だ。もしそうなったら、勝ち目はない。いっそのこと諸手を挙げて降伏し、さっさと合流した方が良いだろう。

 

「で、こっちのカードがクラスカード、ですか?」

「うん。真作には及ばないようだけど、それなりの性能はあるよ。繋がっている彼女もかなりやるからね」

「まぁ、切り札があるのはありがたいですけど」

 

近いうちに、人目を忍んで一度試しておく必要があるだろう。ぶっつけ本番で使うなど、いくらなんでも無謀過ぎる。

どの程度使ったらどれくらいの反動があるか、しっかり検証しておく必要がある。

 

「さて、それじゃ僕はいくよ」

「ええ、ありがとうございました。二人にもよろしく伝えてください」

「うん。あと、その手紙だけど……」

「しっかり処分しておきます。……香織とマシュの手紙はちょっと気が引けますけど、残しておくわけにもいきませんから」

 

立香からの手紙はあくまでも必要な事柄中心の割と事務的なものだったが、同封されていた二通の手紙は違う。

遠く離れた親友たちからの、様々な思いが籠った近況報告。返事を送れないのが残念だし、読み終わったらこちらも処分しなければならないが、それでも嬉しいという気持ちに変わりはない。

出来れば通信用のアーティファクトも同封したかったらしいが、万が一にも怪しまれれば、かえって雫のみを危険に晒してしまう。なので、已む無くそちらの同封は避けられたのだった。

 

そうして、用件を済ませたダビデは霊体化して忽然と姿を消す。

雫は空気を入れ替えるべく窓を開け、夜空に浮かぶ月を見上げつつ遠く離れた地で頑張る友人たちにエールを送る。

 

「頑張りなさいよ香織、マシュ。私も、私にできることを頑張るから」

 

心配の種は尽きないが、二人ともそれぞれ頼りにする相手が傍にいてくれているのだ。

ならば、きっと大丈夫だろう。

 

今はただ互いの無事を祈り、今できることを一つ一つ進めていく。

その先で、きっとまたお互いの道が重なり合う時が来ると信じて。

そしていつか必ず、みんなで元の世界に帰るのだ。

 

しかし、そんなささやかな願いが叶う事はない。

どこであっても、世界は人に優しくはないのだから。




第二章サーヴァント一人目。雫にコナをかけなかったのは、彼女が若干ダビデより背が高いから。まぁ、コナをかけていたらいたで、とある方向からツッコミが入ったことでしょうが。


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011

オルクス大迷宮で召喚されたサーヴァントが今回全員登場します。
色々悩んだりプロットを修正したりして、この結果。はじめは考えていなかった人もチラホラいます。

とりあえず、この章はサクサク進めていく予定なので、あんまり長引かない…はず。どうなるかな?


立香がオスカー・オルクスの隠れ家にて、改めてサーヴァントの召喚を行って数日。

より迅速な大迷宮攻略のため二手に分かれた彼らは、それぞれグリューエン大火山とハルツィナ樹海を目指していた。

 

道中、縁あって……というよりも、「樹海の案内」を目的にライセン大峡谷で出会った亜人族の「ハウリア族」という兎人族を保護したハジメたち。色々とややこしい事情を抱えた彼らだったが、そんなことはハジメの知ったことではないし、他の亜人族の思惑もまた同様である。

結局、圧倒的戦力差を背景に「ハウリア族」による樹海内の案内を亜人族の国「フェアベルゲン」に認めさせた彼らは…………絶賛、樹海内で足止めを食っていた。

 

「なるほど、大樹『ウーア・アルト』ですか。確かに、亜人族の生活圏が含まれる樹海全体が大迷宮という可能性は低いでしょう。なら、オルクス大迷宮のように最奥に真の大迷宮がある可能性は高いですね」

「うん。ただ、樹海全体を覆う霧なら亜人族の人たちでも抜けられるみたいだけど、そこの周りは特に濃くて、薄まるのを待たないといけないからもう何日かはこのままかなぁ?」

「まぁ、そればかりは仕方ありませんね」

 

諸事情あって結局フェアベルゲンはおろか周辺の集落にも近づけないため、現在ハジメたちは樹海の一角にキャンプのようなものを作ってその時を待っていた。

ついでに、ハウリア族……正確にはその族長の娘であり魔力操作と固有魔法「未来視」を有する「忌み子」シア・ハウリアとの約束もある。彼女と交わした約束、それは「樹海の案内」より正確には「大迷宮への案内」と引き換えに、忌み子であるシアを匿ったがために樹海に居場所をなくしたハウリア族を、「案内が終わるまでの間保護する」というものだった。

その約束が果たされるまでの間、無為に時が過ぎるのを待つのもどうか……袖振り合うも他生の縁ではないが、一応助けておいて後からアッサリ全滅されるのも後味が悪い。かといって、いつまでも彼らの面倒を見てやれる暇もなければ、そんな義理もない。故に、どうせ暇を持て余していることもあって、ハジメによる戦闘訓練が施されている真っ最中だったりする。

 

なにしろ、ハジメの庇護を失った後の彼らに残されるものはあまりに少ない。

樹海の外は、亜人族など商品…すなわち奴隷程度にしか見ていない人間族の領域だ。

そのため、亜人族は天然の迷宮ともいうべき樹海から出ることはまずない。

しかし、忌み子を匿っていたことから、ハウリア族はフェアベルゲンから事実上の追放処分を受けている。まぁ、本来なら一族郎党処刑になるところを、色々あってこの形に収まっただけまだマシなのだが、それでも樹海を頼れないことに変わりはない。

ハジメの庇護も期間限定である以上、自分たちの身は自分たちで守れるようになる必要がある。それを見越しての戦闘訓練だ。

 

ハウリア族…というか「兎人族」自体が聴覚や隠密行動には優れているものの、身体的スペックは決して高くない。性格は総じて温厚で争いを嫌い、一つの集落全体を「家族」と称する絆の深い種族だ。付け加えれば、容姿にも優れており、エルフの美しさとはまた異なる可愛らしさから、愛玩奴隷としての人気が高い。

 

なんというか、このままだと本当に部族丸ごと詰んでしまう未来しかない。

ハジメが自分から戦闘訓練を提案したのも、無理からぬ話だろう。

いくら「後のことなど知ったことではない」とはいえ、詰むと分かっている状況を看過するのは流石に……。

 

ハジメだけでなくユエはユエでそれなりに忙しくしていることから、今は香織が一手に食事などを担っている状態だ。そんな近況報告も兼ねて、ハジメがカルデアの技術協力を得て作り上げた通信用アーティファクトで、食事の支度をしながらマシュと定時連絡(おしゃべり)の真っ最中の香織である。

 

「それで、戦闘訓練の方はどうなのですか? ハジメさんのことですから、一度請け負った以上しっかり鍛え上げるでしょうが……」

「そうなんだけど……ハウリア族の人たちも筋金入ってるからねぇ……苦労してるよ」

「そうなのですか?」

「うん。なにしろ、毎回毎回『ああ、どうか罪深い私を許しくれぇ~』って殺した魔物に縋りついて泣いたり、刃物持って震えながら『ごめんなさいっ! ごめんなさいっ! それでも私はやるしかないのぉ!』って叫んだりするんだよ?」

「それは……頭が痛いですね」

「気持ちはわかるんだけど、ねぇ?」

 

命あるものを殺すことへの罪悪感や抵抗感が理解できないわけではない。

心優しい香織も、なんだかんだでオルクス大迷宮深層を生き抜いたこともありその辺は克服済みとはいえ、かつての自分を思い返せば共感する部分はある。

しかし、しかしだ! 何かある度にこの調子で三文芝居を演じられ続ければ、いい加減呆れが勝ってくる。

ハジメの堪忍袋の緒が切れるのも、そう遠くはないだろう。と思っていたのだが……

 

ドパンッ!! ドパンッ! ドパンッ! ドパンッ! ドパンッ! ドパンッ! ドパンッ! ドパンッ! ドパンッ! ドパンッ! ドパンッ! ドパンッ! ドパンッ! ドパンッ! ドパンッ!

 

突如、樹海内に木霊する銃声。

その意味を、香織は寸分たがわず理解していた。

 

「香織さん? 今の音は、もしや……」

「うん。遂にハジメ君がキレたみたい」

 

まぁ、時間の問題だろうと思っていたので、特に驚きはしないが。

恐らく、ここからが訓練本番。ハジメによる情け容赦ない……技術や経験以前、心構えとか精神性とかそういう部分を鍛え直す……というか、洗脳に近い精神魔改造の幕開けである。

 

「…………そうですか。まぁ、兎人族の方たちが生き残るためですから、仕方がない……のでしょうね。

 ところで、ユエさんは?」

「ユエだったら、シアの特訓に付き合ってるよ。私も時々手伝ってたんだけど、身体強化に特化しててすごいことになってるからねぇ」

 

香織では相手にならなくなる日もそう遠くはないだろう。

代わりに、シアと香織で組んでユエやハジメと訓練することは増えるのだが。

 

「そうでしたか。まぁ、香織さんも身体強化はできるとはいえ、あくまでも支援と回復が本領ですからね。孤立しても、応援が来るまでの間自衛できればいいわけですから、それで問題はありませんが」

「そうなんだけど、足は引っ張りたくないから。私も、私なりにできることをしないと…ね!」

 

会話の最後に、妙な音が紛れ込む。ハジメのドンナーほどの重々しさはないが、それは紛れもなく発砲音だった。

 

「大丈夫ですか?」

「うん。木の陰におっきなツチノコみたいな魔物がいたけど、ちゃんと仕留めたから」

「香織さんも逞しくなりましたね」

「ハジメ君について行くためだからね。ユエにも負けたくないし」

 

右手の拳銃を腰のホルスターに収める動作には淀みがなく、だいぶ手馴れてきていることが伺える。

当初は治癒師という天職もあって杖や法衣のような装備だった香織だが、オルクス大迷宮を出るにあたり装備を一新した。これは、ハジメたちのパーティに壁役となる前衛がいないことが大きな理由としてあげられる。近・中距離がメインのハジメ、遠距離型のユエ、支援の香織というやや後衛寄りの構成なため、ある程度自分の身は自分で守れる必要があったのだ。

そこで、攻撃ではたいして役にも立たない杖ではなくハジメ謹製の銃へと持ち替え、それなりに防御力はあるが動きにくい法衣から動きやすさ重視のパンツスタイルへと変更したのである。

 

元々持っていた杖とて治癒師用の一級のアーティファクトではあるが、生成魔法を得たハジメがいれば代用品を作ることも難しくない。パワーに乏しい香織でも扱い易いようにとハジメのものよりやや小ぶりに仕上げた白と黒の二丁の拳銃には、それぞれ光魔法や回復魔法の魔法陣がびっしり仕込まれている。他にも様々な仕込みが為されており、元の杖と比較しても回復・光魔法には何ら支障はない。

また、動きやすさ重視という事もあって薄手かつタイトな衣装ではあるが、これまた徹底的に生成魔法で守りを固めているので、見た目に反して防御も硬い。

つまり、攻撃力と機動力を上げつつ、防御力や魔法方面は据え置きという状態なわけだ。ハジメの拘りと香織への過保護さがうかがえる逸品である。

まぁ、取り回しを優先して銃身が短くなった分、ハジメのドンナーほどの威力はないのだが、それでも身を守るには十分過ぎる。何しろ纏雷も仕込んであるので、しっかりレールガンが撃てるのだから全く問題はない。

 

お揃いの装備(ペアルック)という事で香織が浮かれたり自慢したりして、ユエが羨んだり物凄く睨んできたりもしたが、全くの余談だろう。

 

「それで、マシュちゃんの方はどう? グリューエン大火山だとかなり距離があるし、着くのはもうしばらく後になるよね」

「いえ、このペースなら今日中にアンカジ公国に着くはずです」

「えっ、なんで!? いくらなんでもそんな速度出ない筈じゃ……」

 

マシュと立香の移動手段もまたハジメが作り上げたアーティファクトによるものなので、その移動速度は把握している。なので、グリューエン大火山にほど近いアンカジ公国に着くにはもう数日かかる見込みだったのだが……。

 

「……………………実は、ランスロット卿(お父さん)が張り切ってしまいまして」

(なんだろう? この既視感というか、シンパシーというか……すっごく覚えがあるんだけど?)

 

なんというか、休日に家族サービスに精を出そうとして空回りする父親へ向ける年ごろの娘の生温かな視線というか呆れというか、なんかそんな感じのあれだ。

 

それはともかく、オルクス大迷宮での再召喚の折にセイバーのクラスで召喚されたランスロットのことは香織もよく覚えている。何しろ召喚されるや否や、口上すら述べずにマシュへと吶喊。思い切り抱きしめたかと思えば大号泣、である。

これには香織やユエはおろか、ハジメですらも目が点になっていた。

二人の関係性とかその他諸々については、同じく召喚された黒い外套を着た白髪の理智的な青年が教えてくれた。何しろ、立香はその時色々それどころではなかったから……。

 

まぁ、それはともかく心配で心配で夜も眠れなかったランスロット卿(お父さん)は、本来クラスくらいしか指定できず、場合によってはエクストラクラスが割り込んでくることすらあり得る、ほぼ完全にランダムな召喚を執念で引き当てたらしい。まぁ、他にも似た様なのがいるので、可能ではあるのだろうが……。

 

ちなみに、彼にとってマシュはギャラハッド(息子)の霊基を受け継いだ少女ではなく、もう一人の我が子……まさに娘として認識しているらしい。

普段はランスロット卿(お父さん)に辛辣なマシュも、この時ばかりは慌てふためいていた。あれほどまでにまっすぐな愛情を向けられては、流石に邪険にできなかったのだろう。

とはいえ、まるで休日に娘とドライブに出かけるようなテンションではしゃぐランスロット卿(お父さん)には、やはりどうしても呆れが勝ってしまうが。

 

「え~っと……いいお父さんだよね?」

「……仮にそうだとしても、騎士は徒手にて死せず(ナイト・オブ・オーナー)はやり過ぎです」

 

そう、本来ならもっと時間がかかるはずの道程を予定外の速さで踏破できた理由がそこにある。

ランスロットの宝具「騎士は徒手にて死せず(ナイト・オブ・オーナー)」は、手にしたものに「自分の宝具」としての属性を与え扱う能力型の宝具だ。たとえ鉄柱や戦闘機であってもランスロットが「武器」として認識できさえすれば、あらゆる武器や兵器を魔力を巡らせることで擬似宝具と化す。

ハジメが作り上げたアーティファクトは「軍馬」あるいは「戦車(チャリオット)の延長として認識されたことから、疑似宝具化して本来の性能以上の速度と走破力を発揮しているのである。

ついでに、「己が栄光の為でなく(フォー・サムワンズ・グロウリー)」も併用して周囲の風景にカモフラージュしているので、周りからは全く怪しまれないという念の入りようだ。

まぁ、それはそれで結構なことなのだが……

 

「……あのドヤ顔はちょっと鬱陶しいです」

「あぁ、何かわかるかも……」

 

娘に対し「パパ凄いだろ!」とはしゃぐ父の姿を思い出してか、香織の表情も微妙なものになる。

映像まではやり取りできないが、きっとアーティファクト越しのマシュも同じような表情をしているのだろう。

 

とはいえ、双方ともに大きな支障がないのは良い事だ。

その後もいくつか雑談やら愚痴やらを交わしたり、ちょうどつい先ほど合流したダビデから聞いた雫たちのことなどを伝えたりして、さてそろそろおひらきにしようか…というところで、香織が思い出したように尋ねる。

 

「そういえば、結構長く話しちゃったけど良かったの? 立香さんのこと放っておいて」

「……今私が近くにいると、かえって話がこじれそうなので……」

「そ、そっかぁ……」

「はい……あ、それとハジメさんにお礼を言っておいてください」

「お礼? なんの?」

「例のサングラスのおかげで、視界の悪い砂嵐の中でも魔物に遭遇することなく進めています。遭遇しても問題なく倒せますが、必要のない戦いを避けられるに越したことはありませんから」

「あ、あぁ、そのこと……」

「? どうかしましたか?」

「いや、なんでもないよ、うん、ホントに。お礼のこと、ちゃんと伝えておくから」

「はい、お願いします。それでは、これで。明日、またいつもの時間に連絡します」

「うん。こっちでも何か変化があったら伝えるから」

 

そうして通話を切ったわけだが、香織の表情は冴えない。

雫たちのことをはじめ、色々考えることがあるというのも理由の一つではあるが、それ以上に躊躇われたのだ。

先ほどマシュに頼まれた、サングラスの件を伝えることが。

 

「ハジメ君、結構ダメージ受けてたけど……大丈夫かな?」

 

マシュの言っていた「例のサングラス」というのは、例によって例のごとくハジメが作ったアーティファクトの一つだ。魔力感知や遠視、夜目など様々な固有魔法を付加し、探知能力の向上を狙って作り上げた品であり、その性能は申し分ないものだった。

反面、それの性能を確かめるために試しにかけてみたハジメは、鏡を見て絶句した。

白髪に義手に黒コートと、既に十二分過ぎるほどに厨二キャラと化していた所へ、一枚レンズの黒サングラスを掛けたらあら不思議……完全な厨二病患者の出来上がりだった。

あまりの衝撃に、丸一日自室で引き籠ってしまうほどにその衝撃は大きかったのである。ユエと香織、二人係でなんとか立ち直らせることには成功したものの、あの傷は未だに深い。この件に触れて、果たしてハジメは正気を保っていられるのだろうか……。

 

「色々デザインは工夫してたけど、焼け石に水だし……」

 

一応少しでも厨二度を下げようと奮闘してはみたものの、最適な鉱石の材質からどうしてもレンズ部分はブラックにならざるを得ず、多少のデザイン変更では全く意味がない。

なので、ハジメ自身は極力このアーティファクトをかけようとしないし、本音を言えば見るのも嫌だったりする。

香織がこの話題に対して慎重になるのも無理はないだろう。

 

「まぁ、それは後で考えるとして……みんなぁ! ご飯できたよぉ!!」

 

せっかく作った食事が冷めてしまっては元も子もない。

丹精込めて作った(ハジメへの)愛がたっぷり詰まった品々だ。一番美味しいうちに食べて欲しい。

というわけで呼びかけてみれば、すっかり餌付けされたハジメが風のような速度で着席。いつの間にかナイフとフォークが握られ準備万端、今にも涎を垂らしそうな様子でソワソワしている。

 

「香織、今日のメニューはなんだ? 香織が作ったものなら旨いのは確実だが、いつも工夫を凝らした飯が食べられて俺は嬉しい。ありがとうございます!!」

「えへへ~! 今日はね、鶏肉とマカロニのグラタンと、コールスローサラダに……」

 

ハジメが実に嬉しそうにしてくれているので、香織の顔もまた綻ぶ。それもこれもどこぞのオカンのおかげである。伝授された技術の数々とレシピ集に、今日もまた感謝する香織であった。

 

「あ、それとさっきツチノコみたいな魔物がいたんだけど、食べる?」

「怪我はなかったか? 俺がいない時に香織を忍び寄るとは……絶滅させるか」

「あははは、大丈夫だよぉ~、ハジメ君が作ってくれたエボニーとアイボリーもあるんだから」

「まぁ、そうだが……」

「それより、食べる? たぶん、固有魔法も手に入らないだろうし、ステータスも上がらないと思うけど……」

「香織が作ってくれたものなら何でも!」

「ふふふっ、じゃあすぐに準備しちゃうね。今回は……フリットにしてみようかな? あ、樹海でしか採取できないハーブもあるって話だし、臭み消しがてら香草焼きもいいかも」

(じゅるり)

 

その後、手早く魔物を解体し調理してしまう香織。その手際は、既に熟練の域に入りつつあった。技能欄に「料理」とかそういうのがないのが不思議なレベルである。エミヤの薫陶は、しっかり彼女の中で息づいていた。

 

まったくどうでも良い話だが、ちょっとは料理に自信のあった某ウサギが香織の手際に絶望したり、ユエと一緒にハジメの両脇を固めて「はい、あ~ん」とかやっているのを血の涙を流しそうな様子で凝視していたりしていたが…………香織は全く気付かなかった(徹底して無視した)。ついでに、ユエも全く気付かなかった(徹底して無視した)

もちろん、料理の腕やハジメとの仲を見せつけようなんて意図は全くない。当然、牽制しようとか所有権を主張しようとか、そういう気もない。ないったらないのである。

 

 

 

  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 

 

 

この世界トータスには「グリューエン」と名のつくものが、大きく二つある。

一つは大迷宮の一つを要する「グリューエン大火山」。

もう一つが、周辺に広がる「グリューエン大砂漠」である。

 

大火山へと至るためにはまずこの大砂漠を越えねばならないのだが、その道程は決して楽なものではない。

 

見渡す限り赤銅色の世界。

砂の色はもちろん、砂自体が微細なのだろう。常に一定方向から吹く風により易々と舞い上げられた砂が大気の色をも赤銅色に染め上げ、三百六十度、見渡す限り赤銅色一色となっているのだ。

さらに、大小様々な砂丘が無数に存在しており、その表面は風に煽られて常に波立っている。刻一刻と砂紋や砂丘の形を変えていく様は、砂丘全体が“生きている”と表現したくなる程だ。

照りつける太陽と、その太陽からの熱を余さず溜め込む砂の大地が強烈な熱気を放っており、気温は四十度を軽く超え、反対に湿度は一桁に迫る。舞う砂と合わせて、旅の道としては最悪の環境だ

 

第六特異点では砂漠を歩き回った経験もある立香たちでも、これは決して気を抜ける環境ではない。

気を引き締め、装備を整えると共に十分な物資を揃えて臨まなければならないだろう……本来なら。

 

過酷な環境を「知ったことか」と突き進む黒い箱型の前後に長い乗り物、魔力駆動車が砂埃を後方に巻き上げながら爆走していた。道なき道だが、それは車内に設置した方位磁石が解決してくれている。

ついでに、車体全体を葉脈のようなものが走り、脈打つさまは生物を彷彿とさせてもいた。

ただしそれも、そのさらに外側を覆う霧状の靄が覆い隠し、外部からはその実態がつかめないのだが。

そして、そんな車内の人間たちはただただ快適な環境に身を委ねていた。

 

「いやぁ、砂漠の中でガンガンに冷房をかけるとか風情も何もありませんけど……冷たい水は正義ですねぇ~!」

「フォ~フォ~!」

「私の時代にもこれ、欲しかったですぅ~! 商売繁盛、ウハウハに違いありませんから!」

 

車内備え付けの冷蔵庫から取り出した冷え切った水をグラスに注ぎながら、褐色肌の肉感的美女(フサフサの耳と尻尾付き)が車窓から見える風景を見て上機嫌に宣う。ついでに、白い小動物もご機嫌だ。

ただし、チラッと横目で後ろの席に視線を送る瞬間だけ、不機嫌そうにしているが。

 

「まぁ、そこの『ダ』のつく人がいなければ、もっとよかったんですけどぉ~」

「ハハハ! 今日の女王はご機嫌麗しくないらしい。まぁ、いくら快適でも、狭い車内に閉じ込められていては無理もないね」

「……自分に原因があると全く思わないあたり、ほんと良い神経してますねぇ~」

 

物凄く白い目を向けていたが、意味がないと諦め改めて視線を外へと向ける。

ただし、『ダ』のつく人はそう言っているが、実の所この車は決して狭くはない。

むしろ、縦幅や横幅だけでなく、高さも含めて通常の車の倍以上ある。

 

当初はワゴン車か精々マイクロバス程度のサイズを考えていたのだが、サーヴァントの中には規格外の体格を有する者もいることから作り上げられたのが、この「魔力駆動車ハインケル」だ。

外観・内装共に最早キャンピングカーに近く、運転席と助手席の後ろは広々として快適な生活空間が形成されている。冷蔵庫はおろかマッサージチェアや二階部分には風呂まで完備されている。まったく、これでどうしてストレスがたまるというのだろうか。

 

「もう! なんでこの車カラオケすらついてないのよ! 普通、車で長距離移動するならカラオケは必須でしょ!! ちょっと子イヌ(マスター)…いえ、AD! そのなんとかってブタに、カラオケの用意させておきなさいよね!」

 

何度出てきても羞恥心を刺激されないドラゴンガールは、カラオケが設置されていないことに憤懣やるかたない様子だ。とはいえ、今の立香は色々それどころではないわけだが。

 

「あぁ、ますたぁ。新婚旅行が異世界だなんて、わたくしは世界一の果報者でございます」

「違います。新婚旅行じゃなくて、迷宮攻略の旅ですから。ほら、みんなもいるし」

「次に立ち寄る街は砂漠のオアシス…素敵です。オアシスの夜景を背に、愛を囁いてくださるのですね!」

「お願い、話し聞いて……」

「一人目は珍姫なら、二人目は安清、でしたら三人目、四人目は……」

 

召喚してからこっち、ずっと腕にしがみついて離れようとしない嘘つき絶対焼き殺すガール(清姫)に、何度目になるかわからない状況説明をしようとするが、テンションが高過ぎて全く耳に入っていない。

いずれ少し落ち着けば理解させられると思うのだが、その時がいつになるかはわからない。マシュも、色々と思うところがあったり、やたらとくっついてくることに不機嫌そうになったりもしているが、とりあえずは待ってくれているので頑張るしかない。

 

「うふふ、スゴイわ。どこまで言っても砂の海が続いている……砂紋がまるで波のよう……貴方もそう思わない、サンソン?」

「そうだね、マリー。確かに、この光景は壮観だ」

「ええ、本当に! 急ぐ旅でなければ、一度あの砂丘を登ってみたいのだけど……」

「それはやめた方が良い。外は乾燥しているし、風に吹かれて砂も舞っている。この車内だからこそのんびりしていられるけれど……」

「あら、私たちはサーヴァントなのよ、サンソン。乾燥も舞う砂も、私たちには何の問題もないわ」

「それは、そうだけど……」

「でも、あなたのお気遣いはとても嬉しいわ。ありがとう、ムッシュ」

「……いえ、当然のことです王妃」

 

すっかり外遊気分の王妃とフランス紳士の所だけは実に平和だ。

平和過ぎて、少しはマスターを手伝ってやって欲しい位に。まぁ、基本説得の通じる相手ではないし、二人ともそこまで口が達者なわけではないので、下手に手を出さない方が無難なのだろう。

 

「ハハハ、流石のサンソン殿も王妃殿下が相手では形無しだな。しかし、目を輝かせる王妃殿下もまた……」

「また、なんですか?」

「いや、なんでもない。別に、実にチャーミングだとかそんなことは思ってないぞぉ」

(思い切り本音が漏れていますが、聞かなかったことにしておきましょう)

(堪えろ私。今回は、今回だけは自重すると誓ったではないか! マシュの無事を確かめた後は、サーヴァントとして、騎士としての務めを果たすのみだと! …………だが、それはそれとして王妃も女王も実に…いや、待て待て! たったいま自重すると自戒したばかりではないか!? 私の意志力はそんなにも弱かったか! 否、断じて否だ! 円卓の騎士の名に恥じぬ働きを以て、マシュの信頼を勝ち取るのだ!!)

(まったく、せっかく少しは見直したらこれです、この人は……)

 

百面相している湖の騎士に、知らず溜息がこぼれるマシュ。

色々暑苦しかったり鬱陶しかったりすることも多いが、それでも心底から身を案じてくれていたことは嬉しかった。だからではないが、少し位は態度を軟化させてもいいかなぁ…なんて思った矢先にこれである。

一応今回は聞かなかったことにしておくが、それもいつまで続けられるやら。

折角上がりかけた評価が、また下がるのも遠くないかもしれない。

 

(もう少ししっかりしてくれていれば、私も……)

「むっ? マスター、どうやら見えて来たようです!」

「あれが、アンカジ公国……」

「フォウッ!」

「あらあら、綺麗な街ねぇ」

「ええ、オアシスに作った街と聞いていたのでもっと、その……開放的かと思っていたのですが」

 

赤銅色の砂塵のヴェールの向こうから見えてきたのは、高い外壁に囲まれた乳白色の都だった。

外壁も建築物も軒並みミルク色で、外界の赤銅色とのコントラストが美しい。

また、不規則な形で都を囲む外壁の各所から光の柱が天へと登っており、上空で他の柱と合流してアンカジ全体を覆う強大なドームを形成している。時折、何かがぶつかったのか波紋のようなものが広がり、まるで水中から揺れる水面を眺めているような、不思議で美しい光景が広がっていた。

 

「そうですねぇ。私の国とはだいぶ様式が違いますが、それでも確かに見事な都ですねぇ~(そわそわ)」

「どうやら、あのドームは一種の結界のようですね」

「そのようだ。アレなら砂嵐に見舞われても都の中は安泰だろう。ところで女王陛下、何やら落ち着かないご様子ですが、如何なされた?」

「ひわっ!? い、いいえぇ~、別に何もぉ~」

「ああ、全然関係ない話だけど、そういえばここまでラクダを見なかったね。あそこにはいるのかな?」

「っ!? そ、そうですねぇ~。いますかねぇ~。ま、まぁ、私は全然興味とかないですけどぉ~」

(((……カワイイ)))

 

あからさまに目が泳ぐ女王に、マシュやランスロットだけでなく、ダのつく人までほっこりしている。

本当はすごく気になっていることは、忙しなく動く尻尾やぴくぴくと小刻みに揺れる耳から明らか。

まぁ、分かった上でいじってくるどこぞの羊飼いも良い性格をしているが。

とはいえ、そんなゆとりのあるやり取りも長くは続かない。

 

「へぇ? 本当にいい街ね。ふふっ、ちょっと小さいけど、新天地での初ライブには悪くないわ」

「「「「「「え゛っ……」」」」」」

「さぁ、子イヌ! 街に着いたらさっそくライブの手配よ! サーヴァント界のトップアイドル、このエリザベート・バートリーが異世界のブタ共にとびっきりの時間をプレゼントしてあげるわ!」

「え、いや、それは……」

「あの、エリザベートさん? 私たちは急ぎの旅度の途中で……」

「フォウ、フォ――――ウッッッ!!」

「ほら、フォウさんも『先を急ごう』と仰っています!」

「わかっているわ。だから一日……いえ、一晩だけのシークレットライブにするの。一夜限りの夢だからこそ、今夜のことはきっと伝説になるわ! そうして噂が噂を呼び、幻のアイドルとして歓呼の声で迎えられる私……素敵! まさに最高のサクセスストーリーね! なんなら、あなた達にマネジメントを任せてあげても良くってよ?」

「お任せしま~す」

「いやいや、僕の方こそここは譲ろう。うん、砂漠での商売は独特だ、ここは専門家に任せるべきだろう」

「いえいえいえ! 私なんて所詮コツコツ稼ぐのが性に合う小売業者ですから~。羊飼いから王になっちゃうような人の足元にも~」

「いやいやいやいや!!」

「いえいえいえいえいえ!!」

「いやいやいやいやいやいや!!!」

「いえいえいえいえいえいえいえ!!!

(お二人とも、そんなに関わりたくないのですね……)

(まぁ、彼女の歌声を知っていれば当然の反応か)

(ふむ、焦る女王も大変絵になる。できれば今夜、一献共にしたいものだが……)

(また妙なことを考えていますね、このヒトヅマニア)

 

儲け話が大好きな二人が、揃って首を振っている段階で自分の歌の評価に気付いてほしいものだが……。

そう思う一同の想いをくみ取ったわけでもあるまいに、まさかの人物がストップをかける。

 

「おやめなさいな。あなたの趣味(遊び)にかまけている暇はマスターにはないのですよ」

(清姫さんが……!?)

(まともなことを言っているだって!?)

「はぁ? どうせ今晩ここで宿をとるんでしょ? だったらその間にライブの一つくらい別にいいじゃない」

「よくありません。あなたが歌えば騒動になるのは確実、それはマスターのお望みに反します」

「……なるほどね。確かにこんな田舎にあたしみたいなトップアイドルがいきなり現れたら大混乱になるのも無理ないわ」

「……あなた、実はバーサーカーでは?」

「あんたに言われたかないわよ、このヤンデレ蛇女!」

「言いましたね、血液拷問フェチのど変態」

「言ったわね、言ってはいけないことを言ったわね~!!」

「あら、怒りまして? ですが、事実ではありませんか」

「事実だから言われたくないのよ! アナコンダ!」

「レインボウアガマ」

「ヤマカガシ!!」

「アシナシトカゲ」

「あるわよ! 足ならあるわよ! このラッセルクサリヘビ!!」

「ハナブトオオトカゲ」

「そんな大きくないわよ!」

(なぜお二人とも、こんなにトカゲや蛇に詳しいのでしょう……?)

 

結局、そのままアンカジ公国に着くまで二人の口喧嘩は続くのであった。

まぁ、無事立香は清姫から解放されたので、良しとしよう。




この時期、まだアンカジは魔人族が暗躍していないので、多分さっさと抜けて大火山に向かう事でしょう。
危うく、エリちゃんの音波兵器の餌食になるところでしたが。
しかし、レア度無視して組み合わせ優先で考えたのですが、こうして見ると良い塩梅にレア度が散ってるなぁ……☆5ゼロ、☆4四人、☆3二人、☆2一人。悪くないと思うんですよ。☆2以下は19騎しかいませんし、滅多に増えない以上一つの章に一人か二人出せれば上出来ですよね?

ちなみに、香織は大幅にイメチェンを果たしております。
作者のイメージ的にはFFXのヒロインである「ユウナ」が元ですね。あの装備のままだと、色々大変そうですから。


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012

ほのぼの路線で行くと言ったな、あれは嘘だぁ! あ、清姫に焼かれる? 大丈夫?

いや、別に嘘ついたわけではなかったのですが、書いているうちに徐々にこんなことに。本当はここではまだ魔人族と遭遇しないはずなのになぁ、どうしてこうなったのかなぁ?


それはともかく。
出来れば、本編に入る前に毎回軽くでもほかの場所の話とか入れられたらなぁ、と思っています。まぁ、今回の場合はちょっと過去にさかのぼってるんですけどね。


時間を些か遡り、マシュやハジメたちがトータスに召喚されて間もない時のこと。

場所はアンカジ公国から遠く離れ、魔人族の王国「ガーランド」。

その中枢ともいうべき王城の荘厳な広い廊下を、一人の騎士が颯爽と進んでいく。

 

180センチに届く長身を漆黒の甲冑で覆っていながらも、その歩みには全く淀みがない。

騎士を目にした者たちは老若男女を問わず慌てて居住まいを正し、最敬礼を以て騎士に道を譲る。

それだけこの騎士の存在が、魔人族の間で大きなものであることの証左だろう。

騎士もまたそんな彼らを蔑ろにするつもりはないらしく、律義に足を止めては返礼し、再度歩みを進めていく。

 

やがて一際大きく壮麗な扉の前に立つと呼吸を整え、力強くノックする。

 

「入れ」

「失礼いたします!」

 

張りのあるよく通る声と共に、扉を開けて部屋の中へ。

内部は扉の壮麗さに比べ、質実剛健というべき華麗さや豪奢さなどを一切廃した質素さだった。

実用性一辺倒の内装は、王城という場所を考えれば些か不適当と言わざるを得ないだろう。

 

しかし、それを実際に口にする者はいない。

なにしろ、相手は魔人族軍の頂点にして、たった一人で人間と魔人の戦力均衡を崩した最強の魔人。

ここ数百年は現れなかった大迷宮攻略者……フリード・バグアー。

 

自身を魔王の忠実なる下僕、奉じる神の駒たることを善しとする彼にとって、自らを飾ることに意味はない。

有する力の全て、財産の全て、生命の全ては魔王と神に捧げている。彼の居室の質素さは、その一端だった。

魔王を除けば、いったい誰がそんな彼に対して賢しげなことを口にできるだろう。

 

だが、いるのだ、一人だけ。彼に対し、それを口にできる者が。

 

「閣下、城を発つ時も申し上げましたが、もう少し執務室に贅を凝らしていただきたい。これでは、下の者たちも恐縮してしまいます。閣下が贅沢をなさらないのに、どうして彼らが財布の紐を緩ませられましょう。

 それでは、いずれガーラント全体の経済にも悪影響を及ぼしますと、何度も申し上げたはずです」

「まったく、戻って早々小言とはな。お前の言い分はわかるが、これも性分だ」

「無論、承知しております。私とて贅沢は趣味ではありません」

「……確かに、そうだな」

「ですが、これは上に立つ者の責務、言わばガーラントと魔王陛下への忠義のためです。どうか、ご理解のほどを」

「…………………………………………………………………俸禄、金は使っているぞ」

 

あからさまに目を逸らし、言い訳がましく言っているがそんなことでは誤魔化されない。

 

「兵の養成や強化した魔物の餌代、ですか?」

「……そうだ」

「そのことに異議を申し立てるつもりはございません。私とて、似た様なことはしております。

 ですが、それとこれとは別の問題。閣下の私生活に遊びがなければ、配下もまた心身を緩められないと申し上げているのです。誰もが、閣下のようにお強いわけではないのですよ」

「…………わかった、善処する」

 

いつものやり取りは、結局いつもと同じ帰結を迎えた。

毎度毎度言い負かされては「善処する」と口にするフリードだが、結局改善されたことは一度もない。

当然、騎士もそのことは理解しているが、これ以上言い募るつもりはなかった。

立場上、あるいは自身の立ち位置故にこのようなことを言えるが、本来は出過ぎたマネと理解しているから。

 

「差し出がましい口をききました、平にお許しを」

「構わん。俺に対し忌憚なく意見できるのはお前位だ。腹心からの直言、無碍にはできん」

「はっ……」

「しかし……よく戻った。お前であればあるいは…そう思った俺の見立ては、間違っていなかった」

「光栄です、閣下!」

 

生きて帰れぬことを覚悟して旅だったのが数日前のこと。

フリードも期待はしていたが、同時に生きて帰ることはないのではないかと覚悟していた。

あるいは、優秀な部下を徒に失う事になるのでは、と。

 

だが、その懸念は杞憂に終わる。フリードの信頼に見事応えてくれたのだ。

普段はまず他者を褒めることのない厳格な将軍も、この時ばかりは僅かに口角が緩む。

親しい者でなければ気付かないほどわずかな変化だが、騎士はそれに気付くことができた。

 

期待してくれていたことへの感謝、信頼に応えられたことへの喜び、ようやく並び立つことができることへの達成感。様々な感情の奔流が、胸を埋め尽くす。

同時に、胸の奥に燻るものが疼く。

 

――――――ずっと押し殺してきた。

 

――――――――――――ずっと隠し通してきた。

 

――――――――――――――――――――ずっと、ずっと温め続けてきた悲願。

 

ようやくそこに、手を伸ばせる下地ができたのだ。

 

(……焦るな。手にしたばかりの力で何を浮かれている。研鑽を積み、一日でも早くこの力を自分の物にする。まずはそこから、全てはそこからなのだから)

「それで、どうだ? 変成魔法の使い心地は」

「……率直に申し上げれば、適正は高いとは言えません。大迷宮を出てすぐに魔物の使役を試みましたが、結果は芳しくありませんでした」

「やはりか……我らがガーラント近辺の大迷宮は、シュネー雪原の氷雪洞窟くらいしか確認されていない。故に、やむなくお前を送り込んだが……」

 

魔国「ガーラント」周辺に、氷雪洞窟以外に大迷宮は存在しない。

そこで、本人の強い希望もあって攻略に向かわせたが……攻略そのものはできたものの、得る物はあまり多くなかったらしい。そのことはある程度予想していたとはいえ、フリードとしても落胆を禁じ得なかった。

 

「ですが」

「うん?」

「どうやら“人体の変成”には適性があるようです」

「ほぉ? それはある意味お前らしい。外に向けて魔法を飛ばすのは苦手だが、己自身や接触した対象に魔法をかけるのは昔から得意だったからな、なるほど」

「閣下にご指導賜りながら、不甲斐ない限り。申し訳ございません」

「単に向き不向きの話だ。俺は魔物の使役や強化に適性を示し、お前は人体変成に適性を示した。それだけのことだ」

「はっ!」

 

二人は単なる上司と部下ではなく、師弟に近い関係でもあった。

まだフリードが大迷宮を攻略する以前、一人の将に過ぎなかったころから傍にいたからこそ、畏れずに諫言を口にできる。そんな愛弟子を、フリードもまた深く信頼していた。

 

「まずは変成魔法の習熟を急げ。ある程度形になり次第……動くことになるぞ」

「戦争ですか?」

「……いや、違う」

「違う、と申しますと?」

「お前は城を空けていたから知らなかったのだな。先ごろ、人間族に『勇者』なるものが召喚されたとの情報がある」

「召喚? 『生まれた』でも、『現れた』…でもなく?」

「そうだ。どうやら、人間族の神が我らに抗うために異世界から呼び寄せたらしい。まったく、往生際の悪いことだ」

「異世界……」

 

フリードの語る言葉を、騎士は反芻するように何度も噛み締める。

 

「どの程度の力を持っているかは不明だ。しかし、不遜にも『神』を僭称する者の呼び寄せた輩。甘くは見ない方が良かろう」

 

程度の低い者を召喚するような存在であれば、それこそ当の昔に魔人族の神が打ち滅ぼしている筈。

業腹ではあるが、それができていないからこそ相手の力もある程度は認めざるを得ない。

フリードは人間族やその神を心底嫌悪しているが、決して侮ってはいなかった。

 

「人間どもがどれほどの力を得ようと関係ない。我らはそれ以上の力を手に入れ、奴らを薙ぎ払うのみだ」

「では……大迷宮ですか」

「そうだ。現在場所が判明している大迷宮は、オルクス大迷宮とグリューエン大火山、それにハルツィナ樹海の三つ。それぞれ秘密裏に調査を進めるつもりだが、さすがにオルクスとハルツィナは人間や亜人共の領域。そう容易くはいくまい。故に、我らはまず大火山へ向かう事になるだろう」

「ですが、あそこも一応は人間族の領域では?」

「そうだ。そこで、魔物を放ちアンカジ公国を落とす」

 

つまり、その上でグリューエン大火山を魔人族の支配下に置こうというわけだ。

 

「まだ全面戦争には早い。アンカジ公国へは必要最小限の戦力を送ることになる。お前の配下にも動いてもらう事になるだろう。親衛騎士団の力、期待している」

「……はっ!」

 

執務室を退出し、親衛騎士団長は足早に部下たちの下へと向かう。

徐々に戦争への機運は高まり、数週間後には秘かにと言えど人間族の支配地域を奪う事になる。

フリードの立てた策は可能な限り魔人族側の消耗の少ない方法だが、作戦通りにいくとは限らないのが現実だ。

共に派遣する部下の身の安全も絶対ではない。ならばどうするか……答えは一つ。

 

「……早速、試すことになりそうですね」

 

フリードのように魔物を使役することも強化することもできないが、自分なりの使い方がある。

これを使えば、部下を著しく強化することも不可能ではない。

それともう一つ、気がかりなことが……。

 

「異世界から召喚された勇者……会ってみたいものです」

 

世界が、大きく動き出そうとしていた。

 

 

 

  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 

 

 

元々、アンカジ公国に立ち寄ったのは、グリューエン大火山へ入る前の準備をするためだ。

ハジメの作ったアーティファクトのおかげで特に疲れるような旅路でもないこともあり、用さえ済めばさっさと向かう以外に選択肢はない。

なので、本来ならちょっと立ち寄るだけで問題なく済む……筈だった。

 

しかしそこはそれ、同行者が暴走力に富んだサーヴァントなら話は別。

火種のない状態から自力で山火事を引き起こすことすら可能な連中もいるので、滞在時間が延びれば伸びるほどに騒動が起こる可能性は増す。

 

故に、立香としては一秒でも早くアンカジ公国を後にしたかった。

何しろ今回は、トラブルメーカー率が高すぎる。具体的には、清姫とかエリザベートとかダビデとかランスロットとかだ。女王や王妃、処刑人は割と常識があるというか周りに合わせてくれるタイプなのだが……いや、ランスロットとダビデもそれなりに合わせてはくれるが、それでも騒動を起こすタイプ。周りのことを気にせず騒動を起こす清姫やエリザベートと、果たしてより性質が悪いのはどちらか悩みどころである。

 

そして、そんな立香の懸念は現実のものとなってしまった。

 

「あなた……嘘を吐きましたね?」

「は? おいおい嬢ちゃん、何言ってんだ? 俺は誠実に商いをしてるんだ、言いがかりはよしてくれや」

「その髪飾り、純金製と仰いましたね?」

「おうよ! 王都で人気の職人から仕入れた逸品だぜ!」

「いいえ、それは嘘です!」

「なにぃ、どこが嘘だってんだ、あぁ!」

「わたくし、貴金属には詳しくありませんが、嘘には詳しいのです! あなたは嘘をついています!」

「おう、嬢ちゃんいい加減にしねぇと……」

「ちょっ、スト――――――ップ! 清姫、令呪を以て命じる! その嘘はスルーで!」

 

清姫相手に嘘を見逃させるには、令呪を一画必要とする。

それは何もマスターに限らず、第三者の嘘を見逃す際にも適用されるのだ。

しかしそれも仕方がない。ここで彼女を止めないと、間違いなく大惨事になる。

 

「……仕方がありませんわね。マスターのご命令とあれば、ここは見逃しましょう」

(ほっ)

「ですが……」

 

気付けば、清姫の目が人間ではなく蛇の目のようなそれになっていた。

 

「……次はありませんよ?」

(先輩! 不味いです! このままだとアンカジの街が火の海に!)

(だよね!? 街ごと焼き尽くさんばかりにストレスが溜まってるし! 令呪もあと一画、早く街を出ないと!)

 

なにしろ既に一画、これで二画目の令呪を消費してしまっている。

人の世には嘘が絶えない。それは何も悪い嘘ばかりではないし、場合によっては誰かを守るための優しい嘘や方便なども含まれるだろう。だが、清姫にとってはどんな嘘も全て同じ。

嘘つき死すべし、それが彼女にとっての絶対のルールなのだ。

活気のある街中と清姫、ある意味最悪の組み合わせだろう。

 

(あ~もう、こんな事なら言葉なんて覚えるんじゃなかったかなぁ!?)

 

オスカー・オルクスの隠れ家で過ごす間に、ユエに協力してもらって覚えたこの世界の言葉。

召喚の際の現代知識付与を応用し、それをサーヴァントたちにも適応させることができたのでやってもらったのだが……この有様だ。立香が一瞬後悔してしまうのも無理はない。

 

ちなみに、この言語習得にはユエも大いに協力的だった。

なにしろ、ハジメたちが地球に帰還する際にはそれに同行するつもりの彼女にとって、地球の言葉…この場合は日本語の習得は避けては通れない。ハジメたち相手だと普通に通じてしまうため練習にならないが、立香の存在はちょうどいい練習相手だったのである。

なので、隠れ家にいる間は協力し合って単語帳を作ったり発音の確認をし合ったりと、意外と接点の多かった二人だった。

 

まぁ、それはともかくとして……

 

「マシュ! 清姫を連れて急いで街の外へ!」

「はい! ハインケルまで先行します!」

 

とにかく、一秒でも早く清姫を街の外に出す必要がある。

偶には街で羽を伸ばさせてやりたい、なんて仏心を出したのが間違っていたのだろうか。

 

(……いや、それ自体は間違っていない。ただ、俺がちゃんと嘘から遠ざけられれば良かっただけだ)

 

ここで清姫や他の何かのせいにせず、自分自身に責任の在り処を求めるのが立香らしいというべきか。

そんな彼だからこそ、多くの問題児(サーヴァント)も彼に信頼を寄せるのだろう。

自分たちが厄介者であることは理解している。それでもなお、自分たちのために考え、行動してくれる立香の人間性に。

 

とはいえ、そんな器の広い彼にも限度というものがあるが。

 

「ああっ、見つけたよアビシャグ! こんなところにいたんだね、僕の心のオアシス!」

「は? だれ、あんた?」

「照れなくてもいいんだよ。さぁ、僕と共に歌い踊ろうじゃないか!」

「女王様、任せた!」

「すっげぇ~嫌ですけどぉ~、マスターの頼みですからねぇ~」

「無事帰れたら動物園連れてくから!」

「ラクダは!? ラクダはいますか!!」

「いるとこ選ぶ!」

「は~い、やっちゃいま~す! さあ、出番ですよ~、私の霊鬼(ジン)たち。

 この空櫃(からひつ)の底に秘された問いこそは、汝をはかり、見定める戒めとなる。かかれ!」

「うん? あれ、君は確か……」

(エハッド)!」

「うごっ!?」

(シュタイム)!」

「あべしっ!?」

(シャロッシュ)!」

「ひでぶっ!?」

三つの謎かけ(スリー・エニグマズ)』!」

「ぎゃぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁ!?」

「なんだったの、いまの?」

 

街角でどちらかと言えば小柄な美人に粉をかける不届き者に制裁を加え

 

「踊りましょう、歌いましょう! ここは楽しい舞踏会!」

「フォ~ウ!」

「おっ、良いぞねーちゃん!」

「ママ~、あのおねーちゃんお人形さん見た~い」

「さぁ、みんなもキラキラ、キラキラ……輝きましょう♪」

・・

・・・

・・・・

・・・・・

「みんな一緒に、ヴィヴ・ラ・フランス♪」

「「「ヴィヴ・ラ・フランス♪」」」

「フォフォフォウ!」

「素敵よ、みんな! じゃあ、もう一度。せーのっ、ヴィヴ・ラ・フランス♪」

「「「ヴィヴ・ラ・フランス♪」」」

「フォフォフォウ!」

「おい、『ヴィヴ・ラ・フランス』ってどういう意味だ?」

「さぁ?」

「マリーさんこっち!」

「あら、マスター? どうしたの、そんなに急いで?」

「サンソン、あとは任せた!」

「はい。王妃、こちらへ」

「あら? あらあら? 名残惜しいわ、せっかくみんなと仲良くなれたのに……」

 

陽気な音楽に誘われ、いつの間にか紛れ込んだ王妃様(+1)を回収し

 

「ハローブタ共! 名残惜しいけど、アイドルのスケジュールは多忙を極めるもの。世界中のブタが私の歌を求めているのよ。だからせめて、一曲だけ……」

「やめて――――――――――――――――っ!?」

 

アンカジの街に放たれようとした音波兵器(ぼえ~っ)を身体を張って止めたりと、涙ぐましい努力があったのだ。

 

街の外に停めてあったハインケルに戻る頃には、大迷宮に入る前から疲労困憊の立香の姿。

まぁ、大迷宮に入ってしまえばむしろサーヴァントたちの領分なので、立香が走り回ることも減るのだが。

それを思えば、今こそが立香にとっての大迷宮だったのかもしれない。

ちなみに、もう一人の問題を起こしそうなサーヴァント、ランスロットはと言えば……

 

「お待ちしておりました、マスター。さぁ、車内へどうぞ。準備は万端整っております」

 

本来の生真面目さを発揮し、街には一歩も入らずハインケルを守ってくれていた。

まさに“理想の騎士”。普段からこうしていれば、マシュからの扱いも改善されるだろうに……。

まぁ、街に入っていれば彼も騒動の種になっていたのは想像に難くないが。

 

とはいえ、こんな騒動も余談に過ぎない。

今から向かう場所こそが、彼らの旅の本命の一つなのだから。

 

【グリューエン大火山】

 

アンカジ公国より北方に進んだ先、約100キロの位置に存在する、直径約5キロ、標高3000メートル程の巨石だ。普通の成層火山のような円錐状の山ではなく、いわゆる溶岩円頂丘のように平べったい形をしており、山というより巨大な丘と表現するほうが相応しい。ただまぁ、その標高と規模が並外れているが……。

 

グリューエン大火山は七大迷宮の一つとして周知されているが、【オルクス大迷宮】のように冒険者が頻繁に訪れることはない。それは内部の危険性と厄介さ、そして【オルクス大迷宮】の魔物のように魔石回収の旨みが少ないから……というのもある。

しかし一番の理由は、まず入口にたどり着ける者が少ないからだ。

 

「すごいな、これは……」

「はい、圧巻です」

 

グリューエン大火山は、巨大な渦巻く砂嵐に包まれているのだ。

さながら、かの天空の城を包み込む巨大積乱雲のように。

その規模はグリューエン大火山をすっぽりと覆って完全に姿を隠すほど。

砂嵐の竜巻というより、流動する壁と言った方がしっくりくるだろう。

 

さらに、この砂嵐の中には多くの魔物が潜んでおり、視界すら確保が難しい中で容赦なく奇襲を仕掛けてくる。並みの実力では、グリューエン大火山を包む砂嵐すら突破できない。

 

とはいえ、それはあくまでも「並みの人間」の話。

立香自身は至って並の人間だが、他の面々も装備もその域を逸脱している。

 

「うわぁ、歩いてここ突っ切るとかじゃなくてホントに良かったわ。いや、出来るけど。私のドラゴンブレスなら軽く貫通できるけど」

「同感ですわね。わたくしの炎でも容易く蹴散らせますが」

「なによ」

「なんです?」

「あらあら、うふふ……仲良くしましょう、二人とも♪」

「「ふんっ!」」

 

王妃様のとりなしもあり、どうにか車内で二大怪獣大決戦は避けられたらしい。

 

「ですが、確かにこの車があって助かりました。ダメージも脅威もなくても、砂嵐を通る不快感は如何ともしがたいですから」

「そうですねぇ~。ところでマスター。南雲さんはビジネスにご興味は?」

「今はないと思うよ」

「“今は”ですね? でしたら、興味が湧いたらぜひ私にご一報を、とお伝えくださ~い」

「まぁ、伝えるだけなら……」

「あ、それ僕にも一口噛ませておくれよ」

「絶対嫌ですぅ~! 私の取り分が減るじゃないですかぁ~!」

「まったく、女王様はつれないなぁ」

 

イマイチ緊張感に欠ける面々のやりとりを頼もしく思えばいいのか、呆れればいいのか……。

 

「では、マスター」

「うん、任せた」

「入ります!」

 

ちゃんと緊張感を持ってくれている騎士様の有難みを噛み締めつつ、砂嵐へと突入する。

砂嵐の内部は、まさしく赤銅一色に塗りつぶされた閉じた世界だった。ここを魔法なり、体を覆う布なりで魔物を警戒しながら突破するのは、確かに至難の業だろう。

改めて、ハジメが用意してくれた魔力駆動車に感謝する。

 

太陽の光もほとんど届かない薄暗い中を、緑光石のヘッドライトが切り裂いていく。

事前の情報からすれば数分で突破できるはずだが、警戒は怠らない。

サーヴァントたちは大丈夫でも、立香自身は脆弱な人間だ。突然巨大な魔物と遭遇し、ハインケルごと押し潰されてはどうにもならないだろう。

それを警戒して、スピードを落として進んでいるのである。

 

実際、その懸念は正しかった。

砂嵐を抜けるまでの間にサンドワームという平均20メートル、最大100メートルにもなる大型の魔物に何度も出くわしたのだから。

とはいえそれも、事前に施していた対策のおかげで難を逃れることができた。

ランスロットの「己が栄光の為でなく(フォー・サムワンズ・グロウリー)」による隠蔽の他に、女王が時々やろうと思ってないのに発動することもある幻術を複合させることで、元々探知能力の低いサンドワームの傍をすり抜けることができた次第である。ちなみに、本来は色々悪目立ちしてしまう女王やエリザベートも、これを活用することで怪しまれずに済んだ。

 

まぁ、どうしても避けきれないときもあったりはしたのだが、そういう時は……

 

ランスロット卿(お父さん)、そのスイッチを押してください」

「む、これだな」

 

ボタンを押すと、屋根の上から音が響いて一部が開く。続いて、そこから銀色の円筒形の物体が姿を現した。

いつの間にか運転席の脇にモニターのようなものが現れ、後方の状態を映し出す。

それだけでなく、同心円状のラインが描かれており、その中に全ての魔物を収めたところで隣のスイッチをポチッと。

 

バシュ――――――ッ!!

 

という音と共に円筒形の物体は魔物目掛けて飛翔。

先頭の魔物にぶつかった瞬間、大爆発が生じた。

 

「これは……ミサイルか!?」

「うん。誘導性能はないけど、ランスロットの宝具ならいけるよね?」

「無論、我が王に誓って!」

 

その後はもう一方的な蹂躙劇だ。ただでさえオーバーキル気味だというのに、ランスロットの宝具で強化されたミサイルの威力、推して知るべし。

せめてもの救いは、極力魔物は避けるようにしたので、実際に蹂躙した魔物は最小限にとどめた…筈なことか。

 

ただ、聞くところによるとハジメたちが使っている二輪車などと変形合体し、人型汎用決戦兵器―――――巨大ゴーレムになる……というゴールデン(金時)が大はしゃぎしそうな機能があるとかないとか。

ない……と言い切れないのが、ハジメの恐ろしい所だ。

 

とまぁ、そんなこともありつつ数多の冒険者達を阻んできた巨大砂嵐を易々と突破した一行。

砂嵐を抜ければ、それまでが嘘のように視界が開ける。まず目に飛び込んできたのは、まるでエアーズロックを何倍にも巨大化させたような岩山だった。砂嵐を抜けた先は静かなもので、周囲は砂嵐の壁で囲まれており、直上には青空も見える。台風の目をイメージすれば分かり易いだろう。

 

グリューエン大火山の入口は頂上にあるらしい。

なので、わざわざ山道をえっちらおっちら登ることもないと、進める所まではハインケルで坂道を上がっていく。

露出した岩肌は赤黒い色をしており、あちこちから蒸気が噴出していた。活火山らしいのだが、何でも過去一度も噴火したことがないという。なんとも大迷宮らしい不思議さだ。

 

傾斜角的に厳しくなってきてからは、ハインケルはオルクス大迷宮で手に入れた宝物庫と呼ばれる王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)に似たアーティファクトに収納し、徒歩で山頂を目指すことに。

とはいっても、立香のペースに合わせていては日が暮れてしまう。

魔力消費的に少々やり過ぎ感はあるが、マリーの「百合の王冠に栄光あれ(ギロチン・ブレイカー)」を発動。

彼女が呼び出したガラスの馬に同乗させてもらい、他の面々はサーヴァントの身体能力を遺憾なく発揮してヒョイヒョイ登っていく。

サーヴァントが相手では、まだ入ってもいないとはいえ大迷宮も形無しだろう。

 

「マスター、熱くはない?」

「大丈夫、ちゃんとレジストできてる」

「そう、良かった。辛いようなら言ってちょうだいね」

 

生前が王妃様という事で若干ずれたところのあるマリーだが、その心根の優しさは本物だ。

エリザベートや清姫のキャラが濃すぎるせいもあり、立香の眼尻に涙が浮かぶ。

 

とはいえ、零れた涙は地面に落ちるやあっという間に蒸発してしまう。

地表の温度はいったいどれほどで、気温は何度になっているのか知りたくもない。

魔術でレジストできるから一応平気な顔をしているが、それがなかったら息をするだけで辛い筈だ。

改めて、ハジメたちを樹海に向かわせ、立香たちがこちらを担当してよかったと思う。

そうそう不覚を取るとは思えないが、それでもより適した者が向かう方が良いに決まっている。

 

まぁ、それを言うと、モコモコの毛皮で全身を覆っているフォウが平気な顔をしているのは不自然極まりないのだが……

 

「フォウさんも苦しくはありませんか?」

「フォウ!」

「そうですね、フォウさんもずっと私たちと一緒に旅をしてきたのでした。今更これくらいの暑さは問題にもなりませんね」

「いや、それはさすがにどうなの? いくら直接日に当たらないようにしてても、熱いとかってレベルじゃないはずだけど……」

「先輩、どうかしましたか?」

「あぁ…いや、なんでもない。たいしたことじゃないし」

「はぁ……っ! 先輩、頂上が見えてきました!」

「みたいだね。みんな、もう少しだ!」

 

たどり着いた頂上は、無造作に乱立した大小様々な岩石で埋め尽くされた煩雑な場所だった。

尖った岩肌や逆につるりとした光沢のある表面の岩もあり、奇怪なオブジェの展示場のような有様。

砂嵐の頂上もとても近くに感じる。オブジェの方はともかく、こちらは中々に見応えのある光景だろう。

 

思わずそちらに視線を奪われていると、唐突に岩陰へと引き込まれる。

 

(っ! ……サンソン?)

(マスター、お静かに。何者かが近づいてきます)

 

見れば、周りには彼ら同様岩陰に身を隠す仲間たちの姿。

岩からそっと顔をのぞかせれば、確かに立香たちが来たのとは別方向から頭から厚手の外套を被った者たちが複数人姿を現していた。

 

(迷宮の挑戦者かな?)

(その可能性が高いですね)

 

人数は五人。大凡の身長はわかるものの、外套のせいで年齢も性別も不明。

とはいえ、それだけなら別に隠れ続ける必要ないのだが……問題はこの後だった。

 

(おや? その割には妙なものを連れているね)

(あれは!?)

(フォ~ゥ?)

(魔物? 追いかけて来た……って感じじゃないな)

 

5人組のあとから、ゆったりとした足取りで姿を現したキメラのような魔物を筆頭に、体長10メートルを超すスライムやミノタウロスを模した魔物など、総数10体に及ぶ魔物たちが追従している。

ここまで一度も見かけなかったこと、やろうと思えばいつでも襲い掛かれる距離にもかかわらず何もしようとはせず、5人組にも警戒心が見られない。間違いなく、彼らによって使役されているとみるべきだろう。

 

(あら、なんだか強そうな魔物ね)

 

イマイチ緊張感には欠けるが、マリーの言っていることは事実だろう。

これまで地上で遭遇したり見かけたりしてきたどんな魔物より、あれらは強力そうに見えた。

それこそ、オルクス大迷宮にでも行かなければお目にかかれないような……。

 

(通常、魔物の使役はできて1匹か2匹と聞きます。ましてや、あれほどの魔物を使役しているとなれば……)

(魔人族……と考えるべきだろうね)

 

そもそも、マシュたちが召喚されたのは人間族と魔人族の均衡が崩れたからだ。

個では人間族に勝るものの、数では及ばない魔人族。

数で勝っていながらも、個では魔人族に届かない人間族。

こうして保たれていた均衡を破ったのが、魔人族による魔物の大量使役だ。

方法はわからないが、何らかの手段で魔人族は魔物を使役することができる。

数という優位を失った人間族は、こうして存亡の危機に瀕したわけだ。

 

ならば、10体に及ぶ魔物を引きつれている一団となれば、高確率で魔人族と見るべきだろう。

あの5人全員が、強力な魔物を二体ずつ使役できる人間族……と考えるよりはよほど自然だ。

 

(狙いはやっぱり……)

(はい、大迷宮ではないかと)

 

元々、立香たちは魔人族に変化が起きた要因の一つとして、大迷宮攻略の可能性は考慮していた。

そうでもなければ、魔人族がどうやって魔物を使役しているか、その手掛かりすらつかめないというのは不自然過ぎる。まったく手掛かりがないという事は、現代の常識からはかけ離れた手法…という考え方もできるだろう。

そして、真っ先のその候補として挙がるものと言えば……そう、神代魔法だ。

 

今のところ確実にあると思われる神代魔法は二つ、「空間」と「魂」に関する魔法である。前者は転移陣の存在から、後者はステータスプレートの機能からの推測だ。

ただ登録した者の能力を数値にして表すだけならまだしも、技能などまで表記できることに違和感を持ったのが始まり。また、立香たちには習得することのできた神代魔法も、単に脳裏に術式を刻み込めば習得できるほど安いとは思えない。その程度で習得できるなら、文献か何かを通して残っていても良い筈である。

付け加えれば、試しにステータスプレートを解析しようとしたエミヤも、それを弾かれたらしい。術の体系が違うというのもあるだろうが、形だけでの複製もできず解析もできないなど、彼の能力を考えれば異常だろう。

ならば、彼の能力を以てしても把握しきれないだけの要素があるのではないか、と考えるのが普通だ。実際、他のアーティファクトはほぼ解析でき、物によっては複製もできたのが決め手だった。

 

そうして、“魂を観測する”アーティファクトではないかとの推測が持ち上がった。

それだけの代物なら、神代魔法の一つが関わっている可能性は高い。

 

また、予想の域を出ないが「時間」に関する魔法もあるとみている。

空間・魂とくると、どうしても自分たちの世界の魔法を思い浮かべてしまうからだ。

その流れから、時間に関する魔法もあるのでは、と考えるのは自然な流れだろう。

こういった予想をした上で、とりあえず「空間」に関する神代魔法を探す方針でいる。

 

とはいえ、その予想が当たっていたとしても、これらすべてがいずれかの大迷宮に眠っているとは限らない。

中には、解放者たちが習得していない神代魔法…なんてものもあるかもしれないのだから。

 

話が逸れた。

とにかく、魔人族の変化に神代魔法が関わっている可能性は高い。

その場合、考えられるのは「魂」の可能性が高いものの、断定はできない。

他にも、「生命」に関する魔法なんてものもあるかもしれないのだから。

あるいは、もっと別の可能性も否定できない。何しろ術体系が違うので、立香たちの魔術的常識に当てはめて良いものかどうか……。

 

とはいえ、仮に魔人族が神代魔法を得ていた場合、もっとも攻略した可能性が高いのはシュネー雪原の氷雪洞窟だろう。その場合、氷雪洞窟に隠された神代魔法は目当てのものではない可能性が高い。

そういった事情もあり、立香たちは先にここグリューエン大火山に来たわけだ。

まぁ、まさかここで魔人族と出くわすとは思わなかったが。

 

(さて、どうしようか?)

(ん? やっつけちゃうんじゃダメなわけ? 今までの魔物より強そうだけど、何とでもなるでしょ、あれくらい)

(ことはそう単純ではありません、マドモアゼル。マスターとしては、魔人族との対立は本意ではないのです)

 

サンソンがエリザベートを諫める。まさに彼の言うとおりであり、立香としては必要のない戦いをするつもりはなかった。上手くすれば、魔人族と戦うことなく帰還の方法が見つかるかもしれない。

なのにどうして、わざわざ彼らと敵対しなければならないのか。

グリューエン大火山の神代魔法が目当てのものではなかった場合、今度はシュネー雪原……魔人族の領域にも足を踏み込むことになる。余計な争いの種は、極力まきたくない。

 

(しっ! お静かに、何やら話しているようです)

(聞こえそう?)

(この距離だと、流石に……)

(あら、どうやら二手に分かれるつもりのようですね)

(((え?)))

(ふむふむ、あの半透明の魔物を連れてアンカジへ向かう方と、このまま火山の中に入る方がいると)

(え? 清姫、何喋ってるか、わかるの?)

(わたくしが嘘をついていると?)

 

清姫の目に不穏な光が灯る。立香は全力で首を横に振り、そういった意味で言ったわけではないことをアピール。

 

(ですが、どうやって?)

(唇を読みました)

(なんと! そのような特技をお持ちとは……)

(確かに、言われてみればマフラーのようなものを外したおかげで、口元は見えますね。しかし、読唇術とは)

(あんた、それ何のために身に付けたのよ)

(うふふふ♪ 女の嗜みですわ)

 

その瞬間、全員の心の声が一つになった。

絶対、ストーキングした立香及び彼が会った相手との会話の内容を把握するためだ。もちろん、浮気を監視する目的で。

色々突っ込みたいのはやまやまだが、今はとりあえず横に置く。なにしろ、実際役に立っているのだから。

 

(そ、それで、他には?)

(この角度ですとよく見えませんが、此度は調査が目的で、アンカジにあの魔物をけしかけるのが本来の目的のようです)

 

立香たちからすれば、精々一晩滞在しただけの街だ。

特に思い入れはないし、何か恩を受けたわけでもない。別段知り合いもいなければ、助ける筋合いもない。

しかし、だからと言って見捨てることなどできる筈もなかった。

 

―――当たり前の日常を謳歌している人々がいた。

 

――――――笑いながら日々の糧に感謝している人たちがいた。

 

―――――――――――――健やかな子どもたちに目元を綻ばせる、ありふれた日常に包まれた街。

 

その尊さを、彼らは知っている。ならば、することは一つしかない。

 

(マリーさん、サンソン、それにダビデ!)

(((……)))

 

あちら側に具体的にどれほどの戦力が向かっているかはわからない。

とはいえ、既に一人の魔人族が数匹の魔物を連れて動き出した後だ。

他にも別動隊がいるかもしれない以上、戦力の出し惜しみはなし。

 

防衛という役目に向かない清姫、外見上色々問題が生じやすい女王とエリザベートは除外せざるを得ない。

正直、マシュとランスロットも向かわせるべきかとも思ったが、二人と目があった瞬間に諦めた。

なんと言ったところで、二人は決してこの場を離れないであろうことがわかったからだ。

ならば、ここで押し問答している時間も惜しい。

 

(アンカジを、守って)

(ええ、もちろんマスター♪)

(いいとも)

(気楽に気楽に。まぁ、任せてくれていいよ。僕は結構やるからね)

 

三人はさっそくマリーが召喚したガラスの馬車に乗り、アンカジへ向けて走り出す。

とはいえ、そんなことをすれば立香たちが隠れているのもバレてしまう。

 

とはいえ、今更それを厭うつもりはない。

バレてしまったからには、直接向き合うだけだ。

 

(さて、鬼が出るか蛇が出るか……)

 

予想外の邂逅ではある。

しかし、いずれは通らねばならない道。

それがいまだった。ただそれだけのことと割り切り、立香は残された仲間たちと共に岩陰から進み出る。




魔人族側の主力がフリード一人ってのもあれかなぁということで、テコ入れが入りました。
フリードの配下に、もう一人迷宮攻略者をぶっこんでみた次第。
変成魔法にはあまり適正はありませんが、あくまでもそれは正当な使い方としての話。人体に対して作用させるのは得意……ってヤバいですね、設定考えといて。
いや、龍太郎とか普通にそういう使い方してますし、ティオも似たようなものですが……ねぇ?

実際にオリキャラが表舞台に出てくるのは次の章の予定。さぁ、どうなっていくのやらぁ……。


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013

ちょっとお久しぶりです。
最近リアルが忙しかったり、調子の悪いPC買い替えたりしてたらなかなか書けなかったもので。
とりあえず、次回で大火山編は終わる……はず。
とはいえ、第二章はまだ続くんですけどね。むしろ、この辺は序盤というか、本番は攻略後なんですけど。


 

ユエにとって、オルクス大迷宮でハジメと出会う以前の過去には意味がない。

より正確には、「■■■■■■」の名とともに捨てた、というべきだろう。

 

吸血鬼族の王族として生を受け、充溢した魔力と全属性の魔法への適正という稀有な資質を有していた■■■■■■。

加えて、12歳になると魔力操作と創造構成の技能、そして自動再生の固有魔法に目覚めた。

そして、そんな類稀な資質を余すことなく引き出せるだけの天賦の才。魔法でも知識でも、与えられれば与えられるだけ吸収していく聡明さもまた、彼女の数ある長所の一つだった。

 

まるで、書物に記される神代の登場人物達の如き凄まじい能力。

彼女に並ぶ者など、教師役を務め、王位についてからは宰相として支えてくれた叔父くらいなものだろう。

 

当時は現代とは比べ物にならないほどの国々があふれており、戦争は激化の一途を辿っていた。

そんな時代の流れは吸血鬼の国「アヴァタール」をも巻き込み、■■■■■■はその力を持って国と民を守った。

 

結果、■■■■■■に対する名声と畏怖は膨れ上がり、若干17歳にして王位に就くことになる。

 

双肩にかかる責任や民の命の重さは、■■■■■■をして決して軽いものではなかった。

それでも、潰れることなく背負いきれたのは、彼女があまりにも強く聡明すぎたから。

荒れ狂う時代の中、国と民を守れるのは己だけという事実を彼女は正しく理解していたし、それが自惚れではないことを示すだけの力あった。

 

それに、決して彼女は孤独ではなかった。

信頼できる家臣や引き続き宰相として支えてくれた叔父の助けもあり、その後も国の為に己の全てを賭けて尽力し、自国を守り抜いた。そのまま守り抜けると信じていた。

 

しかし、そんな日々は思いもしない形で幕を引くことになった。

誰よりも、何よりも、それこそ自分自身よりも信じていた叔父の裏切りという最悪の形で。

 

数年前から叔父との間に距離が空き、溝ができ始めていることには気づいていた。

その分だけ叔父に権力が集中し、反比例するように民から寄せられていた畏敬の念は恐怖へと変化していった。

いつからか、前国王夫妻である両親やその側近から、謀反の疑いありとして叔父とその派閥の排斥・粛清が訴えられるようになっていた。

それでも、■■■■■■は一度たりとも、一片の疑いも叔父に向けることはなかったのだ。

 

結局のところ、彼女の信頼は裏切られた。

 

玉座にて他国の使者を迎える折、叔父が完全武装した部下と共になだれ込んで来た。そして、前国王夫妻派の側近達を問答無用に惨殺し、その凶刃を、殺意を、■■■■■■にも向けたのだ。

だが、自動再生により瞬時に傷の尽くを修復してしまうため、已む無く叔父は■■■■■■をオルクス大迷宮……奈落の底に封印した。

 

それから三百年以上の月日が流れ、■■■■■■はハジメと出会った。

「■■■■■■」の名と過去のすべてを捨てて、ハジメにもらった「ユエ」の名と彼への想い……あとついでに、一筋縄ではいかない恋敵への対抗心だけを胸に、いま彼女は生きている。

 

 

 

とはいえ、人とは常に変化し続ける生き物だ。

不滅ではなく、永遠でもないが故に。

如何に自動再生の固有魔法を有し、三百年の封印を経てもまるで容姿に変化の見られないユエであっても、例外ではない。

 

そもそも、この世界では反則級の能力である自動再生だが、魔力に依存する関係上攻略の余地はある。

とある殺人鬼に言わせれば「寿命が何万何億あろうと関係ない。生きているのなら―――――神様だって殺してみせる」。たかだか「死ににくい」程度では無意味。

"その個体における死の概念"を露わにし、不死身性を無視して致命傷を与える眼を持つ者にとって、死に難い命はあれ、死から逃れられる命はない。終わりは、万物に共通するのだから。

 

ならば、奈落の封印部屋という閉された空間(セカイ)から解放された彼女に変化が生じるのは必然だろう。

例えばそう、その最たるものが他者との出会いだ。

 

「………………………」

 

ハルツィナ樹海の一角。ハジメたち一行とハウリア族の野営地の傍にある一際背の高い木の上で、ユエは自身の名の由来である「月」を見上げていた。胸にくすぶる、名前の付けられない複雑な感情を整理するために。

 

答えは出ない。そもそも、この感情にどのような名前を付け、どう向き合えばいいかもわからない。

ならば、整理のしようがないのも当然だろう。

ただただ無為な時間が過ぎていく中、「ガサガサ」という音と共に背後にユエにとって何よりも安心できる気配が現れた。

 

「……どうしたんだ、ユエ。こんなところでよ」

「……ハジメ?」

「おう」

 

肌着とズボンだけを身に着け、特に武器も携行していない様子だがさもありなん。

この樹海の魔物では、丸腰どころか両手両足を縛った状態でもハジメ相手に勝ち目がない。

ならば、この警戒心の薄さも当然のものだろう。なにしろ、そもそも警戒する必要がないのだから。

 

「……いつから?」

「気付いてたのかって意味なら最初からだ。中々戻ってこないんで、ちょっとな」

 

というより、気付くなというほうが無理な注文だ。いくら警戒する必要がないとはいえ、基本ハジメは気配感知をはじめとした技能を切ることはない。いくら圧倒的戦力差があるとはいえ、油断や慢心をするほどの“余裕”はハジメにはないのだから。

ましてや、“激しく求め合った相手”が腕の中からソッといなくなればなおのことだろう。

 

ちなみに、このあたり香織とユエの間でしっかりとした協定が結ばれており、ハジメとの同衾は一日交替となっている。ただ、あくまでも“基本”なので、その限りではないことも……。

 

「……ん、ありがとう」

「まぁ、心配するまでもないとはわかってるんだがな」

「それでもうれしい」

「そうか」

「……………」

「………………………………」

「………………………………………………………………」

「………………………………………………………………………………………………………………………………」

「……聞かないの?」

「聞いてほしいなら聞くが?」

「……その言い方、ズルい」

「……かもな」

 

それでも、話したくないことを無理に聞くつもりはなかった。

話してくれない程度で揺らぐような信頼関係は、当の昔に通り過ぎている。

 

(いや、そもそもそんな段階あったか?)

「一つは、シアのこと」

「へぇ? そいつはちょっと意外……いや、そうでもないのか?」

 

シアはハジメたち一行が共通して有する技能「魔力操作」を所持している。

本来亜人族は魔力そのものを持たないのだが、彼女は例外的に魔力とこの技能、そして稀有な固有魔法を持って生まれたのだ。

それが原因で樹海を追われる結果となったわけだが、それは今関係ないので割愛する。

 

重要なのは、彼女が魔力操作を有し、ハジメたち「同類」に対し仲間意識を感じていること。

シアなりにいろいろな考えがあってのこととはいえ、それも一因となってハジメたちの旅への同行を求めたりもした。いや、今も外堀を埋めるため奮闘中なので現在進行形でいうべきか。

そして、その外堀を埋めるためのとっかかりとして見定められたのがユエだ。結果、ハジメたち一行の中でユエが最もシアとかかわる時間が長い。

また、ユエはハジメや香織が後天的に「魔力操作」を得たのに対し、後から目覚めたというだけでシアと同様に“生まれつき”だ。“同胞”のいない孤独も、そんな相手に出会えた喜びも、わかりすぎるほどにわかってしまう。

 

「一つはってことは、シアのことだけじゃないんだな」

「……ん、あとはマリーのこと」

「あ~、なるほどなぁ……」

 

オルクス大迷宮を出る際に立香によって召喚されたサーヴァントの一騎。ライダー「マリー・アントワネット」。

あまり時間もなかったので自己紹介がてらそれぞれの簡単な出自について教え合っただけの関係だが、彼女の在り方はユエにとって無視できないものだった。

 

――――――“似ている”と思った。

 

――――――同時に“どうして?”とも思った。

 

――――――愛した国に、守ろうとした民に、信じた人たちに裏切られて、どうして憎まない。どうして今も愛していられるのか。

 

それが、ユエにはわからない。

ただ王位を追われただけだったなら、あるいは理解できたかもしれない。

事実、叔父が王位に就くと言った時、■■■■■■はそれでもいいと思った。

 

だが実際には、あらゆる手段で殺そうとした挙句、殺しきれないと判断するや奈落の底に封印だ。

どうして恨まずにいられるだろう。どうして憎まずにいられるだろう。

 

幸か不幸か、■■■■■■のそんな感情をぶつける相手はもうこの世界にはいない。

だからこそ、彼女はすべてを捨てた。名前を、過去を、抱いた感情を。

全てを捨てて、ただここから先を生きるために“ユエ”になることを望んだのだから。

 

しかし、マリーは違う。

彼女が死んでからも二百年以上の時間が経っているとはいえ、彼女を捨てた国は今も健在らしい。

なのにマリーは国を、己を殺した人々を憎まないどころか高らかに謡うのだ「フランス万歳(ヴィヴ・ラ・フランス)」と。

 

「民なくして王妃は王妃と呼ばれない、それは理解できる。王も同じ。民のいない王は王じゃない。

 だから、民が望まないのなら望まれなくても退場する、それも理解できる。私も、たぶんそうした。

 だけどどうして! 殺した相手を! 嘲笑し蔑んだ相手を憎まないでいられるの!! 愛した人を殺されて恨まずにいられるの!! なんで、今も愛していられるの……」

「ユエ……」

 

日本という豊かな国で何の苦労もなく親の愛情をしっかり受けて育ったハジメには、かける言葉が見つからない。

王の孤独も、愛し信頼した存在からの裏切りも、彼には本当の意味で理解できないから。

マリーは言った。

 

「息子のことは少しだけ恨んでいるわ。でも、私の結末には納得しているの。だって、それが国に従える人間の運命(さだめ)。わたしの処刑は、次の笑顔に繋がったと信じている。

私の最期はどうあれ、私の人生は華やかだった……それでいい、それでいいの。

 いつだって、フランス万歳(ヴィヴ・ラ・フランス)! 星は輝きを与えて、それでよしとすればいい」

 

あるいは、今も祖国があり続け「次の笑顔」とやらに繋がったからこそなのだろうか。

もしユエも、祖国が穏やかな国としてあり続けていたのなら、同じことを思ったのだろうか。

 

「……無理。私には、そんなこと言えない。何もかもなかったことにして、無視するのが精一杯」

「まぁ、それでも十分立派だと思うけどな。俺の場合、んなもん(恨みつらみ)より、故郷に帰るほうが重要ってだけだしよ」

「……私は、きっと王の器じゃなかったんだと思う」

(どう、なんだろうな? あれが王族のあるべき姿と言われたら、正直俺には理解不能だが)

 

ハジメの根幹にあるのは“生存”と“帰郷”、この二つへの渇望であり執念だ。

マリーの精神性は、後者はともかく前者と真っ向から反している。

だから、ハジメにもマリーのことはいまいち理解が及ばない。本気で言っていることはわかるのだが、どうしてそんな風に考えることができるのかがわからない。

エミヤとクー・フーリンが普段接する分には理解しやすい相手だっただけに、そのギャップを感じているのだろう。実のところ、両者揃ってハジメの価値観とは相容れない……特にエミヤのそれは理解不能度が突き抜けているのだが、大迷宮という環境ではそれを浮き彫りにする機会がなかった。

しかし、新たに召喚された面々の中には明らかにハジメには理解しがたいサーヴァントが含まれていた。だからこそ、ハジメは一見するとどこにでもいる普通の青年に見える立香の特異性を理解できたのだろう。

 

(あんだけの個性の塊と、一人残らず信頼関係を築く……俺とは別の意味でバケモノだよな。

 技能『対話』、ある意味この世界……いや、どんな世界でも争いをなくすのに一番必要な能力なんじゃないか?

 ま、それで解決できるほど簡単な話じゃないんだろうが)

 

どんな人間にだって、相性の良い相手・悪い相手がいる。

誰とでも問題なく付き合えるというのは、基本的に「八方美人」なだけで深く関わらないからこそできることだ。

一応彼も「個々のサーヴァントに深入りしない」方針ではあるものの、八方美人とはまた異なるスタンスだろう。

立香の場合、過去や思想・方向性を否定せずに「力を貸してくれる仲間」として交流するというのが基本姿勢なのだ。その精神性は、すべての物事を「それも有り」、万人を“それぞれの花”として敬う施しの聖者のそれに近い。生憎彼ほど筋金は入っていないし、万人に対して平等といえるような聖人ではないが……。

しかし、だからこそ立香は「人間」のまま、同じ「人間」として彼らと交流できるのだろう。

 

なんとはなしに、ハジメはユエの隣に腰掛けるとその頭に手を置く。

 

「……ん」

 

ユエも強張っていた身体から力を抜き、ハジメに身体を預けて甘える。

そのまましばらくの間、二人は月を見上げ続けていた。

言葉はないし、いらない。ただその時間だけで、十分すぎるほどに満たされていた。

 

 

 

  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 

 

 

マスターである立香の指示に従い、アンカジ公国を守るために召喚したガラスの馬車に乗って移動するマリーとダビデ、それにサンソンの三人。

もう間もなくアンカジに着くということろで、マリーは思い出したように疑問を口にしていた。

 

「ダビデ王、一つよろしいかしら?」

「うん? なんだい、王妃殿下」

「いま私たち、直接アンカジに向かっているわけだけど」

「そうだね」

「今更なのだけれど、あの魔物たちを追いかけたのではいけなかったのかしら?

 あまり街の近くで戦うと、被害が出たりしないかしら?」

 

立香からの指示はアンカジの守護。ひいては、アンカジを襲うべく遣わされた魔物の排除が目的だ。

それだけを目的とするのなら、確かに大火山から離れた魔物たちを追うだけでいい。

しかし、事はそう単純ではない。

 

「確かに、そうすればより確実にアンカジを守れるだろうね。魔人族とやらの魔物があそこにいただけなら」

「そうですね。別動隊がいる可能性がある以上、目先の魔物の排除だけでは“アンカジを守った”ことにはならないかもしれません」

「ああ、そうね。もしもアンカジの近くまで別動隊が来ていたら、それこそ手遅れになってしまうものね」

「そういうことさ。だから、多少のリスクは承知の上でアンカジの近くで防衛線を張るしかないわけだね。

 ご理解いただけたかな、王妃殿下?」

「ええ、ありがとうございます、陛下。ダメね、私。サーヴァントなのに、戦いのこととかさっぱりで」

「いえ、それは致し方ないことかと……」

 

そもそも、王妃という身分では戦いを直接経験することなどないし、戦術や戦略に精通する必要性もない。

だから、マリーが別動隊の存在に気づけなかったとしてもそれは仕方がないことだ。

そういったことを考え対処するような立場に、彼女はいなかったのだから。

 

「そんな顔をしないでサンソン。私、今すっごく幸せなの! こんな私でも、誰かの力になれるのだもの。

 今度こそ、大切な人たちを守るために。正しいことを正しく行いましょう」

「……無論です、王妃。処刑人であった僕が、誰かを守るために刃を振るう。

 生前には想像もしなかったことですが……ええ、それは本当に誇らしい」

「う~ん、僕としてはどんな形であれ戦いは好きになれないんだけど」

「あら、ではおやめになります?」

「いや、好きではないけど必要ならやるよ」

 

まぁ、なんだかんだでいざという時には容赦とかない王様なので、予想通りの返事だろう。

 

やがて、アンカジの手前まで来たところで馬車を解除。

吹き荒ぶ風によって舞い上がった砂は不快だが、ガラスの馬車なんてものを出しっ放しにしておくわけにもいかない。敵が少数なら、秘かに排除してしまう方が都合が良いに決まっているのだから。その可能性を否定しきれない以上、目立つ可能性は極力控えるべきだろう。

 

しかし、どうやら人知れずアンカジの脅威を排除するという最善策は取れそうにない。

 

「あら? 二人とも、どう見まして?」

「……どうにも、こっそりすべてを終わらせる、とはいかなさそうだね」

 

舞い上がる赤銅色の砂のカーテンの向こうから、十体ほどの魔物の姿が視認できる。

対処しきれない数ではないが、かといって秘かに始末できるほどではない。

まだまだ陽も高い以上、誰かしらの目に留まる可能性は高いだろう。

それに厄介な点がもう一つ……

 

「おかしい。先ほどは見かけなかった魔物がいるのはいいとして、スライム型の魔物がいません。付け加えれば、魔人族の姿も」

「あら、そういえば……」

「一番ありそうなのはやっぱり別動隊かな? あっちは陽動で、スライム型の魔物が本命とか」

「十分あり得ますね。とはいえ、並の人間にあれらの魔物は手に余るでしょう」

「そうね。あちらも、私たちが対処するしかないかしら?」

「じゃあ、こんなのはどうだい? 僕があちらに対処して、君はスライム型の魔物と魔人族を探す。王妃には、アンカジの街を守ってもらう。ほら、そのほうが確実で効率的だろう?」

 

敵が戦力を分散しているのは確実なようだが、それは何も二つとは限らない。

三つか、四つか……確かめる術はない。

故に、マリーに街そのものを守ってもらい、ダビデが迎撃し、サンソンが遊撃として別動隊を排除する。

人手が圧倒的に足りていない以上、今はこうするより他に手がない。

あるいは、戦力を集中して一つずつ潰していくという手もあるにはあるが、アンカジそのものが手薄になったり、別方向からの不意打ちは御免被りたい。ならば、選択肢はないに等しいだろう。

 

「やむを得ないか」

「そうね。サンソンより、ダビデ王のほうが迎撃には向いているもの」

「そういうこと。じゃ、さっそく始めようか。『時は金なり』とはよく言ったものだね」

 

そうして、三人はそれぞれの役目のもとに動き出す。

 

「君たちには改心する権利がある……と言いたいところだけど、今回は仕方ないな」

 

いつの間にかダビデの掌の上に現れた香炉から紫の煙が立ち上り、たちどころのうちに魔物たちを取り巻いていく。

 

「非効率的だけど、勘弁しておくれよ―――――燔祭の火焔(サクリファイス)

 

真名を告げると共に、雷雲と霧が立ち込め天から業火が降り注ぐ。

その炎は祭壇のような形を形成し、魔物たちはさながら捧げられた供物のよう。

哀れな生贄は断末魔の声を上げることすらできず、血の一滴も残すことなく焼き尽くされていった。

 

Aランク、対軍宝具『燔祭の火焔(サクリファイス)』。

旧約聖書・民数記にいう『神の命令によって燃え上がった、明るく輝く最も熱い火焔』の再現だった。

魔物10匹程度に使うには過ぎた代物だが、一匹でもアンカジへの侵入を許せば大惨事。

だからこそダビデも効率を無視し、目立つことを承知の上でこれの使用に踏み切ったのだ。

 

 

 

時を同じくして、アンカジの街と外部を繋ぐ一際大きな門の前は騒然としていた。

突如として現れた炎の祭壇。最上級魔法ですら不可能な威容に内外の人々が混乱するのは当然だろう。

街の守りを担う兵士たちですら、思わず息をのんで立ち尽くしていた。

 

だがそこへ、一人の少女が風に靡く白い髪を抑えながら歩み寄ってくる。

彼女はこの異常事態に気づいていないはずがないにもかかわらず、穏やかな笑みを浮かべ、落ち着いた様子を崩さない。

それがかえって兵士たちの警戒心を煽ったのだが、少女は兵士たちが向ける刃には見向きもしない。

当然だ、彼女は彼らを守るためにここにいる。どうして、彼らの刃を恐れる必要があるだろう。

 

「止まれ!」

「何者か知らんが、今は緊急事態だ! アンカジ公国内への立ち入りはやめてもらおう!」

 

ステータスプレートの提示は求めない。それを確認する一瞬のスキすら惜しんでの対応だ。

彼らは実に職務に忠実で、強い使命感を持ってこの場に立っていることがうかがえる。

それが、マリーにとってはむしろ喜ばしかった。今も昔も、世界が違っても、正しく生きる人はいるのだ。

 

「ええ、わかっていますわ。私も、街中に入るつもりはありません」

「もしや、外で何が起こっているか知っているのか?」

「……大丈夫」

「なに?」

「私が召喚さ(喚ば)れたのは、きっとこういう時のため。

 奪うためではなく、殺すためでもなく、虐げるためでもない……人々を守る命として」

「貴女は、まさか……」

 

兵士たちに、マリーを信じる根拠はない、理由もない。そもそも何が起こっているかさえわからない。

だがそれでも、わかったことがある。彼女は敵ではなく、“守る”ためにこの場にいるのだと。

 

「いきますわよ。空に輝きを、地には恵みを、民に幸せを。

―――――――愛すべき輝きは永遠に(クリスタル・パレス)!!」

 

マリーを太陽すら霞む輝きが包み込む。兵士たちをはじめ、その場にいた人々すべてが目を閉ざし、再び開いたその時、彼らはこの世ならざる光景を目の当たりにした。

赤銅色の砂漠の中に突如として出現した巨大にして優美なガラスの宮殿。

継ぎ目はなく、信じられないほどの透明度を有していながら、陽の光を受けて輝く姿は御伽噺のワンシーンの様。

誰もが息をのむ中、先ほどの少女がまるでさんざめく花のような、陽のような笑顔を浮かべていた。

 

「みんな、大好きよー! さぁ、一緒にフランス万歳(ヴィヴ・ラ・フランス)!」

「…………美しい」

「まるで、女神のようだ」

 

誰ともなく零れた呟き。

後日、過去例を見ないサイズの魔石が街周辺で発見されたことから、彼らのその呟きは確かな形を得るようになる。また、砂漠を移動中だった一部の商人が業火の中に見慣れぬ魔物がいたことを証言したことが拍車をかけた。

突如として現れた炎とガラスの城、そして彼の乙女は未知の魔物から彼らを守るために遣わされたのでは、と。

 

『光の女神』、いつしかアンカジ公国の守護神として祀られるようになる白き乙女。

その最初で最後の伝説を象徴する奇跡だった。

 

 

 

「どうやら、マリーもダビデ王も問題はなさそうだ。なら、僕も……」

 

二人とは別行動をとり、魔物の別動隊を探すサンソン。

本来なら、決して索敵や探索に向いた人物ではない。

だがそれでも、二人がそれぞれの役割を全うしているというのに、己だけが何もできずにいるわけにはいかない。

元より、使命感や責任感の強い男なのだから。

 

そうしてアンカジの街周辺を哨戒することしばし。

比較的オアシスに近い外壁付近に、それはいた。

 

「ようやく見つけたよ。やはり、あちらは陽動か」

「貴様!」

 

姿を見せなかったスライム型の魔物と長身の外套の人物。

外套のせいで種族はわからないが、得られた情報から魔人族と断定していいだろう。

少なくとも、通常の人間族にこれほどの魔物を使役することはできないし、アンカジ公国を狙う理由もないのだから。

 

「ちっ、やれ!」

 

指示を受けて、スライム型の魔物が体の一部を変形させて触手を作り出す。

一本や二本ではない、総数15本にも及ぶ触手が一斉にサンソンに襲い掛かる。

生前は処刑人であり、決して騎士や剣士ではなかった彼だが、それでもその剣の腕は超一流の域にある。

剣術を極めんとした結果ではなく、刑を執行される人間に苦痛や後遺症を残さないようにという、彼なりの慈しみから生まれた業。

 

例え、処刑とは無縁の戦いの場であってもその業の冴えが鈍ることはない。

ほぼ同時に迫りくる15の触手を、一息に斬り伏せる。

常人の目には、一閃で15の触手のすべてを斬って落としたように見えるほどの早業だった。

無論、それはサンソンがなす術もなく魔物に蹂躙されると思っていた外套の人物も例外ではない。

 

「なっ!? 馬鹿な……」

(これは……)

 

驚愕を露わにしているようだが、サンソンの興味はそこにはない。

彼の目は、切り落とした触手に向けられていた。

 

本来であればすでに脅威とはなりえない断片。

にもかかわらずサンソンの目を引き付けたのは、触手が触れた砂が溶けていたからだ。

しかも、明らかに有害とわかる臭いまで放って。

 

「なるほど、毒か。それに、この壁の向こうには確かオアシスがあったはず。

 君たちの狙いは、アンカジのオアシスを汚染すること。それが無理な時には、魔物たちを使ったアンカジの直接破壊。そういったことも戦の習いなのだろうけど……無辜の人々まで巻き込むのは感心しないな」

「黙れ、異教徒めが! すべては我らが神の御為! この世に貴様ら如き害虫が蔓延ることこそ、我らが神への最大の不敬と知れ!」

「なるほど、宗教か。ある意味、この上なく厄介な戦う理由だ。

 神はおわす。しかし、神は何も為されない。救うことも、罰することも……と言いたいところだけど、この世界ではその限りではないのだろうね」

 

神を信じる気持ちはサンソンにも理解できる。

彼も神を信じているからだ。だが、同時に神が「何も為さない」ことも理解している。

「人間」をこよなく愛し、「悪」を憎むが「悪人」は憎まない。それ故に、己が「悪」を以て「悪」を断つという悲しい使命感を抱く。それが、シャルル=アンリ・サンソンという男の生き様だったのだ。

 

「執行猶予はない。これが戦争の一端だというのなら、殺されることもまた同じだ。

 故に、ここに刑を執行する――――――――――――死は明日への希望なり(ラモール・エスポワール)

 

何の前触れもなく魔物の真上に出現した処刑器具「ギロチン」。

それは一切の遅滞なく刃を落とし、寸分違わず半透明の体内を縦横無尽に動き回る魔石を両断した。

 

同時に魔物の体を構成していた水も力を失ってただの水へと戻る。

大量の水が降り注ぐ音を響かせ形を崩していく様を、外套の人物はただただ呆然と見ていることしかできない。

 

「馬鹿な……」

「さて、次は君だ」

「貴様ぁ!」

「できれば抵抗はしないでほしい。君には聞きたいことが……」

「黙れ! 魔王陛下、そして我らが神の邪魔はさせん!!」

 

外套を剥ぎ、剣を手にサンソンへと斬りかかってくる。

 

(魔人族というからもっと禍々しい姿を想像していたが、僕らとほとんど変わらないじゃないか)

 

短く刈り上げられた燃えるような赤い髪と瞳、それに僅かに尖った耳と浅黒い肌。

サーヴァントの中にはもっと人間離れした容貌の者もいることもあってか、“別の種族”と言われても首をかしげてしまいそうだ。それほどまでに、魔人族と人間族の姿は似通っている。

マシュと香織はまだ王国にいたころの座学で情報としては魔人族の特徴を学んでいたし、それを仲間たちにも伝えている。とはいえ、敵対する相手のことだ。「血のように赤い目」だとか、「禍々しく黒い肌」とか余計な情報が付加されていたので、正確性には疑問があった。

ある程度は想定されていたことだが、想像以上だったと言わざるを得ない。

 

その事実に、サンソンは僅かに目を伏せる。

些細な違いだ。しかし、いくら僅かでも違いは違い。その違いを、人は無視することができない。

加えて、奉じる神の違いが悲劇を招く要因となることは、歴史が証明している。

 

(彼らとの和解や共存は僕らの役目じゃない。でも……)

 

サンソンは処刑人ではあったが殺人鬼ではない。

彼にとって“殺す”という行いは、“人”と“罪”を切り離すためのもの。

そして、罪を見極めるのは彼の役目ではない。ならば、わざわざ好き好んで誰かを殺す意味もない。

 

サンソンは降り抜かれた剣に自身の剣を合わせ、容易く粉砕。

続いて、より苦痛を伴わない刑の執行のために熟知するに至った人体構造への理解を活用し、組み伏せてしまう。

レスリングにも柔術にも見られない彼独自の関節技(サブミッション)だった。

 

「お、おのれ~!」

「静かに。君を殺すつもりはない。だから、どうか……」

「なめるな! 生き恥を晒すくらいならば!」

「っ!? よせ、やめるんだ!!」

「アルヴ様、我が献身をご覧あれ! ……ゴボッ」

 

奥歯を強くかみしめたかと思うと、突如として男が血を吐いた。

 

(毒か……くっ、僕には解毒の技術も能力もない。アンカジの医師を頼るか? いや……)

 

おそらく、それはかなわないだろう。

アンカジの人々からすれば、魔人族は不倶戴天の敵。その治療を頼んだところで、聞き入れてもらえるとは思えない。

かといって、今呼び出されているサーヴァントの中にそう言ったことができる者もいない。いたとしても、とても間に合わないだろう。

サンソンには医師の心得もあるが、毒の種類もわからず、薬の材料もない状況では打つ手がない。

もしも、いま彼にできることがあるとすれば……

 

「……結局のところ、処刑人はどこまで行っても処刑人か」

「ガハッ……ハァ……」

 

致死性の毒ではないのか、それとも別の要因から毒の周りが遅いのか……おそらくは後者だろう。

自決用の毒を致死性にしない理由がない。同時に、彼自身毒ですぐには死ねないことを理解していたはずだ。

苦しむことを理解したうえで、それでも自決に踏み切った覚悟。それだけは、称賛に値するはずだ。

 

「安心するといい。無為に苦しませはしないから」

「…………」

 

もうあと数秒で息絶えるであろう男。それを見守るのも一つの選択だ。

しかし、サンソンは「罪人がより苦しまない刑の執行」を研究し続けた男。

そんな彼が、今まさに苦しみながら死んでいこうとする相手を見続けることなど、許容できるはずがない。

 

「主よ、罪深き我が業をお許しあれ」

 

一閃。

斬られたことにすら気付かせない慈悲の一太刀。

名も知れぬ魔人族の苦しみは速やかに、静かに、そして穏やかに断たれた。

 

その後、サンソンは彼の(むくろ)を丁重に埋葬した。

このまま彼の躯がアンカジの人々の手に渡ればどうなるか……あまり考えたくない。どんな形でも葬られればまだ良い。もしや何らかの形で辱められるのでは……その可能性をサンソンは否定できなかったのだ。

だからせめて誰の目にも触れず、誰にも知られずに埋葬する。それがせめて、彼の死を看取り介錯した己の責務と思って。

 

 

 

砂漠の街「アンカジ公国」は交通の要所として栄えた国だ。

エリセンという海に面した都市は海産物の産出量で北大陸の八割を占めており、それらを内陸部に輸送するための中継地点として発展したのがアンカジなのである。

また、その乳白色の都と外界の赤銅色のコントラストから観光地としての人気もないわけではなかった。

ただ、観光地として発展するには些か立地が悪いこともあり、やはり交通の要所という面が強い。

 

しかし後年、アンカジ公国はトータスでも屈指の観光地として発展していく。

一つは交通手段が発達したことがあげられる。砂漠という過酷な環境を容易に移動できるようになれば、必然的にその美しい街を一目見たいと思う者が増えるからだ。

 

だが、要因はそれだけではない。

もう一つ、ある時期にアンカジ公国にこぞって観光客が訪れる。

彼らの目当ては一つ、アンカジ公国が各地から水属性魔法の優れた使い手を集めて作り上げる一夜限りの祭典のためだ。

水属性魔法の使い手が、あるいは彫刻などをはじめとした芸術家たちが、技術と発想の粋を傾けて作り上げる造形物。本来、砂漠の都には不釣り合いな氷の造形物が所狭しと街を埋め尽くし、色とりどりの光がそれらを照らす。

その幻想的な華やかさ、美しさはまるで夢の国の様。

これを一目見ようと、あるいはもう一度見ようと毎年溢れんばかりの人が訪れる。

 

中でも最大の目玉が、アンカジ公国正門前に作り上げられる一夜限りの氷の城、通称「クリスタル・パレス」。

かつてアンカジ公国に現れた女神を忘れぬように、人々は毎年あの日の奇跡を振り返り感謝する、そんな祭典。

 

それは、交通手段の発達とともにやがて交通の要所としての役割を失うアンカジ公国を、その後も観光産業の面で支えていくことになる。

合言葉は、そう――――――――――――ヴィヴ・ラ・フランス(光の女神に感謝を)、だ。




書いてたら長くなったので、いったんここで区切ります。
個人的にマリーはもっといろいろ優遇されていいと思っていたからか、気付くとこんな形になってました。
地球とトータスの間でいずれ正式交流が結ばれるようになったら、パリとアンカジが姉妹都市になったりしそう。それはそれで面白いですけど。


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014

グリューエン大火山攻略開始…とはいえ、大迷宮そのものはよほどのことがない限り苦戦しないんですけどね。
とはいえ例外はありますが。オルクスやグリューエンは問題ないのですけど、魔力が拡散するライセンは苦手ですし、ハルツィナやシュネーのような精神的に来る大迷宮は、サーヴァントによっては鬼門だったりしますけどね。ジキルとか、色々やばそう。


場所は戻り、グリューエン大火山山頂。

岩陰から出た立香たちを出迎えたのは誰何の言葉ではなく、問答無用の攻撃だった。

 

「GUAAAAAAAAAAA!!」

「BUMOOOOOOOOO!!」

「ランスロット! エリちゃん! 任せた!!」

「お任せを!」

「オッケー!」

「フォウさん、私の肩に。決して離れないようにしてください」

「フォウ!」

「マシュと清姫は待機、シバは不意打ちがないか周囲を警戒」

「「「はい/は~い」」」

 

襲い掛かってきた魔物たちをランスロットとエリザベートが迎撃する。

ランスロットはキメラの爪を防ぐでも避けるでもなく、爪ごと右前脚を斬って落とす。

エリザベートもまた力任せに振るった槍と、尻尾の連撃で周囲の魔物を薙ぎ払う。

通常の魔物よりは強力なのだろうが、サーヴァントの相手は荷が勝ちすぎる。

 

特にランスロットは完全な武闘派だ。生前、戦いそのものとは無縁ながら逸話の関係もあって竜の力を振るうエリザベートと違い、確かな技術と分厚い経験を有している。

エリザベート相手なら隙を突く余地もあるが、彼がいる限りその可能性は皆無だ。

 

「マスター、私も出るべきでしょうか?」

「いや、マシュまで行くことはないよ。まぁ、あの牛を早く何とかしたい気持ちはわかるけど」

(……バレバレでしたか。いえ、先輩もきっと……)

「あ~、確かにあの牛はちょっと放置できませんねぇ~。アステリオスさんみたいな可愛げもありませんし~」

「うん、正直あれを『ミノタウロス(ミノス王の牛)』って呼ぶのは抵抗あるよね」

「はい、ちょっと許し難いです」

 

世に怪物として知られるアステリオスだが、カルデアの仲間たちは知っている。

なるほど、彼は生まれながらの怪物なのだろう。その所業は悪だったのだろう。

だがそれでも、彼はアステリオス(雷光)の名に相応しい人物でもあるのだ。

それを知っているからこそ、立香たちはあのミノタウロスもどきが許容できない。

アレは、アステリオスに対するこの上ない侮辱だ。

 

「というわけで清姫、遠慮はいらない。思いっきりやってよし!」

「皆さん、離れてください!」

「うれしい……ますたぁ、どうかご照覧あれ! これこそ、わたくしの胸に宿るあなた様への愛の炎。ふ――――――――――――――っ!!」

 

清姫が勢い良く息を吐きだすと、呼気が青白い炎となって魔物たちに襲い掛かる。

エリザベートとランスロットはマシュの声に素早く反応し回避が間に合ったが、魔物たちは違う。

単純な熱量とは異なる、神秘を帯びた炎がチリも残さず焼き尽くしていく。

 

瞬く間のうちに四体の魔物が焼き払われ、随分と見晴らしがよくなった。

まだ後方には数体の魔物が残っているようだが、どうにも様子がおかしい。

魔物たちが、ではなく、彼らを統率するはずの外套姿の者たちの様子が、だ。

 

「ふ、ふざけるなぁ!! 我々に……栄えあるフリード閣下直属の特務部隊たる我々に、よりにもよって逃げろだと! 貴様、それでも魔王陛下をお守りする親衛騎士団の一員か! 恥を知れぃ!!」

「……」

「例えこの命散らそうとも、任務は必ず果たす! それこそが魔王陛下と我らが神への何よりの献身となろう!」

「そうだ! ましてや逃げるなどと……そのような生き恥を晒すくらいならば私は死を選ぶ! 貴様にはその程度の気概すらないのか!」

「よく言った! それでこそ魔国ガーラントの真の有志!」

「貴様はそこで指をくわえてみていろ! 我らが、魔人族の心意気というものを見せてやる!」

「その意気や善し! 私が仕掛ける、お前たちはその隙を付け!」

「「「「お任せを!」」」」

「………………………………この、バカどもが」

 

どうやら意見の食い違いが生じているらしい。

特に背が高く、肩幅の広い人物にそれ以外の者たちが噛み付いている。

外套を脱ぎ去れば、そこには確かにマシュや香織から聞いた魔人族の特徴を(多少の差異はあれど)備えた男が5人。

彼らはもう一度一人佇む人物に振り向くと、向けて吐き捨てるようにこう言った。

 

「ふんっ! 次代の英雄、フリード閣下の後継と名高い騎士団長も見る目がない。まさか、このような臆病者をよこすと……ひっ!?」

「いま、何と言った?」

「先輩!」

「うわぁ……あれは、すごいな」

 

それまで言われるがままで、特に反論しようともしなかったその人物から放たれた濃密な怒気。

明らかに、今まさに仕掛けようとしてきた者たちとは格が違う。

正直、サーヴァントたちと付き合っているおかげで殺気だの威圧だのにはすっかり慣れた立香でも、思わず感心してしまうレベルだ。

 

「私のことは好きなように罵るがいい。だが、団長への侮辱には容赦せん」

「だ、だが貴様が逃げ腰なのは事実だろう! 撤回させたくば、貴様も覚悟を……」

「馬鹿に付ける薬はないか」

「なに!? 貴様…がっ!?」

「え?」

「あら~?」

「仲間割れ、でしょうか?」

 

最後に残った外套姿の人物は、瞬く間のうちに五人の意識を刈り取ってしまう。

 

「連れていけ」

 

魔物のうち、翼をもった個体が五人をその巨大な鉤爪で掴み空へと舞い上がる。

どうやら、あの五人を逃がすつもりらしい。

 

「ちょっと子犬(マスター)、追いかけなくていいの?」

「……いや、必要ないよ」

 

あるいは、自分たちの存在が魔人族側に知られてしまうことになるのかもしれないが、それでも逃げる相手に仕掛ける気にはなれなかった。

 

「…………追わんのか」

「それが、我らが主のご意思だ」

「主……あの少年がか?」

(あ~、そりゃ訝しむよね。どう見たって役者不足だし)

 

立香は一応彼らの(マスター)ということにはなっているが、別に自分自身がそれにふさわしいと思っているわけではない。上下関係という意味で言えば、少なくとも上ではないだろう、と。

良くて対等、場合によっては「力を貸してもらっている」立場と考えている。

だからこそ、相手の反応には納得するしかない。

 

「貴公も退くのなら追いはしない。騎士の誇りに誓おう」

「…………………………いや、そうもいかん」

 

わずかに逡巡した様子を見せたものの、外套の人物は両手持ちの戦斧を構える。

一層、迫力が増した。サーヴァントたちで慣れていなければ、それこそカルデアに来る前の立香なら軽く腰を抜かすくらいはしていたかもしれないほどの闘気。

 

「私まで無傷で戻れば、いらぬ嫌疑が同志に……そして団長にまで及ぶだろう。

 このようなところで戦力を損なうのはバカバカしいが、それでもただで退くことはできぬ」

「あ~、味方気絶させちゃってますもんね~。あの人たちの報告次第では、多少立場が悪くなるかもですね~」

「そういう、ものか」

 

立香も一応カルデアという組織に属しているとはいえ、そういう力学などにはとんと疎い。

 

彼の判断は立香から見ても妥当だったと思う。サーヴァントを少数では手に負えない戦力と見極め、交戦ではなく撤退を選んだのは正しい。

命を賭して挑み、任務を果たせるなら意味もあるだろう。

しかし、命を捨てたところで到底及ばないとなれば、それは犬死にと同じだ。

それがわかっていたからこそ彼は撤退を選んだのだろうし、それがわからなかった、あるいは死ぬことそのものに意味を見出した他の魔人族は玉砕戦法を選ぼうとした。

 

ただ、あちらはそれを善しとはせず、気絶させるという強硬手段に出て逃がした。仲間想い……なのだろう。考え方の違う相手でも、無為に死なせることを善しとしない程度には。

だが、相手がそれをどう受け取るかはまた別の話。あちらまで無傷で戻れば、いらぬ反発を呼び、自分だけでなく周りにまで迷惑がかかる。そう判断し、叶わぬとわかって挑もうとしている。

 

「一騎打ちを望むかね?」

「……ふっ、気遣い無用!!」

 

ランスロットの提案を、相手は一顧だにせず切って捨てる。

同時に周囲を取り巻く残りの魔物が一斉に立香めがけて襲い掛かる。

弱い者から狙うのは当然のこと。特に、ランスロットが立香を「主」と呼んだこともあり、明確なウィークポイントと判断したのだろう。

 

卑劣、あるいは卑怯とは思わない。むしろ当然の判断だ。

通常の聖杯戦争でも、マスター殺しは基本戦術の一つと言っていい。

ランスロットとの一騎打ちを選ぶより、立香を狙って乱戦に持ち込んだほうが生存率は高い。

 

あちらは玉砕に美学を見出すタイプではないのだろう。

意味のある死ならまだしも、意味のない死は選ばない。

この状況下でも、生存のために打てる手を厭うことなく打ってくる姿には、むしろ好感すら持てた。

まぁ、立香の側にはマシュもいれば清姫もいるし、女王が周囲の警戒をしてくれているので不意打ちの心配もない。このままでも、問題なく対処できるだろう。

とはいえ、相手の思惑通りにしてやる理由はない。

 

「エリちゃん、宝具の使用を許可!」

「アタシの歌声、聞きたいのね♪」

「みんな、耳を塞いで!」

「ちょっと、どういう意味よそれ!?」

 

そのまんまの意味です、とはさすがに言えない。

 

「あーもー! サーヴァント界最大のヒットナンバーを、聞かせてあげる! 飛ばしていくわ! みゅうみゅう無様に鳴きなさい! 鮮血魔嬢(バートリ・エルジェーベト)!」

 

エリザベートが槍の柄を地面に勢いよく突き立てると、その背後に不吉な魔城が出現する……巨大アンプ付きで。

彼女は背中の翼をはばたかせると、突き立てた槍の上に立ち思い切り息を吸う。そして……

 

「ボエエエエエエ~~~~~~~~~~~~~~~~!!!」

 

熱唱(騒音)が始まった。

歌声そのものは天上の調べとも思えるほど美しいのだが、いかんせん音程がめちゃくちゃどころの話ではない。

ある者は「絵の具の赤と青と黄と緑とピンクを使ったら、キャンバスが真っ黒になった」と悶絶し、またある者は「一つ一つの音は綺麗だが、全体として汚泥のように濁っている」と言って気絶し、とあるファラオは「地獄の亡者のようなうめき声」と恍惚とした歌声(ナニカ)

加えて、エリザベートの声はただの声ではない。竜種とその系譜に属する者が持つ最強の武器、「竜の息吹(ドラゴンブレス)」でもあるのだ。竜の血を引く魔人でもある彼女のそれは超音波に属し、凄まじい肺活量と宝具によって増幅されたボイスは圧倒的な破壊力を発揮する。

 

つまり、何が起こったかというと。

立香めがけて襲い掛かろうとした魔物たちが、軒並み血霞となって消し飛んだのだ。

なんというか、これはヒドイ。もう歌の上手い下手の次元ではなかった。

幸いだったのは、ブレスの射線上にいない限りは「ヒドイ騒音」程度で済むことだろうか。

そうでなければ、味方まで巻き込んでしまうのだから当然だが。

 

「………………ありえん。まさかあの娘、竜人族の生き残りなのか? しかし、伝説に聞く容貌とは……」

 

ぼそりと、思わずといった様子で外套の人物の口から洩れた呟き。

魔物たちの力にそれなりの自信があったのだろう。相手が規格外であることは察していたが、それでもある程度はもつはずだと。ランスロットやエリザベートとの交戦、清姫の炎で焼かれた姿を見たうえでそう判断したのだが、甘かった。英霊たちの切り札たる宝具の一撃は、それらの比ではなかったのだ。

 

「さて、これで残すは貴公一人だが」

「……………………なるほど、これがハイリヒ王国に召喚された勇者とやらの力か」

「むっ……」

 

その一言に、思わずランスロットが立香に視線を送る。

相手がそう勘違いするのも無理はないだろう。さてこの勘違い、放置すべきか否か。

そのあたりの判断が付きかねたのだろう。何しろ、立香としてもどう判断するべきか困っている。

 

(肯定する……と、後で光輝君たちのほうが大変なことになりそうだしなぁ……。

 かといって否定すると、じゃあ何者なのかって話になるし……どうしよう?)

 

とはいえ、選択肢はない。

否定しなければ肯定しているのと同じ。そして、肯定と受け取られればいずれ光輝たちの下に立香たちと戦えるだけの戦力が差し向けられるはずだ。さすがに、それはない。

ならば、何はともあれ否定するしかない。例え、うまい言い訳が思いつかないとしても。

 

「いえ、それは違います。俺たちは勇者ではありません」

「……では、何者だというのだ!」

「それは……」

 

異世界から来た、と素直に白状すべきだろうか。白状したとして、勇者との違いをどうやって理解してもらえばいいのだろう。

いくら立香でも、自分でも思いつかないことを理解させることはできない。

 

「貴公には申し訳ないが、話はここまでだ。一つ言えることは、我々は勇者ではない、ということだ」

「貴様は、随分と勇者然としているようだが?」

「勇者? 私が? 笑えない冗談だ……ああ、本当に笑えんよ、それは」

(あ、ランスロットが自虐モードに入りかけてる)

 

生前のあれこれもあって、彼の自己評価は大変低い。

ちょっとスイッチが入ると、どんどん沈み込んでいってしまうくらいには。

ならばどうするか、さっさと方向転換するに限る。

 

「改めて言いますけど、逃げるなら追いません。俺としては、逃げて欲しいんですけどね」

(ここで退けば、嫌疑を避けることは難しいだろう。だがそれでも、挑めば私は死ぬ。

 それはダメだ。この情報、必ずや団長にお伝えしなければ)

 

無傷で帰還すればいろいろとよくない事態が起こることはわかっている。

それらを承知の上で、ここで挑むべきではないと相手は判断したらしい。

十分な情報を得られたとは言えないが、これ以上余計な情報を与えず、確実に今得た情報を持ち帰ることが最優先と考えたのだ。

 

「……………………承知した」

「あ、一つ聞いてもいいですか?」

「………………………………」

 

立香の呼びかけに、踵を返そうとした相手の足が止まる。

返事はないが、聞くだけは聞いてくれるらしい。

 

「あなたは、あなたたちはいったいなんのために戦っているんですか?」

「知れたこと。親愛なる魔王陛下と、偉大なる我らが神の為だ」

(神か。やっぱり根幹にあるのはそれか……って!?)

「清姫!?」

「フォウ!? フォ―――――――――ウッ!!」

「嘘…嘘をつきましたね、あなた。嘘つき、許すまじ!!」

「いけません!? エリザベートさん、女王陛下、手荒でいいですからあの人を逃がしてください!」

「って、えぇ!? あたしそんなのできないわよ!?」

「ひゃわわわ!? と、とにかくぶっ飛ばしますね~!」

 

立香が清姫の異変に気づくのに先んじ、その小柄な身体が炎に包まれ解ける。

瞬く間のうちに輪郭が朧げになり、人間を軽々丸のみにできる大蛇へと転身を果たした。

巨大な(アギト)が開かれ、その奥に青白い…だが先ほどとは比べ物にならない力を孕んだ炎が灯る。

 

「よいしょ~っ!」

「ぐはっ!?」

転身火生三昧(てんしんかしょうざんまい)!!」

「令呪を持って命じる! 清姫、止まれ!!」

 

炎が吐き出されるのと立香の令呪の発動はほぼ同時。

そのおかげというべきか、あるいは間に合わなかったというべきか、僅かばかりの炎が放たれる。

 

女王が魔術で魔人族を乱暴に弾き飛ばすが、わずかに遅い。

追いついてきた炎が魔人族の身体を舐める。

羽織っていた外套が一瞬で消し炭と化し、その下から現れたのは……

 

「え?」

「先輩、いまのは……」

 

外套の下から現れたのは、異形だった。

文字通りカモシカのような下半身、戦斧を構えている時には良く分からなかったが、伸ばせば地面に届くほどに長い豪腕。額には鬼を彷彿とさせる角が生え、先ほど見た魔人族とは明らかにその容貌は別物だった。

 

彼はそのまま炎に襲われながら落下し、立香たちの視界から消える。

急ぎ魔人族が落下した方へと向かうが、砂嵐に阻まれて姿は見えなかった。

 

「マスター、僭越ながら追うのは避けるべきかと」

「……」

「この砂嵐の中で探すのは困難な上、すでに我々は戦力を二分しています。

 これ以上の戦力の分散は好ましくありません」

「……………………わかった」

 

正直に言えばせめて治療くらいはしたいところなのだが、ランスロットの言うこともわかる。

それに、仮に首尾よく彼を見つけられたとしても敵(と思っている相手)からの施しをどう受け取るだろう。

命を粗末に扱うような人物ではなさそうだが、その誇りを(いたずら)に傷つけるのは本意ではない。

ましてや、理由はどうあれ彼を焼いたのはこちら側だ。「こんなことになるとは思っていなかった」と手を差し伸べるというのも、虫が良すぎるだろう。

 

「それにしても、あれが魔人族の本当の姿…って線はない?」

「少なくとも、私が王国の座学で聞いた範囲では、あのような姿は聞いたことがありません」

「もしあれが本当の姿とかなら、さっき逃がした人たちが変身しなかった理由がないし、あの人が特別なのかな? というか、清姫。嘘って、あの人嘘ついてたの?」

「……はい。なにが、どのような嘘かはわかりません。ですがあの瞬間、あの方は嘘をついておりました。

 口惜しい……ますたぁがお止めにならなければ、確実に退治できたものを」

(清姫が嘘と本心を間違うとは思えない。なら、魔王と神への忠誠心のどちらか、あるいは両方が嘘? だとすれば、その嘘で何を隠そうとしたんだろう?)

 

情報が少ないのでそれ以上のことはわからない。ただ一つ言えることは……

 

(魔人族も、一枚岩じゃないのかもしれないな。それで何がどう転ぶかはわからないけど)

 

良い方向に転ぶなら良いが、そうでない可能性もある。

相手は割と話が通じそうな感触だったが、あの姿を見てしまうと判断に困る。

 

予想される、神代魔法に含まれるであろう「魂」と「生命」に関する魔法。

今回得られた魔人族の情報や様子からして、あの姿も神代魔法が関連していると考えるのが自然だろう。

どんな理由があれ仲間を、同族をあのような異形に変えるなどマトモじゃない。

 

(これはエヒト関連だけじゃなくて、魔人族の方も思っていたより厄介そうだ)

「ところでマスター、この後はどうしますか? 一度マリーさんたちと合流を?」

「う~ん、オルクスでのことを考えると今のままでも大丈夫そうだし、アンカジの安全も確保したいから、三人には残ってもらおうと思う」

「そうですね」

 

今後の方針を手早く定め、立香は契約のラインを通じてマリーたちにその旨を伝える。

三人もそれに同意してくれたので、これで心置きなく大迷宮に挑むことができる。

 

「じゃ、行ってみようか」

「「「「「はい/は~い/ええ!」」」」」

「フォウフォウ!」

 

 

 

一言でいうなら、大迷宮「グリューエン大火山」は“出鱈目”だった。

難易度云々という話ではない。むしろ、そちらに関して言えばサーヴァント基準で見ればそれほどでもないだろう。問題なのは、その内部構造だ。なんというか、色々な意味で常識とか物理法則を無視している。

 

まず、マグマが宙を流れている。空中に水路を作って水を流しているのではなく、マグマが宙に浮いて、そのまま川のような流れを作っているのだ。空中をうねりながら真っ赤に赤熱化したマグマが流れていく様は、まるで巨大な龍が飛び交っているよう。

また、通路や広間のいたるところにマグマが流れており、迷宮に挑む者は地面のマグマと、頭上のマグマの両方に注意する必要があった。

 

加えて、壁や足元から唐突にマグマが噴出してくる。

本当に突然な上に、事前の兆候もないので察知が難しい。まさに天然のブービートラップだ。

 

「こういう時、スキル『直感』持ちがいると助かるんだろうねぇ」

「はい。ですが、残念ながら今のメンバーにはいませんので、先輩はくれぐれも気を付けてください」

「ですね~。四方と頭上は私たちでガードできますけど、足元だけはどうしても反応が遅れますから~」

「いっそ、王妃殿下の馬車に乗せていただく、という手もありますが?」

「さすがにそれは恰好が付かないから、できれば避けたい。まぁ、どうしても無理そうなら出直すけど」

 

サーヴァントたちにとっても溶岩に直接触れるのはさすがに躊躇われるが、対処しきれないわけではない。立香という足手纏いがいても問題なく対処できてこその英霊だろう。

ただ、さすがに足元からのマグマの噴出は厄介だ。警戒のため慎重に進まざるを得ず、攻略スピードはかなり落ちてしまうのはやむを得ないだろう。

 

「むぅ、それにしても暑い。いや、ほんとは暑いどころか熱い何だろうけど」

「そうですね、魔術によるレジストができなかったらと思うとゾッとします。脱水症状、熱中症、体調面での不安が大きいです。ハジメさんたちでも攻略はできるでしょうが……」

 

通路や広間のいたるところにマグマが流れているのだから当たり前ではあるのだが、まるでサウナの中にでもいるような、あるいは熱したフライパンの上にでもいるような気分である。

立香たちにとっては足元から噴出するマグマが最大の脅威だが、様々な感知技能を持つハジメたちにとってはむしろこの熱さこそが最大の敵になるだろう。

魔術によるレジストができる立香や色々規格外なサーヴァントだから「暑い」で済んでいるが、そうでなければどうなっていたことか。

 

途中、広間のような空間であちこち人為的に削られている場所を発見した。ツルハシか何かで砕きでもしたのかボロボロと削れているのだが、その壁の一部から薄い桃色の小さな鉱石が覗いている。

生憎鑑定系の技能もなく、それ系の魔術を得手とする者もいないのでその場はスルー。

念のため、ハジメへの土産がてら採りやすそうなものだけ採って先へと進む。

 

七階層ほど進めば、記録に残っている冒険者達が降りた最高階層だ。そこから先に進んだ者で生きて戻った者はいない……アンカジの街で調べた限りではそういうことになっている。

ここまではブービートラップじみたマグマの噴出と熱さを除けば、障害らしい障害はなかった。

 

だが、さすがにこの先もずっとそうはいかないだろう。

そして、その予想は案の定的中した。

八階層へと続く階段を下り切ると、突如として熱風が立香たちを襲う。

 

続いて、眼前に巨大な火炎が襲いかかってきた。オレンジ色の壁が螺旋を描きながら突き進んでくる。

 

「マスター、フォウさんも私の後ろに!」

「清姫!」

「はぁっ!」

 

橙色の火炎を青白い火炎が相殺する。

だが、それで終わりではない。火炎の向こうから何かが突進してきていた。

 

「せいっ!」

 

迫りくる何かを、ランスロットが一刀の下に斬り伏せる。

本来であれば相当に手古摺る、あるいは死を覚悟しなければならないほどの相手なのだろう。

しかし、騎士王をして「最高の騎士」と評した彼と、神造兵装の一振りである「無毀なる湖光(アロンダイト)」の前ではあまりにも無力だった。

 

「これは……牛、のようですね」

「マグマでできた牛かぁ。迂闊に触れないどころか近づくのも危ないだろうし、初見殺しじゃない?」

「はい。火炎を防いだところへ間髪入れずに突撃されれば、かなり危ないかと」

 

なにしろ、全身にマグマを纏わせ、立っていた場所もマグマの中だ。

鋭い二本の曲線を描く角を生やしており、まだ辛うじて息があるのか、口から呼吸の度に炎を吐き出している。

耐熱性があるにも程があるだろう、溶岩水泳部といい勝負である。

 

その後、階層を下げる事に魔物のバリエーションは増えていく。

マグマを翼から撒き散らすコウモリ型の魔物や壁を溶かして飛び出てくる赤熱化したウツボモドキ、炎の針を無数に飛ばしてくるハリネズミ型の魔物、マグマの中から顔だけ出し、マグマを纏った舌をムチのように振るうカメレオン型の魔物、頭上の重力を無視したマグマの川を泳ぐ、やはり赤熱化した蛇etc……。

 

もし立香たちの中に炎系の魔法を得意とする者がいたら、色々危なかったかもしれない。

あるいは、生半可な魔法や魔術でも纏うマグマか赤熱化した肉体で無効化されてしまうだろう。実際、ものは試しにとばかりに立香が放ったいくつかの魔術は、あっさり無効化された。

 

「やっぱり、俺の素の魔術じゃ無理かぁ」

「は? あんた、そんなものが効くと本気で思ってたの?」

「マスターの場合、カルデアから供給された魔力を徹底的に注ぎ込んで、なおかつ礼装を介して初めて意味があるレベルですからね~」

「わかってるんだけど、そうはっきり言われると結構傷つくって知ってる!?」

 

まぁ、やさしくオブラートに包まれても、それはそれで色々辛いのだが。

とはいえ、立香の腕前と素の魔力量では全く通じないのが現実だ。

彼の魔術は時にサーヴァントやビーストにすら効果を表す。チャージに時間がかかり、連発できる代物ではないとはいえ、サーヴァントたちの支援をするには十分な威力がある。が、それもカルデアからの魔力供給があってこそ。要は、魔力供給頼りの力技なのである。

ちなみに、女王の魔術は普通に通った。紀元前の神秘が濃い時代に生きた彼女のそれを防ぐほどではないらしい。

 

閑話休題(それはともかく)

そこかしこに流れるマグマを隠れ蓑に奇襲を仕掛けてくる魔物は厄介なこと極まりない……普通なら。

なにせ魔物の方は、体当りするだけでも人相手なら致命傷を負わせることが出来る上に、周囲のマグマを利用した攻撃も多く、武器は無限大と言っていい状況。更に、いざとなればマグマに逃げ込んでしまえば、それだけで安全を確保出来てしまうのだ。

 

例え、砂嵐を突破できるだけの力をもった冒険者でも、魔物が出る八階層以降に降りて戻れなかったというのも頷ける。

加えて旨味も少ない。なにしろそれらの魔物は、倒しても魔石の大きさや質自体はオルクス大迷宮の四十層レベルの魔物のそれと大して変わりがないのだ。これでは挑戦しようという者がいないのも頷ける話だ。

 

そしてなにより厄介なのは、刻一刻と増していく暑さ…もとい“熱さ”だ。

大迷宮に入った直後はまだまだ余裕のあった立香だが、そんな彼でもいい加減かなりきつくなってきている。

当初は体感的にはせいぜい30度前後だったのが、今やサウナレベルに達している。

水分や塩分をはじめとした脱水症状・熱中症対策の品々は宝物庫にしっかり揃えているので問題ない。

小まめに補給しているので、そうそう倒れることはないだろう。

ただ、心身にかかるストレス的な部分が問題だ。

 

「マスター、大丈夫ですか?」

「はぁはぁ、はぁ……サウナは嫌いじゃないけど、さすがにキツイ。というか、フォウはこれでもまだ平気なんだ」

「フォウ? フォウ!」

「辛そうですね~。私、氷とか水とか出すような即物的な魔術って苦手なんで、ごめんなさ~い」

「あつい――――――――――――っ! あちゃ! マグマ、マグマが撥ねたわよ!?」

「いえ、撥ねたマグマが当たったら熱いでは済まないのですが……」

 

まぁ、熱いで済んでしまうのがサーヴァントなのだろう。

中には、鬼種でもないのに愛の力で溶岩の中を泳ぐような連中もいるのだ。

恐ろしきものその名は「愛」。ユエとか香織とか見ていると、時々再認識させられる。

それにしても、フォウに全然堪えた様子がないのが心底不思議だ。

 

「暑いのですか、ますたぁ?」

「まぁ、そりゃこんな溶岩地帯だし」

「わかりました。ならば、わたくしが何とかして御覧に入れましょう」

「…………………一応聞くけど、なんとかって?」

「わたくしの炎ですべて焼き払ってしまえば……」

「却下デス」

「くすん……」

 

こんなところでそんな大炎上させられては、それこそ立香の命が危ない。

 

「とはいえ、選択肢はそう多くはありません。引き返しマリーさんの力を借りるか、あるいは……」

「一気に突破するか、だよね。せっかくここまで来たんだし、できるならこのまま一気に行っちゃいたい、かな」

「いえ、もう一つ方法があります」

「え、何か方法あるの?」

「そう難しい方法ではありません。まず女王に結界を張っていただき、マスターにはそこで休息をとっていただきます」

「ふんふん」

「その間に、私が迷宮を踏破し最短ルートを確認。然る後に、マスターをお連れして一気に駆け抜ける。ただそれだけです」

「なるほど冴えてますね、このロクデナシ! 確かにそれなら、先輩への負担は最小になります」

「ぐふっ!? ま、まぁそういうわけです。如何でしょうか?」

「う~ん……」

「あら~、なにか問題がありますか~。私も名案だと思いますけど?」

「いや、それってさ…………迷宮攻略したって言えるのかなって」

「「「「あ~……」」」」

 

大迷宮というのは、ただ最深部まで行けばいいというものではない。

神代魔法を習得する折、記憶の精査のようなものが行われるのは、生成魔法を身に着けた時に脳裏に何かが侵入してくる感覚があったことから間違いないだろう。

ならば、果たしてその方法で迷宮を攻略したと見做されるのかどうか。

立香たちの目的の一つは、各地の大迷宮の奥にある神代魔法を調べることだ。

地球への帰還につながる神代魔法があったとしても、習得しなければ判別のしようがない。

とはいえ、それはおそらく杞憂のはずだ。

 

「いえ、たぶん大丈夫だと思います」

「マシュ?」

「もしサーヴァントに任せて最深部に至ることが攻略したと見做されないのなら、そもそも先輩は生成魔法を得られなかったはずですから」

「ああ、そういえば俺そもそもオルクスでも特に何もしてなかったっけ」

「何もしていない、と言うと語弊がありますが……」

 

サーヴァントたちは一応立香の使い魔、すなわち彼の力の一部だ。

なら、彼らがなしえた功績は立香の功績へと還元される、と考えることもできるだろう。

おそらくは似たような理屈で、オルクス大迷宮も攻略したと判断されたと考えるべきだ。

そうでないと、立香が生成魔法を得られるはずがないのだから。

 

「とはいえ、確かにそれがベターかな」

「では……」

「あ、でも一つ修正。基本はその方針で行くけど、マシュも連れて行って」

「え!? ですが、私は……」

「確かにマシュの仮説には信憑性があるけど、絶対じゃない。

 だから、念のためにマシュには“迷宮を攻略した”っていう実績を積んでおいてほしいんだ」

 

そうすれば、仮にマシュの仮説が外れていたとしても、マシュ自身が神代魔法を得ることができる。

重要なのは、グリューエン大火山に秘められた神代魔法がどのようなものか、だ。

魔法や魔術の才に恵まれていない立香や、デミ・サーヴァント化の影響か魔術行使が不得手なマシュが神代魔法を十全に扱うことなど、元から期待していない。目的は調査であり、目当ての神代魔法があったときは魔法の天才のユエと、生成魔法を得手とするハジメを頼るつもりでいたのだから。

 

「…………わかりました。皆さん、マスターをよろしくお願いします」

「は~い」

「まっかせて!」

「はい、誠心誠意お世話いたしますわ」

「あ、あと女王にちょっとお話が……」

「はい?」

「エリザベートさんは大丈夫だと思うのですが、その……清姫さんのこと」

「あ~、もちろんお任せですよ~。た・だ・し! 今度私のお願い、ちょっと聞いてほしいんですけど~」

「はい。私にできる範囲のことであれば、ご協力いたします」

「契約成立ですね~」

 

ないとは思うが、念のために予防線だけは張っておくマシュ。

これで心置きなく……とはいかないものの、最低限の備えはしたうえで立香の下を離れられる。

 

「それでは先輩、フォウさんのことをお願いします」

「ああ、任せて。ほらフォウ」

「フォ~ウ?」

「大丈夫ですよフォウさん。この人はどうしようもない穀潰しですが、腕は確かなので」

「うぼぁっ!?」

「あ、あははは……じゃ、じゃあランスロット。マシュのこと、お願い」

「はっ! お任せを、マスター! 我が王に誓って、マシュには傷一つ付けさせはしません!」

「そんなことでいちいち騎士王を引き合いに出さないでください、恥ずかしい」

(何というか、立場が逆に思えません?)

(あ~、確かに。どちらかというと、子犬(マスター)があっちにマシュ()のことは任せろ、っていうべきよね)

(そのうち二人の式を挙げる時が来たら、私も一枚噛ませてほしいですね~。引き出物とか~、お料理とか~、衣装とか~、色々がんばっちゃいますよ~)

「うふふふ……さぁ、マシュさん。ますたぁのことはわたくしに、この“わたくし”に任せて頑張ってくださいまし」

(チラッ)

(はいは~い、わかってますから安心してくださ~い)

 

不安げに見つめてくるマシュを安心させるべく、にこやかに手を振る女王様。

とはいえ、どれだけ保証されても完全には安心できないのが、乙女心なのだろう。

結局、姿が見えなくなるまでしきりに立香の方をチラチラ見ながら進んでいくマシュであった。

 

 

 

その後、ランスロットとマシュの間で何が起こったかは、立香たちには知る由もない。

ただ、いったん最深部まで行ってから戻ってきた両者の表情は中々に印象的だったと言っておこう。

具体的には、とても充実した様子でホクホク顔のランスロットと、恥ずかしそうに憮然としているマシュ、といった感じ。

具体的なことはわからないが、ランスロット的には満足いくまで「お父さん」として振舞うことができ、マシュとしてはそんな「お父さん」に素直になれないらしい。

大迷宮という状況も忘れて、そんな二人に「いいことした」と思わずホッコリしてしまう立香であった。

 

そんな感じに親子の絆を深め合った二人に先導され、立香たちは大迷宮の最短距離を突っ切っていく。

とはいえ、それなりに階層も残っていたので決して楽な道のりでも短い道のりでもなかったが、それでも地道に降りていくよりは圧倒的に早かったのは間違いない。

おかげで、立香が限界を迎えるより早く最深部にまで到達することができた。

 

たどり着いたのは、オルクス大迷宮の最深部、オスカー・オルクスの住処手前の試練の間よりもさらに広大な空間。

自然そのままに歪な形をしているため正確な広さは把握しきれないが、少なくとも直径三キロ以上はある。

地面はほとんどがマグマで満たされており、所々に岩石が飛び出していて僅かな足場を提供していた。周囲の壁も大きくせり出している場所もあれば、逆に削れているところもある。

空中にはこれまた無数のマグマの川が交差していて、そのほとんどは下方のマグマの海へと消えていく。

 

グツグツと煮え立つ灼熱の海と、フレアのごとく噴き上がる火柱。

地獄の釜、と例えるとわかりやすいだろう。

 

そんな中、これ見よがしに怪しい場所があった。マグマの海の中央にある小さな島である。

海面から10メートル程の高さにせり出ている岩石の島。それだけなら、ほかの足場より大きいというだけなのだが、その上をマグマのドームが覆っているときた。まるで小型の太陽のような球体のマグマが、島の中央に存在している異様は明らかに不自然すぎる。

 

「ここが最深部?」

「おそらく、間違いないと思います。標高から考えてもここは麓付近のはずですから」

「それに、周囲をくまなく調査しましたが、下に続く道はありません。他の階層であれば、魔物の殲滅などしなくても下に降りる階段は見つけられたのですが……」

「麓辺りで、下へ続く道もなし、か。確かに、それっぽいね。ここは攻略したの?」

「いえ、まだです。調査している途中で攻撃されて、しばらくは対応していたのですが……」

「中々終わりが来ず、已む無く攻撃を凌ぎながら調査を続けた結果」

 

下へ降りる道がないことが分かり、いったん引き返した、ということか。

状況的にここが最深部の可能性が高いので、その判断は妥当だろう。

絶対ではないとはいえ、立香も神代魔法を習得できるに越したことはない。

もしかしたら、彼と極めて相性の良い神代魔法もある可能性は否定できず、それがあれば彼もより強力な自衛手段を得ることができるかもしれないのだから。

 

「それで、その攻撃っていうのは……」

「来ます!」

「みんな、迎撃態勢!」

 

宙を流れるマグマから、マグマそのものが弾丸のごとく飛び出してきた。

その攻撃を合図にマグマの海や頭上のマグマの川から、マシンガンのごとく炎塊が撃ち放たれる。

 

「マシュ、マスターを!」

「はい!」

 

サーヴァントたちは一度散開する。今の場所では、全員で固まって戦うには手狭すぎるからだ。

そのため、それぞれが動きやすいように別々の足場へと着地し、マシュは一人立香の前に立って彼を守る。

とはいえ、立香の守護をマシュ一人に押し付けるつもりはない。

それぞれが自身への攻撃に対応しつつ、立香たちを襲う炎塊を潰していく。

膨大と言っていい量の炎塊による波状攻撃が続いているが、手に負えないほどではない。

 

ただ、いつ終わるともしれない波状攻撃にはうんざりする。マシュたちが調査だけしていったん引き返してきたのも納得だ。

どちらも、基本的にはあまり広範囲に向けての攻撃は得意ではない。

そういったことは、むしろエリザベートの得意分野だ。

 

「エリちゃん!」

「そおれっ♪」

 

彼女が槍を突き立てると、またも監獄城チェイテが巨大アンプとともに出現。

全員が射線から外れ、タイミングを見計らって耳をふさぐ。余波であっても、あれをじかに耳にするのはいろいろな意味でよろしくないことを、皆が知っているのだ。

 

「laaaaaaa~~~~~~~!!」

 

飛び交うマグマの塊が、尽く粉砕されていく。

中々に壮観な光景なのだが、手放しに喜べないのが当事者たち。

 

「ほんと、声はいいんだけどなぁ、声は」

「フォ~フォ~……」

「はい。あと、自分の為ではなく誰かのために歌う時の歌声は本当に素晴らしいのですけど……」

 

基本、自分が気持ちよくなるために歌うので、そういうことは極めて稀だ。

まぁ、だからこそ有難みがあると好意的に考えるのが一番だろう。

それが詭弁だということは、自分たちが一番良く分かっている。

 

「攻撃、止まないね」

「はい」

「さて、どうしたものか……」

 

絶え間なく続く炎塊による攻撃は、一度はエリザベートの宝具で一掃されたものの、さすがの彼女もいつまでも歌ってはいられない。その歌声が途切れると、またも炎塊による攻撃が再開される。

 

厄介なのは、止める手段が目に見えないこと。

場所的にも、状況的にも明らかにグリューエン大火山の最終試練で間違いないだろう。

ただ、オルクス大迷宮と違って目に見える敵が存在しない。これでは、何をすればクリアと判断されるのかが分からない。

 

「怪しいのは……」

「やはり、あのドームですね。あからさまだったので、一度降りたときはあえて調査しなかったのですが」

「なら、選択肢はあそこ一つか」

「お任せください、ますたぁ」

「え、清姫?」

「参ります!」

「待っ……話し聞こうよ!?」

 

良いところでも見せたいのか、炎塊を掻い潜りながら清姫はドームに向けて進んでいく。

しかし、ドームまであと少しというところまで迫ったところで、清姫の真下のマグマが隆起した。

 

「ゴォアアアアア!!!」

「清姫!?」

 

腹の底まで響くような重厚な咆哮。同時に、清姫の直下から大口を開けた巨大な蛇が襲いかかる。

清姫には空中を移動する類の能力はない。精々身を捻ったりするのが関の山。

故に、全身にマグマを纏わせた大蛇は清姫の身体を容易く一飲みにしてしまう。

 

「ちょ、いくらあの蛇女でも、あれはやばくない?」

「あら~、急いで助けた方がよさそうですね~」

(あ~もう! こんな時に令呪を使い切ってるなんて……!)

 

仕方がないとはいえ、余計なことに使ってしまったのが痛い。

急ぎ近くにいる仲間に救助を指示しようとするが……どうやらそれには及ばないらしい。

 

「へ?」

 

突如マグマ蛇の身体が膨張したかと思うと、弾け飛んだ。

そこから姿を現したのは、青白い炎を纏った白い大蛇……転身した清姫だった。

 

「無事、のようですね」

「ハラハラさせないでくれよ、もう」

「ですがマスター、これは少々まずいかもしれません」

「え?」

「あの魔物、どうやら中身がないようです」

「マジ!? うわっ、ほんとだ……」

 

ランスロットに言われて見ると、マグマ蛇は清姫によって内側から弾け飛んだにもかかわらず、血も肉片もなく、飛び散ったのはマグマの飛沫だけだった。

今までのグリューエン大火山の魔物達は、基本的にマグマを身に纏ってはいても、あくまで纏っているのであって肉体がきちんとあった。だが、この魔物に限っては全身マグマだけで構成されているらしい。

 

「でも、そのまま再生したりはしない感じ?」

「どうやら、そのようですね。ですが……」

 

それ自体は安心材料と言っていいのだろうが、問題は次々とマグマの中から顔を出すマグマ蛇の群れだ。

20体に及ぶマグマの蛇たちが鎌首をもたげ、立香たちを狙っている。

 

「とりあえず、あいつらを倒さないと進めないみたいだね」

「はい、マスターは私の後ろに」

「ごめん、お願い」

「はい! 先輩は私が守ります!!」

 

とはいえこのマグマ蛇、倒せることには倒せるのだが魔石を破壊しないことには何度でも再生するらしい。

清姫の時はうまく魔石を巻き込めたらしいが、しばらくの間はどうやれば倒せるかわからず無駄な時間を使わされてしまった。

しかし、一度倒し方がわかってしまえばあとはこちらのもの。

 

元々、最大の問題点はその再生能力であって、それ以外についてはたいして脅威でもなかったのだ。

各々が得意とする方法で次々に魔石を破壊していく。倒した傍から補充されていくが、それも十分と経たないうちに打ち止めになった。どうやら、百体が攻略の目安らしい。

そして、その百体目が今まさに斬り伏せられようとしていた。

 

「最果てに至れ、限界を超えよ。彼方の王よ…この光をご覧あれ!

縛鎖全断・過重湖光(アロンダイト・オーバーロード)!!」

 

本来であれば光の斬撃となる魔力をあえて放出せず、対象を斬りつけた瞬間に解放。

膨大な魔力は切断面から溢れ、その青い光はまさに湖のよう。

当然、切り付けられたマグマ蛇も無事ではすまず、まるで溶けるように光に飲まれて消えていった。

 

「…………これで終わりかな?」

「ドームを覆っていたマグマが消えて黒い建物のようなものが見えていますから、そう見て間違いないかと」

「フォウッ!!」

「オルクスでも思ったけど、攻略させる気があるのか疑わしい難易度だよね。サーヴァントのみんながいるから何とかなったけど、普通無理じゃない?」

「はい、私もそう思います」

 

とはいえ、人間離れした力を手に入れたハジメや、色々反則なユエと香織なら不可能ではないだろう。

それに、それだけの難易度を攻略できる人物でなければ神とは戦えない、そう思えばこその試練とも考えられる。

 

「とりあえず、入ってみようか」

 

万が一にもマグマに落ちればアウトなので、念のためマシュに手伝ってもらいながらドームのある小島へと向かう。

 

一見、扉などない唯の長方体に見えるが、壁の一部に七大迷宮を示す文様が刻まれている。

その前に立つと、スっと音もなく壁がスライドし、中に入ることが出来た。

 

「見てください、先輩」

「魔法陣か。さて、マシュはともかく俺は認めてもらえるのかな?」

 

二人の視線の先には、複雑にして精緻な魔法陣……神代魔法の魔法陣があった。

さっそくその中に足を踏み入れると、オルクス大迷宮の時と同じように、記憶が勝手に溢れ出し迷宮攻略の軌跡が脳内を駆け巡る。そして、マグマ蛇を全て討伐したところで攻略を認められたようで、脳内に直接、神代魔法が刻み込まれていった。

それは立香も同じで、サーヴァントたちの実績はしっかり立香の実績と見做してもらえたらしい。

だが、重要なのはそこではなく……

 

「これは、一応当たり…ってことでいいのかな?」

「空間干渉系の魔法、ですね。魔術基準で見ても、魔法の領域に踏み込んだ力でしょう。ですが……」

「うん。さすがに、世界の壁を超えるのは無理っぽいか」

 

どうやら、グリューエン大火山における神代魔法は“空間魔法”らしい。

魔術基準で照らし合わせても、破格の魔法と言っていいだろう。

あることは予想していたし、ある意味一番目当てにしていた魔法なのだが……「当たり」とは言い難い。

 

この魔法は、あくまでも世界の内側に干渉するための魔法だ。

第二魔法のように、世界の壁そのものに対して干渉することはできない。

空間魔法では無理なのか、あるいはもっと別の要素が必要なのか……。

 

「ユエなら世界の壁を越えられる……っていうほど単純じゃないよね」

「おそらく」

「じゃ、大迷宮攻略は継続っと。とりあえず、ハジメたちには報告しないとだね」

「はい……先輩あれを見てください」

 

空間魔法を修得し、魔法陣の輝きが収まっていくと同時に、カコンと音を立てて壁の一部が開いた。

更に正面の壁に輝く文字が浮き出ると、そこにはこう書かれていた。

 

「ん? えっと“人の未来が 自由な意思のもとにあらんことを 切に願う。 ナイズ・グリューエン”」

「オスカー・オルクスの手記にもあった名前ですから、彼からのメッセージなのでしょう」

「シンプル、だね」

「部屋も、まるで身辺整理でもしたように何もありません」

「確か、すごく寡黙な人なんだっけ?」

「はい。思い残すことは、なかったのでしょうか?」

 

その答えは、立香たちには知る由もない。

何もなかったのか、あえて何も残さなかったのか。それは、ナイズ・グリューエンだけが知ることだろう。

 

僅かな時間、立香たちはナイズ・グリューエンに黙とうを捧げ、開いた壁の中に入っていたペンダントを取り出す。オスカーの指輪ともまた趣が異なる意匠を凝らした、サークル状のペンダント。

立香はそれを「自分は特に何もしていないから」と言ってマシュの首にかける。実を言えば、オルクス大迷宮の攻略の証も、マシュに持たせていたりする。理由は、今回と同じだった。

 

「さて。じゃ、とりあえず外に出て三人と合流かな」

「いえ、マスター。どうやら、その必要はないようです」

ランスロット卿(お父さん)、その身体は……」

 

振り返ると、そこには半ば実体化が解け、光の粒子を零す仲間たちの姿。

 

「え? なんで……だって、魔力供給は十分だし、契約もしっかり繋がってる。まさか、霊核に……」

「い~え~、そうではありませんよ~。どうも、この場所の魔力と私たちの魔力が相克してしまっているようでして~」

「俺たちは何ともないけど?」

「ん~、たぶんオルクスなんちゃらってところで召喚されたからじゃないの? 私たちって、一応召喚された場所の魔力の方が馴染むから」

 

つまり、オルクス大迷宮の魔力が今の彼らの根幹を支えており、その魔力がグリューエン大火山の魔力と相克してしまい、現界が保てなくなってきている、ということか。

だとすれば、大迷宮に入る度に同じことが起こると考えるべきだろう。

さすがに、サーヴァントの助けも借りずに大迷宮を攻略するのは無謀と言わざるを得ない。

 

「残念です、ますたぁ。せっかくの新婚旅行でしたのに」

「だから迷宮攻略の旅だってば。それと、結婚したつもりもないからどのみち“新婚”ではありません」

「くすん、つれないです」

 

とはいえ、グリューエン大火山も一級の霊地と言っていいポテンシャルを持っている。

ここでなら、改めてサーヴァントを召喚することもできるだろう。

まぁ、だからこそ魔力の相克が起こってしまっているのだろうが。

それはそれとして、カルデアとの通信もできるはずだ。せっかくなので、状況報告がてら召喚関連について相談してみるのもいいだろう。

 

「マシュ、すまない。叶うなら、君が戻るまで共にいたかったのだが……」

「……………………………いいえ、十分助けてもらいました。ありがとうございます、その……お父さん」

「っ! ……ああ、マスターをよく支えなさい。それは、君にしかできないことなのだから」

「はい!」

 

そうして、ランスロットたちは一足早い帰還を果たす。

マリーたちは送還しなくてもよいのだが、一度すべてのサーヴァントを送還しないと改めてサーヴァントを召喚することができない以上、彼女たちにも事情を説明して一度帰ってもらうことに。

それまでの騒がしさが嘘のように静かになったナイズ・グリューエンの住処で、立香とマシュは改めてサーヴァントの召喚を行おうとしていた。

 

「召喚陣、展開完了。どうぞ、先輩」

「さて、次はだれが来てくれるのかな?」

 

楽しみでもあり、不安でもある。何しろ、とにかくクセというかアクというか、そういうのが強い連中がほとんどなのだから。

きっと、次も大なり小なり苦労することになるのだろう。

 

 

 

  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 

 

 

時間は少々進み、立香たちがグリューエン大火山を発って数日後のこと。

魔国ガーラント王都の親衛騎士団の下に、緊急の知らせが舞い込んでいた。

 

「申し上げます! アンカジ公国壊滅に同行しておりましたシグレス卿が、帰還なさいました!」

「そうですか」

 

執務室に駆け込んできた兵士に、騎士団長は淡々と返す。

特別なことなど何もない。任務に出ていたものが、それを果たして戻ってきた。ただ、それだけのことなのだから。

 

「ご苦労でした。シグレスには報告書を提出の後、三日間の休養を与えます」

「いえ、それが……」

「なにか?」

「シグレス卿は重傷を負われておりまして……」

「……そうですか。彼は今どこに?」

「ここにおります、団長」

 

開けられた扉から、全身至る所に火傷を負った異形の騎士が抱えられて入ってくる。

鎧だけを外し、碌に治療も受けずにここまで来たのだろう。纏う服は所々が焦げ、まるで襤褸切れの様。全身に広がる火傷は、一目で重度の物だとわかる。

 

もはや手の施しようがない。どれほどの治癒魔法の使い手でも、それこそ時を巻き戻すか、伝説に謳われる薬でも用いない限り、助からないことは火を見るより明らかだった。

 

事実、息も絶え絶えで生きているのが不思議なくらい。

しゃべることができるかすら、怪しい有様だが……それでも、聞かなければならない。

 

「なにがありました」

「ぅ……あぁ……」

「シグレス、あなたともあろう騎士が、よもや務めも果たさず死ぬと? 私は、そのような不出来な部下を持った覚えはありません。あまり、私を失望させないでほしい」

 

淡々と語られる言葉に温かみはない。冷え切った、まるで氷の剣のよう。

室内の気温は変わらないはずなのに、まるで凍り付いたかのように誰もが固まっている。

報告に来た兵士など、その冷徹さに畏れすら抱いていた。命がけで帰還した直属部下に対してすらこれだ。

もし、あそこにいるのが自分であったなら……その想像に恐怖せずにはいられない。

 

「シグレス」

「……き、聞こえて、おり…ます」

「報告を」

「ぁ、は……はっ。作戦…失敗……敵と……遭遇する、も……撤退…」

「例の勇者ですか?」

「ひ、否定……亜人の、女……騎士…二名」

(勇者ではない? それはシグレスから見て? それとも、相手から何らかの方法で聞き出した?

 それに亜人族を連れた騎士? 構成が不可解ですね……)

「…………竜じ、ん……(おぼ)、しき……連れた……」

「竜人? まさか、竜人族の生き残りがいたと!?」

「……主は…黒髪、の少年」

 

それは、俄かには信じがたい情報だった。

竜人族といえば、もう五百年以上も昔に滅んだはずの種族。

亜人族を上回る強靭な肉体と、魔人族すら超える魔法への適正。加えて、魔物のように魔力を直接操り、「竜化」という固有魔法を持った最強の種族だったと伝え聞く。

その在り様は高潔にして清廉であったとも。

 

(その少年がよほどの傑物であれば、可能性がないわけではありませんが……)

 

竜人族の生き残りがいたというのも驚きだが、それ以上に竜人族が従うほどの傑物がいるということに驚きを隠せない。武勇か、知恵か、はたまた……いずれにせよ、看過できない。

 

「…………団長…どうか……我らが、悲願…を……どうか―――――――っ!!!」

 

その一言を最後に、男は事切れた。

 

「よく、務めを果たしてくれました。胸を張って逝きなさい。

 総員! 我らが同志、魔人族の勇士に黙祷!!」

『はっ!』

 

その場にいた全員が居住まいを正し、胸に手を当て静かに黙祷を捧げる。

彼は確かに、務めを果たしたのだから。

 

(ええ、わかっていますよ、シグレス。あなたの死、あなたの献身、無駄にはしません。

 必ずや、悲願を果たして見せます。屍山血河を築き、怨嗟を踏み超えて……如何なる非道も、どのような悪逆でも為しましょう。例え、同胞たちをも犠牲にすることになっても。すべてはより多くの同胞のため、いつかの子どもたちが……)

 

 

 

―――――――――――――――――自由な意思の下、生きられる世を。




魔人族側のオリキャラはこんな人。

どう解釈するかは、読み手にお任せします。

素直に受け取るもよし、捻くれて考えるもよし、堕ちるというのもありでしょう。

なにしろ切嗣はまだしも、臓硯なんて例もあるくらいですからねぇ。

逆に、一周回ってから本道に立ち戻る人もいたりするわけで……。


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015

ある意味、ここからがこの章の本番。とはいえ、そう長くはかからない……はず。
次かその次には終わらせたいなぁ。


ブルックという町がある。

ハルツィナ樹海から比較的近い位置にある町だが、言ってしまえばただそれだけの町だ。

他にはない特別な産業があるわけでもなく、観光の目玉があるわけでもない。

そのため、周囲を堀と柵で囲まれた小規模なこの町は、特別栄えているわけではないが、かといって寂れているわけでもない。どこにでもある、何の変哲もない辺境の町だ……一見した限りでは。

 

ただ、要所要所でこの町はどこか“オカシイ”。

例えば、本来冒険者ギルドというのは王都近郊でも基本あまり清潔感とは縁がないものなのだが、この町の場合は妙に小綺麗だったりする。さらに、受付のおばちゃんが不自然なまでに有能で、彼女が自作した町の地図……というかガイドブックは金がとれるレベルだったりもする。

さらに、おススメの宿として評判の“マサカの宿”。これもちょっと変だ。辺境の町の宿など、普通そう立派なものではないはずなのだが、多少割高ではあるものの、料理が美味く防犯もしっかりしており、さらに風呂まで入れるという。こんな辺境で、どうしてここまで設備やサービスが整っているのか……。

他にも、高級な礼服店があるなど、辺境の町とは思えない。

 

そして、この町の最も“オカシイ”点、それは……とある冒険者向けの店だった。

 

「えっと……確かこの辺りのはずなんだけど」

 

受付のおばちゃんからもらった地図を片手に街中を歩く香織・ユエ・シアの三人。

結局、なんだかんだあったもののシアはちゃっかりハジメたちの旅への同行を勝ち取ることができた。

まぁ、さすがにその扱いは色々な意味で“雑”だが……多少の不満はあれども同行できることだけでとりあえず満足しているので、文句はないらしい。ただ、今はそれどころではないようだが。

 

「ふわ~……」

 

(のぼ)りさんよろしく、キョロキョロと忙しなく辺りを見回すシア。

亜人族は樹海から出ることすら稀なので、人里の町が物珍しいのだろう。まぁ、それだけが理由ではない。

 

「……シア、しっかり前を見る、余所見しすぎ」

「す、すみません! でも私、町とかって初めてで……」

「ふふっ、まぁ仕方ないんじゃないかな? 樹海にいる間、フェアベルゲンにも入れなかったみたいだし」

「香織、シアを甘やかさない」

「は~い」

「うぅ~、ユエさんはもうちょっと私に優しくしてもいいと思うんですぅ」

「……ん?」

「いえ、何でもありません!」

(仲良いなぁ……)

 

シアと出会ったのはユエも香織も同じタイミングだ。

にもかかわらず、どういうわけかシアは香織よりユエと関わることが多い。

彼女に戦闘のノウハウを仕込んだのがユエだから…というのもあるのだろう。

しかし、一緒に料理をしたこともあるし、訓練に付き合ったこともあるから決して打ち解けていないわけではない。むしろ、香織はハジメやユエよりシアに優しく接しているはずだ。

ハジメに惚れ込んでいるようなので彼に構ってもらおうとするのはわかるのだが、シアはどういうわけか香織よりユエに甘える。普通なら、優しくしてくれる相手にこそ甘えるだろう。

そうしないのは、きっと……

 

(やっぱり、ユエの方が仲間意識を持ちやすいってことなのかな?

 二人とも、魔力操作とか固有魔法とかの関係で色々あったわけだし)

 

二人と違い、香織は“先天的”な能力ではなく“後天的”に獲得した能力だ。

なので、二人と違い特殊な存在であるが故の孤独感や苦労を知らない。

対して、二人は境遇や来歴こそ違えど、そのあたりで共感する部分があるのだろう。

香織もシアのことは仲間兼友人として受け入れている(ただし、恋敵とは思っていない、それはユエだけだ)。

だが、ユエとシアの関係性は「仲間」であり「師弟」であり、そして「姉妹」のように見えることがある。

外見的には立場が逆だが、ユエのつれない態度に反して二人の距離感は結構近い。

そんな二人の様子を見ていると、香織もふっと離れ離れになってしまった幼馴染兼親友を思い出してしまう。

 

(雫ちゃん、元気にしてるかなぁ?)

 

マシュを介して彼女の現状は知ることができたとはいえ、こんなにも長期にわたって会わなかったことはない。

だからほんの少しだけ、“寂しい”と感じてしまうのだろう。

 

「あの、香織さん? どうかしました?」

「え? あ、ううん、なんでも……」

「……会いに行けばいい」

「ユエ……」

 

ユエは香織が親友に背中を押してもらってハジメを追いかけてきたことを知っている。

だからこそ、無二の親友を思って僅かな寂寥を覚えてしまう気持ちを察してくれているのだろう。

ただし、ここで終わりにしておけばいい話で〆られたのだが。

 

「ハジメのことは私に任せればいい。ハジメは、私が、一人で、幸せに、するから。

なんなら、シアも連れて行くといい」

「ユエさん!?」

「もう! またそうやって意地悪言う!! ユエのバカ! アンポンタン! 天邪鬼!」

「……親友に会えるようにと気遣ってあげたのに、何たる暴言。香織のあほ」

「あ、あの~周りの視線が痛いので、止めませんかぁ?」

 

ここにハジメでもいれば二人のケンカも即座に強制終了できるのだが、今のシアには望むべくもない。

すっかり恋敵兼ケンカ友達という関係が確立されてしまった二人であった。きっと、この関係は一生涯続くのだろう。

 

そのままケンカを続ける二人と、ちょっとだけ距離をとるシア。

そうしているうちに、気付けば目当ての店の前に立っていた。

 

「ほらほら! お二人ともケンカはそれくらいにしてください、着きましたよ!」

「……む、一時休戦」

「続きはお買い物が終わったらだね」

(なんだかんだ楽しそうなんですよねぇ……)

 

三人が足を運んだのは冒険者向けの装備品や消耗品、さらには普段着まで取り揃えている店。

ギルドの受付のおばちゃん……キャサリンさんがオススメするだけあって、品揃え豊富、品質良質、機能的で実用的、されど見た目も忘れずという期待を裏切らない良店だ。

ただ、今回香織たちがこの店を選んだのはそれだけが理由ではない。

 

「……香織、ここで合ってる?」

「うん、『ホーリー・ベル』間違いないよ。立香さんの知り合いがやってるお店、ほら」

「ほえ~、可愛い字ですねぇ」

 

首をかしげるユエに立香からもらった名刺代わりのメモを見せる。

後ろからシアものぞき込むと、そこには女の子らしい丸っこい字体で可愛らしく「ホルアドへお立ち寄りの際は、『ホーリー・ベル』をよろしくねん♪ お友達価格でサービスするわん♡」と書かれている。

 

「……つくづく謎。言葉が通じないのにどうやったの?」

「あ、うん。それは私もすっごく不思議」

 

字体からは溢れんばかりの友愛が滲み出している。

言葉も通じない中、どうやってここまでの絆を短時間のうちに結んだのやら。

 

「まぁまぁ、とりあえず入ってみましょう!」

 

店の外から見てもわかるくらいに豊富な品揃えに、シアのテンションは上がりっぱなしだ。

これ以上我慢させると、そのうち一人で吶喊していきかねない。

 

二人は思い切りハシャぐシアに香織は優しいまなざしを向け、ユエは呆れたように息を吐く。

とはいえ、実を言えばかつては王族だったこともありユエもショッピングは初体験なので、内心ではシアに負けず劣らずウキウキしているし、香織も久方ぶりのお買い物が楽しみで仕方がない。

折角なので、ハジメにアピールできるような普段着も何着か用意したい。

 

そんな感じで店内に入っていく三人の乙女。

この日、彼女たちはある種の運命と出会った。

そう、漢女(クリスタベル)店長という名の運命と。

 

 

 

後に、苦笑いを浮かべつつ香織は語る。

 

「そういえば、店長さんの人柄は聞いてたけど、外見とか聞いてなかったんだよねぇ」

 

さらに、ユエもしきりにうなずきながら語る。

 

「ハジメとの出会いに次ぐインパクトだった」

 

あの日のことを思い出しながら、シアは羞恥に真っ赤になりながら呟く。

 

「…………………………………………………………チビりました」

 

最後に、後から件の店長と遭遇したハジメは激怒する。

 

「なんつーもんを紹介してくれやがったんだ、アイツ(立香)は!!!」

 

 

 

  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 

 

 

地平線の彼方まで続く大地。

起伏に乏しく、視界を遮るものはなく、右を見ても左を見ても同じ景色ばかり。ぐるりと見まわせば、さて最初に見ていた方角がどちらだったかすらわからなくなりそうだ。

 

それくらいに代わり映えしない風景。

大地の褐色と、天空の青。たった二色だけで満たされた世界。それはもう、モノクロ(白と黒)の世界と大差ない。

 

いや、色彩に乏しいのは何も視覚だけではない。

嗅覚をくすぐるのは乾燥した土の匂いだけだし、聴覚が捉えるのは時折吹き荒ぶ風の音だけ。

五感のうち三感から得られる情報は、あまりにも乏しい。

 

そんな色彩に欠ける世界にも、僅かばかりの例外があった。

 

ザクッ…ザクッ……ザクッ! ザクッ……ザクッ!!

 

決してリズミカルとは言えない調子で繰り返される、大地を掘り返す音。

その音色は乾ききっており、“潤い”からは程遠い。

事実、踏み締める大地はひび割れ、軽くつまむだけでボロボロと崩れてしまう。

 

生命の息吹の絶えた、不毛の大地。

何しろ、地平線のどこを見ても緑の一欠片すらないのだ。とても、人が生きていける世界ではない。

 

しかし、そんな世界の只中でそれでも彼は鍬を振り下ろし続ける。

今の彼にできることは、それしかなかったから。

 

いったいどれほどの時間そうしていただろう。

腕の筋肉が張ってきたところで、彼は鍬を下ろして一息つく。振り返れば、今日の戦果ともいうべき掘り返された地面。とはいえ、この広大な荒野から見ればそれは猫の額に等しい。

 

「……これは、いよいよヤバいかもなぁ」

 

言ってもどうにもならない言葉が、つい口から洩れてしまう。

為すべきことはわかっている。だが、あまりにも遠すぎる。実現できるという確信が持てない。

仲間の一人はよく言っていたものだ。

 

「進み続けてさえいれば、望む場所には必ず辿り着ける」

 

「終わるまでは、どんなことも、終わっちゃいねぇんだ。だから、諦めない限り“夢は必ず叶う”」

 

その信念そのものには共感していたつもりだが、今回ばかりはさすがに諦めてしまいそうだった。

 

―――いったいどこまで進めば、望む場所はあるのだろう。

 

――――――いったいどうすれば、この大地に命の息吹を蘇らせられるのだろう。

 

―――――――――いったい、ここはどこなのだろう。

 

目に見える敵、確かにあるとわかる障害なら乗り越えることもできる。

しかし、目に見えない敵、あるかすらわからない障害を前に、どう動けばいいのだろうか。

 

正直、皆目見当がつかない。

今できることを一つずつ、着実に。それが彼……藤丸立香の基本方針だが、それだけではどうにもならないことも、ある。ちょうど、今がまさにそうであるように。

できることは一つしかない。だが、それをいくら繰り返してもまるで進んでいる気がしない。

いや、事実として何も進んでいないのだろう。なにしろ……

 

「もう、三ヶ月も経つっていうのに」

 

そうだ、この三か月間ずっと、毎日毎日鍬を振るい大地を耕し続けてきた。

うろ覚えの農耕の知識を引っ張り出し、何とか大地を豊かにしようとしているが、まるで進展がない。

相変わらず不毛の大地は不毛なまま、触れれば崩れてしまう程に脆い。

これでは、この大地に息吹が宿るより早く彼の命が尽きてしまうだろう。

 

「先輩」

「マシュ? どう、そっちは」

「はい。駆除は終わりました、これで数日は問題ないでしょう」

「フォーウ!」

「はい、フォウさんも頑張ってくれました」

「へぇ……」

 

小動物であるフォウが一体どう役に立ったのかはよくわからない。

だが、フォウはなんだかんだで頭もいいし、得意げにしているので思わぬ形で活躍したりしているのだろう。

 

「それで、今日は何頭?」

「4頭ですね。今は血抜きをしています」

「そっか、エミヤに感謝しないと」

 

この土地には魔物はいないらしく、時折現れる獣は一応食べることができた。

香織と一緒にマシュも血抜きをはじめとした下処理の仕方を学んだことが、今活きている。

 

「それと、いつもありがとう」

「いえ、先輩こそご苦労様です。私もすぐにお手伝いを」

「……ごめん、ありがとう」

「その前に水分の補給を、今ご用意します」

 

あまりアーティファクトを必要としない分、宝物庫にはだいぶ余裕があったことから水や食料はかなりの備蓄がある。それこそ、二人で三ヶ月暮らす分には問題なかったし、もう数ヶ月もたせることもできるだろう。

ハジメが食料や飲料水を補完する上で便利なアーティファクトを作ってくれたおかげだ。

とはいえ、それらの物資も無限ではない。

 

食肉に関しては、食べることに多少不安はあるもののこの土地の獣を食べればいい。

だが、たんぱく質以外の栄養素や飲料水ばかりはどうにもならない。可能な限り節約する必要がある。

 

(食べきれない分のうち、一部は宝物庫に保管して、残りは肥料に回すか。

 はぁ、こんなことなら無人島の時にもっとちゃんと堆肥とかの作り方を覚えとくんだった……)

 

まぁ、この大地の不毛さを思えば、仮に確かな知識があったところでどの程度役に立ったことか。

正直、あまり期待はできない。

 

せめてもの救いは、周りに仲間たちがいることだろうか。

 

「ますたぁ、だいじょうぶ?」

「ああ、アステリオス。うん、そっちはどう、捗ってる?」

「うん、いっぱい、じめん、ひっくりかえした」

「そうか、ありがとう」

 

できれば頭をなでてやりたいが、身長3メートルに迫る彼の頭は立香の遥か上だ。

已む無く、その逞しい背中をポンポンと叩いてやる。

彼、アステリオスはそれをくすぐったそうに受け止め、童子のような笑顔を浮かべて作業に戻っていく。

きっと、他の仲間たちも、あきらめずに頑張ってくれているのだろう。

 

「フォウ、フォ――――ウッ!!」

「どわっ……ああ、フォウもありがとう」

 

頬を張り、弱気を叩き出す。

間髪入れずに、いつの間にか肩に乗り移っていたフォウが、その小さな前脚で額をどついて活を入れてくる。

 

しかし、ふとした瞬間に脳裏をよぎるのは三ヶ月前の出来事。

“空間魔法”という神代魔法を得て、新たにサーヴァントを召喚した立香たちは次なる目的地、「シュネー雪原」の「氷雪洞窟」を目指して動き出した。

その道中、せっかく得た神代魔法を少しでも使えないかと空間魔法をコネコネしていた時のことだ。

 

唐突に、何の前触れもなく、立香の空間魔法と“ここ”が繋がった。

 

右も左もわからない状態で、彼らはこの不毛の大地に放り出されたのだ。

ここがトータスなのか、それとも更なる異世界なのかすらわからない。

当然といえば当然のことながら、霊地ですらないこの場所ではカルデアと連絡を取ることもできない。ついでに、ハジメたちとも連絡が取れない。

それどころか、魔力供給が著しく制限され、サーヴァントたちを現界させるのが精一杯という有様だ。宝具の使用など以ての外。まぁ、宝具を使うほどの敵がいないのだから、それ自体は問題ではないが。

 

強いて言えば、マシュたちが狩って回っている獣くらいだろう。

それにしたところで、サーヴァントたちなら通常戦闘で十分倒しきれるレベルだ。宝具を必要とするほどではない。

 

閑話休題(それはともかく)

以来、立香たちはこの土地(セカイ)からの脱出を目標に行動している。

まぁ、それが何でこんな農地開墾みたいなことになっているかというと……

 

「マスター」

 

ちょうどやってきた白色のローブを纏った、女性と見紛いかねない長髪の美青年……パラケルススの進言だ。

 

「どうしたの?」

「新しい薬を作りましたので」

「……ありがとう」

「申し訳ありません。私の力が及ばぬばかりに」

「別にパラケルススのせいじゃないよ。というか、原因があるとしたら俺だしさ」

「……いいえ、それは違います、マスター。あれは事故、だれに責任の在り処を問うようなものでもありません」

 

色々と胡散臭さがにじみ出ることもあるが、基本的には理知的で物静かな人物だ。

彼の見立てでは、立香の空間魔法で繋がってしまったのなら、脱出の方法も立香の空間魔法にヒントがあるはず、らしい。とはいえ、カルデアから十分な魔力供給が得られない状況では、いつもの魔術行使のように力技というわけにはいかない。

サーヴァントたちへの魔力供給をカットして空間魔法に回すという方法もあるが、サーヴァントは霊体化していても、かなりの魔力を消費する。脱出のための魔力を捻出するには、それこそ一度全員を送還するくらいでなければ意味がない。かといって、このような未知の状況で戦力を削るなど愚の骨頂。

そんなわけで、別の方法を模索することとなり、その結果行き着いたのが“これ”だ。

 

「魔力は……やっぱり湧いてこない?」

「はい。まだまだ、呼び水には到底足りないかと」

「まぁ、このありさまじゃね……」

 

パラケルススによると、この土地には潜在的に相当な魔力が眠っているらしい。

ただ、それを引っ張り出すには呼び水となるものが必要らしい。

オドにしてもマナにしても、魔力というものは基本的に生命力から変換されたものだ。違いは規模を除けば、人間をはじめとした生命体の物か、星の物か程度でしかない。

通常、魔力が豊かな土地は土壌をはじめ様々なものが豊かになる。今回はその逆をやろうとしているのだ。土地を豊かにすることで、眠っている魔力を引っ張り出すための呼び水にする。そして、湧きだした魔力を利用して空間魔法でトータスに戻る。要はこういうことだ。

 

そんなわけで、こうして立香たちは慣れない農作業に精を出しているわけである。

まぁ、三ヶ月かけて進展はほぼないに等しいわけだが。とはいえこのやり方、何もパラケルススだけが考えたわけではない。むしろ、ヒントは外部からもたらされていたりする。

 

(俺たちがまいるのが先か、土地が目覚めるのが先か……分が悪いな)

「あぁ、立香さん。今日も精が出ますね」

 

思案する立香に声をかけてきたのは、この土地で唯一といっていい仲間以外の顔見知り。

セミロングの薄い金紗の髪を靡かせる、中性的な顔立ちの子ども。瞳は朝焼け色をしていて、思わず吸い込まれそうになる。性別は……良く分からない、男にも女にも見える。

一度聞いたことがあるのだが、「見た方が早い」と貫頭衣のような白い服をたくし上げようとしたところでマシュが待ったをかけ、以来真相は闇の中だ。

 

「タス? しばらく見なかったけど、今までどこに?」

「ちょっと野暮用ですよ。それよりほら、これ見てください」

「フォ?」

 

タスと呼ばれた子どもの手の中にあったのは、極々小さな白い花。だが、この不毛な大地に宿った確かな命だった。

 

「生えたの!?」

「皆さんのおかげです。私も、花なんて久しぶりに見ました」

「ですが、摘んでしまっては子孫を残せないのでは?」

「そうだ、どうしよう!?」

「いえいえ、大丈夫ですよ。この花は……ほら、根の方に種ができるんです」

「あ、ほんとだ。なんか球根とも違うけど、そんな感じのがある」

「では、これを植えてみるとしましょう」

「そうだね。今まではいつの物かわからない種を蒔いてたけど、これなら……!」

「今度こそしっかり育つといいですね」

「ああ、ありがとう。君には助けられてばっかりだ」

「ふふっ、お気になさらず……」

 

それで用件は済んだのか、タスは来た道を引き返していく。

いったいどこへ戻っているのか、何度か聞いたことがあるのだが、こちらはいつも笑ってはぐらかされてしまう。

とはいえ、何度か言葉を交わしてある程度タスの為人(ひととなり)はわかったと思う。

 

「マスターは、彼をどのように思いますか?」

「彼なのか彼女なのか、いまだにわからないけど……基本的に、裏表はない気がする。

 なんていうか、すごく自然体なんだよね」

「なるほど……私とは大違いですね」

「フォ~ゥ……?」

「いや、それ自分で言う?」

 

確かに、大変胡散臭いパラケルススと全く違うのは確かだが。

 

「ですが、マスター……くれぐれもご注意を。おそらく……」

「まぁ、人間じゃないだろうね。こんなところで俺たちが来る前から過ごしてて、今もどこに住んでいるのかわからないし、食べ物だって碌にないのに肉付き良いし、そもそもやけに恰好が清潔だ」

「はい。カルナ殿はなんと?」

「『あれはただそこにあるだけの者だ、気にするな』って。相変わらず一言少ないんだからなぁ」

 

人を見る目は抜群なのだが、どうにも一言足りないのが彼の大英雄殿の難点だ。

立香でも、彼の真意を汲み取るのには中々に苦労する。

何しろ、今の一言を引き出すのにも結構手間をかけたのだ。

 

しかし、カルナがそう言うならとりあえず警戒する必要はないのだろう。

彼の前ではどんな虚飾も意味をなさない。対峙した相手の属性や性格を看破し、自らを偽る言動、取り繕う態度や信念などを全て暴き出してしまう。

そんなカルナが太鼓判を押した以上、警戒は無意味だ。

 

なにしろ、タスがこの世界を開墾するという方向性を示した際にはカルナも同席していたが、彼は何も言わなかった。それは、タスの言葉に嘘などが含まれていなかったということだろう。

加えて、フォウも特別警戒していないようだし、特別問題視することはないはずだ。

 

「とりあえずは、この種だね。大切に育てないと」

「ええ。ですが、問題はどうやって育てるか、でしょう」

「水はどの程度やればいいのか? 肥料は? 受粉はいるのか? わからないことばっかりだもんなぁ。

 タスも教えてくれればいいのに……」

「彼も知らない、という可能性もありますが」

「あ~、ありそう」

 

何しろ、この三ヶ月の間に何度かあった時も栽培方法などでアドバイスを求めたのだが、全くアテにならなかった。こんな場所に住んでるくせに、その手の知識は全くないらしい。にもかかわらず、どういうわけか眠っている魔力の引き出し方は提案できる。

 

(知識がチグハグすぎるだろ、ほんとに何者なんだ?)

 

というか、そもそも出会った時からいろいろ不可解な相手だったか。

突然それまでと全く異なる風景の場所に放りだされた立香たちの背後に、前触れもなく現れたのである。

今回召喚したサーヴァントは武闘派が多いのに、彼らに気付かせずに背後に立つ……それがどれだけ異常なことか。だというのに、当の本人は全く武の心得のある立ち振る舞いではない。

立ち姿も歩く姿も、どこもかしこも隙だらけ。本当に、謎ばかりが深まる。

警戒する必要はなくとも、注意が必要なことに変わりはあるまい。

 

「ところで」

「はい」

「今回のはどんな薬? この前は土とか獣の死体を腐らせる薬だったよね?」

「腐敗とはすなわち発酵です。発酵させることで、より効率的に土地を蘇らせられると考えました。

特にこの土地では調達できるものが限られる以上、土でも骨でも腐らせる薬が望ましいでしょう」

「おかげで俺、危うく腐海の中に沈むところだったんだけど」

「……………………………………………………………良かれと思って」

「フォウフォウフォウフォウフォウフォウッフォウ!!」

「ほら、そういうところ! 悪気がないのはわかってるけど、そうやってトラブル起こすから“悪巧み四天王”とか呼ばれるんだって自覚してる!? はい、そこ! 目をそらさない!!」

 

本当に「良かれと思って」やってはいるのだろう。

ただ、どういうわけかそれが割と頻繁に見当外れな方向に飛んでいくのはどうしたものか。

とはいえ、立香も彼との付き合いはいい加減長い。

 

「まぁ、過ぎたことはいいや」

「フォッ!?」

 

良いのだろうか?

 

「で、今回の薬は?」

「成長促進薬を作ってみました」

「へぇ、ピンポイントな」

「一匙かければ、通常の数倍の速度で成長する……はずです」

「まぁ、実地で試すしかないから『はず』なのも当然だろうけど……大丈夫?」

「……………………」

「ねぇ、答えて? その間がすっごく不安感を掻き立てるんだけど」

「成長が早い分、枯れるのも早くなるかもしれません」

「あ~なるほど。当然といえば当然か、でもそれぐらいなら……」

 

許容範囲だろう。

というわけで、さっそく種を一つ植えて一匙かけてみる。すぐに結果は出ないだろうが、まずは様子見をすべきだろう。

 

(それにしても、もう三ヶ月なんだよな。ハジメたち、今頃どこまで進んだかな)

 

当初の予定では、ハジメたちはハルツィナ樹海とライセン大峡谷の大迷宮に挑戦し、立香たちはグリューエン大火山とシュネー雪原の大迷宮を攻略したところで一度合流する手はずになっていた。

もしそれまでに新たな大迷宮の情報が手に入れば、逐次修正していく前提で。

 

だが、今立香たちはこうしてこの不毛の大地で三ヶ月も足止めを食っている。

それこそ、ハジメたちは自分たちの代わりにシュネー雪原に向かっていたりするかもしれない。

 

(やむを得ない状況ではあるけど、せめて連絡くらい取れたらなぁ……)

「マスター」

「どわっ!? せ、静謐? びっくりした……気配遮断して近づかないでよ」

「ごめんなさい」

「ところで、近くない?」

「そうでしょうか?」

(めっちゃ密着してるんですけど? というか、背中にや~らかい感触が……)

 

立香も健全な青少年なので、その感触を無視することはできない。

しかし、彼としてもここで若さに流されるわけにはいかないのだ。だって、流されたら後でマシュの視線が怖い。

 

「と、ところで! 何か用があってきたんじゃ……静謐は狩りの当番にはならないし」

 

そう、この土地ではかるべき獣が現れること自体が稀なのだ。

そのため、基本狩りは当番制になっている。

武闘派が多い分、鍬を振ったりしているよりそっちのほうがやりがいがあるらしい。

とはいえ、狩るべき獲物が限られる以上、こうして当番制にするしかなかったのだ。

まぁ静謐の場合、体質の問題があるので除外されている。立香はまだしも、多くのサーヴァントは彼女の毒に耐えられない。彼女が触れて毒に侵された獣を食べたりしたら、それこそ大事だ。

 

「そう、でした」

(忘れてたのか?)

「あちらに、馬車が倒れていました。騎士の他に、冒険者風の服装の人も」

「ちょっ!? それ早く言おうね!」

 

持っていた鍬や肩にかけていたタオルを落としながら、大急ぎで駆け出す立香。

そんな立香を見送りながら、静謐はもう一言付け加える。

 

「あと、スーツを着た女性(ヒト)も」

「それは、もう少し早く言うべきだったかもしれませんね」




オリキャラその2、色々と謎の多い性別不明の「タス」。重要なような、そうでもないような……そんな立ち位置ですね。たぶん、この章が終わったら7章最後まで出番ないんじゃねぇの? という程度。
状況が状況で、手段が手段なので牧歌的にいきたい……のですが、メンツがメンツなのでたぶんそうはなりません。

というか、三ヶ月もこんなところで足止めされてるのが一番の問題なんですけどね。

ちなみに、大火山で召喚されたサーヴァントは「アタリ」が多いです。
カルナ以外にも、強力なサーヴァントが数名来ています……が、こんな状況なので宝の持ち腐れ。強い奴がいるからと言って戦えると思うなよぉ!!!


























































ほんとはYARIOで揃えたかったのは秘密。


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016

今回はちょっと短め(一万字を切ります)。いやぁ、私にしては珍しい……でも、このくらいの方が読みやすいのでしょうねぇ……。


畑山愛子、25歳、高等学校社会科教師。未婚、恋人いない歴=年齢、外見年齢が高く見積もっても中学生くらいの合法ロリ。

そして、異世界トータスに召喚された年端もいかない子ども達の中に紛れた例外。

 

彼女にとって教師という職は、専門的な知識を教え、学業成績の向上に努め、生活が模範的になるよう指導するだけの存在ではない。それ以上に、彼女は“生徒の味方”であることを第一として考え、そのようにあろうと努めてきた。同時に、それこそが愛子の教師としての信条であり矜持であり、自らを“教師”と名乗る上での柱だった。

 

そんな彼女にとって現状は不満の極みであり、己の力の無さに臍を噛む日々が続いている。大切な生徒たちは戦争のために利用され、せめて傍で生徒たちを守ろうとしても、保有する能力が希少かつ有用なことから戦闘とは無縁の任務(農地改善及び開拓)が愛子の役目。

何とか抗弁しようとするも、適材適所という観点では反論のしようがなかった。

 

なにしろ、天職「作農師」とそれに付随する技能の数々はあまりに優秀すぎたのだ。

戦争の有無に関わらず、食糧事情を大幅に改善可能な彼女の能力を遊ばせて良いはずがない。

 

結果、生徒たちの無事を祈りながら、聖教教会の神殿騎士やハイリヒ王国の近衛騎士達に護衛されつつ各農村地や未開拓地を回る日々。

しかし、彼女の真摯な祈りは一人の生徒の訃報という形で踏みにじられた。

 

これをきっかけに、愛子は覚悟を決めた。もう決して周囲が作った“流れ”に乗せられはしない。生徒たちを守るために、彼らの味方であることを妥協しない、と。

 

奈落に落ちていく南雲ハジメを目の当たりにし、“次は自分かもしれない”という圧倒的な恐怖を身近に感じ立ち上がれなくなった生徒達。対して、そんな彼等に戦闘の続行を望む教会・王国関係者。

愛子は自分の立場や能力を盾に、教会幹部・王国貴族達に真正面から立ち向かった。私の生徒に近寄るな、これ以上追い詰めるなと声高に叫んだ。

 

結果、何とか勝利をもぎ取る事に成功する。戦闘行為を拒否する生徒や何らかの理由で戦闘に参加できない生徒への圧力をなくすことができた。

まぁ、唯でさえ高かった生徒からの人気がさらに高まり、せめて任務であちこち走り回る愛子の護衛をしたいと奮い立つ生徒達が少なからず現れた事は、予想外としか言えなかったが。

 

だが、心の折れた生徒たちだけでも戦いから離すことに成功したことに安堵したのも束の間、二名の生徒が行方を晦ましてしまったのだ。二人ともそれぞれ特に強力な能力を有していたことから、王国や教会も捜索のために全力を傾けているが、足取りは杳として知れない。

愛子も、任務で訪れたり立ち寄ったりした町や村などで聞き込みをしているが、そのすべてが空振り。

 

そんな日々の中、数日ぶりに生徒たちの様子を見がてら、教会や王国への牽制のために帰還した愛子。

しかし、彼女は僅かな休息を取ることもなく早々に王都を後にする。

戦うことを拒否した生徒たちに寄り添いたい気持ちはあるが、良くも悪くも彼らの状態は安定している。

今日明日のうちに立ち直ることはできないだろうが、唐突に状態が悪化することもない。

 

可愛い教え子たちに優劣や優先順位をつけることは好ましくないが、それでも一人の生徒……八重樫雫のことが気がかりだったのだ。

危うい……それが、雫に対する愛子の偽らざる印象だった。

ハジメの死を目の当たりにし、追い打ちをかけるように失踪した二人の友人。それだけなら他の生徒たちと同じだが、行方を晦ました香織と雫は幼馴染であり、その絆の深さと強さはだれの目にも明らかだった。

そんな相手が、何も言わずに姿を消してしまった……いったい、どれほどショックだったことだろう。

 

実際、それからの雫は大きく取り乱したりすることこそなかったものの、平静からは程遠かった。

愛子もできる限りのことをしようとしたが、「大丈夫です」「みんなのことお願いします」と言われては中々踏み込めない。実際、その当時はほかの生徒たちもかなり危うい状態にあり、彼らのケアも疎かにはできなかった。その意味で言えば、どれほど焦燥に駆られようとも自分を見失わない雫の自制心は有難かった。例えそれが、どれほど無理のある笑顔の下で言われた言葉であったとしても。

 

しかし、状況は変わった。あの頃と違い、生徒たちはとりあえず「安定期」と言っていい状態に入っている。

前に進むことを決意した者、自分なりにできることをしようとしている者、自身の殻に閉じこもってしまった者。

それぞれではあるものの、おかげで愛子にも少しだけ余裕ができた。だからこそ、雫の厚意に甘えて先送りにしていた問題に向き合うことができる。

 

即ち、雫の心に寄り添うこと。

抜本的な解決は望めないが、それでも少しでも彼女の力りなりたい。

そう思い勇者一行が拠点を置く宿場町ホルアドを訪れた愛子は……肩透かしをくらっていた。

 

「あの、八重樫さん?」

「はい、どうしましたか先生?」

「えっと……調子の方はどうですか?」

「悪くはない、と思います。少なくとも、順調といっていいペースで迷宮は進めていますし、百層攻略もそう遠くはないでしょうから」

「そう、ですか……」

 

数日前に会った時の雫は、いつ切れてもおかしくないほどに張り詰めていた。

それに気づいていたからこそ、愛子は一分一秒を争う気持ちで雫に会おうと大急ぎでホルアドを訪れたのだ。

 

なのに、なんとか一対一で話せる場を設けてみれば、随分と雰囲気が和らいでいる。

数日前とは、それこそ別人のようだ。

 

いや、それに気付けたのは愛子だからこそだろう。

実際、光輝や雫たちのサポートのために同行している騎士たち多くが、雫の変化に気付いていない。

雫自身、“敢えて”以前と変わらない振る舞いを心掛けている結果だ。むしろ、それでもなお彼女の変化に気付けた愛子が、普段どれだけ生徒たちをよく見ているかわかるというものだろう。

 

とはいえ、雫の変化自体は喜ばしいことだが、理由がわからないと逆に不安になる。

なにかよくない変化の「前触れ」、あるいは「兆し」ではないか、と。

まぁ、実際には完全無欠に考えすぎなのだが。

 

「ただ、辻さんに負担をかける結果になっているので、それは心苦しいですね。後で、労ってあげてください」

 

現在、迷宮攻略に参加しているパーティは三つ。そのうち、回復魔法に長ける治癒師は「辻綾子」一人しかいない。本来はもう一人いたのだが、その人物は現在失踪中なのだ。また、召喚された生徒たちの中には他にも治癒師が含まれているものの、心の折れている者に無理をさせるわけにもいかない。そのため、たった一人の治癒師にかなり負担がかかってしまっている。

雫たちにできることといえば、彼女の負担を減らすために極力傷を負わないよう慎重に立ち回ることと、魔物を近づけさせないよう奮闘することだけ。そのため、攻略のペースはさほど早くはないのが実情だが、こればかりは仕方がないだろう。無理をして犠牲を出しては、それこそ本末転倒なのだから。

とはいえ、それでも綾子に相当な負担を負わせていることに変わりはない。雫はそのことを気にしているのだ。

 

「は、はい。それはもちろん! ですが、やはり治癒師不足は大きいですか……王国から人を出してもらうわけにはいかないのですか?」

「回復魔法の腕だけを考えれば、それでもいいのかもしれません。でも、迷宮という場所は回復魔法の腕が良いだけではダメなんです。今の私たちについてこれるだけの力量の持ち主となると、騎士団にも……」

「そうですか、白崎さんがいてくれれば……す、すみません! 今のは、その……」

 

思わず口から零れてしまった名前。ここに来た一番の目的を考えれば、失策以外の何物でもない。

慌てて取り繕おうとする愛子だが、返ってきた反応は彼女の予想から大きく外れたものだった。

何しろ、呆れたようなあるいは困ったような言葉と共に、微かな笑顔が浮かんでいるのだから。

 

「……気にしないでください。まったくあの子は、今頃どこで何をしているのやら」

(やっぱり。八重樫さんのこの余裕は、いったい……)

「愛ちゃ…先生、どうかしましたか?」

「い、いえ! なんでもありませんよ!?」

 

愛子は慌てて否定するが、彼女の反応の意味に気付けないほど雫も鈍くはない。

 

(はぁ~、私もまだまだね。相手が愛ちゃんだからか、少し気が緩んでるみたい)

 

本来なら、雫は香織やマシュのことを案じて焦っていなければならない。

なのに、ひっそりと笑みをこぼす余裕があったりすれば、それは不自然に思うだろう。

その程度のことは雫もわかっているのだが、数少ない「味方と確信できる大人」を前にして気が緩んでしまった。どれほど自制心に富み冷静沈着であったとしても、彼女もまだ女子高生。「子ども」として庇護される側だったのだ。「頼っていい大人」を前にして多少気が緩んだとしても、仕方のないことだろう。

 

(できるなら、愛ちゃんには話しておきたいけど……やめておくべきでしょうね)

 

先日の手紙から得た情報の数々。香織やマシュのことは愛子も心配しているだろうし、特にハジメの生存を知れば彼女は心から喜んでくれるだろう。今も生徒たちを守るために孤軍奮闘してくれている愛子の負担を思えば、少しでも肩の荷を軽くしてくれるだろう吉報は伝えたい。

 

だが、それはできない。

雫たちがそれらを“知っている”ことを気取られるわけにはいかないし、何より愛子の安全に関わるからだ。

王都から離れ、一日の大半を迷宮で過ごしている雫たちと違い、愛子は頻繁にとはいえないまでも定期的に王都に戻っている。また、生徒たちを守るために王国・教会幹部とかかわる機会も雫たちより多い。そのため、エヒトのお膝元と忠実な配下に、愛子はかなり近いところにいるのだ。

彼女の身の安全を考えるのなら、迂闊に情報を伝えるべきではないだろう。

 

なので、愛子には心苦しいが今は話題を変えさせてもらうしかない。

 

「ところで先生、『ウル』という町を知っていますか?」

「ウル、ですか? いえ、まだ行ったことのない町ですね。それがどうかしましたか?」

「これはホルアドに立ち寄った冒険者や商人から聞いたんですけど、なんでもお米を使った料理が名物らしいんですよ」

「お米!? トータスにもお米があるんですか!? ぁ、失礼しました」

「いえ、気持ちはわかりますから……食べたいですよね、お米」

 

この世界の基本的な主食がパンなこともあり、米というのはすっかりご無沙汰だ。

日本人として、米料理と聞いては冷静でいられない。実際、雫もこの話を聞いたときは思いっきり食いついた。

 

「食べたいですねぇ……欲を言えば、お味噌汁とかお漬物、煮魚、煮物も……うぅ、思い出したらお腹が減ってきました。あぁ、焼き魚におろし大根と醤油も恋しいです」

「はい……いえ、それらまであるかはわからないんですけど、聞いた限りカレーやチャーハンのような料理はあるようです。まぁ、聞いた話なので期待通りの味かまではわかりませんけど」

「なるほど。でも、期待してしまいますね」

「ですね。私たちは当分ここを離れることはないでしょうし、機会があればどうです? できれば、後で感想を教えてください」

「ええ、もちろんです!」

 

こうして上手いこと話題を逸らすことには成功したのだが、まさか近日中に情報提供者たち自身から隠そうとした情報を暴露されることになるとは、思ってもみない雫であった。

 

このようなささやかなやり取りから、さらに4日後。

戦争には参加できないが、せめて任務であちこち走り回る愛子の護衛をしたいと奮い立つ生徒達を伴い、農地巡りに出たところで愛子たちは消息を絶つことになるのであった。

 

 

 

  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 

 

 

静謐のハサンが指し示した場所には、確かに倒れた馬車があった。

より正確には、一個小隊規模の馬に騎乗した騎士と二台の馬車が倒れていた、というべきだろう。

誰も彼もが意識がなく、馬車内部にいた騎士や冒険者風の格好の少年少女も苦しげに喘ぐのみで呼びかけても反応がない。いや、正直言えばスーツ姿の中学生くらいに見える女性にはかなり驚いたのだが、その程度で優先順位を見誤るほど、立香も平和ボケしていない。

 

比較的近くにいたアステリオスを始めとしたサーヴァントたちを動員してハインケルへ搬送し、現在は看護にあたっているのだが…………状況は芳しくない。

 

「フォ~ウゥ?」

「ねぇ、これヤバくない?」

 

特別医学に精通しているわけではない立香だが、素人目にみてもわかるほどに彼らの容体はよくない。

呼吸は荒く、よろしくない感じに汗をかき、顔色も悪い。見てわかるような外傷はないはずだが、内臓などに損傷があったりしても立香には診断すらできない。とりあえず、フォウが一人一人の頬をペシペシ叩くので、抱き上げてやめさせる。フォウなりに心配してくれているのだろうが、これは逆効果だろう。

初めはパラケルススに相談してみようと思ったのだが、その前に「所用があるので」と言って外に出て行ってしまった。なので、搬送を手伝ってくれたマシュに相談してみる。

 

「……はい。正直、状況は楽観できないかと」

「やっぱりか。でも、どこが悪いんだろ……あーもー! パラケルススは何やってるんだ!?」

「あの、先輩? もしや、気付いていないのですか?」

「え、なにが?」

「ますたぁ、ここのくうき、からだに、よくない」

「フォ~……」

「へ? ぁ、そういえば……」

 

言われてみれば、この世界に来て間もない時、なんとな~く喉や肌が「ピリッ」とした気がする。少しすれば慣れてしまったし、サーヴァントたちにもこれといった影響はなかった。なので、特に気にも留めていなかったのだが、本来これは由々しきことだ。

第四特異点“ロンドン”を覆う霧は常人にとって致死毒に等しかった。また、静謐のハサンは伝説上の存在「毒の娘」を再現するため全身を猛毒へと変え、さらに英霊となったことで宝具の域にまで昇華されている。それらと接触してもケロッとしていられるのは、立香の良く分からない毒への極めて高い耐性のおかげだ。

この場所(セカイ)でもそれはいかんなく発揮されているが、だからこそ失念していたのだろう。この荒野は、根本的に人が生きるのに適していないことを。

むしろ、それだけの耐性がある立香に多少なりとも異変を感じさせるだけのものが、この場所にはあるということだ。彼らが倒れるのは当然だし、フォウにまで呆れられても仕方がない。

 

「じゃ、パラケルススの言っていた所用って……」

「お待たせしました。ちょうど、周囲に結界を張り終えたところです」

「ああ、そっか、そういうことね……うん、ありがとう」

「いえ。火急とはいえ、碌に説明もせず申し訳ありません」

「それで、この人たちはもう大丈夫なの?」

「……いえ、私の結界では気休めにしかならないでしょう。今日明日のうちにどうこうなることはありませんが、早いうちにここを出なければ……」

 

パラケルススは言葉を濁したが、遠からず生命に関わることは想像に難くない。

立香たちだけなら多少時間をかけてもいいが、彼らはそうはいかない。ことは一刻を争うのだから。

 

「とはいえ、正直ここを出るための方法はわかっても、実現するのにどれだけ時間がかかるか……」

「はい。せめて、畑山先生の意識が戻れば、まだ……」

「作農師……っていうんだっけ? 確かに、今俺たちにとって一番必要な力だけど、この状態じゃなぁ」

 

搬送の途中、マシュから彼らのことは聞いている。騎士たちに見覚えはないが、スーツを着た女性や冒険者風の若者たちは、皆マシュの知己だ。前者は社会科の担当教師で、後者はクラスメート、どちらも共にこの世界に召喚された者達。突然の再会に驚きはしたものの、愛子と巡り会えたのは僥倖だった……のだが、この状態では頼ることは難しい。

 

「何とかならないかな?」

「薬の材料も十分とは言えませんので、何とも……せめてこの土地の空気や魔力を分析できれば」

「分析? どんな毒素が含まれてるかってこと?」

「正確に言えば、毒素ではないのでしょう。仮説ですが、この土地は我々でいうところの神代、世界の裏側に近いかと。大気中の魔力濃度がかなり濃く、それが不調として体に影響しているのではないかと考えられます」

 

あくまでも“近い”のであって同じものではないのだろう。もし、本当に神代や世界の裏側と同等にマナ(真エーテル)が充満しているのだとすれば、身体が内側から弾け飛んでいてもおかしくないし、立香も無事では済まないはずだ。

 

「ああ、だからここには潜在的に相当な魔力が眠ってるはず、って話になるのか」

「はい。これだけ大気に魔力が満ちていながら、土地の魔力が枯渇しているのは不自然ですから」

 

とはいえ、その大気中の魔力も土地にどんどん吸われて行ってしまうので、立香には利用することができない。

そこで、土地の魔力を蘇らせることで吸われる魔力を減らして大気中の魔力を立香にも使えるようにしよう、というのが脱出のためのプランの正確なところだ。

 

「あの、毒を以て毒を制す、というわけにはいきませんか?」

「フォッ!?」

「いやぁ、それはさすがに……」

「あなたの毒では、彼らの生命まで制してしまいます」

「そう、ですか……」

 

自分にも何かできることはないかと、静謐も精一杯に考えて提案してくれるが……それはさすがに無理だろう。

 

「お困りですか、皆さん?」

『っ!?』

「タス……つくづく唐突だね、君は。いったいどこから入って、どうやってみんなに気取られずにここまで来たんだ?」

「お嫌いですか? でしたら、今度からはノックするようにしますけど」

(そういう話をしてるんじゃないけどね……)

 

これまた例によって例のごとく前触れなく姿を現したタスに、マシュたちも咄嗟に身構える。

立香の反応が薄いのは仲間たちを信頼しているというのと、自分が何をどうこうしたところで意味がないと達観しているからだ。まぁ、聞いたことに対して微妙にずれた返事が返ってくるのは狙ってなのか、天然なのか……。

 

(なんとなくだけど、天然っぽいんだよなぁ)

 

少なくとも、悪意などの類は感じられないし、もしそういったものがあればカルナが見逃すはずがない。

なので、そういった可能性はとりあえず除外していいだろう。それよりも今はもっと重要なことがある。

 

「この人たちなんだけど……」

「おや、またお客さんですか? 珍しい。ここはそうそう人が訪れる場所じゃないはずなんですが、こんな短期間に何人も来るなんて、“外”で異変でも起きているんでしょうか?」

(外、ね)

「でも、息が荒いですね。どうかしたんですか?」

「……どうもここの空気が合わないみたいなんだ」

「なるほど。そういえば、少し前に来た人もその前もそうでしたね。立香さんたちは大丈夫そうなので、元に戻ったかと思ったんですが……違いましたか」

「あの、タスさん? 元に戻ったというのは……」

「しばらく前に比べて、今の外は薄いんですよ。まぁ、使えば減るのは当然なんですけどね」

「はぁ……それは、魔力がということでしょうか?」

「魔力? すみません、私にはそれがどんなものなのかよくわからないんです」

 

“薄い”とか“減る”とか聞くと、やはり魔力のことが思い浮かぶがタスからははっきりとした答えが返ってこない。これも、誤魔化しや嘘の気配はないように思える。

どちらかというと、彼は“魔力”というものをよく知らない感じだ。

空気の組成を知らないのに、酸素を始めとした各種気体の濃度の話をしてもチンプンカンプンなようなものだろう。

 

「ところで、この人たちはどうするんですか? 前に来た人たちは、結局大地に帰ってしまいましたけど」

「……助けたい、です。ですが、私たちにはどうすることも……」

 

どうすれば彼らの状態をよくできるのか、その方法がわからない。

一番確実な方法である元の場所に戻すことも、現状では難しいのが実情だ。

結界による保護も、状態を維持することすらできない。緩慢に、だが着実に状態は悪化していく。

今のマシュたちにできるのは、彼らが衰弱していくのを黙って見ていることだけなのだ。

 

「……せめて、畑山先生だけでも起こすことができれば」

「………………………………………………………………そうすれば、何とか出来るんですか?」

「え?」

「そこの小さな人が目覚めれば、何かが変わるんですか?」

「え、ええ。畑山先生は作農師と言って、農耕関係に絶大な力を発揮する天職と技能をお持ちです。先生の力があれば、この土地を蘇らせることもできるはずです。そうすれば……」

「俺たちも元の場所に戻れるはずだ。たぶん、タスも」

「私も? ああ、それは……」

 

―――――――――――――――――もう、叶わないと思っていた。

 

それは、消えてしまいそうなほどに微かな、だがどこか深さと重みのある呟きだった。

 

「……わかりました。この場所に来た人たちは、意識を取り戻すことなく大地に帰るか、意識を取り戻しても諦めてしまう人ばかりでした。でも、ほんの僅かな間ですが、この場所で生きることを諦めなかったあなたたちを、私も信じましょう」

「タス?」

「タスさん?」

「一人分くらいなら、十分とはいえないまでも…まぁ、なんとか」

 

そう言って、愛子の傍まで歩み寄ったタスは彼女の額に自らの額を軽く押し当てる。

タスの口元にわずかな光が灯り、それがゆっくりと荒い息をつく愛子の口の中へと落ちていく。

光が愛子の口内に入り込むと、最後にタスは軽く息を吹きかけ触れあっていた額を離す。

見れば、愛子の呼吸が徐々に穏やかなものになっていくではないか。

 

「何をしたのですか?」

「彼女に、ほんの少しだけ“私”を分け与えました。本来は、いつかに備えての物だったんですが……」

「あ、ありがとうございます!」

「でも、よかったの? それ、大事なものなんじゃ……」

「ええ。でも、このままだとその“いつか”がいつになるかわかりません。それより先に、私が終わっていたかもしれません。なら、ここであなた達に託してみるのもいいかと思いました。

 ふふっ、今までにも何度かやりましたけど、悪くないですね、こういうのは」

 

額を離したタスは優しく、まるで母が赤子の髪を梳くように愛子の前髪に触れる。

 

「                                      」

 

最後に何を呟いたのか、今度は聞き取れなかった。だが、きっと悪いことではないのだろう。髪を払った時の眼差しはそう確信させるには十分な慈愛に満ちていた。

ただ、タスが今やったなにかは決して簡単なことではなかったのだろう。何しろ、彼の身体は急速にその存在感を薄め、文字通りいまにも消えてしまいそうになっているのだから。

 

「タス、その身体……」

「やはり、少し無理があったようですね。少しの間、休むだけなのでご心配なく」

 

それだけ言い残して、タスの姿はハインケルの中から消え失せた。その様子はまるで……

 

「霊体化?」

「いえ、霊体化しても我々がそこにいることに変わりはありません。ですが、タスの存在は完全に消えています」

「では、転移のようなものでしょうか? 魔術はもちろん、空間魔法でも同様のことは理論上可能ですが」

「その線も薄いでしょう。少なくとも、私はそういった術の類ではないと思いました。まぁ、大魔女殿たちであれば、また違った見解をお持ちになるかもしれませんが」

 

パラケルススはそう言うが、今の仲間たちの中で彼以上に魔術に精通している者はいない。

神代の魔術師には及ばないとはいえ、彼も人理にその名を刻んだ魔術師の英霊だ。その見立てを疑うつもりはない。

 

その間にも、愛子の呼吸は急速に安定していく。汗も引き、顔色も回復していた。

タスが何をやったのかはわからないが、そう遠くないうちに愛子は目を覚ますことだろう。

ならば、その次はどうするか――――――――――決まっている。

愛子に協力を仰ぎ、天職「作農師」の力と技能をフルに使ってこの土地を蘇らせる。

 

そして脱出するのだ、この荒野(セカイ)から。

 

 

 

しかし、立香たちは一つ失念していた。

立香やマシュと違い、愛子は彼らの事情も状況も何も知らないのだということを。

当然、失踪したはずの生徒が見知らぬ男性と親しげにし、さらに妙に個性豊かな仲間たちまでいるとなれば黙ってはいられない。根掘り葉掘りとは言わないが、詳しく説明を求めるだろう。

 

結果、マシュは目覚めた愛子からの追及にアップアップし、立香がなんとかフォローしようと奮闘することになるのは…………全くの余談だろう。




予定では、次で愛子の協力を得て開墾が進んで一気に脱出まで、を考えています。なので、ちゃんと予定通りに書ければ次の次で三章に入れる…はずです。どうなるかな?


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017

とりあえず、これにて第二章は終了。
次からは第三章に入ります。一応納めきれた……と言っていいのだと思います。まぁ、かなり無理矢理感はありますが、ご容赦ください。


(我が眷属よ、汝が定めし為すべきことを為せ。その選択が、世界にとっての最良とならんことを…か。

 我ながら、少し大仰過ぎましたかね?)

 

何もない荒野の真ん中でタスは呟く。

立香たちをあまり刺激しないために飛ばしていた分身(わけみ)だったが、愛子にその分の力を分け与えたことでそれすら維持できなくなってしまった。

今の彼には、その程度のことで底をつきかける程度の力しか残されていない。

まぁそれも、もう少し回復していればこんなことにはならなかったのだろうが、残念ながら力を使ったばかりだった以上、言っても詮無いことだ。

 

(……それにしても、最後に分け与えたのはあの子だけど、その前はいつだったか。最近のことのはずだけど……あぁ、そうだ。あの子は逆に目立ちすぎたんだったか。程度や限度、加減というのは難しい)

 

かつて一度、力の大盤振る舞いをしたこともあるものの、その時も悲願には届かなかった。

なので、以降は別のアプローチを試してきたのだが、結局はこの有様。

別に焦ってはいないつもりだったが、立香の言葉を聞いて気付いた。どこかで諦めてしまっていたことを。

しかし、今度こそ帰ることができるかもしれない。遠い昔に追いやられて以来、ずっとずっと焦がれ続けたかつていた場所に。

だがそこで、予期せぬ客人がタスの前に姿を現した。

 

「なるほど、壮観だ。それがお前の本来の姿というわけか」

 

そこにいたのは一人の青年。ただし、“ただの”とは間違っても口にできない。他人を寄せ付けない鋭い目つき、幽鬼のような白い肌と髪、肉体と一体化した黄金の鎧と胸元に埋め込まれた赤石が目を引く。

しかし、彼が並外れているのはそういった分かりやすい記号故ではない。それらがなかったとしても、佇まいからして彼は人間を超越していた。

 

「             」

 

声ならぬ声。音と呼べる形では空気を振るわせない何か。

だがその言の葉の意味を、施しの聖者は余すことなく理解していた。

 

「然り。我が父スーリヤは異世界において日輪を預かる神、お前の見立ては正しい。

 大いなる者、世界を担う者……そして、打ち捨てられし者。それがお前の正体か」

「                       」

「そうか、追いやられて尚お前は世界を、そこに生きる生命を愛しているのだな。

 感服したぞ、見守る者。忍耐と慈愛は得難い徳だ。俺はお前のその雄大さより、その二つにこそ敬服する。

 だがな、気付いているか? その愛が、お前が愛する多くの生命を殺すのだということを」

 

いずれ向き合うことになるであろう現実を、カルナは突きつける。

その眼差しをタスは目を背けることなく受け止める。カルナが口にした現実など、当の昔に承知の上。

全て、何もかもわかった上でのことなのだから。

 

「なるほど、愚問だったか。お前の愛は世界を満たす、例えそれがどれほど非情な愛であったとしても。

 いや、そもそもお前に愛はあれども情はないのか。だが、だからこそ万人はお前の愛を理解できない」

「                       」

「……すまない、言葉が足りなかった。どうも、俺はいつも一言足りないらしい。

 確かに万人はお前の愛を理解できないだろう。お前をバケモノ、あるいは怪物と見るのだろう。

だが、それでいい。母と父では役目が違う。世界が“母”として生命を育むのなら、“父”こそがお前の役目なのだろう。誇るがいい、お前という存在は“大いなる父”と呼ぶに相応しい」

 

そう告げて、日輪の子は去っていった。

戦うでもなく、止めるでもなく、ただタスの在り様を「それも善し」と認めて。

 

「                         」

 

残された“それ”は天高く吠える。

遥か彼方で悪戦苦闘する小さな者たちの前途を言祝ぐように、あるいは嘆くように。

その声ならぬ声の意味を解する者は、もうどこにもいなかった。

 

 

 

  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 

 

 

愛子が目を覚ましてからは、まぁ大変だった。

 

「ん、ここは……っ! キ、キリエライトさん!?」

「その…ご無沙汰しています、畑山先生」

「良かった……無事、だったんですね。本当に良かった。あなたたちがいなくなって、どれだけ心配したことか……」

 

行方不明になっていた生徒との思いもかけぬ再会に、愛子の涙腺が緩む。

言いたいこと、聞きたいことは山ほどあったが、安堵と喜びで胸が一杯になって言葉にならない。

涙目になるどころか溢れる涙を止める術はなく、年甲斐もなくわんわん泣くことしばし。

マシュに背中を擦られようやく落ち着いてくれば、当然話は次の段階に進んでいく。

 

「……すみません。恥ずかしいところを見せてしまいました」

「いえ、こちらこそ申し訳ありません。先生のご心配もご指摘も、最もだと思いますから。ですが、無理はなさらないでください。まだ、身体の調子が……」

「私のことはいいんです! それよりあんな身体で、今まで一体どこに行ってたんですか! いえ、それよりもどうして何も言わずにいなくなったりしたんです! みんな、八重樫さんや谷口さん…どれだけの人が心配したと思っているんですか!!」

「フォッ!?」

「ひぅっ!? そ、それは、その……本当に、申し訳ないと……」

「そう思うのなら、なぜ一言も相談してくれなかったんですか!! 先生はそんなに頼りなかったですか! 周りの友達のことが、そんなに信じられなかったんですか!」

「け、決してそんなことは……」

「よしんば已むに已まれぬ事情があったとしても、何故すぐにみんなのところに戻ってこなかったんですか! それに白崎さんもです、いるのなら出てきなさい!」

「い、いえ、香織さんはここには……」

「いったい何があったのか、どういうつもりだったのか、全部話してもらいますからね! 先生は誤魔化されませんよ! ええ、されませんとも!!」

「せ、先輩助けてくださ~い!?」

 

と、そんな具合に愛ちゃんはお怒りなのである、激おこなのである、ぷんぷん丸なのである。フォウがびっくりして思わずマシュの肩から落ちてしまうくらいには。

まぁ、彼女の立場や心情を思えば無理はない。マシュとしても、仕方がなかったとはいえ心労をかけたことは申し訳なく思っている。結局、立香の助けを借りながら平身低頭しつつ事情の説明やらその他諸々を白状することに。

 

「どうして何も言わずにいなくなったりしたんですか」

「ハジメさんを探そうと思いまして……」

「気持ちはわかります。でも、誰かしらに相談してくれてもよかったのではないですか?」

「王国や教会を、どの程度信用していいかわからなかったものですから。それに、先生も旅に出てすぐでしたし、時間もなかったので……」

「……タイミングが悪かった、というのはわかりました。あなたが無事なのなら白崎さんもそうなのでしょう。それで、南雲君は?」

「見つかりました。無事…とは言い難いかもしれませんが、今は香織さんと一緒に別ルートで旅をしています」

「そうですか、彼も生きて……それは本当に良かったです。色々と気になることはありますが、あなたたちの迅速な行動のおかげでしょう。でも、なぜ見つけてすぐみんなのところに戻らなかったんですか?」

「実は、大迷宮の最奥には神代魔法が隠されていたんです。それで、神代魔法の中に帰還の可能性があるかもしれないと思って……」

「なるほど。ですが、それは旅をする理由にはなっても帰ってこない理由にはなりません」

「そ、それは……」

「フォウ、フォ~ウ?」

 

なんとなく、フォウも「もうあきらめて全部話しちゃえば?」と言っている気がする。

 

実際、愛子も決してバカではない。そんな方便で騙されてくれたりはしなかった。

マシュ自身、苦しい言い訳であることは自覚している。なので、その点を突っ込まれると返答に窮してしまう。

 

「もしや、そちらの人と何か関係が?」

「いえ、先輩は……」

「先輩?」

「初めまして、藤丸立香と言います」

「あ、これはどうもご丁寧に私は畑山愛子と言いま……あれ? 藤丸君はうちの生徒…ではありませんよね?」

「ええ、まぁ……」

「なのに、どうしてここに……いえ、それも大事ですが、若い男女が二人で旅なんてどういうつもりですか! もし、その…何か間違いが起こったりしたらどうするんです!」

「フォウフォウ! フォーウ!」

「い、いえ! 決して二人だけというわけではありませんし、それにそれを言ったら香織さんたちも……」

「もちろん、白崎さんや南雲君に会ったら同じ話をします! なので、まずはあなた達です!」

「先輩、いったいどうしたら……」

「パラケルススでもカルナでもいいから、ちょっとこっち来て!?」

 

正直言えば、マシュと二人旅なんてすっごく今更なのだが、後が大変そうなので丁重に黙秘させてもらう。

とはいえ、結局愛子に納得してもらうために背後関係などを洗いざらい白状させられてしまったが。

子を守ろうとする母が強いように、生徒を案じる教師もまた強いのであった。

その過程で、解放者に関することも話さざるを得なかった。まぁ、皆のところに戻らなかった理由を納得してもらうためには、話すしかなかったわけだが。

 

「……なるほど、キリエライトさんたちなりに事情があってのことだということはわかりました。

 それに、これで納得もいきました。八重樫さんが落ち着いていたのは、あなたたちの事情を知っていた…いえ、思い出したからなんですね」

「はい。ですが先生、本当なんですか? 私たちの体感ではこの世界に来てすでに三ヶ月以上が経っています。なのに、先生が雫さんの変化に気付いたのは4日ほど前というのは」

「ええ。少なくとも、それ以前に変化と呼べるものは感じませんでした。それに、キリエライトさんたちが失踪してからも、そんなには経っていませんよ」

「そう、ですか……」

「どういうことかな?」

「異界ではよくある話ですね。おそらく、こちらとあちらでは時間の流れが違うのでしょう。マスターもそういった話はご存じなのでは? 例えば、何かに連れられて訪れた世にも不思議な場所や常春の土地からしばらくして戻ると、何十年何百年と経っていたとか」

「ああ、『浦島太郎』とかがそんな感じだった」

「神霊や精霊などが作る異界には往々にしてあることです。ここも、何者かの作った隠れ里に類する場所なのでしょう」

「ふ~ん……」

 

それでも、何とかマシュたちの考えなどは理解してもらえたので善しとすべきだろう。

 

「以上が、現在私たちが知る情報の全てです。先生は…どう思われます。

 この世界の人々に信仰される存在を否定するような内容ですが、信じていただけますか?」

「……信じます。少なくとも、先生である私が生徒であるキリエライトさんの話を一方的に否定することはあり得ません。でも、もしそれが真実なら、キリエライトさんや南雲君たちはその“狂った神”をどうにかしようと…旅を?」

「いえ、先ほどもお話しした通り、あくまでも一番の目的は帰還の方法を探すことです。私たちが確認している神代魔法は生成魔法と空間魔法だけですが、残る大迷宮に帰還に繋がる魔法があるかもしれません。

 それに、解放者たちの話の裏付けも取れてはいませんから、現状積極的にあちら側と事を構えるつもりはありません」

「大丈夫、なのですか? 聞く限り、相当危険な場所のようですが」

「絶対に…とは言い切れません。でも、俺たちは曲がりなりにもすでに二つの大迷宮を攻略しています。頼もしい仲間もいてくれます。この二つを根拠に、信じてもらうしかありませんね」

「そこは、自分がキリエライトさんを守るから…というところでは?」

「そう言えるものなら言いたいんですけど、ね。俺は、どうやっても守ってもらう側になっちゃいますから」

 

立香とて、張れるものなら見栄を張りたい気持ちはある。

だが、到底そんな見栄を張れる立場にないことは自分が一番場分かっているのだ。

まぁ、マシュにはまた違った意見があるわけだが。

 

「そんなことはありません! 守られているのは、いつだって私です。私は先輩からもらったものを、まだ全然お返しできていないんですから」

「フォウ!!」

 

今までに受け取ったものは計り知れず、対して返すことができたのは微々たるもの。

一度や二度役に立てたくらいでは到底足りない。貰うものはどんどんかさんでいき、いったいいつになれば釣り合うのか見当もつかない。それでも、少しずつでも返していこうと決めたのだ。

弱気を押し殺し、旅を続けていけば、いずれ……そう信じて。

 

「マシュ……」

「先輩……」

「あの、二人はいつもああなのですか?」

「いえ、以前はあれほどではなかったのですが」

「羨ましい、です。私も……」

 

しっかりと互いの手を握り合えば、あっという間に二人の世界の出来上がりだ。

本人たちはいたって真剣でふしだらなことなど考えていないのだが、傍から見ている分には空気が甘ったるくてかなわない。ついでに、背景もピンク色になっている。

 

とはいえ、前からこうなわけではない。

トータスでようやく再会できてからというもの、精神的なブレーキが外れてきている。

立香が行方不明になるのは割とあったことだが、マシュが…というのは初めての事態。立香はマシュの身を案じてそわそわし、マシュも立香の存在の大きさを再確認したのだろう。それに、恋の鞘当てをしたり一線を超えて積極的にイチャイチャしたりするハジメたちの存在も、二人のハードルを下げる一因になっていた。

 

「さて、それではここから先は私がお話ししましょう」

「え? でも、二人のことは……」

「放っておけばそのうち気恥ずかしくなって正気に戻ります、二人とも初心(ウブ)ですから」

(し、辛辣ですね……)

 

ああして甘い空気をふりまかれることに、地味~にうんざりしているのかもしれない。

 

「貴方のことはマシュから聞いています。作農師、という天職をお持ちなのでしたね」

「は、はい!」

「いま我々が置かれている状況についてご説明いたします。その上で、お願いがあるのです」

 

そうしてパラケルススは、この世界のこと、愛子と共に旅していた者たちの状況、打開策について的確に伝えていく。立香たちは悠長にイチャついているが、猶予はほとんどない。

愛子(作農師)という切り札を得た以上、今すぐにでも動かなければならないのだ。

立香たちはまだしも、愛子の同行者たちには時間がない。

 

「……そんなに、状況は悪いんですか」

 

愛子とて彼らのことを忘れていたわけではないが、自分が割と元気なこと、行方不明だったマシュと再会したことで皆のことに気付く余裕が失われてしまったのだろう。そのことに自責の念を抱いているようだが、今はその時間すら惜しい。

 

「はい。我々だけであればしばらくはもつでしょうが、貴方の生徒や騎士たちは無理でしょう」

「なら! 私にしてくれたことをすれば……!」

「どうやら、タスにもあまり余裕はないようです。あなたに処置を施して消えてしまったのがその証拠でしょう。

 私たちにも、今すぐ彼らの状態を改善する方法は限られています。その中で最も確実な方法が、この世界からの脱出です。そのために、貴方のお力をお借りしたいのです、小さなお嬢さん」

「っ……」

 

小さなお嬢さん呼ばわりには言いたいこともあるが、今はグッと飲みこむ。

 

(ないもの、できないことを強請っても仕方がありません。それよりも、今できることがあるのならそれをする方が遥かに建設的な以上、答えは決まっています!!)

「如何でしょう?」

「もちろんです! 私にできる限りのことはします……いえ、させてください!」

「感謝いたします……おや? どうやら、タイミングよく戻ってきたようですね」

「え?」

 

パラケルススが愛子から視線を外し、愛子もつられて自身の背後に視線を向ける。

ちょうどそれと前後するように、「ドタドタ」という豪快な足音が扉の向こうから聞こえてきていた。

 

「おう、いま戻ったぞマスター!」

「ったく、俺が召喚されたのは土耕したり水撒いたりするためじゃねぇってのに、どうしてこうなっちまったんだか……」

「汝はまだブツクサ言っているのか?」

「いや、姐さん。俺もな、別に仕方がねぇってのはわかってるんだよ。縁がなかった、これはただそれだけの話だ。だがなぁ……」

「意外……でもないか。一皮剥けば戦うことしか知らぬ英雄も多い。汝もそうだったということか」

「姐さんはいいよな。狩りの当番が多いしよ」

「うむ。誇れた幸運ランクではないが、汝よりはマシだからな!」

「あの時の俺、なんでグーを出したんだ。そこはチョキだろ……」

 

扉を開けて入った来たのは、個性豊かな男女三名。

勢いよく扉を開け放ったのは短く刈った紫髪と胸に刻まれた三本の爪痕が目立つ偉丈夫。

さらに、逆立てた緑髪と屈強かつ眉目秀麗な美丈夫と翠緑の衣装を纏った野性味と気品を併せ持つ少女が続く。

とはいえ、美丈夫の方は現状に聊か不満があるらしく、ガシガシと頭を乱暴に掻いているが。

 

「はぁ……俺もガキの時分は先生に色々教わったがよ、まさか槍でも剣でもなく鍬を持つ日が来るとは思いもしなかったぜ」

「はっはっはっはっはっはぁ! ギリシャの大英雄ともあろう者が、何を溜息をついている!」

 

豪快に笑いながら、勢いよく美丈夫の背中を叩く。

するとどうしたことか、美丈夫が僅かにつんのめってたたらを踏む。

 

「痛ぇよ、おっさん」

「む? お前の肉体は神性の宿った攻撃でなければ意味がないのではなかったか?」

「それが『攻撃』ならな。だが、『友愛』とかは除外されるんだよ」

「ほぉ、そういうものか(バシバシバシバシバシバシバシバシバシバシ!!!)」

 

何が面白いのか、あるいは気をよくしたのか。背を叩く力が強まっていく。

 

「だからイテェって言ってんだろ!! ケンカ売ってんのか!?」

「応っ! いや、農作業というのも悪くはないが、やはりお前のような猛者を前にすると血が滾っていかん! 今夜あたり、どうだ!」

「やらねぇよ」

「ほぉ、俺では力不足か? やはり、己に傷をつけられん相手は取るに足らんか?」

「んなんじゃねぇよ。相性云々関係なく、アンタのことは認めてる。だからこそ、アンタ相手に手を抜くだの軽い手合わせだのは侮辱だろう。やるなら本気で殺しあう時だ……が、同じマスターに仕えてる以上そういうわけにもいかねぇってだけだ」

「なるほどなぁ……うむ、惜しくはあるが仕方あるまい(バシ! バシ! バシ! バシン!!)」

「だからイテェんだよ!?」

「何をやっているのだ、汝らは」

 

バカな男どもに、少女の冷たい視線が突き刺さる。言葉にせずともわかる、あれは心底呆れている眼だ。

 

「しかし、お前との手合わせが望めんとなると、あとは……」

「断る」

「む、まだ何も言っていないのだが……」

「汝の伝承は私も知っている。となれば、次に言いそうなことも想像がつく」

「ほぉ、彼の高名な『純潔の狩人』に知られているというのは悪くないな」

それ(純潔)だ。私は女神アルテミスに『純潔の誓い』を立てている。その意味、分からんわけでもあるまい」

「うぅむ…だが、女神アルテミスというとあの……」

 

脳裏に浮かぶのは、ブサかわ…いや、ブサイク一択なクマのぬいぐるみに夢中で恋愛脳(スイーツ)な月の処女神が浮かぶが……思わず『純潔?』と聞き返してしまいたくなる。そんな心中は正確に看破されているらしく、それはもうすわった眼差しが向けられている。たぶん、本音はあちらも同じなのだろう。

 

「あの…なんだ?」

「いや、なんでもない。なんというか、苦労しているのだな」

「くぅっ…苦労などしていない! 私ももう慣れた、信仰している女神が恋愛脳(スイーツ)系だからと言って、それがどうした!」

(うむ、若干涙目になっているのだが、これは励ますべきか?)

(いや、やめとけおっさん。ここは見ないふりしてやるのがやさしさだ)

「汝ら、なんだその目は!? 言いたいことがあるならはっきり言え!」

「「姐さん/アタランテ、乙」」

 

すっかり現代かぶれしてしまった英雄二人であった。

 

 

 

で、その後立香と愉快な仲間たち+α(愛子)がどうしたのかというと……

 

「さて、今までは脱出できるようになるのにどれだけ時間がかかるか分からなかったこともあって色々自粛してもらってたけど……生憎、今はその時間が惜しい。というわけで」

「はい。今日から皆さんには宝具も解禁した上で、全力でこの荒野(セカイ)を耕していただきたいと思います」

「フォウ!」

「いや、待てよマスター。それ(開墾)これ(宝具)と何の関係があるんだよ?」

「うむ、我々の宝具はそう言ったことには向いていないのではないか? ロムルスや百歩譲ってロビンならまだしも……」

「うん、ぼくも、そういうの、やったことない」

「いえ、その点に関しては私に考えがあります」

((すっげぇ/凄まじく不安だ))

「?」

 

割と常識人な二人はパラケルススに胡乱な顔を向け、純朴なアステリオスは不思議そうに首をかしげている。

 

「ほぉ、何をどうするのかさっぱりわからんが、この俺に任せるがいい!!」

「うむ、サーヴァントはマスターに従うもの。命を下すがいい、マスター。お前が望むなら、俺はそれに応えるのみだ」

「頼もしいです。でも、私にもできることがあるのでしょうか? 私が触れたら、草も花も木も枯れてしまうのに」

「あ、それについてはちょっと考えがあるんだ。上手くいくかはわからないけど…うん、頑張ろう」

「? はい」

 

やる気満々な二人とアステリオスとは別の意味で首をかしげる静謐なのであった。

 

そうして、日を跨ぐことなく早速作業に入る。

開墾に必要な作業はいくらでもあるが、まず真っ先にすること、それは……

 

「フェルグスさん、お願いします!」

「応っ!! 真の虹霓(こうげい)をご覧に入れよう。

―――――――――極・虹霓剣(カレドヴールフ・カラドボルグ)!!」

 

螺旋を描く刀身が特徴的な大剣が回転をはじめ、大きく振りかぶって地面に突き立てた。

渦巻く螺旋は大地を穿ち、虹の如き剣光が大地を問答無用で粉砕する。

瞬く間のうちに地平線の先まで大地が砕かれ、粉々になった土砂を天高く舞い上げた。

続いてそれらが落下し、濛々と粉塵を巻き散らす。それらがようやく収まると、目に映る大地の全てが掘り返されていた。

 

「うぅむ、まさか俺の宝具にこのような使い道があるとは……」

「フェルグスにはこの調子でとにかく耕しまくってほしいんだけど」

「応っ、任された!!」

「だけどよマスター、耕すのは良いがこの後はどうすんだ?」

「ああ、結局土地が痩せていることに変わりはない。これではいくら種を蒔き水をやったところで……」

「そこは大丈夫、マシュ」

「はい、アキレウスさんにはその健脚を生かしてこれを撒いていただきます」

 

そういってマシュが持ってきたのは、今日の狩りの成果である四頭の獣。

 

「改めてみると、デケェよな」

「ああ、単純なサイズであれば小型の竜種に迫るだろう」

「まず、これをミンチにします」

「おい、さらっとおっかねぇこと言ったぞ」

「こちらはカルナさんとアステリオスさんにお願いします」

「命令とあらば」

「う、ん」

「私はどうするのだ?」

「アタランテさんには、材料となる獣を探し回っていただきたいのです」

「ああ、わかった」

「で、そのミンチになったのを俺に撒けってか?」

「正確には、パラケルスス印の薬と混ぜたものだけど」

「まさか汝、私にこれを担いで行けというのか? 私の筋力はDランクだぞ、女に荷物を持たせるのは英雄の振る舞いと言えるのか?」

(ぐっ……狩りの方がいいからってここぞとばかりにそういうこと言うのかよ、ズリィじゃねぇか姐さん!?)

 

アキレウスとしては、アタランテと同じく狩りにでも行く方が性に合っているのだが、どうにもそれが許される雰囲気ではない。彼とて、今も意識を失っている者達に時間がないことはわかっている。ならば、今は我儘を言っていい状況ではないのだ。

 

「だけどよ、こいつを撒いたからって早々なんかかわるのか? 今までだってこの有様だってのに」

「普通なら無理でしょう。ですが、今は彼女がいますから」

 

皆の視線の先には、緊張でガチガチに固まった愛子。

無理もあるまい。フェルグスやカルナなどは日本ではあまり知られていないが、アタランテやアキレウスは超が付くくらいに有名である。他の者たちも負けず劣らずの英傑となれば、その視線が集中して緊張するなというのが無理な話だ。

 

「彼女には発酵を操作したり、肥料を生成したりする能力があります。また、品種改良や成長の促進も可能だとか。今まではさして効果のなかったそれらの作業も、劇的に効率が上がるはずです」

「…………ちっ、ならしゃーねーか」

「あの、すみません」

「あ? いいって、アンタが気にすることじゃねぇ。それに……」

「あの、なにか?」

「アンタ、教師なんだって? で、あの倒れてる連中の中には生徒もいる」

「は、はい!」

「……なら、俺もガキみたいに駄々こねてる場合じゃねぇな」

 

愛子にはアキレウスの言葉の意味は良く分からないが、それでも彼としては何か折り合いがついたらしい。

それ以上文句や不平を口にすることなく、すでに用意されていた肥料(っぽいもの)を担いで凄まじい速度で走って行ってしまった。

それを皮切りに、他の面々もそれぞれの担当作業に移っていく。

ただし、これと言って役目のないものも一人いる。

 

「あの、マスター。私は、どうすれば……」

 

本音を言えば、静謐は自分には何の仕事もないのだろうことはわかっていた。

よほど毒への耐性が高くない限り、彼女が触れればどんな生命も落としてしまう。

それこそ、通常の毒物はほぼ無効化できるサーヴァントであろうとも。

草木に触れれば命を絶やすだけでなく、毒は朽ちた草木に残留する。さらに、土に触れれば土が毒に染まってしまう。そんな彼女にできることがあるとすれば、働く皆の身の回りの世話くらい。それも、立香やマシュを除けば間接的なものに限られる。

自分がそういうものだと理解している静謐だが、それでも何も感じないわけではない。

しかし、立香から帰ってきた答えは彼女の予想から大きく外れていた。

 

「ああ、静謐にはこの区画の世話をお願いしたいんだ」

「え?」

「ほら、畑山先生の技能の中に『品種改良』があるじゃないか。ならもしかしたら、静謐の毒に耐性のある花とかも生けるんじゃないかなって」

「っ!?」

「静謐の毒に慣らしていく必要があるから、世話は任せたいんだけど…いいかな?」

「も、もちろんです!」

 

物静かな彼女にしては珍しく、勢い込んで食いついてくる。

無理もあるまい。毒の肢体を持つが故に孤独な彼女は、自身が触れても死なない存在を強く求めてきた。

幸いにも立香はそんな彼女の心の飢えを満たすことができたが、彼女の精神性は暗殺教団の頭首となるにはあまりにも普通の女の子に近すぎた。叶うなら花を手に取り、小さな生命に触れたい、そう秘かに望んできたのだから。

諦めていたそれがかなうかもしれないとなれば、心穏やかにはいられない。

 

「静謐、これはもしかしたら君にとってはとても残酷なことかもしれない」

「マスター?」

「畑山先生の力があるから成長も早くなるはずだけど……その分、何度も失敗して、何度もやり直すことになる。あるいはそれは……」

「いえ、いいえ、マスター。それは、違います。

 私、嬉しいです。私が触れても、枯れない花が、咲くかもしれない。その可能性があるだけで、嬉しいんです」

「……」

「上手くいかなくても、ここにいる間何度でもやってみます。私の心配はいりません。心配は、花たちにしてあげてください」

「何度も枯らすことになるかもしれないから?」

「それも、あります。でも、一番は、違います。私が触れても枯れない、それは、花にとって幸せなんでしょうか」

「それは……」

「きっと、これは私のエゴです。だけど、それでも私は……」

「ああ、やろう。俺もできるだけ手伝うから」

「はい、マスター。私、あなたに会えてよかった。私を召喚したのが、あなたでよかった」

「別に、俺が何かしたわけじゃないよ」

「それでも、今ここにいられるのはあなたのおかげです。だから、ありがとうございます」

 

物静かで、口数も少なく、あまり感情豊かとはいえない彼女だが、今は違う。

今この瞬間、立香の前にいるのは「静謐のハサン」というアサシンのサーヴァントではない。

大事な思いを胸に宿した、どこにでもいる、華やいだ笑顔を浮かべた一人の女の子だけだ。

 

(こんな顔されたら、是が非でも咲かせないとなぁ)

 

諦めることで心を守っていた彼女にこんな顔をさせた責任は、取らなければならない。

そして、責任の取り方など一つしかないのだから。

 

そうして、開墾作業はそれまでの停滞が嘘のように進んでいく。

やはり、最大の要因は愛子の存在だ。彼女のおかげで獣の死骸を発酵させ、良質な肥料を作成することができたのが大きい。さらに、成長促進や品種改良などの技能のおかげで、痩せた土地でも育つ植物を増やすこともできた。

その結果、何が起きたかというと……

 

「…………………………なに、このジャングル?」

「フォ~……」

「ま、まさか僅か三日でこれとは……天職『作農師』恐るべし、ですね。メルド団長が『世界の食糧事情が一変する』と言っていたのも納得です」

「いえいえいえいえいえ!? いくらなんでも育ちすぎですよ!?」

「みどりで、いっぱい。いい、におい」

 

生い茂った草をかき分けなければ褐色の大地はもはや見ることすらできず、右を見ても左を見ても緑一色。

上を見上げたところで大差はない。葉や蔓の隙間から辛うじて空の青が垣間見える程度なのだから。

ちなみに、身長3メートルに迫るアステリオスの頭は葉と蔓の中に埋まってしまっている。

 

とはいえ実際、愛子の技能だけでは本来僅か三日程度でこんなことにはならない。

ならば当然、別の要因があるはずだ。

 

「考えられるのはパラケルススの薬かな?」

「それくらいしか思い浮かぶものはありませんが……それでもこれは異常ですね」

「だけど、チャンスでもある。原因究明も必要かもしれないけど、一気にこの土地を豊かにするなら今だ」

「はい。足を止めて原因を明らかにすることと、土地を豊かにして余剰魔力で脱出を図る、どちらが優先されるかといえば……」

 

間違いなく、後者だろう。特に今は、徐々に衰弱していく生徒たちや騎士たちがいる。

どうやら、彼らの体調はこの土地が多少豊かになった程度では改善されないらしい。

であるならば、原因究明は後回しにして、彼らをもとの場所に戻すのが先決だろう。たとえその結果、原因を明らかにすることができなかったとしても……。

 

「それで、藤丸君。空間魔法、というのは使えそうなのですか?」

「いや、どうも豊かになったのは土地の表層だけみたいですね。深いところは相変わらずなんで、まだちょっと……」

「はい。そこで、一度……先輩、後ろですっ!?」

「フォ―――――――――――!!」

「へ? もがっ!?」

「ふ、藤丸君!? 藤丸君が食虫植物っぽいのに食べられましたぁ!?」

「先輩、いま助けます!!」

「ますたぁ、かえせ」

「わ、私ですか!? 私のせいなんですか!? 確かによく育つように、栄養を吸収する性質を強めようとはしましたけど!?」

(申し訳ありません。良かれと思って獣の因子を配合した種を作ってみたのですが……私のような悪逆の徒は、やはり許されるべきではないのです)

「あの、こんなところでどうして哀愁を漂わせているんですか?」

「大方、またろくでもないことやらかしたんだろ」

 

茂みの陰で、一人「ふっ」と悲しげに微笑むパラケルスス。そんなことをしている暇があるなら、マスター(立香)を助けろという話だが。

まぁ、そんな面白おかしい珍事はどうでもいいとして。

 

「行くぞ。真の英雄、真の戦士というものをその身に刻んでやろう。

 ――――――――――――疾風怒濤の不死戦車(トロイアス・トラゴーイディア)!!」

 

空を駆ける三頭立ての戦車(チャリオット)が緑生い茂る大地へと降下を開始する。

ただ疾駆するだけで戦場を蹂躙し、削岩機の如き勢いで敵陣を粉砕するそれは、時に「巨大な芝刈り機」に例えられる。そう「巨大な芝刈り機」だ。大事なことなので3度言おう「巨大な芝刈り機」である。

つまり、何が言いたいかというと……

 

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」

「ぶひひひひ!」

「おぉぉぉぉぉぉ……」

「ぶひゃ!!」

「笑うんじゃねぇ、クサントス! ちくしょー! 何が悲しくて宝具で雑草の刈り取りなんかしなきゃなんねぇんだ!?」

 

せめて気合だけでも入れようと意気込んでみたものの、やっていることは雑草の処理。それはまぁ、力が抜けるというものだろう。本来ならそんなことに宝具を使うのは無駄の極みなのだが、とにかく広大な上に食人植物(マンイーター)までいるとあっては、下手な手段はとれない。まぁ、それでも宝具はやりすぎだが。

 

だが、何も使用されている宝具は「疾風怒濤の不死戦車(トロイアス・トラゴーイディア)」だけではない。

アキレウスとは別の区域では、また別の英霊がその猛威を振るっていた。

 

「武具など無粋。真の英雄は眼で殺す……! 

――――――――――――――――梵天よ、地を覆え(ブラフマーストラ)!!」

 

カルナの右目が光を放ち、鋭い眼光が極太のビームとなって一帯を薙ぎ払う。だが、これだけでは終わらない。

 

「……ふむ、埒が明かないか。ならば念には念だ、悪く思え。

 ――――――――――――――梵天よ、我を呪え(ブラフマーストラ・クンダーラ)!!!」

 

思い切り振りかぶった槍を上空へ投擲すると、間もなく天から巨大な劫火が降り注ぎ、今度こそ一帯を焼き尽くす。

元より広い効果範囲を持つブラフマーストラに炎熱の効果を付与することでさらに範囲を広め、威力を格段に上昇させたそれは、核兵器に例えられるほどの規模と破壊力を持つ。

精々食人植物(マンイーター)が出る程度の場所で使うのは、明らかにやりすぎだ。

 

当然、そんなことをすれば周囲は灰燼に帰すことになる。折角生い茂った緑だというのに、台無しだ……と言いたいところだが、別に全くの考えなしというわけではない。

 

「ふむ、焼畑農業……だったか。灰を中和剤や肥料の代わりにし、あるいは組成を変化させることで土壌を改良するとは。人類の英知というものは、素晴らしいものだな」

 

まぁ、一応こういう狙いがあってのことだ。

何しろ、この土地がどういう性質の土地なのかすら良く分かっていないのだ。色々な農法を試し、より適したものを探すという目的があった上での、「梵天よ、我を呪え(ブラフマーストラ・クンダーラ)」である。

 

「さて、それでは早速………………………うむ、何故だろうか。最近、槍よりも鍬を持つ方が落ち着く俺がいる。

 もしや、俺の天職は農家だったのだろうか? よもや、サーヴァントとなって新たな己を発見するとは、やはり俺は絶え間ない幸運に恵まれているな」

 

鍬を手に、せっせと灰と土を混ぜていくインド神話の大英雄。誰かこの世迷言を呟く聖人を早く何とかすべきではないだろうか。

 

「いや、何を言っているのだ汝は」

「アタランテか。なに、新たな己を発見した、それだけのことだ」

「それは気の迷いだ、良いから落ち着け」

「ふむ……ところで、今日も狩りが捗っているようだな」

「ああ。土地が豊かになるにつれ、現れる獣の頻度も増えている。最近は種類も増え、狩人冥利に尽きるというものだ」

 

実に充実した様子のアタランテ。心なしか、肌とか艶々している気がする。

その後ろには本日の成果がうず高く積まれていた。

 

「それでは、私は次の狩場に向かうとしよう」

「……さすがだな、アルカディア越え。声をかける間もなく行ってしまうとは。

 しかし、この調子で獣を狩りつくさなければいいが……いや、その心配は不要か。どのみち、英霊一騎では焼け石に水に等しいのだから」

 

何やら訳知り顔で呟くカルナだったが、聞く者がいないのであれば意味はない。

その間にも、アタランテは次なる獲物を求めてジャングルの中を疾駆する。

その様はまさに水を得た魚。同郷の大英雄が微妙な顔をしているのに対し、こちらは実に生き生きしている。

 

「我が弓と矢を以って太陽神(アポロン)月女神(アルテミス)の加護を願い奉る。

この災厄を捧がん―――――――――訴状の矢文(ポイボス・カタストロフェ)!」

 

自身の得物である“天穹の弓(タウロポロス)”を構え、雲より高い天へと二本の矢を撃ち放つ。

荒ぶる神々はその訴えに応えるように、豪雨のような光の矢が降り注ぐ。

食人植物(マンイーター)の駆除を兼ねているのかもしれないが、ここはここでやりすぎだ。

テンションが上がりすぎて若干暴走しているのでは? と思われても仕方がないだろう。

 

それに比べて、こちらは大変ほのぼのしている。

 

「いくぞぉ……!」

「そうそう、とても上手ですよ、アステリオスさん。あ、そこの畝と畝の間はもう少し広くお願いします」

「うん、こう?」

「むむ……はい、大丈夫です!」

「よかった、ぼく、やくに、たててる?」

「はい、とっても!」

 

小柄な愛子を肩に乗せ、アステリオスは獲物である斧を振るって大地を耕し、畝を作り、雑草(マンイーター)を刈り取っていく。戦闘能力を持たない愛子の護衛を兼ねているのだが、あまりにもハマりすぎていた。具体的には、どこぞの女神が「そこは私の場所よ!」と怒り出しそうなくらいに。

 

「よかった。ぼく、こわしたり、ころしたり、しか、できない。でも、こんなことも、できる。うれしい」

「ぁ……」

 

言葉通り、本当にうれしそうに、楽しそうに顔を綻ばせるアステリオス。

その笑顔に、愛子はどこか悲しそうな表情を浮かべていた。

 

愛子も参加しての開墾作業が始まって1週間が経とうとしている。

その間に、当然愛子も各サーヴァントたちについて知ることになった。

当初は「アステリオス」と言われてもピンとこなかった愛子だったが、さすがに「ミノタウロス」と言われればわかる。日本でも屈指の知名度を誇る怪物の名……その正体が、彼なのだと。

 

(彼は、とてもいい子です。褒められれば喜んで、楽しければ笑う。どこにでもいる、私たちと変わらない人間。

 それなのにどうして、怪物になんて……)

 

触れ合い、語らう限りにおいて、アステリオスに怪物としての印象は全く感じられない。

しかし、現実として彼は恐るべき怪物として語られている。

どうしてそんなことになってしまったのか、一応は愛子も聞き及んでいる。

だが、それでも思ってしまうのだ「どうして?」と。

 

「……ぼく、いっぱい、ころした」

「っ!」

「いっぱい、いっぱい、いっぱい。なにもしらない、こどもを、ころした。

 でもぜんぶ、じぶんのせい、だ。きっと、はじめから、ぼくのこころは、かいぶつだった」

「そんなこと……!」

「ううん、ぼくはかいぶつ。でも、なまえを、よんでくれた。みんながわすれた、ぼくの、なまえ……ますたぁが、ましゅが、みんなが、なまえ、よんでくれる。みんな、かいぶつだと、きらわない。

それが、うれしい。みんなと、いるのがたのしい。ぼくは、うまれて、よかった」

「あなたは……」

「だから、ぼくは、にんげんでいる。にんげんに、もどる。

 みにくくても、ゆるされなくても、ぼくは、にんげんでいたい」

 

愛子には、何と言葉をかければいいかわからない。

アステリオスはわかっているのだ。自分が犯した罪も、責任の所在も、その結果負うことになったすべてを。

全て承知の上で、それでも彼は「怪物」であることに「悪」であることに逃げない。それら全て「アステリオス」という名の「人間」の行いなのだと、受け止めている。

 

「……優しいんですね、あなたは」

「だれかに、やさしくされると、うれしい。ぼくも、できたら、うれしい」

「ええ、そうですね。本当に、その通りです……」

「あいこ、ないてる?」

「いいえ、泣いてなんて、いませんよ。ただ、欠伸をして涙が出ただけですから」

「そう?」

 

込み上げてくるものを何とか抑え込む。優しい彼の前でそれを溢れさせれば、かえって彼を困らせてしまうから。

 

ちなみにその頃、立香とマシュが何をしていたかというと……

 

「静謐、水持ってきたよ」

「あと、肥料もです」

「ありがとう、ございます」

 

割と手持無沙汰ということもあり、静謐の方を手伝っていた。

何しろ、お世辞にも基本性能が高いわけではなく、農作業の知識もない立香は半ば人外魔境と化しつつある茂みの中は危険すぎる。また、マシュも防御はともかく攻撃性能はあまり高くない。正直、立香の護衛以外には特にできることもない。

 

なので、静謐の毒の関係からぽっかり空白地帯になっているこの場所で手伝いをしている方が、色々邪魔になったり迷惑をかけたりしなくて都合が良いのだ。

 

「今度はどんな感じ? 確か前回は……」

「芽までは出たのですが、それ以上の生長はしませんでしたね。ですが、少しずつ進歩していますし」

「はい。前より、芽が出るのも、早いです。今回は、もしかしたら……」

 

今静謐が育てているのは(なにかの)花の種だ。一応、他の場所では花(らしきもの)が咲いたりしていたので、“花”と呼んで差し支えないだろう。

 

「どんな花が咲くかな?」

「綺麗な花を咲かせる種ですから、きっと……」

「どんな、花でも、いいです。元気に、咲いてくれれば、それで」

「「そうだね/ですね」」

 

誰よりも真摯に、心からそう願っていることは二人も良く分かっている。

何しろ、初めて芽を出した時、静謐の目にはうっすらと涙が浮かんでいた。

恐る恐るといった様子で芽に触れ、それは溢れ出す。

 

全身余すところなく毒で満たされた彼女が触れても枯れることなく、弱々しくも風にそよぐ小さな命。

それは彼女が生前から望み続け、ついぞ叶わなかった願いそのものだった。

 

「フォウフォウ?」

「あ、フォウさん触ってはいけませんよ」

「ねぇ、静謐」

「はい」

「サーヴァントは送還されるときには何も持っていけないけどさ、俺やマシュはそうじゃない。だから、戻ってからも少しだけ待ってて。向こうに戻るとき、この種を一緒に持っていくから。そうしたらまた、向こうで育てよう。いつか、君も入っていける花畑とかできたら、素敵じゃない?」

「花束に花冠、夢が広がりますね」

「…………はい」

 

これよりさらに数日後。一輪の花が開花の時を迎える。

育てた少女の人柄を現すように、慎ましく、派手さには欠けるが、ひっそりと咲く小さな花が。

 

 

 

そうして、瞬く間のうちに2週間が過ぎた。

生徒たちや騎士たちの容体は徐々に、だが刻一刻と悪化していく。

いよいよ猶予は残り少ないかと思われたが……辛うじて間に合った。

 

「…………………………………」

「どうですか、先輩」

「……………………………………………………………」

(ゴクッ)

「……よし、いける!」

(パァッ!)

「フォウ!」

「やりましたね、藤丸君!」

「たぶん」

((ズル……))

「フォ~……」

「先輩……」

「いや、仕方ないんだってば。この前のことは事故みたいなものだし、たぶん行けるとは思うんだけど……」

 

なにぶん、あの時も何かしらのはっきりとした手ごたえがあったわけではない。

なんとなく妙な感覚があったと思ったら、気付けば“繋がっていた”というのが実情なのだから。

とはいえ、あの時に近い感覚があったのも事実。これならおそらく、いける……と思う。

 

「まぁ、仕方がありませんね。園部さんたちも限界が近いですし、どこかで試さなければならないのですから」

「俺たちが先に行くわけにはいかないし、となると当然……」

 

立香たちであればもうしばらくこの世界にとどまっても何とかなるが、生徒たちや騎士たちはそうもいかない。

多少リスクはあるが、それでも今は危険を承知で試してみるしかないのだ。

 

「しかし、ここも初めの頃からすると見違えたなぁ」

「はい、生態系もだいぶ安定してきました。さすがは作農師の畑山先生です。地球に帰っても、砂漠の緑化などで大活躍できそうですね」

「い、いえ! 皆さんの協力もあってのことですから!?」

 

愛子はそういうが、実際にかつての荒野と同じ場所とは思えない。

地平線の彼方まで続いていた不毛の荒野は既になく、大地は多種多様な草花で覆われ草原を形成し、所々には花も咲き、少し離れた場所には深い森が出来上がっていた。

相変わらず空気は人体にはよろしくないが、それが平気な者達からすると実に空気が澄んでいると感じられる。

いったい誰がこの場所を見て、二十日前には不毛な荒野、二週間前には人外魔境のジャングルだったと思うだろう。

 

なにより、大気中に充満する魔力はどうだ。

大気中の魔力を吸い上げてしまう程に枯渇していたのも、すでに過去の話。大地からは止めどなく魔力があふれ、この地に根付いた植物たちに恵みを与えている。

その結果、大気中の魔力が損なわれることはなく…それどころか、大地から溢れた魔力が大気に溶け込むほど。

これだけの魔力があれば、確かに空間魔法を使うのにも十分だろう。

 

「はぁ~……これはすごいですね、見違えました」

「タス? 久しぶり、あの日以来だっけ?」

「ええ、ご無沙汰しいてます」

 

あの日、愛子に力を分け与えて以来、全く姿を現さなかったタスが久しぶりに姿を見せる。

 

「調子はどう? なんか、無理してる感じがするけど」

「おや、鋭いですね。実を言えば、まだあまり回復していないんですよ。皆さんのおかげで、以前に比べればはるかに回復が早まっているんですけどね」

「それは、この土地のおかげ?」

「ええ、おかげさまで。感謝しています」

「まぁ、タスにもお世話になったからね。少しでも恩が返せたなら何よりだよ」

「では、これでお相子ということで」

 

立香とタス、二人は顔を見合わせてそっと微笑みあう。

とはいえ、立香としてもこれで最後の懸念事項が解消された。

もしタスが姿を見せないようなら、ダメ元で探しに行くことも考慮していたのだ。

 

「俺たちはこれで元の場所に戻るつもりだけど」

「ええ、それが良いでしょう」

「タスは、どうする? 帰る場所、帰りたい場所、あるんでしょ?」

「そう、ですね……」

 

以前のやり取りから、タスが初めからこの場所にいたわけではないことはなんとなくわかっていた。

なら当然、彼にも帰る場所があるはずだ。

 

「…………いえ、今は遠慮しておきます」

「それは、なんで?」

「まだ、その時ではないので」

 

言っている言葉の意味は良く分からない。だが、タスの意志が固いことは目を見ればわかった。あれは、何を言っても梃子でも動かないだろう。

 

「……わかった。君には君の考えがあるんだろうし、それを尊重する」

「ありがとうございます」

「なんでお礼を言うのさ」

「深く聞かずにいてくれることに、ですよ。

 ああ、それと…愛子さん、でしたね」

「え、私ですか?」

「ここがこんなにも豊かになったのはあなたのおかげ、なのですよね」

「い、いえ、別に私一人の力というわけでは」

「それでも、あなたの存在が大きな契機になったのは事実でしょう」

「は、はぁ……」

「貴女に一つ、お願いがあります」

「お願い、ですか?」

「はい、どうかこの場所に名前を付けてください」

「名前……」

「この土地はあなたのおかげで生命の息吹を得ました。だからこそ、あなたに名前を付けていただきたいのです」

 

自分のおかげで、という部分には言いたいことはあるもののタスの真剣な様子から余計なことは言いにくい。

なので、分不相応と思いつつ愛子はこの土地に相応しい名前というものを思案し……一つの案が浮かんだ。

 

「桃源郷、というのはどうでしょう?」

「トーゲンキョー、ですか?」

「はい。これは私の世界で、平和で豊かな別天地……別世界を指す言葉です。この場所に相応しいかと思うのですが。あ、ちなみに郷というのは『土地』や『場所』を指す言葉です」

「なるほど、“トーゲン”善き名前を付けていただき、ありがとうございます。

皆を代表して、心からの感謝を貴女に」

 

そういって相子の前で跪くと、右手を取ってその手の甲に軽くキスをする。

 

「ふぇっ!? な、なななななにを!?」

「心ばかりのお礼です。貴女のこれからに祝福を。まぁ、打算もないわけではありませんけど」

「打算? どういう意味ですか?」

「少なくとも、今のあなた方にとって損にはならないはずです」

「タス、その身体……もしかして」

 

見れば、タスの姿がまたしても薄くなってきている。

先ほどのお礼とやらで何かをしたのか、それとも単純に十分に回復していないにもかかわらず立香たちの前に姿を現した無理が出たのか。

いずれにしろ、確かに今彼をもとの場所に戻すことは難しそうだ。

 

「やはり、無理があったようですね」

「フォウ」

「ええ、そうですね。できるなら、そうありたいものです。

さて、それでは皆さんごきげんよう。もう会わないことを、切に願います」

「タス、それどういう……ったく」

 

最後の言葉の意味を問いただそうとするも、それより早くタスは姿を消してしまう。

 

「結局、何者だったのでしょう?」

「俺たちはタスのこと、何にも知らないからなぁ……フォウは何か気付いたの?」

「フォウ?」

 

尋ねてはみたが、当然ながらこれといった答えは返ってこない。

タスもフォウもお互いにあまり関わろうとしなかったが、最後のやり取りは通じ合っているようにも見えた。

まぁ、単に“そんな気がした”というだけのことだが。

 

「まぁ、タスのことだから心配はいらないと思うけど……」

「そうですね。何というか、不思議な安心感がありましたから」

「うぅ、き、キスなんて初めてされてしまいました……」

 

と愛子は動揺しているが、この後、教え子からとっても激しいのをされるとは夢にも思わないのであった。

まぁ、予想できたら驚きだし、むしろ色々心配になるが。

 

「さて、それじゃ先に畑山先生たちを送って……」

「戻る前に一度皆さんを送還して、改めてサーヴァントの召喚をしないといけませんね」

「長居したからなぁ。すっかりこの土地の魔力に馴染んで、あっちに戻ったらどんな影響があるかわからないとか……」

「先輩、急いだ方がいいかと。他の方々はまだしも、アキレウスさんの不完全燃焼が危険です。このままだと、いつカルナさんと手合わせを始めるかわかりません」

「あの二人に暴れられたら、せっかく開墾したここがまた更地になる!? 急ごう!!」

「はいっ!!」

「えっと……頑張ってください」

 

そうして、慌ただしくも愛子たちを空間魔法で送り出し、続いてアキレウスのフラストレーションが爆発する前に送還、そして再召喚に入る。アキレウスの気持ちもわかるのだが、今回はそういうの(戦闘)と縁がなかったと思ってあきらめてもらおう。

 

 

 

ちなみに、どうやら出る場所は迷い込んだ場所と同じところに出るらしく、立香たちと愛子たちがトータスで出会うのはこれからしばらく後のこととなる。

また、愛子は立香たちから聞いたことを上手く伝える、あるいは誤魔化せる自信がなかったことから、申し訳ないとは思いつつ知らぬ存ぜぬを通すことに。結果、約一日遅れで目的地に着くまでの間、いったいどこで何があったのか物議を醸したりもするのだが……命あっての物種であることを知るのは愛子だけだった。

 

それと全くの余談だが、ふと愛子が自身のステータスプレートを見るとちょっとした変化が生じていた。

正確には、彼女の技能欄に見覚えのない項目が追加されていたのだ。いや、それだけなら大した問題ではない。派生技能は、基本的にあとから確認して発見するものなのだから。

だが、今回のそれは毛色が違う。

 

畑山愛子 25歳 女 レベル:50

天職:作農師

筋力:180

体力:350

耐性:180

敏捷:285

魔力:800

魔耐:250

技能:土壌管理・土壌回復[+自動回復]・範囲耕作[+範囲拡大][+異物転換]・成長促進・品種改良・植物系鑑定・肥料生成・混在育成・自動収穫・発酵操作[+急速発酵][+範囲発酵][+遠隔発酵]・範囲温度調整[+最適化][+結界付与]・農場結界・豊穣天雨・■の祝福[+神性][+豊穣の加護] [+繁栄の加護]・言語理解

 

これを発見した愛子は、一人宿で頭を抱え胸中で叫ぶ。

 

(「■の祝福」って何ですかこれ――――――――――――――――っ!?)

 

ただ、「加護」とやらのおかげなのか以前に比べ各種技能の効果が向上し、なおかつその範囲が広がった。物理的にも、意味合い的にも。

具体的に言うと流通が促進され、経済の巡りがよくなり、天候は穏やかに、その土地の人々もとっても元気になり、老人は長生きし、生まれてくる子はみんな健康優良児……という具合に。

 

問題があるとすれば、そのせいでただでさえ「豊穣の女神」としての名の広まりに拍車がかかり、「これはもう“豊穣”どころか“繁栄”を約束してくださっているに違いない」として、いつの間にか「豊穣の女神」からレベルアップして「繁栄の女神」として敬われるようになってしまうことだろう。

 

 

 

  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 

 

 

愛子たちに続き、立香たちが空間魔法でこの世界から姿を消したその瞬間。

いつ何時も彼らの存在を感じ取っていたタスは、感慨深そうに空を見上げる。

 

(帰りました、か。初めてですね、ここにきてあちらに帰ることができた方々は)

 

思えば、随分と長くここにいたものだと思う。

何かの拍子、あるいは事故でここを訪れるものが全くいなかったわけではないが、逆に出ることができたものは一人もいない。その初めての例が立香たちだった。

 

(これは、何かの兆しなのでしょうかね)

 

世界が大きく動き出そうとしている。長く、そうとても永く続いた世界(時代)、その終わりが近い。

 

(しかし、不思議なものです。彼らには、私は全く関与していなかったというのに、こうなるとは……)

 

そこへ、夥しい数の獣がタスの“足元”に集まってくる。

彼らは一様にタスの顔を見上げ、その眼差しで何かを訴えていた。

 

(いえ、それは違います。彼らは失敗したわけではありません。彼らの挑戦は潰えましたが、残ったものはあります。彼らは届かなかっただけで、まだ負けたわけではないのです。その遺志は世界に残り、先を引き継ぐ者たちが現れたのですから。

そうでしょう、ナイズ、メイル、ラウス、リューティリス、ヴァンドゥル……そして、オスカーにミレディ。

 時は来た。妨害するなら今のうちだ、エヒト…いや、エヒトルジュエ。ようやく、ようやくだ。今度こそ、君をその座から引きずり下ろす。そして、取り戻そう)

 

――――――――――私たちの世界を!

 

――――――――――この世界のあるべき姿を!!

 

――――――――――私たちの楽園を!!!




最後までお読みいただくことで、第二章の正式なタイトルは以下のようになります。

第二章「永世枯渇領域 トーゲン」 副題「繁栄の女神」


さ、次回からは第三章です。ここで、魔人族側のオリキャラが本格的に出てきます。

第三章「人魔交錯境界 ガーランド」 副題「悪しき魔人」

お楽しみに。


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第三章「人魔交錯境界 ガーランド」 副題「悪しき魔人」
Interlude02


今回はメルドさんの独白兼過去回想。
新章に入るにあたり、オリキャラを掘り下げよう、がコンセプト。


 

オルクス大迷宮の30層には、上層と中層をつなぐ転移陣が設置されている。

そのため、ある程度以上の実力者は地道に迷宮を下るのではなく、転移陣でショートカットすることで時間の短縮を図り、日々魔石の確保や己と仲間の実力向上に勤しんでいる。

 

とはいえ、発見された転移陣は30層にある一つだけ。他の階層をいくら調べてもそれらしきものはついぞ発見されなかった。そのため、召喚された面々の中でも今なお迷宮攻略に参加している強者たちの一部からは「小まめにとは言わないが、10層か、せめて20層ごとに置けよな」と秘かに文句が上がっている。

そんな文句がこの迷宮の創設者(オスカー・オルクス)に届いたわけでもないだろうが、前人未到の70層に到達したところで、30層に繋がる新たな転移陣が発見された。これにより、一気にとは言わないまでも、下層への大幅なショートカットが可能になったのである。

彼らがこの世界(トータス)に召喚されて、3ヶ月が過ぎた頃のことである。

 

「それじゃメルドさん、行ってきます」

「ああ。いいか、迷宮内では何が起こるかわからない。特に、お前たちがこれから挑むのは未だ誰も踏み込んだことのない未知の領域だ。待ち受ける魔物は強力無比、隠された(トラップ)は悪辣極まりないものだろう。

 くれぐれも、いいか、くれぐれも油断するな。石橋を叩く程度では足りん。いっそ壊して改めて掛け直すくらいの用心を徹底しろ。一に安全二に安全、三四も安全、五も安全、一から十までとにかく安全だ!」

「わかってますよ。あの時のような失敗はもうしません、南雲の教訓を忘れたことなんてないんですから。なぁ、みんな!」

(光輝、それだと南雲君が失敗したみたいに聞こえるってわかって……ないわね。まったく、香織がいなくてよかったわ。もしこれを聞かれてたら、いくらあの子でも……)

 

さすがに、スルーしてくれなかったかもしれない。

香織も光輝とは長い付き合いなのであしらい方も流し方も熟練の域だが、想い人を貶められるようなことを言われて平静でいられただろうか。一応、光輝自身には悪気はこれっぽっちもないし、言葉の綾であることもわかってはいるのだが。

 

「それと、全員回復薬は多めに持っているな。綾子がいるとはいえ、治癒師不足に変わりはない。軽い傷でも放置はできんが、かといって綾子を頼りすぎるわけにもいかない。綾子の負担は最小に、かつ些細な傷や疲労、違和感も軽視するな」

 

勇者一行のパーティはステータスも技能も強力だが、香織が抜けた穴は大きい。治癒師はいわばパーティの生命線、回復薬では回復にやや時間がかかってしまうが、治癒師がいれば緊急時でも迅速な回復と戦線復帰が叶うのだから当然だろう。しかし現状、回復役が一人しかいないため、どうしても辻綾子にかかる負担が大きくなりがちなのだ。一度ならず、小さな負担の積み重ねから倒れる寸前まで行き、それに気づいた雫からストップがかかったりもした。メルドがそのあたりに念を押すのも当然だろう。

 

幸い、今では綾子への負担を最小限にとどめる立ち回りも確立されてきている。その分攻略ペースは速いとは言い難く、一ヶ月で5層進めれば上出来だろうが、仲間の命には代えられない。もうこれ以上、犠牲を出すわけにはいかないのだから。

 

「靴紐はちゃんと結んだか? ハンカチとティッシュはもっているな? 拾い食いはもちろん、落としたものは食べるなよ? 怪しい何かがいてもついていくな? 魔物に何かかけられたり、つけられたりしたらすぐに洗うかペイッしろよ。いいな、“ペイッ”だぞ。あと、それから……」

「メルドさん……」

「ガキじゃねぇんだから」

 

どこぞのオカンを彷彿とさせる過保護さに、皆の目に呆れの色が宿る。

心配してくれるのは有難いのだが、もうちょっとないのだろうか。

 

とはいえ、装備やフォーメーションを始めとした最終確認を終えた光輝たちは、未踏破領域である70層に踏み出していく。

確かな足取りで進んでいく彼らの背を、メルドは頼もしそうに、だがどこか迷いを抱えた眼差しで見送った。

 

「情けないな」

「団長?」

「ここから先、俺たちはあいつらについて行ってやることができない。俺のレベルは100には届いていないが、仮に届いたとしてもあいつらの足手纏いにしかならんだろう。

 本来、この世界とは何の関係もない、それもあんな子どもにすべてを押し付けねばならないと思うと、な」

「そう、ですね。団長は彼らの故郷の話は?」

「聞いた。だからこそ、なおの事やるせない。あいつらは本来戦うべき人間ではないというのに……」

「団長、それ以上は……」

「わかっている。こんなこと、お前たちしかいない、こんな場所でなければ口にはせんさ」

 

もし今の言葉が外部の者に漏れれば、メルドはたちまちのうちに粛清されることだろう。

社会的にか、あるいは生命にまで及ぶかはわからないが、待ち受けている未来は明るいものではないだろう。

それでも、思わずにはいられないのだ。なぜ、あの子らが戦わなければならないのだろうか、と。それが、生まれた時から信仰する神エヒトへの背信であると知りながら、思わずにはいられない。

 

(いや、いっそ行動に移せればどれほど……思うことしかできないのが俺の器か)

 

どれほど現状に対する疑問と不満があっても、メルドには行動に移すことができない。

豪放磊落を地で行く彼だが、決して愚かではない。むしろ、騎士団長の名に相応しいだけの切れ者でもある。

だからこそ、自身が行動に移した後のことが、ありありと想像できてしまう。

 

どんな形であれ即座に光輝たちから切り離され、後任にはより敬虔な信徒が送り込まれるだろう。即ち、光輝たちを“人間”ではなく“神の使徒”としか見ない、戦うことが当たり前で、戦わないことを罪と考えるような者が。また、粛清の手はメルド自身だけでなく騎士団、あるいはハイリヒ王国全体に及ぶかもしれない。そうして、メルドの色を完全に抜き去り、魔人族との戦争に一直線に進んでいく。

それならまだ、疑問も不満もすべて押し隠し、メルドが彼らの教育係としてあり続けた方がマシだ。

 

メルドが傍にいられるうちは、光輝たちは一人の人間、子どもでいられる。

少なくとも、メルドは彼らの個々の人格を尊重するとともに年長者、子どもを見守る大人の立場から接してきた。

それが、光輝たちに必要なことに気付いていたから。

 

しかし、そんなメルドの努力も限界が近い。

 

「しかし、これからどうなさるおつもりですか?」

「“例”のことか」

「はい。今の彼らの実力では、生半可な相手では殺さずに制圧できてしまうでしょう」

「わかっている、わかっているんだ。本当なら、もっと早くに経験させるべきだった。魔人族との戦争に参加する…いや、しなければならない以上、人殺しの経験はしておかなければならない。経験の、覚悟の有無がアイツらの生死を分ける。経験させないことが、結果的にあいつらを殺すことになることも。

 わかっていながら、もう少し、あと少し、これをクリアしたら、そんな風に先延ばしにしている……俺の甘さだ。もし、あいつらが死ぬとすれば、それは敵に殺されるのではなく、俺の甘さがアイツらを殺す。教育者失格だな、俺は。愛子殿とは雲泥の差だ、彼女は教え子のために行動することを躊躇しなかったというのに」

「ですが、それは……」

 

経験させることとさせないこと。果たして、いったいどちらが彼らのためになるのだろう。

王国騎士団の団長、あるいは聖教教会の信者として考えるなら、考えるまでもない。

だが、光輝たちと多くの時間を過ごし、多くの話をしていく中で、メルドにはわからなくなってしまった。

 

(お前ならば、答えを出せたのだろうか? あの日、俺に“これでいいのか”と問を投げかけたお前なら)

 

脳裏に浮かぶのは、印象的な漆黒の立ち姿。所々返り血を浴びて赤と黒の斑模様になった甲冑と迸る魔力には、今思い出しても怖気を覚える。

出会ったのは、もう十年も前になる盗賊の討伐戦に端を発する遭遇戦。盗賊の根倉が魔人領に近いこともあり、念のために騎士団からも一部人員が割かれ、その中に当時騎士団二番隊の隊長を務めていたメルドも含まれていた。そこで、同じく盗賊討伐のために派遣されたであろう魔人族軍との間で戦闘が発生し、二人は刃を交えたのである。

次に、そして最後に干戈を交えたのは約一年半前。魔人族との対立が本格化しだした頃であり、魔人族が本格的に魔物を戦線に投入してきた時のことだ。戦場になったのはハイリヒ王国ではなく、魔人領に接する中堅規模の国。国境付近を守る守備兵は瞬く間のうちに壊滅し、辛うじて届いた伝令を受けた彼の国は、対応のための軍を派遣すると共に周辺国に支援を要請した。魔人族との戦いは国家の垣根を超え、人族全体で当たるべき問題。要請を受けたハイリヒ王国は、メルド率いる騎士団を中心に軍を派遣した。

とはいえ、魔人族としてもまだ本格的な戦争は望んでいなかったらしく、ある程度戦ったところで撤退を開始。メルドが戦場に到着したのは、ようやく魔人族最後の部隊が撤収を開始しようとしていた時のことだ。

 

撤退しようとしている敵の後背を突く、というのは戦術的には間違っていない。

しかし、それをすれば治まりかけた火に油を注ぐようなもの。一気に燃え上がる…だけで済めばいい。最悪、魔人族との全面戦争の引き金になりかねない。また、まだ生存者がいるかもしれない以上、その救援を優先すべきとの考えもあった。

そのため、メルドは撤収しようとする魔人族は敢えて無視することを決めた。血気盛んな若い騎士などは追撃を求めたりもしたが、すべて却下。メルドとてやるだけやって意気揚々と撤退しようとする敵に思うところがなかったわけではない。それでも、戦争のための準備は万全からほど遠いことを知るが故に、踏みとどまったのだ。

だが、そんな彼の苦い決断など知らぬとばかりに、一人の騎士が魔人族の部隊から外れ、メルドへと歩み寄ってきた。

 

「ハイリヒ王国騎士団、二番隊長メルド・ロギンスですね」

 

兜越しでくぐもっているためやや判然としないが、それはどこか聞き覚えのある声だった。

 

「ちょいと情報が古いな。5年前に騎士団長になった。だが、メルド・ロギンスは俺で間違いない」

「そうですか。それは失礼を……貴方に一騎打ちを申し込みます」

 

手にした槍…というよりも、グレイブと評すべき得物の先端をメルドに向けて、漆黒の騎士はそう告げた。

その言葉に、メルドは思わず眉を顰める。はっきり言って、この場での一騎打ちには何ら意味がない。

戦闘は事実上終わっており、後は双方負傷者などを回収して引き上げるだけ。

むしろ、ここで迂闊に血を流せばようやく終わったはずの戦闘が再開してしまいかねない。

ようやくこの場に到着したばかりならば、戦うことなく終わってしまったことへの不満ややり場のない戦意などをぶつけようと、そういう行動に出る者もいるだろう。実際、メルドの部下の中にはそうしたいと思うものが少なからずいた。

しかし、この相手は違う。全身に夥しい返り血を浴びたその姿は、既に十分以上に敵を屠っていることがうかがえる。にもかかわらず、さらに血を求めようというのか……。

 

「……断る」

「団長! なぜです、敵を前にして逃げるのですか!」

「お前は黙っていろ!!」

「くっ……」

「部下が失礼した。改めて言おう、断る。戦闘は既に終了した、ならばこれ以上血を流す意味がどこにある」

「私の血、ですか」

「さてな。お前かもしれんし、俺の血かもしれん。どちらにせよ、それは無益な流血だ。ましてや、それを呼び水に戦闘を再開されては、後は泥沼だろう。そんなことは、お前たちも望んでいないはずだ」

 

なにしろ、だからこそ撤収作業に入っているのだから。

最後の最後まで戦うつもりなら、そもそももっと別の形で戦闘を始めていた。

今はまだ全面戦争の時ではない、それは両者に共通する見解のはずだ。

 

「お前も騎士なら、軍令に従え」

 

戦わなくてもわかる、目の前の騎士が生半可ではない相手であることは。くぐもってこそいるが、その声には落ち着きと確かな知性を感じられた。

だからこそ、その理性に訴えかける。この場での命令無視は、騎士の格を落とすことになる、と。

 

「この場で戦う意味はなく、どちらかの死が新たな戦火を呼ぶことになりかねない。確かに、あなたの言うとおりでしょう」

「わかっているのなら……」

「ですが、私にとっては今が絶好の機会。付き合っていただきます!」

 

馬上にいたメルドに向け、それは一足で間合いを詰めると横薙ぎに得物を振るう。

メルドは咄嗟に剣を抜き放ち、剣の腹でグレイブの柄を受け止める。

だが、想定を遥かに超える膂力に力負けし、馬上から叩き落されてしまった。

 

「貴様っ、なにを……!」

 

想定外の事態に呆然としていた部下たちだったが、辛うじて受け身を取ることに成功したメルドが即座に起き上がり剣を構えたところで、ようやく状況の変化に思考が追いついた。

 

「団長!?」

「貴様!」

「やめんか、お前ら!!」

「だ、団長?」

 

一様に剣を、あるいは槍を、弓を構える部下たち。

しかしメルドは、それら全てを諫める。彼らでは、眼前の魔人族が相手では太刀打ちできない。

それを、僅か一撃で理解した、させられてしまった。

 

「下がっていろ」

「ですが……!」

「奴の望みは一騎打ち、俺に恥をかかせてくれるな」

「あのような不意打ちで、騎士の誇りも何もないでしょう!」

「だとしても、俺たちが同じになってやる理由はない。違うか?」

「……」

「それにだ、お前ら……俺が負けると思っているのか?」

 

背後を振り返ることはしないが、それでも意識して不敵な笑みを浮かべる。

声音にもそれは宿り、部下たちも納得したようで二人から距離を取った。

ハイリヒ王国騎士団長、力だけで成り上がれる地位ではないが、力がなければ立つことのできない地位でもある。特に現団長を務めるメルドは、ここ数代の団長たちの中では最強との呼び声も高く、名実ともに王国最強の騎士だ。如何に個の能力では人族を上回る魔人族といえど、一対一で引けを取らない。それだけの信頼を、メルドは得ているのだ。

とはいえ、当のメルドには余裕など微塵もありはしなかったが。

 

(さて、大見得切ったは良いがどうする。筋力敏捷共に俺の遥か上、魔人族の性質を考えるなら魔力方面も同様だろう。これはいよいよ、覚悟を決める時かもしれんな)

 

通常、人族のステータスの限界は100から200、天職持ちで300から400とされる。メルドはステータスの平均が300に達しており、正真正銘最強クラスの人族だ。

とはいえ、あくまでもそれは“人族の最強”でしかない。亜人は筋力や敏捷あるいは耐性が、魔人族なら魔力や魔耐が種族特性によりステータスが300から600に達する。そのため、亜人族と戦う時は魔法で、魔人族と戦う時は近接戦で臨むのがセオリーになっている。

にもかかわらず、漆黒の騎士の筋力や敏捷はメルドを大きく上回っている。体感的には、倍かそれ以上。近接戦に持ち込めば互角以上に戦えるはずと考えていたのが、とんだ計算違いだ。メルドが覚悟を決めたのも、当然のことだろう。

 

「“最後の忠誠”まさか、こんなにも早く使うことになるとはな……」

 

剣を構えながら、首から下げた宝石に意識を向ける。

その宝石は、言ってしまえば自爆用の魔道具だ。国や聖教教会の上層の地位にいる者は、それだけ重要な情報も持っている。闇系魔法の中には、ある程度の記憶を読み取るものがあるので、そのような高い地位にある者が前線に出る場合は、強制的に持たされるのだ。いざという時は記憶を読み取られないように、敵を巻き込んで自爆しろという意図で。

しかし、今はそれが有難かった。単に情報隠蔽を目的とした自害のための魔道具ではなく、敵を道連れにできるという点が。

 

(奴は、俺よりも強い。何とか近づいて……)

 

自爆し、諸共命を絶つ。人族としては最高水準のステータスを持つメルドを圧倒するほどのステータスの持ち主。眼前の騎士はいずれ、人族最大の脅威となり得る。だからこそ、今ここで排除しなければならない。

だが、そこまで考えたところで、メルドは僅かな引っ掛かりを覚えた。

 

(なんだ、そういえば前にも似たようなことを……)

「はぁっ!!」

 

メルドの僅かな迷いを見抜いたのか、僅かなブレもない、いっそ流麗ですらある突きが三撃、心臓・鳩尾、丹田に向けて放たれる。もっとも回避しにくい正中線への三連撃。ステータス差を考えればどれか一つでも致命的なそれを三撃全て、メルドは辛うじて捌くことに成功する。

続けて、骨を叩き折らんばかりの勢いで足元を払ってくるが、これも間合いの外に出ることで回避。剣の間合いに捉えることこそできていないが、ここまで四撃全てを無傷で凌ぐことができた。そのことに、ほかならぬメルドが最も驚いていた。

 

(どういうことだ? 奴の速さなら、俺では辛うじて対応できるかどうか。下手に防御すれば、防御ごと叩き潰されかねない。それだけのステータス差があるはず。なのに、なぜ……俺はまだ立っている!?)

 

自身のステータスが急激に上昇したとか、眠っていた力が覚醒したとか、そんな都合の良いことはあり得ない。

あるいは、敵の技が荒ければ前兆を読み、技後の隙を突くことで渡り合うこともできるだろう。

しかし、この相手はそんな雑な相手ではない。それは、一つ一つの技の鋭さ、隙の無さから間違いない。

だとすれば、可能性は一つしかない。

 

そしてその可能性は、振り下ろされた一撃を剣で防御できたことで確信に変わる。

 

「どういうつもりだ!」

「…………」

「お前、“手を抜いて”いるな。恐らく、筋力や敏捷が俺をやや上回る程度になるように。

 戦いを楽しみたいとか、ギリギリの戦いをしたいとか、そういう口か?

 だとすれば、随分と舐められたものだ!!」

 

グレイブを弾き、間合いを詰めて剣を振るう。槍やグレイブはリーチがない分、剣に比べて取り回しが難しい。

間合いを詰められれば、むしろその長さが邪魔になるだろう。

事実、騎士はメルドの剣をグレイブで防御するのではなく、小手を使って弾くか、体捌きで回避することが多い。

 

「だとすれば、この好機逃しはせん! ここで、死んでもらうっ!!」

「っ!」

 

回避も小手での捌きも間に合わず、已む無くグレイブの柄で袈裟切りの一閃を防御する。

体重をかける側と支える側、どちらが有利かは言うまでもない。

メルドは全体重と渾身の力を込め、ジリジリと切っ先が騎士の兜に迫っていく。

そうして、あと少しで刃が騎士に触れようとしたところで、突如騎士の手から重みが消えた。

 

「っ!?」

「これで、しまいだ!」

 

メルドは未練なく愛剣の柄から手を放したのだ。

結果、かかる重みが消えたことで騎士の身体が浮き、無防備な姿をさらす。

メルドはその隙を逃すことなく、180代後半の自身よりわずかに低い体に組み付く。

 

「か、はっ……!?」

 

見事背後を取ることはできたものの、重厚な鎧のおかげで首への圧迫は困難。そこで、太い腕で首を絞めるのと並行しながら、首の骨を折りにかかる。

如何にステータスで上回れていようと、首だけでメルドの体重と剛腕に抗し切るのは不可能だ。

腕を外そうにも、完全に極まってしまっていてはそれも困難。

あとは、何としてでもこの首を折るだけ。

 

「どういうつもりかは知らんが、手を抜いたのが運のつきだったな。本来のお前なら、俺を殺すくらいわけなかっただろう。その首、もらっていく!」

「ぁ、ぎ……っ!」

(しかし、組み付くまで分からなかったが……細いな。この華奢な体のどこに、あれほどの力を……)

 

身長ではメルドに迫るほどの高さ、おそらく180センチはくだらないだろう。

それに対し、厚みも肩幅もメルドの予想を大きく下回っている。

そのことに少なくない驚きを抱きながらも、メルドは腕に込める力を緩めない。

これが千載一遇のチャンスであることを、彼は理解していたのだ。

しかしそこで、騎士が腰に下げていた細身の剣を抜き放つと、逆手に持ち換える。

その意図を、メルドは即座に理解した。

 

「お前、まさか!?」

「ぁあっ!?」

「がっ!?」

 

薄く、だが確かな熱量を宿した炎を帯びた剣が、まっすぐ騎士の腹に突き立てられる。

剣は滑るように鎧を貫通し、そのままメルドの腹に突き刺さった。

 

(まさか、自分ごと俺を刺すとは……良い足掻きだ!)

 

焼けるような痛みが右脇腹に生じる。いや、“ような”ではなく、実際に焼けているのだろう。

重厚な鎧を貫通させるために帯びた炎が、メルドと騎士の腹と内臓をまさに焼いているのだから。

メルドをはじめ、騎士たちの鎧は魔法への耐性を高めるアーティファクトでもある。とはいえそれも、外部からの魔法に対しての物。内側から魔法で炙られるのは、さすがに管轄外だ。

だが、それでもメルドは首にかけた腕の力を緩めることはしない。

 

腹を刺された、それがどうした。

 

内側から体を焼かれている、なにほどのものか。

 

元より死は覚悟の上。例え命と引き換えにしてでも討たねばならない。さもなくばこの騎士は、とおからず人族最大の脅威になる。その確信があったから。

 

(……ステータスの制限を取り払い、身体強化と“あの魔法”を使えば振り払うことはできるでしょう。

 ですが、それでは“意味がない”! ここで、確かめる。私の“技量”は(人族の最高峰)に届くか否か!)

 

首に走る激痛に耐えながら、剣に宿していた炎の魔法を解除。

 

(鎧に救われました。絞め技が有効だったら、意識が朦朧として負けていたかもしれません)

 

続いて、電撃系の魔法を発動。細身の剣を伝って雷の如き衝撃が騎士とメルドの身体を駆け巡った。

人間の身体……筋肉は神経を伝わる電気信号で動いている。メルドが如何に決死の覚悟を抱いていようと、そのルールは覆せない。全身を駆け巡った電流が肉体のコントロールを一時麻痺させ、首にかけていた腕の力が緩む。

肉体の制御を失い、弛緩した両者の身体がそれぞれ前後に倒れこむ。

しかし、完全に倒れてしまう前に二人は肉体の制御を取り戻す。

メルドは再度組み付こうとするが、それより騎士の魔法発動が早い。

 

「ふっ!」

 

僅かな呼気と共に砂塵が舞い上がり、騎士の身体が大きく弾き飛ばされる。

 

(魔法を使って自分の身体を? まさか、こいつ……)

「いざっ!」

「ちっ!」

 

二度三度と地面の上をバウンドした騎士だが、即座に体勢を立て直すとグレイブを構えてメルドめがけて距離を詰めてくる。メルドは既に愛剣を失っている、それを好機と見たのだろう。

とはいえ、メインウエポンだけで戦場に立つ騎士などいない。無駄に得物を増やしても動きを鈍らせるだけだが、それでも予備の武器の一つや二つは帯びている。ちょうど、騎士がグレイブの他に細身の剣を携えていたように。

メルドは腰に下げていたショートソードを抜き、構える。愛剣には遠く及ばないし、近場から手頃な得物を調達時間もないのが口惜しいが、今は今あるもので凌ぐしかないのだ。

 

「ぃやぁぁぁぁぁぁぁ!!」

(穂先を、地面に……そうか、“タメ”か!)

 

メルドを間合いに捉える寸前、騎士はグレイブの穂先を地面に斜めに突き立て力を籠める。

すると、槍の柄が大きく今にも折れそうなほどに撓む。もしこの撓みに込められた力が解放されれば、防御など意味をなさないだろう。だが、これには一つ致命的な欠点がある。

 

(その隙、逃すと思うな!)

 

地面に突き立て、力を込めて撓ませ、地面という抑えから解放して放つ。そのためには、どうしても僅かな“間”が必要になる。その間を、見過ごすメルドではない。

しかしそんなこと、騎士とて百も承知。ならば当然、そのための対策は講じている。

 

「なにっ!?」

 

それは、あまりにも予想外な出来事だった。突如、騎士の兜が粉々に砕け散ったのだ。

破片は四方八方に飛び散り、当然メルドの方にも向かってくる。

 

一瞬、ショートソードを持つ右手とは逆、左手で破片を払うことを考慮するが即座に却下。

今はその時間すら惜しい。メルドは砕けた兜の破片が顔の皮膚を裂き、瞼に突き刺さるのも無視して距離を詰める。そしてその切っ先は、確かに騎士の身体を捉えることに成功した。

 

(……ああ、そうか。どこか聞き覚えのある声だと思ったが……ったく、“デカく”なりやがって)

 

兜の下から現れたのは、数年前に一度戦場で見たことのある顔。あの時よりずいぶんと大人びたが、確かに面影がある。詠唱抜きで魔法を使っている時からまさかとは思っていたが、そのまさかだったことに驚きを隠せない。

 

「か、はっ……」

 

確かにメルドの剣は騎士の身体をとらえた。ただし、捉えたのは騎士の“左肩”だ。これでは、致命傷とならない。上段から振り下ろされた刃は騎士の肩を深々と抉っているが、生命には届かない。ならば当然、騎士がやることは決まっている。

 

「あ、あぁぁぁぁ!!」

 

地面に突き立てることでためた力を解放し、グレイブを跳ね上げる。生憎、間合いが近すぎるせいで刃にとらえることはできないが、柄による一撃だけでも十分すぎるほどに強力だ。

メルドのわき腹から骨の折れる音が鳴り響き、ちょうど貫かれ焼かれたわき腹に追い打ちをかける。

あまりの激痛に声すら出ず、弾き飛ばされたメルドの身体が力なく地面に横たわった。

 

騎士は左腕を力なく垂らしたまま、一分の油断もなくメルドに駆け寄ると右腕で保持したグレイブの切っ先を倒れたメルドの喉元に突き立てる。

 

「…………」

「団長!?」

「来るんじゃねぇ! わかってるな、生きること、それがお前たちの役目だ。生きて、ここで見たもの全て報告しろ。それは、お前たちにしかできねぇことだ」

「それは、ですが!」

「こいつの力はこんなもんじゃねぇ。傷を負ってはいるが、お前らが束になっても勝てるかどうか。勝てるならいい。だが、負けたらどうする。こいつという脅威を、いったい誰が国に、仲間たちに伝える!」

 

メルドを助けようと動き出そうとした部下たちだが、メルドの言葉に足を止める。

言わんとすることはわかる。納得はいかないが、理解できる。

だからこそ、彼らは涙を呑んで足を止めるしかなかった。

 

「私の勝ちです、メルド・ロギンス」

「……だな。ったく、完敗だ完敗。大したもんだよ、お前さんは」

「何が完敗ですか。首を折られる寸前まで行き、左腕はこの有様。これのどこが……」

「お前さんが手を抜かなかったら、もっと楽に勝てただろ」

「……でしょうね。ですが、それでは意味がありません」

「意味?」

「ステータスだけなら、あの当時の私でもあなたを上回っていました。なのに負けたのは、私の経験と技量が劣っていたからです。この勝負はそれを埋められたかどうかを試すための物。ステータスで圧倒しては、意味がありません」

「あ~……まぁ、言わんとすることはわかるが」

 

正直「とんでもない負けず嫌いだな、こいつ」と思わずにはいられない。

 

「ですが、それでも勝ちは勝ち。私の目的は達しました。これ以上の長居は無用……失礼します」

「いいのか、殺さなくてよ?」

「貴方にはかつて一度命を見逃された借りがあります。その借り、これで帳消しとさせていただきます」

「負けず嫌いな上に義理堅い、か。面倒くさい奴だな、お前。色々生き難いんじゃないか。余計な世話だが、肩の力を抜いたほうがいいぞ」

「…………………………………………………………性分です」

 

自覚はあるのだろう。まぁ、自覚があるからと言って改善できれば苦労はない。

そういうのはメルドもなんとなくわかるので、それ以上言い募るようなことはしなかった。

そうして、騎士は一歩二歩とメルドから離れていくが、唐突に足を止めたかと思うと振り返らずに問う。

 

「………………先ほど」

「なんだ」

「殺さなくていいのか、と聞きましたね」

「ああ」

「そう思うならなぜ、あの時私を殺さなかったのです」

「…………さてな。もう昔のことで覚えてねぇよ」

「……いいでしょう。なら、質問を変えます」

 

正直言えば、誤魔化しなど許さずもっと問い質してくるものだと思っていた。

そのことに若干の肩透かしを感じつつ、次なる問いを待つ。敗れた側として、勝者の問いには答えるつもりだったから。先の問いに応えなかったのは、あの時すでに答えていたのと……あれは王国騎士団、そして聖教教会の信徒が口にしていい言葉ではなかったからだ。ついでに、今更口にするのが恥ずかしかったというのもある。

 

「私たちは、これでいいのですか」

「…………」

「種族が違う、奉じる神が違う。確かに大きな違いでしょう。加えて、過去の遺恨は根深い。きっと、私たちは今までと同様これからも相容れない。ですが、なぜ“争わなければならない”のです!」

「な、に?」

「我々は、奪わなければならないほど食料に、土地に、物資に窮しているわけではありません。貴方たちから奪わなくても、私たちが生きていくのに十分な食料があり、暮らしていける土地があり、装備や日用品をそろえる物資もある。魔物ですら、種族単位で見れば大きな脅威ではありません。私が調べた限り、あなた方も同じでしょう。

ならばなぜ、我々は争っているのです。この戦いの先に、我々は何を得られるというのです。

教えてください、メルド・ロギンス。私たちは本当に、こうするしかないのですか?」

 

その問いに、メルドは答えるための言葉を持ち合わせていなかった。

騎士の言わんとすることはわかる。彼らの戦争は、生きるための戦争ではない。生きるために必要なものは、既に自国の、人族の領域だけで満たされている。より多くを、より豊かに、と求めだせばキリがないが、切羽詰まった戦う理由はない。

 

彼らの戦争の理由はただ一つ。奉じる神の為。

人族の唯一神である「エヒト」、あるいは魔人族の神「アルヴ」以外の神の存在を彼らの教義は認めない。自らの神以外の神とそれを奉じる……否、自らの神を奉じない存在は等しく邪悪であり、世界の汚点なのだ。

それらを排除し、世界を浄化し、世界を神と神の祝福を受けた者達が治める、そのための戦争。

 

メルドとて、それは例外ではない。その思想は程度の差はあれ人族魔人族共に共通している。

だからこそ、メルドには答えることができなかった。そんなことは、考えたこともなかったから。わかることといえば一つだけ、騎士の言葉が「異端」であること。魔人族側のことには無知なメルドだが、もし騎士が口にしたことと同じことを王国…いや、人族の領域で口にすれば即座に粛清の対象になるだろう。

 

敬虔なエヒトの信徒であれば、騎士の言葉を一顧だにせず否定しただろう。

しかし、メルドにはそれもまたできなかった。

 

「すまん。俺には、お前に答える言葉が見つからない」

「……」

「ずっと、魔人族は滅ぼすべき敵としか考えてこなかった。民のため、国のため、神のため、それが当たり前だった。それ以外の“何か”など……」

「……貴方に、感謝を。貴方は私の問いに真摯に答えてくれました、頭から否定するのではなく……それだけで、十分です。愚かなことを聞きました、心からの謝罪を」

 

そう告げて、騎士は今度こそ去っていこうとする。

だがメルドには、それを黙って見過ごすことはできなかった。

 

「待て! 待ってくれ! お前は、お前には答えがあるのか!」

「……あれば、問うたりはしていないでしょう?」

「そう、だな。その通りだ」

「とはいえ、このようなことを聞いたのは貴方が初めてです。同胞たちに問えば、私はきっと粛清されるでしょうから。ですが、私はこれから……同じ問いを抱ける同志を探そうと思います。この問いを受け止めてくれる人がいる、それを貴方が教えてくれました」

「……」

「さようなら、メルド・ロギンス。いつかどこかで、貴方の答えを聞かせてください」

 

それからだ、メルドが自らの周りの様々な事柄に疑問を持つようになったのは。

今までそれが当たり前だと思っていた様々なこと。それら一つ一つに、メルドは自問自答を繰り返してきた。かつて騎士が言ったように、それを表に出せば粛清の対象になる。だから、すべての問いは自分の中だけのもの。部下たちは信頼しているが、残念ながら己と同じ視点に立ってくれるか自信がなかったし、巻き込むこともはばかられたからだ。

そんな自問自答の日々が一年を過ぎたころ、決定的なことが起こった。それが光輝たちとの出会いである。

元は戦いとは無縁の世界から神エヒトによって招かれた子どもたち。果たして、彼らに戦わせることは正しいのか。これは自分たちの戦争なのに、関係のない子どもたちを巻き込んで、それで……。

 

(王国騎士団長が聞いて呆れる。俺には未だ、自分たちがどうすべきなのかも、あいつらに対してどうすべきなのかも、何一つわからないのだからな。

 この有様では、アイツを失望させるだけか。なぁ、お前は今も答えを探しているのか? それとも、答えは見つかったのか?)

 

胸の中で、厄介な楔を打ち込んだ相手に答えの返ることのない問いを投げかける。

 

「なぁ、フェリシア・グレイロード。お前さんは今、どこで何をしているんだ?」



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Interlude03

掘り下げ会その二、今度は前の話で初めて名前が出たフェリシア視点。彼女が今どこで何をしているか、メルドさんの問いに答える会です。


そも、ガーラント魔王国に存在する「神衛騎士団」とは何者なのか。

もっとも立ち位置として近いのは、人族でいうところの近衛騎士だろう。しかし、求められる役目は随分と違う。

 

何しろ、この国の王…すなわち魔王の名は「アルヴ」と言い、崇める神と同一なのである。

滅多なことではガーラント上層部の前にも姿を見せないし、声を聞くことも稀。基本的には文書や身の回りの世話をする侍従などが代弁する。神の代弁者ではなく神そのものであるが故に、逆らう者もその座を奪おうと考える者もいない。まぁ、いたところで問題にもならない。なぜなら、魔王にして神である「アルヴ」こそが絶対無比の存在なのだから。それは何も、権威だけに限った話ではない。単純な実力の上でも、「アルヴ」に並ぶ者はいない。

 

そのため、アルヴの身の安全など考える意味すらない。神衛騎士団の役目もアルヴを守ることにはない。

彼らの役目は、アルヴの手足となって働くこと。命令系統の上ではアルヴが全軍の頂点に立ってはいるが、直接指示を下すことはまずない。基本的には数名の将軍とその配下たちによって運営されている。だが、神衛騎士団だけは違う。彼らはいうなればアルヴが直接指示を出して動かす、まさに手足なのだ。

とはいえ、それも所詮は肩書の上での話。そもそもアルヴが直接指示を出すことが滅多にないため、基本的に彼らは常に暇を持て余し、やることといえば訓練くらい。部隊の性質上、ガーラント国内最精鋭でありながら活躍の場がないなど、戦力の無駄の極みだ。

とはいえ、彼らに対して命令を下すことができるのは国主であり神たるアルヴだけ。それは違えてはならない。

そこで考え出されたのが“要請”という方式だ。あらゆる命令系統から独立している彼らだが、将軍職にある者だけは彼らに対し協力を要請することができる。その代の団長次第ではあるが、積極的に通常任務に参加することもある。逆に、通常任務はおろか特殊任務や極めて重要な任務でもだれ一人派遣しないこともありうるのだが。

 

そして、今代の団長「フェリシア・グレイロード」は前者のタイプだった。

要請されれば任務の内容を鑑み、最適と思われる人材を必要な数だけ派遣し、必要と判断すれば自ら前線に立つことも辞さない。それどころか、場合によっては自分の方から将軍たちに掛け合い、より確実な任務遂行のために“要請を要請する”ことすらある。事実一年半前、魔人族最強との呼び声も高い大迷宮攻略者「フリード・バグアー」が生み出した魔物たちの性能テストを兼ねた中堅規模の人族の国への侵攻作戦にも参加し、魔物たちの性能評価から一般兵への教導、撤収時の殿などを務めている。

 

騎士団の立ち位置の関係で一般の魔人族の間では最大級の敬意を捧げられると同時に畏怖の対象でもあるが、そんな実態を知る兵や騎士たちの間からの人気はすこぶる高い。

最精鋭と呼ばれるに相応しい実力を有していながら、共に肩を並べて戦ってくれる英傑たち…というのが彼らの認識だ。団長職を務める傑物となれば、もはや崇拝の対象だろう。

そしてそれは、今もなお変わらない。それどころか、その名声はとどまるところを知らない。

 

魔王国ガーラント、その王都の一角。

特にこれと言って特徴のない建物に、一台の馬車が乗り入れる。誰も違和感など持たない。ここは治療院で、人と物の出入りが多くて当たり前。実際、定期的に物資搬入のために馬車は出入りしているし、今も治療を受けようと老若男女が訪れている。

だが、この治療院にもう一つ別の顔があることを知る者はほとんどいない。

 

新たに乗り入れた馬車は治療院奥のスペースへと招かれ、分厚い幌が外される。外部からは窺い知ることのできなかったその中には、折の中で厳重に拘束された魔物の姿があった。

 

「うおっ!? 何度見ても、こう間近で大型の魔物を見ると肝が冷えるな」

「おい、なにやってる。さっさと運び込め」

「わぁってるよ。にしても、こんなもん何に使うんだ?」

「さぁな。お偉い先生方の考えることは俺なんぞにはとんと……ま、魔物の内臓を薬にする研究とか、魔石の治療への応用とか、そういうのだろ」

「へぇ~、そういうこともしてるのか」

 

何歳か年上の男の言葉に、感心したように若い男がうなずく。

ただ、そんな若い男の反応にあきれのこえをもらす

 

「お前、下働きとはいえここで働いてるんだからそれくらい知っとけよ。そもそもここが、潰れかけだったことはさすがに知ってるだろ」

「まぁな」

「そこへ新薬やら新しい治療法の研究やらのために上から寄付金が下りたんだよ」

「そうだったのか。でも、だったらなんで今も治療院やってるんだ?」

「あのな、研究して結果が出たら“はい、おしまい”なんてなるわけねぇだろ。せっかくの研究だ、使わなきゃ勿体ねぇ。ここは、そんな研究成果を実地で試す場でもあるわけだ」

「え、じゃここでやってるのって人体実験?」

「ばぁか、んなことやったら大問題だっつーの。動物やらなんやらで散々試して、安全を確認できたもんを患者の任意でやってるんだよ。つまり、しっかり合法だ」

「だ、だよなぁ~」

 

拘束されているとはいえ、大型の魔物を前に些か緊張感に欠けるやり取りを続ける二人。

とはいえ、それでも作業を進める手を止めたりはしない。慣れた作業を慣れた動作で続けていけば、作業自体はすぐに終わる。物資は問題なく所定の位置に運び込まれ、男たちは次の作業のためにその場を離れる。

 

だから、知らない。

運び込まれた物資が、丸ごとどこかに消えてしまっていることに。

 

「グレイロード閣下、資材βの搬入が完了いたしました」

「そうですか、αの方は?」

「問題ありません。全員…いえ、すべて活動を停止しています」

「よろしい。では、早速“施術”に入ります」

 

そこは薄暗い部屋だった。いくつかの緑光石が放つ光だけしか光源がないため、部屋の隅は闇に包まれている。そのため、部屋の内装を詳しく窺い知ることはできない。

ただ、それでもいくつか言えることがあった。その部屋はそれなりの広さがあり、部屋の中央には大型のものと小型の物二つの台座があること。また、部屋の片側にはいくつもの檻が並び、反対側にはいくつものベッドが置かれていること。そしてベッドの上には、幾人もの魔人族が簡素な貫頭衣を着て並んで眠っていることだ。

 

そんな部屋の中央、二つの台座の中央に立っていたフェリシアは傍らの男に声をかけ“施術”とやらの準備を始める。

常に身にまとう漆黒の甲冑はなく、代わりに白衣のようなものを纏い、手には手袋をはめている。薄暗いため表情は判然としないが、その声音はいつになく厳しい。

フェリシアはそのまま両手を組み、胸元に充てて祈りを捧げる。これから行う所業の許しを請うため…ではない。いつの日か、この行いに相応しい罰が下ることを願って。

 

(我が神よ、どうか我が悪行をご覧あれ。そしていつの日か、正しき報いを)

「準備が整いました、閣下」

「検体の情報は?」

「こちらに」

「31歳、男性、天職なし、得意とする魔法系統は付与系統……」

 

渡されたバインダーに挟まれた書面に目を通していき、途中小さい方の台座に乗せられた魔人族の男性に視線を移すが、すぐに書面に戻す。

 

「犯歴、強盗及び殺人を数件。また、うち二件で放火」

 

いつものことだ。ここに“資材α”として運び込まれるのは、犯罪者として捕らえられた場合と、命を落とし何らかの事情で遺体の引き取り手がいない場合、そのどちらか。

しかし、だからと言ってこれからやることへの免罪符にはなりえない。なると思ってもいない。

 

「係累は…なし」

 

それが、せめてもの救いだろうか。天涯孤独の身であれば、悲しむ者は少ないだろう。

どんな悪逆の輩であれ、誰かにとっては大切な人であるかもしれない。そんな相手が異形の姿へと変えられるなど、受け入れられるはずがないのだ。例え、決して表に出ることのない事とはいえ、それでも縁者が少ないことにわずかに安堵してしまう。そんな己の浅ましさを、フェリシアは心の底から嫌悪する。

 

(なにを、今更! いったいこれまで、何人に施術を施してきた! どれほどの命を弄んできた! 今更、そう今更だ!! 今更、私に安堵する権利も、許しを請う資格もないというのに!)

「閣下、如何なさいました?」

「……何でもありません。施術を始めます」

 

渦巻く感情を胸の奥にしまい込み、首を傾げる助手を無視し、努めて平静を装う。

知られてはならない。悟られてはならない。僅かな隙も、見せるわけにはいかないのだから。

 

(彼という尊い犠牲が、より良き未来へ繋がりますように。

 そしてどうか、私を許さないでください)

「素晴らしい、お見事です閣下! 神経系を魔物と融合させるという繊細な術式でありながら、この速度と精度はもはや芸術です!」

「経過を見なければ成功か失敗かわかりません、経過観察には細心の注意を。暴走するようであれば……」

「無論承知しております。失敗作は迅速に処分いたしましょう」

「……では、次の検体を」

「はっ、急ぎご用意いたします!」

 

この施術の目的は簡単だ、フェリシアが得意とする“人体変成”その完成度をより高めること。

単に魔物と人体を融合させるだけなら、彼女の手腕をもってすればそれほど難しくはない。だが、より効率的な、より強力な合成にはそれ相応の下地がいる、尊い犠牲という名の下地が。だからこそこうして、極刑を言い渡された犯罪者や引き取り手のいない遺体を使って実験を重ねているのだ。

無辜の民を実験に使うわけにはいかない。だが、犯罪者……それも死刑囚なら、それが上層部の見解だ。無意味に命を絶つか、最後にその命を有効に活用するか、その違いでしかないということだ。その理屈はフェリシアにもわかっている。だがわかった上で、胸の内でどう思うかは彼女の自由だ。

 

(ありがとうございます、ビル。貴方のことは、決して忘れません)

 

今日までに生贄としてくべられた命の数は二十人を超える。フェリシアはその全員…それどころか、引き取り手のない遺体すべての顔と名前を記憶している。彼らの尊い犠牲のおかげで、フェリシアの変成魔法の精度は著しく向上した。いわば、彼らの命と体はフェリシアのために捧げられたのだ。

ならば、彼らの命を喰らった自分だけでも彼らのことを忘れてはならない。そう思えばこそだった。

 

その後も施術は続き、今日予定されていたすべての実験が消化された。後は、結果が出るのを待つばかりである。

 

「それでは、後のことは頼みます。くれぐれも、経過観察は……」

「無論、心得ております。微に入り細を穿ち、詳細をレポートにまとめお届けいたします」

「何かあれば、すぐに呼びなさい」

「は、ですが……お忙しい閣下のお手をそのような些事に」

「私であれば調整もできます。そうすれば……」

 

彼らを、少しでも生かしやることができるかもしれない。そんな思いが口に出そうになるのを、必死に堪える。それは、口にしてはならないことだ。それに……

 

(生かして“やる”? なんて、傲慢! なんという恥知らず! 彼らが死ぬのは私のせいだというのに……)

 

そもそも、フェリシアは何かをして“やる”とか“あげる”という言葉が嫌いだ。そんな上から目線の物言いができるほど、自分は立派なのかと自問すれば即答できる。否である、と。

だが、そんなフェリシアの内心には気づかず、助手の男は自分にとって都合のいい形でその先を想像したらしい。

 

「なるほど、そうすればより有益なデータが取れますな。まったく、奴らも光栄なことでしょう。薄汚い犯罪者や身寄りのない分際で我らが神の礎となれるのですからな。むしろ、感謝してほしいくらいでしょう」

 

その瞬間、フェリシアの脳髄が白く染まった。今すぐ、この男の首をへし折ってやりたい衝動に駆られるが、辛うじて抑え込む。この男は、人間性はともかく助手、あるいは研究者としては優秀だ。そんな男が不審な死を遂げれば、フェリシアにも疑いの目が及ぶ。今の彼女の地位と権威をもってすれば握りつぶせるだろうが、それでも万が一ということはあり得る。万が一、彼女の本心に気付かれれば、すべてが水泡に帰す。それだけは、避けねばならない。これまでに犠牲にしてきたすべてを、無意味にしないためにも。

 

「ここにいると気分が悪くなります。私は先に失礼します」

「ああ、確かにあのようなごみと同じ空間にいるのは苦痛でしょうな。ええ、後のことはお任せを」

 

不快なのはこの男と同じ空気を吸うことなのだが、僅かでもそれを口にすれば歯止めを利かせられる自信がない。

いつもそうだ。彼女が本当に言いたいことをあえて口にせずに閉ざすと、周りが勝手に都合のいいように想像し、勘違いする。結果的にその誤解は都合が良いので訂正してこなかったが、都合が良いと気分が良いは別だ。

彼らがそうであってほしいと願う姿と、フェリシアがそうでありたいと願う在り方は天と地ほどに隔たっている。

この上なく不快で、これ以上ないほど都合のいい誤解。訂正することにはデメリットしかなく、訂正しないことのメリットは数えきれない。ならば、どうすべきかは考えるまでもない。だが、それでも……

 

(こんなことばかりしていると、いつか自分というものがわからなくなりそうですね)

 

つい、そんな自嘲をしてしまう。

そのまま用意された部屋でいくつかの書類を決裁し、白衣を脱いで着替えを済ませる。

彼女は軍内部の重鎮、当然それ相応に仕事というものがある。この後は王城で将軍級以上の幹部たちによる会議が予定されているのだ。騎士団を動かすためには将軍職からの要請が必要であることからもわかる通り、“騎士団長”という立場にありながら、その権限は将軍たちに並ぶ。忙しいのも当然だろう。

とはいえ、彼女は基本的にやることなすことすべてが迅速だ。施術も書類の決裁も、手早く進めたおかげで会議までにはまだある程度時間がある。

 

「お疲れ様です、閣下。馬車のご用意は……」

「……結構、次の予定まで時間があります。私は徒歩で向かいます」

「承知いたしました」

 

この場での秘書役の魔人族は、特に驚いた様子もなく恭しく頭を下げる。こうして、徒歩で王城や次の予定先へ向かうのも初めてではないからだ。とはいえ、その表情はどこか苦い。

 

「ですが、閣下」

「なにか?」

「差し出がましいとは承知しておりますが、そのお姿で向かわれるのですか?」

 

いま彼女が準備しているのは、常に身に纏う漆黒の鎧だった。言わんとすることはわかる。こんな見るからに厳めしい鎧を着て街中を闊歩すれば、徒に民を怖がらせるだけだろう。それに……

 

「自分で言うのもなんですが、私は無駄に背が高いですからね。加えて、体つきは女性らしさからはかけ離れています。鎧など着ていては、誰も女とは思わないでしょう」

「そ、そのようなことは……」

 

実際、フェリシアは180センチに迫る高い身長の持ち主だ。そのうえ、その体系は非常にスレンダーなモデル体型……といえば聞こえは良いし、それはそれで間違ってはいないが、絶望的に身体に凹凸がない。少し厚手の服を着ただけで、顔を見ないと性別の判別が極めて困難なくらいに。まったくないわけではないが、よほど薄着にならないと膨らみがわからないのだ。

彼女とて女性の端くれ、そのことにはコンプレックスを感じないでもない。いっそ変成魔法でその部分を作り替えようと思ったことも一度や二度ではない。まぁ、さすがに自重したが。

とはいえ、それでも彼女に鎧を着ないという選択肢はなかった。

 

(最近、特に眉間のしわと目つきの鋭さが増してきていますからね。クマも日に日に濃くなっていきますし……毎朝、鏡を見る度に私自身悲鳴を上げそうになるのです。この顔では、近くまで来た人を怖がらせてしまうだけでしょう。それならいっそ……)

 

鎧を着て初めから人を遠ざけた方がマシ、というのがフェリシアの結論だ。

その意味でいえば、素顔を見ても怖がらずにいてくれる秘書などには割と感謝している。

 

(まぁ、そもそも私服と呼べるものをほとんど持っていないのですが)

 

何しろ、10歳で集落を飛び出し軍に志願して以来、あとはずっと軍役についていた。おかげで、手持ちは軍服と動きやすさ優先のラフなものばかり。王都という都会を歩けるような服自体、碌に持っていないのである。

まぁ、我ながら女としていろいろ終わっている自覚があるので、誰にも言ったことはないが。

 

そうして、手早く鎧を着こんだ彼女は地下通路を通って治療院からやや離れた路地裏に出る。

念には念を入れて、彼女が治療院に出入りしていることを隠すのが目的だ。

 

路地から表通りに出れば、案の定周囲から好奇の視線が集まる。

とはいえ、そこは厳めしい鎧効果もあって長続きはしない。誰もがさっさと視線を背け、我関せずを貫く。

そのことに一抹の寂しさとそれ以上の安堵を覚えながら、フェリシアは王城へ向けて歩き出す。

散歩、というにはいろいろ問題のある状況だが、それでも彼女はこの時間が好きだった。

街を歩けば活気のある声が耳をくすぐり、人々の営みをわずかな距離を隔ててみることができる。決してあの喧騒の中に入っていくことはできないが、それでも人々の営みに近づくことのできる時間が好きだった。

 

(あぁ、そういう意味では惜しいことをしました。王都に来て間もない頃は周りを見る余裕なんてなくて、軍務についてからも同じ。一度くらい、兵舎を抜け出して遊んだり、屋台で買い物をしたりすればよかったのかもしれません)

 

遠い過去に置き去りにした日々。あの頃でなければできなかったこと、あの頃にはやろうとも思わなかったこと、それが今ならどれだけ尊いものかわかる。もし自分の未来がこういう形になると知っていれば、あの頃の自分はもっと違う時間の使い方をしたのだろうか……。

 

(いえ、私のことです。それでも結局目の前のことに一杯一杯で、他のことに目を向ける余裕なんてなかったでしょうね。おや、あれは……)

 

過去を懐かしみながら、今日までの自分を振り返る。ふと元気な声に誘われて視線を右手に向ければ、そこには数人の子どもたちが遊んでいる。

 

(ふふっ、元気ですね子どもたちは。戦争が近く、街にも徐々に緊張感が満ちてきている。でも、子どもたちにそんなことは関係ない。元気に遊び、無邪気に未来を信じている。ならば、それを守るのが私たちの……)

 

路地で遊ぶ子どもたちの姿に、自らの為すべきことを再確認する。それだけでも、こうして歩いた意味があった。できればもう少し近くで子どもたちの様子を見たいが、それは断念する。鎧姿でも素顔でも、どのみち子どもたちを徒に怖がらせてしまうだけだろう。それは、彼女にとっても本意ではない。

だから、こうして遠くから眺めるだけでいい。それだけで、十分心は満たされるのだから。

 

ただ、どうやらぼんやりしすぎていたらしい。左側から歩いてきた誰かとぶつかってしまった。

十年以上軍務につき心身を錬磨し続けてきたフェリシアは微動だにしないが、相手はそうではなかった。面白いほどキレイにしりもちをつき、15・6歳ほどの少年が目を白黒させている。手には串焼きが握られ、自身の鎧にべったりとソースがついている。とはいえ、フェリシアの感想は淡泊なものだった。

 

(これは、落とすのは少々面倒ですね)

 

元より、フェリシアはモノへの執着が薄い。第一、鎧など戦場に出れば泥や返り血で汚れるのが常だ。串焼きのソースが付いたくらい、何ほどのこともない。

そんなことより、少年の恰好は王都の垢抜けたそれからは程遠い、田舎っぽい服装をしている。恐らく辺境から上京して来て、王都の街並みに目を奪われてしまったのだろう。似たような記憶があるだけに、少し微笑ましい。

少年はやがて自分が何にぶつかったのか気付いたらしく、顔を青ざめさせ目じりに涙すら浮かべている。

厳めしい鎧を着こみ、自分がぶつかっても微動だにしない屈強な戦士。悪気がなかったとはいえ、そんな相手に粗相を働いてしまったことを、きっと心の底から後悔しているのだろう。

 

(気持ちはわかりますが、そんなに怖がられるとさすがに傷つきますね……)

「あ、あのあのあの! ぼく…えっと、その……ごめんなさい!! 鎧は綺麗にしてお返しします! ですから、その……」

「不要です」

(ま、まさかここで「無礼者!」って斬られちゃうの!? 今日王都に来たばかりで、まだ何もしてない、できてないのに……)

「急ぎますので、失礼します。……今後、よそ見には気をつけなさい」

「え? は、はい……」

(できれば励ますなりなんなりしたいところですが、これ以上声をかけても怖がらせるだけですね)

 

そう思ったが故に、フェリシアは足早にその場を後にする。彼がその後どうしたのか、それだけが少し気がかりだった。

 

「おや、如何なさいました団長殿。今日は随分と消沈しておいでのようですが」

「わかっているのなら流しなさい」

「ハハハ、大方団長殿を見た赤ん坊が泣いたとか、民たちが団長殿を見るなり進路を変えたとか、そのあたりでしょう?」

「……………………………………違います」

「当たらずとも遠からず、と。まったく、我らが団長殿は妙なところで繊細ですなぁ」

 

予定より幾分早く着いたこともあり、騎士団の詰め所に顔を出したのだが、出迎えたのは副長の訳知り顔。ぶっちゃけウザイ。とはいえ、詳細は違うとはいえ方向性は割と当たっているあたり、彼がフェリシアのよき理解者なのは確かだ。何しろ、いまだ彼女は兜を被ったままだというのに、何も言わなくても兜の奥の表情を言い当ててて来るのだから。有難いとは思う、心から思っている。だがやっぱり、知ったような顔をされるとイラっと来る。

 

「ふむ。ところで、随分とお早いお着きですが…もしや、小官と再戦をお望みですかな? もしそうなら、謹んでお受けいたしますが」

「貴方はまた私をカモにする気ですか」

「いやいや、敬愛する上官殿をカモにするなど、そのようなことするわけがないでしょう」

「そう言って、毎度毎度負けた私に書類を押し付けるのは誰です」

「ふぅむ、それはあれですな。やはり、勝負事は何かをかけてこそ真剣になれるもの。とはいえ、金銭をかけるのは不謹慎。そこで仕事を……というのは団長殿も納得されたことでは?」

「ぐぬぬぬぬ……つ、次は負けません!」

「その意気や善し。では、何で勝負いたしますかな。カードか、盤上遊戯か、それとも……」

「全部私が負け越しているものばかりじゃないですか!?」

「おや、だからと言って小官も全戦全勝というわけではありませんが?」

「私でなければ処理できない書類がある時だけ負けるくせに……」

「いやぁ、偶然とは恐ろしいものですなぁ」

 

もちろん、偶然などではない。負けても問題ないと知っているから負けているのだ。

初めのうちはそれに気づかず、場合によっては勝てるのだとぬか喜びし、まんまとカモられたものである。

 

「貴方を副長に任命したのは、私の最大の失敗です」

「失敬な。私は団長殿のさらなる成長を願い、心を鬼にしているだけだというのに」

「本音だとしても、そのニヤニヤ笑いを浮かべている限り説得力はありませんからね」

「ふっ、そこで本音だとご理解してくださるところが団長殿の素晴らしさですな」

「……まったく、要領のいい」

「それが一番の取り柄ですので」

 

フェリシアは団長職に就き、メルドとの再戦を終えた後から秘かに志を同じくできる者を探した。

その最初の一人がこの副長だった。前副長とは様々な面で折り合いが悪く、個人的にも好きになれない手合い……具体的には、何かと理由をつけて要請を断ろうとするタイプだった。当然他の将軍たちからの評判も良くはなかったため、慣れない搦め手で排斥しようとしていた折に、協力してくれたのが彼だ。その中で自分と同じ疑問を持ってくれる相手であることを知り、副長に任命したのである。

ただ、能力はあるのだがいかんせん変なところで要領がよく、うまいこと仕事を押し付けてくるのが悩みの種だ。

 

(まぁそれも、さして重要なものでないものばかりなので、可愛いものなのですが)

 

そういう選び方をしてくるあたりが、やはり要領の良さなのだろう。

カードや盤上遊戯で勝てないのも、同じような理由だ。生真面目なフェリシアと、のらりくらりとかわすのが上手い副長では相性が悪い。フェリシアとて、カードはともかく盤上遊戯は決して弱くないのだが……。

 

「それより報告を。皆の体調はどうです、何か変化は?」

「すこぶる順調…とは言いませんが、今のところ拒絶反応などは見られませんな」

「貴方も元気そうですね」

「団長と……彼らのおかげですな」

「ええ、本当に……彼らにはどれだけ感謝してもしきれません」

 

当然といえば当然なのだろうが、フェリシアが実験で培った技術は何一つとして無駄にはなっていない。

彼女は得られた技術とデータからより最適な施術方法を考案し、それを一部の配下に施している。この副長もその一人だし、先日殉職した騎士もそうだ。

ただ、フェリシアが自分自身に使うのであれば負担が少ない魔法でも、他者にかけるとなればその限りではない。例えば、一度変成させれば二度と元には戻せないなど、いくつもの制約が存在する。

また、対象の資質や性質を無視し画一的に変成させるのは、元の状態からよほど近い変成でない限りその生命の在りようを歪めるに等しい。元の在り様を残したままの変成となると、それぞれの資質や性質に合わせた微細な調整が必要になる。

それが可能になったのは尊い犠牲のおかげだ。

 

「しかし、そういう団長はいかがです? あまり、無茶はしておられませんか?」

「心配には及びません。限度は心得ているつもりです」

(そのような真っ白な御髪になられては、説得力などないのですがね)

 

フェリシアの髪は純白だが、これは生来の物ではない。変成魔法を得てからの変化であり、元は深い青色をしていたのである。人体の変成を得手とする彼女が最も得意とするのは、当然というべきか「自らの身体の変成」だ。本来、術者である彼女はどれだけ身体を異形に変えても元の姿に戻ることができる。

しかし、それにも限度というものがある。限度を超えた変成を重ねれば、当然術者といえど……彼女は外見こそ髪が白い以外には他の魔人族と変化がないように見えるが、その中身は如何程か。それは、副官の立場にある彼にもわからない。ただ確かに言えることとして、白くなった髪が戻らなくなるほどに、彼女の身体の中身は作り替えられているということ。

 

それこそ、彼女の身体に子を為す機能が残っているかすら疑わしい。

フェリシアがそれだけの覚悟を抱いていることを、彼は知っていた。知った上で、止めない。止めたところで聞かないことも知っているからだ。

 

(なら、小官にできるのは少しでも団長の心をほぐして差し上げることでしょうな。そのためならば、道化でもなんでも演じましょう。差し当たっては……)

 

その後、上手いことフェリシアを口車に乗せてカード勝負に持ち込んでしまう。結果は、フェリシアの勝利。ただし、フェリシアから押し付けられる仕事は特にないので、本人からすると試合に勝って勝負に負けた感があるが。

 

「むぅ……………………………………」

「ははは、あまり悔しそうにしないでいただきたい。そんな顔をされると……ますます揶揄いたくなりますからな」

「やっぱり私、貴方のこと苦手です」

「それはそれは、小官は団長殿のことを心から敬愛しているのですがね。

 ……ところで団長、気は晴れましたかな?」

 

その一言で、フェリシアは彼の意図することに気付いた。

要は、彼はフェリシアの気分転換に付き合ってくれたのだ。苦手なカードで勝つことができたのも、ある種の接待というわけだ。まぁ、それでもしっかり揶揄ってくるあたり、良い性格をしているが。

とはいえ、それでも少し気がまぎれたのは事実だ。これからのことを考えれば、ただでさえ気が重くなる以上、いまだけでも……彼なりの気遣いだろう。

 

「……………ありがとうございます」

「そう不満そうに言われては、素直に喜べませんな。ところで…………やはり、厳しいですか?」

「戦争は避けられません。我々と彼らとの間の確執は、最早どうしようもないほどに根深いですから。早いか遅いか、その違いでしょう」

「確かに……ならば、我らが有利なうちに始めて勝つ、道理は通っていますな」

「ええ。負ければ、待つのは悲惨な未来だけ。なら、勝つしかありません。勝たなければ、ならないのです」

「その悲惨な未来を人族に押し付けることで、ですか。業が深いですな」

「ええ、本当に」

 

勝たなければ話にならない。だが、勝ったところでどれほどの違いがあるだろう。どちらが勝ったところで、待っているのは似たような未来だ。ただ、立ち位置が違うだけの話。人族と魔人族、どちらが悲惨な未来を押し付けられるか、それだけの違いでしかない。

 

「…………………」

「団長、浅慮はいけません。あなたなら、確かに将軍たちに…あるいは陛下に“穏やかな支配”を進言することもできるでしょう。ですが、それをした後どうなります。各方面から睨まれ、遠からず排除されます。それでは、いったい誰がその未来に歯止めを利かせるのです」

「わかって、います」

「わかっておられるのなら、今は耐える時です。水面下で根を張り、同志を集め、いつかに備える。我らの代では為し得ぬかもしれません。ですが、子どもたちの代、あるいは孫の代、もしくはもっと先の代でそれは実を結ぶ。そう信じて根を張ることこそが、我らの役目でしょう」

「後の世代に押し付けろと、そういうのですか?」

「押し付けるのではなく、託すのです。我らの悲願を、子どもたちの未来を……」

「詭弁です」

「でしょうな」

「ですが、ここで私たちが潰えれば、同じ志を持つ者が生まれるのはいつになるか……その間に、どれほどの血が流れるか。そのためにも、私たちは残さなければならないのですね」

 

フェリシアにもわかっているのだ。いまことを急いだところで意味がない事は。最も避けねばならないのは、フェリシアたちが何も残せないこと。何か一つ、一つでも残しておければ、いつかの誰かが遺志を継いでそこから先に進んでくれる。それをより確実なものにすることこそが、フェリシアたちの役目なのだ。

そのことを彼女は重々理解している。

 

「それに、ある意味では魔人族による大陸全土の支配は好都合ではあります。そうなれば、人族や亜人族との接触が容易になりますからな。今では接触を図ることすら難しい彼らと、その時ならば容易に接触できましょう。まぁ、あちらからは相応に恨まれ、憎まれることになるでしょうが」

「そのためにも、彼らへの迫害が行き過ぎたものにならないよう巧く誘導する必要がある、と言うのでしょう」

「ええ。そして、それができるのはあなたを置いて他におりません。それが、我らにできる“一歩の前進”でしょうな」

(あれだけの命を犠牲にして、さらに多くの命を踏みにじって、それでも……一歩。一歩しか、進めないの……?)

 

それでも、一歩は一歩だ。戦争を迅速に終わらせることができれば、それだけ犠牲は少なくなる。フリードが生み出した魔物と、フェリシアが作り替えた兵による圧倒的戦力差を見せつけ、戦争を最速で終わらせる。これ以上に犠牲を少なくする方法はない。

フェリシアの実験のために消費される命も同じだ。今は死刑囚を使っているが、死刑囚などという存在がそういるわけではない。すでに、実験のために賊などを狩る計画が立案されているし、それすら枯渇するようなら民にその手が伸びるかもしれない。一分一秒でも早く戦争を終わらせることが、その悲劇を回避する方法なのだ。

ならば、どれほど微々たる進歩であっても、進むために立ち止まることは許されない。立ち止まれば、今日までの犠牲そのすべてが無意味になり、更なる犠牲を招くことになってしまうから。

 

(メルド・ロギンス。貴方は、答えが見つかりましたか? 私には、こんな答えしか出すことができなかった。同胞たちを犠牲にし、人族や亜人族を踏みにじって……下地を作る。それが正しいのはわかる、それしかないのもわかる。どれだけ考えても、他の方法は思い浮かばない。思い浮かんでも、途中で潰える未来しか見えてこない。だけど、こんなものを“正しい”なんて、言いたくない!!)

 

歯を食いしばり、震える肩を抱いてフェリシアは溢れそうになる涙を堪える。

彼女には、自分のために泣く資格などとうにないのだ。

 

(私は、こんなことのために集落を出たんじゃない!)

 

フェリシアが集落を飛び出したのは、もう十年以上も昔のこと。彼女はガーラント国内を転々とする遊牧民族の出だった。

牧畜を生業とし、季節に合わせて北へ南へ、東へ西へ。一所に留まることなく、常に移動し続ける流浪の民。そのため、魔人領限定ではあるが様々な土地の人々と出会ってきた。魔人族は奴隷制を敷いていないので、人族はもちろん亜人族にも会ったことはない。ただ、時折町や村で人族による襲撃の話を聞いた。今思えば、軍事行動ではなく野盗などの類が大半だったのだろう。それでも、当時のフェリシアにとって人族は恐るべき脅威だった。

 

泣いている人を見た。家を、作物を、友人を、家族を奪われて泣く人々を。

 

だから思ったのだ。彼らが泣かずに生きていける国になってほしいと。そのために自分にできることを考えて、答えはすぐに出た。

 

―――――――――善き営みを守るために、戦う。

 

フェリシアは正義感が強く、またその正義感を実現できるだけの力を持っていた。

魔法方面に高い適性を持つ魔人族の中にあって、なお抜きんでた魔力。さらに、常軌を逸した数の技能。その中でも、特に重宝したものが二つ。

一つは「魔力操作」。これのおかげで魔法の使用に詠唱はいらなかった。魔法を飛ばすのは苦手だったが、魔法を纏うという独自の使い方でそれを補った。また、身体強化を用いることで身体能力に優れた亜人族をも上回る身体能力を得ることもできた。

そしてもう一つが「昇華魔法」。これを用いると、あらゆるものの効果が倍加した。身体能力をはじめ、魔法や各技能の性能までもだ。どうやら「対象の効果を倍加する」のが昇華魔法の効果らしい。弱いものに使っても効果は微々たるものだが、強いものに使えば効果は絶大。かつては他の技能との併用はできなかったが、十年の歳月をかけて併用を可能にした今、個人戦力でフェリシアに並ぶ者は魔人族の中にはいない。

恩師であるフリードが相手でも、一対一で戦えば圧勝できるだろう。例え、彼の魔物たちを総動員しても肉薄できる自信がある。

 

それだけの天賦を備えていた彼女だが、家族を始めとした集落の者達からは猛反対を受けた。

今思い返しても、無理もないと思う。むしろ、当然とすら思う。

当時10歳の子どもが、王都に行って軍に志願するといえばフェリシアでも止める。たとえどれほどの逸材であっても、せめて5年経ってから出直しなさい、と。

しかし、当時のフェリシアは恐ろしく行動的な子どもだった。決心の揺らがぬうちに置き手紙だけ残して集落を出て、その足で王都へ飛び込み軍に志願したのだ。

当初は軽くあしらわれた彼女だが、ステータスの高さと技能の数を盾に押し切った。そこでフリード(恩師)の目に留まったのも幸運だったのだろう。彼のとりなしもあり無事軍に入ることができ、以降は彼の下で腕を磨く日々。

 

初めて実戦に出たのは、それから2年ほど経った頃のことだ。

当時12歳と、この世界基準で見ても成人とは言えない年齢でありながら、フェリシアの実力は当時既に突出していた。まぁ、それはあくまでもステータスの数値面が主で、技術的にはまだまだ未熟ではあったのだが、それでも人族の野盗程度なら問題なく討伐できるとフリードは踏んだのである。

むしろ、これ以上実力をつければ大抵の相手は容易く制圧できてしまう。そうなってしまうと、殺人の経験をすることが難しくなる。そう考えたフリードは、多少の危険は承知の上でフェリシアを討伐隊にねじ込んだ。

フェリシアの実力や精神にはまだ多少の不安はあったが、周りを歴戦の勇士を固めることで安全性を確保した。

 

とはいえ、物事に絶対はない。討伐戦の途中で人族との遭遇戦になるまでは想定のうち。

ただ、そこに悪天候が加わってしまった。正確に言えば、比較的近くの山岳地帯で大雨が降ったのが原因だ。上流の大雨が鉄砲水を生み、山岳地帯から続く川の下流で発生した戦いを分断したのである。

何人もの人族と魔人族が流され、フェリシアとメルドもそこに含まれていた。二人は辛うじて濁流からの脱出に成功。メルドとしては運良く生き延びたのだから生還を優先するつもりだったのだが、フェリシアはメルドをここで討たなければならないと考えていた。当時、人族を“脅威”と見ていたフェリシアとの認識の齟齬である。

 

結果二人は戦うことになったわけだが……そもそも濁流に流されたばかりの状態では万全とは程遠い。そして、そんな状況であればあるほど経験の差が勝敗を分ける。むしろ、そんな状態でありながらメルドを追い詰めることのできたフェリシアの非凡さこそが、凄まじいというべきだろう。

メルドとしても、そんな状態でありながら食い下がってきたフェリシアには脅威を覚えずにはいられなかった。本意ではない形で始まった戦いだったが、彼とて歴戦の騎士。殺すと決めれば殺すことに躊躇はない…ない、はずだった。決着の寸前、フェリシアの兜が割れ、その素顔が露わにならなければ。

 

「……ちいせぇとは思っていたが、ガキ…それも女じゃねぇか」

「くっ! それが、どうしたというのです! 戦場で老若男女に意味などありません!」

(あ~、なるほどな。つまり、子どもだの女だの言われるのはうんざりしてる、と。だから、こんな鎧着こんでたわけか……)

 

別にそれが理由の全てではないが、一端であるのは間違いない。

鎧を着こんでしまえば、多少の背の低さは問題にもならない。少なくとも、容姿や性別のことでとやかく言ってくる輩は格段に減る。実際、十年後に至るまでフェリシアが全身鎧を着こんでいるのは、他者から舐められないようにするためだ。22歳になったとはいえ、将軍たちの中では最年少。それどころか、史上最年少の神衛騎士団長だ。素顔を晒せば、いらぬちょっかいをかけられることになる。それを避ける意味でも、あの鎧の存在は有難かったのだ。

 

「どうしました、やるなら一思いにやりなさい人族! やらぬというなら、私が……!」

(自害する気か? いや、勘だがそういうタイプじゃねぇな。ってことは、ここから状況ひっくり返す気満々かよ。そういう足掻きは嫌いじゃねぇが……)

 

メルドとて、そうとわかっていればそう簡単に隙など見せない。

きゃしゃな体の上に馬乗りになっているので、体重をかけることで動きを制限できているのも大きい。

あとは首を斬るなり、へし折るなりやりようはいくらでもある。

当然、性的な暴行をするつもりはない。種族が違うというのもあるが、それ以上に十代前半の少女に手を出すような趣味は持ち合わせていなかった。

 

(というかこいつ、その辺の心配はしてねぇのか? いや、俺はやらねぇけど……体系は年相応っぽいが、顔は良いし、将来は美人になるだろうな)

「私の顔がどうだというのです! 魔人族の顔がそんなに珍しいですか! それとも、これまで殺してきた相手の顔など碌に見たこともないと、そういうのですか!」

(あ、こりゃ単にそういうことが思い浮かばないだけだな、こいつ。純粋というか、世間知らずというか……)

「な、なんですかその可哀そうなものを見る目は! わ、私が一体何だというのです!」

(殺すべき、なんだろうな。こいつは強い、まだまだ粗削りだが伸びしろは相当なもんだ。スペック頼りとはいえ、既に俺といい勝負。数年後には、俺じゃ勝ち目がなくなるだろう。そうなる前に、今ここで殺すべきだ)

 

そう、それは間違いない。まだ十代前半にもかかわらず、この実力。戦士、あるいは騎士として完成すればどれほどのものになることか。いずれ必ず、この少女は人族にとって最大級の脅威になる。その目を今ここで摘むことができるのは、いっそ幸運と考えるべきだろう。

それがわからないメルドではない。わかっている、わかっているのだ。だが、それでも……

 

(ガキを殺すのは、さすがに後味が悪ぃ)

 

敵であれば、女であろうと老人であろうと容赦はしない。だが、相手が子どもとなると……ましてやそれが、本当は怖いのに意地を張って虚勢を張っているとなればなおのことだ。

 

「なんの、つもりです」

「行け…ああ、いや、俺は行く。頼むから仕掛けてくるなよ、次かかってこられたらさすがに殺すしかねぇ」

「私を、見逃すと……情けをかけたつもりか!」

「まぁ、情けといえば情けなんだろうな」

「なに?」

「相手が何であれ、ガキを殺すのはな……ま、お前も大人になればわかる。だから、それがわかるようになるまで死に急ぐな」

「説教のつもりですか」

「ああ。年長者の言うことには素直に耳を傾けるもんだ。参考にするかしないかは、よく考えてから決めればいい。じゃあな」

「ま、待ちなさい! 貴方、名前は!」

「……メルド・ロギンスだ。あばよ、嬢ちゃん。剣やら槍やら振り回すのもいいが、次会う時は、せいぜい良い女になってるこった」

 

そう言い残して、メルドは本当に去っていった。フェリシアはしばしの間呆然とし、ようやく我に返ると姿を隠した。人族に追撃されることを恐れたというのもあるし、いい加減心身ともに限界が近く休息を必要としていたからだ。

だが、待てど暮らせど追手はかからない。そうして、丸一日が過ぎたころ、フェリシアは現実を受け入れた。メルドは、本当に自分を見逃したのだと。

 

それからさらに数日後、フェリシアは無事本隊に合流することに成功する。フリードからは叱責をはじめ山ほどお小言をもらったが、正直よく覚えていない。

それよりも、なぜ自分が見逃されたのか……そのことばかりが頭を駆け巡っていた。

 

魔人族の端くれであることから、彼女も魔王であり神である“アルヴ”の信徒だ。ただ、敬虔な信徒か……と問われると首を縦には振れない。一応アルヴの教えは諳んじているし、信仰心も持ち合わせている。ただ、王都の人々とは比べるべくもない。

だからこそ、彼女は軍に志願してからというものずっと違和感を覚えていた。上手く言葉にはできない胸の奥で燻るそれに蓋をし、ずっとずっと深い場所に押し込めてきた。だが、メルドとの出会いがその蓋を外し、心の底に沈めてきた疑問が顔を出す。

 

――――――人族とは果たして、自分が思っていたような存在なのだろうか。

 

それが最初の疑問。後はもう湯水のように疑問が後から後から湧いてきた。

その疑問はやがて人族だけにとどまらず、亜人族や同胞たる魔人族、ついには奉じる神にすら及ぶ。

そして、最終的に一つの問いに集約された。即ち……

 

―――――――――――私たちは、本当にこれでいいのだろうか。

 

どうしたらいいかはわからない。ただ、現状に対する強い疑念だけがあった。同時に、それが異端視されるであろう思想であることも。

だから隠した。表向きは魔王に忠実な騎士、敬虔な神の信徒としてふるまう。しかし、胸の内ではいくつもの疑問が渦巻き続け、秘かにその答えを模索し続ける日々。

 

その果てに、彼女は自分なりの答えを見出した。

 

人族との戦争は必要か――――否、そんなことをしなくても私たちは生きていける。

 

人族、あるいは亜人族との融和は可能か――――否、それをするにはあまりにも犠牲を出しすぎた。

 

では、魔人族は彼らとどう対するべきなのか―――――――そもそも、向き合う必要があるのか。

 

向き合わずに、どうするのか―――――――――無視する、いないものとして扱う。

 

我々は彼らも、彼らの土地も、何もかもを必要としていない。その逆も然り。ならば答えは簡単だ。互いが互いの存在を無視し、ないものとして扱う。接触がなければ軋轢は生じず、軋轢がなければ衝突もない。

問題は何も解決しないが、その代わり悪化もしない。そもそも、関わる必要のない相手と、どうして関わる。嫌いな相手には近づかない、子どもでも実践することだ。なぜなら、それが最も互いに無理のない、仮初だとしてもひとつの平和の形だと知っているから。

嫌いな相手を理解しようと努め、歩み寄る、それは素晴らしいことだ。だが、今の魔人族と人族、そして亜人族はそれ以前の段階にいる。とても、歩み寄れるような状況にはない。

だからこそ、互いに互いを無視し、ないものとして扱い……百年、あるいは千年、長い時間をかけて遺恨を風化させる。歩み寄るとしたら、それからだ。

 

それが、フェリシアが懸命に考えて出した現実にそくした理想だった。だが、現実は理想通りにはいかない。

敬虔な信徒とは言い難い彼女には理解が及ばないが、敬虔な信徒ならば異教徒とその神の存在そのものを許さない。排除以外の選択肢を持つこと自体を罪と考える。これでは、彼女の理想など実現するはずがない。

だから、フェリシアはさらに下方修正した。例えそれが、苦渋に満ちた道筋であったとしても、実現できない理想に意味はない。より現実的な、実現しうる理想をこそ彼女は求めたのだ。例えそれが、どれほど不本意なものであったとしても。

 

だからせめて、大義だけでも心からの理想を掲げたかった。

それは、彼女の集落で祭事をはじめ様々な場面で必ずと言っていいほど最後に紡がれる言葉。

押し込めていた疑問と共に思い出したそれは、彼女の同胞たちへの願いそのものだった。

 

――――――いつか(未来)の子どもたちが、自由な意思の下、生きられる世を。

 

そのためならば、いくらでも泥を被ろう。犠牲を積み上げ、悪行を重ね、非道を為す。その結果、地獄に落ちることも厭わない。

既に、その覚悟はある。どれほど苦しくても、歩みを止めるつもりはない。

 

ただ、一つだけ…………確かめたいことがあった。

 

「団長、間もなくお時間です」

「わかりました。ですが、最後に一つ」

「勇者の件でしたら、目新しい情報は何も」

「そうですか。ならばやはり、彼らと話をするには……」

「はい。フリード閣下配下の取り込み策が上手くいくことを祈るより他ないかと。しかし、なぜそれほどまでに勇者のことを?」

「……“異世界より召喚された”彼らはきっと、私たちの知らないものを知っている。見たことのない世界を、聞いたことのない何かを……私は、それを知りたいのです。彼らならば、そして彼らを率いる勇者なら、私に……別の道を示してくれるのではないか、と。そう、期待してしまうのです」

 

他力本願は承知しているのですけど、そう自嘲しながらも、フェリシアは期待せずにはいられない。

それは、最近の彼女がほとんど見せることのなかった年相応、あるいは幼さすら垣間見える表情だった。

そんな上官の姿に、副官たる彼もまた思わずにはいられなかった。

 

(どうか、団長の期待を裏切ってくれるなよ、勇者)

 

不本意な道を取らざるを得ないフェリシアにとって、勇者の存在こそが希望なのだ。

それを理解しているからこそ、彼はそれを裏切ることを許さない。例えそれが、どうしようもなく理不尽なものだとわかっていても。

 

しかし、残念ながら二人の願いはかなわない。二人が望むような答えを、勇者「天之河光輝」は持ち合わせてはいない。それを紡ぐには、彼の心はあまりにも幼い。そのことを二人は知らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ところで団長殿、最近一番グッときた作品は何ですかな? 小官、後学のためにぜひ拝読したいのですが」

「私の趣味に何か文句でも? というか、別に泣いてませんし! 私、血も涙もない鬼の騎士団長で通ってますから!!」

「ハハハ、語るに落ちるとはまさにこのこと。小官、グッときた作品を聞いたのであって、泣いたとは一言も言っておりませんが?」

(プルプルプルプルプルプル…///)

「まぁ、実は良い年をして童話に号泣するほど涙脆いことは、団員たちはみな知っているのですが」

「え、嘘、みんな知ってるんですか? だって、みんなの前で読んだことないはずなのに……はっ、まさか貴方が!?」

「ハハハ、さてどうでしょうな?」

「ま、待ちなさい! いったいどこまでその話を広めたんです!」

「ですが団長殿。もう会議の時間ですが、よろしいので?」

「ぐ、ぐぬぬぬぬぬ! この件は、後できっちりしっかり聞かせてもらいますからね!」

「さて、小官も年ですので、最近は記憶力に自信が……よる年波には勝てませんなぁ」

「ず、ズルいですよ! こういう時だけ年寄りぶって!」

「では、団長。ご健闘をお祈りしております」

「お、覚えてなさい!! 団の外にまで漏らしたら絶対に、ぜっっったいに! 許しませんからね!! いいですか、絶対ですよ!!」

「団長殿」

「なんです!」

「それは、フリですかな? でしたら小官、全身全霊でお応えする所存ですが」

「フリじゃな~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~い!!!」




ハジメたちの時代には先天的な神代魔法の使い手は一人もいませんでしたが、一人くらいいてもいいんじゃないかなぁと、思うんです。その中で、それ単体だと持っててもいまいちぱっとしない神代魔法を選びました。他の神代魔法とか持ってないうちだと「技能やステータス、魔法を強化する魔法」と誤解しそうですから。そして、フェリシアは思いっきり誤解したまま使ってます。

あと、彼女の変成魔法の使い方は龍太郎のそれに近いです。違いとしては、あちらと違い他者にもかけられること。ただし、ティオほど適性があるわけではないし、多数をまとめて特定の何かに作り替えるのは彼女の流儀ではなく、対象が同胞である魔人族なため必要な部分以外は弄りたくないことから、こんな感じに。ついでに、龍太郎と違い後戻りできないレベルで自分を作り替えていたりします。

そして、目的のためには手段を選ばないし、妥協してでも理想に近づけようとする人です。たぶん、切嗣に近いタイプだと思うんですよねぇ。
ハジメたちに近い部分もありつつ、根本的な部分ではベクトルが真逆。そんな感じの人です。


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018

前書きあとがき共に書くことが思い浮かばない……強いて言えば、今回のキャスター超めんどくさい、でしょうか。

あとはもう、FGO第二部のストーリーが最高だったことですね。パツシィ……(泣)
ストーリーの攻略は終わったので、今はちびちびと魔術礼装のレベル上げ。他の礼装はすべて第二部開始直前にレベルマになって「ヤッター」だったのですけどねぇ。

最後に、是非GWにアポコラボがあってほしい。期間限定☆5でアキレウス、☆4にケイローン、配布にジークがオーソドックスですかねぇ。今から楽しみでなりません。


魔王国ガーランド王城。

親衛騎士団はその性質上、城の一角に騎士団専用の区画を有している。

そこには執務室や待機室、あるいは武器庫など多種多様な部屋が設けられているのだが、その中で一つだけ隠し部屋が存在することを知る者は少ない。

 

そして今、その隠し部屋には二人の魔人族の姿があった。

片や、寝台で仰向けになった純白の貫頭衣を纏う二十代半ばの赤髪の女性。

片や、女性の胸元に指を這わせつつ瞑目する白衣を纏った二十歳前後の白髪の女性。

 

魔人族の女性同士ではあるが、両者の印象はまさに対照的だ。

燃えるような赤髪と、新雪を思わせる白髪。

野暮ったい貫頭衣の上からでも一目瞭然な起伏に富んだ肉感的な肢体と、起伏には乏しいがガラス細工を彷彿とさせる繊細かつ華奢な肢体。

瞼を閉じていても滲み出る異性を惹き付けてやまない妖艶な美貌と、眉間に深く刻まれた皴も相まって見惚れるよりも他者を拒むかのような冷たい美貌。

何もかもが対照的な二人。そんな自分とは似ても似つかない存在を前に、白髪の女性……フェリシアはとうの昔に切り捨てたはずの羨望の念を禁じ得なかった。

 

(私も、少しくらいは貴女のように女らしくすべきだったのでしょうか? そうすれば……)

 

こんな茨の道を進むこともなかったのだろうか。

彼女のように誰かに恋をし、心を通わせ、愛を育み、想いを通じ合わせる。いつかは、そんな相手との間に子をなし、その子の成長を見守り、ゆっくりと年を取っていく。

もしかしたら、そんな尊く、素晴らしく、得難い人生もあったのかもしれない。

 

(未練、ですね。今更、そんな夢想にどれほどの意味がありましょう。私はもう選んだのではありませんか。この身体、この心、この魂、この命……私の全てを捧げると)

 

その選択に、決意に悔いはない / だれか、助けて

 

どうしようもなく苦しくて、息をしているだけで辛くて堪らない道程だ / 誰かに、私は正しいのだと肯定してほしい

 

でも、“逃げたい”と思ったことは一度もない / 間違っていないのだと、言ってほしい

 

己の選択、この行いが正しいとは微塵も思っていない / 誰でもいい。私はどうしたらいいのか、教えてください

 

それでも、その先に…………同胞たちが享受すべき、正しい未来があると信じている / 私はこんなことをしたかったわけじゃない! 望んでいたんじゃない!!

 

「……まったく、なんて顔してるんだい」

「カトレア…起きていたのですか?」

「そんな泣きそうな顔されたら、嫌でも目が覚めるさね」

「気のせいでしょう。私が涙など……」

「いや、割とよく泣いてるだろ? ほら、いつだったか私の故郷に伝わる昔話をしてやった時とか、凄い顔してたじゃないか。涙ボロボロ、鼻水ダラダラ……『どうじでですがぁ~』とか言いながら。あれは百年の恋も冷めるってなものさ」

「うぐっ……そ、それは忘れてください! というか、あれは普通泣くでしょう! むしろ、なぜ貴女は涙の一つも零さず平然とあんな話ができるんです! 貴女は鬼ですか!? 血も涙もないんですか!?」

「いやぁ、あれで泣くとか……無茶言わないでおくれよ。それこそ、普通子どもだって泣かないよ?」

「そんなことあるわけないでしょう! あんな悲しいお話を聞いて泣かない子どもとか、怖すぎます!!」

(少なくとも、未だかつて一度も泣いてる奴を見たことないんだけどねぇ……あれ、結局は世間知らずのボンボンが村娘に惚れて、盛大に自爆するっていう喜劇よりの話だし)

 

とは思うものの、それを言うとややこしくなりそうなので丁重に黙秘する。

フェリシアが尋常じゃなく感情移入してしまうタイプなのは知っているし、自分のことはいくらでも我慢できるくせに、外のことには涙腺が超絶脆いことも知っているからだ。

件の昔話でも、ボンボンの空回りしまくった頑張りに感情移入し、案の定実らなかったことに号泣していたが、普通は「何やってんだか」と呆れたり笑ったりする類の話である。アレで泣いている者を見たのは初めてだし、逆に「何泣いてんのこいつ?」と、唖然としてしまったのは秘密だ。

そして、ある程度の深さと長さでフェリシアと付き合っていれば、この手の話を数え出すと両手両足の指では到底足りない。

 

(ああ、考えてみれば、あたしらの付き合いも随分長くなったもんだ)

 

15の時に軍に志願し、少ししてから知り合って以来、彼是十年近い付き合いになる。その間、それなり以上に深い付き合いをしてきた。お互いの全てを知っているとは言わないが、多くを知っている“親友”であり、年が近いこともあってか“妹”のように思う相手。

 

だからこそ、カトレアはフェリシアのことが心配だった。

意識が高過ぎることが災いし、若くして“女”を捨てて鍛錬や学問を修めることに全力を費やし、同胞のために人生を捧げてしまっていたフェリシア。いつの間にか身に着けた鉄面皮で、自分の苦しさも辛さも全く表に出さず、部下に「死」を命じる時に揺るぎもしない。その実、本当は身を切るような思いでいたことを知っている。今も、毎日欠かさず“殺してきた”同胞たちを悼み、彼らの冥福を祈り、その犠牲を無駄にしないことを誓っていることも。

そんな彼女を放っておけず、何とか外に引っ張り出して少しでも自分の人生を謳歌させようと励む日々だった。自分より遥かに優れていながら、どうしても“手のかかる妹”のように思えてならない相手。結局、ほとんど功を奏することはなかったものの、それでも振り返れば感慨深い青春の一ページだ。

 

頭の痛い日々だったが、文句なしに“楽しい”と言える時間。

惜しむらくは、今の今までフェリシアが一度も“自分のために”生きてこなかったこと。

同胞たちのためにいつだって必死に、全力で、死に物狂いに走り続ける彼女には掛け値なしの尊敬の念を抱いている。婚約者は自分のことを「君は、いつも国と民のことを思っているんだな」と言っていたが、それは違う。「国と民のことを思う」というのは、フェリシアのそれのようなことを言うのだ。自分など、彼女の足元にも及ばない。魔人族の一員としてそのことを誇らしく思うと同時に、一人の友人として痛ましく思う。

 

フェリシアの“愛”は魔人族という“種”全体を包むほどに大きく、そして深い。到底、たった一人で受け止めきれるものではないほどに。もし彼女の愛を受け止められる相手がいるとしたら、それはよほど器の大きな相手なのだろうと思う。

だが、だからこそフェリシアは知らないのだ。彼女は“愛”しか知らず、“恋”を知らない。恋の一つも知らず、誰よりも大きな愛で同胞たちの未来を憂う“親友(妹分)”。それが、カトレアには痛ましくてならない。

 

(どうして、アンタだったんだろうね。本来、私たち(魔人族)にもない特殊な技能、他に類を見ない魔法、突出したステータス、同胞全てを受け止められる稀有な器。なんで、アンタ一人で何もかも背負い込まないといけないんだい。いっそ、押し潰されてしまえたらどれだけ……)

 

フェリシアは強い。強いからこそ、すべてを背負い、それでもなお立ち続け、進み続けている。しかしそれは、決して苦しさや辛さと無縁というわけではない。むしろ、今もフェリシアがそれらに苛まれていることを、カトレアは知っている。その完璧な鉄面皮故にほとんどの者たちは気づかない、想いもしないだろうが、カトレアはその仮面(鉄面皮)の奥にある素顔を正確に見抜いていた。

だからこそ思う。『押し潰されてしまえばいい。そして、何もかも放り出して楽になっちまいな』と。そうすればきっと、フェリシアは今度こそ“自分のために”生きることができるはずだから。その時には、もしかしたら“恋”をするかもしれない。

 

(恋をして、心を通わせ、愛を育み、想いの結晶をその手に抱く。いいじゃないか、アンタにだって……いや、アンタ以上にその権利を持つ奴が他にいるかっての)

 

カトレアが恋をした時、フェリシアは若干空回り気味なくらい応援してくれた。

ミハイルと心が通じ合った時、フェリシアは心から祝福してくれた。

二人の婚約が決まった時、フェリシアは誰よりも早く祝いの言葉と品を携えて駆けつけてくれた。

きっと、二人が結ばれる時には我が事以上に喜び、子どもが生まれれば掛け値なしの愛情を注いでくれるだろう。

 

それは、カトレアが一片の疑いもなく思い描く未来。

同様の幸福が、フェリシアにもあったっていいはずだ。むしろ、彼女は誰よりも幸せにならなければならないとすら思う。誰よりも国を、民を、未来を思う彼女だからこそ。

 

(だけどきっと、アンタは潰れないんだろうね)

「……って、何ですかカトレア。その妙に温かい目は」

「いや、何でもないさ。ところで、調整の方は問題ないのかい?」

「それはむしろ私が聞きたいのですが。できるだけの調整は施しましたが、違和感はありませんか? 末端の動きに誤差やズレは? 五感は正常に機能していますか? 思考に靄や鈍さは感じませんか? それから……」

「あ~あ~、大丈夫だからそんな一気に聞くんじゃないよ。他ならぬアンタが問題ないと判断したから処置を終えたんだろ? だったら、問題なんてあるわけないじゃないか」

「私は貴女の主観を聞いているんですが……」

「だから問題ないって。それより、結局魔物との合成はなしかい?」

「当たり前です。嫁入り前の身体で何をするつもりですか」

「それを言われるとねぇ……」

 

変成魔法“天魔転変”。魔石を媒体に肉体を変成させ、使用した魔石の魔物の特性をその身に宿すという魔法だ。

変成魔法としては少々特異な使い方だが、フェリシアとは極めて相性が良かった。魔物を強化、ないし別の魔物に作り替えるのと違い、人体を半ば魔物化させるに等しいこの魔法は変成魔法の中でも超高等魔法に分類される。特に、自身ではなく他者にこの魔法を使用するのは極めて難易度が高い。フェリシアが死刑囚などを使って実験を重ねざるを得なかったのも、その難易度の高さに一因があった。

加えて、施術を受ける側にも一定水準以上の器量が求められる。それなり以上の実力者、あるいは潜在能力の持ち主でなければ、心身が持たないのだ。そのため、フェリシアによる「天魔転変」は「親衛騎士団」や魔人族軍の事実上のトップであるフリード直属の「特務部隊」など、魔人族の中でも“精鋭”と称される者達が主な対象となる。カトレアは後者の一員であり、これからとある重要任務に出なければならない。それにあたり、私的なコネも使ってフェリシアに施術を頼んだのだ。

ただ、カトレアは同じく特務部隊に所属するミハイルと婚約している身。それ故、フェリシアはカトレアへの施術を拒否した。「天魔転変」の負荷は大きい。変成魔法の使い手が自身に使うのであれば、ある程度の無理は利くし、多少の異変は自力で調整できる。だが、使い手でもない者に施せば、その調整すら難しいと言わざるを得ない。如何にフェリシアが度重なる実験で変成魔法に習熟していたとしても、リスクはゼロではないのだ。

 

これから妻となり、ゆくゆくは子を産むであろう彼女の身体にそんなことはできない。

故に、彼女がカトレアに施したのは元の肉体をより良い状態に調整する程度の変成魔法。

劇的な変化はないが、自然な状態のまま最高のパフォーマンスを発揮できる状態に仕上げたのである。

親友のこれからを思い、彼女にできる精一杯がそれだった。

 

(本来、私情を挟むべきではないのでしょう。ですが、今回の任務は重要ではあれど、そこまでするほどのことではありません。なら、これで問題ありません。ない、はずです)

「……まぁ、身体の調子は良さそうだし、フリード将軍の魔物もいる。問題はないかね」

「確か、今回の任務はオルクス大迷宮への挑戦、でしたか」

「ああ。とはいえ、正確には攻略じゃなく事前調査が目的だけどね。さすがに、あたし程度でアンタやフリード将軍の真似事は無理があるよ。とりあえず、人族がヒョイヒョイ入って行けるような場所が大迷宮の筈がなし。十中八九、その先に“真の大迷宮”があるはずさ。どこからがそうで、どんな場所なのかを調べるのが主な任務だよ。あとついでに……」

「勇者の勧誘」

「まぁ、優先順位は低いけど、一応ね」

 

その話を聞いて、フェリシアの眉間の皴が僅かに深くなる。他の者にはわからないだろうが、カトレアにはその変化と意味が分かった。フェリシアは、なにか厄介な事態に見舞われているのだろう。

そして、その考えは正しい。勇者に興味のある彼女としては無視できない話だが、それは理由ではないのだ。

 

「…………」

「どうかしたのかい?」

「……いえ、何も」

「……そうかい」

(重要な任務です。情報の漏洩に気を遣うのもわかります。ですが、どうして…………私のところに情報が来たのが“2日前”なのです?)

 

フェリシアがこの任務の存在を知ったのは、カトレアがフェリシアに施術を依頼する前日のこと。

任務のためにカトレアがオルクス大迷宮へ向けて旅立つまで、一週間も猶予がない状態だった。

本来、それはあり得ない。いくら重要任務とはいえ、事実上の軍最高幹部の一員であるフェリシアが、そんなギリギリまで知らされないなどありえないし、あってはならない。いっそ、任務の存在そのものを知らされなかった方が自然なくらいだ。

また、フェリシアは積極的に団員を任務に協力させるため、情報収集に余念がない。大抵の任務は、知らされる前から知っている。だから、唐突に任務への協力要請をされる、などということは発生しえない。

 

なのに、今回は全くの寝耳に水だった。

そこから考えられることは一つ。フェリシアに対し、徹底した情報封鎖が敷かれていたということ。

その意味するところは……

 

(疑われている、ということでしょうね。不用意なことをしたつもりはありませんが、どこかで不信感を持たれた? だとしたら、いったいどこまで……)

 

己の思想が異端視されるものであることを知っているが故に、フェリシアは言動をはじめあらゆる場面で細心の注意を払ってきた。そうそう尻尾を掴まれることはないはずだが、何かしらの懸念はもたれているのだろう。

問題なのは、それがどの程度の段階なのか。少なくとも、即座に粛清されるほどではないようだが、警戒されているのは間違いないとみていい。

まだ一度だけ。もしかしたら何かの手違いかもしれないが、だからと言って楽観はできない。万が一にも、ここで斃れるわけにはいかないのだから。

 

(ならば、これからの立ち回りは一層の注意が必要ですね)

(話す気は…なさそうだね。こうなったら、梃子でも動かない子だ。なら、話す時まで待つしかないか)

(カトレアは巻き込めない。彼女なら、私の考えに共感してくれるかもしれない。でも、それをすればいま彼女が掴もうとしている幸せは崩れてしまう。それだけは、絶対に避けないと!)

 

フェリシアの思想は、場合によっては全魔人族を敵に回しかねないものだ。それこそ、カトレアの婚約者さえも。そんなことに彼女を巻き込むくらいなら、まだ自分が敵に回った方がマシだ。愛し合う者達を引き裂くなど、していい筈がない。カトレアの存在は、フェリシアにとってもささやかな希望であり夢なのだから。

 

「カトレア」

「なんだい、改まって」

「必ず、無事に帰ってきてください。そして、いつか貴女の子を抱かせてください。私は、それで十分ですから」

「ったく、あたしの考えなんかお見通しってわけかい」

「ええ、もちろん。貴女が私を理解しているように、私も貴女を理解しているつもりですよ。まぁ、ミハイルには及ばないかもしれませんが」

「はっ、アイツとアンタじゃ見える面が違うだろ。間違いなく、女としてあたしを最も理解しているのはアンタだよ。なぁ!」

「ふわっ!」

 

寝台から降り、背伸びしてフェリシアの頭を少し乱暴に撫でる。まだフェリシアの背がいまほど高くなかった頃、よくカトレアは彼女の頭をこうして撫でたものだ。懐かしいその感触に、フェリシアの顔から久方ぶりに険が抜ける。眉間の皴は浅くなり、吊り上がっていた目尻は下がり、くすぐったそうに目を細める。まるで、陽だまりの中でくつろぐ猫のように。

 

「ふふっ♪ どうしたんですか?」

「なぁに、たまには昔を懐かしむのもいいだろ?

 というか、そういうアンタも無理するんじゃないよ。書類の処理に他の部隊との折衝、変成魔法の施術と実験、その他諸々……その上、最近はやけに国境線を気にしてるらしいじゃないか。頻繁に騎士団の連中を動かして、この前もアンタ自ら警邏に出てたんだろ」

「……」

「例の、大火山に現れた連中かい?」

「ええ。彼らの目的は大迷宮の攻略でしょう。もし攻略に成功しているなら、いずれ……」

「氷雪洞窟にも現れるかもしれない、か。まぁ、神代魔法目当てで動くならそうなるだろうね」

 

「天魔転変」を施された騎士団の精鋭を容易く蹴散らしたであろう程の実力者。となれば、大火山を攻略した可能性は高い。すでに神代魔法を習得していたのかはわからないが、どちらにせよ攻略に成功したなら大迷宮と神代魔法の関係を知ったはずだ。

目的は不明だが、神代魔法目当てに氷雪洞窟を目指し、魔人領に踏み入ってくる可能性は否定できない。

だからこそ、フェリシアは国境線への警戒を強めている。

 

「アンタに心配は無用だろうが、気を付けなよ。アンタの部下を退けたほどの連中だ、もしかしたら……」

「神代魔法の使い手、私と同格かそれ以上の相手でしょう。無論、油断などしません。彼らが何者で、如何なる思惑があるのかはわかりませんが……同胞たちを守る、これは絶対です」

「……ったく、どこまで行ってもアンタは“ソレ”だね。ま、平常運転なようで安心したよ」

 

フェリシアの最大の危惧、それは神代魔法の使い手が国境線近くの魔人族を手にかけること。

だからこそ、それを未然に防ぐために国境付近に騎士団を派遣し警邏に当たらせているのだ。また、団長であるフェリシア自ら足を運ぶことで、戦争を間近に控えた同胞の不安を払拭する狙いもある。

そういった理由から、ここ最近のフェリシアは特に忙しく国内を走り回っているのだ。

 

「さて、私もそろそろ行きます。名残惜しいですが、今日中に処理しなければならない仕事が山積みなので」

「別に今生の別れってわけでもあるまいに、仰々しい子だね。ま、お互い無事に会えるよう願おうじゃないか」

「武運は祈りません」

「おいおい……」

「任務の成功は皆が願っているでしょう。ですから、私は貴女の無事、それだけを願います」

「……ああ、あたしもアンタの無事を願っているよ」

 

そうしてそろって退室した二人は、間もなく別々の目的地に向けて歩き出す。

これが、今生の別れになるなどとは思いもせず。

 

 

 

  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 

 

愛子命名「トーゲン」から脱出することに成功し、無事に「トータス」へと帰還を果たした立香たち。

彼らがまず真っ先にしなければならないこと、それは……現状確認を兼ねた、ハジメたちへの連絡だった。

ただ、一つ問題がある。それは……

 

「夜中、だよね?」

「フォウ!」

「……時刻が出ました。ハイリヒ王国王都を基準に、深夜1時30分前後と推定されます」

「真夜中だなぁ……」

 

色々と高性能なカルデア支給の端末のおかげでおおよその時刻がわかったのは有難いが、こんな夜中に連絡を取ることはさすがに憚られる。とはいえ、立香たちがトーゲンに迷い込んでからどれだけ経ったかわからないし、その間に彼らを取り巻く状況にどんな変化が起こったのか、それとも起こっていないのか、それすら不明。

ありとあらゆる情報が足りない状態で旅を続けるのは、少々どころではないくらいに問題だ。

街に足を踏み入れた瞬間「神敵」認定され、人族丸ごと敵に回す……なんてこともあり得ないとは言えないのだから。

 

それに、ハジメたちがどの程度迷宮攻略を進められているかも気になるところ。もし、シュネー雪原の氷雪洞窟を攻略済みだったり、あるいはそこに大迷宮がない事がわかったりしていた場合、これ以上進むのは無駄足以外の何物でもないのだ。

なので、大変申し訳ない限りだが、ハジメたちの安眠を妨害すべく通信機を操作する。時間が時間なので、最悪連絡がつかないことも覚悟していたのだが、意外なことに5秒と経たないうちに応答があった。

 

「え~っと、もしもし……でいいんですよね?」

「その声…シア?」

「やっぱり立香さん! いったい今まで何してたんですぅ! 何日も連絡がつかなくて心配してたんですよ!!」

 

おっかなびっくりといった様子で、まだあまり通信機の扱いに慣れていないシアが出た。

早速お叱りを頂戴してしまったが、このような短いやり取りだけでもわかることがある。

 

(何日も…か。ということは、俺たちがあっちに行ってからやっぱりそう時間は経ってないってことかな)

(はい、畑山先生の仰っていた通りのようですね)

「あの~、何か返事してくださいよ! 傍から見たら私、一人で箱っぽいものに大声張り上げる変な人じゃないですか!?」

「あ、ごめん。とりあえず何があったか説明するから、ハジメたちも呼んでもらえる?」

「え゛、それはぁ…そのぉ……」

「どうかなさいましたか、シアさん」

「御三方は、その、いま取り込み中で……」

「あ~、もしかしてそういう?」

「フォウフォ~ウ……?」

 

極めて言い難そうにしているシアの様子から、おおよその事情を察する。

同時に納得もした。こんな夜更けにもかかわらず、どうしてシアがこうも早く通信に応じられたのか。要は、一人で過ごす夜が寂しかったのだろう。もしかすると、兎人族故に優れた聴覚が三人のあれやこれやを拾ってしまっていたのかもしれない。それはまぁ、寝るに寝られないだろう。

というか、少し前まではローテーションを組んでいたはずが、いつの間にか当たり前のように三人で夜を過ごすようになっているのか。立香としては……正直戦慄を禁じ得ない。男として尊敬すべきか、人として軽蔑すべきか、そこが問題だ。

 

「なんというか……あれだ、頑張れ。とあるライダーが言ってたんだけど、あきらめずに進み続けていれば夢はいつか必ず叶うからさ」

「具体性の欠片もない励ましって結構残酷って知ってますぅ!?」

「………………………………………ごめん。ほんと、ごめん」

「マジトーンで謝るのやめてください! なんか、ほんとに泣きたくなってきましたから!?」

「フォーウ、フォウフォウ!」

「なんか励まされてる気はしますけど、何言ってるかさっぱりですぅ!?」

 

内容はわからないが、フォウにまで励まされたことがよほどショックだったのか。いよいよ本気で泣きが入ってきたシアを宥めるのに一時間を費やし、ようやく本題である情報交換に入ることに。とはいえ、立香たちから言えることは「音信不通の間どこにいたか」と、「そこで誰に何を話したか」程度。重要情報と言えるのは、愛子と出会い解放者関連の話とハジメの生存を告げたことくらいだ。

だが、逆にシアから聞いたハジメたちが得た情報は無視しえないものだった。

 

「解放者『ミレディ・ライセン』か……まさか、まだ生きてたなんて」

「ゴーレムに魂を定着させているのを“生きている”と言っていいかはわかりませんけど。魔術的にはその辺どうなんですぅ?」

「魂の定着ともなると魔法の領域に踏み込んでいますね。空間魔法と言い、神代魔法の名に相応しいかと」

「私たちが今回得た重力魔法はどうです?」

「魔術でなら重力への干渉も可能ではありますが、聞く限りかなり自由度が高いようですね。魔術でも不可能ではありませんが、同等のことをしようとすると相当な技量が必要でしょう」

「魔法方面でチートなユエだからこそっていうのもあるけど、名前負けはしてないわけか。というか、どうして生成魔法だけあんな地味なのかな?」

「ま、まぁ技術体系の違いということかと……それより、ミレディ・ライセンから直接話を聞けたのですよね」

「あ、それは気になる。気が遠くなるような時間を、ゴーレムに魂を移し替えてまで待ち続けてたんでしょ? すごい忍耐力だよね」

「はい、その一点だけでも尊敬します。さぞ、志の高い優れた人格をお持ちなのでしょう」

 

二人の間でミレディ・ライセンの株が鰻登りだ。直接本人やライセン大迷宮に関わっていないからこそ美化してしまっているのだろうが、実物を知るシアの胸中は極めて複雑だ。

 

(言えない、“超ウザかったですぅ”なんて言えるわけないじゃないですかぁ!?)

 

確かにその忍耐力は尊敬に値するだろうし、シアとしてもいろいろ思うところがないわけではない。ただ、どうしても大迷宮のギミックや随所に仕込まれた煽り文句、そして最後の仕打ちなどの印象が強すぎる。

なので、うっかりすると積もりに積もったあれこやこれやが湯水のようにあふれてしまいそうだ。

しかし、それをすると二人の夢を壊してしまいそうで気が引ける。立香もマシュも善良な人格だし、シアも基本的には善性の持ち主。儚い幻想とは知りつつも、それを無暗に壊すのは躊躇われる。いや、無暗でもなんでもなく、ただの無慈悲な現実ではあるのだが……。

ならば、やることは一つ。さっさと話しを進めてしまうに限る。

 

「そ、そんなことより残る大迷宮の場所がわかったんですぅ!」

「確かに、大迷宮を作った解放者自身なら場所を知っていて当然ですね」

「じゃ、シュネー雪原のも間違いない?」

「はい。具体的な位置までは教えてもらえませんでしたが、シュネー雪原に大迷宮があるのは間違いありません。他にもハイリヒ王国の神山、大砂漠の更に西の海の底にも大迷宮があるそうです」

「えっと…最初に攻略したオルクスの他に、ハジメたちが向かった樹海と大峡谷、俺たちが攻略した大火山、あとはこれから向かう氷雪洞窟で五つ」

「そこに神山と海底の大迷宮…これで七大迷宮すべての目星がついたことになりますね」

「ハジメさんはとりあえず次に神山の大迷宮に向かうつもりのようですぅ。物凄く面倒臭そうにしてましたけど」

「まぁ、この世界の半分を事実上支配している宗教組織の総本山だもんなぁ」

「はい。正面切って乗り込めば全人族を敵に回すのと同義でしょう」

 

世界的宗教組織の総本山ともなれば、相応に警備も厳重だろう。自身の道を阻むものには容赦しないハジメだが、不必要に暴力に訴えるほどではない。邪魔をしないのならスルーが基本だ。力尽くで押し切る場合に伴う面倒事と、潜入にかかる手間暇を天秤にかけ、後者に傾けば当然そちらを選択する。

幸い、潜入する方法に当てがないわけではない。とりあえず、ハジメが保有する技能の中に「気配遮断」というものがあるので、それをうまく使って忍び込むのが無難なところか。

逆に、力尽くで事を為す場合、ハジメたちなら強行突破までは可能だろう。ただ、問題なのはそのあとだ。

 

「人族丸ごと敵に回……したとしても、ハジメたちならまぁ何とかなるだろうけど。問題なのは……」

「はい、十中八九雫さんや天之河さんたちが動員されるでしょう。それはさすがにハジメさんとしても……」

「いえ、来るなら蹴散らすって言ってましたけど?」

「……まぁ、ハジメならそう言うよね」

「……ですね」

「……フォ~ゥ」

 

そして、間違いなく有言実行する。ユエや香織、それに最近ではシアのおかげもあってか、当初に比べればだいぶ丸くなってきたが、それでも「敵=殺す」がハジメの大原則だ。また、一部例外を除けば基本的にハジメは良い意味でも悪い意味でも他者に興味がない。それは、クラスメイト達も例外ではない。まぁ、むしろ興味関心があった場合、一部はそれこそ復讐されても仕方がない事をしているので、僥倖というべきなのだろうが。

とはいえ、クラスメイト達にどんな理由・考えがあったとしても、敵として向かってくるなら一切容赦する気はないのだろう。

 

「ですが、香織さんもいますし、さすがに問答無用ということは……」

「あぁ、八重樫さんという人にはお世話になったし、何かあると香織さんが悲しむので容赦してもいいとは言ってましたよ」

「…………他の皆さんについては?」

「……ま、まぁ一応忍び込むつもりなのでいいじゃないですか」

 

その誤魔化しがすべてを物語っていた。

 

「とりあえず、潜入が上手くいくことを祈るよ」

「はい、香織さんの精神衛生と、雫さんたちのためにも」

 

実際には、極めて怪しい「エヒト」に目を付けられる愚は極力避ける方針なので、強行突破は本当に最終手段だ。

また、解放者の一人と直接会い言葉を交わしたことで、エヒトへの警戒度は跳ね上がっている。解放者の言い分を全面的に信じたわけではないが、ある程度以上の信憑性はある、というのがハジメの感想だ。

 

「それで、立香さんたちはこれからどうします? 『メルジーネ海底遺跡』の大まかな方角と陸地からの距離はわかってますが」

「ヒントは“月”と“グリューエンの証”なんですよね?」

「はい、ミレディはそう言っていました」

「グリューエンの証は持っているので、後は“月”がどう関係するのかさえ分かれば、行くこと自体は可能だと思いますが……」

「海底でしょ? そこまで潜れる装備はないし、いまのメンバーだと海はちょっと厳しいなぁ」

「はい、ドレイク船長がいてくだされば心強いのですが……」

「それに、大分魔人族の領域に近づいてるから、ここから海に出るのはかなり無駄足だよね」

「じゃあ、先に氷雪洞窟を攻略して、それから海底遺跡に向かうということでいいですか?」

「うん。それに次でだれが召喚できるかにもよるけど、海に出るならハジメの協力が欲しい。だから、できれば海底遺跡に向かう前に合流したいんだけど、伝えてもらっていい?」

「はい、お任せですぅ!」

 

一度ハルツィナ樹海を経由しているハジメたちからすると大陸の端から端への大移動だが、それは氷雪洞窟を攻略してから来た道を半ば引き返す形で海底遺跡へ向かう立香たちも似たようなもの。お互い、大迷宮をもう一つ攻略してから合流するという意味でも、対等な条件と言えるだろう。

 

「じゃ、とりあえずその方針で」

「何か変更などがありましたら、また明日連絡をください」

「ぁ、そういえば前から一つ聞きたかったことがあるんですけど」

「「?」」

「お二人って、ぶっちゃけどこまで進んでるんですか? キスはもうお済で? それとも、もっと先まで……」

「「な、なななななななななな……!?」」

「フォウ! フォウフォウフォウフォフォ―ウ!!」(特別意訳:そうだ! もっと根掘り葉掘り聞いてやれー!!)

(ああ、これは何一つ進んでませんね♪ ハジメさんとユエさんや香織さんの関係には憧れますけど、それはそれとしてこういう初々しいのもいいですねぇ♪ 私もハジメさんとイチャラブしたいですぅ!)

 

生憎と声だけの通信なので、顔が見えないのが非常に残念だ。きっと、二人とも面白いほど真っ赤になっているに違いない。生で拝めれば、さぞかしほっこりした気持ちになれたことだろう。

まぁ、何かの奇跡でハジメとそういう関係になれたとしても、この二人のような“初々しい関係”はないのだろうが。だって、そんなことをしていたら先を行く二人に美味しいところをまとめて掻っ攫われてしまうから。

 

まさかこの2日後、キャラの濃さでは他の追随を許さない……それこそサーヴァントたちすら霞む個性の塊、変態駄竜に出会い、ハジメの“特別”を狙う同志になるとは夢にも思わないシアであった。

 

 

 

ハジメたちがライセン大迷宮で得た新情報を踏まえ、多少予定の修正をしたが些末な問題だ。むしろ、手掛かりすらなかった残る大迷宮の情報を得られただけでも大きな進展といえるだろう。ハジメたちも、シア経由で伝えた予定に賛同してくれた。ただ、次に攻略する大迷宮への距離や位置情報の具体性の関係から、どうしても立香たちは時間がかかりそうなので、適当に冒険者っぽい事でもしながらのんびり行くつもりらしい。

 

実に優雅なことだ。大変羨ましい。

翻って、立香たちの方はといえば……

 

「ねぇ、マシュ」

「はい、なんでしょうか先輩」

「最後に俺たち以外の人を見たのって、いつだっけ?」

「かれこれ、三日前になるかと……」

「フォウフォウ」

「事実上の国境線だから仕方がない、それはわかってるんだけどさぁ……」

 

気が滅入る…というのとも違うが、さすがに頭が痛くなってくる。

いったい、人族と魔人族の間にはどれだけの確執があるのだろうか。

 

最後に仲間以外の人と会ったのは、三日前に立ち寄った都市……というか、どう見ても城塞としか思えない場所だった。明らかに魔人族との戦争に備えた前線基地である。一応戦時ではないので人の出入りは認められていたが、審査の厳しさがこれまでの町や村の比ではなかった。ステータスプレートの提示に始まり、旅の目的の聴取、荷物の検分、その他諸々。地球における入国審査と同等以上だ。

ハインケルを隠し、サーヴァントたちには霊体化してもらい、さらに技能も隠しておく。このどれか一つでも怠っていたら一悶着あったのは確実だ。二人とも少々どころではない不審な技能を保有しているので、見咎められたことは間違いないだろう。まぁそれでも、男女二人が馬車にも乗らずに魔人領との境界付近を旅しているということで、大分怪しまれてしまったが。おかげで、事実上の取り調べに半日以上費やしてしまった。

 

「ん~、でも仕方ないんじゃないかな? ほら、まだ戦端が開かれたわけじゃないとはいえ、いつ始まってもおかしくないんでしょ?」

「その通りです。むしろ、出入りの許可が下りたことを幸運と考えるべきでしょう。最悪、即拘束されていたとしても不思議ではないのですから」

 

運転席と助手席に座る二人は為政者ということもあってか、そのあたりさっぱりしている。

 

「だよねぇ。まぁ、ガレットでも食べて気を取り直しなよ。あ、アルトリアも食べる?」

「……いただきましょう、勝利の女王」

「う~ん、君にそう呼ばれるとこそばゆいやら照れるやら……そうだ、ミートパイも作ったんだ。食べて食べて!」

「え、ええ」

「それと、クロケットにスコーン、あとは……あ、フォウも食べる?」

「フォウ!」

 

いったいいつの間にしまい込んだのか、立香の宝物庫から次々に料理が出てくる。

どれもこれもかぐわしい香りを放ち、食欲のスイッチを連打してくる一品ばかり。フォウもご相伴に預かりご満悦だ。

実際、後部座席に座る立香のお腹からは「ぐぅ~っ」という盛大な虫の唸り声が。

ただ、それを差し出されているブーディカ以上に豊満な肢体の騎士は割と困り顔だ。

 

「あの、女王」

「あ、あたしのことはブーディカさん…いえ、いっそお姉ちゃんって呼んでくれていいよ?」

「ブーディカ、いま私は運転中なので」

「……そっか、ごめんね。つい君がいるとはしゃいじゃって…ダメだね、あたし」

「いえ、私もあなたが気にかけてくださることはうれしく思います。ただ、私は聖剣の私ほど食事にこだわりはないので……」

「でも、食べるなら美味しいほうがいいよね?」

「それは、まぁ……」

「私の料理、口に合わなかった? ああ、そういえば聖剣の方の君はエミヤの料理が好きだったもんね。ごめんね、私じゃ彼にはちょっと及ばない……」

 

すっかり消沈してしょげるブーディカ。立香やマシュからの非難がましい視線が背中にチクチク突き刺さり、アルトリアは実に居心地が悪そうにしている。

 

「いえ、決してそんなことはありません。貴女の料理も大変美味です、自信を持ってほしい」

「そう? だとしたら嬉しいな。あたしにとって、あんたたちは妹みたいなものだから。つい構っちゃうんだ」

「むぅ、そ、そうですか……」

(さすがのアルトリアもブーディカにはたじたじみたいだね)

(はい、圧倒的お姉さん力(OS力)、流石です! 私も、見習わないと!)

(大丈夫、マシュにもブーディカに引けを取らない後輩力(KH力)があるから!)

(先輩……いえ、それではダメなんです! 後輩のままでは先輩に、えっと、その……甘えてもらえませんから!)

(もしかして、ハジメたちから何か聞いた?)

(イエ ナニモ 聞イテ マセン)

 

視線を逸らし、凄い片言になっている。大方、ユエか香織がハジメを甘えさせた時の惚気話でもしたのだろう。その手の話があった翌日のマシュは、だいたいこのように挙動不審になる。羨ましいとか、私も……とか、そういうことを思っているのだろう。

正直言えば、お姉さん風を吹かせて甘えさせてくれるマシュというのも大いに心惹かれるのだが……今はまだマシュが頼ってくれる“先輩”でいたい立香であった。

 

まぁ、それはそれとして……いい加減、後ろでやけに高いテンションのまま羽ペンを走らせるうっさん臭いナイスミドルを何とかすべきかもしれない。

 

「ハハハ! お気になさらずマスター、どうせすべては過ぎ去ったこと。所謂“今後のことなんかは、ぐっすりと眠り忘れてしまうことだ”……というやつですな。

 そんなことより我輩、これからマスターを待ち受ける試練の数々が待ち遠しくてなりませんぞ。碌に地図すらない未開の地でいったい何が待ち受けているのか……心が躍りますなぁ!」

「率直に言うと?」

「“不運ばんざい! 運の女神に見放され、この世の最低の境遇に落ちたなら、あともう残るのは希望だけ、不安の種も何もない!”……というところまで行ってほしいですな。筆が進みますので」

「フォ~……」

「マシュ、判決は?」

「ギルティです、シェイクスピアさん」

「おぉっとぉ!? これは誘導尋問ではありませんか、マスター!?」

「大丈夫、シェイクスピアがそういう性格だってみんな知ってるから」

「はい、どなたもシェイクスピアさんを疑ってはいません。ただの事実確認です」

「正しい理解からくる揺るぎなき信頼、故に辛辣!! 女王陛下方、我輩を弁護してはいただけませんかな?」

「「ギルティだ/だね」」

「フォウ!!」

「ハハハハ! まさに孤立無援、四面楚歌ですな!」

 

当事者意識に乏しいというのもあるのだろうが、それでもこの状況でペンを動かす速度に微塵のよどみもないのは純粋にすごいと思う。見習おうとは全く思わないが。

 

「で、さっきから気になってたんだけど何書いてるの?」

「マスターならば当然ご存じでしょうが、我輩をはじめ作家系サーヴァントの文章にはそれ自体力が宿ります」

「エンチャントのこと?」

「まぁ、その一端ですな。我輩の文章が力を与えるのは何も物に限りません。例えば人物に対しても、その文章の完成度に見合った効果が付与されます」

「まぁ、それは知ってるけど……もしかして、俺にエンチャントをかけて戦わせようとかそういうつもり?」

「いえいえ、まさか! マスターならばそれはもう素晴らしい大長編を書きあげることができるでしょうが、今回の目的は別です」

「別の目的? うわっ、嫌な予感しかしない」

「例えば、我輩がマスターについてこのように書いたらどうなりますかな? そう、“国境を目前に、次々に襲い掛かる野盗! 地の底から湧き出すかの如き魔物の数々! 果たして、カルデア一行は無事に魔人領に足を踏み入れることができるのか!”とかそんな感じに」

 

シェイクスピアの言わんとすることが理解できた。

どの程度の強制力が発生するのかはわからないが、彼が書いた以上何らかの形でそれが現実になる可能性は否定できない。しかも、すっごくノリノリで書いていたのが一層不吉だ。

 

「書いたの?」

「書きましたが、なにか?」

「今書いてるのは?」

「第二節ですな。“なんとか魔人領に入ることはできたものの、一向に見つからない人里。アテもない旅は続く中、襲い掛かる天変地異! ようやく出会えた魔人族は軒並み敵対的! おぉ神よ、何故マスターにこのような艱難辛苦をお与えになるのですか!?”的なものを構想しております。是非ご期待ください」

「段蔵、ちょっとこのおっさんふんじばっといて!」

「受諾致しました、マスター。シェイクスピア殿、お覚悟!」

「ぬぉぉぉぉっ!? ご無体な~!?」

 

何の前触れもなくシェイクスピアの背後に現れ、流石の手際で瞬く間のうちに名作家を縛り上げる絡繰忍者。

いったいどこに隠れていたのかは大変気になるところだが、今はそれどころではない。

 

「マシュ、これどうしようか? 燃やせば効果なくなるかな?」

「可能性はあります。ですが、シェイクスピアさんの新作と考えると……」

「うん、文化的にちょっとね……」

 

これを燃やした場合、それもある種の焚書と同じ扱いになるのだろうか。

ましてやそれが、世界屈指の知名度を誇る劇作家の最新作となればその文学的価値は計り知れない。

 

人間としては底辺、だが彼の紡ぐ文章はまぎれもなく人類の至宝。

如何にマスター、如何に被害者とはいえ、それを焼き捨てる権利が果たしてあるのだろうか。

時に世界を救い、時にいくつもの世界を切り捨ててきた立香だが、ちょっとどころではないくらいに躊躇われる。

 

「…………………………………………まぁ、盗賊や魔物に襲われるのはいつものことだし!」

「で、ですよね! 町や村から追い出されたこともあります! いつものこと…そう、いつものことです!」

「明らかに無理してるよねぇ。というか、言ってて悲しくならないのかな、あれって?」

「まぁ、差し当たっては……アレを蹴散らすのが先でしょう」

 

ハインケルのハンドルを握るアルトリアの視線の先には、待ってましたとばかりに野盗が展開している。さらに、結託している可能性を疑いたくなる規模の魔物の群れが両サイドから。

 

「アルトリア、多少強引でいいから何とか抜けて!」

「ですが、それは流石に……」

「今ここに誰がいるか思い出して! あの人が出たらどうなるか……」

「そ、そうですね。確かに、彼女に蹴散らされるよりは、まだ撥ねられた方が……」

「ふふ、うふふふふ…思い上がりましたねぇ。マスターを襲おうとは……誅罰執行、ですね」

「先輩! 頼光さんが屋根の上に!?」

「逃げて! 野盗の皆さん超逃げて!!」

「魔物の方々も、命が惜しければ追いかけてこないでくださ~い!」

「牛王招雷・天網恢々───ふふ……あははははっ! 矮小十把、塵芥になるがいい!」

 

その日、人族と魔人族の国境線付近で快晴にもかかわらず一部で轟雷が降り注いだ。

10キロ以上離れた街や村からでもわかるほどの不自然な轟音。人族・魔人族を問わず様々噂が飛び交い、その情報は瞬く間のうちに広がり、やがてそれぞれの王都にも届くこととなる。

それが一体何を巻き起こすのか、この時点では誰にもわからない。

 

ただ、一つだけはっきりしていることがある。それは、身の程知らずにも立香たちを襲った野盗と魔物の尽くが、その報いを受けるだろうということだ。具体的には、黒焦げになって。




今章のサーヴァントで今出ているのは以下の通り。

ランサー:アルトリア
キャスター:シェイクスピア
ライダー:ブーディカ
アサシン:加藤段蔵
バーサーカー:源頼光

こうして見ると英国率が高い……残るは2騎。ヒント出してないので予想は無理でしょうが、楽しみにしていただければ幸いです。


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019

その日、フェリシアは最近では珍しいことにじっくり腰を据えて王城の執務室で事務処理に勤しんでいた。

それどころか、ここ数日は最近の忙しなさが嘘のように王都から一歩も出ていない。さすがに王城の執務室に籠りっきりとはいかないが、それでも立場に反してフットワークが軽い彼女が大人しく執務室に入り浸っているのは稀有なことだ。

とはいえ、それも散々副官から「もう少し腰を落ち着けてください」とか、「下に任せるのも上の仕事ですよ」とか諭されたからではない。

 

彼女は、待っていたのだ。数日前に観測された天候や季節を無視した局地的な轟雷。小まめに団員を警邏に出していた甲斐もあり、国境線付近の村落から得たその情報をフェリシアは軽視しなかった。

多少の越権行為は承知の上で他の部隊から人を出してもらい、周辺を徹底的に調査。今はその結果を聞くために、こうして王城に腰を据えているのだ。

そして、待ちに待ったその報告がようやく訪れた。

 

「ご報告申し上げます!」

「開いています、入りなさい」

「はっ!」

 

入室を許可しながら、フェリシアはすぐに卓上に魔王国領の地図を広げた。人族側には精々国境付近の地図しかないが、当然フェリシアたちの下には詳細な地図がある。

報告に訪れた兵はフェリシアの指示もあって、挨拶もそこそこにもたらされた情報を読み上げていく。

フェリシアは口述される情報に合わせて地図上に目印となる駒を置いていく。それは、大雑把すぎる地図を手に悪戦苦闘しながらこの国の領内を旅する立香たちの道程を、かなりの精度で補足していた。

 

(やはり、人族側にはこちら側の詳細な地図はないようですね。持っているとしても、上層部だけでしょう。そして、行き当たりばったりとしか思えない様子で村落を訪ねる彼らは、国の上層部へのコネクションを持っていない可能性が高い。ただ、気になるのは……)

「……報告は以上となります」

「ありがとうございます。確認しますが、人間族の男女二名。男は中肉中背黒髪の少年、女は眼鏡をかけた薄紫の髪の少女、そして馬車などには乗っていなかった。間違いありませんか?」

「はっ! 報告ではそのようになっております!」

「なるほど……」

 

フェリシアが最初に立香たちの存在を知った時、彼らは最低でも五人以上の集団だった。その中には騎士だけでなく、亜人族や竜人族と思しき者までいたという。なのに、今はたった二人だけ。これは明らかに不自然だが、亜人族などは目立つので村落の外で待機させている可能性もある。だから、これは良い。

問題なのは、彼らの移動速度だ。

 

(各村や町から得られた目撃情報の間隔が異常に短いのが気になりますね。よほど優れた移動用のアーティファクトでも持っているのか、それとも何らかの技能、あるいは神代魔法によるもの?

 いえ、情報が足りません。それは一度横に置いて、考察すべきは彼らの行動でしょう。あらゆる人里で足を踏み入れる前に拒絶され、門前払いをされていながらトラブルらしいトラブルを起こしていない。拒まれれば大人しく引き下がり次へ、その繰り返し。つまり、彼らは魔人族(我々)との無用な衝突を望んでいない?)

 

人族が魔人族の領域に入ってまでやることなど三つに限られる。一つは村落を襲っての略奪。一つは王都を最終目標とした侵略。最後が、神代魔法の眠る大迷宮の攻略だ。

 

「もう一つ、国境線付近の村落で襲撃を受けた場所はないのですね?」

「はっ! 人族共も我らの力を警戒しているらしく、短絡的な行動は控えているようです。野盗などによる散発的な被害はありますが、大規模な襲撃はありません!」

(聞きたいのはそこではありませんが…まぁいいでしょう。とりあえず、人族による大きな被害は今のところなし。ではやはり、彼らの目的は略奪にはないと考えるべきでしょう。侵略が目的なら軍勢を率いてくるでしょうし、先遣隊ならもっと隠密行動を徹底するはず。

ならば、残された可能性は一つ。大迷宮が目的と考えて、まず間違いありませんね)

 

そうだとすれば、門前払いをくらいながらも何度も村や町を訪れていたのも納得がいく。彼らはきっと、情報が欲しかったのだ。大迷宮の正確な位置の情報が。

同時に、彼らが不自然なまでに世情…というか、人族と魔人族の軋轢に疎いことも伺える。普通なら、どれほど情報が欲しかろうと馬鹿正直に正面から尋ねたりはしない。そんなことをしても取り合ってもらえないことを、普通なら誰もが知っているからだ。

 

(確か、勇者の他にも多くの者が共に召喚されたとか。彼らなら、我々の軋轢に無知でもおかしくはありません。勇者は今もオルクス大迷宮に潜っているという情報もあります。恐らく、勇者とは別行動をとっている召喚された異世界の住人なのでしょう。

 ならば、先入観がない分まだ対話が成立する可能性が高い。領内を右往左往しているのは、王国や教会にもこちら側の詳細な地図がないから? あるいは、何かしらの理由から上層部と袂を分かっている?

 いずれにせよ、これ以上は彼らから直接聞くしかありませんね)

 

そう結論し、フェリシアは早速立香たちの今後の動きを予想する。

流石に何度も門前払いをくらって諦めたのか、一昨日以降の目撃情報はない。そのため、行動予測をするのは困難だが、最終的な目的地を「氷雪洞窟」と仮定するなら、ある程度網を張ることはできる。

 

「……副長に連絡を! 第4装備を準備の上、二刻後に我々は領内に侵入した人族の迎撃に出ます。人員の選抜は任せる、急げ!!」

 

第4装備とは、武力衝突以上に索敵・調査を目的とした動きやすさ優先の装備のことだ。また、ある程度以上の時間がかかることを前提に、食料なども多めに持っていくことを意味している。

建前上は領内に侵入した外敵の排除だが、もちろん本心は違う。フェリシアの本命は勇者だが、勇者ほどではないにしろ異世界出身の者達には興味がある。特に、国や教会の上層部と距離を取っている可能性があるということから、対話が成立する可能性が高いというのも大きい。

できるなら早々に見つけ出し、腰を落ち着けて話を聞きたいというのが本音だ。ただ、今の彼女の立場上そう簡単にはいかないが。

 

「では、私も同行させていただきましょう。フリード将軍が生み出した魔物の中から、機動力に優れたものを選別いたしますので、少々お時間を」

「……任せます」

「ありがとうございます」

(この様子だと、やはり同行するつもりですか。まぁ、事実上の監視役なら当然でしょうが)

 

フェリシアが他の部隊に働きかけたのと前後して、一人の魔人族がフェリシアの補佐のためにあてがわれた。名目上はフリードの生み出した魔物の管理。だが、その裏でフェリシアの監視を目的としていることはまず間違いない。

ただ、フェリシアはこれがフリードの恩情であることも理解していた。

 

(おそらく、あくまでも“疑いあり”という段階なのでしょう。逆に言えば、疑いを晴らすために彼がつけられたとも考えられます。慎重に、信徒としてあるべき振る舞いを徹底すれば、何も問題はありません。ですが、それをすれば……)

 

恐らく、彼らと対話はできない。対話を行うということ自体が、信徒としてあるまじき行いだからだ。

 

(彼らには申し訳ありませんが、捕虜にすれば話をする機会も設けられるでしょう。その上で、うまく手引きして逃がすことも……。とはいえ、それすら難しいようならば今回は諦めることも視野に入れるべきですね。それが対話か、あるいは彼らの命かは、わかりませんが)

 

できれば、相手の命を徒に奪うようなことはしたくない。だが同時に、ここで“疑惑”を“確信”に変えるわけにもいかない。そうなるくらいならば、殺害もフェリシアは視野に入れている。彼らとの対話の機会は貴重だが、それでもまだ彼女はここで斃れるわけにはいかない。異世界出身者は、他にもいるのだから。

より多くの同胞たちのため、僅かな犠牲を許容する程度の冷徹さは彼女も持ち合わせている。

 

(まぁそれも、私が勝てればの話でしょうが……)

 

相手は十中八九神代魔法の使い手。即ち、自身と同格かそれ以上の実力者だ。勝てる前提で考えを巡らしていたが、負けた時のことも考えねばなるまい。ただ、いっそ負けて捕虜にでもなってしまった方が、「対話」という意味では都合が良い。ただし、彼女が魔人族側から失われれば、それこそ歯止めを利かせる者がいなくなってしまう。ならばこそ、フェリシアは決して捕まるわけにはいかないのだ。

 

「団長、親衛騎士団20名。準備整いました」

「こちらも、選りすぐりの魔物をお連れ致しました」

「よろしい。では…………………出ます!!」

 

しかし、彼女は知らない。

確かに相手は神代魔法を習得した大迷宮攻略者だが、その実彼らはほとんど神代魔法を用いない。彼らが頼みとするのはもっと別の……異世界の神秘、その中でも最高峰に位置するであろう“英霊(サーヴァント)”たちだということを。

 

 

 

  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 

 

「……」

「……」

「……」

「……」

 

ガーランド魔王国の辺境。人目に付きにくい岩陰にハインケルを停め、立香とマシュは窓からぼんやりと外を眺めていた。

国境を越えて数日を経ているので、それなり以上に内部に入っているはずだが、具体的な場所はわからない。人間族側に流通しているガーラントの地図は国境線付近に限られ、ある程度以上進むと極めて大雑把な地図しかないからだ。「この辺りに大きな森がある」とか「この辺は切り立った山があるので進めない」とか、その程度の代物だ。

正直、まるであてにならない。実際、町や村を見かける頻度が少ないことから「辺境」と推測しているが、実際のところはわからない。もしかしたら、案外近くに大きな街があったりするかもしれない。そのくらい、今の立香たちは情報弱者だ。

 

一応シュネー雪原の方角くらいは雑な地図にも載っているので、そちらに向かうことはできる。しかし、こんな状態では途中で確実に川や谷に行く手を阻まれてしまうだろう。

それを避けるため、見かけた街や村に足を運んで情報収集をしようとしたのだが、軒並み門前払い。

ステータスプレートに種族名が表記されないことからフードを目深に被って誤魔化そうとしたが、さすがにそう上手くはいかない。フードを取って顔を見せるよう言われ、取らないという選択肢がないことから指示に従えば、当然のように人間族であることが発覚。

相手に少しでも話を聞く気があれば芽もあるが、人間族とわかるや否や戦闘態勢では立香としてもお手上げだ。

そんなことを何度か繰り返し、いい加減正攻法では無理とあきらめがついたのが三日前のこと。

 

以降は町や村を発見する都度、こうしてハインケルを物陰などに隠し、斥候を出しての情報収集に努めている。

どれだけ警戒していたとしても、霊体化できるサーヴァント相手には無意味だ。まぁ、性格というか性質上、斥候には死ぬほど向かないサーヴァントというのもいるので、誰でもいいわけではないが。

それはともかく、今立香たちはその斥候が戻ってくるのを待っている状態だ。

 

とはいえ、正直に言えばあまり期待はしていない。

それよりも、今はとにかく……この天候を何とかしてほしい。

 

「雨、やみませんね」

「もう一週間近く降ってるよ。この辺って今雨季とかなのかな?」

「すみません、季節のことまでは……」

「あ、いや! 別にマシュを責めてるわけじゃないんだ! ただ、ほら…さすがにうんざりしてきたというか、ね」

「はい。ハインケルはかなりの広さがありますし、シャドウボーダーで慣れているとはいえ、さすがに息が詰まってしまいます」

 

生きていくために必要なものは一通り以上揃っているが、それでも閉ざされた空間に缶詰めになる精神的負荷は無視できるものではない。あの時とは違い、まだ状況が逼迫していないのも一因だろう。余裕がある分、ストレスを自覚しやすいのだ。

 

「それもこれも……どこぞの劇作家が余計なこと書くから」

「没収した原稿に、しっかり『天変地異』と記載されていましたからね」

「まぁ、この程度で済んでるんだからまだマシではあるけど」

「はい。それこそ嵐や地震、火山の噴火…そういったものが起こっても不思議ではありません」

 

ちなみに、没収した書きかけの原稿にはざっと目を通したが、実に業腹なことに状況も忘れて没入してしまった。

これから何が起こるのか、登場人物たちは無事進めるのか、ハラハラドキドキ先の展開が気になって堪らない……というところでこれが自分たちのことだと思い出し、思わず原稿を叩きつけたとしても仕方ないだろう。

流石のクオリティだとは、悔しいので言いたくない。

 

「……それで元凶から、何か言うことは?」

「ふ~む……“豊かさと平和は、臆病者をつくる。苦難こそ強さの母だ”とも申します。私はマスターのさらなる成長を願ってですな」

「刑期延長」

「フォウ!」

「はい。シェイクスピアさん、さらに二日間ミノムシの刑です」

「なんとぉ!? 惨い! それはあまりにも残酷ですぞマスター!! 作家にペンを握らせないなど、このような惨い仕打ちが他にありましょうか!?」

「……不満はそこなんですね」

「筋金入りだよねぇ」

「フォ~ゥ……」

 

普通、車内で簀巻きにされた挙句に宙吊りにされていることに文句を言うはずだが、この男の場合「縛られているせいでペンが握れない」ことが上回るらしい。もしも効き腕を解放してやれば、それで文句はないのかも。いや、それならいっそ……

 

「もういっそ口でペン咥えてみる?」

「おぉっ! その手がありましたなぁ! あ、我輩、今手が使えないのですが」

「じゃ、はい」

「はむ、ほれでふぁはっほく(それではさっそく)…………………………………紙がありませんぞ、マスター!?」

「うん、その方が反省するでしょ?」

「見縊らないでいただきたい! このシェイクスピア、こと執筆においては一切の妥協も微かな後悔もありません! 故に! 反省など以ての外!!」

「フォウフォウ、フォウ」

「言い切りやがったよ、このダメ人間」

 

わかってはいたつもりだが、つくづく筋金入りだ。反省を期待する方が間違っていたと実感するくらいには。

 

「仕方がない……それじゃ、令呪でこの旅のことを書くのを禁止するのと今のまま、どっちがいい?」

「マスター、あなたは悪魔ですか!? 我輩に死ねと!?」

「というか、普通にノンフィクションの旅行記とかでいいでしょ」

「ジャンルとして否定はしませんが、盛りあがりませんな」

 

つまり、そんなものを書く気はさらさらない、と。我が道を行きまくるのが大方のサーヴァントの在り方だ。無論例外もあるが、誰も彼もが自分なりの譲れない“何か”を持ち、その点に関しては何をどうしたところで譲らない。シェイクスピアの場合、“執筆”がそれにあたる。

彼の妥協を望めない以上、あとはもう立香が折れるしかない。

 

「……はぁ、わかった。俺の負け、もう好きにすればいいよ」

「ハハハハハ! さすがはマスター、実に器が広い!」

「そう思うなら少しは加減してほしいんだけど」

「それとこれとは別の問題ですな」

 

このまま拘束しておいてもいいのだろうが、反省を期待できない相手にそんなことをしても意味はない。令呪で強制するという手も残ってはいるが、元々そういうのは立香の方針に反する。本当に、どうしても必要というわけでもないのなら、サーヴァントたちの意に反する強制は好むところではない。

 

「よかったんですか、先輩?」

「まぁ、あんまりよくはないんだけど……そもそも、今の状況がシェイクスピアのせいかどうかわからないわけだし」

「そう、ですね……可能性はありますが、確証はありませんし」

 

彼ほどの文筆家の書いた文章なら、確かに現実になってもおかしくはない。が、だからと言って「書いたことが現実になる」という程の出鱈目の持ち主でもない。「なるかもしれない」あくまでもそれだけなのだ。

ならば、後は当人たちの気の持ちようだ。そして、立香はこの件をこれ以上引っ張る気はない。相手をしても疲れるだけだし。

で、せめて気分を切り替えようと席を立ちかけたところで、音もなく彼女が現れた。

 

「マスター、段蔵ただいま戻りました」

「あ、ご苦労様。それで……どうだった?」

(ふるふる)

「そっか……」

 

求めていた情報……ここは魔人領のどのあたりなのか、どの方角に何があるのか、氷雪洞窟の具体的な位置、何一つとして分からなかったらしい。まぁ、それ自体に驚きはない。これまでの町や村でもそうだったし、そもそも日常会話の中でそんな話が早々出てくるわけもなし。最後のものは特にだろう。

ただ、全く得るものがなかったわけでもないらしい。

 

「そういえば、ここのところ雨が続いているけどそれについては?」

「どうやら、この辺りは現在梅雨や雨期に相当する季節のようです」

「あぁ、やっぱりそうなんだ」

「シェイクスピアさんのせいではなかったのですね」

「ただ、これだけ雨が続くのも珍しいと」

((ジ~~~~~~ッ))

 

全ての責任があの髭にあるわけではないようだが、全くの無実かというと……。

立香たちだけでなく、何の関係もない人たちにまで影響を及ぼしていることを考えると、さすがに令呪を使ってでも制限するべきか……。

 

「ほかに何かめぼしい情報はありませんでしたか?」

「……申し訳ありませぬ。しかし、段蔵は忍の者。方法はいくらでもございます。尋問の許可をいただければ、いまからでも……」

「ダメでござる」

「フォウ」

「ですが……」

「ダメと言ったらダメでござる」

「フォウフォウ」

「……承知」

 

目的と手段を取り違えるような相手ではないが、なんだかんだでそこは忍。しかも絡繰り。いろいろと容赦がない。ここで許可を出したらいったいどうなることか……考えるだけでも恐ろしい。

 

「ですが、そうなるとまた人里を探すところから始めますか?」

「この様子だと、どこも似たような調子みたいだし…いっそ、諦めてまっすぐ向かった方がいい気もしてくるなぁ。どう思う?」

「む、吾か?」

「うん。アルトリアたちからは一通り意見は聞いたし、別の切り口が欲しいかなって」

「う~む、そうさなぁ……とりあえず、飯にするか! 何はともあれ腹ごなしだ!」

「フォーウ!」

「うん、だと思った」

「では、釜の用意をしてきますね。藤太さんは……」

「おお、任せろ! 行くぞぅ、美味しいお米がどーん、どーん!」

「フォッ!?」

「ちょっ、出し過ぎ!? こんなところでそんなに出したら、ガボガボ!?」

「先輩!? 先輩がお米の波に呑まれました!?」

「っはははははは! いかんいかん、少々やりすぎた!」

 

精悍な偉丈夫の肩に担がれた巨大な米俵から溢れ出した米が濁流となり、辛うじてフォウだけは避難させた立香を押し流していく。あっという間に車内が米や山海の珍味で埋め尽くされ、内圧で扉が押し破られた。

そのまま立香は車外まで流されて行き、文字通り這う這うの体で米の海を掻き分けていく。

が、掻き分けても掻き分けても出られない。さすがの立香も「これはちょっと不味いかも?」とか思いだしたところで、何かが彼の襟首をつかんで引っ張り上げる。

 

「ぶはっ!? げほげほ! ま、まさか米に溺れて死にかけるなんて……斬新過ぎる」

(ジーッ)

「ん? ああ、ありがと、助けてくれて。見ての通り大丈夫だから、心配いらないよ」

(ぷいっ)

「やれやれ……ぁ、雨弱くなってる?」

 

先ほどまでの土砂降りが嘘のように雨足が弱まり、分厚い雲の裂け目から日差しが降り注いできている。

 

「やれやれ、こういうのも幸先が良いっていうのかな?」

「先輩?」

「ま、何はともあれ腹ごなし。折角だから、外でパァッとやろう! で、食べ終わったら出発だ」

「はい、急いで準備してきますね!」

 

そうして、久方ぶりとなる屋外での食事を満喫した一行。

「聖剣の私ほど食事にこだわりはない」と言いつつやっぱりモリモリ食べるアルトリア、そんな騎士王やマシュに「アレ食いねぇコレ食いねぇ」とわんこ蕎麦のごとく盛り付けていくブーディカ、余った食材で緊急時用の兵糧(銘菓風魔まんじゅう・ご当地ver)を作成する段蔵、自著を引用しながら偉そうに食レポするシェイクスピア、その豊満な肢体を密着させながら甲斐甲斐しく立香の食事の世話をする頼光、時折マシュから突き刺さる冷たい視線に居心地悪そうにする立香、そしてそんな風景を肴に酒盛りを始める藤太。

 

まったくもって、自由な連中である……と、最後の一騎が思ったかどうかはわからない。

 

そんなこんなで、改めて俵藤太(兵站において最高の英霊)の有難みを噛み締めつつ旅を続ける。

窓を全開にし、多少の湿っぽさはあれどもさわやかな風を浴びながら進むことしばし。

日も大分落ち、夜も間近となってきた頃。日本であれば「逢魔時(おうまがとき)」と称すべき刻限だが、魔物が跋扈する異世界トータスでは割とシャレにならない。まぁ、遭遇したからと言ってどうということもないのだが。

 

「さて、マスター。今夜はどうするつもりなのです?」

 

ハンドルをブーディカに任せたアルトリアからの問い。

通常の旅であれば、夜になる前に適当なところで野営の準備をすべきだろう。いや、本来なら夕暮れ時では遅すぎるくらいだが……立香たちには関係のない話だ。ハインケル車内には寝床はもちろんキッチンも備え付けられ、シャワールームや大きくはないがバスタブまである。そもそも、夜間であろうと苦も無く進むことができる上に、ハンドルを握るのは睡眠を必ずしも必要とはしないサーヴァント……つまり、野営の必要がないのだ。

食事や睡眠が必要な立香とマシュは車内でそれらを済ませ、その間もアルトリアやブーディカがハインケルを走らせれば何も問題はない。

 

ただ、立香自身はあまりそのやり方に乗り気ではなかった。

確かにサーヴァントである彼女たちは食事も睡眠も必要ないのだろう。だが、「必要ない」と「いらない」は必ずしもイコールではない。そもそも、彼女たちもかつては生きた人間だったのだ。そのため、嗜好品的な扱いではあるが睡眠や食事を積極的にとるサーヴァントは多い。

交代しながらの運転でもいいのだろうが、ホルアドに向かう時のようにどうしても急がなければならない状況でもないのなら、仲間たちを酷使するつもりはなかった。休めるのなら、食べられるのなら、眠れるのなら、可能な限り一緒に……というのが立香の基本方針だ。

なので、悩むまでもなく答えは決まっている。

 

「じゃ、今日はそろそろ休もうか」

「いえいえ、少々お待ちをマスター。右手をご覧ください」

 

シェイクスピアに促されるまま右手に視線を向けると、そこには薄暗い中でもはっきりとわかる橙色の小さな点。

 

「……………………………………灯り?」

「フォウ?」

「はい、いくつかの灯りが確認できます」

「う~ん、でもそれって不自然じゃない?」

 

一度ハインケルを止めたブーディカの言葉に、全員が同意する。

この世界は魔物という脅威が存在する関係から、どんなに小さな村であろうとも必ず周囲を壁で覆っているからだ。そのため、人里の外から灯火を発見することは基本的に不可能。可能性として考えられるのは……

 

「野盗か軍か、あるいは商人を始めとした旅人か……いずれかの野営によるもの、と考えるのが妥当でしょう」

「そう、ですね。旅人なら問題ありませんが、野盗や軍隊の場合少々厄介なことになるでしょう。どうしますか、先輩?」

「う~ん……」

 

この集団内で最も非力なのは議論の余地なく立香だが、最終的な決定権は彼の手にある。だからこそ、皆の視線が立香に集中し彼の決定を待っている。

 

正攻法による情報収集は諦めたし、人里に段蔵を潜入させる方法も望み薄と言わざるを得ない。なので、敢えてあの灯火に近づいていく意味はないように思われる。

だがそうとわかった上で、立香は“魔人族”と話がしてみたかった。

 

「……行こう。門前払いされて当たり前、でも今までとはいろいろ違うからあまり詮索されない可能性もないわけじゃない。なら、彼らと話ができるかもしれないしさ」

 

旅人同士がたまたま出会い、一晩同じ火を囲む。そうなれば、お互いのプライベートに踏み込まない程度の雑談くらいはできる可能性がある。

まぁ、流石にそう上手くはいかないだろうが、そこは立香のコミュ力の見せ所。少なくとも、人里を訪ねるよりかはよほど可能性がある。

 

「ですがマスター、母は心配です。あなたを見た魔人族は誰も彼も殺気立ち、聞くに堪えない暴言を吐き、中には刃を向ける者までいる始末。マスターが止めなければ、一人残らず処理していました。次また同じことがあれば、わたくし何をしてしまうかわかりません」

「ぁ、うん……とりあえず、段蔵に事前調査してもらおうか…………あっちにいる人たちのためにも」

「ですね」

「フォウ……」

 

実を言えば、立香が人里を直接訪ねることをやめた最大の理由は、交渉することすらできないからではなく、剣呑な雰囲気に反応した頼光を止められる自信がいよいよなくなってきたからだ。本人の言う通り、あのまま続けていたらそれこそ町や村の一つや二つ焦土になっていたかもしれない。どれほど理性的に見えても、そこはバーサーカー(狂戦士)ということだ。

 

そんなわけで顔も知らぬ魔人族の安全のため、段蔵に事前調査に行ってもらったのだが…念輪による報告は思いのほか早かった。

 

『マスター、ご報告がございます』

『あれ、随分早いけどどうしたの?』

『あの灯りは野営によるものではありませんでした』

『え、そうなの? じゃあ一体……』

『どうやら、彼らは流浪の民の様で……』

 

段蔵からの報告を総合すると、彼らはモンゴルなどで見られる「ゲル」のような移動式住居に住み、馬や羊を主に牧畜を行っている遊牧民らしい。住居の数を見る限り世帯数は多くなく、10世帯前後と思われる。ただ、地球における遊牧民は通常1家族ないし数家族からなる小規模な拡大家族単位で生活しているので、10世帯近い規模というのは珍しい、とはマシュが教えてくれたことだ。まぁ、この辺りは魔物の有無などの影響があるのかもしれないが。

また、他にも気なる情報が……

 

『結界?』

『はい。集落を覆うようにかなり広範囲に結界らしきものが展開されております。ですが、段蔵にはどのようなものか判別できず、申し訳ありませぬ』

『気にしないで。とりあえず、一度戻ってきてくれるかな』

『承知!』

 

段蔵が戻ってくるまでの間に、件の結界とやらの性質について検討するが……答えは出ない。生憎と、今回は本職のキャスター(魔術師)がいない。シェイクスピアが一応キャスターのクラスにこそ据えられているが、生前は魔術とは無縁。正直、これっぽっちも役に立たない。

わかったことといえば、段蔵が調べた限り結界の範囲は一キロ近くあることと、害意・敵意のようなものは感じられなかったことくらい。その広さがやや気になるところではあるが……

 

「まぁ、とりあえず行ってみようか」

 

という立香の一言で方針が決定。

何かあっても、仲間たちがいれば何とかなるという信頼の表れである。

 

とりあえず、同伴者はこれまで通りマシュが務め、肩にはちゃっかりフォウが陣取っている。他の者は霊体化して同行ないしハインケルで待機。できれば藤太やアルトリア辺りも共にいければよいのだが、もしもステータスプレートの提示を求められたりしたとき、色々面倒なので避けた形だ

 

集落を目指してしばらく歩いていくと、徐々に灯りの一つ一つが立香の目でも視認できるようになり、夜の闇の中から集落の全体像が浮き上がってくる。

段蔵の報告通り、そこには馴染みはなくても知識としては知っているテントのような住居がいくつか。

ただ、いくら日が沈み夜になっているとはいえ、人の気配がなさすぎることが気になった。

 

(外に出ている人がいないのは良いとしても、いくらなんでも静かすぎない?)

(はい。こういった家屋を実際に見るのは初めてですが、決して遮音性は高くないはず。なのに、まるで物音も話し声も聞こえません。それに、夕食時の筈なのに煙も出ていません)

(でも、その割には料理の匂いはするんだよね)

 

生活感がない……と言えればいいのだが、むしろその逆だ。つい先ほどまで人がいたにもかかわらず、跡形もなく消え去ってしまったかのような不自然さ。どこかの住居に入れば、温かな夕食が湯気を漂わせていたとしても不思議ではない。

 

(もしや、この集落を覆っていた結界というのは……)

「マシュ」

「どうかしましたか、先輩?」

「誰か出てきた」

「っ!」

 

結界に対する考察を進めようとしたところで、立香に促されマシュもそちらの方を見る。

そこには確かに、右手に持った杖をつきながら進む……

 

「……ブルドックの亜人?」

「いえ、先輩。きっとシャーペイではないかと?」

「良く分からないが失礼な子たちだね。あたしゃれっきとした魔人族だよ。ボンクラども」

「す、すみません! そうとは知らず……」

「ごめんなさい。あまりにもしわくちゃだったんでつい……」

「謝る気がないね、アンタら。礼儀ってもんをどこに置き忘れてきたんだか」

 

ちなみに、シャーペイとは中国原産のものすごく色々なところの皮の垂れた犬種のことである。

そんなものに例えられるあたり、この魔人族がどれだけしわくちゃなのかわかるというものだろう。

 

「えっと……それでおじいさんは」

「一人称聞けばわかるだろ、あたしゃ女だよ! この節穴!」

「ごめんなさい。知り合いに『身体は漢、心は乙女』な人がいるのであなたもそうなのかと……」

「………………………………………」

 

呆れて物も言えない、しわくちゃ過ぎて表情はさっぱりだがなんとなくそんな気配がした。

 

「はぁ~……いい加減本題に入りたいんだが、いいかい?」

「あ、どうぞ」

「それで、アンタらうちの集落にいったい何のようだい?」

 

核心を突く問いだ。とはいえ、答えは何通りか用意している。立香は焦らず慌てず、あらかじめ決めておいた“理由”を口にしようとするが、老婆が先んじた。

 

「まぁ、大方の予想はついているんだがね」

「え?」

「アンタたちの目的はシュネー雪原、その奥にある氷雪洞窟…つまり大迷宮への挑戦、違うかい?」

「どうしてそれを……」

「ふんっ!  “大迷宮攻略者”がこんなところをウロウロしている理由なんて、それしかないだろう? そんなこともわからないほど頭の回りが悪くても攻略できるものなのかい、大迷宮ってのは?」

「「っ!?」」

 

今この老婆はいったい何と言った? 大迷宮攻略者……だが、立香たちはそれを見抜くヒントとなる物は何も見せていない。攻略の証も、攻略することで得られる神代魔法も、何一つだ。なのに、どうしてそれを見抜くことができる。

知らず知らずのうちに二人の警戒心が増していく。しかし、老婆はそれを気に留めた様子もなく、つまらなそうにしている。

 

「隠しておきたいのなら、もう少し腹芸を磨くことだね。これがハッタリだったら、アンタらは良いカモさね」

「……ハッタリで口にできる内容ではないと思いますが」

「かもしれないね。それで、大迷宮にいったい何の用があるんだい? ああ、神代魔法って答えはいらないよ。攻略者が大迷宮に挑む理由なんざ他にないからね。時間の無駄さ」

「神代魔法のことも知ってるんですか?」

「むしろ、この国でそれを知らない奴はいないさ。その理由は、アンタらも予想できてんじゃないかい? むしろ、予想していないとしたら類稀な阿呆だが」

 

さっきからチラチラと罵倒が混ざっているのだが、この老婆は相当口が悪いらしい。それとも、最後に罵倒を入れるのが魔人族の会話方法なのだろうか? いや、今まで町や村で門前払いをいくら食ってもそんなことはなかったので、この老婆だけに限った話なのだろうが。

まぁそれはともかく、老婆の言わんとしていることはわかる。

 

「ではやはり、魔人族が魔物を使役しているのは神代魔法によるものなのですね」

「ま、大迷宮を攻略して神代魔法を習得してれば、当然その結論に至るだろうね。そうじゃなかったら空前絶後の間抜けだが」

「あの、さっきから言葉の端々に罵倒が混じるのはなぜでしょう? 何かお気に障ることでも……」

「してないとでも? あたしのこと良く分からない亜人族と間違えてただろうに」

「そ、その節は大変申し訳ありませんでした」

「そもそも、あたしらがアンタたちに対して好意的である理由があるとでも? どんだけ頭がお花畑なんだい」

「あぅ……」

 

長年の確執がある以上、魔人族である老婆が人間族である立香たちに対して敵意を向けるのは仕方がない。

仕方がないが…ちょっと待ってほしい。立香たちはまだ目深に被ったフードを取っていない。この状態では、種族を特定できないはずなのだが。

 

「…………」

「なんでわかったのか、って様子だね。魔人族の間じゃ有名な話だからだよ。軍のお偉いさんが大迷宮を攻略して、神代魔法を手に入れたってね。それを知らないって時点で余所者確定さ。憶えときな、世間知らず共」

「な、なるほど……」

 

そして、亜人族が原則魔法を使えない種族である以上、あと神代魔法を求める可能性があるのは人間族のみとなる。

 

「それで、なんで神代魔法を求めるんだい?」

「それは、大迷宮の場所を知っているということでしょうか?」

「聞いているのはこっちだよ。まぁ、仮に知っていたところで教えるつもりはないがね。そのために、あたしが一人でアンタたちを出迎えたんだ」

 

それはつまり、ここで拷問してでも情報を得ようとすることすら織り込み済みということか。

大迷宮攻略者に並の者では相手にならない。それを知っているからこそ、一人で待ち受け被害を最小限にしようとしている。他の集落の者達は、結界に感知された段階で避難させたのだろう。

 

同時に、この事実から例の結界の大まかな機能も予想できる。恐らく、近づいてきた者を感知する機能の他に、何らかの方法で大迷宮攻略者かどうかも判別できると考えるべきだ。

そうでなければ、こうも迅速な避難ができるはずがない。

 

そして、もう一つ。似たような話を、立香たちはハジメたちから聞いている。亜人たちの国「フェアベルゲン」では、大迷宮攻略者が訪れた時に備えての口伝が残されていた。老婆の発言は、単に魔人族から大迷宮攻略者が現れ、手に入れた神代魔法で軍備を強化していることが当たり前の事実として周知されている、というだけでは考えにくいものだ。

 

そもそも、彼女はどうして立香たちを待ち構えていた?

相手にならないことも、情報を得るために拷問される可能性すら理解していながら。

つまり彼女には、それらのリスクを背負ってでも大迷宮攻略者に会わなければならない理由があるということだ。

 

ならば、話すべきだ。ハジメたちがフェアベルゲンでそうしたように、自分たちが知る限りのことを。

それはこの世界の神の話であり、神に挑んだ解放者たちの話であり、立香たちが異世界の人間であることや、神代魔法に帰還の可能性を見出していることもだ。さすがに、召喚された異世界から見てもさらに異なる世界の出身、であることはややこしくなるので伏せたが。

 

それら全てに、老婆は黙って耳を傾ける。

驚くこともなく、狼狽することもなく、いたって冷静なまま、顔色一つ変えずに。

しかし、それは異常だ。フェアベルゲンの長老の一人も落ち着いていたらしいが、「この世界は亜人族に優しくない」という彼の言葉が示す通り、亜人族にとっては「だからどうした」という話である。神が何者であろうと、彼らにとっては同胞たちを虐げる敵たちの信仰対象でしかない。それが狂っていようが、彼らには何の関係もない。

だが、魔人族である老婆にとっては違う。人間族がエヒトを信仰するように、魔人族もまた彼らの神を奉じている。その神の名までは立香たちは知らないが、解放者たちが討とうとしたのは魔人族の神さえも含んでいる。信仰対象が狂っているといわれて、どうして彼女はこうも冷静でいられるのか。

立香たちの疑問を察したのだろう、問いを投げかける前に老婆は口を開いた。

 

「別に、知っていたわけじゃないよ。あたしたちにもそこまでのことは伝わっていない。

ただ、驚くほどのことでもないってだけさ。あたしらにも“アルヴ”様への信仰はある。だがね、温度差……とでもいえばいいのか、あたしらと他の連中との間には信仰心にかなりの差がある。うちの集落のそれなりの年の連中は、他所とかかわった時に大なり小なり違和感を覚えたことがあるはずだよ、“なにかがおかしい”ってね」

 

聖教教会もそうだが、教義そのものは人々に受け入れられていることからわかるとおり、そう突飛な内容ではない。だからこそ、この集落でも基本的には“アルヴ神”の教えが基盤にある。

とはいえ、この集落における“アルヴ神”は必ずしも絶対の存在ではない。信仰する“神”であり、国の頂点に立つ“王”だからというのもあるのかもしれないが、この集落では時に平然とアルヴを批判する声が上がる。直近では「なぜわざわざ戦争なんて……」などがそれだ。

この集落では当たり前のことだが、他所では違う。他の人里では僅かでもアルヴの意思を疑うだけでも排除される。そして、それがガーラント魔王国の常識なのだ。

 

「だから、驚かないと?」

「そういうことさね。で、ここまで言えばいくら鈍いアンタたちでも予想できてるんじゃないかい?」

「ここは、解放者たちに縁のある集落なんですね」

「具体的なことは伝わっちゃいないが、十中八九そうだろう。敵意や悪意の他に大迷宮攻略者様に反応する結界、結界が反応した時に備えての口伝……他にもいくつかあるが、そんなもんが残っているんだ。そう考えるのが普通さね」

「ちなみに、反応したというのはこれのことでしょうか?」

 

マシュはオルクスとグリューエン、二つの大迷宮の攻略の証を見せる。

 

「さて、生憎結界の大本はあたしの手元にないもんでね」

(避難した方々に託した、ということでしょうか。確かに、そうすれば失われる可能性を下げることができますから、当然といえば当然ですが)

「紋章のことは伝わってないんですか?」

「昔は伝わっていたのかもしれんが、いまはないね。しかし……その様子じゃ、他にも聞きたいことがありそうだ」

「できれば、どんなことが伝わっているのか聞かせて欲しいなぁとは」

「…………まぁいいだろう、ついてきな」

 

そういって老婆は一つの移動式住居へと向かっていく。それなりには信用してもらえた、と見ていいのだろうか。

とりあえず、立香たちもその後を追い住居の中へ。内部は二本の柱が中心で支え、さらに屋根部分から放射状に梁が渡されている。また、壁の外周部分の骨格は木組みで菱格子に組んであった。

中々見ない構造の住居であり、敷物や壁掛けには独特な模様の織物が使われていて大変興味深い。

 

とはいえ、あまりキョロキョロしているわけにもいかない。

立香とマシュは老婆に勧められた座布団(っぽいもの)に腰を下ろし、振舞われたヨーグルト風味の飲み物に口をつける。

 

「さて、じゃあまず何から話すかね……」

 

そうして、老婆は一つずつぶっきらぼうながら集落に伝わる口伝について話してくれた。

代々集落の長に伝えられてきた結界を発生させるアーティファクトがあること。それが示した反応に合わせての対応があり、立香たちへの対応はその一つであること。アルヴに従順とは言い難いその姿勢に気付かれれば排除されかねず、移動ルートを特定されないため多岐にわたるパターンが用意されていること。集落に「魔力操作」の技能や固有魔法を持った子が生まれた時の対応など、かなりの数にのぼった。

 

「固有魔法や『魔力操作』を持った人が生まれるんですか?」

「ああ、極稀にね。ただ、そういう子に限って行動的というかお転婆というか、代々の長は頭を抱えていたようだが」

(もしかして、今の時代にもいるのかな?)

「いや、それはいい。それで、他に聞きたいことは?」

「シュネー雪原の大迷宮、氷雪洞窟への行き方を教えてください」

「まぁ、当然そうなるか」

 

当然といえば当然の問いだ。むしろ、大迷宮攻略者が聞きたがるような話などそれくらいしか思い浮かばない。

 

「…………生憎、詳細な場所まではわからない」

「そう、ですか……」

「だが、大まかな位置はわかる。アンタたちになら、教えるにやぶさかじゃない」

「つまり、何か条件があるんですか?」

「なぁに、そう難しい話じゃないよ。あたしの口を割ってみな、どんな手段を使ってもいい」

 

その言葉に、思わず立香とマシュの表情が強張る。なにしろそれは、極めつけに意地の悪い課題だからだ。

『口を割る』ことが話すための条件。そんなもの、条件として成立していない。要は、腕づくでしゃべらせてみろと言っているのと同じだ。そして、正攻法ではそれが不可能であることを立香は悟っていた。

 

「……そんなに俺たちが嫌いですか」

「アンタたち個人に含むところはないさ。アンタらが礼を弁えていることも、力に訴える輩じゃないこともわかってるつもりだよ。だが、人間族にはいろいろ思うところがあるんでね」

「民族対立ならぬ種族対立かぁ……」

「さぁ、どうする?」

「先輩……」

「フォウ?」

 

この老婆は、きっと何をされても口を割らない。少なくとも、尋問や拷問の類は意味がないだろう。

そう悟らせるだけの凄味が、その老いさばらえたはずの身体から滲み出ている。

 

「いこう」

「はい、先輩!」

「フォウフォウ!」

「おや、良いのかい?」

「ええ、あなた言ったことですよ。力に訴えるように見えないって。ならせめて、その評価くらいは守りたいですから」

 

無理矢理口を割らせる方法も、ないわけではない。本職のキャスターがいないので厳しくはあるが、時間をかければ立香の暗示で何とかなるかもしれない。本当に手段を択ばないのなら、段蔵に任せるのも手だろう。

だが、立香はそれを善しとはしない。そんなことをするくらいなら、あるいは仲間にさせるくらいなら、大人しく正確な場所のわからないまま氷雪洞窟を目指す。

 

「お人好しだねぇ」

「そうでもないですよ。今までいろいろ……本当にたくさんのものを犠牲にして、踏みにじってきました。でもだからこそ、できる限りそういうことはしたくないんです」

「……あぁ、人間族が…いや、みんながみんなアンタみたいな馬鹿ばかりだったら、世界はもう少し違ったのかもしれないねぇ」

 

噛み締めるように紡がれる言葉。老婆の過去に、いったい何があったのか立香には知る由もない。

ただ、なんとなく察することはできる。きっと彼女個人にも、人間族に対する確執があるのだろう。

厳密に言うなら立香たちとこの世界の人間族はイコールではないのだが、外見的には同じ区分になる。そんな理屈は通じないだろう。

 

「それじゃ、俺たちはこれで失礼します」

「貴重なお話、ありがとうございました」

「できるだけ急いでここを離れるので、早めに集落の人たちを呼んで安心させてあげてください。きっと、あなたのことを心配して……」

「おばあちゃ―――――――――ん!!」

 

住居から出ようとした立香たちの先手を打つように飛び込んできた、小さな人影。

それは転がり込むように…いや、文字通りゴロゴロ転がりながら老婆の手前で静止。

ガバッと体を起こすと、掴みかからん勢いで老婆に詰め寄ったのは一人の少女だった。

 

「大丈夫!? ケガしてない!? 痛いところは!?」

「セリス!? あんた、こんなところで何してんだい!?」

「何してるはこっちのセリフだよ! いきなりみんな血相変えて集落から離れるし! なのにおばあちゃんはいないし! 探しに行くって言っても止めるし! 抜け出すの大変だったんだから!!」

「あ~……ったく、その無駄な行動力は姉に似たのかねぇ?」

「お姉ちゃん? お姉ちゃんもそうだったの?」

 

頭痛を抑えるようにうめく老婆に、セリスと呼ばれた青髪の少女が可愛らしく首を傾げる。

見たところ、年は十歳前後といったところか。天真爛漫、という言葉が擬人化したように生命力に溢れた印象を受ける少女。顔立ちも大変整っており、将来はさぞ美人になるであろうことがうかがえる。

話を聞く限り、彼女はまだ口伝については詳しくないらしい。まぁ、外見年齢を見れば当然の話だが。そして、知らないからこそこうして老婆を心配して駆けつけてきたのだろう。それがどうにも微笑ましく、立香もマシュも口元が緩むのを抑えられない。

 

「お孫さんですか?」

「正確には、もうちょい離れてるんだけどね。こんな集落だ、どいつもこいつも肉親みたいなもんさね」

「……そういえば、あなた達なに?」

「なにって言われると……なにかな?」

「強いて言えば旅人、でしょうか?」

「そうじゃなくて、あなた達人間族でしょう! 私知ってるんだから! 顔が青白くって耳も丸っこいし!」

「あぁ、魔人族的に見るとそういう風に見えるんだ」

「はい。別の種からの視点というのは、中々に興味深いです」

 

緊張感の欠片もなく頷き合う二人。セリスの方は敵愾心を隠そうともしていないが、ぶっちゃけ二人からすればどうということもない。ことさら無視しているわけではないし、敵意を向けられていることもわかっているが、脅威を一切感じないのだから仕方ないだろう。まぁ、少女的にはそれが気に食わないのだが。

 

「なんで人間族がここにいるのよ! おばあちゃんに何するつもり!」

「え~っと、とりあえず何かするつもりはないというか……」

「はい、私たちは今から帰るところだったので」

「え? ほんと?」

「うん」

「はい」

「そ、そうだったの……それは、その…怒鳴ってごめん、なさい?」

 

自信なさそうに首を傾げつつ謝罪するセリス。そこには、既に敵愾心の欠片もない。言っておいてなんだが、こんなにあっさり信じてしまって大丈夫なのか心配になってくる。いや、別に嘘をついたわけではないし、信じてもらって一切問題はない……が、やっぱり色々不安になるのは如何ともし難い。

まぁ、こんな小さな女の子に敵意を向けられても困るので、立香たちにとっては有難い話だが。

 

「もしかして、この集落の人たちってみんなこうなんですか?」

「馬鹿をお言いでないよ。この子が群を抜いて人を疑うってことを知らないだけさね。まぁ、他の連中に比べれば隔意は少ないかもしれないが、それでもないわけじゃないんだよ。国中動き回っていれば、色々なものを見ることになるからね」

 

たしかに、それは当然だろう。魔人族の領域から外には出ないらしいので、当然ものの見方は魔人族寄りになる。ならば、どう上手くやったところで人間族への隔意と無縁ではいられまい。

それでも、今の時世を考えればセリスのそれは奇跡的なレベルだが。

 

「それじゃ、今度こそ失礼します」

「セリスさん、でよろしかったでしょうか?」

「なに…じゃなかった、なんですか?」

 

躾がいいのだろうか。丁寧に対応されれば、それに相応しい態度で返そうとしてくれている。

 

「ご心配なく、私たちはおばあさんに何もしていませんよ」

「そう、みたいね…ですね」

「おばあさんのこと、大事になさってください。それでは」

「…………お待ち」

 

そのまま去ろうとする立香とマシュを、老婆が呼び止める。二人が首を傾げながら振り向くと、老婆はセリスにあれこれと指示を出し始めた。

 

「セリス、紙とペンを用意しな。あと封蝋も」

「え? おばあちゃん?」

「いいから早くおし!」

「は、は~い!」

 

言われるがまま、慌てて用意を進めていく。何が何やらわからず突っ立っていることしかできない二人を尻目に、老婆は手早く紙にペンを走らせると羊皮紙製と思われる封筒の中へ。そして、青い蝋を蝋燭で溶かして封をすると、その上に右手にはめた指輪を押し付ける。

 

「持っておいき」

「もしかして、氷雪洞窟の場所ですか!?」

「違うよ」

「そ、そうですか……」

 

ばっさり切り捨てられ、さしものマシュも頬が引き攣る。

 

「さっきも言った通り、詳細な場所はあたしらにもわからない。だが、知っている奴なら知っている。これはまぁ、紹介状みたいなものさ。この子を前にして、それでも何もしないお人好しさに免じてね」

「例の、神代魔法を得た軍の幹部って人ですか?」

「まぁ、あながち間違いじゃない。いま、こちら(魔人族)側には二人神代魔法の使い手がいる。一人は『フリード・バグアー』、もう一人が『フェリシア・グレイロード』……って言っても、アンタらにはわからないか」

「あ、その人私のお姉ちゃん、会ったことないけ…クピッ!?」

「余計なこと言うんじゃないよ!」

 

勢いよく落とされた拳骨に悶絶するセリス。相当痛かったらしく、目は涙目でプルプル震えている。

だが、老婆はそんなことなどなかったかのようにさっさと話しを進めていく。

 

「氷雪洞窟を攻略したあの子なら、当然場所を知っているはずさ。ま、上手い事取り入ることだね」

 

つまり、知っている人物の情報と、その人物宛に一筆書いてくれる程度には信用してもらえたらしい。

 

「ちなみに、居場所は?」

「大体王都のあたりにいるはずだが、割とあちこち飛び回ってるらしいからね。落ち着きがないのは昔とちっとも変わっちゃいない」

「それ、会うだけでも一苦労なんじゃ……」

「いらないなら返しな」

「いえ、もらっておきます」

 

とはいえ、立香たちの場合王都に立ち寄ることはおろか近づくことすら難しい。いや、突入することもやろうと思えばできるが、当然それに比例した大騒動になるだろう。徒に魔人族を傷つけるのも、問題を引き起こすのも本意ではない。

というか、ここで立香たちが魔人族の政治的中枢に近寄ったりすれば、それこそ開戦のきっかけになりかねないのではないだろうか。それをわかった上でやっているとしたら、やはり相当いい性格をしている。

 

「最後に、一つ教えてください。その人は、この集落の出身なんですよね?」

「ああ。だが、セリスくらいの時に飛び出していった家出娘さ。あの年じゃ、今頃すっかり敬虔な信徒様になっていても不思議じゃない。それでなくても、軍の幹部様って話だ。精々口八丁手八丁で上手くやることだね。

 ま、それもこれも会うことができればだけど」

「色々ハードル高いなぁ……」

「はい。割と無理難題です」

「まぁ、それでもないよりマシだし、有難くいただきますけど」

「そうしな…………アンタらの未来が『自由なる意志の下にあらんことを』」

「あ、あの! もしも会えたら私のこと伝えてください! “いつか会いに行きます”、“頑張って”って!」

 

そうして、立香たちは解放者縁の集落を後にする。

迂闊に王都に近づくことはできないので、とりあえずはシュネー雪原を目指すことにして。

よもや、この日からそう間を置かずに件の人物と出会うことになるとは、夢にも思わない立香たちであった。




本編中では書かなかった、ないし書けなかった裏話。

・集落の性質上、フェリシアはいまどこに家族がいるのかすらわからないので、飛び出したっきり一度も里帰りしていません。一応探しているのですがそれでも見つからないのは、長年に渡ってエヒトたちの目を掻い潜ってきたからこそです。まぁ、取るに足らないので本腰入れて探していないというのもありますが。

・セリスの年は10歳、フェリシアが飛び出した後に生まれたので彼女は妹がいることすら知りません。でも、セリスの方は色々なところでフェリシアの噂を聞くので「自慢のお姉ちゃん」と思っています。

・集落の長の婆さん、実は昔弟妹を人間族に殺されてます。長い時間が経っているので激しい敵愾心こそありませんが、結構根の深い確執はあります。おかげで、こんな面倒なことに。

・実は、長は代々「ヴァンドゥル」を襲名しているが、それが何を意味するかは失伝しているので不明。

・本来、魔力操作や固有魔法を持つ子どもは神に利用されないために集落から出ること自体を禁じられるのですが、フェリシアは持ち前の有能さと行動力で抜け出してしまいました。もしも帰ることができたら、確実に大目玉をくらいます。


だいたいこんな感じ。次回、ようやく…ようやく? フェリシアと立香たち一行が出会う……はず。


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020

いよいよ……というほど引っ張ってはいませんが、第三章も山場に入ろうとしています。できれば、GW中に山場を越える…とまではいかなくても、山のてっぺんくらいにはいきたいなぁ、とは思っています。


立香たちが魔人領で氷雪洞窟の手掛かりを求めて右往左往していた頃、こっちはこっちで騒動の渦中に飛び込む羽目になったハジメたち。

 

当初は、便宜上登録している「冒険者」っぽく適当に依頼など受けながら、ホルアド経由で神山を目指す予定だった。

だというのに、いったいどこで何を間違ったのか……。

 

『ウル』という湖畔の町で愛子と再会し、変わり果てたハジメに対しても「先生」として心を砕いてくれたのは良い。ハジメとしても色々と考えさせられたし、変わらず慮ってくれたことには感謝している。

問題なのはそれ以外だ。依頼を遂行しようとしたら黒竜と戦うことになったところまでは許容範囲。ハジメたちをして中々に手古摺らされ、確実にトドメを刺そうと尻にパイルバンカーしてからが最悪だった。黒竜は実は滅んだとされる竜人族で、件の一撃でおかしな扉を開い(性癖に目覚め)てしまったのである。その結果、黒竜…ティオ・クラルスは元凶であるハジメを「ご主人様」と呼び、「ご褒美」と称して暴行や罵倒を求め、軽蔑と嫌悪の視線を向ければ発情するド変態と化したわけだ。

ついでに、なし崩しというかなんというか……結果的にウルの町に迫っていた万を超える魔物の群れを殲滅することになり、自分たちの戦力を衆目に晒すことになってしまった。

 

人生がままならないなんてことは奈落の底に落ちた時に嫌という程痛感したが、ハジメをしてこの状況には重く深いため息をつかずにはいられない。特に、当然のようにハジメたちに同行しているティオ(駄竜)には。

 

だが、この駄竜……意外なことに、(多大な労力と引き換えに)その変態性にさえ目を瞑れば知識も思慮も深く、強力無比な戦闘能力を有し、外見は極上の美女。かといってそれらに驕ることなく他者とわかり合う努力を怠らない、実にできた人物なのだ。

まだティオと出会って間もない間柄だが、彼女の突出した能力とそれ以上に優れた人間性に疑問の余地はない。まぁ、そんな得難い長所の数々も、唯一の欠点である「変態性」ですべて台無しになってしまっているが。

 

しかし、たとえ台無しになっていたとしてもそれらがなくなったわけではない。

例えば今も、一人黙々とハジメ直伝のガンカタに磨きをかける香織の異変に、彼女は気づいていた。

 

「……………」

「夜も遅いというのに、精が出るのぉ香織」

「変…じゃなかった、ティオ?」

「!? ハァハァ…いま、名前ではなく『変態』と言いそうになったじゃろ! んっ、んっ! ま、まったく、ご主人様と言い、何と弁えた仲間たちなのじゃ……」

「私、いますっごくユエに同情してる。憧れの人がこれ(変態)じゃ……」

 

『ケンカするほど仲が良い』を地で行く間柄の二人。普段は罵り合ったり取っ組み合いをしたりしてばかりだが、深い場所ではお互いへの強い信頼と親愛がある。だからこそ、香織は今夜ハジメの隣で眠る権利をユエに譲ったのだ。表面的にはいつも通りだが、その実憧憬の対象からのあまりにもあんまりな裏切りに打ちひしがれていることに気付いていたから。

まぁそれとは別に、香織は香織で今夜は訓練に没頭したい気持ちだったというのもある。

 

「しかし、熱心な割に今一つ集中できておらん様じゃが?」

「それは……」

「まぁ、無理に話せとは言わんよ。ただ、あまり根を詰めるのもよくない。ちょいと、一休みなどどうじゃ?」

 

そういってティオが差し出してきたのは良く冷えたタオルと熱すぎず温過ぎないお茶。

香織はそのソツの無さに若干うすら寒そうな顔をしつつ、有難く受け取る。

実際、火照った体に冷たいタオルは心地よく、お茶の芳香と喉を通る温かさにホッとする。

 

「………………………」

「………………………」

「………………………」

「………………………」

「……何も聞かないんだ」

「言ったじゃろ、無理には聞かんと。妾もちょうど、星を見たい気分じゃったしの。しばらくこうしておるから、気が向いたら話せばよい」

 

そのまま、無言で星空を見上げつつお茶に口をつける二人。カップが空になると新しいお茶を水筒から注ぎ、香織もお返しする。そんな時間がどれほど過ぎただろう。微かな迷いを抱えたまま、香織は躊躇いがちに口を開いた。

 

「ねぇ、ティオ。別に、私の話じゃなくてもいい?」

「む、構わぬが?」

「じゃぁさ、答えたくないなら答えなくていいし、もしかしたら怒るかもしれないんだけど……」

「なんじゃ、妾のことか? であれば、気にせず聞くがよい。相互理解のためには、どちらかの話だけでは意味がない。妾も、話せる限りのことは話すつもりじゃよ」

「……すごくふわっとしたことなんだけど、なんでティオは星が見たくなったの?」

 

確かに香織の言う通り、その問いには具体性の欠片もない。だが、ティオはそれを理由にはぐらかすようなことはせず、香織の問いに真摯な表情と声音で答えてくれた。

 

「そうさのぉ……我ら竜人族は500年前に滅んだ。あくまでも歴史の上でじゃが、そのことは知っておるじゃろ?」

「うん。竜人族のことは、何度かユエから聞いたことがあるから」

「かつてあった我らの国にはあらゆる種族が暮らし、共に手を携え合っておった。確かに我らの固有魔法は人々に大きな恐れを抱かせるじゃろう。だからこそ、我らは自らを厳しく律して生きておったつもりじゃ。“恐れ”を“畏れ”に、そして“畏怖”へと昇華するために」

「“真の王族”なんて呼ばれてたんだよね」

「うむ。そして、それこそが我らの誇りじゃった。強力な固有魔法も、強靭な竜鱗も、鋭利な爪牙も、何もかもそれに比べれば塵芥に同じよ。じゃが、僅か数年のうちに我らは神の敵“神敵”とされていた」

「…………」

「その時にはもう、世界の流れは覆しようのない状態じゃった。故に、我らは滅んだように見せかけ、隠れ里を作り神の目から身を隠したのじゃ。いつの日か汚名を雪ぎ、同胞たちの無念を晴らす日が来ると信じて」

「それがいま?」

「わからぬ。じゃが、確実に世界は大きく動こうとしておる。人間族と魔人族の力の均衡は崩れ、ご主人様とお主たちという“特異点”が現れたのじゃ。そう期待しても、罰は当たるまいて」

 

星を見上げながら、ティオは何かを噛み締めるように口を閉ざす。

言わんとすることはわかるが、香織には到底理解が及ばない。きっと、500年前の出来事でティオも身近な人たちを大勢失ったはずだ。その悲しみを乗り越え、怒りと憎しみに耐えた500年。僅か100年足らずの寿命しか持たず、平和な国で育ってきた香織には想像もできない世界の話である。

 

「……やっぱり、解放者の人たちが言う通り、この世界の“神”はそういうものなんだね」

「解放者たちに“義”があるかどうかはわからぬ。生憎、我らにも彼らのことは伝わっておらぬからのう。じゃが、少なくとも神については(まこと)じゃ。人々を操り、世界を歪ませる存在……いつか討たねばならぬ、世界の、我らの敵じゃ」

 

ティオが言う「我ら」とはハジメたちのことではない。この世界で生まれ、育ち、死んでいく隣人たち。そのことを、香織は正しく理解していた。

 

「…………………ティオ、私は」

「皆まで言わずとも良い。お主らは巻き込まれただけに過ぎず、元よりこの世界の事情など関係ないのじゃ。お主もご主人様も、ただ元の世界に帰ることだけ考えていればよい。この世界の問題は、この世界で生きる者たちの手で解決すべきなのじゃからな」

「…………うん」

 

あるいは、ハジメであれば何のためらいもなく首肯したのだろう。

だが、心優しい香織にはそこまで割り切ることはできなかった。彼女の中での最優先事項はハジメであり、ハジメと世界であれば天秤にかけることすらしない。しかし、この世界とそこに生きる者たちのことなど知ったことか……と口にすることもできない。この世界で出会い、心を通わせた人たちがいる。果たして、彼らを神のいいように弄ばせていいのだろうか。

 

「……………はぁ~」

「なんじゃ、溜息をついておると幸せが逃げていくぞ」

「うん……でも、なんていうか…情けないなぁって」

「……」

「ハジメ君もそうだけど、ユエと…シアもたぶん躊躇わない。だけど私は……まだどこかで、何かできることがあるんじゃないかって思っちゃってる」

「ご主人様たちの思い切りの良さは長所じゃ。しかし、お主のその優しさも得難いものじゃよ。決して、蔑ろにして良いものではない」

「……でも、私は弱い。弱いのに、あれもこれもって望もうとしてる」

 

香織とユエやシアでは力の方向性が違うだけ、というのはわかっている。別に、直接戦力に乏しいことで仲間たちに対して劣等感を抱いているわけでもない。

力で劣っていることはわかっているが、それでもこの“想い”一つあれば胸を張っていられる。

 

ただ、それとは別に…望み叶えるにはそのための力が必要なのも事実。

そして、香織が望もうとしていることには直接的な意味での“力”が必要になる。それが乏しいにもかかわらず、手に余る望みを抱こうとする自分に呆れているのだ。

 

「あの時…ハジメ君を探すために立香さんたちについていく時、決めたんだ。ハジメ君への想いを、何よりも優先するって」

 

そのために、身勝手と知りつつ幼馴染やパーティーメンバーを置き去りにしてきた。

申し訳ないとは思うが、悔いはない。

 

「なのに、まだ未練がましく色々考えちゃってる。今回のことだってそう。せめて、カードの力をもう少しでも安定して使えたらって……都合が良いにもほどがあるよ」

「しかしのぅ……使い込んで習熟しようにも、そのカードとやらは相当負荷が大きいのじゃろう?」

「うん。特に相性のいい(英霊)を見繕ってもらったけど、それでも一回使ったらしばらく完全にお荷物になっちゃうくらいには」

 

確かにそれでは、安易に使って練習するわけにもいかない。この辺りは雫も同様で、一度確認のために使ってからは以降一度も使っていない。何しろ、半日以上にわたって大幅にステータスが落ちてしまう。これでは、よほど使用後に時間的余裕があると確信できる時でもないと使えないのだ。

加えて、あれは一時的に自身の魂を上書きするに等しい。繰り返し使うことで、いったいどんな反動があることか……。

 

「女神『パールバティー』じゃったか?」

「うん。本当は他にも何人かいたんだけど、複数のカード(サーヴァント)を使い分けるのは未知数な部分が大きいからって一人に絞ったんだ」

 

ちなみに、傾向として回復系の宝具やスキル持ちが多かった。しかし、回復は一応素でもできるので、ならせめて切り札くらいは戦闘に参加できるタイプを選びたかったことから、この愛の女神さまを選んだ次第である。

 

「そして、ご主人様はあまり使わせたくない様子じゃったのに、強引に押し切ったと……」

「あの状況だと、私にできることはハジメ君から銃を借りての支援と“廻聖”で魔力のやり取りをするくらい。魔力は魔晶石で何とかなるし、回復魔法の出番はなさそうだったんだもん。身体強化しても重火器は振り回されちゃうし……狙撃よりも、手早く殲滅しちゃった方が良いかなぁって。だけど、実際にはうまくいかなかったんだけど、ね」

「いや、実際お主がカードを使ってからはだいぶ楽になった。ユエですら、あの雷霆には対抗心を燃やしておったほどじゃし」

 

香織の判断はあの時点ではそう間違ったものではない。だからこそ、ハジメも多少渋りはしても受け入れたのだ。

誰かがケガをする前に終わらせる……その発想は正しい。むしろ、あの時点で殲滅後の展開を正確に見通せという方が無理難題なのだ。

だから、香織がカード使用の反動で動けなくなったことも、状況の早期終結でつり合いは取れている。シアや愛子が重傷を負い、クラスメイトの一人が致命傷を負ったとしても、少なくとも香織が一人で責任を感じることではない。

 

「強く、なりたいなぁ」

「……」

「カードを使いこなせるくらい、あるいはカードに頼らなくてもいいくらい。みんなを助けて、それで肩を並べて戦える力が欲しいよ」

「欲張りじゃのぅ。仲間を回復しつつ、自身も前に出て戦う…治癒師の王道からかけ離れておるぞ?」

「わかってるけど……」

「香織、お主の気持ちもわからなくはないが、治癒師はどうしても後衛に属する天職じゃ。妾たちのように、前に出て戦うというのは難しいと言わざるを得ん。銃…というたか? お主の腕前は認めるが、ご主人様ほどではない。お主のそれは、あくまでも自衛のためのものじゃ。敢えて言わせてもらうが、決して前に出ようとは思ってはならんぞ。ユエは例外としても、お主の魔法は我らにとって生命線となり得る。今はまだお主の力を頼る場面は少ないが、いずれその時が来るかもしれん。その時お主は、最後まで立っていなければならないのじゃ。例え、ご主人様が倒れたとしても。我らを、ご主人様を助けられるのはお主だけなのじゃから」

「…………………………うん」

 

ティオの言っていることはわかる。香織の言っていることが、子どもの我儘に等しい無茶な希望だということも。

それでも願わずには、望まずにはいられないのだ。ただ守られているだけのお姫様では、いたくない。

 

「だから、なのかな? ハジメ君、私のこと凄く大切にしてくれてるんだけど……」

「大切にされるのが不満かの? シアが聞いたら発狂するじゃろうなぁ」

「そ、そうじゃなくて! 大切にしてくれるのは嬉しいんだけど、ユエの方が頼りにされてるっていうか、もう少し私のことも頼ってほしいというか……」

「……ご主人様はお主のことも信頼しておるよ。ただ、治癒魔法を必要とする場面がまだ少ないというだけじゃ。

 だからこそ、先生殿の時にお主が動けない状態にしてしまったことに思うところがあったんじゃろう」

「でも、それは私が無理を言ったからで……」

「それこそ、ご主人様が許可したことじゃ。それに、お主とユエでは求められているものが違う」

「求められているもの?」

「うむ。確かに、ご主人様はユエを頼りにしておる。あるいは、ユエにだからこそ見せる弱さもあるやもしれん」

「…………それは、私もそう思う。ハジメ君、私にあんまりそういうところ見せてくれないんだ」

「そう、お主の前では弱さを見せない。というより『弱いところを見せたくない』というのが正しいかのぅ」

「だからそれは……」

 

ティオの考察に、香織の表情が沈む。ユエのことは対等のライバルと思っているが、徐々に差が開き始めているのではないか、と。

だが、それは違うとティオは告げる。その顔に、微笑みを浮かべながら。

 

「もう少し(おのこ)の意地も察してやるがよい。『弱味を見せない』と『弱いところを見せたくない』は似て非なるものじゃ。ご主人様も、しっかり年頃ということじゃよ」

「え?」

「ユエは見た目はああじゃが、年上で貴顕の出じゃからのぅ。なんだかんだと甘えさせるのが上手い。言うなれば、ご主人様の弱さを受け止めるのがユエの役割じゃ。そして、その逆が……お主じゃよ」

「私?」

「お主の役割はご主人様の強さを引き出すこと。お主の前であれば、ご主人様はいくらでも強くあれる。

 ユエが弱さを受け止め、お主が強さを引き出す。三人そろえば最強間違いなしじゃな!」

「ぁ……」

「その様子じゃと、何か心当たりがあるようじゃのぅ」

 

脳裏に浮かんだのは、まだハジメが奈落に落ちる前のこと。香織がハジメに出会った日のことであり、ホルアドの宿であの日のことを伝えた夜のこと。

香織はハジメに伝えたのだ「私の中で一番強い人は南雲君なんだ」と。だからこそ、ハジメは香織の前では強くあろうとしている。愛しい少女を失望させたくないから。それが意識的にか、無意識になのかはわからないが。

 

「そっか、比べる必要なんて……ないんだ。私たちは、三人で最強なんだから」

「まぁ、もう三人どころではないがのぅ」

「ティオ」

「む?」

「ありがとう」

「ふふっ、なに礼には及ばんよ。年長者として相談に乗っただけのことじゃ」

「普段からそうしてれば、ハジメ君も頼りにしてくれると思うんだけどなぁ……」

「ご主人様に頼られる、か。それはそれで甘美じゃが……妾としては、やはりお仕置きの方が……ハァハァ」

(ブレないなぁ……)

 

ユエが竜人族を尊敬し、憧れていた理由が理解できた夜だった。

同時に、それを軽く上回るティオの残念さを改めて目の当たりにした夜でもあった。

 

 

 

  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 

 

 

「どう、進めそう?」

「できないこともありませんが、折れた枝などが飛んでこないとも限りません。できれば、どこか物陰でやり過ごした方が良いでしょう」

 

解放者縁の集落で氷雪洞窟への“手掛かりの手掛かり”を得て丸二日。

ようやく止んだと思った雨は、突風を伴いさらに勢いを増して降り出した。風速や降雨量を測る方法がないので詳細は不明だが、最早“台風”の直撃と大差ないレベルだろう。

おかげで、少し進んでは引き返しの繰り返しで、ほとんど前に進めていない。

 

「この雨量と風だもんなぁ」

「人里に入れないのは仕方ないとしても、せめて洞窟か何かがあればいいのですが……」

「右を向いても左を向いても地平線。どこのサバンナってレベルで草原が広がってるから、それも望み薄かなぁ」

 

風で飛ばされてくるものが少ないのが救いだが、それでもポツポツと樹木は点在している。今も突風に煽られ、幹が今にも折れそうなほどしなっている。アレが折れて飛んで来たら、いくらハジメ謹製のハインケルといえど無事では済むまい。それなり以上には頑丈なつくりだが、衝突の衝撃に突風の煽りも受けて横転しかねない。その意味でも、どこかで嵐が通り過ぎるまでやり過ごせるとありがたいのだが……。

 

「フォ~ウゥ……」

「何日も缶詰め状態だからなぁ。フォウもすっかりダレてるし……少しでも外に出て、気晴らしできればいいんだけど」

「一応かなり遠方に山は見えますが、そこまで行ってみますか先輩?」

「う~ん……また川か何かで足止めされそうな気がする。こんな状況じゃなければ無理矢理渡河することもできるだろうけど、この雨でしょ?」

「十中八九、氾濫しているでしょう」

「仮にしていなくても、濁流で渡るのは危険じゃないかなぁ」

「ハハハハハハハハハ! いやぁ、嵐というのはなぜこうもワクワクするものなのでしょうなぁ! 我輩、年甲斐もなく胸が高鳴ってなりませんぞ! 実に筆が進みます!」

(この野郎……)

 

嵐が酷くなるにつれてテンションが上がっていくシェイクスピアにイラっとしつつ、深呼吸を繰り返して抑える。「相手にするとつけあがる」と自分に言い聞かせながら。

 

とはいえ、やはり情報が足りないというのは大問題だ。聞き込みなどで氷雪洞窟の手掛かりを得ることを諦め、件の集落で貰った紹介状の相手についても「会えたらいいなぁ」くらいの気持ちで、一路シュネー雪原を目指すことにしたのだが、天候以外の要因も相まってなかなかうまくいかない。進もうとしては川や森に阻まれて迂回し、迂回した先で河川の氾濫で水没した平野に出くわし、慎重に向こう岸に向かっていたら魔物の群れに襲われ……そんなことをいったい何度繰り返したことか。

ハジメがカルデアの技術協力を得て作り上げたハインケルの踏破力は、地球の軍用車を軽く上回る。だが、それにも限度というものがある。いくら何でも谷は飛び越えられないし、森の中を突っ切れば車体へのダメージは相当なものになる。当然、氾濫した河川を渡るなど以ての外だ。

おかげで、ただでさえあやふやだって現在地が、さらに混迷を極めてしまった。今自分たちが魔人領のどのあたりにいて、どの方角にシュネー雪原があって距離はどんなものなのか、割と怪しくなっている。

 

「ところでアルトリア、気付いてる?」

「ええ、見られていますね」

「えっ! まさか、監視されてるの?」

「この嵐の中でですか?」

「うむ、昨夜から視線のようなものは感じていたが、やはり吾の勘違いではなかったか」

「藤太さんまでとなると、勘違いではないのでしょうね」

 

クラスの関係上、ランサーやライダーであるアルトリアとブーディカより、アーチャーの藤太の方がその手の感知能力は高い。二人に加えて藤太までそういうのなら、まず間違いないだろう。

 

「おぉ、これは波乱の予感がしますぞ!! “悲報が訪れる時は、軍団で押し寄せてくる”と相場は決まっております。ここはいっそ、魔人族の軍隊と全面対決…くらいは行ってほしいところですな。風雲雷雨の中での決戦、陳腐ではありますが大いに盛り上がること請け合いです! マスター、ぜひうまく立ち回っていただきたい!」

「生き生きしちゃって…楽しそうですねぇ。その時にはシェイクスピアも戦ってもらうから、そのつもりで」

「え? 戦えとかそんなこと言われても、我輩執筆で忙しいのですが」

「ちょっとはマスター守ろうとか思わないかな!?」

「ハハハ、ご冗談を! むしろ、我輩をこそ守っていただきたい。身を呈して配下を守る主、実に美談ではありませんか! おや、頭を抱えて如何なさいましたマスター? ふむ、ちなみに今の心境をうかがっても?」

「超ウゼェ……」

「フォウ……」

 

そういうサーヴァントだということはわかっているが、それでもウザいものはウザイのである。

 

「しかし、その割には頼光さんは落ち着いていますね。いつもなら、真っ先にピリピリするはずなのですが……」

 

実際、人里で門前払いを食う度に……というか、立香に敵意や嫌悪の宿った視線が向けられるだけで不機嫌さがMAXになっていたので、暴れだしそうになる彼女を宥めるのにはたいそう苦労した。

だからこそ、俄かには信じられないのだ。アルトリアたちの話が本当なら、頼光が大人しくしているはずがない。この状況下で立香たちを監視している者達など、魔人族……それも穏やかならざる目的の持ち主しか考えにくい。

そんな連中の視線が向けられて、どうして頼光は備え付けのキッチンで穏やかに夕食の支度をしているのか。気付いていない、というのも考えにくいのだが。

などと考えていると、噂をしたら影……ではないが、キッチンからエプロン姿の頼光がひょっこり顔を出してきた。

 

「おや、どうかなさいましたか?」

「ふむ、頼光殿。どうやら我ら……というより、マスターを監視されているようなのです。まったく、不埒な輩もいたものですなぁ! いったいマスターに如何なる魔の手を伸ばすつもりなのやら。忠実なマスターのサーヴァントとして、実に許し難いとは思いませんか?」

「フォッ!?」

「なに煽ってんの、この似非英国紳士!?」

「やめてください、シェイクスピアさん!?」

「いったいどの口で『忠実』などと口にしているのでしょう、あの男は」

「厚顔無恥の生きた見本だよねぇ」

 

自分のことを天高く棚上げにしたシェイクスピアの物言いに、アルトリアとブーディカが心底呆れた視線を向けている。まぁ、その程度でわが身を顧みるような殊勝な精神など、この男は持ち合わせていないが。

しかし、大方の予想に反し、頼光の反応は実に落ち着いていた。

 

「ああ、それでしたらわたくしも存じ上げております」

「「「あれ/おや?」」」

 

慈母の微笑みを浮かべる頼光に、立香たちがそろって首を傾げる。

 

「あらあら、どうかなさいましたか?」

「あ、いや……」

「なんというか、その……」

「如何なされた頼光殿! もしや、悪いものでも食べたのでは!?」

「フォウフォウ」

 

気持ちはわかるが、率直に口にできるシェイクスピアに一瞬尊敬の念が湧きそうになる。まぁ、あまりにもデリカシーに欠けるので、即座に軽蔑の念に押しやられたが。

とはいえ、気持ちはわかる。すっごく良く分かる。だって、どう考えたってオカシイ。

 

「アレの戯言は置いておくとして、いったいどうしたのです? あなたらしくもない」

「だよねぇ。霊基の調子でも悪い? 料理代ろうか?」

「うぅむ、これはもしや本当に天変地異の前触れか?」

「あらあら、うふふ……理由は良く分かりませんが、何やらご心配をおかけしてしまったようですね。大丈夫ですよ、マスター。母は至って元気ですから。ええ、この場にあの“()”がいれば、最速で退治してしまえるくらいに」

「あ、いつもの頼光だ」

「はい、いつもの頼光さんですね」

 

それまでの慈母の表情が嘘のように、鬼女の面相を浮かべる頼光にドン引きする。特に「最速で退治」と言った瞬間の凄絶な笑み……アレは本気だった。この場に茨木か酒呑がいればまっすぐ斬りかかっていただろう。

そのことにはちょっと安心した……いや、安心していいかよくわからないが、それでもいつも通りなのは確かだ。だがそうなると、どうして監視の方はスルーしているのだろう。

 

「ねぇ、頼光」

「あぁ、マスター。常々申し上げているではありませんか。わたくしのことは、是非“母”と……何でしたら、現代風に“ママ”でもよいのですよ?」

「勘弁してください」

「……そう、ですか。なぜ金時もマスターもわたくしを母と呼んでくれないのでしょう? 母は、母は泣いてしまいます、ヨヨヨ……」

 

その場で泣き崩れ、「母と呼んで欲しい」と駄々をこね始める頼光。

普段はどれだけ理性的に見えても、そこは狂化:EXランクのバーサーカー。基本的に説得の通じる相手ではない。立香の意味不明な域に達してきたコミュニケーション力を駆使して尚、一時間以上の時間を費やし、なんとか彼女にも受け止められる形で説得は成功した。いや、根本的には何の解決にもなっていないのだが。

 

「なるほど、これが思春期というものなのですね。承知しました、これもマスターの成長に必要なことならば、母は断腸の思いで耐えて見せましょう」

「フォウ?」

(俺も金時も、別にそういう年じゃないんだけど……)

「そ、そんなことより……」

「そんなこと?」

「あ、いえ、間違えました。その話も大変重要ではあるのですが、頼光さんは監視の方はどう思われているんですか?」

「? どう、と申されましても……特に悪意や害意の類を感じませんでしたので、別段気にすることもないかと」

 

どうやら、それが頼光の反応が穏やかな理由らしい。

こと「我が子」と認識する存在に向けられるアレコレに対しては異常な敏感さを見せる人物なので、彼女がそう言うのならそうなのだろう。同時にそれは、一つの可能性を示唆していた。

 

「理由はわからないけど、悪意とかがないのなら交渉の余地があるんじゃないかな?」

「そう、ですね。なぜ魔人族が私たちに対してそういった感情を持っていないのかは気になりますが……」

「まぁ、ここで考えても答えは出ないよ。幸い、監視されてることはわかってるんだから、こっちからも調べてやればいい。というわけで、段蔵」

「ここに!」

(コソコソ……)

「そんなわけだから、嵐の中悪いけどちょっと調べてきてもらえる?」

「御意」

「あ、それと……」

(ソロ~リ、ソロ~リ……)

「そこの髭が余計なことしないようにふんじばっといて」

「どこへ行くつもりですか、シェイクスピアさん」

「我輩の行動パターンバレバレですな!?」

 

立香の意図を事前に察知し、シェイクスピアの行く手を遮るマシュ。この男のことだから絶対何かやらかそうとすると思えば、案の定。

 

「そんなに事態をこじれさせるのが楽しい?」

「最っ高に楽しいですぞ!」

「フォウ、フォウフォウ……」

「胸を張って言わないでください」

「前々から思ってたけど、“ぶっちゃけるとご子息は頭がイカれてますぞ.”ってシェイクスピアのことだよね」

「フォウ!」

「おぉっと、これは一本取られましたな。まさか、我輩の著作から引用されるとは」

「その髭剃るよ?」

「なんとぉ!? 我輩のこのダンディな髭を!? マスター、あなたは鬼ですか!?」

「鬼? マスターが? ほほぉ……」

「おっと、これは失言。頼光殿、ちょっと口が滑っただけなので、その刀を引いていただきたい……っと言っている間にまたもミノムシィ!?」

「では、行ってまいります。よろしければ、一人ずつ始末しますが」

「うん、穏便にね、穏便に」

 

なんだかんだで割と物騒な段蔵に重ねて情報収集に専念するよう伝える。

段蔵が索敵兼情報収集に出ている間、簀巻きにされて転がっているシェイクスピアの前で、頼光手作りの夕食に舌鼓を打つ。それはもう、これ見よがしに美味しそうに。まぁ、これで反省するとは全く思っていない。

それはそれとして、本来なら全員揃って食べるところなのだが、シェイクスピアはともかく段蔵はサーヴァント云々関係なく食事をしない。だからこそ、立香たちも遠慮することなく食事をしながら彼女の帰りを待つことができるのだが。

 

そうして待つことしばし。食事を終えて一服し、さらに順番にシャワーを浴び終えたころ、段蔵が帰ってきた。

 

「マスター。段蔵、ただいま戻りました」

「お帰り。さすがにこの嵐の中だと大変だったみたいだね。あ、報告は後でいいから先にシャワー浴びてきて」

「ですが……」

「いいからいいから」

「……御意」

 

マスターである立香の指示に逆らうわけにもいかず、渋々といった様子でシャワールームへと向かっていく段蔵。

もし急いで伝えなければならない情報があればそういうはずなので、だからこその対応でもあった。

その後、色々と済ませた段蔵が皆に調査結果を伝え終えたのは、日付が変わった後のことだった。

 

「魔人族の軍隊……遅かれ早かれだとは思ってたけど、いよいよかぁ」

「フォウ?」

「魔人族二十二名、魔物五十体…かなりの規模ですね。どうしますか、先輩?」

「できれば戦闘は避けたいんだけど……」

「それは難しいでしょう。既にこちらは補足されており、地の利はあちらにあります」

「その上、あっちは鳥型の魔物もいるんでしょ? ハインケルは確かに早いけど、振り切るのは難しいんじゃないかなぁ?」

「となると、後はこいつを乗り捨てて徒歩(かち)で移動するくらいだなぁ。どうする、マスター」

 

まぁ、ハインケルは宝物庫にしまえばいいので、実際に乗り捨てる必要はない。それこそ、振り切った後にまた出して乗り込めばいい。

だが、外は絵に描いたような悪天候だ。この天気の中を一時的とはいえ徒歩で移動するというのは流石に……。

 

「う~ん……そういえば、敵意云々の方は? 魔人族の軍隊なら、普通俺たちに敵意を向けそうなものだけど」

「そのことなのですが、どうやら敵の将が我らの監視をしていたようです」

「え? そういうのって、普通下っ端とかの仕事だよね?」

 

念のため、確認するように皆を見ると一様に首を縦に振っている。少なくとも、配下を統率する立場にある者がすることではない。

 

「なんでまた……」

「どうもその将は、我らを目視で監視しているようで……」

「も、目視ですか? 望遠鏡は使わずに?」

「はい。装備の中には含まれていましたが、その者と交代要員と思われる者たちは所持しておりませんでした」

「ここから3キロ以上離れてるんだよね? アーチャーのサーヴァントじゃあるまいに……」

 

この世界にも規格外の能力を持った者がいることは知っているが、魔人族にも例外はいたらしい。

まぁ、さすがに将がずっと監視している、ということはないようで、何人かで交代しながら監視しており、段蔵が見た時は偶々将がその役目についていただけのようだ。

 

「魔人族って、身体能力的には人間族と大差ないんだよね?」

「はい、そう聞いています。少なくとも、亜人族ほどの身体能力はないはずですが」

「大火山で見た人の身体と、何か関係がある……って考えた方が良いかな?」

「おそらく……」

「……身体をいじってる人、どれくらいいそうだった?」

「ほぼ全員かと」

「マジで?」

 

二十名以上いる中、そのほぼ全員が何らかの手段で身体に手を加えている。

あの時の魔人族の気迫や動きからして、サーヴァントに匹敵する…という程ではないにしろ、相当な手練れなのは立香にも想像がつく。それだけの戦力を差し向けてきているとなると、魔人族も相当立香たちのことを重く見ていることがうかがえた。

 

(あの人だけがあんな身体だったことを考えると、身体をいじっている人はそう多くないはず。なのに、そんな人を何人も動員してきている。ハジメの話だと魔人族の動きも活発になっているみたいだし、それも関係があるのかな?)

「中でも、将は別格かと」

「そっかぁ……」

「ですが先輩、悪い事ばかりでもありませんよ。少なくとも、監視についていた人達にはこちらへの明確な敵意はありません。特に将にそれがないとなれば、十分に交渉の余地があるかと」

 

確かに、マシュの言うことにも一理ある。

色々と疑問は残るが、敵意が薄いのなら交渉の席に座ることもできるかもしれない。

 

「そういえば、その将の名はなんというのです?」

「グレイロード、と呼ばれておりました」

「フォウッ!」

「先輩、それって……」

「もしかして、フェリシア・グレイロード?」

「申し訳ございません。名までは……」

「同姓の可能性は捨てきれないけど、可能性はあるか……」

「どうしますか、先輩?」

 

もし、相手が本当に「フェリシア・グレイロード」なら、より一層交渉できる可能性が高まる。

大迷宮攻略者である人物なら神についても知っている可能性があるし、あの集落の出身ならそれを受け止めることができるかもしれないからだ。まぁ、そんな人物が神の配下である軍に所属していることには違和感がある。大火山の時のように、神のことにはあまり触れていない大迷宮だったのかもしれない。

とはいえ、例の紹介状を渡すことができれば話くらいは聞いてもらえるかも。そうなれば、案内は無理にしても場所くらいは教えてもらえる可能性がある。

 

「そのためには、どうやって紹介状を受け取ってもらうか、だよね」

「そうですね……」

 

果たして、馬鹿正直に申し出て受け取ってもらえるだろうか。相手がフェリシア・グレイロードとその配下なら、敵意がない事にも納得はいく。他種族に対して無暗矢鱈に敵意や害意を抱かない価値観を持っていても、不思議ではない出自をしているからだ。とはいえ……

 

「だけど、軍の幹部なんでしょ? 立場上、話を聞いてもらうのは難しいんじゃないかなぁ?」

「うむ! 話を通すにしても、いきなり上と話すのは難しい。まずは末端からというのが筋だが、それだとなぁ……」

 

ブーディカや藤太の言う通り、いくら交渉の余地があったとしても、いきなり上同士で交渉とはいかない。

しかし、下から話を挙げてもらうというのもいろいろと難しい。

 

「…………………………………………………………いっそ、先手を打ってみようか」

「先輩?」

「場所はわかってるんだし、こっちから直接乗り込んでみるのはどうかな。どうせ遅かれ早かれ向こうも何かしらのアクションはしてくるだろうし、先手を打った方が主導権握れるかもしれないしさ」

「……確かに、現状私たちが打てる手ではそれが無難ですか」

「少なくとも、後手に回るよりかは可能性はありそうかなぁ」

「ええ。それに、ふふふ……もし聞く耳を持たないときは、聞かざるを得ないようにすればいいだけですから」

(マシュ)

(はい。戦闘は他の皆さんにお任せして、頼光さんは全力で止めます。任せてください!)

(お願い、俺もできる限りのことはするから)

 

多少不安はあるが、なんにせよ方針は決まった。決行は雨足が弱まるか、夜が明けた直後。この豪雨の中ではさすがに交渉どころではないが、かといって後手に回らないための折衷案だ。

この一石がどのような波紋を巻き起こすかは、やってみなければわからない。




次回、ついにフェリシアとの直接対面、となります。
もしかすると、次回はフェリシア側の展開になるかもしれません。まぁ、書いてみないとわかりませんが。

P.S
ジーク君実装、ヒャッホ――――――――ッ!! でも、まさかキャスターとは…いや、確かに彼自身はキャスターが適正とは思いますけどね。


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021

これは、立香たちとフェリシアが出会うより少し前のこと。

 

「ふぁ~……いや、こんな夜中になんだよハジメ」

「フォ~……」

「なぁ立香、ちょっと聞いてくれ。というか聞け」

「ん~?」

 

まだ寝ぼけているのか、生返事を返す立香。一緒に目を覚ましたフォウも欠伸を漏らしている。

元のハジメの性格はマシュや香織の話でしか知らないので、立香としてはこちらの傍若無人な方にすっかり慣れている。それに、これでもまだ可愛いほうだ。太陽王とか英雄王と違って、うっかり変な受け答えや態度を見せても殺されないだけ全然マシである。

 

「今日なんだかんだと色々あって、海人族の子どもをエリセンまで届けることになったんだけどよ」

「へぇ~……また何かやらかしたのか?」

「フォウ?」

「俺がしょっちゅう何かやらかしてるみたいに言うなよ」

「違うの?」

「フォ~、フォ~ウ?」

「いや、まぁ……今回は色々やったな。だが、今回だけだぞ!」

「え~、帝国相手にドンパチやって、兎人族を魔改造して、ブルックの町で騒動を起こして、ウルの町で大暴れしたのは?」

「あ~……ハウリアについてはやらかしたなぁと思う。だけどよ、別に俺が強制したわけじゃねぇし」

 

その後もモゴモゴと言い訳を並べるハジメだが、右から左に聞き流す立香、フォウも早々に膝の上で丸くなって話を聞く気がない。

必要なことだったとは思うし、最終的に変わることを選んだのはハウリア族だ。とはいえ、その結果「ヒャッハー!」な世紀末部族になってしまったのは、徹頭徹尾ハジメの責任だが。

他の件についても、ハジメ一人の責任ではないにしろ、何割かは責任があると思う。

 

「で、用件は何? 俺、そろそろ寝たいんだけど」

「あ~、その、なんだ……連れていくことになった海人族“ミュウ”っていうんだが、そいつがな、俺のことを、その……」

「なんだよ?」

「パパって呼ぶんだ」

「は?」

「フォ?」

「だから、パパって呼ぶんだよ! 初めのうちはお兄ちゃんだったのが、何故かパパになっちまった」

「ごめん、訳が分からない」

 

何がどうしたら、お兄ちゃんがパパにレベルアップするのやら。

 

「俺まだ十七だぞ。なんでこんなことに……」

「嫌なのか?」

「嫌というか、普通抵抗あるだろ」

「ふ~ん」

「ふ~んって、お前他人事だと思いやがって。お前もパパって呼ばれれば……」

「おかあさんって呼ばれてますが、何か?」

「は?」

「だから、おかあさん」

「だれに?」

「サーヴァント。ちなみにジャック・ザ・リッパー」

 

そんなのまでいるのかとか言いたいことは色々あるのだが、とりあえずはこれだ。

 

「…………………………………………お前、実は女」

「んなわけあるか」

「だよな。え? なんで、そうなる?」

「さあ? でも、とりあえず隙あらば解体しようとしたり、腹を掻っ捌いて潜り込もうとしたりするのは勘弁してほしいなぁ。まぁ、不満と呼べる不満はそれくらいで、懐いてくれるのは普通に可愛いからいいんだけど」

(いいのかよ。というか、解体とか掻っ捌いてとか物騒すぎるだろ。それを勘弁の一言で済ませるとか、つくづく懐広いなこいつ)

「まぁとりあえず」

「うん?」

「これからもよろしくな、パパ友として」

「ふざけんな!」

「いやぁ、着々とハジメの周りも濃くなってるようでなんか嬉しいなぁ。仲間ができたみたいで」

「マジでやめろ。ゾッとしねぇから」

「知ってるか、類は友を呼ぶんだぞ。この後も続々と濃いメンツが……」

「ホントにやめろ! お前が言うと冗談に聞こえねぇ!?」

 

『仲間♪ 仲間♪』とでも言いたげな声音の立香に、「相談する相手間違えた」と後悔するハジメであったとさ。

ちなみに、立香の予言が現実のものになるかどうかは……今さらだろう。世の中、なるようになるのである。

 

 

 

  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 

 

 

立香たちの監視を(能力だけではなく思想の面でも)信頼のおける部下に任せたフェリシアは、今後のことに志向を巡らしながら自らの天幕に戻る。しかし、いざ天幕の中に入ってみれば我が物顔で居座る男が一人。

 

「おや、お戻りになられたようですな、団長。しばしお待ちを、今熱い茶を淹れますので」

「……なぜ、貴方が私の天幕にいるのです、副長」

「無論、本来なら部下に任せるべき役目(監視)を続け、すっかり身体が冷え切ったであろう敬愛すべき上官に温まっていただこうと思いましてな」

「……皮肉のつもりですか?」

「そう思われるのでしたら、心に何かやましいことがあるのでは?」

「……」

 

副長の言い分に理があることは理解しているので、フェリシアとしてはぎこちなく視線を逸らすよりほかにない。

確かに彼の言う通り、いくら監視が重要な任務とはいえ団長自らやるようなことではない。だが、そうとわかっていながらも、フェリシアは自分自身の目で確かめずにはいられなかったのだ。そんなフェリシアの本心くらいお見通しなのだろう、副長は軽く苦笑を浮かべると別の話題に切り替えてくれた。

 

「…………見たことのないアーティファクトでしたな。過去の文献を紐解いても、あのようなものは例がないでしょう」

「ええ、まさか自力で走る台車があろうとは……初めに見た時は我が目を疑いました。ですが、だからこそ確信を持って言えます。あそこに、異世界より召喚された者たちが乗っていると」

「でしょうな。あれは、我々からは出ることのない発想です。であれば、この世界の住人以外の作と考えるのが妥当でしょう」

 

腹心の肯定を受けて、フェリシアの胸の中の期待という名の熱が増す。

自分が知らないものを知る彼らなら、知らない世界を、知らない価値観を、そこへ至るための道筋を知っているのではないか。そんな期待が、否が応にも高まっていく。

 

しかし、その熱も長くは続かない。

どれほどの期待感があったとしても、状況がそれを許さないことを忘れるほど、彼女は楽観的ではなかった。

 

「……」

「やれやれ、今くらいは現実を忘れてもよろしいでしょうに」

「現実を見据えるのが上に立つ者の務めでしょう。私の決定、私の判断が部下たちの明日を決め、場合によっては同胞たちの命運を左右するのです。どうして、現実を忘れることができますか」

 

言わんとすることはわかる。確かにそれが騎士団長である彼女の役目ではあるし、即座に自らの立場に立ち返ることができる責任感の強さと自制心の高さは彼女の数ある美徳の一つだろう。

だがそれでも、一時くらい……年相応に期待に胸膨らませてもいいではないか。

 

「そうでもしないと、団長殿は慎ましやかすぎますからなぁ」

「いったいどこの、何の話をしているのかさっぱりわかりませんが……いっぺん死んできなさい」

「なぁに、女の価値はそこ“だけ”では決まりませんよ。それに、世には特殊な性癖をもった強者もおりますからなぁ。きっと、団長殿にも需要はあります」

「ふふふ、貴方が何を言っているのか私には全く理解が及びませんが……とりあえず死になさい」

 

眉間の皴をさらに深くし、青筋を浮かべ、頬を引きつらせなるフェリシア。

女としての自分はとうに捨てているが、それでも身体的特徴をあげつらわれれば怒りぐらいは湧く。

 

そんなフェリシアの反応すらも予期していたのか、一度くらいどついても…と腰を浮かせたタイミングで茶が差し出された、イラっと来るニヤニヤ笑いのおまけ付きで。色々言いたいことはあるが、上手く水を差されてしまい今更感が強い。仕方なく矛を収め、敷物の上に腰を下ろして茶に口をつける。

 

「……美味しくはありません」

「おや、我らが団長殿はいつからそのような食通に? 小官にそのような技量を求められましてもなぁ」

 

無論、これがフェリシアの負け惜しみであることは百も承知なので副長はニヤニヤ笑いを継続中。

 

「それはともかくとして、いくつか推測できることがありますね」

「……」

「彼らはほぼ確実に大迷宮を一つは攻略していること。そして、その一つが……」

「アーティファクトを作ることのできる神代魔法、ということですな」

「ええ。今の我々の魔法技術ではたとえ考え付くことができたとしても、あのようなアーティファクトを作ることはできませんから」

「だとしたら、厄介ですな。恐らく、戦闘用のアーティファクトもあるでしょう。我々には想像もつかない形状や性質、能力を宿した武具の数々……ゾッとしませんな」

 

その脅威を、副長も正しく理解していた。いや、理解できてはいないのだろう。フェリシアだってそうだ。何しろ、相手は“想像もつかない脅威”。どれだけ頭を巡らせたところで、想像の中だけでも十分な想定ができたとは思えない。

 

「如何なさるおつもりで?」

「……………できるなら、可能な限り彼らを我らの領域奥深くまで引き込み、最も疲労したタイミングで仕掛けるのが最良でしょう」

「でしたら、理想は氷雪洞窟の直前ですな。とはいえ、あの環境は我々にも牙を剥くことを考えますと、それより幾分手前が現実的でしょうが」

 

フェリシアたちが立香たちを発見し監視するようになってまだそう時間は経っていないが、それ以前の調査でほとんど補給をできていないことはわかっている。相手の“飢え”と“疲労”を狙うのは兵法の基本だ。万全を期するのなら、相手が最も弱った時に最大戦力をぶつけるのが一番。

相手が大迷宮攻略者であることがほぼ確定した今、フェリシアは最大限の警戒をもって望むべきと判断しているからだ。しかしそれは、実際には取ることのできない手段だ。

 

「ですが、それはできません」

「やはり、そうなりますか」

「私の立場は危うい。疑いの目を向けられている以上、積極的に打って出る姿勢を見せる必要があるでしょう」

「フリード閣下ならばご理解いただけるでしょうが、他のお歴々となると……」

「私のことを面白く思わない方もいますからね。万が一にも付け入るスキを与えてはいけません。やろうと思えば、罪状をでっちあげることもできるのですから」

 

フェリシアの立場と能力を考えれば、早々切り捨てられることはない。だが、彼女は決してその事実に胡坐をかいてはいない。

彼女は知っている。神への信仰と個人的遺恨、そのどちらかが絡んだとき人は理屈から外れた行動をとることを。ましてや、その二つが混ざり合ったなら……。

 

「では、いつ仕掛けましょう?」

「……………………明朝。夜が明けると同時に打って出ます」

「夜中ではなくてよろしいので?」

「この雨です。我々でも夜中にこの天気での行軍は万全とは言い難いでしょう。それに、ここが彼らにとって敵地である以上、夜には最大限の警戒をしているはず。その点、明け方の方が気が緩むと考えます」

「なるほど、承知いたしました。では、そのように」

「ええ、お願いします」

 

それは奇しくも、立香が下した決断と同じタイミングだった。

フェリシアはその間に交代で仮眠と戦闘の準備を済ませることを指示し、自らも天幕で休息を取る。

だが彼女の精神は望まぬ戦いを前に、速やかな眠りへと入って行けるような状態ではなかった。

 

(できるなら、生きたまま捉えて話を聞きたかったところですが…………已むを得ませんか。相手の戦力は未知数、疲労もピークとは言い難いでしょう。ましてや、私と同じ大迷宮攻略者。私が返り討ちになることも十二分に考えられます。ならばどうするか……決まっています)

 

――――――――彼らを殺す

 

(今ある全戦力を投じて速やかに、一切の容赦なく叩き潰すのみ)

 

手心を加えれば、余計な口実を与えることになりかねない。

敗北など以ての外だ。敗北すれば殺されるにしろ捕虜になるにしろ、フェリシアは魔人族から切り離されてしまう。どちらも免れたとしても、彼女の立場は今より悪いものになるだろう。これ幸いにと消されるか、それでなくても発言力は低下する。

 

ここでフェリシアが失われれば、もう誰も魔人族を止める者はいなくなる。

そうなれば、あとは他の種族を迫害し踏みにじる……そんな未来へ一直線だ。

 

あるいは、フェリシアが失われることで魔人族側が敗北するかもしれない。

そうなれば、今度は逆に同胞たちが迫害され、踏みにじられることになる。

 

どちらの未来も、決して許してはならないのだ。

 

命を惜しみはしない。しかし、今はまだ死ねない。死ぬわけにはいかないのだ。

 

そして、フェリシアが生き続けるためには今ここで示す必要がある。フェリシア・グレイロードは魔王であり神である「アルヴ」の忠実なる信徒であると。

 

(期待なんて、できるわけないじゃありませんか。私自身の手で、それを壊そうとしているというのに……)

 

だが、そんなフェリシアの決意は夜が明けると同時にくじかれる。

片や二十名を超える騎士と五十体の魔物の混成による大規模集団、片や十名にも届かない小規模集団。どちらの動きが早いかなど、火を見るより明らかだ。

 

「報告! 敵に動きあり!」

「なんですって!?」

 

夜が明け、装備を整えた部下たちに進軍を指示するのと前後するようにもたらされた報告。

どれだけ訓練が行き届いていたとしても、規模が大きければその分動きが鈍くなるのは必定だった。

 

「どうやら、あちらも夜明けを目安にしていたようですな。集団の規模の差が動き出しの差につながったようです。とはいえ、あちらがいかに早くとも地の利はこちらにあります。追いつくのは難しくはないでしょう」

「ええ、その通りです。彼らはどこに向かっているのですか?」

「そ、それが……」

「なにか?」

「こちらに、我らの陣地に向かって真っすぐ突き進んでいるのです!」

「……なるほど。どうやら、よほど優秀な索敵系のアーティファクトも持っているようですな」

「…………考察は結構。それは後から確かめればいい事です。

 総員、戦闘態勢! 先手は取られましたが、数も地の利もこちらに有利! 我らの勝利をアルヴ様に捧げん……出ます!!」

『ハッ!!』

 

元より、打って出るための支度は概ね済んでいる。多少出遅れはしたものの、まだいくらでも挽回できる程度だ。

なにより、出し惜しみをする機など毛頭ない。

 

「……“天魔転変”!」

 

大鷲型の魔物の背に乗ったフェリシアの身体が蒼穹を思わせる魔力を帯びる。それに伴い、異音を立てながら異形へと変化していく肉体。身長や体格に大きな変化は見られないが、それも長くは続かない。

 

間もなく鎧の背を突き破り、新たに四本の節足が出現する。

 

兜の下では額と側頭部、そして後頭部に計6つの目が開く。

 

変成魔法“天魔転変”――魔石を媒体に自らの肉体を変成させ、使用した魔石の魔物の特性をその身に宿すという変成魔法。フェリシアが選んだ魔物は―――――蜘蛛だった。決して敵を見失わない目、何があろうと敵を逃さない機動力と手数。それらを両立する上で、蜘蛛という生物が最も理に適っていたが故の選択。

本来、いくら“天魔転変”といえども基本的な形態は素体となった生物……この場合は人型のそれから逸脱することはできない。だがフェリシアは、度重なる実験と試行錯誤の末、己の肉体をさらなる異形へと変化させる手段を確立した。今の彼女にとって、手足や感覚器官を増やすことなど造作もない。

 

見れば、彼女に追随する騎士たちにも大なり小なり変化が生じている。ある者は肉体を肥大化させ、またある者は手足を伸長させる。魔物の管理を任された者を除けば、この場に人としての体裁を保っている者は一人としていなかった。

 

当然、彼ら全員が変成魔法の使い手というわけではない。むしろ、彼らに術を施したのはフェリシア唯一人。術者ではない分、彼らは基本的にあらかじめ埋め込まれ設定された魔石に対応した魔物の特性しか得られない。あとは、スイッチのオン・オフのように自らの状態を人から異形へと切り替えるくらいだろう。とはいえそれも、自力で戻ることはできず、フェリシアに戻してもらわなければならないわけだが。他者への変成魔法の行使には、それだけのリスクが生じるのだ。

しかし、リスクを背負っているのは彼らだけではない。それどころか、最もリスクを背負っているのはほかならぬフェリシア自身ともいえるだろう。何しろ……

 

「ぁ、ぎぃ……ハァハァ」

「団長、あまり無理をなさいますな! やはり四種混合が限度、これ以上は団長の身体が持ちません!」

「……………その、ようですね。モデル・キマイラ、まだ私の手には余りますか」

 

肉体の変成が終わると同時に、フェリシアは兜を外す。せっかくの八つの眼も、兜を被っていては十全に生かせないからだ。だが、彼女の肉体の変化はその程度では収まらない。重厚な鎧に纏っているため外見からは判別できなかったが、フェリシアの身体はさらに作り替えられている。

節足の先端には蟷螂型の魔物から得た鋭い鎌が、脚は馬型の魔物のそれに作り替えられ、表皮もまた竜型の魔物の強靭な鱗で覆われている。攻防、そして機動力、すべてをさらに底上げするためのフェリシアの奥の手。

 

変成魔法“天魔転変”―――――――――モデル・キマイラ。

複数の魔物の魔石を取り込むことで、身体の各部にその魔石に対応した魔物の特性を反映させる応用技。通常一種の魔物が限度のそれを、フェリシアは昇華魔法と組み合わせることで現状最大四種の魔物の特性を取り込むことを可能にしたのだ。

とはいえ、その代償は大きい。本来は全く異なる生物の特性を複数取り込むことで身体は悲鳴を上げ、尋常ではない拒絶反応に苛まれる。その苦痛は術を行使している最中だけでなく、術を解いた後も継続するほど。フェリシアの髪から色が抜け落ちたのも、その影響によるものだ。

 

「くれぐれも、“悪鬼変生(あっきへんじょう)”は、お使いに、なりませぬ、よう。アレは、まだ、完成には、程遠い、のですから。最悪、お命に、かかわります。ここで、団長が、身罷れれば……」

「わかっています」

「なら、よろしいの、ですが……」

 

顔の形が変わったことで若干喋りにくそうにしている副長に応えつつ、フェリシアは胸の内で謝罪する。彼がフェリシアの身を案じてくれていること、これからの未来にフェリシアが必要であること、それら全てを含めたうえでの諫言であることは理解している。

だがそれでも、フェリシアは必要とあらば決断するだろう。例えそれが、命を削ることになろうとも。

 

(これで勝てるならば良し。ですが、もし勝てない時には、せめて彼らだけでも……)

「団長、小官にも、見えて、きました」

「あれは……馬? あんなもの、いったいどこに……」

 

戦闘用の“モデル”に切り替えたこともあり、フェリシア自身の肉眼ではしばらく補足できなかった敵の姿をようやくとらえることができた。だが、しばしの間見ないうちに、少し事情が変わっている。

高速で大地を走る台車はそのままだが、一騎の騎馬が先導するように走っている。

 

遠目から見ても見事な白馬、さぞかし名のある名馬なのだろう。遊牧民族の出である彼女には、そのあたりの見る目は人一倍あるという自負もある。こんな時でなければ、是非一度またがってみたいと思う程に。

とはいえ、今はそれどころではない。いったい今までどこに隠れていたのかをはじめとして疑問は多々あるが、それ以上にあの速度で走る馬が唯の馬なわけがない。

 

(速い……魔物には見えませんが、人間族の領域に住む希少種でしょうか? いずれにせよ、あれほどの馬が背を許す騎士となれば只者ではないはず)

 

実際、まだ幾分か距離があるにもかかわらず、背が粟立つのを抑えられないほどの脅威を感じている。

 

(やはり、十分な事前調査ができなかったのは痛いですね。敵の数や質、連携の練度、その他諸々……わからないことが多すぎる)

 

フェリシアは慎重に慎重を重ねる用心深い人物だ。そうでなければ、異端とされる思想を持ちながら軍上層部に今なお籍を置き続けることはできなかっただろう。本来なら斥候を放ち、魔物をぶつけるなどして、十分に相手の情報を収集してからことに臨むのが望ましかった。だが、いま彼女が置かれている状況がそれを許さない。何もかも、彼女にとっては不本意なことばかりの戦場だが……是非もなし。

 

「私が騎士を抑えます。あなたたちは、あの自走する台車ごと敵を討ちなさい」

「もろとも、破壊で、よろしいの、ですか?」

「あのアーティファクト以外にも有用なものがあるかもしれない、という気持ちはわかります。できれば回収したいところですが、敵戦力は未知数。万全を期して、確実に仕留めることを優先します」

「了解」

「武運を……行きます!!」

 

空を行く魔物から飛び降り、まっすぐ眼下の騎馬に襲い掛かる。今度こそ、先手を持っていかれないために。

 

「むっ、来ましたか」

(やはり気づきますか。ですが!!)

(どうやら、話し合いの余地はないようですが、マスター)

 

頭上から飛来するフェリシアの気迫から、交渉には応じてもらえそうにない事を念話で伝える。

立香の表情に苦いものが浮かぶが、彼もそれくらいは想定していた。いくら立香といえど、話をする気のない相手に話を聞かせることはできない。ならばどうするか、答えは一つだ。

 

(話し合えないなら、戦うしかない!)

「いざ!」

「いいでしょう、マスターからの許可も得ました。あなたの挑戦に応じよう」

 

落下の勢いを乗せたフェリシアのグレイブと、アルトリアのランスがぶつかり合う。

重力の力も借り両手で握りこんだ上で振り下ろされた一撃と、片手で振り上げられた一撃。どちらが有利かは論ずるに能わない。さらに、フェリシアは節足から伸びた鎌を含めたすべての刃に電撃を纏わせたうえで駆動させ、一息に勝負を決めにかかる。

しかし、そんな彼女の思惑は聖槍の一撃の前に容易く粉砕される。

 

「良い攻めです。ですが、甘い!!」

「なっ!?」

 

圧倒的有利なはずの一撃は容易くはじき返され、タイミングを合わせたはずの鎌はすべて空を切る。

武器や自身の肉体に魔力を帯びさせ、瞬間的に放出する事によって能力を向上させる魔力放出のなせる業だ。高ランクでこのスキルを有するアルトリアのそれは、ジェット噴射に等しい。

これだけ有利な条件を整えたうえでの一撃。それを、腕一本ではじかれてしまった。この一合で、フェリシアは嫌が応にも理解する、彼我の戦力差を。

 

(まさか、これほどとは……)

「なるほど、それがマスターの言っていた異形の身体ですか。かなり強く打ったつもりでしたが、武器を手放さないとは……それに、我が一撃を受けても砕けぬその槍もかなりの業物と見受けます。

 我が名はアルトリア・ペンドラゴン。名乗りなさい、魔人の騎士よ。異形となり果ててなお、その身に騎士としての誇りがあるならば」

「……魔王陛下直属、親衛騎士団団長フェリシア・グレイロード」

(やはり、彼女が……)

「“閃電”……参る!」

 

彼我の戦力差は歴然、それでもここで退くことはできない。故に、再度刃に雷を纏わせ斬りかかる。

 

「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

(思い切りの良い突き、力と思いの籠った薙ぎ……見事。ですが、それだけでは私には届きません)

 

一気呵成に畳みかけるフェリシアだが、合計五つの刃のどれ一つとして騎士王の鎧にすら届かない。馬上にいる分動きが制限されているはずなのに、それでもなお両者の力量はかけ離れている。

だが、その程度のことはフェリシアとて初めの一合で理解していた。ならば、この程度は想定のうち。元より、倒すために畳みかけているわけではない。これはむしろ、アルトリアをこの場に押しとどめるためのもの。

ただ、そんな彼女にとっても想定外だったことが一つ。

 

(触れる度に魔法がかき消される。これは、いったい……!?)

 

術の体系こそ異なれど、それが“術”であるからには“式”が存在する。そして、術式を伴う魔力の運用はすべからく“対魔力”の対象だ。最高ランクの対魔力を誇るアルトリアに、通常の術はそもそも届きすらしない。

神代魔法か魔力による直接攻撃なら芽もあるだろうが、フェリシアの有する神代魔法は直接対象を攻撃する類のものではない。しかしそれでも、やれることはある。

 

「ならば……“昇華”!」

「むっ……」

「“凍柩”!!」

 

上位魔法をさらに昇華魔法で引き上げる。槍と四本の節足でアルトリアの聖槍を一瞬抑え込み、そのまま自身ごと氷で包み込む。倒せぬならば、せめて動きだけでも封じる。その間に、仲間たちが残りの敵を倒してくれることを願って。

しかしそんな懸命の足掻きを、ブリテンの赤き竜は歯牙にもかけない。

 

「私の動きを封じますか。大したものです……ですが!」

(これでも、抑えられないのですか!?)

「ハァッ!」

 

全身から唸りをあげて吹き上がる魔力が、二人を覆いつくさんとする氷を砕く。フェリシア諸共氷を薙ぎ払い、アルトリアは何事もなかったかのようにその場に屹立する。

 

頼みの綱ともいうべき昇華魔法による底上げですら、僅かな足止めにしかならない。その事実が、フェリシアに与えた衝撃は如何程か。

 

(どうする…どうすればいい! これほどの戦力、一度は傾いた天秤をも容易く覆せてしまう! ここでなんとしても、この騎士を討たなければ!)

 

最早、個人的な期待や関心など頭の中にはない。あるのはただ、絶対的強者に対する畏れであり、今ここで命と引き換えにしてでも討たなければという危機感だけ。自分が死ねばその後どうなるか…などと考えている余裕はない。

この瞬間、フェリシアは覚悟を決めた。アルトリアとの相打ちを…ではない。それはもっと後ろ向きな、“道連れ”にしてでもここで討ち果たそうという悲壮な決意だった。

 

「命を捨てましたか……ですが、果たしてそれでいいのですか?」

「なにを……っ!」

「生憎と、こちらの戦力は私だけではないのですよ」

 

自前の二つの目は変わらずアルトリアをとらえているが、残り六つの目が周囲の戦況を視認する。

そこでは、一方的な戦いが繰り広げられていた。

 

ハインケルの屋根の上に姿を現した藤太が次々に矢を弓につがえ、息つく暇もなく次々に矢が放たれていく。

その傍らにはブーディカの姿もあり、魔力弾を雨霰と放ち敵を寄せ付けない。

後衛二人の働きにより、総数50体にも及んだ魔物が見る見るうちに姿を減らし、二十名以上の精鋭騎士たちが近づくことすらできない様は、フェリシアにとっては悪夢の様ですらあった。

 

加えて、防御と接近戦も盤石だ。

 

「段蔵さん、守りは私が! その間に、敵戦力の無力化をお願いします!」

「承知!」

「フォウフォウ!!」

「あ、ダメですよフォウさん。先輩と中で待っていてください」

「風よ集え。果心電装起動。“絡繰幻法・呑牛”!!」

「や、やりすぎです!? もう少し加減してください! 皆さん死んでしまいます!」

 

マシュがハインケルを守り、その間に段蔵が魔人族たちを薙ぎ払う。

段蔵の両腕がありえない方向に回転し、真空の刃が魔人族と魔物たちを切り刻んでいく。一応彼女なりには加減している方の様で、敵を吸い寄せたり、圧縮粉砕したりしていないだけましなのだが、気休めにもなるまい。

とはいえ、一応マシュの意はくんでくれたらしく、肘の隠し刃での回転しながらの斬り付けや腕からのワイヤーアームの射出、果ては背中からロケット弾を飛ばすなど、もう少し穏やかな手段に切り替えてくれた。そう、これでもまだ穏やかな方なのだ。

あの御方が出てきていない辺りが、特に。

 

「そんな……」

「あなた達は運がいい。もしマスターが彼女を止めていなければ、今頃殲滅されていましたよ」

「それは、どういう……」

「…………………………………………………マスターを精神的に殺すわけにもいかないので、詳細は黙秘します」

 

兜に隠れていて表情はわからないが、声音からだけでもすごく微妙そうな様子が伝わってくる。

ちなみに、その頃ハインケル内部で何が起こっていたかというと……

 

「悪意がないと思って見逃しましたが、母が間違っておりました。今すぐ、誅罰を執行いたします」

「ストップ、スト―――――ップ! 行かないで、行っちゃダメ! ここにいてください、ほんとお願いします!!」

「大丈夫ですよ、母がすぐに全て終わらせてきますから」

「だから終わらせちゃダメなんだってば!?」

「あらあら、うふふふ……もしや、心配してくださっているのですか?」

「うん! すごく(魔人族が)心配! だからここにいて、お願いだから!」

 

ここでこの鬼子母神を解き放てば、本当に魔人族が一人残らず殲滅されてしまう。

それだけはなんとしても防がねばならないと、頼光の大変細い腰にしがみつく立香。

しかし、それもそろそろ限界が近い。元より、止めた程度で聞くようならバーサーカー(狂戦士)のクラスになったりはしない。むしろ、今までよく思いとどまってくれたとすら思う。

とはいえ、彼らの殲滅は立香の望むところではない。そこで立香は、できれば使いたくなかった最後の手段に打って出る。例えそれで、自分の精神がご臨終することになろうとも!

 

「……ええい、ままよ! 頼光、ちょっと聞いて!」

「はい?」

「お母さん、ボクとっても怖いの……傍にいてくれなきゃ、ヤダよ」

 

上目遣いで、精一杯瞳を潤ませながら、渾身の演技力で甘えた仕草と声音を心掛ける。

正直、あまりにもあんまりすぎて今すぐ意識の電源を落としてしまいたかった。だが、効果は抜群だ。

 

(きゅ~~~~ん……///)

(や、やっちまったぁ~~~~~~~~~~~~!? 良い年して俺何やってんの!? 死にたい、というか恥ずかしくて死ぬ!? こんなとこマシュに見られたら……あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛~!)

「……わかりました。我が子がこうも不安と恐怖に怯えているのです。それを慰め、励ますのが母の務め。ええ、ええ、それに比べてば有象無象の殲滅など些事に過ぎませんとも! さぁ、母の胸で存分に甘えていいのですよ」

「わ、わぁ~い(棒)」

 

もう自尊心とかその他諸々に割と致命傷を受けながら、精一杯甘えて見せる立香。いっそのこと、幼児退行できればどれだけ楽だったことか。死んだ魚のような眼をして頼光の胸に飛び込む立香。

サーヴァント一同、中で何が起こっているか理解していながら、誰もがそれを見て見ぬふりを決め込む。あのシェイクスピアですら、「ふむ、豪雨の中の戦いというのも味がありますなぁ」などと視線を逸らしてくれている。そんなやさしさが、かえって心を深く抉るのであった。

 

「とはいえ、大勢は決しました。あなた方に勝機はありません。それがわからないほど、蒙昧でもないでしょう」

(ギリッ……)

「フェリシア・グレイロード。我がマスターがあなたとの会談を希望しています。これを受けるのであれば、我々はこれ以上の攻撃をあなた方に加えないことを確約します」

(会談……話し合いの場を設けるというのですか)

 

それは、フェリシアにとって願ってもない申し出だった。彼女としても、異世界から召喚された者達とは話をしたいと思っていた。相手が何を聞きたいのかはわからないが、それでも彼女にとって渡りに船であることに違いはない。本来なら、二つ返事で了承するところだ。

しかし、それはできない。

 

(見られている。ここで少しでもその意思を見せれば、もう後戻りはできない……)

 

王都を出た時から常に感じる微かな視線。これだけの劣勢に置かれていながら、重要なのはフェリシアの真意の在り処なのだろう。ここで僅かにでもフェリシアが真意を匂わせれば、彼女への嫌疑は決定的なものになると考えていい。それも、問題はフェリシア一人のみでは収まらないだろう。長い時間をかけて少しずつ得てきた同志たちの炙り出しも行われるとみるべきだ。そうなれば、本当に何もかもがゼロに戻ってしまう。

せめて何か一つでも、後の世に残さねばならない。例えそれが、この場で犬死することになろうとも。

故に、フェリシアは嘘を吐く。他ならぬ、自分自身の心に。

 

「断る! 我らに、あなた方と交わす言葉は…ない!」

「……そうですか、残念で…っ! これは、地震?」

 

フェリシアの宣言に呼応するように、大地が大きく鳴動した。初めに微かな揺れが、続いて大きく縦に。ブリテンはあまり大きな地震に見舞われることのない土地だ。生前ほとんど経験することのなかった「大地が揺れる」という事態に、アルトリアの意識が僅かに逸れる。

その隙を、フェリシアは見逃さない。

 

(好機!)

 

アルトリアの意識が逸れた瞬間、フェリシアは四本の節足すらも利用して高速で後退。藤太とブーディカ、そして段蔵によって押し返される魔人族の集団の中に身を隠す。だがそれは、決して我が身可愛さの為ではない。

 

「一分、時間を稼ぎなさい! この命、あなた達に預けます。だからどうか、あなた達の命を私に!」

『っ!?』

 

その言葉の意味を、団員たちは余すことなく理解していた。

 

「ですが団長、それは!?」

「あなたが言ったことですよ、副長。私はここで、死ぬわけにはいかないのです。例え、この命を削ることになろうとも」

「くっ……承知、いたしました。聞いたな、勇士たちよ! 総員、決死の、覚悟を持って、団長を、お守りせよ! ここで、団長に、傷一つでも、つけさせれば、騎士団末代までの、恥と心得よ!」

『応っ!』

 

この中にはフェリシアの願いを、志を知る者もいれば、知らぬ者もいる。しかしそんなこととは関係なく、全員が一致団結してフェリシアのための盾になろうとしている。そんな部下たちに、いったい何と言えばいいかわからない。万を超える感謝の言葉ですら到底足りない。ならば、後はもう行動で示すしかないではないか。

 

「屍山血河の果て、我が骸を以て道を為す。いざ、“悪鬼―――――変生”!!」

 

変成昇華複合魔法“悪鬼変生”―――――この世界で数百年、あるいは数千年ぶりとなる、二つ以上の神代魔法の複合魔法。それが、ついに姿を現す時が来た。



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022

忘れがちなこと、フォウ君のセリフ。ふと気づくと「あ、フォウが出てない」と気づきます。いやぁ、困った困った。


天魔転変による変貌が「異形」だとするなら、悪鬼変生のそれは――――――――――異類だった。

姿形はむしろ人のそれに戻ったといえるだろう。背中から生えていた節足は落ち、頭部に開いた六つの目は閉じている。強いて言えば、右目の上から突き出した一角が唯一の人ならざる部分だろう。外見的にはその程度の違いしかないにもかかわらず、今の彼女…フェリシア・グレイロードは人から逸脱した“何か”だった。

 

姿形は人のそれでありながら、滲み出す気配が、その身に帯びる空気が、人のものからかけ離れている。

 

もしこの場に何も知らない第三者がいれば、彼女をこう評したことだろう。ただ一言、“バケモノ”と。

 

「ありがとうございました、下がっていなさい」

 

一分という、戦場においては膨大といえる時間を費やして“変成”を終えたフェリシアが小さく告げる。

通常なら誰の耳にも届かない囁き声であるにもかかわらず、それは団員たちの耳にあまねく届いた。

フェリシアを守るため身命を賭して壁となっていた彼らは即座に道を開け、アルトリアと再度対峙する。

 

「お待たせしました。ここからは、改めて私がお相手いたします」

(この気配、どこかで……)

 

静かに、落ち着いた様子で語りかけるフェリシアだが、アルトリアはその変化を見逃さない。

実際に彼女と矛を交え、間近でその気配に触れたアルトリアはその感触に既視感を覚えていた。

どこかで似たような気配に触れたことがある、そんな気がしてならないのだ。

 

「善き兵を従えているのですね。将のために盾となることを厭わず、布石となることを躊躇わない。すべては、あなたへの信頼が故でしょう」

「ええ、私にはもったいないほどに……彼らにはどれほど感謝してもしきれません。だからこそ、私には彼らの信頼にこたえる責務がある!」

(勇将の下に弱卒無し、彼らを率いるあなたの器見せてもらいましょう)

 

いっそ流麗とすらいえる足運びで間合いを詰め、なんのてらいもない突きが放たれる。

後付けで得た節足や異形化した四肢を捨てた分、その動きにはまるで無理がない。ごく自然に、これまでに彼女がどれだけの研鑽を積み上げてきたのかがわかる、そんな一刺し。

確かにそれは美しくすらある。だが……

 

(遅い)

 

そう、遅いのだ。異形化した部分を捨てたからこそ動きそのものは洗練されているが、反面先ほどまでのような人外の速度はない。速度だけなら、サーヴァントの領域すら視界に収めていたのが嘘のように。

当然、そんなものがアルトリアに届くはずがない。あるいは、その技量が彼の“神槍”のように神域に達していたのなら話も別だろうが、フェリシアの技量はその域にはない。当たり前のように弾かれ、あっさり力負けしてたたらを踏む。それは、先ほどの力強い打ち込みからはかけ離れた無様な姿だった。

 

(どういうつもりです。何か策があって稼いだ一分だったはず、あなたはいったい何を狙っている)

 

微かな失望が胸中に湧き上がるが、アルトリアはそれを即座に捨てる。打ち合ったのはほんの数合、交わした言葉も僅か。それでも、アルトリアはフェリシア・グレイロードという騎士をそれなり以上に評価していた。

その胸に如何なる志を抱いているかは知らない。だが、それは彼女にとって一命を賭してでも譲れない、何が何でも貫かなければならないものの存在を、確かに感じ取っていた。

そんな騎士が、なんの見通しもなく挑んでくるとは思えない。アレは、“誇り”ではなく“志”のために生きる勇士なのだから。

 

「いやぁっ!」

 

流れた体勢を速やかに立て直し、フェリシアが再度打ち込んでくる。

それも難なくはじき返すアルトリアだが、彼女は先の一撃との僅かな変化に気付いていた。

 

「む?」

「まだまだぁ!」

「これは……まさか、速度が上がっている? いえ、速度だけではなく威力も……」

 

我武者羅に、遮二無二打ち込んでくる槍撃の数々を時に弾き、時にいなしながらアルトリアは徐々に、だが確実にフェリシアの力と速度が上がっていることに気付く。

打ち込めば打ち込むほど、弾かれる度に増していく身体能力。はじめのうちは僅かな変化だったそれが、段々と上昇幅が上がっていく。

 

(確かめてみますか……)

 

それまで受け身一辺倒だったアルトリアが、初めて反撃に出る。フェリシアの槍を大きく弾き、その隙をついて刺突を放つ。流れた体に回避する余力はなく、難なく穂先がフェリシアのわき腹を貫通した。それは、だれがどう見ても致命傷。にもかかわらず……

 

「それが、どうしたぁ!!」

 

わき腹を貫かれたまま、さらに前に出るフェリシア。当然、ランスは深々と突き刺さり、常人なら致命傷を通り越して即死級の傷だ。なのに、フェリシアは痛みからくる苦悶の表情を浮かべてこそいるが、とても死兵のそれからは程遠い。あれは死を覚悟してはいるが、死に行く者の顔ではない。

 

「むんっ!」

「か、はっ!?」

 

予想外の選択ではあったが、距離を詰め切る前に横薙ぎに槍を払いフェリシアの身体が木っ端の如く宙を舞う。

槍が体から抜け、地面の上を何度も跳ねていく。しかし、槍を地面に突き立てて体勢を立て直すと、彼女は再度疾駆する。その動きは、致命傷を負ったとは思えないほどキレている。それどころか、先ほどよりもさらに動きの速度が、キレが増している。

 

「いったい、これは……」

「つぁぁぁぁぁっ!」

「くっ! また一段と重く……」

 

さらに重さを増した一撃。まだ十分片手一本で捌き切れる程度だが、この調子でいけばどうなるか。

だが、そんな危惧は即座に吹き飛ぶ。彼女は見た、たった今自身が貫いたわき腹の傷が、ふさがっていく様を。

 

(傷が治った? いや、違う。これは……)

「ふんっ! はっ! しぃっ!」

 

矢継ぎ早に繰り出される攻撃。弾くこともいなすことも、それこそ間隙を縫って反撃を加えることも容易い。しかし、それはうまくない。そう判断したアルトリアは、迎撃をやめ回避を選択。

ドゥン・スタリオンの手綱を操ることで巧妙に槍撃を躱し、鎧に触れさせもしない。まさに人馬一体。その身一つでも回避困難な連撃を、ドゥン・スタリオンに跨ったまま軽やかに、危なげなく避けていく。

 

回避に徹した分、余力が生まれる。それをフェリシアの観察に注げば自然、彼女の変化も見えてくる。

 

「グレイロード、あなたはまさか……身体を、作り替えているのか?」

 

そう、それが変成昇華複合魔法“悪鬼変生”の特性。戦えば戦う程、傷を負う度にその身体をより迅く、より強く、より硬く作り替えていく。そして、傷を負えばその箇所を治すのではなく塞ぎ、生存可能な状態に作り直す…否、むしろ破損した箇所をこそより強靭に再構築する狂気の沙汰。

“天魔転変”がサーヴァントのスキル「自己改造」に相当するなら、これは「自己進化」の域に手をかけた、己の破滅と引き換えにする人には過ぎたる力だ。

 

(これではまるで、アタランテの“神罰の野猪(アグリオス・メタモローゼ)”ではありませんか!?)

 

流石に、アタランテのそれほどの性能はないだろうが、自身を秒単位で作り替える様には共通する部分があった。

術が完成した当初こそ素のスペックのままだが、時間経過とともに、打ちのめされるほどに、その戦力は加速度的に増していく。迎撃していた時と比べれば回避に徹している今の方が基本性能の向上速度が緩やかに感じるのは、打ち合うことによる負荷が身体にかからないからだろう。

だが、それでもなお徐々に身体能力が向上しているのは……

 

(常に肉体の限界を超えて身体を駆動している。限界を超えた動きが体を壊し、それを修復する過程でより強く……なんと無謀な)

 

変成魔法の存在を知らないアルトリアにはあずかり知らぬことだろうが、変成魔法の応用で脳のリミッターを意図的に外しているのだ。これにより常に限界以上の動きを可能にし、それを“悪鬼変生”でより強靭に作り直す。

 

そうして、いずれは眼前の敵を駆逐する。たとえ、どれほどの代償を支払うことになろうとも。

それを示すように、既にフェリシアの身体は強制的な進化に悲鳴を上げている。強引に作り替えられた体構造は歪を生み、至る所から血が噴き出し、それを強引に塞ぐの繰り返し。恐らく血管だけでなく骨格や筋肉、神経系に至るまで、全身余すことなくサーヴァントに対抗するために作り替えられているのだろう。事実、彼女の速度と力は天魔転変使用時をすでに超え、着実にサーヴァントの領域に迫ってきている。

 

肉体に限界以上の動きを強制し、壊れた傍から無理矢理強化・修復する。それに伴う苦痛は如何程か。

そんなことを、フェリシアはずっと続けているのだ。

 

「やめなさい! 人の身でそのような力を振るえば、あなたの身体は……」

「それが、どうした!!」

「…………」

「この身一つで未来を切り開けるなら本望! 同胞たちが穏やかに、少しでも血を流さずに生きられる世が来るのなら……惜しむ命など、ありはしない!」

「それほどの、覚悟か……」

「いつかの子どもたちが自由な意思の下、生きられる世のために!! そのためなら、私は捨て駒で構わない!!」

「あなた自身は、それを見ることができないのですよ」

(私は礎、それでいい。例え私が為せなくても、私の後を引き継いでいつか誰かが至ってくれれば!)

 

口角から血を零しながら紡がれる悲壮な、だが誰よりも高潔なる意志。彼女の決意を、覚悟を示すように、振り下ろされた一撃が大地を砕き、轟音とともに空を裂く。

打ち合う分には問題なく叩き伏せることができるだろうが、機動力に優れる反面小回りに欠ける騎乗した状態では、いよいよアルトリアをして回避に徹することが厳しくなってきた。それほどまでに、フェリシアの速度が増してきている。

 

同時に、アルトリアは自身が見誤っていたことを理解する。フェリシア・グレイロードは、一介の「騎士」に納まる器ではない。

 

「より流れる血の少ない、少しでも多くの人が笑える世界が欲しい! それは、決して間違いなどではない!! 誰もが抱く、当たり前の願いだろう!!」

(彼らが、躊躇なくあなたの盾になった理由がわかりました。あなたは、彼らの希望なのですね。あなたが、いつかの誰かに悲願を託すように、彼らはあなたに己が全てを託している)

「私は、いつかの誰かのための道となろう!! 至るための一歩を刻む、それが私の役割だ!!」

「ならば問おう。あなたはいかなる手段をもって、それを為す。他種族の血と骸で世界を平らげてか?」

 

アルトリアの発した問いは、彼女の真意の在り処を計るためのもの。

いったいどのような手段をもって悲願を実現するか、それ次第によってはここでフェリシアを討つべきだと考えたからだ。人間族と魔人族の戦争に介入するのも、狂った神を討つのもカルデアの役目ではない。成り行きによってはそれを為すこともあり得るだろうが、最優先事項は別にある。

 

とはいえアルトリアは、他種族を滅ぼそうなどという蛮行を見過ごせるような人格の持ち主ではない。

この世界の常識で考えるのなら他種族は滅ぼすべき“世界の染み”。されど、フェリシアは解放者縁の集落の出身者。他種族を滅ぼす選択も、それ以外の道を選択する可能性も等しく持ち合わせた存在。

だからこそ、真意の在り処を問うたのだ。いったい如何なる手段をもって理想を叶えるのか、と。

だがその答えは、この状況では語れない。フェリシアは今危うい立場にあり、せめて監視の目がない状況でなければ真意など語れるはずがない。ましてや、今まさに干戈を交えている敵にどうして本心を語れよう。

 

フェリシアの表に苦渋が滲む。様々な理由から語れない真意、本音を発することすらできない状況に歯噛みせずにはいられない。だがその時、アルトリアの横を何かが駆け抜けフェリシアに斬りかかった。

辛うじてそれを槍の柄で受け止めることに成功したフェリシアは、誰何の声を上げる。

 

「……何者かっ!?」

「あらあら、まあまあ……微かに虫に似た気配がするかと思えば、これはどういうことでしょう? 小虫のような、されど人のような……うふふふ、さて、あなたはどちらでしょうか?」

「頼光!? やめなさい、彼女は……」

「ゴメン、アルトリア! 止められなかった!」

「フォ――――ウッ!!」

 

いつの間にか雨足の弱くなった空の下、ハインケルから飛び出してきた立香が声を張り上げる。

羞恥心もプライドもかなぐり捨てて、“どこの怪しげな風俗だ”といいたくなるようなプレイに耐えていた立香だが、フェリシアの気配が変わった段階で頼光が反応した。それでもしばらくの間は何とか気を逸らすべく奮闘していたのだが、彼女の額から生えた一角が頼光の視界の端に写ってしまったのが運の尽き。

 

こうなってはもう立香でも頼光は止められない。

鬼に似た気配と、鬼を彷彿とさせる一角。鬼や蜘蛛といった妖怪が異形であるというだけで退治されることに対しては無体と考える頼光だが、それでも彼女が鬼嫌いであることに変わりはない。鬼に近いものがいるとなれば、確かめずにはいられない。果たしてお前は誅すべき鬼か否か、と。

 

(不味い、これ以上身体に負荷をかければ彼女の命が……マスターに令呪の使用を進言するか? だが、それは……)

 

フェリシアの真意を明らかにするまでは、徒に死なせるべきではないと思う。立香たちもハジメたちもこの世界に深く干渉する意思がない中、同じ大迷宮攻略者である彼女の存在は、場合によってはこの世界を大きく動かす可能性がある。少なくとも、彼女にはそのための力の一端があるのだから。

とはいえ、貴重な令呪を使ってまで敵の助命を請うというのもおかしな話だ。その迷いがアルトリアの判断を一瞬鈍らせる。しかしその間にも、状況は斜面を転がる石のように突き進む。

 

「さて、まずはあなたの正体を見極めましょう。やりすぎないよう注意しますが、どうかそれまで果てないでくださいませ」

「私の正体? 何を言って……」

「いざ、御免!」

 

雷光を纏った刃が閃く。繰り出されたのは逆袈裟から左薙ぎ、続いて唐竹の三撃。それらを辛うじて防ぎ、多少の傷はおったが即死だけは免れるフェリシア。如何に悪鬼変生といえど、即死してしまえばどうにもならない。

逆に言えば、多少の傷であればむしろさらなる強化のための呼び水となる。

 

(速い…ですが、防げないほどでは)

「やりますね……手遊びのようなものですが、まさか“半分”も防ぐとは思いませんでした。中々のお手並みです」

「……え? か、はっ……!?」

 

斬られたことにすら気付けない圧倒的早業。遅れて脳髄を貫いた痛みが、その正体を知らせてくれる。

刺突で喉を貫かれ、右切り上げが右腕を断ち、右薙ぎで腹を開かれた。声は出ず、左腕は落ち、腹圧で内臓が飛び出そうとしている。

 

「どうしました。よもや、これで終わりですか? それとも、わたくしの見当違いだったのでしょうか? いくら小虫とは言え、この程度で潰れてしまうなんて……」

「ぁ、あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!」

「どうやら、中々にしぶといようですね。ええ、ええ、鬼の端くれならば、そうでなくては潰し甲斐がありません。虫のような敵を丁寧に潰すのは、気が滅入りますからね」

 

喉を貫かれたまま放たれる咆哮。

悪鬼変生をフル回転させ、強引に喉と腹部を修復。全力で後退しながら槍を脇に挟み、切り落とされた腕の断面を押し当てて接続。回復魔法ではなく、変成魔法の応用による“再構築”だからこそできる荒療治だ。

 

(……なんという剣の冴え。とても、今のままでは対応できない)

 

スキル『無窮の武練』。一つの時代で無双を誇るまでに到達した武芸の手練は、フェリシアの及ぶところではない。ただでさえ基礎能力で劣っているというのに、武技でまで圧倒されては打つ手がない。

では、どうするか。技量など即席で向上できるものではない以上、やることは一つ。更なる身体能力の向上、基本性能によるごり押しだ。

 

(打ち合う膂力も、追い縋る迅速さも、攻撃を見切る目も、何もかもが足りない。ならば、すべて徹底的に壊して作り直す!!)

 

目を抉り取り、それを眼窩に押し込む。

 

続いて、土属性魔法で四肢を砕く。

 

常人ならば発狂してもおかしくない激痛に耐え、見る見るうちにそれらが復元されていく。

全ては、今この一瞬のため。例え命を削ろうと、ここで死ぬわけにはいかない。その一心で。

 

「なんと……」

 

思わず、頼光の口から声が漏れる。それは感嘆か、それとも驚愕か、あるいは畏怖か。他ならぬ自分自身の手で腕を、脚を、目を潰すという凶行に、頼光ですら思わず足を止める。

 

「…………なるほど。やはり、わたくしの勘は正しかったようです。あなたは既に人ではありません。人ならば、そのように躊躇なく己が身体を砕くことなどできません。

あなたは……心に“鬼”を宿しています。いずれその鬼はあなたを飲み込み、真の鬼と化すやもしれませんよ?」

「……望む、ところです」

「…………」

「とうに悪道に堕ちた身。いまさら、人の道に戻ろうとは思いません。鬼でも魔性でも、なんにでもなりましょう!」

 

徹底的に四肢を砕くことで、根本から作り替えられた肉体は大幅に性能を向上させている。

それを示すように一足で間合いを詰め、渾身の一撃を叩きこむ。すると、これまで容易く裁かれていたフェリシアの槍を、頼光は足を踏みしめて受け止める。

 

「……っ!」

「私には、為さねばならないことがある!」

「くっ……」

「邪魔を、するなぁ!!」

 

フェリシアの一撃を受け頼光の身体が僅かに浮き上がり、そこへさらに畳みかける。

この好機を、フェリシアは見逃さない。技量の差は依然として隔絶し、身体能力もどの程度まで追いつけたか不明。加えて、同等の実力者が後ろに控えている。

眼前の敵が体制を立て直すか、後ろの騎士が参戦するだけでも、形勢は容易くひっくり返るだろう。だからこそ、このまま一気に攻め切らなければならない。ここが、最初で最後の勝機なのだ。

 

(それでも、ようやく一人。ですが、一人でも倒せれば面目も立つ)

 

そうなれば、軍内部での彼女の立場もとりあえずは保証されるはずだ。

一時でも後ろを気にしないで済むようになれば御の字。その間に彼らの危険性を訴え、今度は最大戦力をぶつける。多大な被害を出すだろうが、彼らはそれに見合うだけの脅威なのだ。人間族との戦争など、彼らの前では些事に過ぎない。魔人族の存亡は、彼らを討てるか否かにかかっている。

 

(最も恐ろしいのは彼らと人間族が連携し、双方を相手にしなければならない状況。そうなれば、この戦争の敗者は我々になるかもしれない。それだけは、絶対に避けないと。

その意味では、彼らがこちらの領域に深く入り込み人間族との共闘ができない今は、最大の好機。どれだけの犠牲を払ってでも、彼らを討つならば今しかない!)

 

彼らに話し合いの意志があることが心残りだが、その話し合いとて上手くいくとは限らない。話し合いに応じることができない今の状況と立場では、栓ない事だ。

ならばせめて、同胞たちが最悪の未来に見舞われる可能性をなくすために全力を費やさねば。

例えそれが、最初で最後の好機を自らの手で潰すことになろうとも。

 

しかし、攻めても攻めても押し切れない。遥か上を行く技の冴えが、フェリシアの攻撃を柳に風と受け流す。

馬鹿正直に真正面から受け止めたりはしない。それをすれば、サーヴァントといえど万が一があるほどの域に今のフェリシアは到達している。だが、逆に言えば……真正面から受けて立ったとしてもフェリシアの勝ち目は万に一つなのだ。ましてや、極められた武芸の手練を以てすればなおのこと。

 

それがわからないフェリシアではない。特に、彼女の身体は限界が近い。

 

(これだけやっても、届かないのですか!)

「どうやら、もうこれ以上は先がないようですね」

 

変成魔法を昇華魔法で引き揚げたとは言っても、天井知らずに強くなれるわけではない。物事には限度というものがあり、いずれは終わりが訪れる。

悪鬼変生による疑似“自己進化”もすでに頭打ち。これ以上は、どれだけ身体を痛めつけても、戦える状態に作り“直す”だけで性能が上がることはない。あるいは、悪鬼変生が完成していれば、今少し上があったかもしれないが……。

 

それでも、ここで立ち止まるわけにはいかない。これだけやったのだから上層部の疑念も少しは晴れるかもしれないが、確実とは言えない。小さくとも確かな成果を見せる必要があるのだ。

幸い、全く届かないわけではない。渾身の、命を賭した一撃ならあるいは……!

 

「これでっ!」

 

体中の骨と筋国が悲鳴を上げる中、フェリシアは自らを一本の矢として吶喊する。

全身から血を巻き散らし、防御も回避も……後先すら捨て去った捨て身の特攻。例え心臓を貫かれようと、首を絶たれようと、頭を潰されようと、必ずこの一刺しを届かせる。

そんな覚悟と決意を乗せた一撃は…しかし、突如頼光の身体から稲妻が迸ったかと思うその姿を見失い空を切る

 

「なっ!?」

「……思い上がりましたねぇ」

「っ!」

「はっ!」

 

いつの間にか背後に姿を現した頼光の刀が稲妻を帯びる。捨て身のフェリシアにこれに対処することはできない。電撃が身体を貫き、切っ先が深々と背を抉った。

もんどりうって転がるフェリシアに、更に追撃が迫る。矢継ぎ早に放たれる矢が四肢を縫い留め、体中を駆け巡る電撃のせいで力が入らない。フェリシアにできることと言えば、最後の意地を宿して眼前の敵を睨むことだけだった。

 

「ハッ、ハッハッ……」

「鬼に堕ちようとかまわぬといいましたね。ならばせめて、そうなる前に私の手で誅しましょう。あなたがせめて、人でいられるうちに」

(なんだ、アレは……あんなものが、本当に人の業だというの?)

 

生まれてこの方、感じたことのない……しかし、どこか既視感のある畏れに身体が震える。

初めて戦場に立った時、初めてその手で命を絶った時、生きて帰れぬ覚悟で大迷宮に挑んだ時、畏れに身体が震えたことは何度もある。だが今感じている畏れは、そのどれとも違う。

走馬灯のようにこれまでの人生が脳内を駆け巡り、そこではたと思い至る。まだまだ幼く無知であった頃、遥か彼方から響く遠雷に、鳴動する大地に、燃え上がる森を前に覚えた畏怖。人の身では到底抗えない絶対的な力。

眼前の敵に感じた畏れは、それら大自然の猛威への畏怖とよく似ていた。

 

(これは、人の手に負えるものじゃない。どうして人が、天災に抗える。これは、そういう存在……)

 

今日まで彼女を支えてきた矜持が、信念が、悲願が、覚悟が、絶対的強者を前に根こそぎ崩れていく。

残されたのは、二十二年の人生で自分自身のために何一つとして積み上げてこなかった娘が一人。ずっと誰かのために走り続けてきた彼女がそれらを失えば、最早支えるものは何もなかった。

あまりの畏怖に、声も出ない。ただ幼子のように、震えることしかできない。

そんな自分をどこか遠くに感じながら、フェリシアは自分自身の弱さを目の当たりにしていた。

 

(は、はは、ははははははははっ! ああ、私は、こんなにも弱かったのですね……なにが、同胞たちのためだ! こんなにも弱い私に、いったい何が……)

 

心が折れる。何があろうと、せめて何か一つでも後の世に残そうと張り通してきた意地が。

折れてしまえば、フェリシアには何も残らない。そうとわかっていながら、もうどうにもならなかった。

 

だが、忘れてはいけない。フェリシア自身にはなくとも、外には彼女を支えるものがあるのだということを。

 

「団長をお守りしろぉ!!」

「この方を死なせるな!!」

「俺たちが前に出る! 回復魔法が使える奴は団長の下へ!」

 

割り込むように、頼光とフェリシアの間になだれ込む団員たち。

誰も彼もが大なり小なり傷を負っている。いや、むしろ半数以上が満身創痍だ。ある者は体に幾本もの矢を突き立てたまま、またある者は幾条もの切傷を負いながら、またある者は力なく片腕を垂らしながら、中には足を引きずる者もいる。到底、戦えるような状態ではない。それでもなお、彼らはフェリシアを守るために立ちはだかる。

 

「あなた、たち……どうして?」

「団長、死んではなりません。ここは我らが抑えます」

「動ける魔物を! 団長をお乗せしろ!!」

「絶対に落とさせるな!! 縛り付けてでもだ!」

 

四肢を縫い留めていた矢が引き抜かれ、回復魔法の光が傷を癒す。体中余すことなくボロボロのフェリシアにとって、それは気休めに等しい。そんなこと、団員たちとて分かっている。

わかった上で、彼らは誰が指示するでもなくフェリシアを守るために壁となるべく動いたのだ。彼女の真意を知る者も、知らぬ者も、一人の例外もなく。

 

「…だ、め……逃げて、逃げなさい! 私のことは良い、この身体は限界です! でも、あなた達はまだ動ける!だから!!」

「お断り、させて、いただきましょう」

「副長! まさか、あなたの指示で……」

「いいえ、小官は、何も。これは、アイツらが、勝手に動いた、結果です。困った、ものですな。命令、違反は、重罪、だと、いうのに」

 

傍らに立った副長の身体は、フェリシアに負けず劣らず血に塗れていた。仲間の血か、それとも己の血か。

蛇型の魔物の魔石を取り込んだことで形を変えた顔は表情がわかりにくいが、どこか笑っているように見えた。

 

「お逃げ、ください、団長」

「でも……!」

「将を、守るために、兵が、盾となる。ご存じの、ことでしょう」

「それは……」

 

わかっている。将が兵に対し勝利と生存の責任を負うように、兵もまた将を最後まで守る責任がある。

だが、それはまっとうな戦場での話。戦いの趨勢が決し、勝ち目がないとわかれば自らの生存のために全力を尽くすべきなのだ。碌に身動きすら取れない、生きて戻ったところで先のない将のために、まだ生きて帰れるかもしれない兵が犠牲になっていいはずがない。

 

「私は、ここまでです。十名に満たない人間族に敗れたとなれば、形はどうあれ排除されるでしょう。いえ、むしろここで死ぬべきです。神代魔法の使い手をして敗北したという方が、上層部も危機感を覚えるでしょう。

 あなたたちは生きて帰り、この敗北を伝えなさい。フェリシア・グレイロードが死力を費やしてなお、及ばぬ敵がいると」

 

そうなれば、上層部も戦力の出し惜しみはしないだろう。最大戦力で挑めば、あるいは……。

本来ならフェリシアも含めた全戦力で臨むべきだが、今となっては意味のない仮定だ。

 

(それに、私がここで死ねば陛下への何よりの献身となります。そうなれば、私の嫌疑が部下たちに及ぶこともないでしょう。その意味でも、私はここで死ぬべきだ)

「……」

「副長、後事を頼みます。私は結局何も残せなかったけれど、それでもあなた達がいる。どうか、後の世のために……」

「はぁ……団長、失礼」

「え……イタイッ!?」

 

なぜかため息を吐く副長を見上げると、頭頂部に衝撃。

しっかりと握り固められた拳骨が、フェリシアの頭に振り下ろされたのだ。

 

「な、何するんですか!?」

「団長が、あまりに、情けない、顔を、しておられるので」

「だ、だからってグーはないでしょ! グーはっ!」

「団長、勘違い、なされるな。我らは、あなたの、理想に、ついてきた、のでは、ありません」

「え?」

「確かに、あなたの、理想は、美しい。それは、仰ぐに足る、ものでしょう。ですが、我らは、あなたにこそ、心酔、したのです。あなたで、なければ、我らは、ここまで、しようとは、思わなかった。ですから、理想が、残っても、あなたがいなければ、意味が、ないのです」

 

彼らは、理想のためについてきたのではない。『フェリシアが掲げた理想が美しかった』だからついてきたのだ。

フェリシアと理想、どちらが欠けても意味がない。だがそれでも、もしもどちらかしか選べないのだとすれば、彼らはフェリシアを選ぶ。元より、フェリシアがいなければ、その理想に意味はないのだから。

 

「理想を、残すも、捨てるも、あなたの、自由だ。ですが、どうか、ご自愛を。あなたは、十分、戦った、のです。例え、理想を、捨てても、我ら一同、異論は、ありませぬ。生きて、いただきたい。叶うなら、あなたが、笑顔で、生きられるよう。

あなたは、我らにとって、良き主君であり、仰ぐに足る旗手であり……そして、可愛い娘、あるいは、妹だったのです。娘や妹の、笑顔を、望まぬ、家族が、おりましょうか」

「いや、いやです! あなた達には、本当の家族がいるではありませんか! 彼らの下に帰りなさい! 私のために死ぬなど、許しません!」

「初めて、我儘を、言ってください、ましたな。できれば、聞いて差し上げたい、ところですが、御許しを。時間は、ないようです」

「っ!」

「良き忠義です。あなた方の忠節に敬意を払い、あなた達がいる限り、彼女には手を出しません。存分に挑み、耐えて見せなさい」

「や、やめて…お願い、やめてください。みんな、なんで……」

 

有象無象の如く蹴散らされる部下たち。力の差は歴然、そうでありながら及び腰のものは一人もいない。誰も彼もが、決死の覚悟で立っているのがわかってしまう。

 

(わ、私は、私はどうしたら……)

 

もし、この逃避の先に理想への道が繋がっているのなら、どれほど心が痛んだところで彼らを見捨てることを決断できただろう。しかし、今はそれができない。この先に、理想が繋がっているとは到底自分を騙せない。

掲げた理想を失った自分に、彼らの命を犠牲に生き延びる資格があるのか。生き延びたとして、彼らの、今までに費やした犠牲に見合う何かを、為せるのか。

フェリシアは俯き、自分自身を抱きしめて震えることしかできない。その姿はかつての毅然とした、力強い姿からはかけ離れた、泣き崩れる寸前の幼子の様だった。

 

「逃げて、どうなるのです。逃げたところで、私には何もない! 先へと続く道は断たれ、あなた達もいない!この手には、何も残らないではないですか! 犯した罪だけが残り、償う術も、報いる道もない。なら、ここで死なせてください! せめて、あなた達と……っ!」

 

死なせてくれ、そう叫ぼうとしたフェリシアの視界の隅、西の空に一条の線が飛び込む。

反射的に視線を向ければ、そこには……雨足の弱まった今だからこそ辛うじて見える、一本の黄色の煙。

その意味を、フェリシアは即座に理解する。理解、できてしまった。だからこそ、彼女の心をさらに追い詰める。

限界以上に追い詰められていた心はその情報を受け止めきれず、頭は混乱の極み。

 

「どうしたら、一体どうしたらいいの……なにか、何かできることは……でも、私にできることなんて……」

(いかんな。ただでさえ状況は最悪に近いというのに……ええい、悪いことは重なるということか!)

 

いつも飄々として、こんな時でもどこかゆとりのあった副長からも余裕が消える。

やるべきことがある。だが、この状況では何もできることがない。

 

(すまん! 何もできない我らを許せとは言わん。だがせめて、団長だけでも……)

 

フェリシアを除くすべてを切り捨てる、その決断を下そうとしたその瞬間。彼らの頭上に影が落ちる。

 

「え?」

「な、なんだ……」

「グルルルルルル」

「団長、御下がりください!」

「……副長、アレを」

「は……首が、ない?」

 

降り立ったのは体高3メートルを超す巨大な狼と、その背に跨る首のない騎士。

魔物が跋扈するこの世界にあっても、なお異質な存在。だが、そんなことは些事に過ぎない。首なしの騎士ですら問題にもならない。狼の爛々と光る目の奥からは、種族を超えた底知れない憎悪が溢れている。その目を見ただけで、二人は巨大な咢で食い殺される己を幻視した。いくつもの戦場に立ち、覚悟などとうの昔に済ませたはずの二人をして、思わず身を竦ませるほどの底知れない憎しみ。

 

「ワオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンンンン!!!」

(ああ、これが私の終わり、ですか。もっと惨たらしいものと覚悟していましたが、存外呆気ないものですね。いえ、むしろ仲間たちと死ねるのなら……)

 

天地を揺るがすかのような咆哮を前に、二人は己の死を受け入れる。ただ、二人にはそれぞれ心残りがあった。

 

(せめて、団長だけでも……)

(ごめんなさい。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。

結局私は何もできなかった、何も残せなかった。犠牲となってきた彼らに、何と詫びれば……いいえ、それどころか、今まさに助けを求めている同胞たちにすら、何もできない。なんで、私はこんなにも……)

 

弱いのか。フェリシアにはもう、己の弱さを呪うことしかできない。

しかしその瞬間、フェリシアはあり得ないものを見る。自身にとっての死神であるはずの巨狼の背から延ばされた、頼りない掌。

 

「……………………………………………え?」

 

フェリシアの瞳に微かな光が戻る。ゆっくりとその手を頼りに視線を上げれば、そこには……自身よりいくらか年下であろう黒髪の少年がいた。決して力強くはない、特別聡明そうな印象もなく、際立って整っているわけでもない。

どこにでもいそうな、ありふれた顔立ち……だがどこか、人を惹き付ける何かがある。

 

二人の目が合う。フェリシアは、少年の漆黒の瞳から目を離せなかった。

深い、と感じた。同時に、重い、とも。なにが、かはわからない。ただ、今まで出会ってきた誰とも違う、不思議な目をした少年だった。

 

「あな、たは……」

「…を、貸してください」

「え?」

「手を貸してください! あなた達の協力が必要なんです!」

「フォ――――――――ウッ!」

 

言葉の意味が分からない。少年が何を言っているのか、理解が及ばない。

しかしそれでも、その言葉はフェリシアの胸の奥深くに染み渡った。

 

 

 

  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 

 

 

頼光がハインケルから飛び出した後、立香は令呪を使うタイミングを計り続けていた。

アルトリアが躊躇ったように、敵を助けるために令呪を使うなどおかしな話だ。

 

とはいえ、魔人族相手に本気で殺し合いにまで発展するのは立香の本意ではない。

魔人族にとって人間族は敵かもしれない。人間族にとっても、魔人族は敵なのだろう。

だが、そんなことは立香の知ったことではない。そもそも、立香たちはこの世界の人間族とも別の区分に位置する存在なのだ。姿形は似通っているが、生まれ育ってきた世界からして違う別種の存在。人間族・魔人族・亜人族のどれにも属さない第4の種族と言ってもいい。

だからか、立香は魔人族に特別敵意がないように、人間族に対しても特に同族意識はない。

 

自分たちの命が脅かされるようなら、どうやっても戦い、殺すしか道がないのならそうするだろう。

しかし、その判断を下せるほどの情報が、関わりが、因縁が魔人族との間にはまだない。

故に、立香は頼光が最後の一線を越えそうになるようなら止めるつもりで待機していた。

殺すことは本意ではない。かといって、攻撃してくる相手に無防備でいようとも思わないからこその判断だ。

 

そうして、フェリシアが戦意を喪失した辺りで、立香は交渉カードとして停戦を持ち出すべく頼光にいったん戻るよう指示しようとした。だが、そこで彼はいち早く気付いた。フェリシアが見つけたのと同じ、西の空に立ち上る黄色の煙を。

 

(あれって、もしかして狼煙?)

 

明らかに通常の煙とは異なる色合いの煙。さらに、その煙には定期的に切れ目が生じている。まるで、何かを知らせようとするように。

もちろん、それが何を意味するかなど立香にわかるはずもない。しかし、今得られる情報を統合して推測することはできる。

 

―――――狼煙の発生源は遠方に見える山の麓辺り

 

―――――ここ何日かずっと大雨がつづいていた

 

―――――ついさっき、かなり大きめの地震が起こった

 

それらの情報が立香の脳内を駆け巡り、一つの可能性に至る。それは論理の末に導き出されたというよりも、彼自身の経験や知識からくる直感に近い。

藤丸立香はその名が示す通り、日本の出身だ。そして日本という国は、世界最大の災害大国なのである。

 

年間で軽く千を超える地震に見舞われ、これは世界で起こる地震の十分の一にあたる。

大規模な風雨を伴う台風が、多い時には年間で二十回も猛威を振るう。

さらに、噴火すれば広範囲に被害を巻き散らす活火山の数は百二十九に及び、国別でみればあんなにも国土が小さいにもかかわらず世界四位。

加えてこれらの影響で津波が生じれば、四方を海に囲まれているため被害は甚大。

地域によっては豪雪地帯もあり、かと思えば夏季は高温多湿で死者も出る。

 

陸海空の全てにまつわる天災に縁があり、あらゆる……というと言い過ぎだが、世界的に見てもちょっと例がないくらいに多種多様な災害が体験できる、全くうれしくないテーマパークなのである。

 

そんな国で生まれ育った立香は、実体験が伴うかどうかはともかく、様々な自然災害に幼いころから触れてきた。

大きな地震があれば津波を警戒し、空気が乾燥すれば火事に気を付ける。そういった連想が即座に繋がる、その下地があった。

 

だからこそ、彼は少ない情報の中でその可能性に思い至ることができた。

山と雨と地震、それらによって連想した狼煙が上がるほどの事態。それは……

 

「地滑り? あるいは土砂崩れ? どちらにしても、ヤバい……!?」

 

雨が続けば当然地面が緩くなる。台風を始めとした大雨の際には、日本でも度々山間部で土砂崩れなどが報道されていた。そこへ先ほどの地震。地滑りが起こる要素は整い過ぎなくらいに整っている。

 

立香の勘違いかもしれない。もしかしたら、もっと別の……例えば天候にまつわる祭事に伴うものかもしれない。

攻撃を仕掛けてきた連中の同族、立香が首を突っ込むようなことではないと言われれば、否定はできない。

ここにハジメがいればそれこそ「知ったことか」と無視していたかもしれない。

しかし、立香にそれはできなかった。もし彼の危惧が正しければ、どれほどの人命が危機に瀕していることか。有事には助け合うのが当たり前という文化で育ち、ハジメのようにそれを捨てるような体験をしていない立香には、そんなことはできなかった。

 

「ロボ! ヘシアン!」

 

立香の声に応じ、それまで霊体化していた最後のサーヴァントが姿を現す。

立香やマシュにならば多少の好意を見せる彼だが、他の人間には基本的に変わらぬ憎悪を抱いている。もし戦闘に参加させれば、問答無用で蹂躙することがわかっていたから参加させなかった。

だが、今は彼の機動力が必要な時。

 

「俺をあの人、白髪の人のところまで!」

「先輩!? 待ってください、なら私も……!」

「ゴメン、先に行く!」

「……」

 

周辺を警戒していたため、マシュとの間に少し距離がある。彼女が来るのを待つ時間すら惜しい。

ロボの巨大な咢が立香の後ろ襟を加え、やや乱暴に背中に放り乗せる。

 

「フォウは降りても……」

「フォウ!」

「わかった、行こう!」

「ウォォォォォン!」

 

礼装のボタンをいくつか開け、そこにフォウが滑り込む。立香も体勢を低くしてロボの毛並みを握ろうとするが、準備が整う直前にロボが動き出す。

 

「ちょっ、待って待って! このままじゃ俺落ちるから!?」

「……」

 

知ったことかと言わんばかりに一気に速度を上げるロボ。

立香は振り落とされてなるものかと、大慌てでしがみつく。

 

ロボはその巨体からは考えられない敏捷性で魔人族たちの間を駆け抜けていく。

瞬く間のうちに彼らの脇をすり抜け、巨狼の進行を阻もうと立ちふさがった騎士たちを飛び越える。

そうして彼は、フェリシアたちの前に降り立った。

「え?」

「な、なんだ……」

「グルルルルルル」

「団長、御下がりください!」

「……副長、アレを」

「は……首が、ない?」

(まぁ、ふつう驚くよね)

 

フェリシアたちの反応に内心同意しつつ、彼らの様子から確信を強める。

ロボが降り立つ寸前、彼らは確かに狼煙の上がっていた方を見ていた。そしてロボの背にしがみつきながら垣間見た表情は……焦燥。立香にとっては、それだけで十分だった。

 

「ワオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンンンン!!!」

 

聞きなれているはずの立香ですら、思わずビクッとなる咆哮。これもう、完全に怖がらせたんじゃ……と思って見下ろせば、案の定二人の顔には恐怖を通り越して死を受け入れた者特有の諦観が浮かんでいた。

しかしそこで気付く。何はともあれ、彼らの意識がこちらに向いていることに。

 

(怖がらせないで、お願いだから! ……って、あぁ、こっちに意識を向けさせるため? な、なんて強引な……とはいえ、せっかくやってくれたんだから文句言ってる場合じゃない!)

「……………………………………………え?」

 

ロボの背から落ちそうなほどに身を乗り出し、白髪の女性に手を差し伸べる。後ろでは、落ちないようにヘシアンがしっかり支えてくれている。

 

「あな、たは……」

「…を、貸してください」

「え?」

「手を貸してください! あなた達の協力が必要なんです!」

「フォ――――――――ウッ!」

 

信じられないものを見たように目を見開くフェリシアを、立香は真剣な眼差しを向ける。

おおよその状況は立香の推測通りだろう。助けに向かうこともできる。

 

だが、それだけだ。立香たちが助けに行ったとして、いったいどれだけの人がそれに応じてくれるだろう。外見的には、立香たちは彼らにとって不倶戴天の敵である人間族にしか見えない。敵から差し伸べられた手を、いったい何人がとってくれるだろう。下手をすると、その場で諍いが始まってしまうかもしれない。

 

だからこそ、立香はフェリシアに協力を求めた。信用度がゼロどころかマイナスな立香たちと違い、軍に属する彼らには一定以上の信頼があるはずだ。そんな彼らが前面に出て説得してくれれば、救助活動がスムーズになる。

 

「確認します。あの狼煙は救難信号で間違いないですか!」

「え、そ、それは……」

「聞かれたことにはイエスかノー、簡潔に答える!!」

「は、はい!」

「想定される状況は? たぶん地滑りか何かだと思いますが、あなたの意見は!」

「お、おそらくそれで間違いありません。雨季には、稀に山間部で土砂災害が起こるので……」

「ここから向かうルートは!」

「だ、大丈夫です。今の時期通れる道は限られますが、問題なく……」

「物資の備蓄は!」

「よ、余裕はありません。私たちの任務は、あなた達への対処だったので……」

「医薬品は!」

「えっと……」

「ここまで、ほぼ、消費せずに、来ている。十分では、ないが、それなりに、ある」

 

助けを求めるように蛇っぽい顔の人物に視線を向ければ、たどたどしいながらしっかりとした答えが返ってくる。他にも聞くべきことはあるが、最低限得るべき情報は得た。

 

(物資はこっちの宝物庫から出せば問題ない。今回は藤太がいるのが幸いした。薬は……神水がある。パラケルススが残した分と、どの程度まで希釈していいか試してくれていて助かった。問題はテントとかがない事だけど……急拵えで何とかするしかない。

 なにより、ルートがわかっているのが有難い。これで、余計なトライ&エラーをして時間を食うことはない)

 

一番の問題は、進もうとしては足止めされての繰り返しで無駄に時間を浪費することだった。

しかし、その問題さえ解決できるならあとは何とでもなる。

 

「俺たちは今から、救援に向かいます!」

「っ!?」

「そのために、改めてあなた達に協力を要請します! 俺たちだけだと警戒されるでしょうし、最悪拒絶されるかもしれない。でも、あなた達が間に立ってくれれば何とかなるはずです!」

「で、ですが、それは……」

「時間がないんだ!!!」

 

躊躇いがちに視線を彷徨わせるフェリシアに、立香は滅多に発することのない怒声を叩きつける。

 

「七十二時間が境界なんです! そこを過ぎれば致死率が上がって、助からない人が増える。でも、それ以前に助けることができれば……」

「生存者が、増える、と? しかし、物資の、問題が」

「物資ならある! 俺たちにはあなた達に分け与えても問題ない量の食糧があります! 薬もです! 体を休めるテントはありませんが、それでも……!」

 

助けられる命はある。それを真摯に、切実に訴える。今こそが、今日まで培ってきたコミュ力の見せ所。「相互理解の怪物」の出番だ。

そこにきて、それまで呆然と立香の問いに返すだけだったフェリシアの様子に変化が生じる。うつろだった目の光が徐々に戻り、眦に涙が浮かぶ。信じたい、でも信じられない、そんな葛藤が伝わってくるような迷いの宿った瞳。だが彼女は、その葛藤を押しのけて弱々しく、縋るように声を漏らす。

 

「……………助けて、くださるのですか?」

「そうじゃなかったらこんなこと言いません!」

「でも、私たちは、あなた達の……」

「敵とか味方とか、こんな(災害)時に関係あるか! 今行けば助かる人たちがいるんだ! 助けるのは当たり前でしょうが!!」

「当たり、前……」

 

そう、当たり前なのだ。天災の前では人は等しく無力。だからこそ、助け合わなければならない。そこに敵とか味方とか、あちらとこちらとか、そんな小さな区分に意味などない。

助け合わなければ生き残れない、だから助け合う。ただ、それだけの事。小難しい理屈の出る幕はない。

 

(当たり前……そう、当たり前のこと。でも、その当たり前が本当に……)

 

あるのだろうか。信じていいのだろうか。

素直にその申し出を受け入れられない自分がいることに、フェリシアは気づく。無理もない。当たり前のことが当たり前のものとして通らないほど、人間族と魔人族の確執は深い。

フェリシアは立香の言葉を頭では理解できているが、心が足踏みさせる。人間族や亜人族と対立を厭う彼女だが、それはひとえに融和路線の方が最終的に流れる同胞の血が少ないと思えばこそだ。

彼女にも人間族への遺恨はある。それを捨てでも、別の道を行くことが同胞たちのためになると信じればこその選択なのだ。

 

しかしここに、当たり前のことを当たり前のこととして口にし、行動しようとしている人がいる。

彼女がそれこそがあるべき世界の姿だと定め、そのためならすべてを犠牲にしようと決意した在り方。彼女の願いを体現したかのような、そんな少年。

 

(信じて、良いのでしょうか。かかっているのは同胞たちの命、軽々な判断は……)

「団長、なにを、恐れますか」

「恐、れる?」

「我らには、最早、戻る道は、ありませぬ。ならば、なにを、恐れましょうか」

(……あぁ、そうだ。どうせ、私にはもう……戻ったところで、失脚するか、粛清されるか、あるいは……いずれにせよ、私の道に先はない。ならせめて今くらい、私の願ったとおりに、善しとした在り方に殉じよう。失敗したところで、失うものは何もないのだから)

 

どのみち、ここで足踏みをすればするほど同胞たちの命が失われていく。失うものが何もないのなら、あとはもう進むだけだ。最後くらい、自分の心に正直に……。

だとすれば、せめて自分自身の言葉で告げよう。助けられる側が、助ける側に求めることを。

 

「お願い、します。どうか、助けてください!」

「もちろん!!」

「フォ――!!」

 

差し出された手を取る。フェリシアの豆だらけの武骨な手とは比べ物にならない、華奢で薄い掌。なのに今は、それがどうしようもなく頼もしく感じる。

 

(暖かい……知らなかった。人間族の手も私たちと同じで、暖かいのですね)

 

これも、当たり前といえば当たり前のこと。にもかかわらず、フェリシアはその暖かさに涙がこぼれそうになる。こんな簡単なことすら、自分たちは知らなかったのだ。

 

「な、何をしておられる! 人間族に助けを求めるなど…がっ!?」

「おっと、どうやら、お疲れの、ご様子、ですな」

 

これまで一体どこに隠れていたのか、今頃になって姿を現した監視役だが、副長の腹部への一撃で意識を失う。

言ってやりたいことは山ほどあるが、すべて些末事だ。彼などより、優先しなければならないことがある。今は何よりも、天災に見舞われた同胞たちを救うことが先決なのだから。

 

「副長……」

「ハッ、清聴!」

『…………』

「我らは任務を中断し、これより彼らとともに同胞たちの救助に向かいます! 言いたいことはあるでしょう、ですが今はそれらすべて忘れなさい! 最優先事項は同胞たちの命! 異論は!」

『……』

「よろしい! お待たせいたしました……どうか、なさいましたか?」

「あ、いえ、なにも……」

 

先ほどまでの頼りなさはどこへやら。あまりの迫力と威厳に、立香の腰が引ける。

 

「あなた方はあの台車で良いとして、我らは……」

「ああ、それについてはちょっと考えが」

「は?」

「ブーディカ!」

「ええ、お姉さんに任せなさい♪ 女神アンドラスタ……あたしに力を!

――――――――“約束されざる守護の車輪(チャリオット・オブ・ブディカ)”!!!」

 

ブーディカが真名解放すると共に無数のチャリオットが出現し、一同の周囲を囲む。

高い耐久力を誇り仲間を守る「盾」として機能させるのが正しい運用方法だが、ケルトの神々の加護を受けることで飛行能力もある宝具だ。まぁ、今回は数優先なので、飛ばす余裕はないだろう。突進力はさほど高くないが、何より数がある。彼らを分乗させて運ぶくらいは問題ない。

 

(これは、固有魔法? それとも、神代魔法? だとしたら、一体いくつの……)

「手の空いてる人はパラケルススの薬を配って! 出発は五分後!」

「あ、あなたたちも負傷者の手当てを! 薬と魔法の使用は最小限に!」

 

二人の指示で、負傷者の救護のために場が動き出す。助けに行く側がボロボロでは話にならない。

 

「アルトリアはハインケルの運転をお願い!」

「ええ、お任せをマスター」

「みんなは作業が終わったらハインケルに戻って! 俺はこの人と一緒にロボと先行するから、後に続いて!」

「……ん? あの、今私と一緒にと?」

「ええ、そうですけど? 行き方とかわからないので、指示してください」

 

その言葉に、フェリシアは唖然とする。確かに助けてくれるとは言った。フェリシアも、一応ではあるが信用した。しかしだからと言って、つい先ほどまで敵対していた相手と同乗するなど……。

 

「正気、ですか?」

「あ、もしかして不意打ちされる心配とか……」

「していません。他の方々ならともかく、あなたには全く脅威を感じませんので」

「ですよね~」

「むしろ、その心配をすべきはあなたの方では?」

「?」

「どれほど弱くても、あなたは彼らのリーダーでしょう! 私があなたを害すれば……」

「ありがとうございます」

「な、なにを……」

「心配してくれているんでしょう? そうじゃなかったら、わざわざ言わないじゃないですか」

「それは……」

 

実際、フェリシアにその意思はない。様々な思惑や打算あってのことではあるが、ここで立香を害すれば同胞たちを助けることができないのは明白だ。なにより、見ず知らずの同胞たちを助けるために手を差し伸べてくれた相手を積極的に害するような真似はしたくない。

そんな諸々すらも見抜かれたかのような気がして、思わず視線を逸らす。

 

立香はそんなフェリシアの反応に苦笑いを浮かべているが、その間にも着々と準備は整っていく。

 

「先輩、準備できました!」

「負傷者の手当ても終わったぞ、マスター!」

「はいはーい! いい、君たち。スピード重視で行くから、しっかりつかまってるように!」

「マスター、心境を聞いて回ろうとしていたシェイクスピア殿を捕らえておきました」

「ナイス!」

 

そうして準備ができてしまえば、あとは動くだけ。今は何よりも行動の時なのだから。

 

「あ、そうだ。フェリシアさんもケガの治療をしないとですよね」

「い、いえ、ケガはもう……」

 

悪鬼変生は今なお効果を継続している。今ここで術を解けば、その反動が一気に襲いかかるからだ。

まぁ、そのおかげで傷もとりあえずは塞がっているのだが。

 

「そうですか? でもまぁ、念のため……」

「っ! 何を……え?」

 

警戒を解くべきではなかったと後悔するが、時すでに遅し。立香の手から放たれた光がフェリシアを包み……完治とはいかないまでも、全身の痛みが和らぐ。魔術礼装を介した治癒魔術の中でも、特に強力なものだ。これならば、悪鬼変生を維持したままもうしばらく活動が可能になるだろう。

 

「…………」

「さっ、行きましょう」

 

あっけにとられるフェリシアだが、立香はそれに気づいた様子もなくロボに跨り直す。

少し身を乗り出すように手を差し伸べてくる立香を見上げて……フェリシアの胸に言葉にならない感慨が芽生える。

 

(なぜなたは、こんなにも自然に、私に手を差し伸べてくださるのですか……?)

 

あれほどまでに求め、何をしてでも欲し、届かなくとも近づこうとしたものが、目の前にある気がした。こんな簡単に、まるで初めからそこにあったかのように。

空は厚い雲に覆われ今なお雨は降り続けている。にもかかわらず、フェリシアにはそれがどうしようもなく眩しかった。

 

(ああ、私が欲しかったものは……)

「どうかしました?」

「……お名前を、聞かせていただけますか?」

「ああ……立香です、藤丸立香」

「リツカ殿……」

 

噛み締めるように、ようやく手に入れた宝物のように、その名を呟く。

 

「遅ればせながら、フェリシア・グレイロードと申します」

「あ、はい」

 

まぁ、知ってたけど……とは雰囲気的に言えない。

その間にフェリシアは立香の手を支えにロボの背に乗る。一瞬ロボが不満そうにしたのは、ヘシアンと立香だけが気付いたことだった。まぁそれも、立香の指示なら我慢できる範囲のようだが。

 

「頼むよ、ロボ!」

「フォウ!」

「ウォォォォォン!!!」

 

雄叫びを上げると同時に、ロボがその強靭な四肢で大地を蹴る。瞬く間に速度を増し、吹き荒んでいるはずの風すら置き去りにして突き進む。

フェリシアは立香の腰に手をまわし、彼に倣って身を低くしながら視線だけを上げて進路を指示。それに従いロボの身体が右に左に傾き、時に障害を飛び越えて速度を緩めることなく疾駆する。

 

変わらず雨は降り続け、しっかり掴まっていなければ振り落とされそうなそれは、決して乗り心地が良いとは言えない。にもかかわらず、言葉にできない爽快感が胸を満たす。

 

「ありがとうございます、リツカ殿」

 

聞こえないとわかっていながら、零れた言葉。それは本当ならすべてが終わった後、団員たちを代表して正式に述べるべき言葉だった。

 

でも、どうしても今、告げたかった。今でなければならなかった。

立場も責任も、何も絡まない唯の“フェリシア”として。この、どれほどの言葉を費やしても伝えきれないであろう感謝を。

 

 

 

後にフェリシアは語る。

この邂逅こそが、彼女が進むべき道を示す「標」との出会いだったのだと。




改めて調べると、日本の災害大国ぶりにびっくりしました。簡単にしか調べていないのに、これですからね。どんだけだよ、日本。


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023

段々、誰が主人公かわからなくなってくるなぁ…そんなお話。長くなったので一度切りました、続きはできれば今度の土日の間には……。


「……それでは、失礼いたします」

「……」

 

報告を終え執務室から出ていく部下に一瞥もくれず、卓上で組んだ手に額を押し当て続けるフリード。

 

どれだけの時間が経ったのだろう。いつの間にか陽は落ち、執務室内は僅かな蝋燭の明かりだけが照らしている。薄暗く、まるで彫像のように微動だにしないフリードも相まって、まるで生気というものが感じられない。

頭の中を駆け巡るのは、ただ一つの問い。答えなど返ってくるわけがないとわかっていながら、それでも拭い去れない問いが頭の中を駆け巡る。

 

(なぜだ、フェリシア。なぜ、こんなことに……)

 

フェリシアに付けていた、事実上の監視役からの定時報告が途絶えて丸一日。

殺されたか、捕らえられたか……いずれにせよ、その意味するところは一つ。フェリシアはボロを出したのだ。自身の立場を決定的に悪くする、そんな何かを見せてしまった。だからこそ、監視役からの情報流出を防がなければならなくなった。情報が洩れるよりかは、どんな形であれ封鎖してしまった方が、まだ時間を稼げるから。

 

しかし、それは本来ならあり得ないことだ。軍の事実上の頂点に立ち、師としての贔屓目を抜きにしても、フェリシアは群を抜いて優秀だ。魔物たちの管理者として派遣された特務部隊隊員がその実、数年前から秘かに不穏な動きを見せるようになった自身への監視役であることにも気づいていたはず。

ならばどうするか。答えは簡単、粛清・失脚に繋がる一切の口実を与えないように慎重に振舞うことだ。事実、今回のことがあるまでフェリシアは全くと言っていいほど尻尾を掴ませなかった。彼女は知っていたのだ。情報流出は以ての外だが、同様にそれを防ぐために監視役を抑えることもまた悪手であると。監視役を放置する、放置できる状態を維持する以外に、道がない事を。逆に言えば、その状態を維持することさえできれば、自身がこれ以上立場を危うくすることもない、と。

実際、このままいけば大幅に立場が改善される…とはいかなくても、とりあえず今後の軍内部での活動に支障をきたさない状況に持ち込めたはずだ。少なくとも、人間族との戦争が本格化すれば、フェリシアほどの戦力に要らぬ制限を課し続けていられる状況ではなくなるのだから。

 

元々、フェリシアへの疑惑とて確証や確信からほど遠い、“かもしれない”レベルのもの。フリードの直弟子であることもまた、良くも悪くも彼女の評判に影響を与えているのだろう。辺境出身であり、若くして高位についた彼女を快く思わない輩は多く、そういった連中は何とか攻撃材料を得ようと躍起になって彼女の身辺からアラを探し続けていた。あわよくば、フェリシアを踏み台にフリードの地位すらも狙わんと……。

そんな中、いつの間にか一つの噂がまことしやかに流れるようになる。それは……

 

――――――――魔王様への叛意の兆しあり

 

はじめは根も葉もない、悪意のみで構成された愚かな噂に過ぎなかった。そうあって欲しい、そうであれば思う存分フェリシアを貶めることができる、くだらない欲望の産物。フェリシアに対して隔意のある者達は好んで酒の肴にしていたが、逆に彼女を認め支持する者達はそんな連中を軽蔑していたし、中立派は“流石にそれはない”と一顧だにもしなかった。それならまだ、“フェリシアはフリードの愛人で、自分の「女」を使って今の地位を手に入れた”という方が信憑性がある、と。

だがそんな根拠のない噂は、いつしか信憑性を帯びるようになる。フェリシアは決して隙を見せることはしなかったが、それでも何かしらの動きを取れば痕跡を完全に消し去ることはできない。慎重に慎重を重ねたことで、意図も狙いも完全に隠蔽され、残されたのは僅かな痕跡だけ。それがかえって、様々な憶測を呼んだのは皮肉なことだ。

 

――――――――――何をしているかはわからない

 

――――――――――しかし、なにかをしている

 

完璧な情報統制が仇になった。いっそ僅かでも情報が洩れていれば、余計な邪推を呼ぶこともなかっただろう。だが、フェリシアは自身の思想とやろうとしていることが異端であることを理解していた。だからこそ、少しでも真意に迫られる可能性をなくそうと、執拗なまでに情報を隠し通した。偽情報(ブラフ)を流すことも考慮したが、それが蟻の一穴になることを危惧し、一切の情報を漏らさない姿勢を貫いた。

 

結果論ではあるが、それが裏目に出た。元々少ないとは言えなかった非好意的な者達は、フェリシアの真意の見えない暗躍を利用したのだ。

 

曰く、フェリシア・グレイロードは他種族と通じている。

 

曰く、現体制に不満を持つ者を集め、クーデターを画策している。

 

曰く、アルヴ様の教えに疑念を持ち、蔑ろにしている。

 

即ち――――――――――――フェリシア・グレイロードは異端者である

 

『異端者』

それはこの世界において、人間族・魔人族を問わず非常に重い意味を持つ言葉。異端者とはつまり神敵であり、それ故に何をしても許される。生きていること、それ自体が罪であり、即刻滅されなければならない存在を意味している。

通常は協会から認定されるものだが、悪口雑言の一つとして用いられることもないわけではない。ただ、それは非常に稀だ。「異端者」と称されるだけでもその立場は著しく悪いものになるし、正当な理由なくそれを口にすれば逆にそれを言った者の立場を危うくする。教会以外の者が口にする「異端者」とは、そんな諸刃の剣なのである。

 

どれほどフェリシアに反感を持っていようと、決してそれだけは用いられることのなかった言葉。だが彼らは、ついにそれを口にした。邪推と妄想、悪意と願望の迷走の末、彼らは真実に至っていたのだ。

フェリシアが考えていること、やろうとしていることは、彼らの考えていたものとは似ても似つかない。だから、フェリシアはことさらそれに反応を示しはしなかった。真相に迫られていないのなら、何も問題はないと。

ただ、一つだけ気がかりなことがあった。それは、経緯はどうあれ結論だけは正鵠を射ていたことだろう。

 

とはいえ、何一つとして確証のない、無責任な噂に過ぎない。フェリシアの類稀な能力、二人目の大迷宮攻略者という実績、自身だけでなく同胞たちすら強化可能な神代魔法の使い手という将来性。

どれも魔人族にとっては得難く、容易く失うわけにはいかないものばかり。どのような形であれ「異端者」などと称されながら、フェリシアが親衛騎士団長という要職に表向き支障なく在り続けられたのは、先の三点の賜物だ。彼女の存在は、それほどまでに惜しい。

 

だが、まがりなりにも「異端者」呼ばわりされる者が軍上層部にいたとあっては、放置できない。事実上全軍を統括する立場にあるフリードとはいえ、主だった将軍数名の連名による進言は無視できない。已む無く、フリードはその進言を受け入れ監視役を派遣した。

 

ただ、その真意は彼らのそれとは真逆、フェリシアの潔白を証明するためだ。彼女なら、必ずや監視やされていることに気付くはず。そうなれば、嫌疑を晴らすべく慎重に行動するだろう。一時凌ぎにしかならないかもしれないが、今は最も重要な時期。軍内部に亀裂を生じさせたままでいるわけにはいかない。

それに、戦争に勝利することさえできれば、あとは何とでもなる。彼女の立場を盤石なものとし、奉じる神と、神の代弁者たる魔王と、愛すべき同胞たちのため、共に歩んでいく。フリードはその未来を信じていた。

しかし、蓋を開けてみれば……フェリシアは思いもよらぬ形で、杜撰にもボロを出してしまった。それはフリードへの……ひいては魔王と同胞たちへの裏切りに他ならない。

 

(お前らしくもない。よりにもよってこの時期に、そんな愚かなミス(・・)を犯すお前ではなかったはずだ……)

 

フェリシアが自分たちと違うことには薄々勘付いていた。彼女が軍に仕官してからというもの、手元に置いて様々なことを教え、彼女の成長を見守ってきたのは、他ならぬフリードなのだから。

周囲との齟齬に悩み、それを押し殺して鍛錬と軍務に励み続けてきた愛弟子。見ているもの、考えているものが違うことはわかっていた。それでもなお、フリードは信じていたのだ。いつか必ず、その懊悩から解放される日が来ることを。そして、いずれは自分の跡を継いで同胞たちを守り、導いてくれることを。

 

(ああ、私は信じていたのだ。例え歩む道は違えども、根底にあるもの、目指す先は同じだと。そう、信じていた……なのに、お前は…………)

 

弟子の真意は未だわからない。いったい、彼女が何をしようとしていたか不明だ。だが、一つだけ確かなことがある。ここにはもう、フェリシアが戻ってくる場所はない、ということだ。

 

(………………………………ならばせめて、私の手でお前を討とう。それが師としての、せめてもの慈悲だ)

 

フリードは気づかない、自身の考えの極端さに。

かつての彼であれば、せめてフェリシアに真意を問い質そうとしただろう。彼が思っていた通り、過程(ルート)は違えども、二人の願い(スタート)理想(ゴール)は決してそうかけ離れたものではなかったのだから。話し合いの余地も、相互理解の可能性も、まだ残されている。裏切り者だからとて、そのすべてを否定することはないのだ。

 

フリードは気づかない、周囲の者たちの変化に。

フェリシアに対して友好的だったはずの者達からすら、強硬意見が出ることに違和感を持てない。つい先日までフェリシアへの疑念を声高に口にする将軍の一人を時に宥め、時に苦言を呈していた彼が、むしろ積極的にフェリシアへの嫌疑を煽っていることの不自然さ。普段の彼であれば、決して見逃さなかったであろう変化を、フリードはおかしいと思えなくなっている。

 

そう、今のフリードにそんな余分は存在しない。気付かぬうちに、少しずつ少しずつ……削ぎ落とされていった余分。

 

神敵は討つ。例えそれが誰であろうと、どのような思想の持ち主であろうと、関係はない。

それこそが喜びであり、神の御意思に従うことこそが正道。以前からそう信じて生きてきた彼だが、今の彼にはそれしか見えていない。見えなく、されていた。

 

だが実のところ、そんなことは小さなことに過ぎない。問題は、もっと根本的なところにあったのだ。

フリードは知らない、フェリシアも気づいていなかった。監視役のことなど関係なく、彼女の居場所は既に……いや、それこそ初めから、この国にはなかったのだということを。

 

 

 

  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 

 

 

立香たちがフェリシアの案内の下、山間部に位置する村落にたどり着いてからは、怒涛のように時間が過ぎていった。

 

何しろ、一秒たりとも時間を無駄にはしていられない。一秒足踏みしている間に、一つの命が黄泉路を渡ってしまうかもしれないのだ。どれだけ急いでも、急ぎ過ぎるということはない。

幸い、ハインケルとブーディカの宝具のおかげで、ものの数時間で現地に到着することができた。とはいえ、その時点ですでに正午を回っている。サーヴァントと違い騎士たちには体力の限界があるし、夜間の捜索は二次災害の危険を伴う。サーヴァントならばそれらの問題を無視できるが、生憎今回のメンツは人海戦術を取れるタイプではない。いくら人間を超越した力があろうと、限度というものがあるのだから。

 

故に、救助活動は可能な限り迅速かつ効率的に進める必要がある。そこで立香が初めにやったこと、それは……

 

「フェリシアさん、俺たちはあなたの指揮下に入ります」

 

指揮系統の一本化だった。魔人族軍とカルデア一行、とりあえずは棚上げにしているとはいえ、ついさっきまで干戈を交えていた者同士。連携・協力など望むべくもない間柄ではあるが、今の状況ではそんなこともいっていられない。一人でも多くの命を救うには、四の五の言わずに手を取り合う必要がある。そのためには、明確に指揮系統を束ねる必要があると考えたのだ。

そして、そのためにはフェリシアに指揮権を預けるのが妥当だろう、とも。

とはいえ、そのことに反対がなかったわけではない。ただそれは、サーヴァントたちからではなく、むしろフェリシアの方からだ。

 

「本気……なのですね」

「俺たちは余所者です。そんな俺たちが勝手に動いたとすれば、ここの人たちに警戒させるだけです。でも、あなたの指揮下にあるとわかれば、少しは安心してもらえるはずです」

「………………続けてください」

「次に、俺たちは災害救助の経験に乏しいんです。切った張ったならまだしも、こういう時何をどうすればいいか、詳しいノウハウがありません」

 

今回、災害大国日本出身のサーヴァントは多く召喚されているが、災害に関連した逸話や偉業を有しているわけではない。道中念話で確認した限りでも、適切な指示が出せるかといえばあまり自信がないとの返答が多かった。

ならば、少しでもノウハウがあるであろう人物に委ねるのが吉だ。

 

「……いえ、それは私も大差ありません。恥ずかしながら、戦うこと以外には疎く……」

「でしたら、そこは、小官が、補い、ましょう」

「……こちらは?」

「私の副官で、長年軍に籍を置いてきた古強者です。私と違い、戦以外の経験も豊富ですから、むしろ指示は彼に任せるのが得策でしょう。それに、私もそう長くは動けないでしょうから」

「? …………とりあえず、あなたが指揮を執るということでいいですか?」

「お任せ、いただけ、ますかな?」

「お願いします。俺たちの能力や技能についてもお伝えするので、うまく使ってください」

「!」

 

立香の申し出に、副長が僅かに目を見開く。協力の姿勢を見せていたとはいえ、自分から手の内を開示するとは思っていなかったのだろう。すべてを明らかにするわけではないだろうが、それでも……。

 

(なるほど……些かお人好しが過ぎるきらいはあるが、それは状況を理解し、人命を尊重している裏返しとも言える。むしろ、こういった手合いの方が団長とは相性がいいだろう。この方も、根本的にはお人好しだからな。まぁ、そうでなければ『異端者』の誹りを受けることを覚悟のうえで、大勢に反して融和方向へ向かう道を模索したりなどしないだろうが……)

 

しかし、フェリシアは“ただのお人好し”とは違う。綺麗ごとを口にし、“正しいだけの道”しか歩めない偽善者ではない。悪事や凶行といった悪道を憎みながらも、それが“必要”と判断すれば躊躇しない。どれだけ泥に塗れようと、手を血で汚そうとも、彼女は突き進む。自分が汚れることで、より善い未来に、より美しい世界に続いているのなら。

だからこそ、フェリシアと相性の好い人物というのは稀なのだ。単なる善人ではフェリシアの覚悟と相容れないし、悪人ではフェリシアの理想に共感できない。気高い理想を掲げながら、手を汚すことを厭わない。そんな、ある種矛盾した人間性と噛み合う者は少ない。

だからこそ、“善を知りながら悪を成し、善にありながら悪を許す”立香の在り様は、フェリシアと相性がいいのだろう。なにしろ彼もまた、必要とあらば強く心を痛めながらも良心に反した行動に出る覚悟の持ち主なのだから。

 

その後、立香は先の言葉通り必要があると思われる能力や技能などに関して、惜しむことなく開示した。フェリシアたちもまた、色々と気になることも多かったが敢えてそこには言及せず、同胞たちの救助を優先した。

 

まずは段蔵を始めとした斥候を得意とする者たちが山に入り、現場周辺を確認。そこで村落の後背に位置する斜面が崩れ、約半分が土砂に飲み込まれていることが判明。予想通り、長雨の影響で地盤が緩んでいたところへ、明け方の地震が追い打ちをかけ崩落したらしい。多少雨足は弱まっているとはいえ、今なお雨は降り続いている。再崩落の危険に備えながらの厳しい作業になるだろう。

 

その間に、フェリシアは辛うじて難を逃れた村民たちから情報を収集する。幸い、村長は無事だったことから、把握できている限りの被害状況の確認や行方不明者のリストの作成、加えて当面の避難先の確保などがスムーズにいった。

とはいえ、この段階ですでに死者は20名を超え、行方不明者は100名近くに上る。人口が200名に満たない集落であることを考えれば、絶望的な状況だ。それでも、土砂崩れが起こったのが深夜ではなく明け方であったこと、迅速に救援が来たことは不幸中の幸いだろう。

 

そうして救助活動に必要な下準備が整えば、あとは行動あるのみである。

大半のサーヴァントたちはその基本性能の高さを生かして救助活動に参加。立香も慣れない探索系の魔術を行使して生存者の捜索を補助している。

段蔵は忍びであることや山を熟知していることから周辺を警戒し、再崩落に備える。彼女の警告のおかげで難を逃れたことも一度や二度ではなかった。

また、藤太はその宝具を最大限生かすべく、避難所に常駐。辛うじて土砂崩れから難を逃れた者、土中から救出された者、残念ながら親しい人を亡くしてしまった者、あるいは土中から掘り出すことには成功したが既に事切れた遺体を発見した者……誰も彼もが身体を疲弊させ、心に深い傷を負ったまま避難所を出入りする彼らに温かい食事を振る舞い、豪放磊落な笑顔で励まして回っていた。

ただ、中にはこういう時であってもろくなことをしないやつがいるわけで……

 

「さて、それでは我輩は執筆にとりかかるとしましょう。皆さん、頑張ってください。あ、ですが先に被災者の方々に今のお気持ちを聞かせていただきに行きましょう。感情には鮮度がありますからな」

「そういう一貫したところは尊敬するけど……」

「おや、如何なさいましたマスター? そのように頭を抱えて……」

「今は説得する時間も惜しいし……」

「はて、なぜ令呪を掲げておられるので?」

「カルデアのマスターが礼呪を持って命じる、『働け』キャスター!!」

「フォ――――ウ!!」

「ぬぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!? 我輩、肉体労働は専門外なのですが―――――――っ!!」

 

相変わらずすぎる人間の屑、またはロクデナシに強制労働の刑を科す、当然慈悲はない。むしろ、良いことをしたとばかりに胸を反らす。後ろを振り返れば、良くやったとばかりにいい笑顔でサムズアップする仲間たち。

 

あとはもう総力戦だ。

種族・立場・年齢・性別・思想…………それら一切すべてが些末事。男性は主に救助活動に参加し、女性や子供は炊き出しや負傷者の手当てを手伝う。ある者は行方不明者の名を呼び、またある者は技能や魔法で生存者を探す。反応があれば周囲の者と協力して慎重に土砂をどかし、倒木や倒壊した家屋を解体し、下敷きになっている者を引っ張り出す。

応急処置や回復魔法に優れた者は避難所に詰め、立香たちも所持していた薬や物資を惜しげもなく供出する。

 

しかし、さすがに100名以上の行方不明者を見つけ出すには時間が足りな過ぎた。到着時点で正午を回っていたこともあり、あっという間に日が暮れてしまったのだ。夜間の捜索は二次災害の危険を伴うことから一時中断されたが、サーヴァントには関係のない話。彼らが継続して行方不明者の捜索に当たったことで、翌日中には全行方不明者の安否確認を終えることができた。負傷者への処置も一段落し、何とか一山超えたところで捜索に当たっていた騎士や村民、立香たちも含めて誰も彼もが夢の世界に旅立ち、泥のように眠る。

 

気付けばいつの間にか、雨は上がっていた。

 

それから三日後。被災した集落からいくらか離れた平原に設営された天幕の下、昏々と眠り続けていたフェリシアはようやく目を覚ました。

 

「……ぅ、ここは?」

「ようやく、御目覚め、ですかな、団長」

「副長?」

「おや、小官の、顔では、インパクトが、たりません、かな?」

「そういう冗談はよしなさい」

「失礼」

 

不機嫌そうに眉を顰めるフェリシアに、副長の顔が僅かに綻ぶ。自身の顔にしろ自虐ネタにしろ、とりあえず気付けとして効果があったことに、幾許かの安堵を覚えたのだろう。

フェリシアの腹心である彼は、主の心が一度折れかけたことに気付いていた。堅固な意思の持ち主であるからこそ、一度折れれば立ち直れないのではないかと危惧していたが……それは杞憂だったらしい。今のフェリシアの目には、微かだが確かな光が宿っている。まだ彼女は完全には折れていない。あるいはそれは、今にも心折れそうなその瞬間に見た、当たり前のように他者のために手を差し伸べるあの少年のおかげなのかもしれない。

 

(だとすれば、つくづく感謝に堪えんな)

「それで、今の状況は? 集落は、どうなりました?」

「では……」

「と、申し訳ありません。そのままでは話しづらいでしょう」

 

フェリシアが副長の頬に触れると、異形の相貌が見る見るうちに人のそれに戻っていく。現状、天魔転変による変化は基本的に一方通行だ。施術したフェリシアを除けば、同じく変成魔法の使い手であるフリード以外に彼らをもとの姿に戻せる者はいない。他の団員たちにしても、いまなお異形化したままだ。

 

(早めに、彼らも元に戻さなければなりませんね。この先、私がどうなるかわからない以上、せめてそれくらいは……)

「…………ふむ、ふむふむ」

「具合はどうですか? 違和感があれば……」

「いえ、流石ですな。これだけ長く変化していたのは初めてなので、少々ぎこちなくはありますが、全く問題はありません」

「そうですか。よかった……」

 

正直言えば、フェリシアとしても多少不安はあったのだ。天魔天変による変貌は初めてのことではないが、それもせいぜい数時間程度のこと。そのため、長時間の変化がどう影響を及ぼすかはデータがない。眠り続けていた彼女にはどれだけの時間が経過したかわからないが、かなりの時間眠っていたことだけは間違いない。

その時間が、部下たちの身体にどのような影響を及ぼすか……だがその心配は、とりあえず杞憂に終わったらしい。

 

「そういえば、私はどれだけ眠っていたのですか?」

「二日ほどになります。まったく、あれほど無理をなさるなと申し上げたのに、生きた心地がしませんでしたよ」

 

この点に関しては返す言葉もないだけに、フェリシアとしては笑って誤魔化すしかない。

負傷する度に肉体をより強靭に作り替え続ける悪鬼変生は、当然ながら体にかかる負荷が大きい。本来なら、一度使っただけでも身体にガタが来て使い物にならなくなってしまう程に。フェリシアはその対策として、術を解くと同時に肉体を元の状態に再変成するよう設定しているのだが、その際彼女の意識も強制的に落ちてしまう。そして、身体の再変成が終わるまで彼女の意識が戻ることはない。二日以上にわたって意識が戻らなかったということは、それだけフェリシアの身体が本来のそれからはかけ離れたものになっていたということの証明でもある。

 

「しかし、身体の再変成は已むを得ないにしても、意識を失ってしまうのはやはり問題ですね。まだまだ、改良の余地があるということですか」

「団長」

「わかっていますよ。私とて、死に急ぐつもりはありません」

「……まぁ、今はそれで納得しておきましょう。それでは、改めてご報告申し上げます」

「ええ、お願いします」

 

副長の報告を要約すると、以下のようになる。

正午を過ぎたあたりに件の集落に到着し、いくらかの打ち合わせの後に始まった救助活動は、途中で日が暮れたこともあり一時中断されたりはしたものの、翌日中には完了。100名を超えた行方不明者は全員発見され、最終的な死者は31名。重軽傷者を数えることに意味はない、なにしろそもそも怪我を負っていないものを探す方が難しい有様だったのだから。

 

とはいえ、集落の規模や被災状況を鑑みれば、この程度で済んだのはむしろ奇跡的とすら言える。

人口の半数以上が死亡ないし行方不明の状況だったのだ。ましてや、100名近い行方不明者の中から死者は僅か10名程度。あの状況では、行方不明者の大半が死亡していた可能性の方が高い。これを奇跡と言わず何と言おう。

 

救助活動が終わるのと前後して、フェリシアは昏倒。悪鬼変生による負荷は大きく、無理を押して維持したまま救助活動に参加していたが、とりあえずの区切りがついたところで電源が切れたように意識を失ったのだ。以降は副長が完全に指揮を引き継いだ。さらに翌日までは立香たちと共に被災者のための仮設住居の設営や炊き出しなどに励み、遅れて到着した救援部隊に後事を引き継ぎ集落を後にした。雨季ということもあって、救援部隊の到着が遅れたのはやむを得ない事だろう。この時期、どうしても移動ルートが制限されてしまうのはどうにもならないのだから。まぁ、だからこそ死者が30名程度に抑えられたのは奇跡的なのだが。

 

そうして集落を後にしてからは、平原で野営しつつフェリシアの目覚めを待っていたという次第だ。

 

「なるほど……皆はどうしています?」

「状況が状況ですからな。ほとんどの者は、天幕の一つに拘束しております」

「そう、ですね。そうせざるを得ませんか」

 

集落への救援活動は緊急事態ということもあって見ぬフリをしてくれていたであろう部下たちも、状況が落ち着けばその限りではない。基本的に人間族と魔人族の仲は険悪を通り越して最悪だ。いくら恩人とはいえ、過去の確執や遺恨をすべて水に流すことはできないだろう。恩を仇で返さないためにも、衝突の恐れのある者達は拘束するより他ない。

また、今回のことでフェリシアのガーランド国内での立場はなくなったとみていい。後続の救援部隊のような末端までにはまだ情報がいきわたっていなかったのだろうが、それも時間の問題だ。遠からず、フェリシアは魔人族の裏切り者として手配されることだろう。あるいは、与える影響の大きさを鑑みて秘密裏に処理されるか……。

 

いずれにせよ、最早この国に彼女の居場所はない。それ自体はフェリシアも覚悟していたことだ。万が一にも露見すればそうなることはわかっていたし、最後の一押しになることを承知の上で彼女は立香の手を取ったのだから。元より敗北を喫した時点でないも同然の立場だったが、それと引き換えにいくらかの同胞を救えたと思えば悔いはない。

ただ、ここで問題となるのがどの程度の範囲にまで疑いの目が向けられるかだ。フェリシア一人で収まればいい。だが、もっと広い範囲……場合によっては、彼女の真意を知らない部下たちにまで波及する恐れがある。せめて、今ここにいる部下たちだけでもフェリシアの思想とは無関係であることを示すため、「フェリシアに拘束された」という事実が必要だった。

そうすることで、フェリシアと彼らは無関係だとアピールする。完全に信用されるかはわからないが、少なくともある程度は嫌疑が和らぐだろう。

 

「いま動ける者は?」

「小官他、4名といったところですな。大迷宮攻略者と戦うことを前提に編成したのが幸いでしょうか」

 

それはつまり、フェリシアが最も信を置く者たち……即ち、同志が多く含まれているということ。実際、20名の部下たちのうち約半数が彼女と志を同じくする者達だ。これは、ガーランド国内にいる同志の約十分の一に相当する。少ないように思うかもしれないが、この国における魔人族至上主義や過度の信仰心を考えれば、異端ともいえる思想に100名以上が賛同しているというのは驚くべきことだろう。

 

とはいえ、やはり実数として100名というのは決して多いとは言えない。まぁ、フェリシアが同志を募ろうと考えたのが数年前であること、彼女の思想が異端視されるものであることから慎重にならざるを得なかったことから、どうしても数が限られてしまうのは仕方がない事だろうが。

しかし、彼らだけでも表向きフェリシアの思想と無関係であると示す行動がとれたのは、副長の言う通り幸いというべきだろう。

 

「付け加えるなら、小官と共に皆を拘束した者達は……」

「皆まで言わずともわかっています。ですから、言わないでください」

「承知いたしました」

 

苦虫を何十匹も噛み潰したような表情を浮かべるフェリシア。彼女にはわかっているのだ、副長の言わんとすることが。同志たちの中でも限られた、親族や恋人などのいない良くも悪くも身軽な者達から選抜されたのだろう。

何故そう言った者達を選んだのか、それがわからないフェリシアではない。彼女でもきっと、同じことをしただろうから。

 

「それで、リツカ殿たちは?」

「………………………………………ふむ」

「? どうかしましたか?」

「あぁ、いえ、なにも。ええ、何もありません」

「? ? ?」

 

副長の奇妙な反応に疑問符を浮かべるが、今はもっと重要なことがあるためスルー。その判断自体は間違っていないが、彼女は後からでももっとこのことを気に留めるべきだった。

彼女は知らない。トータスの名前は地球でいうところの西洋式、つまり「名・姓」が基本だが立香は東洋人、そのため「姓・名」の順であることを。つまり、彼女が口にしたのは「姓」ではなく「名」の方なのだ。

耳慣れない音の並びということと、異世界人であることもあってフェリシアはそういうものだと思ったようだが、彼女は知らず知らずのうちに年齢の近い異性を姓ではなく名で呼んでいたのである。

それの何が問題なのかといえば、フェリシアは基本的によほど親しくない限り、特に相手が男性の場合は必ずと言っていいほど「姓」で呼ぶことにある。例外は家族を除けば、恩師であるフリードや親友の婚約者であるミハイルくらいなものだろう。故に、初対面同然の相手を「名」で呼ぶなど、普段の彼女なら絶対にできないことだ。もし知れば、真っ赤になった挙句「なんてはしたない」とか思ってしまうくらいに貞操観念が強く、初心なのである。色恋沙汰を切って捨てて生きてきた分、その手のことへの耐性はないも同然なのだ。

そして、当然ながら副長はそのことを知っている。知っていて黙っているのは、気付くのが遅れれば遅れるほどフェリシアの反応が「面白い」ものになると思えばこそだ。

 

(いやぁ、その時が楽しみですなぁ。惜しい、実に惜しい。この目で見れないのが、惜しくてなりませんぞ、団長殿)

「なんですか、ニヤニヤと気色の悪い……」

「おっと、失礼いたしました。少々、愉快な想像が捗りましてな」

「…………根拠も何もありませんが、どうしようもなく不安になるのですが」

「お気になさらず。それで、リツカ殿たちのことでしたら、こちらへ」

 

副長に誘われて天幕から出ると、外は満天の星空。雨が上がったことは辛うじて覚えていたが、どうやら雲すらも流されてしまったらしい。雲一つない空は雨期の終わりの象徴、どうやら恵みと災いの双方をもたらす厄介な季節は終わりを迎えたらしい。

だが、フェリシアの頭にそんな感慨が入り込む余地は残されていなかった。彼女の視線は、いくつかの天幕に囲まれた野営地の中心で燃え上がる焚火に吸い寄せられていたからだ。

 

「…………」

 

より正確には、焚火を囲む数名の男女たち。

決して険悪な雰囲気ではない。かといって、賑やかにドンチャン騒ぎをしているわけでもない。

静かに、落ち着いた様子で、一人の少年が未だ異形の姿から戻っていない部下から真剣に話を聞いている。部下の方も、少年に対して特に悪感情を見せることなく、穏やかな……互いの関係性を思えば穏やか過ぎる調子で話をしている。

少年の隣に腰掛けた少女は肩に見慣れぬ小動物を乗せたまま慣れた手つきでお茶を淹れ、それを少年だけでなく部下にも振舞う。それを少年は笑顔で受け取り、部下もまた目礼してから口をつける。

 

いがみ合うでもなく、かといって無理に打ち解けようとするでもなく、あるいは恩義を理由に本心を糊塗した風でもなく、あまりにも自然体なまま語らう姿。

何ということはない、極々ありふれた光景。

しかし、だからこそフェリシアにはそれが夢か幻のように思え、一瞬自らの正気を疑ってしまった。

自然だからこそ、それはなによりも不自然な、あり得ないとすら思える光景だった。

 

「副長」

「はっ」

「私はまだ、眠っているのでしょうか?」

「小官の目には、しっかりと目を覚ましておられるように見えますが」

「…………」

「まぁ、お気持ちはわかります。正直、小官も未だに夢でも見ているような気持ちですからな」

 

副長の表情を見なくても、滲み出る困惑した雰囲気からそれが本心であることが窺い知れる。

 

「いったい、何があったのですか?」

「はて、どこから話せばいいのか……」

「初めからお願いします」

「正直、どの時点を以てはじめとするか、それすらわからないというのが本音ですが……そうですな、なにはともあれ相手は恩人。我らとしましても、本音はどうあれ礼を尽くそうとはしました。せめて、団長がお目覚めになられ、彼らに礼を述べるまでは……と」

 

まず、後続の救援部隊が到着し引継ぎを済ませている間に立香たちには一端集落を離れてもらった。下手に立香たちの存在が露見すると、事態がややこしくなるのは目に見えていたからだ。立香たちも了承し、合流場所を決めて離脱。その後、予定通り合流を果たしたあとはフェリシアの目覚めを待っていたのだそうだ。立香たちが急ぐ場合のことも考慮はしていたが、彼らはフェリシアの身を案じそのまま残留したので引き留めるための策は無駄に終わる。

しかし、いくら恩人とはいえ長年の確執と遺恨は根深い。恩人である以上非礼など以ての外だが、心に深く突き刺さったしこりがある以上、仲良くできるはずもない。副長たちとしては、フェリシアが目覚めるまでの間は必要最低限の接触に留めるつもりだった。それがお互いの為だと思ったからだ。

そして、フェリシアが目覚め次第、受けた恩に報いて、あとは「はい、さようなら」とするのが最善だと思っていた。その判断は今でも正しかったと思っている。不必要に接点を持ったり、長く関わりを持ったりすれば「恩義」の名の下に目をそらしているアレコレが表面化するとわかっていたからだ。

 

いくらフェリシアの思想に賛同しているとはいえ、好悪の感情でいえば人間族のことは嫌いだ。彼らによって奪われたもの、失われたものは計り知れない。例えそれが、お互い様であったとしても……理屈で感情を完全に制御できれば世話はない。それでも彼らがフェリシアに賛同したのは、彼女の思想の根底にあるのが「同胞への想い」であるからこそ。

フェリシア自身、別に人間族や亜人族のことを好意的に見ているわけではない。かつて思っていたような「悪逆非道」な輩ではないことは理解しているが、かといって彼らが魔人族の脅威であることに変わりはない。積み重なった怨恨は、当然のように彼女の胸にもある。

それでもなお、互いの関係を完全に断ち切り、いずれは融和へ……と考えたのは、それこそが最も同胞の血を流さない道だと思ったからだ。

 

戦争で最も難しいのは勝つことではなく”終わらせる”こと。一つの種をまるごと殲滅するというのは現実的ではない。必ずや取りこぼしが生じ、その取りこぼしが新たな火種を生み、いつか報復に打って出るだろう。

もし他種族の殲滅が最も血を流さない道と判断したのならそちらを選択しただろうが、フェリシアはその無意味さを理解していた。だからこそ、副長たちはフェリシアの思想に賛同した。「他種族と手を取り合う」ためではなく「より同胞の血が流れない」、そんな世のために。

 

だが、それは逆に言えば他種族への敵意や憎悪がいまだに残っているということ。彼らはただそれに蓋をしているだけに過ぎない。

長くかかわれば、接点を多く持てば、蓋をしていた感情が溢れ出す。だからこそ、フェリシアは初期段階として「完全な関係の断絶」を提言しているのだ。この感情が薄まることなく、融和などありえないが故に。

 

副長たちもそれに倣おうとしたのだが、そこで…というよりも、そういう空気を敢えて読まないのが藤丸立香だ。

必要最低限の接点しか持とうとしない団員たちに、立香は何の遠慮もなく積極的にコミュニケーションを取りに行ったのである。初めは恩人ということもあり、非礼にならない程度に応対して逃げようとした彼らだが、その程度ではぐらかされるようではカルデア唯一のマスターなどやっていられない。

形式として従うだけで馴れ合いを拒絶するサーヴァントどころか、気難しすぎて受け答え一つで生死が分かれるようなサーヴァントもいるのだ。彼らに比べれば、恩義故であろうと渋々だろうとしっかり応対してくれる騎士たちはまだまだ関わりやすい部類に入る。

 

決して好意的とはいえない反応に物怖じすることなく、かといって不快にさせない絶妙な一線を見極めた上で、粘り強く彼らと関わりを持ち続けた。

当初は両者を隔てていた分厚い壁は、見る見るうちに削られ薄くなっていく。仕方なく応対していたのが、気付けば聞かれた以上のことを答えるようになり、聞く気のなかったはずの問いがつい口から零れてしまう。そんなことを繰り返しているうちに双方の距離は縮まり、胸の内にあった硬さは解れていく。

技能「対話」を有する、“相互理解の怪物”の面目躍如といったところだろう。いつの間にか当たり前のように言葉を交わし、そこにいるのが当然であるかのようにすぐ隣に腰掛けるようになっていた。

 

違和感がなかったわけではない。知らず知らずのうちに打ち解けていた自分に、他ならぬ騎士たちは驚きを隠せず……何より、そのことに不快さを感じない己に驚愕した。

しかし、それはある意味では当然のことなのかもしれない。結局のところ、彼らが確執を抱いていたのは「人間族」という総体であって、「藤丸立香」個人ではない。総体としての人間族に思うところはあれど、個人としての立香には感謝の念を抱いている。

同じように、立香個人の人間性が彼らにとって受け入れ難いものではなく、むしろ好意的に捉えられるものであったのなら……あとは、それを知ることができるか否かだ。知らなければ、拒み続ければ、長年に渡って対立し続けた「人間族の小僧」として敵視できるだろう。

 

だが、立香はそれを許さない。

自分がどんな人間かを伝え、相手がどんな人物なのかを引き出すことに長ける。彼が騎士たちに伝えた藤丸立香の人間性は、愛すべき同胞たちとそう大差のないものだった。善きものを善しとし、隣人を愛し、徒に争うことを好まず、助けを必要とするものに手を差し伸べる。そんな、大抵の人が善しとする在り方に不快感を持つ者は少ない。

それは騎士たちとて例外ではない。立香の在り方は、騎士たちが守りたいと思った人たちと同じものなのだから。

 

人間族に対する確執が消えたわけではない。それでも、個人としてであれば絆を結ぶことはできる。

一つの大きな山を共に乗り越えた高揚感のままに肩を組むような刹那的な感情ではなく、もっと穏やかで静かな……だからこそ長く残り続ける友誼。故に自然体で、無理のない絆。立香はそれを、わずか数日で為し得たのだ。

 

(ああ…私たちは、わかり合うことが、できるのですね)

 

副長はあくまでも彼が目にした事実だけを口にした。だが、それで十分だ。それだけで、フェリシアには部下たちの内面でどのような変化が起こったかわかってしまった。

総体であれば無理でも、個としてなら…それは、フェリシア自身一度ならず考えたことのあることだから。しかし、結局は考えることしかできなかった。その難しさが、容易に想像できたからだ。

確かに種としては対立してしまっていても、個人として関わることができれば絆を結ぶこともできるだろう。だがそれは、所詮理想論に過ぎない。種と個人が別物だとわかっていたとしても、それでも人は総体に対する印象をそう容易くは拭えない。どうしても種全体への確執が脳裏をよぎり、心を固くし、相手を拒んでしまう。理屈だけでどうこうなる問題ではない、人の心とはそういうものなのだ。

だからフェリシアは、種としてではなく個人として関わっていくという形を諦めた。諦めざるを得なかった。

 

だが今、彼女の目の前で諦めたはずの一つの理想が、現実のものとなっている。

言葉にすることはできても、実際には困難を極めると思っていた。稀にわかり合うことができる者がいたとしても、それは奇跡に等しい確率で、ほとんどの場合にはうまくいかないものだと。

なのに立香は、それをわずか二日のうちに為し得てしまった。しかも、一人や二人ではなく、この様子では副長を含めたいま動ける全員とだ。決して大勢とは言えないが、それでも5人全員とわかり合うなど……いくら彼らがフェリシアの理想に賛同しているとはいえ、このわずかな期間でできることではない。

 

(わかっている……わかっています。これは奇跡的なこと、あるいは彼だからこそできたこと。実際には、そう上手くはいかない。分かり合うということは、そう簡単なことじゃない。そんなことは、わかっています。だけど、それでも……)

 

分かり合うことができる。

 

矛を交えるのではなく、手を握り合う。

 

敵がいるから血が流れる、ならば敵が敵でなくなればいい。

 

それは決して不可能ではないのだと、立香が証明していた。

 

(私は、間違っていなかった……)

 

フェリシアの目に涙が浮かび、漏れそうになる嗚咽を抑えるように口元に手をやる。膝から力が抜け、今にも泣き崩れてしまいそうになるが、フェリシアはそれを全力で拒んだ。

 

泣いている場合ではない。

 

膝をつくなど以ての外だ。

 

この目の前にある奇跡的な光景を、少しでも長く、より鮮明に胸に刻み込む。それに勝ることがあるだろうか。

涙で視界をにじませるなんて、あまりにも勿体ない。

 

「私たちは分かり合えるのですね」

「ええ、きっと……」

「戦う以外の、滅ぼしあう以外の道は確かにある。そう、信じていいのでしょうか?」

「他ならぬ、あの少年がそれを証明しております。彼のようにうまくはやれないでしょう。時間もかかるでしょう。その間にも、多くの血が流れるかもしれません。ですが、決して不可能ではありません」

 

一度は消えかけたはずの光が、太陽の如き眩しさと温もりを以てフェリシアの胸に灯る。

 

「……………………………………ならば、私はまだ死ぬわけにはいきませんね」

(少年…いや、リツカ殿……感謝する)

 

決然と顔を上げるフェリシアを眩しそうに見ながら、副長はただただ立香に感謝した。それしかなかった、それ以外に何と言っていいか分からなかった。

立香にとってはあずかり知らぬことだろう。だが、それでいい。彼にとっては特別でもなんでもない事だからこそ、フェリシアは自分の理想を今度こそ心から信じることができる。「そうあってほしい」という希望ではなく、「それは可能なのだ」という確信を得ることができた。もうこれで、彼女は立ち止まらない。どこまでもどこまでも、諦めることなく進み続けるだろう。

 

(ならば、やはり小官がすべきことは一つだな)

 

だからこそ、覚悟を決める。フェリシアを支え、道を切り開くのが腹心たる彼の務め。あとのことは、後ろに続く者達が引き継いでくれる。

 

掲げられた旗は美しく、携える旗手は力強く歩み続けるだろう。

ならば、自然と彼女を支える者達は集う。彼は、そう信じて疑わない。

 

だからこそ、安心して……。



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024

我が家のまっくろくろすけの宝具レベルが5に! レベルは聖杯も使って100、スキルマ済み、あとはもうフォウ君食わせて、ATK10000越えのパーフェクトアンリを目指すしかないですな!
にしても、今後アンリが出たらマナプリにするしかないわけですが……勿体ないなぁ。無記名霊基になったりしないかな? しないよなぁ……。


溢れ出る思いを噛み締め、目指す理想への道標を焼き付ける。彼女にとって何よりも尊いその光景を。

例え幾星霜を経ようと、地獄に堕ちようとも忘れることのないように。

 

そんなフェリシアの視線に気づいたのか。談笑していた立香たちの視線がフェリシアへと向けられる。少し驚いたように目を見開いた後、立香とマシュは安堵の表情を浮かべて歩み寄ってくる。二人と語らっていた騎士は敬礼の後、残る騎士たちを呼びに行った。

 

どうやら、ここからは忙しくなりそうだ。

 

一頻りフェリシアの回復を喜び合い、とりあえず動ける面々の天魔転変を解除したフェリシアは、立香を自身の天幕に招待した。経過はどうあれ、これでもう監視の目を気にすることなく言葉を交わすことができる。どうせ、ガーランド国内での彼女の立場は今更どうにもならないのだから。

なので、もう遠慮することなく聞きたいことを聞き、話したいことを話してやろうと意気込んでいたフェリシア。逸る気持ちを抑えながら、まずは筋を通すべく腰を下ろした絨毯の上で深々と頭を下げる。

 

「改めて、リツカ殿」

「あ、はい」

「同胞たちをお救いいただき、誠にありがとうございます」

「いえ、お気になさらず。困ったときはお互いさまと言いますか……あ、とりあえずこれをどうぞ」

「これは? ……!?」

 

立香が差し出した封筒を受け取り、封蝋に目をやったところでフェリシアの表情が固まる。

 

「お、長の印。何故、あなたがこれを……」

「フォウ?」

 

頬を引きつらせ、止めどない冷汗を流しながら、何とか声を絞り出す。

封筒を手にした手は盛大に震えており、相当に衝撃が大きかったことがうかがえる。

 

「少し前に、偶々ばったり」

「あの、どうかなさいましたか? もしや、まだ具合が悪いのでは……」

「ふふふ、お気になさらずキリエライト殿。団長殿は家出同然に飛び出した不良娘ですからな。色々とバツが悪いのでしょう。フフフフフフフフフ……」

(すっごい楽しそう)

(はい、どことなく上機嫌な英雄王を彷彿とさせる笑い方です)

 

副長同様同席したマシュは心配そうにしているのも、副長が「愉悦w」しているのも、立香が副長に割とドン引きしているのにも気づかないフェリシア。それだけテンパっているのだろう。

震える手で封を開け、ゆっくり目を通す。読み進めるうちに顔色は蒼白に、冷汗は脂汗に、加えて奥歯がカチカチなっている。何が書かれているかは不明だが、中々にショッキングなことが書かれているらしい。まぁ、フェリシア限定で、っぽいが。

 

なんとなく邪魔をするのもはばかられ、そのまま無言で待つことしばし。決して長くはない手紙の内容を読み切ったフェリシアは瞑目し、深く、深~~~~~~く深呼吸を繰り返す。

 

「す~~~~~~~~~~~~~~、は~~~~~~~~~~~~~~~……」

「フォ~?」

「あの、大丈夫ですか?」

「す~~~~~~~~~~~~~~、は~~~~~~~~~~~~~~~……」

(あ、もう一回いった)

「え、ええ、ご心配をおかけしました。もう大丈夫です、ええ大丈夫、私はもう大丈夫。そう大丈夫、大丈夫……」

(せ、先輩! むしろご自分に言い聞かせているようなのですが!?)

(うん、全然大丈夫そうじゃないよね!?)

 

フェリシアは大丈夫と強調しているが、むしろ不安感が増した。正直、手紙の内容がすごく気になるところだが、果たして突っ込んでいいものかどうか。さすがの立香も悩んでいると、ようやく落ち着きを取り戻してきたフェリシアの方から話を振ってくる。

 

「リツカ殿、いくつかお伺いしたいことがあるのですが、構いませんか?」

「え、ええ、まぁ」

「では、あなた方の目的はシュネー雪原の氷雪洞窟…正確にはその奥に眠る神代魔法でお間違いありませんか?」

「はい。手紙には書かれていなかったんですか?」

「その、手紙には我ら一族の大まかな来歴と、あなた方のことについて少し触れてあるだけで、詳しくは……」

 

フェリシアは言葉を濁したが、正確には一族の簡単な来歴の他に、立香たちが信用に値することが書かれていた。

とはいえ、恩がある相手に向けてそのようなことを言うのは躊躇われたのも無理はないだろう。ついでに、勝手に集落を飛び出したフェリシアに対するお叱りの文言やもし帰省した時に待つ“オシオキ”についても触れられていた。というか、むしろそっちがメインだったりする。

内容については……フェリシアが血の気を失う程ということでご理解いただきたい。

 

「わかりました。えっと、まずは……」

 

話す内容は件の集落でしたものとそう大差はない。強いて言えば、解放者たちや彼らの語る神については敢えて触れていないことくらいだろう。長からの手紙にも、氷雪洞窟の制作者縁の一族としか書かれていないらしい。真実は自分自身の目で確かめるか、あるいは立香たちにでも教えてもらえということか。

 

とはいえ、フェリシアは現職の軍幹部だ。そんな彼女に「神は狂っている」とかいうのは流石に憚られる。ハジメたちがミレディと出会ったことで、彼らの話にも大分信憑性が出てきた。立香としては、彼らの話を概ね信じていいと思っている。

だが、せっかく良好な関係を築けそうなのに、それをいきなり挫くのは得策とは言えないだろう。まぁ、その配慮は既にあまり意味がないのだが……立香たちでは知るよしもないのだから仕方がない。まさか、既に彼女が軍内部で居場所をなくしているとは思うまい。

 

「なるほど、元の世界に帰るための手段として神代魔法を求めておられる、と」

「はい。付け加えるなら、私たちとは別ルートで大迷宮を攻略している仲間がいることくらいでしょうか。そのため、現在私たちは計三つの大迷宮を攻略していることになります」

「納得しました。お強いはずだ」

(俺たちの場合、こっちの戦力と神代魔法って全く関係ないんだけどねぇ……)

(ですね……まぁ、今は敢えて言わなくてもいいでしょう)

 

ここでそこにまで触れると話がややこしくなる。今はとりあえず、話を進めるのが吉だ。戦力については、まぁ追々でいいだろう。フェリシアたちを信用していないとかではないが、今すぐでなければならないわけでもない。

 

「ですが、だとすると氷雪洞窟の神代魔法はお役に立たないかと」

「それはやっぱり、生命に関する魔法ってことですか?」

「生命…ええ、凡そその認識で間違いありません。氷雪洞窟の神代魔法の名称は『変成魔法』と言い、簡単に言えば魔物を作り出し従える魔法とお考え下さい」

 

確かにそれは、立香たちが求める方向性の魔法ではない。とはいえ……

 

「それでも行かれるのですか?」

「詳しいことはわからないんですが、元の世界に帰るためにはすべての神代魔法を得る必要があるらしいので、とりあえず行くだけ行ってみようかなと」

「はい。それに、大迷宮の中には他の大迷宮を攻略していることが挑戦の条件になっているところもあります。もしかしたら、変成魔法を得ていなければ挑戦できない大迷宮もあるかもしれません」

「それに、解放…ごほん、一番奥の部屋に何かヒントになるものがあったりするかもしれないですから」

 

解放者という単語を使うと、そちらについても説明しなければならなくなるので今は誤魔化す。戦力についても、解放者や神についても、この情報交換が終わってからでいいだろう。

 

「…………そう、ですか」

「いやはや、それにしても『とりあえず』で大迷宮に向かわれるとは剛毅なことですな。まぁ、同行しておられる騎士殿や他のお歴々の実力を考えれば、大言壮語とも言えませんが」

「あぁ、なんかその、すみません……」

 

本来なら死を覚悟して向かうべき大迷宮に挑むには、確かに不適切な考え方だろう。人によっては、侮辱されたと思うかもしれない。そう察した立香は頭を下げるが、副長は特に気にした様子もなく笑い飛ばす。

実力が伴わない、あるいは実績のないものがそれを口にすれば別だが、立香たちにはそれを口にするだけの資格がある。いともたやすく蹴散らされた身としては、苦言など出てこよう筈がない。

 

「ところで……」

「なにか?」

「あ、いや、集落の様子とか聞かないのかなぁ、と」

「………………………………………気にならない、といえば嘘になります。ですが、それは私心です。私情を持ち込んでよい時とそうでない時の分別くらいは、ついているつもりですので」

(公私の区別はしっかりつけるタイプの方のようですね)

(うん、なんていうか……カッコいいよね、こういう人って)

(はい。一部サーヴァントの皆さんには爪の垢を煎じて飲んで欲しいです)

(私情挟みまくるタイプも、結構いるからなぁ……)

 

無論そういうタイプばかりなわけではないが、公私を分けるなんて言う分別のない連中もそれなりにいる。せめてそいつらだけでも“分別”というものを身に着けてくれれば、少しは振り回されることも減るのでは……というのは儚い希望だろうか。

まぁとりあえず、本人の方からは立場などもあって聞くに聞けないようだが、関心があることはわかった。なら、せっかくなので教えてしまえばいい。ちょうど伝言も預かっていることだし。

 

「大丈夫ですよ。俺たちが集落を訪れた時は、皆さん避難していたので大して話せることもありませんから」

「ですが……」

「わかることといえば、その紹介状をくれたおばあさんがとっても元気だったことと」

「あと、セリスさんから“いつか会いに行きます”、“頑張って”と」

「……」

 

セリスの名を聞いた瞬間、フェリシアの目が大きく見開かれた。続いて感慨深そうにその目が細められ、噛み締めるように「そう、ですか」とつぶやく。

 

「あれ? 会ったことがないって聞きましたけど?」

「確かに、私はあの子が生まれる前に集落を飛び出してしまいました。ですが、一度だけ手紙をもらったことがあるのです。その時に」

 

セリスの存在を知ったのだろう。集落の来歴を考えれば、相手がいくら身内とはいえそうそう手紙を出すわけにはいかなかったはずだ。彼らが一所に留まらず、常に移動し続けているのは神の目に留まらぬようにという配慮の結果なのだから

それでも、伝えたかったのだろう。飛び出していった家族に、新たな家族が生まれたことを。

 

「あの子は……元気にしていましたか?」

「はい、とても」

「すこし早とちりするところがあったり、人をすぐに信じちゃったりして危なっかしいけど、いい子でしたよ」

(ああ、そうだ。あの子が生まれると知って、まだ弟か妹かもわからなかったというのに、私は集落を飛び出したのでしたね。これから生まれてくるあの子や、その後に続く子どもたちが、安心して笑っていられるように……姉妹、だからでしょうか。あの子も私と同じで、少々前のめり過ぎるようですね)

 

顔も知らぬ、声も知らない妹との共通点に頬が緩む。それまでの真剣かつ真面目な表情が僅かに綻べば、年相応……いや、少々幼さすら感じられる可憐な微笑がフェリシアを彩る。それは、男女問わず“美しい人”という者に慣れたはずの立香をして、思わず見惚れてしまう程、本当に美しかった。

 

(ええ、セリス。私はこれからもちゃんと頑張っていきますよ。あなたが誇りに思えるような、胸を張ってあなたに会えるような、そんな生き方ができるかはわかりません。でもせめて、あなたが心穏やかに生きられる世のために……)

 

図らずも、自らの原点を再確認したフェリシア。動機は、本当に当たり前でちっぽけなものだった。

今はもうあの頃のように単純ではいられない。多くを背負い、多くを代償にしてきたこの道は、決してきれいなものではない。あの当時の自分が知れば、きっといい顔はしないだろう。今の自分も、すべてが正しかったとは思わないし、思えない。だがそれでも、決して後悔はしていない。

それを再確認できただけでも、立香たちから話を聞けて良かった。

 

「リツカ殿」

「あ、はい」

「重ね重ねの御厚意、誠にありがとうございます。数々のご恩、決して忘れはしません。

氷雪洞窟へ向かわれるというのであれば、少しでもご恩に報いるため、私自身がご案内するのが筋というものでしょう」

 

それは逆に言えば、フェリシアは案内しないということ。とはいえ、決してそれが隔意あってのものでないことは、彼女の苦い表情からも明らか。本来なら、自分自身の手で恩に報いたいところだが、今はそれができない。彼女の表情が、何よりも彼女の心情を明確に物語っていた。

 

「副長、地図を」

「はっ」

 

フェリシアの指示を受け、立香との間に魔王国領の詳細な地図が広げられる。それはシュネー雪原さえも含んでおり、フェリシアはまず現在地と氷雪洞窟に印をつけ、さらに向かうために適切なルートと注意点を次々に書き込んでいく。

 

「……大まかなところはこのくらいでしょう。後ほど、より詳細な案内をまとめたものと共にこちらをお譲りします。もちろん、迷宮内における注意点なども合わせてお渡しします」

「えっと…いいんですか? そこまでしてもらっちゃって……」

「いえ、本来ならせめて案内役の一人でもつけるべきところを、地図と案内だけで済ませるなど……この身の不義理を、どうかお許しいただきたい」

 

深々と、それこそ床に額がつきそうなほど深く頭を下げるフェリシア。傍らに控える副長もそれに倣い、深く頭を下げてくれる。

立香にとってはそれで十分だった。むしろ、詳細な地図と案内まで譲ってくれるだけで望外のことなのだ。いったいどうして、これだけしてもらって文句があろう。立香の方こそ、感謝に堪えないというものだ。ましてや不義理の許しを請うなど……。

 

(良い人、だよね)

(はい。とても義理堅く、生真面目な方なのでしょう。それに、何より自国の人々のことを案じていらっしゃいます。騎士とはかくあるべしでしょう。人妻に手を出したりするようなロクデナシとは大違いです)

(まぁ、それはちょっとねぇ……)

(フォウフォウ)

 

騎士云々というより人として。

ただ、だからこそ気になることがある。これほどまでに義理堅いフェリシアが、どうして自分自身で案内しようとしないのか。その理由が気になった。

 

「……あなたは、これからどうするつもりなんですか?」

「っ……それは」

「俺たちの事情は話しました。今度は、あなた達の事情を話してください」

 

少しズルい言い方と自覚しながら、立香は問う。立香とて話していないことがあるとはいえ、それでも自分たちの状況について話したのだから、相手の状況を聞く権利がある、と。それ自体は間違っていないのかもしれないが、こう聞けばフェリシアは話さざるを得ない。それをわかっていて聞くのは、やはりズルいだろう。

 

だが意外なことに、フェリシアはなかなか口を開こうとしない。

彼女の性格を考えれば、渋々であろうと話してくれると思っていたのだが……。

 

(つまり、俺たちには聞かせられないことがあるってことか)

 

それも、機密情報とかそういうことではなく、話せば立香たちに迷惑がかかる類の。機密情報云々であれば氷雪洞窟への行き方の段階で引っかかるし、話せない内容ならそう言うだろう。フェリシアの反応から、内容そのものは話しても問題がなく、立香たちに対し聞かせることが憚られるものと推察できる。

 

(これまでのリツカ殿の様子から考えれば、ここは話すべきではない。話せば、この方はきっと……だからこそ、話すわけにはいかない。私たちの事情に、この人を…このお優しい方を巻き込むわけには)

「……団長は王都へ戻るおつもりなのです。同志たちの身の潔白を証明するために」

「副長!」

「団長、我々はただでさえ不義理を働こうとしているのですよ。これ以上、恩義を蔑ろにはできますまい」

「それは……いえ、いいえ! それは違います! 恩義があるからこそ、このことは……」

「どういうことですか?」

「あの、身の潔白とはいったい……」

「どうやら、すでに手遅れのようですな」

「くっ……」

 

恨めしそうに副長を睨むが、彼は全く動じた様子を見せない。当然だろう。こうなることがわかっていたからフェリシアは口を噤もうとし、彼は立香を巻き込むためにあえて口にしたのだから。

 

(騎士にあるまじき卑劣な行い、というやつでしょうな。ですが、それでもあなたには必ずや生きていただかなければならないのですよ、団長。そのためならば、私はいかなる泥も被りましょう。あなたが同胞たちのために悪道を進むのと同じように)

 

フェリシアが死ぬために戻るわけではないことはわかっている。あるいは、立香たちとの出会いがなく、彼女の立場が決定的なものになったらそうしていたかもしれないが、今は違う。フェリシアは自身の理想が決して絵空事ではないことを知った。限りなく困難であろうとも、不可能ではないことを立香が示したのだ。

 

故に、彼女は生きるために全力を尽くすだろう。同時に、彼女の理想のためには一人でも多くの同志が必要だ。

だが、王都に残された同志たちはこのままではフェリシアの煽りを受けて粛清される恐れがある。あるいは、いま身柄を拘束している部下たちの中にもいる同志の家族にまで累が及ぶかもしれない。何としても、それは防がなければならないのだ。

 

「実は……」

 

已む無く、フェリシアは自身の置かれた状況について語りだす。当然、彼女がその胸に抱く思想についても。

正直、これには立香たちも驚きを隠せない。彼女は確かに解放者たちの末裔なのだろうが、それでも自身がそうだとは知らずに育ってきた。当然、僅かな口伝以外に彼らの思想に触れることもそうなかっただろう。

にもかかわらず、彼女は確かに解放者たちの遺志を継いでいる。彼らが目指した世界に向けて、確かな足取りで進もうとしているのだ。

 

(解放者たちが残したものは、なにも大迷宮と神代魔法だけじゃないんだ)

(はい。ちゃんと、ミレディさんたちの遺志はこの世界に受け継がれています。それは、とても素晴らしいことだと思います)

(うん。魔人族にも人無きにあらずってことかな。話すべきか迷ってたけど、むしろ……)

 

フェリシアには話すべきだろう。彼女の話を聞けば聞くほどに、その確信が強くなる。

神を斃す。それは本来立香たちのような部外者ではなく、この世界に生きる者たちの手でこそ行われるべきことだ。まぁこの点に関しては、必ずしも立香やハジメたちが関与したり、彼らの手で倒したりしたのでは意味がないということではない。あくまでも、彼らの手で倒すことが望ましい、というだけだが。

 

「私には、責任があります。だからこそ王都に戻り、裏切り者は私一人であることを示さなければなりません。そうしなければ同志たちが、その家族が、あるいは無関係な人々にまで累が及んでしまう。それだけは、何としてでも避けなければなりません。

 故に、あなた方をご案内することはできません。重ねて、不義理をお詫びいたします」

 

本当なら自らの手で案内することが、せめてもの恩返し。しかし、今はそれをしている時間が惜しい。不義理を承知の上で、フェリシアは立香たちの案内を放棄して王都に戻らなければならないのだ。

 

「死ぬ、つもりなんですか?」

「それはダメです! あなたがここで斃れたら、いったい誰が……」

「ご心配いただき、ありがとうございます。ですが、死ぬつもりはありません。私にはまだ、為すべきことがあります。たとえ届かなくても、至るための道を少しでも開く責務があります。それを放棄するつもりはありません。この理想は間違っていない。決して、夢幻ではないのだと……ようやく、その確信を得たのですから」

 

フェリシアの身を案じる二人に、どこまでも透き通った笑顔で答える。綺麗な、一点の濁りも迷いもない澄んだ微笑み。強い覚悟と……なにより、あふれ出るほどの喜びに満ちた表情。死ぬつもりがないのは本当だろう。だが同時に、死を恐れてもいない。一目見るだけでそれを理解できる、そんな顔をしていた。

 

「……できれば、もっと多くを語り合いたいところですが、申し訳ありません。残念ながら、私にはあまり時間がないのです。いったいいつ、同志たちに手が伸びるかわからない以上、のんびりとは……」

「待ってください!」

「リツカ、殿?」

 

立ち上がろうとするフェリシアの手を、立香が握りしめた。

立香には話さなければならないことがある。フェリシアには知らなければならないことがある。

 

(この人は、万が一にもこんなところで死なせちゃいけない人だ。あの人がフェリシアさんの意思を無視して話したのは、そのことを知っているから。そして、俺もそのことを知った。なら……)

「聞いてください、フェリシアさん。私たちはオルクス大迷宮の最深部で、解放者という人たちのメッセージを受け取りました。確実な情報とはまだ言えませんが、それでもあなたは知らなければなりません。これは、あなたの理想のために必要な情報です」

「マシュ殿まで…………わかりました。恩人たるあなた方がそこまでおっしゃることです。私も、耳を傾けましょう」

 

そうして語られたのは、立香たちがこれまでに得たこの世界の真実について。狂った神のこと、大迷宮が解放者と名乗る者たちによって作られたものであること、そこに込められた彼らの願い、そしてフェリシアこそがその遺志を継ぐ者であることも。

 

「はっ! はは、ははははははははははははははははは!!」

「フェリシアさん……」

「なんですか、それは……なんなんだそれはぁ!!」

「団長、落ち着いてください」

「これが落ち着いていられますか!! なんです、その茶番は! この世界は遊戯盤で、私たちはその駒? そんな、そんなことのために…いったいどれだけの血が流れたと思っているんです!!」

「お怒りはごもっとも。腸が煮えくり返っているのは、小官とて同じです。ですが、リツカ殿たちがおっしゃられるように、未だ確たる情報ではありません。判断を下すには、早計かと」

 

奥歯をかみしめながらも絞り出すように諫めの言葉を紡ぐ副長を前に、フェリシアの頭も徐々に冷えてくる。

確かに彼の言う通りだ。ライセン大迷宮で出会ったというミレディ・ライセンの言葉には、オルクス大迷宮で立香たちが見た手記を裏付けるものがあったが、それでもまだ確定とは言い難い。

少なくともまだ、解放者たちの側からの意見しか得られてはいないのだから。いや、第三者というべき竜人族の生き残りの言葉も含めて考えれば、限りなく黒に近いといえるだろうが。それでも、皆を率いる立場にある彼女は、軽々に判断を下すわけにはいかない。

例え、長年感じてきた違和感に対する答えとなり得るからと言って、それに安易に飛びついてはいけないのだ。

 

「………………………………………………みっともないところをお見せしました、お許しいただきたい」

「いえ、そんな……」

「気にしないでください。無理もないと思いますから」

 

むしろ、フェリシアならそう反応するだろうと思っていた。同胞たちを愛し、彼らが血を流すことに心痛める彼女が、そんなことを許せるはずがない事はわかりきっていたことだから。

 

「フェリシアさん、一つ提案があるんですけど」

「なんでしょう、リツカ殿?」

「俺たちと一緒に来ませんか」

「え? ですが、それは……」

「あなたは解放者たちの話の裏を取りたい。違いますか?」

「それは…はい」

「でも、彼らの手掛かりは事実上大迷宮にしかありません。それってつまり、俺たちと同じってことですよね」

 

大迷宮を攻略する、少なくともその点においては方針が合致する。神代魔法を得るためか、解放者たちの情報を得るためか、というのは些細な違いに過ぎない。それに、解放者たちの言葉が真実だとすれば、神と戦うための力は必要だ。そのためには、結局神代魔法の習得が不可欠。得た神代魔法の使い道には違いがあるが、それとて立香たちと対立するものではない。同行することには、全く問題はないのだ。

 

「だったら、どうせですから一緒に来ませんか? 俺たちと…というか、ハジメたちと合流すれば竜人族と、最終的にはハルツィナ樹海にもいくつもりなので、そこで亜人族とも繋ぎが取れるはずです。それは、あなたの理想にとって有益じゃありませんか」

「…………」

 

確かに立香の言う通り、彼らと同行することに対するメリットは大きい。

 

「それに、あなたはきっとしばらくの間、単独行動するつもりなんじゃありませんか?」

「なぜ、とお聞きしても?」

「えっと、志を同じくする仲間たちの潔白を証明するために王都に戻るって言いましたよね。それってつまり、彼らと無関係だってアピールするってことでしょう? それなら、その人たちとは別行動をとらないと意味がないじゃないですか」

 

立香の指摘は正しい。それに、これからは魔人族の追手もかかることになるだろう。同志たちに同胞と戦わせるのは忍びない。また、フェリシア一人でいた方が守る者がない分やりやすくはある。

 

「でも、俺たちと一緒なら全く問題はありません。元々魔人族から見れば敵方ですし、むしろ裏切りの信憑性が増すでしょう。加えて、俺たち……というか、俺を除いた仲間なら足手まといにはなりません。あ、今は一人戦力外がいますけど……とりあえず、デメリットは少ないと思うんですが、どうでしょう?」

 

というか、むしろデメリットはほぼないと言っていい。フェリシアが単独で動く場合のメリットは立香たちと同行しても同じメリットがあるのに対し、単独行動と比べてリスクは激減する。だが、それでも……

 

「ですが……」

「もちろん、タダじゃありませんよ」

「っ……何をお求めですか?」

「別に難しい事じゃありません。氷雪洞窟まで案内してください」

「え?」

「その代わり、俺たちもあなたに付き合います。王都に行って、ほんのちょっと暴れちゃいましょう」

 

立てた人差し指を口元に当て、悪戯っぽく笑う立香。それは、フェリシアにとって願ったり叶ったりだ。

せめてもの恩返しであった氷雪洞窟への案内ができる上、王都に出頭した後の脱出の可能性が高まる。正直、脱出できない可能性も覚悟していたのだが、立香たちの協力を得られればその可能性は格段に増す。

加えて、その後も同行できるとなれば先のメリットの数々が得られる。フェリシアには、立香の申し出を断る理由が見つけられなかった。いや、ある。それは……

 

「ですが! それでは私があなた方からもらってばかりではありませんか!」

「そうですか? どう思う、マシュ?」

「ふふっ、いいえ、私はそうは思いません。王都に同行するのはフェリシアさんという頼もしい案内役を得るための必要経費です。大迷宮の旅についても、旅は道連れというやつですから」

「だね。目的地が同じなんだから、別に対立しているわけでもなし、一緒に行けばいいだけですよ」

「………………」

 

こともなげに言われ、返す言葉が見つからない。思わず間抜けにも口をパクパクさせていると、横合いから笑い声が漏れてくる。

 

「くっくっくっく……団長の負けですな」

「副長……」

「渡りに船とはまさにこのこと。せっかくの申し出です、謹んでお受けになるがよろしいでしょう。それとも、恩人に恥をかかせるおつもりで?」

 

そう言われてしまえば、フェリシアにはもう何も言えない。確かに、これ以上理屈をこねるのは立香たちに対して非礼にもほどがあるだろう。とはいえ、もらってばかりということに変わりはない。

 

(ならばせめて、この槍を以てご恩に報いるのみ)

「どうでしょう?」

「謹んでお受けいたします、リツカ殿」

「ちょっ、え? いったいなにを……」

 

居住まいを正し、片膝をついて深く首を垂れるフェリシア。横手から副長が差し出した細身の長剣を抜くと、立香に対し捧げるように持ち上げる。さながら、臣下の礼を取るように。数々のサーヴァントと契約してきた立香だ、その意味が分からないはずがない。

 

「この身は同胞たちの未来に捧げております。故に、御身に身命を捧げることはできませぬ。ですが、御身の旅が終わるその時まで、誠心誠意お仕えさせていただきます、主様」

「え、ええっ!?」

「フォウ?」

「つ、つまり先輩のサーヴァントになる、ということでしょうか?」

「ははは! そう固くお考えになりますな。団長はこの通り律儀で融通の利かないところがありますからな。なぁに、堅物の用心棒を雇った、くらいに思っていただければよろしい」

「そ、そういうものですか?」

「そういものですとも」

 

サーヴァントとは幾人も契約してきた立香だが、生身の人に忠誠を捧げられるのは初めての経験だ。サーヴァントたちの人格を尊重して関わる立香だが、やはり生者が相手だと色々勝手が違うらしい。サーヴァントとの場合、一応とはいえ形式的な上下関係があることが前提だが、フェリシアの場合はそれすらないのだから、無理もないだろう。

 

「ええっと……とりあえず、よろしくお願いします」

「はっ!」

「あの、別にそんな風にしなくていいんで、普通にしてください、普通に」

「ですが……」

「団長、主がそうおっしゃっておられるのです。例え一時の主従とはいえ、それでも主は主。そのご意向には沿うべきでは?」

「……………………………確かにそうですね。申し訳ありませんでした、リツカ殿。これでよろしいでしょうか?」

「あ、はい。若干硬すぎる気もしますが、まぁその辺は追々で」

 

やや頬を引きつらせながらも、立香としては上手くとりなしてくれる副長には頭が下がる思いだった。まぁ、彼とていつでも手を貸してくれるわけではないが。

 

「では、私のことはフェリシアと」

「え、でも……」

「指揮系統の一本化は、リツカ殿がおっしゃったことの筈。同様に、上下関係ははっきりさせるべきです」

「むぅ……」

「でしたら、私はあなたのことを“主様”と……」

「わ、わかったわかったから! ほんと、それだけは勘弁してフェリシア!」

「ええ、では以後よろしくお願いいたします。リツカ殿」

「はぁ、なんでこんなことに……いやまぁ、“主様”よりはマシか」

 

終始あのノリでいられたら、正直気が休まらなかったことだろう。なので、フェリシアのことを呼び捨てにするくらいは許容範囲だ。

ただ、サーヴァントの中にはフェリシアのように律儀に主従関係を優先する人物はいるし、それには割と慣れているはずなのだが……フェリシアが相手だと、なんとなく居心地がよくないというか、落ち着かなかったのが若干不思議ではある。

まぁ今はそれ以上に、マシュの方から若干冷たい視線が飛んできている気がする方が問題なのだが……。

 

「残念でしたね、先輩」

「えっと、なにが?」

「フェリシアさん、お綺麗ですよね」

「え? あぁ、まぁ、そうかな」

 

サーヴァントたちとかかわっているおかげで、割と美人にはなれているので感慨も薄いが、それでもフェリシアが美人なことに変わりはない。厳しい表情を浮かべていることが多いこともあってか、冷たい印象を受けるがその美貌は本物だ。イリヤやクロ辺りが見れば「セラがさらに髪を伸ばした感じに似ている」と評するだろう、体型も含めて。

 

「女騎士に傅かれるというのは、グッとくるのでは?」

 

若干不機嫌そうにムスッと頬を膨らませるマシュ。ようやく、立香もマシュが言いたいことがわかってきた。

とはいえ、立香からしてみれば美人も傅いてくる相手も今までにいくらでもいたこと。「美人」の「女騎士」が「傅く」くらいでは動揺など微塵もしない。まぁ、先ほど一瞬とはいえ見惚れてしまったのは事実だが、それはそれとして……

 

「そうだなぁ。どちらかといえば、可愛い後輩がやきもち焼いてくれる方がグッとくるかなぁ?」

「っ! そ、そうですか?」

「まぁ、個人的な意見だけどね」

 

照れたように頬を染めながらモジモジするマシュの頭を撫でつつ、微笑む立香。

そんな二人の様子に穏やかな微笑みを浮かべていたフェリシアだが、いい加減動き出さねばなるまい。

 

「リツカ殿。我々は準備がありますので、これにて失礼させていただきます」

「あ、ごめん。俺たちももう行くから」

「ええ、ではまた後程」

 

そうして四人は天幕を後にし、立香とマシュ、フェリシアと副長とで歩みを進めていく。

 

「お二人は、仲が良いのですね」

「そのようで……ですが、アレは中々の難敵のようですな」

「? いったい何の話ですか?」

「いえいえ、あの間に割り込むのは厳しい戦いになりそうだと、そう思っただけですよ」

「何を馬鹿なことを。どうして私がお二人の間に割って入らなければならないのです」

「おや? 小官は別に団長殿が…などとは申し上げておりませんが?」

「……確かにそうですね。失礼しました、私の早とちりだったようです」

「揶揄甲斐がありませんなぁ」

「何を期待しているのです、あなたは」

 

ふざけたことを言う副長に、冷え切った眼差しを向けるフェリシア。そこには全く動揺の欠片も見られない。

 

「団長は、リツカ殿の事をどうお思いで?」

「あなたが一体何を聞きたいのか知りませんが、リツカ殿は恩人です」

「それだけですか?」

「それ以上何を求めているのやら。そうですね、もし感謝以外の感情があるとすれば……」

 

自分自身の内面と向き合い、藤丸立香という人物への印象や感情の分析を試みる。とはいえ、まだそう長い時間を共有したわけでもない間柄だ。また、フェリシア自身長く自問自答を繰り返してきたし、大迷宮を攻略したこともあって自己の内面と向き合うことにはなれている。分析はさして時間をかけることなく終わり、一つの答えを導き出した。

 

「これは……憧れ、でしょうか」

「ほぉ?」

「リツカ殿は不思議な方です。気付くと、長年の隣人と話すように、気安く言葉を交わしそうな自分がいます。私にあの方の十分の一でも他者と打ち解ける力があれば、もっと別の道もあったのではないか、そう思ってしまいます。リツカ殿の力は、武や魔法などよりもはるかに尊く得難い力でしょう。私たちが願う世界には、なによりもあの方の力こそが必要です。だからこそ、正直……憧憬と羨望を禁じ得ません」

「なるほどなるほど。まぁ、それが団長の本心であるのは事実でしょうな」

「ですから、あなたは何が言いたいのですか」

「なぁに、スタート地点は人それぞれ。憧れから始まる思いもあっていいと思うのですよ」

 

今のところ、彼が期待していたような感情は見受けられない。そのことが少しだけ惜しかった。せっかくだから、一度くらいは敬愛する団長の“年頃の娘らしい”ところを見てみたかったのだが。どうやら、それには時間が足りなかったらしい。

 

「まったく、何を言っているのやら。そんなことより、あなたにはやるべきことがあるでしょう。時間もありません、残すものがあるのなら急ぎなさい」

「ご温情、感謝いたします。ですが、それは不要です」

「…………………………なにも、言わないのですか?」

「さて、それこそ何の話か分かりませんな。これこそ我が本懐なれば」

「…………………………逃げるなら、今が最後の機会ですよ」

「逃げる理由がありません。元より、悲しむ家族もおりませんので」

「だとしても! こんなところで死ぬことが本望なわけがないでしょう!!」

 

それまで冷静であろうと努めていたフェリシアだが、いよいよ声を荒げて叫ぶ。

 

そう、そんなはずがないのだ。

彼は死ぬ、この場で死ぬ。他ならぬ、“フェリシアの手にかかって”。

それでどうして、こうも穏やかな顔をしていられるのか。

 

「わかっておられるはずですよ、団長。生きることが団長の務めであるように、ここで死ぬことが小官の責務。元より、礎となることは覚悟の上なのですから」

「…………あなたは、生贄になるのですよ」

「結構なことではありませんか。無駄死によりよほど良い。なにしろ、団長がそうはさせないのでしょう」

「………………………………………無論です」

「ならば、惜しむ命はありませぬ。さぁ、一思いにどうぞ」

 

振り返ったフェリシアに向けて、無防備に両腕を広げて見せる。とそこへ、間の悪いことに立香とマシュが駆けつける。先ほどのフェリシアの叫び声を聞きつけたのか、あるいは忘れていた用件でもあったのか、いずれにせよタイミングが悪いことに変わりない。

 

「フェリシア……って何やってるの!?」

「フェリシアさん! 副長さんも何をしていらっしゃるんですか!」

「マシュ、すぐ二人を……」

「やめなさい、マシュ。マスターもです」

「アルトリア?」

「いえ、ですが……」

 

二人の間に割って入ろうとする立香たちを、後ろに続いていたアルトリアが落ち着いた口調で制する。彼女にはわかっているのだ、二人が何をやろうとしているのかが。それはきっと、彼女もまた王という責任ある立場だったから。必要とあらば、部下を切り捨てなければならないこともある。それがわかっているからこそなのだろう。

 

(かたじけな)い」

「……どういうこと?」

「私たちが口出ししてよい問題ではない、ということです」

 

珍しく厳しい調子で問い質す立香から目を逸らすことなく、静かに答える。フェリシアとの話の場には同席していなかったものの、情報そのものは念話を通してほぼ全員で共有している。フェリシアの置かれている状況とこの先の展望を考慮し、なおかつ一人でも多くの同志の身を守り、さらに無辜の民を巻き込まないためにはどうするか…………取れる選択肢は、決して多くはない。

とはいえ、根本的に人の好い立香では、その結論を即座に導き出すことは難しいようだ。ならば、順を追って説明するより他にない。納得しない限り退いてくれそうにもない事は、その目を見れば明らかだ。

 

「無粋であることは承知しています。が、このままではマスターが納得しませんので、いくつか確認させていただきますが、構いませんね」

「やれやれ、仕方ありませんな」

「………………………はい。リツカ殿と確執を作るのは私としても本意ではありません」

 

当事者二人からの了解を得られたところで、「では」とアルトリアは確認作業に入る。

 

「フェリシア・グレイロード、あなたは裏切り者として認知されている、これは間違いありませんね」

「確認したわけではありませんが、状況的にそう考えるべきでしょう。具体的に何を考えているかまでは漏れていないはずですが、疑いの目は以前から向けられていました。今回の場合、直接的な監視もつけられていましたから」

「その監視はどうしたの?」

「当初は拘束しておりましたが、生きて戻られては余計な情報が漏れる恐れがあります。なので、救援活動のどさくさに紛れて処理しておりますよ」

「………………………………」

 

こともなげに言われて、さすがに立香の表情も苦くなる。だが、特に言葉にして非難したりはしない。その必要性や意味を理解できないほど、彼の目は曇っていない。

 

「監視からの連絡が途絶えれば、当然疑いは確信に変わります。最早、国に彼女が戻る場所はないとみていいでしょう。ですが、ことは彼女一人にとどまりません。責任ある立場にあった以上、下の者にも嫌疑がかかるのは必然です」

「わかってる。だからフェリシアは、戻る場所がないのに戻って何もかも全部自分一人で背負い込もうとしていたんでしょ」

「ですが、その件に関しては私たちも脱出に協力することで大幅にリスクを減らせるはずです。また、私たちが同行することでその…裏切りの信憑性が増すはずです。なら、それ以上は……」

「いいえ、それでは足りません」

「「え?」」

「それは……」

「お待ちください、アルトリア殿。そこから先は、私が」

「良いのですか?」

「はい。これは、私自身が語らなければならないことですから」

 

少なくとも自分以外の誰か、ましてや第三者に語らせていい事ではない。そんな逃避は許されない。他でもない、フェリシア自身が許さない。

 

「確かにあなた方の協力を得ることで、私の裏切りは補強されるでしょう。ですが、それは結局“私個人の裏切り”を証明するだけで、“同志たちが裏切っていない”証明にはならないのです」

 

確かに、これだと良くも悪くも同志たちは蚊帳の外だ。とはいえ、それでも彼らがフェリシアとつながっていると疑われていることに変わりはない。ならば、このままではフェリシアの道連れになってしまう。場合によっては、本当に無関係な人々にまで疑いの目が及んでしまう。それを覆すためには、この裏切りはフェリシア単独のものであり、つながりのあった全員と袂を別ったと判断するような、そんな要素が必要になる。

そして、ここまでくれば立香にもフェリシアたちがやろうとしていたことの意味が分かった。

 

「彼は、名実ともに私の腹心。だからこそ、“私自身の手で殺す”必要があるのです」

「……その人は、魔人族を裏切ろうとしたフェリシアを止めようとして殺された。フェリシアについていく人が一人もいないのは、その裏切りが他の人たちにとっても想定外のことだから……」

「副長さんを生贄の羊(スケープゴート)にする、ということですね」

 

伏し目がちなマシュの言葉に、フェリシアたちがそろって首を縦に振る。

一部の部下たちはフェリシアの思想に賛同してはいたが、腹心である副長ですら同胞を裏切るとは思っていなかった。だから止めようとし、あえなく惨殺。フェリシアは、同胞はおろか部下たちすらも捨てて人間族に寝返った。故に、他の部下たちはフェリシアの裏切りには一切加担していない。つまりは無実である。

要は、そういう筋書きなのだろう。多少苦しくはあるが、今彼らが打てる手は決して多くない。その中で、可能な限り多くの同志たちの命をつなげる、より説得力のあるシナリオがこれなのだろう。あるいは、もっと準備をする余地があれば、話は別だったかもしれないが……言っても始まらないことだ。

 

「そして、その役目は彼でなければなりません。私が最も信頼し、私を陰に日向に支えてくれた彼を私の手で斬るからこそ、そのシナリオに説得力を持たせることができるのですから」

「「…………」」

「ご理解、いただけましたか?」

 

問いかけるフェリシアの顔は、今にも泣きだしそうに見えた。そんな顔をされては、何も言えることなどありはしない。それに、立香にもわかってしまったのだ。それこそが、現状採れる手段の中で最も「犠牲が少なく」、「より説得力の高い」ものなのだということが。

これが光輝辺りであれば、状況を無視して「どんな理由があろうと殺していいはずがない」「今までともに戦ってきた仲間なんでしょう」といった綺麗ごとを口にするのだろう。そんなものは、結局のところは状況が見えていない戯言だ。日本の、一市民であればそれでもいいかもしれない。しかし、フェリシアはそんな甘いことを口にしていい立場ではない。彼女に果たさなければならない責任がある以上、是非もない。

 

そして、立香もまた自分の手が綺麗ではないことを知っている。

望んで手を汚したことなど一度もないが、それでもどうしても必要な時には良心に反した行動に出る覚悟はとうに固めている。その覚悟があるからこそわかってしまった、納得せざるを得なかった。フェリシアたちのやろうとしていることは、「どうしても必要なこと」なのだと。

ならば、せめてそれは口に出さなければならない。その罪を、フェリシア一人に背負わせていいはずがない。その場に居合わせて止めることを放棄する自身もまた、同罪なのだから。

 

「……わかった。俺が間違っていた、余計な横槍を入れて申し訳ない」

「……」

 

居住まいを正し、深く頭を下げる立香。マシュもそれに倣う。

そんな二人に、副長は感謝の念すら抱いていた。彼らならばフェリシアを託すに値する、そう思ったことは正しかった。

 

(……やはり、ただのお人好しとは違う。綺麗なだけでは団長と共に歩くことはできないが、彼らは清濁併せ呑む度量を持っている。その本質は善でありながら悪を成し、悪を許せる。善しか成せない者とも、ただ惰性で悪を成す者とも違う。貧乏くじを引いてばかりの彼らだからこそ、団長を良く導いてくれるに違いない)

「……邪魔をしましたね。私たちはこれで席を外します」

「いえ、こちらこそ……」

「いや、その前に一言よろしいか」

 

納得した以上、このまま居座り続けるのは無粋と思い席をはずそうとするが、副長に呼び止められ三人の足が止まる。振り返れば、そこにはどこか晴れ晴れとした表情を浮かべていた副長が、立香に向けて深く首を垂れる。

 

「リツカ殿。面倒をおかけするが、どうか後を頼みまする」

 

何を、とは言わない。それでも確かに、伝わるものはあった。ならば……答えは一つだ。

 

「…………全力を、尽くします」

 

それが、立香に返せる精一杯の答えだった。そして、彼にとってもそれで十分だった。根拠も何もなく、ただ大きなことを口にするのではなく、ありったけの誠意が籠っているからこその控えめな返答。それこそが、何よりも彼を安堵させた。

 

間もなく立香たちはその場を後にし、入れ替わるように動ける部下たちが周囲に集まってきた。誰も口を開かない。二人がこれから何をしようとしているのか、何のためにそれをするのか、すべてわかっている。

ならば、どうして口をはさむことができようか。

 

「…………………………残す言葉は、ありますか?」

「小官には何も…と言えれば格好もつくのでしょうが、そうですなぁ……」

 

顎を擦りながら天を仰ぎ、満天の星空に目を細める。「死ぬにはいい日だ」とは、こういう日を言うのだろうと思いながら。

 

「団長には、いろいろ苦労させられましたなぁ」

「むしろ、あなたに苦労させられた方が多いと思うのですが」

「ふむ、仕事面ではそうでしょうが……憶えておられますか? 小官に『この戦争、どう思いますか』と尋ねた時のことを。いやはや、小官は肝が冷えたものです」

 

なにしろ、現体制へ疑念があると言っているようなものだ。本心を語らないようフェリシアも慎重を期したつもりなのだろうが、それでも危険な発言であることに変わりはない。

 

「むぐっ……確かに直截的過ぎたとは思います。ですからあれ以降、言い回しにはさらに気を使いました」

「他にも、志を同じく出来そうな者を片っ端から引き抜こうとしたこともありましたなぁ」

「そ、そのことは途中で自重したではありませんか!」

「あとは……」

 

しばらくの間、昔話に花を咲かせる二人。如何に優秀とはいえ、まだ若いフェリシアでは色々と脇が甘いことも多かった。そんな彼女を時にフォローし、時に先手を打って根を回していたのが彼だ。百名以上の同志を得ながら、フェリシアが先日まで軍内部で嫌疑こそかけられてはいたものの、その立場を守れていたのは副長の存在が大きい。

だがこの先、彼の助力は得られない。そのことへの不安は、決して小さなものではない。

 

(わかっています。私はここで彼を斬らなければならない。ですが、本当にそれしかないの……?)

「そのような顔をなされるな。最早、団長にこの老骨は不要でございましょう」

「そんな、そんなこと……!」

「小官の小賢しい頭など、軍内部をのらりくらりと泳ぐことにしか使えません。ですが、団長はこれから遥かに大きな世界に飛び立たれるのです。小官では、これからの団長をお支えするのは荷が勝ちすぎましょう。その意味では、ここで小官が消えるのはちょうど良いタイミングでしょうな。適材適所、これからの団長に相応しい人材を改めてお探しなさい。頼りになる方々もおられるのです、存分に頼られるとよいでしょう」

「…………………………………まったく、この期に及んでも私の心配ですか?」

「他に心配する相手もおりませんので。ご存知の通り、妻を早くに亡くし、子にも恵まれませんでしたから。あの頃の小官は、生きながらに死んでるようでしたなぁ」

「その割には、下の面倒をよく見ていたようですが」

「それしか楽しみがありませんでした。ですが、あなたに出会えた。今だから言いますが、あなたのことを我が子のように思っておりました。子どもが成長するのを見るのは、こんな気持ちなのだろうかと」

「私は、あなたを父と思ったことはありません」

「ハハハハハハハ! これは手厳しい」

「ですが」

「む?」

「あなたといる時間は、集落にいた頃を思い出して好きでしたよ。閣下が年の離れた兄なら、あなたは伯父のような存在でしたから」

 

その言葉に、副長の相貌が崩れる。伯父というのも、それはそれで悪くない。

 

「団長……同胞たちのことも良いですが、くれぐれもご自愛を。どうせですから、子の一人でも設けてはいかがです。子どもは……良いですぞ」

「考えておきます」

「ええ、頭の隅にでも留め置いていただければ十分です」

「…………………………………………………………大儀でした。これまでのあなたの働きに、心からの感謝を」

「……………………………団長にお仕えした日々は、まっこと充実しておりました。一足早く……そして、再会の日が遠くなることを願いながら、お待ちしております」

 

その言葉を最後に、一人の勇士がその生涯を終えた。救うべき同志たちのため、寸前までの穏やかさが嘘のような苦渋に満ちた表情を“作って”。

そんな彼に、居合わせた騎士たちは深く黙祷を捧げる。

 

―――――この犠牲を無駄にしないことを。

 

―――――彼の遺志を正しく伝えることを。

 

―――――主のために、この命を捧げることを。

 

各々が言葉にすることなく、その胸に改めて誓いを刻む。

全ては、主と主の掲げる理想のため……いつかの時代、同胞たちが穏やかに過ごせるそんな世界のために。

 

 

 

  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 

 

 

燭台の明かりにぼんやりと照らされた執務室。胸の内の言葉にならない感情を抑え込むように、職務に没頭するフリード。今日処理しなければならない書類はすでに終わっている。今手を付けているのは緊急性の低い……それどころか、別にフリードが処理しなくてもいいようなものばかりだ。部下たちからも「閣下のお手を煩わせるようなものでは……」と口にしていたが、それら全てを無視した。

仕事に没頭しているのは、単にちょうどよくそれらが目に入ったからにすぎない。正直言えば、何でもよかった。今はただ、何かに集中して余計なことを考えたくなかった。愛弟子の裏切りは、フリードにとっても心穏やかではいられないものだったのだろう。

 

(お前がいれば今頃仕事を取り上げ、ここから追い出していたのだろうな……)

 

今のフリードの配下に、彼に対してそこまでできる者はいない。フェリシアだけが、フリードに対してそこまで強引な姿勢を取ることができた。失ったことで気付くことがあるとはよく言うが、まさにその通りだ。

フェリシアが漏らす苦言や諫言、他のものでは恐れ多くてできないような実力行使。今となっては、そのどれもが懐かしい。今更ながらに気付く、己はあの日々を、あのやり取りを、心のどこかで楽しんでいたのだということを。

 

(なぜだろうな。部下たちに囲まれ、陛下は変わらず御座(おわ)し、民たちもいる。だというのになんだ、この孤独感は。まるで、一人世界に取り残されたかのような……)

 

それが錯覚だとわかっていながら、そう感じずにはいられない。その理由も、不本意ながら理解していた。

 

(いや、わかっている。お前がいないからだ、フェリシア。奴らのことを笑えんな、裏切られてなお弟子が可愛く思えるとは……)

 

将軍職に就く者達の中には、フリード同様弟子を持つ者もいる。様々な場面で彼らの弟子自慢を聞かされ「自分は違う」と思ってきたフリードだが、何のことはない。彼もまた、弟子を可愛く思っていたのだ。裏切られたと知ってなお、その喪失感に戸惑う程に。

 

とそこで、執務室の戸が「コンコンコン」と音を立てる。ただ戸がノックされただけにもかかわらず、フリードの顔が跳ね上がる。彼にはわかったのだ、今のノックが誰のものなのか。

ノックの主は返答を待つことなく扉を開く。そこには、フリードが想像した通りの人物が立っていた。

 

「まさか…………フェリシア」

「ご無沙汰しております、閣下」

 

几帳面な性格を表すように、折り目正しい敬礼で答えるフェリシア。あるべきピースがハマったかのような、そんな安心感がフリードの胸中を満たすが、即座に振り払う。いま彼女が身に纏っているのは、いつも着こんでいた甲冑ではない。あまり見覚えのない、民族衣装を思わせるゆったりとした服装だ。

足首近くまである長衣は穏やかな青系統が主になり、それとは対比するように鮮やかな黄色の帯が腰に巻かれている。下にはズボンとブーツを履き、動きを阻害しない作りのようだ。

いや、フリードは昔似たような服を見たことがある。まだフェリシアが王都に来て間もなく、士官のために受付の兵士と問答を繰り広げていた時、彼女が来ていた服とよく似ているのだ。

 

「お前の故郷のものか」

「正確には、ありあわせで模したものですが」

「……用件は何だ。裏切ったことへの弁明か? それとも、己の犯した罪の裁きを受けに来たか?」

「いいえ、そのどちらでもありません。此度は筋を通しに参りました」

「筋、か。そのために、こんなところまで忍び込んだと?」

「はい」

 

フリードの執務室は王城にあることもあり、その警備は厳重どころの話ではない。隠密行動に長けた天職や技能を持っているわけでもないフェリシアでは、ここまで誰にも見つからずに来られるわけがないのだ。

だが、現実として王城内には全く騒ぎが生じていない。つまり、フェリシアは誰にも見つからずにここまで来たということだ。

 

「ふん。なるほど、お前らしい話だ。それで、その筋とは?」

「重ね重ねの御恩を踏み躙ることへの」

「私のことなどどうでもいい! お前は魔王様を、我らが神を裏切ったのだぞ!」

「……神、ですか」

 

フリードの言葉に、フェリシアの表情から感情が消える。師弟としてではなく、軍を預かる将としてでもなく、ただ神の信徒として怒りをぶつける恩人に心が冷めていく。同胞を、仲間を、自身を裏切ったことにではなく、フリードは神から離反したことに怒っている。もし彼がもっと他のことに怒ってくれたなら、微かに抱いていた希望は砕け散った。これで、この場所への一切の未練を断ち切ることができる。

 

「…………閣下、一つ教えていただきたいことがございます」

「なに?」

「我々は、なぜ人間族と戦わなければならないのですか。攻めてくるなら迎え撃ちましょう、争う意思があるのなら徹底的に粉砕しましょう。ですが、彼らに戦う意思がなかったとしたら、あなたは……どうなさいますか?」

 

それは、ずっとフェリシアが聞きたかったことだ。だがフリードは、一切の迷いなく断言する。

 

「くだらん」

「…………」

「奴らに戦う意思がないとしたら、だと? 実に下らん仮定だ。どうあろうと、奴らがこの世界の汚点であることに変わりはない。奴らの存在そのものが、我らが神を辱めているのだ。粉砕し蹂躙し、壊滅させる。滅ぼす以外の選択肢があるはずがない。そんなことすら忘れたか!」

「……いいえ、忘れたことなどありません」

「ならば!」

「私は一度だって、神の為に戦ったことなどありません!!」

(なにを言っている……なんだ、その迷いのない目は。かつてのお前は、いつもどこか迷いを抱えていた。その迷いが晴れたのか? だが、その結果がこれだというのか!?)

「私が集落を飛び出し士官したのも、あなたに師事し力をつけ、戦い続けてきたのはすべて同胞たちのため! 彼らが少しでも血を流さない、自由な意思の下生きられる世の為です! 断じて、神の為などではありません!!」

「……それが、お前の本心か」

 

フリードにとっても衝撃が大きかったのか、彼は絞り出すように言葉を紡ぐが、フェリシアははっきりと断言する。これが、これこそがフェリシア・グレイロードなのだと。

 

「はい、これが私です。ずっと秘め続けてきた、私の本当の言葉です」

「……………………………………お前は、異端だ」

「承知しております」

「この、神敵めが!」

「己のために戦わぬ者を敵だというのなら、そのような神など私には不要です」

 

その目には、かつて秘めていた迷いはない。フリードも、嫌が応にもそれを理解していた。理解したからこそ、受け入れられない。全てとはいかないまでも、誰よりも理解していると思っていた愛弟子であったはずの女が、いまの彼には理解不能のナニカに見える。

 

「……ああ、私が間違っていた。お前のような“悪”をこの手で育てていたとは、我が生涯最大の汚点だ! ならせめて、この手でその過ちを正してくれる!!」

「いえ、それはおやめいただきましょう」

「!?」

 

魔法を紡ごうとしたフリードだが、背後から喉元に添えられた刃がそれを阻む。

フリードをして全く気付かれることなく忍び寄った手管、並の者ではない。

 

当然だろう。何しろ相手は、暗殺者のサーヴァント。中でも、間諜に長ける「忍」の者だ。隠密行動に不慣れなフェリシアをここまで誘導できたという点でも、彼女がどれほど傑出しているかわかるというものだ。

 

(声からして女か。だが、いったいいつどこから……)

「段蔵殿」

「フェリシア殿、お時間にございます。お急ぎを」

「陛下……魔王は確認できましたか?」

「姿だけならば。ですが、あまり近づいてはおりません」

「あなたほどの方が……」

 

なるほど、魔王の称号は伊達ではないのだろう。姿を確認した段階で戻ってきたのは、あれが今までに遭遇してきた魔物や魔人たちとは別格だと理解したからだ。フェリシアですら、その力は辛うじてサーヴァントに届くか否かという段階にある。その彼女を凌駕する存在となれば、慎重に行動して然るべきだ。少なくとも、今はまだはっきりと対立すべき時ではない。立香からも、あくまでもフェリシアのサポートが優先と言われている。

 

「間もなく、指定された箇所への攻撃を開始いたします。その間に脱出を」

「承知いたしました。これ以上、り……あの方にご迷惑はおかけできませんからね。

それでは閣下、もうお会いしないことを願っております」

「カトレアは死んだぞ」

「っ!?」

 

一度は背を向けようとしたフェリシアだが、フリードの言葉に思わず身体が固まる。

覚悟はしていた。しかしそれでも、彼女の死に衝撃を受けないはずがない。

 

「人間族の手にかかってだ。お前たちは親友だったはず、親友を殺した者達とどこへ行くつもりだ!」

「…………………………ありがとうございます、閣下」

「なに……」

「あなたのおかげで、カトレアの死を知ることができました。なら私は、彼女を悼むことができる。それで、十分です」

「待て、フェリシア!!」

 

フリードの制止を聞くことなく、フェリシアは段蔵と共に窓を割って飛び降りる。行きは隠密行動が必要だったが、帰りはその限りではない。

タイミングを同じくして、王都内数か所で爆音が響く。火事にはなっていないが、いくつかの建物が木っ端微塵に粉砕されたのだ。

 

「なに!? あれは……と軍の備蓄庫と魔物の飼育棟か、それに……」

 

攻撃されたのは、王都内にいくつか点在する軍の施設だ。魔王軍の軍備は着々と整いつつあり、総攻撃に出る日もそう遠くないことをフェリシアは知っていた。だが、全面戦争になれば多くの血が流れるのは必定。

仮に解放者たちの言葉が真実として、さらに神を討つことができたとすれば……この戦争を避けることも可能かもしれない。さすがにそれが早々上手くいくとはフェリシアも思っていないが、せめて少しでも戦争の開戦は遅らせたかった。その間に亜人族や竜人族、場合によっては人間族との交渉の席に立つことも可能かもしれない。そうなれば、戦争の回避は無理でも少しでもマシな落としどころを探ることができるかもしれない。それ故に、時間が欲しかったのだ。

その点については立香たちも賛同してくれたことから、いくつかの施設を破壊し、足止め工作を施すことにしたわけだ。もちろん、巻き添えになる者が少なくなるよう細心の注意を払った上で。

なにより、フェリシアとしては何としてでも消しておかなければならないものがあった。

 

「フェリシアの研究所、何も残さないつもりか……」

 

フェリシアが実験のために使っていた治療院。そこからも僅かだが白煙が上がっている。他と同じく火の手は上がっていないが、何らかの被害はあったのだろう。

無論、治療院で治療を受けている患者たちを巻き添えにするつもりはフェリシアにはない。あくまでも、彼女が消したかったのは自身の研究データだ。フリードならばあれを活用できる以上、彼の手の届くところに残しておくわけにはいかない。

 

そんな彼女の思惑を悟り、執務室を飛び出したフリードの顔が憤怒に歪む。最早弟子への情は捨てた、いまは裏切り者に報いを受けさせるのみだ。

 

「おのれ……全軍に通達! 動けるものは装備を整え、急ぎフェリシアとその共犯者どもを追え! あちらは人間族、容赦はいらん! 魔物も動かせるだけ動かして構わん!」

「はっ! か、閣下は如何なさるおつもりですか?」

「私は陛下のご無事を確認した上で追う! だが、深追いはするな。腐ってもフェリシアは大迷宮攻略者、神代魔法の使い手だ。私以外では相手になるまい」

「承知いたしました!」

(陛下、どうか御無事で。そしてフェリシア……この報い必ずや受けさせてくれる!!)

 

フェリシアたちの会話から、魔王の無事はほぼ間違いないだろう。そもそも、偉大なる神の代弁者たる魔王がフェリシアや人間族如きに後れを取るはずがない。無事の確認は念のためだ。

とはいえ、フリードは今回の失態の責任は自身にあると思っている。場合によっては、その場で首を落とされることも覚悟の上で彼は玉座へと向かった。

 

幸いなことに彼の首が落ちることはなく、フリードは魔王の命を受けて急ぎフェリシアを追う。

だがその道中、彼が見た風景は凄惨の一言だった。

彼が手ずから強化した魔物たちは尽く息絶えていた。焼け焦げ、ズタズタに引き裂かれ、矢のようなもので射抜かれ、場所によってはクレーター状の巨大な陥没だけが残る。そんな、信じがたい光景が広がっていたのだ。

 

(私の知らない神代魔法か! フェリシア、いったいいつから……)

 

最早、フリードの中でフェリシアの裏切りは既定のものとなっていた。というよりも、以前よりつながりがあり、今回のことも彼女が手引きしたと思っている。概ね間違ってはいないが、フェリシアが彼らと合流したのは成り行きに近い。無論、そのことを説明したところでフリードは信じなかっただろうが。

 

ただ不思議なことに、魔物たちはほぼ壊滅状態だったにもかかわらず、人的被害はほぼないに等しかった。その意味を、フリードは深く考えない。少なくとも、彼女が同胞たちに被害が出ることを可能な限り避けたとは、最早思いもしなかった。

 

その頃、立香たち一行はハインケルに乗り込み一路シュネー雪原を目指す。

既に追っ手の影はない。ブーディカに運転を任せ、追いかけてくる魔物たちを頼光の雷で薙ぎ払い、藤太の矢で射抜き、ロボとヘシアンの刃で引き裂いた。挙句の果てに、アルトリアの聖槍までぶっぱしたのである。いくら段蔵に調べてもらって人的被害を最小限にとどめたとはいえ、それでもとんだ蹂躙劇だ。

まぁその甲斐あって、魔人族側の戦力はかなり削ぐことができたはず。これで、しばらくは時間が稼げるだろう。

また、数日後には副長の遺体を携えた騎士団が王都に戻るだろうが、副長の死に加えてこれだけ派手に喧伝したのだ。フェリシアが彼らとも袂を別ったことは、そう疑われないはず。

 

そういう意味でいえば、今回の狙いは概ね達成できたといえるだろう。

とはいえ、当のフェリシアの表情は決して明るいものではなかった。

 

「ふぅ……」

「おや、如何なされましたか、フェリシア嬢」

「確か、シェイクスピア殿?」

「おお、覚えていただき恐悦至極」

 

芝居がかかった所作で仰々しく振舞う劇作家に、フェリシアの頬が引き攣る。正直、こういうタイプは割と苦手なのだ。

 

「何やら意気消沈しておられるご様子。よろしければ、我輩に話してはいかがですかな? 人に話すことで、気が楽になるものですぞ」

「いけません、フェリシアさん。少なくとも、シェイクスピアさんにだけは相談してはいけません」

「まったくです。この男に話したところで、作品のネタにされるだけでしょう」

「野良犬にでも話した方がまだましだな、うむ!」

「女王陛下、我輩の扱いが酷すぎやしませんか?」

「自業自得って言葉、きみ知ってる?」

「知っておりますし我輩の辞書にもしっかり載っておりますぞ、何しろ作品に使いますからな! ですが、我輩とは無縁の言葉でもあります!」

 

ここまではっきり言いきられると、あとはもう褒めるしかない気がしてくるから不思議だ。

 

「あらあら、ご友人を亡くされたということですし…みなさん、今はそっとしておいて差し上げましょう」

 

立香や金時が絡まない限り、割とまともな頼光の言葉に一部を除いて皆がうなずく。

だが、当然空気を読まないロクデナシはそれくらいでは止まらない。

 

「“後悔する! それこそ卑怯で女々しいことだ”」

「っ!」

「フェリシア嬢、あなたは後悔しておいでなので?」

「……………後悔、そうですね。あなたのおっしゃられる通り、女々しいことに私は悔いています。あの時ああしていれば、と。その無意味さくらい、理解しているはずだというのに……理解していながら悔いる、ああ本当に女々しい限りです。お恥ずかしい……」

「あっ、いつのまに!? だれか、あの髭止めて!!」

 

いつの間にかフェリシアの横に陣取っていたシェイクスピアに気付き、立香の指示が飛ぶがその間にも稀代の劇作家の口は止まらない。ついでに、手元のメモを取る手も止まらない。

 

「ふむふむ。ですが、あなたが暗い表情を浮かべる理由はそれだけですかな?」

「どういう、意味でしょう」

「例えばそう、同胞たちから裏切り者と後ろ指を指されること。あるいは、恩師と決定的に袂を別ったこと。はたまた、腹心の部下をその手にかけたこと。短期間のうちに、色々とありましたからなぁ」

 

案の定、デリカシーの欠片もないシェイクスピアの心ない言葉に、フェリシアの影がどんどん濃くなる。

 

「では、そんなあなたにこの言葉を送りましょう。“成し遂げんとした志をただ一回の敗北によって捨ててはいけない”、と。この場合、敗北は失敗と言い換えても構いません。此度の結果は最善からは程遠いでしょう。ですが、あなたはそれで志を捨ててしまわれるおつもりか? あなたの志は、彼らから託されたものは、その程度のものだったと?」

「そんなはず、ありません!!」

 

この時点で皆が思った「あれ? なんかおかしい」と。いつもとノリは同じはずなのだが、フェリシアの顔に生気が戻ってきている。

 

「そうでしょう、そうでしょうとも! あなたはそういう人だ、そうでなければならない! なぜならあなたは、彼らが担ぐ神輿そのものなのですからな! そのあなたが俯いていては、担ぐ側もその甲斐がないというもの! なにより“人は心が愉快であれば終日歩んでも嫌になることはないが、心に憂いがあればわずか一里でも嫌になる”というものでしょう!! 誰が好き好んで、陰気な神輿を担ぐものですか!」

 

シェイクスピアが言い終わる頃には、既にフェリシアの顔から影は払拭されていた。彼女は決然と顔を上げ、その目には強い意志の光が戻っている。一時その心を覆っていた弱気の雲は晴れ、立香に見た太陽が燦々と光を放っている。

そのことに……というか、シェイクスピアが立ち直らせたことに、皆驚きを隠せない。

 

「しゅ――――――――――――――――――――――――ご――――――――――――――――――――――っ!!!!」

「フォ―――――――――――――――――――――――――――――――――っ!!!!」

「シェイクスピアがまともなこと言ってる!? どうしたの、反転したの、明日死ぬの!?」

「お、落ち着いてください、先輩! シェイクスピアさんは本当にどうしようもない人ですが、文章“は”素晴らしいです。ですから、誰かを励ますこともできないことはないような気もするというかしないというか……」

「まったく、酷い言われようですな」

「と言いつつ、しっかりメモを取っているわけですが……」

「何しろ、彼女の物語は実に『面白そう』ですからな。良いネタになります。こんなところで足踏みされていては、それこそつまらない」

「シェイクスピア殿らしい話だな、うむ!」

 

まぁ、作品の為であろうとなんであろうと、結果良ければすべて良しということで……。




それにしても、書きたいことをかいているとどんどん長くなるこの不思議……なんなんでしょうね? 世の作家さん、あるいは二次創作に手を染めている方も、同じことを思うのでしょうか?

とりあえず、フェリシアはシェイクスピアのお気に入りに。シェイクスピア的に、フェリシアには大いに悩み、葛藤してほしいところ。ただし、しょぼくれているとつまらないので、一応励ましたりはします。ただし、自分の作品のために。ブレねぇなぁ、この髭。

P.S
最近、「立香」をカタカナ表記する機会が多いわけですが「リツカ」ではなく「リ”ッ”カ」と誤字報告が入ることがあります。でも、彼って「ふじまるりつか」ですよね? 違いましたっけ?


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Interlude04

フェリシア・グレイロード、フリード・バグアー。魔人族の両翼であった師弟が袂を別つ数日前まで時を遡る。

場所はハイリヒ王国の宿場町ホルアドの地下深く、彼の街が擁するオルクス大迷宮80層。記録に残っている範囲ではという注釈こそつくが、過去誰一人として足を踏み入れたことのない領域へと進んだ勇者一行。

 

そこで彼らは、初めてオルクス大迷宮に挑んで以来の窮地に晒されていた。

 

未踏破領域に踏み込み、さながら新雪に足跡をつけるような心持ちから、僅かだが地に足がつかなくなっていたことは認めざるを得ない。とはいえそれも、「慢心」や「驕り」と呼べるほどのものではなかった。そもそも、十数人というそれなりの規模の集団に対し、治癒師が一人しかいないという不安定さこそが彼らのアキレス腱なのだ。回復を事実上一人に頼らざるを得ないからこそ、彼らは慎重の上に慎重を期して堅実にここまで歩を進めてきたのだから。そんな状態では、慢心したくてもできやしない。少しばかり緊張感を緩ませるのが関の山だろう。

 

そして、多少気の緩みが生じていたとしても、その程度で崩れてしまうほど彼らが今日まで積み重ねてきたものは浅くない。事実、ベヒモスを下し前人未到の領域に入ってからも、特にこれと言って危うい場面もなく、ある程度以上の余裕をもって戦うことができていた。

むしろ、波に乗るかのように徐々に攻略ペースが増し、百層踏破も遠くないと思い始めた矢先……彼らは出会ってしまったのだ。

多種多様な魔物が跋扈するオルクス大迷宮でも出くわしたことのない、特殊な固有魔法を備えた強力な魔物を何頭も従えた一人の女に。

 

瞳と髪は燃えるような赤。艶のない黒一色のライダースーツのようなものを纏い、体にピッタリと吸い付くようなデザインは、彼女の見事なボディラインを薄暗い迷宮の中でも浮き彫りにしている。また、胸元は大きく開き、見事な双丘がこぼれ落ちそう。前に垂れていた髪を、その特徴的な僅かに尖った耳にかける仕草が実に艶かしい。

幾人かの男子生徒は思わず頬を赤くし、女子生徒さえも見惚れてしまう色香の持ち主だった。しかし、彼らの自失も長くは続かない。

 

彼女の容姿は特徴的だった。基本的な部分は人間のそれでありながら、僅かに尖った耳と浅黒い肌。見覚えはなくとも、教会から叩き込まれた座学で何度も耳にした特徴。聖教教会の掲げる神敵にして、人間族の宿敵…………魔人族。いずれ対峙しなければならない、だがあまりにも早すぎる邂逅だった。

 

光輝たちの前に姿を現した目的は、勇者の勧誘。しかし、光輝は即座にこれを拒絶した。それ自体は別に問題ではない。ただ、彼はもう少し冷静に状況を分析するべきだった。あるいは、迎合するふりをして探りを入れるくらいの腹芸は身につけておくべきだっただろう。少なくとも、感情に身を任せて答えるべきではなかったのだ。違和感の種は、そこかしこにあったのだから。

 

第一に、光輝たちが女魔人と出会った一部屋を残して、この階層の魔物は痕跡すら残すことなく殲滅されていた。

第二に、女魔人は特に疲労した様子もなく、一人で光輝たちの前に姿を現した。

 

光輝たちが長い時間をかけてようやく到達できた階層に、なぜ彼女はこうも余裕をもって進むことができたのか。

痕跡すら残さずこの階層の魔物を殲滅するなど、どれほどの力があれば可能なのか。

何より、この階層に到達できるほどの人間族の集団を前にしても余裕のある振る舞い。

 

それらは一つの答えに集約される。どんな形であれ、彼女はそれができるだけの戦力を有しているということ。雫や永山重吾など、思慮のある者達はそのことに気付いていた。それが個人としてなのか、あるいは別の形なのかまではわからなかったが……すぐに答えが出た。

 

女魔人……カトレアが指示を下すと同時に姿を現した魔物たち。攻撃の瞬間まで気配を悟らせない隠蔽能力だけではない。攻守に優れ、回復系統の固有魔法を持つ個体までおり、バランスの良さは光輝たちを上回る。

個々の能力だけであれば、まだ辛うじて対抗することもできた。光輝や雫など、戦闘能力に優れた者が一体ずつ倒していけば、逆転とはいかずとも窮地を脱することもできたかもしれない。

だが、ここにきてバランスの悪さが浮き彫りになる。回復役を綾子一人に頼らざるを得ない勇者一行に対し、カトレア側には回復能力を有した魔物が十分に与えられている。この差が、戦況をあっという間に決定づけた。戦闘が始まって間もなく勇者側の回復が間に合わなくなっていったのだ。負傷や固有魔法の作用で戦闘能力を損なう、ないし失う者が続出。対して、カトレア側は多少の負傷はすぐに回復されてしまい、切り崩すチャンスを作ることすらできない。

このままではじり貧であることを、雫は苦々しくも冷静に理解していた。

 

(どうする……どうすればいいの! このまま戦っていても、遠からず押し切られるのは間違いない。ベストは撤退、それも仕切り直しとか中途半端なことじゃなくて、迷宮の外まで退避するくらいの……)

 

それは、いっそ“敗走”と呼んでいいレベルのこと。しかし、それが最善であると雫は判断する。戦い続けていても勝ち目はない。回復役の乏しさから、仕切り直そうにも負傷者や敵の固有魔法で石化した仲間の完全回復は望めない。ただでさえ不利な状況だというのに、さらに戦力が削られた状態で再戦してもどうにもならない。

だからこその撤退。被害を最小限に抑えられる今のうちに、敵が追ってこない地上まで退避する。その上で、王国や教会に事態を報告し、戦力を整えた上で再戦する。間違いなく、それこそが最善……だが現実は、それを許してくれるほど生易しくはない。

 

(退路は断たれている。強引に突破することもできるかもしれないけど、ある程度の犠牲は覚悟しないといけない。それを選べないのなら、イチかバチかで敵将を討ち取りに行くくらいしか方法はないけど、それを読めない相手じゃないでしょうね。少なくとも、私の考えていることくらいはお見通しでしょうし)

 

魔物たちの後方に控えるカトレアに余裕はあれども慢心はない。遠目から見ても、彼女が冷静に雫たちを観察し、分析していることが伺える。経験値ではあちらの方が遥かに上、戦場における立ち回りも熟知しているだろう。

つい数ヶ月前まで一高校生でしかなかった雫たちの考えることを読めないとは思えない。

 

(こんな時、南雲君がいてくれたら……)

 

窮地に立たされた雫の脳裏に浮かんだのは、いま彼女たちに最も欠けている回復能力に長けた治癒師の親友(香織)ではなく、非戦闘系の天職と平凡なステータスしか持たなかったクラスメイトの姿。

彼が奈落の底で超人的な能力を得たから、ではない。情報としては知っていても、実際に目にしたわけではないことから実感が薄いというのもあるが、雫は彼の有事における冷静さと機転に信頼を置いている。

初めて大迷宮に挑んだ日、ベヒモスを前に雫ですら冷静沈着からほど遠かった。メルドの指示通り下がるのが最善と理解できる程度の冷静さはあったが、それ以上のことには頭が回らなかった。下がった後、一体どうすればいいのか。一向に下がろうとしない光輝を、どう説得すればいいのか。雫はおろか、その場にいる誰一人として考えの及んでいなかった領域に対し、南雲ハジメは冷静に適切な解答を示して見せたのだ。

結果的に彼は奈落の底に落ちてしまったが、ハジメの示した答えはあの状況下における最善だったと今でも思う。あるいはもっと良い手もあったのかもしれないが、あの土壇場で出せる解答としては最良だったことに疑いの余地はない。少なくとも、他の誰にもあの場で彼以上の解を示すことはできなかったのだから。

 

仮に回復役が一人増えたところで、彼らの不利は明らか。敗北までの時間を引き延ばすか、あるいは仕切り直しを可能にするか……あとは、イチかバチかの成功率を多少引き上げるのが関の山だろう。いずれにせよ、駆けの要素が強いことに変わりはない。

だが、ハジメなら……もっと別の、起死回生の一手を示してくれるのではないか。そんな期待があった。南雲ハジメの、ステータス上では推し量れない能力の高さ。彼が奈落の底に落ち、自分たちとは別行動をとるに至ってしまったことが悔やまれる。

 

(ダメね。こんなこと考えるなんて、私も相当弱気になってる証拠か)

 

この場にいない相手を当てにするようでは本当に末期だ…と自らを戒める。

 

(南雲君は奈落の底で片腕を失って、魔物を食べて身体を作り替えてまで生き延びた。彼の孤独や絶望に比べたら、この程度で根を上げてちゃ笑われるわ!)

 

自らに活を入れ直し、雫は手にしていた王国から与えられたシャムシール型のアーティファクトを投げ捨てた。代わりに、腰に差したもう一振りを手に取る。

ハジメたちとの繋がりを示すこれを使えば、最終的には彼らの足を引っ張ることになる。それ故にできる限り隠しておきたかったが、最早そんなことを言っていられる状況ではない。出し惜しみをして死んでしまえば、それこそせっかく用意してくれた彼に申し訳が立たない。

 

「刻め、“爪閃”!!」

 

居合の要領で黒刀を抜き放つと同時に生じた風の爪が、ライオンの頭部に竜のような手足と鋭い爪、蛇の尻尾と、鷲の翼を背中から生やす奇怪な魔物…キメラを両断する。

雫はその結果を見届けることもなく背を向けると、背後に迫っていたもう一体のキメラの前肢を落とし、心臓を一突き。流れるような連続攻撃の前に、為す術もなく二体のキメラが絶命した。

 

「何度か隠れて試し斬りして切れ味はわかっているつもりだったけど、まさかこれほどとは…ね!」

 

まだ息のあったキメラの蛇尾が二方向から噛み付いてくる。心臓を貫いた黒刀を抜くことなく、身体ごと回るように横薙ぎに一閃。半ばほどで断たれた二本の蛇尾は僅かな時間その場で悶えた後、動きを止めた。

 

「雫、その刀は……」

「前に言ったでしょ、ホルアドで貰った掘り出し物って。それより、今はこの状況を何とかしないと……」

 

本当は、どうしなければならないかなどわかり切っている。雫一人の戦力が多少向上した程度では、根本的な状況の打開にはつながらない。ハジメが作り上げた黒刀は敵の魔物の外皮をものともせずに斬り裂く性能があるとはいえ、数の差は歴然。敵が十分な回復役を擁している以上、長引けば長引くほどに不利になる。故に、この状況を打開するためにできることは一つしかない。

それを分かっていながら口にできないのは、まだ雫の中でも覚悟が決まっていないから。やらなければならないことは以前からわかっていたが、いざそれを意識すると二の足を踏んでしまう自分がいる。ましてやそれを他者に「やれ」と唆すなど、できるはずがない。

 

(でも、今はもうそれしかない!)

 

覚悟できたかどうかはわからない。だがそれでも、雫は決意だけでも固めてカトレアに狙いを定めて走り出す。

 

「雫、なにをっ!?」

「はぁっ!」

 

黒猫型の魔物から伸びる触手を切り払いながら間合いを詰めていく。しかし、それも長くは続かない。雫の歩みを阻むように魔物たちが立ちはだかり、その対応に追われて足が止まってしまった。勇者一行の中でも特に優れた戦闘能力を有する雫だが、残念ながら火力に乏しい。一対一では一二を争う力量の持ち主であると同時に、集団戦において一息に敵を薙ぎ払う種類の火力は持ち合わせていないのだ。

それでも、何とかカトレアを必殺の間合いに捉えようと刀を振るう。誰かに重荷を背負わせるくらいなら……生来の苦労人体質の表れだった。

 

「どきなさい、奔れ、“雷華”!」

 

詠唱と共に雷の華が咲き、迫りくる魔物たちを牽制する。雷の衝撃で僅かに身を引いた隙を逃さず進もうとする雫だが、彼女の前に何かが割り込む。それは大口を開けたかと思うと、黒刀から放たれた雷を瞬く間のうちに吸い込んでしまう。

 

「くっ……“爪閃”! “爪閃”! “爪閃”!」

 

そこにいたのは、体から六本の足を生やした亀のような魔物。カトレアとの間に立ちはだかったそれに対し、雫は風の爪を纏わせ斬りかかろうとする。しかし、そのすべてが展開すると同時に魔物の口の中へと吸い込まれていく。

やむを得ずそのまま斬りかかるが、亀らしく甲羅の中に隠れられてしまえば、黒刀を以てしても甲羅に浅い傷をつけるのが関の山。無視して進もうにも、既に体勢を立て直した魔物たちに囲まれている。黒刀の能力で対処しようとするが、発動させると同時に甲羅の中から顔を出して吸い込まれてしまう。

 

こうなると、あとはもう通常の斬撃で対処するしかない。風の爪などを付与していない素の斬れ味でも、雫の技量があれば魔物たちを切り捨てること自体は可能。とはいえ、それはあくまでも対処できるというだけの話に過ぎない。敵将(カトレア)への道を開くには到底足りない。

 

「良い気概だ、アブソドがいなかったら万が一もあったかもしれないね。でも……やっちまいな、アブソド!」

 

指示を受けたアブソドと呼ばれた多足亀の魔物がゆっくりと口を開く。よく見れば、いつの間にか甲羅が僅かな黄色を帯びた白に染まっている。まるで、黒刀を介して放った魔法をため込んでいるかのように。

そんな考察を裏付けるかのように、次の瞬間背中の甲羅が激しく輝き、開いた口の奥に輝きが生まれる。雫は背筋を走る悪寒に従いその場から飛びのこうとするが、僅かに遅かった。

多足亀の口から放たれた何かが雫のわき腹を抉り、遥か後方へと消えていく。

 

「ゲホッ!? ゴホッ……」

「おや、ちょいとタメが足りなかったか。悪いね、即死していた方が楽だったろうに」

「雫!? くそっ、雫に何をする!!」

 

光輝は怒りに染まった雄叫び上げながら倒れた雫の下へ駆け寄ろうとするが、魔物の群れがそれを阻む。

 

「光…輝……」

「待ってろ、雫。いまこいつらを倒して、俺が助けてやる!」

「ハッ! あんたにできるのかい、坊や?」

「よくも俺の仲間を……お前は、俺が倒す!! 行くぞ、“限界突破”!」

(わかってるの、光輝? その人を倒すということは……)

 

いや、きっとわかっていない。わき腹を抉られ、止めどなく血を流しながら雫はその先の未来を想像する。

光輝ならば、雫と違い高い火力を持ち合わせる彼ならば、カトレアを守る魔物たちを突破して喉元に刃を突き付けることもできるだろう。そこから先は……わからない。ことは光輝がカトレアを倒せるか否かではない。光輝が自分のしようとしていることに気付くか否かだ。気付かないままなら勝てるだろう。だがもし、気付いてしまえば……

 

(あの人を斬れない。だって光輝は、“人”と戦っていると思っていない)

 

光輝にとって、魔人族とはイシュタルに教えられた通り、残忍で卑劣な知恵の回る魔物の上位種、あるいは魔物が進化した存在くらいの認識だ。実際、魔物と共にあり、魔物を使役していることが、その認識に拍車をかけている。自分達と同じように、誰かを愛し、誰かに愛され、何かの為に必死に生きている、そんな戦っている“人”だとは思っていない。あるいは、無意識にそう思わないようにしているのか。

だが、もしその前提が覆れば、彼は剣を振り下ろすことができないだろう。自分が手にかけようとした相手が魔物などでなく、紛れもなく自分達と同じ“人”だと気づいてしまえば、それが“人殺し”であることを認識せざるを得ない。光輝がそれを自覚した上で剣を振れるかといえば、答えは否だ。

 

(私たちが生き残るためには、光輝に気づかれてはいけない。でも、それでいいの? 人を人とも思わずに殺すことが、光輝にそんなことをさせることが……)

 

雫には、到底それを良しとすることはできなかった。せめて人として向き合い、人として命を絶つ、それが最低限の礼儀ではないだろうか。殺す側も殺される側も、それではあまりにも救いがない。

 

いや、それを言うならもっと早く、すべきことがあったのだ。認識の統一、すなわち自分達は人殺しをするのだと自覚する事を。

雫とて、人殺しの経験などない。経験したいなどとは間違っても思わない。だが、戦争をするならいつかこういう日が来ると知っていた。マシュからも指摘されていたことだし、剣術を習う上で人を傷つけることの“重さ”も叩き込まれている。

しかし、いざ、その時が来てみれば、覚悟など簡単に揺らぎ、自分のしようとしていることのあまりの重さに恐怖して恥も外聞もなくそのまま泣き出してしまいたくなった。それでも雫は、唇の端を噛み切りながら歯を食いしばって、その恐怖を必死に押さえつけ突き進んだ。

せめて、そのことを知っている自分がやるべきだと思ったからだ。だからこそ、雫は無茶を承知で突き進んだ。力及ばず雫の剣が届くことはなかったが、彼女にはまだ打つ手が残されている。

 

(使うしか、ない)

 

命が流出していく感覚が徐々に薄れていく。無論、治ってきているからではなく、取り返しのつかない段階がもう目の前に迫ってきているからだ。

不幸中の幸いというべきか、雫を死に体と見て限界突破を使った光輝への対処を優先しているらしく、彼女にとどめを刺そうとする様子は見られない。今ならまだ奥の手を使うことができる。多少発動までに時間はかかるが、無視してくれている今の状況はむしろ好都合だ。

 

「くそ、退けよ! このままじゃ雫が!」

「しずしず! お願い、返事をして!」

「やべぇぞ、光輝。このままじゃ……」

「くっそぉぉぉぉぉ!! “覇潰”!!

 

“限界突破”終の派生技能[+覇潰]。通常の“限界突破”が基本ステータスの三倍の力を制限時間内だけ発揮するものとすれば、基本ステータスの五倍の力を得ることが出来る上位技能だ。ただし、唯でさえ限界突破している中、更に無理やり力を引きずり出すのだ。効果時間は短くなり、その後の副作用も甚大。

とはいえ、覇潰を使った光輝を止められる者などまずいない。十中八九、彼はカトレアの下までたどり着くことができるだろう。しかし、雫はそれを望まない。少なくとも、怒りに任せて何も知らぬまま一線を踏み越えることなど、あってはいけないのだ。

 

(お願い、気付いて光輝。その人は、私たちと同じ……)

「よくも、良くも雫をぉ――――――っ!!」

「チィッ!」

 

ここにきて、ついにカトレアの顔に焦りの表情が浮かぶ。周囲の魔物をけしかけるが、光輝は一顧だにせず薙ぎ払い突き進む。魔物達には目もくれず、聖剣の一振りでなぎ払い、怒声を上げながら一瞬も立ち止まらない。頭の中にあるのは、幼馴染を傷つけられたことへの怒りと今にも雫が息絶えそうな現実への焦りだけだった。

 

「ウオォォォッ!!」

 

大上段に振りかぶった聖剣を、光輝は躊躇いなく振り下ろす。カトレアは咄嗟に魔法で盾を作るが……光の奔流を纏った聖剣はたやすく盾を切り裂き、その奥にいるカトレアを袈裟斬りにした。

盾を作りながら後ろに下がっていたのが幸いし、両断されることこそなかったが、彼女の体は深々と切り裂かれ、血飛沫を撒き散らしながら後方へと吹き飛ぶ。

 

背後の壁に背中から激突し、砕けた壁を背にズルズルと崩れ落ちた。カトレアは聖剣を振り払いながら歩み寄る光輝を見上げ、つまらなそうにつぶやく。

 

「まいったね……あの状況で逆転なんて……。まるで、三文芝居でも見てる気分だ」

 

傍にいる回復系の固有魔法を持つ白鴉がそれを発動するが、傷は深く直ぐには治らない。カトレアはいよいよ年貢の納め時と覚悟を決め、激痛に堪えながら右手を伸ばす。懐から取り出したのは、ロケットペンダントだった。

光輝はその意味を斟酌することなく、トドメの一撃を振りかぶる。だが、剣を振り下ろす直前に耳にした言葉が雷の如き衝撃を光輝に与えた。

 

「ごめん……先に逝く。幸せになりな、フェリシア。そして……愛してるよ、ミハイル」

 

愛しそうな表情で手に持つロケットペンダントを見つめながら、そんな呟きを漏らすカトレア。光輝は思わず聖剣を止める。カトレアは覚悟した衝撃が来ないことに訝しみ顔を上げ、自分の頭上数ミリの場所で停止している聖剣に気がつく。

しかしそれ以上に彼女の目を引いたのは、光輝の愕然とした表情だった。目をこれでもかと見開いて自分を見下ろすその瞳には、何かに気がつき、それに対する恐怖と躊躇いが生まれていた。その意味をカトレアは余すことなく悟る。

 

「……呆れたね……まさか、今になって漸く気がついたのかい? “人”を殺そうとしていることに」

(よかった。気付いたのね、光輝)

 

雫にはもう頭を上げて状況を確認する余力すら残されていないが、その声だけは何とか聞き取ることができた。

 

「まさか、あたし達を“人”とすら認めていなかったとは……随分と傲慢なことだね」

「ち、ちが……俺は、知らなくて……」

「ハッ、“知ろうとしなかった”の間違いだろ?」

「お、俺は……」

「ほら? どうした? 所詮は戦いですらなく唯の“狩り”なんだろ? 目の前に死に体の一匹がいるぞ? さっさと狩ったらどうだい? おまえが今までそうしてきたように……」

「……は、話し合おう……は、話せばきっと……」

 

光輝の言葉に、カトレアは心底軽蔑したような目を向ける。

 

「まったく、とんだ期待外れだ。アンタに、あの子に会う資格はない」

「な、なにを言って……」

(フェリシア、アンタは気づいていなかったかもしれないけど、あたしは気づいていたよ。アンタが、本当は何を考えていたか)

 

全てではないかもしれない。それでも、僅かばかりでもカトレアはフェリシアの本心に気付いていた。彼女が人間族との戦争を望んでいないことも、召喚された勇者に興味を抱いていることも。だからこそ、落胆を禁じ得ない。目の前の無知な少年は、フェリシアが求めていた相手ではない。

 

「それでもアンタの力は脅威だ。ここで、確実に潰させてもらう! 全隊、攻撃せよ!」

 

カトレアの命令に従い、動ける魔物たちが猛烈な勢いで動き出す。優秀な人材に首輪をつけて寝返らせるメリットより、光輝を殺す事に利用すべきだと判断したのだ。それだけ、光輝の最後の攻撃は脅威だった。

 

「な、どうして!」

「自覚のない坊ちゃんだ……私達は“戦争”をしてるんだよ! 未熟な精神に巨大な力、あんたは危険過ぎる! 何が何でもここで死んでもらう! ほら、お仲間を助けに行かないと、全滅するよ!」

 

自分の提案を無視したカトレアに光輝が叫ぶが、彼女は取り合わない。フェリシアも本心では話し合いを望んではいるが、少なくともこんな形では口にしない。今この状況で口にするということは、むしろ自らの格を下げる世迷言も同然だからだ。その程度のことすらわからない無知蒙昧に付き合うつもりはない。

 

光輝は青ざめて“覇潰”の力そのままに仲間たちを助けに向かう。まだ“覇潰”のタイムリミットまでは余裕がある。しかし、襲い掛かる魔物を斬り伏せていくが、数が多すぎる。後から後から姿を現す魔物の群れに終わりはなく、仲間を守りながらではできることが限られる。あるいは、今度こそカトレアを仕留めに向かえば違ったかもしれないが、最早光輝には彼女を殺すことはできなかった。

相手が自分と同じ人であることに気付いてしまった以上、光輝に“人殺し”ができるはずもない。彼は自らが“正しい”と思うことしかできない人間だ。自分が正しいと思うことが“正義”であり、正しいと思えないことが“悪”。そんなシンプルかつ一方的な世界しか持たず、悪を成す覚悟もない。日本で暮らしている分にはそれでよかったかもしれない。だが、このトータスではそうもいかない。ましてや、勇者として魔人族との戦いに身を投じるなら尚更。

 

「勇者とはいっても、所詮はこの程度かい。アンタの方がよっぽど、勇者と呼ばれるにふさわしい……っ!」

 

光輝と違い、殺すつもりで挑んできた雫に視線を向けたところで、カトレアの表情が強張る。

雫の手にはステータスプレートに似た何かが握られ、彼女の口からは掠れながらも確かな、だが聞き覚えのない詠唱が紡がれていた。

 

「―――告げる。汝の身は、我が下に…我が命運は、汝の剣に。人理の、よるべに従い。この意、この理に従うのなら―――――」

「アハトド、やりな!」

 

カトレアの指示を受け、最後方に控えていた馬頭の魔物が雫にとどめを刺すべく動き出す。だがそれは、あと一手遅かった。

 

「我が身に宿れ―――我が命運、汝が剣に預けよう!」

 

雫を中心に光が放たれ、迷宮内に猛烈な風が吹き荒ぶ。仲間たちはもちろん、カトレアや魔物たちですら一瞬足を止め、何事かと雫に視線が集中する。光と風は間もなく納まり、その中心には先ほどまで死に体だったはずの雫が力強く立ち上がっていた。ただし、その姿は先ほどまでとは一変している。

 

「雫、なのか?」

「しずしず、その髪……」

 

トレードマークであるポニーテールはそのままに、艶やかな黒髪は純白に、服装も和装へ。軽装の鎧も失われ、右肩に和風の鎧の一部が残るのみとなっている。

だが、そこに弱々しさや儚さといったものは感じられない。むしろ、普段の雫からも考えられないほどの存在感を放っている。

 

「まったく、こいつは飛んだ隠し玉があったもんだ……」

「……悪いけど、あまり時間はかけられないの。負担が大きいというのもあるけど、私じゃ“彼女の血”をどこまで抑えられるか自信がないから」

「なら、長期戦にできればあたしの勝ちってことかい?」

「やめた方が良いわ。長引けばどうなるか、私にもわからないもの」

 

それがハッタリなどではないことは、カトレアにも理解できた。今でも並々ならぬ存在感を示している雫だが、その奥に得体のしれない不気味さを感じてもいた。アレを目覚めさせてはならない、それだけは確かだ。

ならば、することは一つ。

 

「全隊、他の連中は無視していい。そいつを仕留めな!」

 

カトレアの指示を受け、配下の魔物たちが雫を攻撃目標に変更し襲い掛かる。

 

「雫…これは、身体が……!?」

 

雫の身を案じ助けに入ろうとする光輝だが、膝から力が抜け前のめりに倒れこむ。“覇潰”のタイムリミットがついに訪れてしまった。他の仲間たちも、とてもすぐに動ける状態ではない。

実質一人で魔物の群れを引き受けざるを得なくなった雫だが、その目に焦りの色はなかった。彼女は特に動じた様子もなく、真っ先に襲い掛かってきたキメラの爪を掻い潜って頭を鷲掴みにし、そのまま一息にねじ切ってしまう。

 

「なっ……」

 

続くのはブルタールと呼ばれる豚面の魔物に近い魔物。ただし、二メートル半ほどの身体は引き絞られスマートな体形をしている。雫は彼女の限界をはるかに超越した速さで間合いを詰めると、いつの間に手にしていた薙刀を一閃。さらにそれを横薙ぎに振るうと、彼女を中心に炎が燃え上がり近づく魔物を焼き尽くす。

 

それはカトレアの引き連れた魔物の力を考えれば、ありえないとしか言えないあまりにも一方的な蹂躙劇だった。

 

刀で、薙刀で、素手で、あるいは体から迸る炎で。近づく魔物を斬り、叩き潰し、焼き払う。一度は手も足も出なかった多足亀すらも、今の彼女には取るに足らない。溢れ出る炎を吸い込み切れずにいたところへ接近し、甲羅の上から拳を振り下ろす。ただそれだけで、黒刀を以てしても浅く傷つけるのが精々だった甲羅は容易く粉砕され、悲鳴を上げることすらできずに絶命してしまった。

 

炎の余波から運よく逃れた魔物たちは白鴉の固有魔法で火傷を癒そうとするが、その矢先に飛来した矢が白鴉すべてを一羽たりとも逃すことなく撃ち落とす。守りと癒し、双方の要がなす術もなく潰されていく様は、カトレアにとって悪夢に等しかったことだろう。

 

しかし、そんな快進撃は唐突に終わる。

何の前触れもなく雫の足が止まり、彼女は何かを抑えるように自分の身体を抱きしめる。

 

「鎮まれ……鎮まれ」

「……アハトド!!」

 

引き攣れた魔物の中でも特に強力な馬頭の魔物が足を止めた雫に襲い掛かる。

仲間たちが雫に危険を知らせようと声を上げようとしたその瞬間、雫の身体からそれまでとは比較にならない炎が噴出する。

 

「アァアッ!」

 

腕を焼かれながらも雫に向けて手を伸ばす馬頭の魔物。だが雫は自らも腕を伸ばし、それを真正面から受け止める。体格差を考えれば、雫に勝ち目はない。ましてや彼女のステータスは敏捷に長けている分、腕力などはそれほど高くない。この魔物と力比べなどしても勝ち目があるはずがない……本来なら。

しかし、馬頭の手を止めた雫は押し切られるどころか微動だにしない。それどころかその腕をねじり上げ、逆に魔物が悲鳴を上げる。

そこで、カトレアは雫のさらなる変化に気づいた。一度目の変化に比べたら微々たるもの。服装も姿形も大きく変化はしていない。だが、光輝たちと違い雫を正面から見ることのできる場所にいた彼女だけが気付いた。雫の額に出現した双角に。

 

「燃えろっ!」

 

それまでとは比較にならない熱量の炎が吹き上がり、周辺にいた魔物を一掃する。

辛うじてそれにも耐えた馬頭だが、いつの間にか無手になっていた雫は、空いた片手でその頭を掴むと勢いよく水平に投げ飛ばす。

 

聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)──私に、力を!」

 

馬頭の身体は為す術もなくカトレアに向かって飛んでくる。彼女は咄嗟に身をかわし、辛うじて衝突だけは回避する。だがその程度では、続く一撃から逃れるには到底足りない。

視線を上げれば、そこには見たこともないような剛弓に矢を番え、迸る炎の全てを鏃に収束させる雫の姿。そこから放たれる輝きは、太陽を彷彿とさせた。

 

「旭の輝きを! 『真言・聖観世音菩薩(オン・アロリキヤ・ソワカ)』!!」

 

灼熱の矢が放たれ、馬頭の身体を貫く。一切の抵抗なく矢は突き進み、迷宮の壁さえも粉砕して彼方へと飛んで行った。しかし、その余波は甚大だ。太陽に似せた魔力から放たれた炎と熱が射線上の存在全てを融解させている。最早、燃やすとか焼くといった現象とは別次元だ。

 

当然、その煽りを受けたカトレアもタダで済むわけがない。原形をとどめているだけでも運がいいというべきだろう。

薄暗い迷宮内では詳細はわからないが、倒れ伏したカトレアが動く気配はない。

 

それを確認したのと同時に、雫の転身が解け彼女本来の姿を取り戻す。

彼女はゆっくりと膝をつくと、深く息を吐きだした。と同時に、体が震えだす。

 

(私が、殺した……)

 

その事実を確認したわけではないが、余波とはいえあの一撃を受けて息があるとは思えない。

 

『巴御前』。それが、立香が雫に渡したカードに宿る英霊の真名。性別は同じ女性であり、容姿にも類似点が多い。また、数いる英霊の中でも特に精神性が近い人物の一人として、立香は雫に彼女のカードを与えた。愛情深く、方向性は違えど本当の自分を抑える傾向にある点などがそうだ。

実際、二人の相性はかなり良く、ステータスやスキルの再現だけでなく宝具すらも発動可能なほど。その分、鬼の血を御する必要が生じてしまったため若干の不安定さはあるが、それでもここまで英霊の力を引き出せる人物は稀有だろう。

 

だからこそ、この窮地を乗り切ることができた。

ただ、それを手放しに喜ぶことはできない。転身している間は巴御前の影響で躊躇や恐怖は薄らいでいたが、解けてしまえばその恩恵は受けられない。今雫は、どんな形であれ、相手が誰であるにせよ、自らの手で人を殺したという事実と向かい合わなければならなかった。

その重さ、恐ろしさが彼女の心と体を震わせる。

 

しかし、残念ながらまだ戦いは終わってはいない。大半の魔物は斃れているが、まだ少数とはいえ生き残りがいる。とはいえ、光輝は“覇潰”の影響で碌に身動きが取れず、雫も宝具を使用した反動で転身が解けてしまった。通常戦闘も、転身の影響で弱体化している今では本来の力からは程遠い。なにより、今の彼女の精神状態で戦えというのは酷な話だろう。

仲間たちにしても負傷者が大半を占め、中には敵の固有魔法の影響で石化している者までいる。このままではようやく生き延びたにもかかわらず、彼らの命は風前の灯火……かと思われた。

 

生き残った魔物たちが襲いかかろうとしたその瞬間、轟音と共に天井が崩落し同時に紅い雷を纏った巨大な漆黒の杭が凄絶な威力を以て飛び出した。

全長百二十センチのほとんどを地中に埋め紅いスパークを放っている巨杭を前に、雫や光輝を始めとした勇者一行はもちろん、生き残った魔物たちまでもが硬直する。

 

戦場には似つかわしくない静寂が辺りを支配し、誰もが訳も分からず呆然と立ち尽くしていると、崩落した天井から二つの人影が飛び降りてきた。片や漆黒の外套に純白の髪の青年。片や活動的な衣装に身を包んだ黒髪の少女。二人は、雫に背を向ける形で軽やか降り立つ。

 

「ぁ……」

 

少女の姿を目にとめた瞬間、雫は彼らが誰かを悟った。見慣れた長い黒髪ではなく、最後に見た白い法衣に似た服装でもないが、親友を見間違うはずがない。

我を取り戻した魔物たちは二人を新たな敵と見定めて襲い掛かるが、二人は動じることなく手にした銃を抜き放つ。迷宮内に響き渡る無数の轟音。十秒と経つことなく銃撃音は終わりをつげ、その頃には立っている魔物は一体も残されていなかった。

 

そうして、無粋な横槍を物理的に黙らせた人物の片割れ、黒髪の少女は雫の方へと振り返り花のような笑顔を浮かべる。

 

「ただいま、雫ちゃん」

「……おかえりなさい、香織」

 

数か月ぶりとなる、親友たちの再会だった。




とりあえず、第三章はあと二話にまとめる予定でいます。
次で大迷宮前半までを終わらせ、次の次でクリアでしょうか。今回は案内人がいるので、割とスムーズにいけるはず。


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025

遅ればせながら25話を投稿できました。
書きたいことはあるのに、中々筆が進まない今日この頃。遅々とした進みかもしれませんが、それでもおつきあいくだされば幸いです。


雫たちがカトレアと矛を交えていたその時、奇しくもハジメたち一行はホルアドを訪れていた。

本来なら素通りしてもよかったのだが、フューレンのギルド支部長から頼まれごとをしたというのが一つ。もう一つが、香織を雫に会わせてやろうと思ったからだ。

もともと【神山】へ行く途中で通ることになるので、大した手間ではない。

 

ハジメと香織は懐かしそうに目を細め、ハジメに肩車してもらっているミュウを始めとした他の面々は町の賑わいに目を輝かせる。一癖も二癖もあるとはいえ、美女・美少女・美幼女を引きつれた大変目立つ一団であることに変わりはない。集まる視線は相当なものだが、気にも留めずにメインストリートをギルド目指して歩く。

だがその時、香織が異変に気付く。懐にしまってあるクラスカードが何かに呼応していたのだ。

 

「ハジメ君!」

「…………ったく、しょーがねーか。誰かついてくるか?」

「……ん、いってらっしゃい」

「私たちは残ってミュウちゃんとティオさんの面倒を見てますね」

「ミュウもティオお姉ちゃんのことちゃんと見張っておくの!」

「ああ、それなら安心だ。頼んだぞ、ミュウ」

「頑張ってね、ミュウちゃん!」

「あれっ、これ妾の方が心配の種なカンジ?」

 

齢500を超えて年齢一桁の幼女と同列かそれ以下として扱われるティオ(駄竜)

普通なら心外だと怒るべきところだが……

 

「なんだ、何か不満でもあるのかドM」

「うむ、大いに不満じゃともご主人様よ!」

「ほぉ……その心は?」

「そのようなジャブでは到底足りぬ! もっと罵ってたもれ! さぁっ! さぁっ!!」

「……いくぞ、香織」

「うん、雫ちゃんが心配だもんね」

 

勝手に盛り上がっている変態を務めて視界から外し、オルクス大迷宮へ向けて走り出す二人。

クラスカード同士が共鳴し合うという話は聞いたことがないが、あれだけ特殊な仕様のアーティファクトだ。発動時に近くにいれば、それくらいのことが起こっても不思議ではない。そして、あの思慮深い雫が後々面倒ごとになること請け合いの“クラスカード(厄ネタ)”を使ったのだとすれば、それは相当な窮地に立たされていることを意味している。悠長に変態の相手をしている場合ではない。

で、置き去りにされたティオは、身悶えしながら恍惚とした表情を浮かべていた。

 

「放置プレイとは……何と弁えたご主人様じゃ、ハァハァ」

「ユエお姉ちゃん。ティオお姉ちゃんがハァハァしてるの」

「……不治の病だから気にしちゃダメ」

「はいは~い、ティオさん。とりあえずこっちに来ましょうね~。ソレ、公衆の面前で晒していい顔じゃないですぅ」

 

実際、道行く人々はティオを視界に収めた瞬間ドン引きし、大急ぎで方向転換している。おかげで、メインストリートでありながら交通規制でもしたかのようにぽっかりと空白地帯が出来上がってしまっていた。これは流石に迷惑にもほどがある。如何にユエたちといえども、路地裏に退避せざるを得ないくらいには。

 

 

 

このような経緯もあって、ハジメと香織は雫の窮地に駆けつけることができた次第である。

とはいえ、二人が到着した時にはすでに大勢は決していた。ハジメたちがしたことといえば、統率者を失った烏合の衆の掃討くらいなもの。それも、二つの大迷宮を攻略した二人にとってはさしたる障害にもなりはしない。瞬く間のうちに魔物たちを塵殺し、雫との再会を喜ぶ香織を横目にハジメは黒焦げとなったかつては人だったものへと足を向ける。

 

「香織、そっちは任せる」

「うん。はーい、みんな! 動ける人は集まって、纏めていくよ“聖典”」

 

無詠唱かつ複数同時に発動する光属性最上級回復魔法“聖典”。神々しい輝きがノロノロと集まってくる勇者一行に降り注ぎ、彼らの傷と疲労を癒していく。続いて、石化した仲間たちも次々に元の状態に戻っていく。チートぞろいの勇者たちも、香織の“極み”を通り越し“突き抜けた”回復魔法には驚きを隠せない。

自然、皆の意識と視線は香織に集中するわけだが、それはハジメにとっても好都合だった。万が一の時に余計な横槍を淹れられるのは大変面倒くさい。香織もそんなハジメの心中を察しているからこそ、敢えて派手に魔法を使用しているのだろう。

 

雫が宝具を使ったことは直前の魔力の高まりから察知している。対人宝具とはいえ、巴御前の宝具は太陽に似せた魔力を伴う灼熱の矢を放つ非常に強力なものだ。その性質上、直撃すれば即死、余波であってもただでは済まない。曲がりなりにも原形をとどめていることからして、直撃は受けていないのだろう。

 

(なら、確かめねぇとな)

 

十中八九命はない、辛うじて一命を取り留めていたとしても風前の灯火だろう。

 

だが――――――“だからどうした”

 

死んでいないのなら、微かでも命をつないでいるのなら、一秒あれば隙をついて一人くらいは道連れにできる。その一人に香織がならないとどうして言い切れるだろう。故に、ハジメは周囲の動向に細心の注意を払いながら、慎重に歩を進める。まだ隠れている魔物や生き残りの有無を確かめつつ、僅かな違和感も見逃さないように。

幸いにして、取りこぼしの魔物や伏兵は存在しなかったらしい。気配感知や魔力感知の技能があるとはいえ、それらとて絶対とは思っていない。中には、ハジメの警戒網を潜り抜ける固有魔法なり技能なりを持った者もいるかもしれない。己の能力から逃れられる者などいないと慢心できるほど、ハジメに余裕はないのだ。

 

(とはいえ、取り越し苦労だったか)

 

かつて人だったものの前で足を止め、つぶさに観察した結果がそれだった。万が一の可能性は、所詮は万が一に過ぎなかった。

足元に転がるソレが動き出すことは二度とない。しかしそうとわかっていながら、ハジメは敢えて手にしたドンナーの銃口を向ける。すでに息絶えたソレに何をしたところで意味はない。敵には一切の容赦をしないハジメだが、だからと言って意味もなく死人に鞭打つような趣味もない。

 

彼が敵に容赦しないのはそれが必要だからだ。逆に言えば、こうする必要があるとハジメは判断したのである。

引き金にかけた指に力を籠める寸前、ハジメは香織に支えられている雫に一瞬意識を向ける。

香織の回復魔法のおかげで大半の傷と疲労は癒えたはずだが、クラスカードの反動による弱体化は極めて特殊な状態異常に分類される。疲労や負傷に対する回復魔法では治せないし、状態異常を回復する魔法でも効果は微々たるもの。雫が本調子を取り戻すには数日を要するだろう。

 

しかし、ハジメが雫に意識を向けたのはそれが理由ではない。その真意は、肉体的なものではなく精神的なもの。

今の雫は、さほど心の機微に敏いわけではないハジメから見ても、明らかに不安定になっていた。同時に、その理由も凡そ察しが付く。

 

(俺はそうでもなかったが、普通はそうなるよな)

 

奈落の底で劇的な変心を遂げたハジメならともかく、まっとうな精神構造をしていれば当然の結果だろう。いつかその時が来ると予想し、覚悟していたつもりでも、いざその時に受ける衝撃は想像を遥かに上回る。

事実、雫は自らが選択し、実行した決断に伴う結果を受け止めきれずにいた。如何にステータスが弱体化しているとはいえ、あの凛とした少女がこうも弱々しい姿を晒すとなると、それしか考えられない。

とはいえ、雫であれば遠からずそれすら飲み干すことができるだろう。それを思えば、これからやろうとしていることはおせっかいや余計なお世話に分類されることだ。だが、それを承知の上でハジメはあえてそれをする。

 

(せっかくの再会だってのにしょぼくれてんじゃねぇっての。あんま香織に心配かけさせるなよな)

 

それはひとえに香織のため。ホルアドの町にとどまっていられる期間もそう長くはない以上、雫にいつまでも沈んでいられては困るのだ。さっさと立ち直って、香織を安心させてもらわなければ。

故にハジメはドンナーの引き金にかけた指に力を籠め、する必要のない“トドメ”を刺す。

 

再度迷宮内に轟く一発の銃声。

香織の下に集まっていた面々の視線が自然とハジメへと向き、迷宮の壁に反響していた銃声が収まるのと前後してハジメも向き直る。そして、慣れない演技をしながら深々と嘆息する。

 

「おい、八重樫。やるならしっかりトドメくらい刺せ」

「ぇ…トドメ?」

「おぅ。尻拭いはしてやったから、精々感謝しろよ」

 

呆けた様子の雫に、恩着せがましく告げる。クラスメイト達から向けられる視線に好意的な成分はなく、ある者は後ろめたそうに、またある者は否定的な視線を向けている。だが、ハジメはそれら一切を斬って捨てる。

反応する価値はないし、相手をするつもりもない。ハジメは彼らに対し等しく関心がない。雫に対する余計な気配りにしたところで、根底にあるのは香織の存在だ。召喚以前からいろいろと骨を折ってくれた相手ではあるが、彼女が香織の親友でなければこんなことはしなかっただろう。

 

そして、そんなハジメの本心を見透かしたように、優しい微笑みを浮かべる香織。それがなんだか無性に気恥ずかしく、ハジメは口をへの字に曲げて視線を逸らす。他のクラスメイト達には無抵抗な相手を殺したことへの罪悪感の表れと映ったかもしれないが、知ったことではない。

敏い雫だけは、呆れの混じったような視線を向けているが……案外余裕そうで何よりだ。

 

その後、絶望的な状況から生き延びたことやなぜか香織が一緒に行動していることに対する追求、ついでに持ち前の正義感を発揮して食って掛かる勇者などを適当にあしらい、用は済んだとばかりに地上へと戻ろうとするハジメたち。

勇者一行もこれ以上迷宮に潜る気にはなれず、そもそも香織の回復魔法を受けたとはいえ、満身創痍の状態に変わりはない。言葉にはせずとも、今はハジメたちについて迷宮の外に出るのが最善であることがわかっていた。

その間、ハジメへの後ろめたさや畏れもあって彼に声をかけられる者はおらず、代わりに香織が質問攻めにあうことに。香織も答えられる範囲では答えようとするが、元々嘘や誤魔化しが上手い性分ではない。すぐに言葉に詰まってしまったが、ハジメの「黙って歩け」オーラ(無言の威圧)が強制的に周囲を黙らせたおかげで事なきを得る。

 

まぁ、無事に迷宮の外に出た後には、それはそれで一悶着あったのだが。

例えば、合流してきたユエたちのことを見て義憤に駆られた勇者が……

 

「南雲、どういうつもりだ!」

「あん?」

「香織がお前についていくというのは……百歩譲って認めるとする」

(立香のことは覚えてないはずだが、無意識下でもアイツの説得が影響してるのか? そうでもないと、“あの”天之河がこんなに物分かりが良いはずがねぇし、アイツどんな説得したんだよ)

「別に光輝君に認めてもらう必要はないよね?」

「香織……いやまぁ、その通りではあるんだけど」

「……香織、せっかく昔の男がよりを戻そうとしてる」

「誤解を招くような言い方やめてよ、ユエ!」

「……いいから、話しぐらいは聞くべき。私たちはその間に先に行ってるから、どうぞごゆっくり。なんなら、そのまま復帰してもいい。むしろ是非そうすべき」

「ユエの意地悪! ハジメ君を独り占めにしようとしても、そうはいかないんだから!!」

 

勝手に話の方向を捻じ曲げるユエに香織がとびかかり、手四つで取っ組み合いを始める二人。

 

「えっと……香織?」

「あ、気にしなくていいですよ。あの二人、いつもあんな感じなので」

「うむ、あれが二人なりのコミュニケーションというやつじゃからな」

「そ、そう。服装と言い、随分活動的になって……」

「シアお姉ちゃん。このお姉ちゃん、なんだかママみたいなの」

「素直さって、時に残酷ですぅ」

 

でも、ホロリと娘の成長に涙するような表情を浮かべている時点で、フォローのしようがない。

だが、光輝の話の本題はそこではなかった。

 

「見たところ中学生…いや、小学生くらいか? こんな小さな子に抱き着かれて鼻の下を伸ばすなんて、見損なったぞ南雲ハジメ! お前がそんなロリコンだとは思わなった!」

「……ほぉ」

「……なるほど、さすがだな勇者。思わず痺れたり憧れたりしちまいそうだ」

「お、恐れを知らねぇですぅ」

「あわわわわ……ど、どうしようティオ!」

「う~む、何という冷たい視線。アレを向けられたらと思うと……ん、んんっ!! た、たまらん!」

 

なんて盛大に墓穴を掘ったり

 

「わ、わかった。君は小さくない、立派な大人の女性だ」

「……ん、わかればいい」

(物陰に引きずり込んで何やったんだ、ユエ?)

「そ、それはともかく……人を奴隷にするなんて何を考えているんだ! 首輪をつけて連れまわすだなんて……」

「あの~、これ外そうと思えば外せますけど、ほら」

「え?」

「兎人族は奴隷として人気じゃからのう。便宜上でも首輪の一つくらいつけておらんと、おちおち街も歩けんのじゃよ」

 

平然と首輪を外して見せられ何とも微妙な空気になったり

 

「ご主人様なんて呼ばせて……人をコレクションか何かだと思っているのか! そんなこと、許されるはずがないだろう!」

「そうかそうか。つまり、お前がこいつを俺の魔の手から救ってくれると、そういうわけだな!」

「そ、そうだ!」

「良かったなティオ。新しい飼い主が見つかったぞ、お前のことは決して忘れない、元気でな」

「いやじゃいやじゃ、いやなのじゃ――――――――っ! 妾はご主人様が良いのじゃ―――――――っ!!」

「ちっ! 離せこの変態! いいからさっさと行ってこい!!」

「い―――――や―――――――――――じゃ――――――――――――――っ!」

「…………………………あれ?」

 

予想と反対の反応に困惑したり。

 

光輝としてはハジメの過ちを糾弾して、その上で香織の目を覚まさせ、同時にユエたちを解放させようと思っていたのだが……さすがに空気の読めない彼にもわかった、どうにもそういう雰囲気ではないことが。

奴隷だと思っていたシアは別に奴隷ではなく、ティオはむしろ邪険にされているのに自分からすり寄っていき、香織とユエは度々ケンカしているがどうにも険悪な様子ではない、むしろ楽しそうにしている。

それは光輝の世界にはない、光輝の知らない何かだった。知らないものを受け入れられるほどの度量は今の光輝にはないが、かといって楽しそうにしている彼女たちを否定する言葉もまた光輝は持ち合わせていない。結果的に苦し紛れに決闘を挑みはしたものの……こちらもいいようにあしらわれて半日意識を失うことに。

 

目を覚ました時にはすでにホルアドの町にハジメたちの姿はなく、しばらく療養が必要な雫の下にミュウが預けられているだけだった。

 

 

 

  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 

 

 

軍務についていたフェリシア・グレイロードの朝は早い。

日の出とともに目を覚まし、まずは顔を洗って眠気の残滓を洗い流す。鏡は極力見ない。妥協に妥協を強いられる理想への道、彼女の想いに反して突き進む時代、当然夢見も悪く、ままならない現実からもたらされる多大なストレスは額に深いシワを、目元には濃いクマを刻んでいた。もともと怜悧な美貌の持ち主だけに、シワとクマのコンボがもたらすインパクトは並ではない。加えて寝起きでボサボサに乱れた髪、鋭いながらも焦点の定まらない不機嫌そうな眼差し、顔色も悪くさながら幽鬼のようなその姿はぶっちゃけ怖い。フェリシアをして、わかっていても目を背けたくなるくらいには。

実際、起き抜けの彼女の顔を見た傍付きの女性兵の中には悲鳴を上げる者もいたのだ。これで自分の容姿に自信が持てる者がいたとしたら、よほどの自分大好き人間だろう。無論、フェリシアはそんなナルシストではない。

 

だから、フェリシアは鏡を見るのが嫌いだった。鏡を見てもいい事なんて何もない。ただ、現実を前に追い詰められていく自分を再確認するだけだから。それでも嫌々ながら鏡に視線を向けるのは、しっかりと身嗜みを整えてせめて周りを怖がらせたくはなかったから。

乱れた髪を整え、不機嫌な形で凝り固まった表情筋を解し、カトレアに習ったメイクで少しでも目元のクマを隠し、顔色をよく見せる。彼女にとって朝の身支度とは、己を美しく見せるためのものではなく、周囲に本当の己を悟らせないための作業だった。

 

だがその日、フェリシアはらしくないミスを犯す。ここ数日の怒涛かつ波乱の出来事を乗り越えて気が緩んだのだろうか。あるいは、珍しく嫌な夢を見ることなく熟睡できたからか。

ハインケルの一角に備え付けられた洗面台へおぼつかない足取りで向かう途中、ばったりマシュと出くわしてしまったのだ。その瞬間、燻っていた眠気はいずこかへと吹き飛び、彼女の頭の中は混迷を極めていた。

 

(どうしよう、どうする、どうすればいい!? 朝の私など見せてしまっては、キリエライト殿もさぞ恐ろしいでしょう。謝る? いや、謝るしかありませんが、ではなんと? こんな有様で謝っても、むしろ気分を悪くされるのでは? 一度出直し、しっかり身支度を整えてから謝るべきでは? ですが、その場で謝罪しないというのも無礼なわけで……)

 

なるほど、確かに今の彼女は生来の美貌を台無しにしてしまう程の有様なのだろう。まぁ、それにしたって自己評価が低すぎるが。

だが侮るなかれ、その程度で恐れ慄いていてはカルデアではやっていけない。そも、顔のインパクトというのであればキャスター「ジル・ド・レェ」やライダー「イヴァン雷帝」など、フェリシアですら及ばない相手がいくらでもいるのだ。

いまさらフェリシアの百年の恋も冷めるような幽鬼の如き有様を見たところで、動じるマシュではない。当然、彼女の肩に乗るフォウも全く動じない。

 

「あ、おはようございます、フェリシアさん。昨夜はよく眠れましたか?」

「フォウフォウ」

「え? あ、は、はい」

「そうですか、それはよかったです。心なしか昨日よりも顔色も良いようですし、一安心ですね」

「お気遣い、ありがとうございます」

 

やや困惑しながらも、丁寧に頭を下げるフェリシア。驚かれたり怖がられたりしないことに内心首を捻りつつ、別にそういう反応が欲しいわけではないことを思い出し、とりあえず「ホッ」と息をつく。

それから僅かに遅れてマシュのコメントを思い出し、自分の頬に手を触れる。

 

(顔色が良い? 私が?)

「あの、どうかなさいましたか?」

「あ、いえ、なんでも……」

「そうですか? それならいいのですが……あ、フェリシアさんはコーヒーと紅茶、どちらになさいますか? 朝食までまだ時間がありますし」

「でしたらコーヒーを…ではなく! そのような雑事は私が致しますので、どうかお気になさらないでください! 朝食の支度も、私が……」

 

敢えてこの一行の中で序列をつけるのなら、フェリシアは確かに最下位と言っていいだろう。つい先日までは敵同士で、立香の厚意でこの一行に同道させてもらえることになっただけの部外者だ。

フェリシアとしては、そんな己の立場を弁えての発言だったのだが、マシュはそれを真っ向から切って捨てる。

 

「いいえ、それはダメです」

「だめ、でしょうか?」

「はい、ダメです。不許可です。NGです」

「そう、ですね。本来そう言った雑事は新参者の役目ですが、私などでは……」

「フェリシアさんは昨日色々あったばかりですから、無理をしないでください。今はまず、心と体をゆっくり休めて英気を養うのがお仕事です」

「え……」

「フェリシアさん、あまり無理をしないでください。あなたはこんなところで倒れてはいけない人です、だからこそあの人は命を捨てたのではありませんか」

「それは……」

「まだ会ったばかりの私たちを頼るのは難しいかもしれません。ですが、まずはゆっくり休んでください。先輩も、あなたはすごく無理をしていそうだと心配していましたから」

「リツカ殿が……」

「先輩はそういった機微には敏い人です。あなたにその自覚がなくても、先輩がそういうのならそれは確かでしょう」

 

マシュの目にはゆるぎない信頼と確信が宿っている。立香がそう言った以上、今のフェリシアに最も必要なのは休息なのだと。

 

「ですから、まずは休んでください。話はそれからです」

「フォウ!」

「…………」

 

フェリシアとしても言いたいことは色々とある。彼女が立香たちに同道しているのは、暢気に休むためではない。

とはいえ、数々の恩を受けた相手からの言葉を無碍にもできない。むしろ、彼らの配慮を無視して心配をかける方が不義理なのかもしれない。

様々な思いが錯綜する中、決め手となったのは先日の誓いだった。一時的ではあれ、フェリシアは藤丸立香を主とし、誠心誠意使えると口にした。ならば、その主の言葉と配慮には従うべきだ。

 

「……承知しました。当面の間は、案内役に徹すると致しましょう」

「はい。あ、そういえば朝食の希望はありますか? 今は食材の在庫が心もとないので、応えられるかはわかりませんが」

「いえ、食べられないものはないので、お任せします」

(それが一番困るのですが、とりあえずは在庫と相談して決めるとしましょう)

 

しかし、この時マシュはまだ気づいていなかった。

先日の災害救助の折に物資の大量放出をした結果、今の彼らのおかれている状況が想像以上に危機的なものであったことを。

 

 

 

「緊急事態です」

「フォ?」

 

朝食を済ませ、フェリシア誘導の下シュネー雪原を目指すカルデア一行。

そんな中、運転担当のブーディカを除いた面々を集めたマシュは開口一番そう告げた。

 

「緊急事態って、どうしたのマシュ?」

「シャドウボーダーに乗り込んで以来の危機に私たちが直面していることに、遅ればせながら気づいたんです、先輩」

「シャドウボーダーってことは……まさか、食料関係?」

「はい。現在、宝物庫やハインケルの荷台にはほとんど食料が残っていません。原因は、その……」

「ふぅむ、先日の被災地支援の際に景気よく放出しましたからなぁ。あれだけ出せばそれは底をついても仕方がないでしょう」

「あ~、なるほど……」

 

何しろ、当面の間は碌に食糧の確保すらままならないであろうことは一目瞭然だった。そのため、有らん限りの物資を放出したのだ。そのおかげで、彼らが飢えることは当分ないだろう。その決断自体に後悔はないし、いまさら「あーすればよかった」という気もない。

とはいえ、シェイクスピアたちはともかく立香とマシュ、そしてフェリシアは食べなければ死んでしまう生きた人間なのだ。物資の補給は急務といえる……通常なら。

 

「ですが、マシュ殿。それでしたら藤太殿がおります。藤太殿の無尽俵があれば、食の問題は解決なのでは?」

「確かにそうです。ですが、藤太さん……現状どの程度回復していますか?」

「そうさなぁ……何しろ日が浅い。件の集落でほぼ使い切っておるから、こちらも少々心もとないと言わざるを得まい」

 

藤太の無尽俵は美味しいお米がどんどん出てくる半永久的食糧自給能力を有する特殊な宝具だ。とはいえ、一度に出せる量には限界があり、限界まで出し切ると回復にある程度の時間を要する。一応、完全に回復していなくても出すことはできるが、小出しにしていてはいつまでたっても回復しきらない。

 

「これから先、また不測の事態が起きないとは限りません。特に、シュネー雪原に入れば食料の確保は事実上不可能と考えるべきでしょう」

「むぅ……そのあたりどうなの、フェリシア?」

「そうですね、シュネー雪原に生息しているのはほぼ魔物ばかりと言われています。そのため、通常の獣はほぼ生息していません。当然、草木が生育できる環境でもないので……」

 

やはり、食料を得ることはできないと考えるべきだろう。もしもどこかでまた食糧を必要としている人たちと出くわしたとしても、その時には見捨てるしかない。立香は確かにお人好しではあるが、彼のスタンスはあくまでも「助けられるなら助ける」だ。自分たちの食糧の全てを分け与えられるほどではない。

見捨てることを覚悟した上で進むか、それを未然に防ぐためにどこかで食料を得るか。これはそういう話だ。

 

「香織さんがいてくだされば、まだ無理も利いたのですが……」

「ああ、そういえばそんな話してたっけ」

「カオリ殿、ですか? たしか、別行動をしている治癒師でしたね」

「うん。で、回復魔法の中に魔力を融通するのがあるでしょ」

「はい」

「それを使って魔物の肉から魔力を除去すれば、食べても大丈夫になるんだって」

「なんと!? それは本当ですか!!」

 

魔物の肉が人体に対して有害なのは、その肉に残った魔力が人体を破壊するからだ。逆に言えば、残留した魔力を除去することができれば、無害化できるということでもある。

ハジメのために魔物を調理する術を身に着けた香織だが、味見ができないのでは繊細な調理は不可能。せっかく思い人に振舞うのなら、最高の一皿をと思うのは自然な流れだ。そこで彼女は試行錯誤の末、光系上級回復魔法“廻聖”を応用し、魔物の体内に残留した魔力を除去する方法を編み出した。その結果、ハジメでなくても魔物の肉を食せる調理法を確立。残念ながら、魔力を除去した肉ではステータスの向上や固有魔法の習得はできないが、それはハジメが食べる分だけ残しておけばいいだけの話だ。魔力の有無で味に変化がない事も、ハジメに味見をしてもらって確認済み。結果、味見が可能になった香織の魔物料理の質は大幅に向上した。

こうして、香織はトータス名物「魔物料理」の祖となったわけである。

 

「興味深いですね。それなら、魔物しか生息できない過酷な土地でもある程度の食糧の確保が可能になります。魔人・人間・亜人を問わず、人の生存圏を大幅に広げることができるでしょう」

(考えることのスケールが大きいなぁ……)

「ちなみに、フェリシアさんは回復魔法は?」

「一応全属性に適性があるので、使えないことはないのですが……」

「ユエと似たタイプ、ってことかな?」

「そのようですね。現状、魔力の除去は香織さんでないとできない非常に繊細な作業のようですから」

 

つまり、この案の実効性は低いということか。

 

「………………では、いよいよこれの出番でしょうか」

「うぐっ……それは」

 

満を持して段蔵が懐から出したのは、笹の葉(っぽいもの)に包まれた饅頭(っぽい代物)。

大抵のことには動じなくなった立香ですら顔を青くし、サーヴァント一同全力で目を逸らしている。

だが、何も知らないフェリシアだけは興味深そうに見入っている。

 

「段蔵殿、これは?」

「我ら風魔一族が総力を挙げて開発した逸品めいた何か…もとい栄養補助食品。その名も“銘菓風魔まんじゅう・改”にございます」

「改? ということは、通常の“ふうままんじゅう”もあるのですか?」

「無論。通常の風魔まんじゅうはそれ一つで一日に必要な栄養を全て摂ることができ、如何なる過酷な任務も耐え切れること請け合いの品。まさに、一つ食べれば百人力。当世風に言うのなら、高タンパクにしてビタミン豊富、そして高カロリー。この饅頭さえ食せば、飢えることはまずなく、全身に活力がみなぎりましょう。

 これは、それに段蔵が更なる工夫を凝らした改良品にございます。蓄積した疲労を拭い去り、一時的な魔力の増加さえ成すという。新時代のビジネスマンに加えて魔術師たちもが垂涎する、驚異の忍具にございます」

「す、素晴らしい!! まさか、そのようなものがあるとは!!」

 

目から鱗とばかりに感動を露わにするフェリシア。だが彼女は知らない。確かに効果は大変素晴らしいのだが、この饅頭には一つ致命的な欠点があることを。

 

「…………お一ついただいてもよろしいでしょうか?」

『え゛っ!?』

「無論です」

『ちょっ!?』

「では」

『やめっ……』

「フォー――――――――――――ッ!!」

 

止める間もなく“ヒョイッ”と口の中に銘菓風 魔まんじゅうを放り込むフェリシア。確かにこの品の効能は素晴らしい。だが、それをすべてひっくり返すほど……不味いのだ。たわしを食っているような食感、生魚を混ぜたことによる生臭さ、加えてなにやら形容しがたい後味。こんなものを食して無事でいられるはずがない。そうそのはずなのだ。

にもかかわらず、フェリシアはそれを“モッキュモッキュ”と租借し、“ゴクンッ”と嚥下する。その間、彼女の顔色が変わることは一切なく、怜悧な美貌に陰りは見られない。

誰もが信じられないものを見る目を向ける中、静かに黙考し……やがて口を開いた。

 

「少々癖は強いですが、効能を考えれば陣中食としては破格です。よろしければレシピを教えていただけますか?」

『え~……』

「フォ~……ラ~?」

「本来は門外不出の品ですが……」

 

ドン引きする一同を他所に、レシピの公開へ向けて交渉に入る二人。

都合一時間に及ぶ交渉の末、“改”ではなくただの“風魔まんじゅう”のレシピを提供することに。今後、フェリシアの部下になる誰かに対し、深く深く哀悼の意を捧げるカルデア一行であった。

同時に……

 

(フェリシアってもしかして味覚がない?)

(さすがにそれはないと思うのですが……)

(でも、アレを食べて平然としてるんだよ? そんな人に食事とか任せられる?)

(…………ごめんなさい、先輩。私が間違っていました)

 

こうして、フェリシアの台所出禁令が秘かに採択された。

本人の名誉のために言っておくが、フェリシアは単に食における下限が途方もなく低いだけで、段蔵のように味覚がないわけでもエリザベートのようにメシマズなわけでもない。長く軍務についていたせいか、あるいは本人の生まれ持った性質か、食べられるのならどんなに不味くても食べられるだけなのだ。

まぁ、だからと言って他の誰かも彼女と同じように食べられるとは思わないでほしいのだが。

 

とはいえ、フェリシアとてこんな代物を常食しろとは言わない。

そうなると、やはりどこかで食料の補給をしなければならない。人間族である立香やマシュは魔人族の町や集落には入れないし、フェリシアも今やお尋ね者。どこまで手配が回っているかはわからないが、彼女も基本的に街には入れないと思うべきだ。当然、サーヴァントなど論外。

では、どうやって食料を確保するかというと……

 

「……ふぅ、上手く怪しまれずに入れたみたいだね」

「フォウ!」

 

とある魔人族の町。その中を褐色の肌に尖った耳という魔人族の特徴を備えた、あまり見ない顔立ちの青年が肩に謎の小動物を乗せたまま深々と息をつきながら歩いている。青年の背には大きなバックパックが背負われ、右手からはリードが伸び、その先には体高一メートルほどの純白の犬のような生き物。

青年は犬に導かれるように路地裏へと足を向けると、バックパックから布の塊を出して大慌てで犬に背を向ける。

するとどうしたことか、犬の身体から見る見るうちに体毛が失われ、骨格が変化し、人の形へと変化していく。俊敏な肉食獣を思わせる細く引き締まった肢体でありながらも、胸は僅かに膨らみ女性らしさを主張している。

犬から女性へと変身したその人物は布の塊をほどき、手早く着替えを済ませると、背を向けた青年にどこか気恥ずかしそうに声をかける。

 

「あの、お手数おかけしました。もう大丈夫ですので」

「そ、そう?」

 

振り返れば、そこにはようやく見慣れ始めてきたばかりの怜悧な美貌を僅かに紅潮させ、涙目になって羞恥に震えるフェリシアの姿。

男性が大半を占める軍に属していたこともあり多少のことには耐性ができている彼女だが、姿を犬に変成させていたとはいえ、あのような露出プレイまがいのことには流石に羞恥心が煽られたのだろう。青年から微妙に視線を外し、身体を抱きしめるように手を回して内股気味にモジモジしている姿は逆に扇情的ですらあった。

とはいえ、彼女が羞恥に震えるのも無理はない。変成魔法で無理をして犬に成りすましていた以上、当然衣服はもちろん下着もつけるわけにはいかない。つまり、衆人環視の中を全裸で四つん這い、かつ首輪をつけてリードで異性に繋がれるという、正真正銘の変態(露出調教)プレイをしていたのだから。まっとうな神経をしていれば、恥ずかしさで悶死していても不思議ではない。無論、彼女にはそんなことをして喜ぶ趣味はない。どこぞの変態駄竜なら話は別かもしれないが……系統が違うから流石にアウトだろうか?

 

「ええっと、その……」

「あの…あまり、見ないでください」

「ご、ごめん。その、大丈夫?」

「できれば、その話はもう……」

「そうだね、うん」

 

青年としても、この話を蒸し返すのは本意ではない。フェリシアが望まぬ変態プレイに人生最大の羞恥を感じていたように、青年もまた一連の出来事をなかったことにしたいと思っている。

年上の、それも目の肥えた彼から見ても「美しい」と断言できる美貌の女性を全裸かつ(以下同文)で連れ歩いていたのだ。恥ずかしいのは彼とて同じだし、已む無くこの案を実行に移す際の後輩と狂戦士の光のない目を思い出すと生きた心地がしない。

 

(おのれ、シェイクスピア……後で絶対しばく)

 

発案者のことを思い出し決意を固めるが、心配には及ばない。すでに、留守番をしている女性陣によって袋叩きにされているからだ。

 

「ところで、リツカ殿」

「え!? な、なに!」

「その、違和感はございませんか?」

「えっと……うん、大丈夫そう。すごいね、こんな使い方もできるんだ」

「ですが、違和感があれば言ってください。私のそれと違い、精々表面的なところを操作しただけとはいえ、まだわからないことの多い魔法でもありますから」

「な、なるほど……」

 

フェリシアの発言に先ほどまでのことを思い出しそうになり、必死に頭の中から追い出そうとする立香。

そう、これがシェイクスピアの出した案だ。町や集落へ入る際にはステータスプレートの提示が必須だが、ステータスや技能を隠してしまえば名前や年齢、レベルや天職くらいしか表示されない。つまり、種族はわからないのだ。それを利用すれば、あとはフェリシアの変成魔法で外見だけ魔人族に似せるだけで町への侵入は可能なはず。とはいえ立香一人では不安が残る、かといってサーヴァントたちには強力な魔法ならいざ知らず、如何に神代魔法といえども外見を弄る程度の魔法は弾かれてしまう。そこでフェリシア自身が人間以外の生物に変身して同行、町に入ってしまえばあとは本来の姿に戻って護衛するというわけだ。

フェリシアの名前は広まっていても、彼女の素顔を知る者は多くないし、メイク次第でもある程度誤魔化しが効く。そんなわけで、この二人で食料の補給に来たわけである。

 

「まぁ、今のところ違和感もないし、早速買い出しをしようか」

「はい、お供します」

(もうちょっと気楽にしてくれていいんだけどなぁ……)

 

ようやく調子を取り戻したようで、生真面目に答えるフェリシアに苦笑を漏らす立香。まぁ、追々慣れていってもらえばいいと思うことにする。

そうして、町へと繰り出す二人。フェリシアとしてはあくまでも立香を主として立てる方針でいたのだが、凛とした佇まいのフェリシアと見慣れない顔立ちながらどこかパッとしない立香では釣り合いが取れないのは当然。

いつの間にかフェリシア=それなりの身分のある人物、立香=従者と見做されるようになっていたのはご愛敬だろう。フェリシアがしきりに恐縮していたが、立香からすれば当然の帰結だ。

 

ただ、そんな誤解を招いたこともあってかいつの間にか買い物の際のやり取りは主に立香が担当することになる。

そうなれば、当然……

 

「おばちゃん、この干し肉10キロ買うから、そっちの燻製肉ちょっとおまけして」

「う~ん、燻製肉も10キロ買ってくれるんなら、サービスするよ」

「よし、乗った!」

 

とか

 

「ほらここ! ここんとこに傷がある! こっちのは形が悪いし、ちょっとまけてよ」

「ばーろー! 傷だの形だのでいちいち値引きしてたらこちとら商売あがったりだろうが!!」

「そう? じゃ、やっぱりあっちの店にするかな」

「あん? やめとけやめとけ。あのごーつくばりのところで買ったりしたらぼったくられるだけだぞ、坊主」

「向こうのおじさんも同じこと言ってたけど?」

「なにぃ……!」

「おじさんの男気、見たいなぁ」

「…………おぅよ! あんな器のちいせい野郎とは違うってところ見せてやらぁ!!」

「ヒュー! ヒュー!」

 

とか

 

「フェリシア、両手を組んで上目遣いに」

「あのリツカ殿、私には似合わないと思うのですが……」

「そんなことないない……そうそう。その調子でお願いして」

「お、おねがいします、おじさま」

「しゃ、しゃーねーな……少しだけだぞ」

「何やってんだいあんた! 若い娘に鼻の下伸ばして……」

「げぇっ、母ちゃん!?」

「あ、ヤバッ……逃げるよ、フェリシア」

「え! で、ですが……」

「あ、待てお前ら! せめて少しくらいフォローしてけぇ!!」

「も、申し訳ありませ―――ん!」

「あはははは! 失敗失敗」

「はははは、しくじったな坊主!」

「よう嬢ちゃん、ちょっと覗いていきなよ。いい品入ってるぜ」

 

という具合に、すっかり街に溶け込んで値切り交渉やらなんやらを大いに満喫していた。

そして、それを間近で見ていたフェリシアは改めて思う。

 

(ああ、凄いなぁ……)

 

当たり前のように街の喧騒の中に身を置き、言葉だけではなく心を交わす。言葉を交わす中で表情を曇らす人はいない。誰もが楽しそうに、あるいは面白そうに笑顔を浮かべ、彼の背中には冷やかしとも称賛ともつかない声が絶えることなく浴びせられている。

それは、彼らが立香を自分たちと同じ魔人族と思っているからこそではあるだろう。しかし、決して大きくはないこういった町は本来大なり小なり閉鎖的だ。外部の者、見慣れない者には自然と壁が作られ、必要最小限のやり取りしかしないもの。幼い頃は流浪の民として各地を回っていたフェリシアには、いくらでも覚えのあることだった。

なのに、立香の前ではそんな常識はまるで意味をなさない。さも古くからこの町で暮らしていたかのように、彼は街の空気に溶け込んでいる。特別なことをしていたようには見えないのに……いや、実際に特別なことはしていないのだろう。当たり前のことを当たり前のままに駆使して……だからこそ、藤丸立香は特別なのだ。

 

(この方から学ぶことは多い。リツカ殿の様にはなれなくても、少しでも近づくことはできる。それはきっと、いつかの時代で大きな財産となるに違いない)

 

藤丸立香という存在を刻み、それを後世に残さなければならない。種の確執が忘れ去られるほどの遠い未来、今度こそ絆を結ぶためには、彼のような人がきっと必要になるはずだから。

そんな思いを新たにしていたフェリシアだが、ふと彼女の視線がとある商店の軒先に吸い寄せられる。

彼女は少なくない力を振り絞って無理矢理視線を引きはがすが、立香の目は誤魔化せなかった。

 

「…………………本」

(ビクッ)

「好きなの?」

「あの、それは……」

「そういえば、さっきも服屋の方を気にしてたよね」

「……気づいて、おられたのですか?」

「うん。フェリシアも女の人だし、おしゃれとかやっぱり気になるよなぁとは思ってたんだけど……その割には、普通の服とかはスルーしてるから、ちょっと気になって。さっきの店、結構独特な服売ってたよね」

 

そういった心の機微に敏い事もまた、立香の特徴の一つなのだろう。

ただ見ていただけではなく、フェリシアがどんな服に興味があるかも見抜いていたとは……。

 

「先ほどのは、この辺りの特産品なのです。この付近でしか取れない染料と、特有の染め方で作られた品ですね」

「へぇ……詳しいね」

「これでも、元は流浪の民でしたから」

 

かつて様々な土地をめぐり、その土地で色々なものを見た。山岳地帯ならではのもの、湖の周辺ならではのもの、東西南北に足を向ければやはりその土地ならではのものがある。

 

「衣服に限らず、食や建物など生活に根差したものには土地の風土が出ます。昔から、そういったものを見るのが好きでした」

「…………」

「彼らはこれを着て、あるいはこんな家に住んで、こんなものを食べてどのように生活しているのか。娯楽に乏しい集落でしたから、そうやって想像するのが数少ない楽しみでした」

「なるほどねぇ……」

「申し訳ありません。つまらない話をしてしまいました」

「いや、つまらなくなんてないよ。フェリシアの原点の一つを見た気がする」

 

きっと、こんな彼女だからこそ同胞たちの未来を憂い、全く新しい(未来)を強く求めたのだろう。

 

「フェリシア、一つ良いかな」

「はい」

「もし君だったら、どんな国を作りたい?」

「国、ですか?」

「うん、まぁ国でも街でもなんでもいいんだけど……」

「そう、ですね……理想を言えば、皆で支え合える国が良いと思います。富める者が貧しい者を援助し、貧しい者もそれに甘えるのではなく、受け取ったものを返すために頑張れるような国を」

「確かに、理想だね」

「はい、理想です。きっと、そうはいかないのでしょうが……」

「………………………………でもきっと、それを煩わしいと思う人もいるよ」

「……………………………………え?」

「サーヴァントはホント個性の塊みたいな人たちだし、俺も色々なものを見てきた方だと思う。

 だから、言っておいた方が良いかなって思ったから、言う。フェリシアは面倒見がいいけど、それって悪く言うとアレコレ決めたがるってことだよね。それを、煩わしいって思う人もいる」

 

躊躇いがちに、だが伝えるべきだと強い意志を感じさせる声で立香は言葉を紡ぐ。

フェリシアの理想は正しいと思う。美しいと思う。しかしそれは、万人が共通して抱く感想ではないことを、立香は知っている。

 

「独立独歩って言えばいいのかな。自分のことは自分で決める、だからいちいち口を出すな。そういう風に思う人もいるんだ。そういう人からすると、フェリシアの理想は煩わしく映るんだと思う。

 別に悪事を働いたり、人に迷惑をかけたりするわけじゃない。結果的にはフェリシアが目指すものと同じことをしようとしていても、自分のやり方に口出しされることを嫌がる人もいる。結果は出すから口を出すな、とかね」

「……………………………良かれと思って口を出すことが間違っていると?」

「……………………………人によりけりだと思う。丁寧に道筋を示してほしい人もいれば、好きなようにやらせてほしい人もいる。しっかりルートを示さずにはいられない人もいれば、結果さえ出せば文句はないっていう人もいる。たぶん、フェリシアは前者なんじゃないかな?」

 

その問いに、フェリシアは答えられない。確かに、その通りだと思うからだ。彼女は人の自主性や多様性を尊重していながらも、軍人であったからか、どちらかといえば整然とした規律を好む。

 

「逆に、俺は後者の方。というか、サーヴァント相手に規律とか統制を敷こうとしても上手くいくはずがないから、自然と放任になっただけなんだけど」

 

サーヴァントの全てがその手の規律や統制を煩わしく思うわけではない。特に騎士に連なる者達は、割とこの手の方向性と相性がいい。とはいえ、全員に共通して敷くことのできる規律もまたない。生きた時代も違うし、身分や奉じる神、死生観だって違う。だから、一部サーヴァントを除けば基本的には放任にせざるを得なかった。

だからこそ、立香は人の多様性というものを誰よりも肌で感じてきた。故に、提言しなければならないと思ったのだ。フェリシアの理想を基本的には受け入れても、彼女のスタンスを快く思わないものもいることを。

 

「私も、リツカ殿に倣えと、そういうことですか」

「いや、そうじゃない」

「………………」

「フェリシアのやり方を好む人もいれば、そうじゃない人もいるってだけなんだ。だから、フェリシアとは違うスタンス、放任主義の上司なり部下なりがいた方が良いと思うっていうだけ。規律に馴染む人はフェリシアが、放任主義の人はその人が担当すれば、うまくバランスが取れるでしょ。

 カルデアは、なんだかんだでマスターとサーヴァントの主従関係が原則にあるし、マシュがしっかりしてくれてるから規律の方もうまくいってる。

 要はフェリシアがマシュで、俺の役をやってくれる人を見つけるといいっていう話。それが上か下かはわからないけど。でも、これから先フェリシアの道には本当に色々な人が関わってくる。そんな人たちに対応できる体制を作っていかないといけないんじゃないかな」

(ああ、そうか。副長、あなたが言っていたのはそういうことでもあるのですね)

 

思い返してみれば、今は亡き副長が自由にやりたがる連中をうまく制御してくれていたのだろう。軍という組織に入っている関係上、基本的には規律に従う者達がほとんどだったが、中には毛色の違う者もいたはずだ。というか、彼自身がその筆頭だった。そんな彼が率先してフェリシアに従い、同時に緩衝役として彼らをうまく御してくれていた。その有難みを、フェリシアは改めて噛み締める。

同時に、これからのフェリシアの道程はさらに多様性を増すだろう。中にはフェリシアのスタンスと相性がよくないものもいるはずだ。そんな同志たちをうまくコントロールしてくれる人材を幅広く発掘していく必要がある。

立香が言いたいことは、そういうことなのだ。すべての思想を一つに集約するのではなく、人々の多様性を良しとするのなら……。

 

(年上とはいえ、私の世界はまだまだ狭い。己の未熟さを、改めて実感しますね)

「ごめん、なんか偉そうなことを言った」

「いえ、いいえ……忠告、ありがとうございます。そのお言葉、胸に深く刻みました。

 ですが、私にできるでしょうか。多様な価値観を受け入れられるだけの度量が、私に……」

「まぁ、そんなに気負わなくていいんじゃないかな。まだまだ先の話になるだろうし、俺たちと一緒にいれば一癖も二癖もある人には事欠かないから。差し当たっては、シェイクスピアや頼光とうまく付き合えれば相当なものだと思うよ?」

 

ヘシアンとロボはもう癖が強いどころの話ではないので、さすがに除外する。

そもそも、フェリシアにはすでにある程度以上の器があると思う。何しろ、立香から見てもあの副長は中々にへそが曲がっていた。そんな彼を御しえていたのだ、あとは曲者とかかわる経験を積んでいけば割と何とかなるだろう。別に、どこぞの征服王のようなカリスマを獲得しようというわけではないのだから。

 

「って、随分話が逸れたけど、何の話をしてたんだっけ?」

「ええっと…………それは、その……」

 

立香は思い出そうと云々唸っているが、フェリシアは違う。わかっていてどうにかして話を再度逸らそうとしているのだが、上手いネタが思いつかない。もともと、立香と違いそこまで話し上手だったりするわけではないので、無理もない話だが。

しかし、そうこうしているうちに立香が本題を思い出してしまう。

 

「あ、本」

(ギクッ)

「そうだ、さっきのって本屋だよね。何か気になることでもあった?

 本だったら、内容はともかく作りとかにはそこまで土地柄って出ないと思うんだけど……」

「それは……」

 

事実、フェリシアが先ほどの本屋で目にとめたのは別にこの土地ならではのものではない。

作りも普通だし、タイトルにも特別なものはない。どこにでもある、ありふれた「童話集」だ。

ただ、土地が変われば収録されている内容も変わってくるかもしれない。もしかしたら、フェリシアが読んだことのない話も……そんな考えが頭をよぎり、つい目で追ってしまったのだ。

 

「…………よし、確かめて来よう」

「フォウ!」

「ぁ、あ~……」

 

引き留めようとするも、追及の矛先が向くのではと思うとそれもできず、結局為すがまま来た道を戻るフェリシア。そして明らかになる、フェリシアの秘かなる趣味……というのは流石に大げさすぎるだろうか。

 

「へぇ、フェリシアってああいう本が好きなんだ」

「うぅ……」

 

顔を真っ赤にしながらうなだれつつ、購入した「童話集」を大事に抱えるフェリシア。日々の癒しが手に入ったのは良いが、彼女としては恥ずかしくて今にも顔から火が出そうだ。本人の主観としては、いい年して童話に熱中するのはどうかと思っているのだろう。

しかし、立香からすればそんなことは恥ずかしくもなんともない。それどころか……

 

「それなら、こっちの童話とかにも興味ある?」

「え?」

「マシュも結構好きだし、話が合うんじゃないかな。そもそもサーヴァントの中には作家系もいるよ。小説家に童話作家、シェイクスピアも劇作家だし」

「そ、そうなのですか!?」

「シェイクスピアなら、頼めば詩とか書き起こしてくれるかもしれないし、場合によっては自著を語ってくれるかもしれないよ」

 

本来なら作品を買うよう促すだろうが、この世界ではそもそも入手できない。

そこで、布教がてら自分の作品を紹介するくらいのことはするだろう。

 

(ゴクリッ)

 

フェリシアとしても、異世界の童話や御伽噺には大いに興味がある。主に読むのが童話なだけで、基本的に物語であれば何でもござれだ。ただ、彼女の好むストーリーがこの世界では童話に多く見られるというだけで。もしかしたら、異世界ではもっといろいろなジャンルでフェリシア好みのストーリーが主流かもしれない。故に早めに用を済ませ、急ぎシェイクスピアの下に駆け込もうと心に決める。

だが、それはそれとして見過ごせないことというものもある。

 

「フェリシア、あれって知ってる?」

「アレとは…まさか、あの飴のことですか?」

「うん。人間族の町ではなかった匂いだなぁって」

「やめましょう。アレは……って、リツカ殿!?」

「おじさん、それ一つちょうだい」

「お、良い度胸じゃねぇか坊主。こいつが何か知ってるのか?」

「ううん、知らない」

「っておいおい、知らねぇのに食うのか?」

「旅の醍醐味は現地の人との交流と未知の食べ物、これ基本でしょ?」

「はははは、ちげぇねぇ! よし、その度胸に免じてちょいとまけてやるよ。その代わり、しっかり味わえよ」

「ありがとう!」

「な、なんてことを……」

 

いつの間にか傍を離れて購入してしまっていた立香に、思わず頭を抱えるフェリシア。

 

「どうしたの、フェリシア?」

「フォ?」

「リツカ殿、それがなんだかわかっているんですか!? いいですか、それは魔人領にのみ自生する、世界で最も苦いと言われる果実を生成して作った飴なんです! しかも、生の実には毒性すらあるんですよ! 生成が不十分だと、毒が残っている可能性もあるというのに……」

「フォァッ!?」

「へぇ……」

「お分かりになりましたらこちらに渡してください。今すぐ返品して……」

(パクッ)

「……何やってんですかあなたは!!」

「ごほっ! げほっ、ごほっ……うわぁ、きっくぅ……」

「は、早く吐き出してください! どういうつもりですか、あなたは!」

「いや、そんな食べ物を粗末にしちゃ悪いでしょ」

「ですが!」

「それにね、フェリシア。俺の故郷では吸盤のついた触手をぶつ切りにしたものや腐った豆を食べるんだよ」

「え゛?」

「ほかにも、土地によっては有名な毒キノコや毒持ちの魚を食べたりもする。臭いだけなら問題なし!」

「毒が残っている可能性もあるんですよ!」

「いやぁ、そもそも俺毒効かない体質だし。あ、ちょっとピリッと来た。ん~、この刺激がまた……」

「フォ~……」

 

どうやら、僅かとは言え毒性が残っていたらしい。立香はそれすら楽しんでしまっているが、その瞬間フェリシアの目から光が消えた。

 

「リツカ殿、そこに座ってください」

「へ? あの、フェリシア、なんだか目が怖いんだけど……」

「いいから、座りなさい」

「……はい」

「リーダーたるもの徒に己を危険にさらすなど言語道断!! たとえ毒への耐性があろうとも、それが通じない毒が存在しないとは限りません! もしそれが今当たったとしたらどうするのです!」

「いや、それは、その……」

「良いですか、そもそも……!!」

 

その後、約三時間にわたってフェリシアのお説教が路地裏に響き渡った。それが心底から立香の身を案じてのものとわかるだけに、立香としても口を挟むに挟めない。

結果、立香たちが無事物資の補給を終えてハインケルに戻るのは、夕暮れ時と相成るのであった。

 

 

 

余談だが、その後フェリシアはマシュから「人魚姫」や「醜いアヒルの子」などを語ってもらったり、シェイクスピアのところに通い詰めたりしているらしい。

マシュは同好の士ができたことを喜び、シェイクスピアからも逐一一喜一憂してくれるので「良い読者」として受けが良い様だ。何しろ、語って聞かせるだけでなくわざわざ自著をプレゼントするほどである。また、彼女自身が取材対象として中々に面白いことから、“エンチャント”を施しているとかいないとか。

 

真相は、今のところ闇の中である。

 

 

 

そうして数日後。フェリシアの案内のおかげもあって順調にシュネー雪原を超え、ついに氷雪洞窟へとたどり着くのであった。




何話か前にも出ましたが、フェリシアの趣味は読書。童話とかを主に読んでいますが、物語であれば大体何でも読みます。好みのジャンルというかストーリーは「ハッピーエンド」。ご都合主義だろうがデウスエクスマキナだろうが何でもいいので、「めでたしめでたし」で終わるものが好き。ままならない現実にもがいてきたので、「フィクションの中でくらい……」という思いがあるせいですね。
そのため、実はアンデルセン作品が苦手。でも読む。読んでボロボロ泣く。アンデルセンに会ったらきっと「なんでこんな酷いことを……」と猛抗議しそう。でも作品自体は名作なので、懲りずに読んではそのたびに泣くの繰り返し。結構面倒くさい?

しかし、まさか自分の作品の中で露出調教プレイなんて書くことになるとは思わなかった。必要に迫られて已む無くやったこととはいえ、フェリシアがおかしな扉を開かないことを切に願います。変態は駄竜だけでお腹いっぱいだよ。


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026

ハジメたちがミュウを雫に預け、いずこかへと姿を消して早数日。

直接ミュウを預かった雫も、彼らが今どこにいるかは知らない。聞けば教えてもらえたかもしれないが、知っても意味がないし、知るべきではないと思ったから聞かなかった。神の力は未知数、これ以上を知るのは雫や周囲の身の安全に関係するし、ハジメたちの足を引っ張ることになるかもしれないと思ってだ。

 

とはいえ、凡その予想はつく。あれほどミュウに過保護なハジメが、わざわざ雫に預けてまで向かった場所だ。自ずと候補は絞られる。正確な位置はわからない。だがそれでも、確実に言えることが一つ。

 

「大迷宮、よね」

 

眠るミュウの髪を撫でながら、ポツリとこぼす。オルクス大迷宮…ではないだろう。あそこはもうハジメたちにとって攻略済みの場所、わざわざ立ち寄る意味がない。あるいは、仲間にあそこで得られる神代魔法を取得させる可能性もなくはないが、オルクス大迷宮に秘められた神代魔法は「生成魔法」だ。錬成師でもない限り、得たところで旨味の少ない魔法だろう。

ならば、残す可能性はあと一つ。ハイリヒ王国には、まだ知られていない大迷宮が存在するということだ。

 

「………………………場所と内容によっては、挑戦するのも一手かもしれないけど、厳しいでしょうね」

 

オルクス大迷宮の前半にすら苦戦している自分たちでは、到底他の大迷宮を自力で攻略できるとは思えない。時間をかけてさらに腕を上げるか、ハジメたちに協力を仰ぐより他あるまい。

前者はともかく、後者は彼らの目的を考えれば望むべくもないが。

 

「みゅ……パパぁ」

「……そうよね、本当は寂しいわよね」

 

寝言でハジメを呼ぶミュウに、雫の目が悲しげに揺れる。ハジメが大事な用があって自身を雫に預けたことを、ミュウは幼いながらに良く理解している。服の裾をギュッと両手で握り締め、泣くのを我慢しながらハジメたちを送り出したミュウ。雫に対しても我儘を言わず、されど努めて明るく振舞って見せている。

そう、“努めて”だ。周囲を心配させないように、幼いながらも精一杯気を使っている。それがかえって心配の種になってしまっているのは、なんとも悩ましい話だ。

とはいえ、それに気づいているのは雫とアレで結構察しのいい鈴や恵里くらいだろう。脳筋の龍太郎やただでさえ察しが良いとは言えない上に色々煩悶して余裕のない光輝などは、上辺だけ見て「いい子だ」と言っているが、「馬鹿ども」と怒鳴り付けたい気持ちである。

確かにミュウは良い子だが、今は「いい子でいようとしている」だけなのだ。とても、この年の子どもにできることではない。

 

「……この子も、色々あったんでしょうね」

 

詳しい話は雫も聞いてはいないが、状況を考察すればある程度は察しが付く。

本来、海辺の町エリセンで暮らしているはずの海人族の子ども。それがハジメたちに連れられ、この後は故郷へ向かうという。つまり、彼女は親と離れ離れになった上で内陸部にいたということだ。それが何を意味しているのか、分からない雫ではない。

 

どれほど怖かったことだろう、寂しかったことだろう。この年で親元から引き離され、知らない土地で、知らない大人たちに囲まれ、先行きの見えない不安に襲われる。雫には想像することもできない。

 

どんなに嬉しかったことだろう、安堵したことだろう。取られるはずのない手を取り、この世界で最大級の安全を保障し、わざわざ親元まで連れて行ってくれる存在に出会えた奇跡。ミュウがこんなにもハジメを信頼し、父と慕うのもわからないではない。

 

(まぁ、それだけじゃなさそうだけど……)

 

それでも、ハジメの優しさは本物だと思う。光輝のように万人に対して向けられるものではないが、それでも彼の中には確かに暖かなものが残っている。

外見も心も、雫の知るころからはかけ離れたものになった。知識としては知っていても、再会した時は誰だか分からなかった。むしろ、今でもイメージのズレが大きすぎて実感がわかない。服装も髪型も変わっていた香織のことは、一目でわかったというのに。

 

オルクス大迷宮の底で、それだけのことがあったということだ。きっと、一度は暖かな全てを捨て去ろうとしてしまう程に。敵に対して向ける容赦のなさ、冷たい視線がそれを物語っていた。

そして、一度は捨て去ったはずの温もりをユエが、香織が拾い上げたのだろう。あるいは、シアやティオの存在も関係しているかもしれない。

美女美少女を4人も侍らせていることについては、日本の倫理・道徳的に思うところはあるが、本人たちが望んでのことである以上、雫が口出しする道理はない。別に、それで誰が迷惑を被るわけでもないのだから。強いて言えば、男どもが美女美少女とお近づきにある機会が三人分減ってしまうくらいだろう。些末なことだ。

 

「そう、彼は優しい。きっと私の為ではないんでしょうけど、それでも……」

 

自らの右手に視線を落とし、弱々しく握りこむ。今でも、あの時の感触ははっきりと覚えている。命を刈り取る…否、焼き尽くすために放った一矢。ハジメは「しっかりトドメを刺せ」と言っていたが、アレはきっと嘘だ。

ハジメたちが姿を消してから少しして、雫もそのことに気付いた。あの炎を余波であっても浴びた以上、瀕死程度で済むはずがないのだ。それこそ、“バケモノ”レベルの耐久力でもない限りは。

死んでいるはずの者を死んでいないといい、意味のないトドメを刺して見せた。その意図を履き違えるほど、雫はバカではない。

 

「この黒刀といい……大きな借りが、できちゃったわね」

 

クスリと、頬をほころばせる。この数日、努めて平静を装いながらもどこか表情が硬く、笑顔のなかった雫の表に浮かんだ、久方ぶりの笑顔だった。それは“花”と称するに相応しいほどに可憐なもの

見る者のいないその笑顔の意味を知る者はいない。当の本人すらも含めて。

 

 

 

  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 

 

 

「なんというか、ロシアの異聞帯(ロストベルト)を思い出すなぁ」

「そうですね。方角すらわからなくなるこの猛吹雪はよく似ています。フェリシアさんの案内がなければ、たどり着くまでにどれだけかかったか……いえ、いつまでたっても大迷宮を見つけられなかったかもしれません」

「ホントにね」

 

フェリシアの案内の元、ガーランド魔王国を超えてシュネー雪原に入って早数日。代り映えのしない、しかし退屈するには聊か危機感を煽られ過ぎる環境にもすでに慣れた。

様々な土地、時代、歴史を旅してきた立香たちにとってみれば、生命の生存を否定するが如き極寒の大地すら既知のモノ。ハインケルの車窓を白一色で染め上げる外界の猛吹雪に抱くのは畏れではなく、かつて踏み砕いた一つの歴史(セカイ)の記憶と共に喚起される、息苦しさを伴うやるせなさだった。

人理焼却を覆すための旅は、言うなれば「生きるため」の戦いだった。だが、濾過異聞史現象を巡る旅は違う。アレは二人にとって初となる「生存のために他者のそれを踏みにじる」、あるいは「何かを救うために何かを切り捨てる」戦いだった。それは片方が生き、片方が死ぬ、至極単純な生存競争。生きるためには相手を殺すしかなく、あるいは “生かすために死ぬ”、この二つ以外の選択肢などない。どちらを選ぶかなど、考えるまでもない。

そして、それを突き付けたのがロシアの異聞帯(ロストベルト)での戦い。車窓の外の光景は、嫌が応にもあの時のことを思い起こさせる。

 

疑いようもなく、辛く苦しい旅路だった。ただ生きるために、進むために全力を尽くせばよかった人理焼却の旅がぬるま湯に思えるほど。だが、それでも歩みを止めなかったのは、身を呈して己を庇い背中を押してくれた人の言葉(糾弾)があったから。世界のどこを探しても彼の痕跡はないけれど、彼が残した楔は今も残っている。

 

「“立て、立って戦え”“こんな、強いだけの世界に負けるな”…か」

「先輩……」

「……大丈夫、わかってるから。足踏みしたりしたら、また怒鳴られちゃうだろうしね」

 

遠き日の友を思い、郷愁にも似た思いが立香の胸を満たす。

思えば、随分と遠くまで来たものだ。かつて生きた世界は遥か彼方、戻る術はなく、この先も流され続けるのだろう。しかし、それでも最初の想いは忘れていない。“生きるために”、ただそれだけのために、昨日までと同じように今日も明日も進み続ける。

それが、それだけが、踏み砕いてきたもの達に対する責任の取り方だと思うから。

 

「ご歓談中のところ申し訳ありません。少々よろしいでしょうか」

「フェリシア? いいけど、な…に……?」

 

しっとりと過去に思いをはせていたところに、少しためらいがちにかけられる澄んだ声。

二人がそろって振り返ると、予想通りの人物がそこにはいた。そう、予想通りではあるのだが……思わず立香の目が丸くなる。

 

「? どうかなさいましたか?」

(ああ、そういえば昨夜は確か……)

 

不思議そうに首を傾げるフェリシアに対し、思い当たる節のあるマシュは何とも言えない様子で困り顔。

本人はどうやら気付いていないらしい。指摘することは簡単だが、さてなんと切り出したものか。

そんな立香やマシュの迷いには気づいていながらも、いったい何を迷っているのかわからないフェリシアは、とりあえず当初の用を優先することにした。

 

「そろそろこの“はいんける”でしたか? 止めた方がよろしいかと」

「そうなの?」

「はい。雪に隠されてこそいますが、このあたりは大地に無数の亀裂が走っているのです。このアーティファクトは大変素晴らしいものですが、ここからは降りて慎重に進んだ方が賢明でしょう」

「わかった。アルトリア、そういうわけだから」

「ええ、承知しました」

 

雪の上を滑るように走っていたハインケルを止め、降車の準備に入る。

ただし、立香はその前に、とばかりにフェリシアを呼び止める。

 

「フェリシア、ちょっといい?」

「はい」

「えっと…その……」

「?」

 

気まずそうに言葉を探す立香に、フェリシアは疑問符を浮かべるばかり。この数日で大分打ち解けたこともあり、生来の生真面目さに由来する硬さも大分ほぐれてきた。気を張っている時は「怜悧なできる女(キャリアウーマン)」然とした雰囲気が強いフェリシアだが、今の彼女はどこかあどけなさすら垣間見える。

強い意志と覚悟故に己に厳しく、手を汚すことをも厭わない彼女がその実、根は善良で純粋な女性であることは早い段階でわかっていた。それでも、こうしてふとした拍子に“素”が出た時のギャップから受ける衝撃は、並ではない。

こういう時の彼女は、普段の「綺麗」とは違う「可愛い」印象が強く前に出る。まぁ、だからこそこれを指摘するのはちょっと申し訳ないというか、なんというか……。

 

「…………顔」

「顔、ですか?」

「ちょっと、洗ってきた方がいいよ」

「その、なんというか…真っ赤です、目の周りが」

「……………………………………えっ!? ちょ、ちょっとお待ちを!」

 

瞬時に赤面し、猛ダッシュで洗面台へと駆け出すフェリシア。それでも隠し切れないほど彼女の目の周りは真っ赤になっていたので、鏡を見た彼女の声ならぬ悲鳴が聞こえてくるようだった。

 

「もしかして、昨日も?」

「はい。昨日は、ロミオとジュリエットを受け取っていたようでした」

「あ~……………………泣くね、フェリシアなら」

「はい。あの様子ですと、きっと大号泣だったのではないかと」

「うん、凄くリアルに想像できる」

 

打ち解けたということは、つまり彼女の趣味嗜好もある程度以上露見しているということだ。

本好き、読書好き……より正確には“物語好き”なフェリシアだが、同時に人一倍感受性が強く涙もろい、つまり大変涙腺が弱いことはすでに周知の事実。本人は隠そうとしているようだが、バレバレである。無駄な努力というほかない。

そんな彼女がロミオとジュリエットなど読んだりしたら、涙腺が崩壊して大号泣するのは自明の理だ。当然、その目の周りは盛大に泣き腫らすことになる。

 

「一応、あまり夜更かしされないよう声はかけたのですが……」

「本人もそのつもりだったんじゃないかな。まぁ、あの様子だと時間も忘れて没頭したんだろうけど」

 

既に何度かあったことなので、皆まで言わずともわかることだ。

普通なら大迷宮に挑む直前に夜更かしなど言語道断だが、フェリシアの場合その程度のことで精彩を欠くことはない。なにしろ、変成魔法で自身の体調くらいならある程度は“調律”できてしまうのだから。それでなくても、必要とあらば数日不眠不休で動くくらいものともしない女傑である。

サーヴァントたちを率いる関係上、立香は割と放任主義かつ成果主義なので、結果さえ出せばある程度のことには目をつむる傾向がある。フェリシアもしっかりやることはやってくれるので、立香としてもこのような些末事で彼女に苦言を呈する気はない。

ただ、それとは別に心配事が一つ。

 

「ロミオとジュリエットであれじゃあ、四大悲劇なんて読んだらどうなるんだろ」

「……涙が枯れてしまうかもしれませんね」

「否定できないのがなんともなぁ……」

 

フェリシアの場合、それが本当にシャレにならない。朝起きたら、フェリシアが干からびていた…なんてことになりかねない。

実際、マシュが「マッチ売りの少女」を語って聞かせた時など、危うく脱水症状になりかけたほどなのだから。純粋すぎるのも考え物である。

 

数分後に戻ってきたフェリシアは、目の周りの赤さなど嘘のように平時のそれに戻っていた。ただ顔を洗っただけではないことは明らかだが、そこは敢えて突っ込まない。彼女の尊厳の為にも。

何はともあれ、ハインケルを宝物庫に格納した一行は氷雪洞窟を目指す。

流石に徒歩では時間がかかるので、ブーディカが召喚した戦車に分乗してではあるが。

 

「う~ん、ここって一応峡谷なんだよね? 吹雪で全然壁見えないけど」

「そうですね。フェリシアさんの話ですと、ライセン大峡谷とはまた違い、大地の割れ目が幾条にも広がっているそうです。それが迷路のように複雑に入り組み、その奥に洞窟の入口があるそうなので、案内なしで進むとなると相当の時間を要するでしょう」

 

その意味でも、フェリシアという案内役を得られたのは僥倖だったと言えよう。

で、そのフェリシアはというと……

 

「フォウ殿、もう少しだけ辛抱してください。あと少しですから……」

「フォ~ウ……」

 

懐に入れたフォウの毛の隙間に入り込んだ雪を丁寧にかきだしている。あまり人になつかない傾向の強いフォウなのだが、フェリシアに対しては初期から好意的だ。今も、彼女に毛をすいてもらって気持ちよさそうに目を細めている。

 

「俺が言うのもあれだけど、良く寒くないよね」

「はい。なんでも、火属性魔法を体の表面にごく薄く循環させているそうですよ。魔力の消耗を抑えるという意味では理に適っていますが、非常に繊細な制御技術が必要なはずです。長時間の維持は、魔力はともかく神経をすり減らすかと……」

「それを平然とやってるんだからなぁ……」

 

改めてフェリシア・グレイロードという人物の凄まじさを実感する。見た目にも派手な武技や神代魔法にばかり目が生きがちだが、むしろ彼女の本領はこちらなのではないだろうか。今使っているのも極初歩的な魔法の応用らしいが、それをここまで繊細に操るとは……恐るべき精密さだろう。

魔力や魔法を離れた場所に飛ばすことを不得手にしているとしても、だ。

 

「ご本人は地味な性分と仰っていますが……」

「単純に比較はできないし、タイプが違うって言えばそれまでだけど、制御に関してはユエにも引けを取らないんじゃないかな?」

「かも、しれませんね」

 

魔力量や瞬間火力でなら間違いなくユエに軍配が上がるだろう。しかし、武と魔法の同時使用は思う以上に難しい。それは右手で字を書き、左手で絵を描くような作業だ。そのため、基本的に直接戦闘時には魔法は補助的な役割のものしか使えず、魔法の発動時には一瞬とはいえ足を止めて意識の大半をそちらに割かなければならない。これは、ティオや香織でも同じことだ。

だがフェリシアは、極めて展開・維持の困難な「悪鬼変生」を発動したまま戦うという離れ業をやってのける。魔法の性質上それができなければならないとはいえ、これは非常識極まりないことだ。悪鬼変生も基本的には補助魔法に分類できるが、他の魔法とは別物。あれは発動したらそれを維持しておけばいいだけの通常の補助魔法と違い、常に繊細な調整を必要とする。そうでなければ、即座に再構成のバランスが崩れ、かえって戦力をそぐことになりかねない。あるいは、再構築が粗くなれば自己崩壊を引き起こすこともあり得る。悪鬼変生とは、そんな繊細なバランスの上に成り立った、常に自滅の危険を孕んだ危険極まりない魔法なのだ。

 

それを維持したまま戦い続ける。

制御・調整できる技量も、同時に使用しながらも一切の翳りを見せない武技も……なにより、この二つを両立できる精神こそが、何よりも非凡なのだ。

 

「でも、それでも地味に消耗はするんだよね」

「そうですね、魔法を使い続けていることに変わりはありませんから」

(なら、せっかくだし渡しておこうかな)

「先輩、フェリシアさんの方に寄せますか?」

「うん、お願い」

 

まさに以心伝心というべきか。立香の意図を察し、フェリシアの乗る戦車へと寄せていく。

それに気づいたフェリシアが僅かに目を丸くするが、立香は身を乗り出すようにしてフェリシアに語りかける。何しろ、そうでもしないと吹雪が邪魔で会話が成り立たない。立香の顔が近づいたことにフェリシアが若干顔を赤くしているが、先日の出来事(露出調教プレイ)以来この調子なので、努めて立香も気にしない。むしろ、気にする方が色々不味い。

フェリシアも同じ考えではあるのだが、若干きょどって声が裏返ってしまうのはご愛敬だろう。

 

「ど、どうかなさいましたか!?」

「いや、魔法を使って防寒しているのは知ってるけどさ。それでも、寒くないのかなぁって」

「ご配慮、ありがとうございます。ですが、問題ありません。魔力消費は微々たるものですし、この程度であれば寝ながらでも維持できますので」

(さらっと凄いこと言ってるなぁ……)

 

自慢する風でもなく、当たり前の事実を当たり前のように語っている、といった様子のフェリシア。

とはいえ、本人がそういうのなら…と思って引き下がろうとした立香だが、そこへフォウが無謀にも戦車の間を飛び越えてきた。

 

「フォ―――――――ゥ!」

「ちょ、フォウ!?」

「フォウ殿!?」

「フォウさん何を!?」

 

慌てて手を差した立香の手にすっぽり収まるフォウ。三人が一様に「はぁ~……」と安堵の息をつく。

しかし、当のフォウはそんな面々など何のその。素早く立香の腕を駆けあがり肩まで来ると、その小さな前肢でペシペシと頬を叩いてくる。

 

「フォウフォウ、キュ――ッ!」

「えっと……なんて言ってるの?」

「おそらく、フェリシアさんのことについて訴えているのではないかと……」

 

フォウもしきりにマシュの言葉に首を縦に振っているので、そう取って間違いないのだろう。

ただ、やはりその意の全てを汲み上げることはできない。なので、足りない分はフェリシアを観察してあたりをつけるしかない。

……と思っていたのだが、答えは存外早く見当がついた。ヒントは、フェリシアの頬の赤味だった。

 

(あれ、何というか赤いことは赤いけど、赤過ぎるような……それに、よく見ると耳とか鼻もちょっと……)

 

ここまでくれば、そして彼女の性格を考えれば答えは簡単。

 

「フェリシア、もしかして実は結構寒い?」

「……なるほど、フェリシアさんなら効率を優先して最低限の熱量に抑えていても不思議はありません」

「いえ、そのようなことは決して」

 

それは十分にあり得ることだ。即座に取り繕った彼女の鉄面皮はその内心を伺わせないが、その完璧な仮面がむしろ推測の信憑性を増している。

とはいえ、フェリシアはかなり頑固だ。ここで追及してもそう簡単には折れまい。ならば、別の手を講じるまでのこと。

 

「フェリシア、これ」

「これは……あの、何やらすさまじい力を感じる気がするのですが?」

「サーヴァントの一人からもらったピアスの片割れ。持っておくといいよ、それは太陽の欠片みたいなものだから」

「太陽の欠片……驚きました。まさか、持っているだけで日差しを浴びているかのような温もりを得られるとは」

 

立香の差し出したピアスを寒さとは違う震えを伴いながら手に取ると、じんわりとした温もりがフェリシアの身体を包む。最低限の防寒にと全身に張り巡らせた魔法とは比べるべくもない。まさに、温かな春の日差しを浴びるが如くだ。

 

「もしや、リツカ殿がこの寒さに堪えられているのも?」

「うん。一応極地用の礼装もあるにはあるんだけど、今回は持ってきてなかったから。送ってもらうのも難しくってね。代わりにじゃないけど、いくつか使えそうなものを持ってきてて、これはその一つ」

 

他にも、某翁からもらった香炉や聖人にもらったチョーカー、掃除屋にもらったワイヤー等々……銃や鉄扇以外にも比較的持ち運びしやすい品を持ち込んでいるのである。

中には腕飾りや盃など、社交の場などで役に立つようなものもちらほら……ちなみに、候補には宝剣や槍、杖などもあったのだが、あれらは嵩張りすぎるので除外した。

この件に関して、一部サーヴァントがふんぞり返り、逆に不満タラタラだったのはご愛敬だろう。カルデアに戻った時、彼らに何と言われるかはわからないが。

 

「それ自体にはもう熱を発するような力はないんだけど、由来が由来だからね。その手の魔術とは相性がいいんだ。防寒と発熱に関連した術をかけたから、それこそ氷点下100度とかでもない限りは大丈夫だと思う」

 

むしろ、由来を考えるなら氷点下100度だろうが絶対零度だろうが何のそのの筈なのだが……そのあたりは、術者の腕故にということだ。また、性質上寒さには強くても暑さには何の恩恵もないので、グリューエン大火山では使えなかった。使えば、蒸し焼きになっていたかもしれないが。

 

「なるほど。確かにこれ一つあれば、この寒さも問題ないようですね。マシュ殿は……」

「私もサーヴァントなので、ご心配には及びません!」

 

場合によってはマシュに渡すべきでは、と視線を向ければ、マシュは力瘤を作るように頑丈さをアピール。

全く瘤ができていなかったのは、見なかった方向で……。

 

「……承知しました。でしたら、お借りいたします。ところで、その首に巻いておられるのも何か由来が?」

「これ? これはとある悪魔からの貰い物」

「悪魔……それにはどのような力が?」

「さぁ? でも、由来とか考えるとないんじゃないかな?」

「ない、のですか?」

「何しろ、自称世界最弱の英霊だからね」

「というか、実際に大変、その…弱いのですが……」

「な、なるほど……」

 

まぁ、ただ単に弱いだけではない所が、ある意味英霊らしいといえばそうなのかもしれない。

 

閑話休題(それはさておき)

やはり案内役がいるというのは有難い。

巨大なドーム状通路を抜け、400メートルはくだらないだろう谷を下り、いくつも枝分かれした道を迷うことなく進む。おかげで、特に足踏みすることなく二等辺三角形のような綺麗な形の縦割、シュネー雪原の最奥「氷雪洞窟」の入り口にたどり着くことができた。

 

その後も、特に苦労するような場面はない。洞窟に入る前から先制攻撃の如く現れたビッグフットのような魔物も、触れれば即凍傷を引き起こす雪も、飲み水の確保すら困難な環境も、倒せど倒せど再生するゾンビ軍団も、その他の氷でできた魔物たちも、それらを統率する氷の亀も障害にはなりえない。

何しろそれらはすべて、あるとわかりきっていた試練だ。

一度氷雪洞窟を攻略したフェリシアにとっては、ここに存在するすべての試練はすべて既知のモノ。当然対策などいくらでも取れる。そのためには相応の実力が必要だろうが、此度の同行者たちはほぼ全員が彼女の上を行く。むしろ、彼女自身は特にすることもなく、本当に案内をするだけで進むことができていた。

 

「……なんと言いましょうか、以前苦労して倒した敵をこうも容易く一蹴されてしまうと、自信を無くしそうです」

「それは、その……」

「相手が悪いとしか、言いようがないよね」

 

凍死しかねない寒さなど氷点下100度以下が基本のロシアの異聞帯(ロストベルト)で経験済みだし、無限に再生する魔物の群れは頼光にとってはカモに等しく、主級の魔物が要塞の様に硬いと言っても聖槍の一撃に堪えられるはずもなし。

かつて命懸けで挑んだ敵が雑魚扱いされてしまったフェリシアには同情するが、そういうものと思って諦めてもらうしかない。そもそも、この迷宮の本当の試練はここからなのだ。

強力な魔物をいくら倒せたところで、氷雪洞窟を攻略したことにはならない。

 

「問題は、ここからか」

「そうですね。フェリシアさんの話によれば、この迷宮のコンセプトはおそらく『自己との対面』。人ならば誰もが持つ負の側面、直視できない、あるいは不都合な、自己の矛盾……そういったものに打ち勝てるか」

 

“コンセプト”、それはハジメたちのパーティに新たに加わった竜人族のティオ・クラルスが、いくつかの大迷宮について聞いたうえで導き出した、大迷宮の存在理由。力ある者に世界の真実を伝え、自分たちの遺志と共に神代魔法を伝える……確かにそれが主目的ではあるだろう。だが、それだけではないことをティオは見抜いたのだ。

神に挑むために必要なのは、単純な戦力だけでは足りない。神と戦うために必要となるであろう多種多様な力、それらを試し、磨くための場として大迷宮は存在する。

オルクス大迷宮は数多の魔物とのバリエーション豊かな戦闘を経て経験を積むこと。ライセン大迷宮は魔法という強力な力を抜きに、あらゆる攻撃への対応力を磨くこと。グリューエン大火山は暑さによる集中力の阻害と、その状況下での奇襲への対応といった具合に。

そして、似たタイミングでハジメたちが挑んでいる神山であれば、神に靡かない確固たる意志を有することであり、この氷雪洞窟では自己に打ち勝つことというわけだ。

 

「はい。確かに出現する魔物も、寒さを中心とした環境も脅威ではあります。しかし、真に恐るべきは時に無意識化に干渉し、時に己の負の側面を現出させること。あなた方であれば無用な心配だとは思いますが、どうか心を強く持ってください」

(むしろ……)

(若干名、不安な方が……)

 

具体的には、頼光とかロボとかがそうだ。頼光はその内に「魔性」を宿し、これが表に出れば大変なことになる。ロボもまた人間に対する静まることのない憎悪を宿している。あくまでも立香たちが例外なのであって、彼は決して人間を許してはいない。まぁ、むしろそちらが表に出ているので、逆にどんな一面が出てくるかわからない部分はあるが……。

他にも、ブーディカも生前母国や愛娘たちを蹂躙・陵辱された経験があるので、濃い負の側面を有している。

 

英霊だからと言って、その精神は決して完全無欠ではない。むしろ、英雄らしい波乱万丈の人生があったからこそ、彼らには多くの光と、それと対を成す闇がある。「みんななら大丈夫」ということは簡単だが、信頼と妄信は違う。

マスターとして、立香は彼らの危うさを正しく理解している。精神を試す類の大迷宮では、如何に英霊であろうと足元をすくわれることがあるのだ、と。

また、サーヴァントである彼らには並の魔術やこの世界の魔法は効果が薄いが、相手は大迷宮の試練。神代魔法が絡んでいる可能性もあり得る。対魔力が高い者ばかりでもないのだ。

つまり、これに関しては一朝一夕で対策を講じられるものではない。

 

(さて、どうしたものか……)

 

ここまでは特に精神を試す試練はない事がわかっていたので全員で進んできたが、この先はどうすべきか。

答えが出ないままここまで来てしまったわけだが、答えは意外なところから提示された。

 

「マスター、少々よろしいでしょうか」

「頼光?」

「わたくしとヘシアン殿とロボ殿、それにブーディカ殿はいったん外に出て、魔人族の追撃に備えようと思います」

「え、でも……」

「マスター、これは昨日のうちに話し合って決めたことなんだ。あ、いや、ロボは話し合いには参加してないけど、ヘシアンがオッケーくれたから多分同意してくれてると思うんだけど」

(コクコク)

 

首がないので体で首肯するヘシアン。

考えてみれば当然の話だ。立香が懸念する程度のこと、彼らが気付かないはずがないのだから。

 

「よろしいですか、マスター。あなたの目的は、あくまでも大迷宮の奥に至ることなのですよ」

「そうそう。極論すれば、神代魔法だって別にいらない。目当ての魔法じゃないし、攻略の証も変成魔法もフェリシアが持ってるから無理に手に入れる必要もない」

 

そう、今回敢えて氷雪洞窟を訪れたのは、念のために過ぎないのだ。念のため、可能なら神代魔法を習得して、無理でも最奥の部屋を調査する。フェリシアは気づかなかったが、何かこの世界の真実についての情報があるかもしれないから。まぁそれとて、フェリシアが知らない時点でさして期待もしていない。

本当に、ここまで来たから確認だけでも……というのが実情なのだ。

 

「ましてや、わたくしたちが試練を乗り越える必要は全くありません」

「戦力は減るけど、マシュとアルトリア、それに藤太とフェリシアがいれば大丈夫でしょ? 最悪、無理そうなら引き返したっていいわけだしね」

「おや、我輩もおりますが?」

「「「「君/あなた/シェイクスピアには誰も期待してない」」」」

「ハーハハハハハハ! 皆さん我輩のことをよくご存じでいらっしゃる!」

「フォ~……」

 

全く堪えた様子のないシェイクスピアに、フォウも呆れ顔だ。

 

「ですが、ブーディカさんまで?」

「信頼してくれるのはうれしいけど、私もちょっと自信はないかな。色々あったし……別に、許したわけじゃないからね」

「……………………………わかった」

 

申し訳なさそうな表情を浮かべるブーディカだが、別に立香の彼らへの信頼はこの程度では揺らがない。

むしろ、今の状況を見据え、仲間の足を引っ張らないために冷静な判断を下せることを頼もしくすら思う。

ここで個人の名誉や意地を優先するような人物ではないからこそ、立香は彼らを頼りにしているのだから。

 

そうして多少予想外の事態が起こったりはしたものの、立香たちは大迷宮のさらに奥へと踏み込んでいく。

続いて現れたのは横幅目測10キロ、奥行きは雪煙のせいで判然としない広大な迷路。壁で区切られ上が吹き抜けとなっている、アスレッチクパークなどでよく見る迷路そのままだが、その規模は冗談のようだ。

この迷路を踏破するのが第二の試練のようだが、困ったことが一つ。

 

「あの、一つよろしいでしょうか」

「フォウ?」

「あ、はい、どうぞ」

「まぁ、なんとなく言わんとすることは予想できるけどね」

「その、大変申し訳ないのですが、順路の方が、その……」

「あんまり覚えてない?」

「恥ずかしながら……」

「これだけの広さだ、仕方がないな、うむ!」

 

申し訳なさそうに小さくなるフェリシアだが、藤太は豪快に笑い飛ばす。他の面々も、特に気にした風もなくちゃっちゃっと階段を下りて迷路の中へ。

藤太の言う通り、これほどの広大さだ。細かな順路を覚えていないとしても仕方がないし、それを責めるつもりはない。元々、案内なしで攻略しなければならなかったところを、こうして案内してもらえているだけで十分すぎるくらいなのだから。

 

一応、最短距離を進めないかと『最果てにて輝ける槍(ロンゴミニアド)』で突破を試みたりもした。結果を言えば進めないこともなかったのだが、秒単位で氷壁が修復されてしまいそれほど進めなかった。結果、『最果てにて輝ける槍(ロンゴミニアド)』で突撃したアルトリア一人が遥か前方で取り残される形に。そうそう宝具を連発するわけにもいかないので、地道に迷宮を進んで合流を図った。余談だが、合流した時のアルトリアがしょんぼりしたようにちょっと萎れて見えたのは、たぶん気のせいではない。

 

とはいえ、手間と時間こそかかるが根気の勝負となれば望むところ。この程度の迷路で音を上げているようでは、人理焼却も濾過異聞史現象も乗り越えられはしなかった。

それなりに時間を費やしはしたが、特に支障なく進んでいく。途中、四つのくぼみを備えた巨大な扉に阻まれたものの、フェリシアが大まかな鍵の在り処を覚えていたこともあり、二手に分かれてそれなりにスムーズに鍵を取得。こっそり、「こんな時はスキル『啓示』持ちがいると楽だったんだろうなぁ」などと思いつつ扉を開けた先は、いよいよ氷というより鏡の域に入ってきた氷壁に囲まれた迷路の続き。もうほとんどミラーハウスである。

 

その手のテーマパークにあまり縁のなかったマシュが若干ウキウキしたり、それを微笑ましそうにアルトリアや立香が見守ったりしつつ先へと進む。

 

ただし、いよいよここから大迷宮も本領発揮らしい。

進めば進むほど、自分にだけ聞こえる囁き声のようなものが響くようになる。

フェリシアから試練の詳細を聞いていなければ、大なり小なり混乱をきたしたことだろう。

とはいえ、試練の性質上わかっているからと言って容易く対策を打てるものでもない。

 

響くささやきの声は己自身のモノ。内容は、心のどこかで思っている本心の一端。

故に無視できない。するりと滑り込み、心の奥底に秘めた何かにゆさぶりをかける。

意識しないようにすればするほど絡めとられる、さながら底なし沼のように。

対する方法は一つだけ

 

「みなさん、繰り返しになりますが心を強く保ってください。隙を見せれば、引きずり込まれます」

 

注意を喚起するフェリシアに、(ロクデナシ一名を除く)一同真剣な表情で首肯を返す。

 

――――――――――どうして俺なんだ。

 

立香の脳裏に声が木霊する。どうして自分だったのか。魔術のまの字も知らない素人の自分が、世界の命運を背負うなんて。(カドック)も言っていた、「自分たちならもっとうまくやれた」と。ならば教えて欲しい。どうして、自分だったのか……。

 

―――――――――――もう十分やったでしょう。

 

ぬるりとマシュの中に何かが入り込む。どれだけ旅を続けても、何度繰り返しても戦うことは怖くて。できれば穏やかに過ごしたいのに、戦いは次から次へと追いかけてくる。また失うかもしれない、父のように兄のように見守ってくれたあの人のように。今度こそ自分自身が、あるいはかけがえのないあの人が、他の誰かが……。

 

 

 

心の中に入り込んでくる(言葉)

心を試す性質上、一度は攻略したフェリシアとて一筋縄ではいかない。人は変わる生き物だ。かつて挑んだ時と今では、彼女の心の在り様は些か変化している。ならば当然、その心に秘める闇もまた。

 

――――――――――――悼むことができればいいなんて綺麗事。

 

声が、フェリシアの中の何かを揺さぶる。かけがえのない友だった。同胞たちのため、理想と悲願を抱えて生きると決めたフェリシアが、唯一自分のために望んだ未来。その未来が訪れることはない。悲しくないはずがない。どれほど嘆いても足りるわけもない。自身の望む未来を壊した相手を、種族を、どうして……。

 

 

 

サーヴァント達も同じだ。それぞれがそれぞれにだけ聞こえる声に、各々眉を顰め、溜息をつき、困ったように頭をかく。ただ一人、意気揚々と言った様子で安全圏に身を置く文豪を除いて。

 

「ふむ……どうやら皆さん、しっかり迷宮の試練を堪能している様子。ですが不可解ですなぁ。我輩、声らしい声がとんと聞こえないのですが?」

 

フェリシアを除く全員が思った。「そりゃアンタ、好き放題生きてるし、裏表とかないもんね」と。実に冷め切った視線を向けて。

実を言えば少しだけ「本当にこんなことしていいと思ってるのか」的なことを囁かれないかと思っていたのだが、そんなことはなかったらしい。本当に、つくづくいい神経をしている。いっそ本心から称賛したくなるほどに。

 

大迷宮の試練が試練として成立しない男、文豪「ウィリアム・シェイクスピア」。

彼の心は自らの行いに一点の曇りもなく、今の己を全肯定するが故にどのような過去も影を作らない。

このような男がいるなどと、解放者たちは想像もしなかったことだろう。



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027

延々と、しかし手を変え品を変え繰り返される囁き声。

そのどれもが心の奥底に秘めた、あるいは深層心理に刻まれた澱。

故に無視できず、並々ならぬ不快感が湧き上がる。

 

そんな状況に、彼らは既に二日以上身を置いていた。

大迷路のところどころに設置されている小部屋で都度休息は取っているが、そんなものは気休めにしかならない。場所が場所だけに本格的な休息を取るわけにもいかず、戦闘用と比べれば拙いフェリシアの回復魔法や宝物庫から出した魔法薬で誤魔化しているのが実情だ。できれば仮眠ではなく熟睡して心身のリフレッシュを図りたいところだが、いくら旅慣れた立香やマシュでもそこまで図太くはない。

そして、濃い疲労の色が見られるのはサーヴァントたちとて同じこと。霊体であるからこそ、精神的な疲労が与える影響は大きい。

 

どこまでも続く代り映えのしない、終わりの見えないミラーハウス。

 

相変わらず、飽きもせず耳元で囁かれる抽象的な、されど必ず何かを想起させる不快な声。

 

散発的に襲い来るフロストオーガや嫌がらせのようなトラップの数々。

 

集中を途切れさせるような不手際は起こさないが、確実に彼らの精神を削っていく。

だが、そんな道行にもようやく終わりが見えた。

通路の先に巨大な空間が姿を現し、その奥には先に見た封印の扉によく似た意匠の凝らされた巨大な門。

 

「ここがゴール、でしょうか?」

「はい。とはいえ、まだ試練は続きますが」

「それでも一段落かぁ……なんていうか、地味にきつかった。いつも通り、俺は特に何もしてないけど」

「フォキュ~……」

 

『うへぇ』とばかりにうんざりした表情を浮かべつつ、背筋を伸ばす立香とそれに倣うフォウ。

見れば、同行しているサーヴァントたちも首や肩を回してコリをほぐしている。

百戦錬磨の彼らをして、この試練は中々に厄介な代物であることが良く分かる。

 

「段蔵は絡繰りですが、それでも……」

「私も神霊寄りの精神構造の筈なのですが、これにはうんざりします」

「吾もこういった搦め手は勘弁願いたいな、どうにも調子が出ぬ……」

「そうですなぁ……吾輩もこれにはがっかりです。山もなければ谷もなし、このシーンはカットでいいでしょう。いっそ、ジキル氏でもいらっしゃれば……」

「やめたげて、それはほんとにやめたげて……」

「趣味が悪すぎます」

 

そりゃこの劇作家からすれば退屈極まりなかったのだろうが、ある意味誰よりも負の面がはっきりしている彼をここに放り込むなど、人のやることではない。

何しろ、あの豪放磊落な藤太ですら今一つ覇気に欠けているのだから、推して知るべしというところだろう。

 

「それで、この後はどうなるんだっけ?」

「部屋の中央を過ぎたあたりで太陽のようなものが現れ、頭上から光線による攻撃が始まります。

 加えて、雪煙により視界が奪われ、氷のゴーレムと戦うことになります」

「頭上からの攻撃に対処しつつ、ゴーレムの相手ですか……」

「陰険だなぁ」

 

加えて、迷路を進んでいる間中聞こえていた囁きも継続されるらしく、さらに集中を乱してくるらしい。

救いなのは、敵ゴーレムが一体しか出てこないことか。ただし、耐久力は相当なものだが。

 

「おそらく、挑戦者に対し一体ずつゴーレムが現れるのではないかと……」

「おそらく、なんですか?」

「何分、ここまで辿り着いた時には私一人になっていましたので……閣下、フリード師の時も同様だったと」

 

つまり、複数で挑んだ時にどのような変化が現れるかは全くの未知数ということだ。

 

「マスター。いっそ宝具でまとめて粉砕し、突破してしまうのも手ではないでしょうか」

「……まぁ、別に馬鹿正直に試練をクリアする必要は今回ないしね。問題なのはその後だけど……」

「ここを突破すれば、残る試練はあと一つです。そちらは、自己の鏡像との戦いになります」

「ほぉ、興味深いですな。力のほどは?」

「ほぼオリジナルと同等かと。だからこそ、そのままでは決着がつきません。しかし己の闇と向き合い、これを乗り越える毎に弱体化していくので、実力に関係なく自力での突破の可能性があるはずです」

「おぉ! それは所謂“胸アツ”というやつですな! 是が非でも観戦しなければ!」

「フォ~……」

 

自分の時はどうしようとか全く考えない辺り、さすがである。

とはいえ、この試練でも彼の望むような展開は見られないだろう。何しろ……

 

「いや、シェイクスピアよ。それは無理だろう」

「なんと!?」

「トウタ殿のおっしゃられる通りかと。試練の性質上、他者が紛れ込んでは意味がありませんから」

「あ~、オルクスの時みたいに分断される可能性が高そうだよね」

「空間を遮断されるか、あるいは転移されるか……いずれにしろ、先輩には残っていただきたいのですが……」

「そういうわけにもいかないよ。ここまで来たら最後まで行かないとね。それに、この試練なら俺にもクリアの目があるみたいだしさ」

 

ここまで来て引き返すのも情けない話ということもあり、このまま進むことでマシュも納得する。

とはいえ、心配なことに変わりはない。幸い、もしもの時の切り札はちゃんとあるのだ。

 

「……わかりました。危ない時は、令呪を使ってください。必ず駆け付けます!」

「うん、ありがとう」

 

方針が決まったところで、巨大な門へ向けて進み始める一行。

念のため立香はアルトリアの後ろ、ドゥン・スタリオンの背に跨る。これなら、万が一にもはぐれる心配はない。

とはいえフェリシアの言う通り、この先に待ち受ける試練の性質を考えれば気休め程度、十中八九何らかの形で分断されるのだろう。それでも、一つ手前のこの試練においては意味がある。視界を遮るほどの雪煙が出るというのなら、こちらも分断を目的としているとみるべきだ。それだけが目的かはわからないが、空間魔法でも使われない限りはこれで十分対処できる。

一応雪煙に呑まれる前に宝具で敵ゴーレムを一掃するつもりだが、保険を掛けておくに越したことはない。頭上からの攻撃も、直感スキル持ちかつ騎乗しているアルトリアならお荷物がいても問題なく対処できる。

その分、アルトリアは敵の一掃には参加できないが、藤太と段蔵の二人がいれば十分お釣りがくるはずだ。

 

「じゃあ二人とも、任せた!」

「真名開放、スタンバイ。風よ集え……『絡繰幻法・呑牛(イビル・ウィンド・デス・ストーム)』!」

 

段蔵の腕が人体ではありえない方向に動きはじめ、猛烈な風が姿を現した計7体のゴーレムに襲い掛かる。

真空の刃に切り刻まれながら吸い寄せられていくゴーレムたち。それは“吸い寄せ”から“圧縮”へと至り、ついには間もなく粉砕される。

粉々にされ、徐々に頭上から降りてくる雪煙の先駆けとなって氷片を輝かせるゴーレムの残骸。

 

「これにて仕舞にございまする」

「おお、見事見事! さすがは音に聞こえし飛加藤! 7体まとめてとは、吾には到底叶わぬ繊細さよ」

「いえ、そのようなことは……」

「とはいえ、うぅむ……この番えた矢はどうしたものか。このまま弓を降ろすというのも、些か格好がつかんな」

「では、あの太陽など如何ですかな? 竜神の加護を得、数々の怪異・魔性を打ち払った豪傑の一矢ならば、太陽すらも落とせるのでは?」

「ハハハハ! なるほど、稀代の劇作家は口が巧い! お天道様を射るのは罰当たりだが、偽りの太陽ならばその限りではなし。うむ! では、やるか! 南無八幡大菩薩……願わくば、この矢を届けたまえ!」

 

構えた矢が水に包まれ、龍をかたどり偽りの太陽へと放たれた。

次々に光線が放たれるが、それら全てを飲み込んで水龍は駆け登る。

間もなく龍は太陽を飲み込み、燦々と降り注いでいた光が消えた。

どうやら、藤太の矢は見事偽りの太陽を砕いたらしい。

 

「改めて……凄まじいものですね」

「はい、段蔵さんも藤太さんもお見事です!」

「フォウ!」

 

呆気にとられた様子で頭上を見上げるフェリシアと、彼女の称賛を我が事のように喜ぶマシュ。

かつてフェリシアが氷雪洞窟に挑んだ時、頭上の太陽をどうこうしようとは思いつきもしなかった。

事前情報があったのは同じとはいえ、今回は擁する戦力が違うから余裕の差は著しい。

とはいえ、たとえ余裕があったとしてもこんなことは思いつきもしない。思いつける発想力、実行できる技量、それら全てをひっくるめて「凄まじい」の一言だった。

しかし、当の藤太に言わせれば上には上がいるということになる。

 

「なぁに、吾などまだまだよ。弓の英霊の中には文字通り、“星を落とす者”もいるのだぞ」

「え? 星を落とす?」

「イシュタルのことかな?」

「そう、ですね。確かに、イシュタルさんの宝具は金星の概念を抽出した概念惑星による一撃ですから、“星を落とす”と言っても過言ではないかと」

「さらには“星を砕く神技”の持ち主すらいるのだ。この程度、驚くに値せぬさ!」

「……………………」

 

言葉にならない様子で立香を見るフェリシアだが、言わんとすることはわかる。

ただ、できそうな心当たりが何人かいるので、立香の表情は妙に優しい。

付け加えるなら、“世界を斬り裂く”宝具を有する英霊もいる……のだが、ここは丁重に黙秘する。既にフェリシア的には許容量一杯らしく、虚ろな目で「英霊怖い」「サーヴァント怖い」「異世界怖い」とブツブツ呟いている始末なのだから。

立香たちはすっかり慣れてしまったが、まともな神経をしていれば当然の反応だろう。慣れるまで、ゆっくりと待つべきだ。

 

「マスター、雪煙は以前健在にございまする。お急ぎを!」

「ぁ、ごめん! みんな、急ごう!」

 

この試練における脅威を取り払ったことで、若干気が緩んだことは否めない。気を引き締め直した立香たちは、雪煙が下りてくる前に巨大な門の前に向かう。当然といえば当然ながら、妨害らしい妨害はない。迷路に入ってから常に聞こえている囁き声は相変わらずだが……。

しかし、今回強引な突破を選んだのはある意味英断だったといえるだろう。本来この試練は雪煙によって挑戦者を分断し、ゴーレムと頭上からの光線で攻撃する……だけのものではない。結果的に一人で攻略することになったフェリシアやフリードは知らないことだが、それらに加えて囁き声が意識を誘導することで仲間へ攻撃を向けさせるという仕掛けもあった。だが今回の場合、その仕掛けは効力を発揮し始める前にゴリ押ししたことで不発に終わっている。

視界が遮られている中、目前の敵と戦いつつ頭上からの攻撃に対処するだけでも厄介だというのに、本来ありえないフレンドリーファイアまで処理するのは至難の業だ。知らず知らずとはいえ、それをしないで済んだのだからこの選択は正解だった。

まぁ、そのせいで遠くない未来で誰かが割を食ったりするかもしれないが……所詮は可能性の話だ。

 

それよりも、一行が門の前に着くと降りてきていた雪煙が逆再生するように天井へと消えていく。代わりに、巨大な門がクリアを示すように燦然と輝き出し、開くのではなく光の膜を形成し始めた。

 

「この先が、最後の試練」

「十分に回復してから向かうべきなのでしょうが……」

「うむ、この囁き声は鬱陶しくてかなわんなぁ」

「宝具使用に伴い魔力は消耗しておりますが、それ以外では目立った損傷はありませぬ。ならば、このまま進むのも一案かと」

 

段蔵の提案は一考に値するものだ。氷雪洞窟攻略の鍵は、体力や魔力よりも各々の“精神”にある。

最後の試練は自分自身との戦いなのでできれば万全を期したいところだが、囁き声が続く迷路内にいて精神をすり減らす方が不味いと考えることもできる。肉体と精神、どちらのコンディションを優先すべきか。

 

「フェリシア、あなたはどう思いますか?」

「……消耗が少ないのであれば、このまま進むのがよろしいかと」

 

それが決め手だった。実際にこの大迷宮を攻略した者の意見に勝るものはない。

ただまぁ、それはそれとして……

 

「ところで……さっきからごそごそと何やってるのさ」

「いえ、このままですと分断されてしまうのでしょう? 吾輩は平和主義ですからなぁ。例え自分自身だとしても、戦うなどとてもとても……なので、離れ離れにならないよう最大限の努力をしようかと。フェリシア嬢、こちらを」

「は、はぁ……」

 

困惑するフェリシアを他所に、自分の腰に括り付けたロープを渡す。

 

「自分の代わりに戦わせることのどこが平和主義なのか、ちょっと言及したいけど……それよりも、なんでフェリシア?」

「そうですね。守ってもらうというのなら、アルトリアさんや藤太さんの方がよいのでは?」

「“輝くもの、必ずしも金ならず”と申します。輝いているからと言って金とは限りませんが、その点フェリシア嬢の志の輝き、黄金にも勝りましょう! ですが、同時に人は美しいものが汚されることに背徳の美を見出すもの。そして、この大迷宮は人の心の闇を浮き彫りにする悪辣極まりない場所!」

「似た様な宝具持ってる癖に何を言っているのやら……」

「フェリシア嬢はつい最近色々あったばかりですからな。守っていただく代わりに、心の支えになれればと愚考いたしました」

 

多少…多少? の穴はあるものの、言っていることはまっとうそうに聞こえないこともない。

しかし、この男に限ってそれだけの筈がない。

 

「それは殊勝だけど……本音は?」

「ぶっちゃけ、フェリシア嬢の悪堕ちとか超見たい!!」

「最悪だこいつ!?」

「シェイクスピアさん、最低です」

「ですが実際、フェリシア嬢のように志高い人物の失墜は大いに受けるのですぞ?」

 

確かに、だからこそ世にはバッドエンドで締めくくられる物語が数多く存在している。そのことは否定しないが、だからと言って目の前でそれが起こることを望むとか……クズにもほどがあるだろう。

まぁ、臆面もなくそれを言ってしまえる神経の図太さだけは、感嘆するより他にないが。だが、頭が痛いことに変わりはない。立香はコメカミを揉み解しながら、根本的な疑問をぶつける。

 

「前から聞きたかったんだけど、どうしてそんなにフェリシアに構うの? エンチャントをかけるのだって結構珍しいのに……」

 

なにしろ、名文付与(エンチャント)の効果はこの男のやる気によって左右される。正確には、どれだけ対象を、あるいはそれを有する人物を「面白い」と思うかだ。要はつまらない題材には筆が乗らず、興味を惹かれる題材には筆が乗る、実に作家らしい理由である。

 

「それは無論、“面白そうだから”に決まっているではありませんか!

信じた神こそが元凶の一端、師とは袂を別ち、親友を失い、腹心を手にかけてなお進む。手を汚すことを厭わず、裏切り者の誹りを受けても挫けることなく、すべては同胞の未来のため! そのためならば、祖国に背を向け仇敵とすら手を組む。それどころか、利用できるものは……」

「っ!」

 

ノリノリで語るシェイクスピアの言葉に、フェリシアが微かに硬直した。

それに気づいたのかはわからないが、立香は厳しい目で文豪を掣肘する。

 

「シェイクスピア」

「失敬。アンデルセンではあるまいに、人の心を暴き立てるのはあまりに無粋。吾輩、カルデア屈指の紳士と自負しております」

「いけしゃあしゃあと紳士って言える神経、凄いわぁ……」

「ともあれ、苦悩と煩悶の先に紡がれる物語は……実に面白い。彼女の物語が悲劇となるか、あるいは英雄譚となるか。いずれにせよ、さぞ見応えのある軌跡となりましょう。同時に、素晴らしいインスピレーションをもたらしてくれるに違いないと確信しております。吾輩、受ける作品のためなら助力を惜しみませんぞ」

「はぁ……もう、ほんと筋金入りなんだから」

 

方向性はどうあれ、サーヴァントなど皆何かしらの形で「筋金入り」なので、その点については今更どうこう言う気はない。言ったところで改善されるわけではないし、だからこそ彼らは英雄なのだから。

とはいえ、俯き肩を震わせるフェリシアにかける言葉に迷う。この大迷宮では、誰もが大なり小なり心を揺さぶられる。一度は攻略したフェリシアとて例外ではない。むしろ、つい先日シェイクスピアも言ったとおり色々あったばかりの彼女には酷だろう。立香も一応洞窟の外で待機してくれて構わない旨を伝えたのだが、本人たっての希望もあって現在に至る。

それに、今更引き返すわけにもいかない以上、選択肢などないのだ。

 

「フェリシア、大丈夫? なんなら、少しくらい休んでも……」

「フォ~ウ?」

「…………いえ、問題ありません。これが最後の試練、先を急ぎましょう」

「ですが、あまり無理をなさっては……」

「ご心配には及びません。お忘れですか、私は既にここを攻略済みなのですよ。一度は乗り越えた試練、何ほどのものでしょう。

それに、次に向かう海底遺跡では別行動をとっていた方々と合流されるとのこと。その際には、滅んだとされる竜人族や吸血鬼族の方を紹介してくださるのでしょう? 不謹慎であることは承知しておりますが、今から楽しみでならないのです。なにより、私と同じ生まれながらの『魔力操作』を持った兎人族のシア殿には、僭越ながら非常に親近感が湧きます。早く、お会いしたいものです」

 

一見すると自然な…だがその実、陰のある笑顔を浮かべるフェリシア。無理をしているのは明らかだが、これ以上は聞き入れてくれまい。それがわかるくらいには、立香たちもフェリシア・グレイロードを理解していた。

それに、これ以上留まって囁き声に晒され精神を疲弊させる方が、彼女には良くないかもしれない。

 

「じゃあ、行こうか」

 

その言葉と共に、一行は光の門の中へと踏み込む。

視界を染め上げた光が収まると、そこには予想通りの光景が広がっていた。

 

「やっぱりか……」

 

周囲に仲間の姿はない。念のためにマシュとは手をつないでいたのだが、気付かぬうちに手は離れていた。

 

「…………そういえば、完全に一人っていうのも久しぶりだなぁ」

 

亜種特異点や夢の世界などでは何度かあったことだが、それでも心細いことに変わりはない。

立香は自分の“戦闘能力のなさ”には絶対の自信がある。今大迷宮クラスの魔物に襲われれば、助けが来るまで逃げの一手しかない。

まぁ今回の場合、事前情報もあるし、そういったことにはならないとわかっているのが救いか。

 

「さて、周囲の状況は聞いていた通り、と」

 

視線を周囲に巡らせば、立香のいる場所は細い通路のようであることがわかる。二メートル四方のミラーハウスで、上下左右に自分の姿が映っている。後ろを振り返って見ても、あるのは突き当たりの壁だけ。出入り口らしきものは一切なく、前に進むしかない場所だ。

フェリシアから聞いた通りの状況であることに、少し安堵する。もし変化があったりすれば、不測の事態が起こる可能性が高まる。自衛能力が極めて低い立香としては、それは極力避けたい可能性だったが、その心配はなさそうだ。

 

「いつも頼り切っているのは事実だけど、だからって頼るのが当たり前ってのは健全じゃないよなぁ。何とかできることは、何とかしないと」

 

鏡のような氷の地面を歩きながらぼやく。

それは不安を紛らわせる行為であると同時に、自分自身への戒めだ。サーヴァントたちの力は、あくまでも彼らのもの。決して、彼らの力を自分のものと思い上がってはいけない。彼らは理由・思惑は様々なれど、“力を貸してくれている”だけなのだ。それを履き違えれば、彼らとの関係は根本から破綻する。立香はそのことを正しく理解しているし、それを忘れないために再確認を怠らない。

 

そうして歩くことしばし。分かれ道のない一直線の道を歩き続けて、中央に天井と地面を結ぶ巨大な氷柱のある大きな部屋に辿り着いた。鏡のような氷壁と同じく、円柱型の氷柱も曇りなく立香の姿を反射している。

それこそ、立香の姿だけではなく“心”さえも映し出すように。

 

「……よし!」

 

一度立ち止まり、覚悟を決めてから氷柱に歩み寄る。直径が大きいので、正面から相対しても映し出された姿が歪曲することはない。まるで鏡の奥の世界からもう一人の自分がやって来ているかのように、近づくにつれてその姿が徐々に大きくなっていく。

 

(何も知らなかったら、驚くんだろうなぁ)

 

この先の展開を知っている身としては、思わずにはいられない。本当に、フェリシアには感謝だ。緊張も不安もあるが、それだけで済んでいるのは彼女のおかげだ。

そうして、ついに氷柱に触れられるくらい近づき、映る自分の姿を見る。

 

「この氷柱が、“そう”なんだよな」

『ああ、“そう”さ』

 

独り言であるはずの言葉に返事がもたらされる。事前に聞いてはいても、やはり不気味なものだ。

 

『なんだ、つまらないな。少しくらい驚いたらどうなんだ? 鏡に映った自分が勝手にしゃべるとか、結構なホラーだろ?』

「知ってたし、なにより今更だしなぁ……」

『まぁ、それもそうか。カンニングしているんなら、答え合わせも解説も余計か?』

 

立香自身はやれやれとばかりに溜息をついているのに対し、鏡の中の立香が肩をすくめる。

しかし、その姿は刻一刻と変化していた。目は赤黒い光を放ち、全身が黒より尚黒く染まっていく。日本人らしい黒髪は白々しいまでに白く、日に焼けた肌は更に浅黒く、服の色まで全て漆黒を基調にしたものへと変わっていく。

 

「ん~……俺オルタ?」

『ああ、確かにそんなところだ。お前の一側面、という意味ではな』

「良く知ってるな、オルタなんて」

『俺はお前そのものじゃないが、ある程度はお前だからな』

「ややこしいな……」

 

そういうものだとは知っていたが、実物を目にすると尚更そう思う。

『同感だ』とばかりに皮肉気な笑みを浮かべながら、波紋を広げる氷柱から現世へと、もう一人の立香が鏡の世界から踏み出してくる。

 

『いいのか、攻撃しなくて』

「その瞬間…というか、同時に攻撃してくるんだろ? お前は俺で、俺と同じように思考して行動するらしいじゃないか」

『まぁ、そうだな』

「それなら俺に攻撃の意思がなければ、お前も攻撃してこない理屈になる。一応防御術式はしこたま施してるけど、銃弾にしろ鉄扇にしろこの距離じゃ直撃だ。ハジメが手を加えてくれた分、当たればただじゃすまないだろうしな。“戦わない”それが俺にとっての最良だよ」

『だからって、全く攻撃の意思を持たないとか……お前、頭いかれてるだろ』

 

武器を持った敵を目の前にして、一切の攻撃の意思を放棄する。それは、しようと思ってできることではない。人間…否、生存本能を持つ存在には極めて困難なことだ。

立香は決して自分の命を放棄しているわけではない。にもかかわらず、武器を持ち臨戦態勢の敵を前にして“戦わない”ことを実行している。それは一体、どれほどの胆力があればできることなのか。

 

「自分と同じ顔にそれを言われると、軽くショックだなぁ……俺としては、戦っても共倒れにしかならないからこうしてるだけなんだけど」

『まぁ、俺の技量じゃそうだろうな。この距離で外すほどヘタクソじゃないが、逆にこの距離で避けられるほど大層でもない。仕掛ければ当たる、お互いにそうなら相打ちにしかならない』

 

だからこその“戦わない”。立香は生きるため、大迷宮の試練を乗り越えるために、全身全霊で戦うことを放棄しているのだ。恐怖を、引き金にかけた指にこもりそうになる力を、全精神力を傾けて抑え込む。

 

『だが、それならどうする。逃げるか? それとも、誰かが助けてくれるのを待つのか? それじゃこの試練をクリアしたことにはならないが……お前には関係ないか。元々、無理に攻略する必要のない場所だ』

 

確かに立香にとって銃も鉄扇も、すべては生き残るための自衛手段に過ぎない。これで敵を倒せるなどと思い上がってはおらず、仲間が駆けつけるまでの時間稼ぎの手段だ。

だから、誰かが駆けつけるまでの間、膠着状態を維持するというのは何も間違っていない。だがそれこそが、藤丸立香の抱える心の澱だ。

 

『はっ、人類最後のマスターが聞いて呆れるな。戦いはすべて人任せ、健気な後輩を盾に逃げ回る、良い御身分じゃないか』

「……………さすが、俺だなぁ」

『……なぜ、否定しない。どうして引き金に力が籠らない。俺の言葉はお前の心の筈だ』

「いや、まったく以てその通りだよ。自覚はしてるつもりだったけど、言葉にされると想像以上にくるなぁ」

 

困ったように頭をかきながら、立香は目元を拭う。

 

『自覚している、だと? 馬鹿な。なら、どうして動揺しない。醜く、汚い自分を直視できないのが人間だろう。容赦なく晒されれば、それだけで目を閉じ、耳を塞ぎ、蹲って動けなくなる弱い生き物だ。それでも無理に直面させれば壊れてしまうような!』

「……どうかな。そりゃ目を逸らしたいし、耳だって塞ぎたい。でも……できない」

『……』

「俺は自分じゃ戦えない。俺が戦っても足を引っ張るだけ。俺にできることは、みんなの邪魔にならないように立ち回って、一人の時には何が何でも生き残ること。

 だからこそ、責任があるんだ。せめて、そんな自分を否定しちゃいけない。否定して言い訳したら、きっと俺は……大事なことを履き違える。みんなの力を、マシュの頑張りを、当然のものにしてしまう。それだけはしちゃいけない。それをした瞬間、俺はもう“マスター”ではなくなるんだと思う」

 

動揺はしている。わかっていたつもりでも、突き付けられた本音は胸を抉った。

でも、それでよかったとも思う。この胸の痛みこそが、自分がまだ踏み外していない証拠だから。

何をどうしたところで、藤丸立香は“誰かの力”を借りなければ前に進めない。今までも、そしてこれからも。

ならばせめて、その事実くらいは真摯に受け止めたい。そして、力を貸してくれるかけがえのない仲間たちへの感謝を忘れない。

 

(初めてかもな。この試練を“戦わずに乗り越えよう”なんて奴は。だが、まだまだ……)

 

これは己を乗り越える試練。故に、自らが抱える負の感情を乗り越える度に、負の虚像である己は弱体化し、逆に目を逸らせば逸らすほど強化されていく。これまで多くの者が挑み、数える程度の傑物だけが乗り越えることのできた試練。

しかし、その誰もが熾烈な自分自身との戦いの中で乗り越えてきたのだ。自分と同じ姿をし、自身の心の闇を現す存在を前に、心中穏やかでいられるものか。敵意を向け、排除しようとするのが当然の反応。仮に、はじめから「己の闇を乗り越えていた」としても。

にもかかわらず、藤丸立香はただ対話のみによってこの試練を乗り越えようとしている。それは、前代未聞の試みだった。

 

『……なるほど、それが人理を救ったマスターの気概か。大したもんだよ』

「嘘つけ」

『……』

「ほら、他にも言いたいことがあるんだろ。聞いてやるよ、だから思う存分吐き出せばいい。全部、余すことなくさ。『サーヴァント悩み相談室』室長なめんな!」

『……プッ! ハハ、ハハハハハハハハハ! なるほど、それがお前の戦いか。いいさ、お望みとあらばお前の心の澱、洗いざらい吐き出してやる!』

 

両者は示し合わせたように“ドカッ”とその場に腰を降ろして睨み合う。

 

「さあ、二回戦だ」

 

そうして禅問答の如き、武器なき戦いの火蓋が切られた。

 

――――――カドック・ゼムルプスは言ったな、「自分たちならもっとうまくやれた」と。あの時お前は思ったはずだ、「その通りだ」と。彼らなら、特異点で犠牲になった命はもっと少なくできたはずだ。だからこそこうも思った、「なら、どうして俺だったんだ」「お前たちの方が上手くやれるなら、どうして俺が……」と。

 

――――――そうだ。加えて言うなら、「何を勝手な」とも思ったよ。あの重圧を知らないくせに。終わりの見えない旅の恐ろしさを知らないくせに、ってさ。英霊や幻想種の前では魔術師ですらない俺なんて、吹けば飛ぶ塵みたいなもんだ。魔術師だったアンタたちには、自分自身の儚さもわからないんだろう、とも思った。あぁ、これもマシュには言えないなぁ……。

 

―――――――その割には、憤っていないんだな。

 

―――――――まぁ、結局のところ間が悪かっただけなんだ。俺も、マシュも、そして彼らも。俺が彼らに色々思うように、彼らも俺に色々思ってた。それはきっと、仕方がない事なんだ。人間なんだからさ、他人が羨ましかったり、妬ましかったりするのは仕方ない。サーヴァントだってそうなんだ。だいたい、もう全部終わったことだよ。今更、蒸し返したってみっともない。俺は彼らから色々奪ったんだ、これ以上は奪えない。奪っちゃいけないんだと思う。

 

―――――――奪ったといったな。そう、お前は七つの異聞帯から未来を奪った。お前が生きたいと望んだように、彼らも生きたかったはずだ。お前がやったこととゲーティアがやろうとしたこと、どれほどの違いがある? いや、奴は一つの歴史を終わらせようとしただけなのに対し、お前が終わらせた歴史は七つ。その上、奴は星の新生を目指したが、お前は今まで通りの世界を繋いだだけ。罪深い事じゃないか。

 

―――――――……それこそ仕方がない。だって、“俺が笑って生きられる世界の方が上等だ”“生き残るべきだ”った。何度聞かれたって、誰から言われたって、俺はそう主張するよ。それこそが、それだけが、パツシィが生きた証なんだ。俺は絶対に手放さない、忘れない。それが奪った俺の、義務であり責任なんだ。

 

問答は続く。紡がれる言葉、問いの全てが立香の心を抉り、見えない血が噴き出し零れる。

『完膚無きまでに完全な勝利を』と告げて消えていった人がいた。

『許さない』と自分を糾弾(激励)した友がいた。

多くの出会い、多くの別れ……それに伴い心に積もった澱。

 

そのすべてを詳らかにする問答は、しかし立香の心の澱を洗い流すようでもあった。

初めは耐えるような顔だった立香は、気付けば思い出話に花を咲かせるように穏やかな表情を浮かべている。

そんな彼と反比例するように、目の前のもう一人の立香の存在感が希薄になっていく。

 

「…………消えるのか?」

『……ああ、言いたいことは言い尽くしたからな。もう何も残っちゃいない。はじめから乗り越えている奴もいなかったわけじゃないが、まさか消えるまで付き合う馬鹿がいるとはな。もしも平穏な生活ってやつが手に入ったら、教師やカウンセラーになるのを薦めるよ』

「参考にしとく」

『ほら、もう行け。可愛い後輩が…待って、る…ぞ……ヘタレ』

「……………………悪かったな」

 

消え行く自分自身を見届け、立香はしばし瞑目した後ゆっくりと立ち上がる。

 

「あ~……それにしても、タイミングがなぁ。どうしたものか……」

 

そんなことをぼやきながら、大きくため息をついてから天井を仰ぐ。

『待っている』その意味を、履き違えたりはしない。しないが、どうにもタイミングを逸してしまった感が強いのが悩みの種だ。

まぁ、過ぎてしまったその“タイミング”とやらがいつだったのかは、過去を振り返ってもわからないのだが。

しかしそこで、背後から思いもかけない声がかけられた。

 

「お疲れさまでした、リツカ殿」

「っ!? フェリシア? え、いつからいたの?」

「30分ほど前からでしょうか」

「うわぁ……ゴメン、待たせちゃったよね。でも、声くらいかけてくれればよかったのに…って、試練の最中じゃそういうわけにもいかないか」

 

自分で言っておいて、さすがにそれはないかと否定する。試練が失敗に終わりそうならその限りではないが、順調なら多少時間がかかってもわざわざ横槍を入れたりはしないだろう。

 

「いえ、良いものを見せていただきました。まさか、この試練を“対話”を以て攻略されるとは。御見それいたしました」

「そんな大層なものじゃないよ。戦っても自滅するだけだから戦わなかった、それだけ」

「……………………それでも、私には到底できる気がしません」

 

自分自身の試練を思い出したのか、フェリシアの表情に影が落ちる。

見たところ無事に試練は乗り越えたようだが、何か思うところでもあったのだろうか。

 

なんとなく無言のまま、二人は部屋の壁の一部が溶け姿を現した通路を進む。

いまいち居心地のよくない沈黙が二人の間を満たし、立香としてもどうしたものかと首を捻る。

 

(試練のことを聞く…のはマナー違反かなぁ。これ、思いっきりプライバシーにかかわることだし)

 

途中からとはいえ、自分の試練は思い切り見られていたことは棚上げしそんなことを思う。

男と女では、プライバシーの重さが違うのである。

 

「……リツカ殿」

「えっ!? なに?」

「先日の誓いを覚えておられますか」

「誓いって、旅が終わるまでってやつ?」

「…………………………私に、騎士を名乗る資格はありません。そのことを、今回は思い知りました」

「そう、かな? そんなことないと思うけど……」

「あの時、私はありったけの誠意を以て誓いを立てたつもりです。ですが、他ならぬ私自身がその誓いを汚していた。受けた恩に報いたいという思いは嘘ではありません。ですがそれとは別に、頭の片隅でどうすればあなた方を“利用”できるか考えていました」

 

目を伏せ、噛み締めるように、自分自身を糾弾するように紡がれる言葉。それは、フェリシアの懺悔だった。

 

 

「忘恩の徒、とんだ恥知らずではありませんか。そんな私に、騎士を名乗る資格など……」

「どうして?」

「当然でしょう。恩に報いるどころか、仇で返すも同然では……」

「いや、そっちじゃなくて、どうして利用しようと思ったのかなって」

 

怒るでもなく悲しむでもなく、ただ静かに立香は問いかける。

だからこそ、有無を言わせぬ何かがそこにはあった。

 

「……かつて解放者たちは、神に戦いを挑み敗北を喫したそうですね」

「うん。だからこその大迷宮なわけだし」

「大迷宮を攻略することで得られる神代魔法は、元はすべて解放者たちのもの。七つの神代魔法をそろえたところで、結局はかつての彼らに並ぶだけです。つまり、七つの神代魔法だけでは神を斃すには足りないということ。神を討つためには、さらに先の何かが必要になります。例えば、異世界の知識を下地に生み出されたアーティファクトの数々、あるいは異世界の英傑たちの力。そういった、今までこの世界になかったものが必要なのです」

 

そしてそれらは、ハジメや立香たちだけが所有するもの。これらを手に入れるためには、彼らを何とかして囲い込む必要がある。

 

「俺たちが欲しかったの?」

「……………………………はい。私には…この世界には、あなた方の力や知識が必要です。

ですが、それは同時に私たち自身の価値を貶めることにもなります。無関係であるはずの誰かに救ってもらわなければ立ち行かないのなら、その存在にどれほどの価値があるのでしょう。私たちは、私たち自身の手で自分たちを救わなければなりません。そうでなければ、縋る相手が神からあなた方に代わるだけのこと。私たちは、一歩も前に進んではいないことになります。それはきっと、彼らが望んだ“解放”からはかけ離れたことでしょう」

 

フェリシアとて、そんなことはわかっているのだ。救われることに意味はない。自らの手で切り開いてこそ、未来には価値がある。それを誰かに任せた時点で、自分たちは存在する意味と価値を失う……否、捨てるのと同じなのだと。

だが同時に、自分たちだけではそれが困難極まりないことだとも理解している。困難だからこそ、闘う意味がある。しかし、失敗してしまえばすべてが無に帰す。解放者たちが遺したものも、フェリシアたちの道程も、あるいはこれから先の多くが……。

尊厳のために不可能に挑むべきなのか、あるいは尊厳を捨ててでも神を討つべきか。フェリシアには、どちらを選べばいいかわからない。

 

「私自身の問題であれば、前者を選びます。ですが、事はこの世界に生きる全ての者達の未来に関わること。私一人の拘りのために、リスクは犯せません……しかし、尊厳すらも捨ててしまえば、私たちにいったい何が残るというのでしょう」

「……そうか、だから利用なんだね」

「はい。縋るのではなく、頼るのではなく、あなた方を利用する……とんだ詭弁です」

 

自分たちの才覚で力と知識を引き出し利用するのなら、確かに“縋る”のとは違うだろう。

相反する二つの想いと、その末に導き出した苦し紛れの詭弁。なにより、恩人に対しそんなことを考えてしまう薄汚れた愚かな自分。それをフェリシアは突きつけられたのだろう。

こうして試練を乗り越えてきたということは、彼女はそこから目を逸らさずに受け止めたはずだ。いや、だからこそ苦悩している。無意識化で処理していた謀を、はっきりと意識してしまったからこそ苦しんでいるのだ。

 

「フェリシアは、俺にどうしてほしいの?」

「……裁定を下していただきたい。誠心誠意仕えるという誓いを裏切ったのですから」

 

それまで下に向けられていた視線を上げ、まっすぐ立香の目を見る。

そこにはすでに暗い影はなく、強い覚悟が宿っていた。何と言われようと、そのすべてを受け入れる覚悟が。

きっと、「消えろ」と言えばもう二度と彼女は立香たちの前に姿を現さないだろう。そう確信できる。

だからこそ、立香は……

 

「じゃあ、このまま俺たちと一緒に行動するってことで」

「………………………………は?」

「だから、現状維持。氷雪洞窟の次は海底遺跡、その後はハルツィナ樹海ね」

「で、ですが! それではケジメが……」

「でも、それが一番フェリシアにとっては苦しいでしょ?」

「………………………」

「罰してもらって許されようなんて甘い甘い。フェリシアみたいな人には、罰も許しももらえないことが一番きついんだ。でしょ?」

 

『ちゃんとわかってるんだから』とばかりに微笑んで見せる立香。

確かにそれは、フェリシアにとって何にも勝る「罰」となるだろう。

 

「それに、答えを急ぐことはないと思うよ。頼るか頼らないか、それとも利用するのか。もっとじっくり考えて、それから決めればいい。幸いまだ時間はあるんだし、気長に行こう。もしかしたら、何かの拍子に別の答えが見つかるかもしれない。その時にこの縁を切っていたら、それこそ後悔するかもよ?」

「それは、そうかもしれませんが……」

「フェリシアの言いたいことは良く分かるんだ。俺もみんなに助けてもらっているけど、それを当たり前と思わないように気を付けてるつもりだから。きっと、みんなの力を“俺の力”と思った瞬間、俺という人間に価値はなくなるんだと思う。だから……うん、フェリシアのことは放っておけない。勝手かもしれないけど、同じ悩みを持つ仲間…みたいに思っちゃったから」

 

フェリシアの葛藤と立香の自戒が、本質的に同じものだからこそ……。

 

「それに、利用大いに結構。響きは良くないけど、利用し合うのだって協力の一つの形だよ」

「……承知いたしました。それが、あなたの望みとあらば。私は変わらず、あなた方と共に行きましょう。その裏で、あなた方を利用する術も検討すると致します。どんな状況にも対応できるよう、万全を期すために。それで、良いのですよね?」

 

フェリシアの問いには答えず、立香は氷の回廊を進んでいく。

その背中を見ながら、利用しようと画策する者すら受け入れるその度量に自然と頭が下がった。

 

(私とは、器が違う。決して非凡な方ではない。突出して明晰というわけではなく、武にも向いていない。恐らく、魔法も同様。心、あるいは感性とてまっとうな人のそれ。どこにでもいる、善良な青年の筈なのに……)

 

立香の試練の一端を垣間見て、フェリシアはそのことを理解していた。

彼は当たり前のように悩み、苦しみ……かつての罪に押し潰されそうになる、普通の青年だ。それでも、藤丸立香は決然と立ち続ける。踏み躙り、切り捨てたものへの責任を果たすために。

恐らくはそれらの経験が、彼の度量の広さ・深さの由縁なのだろう。

 

(知りたい。もっとこの方のことを、リツカ殿の旅路を。何を見て、何を成し、何を乗り越えてきたのかを……私は、知りたい)

 

恩義はある。憧憬もある。だがそれ以上に、藤丸立香という一人の人間、その歩みを知りたい。例え、一時交わったにすぎない道だとしても。まだ彼らとの旅が続くことが、今はどうしようもなく嬉しかった。

 

「これが出口かな? あ、もうみんな集まってる。フェリシアー!」

「……はい、ただいま参ります!」

 

 

 

  *  *  *  *  *  *  *  *  *

 

 

 

本来、ガーランド魔王国の王城は神の代弁者たる魔王のおわす場所ということもあり、荘厳かつ静謐な空気が漂う、ある種の聖域めいている。しかし、いまは常の雰囲気を覆し、慌ただしげに魔人族たちが行きかっている。

そんな中を、一人の青年が荒い歩みで進んでいく。思わず振り返った人々は、その険しい表情に気圧されたかのように道を譲っているのだが、青年はそれを気に留めたそぶりも見せず進み続ける。

 

やがて、青年は一際重厚な扉の前で足を止めた。ノックする時間すら惜しみ、荒々しく扉を開け放つ。

本来ならば咎めを受けるべき無礼だが、部屋の主……フリードは青年の姿を認めると、不問に付すことに決めた。彼の気持ちは、痛いほどに良く分かる。

 

「来たか、ミハイル」

「フリード様! 神託が降りたとは真ですか!」

「ああ。神の代弁者たる親愛なる魔王陛下より勅命が下った―――――異教徒共を滅ぼせと」

 

厳かでありながら、隠しようもない狂気の宿った声。もしフェリシアがこの声を聞けば、その顔を悲痛に歪めたことだろう。今のフリードの声と表情は、彼女の知るそれからは大きくかけ離れたものになり果てていた。

だが、眼前の青年…ミハイルは気付かない。それどころか、彼もフリードの狂気に当てられたかのように、目に憎悪の炎を灯していた。

 

「おおっ! では、あの裏切り者も!」

「無論だ。とはいえ、フェリシア…あの背信者が残していった爪痕は未だ補い切れていない。計画に修正を加えた上で、準備が整い次第動くことになるだろう」

 

フェリシアの手引きにより行われた妨害工作の被害は、決して小さなものではない。本来なら、その損失分を補ってから計画を実行に移すべきだ。フェリシアの読みでは、少なくとも数ヶ月は時間を要する…はずだった。

だが、神託が下ってしまえばその読みに意味はない。神託の前では、あらゆる事情・現実が意味をなさない。

本来なら数ヶ月後になるはずだった魔人族による大攻勢は、目前にまで迫っている。

 

「やっと、やっとなのですね! カトレアの仇を討つためならば、惜しむ命はありません! なにより……我らを、神を、カトレアを裏切った売女に、その罪を贖わせてみせましょう!」

「……お前の気持ちはわかる。だが、フェリシアは私が始末をつける」

「なっ!? ですが……!」

「裏切り者であろうと、奴は正真正銘の大迷宮攻略者。お前の手に負える相手ではない。口惜しいが、一騎打ちとなれば私とて分が悪い」

 

忌々しそうに、憎悪と憤怒に染め上げられた瞳で、フリードは絞り出すように告げる。認めがたいことだが、それが厳然たる事実であることを、他ならぬ彼自身がよく知っていた。

 

「それは……」

「アレを育てたのは私だ。だからこそ、私の手で汚点に始末をつけねばならない。お前とカトレアの分まで、奴には神罰を与えると約束しよう。わかってくれるな」

「……承知、致しました」

 

絞り出すように、本当は自分自身の手で討ちたい思いを抑え込んでミハイルは指示に従う。

フリードの言う通り、フェリシアを討つためにはフリードをぶつけるより他にない。かつては“魔人族の両翼”と称された片割れの実力は、彼とてよく知っている。

 

「……お前には、樹海攻略部隊に参加してもらう。本来なら樹海・王国・帝国の三ヶ所を同時に攻める手はずだったが……戦力が足りん。先に樹海を落とし、神代魔法を手に入れる。この意味、分かるな」

「まさかっ!」

「神代魔法の使い手二人がかりとなれば、如何にフェリシアとて為す術はあるまい。違うか?」

「無論です! 必ずや亜人共を滅ぼし、神代魔法を手に入れて御覧に入れます! その暁には、どうか!」

「わかっている。良く励め、期待している」

「お任せを! ですが、フェリシアの所在は……」

「奴の行き先は氷雪洞窟だ。恐らく、手引きした人間族に変成魔法を手に入れさせるつもりだろう。だが、あの魔法は即座に戦力増強につながるものではない。まだ猶予はある。今は氷雪洞窟の出口に網を張り、行く先を監視させている。まぁ、奴の狙いは十中八九“勇者”だろうがな。つまり、向かう先はハイリヒ王国と見てまず間違いない。監視は、その確証を得るためだ」

「なるほど、好都合です。フェリシアと勇者、裏切り者とカトレアの仇、諸共討って見せましょう!」

 

実力的には神代魔法を手に入れる以前のフェリシアにも数段劣るミハイルだが、時に士気の高さは実力以上の結果を生み出すことをフリードは知っている。今のミハイルにフリードが強化した魔物のサポートがあれば、十分に大迷宮攻略の可能性があるだろう。

 

「その意気だ。私はその間に大火山の神代魔法を手に入れる。あちらは既に人間族の手が入っているが、如何なる罠があろうとも蹂躙してくれる」

 

グリューエン大火山は、魔人族と立香たちが最初に接触した場所。当然、大火山に秘された神代魔法が彼らの手に渡っていると考えるし、それは正しい。同時に、何らかの罠なり妨害工作なりが為されていると警戒する。人間族としても、みすみす神代魔法を奪われることを良しとするはずがない。実際、魔人族側も氷雪洞窟周辺に強力な魔物を放つなどして、同族以外の侵入を阻んでいる。まぁ、サーヴァントの前では無力だったが。相手が似たような対策をしていると考えるのは、自然なことだろう。

その点、魔法を使えない亜人たちの領域である樹海の方が危険度は低いとみての采配だ。

 

「次に会う時は王国を落とす時だ、吉報を待っているぞ」

「閣下も、御武運を!」

 

この直後、フリードの執務室にある報告がもたらされた。

氷雪洞窟の出口に配置されていた魔物が一掃されたこと。結果、フェリシアたちの行く先が不明であること。そして……赤雷を放つ黒竜が何処かへと飛び去ったと。




これにて第三章はおしまい。
次回からは第四章に入ります。ようやくハジメたちと合流ですね。

第四章「混沌蹂躙戦域 フェアベルゲン」 副題「狂騒兎」

何とか八月中にここまでこれました。


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第四章「混沌蹂躙戦域 フェアベルゲン」 副題「狂騒兎」
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活動報告の方で第三章時点までの立香・マシュ・フェリシアのステータスを公開しています。フェリシアについてはFGO風のステータスも興が乗って書いてしまいました。興味があればどうぞ。


 

シュネー雪原は一年を通して曇天に覆われ、吹雪によって閉ざされた極寒の大地だ。

本来なら視界の確保すら困難な場所だが、それも遥か上空を行く分には関係のない話。

 

冴え冴えとした月光に照らされる雲海の上を、一頭の黒竜が滑るように飛翔する。

空には上弦の月と満天の星、眼下にはどこまでも続く純白の海。

世に絶景・美景は数あれど、これほどの景観はそうはない。天空を自由に舞う鳥ですら、高度が足りずこの景色を見ることはついぞできないだろう。

黒竜の背に乗る面々は、思い思いにこの絶景を楽しんでいる。ある者は月と星を肴に酒杯を傾け、またある者は愛する者との語らいに興じ、またある者は言葉もない様子で圧倒されている。

 

そんな中、集団から離れ竜の頭部近くに座る少女が一人。

愛おしそうに、あるいは感慨深そうに漆黒の鱗を撫でながら、少女…ジャンヌ・ダルクは呟く。返事のないはずの呟きはしかし、すぐ間近にある黒竜の口から返された。

 

「そういえば、こうしてジーク君の背中に乗せてもらうのは初めてですね」

「そうだな。本体ならともかく、端末の俺では竜体は一時的なものだ。一気に焼き払うのではなく、こうして飛翔するのには不向きだろう」

「転身を持続するには令呪によるブーストが必須、私事(わたくしごと)のために令呪を消費するわけにはいきませんし……」

 

だが、だからこそこの機会を大切に思う。滅多にない事だからこそ、有難みがある。ジャンヌの声音にはさほど残念そうな印象はなく、むしろ機会を得られたことに対する喜びがあった。

 

「わぁっ……♪」

「どうやら雪原を抜けたようだ。しかし、不思議なものだな。まるで何かで仕切られているかのように雲が途切れたぞ」

「ですね。見たところ、地上にも雪や氷も見えませんし……ふふっ、妹たちにも見せてあげたいです」

「そうか…いや、そうだな」

 

彼女が妹と呼ぶ存在は、両名とも何かにつけてジークを構う。それ自体は嬉しく思うのだが、次女(オルタ)に無理難題を吹っ掛けられたり、三女(リリィ)に背に乗せて飛んでくれとせがまれたりするのは…なんというか、ちょっと困る。

別にそれでジャンヌ(長女)が不機嫌になったりケンカの種になったりするわけではないのだが、妙なバツの悪さを感じてしまうのだ。何名かの男性サーヴァントに相談したこともあるのだが、誰も彼もがニヤニヤするだけで「気にするな」とか「これも修行だ」とか、「上手くやれよ」と曖昧極まりない事しか言ってくれない。

とはいえ、別段彼女たちのことを忌避しているわけでもないので、ジャンヌの意見にはおおむね賛成だ。

しかしそこで、ジークは自身の身体に起きた異変に気付く。

 

「……むっ」

「どうかしましたか、ジーク君?」

「すまない、ルーラー。マスターを呼んでくれないか。どうやら竜体の維持も限界らしい。転身を解いて陸路を進むか、それともさらに令呪を消費して飛ぶか、判断を仰ぎたい」

 

本体はともかく、端末である今のジークの身体は人型がベースで、竜体は一時的な変化に過ぎない。それを長時間にわたって維持しようとすると、令呪によるブーストが必要になる。氷雪洞窟を出る際、強行突破がてら他のサーヴァントの援護も受けながら転身して焼き払い、そのままここまで飛んできたわけだが、それもそろそろ限界のようだ。

 

「わかりました、少し待っていてください。あ、それと……」

「どうかしたか?」

「クラスではなく名前で呼んでくださいと、いつも言っているでしょう。エクストラクラス…特にルーラーは少ないですが、それでも他にもいるんですから、紛らわしいじゃないですか」

「だが、今回ルーラーは……」

(じーっ)

「それに、他のルーラーは天草四郎とホームズだぞ? 別に紛らわしいということはないと思うが……」

(じ――――――――――――っ)

「……すまない。善処はするが、少し時間を貰えないだろうか」

「ええ、もちろんです。気長に待ちますから、代わりに必ず直してくださいね」

「わかった」

「…………で、皆さんはこちらをチラチラ見ながら何をニヤついているんですか?」

『別に~』

「フォ~」

 

カルデアに召喚される以前からの知人らしいが、ジークが言うにはお互いそのあたりの記憶が曖昧らしい。曰く「違う形で再会しない限りは……」ということだが、結局こうしてイチャついているのだから、なるようになる二人なのだろう。というのが、カルデア一同の共通見解だ。

 

閑話休題。

ガーランド領内にいる限りは、いつまた追っ手が差し向けられるかわからない。避けられる戦いは避けるに越したことはない、ということで残る令呪も使い切って一気に国境を越えた一行。その後はハインケルに乗り換え、ハジメたちと合流すべく海辺の町【エリセン】へ向かう……のだが、ここでもちょっと一悶着があり

 

「え~、良いじゃねぇかよ~! 俺が運転してもよ~!」

「いやぁ…それは、その~……」

「俺騎乗スキル持ってるしよ~! なんでダメなんだよマスター!」

「だって、モードレッドの運転って……」

「俺の運転が何だってんだ、あぁ!?」

「あの、何か問題があるのでしょうか? 話を聞く限り、“うんてん”には自信がおありのようですが」

 

ごつい甲冑に身を包みながら、中身は華奢な女性というあたりにちょっと親近感なんて抱いていたフェリシアが、困惑気味にマシュに問いかける。基本的には立香の意向を優先する彼女がこうしてお伺いを立てているあたり、モードレッドへ同情心とかが湧いているのだろう。

とはいえ、今回に関して言えばモードレッドを擁護する者はほぼいない。

 

「確かに、モードレッドさんの騎乗スキルはBランクなので、かなりお上手ではあります。ですが……」

「ウー……二度と、ごめん、だ!」

「フランケンシュタインがしゃべってまで拒否する、それで察してくれ」

「彼女、言動通り色々荒いというか雑ですから」

「な、なるほど……」

 

粗野だったり荒っぽかったりする部下もいるにはいたが、モードレッドほど振り切れているタイプはいなかったのだろう。フェリシアの顔からは、濃い困惑の色がうかがえた。

 

「なー、良いだろマスター! なー! なー! なーってばー!」

(まるで、親に小遣いを強請る子ども……は失礼でしょうか?)

 

失礼な言い草ではあるが、同時に的を射た表現でもある。たぶん、口にすればモードレッドは激怒し、周りはしきりに賛意を示したことだろう。

ただし、フェリシアが実際にその思いを言葉にするより早く、とってもいい笑顔でモードレッドの肩を「ガッ」する者がいた。

 

「サー・モードレッド、あまりマスターを困らせてはいけませんよ」

「あん? なんだ、鉄拳聖女かよ。お前は関係ねぇんだから、すっこんで…「ん?」…いや、なんでもねぇ」

「そうですか、ではちょっと話があるので付き合ってください。大丈夫、手間は取らせませんから、ね?」

「いや、待てよ。俺は別にお前に用なんて……」

「そう言わずに、すぐに済みますから。マスター、少しサー・モードレッドをお借りしますね」

「ハイ、ドウゾ」

 

そうして水辺の聖女(鉄拳聖女)に物陰へと連行される叛逆の騎士。間もなく夜空に響き渡る鈍い音の数々。

 

「リ、リツカ殿? あの岩の後ろから、不穏な音がするのですが……」

「フェリシア」

「は、はい」

「俺たちは何も聞いてない、いいね?」

「え、ですが……」

「なにも 聞いて いない……OK?」

(ちらっ)

『サッ!』

 

助けを求めるように周りを見れば、惚れ惚れするほど一糸乱れぬ動きで目を逸らす仲間たち。

フェリシアはこの瞬間悟った。「あ、これ追求しちゃいけないやつだ」と。

何とも言えない静寂が場を満たし、途方に暮れるフェリシアだが……やがて岩の陰から実にいい笑顔のマルタと腹を抑えて前屈みのモードレッドが姿を現した。

 

「えっと、大丈夫?」

「はい、サー・モードレッドへの説得(物理)はつつがなく。ですよね?」

「……お、おう…うっぷ!?」

「では運転の方は私が。さぁ、皆さん乗り込んでください」

『は~い!』

(い、良いのでしょうか?)

 

モードレッドの背中をマシュと共に擦りながら、宝物庫から出したハインケルに乗り込むフェリシア。

もちろん、訓練されたカルデアの仲間たちはそんな目に見える地雷を踏んだりはしない。一名、全力で現実から目を背けている要塞聖女(ジャンヌ)もいたりはしたが。そのおかげもあり、色々と疑問は尽きないものの、深入りしてはいけないことだけは本能が訴えかけている。

とりあえず、立香やマシュから各サーヴァントの伝承や人柄などを聞いておこうと内心決意するのだった。

 

そうして、新たな仲間たちを迎えたカルデア一行は一路【エリセン】を目指すのだった。

 

 

 

ということがあってから数日後。

ハジメたちに少々遅れてエリセンに到着した立香たちは、海の大迷宮【メルジーネ海底遺跡】へ挑む……前に、海辺のバカンスを満喫していた。

 

「行くぞ相棒! 逆巻く波濤を制する王様気分(プリドゥエン・チューブライディング)! いぃぃぃやっほうぅぅ!!」

盗んだ(ガメた)ボードで波乗りしだすって、どこの尾〇だよ」

「まぁ、モードレッドはある意味反抗期を拗らせまくってるから」

「というか、近くにいた海人族たちが波に飲まれているのは良いのだろうか?」

 

並んで桟橋に腰掛けながら、朝一で海を満喫する叛逆の騎士をぼんやりと眺めながら駄弁る男衆。

だが、ジークの懸念も最もだ。如何に水中がホームグラウンドの海人族といえど、大時化レベルの波の前では為す術もない。まぁ、大波といっても単発なので、その内勝手に浮き上がってくるだろう。それよりも問題なのは、現在進行形でそのつぶらなお目々をキラッキラさせている幼女の方だ。

 

「パパ! パパ! モーちゃんスゴイの! ミュウもやってみたいの! グリーンルームに入るの!」

「ミュウちゃん、どこでそのネタを……」

「ちっ! ここにもシアの同類が……情操教育に悪いにもほどがあるだろ」

「本日の“おまいう”いただきました」

「あん? 立香、そりゃどういう意味だコラ」

ティオ(駄竜)のご主人様、毎夜の爛れた性活、しかも相手は二人、敵は問答無用でスプラッタ……何か反論は?」

(ぷいっ)

 

ぐぅの音も出ないとはこのことである。

 

「パパ! ミュウもあれやりたいの!」

「ダメに決まってるだろ」

「なら、モーちゃんに乗せてもらうの!」

「もっとダメだ」

「マスター、一般的な親子とはこういうものなのか?」

「……まぁ、カルデアの親子関係よりは世間一般に近い、かな?」

「あらあら、うふふ……そうですね、娘の我儘に振り回されるのは男親の特権といえば、そうかもしれませんね」

「なるほど、そういうものか……」

 

肩車したミュウ(愛娘)に頭をペシペシされるハジメに艶やかな微笑みを浮かべるミュウの母レミアの回答に、知識はあっても経験に乏しいジークはしきりにうなずいているが、訂正するべきか悩む。

概ね間違ってはいないと思うのだが、何かが致命的に間違っている気がする。カルデア(非常識)に慣れてしまい、最近なんだかその辺の境界が曖昧になっている気がするのが、目下の悩みどころだ。

しかし、そんな立香のひそやかながら深刻な悩みなど、海で浮かれに浮かれているサーヴァントたちには関係のねぇ話である。

 

「ぁ、ジーク君♪ お待たせしました。さぁ、早速行きましょう!」

「ルー…ジャンヌ。マスター、すまないが……」

「うん、いってらっしゃい。楽しんでくるといいよ」

 

何故か周囲に空飛ぶイルカを伴いながら、海を満喫する気満々の格好の聖女が手を振っている。ジークもそれに応えるように腰を浮かせるが、一応サーヴァントとしてマスターである立香に一言断りは入れてくれるあたり、彼の生真面目さがうかがえるだろう。

 

「意外っつーか、なんつーか……あの有名な聖女がなぁ」

「英雄も聖女も、一皮むけば一人の人間ってことだよ」

「そりゃそうなんだろうが、ケロッと言えるお前はやっぱすげぇよ」

 

『そう?』とでも言いたげに首を傾げる立香に肩を竦めながら、邪竜と聖女という相容れぬ肩書を持ちながらどこにでもいる恋人のように腕を組む二人を見送る。

 

「でもよ、水着に着替えたくらいで霊基ってのは変わるもんなのか?」

「普通は変わらないんだけど、一部サーヴァントはスカサハとかが霊基を弄ったから」

「ボードに乗るからライダーはまだ分かるが、イルカを撃つからアーチャーってどういう理屈だよ」

「まぁ、その辺けっこう緩いから。石を投げたり銃を撃ったりするのはまだ序の口。剣やら電気やら、中には視線を飛ばすアーチャーもいるし」

「飛ばせばなんでもアーチャーかよ……」

 

訳が分からんとばかりに空を仰ぐハジメ。

ハジメたちがエリセンに到着して既に3日、立香たちが合流して1日が経っていた。次なる目的地が【海底遺跡】ということもあり入念に装備は整えているが、それも立香たちと合流する頃には完了している。いつでも攻略に向かうことはできるのだが、大迷宮を攻略してしまえばエリセンに留まる理由もなくなる。それはつまり、ミュウとの別れを意味している。

久しぶりにのんびりと羽を伸ばしたいというのも嘘ではない。だが、心の奥深くで別れのカウントダウンへのスイッチを入れることに対する躊躇があるという自覚はある。自分の中に生じた、その“余分”をどう処理すべきか。それこそがハジメが天を仰ぐ本当の理由だった。

 

(恨むぜ、先生……)

 

言葉にはせず、内心でぼやく。香織とユエ、この二人の存在もあってハジメは身体だけでなく心まで“バケモノ”になることはなかった。しかし、それでもこの世界の一切合切を切り捨て、目的のためには犠牲を厭うつもりはなかった。

そんな彼が考えを少し変えるきっかけとなった恩師。変わり果てた自分に対しても変わらず“先生”として“生徒”を思ってかけてくれた言葉。恨み言を言うつもりはないし、心から感謝している。愛子の存在があったからこそ、得られたものがあり、その得難さをハジメは理解しているのだから。

 

(……変わったな、ハジメ。オスカーの隠れ家を出た頃より、随分と人間らしくなった。いや、変わったんじゃなくて、取り戻しつつあるってことか)

 

奈落の底で、圧倒的弱者だった彼が生き残るために削ぎ落とした多くのもの。ユエと出会ったことで決定的なものが損なわれることにはならず、香織の存在によって拾い上げられたものは多い。

それでも、かつてのハジメは人として危うかった。抜き身の刃ならぬ、安全装置の外れた拳銃のような。少しでも引き金に力が籠れば、即座に致命の一撃が放たれる。そんな危うさ。

だが今の彼はしっかりと安全装置がかけられ、多少のことでは外されないという安心感がある。まぁ、拳銃本体で殴りつけてくる危険性は否定できないし、代わりに爆弾を放り投げてくる突拍子の無さはあるのだが。

それでも、友人の変化は立香にとっても好ましい。今すぐではなくても、いずれは地球…日本での日常にとけこめるようになる日も遠くないだろう。

 

「にしても、アイツら遅くないか?」

「あらあら、あなた。女性の身支度には時間がかかるものですよ」

 

上品に微笑みながら窘められるハジメ。いろいろあって重傷を負い、一度は歩けるようになるかさえ危ぶまれた彼女だが、治癒師として突出した腕を持つ香織のおかげで回復の目途も立った。まだ治療中で歩行や泳ぐことはできないのでこうして桟橋に腰掛けているが、完全回復も遠くはない。

ただ、そんなことよりハジメとしては彼女の呼び方が気になるわけで。

 

「いや、だからその呼び方は……」

「ハジメ……いや、ハジメさん」

「……なんだ、いきなり敬称付けやがって」

「本妻・正妻に続き、愛人に奴隷、娘に加えて現地妻ですか。マジパないっすわ」

「やめろ。まるで俺が下半身でものを考えているロクデナシみたいじゃねぇか」

「え?」

 

『違うの?』とでも言いたげな立香に、本気で殺意が芽生える。

本妻(香織)正妻(ユエ)については反論余地がないし、ミュウについても口籠らざるを得ない。だが、残り三つについては頑として否定したい。いくら何でも、そこまでだらしない下半身はしていない。

 

「みゅ?」

「あら? どうしたの、ミュウ」

「いま“ポーン”って音がしたの」

「? ママには聞こえなかったのだけど……」

「まぁ、偶にはのんびりしたっていいじゃないか。残る大迷宮はあと二つ、とりあえずは順調なんだしさ」

「まぁ、な。帰るための明確な手掛かりがないのが不安といえば不安だが、言っても始まらねぇし。なんだかんだ、大迷宮の試練はキツイからな。ここらで英気を養うのも必要か」

「そうそう。ネックは魔人族の動きだけど、そっちもしばらくは大丈夫。向こうが動けるようになる前には、残りの大迷宮の攻略は間に合うって」

「そうだな」

「みゅっ! また“ポーン”って音がしたの! 旗が立ったみたいな音がしたの!」

「あらあら、不思議ねぇ」

 

不用意なことを言ってはいけない、これ異世界生活の鉄則である。

とそこで、絹を裂くような悲鳴が……

 

「ひゃ―――――――――――っ!?」

「……おい、今の」

「フェリシア?」

 

聞き覚えのある、だが聞きなれない人物の悲鳴。どちらかといえば、悲鳴よりも「くっころ」の方が似合いそうな彼女のああいった声というのはレアだ。

声の元はハジメたちが逗留させてもらっているレミアの家。現在は事実上の女子更衣室なので、立香やハジメでも迂闊に踏み込めない。フェリシアが悲鳴を上げるほどの事態となるとただ事ではなさそうだが、あまり心配はしていない。あそこには今、フェリシアの他にもユエ(チート吸血姫)香織(ストーカー治癒師)シア(バグウサギ)ティオ(駄竜)、加えてマシュ(デミ・サーヴァント)といった一騎当千の猛者が揃っている。フェリシア自身も、実力的にはユエたちに劣らない。

それこそ、大迷宮でもない限りあのメンツがどうこうなることはないだろう。例外があるとすれば、あのメンツ同士でじゃれ合っている時だ。なので、特に心配する必要はない。ないのだが…それにかこつけて下心を丸出しにする懲りないバカはいるわけで。

 

「むっ! これはか弱い乙女の悲鳴に違いない! 紳士として助けに向かわねば! そう、紳士として!」

「鼻の下が伸びまくりじゃねぇか、この紳士(笑)」

「もしもし警察(アルテミス)ですか? はい、ここに女子更衣室をのぞこうとしている不審者(オリオン)が……」

「ははは、何言ってんだよマスター。そんな冗d……」

「だ~り~ん~?」

「ごめんなさいごめんなさいちょっとした冗談なんです出来心なんです本気じゃないんです愛しているのはお前だけであって別に他の女の子にちょっかいかけようなんて全然思ってなくてあくまでも一人の紳士として助けに行こうかなっていうそれだけなんですそもそも当方あなたのヒモなんですよね調子乗ってすんませんでし…らめえええええワタが出ちゃううううううう!!」

 

頭と足を潰す勢いで握られそのまま折檻(雑巾絞り)されるブサイクマ。

 

「……なぁ、あれって綿と腸をかけてるのか?」

「さすがオリべえ。ギャグ一つに命懸け、よっ芸人の鏡。ところで、いよいよ長年の疑問だった、ペットなのかぬいぐるみなのかがはっきりするなぁ」

「悠長なこと言ってないで助けろ! ちがった、助けてくださいお願いします! ってかそもそも、俺芸人じゃなくて狩人なんですけどぉ!? ぁ、やめ、ほんとにそれ以上はお助けえええええええ!?」

「懲りないなぁ……」

(アレに比べれば俺はまだまだましだな、うん)

 

1人何かに納得しているハジメ。まぁ、確かにあれ程節操なしではないが、オリオンを比較対象に自己弁護している時点で大概である自覚はない。

そうして、ぐったりとしたクマとウキウキした様子でデートへと向かう恋愛脳(スイーツ)系女神様。

あれほど「結婚は人生の墓場」という言葉が似合うカップルも稀だろう。なんとなく合掌して見送る立香とハジメ。そんな二人の下へ、不思議そうに首を傾げながら着替えを終えたマシュと香織がやってきた。

 

「どうかしたんですか、先輩」

「……ハジメ君?」

「気にしなくていいよ」

「ああ、一人の男が月に召されただけだ」

「はぁ?」

「そっか…………」

(ほんとに大丈夫なんだろうなぁ、立香の奴)

 

良く分からない様子のマシュと、いまひとつ表情が冴えない香織。本人は努めて明るく振る舞おうとしているが、正直言ってあまり取り繕えていない。立香たちと合流する少し前あたりから、香織はよくこういった様子を見せている。その理由は凡そ見当がついている。本人が「大丈夫」と虚勢を張るのと、立香から「悪いようにはならない」とのお墨付きをもらっているので敢えて気付かないふりをしているが、やはり心配なものは心配だ。

まぁ、それを口にすれば誰からとは言わないが「過保護」と苦笑されるので、わざわざ言ったりはしないが。

 

「ところで、さっきの悲鳴って……」

「実は……」

 

少し時間を遡り、先の悲鳴が上がる直前。レミア宅では、こんなことが起こっていた。

 

「ご、後生です! 後生ですからそれだけはお許しください!」

「まぁまぁ……ほら、これなんてどうです?」

「む、無理です無理です! 絶対に無理です! そんな、そんな腕も足もむき出しで、おへそまで……」

「ですが、これはれっきとした水着ですぅ」

「……ん。私たちも同じ、恥ずかしがる理由がわからない」

 

シアの手にある水着は青いビキニ。かなり布面積は少ないが、それでもまぁ常識的な範囲だ。むしろ、シアの普段着より幾分か大人しいくらいだろう。

ただ、肌を露出する衣装と縁遠かったフェリシアにとっては、あまりにもハードルが高かった。

 

「仕方がないのぅ。では、これはどうじゃ?」

「…………なんですか、ソレは」

「無論、見ての通りの水着じゃよ」

「ですが、ですがそれは…………ほとんど紐じゃないですか!?」

 

所謂「スリングショット」。大事なところはちゃんと隠れているが、逆に言うとそこしか隠れていない。明らかに悪ノリした結果のチョイスだ。

 

「では、これでどうです! 樹海ではよくやってましたよ」

「葉っぱ!? 葉っぱですよね、ソレ! もはや布ですらないではありませんか!?」

「甘い! 甘いのう、シアよ! 川や湖ならそれも良いじゃろう。しかしここは海! 海ならば、やはりこれじゃ!」

「なんだとぉ、ですぅ!? それはまさか……」

「うむ! 海といえば魚貝! TPOに則った貝殻でこしらえたビキニじゃ!」

「それで何を隠せるというんですかぁ!?」

「むむ、やりますねティオさん。さすが竜人(駄竜)族」

「おぬし、今とんでもないルビを振ったじゃろう……ハァハァッ! イカン、怒るべきとわかっているのに…… 鎮まれ、妾の溢れるリビドー!」

「ですが、私も負けませんよ! さぁ、フェリシアさん。どちらにしますか? もちろん、私ですよね?」

「自分で振っておいて無視とは……まったく、弁えた仲間よのぉ。じゃが、そこは妾の方じゃろ。のう、フェリシアよ」

「ひっ!? そ、それは……」

「さぁさぁ!」

「良いではないか良いではないか」

 

フェリシアの貞操観念的にあり得ない水着を手に迫るシアとティオ。じりじりと迫る二人に、あまりの衝撃に腰が抜けたのかフェリシアは涙目になって後ずさる。さながら、捕食者に追い詰められる哀れな獲物如し。

その後ろでは「私が勧めた水着にしておけばよかったのに」とばかりにユエが溜息をついている。ちなみに、彼女が勧めたのは比較的布面積が多めのビキニにパレオの組み合わせ。二人が勧めてくるそれらに比べれば、はるかにおとなしい代物だ。だがそれでも、フェリシアとしては無理な代物だった。腕を出すだけなら辛うじて許容範囲だが、太股を晒したりへそを見せたりするなどありえない。なので、ワンピースタイプでもアウト。競泳水着でも厳しく、ダイビングスーツでもない限りは無理な相談なのだ。

そして、エリセンではそういった水着は取り扱っていない。挑戦的な水着ならいくらでもあるのだが……つまり、初めから詰んでいたのだ。

 

「それにのぅ、騎士たるものこれくらいで恥ずかしがってなんとする」

「そ、それは……」

「それに、アレを見よ!」

「あれ? ……っ!?」

 

あまりの光景に絶句するフェリシア。そこにいたのは、シアやティオが勧める水着とも呼べない何かに負けず劣らぬ挑戦的な格好をした赤毛の少女。具体的には、大事なところだけ隠すように包帯を巻いただけのフランの姿。

 

「あついぃ、だるいぃ……はやくうみぃ~」

「あ、コラ! 待ちなさいフラン! そこ緩んでるわよ! そんな状態で海に入ったらすぐ解けるでしょうが!」

「う~、まるたうるさぁい。このままじゃおーばーひーとする、とめるならこおりください」

「はいはい。ちょっとユエさん、氷貰えます?」

「……ん、わかった」

 

つば広の帽子をかぶった水辺の聖女の要請で、ちょうど人間一人分くらいの大きさの氷を出すユエ。

フランはそれにくっついて涼を取り、その間に弛んでいた結び目を結び直すマルタ。

とはいえ、それでもあまりにもはしたない格好に、フェリシアの目が点になる。

 

「普段はしっかり者のフランさんもあの通り。これが海の魔力ってやつですぅ」

「うむ。海ではだれもが開放的になるもの。お主もここは一念発起する時ぞ」

「というわけで、ほらほら着てみたら意外と……はっ! 大変ですユエさん!?」

「……ん、どうしたのシア?」

「私、今ちょっとドキドキしてきてますぅ! 嫌がる美人を剥いてあられもない格好に…イケナイ感じが堪らないというか……」

「……だめ、戻ってきてシア。そこから先は地獄(ティオ)だぞ」

「お主ら、失礼にもほどが……んんっ! でも感じちゃう、悔しい!!」

(い、今のうちに……)

 

何やら内輪もめが発生しているうちに、こそこそと逃走を図るフェリシア。騎士にあるまじき…などと言ってはいられない。頼みの綱はマシュだが、彼女はさらに後ろで困ったように苦笑いを浮かべているので当てにならない。助けたいのは山々だが、一種異様な空気ができていてどう介入していいかわからないのだろう。

ちなみに、その横では香織がやはり今一つ浮かない表情で立ち尽くしている。これでは助力は期待できない。

なので、あとはもう自力で逃げるしかないのだ。

 

(動け、動きなさい私の足! あの厳しい訓練は何だったのです!)

 

別にこんなことのために鍛えたわけではないので、それは無茶ぶりというものだろう。

とはいえ、あともう少しで玄関。ここさえ抜けてしまえば……というところで、見つかってしまうのがお約束。

 

「あっ! フェリシアさんが逃げます!」

「なにっ! 逃がさぬぞフェリシア!!」

「まずは逃げられないように剥いてやるですぅ!」

「うむ! おや? 妾がいずれご主人様に使ってほしいアイテム一式の荒縄がなぜかこんなところに……」

「あ、ぁあ……お、お許しを―――――――――!!」

「逃がすかぁ、ですぅ!!」

「さぁ、共に新たな扉を開こうぞ!!」

「ひゃ―――――――――――っ!?」

 

ということがあったわけだ。

這う這うの体で逃げだすことに成功したフェリシアは、アテもなくエリセンの町を放浪する。いま戻れば、きっと先の二の舞だろうことは想像に難くない。遠方からは「ふんぬぁ!」とか「むぁだまだぁっ!」とか、妙に暑苦しい声が聞こえてくる。なんでも、ハジメたちが訪れた時にちょっとしたすれ違いから騒動になり、手も足も出なかった自警団が特別講師を迎えて鍛え直しているらしい。あまりバカンスや遊興に縁のなかったフェリシアとしては、そちらの方が落ち着くので気が付くとふらふらっと足が向いてしまう。

だがそこで、フェリシアは一つの天啓を得るのだった。いや、もう正直神とか全くアテにしていないのだが。

 

数時間後。

種族特性を発揮して、チートの権化達から華麗に逃げ回る変則的な鬼ごっこ(ミュウ以外全員鬼役)を全力で楽しんでいるミュウを桟橋に腰掛けて眺める立香。初めは彼も参加していたのだが、あっという間に体力が尽きて見学に回った次第である。いや、立香の体力は決してバカにできたものではないのだが、比較対象が悪すぎる。

一番体力的に立香のレベルに近い香織ですら、久しぶりに会ったら立香を優に上回る身体能力を身に着けていた。正確には、魔力による身体強化のレベルが立香より数段上なのだ。オルクス大迷宮を出る頃にはそう差はなかったはずなのに……改めて、自身の凡人っぷりを突き付けられる。

だが、今更自分の凡庸さに凹んだりはしない。というより、今はそんなことより目のやり場に困る。

 

「ミュウちゃ~ん、お願いですから水着返してくださ~い!」

「ミュウちゃん、やりすぎ……」

「あらあら、あの子ったら」

 

油断があったとはいえ、シアから水着を奪うとは大したものである。ただし、そのおかげで彼女のたわわな双丘が露わになっている。一応手ブラで隠してはいるが、目のやり場に困ることに変わりはない。

まじまじ見るなど論外だし、かといって視界に入ればつい目が行ってしまうのが男の性。ならばできることは一つ、全力で視線を逸らし視界に入れないようにするしかない。

 

しかしそこで、思いもよらぬ人物が乱入する。海中を黒い影が生半可ではない速度で進み、ミュウの背後に迫る。いち早く気付いたハジメ(パパ)が指弾の構えを取るが、技能「気配感知」が捉えた感覚から警戒を解く。わからないことだらけではあるが、ミュウに危険がない事だけは確かだからだ。

黒い影は泳ぐミュウのすぐ真後ろまで迫ると彼女を捕らえ、一気に水上へと飛び上がった。

 

「みゅっ!?」

「ふふっ、捕まえましたよミュウ殿。さあ、シア殿に水着を返してください。それは少々オイタが過ぎますよ」

「フェリシアお姉ちゃん!?」

 

そう、そこにいたのは長袖のパーカーを羽織ったフェリシアだった。普段は一房だけ伸ばした白髪をうなじの辺りで結っているのだが、今は邪魔にならないように後頭部辺りでまとめている。

それだけでも少々印象が変わるのだが、今はそんなことは些事だ。何しろ、彼女の変化はそれどころではない。

 

「お主、どうしたんじゃその足は……」

「ふ、ふふ、ふふふふふふ……考えてみれば、簡単なことなのです。腕を出すのが恥ずかしいのなら長袖を、おへそを出したくないのなら上着を切ればよいだけのこと。ならば、脚も同じこと! ですが、服を着ては動きにくい。ならば方法は一つ、動きやすい形で足を覆ってしまえばよいのです!!」

 

そう高らかに謳ったフェリシアの下半身に……脚はなかった。代わりに彼女の下半身は両足が一体となり鱗で覆われ、足首から先はヒレのようなものに変化している。それは所謂……

 

「「「「人魚(です)、ソレ!!」」」」

 

地球出身者からすれば馴染み深いファンタジーな存在。今のフェリシアは、水着の上からパーカーを羽織った人魚そのものだった。

 

「人魚って何ですぅ?」

「聞いたところ、海人族とも違う感じじゃが……」

「……ん、内輪ネタ良くない。私たちにもわかるように説明」

 

海人族はいても人魚はいない異世界トータス。説明に少々時間をかけながらも、そういう御伽噺上の存在がいることを説明される現地人の皆さん。普通なら中々イメージがしにくいところだろうが、現物というべきものが目の前にいるので飲み込みやすかったのか、すぐに納得してくれた。

 

「……つまり、変成魔法で魚の魔物の魔石を使った?」

「はい。これなら無暗に肌を晒すこともありませんし、何より水中も自由自在に泳げます。ふふっ、今の私なら海人族が相手でも負けはありません」

 

誇らしげにない胸を張るフェリシア。実は水着が恥ずかしいのとは別に、みんなと一緒に海を満喫できないことがちょっぴり寂しかったらしい。しかし、これでその問題も解決。思う存分、皆と親交を深めることができるとあって、ちょっとテンションが上がっているらしい。

そして、それにプライドを刺激されたのが海を独壇場とする海人族たるミュウだ。魔法は使えないし、陸上では脆弱な彼女だが、海の中は自分たちのフィールド。そこで負けはないと言われては、ちょっと流せない。

 

「その言葉、挑戦と受け取った、なの! 今度はミュウが捕まえるの!」

「ふふっ、では早駆けと行きましょう!」

 

厳密には早駆けではなく競泳辺りが妥当だろうが、二人はそんなことお構いなしに進んでいく。先行するフェリシアと追うミュウ。より泳ぎに特化した構造と優れた身体能力を誇るフェリシアに分がありそうだが、まだあの身体に不慣れなのか、それとももっと別の要因があるのか、勝負は一進一退の様相を呈している。

正直、いくらチートの権化達とはいえあの速度には追い付けそうにない。

 

「凄まじいのぅ。ミュウが子どもとはいえ、よもや水中で海人族と渡り合うとは……」

「……ん。変成魔法、思ってたより応用の利く魔法みたい」

「というか! 私の水着返してくださいってば! なんで持ったまま行っちゃうんですか――――!?」

 

うっかり水着を返し忘れてしまったがために、半泣きになって叫ぶシア。だがそこで、新たなストレンジャーが姿を現した。

 

「おや、お困りですか、シアさん」

「ジャンヌさん……って、何に乗ってるんですか?」

 

水上を滑るように進んでくるジャンヌに、“異世界の聖女は水面を滑走するのか”と思うもすぐに正体に気付く。彼女の足元には黒い表皮が見えており、何かに乗っていることが分かったからだ。そして、霊基が変化した彼女が使役するものと言ったら一つしかない。

 

「イルカ?」

「はい、リースです。水着を返して欲しいのですよね?」

「え、ええ、まぁ……さすがにこのままというのはちょっと」

「では、お任せあれ! さあ、行っきますよー!」

 

そう言って、イルカに乗った聖女がフェリシアとミュウの後を追う。ただし、結局三つ巴の競争になってしまい、シアの下に水着が返ってきたのは日が沈むころのことだった。

 

 

 

「う~、つかれたぁ、あついぃ、だるいぃ…でも、ごはんおいしかった。あさもよろよろ~」

「うふふ、では腕によりをかけないといけませんね」

(すっかりダレてやがるなぁ……)

 

ソファに寝そべってゴロゴロするフランとニコニコ微笑むレミア。

そんな二人を見やりながら、錬成の手を止めないハジメ。久しぶりに合流したことで、ハジメが発案しカルデアが図面に起こした設計図が送られてきたので、その制作に取り掛かっているのだ。やはり、専門的な技術者や歴史に名を刻む英霊たちの協力を得られるのは有難い。アイディアはあっても今のハジメでは技量が足りなかったり、強引な構造にならざるを得なかったりする代物も、実現可能な形にしてくれる。おかげで、今後の旅がだいぶ楽になる。

 

キッチンでは料理をレミアが主体になっている分、片付けだけでもと香織やマシュが洗い物に勤しんでいる。

他のサーヴァントたちは、レミアの家では入りきらないのでハインケルで休んでいたり、夜になっても海に繰り出していたりと、思い思いに過ごしていた。

とそこへ、フェリシアに請われて奥の部屋で相談に乗っていたユエが戻ってきた。

 

「よっ、お疲れさん」

「……ん」

 

労いの声に短く答え、そのままハジメの膝の上にちょこんと座るユエ。体格的なこともあり、ここは香織ですら犯せない彼女の特等席だ。

 

「で、フェリシアの用ってのは?」

「……これからのことの相談」

「大迷宮の攻略か? それとも……」

「……人族と魔人族、それに亜人族の共存について」

「そりゃまた、スケールの大きなこって」

 

一応フェリシアの考えは合流前から概要程度には聞いていたが、ハジメからすれば興味のない話だ。精々が「まぁ、がんばれよ」と気のない応援をするくらいである。彼からすれば、この世界の種族問題やらなんやらは心底「知ったことではない」のだから。フェリシアもそれがわかっているから、ハジメには話を振らないのだろう。

だがそれを言うなら、ユエも割と似たようなスタンスの筈なのだが……。

 

「……思ってたより、ずっと深く考えてる」

「ほぉ……」

 

ユエから語られた内容は、この世界のアレコレに興味のないハジメをして思わず耳を傾けてしまうに足るものだった。神を討つか否かは一端置くとして、まず人族と魔人族の戦争を終結させる。その上で、人族・魔人族・亜人族の間で不可侵条約を締結させ、積もりに積もった遺恨が薄れるまで極力関係を断絶させる。

この辺りは凡そ以前から聞いていたことだが、正直ハジメはその考えを「甘い」と思っていた。政治は門外漢の彼だが、そう簡単にはいかないことくらい想像がついたからだ。

だが、フェリシアはハジメが考えるくらいのことはちゃんと想定していたらしい。

 

「……第一に、戦争終結のために亜人族に協力して三つ巴の構造を作る。亜人族だけだと戦力が不足するけど、フェリシアが協力すればかなり差が埋まる。拮抗しなくても、人間族と協力すれば魔人族に対抗できるくらいになれば、お互いに迂闊に動けない状況を作れるから」

「なるほどな。その上で、例の遺恨が風化するまで…って奴をやると?」

「……ん。だけど、実際には他国を無視し続けることは現実的じゃない。だから最低限の交流、あるいは衝突は前提にする。その際の調停役に竜人族を巻き込みたいみたい」

「ほぉ……」

 

どうしてティオまで呼んだかと思えば、竜人族側の意見を聞きたかったかららしい。

全種族中最も長い寿命を有する竜人族なら、長期にわたって当初の理念を忘れずに動くことができる。また、フェリシアが暗躍してバランスを保つという方法も、続ければいずれは各種族からの信用を失ってしまう。そんな人物が調停役を担うのは最善からは程遠い。

だからこそ、竜人族を調停役にと考えているのだろう。

 

「……色々詰めなきゃいけない所はあるし、亜人族の反応をはじめ穴はある。でも、大筋はそう悪くないと思う」

「……それは、元女王として見てもか」

「……ん。一介の騎士の視野・視点じゃない。たぶん、あの子に政治を教えた人がいる。フェリシアが将来的に政治の中枢を担うことを狙って」

 

それだけ、フェリシアは魔人族側に期待されていたということだろう。彼女がこうして祖国を離れ独自の道を行くことになったのは、その教えた者からすればとんだ誤算だろう。ただ、フェリシアが最終的に目指していることを考えれば、それはしっかり当初の目的に役立てられているといえるだろうが。

 

同時に、ユエが根気よくフェリシアの話に付き合っている理由の一端もわかった。それは、彼女に対するシンパシー。恩師と呼ぶべき人物に裏切られたユエと、自らの意思で袂を別ったフェリシア。相違点は多いが、道が別たれた瞬間の苦さは良く知っている。だからこそ、フェリシアの頼みを無視できなかったのだろう。

 

「……ティオも、真剣に話を聞いてた。私も少し休んだら戻るつもり」

(ユエだけじゃなくティオまでとはな。二人が耳を傾けるだけの話ってことか)

 

どれだけ救い難い変態でも、ティオは伝説の竜人族として恥じないだけの知識と思慮の持ち主だ。彼女が真剣に相談に乗るということは、それだけの価値があると判断したということ。自身が信頼する二人が真剣に対応しているというのなら、ハジメとしても軽く流したりはしない。

もしフェリシアがハジメにまで話を持ち掛けてくるようなら、話を聞くくらいはしてもいいと思うくらいには。

ただ、二階へと続く階段の陰から、一匹のウサギが耳をへにょっとさせて覗き見ているのが目下の問題だが。

 

「う~、ユエさんがフェリシアさんに取られちゃったですぅ……」

「いいのか、あれ?」

「…………私の気持ちをシアも知るべき」

「なんだ、まだ根に持ってたのか?」

「……別に、根になんて持ってないし、寂しくなんかなかったし」

 

最初フェリシアと会った時、シアは新たな同族との出会いをことのほか喜んでいた。ハジメと出会わなければユエが外の世界に出てくることがなかったことを考えると、あるいは世界でただ一人の同族だったかもしれない、というのもあるだろう。

フェリシアも自分と同じ魔力操作持ちということで親近感があったらしく、二人は早々に仲良くなった。

昔のことがあってまだ人間不信の気があるユエが出遅れている間に仲良くなってしまったのが、実はちょっと寂しかったらしい。具体的には「私のシア(親友)を取られた……」という感じのようだ。で、今は同じ気持ちをシアが抱いていると。

 

その後、フェリシアのユエとティオへの相談は深夜にまで及ぶ。ユエからは元女王として、ティオからは竜人族の現状を知る者として、あるいは誰よりも深い知識と思慮の持ち主として、積極的に意見を聞きたかったらしい。それどころか、亜人族についてシアからも話を聞いたらしい。ただ、「忌み子」であることから秘匿されて育ってきたため、あまりそういったことに詳しくないシアは言葉を濁してばかりだったようだが。

それどころか、しばらくして戻ってきたシアは「話が難し過ぎますぅ」とつぶやき、頭から湯気が昇っていた。ただ、そんな彼女にも気になることはあったようで「亜人族はなぜそんな勿体ないことを……」とこぼしていたらしい。その意味を知るのは、もう少し先のこと。

 

そうして夜明けまで続くかと思われた相談を終え、夜空が白み始めた頃。爽やかな朝日を浴びながら伸びをするフェリシアは、ゆっくりとした足取りで近づいてくる人物に振り返りながら声をかけた。

 

「なにか、御用でしょうか。カオリ殿」

「…………………………」

 

フェリシアが振り返ると同時に足を止め、寝衣のまま俯き加減で佇む香織。

その顔はどこか翳りを帯び、深刻そうな面持ちがうかがえる。

決して楽しい話ではない。だがそれでも、しなければならない話であることは明らかだ。

 

「…………………………………………………………」

 

とはいえ、香織は踏ん切りがつかないのかなかなか口を開こうとしない。

フェリシアはそれを焦らせることなく、根気よく彼女が口を開くのを待つ。用件は知らない。ただ、ハジメ一行のこれまでの道程は凡そ聞き及んでいるので、ある程度想像することはできる。

 

「……………………………………立香さんに聞きました。フェリシアさんのお知り合いが、オルクス大迷宮で亡くなったって」

「……はい。オルクス大迷宮攻略の先遣隊および勇者の勧誘が、彼女の任務でした」

「……不躾だってわかってます。でも、聞かせてもらえませんか。その人と、どんな関係だったのか」

「……………………………………………………………………親友でした」

「っ!」

 

聞こえないはずの息をのむ音が聞こえた気がした。正直に言えば、「親友」の一言では到底足りない。フェリシアにとってカトレアは「親友」であると同時に「姉」のような存在であり、「妹」と並ぶ未来への希望そのものだった。彼女がいつか授かるであろう子を抱くこと、それがフェリシアの願いだった。

しかし、その願いが叶うことはない。もう、カトレアと言葉を交わすことはできない。触れ合うことも、自身を案じる彼女の困ったような顔を見ることも。……その喪失感が、改めて胸中で湧き上がる。何度繰り返しても慣れない、埋めがたい喪失感。自然、フェリシアの顔に空虚が宿る。

それでも、敢えてそれ以上に言葉を重ねなかったのは、一層香織の翳りが深くなったことに気付いたからだ。

 

(どうしたらいいかなんて、わからない。たぶん、私がしようとしていることは正しくないんだと思う。でも、それでも……雫ちゃんに背負わせたくない)

 

フェリシアは優しい。きっと、今までに会ってきた誰よりも。直接会って、一層その印象が強まった。

だからこそ、雫とフェリシア。無二の親友が、目前のフェリシアに憎まれるようなことにはなって欲しくない。

誰かの親友を殺めたと知れば、きっと雫はそのことを深い自責の念を抱くだろうから。

だから、嘘を吐く。自分でもそれが間違っているとわかっていながら……。

 

「私は、その人を知っています」

「……」

「あの時、私もそこにいたから。その人を殺したのは―――――――――」




オーロラ鋼が欲しいのに、二日間回り続けて一つも落ちない。なぜだぁ……


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029

遅くなってしまい申し訳ございません。
仕事が忙しかったり、「Detonation」を見てなのは熱が再燃したりして、中々進みませんで……言い訳ですね、すみません。

とりあえず今回は短めです。次あたりで海底遺跡をさっさと攻略して、大森林に向かいたいですねぇ。何とかモチベーションを維持し、完走したいものです。


 

「私は、その人を知っています」

「……」

「あの時、私もそこにいたから。その人を殺したのは―――――――――」

 

“私です”、そう口にしようとした香織だったが、最後まで言い切ることはできなかった。

彼女が言い切るより早く、フェリシアの手が固く握りしめられた香織の手をやさしく包みこんだから。

俯いていた顔を上下れば、そこには寂寥を宿したフェリシアの穏やかな顔。

それを見て香織も気づく。自分の浅はかな嘘を、フェリシアは口にする前から見破っているのだと。

 

「カオリ殿……あなたは、優しい方ですね」

「私は、そんな……」

「そんなあなたが、慣れない嘘をついてまで庇おうとする、そういう方なのでしょう? カトレアを討ったのは」

「マシュちゃんたちに……」

「いいえ、お二人は何も」

 

そう、二人はフェリシアに何も話していない。フェリシアも、あえて二人に尋ねようとはしなかった。

真相を知るのが恐ろしかったというのもある。高確率で、この先合流する人物たちが関連しているであろうことは予測できた。フェリシアの理想のためには、ユエやティオ、そしてシアの存在は重要だ。そんな人たちとの間に、遺恨を挟むべきではない。知らなければ、有耶無耶にしてしまうこともできたから。

 

「一つだけ、教えていただけますか。彼女…カトレアの最期を」

「…………わかり、ました」

 

逡巡の末、訥々と香織は親友から聞いた女魔人族の最期を語る。できるだけ客観的に、その場にいた誰が彼女を死の淵へと追いやったのかはぼかすようにして。あくまでも、「カトレア」という女魔人族がどのように振る舞い、最期を迎えたかだけを伝える。

フェリシアも、あえてぼかした点を掘り下げようとはしなかった。元より、彼女が知りたかったのはカトレアの最期であって、親友を殺した仇ではなかったのだ。

 

「……そうですか。カトレアは、最期まで己が信義を貫いたのですね」

 

そのことに、「よかった」と安堵する。誇り高く、気高い女性だった。フェリシアをして、自らを律する規範としていたほどに。まぁ、そう口にすると「嫌味か何かかい?」と文句を言われたものだが。でも、それはフェリシアの紛れもない本心だった。だから、そんな親友が晩節を汚すことなく逝けたのは、せめてもの救いだろうと思う。

後から状況を鑑みるからこそわかることだが、カトレアの置かれた状況は「死地」以外の何物でもない。たとえ勇者一行の手にかからずとも、ハジメたちが現場に向かった時点で結末は決まっていた。

カトレアに生存の道はなく、あるのは誤差程度の終わり方の違いだけ。その中で、カトレアは凡そ最も「マシ」な終わりを迎えたといえるだろう。死の前後で辱めを受けることはなく、彼女の誇りが汚されることもなかったのだから。

むしろ、ダンジョン内とはいえ埋葬してくれたことには感謝すらしている。もしも王国に引き渡されていれば、どのような扱いを受けたことか……。

ただ、やはり当事者…あるいはそれに近しい立場にいる者に、フェリシアのそんな思いを察しろというのは無理な相談というものだろう。

 

「あ、あの!」

「はい」

「こんなことを言うのは虫のいい話だってわかってます。でも! それでも!! 私が代わりに償いますから! どうか、このことは……」

 

誰にも言わないでほしい、あるいはこれ以上詮索しないでほしい。そのどちらか、あるいは両方か。

カトレアを討った者を探さず、またフェリシアがカトレア(女魔人族)の親友であったことを秘密する。真実を、ハジメたちと立香たちだけの間で完結すること、それが香織の願い。

 

なるほど、普通なら身勝手な願いと思われるかもしれない。

香織もその自覚はある。もしも自分が同じ立場なら、たぶん受け入れることはしないだろう。

それをわかったうえで、香織は願わずにはいられない。どうか、(優しい親友)が罪の意識に苛まれることのないように、と。そのためならば、代わって自分がどんな償いでもする。その覚悟で……。

しかし、フェリシアから返ってきた答えは、あまりにも呆気ないものだった。

 

「承知しました」

「無理なお願いだってことは……え? フェリシアさん、いま…なんて……」

「ですから、承知しました、と」

「……」

「そんなに驚かれなくても……というのは、それこそ無理な相談でしょうね。ですが、誓って虚言は弄しておりません。元より、詮索するつもりも、仇を討つつもりもありませんから」

 

穏やかな、凪いだ湖面を思わせる表情を浮かべるフェリシア。

信じられない、というよりも現実をうまく認識できない。フェリシアの言葉は、香織が望んだ答えそのものだ。だが同時に、そんな都合のいいことがあるはずがないとも思っていた。

だというのに、ふたを開けてみればこの通り。彼女が願った答えは、あまりにも容易にもたらされた。

 

「無論、あなたに償いを求めるつもりもありません」

「……どうして、ですか。だって、あの人はフェリシアさんの……」

「そうですね。普通なら彼女を手にかけた誰かを憎み、仇を討ちたいと思うのでしょう。ですが、私にその資格はありません。一度大義を掲げた者が、私怨に囚われては示しがつきませんから」

 

つまりはそういうことだ。彼女が怒り、憎むのは「掲げた大義の敵」だけ。カトレアを討ったことは、フェリシアの大義とぶつかるものではない。そうである以上、彼女にはその相手を憎む道理も資格もない。

しかし、それはあくまでも理屈の上での話だ。理屈で感情を制御できれば世話はない。一瞬呆然とした香織もすぐにそれに思い至り、問い質そうとするがすでにフェリシアは「話は終わり」とばかりに背を向けていた。その背中が、これ以上この件で話をする気はないと何よりも雄弁に物語っている。

 

「……どうか、その方を大事になさってください。大切な人を亡くすことは、辛いことですから」

 

それだけ言い残して立ち去るフェリシアの背を、香織は追うことができなかった。

多くを背負うその背中が、悲しいほどに大きく……寂しく見えたから。

 

「…………………………………………………………………はぁ」

 

香りの元を離れ、しばらく夜明け前の桟橋を当てもなく歩いた末、フェリシアはようやく顔をのぞかせ始めた太陽に向けて深く息をつく。

我ながら、今回のことは褒めてやりたい「よくやった」と。

 

「………………………これで、よかったのですよね、カトレア」

 

本音を言えば、憎くないはずがないのだ。失ったのは無二の友、彼女とその子にこそ願った未来を見てほしかった。だが、それが叶う日は永遠に訪れない。そのことに、どうしようもない虚しさを覚えてしまう。

 

―――もう言葉を交わせないことが悲しい。

 

―――カトレアを殺した相手が憎い。

 

―――仇を赦さねばならない理想が虚しい。

 

―――何もかも投げ捨てられれば、どれだけ……。

 

それは紛れもないフェリシアの本心であり、本音だ。しかしそれでも、フェリシアは掲げた大義を捨てるようなことはしない。それは、同じ(願い)を抱く同志たちへの裏切りであり、自分を「友」と呼んでくれた親友への背信だからだ。

カトレアが自らの信義を貫いたように、己もまた自分を通し続けなければならない。そうでなければ、親友に合わせる顔がない。これすらも無くしてしまえば、カトレアの親友であったという事実さえ失ってしまう。

だから、これでよかったのだ。自らに言い聞かせるように何度も反芻するフェリシアだが、そこへなんとも気の抜けた声がかかる。

 

「お? フェリシア嬢ちゃんじゃん、おい~っす」

「あなたは確か……オリベエ殿」

「オリオンね! 俺の名前オリオンだから! って、もしかして徹夜? 精が出るねぇ~」

「はぁ、まぁ……」

 

短い脚をポテポテ動かして歩いてくるオリオンに、フェリシアも歯切れが悪い。

大抵の場合彼の近くにはアルテミスがいて、他所の女性に近づこうものなら即座に制裁される。そのため、今まであまり接点がなかった。あと、どうにもその軽いノリについていけないというのもある。

 

「……まぁなんだ、あんまり気負い過ぎんなよ。人ひとりの手で抱えられるものなんて、そんなに大きくも遠くもないんだからよ」

「え?」

「英霊なんて呼ばれても、俺らも所詮は人だしよ。偶には誰かに寄り掛かるのもいいもんだ。うちのマスターは……まぁ、まったく力にはなれんだろうが相談相手としては上々だぜ。必要なら、力になってくれそうなやつを見繕ってくれるしな。以上、らしくもないことを言ったが義理は果たしたぜ。じゃなー」

 

フェリシアがその真意を問い返すより早く、至極あっさりとその場を後にするオリオン。

その何とも奇妙な後姿を見送っていたフェリシアだが、少し間をおいてようやく飲み込むことができた。

 

「私は、励まされたのでしょうか?」

 

答えは返ってこない。だが、きっとそういうことなのだろう。

 

「それに、義理を果たしたとは……まったく、あの方は」

 

軽く息をつき、すでに青くなった空を仰ぐ。おそらく…というか間違いなく、立香の差し金なのだろう。どの時点でこうなることを予期していたのか知らないが、まったく大した慧眼ではないか。

おそらく、ジャンヌをはじめとした真面目なサーヴァントたちにアドバイスをされても、返って自分の至らなさに沈み込んでいただろう。相手がノリの軽い、ちゃらんぽらんなオリオンだからこそ軽く受け止めることができた。今のフェリシアには、ああいう手合いの方がいいだろうと察したからこその采配。戦術や戦略、あるいは政治については素人に毛が生えた程度で専門家には到底及ばない立香だが、心の問題については見事の一言だろう。

まぁ、それはそれとして、颯爽と去っていったオリオンだが……。

 

「ダーリン、今のなに? もしかして浮気?」

「ちーがーいーまーすー!!」

「ぷっ……クククククククク」

 

ふわふわした絶世の美女に詰問されている彼を、果たして弁護すべきか否か、そこが問題だ。

あいにくと男女の仲の機微には疎い。弁護することで、むしろ事態をややこしくしてしまうかもしれない。なので、ここは丁重に無関係を決め込むことにする。たとえ、堪え切れずに笑いを漏らしていたとしても、他意は全くないのである。

 

 

 

その後、少々香織と気不味くなったりもしたが、フェリシアが特に沈んだ様子もないこと、なにより立香の仲介もあって二人の仲がこじれたりすることはなかった。むしろ、大切な誰かのためにああして突撃できる香織にはより一層好感を抱いた。香織としても、フェリシアに負い目こそあるが隔意はない。多少のぎこちなさはあれ、両者の仲が深まるのは自然な流れだろう。

それに香織としても、フェリシアに相談したいことがあった。

 

「変成魔法を、ですか?」

「はい。明らかに、私はパーティの中で弱くて、みんなの足を引っ張っているから……」

「ですが、カオリ殿は治癒師…むしろパーティの生命線です。皆があなたを守り、傷を負った皆をあなたが癒す。それ本道……というのは、一流の治癒師相手に今更言うことではありませんね」

「わかっては、いるんです。自分の役目とか、やるべきこととか、逆にやっちゃいけないことも。私は前に出て戦えるステータスじゃないし、そういう技能もない。でも、それでも私はみんなと肩を並べて戦いたい。どんなことでも、ユエに負けたくないんです」

「…………………」

「それに、私が強くなればみんなもその分思い切り戦えるはずですよね」

 

確かに、香織の言うことにも一理ある。香織を守る分の戦力に空きができれば、その分だけ自由度が増す。ステータスや技能を考えれば現実的ではないが、可能になれば確かに効果的だろう。

そして、フェリシアの「変成魔法」にはそれを何とかする「インチキ」が存在する。

 

「…………わかりました」

「じゃあ!」

「ですが、皆さんとよく話し合った上で、です。私の一存では決められません」

「わかりました。必ずみんなを説得します!」

 

香織の決意を覆せるようなものなどこの世のどこにもいないわけで……結論は、この時点で出ていたといえるだろう。

一番渋ったハジメですら、最終的には折れてしまって……物は次いでとばかりに、残る面々も変成魔法の恩恵を受けられないか色々試すことに。ただ、ユエ・シア・ティオの三人に関して言えば、フェリシアとしても体に手を加える余地がほとんどないというのが実情だった。少なくとも「天魔転変」を使う余地がないくらいには。

なので、残る香織の身体と適合しそうな魔石を探してはいるものの、今のところ「これは」というものはない。他者にかける「天魔転変」は割と一発勝負なところがある。一度魔石を馴染ませると、他の魔石を使うことが難しくなるのだ。今のところ特に香織と相性の好い魔石は手元にないことから、そういった魔石が見つかるのを待つか、改めてオルクス大迷宮に潜り、そこそこに相性の好い強力な魔石を使用するかのどちらかになるだろう。

 

ちなみに、ハジメのパーティで唯一除外されたハジメだが、彼については既に色々混ざっているので当然手を加える余地はない。ないのだが……

 

「は? 俺の身体を調べたい?」

「はい。ハジメ殿の身体は私のモデル・キマイラの言わば理想形です。是非、参考にさせていただければと」

「……まぁ、アンタには香織たちも世話になってるし、構わねぇっちゃ構わねぇが……」

「ありがとうございます」

「ただし、あいつらの説得はアンタが何とかしろよ」

「説得? ヒッ!?」

 

後ろを振り返れば、そこには背後に般若や雷雲を纏う龍を背負った香織とユエをはじめとしたパーティの皆さん。

ハジメの身体を隅々まで調べるとなれば、彼女たちが黙ってはいない。たとえ、フェリシアにそう言った意図がないとしても、だ。まぁ、最終的には手に入れたデータを提供することで交渉は成立。ちなみに、データの提供はフェリシアの発案ではない。誰の発案かは……聞くまでもないだろう。

一応発案者曰く、これは自分の天職的に正しい要求だということだが。

 

「べ、別に他意はないよ? でも、ちゃんとしたデータがあった方が回復魔法もかけやすいってだけだから!」

 

もちろん、それを鵜呑みにした者はほとんどいない。

また、それとは別に「天魔転変」は使えずとも変成魔法による体の調律は可能ということで、試しに受けてみたところ……最も効果があったのは色々混じったハジメ。フェリシア曰く“雑多”“まともに機能しているのが奇跡”のような状態だったらしく、調律後は目に見えるほど魔力の流れがよくなり、身体のバランスも改善された。ただ、フェリシアからは……

 

「義手と生身の腕では、やはり重量の差から体に歪みが生じやすいですね。定期的に調律する必要があるので、そのことはお忘れなく。あと、魔物を摂取することによるステータスの向上は体のバランスも変化すると思われるので、その際にも注意が必要でしょう。

 私のことは抜きにしても、小まめに経過を観察する必要があります。よろしいですね」

 

と注意された。それを聞いた香織から「私よりずっと主治医っぽい」とジト目で見られたりもしたとか。

ついでに、ティオやシアもフェリシアの調律をことのほか喜んだ。なにしろ、長年の悩みが緩和されたのだから。で、その悩みというのが……。

 

「お~、体が軽いですぅ。特に肩!」

「うむ、軽いのぅ。肩が!」

 

どうして肩を強調するかは、まぁ御察し。二人ほどではないが一部が豊かな香織も同意見で、ユエは共感できなかったということで理解してもらいたい。

その際、ユエが光のない瞳で呪い殺さんばかりに三人の一部分を睨んでいたのは秘密だ。おまけで、フェリシアの手を握り「……ん、同士」「あの、どういう意味でしょう?」なんてことがあったりもしたが、意味は分からない。

 

 

 

そんなこんながあって数日が経ち、皆は【海上の町エリセン】から西北西に約三百キロメートルの海上にいた。

目的は、当然ハジメたちがミレディから聞いた七大迷宮の一つ【メルジーネ海底遺跡】。

 

曰く、“月”と“グリューエンの証”に従え。

 

詳しい場所も、どうすればたどり着けるのかも不明点ばかり。方角と距離だけを頼りに大海原を進み、昼間のうちにポイントまで到着して海底を探索したものの、特に何も見つけることは出来なかった。

立香の方でも手は尽くしているが、海上ならいざ知らず海中行動に適したサーヴァントは今回召喚されていない。

一応、ポイント周辺の水深は他より浅いようなので、何かある可能性はある。あとは、ミレディの言う通り月が出るのを待つしかない。その結論に至った際、「私?」「茶々入れんな!」というどこぞの女神とマスコットのやり取りもあったが、今は関係ない。

 

とりあえず月が出るのをのんびり待つことにし、立香とマシュは甲板から水平線を眺めていた。

ちょうど、今まさに太陽が水平線に沈みゆく真っ最中。視線の先では空と海が赤とオレンジに染まり、視線を転じれば空がグラデーションを描き、反対側は既に宵闇に飲まれつつあった。中々に壮麗な光景を息をのみながら、二人は静かにグラスを傾ける。中身は酒精ではなく、エリセンで購入したトロピカルジュースである。他の面々も、今は思い思いに過ごしている。

例えばジャンヌは召喚したクジラの背に乗ってジークに膝枕をするのに忙しいし、マルタはすっかりオーバーヒートしたフランを扇いでいる。オリオンは懲りずに女性陣に粉をかけようとしたのを見つかり、“狩猟”の女神が“漁業”の女神になる手伝いをしている。具体的には、簀巻きにされた上で木の棒の先から糸でつるされている。はてさて、いったい何がかかるやら……。

とそこへ、なにやら形容しがたい表情を浮かべたフェリシアがフォウを肩に乗せて甲板に上がってきた。

 

「フェリシアさん?」

「えっと、どうかした?」

「ぁ、お邪魔でしたか。申し訳ございません」

「いや、別に邪魔ってことはないんだけど……」

 

久々に眉間に深い皺を刻み込んだフェリシアに一抹の不安がよぎる。最近はだいぶ眉間の皺も薄くなり、リラックスした様子を見せていたのだが……いったい何があったのだろうか、と。

 

「その、実は先ほど、ハジメ殿の部屋の前を通ったのですが……」

「フォ~ウゥ……」

「あ~……もしかして、なんというか、その……」

「お二人と仲良くなさっていたり、とか……」

「いえ、そういうわけではないのです。というか、部屋にいたのはティオ殿のようで……」

「ティオ?」

「ティオさんだけ、ですか?」

「……いえ、ハジメ殿もご一緒でした」

 

なんとも歯切れの悪いフェリシア。ティオがハジメに思いを寄せているのは周知の事実だ。まぁ、多少その方向性がアレではあるが…思いは本物だ。だから、彼女がハジメの部屋にいたとしても……まぁ、おかしいということはないだろう。

問題なのは、ティオとハジメが二人で密室という状況だ。まさか、ついに香織とユエだけでなく、ほかにも手を出す気になったのだろうか。それは確かに、フェリシアが難しい顔をするのも無理はないだろう。さすがに、他人の情事を見るか聞くかすればそうなる。

しかし、だとすれば先にシアがそうなるのではと思っていただけに、驚きを隠せない。あとでシアのフォローでもした方がいいかな、と思っていたところで、どうにも様子がおかしいことに気付く。

 

「フェリシア?」

「ぁ、いえ、わかっています。わかってはいるのです。世の中には様々な愛の形があると。ただ、その……重々しい打撃音が響く度に、艶めかしい声で『もっとぉ』とか『いい』といった叫び声? が聞こえてきて……私は、私はいったいどうすれば……」

「フォウフォウ! フォ――――ウ!!」

「あ~……」

「……それは、その、なんと言えばいいか」

 

ティオの性癖は既に立香たちの間でも周知の事実だ、というか本人が隠していないのだから、ばれるのは時間の問題だった。立香とマシュは早々に「そういうもの」ということで思考を放棄した。世の中にはさっさと諦めてしまった方がいいことがあることを、二人はよく知っている。

しかし、生真面目なフェリシアはまだその境地には至っていない。初めのうちは若干現実逃避気味に「……なるほど、苦行ですね! 日々自らを追い込むその克己、感服いたしました!!」とか錯乱気味に言っては、「そんな汚れを知らぬ(まなこ)で見ないでおくれ~!!」とティオを「生まれてきてごめんなさい」な気持ちにさせていたのだが、数日経つ頃には彼女も認めざるを得なかった。あれは苦行とかそういう大層なものではなく、完全無欠に「ティオの趣味(性癖)」なのだと。

とはいえ、現実を認めたといっても、彼女にはアレをどう受け止めればいいかわからない。ティオは性癖こそアレだが、思慮深く義に厚い竜人族の見本のような人物だ。だからこそ、その現実に頭を抱えてしまう。ユエあたりはその辺にすごく共感してくれるのだが、「諦めて」としか言ってくれない。当然、他の面々もこれといったアドバイスはなし。というか、「そういうもの」と諦める以外に対応のしようがないのだ。

フェリシアもわかっている、わかってはいるのだが……そもそも、現実を前に簡単に諦めがつくようなら、こんな茨の道のような生き方は選んでいない。彼女は、とても“手を抜く”ということが苦手なのだ。

 

「諦めるって、どうすればいいんでしょう?」

「……普通諦め方を相談されるって、ないよね?」

「はい……」

「ンキュ~」

 

諦めない方法には心当たりのある二人だが、諦めるにはどうしたらいいか相談されても困る。多分、他の連中も同じだろう。フォウも困り果てた様子でうなだれている。

 

そのまま、沈みゆく夕日を前に実のない励ましを送る二人。

気づけば、いつの間にか日は完全に没し、代わりに月と満天の星々が空を彩る。間もなくハジメたちも甲板に上がってきた。ただハジメは忌々しそうに、ティオは艶々した様子で。まぁ、彼女にとってはご機嫌な時間だったのだろう。ハジメの様子から、「いつものこと」だったことは想像に難くないが。

 

「聞くなよ」

「聞かないよ。それより、ほら」

「ああ」

 

立香は懐から【グリューエン大火山】攻略の証であるペンダントを取り出しハジメに渡す。サークル内に女性がランタンを掲げている姿がデザインされており、ランタンの部分だけがくり抜かれ穴あきになっている。

エリセンにいた時に色々試しては見たが、その時には特に何も起こらなかった。だが、今回は違う。

ペンダントを月にかざしてみると、ちょうどランタンの部分から月が顔を覗かせている。特に変化がないので「これも違うのか?」と首をかしげるが、そこでようやく変化が訪れた。

 

「……ランタンに光が溜まってる?」

「はい、大変幻想的です」

「これは、いったいどういう理屈なのでしょう?」

 

なんともフェリシアらしい感想に、思わず立香は苦笑を浮かべる。

隣では香織とシアが「綺麗」とうっとりしているが、彼女としてはそちらの方が気になるらしい。

理屈の方はわからないが、どうやら場所と時間によって機能する一種のアーティファクトなのだろう。場所が違ってもダメ、時間が違ってもダメ。この場所で、月の光にかざす、それが道を示す条件なのだ。

やがてランタンに光を溜めきったペンダントは全体に光を帯びると、その直後一直線に光を放ち、海面のとある場所を指し示した。

 

「……なかなか粋な演出。ミレディとは大違い」

「全くだ。すんごいファンタジーっぽくて、俺ちょっと感動してるわ」

 

“月の光に導かれて”という何ともロマン溢れる道標に、心震わされるハジメ。サーヴァントたちですら、「おぉ~」と素直に感嘆の声を漏らしている。ある意味、ファンタジーそのものであるサーヴァントたちからのこの反応は、ある意味最大級の賛辞だろう。

 

とはいえ、のんびりもしていられない。なにしろ、ペンダントのランタンが何時まで光を放出しているのか分からないのだ。一行は早速、導きに従って潜水艇を潜航させる。

 

夜の海中は真っ暗…どころの話ではなかった。限りなく純粋な“闇”に近い“黒”で満たされ、潜水艇のライトとペンダントの放つ光が混じり気のない黒を切り裂いている。

 

指し示すは海底の一点、岩石地帯だ。

無数の歪な岩壁が山脈のように連なった底は、昼間にも探索した場所だ。その時には何もなかったのだが……潜水艇が近寄りペンダントの光が海底の岩石の一点に当たると、音を響かせて地震のような震動が発生し始める。

間もなく岩壁の一部が真っ二つに裂け、扉のように左右に開き出した。その奥には冥界に誘うかのような暗い道が続く、ここが大迷宮への入り口で間違いないだろう。

 

「むっ」

「どうしたルー…ジャンヌ?」

「もしかして啓示?」

「はい。そのペンダント、少々見せていただいても?」

「ん? ああ」

 

ハジメからペンダントを受け取り、細部にわたって観察するジャンヌ。

啓示は目標の達成に関する事象全てに適応し、彼女のそれはAランクと非常にランクが高い。その精度は信頼に値するが、他者に説明するには少々難がある。なので、最終的には一つの事柄に集約される。要は、ジャンヌの言を「信じるか否か」だ。

 

その間にも潜水艇は扉をくぐり、内部へと侵入を開始する。

ジャンヌが啓示を受けたということは、逆に言えば啓示なしだと少々面倒な何かがあるということ。少なくとも、このまま真っすぐに進めるわけではないだろう。

 

「ハジメ」

「まぁ、特に当てがあるわけでもないんだ。とりあえず、頼りにさせてもらうさ」

「はい。では……」

 

そのままジャンヌの指示に従って潜水艇を操作するハジメ。

ジャンヌの指示がなくても何とかはなっただろう。ただ、気づけないと本当にそこから先に進めない仕様だったので、彼女の啓示はありがたいものだった。少なくとも、おかげで無駄な時間を浪費することはなかったのだから。

 

そうして一行は第一関門を抜け、【メルジーネ海底遺跡】に足を下す。あるいは、この大迷宮が作られて初めての挑戦者として。




実はなのは熱再燃に伴い、なんと~く「なのは」と「FGO」のクロス案が浮かんでしまいました。というか、だれか「なのは」と「プリヤ」のクロスとか書いてくれねぇかなぁ……と思っていたら、いつの間にか屈折して「FGO」になっていたんですけどね。

そのうち欲求の発散がてら、「やみなべのネタ倉庫」にでも試作品をぶっこむかもしれません。


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030

やっつけ感がないでもないですが、とりあえず海底遺跡編はこれにて終了。いよいよ、自壊からは本章の本番……ヒャッハーなウサギたち、ほんとにどうしよう。


聖女(ジャンヌ)導き(啓示)のおかげで、恙なく最初の関門である円環状の洞窟を抜けた一行。洞窟の壁が真っ二つに割れ、先へと進むといきなり真っ逆さまなんてハプニングもあったが、特に怪我人はなし。強いて言えば、バランスを崩した立香が潜水艇のフロント水晶に顔面を強打したくらいか。

 

降り立ったのは半球状の空間。頭上を見上げれば大きな穴があり、どういう原理なのか水面が揺蕩っている。水滴一つ落ちることなくユラユラと波打っているあたり、大迷宮はどれもでたらめだ。

広間のようなその空間からは洞窟のような通路が伸びており、見たところ一本道。潜水艇を宝物庫にしまい、とりあえずは道なりに進むことに。道中、魔物による細々とした妨害はあったが、大迷宮攻略者とサーヴァントによって編成されたパーティの前ではさしたる障害にもならない。むしろ、大迷宮の魔物としては弱すぎるくらいであることに首をかしげたが、答えはすぐに知ることができた

 

通路の先には先ほどよりずいぶんと広い空間が広がっていた。そこで待ち構えていたのは魔石を持たない、しかし下手な魔物よりよほど凶悪なクリオネ型のナニカと、それが使役するこれまたゼリー状のナニカ。

部屋全体を覆うかのように展開したそれは、周囲の魔物を捕食しながら当然のごとくハジメたちに襲い掛かる。それ自体は難なく退けられるのだが、如何せん終わりが見えない。加えて、強力な溶解作用を有しているらしく、魔力さえも溶かしてしまうので、退けられはするが通常より効果が薄い。長引けば、いずれはじり貧になるかもしれない。

ならばどうするか、答えは単純。強行突破するしかない。

 

「いくらやってもきりがないか……」

「フォウフォウ!」

「先輩! 魔物だけではなく、水位も上がってきています!」

「このままはまずいな、ハジメ!」

「ダメだ、出入り口は全部ゼリーで埋まってる。魔力を溶かすなら、サーヴァントもやばいだろ」

「となると、あとは……」

「下だな。ゼリーは俺たちが処理する、お前らでぶち抜け!」

 

大型ライフル…ではなく、火炎放射器でゼリーを焼き払うハジメ。ユエとティオはハジメに背を向ける形で魔法による殲滅を実行し、そんな三人を香織が魔力操作の派生技能「他者強化」で支援する。

その間に、サーヴァントたちに加えてシアとフェリシアがそれぞれの得物を真下に向けて構える。

 

「ジーク!」

「ああ。俺が崩す、みんなで押し広げてくれ」

「お任せですぅ!」

「承知しました」

「いくぞ、理導/開通(シュトラセ/ゲーエン)!」

「皆さん、タイミングを合わせてください!」

「いっきますよぉ!」

「ウゥゥゥ……!!」

 

ジークの詠唱とともに、海水に覆われた床に光がほとばしる。

そこへ戦槌が、槍が、盾が、剣が、旗の穂先が、拳が同時に振り下ろされた。

より深く浸透させるために明確な破壊という形にはならなかったが、錬金術をベースにした最適破壊の魔力は確かに足元の地面を崩壊一歩手前にまで追いやっていたのだろう。続くダメ押しの一斉攻撃により、厚さ十メートルを超えるであろう岩盤は粉砕された。

 

次の瞬間、貫通した縦穴へ途轍もない勢いで海水が流れ込んでいく。すでに腰元まだ上がってきていた海水が勢いよく流れ始めたことで、皆も巻き込まれるようにして穴へと流される。

抜け目のないハジメはそれでも置き土産を忘れなかったようで、流されながらも立香の耳にはくもぐもった爆音が届いていた。

 

(やっぱり、アイツは敵に回したくないなぁ……)

 

改めてそう思う立香であった。

 

 

 

  *  *  *  *  *

 

 

 

何とか巨大クリオネから逃れることに成功したものの、そこはさすがに大迷宮。中々思うようには進ませてもらえない。

落ちた場所は巨大な球体状の空間。壁には何十箇所にも穴が空いており、その全てから凄まじい勢いで海水が噴き出し、あるいは流れ込み、まるで嵐のような滅茶苦茶な潮流となっている場所だ。

生憎と、今回召喚されたサーヴァントに正統派のキャスターはいない。水辺と縁深いとはいえマルタに水そのものを操る能力はなく、ティオは水系統には適性がない。いや、そもそもこの激流の中では全属性に適性を持つユエですら思うように水流操作ができないのだから、当然他の面々にもなす術はない。一応オリオン由来の水面を歩く能力をアルテミスが保有しているが、一度水中に没してしまえば意味はない。

 

結局、激流に翻弄されながらも何とか近くにいる仲間の傍に行こうとするも、潮流は容赦なく皆を引き離していく。それでも各々自分にできる範囲で仲間との合流を図り、幸いてんでバラバラになるという最悪の事態は回避できた。ある者は重力魔法や宝物庫から出した超重量の鉱石で潮流を乗り切り、またある者は自身の周囲の水流操作に集中することで流れをかき分ける。

そうして、いくつかの集団が吸い込まれるようにして岩壁の穴へと吸い込まれていく。

流されている間も岩壁に叩きつけられたりしながらかろうじて耐え忍び、水流が弱まったところで一気に浮上。正直、ハジメが立香やマシュの協力を得て作った空間魔法を付与した小型酸素ボンベがなかったら、生身の面々は溺れ死んでいたかもしれない。

 

そんな具合に割と大ピンチな場面を切り抜けてたどり着いたのは、真っ白な砂浜が広がる海岸線。

ただ、そこから先はそれぞれに違う展開が待っていた。あるグループは船の墓場ともいうべき場所を、またあるグループは海底都市ともいうべき廃都を……といった具合に、それぞれ別々の場所を探索することに。

しかし、目の当たりにした光景は実のところ大差がない。形は違えど、中身はどれも同じ。幻術かそれに類する魔法で再現された“戦争”。それも、領土や食料といった人が持って当然の“欲”に起因するものではなく、“神の御為”に行われる狂信の産物。

 

サーヴァントと人間の区別なく、誰も彼もが大なり小なりその狂気に充てられていた中……一人だけ例外がいた。

 

「うおおおおお――――! うぉおおおおお――――――! 死ねぇ! 死ねぇ――――――え!」

 

“彼”は狂気に気圧されることなく遮二無二槍を振るう。

目の前の光景に物理攻撃は意味がなく、逆に言えば魔力さえ伴っていれば効果を発揮するという理屈など頭にはない。当然、自身がサーヴァントであるが故に、無造作に振るった一撃だろうと魔力を伴い、紙屑のように狂信者たちを薙ぎ払っていることすら認識しているかどうか……。

何しろ“彼”は、幻たちの狂気に気圧されこそしていないが、そもそも幻の存在にこの上なく錯乱していたのだから。そう、そこにいたのは……

 

「うおおおお、幽霊こわい―――――! こわい――――! こわい――――!」

 

いたいけな、レオニダスⅠ世君だった。

 

「不覚、苦難の旅に臨むマスターとマシュ殿の力になろうと馳せ参じてみればこの地獄!?

 私、物理が相手なら竜すらワンちゃんに見える男ですが! 幽霊だけは! 諸事情からダメなのです!

なのに払っても払っても幽霊が! 計算を! 計算をぉ~!?」

「ユエさん、確かサーヴァントって幽霊みたいなものなんじゃ?」

「……ん、自己矛盾も甚だしい」

「竜が犬に見えるとな? つまり、妾は牝犬…はぁはぁっ」

(ダメです、ユエさんはともかく他の人たちが致命的にダメダメですぅ!)

 

兜だけ被ってほぼ全らに近い格好の錯乱する男と勝手に気持ち悪い表情ではぁはぁする変態に挟まれ、目の前の幻とは別にシアの心の耐久力は限界が近い。よもや、こんなフレンドリーファイアがあろうとは。

 

「えっと…レオニダスさん! この人たちは幽霊じゃなくて、幻みたいなものなんですぅ! ですから……」

「幻ですと!? なるほど、つまり……筋肉が通じない相手! すなわち、理系……!?」

「いえ、そのりくつはおかしいですぅ」

「……ん、お前は何を言ってる?」

「いや、まだ、まだだ! 落ち着けぇ! 我々には……知恵がある! 計算、そう計算するのだぁ……」

 

二人のツッコミは、残念ながら錯乱したレオニダスには届かない。勝手に盛り上がり、勝手に追い詰められている。客観的に見れば、物理ならぬ魔力無双状態なのだが……恐怖に震える我武者羅にやりを振るうレオニダスは気づかない。

そのくせ技そのものは冴えに冴えているため、シアたちですら迂闊に近づくこともできないと来た。

 

「……暑苦しい」

「立香さん、よくこんな人たちと旅してきましたね。マジパネェですぅ」

「うむ、ご主人様が一目置くのもわかる気がするのじゃ」

 

別にそんな理由で一目置いているわけではないし、立香もそんな感心のされ方をしても困るだろうが。

 

ただ、好き放題やっているという意味ではどこもかしこも似たようなもの。

 

「つまり、この中から脱出口を探せということだろうか?」

「あぁ!? マジで言ってんのかよ? この船の数見ろよ、10や20じゃきかねぇぞ」

「そうですね。その間にも船は沈んでいくでしょうし、その中に脱出口があったりしたら手詰まりでしょう」

「めんどくせぇなぁ。とりあえず皆殺しでいいだろ、その方が俺好みだしよ」

「えっとぉ、そう…なのかなぁ?」

 

素で考えが物騒なモードレッドとハジメの意見に、ちょっとためらい気味な香織。

だが、その間にも二人は「そうに違いない」と決めつけ行動を開始。

ドンナーとシュラークから次々に魔力弾を発射。迫りくる兵士たちを遠慮呵責なく撃ち消していく。

同様に、モードレッドはクラレントを手に敵陣に吶喊。魔力放出による莫大な魔力の奔流で敵を薙ぎ払いながら、時に剣を投げ、殴り、蹴り、赤雷が敵陣を引き裂いていく。

両者の戦い方は洗練されていながらも荒々しく獰猛、スタイルをはじめ何もかもが違うはずなのに、どこか似たような印象を受ける。

 

「おら、どうした! チマチマ豆鉄砲撃つだけか、あぁ?」

「うっせぇ! てめぇこそ騎士のくせに剣投げていいのかよ!」

「馬鹿か、お前。要は勝てばいいんだ、勝てば。剣の技など戦闘における一つの選択肢に過ぎん。勝つためなら、殴るし蹴るし噛みついてもやるさ」

「……やべぇ、すげぇ共感しちまう俺がいる」

 

実はこの二人、結構相性がいいのかもしれない。

そして、たぶんこの人もなんだかんだで相性はそう悪くない。

 

「むむ、二人ともやりますね。これは私たちも負けてはいられません。行きますよジーク君、遠慮なく焼き払っちゃってください!」

「ああ。幻とはいえ、死してなおこんなことを続けるのは見ていて忍びないからな。せめて、少しでも早く楽にしてやるべきか」

 

早速邪竜に転身し、そのブレスで右翼を薙ぎ払うモードレッドを避け左翼を焼き払う。

その際に「焼き払えー」とかノリノリで言っちゃう聖女。霊基はルーラーに戻っているはずだが、まだ浮かれ気分が抜けていない…と思いたい。

そんなやりたい放題好き放題な暴走機関車どもを見送りながら、気が進まないながらも一応得意の回復魔法でできるだけ優しく……でもきっちり容赦なく幻たちを祓う香織は、何とも言えないため息をついていた。

 

「私もやってることは同じだからあんまり言えた義理じゃないと思うんだけど、いいのかなぁ?

 というか、ジャンヌさんってああいう人だったの? なんというか、イメージが……」

 

名前と「聖女」というイメージくらいしか知らないので、実際彼女が結構過激なところがあったことは知らなかったらしい。まぁ、高校で習うレベルの世界史ではそう掘り下げはしない以上、知らなくて当然といえば当然だろうが。

ただ、やはりイメージとのギャップから受ける衝撃はそれなりのものらしい。微妙に釈然としない様子の香織だが、そこへ誰かが優しく肩をポンポンしてくれる。

 

「ウ?」

「フラン……」

「ウ! ゥナァ!」

「えっと…慰めてくれてる? それとも、励まし?」

「ウゥ!」

 

おおよそ解釈は間違っていないらしく、力強く頷くフラン。

実は、バーサーカーの彼女がこの場所で一番の常識人なのではないだろうか。

まぁ、彼女は彼女で群がる幻たちを戦槌で情け容赦なくミンチにしているわけだが。

 

ただ、それでもこの二つのグループはまだ穏やかな部類だろう。

何しろ第三のグループには、こういった光景に激怒せずにはいられないお方が二人ほどいらっしゃるのだから。

 

「うわぁ、これは私でもさすがに引くわ。っていうかない、これはない。そうだよね、ダーリン!」

「お前に言われちゃ世も末だな。まぁ、全面的に同感だが。でもよ、結構ギリシャも割とこんな感じじゃね? 人間にちょっかいかけて世を乱すのなんてお前らのライフワークじゃん」

「えぇ!? そんなことは……あるけど」

「あるんじゃねぇか!」

「あのお二人とも、かなりの数が来ているのでもう少し回転を上げていただけると……」

 

何しろ、火力に秀でたメンツの大半が他のグループに行ってしまっている。

マシュは防御特化だし、オリオン…というかアルテミスは弓は百発百中だが如何せん広範囲の火力はない。フェリシアも、基本的には接近しての槍撃が中心。となると、あと残されるのは海辺の聖女様なのだが……。

 

「……チッ」

(不味い。マルタ、めっちゃ不機嫌になってる……)

 

理由は容易に想像がつく。彼女の教義的に、「魂はすべて神の御心の下に」あらねばならないのだ。たとえ目の前にいるのが幻の類だとしても、幽霊的なものがポコポコ湧いて出てくるのはちょっと許せないのだろう。

なんとか聖女フィルターを外すまいとしているようだが、それも限界が近い。当初は祈りによる浄化で幻を消し去っていたのだが、少し前からそれもないのがその証拠。

たぶんきっと、もう間もなく……タガが外れる。

 

「……いえ、わかっています。ここは異世界、“あの人”が背負ったのは私たちの世界の原罪のみで、この世界は主の御心が及ばない地。ええ、そんなことは無論わかっています。……でも、なんでよりによって私の前に出てくるのよ! 悔い、改めろっての! タラスク!!」

「はーい、鉄甲竜さんはいりまーす」

「フェリシアさん、退避してください! 巻き込まれます!」

 

マルタの背後に姿を現したのは、角を生やした巨大な頭、鋭いトゲを持つ亀の甲羅、六本の脚、蠍のような長い尾といった特徴を持つ異形の竜種。

マルタは軽やかに宙返りを決めつつタラスクの背後に回ると、大きく愛用の杖を振りかぶり……

 

「せーのっ!」

 

―――――思い切りぶん殴った。

 

弾丸を優に超える速度で飛翔するタラスク。灼熱の炎をまき散らしながら高速回転しつつ突撃し、進む先にあるすべてを巻き込み、薙ぎ払い、焼き尽くす。

荒っぽいことこの上ないが、効果は絶大だ。万に及ぶだろう軍勢は二つに引き裂かれ、右翼と左翼を別つ極太の境界線が引かれていた。遥か遠方では着弾したタラスクが太陽にも等しいとされる灼熱の炎を吐き、長い尾で幻たちを蹂躙している。

 

とはいえ、その割には敵陣に大きな混乱は見られない。所詮は幻だからか、あるいは狂信者の集団だからか。

いずれかは判然としないが、特に隊列を乱すことなく進んでくる。だが、後背を蹂躙するタラスクと挟撃する形をとれば、幾分か楽になるだろう。

そう考え、まずは左翼から各個撃破に入ろうとしたところで、タラスクから退避したフェリシアが俯きながら立夏に進言する。

 

「リツカ殿、どうか右翼は私に任せてはいただけませんか」

「……」

「私情にかられるなど言語道断、それは承知しております。ですが、私はどうしても……」

 

目の前の光景を、許すことができない。そんな思いを、立香は言葉にせずとも察することができた。

きっと、フェリシアは程度の差はあれ、あの狂気をずっと間近で見てきたのだろう。もしかしたら、自分もまたあの狂気に呑まれていたかもしれない。あるいは今頃、恩師やかつての仲間たちは彼らと同じ目をしているかもしれない。今眼前に広がる光景は、立香たちと出会っていなければ幻ではなく現実として目の当たりにすることになったかもしれない。そんな、未来の可能性だった。

 

だから、どうしても見過ごすことができない。

貫き、切り裂き、打ち砕かなければならない。フェリシアがフェリシアであるために、望む未来を切り開くために……これは、あってはならないものだから。

 

俯いているために表情はわからない。しかし、声音には隠しようがないほどの苦渋と憤怒、そして憎悪が滲んでいた。きっと、今のフェリシアは声音からは想像できないほど、表情を歪ませているのだろう。

震える肩が、血の滴る槍を握る手が、溢れ出る負の感情を物語っている。

 

「……絶対に無茶はしないこと。危なくなったり、疲労してきたりしたら戻ること。その上で、きっちり気持ちの整理をつけてくる……これを守れるって、約束できる?」

「……無論。ここで果てるなど、無為の極み。我が悲願、このような道半ばで閉ざすわけにはまいりません。なにより、こんなところで死んでは彼らに合わせる顔がありませんから」

「そう。なら、行っておいで」

「ありがとう、ございます」

 

噛み締めるように感謝を口にし、結局一度も顔を上げることなくフェリシアは右翼へと向かっていく。

見せたくなかったのだ、きっと酷く醜く歪んでいたであろう自分の顔を。だから、自分の思いを察して深くは問わず、目を合わせない非礼を咎めることもなく、静かに送り出してくれたことには感謝しかなかった。

 

同時に、立香に背を向けると同時に心が切り替わる。

感謝と敬意の念を心の奥深くにしまい込み、溢れ出る激情に身をゆだねるために。

 

(許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか。許すものか――――――――――――――――――――――――――私は絶対に、こんな未来を認めない!!!)

 

普段の物静かな彼女からは想像できないような、獣の如き咆哮。

それが何よりも雄弁に、フェリシアの悲嘆の深さを物語っていた。

彼らとて、家族や友人にとっては良き父であり、友であり、兄や弟であり、息子だったに違いない。そんな彼らが、狂気に染まり神の名を叫びながら恍惚の表情を浮かべて死んでいく。あるいは、きっと近しい間柄にあったであろう者を犠牲にすることに、一切の躊躇を見せず、むしろ喜びすら覚えている。

 

―――――そんなこと、あるはずがないのに。

 

死ぬのは誰だって恐ろしくて、大切な人を失うのはいつだって悲しい。

それは時代が違えど、種族が違えど、文化も常識も違ったとしても変わらない、遍く人に共通する感情のはずだ。

にもかかわらず、眼前の幻たちにはあるべきはずの感情がない。代わりに、彼らの心は神への狂信で塗りつぶされていた。

 

ハジメたちはそれを“気持ち悪い”と感じたが、フェリシアが抱いたのは“恐怖”だった。

恐ろしかった。自分が、周囲が、世界がこれに染まってしまうかもしれないことが。自分の死に、大切な人の喪失に何も感じない世界になることが。その違和感に気付くことなく、盲目的に殺し合う戦が始まろうとしていることが。

どうしようもなく恐ろしくて、だからこそ死に物狂いで否定したかった。そのために無謀を承知で突撃し、我が身を顧みずに自身を取り巻くすべてを薙ぎ払う。今ここでそんなことをしても何の意味もないと知りながら、全力で否定するために槍を振るう。

 

同時に祈りを捧げる。槍の一振り、魔法の発動と共に消える先人たちの幻に向けて。

 

(せめて、死後だけでもあなたたちの魂に解放を。

 決してこれから先の時代を、あなたたちと同じにはしません。だから、どうか安らかに)

 

叫びながら、涙を溢れさせながら戦い続け……気付けば、彼女の周囲には何もなくなっていた。

残されたのは、傷だらけで満身創痍の身体と虚ろな心だけ。

 

「どう、やら……お言葉に、背いてしまった、よう…ですね」

 

無我夢中で戦い続け、いつの間にかこのありさまだ。

今にも倒れそうな体で、槍を支えにして立ち続ける。

正直、戦っている間は頭の中が真っ白になるほどの激情で、痛みも疲労もまるで気にならなかった。おかげで、全てが終わるまで突っ走ってしまった。結果、危うく死ぬ一歩寸前だ。さすがに万を超える軍勢、その約半数を相手取るのは無茶だったと自重する。

 

それでも、おかげで随分と気が晴れた。この機に乗じて、うちにため込んでいた色々な感情を発散させたことは、否定できないだろうが。

 

(ありがとうございます、解放者…偉大なる先達よ。おかげで私は、自らの為すべきことを再確認できました。

何より、先に知ることができてよかった。きっと私は、遠からずこれと同じものを見る。その前に、覚悟を決めることができた。私はもう揺らがない、たとえ誰が立ち塞がろうとも、どのように変わり果てていようとも。

私は、この道を進み続ける。新しい時代、まだ見ぬ世界で生きる同胞たちのために)

 

振り返れば、どうやら左翼の殲滅はすでに終わっていたらしく呆れたような、困ったような様子で立香たちが向かってきている。同時に気付く、自身の周囲に突き立つ無数の矢と何かが爆ぜたような痕に。

どうやら、アルテミスとマルタが支援してくれていたらしい。それに、立香とマシュの距離が微妙に離れているところからすると、彼女も助けてくれていたようだ。

 

フェリシアが無茶をしているのを承知で、彼女の心を、思いを尊重してくれたのだろう。だから「戻れ」とは言わず、支援するだけにとどめた。そんな一時の主の配慮が温かい。

一人では何もできない我が身の未熟を恥じながらも、支えてくれる人たちの存在への感謝が勝っていた。

 

(ああ、私は恵まれている。私は、一人ではない。たとえ一時のことであろうと、共に歩んでくれる人たちがいる。私を信じ、帰りを待ってくれる同志たちがいる。

 なら、進まないと。進んで、進んで、道を作る。次の時代を作る人たちのための、道を……)

 

そこでフェリシアの意識は一度途切れる。次に目覚めた時には、大迷宮の最奥。

実を言うとちゃんと攻略できたのか不安だったのだが、彼女の心配は杞憂に終わる。おそらくは誰よりも奮戦したであろうフェリシアだ。しっかりと、そして正当に攻略が認められた。

 

新たに得た神代魔法の名は「再生魔法」。

最後の大迷宮「ハルツィナ樹海」に挑むために必要な「再生の力」。

 

そして、立香は気づく。

念のためにステータスプレートを確認したところ、それまで「■■」となっていた技能が「再■」となっていたことに。技能の詳細は虫食いだらけで判然としないが、それでもわかったことが一つ。この技能は、神代魔法と密接な関係がある。立香が習得していない神代魔法は「重力魔法」「魂魄魔法」、そしてハルツィナ樹海のそれの三つ。そのうちのどれか、あるいはいくつかを習得することでこの技能はその正体を現すのだろう。

 

興味がないと言えば嘘になる。とはいえ、あくまでも目的はハジメたちが元の世界に帰るための手段ないし手掛かり、そのための神代魔法だ。まずは、すべての神代魔法を揃えてからなのだから。

 

 

 

  *  *  *  *  *

 

 

 

 

「にしても、ここでこの魔法か……大陸の端と端じゃねぇか。解放者め」

 

思い出すのは、ハルツィナ樹海の大樹の下にあった石版の文言。そこには、大迷宮に挑むには“再生の力”が必要と書かれていた。つまり、東の果てにある大迷宮を攻略するには、西の果てにまで行かなければならなかったということ。最初に【ハルツィナ樹海】に訪れた者にとっては途轍もなく面倒である。

ハジメが悪態をつくのも無理はない。

 

一応意識がある全員の神代魔法の習得は終えているが、まだフェリシアが目覚めていない。意識のない状態でやるとどうなるか分かったものではないので、念のために彼女が目覚めてから魔方陣に入ってもらうことにしたのだ。その間に、香織をはじめとした回復担当がフェリシアの傷の治療をしているので、すでに目に見える傷はない。まぁ、ある程度の治療は済ませていたとはいえ、割とぼろぼろのフェリシアを見た香織やシアは結構動転していたが。

 

それも、彼女がなぜ無茶をしたかを知れば悲しそうに目を伏せた。

細かな点は違えども狂った神によって引き起こされた悲劇の一端を目の当たりにした彼女たちには、フェリシアの思いが多少なりとも理解できたからだろう。

彼女はきっと、こんな未来を拒むために戦っているのだと。フェリシアと同じ志は持てないけれど、その高潔さ、志の高さには心からの敬意が湧いてくる。できる範囲でこの人の力になりたい、そう思わずにはいられなかった。あるいは、ハジメの存在がなかったら……そう思ってしまうほどに。

きっとフェリシアの同志たち、特に自ら死を選んだ腹心も同じ気持ちだったのだろう。

 

「フェリシアさん、早く目覚めるといいですね」

「何なら気付けでもするか?」

「ハジメ君!」

「……ハジメ、めっ」

「冗談だっての」

「ご主人様よ、妾ならいつでもバッチ来~いなのじゃ」

「黙れ駄竜、それ以上寄るんじゃねぇ。魚の餌か海の藻屑にするぞ」

「あふん♪ なんという冷たい視線と罵倒……やはりご主人様は最高じゃ。妾、もはやご主人様なしには生きていけん」

 

不気味な表情でビクンビクンする駄竜さんに、皆さんの軽蔑に満ちた視線が突き刺さる。もちろん、大喜びだ。気持ち悪い動きでクネクネして身悶えておられる。

ただ、いつも以上に向けられる視線が冷たい。どうも、フェリシアとのギャップがそうさせているらしい。

実は密かに「フェリシアがおると快感が倍率ドン! さらに倍!! というやつじゃな」とか思っているかは、定かではない。

 

「……そういや、さっき立香たちが面白いこと言ってやがったな」

「面白いこと?」

「なんでも、ユエの自動再生とシアの未来視は“再生魔法”の劣化版か、同系統のものじゃないかってよ」

「……ん、確かに近いかも?」

「ユエさんのはわかりますけど、私のもですか?」

 

実際、ユエの自動再生には同じ“再生”の文字がつくし、効果も割と似た部分がある。

ただ、再生魔法が過去の状態に巻き戻す魔法であるのに対し、シアの未来視は文字通り未来を見る能力だ。それだけとると、同系統とは思えないのだが……。

 

「なんでも、魔術的に見れば時間を巻き戻せるならその逆もできるはずなんだとよ。実際、サーヴァントの中には自分の体の中限定で時間を加速させたり減速させたりする奴がいるらしい。その観点で言えば、再生魔法はむしろ“時間魔法”と呼ぶべき代物なんじゃないか、とか言ってたぜ」

「……ん、なるほど。なら、未来を見るのも時間に関係する能力だから、同系統と言えるかも」

「なるほどのぅ。であれば、うまく使えば妾たちにも二人と同じことができるやもしれんな」

「私としては時間の加速とか興味ありますねぇ。魔法全般に適性ありませんけど、自分の体にかけるならワンチャンありますから。夢が広がるですぅ!」

「だったら、次に来てくれる人はそのサーヴァントさんだとありがたいかな? いろいろアドバイスとかもらえそうだし」

「いや、それどころか“時よ、止まれ”なことも……」

 

そのまま、新たに得た神代魔法の応用について語り合うハジメパーティ。

余談だが、再生魔法に最も高い適性を示した香織は、世界の時を止めるには至らなかったものの、時間の加減速程度なら遠からず習得するに至る。それどころか、シアのそれには及ばないものの一秒先の未来を垣間見る、なんてこともできるようになるとかならないとか……。

着実に、彼女も壊れ性能の段階を上げていくのだった。




カルデアからの技術及び知識提供のおかげで、再生魔法に関しては割と習熟というか発展が早くなりそうです。多分、原作以上に香織は色々やれるようになるんじゃないかなぁ?
時間の加減速についてはアサミヤがいるし、BBも「タ~イムスト~ップ」とかやっちゃいますしね……。


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031

新年あけましておめでとうございます。

今年も良い年でありますように。
具体的には、FGOとかで神引きできると嬉しいなぁ。例えば、福袋でメイドさんとバレリーナが来るとか…来たというか。この調子で行けると嬉しい、財布的にも。


無事にメルジーネ海底遺跡を攻略した一行は現在、大迷宮のほぼ真上に位置する海上に出ていた。

意識を取り戻したフェリシアの再生魔法取得を待っていたかのように表れたメイル・メルジーネのメッセージの後、極めて過激かつ大雑把なショートカットにより遺跡外に排出。

そこへ件のクリオネもどきが待ち構えていたことで絶体絶命のピンチに陥るも、今回召喚されたサーヴァントのおかげで九死に一生を得てここまでたどり着いた次第だ。まぁ、正確にはまだ事態が終息したとは言い難い。

なにしろ現在進行形で、ハジメたちの眼前でこの世のものとは思えぬ“大決戦”が繰り広げられている真っ最中なのだから。

 

「……私、ファンタジー世界じゃなくて怪獣映画の中に来ちゃったのかな?」

 

香織のつぶやきに返ってくる言葉はない。ハジメたちをして、目の前の光景にはちょっと言葉が出ない。

一見妖精のような造形でありながら、全てを溶かし、無限に再生し続ける凶悪で最悪の巨大クリオネと、クトゥルーの神を模した百メートル以上ある視界に収めているだけで正気度がゴリゴリ削られそうな大海魔の格闘戦は、正直言って精神衛生的に最悪だ。もうキモいとかグロいとかそういった範疇の話ではない。

 

「ハハハハハハハハハハ!! さぁ、お行きなさい。異界の邪神の眷属よ! ここに、最高のCooooooooooooooooooooooooolをご覧に入れましょう!!」

「おい、今あのギョロ目、異界の邪神って言ったぞ。ってことはまさか、クトゥルフ系か? やべぇ、SAN値直葬されねぇかな?」

 

おおよその由来に行き当たったハジメの目に戦慄の色が宿る。サブカルチャーに造詣が深いだけに、“ちょっとあれヤバいんじゃね?”と思わずにはいられないのだろう。

 

「うっぷ……」

「……シア、大丈夫?」

「もう限界ですぅ。さっきから何なんですかあれぇ。あのスライムの残骸からどんどん出てきて……」

「……黙れ、ゲロウサギ。思い出させるな」

 

宝物庫から出した潜水艇の端で海に向かって胃の中のものを吐き出すシアと、その背をさするユエ。気持ちはわかるのだが……あらためて言わないでほしい、連想して思い出しユエまで気分が悪くなる。

海底遺跡から放り出された直後に再度遭遇した巨大クリオネ。当初は正攻法で対処しようとするも、思うように動けず使用できる魔法も制限される海中であることに加え、相手は無尽蔵にも等しい再生能力の持ち主。多少削ったところでじり貧になるのは目に見えていたところで、此度召喚されたキャスターの宝具が開放された。

そのおかげで窮地を脱することができたのは事実だ、それは認めよう。

 

――――――ただ、絵面が最悪だった。

 

まき散らされたクリオネの破片とスライムの内側から、食い破る様にして現れる深海から這い出してきたような異形の怪物。それだけでも気色が悪いというのに、海魔の群れはクリオネに取り付き、食い荒らし、あるいは逆に捕食されていく。そうして海は赤黒い濁りで染められ、海魔とクリオネの残骸で埋め尽くされていく。その残骸を触媒に、さらに新たな海魔が召喚され蠢く。

クリオネが海魔と食い合いを繰り広げている間に潜水艇で離脱した一行が海上に出ると、そこには巨大クリオネに勝るとも劣らないサイズの大海魔の姿。お互いを捕食し合い、そうすることで欠損した部分を再生。いつ果てるとも知れない、凄惨な“喰い合い”が展開されているのだ。

いつの間にか夜は明けており、さわやかな日の出に照らされた海は血の池地獄も真っ青な悪夢に彩られていた。

 

はっきり言って、“吐き気を催す”どころの話ではない。本能的恐怖と生理的嫌悪感のダブルパンチ。

悍ましい、この一言に尽きるだろう。しかも、大海原全体を埋め尽くすかのように通常サイズの海魔とスライムが各所でひしめき合い、生々しい咀嚼音と溶解音をあげているのだ。空の青さがむしろ目の前の光景の非現実感を際立たせている。

 

シアが胃からせり上がってくるものを抑えきれなくなったとしても無理はない。

ハジメと香織は若干現実逃避し、ユエはシアに意識を向けることで何とか堪えている状態だ。割と慣れている立香とマシュですらいつも以上にテンションの高いジル・ド・レェに“やりすぎ”とでも言いたげな白い目を向けている。とそこで、ついに一人のSAN値が限界を迎えた。

 

「……うぼぁ」

「あっ! 先輩、フェリシアさんが……!?」

「しっかり、フェリシア!? 傷は深いぞ、がっかりするんだ!」

「先輩、冗談を言ってる場合じゃありません!」

「ばっちゃん、海は…海は怖いところですたい」

 

生来の生真面目さから現実逃避することもできず、もろに直視してしまったのが悪かったらしい。というか、精神的衝撃が大きすぎて、おかしなしゃべり方になっている。思いのほか、傷は深そうだ。

そんなフェリシアの介抱をしつつ、現実逃避していたり妹分兼親友の背中をさするのに忙しい香織とユエを頼れないことから、もう一人の魔法のエキスパート、ティオにちょちょっと魂魄魔法をと思って視線を巡らせる。

 

「そういえば、ティオさんはどこでしょう?」

「……まさか、海魔の触手にハァハァしてたりして……」

「い、いくらなんでもそれは……」

 

ない、とは言い切れない。むしろ、すごくありそうな気がしてマシュの表情が凍り付く。ついに駄竜の性癖は、海魔の触手すら快楽に変換できる域に達したのだろうか。だとすれば、それはもうハジメの手にも負えない、新たな“快楽ランド”の誕生を意味するのでは……。

はっきり言って、立香たちがティオの変態性を軽く受け止められるのは前例(キアラ)の存在があるからだ。だが、さすがにあんなのが二人に増えたりしたら、いくら立香たちでもキャパオーバーだ。

 

「おぬしら、いくら何でも妾のことを見下げ過ぎではないか?」

「ティオさん!?」

「あれ? なんで興奮してないの? まさか、頭でも打った!?」

「香織さん! ティオさんに回復魔法を!」

「失敬にもほどがあるじゃろ、おぬしら!? っんん、でもそれすら快楽にしてしまう妾が憎い!」

「あ、なんだいつものティオ(変態)だ」

「よかった、脳に深刻なダメージでもあるのではと。ですが、どうして……」

「妾とて選り好みくらいはする。ご主人様のお仕置きならいざ知らず、ただの触手に嬲られても興奮などせんのじゃ!」

(違う、重要なのはそこじゃない)

(それはつまり、ハジメさんにやられるなら本望、ということでは?)

 

結局、変態(ティオ)はどこまで行っても変態(駄竜)だった。

まぁ、魔性菩薩と違い無節操ではないだけマシなのだろう…多分。

 

とりあえず、立香たちの言動に若干内股気味になってもじもじしているのは丁重に無視し、フェリシアに魂魄魔法をかけてもらう。どうやら効果覿面らしく、随分と顔色が良くなってきた。

ただ問題なのは、いつ終わるとも知れないクリオネと海魔の怪獣大決戦。食って食われて、欠損部分は即座に再生、これではいつまで経っても決着がつかない。というか、すでに海魔も自力で餌を獲得できるようになってしまっているので、このままだと立つ鳥跡を濁すどころの話ではなくなる。最悪、巨大クリオネと大海魔、二匹の大怪獣がこの海域を支配することになりかねない。それは、後に禍根を残し過ぎるというものだろう。ここはきっちりしっかり、後始末をしていくべきだ。

 

「ですが、どうしましょう。後始末と言っても、どちらも対城クラスの火力でないと滅ぼしきれないと思うのですが……」

 

ちなみに、今回来てくれたサーヴァントの中に、そういった大火力を有するタイプのサーヴァントはいない……こともないのだが、海上ということもあってどうにも使い難い。アルトリアのように水面を走れればいいのだが、ないものねだりをしても仕方がないだろう。

 

「できないことはないと思うけど、確実を期するならダメ押しはしたいよね」

「そう、ですね。ですが、あれに近づくというのは……」

「うん、ならそれは最終手段ということで、まずは……ハジえも~ん」

「誰がハジえもんだ」

「こんなこともあろうかとって、都合のいいステキアイテム(アーティファクト)ない?」

「…………ねぇよ」

(あるな)

(ありますね)

 

あるにはあるのだが、まだ構想段階で作成には移っていない代物だ。大まかなイメージはできているのだが、如何せん難点も多い。一応立香たちの空間魔法を定着させれば実用段階まで持っていけるだろうが、それはまだ先の話。

 

「となると、あとは……」

「仕方がないか。まぁ、どっちも一応生物だし、行けると思うんだけど」

「……ここが海なのが幸いですね。陸上では、場合によっては際限なく広まってしまう可能性もありますから」

「というわけだから、今回は遠慮なくやっていいよ、ペイル」

「ショウチ シタ」

 

立香が背後に向かって呼びかけると同時に、黒い平面的な影のようなものがせり出す。口も目もない、ただ人のようなシルエットだけを取ったそれは、蟲同士がギチギチとせめぎ合うような不気味な音でもって応える。

間もなくそれは黒いシルエットを解き、幾筋化の帯状になって巨大クリオネと大海魔に向かっていく。

二体の大怪獣に到達したそれは染み込む様に体内へと侵入を果たす。するとどうしたことか、二体の動きが途端に悪くなる。末端部の触手が痙攣をはじめ、体中に無数の黒い斑点が浮き上がり、ほどなくして絶命した。

 

「おい、さっきは聞く暇がなかったから聞かなかったが…なんだあれ?」

「ペイルライダー、俺たちはペイルって呼んでるけど。まぁ、簡単に言うと『病』かな?」

「黒死病やスペイン風邪などに代表される、多数の死者を出した恐るべき伝染病が一つの概念として昇華され、サーヴァントとして成立した存在、と考えていただいて良いかと」

「いよいよサーヴァント…つーか、英霊の定義がよくわからなくなってきたぞ」

「そこはあれだ、考えるな感じろってやつ。いるものはいる、みたいな?」

 

もうそこらへんは深く考えないようにしている立香の言に、いぶかしげな視線を向けるハジメ。とりあえず、その在り方から生物全般にとって天敵に等しい相手と理解する。毒への耐性は有しているが、病が相手ではどうかわからない。あるいは、ハジメにとっても天敵となりえる存在やもしれないが故に。

 

その後、万が一にも海中で感染拡大なんてことがないよう、巨大クリオネと海魔の死体は徹底的に焼却し、さらに周辺も執拗なまでに消毒した。この世界のことなど知ったこっちゃないハジメだが、さすがに自分たちが原因でパンデミックなんて起こっては寝覚めが悪い。

 

おかげで随分と時間がかかってしまったが、日が落ちる前にはエリセンに帰還することができた。

それからしばらくの間は、手に入れた神代魔法の習熟と装備品の充実に時間をあてることに。幸いというかなんというか、再生魔法に関しては丁度いい指導役…とでもいうべき存在がいたので、習熟が早い。特に再生魔法に高い適性を示した香織と、魔法への適性の高さと肉体性能の高さを併せ持つフェリシアは、時間の加速や停滞といった発展形にまで手を出し始めている。

まぁ、香織の場合は身体にかかる負荷が大きすぎるのでそれ以上の進展はなかなか難しく、香織ほどの適性を有さないフェリシアも似たようなものだが。それでも、この魔法の習得が二人の可能性を大きく広げることになったのは間違いない。

 

そうして、エリセンで過ごすこと早数日。

再生魔法の習熟と装備品の充実という大義名分はあったものの、それも既に言い訳以外の何物でもない。習熟は一朝一夕で進むものではないし、装備品はカルデアの協力もあるので割とトントン拍子に済ませてしまった。ハジメ自身、日課の訓練を除けば割と海で泳いだりユエや香織とイチャイチャしたりしていることが多く、半ば以上バカンス状態。

正直、骨休めが過ぎるという自覚はあるのだが、なかなかこの地を後にすることができない。理由はわかり切っている。ここから先の旅に連れていくことはできないミュウの存在だ。残す大迷宮はハルツィナ樹海ただ一つだが、四つの大迷宮攻略の証を必要とする、言わばラストダンジョンに相当する場所が一筋縄でいくはずがない。大迷宮内に連れて行くのは論外だが、一応敵地というわけではないとはいえ、フェアベルゲンは味方でもない。

いや、樹海の大迷宮を攻略している間、シアの家族であるハウリア族のもとに身を寄せるという選択肢もあるので、それ自体はまだいい。問題なのは“そのあと”だ。樹海を攻略して帰還の目途が立てばいい。しかし、もしも立たなかったら。あるいは、立ったとしても何らかの問題が立ちはだかる可能性は否定できない。

その時に果たして、ミュウを連れて行って大丈夫なのかどうか。ハジメが傍にいる限り、決してミュウを危険な目に合わせはしない。だが、常に彼女の傍にいられるとは限らない。

果たして、ミュウを連れていくべきか否か。いや、ここエリセンにはずっと会いたかった母であるレミアがいるのだ。そもそも母の元から離れたがらない可能性の方が高いわけで……。

 

「おや、愛らしいウサギ耳のお嬢さん。今日も溢れんばかりの生命の輝きに満ち満ちておりますなぁ。ええ、実によろしい」

「は、はぁ、ありがとうございますぅ」

「ところで、拷問や生贄に興味はおありかな?」

「な、ないですぅ! そういうニッチな趣味はないですぅ! そういうのはどうぞ、こっちのティオさんに!?」

「ぬぉっ!? シア、おぬし仲間をサラッと身代わりにするとは……!」

「左様ですか、残念です。蠕動する生肉、迸る命の光、あなたなら至高の作品になると思ったのですが……ちなみに、前衛芸術など如何でしょう。あるいはそう……楽器とか?」

「おぬし、それはいったい何が素材になっておるのじゃ」

「それはもちろん……(チラッ)」

「自分がなるなんて御免ですぅ!!」

「そういうわけじゃ、諦めよ。また立香に目つぶしされたくはあるまい」

「……行ってしまわれた。いやはや、やはりこの手の話術は難しいものですねぇ」

(とりあえず、アイツ()っとくか)

 

以前は割と邪見に扱ったりもしていたが、いまやシア(一応ティオも)は大切な仲間だ。それに対し色目ならぬ欲目を向け、隙あらば凌辱の限りを尽くそうとする輩にかける慈悲など欠片もない。

今まで特別排除行動に出なかったのは、その前に立香が「聖女(ジャンヌ)直伝、目つぶし!!」で諫めていたからだ。八つ当たり気味なのは否定しないが、アレが危険物であるのに変わりはない。後顧の憂いを断つためにも、ここらで間引いてしまった方がいいのでは……。

 

(よし、()るか)

「みゅ? パパ、どうしたの?」

「ミュウ……いや、なんでもないぞ」

 

粒な瞳で見上げてくるミュウに気付くと、それまで漏れていた剣呑な殺気を即座に引っ込めた。そのままミュウを抱き上げ膝の上に乗せると、優しく髪を梳いてやる。

まるで何事もなかったかのように、恐るべき変わり身の早さだった。

 

「それで、どうしたんだ。確か、またフェリシアと競争してたんじゃなかったか?」

「パパ、さっきちょっと怖い顔してたの」

「俺が? まさか、俺はいつでも優しいぞ」

 

第三者が聞けば、「どの口で……」「身内限定で、がつくだろうに」などのツッコミの嵐になっていたことだろう。

ただ、そんなことは二人の知ったことではない。そのまま父娘二人でどうということもないことを話し、気付けばうつらうつらと舟をこぎだすミュウ。そんな幼子を起こさないよう静かに抱きかかえると、ハジメは厄介になっているレミアの家へ。

仲間たちのほとんどは外に出ているらしく人の気配が希薄だが、ないわけではない。残っていたのはレミアと香織の二人。どうやら、エリセンの海鮮料理を教わっていたらしい。

 

「あ、ハジメ君お帰りなさい」

「おかえりなさいませ、ハジメさん」

 

出迎える二人に対し、ミュウを起こさないよう小声で挨拶を返し、ひと先ず部屋へ。ベッドにミュウを寝かせ、起きないかしばし様子を見てから部屋を出る。

居間では、レミやと香織がお茶の準備をして待っていてくれた。

 

「……美味い。初めは面食らったが、慣れるといいもんだな海草茶ってのも」

「ふふふ、エリセンの特産品の一つなんですよ。乾燥と発酵の時にちょっとした手間をかけないといけないので少し値は張りますけど、産地であるエリセンならむしろ普通のお茶より安いんです。まぁ、少し癖があるので人を選びますが」

「ああ、だから王国では出なかったんですね」

「シアは苦手みたいだったな」

 

奈落での経験のおかげか、ハジメ以下オルクス大迷宮攻略組は食に関しては割とストライクゾーンが広い。

というより、食べられればなんでもオッケー。贅沢を言っていられる状況ではなかったのだ、特にハジメとユエは。逆に、内陸暮らしのシアはそもそも生魚からしてアウト。初めて刺身を出された時などそれはもうすごい顔をしていたし、日本人たちが魚醤と刺身のコラボを我先にと食す姿に若干引いていたりもしたものだ。

 

「……ハジメ君は、これからどうするつもり?」

「ハルツィナ樹海の大迷宮を攻略する。そこで帰るための手段が手に入れば帰るし、なければ別の方法を探す…ってことじゃないよな」

「だって、それは大前提だもん。そうじゃなくて、ミュウちゃんのこと」

 

チラリとレミアの方を盗み見ながら、香織が確信をつく。ハジメだけでなく香織も、それどころか仲間たち全員がミュウのことを考えているのはわかっている。ミュウも何となくそれを察しており、話がそちらに向きそうになると「必殺! 幼女、無言の懇願!」を発動するので中々言い出せない。

 

「………………………やっぱ、連れてはいけない」

「ハルツィナ樹海の攻略なら、その間カムさんたちに見てもらえばいいと思うけど……」

「情操教育的に不安だがな」

「ハジメ君が言う?」

「……………………………………………コホン、それはともかく」

「あ、誤魔化した」

「ともかくだ。とりあえず、樹海の攻略だけならそれでもいいさ。だが、そこで手掛かりが見つかるとも限らない。場合によっては、またぞろ面倒なことになるかもしれない。その時、ミュウの安全を確保しきれるかって言うと、な」

「私たちの場合、多少ズルもしてるもんね。それこそ、迷宮の攻略し直しとか?」

「ミレディも、全ての神代魔法を手に入れろって言ってたな。すべて揃えればいいのか、それとも……」

「個人ですべて習得しろってことなのか、だよね」

 

効率を考えて分散したことが間違っていたとは思わない。ただ、遠回りとまではいわなくても、結果的に二度手間を踏むことになる可能性は否定できない。それは、ライセン大迷宮を攻略した時からわかっていたこと。あの時、ミレディの念の押し様には若干の違和感があった。すべての神代魔法を得る、それにはその事実以上の意味があるように思える。ゲームや小説などでも、割とよくある展開の一つだろう。

それでも、まずは最速で全大迷宮を攻略し、全ての神代魔法の詳細を知ることを優先したのだ。すべての神代魔法を揃えることで、その先が判明するかもしれないのだから。

 

「まぁ、迷宮の攻略し直しくらいなら大した問題もないだろ。内容がわかってるし、手間取りはしてもできないことはない。問題なのは神山と氷雪洞窟、教会と魔人族、どちらかの懐に入らなきゃならないってことだ」

 

単純に個人で神代魔法全てを揃えるだけならば、立香たちをライセン大迷宮と神山に連れていくか、ハジメたちがグリューエン大火山と氷雪洞窟に向かえば済む。問題は、それらがこの世界における二大勢力の懐の最奥ということ。ハジメたちだけならば恐れるに足らずだろうが、ミュウもつれてとなると不安はぬぐえない。

最初に神山を攻略した時は、まだハジメたちの力のほどが教会に正しく伝わり切る前だった。氷雪洞窟の時は、ガーランドにある程度の痛手を与えた上でのこと。

次に向かうとなれば、そう容易くはいかないだろう。大迷宮内に連れていけない以上、敵も遠慮なく殺到できる外部で守らなければならない。ハジメが危惧しているのはその可能性だ。

 

「最悪なのは一から手掛かりの探し直しだが……」

「ミレディさんの様子だと、何か心当たりがあるみたいだったよね」

「というか、そっちに関しては当てもないんだ。今は考えても始まらねぇよ」

「お二人とも、お茶のおかわりは如何ですか? 難しい顔で唸っていても、いい考えは浮かびませんよ」

 

おっとりとした微笑みを浮かべながら訪ねてくるレミアに、二人は気恥ずかしそうにしながらそっと湯呑を差し出す。

いつの間にか、すっかりあまり楽しくない想像の世界に沈み込んでしまっていたらしい。

淹れ直してもらったお茶を飲んで一息つく二人に、今度はレミアが深々と頭を下げる。

 

「ありがとう、ございます」

「レミアさん?」

「いきなり何だ? 礼を言われるようなことは……」

「うふふ、娘のためにこんなにも悩んで下さるのですもの……母親としてはお礼の一つも言いたくなります。ユエさん達もそれぞれ考えて下さっているようですし、ミュウは本当に素敵な人達と出会えましたね」

 

顔をあげたレミアの表情は穏やかで、心からの感謝の念がにじみ出ているようだった。

 

「もう十分です。皆さんは、十分過ぎるほど心を砕いてくださいました。ですから、どうか悩まずに、すべき事のためにお進み下さい」

「レミア……」

「皆さんと出会って、あの子は大きく成長しました。甘えてばかりだったのに、自分より他の誰かを気遣えるようになった……あの子も分かっています。ハジメさん達が行かなければならないことを……まだまだ幼いですからついつい甘えてしまいますけれど……それでも、一度も“行かないで”、あるいは“一緒に行く”とは口にしていないでしょう?」

「……そう、ですね」

「俺たちより、ミュウの方が分かっていたってことか。……情けないな、幼子に気を遣われてれば世話がない」

 

ならば、あの子の気遣いを無駄にしてはいけない。自分たちも決意を固めて、ミュウに告げなければならないのだ。それが、あの子の思いに対する誠意というものだろう。

 

「では、今晩はご馳走にしましょう」

「だが、もう下拵えはしてるんだろう?」

「ご馳走ですから、もう一つか二つ品数を増やすくらいはしても良いでしょう。なにしろ、ハジメさん達のお別れ会ですからね」

「そうだな……期待してるよ」

「うふふ、はい、期待していて下さいね、あ・な・た♡」

「いや、その呼び方は……」

 

イタズラっぽい笑みを浮かべるレミアに、ハジメはツッコミを入れようとしたが、それはブリザードのような冷たさを孕んだ香織からの視線によって氷漬けにされる。

ユエのことはもうそういうものとして受け入れているし、シアのことも認めないでもないが……そう易々と行かせるつもりもないのだろう。

 

「レミアさん、ちょっとお話聞かせてくれるかな? かな?」

「あらあら、うふふ……ではハジメさん、少し失礼しますね」

「……………………………………………………………余裕あんな」

 

特に抵抗することなく香織とともに別室へと消えるレミア。こういう時の香織やユエはハジメですらたじろぐ迫力があるのだが、それをゆるふわな笑みで煙に巻くレミアも強かなことだ。これが未亡人の貫禄なのだろうか。

 

「おや、ハ…ナグモ殿、戻られていたのですか?」

「おう。って、まだ照れてんのかよ、アンタは」

「うぅ……知らなかったとはいえ、まさか出会って間もない殿方を名前で呼んでいたとは……」

 

海底遺跡から戻ったのち、遅ればせながら自分がハジメたちを姓ではなく名で呼んでいたことを知ったフェリシアは、それはもう慌てふためいた。具体的にはリンゴのように赤面し、丸一日宛がわれたハインケルの自室に引きこもって出てこなくなるくらいに。身持ちが固いというか、貞操観念が古いというか。

もう今更なのだから気にしなくてもいいだろうに、とハジメなどは思う。実際、立香と共に今までと同じで構わないと言った。だが、フェリシアも今まで通りに呼ぼうとしては言い切れずに呼び直すというありさまだ。一応今まで通りの呼び方をしようとはしているようなので、時間が解決するのを待つしかあるまい。

 

「それはそうと、ちょうどよかった。ミュウ殿のことなのですが」

「ああ、それに関しては俺に任せてくれ。今晩はっきり伝えて、明日出発することにする。立香たちにも伝えてくれるか」

「承知しました。私からお伝えしようかとも思いましたが、余計な世話だったようですね」

「これは俺がしなきゃいけないことだ。その責任から逃げる気はねぇよ」

「ご立派です」

「よせっての」

 

優しく微笑むフェリシアに、照れたように頬を掻きながらそっぽを向く。フェリシアはハジメとしても敬意を払うに値する人格者だ。そんな相手から面と向かって褒められると、むず痒くてならない。

 

「……ところで、そっちの方はどうなんだ」

「私が魂魄魔法を使えればよかったのですが、手間をおかけして申し訳ありません」

「俺らもアンタの変成魔法には世話になってるからな、お互い様だ」

「生成魔法や重力魔法の分、私の方が借りが多いのですが」

「そっちの方は立香の空間魔法やらカルデアからの技術提供なんかでチャラだろ。あんたとは仲間かって言うと微妙かもしれんが、呉越同舟の間柄だ。細かいことまで気にすることはねぇよ」

「……ありがとうございます」

 

ユエやティオも、端々で香織やシアにはない優雅さや気品といった育ちの良さを感じさせるが、彼女の場合は若干趣が違う。要所要所で見せるキビキビとした所作は、彼女が規律を重んじる軍務についていたことを強く感じさせる。

割と自由人というか、我が道を行くタイプの多い面々の中では少し毛色が違う。

いや、フェリシアはフェリシアで我が道を突き進むタイプではある。ただ、ハジメたちとはその方向性が違うというだけだ。ハジメたちが自分たちのために行動するのに対し、フェリシアはもっと俯瞰的な視点から行動している。あるいは、両者の違いはその一点だけなのかもしれない。

 

「ま、場所と試練の内容は教えたとおりだ。あんたなら問題なく突破できるだろうよ」

「問題はどうやって侵入するか、ですが」

 

肩をすくめるフェリシアだが、別に彼女一人なら強行突破することもできるだろう。再生魔法を得たことで、「悪鬼変生」の欠点も改善の兆しが見えている。また、ハジメたちとの技術交流のおかげで、新たな手札もできつつある。どれほどの戦力を集めようと、数で彼女を押しとどめるのは至難の業だろう。

まぁそれ(強行突破)をすると、後々人間族との関係に支障をきたすであろうことは想像に難くない。できれば、取りたくない手段なのだろうが。

 

「……改めて、立香もそうだがアンタも敵に回したくないな」

 

サーヴァントの恐ろしさはよく知っているとはいえ、今回召喚されたペイルライダーなどを見ると改めてそう思わされる。同時に、立香の“意味不明な領域に達したコミュ力”と“理解を超えた懐の深さ”には脱帽である。

そして、ハジメと同じようにカルデアとの接触により新たな発想を得たフェリシアもまた……。

 

「それはこちらのセリフです。神ならいざ知らず、どうか民草を徒に脅かすことのないよう……その時は、私も死を覚悟して挑まざるを得ません。神だけでも持て余すというのに、あなたまでなどとは考えたくありません」

「仕掛けてこない限りは何もしねぇよ、神を含めてな」

「それは…少し残念ですね。できれば、斃すとまではいかなくとも、削っていただけるとありがたいのですが」

 

困ったように微笑みながら、悪戯っぽくそんなことを言う。本心なのかどうか、生憎とハジメでは推し量れない。

軍の高官ともなれば、半ば以上政治家のようなものだったはずだ。実際、元女王のユエや王族のティオと、かなり突っ込んだ政治の話もできるらしい。少なくとも、二人が認めるほどの見識と駆け引きの手腕の持ち主だ。

荒事ならともかく、腹の探り合いでは分が悪いのは間違いないだろう。

 

というか、すっかり話を逸らされてしまったが、元はフェリシアの方の進捗状況を確認しようとしていたのだ。

 

(ったく、やりづれぇ)

「なにか?」

 

ここで素直に白旗をあげるのも癪だ。かといって、高度かつ専門の教育を受けたフェリシア相手に、素人のハジメでは切り崩すのは難しい。ハジメの保有する戦力がどんな形であれ通じる相手ならやりようもあるが、彼女にはそれだと効果が薄い。近い力を持ち、積極的に利用しようという下心があるわけでもないからこそ。

あるいは、ハジメの力を畏れたり利用したりする輩であれば、いくらでもうまく立ち回れるのだが。

 

「……失礼しました。すこし、意地が悪かったようですね」

「……」

「ですが、多少の駆け引きも身につけた方がよろしいかと。元の世界に帰られた後も、そのまま平穏無事に…とはいかないでしょうから」

「……わかってるさ」

 

ある意味、フェリシアはハジメよりよほど人間というものを理解している。ハジメたちが無事に地球に帰ることができたとしても、それでハッピーエンドとはいかないことを承知しているのだ。地球の文化や社会には明るくなくても、彼女は人の性質や業をよく知っている。それを知らず、ただ理想だけを追ってもうまくいかないことを理解しているが故に。

 

「巨大な武力・戦力は他者の不安をあおりますが、それは財力や権力も同じこと。同時に、交渉の席でも同じように扱われます。上手く使えば薬となり、下手に使えば毒となる。努々、扱いを間違われぬよう。全ての敵を排した結果、世界から孤立する…それは、あなたの望む未来ではないのでしょう?」

 

そう、それはハジメの望む未来ではない。敵には容赦するつもりはないが、世界のすべてを敵にするつもりもない。かつて愛子が言っていたように、それはきっと「寂しい生き方」だ。それでは、香織やユエの笑顔は守れない。

ハジメの“大切”が笑顔でいられるように、幸せになれる道を作るためには、ただ力を振りかざすだけではだめなのだ。

自分だって決してそう余裕があるわけでもないだろうに、こうしてハジメたちの未来に心を砕いてくれる。だからこそ、ハジメもフェリシアには一定の敬意を払うのだ。愛子にそうしたように。

 

「……さて、私の方の進捗ですが、なかなか難しいですね。当初ご協力いただいた方は、とりあえず4体といったところですが、それ以上となると私自身が魂魄魔法を習得しなければ難しいでしょう。もう一つの方は、何分今まで手を付けたことのない範囲でしたので……」

「手本があっても厳しいか?」

「機能的には問題はないのですが、何分調節が難しく……さすがに無差別に、となっては困ります」

「なるほどな」

 

フェリシアの目的を考えれば、確かにそれでは本末転倒だろう。

 

「ハジメ殿の方は……」

「ヒュベリオン自体はほぼ完成してる。問題は任意の場所に転移させる方法だな。立香たちの空間魔法を込めたアーティファクトである程度は何とかなるが、アイツ才能ねぇからなぁ」

 

おかげで、空間魔法に関しては思うような性能のアーティファクトが作りにくい。

いっそユエか、せめてティオに習得してもらった方が良いだろう。

 

「あとは、仙術サイバネティクス…でしたか」

「おう。前々から構想はあったんだが、生成魔法だけだとな…だが、変成魔法のおかげで光明が見えた」

 

どうも、単純に生成魔法だけで再現・応用できるような技術ではないらしく、割と行き詰っていたのだが…そこへ変成魔法の使い手であるフェリシアが合流したことで、ちょっとしたブレイクスルーになった。大雑把に言えば、機械工学(生成魔法)生命工学(変成魔法)、その両方が必要な分野らしい。

しかし、ハジメとフェリシアが揃ったことで、飛躍的に発展が望めそうなのだとか。フェリシア自身、仙術サイバネティクスには割と興味津々。特に始皇帝の“真人”躯体はハジメの身体とは別ベクトルで彼女の関心を引いているのだ。相手が相手なので、調べさせてもらうのは難しそうだが。

 

「まぁ、今は手近なところからだな」

「ですね。樹海までの道すがら、またご相談に伺います。……そういえば、飛空艇? でしたか。そちらの方は……」

「もうできてるぞ」

「空を行く船、ですか。大変興味深い……できれば一隻と言わず多数発注したいのですが」

「見返りがあるんなら考えるが、今のところは釣り合ってるはずだぞ」

「そうですね。何か、交渉材料になりそうなものを探すとしましょう」

 

今のところ、お互いに提供できるものはおおむね釣り合っている。一部、フェリシアの場合立香たち(カルデア)が肩代わりしてくれている部分もあるだけに、これ以上となると厳しい。

何か交渉材料になるものはないか考えるが、そう簡単に見つかれば苦労はない。半ば共同研究者みたいな部分もあるだけに、裏をかいたり出し抜いたりも難しい。

 

「しかし、樹海ですか」

「なんだ、なにか気になることでもあるのか?」

「いえ、ユエ殿たちによれば樹海の国フェアベルゲンの都は大層美しいとか」

「俺らだと入れるか微妙だぞ?」

「残念ではありますが、それはそれで構いません。むしろ、本命は兎人族ですから。ナグモ…は、ハジメ殿。確か、シア殿は兎人族のハウリア族の姫君なのでしたね」

「姫君ってーとあれだが、族長の娘なのは確かだな。まぁ、ハウリア自体はフェアベルゲンから追放扱いだが」

「それでも、我々が樹海に赴いた際にはその里にお世話になるのでしょう?」

「まぁ、そうなるだろうな」

「でしたら…そうですね、楽しみです。聞けば、兎人族は非力ながらもどの種族よりも結束の強い、心穏やかな部族だとか」

「お、おぅ……」

「例え追放された身とはいえ、そんな彼らだからこそできることもありましょう。いえ、一人の同胞のために部族全員が共に死地に臨むことも厭わない、それは愚かなことなのかもしれません。ですが、それ以上に素晴らしい絆ではありませんか。

ええ、前々から思っていたのです。もしも亜人たちと交渉の席に立つのなら、兎人族にパイプになってもらうのが良いのでは、と。彼らと友誼を結ぶ絶好の機会、身も心も引き締まるというものです」

「そ、そうか。まぁ、なんだ……頑張れよ」

 

言えなかった。

まさか夢見る乙女のような表情で語られる“心穏やかな兎人族”であるハウリア族が今や、その面影の欠片もない「ヒャッハー!」な世紀末集団と化しているなどと。

まぁ、その元凶がハジメなのだから、どの口で……と言ってしまえばそれまでだが。

 

無論、現実を知った時のフェリシアの受けた衝撃のほどは推して知るべし。その後、真相を知った彼女は実ににこやかにハジメに迫り……その後のことを語る者は、誰もいない。誰もが口を噤み、知らぬ存ぜぬを通すのだった。



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032

今回はフェアベルゲンとの接触がメイン。
たぶん、次くらいで話が動く……思う。


 

名残は尽きないが、いつまでも足を止めているわけにもいかない。一行は別れを惜しみながらも再会を約束し、最後の大迷宮【ハルツィナ樹海】を目指す。

 

本来なら、エリセンから樹海を目指すのは大陸を西から東へ横断する大移動。例えハジメ謹製の車両型アーティファクト「ブリーゼ」や「ハインケル」を用いても、決して楽な道程ではない。

が、それはあくまでも陸路を行く場合の話。陸路が大変なら空路を行けばいいじゃない……と言わんばかりに、重力魔法を付与した「重力石」を利用して作り上げてしまったのだ、この「飛空艇フェルニル」を。ハジメ一人だけであれば未だ実用化は困難な代物だったろうが、そこは突き抜けた技術者を抱えるカルデアの力の見せ所。現在のハジメの腕前を考慮したうえで、提出された設計図を建造可能なレベルに修正。多少時間はかかりはしたものの、おかげでこうして陸路とは比べ物にならないほど快適な空の旅が実現した。まぁ、実は一番時間がかかったのが、内部空間を拡張するための空間魔法の定着…つまり、立香の担当分だったのはご愛敬だろう。

 

現在フェルニルが進むのは、ハジメたちも立香たちも一度は通った【グリューエン大砂漠】。舞い上げられた砂はかなりの高さに達するとはいえ、高度1000メートルを優に超える高空を行くフェルニルには関係のない話。窓を開けるどころか甲板に出て、一行は大いに空の旅を満喫している。普通ならこの高さで窓を開けるなどありえないし、甲板に出るなど以ての外だが、重力魔法以外にも様々な魔法や固有技能を詰め込んだ珠玉の一品は伊達ではない。

高高度から見渡しても砂景色一色。陸路を進んでいた時には辟易としたものだが、いまはこれはこれで味があると感じるから不思議なものだ。

 

惜しむらくは、操船が難しいため現状フェルニルを動かせるのがハジメ一人なことだろう。おかげで、彼の仲間(恋人)たちはもっぱら船内で過ごし、甲板に出てくるのは立香たちくらいなもの。なので、ユエや香織などは早めに操船を代われるようになろうと鋭意努力中であり、その中にはフェリシアも含まれる。立香? 期待するだけ無駄である。

 

だが、そんなものは些細な悩みに過ぎない。そう、現在フェルニルは大変のっぴきならない問題にさらされていた。

本来なら、あの濃ゆい連中と関わっていく上では避けては通れない道。今までは比較的良識派の赤青コンビだったり、バカンス気分だったりであまり問題を起こさなかったことが幸いしたが、今回の面々は違う。フェルニルによる旅が始まれば、必然生活空間が限定される。エリセンでは気を遣って距離をとったり場所を変えたりしていたのだが、今はそれもできない。

結果、立香やマシュだけでなくハジメたちもまた引き起こされる騒動に巻き込まれることに。そしてそれは、夜が明けてフェルニルが浮上して間もなく、甲板上の衝撃音とともに発生した。

 

「のわっ!?」

「ハジメ君、今のって!?」

「昨日の今日だぞ。少しは学習しねぇのか、アイツら……」

「……ん、さすがにそんなことはないと思いたい」

 

一見だらけながら両手に美少女を侍らせているように見えて、実はすごく集中して操船していたハジメが頭を抱える。それぞれ腕の中に納まりながら身をゆだねていた香織とユエも、何とも言えない顔で見上げていた。どうか、今度こそ別の理由であってほしいと……。

だが、現実とは無情なもの。事の真相は、間もなく監督責任者(マスター)からもたらされた。

 

「ハジメごめーん!! ちょっと降りてもらっていいかな、ブリュンヒルデがシグルドにロマンシア(愛情表現)しそうになってる! 具体的には、甲板が吹き飛ぶ」

「またか! いい加減にしろよ、あのおしどり夫婦!!」

 

昨日に続いて今日も…というか、実は召喚されてからほぼ毎日この調子なのだ。旅が再開されるまでは迷惑にならない場所でやっていたが、生活空間が限定されればそれも難しい。

おかげで、フェルニルはこうして度々停船を余儀なくされている。本来ならとうに樹海についていてもいいはずなのに、未だ大砂漠を進んでいるのはそれが理由だ。

 

しかし、一つだけ弁護させてほしい。ブリュンヒルデはこれでも結構我慢しているのだ。現在、フェルニルに乗船している面々は彼女基準で言うところの「愛する者(勇士)」が多くいる。愛情=殺意の彼女にとって、ここは殺意を刺激されてやまない場所なのだ。ましてや、彼女がこの世で最も愛する(シグルド)までいるとなればなおさら。

にもかかわらず、日に数度停船する程度に留め、なおかつ狙いはシグルド一択……ブリュンヒルデなりに、頑張って周りに迷惑をかけないよう努力した結果だ。まぁ、それでも多大な迷惑をかけているあたり、流石というかなんというかだが。

 

「ごめんなさい、本当にごめんなさい。ここにいらっしゃる方はみな、とても良き勇士なものですから……」

「気に病むことはないブリュンヒルデ、我が愛よ。その溢れ出る思いの丈、当方が全て受け止めよう」

「ああシグルド、シグルド……愛しいあなた。困ります、私とても困ってしまいます。今この槍に宿るのはあなたへの愛だけではないというのに、それでもあなたは受け止めてくださると? そんなことを言われたら私、嬉しくて……嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて嬉しくて……ますます愛してしまう。どうしようもないほどに……だから殺し、ますね?」

「良い、良いのだ、ブリュンヒルデ。何も抑えることはない。お前の殺意とは即ち愛。当方に向けられる槍の苛烈さこそが、愛の証明に他ならないのだから。当方はそれを、何よりも嬉しく思う。そう、今当方はこの上なくお前の愛を実感している」

「シグルド、シグルド……愛しています。愛しています愛しています愛しています愛しています愛しています愛しています愛しています愛しています愛しています愛しています愛しています愛しています愛しています愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛して愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛……」

「とはいえ、死んでしまえば当方の愛が証明できない。なにより、それでは当方の愛がお前の愛に劣っているかのようだ。うむ、それは少々……認めがたい。よい機会だ、我が叡智の全てを賭けて断言する。お前が当方を愛する以上に、当方はお前を愛していると!!」

(ティオさん聞きました? あの人、素面ですっげぇセリフぶちまけてやがるですぅ!!)

(う、うぅむ……罵られる方が好きな妾じゃが、偶にはああいうのも……)

(フォッフォウ!)

「故に、お前の愛のすべてを受け切り、なおかつ生存する…だけでは足りない。完膚なきまでの勝利を以て、我が愛の証明としよう!」

 

そうして繰り広げられる、トップサーヴァント二騎による大激突。本人たちとしては、周りに被害を出さないために行動している部分もあるのだが、そもそもこの二人がやり合っている時点でただでは済まない。それなり以上に頑丈に設計されているフェルニルではあるが、限度というものがある。

仲裁できそうなのもいないではないが、夫婦喧嘩は犬も食わない、人の恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られて死んじまえ、ともいう。これもある種の夫婦の営み的なアレだ。要は無粋の極みだし、なにより変に溜め込んで大爆発されるより小出しに発散する方がマシだろうということで、立香もあえて止めようとしない。

結果、今日も今日とてフェルニルは足止めを余儀なくされる。彼らが目的地である樹海に到達したのは、さらに一週間後のことだった。

 

ところで、話は変わるのだが……シグルドとブリュンヒルデのやり取りを見ていて思うところがあったのか、どこからかシアがこんなものを持ち出してきた。

 

「は、ハジメさん、ちょっとこれかけてくれませんか?」

「待て。それ確か、シグルドの眼鏡じゃ……」

「ご主人様よ、後生じゃ今は何も言わずそれをかけておくれ」

「ハジメさんもこの眼鏡をかければ、シグルドさんみたいに……」

 

二人が何を期待していたのかは定かではないが、結論を言えば二人に対しては特に何もなかった。代わりに、ユエや香織との夜が一段と激しくなったのと、密かに立香を通してシグルドに苦情が入ったことくらいだろう。

 

 

 

  *  *  *  *  *

 

 

 

大いに足止めされながらも、何とか樹海に到着した一行。無事に…と言い難いのは、なんだかんだですでにフェルニルがいろいろと傷だらけだからだろう。原因は……あえて語るまでもあるまい。

 

流石にいきなり樹海内部に乗り付けることはせず、その手前でフェルニルを降りハジメたちは再度、立香たちは初めて樹海内に足を踏み入れる。亜人族やその国「フェアベルゲン」に気を遣う理由はないが、わざわざ自分からトラブルの種をまく気はないし、ハジメたちと違いフェリシアは彼らとの関係を大事にせねばならない。一応、ハジメなりにそのあたりに配慮した結果だ。

そんなハジメにユエと香織は柔らかく微笑み、かつての彼を知る立香とマシュの眼差しもどこか暖かだ。そのことに若干の居心地の悪さというか照れを感じるのか、微妙にそっぽを向くハジメ。かつてこの地を訪れた時とは違う、穏やかな雰囲気ではあるものの、当の【ハルツィナ樹海】は一寸先を閉ざすような濃霧を以て出迎えた。

 

獣道とすら呼べない道ならぬ道と、濃い霧と共に纏わりつく認識阻害に似た感覚。これで現在位置や方角を狂わせているのだろう。

しかも、その強度が並ではない。人外レベルのハジメはおろか、サーヴァントですらここでは感覚が狂わされるらしく、シグルドやブリュンヒルデですら若干の緊張をはらんだ様子で周囲を警戒しているのだから、恐るべき強度だ。

 

「みなさ~ん、さっきも言いましたがくれぐれも私から離れないでくださいね~」

「しかし、話には聞いてたけどすごい霧だな」

「はい。よほど感知能力に優れたサーヴァントでもなければ、すぐに迷ってしまうでしょう。ロビンさんはどうですか?」

「いやぁ、森とかはホームグラウンドのつもりだったが、こいつは実際大したもんだ。正直、俺も気を抜いたら迷っちまいそうだ。つーわけで、マスター。くれぐれも俺らの囲いから出ないでくれよ。契約があるからマスターは見つけられるだろうが、あっちのウサギの嬢ちゃんと合流できるかは結構微妙だ。その辺、百貌の姐さんたちはどうなんです?」

「不可能ではない……が、難しいだろう。数を頼みに虱潰しに探せばあるいは、といったところだ」

「ああ、そりゃ確かにあんたらならではの強みだ。その点に関しちゃ、誰もあんたには勝てないだろうよ」

 

先導役のシアを先頭に、一行の周囲を囲むロビンと百貌達。斥候や間諜が専門の彼らでようやくある程度樹海内を動けるというレベルなのだから、つくづく樹海の霧は恐ろしい。これはまさに、正真正銘の結界だ。

 

「じゃが、確か魔人族は樹海にも進行する計画を立てておるのじゃろう? この霧をいったいどうやって突破するつもりなのじゃ?」

「……………………あまり、聞いて気持ちの良い話ではありません。特に今は」

「? どういうことですか?」

 

疑問符を浮かべる香織に、フェリシアは「また後程」と詳しいことは語らない。

今言ったとおり気持ちの良い話ではないというのもあるが、なによりこの場所を警戒しての判断だ。ここは樹海、すなわち亜人族の領域。今のところ誰も亜人族の気配をとらえてはいないが、用心に越したことはないだろう。この時点で彼らを刺激するようなことはしたくない。まぁフェアベルゲンと接触すれば開示するつもりの情報だが、悪戯に拡散するのも望ましくない。上層部にだけ伝え、機密扱いにしてしまうのが一番なのだから。

そうして進むこと数分、ロビンや百貌達が感知するよりわずかに早く、シアが武装集団の接近に気付いた。

 

「皆さん」

「むっ」

「おいでなすったようで……」

「武装した集団が左右から接近してきています」

 

その言葉を受け、特に打ち合わせをしていたわけではないが示し合わせたように左右に分かれる。戦いに来たわけではないので殺気をまき散らすような真似はしないが、かといって警戒を緩めもしない。奇襲を仕掛けられても即座に対応できる程度には。

 

そして、シアたちの言葉が正しかったことを示すように、霧をかき分けて武装した虎耳の集団が現れた。全員が険しい視線で武器に手をかけ、今にも仕掛けてきそうな剣呑さだ。しかし、同時に訓練が行き届いているらしく先走る者はいない。距離を取ったまま戦闘態勢を維持する集団から、リーダーらしき虎人族の視線がハジメ達に止まる。

 

「お前達は、あの時の……」

「あ、お久しぶりです」

「お知合いですか?」

 

いち早く彼…警備隊の隊長を務める虎人族のギルを思い出す香織。わずかに遅れてハジメも思い出したらしく、フェリシアの問いに首肯を返す。

 

「一体、今度は何の……というか、随分と人数が増えたな。見たところ人間族ばかりのようだが、なんだその髑髏面の連中は?」

(まぁ、パッと見一番不審だよね)

(こればかりは、仕方がないかと……)

「んなことより、まずはこいつらをフェアベルゲンに連れて行ってやれ。俺たちと同じ資格者だ」

 

それはもう怪しいモノを見る目を向けてくるが、流石に反論の余地がないのでスルー。とはいえ、代わりに用件だけを簡潔に伝えるハジメもいかがなものか。

 

「なに? ……そういうことならば、長老たちに報告する。少々待ってもらわねばならないが……」

「わかりました。いいよね、フェリシア」

「はい。先触れもなく押し掛けた身、不躾の極みと承知しております。待てとおっしゃるのなら、一日でも二日でも、いくらでも待ちましょう。リツカ殿には申し訳ありませんが……」

「いいからいいから」

「………………………………………少年、彼らとどういう関係だ? 仲間…にしては、印象が違いすぎるぞ」

「ほっとけ」

 

深々と頭を下げるフェリシアの誠意ある対応に、「お前ちょっとは見習えよ」と言わんばかりの視線をハジメに投げるギル。まったくもって正当な反応だが、もちろんハジメはそれで我が身を顧みたりはしない。

その間にも、立香たちは宝物庫から出したシートに腰を下ろしてさっさと寛ぎモードに移行。荒事にならなさそうと判断してのことではあるが、武装集団に囲まれていながら大した図太さだ。

 

「ではハジメさん、また後程」

「おう」

「先に行ってるね、マシュちゃん」

「ま、待て待て! どこに行くつもりだ!」

「……ん、ハウリア族の集落以外に行くところがあるとでも?」

 

何を当たり前のことを、と言わんばかりにジト目(デフォ)を向けるユエ。別に特に呆れたり蔑んだりはしていない。

とはいえ、それはあくまでも仲間たちだからこそわかること。ギルからすれば、絶対零度の吹雪でも受けたようなものだったらしく、表情どころか身体そのものが固まっている。もちろん、そんなギルのことなどハジメの知ったこっちゃないが。

 

「……待てよ。一応聞くが、ハウリア族の集落の位置は俺たちが出て行ってから変わってないか?」

「あ、ああ。あれ以来、連中はあの場所に居座っている」

「そうか、なら問題ないな。立香、用件が終わったら追って来いよ。例の発信機とサーヴァントたちがいれば、樹海でも追ってこれるだろ」

「ああ。百貌、一応念のため何人かつけてもらっていい?」

「承知した」

 

呆然と見送るギルを尻目に、5名ほどのアサシンを引き連れてハジメたちは樹海内を進んでいく。百貌には独自のネットワークがあるので、これで発信機が誤作動を起こしても追いつくことができるはずだ。

 

「すみません、マイペースな奴で」

「隊長さん、ですよね。よろしければ飲みますか?」

「……いや、結構だ」

(マイペースっつーんなら、うちのマスターもいい勝負だと思うがねぇ)

 

難しい顔をしているギルに若干同情しつつ、ちゃっかりお茶のご相伴にあずかるロビンだった。

 

その後、恙なくフェアベルゲン上層部「長老会議」に話は通り、長老の一人を名乗る狐人族のルアが出向くと、立香たちは無事「資格者」として認められ街へと招かれた。

“百聞は一見に如かず”とはまさにこのこと。話には聞いていたものの、実際に目の当たりにしたフェアベルゲンの美しさは想像を超えていた。

フェアドレン水晶という霧や魔物を祓う鉱石のおかげで街に霧が入り込むことはない。そんな街の中には直径数十メートル級の巨大な樹が乱立し、その樹の内部を住居として利用している。ランプの明かりが樹の幹に空いた窓と思しき場所から溢れ、斜陽と相まって幻想的な光景を作り出している。

また、人が優に数十人規模で渡れるであろう極太の樹の枝が絡み合い、空中回廊を形成している。樹の蔓と重なり、滑車を利用したエレベーターのような物や樹と樹の間を縫う様に設置された木製の巨大な空中水路まであるようだ。樹の高さはどれも高層ビル並みで、圧巻と評する以外にない威容を放っている。

 

「どうだい、僕たちの都はお気に召したかな?」

「いやぁ、色々なところを旅して綺麗なものもたくさん見てきたけど、これは絶景百選…いや、十選に入るかも」

「はい、自然との調和…という点で言えば、一つの完成形です」

「フォ――ウ! フォ――ウ!」

「フォウさんも大はしゃぎです」

「野生に帰ったりしない、よね?」

「……」

「フェリシア、だったかな? ぜひ、君の感想も聞かせてほしいね」

「……………………愚か、その一言です」

「……ほう、それはどういう意味かな?」

 

それまでそっぽを向きつつもケモミミや尻尾を勢いよくフリフリして、機嫌の良さを隠しきれなかった亜人たちの動きが止まる。

 

「……私たちの愚かさを、目の当たりにした思いです。あなた方をケダモノと呼び蔑む者たちに、ぜひこの街を見せてやりたい。あなた方はこんなにも素晴らしいものを、美しいものを作り上げる文化を、技術を、叡智を持った種族なのだと。己と同胞たちの無知に、恥じ入るばかりです」

「……………………いやはや、まさか街ではなく僕たちを見ていたとはね」

 

かつてハジメたちがフェアベルゲンを訪れた時も、彼らは街の美しさを心から称賛した。それはそれで喜ばしいことだったが、今受けた衝撃はその時とは少々違う。

フェリシアは街を通して、亜人族という種族を見ていた。これだけの街を作り上げる彼らの手にあるものの素晴らしさ、フェリシアはその尊さにこそ感銘を受けている。長老の一角を担うルアはそれを正しく理解したからこそ、単純な喜びとはまた違う感慨を覚えていた。

 

「ルア殿、よろしければ後程どなたかに案内してはいただけないでしょうか。是非とも、見て回りたいのですが」

「…………実は彼女、結構子どもっぽい?」

「……まぁ、割と好奇心旺盛というか」

「異なる文化、というものに興味津々な方なので」

「あ、できれば本屋とかあればそこにも寄ってあげてください。あと、フェリシアが興味がありそうなものとなると、服飾系と食材関係、それに……」

 

子どものように目をキラキラさせているフェリシアに聞かれないよう、こっそりルアに見学ツアーの要望を伝える。とりあえず、彼らの生活に根差した店や歴史がわかる場所などに連れて行ってやれば、フェリシアのテンションは天元突破することだろう。

ちなみに、残念ながら国民感情的に街中を歩き回らせるのは良くないということで見学ツアーはお預けに。物分かり良く了承したフェリシアだが、フェアベルゲンを出るとものすごく残念そうにしていたとか。

 

閑話休題。

そうして案内されたのは、長老会議の会議場。すでに主要な長老たちは集まっていたことから、早々に口伝に則る形で議事を進行……しようとしたが。

 

「あ、あらかじめ言っておくと、俺たちは基本的にハジメたちと一緒に行動するつもりなので」

 

という立香の一言で、過程の大部分が省略されることに。なにしろ、ハジメたちの仲間ということで力を試す必要がなく、案内するか否かもハウリア族がついているので決めるまでもない。まぁ、フェアベルゲンを蔑ろにされているようで長老たちとしては面白くはなかったが、続く「ほら、俺たちが街にいると皆さん良い気持ちはしないでしょ」との配慮で治めることに。実際、根深い遺恨を抱える人間族を街中に滞在させるのには、いろいろと問題がある。なので、そのあたりの問題がなくなることは素直にありがたい話だ。

 

それに、立香たちとしてはこのようなことにあまり時間はかけたくなかった。

何しろ、彼ら…というかフェリシアにとっては、この後こそが本番なのだから。

 

「ふむ、ではさしあたって決めるべきことはこれで終わりか。またしても、口伝の資格者を歓迎できないのは心苦しいが……」

「いえ、あなた方が受けてきた迫害を思えば、歓迎など……こうして話を聞いていただけただけで、望外の喜びです」

「そう言ってもらえると、多少なりとも救われるな」

「ですが、よろしければもう少しだけ私の話に耳をお貸しいただけないでしょうか」

 

長老衆の顔役と思しき森人族のアルフレリックが会議を閉めようとするが、そこに待ったをかけるフェリシア。

 

「ほう、これ以上なにがあると?」

「遠からず、魔人族が樹海に侵攻します。それも、樹海の霧を突破する魔物を従えて」

「っ!?」

 

その言葉に、長老衆の間に戦慄が走る。

 

「なぜ、そう言い切れる?」

「簡単な話です。私が魔人族であり、つい先日まで軍上層部に籍を置いていたからです」

 

そう言ってフェリシアが己の顔を一撫ですると、肌色や耳の形が魔人族のそれに変化する。当然、長老たちの驚きは並大抵のものではない。中には、浮足立ち戦闘態勢を取りかける者までいた。

そんな彼らの反応を、フェリシアは静かに見守る。なぜなら、それは当然の反応だからだ。これまでは余計な混乱を招かないために、あえて立香たちと同じ人間族の姿に変えていたが、この話をするからには正体を明かす必要があった。まぁ、彼らの度肝を抜くことで主導権を握る、という狙いもあったが。

とはいえ、この流れを考えた時点で彼らの反応は予想できていたこと。故に、フェリシアはそのまま予定通りに隙を晒したまま座り続ける。なにもしない、それが最善の対応だと判断したから。そして、その判断が正しかったことはすぐに証明された。

 

「鎮まれ! 相手が人間族であろうと魔人族であろうと、大差はあるまい。それより長老ともあろう者が、無防備な娘を相手にいったい何をするつもりだ!」

「ぐっ……」

「だがアルフレリック、それは……」

「わかっておる。無論、問うべきことは問わせてもらう。フェリシア・グレイロード、その姿について説明はしてもらえるのだろうな」

「無論です。これは神代魔法の一つ、変成魔法によるもの。先ほどまで偽りの姿で皆様を謀ったこと、伏してお詫び申し上げます。ですが、資格者と認めていただくまでの話を円滑に進めるため、私の正体は隠しておいたほうが良いと考えました。人間族の中に魔人族が混じっているとなれば、皆さまも理由を問わずにはいられなかったことでしょうから」

「まぁ、それは、な」

「また、変成魔法の一端を実際にご覧になっていただく必要がありました」

「それが、霧を突破する方法と関係していると?」

「……はい。ただ、どうかお約束いただきたい。これから話すことは、あくまでもこの場限りのものとすると」

「理由による、としか答えられんな」

「当然でしょう。理由は単純です、これを末端の兵や民一人一人にまで知られれば、混乱を招くことになるからです。また、真相を知ればいざ侵攻を受けた際に被害が増大する恐れがあるからです。それというのも……」

 

そうしてフェリシアの口から語られたのは、長老衆にとって……いや、亜人族にとって許しがたいものだった。

樹海を満たす霧はなぜか亜人族にだけ効果がない。ならば、突破の方法は簡単だ。亜人族を利用すればいい。簡易なところでは亜人族の奴隷に先導させる方法があるが、魔人族は変成魔法を手にしたことでそこからさらに先…禁忌の域に踏み込んだ。それは……魔物と亜人族の融合。

コンセプトとしてはフェリシアの研究に近いが、あれは魔人族をベースに魔物を融合させたのに対し、こちらは魔物をベースに亜人族を融合させるというもの。これにより、霧の効果を受けない魔物を作り上げたのだ。

フェリシアは直接研究には携わらず、魔物の強化に長けたフリードが手掛けた研究だった。とはいえ、彼女からすれば己もまた同罪。なにしろ、フェリシアは知っていてそれに反対しなかった。反対したとしても止まらないし、すれば立場を危うくすることを知っていたから。

だからこそ、彼女には静観する以外の選択肢がなかった。無論、それが免罪符になるはずもないと知った上で。

 

予想通り、この事実を告げた長老会議は紛糾した。中には動転してか、フェリシアに相応の罰を……と言い出す者まで出る始末。フェリシアはむけられる罵詈雑言のすべてを、黙って受け入れた。マシュは弁護しようとしてくれたが、立香が手を取ってそれを押しとどめる。

フェリシアに自身が静観した理由を含めて、弁明する気などないことを知っていたからだろう。また、彼らとしても一度吐き出さなければ収まりがつかないことも。

 

何度かインク壺やペンをはじめとした小物、中にはテーブルごと投げつけられたりもしたが、フェリシアはそれすらも黙って受け止める。同胞たちの罪を肩代わりするかのように。

そして、中にはそんな彼女の姿勢に気付く者もいた。アルフレリックやルアがそうだ。彼らが中心となり他の長老たちを宥め、やがて会議場は多少なりともの本来の落ち着きを取り戻していった。

 

「すまんな、グレイロード殿。不調法、平にご容赦願いたい。これ、急ぎ薬師を呼ばんか。すぐに治療させる故、しばし……」

「いえ、それには及びません。もう、治っておりますので」

「なんと……それも神代魔法ですかな?」

「ええ、変成魔法の応用です。他の魔法でもできるのですが、すっかりこちらで慣れてしまって……」

「変成魔法……先の話を聞いた後では複雑だが、貴重な情報に感謝する」

 

一同を代表しアルフレリックが頭を下げれば、表情はまちまちながら一同揃ってそれに倣う。冷静になったことでフェリシアの本心もある程度察したのか、アルフレリックなどは礼節を持って対応することにしたらしいことがうかがえる。まぁ、感情の折り合いがつかない者もまだいるようだが。

 

「念のために伺うが、侵攻のタイミングはお分かりか?」

「申し訳ありません。一応の妨害工作はしましたが、私が国を出たのはそれと同時だったもので……」

「いや、時間を引き延ばしていただけただけで充分というもの。おかげで、事前にそれを知ることができた。それに、先ほどおっしゃった意味も理解した。このことは我らの胸に留め、兵たちには霧を突破できる魔物がいる、とだけ伝えておこう」

「ありがとうございます」

 

知れば、中にはきっと躊躇する者が出てくるだろう。そうなれば、被害が増すばかり。真相は秘め、上層部がその闇を背負えばいい。

 

「では、改めて聞かせていただこう。かつてはガーランドの軍幹部まで務めたという其方が、なぜ国を離れ、人間族と行動を共にしているのか」

「行動を共にしているといっても、私個人に限って言えば旅の道連れ……仲間、とも言えない身ではありますが」

 

そう前置きしたうえで、フェリシアは自身の思い描く理想……解放者たちの遺志を継ぎ、神と決別した世界への願いを紡ぐ。三種族…いや、竜人族を含めた四種族が手を取り合うとはいかないまでも、意味のない闘争で血を流すことのない、自分たちの意志で未来を作れる世界への思いを。

全てを聞き終えた長老たちだが、その表情は苦い。その理由もまた、フェリシアにはわかっていた。

 

「……」

「無論、これが虫のいい願いであることは承知しております。迫害され、虐げられてきたあなた方からすれば、何をいまさら…と思われることでしょう」

「そう、だな。仮に神の支配がなくなったとしても、積み重なった遺恨が消えるわけではない。我らは人間族を憎み、魔人族を恨む」

「憎むなとも、恨むなとも申し上げられません。それは、当然の感情です」

「では、仮に我らが恨みを理由に戦を仕掛ければどうする?」

「受けて立つまでのこと。あなた方の感情は正しくとも、次の時代に生きる者たちに責を負わせることはできません」

「否定はしないと? そなたは、戦争の回避を望んでいるのではないのか」

「少し…違います。確かに回避できるならそれに越したことはありません。特に、神を理由とした戦争など以ての外。ですが、それが食料やそれを育てる土地を巡った、あるいは正しい感情のもとに行われるものであれば否定はしません。なぜならそれは、人の営みにおける発生して当然のもの。痛ましいとは思います。ですが、その痛みすらも含めて我らが先へと進むために必要なものだと思うのです」

 

できるなら各種族の関係を一度清算する為、数百年あるいはそれ以上の時間をかけて遺恨を風化させたいとは思っている。そのために、各種族の繋がりを一度断つ…というのが元々のフェリシアのプランだ。

ただ、それが虫のいい願いであることもわかっている。少なくとも、亜人族や竜人族がそれで納得しないとしても、それは当然だと思う。だから、そこにこだわるつもりはない。

それに、過去の遺恨を理由にした戦争ならば、まだ納得がいく。だってそれは、被害者側からすれば当然の感情だからだ。それを否定する言葉を、フェリシアは持ち合わせていない。水に流せと、いったいどの口で言えというのか。

 

「間違えないでいただきたい。最も優先すべきは、神の手から世界を、人を解放すること。その後のプランは、また改めて決めればよいのです」

「だが、仮に神を討てたとして、世界が変わると?」

「変わらないかもしれません。ですが、少なくとも“討たなければこのまま”です」

「……」

 

それだけは、まぎれもない事実なのだ。神を討った程度で世界中の人々の認識が変わるはずもない。時間をかけたとしても、どうなるかはわからない。しかし、現状を放置すれば何の変化も生じないのだけは確かだ。

 

「………………………そなたの言い分はわかった。一考に値するものだということも含めて、な」

「ありがとうございます」

「だが、はっきり言わせてもらえば如何にそなたが傑出していようとも、現状では“個”に過ぎん。国には同志がいるやもしれんが、その安否は不明なのだろう」

「はい」

「そして、竜人族の生き残りとのパイプはあれど、いまだ交渉には至らず」

「はい」

「であれば、やはりまだそなたの手を取るわけにはいかん。具体的なヴィジョンがあったとしても、それでは足りん。聡明なそなたのことだ、それもわかっているのだろう?」

 

今のところ、フェリシアの手元にあるカードはあまりにも少ない。確実にあるといえるカードは、彼女自身が保有する戦力だけ。それだけでは、正直彼女のプランに乗るには不安要素が多すぎるということだ。

だが逆に言えば、実現可能と思わせる現実味を感じさせるカードを揃えることができれば、話は変わってくるということ。そして、そのカードの当ては既にある。

 

「無論です。樹海の迷宮を攻略し、リツカ殿たちの帰還を見届けた後、私は世界を回るつもりでおります」

「そこで、交渉材料を見つけると?」

「目星はついております」

「ほう……具体的には?」

 

そこでフェリシアは少し思案する、ここでその目星を語るべきか否か。だが、答えはすぐに出た。別に競争相手になるわけでもないのだ。真剣に彼女の提案を検討してもらうため、少しでもその可能性を引き上げるべきだろう。

 

「………………………………帝国を落とします」

「なにっ!?」

 

その一言に、改めて場が騒然となる。帝国と言えば、ヘルシャー帝国をおいて他にない。だが、それでは先の言葉と矛盾する。彼女は可能であれば戦争を回避したいはず。なのに、人間族側で屈指の国家である帝国を落とすのは、結果的に魔人族側に利することになるはずだ。

これまでのフェリシアの話がウソとは思えない。ならば、その真意とはいったい……

 

「帝国の存在は最大の不安要素です。隙あらば最大限の利益を取りに行く、それは一向にかまいません。ですが、あの国は少々貪欲すぎる。あなた方にとっても、もっとも深い遺恨を抱えた存在であることでしょう」

 

なにしろ、あの国こそがこの世界において最も亜人たちを奴隷として虐げている国なのだから。

 

「確かに、な……」

「ですが、同時に最も与しやすい国でもあるのです。彼の国の国是は“敗者は勝者に従う”。ならば、私が皇帝を降してしまえばどうなります?」

 

力で屈服させ従わせる、故に、力こそが至上。確かにそれはヘルシャー帝国の国是に則ったことだ。逆に、他の国であれば単純に力で手に入れることは難しい…というか不可能だ。だが、あの国だけはそれが通じ得る。

そして、フェリシアの力なら確かにそれができる。全人類の中でも、彼女に対抗できる者は極めて少ない。

無論、皇帝と一対一の決闘……で済むはずもないが。

 

「……………………やろうと思えば、帝国そのものを敵に回すことになるぞ」

「望むところです。いずれは神を討とうというのです、国の一つや二つ落とせなくてどうしましょう」

 

自信のほどを示すように、敢えて力強く言い切る。

 

「……国というカードを持ち出されればこちらも無碍にはできん、か」

「私が帝国を手に入れた暁には全亜人の解放をお約束いたします。できれば賠償金も支払いたいと思いますが、そちらは懐事情が分からなければ何とも……」

「まぁ、当然であろうな」

「代わりと言っては何ですが、樹海付近の国土を一部竜人族に割譲するつもりでいます。彼らも大陸から離れた場所からでは目付け役も難しいでしょう。そこを中立都市とし、緩衝地帯にできればと考えています。もちろん、表向きは適当な理由をつけ、彼らに矛先が向かないようにはしますが」

「気前のいいことだが、それをすればそなたに反感が集まるぞ」

「構いません。元より魔人族の裏切り者、そこに帝国の愚帝が追加されるだけですから。精々悪評を集めて、敵役を演じましょう。フェアベルゲンでも、いずれ来る侵攻の際には私を黒幕にでも仕立てていただきたい。そうすれば、人心を集めるのも楽になるになるはずでは?」

 

わかりやすい敵がいれば、確かにその分人心をまとめ安くなる。

フェリシアは自身が旗頭になるつもりなど毛頭ないのだ。表向きは敵役を演じ“フェリシア憎し”で世界をまとめ、裏で各国の中枢を担う者たちと結託するのも一つの方法だろう。経過はどうあれ、いずれは神を討ち……自分は歴史の闇に消える。それでいいのだ。

立香たちやティオなどは異論があるようだが、重要なのは先も言ったとおり“神からの解放”である。世界をまとめるというのも、そのための手段に過ぎない。ただ、後々を考えるのなら世界をまとめるか、種族ごとで分断するのが良いだろう。いずれにせよ、目付け役は竜人族に任せることになるので、彼らの大陸復帰は必須だ。

そうすると、やはりフェリシアが悪役を担うのが良いように思う。

 

「むぅ……しかし、そなたのいないガーランドや帝国はどうなる?」

「それについてはご心配なく。国には統治を任せられる同志がおります。帝国の方も、形にこだわる必要はありません。最終的には解体し、王国に吸収させてしまえばよいのです。幸い、王国の姫は話の分かる御仁のようですから」

「会ったことがあるのか?」

「いえ。ですが、王国には少々思うところがあり草を放っております」

 

どうやら、そのルートからハイリヒ王国王女「リリアーナ」の情報を得ていたらしい。まぁ、元々は騎士団長(メルド)周りを調べるのが目的だったようだが。

 

「…………まぁ、性急に結論を出すようなことではない、か」

「はい、今はまだ可能性の域を出ない話です。とはいえ、ガーランドとの対決は確実でしょう。

 ですので、まずは目の前の現実への対処を検討させていただきたい」

 

とはいえ、話はそう複雑ではない。フェリシアの「帝国落とし」を前提に、フェアベルゲンと同盟を組もうということだ。可能であれば、メルドを橋渡しに王国も交えて。

現状、ガーランドの戦力は人間族、あるいは亜人族だけで戦うには大きすぎる。しかし、両者が協力すれば均衡状態を生むこともできるだろう。単純戦力では上回るかもしれないが、3国の同盟では足並みをそろえきれない可能性が高い。その分のマイナスを考慮したうえで、“均衡”なのだ。

その膠着状態の隙を突く形で神を討ち、ガーランドではフェリシアの手の者が中枢を握る。そうすれば、世界をまとめるにしろ分断するにしろ、先ほど話していた内容が現実味を帯びてくる。

まぁ、少々理想的に過ぎるとはフェリシアも思っているが。なにしろ、肝心要の“神を討つ方法”が今のところフェリシアの手元にはないのだから。

 

そうして話し込んでいるうちに、気付けば随分と夜も更けた。

流石に一度に決め切れる内容ではない。それに幸か不幸か、大樹への道を阻む特に濃度の濃い霧が薄まるのは、まだ数日先のこと。なので、今回はここで打ち切り日を改めて、ということになった。

ただその前に、フェリシアは最後に一つ次回までに検討しておいてほしいことがあった。

 

「ハジメ殿たちから伺ったのですが、フェアベルゲンでは魔力操作ができる子を“忌み子”として扱っていると」

「そなたも忌み…いや、失礼。魔力操作ができるのであったな。気持ちはわからんではないが……」

「掟とするからには相応の理由があるのでしょう。それは理解します。ですが、どうか改めて検討していただきたい。感傷ではなく、現実的な問題として」

「というと?」

「はっきり申し上げますが、亜人族が迫害される最大の理由は神…ではありません。それは、力の差です」

「……で、あろうな」

 

そう、神を理由に迫害するというのであれば、人間族か魔人族、どちらかもまた同じような立場であるはずなのだ。だが、現実には両者はある意味では対等に反目しあっている。

これは、両者の戦力がある程度以上釣り合っているからに他ならない。亜人族がそうならないのは、彼らが弱いからだ。そして、その弱さの理由とは……

 

「あなた方の身体能力は確かに優れています。ですがそれは、人間族の数にも、魔人族の魔力にも届かない」

「……」

「樹海という地の利を得て、初めてあなた方は両種族と対等になる。ですが、樹海は外に持ち出せない。それこそが、あなた方が迫害される最大の理由です。たとえ神の支配を脱したとしても……」

「いずれは、同じことが繰り返される。無論、承知しているとも。だが、わざわざ口にしたからには理由があるのであろう? その差を埋める、何か……もしや!」

「ええ、そこで忌み子、すなわち魔力を持った子の存在です。彼らの血を広め、魔力を持つ子どもを増やす。魔力があれば魔法が使えます。そうなれば、両種族との差を埋めるには十分でしょう」

 

如何に魔力があっても、シアを参考にするなら魔法の適性は低いかもしれない。

だが、魔力操作ができればさらに身体能力を強化できるし、できずとも少しでも魔法を使えれば戦力差を埋められる。少なくとも、一方的に迫害される状況は脱せられるはずだ。

 

「……」

「これもまた、すぐには決めかねることでしょう。ですがどうか、ご一考いただきたい。彼らは決してあなた方に害をなす存在ではありません。むしろ、あなた方の未来を照らす篝火となりえる、希望の子かもしれないのです」

「…………………………検討は、してみよう」

「ありがとうございます。ただ、一つだけお願いが」

「わかっている。今更、シア・ハウリアに縋るような恥知らずな真似はせんよ。彼女に謝罪することはあっても、な。対応を改めるとすれば、それはこれから生まれてくる…あるいは、いまだ露見していない子どもたちの話となろう」

「その旨、シア殿にお伝えしても?」

「構わん。が、まだ決定事項ではない。あくまでも、検討するだけということを忘れないでほしい」

「十分です」

 

その後、フェアベルゲンを後にした立香たち一行。随分と遅くなったが、仲間たちはしっかりと彼らを出迎えてくれた。そこで話し合った内容を簡単に報告したが、感極まったシアがフェリシアに抱き着きワンワン泣いたことをここに記す。

 

ちなみに、フェリシアが変わり果てたハウリア族を知るのは、夜が更けていたこともあり明くる朝のことだった。



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033

何とか平成のうちに挙げられました、一安心。
できれば、連休中にもう一話行きたいなぁ……。


兎人族。多種多様な特徴を有する亜人族の中でも、とりわけ“容姿”に定評のある兎の耳と尻尾を有した種族だ。

総じて容姿に優れ、“美しい”というよりも“可愛らしい”その外見から、積極的に奴隷の売買を行う帝国などでは“美しい”ことで評判の森人族と並んで愛玩奴隷として人気がある。

 

ただ、森人族と兎人族では“容姿”以外の評価に大きな隔たりがある。それはひとえに、彼らの能力と気質故だ。

兎人族は聴覚や隠密行動にこそ優れているが、他の種族に比べ基本的な肉体性能が低い。身体能力の高さが武器の亜人族にとって、これはある意味致命的だ。ただでさえ、亜人族は魔力を持たないが故に圧倒的不利な立場に置かれているというのに、頼みの身体能力すら低レベルでは……そのため、同じ亜人族からも格下と見られてしまう。加えて、温厚で争いを嫌う気質が災いし、命の危機を前にしても“戦う”ことを選べないことも多い。

脅威を前になす術もなく怯える兎人族の姿は、その容姿も相まって大いに嗜虐心をそそるらしく、彼らの愛玩奴隷としての人気の一因にもなっている。

 

反面、彼らの繋がりは極めて強い。脆弱かつ気弱で争いに向かない種族だからこそ、兎人族は助け合い、守り合う。親兄弟だけでなく、同じ姓を戴く集落の仲間たちも一つの共同体ではなく家族として捉え、一人のために一族全員が危地に臨むことを厭わない。

 

そんな兎人族だからこそ、フェリシアは竜人族と並んで各種族の橋渡しになれるのではと期待していた。

比類ない高潔さ故に厳しく己を律する竜人族が世界とそこに生きる各種族を見守り、誰よりも穏やかな心と絆の強さを知る兎人族が各種族の仲を取り持つ。世界は思うようにはいかないことを知っていながらも、そんな世界を願わずにはいられないフェリシアにとって、彼らは勇猛な熊人族や虎人族などよりも遥かに重要な存在だった。

 

そう、ちょうどこんな感じに……

 

「おお、フェリシア殿。ご覧ください、差し込む爽やかな朝日、小鳥たちの囀り……今日も実に良い朝ではありませんか」

 

イメージです。

 

「まぁまぁ、フェリシアさん。今日は西の花畑に行ってみませんか? ちょうどこの時期、色とりどりの花が咲き誇って、それは見事なものなんですよ。ねぇ、坊や?」

「うん♪ 僕もお花さん大好きなんだ、一緒に行こうよフェリシアお姉ちゃん!」

 

あくまでも、イメージです。

 

「っとと……いや、お恥ずかしい。危うく虫たちを踏んでしまうところでした。すまないな、お詫びに角砂糖でもどうだい?」

 

そしてこのイメージ、基本的にはそう間違っていなかったのだ……そう、ハウリアがハジメと出会う前までは。

だが現実は……

 

「どうした、もう終わりか! 所詮、貴様は“ピー”な子兎かっ! 膝に活を入れんか、この“ピー”するしか能のない“ピー”ウサギめ! なんだ、その“ピー”の様に萎れたそのウサミミは! ハッ、“ピー”な貴様には実にお似合いだ、この“ピー”野郎! どうしたっ! 悔しければガッツを見せろ! 出来なければ、所詮貴様は“ピー”くさい“ピー”にも劣った“ピー”ということだ!」

「なんだ、その腑抜けた殺気は! 生まれたての子猫の方がまだマシな殺気を放てるぞ! 爺ィの“ピー”の方がまだ気合いが入ってる! その調子じゃ、一人前になる頃には魔人族の襲撃が終わっちまうぞ! 腐れ“ピー”の“ピー”野郎共!」

 

爽やかな朝の森には到底似合わない、各所から響く聞くに堪えない罵詈雑言の数々。

 

「このクズどもめっ。トロトロと走るんじゃないっ」

「ふざけるな! 声を出せ!! “ピー”落としたか、クソ虫ども!」

「まったく、なんたるザマだ! 貴様らは最低のうじ虫だっ! ダニだっ! この世界でもっとも劣った生き物だっ!」

「口で“ピー”たれる前と後に“Sir” をつけんか、“ピー”ウサギ!」

「気に入ったわ、そこの新米。家に来て弟を“ピー”していいわよ」

「姉ちゃん!?」

 

温厚で平和的、気弱で争い事が何より苦手な森のウサギ……とは、もはや異次元の存在がそこにはいた。

 

「返事はどうしたぁ! この“ピー”共がぁ!」

「「「「「「「「「ッ!? サッ、Sir,Yes,Sir!!」」」」」」」」」

「聞こえねぇぞ! 貴様等それでも“紅き閃光の輪舞曲(ロンド)”、ボスの部下かぁ! 所詮は“ピー”の集まりかぁ!?」

「「「「「「「「「「Sir,No,Sir!!!」」」」」」」」」」

「バッカ違ぇだろ、“白き爪牙の狂飆”だって“霧雨のリキッドブレイク”」

「なんだ、お前は“白派”か“幻武のヤオゼリアス”。わかってねぇな、紅こそがボスの色。これなくしてどうすんだっての。お前らもそう思うだろ!」

「「「「「「「「「サ…Sir,Yes,Sir!!」」」」」」」」」

「ちっ、この決着はあとで必ずつけるからな……野郎共、俺たちの特技はなんだぁ!」

「「「「「「「「「「殺せ! 殺せ! 殺せ!」」」」」」」」」」

「俺たちの目的はなんだっ!!」

「「「「「「「「「「殺せっ! 殺せっ! 殺せっ!」」」」」」」」」」

「研ぎ澄ました殺意の刃で、俺たちの領域に踏み込む愚か者どもを斬り伏せろ!」

「「「「「「「「「「ガンホー! ガンホー! ガンホー!」」」」」」」」」」

 

そうそこには、朝日を浴びながら更なる魔改造に勤しむ新生ハウリアの姿。

 

「くっ……………!?」

「フェリシアさん!? 大丈夫ですか、気をしっかり持ってください!」

「心が、心が折れそうです。どうしてこんなことに……!」

 

もうハウリアの集落に世話になって早数日経つというのに、毎朝打ちひしがれてorzするフェリシア。

ちなみに、先ほどのイメージは丁度今朝フェリシアが見た夢の内容でもある。夢と現実の乖離具合が、余計ダメージを与えてくるのだろう。

 

「ハジメ君……」

「やっぱ、やり過ぎたかな……ってか、なんだ今の? あれまさか、俺の二つ名か? というか、二つ名を持つのが前提なのか?」

 

必滅のバルトフェルドこと“パル”をきっかけに、いつの間にハウリアの間では厨二病がパンデミックを起こしていたらしく、絶賛イタイ二つ名と妙に長くなった名前が彼らの間では大流行。それはハジメにも飛び火し、ハウリアたちは敬愛するボスたるハジメにふさわしい二つ名を巡って、日夜論争を繰り広げている。当然、ハジメと身内であるシアのメンタルをゴリゴリ削りながら。中でも、特にハジメの心を削っているのが二人いる。一人は……

 

「ボス、お気持ちはよくわかります。どちらも大変魅力的な二つ名ですからな、悩むのもやむなしでしょう。この深淵蠢動の闇狩鬼、カームバンティス・エルファライト・ローデリア・ハウリアも、実は最後まで悩んだ二つ名がありまして……」

「別に聞いてねぇよ。……いや、ここまでくると逆に気になるけど。どんだけ迷走しているのかって意味で」

「……シア。お主の父、何やら凄いことになっとるぞ」

「……考え過ぎて収拾がつかなくなった感じ」

「うぅ……父様は私に何か恨みでもあるんでしょうか? 娘を羞恥心で殺そうとしてますぅ」

 

シアの父であるカム・ハウリアだ。そう、ただの“カム”である。大事なことなのでもう一度言うが、“カーム……云々”ではなく、ただの“カム”だ。で、もう一人というのが……ハジメたちの後ろで絶賛大爆笑中のこの男。

 

「アッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!! ハジメさんマジ厨二病、ワロスww」

「テメッ、ハッ倒すぞ立香ぁ!!」

「後にも先にも、ご主人様を正面から堂々と笑えるのはあ奴くらいじゃろうなぁ」

「……ん、流石いい度胸してる」

「でも、こういう時のハジメさんって年相応という感じですよね」

「あんまり仲のいい友達とかいなかったけど、いたら日本でもこんな感じだったのかなぁ」

 

実力的には月とスッポンな二人だが、立香に危害を加えようとするとサーヴァントたちが妨害するので、実現には至らない。今も、四角四面の超堅物(シグルド)がきっちりハジメの銃撃を捌いている。ちなみにそのさらに後ろでは、ハウリアたちを視界に収めながら「彼らは勇士? いえ、勇士ではない? でも……」とブリュンヒルデが勇士判定に困っていたりする。

まぁそれはともかく、サーヴァントという破格の戦力を有しているからというのもあるだろうが、それでもあのハジメを笑いものにできるというのは尋常ではない。まぁ、ユエたちの目には仲良くじゃれ合っている風に見えるようだが。

 

いや、実を言うとさらにもう一人いるのだが……。

 

「ふっ、そんな恰好はあなたには似合わなくてよ」

「あなたは……」

「ラナインフェリナ、“疾影のラナインフェリナ”と胸に刻みなさい、フェリシア・グレイロード。神に、世界に、時代に抗う者よ」

「いえ、あなたラナさんですよね」

「……シア、ラナなんて女はもういないわ。私は自らの弱さと決別し、生まれ変わったの。そう、ラナインフェリナとして!」

 

凄まじいドヤ顔でジョ○ョ的な香ばしいポーズを取る(自称)ラナインフェリナ。もう何度も繰り返してきたことだが、ツッコミを入れたシアの表情が漂白されていく。ハウリアでもしっかりもののお姉さんといった感じだった姉的存在が、今やこの有様。もう涙も出てこない。

 

「……そう、ですね。私は立ち止まってはいられません。ここは、頼もしい盟友ができたことを喜ぶべきでしょう」

「ええ、ハウリアはボスの名に懸けて来るべき日に備えるわ。そう、あなたが神に挑むその日のために!」

 

特に意味もなく、キレッキレのターンと共に宣言するラナ。その後ろでは、いつの間にか数名のハウリアがそれぞれに香ばしいポーズをとっている。

もちろんフェリシアもそれに気づき「何をしているんだろう?」的な表情を浮かべるが、あえて突っ込まない。きっとそういうものなのだろう、彼女は他の価値観や文化を尊重する懐の広い女性なのだ。

 

「私たちのボスはただ一人、だからあなたの下には就けないし、闇と影に生きる私たちと世界を導く貴女とは並び立つこともできないでしょう。でも、共に未来を切り開くことはできる。これは、そんな貴女への信頼と友情の証よ」

「なんと……ありがとうございます」

「ラナさん、まさかフェリシアさんまで……」

「ぜひ受け取って、この“神殺開闢の戦乙女、フェリエスシア・ムーン……」

「させるかぁ! ですぅ!!」

 

考え過ぎてなんだかよくわからなくなってきたそれを、シアが思いっきりぶった切る。ハジメのことはまぁ自業自得としても、フェリシアまで巻き添えにするわけにはいかない。

いや、ラナをはじめ家族たちに悪気がないのはわかっている。むしろ、彼らは彼らなりにフェリシアに感謝をはじめとした様々な感情を抱いているだろう。その思いを込めているのはわかる、わかるのだが…お願いだからやめてほしい。フェリシアは必要とあらば冷徹にも冷酷にもなれる女性だが、基本的には心優しく生真面目な人だ。そんな人に、親愛表現の一環としてそんなイタイ名称を送ったりしたら……

 

「申し訳ありません。うまく聞き取れなかったので、もう一度お願いします」

「いいえ、私の方こそ妹分の無礼を詫びるわ。まったく、いつまでもお子様で困ったものね。そんなことでボスのおそばにいられるのかしら?」

「……その哀れみに満ちた目、めっちゃ腹立ですぅ」

「ああ、そうだ。あなたを引き立てるポーズもあるのだけど……」

「余計なもんのっけんじゃねぇ! ですぅ!」

「なんと!? それはつまり、ハウリア族伝統の名と舞を授けて戴けると!」

「そんな伝統あるわけねぇだろ! ですぅ! ボケ倒すのも大概にしろや! ですぅ!」

 

かろうじて「ですぅ」をつけることでキャラを保とうとするシアだが、これはもう事実上の崩壊だろう。

そして、どうやらフェリシアはハウリアたちの二つ名や決めポーズを伝統的なものと解釈しているらしい。異文化とかに興味津々なフェリシアにとって、それはうれしいことなのだろうが……もちろん、シアが言う通りそんな伝統などハウリアにはない。

 

「……違うのですか?」

「むしろ、なんでそう思えるんですかぁ!」

「土地が変われば文化が変わります。例えば、魔人族の服装は肌の露出は避ける傾向にあります。こう言っては何ですが、ハウリアの皆様や海人族の方々の服装は、魔人族的には、その…“はしたない”と称されやもしれません」

(そういえば、海ですごく恥ずかしがってましたっけ……)

 

フェリシアは言葉を選んだようなので、おそらく実際には一般的にはもっと痛烈な評価をされるのだろう。

 

「ですが、そういった文化の違いを受け入れなければ、互いの溝を埋めるなどとても……ですから、まずは相手の文化を知り、歩み寄ることが肝要。というわけで疾影のラナインフェリナ殿、改めてご教授を……」

「だぁ~かぁ~らぁ~! そもそもそんな文化、ハウリアはもとより兎人族にも亜人族のどこを見渡してもないんですぅ!!」

 

むしろ、そんな文化を持つ種族だと思われたら関係各所に怒られてしまうこと請け合いだ。

その後、シアの涙ぐましい努力の甲斐あって、フェリシアの誤解は何とか解消された。どうやら、彼女的にハウリアがハジメの魔改造で物騒になったことはショックだったようだが、蔓延する厨二病はそういう文化という認識だったらしい。危ういところで、ハウリアへの間違った文化認識は阻止された。まぁ、今後のことを考えると、それにどの程度意味があったかは定かではないが。

 

なにしろ、この調子で百年も経てば、厨二病も立派なハウリアの文化になるのだから。そのあたりに関しては、金髪サイドテールの白衣っ娘に期待するとしよう。

ただ、現在進行形でハウリアにさらなる混沌がもたらされていることを知る者はまだ少ない。

 

「旦那、金時の旦那!」

「おう、どうしたラビット…いや、イオルニクス。今日もゴールデンなお天道さんじゃねぇか、お前もそう思うだろ?」

(なるほど、ゴールデンにはそんな使い方もあるのか。これは、バルトフェルドたちに早速教えてやらねぇと)

「へへっ、にしてもここはいいじゃんよ。故郷の山を思い出す、懐かしいぜ。ところでよ、金時じゃねぇ、ゴールデンと呼んでくれ。別に名前に不満は無ぇが、フィーリングの問題なんだよ、わかるか? 道義とか礼節の話じゃなく、魂…ソウルの話なワケ」

「わかるぜ、旦那。俺が“雷刃のイオルニクス”であるように、旦那は“ゴールデン”なわけだな」

「そういうこった。だが、なんだな。ここの奴らとは妙にフィーリングが合うっつーか、なんつーか。あの坊主もイカしたマシン作りやがるし、ライダーで現界できなかったのが残念じゃんよ。俺のベアー号をさらにクールかつゴールデンにしてくれたろうになぁ」

 

金時が木に背中を預けながら煙草をふかせば、イオも金時から一本貰ってそれに倣う。少し前までは煙草を吸う習慣はなかったのだが、絶賛厨二病発症中のハウリア族はすっかり彼のスタイルに魅せられてしまった。

例えば、カッコいい煙草の取り出し方や持ち方の研究が大流行し、さらにはハジメにサングラスやアクセの要望が相次いでいる。特に、精神年齢が近く、にもかかわらず「未成年の煙草! ダメ! ゼッタイ!」と金時が強く主張するために参加できない子どもたちは……

 

「ふふっ、どうしたのバルトフェルド。必滅の名…ではなく、ネーム()クライする(泣く)わ」

 

自身目掛けて襲い掛かる矢を軽やかに回避しながら、なんだかどこかで聞いたような言い回しをする兎人族の少女。

 

「笑わせ…ゴホン、えっと…スマイル? させるなよネアシュタットルム。俺のアローは、エイムし(狙っ)たターゲットを外さねぇ……ねぇ、外すってなんていうのかな?」

「え? し、知らないけど……」

 

なんだか、ますます大変なことになりつつあった。このままだと、厨二病に加えて「トゥギャザ〇しようぜ!」な面白おかしい人になってしまう。

そして、そんな大変な道を進みつつある子どもたちを見る一対の眼差し。

 

「……………………やべぇな。なんつーか、色々取り返しがつかなくなりそうだ」

「……そんなところで何をしている森の賢人」

「それオラウータンですからね!?」

「そうだったか?」

「まーいいですけど。で、どうかしたんすか、百貌の姐さん」

「いや、隠れ潜むは我らの性だが、随分と深刻な顔をしていたからな」

「いや、まぁ、なんつーか、俺らもちょっと我が身を顧みた方が良いのかなぁと……」

「?」

 

歯切れの悪いロビンの言に、首をかしげる百貌。だが、ロビンもさすがに単刀直入には切り出せなかった。まさか、百貌のような仰々しい話し方がハウリアの間で絶賛流行中の伝染病に通じるものがあった気がした、など。

 

「あ~、ところであいつらどうしてんです? 念のため、マスターには無断で監視してんでしょ?」

「ペイルは大人しいものだ、あれには本来人格も知性もないからな」

「でしょうね。能力的にはとんでもなく危ない奴だが、サーヴァントとしちゃ扱いやすい部類だ。問題は……」

「青髭に関しては、前回の召喚で聖女が喚ばれていたのが功を奏した。海でバカンスを楽しむ写真を渡しておけばいい。まぁ、時々奇声を上げるので、近所迷惑ではあるが」

「まぁ、ガキンチョ共にちょっかいかけないならいいんじゃないっすか?」

 

おそらく、立香はそのあたりも見越して二騎を自由にさせているのだろう。基本、各サーヴァントには行動の自由を認めるのが立香の方針だ。下手に制限しようとしても止めきれるものではないし、場合によっては関係悪化につながりかねない。それなら、彼らが目に余る行動に出ないよう誘導するに限る。

最近では、そのあたりの采配が熟練の域に入ってきた気さえするほどだ。

 

「それで、貴様はこれからどうするつもりだ?」

「大迷宮とらやに入れるようになるまでは、基本好きにしてていいってことなんでね。自由にさせてもらいますわ」

 

と言いつつ、亜人族たちは基本人間族に隔意があるだけに、これではナンパもできやしない。ハウリアの女性陣は……ちょっと困る。実に実目麗しいのだが、言動が……ああなる前だったら、ぜひお近づきになりたかったのだが。

 

「そういう姐さんは?」

「フェリシアに薬草の採取を頼まれている。なんでも、亜人族は魔法が使えない分、草木の薬効に精通しているそうだ。特にここハルツィナ樹海は固有種が多いらしくてな。魔人族や人間族には知られていない効能を持った植物も……」

「ああ、地球の熱帯雨林みたいなもんか」

 

なので、フェリシアは情報・意見交換のために足繁く都をとずれる傍ら、亜人族が持つ薬草知識を学びに薬師の下に度々足を運んでいる。これには治癒師である香織も同伴し、治癒魔法との併用も研究中だ。おまけで、スパイス的な使用もできないかと模索したりしている。

そして、そういう人手がいることに対して無類の力を発揮するのが分身能力を持つ百貌のハサンなのだ。

 

できれば、フェリシアとしても自分の足で直接自生しているものを採取したいところだが、何かと忙しい彼女にはそれは難しい。なので、百貌達には詳細なスケッチやどのような場所に自生しているかといった情報も、綿密に収集してもらっている。特にフェリシアに対して手を貸す理由のない百貌だが、マスターである立香の“頼み”と特にすることもなく暇であること、後は斥候の専門家として周辺の地形などの把握のついでに請け負った。

で、そのフェリシアだが……

 

「……今日の施術はここまでにしましょう。起きていただいて結構です」

「おう」

 

寝台の上に横になったハジメの身体から手を放し、手元のボードに何かを記入していく。

白衣を纏ったその後ろ姿はまさに「できる女医」といった感じで、ものすごく様になっている。

ちなみに、当初は同じく専門家ということで治癒師の香織も同席していたのだが、ハジメに施術する場合、目が血走るは息は荒いわでハジメが身の危険を感じたので出禁を食らってしまった。

 

「しかし、あんま実感わかねぇな。今進みはどの程度なんだ?」

「ようやく五割といったところでしょうか。進みが遅いのは誠に申し訳なく……」

「いや、それは仕方ねぇだろ。自分がいろいろ出鱈目なのは自覚してる。それに、別に手を抜いているわけじゃねぇんだろ?」

「はい。慎重に精査したうえで施術しているのは確かですが、そもそもハジメ殿の身体は私以上に多種多様な魔物の複合体のようなもの。正直、奇跡的なバランスで成り立っています。これを崩さずに調律するとなると、どうしても……」

「確か、一番早かったのが香織で、次がユエ、その次がシア、最後にティオだったか。ま、納得はいくな」

 

よりナチュラルに近い身体である方が精査・調律共に早いとするのなら、その流れは当然のものだろう。

肉体的にはただの人間である香織がもっとも自然に近く、基本は人間でありながら吸血能力を有するユエ、兎の特徴を有するシア、そして竜に変身する能力を持ったティオと人のそれから外れていく。

しかしこれは、同時に一つの事実を示していた。

 

「……つまり、アンタの仮説は正しいってことか」

「未だ確証はありませんが、十中八九間違いないかと」

「原種…とでも呼べばいいのか、それが人間で、そこから魔人族や吸血鬼族に派生し、さらに亜人族に分岐して、最後に一番離れているのが竜人族。元を正せばすべて同じ種……多種族間でも子どもを作れるなら納得のいく話だが、普通に進化してああはならないだろ」

「進化論、でしたか。私もそれを聞くまでは思いもしませんでしたが、皆様の身体を精査して疑惑は日に日に確信に近づいています。我らが元は同じ種であり、通常の進化とやらではこのように派生しないとなれば、可能性は一つでしょう」

「変成魔法か。ま、神代魔法の使い手だった解放者たちが神の直系とやらだったなら、神は神代魔法の全てを使えて当然なんだろうから、それも不思議じゃねぇけどな」

「ええ……」

 

とはいえ、今となっては最早その事実にはさほど意味はない。仮にこのことが世界で受け入れられたとしても、種族間の溝を埋める要因にはならないだろう。

強いて言えば、竜人族への「魔物と同じ」という認識を改められるくらいだ。それはそれで意味があるが、状況を抜本的に変える要素にはならない。

 

「しっかし、俺が言えた義理じゃないが、アンタも大概だよな」

 

脱いでいた衣服を身につけながら、何の気なしにそんなことを言い出すハジメ。当然、フェリシアは意味がよくわからず疑問顔だ。

 

「……とおっしゃると?」

「俺が向こうの世界の実在する、あるいは空想の兵器を再現しているように、アンタも向こうの知識を利用しているわけだ。危険度で言えば、いい勝負かもしれねぇなと。特に、今回召喚された奴らはアンタにとっちゃ興味深いサンプルなんじゃねぇか?」

「……そう、ですね。否定はしません。ですが、私のそれはまだまだ不完全。戦えば、個人としても総体としても私の敗北でしょう。なにより、私が戦うべきはあなたではありません」

「生成魔法と変成魔法、無機物と有機物。方向性は真逆だが、案外本質は同じなのかもしれねぇな。それ自体が戦力に直結するわけじゃねぇが、だからこそ他の神代魔法よりも自由度が高い。自分だけじゃなく、自分以外も強化できるしな」

「その点で言えば、生成魔法に軍配が上がるでしょう。生成魔法と違い、変成魔法は他の神代魔法を他者に使わせられませんから。私も使えればいいのですが……」

「オルクスを攻略すれば習得できるぞ。アンタなら問題はねぇだろ」

「問題は適正があるか、ですよ」

 

流石に、こればかりはハジメにもわからないので無言のまま肩をすくめる。ただ、少なくともハジメ程に生成魔法を使いこなすことは難しいだろう。

 

その後、ハジメが天幕を出ると入れ替わりで香織が突撃してくる。目当てはハジメのカルテ。曰く「治癒師として仲間の健康状態の把握は必須」ということだが、フェリシアは「個人情報です」の一言で斬って捨てる。

言い分は全く持って正しいのだが、私情が入りまくっているのは荒い鼻息と据わった目から明らかだ。

 

しかし、香織もそれくらいでは諦めない。未練たらしくフェリシアの裾にしがみつき、ずるずると引きずられること十数メートル。まったく離す気配のない香織に、流石のフェリシアもいよいよ強引にでも引き剥がすべきかと思ったところで、立香がひょっこりと顔を出した。

 

「あ、フェリシア丁度いいところに」

「リツカ殿、如何なさいましたか?」

「うん。ほら、この前相談されたこと。俺なりに考えてみたんだ」

「ああ、その件でしたか」

「何の話ですか?」

 

一瞬話すべきか思案したフェリシアだが、こと異世界出身である香織たちにはわざわざ隠すほどのことでもないと判断し、念のためハウリアの皆には聞かれないよう場所を変える。

話した内容は、おおむね先ほどハジメと交わしたそれと同じもの。要は、この世界の人型の種族は元は同じ種であり、その源流に最も近いのが人間族であろうということ。そして……

 

「以前から頭の片隅にはあったのですが、この可能性に思い至ってから思いが強くなりました。亜人族は、名称の上でも差別されていると。あ、いえ…厳密に言えば吸血鬼族もそうなのかもしれませんが」

「差別、ですか?」

「はい。魔人族や竜人族は名が体を現しています。人間族は言わずもがなでしょう。吸血鬼族の場合、血を吸うという点から畏れも込めて“鬼”とついたのかもしれませんが。しかし、亜人族は違います。各種族は種族名と姿が一致しますが、総体としては亜人族として括られ、つまりは“人の亜種”とされています。細かな問題ではありますが、放置してよいものでもないでしょう。なので……」

「何か別の呼び名はないかって相談されたってわけ」

「なるほど、言われてみれば……」

 

異世界出身の香織ですら、「そういう名称」として深く考えたことのなかったことだ。ましてや、この世界で生まれ育った者なら疑問に思うことすらないだろう。

だが、フェリシアは長らくこの名称に違和感があった。果たして彼らは、“人の亜種”と呼ばれるような、一段劣った存在なのだろうか、と。その疑問は各種族が元は同じ種であり、変成魔法により意図的に分化された可能性に思い至り、そして実際にシアやハウリア族と交流する中で強まった。彼らは決して、他の種族に劣りはしないと。

 

同時に、いつか融和の時代が訪れた時、この名称はその妨げになると。“魔に長けた人”とも、“竜となる人”とも異なる、名称の裏に隠れた“人の亜種”という根底の認識がある限り。

だからこそ、フェリシアはもっと別の名称が必要だと考えた。彼らと自分たちが同列の存在だと意識できる、そんな名称が。

 

「私たちにも聞いてくれたらよかったのに……」

「申し訳ありません。なにぶん、繊細な問題だったものですから」

「確か、ハジメとアルフレリックさん、それにカムさんには相談してたよね。何か意見とか出てる?」

「ハジメ殿とアルフレリック殿からはまだ何も。カム殿は早々に案を出してくださったのですが……」

「まぁ、オチは見えてるよね」

「はい……きっと捻り過ぎてねん挫した名前を出してハジメ君に説得(物理)されたんじゃないかなぁ」

 

当然ながら、二人の想像は大当たりである。

 

「それで、立香さんは何か案があるんですか?」

「う~ん、俺としてもちょっと微妙かなとは思うんだけど、あんまり捻り過ぎるのもあれだし“獣人族”とかどう?」

「ああ……大方の亜人族に特徴は捉えてますし、魔人族や竜人族と並べても違和感ないですもんね。でも……」

「問題は獣の要素を持たない森人族や土人族がどうとらえるか、ですね」

 

なにしろ、これが原因で亜人族間でのいさかいの種になったりしては笑い話にもならない。

立香が難しい顔をして提案したのも、その可能性を考慮してだ。

 

「とはいえ、他に両案がないのも事実。とりあえずは、アルフレリック殿に提案してみるとしましょう」

「まぁ、当事者に意見を聞くのが一番か」

「ちょうどこれから会談の予定なので、そこでうかがってみましょう」

「あ、じゃあ俺も行くよ。一応提案者なわけだし、香織は?」

 

そう尋ねたところで、甲高い音がハルツィナ樹海に響き渡った。

それは部外者である立香たちの耳にも明らかな、緊急事態を知らせる警報音。立香たちが訪れた時ですら鳴らされなかったそれが鳴り響く。その意味を、立香たちは即座に理解した。

 

「百貌! ペイル!」

「ココニ イル」

「用件はわかっている。取り急ぎ、十名が情報収集に向かった」

「流石! ペイルも念のため索敵をお願い」

「ショウチ シタ」

「私、ハジメ君たちと合流してきます!」

(まさか……ですが、いくらなんでも早すぎる)

 

一つの可能性がフェリシアの脳裏をよぎるが、即座に否定する。彼女たちが彼らに与えた被害は決して小さなものではない。とてもではないが、これほどまでに短期間のうちに行動できるはずがない。

だが、現状でフェアベルゲン側に緊急事態を知らせるほどの“ナニカ”があるとすれば、心当たりは一つだけ。

 

「フェリシア、どう思う?」

「……まともな神経をしていれば、ありえません。ですが、海底遺跡のあれを見た後では……」

「ありえない、とは言えないか」

 

メルジーネ海底遺跡で目の当たりにした過去の悲劇と当事者たちの狂気。

アレがいずれ再度世界に広がることは覚悟していた、だからこそ受け入れなければならない。

あの狂気の前では“有り得ない”などという言葉に意味はないのだと。ああなった者たちは、道理も何も無視して、ただ“神の為”に突き進むのだから。

 

(師よ、よもやそこまで……)

 

覚悟はしていた。していてもなお、師と仰いだ人物がこのような無謀に打って出たことに対し衝撃を受ける。本来のフリードなら、このような短絡的な行動に出るはずがない。

しかし、それでも彼が打って出たとするのなら……

 

(……それくらいの理性は、残っていると信じたい)

「俺たちもどう動くか、考えた方が良いかもしれないね」

「……はい。まずはマシュ殿やハジメ殿たちと合流し、カム殿とも意見を交えるべきでしょう。フェアベルゲンに委ねるのが最善ではありますが……」

 

それが最も混乱が少ない方法だろう。ハウリアは厳密にはもうフェアベルゲンの一員ではないし、立香たちにしてもハジメたちにしても部外者だ。下手な手出しは余計な混乱を招く。

だが、想定される相手が相手なだけに彼らだけで対処しきれるかというと……。

 

「リツカ殿、百貌殿をお一人お貸しいただきたいのですが」

「それは別にいいけど……」

「ハジメ殿はもとより、カム殿達も今はフェアベルゲンとは袂を分かった身。我らが介入するとすれば、ある程度形式を整える必要があります」

 

その時点で、立香もフェリシアの言わんとすることを理解する。そして、その必要性も。

 

「わかった。俺はそういった政治とか全然だから、任せる。聞いたね! 一人、通信機を以てフェアベルゲンまで! 指示はフェリシアが出す!」

「承知!」

(……私も、リツカ殿の様にありたいものです)

 

話の分かる上司というのは得難いものだ。特に立香の場合、必要とあらば権限をはじめ、責任以外の全てを委ねてくれる。要は、「責任はとるから好きなようにやれ」と丸投げしてくれるのだ。その能力がない者からすれば重荷になるだろうが、サーヴァントやフェリシアのような能力のある者にとってはその方がありがたい。

 

そして、そこまで信頼されたからには応えねばなるまい。

仲間として、騎士として。なにより、一人の……




全然関係ありませんが、事件簿ガチャ呼札十枚回したら特効礼装各一枚、新鯖各一騎引くという神引きでした。

すげぇ……呼札も石もまだまだ余ってるぜ。
これなら次のイベントも余裕だね! と言って爆死しそうで怖いですが。


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034

しかし、物語が進行するにつれフェリシアも強化されていくのですが……どんどん闇堕ち主人公みたいになっていくなぁ、この人。
立香と出会わなければDead Endまっしぐらな人ですけど、何かの奇跡で生き延びても闇堕ちして魔王様にピチュンされそう……お先真っ暗にも限度があるだろう。


数は力だ。

 

如何にハジメ一行やサーヴァントたちが数の差をものともしない、一騎当千を地で行く圧倒的な個であろうとも、その事実は変わらない。

真っ向から戦う分には、彼らは戦の鉄則を踏み砕く絶対的な理不尽の化身だろう。だが、その身一つでできることにはどうしても限界がある。

かつてハジメたちが経験した、湖畔の町ウルの防衛戦など顕著だろう。あの時、襲撃してきた魔物たちが広範囲に分散していたら、あるいは魔物たちを率いていた清水が戦術に通じていたなら、もっと苦戦を強いられていたやも知れない。

彼らがどれほど強くとも、一つの身体と一つの命を有した、一個の生命であることに変わりはない。広範囲、あるいは複数個所を同時に守るという状況になれば、どうしても手が回らなくなる。

 

ハジメなどは、自身が作り出したアーティファクトでこの点を補いつつあるが、それもまだ完全とは言えない。

これに関しては、その弱点を突かれる状況になるというのが想像できないのが大きいだろう。そもそも、先のような状況にでもならない限り、その弱点が浮き彫りになることはまずない。そして、彼にとってこの世界で身を挺してまで守りたいものなどほとんどない。

ウルの時は一応守るために戦ったが、対処しきれないと判断すれば彼はあっさりウルの町を放棄しただろう。まぁ、住民の避難の手伝いくらいはした可能性も無きにしも非ずだが。

とはいえ、ハジメにとってこの弱点はさほど緊急性の高いものではない。

 

しかし、フェリシアはそうはいかない。彼女の悲願成就には、どうしても“数”という力がいる。

だからこそ魔王国時代、ハジメたちにも比肩しうる力を持っていながらも秘密裏に同志を募り、一人でも多くの仲間を守るために腹心を手にかけ、裏切り者の烙印を甘んじて受け入れたのだ。

故に、フェリシアは旅の間も考えた。今の彼女の状況では、新たな同志を得ることは極めて難しい。先々のことを考えるのなら、自身を強化するだけでは足りない。

 

“さて、どうしたものか”

 

しかし、その旅の最中で一つの着想を得る。

未だ自分一人では実現しえないものだが、何もすべてを自分一人でやる必要はない。“できる者に任せる”、それが集団の強みだ。まぁ、それはそれとして他者の手を煩わせることなく実行可能にする当てもあるので、しっかりそれは手にするつもりでいるが。

 

「リツカ殿! ハジメ殿! フェアベルゲンより協力要請をいただきました。助力を、お願いできますか」

「もちろん」

「……」

 

二つ返事で同意した立香に対し、隠す気など微塵もないとばかりに「かったりぃ……」という顔をするハジメ。

シアやティオ、そしてミュウとの出会いを経て丸くなった部分もあるとはいえ、面倒事や厄介ごとにわざわざ首を突っ込むような博愛精神など、オルクス大迷宮に捨ててきた。そうしなければ生き残れないほど、彼の原点は過酷だったのだ。一度捨てたものを、早々拾い上げられるものではない。

そういったハジメの内面を理解しているだけに、立香もため息交じりに「ハジメ……」とボヤキはしてもことさら非難しようとは思わない。自分が「助けたい」と思ったとしても他人がどう思うかは別の問題であり、その考えを押し付ける権利などないことを理解しているからだ。

その点においては、フェリシアもまた同じ。「困りましたね」とばかりに思案顔だ。

 

つい先日魔人族侵攻への対策に動き始めたフェアベルゲンだけでは、到底この状況を切り抜けられよう筈がない。あちらは多少強引でも勝算があって仕掛けているのに対し、フェアベルゲンにはあまりにも時間が足りな過ぎた。立香側には“サーヴァント”という一騎当千を地で行く大戦力があるとはいえ、マシュとフェリシアを含めても数としては微々たるもの。戦場の一局面としてなら負けはないとしても、彼らのいないところで敗北してしまえば意味はない。だからこそ、ハジメ一行とハウリア族の助力は必要不可欠なのだ。

 

とはいえ、今のところハジメを引っ張り出すだけの理由はなく、当然“ボス”と仰ぐハジメが動かないのなら、“部下”を自称するハウリア族もわざわざ動きはしない。

 

しかし、フェリシアもハジメの人間性はおおむね把握している。ならば、それ相応の対応をとるだけのことだ。

要は、自身や仲間に魔人族の矛先が向くならいざ知らず、あくまでもこれは「魔人族と亜人族の対立」でしかないのが、ハジメが不干渉の姿勢を見せる理由だ。フェアベルゲンやハルツィナ樹海の危機など、対岸の火事に過ぎない。「勝手にやってろ」あるいは、「ま、精々がんばれ」くらいの感慨しかない。が、逆に言えば「魔人族の侵攻」という事実が、「ハジメ自身の問題」につながるよう切り口を変えて考えればいいだけの話だ。

 

「ハジメ殿の最優先事項は故郷への帰還、そのための手段としての大迷宮の攻略。これに相違はありませんね」

「まぁ、そうだな」

「だから、あちらから仕掛けてこない限り……いえ、敵意を向けるなり、ハジメ殿の邪魔をするなりしてこない限りはご自身とは無関係……果たしてそうでしょうか?」

「…………………何が言いたいんだ?」

「わかっておいでのことを問うのは、少々意地が悪いかと」

 

とぼけようとするも、穏やかな微笑みと共に言外に「おや、お分かりにならないほど鈍いはずがないのですが……」と指摘(挑発)される。なおかつ、視界の端に香織の姿が入る様わずかにフェリシアが立ち位置をずらしたことで、ハジメの表情が思わず顰められた。そして、その一瞬の変化をフェリシアも見逃さない。

 

「ハジメ殿」

「チッ……ここらで主導権握っておきたかったんだが、そうもいかねぇか」

 

はぐらかそうかとも思うが、無駄な足掻きと悟りせめてもの意趣返しに舌打ちするハジメ。

図星をつくタイミングと相手の性質を読んだ上での言い回しの妙、加えて微かな変化を見逃さない洞察力。何より、ハジメが香織に対しては弱味……あるいはカッコ悪いところを見せたがらない事を把握した上での視線誘導。まだまだ、この手の腹芸ではフェリシアに一日の長があることを改めて痛感させられる。

 

「……連中(魔人族)の狙いが大迷宮なのは明らかだ。で、当然そこを取られるのは俺にとっても都合が悪い。つまり、奴らは俺を阻む敵ってことになる。そして、どうせやるならフェアベルゲンと共闘した方が効率がいい。アンタが言いたいのは、そういうことだろ」

「ご明察の通りかと」

 

そう、フェリシアが言いたいことなど、ハジメも理解していた。同様に、ハジメがわざわざ不干渉の姿勢を見せた理由も、フェリシアは察していた。にもかかわらずあのような駆け引きをしていたのは、二人があくまでも“旅の道連れ”なのであって、決して“仲間”ではないからだ。

互いに狙いや思惑があるからこそ、優位を取っておきたいと思うのは自然なことだろう。特にハジメの場合、いずれ香織と相性の良い魔石が見つかれば、その施術分の対価として色々要求されるのは目に見えている。そういう事情もあって主導権が欲しかったのだが……対等に近い立ち位置で駆け引きを演じるには、フェリシアとハジメではまだまだ役者が違うと言わざるを得ない。

 

「わぁったよ。どのみち連中が俺の敵なことに変わりはない。敵は殺す、そのついでにフェアベルゲンに貸しを作るのもいいさ」

「ツンデレ乙」

「てめぇ……いい加減ドタマかち割るぞ」

 

それまで黙って静観していた立香が、絶妙なタイミングで茶々を入れるものだから“ビキッ”とハジメの額に青筋が浮かぶ。ミレディには及ばないものの、割とうざい。

その腹いせではないと思いたいが、瀑布の如き殺気を立香に叩きつける。常人なら錯乱するか気絶するかするところだろう。無論、立香とてビビっているかいないかで言えばもちろん怖いのだが、「お~こわっ」と零しながら肩を竦めるあたりに慣れを感じさせる。もちろん、前言撤回したりハジメとの付き合い方を変えたりするつもりは毛頭ない。

 

「それでリツカ殿。念のために確認しますが、仕掛けてきたのは……」

「魔人族で間違いないと思う。百貌達もまだ姿は確認できてないけど、見たことのない魔物が群れを成してるってことは……」

「そういうこと、ですね」

 

苦い表情を浮かべながら、その現実を受け入れる。

この世界で魔物の集団を運用できるのは、事実上ガーランド魔王国…フリード・バグアーしかいないのだから。

彼が直接出向いているかまではわからないが、フェアベルゲンの要請を受けるとなれば戦わざるを得ない。

 

……いや、逆か。フリードが、同族が出てきているからこそ、フェリシアが戦わなければならないのだ。

 

「いいの?」

「……是非もありません」

「なら、配置はどうする?」

「う~ん……今のメンバーだと作戦立案とかに向いている人がいないんだよね。強いて言えば青髭が元帥だったけど……」

「セイバーならともかく、キャスターのジル元帥ですと、その……」

「……ん。あの狂人の指揮とか、御免被る」

「え、ジルさんってそんなすごい人だったんですか!? ギョロ目のヤベェ系だとばかり思ってたですぅ」

「うぅむ、人は見かけによらんのぉ……」

 

本人の日ごろの行いの賜物でしかないとはいえ、散々な評価だった。何も言っていない香織も、全力で目を逸らしているあたり似たような感想なのだろう。

 

「ユエさんとティオさんはどうでしょう。お二人なら、そういったことも学んだりしたのでは?」

「まぁ用兵術も学びはしたが、妾自身は戦を経験したことはないからのぉ」

「……ん、私もそういうのは部下に任せて魔法をブッパする砲台だったから」

(というか、この二人なら指揮とかしてるより一人で暴れてた方が効果的っぽいもんなぁ)

「なんじゃろう。呆れられておるような、残念がられておるような……いまいち気持ち良くなれない目なのじゃ。これ立香、もちょっと冷たく蔑んだ目で見ておくれ」

「……む、何か失礼なことを考えてる?」

「いえ、なにも?」

 

素知らぬ顔で首を振る立香に、ユエが普段の三割増しのジト目を向けてくるが……この程度では動じない。

結局、消去法で最後の選択肢……フェリシアがその役を担うことに。なにしろ、フェリシアはユエを除けば唯一の大規模集団戦の経験者であり、騎士団長として作戦立案や指揮を担っていた身だ。知識はあっても経験のないティオ、戦場では専ら砲台となり指揮を部下に任せていたユエよりよっぽど適任だろう。

 

そして、決まってしまえばそこからは早かった。樹海中に散った百貌に情報を集めてもらい、それぞれの役割と配置を決めていく。

サーヴァントもハジメ一行も一騎当千の猛者揃い。なので、基本的には分散し、ハウリア族をサポートにつけて迎撃に当たる。また、残るハウリア族はいくつかの小集団を作り、ロビンや百貌と共に遊撃としてゲリラ戦を展開。ただし、各サーヴァントが分散することから、立香は前線近くで魔力供給に専念。同様に、貴重な回復役である香織もフェアベルゲンの薬師と協力して負傷者の回復を担当し、マシュが二人の護衛につく。

役割分担には特に異論は出ず、後は具体的な配置だが……まず、殲滅力の高いユエとティオが両翼に回りとにかく数を減らし、ハジメやシア、シグルドにブリュンヒルデ、そして金時が中央付近で迎え撃つ形だ。

 

「青髭とペイルはどうするの?」

「お二方にはリツカ殿の傍にいていただこうかと。なにぶん、その……」

 

2騎とも集団戦で猛威を振るうタイプではあるのだが、如何せん人格的・能力的に危険度が高すぎる。何かの拍子でタガが外れでもしたら、それこそフェアベルゲンにまで被害が出かねない。

なので、両者は最終手段として立香の目の届くところで待機させ、やむを得ない場合には出てもらう形に。樹海を海魔の巣窟にしたり、謎の病原菌でパンデミックを起こしたりしてはシャレにならない。

 

そして、当のフェリシアはというと……

 

「私は遊撃に回りましょう」

「あの、指揮とかしないでいいんでしょうか?」

「皆さまなら、大まかな配置と役割さえ決めてしまえば、後は各々の判断で行動すればよろしいかと。何分時間がありませんでしたから、付け焼刃の中で綿密な作戦や細やかな指示はかえって混乱を産みます。ならばいっそ、現場の判断に任せるのが次善の策。……まぁ、皆さまほどの実力者でなければ、採用できない策ですが」

 

香織の問いに答えつつ、策とも呼べない策なだけにフェリシアも苦笑を禁じ得ない。とはいえ、語った言葉は本心だ。フェアベルゲンとの密な連携は望むべくもないし、立香一行とハジメ一行でもそれぞれが個性の塊なだけに共闘は難しい。十分な準備時間と連携の訓練を積んでいれば話は別だが、今はそうではないのだ。

 

そして、それぞれの為すべきことが決まったのなら、後は迅速に動くだけ……なのだが、フェリシアはその前にある三人に協力を求める。

 

「ユエ殿! カオリ殿! ティオ殿! お願いします!」

 

胸中に渦巻く感情に蓋をし、凛とした顔で呼び掛ける。

同時にフェリシアの背後の空間が歪み、立香たちの協力を得てハジメが作り上げた宝物庫が解放された。オスカー・オルクスの隠れ家で手に入れたそれに比べれば容量は小さいが、今はこれで十分。

現れたのは、はっきり言ってしまえば“不気味”なブヨブヨとした三つの肉塊。呼ばれた三人がフェリシアの周囲を取り囲み、それぞれ肉塊に掌を向ける。

 

「「「“複魂”」」」

「……“転殻”」

 

三つの肉塊を三人の魔力の光が包み込み、続いてフェリシアの魔法が発動。

瞬く間のうちに肉塊が形を変え、人型を取り、細部が作り込まれていく。光が収まるころには、四人のフェリシアがそこに立っていた。

 

「配置はわかっていますね」

「「「無論」」」

「では……散!」

 

フェリシアの指示を受け、残る三人が百貌を一人ずつ伴って姿を消す。

立香たちにとってはそろそろ見慣れつつある光景だったが、それでも未だに違和感がぬぐえない。

 

「…………フェリシアのアレって、本人的にどうなのかな? 自分と全く同じ存在が目の前に何人もいるって、軽く錯乱しそうな気がするんだけど」

 

居心地悪そうに肩をもぞもぞさせる立香だが、マシュやシアといった術の行使に参加していない者も似たような感想らしく、いまいちパッとしない表情を浮かべている。

まぁ、彼らの反応も無理ないことだろう。フェリシアが自身の体細胞を“変成魔法”で所謂“万能細胞”に近いものに作り替え、増殖させたのが先ほどの肉塊だ。それに三人の“魂魄魔法”でフェリシアの魂を複写し、仕上げに“再生魔法”でフェリシア自身の肉体を再構築……つまり、先ほど散り散りになった三人のフェリシアは肉体から魂に至るまで、フェリシア自身に他ならないのである。

 

誰も立香の疑問に答えを見出せないという一種微妙な空気が流れる中、まだ割と抵抗感が薄い方だったらしいハジメがゆっくりと口を開く。

 

「そういや、サーヴァントの中には同一人物も結構いるんじゃなかったか? なのに、そんな感想なのかよ」

「それはそうなのですが、霊基や年齢が違っているので『自分と同じ存在』という感覚はないそうです。私たちとしても、『同一』ですが『別人』という認識なので」

「百貌もそれぞれ別人格だから、あんまりそういう感じはしないんだよね」

「あ~、それは何かわかる気がするですぅ」

「フォ~ウ」

「そんなもんか……」

 

サーヴァントの性質上、完全に同一霊基の英霊が同じ時間と場所に召喚されることもありえなくはないので、そうなったら話は別かもしれないが。

 

とはいえ、フェリシア自身はあまり抵抗感はないらしい。周りが思うほど違和感を抱かないものなのか、それとも『悲願成就』のための『装置』のように自らを捉える彼女の精神性故なのかはわからないが。

 

(そういえば、よく似た派生技能を持つ天職があると王国の図書館で見た覚えがありますね。確かクラスにも同じ天職の方がいたはずなんですが………………………………誰だったでしょう?)

 

なぜか名前と顔のどちらも思い出せないのだが、その天職が『暗殺者』だったことは憶えている。そして、もう百年以上に渡って習得した者のいない伝説的な代物であることも。どうやら、フェリシアもその派生技能からこのアイデアを思い付いたらしい。本人が言うには『分身』ならぬ『分体』とのことで、肉体はともかく中身である魂が複製したものであることから活動時間に制限はあるものの、その間は一個の生命であるため“消える”ということがないのが『分身』との違いらしい。

加えて、大きな違いがもう一つ。あの肉塊は前述したとおり一種の万能細胞、つまり負傷・欠損した箇所に埋め込み然るべき手順で処置すれば、例えば失われた内臓や四肢すらも復元が可能になるのだ。スタイル的にも能力的にも負傷するのが前提の上、香織達ほど再生魔法に適性のないフェリシアなりの回復手段というわけである。

今はまだフェリシア自身でなければ拒絶反応が出てしまうが、いずれは万人に適合するよう調整するのが目標らしい。フェリシア一人の継戦能力が高くても意味がないからだ。

 

「お待たせいたしました。準備はよろしいでしょうか?」

「……ん、大丈夫」

「魔晶石も持ったしのぉ」

 

詳細な情報はいまだ得られていないとはいえ、仮にも一国に向けて差し向けられた戦力だ。かつてハジメたちが経験したウルの町での戦いに匹敵する、あるいはそれ以上の数がいるかもしれない。あの頃よりさらに力をつけているが、それを理由に慢心するほど緩んではいない。それぞれに魔力補給用の魔晶石を身に付け、回復役の類も宝物庫には十分なストックがある。

 

「ところでフェリシア、最後に一つ提案があるんだけど」

「?」

「今回の戦闘方針だけど、“命を大事に”が良いと思うんだ。どうかな?」

「……っ」

 

立香の言葉に、思わずフェリシアは息を呑む。同時に気付く、自分が思っていた以上に肩に力が入っていたことに。

これから戦うことになるのは同胞たる魔人族であり、ほんの二ヶ月前には当たり前のように肩を並べていた戦友たち。望む未来の為、彼らを止めなければならない。フェアベルゲン側の被害を可能な限り小さく留め、ガーランド軍を撃退する。そのためには、フェリシア自身が前に出なければならない。きっと…いや、間違いなくどこかでそう思っていた。それこそ、自分自身の身体のことなど……。

 

(ああ、これは確かに諫められて当然でしょうね)

 

使い捨て前提の『分体』を生み出せるようになってからというもの、己の命の扱いがやや軽くなっていることに、フェリシアはようやく気付いた。いったい何のために自分は故国を離れ、裏切り者の汚名を被ってまで生き延びる道を選んだのか。それを思い出し、自身の認識を改める。

確かに亜人族への被害は最小にとどめるべきだが、ここはまだフェリシアが命を賭す場所ではない。命の使い方を決めているからこそ、軽く扱ってはならないのだ。

 

「ええ、“命を大事に”。大変良い方針かと」

 

 

 

フェアベルゲンとガーランド魔王国。

これまでにも小競り合い程度ならいくらでもあった。ただ、亜人族は樹海という地の利抜きには劣勢に立たされることから積極的に攻勢に出ることはなく、魔人族にとっては人間族こそが最大の敵であったことから、全面戦争はもちろん大規模戦闘自体ほとんど発生したことがない。

 

故に、これは数百年で初となる両国・両種族の全面対決。にもかかわらず、その戦端はあまりにも静かに切って落とされた。

 

最初に接触したのはフェアベルゲンの警備隊。彼らは樹海への侵入者が現れたことを知るや、即座に行動を開始した。樹海を進むその一団を確認した彼らは、かつてハジメたちが足を踏み入れた時とは違い、亜人族の同行者がいないことから姿を現して誰何するような真似はせず、情報を集めて撤退するつもりだった。

所詮、亜人族抜きで樹海を進むことなどできないという確信があったが故の余裕。樹海は広大で、運よく多少進んだくらいではどの部族の集落にも近づけないからだ。また、ハジメたちとの遭遇もあり迂闊に姿を見せるのは危険と考え、マニュアルが更新されていたこともある。その意味で、彼らの判断と行動は限りなく最善に近かった。

だがしかし、現実には彼らが情報を持ち帰ることはなかった。その前に、侵入者の姿を確認して引き返そうとしたところで、全員が引き連れられた魔物の餌食となってしまったからだ。

 

無残な骸を晒す亜人族の戦士たち。ある者は頭蓋を砕かれ、またある者は臓腑を貫かれ、中には現在進行形でハラワタを貪られている者までいる。目を逸らしたくなるような惨憺たる有様だが、その中を進む魔人族の若者は興奮を抑えられない様子で斜め前を進む上官に語り掛けていた。

 

「隊長。圧倒的ではありませんか、我が軍は」

「…………」

「所詮は薄汚い混ざりもの風情、我らの敵ではありません。このまま……」

「ベルゲン班長。報告は簡潔に、だ」

「失礼いたしました、セレッカ副隊長。周辺の亜人共の掃討は完了、とりこぼしはありません」

「よろしい。このまま粛々と進軍せよ。獣如き、正面からぶつかったところで何ほどのものでもないが、我らは神に選ばれし種。勝って当然、勝ち方にも品格が求められるのだということを肝に銘じておくように」

「ハッ! 承知いたしました」

 

敬礼し、足早にその場を去っていく部下の背を見送るセレッカの目には、ありありと侮蔑の色が宿っていた。

 

(小物が。偉大なのはこれらの魔物を生み出したフリード将軍であって、貴様ではないというのに。その程度のことすらわからんとは……)

 

気が大きくなる気持ちがわからないわけではない。しかし、そんな己を引き締めてこその優良種ではないのか。

その自負があるからこそ、自分自身を律することもできない部下に苛立ちが募る。

 

「ダヴァロス隊長、なぜあのような者を……」

「口惜しいが、手が足らんのが実情だ。我慢しろ、セレッカ副隊長」

(グレイロード…あの裏切り者めが……!!)

 

現在、ガーランド魔王国軍内部はガタガタだ。元フェリシア直下の神衛騎士団の団員は全員が国内での任務に従事し、国外への派遣部隊には一人も参加していない。なぜなら、彼らの全員がフェリシアと通じている裏切り者の可能性があるからだ。腹心を殺して逃げた上に追随する者がいないことから、謹慎や処分を受ける者はいなかったが、だからと言って無条件に信用されているわけではない。さらに、フェリシアの交友関係は神衛騎士団内部に限った話ではない。フリード直属の特務部隊にも彼女の親友がいたし、数こそ多くはないが疑わしい者はそれなりにいる。そういった事情から、現在軍内部は疑心暗鬼に囚われてしまっているのだ。

当然、大事な作戦に疑わしい者を参加させられるはずがないことから、こうして兵の質は相対的に下がらざるを得なかった。そういった諸々全てと、その原因たるフェリシアに対しセレッカは苛立ちを通り越し、憎悪すら抱いていた。

 

「ギチギチギチッ」

「ジージーッ」

「ヂヂヂヂッ」

 

小さく金属がこすれるような鳴き声をあげる魔物たちもそうだ。本来なら、王国や帝国にも彼らが差し向けられるはずだった。ところが、フェリシアの裏切りと共に行われた妨害工作のおかげで、多くの魔物が失われた。その結果、当初の作戦を大幅に変更せざるを得なかったのだ。

できればフェリシアが身を寄せたであろう王国が準備を整える前に潰してしまいたかったが、ハルツィナ樹海と違って気付かれずに大部隊を移動させることは困難。そのため、ライセン大峡谷に隣接するハルツィナ樹海内のフェアベルゲンから攻めることに。

スマートに進められるはずだった大いなる戦いが、このような苦肉の策に貶められて納得がいくはずがない。

 

各地の大迷宮攻略にしてもそうだ。オルクス大迷宮やライセン大峡谷にあると思われる大迷宮の攻略も進めるはずが、そちらに回す戦力がないことから作戦は凍結。場所が分かり、なおかつ人間族の領域にありながら手が入り切っていないグリューエン火山の攻略を、フリード単騎で行うことになってしまった。予定では、一人でも多くの魔人族に神代魔法を習得させ、魔人族全体の戦力底上げを図るはずだったというのに。

 

なにより、かつて神衛騎士団長“フェリシア・グレイロード”は大将軍“フリード・バグアー”に続く者として、魔王と多くの同胞たちから期待と尊敬を一身に集めていた。この二人がいる限り…いや、この両名をきっかけに、魔人族は永久(とわ)に続く栄光の時代を迎える。世界から薄汚いシミを取り除き、崇める神と種族の偉大さによって満たされるのだと、そう信じていたのに。

セレッカ自身、フェリシアを畏怖すると同時に憧憬の念を抱いていた。そして、魔人族の若い世代になるほどそういった傾向は強い。誰もが彼女を目標とし、その背に続き、いずれ並び立つのだと奮起していた。

 

だからこそ、初めて「フェリシアの裏切り」の報を聞いた時は、むしろ伝令部隊が誤情報を持ってきたのではないかと思ったほどだ。

だが事実としてフェリシアは自らの副官を手にかけ、部下たちすら置き去りにして人間族と共に姿を消した。それを知った時の彼らの落胆と失望、そして憤怒は如何程だったことだろう。あれほど目をかけてくれたフリードの信頼を裏切り、同胞たちの未来への確信を損なった罪は計り知れない。何度思い返しても、煮えくり返るような怒りがこみあげてくる。そんなセレッカに気付いたのか、ダヴァロスは軽く肩を叩いて気持ちの切り替えを促す。

 

(ポンッ)

「隊長……」

「今は目の前の作戦に集中しろ、セレッカ副隊長。勝つにしても品格が重要なのであろう?」

「ハッ……お恥ずかしいところをお見せしました」

 

副官の気持ちは理解できる。選ばれし種族に生まれながら、劣等種と通じていた愚か者であり、種の栄光に影を差した背信者。この手で八つ裂きにしてもあまりあるというものだ。だが、怒りに囚われ任務に綻びが生じては本末転倒。軍における古強者であるダヴァロスは、そのことをよく理解していた。

 

「……近いか」

「ハッ、間もなく亜人共のテリトリーのようです」

「よろしい。聞け、勇敢なる同胞たちよ! 現在、フリード将軍は大火山に向かわれ、間もなく吉報がもたらされることに疑いの余地はない。また、本国では着々と王都侵攻作戦と帝都破壊及び皇帝暗殺作戦が進行している。これは、その先駆けとなる重要な作戦、魔人族が統べる真正なる世界への第一歩である! その自覚と、本作戦に名を連ねる栄誉を胸に己が使命を完遂せよ!!」

 

作戦行動中故に(とき)の声を挙げることはしないが、戦意の膨れ上がりが目に見えるようだった。新種の魔物の軍勢もまた、それに反応して獰猛な反応を見せている。

 

しかし、彼らは気付かない。自分たちに向けられる、冷めた一対の眼差しを。

 

(はいはい。意気軒高、結構なことで。兎連中が来るにはまだちょいと時間がかかるし、マスターに連絡がいくのもまだ先、か。やれやれ、当分は孤軍奮闘ですか。ま、慣れてますけど)

 

立香のところにいても特にやることがなく、かといってナンパに精を出すこともできず暇を持て余していたことから、当てもなく樹海を散策していた結果、ロビンフッドは一早く魔人族の侵攻に気付いた。

予想よりはるかに速い……早すぎて不自然ではあるが、事実は事実。完全にオフのつもりでいたため通信用アーティファクトも持っていなかったので、偶々同道していた百貌の一人に伝令を任せたが、このまま静観というわけにはいくまい。なんのかんの言ったところで、彼は「自分のためではなく人々のために戦った」英霊なのだから。この状況を、見過ごせるはずもない。

 

(そいじゃま、ちんけな弓兵は分相応に……毒に暗殺、奇襲とトラップでせせこましく行きますかね)

 

そして、悪夢が始まった。

 




ギル祭、お疲れ様です。皆さんは何箱開けられましたかね? 私は200を目標にし、一応達成したのですが……素材が旨い反面、QPが溢れて勿体なかったです。まぁ、スキル上げに使ってあっという間に底をつきましたが。にしても、四桁いった人とかどうしてるんでしょうね?

ところで、さっぱり関係ありませんが、唐突にコラボの復刻イベントがあった時の追加鯖が「カウレス(事件簿コラボ)」「フィオレ(アポコラボ)」だったら面白いなぁと思ったのですが……結構ありそうじゃないですかね。

あと、懐かしのサクラ大戦の新作の話を耳にし、「あ、そういえばバベッジとか喜びそうな世界観だなぁ」「特異点、下手したらロストベルト扱いにできるかも」とか思ってしまった人はそれなりにいるはず。

一応、次で本章は終わり。その次から新章の予定です。まぁ、少なくとも一話は「リリなの Order」の方を先にあげるつもりではいますが。


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035

長くなったので二話に分割しました、以上。


 

『破壊工作』というスキルがある。

“戦闘の準備段階で相手の戦力を削ぎ落とす才能(スキル)”とされ、ランクAともなれば六割近い兵力を戦闘不能に追い込む事も不可能ではない。『軍隊はその三割が失われた時点で作戦行動が不可能になる』ということを考えれば、如何に悪辣な手管か分かろうというものだ。

 

とはいえ、これはあくまでも“戦闘の準備段階”であることを前提としたスキル。戦闘が始まってからでは、その力を十全に発揮することはできない。

例えフィールド(戦場)がロビンフッドの庭たる“森林”であったとしても、後手に回らざるを得ない状況では、できることにも限度がある。

 

そんなことは、他ならぬロビン自身が最も理解していることだ。

最大限の戦果を目指すのであれば、首都とも言うべき“フェアベルゲン”間近に有りっ丈の罠を敷設するべきだろう。それはつまり、比較的樹海の浅い所にある集落と防衛に動いている戦士たちを見捨てるということだ。せめて避難する時間だけでも稼げればとは思う。だが、すでに戦端が開かれている現状では、時間稼ぎを目的とした多少の足止めですら惜しい。

 

「……ま、だからって大人しく引き下がるってわけにもいかんでしょ」

 

深い霧で閉ざされた森の中を移動しながら独り言ちる。

ロビンが戦場に選んだのはハルツィナ樹海の深部ではなく、広大な樹海全体で見ればまだまだ浅い領域。それが焼け石に水でしかなく、時間稼ぎにしたところで微々たる効果しか望めないことを承知の上で。あるいは、彼が大局的に犠牲を計算できる統治者・支配者側の英霊であったなら違う選択をしたやもしれない。

 

だが、ここにいるのはシャーウッドの森に潜んだ義賊“ロビンフッド”の名を襲名した者。

体制におもねることを良しとせず、自分のためではなく人々のために、騎士道や誇りある戦いなんてものとは無縁ながらも、最後まで自らの在り方を損なうことのなかった勇士。

ならば、どうして今まさに虐げられようとしている無辜の民を見捨てることが出来ようか。

 

「ほいっと、これにて仕込みは上々。そいじゃ、次行くとしますかね」

 

既に襲撃されてしまった集落は助けようがない。だが、魔人族の狙いをある程度絞ることができる以上、現在地からフェアベルゲンへの進路上に罠を張るのはゲリラ戦の名手にとってそう難しいことではない。

 

彼の戦いを“卑怯”と誹る者はいるだろう。だが、ロビンはそんな雑音気にも留めない。

姿を、正体を隠し、徹底して奇襲・奇策に走った戦い方をする。武器を隠し、誇りを隠し、卑しい戦いを徹底するのは、自身の誇りよりも守らなければならないものがあることを知っているからに他ならない。

とはいえ……

 

「……ま、分かっちゃいたことだが埒が明きやしねぇ。井戸に毒でもたらせれば良かったんだが……」

 

如何せん、ハルツィナ樹海という立地が悪い。半ば密集するように木々が生い茂るこの土地は、必然的に地面もかなりの深さまで木の根が張り巡らされ、“掘る”という作業に致命的に向いていない。

そのため、樹海の住民たちは“井戸を掘る”ということをあきらめざるを得なかった。代わりに、飲み水をはじめとした生活用水は基本的に水を大量にため込む…言わばサボテンのような性質を有した樹木から得ているし、食料の確保も農耕や牧畜ではなく採取と狩猟が基本だ。

気候・風土による生活様式の違いと言ってしまえばそれまでだが、最も手軽且つ効果的な“水の汚染”が使えないのは、ロビンの戦法的に痛手と言わざるを得ない。貯水槽代わりの樹木に毒を仕込むという手もあるが……

 

「嬢ちゃんの話じゃ、そもそも連中は存在そのものを知らねぇみたいだしなぁ……やるだけ無駄か」

 

己が種族こそを至高とし、他種族を蔑視する傾向の強い人間族や魔人族は、あまり他種族の生活様式などに詳しくない。そのため、フェリシアでさえも亜人族たちが井戸ではなく樹木から水を得ていることを知らなかった。

これには飲料水は“魔法で確保可能”という事情もあるのだろうが、フェリシアがいた時点での侵攻計画にも現地での水の調達は想定されていなかった。精々、魔力節約の必要に駆られた際のために、食料と共に水やワインを輸送する計画が予備的に用意されていたくらいだ。

貯水槽代わりの樹木に毒を仕込んだところで、意味があるとは思えない。気付くかどうかもわからないもののために毒を仕込むなど、とてもではないがそんなことをやっていられる余裕などない。

 

「第一、通る集落が軒並みあの有様じゃな……胸糞悪ぃ」

 

思い返すのは、魔人族の侵攻を晒されたのであろういくつかの集落の“惨状”。

そも、魔人族の目的は樹海…ひいてはフェアベルゲンの占領・支配ではない。第一目的は“真なる大迷宮”への道の確保だが、第二目的は……亜人族の殲滅だろう。

そうでなければ、なぜ侵攻ルート上の集落を一々“壊滅”させるのか、理屈が合わない。

 

真の大迷宮への道を確保するだけであれば、極論亜人族の存在は無視しても構わないのだ。正確な場所がわからないから、已む無くフェアベルゲンを落とすことで長老たちを確保し、情報を得ようとしている。フェリシアから聞いた当初の作戦案も、奇襲によって電撃的にフェアベルゲンを陥落させ、その上で大迷宮への道を実効支配するというものだった。言ってしまえば、亜人族との戦争はオマケでしかない。

故に作戦の性質を考えるなら、進路上の集落は防衛戦力を蹴散らすだけでいい。とにかく迅速に、可能な限り速く樹海の最深部に到達するのが肝要のはずなのに……彼らはわざわざ無駄な手間をかけている。同じ“壊滅”という結果を生むにしても、そんなものは後続の部隊に任せてしまえばいいにもかかわらず。

なのにそうしないのは、僅かでも取りこぼしが出ることを嫌ったからに他ならない。その意味するところは明白だ、ガーランド軍は亜人族を一人残さず殲滅するつもりでいる。

 

つまり、亜人族が存在した痕跡そのものを許す気がないのだ。当然、生存者の鏖殺だけでは飽き足らず、集落そのものを破壊しつくしている。ロビンが目にした“惨状”とはそういうものだ。

まったく……蛮族でももう少し行儀が良いだろうに。

 

「……ったく、嬢ちゃんが見限った理由がよくわかるぜ」

 

戦場はいつだって地獄かもしれない。だが、それでも戦争にだって“ルール”はある。

そうでなければ、果てのない報復の応酬がどこまでも過熱し…最終的には“殲滅戦(女・子どもまで皆殺し)”という救いの欠片もない結論に行き着く。フェリシアは、そうならないようにと“終わらせ方”という名の落としどころを模索し、軍内部の熱狂に“合理性”という形で水を差そうと試みていた。

しかし、今のガーランド軍に冷却機能を果たす人物はいない。当然、歯止めがかかるはずもない。

 

その結果が“これ”だ。最優先の作戦目標を考えるならば明らかな無駄、むしろ害悪とも言える徹底的なまでの殲滅。これが報復合戦の果てであるのならまだいい。質の悪いことに、自分たちこそが神意を体現する唯一絶対の“正義”であるという認識故だ。過去の遺恨からくる憎しみではなく、そういった宗教的な認識が根底にあるからこそ拍車がかかる。

 

―――止まらないし、止められない。そもそも止まろうと思わない。

 

フェリシア出奔の最後の一押しになったのは立香たちとの出会いに端を欲する“粛清”の流れだったが、どちらにせよ時間の問題だったのだろう。内側から歯止めをかけるのにも限界が来ていた以上、遅かれ早かれフェリシアは国を出ていたはずだ。

内側からでは、もはや時代の流れは止められない。止めるためには、変えるためには、既存の勢力とは異なる立ち位置から働きかけるしかない。

 

そして、守りたい人たちから目の敵にされることになろうとも…という考えは、ロビンにとっても馴染みのあるものだ。騎士道や正々堂々に思うところはあれ、どうやってもそのようになれない彼だが、フェリシアにはどこか“手のかかる後輩”のような感慨を抱いている。

ならば、少しばかり手を貸してやりたいと思うのが人情だろう。ましてやそこに、今生の主の意向も重なるとなればなおさらに。

 

「さて、お次はっと……ん?」

 

焼け石に水と承知の上で次なる罠の敷設に動こうとしたところで、樹海を満たす霧が揺れたことに気付く。

魔人族の軍勢が迫って来たのかとも思ったが、方角が違う。むしろ、揺れの発生源は樹海の深部の方だ。

可能性として高いのは援軍だが、正直に言えばあまり期待はしていない。例えサーヴァントやハジメたちが救援に来たとしても、とにかく数が足りない。個々の実力は一騎当千でも、広大な樹海に幅広く展開している敵軍を点で抑えたところで意味は薄いからだ。かといって、面で抑えることのできる数を有するフェアベルゲンの戦士たちでは、ガーランド軍が使役する魔物たち相手には戦力的に物足りない。

故に、あまり期待することなく様子を窺えば、霧を掻き分けて這い出てきたのは良くも悪くも予想外の存在だった。

 

「おいおい…マスター、よりにもよってあの旦那を動かしたのかよ」

 

現れたのは、地面を這うようにして進むヒトデのような、あるいはタコのような、極彩色の禍々しい異形の生物。キャスター“ジル・ド・レェ”の有する宝具、“螺湮城教本(プレラーティーズスペルブック)”により呼び出されし海魔である。

見ているだけで本能的な嫌悪感を催すそれが、夥しい数の群れを成して樹海を進んでいるのだ。思わず、ロビンが顔をひきつらせたのも無理はない。

 

「つーか、セイバーの方ならいざ知らず、あっちの旦那に防衛戦だのなんだのなんてできるのか?」

 

聖女ジャンヌ・ダルクと共に戦った当時の“フランス救国の士”であった彼ならともかく、“聖なる怪物”となり果て悪逆の限りを尽くしたキャスターの彼は“精神汚染”のスキルが示す通り、そんな繊細な配慮ができるような状態ではない。加えて、宝具の性質的にも進路上にあるすべてを喰い散らかすのが関の山だろう。

だからこそ、立香も当初はペイルライダーと共に彼を後詰にするつもりでいた。本当に、どうしても手が足りなくなった時の最終手段として。だが、百貌やフェアベルゲンからの最新情報で考えを改めた。

とてもではないが、悠長に構えていられる状況ではないと。それは奇しくも、ロビンに最善手を放棄させたのと同種の危機感だった。

とそこへ、海魔の群れを避けるように樹海の木々を伝って見知った顔が姿を現した。

 

「む、ここにいたかロビン殿」

「シグルドの旦那じゃねぇの。助かった、どういうことか説明してもらえますかい?」

「承知した。我が叡智を尽くし、最短で状況を伝えよう」

「あ、メガネは光らせなくていいんで」

「……そうか?」

 

微妙にションボリする大英雄は気に留めず、「ほいほいさっさとしてくださいよ」と急かすロビン。

何しろ通信機代わりのアーティファクトを持たずに出てきてしまったので、同行していた百貌の一人を伝令代わりに向かわせたきり、彼自身が目にしたもの以外に最新情報と言えるものはないに等しかった。今のロビンは、何よりも情報に飢えているのである。

 

「現在、ハルツィナ樹海とフェアベルゲンが置かれている状況は思いの他深刻だ。後手後手に回り、迎撃はおろか周辺集落の避難すらままならない」

「ああ、そいつは嫌って程見てきたからな」

「そこでマスターは長老衆との協議の末、最優先事項を“敵軍の足止め”と判断した。当初はフェアベルゲンの戦士たちが身を盾にするという案だったが、代案として……」

「海魔の物量、ってわけか」

 

具体的には、フェリシアが用意していた肉塊を触媒に手当たり次第に海魔を召喚、広範囲に展開する形で向かわせている。戦士たちには、それに先行する形で海魔を避ける形で避難誘導を任せているらしい。

 

「まぁ、その方が効果的っぽいが……なんで旦那が? つーか、他の連中はどうしてんだ?」

「百貌殿たちは戦士たちと共に避難誘導を、当方とブリュンヒルデ、金時殿は前線にて攪乱を担当する」

「……坊主たちは?」

「フェリシア殿とシア殿は当方たちと共に攪乱に回る。が……」

「ああ、坊主たちは森の中でのドンパチには向いてないわな」

 

火力があるので殲滅力は高いのだが、如何せん森への被害が大きすぎる。魔人族は撃退できたが樹海は炎上しました、では本末転倒だ。

代わりに、ハジメの元には樹海内での戦闘に長けた者たちがいる。

 

「現在ハウリア族は二手に分かれ、敵軍の情報収集と樹海中域にて網を張っている」

「なら、俺も後ろに下がった方がよさそうだ」

「肯定だ。避難誘導の目途がつき次第、百貌殿も情報収集とそちらの手伝いに向かう手筈になっている」

「あいよ」

 

必要な情報の共有を終えシグルドは前線に、ロビンは後方へ向けて動き出す。

基本、海魔に敵味方の区別はない。阻む者すべてを、あるいは迫りくる脅威を無差別に蹂躙するだけの存在だ。そこに、作戦行動などという概念は存在しない。“侵入者を排除しろ”や“青髭とマスターは攻撃するな”といった、簡単な指示を守らせるのが精々だろう。そんなものを動員するというのはなかなかに荒っぽいやり方ではあるが、そんな贅沢を言っていられる状況ではない。

個々の戦力は低いが、召喚に対するコストが低く数を揃え易いのが海魔の持ち味だ。特に、海魔の死骸を触媒にすることで、さらに低コストで召喚できるという点も利点だろう。魔人族と使役される魔物を駆逐することはできなくとも、避難と迎撃の準備を整えるまでの時間稼ぎにはなる。

まぁ、避難誘導に失敗したり、塩梅を間違えたりするとかえって樹海に甚大な被害をもたらしてしまうリスクはあるが……後手に回って碌に避難すらできていない現状では、そんなことも言っていられない。立香のその判断はロビンも同感だが、一つ懸念事項がある。

 

「ったく、うちのマスターも大概無茶するぜ」

 

とはいえ、いまさら言っても詮無き事。すでに賽は投げられている以上、それぞれがそれぞれの為すべきことを為すよりほかにない。もし、立香の身を案じるのだとすれば……

 

「流石に、今回は本腰入れないわけにはいかんわな」

 

彼への負担が少しでも少なくなるように、迅速かつ徹底的に自らの本領に注力すべきだ。

 

 

 

時を同じくして樹海最深部、フェアベルゲン。

都市への分厚く堅牢な門扉は開け放たれ、間断なく人と物が激しく出入りを繰り返しているその様は、正に“蜂の巣をつついたよう”というべき混乱っぷりだろう。

 

しかし、それも無理のない話だ。基本、亜人族は樹海の外に出てこない。それは彼らの身の安全のためだが、今回はそれが裏目に出た。定期的に樹海の外を哨戒していれば、あるいはガーランド軍の侵攻に気付くこともできたかもしれない。だが現実には、彼らは魔人族の動きに気付くことが出来ず不意を打たれてしまった。

伝書鳩や狼煙といった連絡手段がないわけではないが、どれも“迅速さ”と“複雑さ”には欠ける。今必要としているのは正確かつ詳細なリアルタイムの情報だ。忙しなく都市を出入りしている者のうち、大半が敏捷性や機動力に優れた猫人族や鳥人族の伝令兵なのがその証拠だろう。まぁ、彼らが懸命にもたらす情報ですら、些か“鮮度”という面では物足りないと言わざるを得ないのだが。

とはいえその問題も、今まさに解消されようとしていた。

 

「アルフレリックさん! ハウリアの皆さんが前線に到着しました、これより情報収集に入ります」

 

司令部を兼ねている長老会議の議場に駆け込んだマシュが、手にしていた通信機型アーティファクトをアルフレリックに手渡す。

 

「承知した。協力感謝する、マシュ殿」

「いえ、私たちにとっても他人ごとではありませんので。それでは、こちらが通信機です。使い方の方は……」

「既に聞き及んでいる。複雑な操作は無理だが、まぁ何とかなるだろう」

「不明点があれば声をかけてください、それでは!」

 

一通りのことを伝えると、再度都市外へと飛び出していく。本音を言えば彼女も前線に出て避難のための時間稼ぎに行きたいところではある。しかし、戦力の大半を前線に送ってしまっている現状、最も怖いのが予期せぬ奇襲だ。縁を切ったフェアベルゲンに今更手を貸す理由はねぇ、な現ハウリア族ではあるが、ボスであるハジメの指示とあれば否やはない。

多少、もたらされる情報が刺々しかったりするが、過去を思えば致し方ないことだろう。他の族長たちであれば反発したかもしれないが、族長会議の中でも議長的役割を担うアルフレリックにはそれを飲み下すだけの度量がある。

そして、次々にもたらされる情報の精度を考えれば、自身の判断が正しかったことを確信する。

 

(ゼルは最後まで反発していたが、無駄に時間をかけなかったのは正解であった。交渉に時間を取られれば、それだけ救えるものが減っただろう。ハウリアに有利な条件を飲む形にはなったが、これでよかったのだ)

 

フェアベルゲンから立香やハジメたち一向に協力要請をした際、実を言うと最も時間を要したのがハウリア族とのそれだった。

立香たちはほぼ二つ返事で協力要請を受けてくれたし、ハジメも多少渋りはしたものの“恩に着ろ”“ことが終わったら必ず徴収するからな”と思いっきり恩着せがましく言ってきたものの、さほどごねることはなかった。元々亜人族や樹海そのものへの関心が皆無に近く、あくまでもこのタイミングでの魔人族の侵攻が自分にとって都合が悪いから手を貸す、というスタンスだからこそだろう。あとで何を要求されるのか恐ろしくないわけではないが、この場限りの関係だからこそ後腐れがない。

 

だからこそ、問題となったのはカム率いるハウリア族だった。過去にシアの処遇について大いに揉め、追放という形で縁を切ることになったかつての同胞。あちらからすれば、フェアベルゲンの危機など“いまさら”以外の何物でもない。

掟に従った結果とはいえ、彼らを切り捨てたのは他ならぬアルフレリックたちだ。本来ならどの面下げて…というところであることはアルフレリックも理解している。それでも、より多くの同胞を救うためには彼らの力が必要だった。

正確には、ハジメにはフェアベルゲンへのアーティファクト貸与の意思がなかった中、ハウリア族にならどうかと交渉し、諾との返事を得られたから、というべきだろう。その結果、彼らの協力を取り付ける必要に迫られた。

現在進行形で侵攻を受けている状況では悠長に交渉しているわけにはいかない。そのため、アルフレリックはほぼほぼカムが出してきた要求をそのままの形で飲むことにした。これには虎人族の族長であるゼルは多いに反発したものだが……

 

(“議論している間にも同胞が死ぬ”と一喝し黙らせたのは良いが、禍根を残すことになったのは不安材料ではあるか)

 

とはいえ、その判断が間違っていたとも思わない。また、ほぼ要求をそのまま飲む形にはなったものの、カムには一つだけ条件を付けた。即ち、すべては“働き次第”ということだ。

所詮、あの時点での交渉は暫定的なもので正式ではない。

基本的には飲むことになるだろうが、ハウリアの貢献が乏しければ要求の大半は突っぱねるつもりでいる。逆に言えば、貢献次第ではハウリア族そのものを長老衆と対等に扱うことになるわけだが……元々独立国家みたいになっていたのだ。しかも、ハジメが事実上の後ろ盾であり、フェリシアともフェアベルゲン以上に距離が近い。

今後の両名の立ち位置次第では、遅かれ早かれの問題だろうとアルフレリックは踏んでいた。

ただ、通信機越しに飛び交うハウリア族間の物騒極まりないやり取りを聞いていると、一抹の不安はあるわけだが。

 

「繰り返す、交戦不可、交戦不可。現状は情報を最優先」

「サーヴァントたちは気にするな。あの連中では参考にならん」

「こちらインビジブル小隊、景色に同化している魔物を確認。各自、注意されたし」

「アイデルハルト小隊、魔物からの離脱に成功。連中、霧に惑わされないだけじゃなくこっちの気配まで掴んできやがる。俺らじゃなきゃ逃げ切ることもできないぞ」

「ヨルガンダルから各位へ、東の集落で戦士団が抗戦を続けているが時間の問題だ。指示を求む」

「避難状況は?」

「6割」

「ヨルガンダル、帰投せよ」

「族長!」

「狼狽えるな! 避難が終わっていない集落がある、だからどうした。戦士団が抗戦している、それがなんだ。義憤にかられ、救援に向かえば助けられるのか?」

「……」

「そも同族ならいざ知らず、我らに連中を助ける義理があるのか?」

「……」

「では、今我らがすべきことはなんだ!」

「「「 殺せ殺せ殺せ!!! 」」」

「我らは兎人族、気配を殺し、闇に潜み、首を狩る死の影である! 戦士団が戦っているのなら大いに結構。彼らは戦い、我らは何を為す!」

「「「 殺せ殺せ殺せ!!! 」」」

「ならば諸君、遠路遥々来てくれた折角のお客人には最大級の歓待を以てもてなすのが礼儀ではないか!」

「「「 Sir, yes, sir!! 」」」

「宴には入念な準備が不可欠だ。最高のおもてなしをするため、今は準備に勤しもうではないか!」

「「「 Sir, yes, sir!! 」」」

「そして、準備が整った暁には……」

「「「……」」」

「死と狂乱の宴を以て、彼らをもてなそうではないか!!」

「「「 YAHAAAAAAAAAAAAAAAAッ!!! 」」」

「………………………………………わし、早まったかもしれん」

 

以前、熊人族を返り討ちにしたと報告があった時から、薄々ハウリアの変化には気づいていたつもりだった。しかし、あの好く言えば“温厚”、悪く言えば“臆病”な部族が何をどうしたらこんなことになるのか。

あくまでも情報共有が目的であり、“口出し無用”が協力の条件なので口をつぐんではいたが、正直“お前ら誰だよ”と何度ツッコミそうになったことか。まぁ、したところで意味はなさそうだが。

 

一方、フェアベルゲンの門前広場では、惨憺たる有様だった。広場一面に白い布が敷かれ、その上に負傷した戦士たちが横たわっている。軽傷の者は一人もおらず、誰も彼もが出血多量だったり四肢があり得ない方向に曲がっていたりと重傷患者揃い。当然だろう、フェアベルゲン未曾有の危機を前に、軽傷程度で戦線を離脱するような軟弱者など一人もいない。誰もが、“戦えない同胞を守る”その誓いの元に戦士となったのだ。戦えなくなるまで戦う、そうして動けなくなったところでここに担ぎ込まれた勇者たちだ。

 

無論、戦士以外の負傷者がいないわけではない。今も駆け込んでくる集落を放棄した避難民たちは収容施設へと誘導されているが、中には負傷者もいる。ただし、彼らの中に急を要する患者はほぼ含まれないため、薬師の常駐する施療施設へと担ぎ込まれる。門前広場に集められたのは、“戦士”であり“重傷”の緊急の処置が必要なものたちだ。

とはいえ、負傷者で溢れかえりパンクする…というわけではないのは僥倖というべきだろう。奇襲を受けたとはいえ、比較的早い段階で対応に動き、協力者もいたことから防衛線はまだまだ最終ラインから遠い。協力者たちがいなかったらどうなっていたかと思うと、ゾッとするところだが。

 

(いや、それはここも同じか)

 

苦しみ呻く患者たちに手当てを施しながら、老齢の薬師はそう思う。

魔力を持たない亜人族は、当然魔法が使えない。つまり、回復魔法による急速な回復を望めないということだ。

その分、彼らは植物の宝庫である樹海という立地を生かした薬学に秀でているし、亜人族自体が身体能力に優れることから回復も他種族に比べて早い。だがそれでも、やはり回復魔法には遠く及ばない。

本来ならここも、負傷した戦士たちで見る見るうちに埋め尽くされていったはずだ。にもかかわらず、いまだそうなっていないのは……

 

「こっち、処置終わりました!」

「香織様、次はこちらをお願いします!」

「容態を教えてください!」

「右脇腹に刺創! また、右足の膝から下が粉砕骨折! 他、擦過傷と切創が多数!」

(なら、回復魔法は脇腹と右足に限定。残りは普通の手当てにしてもらった方がいいかな)

「如何なさいますか?」

「重傷箇所に限定して回復魔法を使います、残りは薬師の方に」

「承知しました」

「ではいきます、押さえておいてください――――“聖典”」

 

光属性最上級回復魔法の光が、ピンポイントに降り注ぐ。香りの技量を以てしても、半端な回復魔法では不必要に時間がかかってしまう。それでは、次々に運び込まれる患者をさばききれない。かといって、不必要な箇所まで回復させていては魔力が持たない。

それ故の回答がこれ、最上級回復魔法の極小発動。治すと決めた個所にのみ最上級魔法を展開することで、余計な時間も魔力も消費しない、“言うは易しやるは難し”の極みとも言うべき香織だからこそ可能な超絶技巧だ。

 

(できれば、再生魔法でみんなまとめて治せたらいいんだけど……)

 

この世界の基準で考えれば、十分に突き抜けた魔力量を保有する香織だが、それでも神代魔法の連続使用は現実的ではない。

こうして効率よく魔法を使用し、緊急性の低い箇所は通常の手当てで済ませる。そうでなければ、とてもではないが救いきれない。その分集中力が削られるが、そこは気合と根性だ。

 

「香織様! 次はこちらを!」

「もう少し……行きます!」

 

限りなく完治に近いところまで回復したのを見計らい、次の患者へ。完全に治し切ってしまった方がいいに決まっているが、僅かでも節約しなければならない。どれほどの患者がこの先も来るのか全く見通しがつかない以上、個人的な拘りに固執すべきではない。

 

「容態は?」

「それが……」

「ッ……!」

 

アシスタントについてくれている森人族の女性が口籠る、一目見て香織もその意味を理解した。

 

(傷そのものはそれほどじゃない。だけど、この症状…多分毒。それも、ほぼほぼ全身に回りきってる)

 

毒の厄介なところがこれだ。一度体内に入り込めば、瞬く間のうちに全身に広がってしまう。解毒の魔法もあるにはあるが、フェリシアと同じ変生魔法の使い手が生み出した新種の魔物だ。生半可な魔法で解毒しきれるような毒ではあるまい。それが全身に回り、死へのカウントダウンも残りわずか。これを救うとすれば……

 

(回復魔法じゃ間に合わない。こうなったら、再生魔法で……!)

「香織様…いや、お嬢さん」

 

今まさに魔法を発動させようとした香織の手に、枯れた木のようにしわくちゃで節くれだった手が重ねられる。顔をあげれば、そこにはくすんだ灰色の垂れた耳が特徴の犬人族の老人の顔があった。

 

「こちらはわしにお任せを」

「で、でも……」

「なに、苦しむような真似はしませんて。お嬢さんはほれ、あっちの若いのを頼めるかのう」

「……………」

 

顔を伏せ、歯を食いしばる。はじめのうちこそ香織の存在を訝しみ侮るような視線を向けるものが大半だったが、そんなものは香織の手腕を一目見れば即座に一変した。迅速な診断、的確な処置、奇跡の如く瞬く間のうちに傷を癒す回復魔法。亜人族にとって、本来魔法は忌々しいもののはずだった。彼らにはなく、同胞たちを虐げる他種族の専売特許。

だが、その時目にした魔法の光はあまりに神々しく、慈愛に満ちていて……誰もが反論の余地なく受け入れてしまったのだ、その美しさを。そして、その輝きを生み出した少女の、命に対する真摯な眼差しを。

知らず知らずのうちに、畏敬の念を込めて“香織様”と呼ばれるようになっていた。香織本人としては色々と言いたいこともあったのだが、それどころではなかったのでスルーしていたのだが……ここにきて、わざわざ“お嬢さん”と口にした真意をくみ取れないほど、香織も鈍くはない。

 

「…………………」

「……すまんのぉ、わしらのことに巻き込んでしもうて」

「…………………」

 

本当に申し訳なさそうに目を伏せる老薬師を前に、ある言葉が飛び出そうになるのを懸命に堪える。

“方法はある”“助けられる”そう言ってしまいたい衝動が溢れるが、安易にその言葉を口にしてはいけないこともわかっている。“できるかどうかもわからない”からではない。可能か不可能かで言えば“可能”なのだ。神水を希釈した回復薬、あるいは立香が持ち込んだ蘇生薬、これらを使えば香織の消耗を気にすることなく助けることができるだろう。

 

(でも、それだけ……)

 

確かに目の前の今にも消えそうな命の灯は息を吹き返すだろう。だが、そんなことをあと何回繰り返せばいい?

魔力は消耗しないとはいえ、数に限りがある以上は“消費”という現実は避けて通れない。当然、薬を必要とするもの全員にいきわたるほどの数もない。

 

この先も、あとからあとから負傷者は担ぎ込まれてくる。中には彼と同じように毒を受けたり、あるいは致命傷を負ったりした者もいるだろう。魔力の無駄遣いを避けるために軽傷者には魔法ではなく手当を行っているように、明らかに“手遅れ”な者にも処置を施すべきではない。ちょうど、今まさに老薬師が使おうとしているであろう強力な麻酔で、苦しみなく逝かせてやるべきなのだろう。それが結果的に、より多くを救うことにつながる。

 

今この瞬間の自己満足のために行動しても、後には続かない。また、いつかかけがえのない仲間や愛する男の命が危機に晒された時、救える手段が手元に残っていないということも考えられる。

こういう時、ハジメの強さを実感する。彼であれば、自らのうちの優先順位を間違えたりはしないだろう。仲間を危険にさらしてまで誰かを助けようとしないのは、ハジメが“本当に守りたいもの”をしっかりと見据えているからだ。

彼と共に行くのであれば、香織もまた選ばなければならない。自分が何を差し置いても守りたいものと、そうでないものを。

 

「………………………………………お願いします」

「……ああ、本当にすまないねぇ」

 

目の前の命を見捨てるからには、より多くを救わなければならない。そう自らに言い聞かせ、香織は次の患者の元へと駆け出していく。

 

その頃、大半のサーヴァントを前線へと送り出した立香はと言えば……フェアベルゲンの一角で寝そべっていた。

 

「マシュ・キリエライト、ただいま戻りましたマスター(先輩)!」

「おやおや、お帰りなさいませマドモアゼル」

「ジルさん、先輩のご様子は!」

「はい、マスターでしたらお変わりなく」

「おかえりぃ、マシュ……」

 

のそのそとマシュの方に向き直り、覇気のない声音で返事をする立香。

事情を知らないの者がこの様子を見れば“この緊急時に!”と憤慨したやも知れないが、もちろんマシュも青髭も立香を”不謹慎“などと叱りつけたりはしない。なぜならば、立香もまた彼にできる形で懸命に頑張っている真っ最中なのだ、一見するとそうは見えないだろうが。

 

「マスター、こちらフェアベルゲン特製の栄養ドリンクです。回復薬の多用は、体内の栄養バランスを崩す恐れがあるそうなので……」

 

傷を癒し、体力や魔力を回復させてくれる便利なものではあるのだが、裏を返せばそれらに必要な栄養素を急激に消費しているということを意味する。ある程度消費分を補完できるよう配合はされているが、それでも完全とは言えない。短期間での連続服用は、身体に良いとは言えないのだ。

だからこそこうして、崩れたバランスを整える特製ドリンクを調合してもらってきたわけである。

 

「うん、ありがと」

「体は起こせますか?」

「なんとか…ととっ」

「私が支えますから、ゆっくり飲んでください」

 

身体を起こそうとしてバランスを崩した立香の背を片手で支えながら、空いた手で栄養ドリンクのボトルを口元に運ぶ。

ハルツィナ樹海は植物の宝庫だ。外界にはない固有種も多く、また魔法が使えない亜人族たちは積極的にそれらを研究してきた。結果、あまり知られていないがこと薬学に関しては他種族をはるかに凌駕した知識と技術を有している。そんな彼らが調合した栄養ドリンクだ、効果は推して知るべしといったところだろう。まぁ、その反面……

 

「…………うへぇ、不味……」

「良薬口に苦し、です。我慢してください」

「うん……」

(樹海の気候はどちらかと言えば亜熱帯に近いのに、先輩の末端は凍えたように冷え切っています。やはり、遠隔地への魔力供給は相当な無茶なのでは……)

 

単独行動かそれに類するスキルでもない限り、基本的にサーヴァントは特級の魔力喰いだ。同時に、その供給効率はほぼ双方の距離に比例する。つまり、近ければ近いほど効率が良く、離れるほどに悪くなる。

樹海の深部と浅層では、供給効率が格段に落ちるのは必然だ。しかも、今前線で猛威を振るっているのはシグルドとブリュンヒルデ、そして坂田金時の三名。前者2名は名実ともにトップサーヴァントであり、知名度では一歩譲るものの金時もまた一級の英霊でありクラスの関係もあって魔力消費は大きい。彼らとて立香に配慮してある程度出力は落としているが、それでもその消費する魔力量は馬鹿にならない。そこに距離というマイナス要素が加わり、彼らの戦闘行動を支えるため立香の魔術回路は常時アクセル全開でフル回転している状態だ。せめてもの救いは、青髭が展開している宝具の燃費の良さだろう。他の者であれば、それこそ今頃は立香がミイラになっていても不思議ではない。本来、宝具を長時間展開し続けるというのは、それだけ負担の大きいことなのだ。

 

とはいえ、青髭一人が効率よく魔力を消費しても気休めにしかならない。

常にカルデアから魔力供給を受けている立香だが、所詮彼自身は一般人上がり。その魔術回路の性能はたかが知れている。どれだけバックアップが潤沢でも、出力の低さは覆らない。供給された端から有りっ丈の魔力を吐き出し、また即座に限界まで魔力が身体を満たす。

言わば、小さな風船に瞬間的に限界ぎりぎりまで空気を送り、次の瞬間には一気に吐き出すを繰り返しているのだ。それが英雄でもなければ超人でもない、魔術回路の質的にもさほど優れているわけでもない立香の体にかかる負担は、余人の想像のおよぶものではない。

冷え切り、今にも壊死しそうな末端の状態が、端的に彼のおかれている状況を現わしている。

 

「マシュ、状況は……?」

「しゃべらないでください。可能な限り体力の温存を」

「でも……」

「……状況はある意味で硬直しています」

 

海魔一体一体の戦力は高くはないが、とにかく数が多いので狙い通り魔人族の侵攻を抑えることに成功している。また、シグルドたちが主力部隊を切り崩すことで組織だった動きができていないのも大きいだろう。おかげで、戦士団や百貌達は迅速に避難誘導を行うことができている。同時にハウリア族が情報収集を進め、後方ではロビンも含めて迎撃の準備が行われている。

とはいえ、シグルドたちは魔力供給の効率の悪さと立香への配慮から出力を落とさざるを得ず、本来なら大打撃を与えられるだけの戦力がありながらも、現状は時間稼ぎ程度しかできていない。また、海魔に敵味方の区別がないことから、時折避難誘導中の戦士や避難民を襲ってしまう事故も起きている。それでなくても、海魔の群れを抜けた敵兵に襲われることもある。おかげで、フェアベルゲンの薬師や施療院はフル回転状態なのだ。

立香が前線に出て、魔力の供給効率が上がれば戦況を変えることもできるかもしれないが……。

 

「動くのは、だめ、かなぁ…やっぱり」

「シグルドさんたちが広く展開している状況では、効果は薄いかと」

 

精々、誰か一人のそばについて効率を上げるのが限度だろう。つまり、残る二人への供給効率にはさほど変化がない。また、結局は効率の悪さを補うために魔術回路をフル回転する羽目になるので、立香は思うように動けなくなる。それでは、むしろ普段以上に足手まといになってしまう。だからこそ、こうして後方で魔力供給に専念しているのだ。

 

「そういえば、ハジメ、たちは?」

「その……」

「? ? ?」

「そろそろ、ハジメさんの我慢が限界のようで……」

「は?」

 

 

 

「なぁ、この状況なら焼夷弾でまとめて焼き払っても事故ってことになると思わねぇ?」

 

前線から程よく離れた場所で、なんか見るからに物騒なアーティファクトを並べたハジメが、それ以上に物騒なことをぼそっと呟く。

 

「いや、何を言っとるんじゃご主人様」

「あとは、全部魔人族のせいってことにするとか」

「……ん、最後は再生魔法で元通り、何も問題ない」

「いやいや、問題だらけじゃからの!? というか、流石に魔人族が哀れじゃろ!」

 

何故かユエまで乗っかってくるものだから、普段は突っ込まれる側のティオが懸命にツッコミを入れる。ここで止めないと、本当にやりかねないのがこの二人の恐ろしさだと知っているからだ。

放っておくと、本当に樹海にぽっかりと巨大な十円ハゲがいくつも出来上がりかねない。

 

「ご主人様、それにユエも、お願いじゃから自重しておくれ」

「……じゃあよ、アレは良いのか?」

 

―――ぶっ飛びやがるですぅ!! ドッカ―――ン!

 

―――シャオラァ―――ですぅ! メキャッ!

 

「……ハッスルしとるのぉ」

「……ん、シアが元気で私もうれしい」

 

かなり距離があるはずなのにしっかりと耳に届く重厚な打撃音。ハジメパーティの元気印が、今日も元気いっぱい戦槌を振り回しているのだろう。実際、打撃音と共に細々とした黒い点(おそらく人)と棒切れ(多分元樹木)が宙を舞っているのが遠目からも視認できる。まぁ、ハジメたちが暴れるよりかは被害が少ないので、許容範囲なのだろう……多分。

まぁ多機能サングラスをかけているハジメには、より詳細な映像が見えているはずなので、案外そうでもないのかもしれないが。

 

「とりあえずじゃ、ご主人様よ……サングラスをピカピカさせるのはやめてくれんかのう」

「……メガネキラ~ン?」

 

幾ら前線から離れているとはいえ、緊張感とかシリアスとかがゴリゴリ削られていく。どうでもいいことをやって気を紛らわしたいという気持ちはわかるのだが……何しろこの男、さっきからもうずっとイライラしているのが丸わかりなのだ。

 

「…………唐突だが」

「「?」」

「ここに、試作型の六連式ロケットランチャー型アーティファクトがある。まだ試射もしてないんだが……狙いが狂ってフェアベルゲンに着弾しても事故だよな」

(いかん、本当に早く何とかせんと大惨事待ったなしじゃ)

 

理由はわかっている。言ってしまえば、ここにいない香織が原因だ。より正確には、香織が自分以外の誰かのために気を揉んでいることにミニマム嫉妬しているのだ。決して色恋的なあれこれではないと承知していながら、名前も知らない誰かのことで葛藤し、胸を痛めている。香織の意思なので尊重はするが、それはそれとしてやっぱりな~んか面白くない。

ただでさえ樹海への被害が大きすぎることが懸念されることから後詰に回されたというのに、今の精神状態だと六割増しでえらいことになりそうである。

 

「……ん、でもシアが元気そうでよかった」

「あ~……そういや直前まで微妙に顔色悪かったもんな。いまさら怖気づくような相手でもねぇだろうに」

「実力云々ではなく、過去のトラウマ関連じゃから無理もないと思うがのう」

 

ハジメたちに念には念を入れて極力戦闘には参加しないよう釘を刺し、前線へと向かおうとしたフェリシアたちにシアは同行を求めた。傍から見ても顔色はよくなかったが、無理もない話だ。まだハジメたちと出会う前、彼女は帝国兵に襲われ多くの家族を奪われた。今回の状況は、どうしてもその時のことを想起させるのだろう。

冒険者や人型の魔物が相手であれば今更恐れることもないが、流石に比較的記憶に新しいトラウマを刺激されるとなっては平静ではいられないのも当然だ。まぁ、あの様子からすると色々吹っ切れたようだが。

 

「吹っ切れすぎて逆に心配になるんじゃが……」

「知らん」

「……ん、シアの精神衛生の方が大事」

「ブレんのぉ。まぁ、妾も概ね同意じゃけど」

 

ハッスルするあまり自然破壊し過ぎないかは心配しているが、やり過ぎたなら後で再生魔法で帳尻を合わせればいいと思っているあたり、ティオも似たようなものだ。魔人族については、そもそも考慮する気がない。

 

「しかし……」

「「?」」

「トラップと聞くと体の内が火照ってしまうのはなぜじゃろう?」

 

いったいこの駄龍は何を想像しているのか。そう言わんばかりに真っ白な視線がティオに集中する。

 

「むむ、ご主人様よ。あまりそう熱い視線を向けんでおくれ…んんっ、濡れてしまうじゃろ」

「熱くねぇよ、むしろ冷め切ってんだよ、別れよ変態」

「“分かれ”ではなく!? 会話の流れを切ることなくむしろ妾を切り捨てにかかるとは、なんという高等テク。やはり、妾にはご主人様しかおらん!!」

「……ん、珍しくちゃんとしてると思ったら、もう限界。私は悲しい」

 

ポロロン♪ というBGMが聞こえた気がするが、多分気のせいだろう。

 

「ま、ドM(ティオ)にしちゃもった方だろ」

「っ! 妾にルビを振るのではなく、むしろ妾がルビとな!? 妾、変態という名のティオさんではなく、ティオという名の愛の奴隷なのじゃが!」

「あ、クラルスさん? そろそろ永久的に黙っててくれます? そして森に帰れ」

「名字呼びじゃと、クラルスさんショックなのじゃが!? なんという疎外感、たまらん…はずなのに、無性に寂しいのじゃ。全然気持ちよくないのじゃ。というか、妾そもそも森生まれじゃないんじゃが! じゃが!!」

「さて、そろそろ頃合か?」

 

崩れ落ちてさめざめと泣くティオ無視し、前線の方に意識を向ける。

普段ならそれすら快楽に変換するティオだが、他人行儀にされた不安が拭えないのか、ハジメのコートに縋り付いて割と本気で訴えかけている。

 

「無視しないでほしいのじゃ~、このままだと妾野生のティオさんになってしまうのじゃ~」

「大歓迎だよ、むしろ今すぐ還れ」

「……待って、ハジメ。野生の駄龍なんて樹海に解き放つのは流石に迷惑」

「……そうだな。とりあえず、各所に“変態出没注意”の看板くらいは立てておくか」

「……ん、マナーは大事」

「むしろ捨てる方がマナーに反しておるじゃろ! ああ、でも寂しいのに感じてしまう妾が憎い!」

 

ハァハァと息を荒げながら、恍惚と寂寥の間で揺れるティオであった。




FGO5周年記念イベント、チケット当選いたしました―――――――――――ッ!! やったね♪
リリカルライブも行けたし、正月の福袋ではブリュンヒルデとエレちゃんの二枚抜きだし、今年はクジ運が良いみたいです。まぁ、イベント自体あるかどうか怪しい現状なんですけどね……一日でも早く終息することを祈っております。

なので、絶賛半引き籠り中。せっかくのゴールデンウィークですが、そもそもどこにも行けない状況ですし仕方ないんですけどね。
みなさんも、頑張って外出自粛し(引き籠り)ましょうネ!


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036

実はこの話、時節的にちょっと…いや、かなり? 不謹慎な部分があるかもしれません。タイミング的にアレかなぁとは思うのですが、もともとこういう予定だったので許してくだしゃい。

あ、あと今回2話連続投稿になります。まだ前の方を読んでいない方は、一つ前に戻ってください。


魔人族は今回のフェアベルゲン侵攻作戦に絶対の自信を持っていた。

相手は所詮、身体能力と樹海という環境を頼みとする魔力を有さない劣等種族。対して、自陣は優れた魔力を有する神に選ばれた種族であり、大将軍フリードによって生み出された強力な魔物の軍勢もいる。加えて、ライセン大峡谷を抜けることで事前に察知されることなく奇襲をかけることができた。

失敗する要素など一つもなく、勝利を約束された作戦……だったはずなのに。

 

「なんだ、なんなんだコイツは!?」

「可愛い可愛い森のウサギで―――す! それが何か!」

「お前のようなウサギがいるかぁ!?」

「目ん玉かっぽじってこのウサミミを見やがれですぅ!!」

「「「ぐわぁ~!?」」」

 

戦槌一閃、魔人族・魔物の区別なく一撃の下に蹴散らされていく。全身骨折など生温い。叩きつけられた個所は木っ端微塵、跡形も残さず赤い霧となって消し飛ぶ。

外見は華奢な兎人族のはずなのに……魔人族からすればまさに悪夢のような光景だろう。

 

しかし、事情を知る者からすればむしろ当然の帰結だ。

なるほど、魔物たちは大迷宮攻略者フリード・バグアーが神代魔法“変成魔法”で生み出した存在、生半可な実力者では及びもつかない力を持っているだろう。だが、言ってしまえばそれまで。所詮は大迷宮攻略者の手勢に過ぎない。

シア・ハウリアもまた大迷宮攻略者の一人。適性の関係で彼女が神代魔法を戦闘に使用することはほぼないが、それでも大迷宮を三つ攻略した実力は本物だ。フリード自身が魔物たちを率いて戦うならいざ知らず、一山いくらの魔人族とフリードの手駒如きが束になったところで及ぶものではない。

 

「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラ…ですぅ!!」

 

鋭利な刃を通さない固い甲殻が一撃たりとも耐えることが出来ず、粉々になる。屈強な肉の鎧に覆われた魔物がシアを抑えにかかるも、鎧袖一触薙ぎ払う。人の形をした暴力の塊が、確かにそこにあった。

 

如何に自らの正義に目が眩んでいるとはいえ、その脅威に端を欲する恐怖は彼らの妄信の上を行ったのだろう。魔物たちに特攻させ、その間に魔人族たちはシアから距離を取る。

迂闊に近づくべきではなく、囮を使って退避するというのは正しい判断なのだろう。しかし、そんな彼らの振る舞いにシアはむしろ軽蔑したような目を向ける。

 

「まったく、命令に逆らえない手下を盾に、女の子一人から尻尾をまいて逃げ出すとは……フェリシアさんが知ったらあまりの情けなさに嘆きますよ。“盾になるから逃げろ”位言える気概のある人はいないんですぅ?」

「フェリシア、だと……」

 

シアの一言に反応し、それまでおびえすくんでいた魔人族の目に憎々しげな昏い火が灯る。

その間にも死角から姿を消す固有魔法を有した魔物が迫るが、シアは一瞥をくれることもなく裏拳でそれを粉砕。なんかまた頭に来そうなことを言われそうな気がするものの、一応聞くだけ聞いてやろうと自慢のウサミミをそばだててみる。

 

「そうか、貴様あの女の……!」

「まさかその力、神代魔法によるものか!!」

「そうだ、そうでなければ下等な兎人族如きに我々が後れを取るはずがない!」

「神をも恐れぬ悪逆、卑劣な奴め……」

「う~わ~……」

 

好き勝手言っている魔人族にまずドン引き。自分たちに都合の悪いことをする存在は悪で、意にそぐわぬ存在は卑劣漢とでも思っているのだろうか。まずその認識があり得ないし、あまりの身勝手さに得体のしれない気持ち悪さを覚える。全身の産毛だけでなく、ウサミミと尻尾の毛が総立ちだ。

 

(ねーですぅ、これホントありねーですぅ。フェリシアさん、こんな人たちに囲まれて踏ん張ってたとかマジパネェですぅ。私だったら一週間、いえ、三日で辞めてるに違いないですぅ)

 

とはいえ、ここまでだったらシアも生理的嫌悪感と敵意だけ、個人的感情抜きで戦えた。冷静さを欠くことなく、淡々と、事務的に……だが、これを聞いてしまえばちょっと黙ってはいられない。

 

「おのれ、おのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれおのれぇ……あの、あの裏切り者めが!!」

「あ?」

「神を、同胞を裏切るだけではなく、獣などと通じていようとはなんという恥知らずだ」

「あの売女はどこにいる! 大方、後方でケダモノ共に尻でも振っているのだろう!」

「そうだ! 今こそ我らの手で神罰をくれてやる!」

「……おい、ちょっとその汚い口閉じがやれです」

 

その一言に、場の空気が凍り付く。敵意を燃え滾らせていた魔人族たちですら、思わず息をのみ口を閉ざすほどに、普段の彼女からは考えられないような無機質な声が出た。

 

「誰が、何の、裏切り者なんです?」

 

シアにとって、ユエや香織が“いずれ追いつきたいと願う目標”であったとすれば、フェリシアは夜空に浮かぶ月を見上げるような“憧れの女性”だった。

それはきっと、彼女に自身の母の面影を重ねていたからだろう。シアの母は元来臆病で争いごとが苦手なハウリア族には珍しく、敵から大事な家族を守れるような英雄に憧れる女性だった。そしてフェリシアは、そんな母親の願いを体現したような人だったから。

ハジメや立香の様に違う世界を知っていたわけでもないのに、世界の歪さに気付いていた聡明さ。そんな世界を少しでも変えたいと願い、敵対種族であるはずの亜人族や人間族との融和を進めようとした優しさ。願いのためにどれほどの困難にも挫けない意志力と行動力、同胞から後ろ指さされても毅然と背筋を伸ばして顔を上げるしなやかな強さ。

 

どれほどの力を手にしても、彼女のような強さを持てるとは思えなかった。それは、シアが目標とした強さとは全くベクトルを異にする強さだったというのもあるだろう。

どちらかと言えば、仲間の中ではティオが最も彼女に近い。だが、500年を生きる彼女の存在はある意味でどこか遠いものだった。途方もない時間の中で培われたものであり、高潔な一族の中で養われたもの。そんな、自分とは何もかもが違うからこそ“凄い”とは思っても“憧れ”へと昇華されることはなかった。

だが、そんなティオに比べてフェリシアはずっと自分に近かった。年も、生まれも、似てはいなくても近いと思った。初めて会った時は、ハジメたちと出会った時とはまた違う同族意識が芽生えた。

だからこそ、シアはフェリシアの“夢”を応援したかった。

 

いつか彼女の夢が叶えば、きっと同胞たちも広い世界を知ることができる。それはなんて素晴らしいことだろう。

今の自分たちのように、種族の垣根を超えて手を取り合えるかもしれない。それはなんて素敵なことなんだろう。

 

シアにとっての一番はハジメと仲間たちであり、その次には家族の存在がある。でも、フェリシアの存在が三番目くらいには位置付けられている。手伝うことはできないけど、彼女を応援したいし、夢が叶って欲しいと思う。

それはもしかしたら、繊細なガラス細工に触れるような心持ちだったのかもしれない。

あるいは、出会う順番が違ったら……自分もまた、彼女と同じ夢を見ていたかもしれないから。

 

だからこそ、他ならぬ同じ魔人族である彼らの言が逆鱗に触れた。

 

(何も知らないくせに、知ろうともしなかったくせに……!!)

 

あの優しい人を、強い人を、気高い人を……浅い言葉で否定するなど許しては置けなかった。

いったい彼女が、誰のために、何のために行動していると思っているのだ。

穏やかな微笑みの裏で、どれほどの涙を流してきたと思っている。

 

「全員まとめてかかってくるです。どいつもこいつも……ウッサウサにしてやんよぉ!!」

 

いっそ朗らかに、優しげに微笑みながらも、実際には極低温の面を張り付けて突進する。あんな聞くに堪えない暴言、万が一にもフェリシアの耳に入れてたまるものか。

 

この瞬間、シアの頭からは己が役目というものが完全に消し飛んでいた。

彼女や前線に出たサーヴァントたちの役目は、あくまでも組織立った行動を乱すための遊撃であり攪乱。であるならば、一部隊の殲滅などに一々かかずらわっているべきではない。フェリシアは仲間ではないが、大事な友人だ。ぶっちゃけ、フェアベルゲンよりよっぽど優先順位は上である。なんだかんだで、シアもハジメたちの同類なのである。

狂乱の宴が終わったのはそれから十分後、シアを除いて動くものが何一つなくなった時だった。

 

「ふぅ~、ちょっとだけスカッとしたですぅ」

 

血の海のど真ん中で、満足げに鼻を鳴らすシア。

海底遺跡での試練の時に思い知っていたつもりだったが、リアルタイムで見る狂信者の気持ち悪さは筆舌に尽くし難い。大事な友人への謂れのない罵倒にブチ切れていたというのは否定しないが……。

 

「放っておくと、これが世界に広がるんですねぇ。フェリシアさんには、ホントに頑張ってほしいですぅ」

 

見ず知らずの他人はまぁ置いておくとしても、ここは家族が生きる世界なのだ。少しでも良くなってほしいと思うのは、当然の感情だろう。

 

「見つけやしたぜ、シアの姉御」

「おや、パル君。どうかしましたか?」

「避難は概ね完了、次の作戦フェーズに移行しやすんで下がってくだせぇ」

「了解ですぅ」

「あと……」

「?」

「なんでも、ボスが腹いせに色々ばら撒くらしいですぜ」

「何事ですか、それ!? 下手したら樹海が消し飛びますよ!?」

「再生魔法を使えば実質被害ゼロ、ノー環境破壊、イエスデストロイ、なんだとか」

「え~……」

 

なんという暴論。何があったか知らないが、相当にフラストレーションがたまっているらしい。

まぁ、さっきまでウサミミの修羅と化していたシアに言えた義理ではないだろうが。

と同時に、右手遠方で盛大な稲光が立ち昇った。

 

「今のは金時さんでしょうか?」

 

どうやら、最後の置き土産とばかりにスパークをかましたらしい。周囲に目を配れば青白い炎やら耳を裂くような炸裂音やら……シグルドやブリュンヒルデも一時撤退に向けて一撃かましたのがうかがえる。シアも、ここらが引き時だろう。気配を探れば、海魔特有の気色の悪い気配が次々に消えていっている。魔力の供給を断てば自滅するというのは、なかなかに便利だ……ひたすらにキモイのが難点だが。

 

「さ、私たちも下がりましょう」

「あ、それと姉御」

「はい?」

「俺はパル君ではなく、“必滅のバルトフェルド”です。お間違えの無いようお願いしやす」

「…………わかりました、パル君」

「いや、だから姉御!」

「ほら、行きますよ パ ル く ん」

 

何が何でも、家族のこの風潮を正さねば。フェリシアを見習って、鋼の決意を固めるシアであった。成就するかはともかく、決意は固めたのだ。

 

その後、シアは百貌達と合流し彼らの誘導の下樹海中層を抜け深層にてシグルドたちと合流する。

しかし、それと前後するように自分たちが通って来た道からは悲鳴と混乱の声が……。

 

「うわぁ……ロビンさん、ただ軽薄なだけの人じゃなかったんですねぇ」

「然り。ことゲリラ戦において、ロビン殿は我らの中でも随一だ。惜しむらくは、準備時間に乏しかったことだろう」

「なんか滅茶苦茶混乱してるみたいですけど、これでも不十分なんですねぇ」

「むしろ、十分な準備期間があれば、ロビン殿単独で壊走に追いやることも不可能ではない」

「なるほど……ところで、シグルドさん。解説する余裕、あるんです?」

 

視線を転じれば、そこには今まさに喉元に迫らんとする巨大な槍の穂先を抑えるシグルドの姿。

 

「あぁ、シグルド。ごめんなさい、とってもごめんなさい。私、どうしても今すぐあなたを()したい」

「ふっ、どうやら魔人族は我が愛に勇士とは認められなかったらしい。これは、いわばその反動だ」

「つまり、勇士不足の禁断症状的な感じですぅ?」

「うむ、概ねそのようなところだ」

「好き、好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き好き」

(うおぅ、目が逝っちゃってめっちゃ怖いですぅ)

 

ハイライトの消えた瞳でぼそぼそと、しかして延々と呟かれる“好き”という言葉。それに伴い、どんどん巨大化していく槍はすでに5メートルを超えている。そういう人だとはわかっているが、やはり間近で見るとおっかないことこの上ない。彼女一人で、ユエと香織二人分のプレッシャーに負けない圧を感じるあたり、流石というかなんというか……。

 

「よぉラビット、そっちもゴールデンに元気そうで何よりだぜ」

「あ、金時さ……ゴールデンさんも無事みたいですね」

 

白いシャツに血糊一つつけずに顔を出した金時に、まだまだ自身の未熟さを痛感する。あの大暴れがなかったとしても、流石に彼ほど身綺麗なままの帰還は無理だっただろうから。

ちなみに、訴えるような眼差しを受けてゴールデンと言い直したわけだが、同じく視線で何かを訴えるパルのことは全力で無視。なんと言おうと、彼はパルだ。“必滅の何某”とか知らない人である。ここは譲った方が負けだと、シアの本能が訴えている。

ところで、ずっと気になっていたのだが……

 

「な~んで、私から目を逸らすんですぅ?」

「いや、だってよぉお前さん…その、アレじゃん」

「アレ?」

「あるじゃん、そこにほら! ファッションっつーか、コーディネートっつかよぉ…あるじゃん!」

「はい?」

 

坂田金時、精神年齢小学生。兎人族の露出過多の格好を直視できない、微妙なお年頃であった。

そして、この格好が普通のシアは、当然金時の言いたことを理解できないのであった。

 

などという極めて緊張感に欠けるやり取りが行われている一方で、防衛ラインを抜けたと思った魔人族は、文字通り地獄を見ていた。

一人、また一人と気付けばその場に倒れ伏す仲間たち。ある者は毒に倒れ、ある者は罠に嵌り、時には十人以上の規模で部隊の一角が壊滅する。濃霧の中でも感覚を狂わされない魔物たちですら、察知できない巧妙に仕組まれた罠の数々。

一歩でも踏み出せばその瞬間にでも罠にはまるのではないかという恐怖と緊張感。今度こそケダモノ共を蹂躙してやろうと息巻いていたのがウソのように、どこもかしこも静まり返っていた。

それはさながら、小動物が捕食者を前に息を潜めるのに似ていたことに気付いたものが、はたしていたかどうか。

 

(なにが、何が起こっている! 罠そのものは単純だ。矢を射かけられ、縄に足を取られ、頭上から刃が降ってくる。その程度のはずなのに…なぜ見つけられない! なぜ対処できない!!)

 

部隊を率いる指揮官が、苛立たしげに歯を食いしばる。だが、どれだけ目を凝らし罠を探そうとしても、一向に手掛かりすら見つけられない。あるいはもう罠がないのかと思い一歩踏み出せば、その瞬間に本人が、あるいは別の誰かが罠の餌食になる。そんなことを、いったい何度繰り返したことだろう。

魔法や魔物で罠ごと周囲の木々をなぎ倒し、地面をひっくり返してみたが、それでもなおすべての罠を排除するには足りない。いったいどこに、どうやって罠を仕込んでいるのか。

もう彼らには、何を信じていいのかわからない。

 

(動かなければ罠にはかからない。しかし、それでは何の解決にもならんではないか!)

 

いや、むしろ時間をかけるほどに不利になっていくのは自明の理。そして、こうして足止めされているのは敵の思う壺なことも理解している。だからこそ、手玉に取られていることへの怒りに震えている。罠そのものは単純なものであることが、なお一層怒りに拍車をかける。まるで“お前たちにはこれで十分だ”と嘲笑われているかのようではないか。

 

しかし、少なくとも最後の一つは彼らの被害妄想だ。別段、罠を仕掛けたロビン自身はそんなことは露ほども思っていない。ただ彼は、今ある材料で、限られた時間の中、自分にできる範囲で罠を仕掛けたに過ぎない。生前、彼がそうしたように。

ただ、それがあまりにも巧妙に、彼らの心理や反応を読み切ったうえで仕掛けられていただけの話。だからこそ、シンプルな罠であるにもかかわらず尽くはまってしまう。

 

あるいは、もう少し時間があれば落とし穴をはじめとした時間と手間のかかる罠を仕掛けることもできただろうが……それならそれでやりようはある。

 

(よしよし、いい子で待っていてくれたようで、感謝感激雨霰ってね。そいじゃ、ご褒美をあげようじゃないの)

 

遠方から魔人族の舞台に動きがないことを確認したロビンは、最後の仕上げとばかりに短剣で一本のロープを切る。

すると、木のしなりを利用して何かが部隊中央に叩き込まれた。咄嗟に反応した魔人族はそれを魔法で迎撃するが……魔法で撃ち落とすと同時に液体のようなものが降り注いだ。そして、変化は間もなく訪れた。

 

「ふん、所詮は獣の浅知恵、この程度のものにかかる我々では……ガハッ! ゲホッ…これは……」

「目が、目が見えない! なにが、何がどうなってるんだぁ!?」

「イ゛ダイ゛、イ゛ダイ゛~……目ガ、喉ガ、焼ゲ…ル゛……」

「吸うな! これは、毒だ!!」

「お~お~、良く気付いた。でもダメダメ、吸わない程度じゃ全く足りないぜ」

 

叩き込んだのは、たっぷりと水薬を仕込んだズタ袋。それ自体に攻撃性などないし、そもそも液体で直接吸い込めるような類のものでもない。ただ、彼らの足元に仕込んだ薬と反応させることで皮膚や粘膜から吸収される類の毒を発生させる。

足元から発生し続けるが故に、風で散らしたところで意味がない。かといって息を止めたところで、それもまた無意味。鼻や喉を塞いだとしても、目などの粘膜、あるいは皮膚から吸収されていずれは彼らの命を奪う。有効な手段としてはその場から離れることだが……周囲を取り囲むのは無数の罠。ロープで首をくくられるか、足元から突き出した刃に貫かれるか、はたまた塗布された毒に侵されるか。いずれにしろ、一歩でも動けば命の保証はない。

 

「罠で死ぬか、毒で死ぬか。ま、お好きな方を選んでくださいよっと」

 

魔物たちなら突破も可能だろうが、そもそも魔物だけ抜けたとしても意味がない。知性に乏しい魔物など、格好の餌食だ。魔人族の指示があるからこそ、彼らは脅威足りえるのだから。頭の足りない魔物など、それこそじわじわと追いつめてやればいいだけの話だ。

 

「いざとなれば坊主がまとめて吹っ飛ばすって話だが……」

 

彼にもメンツというものがある。準備時間が足りなかったとはいえ、得意とするフィールドと戦場で後れを取っては、“しがない弓兵”から“真正の役立たず”に降格してしまう。そんなことになれば、後からほかの連中……電脳魔やピンク狐に何を言われることか。あと……

 

「赤いのとリップに見下されんのは、マジ勘弁だわ」

 

というわけで、その後もロビンは毒と罠の波状攻撃で着実に魔人族と魔物を壊滅させていく。

ただ、そんな彼にもちょっと気になることがある。

 

「………………………………なんなんでしょうね、あのウサギたち。まさか、ウチ(カルデア)ウサギ(アストルフォ・両儀式)並みに頭の痛いウサギがこの世にいたとは……」

 

かなり距離が離れているはずなのに、それでもしっかりといや~な気配がここまで届く。

罠と毒がロビンの主戦力だが、ハウリア族はむしろ闇討ち・不意打ちが本分。罠は足止めや攪乱がメイン、念のために毒を塗り仕留められれば儲けもの位の感覚。真に頼みとするのは、気配操作による奇襲。罠で足を止め、あるいは仲間が囮となって隙を作り、容赦なくそこをつく。

一つの部族という数の利があるからこそできる戦法ではあるが、それにしたって……

 

「自分から一騎打ちを提案しといて、勝手にやってろ死ねってよぉ…えっげつねぇ」

 

具体的には、一騎打ちに応じたと見せかけて転身、唖然としているところへ死角からの狙撃で止めを刺す。流石にロビンでもそこまでは……どうだろう。案外、共闘できる仲間がいれば同じようなことをするかもしれない。

何分、単独で立ち回ってばかりだったので、その時どうするかは自分でも読めない。

 

「……いや、一番えげつねぇのは同族相手でも“皆殺し”を選べる嬢ちゃんか」

 

通信機を受け取り、フェリシアから作戦内容を通達された時は正直耳を疑った。海魔による足止めに並行してシグルドたちやシアが隊列を乱すべく前線に出る。そうやって稼いだ時間で避難を勧め、同時にロビンやハウリア族は迎撃の準備を進める。万が一に備え、ハジメやユエ、ティオといった火力に優れた面々が後詰に控え、最悪の場合には森ごと消し飛ばす。樹海への損害は、後から再生魔法で補う……ここまでであればまぁ順当なところだろう。結果的に敵軍を殲滅する可能性もあったが、撤退されたり逃亡する者が出たりすれば生存者は大なり小なり出るだろう。

しかし、フェリシアはそこにさらに一手を加えた。一度は情報収集と戦線維持のために散開させた自身とその分体を密かに敵軍後方に移動、挟み撃ちにする形での徹底殲滅へと切り替えたのだ。“結果的に殲滅”するのと、“狙って殲滅”するのでは意味合いが大きく違う。袂を分かったとはいえ仮にも同族、守りたかったはずの同胞を相手に下した非情な決断。まともな神経でできることではない。

 

「どういう考えがあっての事か知らねぇけど、覚悟決まり過ぎなんじゃねぇの?」

 

 

 

フェリシアの決断に弁明するのなら、彼女とて好きで同胞の殲滅を選択したわけではない。

ただそうすることが、最終的にはフェアベルゲンにとっても自身にとっても最善だと判断したからに過ぎない。

 

まずフェアベルゲンにとって、結果的にはこのタイミングで侵攻を受けたのは僥倖だった。奇襲を受ける形にはなったものの、ハジメ一行や立香たちがいたことで強力な味方を得ることができ、被害を大幅に減らすことができた。もし彼らがいなかったなら、当然多くの被害が出ていただろうし、ハウリア族との共闘もスムーズにはいかなかっただろう。とはいえ、デメリットもある。戦闘の詳しい内容がガーランド側に持ち帰られれば、本来いない筈の戦力を想定した規模での再侵攻が予想される。そうなれば、今度こそフェアベルゲンが落ちる可能性がある。それを防ぐためには、何があったか詳しい情報を持ち帰らせない必要があった。特に、ハウリア族の存在はジョーカーとなり得る。可能な限り秘しておくべきだ。

同時に、フェリシアにとってもガーランド軍の殲滅には意味がある。第一に、自身の居場所がバレることを避けるねらいがあった。フェリシアがこの時点でフェアベルゲンに渡りをつけていることを知られるのは、非常にまずい。あちらはハイリヒ王国に身を寄せていると思っているはずだが、この情報が本国にもたらされれば、王国とフェアベルゲンがつながる可能性に気付くだろう。それは現時点では完全な思い違いだが、ゆくゆくは実現されるかもしれない可能性。その芽を潰されるようなことになっては困る。さらに、ここでガーランド軍を徹底して叩くことはフェアベルゲン側からの信用を得ることにつながる。同胞だからと甘さを見せれば、かえって亜人族からの不信を買うが、逆に厳しい姿勢を見せれば彼女の目的により真実味を持たせられる。

そう言った事情から、フェリシアは自ら同胞たちの徹底殲滅を提案した。忸怩たる思いがなかったわけではない。それでも、先へと進むためには必要な決断だった。

 

故にフェリシアは、容赦なくその刃を振り下ろす。

 

「「「「…………」」」」

 

ガーランド軍の更に後方。彼らは真なる大迷宮に挑むため、主力となる魔人族の猛者たちをそこに残していた。

それ自体はフェリシアがまだ軍にいたころから予定されていた作戦の通り。ようやく視界に捉えたその一団は、樹海内での苦戦を現わす様に狼狽を隠せずにいる。

フェリシアは概ね予定通りに自体が推移していることを確信し、静かに覚悟を決める。その手を、同胞の血で染め上げる覚悟を。

 

「「「「―――“壊刻”」」」」

 

居並んだ分体と共に、一つの魔法を発動させる。

再生魔法“壊刻”。対象の過去の傷を再び発現させるというものだが、これは実のところフェリシアにとってうってつけの魔法だった。何しろフェリシアの奥の手は、傷を負えば負うほどに自らを強化する神代魔法。これほどまでに相性のいい組み合わせはない。

 

発動と同時に、全身の皮膚が裂け、肉を断ち、骨が砕ける。眼球をはじめ、内臓のことごとくが破裂する。それは、神経系であっても例外ではない。

脳の処理能力の限界を超える激痛が駆け回り、視界と意識を漂白する。消し飛びそうになる意識を辛うじて繋ぎ止め、フェリシアはもう一つの魔法を起動する。

 

「「「「―――“悪鬼変生”!!!」」」」

 

昇華・変成・再生複合魔法“悪鬼変生”。悪鬼変生には二つの欠点があった。一つは初期段階ではそれほどの戦力の向上が望めないこと。しかしそれは、壊刻と組み合わせることで初手から最大級の戦力を獲得することを可能にすることで克服。また、肉体を欠損してから強化修復するまでの刹那のタイムラグも再生魔法による時間加速で補うことで解決した。さらに、再構築の過程で魔物の特性を取り入れる“天魔転変”を組み合わせる。

その成果を示す様に、全身から噴き出した夥しい血が逆再生するかのようにフェリシアの身体に戻る。コンマ一秒の間に行われた破壊と再構築、それに伴う一瞬が永遠にも感じられる激痛の果て、フェリシアの異形化は完了した。

 

共通するのは右目の上から突き出した鋭利な角だけ。ある分体は六本足の馬のような下半身で地面を踏み鳴らし、またある分体は四対の蝙蝠の羽を生やして空へ、さらに別の分体は数を増やし伸長させた腕にいくつもの節を作りその間には無数の刃が並んでいる。

どれもこれも、かつての“モデル・キマイラ”を発展させた更なる異形。機動力・空戦能力・間合い……それらに特化させた今のフェリシアにとっての最大戦力。一切の油断なく、躊躇なく、容赦もなく、同胞すらも殺しつくさんとするフェリシアの決意の表れだった。

そして、本体もまたその例外ではない。一見すると普段の彼女とそう大差ない外見に見える。しかし、それはあくまでも上辺の話。その中身は……

 

「……変成、開始」

「あまり持続時間を伸ばしてはいけませんよ、私」

「そうです。見誤れば、かえって樹海に被害が及びます」

「ことは慎重に」

「……ええ、分かっていますよ」

 

自身の体内で、さらなる変成魔法を展開。元より、人の身に固執するつもりはない。例え魔物と成り果てようとも、進むと決めた道がある。にもかかわらず人の形から逸脱しなかったのは、自身の未熟さ故。

今の彼女では、“これ”をしながら自身の異形化を制御することはできなかったからに他ならない。

 

「……完了。行きます!」

「「「……」」」

 

返事はない。元は同じ一人だったのだから、考えることは同じだ。例え、模倣された疑似的な魂であったとしても。本体が動き出すのと、寸分違わぬタイミングで踏み出す分体たち。

陸戦型二体は左右に分かれ、空戦型は上から、そして本体は正面。涙をのんでなどと腑抜けたことは言わない。自らの意思、自らの選択の下、フェリシアはかつての同胞たちに向けて疾走を開始した。

 

(せめて、安らかに……)

 

手にした槍を自らの血で濡らす。だがそれは、本体だけに限った話ではない。分体たちもまた、散開する寸前にフェリシア本体の血で各々の得物を濡らしている。

だが、当然遅ればせながらフェリシアたちの接近に気付いた者たちがそれを気付くことも、その意味を知るはずもない。迎撃すべく展開してきた者たちに向け、フェリシアは槍を手にしていない左手を向ける。

 

「―――“蒼天”」

 

掌の前に直径7mに及ぶ炎の塊が出現する。それが飛ばされるのかと警戒する魔人族たちだが、そもそもフェリシアは自分の体から発動させた魔法を離すことを不得手としている。つまり、このまま飛ばすというのは現実的な攻撃手段ではないのだ。

だが、その代わりに魔力の流れを制御して火球それ自体に圧をかける。

 

「……やはり、ユエ殿の様には、いきませんか」

 

重力魔法によらない、力業による魔法の圧縮。当然、重力魔法によるそれとは比べ物にならない。それでも、本来のサイズから半分近くまで縮んだそれの一部を開放する。その瞬間……

 

「「「がっ!?」」」

 

逃げ場を得たエネルギーがかけられた圧の分だけの勢いを得て飛び出す。さながら、レーザーのように細い線が正面に伸びたかと思うと、フェリシアは左腕を振るう。それだけで、何十人もの魔人族の上半身と下半身が泣き別れとなった。

原理としては、高圧水流カッターと同じ。圧をかけられ、極小さな点から伸びた火線に貫けないものなどそうはない。そして、放出されたエネルギーが尽きる前に横薙ぎに振るうことで効果範囲を広げる。フェリシアは遠距離攻撃や広範囲攻撃といったものを苦手とするが、その弱点を補うべく考案した方法だ。

重力魔法ほどの高圧縮は望めないが、並の者が相手ならばこれで十分だろう。

 

そうしている間にも頭上と左右からフェリシアの分体が迫る。予想外の攻撃に隊列が乱れている隙を突き、一気に切り込んでいく。ただし、一々一人一人に止めを刺すような真似はしない。

むしろ、攻撃そのものは“当たればいい”という程度。掠り傷さえつけられればそれで十分とばかりに次の敵へと向かっていく。

 

当然、無視される形になったものは怒り心頭だが……それも長くは続かない。

 

「な、んだ? 眩暈、が……」

 

自身の身に何が起こったかわからない様子で、そのまま目や鼻、耳から血を流して倒れ伏す。男の心臓が停止するまで、それから十秒もなかった。

 

「まだまだ、“発症”までに時間がかかりますね」

「気をつけろ、毒だ!!」

 

さすがは大迷宮に挑まんとする猛者というべきか、その異変にも早々に気付かれた。

分体たちに僅かに遅れて切り込んだフェリシアに対し、僅かに距離を置いて警戒態勢を取っているのは、いい判断というべきだろう。同時に、倒れた仲間の状態を確認するべく駆け寄る者が数名。

普通なら、判断の速さと迅速な行動に称賛を送るべきだろう。だが今回に限って言えば、それは悪手だった。

 

「距離を取れ! 掠り傷でも致命傷になる!」

「おのれ、なんと卑劣な……」

(いいえ、違います)

 

なぜならこれは、もっと質の悪いものだから。

 

それを証明するように、倒れた者を助け起こした者たちのうち一人が倒れ伏す。

後方の異変に気付いた者たちが、また更に駆け寄っては倒れていく。自分たちが何か思い違いをしていることに気付くまで、そう時間はかからなかった。そしてその隙を、フェリシアが見逃す理由はない。

 

「なにが、起こっている?」

「これは毒ではなく病だった、ということです」

「しま…ごふっ!?」

 

気が逸れた者との間合いを詰め、心臓を一突き。続いて、自らの手首を切り裂き噴出した血を周囲に撒き散らす。

するとどうしたことか、フェリシアの血を浴びた者たちのうち数名が倒れ、痙攣し、やがて二度と動かなくなる。

 

「貴様、まさかフェリシア・グレイロード……」

「なぜ、ここに……」

「いったい我らに何をした!!」

「……感染から発症までの時間はまずまず。ですが、直接体内に入らなければ感染率はそう高くありませんか。発症するにしても時間がかかり過ぎる。感染制御を含めて、今後の課題ですね」

 

ようやくフェリシアの正体に気付いた者たちの詰問を無視し、周囲の状況を観察する。

直接フェリシアから傷を負った場合の発症率・致死率ともに現状100%。反面、血を浴びた場合の発症率は半分以下。感染者と接触した場合、さらに発症率は下がるようだ。

 

「かといって、あまり感染力を高くし過ぎると後に禍根を残しますか。分体を自力で運用することを考えても、やはり魂魄魔法の習得が喫緊の課題ですね。」

 

フェリシアが自身の体内で行っていたこと、それは自身の体細胞の細菌兵器化である。並行して抗体も作ることでフェリシア自身には無害だが、他者にとっては致命的な細胞へと変成魔法で作り変える。それを、血液と共に敵の体内に混入させているのだ。

体内に侵入した細胞は爆発的に増殖し、毒素を生産し、あるいは体内を破壊することで対象を死に至らしめる。それだけでなく、接触することで感染を拡大。正真正銘、病の如く人を殺す。仲間を案じ助けようとする、人の心を踏みにじるが如き悪魔の所業だろう。フェリシアが掠り傷程度で満足していたのは、これが理由だ。

特に、ウイルスや細菌といった存在への知識のないこの世界の住民にとっては、正に未知の脅威と言える。

 

フェリシアはそれを、ペイルライダーの存在から自力で考え出した。

今の彼女にとって最も足りていないものは“仲間”…すなわち“人手”だ。どれほど傑出していても、個人でできることには限度がある。同志との情報伝達にしろ、他勢力への諜報・根回しにしろ、あるいは戦闘行動をとるにしたところで数が多いに越したことはない。味方を増やせるに越したことはないが、現状それは難しい。

故に、それを少しでも補うための分体であり、戦闘時においては数の不利を覆すための“細菌兵器”である。付け加えるのなら、もしも神が“生物”であるのならこれは十分に切り札として作用しうる。そう期待してのことだ。

まぁ、着想を得て立香たちに相談した時は、大いに顔を引きつらせていたが。一応、空気感染などによる感染拡大の恐ろしさは、それはもう懇々と訴えられたのでフェリシアもそのあたりには大いに配慮している。だからこそ、基本的に接触感染でなければ広がらず、生産後数時間で自滅するように調整してあるわけだが。

とりあえず、魂魄魔法を習得し感染制御を確立することが当面の目標だ。

しかし、既にハジメが“科学兵器”と呼ぶべき代物を生成魔法で次々生み出している現状では、今更感は拭えないところでもある。

 

「さぁ、次は……」

 

感染し、次々に命を落としていく同胞たち。心を凍らせ、一切の感情を排してそれを見届けるフェリシア。

他者の目には、まるで虫けらを踏み潰すかのように彼女の姿は映ったやも知れない。

もちろんそんなことはない。ただフェリシアは、心に蓋をすることに慣れてしまっているだけだ。そして蓋をした心のうち、荒れ狂う感情すら鋼の自制心でコントロールできてしまう。

ステータスプレートには表れない、生まれ持った才能の産物だった。

 

(許しは請いません。存分に恨み、呪いなさい。あなた達の怨嗟も、種の遺恨も、ひとつ残らず持っていく)

 

だからどうか、次の世代には綺麗なものだけを……。それが都合のいい願いと知っていながらも、フェリシアは望まずにはいられない。そうでなければ、今までの犠牲も、この犠牲も、そしてこれからも積み重ねられるであろう全てがあまりにも浮かばれない。

 

「……いけませんね、今は感傷に浸っている場合ではないというのに」

 

胸に去来するものを振り払い、同時に見覚えのある首を断つ。知らないふりをするつもりはない。ここまでに一体いくつ見知った首を落としてきたことか。それでも、フェリシアの振るう刃には微塵も鈍らない。

迷いがないからではない。迷いを抱えながら、それでもなお自身を完全に統制せんと、フェリシアは自らに言い聞かせてきたのだ。

だから例え、誰が立ちはだかろうともフェリシアは止まらない。止まるわけには、行かないのだ。

 

「フェリ、シア」

(あぁ、本当にこの世界の神は最悪だ。どうして、あなたがここに……)

「見つけた、見つけたぞ! この、この裏切り者がぁ!!」

 

僅かな詠唱と共に放たれる無数の風の刃。しかし、フェリシアはそれを避けるでもなく、かといって防ぐでもなく、直立不動のまま受け入れる。避けなかったのではない、防げなかったのでもない。単に“その必要がなかった”だけだ。

その事実を示す様に、風の刃が通り過ぎた後には…纏う服だけが無惨に切り刻まれながらも、無傷のフェリシアが立っていた。

 

「おのれ……ならば、これでどうだ!! 潰れて死ね」

 

放たれたのは風の鉄槌。常人ならば直撃すればなす術もなく轢死体となるような一撃だが、それすらもフェリシアは無傷で受け切ってしまう。正確には、傷を負った端から変成魔法と再生魔法の複合で超速で再構成している、というべきだが…相手にとってはどちらでも同じだろう。

 

「……渾身の一撃ですら、その澄まし面を変えられんのか!」

「ミハイル……」

「気安く俺の名を呼ぶな、薄汚い裏切り者め!!」

 

壮絶な憎悪と憤怒に染まった形相で睨み、視線はまじりっけなしの殺意であふれている。

理由はわかっている。それを向けられて当然だと、他ならぬフェリシア自身が納得している。

だがそれでも……かつて姉のようにも思っていた親友を愛おしそうに見つめていた彼のそんな姿に、胸が張り裂けそうだった。

 

(余計な感傷だということはわかっています。それでも、これは私にとって……必要なことだ)

「お前は、昔からそうだ。そうやって、一人涼しい顔をして……その裏で、俺たちを、我らが神を、カトレアをずっと裏切っていたのか!! 答えろ、フェリシア! カトレアは、ずっとお前のことを……親友だと、自慢の妹分だと、そう言っていたんだぞ!! なのに、お前は!!」

「私も、ですよミハイル」

「なに……」

「私にとっても、カトレアは無二の親友であり、尊敬する姉でした。あなたと、幸せに、なって欲しかった。あなたたちの子を抱く未来を、何度夢見たことか」

 

噛み締めるように、絞り出すように言葉を紡ぐ。一音紡ぐ度に、蓋をしたはずの心があふれ出しそうになる。

僅かでも漏らせばもう抑えられなくなる、その確信があった。だから、懸命に蓋をする。たとえその結果、自身の言葉が彼に届かなかったとしても。

 

「は、ははっ! そんな冷め切った顔で、よくも図々しく言えたものだ! ああ、その神経だけは誉めてやろう! 他者の痛みを、心を、感情を平然と踏み躙る、その凍てついた魂でよく人のフリができたものだ! 神敵に相応しい邪悪、まさに氷の女だよお前は!!」

「そう、ですね。そうあれたら、どれだけ楽だったことか」

「もういい。貴様に、僅かでも暖かな心があればと期待した俺が愚かだったのだ。もはや一片の慈悲もないと覚悟しろ。神敵、魔王陛下への裏切り者として、相応しい罰をくれてやる。四肢を捥ぎ、(はらわた)をぶちまけ、魔物どもの餌にしてくれる!!」

 

怒りのまま、憎しみのまま喚きたてる姿に、彼の変化を見せつけられているかのようだった。

怒るのは当然だ、憎むのもわかる。しかしそれでも、かつての彼であれば……そう思った矢先、思いもしない言葉が紡がれた。

 

「安心しろ。カトレアには…最後には改心したと伝えておく。お前のためではない、お前を友と信じたカトレア、への……」

 

それまでの激しさがウソのように、ミハイルの口が回らなくなる。まるで、あり得ないものでも見たかのように。

 

(なぜ、笑っている……)

「…………………………………………………ありがとう、ミハイル」

 

嘘偽りのない、心からの言葉だった。

悲しみだったら抑えられる。怒りも憎しみも、負の感情であれば制御して見せよう。だけど、だけどどうして……この喜びを、抑えることが出来ようか。

 

「な、に?」

「魔王のためではなく、神のためでもなく、あなたは今カトレアのために私に怒りを向けてくれている。それが私には、どうしようもなく嬉しい」

「お前は、なにを、言っている……」

「どんなに変わっても、あなたの愛は不変だった。カトレアがあなたを選んだのは、きっと正しかった。神であろうと、変えられないものがある。あなたにその気がなくとも、あなたはそれを教えてくれた。

 ―――――――――――――あなたに、万感の感謝を」

 

それは穏やかな、まるで幼い子どものように無垢な笑顔。ミハイルは一度として目にしたことのないはずなのに、だけどどこか引っかかる……

 

(ああ、そうだ。昔、カトレアが言っていた。本当に嬉しい時、フェリシアは……)

 

幼い笑顔を浮かべるのだと、そう言っていた。

最愛の恋人の言葉とはいえ、あの時は信じられなかった。だって彼の知るフェリシアは、いつだって毅然としていて、何があろうと怜悧な表情を崩さない、鋼鉄の女だったから。

 

「さようなら、ミハイル。どうか、今度こそカトレアと共に幸せに。

私は、あなたたちと同じ所には逝けないから。これが、永久の別れです」

「……ぁ?」

 

何をされたのか分からなかった。気付けば、フェリシアは自身のはるか後方。痛みもなく、苦しみもなく、眠るように、ミハイルの首は落ちていた。

 

崩れ落ちる身体を振り返ることはしない。まだ、自身の為すべきことが残っている。胸中で躯を打ち捨てることへの詫びを告げながら、決然と顔をあげる。

同時に、フェリシアは一つの決意を固めていた。

 

(このタイミングでフェアベルゲンへの侵攻が行われたということは、王国や帝国への侵攻にもそう猶予はない。できれば、ギリギリまで供をしたかったのですが……)

 

立香たちに同行することには、フェリシアにとっても大きなメリットがあった。最大のメリットとして、大迷宮攻略の可能性が高まること。続いて、異世界の知識を得られることがあげられる。自身の体細胞をベースとした万能細胞や分体の生成、そして細菌兵器化……どれも、不完全ながら実現できたのはカルデアやハジメたちの協力があったればこそだ。多くを得られる余地がある中で、彼らと別行動をするのは正直惜しい。

なにより、受けた恩をまだまだまるで返せていない。しかしそれでも、フェリシアは自分が岐路に立たされていることを理解していた。

 

「大迷宮攻略の機会はまだまだ残されている。でも、いま動かなければ……」

 

人間族側に、回復不能の大打撃が及んでしまうかもしれない。魔人族との均衡を保つためには、人間族と亜人族の協力が必須。どちらか一方でも大幅に弱体化してしまえば、もう時代の流れを止めることはできなくなる。

それは、なんとしてでも避けなければならないことだった。

 

立香やハジメたちの協力を得られれば、これほど心強いものはない。フェリシア一人では王国か帝国、どちらか一方しか守れないからだ。

だが、実際にいつ侵攻が行われるかは不透明。そんな中、ハジメに協力を求めることはできないだろう。立香たちにしたところで、自身の都合につき合わせるわけにはいかない。

 

「協力を得るとすれば、ハルツィナ樹海攻略後が最低条件でしょうね」

 

一通りの大迷宮を攻略した後ならば、可能性がある。今のところハジメたちが元の世界に変えるための手段、またはその情報は得られていないが、最後の神代魔法を得ることで何かきっかけをつかむ可能性はある。

それ次第の部分はあるが、とりあえずは彼らの旅に一つの区切りがつくのは確かだ。王国には彼らの関係者もいる、協力を得ることは不可能ではない。

 

(だとすれば、私が行くべきは帝国? いや……)

 

間違いなく、最大の戦力が差し向けられるのは王国の方だ。国の規模としては王国と帝国にさほどの差はないが、王国には大迷宮がある。また、未知数の脅威と言える勇者の存在も無視できないだろう。加えて、人間族の精神的支柱である聖教教会の総本山“神山”の存在が大きい。

王国を落とせば、一石三鳥が狙えるのだ。だからこそ、当初の作戦案でもフェアベルゲンは二番手、帝国の攻略にいたってはオマケ扱いだ。そして、主力は王国に向けられる手はずになっていた。

上手くいけば、帝国は自力での防衛も期待できる。だからこそ、フェリシアは王国だけは何としても死守しなければならない。

 

「…………存外、名残惜しいものですね」

 

だが、方針は決まった。この一戦が終結次第、フェリシアは一行を離れハイリヒ王国へと向かうことを決意するのであった。

 

 

 

  *  *  *  *  *

 

 

 

かつては乾ききり、ひび割れた荒野が広がっていたはずの場所。

されど、今は一面の緑が地平線まで続く大草原。本来なら木々が生い茂り、数多の生き物が行きかっていたはずのことを思えば、まだまだ道半ばといったところではある。しかし、一時期の荒廃ぶりを考えれば、これでも十分過ぎる。加えて、まだまだ回復の勢いは衰えていないどころか、むしろ日増しに加速している。

つまり、往年の姿を取り戻す日もそう遠くないと期待できる。

 

そんな大草原の真っただ中に、偉容を放つ影があった。天を衝かんとするような巨木。葉はなく、枝は枯れ、幹にすら生命の息吹は感じられない。それでも、その雄大な在り様は微塵も陰りを見せてはいない。

そんな巨木に、男とも女ともとれる外見の小柄な人影が背を預けていた。

 

「………………………ああ、ついに彼らは君の下までたどり着いたんだね、アルト」

 

まるで古い友人に語り掛けるような親しみのこもった声音。同時に、深い感慨を感じさせる声だった。

 

「なら、彼らは知るだろう。自分たちが向かうべき旅の果てを、遥かな過去から続く高潔なる意思を。

その結果、世界は変わるのか、変わらないのか……同じことだ。もう止まっていた砂時計は動き出した、この流れはだれにも止められない。そう、エヒトにも、私にも……ねぇ、君はどう思うかな?」

 

枯れ果てた幹に手を添え、語り掛ける。返ってくる答えはない。わかりきっていたことだ。彼女の声が聞こえなくなって久しい、最後に聞いたのは果たしていつだっただろうか。

 

「君は…悲しむだろうか。エヒト達“外なる者”を受け入れ、変わりゆく世界を受け入れ、全ての小さき者たちを愛した君だ。きっと、悲しむんだろうね」

 

分かっている、自身にとって“最も古き友”がそんなことを望んでいないことくらい。

だがそれでも、小柄な人影……タスにもまた果たすべき責任がある。

 

「……たとえそれが君の望みに反するのだとしても……私は、在りし日の世界を取り戻すよ。世界の行く末を決める権利は、万人に与えられるべきだ。それは、子らもまた同じこと」

 

その言葉に賛同を示すかのように、遠い遠いどこかから、大小様々な声が届いてくる。

 

(…………まぁ、どんな結末を迎えるにせよ。私に敗北はない…というのは、些かズルいかな)

 

負けない、それだけは何があろうと変わらない。彼らには悪いと思うが、諦めてもらうしかないだろう。

これは元々、そういう“勝負”なのだから。




これにて本章は終了、次回より新章に突入します。

第五章「神聖極光大戦 ハイリヒ」 副題「光を放つ者」

そして、主人公交代……というか、次回からは主な視点がフェリシアになります。2章3章でやっていたように、冒頭か末尾のところで立香たち大迷宮攻略組の様子に触れる感じですね。
いよいよこのシリーズの主人公が誰なのかわからなくなってきた感じ。マシュ? 立香? それともハジメ? あるいはフェリシアなのか……作者にもわかりません。まぁ、群像劇(?)みたいなものとして見て下さい。


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第五章「神聖極光大戦 ハイリヒ」 副題「光を放つ者」
037


新章突入じゃコラ―――――――――ッ!

というわけで、活動報告でフェリシアのプロフィールが(コッソリ)一段階解放されました。興味のある方はご覧ください。


ガーランド軍によるハルツィナ樹海への侵攻作戦が失敗に終わったその三日後。

ことはあくまでも魔人族と亜人族の間の出来事であり、部外者たる人間族の目は依然ガーランドとの国境付近に向けられていた。そのため、魔人族と人間族の間で武力衝突が起きていない現状では、当然ながら王国と帝国を中心とした人間族の領域は平穏を保っている。

とはいえ、それが所詮“嵐の前の静けさ”でしかないことを知る為政者たちですら、実のところ“嵐”が目前にまで迫っていることを知る者はいない。

 

そんな仮初の平穏に包まれたハイリヒ王国の一角、見渡す限り地平線しか見えない平原のど真ん中に、所在なさげに佇む一人の青年の姿があった。

 

「………………………………………さて、これは…どうしたものかな?」

 

目深に被っていたフードを少し持ち上げ、ぐるりと周囲を見回してみるが……これといってこれからの行動の指針になるようなものはない。遠目にうっすらと山脈は見て取れるが、それ以外には地形的な起伏に乏しく、人里はの気配はおろか都合よく誰かが通りかかる、なんて幸運も期待できそうにない。

せめて、川でも流れていれば遡るなり降るなりして行けば、いずれ人里にたどり着けたのだが……まぁそれも、“生きた人”がいるのならの話か。

 

「弱った。“行く当てもない”なんて言うのはいつものことだけれども、流石にこれはない」

 

なにしろ、“何もない”ならないなりに“何かがあった”。それは襲い掛かる脅威だったり、どこからともなく現れた“愛と希望を担う誰か(星を救う勇気ある子)”だったり。

いずれにしろ、“とっかかりすらない”というのは初めてのことだった。

 

「見たところ四方は長閑(のどか)な平原、危険なモノは見当たらない。うん、平和なのは結構なことだ。一時の平和であったとしても、争乱や荒廃と比べれば幾万倍だ。

 だからまぁ、“なにか”あって欲しいと思うのは不謹慎なことなんだろう」

 

自分にとっては助かることだが、他の誰かにとってはそうではない。だから、一瞬でも考えてしまったことを戒める。

 

「…………仕方がないか。とりあえず、歩くだけ歩いてみよう」

 

生憎“啓示”のような、目標達成に寄与する類のスキルは持っていないが……ここは自身のそれなりに高い幸運ランクに賭けてみることにする。

できれば、早めに“誰か”と出会えるといいのだが……。

 

(なんとなくだけど、ただの寄り道とは思えない。ここに僕が喚ばれたことには、きっと()()がある)

 

詳しい仕組みはわからないが、彼の旅はそういうモノだ。世界を…正しくは()()()に仇為す獣の下へ、彼は導かれる。そうしていずれは、“(おお)いなる獣”へと至る。

ここがその終着なのかは、まだかわからないが。

 

その後、“彼”が魔獣に襲われる隊商に出くわすのは、これよりさらに2日後のことだった。

 

 

 

  *  *  *  *  *

 

 

 

同日夕刻。陽も傾き、影が長く伸びてきた時間帯。

もう小一時間もすれば太陽が地平線に沈むような時間になっても、一国の王都の外門ともなれば大勢の人が詰めかける。さすがに今から王都を出る者はほとんどいないが、商いのために訪れた商人や一仕事(魔物狩りを)終えた冒険者、あるいはここに居を構える庶民や貴族等々……外門を守る衛兵はこんな時間になってもてんてこ舞い。豪勢な馬車に乗る貴族や幾つもの荷台を率いる商人には専用のルートが用意されているので幾分スムーズだが、そうでない一般用のルートは長蛇の列をなしている。おかげで、一般用の門の警備はもっぱら下っ端の仕事であり、担当振り分けの中ではいわゆる“ハズレ”扱い。今日も今日とて、間断なく訪れる人の波に息つく暇もないとはこのことだ。

 

「おお、アンタか。毎日ご苦労さん、どうだい稼ぎは?」

「ははっ、今日はニードルフォックスの群れを見つけてな、魔石大量・素材がっぽりでウッハウハよ!

 仲間と山分けしても、一日の稼ぎとしちゃ大当たりだな」

「そいつは景気のいいこって…せっかくだし、どうだ。このあと一杯」

「やなこった。どうせ奢らせるつもりだろ?」

「良いじゃねぇか、昔の(よしみ)でよ、な?」

「な、じゃねぇっての。同業者ならともかく、勧誘されてさっさと辞めた野郎に奢る酒なんぞないね。今夜こそ愛しのパピーちゃんを口説いてやんのよ」

「ケチくせぇ男はモテねぇぞ」

「うっせぇ。いいから働け兵隊さんよ」

(……やれやれ、どうせ貢がされて終わりだろうに。もうちょっと堅実に生きられないもんかね、アイツは)

 

上機嫌に去っていく昔馴染みの背に呆れて視線を向けてから、順番待ちをしている若者に向き直る。

最低限の武装はしているが、身に纏う衣服は薄汚れ“みすぼらしい”一歩手前といった様子。不必要に肩に力を入れ胸を逸らしているのは、都会の空気に呑まれまいと自信を鼓舞した結果か。だがそれは、裏を返せば“虚勢”を張っているということ。その癖、時折不安げに周囲に目を配っているあたり、明らかに都会に慣れていないことがうかがえる。“俺はこんな田舎で燻って一生を終える器じゃねぇ”と一念発起して田舎から上京してきた、夢に燃える若人といったところか。

 

(……まるで昔の俺らを見ているようじゃねぇか。とはいえ夢は所詮夢、すぐに自分が“特別”じゃねぇことに気付くことになる。夢を追い続けられる奴でさえ一握り、“ホンモノ”になれる奴なんざ限られた数人の話。

 忠告してやりたいところだが、言っても聞きやしねぇだろうな)

「……おい、アンタ。いつまで待たせんだよ」

「っと、悪い悪い。じゃほい、ステータスカード」

「はっ、よーく見ておくんだな。これから王都で…いや、王国で知らねぇ奴なんぞ一人もいねぇってくらいでっかくなる男の名だ! 今日ここにいたことを、精々エヒト様に感謝するんだな!」

 

なんともまぁ、高圧的なことだが…別段気分を害したりはしない。こういう仕事をしているとよく見るタイプだ。

 

「はいはいっと……ん。ステータスカードには問題なし、通行手形は? ないよな、じゃコレ持って向こうの受付に行ってだな……」

「待てよ! 手形くらい持ってる、馬鹿にすんな!」

「そりゃ関所のだろ? 王都をはじめ、デカい街に入るには通行手形なり紹介状なり、信用できるところからの証明がいるんだよ。ま、冒険者登録してんなら話は別だが……そういうの持ってんの?」

「うぐっ……ね、ねぇよ」

 

大方、辺境で登録すると舐められると思ったのだろう。箔をつけるために王都で登録する、という輩は存外多い。

別に、どこで登録したところで大差どころか小さな差もないのだが。むしろ、王都などで登録した新人の方が周りからはシビアに見られるくらいだ。

 

「そいじゃ、向こうの受付に行って手続きを済ませな。そこで仮手形がもらえる。冒険者登録するか、一ヶ月問題なく過ごせば正規の手形が発行されるから、くれぐれも問題起こすんじゃねぇぞ。分かったな? わかったら、行っていいぞ。次!」

「ぁ、おい!」

「次がつかえてんだ、さっさと行け。……ああ、5番通りに“踊る縞狸亭”って店がある。飯はでねぇ、部屋は狭い、その上小汚いと来たもんだが、とにかく安い。ついでに、炊事は共用だから金がねぇうちは助かるだろ。

 ま、追加料金払えば大して旨くもねぇオートミールくらいは出るけどな。参考にしとけ」

「……お、おう。行ってみる、あんがとな」

(ハッ、存外素直じゃねぇか)

 

不貞腐れたように礼を言う若者の背中を見送りながら、大成は無理でも一角の人物にはなれるかもと思う。素直さは得難い美徳だ。向こう見ずな若者の場合、特に。

“年長者だから”と偉ぶるのはどうかと思うが、“年長者に”敬意を払うのは正しい。長く生きている分、自分が知らないことを知っている可能性が高いからだ。加えてその知識は“今の自分”、あるいは“いつかの自分”の役に立つかもしれない。

敬意などどんなに大盤振る舞いしても懐は痛まないのだから、いくらでも払ってしまえばいい。そして、それができる人間の方がしぶとくやっていけることを、この衛兵は良く知っていた。何しろ自分にはできず、つい先ほど見送った知人にはそれができた。その結果の“現在”なのだから。

 

「さて、お次は……」

「お願い致します」

(バカに丁寧なのが来たな。どこぞのお貴族様、か……)

 

提出されたステータスカードを受け取りながら、チラリと視線を向け思わず息をのむ。

砂や埃除けの外套で全身をすっぽり覆っているので服装や体形はわからないが、声で女なことはわかっていた。分かっていたが……

 

(驚いた、とんでもねぇ美人が来たもんだ)

 

小麦色に焼けた肌から健康的な印象を受けるが、鋭さを感じさせる切れ長の目に形の良い鼻、小ぶりな唇と細い顎はの組み合わせは怜悧な雰囲気を醸し出しているにもかかわらず、柔らかな微笑みが親しみやすさを感じさせる。肌の色から受ける印象と顔のつくり、そして表情のどれもがちぐはぐな筈なのに…不思議と違和感がない。むしろ、それらが混然一体となってミステリアスな魅力となり、彼女の美しさを際立たせていた。野暮ったい外套やくすみのない真っ白な髪も、その一助になっている。

さらに、あまり高貴な身分とは接点のない彼でもわかるほどに、洗練された立ち振る舞いが自ずと品位を感じさせた。

 

「え~……もしや、貴族様か名のあるお家のお嬢さんで?」

「ふふっ、お上手ですね。ですがご安心を、私は辺境の出ですよ。ただ、国の要職についておられた恩人の伝手で、些かばかりの教養は身につけさせていただきました」

「さ、左様で」

「ですので、あまり肩肘を張らず力を抜いていただければ幸いです」

「は、はぁ……じゃあ、その…王都には何の御用件で?」

 

いつも通りに振る舞えばいいとは言ってもらったが、無意識に丁寧な対応をしてしまう。気圧された…というのもまた違う。権威や実力とはまた違う、自然と首を垂れてしまう“何か”がこの女性にはあった。

 

「嫁に行った姉を訪ねて。あと、王都の方への手紙を預かっています」

「ははぁ、でしたら……」

「このままそちらの受付で手続きを済ませればよろしいですか?」

「……です」

「ありがとうございます。では、こちらを」

「は?」

 

極自然な流れで台の上に一本の瓶が置かれていた。

 

「あの、コイツは……」

「お酒ではありませんよ。旅先でいただいた果実水です、酸味とほのかな甘みで疲れた時にはちょうど良いかと」

「い、いやいや、コイツはいただけませんて!」

「賄賂にはなりませんよ。なにしろ、既にここでの手続きは終わっていますから」

「ま、まぁ、そりゃ……」

 

確かに、賄賂を渡すならステータスカードを出す前後だ。この場での手続きを終え、次に向かう際に出したのではあまりに遅すぎる。これでは、便宜の図りようがない。

 

「あなたと同じですよ」

「は?」

「先ほどの少年へのお節介、それと同じということです。お勤め、ご苦労様です」

 

微笑みながらそう言い残し、緩い三つ編みにした長い髪を靡かせて女は去っていった。

 

「……ヤベェ、惚れそう。ってかメッチャ良い匂いした」

 

残ったのは華奢な小瓶とふわりと甘い匂い、若干頬を紅潮させて呆けるオッサン。そして……額に青筋浮かべて苛立つ旅装のおばちゃんだった。ちなみに、おばちゃんの怒声が響き渡るまであと2秒。

余談だが、翌日から王都北側の一般ルートの警備任務が下っ端衛兵の間で無闇矢鱈と人気になり、上役が首をひねることになるのであった。

 

 

 

初めて訪れた人間族の町、それも最大規模のそれはフェリシアにとっても新鮮な驚きに満ちていた。

 

「百聞は一見に如かず、とはまさにこのことですね」

 

道行く人、人、人。四方に視線を向ければ、これまた数えるのもばからしくなるような人の海。今は変成魔法で外見を人のそれに変えているとはいえ、どうにも落ち着かないのは無理からぬことだろう。

 

まぁ、そんなことは些細なこと。今のフェリシアにとって重要なのは、目に飛び込んでくる人々の様子だ。

服装も年齢も千差万別。血糊のついた鎧を纏った冒険者と買い物帰りであろう子ども連れの母親が平然とすれ違っている。荒事と家事、まったく別ベクトルの仕事に励む者が混在している光景というのは、フェリシアから見ればかなり奇異に映る。

 

今思えば、魔国ガーランドの街割りはどこも徹底的に整理され、とてつもなく合理的だった。街の中心から四方に大通りが伸び、そこから等間隔且つ直角に小道が走る。東には軍事施設、北は職人街といったように機能的に配置され、中央に行くほど重要施設や高級な店・家が立ち並ぶ。衛兵の駐屯所や医療施設なども分散配備されるなど、とにかく効率重視。王都に限らずどこの街もそんな具合で、それが魔人族の気風だった。

だからこそ、冒険者と市井の民が同じ空間を歩いていることに驚きを禁じ得ない。棲み分けをした方が効率的だし、余計なトラブルも少ない。なにより、荒事に関わる者というのは基本的に潜在的なトラブルの源だ。為政者側からすれば、監視し、取り締まる上でも一纏めにしておいた方が都合がいい。

 

ちなみに、ガーランドの街並を見た立香は“碁盤の目”と評し、“京都みたい”とぼやいてから“迷いそう……”とうなだれていたものだ。実際、割と頻繁に案内標識が立ち、外部から来た者は一ヶ月かけて迷いまくることで道順を覚えるのが慣例となっていたほど。

幼い頃は流浪の民として効率そっちのけな集落で暮らしていたが、人生の大半をそんな“効率厨”な街割りの中で暮らしてきたフェリシアから見ると、人間族の街は“雑多”の一言だった。

 

(というか、気が昂った者が何かの拍子で婦女子に乱暴を働いたらどうするつもりなのでしょう?)

 

見たところ衛兵が小まめに配置されていたり、巡回していたりするわけではないらしいので、ちょっと心配になる。

実を言えば、同じような懸念はフェアベルゲンでも抱いていた。ただ、フェアベルゲンの場合は“樹海”という立地もあって“効率的な街割り”に向かないのは明白なことから、あの巨木を利用した三次元的な街割りの方が適しているのだろうと納得していた。加えて、被差別種族ということで亜人族は同族意識が強いというのも、内側の危機意識を下げる要因なのだろうとも。

 

しかし、人間族はそうはいかない。彼らには効率的な街割りを行える広い土地があり、逆に三次元的な都市を形成できる巨木はない。加えて、人間族はそのうちに多数の国家が成立している種族だ。人間族同士での戦争も、ないわけではないと聞く。それは彼らの多様性の表れでもあるが、だからこそ“街中での事故”をはじめとした危険性が高い。

とはいえ、見る限りそう言ったトラブルの前兆は見られない。はしゃぎ回る子どもに鬱陶しそうな視線を向けることはあれ、適当に流して通り過ぎている。中には、少し荒っぽく頭を撫でてやる武骨さと人懐っこさを兼ね備えた人物もいる。

それを見ると、この地に暮らす者たちの“善性”を信じているからこそなのかもしれないとも思える。だが同時に、フェリシアの脳裏に古い記憶がよぎった。

 

(…………“人の本性は悪である”か)

 

そうフェリシアに説いたのは、袂を分かった師であった。

まだフリードに指示するようになって間もない頃で、当時のフェリシアはその言葉に反駁こそしなかったが、今思えば随分とあからさまに眉をしかめたものだと思う。あの頃の彼女は、人とは誰しも“善き者”であると信じて疑っていなかったからだ。しかし、そんな彼女にフリードは繰り返し繰り返し、何度も丁寧に言い聞かせたものだ。

 

「“悪”だから、悪いことをして良いというのですか!」

「そうではない、むしろ逆だ。“悪”だからこそ、我らは強く自らを律さなければならない。“悪”故に“悪”を為すのなら、そんなものは“獣”と同じだ。“悪”であるにもかかわらず“善”であろうとする、それが我らの尊厳。それこそが、神の教えなのだ」

「……」

「納得がいかんか?」

「……はい」

「なら納得せんでもいい」

「え?」

「だが、そのことは心にとめておけ。“悪”であろうとなかろうと、それでも人を陥れる者はいる。傷つけ、奪い、騙し、虐げる者どもがいる事実に変わりはない。同じ魔王陛下の民、選ばれし種族であるというのにな……」

「先生……」

 

そう語る師の顔には、深い憂いの色があった。

 

「覚えておけ、フェリシア。私は、そしてお前もいずれは多くの責任をその身に負うことになる。力には大いなる責任が伴うものだ。

 だからこそ、我らは見えるモノだけを見ていてはいけない。その裏にあるものを熟考し、あるいは異なる角度から検証し、その上で発言し行動する。“見落としていた”“気付かなかった”などという言い訳は許されん。ならばこそ、疑ってかかるくらいがちょうどいいとは思わんか」

「…………」

「……恐ろしいか?」

「……」

「やはり、お前は頭が良い。だがな、恥じることはない。その恐怖は大事にしておけ。その“畏れ”がある限り、お前はきっと“義務”と“権利”をはき違えることはない。

 己が双肩に民の暮らしが、同胞の命運が乗っていること…努々忘れるな」

 

故に、上に立つ者は人が【悪】であることを前提に考え、行動しなければならない。それが、多くの責任を負う者の最初の心構えなのだと、師はそう言っていた。

 

元来、フェリシアは向こう見ずで突撃思考が強い。そうでなければ、周囲の説得を無視して集落を飛び出すような真似はしなかった。フリードは、そんなフェリシアの性質を理解していたのだろう。だからこそ、ことあるごとに言い聞かせてきた。思えば、集落の長もまたフェリシアには似たような注意をしていたように思う。

 

「アンタは一度決めたら譲らない上に、最短距離を突っ走ろうとするからねぇ。そんなだと、思わぬところで足を取られていつか派手にすっ転ぶよ。“急がば回れ”と言ってね、痛い目を見たくなきゃよ~く周りを見ることさ」

 

いったい、何度口を酸っぱくして言われたことか。ただ、フェリシアは自分が損をする分にはあまり気にしない性質だった。だから、長の言葉も話半分にしか聞いていなかった。しかし、フリードの言葉はフェリシアの心に強く響いた。自分一人が損をするなら別にいい。だが、守るべき存在である同胞たちまで巻き込んでしまうとなれば話は別だ。

以降、フェリシアは広く視野を保ち、多面的に物事を見るように努めてきた。都合のいい言葉を吐く者がいれば慎重に真意を探り、どこかに陥穽がないかと注意を払う。その結果、師と袂を分かつことになったのは、実に皮肉な話だが。

昔の自分から考えれば、随分と疑り深くなったものだと思う。だが、それを指して人は“成長”と呼ぶのだろう。少なくとも、純朴で無垢な…だからこそ無知な自分に戻りたいとは思わない。

ならばこそ、考えなければならない。魔人族と人間族、それぞれの都市計画の違いについても……どんな些細なことでも考え、知っていかなければ。そうでなければ、己が悲願にいつまでたっても近づくことはできないのだから。

 

「……まず考えるべきは、人間族と魔人族の違い。魔法への適性の差は…あまり関係ない? とすれば、やはり人口でしょうか。ハイリヒ王国一つとっても、ガーランドより人口は上の筈。見る限り、ガーランドの王都より活気があり、人の動きも活発ですね」

 

そうやって視点を変えていくと、“雑多”という第一印象も変化してくる。

ガーランドの街並は効率的であるからこそ、どこか窮屈さがあった。右を見ても左を見ても関係者や同業者しかいない。だからこそ周りの目を気にしなくていい気楽さはあったが、同時に空気が籠っているというか……息苦しい印象があったように思う。

そこへ行くと、こうして職種や年齢・性別を問わず行き交うことで空気の循環が促されているようだ。

 

「ふむ、効率一辺倒というのも考え物かもしれませんね。やはり、異なる文化を知るというのは貴重な体験です。今までとは違う見識、異なる発想が芽生えて来るというのは実に心地いい」

 

今まで見えていなかったものが見えてくるような、そんな爽快感と開放感がある。とはいえ、いいことばかりでもないのだろうが……。

 

「しかし、やはり不意のトラブルの危険性の高さも否定はできませんか。かといって、あまり監視の目を増やせば反感を買うのも明白。むむっ…中々にバランスが難しいですね。何事も一長一短、ということですか」

 

雑多な分目印が多いおかげで、考えながらでも目的地に向けて迷うことなく足を進められるのも長所の一つだろう。ガーランドであれば、小まめに案内表示を見ないと今頃迷っているところだ。

 

「ですが、やはり右を見ても左を見ても人間族ばかり……まぁ、王国は奴隷であっても亜人を忌避する傾向が強いそうですし、人間族至上主義たる聖教教会、その総本山のお膝元ともなれば、むしろ当然なのでしょうね」

 

単一種族だけしか暮らしていない国家、あるいは都市というモノにはさほど違和感はない。古巣であるガーランドも、つい先日まで滞在していたフェアベルゲンもそうだった。むしろ、海人族と人間族が曲がりなりにも共存している【港町 エリセン】がこの世界では特殊だったのだ。

あるいは、亜人族の奴隷を数多く従えている帝国であれば、ある意味では2種族が混在した光景を見ることができるのだろうが……。

 

(奴隷制…実際のところを見たことがないので、何とも判断に困りますね)

 

魔人族もまた奴隷であろうと亜人族を忌避する傾向が強いため、フェリシアも“奴隷”というモノを見たことがない。伝え聞く話とそこから受ける印象から、あまり気分のいいものではないと思う。しかし、又聞きの話と印象だけで判断するのもまた愚かしい。

なので奴隷制という制度の是非についてはいったん置き、もっと実際的なところに視点を移してみる。

 

(制度として成立しているということは、それが“必要”とされているということ。つまり、奴隷の存在によって支えられている産業ないし、社会構造があることを意味している。

 奴隷を解放するとすれば、最も手っ取り早くかつ確実なのは“制度そのものの撤廃”。とはいえ、いきなりなくなれば、現行の社会構造や産業は大きな打撃を受けることになる。当然、それに伴う混乱は直接関係のない人々にまで及ぶでしょう。なにより……)

 

上意下達で一方的に推し進めるのは、あまりよろしい流れとは言えない。好みの問題ではない、その後に大きな禍根を残す。まず、奴隷にかかわる仕事や奴隷を使役していた者たちから強い反発を受けることになるし、納得していない者たちが密かに動いたり、あるいは何かの拍子で制度が復活したりする可能性もある。

帝国に関して言えば、最終的には国家そのものを解体しても構わないと思っているので、強引に亜人族の奴隷を解放することにさほど問題はない。むしろ、旧支配者側に反感をぶつける形にしてしまった方が、新体制にとっては都合がいい。

問題なのはその後。現在奴隷に関わる者たちは、別に“悪”でも何でもない。彼らはただ、“奴隷”という商いをしていた商人や購買者に過ぎないのだ。奴隷制のない世界に、彼らが適応できるよう取り計らうことこそが、為政者側に求められる。そうでなければ、今度は彼らの生活が破綻してしまう。

制度をなくせば解決するというほど世界は単純ではないし、為政者にそんな短絡は許されない。

 

亜人族との関係を初期化するには、このあたりが極めて大きな課題として立ち塞がる。なにしろ、対亜人族だけでも、奴隷制はなくさなければならないのだから、この課題から目を背けることはできない。

 

「……弱りましたね。政治と軍事はまだしも、経済方面は正直苦手なのですが……」

 

経済の重要性は理解しているフェリシアだが、それはあくまでも“理解がある”のであって“明るい”ということではない。だから、“問題”は明らかにできてもそれに対する“効果的な施策”を講じることはできない。そもそも、全般的にあまり“数字”には強くないのだ。故郷で実験していた時は、知恵熱が出るくらい頑張って数字とにらめっこしていたのである。

というか、フェリシアにだって人並みに苦手なものはある。軍事にしたところで、兵站の重要性は理解しているものの自分で効率的な差配ができるかといえば自信はないし、前線指揮官としてはともかく軍全体の総司令官としては力不足を自覚している。少なくとも、戦術・用兵に関しては並より少し上くらいだろう。視野が広く先を見通せたところで、軍勢を動かす能力がなければ戦争に勝てるわけがない。

本来彼女は、“個人戦闘能力”と“課題を洗い出す”ことに長けているのであって、人を動かしたり使ったりすることはそれほどうまくない。その自覚があるが故に、彼女は仲間を募ったのだ。そしてこういう時ほど、国に残してきた同志の重要性が身に染みる。所詮、一人にできることなどたかが知れているのだと思い知る。

 

「とはいえ、人間族の習慣や文化に疎い魔人族では限界がありますし……やはり、人間族の人材も欲しいところですね」

 

まぁ、現状人間族側への伝手はないに等しいし、候補となる人材にも心当たりがないのだが。そう考えると、今後の前途多難さに気が滅入りそうになる。そんな自分を叱咤するフェリシアだが、周りから見れば独りでぶっつくさ喋っている姿は割と不審人物である。

フェリシアはその目立つ容姿から当然人目を惹くのだが、真剣な様子でブツブツ呟いている姿を見ると声をかけづらい。結果、若干の奇異の視線を向けられることになったわけだが、本人は全く気付いていなかった。

 

などと考えながらメインストリートを歩くうちにたどり着いたのは、王都でも一際立派な建物。王都の冒険者ギルドであり、全ての冒険者ギルドを束ねるギルド本部でもある。

庭こそないが、建物そのものはどこかの貴族の邸宅を思わせるほどに立派な造りで、相応の歴史と風格を感じさせる。見識のない者には“古い”“小汚い”としか映らないだろうが、実際には手入れが行き届き清潔感がある。ある程度見る目がある者なら、積み重ねた時間の重さに気付くことだろう。まぁ、冒険者に求められる能力にそう言ったものは含まれないので、気付く者は稀だろうが。

 

「フェアベルゲンの深緑の香りも良いものでしたが、古い木材ならではの味わいも捨てがたい」

 

ギルドに入ることで見えてきた内部も、外観に相応しい立派なものだ。ギルド全体を支える大きな柱に手を添え、その歴史に思いを馳せる。

元々文系気質というか、フェリシアの嗜好としては文化や歴史への興味が強い。集落もその性質上モノを長く大切に使う傾向にあったからか、古めかしいものを愛好する傾向がある。要は真新しいものより、古めかしいものの方が落ち着くのだ。

 

「……何してんだ、姉ちゃん?」

「あ、その…大変立派な柱だったのでつい」

「若ぇのに渋い趣味してんなぁ」

「……友人にも、よく言われました」

 

人好きのする笑顔を浮かべた壮年の男性に答えながら、今は亡き親友との思い出が脳裏をよぎる。彼女も、似たようなことを言ってよく呆れていた。趣味は合わないのに、なぜか馬が合ったのは今考えても不思議だ。

 

「冒険者って風でもないが、ギルドには依頼かなんかかい?」

「そんなところです。受付が複数あるようですが、どちらに行けばよいのでしょう?」

「いや、依頼は二階だ。一階は基本冒険者専用でね。依頼の受注や達成報告、報酬の支払い用だ。ほれ、両端に階段があるだろ。あそこを登っていきな」

「なるほど。ありがとうございます、助かりました」

「なぁに、何事も持ちつ持たれつってな。お、そうだ。まだ宿が決まってねぇんなら、うちなんかどうだい? アンタ美人さんだし、安くしとくぜ?」

「そうですね……」

「大通りに近いから治安は上々、飯も旨い! 全室鍵付き個室、女の一人旅にはもってこいだろ?」

「……わかりました。後ほど、伺わせていただきます」

 

しかし、利用するとはいっていない。あくまでも、“見る”だけだ。親切にしてもらったことは感謝するので優先はするが、それで決めるほど無防備ではない。

 

「ありゃ、しっかりしてんなぁ……ま、気に入ってくれること間違いなしだからよ。期待しててくれ」

「はい。その時には、知人にも紹介させていただきます」

「ははっ、そりゃ気合が入るってもんだ」

 

快活に笑って去っていく男を見送り、フェリシアは教わった通りギルド二階の受付に向けて階段を上っていく。

 

(外門を守る衛兵の質は悪くなかった。街行く人々には笑顔があり、見ず知らずの私にも親切にしてくださる。

 …………………なにが邪教の徒か。彼らのどこが劣等種だというのだろう。私たち(魔人族)と何も変わらない、どこにでもいる善良な人々ではありませんか)

 

直接顔を合わせ、言葉を交わしたからこそ確信する。結局彼らは、鏡に写った自分自身でしかないのだ。

国境とは少しだけ歪んだ鏡であり、あちらもこちらもそう違いはない。家族を愛し、友を慈しみ、隣人に手を差し伸べる、善良な人々。いったい魔人族と人間族、その間にどれほどの違いがあるのだろう。

外見、魔法への適性の高低……そんなものは些細なものだ。傷を負えば血を流し、失われた命は戻らない。親しい人が傷つけば嘆き、失えば怒り憎む。たった一つの命と、同じ心を持った者たち。ただ仰ぐ神が違うというだけで、どうして殺し合う必要があるのか。

 

(その神が殺せというから? ああ、なんてバカバカしい……!)

 

血を流すことが、命が失われることが許せないのではない。それらが避けられるのであればそれに越したことはないと思うが、避けられない衝突、必要な摩擦というのはあるだろう。

だとしても、これは違う。

争いや競争を否定したいのではない。それらは本来、何かを“得る”ための手段のはずだ。足りないものがあって、欲しいものが、必要なものがあるから争ってでも手に入れようとする。フェリシアはそれを否定しない。だってそれなら、流れた血にも、失われた命にも意味があるから。まだ自分を納得させられる。

 

なのに、この戦争にはそれがない。ただ、邪魔だから消そうとする。本当にただそれだけ。

ましてやそれが、神の遊戯でしかないとすれば、いったい何のために血が流れ、数多の命が失われるのか。あまりにも、あまりにも無意味ではないか。

 

(……そうだ。だからこそ、思うようにさせてはいけない)

 

今のところ、あちらに先手を打たれているのが実状だ。フェアベルゲンへの侵攻は幸運にも退けることができたが、最大規模の戦力が差し向けられるであろうハイリヒ王国への侵攻を許せば同じこと。

それは、何が何でも防がなければならない。そして、これはそのための最初の一手。

 

「ようこそ、冒険者ギルド本部へ。本日はどのようなご依頼でしょうか?」

「……“王国騎士団団長”メルド・ロギンスに手紙を届けていただきたいのです。それも、至急で」

「は、はぁ……ですが」

「こちら、金ランク冒険者の南雲ハジメさんからの紹介状となりますが、これでは不足でしょうか」

「き、金!? しょ、少々お待ちください! ギルドマスターに確認してまいります!」

「……素晴らしい効力ですね。ハジメ殿には感謝しないと」

 

生憎と、ガーランドには冒険者という職業そのものがなかったので最高ランクの“金”といわれてもピンとこなかったフェリシアだが、想像以上の効果に若干面食らう。

 

とはいえ、これは嬉しい誤算だ。

今回の事態に対応するにあたり、フェリシア一人ではあまりにも手が足りない。大迷宮を攻略した後、彼らとは合流する手筈になっているが、それまでにできる限りの備えはしておきたい。そもそも、彼らの攻略が間に合うかすら定かではないのだ。今できることを、一つたりとも疎かにはできない。

まぁ、立香たちと違ってハジメはハイリヒ王国や人間族には興味がなく、そもそもクラスメイトのことだってどうでもいいと思っている。ただ、香織が親友やクラスメイト達が傷つくことを悲しむだろうから、大切な人の精神衛生のために協力してくれるだけである。

まぁ、フェリシアにとってはどちらでもいいことだ。こうして、ハイリヒ王国では一切の後ろ盾を持たない上に、正体を隠さねばならない彼女のために“紹介状”という形で後ろ盾になってくれているのだ。いくら感謝しても足りないくらいである。これ一枚で、どれほど動き易くなることか計り知れない。

 

(まずはメルドに渡りをつけ、そのまま八重樫殿か畑山殿とも繋ぎを取る。事情を知るお二人の証言があれば、私の話にも信憑性を持たせられるはず)

 

念のためマシュや立香、香織からも連名で手紙を預かっている。フェリシアを信じられなくても、ある程度は何とかなるはずだ。

まぁ些か以上に希望的観測が強いのが不安材料だが、現状でこれ以上を望むことはできないだろう。そもそも、メルドが雫や愛子に話を通してくれるかさえ不明なのだ。だがそれでも、フェリシアは信じたかった。十年前、敵であるはずの自分を…いずれ脅威となるとわかっていたにもかかわらず見逃した彼を。

 

(師であれば、“不確かな未来を当てにするな”と叱責するでしょうね)

 

脳裏をよぎった師のしかめっ面に、思わず苦笑が漏れる。

不確定な物事を、限りなく確たるものに近づけるために根回しというモノがあるのだ。政治とは本来、“可能性”や“信じる”などという曖昧なものを当てにしていいものではないのだから。それでも、根回しをしている間に手遅れになってしまえば元も子もない。

物事には猶予期間というモノがある。念入りに調査・検証をした上で事に当たるに越したことはないが、そのために期限を過ぎてしまっては意味がないのだ。ならば、タイムリミットがわからない現状では、可能な限り迅速に事を進めていくより他にない。

 

「……お待たせした。ギルドマスターのバルス・ラプタです」

「お忙しいところ時間を割いていただきありがとうございます。フェリシア・グレイロードと申します」

 

ステータスカードの提示を求められれば分かることなので、正直に本名を名乗る。

軍関係者ならともかく、一応は民間組織たる冒険者ギルドにまで名前が売れているということはないだろうという考えもあった。だが、流石にそれは少しばかり甘かったらしい。

 

「グレイ…ロード?」

 

聞き覚えがあるのか、探るような視線を向けられる。しかし、フェリシアとてガーランド軍において最年少で神衛騎士団の団長を務めた才媛だ。加えて、曲者揃いの軍上層部に身を置きながら、数年にわたり地下活動を続けてきた。腹の探り合いには慣れている、そう簡単にボロを出すような真似はしない。

第一、王国内でフェリシアの名を知る者はいても、顔まで知る者は一人しかいないのだ。白を切り通せばバレる可能性は極めて薄い。

 

「失礼ですが、どちらの出身で?」

「生まれはエリセンです。先日、ハジメさんが行方知れずであったミュウという海人族の娘を保護し、親元まで送り届けていただきました。あの子の母には、幼い頃から随分とお世話になっております」

「なるほど。姉のような存在、といったところでしょうか」

「……そうですね。お恥ずかしながら、私はズボラなところがありまして……彼女には度々注意されたものです。“せっかく素材は良いのだから、もう少し着飾りなさい”と。私は、いつも話半分に聞き流していましたが」

「それはそれは…では、さぞかしご心配なさったことでしょう」

「ええ。知らせを聞いた時は、我が身を切り裂かれるような思いでした」

 

本当に、心から苦しそうに語るフェリシアの様子を演技と見抜ける者はそうはいないだろう。何しろ、彼女が感じている心の痛みは本物だ。ただ、思い浮かべる相手が違うだけ。今は亡き親友を思い、その婚約者を手にかけた瞬間のことを回顧する。

演技をする時のコツは取り繕ったり嘘で塗り固めたりするのではなく、それに近い心情の時を思い返す方がずっと効果的だ。何しろそこに演技はない。ギルドマスターも、肩を震わせるフェリシアに痛ましそうな視線を向けている。まぁ、それが演技でないという保証も、これまたないのだが。

 

「なるほど……」

「これはフューレンのギルド支部からの指名依頼だったそうで、後日改めて報告されるそうです。今は手の離せない重要な御用があるとのことで」

「ふむ、左様ですか。では、報酬についてはその時に?」

「はい。よろしいかと思います」

「ですが、フェリシアさんはそのためにわざわざ当ギルドまで?」

「いえ、こんなことがあったばかりでしたので、王都に嫁に行った姉の安否が気になりまして。手紙で済ませればいいとわかってはいたのですが、居ても立ってもいられず……そこへハジメさんがものはついでだから、と」

「ああ、そこで今回の言伝を頼まれたわけですか」

「はい。王都近郊まで送っていただき、そこからは乗合馬車で」

「そうでしたか。魔人族との決戦が近いともっぱらの噂ですからな、人々の不安に付け込む者、混乱に乗じて悪事を働く者、そう言った不届き者が後を絶たず困ったものです。

どうです、エリセンは()()()()()と聞きますし、やはり大変なのでは?」

「? いえ、今のところ特に魔物が増えたとは聞いたことがありませんが……」

「おや、では私の勘違いだったかもしれませんな。いやはや、年を取るものではありません。どうにも、このところ記憶違いや物忘れが多くて…気持ちだけではやっていけませんなぁ」

「いえ、まだまだお若くていらっしゃいますよ」

「ははは、お美しいお嬢さんにそう言っていただけると、気持ちだけでなく身体まで若返りそうです。

 っと、すっかり話し込んでしまいましたな。詳しくお話を伺いたいので、こちらへどうぞ。君、応接室の準備を」

「は、はい!」

(どうやら、とりあえずは追求を躱せたようですね)

 

本来、エリセン周辺はさほど魔物が多いということはない。アレは“ひっかけ”だ。魔人族が魔物を多数使役していることから、怪しい反応がないか探ろうとしたのだろう。

幸い、上手く切り抜けられたようだが…油断は禁物。ブラフやかまかけ、その他諸々この後にもまだまだ何があるかわからない。少なくとも、フェリシアなら一度や二度躱した程度で手を止めたりはしない。

 

場所を変えたその後も一見にこやかな、その実えげつないどころではない探りを幾度となく入れられることに。

だがその尽くを、フェリシアは時に躱し、時に無知な娘を装い、場合によっては訂正を入れることで尻尾をつかませない。

彼女がギルド本部を出るころにはとっぷり日は暮れていたが、一応手紙はメルドの元まで届けられるだろう。

 

そうして、手紙の差出人とそれに付随するいくつかの名前を目にしたメルドが、フェリシアの泊まった宿に駆け込んできたのは、翌日早朝の事だった。

 

 

 

  *  *  *  *  *

 

 

 

ハジメ一行と立香たちが大迷宮への入り口“大樹ウーア・アルト”へとやってきたのは、魔人族のハルツィナ樹海への侵攻を退けてから一週間後のことだった。

その間、フェアベルゲンの復興や負傷者への治療などを手伝ってはいたのだが、別段そのために時間を割いたわけではない。単純に、大樹周辺はとりわけ濃密な霧で覆われており、亜人族ですら感覚を狂わされて近づくことができないからだ。そしてそれは、ロビンフッドや百貌のハサンですら同じこと。

なので、霧が薄くなる“その時”が来るまでは足を止めねばならず、ならばもののついでということで復興や治療に手を貸したという次第である。

 

そうしてようやく最後の大迷宮へと踏み入った彼らを待ち受けていたのは……予想だにしないトラブルだった。

 

「ステイ! ここはステイだから!!」

「止まってください、ブリュンヒルデさん!!」

 

既に10mを超えるサイズへと巨大化した槍をぶん回す戦乙女の表情に、正気の色はない。

立香をはじめ総がかりで抑え込んでいるはずなのに、精々動きを少し阻害することしかできていないあたり、トップサーヴァントの出鱈目さが伺えるというもの。いや、例えトップサーヴァントといえど、今のハジメやシアが本気で羽交い絞めにすれば、早々動けるものではない。

にも拘らず、彼女が元気いっぱい暴れまわっているのはそれだけタガが外れているからに他ならない。

 

「ああ、シグルド、シグルド。私、分かります。分かってしまいます。たとえ姿形が変わっても、あなたなのでしょう。なら愛さなくっちゃ…殺さなくっちゃ!!」

「金時、いなして!」

「うぉらぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

振り下ろされた巨大な槍を、稲光を纏った金色の鉞が打ち払う。

圧倒的な膂力を有するゴールデンの一撃なら、およそ大抵の攻撃は跳ね除けることができる。にも拘らず、辛うじて数十センチだけ軌道をずらすのが精々。

しかし、今はそれで十分。

 

「ナイス!」

「サンキュー、大将。でもよぉ、自信なくすぜぇ……」

「グギャギャ~……」

 

地味に凹んでいる金時だが、その後ろには一匹のゴブリンの姿。彼がいなしたことでギリギリ槍は狙いを外したが、それもあと数ミリ。もうすこし威力なりタイミングなりが足りなければ、真っ二つとはいかずとも手足の一本や二本宙を舞っていたことだろう。

 

「気持ちはわかるけど…今はそれどころじゃないから。次くるよ!」

「おうよ、任せろ大将!」

「シアも、金時手伝って!」

「は、はいですぅ!!」

「わりぃな、ラビット。3・2・1…ここだぁ!!」

「せりゃぁですぅ!」

 

そもそも、なぜ彼らが敵であるはずの大迷宮の魔物を助けているのか。それは……

 

「ったく、流石は最後の大迷宮ってか? のっけからやってくれるぜ!」

「……ん。ある意味一番面倒なのを選んでくるあたり流石解放者、やることがエグイ」

 

苛立たしげに吐き捨てるハジメに、ユエも心底同意とばかりにジト目に疲労の色が浮かべている。

まだ序盤も序盤だというのにこの疲労感……いや、全てとは言わないが半分くらいはメンバーの悪さが原因か。

 

発端は大迷宮へ入り口でのこと。再生魔法によって往年の姿を取り戻した大樹だったが、突如正面の幹が裂け数十人規模で入ることのできる巨大な洞が出来上がった。

入ってみれば転移の魔法が発動し、光が止むとそこは大迷宮の中…までは良かった。

問題は、転移する際に数名が別の場所に飛ばされ、その面々の代わりに変身能力を持った赤錆色のスライムが紛れ込んでいたこと。

 

姿形だけではなく、立ち居振る舞いすらも本物と遜色ない精度で模倣するそれは、観察力に優れた立香ですら一瞬気付けないほど。そのままであれば、それこそ隙をついて背後から襲われていたかもしれない。

とはいえ、その可能性が現実になることはなかった。ハジメとブリュンヒルデが、それぞれ香織とシグルドの両名が偽物と入れ替わっていることに気付いたからだ。二人は目の前の存在が己が“最愛”でないことに気付き、躊躇なく得物を振るった。

それに驚いたのは仲間たち。ほぼ毎日シグルドを殺しにかかるブリュンヒルデはまだしも、ハジメの突然の凶行に唖然とするのも無理はない。だが、そんな皆を困惑から立ち直らせたのが立香だった。

二人に僅かに遅れて真相に気付いた彼が発した一言が、皆を正気に戻した。それは……

 

「シグルドなら今のは凌いでる!」

 

それは、下手に“偽物”と訴えるよりも遥かに説得力のある言葉だった。

ほぼ毎日夫婦の営みという名の殺し合いを繰り広げながら、結局一度たりともシグルドが殺されたことはない。つまり、不意打ちに近いとはいえブリュンヒルデの一撃が容易く直撃したこと自体が、何よりの証明となる。

そして、ハジメの凶行もまた同じ理由からであることを皆が察するのは同時だった。

 

そのまま立香は残る偽物を見つけ出すべく仲間たちを見回す。小さな違和感だけであれば流してしまうかもしれないが、偽物がいるとわかっていればそれを見逃すはずがない。

変身能力を持ったサーヴァントの違和感すら気付く立香に、それができない道理などない。

 

入れ替わっていたのは香織・シグルド・ティオ、そして青髭の四名。

残る二人の偽物を排除し、本物を探すべく周囲の探索を開始したのだが……再会は思わぬ形だった。

なんと、姿を消していた香織がゴブリンになっていたのだ。それを一目で見抜いたハジメは流石というかなんというかだが……何も魔物になっていたのは香織だけではない。

 

先のやり取りからもわかる通り、シグルドもまたゴブリンになっていた。で、ハジメ同様一目でその正体に気付いたブリュンヒルデだったが、喜びのあまり……こうしてロマンシア()しているわけだ。

 

その後、これまたゴブリン化したティオが他のゴブリンに暴行されては“ビクンッビクンッ”と身も悶えている場面に遭遇してしまったのだが……

 

「……幸せそうじゃねぇか。よし、スルーしよう」

「フォウフォウ、フォウゥゥゥ」

「……ん。アレはティオによく似たゴブリン。世界は広い、そんなのもいる」

「いえいえ、いくら世界が広くてもあんなのがティオさん以外にもいたら大惨事ですよ?」

『ハジメ君、現実を受け入れよう』

 

念話石で頭に直接話しかけてくる香織の声には、深い諦観の色が宿っていた。

対して、なんか妙に優し~い感じでハジメの肩に立香が手を置く。

 

「ほら、馬鹿なこと言ってないでさっさと回収しよう」

「……………………………………おい、なんだそのツラは」

 

言っていることはまともなのだが、顔がセリフと全然合っていない。言葉にこそしていないが「仲間♪ 仲間♪」といわんばかりに“キラッキラ!”している。

なんだかムショーにイラッと来て殴ろうとすれば、マシュの盾がそれを阻む。

 

「先輩、あまりハジメさんを煽らないでください」

「いやぁ、なんか最近楽しくなってきちゃってさ」

「……お前、あれ見て何も思わねぇのかよ」

「何かって?」

「ただでさえブッサイクなゴブリン面だってのに……見ろ、あの恍惚とした顔! 放送禁止どころか、即BANされるべき冒涜的な生き物じゃねぇか!」

「だから?」

「キモイから連れて行きたくねぇ…ってかお前はアレを見てホントに何も思わねぇのか!?」

「ん~…男女問わず自分の性癖押し付けて来る海賊とか、手当たり次第に昔の妻の名前で呼んで来る王様とか、放送禁止用語は一切使ってないのに雰囲気だけで18禁な尼僧とか、自分の趣味でわざわざショタにしてくる神様とか、他にも……」

「もういい、頭がおかしくなる」

 

カルデアにはティオとは別ベクトルの、でも割といい勝負な変態がいくらでもいるということ。

そんな連中のマスターをやっている身としては、「一人くらいなら余裕余裕」という心境らしい。

 

「ならお前が引き取れよ」

『すまんのぉ立香よ。妾はやはり、ご主人様が一番なのじゃ。お主には悪いが、どうか諦めてたも』

「うん、それなら仕方がないね。気にしないで、ハジメと仲良くね」

『ふふっ、フェリシアが惚れ込んだ器の大きさ、まっこと見事。しかしなんじゃ、普通に祝福されるのはこそばゆいものじゃのぅ』

(どういう神経してんだコイツ……)

 

あのド変態にさも振られたみたいにあしらわれながらも、笑ってスルーする立香に戦慄を禁じ得ない。

ティオはティオで、内容はともかく表面的には照れ笑いする姿が大変魅力的だ。ゴブリンなのに一瞬そう思ってしまい位、“恥じ入る乙女”になっている。ちょっと普段見ない姿に“ドキッ”としそうになるが、すぐにそんなものは所詮一瞬の気の迷い、度し難い変態であると思いなおす。なぜなら……

 

『さあ、友の祝福を受けた妾を思う存分愛してたも、ご主人様~~~~~~~!!』

「果てろ、このド変態が!!」

「ああ、ティオさんが!?」

「フォウ!」

 

“グキッ”となってはいけない音をさせ、曲がってはいけない方向に首を折りながら着地するティオ。

 

「おぉ~おぉ~、綺麗な放物線を描いちまってまぁ……姐さん方、採点は?」

「良い錐揉み回転だ、9点!」「飛び散る唾液と血が光を受けて輝いていますね、10点」「絶妙に気持ち悪い表情…-8点で」「着地のコミカルさに拘りを感じますな、9点」「バク宙4回転半に、パートナーとの絆を感じた…8点!」

「合計28点っと。マシュ嬢ちゃんはどう思う?」

「す、素晴らしい演技でした、ハジメさん」

「マスターは?」

「次の演技への期待が高まりますね」

「えっらそうに論評してんじゃねぇ!!!」

 

“二度とやるか!!”とブチ切れるハジメであった。

ちなみにその後ろ……ピクピクと痙攣するティオの横には何やら熱心に訴えかける新手のゴブリン。

 

「グギギギ……ゴギャ――――――ッタ!」

 

訳するなら「おお…実にCoooooolではありませんか!」といったところだろうか。なにやら、ティオの表情や着地姿勢に、“美”を見出したらしい。まぁ、背徳的なものを好む御仁なので、趣味と合致しても不思議ではない……それ位、今のティオの顔は「見せられないよ!」なことになっているのだから。

 

「フォウ……フォ?」

「むむっ! フォウさん、ハジメさんにモフられるのは私の特権! それを奪おうというのなら…あなたも敵ですぅ!」

「なに小動物と張り合ってんだよ……」

「……ん。負けられない戦いが、そこにはある」

『ユエはユエでなんでドヤ顔?』

 

“大丈夫……モフる?”とばかりにハジメの肩に乗って尻尾をフ~リフリするフォウ君。そして、それに目くじらを立てるシアと、訳知り顔で“うんうん”と頷くユエに呆れ顔の香織。

こっちはこっちで、実にフリーダムなことである。




進まない!? 進まないけど…大迷宮組の方もちょこちょこ入れたいので、それはそれで都合がいいので……ま、いっか!


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038

復刻イベントで「ロゴスリアクト・ジェネリック」の話が出たので、ふと思いついた話。
「フェリシアがさっさと国を出て諸国放浪の旅に出た場合」という可能性を、ハジメがカルデアからガメ…もとい無期借用してきたロゴスリアクト・ジェネリックで検証していく話を、もしかしたらそのうちやるかも。
まぁ、特異点はできないですけどね。でも、当初は面白おかしく…次第に陰鬱に、設定をちょいちょい弄っては「あれ~?」になっていく様とかちょっとやってみたい。


時計の針を少し巻き戻し、ちょうどフェリシアたちがフェアベルゲンに到着した頃の事。

ハイリヒ王国の王城に、久方ぶりの吉報が舞い込んでいた。

 

「え、愛ちゃんたちが!」

「はい。つい先ほどお戻りになられたそうで、今は陛下との謁見中ですが…雫様っ!?」

 

専属メイドのニアからの知らせを最後まで聞く前に、突然走り出す雫。

驚かれただろうし、雫の姿を見たものは不審がるかもしれないが、そんなことを気にしてはいられない。今はとにかく、愛子と話をしなければならない。

 

(リリィの話だと、南雲君に異端者認定を降すなんて馬鹿げた話題が出たらしいけど、愛ちゃんがそんなことを許すはずがない)

 

“先生”として、また召喚された者たちの中で“唯一の大人”として、畑山愛子は生徒たちを守ることが自らの責任であり役割であると、強く自覚している。だからこそ、彼女が“守るべき生徒”の一人であるハジメに異端者認定の話が出たことを、看過するはずがない。

“勇者”である光輝ならともかく、雫達“その他大勢”の言葉では異を唱えたところでさしたる影響は与えられないだろう。だが、“作農師”という極めてレアな天職を有し、人間族の食糧事情を一変させ得る力を持つ愛子の影響力は光輝と同等かそれ以上だ。むしろ、着々と実績を上げ、“豊穣の女神”…最近では“繁栄の女神”として信仰の対象にすらなりつつある彼女の存在は、国王にすら比肩しうる。

特に、愛子は“ウル”の街防衛戦の当事者の一人だ。そんな彼女が擁護すれば、流石に表立ってハジメを非難することはできないだろう。

 

そう確信するだけの信頼を、雫は愛子に寄せている。大人だから、先生だからという肩書の話ではなく、彼女だけは戦争に駆り出されようとしている自分たちを守るべく、召喚当初から一貫して反対の姿勢を貫いてきた。おそらくはハジメやマシュと並んで、冷静に自分たちの置かれた“現実”を理解していた人物の一人だろうから。

とはいえ、それでもやはり直接彼女の口から結果を聞きたい。“もう心配いりませんよ”と、その愛らしい笑顔で安心させてほしい。

 

それに、急いで愛子と確認しなければならないことがある。

 

(香織たちから聞いた話だと、愛ちゃんは立香さんのことも“世界の真相”のことも知っている。なら、今後のことについてもちゃんと相談しないと……)

 

ハジメたちに神の目が向かないように勇者パーティとして華々しい実績を上げるよう努めてきたのも、“真相”を知っていることを悟られないよう行動してきたのも、今できる最善の選択だったと思う。それでもやはり、雫もまだ17歳の未成年だ。大人の視点から、自分の判断が正しかったと保証してほしいと思うのも無理からぬことだろう。

地球…あるいは日本に比べて生きるに厳しい世界だからこそ、この世界の成人年齢は15歳前後低いし、その分精神的な成熟具合もトータスの人々の方が進んでいるように思う。言い換えれば、子どもであることを許されない、ということでもあるのだが。

 

それはともかく、一度はハジメに対し異端者認定の話が出た以上、これまで通りの方針を継続することが正しいとは思えない。ハジメの存在は、最早誰の目にも無視できないものになっているだろう。

 

(というか、元の世界に帰ることを最優先にするなら、もうちょっと自重してくれないかしら……)

 

おかげで、愛子が帰ってくるまで雫は一人で色々と抱え込み、気を揉むことになってしまったのだ。マシュたちの方は全くと言っていいほど話題に上っていないのだから、少しは見習えと苦言を呈したい。

まぁ、行動範囲がほぼ人間族の領域に留まるハジメたちと、魔人族の領域に踏み込んだマシュたちを、単純に比較できるものではないとわかってはいるが……。ちなみに、人間族の間では知る者などほとんどいない立香たち一行だが、魔人族からは“怨敵”扱いされるくらい目立っていることを、当然ながら雫は知らない。

なので、実は立香たちもあんまり自重しているとは言えなかったり……。

 

「これは…雫様!」

「お急ぎのようですが、何用でございましょう」

 

敏捷性に優れたステータスを活かし、あっという間にたどり着いた謁見の間へと続く豪奢な扉は案の定固く閉ざされていた。警備の騎士が驚いたように問い質してくるが、少しでも不審がられないようにとあらかじめ用意していた答えを返す。

 

「愛…先生が帰ってきたと聞いていても立ってもいられなくて。まだ、陛下との謁見中ですか? 他にはどなたが?」

「はい」

「現在、陛下と姫殿下、ロギンス騎士団長、それに枢機卿がご同席されております」

「そうですか……」

 

教皇イシュタルは基本的に本山を動かないので、いくら愛子の帰還とはいえこの短時間で王宮まで足を運ぶことはできなかったのだろう。あるいは、元から報告程度なら王城に詰めている枢機卿任せでいいと思っているのかもしれない。

とはいえ、一番厄介な人物が席を外しているのはありがたい。加えて、国王はまだしもリリアーナとメルドはハジメに対して妙な偏見もおかしな敵意も抱いていない。むしろ、メルドはハジメを買っていた節があるし、リリアーナも自分たちの世界の問題に巻き込んだことへの負い目を感じている。あの二人なら、愛子を援護する形でハジメを擁護してくれるはずだ。

 

(この場で誤解を解消…とはいかなくても、王国上層部の流れは変えられるはず。それなら、南雲君のことについては一安心かしら)

 

いくら聖教教会が人間族の領域の事実上の支配組織であり、国王ですら首を垂れなければならない教皇がハジメを快く思っていないとしても、一つの国の意向を無視することはできないはずだ。

疑惑や警戒を解くのは無理でも、再調査・再検討となれば時間稼ぎにはなる。その間にハジメたちが何らかの成果を上げてくれれば、それこそエヒト神を当てにする必要すらなくなる。雫達が人間族と魔人族の戦争に向けて自己の強化を図っているのは、言ってしまえば徹頭徹尾自分たちのためだ。

 

・エヒト神は人間族の滅びを防ぐため、この戦争に勝たせるために自分たちを召喚した。

・だから、その目的を果たせば元の世界に返してくれるはず。

・そのために、戦争に参加して勝利する。

 

だがその前提も、エヒト神を頼ることなく帰還する方法があるなら根本から覆る。

世話になった王城やホルアドの人々、友誼を結んだリリアーナのことが気がかりではあるが、今でも可能ならば戦争など願い下げだ。

 

(そう。最近はようやく戻さなくなったけど、今思い出しても“あの時”のことは……)

 

命を刈り取る感触には、何度思い返しても吐き気がこみあげてくる。ましてやそれが、自分たちと同じ知性と感情を備えた“人”であったとなればなおさらだ。

何度夢に見ては魘され、跳ね起きたことだろう。日中であろうとも何かの拍子でフラッシュバックし、自らの行いへの恐怖から震えが止まらなかった。折り合いをつけ、何度も割り切ろうとしてきた。仕方のないことだったのだと、ああするしかなかったのだと……でも、できなかった。

 

仕方がないことで、ああするしかなかったのだとしても、もう二度とあんなことは御免だと思う。いつか“その時”が来れば躊躇うことなく、足踏みすることなく斬らねばならないとわかっているのに……。

幼い頃から剣術を学び、手にしたものが人を傷つける道具であり、学ぶものが人をより効率よく殺傷するための技術だと教わってきた雫でさえこうなのだ。他の者たちであれば、いったいどれだけの傷となって仲間たちの心を苛むことだろう。

だからこそ、自分と同じ思いをして欲しくないと思う。あるいは、自分にできるだろうか。あの時のハジメのように、不器用ながらも誰かの傷ついた心を守ることが。

 

(……本当に、彼には守られてばっかりね)

 

人伝に託してくれた愛刀がなければ、今頃生きてはいなかっただろう。稚拙と分かった上でついてくれた嘘がなければ、自分は果たしてもう一度立ち上がることができただろうか。

いや、それ以前に……オルクス大迷宮でベヒモスと対峙したあの時、彼の勇気ある行動がなければ……。

 

(エヒト神の正体がどんなものであれ、とりあえず見る目がないのは間違いないわね。“勇者”って、本来は“()気ある()”の事でしょうに)

 

脳裏をよぎるのは、メルドの指示を無視して目の前の敵に固執する光輝に向けて叱責した時のハジメの姿。

人との衝突を避け、大抵の場合は自分が譲ればいいと笑って誤魔化していた彼が初めて見せた“本気の顔”。親友(香織)が彼のどんなところに惹かれたのか、あの時本当の意味で理解できた。龍太郎などはハジメを“不真面目な軟弱者”と見ていたようだが、それはとんだ見当違いだ。彼はただ、“本気になるべき時”というのを知っていただけなのだろう。拘らなければならない事柄、譲れない時、そういう時にこそ本気になればいい。譲っても構わないことだから譲っていただけ、一見するとそう見えただけで本当のハジメは“不真面目”や“軟弱”からは程遠い“強靭(つよ)い人”だった。

同時に、再会した時の“敵には容赦しない”という“決然とした意志”を宿した背中。彼が人を殺すことに対し躊躇せず、殺してもなお揺るがないのは後天的な変化ではない。元から持っていた、強さが表に出てきただけなのだろう。だから不思議と、雫はハジメの外見はともかく内面に対してあまり“変わった”という印象を抱かない。

拘っているのは“故郷への帰還”、譲れないのは“大切なものを守る”という一点。そのためであれば、彼には万難を排する覚悟がある。だからこそ、今の雫のような無様をさらさない。

 

(そう、彼は今も昔も…最初から一貫して“強靭(つよ)い人”だった。絶望的な状況を前に、狼を羊に見せていた“余計なもの”が削ぎ落されただけでしかない。南雲君や香織にとっては、その方が良かったのかもしれないけど……)

 

そう思うと、なんだか無性に悲しくなる。

 

(私に持てるかしら? 彼のような覚悟が)

 

何度も自問したことだが、やはり分からない。分からないが、それでも守られてばかりではいけないと思う。

 

(そうよ。守られるお姫様なんて私の柄じゃ…………な、なんで顔が熱くなるのかしら?)

 

脈絡もなく厚くなってきた顔を冷ますべく、手を団扇代わりにして扇ぐ。並行して、精神統一することで雑念を祓い、頭を冷やそうとするも…一向にうまくいかない。

 

(まさか私…いやいやいや! そんなことあるわけないじゃない。こんなのは気のせい、一時の気の迷いよ! ちょっと助けてもらったからってコロッといっちゃうほど、安い女じゃない筈。そうよ、しっかりしなさい八重樫雫!)

「えっと……大丈夫ですか、八重樫さん」

「はい! 大丈夫で……ひょわっ!?」

 

声のした方を向いてみれば、そこには自分より幾分下にある愛子の顔があった。

 

「あ、愛ちゃん……」

「顔が赤いですけど、風邪なら休んだ方が……」

「いえ、赤くなんてありません」

「え、でも……」

「気のせいです」

「無理はしない方が……」

「気の! せい! です!!」

「は、はひ……」

 

誤解してはいけないので丁寧に説明すれば、ちゃんとわかってくれたようで安心する。そう、誤解はいけない。

 

「そういえば、陛下とのお話は終わったんですか?」

「あ、はい。まぁ、一応は……」

(ど、どれだけボーッとしてたのかしら……)

 

確認するのが怖いので、たぶん思いのほか早く謁見が済んだのだろうと思うことにする。愛子は長旅を終えたばかりだし、疲労や体調のことを慮ったのだろう、そうに違いない。

だがそこで気付く。愛子の表情が、どうにも浮かないことに。

 

「先生?」

「……八重樫さん、今からお話良いですか?」

「はい。私も、先生と話したいことがあったので」

 

そうして、二人は真剣な面持ちで宛がわれた愛子の自室へと向かう。そんな二人を見送る、夕日に反射してキラキラと輝く修道女の存在に気付くことなく。

 

「…………………………………優秀な駒なのですが、主の邪魔となるなら一時退場していただかねばなりません。この際です、主を差し置いて“神”を名乗る不敬を正すのも良いでしょう」

 

無表情というより能面のような顔で、それに相応しい冷たく無機質な声を紡ぐ。そこにいたのは、あまりにも非人間的な女だった。人間ではない要素など一切ないにも拘らず、あまりにも人間味がない。

大きく切れ長の碧眼、少女にも大人の女にも見える不思議で神秘的な顔立ち、それは名工が彫り上げた美術品のようで、だからこそ生気に欠ける。また、白磁のように滑らかで白い肌も、スラリと伸びた手足も、170センチ前後の身長に対し黄金比というべきバランスの肢体も、完璧であるが故に作り物めいていた。

 

その晩、愛子との再会を楽しみにしていた生徒たちの下に、思いもよらぬ一報がもたらされた。

 

「南雲ハジメの異端者認定について協議すべく、畑山愛子殿は神山に入られた。また、参考人を兼ねて八重樫雫殿も同伴されているので、心配には及ばない。だが、手続きや審議に時間を要することが予想されるので、数日お待ちいただきたい」

 

とのことだった。当然、雫と親しい勇者パーティや愛子の旅に同行しハジメたちの現在を知る園部優花たちは本山入りを主張。

しかし、異端者認定の対象となる人物と親交のある者を必要以上に入山させるのは好ましくない。加えて、オルクス大迷宮から()()()()後、二度あったハジメとの接触に両名がそれぞれその場に居合わせたことから、参考人は十分と判断する。

以上の理由を以て、彼らの主張は棄却されることになる。

 

もちろん、それに納得できず連日にわたって度々同様に主張が繰り返され、王宮はちょっとした騒ぎになるのだが……それに乗じるように、一人の人物が王宮から姿を消すのであった。

 

「……知らせないと、誰かに」

 

 

 

  *  *  *  *  *

 

 

 

メルドがその手紙を受け取ったのは、王宮内でジワジワと広がる不可解な現象を内々に調査していた副団長との密会を終えた真夜中の事。

 

自室に戻り、ようやく張りつめていたものを緩めたところで少々乱雑に戸を叩かれ、眉をひそめた彼を非難することはできまい。騎士剣を手に警戒心を押し込めて表面上は平静を装って戸を開ければ、そこにいたのは恐縮のあまりガチガチに緊張したメイドの少女だった。

メルドはそれを責めようとは思わなかったし、むしろ小動物のように震える少女に申し訳ない気持ちになった。なんといっても、時間・身分・面相の三拍子が揃っているのだ。色々な意味で極度の緊張と恐怖を強いられたはず。年若い少女からすれば、それこそ悪夢のようなお役目だったことだろう。偶々そんな役回りが巡ってきてしまった少女の不運に、思わず同情してしまったほどだ。

 

なにしろ、まず訪ねるにはあまりにも非常識な時間だ。その上、いくら王宮とはいえ年頃の娘が真夜中に薄暗い建物内を歩くのはそれだけで怖かったはず。

加えて、自身の身分から考えればメルドは雲上人にも等しい相手だ。騎士団団長ともなれば国内でも上から数えた方がはるかに早い高官。偶に見かけることはあれども、面と向かって話をする機会などないに等しい。それは、豪放磊落を地でいく気さくなメルドであっても例外ではない。本来なら、騎士団員を通して渡るはずのところであり、今回が例外中の例外だったのだ。

そして、最後の不運はメルドが一回り以上年の離れた強面の男性であったこと。逆光になっていて表情は良く見えなくても、その鋭い目と厳つい顔を隠すには到底足りない。戸が開いて見下ろされた瞬間にかすかに悲鳴が漏れていたことを、メルドは丁重に聞かなかったことにした。

 

そうして、哀れなメイドの少女をこれ以上怖がらせないよう精一杯穏やかな声と表情で手紙を受け取り、涙目にさせながらもなんとか泣かせることなく戸を閉めてようやく一息つく。

王宮内の不穏な状況を考えれば送ってやるべきかとも思ったが……

 

(まぁ、そこは大丈夫だろう。異変が起きているのは下級の兵士や騎士が中心、最近では有力貴族や騎士団の分隊長達にも影響が出始めているとはいえ、それ以外の者たちにまで…とは聞かんしな)

 

それでも、様子のおかしい者たちによって…ということも考えられなくはないが、今のところはそういう話もない。なにしろ異変といっても、一言で言えばそれは“無気力症候群”とでも呼ぶべきもの。帰り道の途中で何か起こる可能性は低い。むしろ、同行する方が緊張と恐怖を長引かせてしまう。そう考えてのことだった。

 

(とはいえ、これが由々しき事態であることに変わりないのも事実なんだが)

 

王宮内で生じた異変をメルドは“虚ろ”と仮称した。その“虚ろ”になった者たちは、一応仕事はきちんと果たすし、受け答えも問題はない。ただ以前と比べて明らかに覇気が欠け、表情の変化も乏しく、部屋に引き籠りがちで周囲との付き合いが最低限になっている。それだけといってしまえばそれだけだが、それが徐々に王宮全体に広がってきているのだ。

この異変を、メルドは“単に気が抜けただけ”と流したりはしなかった。勇者一行が敗北半歩手前まで追い込まれ、数の利という人間族の生命線が覆されつつある状況にあるのだ。ウルの街での出来事をはじめ、国内で魔人族の動きが活発になっているとの報もある。とてもではないが、気を抜けるなどあり得ない。にもかかわらずそれが起きている。楽観など、できるはずもなかった。

加えて、その懸念を国王や宰相に訴え調査を具申してみても、彼らは取り合ってくれなかった。“余計なことにかまけていないで、軍備増強に専念しろ”の一点張り。だからこそ、内々に調査を進めているわけだが。具体的な証拠をそろえることができれば、きっと……そう信じて。

 

だが、それとは別に気になることがある。

 

「……王宮内で“虚ろ”が広がっているのに対し、陛下たちの覇気はむしろ増している。決戦の日が近いことを考えれば、不自然ということでもないが……」

 

“主の御名の下、魔人族の蛮行を許しはしない”それがエリヒド国王の言葉だった。主君の勇壮な姿に、その時はメルドも奮い立ったものだったが……今はむしろ不安の方が強い。魔人族と決戦に向けて意気込むのはわかる。心に僅かな“しこり”はあるが、それでも戦わなければ祖国を、無辜の民を、仲間たちを、そして…巻き込まれてしまっただけの子どもたちを守れないのなら、否やはない。

ただ、どうしても引っかかってしまうのだ。今のハイリヒ王国…否、人間族に魔人族以外に力を割く余裕はない。にも拘らず、なぜ……

 

(なぜ、坊主への異端者認定の声が日増しに強くなる)

 

それが、どうしても納得できないのだ。

生死不明だったハジメや失踪し行方知れずだった香織の無事が確認できたのは喜ばしいことだ。姿を見せなかったマシュも、別行動を取ってはいるが壮健らしい。ただ、ハジメたちは仲間であるはずの勇者たちと合流することなく、独自の行動をとっている。それは同時に、ハイリヒ王国や聖教教会とも距離を置くということ。ウルの街やオルクス大迷宮で数多の魔物を蹴散らしたその力は、かつて“無能”と呼ばれたのが嘘のようで、密かに“あるいは勇者をも上回るのでは”などと噂されるほど。

そんな戦力が、王国どころか教会にも従わないというのは、確かに看過できないことだろう。しかし、彼らは今のところ“人間族”に対し敵対的な行動をとったことはない。それどころかウルの街を救い、勇者の危機を救ったくらいだ。協力してくれればこの上なく頼もしい存在だが、少なくとも“敵”ではない。ハジメ自身、非協力的な姿勢は見せていても、“邪魔をしなければ敵対しない”との意向を示している。そして、その姿勢には一貫性がある。

味方につけるべく行動するならまだしも、なぜわざわざ敵に回すような真似をするのか。それが、メルドには理解できなかった。

 

だから、帰還した愛子と共にハジメへの異端者認定取り下げに向けて行動した。本音を言えば“かつての非礼を詫びて協力を仰ぐべき”と主張したいところだったが、それはむしろハジメに煩わしく思われると理解していたので口にはしなかった。

だが本来はハジメへの配慮で噤んだ言葉を、メルドは別の意味合いで口にしなくて正解だったと考える。

 

(それを口にしていれば“更迭”とまではいかずとも、だいぶ動き難くなっていただろうな)

 

そう確信するほど、謁見の間で国王と宰相、そして枢機卿がメルドと愛子に向けた視線は嫌悪感と不快感で満ちていた。“何故神に従わない者を、与えられた使命に反する者を擁護する”と、まるで怨敵を見るような目で。

 

「……いかんな、一人で考えていると悪い方にばかり考える」

 

一度気持ちをリセットさせるべく、深く息を吐きながら頭を振る。気分転換…にはならないかもしれないが、いったん別の事柄に思考を向けることで、切り替えを図るのが良いだろう。そう思って、受け取ったばかりの手紙に視線を落とす。

 

「しかし、ギルドマスターを通した緊急の手紙とは、また穏やかじゃないな」

 

民間組織とはいえ、冒険者ギルドは各国に大きな影響力を有している。その長だからこそこんな真夜中に、しかも騎士団長であるメルドへの手紙をほぼ直通で通すことができたのだ。他の方法の場合、不審物や危険物が仕込まれていないかの確認で数日を要したかもしれない。

言い換えれば、ギルドマスターを動かせるだけの人物が、その強権を必要とするほどの手紙ということでもある。正直、これまたあまり楽しい話題ではなさそうだ。と考えながら、とりあえずは差出人を確認して……ガックリと項垂れた。

 

「坊主、よりにもよってこのタイミングか……」

 

絶賛“異端者認定”に向けてまっしぐらな、悪い意味で時の人からの手紙だった。ハジメから手紙をもらったというだけでも、メルドの立場は随分と悪くなること請け合いである。

とはいえ、受け取ってしまった以上は後の祭り。そもそも、送られたことを知られた時点でアウトなので、この件に対してメルドにできることはないに等しい。なので、早々にそのことは頭から追い出す。見方を変えれば、あのハジメがメルドを頼ったということだ。オルクス大迷宮では“守ってやる”などと大口を叩いておきながら何もしてやれなかった負い目もあるし、正直に言えばメルドはハジメには密かに期待をかけていた。だから、頼られて悪い気はしない。

なので、“今度こそは……”と覚悟を決めて封を解く。そこに書かれていたのは……

 

「………………………………………………………あいつら、胃から俺を殺す気なんじゃないだろうな!」

 

つい先刻までの覚悟を返上したくなるような、そんな人物の名が書かれていた。

 

 

 

翌日早朝。

偶々冒険者ギルドで出会った宿屋の主が自慢した通り、フェリシアが泊まった宿は中々悪くなかった。大通りに近い分、夜中であっても喧騒が止むことはなかったが、それを差し引いても清潔感があり接客も丁寧。もし次があるのなら、あるいは機会があれば贔屓にして良いだろう。

余談だが、ギルドには怪しまれないよう「もう遅いので今日は宿をとることにします」と言ってある。

 

そんな宿の一室で、日の出と共に目を覚ましたフェリシアは早々に身支度を整える。

あの手紙を見たメルドがどう反応するかは、正直予想が難しい。だから、どのような対応をされても問題ないよう窓を開け、いつでも逃げ出せるようにしておく。窓を割るなり壁を壊すなりすることもできるが、世話になった身での不義理はできれば避けたい。まぁ、ことと次第によっては王都の民に迷惑をかけることになるので、気休め程度だが。

 

(さて、メルドはどう動くでしょう……)

 

普通に考えれば宿周辺を包囲し、精鋭を伴ってフェリシアを捕縛、不可能なら始末するのが妥当だろう。可能ならば情報を絞り出すべく生け捕りが望ましいが、欲をかいて被害を出しては元も子もない。少なくとも、フェリシアならそう考える。

些か強行的にも思えるが、最後にフェリシアとメルドが戦った時点で彼女の実力は彼を大きく上回っていた。個人的に確かめたいことがあったから意図的にハンデを抱える形で戦ったが、それがなければまず勝敗は揺るがない。加えて、あの時点で既にメルドは騎士として完成の域にあり、年齢を鑑みてもあそこからの急激な進歩が望めないことは本人が一番わかっていることだろう。対してフェリシアはまだ22歳、成長の余地は大いに残されていると考えるはずだ。彼女の情報を詳しく得ることはできていないだろうが、それでも最早単独での勝利は望めないとわかっているだろう。

だからこそ、可能な限りの戦力をぶつけようと考えるのは正しい判断だ。強いて言えば、人違いでないことを確認する手間をかけるか否かといったところか。

 

直接相対する戦力と宿を包囲する兵の質にもよるが、決裂した場合には逃げの一手で戦闘は極力避けるつもりでいる。それでも、多少被害が出ることは避けられないだろうが……。

 

(願望と予想を混同してはいけない。希望的観測で物事を図るのは愚者の所業。そう、分かっているのですが……)

 

信じたい、そう思ってしまう。彼は目を逸らし続けてきた違和感と向き合うきっかけであり、愚かと一蹴されてもおかしくない問いに真剣に向き合ってくれた男だ。フェリシアにとって、メルド・ロギンスは無視しえない存在だった。

特に、マシュやハジメから聞いた現在の彼の為人(ひととなり)を知れば、どうしても期待してしまう。

 

(弱くなりましたね、私は……)

 

国にいた頃の彼女なら、そんな淡い期待など早々に切って捨てていただろう。

今それができないのは、立香たちとの旅があまりにも楽しかったからだ。

 

彼らにはたくさんの希望をもらった。

多くの夢を見せてもらった。

理想を現実にする、手応えを感じることができた。

 

良いことが続くと、それが未来に向けても続いていくと思ってしまう。運命はいつどこで変転するかわからない。だから、常にそれに備えなければならないと教わったはずなのに。分かっていても、今ある奇跡が続いていくことを前提に考えてしまう。

 

(本当に、私は不出来な弟子ですね……)

 

恩師のしかめっ面を思い出し、思わず自嘲してしまう。最近は、ふとした拍子に懐かしい人の顔が脳裏をよぎる。

決定的な決別からさほど時間は経っていない筈なのに、随分と遠くまで来たと思う。故郷での日々が、遠い過去のようだ。

ミハイルを、親友の婚約者を手にかけたあの日からだろうか……昔のことを、よく思い出すようになったのは。しかし、それが悪いことだとは思わない。フリードの下で学んだことが、今の自分を形作っている。彼が惜しみなく多くを与えてくれたからこそ、こうして進んでこられたのだ。

今思い返していたことも、自分には必要なこと。だから、これでいいのだと思う。ほんの少しの胸の痛みと共に、進んでいけばいいのだ。

 

そしてそんなフェリシアの淡い感傷は、力強いノックの音によってかき消された。

 

―――ドンドンドン!

 

「どうぞ、空いていますよ」

 

誰かを確認する必要はない。たった二度の邂逅だが、それでもこの気配を忘れはしない。

同時に、自分の運はまだ尽きていないことを確信する。

 

「……お前、なんだその姿は……」

「おや、女の部屋を不躾に訪ねてきたかと思えば、開口一番それですか? 王国騎士団団長殿は、いつから無頼の輩になったのでしょう。もしや、知らぬ間にクビにでもなりましたか? 騎士団長ではないあなたに用はないのですが」

「……そういうお前は、しばらく見ない間に随分と口が回るようになったじゃねぇか」

「知らぬ仲ではないのです、お前はないでしょう“お前”は。まったく、久方ぶりの再会だというのに…まず初めに言うことがあるのではありませんか?」

(やり辛ぇ……)

 

元来武人肌というか、弁を用いての駆け引きというのは得意ではないのだ。

女の方が弁が立つ…と言い訳してみるが、フェリシアと話しているとむしろ王宮の文官たちを思い出す。剣の代わりにペンを携え、弁論という名の鎧を纏う彼らとの畑違いの戦いは、メルドの最も苦手とすることの一つだ。

武でも弁でも勝てないということを悟り、メルドは早々に白旗を揚げることにする。

 

「やめろやめろ。お前相手に腹の探り合いしても、勝てねぇことはよぉく分かった」

「おや、となると私の中であなたは“取るに足らない男”という評価が下ることになりますが?」

「……もうそれでいい」

「冗談です。あまり拗ねないでください」

「拗ねてねぇよ。ガキか、俺は」

「ところで……」

「あん?」

「あなた一人ですか。お連れの方は?」

 

メルドの下に届いた手紙だが、封筒に書かれた差出人こそ“南雲ハジメ”となっていたものの、中身はフェリシアがしたためたものだ。だからメルドも、待ち人がハジメではなくフェリシアであったことには驚かなかった。

でその内容なのだが、要約すると二点に絞られる。

 

一つ、“会いたいから時間を作って欲しい”。

一つ、“その際に八重樫雫及び畑山愛子の両名、またはどちらか一方を伴って欲しい”。

 

前者については、手紙の主がフェリシアなので早急に時間を作るだろうと思ってはいた。部下を伴ってこなかったのは、良い方向の予想が当たった形となった。

とはいえ、ある意味最も重要な二名がどちらもいないというのは……。

 

「あのな、そうほいほい連れ出せるか。ましてや、お前と引き合わせるなんてできるわけがないだろ」

「……まぁ、それもそうですか」

 

メルドの言っていることは正論だ。疑問点は多いとはいえ、素性が明らかだからこそフェリシアに会わせることはできない。メルドの立場を考えれば、少なくとも彼女の目的が判明するまでは無理な相談だ。

 

「では、行きましょうか」

「は?」

「せっかくなので、王都を案内してください」

「観光に来たとでもいうつもりか?」

「見聞を広めるのは大事ですよ。お礼に……」

「礼?」

「“そういう店”に連れて行ってください」

「なんだそりゃ?」

「良い年した男と女が行く場所なんて、最終的には一つでしょう。……まさか、ないのですか?」

「……いや、あるけどな」

 

まさか“抱け”というわけでもあるまいに、意味が分からず訝しそうに睨みつける。そんなメルドにフェリシアは肩を竦め、耳元に顔を寄せると小声で囁く。

二人の立ち位置を知らない者が見れば、まるで愛を囁いているように見えたことだろう。

 

(どこに耳があるかわかりません。詳しい話はそこで)

 

それでメルドも合点がいった。やたらと固有名詞を避け、男を誘うような言い回しをしたのはこのためか。

 

「わかったわかった。ここのところ忙しくてな、溜まってたから優しくはしてやれんぞ」

「それは楽しみです、期待していますよ」

 

内心では、自分の言い回しに羞恥で身悶えしまくっていることなどおくびにも出さず、妖艶な笑みを作って見せる。女だからということで侮られることもあったが、カトレアからはむしろ“女であることを武器にしろ”と教わった。これもまた、フェリシアが女であることを利用した策だ。

今のところ監視の目はなさそうだが、自分にはわからないだけという可能性もある。どの程度誤魔化せるかはわからないが、やったところで大した損にはならないのなら、やるだけやった方がいいに決まっている。

 

何があるかわからないということでメルドも一日時間を空けていたことから、二人はそのまま街へと繰り出す。予想外だったのは、メルドの演技が上手かったことだろう。あるいは、そういう経験が豊富なのかもしれないが、そんなことはフェリシアにとってはどうでもいい。

とりあえず、現場主義で面倒なことは副長を押し付けることが多いメルドなので、「任せた」の一言で丸投げしてもあまり怪しまれないと聞いた時は、フェリシアも流石に副長たちに同情した。彼らの苦労の代わりとばかりに、こっそり脇腹に肘を入れ、爪先を踏んで念入りに捩じり込んでやる。

 

「……痛ぇぞ」

 

そんなメルドの抗議を無視し、適当に散策してから昼食を取り、そのまま歓楽街へ。

案内されたのは、少し奥まったところにある建物だった。そのままカウンターで鍵を受け取り、3階の一番奥の部屋へ。窓がなく、脱出経路に乏しいのが不満ではあるが、あまり贅沢を言うものではないと自分を納得させたフェリシアは、ちょっと物珍しそうに周囲に視線を配る。

 

「なんだ、あんなこと言っておいてこういうところは初めてか?」

「っ! わ、悪いですか……」

(案外初心なのか? 顔に出ねぇからわかり辛ぇな)

 

などと思っているうちに、フェリシアは手早く結界を発動。あまり得意ではないが、まぁないよりはマシだろう。

 

「……さて、では改めて。お久しぶりですね、メルド・ロギンス」

「……………………………」

「どうかしましたか? 何を頭を抱えているのです」

「わかっちゃいたが、やっぱりお前…グレイロードか」

「? ああ、この外見ですか。では、これならどうです?」

 

顔を一撫ですれば、そこには褐色の肌に尖った耳という魔人族の特徴を有したフェリシアの姿があった。髪の色は逆にかつての色を一時的にでも戻すべきかとも思うが、必要ないと判断しそのままである。

 

「そんな魔法聞いた事ねぇぞ」

「でしょうね」

 

詳しく教えるべきか、今のところはまだ判断できる段階ではないのでそのまま流す。

 

「まずは、急な呼び出しに応じていただいて感謝します。よく、単身乗り込んできたものですね」

「無謀とでも言いたいのか?」

「……いえ。私ではなく、ハジメ殿たちへの信頼の結果でしょう。

 話をスムーズに進めるためにも確認したいのですが、例のお二人との合流は可能ですか?」

「お前の話次第、ってところだな。坊主の顔を立てはしたが、こっから先は別件だ」

「まぁ、そうなりますか」

 

フェリシアとしても、雫と愛子の同席はできたらいいくらいだったので、そこまで固執はしない。

証人として同席してもらえれば、色々と助かるので一応その旨を伝えてみただけのことだ。

 

「それでは、とりあえず私の話を聞いていただいても?」

「……こっちの質問にも答えてくれるならな」

「もちろん。ただまぁ、色々と信じ難い話だとは思うので、そこは諦めてください」

 

そう前置きして、フェリシアはどうして自分が敵中枢とも言うべきハイリヒ王国の王都に来ることなったのかを話し出す。

ガーランドで神衛騎士団の団長を務める傍ら、密かに同志を集め、ただ他種族を虐げるのではない、別の可能性のために行動していたこと。それが疑惑を生み、結果的に国を出るに至ったこと。その際にメルドも知るマシュと出会い、その後ハジメたちと共に行動するようになったこと。

そしてハルツィナ樹海を訪れた際に魔人族の侵攻が行われたことから、近いうちにハイリヒ王国にも大規模な侵攻が行われるだろうこと。

 

「……大規模ってのは、具体的にはどれほどのもんだ?」

「最低でも数十万規模の魔物の群れを率いてくることになるでしょう。それも、おそらくは王都を直接叩く形で」

「数十万……馬鹿な、それだけ大規模な動きなら……」

 

メルドがそう思うのも無理はない。国境線には常に監視の目が張り巡らされている。少数ならまだしも、そんな大軍勢の動きを見落とすはずがない。

実際フェリシアがまだ国にいた頃の作戦案は、大規模戦力で磨り潰すように侵攻上のすべてを薙ぎ払っていくというモノだった。だが、王都に着いて分かった。人間族は、魔人族の動きをまったくといっていいほど察知していない。大峡谷を進むことで間近まで接近できるハルツィナ樹海と違い、ハイリヒ王国の王都を攻めるにはどうしても人の目についてしまう。

ならば可能性は二つ。まだ動いていないか、あるいは……

 

「国境を超えることなく、直接王都に戦力を送り込める手段があるとしたらどうです?」

「あり得ん。そんな真似、どうやって……」

 

当然の反応だが、フェリシアには確信があった。だからこそ、彼女も腹を決める。できれば雫か愛子からの証言も欲しいところだったが、やむを得まい。ここで問答を繰り広げていても仕方がないのだ。

 

「できるんですよ、私たちには。あなたも知っているはずです、一瞬で全く別の場所に移動する術があることを」

「なに……まさか! いや、だがそれは……」

「これを見ても、そう言えますか?」

 

その瞬間、フェリシアの右手の指が伸び刃のように鋭利に尖る。そしてそれが幻ではないことを示すべく、左手を刺し貫く。

 

「っ!」

「変成魔法といいます。シュネー雪原の氷雪洞窟を攻略することで手に入れました。魔物を使役し、あるいは自身の身体を魔物へと変える…そういうものと考えてください」

「大迷宮……それが、魔人族が魔物を従えている理由か!」

「大迷宮は七つあり、それらを攻略することで特別な魔法を得ることができます。うち、私が把握しているのは変成魔法の他、生成魔法・重力魔法・再生魔法・魂魄魔法、そして空間魔法の六つ。これらを総称して、神代魔法と呼びます」

「…………………………………神話かお伽話の類だと思ってたんだがな」

 

提示された事実に理解が追い付かないのか、愚にもつかないことをぼやいてしまう。まぁ、気持ちはわかる。もうとっくの昔に失われたはずの魔法だ。そんなものが持ち出されているなど、想像できるはずがない。

そもそも、神代魔法の概要すら現代には伝わっていないのだ。

 

「……大迷宮は七つあるんだよな。七つ目は知らないのか?」

「そちらは今、ハジメ殿たちが攻略に向けて動いておられます」

 

できれば直接彼らに語ってもらえるといいのだが、ハジメのアーティファクトでも樹海の霧が濃い場所では通信が届かない。以前立香たちと連絡を取り合っていた時は比較的浅い場所にいたが、今は深部にいる。いつフェリシアがメルドと渡りをつけられるか不透明だったので、彼らの証言を必要としない方向で進めるつもりでいたからだ。

 

とはいえ、実を言えば七つ目に心当たりがないわけではないのだ。ただ、あまりにも他の神代魔法と毛色が違うので、正直フェリシアも自信がない。なにしろ、他の六つほどに劇的な効果を発揮するわけではない。ただ、強力な魔法や身体能力を得るほどに真価を発揮するその性質から、その可能性があると最近思うようになった。おそらく、ハジメたちも似たような考えは持っているだろう。

あとは、それが神代魔法の一つだとして、自分が増長してしまうのではないかと少し恐れているというのもある。他と違い、アレだけはフェリシアが持って生まれたものだ。それで自分を特別だと勘違いするのは、あまりにも危険すぎる。蓋を開けてみれば、実は違いましたという可能性も大いにあるのだから。

 

「坊主たちは、なぜ神代魔法を?」

「ハジメ殿は、そこに故郷へと帰還する可能性を見出されたのです。今のところ、明確な手掛かりはありませんが」

「なるほどな。神代魔法は“神の御業”と伝えられている。そいつの中には、アイツらを呼び出した魔法もあるかもしれんということか」

「空間魔法など良い例でしょうね」

「……その空間魔法は、どこで得られる?」

「グリューエン大火山」

「……まずいな。最近、アンカジ周辺で魔人族と思われる人影を見たって報告があったぞ」

「やはりですか……」

 

一度は立香たちとブッキングする形となり退けられたが、氷雪洞窟を除けば現状ではあそこが最も魔人族にとって挑戦しやすい大迷宮だ。そして、攻略者がいるとすれば最有力なのは……

 

「おそらく、攻略したのでしょうね。そう考えれば、今なお動きがないことにも納得がいきます」

「誰かわかるか?」

「大将軍フリード・バグアー。氷雪洞窟の攻略者であり、数多の魔物に手を加え使役する者、そして…私の師です」

 

最後の言葉に、メルドも静かに瞑目する。かつての仲間、ましてや恩師と袂を分かつ。そんなフェリシアの心中は、とてもではないがメルドに推し量れるものではない。

彼にできたのは思わず口にしそうになった安い気休めの言葉を飲み込み、話を先に進めることだった。

 

「つまり、そいつが習得したであろう空間魔法で軍勢を送り込んでくると?」

「その可能性を否定すべきではないでしょうね」

「そうか……しかし、変成魔法ならお前も習得してるんだろ。同じことはできないのか?」

 

数には数をぶつける、それが戦の常道だ。

だが、それが卑怯な問いかけであることはわかっている。フェリシアが国を離れたのは、同胞と敵対するためではない。あくまでも、より流れる血の少ない、滅ぼし合うよりもマシな未来があると信じたからだ。

そんな彼女を、魔人族侵攻の盾にするというのは……あまりにも卑劣ではないか。それでも、メルドは聞かねばならなかった。彼にも、守らなければならないものがある。

 

「残念ながら…私の変成魔法への適性はかなり偏っています。人体を造り変えることに特化しているが故に、その点では師を上回ります。反面、魔物の使役となると……」

「そうか。すまん、酷なことを聞いた」

「いいえ、当然の質問でしょう。私でも同じことを聞きますよ」

 

同時に思う。即座にそのことに考えが及ぶあたり、やはり“力”だけの人物ではない。いや、その力にも些かの衰えもないようで安心した。彼がいるのなら、ハイリヒ王国の力もある程度あてにできるだろう。

 

「……しかし、私の話を信じる前提で進めていますが、良く信じられましたね」

「一応証拠を見せられたしな」

 

まぁ、ここまではそうだろう。問題なのは、“神”についてだ。正直、二人がいない状況で話すのは得策とは言えない。

 

「ああ、そうか。あの二人はそのことを知っているのか?」

「ハジメ殿たちから神代魔法については聞いておられるはずです。なので、同席していただきたかったのですが……」

「…………」

 

探りを入れがてら、二人に繋ぎを取ってもらうために話を振ってみる。しかし、返ってくる言葉はなく、むしろメルドの表情は重苦しいものに変わっていた。

 

「どうしました?」

「…………………………………………よし、俺も腹を括る」

「?」

「一つ確認だが、お前何故まず俺に手紙を出した。坊主の名を使えば、雫や愛子殿にも届けられただろう」

「ああ、そこはやはりあなたとは面識がありましたから。それに……」

「それに?」

「神の使徒相手の手紙となれば、ほぼ確実に検閲されるでしょう? 重要な情報は書いてはいないとはいえ、念には念を入れた次第です」

「そうか……」

 

実際、検閲は確実にされていただろうし、ハジメへの異端者認定がなくてもフェリシアの名前があるだけで、二人の立場が悪くなっていた可能性が高い。最悪の場合、握り潰された上に魔人族への内通の疑いをかけられていた可能性も否定できない。

特に、今の状況ならなおさらだ。

 

「グレイロード、お前が思っているより状況は悪い」

「……どういうことです」

「まず、坊主に異端者認定が降される寸前だ」

「それは……」

 

言わば、ハジメもまたガーランドでのフェリシア同様、人間族の敵として扱われつつあるということだ。

 

「それともう一つ」

「まだなにか?」

「雫と愛子殿は今神山にいる」

(しまった、既に遅かった!)

 

その言葉で、フェリシアは裏の事情をおおよそ把握した。ハジメが異端者認定されようとしていて、加えて魔人族の侵攻も間近に控えている。そんな状況で、数少ない理解者である二人が神の御膝元にいる。

それを偶然で済ませるほど、フェリシアの頭は緩くない。

 

「……面会は?」

「坊主への異端者認定についてって体での召還でな。終わるまでは行くのも戻るのも不可だ」

「やってくれる……!」

 

ここまで絶やさずにいた微笑みの仮面がはがれ、歯噛みするフェリシアにメルドも何かを感じ取る。

ただ理解者、協力者が厄介な場所に囚われているというだけとは思えない反応だからだ。

 

「……お前、何を知った?」

「………………………………」

 

今度は、フェリシアが長い沈黙に沈む。メルドは急かすことなく辛抱強く待ち、おもむろにフェリシアが口を開いた。

 

「……メルド、いつかあなたに問いましたね。“私たちは本当にこれでいいのか”と」

「ああ」

「あの時、私はこうも言いました。“いつか、あなたの答えを聞かせてほしい”とも」

「……いまが、その時だってか?」

「……」

 

メルドの問いに、フェリシアは答えない。今問うているのは、フェリシアの方だからだ。

長い、本当に長い沈黙が場を満たす。いつまでも続くかのような重苦しい静寂を、心底申し訳なさそうな表情でメルドは破った。

 

「すまない」

「……」

「俺には結局、お前に示せるような大層な答えは見つけられなかった」

「そう、ですか」

 

その言葉に、残念そうに顔を伏せる。

分かっている、仕方のないことだ。そう簡単に答えを出せるような問いではない。そもそも、問いとしてはあまりにも曖昧過ぎる。加えて、場合によってはこれまでの自分を全否定することになりかねない。そんな答えを、易々と出せるはずがないのだ。フェリシア自身、主流派から外れる時には随分と葛藤したし、迷いもした。だから、メルドの気持ちもわかる。

 

だが、答えを持たない者に打ち明けるわけにはいかない。

世界の真実、神の正体。それらはあまりに衝撃的過ぎる。それこそ、今までの人生、その土台、根幹を覆すほどに。到底、信じられるような話ではない。むしろ、話した瞬間に決裂してもおかしくない。それほどまでに、この世界の人間にとっては危険な情報なのだ。

せめて、雫か愛子がいればフェリシアの言葉を裏付けてくれるだろう。あるいは“答え”という名の、“神”に変わる芯、土台となるものがなければ……。

 

しかし、メルドの言葉はまだ終わっていなかった。

 

「だが、一つだけ言えることがある。俺は……俺はこのままでいいとは思わない」

「ぇ?」

「エヒト様に召喚された奴らを見ていて思った。どうしてあいつらだったのかと。

 戦いとは無縁の、平穏な世界の中で生きていたはずの子ども。そんな連中をこっちの都合で呼び出し、死地に送り、人を殺させる。そりゃ違ぇだろ。そんな理不尽があっていいのか?

 ……なぁ、お前にとってエヒト様、人間族の神は敬うべき存在じゃないんだよな」

「はい」

 

フェリシアの答えを聞いて、深く息を吸って…吐く。これから言うことは、とてもではないが部下や同僚、ましてや教会関係者には言えないことだ。

エヒト神への信仰を一切持たず、かといって召喚された子どもたちのように慈悲に縋らねばならないわけでもない、そんなフェリシアにだからこそ言えること。

 

「……俺はな、何度も祈ったんだ。どうか、今からでもアイツらを元の世界に返してやってくれと。

戦争は俺たちがやる。国のため、民のため、神のため、魂だって捧げる。俺程度の全てを捧げた程度でできることなんぞたかが知れてるだろう。だがそれでも! アイツらを戦わせるのは違うだろ! 大人はガキを守るためにいるんだ、ガキに守られてどうする! 俺は、そんなことのために騎士になったんじゃねぇ!

……同族への裏切りかもしれねぇがよ。生きるために全力を尽くしてその結果滅びるんなら、それが俺らの天命ってやつなんじゃねぇか? 下らねぇ、騎士道なのかもしれねぇがよ」

 

言わんとすることはわかる。だが、まだ足りない、それではまだ足りないのだ。

酷なことなのかもしれない。そうとわかった上で、その先を促す。他ならぬ、メルド自身の言葉で彼の本心を聞かねばならない。

 

「……わかりません。あなたは何が言いたいのです。簡潔に言いなさい」

「俺は…………………………………俺は、不信心者だ。俺にはもう、以前のようにエヒト様を信じることが出来ねぇ。無関係のガキどもを巻き込むんじゃんねぇと、そう…文句を言ってやりたいと思っている」

 

苦々しく、吐き捨てるようにその言葉を口にした。

フェリシアにはメルドの気持ちが良くわかる。彼女もそうだった。魔人族において“主流派”とはすなわち、より敬虔な信徒ということ。逆に、主流派から外れるということは神の意に背くことと同義だ。

神は自身以外の神を信仰する者を許さない。それらは世界の汚点、抹消すべき害悪。それが魔人族における、他種族への認識だ。

にも拘らず、滅ぼすのではなく共存や融和、あるいは不干渉の方針を模索するということは決定的な背信を意味する。その道を模索すると決意したあの瞬間、フェリシアもメルドと同じように苦しんだ。

そしてあの時のフェリシアと同じように、メルドは答えを出したのだ。

 

フェリシアとは全く違う経過を辿った末に、彼なりの答えを。

 

「情けねぇ。そう思っていても、俺は結局何も行動に移せなかった。お前とは大違いだ、違う道を探す…言うのは簡単だが、俺にはできなかったことだよ」

「いいえ。いいえ、そんなことはありません。私とて一人では何もできなかった。仲間が、同志たちがいたから今の私がいるのです。あなたが何もできなかったというのなら、それはまだあなたが一人だったからだ。ですが、それはもう違うのです」

「なに?」

「あなたの血を吐くようなその“答え”、確かにフェリシア・グレイロードが聞き届けました。

 メルド・ロギンス、あなたに私の知る“全て”を話しましょう。神の示した道とは別の道を望むあなたと私は、きっと手を取ることができる。

十年前のあの日、あなたと出会えてよかった。おかげで私は、自らの本当の望みを知ることができた。今こそ、その恩に報いる時。一人では無理だというのなら、私が手を貸します。別の道を、望む未来を…どうか、諦めないでください。私たちは“自由な意思の下に”未来を掴むことができるはずだから」

 

最早、証人など必要ない。神に疑問を持ち、与えられるのとは異なる未来を望むメルドなら、きっと“真実”を受け止められる。そう信じて、フェリシアは意図的に隠していた全てを語る。

神の正体を、立香たちの存在を、自らの本当の目的を。

 

それらは当然メルドにとっても衝撃的なもので、にわかには信じがたいものだった。

とてもではないが、“それなら共に戦おう”などと言えるはずもない。噛み砕き、受け止めるには相応の時間がいる。しかし、それでいいのだ。与えられた情報を鵜呑みにするようではいけない。自分で考え、判断し、未来を描く。それこそが、人の人たる所以のはずだから。

 

それでも、一つ確実なことがある。今王宮で起きている異変、そこに神の手が及んでいる可能性は否定できない。

フェリシアですら、王宮に何らかの魔法をかけられる人物に心当たりはない。ならば、直接確かめる以上の方法はないだろう。それはメルドにとっても多大なリスクを負う危険な賭けだが、手を拱いているよりよほどいい。

そう判断した彼は、フェリシアが王宮内に潜り込むその手引きをすることを決意するのであった。

 

同時に、思う。数日前、密かに異変を察知したリリアーナの王都脱出を幇助したのは、正しかったのだと。

 

(これからは王都も安全からは程遠い。もし何かあったとしても、姫殿下はご無事だ。それならまだ、国の命脈が途切れることはない)

 

これから先、自身の立ち位置がどうなっていくかはまだわからない。正直、フェリシアの描く“夢”には“命を捧げる”に値する魅力があると思う。しかし、長年に渡って国と民に捧げてきた忠誠を、そう易々と翻すこともまたできない。

だから、見定めねばならない。フェリシアが目指す道、進む先……

 

 

 

  *  *  *  *  *

 

 

 

小鳥が囀る爽やかな朝。窓からは春風が吹き込み、優しく頬を撫でる。お手本のような気持ちの良い一日の始まりはしかし、それら全てをぶち壊す不協和音によって引き裂かれた。

 

―――♪ 恋はドラクル(朝は弱いの)優しくしてね 目覚めは深夜の一時過ぎ ♪

 

「立香ー! 朝よ、早くそれ止めなさーい!」

「むにゃむにゃ…あと三年……」

 

特に設定した覚えのない騒音(断じて歌ではない)に、朝から母が悲鳴を上げる。それを聞き流しながら、再度の夢の世界に飛び立つべく戯けたことを宣う黒髪の青年。

 

―――カチッ

 

まぁ、流石にこのままあの騒音を垂れ流し続けるのはご近所迷惑の極み。なので、一応は慣れた手つきで目覚ましを止め、頭から布団を被って鉄壁の守りを敷く。すると間もなく、カーテンの隙間から入り込む朝日を受けて、鋭い輝きを放つ何かが振り下ろされた。

 

「ゴッフ!?」

「あら、いつの間にあなたはあのヒゲ面肥満体形のお仲間になったのかしら?

 仕方のないアルブレヒト。ちょうどいいから、私の踵でその駄肉を削ぎ落してあげる!」

「ちょっ! メルトちょっと待っ!?」

「行くわよ行くわよ行くわよ!!」

 

静止の声など聞こえちゃいねぇとばかりに腹の上でタップダンスが如きステップを踏み始める華奢な少女。

その真下では「うごごごごごごごごごご……」と、何らかのうめき声だけが漏れてくる。軽いので一撃一撃のダメージ量は軽微だが、とにかく早くて数が多い。しかも場所は、ピンポイントに鳩尾の上。腹に力を入れても伝わってくる衝撃に苦悶の表情を浮かべれば、“火に油”どころか“火山に核ミサイル”が如き勢いで腹上のバレリーナのテンションがうなぎのぼり。

 

「ああ、たまらないわ!! その顔最ッ高! もっと、もっと私に苦痛に歪んだ顔を見せて頂戴!」

 

本当に心底愛おしそうに、嬉しそうに語るのだから真性である。しかし、そんな彼女にも悩みの一つくらいある。

 

「……困ったわね。どうして私には足が二本しかないのかしら。もう二本あれば、あなたの頬にこのヒールを捩じり込んであげるのに……いいえ、分かっているでしょうメルト。この無駄のないフォルム(身体)こそ至高、これ以上足しても減らしても損なうだけ。

でもやっぱり…少しだけもどかしいわ。だってそうでしょ? そうすれば、醜く歪んだあなたの顔をもっと堪能できるでしょ? もっともっと私を感じさせてあげられるでしょ? うふふ…さあ、力を抜いて。怖がらなくていいわ、ドロドロに溶かして溶けて、一つになるの」

 

ゾクゾクと恍惚に身を震わせる姿は、いっそ妖艶ですらあった。とはいえ、彼女の発言が徹頭徹尾本気であることも知っている。それこそ、このままでは彼女なしでは生きていけない身体にされかねない。

いや、たぶん何を言ったところで彼女は実行するだろう。だって、メルトリリスはそもそも藤丸立香に何も求めていない。語り合いも、触れ合いも、愛されることすらも。彼女の本質は「快楽」と「奉仕欲求」、愛し捧げることこそが本懐なのだから。

 

「愛の行き着く果て、究極の快楽は相手と一つになること…だから、ねぇ?」

 

怪しく舌なめずりするメルト。”これはそろそろマズイかなぁ“なんて呑気に考える立香だったが、その瞬間、弾かれた様に自室の扉が開け放たれ細身の人影が飛び込んできた。

 

「ホールドアップ! そこまでです、メルトさん!」

 

ステンレスのお盆を携えメルトに向けてフライ返しを突き付けるのは、高校の制服の上からエプロンで武装した、新年度から留学生としてこの家にホームステイしている頼もしき後輩、マシュだった。

その姿を見て時間切れを悟ったのか、存外あっさりとメルトは立香の上から降りてくる。

 

「チッ、面倒なのが来たわ。今日のところはここでフィナーレ、続きは……」

「週末のステージ、楽しみしてる」

「……ふーん、そう。別に、だからどうしたって話なわけだけど……」

 

そういう割には、満更でもない様子で照れているが言わぬが花というモノだろう。

 

「アマリリス、用意しておくよ。花束で紫……とはいかないけど」

「ふふっ、ええ今はそれで満足してあげる。でも、いつかちゃんと、ね」

 

そう言い残し、メルトリリスは颯爽と去っていった。

残されたのは、いまだにダメージの残る腹をさすりながら起き上がった立香となんだか不機嫌そうなマシュ。しかし、今はそれより優先することがある。メルトがいる時は後が怖くて明らかにできなかったが、とりあえず布団をめくると……

 

「お、おはよう、ございます」

「 ♡♡♡好き(愛拶(あいさつ))♡♡♡ 」

 

なぜか布団に清姫と静謐が潜り込んでいたので……窓からペイッ。

 

「あ~、旦那様ぁ~~~!?」

「ご一緒できて、嬉しかった、です」

 

普通、二階の窓からうら若い乙女を投棄するなど鬼畜生の所業……なのだが、心配には及ばない。二階はおろか、十階から落とされても多分無傷だ。愛故に、そう、()()()!!

 

「愛、怖いなぁ……」

(ジ~……)

「おはようマシュ、良い朝だね」

「はい、おはようございます先輩。それで早速ですが、なぜ先月出会ったばかりのメルトさんが先輩のお部屋に?」

 

微妙に不機嫌そうに問い質してくるマシュだが、先の光景をスルーしているあたり、彼女も大概である。

 

「朝 起きる いた 腹の上」

「……なぜ片言なのかは一端保留しますが、チケットというのは?」

「昨日帰ってきたら机の上にあった」

「セキュリティがスカスカです! もう少し危機感を持ちましょう先輩!?」

「でも静謐も清姫も、頼光だって潜り込んでくるし…今更じゃない?」

「……先輩、慣れてはいけないこともあると思います」

 

一応常識的な見解を述べるが、目を伏せる様子からは深い諦観の色が滲んでいる。侵入を阻むべく努力する、ということを放棄していることからも、何があったか窺い知れるというモノだろう。

 

まぁ、いつまでもそうして問答を繰り広げていても仕方がないので、二人は連れ立って階段を下り居間へ。そこには、ホカホカと湯気を(くゆ)らせるトースト、目玉焼き、ソーセージ、サラダ、オニオンスープ、牛乳という和の欠片もないが実に美味しそうな朝食たちが並んでいた。

とはいえ、それも仕方のないこと。何しろ、料理人が料理人だ。むしろ必然の結果だろう。

 

「おはよう、シャルロット。今日も美味しそうだね」

「おはようございます、マスター。もちろん、今日も()()()のために腕によりをかけましたから」

「わ、私も! 私もドレッシングを作るのをお手伝いしました! 是非ご賞味ください!」

「そっか、ありがとうマシュ」

 

家政婦のシャルロットに負けじと、マシュも頑張りを主張する。何しろこの家政婦、ことあるごとに色々アピールしてくるので、しっかり自己主張しないとあっという間に全部持っていかれてしまうのだ。

藤丸家にホームステイするようになって早一月、マシュもいつまでもやられっぱなしでいるわけではない。

 

「とりあえず……シャルロット」

「はい、なんでしょうマスター」

「雇い主は俺じゃなくて父さんじゃなかった?」

「そうですが?」

「なのに、俺がマスター(ご主人様)なの?」

「はい」

 

“何かおかしなことでも?”といわんばかりの不思議そうな表情でコテンと首をかしげるシャルロット。大変かわいらしいしぐさだとは思うのだが、今はそれに誤魔化されるわけにはいかない。

 

「なんで?」

「私が決めました!」

 

“ドヤァッ”という効果音が聞こえてきそうなくらい自信満々に答える。でも、やっぱり意味はよくわからなかった。

それにしても疑問なのは、父の収入をどうやりくりすれば家政婦など雇えるのだろうか?

 

「まいっか」

「スルーしてしまっていいんですか!?」

「マシュさんは、トーストにバターとジャム…どちらになさいます?」

「あ、ではジャムを」

「かしこまりで~す」

 

ちなみにその後、立香に遅れて起きてきた父は我が家の美少女率の向上に鼻の下を伸ばし、それを見た母にお盆でどつかれるなど、相変わらずの仲の良さを披露。ただそれを見て、なんだか無性に涙が出そうになったことを不思議に思う立香であった。

 

その後、玄関先までシャルロットに見送られるという、毎日恒例の…でも非常に気恥ずかしいイベントを経て、マシュと連れ立って通学路を歩く。

 

「どう、学校には慣れた?」

「はい、皆さん大変良くしてくださるので。それに……」

「ああ、オフェリアさん?」

「学年が違うのに、何度も様子を見に来てくださるので」

 

マシュと同じ留学生であり、留学前からの友人関係なわけだが…マシュは知らない。立香の隣のクラスにいる彼女だが、実はクラスに馴染めなくてむしろマシュの下へ逃げ込んでいるということを。

まぁ、本人は全力で取り繕っているようなので、その努力を蔑ろにするようなことは言わないが。

 

(上手くいってないというより、どう答えればいいかわからないって感じなんだよなぁ)

 

以前教室をのぞいてみた感じ、周りの生徒からは結構頻繁に話しかけられている。ただ、自分に自信がないのか何なのかはわからないが、とにかく中々胸襟を開けずにいるらしい。

 

――― ~♪ ~♪

 

おしゃべりしながら通学路を歩いていれば、その流れを断ち切るように流れる着信音。“失礼します”と一言断ってスマホを手に取ったマシュの顔が、液晶に映し出された名前を見た瞬間に盛大に顰められた。

そして、渋々といった様子で通話状態にすると開口一番……

 

「働きなさい、穀潰し」

 

そう言って、容赦なく通話を切った。

 

(ランスロット……)

 

時差があるとはいえ、まだ完全無欠に就業時間の筈。にも拘らず、娘の登校時間に合わせて電話を入れてくるあたり、マメなことと感心すればいいのか空気が読めないと呆れればいいのか。

とりあえず、今夜もまた彼の相談に乗らねばなるまい。駆け込み寺扱いされても困るのだが。

 

所変わって、立香とマシュの通学路途上にある曲がり角。その陰で、金髪ツインテールの少女と、黒髪短髪の青年が、なにやら自信無さそうにヒソヒソボソボソと相談し合っていた。

 

「ど、どどどどうするのだわ! もうじき二人ともきちゃうのだけど!?」

「おおおおおおおちっ、おちちゅけ!」

「噛んでる! 思いっきり噛んでるのだわ!? あなたこそ落ち着きなさい!」

(……すんません。所詮俺みたいな陰キャが、女子に偉そうにアドバイスしようってのがおこがましいんっスよね。というか、そもそも近くにいるのが迷惑っスよね。偶々同じ場所に居合わせて、偶然同じ奴に話しかけようとしてたってだけで……いや、それ言ったら俺がアイツに話しかけること自体迷惑だし、この人の隣に立つのも邪魔なんだよな。もうなんか、生まれてきてすんません……)

 

今のですっかり心が折れてしまったらしく、陰キャらしく心中で延々と謝罪と自虐を繰り返しながら鬱々とするマンドリガルド。豆腐のメンタルだが、仕方がない。だって陰キャだもの!

だが案ずることはない、その辺に関してはお互い様だ。

 

「そんなことはないのだわ! 私は今、あなたにとっても励まされているもの!」

(スゲェ! 陽キャのエアリード機能ってのは、そこまで読み取っちまうものなのか!?)

「見て、あなたがいなくなったらと想像しただけでほら……」

「?」

 

盛大に震える手、緊張と不安から滲む脂汗、顔も青褪めており、むしろ“一人にしないでほしいのだわ”と全身で訴えている。マンドリカルドは理解した、彼女エレシュキガルもまた自分と同じ友達の居ない陰キャであると。

 

「……そっスね、所詮俺ら陰キャは一人じゃなんもできないけど……」

「そうなのだわ。一人で無理でも二人なら!!」

「頑張ろうぜ、知らない人!」

「頑張りましょう、知らない人!」

 

とりあえずお前ら、名前くらい名乗れ。

 

とまぁそんな感じで妙な連帯感を醸成していた二人だったが、カーブミラーで目当ての人物が迫ってきていることを確認。頑張って息を整え、勇気を振り絞り、いざゆかん!

 

(“せーの”で行くのだわ。お願いだから、タイミングをずらすなんて酷いことはしないでほしいのだわ)

(もちろんっス。いくぜ、せーの……!)

「「ぐ、偶然だな/なのだわ、マイフレ/立……」」

 

そこで、二人の声が尻すぼみに消えていく。なぜならそこには、まったく見覚えのない女性の背中があったから。

 

((え、だれ?))

「ああ、母は心配です。忘れ物はありませんか? お弁当は? 保冷材は入っていますか? まだ過ごしやすい気温とはいえ、食中りは怖いものです。そうだ、お昼休みに母がお弁当を届けるというのはどうでしょう」

「もしもしポリスメン、母を名乗る不審者が通せんぼしているので何とかしてください」

「ヨヨヨ……なぜそのような冷たいことを言うのです。母は、母は泣いてしまいますぅ……」

「先輩のお母さまではないからだと思います」

 

ちょっと予想だにしない光景に、すっかり度肝を抜かれてフリーズする二人。

しかもその間に、不審者の数はさらに増していく。

 

「母と聞いては黙っていられません! 母がいるのなら姉もいる、つまり私があなたのお姉ちゃん♪」

「おや、道行く素敵なメカクレのお嬢さん。どうかな、今から一緒にお茶でも。ああ、そこの君もよければどうだい? その際には、ぜひこのウィッグを付けてほしい。んん、想像するだけで下腹部に熱が……」

「あら、中々可愛い男の子がいますわ、そうは思わなくてメアリー」

「そうだねアン。なんか変なのに絡まれてるし、ここは大人として保護しないと。まぁ、うっかり汚部屋に連れ込んじゃったり、間違えてアルコール入りの清涼飲料水を飲ませても事故だよね事故」

「そうそう、間違いは誰にでもありますもの」

「ヒヒン、呂布ですが何か?」

「先輩の貞操は私が守ります! マシュ・キリエライト、吶喊します!!」

 

あまりにも増えすぎて通行の邪魔だったので、力づくで押しのけるべく手近なところにあったゴミバケツをフルスイングするマシュ。

ちなみにその瞬間、なんかあんまり関係がないのも偶々通りがかって巻き込まれることに。

 

「デュフフフフフフ……ついに、ついに手に入れてしまったぜ。だが誰にも知られてはいけない、まさか紳士の中の紳士たる拙者が、BBAのお宝写真に手を出してしまったなどと知られるわけにはいかんのでござる。だがしかし! ポッと出のニワカに先を越されたとあっては黒髭の名が廃るってもんよ。へっ、ホーキンスの野郎、偶にはいい仕事しやが……いってぇぇ――――っ!!」

「うぅ、あんすべたぁ。誰がナメクジじゃ。次会うたら覚えちょれよ……なんじゃ――――――――――!?」

 

ん~、まぁ五十歩百歩っぽいので気のせいということでいいだろう。

 

「ミッションコンプリート、今日も先輩の平和は守られました」

 

爽やかに汗をぬぐい、“やり切った”とばかりに満足感を噛み締める。

そして、そんなアグレッシブすぎるマシュに、すっかり圧倒されてしまった陰キャが二名。

 

「あわわわわ……ど、どするのだわ! ここで出て行ったら、私たちまでぶっ飛ばされちゃわない!?」

「やっぱ、俺みたいな陰キャが、なれなれしく話しかけようってのが間違ってたんスよ」

「お願い! 一人にしないでほしいのだわ!?」

「あ、マンドリカルド、エレシュキガル、おはよう」

「おはようございます、お二人とも」

「「お、おはよう」」

 

なんか、色々テンパってたりシミュレーションしてたのが馬鹿らしくなるくらい、さらっと今朝の目標は達成された。まぁ、本人たち何もしてないけど……満足そうならいいのだろう。

 

((……………………グッ!))

「ふむ、皆仲が良いのだな。皆が仲良しだと私もうれしい、うれしみ」

((ビクッ!?))

 

その後は特に足止めされることもなく、順調に通学路を進んでいく二人だったが……偶にはこんなこともある。

 

「まーちゃ~ん! 締め切りが、締め切りが~!」

「ん、学校終わったら救援物資持って行くからガンバ、オッキー」

「頑張ってください、刑部姫さん!」

 

アパートのテラスから身を乗り出す様にしてヘルプを求めるオタサーの姫とか……

 

「みんな朝から元気っすねぇ。さて、エリートニートのジナコさんも早速布団を守るお仕事に精を出すとするっすよぉ…ってなんすか、カルナさん。言いたいことがあるなら言ったらどうっすか」

「ふむ、求められたとあっては忌憚のない意見を言わせてもらおう」

「いや別に、求めてはないっすよ。ただ、ジ~ッと見られてるのもいい加減鬱陶しかったというか……」

「布団、すなわち寝床とは約束された安息があってしかるべき場所だ。なるほど、それを守らんとするのはお前の言う通り重要なことなのだろう。だが気付いているか、ジナコ・カリギリ。お前はこの一週間、一歩たりとも部屋から出ていないのだということに」

「……別に、死ぬわけじゃないっす」

 

その隣でゆる~い攻防を繰り広げるニートとその保護者とか……

 

「びっくり! 見て、ゲルダおねえちゃん! いま、人が飛んでたの!」

「ほらアーシャ、急がないと遅刻してしまうわ」

 

どこかで見覚えのある、褐色の肌に茶色がかった髪の女の子とその子より少し年上の白磁の肌に金髪の女の子とすれ違ったり……

 

それらは本当に、なんてことのない、平凡でありきたりな筈の、でも間違いなく得難い日常で……

 

「先輩?」

「……いや、何でもない」

 

心配そうに見上げてくるマシュに微笑みかけ、改めて前を向く。

さあ、学校はもう目の前だ。ああでも、そこにいたのは……




とりあえず、オフェリアはボッチ(失礼)。


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039

「いやはや、危ないところを助けていただきありがとうございます」

「いや、優秀な護衛を雇っていたようだし、むしろ余計な手出しをしてしまった。謝罪しよう」

 

一団の長と思われる男性が謝意を示してくるのに対し、騎士は穏やかな受け答えに終始する。

 

当てもなく彷徨い歩いていたところ、野生の獣にしては些か剣呑すぎる群れに襲われているこの一団……商隊を発見したのがそもそもの発端。護衛15名に対し、敵は二十数頭の一角を生やした狼のような生き物の群れ。数的には不利だったが、手慣れた様子で対処していく様には安定感があった。

結果的にはアーサーの介入で薙ぎ払われる形になったが、あのままでも遅かれ早かれ撃退はできていただろう。服装に統一感がないことから雇われ護衛の類と見たが、だからこそ外野の介入を嫌がるかもしれない。そう考えての謝罪の言葉だったが、商隊の長“モットー”は首を振ってそれを否定する。

 

「確かに、あのままでも被害を出すことなく乗り切ることはできたやもしれません。ですが、何事にも不測の事態はつきものでございます。時間をかけるほどに、その可能性は増すもの。死者とまではいかずとも、負傷者くらいは出ていたかもしれません。

ならば、加勢していただいたことに文句をつけるなどという恩知らずな真似は、到底できません。ですので、ここは私の顔を立てると思って……」

「……そうか。そこまで言われて突っぱねるのはむしろ非礼だね。では、有難く謝意を受け取るとしよう」

「ええ、ええ、そうなさっていただけると、私どもも助かります」

 

その言葉に応じるように、後ろからは護衛や商隊のメンバーが口々に感謝の言葉を投げかけてくる。

騎士はそちらを向き、軽く手を振って彼らに応える。フードで顔を隠したままだが、気を悪くした様子もない。

 

「ところで、名のある騎士様とお見受けいたしましたが、なぜこのような場所にお一人で?」

「…………」

「いや、余計な詮索でしたな。申し訳ない」

「気にしないでくれ。今の私は無頼の身だ、どうかそう畏まらないでもらいたい」

「あなたほどの方がですか……」

 

顔こそ見えないが、その所作からは気品が滲み、立ち居振る舞いは堂々たるものだ。武の力量を見抜く目は生憎と持っていないモットーだが、人を見る目にはそれなりの自負がある。間違いなく、一角の人物であると確信する。

だがそうなると、やはり疑問になるのは先の問い。どこぞの貴族であっても不思議ではないような人物が、共もつれずに一人で平野を歩いているというのは明らかに不自然。何かしらの“わけあり”なのは間違いない。

 

(さて、踏み込むべきか否か、そこが問題ですな。あまり個人の事情に踏み込んで煙たがられるのはよろしくないが、これほどの人物と懇意になる機会を逃すのも勿体ない)

「そういえば、この商隊はどこへ向かうつもりだったのかな?」

「ああ、ホルアドです。正確には、ホルアドを経由してアンカジ公国へ向かうつもりでおります」

「ふむ……なら商会長殿、良ければ僕も同行させてもらえないだろうか」

 

それは、モットーにしてみれば“渡りに船”のような話だった。騎士にはそれなり以上の興味があったし、ここでこの縁が途切れてしまうのはもったいないと思っていた。加えて、二十数頭の魔物を瞬く間のうちに蹴散らす実力者を護衛として当てにできるとなれば、これからの旅の安全は約束されたも同然だ。

とはいえ、職業柄旨い話には穴があるというのが常のため、警戒心も湧いてくる。果たしてこの話、飛びついていいものなのだろうかと。何しろ、この騎士の身分も目的もわからなければ、どうしてこんなところに一人でいたのかも不明。安易に飛びつくほど、モットーの頭は軽くない。

 

「ホルアドかアンカジ公国に御用でも?」

「見聞を広めるための一人旅なんだ。アンカジ公国には行ったことがないから、ちょうどいい機会かと思ってね」

「左様でございますか」

 

話としては、まぁなくはないだろう。どう考えても高位のアーティファクトとしか思えない見えない剣を持っていたり、一目で名工のそれとわかる白銀の鎧を身に着けていたりと、“見聞を広げる旅”にしてはご立派過ぎる気もしないではないが。

 

「そういえば、プレートの方はお持ちですかな?」

「プレート?」

「ステータスプレートの事でございます」

「ああ…いや、どうやら紛失してしまったらしい」

 

この世界に召喚されるにあたり、付与された知識は非常に限定的だった。言語は問題ないものの、地名や物品に関するものはほぼない。おかげで、ステータスプレートといわれても彼にはピンとこなかった。そのため、当たり障りのない様にと“紛失した”と答えるしかなかった。

 

だが普通に考えれば、ステータスプレートの紛失はこの世界では結構な大事だ。なにしろ、身分証明の手段を失うことに等しい。場合によっては街に入ることすらできなくなるのだから、こんな反応はあり得ない。

しかし、この世界の知識を持たない騎士にそれがわかるはずもなく。深く聞けば怪しまれることになりそうなので、このような反応を返すことしかできなかった。

まぁ、言葉が通じるだけありがたいと思うしかないだろう。

 

(やはり、行き当たりばったりの嘘には限界があるか。かといって、正直に打ち明けるというわけにも……)

「ふむ……承知しました。ではせっかくのご厚意、有難くお受けさせていただきたく存じ上げます。そうですな、護衛の謝礼金は旅の資金を差し引いて、このくらいでいかがでしょう?」

「……いいのかい、商会長殿」

 

正直、たったいま下手をうったばかりなだけに、まさか同行を許してもらえるとは思ってもみなかった。

それこそ、彼らが立ち去った後に商隊を追いかけることで街を目指そうと内心決意していたくらいには。

 

「私も商人の端くれ、人を見る目は常に養っているつもりです。なにより、商人の勘が囁いているのですよ。ここで売る恩には、値千金の価値があると」

「なるほど、あなたはつくづく商人ということか。では、その言葉に甘えさせてもらおう。

 私はアーサー、しばらく世話になる」

 

その後、アーサーは改めて護衛や商隊の者たちに紹介されたが、反対意見を述べる者はいなかった。アーサーを信用して…というよりも、モットーへの信頼のなせる業だろう。

そして最後に……

 

「アーサー殿、申し訳ないのだがこの方のことは……」

「ああ、僕と同じわけありか。安心してほしい、深入りするような真似はしないよ」

 

少しは打ち解けてきたからか、あるいは“王”や“騎士”としてではなく“個人”として向き合うことにしたからか。アーサーの一人称はいつの間にか“僕”になり、口調も少しばかり砕けたものになっているし、フードも取り払っていた。

そんな彼が案内されたのは、商隊の中央に位置する荷馬車。

 

(隊の中でも最も守りの堅い場所か。お忍びの貴族とか、そのあたりかな?)

「失礼。先ほど加勢してくださった騎士殿ですが、護衛に参加してくださるとのことなりました。よろしければ、紹介させていただきたいのですが」

「わかりました。私も、お礼を言いたかったので」

 

可憐な声が返ってきたかと思うと、出てきたのは先のアーサーのようにフードで顔を隠した小柄な人物。声の高さや肩幅の狭さから考えても、年若い少女であることがうかがえる。

また、モットーが彼女に向ける言葉遣いや立ち居振る舞いは貴人に対するそれであることから、相応の身分の持主であることが伺える。まぁ、本人は気付いていないようだが……普通の扱いというモノを知らなければ、気付かないのも無理はないか。

 

「まずは、先ほどはご助力いただきありがとうございます。また、この先も護衛してくださるとのこと。大変心強く思っております」

「いや、礼には及ばない。助けになれたのなら何よりだ、レディ」

 

少女の手を取り、軽く腰を折って礼をしてから顔を上げて微笑む。淀みのない動作、気障な振る舞いを嫌味に感じさせない品格、そして春風のような穏やかな微笑み。

それを向けられた少女…リリアーナ・S・B・ハイリヒは思った。

 

(くっ、顔がイイ!?)

 

あまりの破壊力に、思わず両眼を閉じてしまった。こんなことは初めてだ。

 

リリアーナはその姓が示す通り、ハイリヒ王国の第一王女。当然、立場上色々な意味で“人並み外れた”の者たちを見てきた。それは知性であったり武力であったり、あるいは権威や精神性など様々だ。リリアーナ自身、敬虔な聖教教会の信徒でありながら、同時に王女として“現実的問題に対し思想や感情を切り離す”という言うほど簡単にはできないことを、14歳の若さで身に着けた傑物。

そんな彼女が将来を嘱望されない筈がなく、その才覚を磨くため父である国王は一切の労を惜しまなかった。多くの識者を教師として宛がい、腕の立つ騎士や遣り手の商人の仕事を目にする機会を与え、教会の司教や枢機卿との接点を持つことで権威に惑わされない強さを養った。

その中には当然、ハニートラップへの対策として“美形”に慣れるというものもあった。そのおかげか、“勇者”天之河光輝のことも冷静に見ることができた。確かに美形だと思うし、やたらと振りまく光を眩しく感じたりもした。自覚のない距離感の近さにドキッとしたことが一度もないとは言わない。

しかし、それら全てを最終的には受け流し、“天之河光輝とはそういう男なのだ”と割り切ることができた。

 

にも拘らず、アーサーの顔は直視することができなかった。

 

(なんというか……光輝さんの上位互換のような人ですね)

 

顔立ちは人種の違いもあって単純に比較はできないが、そう大きな差はないように思う。問題なのはその他の点だ。紳士的に適切な距離感を保っているにもかかわらず、光輝よりよほど心臓に悪い。浮かべた微笑みには光輝ほどの親しみやすさはないが、代わりに王女であるリリアーナから見ても圧倒されるような高貴さがあった。

加えて、隠しきれないその“王気(オーラ)”が光となって目を焼いてくる。凡百の者ならその光に充てられて目も眩むのだろうが、リリアーナからすればむしろ目の毒。なまじ光に惑わされないだけの器があるだけに、かえって怯んでしまう。

 

そんなリリアーナを心配するアーサーとモットーだったが、本人は体調が優れないことを理由にその場を切り上げ馬車に戻ってしまった。そして、密かに……

 

「……なるほど、アレが鈴たちの言っていた“観賞用イケメン”というやつですか」

 

と、よくわからないカテゴリにアーサーを分類していた。たぶん、リリアーナにその言葉を教えた少女たちが言っていた意味からは、著しくかけ離れているだろう。

それでも彼女からすれば、異性や恋愛対象として見ることのできない存在なのに違いはない。そういう相手として見るには、にじみ出る王気(オーラ)が強すぎて気が休まらない。王族にとって結婚は政治の一環なのは理解しているし、恋愛結婚に執着するつもりなどさらさらないリリアーナだが、流石に見ているだけで疲れるような相手を伴侶に…とは考えたくないのであった。

 

 

 

  *  *  *  *  *

 

 

 

ハイリヒ王国は人間族における最大国家だ。当然、その王城に勤める者は膨大な数になる。

その中でも、1・2を争う人数を誇るのがメイド、あるいは侍女と呼ばれる者たちだ。なにしろ、侍従と共に王城における雑事全般を受け持つのが彼女たちの仕事。王城を出入りする騎士や官僚、あるいは貴族、そして主である王族の補佐や世話をする以上、彼らより人数が多くなくては話にならない。

とはいえ、彼らにも階級というか地位の高低はある。地位の高い者であれば王族の身の回りの世話を任されたり、大勢の部下を相手に采配を振るう管理職としての面が強くなったりもする。逆に、地位が低い者の場合は掃除や給仕といった雑事ばかりで、王族を見かけることはおろか中枢に近づく機会すらないなんてこともざらだ。

 

しかし、だからといって王城に勤める侍従や侍女は場所が場所なだけに、確かな出自を持つ者ばかり。行儀見習いやそこから本格的に出仕することになった貴族の子弟、あるいは平民でも名のある家の出であったり、有力者からの推薦や後ろ盾を得ていたり、そういった者たちでなければ近寄ることもできない場所だ。

故に、身分の卑しい者や氏素性の明らかでない者が王城をうろつくなどあり得ない。もちろん、間者や暗殺者の類が送り込まれない筈もないので、隠密行動を専門とする者たちが日夜警戒にあたっている。

 

裏を返せば、そういった目がある中でそれでもなお王城内に留まることができているという事実を以て、彼ら・彼女らの身分が“確かなものである”という保証につながる。

だから例えば、見覚えのない侍女が闊歩していたところで気にする者はまずいない。

 

(? あんな綺麗な人、このあたりにいたかしら?)

(新しく出仕してこられた方? それとも、配置転換でしょうか?)

 

侍女同士ですら、こんな疑問を抱くのが精々だろう。

何分人数が多いので、同じ部署ならともかく異なる部門には顔の知らない同僚など掃いて捨てるほどいる。ましてや、配置転換や新規雇用となればなおさらだ。接点のある同僚であれば実家の身分や背後関係なども重要になってくるが、稀に見かける程度の間柄では気にしていても仕方がない。

中堅以上の貴族であれば、派閥争いなどもあるので一通り顔と名前は把握しておかないと後が怖いが、爵位があるかも怪しい下級貴族の顔など一々覚えておくのは労力の無駄だ。

 

そのため、メルドの手引きでフェリシアが王城に潜り込んで2日、今のところ怪しまれる様子はない。

 

「………………ふぅ」

 

メルドが以前マシュと密会するために使用していた部屋(曰く「サボり部屋」)に戻ったフェリシアは、胸元のリボンを緩めて軽く息を吐く。

 

正式に侍女として潜り込ませようとすれば、当然身辺調査などが必須。騎士団長の権力でごり押せないこともないだろうが、それをすれば余計な不審を買うことになるだろう。フェリシアの素性を考えれば、詮索されるのは非常にまずい。

ならばいっそのこと、侍女としての上っ面だけ取り繕って潜り込ませてしまった方がいい。下位の侍女全員の顔と名前を把握しきることが難しいという点を利用したわけだ。仮にバレたとしても、フェリシア一人が行方を眩ませてしまえばメルドまで追及の手が及ぶ可能性は低い。まぁ、フェリシアのスペックがあればこそできる無茶ではあるが。

 

いや、本来であればいくら何でもこんな無茶は成立しない。こんな乱暴な策が上手くいってしまっていること自体が、現在のハイリヒ王国上層部の異変の深刻さを如実に表していた。

 

「……好都合ではありますが、手放しで喜ぶ気にはなれませんね」

 

本来なら、不審の塊であるフェリシアの存在は早々に隠密部門によって露見していたはずだ。それがなく、今も割と自由に闊歩できているということは、少なくとも隠密部門、場合によっては彼らを統括する上層部までもがまともに機能していないことを意味している。

一見すると誰もが普段通り職務を果たしているように見えるため露見しづらいが、気付いてしまえばその危うさは明らか。メルドが“虚ろ”と呼んだ現象は、ジワジワと国家機能をマヒさせつつある。

 

フェリシアは下位の侍女に紛れ込む形で王城に忍び込んでいるため、中枢部の詳しい状況はわからない。それでも、末端を見れば中央の状況もおのずと知れる。メルドから聞いた通り騎士や兵士には“心ここにあらず”といった者が散見され、偶々通りかかった貴族や文官にも同様の症状が見られた。

彼の話では、本当の意味での中枢である大貴族や王族はむしろ信仰心を高め、魔人族との対決を前に意気軒高…とのことだが、それも見方を変えれば外ばかりに目が行き、内側が見えていないということ。

 

本来なら一日もてば奇跡とも言える策だが、もう数日は誤魔化せそうである。

この部屋にしたところで、人の出入りの多い通路や部屋から適度に離れ奥まった場所にあることから訪れるモノ好きなどまずおらず、そのためフェリシアの隠れ家にしているが、本来は隠し部屋というほどのものではない。メルドがサボり部屋にしていた時も、時折清掃担当がやってきては“いくら使われていないとはいえ私物化されては困る”と苦言を呈されていた。

流石に夜半に人が足を向けることはないだろうが、いつ人が訪れるかわからないリスクがあることに変わりはない。それでも問題なく寝泊まりできていることもまた、王城の異変の表れの一つだろう。

 

まぁ、日中までは流石にわからないので、フェリシアは自身の痕跡につながるものを一切持ち込んでいない。

それこそ、寝具の一つすらもない状況だ。食事は宝物庫に放り込んでいた簡易食、睡眠は固い床の上で済ませる現状はある種の野営に似ている。おかげで、流石に起きた時は節々が痛い。

ちなみに、身体や衣服の汚れは水・風系の魔法の応用で対処している。再生魔法や変成魔法の応用でできないこともないが、消費魔力が馬鹿にならない。

今も一日着ていたお仕着せを脱ぎ、昨夜魔法で洗浄したそれに着替え、脱いだ分を洗濯中。この手の芸の細かい魔法運用は、フェリシアの得意とするところだ。仕官するよりも前、集落で割と重宝していた特技である。余談だが、同じく魔法を得意とするユエやティオも真似しようとしたが、服が端切れになったことで察してもらいたい。簡単そうに見えて、結構難しいのである。

 

「さて、そろそろですか」

 

慣れた様子で手早く乾燥まで済ませ、宝物庫に収納。

一仕事終えてフェリシアが呟いたのと、手元の通信用アーティファクトがうっすら光を放ったのはほぼ同時だった。

 

「“神”」

『“死ね”。なぁ、この合言葉じゃなきゃダメなのか?』

「別に反発心で決めたわけではありませんよ。教会関係者はもとより、敬虔な信徒であればわかっていても絶対に口にしない言葉ですからね。踏み絵にはちょうどいい」

『まぁ、確かにな』

 

頭をかく動作が目に映るような苦笑気味の声音で返すメルドだが、“死ね”と口にした声に抵抗感はほぼなかった。解放者たちが残した世界と神の真実、いまだ明確な確証があるわけではないとはいえ、得られた状況証拠の数々から信憑性は高い。

元々、メルド自身召喚された者たちのことでエヒト神への疑念があったというのもあるだろう。

 

『にしても……』

「なにか?」

『チラッと見かけたが、随分と様になってるじゃねぇか。侍女に扮するって聞いた時は、不安に思ったもんだったが……』

「これでも、ガーランドでは一時期行儀見習いの真似事もしていましたからね。多少は心得があります」

『ほぉ……』

 

何分、フェリシアは中央からは遠く離れた流浪の民の出だ。当然、一般的なそれならまだしも、格式高い礼儀作法なんてものとは縁遠かった。

とはいえ、いずれは国家の中枢を担うことを期待されていた以上、不作法なままでいるわけにもいかない。なので、訓練や勉学と並行してその手のことも徹底的に叩きこまれたし、実践がてら師の側付きをしていたこともある。それがこうして役に立つのだから、人生何がどこで役に立つかわからないものである。

 

「そちらで、何か進展は?」

『いや、目ぼしいものはないな』

「まぁ、行動を自粛してもらっているのですから当然ですね」

 

フェリシアが王城に潜り込んでからというモノ、メルドはそれ以前のように積極的に異変の調査や対策に向けて動くことを減らしてきた。下手に何者かを刺激するのは危険だからだ。もちろん、まったくなくすとそれはそれで不審ではあるが、今の様子なら惰性でそのまま続けているかのように外部には映るだろう。実際、彼の副官の目には不安の色が見え隠れしていた。

腹心の部下に申し訳ない気持ちはあるが、彼を巻き込むわけにはいかない。メルドの決断は、それ単体で見れば間違いなく王国への背信に他ならない。万が一の場合、責任を負うのは自分一人でいいのだから。

 

『そういうそっちはどうなんだ?』

「場所が場所ですからね、あまりたいしたことは」

『ってことは、神山への潜入も無理か』

「私は隠密行動に向いた技能も持っていませんからね」

 

ハジメたちが神山の大迷宮攻略のために潜り込んだ頃であれば、まだ神山の警戒レベルはそこまで高くなかった。だが、魔人族の動きが活発化し、決戦の日が近いこともあるのだろうが、おそらくはそれ以上に愛子と雫が召還という名目で監禁されていることが大きい。

 

「お二人の存在は、ハジメ殿に対する人質も同然です。奪還に動くことを前提に、それを阻むための措置でしょうね。遠目に見ても、警備が固すぎます」

 

王城に残る生徒たちの一部からは、“せめて二人と面会させろ”という声が日に日に強くなってきてはいる。しかし、実際に行動に移そうとする者はまずいないだろう。そういう意味で言えば、教会関係者は生徒たちを危険視していない。

だからこそ、フェリシアも遠目ながら神山へと続くルートなどを視界に入れる機会を作れたわけだが。もし彼らのことも警戒しているようなら、フェリシアも警備状況を確認することすら難しかったかもしれない。

 

『“虚ろ”についてはどうだ。なにか心当たりは?』

「やはり、これだけのことができる術者に思い当たる節はありませんね。というか、できるならあなたが考えたように、より強力な魔法を使うなり王国中枢を狙うなりするでしょう」

『やはりか。だが、だとすると“誰”が“どうやって”が問題か……』

「……………………特定は難しいですが、内部犯の可能性が高いでしょう」

『っ! そう、なるか……』

 

メルドもその可能性は考えていたのだろう。だが、彼の心情としては信じたくなかったのも無理はない。

しかし、実際問題そうであるとすれば合点がいくことは多い。フェリシアは直近までガーランドの中枢近くにいた人物だ。そんな彼女が、他国の王城にまで届く闇属性魔法や精神攻撃が可能な者を知らない筈がない。フェリシアが国を離れてから頭角を現した可能性もなくはないが……

 

「私見ですが、外部からこれだけの規模でかけるとすれば神代魔法級です。昨日今日で手にするにはあまりにも大きすぎる力ですからね、私が全く知らないとは考えにくい」

『神代魔法か……やるとすれば、どうやってやることになる?』

「魂魄魔法か生成魔法でしょうね。魂魄魔法ならば超遠距離での精神操作の類も不可能ではないでしょうし、闇属性魔法を付与したアーティファクトを作るという方法も考えられます。ですが……」

『魂魄魔法は神山だからな、現状魔人族の習得はほぼ不可能だろう。つーかこの状況で神山に潜り込めるなら、んな回りくどい真似をする必要もねぇか』

「ええ。生成魔法ならオルクス大迷宮ですが、あそこもそう易々と侵入できる場所ではありません。そもそも、アーティファクトなら可能性はあるとはいえ、やはり距離の問題がありますからね。なくはない、くらいに考えるのが妥当でしょう」

 

となると、やはりどう考えても内部犯がいると考えて行動すべきだ。

その内部犯が“味方に見せかけた敵”なのか、“潜り込んだ敵”なのかでまた色々と変わってくるが。

 

『だが、狙いは何だ? 士気を落とすのは…まぁ効果はあるだろうが、中途半端過ぎるだろう』

「士気を落とす…程度で済めばいいのですが」

『ってことは、洗脳の可能性も考慮した方が良いか』

「楽観視するよりはマシでしょうね。場合によっては、不自然に意気軒高な中枢部も警戒すべきかと」

『もしそうだとすれば、王宮全体が影響下にあるってことじゃねぇか……』

 

それは、想像するだけでも背筋が寒くなる可能性だった。

 

『ところで、その…なんだ。あいつらのことはどう思う?』

 

それまでの冷静さはなりを潜め、らしくない迷いが見え隠れする声。それだけメルドが彼らのことを案じ、関わり方に苦心していることがうかがえる。そんな、年頃の子どもでも持った父親のような様子に、フェリシアは漏れそうになる笑みを辛うじて抑えて応える。

 

「……一言で言うならば、子どもですね。市井で見る分には微笑ましく、彼らの置かれた状況を考えれば痛ましく思います」

『……そうか。やはり、お前の目にもそう映るか』

 

召喚された者たちは国の重要人物であるため、フェリシアの行動範囲ではなかなかお目にかかることはできない。それでも、偶に見かけた彼らの様子や断片的に聞こえてきた話し声を総合すると、そのような結論に至る。

それはメルドも同じなのだろうが、二人と同じ見解を抱く者はむしろ少数派だ。接点の多い騎士団や専属の侍女たちなどであればまた違うだろうが、伝え聞く情報でしか彼らを知らない有力者や聖職者は“神の使徒”としか見ていない。

 

“なぜ敵を討つことを悩むのか”

 

“なぜ与えられた使命に喜びを感じられないのか”

 

彼らは本当に理解できていない。

子どもたちが多感な少年少女であり、エヒトなどという神の名すら知らなかった事など、頭の片隅にもありはしないのだろう。

 

魔人族はそもそも戦う理由すらなかったはずの相手で、信仰心はおろか名前も知らない神が勝手に与えた使命など、ただただ迷惑でしかないというのに。

彼らの大半は使命とやらのために戦おうとしているのではない。元の世界に帰る唯一の希望のために戦おうとしているだけなのだ。

そんなことすら、一方的な正義で曇った目には映らない。

 

「ただ……」

『なんだ?』

「個人的には、勇者殿には親近感を覚えます」

『どういう意味だ?』

 

本当に意味が分からないらしく、先ほどまでの悩ましげな様子すら消え失せ、心底不思議そうに尋ねてくる。

そんなメルドに、フェリシアは遠い昔を思い返しながら言葉を紡ぐ。

 

「そうたいしたことではありませんよ。都合の悪い現実から目を逸らし、当てもなく力ばかりを求める……私にも覚えのあることです」

『ほぉ、そいつは意外だ』

「私に迷いがなかったとでも?」

『そうは言わんが、てっきり最終的にはまっすぐ突き進んできた口だと思ってたんでな』

 

それはそれで間違ってはいないのかもしれないが、どちらかといえばフェリシアは良く迷う方だ。少なくとも、彼女の自己認識ではそうなっているし、道を誤らないようにと自省を怠らないようにしている。

ただ、少なくとも“迷い”についてメルドにだけは言われたくなかった。

 

「私の迷いの張本人に言われると、流石にイラっと来ますね」

『は? 俺かよ!?』

「忘れたとは言わせませんよ。十年前、“子どもだから”などという理由で見逃された私が、あの後いったいどれだけ悩んだことか……」

『んなこと言われてもよぉ……』

「……まぁ、おかげで現実を見るきっかけになったわけですし、感謝していますよ」

 

メルドと出会う以前のフェリシアは、信仰心や他種族への敵愾心における周囲との温度差や違和感から必死に目を逸らしていた。そんなものは気のせい、あるいは細やかな齟齬に過ぎないのだと。むしろ、周囲の感じ方や考え方の方が正しく、流浪の民であった田舎者の自分がズレているだけだと、そう思い込もうとしていた。

周囲に迎合した方が楽だったから。長いものに巻かれ、周りに合わせてしまった方が軋轢はなく、違和感を抱くことこそが間違いで、見えるモノが正しいと思う方が良い。余計なものを見ないように、考えないように、我武者羅に力を求めた、身体以上に心が幼かった日々。

その時の自分と、視界の端でとらえた勇者の姿が、少しだけダブって見えた気がした。

 

そうして苦しいのは最初(いま)だけで、慣れてしまえば……そう思い込もうとし、ようやくそれに慣れつつあった頃に、フェリシアはメルドと出会った。出会い、知ってしまったのだ。不倶戴天の敵だと思っていた存在が、この世の悪そのものだと思おうとしていた人間族がその実、“子どもだから”などという理由で敵を見逃す、自分たちと“同じ心を持った人”なのだと。

 

その後のフェリシアの葛藤をメルドは知らないだろうし、その苦しみがどれほどのものだったか想像もできないだろう。

当然のように人間族を憎悪し、亜人族を蔑視する同族たちへの違和感。どんなに調べても、自分たちに都合のいい、悪し様な内容しか出てこないことへの名状しがたい気持ちの悪さ。正しいと思っていた神の教えが揺らぐことへの恐怖。それら全てを押し隠し、表向きは周りが期待する“気鋭の騎士”として振る舞う息苦しさ。

苦しくて苦しくて、息を吸うことすら困難な日々だった。

 

そんな中、本当の自分を見てくれていたのが師であり、メルドとの邂逅後間もなく出会った親友だった。

自分が異端であるとわかっていたからこそ、本心をさらけ出すことはできなかったけれど……二人と過ごす時間だけが安らぎだった。

フリードはフェリシアの葛藤を許し、いつか共に歩める日が来ると信じて見守ってくれた。

カトレアはフェリシアに理想を押し付けず、一人の年下の少女として扱い、何かにつけて気を配ってくれた。

それがどんなに嬉しくて、申し訳なくて、それでも救われたことだろうか。

 

もうそのどちらも失ってしまったことが、ふとした拍子に無性に寂しくなる。だがそんな感傷を振り払い、フェリシアは顔を上げる。

 

『まぁ、似た者同士だってんならそれもいいが、ならどうしたらいいか一つ助言でもしちゃくれねぇか』

「さて、“見たいものだけしか見ようとしない”者に“現実を見ろ”というのは簡単なことですが、それができれば苦労はしませんからね」

 

なにか現実と直面せざるを得なくなるようなキッカケ、あるいは目の逸らしようのない現実を突きつける、などがまずは浮かぶ。しかし、それはあまりうまいやり方ではないだろう。劇的な分、心身に与える負荷は大きい。

かといって、何かうまい言い回しというのもすぐには思いつかない。

 

「勇者殿の人間性がわからないことには、難しいでしょう。

 そもそも私、正論しか吐けない面白味のない女ですからね。あまり期待されても困ります」

『そうか?』

「何が不思議なのかわかりませんが、私は基本的に自分が正しいと思ったことしか言えませんよ」

 

虚言も欺瞞も弄することはできるが、それは端から騙すことを前提とした場合の話。あるいは、駆け引きの類であれば話は別だろう。

だが、相手の成長を望むのであれば誠実に対応すべきだ。で、そうなるとフェリシアは正論をぶつけることしかできない。そして、往々にしてそれは人を頑なにさせる。フリードから学んだ人心掌握術で考えれば、表面的には相手に徹底的に迎合して見せるのが良いということになるのだが……。

 

「別に、私は彼を支配したいわけではありませんし……」

『お前、今なんか物騒なこと考えてないか?』

「? それこそ大したことではありませんよ。彼が何をどう主張するかはわかりませんが、とりあえず全て同意して()()あるいは()()()()()()ます。そうやって心を許(依存)したところで、別の角度からこちらの都合のいいように誘導して使う……ということならできるというだけです」

『……』

「まぁ、その中で必要な方向に誘導して成長を促すということもできなくはないでしょうが……」

『……いや待て、流石におかしなこと言ってるようなら正さねぇとダメだろ』

「いえ、なおさら同意の言葉が効果的です。むしろアドバイスや反論の類は厳禁でしょう。内容とは無関係に“否定”や“攻撃”と受け取られて聞く耳を持たなくなりますからね」

 

ちなみにこれ、実は立香が光輝の説得に使った手でもある。雫などであれば光輝の危うさへの危惧と成長を願って苦言を呈するが、信頼関係などないに等しいということから立香は終始彼の言葉に同意を示し続けた。その上で一端別の話題で関心を逸らし、狙った方向に会話を誘導したのだ。

それなり以上の信頼関係があるか、あるいは議論することを前提に話をするならともかく、特に光輝のような手合いにはこのやり方は効果覿面だ。彼が欲しいのは不興を買ってでも耳の痛い諫言をしてくれる“敵”ではなく、自分の意見に一も二もなく同意してくれる“味方”なのだから。

無論、フェリシアはそこまで光輝のことを知っていてこれを口にしたわけではない。あくまでも、昔学んだ人心掌握術の一つを披露しているに過ぎず、それがたまたま光輝にドンピシャなだけだ。

 

まぁ、光輝の人間性を知ったとしても、別にこれを活用しようとは思わないだろう。先にも言った通り、フェリシアは彼を支配したいわけでも、手駒にしたいわけでもない。

捨て駒にするならそれもいいのだろうが、フェリシアにとって光輝をはじめとした召喚組は“本来無関係であるはず者たち”だ。できる限りこちらの世界の事情に巻き込みたくはないので、当然そういった真似も避ける方針でいる。“方針でしかない”というあたりに、フェリシアの冷徹さがうかがえるが。

 

『……一応、参考にはさせてもらう』

「どうぞご自由に」

『それで、例の天魔転変つったか? そっちはどんな塩梅なんだ』

 

二人が協力関係を結んだ際、フェリシアは自身の手札の一つを開示した。それが、天魔転変による他者強化。メルドは人間族でも屈指の実力者であり、騎士としてほぼ完成を見ている。だが、だからこそこれ以上の劇的な成長は望めない。魔人族が神代魔法を得たことで着実に戦力を増してきている現状では、自らと人間族、どちらも力不足なのは火を見るより明らかだ。

かといって、大迷宮に挑んだところで犬死するのは目に見えている。今の彼では、オルクス大迷宮の深層に挑むことはおろか、下層にすら到達できない。芽があるとすれば光輝たちだが、それも将来的な話。オルクス大迷宮の前半すら攻略できていない彼らでは、他の大迷宮に挑んだところで結果は同じだろう。

差し迫った状況であることを考えれば、悠長に大迷宮の攻略をしている場合でもない。ならば、他力本願を承知の上で、メルドがフェリシアに自身への天魔転変の施術を申し出たのは、ある意味必然だった。

 

とはいえ、言うほど天魔転変は簡単な術ではない。

自身に施すならまだしも、他者への施術は一度施せばやり直しが利かないため、何重にも慎重を期す必要がある。用いる魔石の選定、変容時の体のバランスの設定、実際の施術etc…ハッキリ言って、一日二日で終わるようなものではない。一応魔石の選定までは終わっているし、バランスの設定もある程度構想はできている。だが、施術にはまとまった時間がいる。潜入している間に施術するのは、現実的とは言えないだろう。

 

「一日や二日でどうこうなるものではありません。気長に待ちなさい」

『わかっちゃいるが、そう余裕もねぇからな』

「気持ちがわかるとは言いませんが、焦っているのは私も同じです。しかし、急いては事を仕損じますよ」

『……ああ、わかってる』

 

苦汁の滲んだ声を絞り出すメルドだが、フェリシアも同じようなものだ。むしろ、自身の戦力向上という点では頭打ちに近いので、メルドより深刻かもしれない。

一応、魂魄魔法を得ることができれば“分体の運用”や“細菌の感染制御”などが自力で可能になるので、まったく展望がないわけではない。ただ、主力である“天魔転変”や“悪鬼変生”については限界が見えてしまっている。

 

まず基本構想として、天魔転変と悪鬼変生は同時に用いることが前提になっている。悪鬼変生はベースとなる肉体の強度がそのまま限界値に反映されるため、素体は強力であればあるほどいい。そのために天魔転変を用い、魔物の特性を得ることで自己の強化を図っているわけだ。ただフェリシアはこの際、特性以上に身体能力に重きを置き、場合によっては自身の完全な魔物化も視野に入れている。それは特性に関しては自身の魔法や悪鬼変生を固有魔法として扱うことで代用可能と考えているからだ。

そして、悪鬼変生そのものについてはほぼ完成を見たと言っていい。再生魔法“壊刻”によって過去の傷を再生し、同時に時間を加速させることで復元速度を向上。これにより、初手から最大レベルの戦力を発揮できるようになり、なおかつ受けたダメージからの強化・再構築も早まった。およそ、これ以上は望むべくもないだろう。あとはより一層悪鬼変生に習熟し、さらに効率的かつ効果的な運用を模索していくしかない。

 

問題なのは、土台となる天魔転変の方だ。ある意味理想的といえるハジメの身体を参考に身体を造り変えてきたフェリシアだが、ここにきて一つの結論に至る。それは、“ハジメと同域の身体はどうやっても作れない”というものだ。彼の身体は、魔物を摂食することによる破壊と神水による再生の複合によるある種の奇跡。偶然の産物であり奇跡的な調和を人為的に再現するのには限度があった。

ハジメのそれを模倣することはできる。しかしそれは、あくまでも“南雲ハジメにとっての最適解”であって、“フェリシア・グレイロードにとっての最適解”ではない。性別が違うということは、骨格や内臓のつくりからして違うということ。体格や魔法における資質、相違点が多すぎてとてもではないがそのまま模倣しても彼ほどの効果は得られない。むしろ、繊細なバランスが崩れて結果的にはマイナスに働く。

今のフェリシアの身体は、現状の彼女にできる最高精度のそれだ。同時に、これ以上強靭なものを作るためのヴィジョンが浮かばない。

 

かといって、肉体の異形化にも問題がある。

そもそもフェリシアは人として生を受け、人が振るうための技として槍術を修めた。にも拘らず、人の形から離れるということは、身に着けた技術を捨てるに等しい。人が突如馬の下半身を得たところで、生まれながらの馬ほどにうまく走れるわけがないし、鳥の羽を得たところでそれは同じ。手足を増やしても、自由自在に動かすのは極めて困難だ。左右の手と指を別々に動かすことすら、それなりに訓練がいることからもそれは明らかだろう。むしろ、身体のバランスや構造が変わることで身に着けた技術を十全に活かせなくなる。だからこそ、フェリシアは自身の基本形を人のそれに固定しているのだ。

もちろん、そんじょそこらの有象無象相手ならむしろ異形化した方が効率がいい場合もある。しかし、同等以上の実力者を相手にするには、異形化はかえって足を引っ張る。

 

以上の理由から、フェリシアはぶつかった壁の打破に対して明確な指針を持てずにいた。

 

(果たして、今の私で神と対することができるのだろうか。“私”以上の“私”を作れない“分体”も、生物としての理が通用するかすらわからない神を相手に、“細菌”もどこまで意味があるか……)

 

ハジメの影響を受けて“物量”を覆す方法を模索したというのもあるが、本来“分体”や“細菌”は苦肉の策に近い。故に、フェリシアとしてもそこまで期待を持つことができないのだ。

とはいえ、今はそれに悩んでいても仕方がない。情けない話だが、ハルツィナ樹海を攻略することで新しい可能性が開ける可能性もあるのだから。そうして気持ちを切り替え、気になる点や今後のことについて話を詰めていく二人。

だがそこで、通信機がメルドの部屋の扉がノックされる音を拾う。

 

『すまん、一度切る』

 

そう言い残し、返事を待つことなくメルドは通信を閉じた。

 

フェリシアはそのまま再度通信が開くのを待ちながら、メルドに施す施術のプランを煮詰めようと宝物庫から人体図のようなものを出す。

とそれを広げようとしたところで、デスクにおいてあった通信機が音を発し始めた。

 

「思いのほか早かったですね。もう用件はいいので…『ギン…!』っ!?」

 

通信機が発したのは、何かを隔てたような少しくもぐもった…だが、決して聞き間違えることのない金属と金属が衝突する音だった。フェリシアは即座に口をつぐみ、通信機からもたらされる音に耳をそばだてる。

 

『…そっ、や…洗脳か!?』

 

聞こえてくるのは、いまいち聞こえにくい戦闘音とメルドの声。おそらく、服のどこかに忍ばせた通信機のスイッチをドサクサ紛れにオンにし、あちらの現状を伝えるつもりなのだろう。聞き取りにくいはずなのにそれなりにメルドの声を拾えているのも、動揺から声が大きくなっているのだけが理由とは思えない。

 

(だとすれば、私はどう動くべきか……)

 

メルドの加勢に行くことは簡単だ。彼は自室でフェリシアと通信していたはずなので、そこへ向かえばいいだけの話。

しかし、そこで問題になるのは今後の事。ここで介入すればフェリシアの存在が“敵”に露見してしまう上、メルドの立場もなくなってしまう。おそらく、今後王宮に近づくことはできなくなると考えるべきだろう。

 

だが、ここでメルドが自力で洗脳されたと思われる何者かを撃退できれば何も問題はない。フェリシアの存在は露見しないし、メルドは明日も騎士団長として多忙に過ごすだろう。二人にとっては、その方が都合がいい。

 

『ぐ……この、力……』

(……現状は様子見、場合によっては介入できるよう準備しておくべきでしょう)

 

音を聞く限り、多少苦戦しているようだがまだメルドの声には余裕がある。

天魔転変こそ施していないが、彼の身体はフェリシア手ずから調律済みだ。劇的な戦力の向上こそないが、身体の歪みや長年に渡って蓄積していた疲労や損傷を直したことで、彼本来の実力を発揮できる状態にある。人間族最強の一角である彼が実力を発揮すれば、単独で勝てる者はそうはいない。

だからこそ、フェリシアも自身を抑えて様子見に徹しているのだ。ここで、全てを水泡に帰してしまうわけにはいかない。

しかし……

 

『…け、遍……よっ――――“風―――ッ!?』

 

魔法を発動させようと詠唱を進めていたメルドの声が、不自然なタイミングで止まった。

 

『だい、すけ?』

 

その驚愕に満ちた声だけは、やけにはっきりと聞き取ることができた。あるいは、メルドがフェリシアに聞かせるため、意図的にそのように発したのかもしれない。

 

『チ…ッ! このタイミングで急所を避けるのかよっ』

 

メルドではない若い、だがどこか焦りと共に狂的な響きを宿した不快な声がフェリシアの耳を震わせる。

間違いなく、メルドと戦っていた人物の他に、少なくとももう一人いる。声に聞き覚えはないが、名前は知っている。

 

(だいすけ…確か、“檜山大介”でしたか)

 

召喚された者たちの名前は、一通り把握しているのですぐに分かった。とはいえ、個人の情報については知らないに等しい。

だが何も問題はない。洗脳されたと思われる何者かがメルドを襲い、さらに勇者と共に召喚された者が今まさに襲われているメルドの背中に刃を突き立てた。フェリシアが動くのに、理由はそれで十分だった。広げていた人体図を宝物庫に放り込み、行動を開始する。

 

―――ピシッ……ゴッ!!

 

最短経路を進むため、本棚ごと壁を粉砕して外へ。

 

間違いなく、檜山大介は洗脳された者と違いある程度以上自分の意識を保っている。程度が違うだけで彼もまた操られているのか、あるいは“敵側”なのかは判断できない。しかし、勇者の同輩は貴重な駒の筈。それを使ったということは、メルドを生かしておく気はないということだろう。

 

ここで彼を失うわけにはいかない。

かつてフェリシアは暴走しつつある祖国を止めることができなかった。だが、メルドにはまだ可能性がある。ここでハイリヒ王国まで暴走を始めれば、時代の流れは手に負えないものになってしまう。

 

(潜入のため、かける手間を減らしたのが功を奏しましたか)

 

王宮に潜り込むにあたり、フェリシアが自身に施した変成は肌の色や耳の形などを人間族のそれにする程度。女性としては高い身長は目立つので骨格を弄ることも考慮したが、結局それはやめた。有事の際に、元の姿に戻るためにかける時間を最低限にとどめた方が良いと判断したからだ。

特に骨格などの場合、耳や肌の色と違い戦力に直接影響する。元に戻る暇もなく戦闘に陥れば、それこそ命取りになる可能性があった。そしてリスクを伴ったその判断は、結果的に正しかったのだ。

 

だがそれでも、この事態は予想を超えていた。

 

(これは……何が起こっている!?)

 

メルドの自室は王宮中央に近い場所にあるのに対し、フェリシアの隠れ家は端も端。当然、それなりの距離があるが超人的なフェリシアの脚力の前では誤差の範疇。一分とかからずたどり着けると踏んだはずの場所に、どれだけ走っても到達できない。

 

(であればこれは、人除けの結界か!)

 

通信機から聞こえてくる戦闘音は、それなり以上のものだ。現在メルドは洗脳された自身の副官と大介の他に、複数の兵士に囲まれているらしい。

王宮という場所でなくても、間違いなく周囲が大騒ぎになっているはずだ。にも拘らず、外に飛び出したフェリシアの耳にはその音が拾えず、あたりは未だに夜の静寂を保っている。防音効果のある結界を展開しているのは即座に気付いたが、まさかここまで高度なものを用意していたとは……。

 

普通、これだけの結界を用意するには時間も手間もかかる。にもかかわらずそれを実行できたということは、それこそ王宮全体に対して影響力を有した人物の手引きが必要だろう。あるいは、それこそ王族自らが指示した可能性も否定できない。

 

「昇華っ!!」

 

昇華魔法で、自身のあらゆる能力を可能な限り引き上げる。

人除けの結界は、一度発動してしまえばその場所を見つけるのは至難の業だ。何しろ、そもそも認識すること自体が困難を極め、通常近寄ることもできない。突出した能力を有するフェリシアでも、見つけ出すのは容易ではない。

 

だがその間にも、着々とメルドは追い詰められている。

 

『もう、諦めて死ねよ、メルドだんちょぉぉぉっ!』

『いや、ここは恥を忍んで逃げさせてもらう!』

 

何か薄い硬質の物が割れる音がした。おそらく、メルドが窓を割って脱出したのだろう。その判断は正しい。

今必要なのは決死の覚悟ではなく、生き恥を晒してでも逃げ延びる生き汚さ。生き残り、この事態を伝えなければならない。

 

『―――“風壁”!』

(確か、メルドの自室は王宮の四階。なるほど、風で落下速度を調節しましたか)

 

普通なら大怪我を負う高さだが、そのおかげで無事に着地できたらしい。実際、通信機から聞こえてきた音は、彼の体重を考えれば十分に軽いものだった。

 

『聞こえるか! 想定よりはるかに状況は悪い、お前もいったん外へ……っ!?』

 

通信機を取り出したのだろう。明瞭になった音声でそこまで口にしたところで、メルドが息をのむ音がした。

 

「メルド? どうしました、メルド!?」

『――――――――――――――――――――――――』

 

通信機越しに、何か声のようなものが聞こえては来る。だが、あまり音量が大きくないことから聞き取ることはできない。

しかし、次にメルドが漏らした言葉は良く聞こえた。

 

『ああ、クソ。なるほどな、確かに話の通りだ。これが神の意思だというのなら……』

 

“最悪だ”そんな、声にならない声が聞こえると同時に、何か異質な気配が漏れてきた。

 

その瞬間、フェリシアの頭が沸騰した。いったい誰の仕業か絞り切れずにいたが、ようやくわかった。これまでずっと姿を見せなかった存在が、その尻尾を見せたのだ。

 

「ふ、ざ…けるなぁぁぁぁぁぁっ!!!!」

 

一瞬感じた結界越しでもうっすらと感じる存在感。フェリシアはそれを頼りに跳躍し、宝物庫から引っ張り出した愛槍を振りかぶる。

 

(近づけないのなら……!!)

 

全身の筋肉が限界以上に引き絞られ、関節が可動域を超え、全身が悲鳴を上げている。

それを一顧だにすることなく、フェリシアは槍に炎を纏わせ……渾身の力で投擲した。

 

「―――“緋槍”、貫けぇっ!!!」

 

放たれた槍は一条の流星となり、音もなく結界を貫いた。

フェリシアが翼を生やしてその穴へと飛び込むと、眼下には力なく倒れたメルドの姿。また、メルドの自室の窓には降下する彼女に驚愕の視線を向ける男の姿もある。

フェリシアは一瞬だけその人物に視線を向けると、僅かに目を細める。

 

「ひっ!?」

 

声にならない悲鳴を漏らし、窓から男の姿が消える。腰を抜かしたのか逃げたのか、いずれにせよそんな小物にかまけている場合ではない。

 

「メルドォ!」

 

頭上から一発の光弾が放たれ、身動き一つしないメルドに襲い掛かる。フェリシアは右腕を甲殻の鎧で覆い、全身の捻転を使って光弾に裏拳を叩き込む。

 

(くっ、重い……!)

 

一見すると何の変哲もない中級魔法。にも拘らず、その重さ…こめられた魔力が尋常ではない。殴りつけたはずのフェリシアの甲殻がひび割れ、逆に自分の方が弾き飛ばされそうになる。

それでも力負けすまいと歯を食いしばり、その腕を振り抜いた。

 

「~~~~~~~~~~~~~~~~っ、はっ!!」

 

弾かれた光弾は天を衝く尖塔の一つに着弾し、跡形もなく吹き飛ばす。

右腕の甲殻は砕け散り血がしたたり落ちている。中級魔法の一撃が、凄まじい威力。それこそ、魔法の天才であるユエをも上回るやもしれないほどに。正直、戦慄を禁じ得ない。

 

 

だが、そんな心の乱れを押し殺し眼下に視線を向ければ、奇しくも彼女の槍は倒れたメルドのすぐ傍に突き立っている。

そのまま一気に降下し、槍を回収するとともにメルドの側に降り立つ。彼の状態を確認したい衝動に駆られるが、本能がそれを許さない。

 

上弦の月が浮かぶ夜空に佇むのは、白銀の翼を羽搏かせるゾッとするほどに美しい女だった。

その女が、何の感情も伴わない機械的な声を紡ぎだす。

 

「なるほど、私の一撃を止めますか。称賛に値します」

「……何者か!」

 

誰何の声を放つのにも、多大な労力が必要だった。

本能は息を潜めろと叫び、動くことを拒絶している。心臓を鷲掴みにされ、冷や汗が滝のように流れ落ちる。己の息遣いや心音さえも五月蠅く感じ、目の前が真っ暗になりそうだ。

理解しているのだろう。厄災が通り過ぎるのを待つ以外に、生き残る術がないことを。

 

だが、そんな本能の訴えをフェリシアは無視して天に君臨する“ソレ”を睨みつける。その程度の威圧感で屈するほど、潜ってきた修羅場は安くない。

 

(そうだ。この程度であれば……!)

 

異世界の英傑たち、あるいはこの世界で産声を上げたバケモノも引けを取りはしない。

 

「……もう一度問います。お前は、何者だ」

「仮にも主の御業を受け継ぐ眷属、問われて応えないのは些か非礼ですか」

(眷属? 私が?)

 

いや、そもそも神代魔法は神の用いた魔法と伝えられている。ならば、その使い手を“眷属”と称するのはそれほどおかしいことではないのだろう。

しかしそれは同時に、フェリシアの持つ“昇華魔法”が“■■■■”であることを示していることになるわけで……。

 

「神の使徒、ノイントと申します」

 

ここに幾星霜の時を経て、使徒と眷属が邂逅を果たした。

 

(なんとしてでも生き延びなさい、メルド)

 

忌々しいほどに神々しく君臨する使徒から視線を切ることなく、フェリシアは内心で背後の男を叱咤する。

既に復元の終わった右腕に残った僅かな血を、死相を浮かべたメルドの頬に落としながら。

それが、一か八かの賭けであることを承知の上で。

 

しかしフェリシアは気付いていなかった。いや、フェリシアだけではない、この場に居合わせたすべての者が、招かれざるもう一人の客の存在に気付いていなかった。

フェリシアが結界を突破する瞬間を目の当たりにし、その影を追ったもう一人の存在を。

 

 

 

  *  *  *  *  *

 

 

 

雲一つない晴天から降り注ぐ眩しい日差しに、思わず目を閉じる。慣れてきたであろうタイミングを見計らって瞼を開ければ、そこには今日も今日とて穏やかな喧騒に包まれた校門前の風景が……

 

「「「暴れ猪だぁ―――――――――っ!!」」」

「ぐはっ!? む、無念……」

「ディルムッドが死んだ!?」

「この人でなし!!」

 

訂正。暴走する猪の一団とそれに跳ね飛ばされた哀れなイケメンにより、校門が紅く染まっていた。

 

「……………………………朝だなぁ」

「朝の風物詩みたいに言うのはやめましょう先輩!? エマージェンシーです! 急ぎ状況への対処と原因の究明を……!」

「いや、とりあえず原因は明らかでしょ」

 

なにしろ、猪…もとい豚関連の事件はだいたいBBとキルケーの二択だ。それを証明するように、化学教師のメディア先生が妹のリリィや親戚のアステリオスと共に猪たちを追いかけている。大方、叔母で生徒というちょっと複雑な家庭環境が伺えるキルケーの後始末に奔走しているのだろう。

で、どう見てもこの事件の犯人としか思えないキルケー自身はといえば……寸胴鍋一杯のキュケオーンを前に、途方に暮れていた。

 

「なぜ……なぜ誰も食べてくれないんだぁっ!?」

 

そりゃたった今あんなことがあって食べる無謀な人間はいない。埋まっていない地雷にもほどがあるだろう。

 

「美味しいよキュケオーン! 栄養満点だし、胃にも優しい、朝にはもってこいじゃないか! そうは思わないかいピグレット!?」

「豚にさえならなければなぁ……」

「何やってるの叔母様! ほらこっち!」

「アステリオス、キルケー叔母様先輩を担いで連れてきてください」

「う、ん。いこう、おばさん」

「叔母さんって言うなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……(ドップラー効果)」

 

割と切実な叫びを残しながら連れ去られるキルケー。でも同情はしない、だって事実と自業自得しかないから。

猪たちも、主犯とその関係者以外にも物好きな青タイツ(ジャージ)などを追いかけているので、まぁ大丈夫だろう。

 

「今日は猪だけか、静か静か」

「なんだか、慣れてはいけないものに慣れている気がヒシヒシと……」

 

そうは言うが、仕方がない。ここはもう慣れるしかないし、慣れてしまった方が幸せだ。

だってこの学校の前は本当に色々なものが通る。戦像だったり木馬だったり青銅の巨人だったり……時にはなぜか帆船が通り過ぎることもあるのだ。今も空をイルカと戦車とUFOとドラゴンが飛び交っている。あと偶に鮫。

よくわからないが、そういうモノなのだ。

 

それに、ある意味ではもっと頭の痛い光景が目と鼻の先にあるではないか。アレはどうするつもりなのだろう。

 

「さあさあ、産地直送取れたての林檎だ! 現品限り、早い者勝ち。一つ手に取って色・艶・輝きを見てくれたまえ、愛すべき後輩諸君!」

「何やってんですか、キリシュタリア先輩」

 

軽トラを改造した移動式屋台で金色に輝く林檎を売る、貴族のような風貌の美形。ただし頭には麦藁帽子、手には軍手、足にゴム長、チェックの長袖に若草色のツナギという、どこからどう見ても“The農家”といわんばかりの格好で。なんというかこう……果てしなく似合わないのだが、妙に様になっているのが不思議だ。

 

「やぁ立香、へいよーかるでらっくす!」

「あ、うん、へいよーかるでらっくす」

「お二人とも、妙な挨拶を流行らせようとするのはやめてください!」

「やれやれ、マシュはまじめだ。ところで、君も一つどうだい? 御覧、今日の林檎たちは輝きから一味違うだろう!」

 

むしろ、輝いているのはあなたの方だ。表情といい汗といい、キラッキラである。人生を謳歌しまくっている。

特に、なぜか手伝わされているパリス君とアタランテの目が死んでいるから、その対比で余計輝いて見える。その後ろでは、なんだかんだで付き合いの良いカイニスがとても残念なものを見る目をキリシュタリアに向けていた。

 

「は、はぁ……」

「しかし、マシュも私の後輩か。そう思うと中々に感慨深い。いいかい、ここは良い学校だ。大いに学び、楽しみ、悩み、青春を謳歌すると良い。無駄なものなど何もありはしない。ここにある全てが未来の君を形作る、得難い財産なのだから」

「は、はい! マシュ・キリエライト、精一杯頑張ります!」

(さすが、元生徒会長言うことが違う……まぁ、高3の冬に中退した人が言うことか、とは思うけど)

 

信じられるか、“学校始まって以来の天才”“東大確実”と期待されてたっていうのにこの人、二年前突然中退して林檎農家になったんだぜ。あの時の上を下への大騒動は、最早伝説だ。

いや、その騒動は今も続いている。

 

「ようやく見つけたぞ、キリシュタリア!」

「おや? カドック、カドックじゃないか! 久しぶりだね、大学生活は楽しんでいるかい?」

「そんなことはどうでもいい。アンタは、こんなところで、何を、しているんだ!!」

「? ……林檎の販売だが?」

(きっと聞きたいのはそういうことじゃないんだよなぁ)

 

天然発言に思わず頭を抱えるのは、昨年度卒業生のカドックだ。まぁ、彼の気持ちもわかる。

学生時代はその貴族然とした立ち振る舞いと次々に打ち出される革新的改革案から、“美しすぎる生徒会長”“カリスマ漲るキリシュタリア様”とか呼ばれ近付き難い印象を持たれていたものだが、中退事件前後からすっかり“愉快なお兄さん”“天然キャラ”にイメチェン。今ではすっかり板についてしまった……いや、元からそういう人だったのだろう。

ただ、それを受け入れられない人もいるわけで……。例えば彼に対抗心を燃やしていたカドックとか、今も全力で見て見ぬふりをするオフェリアとか、なにやら土煙を巻き上げながら疾走してくるオルガマリーとか。

 

「キ~リ~シュ~タ~リ~ア~!!!!」

「おっとあれはオルガ? ふぅむ、いったい何をそんなに怒っているのだろう……よし、ここは新商品の林檎アロマで」

「やめろ! 余計油を注ぐだけだ!」

 

コメカミを揉みながら、ポケットをあさるキリシュタリアの手をガッするカドック。何を言われているのか心底わからないという様子で不思議そうな顔をするキリシュタリアに、カドックが小刻みに震えている。

そうしている間にも、駆け付けたオルガマリーが額に青筋浮かべながらキリシュタリアに詰め寄っていく。

 

「ハァハァハァ……まずは、よく見つけたわカドック」

「あ、ああ、まぁな」

「で、どういうつもりなのキリシュタリア!」

「久しぶりだねオルガ。最後に会ったのは……」

「そんなことはどうでもいいの! いいから、さっさと大学に戻りなさい! 父の跡を継ぐのはあなただったはずでしょう!」

「ハハハハ、何を言っているんだいオルガ。そもそも私は大学に学籍を持ったことはないよ」

「「当たり前のように研究室に出入りしてた奴が言うことか!!」」

 

なんでも、キリシュタリアはその優秀さから大学教授を務めるオルガマリーの父に昔から随分目をかけられていたらしく、高校の頃から彼の研究室に入り浸り、様々な成果を上げていたらしい。そんなキリシュタリアにカドックは対抗心を燃やし、オルガマリーは細やかな劣等感を抱いていたのだろう。

だからこそ彼が進学を蹴り、なぜか林檎農家になってしまったことに納得がいかないらしい。

 

「しかし、先生は“頑張りなさい”と快く送り出してくださったよ。農園への出資や専門家の紹介、まったく“足を向けて寝られない”とはこのことだ」

「お父様が!? いや、でも……研究はどうするのよ!!」

「研究室でなくても研究はできるさ」

「というか、そもそもお前どうして林檎農家なんだ……」

「ああ、それは……いつだったか立香が林檎を差し入れてくれてね」

「「お前の仕業かぁ!!!」」

「お、俺のせい!?」

 

二人の怒りの矛先が向いて、アタフタする立香。原因といえば原因かもしれないが、そんなことを言われても……。

 

「ハハハハ、これでは商売にならないね。それでは諸君、また逢う日まで壮健なれ!」

 

立香に二人の意識が向いた隙をつき、軽トラの運転席に乗り込むキリシュタリア。アクセルをベタ踏みし、ゴムの焦げる匂いをさせながら軽トラが疾走する。カドックとオルガマリーが、慌てて引き留めにかかるが……。

 

「待て! まだ話は終わってないぞキリシュタリア!」

「……なぁ、カドック。これは確かに私の人生には本来なかったもの、余計なものなのかもしれない」

「……」

「だがね……受験目前で中退とか、中々にロックだと思わないか?」

「お前はロックを何だと思ってるんだ!!!!!」

「逃がさないわよキリシュタリア!!」

「ならば捕まえてみたまえ。うん、なんだか興が乗ってきちゃったぞ!」

 

“あ~ばよ~、とっつあぁ~ん”とでも聞こえてきそうなテンションで軽トラが走り去っていく。それを見送りながら、実は彼が良く駅前のロータリーに出没することを知る立香は……そのことを二人にだけは言うまいと心に決める。

 

(秘密戦隊クリプターズのリーダーとして、サンタアイランド仮面と子どもたちの人気を二分しているとか知ったら……)

 

頭が痛いどころか二人の胃に穴が空きかねない。それどころか、そのトンチキ戦隊に巻き込まれる可能性が高い。実際、既にオフェリアが巻き込まれている。いまだに現実を受け止めきれず、夢と思い込もうとしているようだが。

 

まぁ、時間の問題かもしれないが……誰もが“あの人”のように順応できるわけではない。そう、今ちょうど校門で服装チェックをしている生活指導のペペロンチーノ先生とか。

 

「あら、ちょっとスカード短過ぎない?」

「ちゃんペペ、お願い見逃して!」

「ん~……可愛いから行って良し!」

「さっすがちゃんペペ! わかってるぅ~!」

 

むしろ、スカートの丈よりも派手派手に着飾りまくってることの方が問題な筈なのだが……。

 

「はいは~い、そこのJK。付け耳付け尻尾は校則違反、天然ものオンリーよ」

「いいじゃんいいじゃん! ってか、天然だし! パチモンじゃないし!」

「あらそう? ……………個性って大事よね、キャー!」

「おのれ、なぜあのなんちゃってJKにオッケーが出るのか納得がいきませんが……そこへ行くと、わたくしは100%天然素材。もちろん、巫女っと素通りで……」

「あ、あなたはアウト」

「ストップ、ストッププリーズ! なんであのJKが良くてわたくしがアウトなのですか!」

「だってあなた、生徒じゃないでしょ」

「ご主人様ぁ~~~~~~~~~~~!?」

 

とか。

 

「ねぇ、あなた男子じゃなかったかしら? なんで女子制服?」

「ほら、アーちゃん。やっぱりやめた方がいいよ」

「え、だって可愛いでしょ?」

「そうね、可愛いは正義。行って良し」

「ヤッター♪」

「いいのかなぁ?」

「ローランみたいに脱がないだけマシじゃない?」

「そうかな…そうかも」

 

とか。

 

「あれは、服装チェックの意味があるのでしょうか?」

 

気持ちはわかるが、仕方がない面もあると思う。だって、誰も彼もフリーダム過ぎて一々指摘していてはキリがない。

まぁ、それを言うと、フリーダムなのは校内に入ってからも同じなのだが。

 

「クハハハハハハハ!!」

「「フハハハハハハハ!!」」

「クハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」

「「フハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」」

 

3つある校舎のそれぞれ屋上から高らかに響き渡る哄笑。まるでお互いに対抗するかのように“いつ息継ぎしてるの?”と聞きたくなるそれが、絶え間なく学校内に木霊している。

 

「え~っと、東校舎が太陽王で、本校舎が英雄王、それで……」

「西校舎が巌窟王さんではないかと」

 

ちなみにこの哄笑合戦、HR開始の予鈴が鳴るまで続く。ホント、いったいどんな肺活量をしているのやら。ちなみに、偶にここに「ハッハッハッハ~!」と始皇帝が混ざったりする。普段何をしている人たちなのかは、よくわからない。港で釣りをしていたり、オープンカーに箱乗りしてるのは見かけたりするのだが。

 

他にも、校庭のど真ん中で煙が立ち上る不審物があったり……

 

「先輩、煙が! というか、小刻みに振動して明らかに危険です! デンジャーです!」

「ん? あそこにいるのは陳宮先生か。となると次は……」

「おや、いけませんね。ならばここは……自爆しかありますまい!」

 

校庭の隅で双眼鏡を片手に、別の手で何かのスイッチを押す。すると、予定調和の如く爆発した。

 

―――チュドーン!!

 

「……校内に先生が爆発物を持ち込むのは、いかがなものでしょう」

「あの人のことだから、“必要な措置でした”とか何とか言って聞く耳持たないよ」

(自爆はロマンだ)

(うむ。ならば奴もまた、ローマなのだな)

「今何か聞こえたような…………とりあえず、事前説明の通り自由な校風なんですね」

「っと、マシュあれ……」

「ヒナコさんですね。今日は学校に来られたようで、安心しました」

 

何しろあの人、立香の一つ先輩だったはずが、留年を繰り返して今ではマシュの同級生。不良ではないが不登校気味なので、週一回見かければ良い方というある種のレアキャラなのだ。ちなみに、昨年までは立香と同級生だった。だから、こんな気安く話しかけても特に問題はない。

 

「やっほ~、ぐっちゃん」

「気安く話しかけんじゃないわよ。見てわからない? 私は忙しいの」

「またまたぁ~」

 

メガネに三つ編みと、一見すると文学少女な格好だが立香は知っている。実はこの人、手にした本など全く読んじゃいない。本を読んでいれば人は寄ってこない、つまり本は人除けのためのアイテムに過ぎないことを。

 

「ところでさ、いいの?」

「なにがよ」

「自爆といえばパイセン、パイセンといえば自爆。このままじゃお株持ってかれちゃうよ?」

「自爆を人の持ちネタみたいに言うんじゃないわよ!!」

「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~」

「ヒナコさん! 顔が、先輩の顔の形が変わってしまいます!?」

 

アイアンクローをかまされ、叫ぶこともできずにタップする立香。毎度のことなのに、懲りない男である。

ちなみにその時、金髪縦ロールのお嬢様が“逸材を見つけた!”みたいに目を輝かせていたことを、ヒナコは知らない。

さらに、校内を水兵さんの格好をしたどう見ても未成年な小柄な影が行き交うのも、校舎に激突炎上した暴走スクーターから颯爽と飛び降りた密林の戦士も、それに屋上からフライングボディプレスを仕掛けたサンバな女教師も、この学校では日常の光景である。

 

「先輩、日常とはいったい……」

「いつも見ている光景、っていう意味でならあってるよね」

「……………………………………………………………はい」

 

事実なだけに、否定できない。

 

そして、どたばた騒がしいのは校舎に入ってからも変わらない。

例えば、左手にカバンを持ったヤクザも裸足で逃げ出すほど目つきの悪い白髪の少年の右手を巡って、黒髪と金髪、二人の美少女が手四つになって熾烈な争いを繰り広げていたり……

 

「ユエの番は昨日でしょ! 今日は私!」

「……油断しているバ香織が悪い。私はユエ、虎視眈々と獲物(ハジメ)を狙う雌豹」

「なっ!? ユエの意地悪、おたんこなす――――っ!」

「……心外。脳内ピンク、ムッツリの香織からハジメを守ろうとしただけ」

「む、ムッツリじゃないもん!!」

(そろ~り、そろ~り……)

「「シ~ア~」」

「ごめんなさいごめんなさい! 抜け駆けするつもりはないんですぅ、ちょっとした出来心なんですぅ!?」

 

取っ組み合う二人の横を、密かに通り抜けようとしてぐりんと光のない目を向けられ涙目になるウサギがいたり……

 

「……ふむ、美少女型メイドゴーレムか」

「ああ。どうしてもな、人に近づければ近づけるほど違和感が強くなっちまう。不気味の谷ってやつだな。正直、手詰まり感が強くてよ。こうして、恥を忍んでアンタに相談しに来たってわけだ、アヴィケブロン先生。

 ……俺は彼の巨匠“オスカー”の夢を叶えてやりたい。だから頼む、何でもいい。なにか、なにかキッカケをくれねぇか!」

「そうか。ならば僕から言うことは一つ……笑止!!」

「な、なにぃ!?」

「以前の変形合体機構搭載、人型決戦ゴーレムの時も思ったことだが…君は既存のイメージに捕らわれ過ぎている。メイドゴーレム? そんなもの、千年前に僕が通り過ぎた場所! そこに美少女要素を加えたところで二番煎じの域を出ないと知れ! 君に必要なのは、違和感を解消するなどという小手先のアイディアではない。固定観念からの脱却、自らの殻を壊す発想の転換。

そう、どうせなら……“自己進化・自己増殖・自己再生機能搭載ゴーレム”くらい言えないのか!!」

「っ!!!!!!!!! そ、そうか。俺は、俺ってやつは、いつの間にか小さな世界で満足しちまっていたのか……へっ、これじゃオスカーに笑われちまうな」

 

自分の両手を見下ろしながら自嘲するハジメだが、ちょっと待ってほしい。発想の飛躍は良いのだが“それなんてデビルガ〇ダム?”、そんなもの作って地球は大丈夫なのだろうか。新たなビースト案件にならないと良いのだが……ところで、ハジメの足元でカーペットになっているティオ先生は放っておいていいのだろうか。

 

「はぁはぁ…妾を足蹴にしたまま、気にも留めずに熱く語り合うご主人様。た、たまらんのじゃ……やはり、妾にはご主人様しかおらぬ!」

 

……まぁ、本人が幸せそうなら、それでいいのだろう。

 

たとえ、そんなティオを見下ろすハジメの目が汚物を見るようなものでも。

たとえ、周囲の目が南極もビックリなくらいに冷たくても。

本人にとっては、快楽を煽る燃焼材にしかならないのだから。

 

「いっそのこと、このまま果ててくれねぇかな……」

(ッ!! ビクンビクン!!)




まさか、夢世界が三回に渡るとは思わなかった。一応、次回で夢は終わります。まぁ、残りの試練は山も谷もないし、巻きで行けると思います。


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040

マズイ。原作の方で聖剣…とついでに大樹の正体が明らかになってしまった……設定と今後の構想を変更しないとなぁ。まぁ、別に対して重要な要素でもないんですけどね。
具体的には、聖剣が「金髪ショタ」キャラで「天使の微笑みを浮かべながら苦悩する光輝を見てメシウマするドS」っていうだけなんですけど。

あと、「勇者」の要件が明らかになったわけですが……フェリシア、思いっきり適正あるなぁ。まぁ、「地球の勇者」が光輝で、「トータスの勇者」がフェリシアってことにしてもいいんですけど。その場合、エヒトを倒した後もフェリシアの苦労は続くことになりそうですが。あるいは、大樹の女神候補にするのも……というか、ユエの「神子」って、まさか“次期女神”って意味じゃないよね?


マシュとは教室の階が違うので途中で別れ、自分の教室へと向かう。

色々あって始業ギリギリになってしまったが、一応間に合ったことに安堵して教室の戸を開けると……

 

「遅い!」

 

仁王立ちしたジャンヌ・オルタに叱られた。

 

「遅刻ではないと思うんだけど……」

「五分前行動は社会の基本でしょう。何か一つトラブルがあれば、今頃遅刻です。分かってるのかしら、コイツ」

(なんだかんだ言って、根は真面目なんだよなぁ……)

「い、良いから早く席につきなさい! 別に心配したとかじゃないから、誤解しないで頂戴!」

 

しみじみと頷いていると、なぜか顔を真っ赤にして怒られてしまう。自分で言っておいて、心配したと思われるのが気恥ずかしかったらしい。

とりあえず、言われた通り自分の席に向かって荷物を下ろす。すると、両隣の席から声がかけられた。

 

「朝から災難だったな」

「あら、でも私は可愛いと思うわ。だって彼女、あなたが来ないんじゃないかってずっとソワソワしてたんだから」

「そのくせ、落ち着けとか言われると食って掛かってたな。お前も、面倒な奴に絡まれたもんだ」

「……まったく、マカリオスはわかってないわ。ね、あなたもそう思わない立香?」

「とりあえず、マカリオスはもう少し姉離れした方がいいと思う」

「なっ!? それと何の関係があるんだ! というか、別に俺は……」

 

困り顔のアデーレに乗っかれば、慌てて否定するマカリオスだが説得力はないに等しい。

線は細いが美形で気配りもできる男だ。実際女子にはよくモテるのだが、交際にまで発展したことはない。なにしろ、アデーレに寄り付く悪い虫を排除するので忙しい。だから、クラス中からの認識も以下の通りになる。

 

「マカリオスがシスコンだと思う人!」

「「「は~い」」」

「お前ら!?」

 

その後、始業ベルと同時に教室に担任のグレイロード先生が入ってくる。

キビキビと挨拶を済ませ、点呼を取り、連絡事項を伝えると受け持ち授業のある教室へ。相変わらず一切無駄のない、どこぞの軍人が如き簡潔さだ。でもその実、教室から出た瞬間彼女はその場にうずくまってしまった。

 

(うわぁぁぁぁぁ……またやってしまった。どうして私はいつもいつもこう……私だって、私だって本当は生徒たちと仲良くしたいのに。一緒にお弁当食べたり、青春の悩みを打ち明けてもらったり、みんなで夕日に向かって走ったりしたいのに~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!)

(おい見ろよ、先生がまた声にならない叫びをあげてるぞ)

(見た目に反して、熱血な人だからなぁ)

(う~ん、相談くらいはしてもいいんだけど、夕日を追いかけるのはちょっと……)

 

ヒソヒソとそんな言葉を交わし合う生徒たち。自由人ばかりのこの学校で、せめて自分くらいは生徒たちの範にならなければと気を張っていることは理解している。その結果、生徒との間に壁ができたように感じて悩んでいることも。

別に打ち解けることに文句はないのだが、昭和の学園ドラマみたいなことを望まれても困るのである。

 

まぁ、困ると言えば、この学校の先生の授業が独特過ぎるのも困るというか…厄介な点だ。

例えば……

 

「ソワカソワカ……さあ、では本日の保健の授業を始めましょう。教科書は閉じて。実践に勝る授業はございません。さっそく実技の方を……」

「「「チェンジ(帰れ)!!」」」

 

ちなみにこの授業、内容そのものはごく普通で何ら問題はない。だが、なぜか毎回授業が進んでいくうちに動悸、興奮、発汗、身体の奥底の疼き、欲求不満、慈愛に満ちたアルカイックスマイルなどの症状が現れてくる。

ついでに、男子生徒は漏れなくしばらく席から立ち上がれず、立っても前かがみになって女子から白い目を向けられる。おかげで、クラスの結束は毎度のように崩壊の危機に晒されている始末。

そのためPTAからは睨まれているが、これといった証拠が出ることはない。そんな学校屈指の要注意人物だ。

 

ちなみに、他の要注意人物としては……「私の肉体こそ最高の芸術なのさ♪」と突然服を脱ぎだしてデッサンをさせようとする某美術教師や、卑猥だったり下品だったりする歌詞の歌ばかり練習させる某音楽教師。そして、無茶な課題を出しては「出来なければお前の命を貰うまで」と脅迫してくる某体育教師などが上げられる。

さらに、図書室には思考や経歴などを地の解説文の如く表示させる多感なお年頃には悪夢のような真似をしでかす司書や、教頭という地位にありながら昼行燈を決め込み何か事件があった時だけ動くロクデナシなんかもいる。

……………………………多いな、要注意人物。

 

加えて、食堂には男子生徒には目の毒としか言えない裸エプロンの野生の(キャット)まで。

しかもこの獣、その格好に反して非常に身持ちが固い。うっかり誘惑に負けて手を伸ばそうものなら……

 

「タマモスラッシャー!」

 

と、不届きなその手をナマスにされる。

 

「キャットは身持ちの固い良妻ギツネ純情派。ご主人には喉を鳴らし、不届き者には去勢拳。肝っ玉をベットする覚悟は十分か?」

(((キュッ)))

 

食堂にいた男子生徒一同、一斉に内股になってガードの姿勢を取る。一糸乱れぬその動き、実に美しい。

 

「しか~し、賄賂のニンジン次第では応相談…なーどと言うとでも思ったか、イヌ紛らわしい! 貴様など、ブレストバレーに即没ッシュートだワン!」

「キャット、私の胸に生ゴミ入れないで!」

「業者が回収拒否、昨今は分別が厳しいのである。んー、炮烙(ほうらく)とかいっとく?」

 

炮烙とは、猛火の上に多量の油を塗った銅製の丸太を渡し、その熱された丸太の上を罪人に裸足で渡らせるというモノだ。まぁ、ほぼ確実に死ぬ。

 

「人間など所詮は燃えるゴミ、環境問題など知らぬ」

 

教育機関でその発言はまずいだろう。

 

そして、そんな職員たちの奇行に胃薬を欠かせないゴルドルフ校長に、今日も多くの寄付が寄せられるのであった。

 

とまぁ、そんな具合でとにかく騒がしいことこの上ない学校生活だが、“飽きる”という言葉とは無縁なのは間違いない。

立香ももう高3、受験を控え、卒業まで残すところ一年を切った。そう思えば、斜陽を受けて赤く染まる校舎を歩く足も、自然と重たくなるというモノ。

 

ふと思い立ち、何となく始めた校舎内の散策。気付けばあれだけいた生徒の姿はほとんど見かけなくなり、校庭にも人の気配がない。どうやら、完全下校時刻は目の前のようだ。

 

(そろそろ、終わりかな)

 

名残惜しくて目に焼き付けていた、というわけではない。ただ少し探し物…もとい、探し“人”がいたというだけの話。できれば会っておきたかったのだが、そろそろ潮時だろうか。……そう思ったところで、忘れるはずのない声が聞こえた。

 

「おや、どうしたんだい藤丸君」

 

振り向けば、そこにいたのは……

 

「……ドクター」

「マシュが探していたよ。そろそろ鍵も閉めるし、君ももう帰りなさい」

「おお、いたいた。てめぇこんな所に居やがったか」

「パツシィ……」

「おら、さっさと帰るぞ」

 

狼の顔で口角を二ッと吊り上げ、手を差し伸べる。

その手を取ってしまいたい衝動に駆られるが、辛うじて堪えて引っ込める。

 

「……ごめん。俺、もう行かなくちゃ」

「先輩!!」

 

先の言葉の通り、立香を探していたのか少し息の乱れたマシュが泣きそうな顔で駆け寄ってくる。

 

「どうして…どうしてですか! 先輩はもう十分頑張りました! たくさん傷ついて、苦しんで……やっとの思いで取り戻したものはみんな先輩を通り過ぎて行ってしまった。でもここなら!」

「そうとも。ここに居ればいい。ここには、君を傷つけるものは何もない」

「ああ。なくしたものも、こぼれていったものも、全てがある。お前は、幸せでいられる。それでいいじゃねぇか」

 

ああ、それはなんて甘い言葉なのだろう。確かにここにはすべてがある。置き去りにしてしまった両親も、道を拓いて消えて逝った仲間たちも、この手から零れ落ちた人たちも。

喪失も、罪も、苦しみも、全てをなかったことにできるのだろう。

 

でも、それは……

 

「まだ、やり残したことがある」

「君は、その身に負った責任を十分に果たしたよ」

 

違う。そもそも、責任なんてもののために進めるほど自分は強くなかった。

 

「どうしてですか? ここは全てがある理想の世界、足りないものなんて……」

 

それも違う。ここには“忘れてはならないもの”がない。忘れたく、ないんだ。

 

「世界を滅ぼした罪なんざ、背負わなくていいじゃねぇか」

 

いや、そうじゃない。忘れたことはないけど、罪を理由に進んできたわけではない。

 

そう、自分はただ……

 

「こんな俺を信じてくれたみんなに、応えたい」

 

いつだって、それがすべての根本だった。

信じて送り出してくれた人たちに、胸を張れるように、その一心で進んできた。

もしここで足を止めれば……

 

「俺はきっと、もう“幸せ”になれないから」

「……ああ、それは。実に、君らしい答えだね」

 

その瞬間で、偽りの世界と偽りの大切な人たち、その全てが砕け散る。

割れたガラスの破片のように、世界の欠片が宙を舞う。その欠片がまた砕け、きらきらと光を反射しながら粉々になっていく。

最後に残ったのは真っ白な世界と、ストレートの髪を中分けにした森人族の女性だった。

 

「……いつから、お気付きに?」

「校門を見た時かな。もう会えない人が、いっぱいいたから」

「それでも、あなたは揺らがないのですわね。お見事です。甘く優しいだけのものに価値はない。与えられるだけでは意味がない。どれほど辛くとも、どんなに苦しくても、現実で積み重ね、紡いだものこそがあなたを幸せにする…など、あなたには今更言うまでもないことでしょうね」

 

慈愛に満ちた優しい声と表情。“どうか忘れないでほしい”、そんな切なる願いが込められていた。

すると思わず、こんな言葉が口をついていた。

 

「懐かしい人たちに会えて嬉しかった。いい夢を、ありがとう」

「まさか、この試練を受けてお礼を言われるとは思いませんでしたわ。……でも、どういたしまして」

 

目じりに浮かんだ涙を指先で拭いながら、晴れやかな顔で彼女は答えてくれた。と、そこへ……

 

「ほら見たまえ、私の言った通りだろう? 今更、彼がこんな夢に誑かされるはずがないってね」

「何を自慢しているか知らんが、それこそ当然だろう夢魔よ。この男は監獄塔を超えし我が共犯者、我らに道を示す者。それがこの程度で己が道を見失うようならば、我が恩讐の炎で焼き尽くしていたところだ」

「とか言いつつ、いつでも割って入れるようスタンバっていた彼なのであっ「マーリンシスベシフォーウ!!」ドフォ―――――ウッ!?」

 

どこからともなく飛来した白い塊が、マーリンの両眼を痛打する。

 

「目が、目が――――――――っ!? 何をするんだこの凶獣!」

「クハハハハ! よくやった、比較の獣よ」

「フォウ! フォフォフォフォフォフォフォフォフォフォフォフォフォフォフォフォフォフォフォフォフォフォフォフォフォフォフォフォフォフォフォフォフォフォフォフォフォフォフォフォフォフォフォフォフォフォフォフォウ!!」

 

そのまま、短い前足でマーリンの両眼を連打し続けるフォウ君。その度に苦悶の声を漏らすマーリンに、立香が“あっちゃ~”と額に手をやって呆れていると……後ろから、何やら熱いと息が漏れていることに気付く。

 

「ハァハァハァ……ああ、あんなに激しく……なんて羨ましい……」

(やばい、この人多分ティオの同類だ)

 

深入りしてはいけない気配を感じ、とりあえず現実逃避がてらエドモンの方を向く。

 

「そういえば、シオンとデイビットを見かけなかったけど、何か知ってる?」

「ああ、奴らであれば己が夢であると早々に察していたようだからな。だからこそ、お前の前に姿を見せなかったのだろうよ」

 

確かに、色々と特殊なあの二人ならそれ位できても不思議はない。

とそこへ、まるで頭に靄がかかるように意識がぼやけ始める。

 

「ん……あれ?」

「抗うな、夢から覚めるだけだ」

「そっか……」

「貴様が悠長にしている間、後輩たちはさぞ気を揉んでいたようだからな。精々、上手い言い訳を考えておくことだ」

 

その言葉を最後に意識が急速に沈み、間もなく途切れた。

 

 

 

  *  *  *  *  *

 

 

 

「ハッハッハッハッ!」

 

走る! 走る! 走る!

速度を緩めず、脇目も振らずひた走る。

 

本能と理性、双方が“死に物狂いで走れ”と訴えている。時に蛇行し、時に緩急をつけ、あるいは鋭角な方向転換。僅かでも躊躇すれば、瞬く間のうちに周囲を照らす眩い銀光に飲み込まれると知っているからだ。それを証明するように、寸前までフェリシアのいた空間が降り注ぐ銀羽に触れると同時に消える。ならば、足を止めるなどあり得ない。彼女はここに来たのは死ぬためではなく戦うため、自身の“敵”と対峙するためなのだから。

 

……ああ。だがそれでも、降り注ぐ光は恐ろしいほどに美しく……あまりの忌々しさに吐き気がする。

 

(遠方から見れば、まるで宗教画のような神々しさなのでしょうね)

 

らしくもない、皮肉気な思考が脳裏をよぎる。

きっと、この輝きに惑わされた者も少なくはあるまい。あるいは、今も泰然と天からフェリシアを睥睨する、女の形をしたナニカの美貌に心奪われた者もいるのだろう。

確かに、あの女の美貌には非の打ちどころがない。まさに“神の手による造形”という奴だろう。人形じみた無表情すら、その美を引き立てる一因であることは認めざるを得ない。神とそれに連なる者は人とは別格の存在である、それを端的に示しているかのようだ。

 

しかしフェリシアには、その“無欠の美貌”がどうしようもなく醜悪で、悍ましく思えてならない。

しかとその顔を目にしたのはほんの数秒。にも関わらず、脳裏に焼き付き離れないその貌が、筆舌に尽くし難い苛立ちを掻き立てる。そんな雑念、死地にあっては足枷以外の何物でもないというのに…どうしても捨てられない。

それは師より“己を厳しく律せよ”と教わり、今日までそう在り続けたフェリシアが初めて体験する類の感情だった。

 

「逃げてばかりとは興覚めです。それでも“主の眷属”なのでしょうか」

(ああ…気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い…気持ち悪い!!)

 

もっと他に考えなければならないことがあるはずなのに、頭の中がいっぱいになる。どうしても、煮え滾る嫌悪感が抑えられない。今すぐにでも胸を掻き毟り、頭蓋を砕いてこの嫌悪感を吐き出したくて堪らない。

類稀な自制心を有するフェリシアだからこそ、これほどの感情のうねりを彼女は知らない。

 

(あの顔が、姿が、声が! 何もかもが気持ち悪くて堪らない!!

 わかっているのに、こんなものは先入観と思い込みからくる不快感でしかない。そんなものは今すぐ捨てて、今為すべきことを、活路を見出すために全能力を振り絞るべきなのに!)

「ばら撒くだけというのも芸がありませんか。では、これならどうです“縛光刃”」

「くっ…この、“雷槍”!?」

 

今まで降り注いでいたものとはまた異なる銀の光がフェリシアに襲い掛かる。それを、後頭部や首筋に創り出した複眼で捕捉、最小限の挙動で回避する。

と同時に手元に雷の槍を生成、振り返ることなく人間の骨格ではありえない動きで神の使徒を名乗る“ノイント”めがけて投擲する。

 

「なっ!」

「苦し紛れ…いえ、それ以下ですね。後先を考えない、衝動任せの攻撃とは」

 

槍を無造作な翼の一振りで消し去ったノイントの言葉は正しい。

他ならぬ、フェリシア自身が自分の行動に驚いている。十把一絡げの雑魚ならいざ知らず、強敵…それも自身より格上の相手に、意味も狙いもないこんな雑な一手が届くはずがない。

だが、だからこそ分かったことがある。

 

(ああ、これが……“激情”というものか)

 

フェリシアとて感情がないわけではない。立香たちとの交流は楽しかった、ミュウが心開いてくれた時は嬉しかった。逆に、世界の真実を知った時には怒りがこみ上げ、カトレアの死は心が引き裂かれるような思いだった。

冷静さを失いかけたことなら何度でもある。しかし、そのどれでもフェリシアは最終的には自らを律することができた。精々、一言叫んで発散してやればそれでどうとでもなった。己が感情に名前を付け、それを制御する。フェリシアにとってはできて当たり前のことだった。

だが、ここにきてフェリシアは初めて己を突き動かす衝動の存在を知った。

 

(これは、確かに抗い難い)

 

正直に言えば、フェリシアは少しだけ自分以外の人たちが不思議だった。とりわけ、衝動的に犯罪に手を染めたり、他者と衝突したりする者たち、彼らのことが今一つ理解できなかった。

どうして彼らは、そんな場当たり的な行動をとるのだろう、と。意見の相違や追い詰められたとき特有の怒り・焦りは理解できる。しかし、それで後先考えずに行動したところで、事態が好転するはずもないことはわかりきっているはず。なのに、どうして彼らはその感情を抑えようとしないのだろう。感情を抑制し、己の目的・願いのためにどうすべきか考えて行動を選択すれば、最善とはいかないまでもより善い結果を手繰り寄せられるはずなのに。

 

幼い頃はそれが本当に不思議で、長じてからは“多くの人にとって感情の制御は容易ではない”のだと知った。そういえば、師からも“お前は心の制御が上手い、良いことだ”と褒められた。あまり、素直には喜べなかったが。

そう。どれほどの怒りも悲しみも、心のどこかに冷静に見定めている自分がいて、最終的には制御できてしまう。そんな自分のことを、“怒っているフリ”“喜んでいるフリ”をしているだけなのではないかと思ったこともある。

 

だが畢竟、そんなことは“どうでもいい”と結論付けた。

自分の感情、あるいは心が偽物であれ本物であれ些細なこと。真偽はともかく、抱いた願いも湧き上がる感情もすべては自分のもの。ならばそれでいい。むしろ、悲願を果たすためには“御せる心”というのは都合がいい。

そう、思っていたのだ……

 

「ハッ、ハハハハハハハ! ああ、神よ。生まれて初めて、あなたに心からの感謝を捧げましょう」

「どうやら、ようやく主の威光を理解しましたか」

 

フェリシアの言葉に興味を惹かれたのか、ノイントの攻撃の手が止まる。相変わらずその目に感情の色はうかがえないが、フェリシアにとっては都合がいい。

生まれて初めて知った、この持て余す激情との向き合い方を探る…のではなく、現状を正しく認識するために。

 

(この感情は私の手に余る。制御できないのなら、これ(激情)を活かすことに頭を使うべきでしょう。さしあたっては……敵の攻撃手段ですか)

 

ヒントは先の衝動に任せた布石ですらない一撃、だが存外読み取れたものは多い。天魔転変でいたるところに創り出した目から得られた情報も大きい。

使用された魔法は、威力・規模はともかく性質は既知のものと変わらない。ユエとの模擬戦を参考にすれば、対処は十分可能だろう。問題はあの“銀翼”、“雷槍”を何の反応も示すことなく消し去ったあれは、おそらく防御ではなくもっと攻撃的な何かだろうと推察できる。

翼から離れフェリシアを襲い続けた“銀羽”の様子から、ある程度遠隔で動かすことができる上に、着弾個所はまるで抉られた様にこれまた消え去っていることがわかる。触れればただでは済まないだろう。加えて、連射性は高く、残弾が尽きる様子もない。

結論、あの翼と羽には触れてはならない。空を自由に飛ぶという絶対的アドバンテージを有する相手に、なんという無理難題であろうか。フェリシアも飛ぼうと思えばできなくはないが、“自由自在”からは程遠い。遠距離攻撃の手段に乏しいフェリシアからすれば、最悪に近い相手だろう。

 

(……なるほど、これがハジメ殿の言うクソゲーというものですか)

「しかし、喜びなさい。あなたは既に主の盤上に不要な駒ですが、一つ役目を与えましょう。

 ……死になさい。無論、ただ死ぬだけでは足りません。この上なく無様に、滑稽に、です。

身の丈に合わない理想を掲げ、最後は何をも為すことなく躯を晒す。“道化”こそがあなたの役でした。にも拘らず、その責務を放棄した罪は万死に値します。

主の望みに反したあなたには、それ以上に愉快な演目を踊る義務があると知りなさい」

「……やはり、私たちの動向が漏れていたのは!」

「全知にして全能なる主の目を掻い潜るなど、あなた方にできるはずもなし。

漏れるはずのない計画が漏れ、それをキッカケに愚かにも内輪で争い、最後は内通の罪で捕縛され公衆の面前で断罪される。民衆は侮蔑と憎悪の視線と共に石を投げ、凌辱の限りを尽くして命を落とす。それがあなたの運命でした。そのついでに、イレギュラーの戦力評価もと考えたのですが…つくづく期待外れですね、あなたは」

 

無感情な筈の瞳の中に、心の底からの失望が滲む。

自分たちの背後で蠢いていた……いや、今も世界中の影で張り巡らされている策略の一端に、既に飽和していたと思っていた怒りと憎しみが燃え上がる。親友が死んだのも、その伴侶と腹心を手にかけることになったのも、多くの同胞に無惨な死を強いたのも、全ては“神”を僭称する愚物に端を発するというのなら……。

 

「一つ教えましょう。あなたの配下たち…彼らは死にましたよ。適当な嫌疑をかけ、証拠を作り、連座で一族郎党…女子どもの区別なく」

「き…さまぁ――――――――――――――――っ!!」

 

その瞬間、フェリシアを押しとどめていた最後の糸が切れた。思考は漂白され、弾かれた様に飛び出すと“空力”の込められたブーツで空を踏みしめ駆け昇る。

再度降り注ぐ銀羽を最小限の動作で回避。微かな被弾は無視し、その度に鮮血が舞うが即座に修復される。予想通り、展開された甲殻はほとんど意味をなさないが浅ければ支障はない。そのまま一気に距離を詰めようとするも、ノイントの表情にはかすかな焦りも見られない。

 

「“劫火狼”」

「“刻永”!!」

 

目の前を埋め尽くす超高温の炎の壁…いや、津波。フェリシアは1秒毎に1秒前の状態に再生させる再生魔法を発動すると、臆することなく劫火の中へと突っ込む。

肌を、髪を、目鼻口の粘膜が焼け爛れる痛みを認識する余裕すらない。そもそも、“熱い”とすらフェリシアは感じていなかった。ただただ目の前の敵は、正真正銘の“不倶戴天”。生きていることが、呼吸していることが、存在していることが許せない。噴火の如く無尽蔵に溢れる殺意が、フェリシアに一切の余分を許さない。

 

そうして、強引に炎の津波を突破したフェリシアは、大上段から渾身の一撃を振り下ろす。

しかしその一撃は、ノイントが頭上に掲げた右腕に握られた大剣に難なく防がれる。

 

「くっ!?」

「大振りですか…らしくもない。あなたは、もう少し冷静な振る舞いができると思っていましたが…底が見えましたね」

「……したのか」

「なにをです」

「殺したのかと問うている! 同志たちだけでは飽き足らず、無辜の人々を! それどころか、何も知らない子どもまで!」

「それが何か?」

「っ!?」

「この世の全ては主の遊戯盤。ならば、それを如何様に扱うかは主のご意思次第。玩具を戯れに壊したところで、一体何の痛痒がありましょう」

「……っ」

 

最早、非難の声も道理を説く言葉も出てこない。見誤っていたのだ、“まさかそこまでするはずがない”と。いくら命を軽んじていようと、大した意味もなく、無関係に等しい者達まで殺すなどという暴挙に出るはずがないと。

仮に出ようとしたところで、その時は……

 

「実行したのはフリードですよ」

「ま、さか……」

「神命は全てに優先し、必ずや果たさなければならない絶対の理。アレも、ようやく己が役割というモノを弁えたようです」

(殺させたのか、あの人に。無辜の民を、次代を担う子どもたちを、守るべき人々を……)

 

怒りと憎しみで埋め尽くされた心に、僅かな悲嘆が混じる。フリードであれば、徒に民を傷つけるようなことはしないと信じていた。同志たちの縁者だとしても、不自由はさせてもそのようなことはしないと。

しかし、ノイントの言葉が真実だとすれば…フリードは自らの手でそれを行ったという。それも、何らかの干渉や操作を受けた結果として。

師弟の心はとうに離れていたが、その一因にはノイント達神の一派の影があったのだろう。

 

(なんという、ことを……)

「隙あり…おや、これでは効果が薄いですか」

 

フェリシアが両腕の力を込めた一撃を軽々と右腕一本で支えながら、空いた左手に握った大剣が一閃される。

胴が横一文字に切り開かれ、半ばまで断たれた背骨と背中の皮で辛うじて上半身と下半身がつながった状態。通常なら問答無用の致命傷…だが、既に人の身から遠く離れたフェリシアが相手ではその限りではない。

ブラリと垂れ下がりそうになった下半身を即座に繋げ直し、敵の胸を踏みつける。寸でのところで引き戻された大剣の腹で防がれるが、距離を取ることに成功。空力で宙を踏みつけながら、僅かに冷静さを取り戻した頭で何が起こっているかを確認する。

 

(恐るべき斬れ味…というだけではありませんね。恐らく、あの羽と同種の魔力で剣を覆うことで攻撃力と防御力の双方を底上げしている)

 

事実、鋼鉄を上回る硬度を誇るフェリシアの表皮を難なく…それこそ一切の抵抗なく斬り裂くなど、そうでなければ考えにくい。

大剣の腹を踏んだ右足の靴底から伝わる感触も、左と僅かに違う。踏んだ瞬間に、靴底をかなり消されてしまったのだろう。

要は攻撃にしろ防御にしろ、触れるのはリスクが高いということだ。愛槍は一級のアーティファクトなだけあり、敵の魔力にもある程度対抗できているのが数少ないプラスの判断材料か。

 

「……なるほど。軽傷、あるいは破損範囲の狭いダメージは実質無効……神代魔法をよく使いこなしていますね。

 であれば……これならどうです」

「っ!」

 

ノイントが大剣の切っ先を向けた瞬間、白銀の光の塊がフェリシアの視界を埋め尽くした。

咄嗟に空力を解除することで自由落下、何とか射線から逃れる。しかし、避けた先には待ち構えていたように銀羽が展開され逃げ場を封じられる。そこへ……

 

「分解範囲が広ければ、復元も間に合わないようですね」

 

確信を得たと言わんばかりに次の砲撃が放たれる。

 

ノイントの読み通り、フェリシアの再生魔法で復元できる範囲には限度がある。軽傷であれば問題ないし、四肢を斬り落されたとしても手足さえ残っていれば再接続には一秒もかからない。通常の戦闘であれば、それこそ重症であったとしても問題はない。

しかし、ノイントの固有魔法“分解”の前では無力だ。アレは、触れた存在を問答無用で分解し消滅させる。掠めた程度の傷であればまだしも、大々的な部位欠損となればフェリシアの手に余る。“悪鬼変生”も、強化・再構成する部位がなければ意味をなさない。変成魔法で造った万能細胞で補填すれば復元も可能だが……

 

(そんな猶予を与えてもらえるとは思えない。ならば!)

 

このまま棒立ちでいれば悪くて全身、良くても身体の3割以上が消し飛ぶ。そう判断したフェリシアは、自ら四方を覆う銀羽の囲いの一点に突っ込む。被害を最小限に抑えるべく、“波城壁”で自身を水のドームで包む。とはいえ、羽が着弾し消滅した箇所が周囲の水で埋められるまでにはわずかなタイムラグがある。その一瞬の間隙を抜け、ドームを突破した羽がフェリシアの身体を削り取る。

 

「良く避けるものです。ですが……」

(このままではジリ貧……受けに回れば押し切られる以上、何とか攻めに回らなければ!)

 

避けた先には次の砲撃、さらにその周囲にはまたもや銀羽の囲い。同じことを繰り返していけば、最後に待つのはフェリシアの死だ。

“逃げる”のではなく“肉薄”するため、意識を切り替える。銀羽に身体を抉られ、迫りくる砲撃に顔の右側面を削り取られながらもノイント目指して疾駆する。その間にも次々と銀羽と砲撃、魔法が放たれるが最小限の防御と回避にとどめ、左半身を前に向ける形で半身になって接敵を優先。結果、気付けば復元を負傷のペースが上回り全身血まみれの無惨な有様だ。

脳を守るために掲げた左腕は至る所が穴だらけ、抉られた胴からは内臓が零れ、削られた左足の骨が露になっている。

 

だがそのおかげで、頭と右半身は比較的軽傷だ。

あと一側の間合いまで迫ったところで構えを変える。槍を手にした右腕を大きく引き絞り、右足に渾身の力を込めて空を踏む。放たれた矢のようにまっすぐノイントの喉元めがけて槍を突き出す…その直前、フェリシアは自らの失策を悟った。

 

(しまった、こんなところで……)

「動きが単調になっています」

 

フェリシアのねらいを読んでいたノイントの大剣が一閃される。

槍の穂先がノイントを捉えるまであと数センチというところで、フェリシアの右腕が高々と宙を舞った。

 

「消えなさい」

「“聖絶”!」

 

斬り上げた左の大剣の切っ先から放たれた砲撃で宙を舞う右腕を消し飛ばし、流れる動作で双大剣がフェリシアの肩を袈裟懸けに斬り伏せる。

辛うじて間に合った光属性最上級防御魔法が双大剣を受け止めてくれた。とはいえ、衝撃までは如何ともし難く、叩きつけられるようにし石畳に激突。そのまま数度のバウンドの末、フェリシアの動きは止まった。それにやや遅れて、ノイントの直下に消え残ったフェリシアの槍が突き刺さる。

 

「カ、ハッ…ハッハッ」

「まだ立ちますか」

(急げ! 急いで右腕を復元……)

「させるとでも?」

 

宝物庫から復元用の肉塊を引き出そうとするも、その前に雷光が襲い掛かりそれを阻む。

フェリシアが何をしようとしていたか知っているのか、あるいは知らないまでも自由にさせる気がないだけなのか。いずれにせよ、腕をはじめとした重症箇所の復元は容易ではない。

いや、本当の問題点はそんなことではない。

 

(頭に、血が上っていた。あまつさえ、それを“御する”のではなく“利用する”と言って身を任せたのが間違いだった)

 

未だかつてない激情に、抑えることを放棄してしまったのがそもそもの過ち。

生まれて初めて我を忘れるような激情を抱いた者が、その怒りに身を任せればどうなるかなど…考えるまでもないことだったというのに。

せめて冷静さを失っていなければ、ここまで一方的に追い詰められるようなことはなかっただろう。

 

しかし、全ては後の祭り。

フェリシアは怒りに身を任せ、その結果片腕を失っただけでなく全身重傷。変成魔法と再生魔法で失った血をはじめ可能な限りの回復が図られているが、“分解”という敵の固有魔法との相性の悪さから効果は薄い。その上、獲物まで失っていると来た。対して、敵はほぼ無傷。いっそ滑稽なほどに一方的だった。

だが、悪いことばかりではない。大量の血を流したからだろうか、あるいは激情に任せた結果痛い目を見たからか。先ほどまでと違い、随分と頭が冷えた。

 

「…………」

「存外呆気ないものでしたが、これにて終演とさせていただきます。ご安心を、まだ殺しはしません。この世界の行く末、イレギュラー達の末路、それを特等席でご覧に入れて差し上げます。あなたは主の無聊を慰める小夜啼鳥、存分に歌うがよろしいかと」

「……ハッ。よもや、もう勝ったつもりですか? 片腕を消し、血達磨にした程度で?

 神の使徒も詰めが甘い。私にはまだ左腕がある、脚も動く、頭は冷えた。勝利を前に気を抜くのは、三流のすることですよ」

「挑発のつもりですか? 生憎と、私に感情はありません」

「ただの事実です。私であれば、到底気を抜ける状況ではないと言っている。神の使徒とは、随分と楽観的らしい」

「……いいでしょう。ならば、試してみなさい」

 

“来る”そう思うと同時に、フェリシアの周囲に銀羽が降り注ぎ逃げ場を封じる。一度ならず何度となく成功した戦法だ、繰り返すのも当然だろう。何しろ、当のフェリシアが馬鹿のように何度もそれに引っかかったのだから。

しかし、頭の冷えた今は違う。むしろ、先ほどまで良い様に翻弄された自分の迂闊さに呆れてしまう。

 

確かに有効な戦法だ。手堅く、確実で、隙が無い。距離を取りながら俯瞰視点で攻められるというのも、大きな利点の一つだろう。

だが、だからこそ…“読み易い”。銀羽の動きを見れば、フェリシアをどこに誘導したかがわかる。構えてはいなくても、そこに向けて砲撃を撃つつもりであることは明らかだ。

ならば話は簡単、それを逆手に取ってやればいい。

 

(先ほどまでと変わらず、銀羽の薄い箇所狙い。誘導されているとも知らず……)

 

そう考え、同じように砲撃を放つノイント。だが、そこからが違った。

フェリシアは砲撃回避のために銀羽に突っ込むでもなく、回避と並行して強引に距離を詰めるでもなく、ヒラリと砲撃を回避してから悠々と砲撃の進行ルートを遡る。

 

「っ!」

(簡単な、とても簡単な話。魔力に接触した対象を消し飛ばす能力だというのなら、それはより強力な魔力が込められた砲撃に触れた羽も消滅するということ。つまり、砲撃が消えた後の進行ルート上は一時的な空白地帯、これ以上ない安全圏!)

 

焦るあまり見落としてしまった、あまりにも単純な対処法。

しかし、先の失策も完全に無駄だったというわけでもない。何しろ、フェリシアが易々と嵌められたからこそ、ノイントもまたそのことを失念していたのだから。

 

(この好機、逃すわけにはいかない!)

 

空白地帯を埋めなおすように銀羽が動くが、フェリシアは左腕を無造作に一振り。同時に、腕から鱗のようなものが飛び出し銀羽と触れてともに消滅していく。確かに“分解”の固有魔法は危険極まりないが、“触れた対象を分解する”というのなら、代わりのものをぶつけて身代わりにしてしまえばいい。

変成魔法により自在に体を操ることのできるフェリシアにとって、表皮を変質させた鱗の生成など容易い。流石にサイズが小さいので完全に消滅させることはできないが、幾分か削るだけでも大違い。

 

被害を最小限に抑えつつ距離を詰めていく。無論、ノイントとて手を拱いているわけではない。

フェリシアの変化を即座に受け入れ、銀羽と砲撃だけではなく最上級魔法に匹敵する魔法を織り交ぜて弾幕を張る。加えて、身体全体を銀色の魔力で覆うと威圧感が跳ね上がった。

 

(“限界突破”か、それに似た能力ですか……)

 

“天魔転変”と“悪鬼変生”を併用した状態でも、基本性能はあちらが上だった。そこにさらに基本性能の上乗せがされたとすれば、得意とする近接戦ですら分が悪い。複数の目でも影を追うのが精いっぱいの速度で動き、角度と質を変えた弾幕が間断なくフェリシアを飲み込まんと襲い掛かる。生成した鱗を囮に使い、間近まで引き寄せてから迎撃することで対処しているが、このままではいずれ飽和する。

遠距離攻撃の手段に乏しい以上、何とか近接戦の間合いに持ち込まねば。とはいえそれも、先ほどの打ち合いでは冷静さを欠いていたとはいえ、その剣の冴えはフェリシアと同等以上と思い知らされた。

 

不利な要素ばかりが積み重なっていくが……フェリシアの顔には微かな笑みが浮かんでいた。

確かに圧倒的不利な状況だ。しかし、格上との戦闘には慣れている。サーヴァントたちに手合わせを求めたのは、決して無駄ではなかった。

 

(確かに目では追いきれない。でも、動きは予測できる)

(また、こちらを見ている。まさか、私の速度に対応している?)

 

影を追うのがやっとな速度で移動するノイントだが、その実フェリシアの視線を振り切ることが出来ずにいる。故に、距離を取ったまま死角からの決定打を狙おうにも寸でのところで対応されてしまう。感情を持たないと自称する通り、焦れているわけではないが……

 

(よろしい。ならば、試してみましょう)

 

自身の絶対的な優位性への確信。近接戦に持ち込んだところで、敗北はないという確たる自信があるからこそ、ノイントはあえて自らフェリシアとの距離を詰める。

あるいはそれは、先ほどまでの怒りにかられたフェリシアの印象が完全に拭いきれていないからこその選択だったのかもしれない。

 

「見えているのなら、防いで見せなさい」

 

背後に回り、大剣を振り下ろす。見えていても、距離が近ければ対応にはわずかに時間を要するからこそ、フェリシアの動きが間に合わない。

無論、ただ斬っただけではフェリシアへの効果は薄い。だからこそ魔力を纏わせ、斬った周辺の組織を丸ごと分解する。そのつもりで放たれた一閃はしかし、あまりにも呆気なくフェリシアの身体を両断した。

 

「まさかっ!?」

「別に、防ぐだけが対処法ではないでしょう?」

 

右肩から股下へ、両断されたはずの身体。その左半身に残った頭部が嘲弄を漏らす。

ノイントも気づいている。なにしろ、あまりにも“手応えがなさ過ぎた”。

 

フェリシアが得意とする変成魔法による身体操作。それを応用し、自分の身体を半身のまま生存可能な状態にして別つという荒業だ。ノイントはフェリシアの身体を両断したのではなく、別れた身体の間を空振りしたのである。

 

予想外の一手にさしものノイントも即座に体勢を整えられず身体が流れる。その隙をフェリシアが逃すはずもない。

別れた身体を戻す手間すら惜しみ、反転しながら残された左の貫手で首を抉る。

 

「はぁぁっ!」

「その程度、防げないと思っているのですか」

 

完全に隙をついたはずの一撃が、逆の大剣の柄で打ち払われる。

 

「まさか。ところで、これで手詰まりと言った覚えはありませんよ」

「っ!」

 

払われたその勢いすら利用し、左足を鋭く蹴り上げる。

重ねて虚を突かれたノイントは身を引いて辛うじてそれを回避するが……

 

「甘い」

 

足先から噴き出した血が固まり、刃となってノイントの右腕を斬り飛ばした。

 

追撃を警戒し、そのままさらに後退を図るノイント。欲を言えばこのまま追撃を仕掛けるべき場面だろう。しかし……

 

「……たがいに右腕を失って痛み分け、といったところですか」

 

切り離した右半身を戻し、左手で宙を舞うノイントの腕をつかみながら零した一言。

だがその実、痛み分けなどとんでもない。一度は距離を取ったノイントだが、腕を落とされたことにプライドを傷つけられたのか、先ほどまでよりさらに激しい魔力を纏っている。

引き換え、フェリシアの魔力の波動は弱々しい。当然だ、戦闘が開始されてからというもの、フェリシアはずっと全開で魔力を消耗し続けていた。天魔転変と悪鬼変生の併用、さらに欠損した身体の復元、襲い掛かる最上級魔法に匹敵する弾幕への対処。どれも、決して魔力の消費量は安くない。

 

フェリシアが追撃しなかったのは、単純にガス欠が目前にまで迫っていたからだ。

そしてそのことに気付かないノイントではない。

 

「主の使徒たるこの身を傷つけるとは、なんという不遜。なんという不敬。千度殺してもなお飽き足らぬ大罪です」

「今日日、子どもでも怪我の一つでそこまで騒ぎ立てませんよ。器が知れるのでは?」

「……いいでしょう。所詮はそこまで、確かに驚嘆に値する力ではありますが、脅威足りえないのもまた事実。

死力を振り絞ることで辛うじて私に傷をつけることはできても、そこがあなたの限界です。それではあなたに勝機はない」

 

ノイントの言葉は正しい。持てる有りっ丈を振り絞ることで何とか一矢報いたものの、フェリシアにはこれ以上打てる手がない。魔力も体力も底をつく寸前、あとはもう為す術はない…にも拘らず、フェリシアは笑っていた。

清々しく、嬉しくてたまらないとでもいう様に。

 

「……何がおかしいのです」

「別に、おかしくて笑っているわけではありませんよ。これは、嬉しくて笑っているんです。

 確かに私の力はあなたを倒すにはまだ足りない。でも、私の牙は確かにあなたに届いた。お前たちは、決して届かない存在ではないと証明された! これは大きな収穫です、嬉しくない筈がないでしょう?」

 

その言葉に、それまで微動だにしなかったノイントの表情筋が動き、僅かに眉根を寄せる。“不愉快だ”と言わんばかりに。

 

「届いたからどうだというのです。あなたにはもう打つ手がない。次などない、ここで終わりです」

「そうですね。あなたの言う通り…もう十分です。ですので、()()()()()()はここまで」

 

そう言って、握っていたノイントの腕を自身の右腕の断面に合わせる。残り少ない魔力で変成魔法を発動し、自身の腕の代わりにノイントの腕を接続。その感触を確かめるように手を開閉させ、続いて新たな右手を懐に入れる。

 

「ああ、一つお礼を言っておきましょう。この腕、存外悪くありません。有難く、頂戴します。

 そして、これでさようなら」

 

懐から取り出したのは、ステータスプレートにも似たカード。

ノイントから見える面に描かれたのは、髑髏の面に短剣を装備した痩身の男の図柄。

ノイントがその意味を図りかねる中、フェリシアの朗々とした声が響き渡る。

 

「―――告げる。汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。人理の寄る辺に従い、我が身に宿れ―――アサシン」

 

その瞬間、フェリシアを中心にわずかな光と共に一陣の風が渦巻いた。

それはほんの一瞬の出来事、風が吹き抜けた後には赤いフードに軽鎧を身に着けて立っていた。

 

「それでは、あまり時間もありませんので……さぁ、ついてこれますか。時のある間に薔薇を摘め(クロノス・ローズ)

「っ!」

 

その瞬間、フェリシアだった者の姿が掻き消えた。いや、違う。消えたのではなく、高速で移動したのだ。それこそ、ノイントですら目で追うことが困難なスピードで。

 

(このスピードは…いえ、早いのではない。これは……)

 

そのスピードの意味を、一瞬遅れてノイントは理解する。単純なスピードとは異質な身のこなしの速さ、視認できないまでも迫りくる脅威を感じ取って回避動作に入る。それが、無意味であることを悟りながら。

 

「時間加速…再生魔法をここまで!?」

「惜しい。ですがまぁ、似たようなものですよ」

 

何とか近づけさせまいと、銀羽と魔法で応戦する。それはさながら白銀の壁、通常であれば下がることでやり過ごすことはできても掻い潜ることなどできるはずがない。

にもかかわらず、まるで子どもの投げるボールをよけるかのように回避されてしまう。

 

当然だ、なにしろとお互いの生きる時間の流れそのものが大きく隔たっているのだ。その隔たりは約五倍、つまりノイントが1秒を過ごす間にフェリシアは5秒分動いている。どれほど早い魔法であろうと、普段の1/5まで速度が落ちてしまえば対処のしようなどいくらでもある。特にフェリシアは、先ほどまで通常の時間の流れの中でノイントの魔法に対処していたのだ。

いきなり速度がガタ落ちになれば、当然回避など容易い。ましてや、基本速度が先ほどまでより劇的に向上しているとなれば尚更に。

 

「くっ!」

 

立場は逆転し、先ほどまでの苦戦が嘘のようにフェリシアはノイントの至近に迫る。

ノイントは双大剣を神速で振るうが、今のフェリシアにはあまりに遅すぎる。

 

迫る大剣を潜り抜け、伸びきったノイントの二の腕の内側にナイフを一閃。

続いて太腿、さらに脇腹、回り込んで背中と首。

大剣を振るうのでは遅すぎると判断したのか、銀光を纏った翼を広げて広範囲を薙ぎ払う。当たれば瞬く間に分解される死の翼だが、フェリシアは宙に身を躍らせて回避しつつその根元にさらに一閃。

最後に、トドメとばかりに心臓に向けていつの間にか持ち替えたコンテンダーが放たれた。

 

「がはっ!?」

 

その結果を見届けることなく、自らノイントと距離を取るフェリシア。

それを油断と取ったのか、あるいは好機と取ったのか。そもそも、幾度となく攻撃にさらされたにもかかわらずダメージらしいダメージがない。そのことにかすかな疑問を抱きつつ、ノイントはフェリシアめがけて特大の砲撃を放つべく魔力を回す。

 

「その驕り、死を以て贖いなさい!」

「忠告ですが、あまり…魔力を使わない方が良いですよ」

「なにを……っ!」

 

魔力の流れが臨界に達したその瞬間、“ドクン”とノイントの胸の奥が不自然に脈動した。

だが、ノイントがそれを認識できたかは定かではない。何しろ、脈動と同時にノイントは全身の毛細血管から血を吹きだし、真っ逆さまに墜落を開始したのだから。

 

結局、地面に激突するまでノイントは身動ぎ一つすることはなかった。恐らく落下中…いや、落下を開始した時点ですでに意識はなかったのだろう。

神秘轢断(ファンタズム・パニッシュメント)であれだけ切りつけたところへ、魔力を全開で回したのだ、さもありなん。あのナイフと銃弾は対象の魔力の経路を出鱈目に繋ぎ直し、暴走状態を引き起こすことで内側から破壊する悪辣極まりない代物だ。あの結果は、必然というべきだろう。

 

「……………………………ふぅ」

 

そして、使徒の失墜を見届けたことでようやくフェリシアも緊張を解く。

同時にそれまで彼女を覆っていたフードも軽鎧も消え去り、元のフェリシアが姿を現す。

 

「リツカ殿とハジメ殿、お二人には感謝しなければなりませんね」

 

噛み締めるように紡がれた呟き。

ハジメから貸与されたアーティファクトがなければ、空中のノイントとまともに戦うこともできなかった。立香がフェリシアのために用意したカードがなければ、一矢報いたところで命運が尽きていたことだろう。

フェリシアは、この勝利が自分一人のものだとは思っていない。これは今までに出会い、自分を支えてくれた多くの人たちがいたから得られたもの。誇る気にはなれず、ただただ感謝ばかりが浮かんでくる。

 

「っとと。感傷に浸っている場合ではありませんね、急いでメルドを回収して逃げなければ」

 

ノイントが行動不能になったことで結界も消失したらしく、王城関係者が駆け付けるのも時間の問題だろう。まだメルドを襲った犯人たちが近くにいる可能性もある。

正直、今のフェリシアは満身創痍だ。ノイントとの戦闘による負傷と消耗ももちろんだが、そこに加えて己が身にサーヴァントを降ろしたことによる負荷が積み重なっている。とてもではないが、これ以上の戦闘行動は不可能だ。

 

故に、急ぎこの場を離脱するという判断は全面的に正しい。正しいのだが……

 

(死亡は…確認しておくべきでしょうね。万が一にも生きていれば、厄介なことになる)

 

敵戦力を減らす好機というのもあるが、逃げようとしたところで背中を狙われてはたまらない。あれだけの難敵だ、どれほど弱体化していても油断はできない。

まだ息があるようなら、確実にとどめを刺してから行くべきだろう。大して時間もかからないし、その方が確実だ。

 

そう考え、残り少ない魔力で空力を維持しながら降下する。得物を回収してから、慎重にノイントの様子を伺いつつ距離を詰め……槍の投擲で止めを刺す。幸い、既に絶命していたようで反応はなかった。

ならば、あとはメルドを回収するだけ……と思ったところで、一つの考えが脳裏をよぎる。

 

「念のため、回収しておきましょうか……あれ?」

 

自身の宝物庫に躯を収容しようと近づいたところで、足がもつれたように転んでしまう。

咄嗟に手をついて倒れ込むことはなかったが、これだけ消耗しては無理もないことかと思い自身の足に目を向ける。そこには……あるはずの右足首から先がなくなっていた。

 

「……え? 私の、足…どうし、っ!」

 

疲労のせいか、頭の回りが遅い。だが、その状態でも流石にその異常性に気付く。

同時に、絶大なプレッシャーが上空から降り注ぎ反射的に天を仰ぐ。そこには……

 

「どうして、貴様がそこに…確かに、殺したはずなのに」

「ええ、確かにノイントはあなたの手によって討たれました。驚嘆に値します」

 

すぐ目の前で無惨な躯を晒すノイントと全く同じ顔をした理不尽がフェリシアを睥睨していた。

 

「……使徒は、一体ではなかった」

「察しが良いのですね。神の使徒、エーアストと申します。

ノイントだけで十分、後詰めなど不要と思っていましたが…考えを改めましょう。あなた方は最優先で排除すべき脅威であると、故に……この機を逃すことは致しません。速やかに消えなさい」

 

その宣言と共に、燦々と輝く銀の光が降り注ぎ…フェリシアの視界を埋め尽くした。

 

 

 

  *  *  *  *  *

 

 

 

夜の静けさを取り戻した王城の一角、主の居なくなった部屋から外の様子をうかがっていた二つの影。

その片方、やや小柄な影は事態の終息を確認してゆっくりと口を開いた。

 

「いやいや、なんだかすごいものを見ちゃったねぇ」

「……」

「ま、終わり良ければ総て良し、と。それにしても、あのとんでもなく強いお姉さん何だったのかなぁ?」

「……」

「結局“彼女”倒されちゃったし、あのままだと僕たちも危なかったかもねぇ。ほら、なんか以前雫がやったのと似たようなことやってたし、南雲の関係者だったのかなぁ?」

「……」

「だとしたら団長さんも抜け目ない人だよね。異端者認定された奴と、密かに繋がってたって言うんだからさぁ」

 

小柄な影が饒舌に話すのとは対照的に、体格のいい人影…檜山大介は顔を蒼くして黙り込んだままだ。

自分たちに手を貸していたノイントを思い出してか、あるいはそのノイントを打ち破ったフェリシアのひと睨みが効いているのか。

共通しているのは、どちらも理解不能な存在であること。比較するのも烏滸がましい隔絶した実力差。

敵に回してはならない。目が合った瞬間、どちらもそう思い知らされた。今は心に湧き上がる恐怖心を振り払うのに精いっぱいだった。

 

「おいおい、まさかまだ怖がってるの? いくらあのお姉さんがおっかなかったからって、もう死んじゃったんだよ? そんな調子で、香織を取り戻せるのかなぁ?」

「う、うるせぇ! べ、別にビビッてなんかねぇよ!」

「そうかい? それならよかった。ちょっと予想外の事態にはなったけど最大の障害はクリアしたし、厄介な雫と愛ちゃんは本山。

 ふふっ、これはいよいよ僕ってば神様に祝福されちゃってるみたいじゃない? いやいや、意地の悪い神様もいたもんだよね」

「……これでもう、邪魔者はいねぇんだな」

「もちろんさ。国王様も宰相さんも頭ぶっ飛び中だし、教会は最初からこっちの味方。団長さんを落とした今、僕を止められる…ううん、止めようとする人なんているわけじゃないか」

 

狂気の滲んだ声。同じ穴のムジナであるはずの大介ですら、無意識に後退ってしまうほどの悪意。

 

「ああでも、せっかくだからあのお姉さんの死体も残しておいてくれればよかったのに。そうすれば、良いおもちゃが手に入ったんだけど…まぁ、今回は団長さんが手に入っただけ良しとしておこうか」

 

視線の先にはクレーター状に抉られた元石畳の無惨な姿。そこにはフェリシアの姿も、ノイントの残骸も残されてはいない。

いっそ執拗なまでの抹消の意思。駒風情に破れた使徒の存在を許さず、不遜にも神に楯突いた駒などいなかったとそう示すかのように。

 

だが、人影はその事に畏怖も嫌悪も抱いていないかのように嗤う。

むしろ、人の死体を弄ぶことに対して一切の躊躇を見せないその姿は、一種異様ですらあった。あるいは、あまりの自然さに幼子のような印象さえ抱かせる。

いや、ある意味その通りなのかもしれない。下手な悪人よりも、子どもの方が残酷なものなのだから。

 

「……」

「おい、どうした。さっさと済ませてずらかるぞ」

(……術の掛かりが悪い? まぁ、死んでからちょっと時間が経っちゃってるみたいだし、仕方がないのかな?)

「おい!」

「はいはい、そんなに急かさないでよ。よし、これでオッケー。さ、明日も早いし戻るとしようか。僕らの望んだ未来のために、ね」




もう学校に到着する頃にはこれが夢であることに気付いてた立香。“もう会えない人”のオンパレードでしたからね。同時に、懐かしい顔がいっぱいだったのでついつい長居してしまった次第。とはいえ、一応放課後を期限に設定して、あるいは会えるだけ会ったらすっぱり終わりにしようと思っていました。家に帰るまでではなかったのは、もう一度両親に会ったら振り切れないかも…と思ったからですね。
他の面々は現実との齟齬に怒りを抱いたのが脱出のきっかけだったわけですが、立香はむしろ感謝しています。このあたり、経験値の差でしょうか。


ちなみに、フェリシアの所有しているカードが誰かは言うまでもないですよね。あ、ノイントが見たのはサーヴァントそのものの図柄ではなく、象徴するクラスの図柄ですのであしからず。

この二人「目的のために手段を択ばない」「自分の手を汚すことに躊躇しない」とかその辺に関して共通点があり、そこそこ親和性があります。
とはいえ、性格的な相性が良いかは別問題。多分、顔を合わせればお互い蛇蝎の如く嫌い合うと思います。同族嫌悪ですねぇ……。
余談ですが、他にも相性のいいカードはあったんですが、高潔なタイプが多いので引け目を感じてしまったというのが一番の理由かなぁ。


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041

さーせん、いつもながら遅くなりました!
今回はちょっと短め、「動」と「動」の間の「静」のお話です。


 

聖教教会の総本山“神山”に愛子と共に囚われて数日。

囚われてすぐの頃こそ思いつく限りの脱出方法を試した雫だったが、今はもう薄暗く明かり一つない部屋の中で座して状況の変化を待つことしかできずにいた。

 

「……少し前までとは雲泥の違いね。ま、今までが恵まれすぎてただけなんでしょうけど」

 

格子の嵌った小さな窓越しに月を見上げながら独り言ちる。部屋の作りは酷く簡素な鋼鉄造りの六畳一間、木製のベッドにイス、小さな机、そしてむき出しのトイレ。王城に与えられた豪奢な部屋はもちろん、ホルアドの仮宿と比べても粗末なものだ。それこそ、地球の刑務所の方がまだましな空間を提供してくれるのではなかろうか。

 

「情けない。勇者一行とか何とかもてはやされてみても、こんな腕輪一つで……」

 

雫の手首につけられたブレスレット型のアーティファクト、その効果で現在彼女は全く魔法が使えない状況に陥っている。元々魔法自体は使わない雫だが、これには魔力の運用を阻害する効果があるのだろう。一説では、高ステータスの持ち主は体内の魔力で無意識のうちに身体能力を底上げしているという。そして、おそらくそれは真実なのだろう。敏捷特化とはいえ、雫のステータスならこんな細い格子くらい破壊できるはずなのに、それができずにこうして閉じ込められているのだから。

愛刀は没収され、念の入ったことで食器はすべて木製。加えてスプーン一つ、椀が欠けていないかまでチェックされている。これでは、くすねた食器で格子を削るなどと言う古典的な手も使えない。

もっとも、仮に脱出できたとしても部屋があるのは高い塔の天辺だ。飛び降りるのは論外だし、地道に壁を伝って降りていくというのも、現実的ではない。ここは神山、聖教教会関係者達の目を掻い潜って地上に降りるなどまず不可能だ。

 

「愛ちゃんは…無事かしら? 香織は、マシュは、南雲君たちは今頃どうして……」

 

自分と同様に囚われた担任教師とは、別々の部屋に押し込まれてあれ以来一度も会えていない。これでは互いの情報共有もできない。こうして一人ぼっちでいると、ただただ不安ばかりが積み重なっていく。

出来ることはなくとも、せめて話し相手でもいれば気が紛れただろうに……。

 

「なんてしょぼくれるのはなしなし! 南雲君はもっときつい状況でもあきらめなかったんだから、私もしっかりしないと……」

「わっ!? 八重樫、シーッ! 静かにしてくれって! せっかく潜り込んだのに騒いだらバレちまうだろうが!」

 

こんなところで聞くはずのない、だが聞き覚えのある声。

反射的に雫が鋼鉄製の扉に設けられた格子付きの覗き窓を見やれば、そこには黒いフードを目深にかぶったクラスメイトの姿があった。

 

「あなた、遠藤君!?」

「だから静かにしてくれませんかね!?」

「ぁ、ご、ごめんなさい……それより、あなたどうしてここに……」

「あ~、なんつーか、色々とワケアリでさ。今のところまだ手配はかかってないけど、御尋ね者一歩手前…みたいな感じ」

「は? ……まさか、あなたもなの?」

「さっすが、察しが良いな。そ、俺も八重樫と愛ちゃんが知ってること知っちまったんだよ。そうなったらほら、今まで通りってわけにもいかないだろ?」

「そう……」

 

ある程度の事情を察した雫だが、聞きたいことは山ほどある。いったい誰からその情報を得たのか、クラスメイト達はどうしているのか、ハジメたちへの異端者認定はどうなったのか。

だが、矢継ぎ早に飛び出しそうになる質問をグッと抑え込み、雫は今一番気にかかる問いを発する。

 

「…………愛ちゃんは無事なの?」

「悪ぃ、目下捜索中。警備が厳重でさ、人の目はまだしも感知系のアーティファクトがあるみたいでなかなか思うように動けないんだわ」

「それでも見つからずにこんなところまで来れただけでも凄いわよ、ありがとう、遠藤君。つい悪い方にばかり考えちゃってたんだけど、だいぶ気が楽になったわ」

 

浩介に会うまで気付かなかったが、随分と肩に力が入っていたのだろう。今のところ安心材料となるものは何もないが、ここまで誰にも気づかれずに潜入出来た浩介なら愛子を見つけるのも時間の問題だ。それだけでも、強張っていた肩を随分と解してくれる。

 

「出来れば出してやりたいんだが……」

「今私たちがいなくなったら大騒ぎになるわ。出るにしても、それは今じゃない」

「だな」

「それより、今は情報が欲しいわ。あなたが知っていること、できる限り教えてちょうだい」

「そうだな。情報のすり合わせは必要だろうし、お互い知らないこととかあるかもだ。ただ……」

「ただ?」

「ちょっとショッキングな内容もあるから、驚く準備はしておいてくれ」

「……分かったわ。驚いて声を出すような真似はしない」

 

結論を言えば、雫の持っている情報は浩介にとって既知のものだった。

まぁそれ自体は予想の範囲内だったのだが、浩介が持つ最新情報が驚愕的過ぎた。覚悟していたつもりの雫でも、驚きの声を上げるのを押さえるのには随分苦労するほどに。

ただ、それらとは別に一つ気がかりなことが……

 

「ねぇ、遠藤君。ここまで来てくれたのは嬉しいのだけど、こんなところまで来ていて怪しまれないのかしら? ほら、みんなもあなたがいないことを心配するだろうし……」

「……気にすんな、八重樫。だってあいつら、そもそも俺がちょくちょくいなくなってることに気付いてないんだぜ?」

「………………………………………ごめんなさい」

 

目の端からポロリと零れ落ちる水滴を、雫は丁重に見なかったことにするのであった。

 

 

 

  *  *  *  *  *

 

思い瞼を開けてまず目に飛び込んできたのは見覚えのない薄汚れた木製の天井と、視界の隅で固まる人影だった。

 

「…………くっ、ここ、は?」

「あっ! メルドさん! あの人起きましたよ!」

「本当か!? 待ってろ、今行く!」

 

鈍った思考が現状を正しく認識してくれない。鉛を通りこし、まるで全身を拘束されたかのように身動きが取れない身体を何とか起こそうともがいていると、おずおずとした手つきで誰かが背中を押し上げてくれた。

 

「えっと…無理しない方がいいですよ。もう丸二日眠ってたんですから」

「あな、たは……」

 

そこにいたのは、見覚えのない顔の黒髪の少年。それなりに整った顔立ちをしているはずなのだが、ひどく印象が薄い。記憶力に優れるフェリシアですら、その顔を記憶にとどめるのが一苦労なほどに。

思うように動かない身体を動かすことは諦め、少年の厚意に甘えることにする。上半身を起こすと、背中を壁に寄りかからせてくれたので礼を言い、そのままゆっくりと室内を見回す。そこは窓が締め切られた薄暗い、オマケで小汚く埃っぽい部屋だった。

 

(まるで、どこぞの賊の隠れ家ですね)

「ったく心配かけさせやがって。一時はどうなることかと思ったぞ、フェリシア」

「あなたは……」

「おいおい、俺の顔を忘れたとは言わねぇだろうな。こちとらでっけぇ借りができたってのによ」

「メル、ド…そう、あなたはメルド。無事、だったのですね」

「おかげさんで、ギリギリ命を拾ったよ」

 

厳めしいながらもどこか愛嬌のある相貌を崩し、「助かった、礼を言う」と深く首を垂れる。

その手には盆が握られ、白い湯気を燻らせるコップが載せられていた。

 

「とりあえず、なにはともあれまずは腹ごしらえ…と言いたいところだが、そっちは少し待ってくれ。すぐに用意するから今は白湯で我慢してくれ。それと、肉だの魚だのは食えるのか?」

「……すみません。まだ、前後の記憶が曖昧で…できれば、軽いものでお願いします」

「なら、麦粥あたりか。浩介、頼むぞ」

「いや俺麦粥? ってのの作り方知らないんですけど!?」

「んなもん適当に湯に麦ぶち込んで塩かければ何とかなるだろ」

「ならねぇよ!? 病人にはちゃんとしたの食わせようぜ、メルド団長!」

 

その後も何やらギャーギャー言い合う男二人。気遣ってくれるのは嬉しく思うフェリシアだったが、心配してくれるのならもう少し静かにして欲しい。

頭はハッキリしないし身体は重いし、目の前の男どもはギャーギャー煩いし…珍しく、フェリシアも不機嫌だった。というか、不機嫌さを制御する余裕がない。なので、思わず……

 

「あなた達、少し黙りなさい」

「「……ハイ」」

 

ドスの利いた超怖い声が出た。ついでに、怜悧な美貌が顰められ圧が強い。

それまで騒がしかった男どもは、すっかり縮み上がっている。

 

「浩介殿、でよろしかったでしょうか?」

「あ、はい」

「申し訳ありませんが、食事の用意をお願いしても?」

「でも、俺料理あんま上手くないですよ。いや、少しくらいならできますけど……」

「パンと湯があればそれで十分ですから」

「う、うす」

 

緊張をほぐすように微笑むと、ちょっと顔を赤くして人形のようにカクカクと首を縦に振り、ぎこちない動作で別室へと向かっていく。

 

「……あんま若ぇのを惑わすなよ。お前、そうしてればただの美人なんだしよ」

「含みのある言い方ですね…それより、記憶に混乱が見られます。詳しく教えてください」

「ま、あんな糸が切れたみてぇに気を失ったんじゃ、無理もねぇか。分かった、どこまで覚えてる?」

「ノイントを倒したところまでは、辛うじて思い出しました。その後、確か…そう、もう一体の使徒が現れて、それで……」

「なら、お前が戦っている間の俺たちについても話した方がいいか」

 

 ・

 ・

 ・

 

時を遡り、フェリシアとノイントの戦闘が始まって間もなく。

独り石畳に倒れ伏していたはずのメルドは、いつの間にか物陰へと運ばれていた。

 

「メルド団長! しっかりしてくれよ、メルド団長!」

「うっ……お前、浩介か?」

 

メルドを運んだのは、この場にいない筈の人物。メルドの教え子たちのうちの一人、“暗殺者”の天職を持つ遠藤浩介だった。

 

「お前、どうしてここに……」

「なんか音がしたなって思って空を見たら、こっちの方に飛んでく人影を見て、それで……」

(ああ、フェリシアを見たのか。普通なら気付かれるところだろうが、浩介なら……)

 

それこそ超一流の使い手であったとしても、フェリシアであればどれほど焦っていても尾行に気付かない筈がない。だが、遠藤浩介は例外だ。彼の気配の薄さ…というか、存在感の薄さは尋常ではない。

いることに気付かない…ならまだ序の口。割と頻繁にクラスメイト達からすらその存在そのものを忘れられてしまう彼の隠形は、天職という括りを逸脱した領域にある。そんな浩介であれば、確かにフェリシアに気付かれずに尾行することも可能かもしれない。何しろ、そのフェリシアですら日中の潜入で浩介を補足できていなかったのだから。

 

「そうだ、フェリシア! アイツは、アイツはどうしてる! 今はどうなっているんだ!?」

「フェリシアって、あのなんか滅茶苦茶強い美人さんのことですよね? いやなんかもう色々別次元過ぎてわけわかんない超バトルしてますけど……って言うかメルドさん、さっきまで瀕死だったのに元気過ぎません?」

「なに? そういえば…あの時の血か」

 

フェリシアがメルドの元を離れる直前に落とした血、アレもまた変成魔法が施されていた。やっていることは以前ハルツィナ樹海での戦いで使用した細菌兵器と同じだ。ただし、「感染者を内側から壊す」のではなく、「感染者を治療する機能」を持たせて。

細菌や微生物は何も人体に有害なものばかりではない。人体と共生し、益を齎すものも数多く存在する。ならば、“体細胞の細菌化”という技術を、ただ破壊や殺戮のためだけの使うのはあまりに勿体ない。また、万能の治療薬とでも言うべき“神水”も数に限りがある。そこで、回復魔法のエキスパートである香織の協力のもと、代用品となる新たな回復法を生み出そうとした。これはその成果の一つだ。

これにより香織が不在であり、なおかつ“神水”がない状況でも仲間たちの生存率をある程度保証することができる。まぁ、今はまだ試作段階なので、変成後まもなく死滅してしまうことから、“どうやって保存するか”という新たな問題があるのだが。

加えて……

 

「ってか、あの人ホント何なの? いつの間にかメルド団長が倒れてた場所に、そっくりそのまんまなメルド団長が倒れてるんだけど……」

「……俺の身体の複製、だな。芸の細かい……」

 

回復したメルドがいなくなったことを悟られないよう、あらかじめ時間差で構成されるよう仕込んでいたのだろう。メルド本人の希望もあって天魔転変を施すべく彼の身体を調べ上げていたフェリシアにとって、メルドの複製体を作ることなど造作もないことだった。

 

「全く、底知れん奴だよ、お前は。とはいえ…ちっ、やはり本調子とはいかんか」

「って、まさかあの戦いに割って入る気なんですか!? あんなの、とてもじゃないけど……」

「ああ、俺たちが介入できるレベルを超えてる。わかってるさ、そんなことはな。

 だがそれでも、アイツをここで死なせるわけにはいかんのだ」

「……そんなに、大事な人なんですか?」

「ああ。アイツは、これからの時代に必要だ。俺たちだけじゃない、きっとお前たちのためにも……だから、頼む浩介。もしもの時は、アイツを助けてやってくれ。この通りだ!」

 

居住まいを正し、石畳に叩きつけるようにして頭を下げるメルド。額が割れ、零れた血が石畳を濡らす…彼の本気の表れだった。

それに面食らったのは浩介だ。あのメルドが、間違いなくこの世界で最も信頼している大人の一人である彼が、こうも必死に頭を下げている。その事実が浩介に与えた衝撃の大きさたるや、如何ほどだろうか。

 

「そ、そんな! やめてくれよ、メルド団長!」

「この戦いがどう転ぶか、とてもじゃないが俺には見えてこない。だがいざという時、俺はあいつの盾になる。

 本来、こんなことを頼めた義理じゃないことは百も承知だ。しかし、そうとわかった上で頼む。稼げる時間は一瞬だろう。その一瞬で、どうにかアイツを連れて逃げてくれ」

「………………………………ああもう! わかったよ、やればいいんだろやれば!!」

「……すまん」

 

とはいえ、「盾になる」と口にしたメルドだったが、両者の戦いはあまりにも次元が違い過ぎた。

徐々にフェリシアが押されつつあるのはわかる。だが、もしもの時に彼女の盾になれるかと言えば自信がなかった。

 

飛び込んだとして、かえってフェリシアの邪魔になるのではないか。

 

そもそも、この身を肉の盾にしたとして、一撃でも防ぐことができるのだろうか。

 

そんな不安と葛藤を抱えながら見守った戦いは、ついにフェリシアの勝利で幕を閉じた。

 

「ははっ、勝っちまいやがった。“真なる神の使徒”とやらを、本当に……」

「すっげぇ……」

「とはいえ、アイツも流石に限界か。行くぞ、浩介。神の使徒を倒したとあっちゃ、この先なにが起こるかわからん。結界もなくなった、今のうちに脱出を……っ!?」

「な、何だよこの威圧感! さっきの奴はあの人が倒したんじゃ……」

 

一度は消えたはずの圧倒的なまでの重圧。それが、再度二人の身にのしかかる。下を向きそうになる視界を無理矢理持ち上げれば、そこには地面に四つ這いになったフェリシアの姿が。そして、その更に上には何事もなかったかのように神々しくも傲慢に君臨する神の使徒。

 

(バカな…奴は確かに、フェリシアが……いや、四の五の言っている場合じゃない。フェリシアはもう動けん、なんとしてでもアイツを逃がさなければ!)

 

覚悟を決め、自らを肉の盾とすべく駆け出そうとするメルド。だが、浩介が微かに先んじて動き出し、同時にメルドに待ったをかける。

 

「メルド団長は物陰から逃げてください! あの人は俺が!」

「浩介…くそっ、頼んだぞ!」

 

浩介の言葉の意味するところを、メルドは正確に読み取っていた。自分で、例え身を挺したところでフェリシアを守れない。それこそ、ごみクズのように薙ぎ払われてフェリシアごと消されてしまうだろう。浩介もまた、同じ結論に至った。だからこそ、彼はメルドではなく自分で動くことを決断したのだ。

既に、浩介のステータス…特に敏捷はメルドを大きく引き離している。メルドでは意味をなさない肉の盾となるのが関の山でも、自分ならば……。

 

(間に合え…いや、間に合わせる!!)

 

それは、危うい賭けだった。一歩間違えば、僅かでも恐怖に駆ける足が鈍れば諸共消し飛んでいただろう。

恐怖はあった。足も竦みそうだった。しかし、それら全てを塗り潰すほどの希望があった。

メルドを助けるために命を懸け、強大な相手に食い下がり、最後は大番狂わせを起こして見せたあの女性。メルドがなぜ、彼女を守るために身を挺そうとしたのか、少しだけ分かった気がするのだ。まるでメルドの熱が伝播したかのように、浩介の胸にも「この人を死なせてはならない」という火が灯っていた。

 

「……………っ!!」

「あなたは!?」

 

白銀の光に飲み込まれそうになる寸前の水平方向への大ジャンプ。それが功を奏したのだろう。僅かに服の端が消滅しただけで、浩介は五体満足。もちろん、フェリシアも先に消された右足首から先以外は一応無事。

加えて、幸運なことに敵の攻撃で土煙が舞い上がり二人の姿をわずかな時間隠してくれている。これは、二度とないであろう脱出の好機だった。

そのことに安堵するが、何故かフェリシアがノイントの消え残った上半身を握っていることに目を丸くする。

 

「……何もってんですか?」

「あ、失礼。今しまいます」

 

そういうことではないのだが、疑問を呈する前にフェリシアが宝物庫に身内の攻撃で下半身を喪失したノイントを格納してしまったので、何となくタイミングを失ってしまう。

 

(いや、今はとにかく逃げるのが最優先)

 

気持ちを切り替え、フェリシアを横抱きにして可能な限り気配を消してその場から遁走する。

フェリシアも浩介の意図を汲んでくれたようで、それ以上何も口にすることなく静かに気配を殺す。

土煙が晴れる頃には当然二人の姿はそこにはなく、三名は無事死地からの脱出に成功するのだった。

 

 ・

 ・

 ・

 

「ってな具合だな。ま、俺と合流した時にはお前はもう意識をなくしてたが」

「悪鬼変生の副作用ですね。最近は意識が回復するまでの時間もだいぶ短くなったのですが、英霊を憑依させる負荷は大きかったということですか」

 

丸二日眠り続けたとなれば、悪鬼変生による体への負荷は解消されているはずなのだが…未だに脳からの命令に対する身体の反応は鈍く、思うように力も入らない。これは、完全快復にはさらに時間を要するだろう。

 

「あ、話し終わりました? これ、かなり適当ですけど、どうぞ」

「申し訳ありません、お手間をおかけしました。それと、遅くなりましたがおかげで九死に一生を得ました。此度の助力、誠にありがとうございます、遠藤殿」

「や、やめてくださいよ! 俺なんて、全然……」

 

一見すると怜悧な美女でありながら、柔らかく穏やかにほほ笑む表情に落ち着かない浩介。

加えて深々と感謝の意を表されては、もうどうしていいかわからずつい謙遜してしまう。

そして、そんな謙遜など生真面目なフェリシアが許すはずもなく……。

 

「いえ、あなたがいなければ私の命はありませんでした。メルドもまたあなたに救われたも同然、このご恩は、いつか必ず」

「こういうクソ真面目な奴だからな、気にしなくていいぞ浩介」

「……あなたはもう少し弁えなさい」

「知らない仲でもなし、そもそも堅苦しいのは苦手なんだよ」

「礼節の問題を言っているのです! 衣食足りとて礼節を知らなければ……」

「あ~あ~、やかましい! 病み上がりは大人しくしてろ!」

(……全然タイプ違うけど、結構いいコンビ…なのか?)

 

なんとなく、クラス委員長といい加減な同級生みたいだな…と思ってしまう浩介だった。

 

「それで、ここは?」

「騎士団に入る前からの悪友の物置だ。昔からの隠れ家ってところだな。騎士団に入ってからもちょいちょい……」

「ちょいちょい…なんです」

「いや、なんでもねぇ」

「サボってたんですか? それとも女でもつれ込みましたか? 怒りませんから言ってみなさい」

「だぁ! 今はそれどころじゃねぇだろ! これからどうすんだって話だ!」

「……いいでしょう。とりあえず、私たちはもう王城には近づけませんね。私もメルドも死んだことになっているでしょうし、遠藤殿も……」

 

丸二日潜伏し、なおかつ追手がかかっていないのならそう判断して問題ないだろう。巻き込んでしまった浩介には申し訳ない限り…と思っていたのだが。

 

「あ、俺たぶん大丈夫です」

「は?」

「……そうだな。浩介なら、あの場にいたことも気づかれていないだろう」

「いえいえ! 確かに遠藤殿の隠形は見事でしたが、この二日間王城に戻っていないのでしょう?」

「俺の代わりに飯だのなんだの揃えてもらったがな」

「死んだはずの人がうろついてるわけにもいかないですからね」

 

この二日間、浩介は外を出歩けないメルドに代わり色々と雑事を担当していた。王城に戻ろうと思えば戻ることもできたが、フェリシアが心配だったのと、戻った後もう一度様子を見に来られるかわからなかったからというのもある。

 

「流石に、二日も行方知れずになれば不審に思われるでしょう」

「……いや、浩介ならそのまま忘れられている可能性がある」

「………………………………………自分で言いたくないけど、マジで忘れてそうなんだよなぁ」

「は、はぁ……」

 

ちなみに結論を言うと、本当に忘れられていた。

この後、情報収集がてら王城に戻ってみれば浩介のことは全く騒ぎになっておらず、級友たちに挨拶すれば「おわっ、お前いたのか!?」と言ういつもの反応。しばらく見なかったということにすら気付かれず、密かに浩介は涙した。

 

「しかし、思っていた以上に状況が悪いですね」

「ああ。王城のど真ん中にあんな結界が張れたということは、つまり中枢は神の使徒の支配下と考えた方が良いだろう。その上……」

「……まさか、檜山が」

「ああ、俺も信じたくはないが、アレは間違いなく大介だった。正気とは思えない様子もあったが、操られているというのとも違ったように思う」

「アイツ、何考えてやがんだよ! ベヒモスの一件で懲りたんじゃなかったのかよ……」

「檜山大介…ですか。遠目に見た限り、こう言っては何ですが彼は小物でしょう。とてもではありませんが、これほどの大事を引き起こせる器とは思えません」

 

確かに大介のステータスは高い。だが、彼の人間としての器は狭量だ。メルドの暗殺だって、とてもではないが自分で計画し実行できるような度胸があるとは思えない。彼にできることと言えば、精々その場の感情と勢いに任せての場当たり的な凶行に及ぶくらいだろう。

王国中枢への干渉はノイント達の仕業と考えれば納得はいくが……

 

「……単独犯、と考えるのは早計ですね」

「それはつまり、他にも大介と同じように神の側に付いた奴がいると?」

「狙いも目的もわかりませんが、そのつもりでいた方がいいでしょうね」

「マジかよ……」

 

メルドもそうだが、それ以上に浩介が大きくショックを受けている。無理もない話だ。クラスメイトの中に、目的を同じくする仲間のはずなのに、恩人を殺そうとする者がいるなど考えたくはないだろう。

 

「とはいえ、迂闊に探りを入れるのは危険ですね。下手をすれば、それこそ神の使徒を引っ張り出しかねない。遠藤殿、くれぐれも慎重にお願いします」

「は、はい」

 

巻き込んでしまった手前、フェリシアとしても浩介に対し余り隠し事はしたくない。彼の身の安全のためにも情報の開示は必要と考えたのだが、それは同時に彼を味方に引き込むも同然だ。

実際、彼も話を聞いて「自分にも何かできることはないか」と申し出た。トータスの神の真相は、浩介にとっても他人ごとではない。何しろ、故郷へ帰還するためのおよそ唯一と言っていい可能性だったのだから。それがまやかしかもしれず、それどころか自分たちを玩弄しようとしているとあっては、知らぬ振りなどできるはずもない。

せめてもの救いは、ハジメたちが別口から帰還の可能性を求めて旅をしており、クラスメイトに対し出し渋るつもりは(一応)ないということだろう。

 

「………………………………なぁ、浩介」

「はい?」

「お前、神山に潜り込めないか?」

「えっ……」

「メルド、それは……」

「危険なのは確かだ。だが、浩介なら可能性がある。なにより、今の俺たちに味方と言える者はあまりに少ない。その点、雫と愛子殿は味方と断言できる数少ない相手だ。心情的にはもちろんだが、実利の面でも失うわけにはいかん。場合によっては、神山からの救出も必要になるだろう。なら、正確な居所と警備の状況を把握しておくのは必要じゃないか?」

 

メルドの言は正しい。実際、数少ない味方である雫と愛子救出のためには神山内の情報収集は必須。いずれ彼女たちも解放される…というのは、希望的観測が過ぎる。

 

「……俺、やります。王城と神山、どっちも調べてみようと思います」

「遠藤殿……」

「正直、戦闘じゃとてもじゃないけど役に立てるとは思えませんけど、潜入とかならいけると思うんです。放っておけない…ってのももちろんありますけど、それ以上に自分のためですよ。このままだと、真面目に俺たちバッドエンドまっしぐらっぽいですし」

「………………………………わかりました。あなたの勇気に、敬意を」

「提案しといてなんだが、くれぐれも無茶するなよ。王城には使徒がいる可能性があるが、神山はその総本山だ。いない…と考えるのは楽観的過ぎるからな。ヤバそうなら深入りしない、時間をかけても慎重に、今はまだ救出じゃなく居所の把握と情報共有が目的だ。それと、落ちてるものは拾わないのと、知らない相手に話しかけない、あとは……」

「いやメルドさん、俺子どもじゃないんですけど!?」

「……………………………存外子ども好きというか、面倒見がいいですよね、あなたは。思えば、私のことも……もしや、そういう趣味が?」

「ねぇよ!!」

 

その後、浩介は隠れ家と王城、そして神山をこっそり行き来することに。悲しいことに、クラスメイトはおろかメルドやフェリシアですら、偶に彼の存在に気付かなかったり忘れちゃったりするのだが……それが大いに役に立ったのだから良しとすべきなのだろう、多分。

 

「さて、王城と神山のことは浩介に任せるとして…俺たちはどうする?」

「もちろん、できることをします。さしあたっては…コレですね」

「こいつは……」

 

まだ完調とはいかないものの、立って歩けるくらいには回復したところでフェリシアはある作業に着手した。それは……

 

「神の使徒、か」

「はい。今の私の右腕は彼女のものですが、正直他の魔物とは一線を画すほどに強力です。完全な状態でないのが悔やまれますが、贅沢は言っていられません。彼女の身体を解体し、細胞レベルで同化します」

「……改めて聞くと、とんでもないことだよな。聖教教会の連中が聞いたら、卒倒するか激怒するか……」

 

神の使徒、ノイントの肉体性能は悪鬼変生状態のフェリシアをも上回る。その性能は、数多の魔物を食し奇跡的なバランスで取り込んだハジメのそれに匹敵する。

なら、もしもフェリシアがノイントの肉体性能を得られれば……悪鬼変生による上乗せ分も考えれば、今後また神の使徒と戦う上で大きなアドバンテージになる。

 

「おそらく、今後これ以上の素体を得ることはないでしょう。ですのでこの機に、彼女の身体をベースに自身の()()()を図ろうと思います」

「本気、なんだな」

「……常々思っていたことですよ。天魔転変による変態は、私自身が培ってきた技術や経験を十分に活かすには不向きです。複数の腕や足、目はそれはそれで有用ではありましたが、持て余す部分もありましたから。ですので、やはりベースは人型が好ましい。その上で、状況に応じて肉体構造を作り変えるのが良いでしょう」

「……ま、俺がとやかく言うことじゃねぇか。それなら、固有魔法はどうする」

「彼女の固有魔法は強力ですから、手に入れられるのなら手に入れたいところですね。まぁ、悪鬼変生の方が肉体にかかる負荷は大きいので、その軽減を考えるのならこちらを固有魔法にするのが良いでしょう。そちらについては、努力目標と言ったところでしょうか」

 

その後、フェリシアはノイントの身体の腑分けを行い、部位ごとに徐々に徐々に自身の肉体と同化していくと同時に、悪鬼変生の固有魔法化も進めていく。

その中で分かったことなのだが、ノイントの肉体はともかく魔石についてはすこぶるフェリシアと相性が悪かった。そのため、数多くの魔石を取り込んできたフェリシアだったが、ノイントのものだけは断念し、その肉体性能だけを手に入れるにとどまった。

ただ、その代わりと言っては何だが……

 

「ふむ……」

「どうした?」

「いえ、世の中には不思議なこともあるものだと」

「?」

(まさか、これほどまでに相性が良いとは驚きですね。そうなると、できれば完品に近い素体が手に入ると良いのですが……)

「ところで、俺の方はどうなんだ?」

「ああ、そちらも目星がつきました。私の施術と並行して、あなたにも変成魔法を施しますが…本当にいいのですね」

「……今の俺じゃ足手まといにしかならんからな。せめて、できることをさせてくれ」

「承知しました。では、こちらに」

 

ハイリヒ王国での神の暗躍は続いている。しかし、それに対する反抗の芽もまた着々と準備を進めていた。

 

「おい、今見慣れない鳥が来てなかったか? って、なんだそりゃ…手紙か?」

「……ええ、私の気配を追ってきたのでしょう。どうやら、まだまだ諦めるには早いようですよ。

 さ、お行きなさい。どうか、みなの下に無事にたどり着けるよう」

 

“王国にて待つ、卿らの歩みが自由なる意思の下にあらんことを”

 

 

 

  *  *  *  *  *

 

 

 

「あ~、ひっでぇ目にあった」

「ん、やっぱり解放者は性格が悪い」

「男の人たちはそうでもないと思うんだけど、女の人たちがねぇ……」

 

未だかつてない種類の試練に、肉体よりも精神的な疲弊が強いらしく、なんだかげっそりとした様子でぼやき合うハジメとユエ、それに香織の三名。周囲の仲間たちも、程度の差はあれ疲労感がにじみ出ている。

 

まぁ無理もないだろう。肉体的なものならまだしも、精神的な疲労はサーヴァントにも等しく影響を与えるのだから。そして、ハルツィナ樹海の試練は氷雪洞窟やメルジーネ海底遺跡同様、肉体よりも精神を責め立てる類のもの……なのだが、直前の試練はとりわけ質が悪かった。

現れたのは乳白色のスライム、ただし無尽蔵と言っていい量。ハジメやサーヴァントの警戒網をも潜り抜ける隠密性も厄介ではあったが、問題なのはその性質だ。戦闘能力はほぼ皆無、代わりにその粘液に触れた対象に強烈な「媚薬効果」をもたらす。身体を駆け巡る快感は魔法の行使を阻害し、時間が経てば経つほど正気を失って快楽のまま性に溺れることになる。

あと、オマケで絵面もヒドイ。考えなしに蹴散らすと飛沫が飛び散って白濁塗れになるのだ。

 

強力な各種耐性を持つハジメに影響を与えるほどではなかったが、他の面々はそうはいかない。

皆が皆、それぞれなりのやり方で快楽に耐えた。ある者は瞑想し、またある者は煙草をふかし、ある者たちは互いの得物をぶつけ合うことで発散した。

これは強力な毒への耐性を持つ立香も例外ではない。彼のそれは「自分に害のあるもの」というふわっとした定義により作用するので、媚薬効果にはイマイチは反応してくれない。

おかげで、みんなと一緒に奥歯を食いしばって性的欲求に耐える羽目に。

 

「と言う割にはお主、割とケロッとしておらんかったか?」

「……あ、クラルスさん。すみません、あと50キロ離れてもらえます?」

「遠すぎじゃろ!? あ、マズイ…遅ればせながら快楽に溺れそうなのじゃ…危なかった、これがご主人様だったら堕ちておったやも知れぬ」

「地獄に落ちちまえばいいのに、この駄龍」

「あふん!?」

 

やっぱりこのコンビ、実はすっごく相性が良いのではなかろうか…と、傍から見ている面々は思った。

駄龍はともかく、ご主人様の方は断固として否定するのだろうが。

 

「でも、実際立香さんあんまりつらそうじゃなかったですよね? なんでなんですぅ?」

「………………………カルデアではね、色香に惑うと一巻の終わりな“女の化身”がいるから」

「そう、ですね。これがフェルグスさんやメイヴさんだったら、危なかったかもしれませんが……」

 

性というものに奔放と言うか、遠慮がないというか…あの辺が一緒じゃなかったのは幸運だろう。

 

「しっかし……」

「どうかしたのか、ロビン殿」

「いや、あの夢の世界から出てきたときのマスターの一言、実に“らしいなぁ”っと思いましてね」

「なるほど、確かに同意しよう」

「そう、ですね。とても、とてもマスターらしいお言葉かと」

 

“ごめんごめん、懐かしくてつい長居しちゃったぁ”

 

それが、最後に夢の世界から出てきた立香の最初の言葉だった。アレには、そろそろ辛抱の限界だったハジメも肩透かしを食らい、「しょーがねぇな」とボソッと悪態をついた。残りの面々も面食らったように目を丸くした後、苦笑いを浮かべたものだ。

誰も彼もが、大なり小なりとはいえあの夢の世界に不快感を示す中、彼だけはアレを「よかった」と口にした。そして、その上で最後は躊躇なくそこから出てきたのだ。

 

夢の世界慣れしている、と言うのもあるのだろうが、それ以上に……

 

「早いとこ、落ち着いて欲しいもんですけどねぇ……」

 

それが、少なくともこの場に召喚されたサーヴァント一同の共通の思いだった。

 

 ・

 ・

 ・

 

その後、彼らはハルツィナ樹海最後の試練に挑むことになる…のだが、一言で言うと「ブリュンヒルデ大暴れ」だった。

最後の試練は好悪の感情の反転。「愛するものを嫌悪し、嫌悪するものを愛する」ようになるこの試練は、感情に左右されず、仲間との絆を信じられるかを問う試練だった。ただ、解放者は毎度おなじみの性格の悪さをいかんなく発揮し、エネミーとして“巨大ゴキブリ”を配置。普段であればひたすらにキモイだけのそれを、好悪の反転で愛でる羽目に。

この時点で十分にひっでぇ話なのだが……今回は相手が悪かった。

 

元々「愛情=殺意」なブリュンヒルデ、そんな彼女が巨大ゴキブリ共に好意を抱いたらどうなるか…言うまでもあるまい。“思い槍(虐殺)”である。

 

「………………………………俺ら、出番なかったな」

「まぁ、ブリュンヒルデさんですので」

「おお我が愛よ、勇ましくも美しいその姿…当方は通算40671回目の一目惚れを経験したぞ」

「それもう一目惚れじゃないですぅ」

「って言うか数えてたんですか?」

「ああ、そんな…あなた。私とても…とても困ってしまいます。あまりそのようなことをおっしゃらないでください。そうでないと私、またあなたを殺してしまう」

「のう、既に思いっきりぶっ刺さっておるんじゃが、そのへんどうなんじゃ?」

「ふっ……無論、喜ばしい。これもまた、我が愛の愛なのだから」

「はーい、治癒魔術かけるから大人しくしててね。ガッツがなかったら即死だったんだから」

「……ん、これが愛。私も負けていられない」

「いや、ユエ? これは流石にちょっと……」




次回からはメインの視点がハジメ・立香組に移動の予定。いよいよ本章も終盤かなぁ。


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