楽園爆破の犯人たちへ 破 (XP-79)
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幸福のありか
1. 嘘でも幸せだった。嘘じゃないんだ





「それで、どうなったんだ?」
「———まだ聞きたいのか?」
「お前だって俺の話を聞きたがっただろう」
 ついさっきまでたった18年とは思えない程に濃厚なロロの人生譚を強請っていた自分を思い出すと、ぐうの音も出ない。
 ロロは神を時折見やりながら静かな視線で強請ってくる。冷静さを装っているものの菫色の瞳からは好奇心が溢れ出して零れている。こんな話を聞いて何が楽しいのだろう。
 とはいえ先ほど自分はロロの話を聞いている時確かに楽しかった。救いようも無い恥や失敗、そういった人間の負の部分の話は聞いていて仄暗い快感が伴う。怖いもの見たさとはまた違う。それは傷の舐め合いに近い幼稚な感覚なのかもしれない。
 それに俺とロロは在り方も生き方も似ているからより相手のことを知りたくなるのだろうか。一体自分達はどこで失敗してしまったのか、相手と比べて自分を知ろうとでもしているのか。
 そうなのかもしれない。ルルーシュは苦笑しつつ頭を振った。
 取り返しなど今更つかないと知っている。ナナリーは……ナナリーはもう、戻ってこない。もう何をしても、戻ってこない。あのアッシュブラウンの髪を結いあげることも、優しい笑い声を聞くことも、もう生涯叶うことは無い。失ってしまった。可愛い妹。愛おしい人。
 それなのに自分はまだ生きている。不思議でならない。あんなに大事だったのに、もう明日のことを自分は考えている。どこで選択を間違えたのか知りたいのだ。次は失敗しないように。
 嫌になる程にルルーシュという人間は勤勉で、生真面目で、反逆心を抱くようにできている。

 肘をついてどこから話そうかと悩んだ。ここまで隠し事なく話をするのは初めてで調子が狂ってしまう。こうして素直に話そうと意識的に口を開くと普段の自分は格好付けで、会話に幾分かの嘘と隠し事す癖があることに気づいた。既に習慣が体に染みこんでいるせいでありのままを話すということが困難でさえあった。
 しかし歪んだ習慣を無理やり矯正させるように一言一言紡ぐのはそう気分が悪いことでは無い。昔を振り返りながらぽつぽつと話す。右に左に行ったり来たりしながら話していると自身の生まれてから十二年という歳月はただ愚かだったと痛感した。
 愚かであったと認めるために話す事は、口から胃の中で腐りきった汚物を吐き出すような取り返しのつかない気持ちよさがあった。
 きっとロロは俺と同じような気持ちで話していたのだろう。
 せっかく飲み込んだのにと思いながら。


 前を見ると神は未だ逡巡するように蠢いている。残っているのは人ばかりだった。
 虫や木々、草花、動物達は既に道を決めていた。俺は地べたに身を横たえ、どうしようか、どうしようかと親から逸れた稚児のように悩む人だけとなった神々を見上げた。 これまでの人生を鑑みて、他の人々の動向を観察し、自分はどうしたいのかと考える。その過程は人生のようだった。
 悩むだろう。悩んで当然だ。いつだって人間は悩む。悩みながら生きて行く。
 だって本当に正しいことも、間違っていることも、無いのだから。
 どんなことだってほんの少しは正しいし、ほんの少しは間違っている。
 そんなこと誰だって知っている。でも理解は難しい。

 ロロ、お前はそのことを理解した上で行動したんだな。
 凄いよ。
 俺にはお前みたいなことはきっとできなかった。 











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 これまでになく平和な日々をこの5年間過ごした。

 

 クラブハウスは学生が住んでいるとは思えない程に豪華な造りをしている。家具の繊細な意匠や小さな調度品などは貴族の別邸のようにセンスが良いが癖は強く無く、あくまで質素さを崩さない。建てた人物がこの家に住む人々が安らかに過ごせるように尽くした配慮が伺い知れる、繊細な造りの家はジェレミアの家でもあった。

 ここに住み始めた当初は細やかな装飾を施されたクラブハウスに驚いたものだが、流石に5年も経つと慣れる。

 ジェレミアはルルーシュを起こすために廊下を歩いていた。

 

 低血圧なルルーシュは寝起きが非常に悪い。そして起こし方を間違えるとその日一日中不機嫌になる。友人であるリヴァルへの扱いはより適当になり、授業は高確率でサボってしまう。

 自分が仕事でいない時はちゃんと時間通りに起きて身だしなみも整えているらしいのだが、その場に立ち会ったことが一度も無いので容易には信じがたいことだ。

 しかし一度懐に入れた人間には躊躇無く心を開くルルーシュのことだから、これも自分に甘えているのだろうと思えば別に面倒とも思わない。そもそもルルーシュの世話を焼くことをジェレミアは面倒と思ったことはなかった。

 

 朝の6時半に起床して頂く為にジェレミアは朝の6時に部屋をおざなりにノックして、許可を待たずに入り込んだ。

 年ごろの女性にしてはシンプルな部屋はモノトーンで統一されておりアリエス宮の頃と同じく端末の類で溢れている。だというのに全く狭さを感じないのは日ごろから整理整頓されているためだった。整然とした部屋には埃一つ落ちておらず几帳面な主の性格を反映している。天井から吊り下がっている液晶画面は今は全て沈黙しており、飾り気のないシンプルな時計だけが静かに時を刻んでいる。

 部屋の中央に据えられたセミダブルのベッドの中央で、呼吸に合わせてシーツが微かに上下していた。

 

 ジェレミアは慣れた様子で部屋を横断して容赦なくカーテンを全開にした。この時点では主はシーツの中で身じろぎもしない。

 朝日が部屋に入り込む。良い天気だ。ジェレミアは息を吸い込んだ。

「ルルーシュ様、おはようございます!」

「うるさい」

 ベッドから手だけを出して枕を投げつけられる。

 枕は顔面にクリティカルヒットした。

 枕が床に落ちる前にキャッチしてそっとベッドに戻す。シーツから生えている手が枕を引っ掴み再度シーツの中に引き戻した。真っ白いシーツを被った姿は巨大な饅頭にしか見えない。

 低反発枕が当たった程度別に何ともないが、これ以上無理に起床を促すと人並み以上の反骨精神を逆撫でするだけだということは経験上よく知っている。ジェレミアは一旦引き下がった。

 

 そして6時10分に再度声をかける。

 シーツの饅頭から上がる「うぅうぅぅ………あと10分……」という唸り声に「あと10分ですね。ではあと10分後に必ず起こしに参りますからね」と念を押して再度引き下がる。

 

 目覚まし時計のスヌーズ機能になった気分で6時20分に再度声をかけると、もそもそと饅頭の端からぼーっとした顔をはみ出させて「………あと10分」と呟いたため「分かりました。ではあと10分後に必ず起きてくださいね」と再度念を押す。

 

 そして6時30分ジャストに部屋に行くとこちらの姿を認識するなりルルーシュは舌打ちして自分でベッドから這い出てきた。

 この一連の流れはほぼ毎日行われ5年近く続いている。

 飽きないのだろうかとも思うが、飽きる様子は今のところ見られない。こんな調子で修学旅行先でちゃんと起きられるのだろうかと最近は毎朝心配になる。

 ルルーシュはベッドの端に座り舌打ちして太陽を睨んでいた。

「ルルーシュ様、おはようございます」

「………朝っぱらから馬鹿みたいに照り腐りやがって……」

「はいはい。いいお天気ですね」

 ぶっすりと頬を膨らませてルルーシュは猫のように手足を伸ばした。

 

 17歳となったルルーシュは髪はぼさぼさで顔も洗っていないというのに微笑み一つで太陽を落とすが如く美しい。凛々しい容貌は中性的であり、二次性徴を終えかけている17歳であっても男性か女性か判然としない妖しさがある。気だるげに身を起こす仕草と言ったらあまりに艶めかしく直視ができない。既に人生の大半を一緒に過ごしているというのにジェレミアは未だルルーシュの美貌に慣れていなかった。

 ルルーシュは大きく欠伸をして突如としてパジャマのボタンを外し始めた。

 冷水をぶっかけられた猫のように全身を震わせて瞬時に部屋から出る。すぐに扉を閉めて熱の籠った顔を両手で覆った。

 外されたボタンの隙間から肌なんて見えていない。白い肌なんて全然見えていない。

「どうした?」

 脱いだパジャマをハンガーにかけながら突如として部屋を出て行ったジェレミアにルルーシュは首を傾げた。

 出来得る限りで冷静な声を出すように努めながら何ともなさげにゆっくりと口を開く。

「……もう子供とは言えない年齢なのですから慎みをお持ち下さい」

「何を言っているんだ。着替えないと登校できないだろう。それともお前はパジャマで登校しろとでも言うのか」

「異性の前で素っ裸になるのをおやめくださいと言っているんです!」

「そんなことする訳ないだろ」

「じゃあどういう訳で今躊躇なく服を脱いだんですか!」

「だってお前は……まあ、ジェレミアだし」

 ジェレミアだしって何ですか!?

 変なことはしないと信頼されているのか、それとも異性としてカウントされていないのか、いずれにせよルルーシュからの信頼を裏切るなどできる筈も無くジェレミアはそのまま膝から崩れ落ちた。

 

 知ってますけど!

 ルルーシュ様は男とも女とも言い難いってことは知ってますけど!

 でも私は男なんですよルルーシュ様!

 

 ぶんぶんと頭を振りながらジェレミアは数年前から生じ始めた煩悩と、自分ながら呆れが生じる程に強靭な忠誠と精神力の狭間の迷路で延々とさ迷いながら深いため息を吐いた。

 

 この五年間でルルーシュの身体から幼さはほとんど払拭された。小児期独特の膨らんだ体は削ぎ落され、女性のような柔らかいフォルムの胴体と男性のような骨ばった四肢が残るばかりになった。

 脂肪が体につきにくいのか華奢な体躯ではあるものの男性にしても長身に分類される程の身長は肉の薄さを感じさせない程に堂々としている。その胸は平均より非常にささやかであり、はっきり言ってしまうと無いに等しい。だが男性にしては肌はあまりに滑らかで髪は艶やかしい。

 その性格も潔く男前で肝が据わっているが、繊細で情に深い女らしい側面も多分にある。

 どこからどう見ても美しく、どこからどう見ても男とも女ともとれない存在へとルルーシュは成長していた。

 

 17歳という年齢を多くの人はまだまだ子供と考えるだろうが体はもう成人に近い。ジェレミアもそう思っている。ましてやルルーシュが育った環境は特殊で、人より早く成熟した精神の内部には子供らしい幼児性が未だに見え隠れしている。

 ルルーシュは子供だ。まだ。しかし体はもう大人に近い。

 そんなルルーシュにとてつもなく懐かれているだけにジェレミアは困っていた。ジェレミアは大人ではあったが、ルルーシュを子供と諦観できる程に成熟してはいなかった。

 これがペットの猫だったら「他の人間には懐かないのに俺にだけ懐いてくれるんだ~」と単純に嬉しかっただろうが。

 自分が世界で最も幸せになって欲しいと願っている絶世の美人となると、困る。

 色々と揺らぎそうで困る。

 

「おい、着替えたぞ」

 部屋から出てきたルルーシュはいつもの通り制服を着ていた。黒を基調とした厚めの生地に金色の縁取りがされている。紛れも無く名門アッシュフォード学園の、男子生徒の制服だ。

 ルルーシュは女性の服よりも男性の服を好んで着ていた。制服もスカートよりズボンの方がしっくりくるとのことで、教員側に掛け合い中等部の頃から男子生徒の服装を着ている。

 それにしても寝ぼけながら着たのだろうか。服の端はよれているしボタンが1つ留められていない。左右にボタンが1つずつしかない形状の制服は1つボタンが外れているだけで随分とだらしがない恰好に変貌する。

「……失礼します」

 少し躊躇し、しかし放っておくのもと思って一言宣言してからボタンを留める。その間もルルーシュの頭は前後に揺れていた。

「どうしてそんなに眠いんですか」

「新商品のアイデアと、それからKMFへの作業が色々あって……」

「アイデアが思いついたら徹夜をする癖をそろそろ直してみてはいかがでしょうか」

「別に問題は無いだろ。授業中寝ればいいんだから」

 欠伸を繰り返すルルーシュに自分が学生時代だった頃のロイドを不敬と思いつつも思い出した。ロイドも授業を一度も真面目に受けなかったくせに成績だけはやたらと良かった。

 いつの時代も天才というものは世の常識から外れるものらしい。

「はい。もういいですよ」

「んー」

「ナナリー様を起こされに行くのですか」

「そう。先に朝食食べといていいから」

「お待ちしております」

「真面目だなあ」

「一緒に食べた方が美味しく感じるんですよ」

「それもそうか」

 行ってくるとルルーシュはナナリーを起こすべく足を隣の部屋に向けた。

 一度はっきり目が覚めればルルーシュは自分とナナリーのことは全てやってしまう。あんな風に駄々をこねるのは目が覚めるまでの数十分だけなのだ。

 貴重なルルーシュの眼覚めの時間に毎朝見えている自分はとてつもなく幸福な人間なのだろうと毎日思う。

 

 リビングではメイドの篠崎咲世子が朝食を机に並べていた。

「おはようございますジェレミア様」

「ええ。おはようございます」

 礼儀正しくお辞儀をする仕草は日本人らしく丁寧で西洋には無い物静かな品があった。

 

 篠崎咲世子はルーベンに紹介された日本人のメイドであり、SPだ。肩までの短い黒髪に黒く大きな瞳が特徴的な童顔の女性は今やクラブハウスでの生活に溶け込むように自然に存在している。

 しかし紹介された当初は咲世子にナナリーの世話を任せるなどあまりに危険性が高いように思われた。咲世子の能力ではなく、戦争直後という日本人のブリタニア人への憎悪がピークに達している時期に由緒正しい血統を持つ日本人を傍に置くことへの危惧はあまりに強かった。

 

 敗戦国の女性を奴隷とする悪習は全世界の歴史に存在する。現代においてもエリアへ移植したブリタニア人の間ではより美しいナンバーズをメイドとして雇うことがステータスとされている。

 だがブリタニアへの憎悪なら売る程あるナンバーズが雇い主のブリタニア人へ暴力を働くケースも稀にある。不利な雇用体系や雇い主からの暴行に堪えかねて、という事例が多い事も事実だが、そうでない事例もある。ブリタニア人であるというだけで日本人の憎悪の対象である現状において、ナナリーを日本人と一つ同じ屋根の下で暮らさせることへの抵抗は拭えなかった。

 

 しかし女性のメイドが必要であることもまた事実だった。

 SPならば実質的にその任を負う選任騎士のジェレミアがいるものの、姉妹の世話となれば話が変わってくる。特に足が不自由であるナナリーの介助には入浴や排泄のサポートが必須であり男の自分では適切な世話はできない。

 最終的にメイド兼SPとしてクラブハウスに招き入れることとなった篠崎咲世子はその性根と能力、そして5年間の献身的な態度により実力でルルーシュの信頼を勝ち取った。

 

 ジェレミアにもこの日本人女性への警戒心は今やほとんど残っていない。

 枢木家にいる間遭遇した日本人達は本当は日本人ではなかったのではないかと思う程に、このメイドは礼儀正しく控え目な日本人女性だった。家事は万能で気も利き、ナナリーの介助も嫌な顔一つせずこなす。彼女こそがヤマトナデシコというものなのだろう。

 甲斐甲斐しく世話を焼く咲世子に母を亡くしたナナリーも良く懐いていた。髪の色も目の色も全く違うと言うのに咲世子とナナリーが揃うと姉妹のように見える。

 

 頭を上げた咲世子は自身より頭二つ分は大きいジェレミアを見上げた。

 たまにジェレミアにベッドから引きずり出されているルルーシュだが、この時刻にジェレミアがリビングに顔を出したところを見るに今日は比較的ちゃんと起きたらしい。酷い時にはズボンにしがみ付いて寝室から出てくることもある。

「ルルーシュ様は起きられましたか」

「今日も三十分かかりましたが、無事に」

 毎朝変わらず続けられる習慣が今日も更新されたのだと咲世子は控え目に笑い声を零した。

 

 たまに咲世子がルルーシュを起こしに行くこともあるが、その時ルルーシュは最初のノックで目を覚まして即座に身支度を始める。むしろジェレミアが居ないときは起こしに行く前に起きてくることの方が多い。

 他にも、子供にあって当たり前の甘えをルルーシュは頑なに他者へ見せようとしない。隙を見せれば死ぬ環境に長く置かれていたせいだろうか、自身を律していると言えば聞こえは良いが、それはつまり無理をしているという事だった。

 子供らしくないルルーシュの有りように咲世子もしばしば胸を痛めていた。ナナリーという生き甲斐とジェレミアという安全圏が張り詰めた糸のように生きる彼女を支えているのだろう。

 

「本日ジェレミア様は仕事でしたね」

「ええ。19時までには帰れると思います」

「分かりました。では夕食はいつも通りの時間でよろしいのですね」

「お願いします」

 湯気の立つ琥珀色のスープに焼きたてのバターロール、ベーコンエッグにシーフードサラダと朝食が次々と運ばれる。咲世子の無駄のない動作はまるで武術の舞ようだと常々感心する。

 

 ジェレミアも2人分の紅茶を淹れてニュースをチェックしながらルルーシュとナナリーを待った。ニュースでは史上初のナンバーズの騎士となった枢木スザクの記事が一面となっている。口元を締めて凛々しい表情を作ろうとしているらしいが17歳という年齢のせいか、それとも真っすぐな性根のせいか、甘さが拭えない柔らかい横顔が映っていた。

 スザクは戦後ブリタニアに移りノート・マクスウェル子爵の庇護の下で名誉ブリタニア人として従軍して戦績を重ねた。他者より頭一つどころか山一つは抜きんでている戦闘能力を買われ、特例で特派所属の騎士となった異例の人物として話題に上っている。子犬のような可愛らしい童顔とえげつない戦歴のミスマッチさが人気を呼んでいるらしい。

 だがイレブンと呼ばれる者達からすれば明らかな売国奴であり、忌々しい男だろう。

「……やっぱり君は馬鹿じゃないか」

 小さく呟く。素直に六家に保護されていればブリタニアの兵士などにならずに済んだだろうに。

 ブリタニアに捕虜にされた最悪のパターンを想定してルルーシュが作った手紙が裏目に出てしまい、枢木スザクは順調にマクスウェルの後見を受けて功績を重ねて出世をしているようだった。

 本当に昔から彼はルルーシュの予想を裏切るのが上手い。

 

 新聞を折り畳んでルルーシュの席の前に置いた。スザクの功績を目にするたびにルルーシュは機嫌を悪くするが、それでもスザクの記事は新聞だろうと雑誌だろうと必ずチェックしている。

 親友であるスザクが軍人という職業に就いていることが気に食わないと同時に心配なのだろう。自分が書いた手紙が原因だと思っているからこそ余計にそうなのかもしれない。

 

 暫くするとルルーシュがナナリーの車椅子を押しながらキッチンへとやってきた。

 先ほどのベッドでのぐでっぷりは何だったのかと思う程にルルーシュは制服を皺ひとつ無く着こなし、目元も涼やかな凛々しい表情をしていた。

 それどころかナナリーにもきちんと制服を着せてやり、ウェーブがかった髪を艶やかに纏め上げている。

 たった10分程度とは思えない凄まじい早変わりだ。ナナリーの前では常時恰好を付けていたいという本心が垣間見える。

「おはようございます咲世子さん」

「おはようございます」

「おはようございますルルーシュ様、ナナリー様」

 ルルーシュはナナリーの車椅子を朝食の前の位置に固定し、自分はその隣に座った。席に着くなり新聞を取り上げて一面に載っているスザクの記事に眉根を顰めている。

「とうとうトウキョウのテロ鎮圧部隊に入ったかあの馬鹿」

「馬鹿ですね」

「あいつは自分が母国の人間からどう思われているのかも想像つかんのか」

「———どうなのでしょう」

「分かって………いなさそうだな。あの馬鹿は」

 鼻息荒くルルーシュは新聞の記事を貪るように読み進めた。純粋にただの子供でしか無かったスザクの姿を思い出す。少し短慮だったが、スザクは今時珍しい程に純粋で無邪気な少年だった。そんな彼を知る人間はもうルルーシュとナナリー、そして自分ぐらいしか残っていないだろう。

 

 今や枢木スザクは日本人の憎悪の象徴として、シャルルの次に名前の挙がる人物だった。敵より無能な味方が憎いと言うが、裏切り者は殊更憎いと決まっている。

 ブリタニアでは名誉ブリタニア人と蔑まれ、母国の人間には売国奴と罵られ、あの男は一体何を目指しているのだろうか。

「どうしたのですかお兄様?」

「………スザクがまたフクオカで功績を挙げて、今度はトウキョウに配属されることになったらしいよ」

「トウキョウ!本当ですか!」

 嬉し気に手を叩くナナリーに、どう反応していいか分からずルルーシュは戸惑いながらそうだね、と返した。

 

 あの真っ正直だったスザクがこの5年間でどう変わっているのか、ルルーシュにも予測できなかった。怨念渦巻くブリタニア軍において、子供の純粋さを保ち続けることは難しい。もしかすると名誉欲に取りつかれた、ブリタニアの犬に成り果てているかもしれない。

 そんなスザクに呑気に会いに行く程、ルルーシュは能天気ではない。

 ルルーシュは新聞を折り畳み机に放り投げた。

 

 

 時刻は出社時刻に迫っていた。ルルーシュとナナリーの登校時刻にも近い。

 ルルーシュはナナリーの車椅子を押して玄関に向かった。だが玄関扉を開こうとノブに手をかけた瞬間に、タイミングを計ったように扉がノックされる。

 控え目ながらも存在感の強い音と共に、聞き取りやすい美しいブリタニア語で男は来訪を告げた。

「ルルーシュ、いるかい?」

「ロロさんですか?」

 ルルーシュと似ているが低い声色に、ナナリーは嬉し気に手を叩いた。その後ろでルルーシュは顔を無表情のまま強張らせた。

「そうだよナナリー。エリア11に帰ってきたから顔を見せようかと思って」

 久々のロロの来訪に笑顔を見せるナナリーに眉を下げながら、ルルーシュは黙って扉を開けた。5年前と全く同じ美貌を保つロロが扉の向こうに立っていた。

 

 気持ち悪い程に5年前と容姿が変わらない。まるで予測していたかのように、成長したルルーシュの容貌そのままの姿で立っている。

 元々女性的な妖艶な美貌を持ち合わせているロロは、女性の身体を持つルルーシュと容姿から体格までほとんど違いが無かった。僅かにルルーシュの方が脂肪が厚く、僅かにロロの方が骨ばった体格をしているが、服を一枚着ればその差は隠れてしまう。

「ナナリー、久しぶりだな」

「お久しぶりですロロお兄様。お元気でしたか?」

「ああ。ナナリーも元気そうでなによりだ」

 柔らかいナナリーの髪に指を通すロロをルルーシュは嬉しいとも腹立たしいとも言い難い感情を腹にため込みながら見やっていた。表情は苦虫を噛み潰したようであるが、久々の来訪が嬉しくない訳でもない。

 ロロと話をするのは純粋に楽しいし、チェスをするのも楽しい。自身の知らないヨーロッパの話は聞いていて勉強にもなる。

 ただ少しだけルルーシュはロロを苦手としていた。

 

 ロロは非常に優秀な青年だ。普段はヨーロッパで貿易関係の仕事をしているらしいが、時折ランペルージ家にやって来てはルルーシュの家庭教師のようなことをしている。

 天才であるルルーシュに政治経済から軍略、果ては社交界でのマナーまで教えられる程に優秀であるロロは、文句の付け所も見つからない程に完璧な人間だった。

 容姿は言うに及ばず、その頭脳はルルーシュさえも凌駕する。驚嘆する程に記憶力が良く、様々な分野へ専門家はだしの知識を持っている。家事は完璧にこなし、さらに話し上手でチェスも上手い。シュナイゼル以外にチェスで負けたことの無かったルルーシュだったが、この5年間はロロに負け越している。

 その能力だけを評価するならば、正に完璧という言葉を体現するかのような人物だ。

 

 しかし完璧な人間などこの世には存在しない。

 目の見えないナナリーを配慮して言葉をかけながら手を取るロロをルルーシュは睨み据えた。

 

 ロロの性根は痛々しい程のリアリストであり、また同時に言葉の端々に破滅願望が見え隠れする皮肉屋でもあった。

 天才的な才能に裏打ちされた、他者の意見は聞き入れないというロロの悪癖もあり、同じくリアリストであり皮肉屋であるルルーシュはロロと和やかに談義などしたことが無い。普通に会話をしていても、いつの間にか喧々諤々の大論争に発展する。

 しかし演技力も天才的なロロは、そんな面倒くさい性根をルルーシュ以外には見せてはいないようだった。

 特にナナリーには冷徹なリアリストの顔を欠片も見せないよう周到に立ち回り、溺愛と言っても過言でない程に甘やかしている。仕事を間違えているとしか思えないロロの演技力はナナリーに対して遺憾なく発揮され、すっかりナナリーはロロを“優しいお兄さん”と信じ切っていた。

 

 ようやくこの場にナナリー以外の人間もいたことに気づいたのか、ロロはルルーシュに眼をやった。

 いつものことなので気にもしない。それにナナリーがとてつもなく可愛いのは事実だ。他の人間が目に入らないのもしょうが無いとルルーシュは納得していた。

「ルルーシュも久しぶりだな」

「ああ、久しぶりだ。どうして来たんだ」

「随分な言い草だな。135連敗の記録を伸ばしてやるためにわざわざやって来てやったというのに」

 ルルーシュは舌打ちしてロロを睨みつけた。

「次は勝つ」

「そうか。それは楽しみにしておこう」

 小さく笑ってロロは、ああそういえば、と続けた。

「仕事の関係で暫く日本にいることになったんだ。また暇な時に来るよ」

「随分と急だな」

「ヨーロッパの方は部下に任せられるようになったんでね。新たな市場開拓といったところさ」

 芝居がかった仕草で肩を竦めるロロにルルーシュは唇を尖らせた。

 自身と同等のレベルであるロロと話すのは楽しいが、非常に疲れる。嬉しいが面倒くさい。

「……お土産はあるのか」

「ナナリーの分ならある」

 ロロはきっぱりと清々しい程の勢いで言い切った。やはり顔が同じだと性格も似るのだろうか。

 いくら親類とはいえ些か不可解にも思える程の溺愛にルルーシュは「ナナリーは可愛いから」で納得していたが、ジェレミアは首を傾げるばかりだった。

 

 上手く隠しているようだが、ルルーシュの傍にいるジェレミアは時折ロロがルルーシュへ、冷たく、非難めいた目線を向けていることに気づいていた。それは決まってルルーシュが学校へ行ったり、友人と遊んでいる時だった。

 ロロはまるでルルーシュが子供であることを非難しているようだった。17歳といえば遊びたい盛りであり、友人も多いルルーシュが家の外で遊ぶことはむしろ健康的ですらあるというのに、ロロの視線はそれさえ許さないという程に凍てついていた。

 ナナリーを可愛がるにしても、どうして子供らしく遊んでいるだけのルルーシュをそんな目で見るのだろうか。

 ロロがルルーシュの親類である以上それなりの敬意は払うが、不可解な行動の多いロロは今を以てしてもジェレミアの警戒の対象だった。

 

「とりあえず話はまた帰ってから聞く。学校に遅れそうだ」

「そんな時間か。じゃあナナリー、また後で」

「帰ったらロロお兄様のお話を聞かせて下さいね」

 ルルーシュは二人分のバッグをナナリーの膝に乗せて車椅子を押した。

「じゃあ行ってくる」

「行ってきます、ジェレミアさん。咲世子さん。それにロロお兄様」

 明けられた扉から朝日が遠慮なく入り込み、ルルーシュとナナリーの影をロロの足元まで伸ばす。ロロはルルーシュの影を踏むように前へと一歩足を踏み出した。

「ルルーシュ、」

「何だ」

 振り返ったルルーシュにロロは普段の微笑みを仕舞い込み、どこか寂し気な顔をしていた。

 

 その顔を見てジェレミアは眩暈がするほどの寒気を感じた。

 ルルーシュと同じ顔で諦念の浮かんだ表情をされるのは心臓に悪い。たとえ死の淵にあっても諦めの悪いルルーシュが浮かべる筈の無い表情は、重苦しい惨めさを胃の中に落とし込んでくる。

 しかしロロはジェレミアの悪寒に気づく様子も無く、影を踏む足元を見下ろしながら呟いた。

「頑張れよ」

「?、言われなくても学校には行くさ」

「ああ、そうだな。そうした方が良い」

 顔を上げたロロは何事も無かったように、いつもの微笑みを浮かべていた。

 

 

 ルルーシュがロロの言葉の真意を知ったのは、もっとずっと後のことだった。

 

 

 

■ ■ ■ 

 

 

 

 二人が無事登校したことを確認した後に、ジェレミアも駐車場に向かった。ロロはナナリーとルルーシュが登校したのを確認するとふらふらとどこかへ消えた。基本的に根無し草の彼はいつも予告なく現れ、予告なく消える。いつものことなのでジェレミアも気にしなかった。

 

 学校の職員専用の駐車場にランペルージの名で一台分のスペースを借りており、そこにジェレミアの車がある。

 外は良い天気だった。仕事用のバッグを手にジェレミアは乗り慣れた車に足を向ける。アッシュフォード学園は規模の大きな学校で、その分教職員の数も多い。広大な駐車場を縫うように歩き、一番隅に停まっている外見上は何の変哲も無い車に近寄った。

 外見だけは普通のBMWだ。しかしその内部には4歳からKMFの開発を続けてきたルルーシュの英知が詰まっている。

 

 車に近寄るとジェレミアを認識した“ドルイド”が自動で扉を開けた。

 乗り込むと自動でエンジンがかかる。バッグを助手席に投げてアクセルを踏んでハンドルを握るが、通いなれた仕事場への道のりなどドルイドは一言命じれば自動で向かってくれるだろう。

 ルルーシュから誕生日にプレゼントされた車は今日も絶好調だ。何しろこの車はルルーシュ直々に悪戯という名の魔改造が施されており、不調などありえない。

 その代り出力は色々とおかしいことになっているが。KMFの部品を片手に車を弄っていたルルーシュの姿を見ない振りをしたことは一度や二度ではない。

 

 ジェレミアは脳内でルルーシュにKMFの基礎を悪戯混じりで教え込んだロイドを恨みながら、トウキョウの一角にあるアッシュフォードKMF開発部門訓練場に向かった。

 

 

 元々KMFの開発で巨額の富を築いたアッシュフォード家は、つい最近までKMF開発の技術を持て余していた。

マリアンヌのワンオフ機『ガニメデ』のアップデートを行っていた彼らはKMFの最先端にあるが、没落の一途を辿っていたアッシュフォードには新たなKMFの開発に乗り出せる資金が無い。

 何しろKMF開発には金がかかる。

 しかしこのまま技術を腐らせておくのも惜しい。

 アッシュフォードに保護されているルルーシュはルーベンから相談を受け、エリア11でのKMF生産事業を提案した。

 

 ブリタニア軍で使用されているKMFはネジ一本から最終組み立てまで全てブリタニア製のKMFで占められている。エリアに配備されているKMFはそのほとんどが航空母艦、ナイトオブラウンズのワンオフ機の場合は輸送機をチャーターして輸送されていた。

 その間テロや他国にKMFを奪われないよう警備は必須である上に、運搬できる機体数もそう多くない。

 部品だけを大量に運び入れ、エリア11でKMFの最終組み立てを行った方がエネルギーの削減となるとルルーシュは考えた。

 当初はワンオフ機に拘っていたルーベンだったが、サクラダイトが豊富に存在するエリア11で構造の単純な大量生産型KMFを組み立てるだけで膨大な利益を出せると気づいてからの対応は早かった。

 

 現在アッシュフォード家におけるKMF開発部門のトップはルルーシュである。

 そしてテストパイロットはルルーシュ本人とジェレミアだ。

 

 今日の仕事のメインはつい先月エリア11に新たに配備されることとなったサザーランドの試乗だった。

 最近ようやくアッシュフォードでも扱うこととなったサザーランドは、これまで大量生産型KMFの主流だったグラスゴーと比較し運動性能が高い分単価が高い。そして求められるクオリティも高い。

 

 アッシュフォードKMF開発部門訓練場は、戦争の跡を強く残す瓦礫の山をそのまま柵で囲んでいる廃墟のような場所である。風を遮るビルが周囲に無いため、風力が強く歩いているだけで足がよろけることもある。周囲に落ちているのはコンクリートと鉄筋ばかりであり、いくら暴れても問題が無い地形はKMFという兵器の試乗に適していた。

 

 練習場のど真ん中で数人の部下の視線を受けながら、ジェレミアはサザーランドに乗り込んだ。人型KMFのサザーランドの胴体部分へ吊り上げられるようにして入り込み、狭いコックピットになんとか体を押し込める。

 目の前にはアイカメラからの画像が映され、手元には計器類がずらりと並んでいる。その中から起動スイッチを選んで押し込むと、計器類が一斉に発光した。目が痛くなる程に手元と壁が白く光る。

 もう少し全体的に計器を見やすくした方が良いかもしれない。情報量が多過ぎて運転する際に支障が生じる可能性が高い。

『副主任、基本動作確認をお願いします』

「了解。その前に一ついいか」

『どうなさいましたか』

「計器が全体的に明る過ぎて見え難い。これは変えられないのか」

『ええと………オリジナルは変えられないらしいですね』

「じゃあ追加で個人設定できるようオプションをつけてはどうだ」

『その程度の変更ならすぐにできます。後ほど調整致しますね』

「頼む」

「ではテストを開始します。まずは移動速度からです。マーカーに沿って50km/hで走行して下さい」

 よし、と前方を睨む。事前に読んだマニュアルでは前世代のグラスゴーと基本的な運転操作は変わらないらしかった。

 ブリタニアの騎士だった頃、散々にE.U.で乗り回したグラスゴーを思い出しながらジェレミアはグリップを握った。

 

 凹凸の激しい道を走りながらスタントンファの性能確認を行い、スラッシュハーケンによる移動性能も確かめる。ここでどれだけ厳密に機体の調査をしたかで機体数の売り上げは明確に変わってくる。瓦礫の周りで走ったり飛び跳ねたりワイヤーを出したり。廃墟に入り込んで遊んでいる子供と大して変わりはなしないものの、手足のようにKMFを動かすことは熟練した騎士でも難しい。しかしジェレミアは自身の手足のようにKMFを操り、自在に瓦礫の山を縦横無尽に駆け回った。

 数時間にわたって試乗を行いながらいくつかの改善点をマイク越しに部下と共に話し合っているうちに、時刻は昼を過ぎていた。

 マイクから『テスト終了です。副主任、格納をお願いします』と指示があり、その通りにジェレミアはサザーランドを格納庫に戻した。

 

 狭苦しいコックピットに押し込められながらも、気分は悪く無い。やはりこうして体を動かすのは気持ちが良い。書類仕事も嫌いではないが、こうしてKMFを動しているとやはり自分は根っからの軍人なのだと改めて気づく。

 入り込んだ時とは逆に胴体部分から降下するようにコックピットから出る。手足を伸ばす事さえ出来ない狭いコックピットは大柄なジェレミアにとってあまりに息苦しい。KMFの両足の間に着地し、大きく息を吸い込んだ。

 そこにアッシュフォードKMF開発局員達が興奮した面持ちで駆け寄る。

「お疲れ様です副主任!これならオリジナルのサザーランドより良質だと胸を張って言えます!」

「ランペルージ主任もこの出来ならOKしてくれるでしょう!」

「計器の改善はすぐにできます!納品にも間に合いそうですね!」

本国から送られた部品を組み立てるだけ、という仕事の性質上、職員の数はそう多くは無い。しかし数は少なくともKMF開発者として彼らはジェレミアより遙かにベテランである。自分の制作したKMFに皆が誇りを持っていた。

「それなら良かった。納品は3週間後だったな」

「はい。クロヴィスランドのお披露目会で警備として使用するそうです」

「ラ家の旗もオプションで付けた方が良さそうだな」

 ジェレミアの冗談に対する局員達の反応は様々だった。

 苦々し気に顔を逸らす者もいれば、苦笑を零す者も、「そうですね、自分ではまともに銃も撃てないお坊ちゃんのKMFなら旗でも振り回した方がずっと有益でしょう」と笑う者もいた。

 

 それもそうだろう。彼らは敗戦後に就職先を失った、様々なエリア出身の名誉ブリタニア人だ。

 高い技術力を持ちながらも職にあぶれ、今は崖っぷちに立たされている。谷底に落ちかける彼らの足元を支える最後の足場はアッシュフォードと彼らを拾ったルルーシュだ。

 

 アッシュフォードKMF開発局員達は話し合いの後にすぐさま納品の準備に取り掛かった。自分と自分の家族を守るためには誇りより金が必要なのだ。

 この世界は理想事では成り立たない。ジェレミアも彼らも、痛い程によく知っていた。

 アッシュフォードKMF開発局は彼らの生への渇望と、ルルーシュの策謀により動いている。

 

 自分も納品のために少なからず書類仕事がある。

 そろそろ事務作業に戻ろうかと思うと同時に、懐に持っていた携帯が鳴った。耳を劈く音はルルーシュからの緊急連絡用の着信音だった。

 ここ数年聞いていなかった音は最近緩みっぱなしだった緊張感を突如として奮い起こす。

 ジェレミアは即座に携帯を手に取った。携帯越しに焦った口調のルルーシュの声が聞こえた。

『ジェレミア、今どこにいる』

「現在キタセンジュ近くのアッシュフォードKMF開発施設におります」

『そうか。第2種以上の武装はあるか』

「KMFの耐久性能実験用にいくつか」

『テロに巻き込まれた。救助に来てくれ』

 ジェレミアは顔を青ざめさせた。

 一体何が起こったのかと思うが、口にはしない。そんな質問をしている暇は無い。

 ジェレミアは通話を繋げたまま走り出した。

「携帯のGPSでは現在シンジュク方面に向かっております。間違いございませんか」

『ああ。恐らくテロが所有しているトラックの中にいる。見つかってはいないが時間の問題だ』

「すぐに向かいます。少々お待ち下さい」

『頼んだ』

 携帯を懐に戻す。ジェレミアは「すまない、少し出てくる」と周囲の部下たちに告げた。

「どうなさいました?」

「主任に呼び出された。今日は抜けるよ」

「ああ。また新しいアイデアでも湧いたんですかね」

 彼は天才ですからと笑う部下達に手を振って返しながらジェレミアは足早に練習場を出た。

 

 最近平和過ぎたな、と思う。

 平和ぼけしている感覚が拭えない。訓練はしているものの、最後に銃口を向けられたのはもう数年も前だ。

 緊張感を取り戻すため両頬を全力で叩く。忘れるな。ルルーシュ様は今でも、いつ殺されてもおかしくない状況にあるのだ。

 アッシュフォードKMF開発部門訓練場にはKMFの耐久性能のためそれなりの兵器が揃っている。

 勿論、保管所には勝手な持ち出しを防ぐためセキュリティコードがかかっており、主任であるルルーシュの許可が無くては明けられない。逆に言えば、ルルーシュに許可されている社員は24時間いつでも入室可能である。

 365日24時間常時入室許可を得ている自身の社員証をICカードリーダーに翳すと保管所はすぐに扉を開いた。

 整然と重火器が並ぶ中から使い慣れているものを見繕って担ぎ上げ、社員用の駐車場に停めてある車に飛び乗る。そのまま後部座席に担いでいたナイフ、SMG、迫撃砲、手榴弾など、あらゆる火器を投げ込んだ。

 フロントガラスに向き直って一度深く呼吸をし、できる限り冷静な声でジェレミアはドルイドに話しかけた。

「ドルイド、この端末に表示されているルルーシュ様の位置に向けて移動を開始する」

『承知しました。速度は』

「速度制限なし。最も効率の良いルートを提示しろ」

『ルート提示します』

 ジェレミアはハンドルを握り締めて、力の限りアクセルを踏み込んだ。

 

 

 

 

 



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2. でも、いくら幸せでも平和に生きられない人間だっているんだ。お前とか、俺とか

 

 これでよし、と。

 携帯を懐に仕舞い込み、ルルーシュは息を吐いた。

 なんでこうなったかと思い返すと、全面的に平和ボケしていたからだという結論に落ちる。

 貴族相手にチェスでぼろ儲けし、気分良くリヴァルと帰っていたところで交通事故に遭ったトラックと遭遇した。火は出ていなかったが衝突箇所がエンジンに近いようにも見え、すぐに脱出しないと爆発でもすれば運転手は無事では済まないと思い、つい体が動いた。

 気にせず無視すれば良かったのだろうが、傍から見ているだけという状況に我慢ができるような人間であれば自分はこれまで数回死んでいる。後悔はしていない。

 

 だがまさか乗り込んだトラックをテロリストが運転していたとは、ついてない。

 

 薄暗い中、最小限に光量を絞られた携帯に視線を落とす。ジェレミアが間に合えばよいが、先ほどから蛇行運転を繰り返す車体の様子からして恐らくブリタニアからの攻撃を受けているのだと察しがつく。外見から見るに武装などしていなかったトラックは砲撃一発で吹っ飛ぶ脆い作りだろう。

 そしてこのトラックが爆破炎上すれば自分もテロリストと共に死ぬことになる。想像するだけであまりに情けない末路に笑いも起きない。

 E.U.でも枢木邸でも必死になって生き延びたというのに、まさかこんなところで命の危機に晒されることになるとは思ってもいなかった。自身のうかつさを呪ってしまう。

 

 しかし全く絶望的という訳でもなかった。ジェレミアはすぐにこちらへ来るだろう。キタセンジュならばそう遠くも無い。さらにジェレミアにプレゼントしたあの車はKMF並みの馬力を積んでいる。KMFより軽く、風圧は遙かに軽減される構造をしている車は速度だけであればそこらのKMFどころか枢木スザクのワンオフ機であるランスロットすら凌駕する。残る問題は走行するトラックからどう逃げ出すかだ。

 

 ルルーシュは自身が寄りかかっていた球体の機械を見上げた。

 その造形からは用途が全く窺い知れない。しかし先ほど見かけた赤いカニのような頭をした少女のテロリストは、この機械を奪うことが目的だったという発言をしていた。

 ブリタニアの兵力があればこのトラックを空爆するなりして爆破するのは容易い。未だ無事とは言えないもののこのトラックが走行を続けているということは、この機械はブリタニアが破壊を躊躇う程に重要なものなのだろう。中身はブリタニアの機密か、それとも兵器の類か。

 盗み見ておきたいとも思うが、近くにテロリストがいる状況で構造もよく分からない機械を無理に開けようとするのはあまりにリスクが高い。

 暫くは大人しくしていた方が賢明だと判断してルルーシュはテロリストに見つからないよう物陰に隠れた。

 だが突如トラックが横殴りにされるような衝撃を受けて床に倒れる。強かに体をぶつけて、悪態を吐きながらルルーシュは座り込んだ。運転が下手なのか。それともブリタニアから攻撃を受けているのか。恐らく後者だ。

 端末を見るとGPSは地下道を通っていることを示していた。ブリタニアが未だ把握していない東京の地下に逃げ込むのは悪い判断ではないが人海戦術で囲まれるのは時間の問題だ。

 揺れから身を守ろうと機械に縋りつく。そのまま数十分間トラックは運転を続け、しかし段々と速度を落とし、ついに止まった。

 足音はしない。エンジンの駆動音と、電子機器の無機質な音だけが小さく聞こえる。運転席から人が出てくる気配が無いことを確認して端末を見下ろすと現在位置はシンジュクを指し示していた。ビルのど真ん中を指し示していることから、恐らくここは地下だろう。

 運転が留まったのはトラックが壊れたからか。それとも運転手が死んだからだろうか。いずれにせよ外に出るのは危険だ。周囲一帯はブリタニア兵に囲まれている可能性が高い。

 端末に表示された地図を見る。ジェレミアの居場所を示す一点は、しかし間違いなくまっすぐにこちらへ向かっていた。

 地下に入るために車を乗り捨てたのだろう。移動速度は遅くなっているが、もうあと数分で到着するという所まで接近していた。

 電話をしようかと思い、止めた。もしこのトラックの周囲をブリタニア兵が囲んでいるのならば着信音でジェレミアの居場所が知られるかもしれない。

 

 ともかくはジェレミアからの連絡を待とう。

 球体の機械を見上げる。周囲の状況を気にせず、それはひっそりと佇んでいる。卵のような外見をしておりあまり精密な造りはしていないように見えた。

 むしろ中に何かを閉じ込めているような無骨な造りである。

 

 そうして眺めていると突如その機械に亀裂が入った。完璧な球状のフォルムをしていたそれが、急に崩壊し始めて目を剥く。ルルーシュが後ずさっている間にも亀裂は広がり、中から煙を吐き出し始めた。

「なっ、」

 袖口で口元を覆いながら背後に下がる。亀裂は躊躇なく卵を割り、その隙間から煙を吐き出し続けていた。視界を埋め尽くす煙の海にルルーシュは咳き込んだ。

 まさか毒ガスか。いやしかし、ただの毒ガスであればとっくにブリタニアはトラックごと爆破している。

 むしろテロに見せかけてシンジュクのど真ん中で毒ガスをバラまいてテロを制圧する大義名分にしかねない。

 

 煙を吸わないよう床に頭を伏せて目を凝らす。換気扇も無い現状では煙が消えるまで時間がかかるだろう。

 しかしルルーシュの予想とは裏腹に煙は見る間に薄らいだ。姿を消して行く白煙の隙間から、目を潰しそうな程に眩い光が立ち上りルルーシュは眼を細めた。

 

 割れた卵の中心で一人の女が宙に浮かんでいた。

 女性は新緑の色をした髪を靡かせて、白い拘束着に身を包んでいる。顔立ちは成人女性と言うには少し幼げで、同じ位の年頃のように見えた。碧色と表現するにはあまりに神秘的な色をした長い髪はうねりながら周囲を睥睨するように漂っている。

 女性は徐々に重力を纏い、ゆっくりとその場に倒れ伏した。

 煙が立ち退き、光も消え去り、後には華奢な女性だけが残った。

 

 恐る恐る近寄る。翠という鮮やかな色彩の髪に白い肌は眼を惹くが、他に変わったところは見られない。長い睫毛が縁取る眼はしっかりと閉ざされている。

 肩を揺さぶる。華奢な体には余分な筋肉が無く、日々の暮らしのため汗を流して働かなければならない身分では無いようだった。

「おい、おい。しっかりしろ」 

 声をかけようとも女性は身じろぎ一つしない。躊躇なく両頬を全力で叩くも全く反応が無い。

 

 ブリタニアに監禁されていたのだろうか。しかしそれにしてはあまりに肌艶が良かった。髪も手入れされており一つの絡まりも無く、それなりに良い待遇を受けていたことは間違いない。

 女性の口に手をやる。空気の流動を感じてとりあえず息を吐いた。生きてはいるらしい。脈もきちんと触れ、命の危機にある様子ではない。

 

 ともかくはジェレミアの位置を調べるために端末を取り出したが、銃声が響き渡り舌打ちした。

 幸運なことにそれなりにフレームの厚いトラックらしく、銃弾が壁を通り抜けるということはなかった。しかし密室に銃弾がぶち当たった音が反響して長く鳴り響く。

「そこのトラックにいるテロリスト!出てこい!出てこなければトラックごと丸焼けにしてやる!これは警告ではない!」

 誰がテロリストだ!

 舌打ちしながら射撃してきたであろう方向を睨む。

 

 訛りの無いブリタニア語から脅しをかけてきたのは本国出身の軍人だろうと察せられた。高圧的な物言いに慣れている口振だ。恐らくは貴族出身で、プライドが高く上昇志向が強い。出世を求めるあまり命令違反を軽々に犯してしまうタイプの可能性が高い。

 どうする。ここで出なかったとしてもエンジンを爆発させられればまず間違いなく死ぬ。

 爪を噛んで床に寝転ぶ女を見下ろす。

 ブリタニアがこのトラックを爆破しなかったのはまず間違いなくこの女を捕獲するためだ。しかしそうだとして、本国命令をエリアに所属する兵士がどこまで守るだろうか。

 本国直属の兵士と比較してエリアに所属する兵士の質は低い。命令違反もそう珍しくはない。

 ヨーロッパ戦線でも兵士の命令違反に散々に苦労させられたルルーシュには、彼らが躊躇なくトラックに対戦車砲をぶっ放す可能性が低いとは言えなかった。

 端末を見る。点滅する一点は程近くまで来ている。しかし今すぐに到着する程に近いわけではない。このままここで待っていてもジリ貧だ。

 自然と口角が持ち上がるのを感じる。久しぶりの高揚感に体が震えた。

 ああ、やはり自分はこういう人間だ。平和ボケしていても、本質は変わらないのだ。行動しなければ気が済まない性質は、たった5年では変わらないのだ。平穏に馴染むことのできない自身にルルーシュは全く落胆しなかった。むしろ安心さえした。この世界は戦わなくては生き延びられない程に理不尽であると知っているルルーシュにとって、自分が戦うことができる人間であるという事実は安堵にしかなり得なかった。

 

 では、勝負に出ようか。

 ルルーシュは女性を床に寝かせ、一人トラックから外に出た。

 

 

 埃臭い地下道は数年前まで普通の道路だったのだろう。現在では瓦礫が積まれた廃墟だ。奇跡的に電気系統は死んでおらず、蛍のように瞬く蛍光灯が周囲をか細く照らしている。

 トラックの周囲をブリタニアの軍服を着た兵士達が取り囲んでいた。人数は20人といったところか。小隊単位で地下道を捜索していたところをこの一団が一番乗りで見つけたのだろう。

 トラックから降りたルルーシュを兵士達はライトで照らした。

 すわテロリストかと思い、小隊の隊長は手柄を見つけた喜びで色めき立った。しかし現れたのは明らかにブリタニア人の容姿をした学生服を着た子供だった。

「貴様、ブリタニア人か?」

「そうだ。テロリストに捕縛されていた。どうか諸君らブリタニア軍に保護して欲しい」

 両手を挙げて無抵抗を示す。

 ルルーシュは黒髪であるが、顔立ちは明らかにアジア人ではない。また服装は学校の制服だ。未だナンバーズが通学できる環境が整っていないエリア11において、学生服は何よりのブリタニア人である証明だった。

 しかし小隊長は健気に無力を主張する子供を鼻で笑った。

「運が悪かったな、機密に触れたものは全員処分することとなっている」

「私はアラン・スペイサー。父は侯爵だ。ここで私が死ねば父は必ずや私を捜索するぞ」

 侯爵の言葉が出た瞬間に小隊長は一瞬顔を歪めたが、しかしすぐに元の笑みを取り戻した。

「そうか。ならばお前の父には『哀れにもテロリストに殺されていた』とでも伝えておいてやろう」

「そんな嘘が通るとでも?」

「喧しいぞ学生が。ブリタニア人であるのならテロ殲滅のために尊い犠牲となることを誇りに思え!」

「そうか。ならばお前もブリタニア皇族の選任騎士直々に殺されることを光栄に思うと良い」

「は?」

「やれ、ジェレミア」

 一瞬の沈黙の後、男の首の中心部が破裂した。断面から血が噴き出す。

 周囲が騒然となった瞬間に即座に車の中へと走った。床に寝そべる女を背負ってルルーシュは車の外を隠れながら伺った。

 背中にずしりと人一人分の体重がのしかかる。

 くそ、この女思っていたより重い!

 トラックの中から見るに、騒然としながらもブリタニアの兵士は系統だった反撃をしていた。さらに人数が多いためか、ジェレミアも苦戦しているらしい。それでも物陰に隠れながら射撃で一人一人確実に潰している。

 ルルーシュが車から出てくるのを認めて、ジェレミアは持っていたSMGを手放した。

「ジェレミア、やれ!」

「イエス、ユアマジェスティ!」

 肩に担いでいた迫撃砲を天井に向かって放つ。

 命中率は低いが威力だけは高い迫撃砲は見事に地下道の天井にぶち当たった。

「うわ、」

「くそ、煙がっ」

 流石に落盤を起こす程の威力は無いが、廃墟じみた地下道の天井を崩す程度の威力はある。

 既に崩れかかっていた天井は大量の煙をまき散らし、瓦礫が剥がれて兵士の頭上に降り注いだ。

 瓦礫の隙間を縫うようにジェレミアはルルーシュに駆け寄る。

「ルルーシュ様、こちらへ!」

 ルルーシュが背負っていた女性をひょいと担ぎ、ジェレミアはルルーシュの手を引いて走り出した。

 

 

■ ■ ■

  

 

 

 

「学校はサボり決定だな、これは」

「当たり前です」

 眠ったまま起きない女性をジェレミアは担ぎながらため息を吐いた。

 周囲はブリタニア軍により囲まれている。居場所を見つけられないよう地上に脱出し、包囲網を抜けるとなると些か難しい。

 とはいえこの場所にはルルーシュがいる。ブリタニアに包囲されていない可能性が最も高いルートをすぐに選び、ジェレミアはその指示に従い歩いていた。

「それで、この女性は?」

「知らん」

「はあ」

「ただブリタニアが必死こいて取り戻そうとしていたから、重要人物であることに間違いは無い」

 ルルーシュは女性の髪をひっぱったり頬をつついたりしながら検分していた。

 見た目にはただの女だ。見目は良い部類に入るだろう。どこか浮世離れした雰囲気を持つ女は、凛々しいルルーシュとはまた違う幻想的な美しさを讃えている。色彩の珍しい髪は神秘的な女性の顔立ちによく似合っていた。

「目が覚めるまではとりあえず連れてゆく。事情も一応聞いておきたいしな」

「承知しました」

「……あった。あれが出口だ」

 ルルーシュが指さした先には確かに光が漏れている個所があった。

 近寄ると小さな階段であることが分かった。上を見上げると、階段を上った先には鉄骨が剥き出しな天井がある。工場のような内装であり、事実工場だったのだろう。

 この付近は日本の工場が多く建てられていた場所であり、そのほとんどが現在ではホームレス達の住居となっている。

「私が先に上ります。ルルーシュ様はお待ちください」

「気を付けろよ」

 頷いて返し、背中におぶさっていた女性を地面に降ろす。心配そうなルルーシュに手を振り、物音を立てないよう階段を上った。

 

 SMGを構えて耳を澄ます。

 頭が地面から出る前に足音が聞こえたために足を止めた。階段を見下ろして首を振ると、ルルーシュは忌々し気に顔を顰めていた。

 どうやってこの場所に先回りされたのだろうか。いや、それは今どうでもいい。

 引き金に指をかけて相手の出方を待つ。随分と足音が軽い。まるで子供のようだ。

 短い沈黙ののち、耳が痛くなる程に甲高い声が響き渡った。

「やーっと見つけた、ジェレミア・ゴットバルト!」

 場に似合わない幼い声に思わず拍子抜けした。階段の下ではルルーシュも目を見開いている。

「そこにいるんでしょ?もー、探したよ。でもよかったあ、C.C.と接触してくれたおかげで居場所が分かって」

 変に饒舌な子供だ。耳を澄ませると子供以外にもいくつかの足音が聞こえる。

 手榴弾を懐から取り出して安全ピンを抜く。

「大人しくしててよ。そうすればギアス教団にちゃんと連れてってあげるから。怪我したくないでしょ?」

 階段から頭だけを出した。子供が2人。声の主だろう、引き摺る程に長い金髪を持つ少年は無防備に立っている。そしてSMGを構えてこちらに銃口を向けている兵士が5名程。

 兵士の姿を確認して手榴弾をぶん投げた。

 そのまま階段を飛び降りてルルーシュの上に覆い被さる。その直後に頭上で爆発音が弾けた。悲鳴が工場内に響き、階段の下まで届く。

 脳が芯から冷めるような、底冷えのする声でルルーシュは問いかけた。

「何人だ」

「子供が2人。兵士が5人です」

「子供は」

「恐らく死んだでしょう」

 爆発のタイミングを考えると逃げる隙は無かった筈だ。

 ルルーシュは唇を噛んだが、すぐに何事も無かったような顔を作り出した。

 

 状況をルルーシュは理解している。ルルーシュを害する可能性のいる兵士がいて、ジェレミアが殺さないわけがない。たとえ周囲に子供がいて、巻き込んで一緒に殺すことになるとしてもジェレミアに躊躇は無い。

 ジェレミアがそういう性質であると知って、それでも騎士にしたのはルルーシュだ。

 であれば子供の死の責任はルルーシュにあり、その程度の責任も背負えず主君などと嘯くつもりは無かった。

「そうか。もう一度確認しろ」

「はい。お気を付けを」

「お前もな」

 階段を再度上る。頭だけを階段から出して周囲を見ると兵士の死体が3つ落ちていた。子供の死体は無い。

 残り4人は。視線を回すと突然背筋に悪寒が走った。

 

 即座に階段の上へと飛び上がった。

 しかし地面に足を付けると同時に突如として目の前に子供が現れた。

 何が起こったのか分からなかった。いつの間にか胸元に出現した子供を見下ろす。

 まるで瞬間移動だ。有り得ない考えが脳裏を過る。

 どこかナナリーに似ている栗毛の髪をした少年は手に何かを持っていた。ナイフだ。その先端は自分の左胸に埋まっている。

 

 反射的に子供の首を仕込みナイフで刎ね飛ばす。血が噴き出して視界が遮られた。

 痛い。焼けるようだ。痛みのせいで呼吸ができない。

 痛みと、さらに顔面に血液が付着して視界が遮られたせいで動きが鈍った。敵の真正面で動きを止めた愚かなジェレミアに銃口が向く。発砲音と共に左腕が燃えたような感覚がした。

 右腕で顔に付着した血を拭いながら自身の左半身を見下ろす。肩から先が千切れていた。鮮血が噴出し、地面が自分の血液で赤黒く色を変えている。

「あ、ぎ」

 千切れ飛んだ左腕は転がりながら階段の下に落ちたようだった。

 しかし目もくれず、立つ。息を吐く。右手のナイフを構える。

 歩く。前を睨む。

 ジェレミアは階段の前へと立ち塞がった。

 この先には絶対に行かせてはならない。何があろうと。

 何があろうとだ。

 

 たった一人で立っているジェレミアを断罪するように軍靴の音が響く。鈍る視界の中に長身の男が見えた。

「………諦められよ、ジェレミア卿」

 地獄の悪鬼というのはこんな声をしているのだろう。五年も前に何度も手合わせを挑み、しかし一度も勝てなかった男の声だ。

 嘘だと思いながらも、しかし見間違えようも無かった。あまりに長い金髪を携えた少年の傍に、嫌という程に見覚えのある人物がそびえていた。

 鍛え上げられた四肢にナイトオブラウンズの騎士服を纏う、褐色の肌の騎士。帝国最強の騎士。ナイトオブワン。

 ビスマルク・ヴァルトシュタインがジェレミアの前に立ちはだかっていた。

 五年前と同じように何を考えているのか分かり難い鉄仮面のような顔をして、ビスマルクはジェレミアを見下ろしている。

 冷水を浴びせられたようだった。

 階段の下にはルルーシュがいる。

 

 呼吸ができない。ナイフは胸に刺さったままだ。心臓は運よく潰れていないようだが左肺はもう駄目だろう。腕からは血が止めどなく流れている。血と酸素が足りなくて全身が震える。

 この状態ではビスマルクにはとても勝てない。いや、未熟な自分では万全な状態でも勝てない。

 歯を食いしばる。息を深く吐き出した。違う。勝てなくても良いはずだ。

 目的さえ果せればそれで。

 ルルーシュだけ助かればそれで自分は勝ちなのだから。

 

 ジェレミアは最後の虚勢を張り、震えながらも背筋を伸ばして凛と立った。何故かビスマルクを従わせている首魁らしき少年を睨みつける。

 最高位の騎士であるビスマルクが従っているということは、この少年は皇族でしかありえない。しかし全ての皇族を把握しているジェレミアの記憶にはこんな少年はいなかった。

 全てが不明の存在。しかし先ほどの発言はジェレミアに向けていた。理由は全く分からないが、この少年の目的はルルーシュではなく自分なのだろう。

「……何か、私に御用で?」

「よく喋れるねえ。頑丈なのはいいことだよ。ギアスキャンセラー適合手術にも耐えられそうだ」

 会話をする気が無いのか。こちらの話には聞く価値も無いとでもいうのか。傲慢な態度は確かに皇族らしい。

 しかし視野狭窄な幼い挙動と言わざるを得ない。ルルーシュがこの少年と同じくらいの年齢だった頃、彼女はもっと大人だった。

 その少年はにこやかに手を振った。

 それを合図にビスマルクは鯉口を切った。突風に遭ったような衝撃に体が揺らぐ。何かと思えばビスマルクの姿が無い。どこへ行ったかと焦って周囲を見回すと、左足が根元から落ちていた。 

 バランスを崩した四肢は地べたに強烈に叩きつけられる。

 ビスマルクは悠々と地べたに横たわるジェレミアの右足を引っ掴む。視認できない速度で左足を斬り落とされたのだとようやく気付いた。

 

 出血し過ぎたのか、意識が遠のいてゆく。しかしまだだ。残った片足が引っ張られる感覚がした。荷物のように引き摺って運ぼうとしているのだろう。圧倒的な力に抗するために地べたに爪を立てて顔を持ち上げる。

 倒れた時に顔面を強打したためか左眼が見えない。眼球が潰れたのかもしれない。

 半分に減った視界の端で少年が意気揚々と階段に背を向ける光景が見えた。

 安堵で力が抜ける。残った右眼が涙で潤んだ。

 よかった。しかし悔しい。噛みしめた歯から血の味がした。

 ここで自分は終わってしまうらしい。こんなところで。

 なんと不甲斐ない。なんて無能な騎士だ。こんな無様な騎士などルルーシュの選任騎士に相応しい筈が無い。

 自身を罵倒しながら、ナナリーとたった二人で残されるルルーシュのために祈りを捧げた。

 左半身のほとんどを失ったジェレミアができることは最早祈ることのみだった。神になどではない。

 神にではなくルルーシュに祈った。ルルーシュは他の何よりもジェレミアにとって尊い人だった。

 失敗も多く、簡単に傷つき、思い込みが激しく、感情の乱高下が甚だしい。全く完璧ではないルルーシュを、しかしジェレミアは他の何よりも貴んでいた。

 その理由は自分でも定かでない。しかし彼の人の全てが愛おしい。

 

 諦めと喜びを最後に意識は着実に肉体から離れていく。視界は暗くなり、耳は聞こえなくなる。感覚も体から離れ、暗い洞穴に放り投げられたような不快感に溺れる。

 

 沢山殺した。間違いなく自分は地獄行きだ。

 ルルーシュ様もそうだ。あの人が天国になど行けるわけが無い。

 だから大丈夫。どうせまた会える。

 だからどうか、できるだけゆっくり来てください。

 それまでどうか、どうか幸せに。どうか。

 どうか、私のことなど———嫌だ、嫌だ。忘れないで下さい。

 私を忘れないで下さい。

 不甲斐ない、身の程すら弁えられない騎士ですが、どうか。忘れないで。どうか覚えていて下さい。

 ルルーシュ様、ルルーシュ様。どうか、お幸せに。

 摩耗していく意識に縋りつきながらジェレミアは祈った。

 その祈りを最後に、ジェレミアは眼を閉じた。

 

 

 

 

 

「全く、どうしてお前がついて来るんだか」

「いくら終戦したとはいえ未だテロが活発な地域ですから。陛下は兄君をご心配なされたのでしょう」 

「どうだか」

 ビスマルクを見上げて少年は鼻で笑った。

 ビスマルクはジェレミアを片手で引きずりながら眼を伏せて階段を見やった。V.V.はその下にいる少年に気づいている様子はない。C.C.のことは暫く放置する予定のようで、階段に足を向ける様子も無い。

 そのまま視線を逸らし、ビスマルクはV.V.に気づかれることのないよう階段に背を向けた。

 皇帝の不器用な愛情は、しかしこのままでは子供達に生涯伝わることはないだろう。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 物音がしなくなったのを確認してルルーシュは階段から這い出た。腕にはジェレミアの左腕を抱えていた。

 まだ暖かい左腕は切断面から血を流していた。手でぎゅうっと根元を絞って、できるだけ血が流れないようにと強く抱きしめた。

 工場だったであろう施設は今や酷い有様に成り果てていた。手榴弾により壁の一部は破壊されており、床には手榴弾に仕込まれていた金属片が体に突き刺さって死んだ死体が落ちている。さらにぽっかりと口を開ける地下へ続く階段の近くには首を切り裂かれた子供の死体があり、明らかに致死量と分かる血液がぶちまけられていた。

 この血液は死体となった子供のものだけではない。

 床に座り込む。周囲に飛び散っている血に手を浸すとまだ暖かい。凝固しかけている血液をこねるように指先を遊ばせる。頭が芯から痺れているように痛む。

何も考えられない。頭が痛い。吐きそうになる程の眩暈がする。足元がふわふわと浮いていて、しかし地べたは酷く寒かった。

 

 ルルーシュは階段の下からジェレミアの左半身が吹き飛び、斬り落とされるところを見ていた。致命傷を負ったと知った上でルルーシュは動かなかった。

 

 もし出て行ったところでビスマルクを相手に無力な自分に何ができる。

 ジェレミアを助けようと出て行って、そしてジェレミアの目の前で殺されるだけだ。そしてジェレミアも殺される。2人で死体になり、横に並ぶ。その瞬間を夢想してルルーシュは嗚咽を零した。喉が引き攣れて呼吸ができない。

 それができればどれだけよかっただろう。どんな形であっても2人でいた方がずっと幸せに違いない。

 でもそれだけは駄目だ。たとえ死んでも、それだけはしてはいけないのだ。

 自分のためではなく、ジェレミアのために。

 そして、ナナリー。

 ナナリーを護らないと。

 これからは1人でナナリーを護って行かないといけないんだ。

 ルルーシュは自分よりもずっと太くて、ずっと長く、ずっと強い腕を抱き締めた。この腕がどれだけ力強かったのか、ルルーシュはよく知っていた。目が痛い。

 

 俺はどうしてこんなに弱いんだろう。

 

「おい、ルルーシュ」

 さっきまで気を失っていた女性がいつの間にか起き上がっていた。長く硬質な髪が顔にかかる感触がした。

 ぱちぱちと頬を叩かれている。結構な力で叩かれているのか、脳が揺さぶれて気分が悪い。

「何をぼんやりしているんだ。すぐにでもブリタニア兵が来る。そうなればお前はここで終わるぞ」

 確かに遠くから軍靴の音がする。あれだけ銃撃の音がしたのだから人が集まって当然だろう。こんな女に言われなくても分かっている。

 でも体が動かない。どうしたらいいのか分からない。呼吸も上手くできない。

 ルルーシュはむずがるように顔を振るって女の手から逃れようとした。

 五月蠅いし、煩わしい。放っておいて欲しかった。

 

 ルルーシュの弱弱しい仕草に女から舌打ちが落ちた。

「まったく、親に似ているのは外見だけか。なんとも情けない。———これでは死んだお前の部下も浮かばれんな」

 腰に両手を当てて溜息を吐く美女にルルーシュは内心で自嘲と共に同意した。

 そうだろう。

 何の力もない、ただ守られて震えているだけの女に仕えていたなんて後悔してもし足りない程の間違いだった。

 あいつが日本に来る前からそう言っていたのに、わざわざ地位も金も捨てて日本くんだりまで来るなんてあいつは本当に馬鹿だ。

 あんな馬鹿は世界中探してももういないだろう。

 

 どれだけの時間が経ったのか分からない。恐らく数分間だろうが、数時間のような気がした。

 足音も荒く数名のブリタニア兵が工場に入ってきた。入るなり死体を見て口喧しく騒いでいる。ブリタニア人の死体がいくつも落ちていることに驚いているようだった。

 会話の内容は理解できる。しかし現実として認識できない。幕を隔てたところでやり取りがされているようだ。

 ぼんやりと眺めていると、兵士達の銃口が自分に向けられていることに気づいた。久しぶりに向けられた銃口だが、これまでのように脳が焼き切れるような緊張が湧かない。

 ここで死ぬのか。ルルーシュは鈍る思考の中で自身の死を感じた。

 死ぬ。死ぬとはどういうことだろう。

 これまで何人も殺してきたというのに、死ぬということをルルーシュはよく分かっていなかった。もしかしたら5年前の方がもっとずっと自分は死を身近なものとして感じていたかもしれない。

 それほどまでにこの5年間は幸福だった。

 

 5年間。5年間だ。12歳だった自分にとっては、それまでの人生を忘れてしまう程に長い時間だった。

 素朴な生活を3人で営んだ。朝に起きて学校に行って、友達と遊んで、笑って、怒って、また笑う。家に帰って食事を作って、家族と食べて、他愛も無いことを話して、聞いて。

 護りたい妹と、護ってくれる騎士がいつも傍にいた。何も足りないものなど無かった。穏やかな日常が続き、このままずっとこうやって生きてゆけるのではないかと思った。

 心地よい夢想だった。できることなら、死ぬまで夢を見ていたかった。

 でも夢は夢だ。現実は、今は。もうジェレミアは、家族だった男はいない。2度と会えない。昨日まで、ついさっきまで傍にいたのに。

 

 熱の籠った息を吐いた。涙が溢れて次々と頬に線を描いた。

 5年前、日本まで追いかけて来たジェレミアがルルーシュを抱き締めてくれたように、ルルーシュは腕の中の千切れた左腕を抱き締めた。腕は既に冷たく、抱き締め返してはくれなかった。

 

 ルルーシュは決意した。

 戦う。戦おう。

 胸の中に炎が灯る。全身を燃やし尽くさんばかりに燃え上がる。それでも一向に構わない。

 燃えればいい、全て燃えればいい。

 戦ってやる、殺してやる。復讐してやる。

 奪い返してやる。

 それが正しい事であっても、間違ったことであっても。どうでもいい。

 

 

 ルルーシュは涙を零すままに菫色の瞳を見開き銃口を睨み返した。

 火のついたような視線が周囲を睥睨する。

「———殺してやる」

 人形のように呆けていたルルーシュが突然口を開いたことでブリタニア兵は戸惑い銃口が揺れた。

 ここで何があった。説明を。この場で生き残っていた少女と少年に向かって怒号が飛ぶ。

 

 しかしそんな喧噪よりも先に、とても聞き逃すことの出来ない侮辱に始末をつけなければならなかった。

女の胸倉を掴み上げる。

「許さない、死んでも許しはしない!!戦ってやる!殺してやる!死んでも殺してやる!!」

 C.C.は吠えるルルーシュを見上げた。華奢な体は女性とも男性ともつかない。強者に媚びる女性でも、権力や腕力を誇る男性でもないルルーシュはどうしたって弱者に分類される。

 さらに周囲には敵しかおらず、唯一の騎士も失った。ルルーシュは現在完膚なきまでにブリタニアに敗北していた。

 

 その事実を分かっているだろうに、それがどうしたというのだと言わんばかりにルルーシュの声は猛々しい。

 全てが失われたわけでは無いのだから。まだ不撓不屈の意思、復讐への飽くなき心、永久に癒すべからざる憎悪の念、降伏も帰順も知らない勇気があるのだから。

 敗北を喫しないために必要なものは全てが揃っているのだから。

 

 先ほどまでとは別人のように眼球を爛々と輝かせるルルーシュに女は瞬きを繰り返し、気の毒そうに眼を伏せた。

「———そうか。終わりたくないのだな、お前は」

 女は自身の胸倉を掴むルルーシュの手を握った。

 額に赤い紋様が浮かび上がる。

「これは契約だ」

 女がルルーシュの手に触れると同時に、足元から全てが崩れ去るような虚脱感が全身を襲った。

 

 

 

 

 真暗闇の中に放り出されたかと思えば、無数の人々がこちらを見ている。

 ここはどこだ。なんなんだ。周囲を見回すも、カメラのフィルムが高速で流れるように周囲の風景は次々に変化していく。

 ルルーシュは眼を瞑る沢山の人々の前に立っていた。額には女と同じ鳥のような紋様が赤く光っている。

 ここはどこかと思えばすぐに景色が変わり、神官のような人々が粗末な衣服を着た奴隷を虐殺していた。ルルーシュはその神官のすぐ隣に立っていた。止めようと手を伸ばすと、また景色が変わり、今度は瞳に紋様を浮かべた男に沢山の人々が跪いている光景に変わった。ルルーシュは多くの人々と共にその男を見上げていた。

 漠然と、これは人類の歴史だと察した。長い長い歴史はルルーシュへ何かを訴えかけるように速度を速める。走馬燈のように駆け巡る記憶は全て自分が生まれる前の古い歴史だというのに、しかし少しだけ懐かしい感触がした。

 どこかで触れた。どこだろう。

 高速に回転する光景の中心で、自分という存在が生まれるずっと前のことをほんの少しだけ思い出した。

 ずっと昔、まだ自分がルルーシュでなかった時、世界の中心で渦巻く螺旋状の神の中で。

 あれはどこだったんだろう。

 

 有り得る筈のない記憶を受け止めるルルーシュに追い打ちをかけるように、朗々とした少女の声が脳裏に響いた。あの女の声だったが、それにしては幾重もの声が反響して聞こえた。男の声や子供の声も入り交じり、切々と懇願するようで耳障りな、しかしやはり懐かしい声に聞こえた。

 

 

 力をあげる代わりに、私の願いをひとつだけ叶えてもらう。

 契約すれば、お前は人の世に生きながら、人とは違う理で生きることになる。

 異なる摂理、異なる時間、異なる命。

 

 王の力はお前を孤独にする。

 その覚悟があるなら————————

 

 

 

 ここはどこだろう。自分は誰だったか。

 周囲を見回すと、何もない真白の空間が広がっていた。地面にも空にも何の色も無く、地平線さえ白く見える。手足を見ると自分の身体も白く変質している。周囲の空間に溶けてしまいそうな白は、空気に溶けてそのまま無くなってしまいそうだった。

 このままではいけない。脳を揺さぶる多種多様な記憶の波に翻弄されながら、ルルーシュは自分の存在を思い出そうと自分自身の記憶を振り絞った。

 ここは、ええと。指を折りながら少しずつ思い返そうとする。自分でない記憶が絶え間なく入り混じるせいで、自分の輪郭が酷く曖昧だ。自分は何歳だっただろう。性別さえもうよく分からない。忘れてしまったのだろうか。

 確か、そうだ。確か小さい頃は皇子で、ブリタニアにいた。でも捨てられてしまった。

 そしてあの男に嫌なことをされた。でも耐えた。妹のために。

 一緒にいたのは小さな妹と、大きな騎士と、親友の少年。

 そうだ。ここはニッポンで、自分は、ルルーシュ。

 ナナリーの兄の、ルルーシュ。

 ジェレミアを騎士に持つ、ルルーシュ。ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア。

 そうだ。騎士だった。たった一人の騎士だったんだ!

 家族だったんだ!!

 

 

 沸々と湧き上がる激情が奔流し続ける記憶のせいで呆けた理性をぶん殴った。

 人類の歴史も、他人の悲劇も、自分にとってはどうでもいいことだ。そんなものにかかずらっている暇などあるものか。

 そうだ、許さない。

 母さんを殺された、ジェレミアも殺された、自分も、奪われた。そしてナナリーは盲目になり、歩けなくなった。

 許さない、許せない、殺してやる殺してやる!復讐してやる!

 力を、そのための力を!

 

 ルルーシュは立ち上がった。

「いいだろう、結ぶぞ、その契約!!」

 そう叫ぶと同時に周囲は元の薄汚れた工場へと戻った。周囲はブリタニア兵に囲まれ、地べたは血で赤黒く染まっている。

 周囲のブリタニア兵は気を失ったとばかり思っていた少年が動いたことに戦きながらも引き金に手をかけた。

 もしやテロの味方をする主義者かと警戒していたが、先ほどから呆けるばかりでまともに会話もできなかった。それが突如として意識を取り戻して立ち上がったのだから自爆でもするつもりかと冷汗が額に滲む。

 

 ルルーシュは自分に銃口を向けて並ぶ銃列を一瞥した。

「ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアが命じる。今すぐ自害せよ!」

 左眼が赤色に発光する。怒号を挙げながらルルーシュを取り囲んでいた兵の群れは突如として機械染みた速度で沈黙した。

 一瞬の後に建物中に響き渡る声で号令が上がる。

「イエス、ユアハイネス!」

 轟く声を上げると同時に彼らは自身の脳を躊躇なく銃弾で打ち抜いた。

 異様な光景をルルーシュは眉一つ動かさず眺めていた。

 床に力を無くした死体が落ちる。死体には眼もくれず、ルルーシュはただ先を睨みつけた。

 

 

 

 あの日から俺はずっと嘘をついていた。生きてるって嘘を。

 名前も嘘、性別も嘘、経歴も嘘、嘘ばっかりだ。

 それでも日々の幸せだけは本当だった。

 だから嘘という絶望に諦めることができた。幸せは確かに、本物としてあったから。

 でもその幸せさえ奪われた。

 

 だけど、手に入れた。

 力を、復讐の力を、全てを変える力を。

 だから。

 だから、俺は!

 

 



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復讐のありか
3. 親友なんだけどやっぱりちょっとウザい


 

 

『おいカレン!ほんとにあんな怪しい奴の言うこと聞くのかよ!』

「扇さんがそうするって言ったんだから、そうするわよ。それにあいつのおかげでKMFが手に入ったのは確かだし……」

 扇グループの面々は突如通信に割り込んできた男に命令され、指定された位置についていた。

 扇グループの一人であり、エースでもある紅月カレンも同様に、突如として現れた傲慢に命令を下す男に戸惑いながらもその指示に従っていた。

 

 男から通信があったのは本当につい先ほどのことだった。絶望的な状況で仲間の多くが死を覚悟していた時、突如として高慢な物言いをする男から連絡があったのだ。

 頼る先も無く、最早命を諦めようとしていたカレン達は破れかぶれのまま指示された通りに動いた。

 結果的に窮地を脱し、それどころか大量のKMFを輸送していた貨物列車を奪うことが出来て戦力は大きく上がった。未だに戦力差が大きいことには変わらないが、碌に重火器さえ無かったつい先ほどまでと比較すると天と地程の差がある。

 しかし、カレンはKMFの操縦桿を握り締めた。玉城の言う通り、未だ信用ならないのは確かだ。

 扇がなぜ男の指揮下に入ることを決めたのかは定かではないが、自分達のリーダーは扇だ。リーダーには従わなければならない。しかしカレンは男への警戒を緩めようとは全く思わなかった。

 

 だってこのメンバーで一番強いのは私だもの。

 

 少数であるが精鋭はいない。扇グループの中で唯一戦力らしい戦力として戦ってきたカレンはその年齢に見合わない責任感を背負わされていた。

 

 しかし男の指揮による戦闘が開始してからの短い時間、カレンは長く背負った重苦しい責任を忘れていた。それは男の指示があまりに卓絶していたこともあるが、それ以上に男の指揮に従うのはKMF操縦には天賦の才を持つカレンであっても至難の業だったことによる。

 男の指揮通りに動く。言葉にすれば簡単だが、実現するには困難を極めた。

 何しろ指示が非常に細かい。分どころか秒単位で指示される作戦はKMFを未だ扱いきれておらず、さらに系統だった命令など経験の無い扇グループの実力を遙かに凌駕していた。少しでも男の指示と機体の動きにラグを作ってはいけないと、エースであるカレンでさえ冷汗が零れる。

 さらに男の指示はあまりに優れ過ぎていたために誰も作戦の意図が読み取れなかった。意図が読めないと恐怖や躊躇いが生じ、それは作戦の失敗に直結する。もしもこれが旧日本軍から成る集団であればここまでブリタニア軍と拮抗することは困難であったかもしれない。

 

 だが扇グループには唯一の長所があった。それは素人の寄せ集めであるということだった。

 誰も自身に自信が無い。リーダーである筈の扇にはリーダーシップの才は無く、団員も扇にリーダーシップを求めてさえいない。

 それは良い意味でも悪い意味でも自身の個を主張せず、下された指示に機械のように従うことへの躊躇が無いと言い換えられた。さらに現状があまりにも絶望的であるせいで思考能力が低下していることが良い方向に作用した。

 どうせ駄目なんだし、扇が言うならこの男の言う通りにしよう。

 混迷を極める状況の最中、テロリストである筈の集団全員が、突如として出現した男の指示に従うという正常な思考能力があれば有り得ない判断を下していた。

 他に生き残る術が無かったからとも言える。誰も彼もが必死だった。

 

 

 その結果は今カレンの目の前にあった。

 密集する敵のKMFと、その周囲に展開されたこちら側のKMF。カレンはグリップを握りながら興奮のあまり震えていた。

 全て男の言う通りになった。まるで手中の小石を弄ぶように、男は1時間にも満たない間にブリタニアのKMFを誘導して一点に集中させた。

 人が作ったとは思えないような作戦は、まるで神様が考えたようだ。

 カレンはぶんぶんと頭を振った。子供じゃあるまいし何を考えているんだか。

 しかしいくら否定しようとしてもカレンの中に未だ顔も知らない男への敬意が生まれ始めていることは事実だった。

 この男は、すごい。きっとこの男がいればもっとすごいことができる。お兄ちゃんみたいに、きっとみんなを引っ張ってくれる。

 

「よし、今だ」

 男の冷ややかな声と共に爆発が生じる。

 脆い地面に密集したブリタニア軍のKMFは計算尽くで配置された爆破と共に、漏斗に落ちる水のように地下道へと吸い込まれていった。

 重量のあるKMFを地下から引っ張り出すには専用の重機が必要になる。こうなればあと数時間はあのKMFは動けない。

 慌てて手元の画面を見て味方の機体の安否を確認する。確認できる限りで味方に大きな損害は無かった。

「すごい……」

『勝った……勝てるんだ!俺たち、ブリタニアに勝った!』

 マイク越しに聞こえる仲間達は皆歓声を上げていた。ブリタニアに対して上げた、扇グループの初めての勝利だった。それも物量も、KMF操縦技術も全て覆しての勝利だ。

 カレンも皆と一緒に歓声を上げた。死んでしまったナオトお兄ちゃんの仇がようやく少し討てたような気がした。

 湧き上がる喜びを噛み締めながら機体の状態を画面でチェックする。驚くほどに損害は軽微だ。これならまだ戦える。

 今日本の総督として君臨しているクロヴィスだって、このままいけば倒せるかもしれない。

 

 これまでの作戦で一度も感じたことが無い感情はカレンを高ぶらせた。

 きちんと頑張ったら、それだけの結果が返ってくる。そして失敗したら死んでしまう。シンプルなことだ。しかしこれまではそんなことはなかった。いくら頑張っても負け続けて、どれだけ耐え忍んでも仲間は殺されていった。

 今なら勝てる。今なら。だってブリタニア人なんかよりも私達は苦しんできて、だから誰よりも頑張ってきたの。

 頑張ったら頑張っただけの見返りがないと、そんなの嘘だもの!

 

 

 喜ぶカレン達に、しかし指揮を執る謎の男は水を差すように冷たい声で新たな指示を下した。

 一番の立役者だというのに声色は作戦中と同じように凍り付くように冷たい。

『浮かれるな、No3はそのまま待機。No4-12は二つ向こうの路地に移動しろ。次が来る』

『へ!こうなりゃ何が来ようと負けねえさ!』

『いや、負ける。そのためこれから先は撤退戦となる』

「……はあ!?」

 高ぶる感情のままにカレンはマイクに掴みかかった。

「ちょっと、どういうことよ!もうほとんど勝ってるじゃないの!」

『クロヴィスの部隊だけになら既に勝っている。しかし運が悪かった』

 男は忌々し気に舌打ちをした。

『そろそろクロヴィスが特派へ通信をし終わっている頃だろう。あと10分以内に枢木スザクが出撃する。新型KMFのランスロットに勝てる機体は未だ理論上存在しない』

「っ、でも、一機だけでしょ!?」

『ランスロットはE.U.において一機だけで三十機体以上を破壊した実績がある。敵対するのならそれなりの準備が必要だ。今は諸君らと話し合っている暇は無い。指示した通りに移動すれば被害は最小限で済む。……勿論、枢木スザクに惨殺されたいという者は自由にしていい』

 小馬鹿にするような言い草に、カレンの怒気が生まれたばかりの男への敬意を叩き潰した。

 たかがKMF一機に負けると断言されるなど、扇グループのエースとして聞き流せない。

 さっきまでの自分達の戦いぶりを見ていただろうに、よりにもよって売国奴の枢木スザクなんかに負けるだなんて。

 

 命令を無視して突っ込んでやろうかと思ったものの、それより先に扇が口を開いた。

『分かった、そうしよう』

「ちょっと扇さん!」

 予想外の言葉にカレンは苛立ち混じりに声を上げた。

 しかし扇は声も固く引く様子は無い。それどころかカレンに通信を繋いで窘めてきた。

『カレン、俺たちはこの男のおかげで今回勝てたんだ。だから俺は最後までこの男の指示に従うべきじゃないかと思う』

「でももうちょっとで勝てるかもしれないのに!」

『カレンと言ったか』

 男から突然名前を呼ばれて思わず舌打ちした。

 カレンはブリタニアの学校に通っている。生徒として個人情報は護られてはいるが、調べれば名前ぐらいすぐに分かる。

 もしハーフだということがバレて脅されでもしたら面倒だ。

 しかしカレンの懸念とは裏腹に男は淡々と言葉を紡いだ。

『お前は次を求めはしないのか』

「次?」

 予想外の言葉に首を捻る。

『ここで無理をおして勝ったとして、クロヴィスを殺せたとして何になる。何十人という皇族の内の一つの首を斬り落としても現状は何も変わらない。味方の命を危険に晒すだけで、そこに意味は無い。KMFに乗る騎士ならば得られるリスクとベネフィットを常に天秤にかけろ』

「でもクロヴィスを殺せば総督はいなくなるわ!」

『そうだ。そして次の総督が送られるだけだ。恐らくはコーネリアあたりだろう。そうなれば何も変わらない。今は生き延びて次を待て。追って指示する』

「次って」

『早いな、来るぞ。No.4から12、さっさと逃げろ!』

 え、カレンは画面を見やった。

 

 白く塗装された機体が宙を舞いながらこちらに飛んできている。しかしとてもKMFとは思えなかった。

 まるで鳥のような何かだ。はためきながら宙を漂い、しかし一瞬の後には轟音と共にこちら側のKMFを一機粉砕した。虫でも踏みつぶすように、そのKMFは易々と分厚いKMFの装甲を踏み砕いたのだ。

 視認さえ難しい速度にカレンは本能的な恐怖を感じた。死への恐怖、未知の存在への恐怖、そして勝利に酔っているからこその敗北への恐怖。

 

 ルルーシュは扇グループを指示しながら薄々勘づき始めていたが、紅月カレンはKMF操縦者としてナイトオブラウンズでさえ凌駕する程の才を持っていた。

 碌にKMFの訓練を受けていないにも関わらず、既にブリタニア軍が誇る正規の騎士より遙かに腕が立つ。これからKMFの訓練を受ければそこらの選任騎士をも軽く凌駕する程の実力を手にするだろう。天才的な格闘センスに加えて人間離れした反射速度は枢木スザクに勝るとも劣らない。

 

 だからこそカレンは踊る様に迫り来るKMFの恐ろしさをこの場の誰よりも早く理解した。

 まず間違いなく、あれには勝てない。

「なによ、あれ」

『ランスロットだ!』

『あれが白い死神か!』

 ランスロットの青いアイカメラがほんの少しこちらを向いた。カレンの本能がこちらに来ると全力で叫んだ。

 とっさに背後へ飛びずさる。一拍を置いてランスロットがカレンに襲い掛かってきた。こちらが先に動いたというのに、子供のお遊びに付き合う大人のように容易に追いつかれた。

 速い。速すぎる。サザーランドじゃだめだ。

 咄嗟にスタントンファを起動して組み付きにかかるも容易に回避され、逆に機体を蹴り一発で吹き飛ばされた。

 空中で機体を安定させて着地する。

「くそ!」

 攻撃の一発が重い。装甲には罅が入っているだろう。もう一発食らえば胴体が機体が千切れるかもしれない。

 歯を食いしばる。

 撤退を指示した男の言葉の意味が分かった。

 実力云々の話ではない。そもそも機体のスペックが違う。いくら攻撃しようとも恐らくは意味が無い。あの装甲は今の装備では絶対に貫けない。

 飛び上がる猫のように身軽に機体を立て直したランスロットの優美な動きに、カレンは寒気すら感じた。

 

 死ぬかもしれない。

 

 手が震える。こんなのは初めてだ。どんな敵が立ち塞がって来ても、負けるなんて思ったことは無かったのに。

 人を模して造られたKMFは本当に趣味が悪い。カメラ越しに白と金に塗装されたランスロットの青い瞳のようなレンズと目が合った。白い肌に金髪の髪、それに青い瞳。典型的なコーカソイドの色彩は典型的なブリタニア人の色でもある。

 表情の無い冷たい機械だというのにこうして真正面から睨みつけられるとまるで人間のように思えた。

 だとすればあの表情は日本人を嘲っている顔だ。

 

 どうしてブリタニアに与さないのか、どうしてまだ敵として無駄に足掻いているのか。這い蹲って腹でも見せれば命は保障してやらないでもないというのに。

 嘲笑が幻聴として聞こえるようでカレンは全身の筋肉を叫ぶように強張らせた。操縦桿が軋む程に握り締める。カメラを通じて、カレンはランスロットを真正面から睨み返した。

 

「冗談じゃ、ないわよ!」

 震える両手を叱咤する。

 

 機体性能の差なんて知ったことか!あいつは売国奴だ!

 どれだけ日本人が辛い思いをしているかなんて知らないで、ブリタニアに尻尾を振って媚を売っている、恥知らずの屑野郎だ!

 あんな奴に誰も殺されてたまるか!

 

 襲い掛かってくるランスロットから上体を捻って逃げる。

『カレン、スラッシュハーケンだ!』

「了解!」

 両手に装備されたスラッシュハーケンをランスロットに向けて打ち込む。ワイヤーのついた銛のような形をしたスラッシュハーケンは機体に突き刺さり、一瞬だがランスロットの動きを止めた。

 その瞬間に物陰に隠れていた他の味方達がランスロットに向けて発砲する。

 しかしランスロットは銃弾を気にする様子も無く、うっとうしそうにスラッシュハーケンを片手で引き抜いた。

『今だ!発射しろ!』

 男の号令に合わせて数台のKMFがランスロットを見下ろしているビルへと発砲した。

 大量のガラスやコンクリートが周囲一帯に降り注ぎ、瓦礫が割れる耳障りな音が響き渡る。だが銃撃でさえまともに傷のつかないKMFには落下する瓦礫など目くらましにさえならない。

 しかしランスロットはいきなりカレン達に眼もくれずビルへ向かって走り出した。

「え、何?」

『全員退避!今すぐ退避だ!』

 ランスロットが走り去った方向に眼を向けるが、しかしすぐにカレンは男の言った通りに撤退を開始した。

 これ以上のあの化け物と戦う気にはなれなかった。

 そして何より、この男の命令に従えば上手くいくという思いがカレンの中に生まれていた。

 

 

 その場からすぐに撤退したカレンには見えなかった。

 ランスロットは銃撃によりビルから落下した親子を護るために戦線から離脱したのだった。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 指先でKMFのグリップを叩く。ルルーシュは親子を掌に載せて庇うランスロットの画像をカメラ越しに眺めていた。

 もしかしたら自分は嬉しいと思っているのかもしれないが、そんなことを実感できる程の余裕が今のルルーシュには存在しなかった。

「そうだなスザク。————お前はそうするだろう」

 ランスロットの掌から離れて一目散に逃げ出す親子に怪我が無いことを確認する。いきなり逃げ出されたことに傷つきでもしたのか、ランスロットは少しの間項垂れていた。相も変わらず子犬のような挙動をする奴だ。

 あれから五年の月日が経ってもスザクは相も変わらず甘い。

 そして相も変わらず、馬鹿だ。

 

 あいつは気づいているのだろうか。

 民間人と軍人やテロリストを区別するのは良い。民間人は助けるが軍人やテロリストは殺すという判断は、ブリタニアの軍人としては至極真っ当だ。

 しかし、しかしだ。ルルーシュは憐れみと微かな憤怒を抱いてスザクを見やった。

 どれだけ民間人を助けても、お前が助けたいと思っていても、このままブリタニアの支配が続けばどうせ皆死ぬぞ。

 一人でどれだけ問いかけようとも返事は返ってこない。スザクの理解できない言動はいつだってルルーシュの範疇外にある。頭を振った。

 そのことに思い到っていないのか、それとも見ない振りをしているのだろうか。

 結果的に死ぬのなら今助けても何も変わらないだろうに。

 相も変わらずの馬鹿だ。

 

 

 カメラを切り替える。周囲には敵の姿も、テロリストの姿も無い。

 ブリタニア軍のKMFは今やその殆どがシンジュク制圧のために動いていた。ランスロットが動きを止めた隙をついて逃亡したテロリストを捕縛するためだろう。

 

 だがそのやり方は余りにも稚拙だと言わざるを得ない。子供のような戦争のやり方をルルーシュは鼻で笑った。

 住居が破壊され施設に集まっている日本人を片っ端から攻撃し、虐殺していくという物量に物を言わせる作戦はコストもかかれば時間もかかる。さらには効率が悪い。

 さらにさらに重ねて言うと、貴重な労働力である日本人の数を減らすことは今後のエリアの発展にも支障をきたす。

 

 戦争は正義などという甘ったるいもののために勃発するものでは無い。

 土地と資源、そして安い労働力と市場開拓。つまりは国家の利益のために行われているだけだ。

 だからこそ本来であれば余計な手間を減らすため、戦勝国は敗戦国の機嫌を取りながら金を毟るのが最善だというのに。クロヴィスはその真逆を行っている。

 

 そう思うと同時に現在この地上でただ一人その手法を実践している男を思い起こした。

 シュナイゼルは現在E.U.にかかりきりになっている。今度こそ地上からE.U.の文字を抹消するべく、ブリタニアは主戦力であるシュナイゼルをヨーロッパに据え置いたまま動かす様子が見えない。

 戦うのではなくE.U.の国民を篭絡し、今や四十人委員会よりも民衆からの指示を得ているシュナイゼルを相手にE.U.が持ち堪えるのは長くとも1年から2年程度だろう。

 ならばE.U.がまだ踏みこたえている間に自分は少なくとも東アジア程度は纏めておかなくてはならない。

 ブリタニアを潰すためには軍隊が必要だ。

 

 

 ジェレミアの腕を丁寧に座席に置いて、KMFのコックピットを開けて飛び降りる。

 端末で自身の位置を確認しながら奪ったKMFの情報から算出したクロヴィスの現在位置に向かって歩いた。

 距離はそう遠くない。瓦礫が降り積もる廃墟であっても5分もあれば到着する。

 それほどまでに近い距離であってもまともにブリタニア兵が見えないところを見るに、クロヴィスは想定以上程に兵を消費してしまったらしい。

 さらに散々にKMFを消費した今クロヴィスの周囲の警護は歩兵ばかりになっているだろう。

 

 暫く歩き、ようやく警備兵が視認できてルルーシュは胸を撫で下ろした。あまりに兵が少なくもしやダミーの指令所かと疑い始めていたところだった。

 血塗れの学生服を着たルルーシュの姿を認めて警備兵はにわかに警戒を露にした。

「貴様、何者」

「俺に従え」

 眼を見つめながら告げると、男は態度を一転させてルルーシュに向かってブリタニア軍式に敬礼した。

「————イエス、ユアハイネス。ご命令下さい」

「ここを通せ。他の兵士には“何も異常は起こっていない”と告げろ」

「イエス、ユアハイネス」

 何事も無かったかのように警備を続ける男の横を通る。

 その後も何人か警備に遭遇するも、同様の命令でルルーシュは堂々と真正面からクロヴィスのいる司令室へと辿り着いた。

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 シンジュクにおける一般市民への攻撃を中止するよう命を下した後、クロヴィスは溜息を吐いて通信を切った。

 普段から護衛に囲まれているためか、広い会議所で自分一人しかいないという状況には些かの緊張感がある。

 いや、二人か。

 床より数段高い位置にある豪奢な椅子に腰かけて、クロヴィスは目の前の華奢なブリタニア兵の恰好をしている男を見下ろした。軍服もヘルメットも短機関銃も見慣れたブリタニア兵が装備するそれだが、その男はブリタニア兵ではない。短機関銃の銃口は迷いなく自分に向けられている。

「これでいいのかい?」

 軽々しい挙動のままクロヴィスはその男を見やった。

「ええ。結構です」

 結構、と言いながらも口調は冷ややかであり、銃口はクロヴィスを向いたままだ。容易に撤退してくれなさそうな様子にクロヴィスは溜息を吐いた。

 

 皇族たるもの、誘拐や脅迫に晒されることは珍しいことでは無い。

 しかしここまで自分の領域に敵の侵入を許したのは初めてだ。これまであまり選任騎士を持つ気は無かったのだが、ここまで今の部下が無能揃いだと知ると選任騎士を選出すべきかと考えてしまう。

 広い部屋にはクロヴィスとその兵士しかいない。クロヴィスの親衛隊は全員がシンジュク制圧のために駆り出され、他の兵士達もいつの間にかいなくなってしまった。

 

 いつも誰かが傍にいて自分の身を護っていた状況に慣れていたクロヴィスは、銃口を向けられている今を以てしても命の危機を感じていなかった。たとえ相手がテロリストであろうとも、自分を殺すよりも誘拐してブリタニアを脅迫する方が有用であることは明らかだ。有用な駒となり得る自分を殺すなどという愚行をテロリストが行う筈が無い。

 クロヴィスは本心からそう思っていた。

「シンジュクへの攻撃を止めるよう命じて、今度は何かな?私を誘拐でもするのかい?」

「いや。あなたには聞きたいことがある」

 男はブリタニア皇族を前にしているとは思えない程に淡々とした口調で吐き捨てた。

 

 ブリタニアに反抗するテロリストにしては恨みが籠っておらず、いっそ無関心とさえ言える口調にクロヴィスは首を捻った。大抵のナンバーズは皇族を前にすれば緊張するか、もしくは怒りに震えて恨みつらみを吐くかのどちらかだ。ここまで淡泊な反応をされたことは少なくともクロヴィスの記憶には無い。

 男はクロヴィスへ銃口を向けながらヘルメットをむしり取った。暗い部屋ではあるが、カーテンの隙間から入る光で男の顔が垣間見えた。

 短い黒い髪に少し甘さの残る顔。思っていたよりも若い。ティーンエイジャーだろう。そして美しい。

 彼の容姿が視界に入った瞬間の衝撃は、E.U.で哀れみと題された彫刻物を鑑賞した時の感銘に似ていた。しかし逞しい救世主とも、息子を抱くマリアとも言えない。むしろ男はその2つが合わさっているかのような容姿をしている。

 男が持つ硬質な美も、女の艶やかさも持ち合わせた大人とも子供ともつかない顔は優れた芸術品であり、とても人には見えなかった。

 

 男の容姿のあまりの美しさに一瞬呆け、しかしすぐにクロヴィスは眼を見開いた。男の顔には見覚えがあった。5年も前にエリア11へ捨てられた弟の顔に男の顔はよく似ていた。

 しかしあの幼い弟がここまで冷徹な表情をしている所は見たことが無い。あの頃のルルーシュも優れた容姿をしていたが暖かい人間味がある顔をしており、その分この男と比較すれば容姿は劣っていたと言える。

 怜悧な美貌はルルーシュに人間を凌駕する力を与え、その代償に柔らかで温かい人間性を奪い去ったようだった。

「ル、ルルーシュ、」

「戻って参りました、殿下。全てを変えるために」

 ルルーシュは小さく微笑み、クロヴィスは突然絵画が動いたような驚きを感じた。まだ笑うことができる程に人間性が残っていることが驚きだった。

 それほどまでに今のルルーシュは恐ろしい。

 向けられた銃口を直視し、ひ、と喉から音が鳴る。

 

 脳裏にエリア11へ向かう飛行機に乗せられた幼いルルーシュの姿が思い浮かぶ。たった5年前の話だ。

 幼い弟はブリタニアのためにE.U.の最前線に身を投じ、何度も幼い命を危機に晒した。いや、晒させられたのだ。まだ12歳であったルルーシュはブリタニアのせいで敵にも、そして味方である筈の皇族や貴族に何度も暗殺されかけた。

 だが危機を幾度となく乗り越え、ようやく選任騎士を迎えて一人前になろうとしていたルルーシュに自分達は、父は何をしたか。

 

 全身の血液が突如抜き取られたような寒気が襲う。

 殺されてもおかしくない。いや、殺される。

 クロヴィスは椅子に取りすがって打ち震えた。体が震える。恐ろしい。目の前の少年と呼べる年齢の男が、ただ只管に恐ろしい。

「ま、待てルルーシュ!私達は兄弟だろう!?それを、」

「ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアが命じる」

 恐慌をきたしているクロヴィスを遮り、ルルーシュは彼の双眸を真正面から睨み上げた。紫紺の瞳に吸い込まれるような感覚がした。

「俺の質問に全て答えろ」

 

 

 兄妹の中で誰よりも強いロイヤルパープルを持って生まれた弟だった。しかし生まれた時からその境遇は辛いもので、嫌がらせどころか命を脅かすような誘拐や脅迫に常に晒されていた。

 それでも真っすぐに前を向いて歩くルルーシュをクロヴィスは尊敬していた。年下でありながら自分よりもずっと優れた能力を持つ弟に、いつかシュナイゼルの右腕として活躍して欲しいとクロヴィスは思っていた。

 ルルーシュがシュナイゼルと手を組んでブリタニアを率いれば、ブリタニアは安泰だ。

 自分は皇位継承なんて興味も無いから、戦争が終わればとっとと引退して、絵を描いたり詩を詠んだりして安穏と過ごそう。シュナイゼルやユフィ、ルルーシュとたまに穏やかに話をして、平和の中で暮らしたい。

 そう願っていた。

 嘘じゃないんだ、ルルーシュ。本当なんだよ。私は心からそう願っていたんだ。

 

 そう伝えようとした。しかしそれより先に脳内で金属が擦れるような甲高い音が聞こえた。

 意識は遠のき、ルルーシュは声の届かない所へと行ってしまった。

 

 

 

 眼を真っ赤に光らせたクロヴィスはまるで悪夢を見ていたかのように目を瞬き、談話でもしているような柔らかな表情を浮かべた。先ほどまでの必死に懇願する様子は微塵も無く、ただぽつぽつと静かに喋る。

「ああ、分かったよルルーシュ」

 まるで5年前のようにクロヴィスはルルーシュに向かって微笑んだ。アリエスの離宮で一緒に遊んだ優しいクロヴィスのそのままの姿に、しかしルルーシュは無表情を崩すことは無かった。

 5年前と状況は変わってしまった。ここはアリエスではない。目の前の優しいクロヴィスは、ギアスが無理に強いているだけの仮初でしかない。

「ギアス教団とは何だ。知っていることを全て話せ」

「ギアス……ギアスとはブリタニアが古代から護っている禁呪、秘宝……コードの発露」

「コード?」

「大昔に作られた呪いのようなものらしいよ。私もまだ研究途中で詳しいことは知らないんだ」

 クロヴィスはおどけるようにひらひらと両手を振った。

「コードもギアスも長年神聖ブリタニア帝国に深く関わっている存在らしいんだけど、皇帝以外にはその存在は秘匿されているんだ。私は偶然コードとギアスについて知って、それらを研究しているギアス教団に関わっていたC.C.という名前の少女———Code Rと呼称していたんだけどね———を捕らえて研究をしていたんだ」

「どうやってコードとギアスについて知った」

「兄上が教えてくれたんだよ」

「兄上とは」

「シュナイゼル兄上さ」

 やっぱりか。予想を裏切らない兄にルルーシュは天を仰いだ。

 

 とはいえ今はまだギアス教団が皇帝の手の内にある組織なのか、それともブリタニアとはまた別個に存在する組織なのかは分からないが、いずれにせよシュナイゼルがその組織に関わっているとは考え難いだろう。

 普段宰相としてブリタニアの政務を一手に引き受けながらE.U.方面軍の指揮を揮うシュナイゼルにギアス教団とやらに関わる暇は無いだろう。今の仕事量だけでも普通なら数か月で過労死する。さらに“呪い”という21世紀には相応しくない呼称がその考えに拍車をかけた。

 シュナイゼルは良くも悪くも超合理主義だ。ブリテン島にブリタニアがあった時代のことならともかく、現代では化石と言っても過言ではない“呪い”に関わる暇があれば一発で日本が吹っ飛ぶような兵器でも開発するだろう。

 

 しかし皇帝を除く皇族で最も情報通なのはシュナイゼルで間違いない。皇帝しか存在を知らないとされるコードであっても、情報戦でシュナイゼルを凌ぐ化け物はブリタニアには存在しない以上、シュナイゼルがギアスについて何も知らない訳がない。

 

 それにしても昔とは立場も状況も変わったと言うのにシュナイゼルには一歩も二歩も先を歩かれているようで、腹の奥がざわざわするように腹立たしい。苛立ち混じりに息を吐いて拳銃を握り直す。

「どうしてシュナイゼルはお前にギアスとコードについて教えたんだ」

「ちょっと日常にロマンが足りないなって思って。兄上に聞いたら『コードというものについて知っているかい?コードを手に入れれば不老不死になれるらしいよ。父上もコードの研究をしているらしいんだ。父上さえ興味をそそられるんだから、不老不死って凄くロマンチックだよね』って」

「お前は馬鹿か」

「父上もコードを研究してるってことは、父上は不老不死になりたいのかなって思ったんだよ。なら不老不死になる手段を父上より先に研究して教えてあげれば喜ぶかなって思って」

「おま、シャルルを不老不死にしようとしたのか!?馬鹿だろう!!この地球上で最も不老不死にしちゃいけない男だろうあいつは!!地球が冗談でなく滅ぶぞ!!」

「だって喜ぶかなって」

「父の日のプレゼント感覚か!やって良いことと悪いことがあるだろう!!」

「テロを率いて祖国の軍を攻撃した挙句に実の兄に銃口を向けてるルルーシュには言われたくないなあ」

 のほほんとしているクロヴィスに思わず怒鳴り返してしまいそうになったが、一旦息を吐いて目を閉じた。

 ギアスを掛けられているクロヴィス相手にこんなことを話していても意味が無い。

 

 取り合えず一旦全ての思考を横に押しやり、ルルーシュはクロヴィスへの詰問を再開した。

「ギアス教団の本拠地はどこだ。コードとギアスの研究とは具体的に何をしているんだ」

「ギアス教団についてはコードとギアスを研究している団体ということ以外に知ってることは無いよ」

「C.C.という女がコードを持っているのか」

「恐らくは。まだ碌に研究できていないから、不老不死ということ以外にコードがどんな力を持っているのかも知らないけど」

「不老不死……研究資料はどこにある」

「私の執務室のデスクの中に全て入っているよ」

 執務室はこの部屋からそう遠くない。

 そうか、と呟きルルーシュは眼を閉じた。

「最後に質問だ」

「何だい?」

 

 両目を見開き、血管が浮き出る程に短機関銃を握り締める。

 返答によっては殺す前に左手足と片目を吹き飛ばす心算だった。

 

「ビスマルク・ヴァルトシュタインと地面に引きずる程長い金髪の子供が先ほどシンジュクにいた。お前が呼んだのか」

 

 空気が凍りつく程の殺気を迸らせるルルーシュを前に、クロヴィスはきょとんと首を傾げた。

「知らないよ」

「長い金髪の子供に心当たりは」

「金髪の子供なら親戚に何人もいるけど、そんなに長い髪の子はいないかなあ」

「………分かった。もういい」

 ギアスは絶対だ。クロヴィスは嘘はついていない。両腕に込めた力が抜ける。

 

 その瞬間にクロヴィスは穏やかだった顔を瞬時に恐怖で強張らせた。ひ、と声を引き攣らせて少しでもルルーシュから遠ざかろうと椅子に取りすがる。

「や、止めろルルーシュ!兄弟じゃないか!」

「だからどうした」

 肉親に日本に捨てられ、兄弟に見捨てられ、血の繋がりなど意味は無いと教えてくれたのはブリタニアだった。

 ナナリー以外の兄弟はルルーシュにとって憎悪の感情を呼び起こす以外に何の意味も無かった。

「止めろ、やめてくれ!まだ死にたくない!」

 

 もうかける言葉は無かった。

 

 これまでクロヴィスが殺してきた人々も、ルルーシュが殺してきた人々も同じような末期の言葉を叫んだ。だからクロヴィスも内心でこんな言葉に意味は無いと知っている筈だ。

 それでも叫んでしまうのは、覚悟が無かったからだろう。

 

 

 1発の銃声の後にクロヴィスは静まった。

 椅子にもたれかかり、宙を見据えたまま四肢から力を失っている。首元には小さな穴が開き血が胸に向かって流れ出ていた。

 近寄って首元を覗き込む。銃弾は延髄を撃ち抜いていた。クロヴィスの死亡を確認している間もルルーシュの心情は静まり返っていた。動揺は無かった。

 

 仲が悪い兄弟ではなかった。むしろ他の兄弟に比べれば良い方だった。身内に対しては温厚で、争いごとを嫌うクロヴィスはよくヴィ家に出入りしてはチェスをして遊んだ。その度にルルーシュに負けては悔しそうに笑った。

 アリエス宮での数少ない、柔らかな思い出はルルーシュの胸を痛い程に締め付けた。この痛みは消えないだろう。むしろこれから生きて行く限り痛みは増すばかりになる。いずれこの痛みで自分は死ぬのではないかと思った。

 

 しかし優先順位は覆らない。

 

 優先順位の2番目には復讐の2文字が重苦しく君臨している。

 

 ルルーシュは踵を返し、クロヴィスの死体に背を向けた。

「————新しい総督が来る前に地盤を固めなければな」

 ルルーシュはクロヴィスの執務室へと向かった。

 

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 シンジュク事変の起こった夜。ロロはシンジュクの工場跡地に向かっていた。

 夜風は冷たい。扇グループにより鎮静化したシンジュク事変は数時間前まで銃撃戦が繰り広げられていたとは思えない程に静かだ。しかし死体はそこら中に散乱しており、鼻が曲がる程の異臭が周囲に漂っている。

 懐かしい臭いにロロは眉根を顰めながら、廃虚と呼んでも過言ではないその場所へと昔の記憶を辿りながら歩いた。

 中を覗く。動いている人間はいない。死体しかいないらしい。

 それもそうか。人の気配には敏感な女だ。ぐずぐずと同じ場所には留まっていないのは当然だ。この世界のC.C.もギアスという異能に慣れるまで数日間はルルーシュの挙動を観察するつもりなのだろう。

 もしC.C.がまだここにいれば回収して家で保護してやろうかと思ったのだが、骨折り損のくたびれ儲けだったらしい。 

 

 一応の確認のため工場の中に足を踏み入れる。工場の中は惨憺たる有様だった。もともと倒壊寸前なまでに古びていたのだろうが、今はまるで中で爆弾でも爆発させたかのようだ。鉄骨は剥き出しになり、剥がれ落ちた壁の破片がそこら中に散乱している。鼻が曲がるような異臭もあり、源は何だと視線を向けると割れたコンクリートに混じってブリタニア兵士の死体が回収されずに未だ放置されていて顔を顰めた。

 だがこれもしょうがないことだ。死体の数は多く、また活発化したテロリストへの対応に追われているブリタニアには未だに日本人どころかブリタニア人の死体さえ回収する余裕は無い。

 全ての死体が片付くまでに数日はかかるだろう。自分の時もそうだった。

 

 生きている人間の気配が微塵も無い様子に、ロロは無駄骨だったかと踵を返そうとした。しかし僅かな月明り以外に灯りの無い工場に落ちている一つの死体を見て目を見開いた。

 

 こんな戦場には不具合な程に幼い頭蓋にはよく見慣れた顔が張り付いていた。

 小奇麗な顔は最愛の妹とよく似た雰囲気があり、ふんわりとしたアッシュブロンドの髪が短く切り揃えられている。首から先はすっぱりと切り落とされていた。

 

 眼を瞬き、見間違いでなく確かに彼であると確認するに至りロロは歯を食いしばった。掌に爪が食い込む程に握り締める。

 

 そうだ。覚悟していた筈だ。ここは俺の世界じゃない。だからイレギュラーだって起こり得る。それでも手を出さないと決めたんだ。これまでそうしてきた。俺は傍観者として徹するんだ。

 だって俺自体がイレギュラーなんだ。俺は世界から弾き出されたんだから。

 

 ぶるぶると震える体を抑え込みながら胴体を探す。地下に降りる階段の程近くに、年齢にしては華奢な胴体を見つけた。記憶よりも小さく見えるのは自分がこの弟と出会った時よりもまだ2歳幼いからだろう。

 ロロは小さな子供の死体を抱きかかえた。

 

「————ロロ」

 

 ロロは首を刎ね飛ばされた死体を抱き締めた。冷たい。死後硬直のせいか、少し硬くなっている掌を握り締める。驚く程に小さな死体は腕の中にすっぽりと納まった。

 労わる様に背中を撫でる。ロロの手つきは優しく、小さい子供の背中を幾度もなぞった。

「ごめんな、ロロ。助けなかった……俺は、傍観者だから。ゼロレクイエムで死ぬ予定だったのに、どうしてかここに飛ばされて、お前の名前を借りたんだ。お前の名前を使いたくなったんだ。何でだろう。俺にもよく分からない。でもお前のことをずっと心配していたよ。これは、嘘じゃない」

 ロロは子供の身体を強く抱きしめた。

 そのまま地面に転がっている首に手を伸ばす。首をしっかりと胸元に抱き締めて、血が流れ出たせいで随分と軽くなった弟の死体を持ち上げた。軽くなったとはいえ人一人分の重さにロロの足はがくがくと震えた。

 数歩歩いて、しゃがむ。そしてまた立ち上がって歩く。またしゃがんで、しかしまた立ち上がる。

 飛び跳ねそうな心臓を抑えながらロロはアッシュブラウンの髪を柔らかく撫でた。

「それなのに俺はお前を助けなかった———俺はもう関わらないと決めたから。俺はこの世界の住人じゃないから当事者になる権利は無いんだ。それに俺は死んで世界を創って罪を償う筈だったのに、まだ死んでいない。集合無意識にこんなところまで飛ばされて、のうのうとまだ生きている。罪を背負っている俺には、世界に関わる権利は無いんだ。また俺は、お前を殺した。見殺しにしたんだ。俺は、また」

 

 ロロは、ルルーシュは、ロロの首を見下ろした。見慣れた弟の顔よりほんの少し幼い顔は真っ白だった。髪を整えて、頬の汚れを袖で拭う。可愛らしい顔立ちをした中心で、薄紫色をしている瞳は強く閉ざされていた。

 

 ロロはその子供の遺体を、家族のように愛おし気に抱えて工場を出て行った。

 



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4. ゼロは男だ。そうでなくてはいけない

「お疲れ、オスカルルーシュ!」

「その呼び方はいい加減止めろ」

 生徒会室に入るなり肩を叩いてきたリヴァルの頭を叩き返すと、すぱあんと良い音が鳴った。

 

 

 生徒会室は昨日のシンジュクゲットーでの騒乱を気にもせず、和やかだ。学園という箱庭の中で生きる学生達にとってテロや戦争は生活より遠い所にあるものであり、TV越しの殺傷騒ぎは噂の種にしかならない。

 勿論クロヴィスの暗殺が未だ伏せられていることも一因であろうが。

 

 昨日、トウキョウに配属されていたブリタニア軍はたった1日で崩壊寸前まで叩きのめされた。クロヴィスの死亡を発表すれば必ずテロリズムが活性化することを考えると、クロヴィスの死が報道されるまで早くとも今夜までは待つだろう。それまでは少なくとも平穏な時間が確約されている。

 

 時刻はもうすぐ放課後にさしかかる時間帯であり、部活動の声はまだ聞こえてこない。

 学校というより高級ホテルのような内装をしている生徒会室には、副会長のルルーシュと、リヴァル、ニーナが次の学園祭の予算のために詰めていた。シャーリーは水泳部のために遅れることは聞いているが、ミレイに関しては不明だ。

「リヴァル、会長はどうした」

「あー、確か料理部に相談があるとか言ってたぜ」

「次の学園祭の準備に関わりがあるのかも……」

「……次は何の祭りを企画しているのか聞いたか?」

「聞いてねえけど、多分近いうちにやるんだろ」

 うんうん、とリヴァルとニーナは揃って首を縦に振る。

 

 学園祭をやるのは良いが、その予算を組むのは主にルルーシュの役目だ。今度はどんな破天荒な祭りを思いつくのかと考えると頭が痛くなる。

 ミレイの趣味は学園祭だ。ミレイあるところに祭りあり。類まれな発想力とカリスマ性は学生とは思えない程に優れているのだろうが、その方向性が間違っている気がしなくもない。

 

 自分の席に座って各部活の報告書を纏めながら、ルルーシュは在校生の資料に目を通した。

 ブリタニアの中でも有数の名家であるシュタットフェルト家の令嬢、カレン・シュタットフェルトが気の弱そうな目をして写真の向こうからこちらを見ている。

 赤みの強い髪は肩に触れる程度で切り揃えられ、肌は健康的に黄色を帯びている。一見すると線が細い印象を受けるが、首回りや腕を眺めると公爵家の令嬢にしてはやけにしっかりと筋力がある。

 雰囲気は随分と違うが容姿は昨夜遭遇したテロリストと相違ない。体が弱いという理由を建前に学校を休み、テロ活動に時間を割いているのだろう。

 

 時間を見てギアスで詳細を聞くかと思考するルルーシュの横で、リヴァルは未決済の書類を前に現実逃避をしているようだった。椅子の上で胡坐をかいて書類を適当に眺めている。

「そういえばこの前の男女逆転祭りだったよな、オスカルルーシュっていう呼び名が定着したのって」

「嫌なことを思い出させるな……」

 これまでの学園祭でワースト3に入る結果となった祭りを思い出し、ルルーシュは胃痛と吐気で机に手をついた。

 

 男が女装して女が男装するという趣旨の祭りで、女である筈のルルーシュは女装をする羽目になった。ミレイ曰く、「だっていつも男装だからそのままだと面白くないじゃない!」らしい。

 別にドレスを着るのは良かったのだ。抵抗が無いわけでは無いが、そういうイベントなのだと思えば祭りのテンションでドレスを着たまま校内を歩くのも吝かではない。問題は周囲の反応だった。

 男女逆転祭りは警察沙汰寸前の騒ぎを引き起こすという惨事に終わった。

 その惨事の結果、つけられた綽名がオスカルルーシュである。

 

「凄かったよね、ルルーシュの人気」

「学生どころか一般参加者、果ては先生からも告白されて、押し付けられたプレゼントで生徒会室が埋まるっていう、もう恐怖体験っつっても過言じゃない事態になってたよな」

「笑うなリヴァル。初対面の中年男にでかいダイヤの指輪を押し付けられる恐怖がおまえに分かるか?ただの教師としか思っていなかった男に公衆の面前でプロポーズされる気持ちが分かるか?」

 リヴァルは天井を仰ぎ、眉根を顰めて口を手で覆った。

「………キモイ」

「惨事だったわよね」

「あの一件で俺は決めたんだ。二度とドレスは着ないと」

 

 手に持っていた書類をルルーシュは握りつぶした。思い出しても鳥肌が立つ。

 女生徒に告白されるのも、男子生徒に告白されるのも慣れているから別に良い。丁重にお断りすれば済む話だ。

 しかし一般参加で来場した成人男性にぐいぐい迫られると眩暈や吐き気で動けなくなってしまう。咄嗟の所でミレイとジェレミアが助けに来てくれていなければどうなっていたか、考えたくも無い。

「いやでもさあ、ここエリア11だし。ジャパンコミック読んでる奴多いし。男装の麗人が身近にいればオスカルって呼んじまうのもしょうがなくね?」

「だからその呼び方は止めろ。惨事を思い出して吐き気がする」

「だったら男装止めればいいじゃん」

「スカートは嫌いなんだ。寒いし歩き辛い」

「下にジャージでも着れば」

「恰好悪いだろう」

「カッコつけ……」

 書類でリヴァルの頭をすぱんと叩き、ルルーシュは席を立った。手には分厚い書類を持っている。

「会長を探してくる。サインが無いと決算ができない」

「ミレイちゃんならまだ調理室にいると思うわ。学園祭についての相談なら長くかかるだろうし」

「分かった。ありがとうニーナ」

 紙をひらひらとはためかせながらルルーシュは生徒会室を出た。

 

 

 生徒会室から廊下に出て高等部棟に向かう。2年生の教室は2階にある。カレンは帰宅部であり、そろそろHRも終わって下駄箱に向かう頃だ。

 2階の廊下に差し掛かり窓から下を見下ろすと、赤毛の大人し気な少女が見えた。眼を気弱そうに塞ぎがちにしており、背を丸めて人目につかないよう小股で歩いている。

 昨日は短慮で勝気な少女にしか見えなかったが、今は髪型を少し変えているだけだというのに深窓の令嬢のように見えた。

 随分と分厚い猫を被っているらしい。隠密活動も求められるテロリストとしては見事な変装だ。

 ルルーシュは急いで一階に降りて外に出た。部活動の声が遠くからさかんに聞こえてくるが、周囲にはカレン以外の生徒はいない。

 穏やかな笑顔を作りながらカレンに近づく。

「こんにちは」

「……?こんにちは」

 いきなり声をかけられておずおずと振り返るカレンに、不審に思われない範囲で近寄る。

 こうして見るとカレンは美少女に分類される容貌をしていた。はっきりとした目鼻立ちとアジア人のようなバター色の肌が見事に合わさり、エキゾチックな風貌に昇華されている。伏せがちな青い瞳は顔を上げればきっと大きく見えるだろう。

 カレンがまごう事なき令嬢と人に思わせることができているのは、演技よりもこの整った容姿が最大の理由なのかもしれない。

「カレンさんだよね。ちょっといいかな。話したいことがあって」

「ええと、何?」

 カレンはこてんと首を傾げた。眼には警戒の色が滲んでいる。

 ルルーシュは穏やかな笑顔を保ったままカレンの眼を覗き込んだ。

 

「俺の質問に答えろ」

 

 ぽかんと首を傾げていたカレンは、しかし瞬時に眼の淵を赤く燃え上がらせた。

「———何?」

 気弱そうな態度が一変し、鼻をつんと尖らせた、いかにも気の強そうな少女が顔を出した。これでもかと眉根を顰めて胸を張り、大きな目を威嚇するように見開いている。

 見ようによっては相手を小馬鹿にしているような態度とも言える。傲慢な貴族らしい気性が態度の端から見え隠れしていた。

 ルルーシュもクラスメイトを気遣う副生徒会長の仮面を放り投げて腕を組む。

「おまえは昨日シンジュクにいたテロリストのメンバーか」

「そうよ。私は扇グループの一員、紅月カレンよ」

「なぜテロに参加する。君はシュタットフェルト家の令嬢だろう」

「ふん。ブリタニア人は何も分かっちゃいないのね」

 カレンは鼻で笑って肩を竦めた。

「日本人が不当にブリタニアに虐げられてるのを見過ごせないのよ。当然でしょ。それに私は日本人とブリタニア人のハーフだから尚更だわ。お兄ちゃんもブリタニア軍に殺されちゃった。復讐しないと気が済まないの」

「———そうか」

 日本人の血が入っているから、という理由はルルーシュにとり全く理解できないものだったが、実兄を殺されたという理由は納得するのに十分なものだった。

「グループは何人いる。どこが本拠地だ」

「メンバーは今のところ23人。本拠地はツキシマよ。奪ったKMFや資金なんかも全部そこに置いてあるわ」

「リーダーの扇はどんな人物だ」

「お兄ちゃんの友達で、いい人よ。皆を纏めてくれる優しい人」

「決断力はあるのか?実績は?」

「………決断力はあんまり無いわ。作戦を計画することもできないし、指揮能力も無いわね。ピンチの時は私がどうするのか決めてることが多いし。お兄ちゃんが生きてる時はお兄ちゃんがリーダーで、日本人を保護したり食料なんかを奪取したりする作戦が出来ていたんだけど……扇さんがリーダーになってからちゃんとした成果は無いわ」

 直属の部下であるのにここまで低い評価だとは。よくもまあこれまで生き残ったものだと感心してしまう。

 扇グループと名乗っている割に扇の能力はそう高くはないらしい。

 ならば付け入る隙も多いか。揺さぶりをかけて、丸ごと自分の傘下に加えることも容易だろう。

「そうか、分かった。もういいぞ」

 そう言った瞬間に眼の淵の色が元の濃い青色に戻り、カレンは首を傾げた。眠気を覚ますように目を擦っている。

 気の強そうな容姿が戻り、元の気の弱い令嬢が顔を出した。

「………あの、何か御用?」

「君があまり学校に来れていないと聞いたから心配になったんだ。俺は副生徒会長のルルーシュ。同じクラスだし、何か力になれることがあれば教えて欲しい」

「え、はい。ありがとう」

 同じクラスだと聞いて、確かにカレンは男の顔に見覚えがあると気づいた。

 

 これまでほとんど不登校であったカレンでさえ覚えている程に男は記憶によく残る顔立ちをしていた。優れた容姿に同じクラスの女子が騒いでいたことを覚えている。

 確かにこうして真正面から眺めると、男の顔は背筋が凍る程に整っていた。そのせいか人間であれば必ず存在する筈の瑕疵が感じられず、暖かみが無い。確かに美しいがあまり長く眺めていたくは無い容姿だとカレンは思った。

 

「ああそれと、」

「え?」

「今日この場で話したことは忘れて貰おうか」

「……ええと、どういうこと?」

 結局力になってくれる気なのか、それとも実は全くそんな気は無いのか。

 男の意図が分からずきょとんとしたカレンにルルーシュは眼を見開き、すぐに微笑んだ。

「いや、気にしないでくれ。これからもよろしく」

「よろしくルルーシュ。じゃあ私はこれで」

 握手をしてカレンはその場を離れた。

 

 生徒会室へ戻るルルーシュが、「回数制限でもあるのか」と呟いた言葉はカレンには聞こえなかった。

 

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 陽気な学校生活は外の世界から閉ざされており、昨日の出来事をまるで嘘だったかのように思わせてくれた。

 しかし夜になると、ルルーシュは一人減った生活を否が応でも自覚するしかなかった。

 

 存在するだけで騒がしい男がいなくなると、食卓は不自然なまでに静かになる。

 ルルーシュはできる限り普段通りに振る舞いながら、肉を一口サイズに切って雛鳥のように開けられた口へと放り込んだ。あむあむと咀嚼する頬にソースがついていて笑いながら指で拭う。ナナリーは恥ずかしそうに頬を赤らめながら頬をナプキンで擦った。

「それにしてもいきなりE.U.の分社に移転になるなんて、ジェレミアさんも大変ですね」

「事業が順調で人手が足りなくなったせいだから、いいことではあるんだよ」

「心配です。E.U.では言葉が通じるんでしょうか」

「ブリタニア軍にいた頃はE.U.に派遣されていたこともあるから大丈夫さ」

 ナナリーに食べさせることに夢中で自分はほとんど食べていないが、元々食が細いこともありルルーシュは気にせずナナリーの皿に盛りつけられている肉を小さく切っていた。

 

 普段と変わらないルルーシュの様子にナナリーは寂しくなった。いつも自分達を護ってくれているジェレミアがいなくなって、この兄は何とも思わないのだろうか。

 大きな仕事だから少なくとも数か月は帰って来ないと聞いている。その間自分達2人で過ごすなど想像するだけで心細い。

 血は繋がっていないけれど、自分達兄妹とずっと一緒にいるジェレミアのことを家族のように思っているナナリーは多分の意趣も含めてルルーシュに問いかけた。

「お兄様はジェレミアさんがいなくなって寂しくないんですか?」

「寂しいよ。でもしょうがないからね」

 微笑んでナナリーの髪を撫でる。

 言い出す機会を逃し続けたせいでナナリーは未だにルルーシュを男だと思っており、姉ではなく兄と呼ぶ。ナナリーはぷんと頬を膨らませた。

「確かにお兄様はお仕事で会うこともありますものね」

「まさか。仕事が忙しいから俺もあんまり会いに行くことができないし、寂しいのはナナリーと一緒だよ」

「本当ですか?」

「本当さ」

 はい、とまたナナリーの口の中に肉を入れる。

 

 ナイフを握る拳は微かに震え、血管が浮き出る程に握り締められていた。

 学校に行っている間は忘れることができた、ジェレミアがいないという現実はあまりに重かった。

 

 ジェレミアの腕は昨晩の内に燃やした。

 人肉が焼ける臭いはもう嗅ぎ慣れている。しかし生前知り合いだった人間の腕が焼けて炭となり、熾火の中で真珠のような白い骨が涙のようにぽつぽつと落ちているのを拾った時は、悲しみなのか怒りなのかよく分からない渦巻きが胸の中をぐるぐるとかき回した。

 吐き出しようも無い波に揉まれてルルーシュは涙と汗を噴き出しながら、骨を空箱に詰めて地面に穴を掘った。

 汗と涙で顔をぐしゃぐしゃにして爪に泥を混じらせたまま、ルルーシュは端末からジェレミアの長期療養を申請した。偶然テロに巻き込まれて一命は取り留めたものの、暫く仕事をすることは不可能だと部下には説明しており、今は郊外の病院に入院していることにしてある。

 平時であればこんな嘘がまかり通る訳は無いが、シンジュク事変の最中であったことが幸いした。ブリタニア軍とテロリストの紛争に巻き込まれて重傷を負ったブリタニア人は少なく無い。身元不明のまま救急搬送されたブリタニア人も多く、その中に戸籍の無い成人男性を1人捻じ込むことは容易かった。

 

 正式な戸籍の無いジェレミアの死亡診断書は作れない。機を見て退職させて、本国へ帰ったとするしかない。

 歯を食いしばる。

 嘘ばっかりだ。しかし嘘を吐くしかないのだ。

 ルルーシュはナナリーにも嘘を吐いていた。

 

 ナナリーに余計な心配をかけないためにジェレミアはE.U.に転勤したと伝えている。しかしいつかは真実を言わなければならない。

 だがどうやってナナリーに告げればいいのか分からない。そんな余裕も、無い。

 5年前もそうだった。日本に捨てられたことをどうやってナナリーに告げればいいのか分からず、結局ナナリーが自分で気づくまでルルーシュはナナリーに嘘を吐いていた。

 それが間違っていると、真実を言うべきだと知っていて、しかしルルーシュはその切り出し方は知らなかった。

 何しろルルーシュもその手でジェレミアの墓を掘っていながらジェレミアの死を受け止め切れていないのだから。

 

 5年前日本に捨てられて、さらに自分が女であると知ったときと同じように、また自分はナナリーを騙している。まだ自分が受け止め切れていないからと理由をつけて先伸ばしにしているだけだ。

 

 このままではいけない。ナナリーには、ナナリーにだけは真実を伝えないと。

 ナナリーにだけは嘘を吐いてはいけないんだ。

 

 ルルーシュは強張る指を開いてナイフを置いた。

 傍に座るナナリーに向き直って躊躇いながらも口を開く。

「ナナリー」

「…?はい、」

「その、聞いて欲しいことがある。驚くかもしれないけど」

「ええ。なんでしょう」

 ナナリーは眼を閉じたままルルーシュを見上げた。

 5年前よりもずっと可愛らしくなった。しかし純粋無垢な性根は全く変わらない。ナナリーはきっと何を言っても、荒唐無稽だと笑いはしないだろう。

 ルルーシュは息を詰め、大きく吐き出した。

「……ジェレミアのことなんだが、あいつは……」

『———番組の途中ですが、緊急ニュースをお伝えします』

 ルルーシュは言葉の途中で口を噤んで画面を見やった。

 生真面目そうなキャスターが巨大なクロヴィスの写真をバックに緊張で紅潮した顔で喋っている。

『昨夜のシンジュク事変で、神聖ブリタニア帝国第3皇子であられますクロヴィス・ラ・ブリタニア殿下が御逝去なされました』

 画面いっぱいに背中に薔薇でも背負っていそうなクロヴィスの華やかな顔が映し出された。

 ナナリーが息を呑み、信じられないとばかりに体を震わせる。ルルーシュはその隣で興味なさげにテレビから視線を逸らした。

 報道は思っていたより早いが、予測範囲内だ。恐らくは後任の総督が早々に決まったのだろう。

「お、お兄様、クロヴィスお兄様が、」

「ああナナリー。酷い事だ」

「あんなに、あんなに優しいお兄様が、どうして」

 震えるナナリーを宥めるように背中を撫でる。

 

 優しいか。ルルーシュは眼を伏せた。

 確かにクロヴィスは自分達には優しかった。幼いナナリーがクロヴィスの死に衝撃を受けるのも当然だろう。

 

 しかしルルーシュの心情は冷え切っていた。凍った湖面のように何も感じない。

 殺したことへの後悔や反省が無いだけではなく、実兄を殺してあるべき動揺が無い。あるいは復讐を志してからルルーシュの情動も死に絶えたのかもしれなかった。たとえ死んではいなくとも、鈍くはなっているだろう。

 しかしそんなルルーシュも次にテレビから報じられた発現には驚愕した。

 

『犯人として現在、名誉ブリタニア人である枢木スザク准尉が総督府に拘留されております。総督代理に就任なされましたキューエル・ソレイシィ卿は、枢木スザク准尉がクロヴィス殿下を手にかけた可能性は非常に高いとコメントしており————』

「スザクさんが!?」

「馬鹿な!」

 テレビには粛々とした面持ちで手錠をかけられているスザクが映っていた。沈んだ顔をしてはいるが顔色は悪くない。理解が出来ないと視線を周囲に走らせている姿は迷子の子犬のようだ。

 ルルーシュは爪を噛んだ。想定外だ。

 

 スザクは特派に所属する騎士としてシュナイゼルの庇護下にある。後見人であるノート・マクスウェルからは息子のように扱われ、名誉ブリタニア人であってもその立ち位置は堅い筈だ。

 スザクをクロヴィス殺害の犯人に仕立て上げるなど、シュナイゼルに真っ向から喧嘩を売るようなものだ。ブリタニアで最も権勢のあるシュナイゼル、もといエル家に喧嘩を売る馬鹿はそうそういない。

 それをキューエル、純血派が?名誉ブリタニア人であるスザクに敵対はしていても、シュナイゼルが背後にいることが分かっていて手を出す道理は無い。

「お兄様、スザクさんが、スザクさんが!何かの間違いです!スザクさんはクロヴィスお兄様を殺すような人ではありません!」

「分かっているよナナリー。何かの間違いだ。すぐに分かるさ」

「そうですよね、裁判ですぐに無罪になりますよね」

 震えるナナリーを抱き締める。柔らかい髪に指を絡めた。

「すぐに釈放されるさ。あいつが暗殺なんて器用な真似ができる筈が無いだろう」

 ナナリーの髪を撫でながら、ルルーシュは扇グループへの連絡、そして枢木スザク救出のための算段を脳内で即座に打ち立て始めた。

 これ以上奪われてたまるものかと歯軋りしながら、ルルーシュの思考は目まぐるしく回転した。

 

 

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 イレブン1人を運ぶだけだというのに、随分と物々しい警備だとスザクは呆れていた。

 見回す限りでKMFは20台、その先頭には純潔派のリーダーであるキューエル卿が指揮を執っている。スザクは手足を拘束されて舞台のような形をしているトラックの上に掲げられていた。まるで看板にでもなった気分だった。

 夜中だというのに道の左右にはブリタニア人が詰めかけており、口々にクロヴィスを殺害したスザクを罵っている。中には涙を浮かべてスザクに石を投げる熱心な帝国臣民もいた。

 分かりやす過ぎるプロバガンダにスザクは傷つくことを通り越して、呆れていた。

「……判断、早すぎじゃないかな」

 スザクは他人事のようにぼやいた。

 頬に石がぶち当たり、地味に痛い。

 

 何しろスザクは正当な騎士だ。それもシュナイゼルの部下として15歳の頃から働き、士官学校を経ることなく実力で騎士の座を勝ち取った、名実共に騎士として認められている世にも珍しい名誉ブリタニア人だ。

 そんな自分をこんな扱いで裁判所まで護送しようというのだから、クロヴィスを殺害したという歴とした証拠が無ければおかしい。だというのにキューエルから尋問された時には明らかな証拠は提示されなかった。

 証拠も無いというのにシュナイゼルの部下である自分を公然と犯人扱いして、何のつもりだろうか。

 

 今度は石が額にぶち当たる。顔を集中的に狙うのは止めて欲しいとスザクは切実に思った。

 自分がルルーシュやシュナイゼルのような絶世の美男だとは全く思っていないが、顔に傷ができるとこれまで以上に人々から遠巻きにされることは目に見えている。

 ただでさえイレブンの騎士という肩書のせいでブリタニア人からも名誉ブリタニア人からも嫌われているのに、これで顔も怖いとなってしまうと評判が悪くなることこの上無い。

 とはいえクロヴィスを殺したと判決されてしまうと銃殺刑まっしぐらなため、評判など今は気にしている場合ではないと分かってはいる。だが今はもう現実逃避でもしなければやっていけない。

 何しろスザクはまだ裁判も受けていないのだ。判決どころか裁判所に未だ一歩も踏み入れていないというのにこの調子では、開廷されれば一方的に弾劾されるだけだということは予想がつく。

 

 ナンバーズがブリタニア人を傷つけた場合の裁判は、一方的にナンバーズの人権を剥奪するブリタニア人向けのショーだ。自分の場合は相手が皇族であり、ショーどころかリンチになるかもしれない。

 最早こうなればスザクは上司であるシュナイゼルに望みを託すしか無かった。人柄も良く、公明正大なシュナイゼルであればスザクの無罪を主張してくれるだろう。

 

 しかしシュナイゼルがスザクの裁判に間に合うかは解らない。シュナイゼルはE.U.におり、クロヴィス殺害の報は流石に聞いているだろうが、その犯人がスザクとされていることまでは知らないかもしれない。知っていたとして、短時間でスザクの無罪を裁判で主張するだけの証拠を集められるだろうか。

 

 スザクは天を仰いだ。もう自分にできることは無いと気づいていた。歯がゆいが、これが自分の行く末だというのならば受け入れるしかない。

 クロヴィスを殺害などしていないが、これまで殺してきた敵兵の罪のために処刑されるというのならばスザクは逃れることはできなかった。

 

 長く続くブリタニア人の観客のど真ん中をキューエル率いるブリタニア軍が進んでいく。まるで凱旋パレードのような華やかさだ。もしキューエルがクロヴィスの派手好きさを慮ってこんな趣向を凝らしたと言うのなら、その忠誠は確かに素晴らしい。

 しかし整然と行進していた全ての車は橋の途中で突如として足を止めてしまった。

 何だと前を見る。クロヴィスの護送車と同じ装飾を施された車がこちらに向かって来ていた。

 皇族の護送車を装うというあまりに不遜で堂々とした登場にスザクは唖然と口を開いた。不敬なんてものではない。ここまであからさまにブリタニアに喧嘩を売る馬鹿はテロリストにもそうはいない。

 

 車の前面に垂らされていたブリタニアの国章が燃え上がり、その中に佇む一人の男を露にした。

 奇妙な恰好をした男だ。黒いマントをはためかせて尖った仮面を被っている。街中にいれば間違いなく不審者として通報されるだろう。指先は手袋で覆われ、さらに足先までを覆うズボンのせいで肌色が全く分からない。年齢も人種も不明。だがスーツのような形状をした服と高い身長から恐らくは男性だろうと推測された。

「だ、誰だ!」

 あまりに不審な人物に先頭を進んでいたキューエルが叫び声を上げる。

 ヒステリーの気のあるキューエルは、残念ながら総督代理としての器は無いようだった。総督代理の職務によるストレスのせいで、最近はありとあらゆることへ神経質になっている。

 大役である枢木スザクの護送の途中ともなれば、尚更イレギュラーへの苛立ちも強い。

「私か?」

 ボイスチェンジャーでも使っているのか男の声は機械で加工されて冷たい印象を与えた。しかし脳の奥底まで痺れるような迫力ある声はキューエルを黙らせるのに十分なだけの迫力があった。その声はシャルルにも似た、為政者特有の重量を感じる声だった。

 

 男は演技のような大げさな動作で両腕を夜空に掲げた。

「私はゼロ。全ての弱者の庇護者であり、ブリタニアへの反旗を翻す先達である!!」

 

 

 

 

 



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5. ちょっとどころじゃなく、かなりウザく感じる時もある

「反旗を翻すだと……我がブリタニアへなんたる不遜な、薄汚いテロリストが!」

 キューエルが拳をKMFに叩き付けた。神経質な気質を表すような細い金髪がはらはらと揺れる。

 

 周囲のブリタニア軍は困惑しながらも銃口をゼロに向けていた。キューエルの合図があればいつでもゼロの身体には無数の穴が開き、血飛沫が飛び散ることになる。

 しかしゼロは片手を上げてキューエルを制した。周囲を敵に囲まれているとは思えない態度に思わずキューエルはたじろいだ。何かの罠か、仕掛けでもあるのか。息を荒くしながらキューエルはゼロを見上げた。

 変声機のせいか、冷然とした声が周囲に轟く。

「私はテロリストではない。虐げられている全ての人々の代表として、ここで声を上げるためにやってきたのだ」

「虐げられているだと?はっ、誰のことだか」

「自覚が無いのか。貴様らがナンバーズと呼ぶ、この地に住まう人々のことだ」

「ナンバーズはブリタニアのおかげで劣等種族から脱却できるのだ!感謝されこそすれ、虐げられているなどとは被害者面甚だしい!」

「そうか。劣等種族と呼ぶか。では劣等とは何だ?劣っているとは何なのだ?」

 奇妙な形状をした黒い仮面の向こうで、ゼロは静かにキューエルを見据えた。

 表情も無く、年齢も人種も分からない。恐らくは男だろうということしか分からない。キューエルはその仮面の中で喋っているのはもしや人ではないのではと錯覚した。

 一瞬の錯覚であったが、それはキューエルに恐慌を齎すのに十分な時間だった。

「っ、あ、あんな男の口車に乗るものか、撃て!撃つんだ!」

「これを見ても撃てと言えるのか?」

 ゼロが高く手を上げた瞬間、護送車の外装が剥がれ落ちた。

 

 衆目の中、半球状の巨大な物体が露となった。金属光沢のある球体は数か所がボルトで固定されており、何かの工業製品のようにも見えた。

 しかしキューエルにはそれが何なのかを即座に理解することができた。

 テロリストに毒ガスを強奪されたことがきっかけで起こったシンジュク事変。その陣頭指揮を執ったのはキューエルだった。

 

 あれは、テロリストに強奪された毒ガスの運搬装置だ。

 

「あの男……っ」

 キューエルは慌てて手元の液晶画面を見下ろした。一般人を示す白色に、味方のKMFを示す青色が橋に沿うように何十と光っている。

 

 裁判所へと至るこの橋には一般人だけでなく、トウキョウに残った数少ないKMF、それに精鋭のブリタニア兵が集結している。只でさえシンジュク事変により戦力が激減している今、さらなる戦力損失を重ねる訳にはいかない。

 これ以上の戦力低下は総督不在であるエリア11全体でのテロ活動を活性化する恐れがある。

「くそ、撃つな!撃つなよ!」

 両手を振り回しながらKMFの上でキューエルは大声で騒いだ。みっともないと自覚している。しかし今ここで余計な兵を消耗することだけはできなかった。

 それは偏にブリタニアのためであり、近いうちに総督に就任するコーネリアのためでもあった。

 

 錯綜する総督代理の命令に混乱するブリタニアの兵を尻目に一人、ゼロは報道陣から照らされるライトを浴びて堂々と立っていた。

 マントを羽織り誤魔化しているようだが、よく見ればゼロは大柄とは言えない。むしろ細身で、身長はやや高めだが見上げる程の大男という訳でも無い。

 しかし実物よりもゼロは遙かに巨大に見えた。ブリタニアの前に立ち塞がる巨大な壁のようだった。それはゼロの身に纏う為政者の風格と、物怖じしない態度が実物よりゼロを大きく見せかけているためだった。

 テロリストだというのにあまりに不遜な態度、堂々とした物腰に、熱心なブリタニア臣民も男を非難する言葉を忘れた。

「諸君らよ、まずはここに宣言する。私は全ての人々に公平に、自分の正義を口にする権利と、銃撃を恐れず、暴力を恐れず生活し、家族を愛する権利を主張するためにここに来た!これは全ての人々に公平に与えられるべき権利だ!ブリタニア人も、ヨーロッパ人も、中国人も、勿論日本人も、分け隔てなくこの権利は保障されるべきであり、そのために全ての国は存在する!!つまり、この権利を害するブリタニアという国の正義を私は認めない!」

「テレビを止めろ!」

 キューエルの叫びに警備兵達はカメラを担いだ報道陣を抑えにかかった。

 しかし報道陣は組み付いて地面に押さえつけようとする兵士に真っ向から抗った。兵士達を跳ねのけ、地べたに縫い付けられながらもカメラをゼロに向ける。

 寸前まで静まり返っていた報道陣はにわかに殺気立ち、一心不乱にゼロの姿をカメラに収めようとトラックに押し寄せていた。

 

 国営テレビ局に所属する彼らが魅入られたようにゼロにカメラを向けるのは、ここまで大々的なテロリストの演説が珍しいという理由だけでは無かった。

 ゼロは人を惹きつける。まるで全身から光り輝く神意と呼称されるべき圧を発しているようで、目を惹かずにはいられない。

 何より声だ。耳に心地よい緩急と高低を付けた声は、叫んでいる風でもないのに地鳴りのようにわんわんとよく響く。脳をひっ掴んで揺さぶる声は聴衆をそのままゼロの追従者へと変貌させる。

 天性のカリスマと呼ぶべきゼロの才をこの場にいる全員が肌で感じ取っていた。熱心なブリタニア臣民でさえ今やゼロの言葉に耳を傾けている。

 

 カメラを手に持つ人々は、この光景は何が何でも他者に見せなければ気が済まないと必死になっていた。

 もっと他の人間にこの奇妙な男を知って欲しい。そして彼らがどう思うか知りたい。それは自分の感動を他人と共有したいという、損得の無い純粋な好奇心からなる情動だった。

「離せ軍人野郎め!」

「報道を続ける奴らはテロの支援をしているとみなすぞ!」

「こっちは総督代理のキューエル卿から正式な権利を得ているテレビ局だぞ!」

「状況が変わったんだ!テロの演説なんぞ流すな!」

「馬鹿野郎!止めるな!死んでも止めるな!」

 カメラマン達を押し留めるブリタニア兵の隙間から、一人の男が警備兵どころかKMFさえ押し退けんばかりの勢いで躍り出た。男はKMFに踏みつぶされることさえ厭わない勢いで軍人達の隙間を走り、トラックの真正面へと身を投げ出す。

 ブリタニア人らしい彫りの深い顔と後頭部で括った長い金髪を翻して、ディートハルトはゼロを抉る様にカメラ越しに臨んでいた。

「ここでカメラを止める奴は報道屋なんてやめちまえ!全員死んでも止めるなよ!」

 

 

 ディートハルトは笑いが止まらなかった。

 つまらないブリタニアを賛辞するばかりの仕事に近年は嫌気がさしていた。同じような内容を同じような編集で垂れ流す、死ぬまで続く錯覚さえするルーティーンワークは時間どころか生気さえ奪っていく。現場でカメラを担ぐ立場から離れたのも久しい。

 これも役職が上がり、血気盛んとは言えない年齢になってしまったせいかと半ば諦めてさえいた。

 それがどうだろう。重いカメラを担いでいきなり走り出したせいで胸が弾けんばかりに踊っている。しかし視界は痛い程に鮮明で、ゼロの声は脳を揺さぶるばかりに大きく聞こえた。世界が輝いて見えるようだった。

 そうだ、これだ。これが欲しくて自分は報道屋になったんじゃないか。

 それがなんで自分はこんな所にいるんだ。こんなつまらない仕事をするために生まれてきた訳じゃないだろうに。

 背筋を震わせる感動と興奮は快感となって全身を駆け巡る。この感動を全世界に伝えたい。そうすればきっと、世界は変わる。

 

 どうして忘れていたんだ。この仕事は命をかける価値がある仕事なんだ。

 

 

 ゼロは警備兵を掻き分けて駆け寄ってきたディートハルトの持つカメラに視線を向けた。ディートハルトは冷徹な視線に背筋をびくりと震わせるも、カメラを持つ手だけは根性で微塵たりとも揺らがせなかった。

 同時にエリア11全土のテレビにゼロの仮面が映る。

 

 世界がゼロという存在を知った瞬間だった。 

 

「諸君らよ、差別なく、他者を貴ぶ心を持ち合わせる全ての人よ!私は銃を持たず、暴力を以て他者を蔑む意思を持たない者を害するつもりは全く無い!私の敵はブリタニアという国であり、ブリタニア軍人であり、ブリタニア人ではない!

 私の敵は人種という些細な事柄を喚きたてるブリタニアという悪だ!いくら暴力を振るっても、殺しても、蔑んでも、自分に返ってくることは許されないという、強者の思考という名の巨大な悪だ!

 そんな悪を、私は許さない!」

 

 ゼロは大きく息を吸った。ほんの少し首を横へと向ける。スザクはゼロが自分を向いたように思った。しかし黒い仮面のせいでゼロの瞳が本当はどこを向いていたのかは分からない。それどころか表情の読めないゼロが一体本当は何を考えているのかスザクには皆目見当がつかなかった。

 ゼロはすぐに前を向き、眩いカメラと民衆の視線を真正面から受け止めた。

 

「クロヴィス・ラ・ブリタニアを殺害したのは私だ!!」

 

 一瞬エリア11全土が静寂に陥った。直接に、あるいはテレビ越しに、エリア11に住む人々の視線は驚愕と共にゼロへ向いた。

 そして静寂に続いて、爆発のような悲鳴と怒号、そして歓声が湧き起こった。

「な、はあ?」

「ゼロ、ゼロ……まさにカオスだ!」

「あの男が?」

「クロヴィス殿下を殺したって、テロリストが!?」

「何なんだあの男は!!」

「撃て、もういい撃ち殺せ!」

「馬鹿止めろ!毒ガスが!」

「あんな化け物を生かしておく訳にはいかない!」

「早く逃げましょう!」

 騒ぎが騒ぎを呼び、最早収集が付かない騒ぎと成り果てている。

 その中心でゼロが片手を上げた。

 瞬時に周囲が静まる。ブリタニア兵でさえ恐怖と共に口を閉じた。

 次は何を言うのかとゼロに注目が集まる。

 しかしゼロが口を開く前にその周囲に人影が現れた。黒を基調とした服装に身を包んだ男女がゼロの後ろに立ち並ぶ。その数は多くは無い。この場にいるブリタニア兵よりも少ない程だ。

 しかし揃いの服装に、顔を隠した威圧感はこれまでの散逸的なテロ活動を繰り返すテロリストとは違う異様な雰囲気を発していた。

「我々は、黒の騎士団!巨悪を討つために悪を成す、弱者を踏みにじる全ての強者の敵であり、全ての弱者の味方である!!」

 ゼロの宣言と同時に、スザクを縛っていた手錠が破裂するように千切られた。突如として解放されたスザクがよろめきながら床に手をつく。

 見上げると、ゼロの隣に立っていた女が手に銃を構えていた。手錠を撃ったのか。

 何が起こっているのか未だに思考が追いついていないスザクの両脇を、黒の騎士団を名乗った団員達が担いでゼロの元へと引きずって行く。

「ま、待って、貴方たちは、」

「説明は後だ枢木スザク」

 有無を言わせない口調で黒の騎士団はスザクをトラックへと運ぶ。

 抵抗しようにも武器は無く、あの毒ガスが本物なのだとすれば周囲の人間も危うい。スザクは大人しく黒の騎士団に連行されることとなった。

 

 目の前でむざむざと攫われて行くスザクの姿にキューエルは頭を抱えて金切り声を上げながらゼロを指さした。

 この機に枢木スザクを、シュナイゼルを陥れる薄汚いナンバーズを始末してやろうと思っていたのになんたることか。

「貴様ら、ゴミ共め、只では済まんぞっ、殺してやる!ゼロ、殺してやる!」

「結構だ!殺される程度の覚悟も無しに私は人を殺しはしない!撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ!ブリタニアも、私達も、そこに一切の違いは無い!私達は覚悟を持って立ち上がった!覚悟が無いのは貴様らの方だ!」

 ゼロは両手を振り上げた。同時に毒ガスが入っている球体が割れる。白煙が割れ目から流れ始め、瞬時に周囲の足元を覆い尽くした。夜風は強い。足を覆うまでだった煙は瞬く間に巻き上がる。

 周囲は一瞬で恐慌状態に陥った。

 民衆は悲鳴を上げて地面に伏せる。ブリタニアのKMFは市民を護るために煙をばらまくトラックへと駆け寄った。

 だがその瞬間に突如として全てのKMFが動きを止めた。

 

「よし、戦意表明としては十分だ。全軍撤退!」

「はい、ゼロ!」

 煙に紛れて黒の騎士団は姿を消す。

 しかし元々数ではブリタニアが圧倒的に勝っているのだ。キューエルは無線を引っ掴み周囲に展開していたKMFに向かって叫んだ。

「テロリスト共が枢木スザクを連れて逃亡した!すぐに追いかけろ!数はそう多くはない、早くしろ!」

『し、しかしキューエル卿、』

「なんだ!早く言え!」

『な、KMFが動かないんです!走行機能どころか、銃撃も撃てません、これでは』

「ちっ、1台くらい動かなくても構わん。他のKMFを全て、」

『いえ、全て動かないのです!先ほどまで普通に動かせたのに』

「何だと!動作不良か、修理は!?」

『搭乗員レベルの技術では無理です、システムが根本から動かなくなっていて』

「どういうことだ!早く修理しろ!」

『すぐには無理です!現在システムの不備を確認しており、少なくとも再起動するまで数時間は』

 キューエルは無線を液晶画面に叩き付けた。両の拳をKMFに叩き付ける。

「何故だ、何故KMFが動かないんだ!」

 蜃気楼のように姿を消す黒の騎士団を網膜に焼き付けながら、キューエルは歯を食いしばり自身が搭乗しているサザーランドの操縦桿を握り締めた。

 しかしつんのめる様にバランスが崩れて足が止まる。液晶画面は真っ赤に点滅して警報を耳が痛くなる程に鳴らしていた。何故だ。機体のシステムを確認する。どこも破壊されていない。だというのに動かない。

「っくそ、くそ、くっそおおおお!!」

 何度も画面を殴る。しかしKMFは反応せず、耳を劈くような警報だけが鳴り響く。

 キューエルはゼロの姿が白煙の向こうに消えてゆくのをただ眺めるしかなかった。

 

 

 

 残ったのは毒ガスと言っていた、その実は吸い込んでも何も起こらない煙が入っていた張りぼて。枢木が張り付けられていた車。立往生したままのKMF。

 そして怯えてはいるが、誰一人として犠牲者の出なかったブリタニアの一般市民のみだった。

 

 

 ルルーシュは仮面の下でふ、と微笑んだ。

「今後もアッシュフォードKMF開発部を御贔屓に」

 

 

 

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 スザクは黒の騎士団の支部の1つらしい、廃虚のような建物に案内さた。

 キューエルに尋問された傷は黒の騎士団により手当され、飲まされた鎮痛剤のおかげか痛みも無い。服装は拘束服のままだったが、素足は危ないからと渡された靴を履いている。捕虜にしては待遇が良い。

 床に落ちている瓦礫を蹴りながらスザクはゼロを待っていた。

 スザクはどこか夢見心地だった。あまりに多くのことが起こり過ぎて情報を整理しきれていない。

 しかしこれは昨日今日のことだけではない。5年前から目まぐるしく変化し続ける周囲の環境を、スザクは受け止め切れていない。

 薄汚れた地べたに座り込む。

 眼を瞑ると、5年前のことが俄かに脳裏に蘇った。

 

 

 ブリタニア本国へと向かう船の中で、ルルーシュから渡されたノート・マクスウェルへの手紙をブリタニア兵に見られたことが始まりだった。

 船内はまるで奴隷船のようだったし、実質そうだったのだろう。あちこちが様々な体液で汚されていて、清潔な場所を探す方が困難な程に酷い場所だった。

 

 その時自分は船の縁に蹲る、小汚い痩せた子供だった。そんな子供が華麗な装飾の施された手紙を握り締めていれば嫌でも目立つ。

 すぐにブリタニア兵に見とがめられ、どこで盗んだのかと問い詰められた。正直に自分は日本の首相である枢木ゲンブの息子であり、皇族のルルーシュの友達であることを話した。

 そのブリタニア兵は劣悪と評判のあるエリア所属のブリタニア末端兵士にしては正直者だったらしく、スザクは本国に辿り着くなりいくつかの手続きと質問をさせられた。

 意味も分からず質問に答え、慣れないローマ字で自身の名前を何度も書類に書いた。一体自分に何が起こっているのか、これからどうなるのか、聞いても誰も答えてくれない環境の中でスザクはただ周囲に従った。

 生来勝気で俺ルールを突き進むスザクであるが、慣れないブリタニア語で会話をする屈強な軍人達を相手に反抗するには、あまりに気力も体力も摩耗していた。

 何より誰も知り合いがおらず、頼れる人間もいないことがスザクの気勢を削いでいた。

 

 何が正しいのかも分からない状況の中、スザクは周囲に促されるままにノート・マクスウェルの元へと向かうこととなった。

 

 ルルーシュの部下だったノートはブリタニア人とは思えない程に実直で道徳を重んじる、所謂良い人だった。真面目過ぎるきらいもあるが、それもまた巌のような外見も相まって美徳として人の眼には映る。

 ルルーシュからシュナイゼルに上司を変えていたノートだったが、3年もの間庶民出身でありながら目をかけてくれていたルルーシュへ多大なる恩義を感じていたらしく、ルルーシュの友達というだけのスザクの後見人となり親身に世話を焼いた。

 しかしいくら貴族の後見があるとはいえ、名誉ブリタニア人が士官学校に入校できる筈も無い。スザクは未成年の志願兵としてブリタニア軍に入隊した。

 

 それからは怒涛の日々だった。E.U.で初陣を済ませ、戦功が認められて名誉ブリタニア人としては異例の騎士に任命された。騎士としての身体能力検査で新型KMFのランスロットへの適正が高いと指摘され、スザク本人の意思はそっちのけでいつの間にか特派への所属が決定された。

 確かに後見人であるノートがシュナイゼルの直属の部下であることもあり、スザクも自動的にシュナイゼルの部下ではあった。だが流れるような所属の変遷と昇進は性急過ぎて未だに実感が湧いていない。

 そもそもその時スザクはまだ中学生に相当する年齢だった。卓越する能力とは相反して、スザクの精神は年齢相応のものでしか無い。年齢には不相応に強い意思と潔癖な性質を持ってはいたが、ブリタニアという巨大国家の中心部で身を処す術を知る程の老獪さは全くもって持ち合わせていなかったのだ。

 

 そのままE.U.で言われるがままに戦い、ひと段落したところで今度はエリア11へ戦場を移すようにと命令された。

 新型KMFのランスロットは確かに他のKMFとは比較にならない程の機体性能を持っているが、新型過ぎてデータが全くない。データ収集も兼ねてテロが活発なエリア11の対テロ部隊に配属されることとなったらしい。

 

 らしい、というのも、下される命令にはスザクの意思など無く、他人事のようだったからだ。

 

 最初に所属していたのはフクオカの部隊で、大凡を鎮圧し終えてからトウキョウの対テロ部隊へと移動した。

 移動してすぐにテロ騒ぎが勃発して総督のクロヴィスから要請を受けて出動したものの、自分が出動している時間帯にクロヴィスは暗殺されてしまった。

 そして何故か自分が犯人呼ばわりされて裁判を受けることとなった。

 そして何故かその途中で黒の騎士団と名乗るテロ集団に誘拐され、今に至る。

 

 スザクは溜息を吐いた。

「なんでこんな所にいるんだ、僕は」

「それは俺が君に協力を願いたかったからだ、枢木スザク」

 足音で気づいてはいたが、機械で無機質に変質している声で突如として話しかけられるとスザクでさえ驚く。

 振り返ると長く黒いマントと黒い仮面という奇怪な恰好をした男が立っていた。

 しかし眼を惹く黒一色の衣装に騙されるが、男は非常に華奢だった。だが小柄という訳では無い。むしろゼロはスザクより身長が高い。

「……ゼロ」

「そうだ。初めまして枢木スザク。会えて光栄だ」

「それはどうも」

 スザクは立ち上がりゼロと向き直った。

 見る限りゼロは戦闘能力は高そうには見えない。あまりに骨格が細く、パイロットスーツの上からでもほとんど肉がついていないことが分かる。部屋の周りに黒の騎士団を配置しているかもしれないが、この男を人質にとれば逃げ出すことは可能だろう。

 だが理由は不明とはいえ、ゼロはスザクを助けたのだ。あのままではスザクは間違いなく裁判で有罪判決を受けて死刑になっていた。

「安心しろ。危害を加えるつもりは無い」

「……まあ、あのまま放っておかれれば死んでいたから。感謝はしているよ」

「感謝はいらない。ただ事実を言っただけだ。俺がクロヴィスを殺したとな」

 スザクは複雑な心境で目を落とした。

 

 ゼロのおかげで自分は助かったのだろうが、そもそもがゼロのせいで死刑になりかけたのだ。男の言う通り感謝するのは筋違いだ。むしろこの男のせいで自分は冤罪を被せられたのだと怒ってもいいのかもしれない。

 しかし怒りを感じるには男の態度はあまりに潔かった。クロヴィスの暗殺をはっきりと認め、堂々とブリタニアと敵対することを宣言したゼロへ怒気を露にするなど、大抵の物事へあっけらかんとしているスザクには不可能だった。

 

 それよりもスザクにはゼロがテロリストであるという事への驚きが勝った。E.U.でもフクオカでも、テロは聞こえの良い大義名分を一方的に捲し上げて罪のない一般人を殺す奴らばかりだった。そのくせ追い詰められれば言い訳がましく泣き喚く。

 どうやっても目の前の男と、これまで相対したテロリストと重ならない。

 

「どうして、」

「どうしてだと?君は日本人であるというのにそんなことを聞くのか。一体どれだけの日本人がクロヴィスに殺され、理由なき差別により飢えていたと思っている。一方的に強者から搾取されることを是とする弱者がいるものか」

 当然と語るゼロに、しかしスザクは同意できなかった。

 

 殺されたから殺し返すなんて、それはいつまでも続く殺戮の道だ。どこかで恨みを終結させなければいつまでも続くばかりではないか。

 それは正しくないことだ。拳を握り締める。

 

「っ、でもクロヴィス殿下を殺害なんてしたら日本人への弾圧はもっと強まるばかりだ。これまでは名誉ブリタニア人になればちゃんと自由を保障されていたけど、おまえがクロヴィス殿下を殺害したせいで日本人は名誉ブリタニア人になれなくなるかもしれない」

「自由とは生来誰もが持っているものだ!ブリタニア人にならなければ与えられない自由など、そもそもが間違っている!」

 ゼロの声はよく響く。

 野外でさえ轟く程だった声量は密封された空間においては兵器にすらなり得た。

 スザクはこの声こそがゼロの最大の武器なのではないかと感じた。他者を威圧し、従わせる声。強制力と魅力を備えた声が紡ぐ理論は仮令間違っていたとしても、正しいように錯覚させてしまう程の威力がある。

 瞬間息を詰めたが、スザクはすぐに己を取り戻した。

 こいつはテロリストだ。何を言おうと、人を殺して自分の思い通りにしようとしている間違った奴だ。

「でもそのために人を殺すなんて間違っている」

「先に殺したのはブリタニアだ」

「だからって殺していい理由にはならないだろう!」

「では黙って殺されろと!?ただ黙って、伏して、奴隷のように従い続けて無残に死ねと!?」

「違う!」

「違わない!戦うか、もしくは奴隷となるか、この2つの道しか日本には開かれていない!」

「奴隷じゃない、名誉ブリタニア人だ!」

「実質的にどう違うんだ!」

「僕は、僕はブリタニアの騎士で、実力で立場を手に入れた。ブリタニアは実力主義の国で、名誉ブリタニア人でも実力を示せばちゃんと生活できるようになっているんだ!」

「では実力を示せないものはどうなる!只人は死んでも良いと言うのか!?お前のように優れた能力を持たない人間はブリタニアに這いつくばって靴の泥を舐めながら生きろとでも言うつもりか!」

 スザクは眼を伏して歯を食いしばった。

 ゼロの言う事は決して間違ってはいない。

 

 5年前、ブリタニア本国に向かう船の中で日本人の男達がブリタニアの兵士達から時間つぶしと称して暴行を受けていた光景をまだ覚えている。ボールのように蹴り飛ばされ、戯れにナイフで刺されて、死ぬまで殴られた者もいた。

 死体は海に投げ捨てられ、船の通り道のようにぷかぷかと上下に揺れていた。

 だが男はまだ良かった。女性は、特に見目の良い女性は。思い出すだけでも吐き気がする。

 それは船の中だけでは無かった。本国に帰ってからも続いた。いや、もっと酷かった。

 

 しかし。首を振る。

 それでも人殺しは間違っているんだ。日本人を殺すことも、ブリタニア人を殺すことも、間違っているんだ。

「それで、戦うのか。そして殺すのか!日本人も、ブリタニア人も、沢山の人が無意味に死んでいくだけじゃないか!」

「勝てば無意味では無い!!」

 ゼロは拳で壁を殴りつけた。スザクは背筋を震わせた。

「勝てば日本は解放される!勝てば日本人は、日本人と名乗ることができる!結果的に勝ちさえすれば、その過程でいくら人が死のうとも、日本人全員死ぬよりマシだ!」

 

 まさか。勝てるわけが無い。

 

 スザクは咄嗟にそう思い、突発的に胸奥から笑いがこみ上げて来た。きっとゼロは知らないのだ。

 ブリタニア軍の兵士の数も、所有しているKMFの数も、こんな島国にいるゼロには想像もできないだろう。エリア11は小さい領土でしかなく、派遣されている兵士の数や重火器の量も本土と比較すると米粒1粒にさえならない。

 ましてや軍師としての才能が無いクロヴィスの指揮で戦うブリタニア軍など、本当のブリタニアの強さとは程遠い。

 スザクは首を振った。

「勝てないよ」

「それはやってみないと分かるまい」

「分かるさ、ブリタニアには勝てない。だから僕はブリタニアの兵士になったんだ」

「ほう……何故?」

 言ってしまってもいいのだろうか。スザクは少し逡巡し、だが話そうと決意した。

 話したいと感じた理由は分からない。もしかするとゼロに反論したかったのかもしれない。

 あまりにゼロが堂々としていて、人殺しという間違った方法をさも正しいように喋るから。それは間違っていると否定しなければならなかった。

「———僕は日本の首相の息子で、知名度も高い。だから僕が立派なブリタニアの騎士だと証明することができれば、きっとブリタニア人は日本人を見る目を変える。僕が、日本人は野蛮なんかじゃないと証明すれば、日本には平和が訪れる!」

「それが証明されるまで何年かかるんだ。そしてブリタニア人が態度を改めるまで何年かかるんだ」

「でもテロで死ぬよりマシだ!」

「結局死ぬさ。戦争の最中に銃で撃たれて死ぬか、じわじわと飢え死にするかの違いでしかない」

「違う、そんなに長くはかからない。シュナイゼル殿下が皇帝になりさえすれば差別は無くなる。シュナイゼル殿下は公平な方だ。あの方が皇帝になりさえすれば戦争は無くなるし、ナンバーズへの差別も無くなる!シャルル皇帝は高齢だから、あの方が帝位に就くまでそう長くかかりはしない!」

「何年だ」

「え?」

 呆れたと言わんばかりの様子でゼロは頭を振った。

「それが実現するまで、何年かかる。それまでに何人死ぬ。そしてシュナイゼルが皇帝になれば平和になるという保証はどこにある」

「保証は無い。でも、君が勝つという保証も無い」

「————ああそうだな、確かに、俺は確実に勝てるとは言えない」

 しかし。ゼロは仮面越しにスザクの瞳を真っすぐに睨みつけた。

「自分の手で掴んだ自由と権利は、餌のように投げ渡されるものとは価値が違う。いつまた奪われるのかと恐れながら暮らす自由など自由とは呼ばない」

 スザクはゼロを睨み返し、眼を伏せた。

 

 ゼロは間違っている。シュナイゼルが皇帝になりさえすれば全て上手くいくのだ。ブリタニア人と日本人は平等に扱われ、世界は平和になる筈だ。

 だから自分はシュナイゼルの下で働いて騎士になった。後悔は無いし、自分が間違っているとも思わない。

 

 それなのに間違っている筈のテロリストの言葉がどうしてこうも胸に突き刺さるのだろう。

 

「話が逸れた。枢木スザク、本題に入ろう」

「……ああ」

 ゼロは拳を解いてマントで体を覆った。

「枢木スザク、君は日本の首相の息子であり、今や世界で最も知られている日本人だ。君に黒の騎士団の総司令として協力を願いたい」

「協力……」

「そうだ。君に日本の旗頭となって貰いたい」

「そんなの、君が」

「私はこの叛逆を日本だけに留めるつもりは無い。いずれ世界を巻き込み、ブリタニアへと反乱を起こす。そのためには私は明確なバックグラウンドを持ってはいけない存在なのだ」

 バックグラウンドが無ければ出世もできないブリタニアの敵には、バックグラウンドが在ってはいけないとは。

 

 スザクは先ほどとは質の違う笑いがこみ上げてきそうだった。この男はどこまでも規格外だ。

 破天荒な理論で、破天荒なことばかり言う。

 確かにこの男の部下として働くと心底楽しいかもしれない。

 

 しかしスザクは首を横に振った。

「断るよ。僕は黒の騎士団には入らない」

「……何故?」

「ブリタニアに勝てると思えないからだ」

 スザクはブリタニアの常識外れの強さを知っている。

 世界の3分の1を占める超巨大大国神聖ブリタニア帝国を率いているのはシャルル皇帝という希代のカリスマだ。さらにシュナイゼルを筆頭として皇族には際立って有能な人物が多く、付け入る隙は無い。

 ブリタニアは誰にも倒せない。スザクはそう確信していた。

 だからスザクはシャルルが死ぬのを待っているのだ。シャルルが死んで穏健派のシュナイゼルが皇帝になるか、同じく穏健派であるオデュッセウスが皇帝になりシュナイゼルが宰相になれば最小限の犠牲で世界は平和になる。

 そのためにこの5年間戦ってきた。

 今更、戦火を起こして全てを焼き尽くさんとするゼロに賛同できる筈も無かった。

「僕はシャルル皇帝が死ぬのを待つよ。その方が犠牲者が少ないと、信じている」

「……そうか」

「僕は軍に帰る。助けてくれた礼に見聞きしたことは喋らない。信じてはもらないかもしれないけど」

「いや、」

 ゼロはほんの少しだけ俯いた。

「信じているさ、枢木スザク。道は違えど君の、日本を救わんとする信念もな」

 スザクはぐ、と息を呑み。眼を閉じた。

 

 日本人からは散々に裏切り者と罵られているスザクの、日本を救いたいという本心を信じると言ってくれた人物は初めてだった。

 ゼロは間違っている。でも、日本人を助けようとしてることはきっと本当だ。

 この男が敵であることが残念でならなかった。

 

 

 青空の下に戻り、政庁へと向かうスザクの後姿をゼロは見送った。その傍ではカレンが拳銃を片手に構えている。

「よろしいのですか?」

「ああ。日本の首相の息子だ。まだ利用価値はある」

 スザクに背を向けて、ゼロはカレンの肩に手を置いた。基地へと戻り今後の作戦を練らなくてはならない。

 次に来る総督は恐らくコーネリアだ。クロヴィスとは格が違う。準備はいくらしてもし過ぎることは無い。

「次の総督が来るまでに地盤を整えなければならん。忙しくなるぞ」

「はい」

「まずはキョウト六家と交渉する。カレン、君もついてこい」

「承知致しました!」

 敬礼し、カレンはゼロの影に寄り添うように暗がりへと向かって行った。

 

 

 スザクはゼロに背を向けて外に向かった。誰も追って来ず、誰もスザクを阻もうとしなかった。

 外に出ると荒れ果てた市街が一面に開けていた。やはりここはゲットーだったらしい。だが人気は無く、家から出ず息を殺して暮らしているのだろうと思われた。

 青天の下でスザクは遠くに見える政庁を目指して足を動かした。途中でゴミを漁っている日本人を何人か見かけたが、幸運なことに誰もスザクとは気づかなかった。もし売国奴の枢木スザクと知られれば暴行騒ぎになっていたかもしれない。

 日本人が住む地区の道はコンクリートが割れていて、ゴミがそこらに落ちている。道とは思えない程に荒れ果てた地面に足をとられる。

 しかしそれでもスザクは、僅かに見える標を目指して一人歩き続けた。

 

 

 

 

 



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6. C.C.はどこの世界でもC.C.だ

 ニュースでは黒の騎士団についての報道が連日続いている。

 何しろ2、3日置きに新しい事件を起こすものだから話題に事欠かない。テレビ、ラジオ、ネット、あらゆるメディアに現れる黒の騎士団の存在は世界中に知れ渡っていた。

 ここまで短期間で黒の騎士団の名前が広がったのは、ナンバーズのみならず、ブリタニア人にも黒の騎士団の活動を擁護する者が数多く現れたからだろう。

 ブリタニア人にも被害の多かったリフレインの摘発、それに一般人を多数殺傷していた他のテロリスト集団の壊滅と、黒の騎士団の義賊的な一面はネットで広く知られている。

 弱者が強者を打倒する物語は誰にとっても爽快なものだ。どの国にでもある英雄譚でも、弱者の立ち位置にある正義の味方が強者を打倒して世界は平和になり、大団円を迎える。

 黒の騎士団はエリア11で、正義の味方という立ち位置を築き始めていた。

 

 

 

 陽はとうに落ちていた。時刻は夜中に近い。

 黒の騎士団の活動に加えて学生としての生活、それにアッシュフォードKMF開発局の仕事と、ルルーシュは眩暈がするほどに忙しない日々を過ごしていた。

 疲れた足を引きずりながらアッシュフォードのクラブハウスへと帰る。

 玄関をくぐると明るいリビングの方から子供特有の少し高い声がして、思わず頬が緩んだ。

「ただいま」

「お帰りなさいお兄様」

 リビングの扉を開けると、寝間着を着た最愛の妹が、あまり好きではない従兄と並んで折り鶴をしていた。

 普段であれば自分が座る椅子に腰かけているロロを見て、まさかドッペルゲンガーかと一瞬ぎょっとする。しかし丁寧に色紙を折る手は男らしく骨張っており胸を撫で下ろした。

 

 テーブルの上にはいくつもの折り鶴が並べられている。1mmの誤差も無く精密に折られている鶴もあれば、柔らかくふんわりとした曲線のある鶴、あちこちがよれて白い裏面が露になっている鶴が所狭しと並んでいる。

 ナナリーはおぼつかない手つきで、しかし丁寧に折り鶴を折っていた。その左側に座っているロロはナナリーへにこやかに微笑みかけながら機械的な動作で精緻な鶴を折っている。

 

 そしてナナリーの右隣では長い新緑色の髪をした女が面倒くさそうに色紙を弄っていた。

 

 素早い手つきで神経質なまでにきっちりと紙を折るロロとは対照的に、女は不器用そうな手つきで色紙の端と端を合わせている。

 あの女は誰だ。いや、見覚えはある。あるが、一体何故ここに。

 ナナリーは顔を綻ばせてルルーシュの足音のする方へと顔を向けた。

「お兄様、お仕事お疲れ様でした」

「お帰り」

「遅かったなルルーシュ。私は待ちくたびれたぞ」

「ただいまナナリー………ロロ、この家に女を連れ込むな」

 女の顔は知っているが、一応のつもりで声をかける。

 予想していた問いなのかロロは小さく笑い声を立てた。

「何を言うんだ。彼女は君の知り合いだろう?」

「もうお兄様ったら、C.C.さんはお友達なのでしょう?あんまりお待たせしてしまうのは良くないと思います」

「それもこんな美女を待たせるとは、男として情けないとは思わんのか?普通は女が男を待たせるものだ」

 ルルーシュは頭を振った。どうしよう。味方がいない。

 ただでさえ口で勝てないロロに加えて、女の方も一癖二癖ありそうな口振をしている。

 

 天を仰ぐと空の彼方でジェレミアが「ルルーシュ様!頑張って下さい!」とバナーを振る姿が見えた。

 彼が死んだのはたった数週間前だというのに、ルルーシュはジェレミアが死ぬほど恋しかった。ツッコミ役という意味で。 

 

 現実と向き直ると、顔だけは非常に優れた2人がナナリーを間に挟んでこちらを見ている。

 顔の美しさと性格の美しさは比例しないのだとルルーシュは心底思い知った。

「誰が知り合いだと、」

「たった数週間前だというのにもう忘れたのか?あんなに熱烈な出会いをしたというのに」

「ね、熱烈…?」

「ああそうだとも。今や私とルルーシュは昵懇の間柄と言っても過言では無い。言うなれば、将来を約束した間柄だ」

「将来を約束、というと……まさか、けっこ」

「C.C.、君はルルーシュと話してくると良い」

 きょとんとしているナナリーの耳を塞ぎながら、ロロは視線でルルーシュの部屋を差した。

 C.C.は鼻を鳴らし、ひらひらと手を振りながらルルーシュの部屋へと向かう。

 C.C.がリビングから姿を消して、ようやくロロはナナリーの耳から手を離した。ナナリーはきょとんとした顔のままで、熱烈、と呟いた。そしてルルーシュをじ、と見上げる。

「お兄様、あとでC.C.さんのお話を聞かせてくださいね」

「……勿論だよナナリー」

 早く行け、と首を振るロロに目線でナナリーを示す。長い話になりそうだ。

 心得たとロロは軽く肩を竦め、ナナリーと一緒に折り紙を再開した。

 

 

 

 自室に向かうとC.C.と呼ばれた女がベッドに腰かけていた。

 翠色の長い髪がシーツに散らばり、幻想的に美しい。薄暗い廃工場では分からなかったがC.C.は珍しい琥珀色の瞳をしていた。よくもこんなに珍しい色彩の髪と瞳が合わさったものだと感嘆する。

 シーツを細い指でなぞりながら、C.C.はルルーシュを見上げた。小さな子供を微笑ましく見ているようで、その実は見下しているような軽い視線だった。

「派手にやっているようじゃないかルルーシュ。それともゼロと呼んだ方がいいのか?」

「何故それを、」

「当然だろう?私はC.C.だ」

 何の説明にもなっていない。しかし自信満々な女の言葉には謎の説得力があり、何故か反論する気は湧かなかった。これがいい女ということなのだろうか。ルルーシュは溜息を吐いて椅子に座った。

 それぞれの性質は違えど、マリアンヌといいミレイといい、いい女というものは偏に扱いが難しい。

 ルルーシュはベッドに腰掛けるC.C.の前に立ち、妖艶な笑みを見下ろした。

「お前がコード保持者……コードRか」

「ほう、よく知っているな」

「クロヴィスの研究結果を見させて貰った。随分と変わった体質をしているらしいな、お前は」

「お前ではない」

 C.C.は体を起こして徐に拘束着を脱ぎ始めた。

「C.C.だ。女を“お前”などと呼ぶな。男しての器が知れるぞ」

「ちょっと待て、なんでいきなり服を脱いだ」

「ずっと拘束服だったんだ。別にいいだろう。服をよこせ」

 なんだこの自由人は。

 拘束服を床に落とし、さらに目の前で躊躇なく下着も脱いで一糸まとわぬ裸体になったC.C.に溜息を吐きながらルルーシュは女物の私服が入った戸棚を開けた。

 C.C.と自分では、身長が頭1つ分以上違う。フリーサイズのシャツと、サイズの誤魔化しやすいワイドパンツ、ついでに新品のショーツを引っ張り出して投げ渡した。

 C.C.は意外そうな顔で服を受け取り、流行最先端の服一式をしげしげと眺めた。

「女物の服など置いてあったのか」

「悪いか」

「いや、少しは女らしいところもあるのかと感心したのさ」

 自分が女だと知っているのかと少し驚くが、表情には出さない。

 そもそもギアスという超常の能力を他者に与える能力を持つ女だ。常識外の言動は当然と考えるべきなのかもしれない。

「ミレイ会長……知り合いからの貰い物だ。俺が買ったものでは無い」

「そうか。確かに坊やが着るには大人びているかな」

 胸元が開いたオープンショルダーのシャツに、腰の括れを強調するようになパンツは確かに高校生が着るには少々大人びている。

 しかしこの服を選んだのはミレイだ。むしろこれでも抑えた方だろう。

 長い間着っぱなしだったらしい拘束服は、着心地が良く無かったようだ。C.C.はいそいそと服を着こんだ。

 様子を観察するも服に何か仕込む様子は無く、拳銃も持ってはいない。胸元に傷はあるが何か隠し持っている様子は無い。

 C.C.はシャツから顔を出し、裸体を眺めているルルーシュににやりと口角を吊り上げた。

「なんだ?じろじろと見て。発情したか?童貞坊やが」

「……まさか。そもそも勃つモノが無い」

「つまりモノがあれば勃ったかもしれないと」

「あれば、な」

 C.C.はふふん、と豊かな胸を張った。

 確かに結構なサイズだ。ブラジャーが無いと辛いだろう。だが当然、この部屋にはC.C.のサイズに合うブラジャーは無い。

「ブラは無いぞ。文句があるなら買いに行け」

「スポーツブラぐらいあるだろ」

「お前のサイズには合わんな」

「そうか」

 まあ無くてもいいかとC.C.はベッドに体を放り投げた。腰の括れと強い曲線を描いて張り出している胸が主張するように上下に揺れる。男なら思わず触りたくなるだろう。C.C.は美女と呼ばれるに相応しい、柔らかく魅力的な肉体をしている。自分と違って。

 ルルーシュはベッドに腰掛けてC.C.を眺めた。

 色彩は珍しいが、容貌は人間にしか見えない。平均より容姿は美しく、自由奔放な挙動もどこぞの奔放な貴族の令嬢と考えれば違和感も無い。

 しかしその実はそもそも人間なのかが怪しい生き物だ。

 この女が、コードR。

 クロヴィスの研究資料には不老不死と明記してあった。

 

 クロヴィスの残したコードRについての実験資料を端から端まで読みつくしたルルーシュだが、当のコードRを前にしても不老不死という言葉には現実感が湧かない。

 しかし微に入り細を穿つ研究資料は、やや神秘主義への偏りがあるものの、疑問の余地さえ挟まない程に理路整然としていた。

 部下のバトレーの功績も大きいだろう。しかし研究を主導していたクロヴィスの方向性は徹頭徹尾現実に即した地道なものであり、それが研究結果へ功を奏したことは明白だった。

 ルルーシュはクロヴィスのことをロマン主義に傾倒する根っからの芸術家肌だと思っていたが、意外にも研究者としての才能もあったらしい。

 もし生まれが皇族などでは無かったら、その多才を遺憾なく発揮して栄達していたかもしれないとさえ思った。政治屋としての側面が強いブリタニア皇族に生まれたのがあの男の運の尽きだった。

 

「それで、私の変わった体質を知っているお前は、お前の持つ変わった体質をどう思ったのかな?」

 ルルーシュの瞳をC.C.は指さした。

 口角を歪めてルルーシュは笑みを作った。ギアスを発動させる。

 薄暗い部屋にあって、赤く発光する瞳は燃えているように見えた。

「役に立っているさ。ギアス、と言ったな、これは」

「それを使って随分と派手に行動しているようじゃないか、黒の騎士団とやらは。クロヴィスの暗殺から始まり日本各地のブリタニア軍施設を襲撃、KMFを強奪、ブリタニアから輸出されたリフレインの取締りに人身売買の抑制……やっていることはまるで正義の味方だな」

「皆好きだろう?正義の味方は」

 鼻で笑う。

 

 正義など言葉でしかない。ルルーシュの目的はナナリーの安全と、そして復讐だ。

 目的を達成するためには正義という建前が必要だった。だからルルーシュはゼロを、弱者を救うべく現れた正義の味方というアイコンに作り上げた。ただそれだけでしかなかった。

 

 C.C.はその建前を理解できる程度には賢しいようだった。呆れと感嘆はあれど、非難めいたものはその口調に混じっていない。

「随分と悪い笑顔をするものだ。正義の味方は」

「生憎と今はただのルルーシュだ。それで、お前はなんでここに来た」

「酷い言い草だな。契約の時に言っただろう?力の代わりに、私の望みを叶えてくれると」

「———ああ」

 腕を組んで宙を見上げる。

 あの、とても現実とは思えない空間の中でルルーシュは幾重にも重なる人間の声と契約を結んだ。

「言ったな。勿論、契約は果たすさ」

 そう言った瞬間にC.C.は微かに頬を強張らせ、同時に眉尻を下げた。喜んでいるとも躊躇っているともつかない表情だった。

 契約を反故にされるとでも思ったのだろうか。しかしそれもしょうがないかもしれない。

 

 手に入れてようやく分かる。ギアスとはすさまじい力だ。

 ギアスの前では意思や信念、場合によっては命より重いものが薄紙のように弾け飛ぶ。たった一人で復讐を成し遂げなければならないルルーシュにとっては天啓のような力だった。

 だが、だからと言って単純に喜べる程にルルーシュは能天気ではない。人の道から逸脱した力は同様に強烈な副作用も持っているに違いない。

 一度結んだ契約を放棄するような鉄面皮ではないが、今後破棄したくなる気持ちが出てこないと今の段階では断言できなかった。

 しかしジェレミアが死に、呆然としたままブリタニア兵に囲まれていたルルーシュが復讐への道を切り開くことができたのはギアスのおかげだ。その事実がある以上、ルルーシュは女を蔑ろにする気は無かった。

「それで、お前の望みとは何だ」

「焦るな坊や。また教えるさ。それより疲れた。私はもう寝る」

 C.C.はごろりとベッドに横になった。猫のような仕草は愛らしいかもしれないが、それよりも自分のベッドを占拠された苛立ちが勝った。

「寝るな。まだ聞きたいことはいくらでもある。それに契約というのならば契約内容を明らかにしてから結ぶのが常套だろう」

「ギアスという力が常套だと思っているのかお前は。それは王の力だ。ある程度のリスクは覚悟した上で契約を結んだだろう。まあ、あれだ。この契約にクーリングオフは利かないからな」

「……性質の悪い詐欺に遭った気分だ」

「確かに、違いない」

 C.C.は軽快に笑いながらベッドの端によって、空いたスペースをぱんぱんと叩いた。

「さっさと寝るぞ。明日も忙しいんだろう?」

「まさか一緒に寝るつもりか?」

「お前は女だろう。少なくとも体は。何も問題は無い」

「今日話したばかりの他人に貸すベッドは無い」

「酷いじゃないか。それに野宿なんてすれば補導されるかもしれない。そうなったら私は何を喋るか分からんぞ?」

 少なくともC.C.にはゼロという自分の姿がバレている。もしかすると皇族であることも知られているかもしれない。

 憎々し気な顔を隠しもせずルルーシュは首を振った。

「……シングルベッドだ。無理がある」

「お前が男だったら床に転がしてやるところだがな。体が女であるのならそう無下にすることもできん。まあ私はスリムだからそう無茶でも無い」

「空いてる部屋は他にもある。そこを使え」

 ルルーシュの言葉にC.C.は不満げに鼻を鳴らしながらベッドから飛び上がった。

 ぺたぺたと扉に向かって歩く。

「全く、こんな美女と同衾する機会など滅多に無いというのに」

「悪いが美女なら間に合っている。他を当たるんだな」

 ルルーシュは艶然と微笑んだ。恰好は男子の制服ながら、壮絶な美貌は隠しようも無い。

 確かにルルーシュはC.C.も溜息を吐く程の美女だった。

 しかし。

「中身は女と言えるのかな?ルルーシュ」

「———そうだな。まあ、半々ぐらいだろう」

 自分自身でさえ自分が男なのか女なのかよく分からないルルーシュは、鋭い指摘に笑みを零すしかなかった。

 

 性別というデリケートな話題でありながらあっけらかんと話すC.C.にルルーシュは好感を持った。

 どっちつかずな性別を嘲笑うでもなく、禁忌として触れないでもなく、ありのままを口にするC.C.は無遠慮であるが不快では無い。共犯者と認めるのも吝かでは無かった。

 

「部屋は好きにしろ。今後のことは明日伝える」

「一番広い部屋を貰うからな」

「構わないが、汚すなよ」

 ひらひらと手を振りながら、C.C.は軽やかに身を翻して部屋を出て行った。

 

 

 

■ ■ ■

 

 クラブハウスには数部屋の客間があるものの、ルルーシュの友人かロロが泊まる時以外は放置されている。

 広い部屋、と言ったものの、別に部屋の広さはどうでも良い。C.C.は客間の中で、最もルルーシュの部屋に近い部屋へと向かった。部屋が近い方が会いに行きやすいだろうと思ったからだ。

 しかしその途中で、C.C.はナナリーの部屋から出てきたロロに遭遇した。ロロはこちらには気づいていないようで、音を出さないよう声を殺す。部屋の中からは微かにナナリーの声がした。ナナリーを寝かしつけにでも来ていたのだろう。

 お休み、とナナリーに声をかけ、ロロは音をたてないようにとゆっくりと扉を閉めた。

 扉が完全に閉まったことを確認し、C.C.は大股でロロとの距離を詰めた。ロロがC.C.に気づく頃にはC.C.はロロの腕を引っ掴んでいた。

 

 そのままC.C.はロロを引きずって廊下を大股で歩く。ナナリーは耳が良い。あまり距離が近すぎると扉越しでも会話の内容まで聞こえてしまうだろう。

 ナナリーの部屋から十分な距離を取った所で、C.C.はようやくロロから手を離してその端正な顔を睨みつけた。

「な、何だC.C.」

 慌てるロロを気にせずじろじろと顔を眺め回す。これほどまでに近寄って観察してもルルーシュとの外見の違いを殆ど見つけられない。まるで一卵性双生児のようだ。

 ギアス教団の研究材料であったルルーシュに、教団が把握していない一卵性双生児の兄弟がいる訳が無いが、そうとしか思えない程にこの男はルルーシュによく似ている。

 だがC.C.がロロに詰め寄ったのはそんな理由では無かった。

「お前は何なんだ」

 言い逃れなどさせない。C.C.は額に鳥の紋様を浮かばせた。

「私の眼を節穴だとでも思っているのか。お前はコード保持者だ。同じコード保持者であれば容易に分かる」

「ああ、そうだが。落ち着け。別に俺はお前の敵じゃない」

 両手をホールドアップし、ロロは背後に下がる。追い詰めるC.C.により壁まで退却を余儀なくさせられてロロは苦笑を零した。

「俺はルルーシュにコードを押し付けようと思っているわけじゃない。この戦争に関わるつもりも無いさ」

「じゃあ何でお前はルルーシュの近くにいるんだ。大体お前のコードはおかしい。コードではあるのだろうが……異質だ」

 

 コードの保持者同士はCの世界を通して会話ができる。しかしこの男の持つコードとは繋がれる気がしない。

 V.V.や自分の持つコードが電話だとするのならば、この男が持つコードは無線通信のようだ。男は確かにコード保持者ではあるのだろうが、彼の持っているコードはC.C.の知るコードの枠組みに当てはまらない。

 

 警戒するC.C.に、しかしロロは飄々とした態度を崩そうともしなかった。

「確かに俺の持つコードはお前の持つそれとは違う。しかしいずれにせよ俺はただの傍観者だ。お前にも、ルルーシュにも、ナナリーにも、最低限以上に関わる気は無い」

 嘘を言っている様子も無く、C.C.は苛々してその整った、整い過ぎている顔を睨んだ。しかしロロは困ったように笑いながら、C.C.の頭を微かに触れる程度の力で撫でるのみだった。

 馴れ馴れしい仕草に舌打ちしてロロの手を叩き落とす。しかしロロは気にする様子も無く、肩を竦めてC.C.に向き直った。

「俺はこの世界の外から来たんだ。だから俺が持っているコードはこの世界のものでは無く、他の人間に引き継げるのかも分からない。ルルーシュを奪われると心配するのはお門違いだ」

 C.C.はロロが何を言っているのかさっぱり分からず眉根を顰めた。

「……自分は外なる神とでも言うつもりか?」

「違う。俺は神じゃない。ただの傍観者さ」

「ただ黙って見ているだけだと」

「そうだ」

「それで何が目的なんだ」

 この男のことをC.C.は何も知らない。

 

 数日前、ロロがクラブハウスに出入りしている様子を見かけてすぐにコード保持者だということに気づき、C.C.は急いでロロに関する情報をかき集めた。

 しかし5年前突如としてルルーシュの近くに現れて、何をするでもなく傍観しているという以上の情報はどこからも出てこなかった。

 戸籍は偽装されており、はっきりとした来歴も無し。コード保持者であるが誰かにギアスを渡している様子も無く、ギアスユーザーに接触している様子も無い。

 謎だらけの男だ。むしろ、謎しか無い。目的が分からないことが特に性質が悪い。

 

 しかしC.C.の警戒を柔らかい笑みで受け流し、ロロは遠くを眺めるように目を細めた。

「俺はただの観客で、この世界の物事は俺にとって見世物でしかない。……それも結末を知っている見世物だ。手出しもできず眺めるだけなど、不快極まりない。しかしどうして集合無意識が俺をここに送ったのかも分からない以上、ここでこうして見ていることしか俺にはできないんだよ。故に、俺には明確な目的は存在しない」

 C.C.には男の言っている言葉のほとんどが理解できなかった。

 しかし聞こえてきた集合無意識という単語にC.C.は柳眉を顰めた。それはギアス教団のトップシークレットの筈だ。

 

 この男、得体が知れないにも程がある。

 

「……まさかお前、シャルルの計画を知って、」

「知っているが手出しはしない。お前がシャルルに加担するかどうかの決断にも口を出しはしない。それは俺の役割じゃない」

 ロロはひらりとC.C.の横を通り過ぎた。

「おい、待て!」

「明日からルルーシュはさらに忙しくなる。お前にも仕事が回ってくるようになるからな、C.C.。体調には気を付けろよ。治るからといってあんまり怪我をするな。腹を出して寝ないようにしろ。あとピザは食べ過ぎるな。エンゲル係数を少しは気にかけてやれ」

 手を振りながら足早に去っていくロロの後ろで、C.C.はきょとんと首を傾げた。

「………ピザって、何のことだ?」

 

 



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7. 俺の初恋も、ユフィだった

 

 意外なほどに呆気なく、裁判は無罪で閉廷した。

 それもそうだろう。スザクは法廷から外へ向かうために足を早めていた。

 

 今や世間は黒の騎士団一色だ。大々的なクロヴィスの殺害宣言に加え、その直後にリフレインを扱っていたマフィアを潰し、人身売買組織を壊滅させ、一般人を標的としていたテロを潰した。

 これまでのテロリストとは一線を画する武装集団だと、既にイレブンもブリタニア人も認めるところにある。

 

 彼らが有名になったおかげで無罪になった身を考えれば、黒の騎士団に感謝しなくもない。

 だが所詮は小さな諍い事のような勝利ばかりだ。この程度ではまだブリタニアを倒すなどという大言壮語を吐けるレベルには無く、所詮はテロリストという評価を覆すには至らない。

 しかしスザクは日本人として、ゼロの快進撃に胸を躍らせるところが全く無い訳でも無かった。黒の騎士団に加わるのはあまりにハイリスク過ぎてお断りだが、その活躍がこれまでに幾度となく出現していたテロリストとは違う、矜持のあるものだということはスザクも認めていた。

 

 人気のない法廷を出る。快晴の青い空から小さな声が落ちてきて、スザクは空を見上げた。

「—ぁ——ぃ——」

「え?」

 頭上に小さなピンクの点が見えた。しかし逆光でそれが何なのかまではよく分からない。

 まさか飛び降り自殺かと身構える。同時に頭上から引き攣った女の声が落ちてきた。

「———ぁぶないから、避けて下さーい!」

 ば、とスカートが空に広がった。

 人が落ちてくる。

 さ、と全身から血の気が引き、すぐさまスザクは手に持っていたバッグを放り投げて受け身の体勢を整えた。

 その直後に、重力に加算された人一人分の体重が強烈な勢いで両腕に叩き付けられる。意地と根性でなんとか地面に落とさず踏ん張りきったものの、その衝撃はすさまじかった。両腕の骨が痛烈に軋む。多分折れてはいない。しかし両腕が捻じれたかのように痺れた。

 

 両腕の痛みに耐えながら、スザクは腕にすっぽりと納まっているピンクの塊を見下ろした。飛び降り自殺者にしてはやけに身形が整っている。

 ピンク色の正体は髪だった。黄色いスカートと清楚な白いブラウスを着て、鮮やかなピンク色の髪をした少女が腕の中で目を見開いていた。スザクはその少女に凄まじく見覚えがあった。

 全身から引いていた血の気が今度は沸騰して、行くことも戻ることもできずその場で踊り始めた。少女に触れている両腕が、痛みとは違う衝撃で震え始める。

「あー、危なかった!」

 スザクの心情も知らず、ふう、と安堵の息を吐く少女を咄嗟に地面に降ろす。スザクは即座に地面に膝をついた。

 額から冷や汗が止まらない。まさか、なんで、という言葉が脳内に木霊する。

 しかし目の前の少女は何度か新聞の記事で見た顔と同じ顔をしていた。それに騎士の嗜みとして勉強させられた、華麗なる皇族の一覧に載ってた顔と寸分違わず同じ顔をしている。

 どうか他人の空似であってくれと願いながら、地面に跪いたスザクは恐る恐る声をかけた。

「ご、ご、ご無事でしょうか、ユ、ユーフェミア皇女殿下」

「ええ、ありがとうございます。ごめんなさい、下に人がいるとは思わなくて……あなたも大丈夫ですか?」

「……はい。お気を使って下さりありがとうございます」

 本人だった……!

騎士の礼を取ったまま、スザクはブリタニア兵になってから初めて間近で接する皇族を前に動けないでいた。

 スザクは騎士と言っても所詮はナンバーズでしかない。見下してくる貴族や皇族は多く、いくらユーフェミアを助けるためだったとはいえその玉体に触れたとなれば非難は免れない。

 スザクは項垂れたままユーフェミア皇女殿下の沙汰を待った。しかしユーフェミアが発した言葉は予想の範囲外だった。

「あなたは、ええと。テレビで見ました。枢木スザクさんですよね」

「ユーフェミア皇女殿下が御存じとは、光栄でございます」

「よかったー!あなたはイレブンの方ですよね!」

 ユーフェミアは項垂れているスザクの両手を掴み、ぶんぶんと振った。

 ルルーシュとナナリーを除く皇族からこんなにフレンドリーに接せられた経験が無く、ぽかんとしながらスザクはされるがままにユーフェミアと両手を繋いでいた。

「私、今日が休暇の最終日なんです。それで是非エリア11を見て回りたくて。あなたなら案内ができますよね?」

「え、あ、はあ」

「一人で行こうと思っていたんですけど、道に迷うかもしれないので、お暇ならお願いできませんか?」

「イ、イエス・ユア・ハイネ……いや、やっぱりダメで」

「やった!」

 皇族からの要請にイエス・ユア・ハイネスと応えるのは、ブリタニアの兵士には本能レベルで沁みついた習慣だ。

 しかし一瞬冷静になると、ユーフェミアと同じ年頃の自分が彼女と共に外をうろつくなど、外聞があんまりにも悪すぎる。目撃でもされれば、あらぬ噂を立てられるかもしれない。

 そしてそのせいでスザクがコーネリアの不興を買ってしまうと、コーネリアの中でイレブンの評価が下がってしまう可能性もある。ただでさえ黒の騎士団のせいでブリタニア全体がイレブンへの警戒を高めているというのに、自分がさらにイレブンの評価を下げることは絶対にできない。

 

 だが否定しようとしたスザクを遮り、ユフィはじゃあ行きましょう、とスザクの手を掴んで歩き始めた。

「まずは買い物をしましょう。一回やってみたかったんです、食べ歩き」

「いえ、でしたらちゃんとした皇族の親衛隊を」

「堅苦しいので嫌です。そうだ、スザクさん。今日は私のことはユフィって呼んで下さいね」

「ですからそれは」

「今日は休暇なのですから皇女もお休みです。だから私はユーフェミア皇女殿下じゃなく、ユフィなんです。ね?」

「しかし私は騎士として」

「じゃないとこれから先、ずっと枢木スザク准尉って呼びます。街中でも」

 ぐ、とスザクは押し黙った。

 無罪となったとはいえ、クロヴィスの暗殺容疑がかかったスザクはブリタニア人からもイレブンからも顔を知られている。街中で何度も名前を呼ばれると面倒事になる確率は高い。

「あと私が外にいることを政庁に連絡するのも禁止です。今日はお忍びなんですから!」

「………イエス、ユアハイネス」

「じゃなくて!」

「承知致しました、ユフィ様」

「もう一声!」

 ぐいぐいと押してくるユーフェミアにスザクは天を仰いで観念した。

 自分はどうにも、皇族に弱い天運に生まれてきたらしい。

「………分かったよ、ユフィ」

 こんな風に話しかけたとコーネリア皇女殿下に知られれば、不敬罪で殺されるかもしれない。

 恐怖で全身を震わせながらユーフェミアの期待に応えたスザクに、ユーフェミアは心底嬉しそうな顔をした。

 こうして近くで顔を見ると、ルルーシュには及ばないまでも綺麗な顔立ちをした人だ。スザクは瞬間、ユーフェミアの太陽のような笑顔に見惚れた。

「じゃあ行きましょうスザク」

 躊躇なくスザクの手を引いて歩くユフィに引きずられ、スザクは溜息を吐きながら足を動かした。

 この少女の強引さは、皇族特有の傲慢さでは無く、無邪気な子供のそれに近い。可愛らしい子供の駄々に本気で苛立つ者はいない。無理やり街を案内させられることになったのに嫌な気分がしないのは、ユーフェミアの才能かもしれない。

 

 

 そのままスザクはユーフェミアに連れられて街中を歩くことになった。16歳のユーフェミアは年頃の少女らしく、可愛らしいスイーツ店を中心に歩き回った。

 とはいえ華奢なユーフェミアがそう沢山食べられる筈も無く、一時間も経たない内にスザクとユーフェミアは近くの公園で休むことになった。

 据え付けられているベンチに座る。手にジュースの入った紙パックとクレープを持ち、ユーフェミアは御満悦のようだった。

 ここまで遊べば十分だろうか。陽はまだ高いが、そろそろ政庁に送り届けるべきかもしれない。いや、機嫌を損ねないためにもユーフェミアがもう帰ると言うまで付き合うべきだろうか。

 スザクが逡巡していると草むらの中から黒猫がぴょこんと顔を出した。

「あ、猫ちゃん!」

 ユーフェミアはぴょん、とベンチから立ち上がって猫に駆け寄る。抱き上げて膝に乗せて喉元を擽ると、猫はごろごろと喉を鳴らした。

「猫の扱いがお上手なのですね」

「ありがとう。はい、スザクも」

「いえ、自分は」

 何故か動物全般から嫌われるスザクは辞退しようとしたが、ユフィは猫を抱きかかえたまま首を捻った。

「猫、苦手なのですか?」

「僕は好きなんですけど、片思いばかりなんです」

 

 猫。そう言えば以前、ルルーシュを猫のようだと言ったことを思い出した。目の前にいるユーフェミアがルルーシュの異母妹であるからかもしれない。

 こうして思い返すと、あれからまだ5年しか経っていないとは思えない程に色々なことがあった。ただの日本人の子供だった自分が、ブリタニアの騎士となって皇女殿下のお忍びに付き合うことになるとは、あの頃の自分は想像もしていなかった。

 今、ルルーシュはどうしているだろう。5年前に別れたきりの親友の面影は鮮明に残っている。

 彼はそうそう簡単に死ぬほど惰弱でないし、騎士であるジェレミア卿もいる。きっとどこかで生きていることは間違いないとスザクは確信していた。間違いなくとんでもなくたくましく生きているだろう。

 

 寂しげな顔をするスザクにユーフェミアは小さく微笑んだ。

「片思いって優しい人がするんですよ?」

「……そうでしょうか」

「ええ」

 スザクは差し出された黒猫を撫でようと恐る恐る手を伸ばした。

 猫はスザクの手を抉るように引っ掻いて、体を捻じってユーフェミアの手から逃れて走り去ってしまった。

 ユーフェミアは慌ててスザクの手を取った。

「スザク、手は大丈夫ですか?」

「はい。血は出ていないので」

 しかし手の甲には真っ赤な三本線がくっきりと残っている。

 去って行った猫にスザクは手を振った。きっとルルーシュもあんな猫みたいに攻撃的に、図太く生きているだろう。

 

 猫を見送り、ユーフェミアは立ち上がってぱんぱんとスカートを叩いた。

「今日はありがとう、スザク。楽しかったです」

「恐縮です」

 周りから不審に思われない範囲で頭を下げる。くすくすと笑ったユーフェミアは、しかし次の瞬間顔を引き締めた。

 柔らかい顔立ちだが、こうして見ると凛々しくもある。

「スザク、最後に一か所行きたいところがあります」

「どこでしょうか。なんなりと」

「シンジュクに」

 強い意思を持つ瞳に、スザクは言葉を詰まらせた。

 

 いくらユーフェミアが皇族としては異例なほどに親しみやすいとはいえ、たかが名誉ブリタニア人である自分が彼女に反論するという選択肢は存在しない。

 しかし警備が自分一人の状態でゲットーに行くなど言語同断だとか、そもそもテロリストの巣窟のようなシンジュクに行くのは危険過ぎるだとか、言いたいことは幾つもあった。

 

「その、それは、」

「危険だということは百も承知です。しかし私は近いうちにこのエリア11の副総督となる身。私が統治する民衆の暮らしを一度この眼で見て回りたいのです」

 ユーフェミアはルルーシュに似ていないと思っていたが、眼はどこか似ている。強烈な意思を秘めていたルルーシュの瞳より色は薄いが、真っすぐなロイヤルパープルは反論しても無意味だということを察するのに十分だった。

 スザクは項垂れ、わかりましたと囁く他無かった。

 もしここでスザクが拒否すれば、ユーフェミアは一人で行ってしまうに違いない。

 断られると思っていたのだろう。ユーフェミアは安堵の息を零して胸を撫で下ろした。

「ありがとうございます、スザク」

「お一人で行かれるよりはマシです。あと徒歩での移動は無茶ですから、タクシーを捕まえましょう」

「はい!」

「ここで暫くお待ちください」

 ユーフェミアがベンチに座るまでを見届け、スザクはその場を離れて道路脇に向かった。道路脇からベンチまではそれほど遠くも無いが、これだけ距離があれば小さな動作は視野に映らない。

 できるだけタクシーが通り過ぎないようにと信じてもいない神に祈りを捧げ、スザクは半ば恐慌状態となりながらロイドへと電話を繋げた。

 焦りのあまり番号を押す手が震える。

 数回目のコールの後、いつものゆったりとした口調のロイドの声が聞こえた。

「ロ、ロイドさん、ロイドさん、ロイドさん!」

『もーどうしたのスザク君。今それどころじゃないんだけど』

「ユーフェミア皇女殿下がここにいるんです、シンジュクに行くって言ってるんです!二人っきりなんです!」

『……はあ?』

『ちょっとロイドさん、ユーフェミア皇女殿下は』

『ちょっと待っててセシル君、え、そこにいるの?シンジュク?』

「はい、副総督になる前に一度見に行きたいとかなんとか」

『い、いやいやいやいや、シンジュクは駄目だよ。警護を付けたとしても温室育ちの皇女殿下をそんな危な過ぎる場所には行かせられないからね。怪我でもしたら、コーネリア殿下に僕らの首が飛ばされちゃうかもよ。比喩じゃなくて物理的に』

「そうですよね。どうしましょう。無理やり政庁へ連れて帰るというのも……」

『……スザク君の首が飛んじゃうかもねー』

「ですよね」

 

 姉のコーネリアも怖いが、ユーフェミア自身も皇位継承権を持つ権力者であり、スザクにしてみれば十分に怖い。いくらユーフェミア自身が温厚であったとしても、その取り巻きまでが同じように寛容である訳がないのだ。

 無理やり政庁へ帰らせて気分を損ねてしまうと、彼女の取り巻きが気を利かせてスザクを処断しかねない。 

 かといってユーフェミアの言う通りシンジュクに連れて行き、もしイレブンに石でも投げられて傷が付けば、今度はコーネリアに殺される。

 

 逡巡するスザクに、ロイドが少し諦めているような口調でぽつぽつと話した。

『まあでもユーフェミア皇女殿下は皇族の中ではわりかし穏健的だから……騙して政庁に連れて帰ってもそんな酷い目には遭わされないんじゃないかな……多分』

「多分ってなんですか、多分ってなんですか!」

『運命って分からないものだからねえ』

「止めて下さいよロイドさん!僕のこと貴重なパーツだって言ってくれたじゃないですか!ここまで来たなら一蓮托生ですからね!」

『……黒の騎士団に一人、すんごい強い子がいるみたいなんだよねぇ』

「本当に止めて下さい!洒落になってないですよ!?」

「スザク、タクシーが停まりましたよ!」

 背後に聞こえたユーフェミアの声に咄嗟に電話を切ってポケットにしまう。前を見ると、中々電話を切ろうとしない客に苛立った運転手がガラス越しに座っていた。

 もうユーフェミアを止める手段が見つからない。おろおろとするスザクの傍をユーフェミアは通り過ぎた。

「あの、ユフィ」

「さあシンジュクに行きましょう。運転手さん、シンジュクまでお願いします」

 こっちの言うことを聞きやしない。ユーフェミアは一人でさっさとタクシーに乗り込んでいた。

 

 スザクはルルーシュを思い出した。確かにあの皇子も人の言うことを大人しく聞く玉では無かった。ブリタニアの皇族は全員こんな調子なのだろうか。

 

 スザクは半ばやけくそになりながらタクシーに乗り込んだ。

 直属の上司であるロイドに場所は伝えた。だから何か問題が起こったらロイドに擦り付けよう。

 スザクは強かに計算しながら発進するタクシーの中で息を吐いた。

 

 

■ ■ ■

 

 

 シンジュク事変が起こってからまだ1週間かそこらしか経過していない。

 昔の日本の繁栄を象徴する、今や廃墟となった都市は眺めているだけで物寂しくなる。そこら中にゴミと瓦礫が散乱し、惨劇があったことを示す銃弾の痕や血痕が所々に刻まれていた。

 人が住んでいるとは思えないような場所だが、気配を探れば物陰に隠れ住むイレブンがそこかしこにいることが分かる。スザクはユーフェミアを自分の後ろに隠して歩いた。

 ユーフェミアは危なっかしい足取りで瓦礫を避けながら、ひび割れた道路を歩く。周囲を見回しながら、愕然とした表情でスカートの裾を握り締めていた。

「シンジュク……こんなところでイレブンの方々は生活しているのですか?」

「はい。他にもいくつかイレブンのゲットーはありますが、トウキョウではシンジュクが最も広い居住区です」

「こんな……廃墟のような」

 ようなではなく、ここは廃墟だ。スザクは破壊されたビル群を見上げた。聳え立つ都庁であった建物は今や倒壊寸前であり、他の建物もとても安全とは言い難い。そしてそうしたのはブリタニアだ。

 瓦礫がそこかしこに落ちる中、スザクはユフィを背後に隠しながら目的も無く歩いた。

 見るからにブリタニア人であるユーフェミアは、たとえ皇女と知られなくともイレブンの眼に止まれば憎悪の対象となる。

 のこのことシンジュクゲットーにやって来た以上、石を投げつけられても文句は言えない。

「ユフィ、あまり私から離れませんように」

「ええ」

 これまでのブリタニア人しかいない繁華街とは全く違う雰囲気に、ユフィは腕をさすりながらスザクの背中に隠れて歩いた。

「イレブンたちはこんな所で暮らしているんですね」

「はい。他のゲットーも似たようなものです」

「食事なんかはどうしているのでしょう」

「日雇いの仕事をしたり、残飯を漁ったり……餓死者は月に何人も出ます」

「そうなの、ですか」

 俯くユーフェミアにスザクは寄り添いながら歩いた。

 

 暫くすると、ブリタニア人の学生らしき集団が見えた。周囲はチンピラのような風情のイレブンに取り囲まれている。

 遠くから話を聞く限り、どうやら学生達はKMFの戦闘の痕を撮影に来たらしい。

 人殺しの兵器の殺戮の痕跡をこんな所まで見に来るとは随分と悪趣味だ。

 イレブンもそう思ったのだろう。イレブンが多数殺傷された場所で呑気に撮影をしているブリタニア人へ、唾を散らして怒鳴りつけている。

「ここは俺達の住処だ!ブリ鬼の観光地じゃねえんだよ!」

「さっさと帰りやがれっ」

「じゃ、邪魔するなイレブンが!敗戦国の犬どもめ!」

「俺たちはKMFの痕を見に来ただけだ!邪魔すんじゃねえよ!」

「てめえらのせいでこんな廃墟になっちまったんだろうがっ、それを呑気に観光だと?ふざけんじゃねえ!」

 ゲットーではよく見かける光景だ。スザクは溜息を吐きながらユーフェミアを背後に庇った。

「ユフィ、逃げましょう」

「し、しかし。このまま放っておいたらあの方たちが、」

「シンジュク事変でイレブンには多くの犠牲者が出ました。だというのにブリタニア人へ神経質になっているイレブンの心情も鑑みず、軽々にシンジュクへ足を踏み入れた彼らの責任です。それより巻き込まれないよう離れましょう」

 イレブンに絡まれている彼らは運が悪かったが、ほとんど自業自得だ。助けた方が良いのだろうが、もし割り込んで行ってこんなところにユーフェミア皇女殿下がいることが知られてはたまらない。

 怪我をすれば一大事、誘拐でもされたらここら一帯のイレブンが皆殺しにされかねない。

 ユーフェミアを背後に後ずさりながらスザクは周囲に視線を巡らせ、他にイレブンがいないことを確認した。

 ブリタニア人は4人、それを囲んでいるイレブンは5人。他には人は見当たらない。このくらいなら見つからず容易に逃げられる。

 スザクは騒ぎ続ける集団に背を向けてユーフェミアの腕を掴もうとした。しかし伸ばした手は宙を切った。

「ユ、ユフィ?」

「何をしているのです、おやめなさい!」

 ユフィはスザクの横を通り過ぎ、ブリタニア人の前に出て庇うように両手を広げた。乱入してきたブリタニア人の少女に、イレブン達は虚を突かれたような顔をした。

 スザクは頭を抱えた。

 ユフィは下手をすればルルーシュより扱い辛いかもしれない。

「てめえ、何、」

「確かに多くの日本人の犠牲が出た場所で写真を撮る行為は、あなた方にとって耐え難い程に不愉快だったでしょう。しかしだからといって手を上げてよい理由にはなりません!どうか、この場は私に免じてお下がり下さい!」

 ユフィは勢いよく頭を下げた。

 潔い謝罪にイレブン達もどう反応して良いのか分からず口ごもる。

 スザクは驚きのあまり目を見開いた。

 皇族が、ブリタニアで最も誇り高い人々の中の一人が、身分を隠しているとはいえナンバーズへ頭を下げるなんて。

 まるでナンバーズがブリタニア人と同等であるかのように扱う挙動はスザクの胸を強く打った。

 この人は、なんて貴い人なんだ。

 

 目の前で頭を下げ続けるブリタニア人の少女をどうすれば良いのか分からなかったのだろう。怒りを向けるには、少女はあまりに可愛らしく、幼かった。しばしイレブン達は目を逸らして怒気を治めた。

 しかし少女の背後でカメラを撮り続けている学生が視界に入ると、彼らは再び怒鳴り声を上げた。

「て、てめえには関係ねえだろうが!お嬢ちゃんはどいてろよ!」

「そうだそうだ!」

「玉城、こいつらボコっちまおうぜ!」

「おやめ下さい、どうか、お願いします!」

「ガキは下がってろ!」

 ユーフェミアを押しのけようとした男の腕をスザクは掴んだ。

 玉城と呼ばれた男はスザクの顔を見るなり、歯を剥き出しにして米神に筋を立てた。

「てめえ、枢木スザクっ」

「無関係の女性に手を出すのは感心しません」

 スザクの戦闘能力はエリア11に響き渡っている。玉城以外のイレブンはスザクを見るなり距離を取る様に後ずさった。

 しかし玉城だけは真正面からスザクを睨みつけた。

「くそ、この売国奴め!何が名誉ブリタニア人だ、嬉しそうに!プライドも仲間も魂も売って、それでも日本人か!?」

 玉城の腕から手を離してスザクは後ずさった。玉城の怒声に思わず息が止まる。

 

 シンジュク事変で多くのイレブンが殺された。ブリタニアはイレブンにとり明確な敵だ。ブリタニアへ帰順した、名誉ブリタニア人である自分へのイレブンの評価を、スザクは知らないではなかった。

 玉城の言葉は、ほぼ全てのイレブンが自分に思っていることだろう。彼らが受けた被害を思えば、そう非難されるのはしょうがないのかもしれない。

 しかしこのまま黙って糾弾され続けるのは辛過ぎた。一方的に弾劾され、後ろ指をさされることに堪えられる程にスザクの精神は強靭では無かった。

 それは違うんだと叫びたかった。自分は日本の待遇を良くするために名誉ブリタニア人になったのだ。決して私欲なんかじゃないんだ。

 だが口から出たのは小さな呟き声だった。何故ならば、スザクは未だ日本のために何の成果も得ていない。何を言っても拙い言い訳にしかならないと、言わなくても分かっていた。

「違う、僕は」

「違わねえだろ、このブリタニアの犬が!!」

 掴みかかってきた玉城の腕を反射的に掴む。スザクはそのまま背負い投げで背後に投げ飛ばした。宙に身体が飛ばされ、玉城は地べたに体を打ち付けた。

 衝撃がかからないように手加減をしたが、アスファルトに身体を打ち付けて痛みが無いわけが無い。だが玉城は咳き込みながらも立ち上がった。ブリタニア人を睨んでいた時よりもずっと暗い怒気を籠めた視線でスザクを睨む。

 他のイレブンを見ると、彼らも同じような眼でスザクを睨んでいた。

「止めて下さい。これ以上同じ仲間で、」

「何が仲間だ!!」

「玉城、もういいだろ」

 再度スザクに掴みかかろうとする玉城を他のイレブンが掴む。仄暗い視線をスザクに向けたまま、距離を取ろうとじりじりと後ずさる。

「そんな売国奴、相手にするだけ無駄さ。それよりこれ以上機嫌を損ねたら殺されるかもしれねえぜ」

 仲間の言葉に玉城は悔しそうな顔をしながらも、スザクには敵わないと悟ったのだろう。悪態をついて仲間の腕を振り払い、玉城はそのまま他のイレブンと共にスザクに背中を向けて歩き去った。

 スザクは項垂れて拳を握り締めた。

 

 ゼロは信じてくれた。でも他のイレブンはきっと、誰も信じてくれない。

 当然だろう。スザクは名誉ブリタニア人になってから、日本のために未だ何もしていなのだから。

 そんなこと位は分かっている。結果が無いと、誰も信用なんてしてくれないことぐらい。

 しかし辛い。どうしようもなく、辛い。

 

「遅いんだよ!名誉のくせに!」

「何で逃がしたんだ!やっちまえよ!どうせ何人もイレブンを殺してきたんだろ?誰がお前を養ってると思ってんだよ!!」

「煩い」

 自業自得で襲われた挙句に、助けられて文句を言うブリタニア人をスザクは睨みつけた。

「さっさと帰れ。次はもう助けない」

「なっ、んだと、この人殺しが!」

 自分勝手なことをぎゃあぎゃあと喚くブリタニア人に神経がささくれ立つ。

 養っているとはよく言ったものだ。エリアから得た富で神聖ブリタニア帝国は潤っている。彼らの豊かな生活も、皇族の豪奢な宮殿も、元はと言えばエリア、つまりはナンバーズの富だろうに。

 とはいえこの類の輩に何を言おうと無駄だということは分かりきっている。

 社会見学も十分だろうし、そろそろユーフェミアを連れてシンジュクを出ようとスザクはユーフェミアの姿を探した。

 しかしやはりユーフェミアはスザクの予想を裏切った。

「これ以上この方を侮辱することは許しません!」

 ユーフェミアはスザクの前に躍り出て、壁になるように両手を広げて立ちはだかっていた。

 驚くより前に、スザクは唖然とした。まさか皇族が、自分などを庇うとは思ってもみなかった。小さな体だというのに背をぴんと伸ばした姿は凛々しく、純粋に綺麗だった。

「そもそも、あなた方はスザクに助けられたのでしょう?それなのに文句を言うとは、何事ですか!」

「名誉がブリタニア人を助けるのは当然だろうが!」

「助ける行為に当然などありません!身を削って、スザクはあなた方を助けようとしたんですよ!それなのにお礼を言うどころか侮辱するだなんて、それでも礼節を重んずるブリタニア人ですか!」

 ユーフェミアの一括に学生は口を閉じ、気に入らないと地面に唾を吐いた。興が削がれたのか彼らはスザクを一瞥し、口々に愚痴を零しながら去っていく。

 スザクは呆然とした後、笑いがこみ上げて来た。

 

 助ける行為に当然などないか、そうか。

 

 くすくすと笑うスザクにユーフェミアは心配そうに顔を覗き込んできた。

「スザク、大丈夫ですか?」

「ええ」

 スザクはユーフェミアの可愛らしい顔立ちの中心で、真っすぐに前を向いている瞳を覗き込んだ。

「ユーフェミア様、あなたは素晴らしい方ですね」 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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8. カレンよりスザクよりミレイが最強だと思う

「転校してきました、枢木スザクです。よろしくお願いします」

 夢か。

 最近忙しすぎて睡眠時間があまり取れなかったからかもしれない。しかしホームルームから居眠りしてしまうとは問題だ。

 夢よ覚めろと瞬きするが、しかし目の前の光景は変わらなかった。

 

 黒板の前に、5年前より身長が伸びたスザクが立っている。

 癖の強いブラウンの髪と丸くて大きな瞳はそのままで、高校生にしては童顔な顔立ちはブリタニア人の生徒の中でよく目立った。学生服のせいか、ゼロとして会ったときよりさらに幼く見える。

 クラス全体がざわつく。ランスロットのデヴァイサーとして有名であり、さらにクロヴィス暗殺の被疑者として報道されたスザクの名前はブリタニア人にもよく知られている。

 主には、人殺しとしての悪名だが。

「静かにしなさい!ホームルームを始めます。今日の日直は?」

 先生に言われて慌てて日直の生徒が立ち上がり、どこか気もそぞろな声でホームルームを始める。しかし誰も聞いていない。

 生徒達は声を潜めて喋りながら、席に座るスザクを無遠慮に眺めた。街中に迷い込んだ猿を見るような、興味と恐怖がない交ぜになったような視線は無言のままスザクを非難していた。

 スザクは向けられる多数の視線に項垂れながら、机の上に教科書を並べた。

 

 教室にはいつもより張り詰めた緊張感が漂っている。スザクもどこか怯えた顔で周囲を見回す。

「あ、」

 ルルーシュの姿を見つけて驚愕と喜びで目を見開いたスザクに、ルルーシュも口元を上げながら襟を触った。

 

 

 昼休みの屋上。

 端末を弄りながらルルーシュはスザクを待っていた。

 黒の騎士団の経営は順調だ。日本製のKMF、紅蓮を取り込んだ黒の騎士団の戦力は加速度的に増大している。他のレジスタンスも吸収し、増大を続ける黒の騎士団は、今やナンバーズ解放軍として世界で最も勢いがある組織と言っても過言では無い。

 良い流れだ。コーネリアとの決戦が控えている今、戦力はあって困ることは無い。

 

 階段を足早に上る音が聞こえてルルーシュは液晶画面から顔を起こした。暫くもしない内にスザクが扉から飛び出て来る。

「ルルーシュ、久しぶり!」

「生きていたかスザク。元気そうだな」

「うん。なんとか。ルルーシュは?あれから大丈夫だった?」

「アッシュフォードに匿って貰っていたからな。ナナリーも元気だ。中等部に在籍している」

「ナナリーも無事なんだね、よかった」

 間近で見るスザクは顔色もよく、ゼロとして遭遇した時よりも晴れ晴れとした顔をしていた。裁判も無罪で閉廷し、特に降格も無く元の地位に戻れたからだろう。

 

 スザクも5年ぶりに会えた親友の元気そうな姿に安堵の息を吐いた。

「ずっとルルーシュにお礼を言いたかったんだ。ルルーシュの書いてくれた手紙のおかげでノートさんに後見人になって貰えて、騎士になって、ランスロットの搭乗員にもなれた。ルルーシュのおかげだよ。ありがとう」

 真っ直ぐなスザクの視線に、ルルーシュは5年前の自分の失敗を内心で後悔していた。もしあんな手紙を書いていなければ、スザクはブリタニアの軍人になどなっていなかったかもしれないのに。

 しかしルルーシュは微笑みながら、スザクの栄達を喜ぶ振りをした。

 この5年間、死と隣り合わせの戦場を駆け抜けたスザクの努力を否定することはできなかった。

「確かにノートの後見が得られたのは俺の手紙があったからだろうが、そこから先はお前の手柄だ。気にすることは無い。学校に通うことになったのもこれまでの業績が評価されたからなんだろう?」

「僕は運が良かっただけだよ。学校に通えるようになったのはユーフェミア様の御厚意なんだ」

「ユフィの?」

「うん。偶然出会って、気に入って下さったんだと思う。学校に行ってもいいって許可をくれたんだ」

「………そうか。よかったな。よく頑張ったよ、お前は」

「———ありがとうルルーシュ」

 ここ数年、後見人であったノート以外に褒められたことはついぞ無かった。親友からの真っ直ぐな賛辞に顔を赤らめて、スザクは改めてルルーシュを見やった。

 

 5年前より大人びた顔は、とんでもなく美しい。由緒正しい血統による高貴な顔の造りをしているのに、思わずたじろいでしまうような迫力がある。まるで女性のように白くて繊細な肌と長くて豊かな睫毛に、スザクはさらに顔を赤らめた。

 年齢相応に女性経験のあるスザクだが、ルルーシュはこれまで見たどの男性よりも、女性よりも美しい。 

 

 様子の変わったスザクにルルーシュは首を傾げた。

「どうしたスザク?」

「いや、その……」

「何だ」

 男であるルルーシュはこんなことを言われたら気分を害するかもしれないと思って口ごもったが、元々あまり遠慮をしない性格のスザクは視線を泳がせながら口を開いた。

「綺麗になったね、ルルーシュ」

 誤魔化すように自身の指先をすり合わせて、無意味に足先で地面を叩く。言ってしまってから、男に何を言っているんだと後悔して頭を抱えた。

 ルルーシュは一度機嫌を損ねたら面倒臭いのに。

 しかしルルーシュはスザクの決死の賛辞を鼻で笑った。

「ありがとう。だが容姿を褒めるならもっと工夫しないと女は喜ばないぞ、スザク」

「え?く、工夫って」

「以前とは見違えただとか、髪型がよく似合っているだとか。騎士ならばこれから先社交の場に行くこともあるだろう。婦女をエスコートする機会も無いとは言えないのだから、最低限の誉め言葉位は覚えておいて損は無い」

「そ、そうなんだ。うん。勉強するよ……ルルーシュって照れたりしないんだね」

「悪いな」

 皮肉気に肩を竦めてルルーシュは端末を脇に抱えた。

「言われ慣れているんだ」

「………まあ、そうだよね」

 そりゃあこの顔だったら綺麗だなんて耳が腐る程に言われ慣れているだろう。

 聞きようによっては傲慢ともナルシストとも取れる台詞だが、この容姿で言われると納得しかできない。

 しかしそれを踏まえても言葉の端々に見え隠れするプライドの高さに、やっぱりルルーシュだとスザクは懐かしさに胸を温めた。

「良かったら学校の案内でもしようか。ああ、俺の出自は誰にも言うなよ。もちろんブリタニアにも、俺がここにいるということは言うな」

「分かってる。絶対に言わないよ」

 スザクとしてもここにルルーシュが在籍していることは意外だったのだ。

 一緒の学校で学べることに喜びはあるが、隠れて暮らしているルルーシュのことを考えると軍でも学校でも下手なことは喋れない。

 死んだはずのブリタニアの皇子と皇女が生きてると知られれば、ルルーシュとナナリーはブリタニアに連れ戻される。プライドの高いルルーシュは、自分を一度捨てた国に戻ることなど許せないのだろうと、スザクは思っていた。

 

「助かる」

「いや、大したことじゃないよ。ルルーシュはまだブリタニアに帰りたくないんだね」

「それだけではない。もし見つかれば俺もナナリーも、殺されるかもしれないからな」

「……え?」

 スザクは淡々と告げたルルーシュの顔を見やった。

 まだ分かっていないのかと、ルルーシュは呆れが混じった溜息を吐いた。

「当たり前だろう。元々日本とブリタニアが開戦した大義名分は、俺とナナリーが日本人に殺されたというものだ。両方生きているとなれば大義が失われる。となれば、俺とナナリーが生きていると知られれば、ブリタニアが俺たちを殺しに来る可能性は高い」

「でもそんな、大義名分のためだけに、」

「そういう国だ。もう知っているだろう?」

 思い当たる節が多く、スザクは口元を覆った。

 

 戦争を起こすためには大義名分が必要だ。ブリタニアは大義名分のため、ありとあらゆる難癖を付けて無理やりに戦争を推し進めてきた。

戦争をするためにブリタニアは手段を選ばない。

 ブリタニアであれば、何人もいる皇子一人の命など、エリア11に埋まっている豊潤なサクラダイトと比較すれば安いものだと切り捨てかねない。

 

 言われれば簡単に分かったことだ。スザクは同時に、自分が何をしたのか自覚して顔を青褪めさせた。

「———ごめん、ルルーシュ」

「なんだ」

「僕、転校して来ない方がよかったんだよね」

「……ようやく気付いたか、この馬鹿」

 スザクは顔をくしゃくしゃにして罵倒を甘んじて受けた。

 自分に向けられる視線の多さをスザクはよく知っている。ナンバーズの騎士、日本の首相の息子。メディアから注目されることも多い。

 スザクがアッシュフォード学園に在籍するとなれば、どんな学校なのかと世間の注目も集まるかもしれない。そうなると生徒会副会長であるルルーシュへ向けられる視線も自然と多くなる。

 そうなって、もしルルーシュが皇子だと知られれば。

 ぞっとする。身震いが止まらない。

「辞めようか?僕」

 まだ今ならアッシュフォード学園にはそれほど世間の目は向けられていないだろう。

 しかしルルーシュは首を振った。

「ユーフェミアからの指示なんだろう。辞められるのか、お前は」

「……無理」

「だろうな。軍属でありながら学校へ在籍するという、ナンバーズとしては破格の待遇を賜っておきながら蔑ろにすればユーフェミアの面目は丸つぶれだ。下手をすればお前はリ家に殺されかねない」

 ナンバーズ如きがユーフェミア・リ・ブリタニアの厚意を無下にするなど、ユーフェミアだけではなくリ家の恥だ。

 地べたに跪いて、有難き幸せと項垂れる以外の答えは死しか用意されていない。

「………ごめん、ルルーシュ」

「いいさ。親友だろう」

 ひらひらと手を振るルルーシュの後をスザクはついていった。

 

 泣きそうだった。いつだって自分はルルーシュに助けられている。5年前からそうだ。ルルーシュは自分よりずっと華奢で、弱っちくて、本当は皇子様なのに。

 守られるのではなく、ルルーシュを守りたいのに。どうしてこう上手くいかないのだろう。

 

 

 階段を下りて生徒が多く歩く廊下に出る。スザクの姿を見つけるなり多くの生徒は後ずさるように離れた。ひそひそとした囁きにスザクは身を縮こませて俯いて歩く。

 しかしルルーシュは周囲の騒音を気にもせず、左右に割れた人込みの中心を堂々と真っすぐに歩いた。スザクはこそこそとその後ろをついていく。

「あの、ルルーシュ。別にいいよ、僕一人で、」

「午後からは体育がある。アッシュフォード学園はエリア11随一の敷地面積を誇る学校だ。無事に体育館まで行けるのか?」

「職員室で聞けばいいし、」

「職員室はどこにあるのか分かるのか」

「……ここの廊下を真っすぐ行って、」

「職員室はこの階段を下りて右に曲がって真っすぐに進んだ先だ」

「………」

「俺は周囲の視線を気にする方じゃない。自分のせいで俺まで村八分になることを危惧しているのなら、余計なお世話というやつだな」

「……ごめん」

「謝罪はいらない。これでも副生徒会長だ。新入生へ校舎を案内するのは当然の義務だ」

 ルルーシュは階段を下りて体育館へと向かった。

 体育館では数人の生徒がバスケットボールで遊んでいた。バスケットボールが床にバウンドする音が体育館に反響している。遊んでいる生徒は夢中でボールを追っていて、スザクの姿に気づく者はいなかった。

 それにしても広い。軍にもレクリエーション目的に体育館があるが、段違いの広さだとスザクは感動した。設備も充実しており、生徒に貴族の子弟が多いことも納得できる豪華さだった。

 体育館の端には鈍色の扉があり、幾人もの生徒が出入りしている。恐らく倉庫なのだろう。その中から長い金髪を靡かせた青い瞳の女性が出てきた。

 ユーフェミアやルルーシュとはまた違う、美人という単語から最も連想される容姿を持つ美人だった。金髪碧眼でスタイルが抜群に良い、ブリタニア美女を体現するような女性だ。

 

 ミレイはルルーシュを見つけるなり笑顔で近寄った。

「ルルーシュ、転入生への案内中かしら?」

「ええ、そうです。スザク、この人が生徒会長のミレイ・アッシュフォードだ」

「初めまして、枢木スザクです」

「初めましてスザクくん。思ってたよりも可愛い顔してるじゃない!ちょっと意外だわー」

 え、と肩を弾ませるスザクにミレイはに、と笑った。

「新聞なんかではもっとキリっとしてるでしょ?プライベートでは可愛いタイプなのねー。あ、それとももしかしてルルちゃんみたいな女の子がタイプでウキウキしちゃってる?」

「会長、悪ふざけが過ぎます」

 溜息を吐くルルーシュにミレイはからからと笑った。

「ごめんね、揶揄うつもりは無かったのよ。難しいかもしれないけど学校にいる間は肩の力抜いて、ゆっくり楽しんで頂戴。もうちょっとで学園祭もやるから楽しみにしててね」

「は、はあ」

「そうだスザク君、生徒会とか興味ない?書記を一人募集してるのよ。よかったらスザク君が入ってくれると楽しくなるというか、今よりもっと爆発力がある生徒会になりそうかもって考えてるのよ」

「爆発力のある生徒会?」

「スザク、ここの生徒会はお前の想像の3倍は凄いぞ。爆発騒ぎを起こしたこともあるからな」

「爆発力って物理的な意味なの!?」

「そうよ。我がアッシュフォードの生徒会はパワフル・ダイナミック・エネルギッシュをモットーに年がら年中お祭り騒ぎを巻き起こす、走り出したら止まらない暴走車を目指しているのよ!」

「目指しているのはミレイ会長だけです。たまには止まって下さい」

 冷たいルルーシュのツッコミを気にせず、ミレイはスザクの両手を握った。スザクよりも少し長身なミレイは、圧力をかけんばかりにスザクに攻め寄る。

「暴走車に相応しいメンバーを集めているんだけど、なんだか男子が少ないのよー。ね、おねがーい」

「じ、自分は仕事がありますので」

「あら、ルルーシュも仕事してるけどちゃんと副会長の役割もこなしてるわ」

「僕はルルーシュみたいに器用じゃないので、ちゃんと仕事ができるかどうか」

「できる限りで構わないのよ。生徒会にこれまでにない新しい風を取り入れたいのであって、スザク君が負担に思うような仕事は任せないわ。お願い、ほんのちょっとでいいから、ね?」

 間近に迫る長身の正統派美女にスザクは押し黙った。

 

 ルルーシュは傍から眺めながら、これはスザクが負けるなと一人と頷いた。

 ミレイの押しに勝てる人間は地球上でも少ない。

 そしてスザクはその少ない人間には入らないようだった。

 

「……で、できる限りで構わないのでしたら………」

「やったー!新生徒会メンバーね!これからよろしくスザク君!」

 ミレイはぶんぶんとスザクの両手を引っ掴んで上下に振った。なされるがままに両手を振り、生気の抜けた顔をするスザクが段々憐れになってきたルルーシュは二人の間に割って入った。

「それでミレイ会長、今日はここで何をしていたんですか」

「ふっふーん。次のお祭りの企画なんだけどね、ここにある道具をちょちょーっと使ってみようかなーなんて思ってるのよ」

「………会長、これは本当に使うんですか?鉄アレイとか棒高跳びの棒とか、本気でピザ作りに使うつもりなんですか?」

 倉庫からカレンがおずおずと顔を出した。手には書類を持っている。

 カレンはルルーシュと、その後ろに枢木スザクを見つけて顔を強張らせた。

「会長、彼女は」

「じゃっじゃーん!生徒会新メンバー、書記のカレン・シュタットフェルトさんよ!今日から仕事して貰うことになったから、よろしくねルルーシュ!」

「よろしくって、何を」

「何って、仕事よ仕事。そろそろ次のお祭りの企画を作るから、その手順を教えてあげてね♡」

「それは会長の仕事では?」

「そうしたいんだけど次はちょっと大規模な企画になる予定だから、手が空かないのかもしれないのよね」

「会長が大規模と言うなんて、嫌な予感しかしないのですが」

「だーいじょうぶ。我が生徒会にはミス・アッシュフォードのルルちゃんがいるんだから!いざとなれば、その美貌で男子生徒を手足の様にこき使ってやればいいのよ!」

「そう上手く行くと良いのですが」

「あなたならやれるわ、二代目ミス・アッシュフォード!自信を持って!」

 スザクだけではなく、自分もミレイに勝てる気は全くしない。

 そしてミレイがイイ女と評されるのに値するのは、彼女に負けても全く嫌な気分にならないところだろう。

 ルルーシュはやれやれと首を振った。

「しょうがないですね。まだまだ初代には負けますが、頑張ってみますよ」

 初代ミス・アッシュフォードはふふんと胸を張った。

「それじゃあ、ちょっと他にすることがあるから。カレンはもういいわよ。昼休憩なのに付き合わせちゃったわね」

「いえ、大丈夫です」

「書類は私が持って行くから、3人とも午後からの授業に遅れないようにね!」

 3人の背中を叩き、ミレイは颯爽と歩いて行った。

 凛と背を伸ばして歩くミレイの後姿を見ながら、スザクはぽかんと口を開けていた。

 気持ちは分かる。ミレイは台風の眼のような女性だ。

「あれがうちの名物生徒会長だ」

「なんていうか……すごい女性だね」

「その印象は間違っていない。カレン、生徒会に入ることになったのか?」

「ええ。あんまり学校に来れてないから、会長が気を使ってくれて」

 生徒会に入っていれば他の生徒と交流する場もある。恐らくはスザクも同じ理由で生徒会に誘ったのだろう。

 姉御肌のミレイらしい配慮だとルルーシュは感心した。豪放磊落ではあるが、ミレイは基本的に人への配慮を怠らない聡明な女性である。

 だからこそルルーシュはミレイの頼み事を断りにくいのだった。

 ミレイからの頼み事の大半は、ルルーシュに学生生活を満喫して欲しいという願いから来ていることはとっくに知っている。

「じゃあ今日の放課後に生徒会の仕事を説明するから、少し残ってもらえないか?」

「ごめんなさい。今日はちょっと……母のお見舞いに行かないといけないの」

「じゃあ資料だけ渡しておくよ。詳しいことは明日以降に説明するから」

「ありがとうルルーシュ。………それで、あなたは、」

 カレンは一瞬目を尖らせ、しかしすぐに気弱そうな視線に戻してスザクを見やった。

 ブリタニア人から警戒されるのは慣れているのだろう。スザクは棘のあるカレンの視線に気づく様子も無くおずおずと手を差し出した。

「今日からアッシュフォードに転入した、枢木スザクです。さっき生徒会にも入ることが決定したんだ。よろしく」

「よろしく。カレン・シュタットフェルトよ」

 二人は気まずげに軽く握手をし、すぐに手を離した。

 

 クラスメートとしてはぎこちないが及第点の演技だろうとルルーシュは一人頷いた。

 黒の騎士団の一員としてスザクへ怒気を抱いているだろうカレンだが、今の所は気弱な令嬢という猫を見事に被っている。元が短気であるカレンがどこまで演技できるかは分からない。しかしこの様子であればそうそう簡単に演技を看破されることはなさそうだ。

 

「じゃあスザク、ロッカーまで案内するよ。カレン、生徒会の資料を渡すから悪いがついてきてくれないか」

「分かったわ」

 2人を先導しながらルルーシュは体育館に沿うように設置しているロッカールームの前まで移動した。

 巨大な体育館に設置してあるロッカールームはそこらの学校の3倍は広い。 

「ここがロッカーだ。ロッカーにはそれぞれ鍵がついているから無くすなよ。無くしたら職員室まで届け出る事」

「分かった。中はどうなっているのかな」

「それは後で生徒会のリヴァルにでも見せて貰ってくれ」

「?ルルーシュが案内してくれればいいじゃないか」

「俺が入ったら問題だろう」

「なんで?」

「俺が女だからだ」

 

 ルルーシュの言葉にカレンとスザクは時を止めた。

 

「は?」

「ん?」

「え?」

「……女?」

「そうだ」

「誰が?」

「俺が」

「ルルーシュが、女の子?」

「そうだが」

「ルルーシュが女性?」

「だから、そうだって」

「嘘でしょ」

「事実だが」

「え、昔はおうz……じゃない、男の子だって、」

「色々手違いがあってな」

「何で男子生徒の制服を」

「スカートが歩きにくいから」

「身長が高いし」

「コーネリア皇女殿下よりは低い」

「胸が無いじゃないか」

「その発言は多くの女性を敵に回すぞ、スザク」

「「……………」」

 そう言えばさっき、ミレイが二代目ミス・アッシュフォードだとかなんとか言っていたのような気がする。

 

 二人分の絶叫がアッシュフォード学園に響き渡った。

 

 

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 規模を拡大した黒の騎士団の本拠地は、ブリタニアに見つからないよう郊外まで移動していた。

 工場に見えるような外装の内側には、膨大な数のKMFが立ち並んでいる。カレンは自身の愛機となった紅蓮のコックピットに座ってメンテナンスを行っていた。

 隣で同じくKMFをメンテナンスしている南が、周囲にゼロがいないことを確認してカレンに耳打ちした。

「それで、カレン。学校にいたゼロっぽい生徒ってどうだったんだ」

「ううん。違った」

 カレンは計器を確認しながら首を振った。

「どうしてそう思ったんだ?」

「男子の制服着てたけど、女の子だったの。だから絶対違うと思う」

「そりゃ違うな。ゼロが女な訳ねえし」

「あんな女いるわけねーよ!色気もなんもねーし!」

 ぎゃははは、と笑う玉城にカレンは顔を顰めた。

 

 何よ、ゼロには色気があるわよ!

 

 そう言いたいのだが、あの仮面の男に色気があると言って賛同してくれるのは一部のゼロのファンぐらいだろう。しかし張りのある声といい、細いスタイルと言い、きっとあの仮面の下は凛とした顔立ちの美形なのだろうとカレンは想像していた。

 勿論ただの想像だと分かってはいる。本当はもしかすると顔中シミとニキビだらけの中年醜男かもしれない。

 しかし自分達を率いるゼロは素性の知れない謎の男であり、未だ少女の域を出ないカレンはつい想像を膨らませてしまう。

 先日行われたリフレイン摘発の事件の後からその傾向はさらに強まっていた。

 

 ゼロを主導として行われたリフレイン摘発の最中だった。

 制圧したリフレインの製造工場で、黒の騎士団は酩酊状態に陥っている多くの中毒者を発見した。中毒症状で床にゴミのように打ち捨てられた日本人の中に、カレンは母親の姿を見つけた。

 どうしてこんなところにいるのか。どうして何も話してくれなかったのか。

 動揺して母を揺さぶるカレンをゼロは一喝し、すぐに救急車を手配した。幸いにも命に別状はなく、母は暫くの入院の後に警察へと連れていかれた。

 懲役20年という判決を受け、今は郊外の刑務所で刑に服している。

 

 リフレインを使うことになったのはブリタニアのせいなのに、刑罰を受けなければならないことは腸が煮えくり返る程に腹立たしい。母がシュタットフェルト家から離れられたのは良かったのだろうが、できることならちゃんとした病院にもっと長く入院して欲しかった。

 しかしそう文句を言えるだけまだ良かったのだ。もしゼロがいなかったら。背筋がひやりと凍り付く。

 何も知らないまま自分は母を責めて、ちゃんと話をする余裕も無く死んでしまっていたかもしれない。

 

 カレンはゼロに母の命を救われた。もう今はゼロを疑ってはいない。

 強い意志と天才的な頭脳を持つ自分達の指導者として尊敬さえしている。仰ぎ見るに値する英雄であるゼロに、カレンは忠義を誓っていた。

 しかし忠義を誓ったとはいえ、ずっと仮面を被っているゼロの正体が気にならない訳でも無いのだ。

 あの仮面の下はどんな顔なのだろう。意外にも優しい顔立ちなのか。それともちょっと怖い顔?

 年齢は、職業は、人種は。黒の騎士団のエースとなったカレンはゼロの傍に付き添うことが多く、黒い仮面の中身が気になってしょうがない。

 肌の色も分からないし、もしかしたら日本人でないかもしれない。E.U.の人間なのだろうか。それとも中華系か。もしかするとアフリカ系かもしれない。黒人の可能性も捨て切れない。

 年齢は自分よりもずっと年上だろう。それは間違いない。こんなに実行能力があるのだから、社会経験を積んだ大人の男の人に違いない。

 そう、お兄ちゃんみたいな。

 

「何を遊んでいる玉城」

 噂をすれば影。ゼロがKMF格納庫に姿を現した。

 古参である扇メンバーは、度々KMF格納庫に現れては自身でKMFのメンテナンスを行うゼロをよく見かけているが、新入りのメンバーは間近で見る英雄の姿に緊張を高めた。

「ゼロの仮面の中身の話だよ!そうやってずっと仮面を被ってると気になんだよ!」

「そうか」

 玉城の大声に一言返しただけでゼロはコツコツと足音を鳴らして自身のKMFである無頼へと向かった。

 何事も無かったかのように乗り込み、液晶型パネルを叩き始める。

「いやいやいや、無視してんじゃねえよ!なんでずっと仮面被ってんだよ、もしかして仮面の下はめっちゃくっちゃに不細工とかか!?」

「生憎とこれまでの人生で不細工と呼ばれたことは一度も無いな」

 興味なさげにゼロは無頼のメンテナンスを的確にこなしていく。

 今や巨大組織となった黒の騎士団の総司令へ、気安げに話し続ける玉城に周囲は肝を冷やしていた。

 ゼロは英雄であり、この組織のトップだ。それも得体の知れない面が多分にある。もし機嫌を損ねでもすればどんな目に遭わされるか見当もつかない。

 しかし周囲の雰囲気を気にしていないのか、それとも気づかないのか、玉城は大声でゼロに話しかけ続けた。

「そう言う奴に限って滅茶苦茶不細工だったりするんだぜ!」

「そうか」

「だからいっぺん仮面外してみろって、な?カレンも見てみたいだろ?」

「え、あ、あたしは、」

 突如として玉城に話を振られて、カレンは口ごもった。正直に言うと、見たい。しかし見てはいけないとも分かっている。

 ゼロは無国籍で、どこの国籍にも所属していない。だからこそゼロは文字通りゼロの存在足りえるのだ。

 たとえ黒の騎士団の団員とはいえ、ゼロの正体を知るものはいない。

 

「そうだろうなあ。しかし、謎は謎のままの方が美しいものだ。秘密にしておいた方がいいこともあるさ。なあ、ゼロ」

 

 一人を除いて。

 ゆったりとした足取りで琥珀色の瞳をした女が格納庫に入ってきた。先日黒の騎士団に加入した、C.C.と名乗る女だ。

 戸籍、年齢、来歴、全て不明。しかしゼロからは絶大な信頼を受けており、他の団員が入れないゼロの個室に堂々と入り、仕事をするゼロの周りを猫のようにちょろちょろと歩き回っている。

 馴れ馴れしい態度に捉えどころのない神秘的な美貌も相まって、ゼロの愛人ではないかという噂が付きまとっているが真偽は明らかで無い。

「何をしに来たC.C.」

「酷い言い草だな。あの割れ顎男からの情報の裏打ちをしにきてやったというのに」

 無頼に近寄り、C.C.は紙の束をコックピットに投げ込んだ。

 ゼロは受け取り、そうか、と頷く。

「やはり本当のようだな。成田連山へブリタニア軍が進撃するというのは」

「スパイかと思ったが、それにしては行動がおかしい。まあ変人ではあるが」

「ディートハルト……おかしな男だ」

 紙束を抱えてゼロは無頼を降りた。

 その隣にC.C.が寄り添う。団員の視線が集まる中、ゼロはマントを翻して宣言した。

「週末はハイキングだ。総員、準備せよ」

 

 

 

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 マオはC.C.に会うために成田からトウキョウへ向かっていた。

 人込みはあまりに五月蠅く、マオは道路から外れた瓦礫の中を隠れるように移動していた。途中でイレブンのホームレスを見かけることが多々あったが、公共交通機関を利用するよりもずっと騒音は少なく、比較的静かな道のりを辿ることができた。

 そのまま人目につかないよう県境を通り越し、ようやく遠目に都庁が見えるところまで辿り着いた。

 依然として周囲は瓦礫ばかりだが、これまでとは違い囁きのような人の声が微かに聞こえる。イレブンのゲットーが近いのだろう。ここから先は人を避けて移動することは難しい。

 しかしマオには逃げるという選択肢は存在しなかった。逃げるのならばC.C.と一緒にだ。

 眼を凝らしても見えない先に、C.C.のいるアッシュフォード学園があるのかと思うと胸の奥が熱くなる。マオはC.C.を愛していた。ようやく会える。その感慨が嗚咽となって滲み出て来た。

「C.C.、ようやく来たよ。ルルーシュがいなくなれば戻って来てくれるよね。また一緒に暮らせるよね、」

 C.C.の声を何度も繰り返しているヘッドホンを指で撫でる。C.C.さえ戻ってくれれば、こんなヘッドホンに頼る必要もなくなる。二人で静かな土地に家を買って、優しいものしかない世界で暮らすことができる。

 足を踏み出す。邪魔な瓦礫を蹴飛ばそうと足を振り上げた。

 

 乾いた銃弾が2発鳴り、マオはその場に崩れ落ちた。

 

 頭蓋が冷たい地面にぶつかる。何が起こったのか分からず、マオは呆然と眼球を四方に走らせた。

「え、何?」

 足が動かない。どうして。

 両足に視線を向ける。両方の太股に穴が開いていた。

 その穴から血が流れ出している。ズボンの太股部分は赤黒く染まっている。

 撃たれたんだ。そう自覚すると両足から激痛が這い上ってきた。焼け付くような痛みが絶え間なく両足に襲い掛かる。両足の熱を剥ぎ落そうと掻き毟りながら、マオは瓦礫の中を転がりまわって絶叫した。

「痛い痛い痛い痛い、助けてC.C.、助けてよC.C.!ルルーシュに構ってるせいでここに来てくれないの!?ルルーシュのせいだ、そうだルルーシュのせいだ!!」

 マオは喚きながら転がった。とんでも無く痛い。

 だが軍靴の音と共に一人の男が自分に近づいていることに気づき、呻きながら視線を上に向けた。

 

 長身の男だ。風変わりな緑色の髪に、オレンジ色の瞳をしている。顔の左側にひっついている無機質な機械は、ファッションにしてはあまりに無骨過ぎた。

 男は片手に拳銃を構え、銃口をマオに向けていた。

 マオは浅く呼吸を繰り返しながら、男から少しでも離れようと這い蹲ったまま地面に爪を立てた。

 男は数歩先の地面に立っている。だというのに、あまりにも静か過ぎる。怖い。

 男からは何の声も聞こえなかった。ギアスが効かないのか。この男が何を考えているのか全く分からない。

 それはマオの望んだ未来の筈だった。心の声が聞こえないという普通の人間の生活。

 しかし何の障害も無く人の心を知ることが出来ていたこれまでを忘れるには、あまりにギアスはマオの一部になり過ぎていた。

 森の奥で誰もいない。何の声も聞こえない。静寂は恐怖だ。マオは久し振りにその恐怖に身震いした。

「い、嫌だ、助けてよC.C.、助けてよ、」

「ルルーシュ様とおっしゃったのである」

 男はマオの顔を覗き込んだ。

「ルルーシュ、構ったせい。知っているのですか?痛いのか、あるいは」

「は、え?」

「どこにいる、教えて下さいますか?何をするため」

「な、なに、何なんだよお前、何が言いたいんだよ!近寄るな!」

 マオは懐から拳銃を引き抜いて男に向けた。男は用途の知れないおもちゃを前にした子供のように首を傾げた。

 そのまま発砲する。銃弾は男の左胸に着弾し、そのまま跳弾した。

 銃弾が金属音を鳴らしながら瓦礫の上を転がる。男は年齢とは不釣り合いなほどに幼げな表情でしげしげと銃弾を眺めていた。

 

 死なない。銃弾が効かない。なんだこいつ。なんだこいつ。

 

 マオは顔を引き攣らせてそのまま何度も発砲した。跳弾の音だけが何度も深い森に響き渡る。

「くそ、くそ、ルルーシュめ!あいつさえ死ねば!C.C.と、僕は一緒に!」

「死ねばとおっしゃる。敵と認識しますべきか」

「煩い、畜生、離せよ、どっかいけ、どっかいけよ!」

 近寄ってくる男へマオは両腕を振り回した。銃弾の無くなった拳銃を投げつけるも片手で弾かれる。

 地べたに這いつくばるマオに男は覆い被さり、左手でマオの首に手をかけた。

 一定の速度で首が締まっていく。空気が口の中で蹲り、停滞した血流が逆巻いて目の前が真っ赤に染まる。

 耳鳴りさえ遠い。

「やめ、止めろよ、畜生、C.C.、C.C.、こいつを止めて、C.C.、——————」

 ひゅう、と喉が鳴る。マオの顔は恐怖で歪み、段々と赤みを帯びた。陸に打ち上げられた魚の様に口を何度も開閉し、赤い舌を前に突き出す。

 頚椎が擦り潰される鈍い音がした。

 

 

「ルルーシュ様、どちらいる。ここに、いや、ギアス?」

「うーん。ギアスキャンセラーは割と上手く稼働するんだけど……命令を聞いてくれないっていうか……理性がなくなっちゃったというか……」

「無事、どこ?お守りする。しかし邪魔?こうなってしまった。騎士の資格返上なるか」

「言葉通じないし……ジェレミアー、おーい」

「しかし何でも致すからお傍を。お世話係か。メイドも考慮すべき。メイド服を作るのはどこで」

「もー、話通じないし。計画に使えるのかなあこれ」

 地べたに体育座りをしたままぶつぶつと呟くジェレミアの背中をV.V.は思いっきり蹴りつけた。

 しかし何の効果も無く、ジェレミアはバグったようなセリフしか繰り返さない。V.V.は深いため息を吐いた。

 

 ギアスキャンセラーの手術は上手く行ったが、ジェレミアの脳は完全にイカれてしまった。まともに会話さえできやしない。

 研究員曰く、脳の機能が損傷したわけでは無いが、キャンセラーの機能に脳が追いついていないために複雑な思考ができないとかなんとか。単純に言ってしまうと、高容量のプログラムを無理やり突っ込んだせいで動きが鈍くなってしまったパソコン状態らしい。

 いずれにせよこのままではジェレミアを計画に使うことはできない。途方に暮れたV.V.は、脳に刺激を与えて活性化すれば戻る可能性があるという研究者の言を受け、ジェレミアが5年間暮らしていたトウキョウへと連れ出したのだった。

 勿論ルルーシュと遭遇する可能性のある場所は避けて散歩をさせる。しかし全く反応は無く、ジェレミアは幼児のように手を引けば歩くものの、手を離せば足を止めてしまった。根っからの皇族であるV.V.は自分では一歩も歩かないジェレミアの世話が段々と面倒になり始めていた。

 もう置いて帰ってしまおうかな。誰かに回収させればいいし。

 そう思っていると、突如としてジェレミアは自分で歩き始めた。

 

 その歩く先に付いて行くと、C.C.と契約したらしきギアスユーザーがいた。

 制止する間もなくそのギアスユーザーを殺してしまったかと思えば、ジェレミアはそのまま体育座りをしていじけた様に動かなくなってしまった。

 振出しだ。V.V.は唇を尖らせた。

「僕の命令を聞いてくれないんじゃねえ……」

「代理の騎士。失礼仕る。選任から開始しましょう。私より有能で私より忠実な騎士が最低ライン」

「うーん……あ、そうだ」

 V.V.はぱちんと指を鳴らした。この男が反応する刺激といえば、これが一番だろう。

 壊れたテレビを叩くようにジェレミアの脳をノックする。

「ジェレミア、ジェレミア、よく聞いて」

「そうです。私は失格。残念無念」

「あのね、ルルーシュはゼロに殺されたんだよ」

 ジェレミアはぴたりと動きを止めた。

 機械染みた動きでV.V.を振り返る。

 オレンジ色の右眼と、人工的な青いライトを宿す左眼がV.V.を射抜いた。

「今、何とのたまいましたのでしょうか」

 言葉はおかしいが意味は分かる。

 久しぶりの確かな反応にV.V.は手ごたえを感じて喜色を露にした。

「だから、ルルーシュはゼロに殺されちゃったんだ。死んじゃったんだよ!」

「死んだ」

「そうだよ、ルルーシュは」

「死、死に?死んだ、死、し、嘘だ。嘘でしょう?」

 頭を振り子のように左右に振れながら、ジェレミアはぽたぽたと赤色の涙を零し始めた。

 そのまま地面に倒れて頭を何度も一定のリズムで土に叩き付ける。メトロノームのような動作にV.V.は眉根を顰めた。

「た、助ける、お守りする。嘘。ありえないでしょう?私は、ここに生きている」

「………さらにバグったかな?刺激が強かった?」

 面倒くさくなりながらも、V.V.は繰り返し地面に頭を叩きつけるジェレミアが再起動するのを待った。

 

 発言が意味不明なのは変わらないが、ルルーシュの死という言葉にジェレミアはこれまでとは段違いの反応を見せている。

 きっとこれならば、近いうちにジェレミアの脳は元に戻る。時間はあるのだ。

 ナナリーの調整が終わるまでに、ジェレミアがちゃんとギアスキャンセラーを使えるようになってくれさえすればそれで良い。

 

「あぁあぁああああ、ああ、あ、嘘だ。ねえ、ごめんなさい、ゼロ、殺します。間違っていた。私が騎士になどならなければ。ゼロ、ゼロに殺して差し上げるので、どうか。お待ちを、ルルーシュ様。ルルーシュ様」

 ジェレミアが起き上がるまで、V.V.は鼻歌を奏でながらそこでじっと待っていた。

 

 

 



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9. お前が退避させてくれていたのか……悪かった

 今朝からブリタニアのKMFをよく見かける。

 ジョゼフ・フェネットはいつもより物騒な雰囲気の漂うナリタの街並みを怯えながら歩いていた。

 

 地質調査員であるジョゼフは、エリア11で成田連山の地質を調査する任に就いている。

 エリア11でサクラダイトの産出量が最も多いのは富士山周辺だ。だが富士山だけでなく、エリア11の大多数の山岳地帯ではサクラダイトが産出される。成田連山の地質にサクラダイトが含まれている可能性はゼロではない。

 ジョゼフの仕事は成田連山におけるサクラダイトの保有量を測定することだった。

 

 ゼロ。ジョゼフは顔を顰めた。最近新聞でよく見るテロリストの名前だ。

 最近ゼロのせいでテロ活動は俄かに勢い付き、エリア11全土で安全と断言できる場所は無くなってしまった。

 娘のシャーリーはエリア11の中でもテロ活動が最も激しいトウキョウの学校に通っており、家もトウキョウにある。幸いにもこれまでテロの騒ぎに巻き込まれたことは無いが、これから先もそうだとは断言できない。

 もしこれからテロのせいで娘と妻が怪我でもしてしまったら、2人をエリア11に連れて来てしまったことを心底後悔するだろう。

「……2人とも本国へ帰した方がいいんだろうなあ」

 ジョゼフはぽつりと呟いた。

 単身赴任は精神的にも肉体的にも辛い。しかし娘と妻の安全を考えると、二人をここエリア11に住まわせ続けるのは躊躇われた。

 

 ひび割れた道路を歩く。戦後から碌に直されていない道に足を取られる。

 その道の真ん中に一人の少年が立っていた。たった一人でナリタ連山を見上げる少年は酷く目立った。菫色の瞳を瞬いている。皇族に多いロイヤルパープルの瞳は、ブリタニアであっても珍しい。寂れた街に佇む美少年の退廃的な美貌に、瞬間、ジョゼフは足を止めて見とれてしまった。

 外見は娘と同じ年頃か、もう少し上のようだ。しかし落ち着いた風貌はもう少し年上にも見える。

 少年は視線を感じたのか、ジョゼフの方を振り返った。

 あまりに見つめ過ぎたとジョゼフは慌てて目を逸らした。失礼どころじゃない。不審者だ。娘と同じ位の子供を見つめるなんて。自分は何をしているんだ。

 まさか通報されないかと心配になり恐る恐る視線を少年の方へと向ける。

 少年は驚愕に眼を見開いていた。くりくりとした大きな瞳で、ジョゼフを真っすぐに見ている。

 少年はすぐに狼狽しながら顔を伏せたが、しかし暫くすると躊躇いながらも顔を上げてジョゼフの方へと歩き出した。

 

 ジョゼフは少年の顔に見覚えは無かったが、もしかするとシャーリーの同級生なのかもしれないと思った。授業参観か何かで顔でも合わせたことがあるのだろうか。

「あの、」

「はい?」

「………ジョゼフ・フェネットさんでしょうか」

「ええ。そうですが。あなたは?」

「ロロと言います。これからお仕事で?」

「はい。あなたは?お父さんについてきたんですか。それとも迷子?」

 そう言うと少年は意外そうに眼を見開き、くすくすと笑った。

「仕事の関係で来たんです。これでも社会人なんですよ」

 少年だと思ったが、青年だったらしい。学生ではなかったのか。確かに青年の凛とした佇まいは、世間から守られる学生の立場にあるとは思えない程に堂々としていた。

 しかし娘と同じ年頃と間違えてしまうとは。慌てて頭を下げる。

「これは失礼しました」

「よく間違われるので気になさらないでください。ああそれと、」

 青年は少し躊躇い、首を振った。口の中で何事か呟いている。

「……いいか、このぐらい。いいよな」

「?何か、」

 首を傾げるジョゼフに青年は小さく笑った。

「近いうちにこの地区でブリタニア軍と黒の騎士団の戦闘が開始されます。すぐに避難することをお勧めします」

「え?」

「成田連山に日本解放軍が潜伏していて、コーネリア率いるブリタニア軍が襲撃をかけるようです。先ほどからKMFが成田連山に向かっているでしょう?襲撃が始まるまであと3時間も無いでしょうね。それまでに退避なさって下さい。それでは、お元気で」

 青年は一方的に話を切ると、身を翻して歩き去ろうとした。ジョゼフは急いで青年の肩を掴んだ。

 唐突な話についていけない。しかし狂言だと流すには話が重大過ぎた。

「ま、待って下さい!あなた、なんなんです、どうしてそんなことを知って、」

「信じられないのなら結構」

 唇に指を当てて、青年は眉根を小さく顰めた。困っているような、後悔しているような、やりきれない感情がない交ぜになっているような顔をしていた。

「ご家族を大切に思うのならば、戻って下さい。ではさようなら。お元気で、ジョゼフさん」

 青年が手を振ると同時に、華奢な肩を掴んでいる手からこれまで体験したことのない悍ましい記憶が這い上ってくるような悪寒がした。

 

 世界が真白に染まる。何だと周囲を見回すと、全身真っ黒く染められた沢山の死者が地面から這い上がってきてこちらに手を伸ばしていた。後ずさるが、後ろにも同じような死者が漂っていた。

 見覚えのない顔の、影のような黒い集団に四方を取り囲まれている。彼らは口々にジョゼフを罵倒しているようだった。世界の全てから拒絶されるような絶対的な孤独感と、足の先から凍結していくような絶望がひたひたと近寄ってくる。

「うわああああ!!」

 ジョゼフは悲鳴を上げてその場に崩れ落ちた。呼吸をずっとしていなかったように心臓が暴れている。咽る程に荒く呼吸を繰り返し、両腕で自身を抱き締める。頭をぶんぶんと振り、悪夢のような周囲の光景を振り払おうと体を震わせた。

 芋虫のように体を丸めて地べたに寝転がる。数分もしない内に凍えるような寒さは薄まり、ジョゼフは恐る恐る目を開けた。

 目の前には、見慣れたナリタの景色が広がっていた。空は青く、地面は割れたコンクリートで覆われている。周りに人は見かけられない。

 体に残る寒気を追い出そうと腕をさする。あれは何だったんだ。

 立ち上がる気にもなれずそのまま身を護る様に地面に座っていると、青年から流れ込んできた感覚はすぐに治まった。

 ゆるゆると顔を擡げるも、もうそこに美しい青年はいなかった。

 

 

■ ■ ■

 

 

 成田連山の頂にあるログハウスで、ルルーシュはKMFと爆薬が配置されるのを待っていた。

 端末を前に最後のシミュレーションを行う。事前に大凡想定できる事態への対処は既に行っており、シミュレーション上でも何の問題も無い。

 イレギュラーとなる可能性があるのは枢木スザクの乗るランスロットだが、ラクシャータが黒の騎士団へ入団してくれたおかげで一つの打開策ができた。

 ここでコーネリアを仕留めれば、ブリタニアはエリア11において大きく後退することとなる。

 

 コンコン、と木の扉が鳴った。

「誰だ」

「私だ、C.C.だ」

 ルルーシュは溜息を吐いた。まず最初のイレギュラーは身内から起こったようだ。

 緩慢に立ち上がって扉を開ける。何故か拘束着姿のC.C.が雪の中に突っ立っていた。

「何をしているんだ、こんなところで」

「守ってやるって言っただろ?」

 全く寒そうな様子を見せず、C.C.は肩を竦めた。

 あまりに勝手な行動に溜息が零れる。

「KMFにも乗れないお前が一人増えたところで何も変わりはしない」

「そうかな?守ってやると言われたんだから女なら嬉しく思え」

「お前も女だろうっ」

「だからどうした。こんな美女に守られるのだから、むしろ光栄に思え」

 C.C.は微笑んで腕を組んでいる。モデルのような仕草が嫌に様になる。

「保護者面をするな。さっさと帰れ」

「ここから下山するとなるとコーネリアの軍と鉢合わせになる。もう帰れんよ」

「徒歩で安全に下山できるルートならまだある。そこから、」

「雪が降っているぞルルーシュ。外に出よう」

 本当に人の話を聞かない女だ。

 ぐいぐいと手を引っ張るC.C.に連れられて外に出る。前以て人払いをしていたために周囲に人気は無いが、念のためにと仮面を被った。仮面越しに見る雪はどこか現実味が無い。

 C.C.は岩場に座って雪を掌に掬っている。全体的に色素の薄いC.C.は雪景色が良く似合ったが、それ以上に寒々しい。真っ白な拘束着を着ている姿だと尚更だ。 

 あまりに寒そうで、さっさと帰れと口にしようとしたが、同時に無線端末が甲高い音を鳴らした。

 通信をオンに切り替える。

「こちらゼロ。準備は整ったか?」

『はい、全て予定通りに配置致しました』

「よし。ではそちらに向かう。出撃準備をしておけ」

『承知いたしました!』

 無線を切る。勢いの良い少女の声にC.C.がかんらかんらと声を上げて笑った。

「随分躾の良い犬になったものだな、あのカレンという女は」

「母親を助けられたという事実と、正義の味方というゼロのスタンスが混ぜ合わさって錯覚を起こしているだけだ。戦争が終わるまでは夢を見させてやるさ」

 KMFのデヴァイサーとして天賦の才を持つカレンには、正義の味方の騎士として擦り切れるまで戦って貰わなければならない。

 それはつまり、人殺しの意味さえよく分かっていない17歳の少女に大量殺戮を強要するということだが、そんなことに良心の呵責を感じる余裕など今のルルーシュには存在しなかった。

「悪い男だ、お前は」

「男か?」

「女を騙すのはいつだって男さ」

「成程」

 C.C.は雪を見上げた。

 高地であるために山頂付近は気温が低く、季節に沿わない雪が絶え間なく降り注ぐ。指を伸ばすと柔らかな雪の結晶がとまり、すぐに溶けて消え去った。溶けた雪をじ、と見つめる。

「ルルーシュ、雪が何故白いのか知っているか?」

「お前と哲学の談義をしている暇は無いぞ。もうすぐ出撃する」

「自分の色を忘れてしまったからさ」

 ふ、とC.C.は微笑んだ。

 溶けた雪を舐める。少し舌先が冷たいが、それだけだ。後には何も残らなかった。

「———性別も出自も無くして、それでもルルーシュという名前だけはそのままにしたかったのか。過去を捨てきれない、それがお前の甘さだ」

「……そして甘さは弱さに繋がると?違うぞ、C.C.。間違っている」

 傲岸不遜な高笑いが響く。

 何の表情も読み取れない仮面越しに、C.C.はルルーシュの幼気な覚悟を見やった。

「俺の名前は甘さではない。俺の覚悟だ。全てを背負ってなお、強くあると言う俺の意志だ」

 

 C.C.は黒の騎士団にも、日本にも、ブリタニアにも興味は無い。さらに言うとシャルルとマリアンヌの計画にさえ興味は無い。

 しかしC.C.はこの必死に足掻いている子供に興味をそそられ始めていた。

 弱いのも、悔しいのも、怖いのも、復讐を願うのも、生きているからこそだ。

 既に生きることを止めた、死ぬことさえできない魔女にとってルルーシュはあまりに眩しかった。

 

「———そうか、お前は自分の過去を背負うのか。性別も出自も、母のことも、捨てたわけでは無いのか」

 雪の降り積もる景色を見やり、C.C.は自分の過去を思い返そうとした。しかしあまり思い出せない。過去の殆どを捨ててしまったからかもしれない。

 朧げに思い出す自分の人生は、苦しい事の方が幸せなことより多かったような気がする。だから忘れた方が身軽で歩きやすい。その代わり、寒い。雪に埋もれる様に。

 過去を捨てることと、背負うことはどちらが辛いのだろう。

 雪に背を向けるルルーシュの傍を通り過ぎ、C.C.は手を振って姿を消した。

 

 

 

 

 C.C.は山を下りたのか、それともどこかに潜伏しているのか。

 いずれにせよ無線を持っていないC.C.に指図はできないし、共犯者という同等な立場である以上命令を下すことはできない。

 ルルーシュは黒の騎士団が待つナリタ攻防戦の開始を飾る地点へと向かった。

 今回が初の実戦となる紅蓮弐式は、ゼロが搭乗する無頼の隣に佇んでいる。名前の通り派手な赤のカラーリングは真っ先に眼を惹く。

「ゼロ、準備は整っています」

「分かった。爆薬は?」

「既に準備済みです。いつでも点火可能です!」

 紅蓮の足元近くからは誘爆を目的とした導線がいくつも伸びている。

 

 成田連山の地盤がルルーシュの想定通りの脆さであれば、まず間違いなく土砂災害を引き起こす。

 コーネリアは優秀だ。予備兵として3割は後方に残しているだろう。

だが自然災害とさえ言える土石流の前では前方も後方も無い。予定通りに行けばブリタニア軍は予備兵まで一気に壊滅する。

 しかし逆に言えば、こちらも一度生じた土石流をコントロールする力は無いのだ。土石流が予定外の方向に流れ、ブリタニア軍を避けてしまうとそこで勝ちの目は消失する。そしてトライできるのは1度きり。この1回で予備兵までを壊滅させなければならない。

 なにしろ予備兵の3割だけでもこちらの全勢力を遙かに上回る数なのだから、失敗は許されない。

 

 足元を見下ろす。木々の合間からKMFが山を登っている光景が眼下に繰り広げられていた。

 既にコーネリア軍は視認できる位置まで近づいている。

 コーネリア軍は予定通りのルートを辿って来ていた。土石流を起こすために必要なエネルギー、土砂の量、斜面の角度、障害となる樹木の位置、気候、全て想定範囲内。

条件はクリアしている。

 これならやれる。拳を握り締める。

 

 さて、と黒の騎士団を見ると、これも想定範囲内の光景が広がっていた。想定していたとはいえ、中々に情けなくなる。思わずため息が零れた。

 間近で見るブリタニア軍、それも精鋭揃いのコーネリアが率いる部隊を前に黒の騎士団の団員達は萎縮しきっていた。敵を目の前にして手が震え、聞いていない、と口々に呟いている。

 自分達が何を敵に回しているのかとっくに気づいていても良いものだろうに、未だにテロリスト気分が抜けない団員があまりにも多い。

 その筆頭だろう、玉城が大声で叫び始めた。

「じょ、冗談、冗談じゃねえぞゼロ!あんなんが来たんじゃ完全に包囲されちまう、帰りの道だって…」

「もう封鎖されているな。生き残るにはここで戦争するしかない」 

「戦争……ブリタニアと、」

「真正面から戦えってのか?囲まれてるのに」

「しかも相手はコーネリアの軍だ。今までと違って大勢力だぞ」

 聞いていない、聞いていない、と呟く団員の中からも声が上がり始める。

 扇グループからのし上がってきたメンバーの声が特に大きい。他の団員よりもゼロと接してきた時間が長かったからだろう、口調には遠慮が無く、文句を言う抵抗が少ない。

 南と杉山は調子のよい玉城に追従するように文句を言い、口々にゼロを責める。

 

 やはりテロリスト上がりは困る。戦争をするという覚悟ができていない。

 これは戦争だ。一方的に攻撃しておいて、嫌になったら逃げても良いテロリストとは別物なのだ。

 戦争は政治の手段であり、弱者が強者に噛みつく唯一威力のある攻撃なのだ。

 

「ああ。これで我々が勝ったら奇跡だな」

「ゼロ、今更!」

 扇が慌てておろおろと周囲を見やった。人が良い、という扇へのカレンの評に間違いは無い。中間管理職という緩衝剤として扇は優秀だ。

 しかしそれまででしかない。扇は戦争の本質を理解していない。

 手を上げて扇を制する。

「救世主でさえ奇跡を起こさなければ認めてもらえなかった。だとすれば我々にも奇跡が必要だろう」

「あのなあ、奇跡は安売りなんかしてねえんだよ!やっぱりお前にリーダーは無理だ、俺こそが!」

 言い終わる前に拳銃を引き抜いて銃口を玉城に向ける。

 周囲に動揺が広がり、止めろ、よせ、と声が上がった。しかし指揮官であるゼロに無体を強いることのできる団員はおらず、遠巻きに宥めるだけに留まる。

 ひ、と玉城は声を引き攣らせて尻もちをついた。

「な、なんだよ!べ、別に冗談じゃねえか、俺は別に、お前を認めてない訳じゃ、」

 玉城の言を無視して、くるりと拳銃を手の中で回転させる。

 呆然としている玉城に拳銃を差し出し、ルルーシュは黒の騎士団団員全員に聞こえるように声を張り上げた。

「ならば、私を撃つと良い。私よりも黒の騎士団を率いるに相応しい男がいるというのなら、この場を切り抜けるのに私以上に上手くやれるという男がいるのなら、その男には私を撃つ権利がある!」

 マントを広げる。指先でコーネリア軍を指し示す。

 着々と迫り来るコーネリア軍は既に間近に迫っており、密集した軍隊には逃げ出す隙間は微塵も無い。

 迫り来る壁のような敵はその視線を真っすぐに日本解放戦線へ、そして黒の騎士団へと向けている。

「既に退路は断たれた。この私抜きで勝てると思うのなら、誰でもいい、私を撃て!」

 轟くようなゼロの声に続く声は無かった。誰も身じろぎさえしない。音を立てることさえできなかった。

 自分がゼロの代わりとなってしまうかと考えると恐怖で身が竦む。

 そんなことができる筈が無い。

 黒の騎士団を結成したのはゼロで、ゼロの活躍があったからこそ黒の騎士団はここまで巨大化した。

 そのゼロに代わることのできる男など、いる筈が無い。

 

 そのことを理解した上で、ルルーシュは高らかに宣言した。

「黒の騎士団に参加したからには選択肢は2つしかない。私と生きるか、私と死ぬかだ!」

 

 

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 スザクは後方でコーネリア軍が成田連山を登る光景を眺めていた。

 シュナイゼルの直属部隊ということを前面に押し出してナリタ攻防戦に参加を認められたは良いものの、武勲を立てられないようにとあからさまに後方に配備されてしまった。

 そのせいでやることが無い。

 ランスロットのカメラ越しに着々と日本解放戦線を攻略しにかかるコーネリア軍は順調そのもので、後方部隊はこのままだと役目は無いかもしれない。ロイドはさぞやきもきしていることだろう。

「データは取れないですね、これじゃあ」

『まーったくだよ。折角シンジュク事変の後からちょちょいと改造したのにさー。データが取れないんじゃあこれからどう改造したらいいのか………ねえスザク君、もうちょっと前に出れないかなあ』

「無茶言わないでください。ここでコーネリア皇女殿下のご命令を無視でもしたら二度と戦線に出して貰えなくなりますよ」

『んー……市街テロが活発なエリア11の戦闘に参加できないのはデータ的に困るかなあ』

 スザクはランスロットの計器を調節しながら、通信越しに響くコーネリアの高笑いをうんざりしながら聞いていた。

 

 特派の今回の目的はあくまでランスロットのデータ取りである。シュナイゼルが戦闘の指揮を執るわけではない以上、シュナイゼル直下の組織である特派としてはこの攻防戦に勝っても負けても得は無い。

 むしろ日本解放戦線という小さなテロリスト集団が潰れるよりも、高い皇位継承権を持つコーネリアがいなくなってくれた方がシュナイゼルにとっては利益になるかもしれない。

 

 そして特派に所属するブリタニア軍人のスザクとしてではなく、日本に平和を取り戻したいと願っているスザクにとっても、この戦闘は割とどうでもいいものだった。

 

 エリア11の総督であるコーネリアはイレブン、もといナンバーズを家畜程度にしか見なしておらず、ブリタニアでも類を見ない圧政を敷いている。コーネリアがここで潰れれば、次の総督が誰であろうとも今よりも温和的な政策が施行される可能性は高い。

 日本解放戦線が潰れれば、時代に取り残されたテロ組織が一つ潰れる。それだけだ。ゼロのように革新的な考えを持つわけでもない、細々とした嫌がらせのようなテロ活動しかしていなかった組織が潰れてもイレブンの生活には何も変わりはない。

「大変ですロイドさん」

『どうしたの~スザク君』

「やる気が出ません」

 こんなところで何もせず座っているくらいなら、学校に行きたい。

 まだナナリーに会ってないし、勉強しないと授業について行けないし、生徒会の仕事だってある。

 長いため息をついて、スザクは液晶画面上で暴れまわるコーネリアの機体に舌打ちした。

 

 最前線でKMFを駆るコーネリアは、確かにクロヴィスと比較すると優秀だ。画面越しでもそこらの騎士より良い動きをしているのが分かり、軍人としての有能さが嫌でも分かる。

 しかし彼女の人種差別を口にして憚らない傲慢な性格は、妹の慈愛に溢れるユーフェミアを知ると些か滑稽に思える。シュナイゼルの肝煎り、特派の代名詞とさえ言えるランスロットを、デヴァイサーが名誉ブリタニア人であるという理由のみで冷遇するあからさまな態度は滑稽を通り越して幼稚ですらある。

 ここまで馬鹿にされて、どうしてコーネリアの役に立ってやろうと思うものか。スザクのやる気はゼロを通り越してマイナス近くまで達していた。

 

 そしてスザク以上に戦闘の行く末などどうでも良く、ランスロットにのみ絶大な好奇心を発揮しているロイドは通信機越しにだらけた声を出した。 

『僕もランスロットが動かない戦場は興味ないよー。コーネリア皇女殿下はグロースターばっかり運用してるから、面白そうな機体は無いし。ほんと暇。今回ランスロットの速度を2.8%アップしてさらにエネルギー消費を抑えたから、ここでデータが取れないとこれから先どこまで削っていいのか……』

「ちょっと待って下さいロイドさん、どうして速度がアップしたのにエネルギー消費が抑えられたんですか。まさか装甲の厚さを削ったとかは無いですよね……無いですよね?」

 どうかもっと良いエナジーフィラーを開発したとかそういうことであってくれ。手を組んで祈る。

 しかしスザクの希望はあっけなく砕かれた。

『だーいじょーぶ!理論上あと6%は削っても問題ない筈だから~』

「僕という貴重なパーツをもっと大事にしてくれません!?」

『スザク君ならほとんど攻撃避けられるし、装甲がちょっと薄くなってもだいじょぶでしょ』

「もうちょっと機体の量産型に興味を向けましょうよ!僕以外でも乗れる安心・安全なKMFを目指しましょう!」

『そういうのは他の人のお仕事だからねえ。それに、』

「それに?」

『量産型は作ってて楽しくないからさあ』

「僕は今が楽しくないです!」

 ただのイレブンであった自分がここまで出世する切っ掛けとなったランスロットという機体に感謝はしている。しかし自分の棺桶にしたいと思う程に愛着があるわけではない。むしろ一刻も早く脱出装置を付けて欲しい。

『そういえばスザク君、学校はどう?』

 スザクもそうだが、ロイドもよほど暇なのだろう。でなければ他人のプライベートに全く興味を示さないロイドが、スザクの学校生活について話を振るなどありえない。

 珍しいこともあるものだと思いながら、スザクはルルーシュのことは口にしないよう注意して当たり障りのないことだけを選んで話した。

「楽しいですよ。凄く活発で、活気があって。生徒会長のミレイさんっていう方がすごいエネルギッシュで明るい方なんですけど、彼女が取り仕切る学園祭は毎年すごく派手らしいんです」

『へー。ミレイ・アッシュフォードに会ったんだ』

「ええ。生徒会に誘っていただきました。凄い美人な方で……なんというか、インパクトのある方でした」

『ふーん』

 なぜロイドがミレイについて聞いたのだろうか。

 貴族繋がりで知り合いなのかもしれない。そう聞こうとしたが、突如として地面が轟くような音を発した。

「え?」

 地面が揺れる。轟音が近寄ってくる。

 ランスロットのカメラを望遠にして成田連山を見上げた。

 酷い土煙のせいで何が起こっているのかすぐには分からなかった。

 いや、分かったとしても理解はできなかった。

 

 目を細めて、僅かな煙の隙間をズームして画面に映す。スザクの理解力を超えた光景が広がっていた。

 成田連山の頂と繋がる高い壁のような山腹は、木々が少なく雪が残っていて真白い肌のようだ。横に広い成田連山は視界を横断し、切り立つ崖のような横っ腹を晒していた。

 その崖に真横に引かれた線が、土煙を噴き出しながら凄まじい勢いで降りてきている。

 あれは何だ。眼をこらす。

 あれは、波だ。土石流だ。

 土と草、そして僅かに生えていた木々が波のようにうねりながら何もかもを飲み込んでいた。

 

 背筋が凍る。頭が真っ白になる。どうしようと幼子のように途方に暮れた。

 敵がどんなに凶悪なテロリストであれ、スザクは怯えることはない。ランスロットと自分の戦闘能力があれば、相手が誰であっても無様に負けはしないという自負がある。

 しかし今、スザクの目の前に広がる敵は人の手にはおえないものだった。

 いくらランスロットが優れていても、スザクの身体能力が人の限界まで極まっていたとしても、自然災害には勝てない。

 人間がいくら進化しようとも、自然に勝つことは土台無理だ。

 

 そうこうしている内に、土石流は肉眼でも視認できる距離まで迫っていた。ブリタニアのKMFが成すすべもなく土に飲み込まれていく。距離にしてあと200m。

 土埃で汚れたカメラをオートモードで洗浄し、スザクは本能的にランスロットの操縦桿を握り締め、エンジンを起動させた。

 現場待機の命令違反であることは分かっている。しかしこのままこの場にいればランスロットもろとも土葬される。

 少しでも高い位置へ移動しようと液晶に地図を開いた。偶然にも割と近い位置に丘があった。あと50m。外部マイクが拾った轟音が機体の中まで鳴り響く。ドドドドド、と何万頭もの馬が一斉にこちらめがけて駆けてくるような音にスザクは顔を蒼白にした。

 操縦桿を全力で引く。足元の地面がひび割れる程の勢いでランスロットが丘へと向かって飛び出した。

 しかし桁違いの速度を誇るランスロットでさえ、重力を味方につけて加速する土石流の前では鈍重な鉄の塊に過ぎない。飛び上がった瞬間、真下の大地を褐色の波がさらう。

 波に漂う岩を蹴ることでランスロットを宙に飛ばし、スザクは一心に丘を目指す。

 

 最後に一度、波に流される岩を足場に大きく跳躍して、ランスロットは小高い丘に指先をかけた。そのまま腕の力のみで丘へと乗り上げる。

 ようやく丘に乗り上がり、ランスロットは地面に転がった。

 ぎりぎりだった。スザクは操縦桿から手を離し、冷汗を拭いながら丘の下を見下ろした。

 燦燦たる有様が広がっていた。

 ランスロットでさえ危うかったのだから、大量生産のKMFが逃げられるわけが無い。土砂に飲み込まれたKMFの手足が地面からいくつか生えている。画面を見下ろすとブリタニア軍を示す青い光がほとんど無くなってしまっていた。

 たった一瞬で、コーネリア直属のKMFの約8割がこの土砂に下に埋まってしまったのか。

「何だ、何が起こったんだ」

 偶然に土石流が起こったと想定するにはタイミングが悪すぎる。

 とはいってもこんな策を日本解放軍が実行できるとは思えない。日本解放軍にこんな大胆な策を実行できる能力があれば、長年に渡ってちゃちなテロを繰り返している訳が無い。

 ではどうしてだ。

 

 画面に赤い点がぽつんと現れた。

 あ、と思ううちにそれは画面いっぱいに数を増やした。残ったブリタニア軍より多い点が画面の上で踊っている。

 慌ててランスロットのカメラを動かす。土埃が少しだけ治まった視界の中で、真っ赤な機体がコーネリアの乗る機体に襲い掛かっているのが見えた。

 赤いカラーリングのKMF。シンジュクでも、同じように真っ赤なKMFを見た。

 スザクは手を叩いた。

「そうか、ゼロか、黒の騎士団か!」

 よく考えなくても分かることだった。こんな、あまりにもとんでもない戦略を実行する男がゼロ以外にいる筈が無い。

 あまりにも規模の大きすぎる土石流は、人里まで土砂災害の影響を及ぼしているだろう。それにKMFごと人を生き埋めにするなんて酷過ぎる。

 スザクはゼロには賛同できないという意思を強めた。あんな風に、命を軽々しく扱う男の味方はできない。

 

 しかし、しかしだ。

 多くのイレブンがゼロの活躍に快哉を上げたくなる気持ちは、理解できてしまった。

 

「確かに、ゼロならブリタニアに勝てるかもしれないな」

 乾いた笑みが浮かぶ。段々と笑みが深まり、大声で笑いたくなった。

 ゼロはまごう事なき英雄だ。

 そして自分は、英雄にはなれない。

 スザクは息を吐いてナイトメアの操縦桿を握り締めた。意識を研ぎ澄ませる。

 

 下の液晶画面に、ユーフェミアの姿が現れた。公務中にしては派手なドレスを着て、心配げに目を伏せている。

 戦場の最前線にいた姉が心配なのだろう。殆どのKMFが壊滅し、コーネリアの身辺護衛も数を減らしている筈だ。

 スザクは興奮のままに声を張り上げた。

「ユーフェミア副総督、お願いです。特派に命令を与えてください!」

『白々しい……総督救出の功績が欲しいのであろう』

 まさか。下世話な中傷に鼻で笑いたくなるのをスザクはこらえた。

 コーネリアはどうでも良い。ユーフェミアには悪いが、もし死んでいたとしてもスザクにとっては大した問題ではない。

 ランスロットのデータのため、そして黒の騎士団にこれ以上イレブンの印象を悪くさせないために、スザクは戦場に出なければならないのだ。

 英雄的ではない、ブリタニアに平身低頭を繰り返す情けない道だとしても、スザクはこれがイレブンの生き残る最善の道だと信じていた。

「ユフィ……」

『分かりました。頼みます』

 凛とした顔のユーフェミアに、スザクは笑みを浮かべた。

「はい、必ずや」

 

 スザクは返事をするなりランスロットを飛ばした。丘を飛び越え、真っすぐに紅蓮弐式へと向かう。

 その姿は鳥のようだった。

 

 

 

 

 



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10. 気付けよ、すぐに

「弾けろ、ブリタニアぁあああ!!」

「くそっ」

 紅蓮弐式に掴まれたグロースターの右腕が沸騰するようにぼこぼこと粟立つ。

 コーネリアは咄嗟に右腕を切り離して背後へ大きく飛び退いた。

 体勢を整える暇も与えず紅蓮弐式が追撃する。近くのブリタニア兵がコーネリアの援護に回るも、量産型のKMFなど紅蓮弐式にとっては玩具でしかない。紅蓮の腕の一振りで3機のサザーランドが砕け、破片を周囲にぶちまけた。

 カレンは紅蓮のアイカメラと繋がっている映像を睨みつけた。

 自己主張の激しい紫色のカラーリングが施された、右腕の無いグロースターがこちらを睨み返している。邪魔そうなブリタニアの紋章が縫い付けられたマントがはためく。舐められているのかと怒気が湧き起こる。

 紅蓮とグロースターの間に障害物は無い。

『やれ、カレン。そいつを排除しろ』

「はい、ゼロ!」

 視界が狭まり、紫色のグロースターに集中する。血管が沸き立つほどに操縦桿を握り締める。

 地面が砕ける程の速度で紅蓮は走り出した。紅蓮を迎え撃つつもりらしく、コーネリアは槍を構えてその場から動かない。

 グロースターが突き出した槍を、しかし紅蓮は左手の一閃でへし折った。槍先が上空に飛び上がり、あ、とグロースターは上を向いた。紅蓮はその瞬間にグロースターの頭部ユニットを左手で鷲掴みにする。

 エンジン出力全開。そのまま頭部ユニットを地面に叩きつけた。衝撃で地面がひび割れ、グロースターから煙が上がる。

 捕まえられた蠅のように、グロースターは手足をばたつかせた。

「ふん。無様よね、こうなれば」

 カレンは紅蓮の右腕を大きく振りかぶった。エネルギーが充填されるまでの間、輻射波動装置は深紅に輝く。

 あと数十秒で輻射波動のエネルギーが溜まる。そしてこの右腕を振り下ろせば、コーネリアは死ぬ。

 

 

 だがルルーシュはそう甘い見通しはしていなかった。

 ルルーシュはコーネリアとカレンの攻防が繰り広げられている現場から200m離れた場所で、ゼロ専用にカスタマイズされた無頼に搭乗していた。コックピットには複数の画面が備え付けられ、戦場の情報が絶え間なく流れ続けている。

 土砂崩れによるブリタニア軍の被害は80%に上っていた。予想範囲内ではあれど、なかなかに良い数値だ。

 だが一つ読みが足りなかった。画面上で動く赤い点に顔を顰める。

 ランスロットだ。

 高確率で後方部隊に配属されるであろうランスロットを土砂に飲み込むため、ルルーシュは土砂の方向や角度、予測される土砂の量、さらには気温までを計算して爆薬を設置していた。結果的にルルーシュの計算通りに土砂崩れは生じ、ランスロット以外の後方部隊は全て土砂の下に生き埋めにされた。

 ルルーシュが計算出来なかったのはランスロットのスペックと、スザクのぶっとんだ身体能力だ。

「とはいえ市街地にも被害が波及したのは想定外か……ニーナに物理化学を学ぶべきだな、これは」

 ルルーシュは液晶画面を酷薄な表情で見下ろした。ブリタニア軍を示す赤い点が数十個、そしてそれより少し多い黒の騎士団を示す青い点が、画面の上で虫のように犇めいている。

 画面の中心にはコーネリアの赤い点と、カレンの青い点。そして2つの点に線を描くように高速接近している赤い点が一つ。赤い点の横に、個別標識の名前が示されている。 Lancelot.

 信じられない程に速い。だがこの程度なら想定範囲内だ。

 ルルーシュは指先でパネルを叩いた。軽やかな指の動きと同時に、次々と文字が現れては消える画面を眺めながら脳内で精緻な地図を展開する。

 このナリタにある全てのKMFがルルーシュの脳内で駒として動く。予め無頼に搭載しておいたドルイドシステムは常時フル稼働しており、戦場の情報を徹底的に集めていた。それにより、それぞれのKMFの小さな損傷さえ細かに想像することが可能となる。

 

 ナリタ戦線におけるルルーシュの作戦は単純だった。

 戦力を同等以上にまで持ち込む。

 個々の戦力を底上げする。

 相手の思いつかない戦術を、相手が想定もしていないタイミングで、相手が対応できないスピードで行う。

 

 古今東西どの歴史にも存在する基礎中の基礎の戦略だ。そして基礎とは、最も大事な事柄である。しかし実践に慣れている者程に基礎の重要性を忘れてしまっていることが往々にして存在する。最大戦力であるランスロットを遠ざけ、指揮官の癖に最前線に出ることへ拘るコーネリアが典型だ。

 

 土石流で数は同等まで減らした。戦術は既に仕込んである。

 後は戦力の底上げ。

 まず土石流という派手な攻撃を行うことで、全ての黒の騎士団員の戦意を鼓舞する。さらにドルイドにより戦場の情報を一手に独占し、個々のKMFへ精緻極まる指示を飛ばす。

これによりルルーシュは全ての黒の騎士団員の能力を最大限以上に引き出すことに成功した。

 

 逆にブリタニア兵は土石流という予想外の状況に浮足立っている。さらに将であるコーネリアが最前線に出ているせいで実質的に指揮官が不在の状況に陥っており、本来の実力の半分さえ出せていない。

 その結果、戦場経験の浅い黒の騎士団員は精鋭揃いのブリタニア騎士と渡り合っている。

 両軍の圧倒的な数と経験の差を指揮官の能力のみで埋めるというありえない力技は、しかしこのナリタで実現した。

 

「2-A, 4-B、前方のブリタニア兵を銃撃しろ、5-Dはそのまま待機」

『はい、ゼロ!』

「1-Eはポイント8に向かえ。崖の上から紅蓮を助攻しろ。3-D、ランスロットが来るぞ、設置を急げ!」

『ゼロ、設置のためにあと7分はかかります』

「十分だ。問題はギルフォード隊だが……」

 画面にはランスロットにも劣らない速度でコーネリアへの元へ動く赤い点がある。ギルフォード隊だ。

 コーネリアの選任騎士であるギルフォードは、コーネリアの危機に必死になってKMFを飛ばしている。土石流に襲われるという事態に混乱している様子は無く、その勢いは凄まじい。

 その在り方は正しく皇族の選任騎士。実力と忠義を併せ持ちながら、尚且つ冷静に戦場を見極めている。選任騎士とは敵に回すと厄介な相手だ。

 経験の浅い黒の騎士団員には少々荷が重い。ギルフォード隊を抑えるとなるとそれなりに戦力が要るだろう。

 しかし動かせる兵は少ない。

 

 一瞬考える。しかしルルーシュが答えを出す前に、画面の上に所属不明のKMFが5機出現した。

 所属不明のKMFはギルフォード隊の真正面に立ち塞がりその足を止めている。

 無線の向こうから安堵混じりの扇の声が響いた。

『ゼロ、ギルフォード隊を日本解放戦線が抑え込んでいるようだ』

「そうか、こちらの意図を読んだか。中々優秀な奴がいるようだな」

 時勢も読めない馬鹿ばかりだと思っていた日本解放戦線だが、それなりに使える人材は残っていたらしい。

 ドルイドに情報を探らせる。画面に日本解放戦線所属KMFの個体情報が映し出された。

 

Knight Mare Frame ; Type BURAI-KAI

code ; 0206134-JAPAN Liberation Front

Pilot ; LTC. TODO Kyoshiro

 

 トードー、藤堂中佐、藤堂鏡志郎。

 覚えている。スザクの合気道の師匠、その人だ。

 反抗期真っただ中のスザクが唯一大人しく言うことを聞いていた、厳めしい顔つきをした男だった。生真面目で、ワインを盗んだスザクを片手で猫のように持ち上げていたところをまだ覚えている。

 融通の利かない、軍人らしい軍人だった。

「……そうか、まだ生きていたか、あの男」

 ルルーシュの唇から泣き笑いが落ちる。壊れかけた土倉。スザクとナナリーと、ジェレミア。

 表面上だけは穏やかだった、糞ったれな日々。

 5年前のことだがもう懐かしい。だがルルーシュはあの日々を、思い出すたびに脳の血管が引き千切れそうになる程鮮明に覚えていた。

 

 とはいえ思い出に浸る暇などある訳も無い。

 画面を見下ろす。ギルフォード隊は藤堂と四聖剣に取り囲まれて身動きが取れないでいた。この調子なら、時間稼ぎは十分してくれるだろう。

「よし、あとは」

 指先で赤く点滅する点を指さす。

 ランスロット。

 

 ルルーシュは無頼の操縦桿を握り締めた。

 

 

■ ■ ■

 

「これで、とどめだ!」

 振り上げた右腕は、充填済みの輻射波動機構により煌々と光っている。あとはこの腕を振り下ろせば良い。

 この至近距離であれば、間違いなくコーネリアは死ぬ。

 コーネリアが死ねば圧政は終結し、病気や飢餓で死ぬ日本人は劇的に減少するだろう。そうすればリフレインに逃げる人も減る。

 そして、日本が返ってくる。自分の祖国。自分の名前。シュタットフェルトではない、紅月の名前が返ってくる。

 視界が真っ赤に燃える。目の前のグロースターは逃げようと身を捩っているが、紅蓮のスピードには敵わない。間違いなく、届く。咆哮を上げながらカレンは腕を振り下ろした。

 

 しかしグロースターに接触する直前、機体全体が衝撃に揺れた。踏み堪える。メインカメラに宙に飛んだ紅蓮の右腕が映った。右腕はくるくると飛んで、ぐしゃりと地面に激突する。輻射波動の赤い光は紅蓮二式本体と引きちぎられてすぐに弱まり、消失した。

 カレンは呆然と地面に落ちた紅蓮の右腕を見下ろした。同時に耳を劈くようなアラーム音が紅蓮の内部で一斉に鳴り響く。

「くそっ」

 紅蓮の悲鳴のような騒音に、頬の内肉を血が出る程噛みしめる。ぼうっとするな、カレン。まだ作戦は終わっていないんだ。

 カメラを上空に向けた。青空から白い機体が落ちて来る。凄まじい速度だ。

 カレンはその場から飛び退いた。

 紅蓮が飛びずさった地面に、滑らかな動作でランスロットが地面に着地する。そのままコーネリアを護る様に立ちはだかり、紅蓮を真正面から睨む。

 

 突然現れたランスロットに、コーネリアは一瞬戸惑うも、しかしすぐにその場から離脱した。両足に損傷の無いグロースターはマントをはためかせながら逃げ去って行く。

 この野郎。

 カレンの視界がさらに燃え上がった。

 あと少し、あと少しで日本人が解放されるところだったのに。

 あと少しで。

 

 カレンはランスロットに襲い掛かった。横に飛んで逃げられるも、左腕の爪が機体にかすった。スピードは互角だ。

 しかし輻射波動が無くなった紅蓮の攻撃力はランスロットに劣る。いや、劣っていたとしても、負ける気などカレンは無かった。

 負けるわけが無い。沢山の日本人が、黒の騎士団を味方している。

 ブリタニアからも、日本からも嫌われているスザクに大義は無い。

 大義の無いスザクに、自分達が負けるわけが無い。

「くそ、くそっ、あんたは殺す、ここで殺す!」

 紅蓮のエンジンを最大出力まで上げる。

 カレンはそのまま足を踏み出そうと前のめりに操縦桿を握り締めた。しかし通信越しにゼロの声がコックピットに響いてカレンは手を止めた。

『待てカレン、輻射波動が無い状態でランスロットの相手はリスクが高い』

「っ、承知しました、ゼロ」

 咄嗟に背後に飛び退いてランスロットから距離を取る。

 しかし両手をぶるぶると震わせてカレンはランスロットを睨んだ。白と金という白人を体現する気品ある色彩は、どぎつい色をしたコーネリアのグロースターより余程カレンの心を苛立たせた。

 

 どれだけブリタニアにこびへつらおうともスザクはアジア人で、日本人だ。白人と同じ恰好をして、帝国臣民らしい言動をしても、ブリタニア人にはなれない。

 スザクだけではない。全てのナンバーズがそうなんだ。

 そんなことにも気づかないでブリタニアに言われるがままに戦場で人殺しをするなんて、日本人として情けない。唾棄すべき愚かさだ。

 戦う覚悟の無い、媚び諂うばかりの馬鹿な男。

 

『カレン、君のおかげであれの設置が間に合った。コーネリアの方向へ走れ。枢木には構うな。時間の無駄だ』

「!はい、ゼロ!」

『方向はポイント4。あと2分以内だ』

「承知しました!」

 カレンは真っすぐにポイント4へと向かった。

 コーネリアが逃げて行った方向へと向かうカレンを、ランスロットが追ってくる。

 

■ ■ ■ 

 

 スピードは互角だった。逃げる紅蓮にランスロットは追いつけないが、紅蓮はランスロットを引き離すことができない。このままでは一足先に紅蓮がコーネリアの元へと辿り着き、あっという間に殺されてしまうだろう。

 しかしスザクとしては、紅蓮がコーネリアに追いついてしまっても何も問題は無かった。むしろコーネリア殺害のために紅蓮が足を止めることをスザクは期待していた。

 スザクの目的は、イレブンが操縦する特派所属のランスロットが、黒の騎士団のエースである紅蓮を破壊したという事実だけだ。

 

 ナリタ攻防戦で最も脅威な敵は、日本解放戦線ではなく黒の騎士団であることは誰の眼から見ても明らかだ。

 そして黒の騎士団のエースである紅蓮をここまで追い詰めたのだから、特派からの派遣騎士としての役目は十分以上に果たしたと言える。

 今ここでコーネリアが死んだとしても、その責任は日本解放戦線程度に足止めさせられた選任騎士ギルフォードにあるとされる可能性が高い。

 であればコーネリアが死んだところで特派には、つまりはシュナイゼルには不利益は何一つ無い。

 さらに日本解放戦線程度に足止めを食らったギルフォード隊より、黒の騎士団の紅蓮と互角に戦ったスザクの方が優秀であることも判明する。そうすれば、イレブンがブリタニア人に劣るという評価は覆る。

 

 コーネリアの機体が視認できる距離まで近づく。

 スザクは操縦桿を強く握りしめ、グロースターへと襲い掛かるだろう紅蓮の動きを見逃さないようにと歯を食いしばった。たとえ手負いであっても、コーネリアは手練れのKMF乗りだ。黒の騎士団のエースでもコーネリアの操縦するグロースターを破壊するとなれば必ず隙ができる。

 そして同じスペックのKMFであれば、一瞬の隙が勝負を決める。

 

 しかしスザクの予想と反し、紅蓮はコーネリアと接触する20m程度手前で突如として急停止した。

 予想していなかった紅蓮の動きに、フルスロットルで疾走していたランスロットは勢いを殺すことができず、つんのめるように紅蓮より前へと飛び出ることとなった。

 その瞬間、地面が白く発光する。

「え?」

「やった!」

 カレンはランスロットから距離を取ったまま、再度紅蓮を走らせた。ランスロットを中心に半円を描くようにして、コーネリアへ向かって突進する。

 既に槍も無いグロースターの捨て身の攻撃をいなし、紅蓮は軽々とグロースターの四肢を地べたに押さえつけた。

 スザクはランスロットを動かそうとするも、動かせなかった。

「な、何で!?」

 操縦桿を握り締め、何度も動かす。しかしランスロットは何の反応も無く、ただその場に立ち竦む。

 それどころか操縦席から外を確認するための外部カメラが予告なくシャットダウンした。他の計器類も点滅し、消えた。

 採光窓など一切存在しない、気密性の高いKMFの内部は真っ暗になる。

 外部と繋がる集音マイクも切れ、常に何らかの計器が動いている筈のKMF内部はありえない程の静寂に包まれた。

「エネルギー不足?残量はあった筈なのに」

 スザクは予備燃料に切り替える緊急用ボタンを押した。しかし作動しない。

 額に汗が滲む。外の様子が全く分からない。コーネリアはどうなったんだ。周囲に今はどのくらい敵がいる。

 緊急脱出用のスイッチを押すか。いやでも、それさえ動かなくなっていたら。

 その時、少し籠った、しかしよく響く声がスザクの鼓膜を揺らした。

『驚いたか、枢木スザク』

「ゼロ!」

 気密性が高いとはいえ、コックピット内は防音ではない。外部スピーカーで話しているのだろうゼロの声がコックピットの内部に反響する。

『今やランスロットは巨大な鉄屑だ。ゲフィオンディスターバーの内部にあるランスロットは動かすどころか、外部との通信一切が不可能となる。君が今、自分の意思で動かせるのは緊急脱出装置のみだ』

「キューエル卿を陥れた時と同じ、」

『あの時とは少々違う……まあ、今の君には関係ない事だ。さて、そこから出て来るか、それともランスロットを棺にするか、選んで貰おう。悪いが10秒以内に決めてくれ。君が出て来てくれないのであれば、11秒後にランスロットを破壊する』

 冷汗が額に浮かぶ。

 

 外部カメラがカットされているせいで、周囲の様子が分からない。だがゼロの口振からして、まず間違いなく周囲は黒の騎士団に囲まれている。ランスロットから一歩でも出れば即座に殺害されるか、捕虜にされるか、どちらかだろう。運よく生き残ったとしても、おめおめ捕虜にされたとなれば取り返しのつかない大失態だ。

 さらにランスロットはブリタニア最強のKMFであり、特派の最重要機密事項でもある。黒の騎士団にランスロットを奪取されでもしたら大失態どころではない。良くて除隊。最悪処刑になる。

 かといってこのままランスロットから出なければ、ゼロは予告通り自分をランスロットごと破壊する可能性がある。黒の騎士団もランスロットを造り出した技術に興味が無いわけでは無いだろうが、同スペックの紅蓮を製造できる以上、そこまでランスロットに拘る必要も無い。

 スザクは頭を抱えた。

「どうすればいいんだ……ルルーシュ。君ならどうする」

 自分が知る中で最も頭が良い人はシュナイゼルか、ルルーシュだ。シュナイゼルは直属の上司とはいえ、あまりに身分が違い過ぎてまともに話したことが無く参考にならない。

 ルルーシュならどうするだろう。彼なら、いや、彼女なら……。スザクは皮肉気に口角を吊り上げる彼女独特の笑みを思い浮かべた。

 彼女なら自身満々に腕を組んで「俺なら表面的には降伏して自分とランスロットを一時的に捕縛させておいて、口先三寸でゼロを丸め込んで機会を見つけて逃げ出すだろうな」とでも言うだろう。ゼロは無抵抗な敵を殺さない。黒の騎士団に降伏すれば、ゼロは対話に応じるだろう。

 しかしそもそも自分には彼女のように口先三寸で敵を屈服させるような能力は無い。

 ならばどうするか。眼の奥でルルーシュが鼻で笑って小馬鹿にしてくる。

「………そうだよ。僕は、君が言う通り馬鹿なんだ」

 息を吐いた。決まっている。

 ランスロットから出るんだ。そして戦うんだ。このままここで殺されるのを待つより、そっちの方がずっとマシだ。

『枢木スザク、あと3秒だ』

 ゼロの声に、スザクは眼を閉じた。緊急脱出装置のボタンに拳を叩きつける。

 同時にコックピットの上部が展開して、青空が頭上に広がった。操縦席がスライドして宙に投げ出されたような形になる。真暗で閉塞した空間から解放されて、スザクは大きく息を吐いた。

 先ほどより大きく聞こえるゼロの声が周囲に木霊する。

「よく決断した、枢木スザク。そのままランスロットから降りろ」

 スザクは操縦席から地面に降りた。周囲を見回すと、ランスロットを中心として円状に線が引かれている。白く発光しているその線は、所々で楔のように強く発光する電球のようなものを介していた。

「これは……何だ?」

「君が黒の騎士団に入ってくれれば教えよう」

 円の少し外側に1台の無頼が立っていた。その周囲を護るように数台のKMFが取り囲んでいる。

 恐らくはゼロが乗っているのだろう。その無頼の外部スピーカーから無機質な声色が放たれている。

 無頼はアイカメラの中心に枢木スザクを据えていた。

「枢木スザク、これが最後の勧誘だ。……黒の騎士団に入る気は無いか?」

 ゼロからの予想外の言葉に、スザクは息を詰まらせた。

 殺されるかと思っていたのに、まさかまだ勧誘してくるとは。

 

 困惑しながら辺りを見回すと、少し遠くの地面にはコーネリアが乗っているだろうグロースターが地面に縫い付けられていた。最早コーネリアを救出する目途は無い

 ここまで失態を犯せば、ブリタニアにおける自分の立場など無いも同然だ。それどころかコーネリア捕縛の責任を追及されて処刑されるかもしれない。

 もう自分はブリタニアへ帰れない。いや、帰る意味が無い。

 ゼロの乗る無頼を見やる。堂々たる威容。少なくともコーネリアよりは彼の方が人を率いる器は大きいだろう。そして何より、自分が日本を大事に思っていることを肯定してくれたのは、彼とユフィだけだった。

 

 しかし唇を噛み、スザクは首を振った。

「———ゼロ、ありがとう。それでも僕は、君を正しいとは思えない」

 ゼロの能力も、彼が心から日本のために行動しているということも分かっている。

 彼は確かに平和を望んでいるのだろう。そのために自らが先頭に立って、世界を引っ掻き回そうとしている。

 しかしもっと穏やかに平和を齎す方法がある。ユーフェミアやシュナイゼルのような、真っ当に平和を望む人が皇族にいるのだから、彼らをブリタニアの政策の中心に据えればいいのだ。そうすれば全てのナンバーズはブリタニア人と同様の権利が与えられる。

 勿論、シャルルが皇帝から退いたとしても、直ぐに世界が平和になるわけでは無いだろう。人種への偏見が払拭されるには長い時間がかかる。

 それでも皆が話し合いを続ければ、きっと誰も死なずに世界は平和になる筈だ。

 

 ゼロは自分よりずっと、ずっと賢い。ならば自分が思いつくようなことに気づいていない筈が無い。だというのに彼はわざと戦争を起こして、無駄に人を殺している。

 それはきっと、全てをゼロに戻すためだ。彼は戦火で全てを焼き尽くして、そこからまたやり直そうとしている。確かにそれは世界が平等になる最短の道だ。

 スザクの穏やかに政権交代を待つ道よりも、ゼロの道は遙かに短い。

 しかしあまりに険しいゼロの道は、スザクには容認できないものだった。

 

 ゼロの朗々とした言葉が響いた。

「正しいとは何だ。人一人殺さずに平和を築くことか。確かにそれは正しく、美しい道だろう。そして美しい道とは遠回りであると決まっている。いつだって近道は険しく、醜い道だ。そして我々には時間が無い。一刻一刻と、餓死者が増えている、治る病で死ぬ人が増えている、嬲られて殺される人が増えている!!」

 マイク越しにゼロが拳を叩きつけた音が聞こえた。

「スザク、貴様には覚悟が無い。殺す覚悟が無く、殺さない覚悟さえ無い。

 我々をナンバーズと蔑み、無残に殺し尽くして、その功績でもってシュナイゼルを皇帝に伸し上げる孤高の覚悟が無い!

 誰も殺すなとブリタニアに訴え、KMFも重火器も持たず、言葉だけで平和を訴える潔癖な覚悟も無い!

 枢木スザク、覚悟の無い貴様には戦場に立つ資格は無い!我々が手を汚し、殺す価値さえ無い!そんな貴様が正しさを語るな!!口先だけの正義を論ずる暇など、今の世界には存在しない!!」

「覚悟はある!」

 スザクは声を張り上げた。

「僕は、日本を取り戻すんだ。そのためにブリタニアを変える覚悟があるんだ。確かに君の言う通り、僕には誰も殺さない覚悟は無い。でも銃を持たなくていいのなら、そうする。君のような過激な方法に誰もがついて行ける訳じゃないんだ。

 ゼロ、君が間違っているとは思わない。でも君の方法が一番正しいとは思えない。だから僕は、君の味方はしないっ」

 無頼を見上げる。

 一拍を置いて響いたゼロの声は、変わらず淡々としていた。

「そうか。では、君の道はここで終わる」

 ゼロの乗る無頼はす、と後ろに下がった。

 無頼の周囲のKMFから人影が降り、スザクを捕縛するために動き出した。

 

 

 

 

 

 



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11. まあ、俺も気づかなかったけど

 

 

 

 黒の騎士団員に囲まれたスザクを前に、ルルーシュは拳を壁に叩き付けた。歯を食いしばる。

「……ギアスをかければ、スザクは敵ではなくなる……」

 そう、分かってはいる。ギアスで「俺の味方をしろ」と言えばいいだけだ。そうするだけでスザクを殺す必要は無くなり、黒の騎士団の戦力は増大する。

 手が震えた。だがそれはスザクの意思、もしかすると命より尊いものを粉々に壊すことだ。

 そんなことをすればこれから先、二度とスザクを友達だと言うことはできなくなる。人間として最低のことをスザクにしようとしているのだから。

 それでも、このまま彼を見逃すという選択肢はゼロには存在しえない。

 スザクの力があればブリタニアとの戦力の差は大きく埋まる。何しろKMFのデヴァイサーとしての才能だけならば、スザクはナイト・オブ・ラウンズに匹敵する程だ。それどころかこのまま順調に経験を積めば、ナイト・オブ・ワンたるビスマルクさえ凌駕するかもしれない。

 そうだ。ビスマルクだ。その名前を思い出すと脳がかっと熱くなり、眼の奥が燃え滾った。震えていた手が止まる。

 網膜に焼き付いた光景が脳をじくじくと苛む。薄暗い廃工場に立ち籠る硝煙の臭い。冷たい鉄の臭い。降ってきた腕。あの絶望を。

 思考が冴えてくる。一度、熱い息を吐く。

 自分の優先順位は既に決まっている。まずはナナリー。そしてその次に復讐だ。

 自分から全てを奪ったブリタニアへの復讐だ。名前も、性別も、経歴も、そして尊厳も、ジェレミアでさえ。

 復讐を。ブリタニアへ、そしてギアス教団へ。直接に手を下したビスマルクへ。

 許さない。絶対に、死んでも許しはしない。必ず、必ず復讐する。たとえ死んでも、必ず、復讐だけは成し遂げて見せる。そのために何かを捨てなければならないのなら、ナナリー以外ならば何でも捨てられる。

 そうだ。何でもだ。例外は無い。

 ルルーシュはスザクを見据えた。

 もう腹は決まっていた。

 

 

 スザクへと黒の騎士団員が近寄る。名の知れた騎士である枢木スザクの確保は、たとえ素手であったとしても容易ではない。黒の騎士団員は額に汗を滲ませながらゆっくりとスザクへの距離を詰めた。

 しかしゲフィオンディスターバーの内部へと足を踏み入れようとしたときに、周囲一帯が突如として薄暗くなる。

 ルルーシュは操縦桿を咄嗟に握り締めた。まさか時間差で再度土砂崩れが起こったのかと肝を冷やしながらアイカメラで周囲を見回す。しかし土砂崩れらしき徴候は無い。

 異常は上空で発生していた。上空50m付近に、巨大なオレンジ色の球体がくるくると回転している。あまりに巨大すぎるオレンジの影は、周囲一帯のKMFを覆い尽くしていた。

「……はあ?」

 普段上げないようなマヌケな声を上げた自覚はある。しかしそんなこともどうでもよかった。

 なんだあれは。あの、バカでかいオレンジは。

 ルルーシュは即座にそのオレンジ色の球体をドルイドで情報解析にかけた。ドルイドは瞬時に解析結果を液晶画面に提示した。

 

Knight Giga Fortress ; Type-Siegfried

code ; FXF-503Y

Pilot ; No.21930

 

 KGF、ナイトギガフォートレス。聞いたことが無い。しかし確かにあのオレンジはどう見てもKMFではない。そして、あんな球体の機体がまともな人間に操作できる訳がない。さらにKMFと比較するとあのオレンジはあまりに巨体過ぎた。

 直径30m近い巨大な球体は葉っぱのような形をしたスラッシュハーケンを周囲に纏わりつけており、一見すると熟して落ちそうなオレンジのように見えた。

 翼を付けずに空を飛ぶ。論文の中で見たことがあるその機能に思い至り、ルルーシュは舌打ちした。

「まさか、フロートシステムかっ」

 

 フロートシステムの理論のみならば既に論文で発表されており、ルルーシュも近いうちに実現可能な技術だろうと予想していた。

 依然として空中戦は戦闘機が主力を担っている。しかし戦闘機のパイロットは育成に時間がかかり、一人のパイロットを育成する費用は数億円と膨大だ。それと比較するとKMFは習熟するのに短期間で済み、費用も安い。フロートシステムはKMFを飛ばすことで空中戦をより手軽にするというぶっとんだ発想の産物だった。

 発想は確かに面白い。しかし人型のKMFを空に飛ばして空中戦を行うなど、あと10年はかからないと不可能だと高を括っていた。

 歯を食いしばる。甘く見ていた。8年前、あの男は未熟ながらもゲフィオンディスターバーを実現させていたというのに。

「ロイドめ、くそっ」

 ランスロットへの対策のためゲフィオンディスターバーを準備はしていたが、上空にまで効果範囲は届かない。ルルーシュは外部に繋がるマイクをオンにした。

「黒の騎士団総員、KMF内に戻れ」

『し、しかしまだ枢木スザクの捕縛が!それにコーネリアもまだ捕縛していません!』

「上空のオレンジの相手をする方が先だ。いや、」

 くるくると駒のように回転するKGFのジークフリートを見やる。ルルーシュの脳裏には撤退の二文字が淡く浮かび上がり始めていた。

 スザクどころかコーネリアでさえ放棄しなければならないとなると、かなり痛い。しかし2次元の戦闘力しか持たない黒の騎士団に、3次元で襲い掛かるオレンジの相手はあまりに困難だ。唯一あのオレンジの相手を出来そうな紅蓮は輻射波動を失っている。

 

 上空でくるくると回転しているオレンジ型のジークフリートはふと回転を止めた。

 オレンジがオレンジ色に発光する。その次の瞬間、オレンジの葉っぱのようなスラッシュハーケンが地べたに突っ立つKMFに襲い掛かった。

 その内の一つがルルーシュの乗る無頼へと真っすぐに飛ぶ。

『ゼロ!』

 カレンが紅蓮を駆ける。無頼を突き飛ばし、その身を盾にして庇った。紅蓮の残った左腕にスラッシュハーケンが突き刺さる。

 破裂音と共に紅蓮の左腕が引き千切られた。その衝撃で紅蓮は玩具のように吹っ飛び、岩場に全身を打ち付けた。そのまま地面に落ちる。

 足を動かして立位に戻ろうとしているところを見るに、破壊はされていないようだ。しかし機体は罅割れており、スクラップ寸前とさえ言える有様だった。

 

 これは、無理だな。

 

 ルルーシュは眉間に皺を寄せた。

 紅蓮弐式以上の防御力を誇るKMFは存在しない。紅蓮でこれでは、他のKMFはあのスラッシュハーケンがかすっただけでも大破する。

 上空に向けて発砲するKMFもいるが、全く当たらない。それに球体という物理的に強靭な構造を持つKGF相手に、アサルトライフルが数発命中した程度では意味が無い。対空砲など用意しておらず、あったとしてもあのスピードで空中を旋回されると命中させるのは至難の技だ。

 ルルーシュは全黒の騎士団に向けて通信を繋げた。

「黒の騎士団諸君に告げる、撤退だ」

『ゼロ、でも、』

「撤退だ。少なくとも、我々は勝った。だがこれ以上は勝てない。これ以上あのオレンジを相手にすると被害が増加するばかりだ。プランBのルートで各自撤退しろ」

『了解しました』

『くそ、了解!』

『了解』

 通信越しに返事が返ってくる。黒の騎士団のKMFは飛び去るように、木々に隠れながら姿を晦ました。

「カレン、君も撤退しろ」

『ゼロ、でも、』

「両腕の無い紅蓮では護衛にはならん。違うルートを通った方が私と君、両方の生存確率が上がる。命令に従え紅月カレン」

 淡々としたゼロの命にカレンは一瞬押し黙り、しかしすぐに声を張り上げた。

『っ、了解しました。ご武運を、ゼロ』

 紅蓮が身を翻して飛び去る。両腕を無くしたせいかバランスを欠いているが、それでも流石と言えるスピードだった。

 ルルーシュは一瞬、ゲフィオンディスターバーが展開する光の円の中心で呆然と立ち尽くすスザクを見やった。

 しかし眼を逸らし、無頼の操縦桿を握り締める。

 あんな馬鹿に気を取られている暇は無い。

 逃げなければ。

『ゼゼゼ、ゼロ、、で、いらっしゃるのでしょうか?』

 突如としてコックピットにルルーシュ以外の声が響いた。咄嗟に画面を見下ろすと音声通信の表示がオンになっている。通信の許可を出した覚えは無い。

 液晶画面を叩いて回線の繋がる先を辿る。

 

Communication was requested. DE Siegfried.

Pemitted under the authority of Druid.

Communication is connected.

 

 眼を見開く。ゼロが乗る無頼のセキュリティはルルーシュが直々に作成し、ドルイドにより完璧に管理されている。黒の騎士団員でさえこの無頼のシステムに入り込むことは不可能だ。ルルーシュの承認無しにゼロの無頼と通信を繋げられるのは、ドルイドに認証されている人物だけしかあり得ない。

 そしてドルイドが認証しているのは自分と、ドルイドが搭載された車に乗っていたジェレミアの2人だけだ。だがジェレミアは死んでいる。そもそも、あいつは死んでも自分に攻撃なんてしない。

 ならばハッキングされたか。しかしセキュリティプログラムの制作は、アッシュフォードKMF開発部主任としてそれなりに自信がある。このセキュリティをこの短時間で破れる者と言えばロイドかシュナイゼルぐらいだろう。

 そしてあのオレンジを作ったのがロイドだとすれば、この通信はロイドが繋げたものか。

 ルルーシュは上空を旋回するオレンジを見上げた。

「お前はロイドじゃないな。ジークフリートの操縦者か」

 ジークフリードの操縦者はルルーシュの質問に答える様子も無く、喚くような声を吐き出した。

『ジーク、それは勝利!あなたが邪魔なので後ろをバック!』

「……貴様は新しい特派の騎士か?それとも、」

『ゼロ!あなたはゼロであるかと問われれば?ゼロかと問われます。ゼロ?ゼロになるかと意味はそこにあるのですか。ゼロに嘘だと言われて気持ちはわかりますか?』

 舌打ちが零れる。全く会話が通じない。それどころか、何を言っているのか理解ができない。

 しかしこのオレンジの操縦者は、喋る文章は滅茶苦茶な割にジークフリートの操縦は的確だった。ジークフリートはナリタ連山の上空で真円を描くように飛行している。

 完全に発狂しているわけではないのかもしれない。しかしいずれにせよ意思疎通が困難であるのならば、舌先三寸で言いくるめて逃げ出すような手段は取れない。

『おお、ゼロ、お、お、お願いです、死んで頂けますか!?』

「断る!!」

 無頼を飛ばす。

 説得は不可能。とすれば、逃げるしかない。

 無頼が通った道にスラッシュハーケンが突き刺さる。1つでも命中すれば無頼は粉々に破壊されるだろう。ルルーシュは額に汗をかきながら、木々の隙間を縫うように無頼を走らせた。

 上空から見れば木の陰に隠れて移動するKMFの発見は困難の筈だ。しかしジークフリードは気味が悪い程の執着で逃げるゼロを追い続ける。

『ゼロ、ゼロ、そして私は未熟者。何故にお前のようなゴミ屑を、ゴミ箱にポイ捨て致しませんか?』

 ジークフリードとの音声通信は未だ無頼と繋がっていた。コックピットには意味不明な言葉が垂れ流され続けている。

 木々は鬱蒼と茂っている。空を飛ぶジークフリードが地面を走る無頼を視認できる筈が無い。だとすれば、ジークフリードが無頼の位置を察知しているのはこの音声通信のせいか。音声通信の電波を辿って無頼の居場所を特定することは不可能ではない。

「ドルイド、通信を強制的にカットしろ!」

 液晶画面に文字が映る。

 

CFM

Communication is under terminating upon request.

 

『おお、ゼロ、私は寂しくです。あのお方が殺し、あなた、寂しい。私は、復讐を、そうです復讐なのです!!』

「貴様の復讐なんぞ知るか!」

 叫ぶと同時に、ぶつり、と音声が途切れる。

 そして音声が途切れた瞬間、ジークフリートが放ったスラッシュハーケンが無頼の首を貫通した。

 衝撃がコックピットまで伝わる。計器が一斉に真っ赤に点滅し、甲高い電子音がコックピットに響く。

「くそっ」

 咄嗟にルルーシュは緊急脱出ボタンを殴りつけた。

 即座にコックピットが外部に射出される。籠ったコックピットの空気を吐き出し、ルルーシュは大きく息を吸った。そのまま操縦席から飛び降りて、無頼から一歩でも遠くへと走り出す。

 無頼の首からは流体サクラダイトが流れ出していた。貫通された穴の周囲はバチバチと火花を散らしている。

 可燃性の高いサクラダイトは火が着くと一瞬で爆発する性質を持つ。無頼を動かしていたエナジーフィラーが爆発を起こすのも時間の問題だろう。

 しかし一般的な女子高生と比較してさえ体力も足の速さも劣るルルーシュでは、そう機敏に動けるわけもない。さらに長い間コックピットに座っていたせいで足が縺れて走れない。気持ちは焦るが、体は遅い。

 走る、というより競歩並みの速度でもたもたと足を動かすルルーシュの腕を、突如として誰かが引っ掴んだ。

「うわっ」

「舌を噛むぞ、喋るな!」

 ひょい、とルルーシュを俵を担ぐように肩に乗せて、恐ろしい速度でその人物は走った。周囲には木が茂っており、その人物は掠めるように木の幹を避け、地面を抉るような速度で走る。

 木の隙間に陰に隠れられそうな岩を見つけ、その人物はルルーシュを担いだまま岩の陰へと逃げ込んだ。

 ルルーシュは頭を腕で抱えて地べたに伏せた。ルルーシュを助けた人物も同じように地面に伏せる。

 同時に周囲一帯に爆音が響き渡った。

 爆風が体に叩き付けられる。視界が閃光で真っ白に染まる。あまりの衝撃に一瞬意識が遠のいた。呼吸が止まる。

 だが衝撃は一瞬だった。風はすぐに止み、眼を潰す程の発光は瞬時に消え失せた。

 隣から恐る恐るといったように声がかけられる。

「……終わった?」

「サクラダイトの爆発は一瞬だ。延焼作用も無い」

 ルルーシュは顔を上げた。辺りの木々は薙ぎ倒され、地面が焼け焦げている。逃走する場合になったことを考えて大量のエナジーフィラーを搭載していたせいだろう。かなりの爆発力だった。

「大丈夫?ゼロ」

 声の向こうへ顔を向ける。

 白いパイロットスーツに身を包んだスザクがこちらを見返していた。スザクはルルーシュを同じように地べたに身を伏せたまま周囲をきょろきょろと見回している。

 ルルーシュは思わずのけ反った。

 

 スザクはゲフィオンディスターバーの影響を受けたランスロットを置いて、ここまで走ってきたのだろう。頭上にジークフリートという巨大な目印があるとはいえ、よくもこんな短時間で追いついたものだとルルーシュは感心を通り越して呆れていた。

 こいつが人類を辞める日も近いかもしれない。

 

 しかしそれより、何故スザクはゼロを助けたのだろうか。

 思惑が分からない。ルルーシュは体力の限界まで走ったせいで震える体を叱咤しながら立ち上がらせた。

 スザクも立ち上がり、白いパイロットスーツの泥を払う。

「スザク、お前、何故」

「ゼロ、怪我は?」

 スザクは質問に答えず、ゼロの身体を見やった。黒いパイロットスーツが土で汚れてはいるものの、明らかな怪我は無い。

「いや、無いが、」

「そうか」

 スザクはその言葉に一度息を吐き、そのままルルーシュとの距離を一気に詰めた。反応する間もなく腕を取られ、地面に引き倒される。

 腕は背中へ回され、頭を地面に押し付けられる。綺麗に関節が固められているらしく、痛くは無いが両腕と頭を全く動かせない。

「枢木スザク、貴様っ」

「ゼロ、君はこのままシュナイゼル殿下の所へ護送させてもらう。黒の騎士団はこれで終わりだ」

「お前はまだ分からないのか!お前のやり方では日本は救われない!」

「救われるさ!確かに、時間はかかるかもしれないけれど、」

「貴様にとっては待てる時間だろう!衣食住、全てが保証されている貴様ならな!それが保証されていない人間がどれだけ苦しんでいるのかも分からない貴様が、」

 ルルーシュの言葉に、スザクは淡々とした口調で返した。

「そうだ。僕には分からない。だからゼロ、君に頼みたいんだ」

 スザクはゼロを組み伏せる腕に力を籠め、大きく息を吐いた。

「僕は、頭が悪い。友達にも散々言われたよ、お前は馬鹿だって。………僕は策を練ったり、先を見通すようなことに向いていないんだ。だから日本を解放するために何が一番正しいのか、僕には分からない」

 

 スザクはルルーシュとナナリーの命を危険に晒すと知りながら、ユーフェミアの好意でアッシュフォードへ通学している。策を練ったり、見通しを立てたりする能力が少しでも自分にあればこんな事態にはなっていなかっただろうとスザクは痛感していた。

 そもそも自分の最終学歴は小学校中退で、帝王学を学ぶどころか士官学校でさえ行ったことが無い。政治に関わるどころか、軍の指揮を執ったことさえ無い。

 戦場で手柄を上げることしか取り柄の無い自分に、日本を救うという漠然とした目標への道どりを探すことは手に余ることなのかもしれない。

 かといってゼロの考えには賛同できない。

 

 ならばどうすればいいか。

 スザクの考えは単純だった。自分で考えられないのなら、誰かに助けてもらおう。

 シュナイゼルを皇帝にすることで世界は今よりも良くなる。それは間違いない。しかしゼロによると、その手段ではあんまりにも時間がかかりすぎるらしい。それにこれから先、自分では思いもつかない色々な問題が噴出するだろうことは想像に難くない。

 日本を取り戻して世界を平和にするためには、そんな問題に対応できる聡明で決断力のある人物が必要だ。

 スザクに思い当たる人物は2人しかいなかった。ルルーシュと、ゼロだ。

 しかし性格はともかく身体的には繊弱なルルーシュにそんな過酷なことはさせられない。それにルルーシュをブリタニアと関わらせると、彼女が皇子だと知られてしまう可能性が上がる。そうなると本当にルルーシュは殺されてしまうかもしれない。

 ならばゼロだ。

 

「ゼロ、君はこれからシュナイゼル殿下のところへ連れて行く。コーネリア殿下では即刻死刑にするだろうけれど、人材を重用するシュナイゼル殿下ならそうそう君を殺したりはしないはずだ」

「ふ、ふ、ふざっっっけるな!!それで俺が大人しく貴様の味方をするとでも思っているのか!!」

「君だってこのまま黒の騎士団を続けるより、シュナイゼル殿下の部下としてブリタニアを良い方向に向けて行った方がずっと安全だろう!」

「それが出来ないから、許せないから俺はゼロとして黒の騎士団を作ったんだ!その程度のことも分からずよくも騎士だと名乗れるな貴様は!」

「……分かってるよ、ゼロ。お前はそうそう簡単にブリタニアに膝を屈さない。だから———その仮面を剥がせてもらう」

 スザクはゼロの胴体に跨り、腕を拘束したまま黒い仮面に手をかけた。

 

 薄いパイロットスーツ越しに生温い体温を感じる。スザクの指先が布越しに首に触れている。腕が掴まれていて身動きが取れない。体をばたつかせるも、汗が全身に纏わりつきぴったりとパイロットスーツを肌に貼り付かせているせいで身じろぎさえ難しい。

 鍛えているのだろう、逞しい筋力はもがくルルーシュを地べたに押さえつけて微動だにしない。男女の圧倒的な筋力の差がスザクとルルーシュの間に横たわっている。

 女。そうだ、女だ。俺は女だった。

 ルルーシュは唐突に思い出した。同時に、全身が氷水に浸けられたように強張る。ぬるい体温。ぬめる汗。薄い服。身動きが取れない状況。

「ゼロはクロヴィス殿下を殺害した重罪人だ。流石にシュナイゼル殿下でも、ゼロを無罪にすることはできない。でも仮面をつけていない君はゼロじゃないし、誰も君をゼロだと証明することはできない。—————君ならきっと、名誉ブリタニア人として世界をもっと優しく変えられる」

 スザクが喋っている言葉の全てがどうでもいい。

 それよりも、あまりに近いスザクの存在がルルーシュという女を追い詰めていた。

 

 喉元が焼けるように痛い。こんなことに怯えている暇は無いと分かっているのに、呼吸が浅く、早くなる。心臓が暴れるようにビートを打つ。視界が潤む。頭が痛い。

 違う、ここは枢木家じゃない。自分に必死に言い聞かせるが、脳は勝手に記憶を掘り起こしてくる。

 脳裏に浮かび上がる薄暗い部屋の記憶。腐ったチーズのような臭いのするベッド。むせ返る男の臭い。全身を太い指でなぞられる感触が蘇る。ルルーシュは振り払うように全身をばたつかせて、頭を押さえつけている腕を跳ねのけた。首だけを何とか動かし、自分を押さえつける男を見上げる。

 こちらを見下ろす瞳は緑色をしていた。同じ色だ。

 

 気持ち悪い。

 

 気持ち悪い、気持ち悪い。

 

 気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。

 

 嫌だ、嫌だ!!

 助けて、助けてジェレミア、助けて!ジェレミア、ジェレミア!!

 

 自分の下でより一層暴れるゼロに、スザクは仮面を剥がされかかっているためだと思い押さえつける手に力を込めた。外見通り華奢な体躯は予想していたよりもさらに貧弱で、少し力を籠めれば折れそうな程に脆い。

 しかし油断はならない。この男はゼロだ。スザクは仮面を握る手に力を込めた。

「ゼロ、諦めろ。もうゼロも、黒の騎士団も終わりだ」

「誰が諦めるか!!離せ、離せっ、離せぇえ!!!」

 ルルーシュは必死で身を捩るが、スザクはびくともしない。吐気はとうとうこらえきれない程になるが、かといって仮面を脱いで吐くことも出来ない。

 混乱状態に陥ったルルーシュは、自分が仮面を剥がされかかっているということさえ忘れていた。それどころかここがどこなのか、今がいつなのかさえ忘れてしまった。

 それよりも目の前の自分を組み伏せている男が嫌で嫌でしょうがなかった。圧倒的な力で押さえつける男に腸が煮えくり返る。特に瞳の色が嫌だった。翠玉のように澄んだ緑色は、しかし今は腐った汚泥のような色のように映った。

 

 ふつりと思考が飛ぶ。錯乱した意識があの頃の記憶に引きずり戻される。

 本が並べられた、書斎のような埃臭い寝所だった。ここはベッドの上で、上に跨っているのはあの男だ。そして自分はジェレミアに助けを呼んでいる。なのにあいつは来ない。

 ————あいつもとうとう俺達を見捨てたか。兄弟達のように。

 あんなに仲が良かったコーネリアやシュナイゼルでさえ、ナナリーと自分を見捨てた。今では当然の決断だったと分かる。庶民の血が混じっている、金も権力も大して持っていないヴィ家の人間に助ける価値なんて無いと、分かっている。

 それとも。

 あいつにベッドの上で、浅ましくも生き残ろうと男に媚を売っているところを見られた。男として生きてきた癖にあっさりと誇りを捨てて、女になって足を開いた。

 気持ち悪かったのか。まあ、そうか。気持ち悪いよな。

 分かってるよ。

 分かってる。

 しょうがないよな。俺だって気持ちが悪いんだから。

 ……そう言えば、あいつはあの後なんて言ったんだっけ。

 記憶が思い浮かぶ。幼かった俺はシャワーを浴びて、あいつはタオルを差し出した。ジェレミアは跪いて、当然だという口調で言ったのだ。

 

 

 

 ————これまで共に過ごした過去が変わる訳でもありません。であれば、私の忠誠が揺らぐ理由にもなり得ません。

 

 

 

 頭をぶん殴られたようだった。そうだ。あいつはあの時そう言ったんだ。

 ぼやけていた視界が突如として地面を映す。ここは枢木邸などではない。ナリタ連山だ。そして自分に跨っているのは枢木ゲンブではない。枢木スザクだ。スザクの頭の中身はすっからかんだが、女を犯すようなふざけたことはしない。そもそも今、自分は男だ。ゼロだ。

 飛んでいた思考が急激に引き戻される。混乱していた意識が一瞬で立ち直る。

 

「っ、馬鹿か、俺は!!」

 何を呆けているんだ。ジェレミアは死んだ。あいつが自分を助けに来ることはもう無い。

 だから一人で立ち上がらなければならないんだ。こんなところで惨めに、憐れっぽく、助けを求める情けない生き物に成り下がってたまるのものか。

 立ち上がるんだ。

 

「ゼロ、君は殺すにはあまりに惜しい。分かってくれ」

「分かるか!自己中心的で理解不能な思考回路しやがって!やっぱりお前はあの男の息子だ!ぶち殺してやる!!」

 これまでに無いゼロの辛辣な口調にスザクは一瞬目を見開いて手を止めた。

 その一瞬にルルーシュは仮面の左眼の部分を開いた。真っすぐにスザクの瞳を睨みつける。

 

「俺に触るな、この大馬鹿野郎!!!」

 

 スザクはルルーシュの瞳に睨まれて全身を固まらせて、俯き、顔を上げた。緑色の瞳の淵は赤く染まっていた。

「ああ、分かった」

 スザクはルルーシュからあっさりと手を離し、立ち上がって距離を取った。そのまま3歩、ルルーシュから離れる。

 そこで足を止め、スザクは瞬きを繰り返した。え、と言葉を漏らしてと周囲を見回す。ゼロの拘束を解いていることに気づいて驚きに目を見開く。瞳の淵は色を無くし、元の澄んだ翠眼に戻っていた。

「え、僕は。なんで、」

 ルルーシュは荒い呼吸を無理やり治めながら立ち上がり、未だ困惑しているスザクを背に逃げようとした。

 しかし上空から銃声が響き、足元に銃弾がぶち当たった。上空を見上げると木々に紛れてオレンジが見え隠れしている。

「ゼ、ゼロ、待て!」

「喧しい!もうお前の相手なんてしてる暇は無いんだ!」

「そういう訳にはいかない!あのオレンジから逃げたかったら僕と、」

「あんな理性ゼロなオレンジ野郎がお前に拘束されたからといって攻撃を止める訳が無いだろうが!二人まとめて銃殺されるのがオチだ!いい加減に憶測で喋るのを止めろ、このナイト・オブ・馬鹿!!」

「ナ、ナイト、オブ・馬鹿って………え、僕そんなに馬鹿?」

「自分の胸に両手を当てて考えろ!!そして二度と手を離すな!!手が使えず餓死してミイラ化して5000年後くらいに発見されて当時の歴史を知るための貴重な資料として博物館に展示されるまで絶対に離すんじゃないぞ!!離したら死ぬと思え!!」

「いやそれ離さなくても死ぬんじゃないかな!?」

「安心しろ、日本を解放した暁には貴様が死んだ日を『馬鹿の日』として祝日にしてやる!全国で馬鹿を称える馬鹿祭りを開催してやる!!枢木神社を馬鹿神社に改名して未来永劫称えてやるからそのまま大人しく死ね!!」

「どこに安心要素があるんだよ!ていうかゼロ、え、素の性格ってこんな感じなの?なんだか想像してたより割とテンション高いボケ気質で意外、ってうわっ」

 スザクは身を引いてジークフリートから放たれた銃弾を躱した。

 上空を見上げると、ジークフリートは回転しながら銃弾を周囲にまき散らしている。スザクは銃弾を避けながらゼロを拘束しようと近寄るが、触ろうとする度に無意識の内に手を引いてしまう。

 これならばスザクに捕まる危険は無い。ジークフリートも、どうやらルルーシュの場所が分かっているわけでは無いようだった。爆発した無頼を中心とした周囲一帯に銃弾を見境なくぶっぱなしながら、探るように上空を旋回している。

 今なら逃げ切ることも可能だろう。しかし接触できないとはいえスザクはこちらから目を離そうとしない。

 逃げたとしてもスザクは一定の距離を保ちながらルルーシュについて来るに違いない。黒の騎士団と合流する所までついて来てブリタニア軍に連絡されると面倒だ。

 かといって人類卒業間近の身体能力を持つスザクを自分の脚力でまけるとは全く思えない。

 黒の騎士団から応援を呼ぶにしても、通信機などは全て先ほど無頼と一緒に爆発した。

 

 足踏みをするルルーシュに、スザクも何故かゼロに触れない自身に狼狽えていた。

 ブリタニア軍に連絡を取ればすぐにでもコーネリア軍から応援がかけつけるだろう。そうすれば、ゼロを捕獲することはできる。

 しかしそうするとゼロはコーネリアの手に渡ってしまう。そうなればゼロは間違いなく殺される。裁判さえ待たず、拘束された時点で抹殺されるかもしれない。それでは困る。だから自分がゼロを捕まえないといけないというのに、何故か自分はゼロを触れない。

 

 オレンジ、ルルーシュ、スザクの三つ巴が持続したのは、しかしたったの数秒だった。ルルーシュはスザクの背後に、碧の髪をした女性がふらりと現れるのが見えた。

全く戦場に似合わない、神秘的な美女。C.C.だ。

 C.C.はスザクの背後をとり、細い指先でふわりと背中を撫でた。

「悪いな、しかしこいつを捕らえられると困るんだ」

 C.C.がスザクに触れた瞬間、スザクはその場に膝をついた。そのまま頭を抱えて喉を裂くような声で呻いている。尋常じゃない様子に思わず近寄る。

「お、おい、スザク?」

「構っている暇は無いぞ。さっさと逃げろ」

「っ、こいつは無事なんだろうな」

「命に別状は無いさ。さっさと行け」

「お前も逃げるんだろう?」

 ルルーシュはC.C.へ手を伸ばした。

 上空では未だKGFが旋回している。弾切れを起こす様子は無い。このままここにいるのは自殺行為だ。

 しかし伸ばしたルルーシュの手をC.C.は握り返さなかった。

「私はいい、それより、」

 C.C.は眼を見開き、咄嗟にルルーシュを両手で突き飛ばした。ルルーシュは背後に飛んで地面に転がった。

 すぐに上体を起こす。C.C.は倒れていた。

「C.C.っ、おい」

 体を抱き起こすと、胸元に穴が開いている。穴からは止めどなく血が溢れ続けており、黄色い脂肪とピンク色の肉が皮膚から曝け出されていた。咄嗟に両手で傷口を押さえつける。手袋がすぐに真っ赤に染まった。

 スザクを見ると未だに地面に蹲っている。明らかな怪我は無い。

 ルルーシュはC.C.を背中に担ぎ、その場を後にした。

 

 



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12. ロロ、俺は、あれこそが愛だと

 スザクにギアスをかけてしまったことは計算外だが他は予定の範囲内で済んだと言えるだろう。

 黒の騎士団本部へ戻ったらすぐにフロートシステムの解析を行うよう手筈を整えて、あとはあのオレンジについて情報を集めなければならない。

 それとこのナリタ攻防戦が終われば日本解放戦線は崩壊する可能性が高い。そうなればキョウトから使者が送られてくるだろう。その対応もしなければ。

 

 ルルーシュはこれからすべきことを脳内で羅列しながら胸を晒したC.C.の傷口を眺めていた。手には圧迫止血したために真っ赤に染まった布を持っている。

 KGFに銃撃されて風穴が空いていた筈の胸には今やピンク色の肉芽組織が見え隠れするばかりになった。完璧とは言えないが大凡の傷が埋まり、出血も止まっている。

 C.C.が不老不死だと知ってはいた。しかしこうして普通の人間であれば即死していて当然の傷が治る現実を見るとコードという存在の不可思議さに背筋が震える。全くもって得体の知れない力だ。

「クロヴィスの残した報告書通り傷の再生スピードが普通じゃないな。血液サンプルは回収しておくとして、傷口を撮影しておくか……」

 写真を撮影するためにごろんとC.C.の細い体躯を丸太のように転がす。起きる様子は無い。傷事態は既に治っているのだが出血があまりに多かったらしい。

 転がした際に砂利で汚れた傷口を湿らせた布で拭く。

 すぐに傷が治るのならば傷を洗おうが包帯を巻こうが意味は無いかもしれない。しかしただ眺めているにはC.C.の傷はあまりに痛々しかった。華奢な肢体は多量の出血のせいで青白く変色している。傷口には皮膚の無い肉が盛り上がり内臓を晒しているようにも見えた。

「ん……」

 呻くばかりだったC.C.の口から微かに明確な言葉が出てきて傷を洗う手を止める。繰り返し呟かれる単語は人の名前のようだった。小さな呟きにルルーシュはC.C.の口元に耳を近づけた。

「———」

 掠れるような声だった。しかしその声はしっかりとルルーシュに届いた。

 C.C.はうっすらと眼を見開いて普段よりも幼げな顔で微笑む。天邪鬼な笑みしか知らないルルーシュはあまりに純真なC.C.の笑顔に虚を突かれて思わず見惚れた。

「……やっと呼んでくれたね、私の名前」

 夢心地なのか、C.C.にはルルーシュの姿が見えていないようだった。

 心底安心した顔とねだる様に甘える口調は初めて聞くものであり、恋人や配偶者に向けるような熱を帯びていた。自分を恋人とでも見間違えたのだろうか。

 

 長い年月を生きてきたであろうC.C.にこれまで恋人や夫がいた時期があったとしても不思議ではない。しかし普段の人を食ったような言動のせいでルルーシュには彼女が誰かと寄り添って生きている場面を想像することすら困難だった。

 しかしそれも当然か。

 彼女は不老不死だ。C.C.に恋人がいたことがあるというのは、恋人と死に別れたことがあるという事実に直結している。もしかすると彼女はこれまでの人生で幾度も、恋人や夫、他にも愛する人の死と直面したことがあるのかもしれない。

 自分はジェレミアが死んだ一度だけで復讐のために黒の騎士団を立ち上げる程に激怒した。理性で抑え込めない程にとんでもなく悲しく、怒りが無限に湧いて出てきた。

 それが幾度もとなるとどれ程に辛いのか想像もできない。C.C.の人を遠ざけようとする飄々とした態度の理由の一端をルルーシュは垣間見たような気がした。

 

 傷口を洗って布を巻いている間にC.C.は眼を覚ました。

 C.C.は琥珀色の目をぱちりと開くなり上体を起こして薄暗い洞窟をきょろきょろを見回した。すぐ傍ににルルーシュが座っていることを認めて眠気を取り払うように瞬きを繰り返す。

「起きたか」

「ああ。ここはどこだ」

「ナリタ連山にある洞窟の一つだ。ここならば追手も来ないだろう。痛みはあるか?」

「無い」

 C.C.は包帯を巻いてある胸元を見下ろして苦笑と共に首を振った。

「手当など私には必要無いぞ」

「そうらしいな」

「だから助ける意味なんて無かったんだ。お前はいつもつまらんところでプライドに拘る」

 人を小馬鹿にしているな口調だが今はそれ以上にC.C.の自身を蔑ろにする言動が目についた。不老不死でも痛みものは痛いだろうに。

 しかしそう率直に指摘するとせせら笑って否定するのだろう。素直でない女に意趣返しをするべくルルーシュはC.C.の耳元に口を寄せた。

「だが、おかげでいいことを知ったよ」

 限りなく囁くような小さな声はC.C.の鼓膜を確かに揺らした。

「————」

 C.C.は眼を見開いてのけ反った。珍しく動揺しているC.C.の顔をルルーシュは満足気に眺めた。この天邪鬼で素直さに欠ける女にしては美しい名前だ。

 忌々し気に歪められた顔に向かってせせら笑う。

「趣味が悪いな、盗み聞きだなんて」

「いい名前じゃないか。C.C.よりずっと人間らしい」

「馬鹿馬鹿しい。私に人間らしさなど———どうせ、私は……私には、」

 胸の奥底から息を吐いてC.C.は唇を噛みしめる。

 

 ルルーシュは名前を捨てなかった。強くあるためだと彼女は言った。

 C.C.は過去を背負うのが嫌で名前を捨てた。しかし背負っていたものは、大事なものだった。大事なものだと気づくのは、いつだって捨ててからだった。でも一度捨てたものを今更拾い上げるなんて土台無理な話だった。

 そうして自分はC.C.になった。過去の無い女。ただの記号でしかない存在。コードを運ぶ魔女。それで十分。

 魔女になる前の自分の名前はもう相応しくない。人間ではなくなってしまった自分とは関係の無いものだ。だから捨てたのだ。生きて行く上で必要のないものだと判断したから。

 だというのに、こんな奴に一度呼ばれただけで胸が痛くなる。捨てたことを後悔しそうになる。

 人間であった時の事。孤独でなかった時。人の温もり。優しさ。労わり。そういった、愛と呼ばわれるべきもの。いらないと判断して捨てた、全ての温かいものたち。

 優しいシスター。そして自分を愛した多くの人々。

 

「———忘れたんだ、全部。何もかも。今更名前なんて……名前なんて」

 唇を噛みしめてC.C.は耐えよう、耐えようと顔を歪めた。しかしとうとうぽたぽたと涙が落ちる。涙はバケツに限界まで溜められた水がとうとう溢れて少しずつ零れるようだった。体を小さく丸めて固い地面の上に水たまりを作る。

 

 その光景をルルーシュは美しいと思った。

 C.C.はずっと一人で耐えてきた。名前を呼ばれるだけで泣きたくなる程に酷い孤独をたった一人で耐えた。とてつもなく長い年月を。彼女は強い。

 そして今、強い彼女は涙を流して弱さを曝け出している。

 ルルーシュは泣かせてしまった心苦しさからC.C.から目を逸らすも、あまりの美しさに頬を赤らめていた。

 これまで出会った女性の中でマリアンヌが最も美しいと思っていた。しかしC.C.はマリアンヌより美しいかもしれない。強い女が見せる弱い一面は胸が締め付けられるように美しかった。

 すすり泣くC.C.のしゃくり声だけが洞窟の中に反響し、ルルーシュはきまりが悪そうに頭を掻いた。

「その、C.C.……いい機会だから言っておく」

 C.C.に負けず劣らず自分も素直でない自覚はある。そう簡単に素直になれる程能天気な人生を送っていないのだからしょうがない。

 だがこういった時に素直になれない性分は厄介だ。ルルーシュは小さく咳払いをした。

「………さっきは、助かった。今までもそうだ。ギアスのことも。だから、一度しか言わないぞ………」

 ルルーシュはC.C.を見据えて小さく口を開いた。

「ありがとう」

 C.C.は零れる程に大きく目を見開いた。その衝撃で目じりから涙が弾く。

 この美しい少女、もしくは少年は、自分に礼を言ったのか。

 こんな自分に。

 

 真っすぐに自分を見るルルーシュの瞳を見返してC.C.はぱっと立ち上がった。衝動のままルルーシュに駆け寄って首に抱き縋る。温かい。頬を淡く染めた、あまりにも整った顔立ちをC.C.はうっそりと眺めた。

 濡れるような小さな音を立てて唇が合わさる。ルルーシュの唇は柔らかくて甘い匂いがした。

 C.C.はゆっくりと唇を離して額をルルーシュの胸元に擦り付けた。

「もう一度、呼べ」

「は?」

「名前だ。もう一度。大切に、優しく心を込めて」

 唇に残る温かい感触に動揺していたルルーシュは呆然としたまま彼女の名前を口にした。

「———」

 ふふ、とC.C.は笑い、首を振った。

 ルルーシュに縋っていた手を離す。眼にはもう涙は無かった。

 もう涙を流す必要は無かった。捨ててしまった温かいものは戻らない。しかしこの子供は捨ててしまったものを埋めてしまう程に温かい。

 遠い昔に過去と共に捨てた名前をこの未熟で温かい子供が知っているということは、とても素晴らしい事なのかもしれない。

 果てない道を素足で歩くような孤独がほんの少しだけ和らぐような気がした。

「駄目だな、全然駄目だ。優しさが足りない。素直さと労わりの心も。発音も怪しいし、何より暖かみに欠ける」

「っ、我儘な女だ」

 C.C.はにやりと普段のように憎らしい顔で微笑んだ。

 強気で、傲慢で、我儘で、しかし憎めない。いつものC.C.がそこにいた。

「お前に一ついいことを教えてやろう。女はちょっとぐらい我儘な方が美しいんだ。参考にしておくんだな、小娘」

「誰が小娘だ」

「お前はまだ小娘さ。愛の何たるかも知らん」 

 先ほどまでのしおらしい様子から一変してC.C.は上機嫌でひょいひょいと洞窟の出口に向かって歩き始めた。足取りは軽く鼻歌さえ歌い出しそうな様子だった。

 

 その後をルルーシュは追った。現在の戦線の位置からするにこの周囲に敵はいない。洞窟から出て黒の騎士団に合流するのならば良いタイミングだ。

 唇を指でなぞる。女性の柔らかい唇の感触に気恥ずかしさで頬が紅潮しているのが自分でも分かる。さっさと治まれと頬を揉む。

 気分屋のC.C.のことだからどうせあのキスにも大した意味は無かったのだろう。そもそも身体的には同性なのだから挨拶の感覚だったのかもしれない。

 だから一々恥ずかしがる方が馬鹿だ。何より、キス程度で動揺するなんてなんだか情けない。

「俺は家族を愛しているが」

「それはまた別だ」

 先を歩くC.C.に付いて行きながらルルーシュは確かにナナリーに向ける愛は家族愛だろうと思った。ジェレミアに対しても同様で、家族愛と親愛が混ぜ合わさったものだろう。ナナリーとジェレミアから向けられる愛もそういった類のものに近い。

 しかしそれも愛には違いない。

 二度とは戻らない、かけがえのない愛だった。

「いや、知っているさ」

 眼を伏せて悲し気に微笑むルルーシュにC.C.は眼を細めた。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 

 ここ最近は夢ばかり見ているような気がする。

 この光景も夢だろうと思いながら暗闇の中をジェレミアは一人で歩いていた。しばらく歩くと一本の光の筋が見えた。小走りにその光へと近づくと、常夜灯の仄かなオレンジ色の光が扉の隙間から漏れているようだった。

 見慣れた小奇麗な扉。クラブハウスの、ルルーシュの部屋の扉だ。

 扉の向こうから小さなすすり泣きが聞こえて音を立てないように注意しながら中に入る。部屋全体をオレンジ色に照らしている仄かな明かりを頼りに部屋を見回す。

 普段は潔癖な程に片付けられている部屋にはあらゆるものが散乱していた。本棚に並べられていた専門書や哲学書は床に散らばり、ベッドにある筈のクッションは本棚の隙間に我が物顔で居座っている。ルルーシュのお気に入りのランプは壁に投げられたのか割れて破片が散乱していた。これは早く片付けないと危ないだろう。床に屈んで割れたガラスを摘まむと部屋の隅から視線を感じた。

 

 振り向くと、小さな子供。

 

 多分中学生に上がるか、上がらないかくらい。色素の薄いコーカソイドの子供。黒い髪がぴんぴんと好き勝手に跳ねている。子供はパジャマに身を包んで膝を抱えるように座っていた。人形のように一点を見つめているので目の前で手を振ってみたが、反応は無い。暗くて見えていないのかもしれない。

 そっと微かな常夜灯でも十分に顔が見える位置まで近づく。

 ああ、あなたは、あなたは。

 

 ——————ルルーシュ様。

 

 間違えようが無い。この人はルルーシュ様だ。

 今のルルーシュのような華やかさや、皇族に相応しい風格なんてどこにもない。不安そうに指を咥えて部屋の隅で膝を抱えて座っている、小さな子供。ルルーシュだ。

 長い間十分な栄養が摂れなかったために痩せこけていて、全身のあちこちに擦り傷がある。ああこれは、あの時期のルルーシュ様だ。アッシュフォードに保護されて間も無く、まだ心からアッシュフォードを信用できず、親友だったスザクと別れて、友達もまだできていない。一番不安定だった頃のルルーシュだ。

 ルルーシュ様。名前を呼び掛けた瞬間ルルーシュは眼を見開いた。眼の先には成人男性であるジェレミアが居た。

「っ、いや!いや!嫌だ!」

 ルルーシュはジェレミアから逃げるように身を捩った。爪で腕の皮膚を抉る様に掻きむしって踵で床を何度も叩く。恐慌状態なのか顔色を青白く変色させて髪を振り乱していた。

「嫌、嫌!触るな!俺は女じゃない!俺は女じゃない!」

 悲痛なルルーシュの甲高い声が部屋に反響してジェレミアは眼を潤ませた。

 なんて悪夢だ。そしてこれはただの悪夢ではなかった。現実にあったことだ。幸せだった5年間の生活の、幸せだったからこその悪夢だった。

 戦争の最中では頼もしい程に冷静だったルルーシュは、アッシュフォードに庇護されてから暫くはこうして夜に暴れることがよくあった。

 いやだ、やだ、やだ、と13歳になるというのに赤ん坊のような泣き声を上げるルルーシュ。爪で引き裂かれた肌から血が流れ、爪は真っ赤に染まっている。うぅー、うぅーと唸る様に泣いて自分の袖を噛んでいる。

 近寄ることもできず暫くそのあまりにも悲痛な姿をただ眺めていた。男である自分が近くにいるせいでルルーシュが苦しんでいることは分かっている。しかしこんなルルーシュを放っておくわけにもいかなかった。自分の頬にも涙が流れていた。

 うぅー、うぅー。おおよそ子供の泣き声ではない獣のような唸り声を上げてルルーシュは床に蹲る。

 自分に何ができるんだろう。何をしてあげられるんだろう。思案していると小さなルルーシュは手近に落ちているものをジェレミアに投げつけ始めた。クッションに分厚い本、時計、置物。手当たり次第に何でも投げてくる。ジェレミアは避けようともしなかった。

 ルルーシュは手が届く範囲の全てのものを力いっぱい投げつけた。しかしびくともしないジェレミアにこの男は容易にいなくなってはくれないと察したのか、ルルーシュは手近に落ちていたランプの破片を握り締めた。

 そのまま頭上まで振りかぶり、自身の股座めがけて突き刺そうと閃かせる。

 咄嗟に駆け寄って破片を叩き落とし、ルルーシュの身体を掴んで無理やりに抱き上げた。

「あぁ゛-!!あー!ア゛―!」

 手負いの獣のように無茶苦茶に手足をばたつかせて暴れ始める。頬には幾筋もの涙の線が描かれていた。

 わざと喉を傷めつけるような泣き方でルルーシュは激しく抵抗した。腕をつっぱり、殴り、蹴る。必死の抵抗はしかしジェレミアの腕を振り解くには至らなかった。

 なにせその腕も足も少女の様に細かった。

「いや!いや!いやだ!!!」

 まるで拒否の言葉しか知らないように暴れて泣き喚く。思わずジェレミアは腕を解いた。小さな、弱々しい体が床に蹲る。

 哀れでならなかった。哀れだと思うことこそが最も不敬だと知りながら、そう思わずにはいられなかった。

「ルルーシュ様、ジェレミアです。分かりますか?」

「いやだ、いやだ!」

「ルルーシュ様、こちらを向いて下さい」

「いやだ、いやだあ、たすけて」

 床に膝をついてルルーシュの頬をそっと撫でてみた。ルルーシュの眼はしかとこちらを向き、いやだ、という言葉だけを発してぐちゃぐちゃに泣き出してしまった。

 しかしジェレミアはたすけてという言葉がルルーシュの口から零れたのを確かに聞いた。

「大丈夫ですよ、たすけにきました」

「いやだ、いやだ」

「たすけに来たんですよ、ルルーシュ様」

「…………だっこ」

「?」

「だっこ」

 ようやく聞こえた、いやだ、以外の単語にほっとして細い胴に腕を回して軽い体を抱き締めた。未だ小柄なルルーシュは腕の中にすっぽり収まる程に小さくて温かい。

 今のように細いながらも縦に伸びた体躯はそこには無い。痩せっぽちのただの子供。ジェレミアの子供時代とは大違いの、がりがりの子供。腕の中ですんすんと鼻を鳴らし、「ゔぅ、うぅう、」と孤独と痛みに耐える猛獣の様に微かな呻き声を立てる。可哀想に。可哀想なんて言葉で済ませられる感情ではないけれど。

 ぽろぽろと落ちていた涙が止まる兆しを見せてきてルルーシュの頬を撫でてみた。ルルーシュは気にもせず唇で「いやだ」と繰り返している。

 

 この人の世界には敵しかいないのか。拒否することしか、戦うことしか。それもしょうがないかもしれない。戦い通しの人生だった。まだ十年と少しだけなのに。この子供は、あまりに理不尽な目に遭い過ぎてきた。

 

「ルルーシュ様」

 出来得る限りで優しく呼びかけると「だっこ」と返ってくる。腕に力をこめてきつくきつく抱きしめた。それでもルルーシュは抱き返す腕を回さない。されるがままにジェレミアにだっこされている。よしよしと頭を撫でると微かに目を細めて、恐る恐る腕を首に回してきた。

 それが例えようもなく嬉しくて柔らかい髪に顔を埋めると、ルルーシュはくすぐったそうに身じろいだ。

「……じぇれみあ」

「はい」

「ジェレミアだ……」

「はい、そうです———大丈夫ですよ、もう大丈夫ですからね」

「———そうか」

 頭を撫でるとしっかりと服を握り締めて抱き着いてきた。

 この子供は体温を欲している。体温とは、愛だ。純粋な愛と呼べるものがこの子供には絶望的なまでに不足している。それは安心とも、信頼とも言い換えられる、普通の子供ならば無償で与えられる筈のものだった。

 止めどなく涙が溢れる。力をこめて抱き締めると幼いルルーシュは腕の中で微かに身じろいだ。

 

 幼い子供の世話なんてしたことが無くて、どうあやせばよいのかなんて見当もつかない。それでもあまりに静かな空間に堪えられず耳元で今日あった小さなことを細々と話した。

 いつも売り切れのパンを今朝は買えたこと、仕事で部下が悩んでいる様子だったこと、新しいプロジェクトは上手くいきそうだということ、CMで見た車が格好良かったということ、夕焼けが綺麗だったということ。

 他愛ない事ばかりだったけれどルルーシュは一つ一つに小さく頷きを返した。暫くすると幾分か力の抜けた様子でうとうとと体を揺らす。あばら骨の浮いた背中を撫でさするとルルーシュの瞼が重たくなる。いとけない様子に胸が締め付けられる。

 どうしてこんな子供が、あんなに酷い目に遭わないといけなかったんだろう。

 理由なんて無いと分かっている。でも時々、この理不尽な世界にやりきれなくなる。これまでも尋常じゃなく酷い目に遭ってきたのに、これからの生活もこの人は保障されていない。

 腕の中の温かい塊に顔を埋めた。小さな寝息に導かれるようにジェレミアの瞼も重くなってくる。心地よい体温に段々と意識が遠のく。

 

 

 ふと目を覚ます。しまった。ルルーシュをベッドに移す前に寝てしまった。それに部屋の掃除もしていない。起きたルルーシュが歩き回ってランプの破片で怪我をしてしまっては大変だ。まだ朝になっていないといいが。

 焦って周囲を見回すと人工的な冷たい光に囲まれていた。画質の悪いテレビのような視界は何故かと思えば、周囲全てがガラスに囲まれているせいだった。ガラス越しに沢山の白衣が揺らめいている。腕の中の温かい塊は無くなっていた。

 口から零れた水泡がぼこぼこと頭上へと流れていく。酷く寒い。ここはどこだろう。今はいつだったか。

 何度も反響する木霊のような声がさざ波のように周囲に満ちている。意味はよく分からなかったが段々と声は大きくなりジェレミアの鼓膜を揺らした。

「No.21930覚醒しました。バイタルチェックをお願いします」

「全く、こんな状態で逃げ出すとは」

「しかしジークフリードのデータも取れましたから結果としては良かったのではないでしょうか」

「BIS 90台で安定。TOFモニター外してください。血ガスオーダー今出しました」

「バイタルは安定……もっと監視を強化する必要があるかな」

「必要無いでしょう。ジークフリートのシステムにロックをかけておけば問題は無いでしょうし」

 騒ぐ白衣の群れの中でジェレミアはふと思い出した。

 途切れ途切れの記憶で、意識もあやふやで、恐らく自分は死に体なのだろう。ベッドに横たわっている末期の病人のように、人間としての理性も知性も殆ど残ってはいないと自分でさえ分かってしまう。それどころか最早自分は人間ではないのかもしれない。

 しかしそんな様に成り果ててさえその一言だけは鮮明にジェレミアの本質に刻み付けられていた。

 あの金色の子供の天気でも告げるような軽い口調の一言が、こんなになってしまったジェレミアを今も突き動かしている。

 

 ルルーシュはゼロに殺されたんだよ。

 

「————ぁぁぁぁあ゛あぁあああアアアアア゛あ゛あああ゛!!」

 

 体中についていたコードを引っぺがし、引きちぎられた留置針の痕から血が流れるのを気にもせずジェレミアは慟哭した。しかしそれ以上体が動かない。目障りなガラスを破壊してすぐに飛び出して行きたいのに体は意思を裏切りまともに動かない。

 何故だ。今の自分の力ならば強化ガラス程度木っ端微塵に砕けるのに。改造手術を受けてそれだけの力を得たというのに。

 騎士としてあまりに未熟な自分はずっと力が欲しかった。ルルーシュを守るための力を。だがルルーシュは死んだ。

 死んでしまった。もういない。

 彼の人は、あの美しい人はゼロに殺されてしまった。

 ならば復讐だ。両の拳を握り締める。これは復讐のための力だ。主君がむざむざと殺されて黙っている騎士がいるものか。

「No.21930、錯乱していますね」

「やはり気管挿管すればよかったか」

「鎮静をして再度静脈ラインを取り直しますか」

「足に取ろう。腕ではまた抜かれかねん」

 落ち着き払った研究員達は全身を痙攣させるジェレミアを遠巻きに観察している。

 右眼から赤い筋を流しながらジェレミアは唯一思い通りになる舌と声門だけを暴れさせた。

「こ、ここ、殺してやる!殺してやる!こここ、ころし、殺して差し上げるのでございます!ゼ、ゼロ、ゼロ!!私、あなたに、殺して、私は!!死んで頂きますので、私は、わ、わわわ私は、!!、———あぁ、しかしもう、」

 

 悪夢はまだ続いていた。そうだろう。これは悪夢だ。そうに違いない。

 しかしいくら否定しようとも手術を施されて数か月しか経っていない体の痛みが否定してくる。

 これは現実だ。

 いつだって悪夢なんかより、現実の方がずっと理不尽にできている。

 

 

 

 

 

 

 



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13. つまり、友達の数でシュナイゼルはロイドに負けているということさ

 ナリタ戦線の数日後、黒の騎士団の元へとキョウトから使者が届いた。ルルーシュは数名の黒の騎士団員と共にキョウトの本部へと向かうこととなった。

 

 枯山水の寂しげな風情のある庭園の中央に足を進める。桐原が一人立っていた。周囲には誰もいない。監視カメラも予め切ってある。

 黒の騎士団幹部は手近な家屋の縁側に控えているがこちらの顔は見えない。

 ルルーシュは桐原に近寄って仮面を取った。凛々しい容姿に桐原は息を吐く。

「まさか、5年前の種が芽吹くとはのう」

「予想外でしたか?」

「いや。……いつかはこんな日がくるとは思っておったよ」

 5年前よりさらに老いた桐原の顔には深い皺が刻まれている。だが生気は溢れ、瞳は剣呑に光っていた。

 こちらの事情を知っているのならば話が早い。ルルーシュは仮面を脇に抱え、品定めをする桐原の眼に微笑をもって答えた。

「……ゼロがおぬしであるというのならば、ブリタニアへの憎悪にも得心が行く。しかしお主は一体どこを目指しておるのだ」

「無論、全てのエリアの解放。そしてシャルル皇帝の退位を」

「それが成った時、おぬしはどうする?」

 言外に栄達を求めているのか問うているのだろう。ゼロが皇族であると知っている桐原は、ルルーシュがブリタニア皇帝の座を望む可能性を危惧しているのかもしれない。針先のような視線に見据えられ、ルルーシュは静かに首を振った。

「ゼロは記号です。民衆から必要とされなくなれば消え去るのみ。ブリタニアの打倒が叶えば私はただの一市民として在野に下りましょう」

「おぬしはそれで良いのか?」

「ええ。私が望むのはこれ以上ブリタニアに搾取されない、安穏とした生活ですから」

 それは嘘でも本当でも無かった。自分の戦っている理由はナナリーの身の安全の確保と復讐のためだ。しかし戦争が終わった後の自分の望みは自分自身でさえ分からなかった。安穏とした生活を望んでいるのかさえ分からない。

 だがそれは今考えて意味のあることではないとルルーシュは思考を逸らした。

 桐原はルルーシュの答えを反芻するように目を閉じる。暫くの後、桐原は高らかに杖を鳴らした。

「あい分かった。ゼロ、情報の隠蔽や拠点探し、資金についてはわしらも協力しよう」

「感謝します桐原公」

「礼は要らん。結果を持って応えよ」

「承知しました。勿論、そのつもりですよ」

 深々と頭を下げる。キョウトの協力が得られれば作戦の質も規模も大きく変わる。これでコーネリアが率いる新体制の総督府とも渡り合える地盤が出来た。

 ルルーシュは仮面を被り直した。そのまま踵を返そうとするルルーシュを、しかし桐原が呼び止めた。

「ゼロよ、一つ聞きたいことがある」

「なんでしょう?」

「神根島という島を知っておるか?」

 神根島。聞き覚えのある島だった。ブリタニアの軍事施設がある式根島の近くにある小さな無人島の筈だ。

 しかしそれ以上の情報は無かった。何しろ観光地だったという訳でも無い、何も産業の無い島についての情報はそう多くは無い。

「知っています。確か日本がブリタニアに占拠される前から無人島だったと記憶しておりますが」

「うむ。以前は枢木家が所有していた島じゃ。何のエネルギー資源も無い遺跡ばかりの島なのじゃが、日本を占領してからブリタニア軍が頻繁に出入りしているようでな。もしや軍事拠点でも作るつもりなのやもしれんと危惧をしておる。警戒を怠るでないぞ」

 ルルーシュは首を傾げた。神根島は軍事拠点にするにはあまりに小さい島だ。それに近くには既に軍事拠点としての設備を備えてある式根島がある。神根島を開発する利益はブリタニアには無い。

 しかしキョウト六家の当主たる桐原の情報が間違っているとも思えない。日本式に深くお辞儀を返す。

「分かりました。貴重な情報、感謝致します桐原公」

 桐原は仮面を被るルルーシュを見下ろしてその数奇な人生を思った。皇子として育てられた少女が、男も逃げ出す過酷な道を行くとは。

 しかし桐原にはルルーシュが女のようには見えなかった。かといって、男だと断ずることができる程に逞しくも無い。

 ただ美しい。枢木ゲンブが狂ったのも納得がいくほどに。まるで日本刀の切っ先のように。

「修羅の道を行くか、女子の身で」

 ルルーシュは仮面の下で嗤った。

「それが我が運命ならば」

 

 

 

 桐原との会談を終え、ルルーシュは黒の騎士団幹部の下へと戻った。

 扇、カレン、南、玉城が畳の上に座っており、その後ろには藤堂が置物のように正座している。ルルーシュは真っすぐに藤堂の下へと歩み寄った。

「藤堂、覚悟は決まったか」

 日本解放戦線が崩壊して片瀬少将が死亡した後、藤堂はキョウト六家に身を寄せていた。

 四聖剣は藤堂の後ろに静かに佇んでいる。藤堂は静かに口を開いた。

「俺は片瀬少将を主君と定めていた。片瀬少将が亡くなられた今、最早俺は……」

「戦線に戻る気は無いと?」

「主君のいない武人に何ができよう」

 鼻で笑う。外見通り愚直な男だ。

「甘えるな」

 突き放すようなゼロの声に空気が張り詰める。四聖剣などは抜刀も辞さない目つきでゼロを睨みつけた。

 しかし藤堂の後ろから出ようともしない彼らなど恐れる気にすらなれない。顔色も変えずただ押し黙る藤堂を見る。

「お前は奇跡の責任を取らなくてはならない。主君がいなくとも、お前の責任に変わりは無い」

「責任だと?」

「そうだ。エリア11の抵抗運動が他のエリアに比べて格段に激しいのは、日本が余力を残したまま降伏したからだ」

「それは枢木首相が自殺して早期に日本が降伏したからだろう」

「そうだ。しかしそれだけではない。お前は厳島の奇跡という夢を日本国民に見せた。その夢の続きを見せないままに終わることは許されない。軍人として、奇跡の名を持つものとして」

「……私のせいだと言うのかっ」

 膝の上で手が白くなる程に藤堂は拳を握り締めていた。

 

 その様子に、藤堂はやはり軍人にしかなれないとルルーシュは評価を下した。愚直な気質は軍人として優れているのだろうが、政治家の器ではない。この程度の煽り、嘲笑でもって返す程度の腹芸もできないようであれば先が思いやられる。

 しかしこの場においては藤堂の愚直さはルルーシュにとって有利に働いた。手に取る様に藤堂の思考が分かる。

 あとは少し肩を押す程度で藤堂と四聖剣は掌の中に転がり込んでくるだろう。

 

「人々は奇跡という幻想を抱いている。だからこそリフレインが横行しているのだろう?」

 藤堂は歯噛みをして俯く。懊悩する藤堂を一瞥し、頭上から託宣のように告げる。

「足掻け藤堂。貴様にはその責任がある。最後までみっともなく足掻いて、そして死んでゆけ。奇跡の名がズタボロになるその最後の一瞬まで」

 ゼロの言葉に藤堂はゆっくりと眼を閉じ、厳島を思った。

 

 地獄のような戦場だった。唯一ブリタニアに泥を付けた戦場だと華々しく語られるが、実際には泥と砂が混じった暗赤色の海岸にへばりつくようにして戦った、辛苦の日々だった。奇跡には種がある。努力と覚悟、そして幸運という種だ。

 そしてブリタニアとの戦力差は今や努力と覚悟、そして多少の幸運程度で埋めることは出来ない程に広がっていると、優れた軍人である藤堂は察してしまっていた。それでも戦ってきたのは片瀬少将のためであり、勝利のためではなかった。

 その片瀬少将も死に、戦う意味は最早無きに等しい。

 しかしそれでもなおゼロは戦えと言うのか。

 たった一度起こした奇跡の責任のために。最早奇跡は起こせないと分かっていても立ち上がり、戦うべきだと。倒れ伏してズタボロになるまで。

 

 それが責任だと、奇跡の男と呼ばれているゼロは事も無いように言う。奇跡はそんなに軽いものではないと、藤堂を嘲笑でもするような口調に変な笑みが込み上がってきた。

 もしかするとまだやれるのではないかという、馬鹿馬鹿しい期待だ。

「……そうして初めて日本人は敗戦を受け入れられると?」

「民衆のためにも、それが必要だ。最も私はただの夢にしておくつもりはない。私は奇跡を起こす男だ。藤堂、全ての責任を捨てて一人幸福の内に死ぬか、それとも足掻いて修羅の道を行くか。早く決めろ。何も待ってはくれない。時代も、時勢も。お前を信じながら死んでゆく民衆も。———黒の騎士団に来い」

 ゼロはひらりと藤堂へ手を差し出した。

「私はお前の責任は背負えない。自分の責任は結局、自分で背負うしかないのだから。しかし貴公の道筋を照らす程度のことはできよう。さあ、どうする」

 藤堂は一瞬目を瞑り煩悶の表情を浮かべた。抱え込んでいた諦観がゼロの言葉一つで揺らいでしまう。

 この手を取ればまた厳島のような地獄に、いや、もっと酷い地獄へと放り込まれることになるのだろう。重い不安がある。しかし背後から注がれる四聖剣の視線の方が重い。そして奇跡という二つ名の方がさらに重い。

 藤堂はゆっくりと眼を開き、差し出された華奢な手を躊躇いながら握り返した。案外細い指だと思うも、握り返す掌は力強かった。

「———私はお前に従うわけではない。ゼロのやり方が気に食わないと思えば反論もするし、離脱することもあるかもしれん。それでもいいのか」

「それでいい。イエスマンが欲しいのなら他を当たっているさ。藤堂、そして四聖剣。君達を歓迎しよう」

 手を解き、ゼロは藤堂に背を向けて扇に向き直った。

 扇は額に汗をかいて挙動不審に体を揺すっていた。

「扇、キョウト六家との協力は取り付けた。今後KMF整備部門の統括はラクシャータ・チャウラ―に任せることにする。すぐにラクシャータを迎える準備を、」

「あ、ああ。ゼロ……」

「何だ」

 扇は視線をゼロの黒い仮面に向けて揺れる瞳で見つめた。

 黒い仮面の奥は全く見えない。瞳の色さえ分からない謎の男に扇は急に寒気を覚えた。

 ついさっきまではこうではなかった。正体不明だが、自分達と同じく日本を取り戻すために四苦八苦している仲間だと心から信じていた。しかし唐突にそうではないのではないかという思考が扇の頭の中に浮かび上がった。

 その理由は明らかだ。おずおずとゼロに喋りかける。

「その……本当なのか、お前は日本人じゃないって」

「そうだ。俺は日本人じゃない」

「そうか……」

「……そもそもゼロは単なるアイコンに過ぎない。この仮面を被ってこの服を着ている限り俺は無国籍であり、どの国にも所属しない。全ての存在に対して平等かつ公平に接する。全ての弱者の味方であり全ての強者の敵となる。ゼロとはそういうものだ」

「ああ、そうだな。そうだよな」

 何度も聞いたゼロの定義だ。自身に言い聞かせるように扇は何度も首を縦に振った。

「時間が無い。行くぞ」

 先を歩くゼロの後ろをカレンと玉城、南は迷いなく立ち上がってついて行った。藤堂は足早に去るゼロの背中へ鋭い表情を浮かべて後を追う。

 扇は一人取り残され、真っすぐにゼロを追う味方達に唇を噛んだ。

 なんで皆そんなに迷いが無いんだ。ゼロは日本人じゃないのに。

 扇は先へと歩くゼロの背中を揺れる瞳で見やり、戸惑いながらも立ち上がった。

「————信じていいんだよな、ゼロ。俺たちは、お前を」

 小さく呟いた言葉に答える者は誰もいなかった。

 

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 神根島の程近くにある新島まで観光客用の航空機で向かい、観光に来ていたブリタニア貴族からクルーザーを徴用したルルーシュは、トウキョウから僅か3時間足らずで神根島に到着した。

 神根島は緑に恵まれた豊かな島だった。水も豊富で、動物も多い。人の手が入っていない森は深く、足を踏み入れるにも躊躇われる程に雄大だった。 

 ルルーシュは浜辺から森を見上げて手元の地図に眼を落した。隣からはC.C.が地図を覗き見ている。

「お前は船も運転できるんだな」

「KMFに習熟すれば大抵の乗り物は楽に運転できるようになる。例外は戦闘機ぐらいのものさ」

「便利なものだ。私も練習するかな、KMF」

「練習するというなら真面目にやれよ」

「気分が乗ればな」

 乗ってきたクルーザーは浜辺に停めてある。ルルーシュとC.C.は砂浜に立っていた。

 二人ともゼロの衣装や拘束着ではなく、ごくごく一般的な高校生らしい服装をしている。万が一人がいた場合、休みを利用して無人島へ遊びに来た高校生のカップルを装うためだった。神根島はブリタニア軍が頻繁に出入りしているという話だが、民間人の立ち入りが禁じられているわけでは無い。

 遺跡の場所は事前に調べてある。ルルーシュは真っすぐに遺跡へと足を踏み出した。C.C.は欠伸を噛み殺しながらルルーシュの後を付いて行く。

「しかし折角の休暇をこんな辺鄙な場所で過ごすことになるとは」

「いいだろう。言ってみれば無人島でのバカンスだ」

「ものは言いようか」

「あれから調査を続けているが未だにギアス教団の位置が分からない。ブリタニア皇帝が興味を持つ遺跡ならば、ギアスに関連する遺跡の可能性も否定できない。……ついて来たくなかったんなら家で待っていても良かったんだぞ」

「つれないな。私が守るって言っただろう?」

「ついでに家計も守ってくれると助かるんだが」

「しょうがないじゃないか。ピザが美味いのが悪い」

 軽口を叩きながら歩く。遺跡の位置は浜辺からそう離れてはいない。森の中を歩いて進む。

 湿った空気を吸い込みながら暫く歩くと苔むした扉が見えた。大人2人が腕を広げたぐらいの幅があり、大昔はさぞ迫力のある扉だったのだろう。今ではあちこちが罅割れているものの重々しく閉ざされている。

「あれか」

「らしいな。ギアスに関する遺跡は世界中にあるが、これはその中でもかなり大規模な部類に入る」

 近づくと予想していたよりも巨大な遺跡が姿を現した。日本の遺跡にしては西洋風な造りをしており、パルテノン神殿のように石柱が立ち並んでいる。しかし碌に手入れされていないせいか今にも倒壊しそうなほどに風化していた。

 ルルーシュは扉へと足を動かそうとしたものの、しかし人の声が聞こえて咄嗟に近くの岩場に身を潜めた。C.C.もルルーシュの隣に身体を滑り込ませる。

 来た方向とは逆側から足音が近づいてきた。数が多い。観光客だろうか。

 耳を澄ませると幼げで無邪気な声と、穏やかで柔らかい声が鳥の鳴き声に交じって聞こえて来た。聞こえて来た声にルルーシュは眼を瞠った。聞き覚えのある声だ。

 

「———ガウェインは既に遺跡の中でスタンバイしてます。あとはちょっとした調整ぐらいですかね。あ、余計な人は中に入れないで下さいよ。生体反応が入ると情報解析が上手く行かないんで」

「分かっているよ……それにしても君の趣味がまさかこんなところで役立つとはね。この遺跡の調査が上手く行けば他の遺跡でもドルイドシステムが使えそうだ」

「そういえば他にも数か所遺跡があってぜーんぶ天領にされてるんでしたよねえ。まるで遺跡のために戦争しているみたいじゃあないですか。いつから皇帝陛下はオカルティズムに目覚めたんです?」

「私も詳しいことは知らないんだ。しかし少なくとも、各国への侵攻計画は遺跡のあるポイントに沿って行われている。そう考えると皇帝の座に収まった頃からオカルティズムに目覚めたと考えるのが妥当なのだろうね。皇帝になって激烈なまでに他国への侵略を行うようになったのも、現在私に政治の一切を任せて姿を晦ませているのも、全てが、もしかすると———」

「ごめんなさい殿下。口が過ぎました。僕、これ以上は聞かないようにします」

 ロイドは自身の両耳を両手で塞いだ。シュナイゼルは顔に貼り付いているような笑みを浮かべた。

「賢明な判断だと思うよ、ロイド。知らない方が良い事が今の世界には多すぎる」

「賢明とは違います。僕は臆病で面倒くさがりなんですよ」

「それを賢明と呼ぶんだよ。人は余計なことに関わらず、今日を生きることだけに一生懸命になった方がずっと幸せになれる」

「殿下の捻くれた人生観はどーでもいいんです。僕は政治に興味が無いだけですから」

 それより、とロイドは両耳から手を離した。

「ドルイドシステムはまだ未完成品。ちゃんと情報解析ができるかどうか」

「君が納期を守れないなんて珍しい」

「納期はちゃーんと守りましたよ。でも最も重要なパーツが無いんです。デヴァイサーというパーツが足りない。ドルイドシステム自体は8年も前に原型が出来てるんですからとっくに完成してます。ただドルイドシステムの機能をフル活用するためには、大量の情報を精確に処理できる、それ自体がスパコンみたいな人間がいないと無理なんです」

「私にも不可能かい?」

「……確かにシュナイゼル殿下なら使えるかもしれないですね。何なら殿下に合わせてハドロン砲も調整しましょうか?まだ開発したばっかりなんで暴発する可能性もありますけど、それも御愛嬌ってことで」

「………いや、止めておくよ。私は戦場に出るタイプの将ではない」

「まあ殿下が出撃したら真っ先に撃墜されちゃうでしょうからね。情報解析能力ならともかく、殿下はデヴァイサーとしての才能はからっきしで、身体能力も素晴らしく底辺ですし」

 あはははは、と笑うロイドにシュナイゼルは深々と溜息を吐いた。

「どうして君の副官は今日来ていないんだい」

「ランスロットの調整が大変なんですよ。ほんとなら僕だって殿下のお守りをするよりランスロットを弄りたいのに。ガウェインを使いたいって殿下が我儘を言うから仕方なく来たんですからね」

「私はツッコミ属性を持たないんだよ。君の無礼を咎める人間がいないと会話がスムーズに行かないじゃないか」

「殿下、無礼だと思うから無礼になるんです。だったら無礼だと思わなければいいんですよお」

「君のその開き直りは素晴らしい能力だと思うよ」

「ありがとうございまーす」

 二人は会話を続けながら遺跡へと向かって行く。

 ルルーシュは岩場の陰に身体を沈めたまま、聞こえてきた会話に瞠目した。

「おいルルーシュ」

「喋るな」

 胸が鳴る。距離があまりにも遠い。それに二人の周辺には警備兵が何人も立っている。

 駆け寄って目を見て、俺の奴隷になれ、と言うにしても、その前に周辺の警備兵に射殺されかねない。あの警備兵はただの雑兵ではない。シュナイゼルの近衛兵だ。ブリタニアでも優秀な兵ばかりが集められているシュナイゼルの近衛兵は、シュナイゼルに近寄ろうとすれば口を開く間も与えず射殺しかねない。

 二人はそのまま遺跡の中へと入って行った。数名の警備兵はそのままその場に残る。

 

 ルルーシュは息を吸い込み、静かに立ち上がった。そのまま両手を上げてゆっくりと警備兵の前に出る。

 突如として現れた華奢な少年の姿を認め、警備兵はライフルの銃口を向けた。

「っ、何者、」

「俺に従え」

 その場にいた全員の瞳の淵が赤く染まるのを見届け、ルルーシュはC.C.に合図を送った。草むらから出てきたC.C.と共に遺跡の中へと忍び込む。

 

 

 遺跡の中は外から見たよりもさらに広い。天井が高いせいか空気は肌を刺すように冷たい。

 シュナイゼルはさらに遺跡の奥に向かったのか姿が見えなかった。他の警備兵もシュナイゼルについて行ったらしく姿はない。

 その場にいたのは遺跡の中心に鎮座するKMFと、それを整備しているロイドだけだった。

 そのKMFは初めて見る機体だった。サザーランドよりも1.5倍は大きい。背中には6枚の翼を背負っており、フロートシステムが完備されている。

 まず間違いなくブリタニアの最新鋭KMFだろう。ロイドが直々に調整していることからも、いかに特派が力を入れて製造した一品であるかが分かる。何よりフロートシステムだ。サザーランドより一回り大きい巨体を浮かせるというぶっとんだ技術を駆使しているKMFは、いくら超大国ブリタニアにもそう多くはないに違いない。

「欲しいな」

 そのKMFを仰ぎ見ていると思わず欲望が口から洩れた。C.C.がせせら笑う。

「ほう、おねだりでもするか?」

「あのKMF狂いがそんなことで自分のKMFを手放す訳が無いだろう」

「ではギアスをかけるか」

「こちらを向けばな。C.C.、お前は周囲を見張っていろ」

「分かった」

 周囲を見回す。ロイド以外は誰もいない。

 あまりに警備が薄いのは何か理由でもあるのか。もしやこの遺跡は警備でさえ立ち入りを制限せねばならない程の機密なのか。しかしならばなぜこう易々と自分は潜入できたのだろうか。

 ルルーシュは足音を鳴らしながらロイドに近寄った。機体の整備に夢中になっているらしく、ロイドは足音が聞こえているだろうに振り向く様子も無い。

「———久しぶりだな、ロイド」

「んー?警備なら外で待っててってシュナイゼル殿下に言われたでしょ?ここは機密でいっぱいだから、許可なく入るのは、」

「警備じゃない。……KMF狂いなところは変わらないな」

 不遜な口振をようやく不振に思ったロイドは振り返り、その存在を目の当たりにして驚きで目を見開いた。

 

 記憶よりもずっと身長が伸びているし、可愛らしかった容姿は凛々しく様変わりしている。しかしかの皇子の面影は強く残っていた。

「………ル、ルルーシュ殿下?」

「久しぶりだな、ロイド」

「え?生きてたの?」

「ああ。なんとかな」

 ロイドはKMFから離れてぽかんと口を開いた。

 約5年ぶりの再会だ。ドルイドシステムの原型を作った彼が日本で死亡したと聞いたときにはそれなりにショックを受けた。だがあまりに堂々と姿を現したルルーシュに、死亡したという情報は自分の勘違いだったのかとさえ思ってしまう。

 ルルーシュは混乱しているロイドを気にもせずKMFに近寄った。

「え、え?どうしてここに?」

「訳ありさ。お前こそどうしてここにいる」

「え、えーと、シュナイゼル殿下のお守りだよ。ドルイドシステムがこの遺跡調査に必要らしくて」

「そうか」

 呆然としているロイドの隣をすり抜けてルルーシュはKMFを見上げた。かなり大型のKMFとはいえ、ドルイドシステムという超高速演算機を搭載していると考えるとそう巨体ではない。

「このKMFにドルイドシステムを乗せているのか。よく小型化したものだな。どうせお前のことだから小型化のために解析能力を犠牲にしたりはしていないんだろう?」

 心底感心して嘆息を漏らすと、ロイドは目の前の皇子が本当は死んでいる筈だとか、ここにいたらマズい人だということを一端脇に置き、ぱあ、と顔を明るくした。

「そう!もう、ドルイドシステムは小型化が一番大変だったんだよ。セシル君の協力のおかげで体積が80%減してね、ようやくKMFに積み込み可能なサイズになったんだ。しかもただの情報収集だけじゃなくて完全自律的に周囲の環境パターンを解析するように調整したんだ。さらにハドロン砲を装着することで単なる指揮官機としてだけじゃなくて広範囲の敵に対しての攻撃力を持つエース機としての役割も付加させたんだよ。フロートシステムも中空にホバリングできるようにして指揮官機として運用することを考慮に入れた仕様になってるんだ。小型の指揮官専用艦とさえ言えるスペックは情報解析能力と防御機能だけなら現在開発中のシュナイゼル殿下専用艦アヴァロンでさえ遙かに凌駕するんだよ~」

 流れるような説明にルルーシュは一つ一つ頷きながら目を細める。

 

 ブリタニアでも有数のKMFだという予想は間違いなかった。それどころかこれはロイドの趣味全開の、デヴァイサーのことなど全く考えないモンスター機体だ。

 欲しいな。ルルーシュは口元に笑みを浮かべながらロイドを振り返った。

 

「指揮官機ということは、これにはシュナイゼルが乗る予定なのか?」

「いんや。あの人デヴァイサーとしての能力はカスだから。ていうかブリタニアの皇族で戦場に出れるレベルにあるのはコーネリア殿下だけだし、コーネリア殿下程度のスペックじゃあこのガウェインは絶対に操縦出来ないからあげられないし」

「コーネリア程度だと?」

「うん。単なる操縦技術の問題じゃないんだ。僕かシュナイゼル殿下並みの情報解析能力を持ってないとこれは使えない。僕は使いこなせない人にKMFあげたくないし。だからこれは僕の趣味の機体なんだよね」

「そうか」

 黒く塗装されたガウェインを見上げる。

 ロイドに駆け引きは通用しない。ならばとルルーシュは勝負に出ることにした。

「これが欲しい。くれないか?」

 ロイドはひくりと頬を引き攣らせた。

「……冗談が上手になったね、ルルーシュ殿下」

「そう呼ばれるのも久しぶりだ」

「これまでどうしてたの?ていうかあのロリコン辺境伯はどこに行ったの?とうとう捕まった?」

「死んだ」

 そういえば、ロイドはジェレミアの同級生だったと思い出した。

 士官学校卒業後もそれなりに親交があったと聞く。ならば、あれからどうなったのか知る程度の権利はあるように思えた。

 ルルーシュの言葉にロイドは表情を無くし、何を言われたのか分からないと首を傾げた。

「死んだよ。俺を守って」

「嘘」

「本当だ」

「あんな、体が頑丈なのが取り柄みたいな脳筋が?」

「そうだ。死んだ。あいつは。ブリタニアから俺を守って、死んでいったよ」

「———そっか」

 あーあ、とロイドは俯いた。

「そっかあ、死んじゃったんだあ」

 鼻をならし、口をへの字に曲げる。

 

 予想外の反応だった。人のことなんて何とも思っていないマッドサイエンティストかと思っていたが、少なくとも知人の死を悼むことはできたのか。

 もしかすると知人でなく友人だったのかもしれない。

 

「死んじゃったんだ、そっか。うん、まあ、おかしいことではないよねえ」

「……そうだな」

「でも嫌だなあ。こういうの。調子が狂っちゃうよ」

 ロイドはぶんぶんと顔を横に振った。口をへの字のまま引き絞り、眉間に強く皺を寄せている。

 湿った息を吐いて、ロイドはう゛ぅと唸り声を上げた。

「殿下を護って死んだの?」

「ああ。……騎士として見事な最期だった」

「死ぬときに見事だったとかどうでもいいよ。あいつは好きでルルーシュ殿下の騎士になったんだから。そのために全部賭けて、全部無くして、その果てに死んだんだから。殿下を護って死んだっていうなら、どれだけ無様に死のうがどうでもいいことだよ。それであいつは満足だったんだろうからさ、それでいいんだよ」

「………俺には、あいつが満足して死んだのか分からない」

「他人のことなんて分かる訳ないでしょ。でも満足して死んだって思った方が生き残った側は楽だよ」

「俺は楽になりたい訳じゃない」

 ルルーシュが叩きつける様に言い放つと、そっか、とロイドは顔をもたげた。

「………僕、ここでは誰とも会ってないし、何も見てないから」

「ありがとう」

「あとまあ、サービスなんだけど」

 ロイドはKMFのキーをルルーシュに向かって放り投げた。弧を描いて飛んできたキーをルルーシュは手を伸ばしてキャッチした。

「僕、あの馬鹿と違って貧弱だからね。拳銃とか嫌いだから持ってないし。強奪されたら抵抗できないから」

「分かった。ではこれは強奪させてもらおう」

「……あ、でもデータ取ったら送ってくれない?誰も乗れないからドルイドシステムのデータが全く無くて」

「悪いが、それは断る。敵に塩は送らん」

 ロイドは唇を尖らせた。5年前と変わらない無邪気な仕草に苦笑が零れる。

 しかし5年前とお互いの立場は全く違う。一緒にドルイドシステムを弄って遊んだ頃に戻ることは不可能であり、お互いにそのことはよく理解していた。

 とはいえ名残惜しい。

「そんなにデータが欲しいのならこっちに来ればいい。歓迎するぞ?」

 微笑を浮かべて言った言葉にロイドは頬を引き攣らせた。

「……なーんとなく、殿下が今何をしているのか予想がついたんだけどさ。ゼから始まってロで終わるようなことしてるんじゃない?」

「さあ?」

 誤魔化すように首を傾げたルルーシュに、ロイドは寂し気に笑った。

「僕はここに残るよ。あんまりにも残してきたものが多いから」

「そうか。残念だ」

「発進スイッチは操縦桿の右にある。フロートシステムの発進は液晶画面から操作してね」

「分かった。じゃあな」

「うん。またね」

 ルルーシュはC.C.呼び寄せてガウェインに乗り込んだ。

 珍しい複座式のコックピットに頬が引き攣る。成り行きでとんでもないものを強奪してしまったものだ。

 勝手に前方の操縦席に身を沈めたC.C.はカメラの向こうで手を振っているロイドを見やった。

「おいルルーシュ、あいつにギアスをかけなくていいのか」

「ああ……ガウェインの礼だよ」

「お前はやっぱり甘いな」

「まさか。そこまでする理由が無いというだけだ」

 コックピット一面に情報が展開される。その情報に合わせてルルーシュは操縦桿を握った。

 

 確かに、今回に限っては自分の対応は甘いのかもしれない。だがジェレミアが死んだことを悲しんでくれる人間はもうそう多くはないのだ。その数少ない人間であるロイドにギアスをかけることはしたく無かった。

 発進スイッチを押す。フロートシステムが起動し、機体が宙に浮く。エンジンが駆ける轟音が遺跡中に響く。

 そのままルルーシュとC.C.を乗せたガウェインは、真っすぐに空へと飛んで行った。

 

 

 

 遺跡の奥から戻ってきたシュナイゼルは、ガウェインが破壊した遺跡の扉と立ちすくむロイドを見て、ガウェインが奪われたとすぐに察した。

 しかしそれにしてはロイドには怪我があるようにも見えない。近寄ると、ロイドはぐすぐすと鼻を鳴らしていた。

「ロイド、どうした」

「分かんないよ」

 眼を擦りながら、あーあ、とロイドは声を漏らした。

「殿下なんかには、一生分かんないよ」

 シュナイゼルは寂し気に俯くロイドの顔を覗き見た。ロイドとはもう長い付き合いだが、こうしてこの男が感情を露にしているところは初めて見た。

 

 涙は生理的に眼球を守るために流される時と、感情が揺さぶられた時に流れるものがある。このロイドは明らかに後者の理由で涙を流している。それは分かる。シュナイゼルには、しかし何故感情のために涙が流れるのか上手く理解できなかった。

 涙を流して何かが変わるわけではない。落涙とは少量の水分と塩分を失う行為でしかない。なのに何故、人はわざわざ涙を流すのだろう。

 理解できないことが寂しいわけではない。ただ疑問だった。

 人間には感情がある。感情のために生きている人間さえいる。感情とは欲であり、悲嘆であり、歓喜であり、愛でもある。

 感情のために人は文明を発達させた。しかし十分に文明が成熟した今は、感情が無い方が人間はずっと理知的に生きていけるとシュナイゼルは思う。余計な欲を持たず、より理知的に、平坦な心持でいれば争いは起こらない。その方がより多くの人々が幸せになれるだろう。だが大多数の人間は自分と意見を異にすることもシュナイゼルは察していた。

 何故か。

 それは感情は平和より、人命より尊いものだと多くの人が見なしているからではないだろうか。

 そして思う。では感情が無い人間が、感情のある人間を相手に完璧に統治を行うことは、果たして可能であるのだろうか。

 シュナイゼルは到って理性的に思った。

 自分は感情を取り戻すべきではないか、と。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

「……すっごいわねえ、コレ。フロートシステムはセシルも一枚噛んでるわね。それに、なによこれ。ドルイドシステム……誰が使えんのよこんなぶっ飛びシステム。あとこのハドロン砲。あいつの趣味が盛り込まれまくりじゃない。ゼロ、これどうやってあのプリン伯爵からぶん捕ってきたのよ」

「秘密だ。それよりこのフロートシステムを黒の騎士団が使っているKMFに転用できるか?」

「現物があるんだから余裕よ。すぐにでも解析にかかるわ」

 ラクシャータは黒の騎士団の格納庫にしまわれたガウェインを前に、腕を組んでふふんと笑った。キセルからは煙が伸びている。

「ワンオフ機に拘るあいつより、アタシの方が早くフロートユニットを大量生産できるわよぉ」

「それは何よりだ。ドルイドシステムの方はどうだ」

「どうだってどういうこと?」

「ロイドはドルイドシステムを利用することで戦場の指揮をよりスムーズに行うことを可能にした、と言っていた」

「ま、普通の人間じゃその程度が限界でしょうね。ドルイドシステムのスペックをフルに使うとなれば人間の限界を振り切るレベルの情報処理能力が必要よ。そんなの、」

「俺にはできる」

 ゼロはぽかんと口をあけたラクシャータに向き直った。ラクシャータの口からキセルが落ちる。

「……できるの?本気で?」

「ここまで輸送する途中でドルイドシステムを弄ってみたが、99.4%は稼働可能だった。慣れれば99%代後半まで使えるだろう」

 ラクシャータは口角を引き攣らせる。

 一拍の後、高笑いを上げた。

 格納庫にいる騎士団員が驚いて振り返ったが、気にせずラクシャータは腹を抱えて笑い続ける。

「あんた、ほんっと面白いわねえ!インドから中国越えてわざわざやってきた甲斐があるってものよ!」

 暫く腹を抱えて笑い、ようやく収まってからにたりと頬を歪ませるように笑った。ロイドに似た笑い方だとルルーシュは思った。

 立場は違えどKMF狂いという点では二人はよく似ている。言えば怒るだろうが。

「いいわ。やってやろうじゃない。ドルイドシステムをフルに活用したぶっ飛んだ機能、作ってやろうじゃないの」

「頼んだぞ」

「ただし一つ条件があるわ」

「何だ」

「名前よ」

 キセルを拾ってラクシャータは手の中でくるくると回す。

「名前が気に食わないのよぉ。円卓の騎士の名前をそのまま使うのも気に食わないし、太陽の騎士の名前を冠している癖にカラーリングが真っ黒っていうあいつの捻くれたセンスをアタシのKMFに持ち込むのも気に食わないわ」

「……そうか。なら名前は好きに変えていい」

 予想外の要請にルルーシュは肩を竦めた。ラクシャータは鼻を鳴らしてKMFを見上げる。

「そうさせて貰うわ。実はもう候補があるのよね~」

「あ、あの!!」

 ラクシャータの声を遮るように声が上がった。だれかと振り返ると、同じ格納庫で紅蓮弐式を調整していたカレンが手を上げていた。ゼロの視線を受けてカレンは顔を真っ赤に染めた。

「私が、その、名前を付けてもいいですか!!」

「名前を?何故」

 首を傾げるゼロにカレンはええと、と眼を左右に走らせながらもじもじと指先を弄る。

「いえ、その、ゼ、ゼロの機体に、その、ぐ、紅蓮とセットみたいな、名前をですね……」

 ごにょごにょと口ごもるカレンにルルーシュはふむ、と顎に手をやった。

 紅蓮の名前は既にエリア11でよく知られている。ゼロの搭乗する機体が紅蓮に対応するような名前であれば、さらに黒の騎士団の名が高まるかもしれない。

「そうだな、それもいいかもしれん」

「は、はい!だから、その、」

「紅蓮と対応する名前と言えば鉢特摩(はどま)、いや、魔訶鉢特摩(まかはどま)か?」

「………ゼロ、何ですかそれは」

 す、と真顔に戻ったカレンに、ルルーシュは首を傾げた。

「何とは。そもそも紅蓮は仏教における八寒地獄の一つ、鉢特摩地獄の別名である紅蓮地獄の名称のことだろう。ああ、紅色という意味で対応するのならば白色に関連する名前になるのか。紅白と言うしな。ならば胡粉色(ごふんいろ)か。コンプリメンタリー配色として考えるのならば山葵色(わさびいろ)というのもありか」

「いえ、無いと思いますゼロ」

 カレンは真顔のまま真向からゼロの言葉を否定した。ここまでゼロの意見に真っ向から反対したのは初めてかもしれない。だが後悔は全く無い。むしろよくやったと自分を褒めたい。

 危うくぶっとんだ名前を与えられそうになったガウェインを哀れみの目つきで見上げた。黒にカラーリングを施された機体はゼロに相応しく禍々しい印象があり、巨体も相まって畏怖さえ感じる程の威圧感を発している。

 こんな機体に胡粉色と名付けるゼロのセンスとは。カレンは重病人を前にした医者のように首を振った。

 ゼロは頭は良いし、カリスマ性もあるし、スタイルも良い。天はこの人に二物どころか何物も与えている。しかしネーミングセンスだけは授けてくれなかったらしい。

「あーだめだめ。ゼロはこういうセンスはからっきしみたいね。黒の騎士団っていう名前もちょっとアレかと思ったけど、今の聞いてるとまだマシだったんだねえ」

 笑い声を立てながら、ラクシャータはキセルをくるくると回す。

「こいつの名前は蜃気楼よ。蜃気楼みたいに実態の無い、絶対的な防御力を持つKMFを作ってあげるわ」

「ああ。頼んだぞラクシャータ」

「……蜃気楼……うん。いいです。紅蓮とは関係ない名前だけど、山葵色とか名付けられるよりずっといいです。すいませんゼロ、失礼しました」

 ひきつった笑いを浮かべ、カレンは紅蓮弐式の調整に戻った。

 

 紅蓮の横には扇の無頼が立っている。扇は無頼の前で昼食を食べていた。膝にお弁当を乗せている。

「あれ、扇さん。手作りのお弁当ですか?」

「あ、そ、そうなんだ」

「……もしかして、彼女でもできたんですか」

 カレンの言葉に扇は喉を詰まらせた。慌てて横に置いてあった水筒を手に取って扇に手渡す。

 水を喉に押し込んで、扇は大きく息を吸った。

「は、はあっ、カ、カレン、は、な、なんでそんな、」

「だって扇さん、自分でお弁当作るようなタイプじゃないでしょ。だったら彼女かなって」

「あ、ああ。ええと。彼女というか、その……」

 ごにょごにょと口ごもる扇に、あーあ、とカレンは息を吐いた。

 扇は隠し事が下手だ。これは彼女だろう。扇の隣に座ってぶらぶらと足を揺らす。

 

 別に彼氏が欲しいわけではない。学校に気になる男子がいるわけでもない。

 ではゼロをそういう対象として見ているのかと問われると、それもちょっと違うような気がする。ゼロのことは好きだが、性愛というより敬愛に近い。それに組織に私情を持ち込むのはいけないと分かってもいる。

 年頃の乙女としてこんな色恋沙汰の無い灰色の青春もどうかと思う。しかし戦時中なのだからしょうがないと自分に言い聞かせるしかない。

 戦争が終わって、平和になってから考えればいいや。それに今はまだ早い気がするし。気になる男の人も別にいないし。

 気になる人、といえば。

 頭にルルーシュの顔がぽん、と頭に浮かんだ。精密に作り込まれた人形のようだと最初は思った。しかし生徒会で一緒に過ごしているとその印象は大きく覆された。

 確かにぶっとんで綺麗な人だ。綺麗なだけじゃなくて仕事も凄くできるし、頭もすごく良い。でも近寄りがたい訳ではなく、生徒会ではよく笑うし、皮肉めいた言動も多く意外に口が悪い。生徒会に慣れないカレンをよく気遣ってくれて、飄々としているが根っこは優しい人なんだろうと分かる。

 女だと知っているけど。でも、そんなの気にならないぐらい綺麗で。それにいつも男子の制服を着ているから、女には見えなくて。それに揶揄うような口調をするけど、とっても優しくて。

 

 くわ、とカレンは眼を見開いた。

「何を考えてるのよあたしは!!」

「か、カレン?」

 いきなり上がった大声に扇はびくっと肩を震わせたが、カレンは扇を気にする様子も無い。

「開けちゃいけない扉がオープンしそうだったわ!閉じるの!二度と開けちゃだめよカレン!!戻って来れなくなるわ!!」

「どうしたんだカレン」

「確かに美人よ!!イケメンよ!!絶世の美女よ!!でも違うの!!彼女はオスカルルーシュなんだから!!最後はアンドレと結ばれる運命にあるのよ!!」

「何を言っているんだカレン」

「どうせ最後はずっと傍にいた優しい人と幸せに結ばれるっていうテンプレ的な展開になるんだから!!あたしはロザリーにはならない!!」

「悪いカレン、俺はベルサイユのばらを読んだことがないんだ…」

 おろおろとする扇に、散々大声を上げて少し冷静になったカレンはぐっと親指を立てた。

「気にしないで扇さん、ちょっと新しい扉が開きかけていただけだから。輻射波動で粉々にしてやったからもう大丈夫」

「それは大丈夫なのか?」

「ええ。オールオッケーよ。万事ノープロブレム。そうよ、これもブリタニアが悪いの。あんな才色兼備な超絶美人を育んだブリタニアという国が悪いのよ」

「カレン。俺はブリタニアという国が好きじゃない。でもそれは八つ当たりだと思う」

「あんな美人で気が利いて料理も上手な女性がいなければあたしは道を外れることは無かった。そんな女性を生んだのはブリタニアよ。だからブリタニアが悪い。理論は破綻はしてないわ。それでオッケー。あたしは悪くない。ルルーシュも悪くない。悪いのはブリタニアオンリーよ。分かった?」

「……う、うん」

 扇は意味が分からないながらも首肯した。そうしなければカレンにヘッドロックでも決められそうな予感がしていた。

 

 その時、南が扇とカレンの元へと駆けてきた。南の必死の形相にカレンも首を傾げた。

「南さん?どうしたの?」

「お、扇さん、紅月!あれ、あれ!!」

 南は扇の腕を掴み、無理やりに立たせようとした。

弁当を守るために扇はその場に踏ん張る。

「ど、どうしたんだ南」

「テレビを見てください!枢木スザクが!」

 珍しく慌てている南の様子に、扇は戸惑いながらも弁当を脇に避難させて立ち上がった。そのまま南に連れられて格納庫に付属しているモニターへと向かう。

 モニターはテレビを映していた。カレンも南と扇の後を追い、一緒にモニターへと向かう。

 モニターの近くには沢山の人が群がっており、驚く事にその中にはゼロも居た。ゼロを含め、全員がテレビ画面に釘付けになっている。異様な様子に扇とカレンもテレビへと視線を向けた。

 

 総督府のどこかだろう。ブリタニアの紋章が描かれた垂れ幕の前に、兵士とは思えない柔らかい顔立ちをした枢木スザクが立っている。スザクは身の置き所が無い様子で何度も眼を瞬き、額から汗を流していた。

 そしてスザクの前には、お人形が着るようなピンク色のドレスを着たユーフェミア副総督が立っていた。

 ユーフェミアはマイクを持ち、柔らかな声で高らかに宣言した。

 

『皆さん、お集りありがとうございます。私は本日、私の騎士を皆さんに紹介するためにこの機会を設けさせて頂きました。

 皇族にとり騎士は自らの剣であり、寄り添い、支え合う大事なパートナーです。心から信頼できる人でないと、選任騎士には任命できません。そんな人は稀なもので、生涯選任騎士を持たない皇族も珍しくはありません。

 しかし私はここ、エリア11で幸運にも心から信頼できる騎士を見つけました。彼と支え合うことで、私はこのエリア11に住まう全ての人々の生活を守ることができると確信しています。

 私はここに、神聖ブリタニア帝国第3皇女として、ここにいる枢木スザクを我が騎士とすることを宣言します!!』

 

「あんの、大馬鹿野郎が」

 ゼロが零した言葉は、騒めく騎士団員の中では誰にも聞こえなかった。

 

 

 

 

 

 

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慈愛のありか
14. ユフィは純真で、無垢で、ただそれだけだった


 

 

 

 スザクが屋上に向かうと、既に到着していたルルーシュはスザクを視界に認めるなり無言のままに近寄った。

 そのままルルーシュは腹を殴ろうと拳を勢いよく突きだした。

 しかし拳が腹に当たる前に、スザクの身体はルルーシュに触れることを拒絶するように勝手に避けてしまい、バランスを崩したルルーシュは足を縺れさせてその場に転げた。

「だ、大丈夫?」

「煩い馬鹿!」

 立ち上がり、これ見よがしに舌打ちするルルーシュの顔面は稀にみる程に凶悪だった。美人が怒ると怖いという言葉は本当だとスザクは心底理解した。壮麗な顔が左右に吊り上がり、元から女性とは思えない程に鋭い眼光がさらに剣呑に光っている。

 スザクは命の危機を感じ、仁王立ちするルルーシュの前に正座した。額から汗が零れる。やらかしてしまった自覚がある分に恐ろしい。頭上から地を這うような底冷えのする声が落ちて来た。

「馬鹿だ馬鹿だと思っていたが、想像以上の馬鹿だなお前は。お手とお座りを覚えられるポメラニアンの方がずっと頭がいい」

「……や、やっぱり駄目だった?」

 おそるおそる顔色を窺う。言われずともルルーシュが何で怒っているのかは分かる。

 ルルーシュは片方の眉を跳ね上げた。

「ほう、駄目だと思ってはいたのか」

「う、うん……ユフィと出会ってからまだ2か月ちょっと位しか経っていないから、選任騎士になるなんて早急過ぎるかと思いはしたんだ。それに僕はイレブンで、式典で賛同してくれた貴族はロイドさんだけだったし。それに政治の勉強なんてしていないから、副総督の補佐の仕事なんて想像もつかないし……」

「………そこまで分かっていてなんで騎士になったんだ!!」

 今度は顔面を狙って蹴りが飛んできた。体を逸らして避けると、バランスを崩したルルーシュが転げそうになったので今度こそは受け止めようと両手を広げた。

 しかしルルーシュの身体に接触する前に何故か両手がすっと下がってしまい、彼女はそのままコンクリートの床に転がった。

「だ、大丈夫ルルーシュ!?ごめん、受け止めようとしたんだけど腕が勝手に下がっちゃって」

「っ、いい。気にするな」

 顔面を凶悪に歪ませたまま、ルルーシュは舌打ちをしたその場に大の字に寝っ転がった。

 先ほどまでの怒気は少し発散されたのか、表情は怒りよりも呆れに近かった。それはそれでスザクは悲しい気持ちになった。

「それで、なんでお前はそれだけヤバいと分かっていて選任騎士を引き受けたんだ。士官学校どころか高校すら……いや、中学校すらまともに通っていなかったお前が、政治能力や指揮能力は当然として、他にも教養やら外国語能力やら人脈やらが求められる選任騎士になったところでまともに評価される訳が無いと分かっているだろう。いくら馬鹿なお前でも」

「結構辛辣だよね、ルルーシュって」

「『スザクならできるさ。頑張れよ』とでも優しく言って欲しかったのか?はっ、言って欲しいなら言ってやるぞ?極上の笑顔付きでな」

「遠慮しておく」

 渋い顔で首を振るスザクにルルーシュは初めて笑みを零した。

「プライドの高さは変わらないようで何よりだ」

「プライドが高いなんてルルーシュに言われたくないよ。君の方がよっぽどプライド高い」

「実力に裏打ちされたプライドは矜持だ。俺は矜持が高いだけさ。――――話を戻すが、碌に指揮官としての経験も無い、小学校中退の17歳を選任騎士になど、ナンバーズだとか以上に異例の抜擢だぞ。なんでそんなことになったんだ」

 スザクはどこから話していいのか悩みながらルルーシュの隣に座り込んだ。

 太陽はちょうど正中の位置に佇んでいる。休憩時間が終わるまであと20分はある。スザクは大きく息を吐いた。

「ユフィとこの数か月、一緒にいることが多かったんだ」

「何故だ。お前は特派に所属する騎士だろう」

「ユフィが僕のことを気に入ってくれたみたいで。度々お茶に誘われたり、色々特派の便宜を図ってくれたりしたんだ。これは前にも話したけど、学校もユフィのおかげで通学できるようになったんだよ」

「それでお前はお茶に誘われるたびについて行ったと」

「うん。ユフィは、その、優しい人で。話しているとすごく楽しいんだ。一緒にいると胸が暖かくなるような感じがして……いけないっていうことは、分かっていたんだけどね」

 スザクは頬を緩めて俯いた。その顔を見てルルーシュは一つの可能性に思い当たった。

 

 世間で囁かれる下世話な噂だと思っていたが、そう的外れでもなかったのか。

 ユフィは心優しく度量が広い。そして思い込みが激しいスザクを振り回してしまう程のエネルギーがある。容姿も整っていて可愛らしい。それに生真面目だが破天荒なところもあるスザクは、ユフィの型破りな振舞いにも難なくついていけるだろう。二人の相性は確かに良いのかもしれない。

 しかしルルーシュは眉を深く顰めた。選任騎士はお友達でも恋人でもないんだ。

 緩んだ顔でユフィのことを話すスザクは、どう見てもただユフィという可愛い少女に恋をしているだけの少年だった。

 

「ユフィとお茶を飲んでいる間によく話したんだけど、彼女はどうしたらイレブンがブリタニア人と同じように暮らせるのか真剣に悩んでくれていたんだ。ユフィはゼロみたいな過激な方法じゃない、もっと優しい方法でエリア11を変えようとしてくれているんだって知って……嬉しかったんだ」

 ルルーシュはスザクの緩んだ頬に拳を叩き込んでやりたくなったが、どうせ避けられると分かっていたのでなんとか耐えた。

「それで騎士の話が振られてすぐにOKしたと?」

「いや……流石に動揺したよ。それでどうして僕にばっかりこんなに優遇してくれるのか、他の選任騎士候補はどうしたんですかって聞いてみたんだ。そしたら」

「そうしたら?」

 先を促すと、スザクは少しの間言い淀み、気まずげに目を逸らした。

「ユフィが選任騎士候補の人たちにイレブンの保護政策について話すと、皆嫌そうに顔を顰めたらしくて……ユフィの、ナンバーズ保護政策を推進するっていう目標を一緒に支えてくれる選任騎士候候補の人は誰もいなかったんだ。それで僕に騎士になって欲しいと思ったらしい」

「なんだそのふざけた騎士選別方法は。ほとんど消去法じゃないか。お前もだが相当ユフィもぶっとんでいるな」

 ルルーシュのストレートな非難とあからさまな舌打ちにスザクは一瞬苛立ちが湧いたが、しかしそのまま地面に沈んだ。

 分かっている。間違っているのは自分で、ルルーシュは正しい。

 どうしてあんなに短慮にユーフェミアの選任騎士になることを了承してしまったのか。たった数日前のことだというのに、既に後悔が湧いてくる。

「分かってるよ……騎士叙任式で、ロイドさん以外に誰も拍手しようとしてくれなかったんだ。正式な式典でさえそれだ。それどころかユフィを中傷するような人さえいた。相手が僕じゃなかったら、貴族だったら、せめて大人のブリタニア人だったらきっと反対されなかった。ユフィのために根回しをしたり、政治の補佐をしたりすることだってできた。僕は……僕じゃあ、ユフィの騎士には相応しくない」

「気づくのが遅い」

「僕もそう思う」

 項垂れる。

 本気で落ち込んでいるらしいスザクにルルーシュは体を起こして地面に座り、日本人らしい童顔を覗き込んだ。

 正直、かなり呆れている。しかしもうこうなってしまったからにはこれ以上の叱責に意味は無いだろう。

 ルルーシュがここで何を言おうとも、一度正式な式典を開いて選任騎士になってしまった以上、スザクはユフィの選任騎士をそうそう簡単に辞めることはできない。それこそ主君が死ぬか、もしくは皇位継承権を失うような大事でなければ不可能なことだ。

「うじうじするな。もうお前は選任騎士になったんだぞ。これからどうするかを考えるんだ」

「うん」

「人脈無し、政治能力・指揮能力共に無し、身分無しのお前が戦闘以外できることは限られる。その中でユフィのための最善策を考えるんだ。その馬鹿な脳みそをフル回転させて考えろ。選任騎士は馬鹿みたいに戦場で戦えば済むような簡単なものじゃないんだからな」

「ルルーシュ、励ましてくれてるのか貶してるのか分かんないんだけど。もうちょっと優しくしてくれない?そろそろ泣きそうだよ、僕」

「泣きたいんならさっさと泣け。ハンカチぐらいは貸してやる」

「……ジェレミアさんがいたらフォローに回ってくれるのに……そういえばジェレミアさんってどうしたの?姿が見えないけど、一緒に暮らしてるんだよね?」

 そういえばアッシュフォード学園に転入してから暫く経つというのに、ジェレミアの話がルルーシュの口から上ったことが無い。ナナリーが中等部にいることは知っているし、シスコンのルルーシュがナナリーのことを話題にすることは多いが、ジェレミアについては全くだった。

 ルルーシュは口を噤み、無言のままスザクから顔を背けた。

「――――今日、学校が終わったらナナリーに会いに来い。会いたがっていたんだ」

「え……うん。お邪魔してもいいかな」

「勿論だ」

 スザクに顔を見せないまま、ルルーシュは立ち上がり教室へと戻った。

 

 

■ ■ ■

 

 

 ナナリーは筋張っている、力強い手を撫でた。指の形を一つ一つ丁寧になぞる。もっと小さかったけれど、以前、同じように力強い手を握ったような記憶がある。

 その人に思い当たり、ナナリーは思わず彼の名前を口にした。

「……もしかして、スザクさん?」

「当たり。そうだよナナリー。久しぶり」

 ナナリーは瞬間、ぽかんとした顔をして、両手でしっかりとスザクの手を握り締めた。細くて白い指に握り締められてスザクは懐かしさに頬を緩めた。5年前に手を握ったときも、ナナリーの指は儚げながらもしっかりと芯があった。

「ス、スザクさん、スザクさん!よかった、ご無事だったんですね!」

「うん。久しぶりだね、ナナリー。元気そうでよかった」

「はい、はい!スザクさんも、元気そうでよかったです!本当に、よかった、よかった……っ」

 両目からぽろぽろと落ちた涙がスザクの手に水溜まりを作る。変わらず健気なナナリーにスザクは笑みを浮かべて、閉ざされたままの眼に溢れる涙を拭った。

「僕は大丈夫だから。ナナリー、あんまり泣くと眼が溶けちゃうよ」

「はい、はいっ。心配してたんです。ずっと、ブリタニアで騎士になったと聞いて、心配だったんです。スザクさん、お仕事は大変ですか?ナリタで出陣したとテレビで報道していましたが、お怪我はありませんか?今日はお仕事はお休みなんですか?」

「ナナリー、スザクが困っているだろう」

 ルルーシュが苦笑しながらナナリーの肩に手をやった。

「時間はあるんだから、焦らなくても大丈夫だよ」

「は、はいお兄様。ごめんなさい、嬉しくて。私、またスザクさんに会えるなんて、」

 ぐずぐずと鼻を鳴らして涙を拭うナナリーは、5年前より手足が伸びたもののまだ子供らしさを色濃く残していた。桜色の頬に長いアッシュブロンドの髪が合わさって、桜の花のように可憐で可愛らしい風貌のまま成長している。スザクはゆっくりと傷一つないナナリーの手を撫でた。

「僕もまた会えて嬉しいよナナリー。ところでジェレミアさんはどこに?」

「ジェレミアさんは今ヨーロッパでお仕事をなさっているんです。お兄様と一緒にKMFの開発のお仕事をしているんですけど、転勤になってしまって」

「……え?ルルーシュを置いて?」

 スザクは首を傾げた。

 

 ジェレミアの忠義が凄まじかったことは、選任騎士となった今なら嫌になる程に分かる。皇位継承権も無い皇子のために、辺境伯の地位も財産も経歴も捨てて日本までついて行くなんて相当な忠誠だ。いっそ狂っていると言ってもいい。

 そんな男がルルーシュの傍を離れたりするだろうか。ルルーシュとナナリーは未だに皇族だと知られれば命を狙われる状況だというのに。

 

 眉を顰めたままルルーシュを振り向くと、彼女は軽く首を横に振った。ナナリーの前では言えないのか。スザクは浮かんだ疑問を口の中に戻した。

「スザク、夕食はまだだろう?食べて帰ったらどうだ」

「え、で、でも」

「そうしましょうスザクさん!お兄様の料理は美味しいんですよ!」

「そうだな。久しぶりに和食を作ろうか。咲世子さんに食材があるか聞いてくるよ」

「い、いいの?」 

「当然だ。友達だろう」

 ルルーシュがそう言うと、スザクははにかみながら俯いた。

 俯いたスザクの耳元に近寄り、囁く。

「夕食後に話がある」

 

 

 夕食後にスザクはルルーシュの部屋に向かった。

 つまり年頃の女の子、それも凄まじいレベルの美少女、の部屋に入るということになる。しかし全く緊張はしていないし、変な期待も湧いてこなかった。

 なにせルルーシュだ。性別が女であることを知ったが、彼女の性格は子供の時から変わらず横柄でプライドが高く、根本から捻くれ曲がっている。むしろ5年前より粗雑になった気がする。特に自分の扱いが。

 扉をノックすると「入っていいぞ」と声がかかる。

 部屋に入るとルルーシュは端末を弄っていた。ナナリーが言っていた、KMF開発の仕事についてなのだろう。

「お邪魔します」

「ああ。悪いな。仕事は大丈夫か?」

「うん。話って何?」

「まあ座れ」

 ルルーシュはベッドを指さす。

 年頃の女性の部屋のベッドに座るのは流石にどうなのか、と躊躇するも、部屋の内装はあまりに殺風景で女性らしくなく、さらにルルーシュの恰好は男子生徒の制服のままであり、まあいいかとスザクはベッドに腰を下ろした。

「それ、KMFの仕事なの?」

「ああ。まあ今はほとんど部下に任せてばかりなんだけどな。もう俺も退職しようかと思っている」

「そうなの?もったいない」

「コーネリアがエリア11に来たから。あまり目立つ行動は取りたくないんだよ」

 端末を畳んで、ルルーシュはスザクに向かい合った。

「俺の話より、質問がありそうな顔だな?」

「……うん。3つ」

「答えられる範囲で答えよう」

「まず、ジェレミアさんってどうしたの?ルルーシュとナナリーを置いてヨーロッパに行くなんて選任騎士として考えられない。それも最近テロ騒ぎがすごいのに、こんな状況で君を放っておくなんて、あの人がするとは思えない。……怪我でもしたの?それとも病気とか?」

 ルルーシュはゆっくりと眼を閉じた。表情を見られたくないというようにスザクから顔を背ける。指先はぎゅうっと丸まり、強張り過ぎて白く変色していた。

「死んだ。ブリタニアから俺を守って」

 スザクは言葉を無くした。ルルーシュは気にしていないかのように、淡々と言葉を続けた。

「ナナリーには、仕事の関係でヨーロッパに転勤することになったと言ってある。仕事先や学校には重傷を負って病院に入院していることにしておいた。戸籍が無くて死亡届が出せないから」

「……そうだったんだ」

「誰にも言わないでくれ」

 常にない小さな声にスザクは首を縦に振るしかなかった。

 

 土蔵で暮らしていた頃、ルルーシュの心の支えはナナリーとジェレミアだった。あの頃のルルーシュはナナリーを守ることに自分の価値を見出し、ジェレミアに守られることで安心感を得ているようだった。そして今でもあんまり変わらないんじゃないかと思う。だとすると、ジェレミアが死んでしまったことはルルーシュにとってあまりに大きなことだ。

 

 復讐を考えず、普通に学校に通っていることが不思議なほどに。

 

 脳がちりちりとするような感覚がした。何かがひっかかる。そのひっかかりが何かをスザクは十分に気づいていながら、無理やりに自分に言い聞かせた。

 まさか。ルルーシュはか弱い女の子だ。そんなこと、ある筈がない。

 喉を鳴らして、スザクはその可能性を脳の奥底に閉じ込めた。

「分かった。言わないよ。……その、ジェレミアさんはどうして」

「シンジュク事変を覚えているか?」

「うん。僕も出撃したから」

「その時、俺もシンジュクにいたんだ。テロとブリタニア軍の戦いに巻き込まれて、偶然ブリタニアの兵士の中に俺がブリタニアの皇族だと知っている者がいた。俺は殺されかけたが、ジェレミアが俺を庇った。俺は生き残り、ジェレミアは死んだ」

 淡々とした口調は事実のみを丁寧に切り取っているようで、酷く冷たかった。スザクは身震いした。

 これは学校で過ごしているルルーシュじゃない。ジェレミアの主人としての、皇族としてのルルーシュだ。そしてルルーシュは怒っていた。とても。多分、自分の予想以上に。

 ルルーシュは一度深く息を吐いて首を振るった。擡げた顔はいつものルルーシュの顔をしていた。生徒会副会長としての、ただの学生としてのルルーシュの顔だ。

 あまりに見事な切り替えにスザクはもう一度身震いした。ルルーシュが皇族だと知ってはいるけれど、その本質的な意味を自分は全く理解していなかったのかもしれない。

「2つ目の質問は何だ?」

「あ、うん。ええと、ナナリーはルルーシュをお兄様って呼んでたけど。どうして?」

「ああ。ナナリーには俺が女だと言っていないんだ」

 さらりと答えたルルーシュにスザクは首を捻った。

「どうして?」

「ずっとナナリーは俺を男だと思っていたから。実は女だなんて言ったら驚くだろう?」

「そりゃあ驚くだろうけど……でもずっと黙っていられることでもないだろう?早めに言った方がいいんじゃないかな」

「———分かってるさ」

 口を噤んだルルーシュにスザクはそれ以上追及することを止めた。

 ルルーシュが言えないということは、それなりに理由があるんだろう。それにこれは家族の問題だ。友人とはいえ、家族ではない自分がこれ以上口を挟む問題ではないように思った。

「じゃあ、最後の質問なんだけど」

「何だ」

「……ルルーシュが女の子っていうのは信じてるよ。体育の着替えも、トイレも、女子のをつかってるし。でもどうして『皇子』だったんだ?皇族が性別を偽装だなんて、ほぼ不可能じゃないのかな」

 ルルーシュが女性と知ってからずっと疑問に思っていたことだった。身分の高い貴族や皇族は、服の着脱から体を洗うことまで人の手を借りて行っている。いくら子供であったとはいえ、皇族のルルーシュが性別を偽ることができるとは思えない。それこそ、何か超能力でもなければ不可能なことだ。

 ルルーシュは首を振った。

「それは俺も分からない。俺自身でさえ自分が女だと知ったのは日本に来てからだ。それまで自分は男だと信じていたからな。もちろんジェレミアも俺を男だと思っていた」

「あ、そうなの?」

「そうだ。マリアンヌ……俺の母親が関与しているのだとは思うが、はっきりとしたことは言えない」

「そうなんだ……」

 腕を組んで椅子に身体を任せているルルーシュの仕草は明らかに男のものだった。それに未だにルルーシュは自分を「俺」と言う。男として育てられて、12歳まで自身を男だと思い込んでいたため今更容易に直せないのかもしれない。

「じゃあ俺の方の話だ」

「いいよ、何?」

 

「お前はユフィと日本、どちらの方が大事なんだ?」

 

 何でもないことのような軽い口調だった。もしかすると、答えやすいように意図的に軽くしていたのかもしれない。

 菫色の瞳に睨まれる。負けまいとスザクは睨み返した。

「どういうこと?」

「文字通りだ。ユフィはブリタニアの皇族、日本はブリタニアに占領された国。両方大事にすることなんてできる筈がない。そして選任騎士には主君以上に大事なものがあってはならない。お前に、ユフィのためなら日本を見捨てる覚悟があるのかと聞いているんだ」

「ユフィは日本のことを大事にしてくれている。だから、ユフィも日本も、どっちも大事にできる筈だ」

「本気でそう思ってるのか?」

「勿論」

 スザクの言葉にルルーシュは呆れたとばかりに肩を竦めた。

 スザクはまた馬鹿だと言われるのかと思ったが、しかしルルーシュはそれ以上何も言うことは無く、スザクの真っ直ぐな瞳を眩し気に見やった。

「そうか。分かった」

「うん。話はこれで終わりかな」

「そうだな。泊っていくか?」

「ありがとう…でも、今日は帰るよ。テロが活発だから。できる限りユフィの傍にいたい」

「ああ。帰りは気を付けろよ。もう暗いからな」

「僕は大丈夫だよ」

「だろうな。お前を襲うような奴の方が不運か」

 苦笑したルルーシュは、そのままスザクを玄関まで送った。

 外は既に薄暗い。スザクは玄関に立ち、「じゃあ、また学校で」とルルーシュに言葉をかけて玄関扉を開けようとした。

 ルルーシュは思わずといったように言葉を零した。

「―――――いつか、ユフィと日本、どちらかを裏切らなければならない時が来るだろう。どちらも大事にすると言うのなら………その矛盾は、いつかお前を殺すぞ」

 スザクは扉のノブを握ったまま眼を閉じた。ユフィと日本。両方を守ることは矛盾しないように思われた。

 しかしルルーシュから見ればそうではないのかもしれない。ユフィがいつか、日本の敵になる時が来るというのだろうか。

 スザクはゆっくりとルルーシュを振り返り、ただの学生の顔をして笑みを浮かべた。覚悟が無いというゼロの言葉が脳内に反響した。

「来週は学園祭だよね。ピザ祭りだっけ」

 ルルーシュは憐れなものを見る様に眼を細め、しかしすぐに笑みを浮かべた。スザクのぎこちない笑みとは反対の、生徒会で談笑している時と同じ柔らかい笑みだった。

「ああそうだ。ちゃんと来いよ?出席日数だって危ないんだからな、お前は」

「うん。行くよ。あんまり準備の手伝いができなかったら当日はちゃんと働くさ」

 スザクがそう言うと、ルルーシュは懐からテープレコーダーを取り出した。

「行くっていったな?言質は取ったぞ。来なかったら副会長権限で美術週間の裸体モデルに任命してやるからな」

「ちょっと待って、どうしてそんなに必死になるんだよ。何かあるの?物理的な爆発力のある何かがあるの?」

「来週になったら分かる。ランスロットでアクロバティカの練習をしおけよ」

「アクロバティカって何」

「ネットで調べろ。悪いが俺は忙しいんだ。これからトマトと小麦とKMF前腕部ユニットの発注をしなきゃならないからな」

「ちょっと待って前腕部ユニットって何。本当にどんなお祭りなの」

「来週のお楽しみだ。アッシュフォードの祭りは楽しいぞ。多分。ちなみに前回の男女逆転祭りの後、俺は3か月間悪夢に魘され続けた」

「待って僕やっぱり当日腹痛で来れなくなるかもしれない気がしてきた。その時はルルーシュが代わりにやってくれないかな」

「分かった。じゃあ裸体モデルコースを希望するんだな」

「いや選任騎士としてそれもちょっと」

「大丈夫だ。学園内では皇帝よりもミレイ会長の方が偉いらしいから。よしじゃあなスザク」

 そのままスザクはルルーシュに家を追い出され、どんな内容なのか分からないまま学園祭を迎えることとなった。

 

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 

 学園祭当日。

 ルルーシュは電話で各部活に指示を出しながら校内を歩いていた。ピザの無料配布を散々に宣伝したからか、校内は一般参加者で溢れかえっており、ぼんやりしていると人の波に押し流されそうになる。

 波の色は黒と茶色と金が交じった、街中ではあまり見慣れない色合いをしていた。今の所はお祭り騒ぎのテンションのおかげか、学園祭に多くのイレブンが参加していることへの不満は聞かない。人種関係なく、お祭り騒ぎとあらば人々を一気に飲み込むアッシュフォード学園という箱庭にルルーシュは苦笑した。

「ミレイの方があの男なんかよりよっぽど皇帝に向いているな」

 小声の呟きは電話の向こうには聞こえなかった。代わりに、シャーリーの焦った声が雑多な声に紛れて電話を震わせる。

『ちょっとルル、バスケ部の機材ってどうするの?あとサッカー部からも終わった機材をどうすればいいのかって質問が来たんだけど、どこに置いておけばいいか分かる?』

「ああ、悪いシャーリー。バスケ部とサッカー部の機材は体育館裏にまとめて置いておいてくれ。2年生のマネージャーに手順は教えてあるからそう指示するだけでいい。ピザの方はどうなった?」

『スザク君のスタンバイは完了したからあとは予定の時間を待つだけ。そういえばカレンちゃんって今どこ?』

「カレンはお化け屋敷スタッフとして働いている。でももうすぐ終わる筈だ」

『分かった。じゃあバスケ部とサッカー部に指示出したらカレンちゃんとピザの方に行っておくね』

「頼む。俺は他の雑務を終わらせておくよ」

『でももう仕事も落ち着いてきたし。ルルはナナちゃんと一緒に学園祭回ってきたら?ルルってばずーっと働き詰めじゃない』

 時計を見る。世界一のピザ作りイベント開始まであと30分は時間がある。

 こんな人込みの中を車椅子で移動するのはあまりに危険で、またテレビクルーがそこら中に入り込んでいるためにナナリーはクラブハウスに籠っていた。

 しかし自分が一緒にいれば人込みも、テレビの方もなんとかなるだろう。いざとなればギアスを使えば良い。

「じゃあそうさせて貰おうかな」

『そうしてきなよ。来年は受験で学園祭を楽しんでいられないかもしれないんだからね!』

「それは問題ないさ」

『もう、学年上位にそう言われるとなんだかムカつく!』

「悪いな」

『でも来年も上位をキープできるとは限らないんだからね!ナナちゃんによろしく!』

「ああ。また後で」

 ルルーシュは電話を切り、ナナリーがいるクラブハウスへ向かおうと足を動かした。

 しかしすぐに足を止める。視界の端に映った、新緑色の髪をした制服を着た女子生徒に顔が引き攣った。イレブンとブリタニア人が交じる人込みとはいえ緑色の髪は非常に珍しく、目立つ。

 焦りで顔を引き攣らせながら、ルルーシュはふらふらとあっちへこっちへと歩く姿を見失わないように人込みを掻き分けながら早足で近寄った。腕を伸ばして細い肩を掴み、小声で叫ぶ。

「C.C.!お前ここで何をしている!」

「ああルルーシュか。世界一のピザはまだか」

 振り返ったC.C.はアッシュフォード学園の制服に身を包んでタコ焼きとジュースを持っていた。全力で祭りを満喫している様子のC.C.に頬が引き攣る。

「まだ焼き始めてさえいない。焼けたら持って行くからクラブハウスで待っていろと言っただろう」

「お前は嘘つきだからな。それにあんな狭いところにいたら暇でしょうがないんだ。それも外からこんなに賑やかな音がするというのに。天岩戸に閉じ込められた気分だったぞ」

「雪になったり記号になったり神になったり忙しない女だ……おい、その制服は」

「クローゼットの奥にあった。お前のサイズだからやはりちょっとでかいな」

 着てはいないが、一応女生徒として在籍しているために女子の制服もルルーシュは持っている。2年近くクローゼットの肥しになっていたそれをC.C.は引っ張り出してきたらしい。

 しかしルルーシュとC.C.では身長が10cm違うためにどう見ても丈が余っていて、その分目立つ。髪の色も相まりC.C.は雑多な人込みの中でも異様に目を惹いた。

「カレンもいるんだぞ。バレたらどうする」

「お前とは無関係を装うさ」

「学生服をどこから調達しているのか聞かれたらどう説明するんだ」

「……ゼロの趣味で着せられたと言えばいいんじゃないか?若い女を好む性癖はそう珍しくもあるまい。むしろカレンからの好感度は上がるかもしれんぞ」

「俺の手作りピザは二度と食べたくないようだなC.C.。あとお前の部屋にある私物も全部捨てていいんだな。この前届いたチーズ君人形は燃えるゴミの日に生ごみと一緒に捨てておいてやろう」

「なんだかとてもクラブハウスに戻りたくなってきたな。歩き疲れたのかもしれない。ピザが出来たら持って来てくれルルーシュ」

 潔い程の切り替えの早さは神経を苛立たせるが、話が早い所は嫌いではない。C.C.の肩から手を離す。

「ピザはちゃんと持って行くから、そのまま大人しくしておけよ。くれぐれも人目の多い所には行くな。欲しいものがあったら携帯で連絡しろ。あともしナナリーに何かあったら、」

 

「………もしかして、ルルーシュ?」

 

 恐る恐るといった様子で話しかけてきた声に肌が粟立った。聞き間違いかとも思うが、テレビ越しに聞いた時と変わらない優し気な声はつい先日も聞いたばかりだった。

 徐に振り返る。彼女は雑多な人込みの中、淡く発光しているようにさえ見えた。サングラスに帽子を被っているが豊かなピンク色の髪はあまりに珍しい。

「やっぱり、ルルーシュ!」

 心臓が止まる程に驚いた。しかし驚く前に背後のC.C.に視線だけを送る。C.C.も彼女の正体に気づいたようで、一度頷いて身を翻した。元々たった一人でブリタニアから逃げ隠れしていた女だ。人目を避けての移動はそこらの軍人より遙かに上手い。

 C.C.の姿が人込みに消えたことを確認し、ルルーシュは目の前の女性をまじまじと見つめた。

 白い手足はほっそりと伸びている。自分より頭1つ分は小さいが、平均的な女性よりずっと長身だ。長い手足が作る仕草は全てが優雅で、歩くだけで踊っているように見えた。サングラスと服装でなんとか誤魔化そうとしているようだが、その程度で彼女の生来の優美さを隠すことは全く不可能であるようだった。

「………久しぶりだな、ユフィ」

 ユーフェミア・リ・ブリタニアは顔を紅潮させ、感極まったように大きく頷いた。

「うん!久しぶりね、ルルーシュ!」

 駆け寄ってきたユフィの手を取る。周囲を見回すと護衛らしき数名がユフィを取り囲んでいた。護衛は皇女が親し気に名前を呼んだ少年を訝し気に睨んでいた。彼らの眼を見返す。

「護衛ご苦労。だが、これからは俺に従って貰おうか」

 護衛全員の瞳の淵が赤く染まる。ギアスがかかったことを確認し、ルルーシュはユフィの耳元に口を寄せた。

「ユフィ、今日はどうしたんだ?」

「スザクが今日は学園祭だって言っていたから会いに来たかったの。でもまさかルルーシュもここに通っていたなんて思わなかったわ!」

「……そうか。ここは人目も多い。少し違うところへ行こう」

「ええ。ねえルルーシュ、ナナリーも無事なのよね?」

「今は一緒にアッシュフォードに匿われているよ。無事さ」

「よかった。……でも驚いちゃった。ルルーシュがこんな近くにいてスザクとクラスメートだなんて。それに……まさか女の子だったなんて!」

 驚きでぱかりと口が開いた。ユフィは呆気にとられたルルーシュの手を握る。

 一目で女だと気づかれたのは初めてだった。それも皇子だったと知っているユフィが気づくとは、予想すらしていなかった。

 ユフィはルルーシュと繋いだ手をぶんぶんと振って爛漫たる笑顔を浮かべた。

「それもこんなに綺麗になってるだなんて、驚いちゃった!」

 暫く唖然として、ルルーシュは思わず噴き出した。そうだ。ユフィはこういう子だった。

 ぽけっとしているのかと思えば観察眼が鋭くて、意図せず人の心を突いてくる。どれだけ警戒していても心の隙間にするっと入り込んでしまう。天性の人たらしだった。

「君は……変わらないな、ユフィ」

「そんなことないわ。私、もう大人になったのよ?」

「そうかな?」

「そうよ」

 ふふ、と笑うユフィの手を引いて、ルルーシュは人波に逆らい階段上の広場まで連れて行った。

 

 わあああ、と階段の下で声が上がり、何かと見るとリヴァルがピザの生地をイベント会場の真ん中に引きずり出していた。装備をすべて外し、貧相な外見となったガニメデが滑らかな動きでピザ生地の方へと歩いていく。

 ピザのイベントに人が集中しているおかげで広場の人影は少なかった。ベンチにユフィを座らせて、周囲に見られないよう自分の陰で彼女を隠す。

 ルルーシュに疑惑の目を向けながらユフィを取り囲む護衛に、ユフィは諦め混じりに言い放った。

「皆さん。この人は大丈夫ですからちょっと離れていて下さい」

「しかしユーフェミア様、このような場所で、」

「俺からもお願いします。全員離れていてくれませんか?それと、ここで聞こえたことは他言しないで頂きたい」

 ルルーシュがそう言うなり、全員が口を閉じて表情を無くし、ユフィとルルーシュに距離を取った。そのまま二人に背を向けて周囲を見張るように立つ。ユフィはきょとんとした顔でルルーシュを見上げた。

「いつもはもっと融通が利かないの。ルルーシュが言ってくれたからかしら」

「まさか。いつもユフィがお転婆だから諦めたんじゃないかな」

「もう、ルルーシュったら」

「ユフィ、スザクに会いたいんだろうが今は人も多いし危ない。ピザのイベントが終わるまではスザクも動けないから、イベントが終わり次第電話であいつをここに呼ぶよ。暫くここで待っていてくれ」

「ありがとうルルーシュ」

 ユフィはベンチの隣をぽんぽんと叩いた。

「ねえ、ルルーシュも座りましょ。お祭りでみんなこっちなんて見てないわ」

「でも、」

「隣に座ったらカップルみたいで目立たないって思わない?」

 見上げてくる顔は昔よりも大人びていて、年ごろの女性に成長していた。しかし優し気な印象は変わらない。

 もう皇族でなくなった自分に対して変わらない態度を取るユフィに相好が崩れる。しょうがないと肩を竦めてルルーシュはユフィの隣に腰を下ろした。

「こうしているとデートみたいね」

「女同士で?」

「いいじゃない。でもナナリーに怒られちゃいそう。抜け駆けしないで下さいって」

「ナナリーが?」

「ええ。覚えてる?ナナリーと私、どっちをお嫁にするのか今夜決めて欲しいって我儘を言ったの。ルルーシュ、すごく困っちゃって」

「ああ……」

 

 その日のことはもう何年も前だというのに未だによく覚えていた。ナナリーとユーフェミアはいつも仲が良かったのに、あの日だけは二人とも泣きそうな顔で一日中喧嘩をしていた。

 あの頃はまだルルーシュも子供で、上手く二人を宥めることができずに結局二人を大泣きさせてしまい、マリアンヌに大声で笑われた。警護をしていたジェレミアが泣きわめく皇女2人を宥めようとしたのか、近親婚になるので二人ともルルーシュと結婚するのは不可能だと馬鹿正直に言ってしまい、呆然とした二人の泣き声はさらにボリュームアップした。マリアンヌはさらに笑った。

 

「覚えているよ。次の日は二人とも目を真っ赤にしていたな」

「そうだったわね。でもね、ルルーシュと結婚できないって知って本当に悲しかったのよ。私、本当にルルーシュが好きだったのに」

「……そうか」

 あの頃の自分が知ったらさぞ喜んだだろう。

 自分も本当にユーフェミアが好きだった。多分、初恋だった。

 ユフィはあの頃から優しくて、柔らかくて、温かくて、とっても可愛い女の子だった。何より全てに恵まれていたユーフェミアは、あの頃自分が求めていた全てを持っていた。羨望に近い恋だった。

 自分もユフィと結婚できないと知って少なからずショックを受けたことは墓の中まで持って行く秘密の一つだ。

 ユフィと手が重なる。横を見るとユフィと目が合った。竜胆のような可憐な色をした瞳が労わる様に瞬いていた。

「ルルーシュ、あのね。私、またあなたと、ナナリーと一緒にいたいの。アリエスの離宮に二人がいた頃に戻りたい」

 ユフィの手は熱い。しかしルルーシュの手は冷え切っていた。一緒にいたいという言葉が本心だと分かっているからこそルルーシュは言葉に詰まった。

 ユフィは優しい。だからこそ残酷だ。

 生まれた時から何もかもに恵まれてきたユフィと、この5年間、何もかもを奪われ続けてきたルルーシュではあまりに心情が違い過ぎた。

 5年前とユフィは変わらない。しかしルルーシュは酷く変わってしまった。無邪気にアリエスの離宮で安穏と過ごしてた日々に戻るには、今のルルーシュはあまりに多くを失い過ぎてしまった。

「時は戻らないんだユフィ。もう俺達は―――俺は、あの頃には戻れない」

「でもまた仲良くすることはできるわ。そうでしょう?」

「これで君に会うのは最後だ。もし俺とナナリーがブリタニアに見つかってしまうと、分かるだろう?」

 ユフィから顔を背ける。もう、とユフィは頬を膨らませながらも微笑んだ。ルルーシュの手を温める様に握り締める。

「もう一度が無理なら、これから始めましょう。そのためなら私、頑張れる。だってまだルルーシュのこと大好きなんだもの」

「え、」

 ルルーシュは思わず、微笑んだユフィの顔を振り返ってまじまじと見つめてしまった。

 途端にユフィが噴き出す。

「うふふ、驚いてる、ルルーシュ」

「お、驚かないわけがないだろう。てっきりお前はスザクと、その、」

「……ス、スザクが言ったの?」

 途端に恥ずかし気に頬を染めるユフィに藪蛇だったかと首を振った。

「いや、そうじゃないかと思ったまでさ」

「ええと。まあ、好きよ。うん。私、スザクが好きなの。本当に。大好きよ、」

 ユフィは勢い付けてルルーシュに抱き着いた。ユフィの体重でよろけるもなんとか意地で耐えた。ぴっとりとくっついた体の半分が暖かい。

「でもね、ルルーシュのことも大好きよ。お姉様としてね。――――ルルーシュ、とっても綺麗になったわ。5年前よりずーっと。スザクがルルーシュのことを好きになっちゃわないか心配になるぐらい、とっても綺麗よ」

「……お前の方がずっと綺麗だよ、ユフィ」

 もう忘れかけていた初恋が、お姉様という言葉で完膚なきまでに破れたことを察してルルーシュは苦笑いを零した。悪い気分ではなかった。ただ少し寂しかった。初恋が破れたことではなく、純真にユフィを好きでいられた自分がもういないことを突き付けられたことが寂しかった。

 近くにあるピンク色の髪を撫でる。

「本当に、綺麗だ。綺麗なままだよ。昔からずっと、ユフィは綺麗だ」

 指先で長い髪を梳く。そのまま肩にもたれかかった頭を撫でて、小さく微笑んだ。真正面からルルーシュの微笑みを見たユフィは頬を赤らめて、ぼうっとした目でルルーシュを見上げた。

「ルルーシュはやっぱりルルーシュね。女の子に勘違いさせるのが上手いんだ」

「え?」

「だってわたしスザクが好きで、それにルルーシュは女の子で、それでも勘違いしそうになっちゃったもの。もう。こんなことじゃいけないのに」

 両頬をパンと張って、ユフィはすっくと立ちあがった。

 

 その時風が吹いてユフィの帽子が飛んだ。帽子はそのまま風に煽られて、ピザのイベント会場へと飛んで行った。そのままふわりと帽子がガニメデの足元に着地する。

 タイミングが悪かった。突然飛んできた帽子の持ち主は誰だと、周囲の視線がこちらへと向かう。

「……ユーフェミア様?」

 最初に気づいたのは、ピザイベントのため会場の整備をしていたニーナだった。

熱狂的なユフィのファンであるニーナはユフィに気づくなり、顔を真っ赤に染めてぶんぶんとユフィに向かって手を振った。

「ユ、ユーフェミア様!ユーフェミア様だわ!!」

 ニーナの様子にその場にいた人々もユーフェミア副総督がいることに気づいて声を上げ、視線をユフィへと向ける。

「え、ユーフェミア様?」

「ユーフェミア様だって?」

「ほ、本当だ、ユーフェミア副総督だ!!」

「みんな、あっちにユーフェミア皇女殿下がいらっしゃるぞ!!」

「ユーフェミア様、ファンなんです!サインください!」

「なんてお美しい!」

「きゃあ、本当にユーフェミア様だわ!!」

「どうして学園祭に!?」

「枢木スザクに会いに来たんですか!?」

「やっぱりあのイレブンと恋人なんですね!」

「おい、カメラあっちに向けろ!ユーフェミア様だ!」

 ユフィへとカメラが向けられ始めたのを察知し、ルルーシュは直ぐに身を翻した。

「ユフィ、悪い」

「ええ、行ってルルーシュ。ナナリーによろしくね」

 ルルーシュへ向けて小さく手を振って悪戯っぽく微笑み、ユフィはサングラスを取って大きく手を振った。おお、と会場のあちこちから声が上がる。

「やっぱりユーフェミア様だ!」

「ユフィ、どうして!?」

 ガニメデに搭乗していたスザクはあわててユフィの周囲に眼を走らせた。護衛は数名しかおらず、この場の混乱からユフィを連れて逃げ出せるとは思えない。

 突然現れた皇族にブリタニア人は色めき立ち、近寄ろうと殺到している。

 そして普段目にする機会のない皇族の出現に多くのイレブンが顔を顰めたのをスザクははっきりと見た。

 

 スザクは一瞬躊躇い、ガニメデの手で綺麗に広がったピザ生地を見る。生徒会の皆がどれだけ苦労して学園祭の準備をしたのか知っている。自分は仕事を理由にして碌に準備を手伝わず、その代わりにとこの役割を引き受けた。そしてミレイがいる生徒会の学園祭はこれが最後で、このピザイベントがみんなにとってどれだけ大切か分からない程に馬鹿じゃない。

 しかし騎士である自分には、絶対に揺らいではならない優先順位というものがある。

 

 眼を強く閉じ、スザクはピザの生地を放り投げた。

 突然宙に投げ出されたピザの生地に、あ、と一瞬その場にいる全ての人の眼が取られる。

 その一瞬にスザクはガニメデを走らせ、人々に取り囲まれようとしているユーフェミアをガニメデの掌に乗せた。できるだけ衝撃が無いようお椀のようにした掌をゆっくりと持ち上げる。

「ユーフェミア皇女殿下、ご無事ですか」

「ええ、大丈夫よ。ありがとうスザク」

 ガニメデのメインカメラに向かってユフィは手を振った。カメラで見る限り怪我は無いようだった。

「スザク、暫くこのまま私を持ち上げていてね。みんなに言いたいことがあるの」

「言いたいこと?」

「シュナイゼルお兄様に認めて貰ったから発表しようと思って。あなたもきっと喜んでくれるわ」

 ユフィは微笑み、ぱ、と立ち上がった。不安定なガニメデの掌の上だというのによろけることなく器用に立つ。

 凛とした立ち姿に、その場にいたカメラがユーフェミアを映そうと上を向いた。

「あの、すみません。そのカメラ映像を全エリアに中継して頂けますか?」

 皇族から直々に声をかけられたメディアスタッフは慌てながら上司に確認を取った。皇族直々の御下命とあり、即座にそのカメラの映像がエリア11全てのテレビにライブ中継される。

 それまで学生達が楽し気に騒いでいた学園祭の光景を映していたテレビ全てが、ユーフェミアの麗しい顔で埋まる。

 人目から必死で逃げて物陰に身を隠したルルーシュも、多くの人と同じように堂々とした立ち姿でカメラに映るユーフェミアを仰ぎ見た。

 ユフィは大きく息を吸い、真っすぐにカメラを見つめた。

「この場にいるメディア関係者の皆さん、ブリタニア人の皆さん、そして日本人の皆さん!私は神聖ブリタニア帝国エリア11副総督、ユーフェミア・リ・ブリタニアです!!今日、私から皆さんにお伝えしたいことがあります!!」

 ユフィの声は執政者らしくよく響く。スザクは血の気が引く思いがした。

 

 嫌な予感がする。皇族直々の宣言は何があろうと絶対に取り消すことができない。それもこの映像はエリア11全土にライブ中継されている。

 もし下手なことでも言おうものなら、ユフィは取り返しがつかないまでに失墜することになるだろう。

 ここでスザクがユフィの言葉を遮らなかったのは、ユフィが「シュナイゼルに認めて貰った」と言った一言のためだ。政治手腕の確かなシュナイゼルが認めたのならばと、スザクは不安を押し殺して口を閉じた。

 

 ユフィの高らかな声がエリア11に響き渡った。

「私、ユーフェミア・リ・ブリタニアは富士山周辺に、行政特区日本を設立することを宣言致します!!!」

 

「馬鹿な!!」

 ルルーシュの悲鳴は誰にも届かなかった。それ以上の大きなどよめきがエリア11全土に響き渡ったからだ。

「行政特区日本?」

「なんだよそれ」

「お飾り皇女が何をするかと思えば」

「どうせコーネリア様の足を引っ張るだけだろ」

「もしかして、ユーフェミアはイレブンの味方をしてくれるのか?」

「今更日本とか何を言ってるんだか」

 どよめきに耳を貸さず、ユフィはガニメデの上で声を張り上げ続ける。

 ユフィを誰も止めることはできない。何故ならば、ユフィは皇族だからだ。皇族という特権階級にある者を遮る権利があるのは、同じ皇族と、腹心の部下と認められている選任騎士だけだ。

 そしてスザクはただ茫然としたままユフィの言葉を脳内で反芻することしかできなかった。

「……行政特区、日本って」

「この行政特区日本では、イレブンは日本人という名前を取り戻すことになります。イレブンへの規制、ならびにブリタニア人の特権は特区日本には存在しません。ブリタニア人にもイレブンにも平等な世界なのです!!」

 どよめきはさらに大きくなる。歓声と舌打ちがあちこちで響き渡り、お祭り騒ぎの中で混じり合っていたイレブンとブリタニアは真っ二つに分かれてしまった。

「やっぱり枢木スザクが好きだからイレブンに甘いのね」

「やった!!とうとう日本が返ってくるんだ!」

「ユーフェミア様は慈愛の皇女だ!俺達イレブンに権利を与えてくれるなんて!」

「ふん。ただの色ボケ皇女じゃないの。あんなのが副総督だなんて最悪だわ」

「行政特区日本って俺達が払ってる税金で作るのか?」

「富士山のサクラダイト開発のために来たブリタニアの企業はどうなるんだよ」

「イレブンと平等の権利だなんて危険過ぎるだろ!富士山周辺に住んでるブリタニア人は出て行けってのか!?」

「富士山まで引っ越さないといけないのね……新幹線代も無いのに、意味ないわ」

「……それでも、どうせブリタニアに支配されたままなんじゃないか……」

 ざわめきの中、ユフィはカメラに向かって手を伸ばした。

「聞こえていますか、ゼロ!」

 ゼロの名前に周囲は一瞬にして押し黙る。

 皇族が、クロヴィスを殺害したゼロに声をかけている。今度は何を言い出すのかとエリア11に住む全ての人々が固唾を飲んでユフィを待った。

 その名前のみで民衆を静寂にさせるゼロという存在にユーフェミアは胸を高鳴らせた。ここまで多くの人々の心を掴むゼロが協力してくれれば、行政特区日本は必ず成功する。

「ゼロ、私と一緒にブリタニアの中に新しい未来を創りましょう!」

「……何を言っているんだ、ユフィ」

 スザクは思わず呟いた。

 

 ユフィは優しい。だからユフィが望む行政特区日本が設立されれば、行政特区の中でイレブンは日本人に戻ることができるのだろう。範囲を徐々に広めていけば日本人を全員行政特区の中に居住させることも可能かもしれない。

 そうすれば日本人は日本人と名乗ることが許され、差別は無くなる。確かにそれはスザクがずっと望んでいた、誰も犠牲になることなく日本が返ってくる方法だ。

 しかしスザクは心からユフィの言葉を信じることができなかった。こんなに簡単に日本とは戻るものなのだろうか。

 形は違えど、ゼロも自分も命懸けで日本を手に入れようとしていた。ゼロはブリタニアから日本を奪い返す修羅の道を行き、自分はブリタニアが変わるまでを待つ、無様な忍耐の道を行った。

 きっとどちらも正しい。そしてどちらも間違っている。

 しかしユフィの方法は、正しいと間違っているとかいう問題以前に、どこか違う。ざわざわとした違和感がある。なんというか、軽いのだ。表面だけ綺麗に取り繕っている壊れた玩具のように、がしゃがしゃとした陳腐な手触りがする。

 自分は日本を取り戻すために必死だった。手の豆が破けて血塗れになる程訓練をして、戦場では吐く程に人を殺した。ブリタニアへの憎悪を叫びながら銃を握る子供の頭蓋がライフルで吹っ飛ばされた光景を見た時なんて、3日3晩吐き続けた。

 それでも戦ったんだ。誰にも死んで欲しくなかったから。ゼロには覚悟が無いと言われたけれど、でも本気だった。必死だったんだ。ブリタニア人にも日本人にも、誰にも死んで欲しくなかったから、戦場に立ち続けたんだ。

 日本、ただそのために。

 なのに、日本とはこんな言葉一つで返って来る安いものだっただろうか。

「……シュナイゼル殿下にお聞きしないと、あの人は何のつもりでユフィに認めるだなんて言ったんだ」

 あの聡明なシュナイゼルがこの違和感に気づいていない筈がない。自分はユフィの選任騎士にはなったが特派にも所属している。ロイドを頼れば選任騎士という立場になった今ならシュナイゼルへの謁見も叶うかもしれない。

 しかしスザクが考えるべきはそれだけではなかった。

「ルルーシュにも話を聞かないと……シュナイゼル殿下だけにお伺いすると、エル家に都合の良い話に誘導されるかもしれない。それに予算や計画の立案をユフィは誰に頼んだんだろう。僕を騎士にしたせいで、ユフィの味方をしてくれる貴族はもういないのにっ」

 スザクの両手は小刻みに震えていた。

 あまりに責任が重い。ルルーシュの言った通りだった。皇族の選任騎士になるには、自分はあまりに足りなさ過ぎる。

 もし自分が教養あるブリタニアの貴族ならば、行政特区日本成功のために駆けずり回ることができただろう。しかし特派以外に人脈の無いただのイレブンである自分には駆けずり回る場所さえ無い。

 選任騎士という立場の重みと、自身の能力の無さに寒気がする。

 しかしもう泣き言は言っていられなかった。そんな地点はとうの昔に走り過ぎてしまったのだ。スザクは唇を噛みしめた。

 

 

 

 

 ルルーシュは冷え切った瞳でテレビを見据えていた。

 物寂しい物陰にぽつんと立つ少女に眼を向ける者はいない。この場にある全ての眼はユフィに向いている。

 ルルーシュの顔はユフィと話していた時の、妹を前にした優しい兄の顔ではなかった。彫刻のように微動だにしない仮面のような顔をしていた。

「……お前程度の奴に何が分かるって言うんだよ」

 吐き捨てるように呟く。

 すると、喉の奥から段々と引き攣りが昇ってきた。痙攣するような痛みが走り胸元を掻き毟る。それが笑いだと気づくまで暫くの時間を要した。激情が胸の奥で逆巻いて沸騰する。

 彼我の差に笑いが止まらなかった。

 ユフィは全くの善意でゼロに言葉をかけたのだろう。善意で頭上高くから、地べたで足掻いているゼロを憐れんでひらりと手を差し出したのだ。

 そんなに必死になって奪おうとしなくても、欲しいのなら上げますよ。だからもう争う事は止めましょう、と。

 

 ふざけるな。

 ならばこの感情はどこへ行くんだ。これまで成し遂げたことは、何も意味が無かったと言うのか。

 

「お前は俺から全てを奪うんだな。俺の過去、意志、覚悟――――復讐、それさえ、」

 ルルーシュは口元に小さく嘲笑を残したまま、綺麗に笑うユフィを睨みつけ、テレビに背を向けた。

 最早ユフィは敵だった。それもこれまでで最も手ごわい敵だろう。ならば戦うために準備をしなければならない。

 自分の大事なものを守ることができるのは、結局自分だけなのだから。

 

 

 

「もう何でもいいよ。平和なら」

 疲れ切ったイレブンの零した言葉は、スザクにも、ルルーシュにも聞こえなかった。

 

 

 

 

 

 

 

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15. この頃のシュナイゼルの方が今よりまだマシかもしれない

 シャーリーはルルーシュを探していた。

 ガニメデがピザ生地を放り投げたせいでピザイベントは滅茶苦茶になり、またユーフェミアが突然行政特区日本を発表したために学園中が大混乱に陥っている。

 ユーフェミアは護衛のスザクと共に政庁へと帰ったが、学園内の混乱が治まる様子は全くなかった。

 ミレイが先頭に立って各部署に指示を飛ばしているものの、いきなり泣き出すイレブンや、日本だなんてと暴れるブリタニア人もいて収拾がつかない。過熱する報道陣は生徒の顔がカメラに映っていることを気にもしない。

 こんな状況を収束できる能力を有する人物をシャーリーは一人しか思い浮かばなかった。

「ルル、どこ?」

 錯乱して叫ぶ人も多く、シャーリーは息切れを起こしながらも人込みを掻き分けて走った。ルルーシュは良くも悪くも目立つ容姿をしているために探しやすく、こういう時は助かる。

 広場にはいないようだ。もしかすると休憩でもしているのかと、シャーリーは比較的人の少ない校舎へと向かった。

 校舎裏を覗く。ルルーシュがひっそりと立っていた。何やら電話に向かって話している。

「———すぐにテレビクルーを撤退させろ。そうだ。全員だ……どうせ近々総督府で正式な発表がある。それより、」

「どうしたの?」

 ぱ、とルルーシュは振り返ってシャーリーの姿を認めるなり、すぐさま電話を切って服に突っ込んだ。

「シャーリー、どうした」

「どうしたじゃないよ。もう学園中すっごい混乱してて、どうすればいいのかミレイ会長も分かんないみたいなの。怪我人も出てるって」

「警備はどうなっている?」

「動員してるけど、でも騒ぎが多すぎて足りないの」

「分かった。俺は放送部に連絡して学園内に放送をかける。生徒を校舎内に避難させるよ。シャーリーは先生に連絡して生徒を誘導させてくれ」

「うん」

 ルルーシュは電話を取り出し、早口で話しながら生徒会ブースに向かって歩きだした。

 その後をついて行きながらシャーリーはミレイと教師陣に連絡を取る。人込みを掻き分けながら進むために足は自然と遅くなる。

 ルルーシュが電話を切るなり校内に放送がかかり始めた。

『こちらアッシュフォード学園生徒会です。こちらアッシュフォード学園生徒会です。学園内にて多数の混乱が起こっております。生徒は校舎内に避難してください。繰り返します。生徒は校舎内に避難してください。校内でこれ以上の暴言・暴力行為が見られるようでしたら警察に通報させて頂きます。繰り返します。これ以上の暴言・暴力行為が……』

「取り合えずはこれで収まるだろう。こうなったら学園祭どころじゃないな」

「やっぱり学園祭中止かあ」

 ミレイの最後の学園祭だったというのに、とんだ結末になってしまった。生徒会ブースに向かう足取りが重い。

「あーあ、ユーフェミア様もこんなところで発表しなくてもよかったのに」

「総督府に弁償してもらうしかないな。どうせミレイ会長のことだから学園祭のやり直しとか言ってまたお祭り企画を作るだろ。その費用を総督府からせいぜいふんだくってやるさ」

「ルル悪い顔してるー」

「相手は総督府だからな。5年分の生徒会予算位はぶん捕れると踏んでいる」

 ふふんと鼻を鳴らし、ルルーシュは腕を組んだ。シャーリーも手を叩く。

「いいかもね!次はルルが生徒会長だろうし、予算があれば来年の学園祭はさらに派手にできるんじゃないかな。今年はルルの保護者代わりの、ジェレミアさんだっけ。来られなかったんでしょ?来年はもっと頑張らなきゃね!」

 そう言うとルルーシュは黙って頬を吊り上げた。

 

 本国に両親がいるルルーシュとナナリーは、保護者代わりのジェレミアという男性と一緒にクラブハウスに住んでいるとシャーリーは聞いていた。しかしジェレミアはシンジュク事変に巻き込まれて病院に入院しており、残念ながら学園祭には来られなかったらしい。

 

「シャーリーのご両親は学園祭に来たんだろう?無事か確認した方がいいんじゃないか?」

「今年はお父さんもお母さんも来てないから大丈夫。お父さんがナリタでのテロのせいで両足を骨折しちゃって、お母さんもその付き添いで病院にいるんだ」

 ルルーシュは眼を見開いた。小さく肩を強張らせる。

「……その、大丈夫なのか?」

「手術は成功したから、リハビリをちゃんとすればまた歩けるようになるって」

「そうか。やっぱり土砂崩れのせいで、」

「ううん。職場のみんなを逃がすために誘導してたら、階段から転げ落ちちゃったんだって。それで両足ともぽっきり」

 あはは、とシャーリーは苦笑いを零した。

「職場の人に抱えられて避難したから大事にはならなかったんだけど、全治2か月だって。うちのお父さん優しいんだけどこういうとき恰好つかないのよね」

「命に別状が無くてよかったじゃないか。避難の誘導をしたんだろう?シャーリーのお父さんは勇敢なんだな」

 率直な称賛にシャーリーは少し照れながら頭を掻いた。

 

 今となっては恥ずかしいが、小さい頃は父のお嫁さんになることが将来の夢だった。父は容姿も能力も平凡だが、性格は穏やかで優しく、温和を絵にかいたような人だ。シャーリーはこれまで一度も父に怒られたことは無かった。

 父がいない家庭というものが想像できないくらいに、シャーリーは父が大好きだった。

 だからこそ本国に暮らしている両親と離れ、唯一の保護者であるジェレミアが入院してしまっているルルーシュのことが心配でならない。いくらしっかりしていると言ってもルルーシュだって自分と同じ17歳だ。介護が必要なナナリーもいるし、ルルーシュの負担はかなり大きいだろう。

 

 早くにジェレミアさんが帰って来てくれるといいんだけど、と思いながらシャーリーはおずおずとルルーシュに聞いた。

「ルル、その、ジェレミアさんの容体はどうなの?」

「……思ったよりも悪い状態らしい。本国に帰ることになるかもしれないそうだ」

「……そっか」

 地面に目を落す。

テロリズムが活性化してから本国に帰る学生も多くなっている。

 ルルーシュももしかしたら、と思うと、シャーリーの両肩が重く沈んだ。

「ねえ」

「なんだ?」

「そしたらその、ルルとナナちゃんも一緒に本国に帰る……なんてことは、ないよね?」

 先を歩くルルーシュの顔を覗きこむ。小さい笑みを浮かべ、ルルーシュは首を振るった。

「ナナリーは学校卒業まではここにいるさ。俺は……正直、分からない」

「分からないって」

「もしかしたら帰らないといけなくなるかもしれない」

「でもそれって、ナナちゃんを置いていくってこと?」

「そうなる」

 普段ナナリーを溺愛しているルルーシュの言葉とは思えない程にはっきりとした口調だった。

 覗き見た横顔は寂しそうで、しかし仮面のように冷たかった。シャーリーは日本の能面という仮面を思い出した。

 ルルーシュの表情は、あの楽しいのか悲しいのか判別し難い不気味な表情をした仮面を顔の上に貼り付けているようだった。

「でも、咲世子さんもいるし、みんなもいる。大丈夫さ」

 自身を納得させるように呟いて、ルルーシュは先へと歩いて行った。

 ルルーシュの背中を見る。シャーリーは父が病室で喋ったことを思い返していた。

 

 ナリタで軍事行動があることを知らせてくれたのは、自分と同じ位の年齢に見えた紫色の瞳を持つ美少年だったと父は言った。

 紫色の瞳を持つ少年なんてそう多くはいない。まさかと思い父にルルーシュの写真を見せたら、この人物で間違いないと断言した。

 他人の空似と考えるには、あまりに無理があった。こんなに優れた容姿を持つ人間がそんなに沢山いてたまるものか。

 ルルーシュに聞きたいことはいくつもある。しかしどうしてもシャーリーは踏ん切りがつかなかった。ただ脳内で疑問を繰り返す。

 

 ルル、ナリタで何をしていたの?

 どうしてナリタで軍事活動があることを知ってたの?

 さっきユーフェミア様と親し気に話しているところを見たけど、どうしてルルがユーフェミア様と知り合いなの?

 どうして最近ずっと学校に来てないの?

 最近……より正確に言うのなら、シンジュクゲットーでテロ騒ぎがあった頃から。つまり、ゼロが現れた頃から。ちょうどそのころからルルーシュは学校に来る日がとても少なくなった。

 ねえ、ルル。どうして最近、とっても辛そうな眼をしているの?

 表情はいつもと変わらないようにしているけれど、瞳はとても寂しそうで、でも煮えたぎっているようで、怖い。まるで爆発寸前の爆弾を抱えて生きているようにさえ見える。

 皆気づいていないみたいだけど、でも自分はずっとルルーシュを見ているから分かってしまった。

 最近のルルはなんだか、泣きながら怒ってるみたい。大好きな人が死んじゃったみたいな、そんな感じがする。

 どうしたのか聞きたいけれど、でも聞いて欲しいようには見えない。

 シャーリーは小さくなっていく背中に声をかけられず、ただ小走りにその後を追った。

「ルル………あなたが誰であっても、あたしの気持ちは変わらないから」

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 

 

 学園祭の日の夜。スザクはひっそりとクラブハウスに顔を出した。

 ルルーシュは不機嫌な顔をしながらもスザクを出迎え、そのまま自室に通した。スザクはベッドに座り、ルルーシュもその隣に腰を下ろした。

 スザクは項垂れたまま絞り出すように声を出した。

「ルルーシュ、ごめん。学園祭が台無しになってしまった。ピザも放り投げちゃって……」

「いいんだよ。気にするな……とは言えないな。流石に。被害総額に加えて迷惑料、きっちり総督府に請求書を送りつけておくからな」

「ユーフェミア皇女殿下の勝手な行動による損害だからちゃんと支払われると思うよ。僕からも言っておく」

「ふんだくってやるからな。覚悟しておけ」

 鼻を鳴らして胸を反り返らせるルルーシュはいつもと変わらない様子で、スザクは胸を撫で下ろした。

 

 スザクとユーフェミアのせいで学園祭は滅茶苦茶になったというのに、スザクは後始末の手伝いさえしなかった。激昂してもおかしくないというのに、こうしていつもと同じような態度を取ってくれるのだから、ルルーシュは甘い。

 

「それで。お前が今日ここに来た理由はなんとなく分かっているが、一応聞いてやろう。どうした」

「……ルルーシュ」

 スザクは目を伏せ、嬉しそうに微笑むユフィの顔を脳裏に描いた。

「行政特区日本って……どうやったら成功すると思う?」

「その言い方だと失敗すると思っているようだな、お前は」

「……分からない。でも、なんだか単純に成功するとは言い切れないと思う。リスクがあまりに大きすぎるし、具体的な見通しが無いから」

「ユフィから前以て相談は無かったのか」

「無かった。シュナイゼル殿下に計画書を読んで貰って賛同を得ていたらしいけど、僕は全然」

「随分と信頼し合っている騎士と皇女様だな。感動し過ぎて涙が出るよ」

 せせら笑ってルルーシュは机に置いてある端末の前に座った。慣れた手つきで起動する。

「それで、俺にこれからどうしたらいいのか聞きたいと」

「うん。ユフィの名前に傷が付かない方法で行政特区日本を成功させたいんだ。計画書はこれ」

 USBをルルーシュに渡す。端末にファイルを開き、ルルーシュは行政特区立案を凄まじい速度で流し始めた。本当に読んでいるとは信じられない速度だが、ルルーシュの目は確かに上下に素晴らしい速さで動いている。

「話して構わん、続けろ」

「……シュナイゼル殿下が賛同してくれたってことは、行政特区日本は悲惨な失敗にはならないと思う。……そう、信じたい。でも僕にシュナイゼル殿下の思惑が全く分からないんだ。もしかすると殿下が行政特区日本に賛同したのは、ブリタニア人と日本人の権利を同等にするっていうユフィの目標とは違う思惑があるからじゃないかとさえ思う」

「どうして?シュナイゼルは穏健な統治をすることで有名だろう。あいつもユフィと同じくナンバーズの権利向上を考えていてもおかしくはないんじゃないのか?」

「シュナイゼル殿下は確かに穏健統治をなさるけど、でもナンバーズとブリタニア人の権利を同等にすることはできない。皇帝陛下が弱肉強食っていう差別を推進している以上、所詮宰相でしかないシュナイゼル殿下は差別を否定する言動をとることは許されないから。だからユフィの考えた行政特区日本が本当に日本人とブリタニア人の権利を同等にするような政策なら、皇帝陛下の意志に背くとしてシュナイゼル殿下は止める筈なんだ。なのに殿下は賛同した。なら、」

「そうだろうな。お前の言う通りシュナイゼルの思惑は別にある……予想はついているがな」

「何なの?」

「―――俺の口から聞くより、直接本人に尋ねてみるといい。皇族の選任騎士ともなれば謁見する許可も下りるだろう。良い機会だ。あいつの本性を知ってこい」

 ルルーシュは計画書を流し読みながら鼻で笑った。

「もう遅いかもしれないがな。他に俺に聞きたいことは?」

「……行政特区日本の、そもそもの問題が多すぎる」

 スザクは膝の上で拳を握り締めた。

「ユフィの計画書通りに進めるとすると、費用も、専門家も、伝手も足りない。そもそも貴族の協力者が少な過ぎるんだ。コーネリア殿下の部下を借りれば行政特区日本の形はできるかもしれないけど、彼らは揃ってナンバーズへの差別意識が強い。ユフィの理想通りに行くとは思えない。僕はユフィの騎士だから、行政特区日本の責任者の筈なのに、何をしていいのか分からない」

「そうだろうな……お前がここで何をすればいいのか分かるような奴だったら、こんな事態にはなっていないだろうよ」

 ルルーシュは計画書を読み終えてファイルを閉じた。

 即座に凄まじい速さで端末を叩き始める。さらに横にもう一つ端末を並べて同時に操作し始める。

 画面に文字が流れる。強い負荷をかけられた端末は唸り声を上げた。

「―――ナリタで助けられた借りは、これでチャラだ」

 ルルーシュが口の中で呟いた言葉は、画面に流れる情報量に眩暈を起こしているスザクには聞こえなかった。

 目を上下左右に機敏に動かしながら、ルルーシュは機械的な動作で喋り始めた。

「内務局のアルナ・ポットマン、財務局のファーラー・ラッセル、労働局のコナー・ハート、保健福祉局のカイル・エウレット。彼らは有力な主義者だ。引き抜いて行政特区日本の具体的な機構を作らせろ。他にもユーフェミアから直接声をかけられれば行政特区日本へ参加する可能性のある官僚は何人もいる。リストを作るからユフィに言って一人残らず引き抜け。行政特区日本の機構の原案はこれから俺が作る。あと行政特区内での独自の法令もこれから俺が作るから、明日の朝すぐにユフィに許可を取って、そのままテレビで発表しろ。もちろんネットにも掲載するんだ。具体的な法令を定めておけばイレブンも主義者も行政特区日本への警戒心が薄まる」

「でもイレブンでインターネットを常に見られる環境にある人なんて少ないよ。テレビだと繰り返し放映しないと法令の具体的な内容まで理解できないだろうし」

「内容を小冊子にまとめてイレブンの各家庭に配布しろ。役所でも無料配布するんだ。問題はサクラダイトに関わる企業の方だ。サクラダイトの採掘に関わるブリタニア企業を撤退させ、日本人労働者のみでサクラダイト採掘を担う新たな企業を作るのは現実的に不可能だ。採掘のための重機も、専門家も、何もかもが足りない。サクラダイト企業に日本人雇用者を雇う制限をかける方が現実的で早い。これからサクラダイト関連企業の雇用に関して制限をかける法案を作るから、すぐにユフィに提出して成立させろ」

「……それって、結局ブリタニア人に日本人が雇われてるって状況だよね」

「今はそれが限界だ。日本人のみでサクラダイトの採掘から精製、運搬まではできないからな。スザク、何をぼうっとしているんだ。さっさとメモを取れ」

「え?」

「……あのなあスザク、いいか。少し厳しいことを言うぞ」

 ルルーシュは振り返り、指先を突き刺すようにスザクへと向けた。

「誰に協力を求めないといけないのか、どの法案を提出するのか、どの企業へ交渉しに行かないといけないのか、メモを取らずにお前は一発で覚えられるのか?それともお前が何をすべきか、俺は一つ一つ懇切丁寧に説明しながらリストでも作ってやらないといけないのか?甘えるなよ。俺が今やっていることはな、本当は選任騎士のお前がやらないといけないことなんだ。そして行政特区日本に関して俺がお前を助けるのは今回が最初で最後だ。明日からはお前とユフィが行政特区日本を作っていかないといけないんだぞ」

 ここまでルルーシュに詰責されるのは初めてで、スザクは体を強張らせた。

 唇を噛みしめて俯く。教師に叱られた子供のような反応しか返せない自分が情けなくてしょうがない。頭上からはルルーシュのよく響く声が叩きつけられるように落ちてくる。

「何一つ出来ず、俺に縋って。俺に全部任せて。それでもユフィの選任騎士か、お前は。ユフィを守れるのは選任騎士のお前だけなんだぞ。いい加減にしっかりしろ、この、馬鹿が!」

「……うん」

 スザクは小さく頷いた。

 

 ユフィはルルーシュの妹だ。しかしルルーシュは表立ってユフィを自分の妹だと言うことはできない。妹が大好きなルルーシュからしてみれば、ユフィの騎士がこんなに頼りないなんて許せないことだろう。

 それでもこうして助けてくれるのだから、やはりルルーシュは甘い。

 

「ごめん、ルルーシュ」

「全く……いい加減に、頑張れよ」

「うん。勉強する。頑張るよ」

 手を握り締める。

 ルルーシュの手を借りるのはこれを最後にしないといけない。彼女の手はナナリーだけでいっぱいなのだから。

 

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 まさかこんなにあっさりと謁見が許可されるとは思わず、スザクはシュナイゼルの私室へ入った瞬間から体が強張ってしょうがなかった。

 総督府に備えられている客室は、今はシュナイゼルの私室だった。質素に整えられた部屋は物が少なく、ソファとテーブルと本棚以外に家具らしい家具は無い。皇族とは思えない簡素な部屋の中央で、シュナイゼルはソファに座っていた。そしてその対面にはロイドが座っている。

 部屋に入った時点で立ち竦んでしまったスザクへとシュナイゼルは声をかけた。

「式典以外で会うのはこれが初めてかな、枢木卿」

「はい。御拝謁叶い光栄であります、殿下」

「あ、そう言えばスザク君殿下に会うの初めてだったっけ。まああんまり緊張しないでこっちおいでよ」

 ほらこっち、と手を振るロイドに従い、スザクはシュナイゼルの顔色を伺いながら近寄る。

 シュナイゼルを前にしたスザクは汗が止まらなかった。

 シュナイゼルはソファにゆったりと腰掛け、副官のカノンを背後に立たせている。ローテーブルからは湯気を上げる紅茶が置かれていた。

 

 その表情は怒っているわけではない。むしろ穏やかに微笑んでいる。しかしそれでも明らかに分かる程にシュナイゼルは只者では無かった。彼が纏っている空気は、これまで出会ったことのある貴族や皇族とは比べ物にならない程に密度が濃い。

 近寄ると、シュナイゼルはまるで陶器人形のように美しい男だとスザクは思った。金色の髪に薄いロイヤルパープルといういかにもな白人らしい優男の風貌をしており、仕草の一つ一つが優雅だ。しかし同じような気品を持つユフィは無邪気で親しみが持てるのに対し、シュナイゼルは一目で分かる程に近寄りがたい存在だった。

 ユフィやコーネリアより、恐らくシュナイゼルはルルーシュに近い。人間を駒のように認識し、透明な壁を周囲に張り巡らせているような、隔絶した人だ。

 

「どうしたんだい枢木卿。私に会いたいとは珍しい」

「ご歓談中とは知らず失礼致しました」

「いいんだよスザク君。この人割と暇だから。あと僕に並ぶ変人だからね。そんなに気を張らなくても大丈夫だよ」

「ごくたまに、どうして私は君を特派のトップにしたのか分からなくなる時があるよ。今がその時だ」

 軽口を叩きながらシュナイゼルは紅茶をすすった。

 確かにロイドの変人という評価は当たっているのだろう。ここまで部下に揶揄われて軽口一つで済ませる皇族なんてこの人の他にはいまい。

 それほどロイドに心を許しているのか。それとも皇族として敬われることへの拘りが無いのか。後者だろうとスザクは思った。

「まあとにかく、遅まきながらユフィの選任騎士着任おめでとう。まさか特派から皇族の選任騎士が出るなんて思ってもみなかったよ。嬉しいことだ」

「あ、ありがとうございます」

「座るといい。カノン、枢木卿の紅茶も」

「はい」

「いえ、自分は」

「立ったままだと疲れるだろう?エリア11に滞在する間はコーネリアがこの部屋を貸してくれているんだけどね。中々良いソファだよ」

 断ることもできず、ぎこちない動作でスザクはロイドの隣に座ろうとした。しかしシュナイゼルは笑顔で自分の隣の空いているスペースを叩く。

 スザクは顔色を無くしながらも、おずおずとシュナイゼルの隣へと座った。

「もっと早くに君と話してみたかったんだけど、仕事が忙しくてね。こうして君が訪ねて来てくれて嬉しいよ」

「この前暇つぶしにしたネットチェスで世界一になってましたよね」

「特派のKMF開発費用を減らしてパンダの保護活動費に充てようかと考えているんだけど、」

「ごめんなさい気のせいでした」

 どうしてシュナイゼル殿下を前にしてロイドはこうも飄々としているのだろうとスザクは顔を引き攣らせた。

 しかしすぐに答えは出た。変人だからだ。天才と馬鹿は紙一重というが、ロイドはその紙を取り払って生まれたマーブル模様のような男だ。きっと天才成分と馬鹿の成分が綺麗に混じり合っているのだろう。

 押し黙ったロイドを一瞥し、シュナイゼルはスザクへと向き直った。

「それで枢木卿、どうしたんだい?」

「その。シュナイゼル殿下にお聞きしたいことがありまして」

「ああ、行政特区日本のことかな。それとも、」

 シュナイゼルはロイドへ軽口を飛ばした時のまま、優し気な微笑みを浮かべていた。カップを置く。

 

「ルルーシュとナナリーのことかな?」

 

 時が止まったかと思った。背筋が震える。紅茶カップを持つ手が強張った。

 呼吸が荒くなるのを感じながらも、スザクは動揺を表に出さないよう手を握り締めた。にこにこと笑みを崩さないシュナイゼルの顔を見やる。

「何のことでしょう?」

「二人を助けるためにジェレミア卿を日本へ送り込んだのは私だからね。もしかしたら、とは思っていたんだよ」

「仰っていることの意味が分かりません。確かに、畏れ多くもルルーシュ殿下とナナリー皇女殿下は自分の友人でした。しかしお二人とも5年も前に御逝去なされたでしょう」

「今はアッシュフォードに庇護されて暮らしているようだね。5年も経っているから、私ももしかしたら本当に死んだのかと思ったよ」

 でも、とシュナイゼルは微笑む。

 そこでようやくスザクはシュナイゼルの表情が入室時から全く変わらないことに気づいた。ロイドと軽口を交わしていた時も、死んだ筈の姉妹のことを話している今も、同じ表情のまま変わらない。

 

 この人には感情というものが無いのか。

 

「特派の騎士である君の動向は目立つからね。驚いたよ、まさか名前も変えないでエリア11で暮らしているだなんて。とはいえ巧妙に居場所を隠していたから、君がいないとルルーシュの居場所は分からなかっただろう。

 ありがとう。君のおかげでルルーシュとナナリーは皇族に戻れるよ」

 

 胸が痛い。許されることならば、スザクはこの場で死んでしまいたかった。

 全身が震える。涙も出ない。

 脳裏にルルーシュとナナリーの姿が思い浮かんだ。ナンバーズと遠巻きにされる自分に、ルルーシュはやはり優しかった。ナナリーも5年も前からずっと自分を心配してくれていた。

 5年前、彼女達は薄汚い土蔵に押し込められて身を寄せるようにして暮らしていた。ブリタニア人であるというだけの理由で暴言を吐かれて、酷い暴行も受けていた。

 あれから5年経ってようやく静かに暮らせるようになったのに。

 今度は自分のせいで、あの二人はまた酷い目に遭ってしまうのか。

 

「……私は、何をすればいいのでしょうか。お願いします、どうかあの二人はあのまま静かに暮らさせてあげてください。ジェレミアさんが死んでしまったんです。もう、これ以上酷い事は……」

「話が早くて助かる。君は聡明だね、枢木卿」

 吐き気がするような悍ましい皮肉に、スザクは思わずシュナイゼルを睨みつけた。

 殺意さえ籠っている眼光に、しかしシュナイゼルは眉一つ動かさない。軽やかな仕草で紅茶を口に含む。

「行政特区日本に、ユフィは黒の騎士団を取り込もうとしているだろう?」

「……ええ」

「ユフィに協力してあげてくれ。私も妹が可愛いんだ。黒の騎士団がいればユフィも安全だろう?」

 拍子抜けするような要請だった。しかしそれだけである筈が無い。

「言われずともユーフェミア皇女殿下の騎士として、行政特区日本の成功のため誠心誠意尽くすつもりであります」

「成功?……まだ気づいていないのかな。行政特区日本は必ず失敗するよ」

 シュナイゼルの言葉にスザクは全身から力を落とした。

 嬉しそうに、シュナイゼルに認めて貰えたのだと言ったユフィ。シュナイゼルがそう言ったならと、疑問に思いながらも反対しなかった自分。あまりに滑稽だった。

 

 自分もユフィも、もしかするとルルーシュも、この男の掌で踊る駒だったのか。

 

「何故」

「資金、状況、政治的判断、諸々の理由があるけど……君に話してもしょうがない事だ。ただ君は黒の騎士団を行政特区日本に参加させてくれればいいんだよ」

 徐々に怒気が這い上がってくる。同時に、脱力した全身にふつふつと力が湧いた。スザクは唇を噛んだ。

 

 失敗すると分かっていてこの男は行政特区日本を支持した。その理由は何だ。

 イレブンへの懐柔策か。何のために。理由が無い。

 それとも政策の失敗を理由にユフィを皇位継承争いから脱退させるためか。しかしそんなことをしなくても現時点でシュナイゼルが圧勝している。

 シュナイゼルは黒の騎士団を行政特区に組み込むことを望んでいる。

 行政特区日本を思いついた時点でユフィなら必ず黒の騎士団と和解しようとするだろう。そしてそのまま黒の騎士団が行政特区に参加すれば。

 あ、とスザクは口を覆った。世界で唯一ブリタニアに泥を付け続けているテロリスト組織、黒の騎士団は小さな行政特区に幽閉されることになる。

 そうなればブリタニアの脅威はこの世界から無くなる。

 つまり結局は黒の騎士団を潰すためだったのだ。ユフィも日本も、この人の頭の中には無かった。スザクは唇を噛みしめた。

 ナンバーズの救済というユフィの意志や、日本という国への願いが込められた行政特区日本を、しかしこの人はただの罠としか考えていなかった。

 

「……日本なんて、どうでもいいんですね。あなたは」

「もう日本じゃない。エリア11さ」

 その言葉を聞いてスザクの顔から表情が消えた。

 さて、とシュナイゼルは時計を見る。

「そろそろ次の仕事があるんだ。申し訳ないけどそろそろお暇させて貰うよ」

「いえ、お時間を取って頂きありがとうございました。――――殿下、私はあなたのことを誤解していたかもしれません」

「おや、嫌われてしまったかな?」

「いえ」

 スザクはその場に跪いた。シュナイゼルの足元へ深々と頭を垂れる。

「あなたはシャルル皇帝を超える、史上最高の皇帝になられるでしょう。これからも、是非あなたに仕えさせて頂きたい」

「……君はユフィの騎士だろう?」

「私は特派の騎士でもあります。それに行政特区日本が成立すれば、ユーフェミア皇女殿下の身の安全は黒の騎士団が守ってくれる。そうでしょう?」

 持ち上がったスザクの顔の中心で、碧瞳が爛々と輝いていた。

 

 シュナイゼルは変わらない微笑みを浮かべたまま、ロイドとカノンを連れてその場を後にした。

 部屋から出ると同時に、ロイドはあーあ、と溜息を零した。

「ちょっと脅かしすぎじゃないですか?嫌われちゃいましたよ、完全に」

「そうだね。しかし悪くない眼だ。私を利用しようとする気概も中々いい」

「利用?」

 首を傾げるロイドにシュナイゼルは苦笑した。

「彼は日本も、ユフィも、ルルーシュもナナリーも守りたいと考えている。現状で取り得る策の中で最も現実的なのはシャルルが死んで、穏健派の私が皇帝になることだ。しかし私が皇帝になったところで結局は現状維持。日本は解放されない」

「ま、そうでしょうね。あなたの性格じゃあ、なんとか国としてブリタニアが機能している以上無理に改善しようとはしないでしょうし」

「しかし私が皇帝になれば、まず間違いなくオデュッセウス兄上を旗頭にした内乱が勃発するだろう。そこで他の皇族を処罰する口実ができる。ここでは暗殺なんて日常茶飯事なのだから、適当に証拠を作って皇族を引きずり下ろすことは不可能ではない。そして粗方の皇族を失墜させた所で私が死ねば、次の皇帝はユフィか、ルルーシュだ」

 ロイドは顔を顰めてシュナイゼルの顔を覗いた。

 成功するとは思えない、あんまりにも雑な筋書きだった。

「本気で彼がそう思っていると?考えが雑過ぎません?」

「ただの予想だよ。ただのね。陳腐な台本だし、現実味は無いに等しい。そもそも私が気づいている時点で策としては失敗だ。でも彼ならそう考える可能性があるっていうだけさ」

 真っすぐで優しい気性を持つスザクは、しかし中々の激情家だ。その可能性がロイドには否定できなかった。

 そしてロイドはすぐに、その次の可能性に思い至った。

「殿下がスザク君にあんな挑発するような事を言ったのって、ユーフェミア皇女殿下の選任騎士になった後もスザク君を特派に所属させ続けるためですか?あなたが皇帝になるためには特派は手柄を上げ続ける必要がある。そのためならスザク君は行政特区日本を抜け出してでも特派に所属し続けるかもしれない」

「それに特派にいれば私を暗殺する機会もあるだろう、ぐらいは考えているかもしれないね。彼はあまり頭が良くないようだけれど行動力は人一倍あるから。特派で頑張り続けてくれるんじゃないかな」

 シュナイゼルは肩を竦めた。

「ナイト・オブ・ラウンズは強敵だからね。駒は一つでも多い方がいい」

「……随分とスザク君の腕を買ってるんですね。彼なら勝てると?」

「それは君の腕にかかっていることだよ」

 ロイドは頬を歪めるように笑った。

 ロイドはシュナイゼルが嫌いではない。人間的に破綻していようとも、感情が乏しかろうと、それは些細なことだ。シュナイゼルの価値はその行動にある。

 理論のみで動くこの人間への興味は未だ尽きない。

 シュナイゼルはスザクもロイドも気にすることなく、ただ前に向かって歩き出した。

「私も必死なんだよ。とはいえ、私の敵は黒の騎士団じゃない。――――皇帝陛下、ただお一人だ」

 

 

 

 

 

 

 シュナイゼルの部屋を出たスザクは足早にユフィの執務室へと向かった。

 ドアをノックすると、ユフィの柔らかい声が返ってくる。扉を開ける。

「失礼します」

「スザク、お疲れ様。まだ休憩時間なのにどうしたの?」

 ユフィは書類を見つめていた顔を上げた。疲労で顔を白くしながらもにっこりと微笑む。

 机の上には書類が山を作っていた。全て行政特区日本を成功させるための書類だ。スザクは拳を握り締めた。

 行政特区日本は失敗する。シュナイゼルの言葉が反響する。

 項垂れそうになる頭に力を入れて、スザクは無理やりに明るい笑みを浮かべた。

「ユフィを手伝いたくて戻って来たんだ。やることならまだ沢山あるんだろう?」

「ええ!特区日本への申請が20万人を超えたんです!仕事なら沢山!」

 激務の所為か、ユフィは少し痩せた頬を持ち上げる様に笑みを深くした。

「あなたという日本人の代表がいるおかげでみんな行政特区日本を信じられるんです。あなたのおかげです、スザク」

 手放しの賛辞が胸に痛い。押しつぶされそうだ。

 自分はあまりに愚かで、何にも気づかなかった。そんな賛辞を向けられる権利なんてある筈も無い。

 ユフィを見る。きょとんとしたユフィの素顔がスザクは愛おしかった。

 無知かもしれない。向こう見ずかもしれない。自分と同じ位、下手をすれば自分よりもユフィは馬鹿かもしれない。

 それでもユフィは真っすぐで、健気で、優しい。ここまで優しさを持てる人は、きっとそうはいない。

 

 彼女ならばもしブリタニア皇帝になったとしても、心優しいままでいてくれるだろう。

 ユフィとゼロが手を組めば勝てないものなんて無い。

 

 スザクはユフィの手をとった。

「ユフィ、成功させよう。君となら、それに黒の騎士団もいれば、きっとできるさ」

「はい!」

 爛漫な笑顔に、スザクは静かに目を落とした。

 

 

 

 

 

 

 

 



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16. 俺はお前よりギアスを使わなかったからな

 行政特区日本設立記念式典は富士山麓にある巨大なドーム会場で行われた。

 数万人のイレブンが詰めかけた会場は混雑の極みにある。人の群れが押し合いへし合い、騒めきが波をうっていた。騒めきの声は殆どがユーフェミア、スザク、そしてゼロという言葉を含んでおり、人々の眼は時折空に向けられた。

 あまりの人込みに、会場警備のKMFを設置する場所も限られていた。ユフィの警備さえもが限定され、選任騎士の枢木スザクのみがユーフェミアの警備として檀上に上がっていた。

 落ち着きなく曇天を見上げるユフィに、スザクも焦燥が沸き立つ自身に言い聞かせるように報告した。

「ユーフェミア殿下、あと30分で開会致します」

「ええ……」

 ユフィは視線を空から動かすことなく、気もそぞろな様子で返事をした。薄曇りの空は広く、ゼロが現れる気配は無い。

 

 焦れる気持ちを押し込みながらユフィは貴賓席を見やった。キョウトの桐原を筆頭としたイレブンの名士、そしてエリア11の政治の中枢を担うブリタニア貴族が並んで座っている。たとえゼロが来なかったとしてもこれだけの面子を待たせる訳には行かない。

 焦りと緊張から汗が零れる。しかし程なくして、ユフィは空に小さな黒い一点を見た。その一点は徐々に大きくなり、会場へと迫ってくる。

『見えました!ゼロです!!』

 会場中に響いた放送にユフィは頬を紅潮させて、その黒い点に向けて大きく手を振った。

 

 来てくれた、ゼロが来てくれた。それだけでユフィは何かを達成したような気持になった。まだ何も解決していないと知っているが、ゼロというブリタニアに反旗を翻すアイコンがこうして姿を現してくれただけで何かが報われたような気がした。

 それはきっとゼロがあまりに強大な存在だからだろう。ただそこにあるだけで畏怖を払わなければならないものがこの世界には存在する。素晴らしい絵画であったり、天才的な音楽家の演奏であったり、美しい舞踊であったり。

 ある種の暴力的な魅力を持つそれらに抗うことは困難だ。ゼロも、そういった存在に類するものなのだろう。その立ち振る舞いや弁舌は常識を取り払って人を従える力があった。

 

 ユフィと同じように、多くの人々がその一点を指さして歓声を上げた。

「ゼロだ!」

「ゼロ様だ!」

「来て下さったんだ!」

 上空から黒いKMFが飛んでくる。遊覧飛行のようなゆっくりとした軌道を描き、KMFは危なげなく檀上に着地した。

 コックピットがKMFの背後から飛び出し、ゼロが姿を現した。

 いっそう大きくなる歓声の中、ゼロはひらりと飛び降りた。

 ユフィは直ぐさまゼロに駆け寄った。こうして相まみえるのは初めてだが、その雰囲気には覚えがあり、初対面とはとても思えなかった。

「ゼロ!来てくれたのですね!」

「……お招きして頂き光栄です、ユーフェミア皇女殿下」

 ゼロは足を少し引き、貴族のように優雅な所作で頭を下げた。それが日本式のお辞儀だと気づき、ユフィも日本式にぺこりと頭を下げた。

 

 こうして近くて見ると、ゼロはとても大柄とは呼べない体格だと気づく。自分より幾分か身長は高いものの、パイロットスーツ越しにも分かるほどに痩身で、筋肉質のスザクより一回りは小さいようにさえ思えた。

 だが威圧感のようにも取れる重苦しい存在感がゼロを実際よりも大きく見せている。

 こうして近寄ると彼が誰なのか、分からない方がおかしいとユフィは思う。ここまでの覇気を湛える、長身痩躯で耳に響きの良い声色を持つ人物などあまりに限定的だ。

 

「ゼロ、ここに来て下さったということは行政特区日本に参加して頂けるということでよろしいのですよね?」

「……そのことで殿下、少しお話があります。二人きりで」

 ユフィの背後に控えていたスザクが眉を顰めた。

「ゼロ、失礼だが、」

「いいのですスザク」

 ユフィは笑顔を浮かべてスザクを制した。

 ゼロと二人きりで話したいのは自分も同じだった。これから開会式までの30分程度ではとても足りない程に、話したいことは山ほどある。

「開会宣言までそう時間がありませんが、それでもよければ」

「結構です」

 

 ゼロの返答に、ユフィはすぐに式典会場に隣接して設置されている会議所の人払いをした。

 急なことであり警備の人員もまともに揃えられなかったが、彼が誰なのか察している身としては警備の必要性も感じなかった。

 会議所の表にはユフィの護衛が数名、そしてスザクが控えることになった。

 

 ユフィは会議所に入り、その後にゼロが続こうと歩みを進める。しかしゼロをスザクが呼び止めた。

「ゼロ……来てくれてありがとう」

「感謝される筋合いは無い。私はあくまで日本人のために行動しているだけだ」

「それでも、ありがとう……すまない」

 スザクは首を振った。

 

 ルルーシュは仮面の下で目を細めた。スザクはこの行政特区日本が黒の騎士団にとって最悪な戦略であることを理解しているらしい。

 自分で気づいたのか、もしくはシュナイゼルに言われでもしたのだろう。

 

「生憎と再起するための策はいくらでもある。謝罪するのはお門違いだ。むしろ諸君らは私に利用されることを警戒するべきではないかな?」

「君は怖いな。ゼロ、一つ聞きたいことがあるんだけど、いいかな」

「時間が無い。手短に頼む」

「うん。……ユーフェミア皇女殿下を皇帝にしたいって言ったら、君はどう思う」

 スザクを見やる。緊張のあまり頬が引き攣っていた。

 

 

 突拍子も無いことを言っている自覚はあるらしい。

 何よりそんなことを、よりにもよって黒の騎士団の総帥に訴える行為は、現在のブリタニアへ異を唱えていると捉えられかねない愚行だった。

 しかしスザクとは裏腹にルルーシュは仮面の下で安堵した。馬鹿は馬鹿なりに考えている。少なくとも、あのシュナイゼルを皇帝にして全てが解決すると考えていたスザクの発言とは思えない、現実的な策だ。

 シュナイゼルの性格上、現状維持以上の結果を望むことは無い。だからあの男を皇帝にしたところで日本はエリアとして支配され続けるだろう。

 日本を取り戻すためには、ブリタニアの政治システムを抜本的に作り直す必要がある。

 そしてブリタニア国民が納得できる形で行政を再構築するためにユフィ以上のお飾りはいない。

 

「成功する可能性は低い。しかし———悪くない策だ」

「……そっか。ありがとう」

 ゼロの言葉にスザクは胸を撫で下ろし、静かに目を閉じた。

 時間が無い。ルルーシュは足を再度動かし始めた。

「その話についてはまた後で聞こう」

「うん。また後でね」

 手を振って応える。しかしルルーシュは、スザクの言う後が二度と来ないことを知っていた。

 

 

 

 

 

 会議場は薄暗く、肌寒い。喧噪が鳴り響いていた会場と反対に人気が無いせいか、沈黙が耳に痛い程だった

 ルルーシュは会議所に入るなり端末に潜めているドルイドを起動させた。

「半径50m以内に通信機器が無いか検索しろ。あるようであれば通信をカットしろ」

「用心深いのね。カメラならオフにしてあるのに」

「……あなたを信用していない訳ではありませんよ。習慣のようなものです」

 画面にNo existの文字が現れる。ルルーシュは端末を懐にしまった。

 

 ユフィの性格上何か策を講じているとは考えにくいが、この世に絶対というものは存在しない。何よりユフィが純粋無垢であっても、その周囲までもがそうであるとは考え難い。

 むしろユフィの純粋さは、周囲が彼女の分まで汚名を被っているからこそ保たれているものでしかない。その筆頭がコーネリアだ。

 コーネリアはリ家の期待を一身に背負い、戦場で得た武勲でもって、ユフィが皇宮の暗部に触れることが無いよう必死になって守っている。そうしてコーネリアは魔女と呼ばれるようになった。

 そして行政特区日本を設立したことで、ユフィは慈愛の姫と呼ばれている。

 無意識とはいえ、周りの人間に嫌なことを押し付けて慈愛などと。

 薄っぺらい仮面だ。実態を伴わない、覚悟も無い。その気になれば簡単に剥げる薄皮一枚の慈愛など、何の価値があろうか。

 

 小さく嘲笑を浮かべたルルーシュに気づかないのか、ユーフェミアは満面の笑みでゼロの仮面を覗き込んだ。

「それでゼロ……いえ、ルルーシュ、話って何なの?」

 悪戯が成功した子供のような喜色を浮かべる。ごまかされないぞ、と言わんばかりにユフィは目をきらきらと光らせていた。

 

 ルルーシュは突然の事に言葉を失った。ユフィの観察眼に驚かされたのはこれで幾度目だろう。

 ルルーシュは一瞬息を止め、眼を閉じた。徐に仮面を脱ぐ。

 直接にユフィと相まみえると、笑みを浮かべたユフィは薄暗い会議場の中で陽光のように光って見えた。

 

「やっぱり、ルルーシュだ」

「ユフィ、いつから」

「何でかしらね。気づいちゃったの。だって私、ルルーシュが大好きだから」

「そうか」

 ルルーシュの声は冷ややかだった。懐から銃を取り出す。

 そのまま銃口をユーフェミアに向けた。

 ユフィは銃口とルルーシュの顔を交互に見やって首を傾げた。驚愕のあまり事態が呑み込めないというよりも、下手な冗談でも言われたような、困ったような笑みを浮かべていた。

「何の冗談なの?ルルーシュ」

「冗談じゃないさ、ユフィ。いや、ユーフェミア皇女殿下。セラミックと竹を使用したニードルガン。検出器では見つからず、十分に人を貫通する威力がある」

 銃口をユフィの心臓に向ける。ゆっくりと撃鉄を下ろし、引き金に指をかけた。セラミック製の部品が擦れて、耳障りな金属音が部屋に反響する。

 

 無論、撃つ気は無い。

 ユフィを殺すようなことはできない。

 

 ゼロとして、ここでユフィを殺してしまうと正義の味方としての体面が崩壊してしまうからではない。ましてや騎士たるスザクに遠慮をしてのことでもない。

 まだルルーシュはユフィが好きだった。いくら愚かであっても、許しがたいほどに傲慢であっても、5年前に抱いた柔らかな感情は未だルルーシュの中に小さく残っていた。

 今この時ほど自分が甘いということを自覚したことはなかった。もう破れた初恋のために、こんなにも精神が揺らがされる自分が情けない。

 

 しかし銃口に乗せた憤怒のみは本物だった。

 

「……あなたは撃てないわ」

 ユフィは銃口に向かって微笑んだ。嘲笑ではなかった。

 年少の悪戯っ子を見る母親のような、深い慈愛を湛えた笑みだった。

「だって、あなたは優しいもの」

 変わらない柔らかなユフィの声に、ルルーシュの声色は更に冷たくなる。感情を削ぎ落すように、より無機質になる。それはゼロの声だった。

「もうこれまで何百人と殺した。クロヴィスを殺したのも俺だ。優しいだと?それはお前の押し付けだ。5年前と同じでありたいというお前の願望だ。

 もう5年も経ったんだよ。綺麗なままなのは君と―――ナナリーだけさ」

「でも、撃てないんでしょう?」

 ユフィは銃口を迎え入れるように手を大きく広げた。

 

 そんなユフィに怒気がじりじりと湧き起こる。裏切られたことが無いからこそ、ユフィはこうして気安く人を信じられるのだ。

 そうしてユフィは人を追い詰める。あまりに綺麗なユフィのありようは、ユフィのように綺麗でない、人を信じることができない、薄汚い感情を捨て去ることができない人間の存在を否定してしまう。

 性質の悪い女だ。ルルーシュはユフィに向けた銃口が震えていることを自覚してしまった。

 

「ルルーシュ、一緒に日本を取り戻しましょう。皆でまた一緒に過ごすの。だから、もうそんな物を持たなくてもいいのよ」

「俺を憐れむな!!」

 ルルーシュの声が会議場にわんわんと響く。

 物理的な重みさえ感じるような戦慄きに、ユフィは全身を強張らせた。

 

「施しは受けない!俺は自分の力で手に入れて見せる!!自分の力で成し遂げてみせる!!押し付けられた平和に価値などあるものか!!ユーフェミア・リ・ブリタニア、お前のやっていることは慈愛ではない!!自分なら武力無くとも平和を齎すことができるという、ただの傲慢な思い上がりだ!!」

「その名は返上しました!!」

 

 強張る体を振りほどき、ユフィは負けじと声荒く言い返す。

 会場に響くユフィの声に、ルルーシュはその言葉の意味が分からず眉根を顰めた。

「……どういうことだ」

「皇位継承権を返上したのです。行政特区日本を設立させるために、それなりの対価は必要だと皇帝陛下に言われたので」

 淡々と続けられたユフィの言葉をようやく理解し、ルルーシュは一瞬思考を止めた。

 

 ありえない。絶句し、思わず銃口を床に落とした。そのことにさえ気付かなかった。

 幾度も暗殺されかけ、皇族としての利益不利益を12年間かけて身をもって知ったルルーシュからしてみれば、ユフィの選択は信じられないことだった。

 

 皇位継承権の消失は、皇帝に即位する可能性が潰れたということだけを意味しない。

 皇位継承権を失った皇族は皇族としての特権全てが剥奪される。贅沢な衣食住、身辺の安全、執政に携わる権利、そして選任騎士を持つ権利さえユフィは失った。

 皇位継承権を返上した時点でスザクは選任騎士としての資格を剥奪され、ただのユフィの私兵でしかなくなる。

 いや、シュナイゼルに命じられて特派に戻ることになるかもしれない。皇族でないユフィはシュナイゼルの命令に否を唱えることは許されない。

 もしそうなれば、ユフィは全てを失うことになる。

 

 あまりに愚かと言わざるを得なかった。この行政特区日本の象徴に皇族であるユフィがいるからこそ、多くの日本人が安心して集まってきたというのに。当のユフィが皇族でなくなってしまったら、行政特区日本は総督であるコーネリアの支配下に収まってしまう。

 

「君は、随分と簡単に捨てられるんだな……俺のためとでも言うつもりか」

 最早嘲笑さえ浮かばなかった。自分を憐れんでの行動だったとしても、あまりに愚かな選択だ。行政特区日本を始めることばかり考えて、その後を考えようとしない。

 

 何もかもに恵まれてきたユーフェミアは、これまでその後の事など考えなくてもよかったのだ。何も考えなくても、何もかもを与えられる生活をしてきたから。だから皇位継承権を捨てても飄々としている。

 そう考えるとユフィの挙動全てが傲慢であるように映った。溢れんばかりに沢山のものを持つユフィが、自分を憐れんで皇位継承権を捨てて手を差し伸べたなど、屈辱でしかなかった。

 

 しかしユフィは首を横に振った。

「相変わらずの自信家ね。違うわ。ナナリーのためよ?」

 ユフィは当然と言わんばかりに笑った。

「私、ナナリーに会いたいの。話がしたいし、また遊びたい。5年前みたいに。そのためにはナナリーが何も心配せずに暮らせる場所が必要だわ。ルルーシュとナナリーが一緒に暮らせて、私も会いに行けて、スザクも一緒にいられる場所が」

「……そんなことで」

「私にとっては、何よりも大事なことよ」

「コ、コーネリアはどうなるんだっ」

「別に会えなくなるわけじゃないわ。皇族じゃなくなっても、私はお姉様の妹だもの」

「皇位継承権が無くなればスザクは選任騎士じゃなくなるんだぞ。スザクはどうするつもりだ!」

「元々スザクはシュナイゼルお兄様の部下だったもの。だから、またお兄様の部下に戻るだけよ。私の選任騎士だったっていう肩書が増えればスザクの待遇も良くなるでしょう?」

「っ、お前は誰が護るんだ!何も無くなるんだぞ!金も、身分も、部下も!」

「―――――5年前、あなたのことは誰が護ってくれたの?」

 

 ユフィは5年前、たった2人で飛行機のタラップに上ったルルーシュとナナリーのことを覚えていた。

 今の自分よりもずっと小さいルルーシュは、何も信じないという鉄のような色をした瞳でじっと前を見据えていた。握りしめた手は小さく震えていた。

 あの時のルルーシュはたった12歳の子供だった。

 いくら今、彼女がゼロという天才的なテロリストであろうとも、あの時のルルーシュが幼く、小さい、大人の庇護を必要とするか弱いものであったことには変わりがない。

 ナナリーのことはルルーシュが護った。しかしルルーシュを護ってくれた人はいたのだろうか。

 やはりルルーシュは優しい。声を荒げるルルーシュにユフィはそう、心から思う。

 自分はただ、5年前の、たった12歳だったルルーシュと同じ場所に立っただけなのに。

 

「大丈夫、大丈夫よ、ルルーシュ。私、本当に大事なものは何も捨ててないわ」

 ユフィは5年前と何も変わらない笑みを浮かべた。

 

 声が詰まる。何を言っていいのか分からなかった。単純な感謝の言葉では足りないと思ったし、不適切であるようにも感じた。

 ルルーシュには理解できない程に、ユフィはあまりに無垢であり、美しかった。

 その一言でルルーシュはユフィの全てを許してしまった。

 その愚かさも、ひたむきさも、優しさも、傲慢さも、呆れる程の純粋さも、自分が恋をしたユフィそのものだった。

 ルルーシュは心地よい敗北に首を振った。完敗だった。

 

「――――君は馬鹿だ、ユフィ」

「もう。確かに私はルルーシュみたいに勉強はできないけど、でも私だって頑張って、」

「違うよ。そういう意味じゃない」

 ルルーシュは声を立てて笑った。先ほどとは別人のような、柔らかな笑い声が会場に響く。

 その笑顔にユフィもつられて笑みを浮かべた。

「君は馬鹿で、だからこそ一番に何が大事か分かっているんだな。でもそのためにどれだけの犠牲を払ったのか分かっているのか?」

「確かにもう取り返しはつかないかもしれないけれど………いいのよ。だって私が私のためにしたことだもの」

「5年前と同じように、3人でいたかったから?」

「そう。でも3人じゃなくて、今度はスザクを加えて4人でね」

 ユフィは心底嬉しそうに微笑んだ。ああ。そうだ。ルルーシュは眼を細めた。

 

 花が咲き乱れるアリエスの庭で、ユフィとナナリーはよく一緒に遊んでいた。自分も二人に花輪を作ったり、本を読んだりしていた。遠い記憶だ。

 そして自分達の警護をいつもしていた男がいた。

 

 そうだ。3人ではなかった。

 

 ルルーシュの笑みは崩れるように溶けて無くなった。

 ユフィは5年前を思い出して胸を暖かくするのだろう。しかし自分は同時に熱が込み上がる。

 心臓がじりじりと焦げるような熱量は焦燥感を呼び起こし、脳が沸騰するほどに追いつめられる。ルルーシュは熱の籠った息を深く吐いた。

 自分だって5年前、本当に大事なものを何も失ってなどいなかったのだ。

 失ったのはほんの数か月前のことだった。

 

 あの時ならまだ自分はユフィと、ナナリーと、ジェレミアと共にアリエスの離宮に帰れたのだろうか。

 もしもの話には何の意味もないと知っている。しかしおそらくは帰れたのだろうと思う。

 だがもうそれは過去の話でしかなく、仮定に意味など無いのだった。

 

 心地よい敗北感はそのままに、しかし自分にはユフィの思い通りになることはできないのだと、その価値すら失った事実を噛みしめる。

 胸底から這い上がる怒気と殺意、復讐心が、敗北しかけた体を突き動かす。

 

 床に落ちた拳銃を拾う。

 そのまま流れるような動きで銃口をユフィに向けた。

「ユフィ、あの頃から4人だったんだよ」

「ルルーシュ?」

「いただろう?いつも、俺達の警護をしていた男が」

 ルルーシュの眼は優しく瞬いていた。その表情と、真っすぐユフィに向けられる揺らがない銃口のアンバランスさにユフィは戸惑いながらも記憶を探った。

 

 皇族の子供が遊んでいて警護がいないわけが無い。ルルーシュとナナリーとアリエスの離宮で遊んでいた時も、周囲に何人もの大人が警護として立っていた記憶がある。しかしその内の誰のことをルルーシュが言っているのか分からない。

 だが、もう何年も前の記憶で朧げではあるが、ルルーシュの傍にいつも控えていた騎士が一人いたような気がする。長身の、ちょっと怖そうな顔をした人だった。何人もの選任騎士候補を持っていた自分と違ってルルーシュには彼一人しかいなかった。そのためにルルーシュとナナリーの警護はいつもあの人が担当していた。

 

「ええと……あの、ルルーシュの選任騎士候補だった人のこと?」

「もう候補じゃないんだ、ユフィ」

 ルルーシュは拳銃を掌でくるりと回し、グリップをユフィに差し出した。

「あいつは俺の騎士なんだ。あいつがいないと、俺はアリエスの離宮には戻れない」

「じゃあその人も呼んで、」

「ユフィ、覚えておくといい。善意は悪意より人を傷つけることがある。そして綺麗なお前にはどうしても理解できない、醜いと分かっていても絶対に譲れない感情がこの世界にはあるんだよ」

 ルルーシュの右眼は煌々と光っていた。

「時は戻らない。俺も君も、明日に進むしかないんだ。―――――さようならだ、ユフィ」

 

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 

 スザクは会議場の外でユフィとゼロが出てくるのを待っていた。

 開会式まであと数分しか時間が無い。そろそろ戻って来てくれないと、タイムスケジュールに影響を及ぼしかねない。

 扉が開く音がしてようやくかと振り返ると、ゼロが立っていた。

「ゼロ、話は終わったのか?」

 スザクの問いに答えず、ゼロは走り出した。

 走り出した先は式典の檀上だ。

「ゼロ、どうしたんだ!?」

「スザク、ゼロを捕まえてください!!」

 会議場から今度はユフィが走り出てきた。

「ユーフェミア殿下!?どうしたのですか!」

「いいからゼロを捕まえてください!!命令です!!」

「スザクを捕まえておけ!!」

 常にないユフィの様子にスザクは戸惑いながらもゼロの後を追った。しかし他の警護をしていたメンバーがスザクの手足に縋りつく。顔を見ると、眼の淵が赤く染まっていた。

 もしやゼロのスパイだったのかと、スザクは数発拳を叩き込んで彼らを黙らせた。何が起こっているのか分からないまま、しかし主君の命を全うするためスザクは会場へ向かって走った。

 

 その隙にゼロは式典会場へと辿り着いた。ゼロが檀上に現れると会場のイレブンから歓声が上がった。

 しかし走り込んできたゼロの様子にどうしたのかと戸惑いの声も同じく上がった。

 スザクはゼロを捕縛するべく近寄るも、ゼロに触れようとすると手が勝手に逃げてしまう。

 自由にならない体に焦れながら、何が起こっているのか分からない状況にスザクは困惑の声を上げた。

「くそ、ゼロ、どうしたんだ!」

「それはこちらの台詞だ!行政特区日本の真意とは、こんなことだったのか!!」

「……ゼロ?」

 ゼロの言葉にスザクは眼を瞬かせた。スザクの傍を、重たそうなドレスを引きずりながらユフィが走る。

 ユフィは懐から銃を取り出した。銃口をゼロへと向ける。大きな瞳の淵は真っ赤に染まっていた。

「ゼロ、私は貴方を撃ちます!!」

 ユフィの高らかな宣言に会場は声を無くした。

 

 あまりに理解できない状況に晒されると人は動きを止める。数万人がひしめく会場は、その一瞬時を止めた。

 

 沈黙した会場の中で銃声が響いた。

 ユーフェミアの撃った弾丸はゼロの肩を貫いた。血飛沫が放射線を描きながら地面に散る。

 ゼロの痩身がその場にどうと倒れた。

 

 激痛のあまり身を捩りながら呻くゼロに、ユフィは更に銃口を向けた。銃口は心臓に向かっている。

「ゼロ、私は貴方を撃つんです!だから動かないで下さい!」

「っ、ユフィ!!」

 スザクは咄嗟にユフィに飛びついた。銃口は逸れ、ゼロの左腕の肉が抉れた。

 ゼロは痛みに悶えながら、しかし会場中に反響する程の声量で言い放った。

「ユーフェミア・リ・ブリタニア、それに枢木スザク!この度の行政特区日本はこのためか、黒の騎士団を壊滅させるため………私を殺すために仕組んだことか!」

「っ、違う!ゼロ、僕たちは!」

「ゼロ、私は貴方を撃つんです!」

 ユフィの声も為政者として相応しい声量を誇る。

 スザクに押さえつけられながらもユフィは銃口をゼロに向け、何度も発砲した。四方八方に銃弾が飛ぶ。ほとんどは外れたものの、数発の銃弾がゼロの服を裂く。裂けた服から血が流れ、隙間から赤い肉が見える。

 とうとう銃弾を撃ち尽くし、ユフィはカチカチと音が鳴るばかりになった拳銃を放り投げた。

「もう、スザク、拳銃を貸してください!早く!」

「ユフィ、止めてくれ!これでは、」

 暴れるユフィをスザクは押さえつける。

 ゼロは震えながら立ち上がった。足が痙攣しているかのように震えながらも、しかしゼロは何故か倒れなかった。意思の力のみで、ゼロは震える足を強いて歩を進める。

 檀上で、民衆へと足を向けるゼロを止める者は誰もいなかった。

 

 カメラがゼロを映す。エリア11全土に、血塗れになったゼロの姿が放映された。

 

「キ、キャアアアアア!!」

 会場のあちこちから空気を切り裂くような悲鳴が沸き上がった。

 悲鳴を合図として、時を止めた会場が爆発するように喧騒を巻き上げた。

「ゼロ!ゼロが!」

「ユーフェミア皇女殿下がゼロを殺そうとしたぞ!」

「最初からこれが目的だったんだな!」

「偽善の皇女め!」

「逃げろ!俺達も殺されるぞ!!」

「う、動くなイレブン共!ユーフェミア皇女殿下からのお言葉があるまで動くんじゃない!!」

「俺たちはイレブンじゃない!日本人だ!」

「煩い!!イレブンの猿共め!!!黙れ!!」

「テレビを止めろ!!ゼロを映すな!!」

「お願いですから子供だけでも外に出してください!」

「ゼロ!ゼロ!大丈夫ですか!?」

「ゼロ!ゼロ!!」

 ゼロを呼ぶ声が会場中に響く。会場中が喧噪に塗れていた。ゼロは傷口がよくカメラから見えるようにと体を捩る。

 何をしているのかと、警備をしていたKMFが銃口をゼロに向けた。スザクは顔色を変えて声を張り上げた。

「止めろ!ゼロを攻撃するな!!」

「しかし枢木卿、」

「ユーフェミア皇女殿下はいかなる戦闘行為もこの行政特区日本において許可していない!それよりすぐに医療班を呼んでゼロを病院に連れていけ!」

「黙れ!この裏切り者が!」

「そうだ!ゼロを返せ!」

「ゼロを連れて行ってどうするつもりだ!」

 その場にいた数万人の民衆は声を荒げてゼロの名前を呼んだ。エリア11における英雄が目の前で銃殺されようとしている光景は、その場にいた全ての民衆が冷静さを失うに十分な効果を持っていた。

 

 警備の人員は、そもそもがイレブンへと好印象を持っていないブリタニアの騎士である。パニックの原因であるゼロへと銃口を向けることで人質にとり、イレブンを黙らせようとした。

 KMFの銃口がゼロに向いていることに気づいた民衆が、ゼロを守ろうとKMFに纏わりつく。そのまま素手で警備のKMFを殴り、石を投げつけ、喚き散らす。

「っ、五月蠅い、猿共が!!」

 一機のKMFが空中に向けて威嚇射撃を行った。乾燥した銃声が会場中に鳴る。それが合図になった。

「う、うぁあああああ!!」

「撃った!KMFが撃ちやがった!」

 喚き声を上げながらイレブンは会場の外へと走り出した。しかし数万人の人間が一斉に移動できる筈も無い。

 さらに警備のKMFも、突如として喚くイレブンと威嚇射撃の音に錯乱する。

 威嚇射撃のためと撃った銃撃が、周囲に纏わりつくイレブンにより手が滑り、人込みの中心へと向かった。

 

 血がぱあ、と散る。

 KMFの装甲をぶち抜くに十分な威力を持つKMF専用対物ライフルで人を撃つと、掠っただけでも体が吹き飛ぶ。

 運悪く銃弾の犠牲となった日本人の人肉がそこら中に巻き散らかされ、騒ぎはさらに強大化した。

 周囲に巻き散らかされた腸に、血液、骨。それを正面からかぶってしまった日本人が、発狂したかのように喚きながら拳を周囲に振り回す。その拳に殴られた人がまた叫び声を上げ、逃げようとなりふり構わず走り出す。

 人の波がうねりになり、悲鳴と怒号の混じった声が台風のように巻き上がる。

 

 もはや正気を保っている人間などほとんどいなかった。何が何だか分からない。ただ動物的な逃走本能のままに足を動かし、助けて、助けて、誰か、と声を上げる。

 誰もが助けを欲していた。この事態をどうにかしてくれる人を。

 

「や、やめろ!!撃つんじゃない!!」

 スザクの声は喧噪の中では誰にも聞こえなかった。貴賓席に立ち並んでいた行政特区日本への参加者も足早に会場を去っていく。

 特にキョウト六家の動きは早かった。元から行政特区日本にあまり期待もしていなかったのだろう。会場が騒然となるなり、我先にと逃げだした。

 残ったのは一人。コーネリアの代理として出席したダールトンのみであった。

「枢木卿、ユーフェミア様を早く避難させよ!」

「しかしこのままでは行政特区日本は、」

「最早そのような問題ではない!こうなればユーフェミア様の安全だけを考えるのだ!さあ、早く!」

 ダールトンがユーフェミアの腕を掴む。それまでスザクに抗うように身を捩っていたユーフェミアは、その瞬間に動きを止め、眼をパチパチと瞬かせた。

「……スザク?」

「ユフィ、すぐに逃げよう。もうここは、」

「え?でも、行政特区日本の開会式があるんでしょう?」

 ユフィはこてんと首を傾げた。

「ゼロも来てくれました。それに沢山の日本人の方々も。ゼロが一緒に協力してくれれば、日本人の皆さんに権利と自由を返してあげることができます。それなのに、逃げるだなんて」

「……ユフィ?」

「私は逃げません、スザク。皆さんが待っていてくれるのですから」

 

 スザクはどう言えばいいのか分からなかった。何故ユフィがゼロを撃ったのかも、分からなかった。

 ただユフィは、日本人のことを思ってくれていたのだということを信じた。

 だからこそスザクはユフィの言を退けなければならなかった。日本のことを思ってくれている人が、こんなところで暴力に晒されて良い訳がない。

 

「駄目だ、ユフィ。逃げるんだ」

「でも!」

「もう行政特区日本は失敗する……ゼロの術中だったんだ。会場では暴動が起こってる」

「じゃあ日本人の皆さんを護って下さい!」

 ユフィはスザクの服を掴んだ。

「私はいいんです!それより、日本人の皆さんを護りに行ってください!暴動を止めるよう、私も皆さんに話に行きます。だから、スザク、」

 ユフィはスザクの腕の中で身じろいで、その眼をこれから式典が開催される筈だった会場へと向けた。

 

 警備のKMFの銃口は未だにイレブンに向いている。喚き声や、痛みに悶える声が響いている。

 スザクも、この事態を収めるためにはユフィが必要だと分かっていた。いや、事態を収めるだけならばゼロだけで事足りるだろう。

 しかしそうすると、ユフィが行政特区日本を実行したのはゼロを暗殺するためだということを認めることになってしまう。

 そうなれば行政特区日本が失敗する程度の騒ぎでは収まらない。下手をすれば、エリア11全土が戦争状態になる。そのためにどれだけの人が死ぬのか想像すらつかない。

 

 日本のためを思うのならば、スザクはユフィを民衆の前に立たせ、ブリタニア兵に銃を収めるよう訴えさせ、ゼロへの謝罪をさせなければならないのだ。

 

 しかし。視線をイレブンに向ける。最早完全な暴徒と化した彼らが、こんな事態を引き起こしたユフィの言葉を聞くとは思えない。むしろ下手をすればユフィは彼らに殺されかねない。

 

「スザク!早く!」

 ユフィの訴えと重なるように、ルルーシュの言葉が脳内で木霊する。

 

 日本か。ユフィか。

 

 どちらの方が大事だろうか。

 首相の息子か、それとも騎士か。

 

 どうして自分は悩んでいるのだろう。スザクは不思議でならなかった。

 そもそも自分がブリタニアに渡ったのは、日本をより平和的な方法で取り戻すためだ。そのために5年間を費やした。

 それなのに出会ってまだ数か月しか経っていないユフィを日本と秤にかけて、悩むだなんて。

 その理由が分からない。

 ふとスザクは5年前の、生まれて初めて遭遇した騎士との会話を思い出していた。彼は優しくて誠実な大人だった。しかし少し怖かった。どうして怖かったのか今では分かる。

 彼はルルーシュを、主君を護ろうと必死だったんだ。騎士とは、主君に寄り添う者だと。

 

 スザクは一度目を瞑り、覚悟と共にユフィを抱き上げた。

「スザク!」

「ここで君が死んだら全てがお終いだ」

 スザクは出口に向かって駆け出した。背後から石が飛んでくる。庇うために強くユフィを抱き締める。

「でも、それでは日本人が!」

「ゼロがなんとかする。それよりユフィは早く本国へ逃げるんだ」

「嫌です!本国なんて、そんな、私のせいでこんなことになったのに、」

「君のせいじゃない……いや、違うな」

 スザクは悔しそうに唇を噛んだ。

「僕は、行政特区日本は失敗すると分かっていた」

「え?」

「君が錯乱したのはきっとゼロの仕業だし、シュナイゼルは行政特区日本は失敗すると分かっていて君の案を支持した。コーネリア殿下もシュナイゼルから聞いていて、失敗すると分かっていたのに君を止めなかった。僕も知っていて、君に話さなかった」

 だから、とスザクは声を絞り出した。

「だから……ほんのちょっとしか、君のせいじゃないんだ」

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 檀上に残ったのはゼロ一人だった。

 

 会場では警備のKMFが数台立往生となっている。

 元々数ではイレブンがブリタニアを圧倒しているのだ。周囲を取り囲んでしまえば、攻撃を許可されていないKMFはただの巨大な人形でしかなかった。

 会場を勝手に出て行こうとするイレブンを撃っていいものか、ユーフェミアもダールトンも避難してしまった現状で誰の指示を仰ぐこともできず、KMFは威嚇射撃を繰り返すことしかできない。

 混乱したKMFは威嚇射撃の方向を誤り、既に数名のイレブンが射殺されていた。

 

 予想以上の混乱具合だった。そしてユフィの射撃の腕前も予想していなかった。

 ルルーシュは肩を抑えた。血が掌にべっとりと付着している。貧血のせいか動悸が治まらず、足もふらつく。

 しかし幸いにも銃弾は骨を掠めたものの貫通しているらしく、肉と骨が少々抉れただけだ。神経は傷ついておらず、まだ手は動く。

 ふらつく足を叱咤して、前へと踏み出す。息を吸い込む。目を見開く

 

「静まれ!!」

 

 頭蓋を揺さぶるようなゼロの声がエリア11に響く。

 イレブンもブリタニア人も動きを止めた。銃声が止む。

 エリア11のテレビ、ラジオ、全てのメディアにゼロの声が響いた。

 ルルーシュは静まり返った会場の中心部にできた血溜まりを見やった。血飛沫の中に数人の死体が浮かんでいる。

 こうなることを予測していなかったわけではない。むしろこうなるだろうことを強く予想していたからこそ、そのための準備を行ってきた。

 罪科無い民衆を危険に晒すことは主義に反するし、気分が良くないことではある。だがそれが最善手であると判断したのだ。そう判断したのであるのならば、そうすべきだ。

 ルルーシュは仮面の下で目を細め、しかし声を張り上げた。

 

「私を暗殺しようとした行為、そして日本人へと銃口を向けた行為、最早行政特区日本は信ずるに値しない!!ブリタニアの兵は即刻この場から立ち去れ!!最早この場にブリタニアの騎士が護るべき者は存在しない!!」

 

 ゼロが手を振り上げる。同時に周囲に潜伏させていたKMFが式典会場の上空に現れた。

 警備のKMFとは比較にならないスペックの、フロートユニットを組み込んだ完全武装のKMFが会場を取り囲んだ。

 威嚇射撃を繰り返していたブリタニアのKMFへ、黒の騎士団のKMFの銃口が向く。

 

 ブリタニア側のKMFは、警備のための最低限の数しか動員していない。黒の騎士団との兵力差は圧倒的だ。

 警備のみの任務だと思っていた兵士の戦意は低く、さらに徹底抗戦を指示する上司もこの場にはいない。

 さらに民衆が密集した会場内で戦闘に縺れ込むのはあまりにリスクが高すぎる。この場で戦闘が起これば、末路は虐殺だ。そんな事態になったとして責任を取れるような立場にある者は既にいない。

 ただの一般兵がそんな決断を下すことはできまいというルルーシュの予想は的中した。

「っ、くそ、撤退だ!撤退しろ!」

 蜘蛛の子を散らすように、ブリタニア側のKMFは会場から次々と退いていく。その代わりに黒の騎士団員が迅速に会場へと入った。銃弾に当たった怪我人を次々と会場の外へと運び、救命活動を行う。

 ゼロは檀上で血を流しながら、高らかに声を張り上げた。

 

「日本人よ!ブリタニアの虐げられた全ての民よ!!私は待っていた、ブリタニアの不正を影から正しつつ、彼らが自らを省みる時が来るのを。しかし私達の期待は裏切られた!!」

 

 声と共に、裂けた肌から血が流れる。ゼロの足元は既に真っ赤に染まっていた。

 会場に突入したKMFの一つからカレンがガーゼと包帯を手に飛び降りた。

「ゼロ、血が、」

 カレンは足を縺れさせそうになりながらもゼロに駆け寄った。しかしゼロは手を振り、カレンを遮る。

 

 いくつもの人命を犠牲にし、ユフィを陥れて手に入れた機会をこの程度のことで棒に振る訳には行かない。四肢が千切れ飛んでも今この場では立っていなければならない。

 ゼロにはそれだけの責任があることを、ルルーシュは理解していた。

 

「日本の名を取り戻すと銘を打ちながら、ユーフェミア、そして行政特区日本への賛同を示したシュナイゼル・エル・ブリタニア、そしてコーネリア・リ・ブリタニアは行政特区日本を利用し、黒の騎士団、そして日本人を殲滅せんとしたのだ!!彼らは暴挙を以て、我々の期待を裏切った!!」

「そ、そうだ!!あいつらのせいだ!!」

「あいつらのせいで俺の母さんが……」

「人殺しめ!!」

「ブリタニアを許すな!」

 血を見て興奮状態になった民衆からの声が上がる。熱気が会場中に充満し、怒気がはちきれんばかりに湧き起こる。

 

 行政特区日本への期待から、ブリタニア兵に銃撃された絶望への落差が民衆を興奮状態へと追いやっている。血塗れになったゼロが演説をしていることによる効果もあるのだろう。

 民衆は血と怒りに酔っていた。目も眩むような怒気が会場を衝き、それはテレビを通してエリア11に広がっていた。感染のように蔓延する怒気は今やエリア11全土に広がっている。

 これほどまでの好機はそうは無い。ルルーシュは手を振り上げる。

 

「私は今ここに、ブリタニアからの独立を宣言する。だがそれは、かつての日本の復活を意味しない。歴史の針を戻す愚を私は犯さない。我らがこれから作る新しい国は、あらゆる人種、歴史、主義を受け入れる広さと、強者が弱者を虐げない矜持を持つ国家だ!

 その名は、合衆国日本!!」

 

 はちきれんばかりの歓声が上がる。ゼロの名前が声高に叫ばれる。

 しかしそこまでがルルーシュの限界だった。激痛と貧血に膝をつく。傍に立っていたカレンが思わず駆け寄った。

 カレンだけでは運べないだろうと、近くのKMFから藤堂が飛び降りて足早にゼロに近寄る。

「ゼロ、もう限界だ」

「駄目だ、まだ」

「こんなに血が出ているんです!!死にますよ!?」

「カレン」

 ゼロはカレンの肩を押した。

「俺は死なん。目的を果たすまではな。………藤堂、肩を貸せ」

「っ、ああ」

 藤堂の肩を借りてルルーシュは立ち上がった。そのあまりの軽さに藤堂は瞠目した。

 

 華奢な体格だと思ってはいたがそれにしたって軽すぎる。接近すると年若いと言う言葉だけでは説明できない程に骨格が細い。身長は確かに高い方だろうが、細くて肉の薄い体は少女のようだ。

 しかし耳元で張り上がったゼロの声は、少女と思うにはあまりに力強かった。

 

「我々はこれより総督府へ向けて進軍を開始する。我々は最後までやるつもりだ。どんな犠牲を払おうとも、我々はこの国を護りぬいてみせる。

 我々はこれより先、海で、野で、空で戦うこととなるだろう。そして我々は決して降参しない。もし我々がここで倒れることとなれば、今まさにここで起こった殺人が、日本全土で、そして世界中で起こることとなるからだ!!

 従って我々はブリタニアと、ブリタニア以外の全ての世界との境目に立つ者として、戦うか、逃げるかという決断を下さなければならない!!

 そして私は確信する!!今こそ日本の名を取り戻す時である!!」

 

 怒気と興奮が渦を巻く。圧倒的な熱量を持った民衆の歓声が空を衝いた。

 ゼロ、ゼロ、ゼロ。

 幾度も叫ばれるゼロの名に、ようやくゼロは全身から力を抜いた。

 ここまで戦意を高めればトウキョウへ進軍することも十分可能だろう。薄らぐ意識の中、ルルーシュはそう判断して崩れ落ちる体を許した。

 

 藤堂は今にも倒れ伏しそうなゼロの体躯をカレンと共に抱えて壇上から舞台裏へと引きずった。薄暗がりの中、焦った顔をしたC.C.が立っていた。

「怪我を見せろ」

「あなた怪我を診る事なんてできるの?」

「仮面を剥がさずに治療はできんだろう。こいつを蜃気楼の中に運べ。手当はそこで私がする」

「手当程度でなんとかなる傷じゃないことぐらい分かるでしょう!?」

「医療スタッフは手配している。それまでの間くらいなら、」

 C.C.の言葉は途中で途切れた。カレンとC.C.に挟まれ、床に倒れていたゼロが爪先で肌を掻き毟り始めたからだ。よく見ると全身が震えている。裂けた服から見える肌は白を通り越して青く変色していた。

「っ、失血し過ぎたか!」

「ゆ、輸血、輸血しないと、」

「蜃気楼の中に一式用意している。早く移動を、」

「それより早く点滴を、」

「……失礼する」

 藤堂がゼロの服の袖を引き裂いた。

 

 細い腕だ。それに直に見ると男にしては脂肪が厚く、触れると張りがある肌に柔らかく指が沈む。指は細く、形の良い桃色の爪が指先を飾っている。

 まさかと思っていたがここまでくると決定的だ。

 

 ゼロは女だった。それもかなり若い。おそらくはまだ成人もしていないだろう。

 しかし藤堂はその事実があまりに信じられず、何かの間違いではないかと疑った。しかし何度見ても、その腕は女のものでしかありえない繊細な造りをしていた。

 ブリタニアにいくつもの勝利を重ね、奇跡のような快進撃を続けながら堂々と歩み続けるゼロは女だった。

 信じるにはあまりに重い真実だった。もしそうであるのならば、奇跡の二つ名でさえ背負いきれない程に重く感じていた自分が、あまりに情けないではないか。

 

「ちょ、藤堂さん!」

「……静脈ラインを取るだけだ。軍事講習でそのぐらいのことなら習っている。C.C.、蜃気楼から輸血のセットを取って来てくれ」

「ああ」

 C.C.はちらりとゼロを見やり、すぐさま蜃気楼に向かって駆け出した。カレンは包帯とガーゼで出血している個所の止血を始めた。傷に触れた先からガーゼが真っ赤に染まり、藤堂は顔を顰めた。

「肩の傷がかなり深いな。すぐに病院に連れて行かねば」

「C.C.が手配していると言っていました。輸血を始めてから蜃気楼で運びましょう」

「……寒い……」

 痙攣するように震えるゼロの身体に、カレンは顔面を蒼白にした。

 ここまで頼りないゼロの声は初めて聴いた。まるで子供のような声だ。

 呼吸もなんだかおかしい。浅く速い、荒い呼吸が続いている。血液を失ったせいで酸素も足りなくなったのかもしれない。

「ゼ、ゼロ、ゼロ、しっかりして下さい」

 ゼロの手を握る。あまりに冷たい。手は酷く震えていた。

 段々と震えは全身に波及し、ゼロはとうとう仮面を掻き毟り始めた。全身をばたつかせる。

「呼吸ができないのか!?」

「そんな、」

 苦し気に喉を掻き毟るゼロの腕を抑えて、カレンは仮面をぺたぺたと触った。

 

 この仮面の向こうは不可侵だ。誰も暴いてはいけない領域なのだ。

 ゼロがゼロ足りえるために、ゼロは誰であってもいけない。そんなことはカレンも知っている。

 しかしゼロの正体が誰であれ、その事実はゼロの命と天秤にかける価値があるのだろうか。

 そんな筈はない。カレンは震える手で仮面に触れた。触れた手を、仮面を引っ掻こうとするゼロの指が振り払う。

 

「っ、もう!」

 一瞬の躊躇の後、カレンはゼロの仮面を取り払った。

 

 仮面の下から短い黒髪が零れる。荒く呼吸を繰り返して汗で額を濡らした、蒼白の少女が仮面の下から現れた。

 普段よりもいっそう可憐な弱々しい様子は痛ましく、しかし目を奪われるほどの美貌を讃えていた。

 カレンは驚愕のあまり口をかくんと開いた。

 見知った顔だ。それどころか、好きな人だ。

 

 カレンは傷を押さえつけていた手から力が抜けるのを感じた。傷口から血がぼたぼたと流れ出したが、そのことにさえ気づかなかった。

「……ルルーシュ、」

「なんだと!?」

 藤堂はあまりに整ったルルーシュの容姿に眼を瞠っていたが、それよりカレンの零した名前に驚愕の声を漏らした。

 

 ルルーシュ。忘れもしない。日本が開戦することになった原因の皇族の1人の名だ。確かによく見ると顔の造形も5年前と大きく変わらず、幼げな色味を未だ残していた。

 だがルルーシュはどこからどう見ても女だった。皇子ではなかったのか。

 

 驚愕する藤堂に気づかず、カレンは全身を脱力させて目を見開く。徐々に、その事実が体を這い上って来る。

 ルルーシュがゼロだった。

 手の先から震えが走る。それはあまりに受け入れがたい事実だった。

 カレンは心からゼロを信じていた。まごう事なき英雄だと、神聖視さえしていた。

 だからゼロの指示に従って戦場を走り、何人もの人間を殺した。仲間が何人死のうとも、これが最善策だと迷いなく走り抜くことができた。

 

 それが実はブリタニア人で、同い年の女だったなんて。

 

 勝手にゼロの理想像を作り上げ、勝手に壊された。自分勝手だと分かっている。しかし裏切られたという気持ちが今のカレンを支配していた。

 

 ルルーシュの存在を否定するかようにカレンは首を振るった。

「……嘘よ。ルルーシュ、そんな。なんで」

「何をしているカレン!!傷から手を離すな!!そいつを殺したいのか!!」

 輸血のキットを抱えながら走ってきたC.C.がカレンを叱咤した。カレンの膝元に仮面を外したルルーシュが転がっているのを見て舌打ちする。

 ユフィに自分を撃たせるという無謀な策を取ったルルーシュの完全な自業自得とはいえ、面倒なことになった。

「仮面を外したのか」 

「う、うん……呼吸が苦しそうで、仮面のせいだって思って、」

「……動揺したか」

「そ、そりゃあそうでしょ。ルルーシュは、ブリタニア人で、クラスメートなのよ!?それが、こんな、」

「じゃあこいつを殺すか」

 C.C.は冷徹な目でカレンを見下ろした。

 

 愛は尊く、脆いものだ。特に女の愛ほど儚いものはない。

 事実を知り、裏切られたと被害者面をして、掌を返すように裏切るのはいつも女の方であることをC.C.はよく知っていた。

 

「え?」

「ゼロが女で、ブリタニア人で、自分の理想と違っていたからこのまま殺すつもりか、お前は」

「そんなこと、」

「じゃあ止血する手を止めるな。お前の手にこいつの命の一端がかかっているんだぞ。呆けている暇があるとでも思っているのか。なんのためにこいつが、死ぬギリギリまで立って叫んでいたと思っているんだ。日本のためだろう。お前は、お前の動揺のせいで全てを台無しにするつもりか。それでも騎士か!!」

 普段飄々としているC.C.がここまで声を荒げているのを見たのは初めてだった。

 C.C.の叱咤に、カレンは歯を食いしばってルルーシュの傷口を再度圧迫し、手慣れた手つきで包帯を巻き始めた。

 

 未だ何も納得していない。

 しかしゼロにも、ルルーシュにも、死んで欲しくないと思っていることはまごう事なき真実だった。

 

「説明は、してもらうわよ!」

「するさ。多分こいつがな」

 C.C.はちらりと藤堂を見やった。動揺は既に収めて静脈に点滴を繋ぎ、輸血を開始している。

「……より説明しなければならないのはお前かもしれんがな」

 華奢な美しい少女を見下ろしながら、藤堂は自分の手が震えていることを自覚せずにはいられなかった。

 

 

 

 

 



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17. スザクは嘘をつかなかったよ……ユフィはもう、行ってしまったかな

 富士山近くの病院に蜃気楼で救急搬送されたゼロは貧血、鎖骨骨折、左肩挫滅創、鎖骨下動脈損傷の診断を受け、即座に手術室へと運ばれた。

 手術は3時間を要した。傷口を洗い、動脈を縫い合わせ、鎖骨にプレートを入れ、傷跡を縫い合わせて終了したらしい。

 らしいというのも、ルルーシュは演説を終えた後の記憶が酷く朧気だった。演説を終え、ふらつく足を叱咤しながら舞台裏に隠れたところまでしか記憶が無い。自分がどんな状態だったのか知ったのは戦争が終わった後のことだった。

 

 手術を終えたルルーシュが目を覚ましたのは手術を終えてから1時間後であり、ユーフェミアに撃たれてから5時間近くが経過していた。

 

ルルーシュはふと目を覚ました。瞼を開いた直後はまだ意識がぼんやりとしていたが、数回瞬きをすると段々と思考は明瞭になってきた。

肌を滑る真っ白で清潔なシーツに、自身が予定通り富士山近くにある病院のベッドの上に収容されたのだと察した。のっそりと体を起こす。左肩に鈍い痛みが走る。鈍い、で済んでいるのは麻酔がまだ効いているからか。

周囲を見回すと広めの個室病室で妙に薄暗かった。窓が閉め切られている。万が一にでもゼロの正体が発覚することを防ぐためだろう。

左肩を見下ろす。ガーゼやら包帯やらでがっちがっちに固められておりまともに動かせない。

そのせいで左腕が妙に重い感覚がして、撫でさすろうと右腕を持ち上げると赤い管がついてきた。

視線を管の先へと向けると赤い袋が点滴台から釣り下がっている。自分は今輸血されているらしい。

真っ赤な管の向こうでC.C.が椅子に座っていた。ルルーシュの意識が戻ったことに今気づいたのか、「起きたのか、」と言ってほんの少し頬を緩めた。

「まだ動くなよ。傷は塞がってないんだぞ」

「C.C、あれからどうなった?」

「お前の想定通りに」

 C.C.はどこから調達したのかピザを頬張っていた。残りをふん、と一息に口にねじ込み、しばらくもぐもぐと咀嚼した後にはあ、と大きく息を吐く。

「全く、だから無茶だと言ったんだ。途中から私が影武者になってやれば何の支障もなかっただろうに」

「ユフィの観察眼を侮るな。途中で俺がおまえと入れ替わったとしてもユフィならそれすら見抜く可能性がある。行政特区日本を最大限有効活用する形で潰すためにはこれが必要な措置だったんだ」

「違うだろう?」

 ふん、とC.C.は不機嫌そうに鼻を鳴らした。

「ユーフェミア一人に汚れ役を押し付ける贖罪とでも思っていたんじゃないのか?お前は妹に甘いからな」

「まさか」

 的外れな推測だとルルーシュは頬を歪めた。

贖罪のために自分をわざと傷つけるなど、何の意味もない。

 傷ついて、これで罪を贖ったと満足するのは自分だけで、ユフィには何の利益もない。そんなものは単なる自己満足に過ぎない。

 

「俺が贖罪する方法など一つだけだ」

「ほう、何だ」

「日本を取り戻す。それも最小限の犠牲で」

 ルルーシュはベッドサイドに置いてあったPC端末を持ち上げ、自分の膝に乗せて起動させた。

 おいおい、とC.C.は慌てた表情でルルーシュを諫める。

「まだ手術してから1時間しか経っていないんだぞ。寝ていろ。傷が開いたらどうするんだ」

「1時間も経った。今の状況では1分1秒も惜しい。この波に乗って総督府を壊滅させなければ次のチャンスは無いに等しくなる。C.C.、蜃気楼はどこにある」

「お前に体を休めるという発想は無いのか―――――病院の駐車場に置いてある。騎士団員が警備している筈だ。エナジーフィラーは満タンにしてある」

「休めているだろう。ベッドの上で」

「まだ輸血されている最中の病人が言うセリフじゃないな」

「この2単位が最後だ。終わったら蜃気楼に乗ってトウキョウに向かう」

「……おい、冗談だろう?」

「冗談ではない」

 ルルーシュは息を吐いた。

「言っただろう。時間が惜しいと」

「まだ碌に体も動かせないだろうによく言う―――お前にはまだ理解できんかもしれんがな。人間は割合簡単に死ぬものなんだ。それもお前のようなタイプはあっさりと死んでしまう。無茶をするな」

「今は無茶をするべき時だ。時勢も読めない凡人になり下がるなら、どっちにしろ俺は近いうちに死ぬだろう」

 呆れ顔のC.C.は黙って首を左右に振り、それ以上言葉を費やすことを止めた。父に似て頑固な性格に、もう何を言っても無駄だと諦めたのかもしれない。

 

 震える手でキーボードを叩く。指が動くたびに痛みが肩に波及したが、歯を食いしばりながら画面を睨む。

 黒の騎士団の各隊長へ連絡を終え、ルルーシュは息を吐いた。

「これで良い。あと2時間後に全てが始まる」

「……そうか。その前に何か食べておいた方がいいんじゃないか」

 ルルーシュはふん、と鼻を鳴らした。

「吐く気しかしない」

「威張って言うセリフじゃないぞ」

「しょうがないだろう。麻酔が覚めてまだ時間がそう経っていないんだ」

 肩が痛いだけではない。麻酔の後遺症か、それとも貧血がまだ続いているのか気分が悪いし、吐き気もする。頭がぐらぐらするし、上半身を起こすだけでも億劫だ。

 しかしそれら全てを飲み込んで、ルルーシュは開戦するのを2時間後と決めた。

 

 端末を閉じると同時に、コンコン、と控えめにドアが鳴った。

 予めこの病院のスタッフには全員ギアスをかけている。入れ、と言うと、目の淵を赤く染めた看護士が入ってきた。

「ゼロ、紅月カレン及び藤堂鏡志郎が面会したいと言ってやってきました」

「そうだルルーシュ、カレンと藤堂がお前の顔を見たぞ」

「早くそれを言え!」

 面倒なことになった。ルルーシュは眉を顰めた。

 

 よりにもよってルルーシュの顔を知っている2人だ。よく似た他人だと言い張るには自分の容姿では無理があるという自覚がある。

 いや、ロロという特例があるが。しかしあれは血縁だからまた別の話だろう。

ともかく2人ともゼロがルルーシュという女子高生であり、皇族であると気づいたと考えるべきだ。

 そしてこのタイミングで2人が来たということは、最悪なパターンではゼロへの反旗を翻すために、もしくはゼロの暗殺をしにきたと想定できる。

 最善なパターンでもルルーシュへの弾劾、そして日本を取り戻した暁にはゼロの交代といったところか。

 いずれにせよ面倒だ。舌打ちが零れる。

 カレンには既に1回ギアスをかけているためにギアスが使えない。2人がゼロの暗殺に来たとして、藤堂にギアスをかけてカレンを抑えることが可能だろうか。

 暗殺ではなかったとしても、あの2人がゼロに不信感を抱くのは戦力的に痛い。さらに今はエリア11におけるブリタニアとの開戦直前だというのに。

 

 ルルーシュは息を吐いた。

 なんとかして2人とも丸め込まなければ。

「……分かった。入れろ」

 そう言うと同時に看護士は退室した。暫くののちにカレンと藤堂が入ってきた。

 カレンは部屋に入るなり、棒立ちのままベッドに横たわるルルーシュの顔をなぞる様に見回して何度も確かめた。その人間がルルーシュであることをようやく認めたカレンは、泣きそうに顔をくしゃりと歪ませた。

「ル、ルルーシュ……あなたが」

 言葉も出ない様子で首を振ったカレンに、ルルーシュは酷薄な表情で見据えたまま冷ややかな声を発した。

「そうだ。俺がゼロだ」

「どうして……あなた、ブリタニア人でしょ?」

「それは藤堂が知っている。だろう?それとも俺の顔も忘れたかな」

 ルルーシュの視線を受け、カレンとは対照的に一切の表情を消し去った藤堂がカレンの前に出た。

 出血の後遺症で肌が青白く、ガーゼで包まれたままの痛々しい姿を晒すゼロ、ルルーシュに藤堂は頭を垂れた。

「久しぶり、と言った方がいいのだろうか。ルルーシュ殿下」

「もう殿下ではない。皇位継承権どころか、俺は既に死んだ男だよ」

 苦笑して首を振るルルーシュに、カレンは瞠目した。

「……殿下?」

「そうだ、カレン。俺は神聖ブリタニア帝国第11皇子、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア……だった」

 ルルーシュはうっそりと嗤った。

 おとぎ話に出てくる悪魔のような顔だった。カレンは唇をぶるぶると震わせ、その場にぺたりと座り込んだ。

 

 衝撃的な情報があまりに多過ぎた。

 敬意を抱いていた黒の騎士団のゼロが、好きなクラスメートの女の子で、ブリタニアの皇子だった。

 なんて言っていいのか分からなかった。あまりに驚くと言葉には何の意味もないのだとカレンは知った。目の前の人間の本当のことが何も分からない。男なのか、女なのか。ブリタニアの敵なのか、それとも味方だったのか。

 これまで一緒に戦ってきたことさえ本当なのだとは信じられなかった。

 本当は自分たちを嘲笑って、ゲームを楽しむように戦争をしていたのではないのだろうか。まるでチェスを楽しむように、自分たちを駒に見立てて。

 最前線に立ち、幾度もKMFを撃墜されたゼロのことを知ってはいるが、その疑惑はカレンの脳内に巣食って膨張し始めた。

 だって最初から全て嘘だったんだ。

 友達だと思っていたのに。

 

 呆然としているカレンを一瞥し、ルルーシュは藤堂を向いて言葉を連ねた。

「他の幹部には言ったのか?ゼロが皇族だと」

「言っていない。ブリタニア人であることも、17歳の女性であることも、誰にも言っていない―――混乱することは自明だろう」

「だろうな。今はブリタニアを打破するこれ以上ない好機だ。棒に振る訳にはいかん」

 軍人らしく裏工作を好まない藤堂にしては上出来な対応だろう。馬鹿正直にここでゼロがブリタニア皇族だと暴露されていたら全てが台無しだった。

「……君に一つ聞きたい」

「何だ?」

 藤堂はベッドの上で点滴に繋がれたルルーシュを見下ろした。

 

 カレンと違い藤堂の内心は既に平静を取り戻していた。幼少期にブリタニアから日本へ捨てられたルルーシュの境遇を思うと、ブリタニアに反逆しようとする彼の、否、彼女の心情が嘘だとは思えない。

 黒の騎士団を立ち上げたのは、戦前散々に彼女を痛めつけた日本のためではなかったとしても、本心からブリタニアへ反旗を翻そうとしたためだと藤堂は信じることができた。仮面を被って性別や人種を隠していたのも、女性のブリタニア人では求心力を得られにくいからと考えれば最もだと納得できる。

 だというのなら藤堂にとっては何の問題も無かった。目的が日本奪還であれ、ブリタニアへの復讐であれ、結果は同じだ。

 

 ………それにしてもこの露悪的な口調は捻くれ曲がった性格のせいなのだろうか。幼少期を陰謀蠢くブリタニアの皇宮と、敵国日本で暮らしたがためにこんなに素直さと可愛げの欠片も無い性格になってしまったのかと思うと、容姿が良い分憐れだと藤堂は眉を顰めた。

 もっと素直で可愛げのある性格ならば普通の女として結婚して子供を産み、並の幸福を得ることも可能だっただろうに。

「何故、君は女性なんだ。皇子だっただろう……女性の、それもまだ17歳の君がこんな危険なことをするなど大人として許容できない」

 それは真っ当な大人としての意見だった。しかしこの場においてはあまりに場違いな発言だった。

 ルルーシュはあまりに真面目な藤堂に溜息を吐いた。

「スザクといい……どうしてそう誰も彼もが性別に拘るかな。大体お前の考えだとカレンはどうなるんだ。カレンも17歳の女だろう」

「彼女はあくまでKMFの搭乗者に過ぎない。ゼロは組織のトップであり、国際的に危険視される立場にある。戦争が終われば一般人に戻れる紅月と君ではあまりに状況が違う」

「何のために仮面を被っていると思っているんだ。戦争が終わればゼロなんてさっさと辞めるさ。その後はお前たちが日本にとって都合の良い人間をゼロに仕立て上げればいいだろう。問題は無い」

「しかし……」

「くどい」

 言いつのろうとする藤堂をばっさりと切り捨てる。

 

 要するに藤堂は、女が組織の中枢にいることが気に食わないのだ、とルルーシュは解釈した。

 立場としては親衛隊隊長でしかない紅月とは違い、ゼロには多大な権力がある。ブリタニアより数十年は男女平等化が遅れている日本の、それもさらに男社会である軍隊において女が組織の長であることは受け入れがたいことなのだろう。

 それともあっさりとルルーシュが女性であることを受け入れたジェレミアの方がおかしかったのだろうか。

 

 首を捻ったルルーシュは、17歳という年齢は未だ大人に庇護されるべき子供であり、特に女性は暴力から護られる立場にあるべきだという発想がとうとう思い浮かばなかった。

 想像していたより藤堂は堅苦しく古臭い性格だ、という情報を脳内にしまい込み、未だ何か言いたげな藤堂を黙らせようと口を開いた。

「文句があるのならば日本を取り戻してからだ。それまで一刻の余裕も無い。カレン」

「………」

 カレンは床に蹲り、俯いたまま動かない。ルルーシュはしかし言葉を続けた。

「カレン、これから俺は日本を取り戻す。それまでは俺がゼロであることを忘れろ」

「そんなことっ、できるわけないじゃない!」

「できないじゃない。しなくてはならないんだ。ルルーシュがゼロであることを受け入れられないなら、これから先数日の間、その事実を忘れるしかない。俺じゃない……ちゃんとした日本人の成人男性の方がゼロに相応しいと言うなら、日本を取り戻してからゼロに相応しい人材を選抜して、」

「……違うの、」

 カレンはば、と顔を上げた。

「ルルーシュがゼロに相応しいとか、そういうことじゃないの。ショックだったのよ!裏切られたって思ったのよ!」

 慟哭のような悲鳴にルルーシュは冷ややかな視線を落とした。

 

 カレンの混乱は当然だ。クラスメートがテロリストだなんて、17歳の少女にとっては混乱を来しても当然許容されるべき事態だ。事実を受け入れるための時間を求めるのも当たり前だろう。

 しかしカレンの混乱具合は、ゼロの親衛隊隊長としてはあまりにお粗末としか言いようがない精神力を露呈していた。カレンは既に戦場に立ち、味方の命を預かり、敵の命を奪う立場にあるというのに。

 黒の騎士団のエースがこの程度のことでいちいち混乱して叫ぶような軟弱な女では困るのだ。そう思うと自然と視線も厳しくなる。

 

「何をだ」

「何をって、」

「男だと嘘をついていたことか。それともブリタニア人だと言わなかったことか。皇族だと告げなかったことか……言える筈が無いだろう」

 

 カレンは愚かではない。ルルーシュの言うことの意味は分かっていた。

 ゼロがブリタニア人で皇族だと最初から告げていたら、そもそも黒の騎士団は成り立っていない。皇族同士のお家騒動に巻き込まれるなんて御免だと、誰もゼロを信じようとはしなかっただろう。

 それにこれまで一緒に戦ってきて、実はゼロはブリタニアの味方だった、なんてことがある筈が無いことも分かっていた。もしゼロがブリタニアの味方なら、これまでゼロの手腕により散々にブリタニアが苦しめられてきた事実との整合性が付かない。

 

 しかし心情的に納得できるかどうかというのはまた別の話なのだ。

 

「あたし……お兄ちゃんみたいだって思ってたのに。ゼロを、信じられるって!日本のことを大事に思ってくれる、大人の男の人で、優しくてっ」

「――――それはお前の勝手な思い込みに過ぎない。事実はいつだって理不尽で、不条理なものだ。思い通りに行かない。ゼロがブリタニア人でない心優しい大人の男だった、このまま黙って俯いていると俺が消えてなくなっていた、ここから逃げ出したら勝手に日本を取り戻すことができていた……お前がそう想像するのは自由だが、それでは世界は何も変わらない。そうやって泣いて何になるんだ」

 ルルーシュにそう言われて尚も地べたに座り込んで黙って髪を振り乱すカレンはあまりに弱弱しかった。普段の勇ましさの欠片もない。

 ふとルルーシュはこれがカレンの素顔ではないのかと察した。

 

 ブリタニアへの憎悪を胸にカレンは勇猛果敢にこれまで戦い続けてきたが、その実はシャーリーやニーナと同じ、思春期の只中にある女の子だ。それも貴族出身で、衣食住に困ったことも無いだろう。

 カレンは自分のように凌辱されたこともなく、地べたを這いずり回って食料を探したこともない。たかが17歳の女に俺は過大な期待をしていたのか。

 向けていた視線を思わず細めた。

 

 カレンはただの未熟な少女だ。本当ならば、ゼロの親衛隊隊長なんて務まる器ではなかった。

 カレンがこれまで大過なく親衛隊隊長を務めて来られたのは、類まれなるデヴァイサーとしての才能と、ブリタニア憎しで固められていた精神によるものでしかなかったのか。

 だからほんの少しの問題事でカレンはこうも取り乱す。

ゼロとしてその事実に落胆すると同時に、ルルーシュはカレンの行く末を思い安堵した。

 普通の女の子でしかないと気づいた今、目の前のカレンはルルーシュにとり、ゼロの親衛隊隊長ではなく、生徒会メンバーのカレンになっていた。親衛隊隊長紅月カレンにゼロは厳しくとも、クラスメートのカレン・シュタットフェルトにルルーシュは優しかった。

 カレンは普通の女の子だ。だから戦争が終われば元の生活に戻れるだろう。学校に行き、卒業して、人殺しなどしなくてもいい職業に就けるかもしれない。

 復讐に憑りつかれた自分と違って。

 

 先ほどとは別人かと思うほどに、カレンに向けるルルーシュの口調は柔らかかった。

「いいかカレン。ゼロは女じゃない。ルルーシュではないし、ブリタニア皇族でもない。ゼロは日本人の男で、お前の兄のような人物なんだ」

「……嘘、」

「嘘じゃない」

 ルルーシュは軋む体をおしてベッドから降りて、床に蹲るカレンの頬を両手で包んだ。

「それが真実だ。そう信じるんだ。今はそれでいい。――――いいな、カレン」

 カレンは顔をくしゃくしゃにして俯いた。

 やっぱり、ルルーシュが好きだ。優しくて、しかしそれ以上に傲慢なこの人が好きだ。

 眼を擦り、カレンはルルーシュに抱き着いた。

 ルルーシュへの疑心、自身の動揺、それはこの戦争における勝利の前では些細な事でしかない。親衛隊隊長として飲み込まないといけないことだ。吐き出すというのなら自分は騎士の名を返上しなければならない。

 手術が終わってから間もないせいか全身がほんのりと熱い。カレンはルルーシュの背中に爪を立てて、涙でぐちゃぐちゃになった顔が見えないよう患者服に顔を埋めた。

「はい……はい、ゼロ。私はあなたの騎士ですから。あなたの言うことを信じます」

 

 

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 

 

 トウキョウ租界ではコーネリアがブリタニア軍を整えていた。

 エリア11全土からテロリストがこのトウキョウ租界へと進軍してきている。ゼロが先導するその集団の勢いは、これまで相手をしてきたテロとは比較にすらならない。

 否、もうこれはテロリストと呼称されるべき集団ではない。黒の騎士団は一個の軍隊であることをコーネリアは認めなければならなかった。ゼロを首魁とした、これから興る日本の軍隊と考えるべき者どもだ。つまりこれから起こるのは戦争だ。

 

 しかしそれを理解していない鈍重な者もいる。

 指揮官室と化した執務室で、戦場となるだろうトウキョウ租界外縁部の部隊へ指示を飛ばしながら、コーネリアはぎゃあぎゃあと騒ぐ文官達に米神を引き攣らせていた。

「コーネリア皇女殿下、本国からの増援は」

「ユーフェミア皇女殿下の避難準備は終わりました、コーネリア皇女殿下もお逃げください!」

「黒の騎士団の相手は枢木卿でも務まるでしょう。貴方様がこのような所にいつまでもいる必要は無いのでは」

「増援はまだか、何度も要請しているというのに」

「もう間に合わんよ。殿下、エリアをひとまず捨てて本国へ避難を、」

「喧しい!!」

 一喝と共に机を殴る。文官達は飛び上がった。

 

 苛烈な性格のコーネリアが叫ぶことは珍しくない。しかしこうまで怒気を露わにして拳を叩きつける姿を見た者はいなかった。文官は身を寄せ合って肩を震わせた。

 エリア11の執政の中心であった彼らのあまりの情けなさに、コーネリアの叱責はさらに熱量を増す。

 

「いつまでもぴいぴいと喧しいぞ!!もうこうなっては全面戦争は免れんことなど赤子にも分かるだろう!!私に撤退という文字はありえない!!戦う気の無い奴はさっさとユーフェミアと共に本国へ帰るがいい!!」

 言い終わると同時に再度拳を振り下ろす。同時に文官連中は部屋を飛び出して行った。

 

 傍に控えていた選任騎士であるギルフォードがその背中を冷ややかに見据える。そしてそのまま、今度は労りのこもった視線をコーネリアへと向けた。

「……コーネリア様、」

「ユフィはどうした」

 おずおずと話しかけてきたギルフォードに、ようやくかとコーネリアは目を向けた。

「メディカルチェックでは何の問題もありませんでした。ゼロになんらかの薬剤を使われたかとも思われましたが、検査上はそのような形跡はありません。ユーフェミア皇女殿下は枢木卿と共に自室におられます」

「すぐに本国に避難させろ。あと数時間の内に黒の騎士団が攻めてくる。トウキョウ全てが戦場になりかねんぞ」

「……お会いしなくてもいいのでしょうか?」

 ギルフォードの控えめな提案にコーネリアは体を震わせ、しかし頭を横に振った。眉間には深い皺が寄っていた。

「私は、あの子に何て言っていいのか分からんのだ……。ユフィがゼロを撃つとは思えない。私はユフィを信じている。しかしあれほど力を注いでいた行政特区日本がこうも無残な失敗に終わっては……あの子は、あの子はこれからどうなるんだっ」

「本国に帰りさえすればご実家の皆さまがお守りくださるでしょう」

「あいつらはユフィを守るためだと言って嫁に出そうとするさ。どこかの国の、ずっと年上の権力者に、慰み者にされるやもしれんのだぞ!?」

 コーネリアは立ち上がった。頭を抱える。

「皇女など政治の潤滑剤程度にしか扱われんのだ。幼いナナリーと、皇子だがルルーシュもそうだった。私はそんな目にユフィを遭わせたくなかったから、あの2人を見捨ててユフィを護ったというのに……くそっ」

「殿下、黒の騎士団が!」

 伝令の言葉にコーネリアは顔色を変えた。

 早すぎる。ゼロはユフィに撃たれて傷を負っているのではなかったか。

「くっ、ギルフォード、トウキョウ租界の外縁にKMFを集めろ!街の中心部まで来る前に終わらせてやる!!」

「イエス、ユアハイネス」

「それからユフィを一刻も早く本国へ送れ!一刻も早くだ!」

「すぐに……コーネリア様、本当に」

 ギルフォードはコーネリアに問いかけた。

 これが今生の別れになるかもしれない。黒の騎士団に対してブリタニアが劣勢なのは明らかだ。

 そしてコーネリアは白旗など死んでも揚げる気は無かった。

 拳を握る。

 

 ユーフェミアの柔らかい髪を整えるのが好きだった。埃臭い戦場から帰ってきても、ユフィは嫌な顔一つすることなく迎えてくれた。いつも微かな花の匂いを纏わせていて、髪を結ぶとアネモネの花のような笑顔を見せた。

 あの笑顔を守るための力が欲しかった。力とはすなわち権力であり、ユフィの足元を支える祖国の国力でもあった。

 

 そのために戦場を駆け巡り、駆け巡り続け―――――その結果がこの有様か。

 自分は浅はかだった。ゼロめ。しかし今はもう、何を言っても遅い。

 もう自分はあの髪に二度と触れられないのかもしれないのか。

 

 強張る拳を解き、目を閉じる。

「……行こう」

 コーネリアはアヴァロンが待機している飛行場へと向かった。

 

 

 

 飛行場にはユーフェミアとスザクが待機していた。

 しかしどうも様子がおかしい。ランスロットの前で揉めているらしき2人を眺めていると、話からどうやらユフィが本国へと戻ることを拒否しているようだとコーネリアは察した。

 

 スザクは焦りの浮かぶ顔でランスロットの前に立っている。

「ユーフェミア皇女殿下、もうお時間がございません。早くランスロットにお乗りください」

「スザク……でも、」

 本国へと向かうシュナイゼル専用艦アヴァロンが上空に待機している。

 アヴァロンが着艦できる程の飛行場はトウキョウ租界には無い為に、スザクがランスロットでユーフェミアを空中に静止しているアヴァロンまで運ぶ手筈になっていた。

 ユーフェミアはランスロットを前にしてがくがくと震えていた。

 

 自分のせいでこれからエリア11が戦場となろうとしている。戦争を肌で感じたことが無いユーフェミアでさえ、これから始まる戦争で夥しい数の死者が出ることを察していた。

 そしてその戦争は行政特区日本の失敗に端を発するものだ。記憶は無く、自分がゼロを、ルルーシュを撃ったなど信じられない。しかしエリア11全土で放映された映像では、確かに自分はゼロに銃を向け、殺そうとしていた。

 たとえこれがルルーシュの策であったとしてもルルーシュを撃ったのが自分であることは間違いなく、行政特区日本が失敗したのは思慮の足りなかった自分のせいだ。

 だというのに自分はスザクとコーネリアに後始末を押し付けて逃げようとしている。

 

 自らのあまりに情けない有様にユーフェミアは震えが止まらなかった。行政特区日本などと仰々しく言っておいて、結局誰一人救っていない。

 これでは自分はイレブンを殺しただけではないか。ぶるりと体を震わせて、ユフィは声高に訴えた。

「スザク、やっぱり私は残ります。総督閣下とスザクに何もかもを押し付けて逃げるだなんて、」

「我々は誰もユーフェミア様が逃げるだなどと思ってはおりません。ユーフェミア様はブリタニアの血を守るために本国へお戻りになるのです。戦事を行うのは軍人の仕事。ユーフェミア様は軍人ではないでしょう」

「でもお姉様は残られるではないですか!お姉さまだって軍人では、」

「何を言う。私は軍人だぞ、ユフィ。これまで私が何人殺したと思っているんだ」

 コーネリアはスザクと並び、小さく震えるユーフェミアを見下ろした。

 しかし、でも、とまだ言葉を続けようとするユフィに、スザクは幾分か大きく声を張り上げた。

「失礼ながら殿下、エリア11に残ってあなたに何ができるのですか。殿下には戦場で部隊を指揮したご経験は無いでしょう。それにKMFを操縦する技術もありません。これから戦場となるトウキョウにあなたが残る意味は何でしょうか」

「っ、私の責務のためです。エリア11の副総督として、」

「つまりあなた自身のためでしかないと」

 スザクはまっすぐにユーフェミアを見据えた。

 

 ユーフェミアはルルーシュではない。シュナイゼルでもない。

 彼女は確かに心優しく度量が広いが、彼女の理想に相応しい能力は持ち合わせていない。

 そして自分の能力不足のせいで、ユーフェミアの能力不足を補うこともできない。ユフィを救うために今できることは彼女を遠く安全な場所まで逃がすことだけだった。

 

「ユーフェミア様がエリア11に残りたいというのはあなたの自己満足でしょう。そのためにコーネリア様が一体どれだけの負担を強いられるとお思いか。あなたの警護に兵をつけるだけで、どれだけの戦力が失われるとお思いなのですか。そのような余裕が今のブリタニア軍に無い事ぐらいユーフェミア様にもお分かりでしょう」

「っ、枢木卿、口が過ぎるぞ!」

 ギルフォードが声を荒げる。しかしコーネリアが手でギルフォードを押しとどめた。

「ユフィ」

「総督閣下……」

「いや、お姉様でいい。この場にいるのはお前の姉だ」

 コーネリアはユーフェミアに近寄り、小ぶりな頭を撫でた。

 

 これまでの人生で一番優しくなれるようにと自分に言い聞かせた。これまでユフィが自分に向けてくれた優しさの数万分の1でも優しさが伝われば良いと思った。

 

「―――ユフィ、よく頑張ったな」

「っ、でも、私は失敗しました!私のせいなのです!こんな事態になったのも、お姉様が戦わないといけないのも、」

「ああ。そうだな。でもいいさ。遅かれ早かれあいつらとは決着をつけないといけなかったんだ」

 見上げる未だ幼い妹の顔に、コーネリアはたまらなくなった。

 愚かな妹だ。純粋で、無垢で、人の悪意を知らない優しい子だ。そしてそう育ってしまったのは自分のせいだった。

 

 何もかもから守ろうと、ルルーシュやナナリーのように不遇に扱われることなどないようにといつも自分が盾になった。いつも満ち足りた状態にしてやりたかった。

 無菌状態で育てられた子供がどんな無残な大人になるか、知らない訳ではなかっただろうに。

 だからユフィの失敗は自分のせいだ。自分が後始末を付けなければならない。そしてそれは幸福なことだった。

 自分はユフィを愛しているのだから。

 その人のために何かをすることが、自分にとって何の負担でもないこと。むしろ幸福ですらあること。それが愛だとコーネリアは信じていた。

 

「ユフィ、お前は本国に戻り慎ましく暮らせ。何かあればシュナイゼル兄上を頼るのだ。リ家の連中の言いなりにはなるんじゃないぞ」

「お姉様!」

「枢木、お前もユフィと共に本国へ」

「恐れながら殿下、私はエリア11に残ります」

「お前はユフィの専任騎士だろう」

「……皇位継承権を失ったユーフェミア様には、コーネリア皇女殿下が必要です」

 

 高位の皇位継承権を持つコーネリアがいないとユーフェミアが粗雑に扱われる未来は確定する。ユフィのためにもコーネリアには生きていて貰わなくてはならなかった。

 そして鉄壁の防御力を誇るアヴァロンならば、そうそう黒の騎士団に撃墜されることも無い。なにより黒の騎士団の総勢力はこの総督府を目指してやってくる。分隊を分けてアヴァロンを攻撃するにしても、シュナイゼルが遅れを取るとは思えない。

 

 スザクはコーネリアに向かい合った。

「私はここで黒の騎士団を迎え撃ちます。ユーフェミア様のために」

「……そうか。では精々こき使ってやろう」

「スザク、」

「失礼致します、ユーフェミア皇女殿下」

 まだ言葉を連ねようとするユフィを遮り、スザクはユフィを横抱きにした。そのままランスロットに乗り込む。皇族に対して無礼な振舞いだが、コーネリアは黙って頬を緩めた。

 今生最後の出会いになるかもしれないのは自分だけではない。

 

 

 狭いコックピットの中で抱え込まれ、ユフィは暴れることもできずにしゃくりあげた。

 スザクがランスロットの起動スイッチを入れる。コックピット内の計器が振動して唸り声を上げる。緩い速度で上昇しながら、ランスロットは上空に浮かぶアヴァロンへと向かった。

 いつもよりも格段に遅い速度で飛行するランスロットの中で、スザクは膝に乗せたユーフェミアが泣き止むのを待った。

 

 温かな体温と柔らかい体重が心地よい。髪からは甘い香りが漂っていて鼻を擽る。胸が破裂しそうなほどに高鳴った。肌が熱くなり、目が潤んだ。

 

 ユフィが好きだ。皇女殿下としてではなく、女の子として。

 

 口に出したことのない思慕が飛沫のようにふわふわと浮かんでは破裂した。身分の違いから絶対に口には出すまいと決めていたが、もう最後になるかもしれないと思うと次々と溢れて止まらなかった。

 溢れるような情愛がスザクの心中を温かく満たした。好きだ。ユフィが好きだ。長い桃色の髪も、淡い菫色の瞳も。純朴で、一生懸命な性格も。いつもまっすぐ前を向いていた眼差しも。

 いつまでもこうしていたい。

 

「どうして、どうしてです。私のせいなのに。全部、」

「違うよユフィ。言っただろう?」

「でもスザクに怪我をして欲しくない。ルルーシュにも怪我をしてほしくないのに、」

 ルルーシュという名前がユフィの口から出たことにスザクは目を見開き、ユフィを見下ろした。

「ユフィ、ルルーシュが生きていることを知っていたの?」

 ランスロットの操縦桿を握るスザクの両腕の間で、ユフィは躊躇いながらも小さく頷いた。

「ええ。学園祭の時に会ったの」

「ナナリーには?」

「ナナリーには会えなくて、でも元気にしてるって」

「そっか……ナナリーも元気だよ。大丈夫さ。アッシュフォード学園は政庁に近いから、戦場にもならないよ。ルルーシュは機転も利くし、戦争に巻き込まれる前に2人とも逃げられるさ」

「………スザク、」

「大丈夫。またルルーシュにも会えるよ。その時はナナリーも一緒で、」

「スザクっ」

 

 ユフィはスザクに抱き着き、そのまま唇をスザクの唇と合わせた。

 一瞬呆けたが、スザクは強くユーフェミアを抱き締めた。柔らかくて、細い。

 想像していたよりもずっと心地良い。甘い匂いがする。小さな頭を抱きかかえると細い髪が指に絡まる。細い両腕が背中に回り、緩やかに締め付けられる感触にスザクは眼を細めた。

 幸せだ。きっとこれまでの人生で一番幸せだ。この人のためにこれから自分は戦場に向かうのだ。

 そう考えると、死ぬのも怖くなくなった。そのために死ねるのなら別に良いとさえ思った。

 

 暫くの後、ユフィはゆっくりとスザクから離れた。涙がスザクの頬にはらはらと零れる。

 ユフィはそのままスザクの胸元に抱き着き、声を殺して泣き出した。

「スザク、ゼロと戦わないで」

「ユフィ?」

「ゼロと殺し合いなんてしないで。お願い」

「……大丈夫だよ」

 どうしてここでゼロの名前が出てくるのか分からなかったが、しかしスザクはできるだけの優しさを含めてユフィに言い聞かせた。

「ゼロは黒の騎士団のトップなんだから、最前線に出てくることなんてないさ。殺し合いになんてならないよ」

 最前線で指揮を執ることがゼロの脅威なのだが、スザクはあえて口にしなかった。

 たった一人で本国へと帰らなければならないユフィの心をこれ以上揺さぶるようなことはしたくなかった。

「お願いよ。生きて帰って来てね」

「うん。約束だ」

 スザクは小指を差し出した。ユフィは首を傾げる。

「僕は生きて帰って来る。ゼロも死なない。コーネリア様も死なない。ルルーシュも、ナナリーも死なない。日本ではね、小指を結んで約束するんだ」

 ユフィもスザクに倣っておずおずと小指を出した。ユフィの小指にスザクが自身の小指を絡める。

 幼げな仕草が微笑ましくて、スザクはユフィの額に自分の額を合わせた。

「嘘ついたらはりせんぼんのーます、指切った」

「針千本?」

「うん。約束したから、もし嘘を吐いたら僕は針を千本飲まきゃいけないんだよ」

「………凄く、痛そうね」

「絶対痛いよ。だから僕は嘘を吐かない」

 ユフィは赤くなる程に目元を擦って、くしゃりと小さく微笑んだ。

「ええ。信じるわ。スザクは嘘を吐かないって。だから、私も待ってる」

 無理に微笑んだ顔にたまらなくなって、スザクはキスを落とした。額に、頬に、唇に。

 ゆっくりと離れて赤らんだ顔を眺める。年相応に頬を上気させているのが可愛いと思った。愛おしいと思った。

 弱くて儚く、しかし強い彼女が自分の人生において何よりも大事な人なのだと確信した。彼女が幸せでいられるなら、なんでもできると思った。理屈じゃないんだ。

 

 そのためなら自分は何でもできるだろう。

 

「うん。待っててユフィ」

 スザクはゆっくりと小指を離した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここでユーフェミアの手を離したことを、スザクは生涯後悔することになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 本国に到着したユフィは実家に保護されることとなった。

 リ家の屋敷に足を踏み入れる。

 玄関には金色の子供が立っていた。見覚えの無い顔だが、どこかで見たことがあるような気がするとユフィは首を傾げた。

 肖像画か何かに載っていたような。そこまで思うと、その子供の目がロイヤルパープルの色をしていることに気づいた。皇族の血を引く子供なのだろうか。

 子供らしい高い声が響く。

「ナナリーに手術をする前にさ、一回練習しておきたいんだ」

「え?」

「ナナリーのクローンを作ろうかとも思ったんだけど、上手く行かなくて……だからごめんね?大丈夫だよ、一瞬さ」

 V.V.は苦味混じりの微笑を浮かべて、言い聞かせるように呟いた。

「子供の頃からこんな理不尽な世界、爆破してやりたいって何度も思ったよ。そして世界に虐げられている人類をシャルルと一緒に楽園に連れて行くんだって、何度も想像した。

 そしてようやく、それが叶う。仲間外れのいない、肉体さえいらない、嘘のない楽園が来る。

 ―――――大丈夫、君は他の人類より一歩早く、楽園に行くだけだから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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安寧のありか
18. ハドロン砲を撃ち過ぎたことが一番の失敗だった


 綺麗に整列したKMFが先を見据える。エリア11中のテロリストがトウキョウ租界へと進軍してきている情報は既に全軍へと伝わっていた。

 KMFのパイロットは揃って顔を緊張で強張らせていた。今になってまだ、黒の騎士団をただのテロリストと侮るようなものはブリタニア軍には存在しなかった。

「っ、見えました!!黒の騎士団、先頭は……蜃気楼っ、ゼロです!!」

「来たか!」

 カメラで遠方の空をズームすると、暗雲のように空を覆うKFMの集団が押し寄せてきている。

 その先頭には黒のカラーリングを施されたKMFが飛んでいた。ゼロのワンオフ機、蜃気楼だ。

 指揮官が最前線に立つというふざけた戦法に、しかしだからこそゼロは恐ろしいとブリタニア兵は歯の根を震わせた。

 あの男には負けない自信があるのだ。このブリタニア軍に対して最前線で戦い、なお指揮を執る余裕があることを見せつけているのだ。

 それがただの無謀であれば今日まで生き残ってはいない事実が、つまりゼロという人物を評している。

 最前線に立つこととなったブリタニア兵は悪寒を振り払うように声を張り上げた。

「この外縁部より奥には一般市民が住んでいる!!罪なき市民を護るために、これ以上テロ共を進ませる訳にはいかん!!コーネリア殿下の御威光を示すのだ!!全軍、用意、」

 

「遅い」

 

 トウキョウ租界外縁部の各部署への連絡を終え、ルルーシュは頬杖をついた。指先で液晶をつつく。

 

CFM

I will notify the ground management department about the collapse mission of TOKYO outer border.

 

 端末に、確認した、と応える。

 それから瞬きするような一瞬の後、トウキョウ中に轟音が響き渡った。

 地を這うような轟音はトウキョウ外縁部から生じ、住宅街を通り過ぎてアッシュフォード学園まで、そして総督府まで揺るがせた。

 強固なKMFの内部まで揺らす爆音に思わず頬が吊り上がる。

 

 ルルーシュは戦争が好きではない。

 確かに戦争は弱者が強者に噛みつく唯一の政治的手段だろう。しかしエネルギー資源から見ても人的資源から見てもあまりに無駄が多い愚行であり、愚策だ。

 とはいえ、こうも計算通りに戦場が動いている光景を直に見るのはやはり気持ちが良い。掌の上であらゆる事象が予測した通りにころころと動くことは、自分の能力や価値を強烈に認識できる。

 

 液晶を覗くとトウキョウ租界の外縁部が崩落していた。コンクリートが崩れ、空中で擦れあいながら地面に落ちていく光景はあまりに刹那的だった。それは氷河が崩れ落ちて海に還る光景とよく似ていた。瓦礫は多くのKMFを飲み込み、水のように流れていく。

 咄嗟に後退するKMFも崩壊する足場の速度には追い付かない。難を逃れたKMFもフロートシステムを組み込んだKMFに上空から狙い撃たれる。

 

 今が機だ。ルルーシュはマイクを握り締めて声を張り上げた。

「黒の騎士団よ!!前へと進め!!最早後ろに道は無い!!前にしか道は無い!!進軍せよ!!一般市民を害さず、ただブリタニア軍のみを敵とし、進め!!」

 ゼロに返答する団員の咆哮を聞き、ルルーシュはハドロン砲を起動させた。

 コックピットの画面が一斉に光る。

「ハドロン砲!」

「standby!」

 C.C.から張りのある返事が返り、ルルーシュは狙いを定める。狙いはフロートユニットを装備した、上空に浮かぶKMFだ。その数30機前後。全てがハドロン砲の射程圏内にある。

「発射!」

 スイッチを押す。同時に閃光が飛んだ。空中を計算されたルートで駆け巡ったハドロン砲は、数秒後に上空に浮かぶKMFを全て爆散させた。爆散したKMFは花火のようだった。

 画面上で敵側にフロートユニットを組み込んだKMFがいないことを確認し、ルルーシュは通信をONに切り替えた。

「まずは黒の騎士団の本部を置き、その場所を拠点としてトウキョウの各地区を制圧する。本部の場所はアッシュフォード学園。先行部隊は制圧を開始せよ」

『承知しました、ゼロ!』

 生きの良い返事はカレンの声だ。この調子ならば軍事力の無いただの学校はすぐに制圧されるだろう。

 通信を切り、ルルーシュは蜃気楼を飛ばす。前を遮る敵はほぼいない。外縁部に勢力のほとんどを置いていたらしく、地上でぽつぽつと反抗するサザーランドやグラスゴーが見えるばかりだ。

「おいルルーシュ。本気か?アッシュフォード学園に本部を置くと言うのは」

 疑い深げなC.C.の言葉にルルーシュは頷いた。

「ああ。その方がナナリーの安全も護れる」

「学生はどうなる。ブリタニア人を前にして攻撃する馬鹿な団員もいるだろう」

「学生は寮と教室に避難していてもらう。扇を置いて監督を任せればそう軋轢も無いだろう。指揮能力はこれっぽっちも無いが、緩衝材としては使える男だ」

 

 

 アッシュフォード学園はトウキョウ租界の中ほどにある。ルルーシュは向かう途中、トウキョウ各所に配置されているブリタニア軍を潰して回りながらアッシュフォード学園へと進んだ。

 思っていたよりもブリタニア軍が少ない。想定以上に外縁部に配置されていたKMFが多かったのか、それとも総督府で護りを固めているKMFが多いのか。ルルーシュは後者だと予想していた。

 何しろ、まだランスロットが出て来ていない。

 ブリタニアで最高峰の機体であるランスロットを温存しているということは、ランスロットをゼロか、紅蓮にぶつけることで戦力を一気に削ごうとしているのだろう。

 だとするとゼロが総督府に近づくなりコーネリアの親衛隊でゼロを囲み、ランスロットで打破する戦略の可能性が高い。

 

「まあ絶対守護領域がある以上、俺が負ける筈は無いがな」

「下手なフラグを立てるなルルーシュ。負ける筈が無い、と口にした奴はだいたい負ける」

 C.C.はルルーシュに向けて皮肉めいた笑みを浮かべた。

「それは長年の経験からの知恵か?」

「そうとも。調子に乗ってる奴ほど足元をすくわれる。調子に乗る程に思考は鈍り、足は勝手に前に進んでしまう。止まり時を忘れてしまうんだよ。並んで歩くカモの群れさ」

「なら俺に敗北は無い。流石にブリタニア以上に調子に乗っているつもりはないからな。調子に乗って他国に攻め続けて、身分格差を増大し続け、弱者のことを何も考えなかった……今、足を止めるのはあいつらの方だ」

 先行部隊は既にアッシュフォード学園を制圧している頃だろう。ルルーシュは学園へと蜃気楼を飛ばした。

 

 学園は普段の賑やかな雰囲気が嘘のように静まり返っていた。

校庭へと蜃気楼の進路を向け、ゆっくりと機体を下ろす。コックピットにC.C.を残して地面に降りた。

 見慣れている筈の風景が仮面越しに眺めているだけで別世界のように見えた。自身を拒絶するようなよそよそしい感じがする。勿論普段と全く景色は変わらないので、自分がそう感じているだけなのだろう。眼を細める。

 この学園には黒の騎士団も、ゼロも、場違いなのだ。

 

 既に黒の騎士団員によってアッシュフォード学園の制圧は完了しているらしく、校庭には肩からマシンガンをかけている団員が数名立っていた。学生の姿は見当たらない。

団員はゼロの姿を認めるなり敬礼した。

「ゼロ、アッシュフォード学園の制圧は完了しました。現在本部を設営しています」

「分かった。そのまま続けろ。紅月カレンはどこだ」

「紅月隊長は生徒の避難を行っております。もうすぐこちらに来るかと、」

「ゼロ!」

 聞きなれた声に顔を向けると、団服の帽子で顔を隠したカレンが寮の方から駆けて来ていた。

 ゼロの前に立ち、俊敏な仕草で敬礼をする。

「ゼロ、学生は生徒会メンバーを除いて寮におります」

「分かった。生徒会は何故?」

「クラブハウスにナナリー……1名学生が住んでおりまして、その保護の目的だそうです」

 ナナリーと言う言葉に思わず肩が揺れた。

 

 生徒会メンバーが、咲世子とたった2人でいるナナリーのことを心配して生徒会室に連れて行ったのだろう。

 咲世子がいる以上滅多なことは起きないと分かっているが、それでもこんな危険な場所にナナリーがいるということ、そしてそれが全て自分のせいであることはルルーシュの胸を苦しめた。

 

「……分かった。カレンは生徒会室に案内をしろ。カレン以外は本部の設営を急げ」

「承知しました!」

 団員は本部設営のためにその場を離れた。ルルーシュも生徒会室へ足を向け、カレンもその後ろについて行く。

 周囲に人がいないことを確かめ、カレンは潜めた声でゼロではなく、ルルーシュに向けて話しかけた。

「……ゼロ、」

「何だ」

「生徒会の皆に言わないの?」

「言わないさ」

「………ねえ、ここに本部を置くのって、ナナリーが心配だから?」

「この場所は総督府に近くも無ければ遠くも無い。場所も広く、通信手段も完備されている。人質も多いしな。条件として良好なだけだ」

「ルルーシュっ」

 カレンはゼロのマントを握った。

 

 普段シスコン全開なルルーシュがこんな状況でナナリーのことを考えていない訳が無い。だというのに素直に言葉に出さないなんて、なんて捻くれた性格の男、いや女なのだろうと苛立ちが湧く。

 淡々とした口調は、ルルーシュは自分へ本音で話せるほどに心を許していないことを如実に表していた。自分だけではない。警戒心が異常に強いのか、ルルーシュは他者との間に高くて厚い壁を築いている。

 カレンはそんなルルーシュにどうしても伝えたいことがあった。ゼロは鬱陶しそうにカレンを振り返った。

 

「その名前で呼ぶな、今は」

「分かってるわよ。でもみんな言ってたわよ、ルルーシュが来るかもしれないから攻撃しないでくれって」

 ルルーシュは足を止めた。

「……どういうことだ」

「ナナリーがここにいるのにルルーシュが助けに来ないわけがない。だから美少年みたいな美少女が学園に入ろうとしたら危害を加えないでくれって、ミレイも、リヴァルも、シャーリーも、ニーナも、黒の騎士団に食って掛かったって」

 ルルーシュは首を振った。なんて無茶なことをする連中だ。

 黒の騎士団には一般人へ危害を加えないことを徹底させている。しかしそれでも相手は銃を持ったテロリストだ。ブリタニア人を前にして頭に血が上り、引き金を引く馬鹿がいないとも限らないというのに。

「何をしているんだ、あいつらは」

「あなたが大事だからじゃない」

 カレンは仮面の奥にあるルルーシュを睨んだ。

「あたしも皆が大事よ。学校での日常が大事だった。黒の騎士団の次に。でもあなたは違うでしょ?ナナリーのために、いつか日常に戻るために黒の騎士団を作ったんでしょ?」

「そんなことは、」

「あんたが皇族ってことはナナリーも皇族なんでしょ。あんたみたいなシスコンがナナリーのことを考えないで行動するなんてありえないんだから。どうせナナリーを護るために戦ってきたんでしょ。だからあんたが一番大事にしたいのは黒の騎士団じゃなくてナナリーで、日常にある生徒会なんじゃないの。それなのに何も言わないで嘘をついたままだなんて、それでいいの?」

「っ、じゃあどうしろと言うんだっ」

 ルルーシュはカレンを振り払うように足を進めた。

 

 生徒会のメンバーにゼロがルルーシュだなどと言ってどうするのだ。彼らはブリタニア人で、ゼロは敵にあたる。そんなことをすればこれから先、二度とルルーシュは生徒会に戻ることはできないだろう。

 それにナナリーに自分がゼロだと、薄汚い人殺しだと知られてしまったら。想像だけで体が震えた。

 

 足を速めるルルーシュにカレンが追いすがる。

「仮面を外せだなんて言わないわ。でもあたしはみんなに言う。ゼロは信用できるって。絶対に誰にも危害を加えたりしないって。そうあたしは信じてる。信じさせてよ」

「言われずともそうするつもりだ」

「だったら皆にもそう言って。仮面越しでいいから。危害を加えない、安全は保障するって。みんながルルーシュを大事にしてくれたんだから、あなたもみんなを大事にしてよ」

「―――ああ」

 足早に生徒会室に向かう。カレンはその後を追った。

 

 生徒会室にはナナリーと咲世子、そしてシャーリー、リヴァル、ニーナがおり、皆を護る様にミレイが立ちはだかっていた。咲世子とミレイ以外は黒の騎士団を前にして怯えて震えている。

 ディートハルトの口利きで、学園祭が開催された頃から既に黒の騎士団員に加入している咲世子は普段と同じく冷静な顔をしていた。

 ミレイは普段の人好きのする笑顔を消し去り、アッシュフォード令嬢としての凛々しい面持ちをしている。

 

 ゼロが生徒会室に入るなり、真っ先にリヴァルが目を見開いて悲鳴染みた声を上げた。

「うげ!ゼロ!」

「うげって、何よリヴァル」

 カレンがゼロの前に出た。髪を纏め、普段と全く雰囲気の異なるカレンが誰なのか一拍後に気づき、その場の全員がゼロを目の当たりにしたときより驚いた。

 黒を基調とする団服に身を包んだカレンは普段の大人し気な令嬢とは全くの別人のようだった。しかし赤みの強いブロンドに気の強そうな澄んだ碧眼は、彼女が生徒会のカレン・アッシュフォードであることを示していた。

「か、カレン!?」

「カレンちゃん!」

「なんで、カレンちゃんはブリタニア人でしょう!?」

「違うわ」

 ニーナのヒステリックな叫びにカレンは静かに言葉を続けた。

「私は紅月カレン。日本人よ」

「……紅月……そう、ハーフだったのね」

「ええ。でも心は日本人だから」

 ハーフという言葉にニーナは肩を震わせた。シャーリーとリヴァルも動揺した顔を見せる。

 しかしミレイはカレンの言葉に笑みを浮かべた。豪胆ささえ感じる笑みだった。

「そう。ま、多種多様なところがアッシュフォード学園の売りですから。ハーフでも日本人でもうちの大事な生徒には変わりないわよ」

 ミレイはカレンにウインクを飛ばした。

 普段と同じ明るいミレイの仕草に、カレンは無意識の内に肩に籠っていた力が抜けていくのを感じた。

 これは、ルルーシュがミレイに勝てないわけだ。計算してのことか、それとも天性の才能か、ミレイには他者に信頼を置かせる不思議な力があるようだった。

「それでカレンちゃん、その後ろのイケメンさんの紹介はしてくれるのよね?」

「あ、はい会長。ええと、あの、ゼロです。知ってのことでしょうけど黒の騎士団の総司令です」

「お初にお目にかかる、ミレイ・アッシュフォード嬢」

 ゼロは緩やかにミレイに一礼した。貴族のような立ち振る舞いだ。しかしそれは同時に傲慢さが見え隠れする仕草でもあった。

 ゼロは淡々とその場の生徒会メンバーに告げた。

「失礼ながら、このアッシュフォード学園を黒の騎士団の暫定的な本部とさせてほしい。そのために施設の一部をお借りする」

「っ、いきなり言ってくれるわね。学園内の寮には生徒がいるし、教師も残ってるの。皆一般人よ。銃火器を所持している黒の騎士団の侵入なんて許可できないわ」

 ミレイの顔が引き攣る。ゼロは淡々と会話を続けた。

「生徒や教師に危害を加えないことは約束する」

「そんなこと当然でしょ!」

「そうだ。勿論アッシュフォード令嬢たる君も、」

 ゼロは指先でナナリーを示した。

「そちらの令嬢にも、安全を保障することをお約束する」

 ミレイは反射的にナナリーを背中に隠した。汗が額に浮かぶ。

 

 このメンバーの中で何故ゼロはナナリーを指し示したのか。車椅子に盲目という、重度の身体障害を持つ弱者にも危害は加えないという意思表示か。

 それともナナリーが皇女と知っての発言か。

 手が震えた。もしそうであるのならば、この状況は最悪だ。このままではナナリーとルルーシュはまず間違いなくブリタニアに対しての人質にされる。

 背中に汗が伝うのが分かる。どうして、どこから知られたのか。

 

 まさか、とミレイは咲世子を見やった。咲世子は無表情を崩すことなくゼロを見ていた。

「まさか、あなた」

「ミレイ様。ここは反抗しない方が良いかと」

 ミレイに語り掛けた咲世子の表情からは何も読めなかった。

 硬直するミレイにシャーリーは思わずといった風に声を上げる。

「そ、そうです会長!大人しくしていれば何もしないって言ってるんですから」

「シャーリー、でもさぁゼロだぜ?嘘ついたら、」

「嘘はつきません!」

 シャーリーは声を張り上げた。

「ゼロは嘘をつかないし、私たちに危害だって加えないの……私、ゼロを信じる」

「……シャーリーちゃん?」

「おい、どうしたんだよシャーリー」

 戸惑うリヴァルとニーナに、ぐ、とシャーリーは押し黙った。

 

 まさか、とは今でも思っている。

 でもその可能性は否定できなかった。これまで得た情報だけではなく、体形と、機械で変声されているけれど隠しきれない声色、微かな仕草。

 シャーリーはルルーシュが好きだった。一緒にいると心臓が破裂しそうなぐらいに好きだった。

 だからこそこうして直にゼロと会うことで、シャーリーはほとんど確信に近い事実に思い至った。

 動揺はしている。手足は細かに震えていて、できることなら大声でゼロに問いかけたい。しかしシャーリーは事実を隠しているルルーシュのために、事実を問いかけはしなかった。

 残酷なテロリスト、ゼロとしての顔も本物だろう。しかし生徒会のルルーシュとしての顔が嘘だとは思えない。

 自分が好きになったルルーシュがただの作り物の仮面な筈がないのだから。

 だからシャーリーはルルーシュを信じることに決めた。

 

 だがどう説明していいものやら、うろたえているリヴァルとニーナをどう諫めればいいのかとシャーリーは狼狽した。しかしシャーリーの言葉を引き継ぐようにカレンが口を開いた。

「そうよ、シャーリーの言う通り嘘じゃないわ。ゼロは確かに嘘つきだし、傲慢だし、性根が曲がってるし、色々問題はある人だけど、」

「おい」

「でもこの件に関して嘘はつかない。皆に怪我なんて絶対にさせないから。お願い、私を信じて」

「……カレンちゃんのことは信じるわ。でもね、信じる、信じない以前の問題なのよ」

 深く息を吐く。咲世子のことは今は後回しだ。

ミレイはゼロの前に立ち、仮面越しに睨みつけた。

「私はアッシュフォード家の者として、生徒会長として、ここを護る義務があるの。ここは学校なのよ?安全でなきゃいけない場所なの。そこに武力を持ち込むことは何があっても許せないのよ」

「では拒否すると?」

「……どうせ拒否権は無いんでしょうけどね」

「そうだな。残念ながら」

「でもせめて学生が使っていない場所に本部を置いてちょうだい。あとうちの生徒になにかしたら」

 ミレイはゼロに大股で近寄り、カレンが止める間もなく胸倉を掴み上げた。

 長身だが華奢な体が数cm持ち上がる。リヴァルとニーナは顔色を一瞬で蒼白に変えた。

「ちょ、会長!!無謀すぎますって!!ゼロほんと違うんですあの、この人あんまりにも度胸があり過ぎるだけで悪意がある訳じゃないんです!」

「ミレイちゃん止めて!危ないから離れて!」

 リヴァルがミレイをゼロから引き剥がそうとミレイの腰に抱き着くが、ミレイは微塵たりとも揺らがなかった。

 顔を紅潮させて、ミレイはゼロを睨みつける。

「死んでも許さないわよ。墓の下から祟ってやるんだから」

「承知した」

 真っ直ぐな威圧に、ゼロは思わず微笑を零した。ミレイはくすくすと聞こえた、機械で変声された声にきょとんと眼を見開いた。

 ゼロは、こんなに安らかな笑みを零すような人物なのか。

「もちろん、守りますよ―――――これ以上奪われてたまるものか」

 

 

 

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 

 本部の設営は扇に任せ、ルルーシュは総督府へ進軍を開始した。

 紅蓮は蜃気楼に侍るように飛んでいる。

 他のフロートシステムを組み込んだKMFは別動隊として総督府へと向かっており、ここにはゼロと紅蓮しかいなかった。

 戦力を分けて総督府へ向かった理由は1つ。ランスロットとコーネリア親衛隊への囮のためだ。

 もっと時間があればフロートシステムを多く組み込んだ部隊を編成し、戦力を分けるような奇策を呈する必要もなかったのだが。しかし仮定の話をしてもしょうがないことだ。

 

 C.C.が液晶に映った小さな赤い1点に気づいて眉根を顰めた。

「ルルーシュ、ランスロットが近づいてきているぞ。とんでもない速さだ」

「分かっている」

 液晶画面を見ると、Lancelotと書かれた小さな点が凄まじい速さで蜃気楼に向かって飛んできていた。予想通り、ランスロットの他にコーネリアの親衛隊もゼロを取り囲むように四方から飛んできている。あと1分もしない内にこちらへと襲い掛かりそうな勢いだ。

「カレン、紅蓮可翔式の初陣だ!ランスロットを叩きのめせ!」

『はい、ゼロ!!』

 ゼロがそう言うなり、ランスロット・エアキャヴァルリーへ目掛けて紅蓮可翔式が発進した。エンジンが駆ける轟音が響き渡る。

 紅蓮可翔式は勢いのままランスロットの横っ腹へ食い掛った。衝撃で紅蓮のコックピットは引き千切られんばかりに揺さぶられる。

 しかしカレンは紅蓮のエンジンをさらに吹かした。

『ぐっ、くそ、』

『ゼロの邪魔はさせないわ!!』

 ランスロットが地面に叩きつけられる。紅蓮はそのままランスロットとの乱闘に入った。

 

「俺はこちらだな」

 コーネリア親衛隊が円陣を描くように近づいてきている。

「ハドロン砲」

「standby OK」

 蜃気楼の胸元が開く。エネルギーが充填され、発光する。

 蜃気楼は駒のように回転し、ハドロン砲を360度全面に渡って放射した。KMFの破片を飛び散らせながら花火が上がる。

 数機のKMFはハドロン砲の放射範囲よりさらに上空へと逃げた。上空から、ハドロン砲より逃れたKMFが襲い掛かる。絶対守護領域を展開。

 過密な電子で構成される6角形の壁が蜃気楼を取り囲む。絶対守護領域は激突してきたKMFとの間で金属音を鳴らした。

「距離を取るぞ」

「分かった。絶対守護領域は展開したままでいろ」

「言われずとも、だ」

 C.C.が蜃気楼の高度を急激に落とす。同時にハドロン砲を再度起動。

 既に3発のハドロン砲を撃っており、残りエネルギーが少ない。しかしアッシュフォードにエナジーフィラーを大量に運び込んでいる。ここで親衛隊を倒し、学園に戻れば問題ない。

 ハドロン砲が閃光を描く。残った親衛隊が爆散して夜空に散った。

「よし、一度戻るぞ。エナジーフィラーを充填させたらランスロットの、」

「っ、ルルーシュ、上空だ!」

 C.C.の言葉にメインカメラを上空に向ける。まだ1機残っていた。距離が近い。

「っ、しぶとい!」

 蜃気楼は指揮官機であり、近接戦闘の装備はほぼ皆無と言っても良い。距離を取らねばとC.C.は低空飛行で蜃気楼を飛ばした。真下には住宅街が広がっている。

「C.C.、方向をポイントDに向けろ」

「無茶を言うな!敵がいる方角じゃないか!」

「こんな場所で戦闘をしたら一般市民に被害が広がる。ポイントDならば真下には瓦礫しかない」

「このっ、甘ちゃんめ!」

「撃つ覚悟も無い、撃たれる覚悟も無い民衆を巻き込むような情けない真似をしてたまるか!いいから方角を変え、」

 銃弾が絶対守護領域に当たる。エネルギーが少ない。このまま絶対守護領域を展開し続けるとなると、かなりの短期戦が迫られる。

「くそ、なんとか場所を、」

 画面が赤く発光する。

 何だと見ると、新たな赤い点が地図上に示されていた。点の横に機体情報が示される。

 

Knight Giga Fortress ; Type-Siegfried

code ; FXF-50*`++`!#”$’(QWKJ*``PL(unlocked)

Pilot ; No.21930

 

「オレンジか!!」

『ゼロぉぉぉぁおおおおおお!!』

 通信が強制的に繋げられる。同時に頭上から砲撃が降って来る。

 絶対守護領域を展開し、市街地に落ちる砲撃をなんとか防いだ。残りエネルギーが急速に減っていく。空からバラバラになったコーネリア親衛隊のKMFの残骸が燃え落ちる。

相も変わらずオレンジのパイロットは理性が無く、敵も味方も見境が無い。

 不利だと悟り、最高速度で市街地から離れる。真下に瓦礫しか見えなくなり、ルルーシュはハドロン砲の充填を開始した。

 同時に通信要請の表示が画面に浮かんだ。誰だと画面を見る。

 

Knight Mare Frame ; Type-Lancelot Air Cavalry

code ; L-20100302 Special dispatch Leading Engineering Department

Pilot ; MAJ. Suzaku KURURUGI

 

 Communicarion requested. DE Lancelot Air Cavalty

 Accept or Refuse

 

 叩きつけるようにルルーシュはAcceptを押した。

『ゼロ、話があるんだ』

「見ての通り取り込み中だ!!手短に頼む!!」

 絶対守護領域に回す分のエネルギーを減らすためにオレンジの砲撃を手動の操縦で避ける。

 砲撃の機動を脳内で計算しながら、何故このタイミングでスザクが通信を繋げて来たのかとルルーシュはいぶかしんだ。

 画面を見るに、未だ紅蓮は健在だ。ランスロットと紅蓮は互角の戦いを続けている。

 取引を持ち掛けるような性格でもないだろうに、何の用だ。

『ユーフェミア様を皇帝にするという話を、まだ君は考えていてくれるか?』

「無茶なことを。皇位継承権を無くした皇女が皇帝になれるとでも思っているのか。そこまでブリタニアの皇族は甘くないぞ」

『他の皇族の皇位継承権を全て奪えば可能だろう!』

「どうやってだ!」

『シュナイゼルを一度皇帝にする!そしてその後、他の皇族の皇位継承権を剥奪する!そして、』

 一度躊躇い、スザクはしかし声を張り上げた。

 

『僕がシュナイゼルを殺す!』

 

 スザクの口から出てきた言葉とは思えず、思わずルルーシュは蜃気楼を操縦する手を止めた。

 同時に砲撃が蜃気楼に命中した。僅かに蜃気楼の装甲に罅が入る。そこからサクラダイトが漏れ始めた。

 コックピット中の計器が一斉に鳴り響いた。

「ルルーシュ!」

「蜃気楼はこの程度で破壊されるような脆い作りはしていない!エネルギー不足だ!」

「いずれにしてももう動かないんだろう!脱出を、」

「すればあのオレンジに砲撃されるだけだ。既に黒の騎士団に代えのエナジーフィラーを持って来るように指示してある!」

「到着するまでどのくらいかかるんだ!?」

 C.C.がそう言うと同時に、オレンジがこちらに向かってくる光景がカメラに映された。

 オレンジの球体が回転しながらエンジンを唸らせて、急激に速度を上げながら蜃気楼へと落ちてゆく。

 あの速度では蜃気楼と衝突しても停止することは不可能だ。蜃気楼と共にオレンジも地面に墜落し、木っ端微塵になるだろう。オレンジの操縦者もそのことに気づいているだろうに、速度を落とさないどころかさらに加速する。

「っ、くそ、おいジークフリートの操縦者!通信は繋がっているんだろう!?その速度で衝突すればお前も死ぬぞ!!」

『……だから?』

 返ってきた声には僅かに笑いが混じっていた。

『私が死ぬ。その事象に何か問題でもあると?』

 記事を読むような、起伏の無い口調に背筋が凍った。

 

 こいつ、狂ってる。

 

 ルルーシュは反射的に紅蓮に通信を繋げた。

「カレン!このオレンジ野郎を殺せ!!」

『っ、はいゼロ!』

 ランスロットを背後に、紅蓮が真っすぐにオレンジへと向かう。ランスロットは紅蓮の後を追った。

 ジークフリートと蜃気楼が衝突する寸前、紅蓮から発射された輻射波動砲弾がオレンジに命中する。速度が削がれたジークフリートは反転して空中にくるくると舞い上がった。

 至近距離で爆発した輻射波動砲弾の影響は蜃気楼にまで及んだ。なんとか残ったエネルギーで絶対守護領域を展開したものの、完全に蜃気楼は動きを止めて地面に激突した。

 墜落した衝撃で傷が痛む。歯が軋むほどに食いしばった。

 明かりが消え、真っ暗闇になった蜃気楼の中でC.C.は緊急脱出ボタンに手を伸ばした。

「ルルーシュ、脱出するぞ!このままではただの的だ!」

「っ、脱出しても的には変わりないが……瓦礫に隠れて逃げるしかないか、」

 もう少しすればエナジーフィラーの替えを持った騎士団員が到着する。オレンジとランスロットの相手はカレンに任せて、自分は補給に来た騎士団員と逃げれば良い。

 このまま蜃気楼に閉じこもっていても自分はC.C.と共に木っ端みじんに破壊されるだけだ。そうなれば勝ちの目は無くなる。

 空気の抜けるような音と共にコックピットが外部へと放出された。

 

 瓦礫が敷き詰められている地面に降りる。埃と鉄の混じった、肺に籠るような臭いがした。

 C.C.は地面に降りるなり、ゼロのマントをルルーシュから奪って走り出した。

「私が囮になる!お前は瓦礫の下に!」

「っ、すまない、くそ!」

 C.C.はゼロマントをはためかせながら、ジークフリートから見えるように瓦礫の街を走る。

 数mも走らない内にC.C.の足が弾け飛んだ。肉片が地べたにまき散らされる。

 地面に崩れ落ちながらもC.C.はしっかりとゼロのマントを体に巻きつけた。

 頭上で旋回するオレンジのエンジン音が五月蠅い。C.C.は音から身を守るようにゼロのマントに顔を埋めて目を閉じた。

 ルルーシュの匂いがする。小さく微笑む。

 C.C.の頭蓋が弾け飛んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 



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19. もうちょっとアッパーに捻りをきかせたかった

 ルルーシュは瓦礫の陰に隠れながらオレンジから距離を取ろうと逃げていた。

 だがユフィに撃たれた傷もまだ癒えておらず、まともに歩くことすら困難な体だ。瓦礫の隅に体をおし込めて、見つからないようにと祈るのが精々でしかなかった。

 しかし目の前に巨大な影が落ちる。見上げるとランスロットが立ち塞がっていた。

 明らかにルルーシュの姿をカメラの中心に据えており、見逃してくれそうな雰囲気ではない。

 

 カレンはどうしたのかと視線を走らせると、紅蓮の機体が猛然としてこちらに向かっている姿が見えた。

 紅蓮可飛式とランスロット・エアキャヴァルリーの機体性能に大きな差は無く、また操縦者の技量は双方ともルルーシュの測定能力を振り切る勢いで優れているに違いなかったが、一つの戦闘中に一時的に一方が有利になる瞬間は必ず存在する。

 カレンの技量であればスザクが優位に立つという不愉快極まりない状況へ、一時的、という文句をつけることは十分可能であっただろうが、ゼロというカレンの弱点を的確かつ俊敏に突いたスザクへ追いつくことは叶わなかったらしい。

 

 この絶望的な状況にあって、しかしルルーシュはそれほどに命の危機を感じていなかった。スザクはゼロを撃たないという確信があったのだ。

 それは信頼感というよりも、ユフィを皇帝にするというスザクの思惑は、ゼロという史上稀にみる優秀な奇兵が存在しなければ成り立たない計算であったからだった。

 

 ルルーシュはゆっくりと立ち上がった。ランスロット相手に生身の人間が全力で走って逃げたところで意味は無い。

 外部通信をONにしたランスロットからスザクの声が放たれる。

「ゼロ、話を聞いてくれ!」

「………聞かざるを得ないな。生身でランスロットに勝てるとは流石に思えん」

「ゼロ!!くそ、枢木スザク!!」

 紅蓮がランスロットに輻射波動砲弾を向ける。

 同時にランスロットはヴァリスを起動してゼロへと向けた。至近距離で発光するヴァリスに肌が焼かれる感触へルルーシュは眉を顰めた。

「紅蓮、動いたらゼロを撃つ」

 スザクがそう言い放つと、カレンは歯噛みをして紅蓮の動きを止めるしかなかった。

 

 生身の人間にライフルより遙かに高威力のヴァリスを放てば死体も残らない。

 どうするか、とカレンは悩むが、動きを止めた紅蓮の横を掠めるように突っ込んできたジークフリートが悩む余裕さえ奪い去った。ジークフリートは真っすぐにゼロへと向かっていた。

 

 カレンは反射的に輻射波動砲弾の向きをジークフリートへと変え、撃った。

 球体のど真ん中に命中する。ジークフリートは火花を飛び散らせながら、熟し過ぎたオレンジが大木から見放されたように、地面に叩きつけられた。その反動で地面が揺れて爆風が吹き荒れる。

 ルルーシュは腕で体を庇いながらジークフリートへと目を向けた。

 

 ガチャン、と鉄が軋む音を立ててジークフリートの側面がふるりと震える。みかんの皮がむけるようにジークフリートの一部が地べたに落ちた。その内部に空洞がぽかりと開いており、その空間がコックピットであるようだった。

 ガシャンガシャンと足を踏み出すたびに金属音を鳴らしながら、操縦者らしき男が姿を現した。男はゼロの名を、軽蔑や侮蔑といった影色の音を練りこんで声高に発していた。

「ゼロ、ゼロ!ゼエエェェロオオォオ!!」

「……ゼロ、君あいつに何したの?」

「こっちが聞きたい」

 耳が割れそうになるような絶叫だ。怨嗟の塊のような声は鼓膜を焼くような熱を持ち、それを発している男の喉さえ焦がしているに違いなかった。

 男は明らかに自分を非難していると察知していながら、ルルーシュは男を嫌悪することができなかった。嫌悪の念を浮かばせるには、男の声は悲痛に過ぎた。

 男は嘔吐するようにゼロ、ゼロと喚きながら拳銃を片手によたよたとゼロへと向かう。

 

 ルルーシュは武器を持っていなかったが、男に怯える理由は無かった。ジークフリート対蜃気楼のKMF同士で戦っていた時と比べれば余裕さえあった。

 相手が人であればギアスという異能を持つルルーシュが怯える必要は無い。男がこちらに顔を向けた瞬間、ギアスで服従させれば終わりなのだから。いや、もう殺した方が良いかもしれない。明らかに精神に異常をきたしている男をギアスで服従させたとして、その精神が正常なものへと変質するとはとても思えなかった。

 ルルーシュは仮面の瞳を覆う部分をスライドさせようと指を鳴らした。男はふらつきながらもゼロを視界に収め、同時に銃口をゼロの頭蓋に向ける。

 

 

 ルルーシュは銃口を向けられても男にギアスをかけようとはしなかった。

 銃口は真っすぐに眉間へと向けられているのに、危機感は針一本分も覚えなかった。

 それどころか復讐のことも、今が戦争中だということも、自分がゼロであるということさえ忘れた。世界中から全ての音が消失し、ゼロがただのルルーシュに戻るための時間を与えたように思えた。

 男の顔を見た瞬間にただのルルーシュは打ち震えた。

 

「―――嘘だ、」

 

 ジークフリートのデヴァイサーはあまりに奇天烈な姿をしていた。

 左眼の周りに、アクセサリーにしては奇抜すぎるオレンジ色の仮面をつけている。背中からはジークフリートと繋がっているらしいコードがいくつも生えており、ばちばちと火花を散らしていた。歩くたびに残っていたコードが千切れて地面に落ちる。

 あんな球体の機体をどうやって操縦しているのかと思っていたが、生体に直接繋いで操縦していたのか。

 しかしどうやって。疑問に思うと同時に答えが分かった。男の左足と左手からばちばちと火花が散っている。

 パイロットスーツを着ているせいで初見では分からなかったが、男の身体は機械で換装されていた。所謂、サイボーグというものだろう。

 

 しかしルルーシュが全ての思考を止めたことはそれが原因ではなかった。

 男が銃口をルルーシュに向けていることさえ忘れて、ルルーシュは夢遊病者のようにふらふらと男へと向かって歩き始めた。しかしルルーシュは夢を見ていたのではなかった。

 深く耽溺し、溺死しかけていた復讐という名の夢から、彼女は覚醒しようとしていた。

 

 

 ゼロへ銃口を向ける男に焦ったカレンが紅蓮で襲い掛かろうと機体を動かす。

 それに気づいたスザクが紅蓮の前に立ち塞がった。

「紅蓮のパイロット、あの人を攻撃しちゃだめだ!」

「あんたに言われる筋合いなんて!」

「ルルーシュのためだ……彼は僕が止めるから、頼むよ!」

「、はあ?」

 ルルーシュという言葉に一瞬遅れたカレンを置いて、スザクはすぐさまコックピットから飛び降りた。

 地面に着地するなり、騎士の先達に向かって駆け出す。

 

 ルルーシュは銃口を向けたままの男に向かって手を伸ばした。

 見間違えようも無かった。言葉が出ない。喉奥から搾り出すように、ルルーシュは彼の名前を呟いた。

 

「―――ジェレミア」

 

 その男はジェレミアだった。青色の髪にオレンジ色の瞳をした、自分の唯一の騎士だ。

 しかし瞳はたった1つだけになってしまっていた。その瞳に黒い仮面を被ったゼロの姿が映る。

 ジェレミアはゼロに向かって引き金を引いた。

 乾いた銃声が鳴り、銃弾がゼロの仮面の正中に命中する。仮面が二つに割れて地面に落ちた。

 

 仮面の下からジェレミアがよく知る女性の顔が現れた。

 ルルーシュは茫然とした顔で、はらはらと涙を落としていた。

 その顔を目の当たりにして、ジェレミアはちぎれ飛んでいた知性の欠片が震えるのを感じた。

 

「………る、る?」

 

 これは誰だ。

 

 ジェレミアは以前の明瞭な思考とは程遠い、壊滅的な思考力を叱咤し無理やり活動させて目の前の事態を理解しようと試みた。あまりにも無茶な試算だったが、ジェレミアの精神力は千々に千切れた思考力をそれなりの塊にまとめることを可能とした。

 それはルルーシュの騎士として暮らした時とは比較にならない程に愚鈍な代物だったが、ルルーシュをルルーシュとして認識するには十分だった。

 

 

 

 これはゼロとある。そしてゼロはルルーシュを殺した憎き敵であらせられる。

 しかしルルーシュかと。ルルーシュ様に?生きておられた。

 あなたがたの中のあるものが、死人の復活などないと言っているのは、どうしたことか。

 死んだとはV.V.の発言に

 V.V.信頼度は?視覚情報(高感度カメラ+赤外線センサー)

 さてあなたがたは、先には自分の罪科と罪とによって死んでいた者であって、

 ゼロに殺されたのでは。

 # 偽物 r/o(ロロ・ランペルージ)

 ルルーシュ様

 Assessent:可能性は否定できず

 P=0.03(<0.05)

 

 ルルーシュ様。

 

 

 ルルーシュ様

 

 

 

 憎悪で歪んだジェレミアの顔が溶け落ちた。手から銃を取り落として右眼を大きく見開く。

 ジェレミアは全ての身体の動きを止め、ただルルーシュの顔をじっと眺めた。何度も何度も瞬きをして、嘘ではないかとじっとルルーシュの形を探る。アメシストを埋め込んだような瞳、艶やかな花弁を思わせる目元、揺らぎなく真っすぐに整えられた鼻梁。記憶と違うのはチアノーゼでも起こしているかのように青白い肌ぐらいだ。

 間違いないと確信し、呆然としたままジェレミアは呟いた。

「………るるーしゅ、さま」

「ジェレミア」

 ルルーシュは大股でジェレミアに近寄った。呆然としたまま緩慢に歩いていた速度が加速度的に速くなる。傷を受けていることさえ忘れてルルーシュは駆けた。鼓動が耳に痛いほどに高鳴っていた。

 

 未だ意識は清明でないものの、ジェレミアは速度を上げながら駆けて来るルルーシュを反射的に抱き締めようと両腕を広げた。それは何よりも優先されるべき責務であるとジェレミアは理解するに至っていた。

 

 ルルーシュは驚愕と歓喜とが共鳴し、何か他の感情へと変質してゆくのをまざまざと感じながら、破裂しそうな心臓の任せるがままにジェレミアへと駆け寄った。

 そしてジェレミアの腕の中に飛び込み、

 

 

 顎先めがけて全力で拳を振り上げた。

 

 

 スザクは後に、あの貧弱なルルーシュがあそこまで見事なアッパーを放てるとは思わなかったと語った。

 

 クリーンヒットしたアッパーによりジェレミアはそのまま倒れて背中を強かに打ち付けた。

 相手がルルーシュでなければ避けることも耐えることも可能であっただろうが、彼は目に涙を浮かべながら自身へ怒気を向けるルルーシュの攻撃を避けることはできなかった。また全くの無防備なところへ顎先をぶん殴られたのだから、たとえルルーシュが非力であっても目は回す。

 地面に仰向けに倒れたジェレミアへ追い打ちをかけるようにルルーシュは馬乗りになり、胸倉を掴んでがくがくと揺さぶった。

 

 どう見ても様子のおかしいジェレミアの脳をこれ以上刺激するのは、とスザクは咄嗟にルルーシュを止めようとした。しかしルルーシュに触れようとすると、彼女に触れることを拒絶するように腕が動かなくなってしまう。

 結果、頭を前後にがくがくと揺さぶられるジェレミアの横で、スザクはカバディでもしているかのように左右に動きながらおろおろとすることしかできなかった。

「おっっっっまえ!!ふざけるな!!ふざけるなよ!!俺の復讐の意味は!?ふっっざけるなよ貴様ああぁぁああ!!!」

「ちょ、え、ゼロってルルーシュだったの?いやそれよりルルーシュ落ち着いて、とりあえず落ち着いて!きっと訳があったんだよ!!多分きっと本人にはどうしようもない理由があったんだよ!あと僕に驚く暇をくれない!?」

「知るか!勝手に驚いていろ馬鹿スザク!!それよりジェレミア、おま、おま、お前、ゼ、ゼロが俺だってすぐに気づけよ!!!普通気づくだろうが!!!ユーフェミアが気づいたんだぞ!?お前は気づけよ!!俺はお前がオレンジに乗ってるって全く気付かなかったけどお前はゼロが俺だって気づく義務があるだろうが!!とりあえず俺とさっきお前が肉ミンチにしやがったC.C.に土下座して謝って土の味を知れ!!」

「理不尽過ぎる!!」

 子供時代に立ち返ったようにぎゃあぎゃあと喚く二人を前に、ジェレミアはルルーシュにされるがままがっくんがっくん頭を揺らしていた。

「ピー……情報解析作業部に障害が認められました。解析中……解析中……データに物理的衝撃が加わりました。SDカードを再度入れ直してください。現在データ修復中……現在データ修復中……」

「ほらルルーシュが乱暴に扱ったせいだよ?いい加減止めて早くSDカード入れ直して!」

「おい待てこいつそんな家電製品みたいな作りなのか、見た目ほとんどターミ〇ーターな癖に!」

「シュワル〇ェネッガーはこんな奇抜なオレンジ仮面なんてつけてないだろ!ほらなんとかしてよルルーシュ!」

「ちっ、おいジェレミア、しっかりしろ!どこだSDカードは!」

「修復作業完了中です……電源を止めないでください……作業完了しました。再起動を行います。再起動を行います……」

 ジェレミアはウンウンと唸りを上げながら再起動を開始したようだった。

 

 ルルーシュは怒気なのか何なのかよく分からない感情を少しでも安定させようと息を吐き、ジェレミアの頭を膝に乗せた。

 ルルーシュは本心から怒っているわけではなかった。ただ卓越した軍事的・政治的能力と比較すると、ルルーシュの精神は年齢相応に未熟であり、あまりにも驚愕に過ぎる事実を消化するためには怒りという精神的な揺らぎが必要であっただけだった。

 ジェレミアの頭部は人間のそれと同じ程度の重さだった。髪の質感も、皮膚の弾力も人間のそれと同じだ。精巧に作られた人工皮膚なのかもしれないが、目で見て手で触った限りでは分からない。

 そのまま首、鎖骨、肩、腕とその存在を確かめるように触れる。左腕に触れると金属的な硬さがあり、服をめくると左半身は赤鈍色の金属で構築されていた。

 

 どこまで改造されているのか見た目だけでは判断できない。内臓まで機械で置換されているのかもしれない。

 しかしそれはもう、今はどうでもよかった。じわじわと実感が胸の泉から湧いて来る。

 ジェレミアが生きていた。それだけで十分だった。長い間強張っていた手先から温かみが広がって来る。

 生きていた。よかった。

 しゃくり上げる。ぐずぐずと鼻を鳴らして、ルルーシュは眼を擦った。

 

 喜びを暴力で表現するのを止めたらしいルルーシュからスザクは離れた。

 スザクもルルーシュがゼロだと知って、心臓が打ち震える程に驚いていた。冷汗が額から止まらない。彼女には聞きたいことが山ほどあるし、話さなければならないことが沢山ある。

 だが今、二人にとって自分の存在は邪魔であるという自覚もあった。犬も食わないなんとやらだ。関わるだけ損である。

 スザクはルルーシュのために、そして自分の心の安全のために、約6年前には無かった空気を読む能力を駆使して2人から気づかれないように距離を取った。

 

「――――る、ルルーシュ様」

「起きたかジェレミア」

「はい。再起動終了、とありました」

「うん。そうか。よかった」

「いずこにあれ?私の知識外と、何をしているかと、」

「………ジェレミア、すまない。ゆっくりでいいから、もう一度頼む」

「嘘だと知っていて、泣きたいのと。あなたはどうしてあちらへ行くのと言わせて頂きたい」

「………………っ、うん、うん」

 今だにぼんやりとした顔でジェレミアはゆっくりと起き上がった。眠気眼のせいか、顔の造りに合わない幼い表情をしていた。

 

 意思疎通ができないことに若干の寂しさを覚えながら、ルルーシュは起き上がったジェレミアを見上げた。外見は以前とそう変わらない。奇妙な仮面がついている程度だ。

 地面に座り、ジェレミアはルルーシュと相対した。未だに信じられないのか、ジェレミアは常ならばありえない無遠慮さでじろじろとルルーシュを眺め回した。

 眺めるだけでは飽き足らず、存在を確かめるようにジェレミアはルルーシュの腕を摩り、肩を撫でて、とうとうルルーシュを抱き締めた。体格差もあり腕の中にすっぽりと納まる。

 どうして早く帰って来なかったんだと文句を言おうとしたのに、言葉は音になる前に口の中で踊ってしまった。

 代わりに力いっぱい抱き着いた。

 小さい頃にそうしたように、年上の保護者であり、騎士である男の胸元に額をこすりつける。心音の代わりに機械の駆動音がした。だが変わらず温かい。涙が出る。ずっとこうしていたい。

 

 ジェレミアの胸元に縋りついて息を吐くと、これまで肺に蓄積されていた悲哀と怒気が吐気と共に意図せずして流れ出てしまった。それは復讐心とも呼称されるべき、現在におけるルルーシュの気質を大きく占めていた大群だった。

 その大群こそが、ルルーシュにユフィの手を取らせなかった元凶でもあった。

 そしてルルーシュを形成していた冷たく燃え盛る炎のような感情が一斉に消え去り、ぽっかりと空いた隙間には安堵や期待といった、ユフィの大部分を形成する陽性な気質と似たものが凄まじい勢いで芽生え始めた。

 元々ルルーシュは冷静且つ苛烈であっても、決して冷酷ではなかった。ジェレミアの生を確認し、復讐という夢から覚めて、ルルーシュはようやく本来の自分に立ち返ったのかもしれなかった。

 

 自分の位置を確認するようにルルーシュはジェレミアの腕の中で身じろぎし、金属で覆われている背中を引っ掻く。落ち着かない猫を諫めるような仕草でジェレミアは眼下にある旋毛に薄い唇を落とした。

 そしてくすぐったいと涙と微笑を混じらせながらルルーシュが身を捩った瞬間、

 

「ルルーシュから離れなさいよこの変態ロリコン野郎!!!」

 

 カレンのブラジリアンキックが見事にジェレミアの側頭部にクリーンヒットした。

 

 ジェレミアは吹き飛んで3回地面にバウンドし、鈍音と共に瓦礫の山に衝突し、ぱたりと地べたに落ちた。

「じぇ、ジェレミアあああああ!!」

 ルルーシュの悲鳴を聞きながら、スザクはあ、デジャヴ、と独りごちた。

 

「お、おま、カレン、何をするんだ!」

「何って、女子高生にいきなり抱き着く変態を処刑してやったのよ!ルルーシュ、あんた油断し過ぎ!!ああいう変態は最初っから強く撃退しておかないと図に乗るわよ!」

「強くと言っても限度があるだろ!過剰防衛の域だぞ!?おいジェレミア大丈夫か!?」

 ジェレミアに駆け寄る。

 瓦礫に頭を強打したらしく、ジェレミアはくわんくわんと頭を振っていた。

「ジェレミア、頭は痛くないか。大丈夫か!?」

「さっきまで馬乗りになって頭がっくんがっくんしてた人が言うセリフじゃないよね」

「黙れスザク!ジェレミアなんとか言ってくれ、どうしよう、医者に、いやメカニックか?」

「……西暦2801年、太陽系第三惑星地球からアルデバラン系第二惑星テオリアに政治的統一の中枢を遷し、銀河連邦の成立を宣言した人類は、同年を宇宙歴一年と改元し、銀河系の深奥部と辺境部に向かって飽くなき膨張を開始した……」

「俺は皇帝になるつもりはないし同母姉はいないぞジェレミア!?」

 銀河の果てまで向かいそうなジェレミアに、おろおろとしながらルルーシュは頭を撫で摩った。

 

 その後ろではカレンとスザクがこそこそと話していた。

「カレン、君の所のメカニックに連絡した方がいいんじゃないかな……君のせいなんだし、」

「何言ってるのよ。女子高生にいきなり抱き着くあんな筋肉ムキムキアラサー野郎、ロリコンの変態に決まってるじゃない!変態を成敗して何が悪いのよ!」

「いや、ええと、でもさ。同意の上だった訳だし、」

「貧弱もやしのルルーシュがあんないかにも傲慢そうなブリタニア軍人に力尽くで抱き着かれて拒否できる訳ないじゃない!どう見ても痴漢の現行犯だったわよ!」

 カレンの言葉にスザクは顎に手をやり、ジェレミアの頭を抱え込んでいるルルーシュを見やりながら考えた。

 

 華奢な17歳の美少女に抱き着く、アラサーのごついブリタニア男。

 

 うん、と頷く。確かに、2人の関係を知らなければ通報していたかもしれない。

「確かにアウ……せ、セウト……?」

「アウトでしょ!」

「いやでも、今のルルーシュはゼロの恰好してるから………」

「………ああ……うん」

 スザクの反論はおずおずとした口調ながらも完璧であり、カレンは渋々ながらも頷くしかなかった。

 いくら容姿が整っていても、肌にぴっちりと密着する黒一色のゼロの衣装は全ての視線を持って行く。

 恰好だけならばルルーシュも十分不審者だ。

 

 それより、とスザクは隣に立つクラスメートを見て息を吐いた。ルルーシュがゼロだったこともショックだが、カレンが紅蓮のパイロットだったこともショックだ。こんなに身近にテロリストがいて気づかないなんて、どこまで自分は腑抜けていたのかと情けなくなってくる。

 そして同時に、テロリストでありながらスザクを自室に上げるような真似をするルルーシュの甘さにも溜息を吐いた。幼馴染の自分への甘さが今になってじわじわと沁み込んできた。

「………カレン、君が紅蓮のパイロットだったんだね」

「そうよ」

「ブリタニア人なのにどうして、」

「違うわ、私は日本人とブリタニア人のハーフよ。それに」

 カレンは瞳をルルーシュに向けたまま、ふふんと鼻を鳴らした。

「あたしは、ゼロの騎士なんだもの」

「……そう、」

 純粋な忠誠心と敬愛が青い瞳に浮かんでいるのを見て、スザクはルルーシュの卓抜したカリスマ性を思い知った。凡人とは一線を画する器があると察知していたものの、ここまで純粋な忠誠心を抱かれるに値する存在だと目の当たりにすると言葉を失う。

 

 そしてふと思う。ゼロがルルーシュであるのならば、ユフィが皇帝になることへ黒の騎士団の賛同が得られるのではないか。

 浮かんできた発想は自分が知る天邪鬼だが優しい性根を持つルルーシュの姿に補強され、スザクの中で大きく膨らんだ。

 スザクは地面に落ちている割れた仮面を一撫でした後にルルーシュを見た。

 

 

 ルルーシュはジェレミアの頭を膝にのせてゆっくりと撫でていた。

 ジェレミアは暫くうとうととしていたが、徐に起き上がった。ジークフリートから出てきたときより顔色が悪く、虚ろな顔をしていた。

「ジェレミア?」

「治療のため、帰還します」

「どこへ」

「ギアス教団へ。未だ思考明瞭ならず。メンテナンス必要かと。意識清明になるまで帰還できず」

 そのままジェレミアはルルーシュを振り返りもせずジークフリートに向かって歩き始めた。

 あまりに唐突な宣言にルルーシュはジェレミアを止めようと腕を伸ばしたが、誰かに腕を掴まれた。

 苛立ち交じりの視線を向けると、それはC.C.だった。

 

 C.C.の怪我は修復途中であり、細胞が分裂する音さえ聞こえそうな勢いでミンチになった頭蓋を再生していた。しかしひび割れた頭蓋骨の隙間からは未だに脳が空気に晒されており、銃弾で打ち抜かれた足からは骨が見えていた。頭蓋の端に引っかかっている髪は血でぐちゃぐちゃに固まっており、赤くない場所を探す方が困難なほどに全身に血液を浴びている。

 しかし生者が生涯経験し得ない激痛を浴びながらもC.C.は欠片も表情を歪めることなく、細腕で傷一つないゼロの仮面をしっかりと抱えていた。

「蜃気楼から予備の仮面を持ってきた。黒の騎士団の援軍が来るぞ。さっさとかぶれ」

「C.C.待ってくれ、ジェレミアが、」

「………あの男は今ギアスキャンセラーの調整を受けている。調整が終わるまであいつの意識は戻ってこない。ここで引き留めても、あれは前の知るジェレミアではないだろう」

「でも俺の名前を呼んだんだ!だから意識は戻っている筈だ!」

 C.C.はジークフリートに戻っていくジェレミアに眼を細めた。

「それはあの男の凄まじい精神力によるものだ。いつまでもは続かん――――ギアス教団で完璧に調整が成されるまで待つんだ」

「いやだ!」

 C.C.を振り払い、ルルーシュはジークフリートに向かって走った。

 ジークフリートが軋む音を立てながら発光する。

 上空へと浮かび上がるジークフリートに掴みかかろうとしたルルーシュをカレンが止めた。

「待ってルルーシュ、危ないわ!それに今あなたがいなくなったら日本はどうなるのよ!」

「知ったことかそんなこと、ジェレミア、ジェレミア!」

 カレンはカッと頭に血が上り、ルルーシュの頬を張った。

 ルルーシュは地面に倒れ伏した。

 地べたに倒れたルルーシュの胸倉を掴んで、カレンは顔を真っ赤にして叫ぶ。

「そんなことって、何よ!一体何人があんたの命令で死んだと思ってんの!?一体何人が、あんたの命令のために命を賭けてると思ってんのよ!!みんなまだ死ぬ気で戦ってんのよ!?ここであんたがいなくなるなんて許される訳ないじゃない!!あなた、ゼロでしょう!?ゼロなんだから、責任をちゃんと果たしなさいよ!!」

 カレンの言葉にルルーシュは息を吐いて、唇を引き絞った。

 

 理性で考えるのならば、カレンの言う事は正しい。

 日本の命運がかかっているこの戦争からゼロが逃げ出すことは絶対に許されない。

 ゼロのせいで何人もの人間が死んだ。それでもゼロが英雄と呼ばれるのは、ゼロの行動の原動力が弱者の救済であり、確実な結果を出してきたからだ。

 だからゼロは何があろうとも、より多くの弱者のため、公のために行動し、結果を示し続けなければならない。そうでなければそもそもゼロという殺戮者の存在は許されるものではない。

 

 しかしルルーシュの行動の原動力はいつだってナナリーや、ジェレミアや、ささやかな生活のためだった。それだけで十分だったのだ。3人で穏やかな生活を営むこと以上の望みをルルーシュが抱いたことは一度も無かった。

 そのためだけにゼロになった。しかし今やゼロという概念はルルーシュの手から離れていた。

 ゼロはより多くの大衆のものであり、そしてゼロの仮面を脱いで自分のために走り出すには、あまりにルルーシュは責任感が強く、誇り高過ぎた。

 ルルーシュはエンジン音を唸らせるジークフリートに眼を向けたまま歯を食いしばった。

 

 ジェレミアがあそこにいる。あそこにいるのに。

 

 ジークフリートは上空に飛び上がり、こちらを暫く見下ろし、さらに高高度へと飛び立っていった。

 その間ルルーシュはジェレミアに追いつく方法を幾通りも算出することができた。しかし足を動かすことはできなかった。

 富士山の麓で行われた行政特区日本の開会式で、何人ものイレブンが死んだ。その血の色をルルーシュはよく覚えていた。その後に湧き起こった歓声も耳の奥に染み込んで離れなくなっている。

 ジェレミアの復讐のため、そしてナナリーのために始めた戦いが、本人の意思を取り残して今や違う意味を持っていた。

 

 俯き、C.C.に渡されたゼロの仮面を抱き締める。眼を一度強く瞑り、開く。

 そうだ。自分はゼロだ。

 そしてまだこの場でやることは残っていた。

 

 

「ルルーシュ、」

「………スザクか」

 

 

 ゆっくりと立ち上がる。腕にあるゼロの仮面を抱えたまま、ルルーシュは素の顔でスザクと対峙した。

 スザクはゼロの衣装を身に纏ったルルーシュを前に唇を震わせ、眼を閉じて信じられないと顔を振った。だが次の瞬間には険しい顔でルルーシュを睨んでいる。

 剣の切っ先のような眼光に、ルルーシュはうっそりと嗤った。

「そうか、ユフィはゼロが君だって知っていたのか………だから君と戦うなって」

「――――そうかな?お優しい皇女様が、俺とお前が殺し合うのを良しとしなかったためにそう言ったのだとは限らんだろう。俺を殺そうとした罪悪感でそう口にしただけなのかもしれんぞ」

 露悪的な口調にスザクは眉根を顰めた。

 

 ルルーシュに騙されるなと自分に言い聞かせる。

 ルルーシュは嘘吐きなんだ。他人に対してだけでなく、自分自身に対しても悪辣な嘘を吐く生来の演技者だ。

 

「ユフィは君を撃つようなことはしない」

「お前も見ただろう。確かにユーフェミアは俺を殺そうとした。それは事実だ」

「君が何かしたんだろう」

 確信めいた視線にルルーシュは笑みを深めた。

 

 そうだ。選任騎士とはそうでなくてはならない。

 主君よりも主君のことを思いやり、誰よりも主君のことを知っていなくては。

 紆余曲折あったものの、確かにスザクは選任騎士に相応しい男へと成長しているようだった。場違いながら、ルルーシュは幼馴染の成長を喜んだ。

 しかしルルーシュが顔に浮かびあがらせたのは、喜んでいるというより嘲りを全面に出した悪辣な笑みだった。

 

「ふん。まあ、お前に誤魔化してもしょうがあるまい。そうだとも。ほんの少し薬剤を飲ませるだけでああも予想通りに動いてくれるとは思わなかったよ。全く、皇族という生き物は単純で助かる」

 ブリタニアの騎士であるスザクにギアスなどという常識を覆す異能を知られては困る。

 無理のある誤魔化しだろうが、ユーフェミアが自分の意志でゼロを撃っていないという確信を持っているスザクへ与える理由としては十分だろうとルルーシュは踏んでいた。

 

 ルルーシュの言葉にカレンはぎょ、と一瞬目を剥いたが、すぐに息を吐いて気持ちを静めた。

 数人の民間人が行政特区日本の騒動の中で死んだ。銃撃を受け、死体が弾け飛んだ光景はカレンの脳裏に未だ強く残っている。しかしそれが必要な犠牲だったのだと言われると、カレンは歯を食いしばりながらも首肯するしかなかった。

 銃を手に持つ黒の騎士団団員やブリタニアの軍人ならともかく、一般人が犠牲になることへの嫌悪感は確かにある。そうなるようルルーシュが計算し、ユーフェミアに自分を撃たせたとあれば、あの騒動が起こった責任の一端がゼロにあることはカレンも認めなければならなかった。

 だが全責任ではない、ともカレンは思った。そもそも撃ったのはブリタニアだ。ブリタニアが民間人へ銃口を向けなければ何も起こりはしなかった。

 そして何より死んだ日本人の数より、ゼロによりこれから救われる日本人の方が遙かに多い。

 人の命を数で計ることは許されない。しかし数で計らなければならない立場は確かに存在する。

 その矛盾を呑み合わせなければ、日本解放などとどの口で言えるだろうか。日本を解放するために少ないとは言えない犠牲が必要であることなど、はなから承知であったはずだ。

 ゼロの所業を卑劣だと責める権利があるとすれば、それは銃を手にしたことの無い潔白な民間人のみにある。

 少なくとも自分にはルルーシュを責める権利は無いとカレンは目を瞑った。

 

 スザクは泣きそうに顔を歪めたまま、その視界の中心にルルーシュを据えた。

 自分は何もルルーシュのことに気づいていなかったのだ。そのことが悔しくて仕方がなかった。

「やっぱり、君が……ユフィは君の妹だろう。どうしてそんな、酷い事を」

「綺麗事で世界が動くものか。歴史を見ろ。世界を動かした事象は悪事と善行で分類することはできない。可能な事と、不可能な事しかこの世界には存在し得ないのだ。俺は日本を取り戻すことができる。できると確信したのならば、やらないという選択肢は俺には無い。可能性を目の前にぶら下げられながら見過ごす愚行を犯してたまるものか。そうだ。俺はユフィを操り俺を撃たせ、民間人数名を死に追いやった。そうして結果的に日本は戻ってくる。それも最小限の犠牲で!」

「それは間違っている方法だ!」

「では何が正しい方法だ!言ってみろスザク!それともお前は行政特区日本が正しいと本気で思っていたのか!?皇帝の一言で取り消される危険性のある、たった一人の気まぐれで台無しになる可能性のある政策など根本から間違っている!枢木スザク、お前の正義はどこにある!お前が考える正しい方法とはなんだ!自分で何も考えず、何も成し得る事無く、何もかもを他者に委ねるような男に、俺を非難する資格は無い!!」

「――――僕は、」

 スザクは歯の根を震わせて首を振った。

「僕は、誰にも死んでほしくないんだ。ブリタニア人にも、日本人にも、誰にも死んでほしくないんだ。それだけなのに」

「人は死ぬ。人がこの世界にある限り、それは免れない」

「でも戦争で死ななくてもいいはずだ。戦争なんて無益なものの中で死ぬために生まれた人なんて、いるはずがない」

「ああそうだとも。戦争は愚行だ。しかし戦争をしなければ虫けらのように殺されるとなれば、最後まであがく手段として戦争を選んだことを非難する権利は誰も持たない。少なくともブリタニアに所属するお前には、日本人を虫けらのように殺そうとしているお前たちには、俺達を非難する権利は無い。俺たちに戦争をするなと言うのならば、ブリタニアが日本から兵を引いて、申し訳なかった、これから日本は自由です、と言えば済む話だったんだ!」

「でも事態はそう単純じゃない。僕はその中で取れる手段を……ああ、そうか。君たちにとってそれこそが……」

「―――俺は自分が絶対的に正しいなどとは言わん。俺がとった手段よりもより良い方法があったという可能性さえ、俺は否定しない。だが実際に行動したのは俺だけであり、ここまで成し得たのは俺だけだ。その事実の前で、お前の言葉は詭弁以上の意味を持ちはしないんだ」

「……事実として、僕は何も成し得なかった。確固とした未来の展望も無かった。そしてあまつさえ僕は日本より、ユフィを取った……そうだね。僕は君が正しいとは思わない。でも――――僕には君を責める資格は無いのか」

 スザクはぶんぶんと頭を振り、まっすぐにルルーシュを見た。

 

 子供の頃と随分と瞳の色が変わったとルルーシュは思った。ただ純粋に明るかった碧からどこか仄暗い色がさす翡翠色になり、随分と深みが増した。

 今の方がずっと好きな色だ。

 

「でも……ルルーシュ、ゼロとしての善悪はともかく、ルルーシュが嘘を吐いていたことは疑いようもない。そのことは、僕にも君を責める資格がある筈だ。君は嘘を吐いた。僕とユフィ、そしてナナリーに」

「嘘を吐いた?どんな嘘を吐いたと言うのだ。俺が、」

 

 あからさまに露悪的な口調で話しながらも、ルルーシュはスザクの罵倒を待った。

 ゼロとしてならともかく、ルルーシュとしてスザクに不誠実であったことは確かだった。友達だと嘯きながら、自分はスザクに何も言っておらず、あまつさえスザクの好きな人を陥れた。

 元より復讐というルルーシュ個人の私情から始めた戦争だ。ゼロの罪業はともかくとして、ルルーシュの身勝手さは糾弾されて当然だとすら思っていた。

 真っ直ぐなスザクが自分をどう悪し様に罵ろうと、それは妥当な評価だとルルーシュは薄ら笑いで受け入れようと心に決めた。

 スザクは耐えられないと、睨んでいた眼を潤ませた。

 

「―――大丈夫だっていう、嘘だよ」

 

 スザクはルルーシュに近寄った。カレンとC.C.がルルーシュを庇うように立ち塞がる。

 しかしスザクは一歩一歩、ゆっくりとルルーシュへと向かって歩いた。

「いつも君は大丈夫だっていう顔をしていた。自分は平気だって。でも大丈夫じゃないじゃないか。ジェレミアさんが死んだと思って、世界に復讐しようとするぐらい追い詰められていたのに」

 ルルーシュはカレンとC.C.を押しのけた。

 心配そうな顔をするカレンに微笑む。スザクの口調は罵倒とは程遠く、自嘲の色さえ帯びていた。

 ルルーシュがスザクの心情を察するにはそれで充分だった。ルルーシュはスザクにゆっくりと近寄った。

「スザク」

「気づかなかった……いや、気づいていたのに、見ない振りをしていたんだ。君が一人でこんな馬鹿なことをするぐらい居場所を無くしているって。世界に弾き出されたと思い込むぐらいに、追い詰められていたって……」

「スザク、」

「僕は君に同情なんてしないし、君が正しいなんて絶対に思わない。それどころか君は間違っているって今でも思う。僕は君の味方にはなれない。でも、」

 スザクはルルーシュに向かって腕を伸ばそうとした。しかしそれは叶わなかった。まるで腕が拒否するように微動だにしない。

 どうして自分はルルーシュに触れられないんだろう。訳が分からず両手を見る。

「………どうした、スザク」

「君に謝りたいんだ。それなのに君に触れられないんだ。君のことを許せない訳でも、嫌いな訳でもないのに」

「―――いいんだスザク。いいんだよ」

 先ほどまでの口調とは別人のように、ルルーシュは労りのこもった声を出した。

 スザクはその声に泣きそうに顔を歪めた。

 

 ルルーシュは女の子なんだ。ユフィとほとんど同い年の、華奢でか弱い女の子なのだ。なのにどうして自分は彼女を助けるどころか、その手を取ることさえできないのだろう。

 自分の意志通りにならない腕がもどかしくてしょうがなかった。唇を震わせてスザクは嗚咽した。

 

「僕は君の友達なのに、なんにも気づかなかったんだ。ごめん、ルルーシュ」

「………いいんだスザク。友達なのに、俺だってなんにも話さなかった。おあいこだから。日本は俺が取り戻すから――――もういいんだよ、スザク」

 

 日本が戻る。スザクはその言葉を聞いて、そのまま蹲って涙を流した。

 

 日本を取り戻すためスザクがブリタニアに渡ってから既に6年近くが経過していた。何度も死ぬ思いをしながら戦い、売国奴と罵られた孤独な日々だった。そしてその歳月の結果、自分は何も成し得る事無くこの日を迎えるのか。

 この6年間で自分が得たものは、地位と権力と経験と、新しくできた友人や上司、そして再会できた友人と、ユフィという主君だった。

 それで満足できるかと問われれば、うんとスザクは頷くことができた。だから後悔は無い。ただ茫洋とした寂寥感と無力感、そしてようやく終わったという微かな安堵がスザクの心中を溢れるように満たしていて、涙が途切れることは無かった。

 

 幼馴染がこんなふうに悲愴に泣いているところを見るのは初めてで、ルルーシュは戸惑いながら栗色の髪を指先で弄んだ。くるくるとした髪は癖が強くて、ナナリーに似ていた。

「………ユフィを皇帝にする、か。まあ、考えておくよ」

 ルルーシュがそう言うと、スザクは泣き声交じりに、うん、と応えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 後にこの日本解放戦争はブラック・リベリオンと呼称されることになる。

 日本の国土で行われた戦争として史上最大規模であったこの戦争は、1日足らずで終結を迎えた。

 ブリタニア側の最大戦力と目されていたユーフェミア副総督の選任騎士、枢木スザクは戦争の最中、黒の騎士団エースの紅月カレン及びゼロと対決して敗北を喫することとなった。この敗北が後の結果に大きく影響を及ぼした。

 枢木スザク敗北の後、紅月カレンに対する防波堤を無くした総督府は3時間足らずで黒の騎士団に制圧されてしまった。

 エリア11総督コーネリア・リ・ブリタニアは親衛隊が殲滅され、選任騎士であったギルフォードが藤堂率いる四聖剣に捕縛された後も、自身でKMFに乗り込み抵抗を続けた。しかし多勢に無勢であり、コーネリアも総督府にて捕縛されることとなった。

 捕縛された後、コーネリアは敗北の将として帰国するぐらいなら自害を望むと声高に訴えた。しかしゼロと対面するとそれまでと人が変わったように素直に敗北を受け入れ、ブリタニア本国へ帰国することを了承した。

 彼女が持つ濃いロイヤルパープルの瞳は、敗北を受け入れることに耐えられず号泣したのか、赤く染まっていたとの噂がある。

 枢木スザクはコーネリアと共にブリタニア本国に戻ることを黙して受け入れた。あれほど望んでいた日本の土を踏むことなく、枢木スザクはブリタニア本国へと帰国した。

 

 その日、エリア11と呼ばれた植民地は永遠に姿を消し、合衆国日本が生まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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20. このまま思い通りに行くと思っていたんだ、救いようのない馬鹿だった

 

 先ほどまで仕事をしていたのに、ここはどこだろう。

 ここ最近着っぱなしのゼロの衣装ではなく、ルルーシュは貴族の子弟が着るような華やかな服を身に纏っていた。しかも体がずいぶんと縮んでいる。10歳かそこらの幼子のように、手足は細くしなやかで、肌は水分豊富でもちもちとしていた。

 戸惑いながら周囲を見回すと、色とりどりの花が咲き乱れている。花畑のような景色は視界全てが鮮やかで、空気すら甘く感じられた。記憶にある光景だ。

 そうだ。ここはアリエスの離宮の、広大な庭だ。

 そう理解すると、ああ、これは夢かとルルーシュは一人頷いた。今の自分はもう17歳で、住んでいる場所は日本であり、こんなに豪奢な皇宮で暮らすような身分は既に失った。今のこの光景と幼い自身の体躯を説明するとすれば、夢か、リフレインによる幻覚作用でしかありえない。

 

 そして皇子として暮らしていた時期への望郷を寸分も抱いていないと自負しているルルーシュにとり、自身の最も幸せな過去を見せるというリフレインが自身をこの光景へと誘ったとは考え難かった。

 過去への羨望というより、単なる懐かしみから木造のベンチや噴水へ目を走らせる。よく6年近くも経っているというのに細やかに覚えていると自分のことながら感心する。

 

 当て所も無く、生命力豊かに生い茂っている花の隙間を縫うように歩いていると、きゃあきゃあという笑い声が聞こえた。目を向けると花畑の中をナナリーとユフィが走り回っていた。

 あまりに優しく、温かく、懐かしい光景にルルーシュは頬を緩めた。

 ルルーシュは自然と2人の方向へと足を向けた。草を踏むさくさくという感触が心地よい。

 だがあと数歩というところで背後から無遠慮に肩を掴まれて、無理やりに後ろを向かされた。

 気分が良いところに水を差されて苛立ちながら誰だと見上げると、肩を掴んでいたのは自分の騎士だった。

 

 顔は仏頂面で、眉間に深い皺が寄っている。決して醜男という訳ではない。むしろ鼻は高く、目元は鋭く、彫の深い顔立ちは全体的にバランスよく整っている。しかしこう厳めしい表情をするとマフィアのように見えてならない。

 その顔を見るなり苛立ちは吹き飛んだ。なんだかとても懐かしいような気がして、ルルーシュは胸を熱くした。どうしてだろう。ここはアリエスの離宮で、ここで暮らしている間ジェレミアと長いこと顔を合わせなかった期間なんて無かった筈なのに。

 

 ようやく見つけた、とルルーシュは眼に涙を浮かべてジェレミアに抱き着いた。

 しかし抱き返してくる腕は無く、ジェレミアはじっとルルーシュを見下ろしていた。

 

 その瞬間、ジェレミアの顔が歪んで溶け落ちた。

 

 驚いてルルーシュはジェレミアから離れた。

 長身の鍛えられた体は膨らみ、さらに巨大になる。碧色の少し癖のある髪が白髪に変わり、どんどん伸びてくるくると渦を巻き始めた。溶けてなくなった顔の下からは、巌のような無骨な顔が浮かんできた。

 

 シャルルの顔だ。老いながらも充実している巨躯を前に、小さなルルーシュは尻もちをついて後ずさった。

 

 シャルルは人間の可聴範囲の底を探るような低音を響かせた。

「やりおったなぁ、ルルーシュよ。しかしこれで終わりとでも思ったか」

 手がルルーシュに伸びてくる。

 その手はルルーシュを捕まえようとしたのか、頭を撫でようとしたのか定かではなかった。

 しかし幼いルルーシュはただ父が恐ろしくてたまらず、少しでも離れようと地面を這いずるように後退した。

 宙を切ることになった手のひらをじっと見据え、シャルルは寂しげに呟いた。

「王の力は人を孤独にする。お前もまた―――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 がばりと起き上がる。ルルーシュは全力疾走でもした後のように呼吸を荒く繰り返した。

 ここはどこかと焦りながら周囲を見回すと、1か月前に政庁に設置したゼロの執務室だった。大量の書類が机の周囲に整然と並べられ、圧死せんばかりに迫ってきている。 時計を見るともう夕暮れ時に差し掛かっていた。ルルーシュは顔を手で覆った。

 なんて夢だ。最悪だ。無造作に額に浮かんでいた汗を拭う。

 ジェレミアを探しに行きたい思いと、ナナリーに会いたいという願望と、ブリタニアへの復讐を終わらせようかという迷いが、仕事のストレスと化学反応を起こしてとんでもない夢になった。ここ最近で1番の悪夢だ。

 顔を覆うルルーシュにソファでごろ寝しているC.C.が欠伸交じりの声を出した。

「何をやっているんだお前は」

 また勝手に部屋に上がったのだろう、C.C.は呆れ顔だった。

「寝ながらにやにやしていたかと思えば、いきなり唸って飛び起きて。悪夢でも見たか?」

「……そんなところだ。俺はどのくらい寝ていた」

「30分ぐらいだな。すやすやとよく眠っていたよ」

「くそ、時間オーバーか。C.C.、暇なら中華連邦との交渉議題を再チェックしてくれ。あとインフラの予算もチェックを」

「ピザ2枚」

「好きにしろ」

 ルルーシュは視線を机の上に落とし、再び書類と格闘を始めた。

 C.C.はソファの上で書類をぺらぺらとめくる。重要書類がそこらに適当に積まれており、まさにここが日本の中心地点なのだということを無言で訴えていた。

 その書類の中心でせっせこせっせこ仕事をする、今や英雄である筈のゼロを前に、C.C.は嘆息とも溜息とも言い難い息を吐いた。

「……人間は4日で30分しか寝なくても生きていけるものなんだな、長い間生きているが初めて知ったよ」

 書類片手にもぐもぐとピザを食べながら、C.C.は眼の下に隈を作っているルルーシュに今度こそ溜息を吐いた。

 

 

 

 ゼロはつい1か月前に史上初めて神聖ブリタニア帝国から領地を奪還し、国としての名前を取り戻した英雄であった。

 世界で唯一ブリタニアを後退させた奪還者として、その勇名は世界中に轟いている。国籍、年齢、容姿不明のミステリアスな雰囲気も相まってゼロへの関心は否応なく高まり、その仮面の中身へありとあらゆる憶測が立てられた。憶測の多くは30代前半のアジア系の男性だろうという安直な結論に終わっていたが、中にはE.U.系の白人だとか、実はブリタニア人だとか、はたまた実はティーンエイジャーの女の子であるとか、勝手な憶測が蜘蛛の巣上を走っている。

 無論何の証拠も無く、噂は噂でしかないためルルーシュも放置してなるがままに任せていた。ゼロ本人が否定する価値もない、春先に降りる霜のような噂話だ。夏が来れば勝手に溶ける。

 それよりルルーシュには片付けなければならない案件が山のようにあった。文字通り、山のように。

 世界中から熱い視線を集めている英雄ゼロは現在瀕死の状態にあった。

 功績甚だしいゼロを瀕死まで追いやったのは戦争ではなく、その後に待っていた戦後処理である。

 

 戸籍管理に法律整備。国会の整備から不当な裁判のやり直し。ブリタニア人に奴隷同然の条件で雇われていた日本人の保護。民間企業への政治介入。食料配布とインフラの整備。合衆国日本となった後も日本に残ると決めたブリタニア人への対応に、今すぐ本国に帰りたいというブリタニア人への対応。そして戦争の余波で各地に湧き起こる暴力沙汰と殺傷騒ぎ。日本人に暴力を向けられるブリタニア人の保護。その他諸々。以下省略。

 それらのとんでもない仕事量は全てキョウト六家から押し付けられたものだった。

 

 日本をようやく奪還したというのに、彼らは日本再建のために足る人材を持っていなかったのだ。

 日本再建のため一時的に権力と、権力に付随する夥しい労働の預け先を求めた結果、皇神楽耶に猛烈にプッシュされたゼロに白羽の矢が立った。

 ルルーシュが嫌々ながらも白羽の矢を受け取ったのは、現在合衆国運営を担っている高貴な血を継ぐ日本の首脳陣が、恥も外聞も無く武装集団の司令官でしかないゼロへ取り縋ることを厭わない様子に絆された、という訳では無い。

 合衆国日本はルルーシュが企画し、ルルーシュが先頭に立って作り上げたものだ。言わば合衆国日本はルルーシュの作品だった。

 完成したから後は自分でなんとかしろ、と放り投げだすことを、ルルーシュの高いプライドは良しとしなかった。

 そのままゼロは一時的ながらも日本の最高権力者として采配を振るうこととなり、この1か月辣腕を振るいに振るっている。

 

 結果としてゼロの公平・迅速・適格な政治能力が明らかとなり、ただの軍略家ではなかったと更に名声が高まる状況とは裏腹に、ルルーシュは溜息が絶えなかった。

 ジェレミアを探しに行きたいのに、ゼロの仕事が邪魔をする。元々ジェレミアを殺された復讐とナナリーの身の安全のためにゼロとなったというのにこれでは本末転倒だ。

 状況が落ち着き次第藤堂と話し合ってゼロの仮面を誰かに譲り渡すべきなのかもしれない。

 それはゼロの正体が藤堂とカレンに知られた時から考えていたことだった。

 日本が取り戻された以上、近いうちにゼロはもう必要とされなくなる。日本以外のエリアはどうするのだと言われると耳が痛いが、元々黒の騎士団の構成員は日本人が殆どであった。大半の騎士団員の目標は日本奪還であり、日本が返ってきた今、他国のために命を賭して戦おうとする程に意気の高い者は少ない。

 

 そして何より、ルルーシュの目的はジェレミアの復讐とナナリーを守るためだった。

 しかしジェレミアは生きていた。そして合衆国日本の政治に携わる中でナナリーと自分、そしてジェレミアの戸籍を偽造することは簡単にできた。戸籍があれば身分が発覚する恐れは著しく減少するだろう。むしろゼロを続ける方が高リスクだ。

 

 何故これ以上戦う必要があるのだろうか。その質問に対する明確な答えを持たない以上、ルルーシュは戦端を開くつもりはなかった。

 無論ブリタニアへの怒りはまだ燻っている。だがそれよりも、穏やかな日々への希求の方が強い。

 

「………すぐに、というのは無理だろうが。しかし中央政府さえできればゼロは象徴としての英雄でしかなくなるだろう。そうなりさえすれば……」

 PC端末に通信が入る電子音に、思いに耽っていたルルーシュは顔を上げた。

 なんだと思いPC端末を開く。枢木スザクの名前が表示されていた。ゼロとしての端末ではなく、ルルーシュの端末にかかってきている。

 通信をONにすると画面に青白い顔をしたスザクが映った。酷い顔だ。無精ひげを生やし、顔には血の気が無い。眼はどことなく虚ろで時折宙に浮いていた。

 それも当然だろう。ルルーシュはスザクの心中を思うと、なんと言っていいのか分からなかった。

『ごめんこんな格好で。ルルーシュ、久しぶり』

「ああ……ユフィは見つかったか?」

『ううん。あちこちをコーネリア殿下と一緒に虱潰しに探しているけど、それらしい手がかりも無い』

 力なさげにスザクは首を振る。その返答にルルーシュも肩を落とした。

 

 ユーフェミアはブリタニア本国に帰還後、リ家に到着した直後に誘拐されていた。

 誘拐された現場を目撃していた者はいなかった。リ家の者、そして警備兵は一人残らず皆殺しにされており、血まみれの屋敷の中でユーフェミアの死体だけが発見されなかった。

 皇族に対してあまりに大胆不敵な犯行は、エリア11奪還と合わせて、ブリタニア皇族の大きすぎる失態として世界に知られた。

 コーネリアによる必死の捜索活動にも関わらず、1か月経った今でもユフィの居場所どころか誘拐犯の正体、誘拐した目的さえ未だ分かっていない。

 皇族の暗殺、誘拐未遂は日常茶飯事とはいえ、要求の1つもなくこうまで長期に渡る誘拐事件はブリタニアの歴史上初めてだった。

 

『ルルーシュ、そっちも』

「全世界中の反ブリタニア組織に探りを入れてはみたが、ユフィの誘拐に関わっていそうな組織は無かった。それに状況から見ると犯人はブリタニア側にいる可能性の方が高いだろう」

『コーネリア殿下もそう言ってたよ。世界中で皇族の誘拐なんてできる反ブリタニアの集団は黒の騎士団とE.U.ぐらいしかないし、もしこの2つが関わっているなら犯行声明なり要求なりとっくに出している筈だって』

「皇族はブリタニアの象徴だ。身柄を引き渡す代わりにエリア1つぐらい要求してきてもおかしくはない。今を以てしても動きがないということは、」

 もう殺されている可能性が高い、とはルルーシュは繋げられなかった。

 スザクの顔はあまりに悲痛だった。

『……言わなくても分かってる。でも僕は、』

「ああ、言わないさ……ジェレミアだって死んだと思っていたけど、生きていたんだ。ユフィだって生きているよ」

 スザクは一瞬目を輝かせ、しかしすぐに俯いた。

『うん。そうだね。そうだよね……ジェレミアさんについての手がかりはあったの?』

「何も」

 ふるふると首を振る。

 

 ブラックリベリオンの後、ルルーシュはジークフリートの信号を逆探知し行方を捜索した。しかし途中で信号が切れてしまい、ジェレミアの行く先は分からず仕舞いだった。

 その後もジークフリートのデヴァイサーについてブリタニア軍に探りを入れて調べてみたものの、全く情報が出てこない。ギアス教団の本体がどこにあるのか未だ分からないが、ブリタニア軍の奥深くまで根を張り巡らせていることだけは間違えようもなかった。

 

「でもまあ、生きていることは確認できたから。大丈夫だよ。あいつは頑丈だし」

『うん。そうだよね。見つかるよ、きっと』

「そうだな。ユフィも、きっと」

『――――ねえルルーシュ、ちょっとお願いがあるんだ』

「なんだ?」

『……学校に、これを渡しておいて欲しい』

 スザクは通信にファイルを乗せて送ってきた。

 端末の画面に開く。

 そうだろうな、と思っていたが、実際に見ると物悲しくなる。

 ファイルは、スザクの名前が入った退学届けだった。ルルーシュは一瞬目をつむり、ファイルをプリントアウトした。

「自主退学するのか」

『うん。もう学校に行く余裕は、無いと思うから』

 無理に笑みを浮かべて、スザクはいいんだ、と言葉を続けた。

『本当に楽しかった。ナンバーズの僕が普通に学校生活を送ることができるなんて思ってもみなかったよ。学校は賑やかで、優しくて、平和で――――でも、もう十分だよ………生徒会の皆に、迷惑ばっかりかけてごめんって言っておいて欲しい』

「何を言っているんだ。退学しなくても休学扱いにしておけば、」

『いや、もういいんだ』

 スザクは手を握り締めた。

 

 ユフィの騎士になって嫌という程に味わった無力感は、スザクの体に滓のように燻っていた。

 自分にもっと力があれば、と思う回数のなんと多い事か。

 学校に悠長に行く暇があるのなら政治の勉強をするべきだった。考えが甘かったのだ。その考えの甘さが行政特区日本の失敗を招き、ユフィの誘拐という事態に繋がってしまった。

 

『僕の手はルルーシュみたいに大きくない。一番大事なものを掴んでいるだけで精一杯なんだよ。僕はユフィの騎士だ。これからはもう、二度とユフィの手は離さない』

「……スザク、」

 スザクは疲れた顔をしながらも、瞳を苛烈に光らせてルルーシュを見据えた。

『ルルーシュ、僕はユフィを皇帝にする。確かに理想論ばっかりの、お飾りの皇帝になるかもしれない。でもそれでもいいんだ。実務は、』

「ユフィとゼロが選んだ政治家がやる。そしていずれは選挙制度を作る。同時に皇帝の形骸化……悪くないシナリオだが、やはり理想論だ。そもそもユフィを皇帝にするという時点で問題があり過ぎる。皇族を皆殺しにしたとして、ユフィが素直に血塗れの玉座に座る女だと思うか?」

『でも、』

「それに、」

 プリントアウトされた退学届けにルルーシュは目を落した。

「全てはユフィが戻って来てからだ。そうだろう?」

『……うん。そうだね』

 これ以上の問答は無意味だと悟ったのだろう、スザクはそれ以上に言葉を続けることを止めた。

 その代わりにスザクは先日シュナイゼルから任ぜられた仕事のことを口にした。

『そういえばルルーシュ、合衆国日本の国家承認のために明後日中華連邦に行くんだよね。もう知ってるだろうけど、僕もシュナイゼル殿下の護衛として行くんだ』

「ああ、知ってるよ」

 ルルーシュは苦み交じりの笑みを浮かべながら首を捻った。

 

 主権、領土、国民が揃おうとも国家としてすぐに認められるわけではない。国際的に国家としての権利を得るためには他国の承認を必要とする。

 他国とはつまり、神聖ブリタニア帝国、ユーロピア共和国連合、そして中華連邦のことだ。この世界には他にも多くの国々があるものの、3つの大国の顔色を窺う小国ばかりである。この3つの大国に認められれば国家としての地位を得たも同然であった。

 そして3つとは言わず、2つに認められればそれなりに国家としての体裁は整う。

 

 E.U.からは既に合衆国日本設立の承認を得ていた。「東の果てに合衆国日本という国らしきものができたらしい」というぼかした言い方であったが、ブリタニアへ媚び諂っているE.U.の現状を鑑みればこれが限界だろう。

 

 そして中華連邦から承認を貰う為に、ゼロは明後日中華連邦に向かう。中華連邦以外にも多くの小国から使者が出向き、合衆国日本の承認を同時に行う予定だった。

 無論のことルルーシュはブリタニアにも招待状を出した。合衆国日本の承認などする筈も無いだろうが、外交上の礼儀というものがある。来ないだろうし、来ても外交官が数名だろうと予想していた。

 しかし何故かシュナイゼル本人が式典への参加を表明してしまった。

 

 意味が分からない。多忙を極めているシュナイゼルが、承認などする気も無いだろう合衆国日本と中華連邦の会合のために何故時間を作るのか。

 護衛にスザクを連れてくる意味も分からない。ユフィの死が確認されていない以上、スザクはまだユーフェミアの騎士だ。選任騎士を持たないとはいえシュナイゼルほどの権力者が、他者の騎士を護衛役に連れてくる理由は無い。

 シュナイゼルの意図が読めず、今を以てしてもルルーシュは頭を悩ませていた。

 

「どうしてお前が護衛に選ばれたんだか。シュナイゼルの選任騎士候補は山ほどいるだろうに」

『分かんないけど、特派の代表として来て欲しいって言われて……僕も中華連邦地方の捜索がしたかったから。それにルルーシュに会えるのは嬉しいよ』

「俺も嬉しいさ。まあ、せめてその無精ひげは剃っておけよ」

 手で顎を指し示すとスザクは苦笑いを零した。

『そうだね。恥ずかしいな、君に会うのにこんな格好だなんて』

「無茶をし過ぎるなよスザク。お前が倒れたらユフィも悲しむ」

『……大丈夫だよ。僕はそんなに簡単に倒れる程軟弱じゃない。じゃあルルーシュ、また明後日ね』

「ああ」

 通信が切れると同時に、ルルーシュはスザクの退学届けを手に部屋を出た。C.C.はひらひらとルルーシュの背中に向けて手を振った。

 

 

 

■  ■  ■ 

 

 

 

「ルルーシュ、家に帰るの?」

「カレンか」

 ゼロの服を着替えて私服になったルルーシュを見つけ、カレンは小走りに近寄った。

 合衆国日本となった現在でも政庁でブリタニア人を見かけることは珍しくない。

 エリア11であった時代に移住してきた大勢のブリタニア人の処遇を決めるため、多くのブリタニア人が日々入れ代わり立ち代わり登庁している。

 ルルーシュもその内の1人だと思われているのだろう、声をかけられることもなく悠々と政庁から外に出ようとしていた。

「ああ。スザクからこれを預かってな」

 ひらひらと退学届けを見せる。カレンは安堵したような悲しいような複雑な顔をしたまま目を落とした。

「そう……まあ、そうよね。もう本国に帰っちゃったんだし」

「分かってはいたが、残念だ。生徒会も寂しくなる」

 懐に退学届けを戻したルルーシュについてカレンも歩き出した。

「そうね。私たちも3年生になるし、ミレイ会長はもうあと数日で卒業しちゃうのよね」

「そう言えば会長の進路について聞いたか?」

 え、とカレンはルルーシュを見上げた。

「そういえば聞いてないわ。どこぞの貴族と縁談を組まされたって噂は聞いたけど」

「ロイド・アスプルンド伯爵と婚約していたが、破棄したそうだ。ニュースキャスターになるらしい」

「………あー、なんだか納得。美人だし、しっかりしてるし、声もすごく通ってるし」

「生徒会から何かお祝いでも送ろうかと思っているんだ。まだリヴァルとニーナとシャーリーには話していないんだが」

「いいわね。あんまり時間が無いから何を送るかすぐに決めないと」

 ルルーシュの隣を歩き、政庁のエントランスを抜ける。

 戦争を終え、合衆国日本となった国でクラスメートとしてルルーシュと何気ない会話をしていることがカレンには不思議でならなかった。

 

 ルルーシュがゼロと知りカレンは酷く困惑した。戦争の終わった今でもカレンは困惑を引きずっている。ゼロに強い敬意を抱き、神聖視さえしていた分、動揺は大きかった。

 しかしこうして日本が戻ってくると、ゼロが嘘をついていた事実は些末な事だったのではないかと思う。

 ルルーシュが嘘をついて自分たちを騙したからこそ、こうして日本が戻ってきたのだ。そう思うとルルーシュをカレンは許すことができた。

 

 いや、許す、なんていう上から目線な態度こそが間違っていたのだろう。結局自分たちはゼロの言う通りにしてきただけだ。それなのに文句を言うなんて、お門違いではないか。

 ゼロは人間で、自分と同い年の少女だ。

 それなのにゼロは誰の助けもなく、全ての責任を背負い、道筋を照らしてくれた。

 戦争の真っ最中にジェレミアという男を前にして混乱を来し、ゼロとしての役目を放棄しそうになったルルーシュを目の当たりにして、カレンはようやくゼロが他者の助けを必要とする人間であると知った。

 今から思えばそれは当然のことなのだが、ゼロがあまりに完璧だったせいで、カレンはゼロが人間であるということを忘れていたのだ。騎士としてあるまじき失態だった。

 騎士は主君の言うとおりにするだけではなく、主君の間違いを諫めるためにも存在するというのに。

 大失敗した行政特区日本を諫めることのなかったスザクと同じ轍を踏もうとしていたと思うと、カレンは今更に身震いした。

 

 政庁から出ると戦争の傷跡が未だ生々しいトウキョウが目の前に広がる。しかし道を歩く人々の顔は明るい。問題は山積みだが、一応の活路が見えた影響は計り知れなかった。

 壊れた街並みを多くの人々が直そうと奔走している。それは1か月前の戦争だけではなく、5年前の戦争の跡地も同じように復興の兆しを見せていた。

「ねえルルーシュ、ブリタニア人にも合衆国日本の国籍を与えたのは何故?」

 学校に向かって歩く道の上で、ふとカレンはルルーシュに聞いた。

 合衆国日本を造るにあたり、ゼロは1つのことを宣言していた。合衆国日本の国民はこの日本の土壌に住まう全ての人々であり、いかなる差別も許容しないと。

 人種に拘らないその定義はブリタニア人も日本人の括りに内包しており、手続きを煩雑化させていた。

「二重国籍になったら管理が面倒なんじゃないの?ブリタニアに帰国するブリタニア人はわざわざ合衆国日本の国籍を捨てなきゃならないし、それに犯罪者が国籍を不当に得ることにもなるしれないのに」

「今の合衆国日本を構成している人種は日本人と、多くのブリタニア人だ」

 ルルーシュは、トウキョウ租界の外縁部を崩壊させた時の影響だろう、ひび割れた地面の上で走り回って遊ぶ子供達に目を向けた。ブリタニア人と、日本人の子供達だ。

 

 子供に差別的感情はないというのは嘘だ。大人よりも、むしろ子供の方が差別に対しては敏感と言える。眼や髪、肌の色の違い、育ちの違い、言語の違い。そういった目につきやすい違いは子供にとりあまりに大きい。

 しかし子供たちは人種の違いを気にせずはしゃぎ回っている。

 

「合衆国日本に住んでいるブリタニア人の大半は、仕事や住居の関係もありすぐに本国に帰ることが出来ない者が多い。それに今すぐに全てのブリタニア人に退去されては労働力が減って合衆国日本も困る。国籍を取得させて引き留める必要があるんだ。それに、」

「それに?」

「……俺とナナリーと、あとジェレミアの国籍がこれで手に入れられた」

 子供達はきゃあきゃあと笑い声を上げながら走って行った。

 崩壊した街並みとじゃれるように駆けていく。髪の色より目の色より、戦争後の埃臭い、しかし胸が躍るような非日常の空間の方がよっぽど子供達にとっては重要らしい。

「結局は俺自身のためさ――――カレン、俺は近々ゼロを辞めることになるだろう。藤堂に知られたから、というだけではない。俺の目的のために、ゼロという肩書は邪魔になるからだ」

 カレンは予想していたとばかりに微笑んだ。

「ええ。分かっているわ」

「………俺にはゼロとしての責任があるんじゃないのか?」

「日本は返って来たもの。それにすぐ辞めるって訳じゃないんでしょ?」

「ああ。政府が設立され、合衆国日本がゼロの助けなしに国として確立するまでは続けるつもりだ」

「ならいいのよ。そこで十分責任は果たしたことになるもの」

 ルルーシュの隣を歩き、カレンは息を吐いた。

 

 こうして一緒に歩くことができるのも高校を卒業するまでだろう。

 ゼロを辞めたらルルーシュは大学に行くに違いない。進学先はE.U.か、それとも中華連邦か。

 いずれにせよ彼女が未だまともに大学が整備されていない合衆国日本に留まる器ではないことは分かる。

 あと1年先には訪れる未来だ。寂しい。しかしルルーシュを止める術をカレンは知らなかった。

 

「……ねえ、ルルーシュ」

「なんだ?」

「その、ジェレミアさんって、ルルーシュの大事な人なの?」

「――――うん」

 恥ずかし気にルルーシュは目を伏せた。照れる、というルルーシュの初めて見る表情にカレンは瞠目した。

 人間離れした美貌を持つルルーシュはひやりとする空気を含有した皮肉気な表情をすることが多い。だが今の笑みはひたすらに温かだった。氷の彫刻が命を得て動いたような感動をカレンは感じた。

「俺の騎士だ。ブリタニアにいた頃からの腐れ縁で、もう家族みたいなものさ」

「へえ。どんな人なの?」

「そうだな……優秀な奴だよ。戦闘能力だけじゃなくて、事務面でも優れていた。真面目で、でも融通が利かないっていう訳じゃなくて、それなりに思考に柔軟性はある。でも思い込みが激しいかな。それに年齢の割に落ち着きが無くて、心配性で、ちょっと夜間に外出したらすぐ電話をかけてくる」

「信頼してるのね」

「どうしてそう思うんだ?」

「だってルルーシュ、笑ってるもの」

 指で顔を差されて、ルルーシュは無意識の内に自分が微笑んでいることに気づいた。

 気まずげにルルーシュは頭を掻いて顔を逸らした。

「あいつのことを喋るのは、カレンが初めてだ」

「――――そう、ねえ、ルルーシュ」

「なんだ?」

「その、他に騎士を持つ気は無いの?」

 ルルーシュの服の裾をカレンは握った。

 

 カレンはその指先に、心臓が止まりそうなほどに振り絞った勇気を乗せた。

 服を引っ張る指は白くなるほど強張っていたが、しかし少し振り解けばすぐに離れるほどに弱弱しかった。

 何もルルーシュに知られてはならなかったからだ。

 自身の思いも、覚悟も、ルルーシュの足枷にしかならないだろう。好きな人の、そして主君の足を引っ張ってでも、と思う程にカレンは強欲にはなれなかった。

 軽い口調で、何ともなさげにカレンは微笑んだ。

 

「大学に行くにしても仕事をするにしても、きっと忙しくなるでしょ?たくさん部下がいたゼロを辞めて、部下がたった1人になるなんて大変なんじゃない?護衛だって多い方が良いだろうし、」

「そうかもしれないが……カレン、実はな」

 ルルーシュはカレンに向かって微笑んだ。

 

 綺麗な笑みだった。もしかするとこの瞬間に、初めてカレンはルルーシュの素顔を見たのかもしれなかった。

 17歳らしい飾り気のない笑みは、これまで見たどんなものよりも美しかった。そしてこれから先の人生で、これほどに美しいものを見ることも無いだろうとカレンは確信した。

 天使のような壮麗さと世慣れぬ少女のようなあどけなさが混ざり合って、ルルーシュの笑みは紫水晶でできた宝石彫刻のようだった。その笑みにカレンはこれまでの自分が何も間違っていなかったと確信した。

 この笑顔を見ることができたのだから、ここに至るまでの道はきっと間違っていなかったのだ。お兄ちゃんの敵を討とうとテロリストになったことも、ゼロを信じたことも、KMFに乗って敵兵を沢山殺したことも。

 カレンは自分の全てがその笑み一つで肯定されたような気がした。

 

「俺はジェレミアを見つけたら、E.U.に移ろうかと思っているんだ」

「E.U.に?」

 ルルーシュはこくんと頷く。

「世界で最も義足の開発が進んでいるのはE.U.だから。それに心理療法もE.U.なら世界最先端の治療が受けられる。E.U.ならブリタニアの手も届かないだろうから、他の騎士を持つ必要もないだろう」

 

 ああ、自分が好きになった人はこんな人なんだ。

 カレンは誇らしい思いがした。妹のためにここまでできる、捻くれているけれど心優しい人なんだ。

 気付かれないように目を擦る。

 自分はルルーシュについて行くことはできない。黒の騎士団のエースとして、生まれたばかりの弱弱しい赤子である合衆国日本を守るためにこの国で生きていくことになるだろう。 

 ゼロの残したものを護るために、戦い続ける。終わることのない初恋を胸に。

 

「性質が悪いのに惚れたのね、私も」

「どうした?」

「何でも」

 カレンは首を振った。

 いつか自分が、この人以外を好きになることがあるのだろうか。難しいような気がした。初恋の思い出のハードルが凄まじく高すぎる。

 いずれジェレミアという騎士に出会うことがあったら力いっぱい殴らせて貰おうとカレンは心に決めた。

 

 

 

■ ■ ■

 

 

 

 久しぶりに登校した学校は、生徒の数が4分の3まで減っていた。

 これから先はもっと減るだろう。ルルーシュが職員室へスザクの退学届けを出しに行った時、同じように退学届けを手にした生徒が数名見られた。

 

 退学届けを出した後に生徒会室に向かうと、カレンとシャーリーが雑務をこなしていた。

 奥ゆかしい令嬢としてではなく、ゼロの前にいる時と同じような髪型でカレンはシャーリーと並んで座っている。

 もう少しで卒業式だ。名物生徒会長のミレイが卒業するとあって、イベントが盛り込まれた卒業式になることは想像に難くない。その分去年と比較すると仕事は多いだろうが、ゼロとしての仕事量を思えば鼻で笑える少なさだった。

 ルルーシュの姿を認めるなり、シャーリーは紙束を差し出した。

「ルル、これが卒業式プログラムの草案だって」

「ありがとうシャーリー。会長とリヴァルと、あとニーナは?」

「リヴァルは、会長が卒業する前に告白してくるー!って」

「………本気か?」

「多分。玉砕しなきゃいいけど」

「玉砕しそうね」

 カレンの辛辣な意見にルルーシュは内心で同意しながら、友人の儚い恋に早くも黙祷を捧げた。

「それでニーナは?もう授業も終わってるだろうに」

 シャーリーは小柄な同級生がいつも座っている席に目を向け、寂しげに肩を落とした。

「ニーナは、本国に帰るんだって」

「……そうか。寂しくなるが、しょうがないな」

 

 エリア11が合衆国日本の名を取り戻したことで、多くのブリタニア人が次々に本国へと帰国し始めている。これまで散々にイレブンを差別したという自覚がある分、ブリタニア人の行動は早かった。

 合衆国日本の国籍返還手続きは毎日長蛇の列を作り、ブリタニア行きの飛行機は予約で全て埋まっている。

 予想していたために驚きはしない。だがこうして生徒会のメンバーまでいなくなる現実を見ると、スザクが退学届けを出した時と同じ寂しさが湧いてきた。

 

「ニーナはシュナイゼル殿下の科学研究所に誘われていたから、それもあったのかもね」

「そうだったのか?」

「そうよ。ウランか何かを使った研究が認められたって」

「ニーナってそんなに凄かったの?」

「あんまり目立たないけど、ニーナは本当に天才なのよ。ユーフェミア殿下から直々に賞を貰ったこともあって、ルルだって物理学だとニーナには敵わないって言ってたでしょ?」

「ああ。科学分野におけるニーナの発想力には敵わないよ」

「ルルーシュがそう言うなんて、相当ね」

 皇族直々に賞を貰うというのも凄い事なのだろうが、それ以上にカレンはルルーシュが素直に負けを認めたことに驚いた。

 ゼロの発想力は尋常ではない。そのゼロをして敵わないと言わせるのだから、ニーナは正真正銘の天才なのだろう。

 ふとカレンが顔を上げると、シャーリーがじっとカレンを見ていた。

「カレン……ルルーシュとなんだか仲良くなった?」

「え?」

「だって。なんだか2人の雰囲気が前と違うから」

「そ、それは。もう黒の騎士団っていうことを、隠さなくてもいいから……」

「それだけ?」

「そ、それだけよ」

 しどろもどろになるカレンを庇うようにルルーシュは微笑した。

「一緒にこの前買い物に行ったんだよ。ジェレミアの快気祝いに、何を買ったらいいのか分からなくて」

 ルルーシュの流れるような嘘にカレンは一瞬混乱の表情を浮かべたものの、すぐにこくこくと頭を上下に振った。流石に嘘が上手い。ゼロを辞めたら女優にでもなったらいいんじゃないだろうか。

 ルルーシュの嘘をシャーリーは疑問に思うことも無く、表情を明るくした。

「ジェレミアさん治ったの?」

「退院はまだらしいけれど、大分回復してきたらしい。快気祝いに何か送ろうと思ったんだけど何が良いのか分からなくて。カレンに協力して貰ったんだ」

「良かったね。ジェレミアさんが治ってナナちゃんも喜んだでしょ?」

「ああ。まだ帰ってくるのは先になりそうだがな。それでカレンと話したんだが、会長にも卒業プレゼントを渡してみないか?」

「いいね!みんなで割り勘すれば結構良い物買えそう!」

「候補はもうリストアップしてあるんだ。リヴァルが帰ってきてから選ぼうか」

「じゃあそれまでに仕事を終わらせなきゃね。ルル、卒業式に必要な備品を見に行こうよ」

「分かった。カレン、こっちの書類を頼んでいいか?」

「任せて」

 ルルーシュは立ち上がり、シャーリーと共に生徒会室を出た。

 

 

 黒の騎士団に一時的に占拠されていたが生徒には被害は無く、建物も破壊されず、アッシュフォード学園は戦争前と同じ様相を保っていた。

 ルルーシュはシャーリーと共にキャンパスを横切り、講義室の横に備え付けてある倉庫へと向かう。

「スザク君がいなくなって、ニーナもいなくなって、会長も卒業して。寂しくなるね」

「でも新しい生徒会メンバーが入ってくるだろう。またすぐに賑やかになるさ」

「うん……男子が入ってこないと、バランスがちょっと悪くなるかもね」

「男子がリヴァルだけだからな」

「ね。力仕事できる人が欲しいな」

 倉庫に入り、備品をチェックしていく。手慣れた手つきでルルーシュとシャーリーは作業を進めていった。

 単純作業の中で、シャーリーはふと頭に浮かんだことを口に出した。

「ねえルル。彼氏できた?」

 いきなりの言葉にルルーシュはきょとんと眼を見開いて、いや、と返事を返した。

「別にいないが。どうしてそう思ったんだ?」

「なんだか雰囲気変わったから。ちょっと前まですごいキリキリしてたけど、今はなんだか安心してるっていうか。柔らかくなった感じがするから」

「――――そうかもな」

「好きな人でもできたの?」

 何故か心配そうな顔をしたシャーリーがルルーシュの顔を覗き込む。

 

 年頃の少女というものは、何事も恋愛に変換する体質でもあるのだろうか。

 そういった短絡的な面も少女という生物の可愛らしい所なのかもしれないが、自分が所謂女子トークをするに相応しい人物ではないという自覚はある。シャーリーが楽しめそうな女子同士の会話の応酬は自分にはできないだろう。

 

 ルルーシュは苦笑を滲ませて首を振った。

「いや。ジェレミアが快方に向かっているし、それに戦争も終わったから安心したんだよ。好きな人ができたとか、そういうことじゃない」

「……ねえルル」

「何だ?」

「カレンちゃんが好きなの?」

 ルルーシュはぱちくりと瞬きして、首を捻った。

「カレンは女だろう?」

「うん。でもルルって男の子みたいなところがあるから」

「カレンは友達だよ。友達としては好きだけど、それ以外の好意は無い」

「そう………ねえルルーシュ」

 シャーリーはルルーシュへ向き直り、両手を胸の前で組んだ。

 祈るような仕草を可愛らしい容姿のシャーリーがすると、どこか儚げに見えた。罪の告解でもするかのように両手を強く握りしめている。

 唇を震わせながら、シャーリーは声を絞り出した。

 

「私、本国に帰ることになったの」

 

 目を一瞬大きく見開き、ルルーシュはしかしすぐに表情を戻して小さく頷いた。

 エリア11が合衆国日本となった以上、成田連山の地質学を研究していたシャーリーの父がこれ以上この地に留まる必要は無い。合衆国日本の成田連山にサクラダイトがあろうとなかろうと、ブリタニアにとってはもうどうでもよい事だ。

「そうか」

「それだけ?」

「……寂しくなるな」

「―――それだけ?」

「また会えるさ。別に死ぬわけじゃない」

「でももう、こんなに簡単に会えなくなるのよ?あの生徒会室で、みんなで集まることも無くなるのに」

「でもまた会おうと思えば会える。みんなちゃんと生きているんだから。ずっと一緒にはいられないけど、でもまた会えるのならそんなに悲しい事じゃない。大丈夫だよ、シャーリー。またみんなで集まれるさ。その時は花火をしよう。会長がやりたいって言っていたし、」

 

 シャーリーはそれ以上の言葉をルルーシュが言う前に、細い体に抱き着いた。

「シャーリー?」

 戸惑うルルーシュを気にせず、力いっぱい抱き着く。

 身長は高いけど、やっぱり女の子だ。ウエストは細くて、胸だって小さいけどちゃんとある。手足は自分よりも細いかもしれない。

 

 ルルーシュの容姿は毎日顔を合わせる度に綺麗になり、今では神様が氷で作った彫刻が動いているようだとさえ思う程だった。女性らしい柔らかい美と、男性のような硬質の美が完璧に噛み合わさって、半神のような超絶した美を体現している。

 しかしその繊細な容姿を裏切るようにルルーシュはひねくれ者で、神経は非常に図太い。素行も良いとは言えなくて、学校だってしょっちゅうサボる。

 ルルーシュは欠点の多い人間だった。

 シャーリーはそんなルルーシュに恋をしていた。初恋だった。

 ルルーシュが一体何をしているのかぼんやりと理解していても、それでも好きだった。

 絶対に叶うことは無いだろうと分かっていて、だからこそいつか思い出話にするために。いつか何でも話し合えるような親友になるために、シャーリーは初恋に区切りをつけようと勇気を振り絞った。

 

「私、ルルーシュが好き。友達としてじゃなくて、ずっと一緒に生きていきたいっていう意味で、好き」

「……シャーリー」

「女の子って分かってる。でもそんなことどうでもいいぐらいに好きなの。大好きなの。ルルが大事だから、私はあなたの力になりたいの。ルルがやりたいことの手助けをしたいし、ルルのことを守りたいの」

 

 シャーリーは耳元で友情が崩れていく音が聞こえた。

 しかし後悔は無かった。これから先に後悔する時が来るのかもしれないけれど、今この瞬間に後悔が無いのならばそれでいいのではないかと思った。

 一度しかない初恋なのに、ぶつからなくてどうするんだ。

 馬鹿なことだと分かっている。何もない振りをして、友達として傍にいる方が利口な選択なのだろう。

 だからシャーリーは告白したのだった。

 賢い大人になる前の今でしか、こんな馬鹿なことはできなかっただろうから。

 

「お願いルルーシュ、誤魔化さないで。イエスでも、ノーでもいいから。応えて」

 自分に抱き着いて震えるシャーリーの頭を撫でて、ルルーシュは小さく微笑んだ。

 自分はどれだけ鈍感なのかと呆れる思いだった。精神の半分は男だなどと、よく言えたものだ。

 ルルーシュは小さな子供に言い聞かせるように柔らかな声を出した。

「シャーリー、俺は君が可愛いと思う。性格も真面目で明るくて、芯が強くて勇敢で。とても素敵な女性だと思う」

「うん」

「部活動を一生懸命に頑張っていることも知っているし、生徒会でも雑務を一手に引き受けてくれていてとても助かっている」

「…うん」

「君は俺の安寧の象徴だった。シャーリーがいる学園に帰るといつも安心できた。君がいる生徒会はとても居心地が良くて、楽しかった。でもな、シャーリー」

「……うん」

「すまない」

「分かった」

 シャーリーは背伸びをしてルルーシュにキスをした。唇の表面が触れる程度の、子供のお遊びにも劣るキスだった。

 

 一瞬戸惑ったものの、ルルーシュは黙ってシャーリーの唇を受けとめた。だが自分から求めることは無かった。

 そのことに気が付いてシャーリーは涙を零した。

 恋が砕け、崩れた友情に降り注ぐ音が耳元で反響する。

 体を離してシャーリーはルルーシュに向き直った。ルルーシュは慈母のような優しい笑みを浮かべていた。

 その顔に、きっとルルーシュが自分を好きになることはありえないのだろうとシャーリーは悟った。

 自分はルルーシュの守るべき対象なんだ。ルルーシュが他人との間に築いている壁の高さを考えると、それは喜ぶべきことなのだろう。しかしそれ以上に悔しさがあった。

 カレンはルルーシュと一緒に戦っている。しかし自分はここにいる。そしてルルーシュの背中を遠くから見つめることしかできない。

 そうしていつかその背中も見えなくなって、自分はルルーシュとは違う道を歩くのだろう。

 いつかの未来でルルーシュと道が交わった時、自分は笑っていられるだろうか。

 シャーリーは目を伏せて、明るい笑顔を浮かべられる良い女になりたいと願った。

 

「――――ルルーシュ、私、あなたを好きになってよかったわ」

「ありがとう。俺も君と友達になれてよかった」

「これからもまだ友達でいてくれる?」

「勿論だよ。ずっと友達さ」

 シャーリーは、その言葉が嘘でないことを願いながら微笑みを零した。

 

 

 

 



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21. 感情が戻ったというより、キャラが別人に変化したというか、

 

 

 

 

 

 

 中華連邦、朱禁城。

 普段は人の出入りを禁じているこの城に、今は多くの国からの使者が殺到していた。

 巨大な式典会場に多くの人が整列して着席しておりながら、耳鳴りがする程の静けさが保たれていた。衆人の視線を一身に浴びながら、幼過ぎる天子がおずおずとマイクの前に立っている。

 ゼロは天子の隣に立ち各国からの使者を睥睨していた。長身に常と同じ黒一色の衣装を身に纏うゼロは立ち姿だけで威圧感を放ち英雄としての存在感をカメラ越しに全世界へと晒している。

 最も雛壇に近い位置にはシュナイゼルが座っていた。

 

 ゼロの視線を受けてシュナイゼルはにっこりと微笑んだ。水晶で彫られた仮面のような透明感のある美しい微笑みに、しかしルルーシュは生臭い嘘しか感じず肌を泡立たせた。無理やりに視線をその隣に立つスザクへと逸らす。

 スザクは通信画面越しに見たときより顔色に血の気が戻ってきてはいるもののやはり疲労が色濃く全身を覆い尽くしており、表情は優れない。スザクはゼロの視線に気づいて口元を歪めるように小さく笑みを浮かべた。

 

「本日は遠い国々から集まって下さりありがとうございます。中華連邦を代表してお礼を申し上げます」

 膝を僅かに折り天子は深々とお辞儀をした。煌びやかな装いは幼い天子を覆い尽くすようであり、アルビノ特有の白い髪と赤い瞳が布の中で光っていた。

 カメラ映えする容姿に会場の隅でディートハルトが隠し切れない笑みを浮かべながらカメラを構えている姿が見えた。この光景も全世界同時中継されているのだろう。幼い声が会場に響く。

「この度の合衆国日本の独立は我々中華連邦の民にとっては驚きのことでした。圧倒的な力を持つブリタニアに勝利し、弱肉強食というブリタニアの国是に真っ向から異議を唱える勇気ある行動は、ブリタニアの脅威を肌身で感じる立場にある我々にとって身を省みる好機ともなりました」

 一旦言葉を置く。幼い声で国政のことを喋る姿はあまりにも違和感があった。

 えっと、と言葉に詰まる天子に、背後に立つ黎星刻が微笑んで頷く。天子は眼を瞑り、大きく見開いた。

「我々は戦ってはきませんでした。戦わずに、嵐が過ぎ去るのを待っていた。それが愚かだったとは思いません。しかしそれで何が解決したのでしょう。奪い取られ、そして残ったのは飢える民だけでした。わ、私は、」

 躊躇いながら天子は宣言する。

 ここは朱禁城だが天子を諫める大宦官の手はもう天子には伸びてこない。

「私はこの朱禁城から出たことはありませんでした。だから、城の外は明るくて、豊かだと思っていました。情けないです。飢える民に、痩せた大地。私はそれを想像すらしていませんでした。戦わなくてはいけないと今は思います。このまま待って、いつまで待てるのでしょう。飢える民が増え、枯れた大地が広がるばかりだとようやく私は知りました」

 両手を握り締めて天子は高らかに宣言した。

「私、蒋麗華は、中華連邦を代表する天子として、そして日本の友として、合衆国日本を承認します!」

 途端に轟音のような拍手が鳴り響いた。その場にいた人々は総立ちになり歓声を上げる。

 しかし大歓声の中でも声を上げず口を噤んだままの者も見受けられた。天子のすぐ後ろ、雛壇の上で一塊となって色味の無い顔に女性らしい柔らかい曲線を混じらせている。宦官だろう。

 ゼロは深く頭を下げて天子と握手を交わした。

「ゼロ、これからも中華連邦となかよくしてくださいね」

「勿論です天子様」

 仮面の下でルルーシュは天子の背後に立つ大宦官たちに眼を細めた。

 揃って忌々し気にゼロを見ている。オデュッセウスと天子との婚約が合衆国日本の騒動で立ち消えになったことを根に持っていることがありありと目に取れた。

 しかし問題ない。小さくほくそ笑む。天子の護衛として傍に立つ黎星刻に向けてゼロは手を差し出した。

「黎武官、貴君にも礼を言いたい。貴君の働きが無ければこの日は訪れなかっただろう」

「私は何もしていない。全ては黒の騎士団の成果によるものだ」

 星刻は優れた細面に硬質な笑みを浮かべてゼロの手を握った。

 

 星刻が天子とゼロの橋渡しを行ったのは確かだ。

 その引き換えとしてゼロには大宦官の処分に協力してもらった。収賄、脅迫、殺人等々捜せば幾らでも犯罪の証拠がある。ゼロの名の下で中華連邦全域に彼らの罪を白日の下に晒し、そのまま表舞台から失墜させた。

 後ろ暗い取引をわざわざ口に出すことは無い。黎星刻は黙って天子の背後に立つ宦官共を睨みつけた。

 このまま大人しく退職するなら結構。しかししぶとくも権力にしがみつくというなら―――

 星刻はゼロを見やった。

「これからもよろしく頼む。ゼロ」

「勿論だ黎武官」

 

 

 

 

 式典の後にはパーティーがあるものと決まっている。

 開きたいとか開きたくないとかいう問題ではなく、開かなくてはならないのだ。それを金と時間の無駄と感じる者もいるだろう。それも事実の一端だろうとルルーシュは思う。

 だが大体において権力者ばかりを集めたパーティーというのは祝賀会というより薄暗い親睦会としての意味合いが強い。無駄に金と手間と時間をかける華やかなパーティーは後ろ暗さを覆い隠すために必要なものであった。

 

 ゼロの恰好をしたルルーシュはひっきりなしに話しかけてくる要人と内容があるような無いような会話を続けていた。相手にしてみればゼロと話すという事実のみでそれなりに箔がつくとでも思っているのか、隙あらば声をかけてくる。

 とはいえほとんどの人間がゼロの喋る事に相槌を打つばかりであり会話が楽しくもなんともない。ゼロの機嫌を損ねないように最大限の注意を払っているのだろうが、首振り人形のようにかくかくと縦にばかり動かすのもいかがなものなのだろうか。こちらの言っていることを理解しているのかすら怪しい。

 

 幾つかの資金援助を得る算段を付けた後にそろそろ一息つこうとルルーシュは壁際に逃げ込んだ。

 なにしろ肩に銃撃を受けて輸血されてからまだ1か月だ。痛みは鎮痛剤で抑えているものの体力はまだ回復しきっていない。ふらふらとした足取りを見られないよう照明が当たらない隅へと移る。護衛役のカレンもゼロと共に壁際へと移った。

「大丈夫ですか?」

「なんとかな。全く、仮面のせいで水も飲めないのが不便だ」

「改造しましょうよ。口のところが開く感じに、こう、ぱかっと」

「格好悪いにも程があるだろう」

「脱水になるよりましでしょう。濡れタオルでも持ってきましょうか」

「いや、いい。近いうちに抜けるさ。そろそろ鎮痛剤が飲みたいからな」

 痛みを逃すように息を吐きながら会場に目を向けると、藤堂は流石に慣れた様子で参加者達と当たり障りのない会話を広げていた。千葉も藤堂の近くで直立不動のまま藤堂に向けられる質問に返したり、話の邪魔にならない程度に補足したりと機敏に動いている。日本軍でもこういったパーティーはあったのだろう。

 それに比べると南は神楽耶と天子をちらちらと見ながら頬を染めて会場の隅から動こうとしない。ディートハルトも同様に会場の隅に陣取っていたが、こちらはカメラのアングルのためだろう。

 扇は華やかなパーティーに踏み込む度胸が無いのかきょろきょろと周囲を見ながら舐めるようにワインを口にしている。

 田舎者といった風情を全身から発している扇に、カレンはあんな垢ぬけない人でもちゃっかり彼女がいるのかと内心で零しながら唇を尖らせた。

「そういえばゼロ、扇さんに彼女ができたらしいですよ」

「ほう」

「最近毎日お弁当持ってきてるんです。どんな人なのか全然教えてくれなくて」

「そうか。あの男と付き合う……」

 じ、と17歳の乙女2人は所在なさげに左右に視線を走らせ続けている扇を見つめた。

 着慣れていないスーツの下で体をもじもじと捩らせながらも壁に貼り付けられているかのようにその場から動こうとしない。顔の造りは悪くは無いが凡庸であり、良く言えば内面を表すようにおっとりとしている。悪く言えば愚鈍そうで締まりがない。

 2人はほぼ同時に評価を下した。

「無いな」

「無いわね」

 女性特有の冷徹な評価が小さく呟かれた。

「一体どんな女なんだか。扇は優しいといえば聞こえはいいだろうがその実はただの優柔不断だろう。周囲の空気にも流されやすいし、浮気の可能性も割と高いと見た」

「いえ、でも色々ほら、こう、一緒にいて気が休まるとか……ありませんか?こう、守ってあげたくなる的な」

「俺はあいつと仕事をしていると気が疲れる。仕事が出来ないわけではないんだがどうにも察しが悪い。そこが可愛いと思うかどうかは個人の好みだろうが……お前は扇を守ってやりたくなるような可愛げのある男だと思っているのか?」

「………黙秘権を主張します」

 扇との長年の付き合いの義理のためにカレンは目を逸らした。

 

 目を逸らした先には和服で身を包んだ黒髪の少女がちょこんと佇んでいた。少女は陶器製の日本人形のような優雅な有様を全身で体現している。シミ一つ無い綺麗な肌に華美な和服は少女の身分の高さを殊更に強調していた。

 日本を代表して式典にやってきた皇神楽耶だ。幼いながらもキョウト六家の一角として黒の騎士団に長年援助をしてきた彼女はゼロを慕ってやまないようだった。

 勿論その慕い具合のほとんどは打算なのだろうが、ここまでぐいぐいと妻になりたいと言っている姿はいっそ潔い。

 一方的に迫られる方はたまったものではないだろうが。

 

 ルルーシュは神楽耶を視界に認めてうやうやしく頭を下げた。黒の騎士団はキョウト六家が創設している中央政府の下部組織として組み込まれている。黒の騎士団の総帥たるゼロは中央政府創設メンバーである神楽耶より立場は下にあった。

「ゼロ様!こんなところにおられたのですね。探してしまいました」

「申し訳ございません神楽耶様。本来であれば私がお会いしに行くところを」

「いいのです、ゼロ様と話したい人はそれこそ山のようにいるでしょう。こうしてご休憩なさっているところをお邪魔するなど失礼かと思ったのですが、少しだけお話でもと思いまして」

 神楽耶は子供らしい爛漫な笑みを浮かべてずずいとゼロに近寄った。

 カレンはゼロの背後に立ち、可愛らしい神楽耶に押し負けそうなゼロに小さく笑みを浮かべた。

 ナナリーに限らず自分より幼い少女にルルーシュは弱い。守らなくてはならない対象と無意識の内に認定しているのかもしれない。

「先ほどの式典とっても素敵でしたわ。こんな式典に連れて来て下さったこと感謝に堪えません」

「神楽耶様は日本の代表として来られたのです。むしろ私の方が神楽耶様に連れて来て頂いたようなものですよ」

「何を言うのです。日本を誰がブリタニアから取り戻したのかなど自明の理。そう、」

 神楽耶は大きな碧の瞳を輝かせてゼロに大きく微笑んだ。

「私の未来の夫、ゼロ様が日本を取り戻して下さったのです!」

 深々とルルーシュは溜息を吐いた。

 

 神楽耶の立場からすればゼロを夫としたい思惑があるのは理解できる。日本を取り戻した英雄ゼロを皇の夫とすればキョウト六家の立場はより強固なものになるだろう。何よりゼロをキョウト六家に縛り付けることで今後のブリタニアへの牽制にもなる。

 確かにゼロにも神楽耶と結婚することで正体不明のテロリストという印象を払拭し、正当な日本の軍事力という肩書を得られるというメリットはあった。

 だがあまりに無理があり過ぎる。まず初夜を迎えるところからして問題しかない。仮面の中身と下着の中身で二重の問題がある。

「以前から申し上げておりますが私は神楽耶様と釣り合うような男ではありません。私は所詮は只の仮面の男に過ぎず、仮面の男として為すべき事を為すだけの者です」

「何を仰います。あなた様は日本の、いえ世界の英雄ではありませんか。未だにテロリストとあなた様を非難する声もありましょうが日本の姫たる私が妻となれば小煩い連中など捻り潰してご覧に入れましょう。釣り合いが取れないなどとんでもございません!」

「申し出はありがたく存じます。しかし私は妻を持つ気は無いのです。私のような仮面を被った無頼漢の妻になる女性が哀れでならない。何しろ結婚しようとも私はこの仮面を脱ぐ気はございませんから」

 仮面を指先で弾くように叩くと神楽耶は幼子のように頬を膨らませた。

「私は仮面など気にしませんわ。たとえ私がゼロ様のお顔を知ることができなくとも、それで夫婦になれないわけではないでしょう」

「私が気にするのですよ。それに仮面越しにしか妻の顔を見ることができないというのも聊か寂しいのです」

「もう。そんなことを言って」

 頬を膨らませたまま神楽耶はゼロの腕に抱き着いた。ゼロは神楽耶のするが儘にさせておいた。

 ナナリーと同じくらいの年頃の少女だと思うとつい甘くなる。神楽耶のちゃっかりとした性格も、年齢からみれば明晰な思考も嫌いでないことがその甘さに拍車をかけた。

 そのまま壁にもたれかかっているとスザクがぴょこんと神楽耶の背中から顔をだした。同じような色をした二対の翠玉が照明を反射してぴかぴかと光っている。

「神楽耶、何してるの?」

 神楽耶が見上げると懐かしくも忌まわしい従兄の顔が近くにあり大きく舌打ちした。

「気軽に話しかけないで下さいませんか?私を誰だとお思いですこと?」

「悪戯好きなわがまま姫」

「張っ倒しますわよ」

 スザクを憮然とした表情で見上げる神楽耶にゼロは苦笑を禁じ得なかった。

 

 こうして顔を並べるとスザクと神楽耶の間には色濃い血縁があることを誰でも察せられるだろう。翠色の瞳だけでなく童顔で優し気な顔の造りや、気品のある凛とした目元など共通点がそこかしこに見られる。

 しかし性格は全く似なかったらしい。ヒロイックなゼロの活躍を高く評価した神楽耶と犠牲者を重視してゼロを非難したスザクは性格の面では真逆に位置する。そして容姿が似通っているか否かよりも性格が合うか合わないかの方が個人間の関係において大きな意味を持つことは明らかだった。

 

「この私の前によくものこのこと顔を出せたものですわね枢木スザク。どの面下げて来たものやら。その顔の皮を剥いで厚さを測ってやりたくなりますわ」

「君に会いに来た訳じゃないよ。ゼロに会いに来たんだ」

「……あらそうなのですか」

「神楽耶様」

 ゼロがそう呼びかけると神楽耶は心底気に食わないといった表情で鼻を鳴らした。

 神楽耶は聡明だ。この場に自分が邪魔であることを察したのだろう。ただ自分がゼロと会話する権利をよりにもよってスザクに譲らなければならないことが気に食わないようだった。

「分かっておりますわ。殿方同士のお話合いに交じるほど無粋ではありません。私は天子様のところへ行ってまいりますね」

「はい。後ほどまた」

「私のことはお気になさらず。妻たるもの、弁えております故」

 神楽耶はにっこりとゼロに微笑みかけながらスザクを鼻で笑うという高度な技術を見せた後、天子の所へと向かった。

 

 凛とした後姿を見送りながらルルーシュはスザクとカレンにのみ聞こえるよう声を潜める。

「また随分と嫌われたな」

「当然よね。従兄がブリタニアの騎士になっただなんてキョウト六家としては立場が悪いにも程があるでしょ」

「いや神楽耶は昔っから僕にあんな感じだよ……木に登ってるところに石が入った水風船をばんばん投げてきたりハチの巣をつついてけしかけてきたり、そりゃあもう散々な目に遭わされてきたから」

 苦笑するスザクはしかしすぐに顔を引き締めた。

 騎士然とした表情に、この男が誰の護衛としてやってきたのかを思い出しルルーシュは既に気分を落ち込ませた。あの男が関わってくると碌なことが無い。

「ゼロ、シュナイゼル殿下より伝言を承ってまいりました」

「そうか。何だ」

「はい。是非二人で話したいことがあると」

「却下」

「却下ね。うっさんくさ過ぎる」

 無下に断ったゼロとカレンに、だよね、とスザクは溜息を吐いた。

「そりゃあそうだろうけどさ。報告しに行く僕の身にもなってよ」

「知るか。どうして俺がシュナイゼルと話し合いなどしなければならないんだ。あの男のことだ、話し合いなどすればこちらが不利になるに決まっている。話し合う暇があれば殺したいぐらいだ」

「せめて降伏勧告ぐらいはしませんか?」

「時と場合と相手による。より正確に言うと、シュナイゼル以外の人類に限る」

「ル、じゃないゼロって本当にシュナイゼル殿下のことが嫌いなんだね……」

「嫌いな訳ではない」

 ぷいとゼロは顔を背けた。

「あいつの掌で踊る気はさらさら無いというだけだ。シュナイゼルは会話一つで相手を操る能力がある。お前も身に覚え位あるだろう?」

「……うん。しかしゼロ、シュナイゼル殿下にこれも伝えろって言われたんだけど」

 スザクは言い難そうに言い淀みゼロのマスクに口を寄せて囁いた。隣にいたカレンも耳を寄せる。

「シュナイゼル殿下、ルルーシュとナナリーが生きていることを知っていて、アッシュフォード学園にいるっていうことも知ってるって」

 ルルーシュは一瞬絶句した後に大きく舌打ちし、黙って首を振った。

 一連のゼロの動作を見てスザクは罪悪感に押しつぶされそうな体をなんとか揮い立たせた。

 もともとルルーシュとナナリーの居場所を知られたのは自分のせいだ。だからこんな状況になってしまったのは、自分のせいだ。

 ルルーシュが平静に戻るまでそう時間はかからなかった。

「――――そうか」

「うん」

「そしてそれをお前が今俺に言うということは、つまり」

「……シュナイゼル殿下が、もしゼロが来てくれなそうだったらルルーシュとナナリーが生きていることを知っていると言えって。そうすれば絶対に来ざるを得ないからって」

「ちっ、分かった」

 つまりもう知られているということだろう。

 ルルーシュとナナリーがアッシュフォード学園に保護されているということだけでなく、ルルーシュがゼロであるということも、だ。

 

 どこから漏れたのかは分からない。いや、あの兄ならば状況から推測しているのみである可能性もある。

 シュナイゼルがこれまで無敗のままブリタニアの宰相として采配を振るっていられるのはその天才的な閃きと理路整然とした思考回路による。

 突然エリア11に現れた正体不明のゼロ。絶対に外そうとしない仮面。スザクを殺す機会は幾度もあったというのに、殺さなかったという事実。繋げればルルーシュ・ヴィ・ブリタニアの姿が見えてきてもおかしくはない。

 自分だけでなくナナリーの安全さえ関与しているとなるとルルーシュは既にシュナイゼルの掌の上に立っているようなものだった。 

 たとえ日本が合衆国日本となったと言っても、否、合衆国日本として独立したからこそナナリーが皇族であると発覚すれば日本人から激しい憎悪の対象になるだろう。合衆国日本に残ったブリタニア人と日本人の諍いで何人もの怪我人が出ている。それがただのブリタニア人どころか皇族となれば、良くてブリタニアに引き渡されることとなるか、最悪の場合では。

 想像だけで吐きそうになる。絶望で死にそうだ。

 

「……ゼロ」

「分かった。分かったよ」

 ゼロは顔をもたげ、唇を噛みしめるスザクの肩を叩いた。

「行ってやろう。シュナイゼルのところへ」

 

 

 

■  ■  ■

 

 

 

 シュナイゼルは朱禁城の一室を間借りしていた。

 恐らくは来客用の賓室だろう。清朝時代の白磁器が飾られ、壁には優美な山水画が掛かっていた。部屋は赤く装飾が施された柱に支えられて紫檀製の家具が並べられている。丸い窓からは遠くに御花園が眺められた。ただでさえ広い部屋に調度品というエッセンスが加わり300年前の中国の黄金時代を再現しているような壮大さであった。

 ここまでの部屋はいくら朱禁城が広大であるとはいえそう多くは無いだろう。中華連邦と親しい国の外交官ではなくシュナイゼルがこの部屋を使っている事実が現在のブリタニアの膨大な国力と、疲弊した中華連邦の差を嘲笑うように象徴していた。

 

 シュナイゼルは絨毯の上に厚い座布団を敷いてその上に座っている。背後には秘書官である女性と見紛う美貌の持ち主、カノン・マルディーニを立たせていた。

 金髪碧眼の典型的なブリタニア人らしい外見だというのに中華の雰囲気の只中にあってもあまり違和感がないのはシュナイゼルの容姿が人種を越えて優れているためだった。最後に会ったのはもう6年も前だが、元々彫刻のようだった端麗な容姿には以前には無い凄みが加わっている。

 丁寧なノックの後部屋に入ってきたゼロへシュナイゼルは壮麗な笑みを浮かべた。

「やあルルーシュ。ちょうど紅茶が入ったんだ。ミルクはいるかい?」

「………結構」

 開幕から飛ばしてくれる。ゼロは自身の名を呼ばれても眉一つ動かさずシュナイゼルの下へと近づく。

 相も変わらず相手を自分のペースに引っ張り込むのが腹立たしいほどに巧みな男だ。

 

 にこやかな笑みを浮かべるシュナイゼルを一瞥し、ゼロの衣装を身に纏ったルルーシュは机越しにシュナイゼルの対面へと座った。机には紅茶が2つ並んでいた。

 護衛役のカレンはゼロの背後に立ち、一応はシュナイゼルの護衛であるスザクはシュナイゼルの背後に立った。

 しかし護衛とは思えないほどにシュナイゼルを見るスザクの目は冷徹極まりない。つい数か月前までシュナイゼルを皇帝にすると口にしていた男がする表情ではない。

 

 ある意味でスザクは戦闘能力よりもこの性格の方が恐ろしいとルルーシュは一人背筋を寒くした。スザクは裏切られた、もしくは裏切られたと思ってからその人を見限るまでが恐ろしく早い。

 

「それにしても久しぶりだねルルーシュ。最後に会ってからもう6年前かな?」

「そうだな。相も変わらず元気そうで羨ましい限りだ」

「おや、認めるんだね」

 シュナイゼルは意外そうに眉を持ち上げた。

「何を?」

「ゼロであるということをだよ」

「ああ」

 

 監視カメラや盗聴器の類が無いことは端末に仕込んだドルイドシステムで既に調べてある。無論、特派でドルイドシステムによっても発見困難な監視カメラを作成した可能性は否定できない。

 だがそれだけでは脅迫の材料とするには一歩足りないことをルルーシュは理解していた。会話の内容を暴露されようとも一言シュナイゼルを騙すための狂言だったと言えば済む話だ。シュナイゼルという強大な敵を騙すために一芝居うつことは別段おかしなことではない。

 それにルルーシュ=ゼロという事実はブリタニアにとっても都合が良いとは言い難い。

 ゼロが皇族だという情報が流布されれば、ならばゼロがブリタニア皇帝になればすべてが丸く収まるのではないかという発想をどれだけの人間が抱くだろうか。ルルーシュでさえそれは予想できないがナンバーズと、相次ぐ戦争に倦み始めているブリタニア人がそう願う可能性は決して低くは無い。

 そうなれば黒の騎士団はエリアのみならずブリタニア内にも多くの味方を得ることになる。

 いずれにせよシュナイゼル相手にここで誤魔化す意味は無い。時間と労力の浪費であるとルルーシュは判断した。

 ルルーシュは仮面の下でうっそりと嗤った。

「貴様に今更誤魔化そうとも意味はないだろう。しかし双方にとり不都合な事実なのではないか?」

「全くだよ。ああ、中国茶は紅茶とまた違う風味があるね」

 シュナイゼルは優雅に紅茶を口に含みもう一方のカップをルルーシュに勧めたが一瞥を向けるに留めた。気にする様子をおくびにも見せずシュナイゼルは微笑む。

「私と話があるとのことだったが」

「そうだよ。忙しい中呼び出してしまってすまない」

「しかし兄上、まずは私の話を聞いて貰おうか」

「ギアス教団についてかな?私もそのことでルルーシュと話したかったんだよ」

 会話の主導権が取れないことに苛々しながらルルーシュはそれでもギアス教団という単語に押し黙るを得ない。

 もともとクロヴィスにギアスとコードについて話したのはシュナイゼルだ。コードについてシュナイゼルにある程度の知識があってもおかしくはない。

 人形のように笑みを浮かべたままシュナイゼルはカノンから厚い書類の束を受け取りゼロへと差し出した。

「さて、君はギアス教団について何を知っているのかな?」

「ブリタニア皇族と関わりのある集団、宗教団体というより研究団体、コードとギアスについて研究している一派。その程度だ」

「フム、では君も私もギアス教団の実験で生まれたことは知らないわけだね」

 は、とカレンとスザクは顔を上げた。

「え?」

「ど、どういうことですか?」

「文字通りだよ」

 何の反応も返さないルルーシュと違い明らかに動揺している2人に向けてシュナイゼルは温和な口調で諭すように教えた。

「ブリタニア皇族。その実はギアス教団の実験体でしかない。よりギアスの適正が高い人間を作成するために私たちは遺伝子操作が加えられ、生まれた後はギアス適正を人工的に上昇させるために手術が施行された」

「さっきから、その、ギアスって何なんですか?話が、」

「それはルルーシュが教えてくれるんじゃないかなぁ」

 3人からの視線が集中しルルーシュは黙って首を振った。

 

 ギアスという超常の能力を暴露するにはあまりにリスクが伴う。超常過ぎる能力は使わずとも人を疑心暗鬼にさせる力があることをルルーシュは知っていた。少なくともカレンはルルーシュへ恐怖を抱きゼロへの忠誠心を損なうことだろう。

 だがルルーシュにとってはスザクの方が問題だった。

 スザクにはユーフェミアが自分を撃ったのは後遺症の無い薬剤を使ったためだと説明してある。

 そんなルルーシュをスザクは許したが、ギアスを使った事実を告げて尚スザクは自分を許してくれるだろうか。

 ブリタニアと黒の騎士団という立場に分かれ、それでもまだスザクが自分の友達だと断言できる現状がどれだけ奇跡的なのか理解していない訳ではない。ルルーシュはまた友達を失うような危険は冒したくなかった。

 子供の駄々のような我儘だと理解しているがルルーシュはスザクとの現在の安定した関係を打ち壊す勇気を持ち得ていなかった。体制の打破に関しては全く躊躇の無いルルーシュだが、懐に入れられる人間が極端に少ないために人間関係という点において彼女はいっそ臆病でさえあった。

 後にルルーシュはこの選択を酷く後悔することになるが、今は知る由もない。

 

 スザクとカレンは何も喋ろうとしないルルーシュに詰問することはしなかった。立場は違えど2人ともルルーシュへ強い信頼があった。その信頼はあからさまにルルーシュへと話を逃がしたシュナイゼルへの信頼より深く、厚かった。2人は喋れない理由があるのだと信じることに決めた。

 

 再びシュナイゼルに視線が集まり、シュナイゼルは軽く肩を竦めた。

「まあいいか。とりあえずギアスはブリタニアが研究している超能力のようなものだと認識して欲しい。ギアスはコードという能力を所有している人物が与えることができる。しかしコード所有者にギアスを渡されたとしても、ある程度の適正が無いとギアス能力は発現しないのだよ。そして適正値は生まれ持ったものであり後天的な努力により向上するようなものではない。

 なんとかして適正値を上げるためにブリタニアは何代にもわたって人間の交配を続け、ギアスの適正が高い配合を見つけようと研究していた。その研究結果がギアスに適正した一族、ブリタニア皇族だ」

 シュナイゼルは楽しそうに笑った。自身の境遇に堪えかねてという笑いではなかった。愚かな先達を空の上から見下ろしているような、非人間的な、しかし幼児性を含有する微笑だった。

「皇族という煌びやかな名称によってその実態を覆い隠してはいたが、実際のところ我々はただのモルモットだったというわけだよ」

「っ、皇族は遺伝研究の実験結果ということなのですか?じゃあ、まさか、ユフィを攫ったのは」

 その可能性に思い至りスザクは体を打ち震わせてシュナイゼルを見やった。

 スザクはシュナイゼルが首を横に振るよう願ったが、しかしシュナイゼルはただ静かにスザクを見返すだけだった。

「確かな証拠が無い以上私には何も言えない。しかしギアス教団が実験の被検体を探していた可能性は否定できない」

「…………手術というのは何ですか?」

「長年にわたる交配研究に焦れたのだろうね。人工的に、手っ取り早く適正値を上げようと脳を弄ることにしたのさ。そして私は手術を施されたが大してギアス適性値は上がらず、手術の副作用のみが発現した。術後に他者への共感能力や感情が欠如してしまったらしい。失敗作さ。彼らに言わせれば。そしてルルーシュ、君も」

 シュナイゼルは自身の頭蓋を指さした。

「手術が施行されている」

「つまり、」

 ルルーシュは笑い出したくなった。

 

 副作用で共感性や感情が消失するなんてあまりに非現実的だ。だがそれを言うのであればコードやギアスという存在はそれ以上に非現実的であり、ルルーシュはそういった現代科学の領域から遙かに外れた存在があることを既に知っていた。

 そして手術の副作用として自分の身に起こった非現実的な症状はと考えると、1つしか思い当たらなかった。

 長年の疑問の答えを得て、しかしルルーシュに爽快感は全くなかった。

 

「手術の副作用で、私は女になったと」

「私が調べた情報ではそうだった。手術後より10年をかけて徐々に女体化したのだそうだ。ちなみに君は手術に成功している。ギアス適性値は非常に高い」

 淡々とした説明を鼻で笑う。

「なるほど。あまり嬉しくもない結果だがな」

「世の中には良い能力と悪い能力がある。良い能力は自身を助け、悪い能力は慢心を生む。君はこれを前者と考えるべきではないかな?」

「助言は結構。持ち得ていない能力について軽々に語るべきではない」

「承知したよ」

 表情も変えず紅茶を口に含むシュナイゼルを前にルルーシュは自身の性別について瞬間思い悩んだ。

 

 ギアスを手に入れるための代償が女であるということならば、ギアスによって死を免れた自分は甘んじて女としての人生を生きなければならないのだろうか。

 男であった方が自分の人生は生き易かっただろうとは思う。力はもっとあっただろうし、体力もあったに違いない。自分が男のまま育っていればきっとスザクに負けず劣らずの頑強な人間になっていたことだろう。ゲンブにあんな屈辱的な目に遭わされることも無かった。藤堂を始めとする古臭い頭を持つ連中に女と侮られることも無かった。

 しかし一方で、だが女という側面が自分にあったことが人生においてマイナスばかりだとは言い切れないようにも思った。

 カレンの自分に対する対応はもっと頑なであったかもしれないし、スザクはもっと容赦が無かっただろう。

 そこまで考えてルルーシュは首を振った。

 今更考えてもしょうがないことだ。何をどうしたって、もう自分の体は女でしかない。

 もし自分が男だったらという可能性についていつまでも思いを馳せる余裕がある筈などない。前を見据えなければならないのだから。

 ルルーシュには今自身の性別などより優先すべき事項があった。ジェレミアについてだ。

 

「ではシュナイゼル。そこまで知っているということはジェレミアのことも当然知っているのだろうな」

 そうルルーシュが口にするとシュナイゼルは肩を竦めた。

「生憎と最近は情報封鎖が激しくてね。ギアス教団に連れ去られたこと程度は知っているが現在どんな状況にあるのかは分からない。しかし凡その場所の見当はつく」

 シュナイゼルは一枚の折りたたんだ紙を取り出してルルーシュの前に出した。

 ルルーシュは指先で差し出された紙を広げてその中身を読み、即座に握りしめた。掌中で紙は虫が潰死するような音を立てた。

 内容が不快だった訳ではない。ただ自分の背後に立つカレンに紙に書かれた内容を読まれることを避けるためであった。

「その条件を飲んでくれればジェレミア卿の居場所を教えてあげよう」

「………正気か貴様」

「まさか。正気であればこんなことは頼まないだろう」

 シュナイゼルはうっそりと笑った。

 

 その感情を伴わない美しい笑みを目の当たりにしてルルーシュは生まれて初めてシュナイゼルを哀れに思った。

 父親に捨てられて悲しいと思うこと、凌辱されて怒りを抱くこと、信頼する部下が助けに来てくれて嬉しいと思うこと。そういった感情が血肉となり今のルルーシュを形成している。そういった感情が無い人間は空っぽの人形だ。

 シュナイゼルは中身を求める空洞の人形でしかなく、そうなることを強いられていた。

 

「君にとっては簡単なことの筈だ」

「……しかし大きな手札を1つ失うことになる」

「君は私に大きな借りが3つある」

 シュナイゼルは指を3つ立てた。

「1つめは、6年前にジェレミア・ゴットバルトをブリタニアから日本に向かわせてあげたこと。2つめは、6年前に日本への進軍を早めたことで君とナナリー、そしてジェレミア卿の3人が戦火に紛れて枢木家を脱出できる可能性を高めたこと。そして3つめは」

 シュナイゼルは先に折りたたんだ2本の指の隣に、3本目の指を押し込んだ。

「現在ジェレミア卿が中国のタクラマカン砂漠にあるだろうギアス教団内部にいることを、今、私が君に教えたことだ」

 ルルーシュは弾かれたように立ち上がった。

「スザク、そこをどいて俺の後ろに下がれ」

「え?で、でも」

「枢木卿、構わない」

 シュナイゼルに言われてスザクはルルーシュの後ろに回りカレンの隣に立った。ルルーシュは大股でシュナイゼルに近寄り紫水晶の色をした瞳を睨んだ。

 嫌な色だ。ナナリーやユフィの瞳と色系統としては近しい色だろうに、どうしてこうもこの男の目の色は嫌悪感を沸き立たせるのだろうか。

 結局こうしてシュナイゼルの思い通りになることが悔しくて吐き捨てるように言い放った。

「兄上、私はあなたが嫌いですよ」

「そうか。私は君のことをなんとも思えない。しかしそれも今日までだ。君が私の思う通りの性格をしていれば、」

 シュナイゼルが言い終わる前にルルーシュは仮面の目の部分をスライドさせた。真っ赤に光る瞳でシュナイゼルの瞳を射抜く。

 

 このまま一言奴隷になれと言えばそれで多くの面倒事が済むだろう。その誘惑はルルーシュの頭の中へ甘く囁いた。

 しかし差し出されたキングを受け取ることができる程にルルーシュは大人ではなかった。子供らしく高いプライドは勝利より自身の納得を優先させてしまった。

 何より、たとえ頼んでいなくとも自身とナナリーの命を救われたという過去があること、そしてジェレミア救出の糸口を差し出されたという事実は無視するにはあまりに巨大に過ぎた。

 握りつぶした紙に書かれていた文言をそのままにルルーシュは口を開いた。

 

「感情を取り戻せ、シュナイゼル―――――君は自由だ」

 

 その瞬間はまさしく劇的だった。

 時間にすれば数秒だっただろう。その短い時間で永久凍土のような瞳は沸騰するような熱を持ち、柔らかく笑みを浮かべていた顔は逆に冷たく強張った。素直に驚きを表情に出して目を見開く表情はこれまで見たことのない幼気と表現すべき顔をしていた。姿形は全く変わらないというのに表情や雰囲気のみでシュナイゼルの印象は非人間的なものから大きく変わった。そこに座っているのは冷たい空洞の人形ではなく一人の美しい人間であった。

「ああ………」 

 シュナイゼルは首を振り口惜し気に唇を噛んだ。

「そうか。これが、私は――――私はこういう人間だったのか。知らなかった……」

「もういいだろうか」

 ルルーシュは立ち上がった。話すべきことは既に終わっているように思えた。

 そのままこの場から立ち去りそうなルルーシュへシュナイゼルは口をへにゃりと曲げて情けなさそうに眉を下げて微笑んだ。

「うん。ありがとうルルーシュ―――機会があればまた話そう」

「もうこんな機会は二度と無い。無論あなたが此度のようにゼロが私であることを脅迫材料とするならば、」

「いや、ええと。そうじゃなくて」

 頬を掻いてシュナイゼルは言葉を濁した。

 

 これまで見たことのない、戸惑っていることを示すような所作にルルーシュは眉根を顰めた。まるで長年留学していた妹にどう接すればいいのか分からない兄のようではないか。これでは。

 そんな人間らしい思考がこんな血管まで凍り付いた人非人にあるものか、と思いつつも、しかし自身が先ほどかけたギアスに思い至ってルルーシュはひくりと口角を震わせた。

 まさか自分のせいか、これは。

 いや、まさかでなく自分のせいだろう。

 もしかすると自分はとんでもない失敗をしてしまったのかとルルーシュはこれまでの人生で初めて自身の行動を酷く後悔した。

 

「―――なんでしょう」

「私は……多分、君に興味がある。君の聡明さと思考回路をより理解したいと思う。それは私の利益になるだろう、いや、違うな。そういった打算的な理由だけではなくて……まだよく自分の感情が理解できないな。ともかく私には君という人間をより理解したいという欲があるんだ……ダメだろうか」

「ダメだ。立場を考えろ」

 この顔で何を言うんだこの男は。

 人間らしく自身の提案が否定されることに怯えて人間らしく戸惑っているシュナイゼルなど、シュナイゼルじゃない。いや感情を取り戻せとギアスをかけたのは自分だが。

 

 確かにシュナイゼルの覇気はそのままだった。戸惑うように首を傾げる仕草は優雅でありながら演技のようにきまっている。

 しかしルルーシュの言葉一つで傷ついたように目をしょんぼりと俯かせて、しかし黙り込んでしまったルルーシュの顔を気遣うように眺めたりする仕草は健気であり無垢な印象さえ持たせた。これがシュナイゼルの本当の性格なのだろうか。

 もし最初からシュナイゼルがこんな性格であったのならば何も問題は無かっただろう。だがこれまでのシュナイゼルを知っていると気色悪いの一言に尽きる。

 ニシキヘビが人懐っこくすり寄ってきたような感触がルルーシュの背筋を這い上り、思わず大きく体を震わせた。スザクとカノンは買ったばかりのシャツにシミを見つけたような顔をしていた。

 

 感情を取り戻したシュナイゼルへの好奇心より生理的な嫌悪感が勝った。

 ルルーシュは別れの言葉も口にせずマントを翻して大股で部屋を出て行った。その背中にスザクもついていく。カレンも逃げ出すように大股で歩き急いでルルーシュの後を追った。

 背後で扉が閉まる音が聞こえるが否や携帯端末から情報を集め、同時並行でカレンに矢継ぎ早に指示を出す。

「カレン、これから騎士団を動員して中国のタクラマカン砂漠地方の捜索を行う」

「建前は?」

「ブリタニアの基地があるとの情報が入った。人体実験を含める科学研究を行っている施設の可能性が高い。黒の騎士団は人道的観点から組織の殲滅及び被害者救出を目的として行動を開始する。捜索の決行は明日だ。俺はそれまでに具体的な捜索ルートと捜索班を作る。親衛隊及び第1から第8中隊までを動かす。詳細は追って指示するからそれまでにKMFを動かせるように準備をさせておけ」

「はい、ゼロ!」

「中華連邦にも協力をお願いする。黎星刻武官へ会いに行くぞ。スザク、お前も来るのか」

「ユーフェミア様がギアス教団とやらに捕まえられているならこの作戦中に限って僕もゼロの指揮下に入る。コーネリア皇女殿下からユーフェミア様捜索のために必要だと思われた行動は全て許可するという認可状を頂いているから問題は無い」

「シュナイゼルの許可は」

「後で貰う。それより今は一刻でも早くユフィを助けに行かないと」

「すぐにランスロットを起動させられるよう準備をしてこい。エナジーフィラーも充填しておけ」

「了解した、ゼロ」

 3人は足並みを揃え、ただ前に向かって歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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22. 愛の偉大さ、そしてその恐ろしさを知っているか

 ぽこぽこと泡が頭上に逃げていく。この300時間余り、ジェレミアは原始の海を思わせる泡粒をぼんやりと眺めている。

 そうしていると、澱んだ池から滓が抜き出されるように思考が段々と澄んできた。調整が終わりかけているのだろう。体の節々がキリキリと音をたてて、自身をより安定性の高い生き物にしようとしていることが分かる。

 そして身体の安定は即ち精神の安定に繋がっていた。無理な手術のせいで不安定化していたジェレミアの意識は、機械との完全な融合を果たした身体へ立ち返り、元の姿を取り戻そうとしていた。

 意識が戻るに従って、今度は疑問が泡粒のように次々と湧いてくる。まだ体の自由が利かず、他に何をすることもできないので、ジェレミアは自問自答の思索に時間を費やした。

 

自分は何であったか。

―――自分は騎士である。

 

性別は、年齢は、出身は。

―――年齢は26歳。もう少しで27歳。性別は男。出身は神聖ブリタニア帝国。

 

名前は。

―――ジェレミア・ゴットバルトである。そう確信する。

 

 ジェレミア、ジェレミア・ゴットバルト。ジェレミア卿。ジェレミア様。ジェレミアさん。おい、ジェレミア。なあ、ジェレミア。そうか。もう一度確認しろ。はい。お気を付けを。お前もな。

 諦められよ、ジェレミア卿。

 

 自分の名前を口の中で何度も繰り返すと、霧がかかっていた思考に柔らかな朝日が差し込むような温かい感触がした。

 まるで長い間寝ぼけていたような気がする。頭を振ると、まだ脳の底にこびりついていた微睡が振り払われた。

 泥濘から這い出るように意識を取り戻すにつれて、ジェレミアはまず自身の体の異様さに気づいた。

 左半身が赤鈍色の機械に覆われている。なんだこれは、と右手でひっぺがそうとするも、それは体に密着して取り外しができないようだった。

 いや、現実逃避はよそう。寝ぼけていた間の記憶は寄せる波のようにジェレミアへと少しずつ戻ってきていた。

 

 ブリタニアにおける士官学校の学生時代。

 ルルーシュの選任騎士候補として戦場を駆け巡った日々。

 ルルーシュが皇帝陛下に捨てられたことを切っ掛けに渡日した日。

 日本に渡ってから目の当たりにした悪夢。

 2人だけの選任騎士叙任式。

 そして安穏とした日々。あの日々はこれまでの人生中で、幸福という言葉に最も相応しかった。

 幸福を堪能し過ぎた報いか、平和呆けしていた隙を突かれてビスマルクに殺されかけてギアス嚮団へ移送された。

 そこでギアスキャンセラーなる機械を取り付けられ、体の機能の約半分が機械で置換されてしまったのだ。

 その後遺症により正気を失った自分は、2度もルルーシュを殺しかけた。

 

 くそ、V.V.め。ふざけた嘘を吐きおって。

 一歩間違えていればこの手でルルーシュを殺すところだったと思うと額から冷汗が滲み出る。

 意識は明瞭となり、思考能力も戻った。手を握り締めるようと力を籠めると思う通りに動く。ギアスキャンセラーの調整が完全に終了したのだろう。そうと分かればこれ以上この場に留まる必要はジェレミアには無かった。

 ジェレミアは散々に体を弄られた怒気を込めて左手を軋むほどに握りしめ、そのまま目の前のガラスを殴りつけた。

 分厚い強化ガラスは拳を傷つけることもできず、あっけなく飛散し、ジェレミアは流れ出すオレンジ色の液体と共に床へと身を投げ出した。その瞬間に甲高い警戒音が響く。久しぶりに肌身で感じる空気は刺すほどに冷たかった。

 すぐさま立ち上がって周囲を見回すと、あまりに広い部屋が視界に広がった。大学の講義室などよりさらに広い。部屋のあちこちに自分が入っていたものと同じような試験管が生えている。試験管の周囲では、白衣を着た研究者10余名が端末や書類と睨み合いながら、薬品や医療器具を調整していた。

 ジェレミアの担当なのだろう男の研究者が、突然試験管を飛び出てきた被検体へ溜息を吐き鎮静剤を手に取った。

「ったく、またこいつか。もう3回目だぞ」

「またか。薬も効きにくくなってきたようだし、そろそろ鎮静剤の量を増やすべきじゃないか?」

「だけどこれ以上増やしたら試薬検査ができなくなるからな……おい、そっちを持って、」

 鎮静剤を握ったまま伸ばしてきた細い手首を、ジェレミアは軽い力を込めて引っ張った。

 その研究者はあっけなく床に転がった。見かけ通り非戦闘員のようだ。

 驚いて眉根を顰めた男の首に左手をかける。ほんの少し力を入れると、手の中で頸椎が磨り潰される鈍色の音がした。

 

 途端に体をだらんと弛緩させて動かなくなった男を前に、白衣を着た非戦闘員達は一瞬沈黙した。

 清潔な白衣の通り彼らには戦場の経験は無く、何の躊躇も無く人を殺害できる人間など目の当たりにしたことが無かったのだった。優秀であろう彼らの頭脳は動きを止め、現状を理解する努力を放棄した。

 長い間市井で生活していたジェレミアよりも、ギアス教団に籠りきりの研究者達の方が一般市民に近い死生観を有しているということは人生の不可思議な一点であったのかもしれない。

 

「え?」

「嘘だろ、なんで」

「いいのか?」

 ジェレミアは死体の胸倉を掴んで軽々と放り投げた。死体は鈍音を立てて机に飛び乗り、スピッツや注射器をなぎ倒しながら丸太のように転がった。机の中ほどでようやく止まった死体は、舌をだらんと垂らして胡乱な瞳を宙に向けている。部屋の空気が急速に冷えてゆく。

「貴様ら、逃げなくてもいいのか?私は諸君らに復讐する権利があると思うのだが」

 既に正気の埒外である筈の被検体が、人が理解できる言語を喋った驚きにまず彼らは言葉を失った。

 

 それから一拍の後、机に横たわる遺体を見下ろし、その場にいた者たちはようやく現状を理解した。

 ジェレミアのデータは彼らの頭の中に入っている。E.U.戦線で活躍した元軍人という単なるデータであった一文が、現実となり彼らに襲い掛かろうとしていた。

 彼らは背筋を凍らせて、足を縺れさせながら駆け出した。

「う、うわぁぁあああ!!」

「ジャクソンが、ジャクソンが殺された!」

「主任、キャンセラー実験体が意識に錯乱を、」

「警備隊を呼べ!」

「V.V.様に連絡を、早く!」

「………意識に錯乱とは心外な。私は至って正気だ。より正確に言うならば、正気に戻ったと言うべきだろうが」

 

 もうこの施設から2回も脱走した経験がある。それも意識が不明瞭な状態でのことだ。さらにジークフリートが納められている格納庫の場所から、警備隊がこの部屋にやってくるであろうルートまで、ジェレミアは既に把握していた。

 サイボーグと化した肉体を以ってすれば脱出は容易だろう。

 ともかく素っ裸であることが気になり、ジェレミアは部屋の隅に立ち並んでいるロッカーの1つから簡素なワイシャツとスラックスを拝借した。靴は見つからなかったものの、既に生身でない体は瓦礫を裸足で歩こうと傷一つつかないだろう。

 そのまま誰もいなくなった広大な部屋を悠々と歩く。

 

 広すぎる部屋には、ジェレミアが入っていたものと同じような巨大な試験管が20以上も立ち並んでいた。その中には黒人や白人、アジア人、子供から老人まで、人類のコレクションとも言うべき多様性に富んだ人々が押し込められている。

 自分と同じ、ギアス研究の被験者だろうということは容易に想像がついた。

 誰も目を開けておらず完全に沈黙している。死んでいるのかどうかも一目では分からない。

 しかしジェレミアは彼らを凝視することはできなかった。彼らの殆どはジェレミアと同じく、体の一部分、もしくは大部分が機械で換装されていたためだった。

 

 肌と機械の境目から赤褐色をした肝臓を露出させていたり、黒紫色をした一対の腎臓を腰背部から小さな羽のように生やしていたり、硬質な骨と白い血管をでろんと皮膚から垂れ下げていたりと、彼らは見るに堪えない程にグロテスクで、試験管のそばを通るたびにジェレミアは嘔吐感に苛まれた。じろじろと見回すとこちらの神経もやられそうだ。

 並ぶ被検体の中には顔面以外全てを機械で換装された、最早クリーチャーと化したものさえあった。SF映画に登場する宇宙人のような、見ようによっては滑稽な存在に生理的な拒否感を抱かずにはいられなかったものの、しかし嫌悪の目を向けることはできなかった。

 自分の体も程度は違えど同じようなものだ。

 シャツを指でつまんで中を恐る恐る見下ろす。他の被検体と比べればまともな外見をしているが、やはり機械と生身の繋ぎ目にはピンク色の肉が盛り上がり、生身ではありえないエンジンのような駆動音が響いていた。左手を動かすと筋肉の代わりに精巧なバネが人工皮膚の下で動くのが感じられた。机を軽く殴ると簡単に2つに割れた。

 自分は人間であると胸を張って言えるような体ではなくなってしまったようだった。

 その事実をジェレミアは粛々として受け止めた。この光景を前にすると、たとえ肉体が人間でなくなったとしても、人間としての意識が戻っただけでもすさまじく運が良かったのだと思う。

 ぷかぷかと液体の中に浮かぶ異形の被検体たちを見回す。自分は意識を取り戻した。彼らは取り戻さなかった。この2つの間には個人の努力はあまり関わらなかった。全ては運が、宗教的に言えば神が決定づけたのだろう。

 一歩間違えれば自分も彼らのように、ただのクリーチャーとして試験管の中を揺蕩うだけの存在になっていたかもしれない。

 そう思うといくら異形であっても彼らに嫌悪感を抱く気にはなれず、ただジェレミアは彼らを哀れに思った。

 

 立ち並ぶ試験管の間を縫うように歩き、異形の被験者達を流し見る。

 その途中、一つの試験管の前でジェレミアは足を止めた。その試験管に収容されている被験者は他よりも多くのカルテに囲まれていた。

 

 その被験者は薄紅色の長い髪を持つ女性だった。女性というより、幼げな色味を残す顔立ちは少女と形容されるべきかもしれない。

 その少女が誰なのかジェレミアは一瞬分からなかった。最後に会ったのが6年前だからということもある。

 しかしそれ以上に、その人物はジェレミアが知っている容姿とはかけ離れた姿をしていた。

 まさかと思いジェレミアは試験管の前に備え付けられていた電子カルテ端末を開き、少女の名前を確認した。

 こんな場所にいる筈のない名前が画面に浮かび上がる。ジェレミアは慄然として、ほんの数か月前まで高貴な美貌を誇っていただろう少女を見上げた。

 

「――――――ユーフェミア皇女殿下」

 

 その女性はルルーシュの異母妹である、ユーフェミア・リ・ブリタニアだった。しかし今は違う。

 長いコーラルピンクの髪を液体の中で漂わせ、化粧を必要としない華やかな容姿はガラス越しでも変わらず若さを誇っている。

 首から鎖骨にかけての滑らかな肌色は肉体労働とはかけ離れた身分であることを示すようにきめ細やかで白い。視線を下にずらすと、胸は年頃の少女らしくささやかに膨らんでおり、桜色の乳頭が頂上に咲いていた。

 しかしそこから下が存在しない。

 まるで胸像のような姿で、ユーフェミアはガラスの檻に幽閉されていた。

 本来ならば横隔膜を隔てて内蔵があるだろう部分は存在せず、代わりに無数のチューブが胸の下から生えている。チューブは軟体生物の足のように試験管の下へと繋がれていた。

 カルテを見ると、チューブの先には内臓の代替をする人工機器に接合されていると書かれてあった。あのチューブ1つ1つが今のユーフェミアをこの世界に繋ぎとめる鎖の役割を担っている。

 ユーフェミアはこの小さなガラスから生涯出られず、生き続けることを強いられていた。本人の意思はどうあれ。

 あまりに無残な有様に茫然としていたジェレミアは、ユーフェミアの瞼が微かに震えるのを見た。

 ゆっくりと見開かれた瞳は暫くぼんやりと宙を漂っていたが、見知らぬ侵入者へ興味がそそられたのか、徐にジェレミアへと視線を移した。

「………あなたは、」

 消え入るような小さな声をかけられて、ジェレミアは肩を震わせてユーフェミアへと振り返った。

 まさかこんな状態の生物が喋るはずがない、という予想を覆し、ユーフェミアはぽつぽつと口を開いた。微かな声はしかし芯があり、意志の強さを感じさせた。

「あなたは、ルルーシュの騎士……?会ったこと、あります、よね……でもちゃんと話したことは、無かったかな……」

 ユーフェミアは途切れ途切れに話しながらジェレミアの顔をじっと見降ろしていた。片目が真っ赤に瞬いている。ギアスを持っているらしい。

 しかしそれさえどうでもよくなる程に、ジェレミアはユーフェミアに未だ意識が残っていることに驚いていた。

 なんという精神力だ。こんな、若く美しい女性に、いったいどれだけ強靭な精神が秘められているというのだろう。

 

 軍人として訓練を積んでいた自分でさえ、ギアスキャンセラーを取り付けた手術前後の記憶は無い。V.V.の口からルルーシュの名が洩れるまで自我の殆どは消失しており、意識など無いに等しかった。あの頃の自分は意味のある言葉など碌にしゃべれなかっただろう。

 そんな無様な自分と比較すると、今のユーフェミアはどうだ。

 自らの意志で喋り、6年も前に言葉を交わしたことも無いルルーシュの部下を思い出している。

 言葉にすればそれだけだ。しかしそれだけのために、どれだけ非常識な精神力を必要とするのか知っているのは、この世でジェレミア・ゴットバルトしかいなかった。

 半身どころか胸から下全ての臓器を失いながらも強靭な意識を保ち続けているユーフェミアへの敬意をジェレミアは抱かずにはいられなかった。

 片手を胸に当てて、ジェレミアは恭しく頭を下げた。

「お初にお目にかかります、ユーフェミア皇女殿下。ご察しの通り、私は非才の身ながらルルーシュ様の選任騎士を務めさせて頂いている者です。ジェレミア・ゴットバルトと申します」

「そう、はじめまして」

「ええ。お会いできて光栄です」

 こんな異様な空間において礼儀正しくも挨拶を交わした2人は、この奇妙な状況に笑いたくなった。2人とも並みならぬ強靭な精神力を備えているとはいえ、現実逃避に走りかねないほどに追いつめられていた。

 だが笑う暇など存在しなかった。特にユーフェミアの方は。

 ユフィは微笑み、頭を下げたままのジェレミアに声をかけた。

「初めての方に、こんなことを頼むことはおかしい……けど、お願いがあります」

「失礼ながら、私は今この施設から逃げ出そうとしている身です。お力添えになればよいのですが」

「大丈夫です」

 ユフィは笑みを深めた。

「私をここから連れて逃げてください」

 聞きようによってはプロポーズめいたドラマチックなセリフに、しかしジェレミアはただ哀れに思った。

 それが不可能だと理解できる程にこの少女は理性を保っていないのだろう。ジェレミアは出来得る限り限り優しく声を出した。

「ユーフェミア皇女殿下。恐れながら、私には不可能です。あなた様のお体では、ここから逃げることは……」

 ジェレミアはユーフェミアと繋がれているチューブに目を落とした。

 

 このチューブがある限り、ユーフェミアは鎖に繋がれた犬よろしくここから逃げることは不可能だ。だが内臓の殆どを失っているユーフェミアはこのチューブを切断すると死ぬだろう。

 

 突きつけられた現実に絶望するか、それとも泣き崩れるだろうというジェレミアの予想とは反し、しかしユーフェミアは柔らかな微笑みを浮かべたままだった。

「分かって、ます。いいです。死ぬ覚悟は、できてます」

「しかし、」

「このままここに、いても、私は……実験体として、ギアス嚮団の研究に間接的に協力することになる。死んでいるのと、同じ。そのくらいなら、いっそ、逃げたい。死ぬなら、最後に―――会いたい」

 拙い言葉遣いでユーフェミアはジェレミアに訴えた。

 目は必死にジェレミアを説得しようと瞬いていた。その瞳の色がルルーシュと似ていて、ジェレミアはぐ、と息をつめた。

「……お待ち下さい、カルテを見てみます」

 電子カルテに目を落とし、ジェレミアは凡そのユーフェミアの状態を確認した。

 

 士官学校で教わった程度の医療知識では詳細なことは分からなかったが、少なくともチューブを切っても即死はしないようだった。

 その事実にジェレミアはほんの少し安堵し、そして大きく絶望した。

 チューブを切ったら即死すると言えば、ユーフェミアも思い直してくれるかもしれなかっただろうに。

 これでは自分はユーフェミアを連れて逃げるという選択肢しか無くなってしまう。

 ここに残れば嫌でも生きることができるが、彼女の意志の通りに連れ出せば、即死はせずとも数時間ともたずに死ぬと分かっているのに。

 

「ユーフェミア皇女殿下、」

「早く、お願い。警備が来ます」

 急かすユーフェミアの声に、ジェレミアは目を閉じて、煩悶を抱きながら試験管に掌を合わせた。

 

 自分の行いはこの少女を殺すことになる。

 たとえそれが少女の望んだ結末であれ、気分が良いものではなかった。出来得ることならば少女の言葉に耳を貸さずに、このままこの小さな試験管の中にユーフェミアを留めて、その生を長引かせてやりたかった。

 だがユーフェミアの言う通りこのままここに幽閉され続けて命を伸ばしたとして、それは生きていると言える状態なのだろうか。

 理性が戻らず、錯乱した状態であった自身が生きていたかと問われれば、ジェレミアは首をすぐさま横に振る。意識の無い自分などそれは自分ではない。

 人を人足らしめているものは意識でしか有り得ないのだから。

 同じ境遇を経験した者として、死を望む少女を見捨てて逃げることはジェレミアの矜持が許さなかった。

 

「良いのですね。ここから逃げれば、あなたはもっても数時間程度しか――――」

「いいのです。いいです」

 ユフィは目を大きく開いて、まっすぐにジェレミアを見た。

「戦うこと、戦い続けること、そのために命をかけること、平和と安穏だけが人生の全てではありえないこと……戦わなければ、何も得られないこと……そう、ルルーシュが教えてくれた。私は愚かだった……」

 寂し気なユーフェミアから目を逸らし、ジェレミアはガラスを殴った。

 ガラスが飛散する。ジェレミアはガラスの割れ目からユーフェミアの体を引きずり出した。

 そのまま胸の下から伸びているチューブを引きちぎる。

 ぶちぶちとちぎれたチューブの先からは赤や黄色の液体がぽたぽたと漏れ出ていて、それがまるでユーフェミアの命そのもののように見えた。

 ジェレミアはあまりにも軽いユーフェミアを担ぎ上げて、弾けるように走り出した。

「スザクに会いたいの、スザクに……どうか、最後に……」

 そう呟くユーフェミアに、ジェレミアは歯の根をうち震わせて噛みしめた。

 

 

 

 

 

 

■  ■  ■

 

 

 

 

 

 

 砂漠の夜は寒い。

 ランスロットで宙を切り裂くように飛ぶ。

 何もない景色は体が溶けてしまいそうなほどに真っ暗で、星が異様に輝いて見えた。日本やブリタニアでは見ることの叶わない無数の星々を美しいと感じるにはスザクはあまりに気が立っていて、上から自分たちを嘲笑っている腹立たしい何かとしか思えなかった。

 スザクは高度を落とし、黒の騎士団が簡易的な本部を置いている場所へとランスロットを降ろした。そのままコックピットから飛び降りる。

 一時帰投したKMF搭乗者や、KMFの整備兵がスザクの姿を認めるなり嫌悪の籠った視線で睨む。しかしスザクは表情を変えることさえ無かった。

 睨まれるくらいであれば別になんということも無い。

 それどころか売国奴と呼ばわれている自分が黒の騎士団に協力するのだから、ゼロの目につかない場所で暴力を振るわれる程度の覚悟は既に固めていた。

 だが実際には嫌悪や軽蔑の目に晒されることはあっても、直接的にスザクを害そうという輩はいないようである。

 作戦開始前にゼロがスザクを「この作戦における貴重な協力者」と団員達へ説明したからだろう。ゼロからの直接の言葉とあり、嫌々ながらも団員はスザクがそこにいることを認めているようだった。

 

 スザクはゼロへ報告するために足を速めた。

 ルルーシュの下で仕事をするなど、これまで考えたことも無かった。ルルーシュがゼロだと知った後はさらにそうだ。

 だがこうして実際に働くとルルーシュが指揮官としていかに有能かよく分かる。作戦は簡潔かつ明快であり、各部隊へ向ける指示も気持ちが良いほどに切れが良い。さらに兵士への気遣いもあり、疲労した部隊の休憩時間や兵站の備蓄までルルーシュは全てを把握していた。一兵士としてここまで働きやすい環境は無いだろう。

 かといってこのまま黒の騎士団に移籍する気は無いが。

 

 スザクは蜃気楼の傍に立つルルーシュを見つけ、周囲に人がいないことを確認して近寄った。

「ルルーシュ、順調?」

「いや、あまり」

 ルルーシュは力なく首を振った。

 

 着々とギアス嚮団の捜索範囲は広がっているが、よほど厳重に居場所を隠しているらしくしっぽすら出ない。

 相手に気取られるとジェレミアとユーフェミアを人質に取られる可能性もあるため、慎重に慎重を重ねた捜索が強いられることも作戦の進行を遅らせる要因となっていた。

 

 カレンが小走りに駆けてきてぴしりと敬礼した。

「ゼロ、予定通りポイント23からポイント34までは捜索終了致しました。目立った成果はありません」

「そうか……やはりあるとすれば砂漠の中央付近か」

「なんで?」

「地下に空洞がある箇所が存在するんだ。ギアス嚮団はそこに拠点を作っている可能性が高い」

「なら最初からそこに向かえばいいんじゃないかな。捜索範囲があんまりにも広大だと時間がかかりすぎる。ゼロだっていつまでも中国にいられる訳じゃないんだろう?」

「周囲に監視カメラを仕掛けている可能性が高いから、端からちょっとずつ潰しているのよ。で、大体の場所が分かったら突っ込むってわけ」

「短期決戦を挑むのも手だが、ジェレミアとユフィの身柄があちらにある以上危険は避けたい。時間的に余裕が無いのも確かだが……それで、お前の方はどうだ」

「ランスロットで高高度から砂漠の全範囲を見回してみたけど、施設らしきものは無かった。ブリタニアの研究施設があるとすれば、やっぱり地下だと思う」

「そうか」

 ルルーシュは胸から地図を取り出し、思案し始めた。

 微動だにせず思考を巡らしている様子に、遠からずルルーシュはギアス嚮団の場所を割り出すだろうとスザクは確信した。

 ルルーシュと自分が揃って不可能だったことなどこれまで1つも無い。

 しかしそうと知っていても、スザクは焦燥感に身を焼かれる思いをしていた。

ユーフェミアが本当にギアス嚮団に囚われているのか、そして無事かどうかということはまだ分からないのだ。

 

 ジェレミアはギアス嚮団に捕らえられて、正気を失っていた。もしかするとユーフェミアも同じような目に遭っているかもしれない。

 いや、軍人で体力のあるジェレミアだからあの程度で済んでいただけで、ユフィはもっと酷い目に遭っているのではないか。

 そう思うとスザクは今すぐにランスロットでギアス嚮団に奇襲を仕掛けに行きたかった。

 無論、自分が冷静な思考ができていないことは理解している。だからこそスザクはルルーシュに判断を任せることにした。

 たとえ最善でなくとも、ルルーシュは正解へ至る最短の道を知っている。

 

「スザク」

「うん」

「カレン」

「はい!」

「ギアス嚮団本部のある凡その場所を割り出した。強襲する寸前まで気づかれないよう近づくために、お前とカレンには高度70km地点からギアス嚮団へ砲撃を行ってもらう。紅蓮とランスロットの耐久性ならば中間圏にも耐えられる。砲撃により大地に入口が空き次第、突入する」

「砲撃した後はどうすればいいの?」

「勿論突入部隊に入ってもらう。詳細は地下空間の情報がもう少し集まってから伝える。ドルイドシステムを全稼働しているが、ここまで遠距離かつ地下となると情報収集にも時間がかかるようだ」

 ルルーシュは砂漠に立つ蜃気楼を一瞥した。蜃気楼は寸断なく放熱しながら、ドルイドシステムの全容量を使用して稼働させている。ドルイドシステムが人類史上最も優れた情報解析システムであることはルルーシュも認めているところだが、それでもこのままではあまりに時間がかかり過ぎるように思えてならなかった。

 あまり時間はかけたく無い。ゼロとして長く中華連邦に留まっていられないという事情以上に、ジェレミアとユーフェミアがどんな状況にあるのか分からない以上気が急いてしょうがない。

 自分を含め皇族をモルモットとしか見なしていないギアス嚮団が、2人に何をしているのか想像することすら叶わない。

 

 ルルーシュは焦りと共に視線を上空へと向けた。本当に、星が降っているようだ。

 視線を吸い取る濃黒色の夜空が視界を覆い尽くす。端から端まで大小含めて無数の星が鏤められており、嘲るように瞬いていた。

 ルルーシュは眩い星空に、ふと自身の初陣を思い出した。8年前のヨーロッパでのことだった。

 初めて指揮を執った作戦は無事成功したものの、直後に反乱が起こって死にかけた。必死になって司令部を逃げまどい、3階の窓からテーブルクロスをロープの代わりにして飛び降りたのだった。お粗末な逃亡劇に今では苦笑しか湧かない。今見上げている夜空はその時の星空とよく似ていた。小さな人間の小さな幸福を嘲笑うかのように瞬いている。

 星の内の一つが、徐々に大きくなっていることにルルーシュは気づいた。一定のリズムを保って点灯する星はあまりにも人工的な光を保っており、凄まじい速度でこちらに迫っていた。

「―――なんだ?」

「流れ星?」

 ルルーシュにつられてカレンとスザクも同じように空を見上げた。

 数十秒の後、その1点は星の瞬きとはとても思えない程に巨大化し、轟音が周囲に響き渡り始めた。星などではなく、それは人工的に作られた機械だった。オレンジ色の球体をした機体が、真っすぐにこちらへと向かってきている。

 

 ドルイドシステムへ情報解析にかけるまでもなく、ルルーシュはそれが何か気づいた。

 もう2度も見た機体だ。KGF、ジークフリートだ。

 

「ゼ、ゼロ、あれは、」

「撃つな!あれは敵ではない!」

 ジークフリートを目にしたことのある団員はKMFに乗り込もうと体を浮かせたが、ゼロがそれを制止した。

 ゼロ直接の命令とありKMFで集中砲火を浴びせることは思いとどまったものの、それでもこちらへと襲い掛かろうとしているように見えるジークフリートへ数人の団員は悲鳴のような声を上げた。

「しかしゼロ、あれはこちらに落ちてきます!」

「攻撃するつもりなのでしょう、すぐに応戦を、」

「違う、ここに着陸するだけだろう。だが万が一ということもある。俺とカレン、そしてスザク以外は避難しろ!」

 ゼロがそう指示すると、その場にいた団員は戸惑いながらも指示に従って走り出した。

 指揮官であるゼロを残して逃げるという異常事態に疑問を抱いた団員は少なくなかったが、ゼロの指示が間違っていたことはこれまで1度として無かった。ならば今回の命令も何かしらの意味があるのだろうと判断し、枢木スザクと共に立つゼロを背に、頭上の敵から逃げ出した。

「ルルーシュ、あれ」

 茫然とするスザクに、ルルーシュは沸き上がる歓喜に仮面の下で頬を紅潮させていた。

「ああ。ジェレミアだ、ジェレミアが帰ってきたんだ!」

 ジークフリートは頭上50mのあたりで突如として速度を落とした。

 響いていた轟音が止む。頭上で静止したオレンジの果実は、雪の結晶のように緩やかに地面へと降り立った。

 

 ルルーシュは走り出した。ジークフリートの一部が地面に零れて、そこからよく知った顔が降りてきた。

「ジェレミア、ジェレミア、ジェレミア!」

 何度も彼の名を呼び、ルルーシュは息を切らせながらジークフリートへと駆け寄った。

 ようやく会えた、ようやく帰ってきた、ようやく……

 駆けるルルーシュの足は、しかし緩やかになり、歩みを止めた。眼球が脳へと鮮明に伝えた映像から、それが何なのかを理解することを感情が拒んでいた。

 

 ジェレミアは腕に化け物を抱えていた。

 

 胸から上の造りを見るにかろうじてそれが人間であったことは察せられたが、しかし少なくとも今のこの瞬間において、それは人間と呼べるものではなかった。

 嘔気と怖気で足を止めたルルーシュを押しのけ、猛然と駆け出したスザクがジェレミアの腕からその少女を奪うように掻き抱き、地べたに蹲った。

 

「嘘だ」

「―――スザク、」

「嘘だ。嘘だ」

 嘘だ、と繰り返してスザクはその少女を見下ろした。

 ユフィだ。しかし胸から下が無い。華奢な胴体があった筈の場所は、鈍色のチューブが我が物顔で占拠していた。

「スザク、よかった。会えた」

 微かな声にスザクは体の震えが止まらなかった。

 

 何だこれは。嘘だ。

 これは悪い夢だ。きっと。全て夢なんだ。

 ユフィはこんなに小さくない。それに前に抱きしめたときは、こんなに冷たくなかった。

 しかし質の悪い夢にしては視覚も感触も生々し過ぎる。眼球を抉り出したい衝動にスザクは駆られた。

 そうすればもうこんな光景を見なくて済む。しかし眼が見えなくなれば、もうユフィの笑顔を見ることさえ叶わなくなる。どうすればいいのか分からない。どうしたらいいのだろう。

 

 そうだ。僕はいつだってそうだった。父さんが死んだときだってそうだった。

いつだって、自分はこれは夢だと思うばかりで、何にも出来やしないんだ。

 

 ユフィの声は耳を澄ませないと聞こえない程に小さく、命の灯が今まさに消えようとしていることを残酷に証明していた。

「あのねスザク、言いたいこと、あるの」

「ユフィ、ユフィ、どうして、」

「ああ、意識が、私の意識が統合されていく………おねがいスザク、聞いて、」

 体を震わせるスザクへ、ユフィは今まさに落ちようとする夕日のような熱を込めて微笑んだ。

 白くて丸い頬をスザクの胸に擦り付ける。スザクはユフィを抱きしめた。

 他のことは何もできなかった。ただ一言もユフィの言葉を聞き逃すまいと、スザクは耳をユフィの口元へと近づけた。微かに鼓膜を震わせる程度の小さい音がした。

「………スザク、私、幸せ―――」

 ユフィは涙を零した。雫が頬に透明な道を作った。指先で涙を拭いながら、スザクは再度、嘘だ、と呟いた。

 菫色の柔らかい瞳には諦念と愛情が浮かんでいた。死を前にして浮かべる表情ではない。それも体を弄られて、人間としての尊厳も失って、理不尽な死を迎えようとしているのに―――

 憎悪や憤怒を微塵も感じさせない笑みはあまりに悲しかった。そして彼女の笑みは、幸せだという言葉が嘘では無いという何よりの証明になっていた。それに彼女の愚かなまでの純粋性、人を疑わない性質、そういった美徳をスザクは誰よりも知っていた。

ユフィは唇の隙間から息を吐いて、空気を震わせた。

 

「だからスザク、私、何も恨んでないわ――――」

 

 ユフィはゆっくりと目を閉じた。

 体の全ての動きを止めて、彼女は眠る様にスザクの腕の中に体を任せた。

 ルルーシュは静かに首を振ってジェレミアの腕に縋った。ジェレミアは周囲から見えないよう、ルルーシュの肩を抱いた。

 

「ユフィ、ユフィ?」

 スザクはユフィの体を何度も揺さぶった。

 これは冗談で、ユフィは眠っているだけなのだとスザクは本気でそう思っていた。

 何しろ、あまりにも非現実的な光景だった。ほんの少し前まで、これからユフィを救いに行こうとルルーシュと話をしていたのに。

 ゼロと手を組んで、カレンとも協力して、黒の騎士団に交じって。それなのに救えないなどという想像をスザクはしていなかった。

 揺さぶられるが儘のユフィに、スザクは再度、嘘だ、と呟いた。

「ユフィ、ユフィ、ねえ、起きてよ。冗談はやめて、ねえ、ユフィ、」

 スザクの新緑色の瞳が濁る瞬間を目の当たりにして、ルルーシュは怖気が走った。

 

 自分もジェレミアが死んだと思い込んだ時に、スザクと同じような瞳をしていたのだろう。

 傍から見るとスザクの姿は痛ましくもあったが、それ以上に恐ろしかった。

 狂気に走る人間の心情を理解できるのは、同じ狂気に身を置いたことのある人間しかいない。そしてルルーシュはスザクを理解できてしまう種類の人間であった。

 自分とスザクが違うのは、ジェレミアは帰ってきたが、ユーフェミアは二度と帰ってこないという事実がスザクの腕に横たわっていることだ。

 それはスザクにとって何の慰めにもならなかった。

 

「誰のせいなんだ?ブリタニア、それとも、ギアス嚮団?ねえ、ユフィ、教えてよ。お願いだ」

「……スザク、」

「うるさい!違う、こんなの嘘だ!」

「スザク、ユフィはもう、」

「黙れよ!違うんだ、だってユフィは僕や君みたいな人殺しじゃない、だから、だから………」

 スザクは彫像のように美しいままのユフィの頬を撫でた。

 冷たい。触れた指先から温度が消え去り、スザクの中にあった温かいものが流れ去って行く。

「だから、僕は……っ」

 永遠に手の届かない場所へ行ってしまったユフィの残骸を抱きしめて、スザクは割れ響く鯨波を上げた。

 その声は復讐者の産声であった。

 

 

 

 

 

 

破 劇終

 

 

 

 



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