仮面ライダーだけど、俺は死ぬかもしれない。 (下半身のセイバー(サイズ:アゾット剣))
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AGITΩ-過労-編(本編前)
♪01.BELIEVE YOURSELF


シンフォギアXDで爆死してムシャクシャして書いた。つまり勢い。反省はしてる(してるとは言ってない)
前からシンフォと仮面ライダー系書きたいなと思い、内容的にアギトならワンチャンあるなと暴走。挙句の果てにギャグ化した。過労に堪え忍ぶオリ主がOTONAならぬAGITO化していく様をお楽しみください。

作品コンセプト『戦っても生き残れない!』



 闇の中、見つめている。

 

 誰かを救わんと手を伸ばし、掴み取ったモノは〝力〟だったのか、それとも〝愛〟だったのか。

 求めたものはどこかへ消えた。信じたものはいつしか忘れてしまった。どこへも行けない折れた翼だけが無闇に残った。

 

 それでも、心だけは捨てなかった。

 

 これは夢だ。平気な顔をして笑ってみても、叫ぶように悲しく心が(すさ)ぶだけ。

 

 ───あなたは誰。

 

 ───あなたは何。

 

 ───なぜ、戦うの。

 

 ───なぜ、仮面で隠してしまうの。

 

 悲しい唄が鳴り響く。

 孤独な戦士が癒えぬ傷を背負って走る。

 闇の中、見つめていたのは誰だったのか。

 灼熱の肉体を焼き尽くし、ただ走り続けていたのは誰の為だったのか。

 

 ───待って。

 

 ───いかないで。

 

 ───戦わないで。

 

 我儘(わがまま)なんて言わない。

 私はただ、あなたの側に居たかった。居て欲しかった。それだけなのに。ただ一緒に生きていて欲しかっただけなのに。

 

 アギト───その仮面は、涙を隠すものだとするのなら、私はあなたにどう恩を返せばいいの?

 

 運命はこれからもあの人を陥れるだろう。

 想像を絶する苦痛を与えるだろう。

 だけど、あの人は迷わない。

 決して逃げない。

 どれほど辛くても、命から、悲鳴から、涙から、目を背けたりしない。

 

 それが〝仮面ライダー〟だから。

 そのための仮面なのだから。

 

 

 ───だから、どうか生きて。

 

 

 そんな声が聞こえた気がした。

 もう思い出すことはできないだろう。今はこの身もろとも修羅と化し(はし)り続けることしかできなくなった。

 

 ノイズ───認定特異災害とされる異形の存在は、人類を脅かす天敵ともなり得るものだった。

 なんの前触れもなく空間から滲むように現れ、罪なき人々を炭素の塊へと変貌させ、何事もなかったように自壊する。

 加えて、人間のみを固執して狙う。それが己に課せられた存在意義であるかのように、ノイズは人間を殺し尽くす。無慈悲な殺戮という恐怖に怯えぬ者など無いに等しい。

 

 既存の兵器はほぼ効果無しと言っても過言ではない。ノイズとの戦闘とは見栄を張った言い方で、実際は一方的な虐殺から自壊するまでの足止めに過ぎない。

 

 死傷者は年々増えるばかりだ。政府は対策に追われ、市民は不安で夜も眠れない。

 

 平和を望む人間のどれほどがノイズの脅威に怯えているだろうか? どれほどの涙が頬をつたって地へ落ちただろうか?

 

 わからない。

 

 青年は首を振る。

 

 ただ、やらねばならない。使命感がこの身体を、この魂を突き動かすのだ。

 戦わなくては。

 誰でもない、この自分が。

 胸にくすぶるのは正義ではない。断じて慈しみや優しさの心ではない。それはただの宿命(サダメ)というものなのだ。

 

 〝たとえ、この世界の人間でなくとも〟

 

 腰に巻きつくベルトのような変身器官が待機音を鳴らす。青年は引き絞った右手を前方へゆっくりと押し出し───

 

 〝変身ッ〟

 

 金色の輝きを放つ大地の戦士へと姿を変える。

 

 誰かが呼んだ。仮面ライダー、と。

 青年は苦笑しながら心の中で永遠に正されることのない訂正を繰り返す。

 

 俺は、仮面ライダーアギト。

 

 人間を超えた、ただの人間だ。

 ただの人間でありたいのだ。

 

 

***

 

 

 未確認生命体第2号と呼ばれる金色の戦士はある日、突然として人々の前に現れた。

 いや、悲惨なる戦場へ躍り出たのだ。

 世界がノイズの襲撃で大混乱に陥っている最中、それは何も語らず、何ごとにも動じず、圧倒的な力でノイズを組み伏せた。

 

 ノイズには位相差障壁という物理的な干渉を実質無効化してしまう能力がある。これにより、人類が築き上げてきた叡智の結晶とも言える兵器はほぼ無意味と化した。

 ノイズ相手に人間は殴る蹴る、挙句は銃弾などの攻撃さえ通すことは不可能になり、抵抗虚しいただ蹂躙されるだけの餌まで成り下がる運命を辿った。

 

 だが、未確認生命体第2号は違った。

 

 あれは自らの存在の大半を別世界に置くノイズという存在が、例えどれほど微かな存在であろうとも、そこに存在している認識、現象そのものに拳打を浴びせ、ノイズが人間界の物理法則に従っていようといなかろうと、直接それを粉砕する。

 いわば、世界に干渉している。

 あれは世界そのものを超えている。

 神にも届き得るその拳は物理を超越した存在を殴り、万象悉くを無に還す一蹴は空間さえ歪め、雑音もろとも破壊し尽くす。

 

 特異災害対策機動部二課の最新設備を持ってしてでも遅れを取る、未確認生命体第2号のノイズ感知能力と行動の早さ。

 そして迅速かつ圧倒的なノイズ殲滅スピード。

 ただ、誰もその正体を知らない。

 

 未確認生命体第2号───誰かが呼称した『仮面ライダー』という名を持つ者。

 それは澄み切った金色の音色。

 大地そのものが唄を歌っている。フォニックゲインが溢れ出している。

 彼を祝福するように、地球が唄を歌っている。

 

 故に、何ものにも染まらず、何ものにも犯されない。

 

 魂の唄。

 

「はぁぁぁぁぁぁ……ッ‼︎」

 

 大地に浮かび上がる紋章がそう語る。

 

 特異災害対策機動部二課司令官、風鳴弦十郎は初めてそれを現実に視た時、そう言わざるを得なかった。

 

 ノイズ襲撃の連絡を受け、更には未確認生命体第2号の目撃情報も重なり、司令自ら出向いた。

 見極めねばならない。弦十郎は無意識に高鳴る胸を抑え込み、現場へと急行した。

 

 場所は某所の廃車置場。星々が薄気味悪く瞬く深夜の闇の中、軍団と化した雑音と一人戦う黄金が居た。

 そして、弦十郎は純粋に感動し、その総てに見惚れた。

 

 強い、極限的に。

 

 巧い、達人級に。

 

 そして、見惚れるほど美しい。

 

 動きに一切の無駄がない。

 ノイズに対して行動を予知しているかのような戦い方。拳を突き出せば、そこにノイズ自らが飛び込んでくる始末。一曲の演武を魅せられているようだった。

 武器も持たぬ平手の構えを中心に、己の肉体のみを駆使して敵を驚くべき速度で排除していく。四方から襲いかかるノイズの攻撃に一歩も怯まず、恐怖すら感じるほどの的確過ぎるカウンターをほぼ同時に複数叩き込む。

 

 戦い慣れている? いや、あれはそのような極致ではない。

 命そのものが戦いであった者の生き様だ。計り知れない幾たびの戦場を這いずった者の心裏だ。

 

 弦十郎は理解する。未確認生命体第2号が何たるかを。

 

 やがて、ノイズの群れが未確認生命体第2号の気迫に押し負け、陣形が大きく崩れると、大地に翼のような紋章が浮かび上がった。

 

 風鳴弦十郎は視た。未確認生命体第2号の仮面に聳える二枚の角が、熾天使がその三対の翼を広げ天に舞うが如く展開された瞬間を。

 

 クロスホーンが解放される。

 

 大地が唄い、噴火するようにフォニックゲインが吹き荒れる。

 大地の力をその身に宿し放つ最強たる必殺の一撃が唸る───!

 

 【ライダーキック】

 

「はぁぁぁ……ハァァァァァァッッ‼︎」

 

 まさに飛び蹴りであった。ただし、目にも留まらぬスピードで加速し放たれる弾丸の如き飛び蹴り。

 人間では到底不可能な速度で放たれた極致に至りし飛び蹴りは一体のヒューマノイドノイズに直撃後、そのまま地面にめり込ませ、莫大なエネルギーを大地から辺り一面に波打つように拡大させた。

 その一撃は大地を揺るがし、空間さえ歪め、地面に放流するエネルギーを浴びたノイズ数百匹を文字通り消し炭にした。

 大地を伝って凄惨なエネルギーが荒れ狂い、射程圏内に留まったすべての雑音を己の地の音色に染め上げたのだ。

 

 (のこ)るものなど何もない。

 風に揺られた煤が静かに月夜に舞う。

 騒がしいほどの雑音は静寂へと変わり、ただ一人の勝者である黄金の戦士を包んだ。

 

 森閑とした廃車置場を背中に未確認生命体第2号がゆっくりと戦場を後にすべく、一際目立つ赤と金のバイクへ歩み寄る。

 木陰から一部始終を眺めていた弦十郎は慌てて彼を引き止めた。

 

「待ってくれ! きみは……っ」

 

 突然現れた弦十郎にちらりと真っ赤な複眼を向ける。だが、その瞳には何も映らない。

 やがて、沈黙のままバイクに跨り、重たいエンジン音と共に颯爽とその場から立ち去った。

 金色の戦士の後ろ姿を見つめながら弦十郎は脳裏に刻まれたあの瞬間を反芻するように思い出す。

 

 神の領域に至った者の真髄。まさに、そんな言葉が似合う者だった。

 悪しき者ではない。動きを見れば判る。あの真っ赤な瞳には、確かな正義が見えた気がしたのだ。

 

「仮面ライダー、か……」

 

 あの仮面に隠されているのは何なのか、弦十郎は人知れず微笑んだ。仮面ライダーがこれからもたらすものを期待して。

 

(ギャアァァァァァァッ⁉︎⁉︎ OTONAダァァァァァァッ⁉︎⁉︎ 殺られるッ⁉︎)

 

 まさか、その仮面ライダーが内心ビビりまくって尻尾を巻いて逃げたとは誰も思うまい。

 




真面目なわけないんだよなぁ…。タグに偽りはない。


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♩.俺は過労で死ぬかもしれない。

 

 ちゅらい。

 

 仮面ライダーまじちゅらい。

 

 何が辛いっていうと勤務時間が凄くちゅらい。いや、ノイズたん単体も極めて面倒なんだけど、やっぱり総合してみると半日ぐらい働いてたりするし、移動時間を考えると死にたくなる。

 近場で現れてくれると楽なんだけど、普通に地方とか国単位で変わられるとスライダーモード不可避なんだよ。仮面ライダーに出張させんな。近場で来いや空気読め。

 

 てか、なんでノイズたん殲滅した後に人間相手に追いかけっこしなきゃダメなの? 俺のこと好きなの? ときめきクライシス? はいはい絶版な。

 ほんと勘弁して。まだ全然土地勘ないんです。都内全域使ってフルマラソンとかやめて。箱根駅伝かよ。

 まあ、こっちバイクだけど。しかもマシントルネイダーだけど。でもさ、キミらバイクどころかヘリ使うじゃん。やめない? 夜中とか寝てる人いっぱい居んのよ? 苦情きても俺のせいにしないでねマジで。

 

『+々a▽:⇔☆$g#<々:i♪☆^t=5o3¥……』

 

 ああ〜ちゅらい。

 なんで俺、戦ってんの? 給料でないのに。仮面ライダーだから? 響鬼さん観てから言えよ。シフト制だぞあっち。……はいはい滑舌勢と地獄兄弟はシャラップ。BORDとZECTはブラック会社な。

 

『◎y×<♭1ou:々r〆▲→d☆i*々|<e°⁉︎⁇』

 

 はいはい。今日も今日とてノイズたんは元気で大量ですね。やかましくて元気でウジャウジャ大量とか、なんか嫌なもんしか浮かばない。虫とか大概そうじゃん。蛾とかゴキとか……ねじれコンニャクはお呼びじゃない。

 

 嗚呼、帰りたい。チョー帰りたい。でも、帰ったらノイズたん炭素にしちゃうでしょ? どこのオルフェノクだよ。触れるだけとか尚さら面倒だわ。

 

 あぁ〜帰りたァァい! 休みたい! 家に帰って六時間くらいちゃんと睡眠したい! 別に連休とかそこまで大きな休暇は所望しないから、単に平均的な睡眠時間が───

 

『¥a$€%°g#*〆i×t+5>8*→o‼︎⁈』

 

「…………ッ!」

 

 飛びかかってきたノイズをカウンターキックで弾き返した。ノイズはそのままアスファルトと激突後、炭となって消えていく。南無三。

 ノイズは人間のような限りある命を燃やして生きているわけではない。それを証拠にノイズの死は何一つとして残さぬ消滅だ。あれは生きているというより、ただ存在しているだけ。虚無に近いものだと感じる。

 

 てか、ノイズってなんだっけ? 生物兵器? 絶滅させれんの? 今のところ、絶滅の可能性ゼロなんですけど。繁殖してんじゃねーのかアレ。

 つまり、俺の戦いは未来永劫続くってわけだな。なにそれ泣けりゅ。

 

「はぁ」

 

 思わず溜め息ポロリ。

 いかんいかん。今の俺は仮面ライダーアギト。情けない声を出すのは人間の時だけにするって決めたでしょ。

 前にも戦闘後に「ふぅ〜疲れたぁー。週末には温泉にでも行こっかな」とか間抜けな声出したら木陰からそっと覗いていた小さな子供に聞かれたでしょ。ナズェミテルンディス⁉︎

 

 翌朝のゴシップ雑誌にてかでかと

『未確認生命体2号、やっぱり疲れていた!〜週末はバイクで温泉旅行〜』

 とか書かれてた時は恥ずかしさで海老反ったわ。友人の響ちゃんがその記事を楽しそうに見せてきて反射的に雑誌をDIE SET DOWN‼︎ しそうになったのはまだ新しい記憶。

 

 気を引き締めねば、また同じことを繰り返すぞ。

 

「はぁぁぁ……ッ‼︎」

 

 手足に力を溜め込むように気合いを入れ、先ほどの溜め息を誤魔化してみる。無論、周囲に人の気配はないとはいえ、週七のペースで駆け出されている自分の第六感レーダーは信用できない。……てか、エブリデイ出勤かよ。ええ、仮面ライダーに休みはありましぇん。

 

「はぁアッ‼︎」

 

 蓄積したパワーを解放して、跳躍。

 ノイズたちの頭上を軽々と越え、密集する群れの背後へ着地。すぐさま構えをとり、ノイズの群れへと攻撃をしかける。

 

 グランドフォームの脚力舐めんな!

 

 ノイズたんもやる気元気いわきらしく不愉快な雑音を咆哮に襲いかかる。

 それをカウンターで迎撃する。

 無我の境地(笑)で戦う俺はあまり下手に考えず、反射に身を任せて丁寧に、尚且つ確実に一匹、また一匹と殲滅していく。

 

 だって仕方ない。ノイズたんは一体であれ、人間にとっては如何なる動植物よりも危険な存在だ。ノイズと偶然出会ってしまった不幸には必ずや死を確信して自身の命を諦めてしまうだろう。

 だから一匹も逃さない。幸いノイズはアギトに強い反応を示し、無力な人間より、遥か高みの存在であるアギトへ攻撃を優先、いや、アギト以外を見なくなる(・・・・・・・・・・・)。あらゆるものを視界から外し、アギトのみを消滅対象に変える。

 

 これが何を意味するのか俺にはまだ理解できないが、ただ一つ言えることがある。

 

 やっぱり、面倒くせえええええええッ‼︎ ちまちま一体ずつとかダルいよおおおおおお‼︎ 誰か虫捕り棒持ってきてええええええ‼︎ ───とか、思ってる隙にライダーキィィィぃぃッック‼︎‼︎(相手はしぬ)

 

 こうして、俺の一日は戦いで終わっていくのだ。いや、終わらないで(懇願)

 

 

 

 ***

 

 

 

「あれぇ……今日もお休みなんですか?」

 

「ごめんね響ちゃん。ちょっと人助けしてくるって言って出て行っちゃったの」

 

 お好み焼き屋『ふらわー』にて、立花響は頬を膨らませながら机に突っ伏した。前以(まえもっ)てこの時間には居ると確認を取ったにもかかわらず、この仕打ちとは如何(いかが)なものか。

 しかし、彼女の親友はまるで気にしていない素振りのまま、ほんのり温かいおしぼりで手を拭いていた。

 

「響、お行儀悪いよ」

 

「未来だって拗ねてんじゃん」

 

 向かいの席に座る小日向未来は予想外の言葉に目を丸くしたが、すぐに平静を装いそっぽを向いた。

 そういうところを自分は指摘しているのだが、今それを言ったところで面倒なことになるだけだ。

 

 特に今、この不快な気持ちに加えて空腹が響を板挟みしている状態で一度怒ると鬼より怖い未来と些細な喧嘩でもしてみるものなら、十秒足らずでノックダウンする自信がある。

 そんなことを考えていたら余計に腹立たしく感じた。彼はいつもそうだ。状況を搔き乱すだけ搔き乱して、後のことは知らぬ存ぜぬの放置を決め込む。

 

 まさに、無責任な男なのだ。

 

「最近、なんだか付き合い悪いね」

 

「そうだね。……今度会ったらお仕置きだね」

 

 未来のガチトーンに内心ビクッと震えたが、よくよく考えれば妥当である。直接的な約束はしていないとはいえ、嘘をついたのだ。

 それにお店を投げ出して、人助けというお節介を焼く彼に責任は大いにある。

 

「ちなみに、いつも人助けというお節介のせいで、放ったらかしにされてる私がいるんだけど、どう思う?」

 

「アッハイ。すいません以後気をつけます……」

 

 こっちに飛び火した。それに関しては頭を下げるしかない響であった。

 

 今日の未来は一段と機嫌が悪い。今朝から鼻唄を歌うほど楽しみにしていたことを思うと機嫌も斜めどころか九十度まで傾くというものだ。

 だが、その気持ちは響も同じだ。

 楽しみのあまり昼食を普段の半分までに抑えたのに、こんな複雑な気持ちではお好み焼きを満足に食べれそうにない。

 

「まったく、罪な男だね……」

 

 ふらわーの店主ことおばちゃんは苦笑いながらいつもより1.5増しのお好み焼きを焼いてやるのであった。

 そうでもしなければ、可愛らしい少女二人を放置した愚かなバイトに泣きつかれるかもしれないからだ。

 

 

 

 ***

 

 

 そもそもの話、俺はこの世界の人間ではない。

 俗に言う転生者ってやつだろう。ただし、自分がどうして死んだのか、どうしてここにいるのか全くわからない。

 生前、何をし、何を為し、何として生きたのか。

 親も、友人も、恋人も、自身の名前すら分からない。だが、どこかで生きた確信がこの魂に刻まれている。

 記憶に薄っすらと残っているのは精々ちょいちょい覚えている映画やアニメなどの視覚的記憶に残りやすい映像物。

 

 名前すら失った、無駄な思考力を持った男がこの俺である。

 

 気づけば、波に叩かれながら浜辺に打ち上げられ、この成人(?)した肉体とバイクが一台と三体の……いや、これに関しての説明は今はしないでおこう。なんか面倒くさい。

 つーか持ち物バイクってどうよ。どんだけライダーとして意識高ぇんだよ。売って金にしろってか? するかバーカ。

 

 でも、免許ないよ‼︎ 取って免許証宝物という名の遺品にするっきゃねぇな!(最優先事項)

 

 と、こんなノリで免許を取った俺。記憶喪失でも免許は取れるんですよ氷川さん!

 それから色々と警察やらお役所にお世話になりながら、紛いなりに身分が証明できるようになった記憶喪失(笑)は現在バイトに明け暮れている。

 社会的地位は最底辺である。

 肉体的疲労は限界値である。

 でも、幸せならおっけーです! ……つまりオッケーじゃねぇな。幸せ感0だもんな今。

 

 なけなしの前世の記憶、役に立たねぇなオイ。余計なものばかり頭に残して、大事なものはすっぽ抜けている。

 自分のことすら分からない人間に、何ができるというのだ。何が守れるというのだ。仮面ライダーの名が泣くぞ。本郷猛に殴られても文句言えないぞ。

 

 でも、まあ、アニメとか特撮とか色々そっちの記憶はあるので九割方オタクであったに違いない。

 自分が転生したことに驚きを持ちつつ、普通に対応できているのも、この無駄な記憶から得た知識と順応性のおかげであろう。

 

 問題はこの世界が『戦姫絶唱シンフォギア』という萌えより燃えに特化したアニメーション作品であり、なぜか俺が仮面ライダーの力を持っているというわけで……。

 当初は戸惑いつつも原作キャラに会えるのかと興奮しながら醜悪な勤務時間を耐え続けた。仮面ライダーとして戦えば、いつか彼女たちの隣に立てるのではないかと淡い希望も抱いたものだ。

 

 そんな時、偶然にも一人の原作キャラと出会ってしまい、希望は儚く打ち砕かれた。総てを悟ってしまったのだ。

 

 まあ、原作前ダヨネ(白目)

 

 ……え、ノイズ? 装者いない?

 

 戦うしかナイヨネー(涙目)

 

 何が一番嫌かというと、ノイズがこの世に出現すると耳鳴りのような、金切り音というか、ニュータイプの某ピキーンみたく感知能力があるということだ。

 しかも何気に優秀。多分、ノイズ出現前から感知しているのかもしれない。予知能力と言っていいだろう。

 

 つまり、シンフォギア装者が来る前にノイズを片付けろと? ()()に及んで仕事スピードも求めるのね。エエ、ヤッテヤリマショウ。子供ヲ守ルノハ大人ノ仕事。

 

 あとは我が相棒マシントルネイダーたんでひとっ走り付き合えよ! 的な感じで現場入り。わいわいノイズたんと戯れて、疲れて帰る。……疲れて帰る。

 給料? 貰ってるかよンなもん。

 仮面ライダーは孤独なんだよ!(必死)

 

 ちなみに、住み込みでバイトしているのでなんとか生活はできてまふ。とあるお好み焼き屋さんの空室を借りてます。

 ええ。生活できてるんです辛うじて。知ってるかい? 人間って睡眠時間二時間でも生きていけるんだぜ? ええ。俺もびっくりだよ。ぜってぇ俺ん中のオルタリングが生命維持頑張ってるもん。オルタリングが先に過労死したって俺は驚かないよ。

 

 ああ、辛い。

 なんで俺を仮面ライダーにしたのさ神様。

 

 ああ、泣きたい。

 しかも、なんでアギトよ。いいけどさ。好きだけどさ。でも、こんなんじゃ魂目覚められねぇよ。

 

 ああ、休みたい。

 マジで助けて神様。じゃねぇと自分、神様殴っちゃうぞ。ウンメイノーすっぞごら。

 

『『×a〆g:*☆it〒o^-△m→u^s+○*t÷#+d$ie¥⁈⁉︎』』

 

 …………。

 

 いいから助けろよおおおおおおおお‼︎(魂の叫び)

 てか、ノイズたんは戦ってる最中に増えんなああああああ馬鹿ああああああ‼︎(号泣)

 

 オデノカラダハボドボドダ‼︎‼︎

 




※ノイズ語は作者がテキトーに文字記号打ちまくってるだけですが、その後にちゃんとした言語ぶち込んでるので解読は可能DEATH。割と簡単なので解読してみまSHOW。


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♫.俺は393のお怒りを買っているかもしれない。

まだ二話しか投稿してないのにゲージに色が付いてハイパーマックス大草原。


 立花響が〝彼〟と出会ったのは、ちょっとした些細なきっかけであった。

 いや、響にとってはかけがえのない思い出に違いない。

 中学生になったばかりの響は例の如く、度を超えたお人好しに勤しんでいた。

 

「ほーら、怖くないから怖くないから……」

 

「ニャー」

 

 背が高く細身である木に猿のような慣れた手つきで登り、スカートであるにも関わらず、木から降りれなくなった子猫を救わんと奮闘していた。

 ちなみに、その日は至って平日。遅刻は確定。

 陸上部に入り、朝練へ向かった親友のモーニングコール虚しく寝坊したので半ば諦めていたと言っても過言ではないが。

 

「う〜ん、あと少しあと少し……」

 

 そぉっと手を伸ばし、優しく子猫を抱きかかえようとした時、ミシリと嫌な音が聞こえた。

 それは間違いなく腕が折れそうだと木が上げた悲鳴であった。それに気づいた時には、響は子猫もろとも落下していた。

 

「うぇぇぇぇぇぇぇっ⁉︎」

 

「うわぁぁぁぁぁぁっ⁉︎」

 

 衝撃、と悲鳴が二つ。

 

「いたたたぁ……あれ? 無事?」

 

 骨折はする。と、落下時に過ぎったが、意外にも外傷は無い。お尻がじーんと痛む程度だ。

 割と相当な高さからロクな受け身も取れずに落ちたはずだったが、響も咄嗟に守るように抱き締めた子猫も無事である。

 

 これは奇跡か? 日頃の行いか?

 

「ぐべぇ……っ」

 

 困惑している間に、下から魂が解き放たれた声がした。

 見れば、下敷きになっている青年がいるではないか。それも口を半開きにし、目が白くなっている。

 

 明らかにヤバい。

 

「えええええっ⁉︎ す、すすすみません‼︎ あとしっかりして下さい!」

 

 飛び出すように退いて、半死状態の青年を揺さぶる。男は糸の切れた人形のように為されるまま動かない。

 

「……せ、仙人がみえる」

 

 意味は分からないが、恐らく死の淵に立っていることだけは分かる。響は更に強く青年を揺さぶる。

 

「頑張ってください‼︎ 死んじゃダメですよ!」

 

「auアイコンを十五コ? そんなことよりたこ焼き食べようぜ」

 

「どうしよ……この人本気でやばい」

 

 もしかして三途の川で誰かとやり取りしているのではないか。焦る響の思考も路線がズレていく。

 ついに青年が「マツンダゴー‼︎イッテイーヨ!」と奇声を発した時には響の決意も固まっていた。

 無礼を承知で思いっきり青年のお腹にヒップドロップ。青年の意味不明な死に際の言葉は、壊れたPCを叩いて直すレトロチックな考え方を響にもたらしたのだ。

 

「せやぁ‼︎」

 

「うゔぁッ⁉︎」

 

 どこぞの緑の欲望の名を断末魔に飛び起きる青年。そのまま噎せながら息を吹き返す。

 そう、響が苦肉の策として行った荒治療レベルMAXは、この青年にとっては有効であったのだ。

 

「あれ、どうして俺、寝てたんだっけ? 確か普通に歩いてたら『親方、空から女の子が』って頭に浮かんだ光景が……」

 

 ちらりと青年が正座する響を発見した。膝の上には子猫が「ニャー」と鳴いている。

 

「へへへ……っ」

 

 頭を掻きながら何故か笑う響。

 

「ははは……っ」

 

 とりあえず、つられて笑ってみる青年。

 

「「…………」」

 

 しかし、ぎこちない笑いは直ぐに沈黙へと変わった。

 

「あの、すいませんでした!」

 

「いや、いいよ。うん」

 

 頭を下げる響に青年は一人頷いた。そして、遠くを見つめるように哀愁を漂わせる。

 

「なんかさ、もう色々と察しちゃうよね」

 

 この時、青年がこぼした言葉の意味を響は理解することはないだろう。例え、仮に理解したとしても、青年の心の内まで共感することは誰にもできやしないだから。

 ましてや、穏やかに微笑む青年が今この時に〝命尽きるまで戦う覚悟〟を抱いたことなどまだ中学生の響にわかるはずもない。

 

 何よりも、

 

「あ。私、立花響っていいます! 13歳です!」

 

 まさか、

 

「響ちゃんね。えーと、俺は、そうだなぁ」

 

 目の前の何気ない普通の青年が、

 

「翔一……うん。津上翔一でいいよ」

 

 名前すら考えねばならないほどの〝記憶喪失〟だと予想できはしないだろう。

 

 

 

***

 

 

 

「翔一さん、何か言い訳は?」

 

「ナニモゴザイマセン」

 

 お好み焼き屋『ふらわー』にて、床に正座させられている青年が一人。現状、最もヒエラルキーが下であろう津上翔一である。

 腕を組み、正座をさせている女子中学生こと立花響。

 その横で涼しげにカウンター席に座る女子中学生こと小日向未来。

 厨房で微笑ましく傍観しているおばちゃんことおばちゃん。

 

 異様な空間が広がっていた。

 翔一に至っては所在無さげに、しかして助けを求める人もおらず、己に課せられる刑を待つ罪人のような心境だった。

 まさか、帰ってきて早々「正座」と響に言われ、笑いながら軽く流そうとすると未来から「正座」と身も凍るほどの声音で命じられるとは思いもしなかった。

 

 果たして司法は俺を守ってくれるのか。薄っぺらい希望を祖国に託し、翔一は腹を括った。

 裁判官たる『私、怒ってるよ』感漂う響が口を開く。

 

「確認しましたよね? 明日は居るって」

 

「左様でございます」

 

「で、実際は」

 

「少々席を外しておりました」

 

「理由は」

 

「人助け、です」

 

 歯切れの悪い言葉に気まずくて目線を逸らす。

 大丈夫。嘘は言ってない。過程はどうあれ、その行為によって誰か一人でも救われたのなら、それは紛れもない〝人助け〟になるはずだ。

 懸念すべきは、人間一人なら容易に射殺せるほどの眼光を一瞬のみ向けた未来のドス黒い心情か。

 響の冷たい目が縮こまる翔一の横にぽつんと置かれたヘルメットとグローブに注がれる。

 

「バイクでどこ行ってたんですか」

 

「こ、公園……?」

 

 翔一は頭の中でぼんやりと浮かんだ光景に身震いした。辛うじて大きな滑り台の頭が見えたので公園だったのだろう。だが、それよりも過激なアトラクションがうじゃうじゃいたので記憶に薄い。

 できるなら二度と行きたくない公園(HELL)であった。

 だが、くたくたになって帰ってきたと思えば、いきなり女子中学生二人に捕まり、その場で正座させられるここも地獄か。

 

 我が安息の地は何処(いずこ)へ……。

 

「反省してる?」

 

「してます」

 

「じゃあ、謝罪を」

 

「すべて私の責任だ。だが、私は謝らない(キリッ」

 

 後悔しても反省はしない。それが俺の生き様───byしょーいち

 

「ちょっと未来ぅ、この翔一さん(バカ)になんとか言ってあげてよ!」

 

 人として必要な何かしらをどこかに忘れてきたであろう翔一に止むを得ず響は最終兵器(ファイナル・ウェポン)を投入する。

 最終なのに早すぎじゃね? これが本当の最初からクライマックスってやつか。などと呆けたことを考えていた翔一は事の重大さに気づき戦慄を禁じ得なかった。

 

 未来が笑っている。

 ただし、背後には金剛力士像というか、十面鬼とかキングダークが見える。

 何も言わず、感情を発さず、ただ死にゆく罪人の首を切り落とす処刑人の如く、その笑顔には中身というものが無かった。

 響の怒りはまだ可愛いものがある。子犬がきゃんきゃん鳴いているようなもの。

 だが、未来の怒りはヤバい。何がヤバいかって、とにかくヤバい。語彙力が死ぬほどヤバい。子犬とか比べることが烏滸(おこ)がましい。あれは恐竜。プトティラに至っている。

 

「あ、あのー、未来ちゃん?」

 

「なにかな、翔一さん」

 

 全く変わらない穏やかな声が逆に怖い。彼女たちとはかれこれ二年近くの付き合いだが、経験上から翔一は未来おこフェーズ4に入りかけていると判断。つまり、やばい。

 最終段階フェーズ5に移行すれば、彼女を止められるものは地球上から姿を消し、淡い希望を太陽系に存在するどこかの惑星に託すしかない。

 

 謝らなければ死に至る状況下、翔一の判断は早かった。

 

「えっと、その…………誠に申し訳ございませんでした」

 

 誠心誠意の土下座。

 残り僅かなプライドを没シュート。

 情けないことに、翔一にはこれしか生き残る術が無かった。

 

 

***

 

 

 女子中学生二人に頭が上がらない男性がいるらしい。ええ〜そんな哀れな奴いる〜? ……はい、俺です。

 津上翔一、年齢不明、趣味はツーリングと料理。お好み焼き屋『ふらわー』で住み込みで働き、夜は警備員のバイトをして辛うじて息をしている仮面ライダー顎です。ヨロシクネ。

 

「ほら、未来、見て見てこの記事! また〝仮面ライダー〟が出たんだって!」

 

「最近多いね。ノイズが増えてるのかな?」

 

「警報鳴る前に倒しちゃうから分かんないなぁ。でも、やっぱりかっこいいなぁ〜仮面ライダー!」

 

「ほんと好きだね仮面ライダー」

 

「そりゃ今のトレンドは『ツヴァイウィング』と『仮面ライダー』だからね!」

 

 お好み焼き屋『ふらわー』の二階の空室を借りた六畳間の我が家では、なぜか女子中学生二人が畳に寝転がって、壮大に話に花を咲かせて寛いでいる。

 JC二人が一人暮らしの男性の家に……もしもしポリスメン? などと通報されても文句は言えまいが、それだけは勘弁願いたい。

 

 というか、いつものことなのだ。

 この二人が自分の家のように我が家で寛ぐのは日常茶飯事のことである。

 

 我が六畳間には記憶喪失らしく私物がほとんど無い。しかし、この二人がズカズカと部屋に押し入るものだから、響ちゃんと未来ちゃんの私物が置かれちゃったりしている。

 小さな箪笥の横に置かれたそれよりも大きな衣装ケースは二人の着替えだし、押入れには当然の如く未来ちゃんの部活用品や響ちゃんの雑誌などが置かれている。

 

 お泊まりセットまで置いてあるのは如何なものか。それに良い年頃なんだから尚のこと駄目でしょ。

 そんなことを聞いたら、別にいいじゃんと素で返されたので、何も言えなくなった俺は心を無にしている。

 

 おかしい。見ず知らずのおっさんの部屋にJCが寝泊まりとか、まず親が絶対許さんだろうに(※公認済み)。

 多分、都合のいい奴だと思われている。……学校から近いしねここ。

 

 こうして、淡々と夕飯を作る俺を尻目に畳の上でゴロゴロしているのは、大方俺の晩飯たかる気満々なのだろう。

 

 おかしいな。俺、貧乏なんだけど……。

 

「翔一さーん! ずばり、今日の献立は?」

 

「スーパーで安くて美味しい茄子をゲットしたから、今日は豚肉と茄子の味噌炒めかな」

 

「異議ナ〜シ!」

 

 謎のハイテンションの響ちゃんと静かに目を輝かせる未来ちゃん。週二のペースで来るもんだから、食材はきっちり多めに保存してあるぜ! 特にお米は対響用に五合炊いてらぁ!(ヤケクソ)

 さあ、出来たぜ……地獄のフルコースがよォ‼︎ 豚の餌ァァとは言わせんぞ!

 

「「「いただきます」」」

 

 みんなで手を合わせて晩御飯。

 相変わらず物凄いスピードでご飯を口にかき込む響ちゃんの吸引力に軽い恐怖心を覚えずにはいられない。多分、響ちゃんとライオンはベストマッチする。

 

「お〜いひぃ〜」

 

 そんな幸せそうな顔されてもなぁ……。

 

「響、ほっぺたにご飯粒ついてるよ」

 

「んっ、ありがとう未来」

 

 響ちゃんの頬についた米粒を未来ちゃんが摘んで取ってそのままパクり。何この圧倒的百合(歓喜)

 やっぱりシンフォギアは百合作品ってはっきりわかんだね。

 

「なんでそんな嬉しそうなんですか翔一さん」

 

「いや、なんでもないよ」

 

 未来ちゃんのジト目を受け取り、ご飯を口にする。やっぱり日本の米は世界一ィィ!

 ふと、響ちゃんと目があった。もぐもぐとリスのように膨らんだ頬のまま、その目は不思議そうにじっと俺を捉えていた。

 

「響ちゃん、俺は食べられないよ」

 

「食べませんよ!」

 

「そんな⁉︎ 私を差し置いて、どうして翔一さんなの響⁉︎」

 

「未来も悪ノリしないでよぉ⁉︎」

 

 俺と未来ちゃんのコンビネーション技。弄り甲斐のある響ちゃんをもっと弄くり回したいという共感が、やがて同感、時を得て信頼感に変わり、今では打ち合わせが無かろうと以心伝心で弄れる。

 無言で未来ちゃんとハイタッチ。これが友情。

 

 (今の響の顔、見ました?)

 

 (チョー可愛かった)

 

 ((〝固い握手〟))

 

 これでも、最初は未来ちゃんにすっごい嫌われていたのだ。なんか親の仇を見るような目だった。理由はわかる。響ちゃんが妙に俺に懐いたからだ。

 嫁が夫についた悪い虫を駆除するのは当たり前。いつ未来ちゃんに刺されるんだろうかと内心思いながら過ごしていたら、なんかいつの間にか仲良くなってた。ほんと知らない間に。

 

 多分、俺如きでは脅威にすらなり得ないと判断されたのだろう。……うん。それはそれで悲C。

 

「で、響はなんで翔一さんのこと見てたの」

 

「えーと……」

 

 じぃ〜と俺を見つめる響ちゃん。ヤダ恥ずかしい///

 

「いつも思うんだけど、記憶喪失なのに辛くないのかなって」

 

 おうふ……。

 思ったりよりも内容が重かった。

 響ちゃんも失言だったかと瞳を僅かに潤わせている。

 助けの視線を未来ちゃんに寄せるものの、その目は申し訳無さそうだが明らかに興味深々。答えざるを得ない。

 

 まあ、大したことではないのだが。

 

「全然。別に今のところ不便も無いし」

 

 これは本音だ。現状、職もあるし、住処もある。生きていく上では何ら問題はない環境が幸運なことに俺には揃っている。

 それに、記憶喪失と言っても、前世の記憶は気持ち程度に残っている。完全に喪失しているわけではない。

 

「割と今は幸せだし、なんなら記憶が戻んなくてもいいかなって」

 

 キョトンとした響ちゃんと未来ちゃんは互いの顔を見合わせ、やがて複雑な表情で俺を見た。

 

「でも、自分の過去とか知りたくないんですか?」

 

「別に。今、生きていれたらそれでいいかな」

 

「でも、翔一さんにも家族がいるかもしれないんですよ? 心配してますよ絶対」

 

「その時はその時だって。今はこうやって……」

 

 大皿に盛られた豚肉と茄子を白米の上に乗せ、見せつけるように豪快に食す。口の中で味噌が効いた絶妙な甘味が広がる。

 

「みんなでご飯食べてる方がいいかな俺は」

 

 もぐもぐ口を動かしていると、二人はすっかり呆れてしまったようだ。

 

「あいかわらず、翔一さんは能天気だね」

 

「響も人のこと言えないよ?」

 

「しょ、翔一さんよりはマシだもん!」

 

 俺も響ちゃんよりはマシだと思ってるんだけどなぁ。

 能天気な性格であることに異議はないし、天然な所も生前から受け継がれたものだろうし、正直この咄嗟に名乗った〝津上翔一〟という名も伊達じゃない。

 それでも俺は響ちゃんみたいなドが付くほどのお人好しにはなれない。優しさと慈しみに溢れた人間にはなれない。

 

 だって、俺が戦うのは他でもない……。

 

「───……ッ⁉︎」

 

 突然の耳鳴りが脈打つように俺の全身を覚醒させる。

 俺の第六感が勤務開始のお知らせを伝える。頭の中で飛び回る情報を知覚しつつ、身体の衝動に身を任せて立ち上がる。

 跳び上がった俺に、二人は口を開けてポカンと見上げていた。悪いが、釈明している時間はない。急いで上着を羽織ってバイクのキーを取る。

 

「ごめん、タイムセール忘れてた! 今から行ってくるから留守番よろしく!」

 

 捨て台詞と共に、俺は家を飛び出した。

 大丈夫。嘘は言ってない。

 ただし、これから始まるのはノイズのバーゲンセールなんだが。うっわ、行きたくねぇ……。

 

 

 

***

 

 

 

 嵐のように飛び出して行った翔一の残像を見つめるように静かになった六畳間で未来は心配そうに眉をしかめた。

 津上翔一という男は、突拍子もなく走り出すことが多い。いや、ほぼ毎日のようにどこかへ向かって走っているのが彼だ。

 

 未来としては、彼に最も近しい存在が〝人助け〟が趣味ともいえる響なのだが、二人には大きな違いがある。

 それは単純にどこへ向かっているのか。

 響はいつも満足げに誰かのために頑張ったと嬉々として未来に語ろうとする。人の笑顔に辿り着いたと笑いながらだ。

 しかし、翔一は辿り着く場所も何の為に走るのかさえ、誰にも語ろうとしない。言おうとしない。

 

 行き先を教えてくれたことはない。聞いたところではぐらされてしまう。そして何かに急かされるように、いつも焦りながらバイクに跨り出発する。

 その顔は、いつも常に絶やさない笑顔とは程遠い真剣そのもの。

 そして、帰ってきた彼の顔はいつも疲れ切っていて、未来や響の顔を見ると無理やり笑ってみせるのだ。

 

 その姿が、あまりに痛々しくて、心苦しくて、どうしようもなくて───。

 

「早く帰ってくるかな……」

 

「う〜ん、どうかなぁ」

 

 横でむむむっと顎に手を当て悩む響は卓袱台の下に放り捨てられたある物に気がついた。

 

「見て見て! 財布忘れてるよ翔一さん」

 

 それは翔一が愛用して止まないダディャーナザァーン財布であった。がま口財布に(0M0)がプリントされた安っぽく、すぐにボロボロになりそうな見た目をしているそれを翔一は(いた)く気に入っていた。

 中はずっしりと重く、今もなお翔一が愛用していることが分かった。

 

「そんなに急がなくてもいいのにね。おっちょこちょいだね翔一さんは」

 

「…………」

 

 それを響が言うか。

 未来は突っ込むことを止め、いつか自分自身で気づいてくれることを静かに願うのであった。

 

 

 一方その頃───

 

 (やだあああああエッティな液体かけんなああああ誰得ゥゥゥゥ⁉︎)

 

 翔一ことアギトは大量のノイズ相手に四苦八苦していたのであった。〈後でノイズはスタッフ(アギト)が残さず頂きました(お命を)〉

 




次回、ついに三体のヒロインが…?(大嘘)

XD未来さんがきません。でも、メイド姿が拝めるならワンチャン生きれる。もう石ないけど。


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♬.俺はとんでもない爆弾3つ抱えているかもしれない。

日間に乗ってたのは気のせいだと思う(目逸らし)
こんな一夜の過ちみたいな作品に評価し過ぎでは? てか、まだ四話目なんですが…。


 ───目覚めろ、アギトに覚醒せし者よ。

 

 森羅万象、あらゆる生命の頂点に立つが如く、圧倒的な威圧感を伴う声が脳裏に響いた。

 聞く者すべてを萎縮させる厳格な声の持ち主に身が強張り、寝ていた固いソファから転げ落ちた。しかも、頭からである。超痛い。

 

「いててて……な、何用でございますか〝火のエル〟さんっ⁉︎」

 

 とりあえず、頭を押さえながらその場に正座。火のエルさんの御言葉を待つ。

 

 ───交代の時間だ。さあ、働くのだ。

 

 あ、はい……。

 

 火のエルさんに促され、キャップを被り、懐中電灯片手に警備員室を出ようとした時、再び声が頭に響く。それも別の声だ。

 

 ───待つのだ。アギトの疲労は未だ回復しておらず。休憩に還るのだ。

 

「〝地のエル〟さん……!」

 

 ───地のエルよ。しかして、癒しの時は六十分と定めていよう。既に三千五百九十三秒、アギトは眠りを堪能したではないか。

 

 火のエルさんが地のエルさんに反論する。もちろん声だけがずっと頭に響いている。

 

 ───人間如きが定めた法度など、我々が従う義理はない。このままではノイズとの戦闘に支障が出よう。雑音如きに遅れを取るなどエルロードの恥ッ!

 

 ───愚か者。我々は今や肉体を持たぬ憑依体。霊媒たる者は人間であり、人間の法の下で生きておるのだぞ。それにノイズ如きに遅れを取るアギトではあるまい!

 

 ───このような未熟者をそこまで認めているとは……火のエル、やはり貴様は人間に甘いな!

 

 ───地のエルよ、アギトに力を貸しているのは我々。創造主の分身であるエルロードの力であるぞ。それを信じぬというのは、即ち創造主への冒涜ッ!

 

 ───な、何だと⁉︎ 貴様、嵌めたなッ!

 

「お疲れ様でーす。交代の時間になりました」

 

「あっ、お疲れ様です。休憩入りますね」

 

 バイトの先輩と交代して夜間警備を続ける。俺の頭の中で言い争う神の遣いの方々の声は当然のように他の人には聞こえない。

 

 ───そもそも火のエル! 汝がテオスを裏切らなければ、アギトは生まれず、人間は人間のままいられたのだ!

 

 ───人間を侮蔑し滅ぼそうとしたのはどこの天使だ? テオスの命令に背き、人間を狩り、あまつさえ人間に雑音を生み出させ……。

 

 なんかお二人が色々とメチャクチャ重大なことをホイホイ言っておりますが、ただの人間である俺には聞こえません。ええ、聞こえない。聞いたら絶対、なんか巻き込まれる。

 

 ───汝はただの人間ではない!

 

 ───汝はアギトだ!

 

 あっはい。ごめんなさい。

 ダブル天使に怒られた。

 

 ───火のエル、貴様と言い争っても仕方無し! 風のエルよ、答えを返すのだ。

 

 ───地のエルの頑固さには呆れる。風のエルよ、貴殿の意見は。

 

 火のエルさん、地のエルさんに呼ばれ、頭の中でもう一体の何かが降臨したのが解った。

 物静かに黙り込み、凪のような時間が過ぎ去り、そして〝風のエル〟さんは口を開いた。

 

 ───どうでもよい。

 

 う、うん。そうだね。

 

 こうして、俺の身体には合計三体の超越生命体が居座っている。俺がこの世界で目覚めた時から、ずっと憑依している。

 火のエルロード。

 地のエルロード。

 風のエルロード。

 創造主という謂わばこの世界の神様がその身から作り出した天使のような存在である七体のエルロード。その内の三体もこの身に宿っているので俺としては冷や汗ものであるが、この御三方のおかげで仮面ライダーに成れるので文句は言えまい。

 

 つーか、言ったらぶっ殺されるわ。

 原作アギトの方では神様がラスボスだけど、ちゃんと殴り合った敵で考えるならエルロードさん達は普通にラスボスである。つまり、俺はラスボス級の爆弾3つを抱えているわけですね。……ばかじゃねーの?

 

 しかも、記憶喪失の俺が最初に目覚めた頃から取り憑いていらっしゃる天使たちは今日もあまり仲がよろしいわけではないらしい。

 

 ───アギトよ。七歩先、廊下の端に筆有り。落し物ぼっくすとやらに入れておけ。

 

 ありがとうございます、風のエルさん。

 

 感謝を心の中で呟きつつ、言われた通りボールペンを拾い、失くさないように胸ポケットに挿しておく。

 

 ───む。それは先の同僚の物ではなかろうか?

 

 ───いや、あの人間の筆は押す方のものだ。これは蓋つきである。地のエルよ、記憶まで筋肉でできているのか?

 

 ───火のエル、塵に還るか?

 

 まーた喧嘩始まったよ、俺の中で。しかも、唯一の救いである風のエルさんは介入するつもりはないらしい。

 まあ、彼等は悪いものではない。

 平和かどうかは微妙であるが、俺の知っているエルロードとは違う、少なくとも人間を守るために戦っている〝アギト〟である俺に力を貸してくれている。

 

 頼もしい天使である。

 

 てか、エルロードってアギト大嫌いじゃなかった? 人間とか、憎くてしゃーない感じじゃなかった?

 それを聞いても、いつもはぐらかされてしまう。だから、今はエルロードさんたちを信じることにしています。

 

 じゃないと俺、死んじゃう。疲労で精一杯どころか過労死寸前なのに、他に神々の陰謀とか懸念しなきゃならなくなったら、もう、この世からイッテイーヨしちゃう。ていうか自主的にゴーするわ。

 頼むから、これ以上面倒ごとを増やさないでえええ(俺の怯える声)

 

 途端、俺のニュータイプ的な効果音のアレが閃くように何かを感知した。頭痛と共に胸の中に深く眠り続けた何かが目覚め、焦燥感で俺を揺さぶる。

 ノイズの発生。俺は行きたくない。

 だが、その気持ちは三体の大天使にはお見通し。三連続のお叱りを受ける。

 

 ───使命を果たせ、アギト。

 

 ───汝が、汝であるために。

 

 ───戦え、アギト!

 

 あの、でも、ちょっと今バイト中ですし、この世界、一応『特異災害対策機動部二課』っていう対ノイズ用の組織がありまして、シンフォギアっていう対抗手段がありますし、今回はパス……。

 

 ───〝戦え、アギト〟(三体同時に)

 

 い、行ッきまァァァァァす‼︎ 拒否権はナァァァイ‼︎ 本日五回目のノイズ狩りじゃァァァァァ‼︎ あっ、日付とっくに変わってら。

 ニゴリエースハオレノモノダー‼︎ と言わんばかりに駆け出す。駐車場に停めている相棒ファイアストームに跨り、エンジンに火をつける。

 

「変身ッ‼︎」

 

 腰に巻きつくように出現したオルタリングが輝き、人間である俺をアギトへと変質させる。

 地のエルが与えた力『超越筋肉の金(グランドフォーム)』を纏い、本来の姿にその身を変えたマシントルネイダーを加速させた。

 

 未知なる戦場、アギトの戦場へ。

 

 

 ***

 

 

 

 現場はどこかの工場だった。規模も大きく、油とオイルの濃厚な臭いがかなり蔓延しており、この場においては火気厳禁だと心に誓う。

 大量のノイズたんは相変わらず元気百倍。活きが良いのが揃っていた。

 

 数分に渡る戦闘はいつもと変わらず、アギトになった俺が地のエルさんの力でノイズたんを千切っては投げ、千切っては投げ、大型ノイズにライダーキックしようとしたら地のエルさんに「必殺技は甘えッ」と怒られたり、仕方ないからまたノイズたんを千切って千切ったりして大分片付いてきた。

 慣れたもんだと自嘲する。

 かれこれ二年近くノイズたんと果てない戦いを強いられているが、今ではノイズたんの動きを先読みできるぐらいに順応している。

 

 俺の身体がどんどん社畜体質になっていく……! やだ怖い!

 

 ───ぬッ。気をつけよ、何か来るぞ。

 

 珍しく地のエルさんが警告する。

 何事ぞ? 殴りかかってきたノイズたんのアイロン拳を平手で押さえ込み、受け流した後に回し蹴り。消滅した後にこちらに迫る気配へ視線を向かわせる。

 それは遥か上空に滑空する戦闘用ヘリから。

 思わず、息を飲んでしまった。

 感じるフォニックゲインの奔流。

 奏でられた調律の唄。

 二人の歌姫が、星々の輝きを背中に、夜空から落ちて行く。

 

「〝Imyuteus amenohabakiri tron〟」

 

 SA、SAKIMORIダァァァァァァ⁉︎⁉︎

 

「〝Croitzal ronzell Gungnir zizzl〟」

 

 一話目から退場した名探偵ダァァァァァァ⁉︎

 

 上空を滑空するヘリから飛び降りた二人の少女。その身が輝き、光が両翼の天使を抱きながら純白のプロテクターを纏わせ華麗に着地する。

 美麗にして純粋な歌い手であり、勇敢であり不変の戦士。

 

 これがシンフォギア。

 

 ……うへっ、初めて見たぞシンフォギア。めっちゃピチピチ露出やん。嬉しい感情となんだか虚しい感情が相まって、その、なんか、ありがとうございます。

 

「おい今だれか失礼なこと言わなかったか?」

 

 胸が大きい赤い方の天羽奏ちゃんが何かを察知したのか辺りを見渡す。あ、目が合った。

 

「あれは、未確認生命体第2号……!」

 

 明らかに敵を見る目で睨む胸が小さい青い方の風鳴翼ちゃん、もといSAKIMORI。いや、この時はまだSAKIMORIではなかったっけ? いや、人間はみんなSAKIMORIなんだよってどこぞのライダーが言ってた気がする……。

 

 両者とも武器を構え、ノイズそっちのけで俺と相対する。いや、ノイズたん、まだいるからね? ほら、放置された可哀想なノイズたんが構ってくれと言わんばかりに俺に突貫してくるでしょ? いや、俺かよ。

 寂しいと死ぬのかてめーらは。ウサギかよ。

 とにかくノイズたんもラビットもタンクも落ち着け。ステイステイ……。

 

「あれが噂の第2号ってやつか。凄い覇気だな。おっちゃんと良い勝負だ。……で、どうする翼? ノイズまだ残ってるけど」

 

「ええ。でも、第2号には捕縛命令が下されている」

 

 ウェッ⁉︎ 捕縛ッ⁉︎ わたし聞いてない……って、まあ普通は出すよな、こんなクワガタだか龍だか判らん百式に。

 とりあえず、隙を見て逃げっかぁ……。

 

「奏、お願いが」

 

「わかってるよ。ここはあたしに任せな。翼はちゃちゃっと第2号取っ捕まえちゃって」

 

 どんと胸を張る奏ちゃん。ここは任せてとか言われても、そんなにノイズ居ないでしょうに。地のエルさん直伝の肉体言語で七割方滅したからね。あと五十匹ぐらいかな? うわっ少なっ。時限式でも大丈夫だね多分。

 しかし、翼ちゃんは大袈裟に感動しているようだった。少し頬を赤くして奏ちゃんを見る目は恋する乙女。SAKIMORIの面影はない。百合は偉大だなぁ……。

 

「ありがとう奏」

 

 翼ちゃんはノイズとは真逆の方向に立つ俺に向かい、奏ちゃんは残ったノイズの群れに向かう。背中合わせというやつか。つまり、俺の仲間はノイズたん。常に俺の背中を狙ってる。違うか。

 

「未確認生命体第2号。あなたの身柄を拘束します。大人しくせよ。これは警告である」

 

 警告。翼ちゃんの目が研ぎ澄まされた刃のような剣呑な輝きを帯びる。刀を構える姿から、もはや戦闘は避けられないだろう。

 だから、嫌だった。

 シンフォギア装者が到着する前にノイズを殲滅し、自身は一切の痕跡無く姿を消す。こうすれば、彼女らに出会うことも戦うこともない。

 

 まあ、いつかは出会うだろうと思っていたけどさ。でもなぁ……。

 

「抵抗するなら容赦はしません! 我が剣の錆としてくれる!」

 

 うへぇ……マジか。さすがにSAKIMORIであれ、女の子は殴れないぞ俺。てか、まだ完全なSAKIMORIじゃないよねやっぱり。余計に殴れない。

 色々と尋問されるかもしれないが、女の子を痛めるよりかはマシか。二課って割とホワイトな印象あるし……あ、ラスボスゥ……。まあどうにでもなるか。

 

 戦意が無いことを伝えるため、両手を挙げて降参のポーズ。

 ……しようとしたが、止められた。突然、全身が石になってしまったように身体が硬直したのだ。自分の意思から強制力が奪われた感覚が支配した。

 

 なぜ? 決まっている。エルロードさんたちの力だ。

 エルロードは俺に憑依している。肉体の支配権はこちらが有しているとはいえ、このように一時的にコントロールを奪ったり、運動に介入してくるなど天使にとっては朝飯前。いや、朝飯どころか何も食べないけどねあの方たち。

 

 驚くべきは、彼等が直接的に肉体の支配権を奪うことなど滅多にないという事実だった。

 二年間で三回だけ。まだ俺が社畜初心者だったため、疲労に耐え切れず、戦闘中に倒れ寝そうになった。その時、エルロードさんに無理やり身体を乗っ取られ、自分で自分を殴って吹っ飛んだ。ある意味、寝そうになった。二度と覚めない方の意味で。

 

 つまり、この状態は俺にとっては全くの予想外であったのだ。

 

 ───ならぬ。敗北は認めん。

 

 最初に反対の意を示したのは地のエルさんだった。声が割とマジだ。いや、いつもマジなんけど、今回は多少の怒気が入り混じっている。

 

 ───アギトであるならば、もの歌いなどに遅れを取るべからず。

 

 地のエルさんの言葉に乗るように風のエルさんも俺の行動に反対する。冷たい声は、俺の気持ちを与する気はないことが伝わった。

 

 ───アギトよ、戦うのだ。汝の道はそこに在り。

 

 ついに火のエルさんまでも。

 三体の意見が一致する。つまり、それは完全に俺から拒否権が無くなったということを表す。

 大天使三体の決断は絶対。神の意に背いた人間がどうなってきたか、永く積み重なってきた英雄たちの歴史を見れば明らかだろう。俺は今、そういう状況に立たされているのだ。

 

 それでも俺は精一杯、あるがままに駄々を捏ねる。

 

 (まじ勘弁してくださいあんな華奢な女の子アギトで殴ったら骨折どころの話じゃないんですシンフォギアだろうとスペックおかしいアギト相手に戦えないでしょうしそもそも俺がまだ手加減できるぐらいの技量もってないんです勘弁してください)

 

 ───戦え……戦え……戦え……!

 

 (女の子傷つけたら俺もう生き残れないですてか作品違いますSAKIMORIは鍛錬してるから大丈夫とかそんな話じゃないでしょエルロードさんたちなら分かるでしょ分かって言ってるでしょ)

 

 ───戦え……戦わなければ生き残れない!

 

 (戦っても生き残れねぇよ毎日毎日おかしいだろノイズたんも俺の身体も労基訴えるぞつーか労働基準法も一周回ってOKだすわって話変わっとるがなとにかくSAKIMORIは殴れないのSAKIMORI以前に女の子つーか子供は殴りたくないの‼︎ 絶対に嫌ッ‼︎)

 

 ───……ならば、明日から馬を禁止する。

 

 えっ……馬? ま、マシントルネイダーたんですか?

 

 ───文明の力に頼るなど惰弱な発想。この際である。敗北者らしく脚を使い……。

 

 あぁぁぁ‼︎ セコイ! この天使たちセコいぞ!

 ただでさえ、出現場所が予測不能且つ疎らなノイズたん。バイクで急行してギリギリ間に合うかという瀬戸際にもかかわらず、それを徒歩でやれと言われてできるのか? できるか馬鹿。犠牲者でるし、俺の負担も増えるだけじゃねーか。

 

 ───地を這う姿が、敗北者である汝に相応しいとは思わんか?

 

 ああーっ‼︎ わかりましたわかりました! 戦いますよ戦えばいいんでしょ!

 完全に恐喝から脅迫に変わった瞬間だった。やっぱりこの天使たち人間救う気ねぇな。ちなみに俺個人を救う気は百パーセント無い。

 

 ───物分かりのいいアギトだ。

 

 ご満悦な地のエルさん。卑怯者ッ! この野郎、ぜってぇ今、(^U^)みたいな顔してるわ。直感でわかるわ。腹立つ。

 とにかく、翼ちゃんには悪いけど、凡人である俺はエルロードさんたちの暴挙に屈するしかない。マシントルネイダーまで禁止にされたら俺は一週間以内に死ねる自信がある。

 ノイズたんの数はそこまでじゃない。バーロー奏ちゃん一人でも事足りるだろう。ここは彼女に任せて……。

 

 SAKIMORIと相対する。

 両者睨み合い、互いに隙を伺う。さすがは風鳴翼と言ったところか。あのOTONAの血筋は伊達ではない。下手に踏み込めない威圧がある。

 カウンター大好き俺としては翼ちゃんから来てくれると非常に有難い。でも、翼ちゃんは一定の間隔を保ったまま、攻撃する素振りすら見せない。

 

 やだ……なんか強者同士の戦いみたい。

 

 ちなみに俺の構え方は原作アギトを形だけ真似ただけの模造に過ぎない。隙だらけだと思うのだが、翼ちゃんの警戒心は高い。どうしたもんか……。

 

 ふと、ケツが痒くなった。

 仮面ライダーが白昼堂々と尻をポリポリするわけにもいかず、バレないように片手を後ろに回して掻こうとした。

 

 それが戦いの合図だった。

 

 翼ちゃんの眼つきが変わる。

 踏み締めた一歩は一瞬の内に間合いを詰め、回避不能の鋭い一閃が俺を捉えた。って、怖ッ⁉︎

 ええいヤケクソ! 真剣白刃取りィ‼︎ 獲ったァ‼︎

 

「なにッ⁉︎」

 

 零距離。翼ちゃんの驚愕した顔がよく見える。今、めちゃくちゃマグレだった……。二度とやらない。

 

「まさか、わざと隙を見せたのか……⁉︎」

 

 いや、わざとじゃないです。隙だらけなのはいつものことです。

 内心申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら、翼ちゃんの刀を逸らして、僅かな隙に蹴り上げる。

 後方に押し戻される翼ちゃん。それでも手応えが少なかったので、あの一瞬で防御を取ったのだろう。やっぱりすごいなSAKIMORIは。

 

 だが、いかにSAKIMORIであれ、距離さえ開ければ、その剣技は役に立たない。

 つまり、二人の距離が開いた今こそが俺のターンッ‼︎

 

 ダァァァッシュ‼︎ 逃げるぜ俺は!

 

 ───〝⁉︎⁉︎〟

 

「ッ⁉︎ 逃すか!」

 

 HAHAHA! SAKIMORIよ、私は無駄な戦闘はしない主義でな! 戦わなければ敗北ではない! 戦略的撤退は敗北ではない!(デスヨネ? セーフッスヨネ?)精々走るといいわ! このグランドフォームの足に付いていけるものなら……って速いね。すごい速い。

 ああああああああノイズたぁぁぁぁんッ⁉︎ 邪魔しないでええええええ⁉︎ 追いつかれるううううううう⁉︎⁉︎

 

 ───馬鹿か。

 

 左様でごぜぇまぁぁぁすエルロード様ぁぁぁぁ! お助けぇぇぇぇぇ!

 

 

 

 ***

 

 

 風鳴翼は戸惑っていた。

 武人として常に冷静であることを心掛けている彼女でさえ、目の前の存在に困惑を隠せなかった。

 わざと巧妙な隙を見せ、こちらの攻撃を誘発。音速にさえ至る翼の斬撃を受け止め、力の差をその身をもって教え込む。

 この時点で翼の戦意は徐々に恐怖へ変わっていた。しかし、第2号はあえて背を向けて逃走。翼の防人としてのプライドを刺激した。

 

 すぐに追いかける翼だったが、やはり第2号はその力量を残酷なまでに未熟な剣に見せつけた。

 シンフォギアを纏った翼でさえ、息を切らすほどの長い距離を全力疾走しているが、双方の距離は一向に縮まる様子はない。

 

 何よりも、あちらは襲いかかる無数のノイズをすれ違いざまに葬り去りながら走っているのだ。ついでと言わんばかりに。

 疲労の色は未だ見えない。長時間に渡ってノイズとの戦闘を続け、シンフォギア装者相手に余裕すら感じさせる疾走を続ける。

 

 その背中は別格に遠い。

 

 (私は、未確認生命体第2号(あいつ)に勝てるのか?)

 

 翼の叔父に当たる風鳴弦十郎の言葉が思い返された。

 

「未確認生命体第2号は格が違う。正面からの戦闘は避けろ。いいな?」

 

 翼は司令官であり師父である弦十郎に従わなかった。己の力を過信したわけではない。ただ、ノイズの脅威から人々を守る防人として、理解不能な行動を取り続ける第2号に怒りを覚えていたのだ。

 戦場にふらりと現れては、ノイズ諸共すべてを掻き乱す。人類の敵か味方すら判断し兼ねる存在を善しと思えるはずがない。

 

 天羽奏もそれを見越した上で行かせてくれた。彼女には自分の全てが筒抜けである。気恥ずかしくもあるが、同時に嬉しい気持ちもある。自分は彼女に信頼されているのだ。

 

 なのに、今は弱気になっている。

 飛びかかる幾多のノイズに顔すら向けず、一切の無駄無き拳を一撃ずつ腹部に捻り込む。破裂するような音が響き、ノイズは爆散。まるで、拳の辻斬り。第2号はついに走る速度さえ弱めなかった。

 

 弦十郎が言っていた意味が分かった。

 あれは規格外だ。

 ノイズを倒すためだけに生まれたような機械(マシン)。翼と奏を人類を守る盾と形容するならば、アレはノイズを殺すためだけのミサイル。世に蔓延る雑音を獄炎で呑み込み掻き消す歩く戦略兵器。

 

 (勝てる未来が浮かばない……!)

 

 はっと我に返った翼は辺りが薄暗くなっていることに気づいた。どこかの工場内に入ってしまったようだ。

 目の前には金色の戦士が足を止め、ゆっくりと翼に向かい合う。どうやら、追いかけっこは終わりというわけらしい。

 

 そこで翼はやっと気付いてしまった。

 誘われていたのだ。ここまで至るまで自分はずっと誘導されていたのだ。

 既にもう一人のシンフォギア装者である天羽奏との距離はかなり大きく、奏の援護は望めなくなった。

 

 確実に一対一の状況を作り出す。

 焦った自分を手玉に取ったのだ。

 

 風鳴翼は奥歯を噛み締めながら、得体の知れない恐怖に震える手を押さえながら、刀の切っ先を黄金の戦士へ向けた。

 その赤い瞳は何も語らず、既に八相の構えをとった翼に徒手空拳の構えで迎え撃つ。

 

 その構えに翼は唾を飲んだ。一連の動作がせせらぐ川のように一切の隙が見当たらない。洗練され尽くされている。

 やはり、未確認生命体第2号はできる……!

 

 (どないしょ……迷ったし、詰んだ)

 

 実は、全然できていないことを翼はまだ知らない。




Q.オリ主が戦う理由は?

A.「中の人たちがうるさいから」

Q.こいつら原作とキャラ違くね?

A.作 者 が 覚 え て な い だ け

つまり全部私のせいだアーハッハッハッ!


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♭.俺はフォームチェンジでやらかしたかもしれない。

2/14のバレンタイン。ケーキを作ってバイトに行き、るんるんで帰ってきたら運営さんにタグの付け忘れで怒られ非公開になりました。皆さまにはご不便をおかけしました。申し訳ありません。
あと、お気に入り3000突破ありがとうございます。日間も一位とかなってたりして、ほんと怖い。


 翼ちゃんが襲ってくる。

 決してヤラシイ意味ではない。そっちの意味ならどれほどの俺が救われたか。いや、それはそれで危ないけど。タマだけにってか?(ゲス顔) ……死にたくなってきた。

 

「隙ありッ‼︎」

 

 危なッ⁉︎ (タマ)がやばい! ふざけてしまい申し訳ございません‼︎

 

「くっ、やはり見切られているのか……!」

 

 悔しそうに刀を構え直す翼ちゃん。

 なお、一瞬反応が遅れていたら翼ちゃんの目前に転がる真っ二つに割られたドラム缶になっていた模様。ドラムって竹かなんかでできてんの? 知らなかったわ(遠い目)

 そんな思考放棄中に翼ちゃんが一気に彼我の距離を詰める。

 

 放たれる連続の斬撃。

 大気が震えるほどの剣閃が幾多も生み出される。

 それを何とか手の甲で弾き返す。いや、地味に痛いぞこれ。グランドフォームの超越肉体でもその衝撃たるや完全相殺できるものではないらしい。

 

「私は負けられない!」

 

 翼ちゃんが吠えた。

 

「私を信じてくれた友のためにも、今ここであなたを超える! 超えてみせる……!」

 

 見開いた翼ちゃんの瞳が戦士の眼光を放つ。

 後方へ跳び、一瞬の構えから爆発的に加速。

 それは彼女が持つ最速の奥義。

 

 【颯ノ一閃】

 

 目にも留まらぬ速度から、すれ違いざまに一閃を叩き込まれる。

 防御はした。しかし、カウンターどころか、完全に殺しきれなかった威力はアギトが誇る超越肉体に火花を散らし吹き飛ばした。

 

 いやいやいや‼︎ 素手じゃ無理無理、止められないってアレは!

 

 ───ならば、私の出番か。

 

 そのお声は火のエル先輩……!

 

 ───アギトよ、火の力をその身に宿し、汝の剣で汝の道を切り開けッ!

 

 声に従うまま立ち上がり、俺はオルタリングの右サイドバックルを叩いた。というか、今ほぼ無意識だったんだけど。野郎、ちょっとだけ憑依しやがったな。そんなイマジンみてぇなことすんな!

 ああ、でもこれキャンセル効かないんだよなぁ。だってボタン二つだぜ? オルタリングの説明書とか一枚どころか一行で終わるレベルだもん。

 右が赤、左が青、両方押すといい感じになる。……ガチで一行じゃねーか。CSMどうすんだよ。

 ああ、でも、どないしょ。あんまり気は乗らないけど、火のエル様やる気満々だし、やってみます?

 

超越感覚の赤(フレイムフォーム)』の戦いを。

 

 

 ***

 

 

 

 その些細な行動に気付いたのは、翼が未確認生命体第2号の指先一つの動きすら見落とさんと全神経を集中させていたからだろう。

 だが、その行為が何たるかを理解できなければ意味はない。警戒心をより強めたところで、既に敵の術中に嵌っていては手の出しようがないからだ。

 故に、風鳴翼は思考する。敵の真意を知り、その策略を打ち砕くために。

 

 何かを押した。

 ベルトらしきモノの真横。つまりサイドバックルに当たる部位を軽く叩くように押した。

 翼は考えた。荒ぶる息を整え、燃え滾る脳内を静かに冷やす。その上で思考を続けた。

 しかし、この未確認生命体第2号の奇妙極まる動きすら読めず、戦いの中では到底及ばぬ技量から攻撃一筋に絞ることでしか渡り合えない翼には想像できるはずがない。

 

 何をする気だ───身構える翼に待っていたのは、予想を超えた現象だった。

 

 それは突然であった。

 未確認生命体第2号のベルトの宝玉が閃光のように赤く輝き、そこから棒状の何かが顔を覗かせるかのように出現した。

 何度も目を凝らした。あり得ない。そんなはずはない。

 瞬きすらした。此の期に及んでそんな馬鹿なと首を振っても目の前のソレは変わらない。

 

 それはどう見ても〝剣〟の柄であったからこそ、否定せずにはいられなかった。

 

「まさか……?」

 

 悪寒が背中を走る。

 過ぎった考えがあまりに馬鹿馬鹿しく、同時に否定し切れぬ自分に怖気づいたのかと苛立ちを覚える。だが、可能性は未知であることを知り心拍が高まった。

 

 このまま放って置いてはいけない。

 アレに剣を振るわせ……いや、持たせてはならない。

 

 剣士としての本能が叫ぶ。

 落ち着いてみれば至極可笑しな話だ。剣士としての自負は無いにしろ、今の今まで徒手空拳を扱っていた者がいざ剣を握ろうとすると、これほどまでに焦りを嵩じていては笑い者もいいところだ。

 もはや、抜かせてしまえばいい。

 その剣を、抜かせ、構えて、立ち会えば善し。

 剣と剣の血生臭い死合に追い込めばいい。そうすれば、実力で劣っている翼にも勝機が生まれ───。

 

 (ちがう、違う違う違うッ! あれはそんな程度のものではない。アレは持っている、持っているぞ剣術の極意すら……!)

 

 苦虫を噛み潰したような決断だったが、背に腹はかえられぬと翼は不意打ちを承知で攻撃に転じた。

 飛翔するが如く距離を無にして、その剣を抜かせまいと斬りかかる。

 迷いを見せぬ美しい曲線を描いた袈裟斬りは黄金の戦士に傷を負わせるに相応しい太刀筋に違いなかった。或いは無惨な真っ二つさえ予期し得るものだった。

 誰がどう見てもそう判断できる一瞬であったのだ。

 

 唯一、当事者である翼を除いて。

 

 (ッ───⁉︎⁉︎)

 

 予想に反し、傷を負ったのは翼の方だった。

 

 翼が斬りかかるや否や、今までの動きは余興に過ぎないと恐ろしい速度でベルトから現れた柄を握り締め、踏み締めた二足を構えに振り抜き一閃。

 居合の太刀。

 目にも止まらぬ抜刀術が翼の瞳に映った気がした。定かではないが、でなければ斬り込んだはずの翼が吹き飛ばされるはずがない。

 

 抜刀の衝撃に押し負けた翼は数十メートル先まで吹き飛ばされていた。

 それでも体勢を崩さず、すぐさま持ち直したのは風鳴の者としての意地か、あるいは彼女自身の技量か。

 

 いや、そんなことはどうでもいい。

 目の前で長剣を構えた黄金の戦士の方が重大だ。

 

「熱い……?」

 

 微かな熱気を感じた。

 今の今まで散々溢れ出た冷や汗とは違う、人間が持つ体温調整の際に見られる生理現象たる汗が頬を流れていく。

 何が起こっている?

 時刻は深夜。寒さすら覚える漆黒の時間に翼は得体の知れぬ汗を拭う。汗はコンクリートの地面にぽつりと落ち───蒸発した。

 

 火が唄う。

 

 万物を焼き尽くす終焉の火が一人の戦士の誕生を祝うように音色を奏でる。

 

 炎が揺らめく。

 

 火が唄うは誇り高き戦士の感覚。時に痛みを、時にはその掌の温かさを。本当の強さは全身を駆け巡る感覚が教えてくれる。痛みを越えた先に守り抜いた人々の〝熱〟が傷ついた戦士を支えてくれる。

 これが超越の感覚。

 極限までに研ぎ澄まされた五感が世界を読み込む。

 聖なる炎の唄が、金色の戦士を包み込む。

 

 そして、〝アギト〟が変わる。

 

 黄金の胸筋を赤く灯し、右腕には分厚い鎧が装着され、その身を赤に染め上げる。暗澹とした屋内でも翼の驚愕が見て取れる。遥か上空で飛び続けるヘリのローター音まで聞こえる。

 

 世界が一瞬にして変わった。

 翼からすれば、敵の姿が一瞬にして変わった。

 

 長剣《フレイムセイバー》を構え、凛とした勇姿は遥か古より人々を守り続ける騎士の如く。

 

 赤い未確認生命体第2号(アギト)

 

 これこそが火のエルをその身に宿した、火属性のアギト『超越感覚の赤(フレイムフォーム)

 

「剣の心得も持ち合わせているというのか」

 

 気圧される翼であったが、この程度で怖気づく彼女ではない。

 むしろ、敵が同じ土俵に立とうと言うのだ。剣士として、余計に負けられない理由ができた。

 

「風鳴翼、推して参るッ‼︎」

 

 【颯ノ一閃】

 

 最大加速から不可視の斬撃がアギトを完璧に捉える。

 

 捉えたはずだった。

 

 ピシリ───そのような音がしたのは翼が背中を見せた後。つまり、翼がアギトを斬り裂いた後になる。

 なんらおかしいことはない。

 彼女の一撃は常に手を抜くことはない。弱き者を守るため、その身を剣と見立てるほどの覚悟を定めた防人の刃が届かぬはずがない。

 

 そうだ、届いた。確かにこの刃はあの赤い鎧を捉えた。しかし、その粉砕音は自身から鳴った。

 

 恐る恐る見れば、二の腕の装甲にヒビが入り、ついに耐えきれんと砕け散った。

 

「見切られたというのか、防人の剣が……」

 

 何も言わず、夜闇に灯る蝋燭のように背中を見せるアギトの鞘無き聖剣は静かに帯刀されていた。

 翼は単純に悔しさを感じた。

 敵の太刀筋が見えなかっただけの話ではない。斬られたことにすら気付けなかった。

 

 剣の極致に至った達人には、斬られたことすら悟らせず、その命を奪うことすら可能とする者もいると聞く。しかし、それはその身に宿った生を剣に捧げた者のみが辿り着ける領域。

 では、目の前の存在はなんだ。

 驚異的な体術を会得し、ノイズを屠るかと思えば、ひとたび剣を握れば自身ではその高みすら拝めていない領域に達した剣豪と成る。

 

 それはもう人間(ヒト)ではないのは明白。人智を超えた異端の存在。理解が及ばぬ論理の外側。

 人はそれを『怪物』という。

 

 だからこそ、不可解な感情を抱かずにはいられない。

 その力はどうやって手にしたのだ。

 壊すだけの力なら、そんな器用な技も要らない。

 殺すだけの力なら、一つで事足りるだろう。

 単純な力を求めているのなら、ノイズを何千と摘む必要もない。

 

 おまえはなぜ強いのだ?

 

 翼の心に暗雲が広がる。

 もしも、仮に第2号が紛いなりにも『正義』を動機に戦っているとしたら辻褄が合う。風鳴弦十郎もそれを期待していた。

 では、なぜ、二課に協力しない?

 如何なる力を携えようと尋常ならざるノイズ相手に孤独な戦いを強いる理由が解らない。

 効率を考えるなら、協力者は必要だ。第2号は高度な頭脳を持っている。それぐらいの答えは自ずと導き出されるはず。

 

 だが、第2号は拒絶する。目に映るもの総てを否定する。己の力のみを信じ、孤独であることが掟であるかのように戦い続ける。

 

「おまえは何なんだ。何が目的なんだ」

 

 アギトは動かない。ただ黙って翼の剣尖を見つめるのみ。

 ───かかってこないのか。

 挑発されている気がした。奥歯を噛み締め、翼は再び攻撃に転じようとする直前。

 

「翼───ッ!」

 

 暗雲を裂く光明の雨が天から降り注ぐ。

 その声は工場外から、それも遥か上から。

 まさに、槍の雨。

 それが人類史において、神槍とも称されたものであれば、死が形を為して降り注いだと表現しても諌められはしないだろう。

 天から降り注ぐ無限に等しい槍の雨が翼の闇ごと洗い流すように赤いアギトを呑み込んだ。

 

 【STARDUST∞FOTON】

 

 瞬く間に幾多の槍と土煙に食われ、その姿を消したアギト。呆然とした翼に一人の歌姫が舞い降りる。

 

「奏っ⁉︎ どうして」

 

 それは風鳴翼の片翼であり、彼女の希望でもある天羽奏であった。

 

「なんか嫌な予感がしたのさ。ノイズは速攻で片付けてやった。あとはあんただけだぞ、未確認生命体第2号!」

 

 応えるように、爆煙を裂いて赤い鎧の戦士が現れた。

 威風堂々としたその姿に、奏は静かに舌打ちをした。今の攻撃は彼女の中でも全力の一撃。ノイズ相手なら跡形もなく消し飛ばせるほどの威力を誇る最大の技。しかし、その赤い鎧には傷一つすら付けられず、自身の無力さを絶望として具現していた。

 ほぼ不意打ちであったにも関わらず、目先の敵は天災と化した神の槍の悉くを斬り払ったというのか。

 

 ゆっくりと焔の聖剣(フレイムセイバー)を構えるアギトは二人との距離を徐々に縮めていく。静かで重圧的な足取りで、一歩一歩着実に。

 余興は終わり。

 ここからは真の殺戮。

 身の程知らずの乙女二人を細切れにすることなど、この戦士にとっては容易であることは知り得た。その絶技は未だ底知れないものを隠しているに違いない。

 

 だからと言って退くわけにはいかない。

 

「奏、あれは別格。一度見せた技は二度通用しないと思って」

 

「ああ。わかってる。なんせ今さっき一度目で見切られたからさ」

 

 覚悟を決めた二人は槍と刀を構える。敵は到底自分たちの手に負える存在ではないだろう。次の瞬間にはどちらかの首が飛んでいようとも何ら不思議ではない。それほどの極技を秘めているのだ。

 では、なぜ逃げない?

 決まっている。二人がシンフォギアを纏いし戦士だからだ。

 

 ノイズに怯える人々を守り抜く希望の戦姫。

 その唄は弱き者のために。その刃は悪しき者へ。

 自分たちが退けば、誰が戦うというのだ。誰がノイズと戦うというのだ。

 確かに一人で敵わぬ。あの戦士には切っ先一つ届かない。片翼だけでは大空に羽ばたくことは叶わない。

 

 しかし、二翼揃った今ならば。

 剣と槍を重ねた唄ならば。

 戦姫たる『ツヴァイウィング』の翼ならば───!

 

「いくよ、翼!」

 

「ええ、奏!」

 

 武器を構える二人の歌姫。

 対してアギトはあろうことか、水を差すようにその歩みを止めた。

 

「…………ッ」

 

 そして、戦意を高める二人を眼中から外し、無言で工場外を眺める。

 隙があった。だが、翼も奏も斬りかかろうとはしなかった。不気味だったから、怪しかったから、罠の可能性もあるから。理由を挙げれば山ほど積もる。

 

 しかし、何よりも、二人もまた何か奇妙な予感を察知していたから他ならない。

 最初に駆け出したのはアギトだった。

 戦場へ赴く武人のような動きで颯爽と工場を出る。もはや二人への興味は失せていた。

 一度顔を見合わせてから翼と奏も後を追おうと声を荒らげる。

 

「ま、待て!」

 

「逃げるなよ!」

 

『翼、奏ッ! 緊急事態だ!』

 

 突然、無線から司令官たる弦十郎の声が響く。その声はいつもと変わらず暑苦しく、またどこか冷やかな熱が篭っている。

 

「なんだよおっちゃん⁉︎ 今、それどころじゃ」

 

『ノイズの援軍だ! デカイぞ!』

 

 その時、巨大な激震が大地を揺るがした。

 翼と奏が反射的に外に出ると、巨大な建造物が立ち並ぶ遮蔽の多い工場であれ、はっきりと確認できる巨人が二体聳えていた。

 全長十五、六はある巨体に二人は思わず凝視する。

 ノイズの強さは大きさで決まるわけではない。ノイズはその無尽蔵な数にこそ人類を苦しめるほどの強みを持っている。多少の大きさではさして変わらない。

 

 しかし、ここまで巨大になると話は別だ。

 敵の耐久力も破壊力も大きさに相応しいものに進化していく。

 翼は刀を、奏は槍を、自然と握る手に力が入る。こいつを街に出してはならない。ここで食い止めなければより悲惨な犠牲が出てしまう。

 

 覚悟を決め走り出さんとした二人の戦姫。

 だが、彼女らが次に目にしたものはあまりに格上過ぎた。

 人々を守らんとする覚悟さえ嘲笑の如く捨て去った強者がいた。

 

『反応は二つだ‼︎ 片方は第2号にまかせ───』

 

 その瞬間、業火の柱が天を貫いた。

 悪しき闇を焼き殺す聖なる炎が悲鳴の雑音ごと煤へと還す一瞬の出来事。刹那の時間。

 何が起こったのか。理解よりも早く答えが炎を裂いて現れる。

 その赤い鎧が燃えていた。焔の聖剣(フレイムセイバー)を携え、何事もなかったかのように火柱から悠々と舞い降りる。

 

『反応が一つに減っただと⁉︎ 何が起こった⁉︎』

 

 着地点は呆然とする翼と奏の間。割って入るように静かに降り立つと、見開く二人を見比べ、何も言わず最後のノイズへと向かう。

 ───おまえたちは黙って見ておけ。

 そう言われたような気がした。

 何も動けず、二人は炎の剣士の背中を見送ることしかできない。

 

 ノイズがその巨腕を棍の如く振るう寸前、アギトの姿が忽然と消える。やがて、音すら置き去りにした斬撃がノイズの腕に滑らか軌道を幾つも描き、やがて細切れと化す。

 しかし、まだ終わらない。

 片腕を失ったノイズを待っていたのは両足の切断という末路だった。傍観している翼も奏もいつ斬ったのかさえ判らず、ノイズ自身もなぜ自分が自立不可能な立場に落とされたのか解らないまま、無造作に月を眺める。

 

『:|×d々×$on|〜〆々°°#'t♪☆▽l+£i≒〒^ve÷-:a&_g*£it○∥o!!?!』

 

 その巨体が崩れゆく最中、夜空に浮かぶ満月に赤い鬼神が舞うのを見た。

 聖剣の鍔が解放され、月光に照らされた銀色の刃に渦巻く炎が備わる。紅蓮と化した刃が美しくも残酷に振り下ろされる瞬間───火柱が生まれた。

 

 まさに、焔の聖剣(フレイムセイバー)

 

「ハァぁぁぁぁぁッ‼︎」

 

 【セイバースラッシュ】

 

 燃え盛る刀身がノイズに突き刺さり、莫大な炎がノイズに渦巻き炎上させる。

 アギトは灼熱と化した死にゆく雑音にトドメと言わんばかりに更に斬り裂く。ノイズはその轟々とした巨体を真っ二つに割かれ、哀れな火と成りて燃やし尽くされる。

 

 そして、爆発。それも大爆発というに相応しい規模のもの。

 工場内の漏れた油とノイズの燃え滓が火種となったのか、連鎖的かつ暴力的な爆風が翼と奏の視界を奪い、いくつもの爆発音が聴覚すら狂わさせる。

 微かに開いた瞳が捉えたのは、爆炎の中を雄々しく歩む影───それが煙に呑まれて消えていく様だった。

 

 最後に二人が聞いたのは、天高く登る爆煙に紛れて鳴り響くエンジン音だけだった。

 

 

 ***

 

 

 

「第2号、完全にロストしました」

 

「構わん。二次災害の恐れがある。避難区画を拡大しろ。住人の避難が最優先だ」

 

「了解しました」

 

 弦十郎の一言で二課の面々は慌ただしく動き始めた。巨大なモニターに映るのは今もなお空中を滑空しているヘリからの映像であり、そのほとんどが黒煙と炎に占められている。

 しばらくして、シンフォギア装者の風鳴翼と天羽奏が映し出された。

 二人の無事を視認し、弦十郎は安堵の吐息を漏らす。かれこれ二十分間二人の姿から隔絶されていたのだから。

 

 未確認第2号は強力なジャマー機能を持つ特殊な粒子に覆われており、あらゆる電子機器類を無効化する。つまり記録媒体に残らない。写真は疎か、現在進行形で録られている映像にすら残らない。映し出した瞬間、映像が砂嵐に変わってしまうのだ。

 故に、今回の戦闘はシンフォギアに搭載されている心拍情報や音声のみの通信であり、実質目を潰された状態でのやり取りで作戦を遂行しなければならなかった。

 

 翼が第2号に一人で戦闘を仕掛けると言った時は思わず心臓が飛び出る心境であったが、止めようにも既にアギトに近づき過ぎていた翼には制止の声すら送れなかった。

 だが、それも杞憂に終わった。

 〝仮面ライダー〟に人間を殺す意思はない。

 

「……おまえは何の為に戦っているんだ」

 

 弦十郎の脳裏には、かつて焼き付けた正義の仮面が再生される。あれは間違いなく守る者の目であったのだ。

 

「お前が守りたいものはどこにある〝アギト〟」

 

 

 ***

 

 

「ぼくじゃなーい、ぼくじゃない、ぼくじゃなーいー(震え声)」

 

 ───罪を認めよアギト。

 

 ───汝があの施設を破壊したのだ。

 

「だ、だっていきなり出てくるんですよ! そりゃ、ビビって必殺技出しちゃった俺も悪いですけど、全体的に悪いのはノイズであって俺は悪くありません!」

 

 ───被害総額はいくらだろうな。

 

「あああああああ! やめてえええええええ!」

 

 太陽が昇ろうとしているその夜、バイクの音と奇声と共に何か言い訳を一人で必死にしている青年の姿が目撃されたという。

 彼が第一に守らなければならないのは自分の身のようだ。




そろそろ原作プロローグいける?←いけない
弾薬尽きたのでこれからは気長に更新を待っていただけると嬉しいです。ネタはあるんですが、作者の執筆スピードに問題があるので…。

あと、いつも誤文字のご指摘ありがとうございます。日本語が読めない作者は凄く助かっております。

次回、393と嵐の回


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♪02.Leave all Behind

???「歌は気にするな」


  雨に打たれていたのは、少女の胸にぽっかりと穴が開いてしまったから。

 どうしても、自分という存在に自信が持てなくなっていたから。

 何も成せず、何も残せず、何者にもなれない。不安定なノイズが走る自分が道路の隅の水溜りに愚かに映る。

 

 友人はいつも笑っている。

 翳り続ける自分とは大いに違う。

 

 羨望ではない。ただ、不甲斐ないと感じてしまっただけ。たかだか、短距離走のタイムに伸び悩んでいるだけなのに、俯いて歩く自分に嫌気が差しただけ。

 

 それなのに、空も心も晴れる気配はない。

 太陽はその身を隠し、今は孤独と劣悪な感情に苛まれる時なのだと告げる。

 天は自分に試練を与えている。そう思えば、少しだけ気が楽だった。どうしようもない通り雨なら黙って見送れるから。我慢すれば終わるから───。

 

 だから、彼は〝嵐〟なのだろう。

 全てを荒らして去っていく。何もかもぐちゃぐちゃにして過ぎていく。

 

 それで最後には必ず満天の虹をかけるのだ。

 

 少なくとも、少女はそう思った。

 

「もうムリですってぇ……堪忍してくださぁい」

 

 傘もささず、雨に晒されながら息を絶え絶えにして走る青年。さながらマラソン大会終盤の非体育系中学生の走り方であった。

 あんな走り方では転んでしまう。───ほら。

 物の見事に濡れたアスファルトに頭突きをする青年。あまりに綺麗に転ぶので、少女は立ち止まってしまった。

 少女は知らない。三時間休憩もなく全力疾走を頭の中の天使三人に強いられ、意識朦朧としながら余儀なく走らされていることを少女は知る由もない。

 

「100mを、10秒以内って、俺はウサインボルトじゃないんです!」

 

 仰向けになり、曇天に叫ぶ青年。

 訝しげに眺めていると、突然その目から生気が消えた。

 

「えっ、アギトなら余裕? ……退職届けとか受け付けてます? あ、無理ですかさいですか」

 

 溜息混じりに立ち上がろうとするものの、足が産まれたての子馬のように震える。独り言のように「あー、こりゃもう走れんわー、つらいわー、走りたいけど走れないのつらいわー」と遠目からでも演技と分かる大根芝居を一人繰り広げる青年。

 よく分からないが、少女は段々ゴミを見る目に変わっていく。

 

 その時、天啓という名の天罰が青年を襲った。

 

「えっ……11秒切らないとライダーキック禁止?」

 

 時が止まったように動かなくなり、やがて薄っすら気持ち悪い笑みを浮かべる。濡れた髪を搔きあげ、もはや動くことすらままならない両足を踏み締める。

 肉離れでもしているかもしれない足。長距離マラソンの後でもああはなるまい。

 明らかに爆弾を抱えた両足で走ることなど素人でもしないし、ましてや肉体の所持者である自身が誰よりも解っているはずだ。

 

 少女は息を飲む。それなのに、何故まだ走るのだと。

 

「た の し く な っ て き た」←(永続的狂気)

 

 FOOOOOOOOーッ‼︎ 衝撃波のような奇声と共にまた狂ったように走り出す青年。しかも超速い。滅茶苦茶フォームが綺麗。でも、うるさい。そして、また転んだ。でも、また走り出す。

 少女はなんとなくその人が内心追い込まれてヤケクソになっていることを察した。自分はああはなりたくないと心に誓い───。

 

 翌日、小日向未来は友人である立花響に不死身怪人奇声ランナー津上翔一を紹介されるのであった。

 

 そんな最悪な運命さえも今の彼女には、かけがえのない思い出なのだ。

 

 

 ***

 

 

 おっぱいに埋もれたい。

 ブドウノイズを無感情に殴りながらそんなことを思った俺はかなり重症だろう。精神科に行けば確実に入院を勧められそうなので意地でも行かないが。……おい早く病欠させろよ。こちとら五日もまともに寝てねーぞオイ。

 

 ───アギトよ、敵の増援だ。

 

 ンンン〜ッ‼︎

 伝わらないこの想い。おっかしい〜なぁ、別にぼかぁね、この世知辛い現実から魂を解放してくれとは言ってないんだよノイズたん。

 帰れって言ったんだよ宝物庫に。

 そんで俺に休みをくれって言ってんの。わかる? アンダスタン?

 

 てか、深夜に出てくんなよ。徹夜組かなんかなの? 今何時だと思ってやがんだ。

 午前三時じゃゴラ。フざけんなボケ。てめーらは深夜アニメ観ねぇのか? 録画派か? BD派か? BDでも白い煙は消えないヨ!

 

 ───気をつけろ。飛行タイプも居るぞ。

 

 満点の星空を滑空するフライトノイズたち。その量は相変わらず、イナゴの大群のようにうじゃうじゃしており、その黒さは夜空か奴等の大群か判断し兼ねるほどだ。

 上空に円を描き、その勢いから急降下の特攻を掛けるノイズをバク転しつつ回避する。

 

 ───人間に翼は必要ない。故に、アギトは大空を舞うことはできん。

 

 珍しく風のエルさんが静かに脳裏に現れた。

 俺は鬱陶しいフライトノイズを回し蹴りで弾き飛ばし、夜空を支配する雑音共の大群を見据える。

 

「だったら叩き落すまで……!」

 

 風のエルさんの警告に従い、この寄る辺なき苛立ちを込めて左サイドバックルを叩く。

 オルタリングのドラゴンアイが青く輝きを増し、賢者の石から武器が召喚される。

 

 〝風のエル〟さぁぁぁん‼︎ キレのいい奴、頼みますッ!

 

 ───承知。青き嵐と成りて、闇を払い尽くせ、アギト‼︎

 

 蒼き閃光が月すら羨むほどの輝きを得る。

 途端、閃光を中心に豪風が吹き荒れ、抵抗虚しく何体ものノイズが吹き飛ばされる。

 竜巻となった風を裂いて、蒼き甲冑を纏った戦士が姿を現した。

 

 アギトが変わる。

 黄金の大地が吹き荒れる蒼風へ。

 

 『超越精神の青(ストームフォーム)

 

 賢者の石から出現したストームハルバードを強化された左腕に装備し、心の中でひっそりと俺は超越した精神()で叫んだ。

 

 最初に言っておく、俺はかーなーり眠いッ‼︎

 

 

 ***

 

 

 嵐の跡とは、このような惨状を言うのか。

 風鳴翼と天羽奏は戦場の跡地で戦慄せざるを得なかった。

 ノイズの出現。出撃命令を受け、三十分も掛からずに現場に到着した二人を待っていたのは、まさに〝嵐が過ぎ去った痕〟であった。

 

 とある山奥。そこには幾多の森林が乱雑に打ち倒され、あらぬ方向に突き刺さっている。

 めくれ上がった地面。土砂崩れでも起きたのかと錯覚しても何ら不思議ではない惨状。

 

「未確認生命体第2号の仕業か……」

 

 土の山に混じった煤に触れた奏がぽつりと呟いた。

 翼は前回の戦闘が頭を過り、静かに拳を握り締めた。

 

「第2号……ッ」

 

 あれほどまでに実力差を感じたのは生まれて初めてだった。お前のすべては無価値なのだと吐き捨てられ、無力という弱さをその身に刻まれた。

 

 震える翼の肩をそっと抱き寄せる奏。

 今度こそ勝ってみせる。

 人類守護の役目を背負う二人の歌姫に敗北などあってはならない。たとえ、その相手が本当に打ち倒すべき敵でなかろうと。

 

 その強迫観念こそが、一番危ういモノであることを気付かない二人に弦十郎は仕方ないと切り上げる。

 日に日に増加するノイズ。それに比例して必ず現れる未確認生命体第2号。

 焦る立場に置かれているのは装者だけではない。上も下も混乱を極めており、状況はまさに理解不能(アンノウン)の一途を辿る。

 

『二人とも、周囲にノイズの反応はない。あとは俺たちに任せて帰投してくれ』

 

 せめて、二人には自分自身で気づいてくれなければ希望はない。

 大人ができることは、陰ながら二人を支えてやることぐらいだ。

 

「ったく、おっちゃんも人使いが悪いなぁ……翼、いこう」

 

「ええ」

 

 背筋を伸ばして欠伸をする奏は嵐の痕にぽつりと漏らす。

 

「にしても、これだけの力、第2号は一体どんな鍛え方してんだか」

 

 まるで荒れ狂う竜巻が生まれたかのような惨状。無駄とは縁のない戦い方であった同じ未確認生命体第2号とは思えないが、目撃情報やノイズ出現から消滅までの経過時間から第2号の所業である線は固い。

 前回のような肉体そのものが変質し、扱う武器さえ変わる形態変質(フォームチェンジ)がまだ残っているのだとすれば───それはどれほどの鍛錬の先に待つというのか。

 

「あるいは鍛える必要がないのかもな」

 

 人間じゃないだろうしな。

 じゃなきゃ、いつ休んでいるというのだ。

 

 

***

 

 

 午前七時ぐらい。

 雀の囀りを目覚ましに布団から起き上がる。昇る太陽の光をその身に受けて大きく背伸びをして新たな一日の始まりに感謝を隠せない。

 

「今日もいい日になりますように!」

 

 ……というのは幸せな人の朝である。俺は違う。

 

 午前五時ぐらい。

 頭の中で起きろ起きろと煩い大天使三人を目覚ましに名残惜しい布団を芋虫のように這い出て、また戻って、だけど大天使が煩くて、二、三分の激闘の末、やはり這い出る。昇る太陽になんで昇りやがったんだと呪いながら新たな一日に悲しみを隠せない。

 

「今日は休みたいとか贅沢言わないんで、マジで四時間でいいから寝かせて下さい」

 

 どこかで太陽の神が「おばあちゃんが言っていた。人任せは己を滅ぼすと」とか、太陽の子が「ゴルゴムの仕業か」とか言ってるな。頼りになるのにならねぇなこいつら。

 昨晩、ノイズたんを蹴散らして帰宅後、地のエルさんに「正座。今から反省会な」と衝撃の御言葉を頂き、三天使様に「最近戦い方が雑」だとか「もっと滑らかに動け」とか「敵の攻撃を正面から受け止めてカウンターするな」とかつまりアギトの力に頼るなとお叱りを受けた。泣きたい。

 結局、就寝したのは四時を過ぎてから。あれ、寝不足なのに睡眠時間一時間切ってる? 俺もそろそろ死ぬんじゃねーの?

 

 ───戯け。まだ死なん。

 

 やったね。地のエルさんからのお墨付きだよ。もう涙も枯れ果てたわチクショウ。

 

 身支度を整えたら、日課のトレーニングのために近所の公園へ。これはエルロードさん方に「アギトたる者、常に力を制御しなければならない」とか言われてやっている。

 まあ、普通に筋トレである。なお、その量は天使界アベレージによる頭おかしい量なので普通に死ねる。

 内容自体は普通で、腕立て伏せとか腹筋背筋スクワット走り込み。それにイクササイズとかしてる。おい誰だ今失笑したの。753なめんな。753(ナゴサン)315(サイコー)だぞ?

 あとやってるのは必殺技の練習。……うん、必殺技の練習。

 

「よぉーし、やるぞぉ!」

 

 木にぶら下がったサンドバッグ代わりの麻袋に『有給』と書かれた紙を張り付ける。俺にとっては無縁の存在。しかし、分かっていても尚追い求め続ける欲深き煩悩から今こそ脱脚すべく、その因果もろとも断ち切る。

 俺は社畜。俺は仮面ライダー。自分に何度も言い聞かせる。俺は社畜。俺は仮面ライダー。俺は社畜ライダーブラック。違うか。大体合ってるけど。

 呼吸を整え、アギトの時のように徒手空拳の構えを取り、手に持ったストップウォッチのスイッチを入れる。

 そして、空へ投げる───!

 

「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ‼︎」

 

 叩き込む連続の蹴り。Tの字をイメージしながら、右足、そして左足へと尋常ならざる速さで蹴り続け───。

 

「ハァッ‼︎」

 

 最後に麻袋を蹴り上げ背後を向く。落ちてきたストップウォッチをキャッチし、スイッチを押して一言。

 

「9.8秒……それがお前の絶望のタイムだ」

 

 ───残念だが、正確には11.01秒だ。

 

 火のエルさんに言われてストップウォッチを見る。……恥ずかしくてその場で悶える。

 必殺技───男の子なら誰もが心踊るフレーズだが、やってることは小学生とかが漫画に影響されて休み時間に友達と一緒に真似するアレとなんら変わりはない。

 いい歳してこんなことやりたくない。でも、やれってエルさんたちが……。

 つーか、無理に決まってんだろ生身でトライアルとか。なんで加速もしてねぇのに十秒以内に倒さにゃならんのよ。できるかバーカ!

 

 ───しかし、このまま汝が進歩していけば、アギトもまた進化するであろう。

 

「したくないですよバカ! もうエルなんて知らない!」

 

 クロックアップ的加速を手に入れたアギトとか浪漫溢れるけど、それってつまり俺に人間やめろって言ってるよね。

 絶対嫌だ。なんで人間やめてまで働かにゃならんのよ。あれですか。俺がこのままじゃ過労死しそうなので人間やめれば良くね? みたいな斜め下過ぎる考え方をしていらっしゃるのですか。さすがは天使様。人間であるボクには到底理解できないクレイジーっぷりですね。

 

 ───善き計画であろう?

 

 自信有り気に地のエルさんが言ったので、俺はその場に崩れ落ちるように膝を大地に突かせて泣いた。いや、涙出ないんだった。……ヤサグレようかな。弟見つけてカップラーメン啜ろかな。

 

「俺が死ぬのが先か、人間辞めるのが先か。くっ……どっちに転んでもバッドエンドだ!」

 

 ───人間の器に拘る必要など無かろうに。

 

「天使様の業界で話を進めないでください。言うだけ無駄なんだろうけどさ……」

 

 悲しみの拳を地面に何度も無言で叩きつけていると、俺に近づいてくる馴染んだ気配を察知した。

 自然に立ち上がり膝についた砂を払っておく。こんなみっともない姿を見せるわけにはいかない。翔一さんはいつもクールなお兄さんでいなきゃ……もう手遅れだったわ(悟り)。

 

「おはようございます翔一さん」

 

「未来ちゃんおはよう。今日も朝練?」

 

 やって来たのは未来ちゃん。制服ではなく学校指定のジャージ姿でだ。なんか懐かしさを感じるなぁ。

 

 朝から狂ったように常人にも俺にも理解不能な運動をする俺と陸上部に入部してから朝から練習に精を出す未来ちゃんはほぼ毎日のように顔を合わせる。

 律儀に毎度毎度挨拶してくれるええ子やで。俺のオーバフローストレスも未来ちゃんのモーニングスマイルによって打ち消され、微かな自制心が保たれていると言っても過言ではない。

 ……ちなみに、響ちゃんはあと二時間ぐらいしてから顔を合わせる。毎回「遅刻するー! 翔一さん送ってー!」と泣きついてくるが、最近未来ちゃんに甘やかし過ぎでは(威圧)? と怒られたので週に三回だけ助けてあげてる。内緒でだけど。

 

「はい。翔一さんもまた筋トレですか?」

 

「まあ、そんなとこかな」

 

 朝五時から筋トレする過労死寸前のフリーターがいるか。

 総ツッコミを食らうだろうが、頭の悪い俺には未来ちゃんに「なんでこんな朝早くから?」と聞かれた時、咄嗟に「け、健康にいいからね!」としか言えなかったのだ。全国の頭のいい転生者に鼻で笑われる言い訳である。むしろ健康になるために睡眠をしなくてはならないはずの肉体で、とんだ自虐ネタをぶっ込んでしまった。

 でも、後戻りできないので、そういうことにして筋トレという某レジェンドライダーたちの特訓(イジメ)をエルさんたちに強いられてるわけですよ。

 何が怖いかって、適応し始めてる自分よ。前に未来ちゃんと仲良く並走してたらなんかキモがられた。息切れしないのは人間としておかしいことを思い出した時の虚しさは今もなお俺の心を締め付けている。

 

 なので、たとえエルさんに命じられようとも絶対に必殺技の練習だけは見せないように心掛けている。恥ずかしいどころの話ではない。結論だけ言うと俺が死ぬ。二回ぐらい死ぬ。コンテニュー土管から高笑いながら蘇ってからまた死ぬ。

 ちなみにイクササイズは見られた。ガチで引かれた。393と753は相性が悪いらしい。

 

「そういえば話し声が聞こましたけど、誰かいるんですか?」

 

「いや、いない、いない」

 

 辺りをキョロキョロと見渡す未来ちゃん。さっすがは将来有望なラスボス枠。393イヤーは地獄耳かよ。

 なんだか一瞬、未来ちゃんが俺の胸の辺りを黙って見つめてから「気のせいかな」と呟いた気がした。うん、気がした。

 

 ───この娘、いま……。

 

 ───地のエル、そんな馬鹿な話があるものか。

 

 ───だが、やはり……。

 

 ───覚醒の予兆さえ見せておらん。有り得ん!

 

「そ、そうだ朝ごはん食べよう! 未来ちゃんもまだでしょ」

 

「はい! いつもありがとうございます」

 

 なんだか怖くなって急いでバイクに乗せてあるお弁当箱を取りに行く。未だに火のエルさんと地のエルさんが言い合いしているのを聞き流し、ファイナル弁当(なぜか13種類もある弁当箱)を手に未来ちゃんとベンチに座る。

 JCを餌付けする成人(?)男性───もしもしポリスメン? このくだり前もやったな。とにかく警察もパトレンも呼ばないで欲しい。

 

 これは単なる善意であり、平たく言えば趣味だ。え、餌付けが? やめろ。赤いライダーお二人を呼ぶな。料理です。料理が趣味なんです。

 料理が趣味ってね、作る過程と出来上がりを楽しむものだけど、やっぱり誰かに食べてもらいたいわけよ。わかるでしょ同じ趣味を持つ人なら。

 つまり、これは合法な餌付けなんですよ。アレ違うな。呼ばれるなエマージェンシーだなこれ。

 

「うわっ、トマトがすごく新鮮」

 

 もきゅもきゅとサンドウィッチを頬張る未来ちゃん。

 なんかもう犯罪でも良くなってきた。宇宙刑事だろうがハードボイルドだろうが、かかって来いやポリスメン。餌付けした女の子の笑顔守るためなら俺は闇落ちだって厭わないぜ!

 

 見せかけの覚悟で気合いを入れ、ファイナル弁当の蓋を閉めようとした。そして一つの過ちに気付く。

 

「蟹刑事」

 

「?」

 

「いや、なんでもない。なんでもない」

 

 おまえは……どちらかというと餌の方だから。俺は黙祷を捧げながら蟹マークの蓋を静かに閉めた。

 

 

 

 ***

 

 

 

「え、陸上の大会?」

 

「はい。選手権なんです」

 

「そっか、青春だなぁ。響ちゃんと応援しに行っていい?」

 

「是非! 約束ですよ!」

 

「う、うん」

 

 恐らくは今日一番の笑顔を見せた小日向未来を前に、愚かな仮面ライダー津上翔一は頷くしかなかった。

 

 




大量の感想ありがとうございます。感謝の極みです。全部読んでおりますが、恐縮ながら返信の方は少し待っててください。さすがに多い…(´・ω・`)
それとお気に入り4000突破ありがとうございます。きっとみんな適合者であかつき号に乗ってたから評価して頂いているのだと勝手に思っております。


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♩.俺は例の如く間に合わないかもしれない。

感想欄に勘のいい読者が増えてきて嬉しいけどなんか怖い今日この頃。


 また彼は走っていた。

 転んで怪我をしようと、足を滑らせ川に落ちようと、謎の発火現象でお尻に火が点こうとも、彼は挫ける選択肢を選ばなかった。

 

 時折、何かを思い出したかのようにバイクに乗って何処かへ行ってしまい、一時間もしない内に戻ってきては、疲れた顔でまた走り出す。

 何が彼を突き動かすのか。

 自分や他の人と一緒に居る時は常に笑顔を絶やさず、まるで生きていることが幸せとでも言いそうな男。───そんな辛そうな顔は見たくなかった。

 

 腫れた両足に鞭を打ち、次の日もまた次の日も走る。

 殴るような雨が降ろうと燃えるような陽射しに晒されようとその足を止めない。

 

 彼はとあるお好み焼き屋に住み込みでアルバイトをし、夜は警備員のバイトに勤しんでいると聞く。果てには記憶喪失で生きるためには死に物狂いで働かねばならないらしい。

 片手間に我武者羅に走る理由が解らない。

 仕事中に見せてくれたあの笑顔が忘れられない。

 苦しいならやめればいいのに。どうして、まだ走ろうとするのか。

 

 別に陸上選手でもスポーツをしているわけでもない。如何に健康のためとはいえ、ものには限度があるだろう。

 必死になれる理由が他にあるのではないか。

 興味と疑心が胸の中で混ざり合い、ついに小日向未来は大の字で倒れた青年の元へやって来た。

 

「未来ちゃん?」

 

 目を合わせるなり、上下していた胸を押さえ込み、元気良く起き上がってみせる青年。明らかに無理をして笑っているのが嫌でも解った。

 

 この時の未来の顔は青年への根拠なき不信感が募り、自然と顰め面が出来上がっていた。

 何よりも走ることへの情熱が挫折していた彼女からすれば、意味もなく走り続ける青年はどこか羨ましく、同時に恨めしいものであったからだ。

 

「どうして、そんなに頑張れるんですか」

 

 彼女らしくない挨拶もない直球的な言葉に青年は腕を組んでほんの一瞬だけ考えた。

 

「アイデンティティの喪失を防ぐためかな、うん」

 

 小首を傾げる少女に苦笑しながら青年は後ろ髪を掻きながら恥ずかしそうに応える。

 

「俺さ、他になーんにも持ってないから。だから、せめて今だけは守りたいんだよ」

 

 それは〝今〟という存在。

 

 本来、彼はそこに在ってはならない異分子である。数ある世界を一つの物語として(くく)り付けるならば、決して現れることのない存在(キャラクター)であるのが彼・津上翔一である。

 意味のない存在。価値のない存在。

 それでも命があるならばと生きてきた。だが、その果てに想像を絶する痛みが待っていた。

 望んでもいない役割。覆しようのない現実。終わりの見えない未知という不安。誇れる過去もなく、自身の知る未来が自分の手で壊れてしまうかもしれない恐怖。

 

 苦痛という〝今〟だけが残る。

 

 それでも、彼にはそれしかなかった。

 

 それしか無いから守る。どうしようもないから戦う。

 正義などではない。優しさでもない。

 誰かが呼んでくれた〝仮面ライダー〟という現在(いま)を守るため、必死に地を這い続ける。

 

 だから、とりあえずライダーキックは守る。ライダーキックしない仮面ライダーは無数にいるけど、アギトは絶対にいる。───みんなもそう思うだろ? え、思わない? あっそう……。

 

「それにゴールがあるって良いことだしね」

 

 どっこいしょ! 立ち上がり足を延ばす青年。ボキボキというよりゴキッゴキッゴッと真面目にヤバそうな音が鳴る。

 

 未来にはわからなかった。いや、誰にもわかるはずがないのだ、仮面ライダーという名の重みがどれほど彼を苦しめているかを。

 その名を持つが故に、何もかも振り切って戦い続けなければならない呪いにも似た宿命が。

 

 だから、今は少しだけ、その直向(ひたむ)きな生き方がほんの少しだけ───

 

「ちょっとカッコいいです」

 

「ん? そう?」

 

「少しだけですけど」

 

「そっか」

 

 へへへっ、鼻の下を伸ばして嬉しそうに笑う。

 びっくりするほど裏表がない人だ。年齢不明とはいえ、成人しているであろう男性が中学生の(おだ)てに本気で喜んでいる。

 類は友を呼ぶというのか。立花響が彼を信頼する理由が分かった気がする。

 

「あ、そうだ。未来ちゃん陸上部だよね」

 

「そうですけど」

 

「100mを11秒以内で走れる方法知らない?」

 

「…………」

 

 それができたら悩んでいない。

 本気で訊いているであろう津上翔一に対して未来はなんだか真剣に考えている自分が馬鹿らしく思えて、自然な微笑みを返した。

 

「私も探してる最中です」

 

「そっかぁ、俺もまだ見つけてないんだよ。エルさんたちは考えるより行動!っていう脳筋だし……」

 

「翔一さんは無理し過ぎなんですよ。そういうところが響と似てますね」

 

「喜んでいいのか否定すべきか。ああ、もうとにかく走ろう!」

 

「結局ですか⁉︎」

 

「エルさんたちが謎の手拍子カウントダウン始めてるの! それに───」

 

 足踏みしながら、初めて彼の名を知った時と同じような笑顔を向けた。

 

「走ってるとなんか気持ちいいしね!」

 

 ものには限度があるけど! 付け足した言葉は自分に向けてか、己の中に潜む天使に向けてか。それでも途方もないお気楽な考え方で走り出した青年の背中。どこか脆くヒビ割れているものの、数えきれないほどの人々を支えてきたであろう立派な背中。

 

 いつかあの背中に追いつければいいな……。

 

 未来もまた走り出した。解き放たれたかのような軽やかになった両足で、ゆっくりと自分のペースのまま進み始める。

 その優しい背中を当面の目標(ゴール)に定めて。

 

 

 

 

***

 

 

 

『───なので、先に会場で待ってますね! 遅れたりしたら未来、かなり怒りますよ〜』

 

「うん。知ってる」

 

 知ってた。

 仮面ライダーが交わす約束は大体がフラグになるって。仮面ライダーに限らずヒーローものなら大体そんな気がするけどさ。その悪しき習慣マジでやめない? せめて、子供の晴れ舞台ぐらいは行かせろやゴラ。

 

『未来の出番はお昼前だから……11時過ぎです!』

 

「わかってるわかってる」

 

 わかってた。

 そろそろどっかの全裸系ラスボスが杖持って準備運動してることぐらい。ふざけやがって。杖へし折ってやろうか。裂けるチーズみたいに縦に折って半分だけ返してやろうか。嫌がらせか? 嫌がらせだよ。

 

『未来、翔一さんに練習の成果を見せるんだって張り切ってましたからね───ってこれ内緒にしてって言われたんだったッ! 今のは忘れてください!』

 

「うんうん。おーけー忘れた」

 

 忘れていた。

 ノイズたんは空気読まないことを。いや、逆に読んでいるのかこの場合。ふざけんな。そんな大学生の飲み会のノリみたいな読み方じゃなくて、俺を労わる方向で空気読めよ。

 なんでエブリデイサプライズパーティみてぇに俺に的確な嫌がらせを仕掛けてくんだよ。暇か。頭パリピか。パリピ大学生かノイズたん。アメリカのホームドラマでもそんなにパーリナイトしねぇーぞオイ。

 

「それじゃあ響ちゃん、また会場でね」

 

『はい! 翔一さんもお仕事頑張ってください』

 

 ぷつりと切れる通話。項垂れながら必死に我慢していた溜め息を吐き出す。はいはいお仕事お仕事。仮面ライダーのお仕事は(ノイズたん)野望(すなあそび)を打ち砕くことです。

 

 バイクのエンジンの駆動だけが澄み切った空気に響く。未来ちゃんとの約束への罪悪感と最近やたらと元気のいいノイズたんへの疲労感の板挟みが辛い。常日頃からシンフォギア女子勢と陰湿なOLみてぇなエルロード勢に精神的に挟まれてるんだけどね。……どっかのチェリーディーラーがこっち見てんな。お前は岩盤浴でもしてろ。

 

 ヘルメット外してバイクの上に置き、キーを抜き取り足場の悪い大地に二本の足で立つ。深呼吸すると空気が美味かったことだけが唯一の救いである。

 

 俺も一話ごとに愚痴りたいわけじゃないのよ。

 もっと誠実な優しいお兄さん感出したいよ。頼れる大人って空気出したいよ。仮面ライダーっぽい正義に熱い男的な雰囲気も出したいよ。

 

 でもさ、無理やん。おかしいやん色々と。

 別に今、休み欲しいとか一言も思ってないで? ただ、妙に懐いてる親戚の子供と他愛ない約束をして、それを守ろうと仕事を早めに切り上げるおじさんみたいなことしかしてないんやで?

 ひとりの大人として、至極真っ当なことを為そうとしてるわけであって、悪いことしてるわけじゃないと思うの。

 

 でも、世界は俺を殺しにきてる。過労(ノイズたん)という手段を用いて。

 

「世界は俺のこと嫌いなのかな……」

 

 ───何を今更。

 

 まるで万国共通認識と言わんばかりに地のエルさんに即答されたので俺は上を向いて出もしない涙が溢れないように歩く。

 静寂に砂利を踏み散らす音だけが鳴る。

 びっくりするほどキレイな青空が今日は絶好のランニング日和を伝える。未来ちゃんもこれなら全力で走れると言うもの。

 

 ……なのに、なんで俺は既視感のある採石場にいるんですかねぇ? はいはいノイズたんねアイノウアイノウ。

 

 てか、こんな山奥の採石場跡地に来る人とかいる? いるとしたらクライシス帝国ぐらいよ。一体何人のクライシスがこの「いつもの」で通じる採石場でクライシスしてしまったのか……。

 気配を探ってみても人っ子一人どころか怪人一匹としていやしない。いたら困るけど。来られても困るから勝手に通行禁止の立て札かけたけど。

 

 ───あんな出来の悪い〝この先工事中〟の看板は初めて見たがな。

 

 ゔっ……美術の才能がないのはわかってんだよ!

 それでも世界が俺を殺しにきてるから何かしら対策立てないと、遅刻した時に未来ちゃんに何かしら恐ろしいことされるでしょうが!

 

 時すでに遅しであるが、約束自体がフラグだと直感していた俺は昨日は不眠(そこ、毎日ほぼ不眠とか言わない)で超能力謎電波を発信し、ノイズたん出現を監視しまくっていた。

 予知能力に近い俺のノイズたんレーダーは先回りが可能であり、俺が頑張ればより早くノイズたんのやる気を受信することができるのだ。

 

 まあ、本気出すとちょっと頭痛くなったり、心臓に激痛が走ったりするから極力使わないけど。

 

 ───来るぞ、アギトよ。

 

 滲み出す空間。

 現世を侵食するノイズたんの登場。その数は……。

 

「ん? いつもより少ないぞ」

 

 おろ? 普通に百匹ぐらいなんだけど。あと三倍ぐらいは出てくると思ってたのに。それはそれでなんか怖E。

 

 ───ほう、終焉の巫女め、焦ったな。

 

 火のエルさんが一人納得している。さっすが〜! エルロード様に死角は無いんですね。あとさらりとラスボスの正体明かすのやめません? ムリだな。天使だもんね。

 

 ───ソロモンの杖だ。恐らく喚び出したノイズの種が違ったのだろう。急いで門を閉じたが、別の場所でこじ開けられてしまったようだ。

 

 その瞬間、耳鳴りに近い金属音が脳内を揺さぶる。ここと数キロ先と更にその奥にもう一箇所。合計三箇所である嘘やん。

 てか、ノイズの種って何ぞ? こじ開けるって何そのホラー。ノイズたんって杖でリモートできるんじゃなかったの? 完全に従えてないじゃんリモート(笑)じゃんそれ。俺の知ってる設定とチガウヨォ……(震え声)

 

 ───汝が今、気に留めることではあるまい。それにもの歌い共も動き出した。汝はアギトとして戦えばいい。……遅れたくはないのだろう?

 

 地のエルさんに言われてはっとする。

 そうだ、まだ終わりじゃない。絶望にはまだ早い。

 仕事を早急に片付けてバイクをかっ飛ばせば、ギリ間に合うかもしれないのだ。……息子の運動会の日にお仕事入ったお父さんの気持ちってこうな感じなのだろうか。

 だとすれば、全国のお父さんお母さんに応援のエールを。俺も過労なりに頑張りますから、皆さんも仕事と育児を頑張ってください。

 

『a*a÷€<g〒°→☆☀︎i:◎#t=o+……⁇』

 

 どうも、ノイズたん。そして───

 

「変身……!」

 

 どうか、頼むから早く帰ってくれ。

 あと翼ちゃんと奏ちゃんはファイト。俺はワケあって援護に行けないから。

 じゃないと、怒った未来ちゃんにどんな恐ろしいことされるかわかったもんじゃない。

 

 

 

***

 

 

「ありがとう。キミの歌で我々は救われた」

 

 あれはどこの国であったか。

 地図にすら載っていない村。軍隊がその防衛を諦めた境界線。

 歌を唄った。それだけで泣かれた。

 知らない言語であったため、なんて言われたのか判らず首を傾げると、

 

「〝ありがとう〟」

 

 不慣れな発音でその五文字で連なる感謝を述べてくれた。

 それが堪らなく嬉しかった。

 感謝とは無縁の人生だったから。

 ノイズに家族を殺されてからは復讐の道であったから。

 

 生まれて初めて、人の為に歌えたのだと思った。

 

 天羽奏の人生に、光が射した気がしたから。

 

「……って何考えてんだあたしは」

 

 疲れているのだろうか。

 市街地上空を滑空するヘリの中、天羽奏はワケもなく思い出に浸っていた。

 二課の装者としてのノイズとの戦いに加え『ツヴァイウイング』としての多忙な仕事をこなす若き少女は自身に失笑した。

 

 こんな程度で根を上げていれば、未確認生命体第2号に一生追いつけない。

 ノイズの出現警報。それも三箇所に同時。

 既に第2号は動いているはず。奏と翼は二手に分かれて各個ノイズを撃破する作戦を決断。理由は至って簡単。

 

 三箇所の内、二つが市街地のど真ん中にあるのだ。残りはあまり人が訪れないであろう十年以上も放置されている採石場の跡地。ここが他二点より一番離れている。

 第2号の目撃情報が上がっていないことで予測するに、第2号は人通りが少ない採石場へ向かったのではないか。

 

 ならば、必然的に市街地が危ない。

 

 よもや、不本意ながら採石場の方は第2号に任せるしかあるまい。

 今は人命救助が先だ。

 開かれるヘリのスライドドア。突風が茜色の髪を弄ぶが、等の奏は気合いの拳を掌に叩きつけると、

 

「さて、お仕事だ」

 

 迷いなく大空へ飛び出した。

 

「───Croitzal ronzell Gungnir zizzl」

 

 その歌は、戦えない誰かの為に。

 この槍は、恐怖を振り撒く悪を滅する為に。

 

 戦士(シンフォギア)の〝魂〟は、音奏で尽きるまで舞い上がる為に。

 

 その先には必ず笑顔が待つと信じているから。

 

「先制だ、いくぞッ‼︎」

 

 強力な重力にさえ、揺るぎなく制する神の槍から生まれし鎧のポテンシャルを引き出すのは、間違いなくそれを装う者。

 その点、撃槍(ガングニール)と天羽奏は見事なまでに意気投合するが如く調和が取れていた。

 

 槍とは、剣とは違い突貫じみた勢いが無ければ攻撃に転じることができない。大きさ故に小細工は不躾の戦法。己の槍に貫けぬモノは無いとただ信じる猛虎の精神こそが撃槍の真意。

 天羽奏はそれを持ち得ていた。

 手間はかからない。粋な技なら相方が担ってくれる。

 

 自分はただ、全力全霊を懸けて、この一振りの槍を撃ち込むだけ───!

 

 【STARDUST∞FOTON】

 

 千とも足りぬ神槍が雨となり、ノイズの大群を無慈悲に穿つ。

 固いアスファルトに着地後、未だ土煙に埋もれた敵へと奏は疾走を開始する。

 止まることを知らない撃槍が討ち漏らしたノイズに風穴を開け、次々と煤に葬り去っていく。

 

「おっちゃん、避難状況は⁉︎」

 

『80%───少し難行しているッ』

 

 軽く舌打ちをする。

 現戦場は市街地。少し目を逸らせば民家が建ち並ぶ最中、ノイズの猛攻は依然として終わらない。

 奏に課せられた任務はノイズの殲滅以前に人命の守護である。

 

 今、彼女にできることは周囲への被害を抑えながらも派手に戦い、ノイズの注意を引きつけること。

 至難ではある。だが、やりようはある。

 奏の槍術は良くも悪くも派手。しかして小回りは利く。先の【STARDUST∞FOTON】も地獄のような鍛錬の果てに完全に扱い切れるものとなり、威力を殺さずとも敵のみを狙い穿つコントロールさえものにしている

 視認できる道路に人はいない。居るとすれば建物内部。ならば───。

 

「外で派手にやりゃいいってことだなッ‼︎」

 

 振り払う一閃。

 ノイズを巻き込み、奏は更に敵の渦中へ飛び込んでいく。この声が枯れるまで精々暴れてやる。ただし、誰一人として死なせはしない!

 撃槍を携えた戦姫の歌声が響き渡る。

 有象無象と化した雑音が乙女の唄に掻き消されていく。

 

 数さえ居れど、装者にとってノイズ単体は脅威ではない。単調な攻撃方法。策もなければ技もない。

 その圧倒する数さえ捌き切れるならば、あとは何も懸念すべきことはない。

 無論、長期戦になればこちらが不利になる。体力的にも、彼女に許された戦士としての時間的にも。

 

 それまでに片付ける。押し切れないはずがない。この槍が砕けぬ限り、この唄が響き続ける限りは───。

 

 彼女の戦意はまさにノイズ如きでは止められないものであった。故に、予測不能(イレギュラー)の介入はある意味としては必然的であったと言える。

 なぜなら、それも雑音(ノイズ)にカテゴライズされる天災であったのだから。

 

「なんだあいつ」

 

 そのノイズは異質であった。

 純白の人型。ただ、その種別を統合している雑音の中ではどのカテゴリーにも属さない。ひとつの個体として完成しているノイズであった。

 有機物か無機物か、その判断を狂わせる見た目のノイズだが、それは明らかに生物としての一角を成す様式を保っている。

 四肢がある。顔がある。筋肉らしきものがある。そして、背中に折れた羽がある。

 

 ノイズには違いない。ただ、人体と何ら変わりない骨格を形成し、挙句の果てにその頭蓋は───。

 

「あれは(ヒョウ)か?」

 

『y×〆o=\u€ a@r""e/ ☁︎no*t =<t-h÷〒ゝe a‥g〆◎i^^to♪÷』

 

 ゆっくりと奏へ歩み寄る。

 人間じみた動きで、背後に多くのノイズを従えて。

 不気味な瞳が自分を捉える感覚に得体の知れない恐怖を抱かずにはいられない。こいつは違う。何かがおかしい。

 方向性すら、今までのノイズとはズレている。でなければ、こちらを恨めしげに凝視する理由がない。

 

『d#.dD@a───daga koro sa neba』

 

「ッ⁉︎」

 

 喋った……?

 奏の驚愕は直ぐに警戒心へと変わる。撃槍を構え、敵の襲撃に備える。

 ノイズは手の甲に二本の指を交差させる。十字を切り、神へ懺悔の祈りを捧げるように。

 

 〝おお、神よ我を赦し給え。

 主の創りし人間を天へと還すが故〟

 

「nN&……ningen de arukagiri wa agito e itaru nodakara‼︎⁈」

 

 〝この罪を赦し給え〟

 

 飛び掛かる純白のノイズ。奏は咄嗟に防御の姿勢を取る。

 だが、ノイズは奏の頭上を越え、後方に着地すると自身の肉体を変質させ、得物を抜き取る。

 

 それは〝槍〟であった。奏の《ガングニール》を模造したかのような同じ形式の槍。

 

「あいつ、やろうってわけだな……!」

 

『奏、挑発に乗るな!』

 

 無線から弦十郎の叱咤が聞こえてくる。

 奏は敵から目を逸らさず、一定の距離を保ちながら無線に耳を傾けた。

 

『状況は確認している! 信じ難いが、あれは五年前、米国で確認された《ロードノイズ》とデータが一致した。あれは自壊しない。そして』

 

 純白の雑音───ロードノイズが動いた。

 

『単純に強いッ』

 

 一瞬であった。

 十メートルは離れていたはずの彼我の距離を詰められ、一撃を見舞われたのは。

 ほぼ反射に身を任せてガードした奏はその衝撃に押され、吹き飛ばされてしまう。

 体勢を整えながら奏は悪態をつく。自壊しないということは、ここで仕留めなければ被害の拡大は免れない。大方の避難が完了しているとはいえ、万が一が起こるのが戦場である。

 

「だったら、どの道ここで倒す!」

 

 なぜなら、ここには天羽奏ただ一人の戦士しかいないのだから。

 片翼であれ、守らねばならないものはいつだってそこにある。

 既に第二撃の構えを取る豹型のロードノイズ。奏も神槍の矛先を眼前の敵へと合わせ───両者突撃した。

 

 閃光が爆ぜる。

 





クソみたいなオリジナルノイズさんぶっ込んで無茶苦茶にしていくスタイル。反省はしてるけどしてない。

どうでもいいけど、メイド調ちゃんが来なかったのでこれからも爆死を原動力にむしゃくしゃしながら書いていきます。次回あたりで一区切りして、原作に行きたい(祈り)


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♫.俺は振り切らなきゃいけないかもしれない。

みんなが忘れた頃に更新するクズ


 衝撃の火花を散らし、悲鳴を上げる両者の槍は虚空を貫く。

 突き抜いた得物を引き絞る時間はもはや意識に反する無の一瞬に近い。天羽奏は機関銃の如く目前の豹人擬きに向かって突き続ける。

 

 敵が用いる槍が急拵(きゅうごしら)えの模造品であることに気づいたのは、戦闘開始から然程の時間さえ要することはなかった。

 ノイズの体内から摘出された槍は(もろ)く、神の槍とさえ称された聖遺物たるガングニールが打ち合いに負ける理由はない。互いの矛先が弾き合うたび、ノイズの槍は軋むような酷い残響を上げる。

 

 一対一の打ち合いならば、敗北は有り得ない。

 

「そこォッ‼︎」

 

 奏の渾身の突きにより生じた摩擦が凄まじい熱を帯び、ノイズの槍は遂に耐えることができず、柄の中心からへし折れてしまう。武器としての役目を放棄し、ただの棒切れと化したそれを目眩(めくらま)しにロードノイズは奏に向かって投げ捨てる。

 

 しかし、それを素手で弾く奏に死角はない。

 勢いを増した歌声と共に穿つ一撃が吠える。

 得物を失ったロードノイズは奏の一突きを半ば受け止めきれず地面に背中を預ける。追い打ちを畳み掛けられるよりも先に、人間には到底不可能な関節の動きで素早く立ち上がり距離を取ろうとする。

 

「逃すかよッ! はァァァァ‼︎」

 

 投擲された神槍がロードノイズを完全に捉えた。───はずだった。

 

「おまえ、ノイズを盾に……?」

 

 頭部を鷲掴みにされ、その顔面に深々と神槍が突き刺さり、煤へと還る蛙のような形のクロールノイズ。

 カラン、と空虚な音を立てて地面に落ちるガングニールをロードノイズは踏みにじり明後日の方向へ蹴り飛ばす。その口角を歪な三日月に曲げて、嘲笑うかのようにゆらりと脱力する。

 元よりノイズに仲間意識があるとは思っていない。しかし、ノイズ自身の攻撃対象に含まれていない以上、同種は味方である共通認識は持って然るべきである。

 

 味方を盾にする行為に微塵の躊躇(ためら)いもない。これがノイズの本性なのか。それともこの豹人間が得た性質なのか。

 いや、元より常識などで考えること自体が大きな過ちだ。人類が作り上げた道徳心などノイズが携えているはずがないのだから。

 

『oΩ……orokana mono yo』

 

 両手を広げたロードノイズの前に軍団と化した他のノイズが割り込むように躍り出る。地面の色すら拝めない圧倒的な物量に奏は無意識に舌打ちを零した。

 

『seigi wa zetubou niwa kanawai』

 

 自身の胸を抉り、虚無空間に限りなく近しい体内から新たな槍を生成。痛覚など有るはずもなく容赦なく二本目の得物を己の肉体から抜き取る。

 その様子からして、恐らく武器はほぼ無限に生み出せるのだろう。何本折ろうと敵にとっては痛手には至らない。

 

「だったら本体を潰してやるまでだ!」

 

 武器(アームズギア)を失おうと天羽奏の戦意が失せることは決して有り得ない。

 素手でノイズに挑む。無謀ではない。彼女の澄み切った歌が止まらない限り、天羽奏という戦姫が雑音に呑まれることはない。

 

 彼女には守ると誓ったモノがある。この身にかけて倒すと決めたモノがある。そして、そんな彼女を信じてくれる人がいる。

 そのありったけを詰め込んだ音奏が尽きるまで彼女は片翼で在り続ける。大空こそが彼女にとっての戦場(ステージ)であり、その歌声が響き渡る限り誰も天羽奏の飛翔を止めることなどできはしない。

 

 それこそが奏を戦姫たらしめる理由他ならない。

 

『aA……nanto itooshii……〝tumaneba(摘まねば)〟』

 

 愛。勇気。挫けぬ心。───それらがロードノイズの癪に触った。狂った思考回路(プログラム)がそれを許さなかった。

 ノイズの群れで形成された肉壁を越えた奏がロードノイズに殴りかかるが、繰り出された拳を顔面で受けることなく首ごと九十度に曲げて避けると、ブリッジめいた奇怪な動きから十メートルほど後方に跳び上がった。

 

「はぁ……はぁ……ちょこまかとッ‼︎」

 

 奏の体力も限界に近い。ギア制御薬である『LiNKER』がもたらすタイムリミットもすぐそこまで来ている。

 一方、ノイズの量は減ることを知らない。絶えず出現し続けているのかもしれない。こちらの援軍は微塵も期待していないが、相方も同じ状況に陥っているとすれば、ずっしりとした重みを帯びた危機感と焦燥が背中を駆け巡る。

 

 倒すべき敵(ロードノイズ)は既に後手に回った。奏の制限時間を理解して守りに入ったのだ。

 ならば、辺りのノイズ諸共消し炭にするような戦略的必殺技をもってして、速攻且つ確実に滅ぼさねばならない。不可能か? いいや、可能である。唯一の手段は既にこの手の中にある。───たった一度の捨て身の〝歌〟が。

 

「使うしかないのか、絶唱を」

 

 禁じられた奥の手───『絶唱』

 きっと、自分が歌えば間違いなく命は保たない。直接的に言えば、天羽奏は死に至るだろう。

 だが、状況は打開できる。

 この異分子(ロードノイズ)を放置してはならない。多くの罪無き人々が犠牲になってしまう。───それが奏にとって、何よりも一番の恐怖なのだから。

 

「あんたらの好き勝手にはさせない。悪いけど、地獄の果てまで付き合ってもらうよ」

 

 すぅと呼吸を整える。

 彼女は歌う覚悟を決めた。命を燃やす血の流れた絶唱(ウタ)を。

 心の底から湧き上がる想いを血潮に変え、全身全霊の音奏を響き渡らせるため、天羽奏は口を開いた。

 

「がァッ───」

 

 血が飛び出た。声ではなく、鉄の味がする大量の血が。

 胸元を見ると、剣が貫いていた。

 今まで感じなかった気配が背後から湧き出てきた。振り向くと同時、乱暴に剣を抜かれ、血潮が噴水のように舞う。

 

「二体、居たのか、最初から……」

 

 途端に重くなった瞼の隙間から見えたのは、山吹色をした同じ豹型のロードノイズの残酷な嘲笑。

 最初から居たのだろう。隙を伺っていたのか、単に傍観していたのか、今となっては判らないが、絶唱を放つ寸前の状態は如何に装者であれ格好の的。殺すのは何よりも容易い。

 意識が揺さぶられ、両膝が地に着き、スローになった世界にその身を預けて辺りを赤に染める。

 

 痛みがないのは、もう肉体が生きることを諦めているのかもしれない。

 

『korekara wareware wa kakureta ningen o 〝minagoshi(みなごろし)〟 ni iku』

 

 意識が叩き起こされるような聞き捨てならない言葉が脳裏に響いた。確かに言った〝皆殺し〟と。

 

『zetubou to tomo ni shinitaerugaii』

 

 二体のロードノイズの背中が見える。その後をノイズの大群が列を為し、さながら蹂躙を目的とした侵略者の進軍である。

 トドメを刺さずとも奏の命は風前の灯火である。残った時間で自分の無力さを呪い、これから消えてしまう命に懺悔しながらゆっくりと死ねとでも言うのか。

 

「まて……まってくれ……」

 

 手が動かない。足が言うことを聞かない。

 薄れる視界に、これからか弱き雛たちを腹満腹に食らおうとする豹が映る。その手に握られた真っ赤な剣を更に染め上げるのか、それとも何もかもを灰色の無へと変えてしまうのか。

 

 やめろ、やめてくれ───。

 

 なぜ、殺す。

 

 なぜ、奪う。

 

 装者以外の人間に力はない。抗えるだけの強さはない。

 お前たちの敵は私だろう。私を殺せばいい。私を奪えばいい。

 徐々に意識がこびりつくように固定される。反して身体は糸の切れた人形のよう。己の弱さが導いた殺戮ショーがこれから開かれると思うと絶望が全身に駆け巡り、恐怖で気絶することすらできない。

 

 待ってくれ。頼むから待ってくれ。

 叫ぶ声が自分のものだと気づく。

 

 手を伸ばしても届かない。

 こんな悲しみがあってたまるか。

 

「まてよ、やめろよ……」

 

 誰でもいい。あたしの命はどうなってもいい。だから、誰でもいいから、お願いだから、平和を生きるみんなを、弱き者たちを───。

 

「守ってくれ……救ってやってくれぇぇぇ‼︎」

 

 心のスピードが叫ぶ。

 はち切れそうな喉を震わせて祈りを込める。

 ただ一つ響き渡る天羽奏の絶叫に近い願い。誰に届くはずもないが、死を直前とした奏は心臓が止まらない限り、信じるしか道がなかった。

 

 静寂に包まれた残酷な世界。

 叫び続ける奏の心。

 奏には、どちらが現実なのか、判断できないほど弱り果てており、不意に聞こえた叫び声にも大した反応は示せなかった。

 

 誰の声だろう。

 

 あたしの声だろうか。

 

 それとも知らない人の声だろうか。

 

 声───いや、この〝音〟は。

 

 聴こえるはずのないエンジン音は誰の叫びなのだろうか。

 

 

 

***

 

 

 

 本当に彼は来てくれるのだろうか。

 

 ふと、小日向未来は選手控え室でそんなことを思った。同じ部活動仲間たちが着々と筋肉をほぐしている横で、一人ロッカーにもたれて携帯電話を握りしめる。

 

 津上翔一は常に忙しい。

 昔、立花響お好み焼きを食べに行った時、いつ休んでいるのかと響が軽い気持ちで問うたことがある。すると、彼は虚無を宿した真っ直ぐな瞳で「働いてる時」と意味不明な迷言を残した。

 響も未来も「は?」と声を揃えてもそれ以上語るべきことはないと翔一はヤケに縮こまった背中を向けて仕事に戻っていった。

 

 あの時ばかりは本気で心配になった。

 

「働き過ぎるし、約束はすっぽかすし、よく壊れるし、たまに一人で喋ってるし……」

 

 不満は多々ある。それこそ数え切れないほど。

 どこか遠くへ向かって加速していく背中にどれだけ手を伸ばしても届くことは叶わない。清々とした感情とは真逆の想いを抱えながら、それでも未来は彼に手を伸ばす。情景とは違うはず。嫉妬など以ての外。

 これは単純な願い。もっとも理解しやすい素朴な感情の一つに過ぎない。

 

 純粋な想い。誰もが一度は持つであろう簡単な心。だからこそ、未来は何の根拠も持たずとも信じようと思えたのだ。

 

 どうか、あなたのままでいて。───待ち受け画面のエプロン姿でフライパンを持つ翔一の横顔。大きな欠伸をする瞬間を捉えたのは奇跡に近かった。

 こんな阿呆な表情をする彼だから、きっと未来の心情も響の心中さえ気付いてはいないだろう。鈍感が服を着ているような人だから、きっと今も何か勘違いしているのかもしれない。

 

 それでもいい。勘違いでも、すれ違いでも、誤解の果てに傷ついてたとしても、彼のやる事は天地がひっくり返っても変わらない。変わるはずがないのだ。

 

「きっと来てくれる。うん、翔一さんはそういう人だから」

 

 嵐のように掻き乱し、そして最後には必ず満天の虹をかける。どんな悲しみも拭い去って、どんな苦しみも忘れさせて、みんなに笑顔を取り戻す。

 彼はそういう人間だから。

 彼自身、そんな特質に気づいていなくとも、少なくとも未来は知っているから。

 

「よしっ」

 

 未来は携帯電話を閉じ、自分も万全の状態を整えるために準備運動を始める。

 みっともない姿を彼に見せたくはなかったし、悔いは残したく無かった。どんな結果であれ、せめて満足気な笑顔でゴールすれば、彼はきっと笑って褒めてくれる気がしたのだ。

 

 

 

 ***

 

 

 

 雑音を切り裂くエンジンの鼓動。

 蜃気楼さえ霞んでしまう黄金の神格が遥か彼方の地平線に見えた。

 

 幻覚かもしれない。

 太陽の光が天羽奏の視界を有耶無耶にする。

 あの夜、風鳴翼と共に敗北した金色(こんじき)の生物。桜井了子曰く、イラクの古代遺跡で発見されたイコン画に描かれた存在に酷似していると言う。

 

 それは天に抗うため、天から与えられた力。

 生を貪り死を蔓延させ、争いを生み堕とす不の生命。

 聖遺物とは(ことわり)そのものが違う神代の異物。

 万象悉くを置き去りにする超越進化の魂。

 

 未確認生命体第2号───いや。

 

「アギト……」

 

 遠のく意識でさえ、天羽奏ははっきりと断言した。

 それを呼応するように加速するマシントルネイダーはノイズの群れに飛び込み、巧みなドリフトを用いて蹴散らしていく。

 ノイズたちがアギトの存在に気付き、歩みを止めて戦闘態勢に入るが、誰も彼のスピードを緩めることすらできない。

 

 不意に目が合った。

 何も語らぬ真っ赤な複眼が戦う力を失った奏を見つめる。

 哀れんでいるのか、呆れているのか。もう動けないのかと挑発しているのかもしれない。あるいは、邪魔だと一蹴しているかもしれない。

 

 だが、今の奏にとってはどうでもいい。

 どう思われたって構わない。

 ただ、一つだけ───掠れた声帯を震わせて懇願する。

 

「頼む、あいつらを止めてくれ。じゃなきゃ、多くの人が死んじまう」

 

 私のことはどうなったっていい。

 今この場でお前に殺されたっていい。

 ノイズに蹂躙されて煤塵になっても構わない。

 だけど、戦いを知らない平和の中で生きる人たちだけは、あの笑顔だけは───!

 

「助けてやってくれ、アギト(・・・)ッ‼︎」

 

 見つめていたのは一瞬。

 吐血するほどの願いを過去の敵に頼み込む。

 愚かだ、実に愚鈍で自分勝手だ。少し前までは次こそ必ず打ち倒すと血気盛んに語っていたのにもかかわらず、今では身体さえ動けば額を地面に擦り付けている勢いだ。

 

 愚かにもほどがある。

 だが、奏はそれでもよかった。惨めでも構わなかった。

 生命より大事なプライドなどない。この生き恥だらけの命を捨てて、守れる命があるのなら喜んで捨ててやる。

 

 最初は復讐だった。両親の仇だった。だが、そんな自分に「ありがとう」と言ってくれた人がいた。初めて誰かに感謝された。初めて歌が好きになれた。

 天羽奏という抜き身の刃が人間になれた。壊すだけの存在が守るための歌姫へと変われた気がした。

 

 自分の歌で誰かを救えるならば。

 

 自分の生命(いのち)が、誰かの生命(いのち)を紡ぐならば。

 

 この心が、誰かの悲しみを救えるならば。

 

 消えてしまいそうな命一つ守れるなら───。

 

「頼む、お願いだ……ッ!」

 

 力無い手を握りしめる。頬を伝う涙が零れ落ちる時、予想しようもしない異変が起きた。

 

 涙が落ちなかった。

 

 拭われた。温かな手でそっと優しく。

 

 幻覚を見た。

 見知らぬ一人の青年が膝をつき奏の涙を拭って「俺もそうだよ」と微笑みかけた。

 

 〝だから、泣かないで。俺の戦う意味が無くなっちゃうからさ〟

 

 きっと、それは幻覚に違いない。

 でなければ、ここにいるもう一人(・・)の背中が見えるはずがない。

 強い背中───何かを背負い続ける戦士の重み。それは名であり、歴史であり、世界であり、己の唯一の存在理由。

 現在(ここ)にある(ことごと)くを振り切ったとしても、ブレーキを踏むことを辞めた進化の先にあるもの。

 

 そうか、これが……。

 

 〝大丈夫。悲しみぐらいは俺が背負うから〟

 

 正義の戦士───仮面ライダーか。

 

 その瞬間、天羽奏の世界に嵐が吹き荒れた。

 左サイドバックルを叩くことで喚び起こされる青の進化。

 賢者の石から召喚される得物は〝矛〟のような武器。凛とした青き長柄の両端には澄み渡る金色の刃。

 

 それは心であった。

 人は誰しも時折々の心を秘めている。悲しみに暮れ、怒りに震え、やがて喜びを胸に抱く。

 戦士は人である。人間であるが故に心を持つが、その心は時として己を食らう敵ともなる。悲哀も忿怒も歓喜さえも戦いには必要あるまい。

 

 故に、不動を極めよ。無窮の底で凪の如く静かに刃を研ぎ澄ませ。

 感情を凶器とするのは一瞬でいい。打ち滅ぼすべき敵を葬り去るその一瞬だけでいい。

 

 ただ、その一瞬を〝嵐〟に変えよ。

 

 『超越精神の青(ストームフォーム)

 

 青く染まったアギトが鎧を纏った左腕に《ストームハルバード》を構えた姿を目視できたのは奇跡に近かった。

 少なくとも奏はそれを風としか認識できなかったのだから。

 

 音などしなかった。予備動作もなかった。

 

 しかし、嵐は巻き起こった。

 

 量で押し切らんと狭い路地に波と化した軍団として遅いかかるノイズたちが暴風に叩きつけられたかのように無残に弾け飛ぶ。

 やがて、宙に晒された雑音は不可視の風刃に成す術もなく裂かれて消える末路を辿る。

 

 その間、実に五秒───。

 

 ほのかに残る煤ですら、未だに吹き乱れる暴風に踊るのみ。その先に、青の矛を構えた戦士の背中が見えた。

 

 徒手空拳の地。

 剣術の火。

 そして、槍術の風。

 

「おまえは───……」

 

 何に至るつもりなんだ。

 人類にとっては未踏。神ですら躊躇を余儀なくされる領域。

 誰にも追いつけない。誰も辿り着けない。孤独の先駆の果てに何が待つのか。

 

 いや、そこに誰もいないからこそ───。

 

「A@aaaaaGITΩoooooo‼︎」

 

 アギトの背後から野生に帰るが如く純白の豹人間が獲物に襲いかかる。穿つ槍が青き戦士の心臓を完全に捉えた。

 だが、アギトの反応速度はそれをゆうに超えている。まるで、何事もないように静かに長柄を構え、無我の境地の果てに視える世界を何よりも優先し───再び、青の嵐と変わる。

 

 不意打ちにも関わらず、ロードノイズの槍を破裂するかのように素早く弾き、両刃を活かして流れるように敵の腹部に重たい斬撃を命中させる。

 槍術のカウンター。並大抵の技量ではまず不可能な域である。

 強烈な火花を散らしながら(ひる)む純白の豹はそのまま地面に転がり落ちるが、腹筋を使い無動作で飛び上がる。

 

『Aa……AGITΩ⁉︎⁉︎』

 

 剣を携えた山吹のロードノイズが重なり前に出る。紛いようもない怒りを露わに剣を乱雑に振り回す。

 

『omae wa yurusare nai⁉︎⁉︎』

 

 純白と山吹の二体の豹型ロードノイズがアギトに向かい突撃する。

 交わされる剣と槍の猛攻に対し、青き戦士は一片の焦りすら見せず、ただ防御に徹し()なし続ける。風が止まらぬ限り、その心に嵐が吹き荒れる限り、万物を超越した精神が曇ることは無い。

 

 達人的な戦闘術をもってして攻撃を受け流し続けるアギト。鮮やかな曲線を描いたロードノイズの剣が青き矛に完全に防がれ、腹部に鋭い蹴りを返される。

 後ずさる山吹のロードノイズ。追撃させまいとアギトの背後から純白のロードノイズが豹の獣目を輝かせた。

 

 振るわれる槍。貫かれるはずの肉体の代わりに(やじり)が蹂躙したのは虚空というの名の地面(アスファルト)。既に二手先まで読み尽くしている風の戦士は脇腹に重たい斬撃を入れると両端の刃を巧みに用いてノイズの胸元に深く突き刺した。

 純白の豹型は矛を抜こうと(もが)くが、それよりも早く青の戦士の飛び蹴りを喰らい吹き飛ばされる。

 

『agito shinaneba korosaneba‼︎』

 

 山吹のロードノイズが怒涛の勢いで突貫する。素手になった青きアギトに為す術はない。接近すれば分があるのはこちらだ。───それこそが間違いだと知らずに。

 左腕の装甲に風が舞う。纏うように突風が文字通り鎧の如く左手に集まっていく。アギトは獣の如く姿勢を低くし、敵との交差を待ち───。

 

 すれ違い様、竜巻(トルネード)と化した手刀(チョップ)が山吹のロードノイズにカウンターとして叩き込まれる。

 津波の如く暴発的な衝撃がロードノイズに直撃。抵抗など無意味と言わんばかりに上空へ吹き飛ばされる豹人間は大きな集合住宅にクレーターを作り、嘔吐にも見た悲鳴と共に無様に大地に落下した。

 

「o……Ωo……AGitΩoooooooo⁉︎」

 

 震える脚で立ち上がるものの、頭上に欠けた光輪を輝かせたかと思えば、断末魔と共に爆散し煤塵へと変わる。

 

 なんだ今の技は……?

 もはや、死にかけていることすら忘れ茫然と青き化身を見つめる奏。自在に風を操っているとしか思えない絶技。あのロードノイズすら耐えきれない暴風が込められていたとしたら、アギトは火の他に風も制していることになる。

 

「強ぇ……」

 

 感嘆が漏れる。

 アギトは残るロードノイズの槍を受け流しつつ、深々と突き刺さったストームハルバードを抜き取る。

 よろめく純白の豹人間。その表情は張り詰めたように固い。

 背後に多数のノイズが呼び起こされた死者の如く出現する。盾にでもするつもりなのだろうロードノイズは一歩ずつ慎重に後退していき、現れたノイズの群れは血気盛んに突撃を開始する。

 

 ───逃がすと思ったか。

 

 嵐の矛の金色の刃が展開される。

 解放されたストームハルバードを空中に円を描くように回転させる。その軌道は風を集め、やがて有り得ない旋風を───いや、青き嵐を生み出す。

 東西南北あらゆる方向に流れる無尽の烈風はノイズたちの動きを完全に封じる。ここがお前たちの断頭台であることを示すように力無きノイズは膝から崩れ落ちていく。

 

「はぁぁぁぁぁぁぁ……」

 

 嵐と成る処刑人は自らが生み出した嵐の中で、解き放たれた戦斧の矛を前面に構える。

 明らかな矛であるが斧でもある所以に相応しく、その金色の刃には暴虐たる自然の憤怒が込められていた。

 青の嵐───その心は純粋無垢たる怒りの風。破壊の限りを尽くす殲滅の刃。

 

 まさに《嵐の戦斧(ストームハルバード)

 

『nNuUoOooooooooooooo⁈⁉︎』

 

 逃げ場を失った純白のノイズが自暴自棄な雄叫びと共に嵐へ飛び込む。

 アギトもまた嵐を纏った戦斧と共に疾走。

 

 すれ違いざまに力場を失ったノイズに一閃ずつ叩き込みながら駆けるアギトに対し、嵐に呑まれてたまるかと不恰好ながらも豹人間は一心不乱に走り続け───。

 

「ハァッ‼︎」

 

 ただ一撃、その腹部に貰い受ける。戦斧のかち割るが如し無慈悲な破壊の一撃を。

 

 【ハルバードスピン】

 

 そして、嵐が止んだ。

 天に還る煤塵へと姿を変えるノイズたち。

 頭上に割れてしまったような光輪を浮かべ、苦悶の絶叫を上げるロードノイズ。

 

『nazeda⁈ NaZeKaTe NaI⁈⁈ AGITO wa AGITΩ ha───』

 

 見下げるように佇む仮面の戦士へと手を伸ばし、憎悪の瞳が静かに死に際の言葉を紡いだ。呪詛めいた暗黒の言葉を。

 

『〝いずれ、おまえはすべてを壊すだろう(izure omae ha subete wo moyashitulusu)〟』

 

 爆散する純白の豹。

 アギトは何も言わず、静寂に身を任せて踵を返す。

 奏が覚えているのは精々ここまで。エンジンの残響だけが記憶の片隅に轟いていた。

 

 次に彼女が目覚めたのは病室であり、目に飛び込んできたのは泣きながら自分を抱き締める相方の姿だった。

 

 

 ***

 

 

 

 おかしい。

 つっこまざるを得ない。

 

 変なノイズたんがいて、奏の姉貴がやべぇから行けやとエルさんたちに煽られて、潔く断ると火のエルさんと地のエルさんの「オイオイオイ」「死ぬわアイツ」と炭酸抜きコーラで死ぬレベルの言葉で止むを得ず急行し、現状把握後すぐに残業が決定してしまった。

 やめろや。急いでる言うてるやん。奏ちゃんもメッチャ血出して泣きつかんといてぇ……。なんか俺が悪いことしてるみたいやんェ……。

 取り留めのない怒りと悲しみが混ざり合った絶望にも負けず、ストームフォームのゴリ押しでなんとか倒し、御三家に土下座してまで使わせてもらったスライダーモードで間一髪ギリギリ会場に間に合った。

 

 そう、間に合ったのだ。未来ちゃんが自己ベストを塗り替えた瞬間、息絶え絶えな俺は汗を吹き出しながらも平成二期のライダーベルトにも負けないテンションで狂喜乱舞した。(周りの人には白い目で見られた)

 未来ちゃんと目が合った時には、思わずサムズアップしてしまうぐらいにはしゃいでしまい、それから響ちゃんと合流して、しばらくしてから未来ちゃんも来てお弁当食べてから唐突に事は始まった。

 

「と言うわけで遅刻した翔一さ〜ん、罰ゲーム〜!」

 

「おかC」

 

 小悪魔的な笑みを浮かべる響ちゃん。すぐさま異議を唱える。

 

「お、俺、間に合ったよね? ちゃんと未来ちゃんと目合ったよね? ね?」

 

 未来ちゃんに捨てられた子犬のような目で見つめるとすっごい笑顔で、

 

「はい。私がゴールテープを切って自己ベスト更新した時、目が合いました。……それ以前は探しても見つからなかったのに」

 

 ハイライトオフ。光が死んだ。闇の時代の到来である。

 

「せ、せやかて、ウチも頑張ったし……」

 

「結果が全てですよ翔一さん」

 

 なぜか響ちゃんがそんな得意気な顔をしているのかボクにはわかりません。てか、なんでそないなことゆーてしまうん? 鬼なん? 鍛えてんの?

 

「ともかく罰ゲームは受けてもらいますからね!」

 

 響ちゃんに右腕を掴まれる。胸に当たってるとか、そんなことどうでもいいぐらいに得体の知れない恐怖心に俺の心はボドボドなんだけど。ちなみに身体もry

 意を決して振り切ろうとするものの、今度は左腕を深淵と化した無の微笑みの未来ちゃんにもっていかれる。いや、掴まれてるだけだけど。響ちゃんとまったく同じ感じなんだけど、なんでかもうバッドエンドな気がする。

 

「受けてもらいますからね、バ、ツ、ゲ、エ、ム」

 

「ヒェッ」

 

 ちゃんと未来ちゃんがゴールする瞬間は見たのに、この仕打ちとは解せぬ。俺はどこに助けを求めればいいのだろうか。労基かな?こんな時こそ労基かな?

 

 ───逆に言えば、そこしか見ていないのだがな。約束は果たせておらんだろうに。

 

 火のエルさんそこは違うでしょ。ちゃんと応援してたんでしょう?ノイズたん杖で殴りながら応援してましたもん。未来ちゃんファイトーって、ガチファイトしながら応援してましたもん。

 

 ───汝の頭の中はひたすらに『ギャァァァ⁉︎シャベェッタァァァキメェェェェ⁉︎』だったろうに。

 

 て・へ・ぺ・ろ☆

 

「あ、今なんか受信しました。すごくムカつきました」

 

「奇遇だね未来。これはいつもの翔一さん反省してないパターンだよ」

 

 あっこれはオワタ。

 

「誰かたすけてぇぇぇぇぇ!」

 

 とりあえず、何振り構わず叫ばずにはいられなかった。

 だって仮面ライダー辛すぎて、そのうち俺は死ぬかもしれない。いや、多分これは死ぬな過労死or過労死で。もしくは原作女子による変死かな? なにそれ怖い。

 

「翔一さんは視野を広げすぎなんです」

 

「ゴメンナァサイ……」

 

 逃さまいと未だに俺の腕を固めている未来ちゃんがため息を混じりに言った。どうやら、今回のことは相当おこならしい。

 五代さん張りのサムズアップした時は物凄く喜んでサムズアップ返してくれたから、機嫌いいと思ったんだけどなぁ……。敵はノイズだけではなく、思春期の乙女心もか。そろそろ加齢臭がするとか言われるかもしれない。精神的にも死ぬかもしれないなこれ。仮面ライダー辛ッ。

 

 ああ、でも……。

 

「だから、今度はちゃんと私を見てくださいね」

 

 それでも嬉しそうに笑う未来ちゃんを見て、死ぬかもしれなくてもまだ頑張れるような気がした。

 仮面ライダーだけど、子供の笑顔は振り切れないかもしれない。

 




やっと原作ライブに行ける!

Q.原作が始まるとどうなる?
A.オリ主が死ぬ(直球)


ちなみに更新が遅いのは作者のせい。ガチャは美しいぐらいに爆死してる。泣きたい。


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♪03.果てなき希望

何度でもいいます。歌は気にするな(フラグ)


 原作って、いつから始まるのだろうか。

 素朴な疑問はいつしか自分の中で勝手に消化されていた。解決しようのない大きな問題。原作前という現状に甘えて、居心地の良さに能天気になっていた。

 

 この世界は確信的に間違いようもなく『戦姫絶唱シンフォギア』であり、原作には必ずはじまり(プロローグ)がある。

 そこでは一人の少女が命を断ち、一人の少女は過酷な運命を背負うことになる。二人の悲しみはやがて多くの人々を巻き込み、物語は光と闇を混ぜ合わせながら進んでいく。

 

 シンフォギアはそんな絶望に満ち溢れたスタートを切らねばならない。だが、それは物語を開始する必要不可欠な必須条件。避けるという選択肢ははなから存在してはならない。

 正義の少女の死と無垢なる少女の悲劇。

 この二つが揃わねば物語は始まらない。これから世界に降り注ぐ様々な危機を乗り越えることができない。

 

 だから、原作改変は正しいことなのか?

 天羽奏を生かし、立花響を戦いの世界から無縁の世界へと遠ざける。

 それは本当にシンフォギアの世界にとって正しいことなのか? それで世界は平和を保てるのか?

 

 迷いがあった。

 

 自分自身が置かれた状況。あてのない終わりまで踠き苦しみ続けることを強いられた。

 初めてその力を振るった時、この手に世界の運命を捻じ曲げるほどの力が眠っていると感じた時、それは必ずや直面する大きな課題だった。

 この力があれば変えられる。確信した。だからこそ、辛かった。

 

 此処を一並行世界と称したところで、そこにあるのは等しく命である。無数に広がる幾万の未来という名の枝をへし折り、全く異なる苗木を育てて自己満足に浸るようなことはしたくない。

 はっきり言おう、俺は正義ではない。悪になるつもりはないが、断じて善性なるものではない。犠牲を払う覚悟もなければ、すべてを守り切る自信もない。

 

 俺はただの人間だ。

 弱くて醜い一人の人間だ。今の今まで逃げ続けてきた愚かで滑稽極まる人間なのだ。

 

 だから、まだ答えを出せずにいる───はずだった。

 

「なぁ、あんた大丈夫か? 顔色ヒドいぞ」

 

「ダイジョブダイジョブ…モンダイナァイ」

 

「いや、その消え入りそうな声からして大丈夫じゃないだろ。いいから肩貸すよ」

 

 なんか知らんけど目の前に天羽奏(イケメン)ちゃんがいる。トップアーティストなのに、社会のど底辺を這い続ける俺がエンカウントしちゃってる。いいのかそれで。俺は良くない。だって、この前置き去りにしちゃったもん。血とかドバドバ出てるのに逃げちゃったもん。十中八九恨まれてるよ絶対に。

 ああでも落ち着いて俺。今の俺は仮面ライダーでも顎でも帝でもない。ただの過労死寸前のアルバイターよ。ちょっと魂がイデアに片足突っ込んでるだけの極普通の青年よ。

 

 バレてないバレてない。落ち着いて過去の回想に行こう。

 

 

 〜《回想シーン》〜

 

 

「翔一くん、顔色すごく悪いわね」

 

 バイト先兼寝床でもあるお好み焼き屋さん『ふらわー』の女帝であるおばちゃんに唐突に言われた一言がすべての始まりであった。

 毎度のことながらノイズたんとの過剰な有酸素運動をこなし、ついに地のエルさんから「次からクロスホーン解放縛りな」と一刻も早くこの世知辛い世の中から解放してくれと願わんばかりの死刑宣告を受けた俺は懲りずにバイトに励んでいた。

 鉄板の上でお好み焼きをひっくり返しながら半ば意識が飛んでいたので「そーですかね」と思わず生返事をしてしまう。常時デッドヒートな俺が一年間で得たオートモードには便利なトーキング機能が付いているのだが、お喋り盛んなJC相手に「わかる」「それな」を返してその場を凌ぐ(後々怒られる)程度なので意味はない(意味ねーのかよ)。

 

「働きすぎじゃない? 特殊メイクみたいな(くま)ができているわよ。ちゃんと休んでる?」

 

「何言ってんですか。休んでますよ」

 

「いつ?」

 

「今ですね!」

 

 弾けるような香ばしい匂いが特製辛味噌お好み焼きの完成を知らせる。お皿に乗せて「カラミソ!カラミソ!」と鼻歌を絶唱しつつ、お客さんの席まで軽やかな足取りで持っていく。ああ、なんて楽なお仕事。わけわかんないノイズたんやマジ意味不明な大天使の相手より何千倍も楽なお仕事である。笑顔だって自ずと作れるし、気付いたら閉店時間になってるし、締め作業とか目閉じててもできるんだよ。

 最高かよこの仕事。日本に住まうブラックアルバイターに分けてやりたいこの気持ち。

 死を目前とした過労でトチ狂っている男の背中を哀れみの目で見送るおばちゃん。お昼のピークをお終えた後、在庫チェックをしていた俺に深刻な眼差しでどこかの連絡先を握らせた。

 

「今日はもういいから休んで病院に行ってきなさい。今すぐに」

 

 というわけで、まことに遺憾ながらも病院へGOしたわけです。

 おばちゃんの紹介もあって、大学付属病院とかいう大きな病院に足を運び、なんだか懐かしいなぁ〜と思いふけながら軽い診断を受けた。

 

 お医者さんからは「明らかに過労が原因なんだろうけどおかしいね。普通なら死んでいてもおかしくない状態なのに、肉体が順応してしまっている。もはや、人類学では説明できない領域だ。細胞一つひとつが君を生かす方向ではなく、どうすればより長く活動できるのかを追求している。未だ過労死しないのはそれ以上のスピードで肉体が進化しているからだ。

 恐らく、このまま行けば君はいずれ死んでしまう。脅しじゃない。人間から遠ざかろうとしている肉体とそれを拒む精神では、近いうちに必ずや破綻する。悪いことは言わない。入院して絶対安静にしなさ───」

 

 と言われると、手が滑ってお医者さんから奪い取った自分のカルテを頭で叩き割ってしまった。額から流れる血を拭いながら「へへっ、命だったものが辺り一面に転がってやがる……!」と草加スマイルで言うと精神科を勧められたので二度と病院には行かない。今度行く時は過労死した時だぞ覚悟しとけ。

 

 ───愉快なまでに壊れてきたな汝。

 

 ───今のは我等ですら軽く引いたぞ。

 

 お黙りくださいエルさんたち。

 誰であろうと俺を人間道から排斥しようとする奴は許さない。もはや畜生以下だけど、それでも人間だけはやめないと誓っているんです。

 

 ───もう無理だろ。

 

 頭の中で三連続の溜め息が聞こえる。三大天使からのお墨付きを貰ってもなお、自分は人間だと信じて疑わない心をこれからも大事にしようと思っています(感想)。

 

「お薬の味しないなぁ……」

 

 駐車場に停めておいたバイクに向かう道中、お医者さんに半ば強引に渡された栄養剤をスナック感覚で頬張る。味もしないし、アギトの肉体では薬の効能など意味を成さないのだろうが、それでも人間的論理感では足りていない栄養素が如何せん多過ぎるので摂取を怠わない。ていうか欲しいわ。ビタミンとか鉄分とか超欲しい。

 少し前まではカフェインの塊である怪物の力や翼を授けてくれる赤い牛に頼っていたが、もはや身体が順応してしまったため、セルフで眠気とか気だるさが喪失してしまっている。ものすごく今更感があるのは仕方がないが、俺は人間であるために正攻法で栄養を補充しようと最近は努力している。

 

 ───ちなみに、汝の身体が欲している栄養についてだが。

 

「あーあぁぁぁぁーっ! 聞きたくない聞こえない何も聞かせてくれなーいっ‼︎」

 

 時には現実逃避だって必要だ。地のエルさんの言葉ひとつで死ねる自信がある手前、割れ物注意の札を後頭部に貼っておいた方が利口かもしれない。ホテルには誘わないし、ダサい服のセンスもないけど。

 

「お兄ちゃん危なーい!」

 

 エルさんたちのパワハラと戦っていると突然警告と共に横から野球ボールが飛んできた。割と豪速球。軌道は真っ直ぐ顔面コース。百均とかで売ってるゴム製だろうが当たれば少しは痛い。

 ふっ、そんな球に当たるほど仮面ライダーはノロマじゃないのさ! ───自信があったので、余裕を持って華麗に回避しようと試みた瞬間───。

 

「ゔっそぉぉんッ⁉︎」

 

 バ ッ ト が と ん で き た 。

 

 放たれた野球ボールに隠れて、手から滑り落ちたような事故性を感じさせる予測不能な軌道を描く野球バットが俺の顔面にストレートを打ち込む。ついでにボールも当たってしまう。なにこれ。

 俺はいつから野上良太郎になってしまったのだろうか。倒れゆく意識の中、己の運の無さを恨んだ。……イマジンみてぇな天使飼ってるから最初からか。ああ、でも、佐藤健ぐらいのイケメンになれるならプラットフォームでも戦える気がする。

 

「……いや、やっぱ無理ィ」

 

 そうして地面にダイブ。もしかしたら、こんな軽い衝撃をトリガーに肉体が溜まりに溜まった過労とストレスに耐えかねたのかもしれない。お医者さんの言葉によって暴発していた可能性もある。じゃなきゃ身体が言うこときかない理由が見つからない。まあ、それでも意識を手放さないのは社畜の意地なんだけど。

 んん〜ッ↑↑ 久しぶりの地面(ガイア)の味だぜ〜↑↑ しょっぱい……↓↓(末期キチガイテンション)

 駆け寄ってくる大量の足音が聞こえる。なんとか目蓋をこじ開ければ四、五人の子供たちが心配そうな目でヤムチャみたいに倒せた俺を見ている。

 よし復活のお時間だ。ばいばいガイア。こんにちわコロナ。まじ怪我とかしてないから。まじ生き恥晒してピンピンしてっから「お兄ちゃん死んじゃったの?」とか言わないでぇ……。

 

「おい大丈夫か⁉︎ 怪我とかしてないか⁉︎」

 

 一際目立つ大人びた少女の声がすぐ横から聞こえる。「平気平気、へっちゃらですよ」と笑いながら起き上がると、少し視界が揺らいだ気分になる。

 如何に直撃したとはゆえ、ボールはゴムでバットはプラスチック製の物だった。常日頃からトラックに吹き飛ばされるような暴力と戦っている仮面ライダーの脳が朦朧とするほどの衝撃はなかったはずだが……。

 

 顔を上げて、ようやく理解した。

 

「大丈夫か? 顔色ヒドいぞ」

 

 ゆっくりと焦点が合わさると滲んだ痛覚が時の彼方へランナウェイ。いいや、そんな馬鹿なと自嘲するものの茜色の長髪を視界に入れた瞬間、沸き立つ悪寒が確信に変わる。

 天羽奏───前から色々な意味でお世話になってるトップアーティストである。ラフな患者服を着ており、倒れている俺を心配そうに見つめる体勢は前屈み状態で谷間がすごくディープなので俺がスペクターしてしまいそうなんですが。てか、なんでこんなとこにあわわわわわわ……。

 

「ダイジョブダイジョブ…モンダイナァイ」

 

「いや、その消え入りそうな声からして大丈夫じゃないだろ。いいから肩貸すよ」

 

 待って近づかないで。そんな薄い服で禁断の果実を押し付けられたら俺のバナナアームズがカチドキに(自主規制)。流石の仮面ライダーも鼻の下伸びちゃうからやめっ───奏ちゃんあれか、鈍いのか。ラノベ主人公的な人間性か。つまり、SAKIMORIはチョロインで俺もまたチョロインなのね。あっやべ、鼻血が……。

 

「と、とりあえず、ベンチかなんかに座らせてもらえると嬉しいな……」

 

 なんか色々と情けなくなってきたぞ。ほんとに俺は仮面ライダーなのだろうか。

 

 

 

 

 ▽▽▽

 

 

 命に別状はないとはいえ、天羽奏にとって安静の三週間はもどかしい怠惰の時間であった。

 何より、表立ってはツヴァイウイングのライブとして発表されている特殊災害対策機動部ニ課の大規模な聖遺物起動実験が控えている今───一秒足りとも時間を無駄にはできない。

 

 とはいえ、歌うことを止められている現状である。こっそり病室を抜け出し、同じく暇そうにしている子供たちと遊戯に浸るぐらいしかできなかった。

 最初は折り紙やお手玉といったレトロチックなもので我慢していたが、子供というのは一度愚図ると感染するらしく、外で遊びたいと泣きつかれたら奏は肩をすくめるしかなかった。

 

 結果、奏は子供たちを引率して病院内の庭園で球技をすることになった。幸い、運動が厳禁とされていたのは奏のみだった。

 いい機会だ。久しく身体を動かしていなかった奏はバッターボックスに立つと「ホームランいくぞー!」と意気揚々とバットを握った。

 

 もちろん、手加減はする。軽くボールを小突く程度だ。

 しかし、療養を強いられた戦姫の筋肉は完璧に解かれておらず、振るうと同時に手からバットが滑り投げられてしまう。咄嗟に子供に当たってはならないと気持ち上方向に力を込めてしまったため、そこそこな速度がついてしまった。

 

 子供たちの頭上より高めの軌道を描き、ボールとバットはそのまま通りがかった青年にヒットした。それはもう、物の見事に吸い込まれるようだった。

 ひ弱そうな青年は倒れる。「来世は福士蒼汰がいい」という訳の分からない言葉を残して。

 

 急いで駆け寄り、鼻血が漏れ出す青年をベンチに寝かせる。途中、青年の口から「平常心、俺の心に平常心」と呪文のような声が聞こえたりしたが気にしないことにした。

 頭を冷やすための氷袋を借りてくると奏は子供たちを置いて病院へと戻る。なんとか看護師から氷袋を貰ってきたものの、彼女を待っていたのは予想外の景色だった。

 

「お兄ちゃん、へたくそー!」

 

「なんだとぉ……負けるか! ぁあっ」

 

「へへーん。お兄ちゃん弱過ぎ〜」

 

 そこには子供と楽しげに遊ぶあの青年の姿があった

 子供相手に蹂躙される青年は両鼻にティッシュを詰め込み、子供に奪われたボールを必死に追いかける。奏には子供たちに弄ばれているようにしか見えない。なんとも頼りない。

 

「奏おねーちゃん! お兄ちゃんダメダメだから一緒にやろー!」

 

「えっ、あ、ああ」

 

 子供たちは拍子に抜けした奏の手を半ば強引に引っ張り、青年の横に立たせる。なんだか不安になってきた奏は静かに耳打ちをした。

 

「えっと、大丈夫なのか?」

 

「なにが?」

 

「鼻血とか出てたけど」

 

「あれは……不可抗力です」

 

 なぜ前屈みになるのだろうか。

 頭に浮かんだ疑問を振り払い奏は手を合わせて頭を下げた。

 

「とにかく、すまなかった!」

 

「いやいや、いいですよ。頭を上げてください。それにほら、サッカーはじまりますよ!」

 

 なにがそんなに楽しいのか、青年は目を爛々と輝かせるとボールに向かって走り出した。ひと目で手加減しているのだと判る動きに、青年が子供の扱いに慣れているのだと奏は直感した。

 ゆっくりと走り出し、奏も子供たちのサッカーに混じっていく。子供に戻ったようにはしゃぎながら泥だらけになる勢いでボールを蹴り上げ、無我夢中で駆け回った。

 

「ふはははは見よこの絶妙なバランスを!」

 

「すげー! 逆立ちしながらボールを足で挟んでる!」

 

「だけど、そのせいでまた鼻血が垂れてるー!」

 

「馬鹿なのか……?」

 

 一時間ほどしてさすがに疲れたのか、奏と青年はベンチに座り、未だ白黒のボールを追いかける子供たちを眺めながら他愛のない会話を交わしていた。

 

「子供って元気だな。あたしもまだ子供なんだけど、ヘトヘトだ……そういや、あんた名前は?」

 

「津上翔一。見ての通り、通りすがりのライダーです。そういうキミはあの(・・)天羽奏で合ってます?」

 

 一瞬だけ目を丸くして奏は笑った。

 

「なんだ知ってたのか」

 

「ツヴァイウイングのファンの友達がいるんですよ」

 

「へぇ、なんか嬉しいな。その子によろしく言っといてくれ」

 

「もちのろんですよ!」

 

「らいだーきっく!」

 

 妙な構えを取った子供がシュートを打ち、それを「らいだーぱんち!」と言いながら防ぐ子供。それを遠い目で眺めていた奏はぼそりと呟いた。

 

「仮面ライダー……」

 

「どうかしました?」

 

「いや、なんでもない」

 

 目を逸らし奏は逡巡した。

 仮面ライダーと呼ばれる未確認生命体第2号は世間的に知られてしまっているが、ノイズと戦うことができる装者については完全に秘匿された情報である。

 故に、唯一ノイズと戦える存在であると知られている第2号は確証もなく〝正義の味方〟であるという認識が高まっている。ノイズと戦う謎の生物に関する根も葉もない妙な噂だけが先走り、一人歩きした結果として半ば都市伝説と化していた。

 

 ───〝仮面ライダーは正義の味方〟

 

 そんな〝仮面ライダー〟を初めて見た時、奏は恐怖や驚嘆よりも純粋な哀れみを感じずにはいられなかった。

 自分でも不思議だった。ただ胸を荒縄で締め付けられる感覚だけが残った。理由(わけ)など分からず剣を交えた。やがて、哀れみは微かな悲しみを浮かべた。

 

 強過ぎた(、、、、)。どうしようもないくらいに強かった。神にすら届き得る力を持っていた。だからこそ、そこまでして強さを求めた意味が分からない。

 ノイズを滅ぼすためだとしたら───奏は何故、あのとき救われたのか。なぜ、あのような(・・・・・)幻覚を見たのか。

 

「翔一は、正義の味方っていると思うか?」

 

 奏の問いに青空を仰ぎながら翔一は考える。

 

「んー……いないと思いますね」

 

 なぜかフグのように膨らませた頬の空気をゆっくり吐き出し、転がってきたサッカーボールを子供たちへ投げ返した。またサッカーを再開する子供たちがあっという間に遠ざかっていく。

 

「いちゃいけないんですよ。正義に味方するよりも前に、俺たちには守るべきものがある。それを忘れちゃいけないんだ」

 

 翔一が見つめる先、そこには笑顔絶やさぬ子供たちがいた。まだ多くの可能性を秘めた未来を持つ子供たちがいたのだ。

 そうだ。大事なのは正義か悪かなどと言った話ではない。その先に救われた希望(いのち)があるのかどうかなのだ。極端な結果論かもしれないが、それでも奏には十分過ぎる答えだったのだ。

 だからこそ、奏は笑ってしまった。あまりにも単純だったから。それに気づけなかった自分がいたから。第2号がどうあれ、自分が変わることはないから。

 笑われたのだと勘違いした翔一が不服そうにまた頬を膨らませた。

「真面目に答えたのに……」

 

「いや、違うんだこれは。確かに正義の前に守らなきゃいけないものがあたしたちにはある。だけど、だからこそ───」

 

 〝正義の味方〟になるんじゃないのか。

 

「……いや、あたしにも分からない」

 

 喉元まで出かかった言葉飲み込む。

 何故か言えなかった。この青年に〝正義の味方〟が何たるかを伝えようとすると、得体の知れない嗚咽にも似た何かが邪魔をするのだ。

 だから、言葉ではない、今は───。

 

「──────♪」

 

 歌を唄おう。

 久しく発声練習すらしていなくとも、歌姫の繊細な旋律は心を奪われるに容易い。足を止めた子供たちは黙って奏の方へ集まり、その歌声に身を委ねていた。病院の窓がいくつも開かれた。誰もが用もない庭園に足を進めた。

 届けたい想いがあった。言葉にも形にもならない不明瞭なものだけど、自分でもよく分からないものだけど、どうかあなたに伝わってくれ。───だってこれはきっと美しいものだから。

 

「……そうだよ。やっぱり守んないと」

 

 突然、歌い出した天羽奏に翔一は微笑みながら静かに耳を傾けた。

 自然と生み出された握り拳を左胸に押し当て、この歌声を再び聴くための決意を背負う。〝正義の味方〟としてではなく〝仮面ライダー〟としての覚悟を。

 

 

 

 ▽▽▽

 

 

 ───どうやら、救われたのは汝の方だったな。

 

 火のエルさんが静かに呟く。

 俺は黙ってバイクのエンジンをかける。いくらバイトが休みになったとしてもノイズたんの猛烈出勤地獄は永久不滅だ。戦わなくてはならない。

 

 ───運命を覆す決意も、罪を背負う覚悟も、汝は総て持ち得ていた。揃っていたはずだ、己の正義を貫く信念が。

 

 何も言わない。何も言えない。だから、黙ってバイクを走らせた。

 正義を貫く信念なんてものは誰かの為に戦うカッコいいヒーロー達が持っているものであり、形だけを与えられた俺が持っているはずがない。紛い物の劣化版に過ぎないこの俺が。

 

 ───ただ、理由が欲しかったのだろう? 世界に抗ってまでそれを守る理由が。

 

 違う。違う違う。だって、これは正義なんかじゃない。どうしようもない欺瞞に満ちた我儘なんだ。だからこそ言い訳程度の理由を求めて何が悪い。

 俺は正義の味方なんかじゃない。カッコいいヒーローでもない。ただの人間だから。

 

「……やっぱり俺、見たくないって思ったんですよね」

 

 正義ではない。ヒーローなんかじゃない。

 俺は俺の理由で戦う。欲に塗れた人間だ。

 

「あの子たちの涙を見たくない。ただ、それだけですよ」

 

 子供の涙一つ、見たくないと駄々を捏ねた哀れな人間だ。弱くて醜い愚かな人間の一人なんだ。

 だから、今は戦う。この自分勝手な我儘を果たすために。

 

「変身───ッ」

 

 例え、そうして命尽きたとしても……。




もう皆様お判りになられたでしょうが、本当にめんどくせーオリ主なんです。仮面ライダーらしくないと言ってもいいでしょう。そんなオリ主がどうなるのか、もう少しお楽しみ下さい(オーワリノナイータタカイヲー)
あとXD一周年おめでとうございます(今更)。ガチャとか怖くて回せない(確定は別腹)


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♩.俺は運命と戦うかもしれない。

お待たせしました(そして、今回短いです)


 某月某日───。

 

 アギトこと津上翔一は戦っていた。

 迫り来る災禍の化身たるノイズを相手に、鬼気迫る勢いで拳を放ち、背後からの不意打ちにさえ不動の心で迎え撃つ。

 一瞬の動作で敵を葬る回し蹴りが炸裂。煤塵と舞う雑音を裂いて、ノイズの腑に手刀を打ち込む。いとも容易く貫かれる様は、まるでノイズが脆いモノだと幻想を抱かせる。

 

 しかし、見惚れるには遅い。一秒も満たない刻が過ぎ去る度、アギトは己の使命を果たさんとノイズを次々と消滅させる。

 音を置き去りにして。

 心を無に代えて。

 鏡に映る修羅と化した自身を認めて。

 津上翔一は戦う。運命を覆すために、命を薪に強さという進化に身を委ねる。

 

 ───南西二キロ先。数は少ないが手強いぞ。

 

 脳裏に火のエルが囁く。

 アギトはノイズの顔面を鷲掴み、そのまま投げ飛ばすとクロスホーンを展開。一瞬の構えから拳を握り締め、敵陣へと飛び込む。

 

【ライダーパンチ】

 

 金色の戦士に傷を負わせることなど不可能だ。圧倒的な力の格差が爆風と共に荒れ狂う。

 颯爽とノイズを殲滅した翔一は脳波による遠隔操作で疾走するマシントルネイダーに飛び乗り、足早に新たな戦場へと向かう。

 

 ───到着は五分、いや、三分で着かせる。

 

 翔一は何も語らない。ただ、真紅の複眼を遥か彼方の敵へ向けるのみ。

 

 予知が起こった。今の今まで打ち倒してきたノイズの群れを遥かに越える大量発生の兆候。何者かが意図的に仕組んでいるあろうこのイレギュラーな事態は、翔一にとって運命を決めるターニングポイントになる。

 

 決め手となったのは、立花響と小日向未来の『ツヴァイウイング』のライブ抽選の結果だった。

 このライブこそが『戦姫絶唱シンフォギア』の冒頭たるプロローグであり、すべてはここからはじまる。いや、始まってしまう。

 

 最初は翔一も二人に誘われていたが、内部よりも外部からでないと下手に動けないと踏み断った。

 二人は見事、ライブのチケットを購入する権利を得た。日程を把握後、その前日から多発するノイズを予知。エルロード達と意見を交わし、全てのノイズを短時間で全滅させ、ライブ会場に出現するであろうノイズを倒すという考えに収まった。

 

 理由は一つ。翔一が持つアドバンテージたる原作の記憶に沿って進む限り、辛うじて先回りができるということ。

 ノイズの大量発生によりライブ自体が延期や中止になってしまった瞬間、翔一の知る未来とは大きく異なってしまう。そこでは天羽奏が犠牲になるのか、あるいは別の者が犠牲になってしまうのか。どちらにせよ、多少の差異はあるとして、原作に忠実に動いている時間軸のままならば、翔一は先回りが可能であるのだ。

 

 かつてないノイズの大量発生。それも同時多発ではなく、時間差(タイムラグ)を用いて出現させている辺り、此度の首謀者もまた実験(ライブ)を中止にさせたくないのだろう。

 相手にとって最も予測不可能な存在であるアギトを遠のけるため、すべては罠に過ぎない。

 

 ならば、壊して進むだけだ。

 

 間違いなく敵は守りに入ったのだ。

 邪魔されまいと翔一にデスマーチを仕掛けてきたのだろう。だからこそ、翔一に敗北は許されない。

 守らなくてはならない。そう決めた。頼まれたわけでもなく、勝手にそう決めて、その為に頑張ってきた。

 

 〝ここでやらなきゃ、俺の存在価値は無い〟

 

 ───直線上、三体!

 

 ビルの頭から覗く巨大なその相貌を三つ視認できる距離まで近づいた。厄介な大型ノイズの群れは一向に離れようとしない。果敢に攻めて乱戦に持ち込もうものなら、かなりの時間を有してしまう。

 ここから敵の感知範囲外から奇襲するしか他ない。

 アギトはグリップから手を離し、バイクより前へと高く跳び上がる。それと呼応するように乗り手を失ったマシントルネイダーの車体が宙に浮いた。

 両タイヤが真横に傾き、前に突き出され、車体全身が一回り大きく伸びると、アギトは大地に滑空する機械の龍に似たスライダーモードに着地する。

 

 出し惜しみは無しだ。

 クロスホーンを展開。音速の壁を越えんと風を裂いて加速するマシントルネイダーは大型ノイズに向かい突進するが如く一切のスピードを緩めない。

 これは翔一の持ち得る奥の手の一つ。

 日々の過労に終止符を打てるはずだったが、会得後すぐに地のエルによって封印された強力な一撃必殺───!

 

【ライダーブレイク】

 

「はァァああああああああああッ‼︎」

 

 突然の急停止(フルブレーキ)から慣性の暴力がアギトという弾頭を撃ち放つ。自然の摂理を超越した物理法則がアギトに瞬きにすら満たない刹那に甘んじて、光とさえ並び得る圧倒的加速を与える。

 それは謂わばライフル弾。

 貫くことに総てを掛けた膨大な殺傷威力を誇る必殺の一蹴。

 

 巨大な的と成り下がった大型ノイズたちの身体に風穴が開く。重なり合う三つの風穴はやがて煤塵と成り、空へと昇華されていった。

 

(熱ッ⁉︎ てか痛───ぇぇぇぇぇ⁉︎)

 

 着地による摩擦が想像を絶するほどのものだった翔一は静かに悶える。足裏から上がる煙は嘘ではない。思えば、この技は今までに一度しか使ったことがない。それも今回ほどの助走は付けていなかった。

 

 ───三体同時討ちなど無茶をするからだ。

 

 呆れ果てる地のエルの声が響く。容易く削られたアスファルトには焼け跡が何メートルも刻まれていた。

 

 ───しかし、時間短縮にはなった。これなら間に合うかもしれん。

 

 遅れて滑空するマシントルネイダーが必死に足裏に息を吹きかけるアギトの前に止まり、元のバイクの姿へと戻りながら地面に降り立った。

 

 ───行くぞ、アギトよ。絶望を伏せ、運命を捻じ曲げてみせよ。

 

 

***

 

 

 同時刻───。

 

 立花響は不貞腐れていた。

 目眩がするほどの人の群れ。街を一色に染め上げる興奮の渦。進まない人混みに押し潰されそうになりながら、立花響は一人虚しそうに俯くばかりだ。

 ビルに飾られた巨大な液晶パネルが二人の歌姫を映し出す。早朝だというのにもかかわらず、熱気で空が曇りそうだった。

 今日は待ちに待った大人気ユニット『ツヴァイウイング』のライブ当日なのだ。

 だが、響の足取りは重い。

 しまいには溜め息を零す。これから始まるライブは夜も眠れぬほど楽しみにしていたはずだったが、些末なことで空回りしてしまった。

 

 喧嘩をした。あの人と、理不尽な理由で。

 

「わけわかんないよ。いきなりライブに行くなって」

 

 それは突然であった。

 一週間ほど前、例のようにお好み焼きを食べに向かうと、突然として津上翔一は響の両肩を掴み、真剣そのものの表情で「ツヴァイウイングのライブには行くな」と言い放たれた。

 あまりに突拍子もない出来事だったので、冗談だと笑うと翔一は顔を一瞬だけ曇らせ、叱りつけるように「危険だ」とか「あれは実験なんだ」と根も葉もない妄言を語り始めた。

 

 挙句は「ノイズが出る。絶対に行くな」と静かに怒りを露わにした。響は半ば泣きそうになりながら反論した。楽しみにしていた一大イベントをなぜ訳の分からない理由で蔑ろにされなければならないのか。

 結局、喧嘩したまま別れ、以降は連絡すら取っていない。響自身も初めての経験に戸惑うばかりで、尚且つ自分に非がないことを考えてしまい、どうしても不貞腐れてしまう。

 

「怖かったな……翔一さん」

 

 初めてだった。彼の怒った姿を見るのは。

 なにより、ほんの一瞬だけ見せたあの苦しそうな表情は何だったのか。どうして、こうも悲しくなるのか。

 心にぽっかりと空いた穴。埋めようのない気持ちが先走る。

 

「明日、会ってちゃんと話そう」

 

 とにかく、今はそう決めておく。

 

「あ、未来からだ」

 

 携帯電話の着信。なぜだろう、とても嫌な予感が走る。

 たとえば、そう、親友が何かの理由で来れなくなってしまうとか……。

 

「うん。今、並んでる。え───」

 

 神妙な親友の声が電話を通して聞こえた。

 物語という運命は残酷だ。少女は親友と楽しむはずだったライブに、神さまが意地悪をして不幸を鉢合わせた。仕方なく少女は一人で熱狂的な会場の中へ進む。舞い降りた二人の歌姫に魅入られ、心を奪われ、そして災厄と対面する。

 この筋書きこそが、物語の必然的な運命である。それを津上翔一は知っている。だから、今も戦っている。

 原作通りなら知っている。未来を知っている。もちろん、知っていた世界に(アギト)は居なかった。でも、ここは『戦姫絶唱シンフォギア』なのだからだと。

 

 信じて疑わなかった。

 

「ちょっと遅れる? いいよ、いいよ。いつも私が遅刻してるんだもん。何時間でも待つよ〜」

 

 響は少し笑いながら手を振った。なんの心配があろうかと。

 

「先に会場入っとくね。うん。おじさんの怪我も大したことじゃなくて良かったね」

 

 運命は既に狂い始めている。

 

 

 




もはや爆死が原動力とは言えないぐらいにインフレしてしまったXD。それでも回し続ける「なんかいけそうな気がする!」というゴミクソ直感を信じて。(※これからギャグが気配遮断します。シリアルの牛乳抜きみたいになります。ご了承を)


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♫.俺はこれで最後かもしれない。

初投稿です(震え声)
・・・失踪したと疑われ忘れ去れた頃にこっそり投稿するゴミですどうぞよろしく。
皆さまから頂いたご感想に返信できておりませんが、しっかり読ませていただいています。ありがとうございます。
あと今回ながーいです。ご了承を。


 小日向未来が立花響と合流を果たしたのは、ライブの始まりを告げる前奏を流す数分前であった。十万にも及ぶ客席を埋め尽くす人の群れに圧倒されつつ、未来はチケットに記載された番号の席を探す。

 会場内は微かな照明だけで、不自由のない最低限の明るさしか保たれておらず、探し当てるのは至難かと思われたが、未来の目を持ってすれば響の後頭部を探すことなど造作もなかった。

 ───見つけた。

 指定された席には、一人で心細いかったのか、少し肩身を狭そうにしている響がサイリウム片手に未来の到着を待ちわびていた。未来が発見して数秒のラグを経て、響も未来の存在に気づき、満面の笑みを浮かべる。

 

(ま、まぶし〜い‼︎)

 

 未来にとって、響の笑顔は何よりも輝かしいものだった。

 

「ごめん、響……待った?」

 

「ううん。今来たところだよー!」

 

「それはそれで問題じゃない?」

 

 まさかのデートの常套句を挟みつつ、巨大な会場を呑み込む緊張感と興奮に二人はそっと身を委ねる。未来は受付で貰った『ツヴァイウイング』のパンフレットに目を通す。響は熟読済みだったらしいが、横からひょっこりと覗き込んでいた。

 

「天羽奏さんって、レッスン中にケガして入院してたんだよね」

 

「うん。だから、今日が退院初のライブになるんだって」

 

 数えきれないほどのファンが一堂に会する騒然とした景色が二人の眼下に広がっていた。ここに居る誰もが二人の歌姫を待っているのだろう。期待と羨望、憧憬の交じった黄色い声がいくつも上がっていた。

 響は広大な会場に渦巻く期待や興奮の中に、歌姫・天羽奏を心配する不安な想いを感じ取っていた。彼女の入院はそれこそニュースになっていたし、実質的な『ツヴァイウイング』の活動休止は世間を大きく騒がせた。かなり前から予定されていたこの大型ライブも開催中止となるのではないかと懸念の声が囁かれていたが、ファンの不安は天羽奏の復帰と共に歓喜へと変わった。

 退院後の初ライブ。事前に出回った情報では、事務所やスポンサー企業がかなり力を入れているらしく、緊張感が観客席まで届いてきそうだった。

 チケットは即完売した。立花響と小日向未来が抽選という細い糸を見事手繰り寄せたのは幸運というより、奇跡に近いものがあった。あるいは、運命という必然なのかもしれない。それを二人は知る由もないが。

 

「はぁー、なんだか私まで緊張してきちゃったよ」

 

「こんなイベント初めてだもんね。翔一さんも来たら良かったのに」

 

「……そうだね」

 

 曖昧な返事をする響に、観察眼に優れた未来は訝しんだが、何かを必死に誤魔化そうと微笑みかえす彼女を今は信じることにした。

 

「そろそろだね、未来! 楽しみだなぁ」

 

「うん。なんだか緊張してきたかも」

 

 そっと二人は手を重ねた。

 この一瞬一秒を大切にするために。

 これから始まる素晴らしいものを一緒に記憶するために。

 あるいは、今日来れなかった哀れな青年に土産話を持って帰るために。

 

 そして、すべての物語が始まる。

 

 僅かに灯されていたライトが消え、一面を暗闇に染めると、ざわめく観衆の期待に添えられ、ステージに光芒が輝いた。

 天井が割れて、太陽に照らされた青空が曝け出された。

 そして、舞い降りた───二人の歌姫が。

 天羽奏。

 風鳴翼。

 ツヴァイウイング。

 天に舞う鳥を模した可憐な衣装に包んだ二人の登場は、会場のボルテージを一気に最大へ昇華させた。曲が流れると誰もが座っていられるほどの正気を失って熱狂した。響と未来はただ圧倒された。十万人にも及ぶ熱気ではなく、ただ二人の歌姫に圧巻した。

 その歌声に、胸を穿たれたような衝撃を受ける。

 人はこんなにも心に響く声を奏でられるのか。

 人はこんなに美しい音色を調律できるのか。

 

 歌というものが、こうも胸躍るものだとは知らなかった。

 

 程なくして、会場は興奮の熱気に包まれる。

 響も未来も会場に渦巻く震え立つ熱の一部であった。

 まずは一曲を終えて、興奮の余韻が残る最中、マイクを持った天羽奏と風鳴翼の祝辞に加えて、不慮の怪我によってユニットを短期間とはいえ活動休止せざるを得なかったこととファンに心配をかけさせたことへの奏からの謝罪があった。

 

「───入院中、とある通りすがりのライダーと出会いました。そいつは私の歌声を聞いて、子守り唄に丁度いいなんて言いやがったんです。私は少し馬鹿にされているのかと思って、そいつの頭にゲンコツを喰らわせてやろうと思ったんです。でも、そいつは続けて『歌で心が安らいだのは初めてだった』と言って、『怒りや悲しみじゃ子供の笑顔は守れない。優しさに満ちた想いだけが子供を守る。だから、あなたの歌は子を守る唄みたいに優しいんだ』なんて言って……何言ってんのかわからなくて、なんだかおかしくって、でも、なぜか私はすごく嬉しかったんです。私はそんな唄をちゃんと歌えていたのかって」

 

 そんな談笑を交えて。

 

「なんか翔一さんあたりが言いそうだね、子を守る唄って」

 

「うん……」

 

 響は喧嘩別れしてしまった青年の顔を思い浮かべる。

 優しい男だった。柔和な笑顔を絶やさず、どんな人にも親しく接する温厚が過ぎるぐらいの青年。

 響は彼と出会って、彼に憧れた。

 彼は優しいだけじゃなかった。彼は強かった。理不尽や不条理に真っ向から立ち向かえる誠実な心の強さがあった。間違っていることを間違っていると言える強さ。でも、否定だけじゃなくてしっかりとその人の心に寄り添う優しさ。泣いていたら、寂しくないように、黙って側にいてくれるような優しさと強さ。

 響はそんな彼を見てきた。彼のようになれたらいいなと思えた。

 それがどうして今はこんなにモヤモヤするのだろうか。

 ───どうか、響ちゃん、これだけは覚えておいてくれ。響ちゃんは俺が命をかけてでも守ってみせるから。

 言い合いの最後に、そのような格好良いのか悪いのか判断し兼ねる台詞を一方的に言い放って、釈然とした様子で一人立ち去った青年。響は彼が怒っていたと思っていたのに、あんな優しい表情をされたら混乱してしまう。

 

 子供を守る唄。

 確かに、彼にとって響はまだ守るべき子供なのだろう。

 

「翔一さんのバカ」

 

 子ども扱いが腑に落ちない。そんな乙女心だった。

 

「二曲目、いくぞぉーっ!!」

 

 一人の少女の憂いなど振り払うように会場の凄まじい熱狂はけたたましい勢いを荒らげて、二人の歌姫を讃えるように熱風の如き興奮が渦巻ていた。

 響も気持ちを切り替えて、ライブに集中しようと顔を上げた。

 そうだ。それでいい。帰ったら、きちんと話を聞くんだ。

 思えば、あの人はいつも何かを守ろうとしていた気がする。何か大切なものを守るために必死で戦っている。そんな人だった。きっと、今日だって、どこかで戦っているんだ。

 彼が守ろうとしているもの。次に会う時にキチンと話させよう。渋るかもしれないけれど、未来と一緒にお願いしたらきっと喋ってくれるよね。

 あの人はそういう人だから───。

 

「ノイズだッ‼︎ ノイズが出たぞぉぉぉぉぉ‼︎」

 

 会場が絶望の狂乱に包まれたのはその直後だった。

 

 

***

 

 

 ───見えた。

 

 疾走するマシントルネイダーの上で、深紅の複眼が巨大なドーム状のライブ会場を捉えた。

 人間の聴覚を遥かに上回るアギトは、数キロに及ぶ彼我の距離を残しながら、ノイズの無差別な殺戮から逃げ惑う人々の悲痛な叫びを嫌というほど聞いていた。数十万人の歓喜と熱狂に震えるはずだった会場は、天災たるノイズの予期せぬ到来で、今や非情な殺戮を繰り返す地獄に変貌しているに違いない。スロットルを回し、全速力で駆動するマシントルネイダーは熱い雄叫びを上げて、悍しい戦場へ文字通り頭から突っ込んでいく。

 無我夢中で走るか弱き人々の涙が、ノイズに飲み込まれて無情な死を遂げる。その一瞬を目にした津上翔一は怒りという衝動を露わにした。

 逃げ惑う雑踏に一台のバイクが突っ込んでいく。

 そして、誰かが声を漏らした。「仮面ライダーだ」「仮面ライダーがきた」一筋の光明に縋るように、その名を呼び続けた。

 黒い絶望を染める希望の光はすぐに伝播した。会場から一歩でも離れようと必死の形相で逃げていた人々は、蜘蛛の子を散らすように仮面ライダーへと花道を譲り、アギトに鼓舞されたかのようにその後を追った。

 

 空気が逆転していた。期待に満ちた多大なエールを背に、黄金の戦士はライブ会場の入り口めがけて突進する勢いでマシントルネイダーの爆発するようなエンジンを叫ばせた。だが、溢れんばかりのノイズは門の守護者を語るように、太陽の下で憎きアギトを待ち受けていた。

 会場から逃げおおせた観客を貪欲に追って外に出たノイズは、あくまで一部に過ぎない。しかし、ここから目視できるノイズの数だけでも気が遠くなるような大群であり、天災を体現するが如く獰猛な勢いを得て、凶暴な地獄をありありと翔一に見せつける。

 本当に間に合うのか。───思わず弱音を吐きそうになる。

 その憂いをかき消したのは、この場より過酷な惨状であるはずのライブ会場から響き渡る二人の歌姫の奏でる唄に他ならない。戦いは始まっているのだ。撤退? あり得ない。ここが、俺の命を懸けるべき正念場だ。

 

 アギトは全体重を偏らせるように真横に身を寄せ、ドリフトの応用で車体を寝かせると全力でバイクを蹴り飛ばした。乗り手を失ったまま、豪快な火花と共に滑走するマシントルネイダーが迫る悪魔の先頭集団を轢き飛ばす。大地に放り出されたアギトは間髪入れず走り出した。鉄をも引き裂く手刀で悪魔を辻斬りしながら、地獄と化したレクイエムを希望の音色に覆い奏でる。

 もはや、一切の躊躇はなかった。研ぎ澄まされた無我の境地は一種の殺戮兵器として完成されていた。自分に投げられた莫大な歓声や神に祈る願いさえ、津上翔一の深層心理には届いていなかった。

 〝殺す〟

 その狂気がアギトを覆う。破壊衝動ではない。純粋な敵意。今ここに晒された雑音を一匹残らず殺し尽くす。そのためなら、心を捨てることも厭わない。ただの殺戮兵器でも構わない。

 この身、朽ち果てようと、殺戮の先に、守るべき笑顔があるのなら───。

 死に物狂いで飛びかかるノイズの鳩尾に左右同時の拳打を叩きこむ。

 

「はぁぁ……ッ‼」

 

 蹴り飛ばし、投げ飛ばし、殴り飛ばす。どこ見ようが、どこを向こうが、邪悪なノイズによって埋め尽くされた四面楚歌の視界は絶望と呼ぶに相応しい。だが、アギトは怯まない。その害たる大波に喰らいつく。

 極めて理不尽な数によるノイズの瞬きすら許さぬ猛撃に対し、一瞬の猶予も求めない凄まじく迅速な反応。

 止まることを知らぬ敵の攻撃を体術で受け流し、ほんの僅かに生まれた隙をこじ開け、そこへ格殺の一撃を叩き込む執念にも似た殺意。

 それを一つの条件反射だけで完成させる。

 これが無我の境地。

 アギト───津上翔一は自分でも気づかぬ内に、本来の彼自身のファイトスタイルに戻っていた。それは確実に敵の息の根を断つ、重圧的な殺意に満ちたカウンター。敵の攻撃をわざと誘い、重心で受け止めて、至近距離から刹那に等しい一撃で粉砕する。

 荒々しい理知的な獣───あるいは、暴力の達人。

 我武者羅だった。理性はほとんど無かった。眠っていた魂が沸々と目覚める感覚に従い、微かな勝機を確固たる意識で掴み、アギトは一糸乱れぬ構えに伴い、クロスホーンを解放した。

 一気呵成に叩き込め───‼

 

【ライダーキック】

 

 武人の雄叫びが地に唸ると、黄金の脚力を秘めた回し蹴りが乱舞した。それは嵐のように敵を吹き飛ばし。あるいは逆巻く業火のように敵を薙ぎ払う。哀れなノイズに真の天災とは何か知らしめんと金色を纏った凄まじい蹴りの猛襲が前後に炸裂する。

 轟々しい爆散四散が死する煤を巻き上げる。

 競り上がった呼吸を抑え、獣から人へ戻るように津上翔一は我に返った。

 

(今の感覚は一体……?)

 

 ───汝に眠った忌々しい記憶に過ぎん。

 

 彼の疑問に火のエルが応えた。その声には憤りに近しいものがあった。記憶とはなんだ。俺の失った記憶なのか。 翔一の更なる疑問は地のエルの怒気にかき消された。

 

 ───まさに愚かな人間に相応しい闘いよ。無駄が多く、玉砕覚悟な上、体力も続かん。まさに獣である。血に飢えた(けだもの)よ。汝には不向きな力であろう。先の感覚……忘我の殺意、とく忘れよ。さもなくば、くだらん死が待つことになる。

 

 脅迫めいた地のエルの言葉には棘があった。何か引っかかりを覚え、逡巡するアギトに風のエルが叱咤のように語り掛けた。

 

 ───なにをしている。今は悩むべき刻ではなかろう。守らなければならぬ者が待っているのだろう。既に索敵は開始している。どうやら、会場とやらに取り残されているらしいぞ。急げ、アギト。

 

 そうだ。俺は行かねばならない。

 翔一はすぐにライブ会場へと足を向けた。まだ歌は聴こえる。二人の戦姫はまだ戦っている。悪戦苦闘しているのか、声音はとても厳しいものだが、呼吸のリズムは乱れていない。

 間に合う。間に合わせてみせる。

 たとえ『戦姫絶唱シンフォギア』が辿るべき絵図(シナリオ)を根本から破壊することになっても、あの子たちの命を、心を、想いを、笑顔を守れるのなら、俺は何であろうとブチ壊してみせる。ああ、壊してやる。それが罪なら背負う。どんな罰でも受ける。命ならくれてやる。

 悲劇(シリアス)は全部、俺が奪う───‼︎

 高ぶる呼吸を整え、力んだ拳を石のように固め、未だ鳴り止まぬ戦いの唄に導かれるように走り出す、その直前───。

 

「ありがとう仮面ライダー!」

 

 ()()()()()()()

 

「来てくれるって信じてた!」

 

「ありがとうありがとう……本当にありがとうっ!」

 

「怖かったよ。でも、助かった!」

 

 いつの間にか、()()()を取り囲むように人だかりが生まれていた。彼らは涙で頬を濡らしながら口々に感謝の言葉を述べていた。皆、絶体絶命の危機に怯えていたのだ。颯爽と現れたアギトはさながら救世主(メシア)にでも見えたのだろう。安堵に我を忘れ、感謝の祈りを捧げ、その場で泣き崩れるものもいた。

 誰も正気を保てる時間ではなかったのだ。

 翔一は困惑した。彼らを強引に撥ね退けてしまえば、この脆弱な人間の包囲網を脱出することは容易い。だが、アギトの状態で───今さっき我を失いかけていたにもかかわらず───微量であろうと力を込めて、彼らを押しのけてしまえば、どんな悲惨が待ち受けることになるか、想像に難くない。

 焦る気持ちとは裏腹に、なるべく穏便にと、アギトは見当たらない肩と肩の隙間に何とか身体をねじ込ませ、さっさと通り抜けようとした。

 しかし、その手は掴まれてしまった。

 

「お願い! まだ息子が中にぃぃ!」

 

 泣き喚く女性は半狂乱に陥っていた。途方に暮れるような思いが駆け巡った翔一の───アギトの腕に別の重みが加わる。

 

「妻がいないんだっ! ライダーどうか、どうか!」

 

 正常な思考など役に立たない。誰もが自分のことで精一杯だったのだ。感謝と懇願。喝采と嗚咽。陰と陽が混ざり合った混沌の中心で無力な焦燥だけが先走る。

 この場に悪意はない。

 あるのは願い───都合だけだ。

 動けない。揺さぶられる身体と泣きすがる声の果てしない重み。

 守るべき人が、守ってきた人が、今、翔一の障害となっていた。そして、腹を括って、犠牲を承知で、無理にでも群衆を掻き分け突破しようという心意気さえ持てない自分の弱さに嫌悪した。

 

(そうだ。俺は弱かったんだ……)

 

 仮面ライダーであろうと、なかろうと、津上翔一は人間としてあまりに弱かった。そんなことさえ、記憶と共に忘れてしまっていたのか。

 

(なにが仮面ライダーだ……。俺にそんな資格は無かったんだ……)

 

 何もできない絶望がそこにはあった。

 

 ───命は等しく尊ぶべき存在だ。だが、人は所詮、我が身の命しか知らぬ。命が死に差し迫ったとき、人は己と隣人の尊き価値を訴えることしかできん。知らぬ存ぜぬ他人の為などに節度を有すると思ったか? いくら綺麗事を並べようと人間の愚かさはそこに帰結する。淡い夢でも見ていたのか、アギトよ。

 

 その声は誰だったのだろうか。もう思い出せない。

 

 

 ***

 

 

 津上翔一は走っていた。失った時間を取り戻すため、一心不乱にライブ会場を走り回っていた。

 彼は今、生身の人間だ。

 変身を解除するしかなかった。あの悲しみで形成された群衆を辛うじて這い出ることに成功して、翔一は自身に対する悔恨を残しつつ、必死に身を隠し、仮面ライダーであることを中断した。希望をもたらす英雄ではなく、単なる人間としてなら見向きもされない。

 彼は津上翔一として逃げて行く人々とは真逆の方向へ走り、混沌極まる会場へ足を踏み入れることに成功した。

 長い通路を走りながら、幾度となく風に晒された煤の塊を目にして、翔一は御せぬ感情を抱かずにはいられなかった。───もっと早く着いていたら。自分に覚悟があれば。

 後悔を飲み込んで、ひたすら足を動かした。すっかり掠れた声で呼び慣れた名前を何度も叫ぶ。

 

「響ちゃん! 未来ちゃん! いるなら返事をしてくれ!」

 

 罪なき民衆の渦中から何とか逃れようとした際、ライブ会場に逃げ遅れた人々の中に立花響が残されていることを超越感覚(フレイムフォーム)の強化された五感により知覚した。これは不謹慎であるが、当初の予定通りと言える。彼の知る『戦姫絶唱シンフォギア』の物語における筋書きになぞらえている。

 彼女は───立花響はそこで戦姫としての力を不本意ながら受け継ぐのだ。

 

「止めないと、止めなきゃいけない! なのに、なのにッ‼︎」

 

 翔一は今にも拳を壁に叩きつけそうな焦燥と憤怒に澱んだ表情で駆ける。それはまさに予定外の事態。最も忌むべきイレギュラーが彼の焦りを際立たせていた。

 

「なんで、なんで未来ちゃんもいるんだ!?」

 

 小日向未来————彼女の存在は誤算だった。

 間違えるはずがない。あの子の声を聞き間違えるはずかない。人智を越えた感覚神経を持つアギトが捉えた少女の声を二つ耳にした時の彼の心は、まさに無という失望に相応しいものがあった。

 群衆にもみくちゃにされながら、翔一が呆然と立ち竦んでいたのは、この信じがたい事実も一役買っていたと言えるだろう。

 翔一の知り得る『戦姫絶唱シンフォギア』の物語冒頭では、小日向未来は身内の不幸によって、立花響と共に赴く予定であったツヴァイウイングのライブに急遽行けなくなってしまう。ある意味、奇跡的な危機回避を彼女はして、ライブの悲劇の生還者として世間から糾弾を受けるのは、あくまで、立花響ただ一人だけになる。————そのはずだったのに。

 

「俺の知ってる物語が変わっている……!」

 

 ───我々は介入し過ぎたのかもしれん。

 

 火のエルは言う。

 

 ───未来(みらい)というものは脆い。無数の選択肢によって絶えず枝分かれしている未来という事象は、その決定権をあらゆるものに委ねている。どこかの誰かが選んだ選択肢。行動や意思。それらが一つでも変われば、無限に近い未来の一つが決定され、残りの未来は全て排斥される。引き起こされるはずだった可能性は消え、決定された未来における新たな可能性が芽生える。未来とはそういうものだ。

 

 それに、と火のエルは続ける。

 

 ───汝の知る世界に、汝は居たのか?

 

 翔一は奥歯を噛み締めて、苦渋に満ちた顔をするしかなかった。

 

「そんなことは」

 

 目の前に立ち塞がったノイズを翔一は生身のまま蹴り飛ばす。

 

「わかっている!」

 

 翔一の乱暴な上段蹴りが炸裂し、ノイズはコンクリートの壁に叩きつけられる。そのまま頭を踏み抜かれて霧散するように灰になった。

 アギトの恩恵。オルタリングの力。その一端として翔一は素手であろうとノイズに触れることができた。位相障壁を生身で無効化しているのだ。

 とはいえ、所詮は非力な人間の暴力。彼はアギトと成ることで極地に至る達人へと変貌するが、彼は人間である限り、肉体の枷がある限り、津上翔一はどうしても人間の域を出ることは叶わない。

 それでも彼は強い。無我であろうが、なかろうが、ノイズ一匹を蹴り殺すことは容易であった。しかし、ノイズの最たる脅威である数を相手にするとなれば、話は変わってしまう。

 物量に対する手段など、翔一はアギトになるしか持ち合わせていない。

 変身には時間がかかる。リキャストタイムと言えば伝わるだろうか。

 一度、アギトから変身を解くと、オルタリングが変身中に無差別に吸収した大気に漂うエネルギーの浄化を行うため、しばらく変身できなくなってしまうのだ。無理に変身しようものならアギトは完全な状態を保てず、予期せぬ形で変身が強制解除され、逆流したフォニックゲインが一気に翔一を襲うことになる。

 今は我慢の時だった。邪魔な単体のノイズを蠅を仕留めるように倒しながら、道中で二人を探すしかない。

 

「おい、まだ見つからないのか⁉︎」

 

 翔一は飛びかかってきたノイズを押さえつけながら、超感覚によって立花響と小日向未来の二人の捜索をしているエルロードらに果敢に吠えた。この危機的状況に大天使を敬う気持ちはほぼ失われている。

 

 ───待たれよ、数が多すぎるのだ……。

 

 風のエルの苦渋の声に、翔一は舌打ちをして、ノイズを蹴り飛ばし、鬼気迫る表情で声を荒らげる。

 

「くそ、くそッ! 結局、俺は何のために……ッ」

 

 何のために必死で戦ってきたんだ。

 

 ───む。

 

 その時、風のエルが何かを受信した。

 

 ───待て、近くにいるぞ! 黒い髪の方だ!

 

「ッ⁉︎ 未来ちゃん!」

 

 閉じられていた防火扉をこじ開け、関係者以外立ち入り禁止と書かれた通路を走り抜ける。舞台裏だろう。人の気配はなく、行手を阻むノイズも居ない。薄暗い照明が幅五メートルほどの散らかった通路を延々と照らしている。

 堆く積まれた段ボールの山を乗せた台車の後ろに人影があった。

 息を殺して身を隠している少女を発見して、翔一は安堵せずにはいられなかった。

 

「未来ちゃんっ!」

 

「翔一さん⁉︎」

 

 翔一は小日向未来を発見した。

 彼の呼び声に未来は涙ぐんだ瞳を潤わせていた。何故居るはずもない翔一がここに居るのか。疑問はあっただろうが、それに勝る圧倒的な安心感が未来の不安を包んでいた。この非常事態で、彼女にとって一番そばにいて欲しかった人間が彼なのだから。

 ただ未来は一人ではなかった。その腕にはもう一人の幼い少女が抱かれていた。ノイズから逃げている最中、親とはぐれてしまったのだろうか。幼い顔は今にも不安に押しつぶされそうな表情をしていた。

 未来は親とはぐれた幼女を抱きかかえながら、ここまで逃げてきたのか。彼女の表情は疲労を隠せない憂鬱としたものだったが、親と離れて、不安で泣き出してしまいそうな女の子を心配させまいと未来の真っすぐな瞳に恐怖は滲ませていなかった。

 

 強い子だ。改めて翔一はそう思った。

 

「あの、あの……翔一さん……の、ノイズが……急に会場に……」

 

 震えて巧く回らない呂律で何とか事件のあらましを説明しとうとする未来を翔一は宥める。

 

「大丈夫。大丈夫だから。わかってる。ほら、行こう」

 

 その細い手を引いて、何とか立たせる。しかし、未来のしなやかな脚は小刻みに震えて、バランスを失わせる。咄嗟に翔一が受け止めるものの、未来は今まで耐え忍んできた涙を吐露するように翔一に縋った。

 

「響が……響がまだ……!」

 

 思わず、息を呑んだ。

 

「響がまだ……私のせいで!」

 

「ああ。大丈夫。響ちゃんも連れて帰る。だから、今は歩くことだけを考えて。お嬢ちゃんは歩ける?」

 

 未来の腕の中でコクリと幼い少女が頷いた。

 

「よし。じゃあ行こう。あっちの非常口ならノイズも少ない。何とか逃げられるさ」

 

 安心させようと未来の背中を撫でてやるも、翔一の精神もまた焦りを隠せなかった。震える掌を強く握り締めて、彼女から見えないようにすることしかできない。

 立花響───彼女を救えなくて、何が覚悟だ。

 だが、一先ずは未来を救出できたことを喜ぶべきだろう。予測不能(イレギュラー)であった彼女を見つけ出せたのは、間違いなく行幸なのだ。恐らく、響は会場の観客席に身を隠しているのだろう。そこで天羽奏と風鳴翼の熾烈な戦いを目撃しているに違いない。

 まだ間に合う。この二人を安全な場所まで連れていって、そこから変身して戻れば、天羽奏の命をかけた絶唱には間に合うはずだ。いや、間に合わせる。何が何でも必ず、立花響も天羽奏も助けてみせる————!

 その覚悟は揺るがなかった。

 ただし、それを嘲笑うのが運命というものであった。

 

 ───アギト、後ろだッ!

 

 地のエルの警告とほぼ同時に翔一は気付いた。

 天井から音もなく滲み出した災厄の影を。

 

「ッ————危ないッ!!」

 

 一瞬の判断だった。

 考える暇など与えられなかった。

 それが最善の行動だったのか、最悪の行動だったのか、今となっては永遠に判らない。ただし、反射的に翔一はそうせざるを得なかった。

 抱き寄せた。抱きしめた。小日向未来という怯える少女を。その細い身体を包むようにして、必死に守るようにして、未来が抱きしめる小さな少女ごと、必死に抱きしめて————。

 その命を抱きしめて。

 ()()()()、と。

 

「ッ―――……………………」

 

「翔一さん……?」

 

 抱き寄せられたのも束の間、何かじわりとした感触に未来は息を呑んだ。

 苦しそうに顔を歪める翔一は未来らを乱暴に突き放すと、背中に張り付いたノイズを裏拳で殴り飛ばした。

 ノイズの位相障壁に対し、生身でさえ免疫を得ている翔一に何も知らない未来が驚愕の眼差しで見つめていると、彼の全身が軸を失ったように大きく()()()と揺らめいだ。

 そして、世界は静止する。

 翔一は呆然と立ち尽くし、何もない虚空を凝視したまま動かない。ノイズを前に電池の切れた玩具のように焦点の合わない目で俯いている。不規則に揺れる肩。微かに痙攣する指先。閉じた口の隙間から漏れる呼吸が荒く震えているのがわかった。

 様子がおかしい。すると、ぽとり、と床に何かが滴り落ちた。ぞっと寒気が走った。未来が感じた途方もない不安が現実となるまでにそう時間はかからなかった。まず、未来は否応なく自分の掌にべっとりと付着した真っ赤な血に気がついた。それは彼女の白くしなやかな腕を赤く犯すだけでなく、想像もしたくない悪夢めいた真実を囁いていたのだ。

 なぜなら、未来は怪我などしていなかったのだから。

 その血が誰のものか、考えずとも、答えは出ていた。

 

「翔一さん」

 

 ぽた、ぽた、と動かなくなった翔一の腹部から止め処なく血液がこぼれる。時計の針が丁寧に時間を刻むように永遠とした赤い血は地に落ちると微かに跳ねた。

 すっと魂が抜ける感覚に未来は涙ぐんだ目で「翔一さん」と祈るように呼び続けた。何度も繰り返してその名を呼んだ。何も応えない彼に、彼女は無心で頭を振った。あり得ない。ありえないありえない。津上翔一という男は、いつも飄々としていて、社畜根性が染み付いていて、子供っぽさばかりが目立つ朴念仁で、誰かが泣いていたら黙って傍にいてくれるような優しい人で、それで、それで……。

 私の、大好きな───。

 

「翔一さん、翔一さん」

 

 未来は混乱していた。どうしても、眼前に広がる悪夢を───受け入れ難き現実を否定したかった。いつものように甘えた声で呼んでみても、返ってくるはずの「なに、未来ちゃん? まーた響ちゃんが何かやらかしたの?」という気の抜けた笑顔はやってこない。やってくるはずがない。

 彼は今、死を体感しているのだから。

 刺されたのか、突かれたのか。背中から穿たれ、貫通した生々しい傷から滲んだ血痕がシャツに染み渡り、その現実を未来の目に残酷にもしっかり焼き付けるように無秩序にじわりと広がった。そして、ついに翔一は口から滝のような血を不動のまま吐瀉した。背中から抉られた傷が容赦なく命を貪り、ついに翔一は膝から崩れ落ちるように倒れ込んだ。

 まさに、死んでしまったように。

 

「いやぁぁぁぁぁぁぁぁッ‼」

 

 悲鳴も虚しく、応える英雄(ヒーロー)はおらず。

 死に瀕した翔一が吐き出した無情な血だまりだけが存在を許された。

 指一本動かせない。寒い。息苦しい。心臓が錆びた歯車のように、ゆっくりと鼓動をとめようとしているのがわかった。

 痛みは不思議にも頭に入ってこなかった。代わりに凄まじい眠気が襲った。凍えるような寒気が睡魔となって、自分を死の世界へ誘おうとしているのだと気付いた。気付いたのに、それに抗うすべは残されていなかった。考える力さえない。ここにあるのは死だけだ。

 瞼を閉じようとすると、脳裏にいくつもの声が重なった。だれだろう。もうなにもおもいだせない。なにもできない。

 

 ───俺は、死ぬのか。

 

 薄れゆく意識の中、誰かの名前を呼びながら泣き叫ぶ少女を見た。にげて、と口にすることすら許されない。

 

 ───俺は、何を、したかったんだっけ。

 

 思考が止まる。守りたかったものさえ、もう思い出せない。

 

 ───なんで、がんばってたんだっけ。

 

 ぷつりと途切れた意識。死の淵を歩く翔一の脳が何かに足を止めた。

 それは失ったはずの()()の記憶。

 報われない男の報われなかった人生。

 救おうと足掻いた少年の救われなかった想い。

 命を救うことだけは唯一の絶対的正義だと信じ、戦って、戦って、世界に裏切られた。───おもいだせない。

 新たな命で罪を背負い、苦痛を耐え忍んで、運命に抗って、戦って、戦って、人としての形さえ失った。───おもいだせない。

 求めたもの、愛したもの。全部つまらない戯言だった。懲りずに頑張ってその都度、痛い目をみた。それでも、最後には必ず誰かの笑顔が待っていたから。ああ、苦労した甲斐があったと笑えたから。ぐしゃぐしゃになった心が一瞬でも報われたのだと感じたから、だから、俺は、おれは───。

 

 〝……くんは、私にとっての仮面ライダーだから〟

 

 ドクンと心臓が迸る。今のは誰の声だったのだろう。忘れてしまった。忘れてしまったのに、こんなにも愛おしくて、切なくて、苦しくて。

 

 〝だから、もう泣かないよ、絶対に。あなたが笑ってくれるから〟

 

 こんなにも誇らしく胸に響く。忘却された記憶が、眠りかけていたその魂を急激に目覚めさせる。名も思い出せない少女は笑っていて、それがたまらなく嬉しくて───津上翔一はきっと戦ってこれたから。

 

 ───ああ、そうだ。そうだったんだ。俺は、人の笑顔が大好きだったんだ。それだけの理由だった。

 

 指先に力が宿る。息吹が蘇る。血反吐に汚れた肉体が、震える両足に身を任せて、少女の涙に再び()()()()()。それは紛れもないヒーローとしての覚悟であった。

 

「……逃げて、未来ちゃん」

 

 その声に、未来は嘆くように首を振る。

 

「でも」

 

「いいからはやくッ‼」

 

 あの翔一の声とは思えないほど荒々しい叱咤に、肩を震わせた未来は驚愕と動揺に動けずにいた。だが、なおも大量の血反吐を流しながら、想像を絶する死の苦痛を堪え、それでも優しく微笑んでくれた彼に、未来は涙を拭って覚悟を決めた。腕の中にいる幼き少女を強く抱きしめながら出口へと走る。

 振り向くと大量のノイズに囲まれてもなお、最後まで笑顔で見送る翔一の姿があった。

 未来は叫んだ。声が枯れるまで。声が尽きるまで。その笑顔が再び、戦士としての覚悟に塗り替えられるまで。

 

 ただ一人残された翔一はノイズと向かい合った。そして、体内に分泌されたオルタリングを呼び起こし、無我に至りし変身の構えをとる。

 

 ───いかん、傷が深い! 撤退せよ、アギト!

 

 地のエルの焦る言葉を無視して、翔一は神経を研ぎ澄まさんと右手を押し出した瞬間、壮絶なる激痛が腹部から地鳴りのように響き、苦悶の叫びを吐き出しながら片膝をつく。傷から致死量の血液が溢れていた。生命を維持できる量の血は残されていなかった。脈は今にも静かに運動を停止させて、楽になろうとしている。

 死がこんなにも近い。でも───。

 額の汗を拭うことすら放棄し、狂ってしまいそうな激痛を噛み締め、それでも怒涛の剣幕で立ち上がった。

 

 ───変身してはならん! 今は治癒に全力を注げ!

 

 風のエルが叫ぶ。エルロードは、翔一の生命の灯が消えかかっていることを知っていた。このままの状態で人智を超越したアギトに変わろうものなら、彼はそれだけのエネルギーで力尽きるかもしれない。加えて、変身を完了したところで傷口は塞がらない。それどころか、強化された細胞の代謝が体力を削り、傷を悪化させる恐れがある。弱り切った今の翔一にとっては致命的なダメージ他ならない。

 なおかつ、そんな状態で戦えるはずがない。

 アギトは万能ではない。

 アギトは神ではない。

 そして、人間はあまりに脆弱なのだ。

 

 そんなことは、わかっている。

 

 吐血と苦悶に苛まれながらも翔一は忘我の勢いで変身を強行する。アギトに変身したところで、自分が耐えきれないことは重々承知の上。むしろ、()()()()()()()()()翔一は誰よりもそれを痛いほど理解していた。だが、覚悟は決して覆らない。決意はみなぎっている。意志は固く紡がれて、死力を尽くさんと胸が熱く高鳴っている。

 

 ───アギト! このままでは本当に()()()()()()ぞ!

 

 次の瞬間には、火のエルの息を呑む声が聞こえた。今、彼の肉体は途轍もない精神力によって完全に支配されている。神の化身たるエルロードの束縛を物ともしない尋常ならざる不屈の魂が死に際に宿っていたのだ。大いなる神に遣えし大天使らは感じた。いや、思い出したのだ。津上翔一という人間の覚悟の在り方を。

 死に予兆などない。命に無限などない。そして、運命に絶対などない。

 故に、覚悟に時間など必要ない(Ready to go, Count zero.)

 翔一は口元に溢れる血を拭いながら、眼前の敵を睨みつけた。

 

「……上等」

 

 オルタリングが待ち侘びたと言わんばかりの脈打つ鼓動を叩き、眩く光る賢者の石が正面の敵を照らし出した。

 突き出した右手が小刻みに震える。酔った視界は疎らに反転を繰り返し、敵も、自分の手も、景色さえもが何重にも分身して幻惑のように瞳にうつす。意識が限界を訴える。肉体が悲鳴を上げている。薄れゆく体温と消えかかった感覚に鞭を打ち、翔一は必死に叫ぼうとした。

 だが、絞り出たのは声ではなく無情な血液の塊だった。吐血しながら、真っ赤になりながら、死に近づきながら————それでも彼は終局の淵でただ独り希望(いのち)を叫んだ。

 

 変わるために。

 

 変えるために。

 

 その言葉(セリフ)を叫ぶ。

 

「───変身ッ‼」

 

 キィィィィン、と激しい光が世界を包んだ。

 命の閃光だったのかもしれない。

 一瞬の儚い光の束に包まれて、彼は運命を覆すものへと変身した。

 命を燃やす覚悟の輝き。残酷なまでに美しい黄金に晒された戦士(ヒーロー)は小さく拳を握った。

 

「もう誰も泣かせるものか……誰の命も奪わせるものか……」

 

 黄金の鎧から滲む血を抑えて、アギトは叫ぶ。

 

「俺が()()()()()()である限りッ!!」

 

 最期の戦いが始まる。

 

 

 

 




戦っても生き残れない。でも戦わなくては守れない。




・・・過労で死ぬ? バッカキャロー! 物理で死ねい!←(鬼畜)
次回、最終回(?)
書いてる途中で「あ、これ最終回だ」と思いました。やっぱ血吐きながら戦う主人公は最高でっせ(趣味)当初の予定では全然書く気はなかったオリ主の走馬燈。彼を最初に「仮面ライダー」と呼んだのは一体誰なんでしょうか・・・。
いや次が最終回なんでまじまじ作者ウソツカナイホントホント()


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♬.俺の仮面は壊れないかもしれない。(前編)

外出自粛中の皆さま、そうでない皆さまも、お身体にはお気をつけください。この作品で皆さまの暇を少しでも潰せていただけたら幸いです。ちなみに私は腐ったパンを食してお腹を壊しました。正露丸おいしいです。


「翔一さんの好きなものって何ですか!」

「響ちゃん、いきなりどうしたの? 藪からマジカルスティックに」

「いつも美味しいご飯を作ってもらっているので、何か仕返しをと思いまして、えへへへ」

「仕返しされちゃうのかい俺。いったい何をお見舞いされるんだろう……」

 

 とある日の昼下がり。いつものお好み焼き屋で行われる何気ない光景。

 

「最近、思ったんです、私って翔一さんの好きなものってあんまり知らないなって」

「いやいや。俺の好物なんて知ってるでしょ。家庭科の教科書の裏表紙とかに全部載ってるよ」

「……? お肉とかお魚?」

「おしいね。正解は六つの食品群」

「食材全般ですか⁉︎ 私以上に食に貪欲だ! ───じゃなくて! えーと、食べ物以外! 食べ物以外で好きなものをお願いします!」

「食べ物以外……食べ物じゃないもの……それって地球上に存在してる?」

「どれだけ食べ物への許容範囲大きいんですか⁉︎」

「夢は大きくってね」

 

 はははっ、と笑う翔一にいよいよ響は頬をむすーっと膨らませる。

 

「真面目に聞いてるんですよ、こっちは」

「わかってるよ、わかってる。うーん。俺の好きなもの、ね……」

 

 あーでもないこーでもないと考え込む翔一は閃いたように響を見つめて。

 

「響ちゃん、笑って」

「へ?」

「ほらほら、笑って、笑って、笑顔」

「え? ええっ?」

「どうしたの。笑えなくなっちゃった? 笑顔ってのはこう作るんだよ」

「ブッ、何ですか、その顔⁉︎」

「とある脳味噌ロイミュードの真似」

「ははははっ、ちょっとやめて下さい、近づけないでその変な顔!」

「そ の 顔 が 見 た か っ た ァ……(恍惚)」

 

 翔一の類稀な物真似(主に顎)に爆笑する響。

 

「はははっ、はは……け、結局なんなんですか、翔一さんの好きなものって」

「ん? 笑ってる顔」

 

 当然のようにそう答えた。

 

「笑ってる時ってさ、みんな幸せそうでしょ。見ててこっちも気持ち良いし。俺はそういうのでいいや」

 

 幸せそうに彼は言った。

 そんな無欲な翔一に響は眉をひそめる。

 

「じゃあ、それをどうやって翔一さんにプレゼントすればいいんですか」

「プレゼント? ああ。そういう話だったけ」

 

 翔一は笑いながら応えた。

 

「それじゃあ、もしも俺が泣いてるときは、代わりに響ちゃんが笑ってよ。それで俺も元気になるからさ」

「ええー。翔一さん、泣かないじゃん。見たことないよ、翔一さんが泣いてるところなんて」

「泣くさ。泣く泣く。涙ちょちょ切れるまで泣くよ。プリキュアの映画で号泣するもん、俺」

「私はごんぎつねで泣きましたよ」

「なぬ。じゃあ、俺はモチモチの木で……」

「絶対に嘘だ」

 

 そんな思い出があった。

 人の笑顔が好きだと臆面もなく言った彼の笑顔が好きだった。そんな笑顔に憧れて、そんな生き方に憧れて、そんな優しさに心焦がれた。

 ───もう会えないのかな。

 淡い微睡の中で立花響はそっと目を覚ました。

 空は茜色に染まっていた。澄み渡った夕暮れの時間だった。

 あの鳥は、何という鳥だろう。羽ばたいた影に思いを馳せて、響は指一つ動かせない朦朧とした意識でその声を聞いていた。

 

「生きることを、諦めるな‼︎」

 

 傷だらけの天羽奏が叫んでいた。

 大人気ボーカルユニット『ツヴァイウイング』の片翼たる赤毛の少女が、埃に塗れ、血を垂らして、意識の覚束ない響へ叫び続けていた。

 力強い眼差しだった瞳に涙すら浮かべて、砕かれた槍を支えにし、懇願するように掠れた声を懸命に響かせる。お願いだ。目を覚ましてくれ。生きてくれ───その願いが響の冷たい心に沈んでいく。

 彼女の背後には途方に暮れてしまいそうな数のノイズの軍団が絶えず蠢いていた。大きいものから小さいものまで、奇怪な化け物は声にも音にもならぬ不快な残響を振るわせて、忌々しい戦姫の力尽きる瞬間を今か今かと待ち望んでいた。

 その中に、異質なノイズが居た。

 それも二体───銀と銅。

 人間のような肉体と亀のような容姿を併せ持つ異形の怪物。亀人間とでも称するべき甲羅を背負ったノイズは不気味な笑みを浮かべながら、もう一人の戦姫たる風鳴翼と死闘を繰り広げていた。

 戦況は決して芳しいものではなかった。

 翼は戦闘不能(じかんぎれ)となった奏の跡を引き継ぐように、亀型のロードノイズと剣を交えるが、異形の雑音は嘲笑うかのように彼女の剣戟を鋼鉄と呼ぶに相応しい硬度たる甲羅で防ぎ、もう一方のロードノイズがすかさず攻撃へと転じる連携に苦戦を強いられていた。

 最悪の状況だった。

 地獄のような光景。阿鼻叫喚する者さえ、煤に変えられてしまった虚しき煉獄を模した戦場。

 そこに立花響はいた。

 血で彩られた瓦礫にもたれ、その幼き肢体を流血に染めて、彼女は眠るようにそこに座っていた。

 そうして、響はやっと思い出した。

 ツヴァイウイングのライブ中、突然に現れたノイズの大群。

 逃げ惑う人々の波によって引き裂かれた響と未来。

 気を失ってしまい、一人観客席に取り残された響が見た異様な光景。

 ツヴァイウイングの天羽奏と風鳴翼が唄を歌いながら、迫りくるノイズと戦っていた。

 目を疑うような光景に、呆然としてしまい、響に気付いた奏の叱咤に突き動かれるままに響は逃げようとするが、足が竦んでしまい───。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 それは奏がノイズの怒涛の猛攻から響を守るために盾として振るった神槍ガングニールの鋭い破片であった。決死の力を振り絞って、その命を守ろうとした彼女の魂の叫びはいとも容易く裏切られた。

 勢い盛んに弾かれた神槍の破片は弾丸の如き速度と殺意を得て、少女のか弱い矮躯を抉り、激しく叩きつけるように吹き飛ばし、糸の切れた人形のように踊らせた。

 飛び散る赤の鮮血。

 少女の悲劇。

 響はそれを思い出した。

 胸にぽっかりと空いた穴。どくどくと流れて止まらない血。痛みはすっかり感じなくなってしまったけれど、恐ろしいほどに心寂しい……。

 苦しくて、悲しくて、寂しくて。

 こんなときは、いつもあの人の居るお好み焼き屋へ行くのに。

 どうして、からだは動いてくれないんだろう。

 

「翔一さん……」

 

 揺れる唇がそう呟いた。

 その愛しい名前を言葉にした。

 奏の顔が安堵に染まる。───生きている。この子はまだ生きている。

 頬の綻びも束の間、瀕死の重傷を背負った少女が最後の拠り所として口にしたその名に心が騒ついた。その名に心当たりがあった。普段なら気に留めない普遍的な名前なのに、奏はそれを無視できなかった。

 偶然だろう。たまたまだろう。運命の悪戯というものだろう。でも、もしもその名前が彼のものだとしたら───。

 震える唇が、小さな願いをこぼす。

 

「会いたいよ、翔一さん」

 

 その名を抱きしめるように───声にして。

 助けて欲しいわけじゃない。慰めて欲しいわけでもない。ただ、あの優しい声が聞きたかった。あの青年の笑顔を象徴するようなポカポカとした柔かい声を聞けたなら、どんな困難にも立ち向かえる勇気がきっと湧いてくるから。

 だから、その声を───。

 祈りですらない、小さな願望。

 大好きな彼にもう一度だけ会いたい。

 ただそれだけの拙い希望。

 

「翔一さん」

 

 だから、それは運命と呼ぶに相応しいものだった。

 爆発音。巨大なライブ会場を包み込むような破滅的な轟音が響き渡り、観客席の一端が文字通り吹き飛んだ。怒り狂ったように土煙が激しく舞い上がり、憤激を象る大きな風穴が客席に空いていた。

 その穴の奥から、無数の───何十もの数のノイズが軀をぷすぷすと半壊させながら、蜘蛛の子を散らすように必死に逃げ惑い、恐怖に煽られたように穴から這い出て───陽の光に晒されるまでもなく力尽きて崩れ落ちた。涼風に運ばれる黒い煤が混ざった土煙に一体どれほどの数の残骸(ノイズ)が含まれているのか、誰も予想はできなかった。

 闇に紛れた赤い双眸が、狼煙の如き砂塵を(つんざ)くように輝き光る。

 闇の中、見つめている。

 黄金の鎧を纏った神々しい戦士の血潮の如き紅い瞳が、狂おしいほどの地獄と化した戦場を冷徹に一瞥している。黄金の肉体に巻かれたベルトのバックルに当たる部位が眩いばかりの閃光を闇に落とし、遍く全てを圧倒する金色の存在感に誰もが息を呑んだ。

 天羽奏だけだった。彼を見て、異変を悟っていたのは。

 血だった。黄金の鎧を纏う黒い体躯が痛々しい生傷を伴って、赤い血が巻きつくように絶えず滴っている。心なしか、普段の威圧めいた存在感も弱まっている気がした。

 まるで、死にかけ───命を削っているようだ。

 

「仮面ライダー……?」

 

 薄れゆく意識の中で、響は微かに唇を動かして、その誇り高き名を呟いた。

 仮面があった。呪いのような仮面が───決して外すことのできない忌まわしい仮面となって、彼の表情を鉄のように閉ざしている。

 ……なぜだろう。いつも優しく笑っていた青年が目に浮かんだ。

 あの柔かくて温かい笑顔が遠くなっていくみたいで。

 涙すら枯れ果てた悲しみが彼を覆っているみたいで。

 響はそれが堪らなく嫌だったから───。

 

「泣かないで、翔一さん」

 

 無意識に、意味もなく、理由もなく、何の確証もないままに───響は()()()()。笑った。無理に笑った。何とか笑って見せた。それは誰に向けられた言葉でもなく、この場に居合わせた仮面の戦士への同情でもなく、そうしなければならないような強迫観念に似た想いがそんな笑顔を絞り出しただけに過ぎなかった。

 そこにいるのは、彼ではないのに。

 そこにいるのが、彼のような気がして。

 彼女の意識はそこで限界だった。安らかな笑みを浮かべたまま、願いが叶ったと言わんばかりの温かな表情で、ゆっくりと目蓋を閉じた。

 アギトは何も言わず、迸る流血に犯されながら静かな眠りについた少女に近寄り、乱れた髪をそっと直して、汚れた頬を優しく払い、くしゃくしゃになった頭をぽんぽんと撫でた。

 真っ赤な瞳は何も語らない。神槍の破片が少女の矮躯を貫いていないことを確認していたのかもしれない。あるいは、奏から見えない位置から少女の傷を癒そうとしていたのかもしれない。

 どちらにせよ、どの可能性であれ、天羽奏の瞳には、無垢な少女の悲劇を嘆き悲しむ一人の人間のように見えた。仮面のようなその顔が、如何なる感情を抱いているのか、奏には痛いほどに伝わってきた。

 

「ア、ギト……」

 

 彼の背中には、何の言葉も必要がなかった。

 ただ、優しく少女の頭を撫でて───鎧の戦士は地についた膝を立ち上がらせる。

 踵を返して、騒然たる雑音の群れと向かい合う。

 表情などあるはずもない。涙などわかるはずもない。

 しかし、血が滲むほどに固く握り締められたその拳は仮面では隠せない。

 ゆっくりとその足を進ませる。

 獣の如き威圧を撒き散らし、来たる嵐のような静けさで。

 徐々に速度を上げていく。

 心を持たぬ悍しい悪へ、鉄槌を下すために疾走する。

 

「おぉぉおおおおおおおおおおッ‼︎」

 

 激昂の雄叫び。

 人間の怒りがあった。

 少なくとも、天羽奏にはそう見えた。

 飛び掛かる有象無象の雑音を振り払うように、鮮やかでありながら暴虐的な凄まじい拳打を余すことなく撃ち込んで葬り去る。格殺のカウンターを叩き込み、背後の敵を蹴り飛ばし、修羅の権化たる武神の強さで猛威を振るう。

 憤怒に満ちていた。

 怒れる龍のようだった。

 只ならぬ闘志がアギトを尋常ならざる狂気へと駆り立てるように、彼は忘我の獣と成りながら、憎きノイズに一方的な殺戮を(もた)らした。彼に死角はない。天災の渦中にその身を投げ出すように突貫しても、ノイズは瀕死のアギトに単なる一撃も当てられずにいた。憤激を纏った黄金の戦士は極めて乱暴な拳を振り回していたにもかかわらず、何人も寄せ付けぬあの体捌きは健在だったのだ。

 津上翔一は怒りに身を委ねはしなかった。

 極めて危ない境界線(ボーダーライン)には違いないが、()()がくれた自制心が彼にはまだ果たすべき使命があることを教えてくれたから。

 まだ守らなくてはならぬ笑顔が───失われそうな笑顔が残っているから。

 津上翔一は仮面ライダーとして、命の灯火が消えるその時まで、正真正銘の死力で戦わなくてはならない。

 

「──────ッ⁉︎」

 

 突然の吐血だった。

 口元を覆う装甲板(クラッシャー)の隙間から大量の血反吐がべちゃべちゃと無感情に滴り落ちる。

 赤い血だった。

 生きている証だった。

 それもすぐに失われる。

 敵陣の真ん中で死神に触れられたように立ち竦むアギトに、ノイズの容赦ない攻撃が無差別と言うべきほどの猛攻となって襲う。アギトはその金色の鎧に血飛沫のような火花を散らして、崩れかけた地面に転がるように倒れ伏した。

 否、血飛沫のようなものではない。本物の血飛沫がアギトの弱まった装甲から漏れていた。決して砕けぬ鎧と自負していたアギトの超越肉体の金(グランドフォーム)は担い手である翔一が瀕死の状態では紙のように脆く弱体化する。それはもうどうしようもない死に際を知らせる警告でもあった。

 翔一は歯を食い縛る。仮面で隠した顔が苦悶に歪んだ醜態であることを、誰にも悟らせまいと指先に力を入れて、震えながらも立ち上がる。

 腹部の傷口からドバドバと血が溢れる。膝が震えている。手の感覚が無くなっている。もうじき死ぬのだと全身が涙ながらに訴えている。

 

「ア、ギ……ト」

 

 その惨たらしい一部始終を目にした奏の心情はそう易々と語れまない。

 赤い血を流した。人間の血潮と同じような赤色の熱い血が彼にも流れていた。誰よりも傷ついていた。何よりも苦しそうだった。振り上げた拳が砕けて血を垂らし、生々しい肉を見せても尚、その拳で殴り続けていた。

 怒り───ではない。

 もはや、それは悲しみだ。

 仮面で隠されているから、誰もその痛みを知ることなどできない。誰も彼を止められない。その流れる血を慈しむことはできない。孤独。哀れなまでに孤独な強さ。

 

「おまえは、何のために、そこまで」

 

 奏の声など耳に届いていない。彼に残された時間もごく僅か───アギトは右のサイドバックルを乱暴に叩いた。

 賢者の石が銀の刃紋を滑らせる長剣を生成するとアギトはその身を火が灯るように赤く染めて、赤い鎧を纏った右手で剣を握り締めた。超越感覚の赤(フレイムフォーム)へ変身したアギトは薙ぎ払うように回転し、煩わしくアギトを囲んでいたノイズを一斉に斬り伏せた。

 

「ハァァッ‼︎」

 

 突破口を切り開き、その灼熱と化した身で疾走。

 すれ違いざまにノイズを流れるように叩き斬る。

 止まらない斬撃。

 終わらない地獄。

 終止符を打つべく。

 アギトはその赤い瞳に討ち滅ぼすべき邪悪な意思を捉えた。

 激しい火花を散らす焔の長剣(フレイムセイバー)が、銅の体躯をした(トータス)(ひれ)のような腕と風鳴翼の絶刀の間を引き裂くように割って入る。アギトは両者の攻撃を受け止めて、凄まじい力の矛先を上空へと弾くように逃し、怯んだロードノイズの下顎を足裏で蹴り上げた。

 銅の(トータス)は大きく退いだ。それを庇うように銀の(トータス)が余すことなき殺気を武器に前に出る。

 

『o wOo……a aa AGITΩ……korosaneba korosaneba‼︎』

 

 火のアギトは剣を構える。

 赤い戦士の背中には、こいつらは俺の獲物だと強引に語りかけるような鋭い圧が籠もっていた。

 翼はもどかしく混乱する。彼女の目からしても、明らかに今のアギトはとても戦えるような状態ではなかった。今も尚、彼の身体からポタポタと滴る血の滴は削がれた肉から溢れているのだろう。濃厚な死の匂いが漂っている。命の終わりが死神となってアギトの首に鎌を突き立てているようだ。

 

「そんな姿で戦えるわけ……!」

 

 ない、と言う前に───既にアギトは二体の(トータス)に向かって炎を纏った剣を振り下ろしていた。二体のロードノイズは左右に別れて、アギトの剣閃を避ける。

 異論は認めない───強い意志だ。

 翼は目を滑らせて、何とか立ち上がろうと苦渋の表情を絶やさない天羽奏と未だ数を減らさないノイズの群れを見て、決断の時間は残されていないことを悟る。悔しいが、翼にはロードノイズ二体をまとめて相手取る実力はない。単体ならば───奏が大怪我を負ったあの日───翼は別の場所で、豹のロードノイズとの戦いで勝ち星を挙げていた。だが、今し方、二体の(トータス)に囲まれて、嫌というほど思い知らされた。今の翼の剣に限界を定めるとすれば、そこであった。

 彼女は二体のロードノイズを倒せない。

 この地獄を終わらせられない。

 風鳴翼に大切な人───天羽奏は守れない。

 その現実は覆しようがなかった。

 だが、この卓越した戦闘技術を持つ生命体ならば。

 奏を救ってくれた()()()()()()ならば。

 

「二号……いや、アギト、先日の無礼を詫びます。許してほしいとは言いません。私を斬りたくば、斬ってもらって構いません。しかし、どうか、その前に、一つだけお願いがあります。───負けないでください」

 

 翼は頭を下げた。地面と平に並ぶほどに深々と───異形の戦士へ頭を下げた。

 剣を携えた少女の切なる願い。

 アギトはほんの僅かに顔を向けて───何も言わずに己の敵へ向かい直した。それこそが彼の出来る精一杯の答えであるかのように、傷ついた身体で長剣を構える。

 翼は踵を返し───アギトに背中を預けるように、ノイズの集団へと疾走する。自分が出来る精一杯を為すために。

 

「はぁぁぁぁッ‼︎」

 

「ハァァァァッ‼︎」

 

 二人の剣士が戦場で吠える。

 

 

***

 

 

 津上翔一は強かった。

 彼がこの世界で目覚めた時───自分が異形の生命体へと変身できると知った時───彼は初めてノイズと相見(あいまみ)えた戦いで本能に準じる無我の境地を会得していた。

 合理的な殺法とでも言うべき滑らかな戦闘を自分ではない何かが自分の身体を使って、見事なまでの殺戮に近い戦いを繰り広げている。そのような異質な感覚を手にした翔一は、すぐにそれこそが彼の失われた記憶なのだと察した。

 津上翔一という仮初の名を語る人間ではなく、この肉体の奥深くに潜む魂の記憶が津上翔一の本能として戦わせているのだと気付いた。

 彼は恐れた。

 戦いが怖かったわけではない。戦えたことに恐れたわけでもない。

 戦いを終えて、何の感情も抱かなかった自分に恐れた。

 恐怖がなかったことに底知れぬ恐怖を覚えたのだ。

 

 ───俺は一体、何者なんだ。

 

 彼は問うた、この肉体に宿った三つの使徒へ。

 

 ───俺は何だったんだ。

 

 大天使は何も語らなかった。

 冷たく突き放すように翔一を欺いた。

 その代わり、大天使は彼に問うた。

 

 ───汝はこれから何者に成るつもりか。

 

 言い淀んだ彼にこう言った。

 

 ───汝は何者にでも成れる。

 

 だから、戦え。

 お前はそうあるべきだ。

 神が認めた男はそうであったのだから。

 

 ───変わればいい。汝のまま、変わればいい。

 

 

 

***

 

 

 銀と銅の鎧を纏った(トータス)の攻撃手段は主に石のような鎧に身を任せて突進───といった短調なものであった。超越感覚の赤(フレイムフォーム)と成ったアギトに避けらぬ道理はない。素早く回避して、稲妻の如き剣撃を無防備な背中に向けて振るう。

 しかし、如何に歪な異形と言えど、(トータス)の姿は紛れもなく、背中の甲羅は炎を纏った渾身の袈裟斬りですら、傷一つ付くことはなかった。

 動揺はないが、焦りはする。

 この硬度から分析して、恐らく超越肉体の金(グランドフォーム)の全力を込めたライダーキックでも完全に破壊することは叶わないだろう。甲羅に守られていない肉体に必殺の飛び蹴りを喰らわせられるなら勝機はあるが、それを許すような悠長な敵ではない。

 相手は、互いの背中ならぬ前を護り合える二体なのだから───。

 間髪入れず銅のロードノイズが突進攻撃を仕掛ける。身を翻して回避───直後に銀色の(トータス)のタックルが迫る。横に避けられる位置ではない。アギトは跳び上がり、亀擬きの肩を掴んで空中で一回転し、難なく着地する。

 焔の長剣(フレイムセイバー)を握り、晒された鋼鉄の背部ではなく眼前に飛び込もうと一呼吸置いてから、(トータス)の振り回された肘をローリングで躱し、脇腹から肩部まで斬り上げる。

 凄まじい火花が散らさせる。

 手応えがある。

 ならば、勝利への算段は整った。

 超越した感覚が銅色の(トータス)へ攻撃の予備動作を感知し、回避運動へと入る。

 

 ───が、そこでアギトは動きを止める。

 

 身体が言うことを聞かない。

 脳の信号を受け付けない。

 神経が働きを止めたのだ。

 アギト───翔一は奥歯を食い縛って、銅色のロードノイズのコンクリートすら容易く砕く突進をまともに喰らう。頑丈な体躯に物を言わせた分厚い一撃。けたたましい衝撃。声にもならない激痛。腹部の傷が抉られる音がして、意識が───意識だけは留めんと抗うが、彼の肉体は宙へと吹き飛ばされ、叩きつけられるような落下の痛みが追い討ちとなって襲い掛かる。

 その時、ブツンと嫌な音がした。

 

「ッ──────⁉︎」

 

 また吐血。

 腹部からも血。

 

「がぁッ」

 

 立ち上がろうとした。

 立ち上がれなかった。

 

(うごけない……)

 

 底が見えた。

 限界が目の前にあった。

 終わりがここだった。

 

『aa AGITΩ buzama da』

 

 銅の(トータス)が愉快そうに笑う。

 

『shinikake huuzen no tomoshibi』

 

 銀の(トータス)も楽しそうに笑う。

 それでも翔一は立てなかった。

 もう立てなかった。

 心臓の音が遠のいていく。熱い血が吐き出されて、肉体が急速に冷たくなる。自分の身体が自分のものではなくなる。ただの肉の塊となる瞬間を延々と見せつけられる。

 その感覚は間違いなく死だった。

 勝てない。

 勝てるはずなのに、()()()()()()()勝てない。

 負けてしまう。

 負けられないはすなのに、()()()()()()負けてしまう。

 

(俺はまだ‼︎ まだ戦える‼︎)

 

 魂が叫ぶ。魂だけが叫んでいる。

 まだ折れていないと。まだ生きていると。

 仮面ライダーはここにいるのだと、魂が叫び続ける。

 

「■■■───‼︎ ■■■───ッ‼︎」

 

 声が聞こえた。

 耳が遠くて、誰の声かはわからない。

 だが、確かにそれは聞こえたのだ。

 不思議な話だった。たかが声の一つで、感覚も神経も死んでいるのに、もう死んでいれば楽なのに、こうも力強く立ち上がれるのだから───。

 

『mada tatiagaruka shinizokonai……⁉︎』

 

『AGITΩ no genkai wa kiteiruhazu‼︎』

 

 勝てるか、こいつらに。

 指一つ動かせないような状態で。

 

「………………」

 

 ……たった一つだけ思い当たる手段がある。

 この地獄のような状況を覆せる力。このノイズ共を葬り去る力。

 絶大なる力に───身に覚えがある。

 ただし、その手段とすら言い憚かってしまいそうな傲慢が過ぎる力は、津上翔一の命───今にも消えてしまいそうな生命に明確な終局(トドメ)を刺す行為に他ならない。絶大なる力とは、それ相応の代償を常に使用者に払わせているのだから───アギトもまた例外ではない。

 もって十秒───それが命の時間。

 許してくれるだろうか、あの天使たちは。

 翔一はぼそりと呟いた。誰にも聞こえない虫の羽音のように小さな声で……。

 

「エルロードさん、今までお世話になりました」

 

 自分の中に住み着いた大いなる大天使の三柱へ。

 

「ありがとうございます。でも、ここで終わっていいんです」

 

 最後のお願いをするために。

 

「だから、最後に、俺に力を貸して下さい。ありったけの勇気を俺にください」

 

 俺を本当の仮面ライダーにしてください。

 彼は願う。

 地に膝をついて、祈りを捧げるほどの余力は残されていなかった。頭を下げるほどの微力でさえ、瀕死の翔一には損なわれていた。

 呆然と茜色の空を仰ぎ見るように、無限に等しいノイズに囲まれながら、静かに立ち尽くして、心の中で願うだけだった。

 でも、きっと、彼らにとって、それすら不要な儀式に違いない。

 

 ───力を貸すなどと腑抜けたことを。それでも汝はアギトか。

 

 地のエルが叱るように言う。

 

 ───元より我らは汝の力よ、好きに使うが()し。

 

 風のエルが呆れたように言う。

 

 ───ならば、迷いなきその覚悟、通してみせよ。それが汝の為すべきことだ。

 

 火のエルが諫めるように言う。

 そう言ってくれた。

 誰も拒絶はしなかった。肯定もしなかった。

 好きにすればいいと彼らの言葉は物語っていた。自分たちにできることは力を貸し与えるのみ。その絶大なる力を行使して、何を得ようとし、何を失おうと、それはお前が背負うべき業なのだ。

 翔一はそう教えられてきた。

 だから、彼らエルロードは津上翔一の我儘に付き合う───気前の良い大天使に過ぎないのだ。

 

「ありがとうございます」

 

 そう小さく呟いて、アギトは焔の長剣(フレイムセイバー)を叩き割られた地面へ乱暴に突き刺した。

 小さく呼吸。

 翔一は目を閉じるように、その身を自然に委ねた。

 深呼吸のように大気中に霧散している自然の遍くエネルギーを根刮ぎ吸収して、アギトの凄まじい力の源たるオルタフォースへと(すべから)く還元する。やがて、光が満ちるように───オルタリングが太陽の如き輝きを放つ。

 茜さす陽の光が、傷だらけのアギトを孤独に照らした。

 凍てついた空気が鼓動となって熱く燃え上がる。

 世界が祝福するように、名もなき歌を口ずさむ。

 そして、ゆっくりと、その手を前に突き出して。

 

 ───目覚めろ、その魂ッ‼︎

 

 左右のサイドバックルを同時に叩き込んだ。

 赤と青が交差する金色が瞬いた。

 その瞬間、世界は真の光とは何かを知ることになる。

 世界を覆う自然に揺蕩(たゆた)う神秘の力が彼を取り巻くように、澄み渡る光源へと姿を変えて踊り狂う。

 風が舞い、火が叫び、大地が歌い───自然が奏でる調律の唄。

 暗黒の闇を引き裂く一筋の輝き。奏響くは黄金の光。

 自然という神に祈る。

 その魂に誓い、

 祈れ。

 炎───それは熱き感覚。

 嵐───それは澄んだ精神。

 地───それは美しき生命。

 三つの光が重なり、一つの光となる。

 魂の名の下に集う、三位一体の力。

 やがて、龍が目を覚ます。

 双つの瞳を携えて、闇を払う黄金の光と成って。

 彼らは一つになる。

 

三位一体の戦士(トリニティフォーム)

 

 灼熱を司る赤い右腕と青嵐を体現する左腕に挟まれた大地を賛美する金色の胸筋。荒れ狂う莫大な量の金色と化したフォニックゲインが彼を中心に逆巻いている。それは世界からの祝福。天からの神託。進化という奇蹟の体現者。

 それは謂わば、大自然の暴力である。

 極めて理不尽な天災という名の執行者である。

 赤き右手に剣を、青き左手に矛を携え、黄金の胸に決して挫けぬ魂を抱き───。

 目覚めしアギトは光となる。

 三位一体の戦士(トリニティフォーム)が地獄の旋律を黄金に染め上げる。

 




ト〜リ〜ニ〜ティ〜♪(オリ主への鎮魂歌)
これは祝わねばなるまい(黙祷)
次回、後編にてアギト編完結です。アギト編完結です(大事なry)
オリ主の死に様をご覧あれ(壮大なフラグ)


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♭.俺の仮面は壊れないかもしれない。(後編)

皆さまのご声援あって、この度なんとお気に入り登録数が7500を超えました。ご愛読していただき誠にありがとうございます。感想の方もこれからは出来る限り返信していきたい所存でございます。
それでは、最終回( )をどうぞ。


三位一体の戦士(トリニティフォーム)

 それは人間の器に収まる力ではなかった。

 

 創造神によって生み出された七体の超越生命体───エルロード。

 特撮ドラマ『仮面ライダーアギト』における最大の敵にして、最強と呼ぶに相応しい圧倒的な強さを誇る怪人。神に従え、天使を従え、人を憎み、人を虐殺し、アギトを殺さんとした───偉大なる天の遣い。それがエルロードである。

 その力は計り知れない。

 神という頂きに最も近い生命体の強さなど、誰にもわかるはずがない。知る機会もなければ、理解もできない未知の領域を───この世界で津上翔一と名乗った青年は利用した。

 利用するしかなかった。神の力を───この身が滅びようと。

 そうでもしなければ、彼は戦士(アギト)へ変身できなかった。

 津上翔一はアギトである。

 しかし、それはエルロードあっての(アギト)

 彼の中に眠りし、神の化身たる三体のエルロードが内に秘めたる絶大な力のほんの一部を、()()()()()()()()()翔一が借りることによって───〝地〟〝火〟〝風〟───それぞれの属性に対応した超越進化の生命体であるアギトへの変身を可能としていた。

 超越肉体の金(グランドフォーム)───地のエル。

 超越感覚の赤(フレイムフォーム)───火のエル。

 超越精神の青(ストームフォーム)───風のエル。

 三つの形態(フォーム)には、互いに差別化を図るように抜き出た長所がある。防御力が高い。破壊力がある。俊敏性や反応速度───あるいは短所を潰した均衡性(バランス)

 各性能を活かすも殺すも───アギトたる翔一に委ねられる。

 戦況に応じて使い分けねばならなかった。すべての能力値に優れたものなどいないのだ。速度は防御を損わせ、強力なパワーは俊敏な動きを失わせる。長所と短所。万能はいない。全知全能など神と呼ばれたものしか存在しないのだから……。

 

 そして、今───。

 

 進化は促された。

 超越進化の戦士(アギト)は戦闘おける全知全能たる『三位一体の戦士(トリニティフォーム)』へと進化した。()()()()()()()()。至ってしまった、その神たる領域に───。

 三位一体の戦士(トリニティフォーム)とは、究極の熾天使たるエルロード三体との()()()()を意味する───天の力を文字通り三位一体とする()()形態(フォーム)

 地のエル。

 火のエル。

 風のエル。

 謂わば、大天使らが有する莫大なる力を無理やり一つに合わせた───融合形態(てんこもり)

 遍く生命態を巻き込んだ巨大なヒエラルキーの頂点に座する七体の使徒───その内、三体もの天使(チカラ)との不完全な融合。それが三位一体の戦士(トリニティフォーム)。神と呼ばれる不変の神格に、この地球上で最も近しい存在となる形態(フォーム)。その力は当然として人間の器に収まるわけがなく、肉体を引き裂き、精神を蝕み、魂を焼き尽くす───制御不能な神の力となって、津上翔一に襲いかかる。

 耐えられるはずがない。

 耐えられるわけがない。

 ただでさえ、三つの基本形態ですら、一騎当千の強靭な戦士へと変身できる彼が、その三つある形態(フォーム)を一つに束ねて、混ぜ合わせ、強欲にも同時に使用すると言うのだ。人間如きの限りある許容範囲(キャパシティ)では必ずや破綻する。

 それに今の津上翔一は───仮面で隠されたその状態は───棺桶に半身を奪われたようなものだ。無謀にも程がある。無茶が過ぎる。来たる死を加速させているだけだ。……そうだとしても。たとえ、そうであろうとも。

 

 この身が朽ちてしまおうと。

 生命が灰となって燃え尽きようとも。

 守らなくてはならないものは何一つとして変わらないのだから。

 

三位一体の戦士(トリニティフォーム)』───それは津上翔一の命をかけた最期の変身であった。

 

 ───見えているか、アギト。

 

 火のエルが呟く。

 

 ───汝が倒すべき敵が。

 

 翔一は答える。

 

 ───見えます。俺の守るべきものが。

 

 美しき自然という名の神を抱いた戦士───仮面ライダーアギト三位一体の戦士(トリニティフォーム)が今、覚悟の刃を振り下ろす。

 

 

 

***

 

 

 天羽奏の表情が驚愕に染まった。

 それは得体の知れない凄まじき力を前にした畏怖であった。それは絶望の最中にもたらせる美しい輝きを目にした感動であった。果てなき希望の光───それは真の光への熱い感嘆。

 光を見た。

 涙するほど美しい光を見た。

 暗黒を照らす正義の光が生まれる瞬間を目の当たりにした。

 嵐のような烈風が吹き荒れ、空気を焦がすような炎が入り乱れる大自然の暴力の渦中にそれは凛として佇んでいた。

 赤と青の龍の輝石(ドラゴンズアイ)が瞬いて───。

 金色の輝きに包まれた気高き龍が目醒める。

 赤の右腕───闇を断ち切る焔の剣。

 青の左腕───悪を薙ぎ払う嵐の戦斧。

 金色の肉体───闇を引き裂く崇高なる光の化身。

 アギト───三位一体の戦士(トリニティフォーム)

 

「なんだよ、あれ」

 

 信じられないようなものを見たように彼女は茫然たる想いを胸に、圧倒的な存在感を放つその居姿を目に焼き付けた。

 体術の金。剣術の赤。槍術の青。

 そして、今は───。

 如何なる戦術(スタイル)においても達人の域に到達していたアギトの異形としか言い表せぬ三色を揃わせた()()()()()()。両手で扱うべき得物───薙刀と長剣を赤と青の籠手で握り、ずっしりと腰を低くした姿勢で臨戦態勢を整えた黙する黄金の戦士に、奏はとても名状し難い感情を抱いていた。

 戦えるわけがない。

 剣と槍を携える者はおれど、それを同時に振るうものはいない。

 戦えるわけがない。

 深刻な外傷を負ったまま、巨大な二本の武器を扱うには、あまりに血を流し過ぎている。

 戦えるわけがない。戦えるはずがない。

 なのに、恐ろしいことに─── 三位一体の戦士(トリニティフォーム)が此の世に顕現した瞬間、あれだけ暴力的な猛威を(ざわ)めかせていたノイズの軍団が一斉に静まり返ったのだ。

 突然の静寂。ピタリと鳴り止んだ雑音。

 死んだように動きを止めた世界災害。

 それは神の誕生を畏れるようで───。

 雑音の渦中で剣を振るっていた風鳴翼はその異変をより詳しく目にしていた。夢かと錯覚するほどに信じられぬ一端を垣間見た。

 感情を有さないはずの災害(ノイズ)が、まるで本能が拒否しているかのようにアギトに恐怖していた。真の天災たる戦士を前にして、ブヨブヨとした軀を小刻みに震わせる。頭を横に振っているようだった。やがて、ノイズは慎重に一歩ずつ後退していく。

 

『aw☆+>ake⇔n▽€〒^^ing#°$a◇gi◎<▼t£o…』

 

 神を畏れる祈り子のように後ずさる。

 

「これがアギトの……真の力なの?」

 

 そして、翼もまた果てしない恐怖心を抱かずにはいられなかった。

 息が詰まるような威圧(プレッシャー)───覇王の如き壮絶な力の奔流を感じて、鳥肌が沸き立ち、絶刀を握る手がガチガチと震えていた。

 自分より格段に強い戦士を前にした恐怖というより、抗えない自然の災厄に巻き込まれた失望に近い感覚を翼は持っていた。

 実際、そうなのだろう。

 彼はもう災厄だ。

 アギトは美しき天災となったのだ。

 止め処なく吹き荒ぶ嵐のような熱風が迸る火の粉を散らし、悪夢のような戦場を彼の黄金の音色で染め上げてしまった。誰も彼から目を離せない。目を離すことを許さない。それが災厄というものだ。

 張り詰めた緊張の静寂を殺したのは(トータス)のロードノイズ。憎悪を振り撒く憤慨の顔に不敵な笑みは残されておらず、獣のように怒鳴り散らしていた。

 

『bakana arienai!! sonoyouna tikara wa AGITΩ deare osaekirenuzo?!?!』

 

『gGuu……korosu koroshiteyaru……shinizokonai no AGITΩ me!!!!』

 

 銅の(トータス)が左足を下げ、鎧の如き体躯を丸く屈める。

 鉄盾のように硬い鰭状の両腕を交差させ、防御と思しき態勢で攻撃の準備を整えた。ドシン、と地面が沈没するような音を響かせ、踏み締めた脚部から爆発的な突撃(タックル)を生み出す。銅色の弾丸の如き強襲が三位一体の戦士(トリニティフォーム)へ撃たれたのだ。

 投擲された鉄球のような殺意に満ちた激しい猛進だった。さながら、ニトロを積んだダンプカーとでも言うべき(トータス)の重圧的な突進が、未だ回避の予兆すら見せないアギトの目前まで迫り───轢き殺さんと直撃した。───が、しかし。

 

『baka na !!??』

 

 アギトはそれを受け止めた。

 避けなかった。

 避ける必要などなかった。

 焔の長剣(フレイムセイバー)嵐の戦斧(ストームハルバート)を交差させて、前へ突き出した二枚の刃が(トータス)の突進を難なく抑え込んでしまった。

 

 ───〝9〟

 

 完全な防御だった。

 その黒き健脚はついに一ミリさえ退くことはない。

 雑音たる亀の猛進(タックル)を受け止めた赤と青の両腕は身震いさえ起こさない。

 赤い戦士(アギト)を吹き飛ばしたはずの凄惨な衝撃はいとも容易く殺され、あろうことか、攻撃をしていたはずの(トータス)は三色の鎧を身に纏った三位一体の戦士(トリニティフォーム)の恐ろしいほどの圧力によって、ズルズルと押し負けようとしていた。

 銅の(トータス)は動けなかった。態勢すら変えられない。心臓を握られたような気分に浸り、ロードノイズは悟った───非情とも言える力の差を。

 

 ───〝8〟

 

 次の瞬間、雷鳴が(ほとばし)る。

 鋭い膝蹴りが銅の(トータス)の顔面を貫いた残響であった。

 弾けんばかりの威力に襲われ、天を仰ぐような無防備な前身を露わにする(トータス)の雑音は瞬きすら許さぬ刹那において、三位一体の戦士(トリニティフォーム)が背中を見せる瞬間を目撃した。

 

 ───〝7〟

 

 回し蹴り───舞い散る桜の華のように華麗な伸身がくるりと回って、得体の知れぬ爆発のような衝撃を重ねた強靭なる蹴りをロードノイズの隙だらけの腹部に捻じ込むように穿つ。

 空間が割れるような音がして。

 銅色の鎧が砕かれる。

 そして、突然の浮遊感。

 (トータス)は二十メートルもの距離を浮遊した。いや、飛翔と表現した方が的確だったかもしれない。テニスボールのように弾かれ、矢のように吹き飛ばされたのだ。その場に偶然居合わせた幾多のノイズを巻き込んで地面に激しく叩きつけられた(トータス)が、辛うじて目にしたものは───。

 

 ───〝6〟

 

 疾走する鬼神(アギト)であった。

 

「ハァァぁぁぁッ‼︎」

 

 アギトは既に駆け出していた。

 彼我の距離は両者の間合いまで縮まっていた。たかが一秒にも満たない一瞬が三位一体の戦士(トリニティフォーム)にとっては必殺に及ぶ時間に変わるのだと知らされる。何たる速力か───その姿はまさに嵐の海に吹き荒ぶ突風の如し。

 銅の(トータス)にできることはただ一つ。

 己の最高の盾たる甲羅でアギトの一撃を受け止めること。

 風鳴翼の剣閃と超越感覚の赤(フレイムフォーム)の炎撃を食らっても尚、未だ傷一つ刻まれていない無敵の甲羅ならば、三位一体の戦士(トリニティフォーム)が如何に凄まじき攻撃を繰り出そうと耐えられるに違いないといった自信がロードノイズにはあったのだろう。

 銅色の(トータス)は鉄壁たる背中の甲羅を見せつけるように立ちはだかった。

 駆ける三色の戦士(アギト)はその手に強く握られた二本の武器を一方向へ剣尖を並ばせるように構える。

 嵐の戦斧(ストームハルバート)の黄金の刃が解放される。

 焔の長剣(フレイムセイバー)の翼の如き鍔が解放される。

 風を切りながら、双刃に宿る烈しい炎の嵐が闇を斬り裂く───!

 

「ハァァ──────ッ‼︎」

 

【ファイヤーストームアタック】

 

 ───〝5〟

 

『──────⁉︎⁉︎⁉︎』

 

 視界が反転していた。

 肉体がずり落ちていく感覚と共にその死を理解する。

 真っ二つだった。

 下半身と上半身をバッサリと。

 無敵を誇る盾の如き甲羅をまるでバターのように易々と引き裂いた炎を纏う剣と嵐を纏う矛。赤と青の双牙。火と風が螺旋を描くように渦巻きながら一つの光刃に合わさり、たった一筋の閃光たる斬撃を(トータス)の最強の甲羅へと振るい落とした。

 すんなりと断ち斬られた。

 甲羅(たて)など意味を成さなかった。

 滑らかな轟炎の剣閃たる軌跡が巨大な剣刃の波となって、銅鎧の(トータス)の盾を頼りにしていたノイズの集団を一匹残らず、業火と烈風による大災害の剣戟に呑み込んで───。

 溢れるような爆散四散の応酬。

 まさに天災。

 破滅的な光景───暴風に煽られた煉獄の炎がアギトの影を蜃気楼のように揺らす。

 上半身だけになった銅の(トータス)は上下を狂わせた世界で、炎と嵐に舞う戦士(アギト)の残心たる背中を最期に───憎き敵を前にして、重力に逆らうこともできず、天の輪っかを地面に叩きつけられ、怨嗟に溢れた悲鳴を声にした。

 

『AGITΩoωΩoO──────⁉︎‼︎‼︎』

 

 爆散───爆炎が戦場を包む。

 その理不尽と呼ぶに値する圧倒的な強さを前に、天羽奏と風鳴翼の両者は言葉を失った。

 あんなもの()()と同じではないか───。

 その強さの代償を目にする。

 二人の目には、三位一体の戦士(トリニティフォーム)が巻き起こした暴虐的な嵐の演舞を背中にしたアギトが流す滝のような血液の赤だった。ぼたぼたと滴る血が腹部から滲み、まるで痛覚など消えたかのように静かな様相を呈した彼の仮面は───ゆっくりとその血を吐き出していた。

 傷口が塞がっていたわけではあるまい。痛みを感じないわけでもないだろう。災厄にまで至る極限の強さは、アギトの肉体を明らかに蝕んでいた。

 

「なんで」

 

 奏にはわからなかった。

 

「どうして、おまえ」

 

 その強さの理由が───。

 

「なんで、そこまでして戦ってんだよ」

 

 その哀れみが彼には届かない。

 憂いに暮れるような時間は残されていない。

 ノイズはまだまだ狩り尽くせていない。面倒な(トータス)も一匹残っている。戦力として数えられる風鳴翼の方も体力が限界に近いのだろう様子が窺える。

 選択肢はない。

 残り五秒で───全滅させる。

 血に汚れたアギトは次なる攻撃を畳み掛けんと炎の剣と嵐の薙刀を再び強く握り締めた。炎の嵐を斬撃として巻き起こす【ファイヤーストームアタック】ならば、大量のノイズを一瞬の内に消し炭へと変えられる。天羽奏と風鳴翼、そして立花響をこの窮地から救うにはこれしかあるまい。

 

 ───〝4〟

 

(もってくれ、俺の肉体(カラダ)ッ‼︎)

 

 仮面の底で奥歯を噛み締めた。

 焔の長剣(フレイムセイバー)の銀刃に踊る炎が宿る。嵐の戦斧(ストームハルバート)の金刃に逆巻く嵐が宿る。天災と化した一撃を振るうべく、力任せに赤と青の両腕をブン回す───!

 ピキリ───と軋む。

 バキリ───と崩れる。

 不愉快な音。

 その瞬間───激痛が走った。

 心臓が爆発したかと疑うほどの突拍子もない激痛は、やがて胎内の臓物が内側から破裂するような筆舌に尽くし難き苦痛へと伝播していく。ブチリと何か大切な糸が千切れてしまう感覚がアギトの動きを止めた。

 生半可な意識では耐え切れない痛み。

 全身から血を流し、挙句は腹に穴を開けた津上翔一にとって、三位一体の戦士(トリニティフォーム)の状態は呼吸するだけで命を焼却してしまう危険な形態(フォーム)である。まさしく、血を歌声として奏でる装者の絶唱と何ら違いはなかった。

 その代償は、彼の命でしか支払えず、一括払いなどできないのだ。

 

「ぁがッ、ぉ…………………」

 

 鉄臭い血の味が口腔内に広がる。

 カランカランと無機質な音が地に虚しく響いた。焔の長剣(フレイムセイバー)嵐の戦斧(ストームハルバート)が痺れるように痙攣する両手から力無く滑り落ちた音だった。

 全身の筋肉が解かれていく感覚───死の足音。

 視界がぼやける。朧げな影が幾多にも重なって、何も見えなくしてしまう。

 乱れた呼吸が徐々に遅くなっていく。空気が不味くて、酸素が取り込めない。

 ピキリ、と鎧に亀裂が入った。

 

『AGITΩ! sono tikara yurusarenu!!』

 

 銀色の(トータス)が吠える。

 何も感知できなくなったアギトは自分が今、立っているかさえ判らない。見えない。聞こえない。何も感じられない。すべてが遠い。

 死に瀕したアギトの不可解な静止を好機と見たのか、(トータス)を先頭にして、大量の有象無象なノイズも一斉に動き出す。このバケモノを殺さんと津波のような勢いでアギトへと襲いかかる。

 

『koko de kiero!!!!』

 

 ───〝3〟

 

 アギト───津上翔一は仮面の下で目蓋を閉じた。

 何も見えない。何も聞こえない。何も感じられない。何も───ない。

 どこまで続く闇の世界───死の時間。

 凍てつくような静寂に包まれて、虚無の狭間を彷徨う。どこまでも闇。渇くような闇。永遠の闇。これが死。

 俺は死ぬかもしれない。もう限界かもしれない。これで全部終わりかもしれない……。

 ───そう、悟ったのに。

 

 闇の中で、燃えていた。

 まだ熱く燃え滾っていた。

 それは津上翔一の〝魂〟───燃え盛る決意。

 彼が出会ってきた少女たちは間違いなく()()だった。作られた映像の中で生きる創作の産物ではなく、血が通った生命(いのち)ある少女だった。泣いたり、笑ったり、怒ったり、悲しんだり。時には苦しみ、時には挫け───それでも手と手を取り合って、互いに支え合いながら、前へと進み続ける誇り高き人間だった。美味しいものを食べたら美味しいと言って笑い、歌が上手と褒めたら嬉しそうに笑う───ただの少女だった。

 どこにでもいる少女の笑顔だった。

 そんな笑顔を守りたいと思ったちっぽけな心だった。

 あの子たちの涙を見たくない。あの子たちの笑顔を奪わせたくない。我儘かもしれない。傲慢な偽善かもしれない。あるいは悪そのものかもしれない。断罪させるべき悪意なのかもしれない。

 それでも間違いではない。決して間違いではないはずだ。

 あの子たちの笑顔が、作り物ではない命ある温かな笑顔が、心が通った優しい笑顔が…………。

 

 ───間違いであってたまるかッ‼︎

 

 津上翔一───アギトは目醒めた。

 何も見えていなかった。何も聞こえていなかった。

 だが、感じていた、熱い胸の鼓動を───!

 止まっていたはずの心臓(ココロ)歌声(スピード)が叫ぶ。冷たい肉体に熱を帯びた血脈が通い、硬直していた筋肉が力強く迸る。その拳を痛いほどに握り締めて、血だらけの声で天へと咆哮する。

 

「ぁぁ……ぐッ、ゔぉぉオオオオオオオオオオオオオオ─────────ッ‼︎」

 

 大気が震えるほどに叫んだ。

 魂が導くままに、命の最期(おわり)を天に響かせた。

 喉がはち切れんばかりの怒涛たる咆哮を轟かせた。

 俺は死ぬかもしれない。だが、俺が死んだとしても、決して奪わせない───罪なき少女の笑顔を貴様ら如きに奪わせはしない。

 その覚悟がアギトの灼熱の双眸に揺るぎない闘志となって宿る。

 

 ───〝2〟

 

 金色(こんじき)たる龍の双角───クロスホーンが解放される。

 天に昇りし黄金の龍が華麗な演舞を踊るように赤と青の両腕が滑らかな弧を宙に描き、赤き右手を前に、青き左手を後ろに添えて、その力を静かに溜め込んでいく。

 力───この世界に無限に溢れる光の束が一つの音色へと調律するように、三位一体の戦士(トリニティフォーム)の両脚へと渦巻きながら収束していく。

 大地に浮かび上がりし龍の如き紋章が眩いばかりに輝き満ちる。

 それはあまりに美しかった。

 残酷なほどに美しい光景だった。

 吹き荒ぶ黄金の嵐。乱れ舞う聖なる獄炎。大地が唄う───祈りの歌。

 

 生命(いのち)の歌よ、響け───神聖なる紋章が光の渦となってアギトの両脚へと吸い込まれる。

 

 そして、()()()()()()は走り出した。

 命も、痛みも、総てを振り切るように悪意に満ちた闇に向かって我武者羅に走る。

 跳躍───茜色に染まる夕日へと舞うが如く跳び上がる。

 回転───胎児のように丸まった黄金の体躯を大空で回転させる。

 解放───闇を照らす黄金の光を宿したその両脚を解き放つ。

 穿て、その悲劇を。

 放て、その必殺技を。

 叩きつけろ、悪を滅ぼす、誇り高き正義の飛び蹴り(ライダーキック)を───!

 

 ───〝1〟

 

【ライダーシュート】

 

 ───〝0〟

 

 パキン、と亀裂が入る音が鳴って───。

 その瞬間、世界は光に包まれた。

 

 

 

***

 

 

 

「…………終わったのか」

 

 世界を包み込んだ破滅的な閃光の終わりを待っていた天羽奏は咄嗟の判断で庇っていた立花響から身を退いて、その燃え盛る戦場の痕を確認した。

 目の前に巨大なクレーターができていた。

 凄惨な輝きを放つ神速のキックが銀色の(トータス)に直撃した瞬間、まさに大災害と呼べるほどの破壊力たる衝撃が嵐の如き光の業火となって、会場に残っていた全てのノイズをその会場ごと破壊し尽くした。

 途轍もない一撃だった。

 奏は反射的に意識を失っていた響を庇う形でその閃光から目を背けたが、凄まじい光の煽りを喰らってしまった風鳴翼はぐったりと意識を手離していた。

 信じられないほどに綺麗で───恐ろしい飛び蹴りだった。

 

「あいつは、どこだ」

 

 まるで、死を覚悟した闘士の雄叫びだった。

 それは死に向かう者の声───。

 頭の中に嫌な予感が過ぎり、奏はやっと動けるようになった身体を酷使して、その黒煙が昇るクレーターへと這いつくばりながら近づいた。

 ライブ会場は原形を留めていなかった。まるで空から太陽が堕ちてきたかのように激しい赤熱が地面をごっそりと溶かして、至る場所に瓦礫と紅炎を燻らせている。この場所で、少し前に、十万人以上の観客を相手に唄を歌っていたなど、今ではとても考えられなかった。

 悲劇だったのだろう。

 少なくとも、犠牲者は出ている。

 だが、天羽奏は生きている。生きていることが不思議で仕方ないぐらいに───彼女は自分の命が疑わしかった。まるで、ここで死ぬ運命(さだめ)を覆されたような……。

 

「──────っ!」

 

 溶鉱炉のような大地の真ん中で───アギトは居た。

 放心しているように茜色の空を仰いでいる。

 赤と青の両腕はだらりとぶら下がり、両膝を焼けた土に染み込ませたまま微動だにしない。肩に呼吸の動きがなかった。時間が止まってしまったように指一つとして動かしていない。

 様子が変だ。

 嫌な予感がする。

 焦燥に駆られて天羽奏は半ば折れかかった神槍(アームドギア)を杖代わりに、黒ずんだクレーターを危ない足取りで(くだ)っていく。荒れ果てた地面から剥き出しになった瓦礫に何度も躓きながら、アギトの背面───その仮面が辛うじて確認できる位置にまで到達する。

 

「おい⁉︎ 大丈夫なのか、お前っ!」

 

 返事はなく。

 カラン、と───虚しく響き渡る。

 

「………………?」

 

 何かが落ちた。

 小さな赤い破片───砕け落ちていた。

 仮面だった。まるで、涙を流すように紅の複眼が破片となって零れ落ちたのだ。

 砕け散った破片は右目のものだった。赤い結晶がアギトの膝下に散らばっているが、彼はそれにすら頑なに反応を示さない。安らかな眠りに身を委ねているかのように何も感じていない。

 呼吸すらない。静かな───人間(ひと)

 サッと血の気が引くように深い悲嘆の想いに支配された。

 確かめないと───他でもないこの私が───。

 奏は意を決して、ゆっくりと割れてしまったその仮面を覗き込んだ。

 その仮面の奥に隠れた真実を確かめるように。

 

「……………………」

 

 言葉など見当たらなかった。

 声など出せるはずがなかった。

 アギトは怪物である。アギトは人間ではない。

 そう思い込んでいた。

 しかし、そこにいるのは誰だ。

 今そこで命を終えようとしている()()は、どこの誰だ。

 

「おまえは……津上翔一……」

 

 あの時の青年───病院で偶然に出会った通りすがりの青年。

 津上翔一。

 たった数時間の出会い。

 短い時間だった。なのに、それだけの時間で彼がどれほど優しい人間なのか、奏にはわかってしまった。

 子供らの小さな歩幅を合わせて、低い目線に合わせて、その幼い心に寄り添って、柔らかな笑顔を絶やさずに優しく語りかけていた青年は───奏の目に憧憬を持つべき人格として記憶にしっかりと刻まれていた。

 よりにもよって、この青年が。

 正義など無いと断言した青年が。

 誰よりも傷ついて、誰よりも戦って、誰よりも命を救って───誰よりも()()()()()だった。

 皮肉なんてもんじゃない。こんなのは悲劇だ。

 玉藻のように溢れた大粒の涙が奏の頬を流れ落ちた。枯れ果てた大地のように幾多の亀裂が走る鎧に覆われたその手に、壊れないようにそっと触れる。温もりなど───どこにもなかった。

 

「おまえ、なんで……なんで、おまえッ‼︎ ()()()()なるまで戦ってんだよ‼︎」

 

 アギト───津上翔一の肩を激しく揺さぶった。泣きながら叫んだ。返事を求めても、何も返ってこない。その目に光は宿っておらず、脈打つ心もなく、魂を手離した(むくろ)と変わらず───それでも彼女は涙に震わせた声で必死に叫び続けた。

 

「痛いなら痛いって言えばいいだろ⁉︎ 苦しいなら苦しいって言えよ‼︎ 自分だけ傷ついて、他のみんなが救われればいいとか思ってたのか───そんなの一番良くないだろッ‼︎」

 

 この男なら、きっと臆面もなく、そう言い切るに違いない。

 正義という大義名分に甘えなかった、この男ならば。

 生命(いのち)を守ることを正義と断ずることなく、失われるはずの命を守るために、死力を尽くして、今まさに朽ち果てようとしているこの優しい青年ならば───己の命を投げ捨てるに決まっている。

 それはなんという悲しみか。

 溢れて止まない雨粒が焼け焦げた地面へとぽつぽつと落ちいく。この青年が味わってきた苦しみが、わかるはずもないのに、同情などできるはずもないのに───痛くて、痛くて、どうしようもなくて───無我夢中で呼びかける奏は胸が締め付けるような苦しみを感じていた。

 そして、()()()()に気が付いた。

 狂おしいほどに切ない現実だった。

 

「おまえ……ッ」

 

 誰よりも戦った。

 誰よりも傷ついた。

 正義の味方───仮面ライダー。

 何の起伏も滲ませない人形のような仮面がずっと隠してきたもの───それは笑顔が似合う青年の一筋の涙であった。

 ()()()()()のだ。

 血だらけだった。傷だらけだった。砕かれた仮面はほんの一部で、垂れ下がった前髪に隠れた意思無き虚な右目が辛うじて見えるだけの割れ方をしていただけにもかかわらず───見えてしまった、その涙が。

 肉が削がれ、血が真っ赤に滲み、目を伏せたくなるような痛々しい生傷に覆われた苦悶の表情に、たった一筋の涙を頬に(つたわ)せて───。

 誰にも気づかれぬように泣いていた。

 泣きながら、傷ついて。

 泣きながら、戦っていた。

 

「おまえ、おまえ……ッ!」

 

 痛かっただろう。

 辛かっただろう。

 苦しかっただろう。

 

「なんで、私たちを助けたんだよ……ッ!」

 

 なのに、彼は───アギトを敵と見做(みな)していた装者の命さえ、自分の命を捨ててまで守り抜いた。

 何の見返りもなく、何の拠り所もなく、想像を絶する苦痛を独りで耐え忍び、何度も何度も人々に救いの手を差し伸べてきた。自分に差し伸べられる手など、ありはしないのに───その手をひたすら守り続けた。

 仮面ライダーとして───孤独に戦って。

 どれだけの涙を押し殺して。

 どれだけの癒えぬ傷痕を仮面で覆い隠して。

 どれだけ平気な顔をして、笑っていたのだろうか───。

 

「泣いちゃ……ダメ、だよ、奏ちゃん……」

 

「───ッ」

 

 突然のことだった。

 焦点の合わない瞳がゆっくりと動いた。

 しかし、それは言葉とすら認識できないほどの(かす)れた脆弱な声であり、生気など微塵も感じさせない惨劇だった。

 少女の涙を拭ってやる力さえ、無くて。

 声すら出せているのか、よく解らなくて。

 消えゆく灯火を残香のように───虚しく奏の心に響く。

 

「奏ちゃんの歌は……人を元気する……太陽みたいな……すごい歌なんだから……」

 

 きっと、それは本心で───理由だった。

 

「俺も……がんばろうって……元気づけられたから、さ……」

 

 泣いている少女を優しく元気づけるように───最期の力を振り絞って。

 仮面の奥───血塗れの顔。

 傷ましいその表情が薄っすらと微笑んで。

 笑って───穏やかに。

 温かい笑顔で、終われるように。

 

「また、歌ってよ……いつもみたいに、楽しそうに……」

 

 俺はもう聴けなくてもいいから。

 君の声を頼りにしている人たちへ。

 どうか、これからもその歌を届けてほしい。

 人を笑顔にする歌声を───優しい歌を。

 

 それが津上翔一の最期の願いなのだから。

 

「きみの、うたを…………うたっ、て…………………………」

 

 まるで、深い海へ沈んでいくように。

 安らかな眠りを誰にも邪魔されぬ海底へと落ちていくように。

 緩やかな呼吸を止めて───心臓が動かなくなって。

 その命を休ませて。錆びついた心を休ませて。

 眠るように、終わるように。

 ゆっくりと───死ぬ。

 優しい微笑みが冷たいものへと変わる。

 彼はもう何も語らなくなった。何も持たない死者のように空虚な肉体だけがそこにはあった。魂のない抜け殻が───置かれていた。

 天羽奏は、津上翔一の命が尽きる瞬間を目撃した。

 命が終わるその瞬間を───死の瞬間を見た。

 

「おい……死ぬな……死ぬなっ‼︎」

 

 叫んで、泣いて、苦しくて。

 彼女の声は届かない───それはただの死体であったから。

 届くはずのない声が冷酷な現実を物語る。

 

「ふざけんなっ‼︎ 勝手に死ぬんじゃねぇ! まだお前には聴かせてやりたい歌があるんだ! 言いたいことだって、伝えてことだってッ‼︎」

 

 まだまだ沢山ある。

 まだまだ数え切れないぐらいに。

 歌だって、まだちゃんと聴かせてやれていない。御礼だって、何一つとして言えちゃいない。何もできていない。何も伝えられていない。

 なのに───彼女の願いは聞き入れられない。

 ついに天羽奏は泣き崩れて、彼の亡骸へ懺悔するように嗚咽だけを繰り返す。

 

「だから、死ぬなよ……仮面ライダーなんだろ……あの時みたいに、また笑って私の歌を聴いてくれよ……ッ!」

 

 屍に呼びかける。

 声なき死者がまた笑ってくれると信じて、嗚咽混じりの声で懇願する。

 

「死なないでくれよ……頼むから……お願いだから……死なないでくれ、翔一……ッ!」

 

 ぽつりと涙が跳ねて、夕暮れの影法師が二人に重なった。

 嘆き悲しみに暮れた戦姫の涙が大地を潤すように零れ落ちる。嗚咽は止まらなかった。哀しみは終わらなかった。

 ただ、泣きじゃくることしかできなくて。

 祈るようにして、信じてもいないはずの神様に両手を合わて、額を地面に擦り付けた。

 

「神さま、どうか、こいつを連れて行かないでやってくれ……! 頼むから、何でもするから……お願いだからッ!」

 

 津上翔一を死なせないで───。

 祈りは届かない。届くはずがない。神と呼ばれる存在など何処にもいないのだから───彼女の祈りを聞き届ける存在は地球というこの星には、もう存在していないはずなのだから……。

 だから、それはとんでもない偶然なのだろう。

 神ではなくとも、そこには神に最も近い天使がいたのだから。

 

 ───救いたいか。

 

 その声を聞いて、思わず奏は赤く腫れた顔を上げた。

 辺りに人などいなかった。

 不格好に泣き喚く自分と死した仮面の戦士だけ。

 真っ赤な夕日を背中にした津上翔一の亡骸だけがここにはあった。

 

 ───救いたいかと聞いている。

 

 だが、確かに何者かの声は彼女の心へと届いていた。

 

「だ、誰だ……どこから見て」

 

 いや、そんなことはどうだっていい。

 

「救いたい」

 

 もう何だっていい。

 

「救いたいに決まっている!」

 

 津上翔一は天羽奏を命を代償に救ったのだ。

 天羽奏が津上翔一を救いたいと願わずして、誰が願うのだ。

 彼女の真っ直ぐな覇気に声の主は少し満足そうにして───強く問いかける。

 

 ───ならば、もう一度だけ、神の槍たる破片を持つ乙女よ、汝に問おう。

 

 聞くもの全てを萎縮させるような圧を放つ声だった。

 まさに神託を受けているような感覚。

 もしかしたら、私は神のようなものと対話しているのかもしれない。

 鋭い脅迫のような口振りで───声の主は続けた。

 

 ───その男を救いたいか。

 

 考えるまでもなく、天羽奏は力強く何度も頷いた。

 

「救いたい。救いたいッ! こいつを救えるなら、なんでも、なんだってするッ‼︎ 私にできることなら何でもしてやる! だから、こいつを助けてやってくれッ‼︎」

 

 神でも悪魔でも何であっても構わない。

 縋れるものなら、何だって縋る。

 この現実を覆せるのならば、天羽奏は誰にでも魂を売り渡そう。

 その決意を悟ったのか、神々しい声の主は柔らかな聖歌を奏でるような美しい音色を秘めた声で彼女に語りかけた。

 

 ───ならば、歌うがいい。

 

 歌を歌え───と。

 天使のような穏やかな声はそう言った。

 

 ───歌うのだ、想いを込めて。

 

 ───その者の為に、(はじまり)の歌を。

 

 歌を聴かせるのではなく、歌を届けるのだ。

 想いを乗せて───歌うのだ。

 

 ───絶唱(ウタ)を歌え。

 

 

 

 

 茜色の空の下───。

 血の通った歌が聞こえていました。

 命を燃やすような歌が響いていました。

 穏やかな歌声はどこか悲しくて───痛くて。

 泣いているような歌でした。

 ああ、でも……。

 この歌はきっと、誰かの為に歌われるんだと思いました。

 心の傷をそっと癒すように。

 孤独な思いに寄り添うような。

 優しい歌なんだろうな……。

 届けばいいな。

 届いていればいいな。

 私もいつかはこんな優しい歌を歌えるようになれるかな。

 ねぇ、その時はちゃんて聴いてね、翔一さん。

 私はずっと待っているから───。




紛い物の仮面ライダーが本物を守ろうと必死に足掻いたお話。
【アギト-過労-編 〈完〉】




これでやっと休めるお・・・(˘ω˘)スヤァ
火のエル「おいおいおい」
風のエル「死んだわ、あいつ」
地のエル「ほら立て残業な」
オリ主「ウワアアアアアアアアアァァ(絶叫)」

Q.過労編が終わるとどうなるんです?
A.残業編が始まる
Q.原作が始まるとどうなるんです?
A.オリ主が死ぬ
Q.もしかしてシリアス続きます?
A.オリ主が物理的に引き継ぎます
QED.つまり、オリ主は死ぬ(ハイパー無慈悲)


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GILLS-残業-編(本編)
♪04.Armour Zone


ゼロワン観てテンション上がって書いたけど、テンション上がって書きましたって内容じゃなかった。
【ギルス-残業-編〈開幕〉】


 ライブ会場の惨劇───。

 大人気ボーカルユニット『ツヴァイウイング』の公演中に起きた認定特異災害・ノイズの大量発生の一件は世間に大きな傷痕を残した。

 およそ十万人にも及ぶ観客や関係者が居合わせたライブ会場は突如として出現したノイズの大群によって大混乱に陥ったという。ノイズによって灰となって崩壊させられた者、我先にと逃げ惑う人々の波に呑まれて負傷した者、そのまま運悪く亡くなった者。人類殺戮に長けたノイズの被害はやはり大きかった。

 大惨事となったこの事件───その犠牲者。

 行方不明者と死傷者を合わせて───1874人。

 たった()()()()───この数字は異例だった。

 10万人という凄まじい人数が生み出した大混乱は1万人以上の犠牲者を出すに足りる大規模な災害であったと後に専門家は口にした。それが2000人にも満たない犠牲者で済んだと言うのは奇跡に近い僥倖だった。

 後々の調査から、ノイズ発生による人的な二次災害は極めて少なかったということが判明した。十万の命を孕んだライブ会場は恐怖と混乱の坩堝と化し、誰もが我が身の命のために、他人を蹴落とす心理に至る地獄のような空間で───。

 人々は節度ある避難をしていた。

 もちろん、ノイズの恐怖によって支配された人間の荒波のような避難は少なからず死傷者を生んでいる。だが、それは予測された膨大な犠牲の数とは一致しないごく僅かなものであった。何より、避難経路を巡る暴行などの───ノイズ発生の際に見受けられる他殺による被害は0だったと言う。

 1874人の犠牲者には申し訳ないが、これは奇跡だと誰もが思った。

 少なくとも、多くのメディアはそう取り上げた。

 一万人以上の犠牲が予想された大惨事の裏側には何が───いや、誰がいたのか。

 生き残った人々は口々にこう言った。

 仮面ライダーが来てくれた。

 仮面ライダーが助けてくれた。

 あるいは───。

 仮面ライダーが来ると思っていたから焦らなかった。

 仮面ライダーなら何とかしてくれると信じていたから暴動は起きなかった。

 仮面ライダーは来る。だから、彼を待っていた。

 誰もが正体不明の正義の味方(ヒーロー)の存在を信頼して疑わなかった。その異常とも言える心理───ノイズという脅威を前にして、その場の誰もが彼の登場を確信していた。

 未確認生命体第二号───『仮面ライダー』

 ノイズを狩る未知の生命体。

 いつ如何なる時でも、人々の平和を脅かすノイズが出現すれば、黄金のバイクと共に颯爽と駆けつけてくれる正義のヒーロー───それが仮面ライダー。

 ライブ会場の惨劇は、仮面ライダーの尽力によって、最小限の被害に抑えられた。

 とはいえ、悲劇の傷痕は深い。

 ライブ公演をしていた『ツヴァイウイング』の一人───天羽奏。

 彼女もまた犠牲者の一人と言えよう。

 命に別状はなかった。

 しかし、彼女は意識を未だに取り戻さない。

 眠り姫のように安らかな顔で植物のように生きている。まるで、魂だけを抜き取られたかのような状態のまま、彼女は眠り続けている。

 来たる日を待ち詫びるように───眠る乙女。

 そして、彼女の命を守り抜いた仮面ライダーは───その日を境に姿を消した。

 

 

***

 

 

 ライブ会場の惨劇から三日後───。

 

 都内の地下水道。

 じゃぶじゃぶ───と。

 鼻孔を抉るような汚臭に包まれた下水道を一人の青年が荒い息遣いで壁伝いに進んでいた。

 汚泥に塗れた水に浸された果てしない闇の筒の中を彷徨う彼の目は虚を宿し、呼吸すら不規則なまま、ふらついた足で真緑の水を掻き回すように動かしている。

 青年は酷く衰弱していた。

 意識は朦朧として、彼の肉体は意思に反するように軸を失っていた。

 汚物に澱んだ空気を吸えば、それだけで嘔吐しそうになるが、彼の場合は呼吸そのものが辛辣なまでに痛くて───生きているだけで死ぬほどに苦しい。

 息苦しくて、辛くて、熱くて熱くて、どうしようもない。

 虚無の瞳が睨む───水面に佇む己の姿。

 それは()()()()

 悍しい悪魔の居姿が幻覚として脳裏に過ぎり、顔面を蒼白とした青年は恐怖の絶叫を辞することができなかった。緑色の怪物が青年の影を覆い尽くさんと狙っている。そのような強迫観念が絶えず彼の精神を蝕んでいた。

 喰らえ、喰らい尽くせ───。

 耳障りな悪魔の囁きが呪詛のように脳を掻き乱して、反芻するように頭へ響く。それは耐え難い狂気となって青年を苦しめる。

 喰らえ、喰らえ、喰らえ、喰らえ、喰らえ、喰らえ。

 喰い尽くせ───目を醒ませ!

 

「やめろ……やめろやめろ……ッ」

 

 青年───津上翔一は逃げるように汚水の中を不格好に走る。

 ばしゃばしゃ───と。

 汚泥に足を取られて、大きく躓き、穢れた汚水を全身に浴びる。それでも気に留められない。怖くて、怖くて怖くて───逃げ出した。這いつくばって、焦るように逃げようとした。だが、その足を掴むように痛みは襲ってきた。

 ひっくり返った昆虫のように踠き苦しむ。

 身体を貫く異質な激痛が凄まじい炎症となって、肉体の内側から炙られる感覚───嘔吐と呻き声。汚い水面を無我夢中で殴りつける。

 彼の内側から何か得体の知れない怪物(モノ)が腹を食い破って、這い出ようと踠いているような錯覚が───いや、錯覚などではない。厳かに真実味を帯びた激しい痛みから逃れるために、喉奥から溢れる血反吐を声に叫んで紛らわせようと努力した。

 その声すら───痛い。

 喰らえ、喰らえ、喰らい尽くせ───。

 悪魔の声は止まらない。彼が弱り果てる機会を今か今かと待ちわびるように、気味の悪い呪詛は鳴り止まない。

 喰らえ、喰らえ、喰らえ、喰い殺せ───!

 

「なんなんだ、チクショウ……がッ……ぁぁぁ……」

 

 血の味がした。口腔の中に広がる甘美な味覚。溶けてしまいそうな激しい獣の誘惑───突如、芽生えた狂気に翔一は無心で頭を振った。

 俺じゃない。俺じゃない。これは俺じゃない。

 自分が自分でなくなる恐怖に耐え切れず、半狂乱のまま、縋る思いで額を壁に殴るように叩きつけた。額から一筋の血が鼻の輪郭に隔たれて、静かに流れていく。

 その匂いに酔った。

 喰らえ、喰らえ、喰らえ───。

 

「血が……ぁぁ……肉がぁッ……はァァ……」

 

 口元から大量の涎が滴る。空腹───顎が癇癪を起こすように()()()()と音を立てる。額から垂れ落ちた血液を舌で舐めると、それだけで人間としての意識が揺らいでしまう。

 恐怖に耐え切れず、また走り出す。ここが何処なのか、記憶にあらずとも、彼は本能の赴くままに無心で足を動かした。

 なぜ、生きている。

 俺は死んだ。力尽きて死んでしまったはずだ。

 なぜ、傷一つない。

 俺は瀕死の重傷を負っていたはずだ。腹を貫かれていたはずだ。なのに、なんで何もかも無くなっているんだ。

 彼の肉体に、外傷と呼べる痕はまるで無かった。致命的な一撃を食らった腹部にも瀕死の重傷は何も残されておらず、ただ、肉体を蝕む未曾有の激痛だけが(ほとばし)る。

 理解が追いつかない───不可解な生存。

 ここはどこだ。なんで俺はここにいる。なぜ生かされた。なぜ生きてしまった。

 俺のカラダを蝕んでいるのは───何だ。

 

「なんで、なんで……いないんだよ……エルさん……ッ」

 

 火のエル。

 地のエル。

 風のエル。

 津上翔一の肉体に憑依していた三体の超越生命体であるエルロードは居なくなっていた。その圧倒的な存在感───翔一の身体から忽然と姿(チカラ)を抹消していた。翔一にとって、これは異例の事態に他ならない。彼らは常日頃から翔一を監視するように、その目を鋭くして、彼を戦いを見守っていたにもかかわらず───。

 居なくなった、彼の肉体(カラダ)から。

 突然、何の別れもないままに。

 それはあまりに苦痛だった。想像以上の苦しみだった。記憶喪失の津上翔一が今まで何とか平静を保てていたのは、三体のエルロードの存在が大きい。彼らが如何なる怪人であれ、共に生きて、共に戦った、津上翔一と最も近しい間柄であったが故に、彼らの喪失は翔一の心をいとも容易く不安定な状態へと陥れた。

 

「なんでいなくなっちゃったんだ……なんで、なんで」

 

 ぽっかりと穴が開いたように───孤独感。

 その孤独な心を抱いた胸を穿つように憎悪の声が響き渡る。

 喰らえ、と───。

 邪悪な悪魔が冷笑を浴びせながら、津上翔一の虚無を象る伽藍堂の心へ入り込むように、娼婦のような甘い声で誘惑する。

 喰らえ、喰らえ、喰らえ、喰らえ、喰らえ。

 喰らい尽くせ、嬲り殺せ、暴れ回れ。

 お前は自由だ。鎖から解き放たれた(ケダモノ)だ。何人たりともお前を止めることなどできない。欲望のままに喰らうがいい、それがお前の力───〝堕天の獣(ネフィリム)〟なのだから。

 

「ァあ……がぉ……は……ッ」

 

 苦痛に満ちた呻き声。

 胸を引き裂かれるような痛み。

 何か恐ろしい獣が───この身体から解き放たれる。

 頭が割れてしまいそうだった。

 意識が硝子のように砕けてしまいそうだった。

 頬を冷たい壁に叩きつけ、そのままズルズルと崩れるように汚水の中へと身体を浸す。爪を立てた指先が赤い痕を残す。涎がこぼれ、鼻息は荒く、目はいよいよ正気を失い───獣に呑まれる。

 

「ぁぁ……アァァアアアアアアァァァッ⁉︎」

 

 喰らえ、喰らえ、喰らえ───。

 お前はバケモノだ。望まれぬ不完全な怪物だ。命を貪る異形の生物だ。誰もお前を認めない。誰もお前を赦さない。

 さあ、喰らえ、堕天の獣(ネフィリム)よ。愚かな堕天の獣(ネフィリム)よ、腹が空いただろう。目を覚ます時だ。夢から覚醒(めざめ)る審判の日が来たのだ、暴食たる堕天の獣(ネフィリム)よ。

 肉を喰らえ。血を啜れ。生命を蹂躙しろ。

 それがお前の在り方だ。

 おお、堕天の獣(ネフィリム)よ、もう人間には───戻れんぞ。

 

「黙れ……ッ! 喋るな……耳障りでッ! 俺は……俺を……ぉ、ぉお、俺を呼ぶなァァァァァァァァァァァァァッ‼︎」

 

 瞬間───その手から金色の鉤爪が皮膚を突き抜ける。

 手の甲を突き破り、殺意に満ちた禍々しい鉤爪がぴくぴくと蠢き、その爪先から得体の知れない粘液を垂らしている。

 それだけではなかった。

 頭蓋骨を食い破るように二本の短い角が伸びて、彼の人間としての形を奪うように全身の筋肉が忌々しい悲鳴じみた残虐な音を響かせる。ゴキッ、ゴキッ───と骨格が軋み、その体躯は深い緑色の筋肉へと変質する。彼の瞳は血よりも赤い真紅の双眸へと変わり、その牙は血肉を食らう悪魔のように鋭く歪む。

 その忌々しき()()を拒むように翔一はその場で暴れ回った。

 水面(みなも)に佇む悪魔が(わら)う。

 重なる影が───津上翔一を覆う。

 激しい水飛沫を撒き散らしながら、肉体の突然変異に抵抗する翔一の黒く澱んだ皮膚に覆われた腰部に金色のベルトのような変身器官が現れると───彼は闇に吠えるしかなかった。

 

「ぉ、ぉお……ォォ……オォオオッ」

 

 超因子(メタファクター)───賢者の石が鼓動する。

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ッ‼︎」

 

 まさに、悪魔の咆哮であった。

 忌まわしい怪物の産声であった。

 深緑に覆われた異形の獣───呪われし生命体〝ギルス〟が覚醒した。

 ギルスは獰猛な荒い息を撒き散らし、その萎縮された双角(アントラー)を触覚のように振動させて、獲物を探るように、汚物に紛れた匂いを嗅ぎ分ける。

 そして、疾走する。

 血を求めて───本能。

 獲物を定めた豹のように身を屈めて、恐ろしいほどの俊敏な脚力で(ギルス)は下水道を駆け抜けていき、そして───。

 

「■■■■■■■■■■ーッ‼︎」

 

 その殺伐とした鉤爪を振り下ろした。

 

 

 

***

 

 

 

 ぐちゅり、ぐちゅり───と。

 それは咀嚼していた。

 辺り一体───錆びついた下水道の暗闇は黒い煤で包まれ、殺戮という言葉より凌辱と表した方が的確であろう惨たらしい死骸となって転がる無数のノイズがその惨劇を物語る。腹を引き裂かれ、頭を踏み潰され、四肢をもがれ、暴力の限りを尽くされて弄ばれた残虐な終局をノイズは迎えていた。

 だが、それだけではない。

 ぐちゅり、ぐちゅり───。

 煤へと自壊するはずのノイズの脚を蟹の手足を捥ぐように引き摺り出して、それを容赦なく喰らう異形の怪物がいた。

 肉に(かぶ)りついて、引き千切るように咀嚼───。

 彼の手に触れられたノイズは自壊することすら不可能となり、その肉を貪られるまで死ぬことすら許されず、死罪を座して待つだけの咎人と成り下がる。ぶよぶよとした身体を千切られ、細長い脚を折られ、顔を悪魔のような牙で砕かれた。それでもノイズは自壊を許されない。それは食料。あるいは家畜。喰らい尽くされるまで死ぬことはできない。

 (ギルス)に喰われるまでは───死ねない。

 ぐぢっ、ぐぢゅり、ぐぢゅり───と。

 ギルスはノイズを喰っていた。

 凶暴な牙はノイズの無機質な血肉を噛みちぎり、()()()()と咀嚼して、無心でその喉へと押し込んでいく。世にも恐ろしい光景であった。災害(ノイズ)を喰らう生命体など、人類の歩んできた長期に渡る歴史の中で存在していただろうか。否───それは神の時代である。

 天の者と人の子が産み堕とした───暴食の獣。

 互いに殺し合い、共食いを繰り返し、それでも飢えて、見境もなく、節度もなく、ただ本能が為すべくして赤い双眸が見つめる(モノ)すべてを喰らい続けた───神代の悪たる猛獣。

 堕天の獣(ネフィリム)───またの名を〝ギルス〟

 

「■■■■■■■■■■■■■■ッ‼︎」

 

 響き渡る咆哮───。

 ノイズを粗方その胃袋に押し込んで満足したのか、邪悪なる(ギルス)は感情表現に乏しい雄叫びを吐き散らし───。

 突然、頭を押さえる。

 苦痛に踠き始める。

 ついに異形の怪物は崩れ落ちるように地面に倒れ、深い海底で溺れるように手足を乱暴にばたつかせて───果てない苦痛を経て、禍々しい肉体は溶け落ちていくように変わる。

 深緑の皮膚は肌色へと変色し、鬼のような双角が伸びる頭部から毛髪が生え、真紅の複眼は役目を終えたように青年の顔へと戻っていく。

 

「──────がはッ」

 

 血反吐の塊が飛び出た。胃が拒否したのか───消化不良を起こしたノイズの塊だった。

 

「ぉ……おお、俺が……ぎ、ギルス、に……っ⁉︎」

 

 津上翔一は信じられないと目を丸くして驚いていた。

 彼はその存在を───『仮面ライダーギルス』と呼ばれる戦士を知っていた。だからこそ、余計に頭が理解を拒んでいた。

 だが、今は驚愕に浸る時間ではなかった。

 確かめるように両手の掌を見つめると───既に変化は起こっていた。

 老化現象───ギルスの後遺症。

 年相応に骨張った手は今や枯骸(ミイラ)のように水分も栄養素も根こそぎ奪われて、枝のように細くなった骨と皮だけの不気味な腕と成り果てていた。いや、腕だけではない。津上翔一の肉体は余すことなく急激な老化を経て、足も、胸も、顔も、生命が死に急ぐように───老いる。

 彼は木乃伊(ミイラ)となっていた。

 それも息のある木乃伊───生きた死骸。

 

「ぁぁぁ……ッ⁉︎ が、がァァ……⁉︎」

 

 舌が動かせない。内臓が潰されている。骨が砕かれている。

 なのに───死なない。

 ()()()()

 彼の肉体が途轍もない代謝を繰り返し、尋常ならざる速度で細胞の再生を行なっている。渇き果てた肉体にまだ血脈が通っているのはそのせいだ。()()()()。ギルスによって破壊された肉体が、ギルスによって再生される。恐ろしいほどに暴力的な循環が翔一の肉体で繰り広げられていた。

 途方もない───痛み。

 何もできぬまま、喘ぐことすらできず、ただ耐えることしかできぬ拷問のような時間を過ごして───およそ三時間。

 やって動けるようになった翔一は無茶な再生能力によって底上げされた新陳代謝の対価として今度は鉛の如く重たい疲労感に襲われていた。

 地下水道の隅で、怯えるように膝を抱えて座る。

 地獄だった。

 地獄のような時間だった。

 生きた心地などまるで無い。

 今こうして正気を保てているのが、不思議なくらいに……。

 

「もう戦えない」

 

 自分に言い聞かせるようにそう告げた。

 

「でも、俺はノイズを食らって……ギルスはノイズを食べたがっている……」

 

 それは彼に宿った(ギルス)の本能であれば、翔一は逆らうことなどできない。

 

「耐えられるのか、独りで」

 

 頼れるエルロードはもういない。

 津上翔一が一人でも戦ってこれた理由───その大天使たちは何処にも居ない。

 この光なき無限の地獄で孤独に戦えるのか。

 醜悪な痛みを噛み殺して、ひとりで守り続けられるのか。

 仮面ライダーギルスとして───この世界で生きていけるのか。

 

「………………」

 

 翔一は首を振る。

 無理だ。できっこない。俺はただの人間なんだ。過去の記憶すら持たない無垢な一般人に過ぎないんだ。過酷な運命に立ち向かえるような強い人間じゃない。俺は弱い人間で───。

 俺はただの人間でありたいんだ。

 そう言いたかった。はっきりと口にしたかった。

 なのに───彼は懲りずに願ってしまった。

 まだ守らなくてはならない笑顔(もの)があったから───願わずにはいられなかった。

 俺に勇気をくれ、と───。

 一筋の勇気を。地獄に耐えていける勇気を。再び立ち上がれる勇気を。

 仮面ライダーとして一人でも戦っていける小さな勇気を───。

 

 ───ひとりじゃないって。

 

 彼の願いは届く。

 その想いを優しく抱き締めるように───()()は応えた。

 

「そ、そそ、その声……まさか……」

 

 ───へへっ、驚いたか。

 

 闇を照らす温かな光となって、かつての大天使と同じように、彼女の優しい声は彼の脳裏に響き渡っていた。

 有り得ない。何がどうなって───何もわからない。

 ただ、その声を───彼が命をかけて守り抜いたこの声に励まされるのならば───津上翔一はどんな苦痛も耐え抜いて、どんな地獄を駆け抜けて、きっと戦っていけるのだろう。

 それがとんでもない不幸であったとしても───動き出した運命は誰にも止められないのだから。

 

「か、かか、かな……(おっぱい大きい方)ちゃんっ⁉︎」

 

 ───おう、表出ろや。

 

「出口わかんない!」

 

 ───一生そこで突っ立ってろ、変態っ!

 

 ……多分。




この作品はギャグです(鋼の意志)

『多々喰わなければ生き残れない!(生き残れるとは言っていない』


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♩.俺はギルスでボドボドかもしれない。

お手元のフィルターは正常です。


 ライブ会場の惨劇から二年───。

 世界は依然として認定特異災害たるノイズの脅威に怯えていた。

 何の予兆もなく突如として此の世に現れ、その場に偶然居合わせた罪なき人々を炭素の塊へと無差別に変えてしまう理不尽な怪物。それがノイズ───死を呼ぶ雑音。

 ノイズが纏う位相障壁と呼ばれる不条理な防御膜は人類の叡智たる兵器を一方的に無効化し、ノイズの排除には必ずしも多大なる被害を強いられることになる。人々は恐怖で逃げ惑い、兵士は死を覚悟して銃を握る。嵐が過ぎ去るのを祈りながら待つように、奴等が自壊するのを待ちわびるしかない。それが認定特異災害に指定されたノイズの恐ろしさだった。

 出会うことが死を意味する不幸の災厄───〝ノイズ〟

 かつて、それと孤独に戦い続けた者がいた。

 赤と金に彩られた龍の顔を模したバイクに跨り、地獄と形容すべき戦場に颯爽と現れては、本来ならば有り得ない格闘戦(インファイト)で触れることすらできないはずのノイズを尋常ならざる力をもってして駆逐する正体不明の正義の味方———未確認生命体第2号。

 またの名を『仮面ライダー』

 彼を希望と呼んだ者がいた。彼に恐怖を抱いた者もいた。

 それでも人々は心の奥底で仮面ライダーを信じていたのだろう。ノイズによる年間被害者の総数は、未確認生命体第2号によって、極めて少数に抑えられ、二次被害による死傷者さえ彼の存在が歯止めとなって、限りなくゼロに近い数字を保っていた。

 仮面ライダーと呼ばれた存在。

 いつ寝ているのか。いつ休んでいるのか。いつ戦っていないのか。

 そんな心配がネットを中心に仄めかされるほど、未確認生命体第2号はノイズと絶え間ない激闘を繰り広げていた。

 そして、二年前───有名ボーカルユニット『ツヴァイウイング』の公演中に起きた大量のノイズの襲撃事件によって、彼の戦いは幕を閉じた。近年で最も多くの被害を生んだ惨劇───1874名に及ぶ死者、意識不明となった『ツヴァイウイング』の天羽奏───人々はその惨劇を嘆くことしかできなかった。

 そして、その悲しみに拍車をかけるように───。

 未確認生命体第2号───仮面ライダーはライブ会場の惨劇の後、その姿を見せなくなった。

 まるで、世界から消えてしまったかのように、高らかなエンジン音もろとも忽然と居なくなった。溢れるノイズの息の根を止めるべく、バイクと共に急行していた金色の戦士の姿は───どこにもなかった。

 多くのメディアは未確認生命体第2号の死を報道した。

 知的生命体として考えられていたものの、まさか、同じ人類に属するものとは思われていなかった故───ノイズ殲滅に勤しんでいた未確認生命体第2号の突然の活動の停止は、彼の死によって、やっと理由付けられるものだったのだ。

 ライブ会場の惨劇で───仮面ライダーは力尽きたのだ。

 そう思われて───多くの人々は嘆き悲しんだ。無論、得体の知れない化け物が死んだと安堵した者も少なからずいた。だが、それ以上に、未確認生命体第2号が人為的ではなかろうと、間接的であろうと、ノイズを殲滅する彼の尽力によって救われた人間は数え切れないほどに溢れている。中には、彼の手によって()()〝助けられた〟と口にする者も多く存在していた。

 多くの生命を救ってきた正義のヒーロー『仮面ライダー』の死。

 結局、その正体は永遠に謎のまま───誰に看取られることもなく、彼は孤独に果てたのだった。

 悲しみが世界を覆った。もうノイズと戦える存在は───公として───ノイズを討ち滅ぼす戦士は消えていなくなった。

 そして、仮面ライダーを偲ぶ声が相次ぐ悲しみの最中───新たな()()()が生まれた。

 

 未確認生命体第3号───そう呼称された正真正銘の()()()()

 

 緑色の皮膚に覆われた正体不明の()()。赤い(まなこ)でノイズを捉え、獣のような鉤爪と腕から伸びる触手で災害たるノイズを嬲り殺し、声ですらない雄叫びを上げる異形の化け物───。

 あろうことか、怪人(それ)はノイズを()()()()

 触れるだけで人間を単なる煤へ貶めるあの天災を───肉食動物が草食動物を狩るように───その肉を一方的に貪り喰らった。

 世界に激震が走った。底知れぬ恐怖が人々の身体を揺さぶった。

 災害を喰らう獣。

 それはただの災厄だ。

 怪人(それ)を実際に目にした者は認定特異災害たるノイズよりもそのノイズを喰らう彼の禍々しさに恐れ慄いた。次に喰われるのは、誰なのか。人々は未確認生命体第3号を恐れた。恐れるしかなかった。

 あの化け物を───誇り高く戦ったあの『仮面ライダー』と呼ぶわけにはいかない。

 今日も何処かで未確認生命体第3号の憤怒に染められた咆哮が響き渡る。

 未確認生命体第2号と入れ替わるように現れた未確認生命体第3号───彼は決して『仮面ライダー』と呼ばれることはなかった。

 

 彼の咆哮が涙すら流せぬ悲しみを叫んでいたとしても……。

 

 

 

**

 

 

 ちゅらい。

 

 仮面ライダーまぢちゅらい。

 

 いや、もう仮面ライダーとすら呼ばれていないんだけど……怪人扱いされてるけど……俺の中ではギルスは立派な仮面ライダーだから……うん……それはそれで置いといて……。

 ノイズたんはなーんでそんなに年がら年中お祭り騒ぎ(フェスティバル)なんですかね。お祭り男か。宮川○輔かよ。二年っすよ。もう二年───俺がアギトからギルスに転職(というか左遷)して、上司のエルさんが出張したと思ったら、代わりに奏ちゃんが俺にログインかまして、かれこれ二年の月日が経ちましたけど、ノイズたんはついに一度も休日をくれなかったねぇ⁉︎

 何? 俺と張り合ってんの? 実はそっちもブラック企業なん? バビロニアの労働基準法どうなってんの?

 じゃ〜あ〜仲良くしよぉ〜よぉ〜(懇願)

 なんで俺たち下っ端社畜同士が争わなきゃいけないんだよぉ〜(泣)

 俺たちで労働組合を立ち上げよう? 今こそ腐りきったこの社会に反旗を翻そう? これは自由という名のリベリオンだよ。ビバ休日。ビバ有給。夢のホワイト企業はすぐそこだぜ!

 

『g×>%′⇒*〆〒^il〆>>l$▽s!!??』

 

 おお! なんか興奮してるぞ! 真摯な労働者の思いが伝わったのか⁉︎

 

『k/□÷i><★ll°°◇$y€%o××u??!!!?』

 

 と、思ったら、なんか(キレ)てるノイズたんは血気お盛んに俺ことギルスに飛び掛かってきた。

 交渉決裂───結局、俺たちは会社の手の中で踊るしかないんだ……。

 反射的に俺の殺意マシマシの鉤爪が繰り出してしまった18禁必殺技(バイオレントパニッシュ)の餌食になってしまうノイズたん。目がチカチカする色合いのノイズたんの中身が曝け出されて───小麦粉みてぇな汁がブッシャー‼︎ エキサイティン‼︎ Foooooooo‼︎(末期キチガイテンション)

(───賢者タイム───)

 さ、さっきまでノイズたんだったものが辺り一面に転がってるよぉ……(震え声)

 なんで……どうして、俺たちは分かり合えないんだ……同じ社畜なのに、どうしてこうもすれ違うんだ……俺たちいつから道を違えちまったんだ……働くことしかできない社会なんて間違ってる!

 

「■■■■■■■■■■ッ‼︎(醜悪な労働環境に対する怒りの声)」

 

 叫んでみたら、ノイズたんがビビってあたふたしてる。なんや。ちょっとカワイイやんけ。よし、もう一回叫んでみるか。

 

「■■■■■■■ー!(訳:セコムしてますかー?)」

 

 いや、なんか違うな、これ……古いな。

 

「■■■■■■■■■■ー‼︎(訳:バイトするならタウンワーク‼︎)」

 

 いや、それなら「タウンワーク誰かな?」の方がいいな。よし、もう一回……。

 

 ───いや、うるせぇーよ!

 

 と、惚れ惚れとしたツッコミの声が頭の中に響く。

 

 ───無駄に叫ぶな、バカ! そんなんだからみんなビビっちまうんだよ!

 

 で、でも、ギルスは雄叫び上げてなんぼなんですよ……! 適度に叫んどかないとギルスじゃなくなります!(必死の弁明)

 

 ───そのせいで、一課の連中に背中から撃たれたの忘れたのか?

 

 ヴッ……(HP60/100)

 

 ───一課もプロだからな。バケモノ如きじゃ動じない。でも、とんでもなく強ェ緑色の化け物がノイズの喉笛を喰い千切って恐ろしい咆哮あげてんの見たら、そりゃ腰抜かすさ。

 

 アッ……(HP30/100)

 

 ───おまけに、目の前でノイズの肉を吐き捨てて、これ見よがしに吠えりゃ、銃のトリガーぐらい引いちまうさ。

 

 ハァン……(HP10/100)

 

 ───わかったら、もう無闇に吠えんなよ。

 

 …………でも、最後のやつ、アレは奏ちゃんが「おい! 人が倒れてる! アピールするチャンスだぞ!」って急かすから……。

 

 ───()()アピールだ! 誰が吠えろっつった⁉︎

 

 ヒッ……(HP1/100)

 

 ───とにかく、あんまり吠えんな! 返事は⁉︎

 

 ハァイ……(ヘーベルハウス風)

 

 ───反省してねぇな、翔一ッ!

 

 て・へ・ぺ・ろ☆

 

 ……みたいな感じで、俺の残念な頭には常に天羽奏が居座っている。

 天羽奏───大人気ボーカルユニット『ツヴァイウイング』の片翼にして、シンフォギアの装者である。彼女の意識───もとい魂は、色々と複雑な事情が重なって、今は社畜ライダー鰓である俺の肉体に宿り、こうして俺のくだらないボケを突っ込んでくれる程度の話し相手になってくれていた。

 もう二年もの間───片時も離れられず、互いに無視することもできず、共生するような関係を続けて二年───今じゃ、お笑い芸人としてコンビ組むかっていうぐらいには仲良くなった。

 過労に耐える俺の癒しである奏ちゃんは今日もツッコミが冴えている。そして、相変わらず俺の頭の中は残念である。しみじみ。

 鬼畜上司なエルさんとは違って、奏ちゃんは俺の身体のことめちゃくちゃ心配してくるし、今日は休んだら?とか甘いこと言ってくれるし、朝は七時に起こしてくれるし、たまに動きたいからって俺の身体使ってバイトの仕事勝手にやっちゃうし……。

 あれ? なんか俺捕まりそうだなこれ……人気JKアイドル使って何やっとんねんって……やべぇな、犯罪の臭いが俺からするな。

 まあ、それでも俺の身体なんで疲れるのは俺ですし、朝は五時に起きるのが染みついてしまっているし、ノイズたんとの激務は皆勤賞だし……エルさんの魔の手は健在だし……(震え声)

 

 二年前と大して変わってねぇ……!

 俺の身体は相変わらずボドボドだし、むしろ、ギルスの後遺症で凄まじく悪化してるし……ズタボロ精神が奏ちゃんの優しさに触れて、ギリギリ癒されて、辛うじてサバイブしているわ。

 脳内エア友が頼りって、大人として情けねぇ……!

 

 ───てか、毎度のことだけど、ノイズってさ、翔一のことスゲェ殺しに来てるよな。なんかしたのか?

 

 してない。してない。してない……よね?

 

『fa☆÷¥#<<ck÷$$^/yo%°°▽u!!??!!??』

 

 ───絶対、なんかしたな、これ。

 

「■■■■■■■■■■ーッ‼︎」

 

 ───なんで今叫んだ⁉︎

 

「■■■■……!(訳:ごめん。なんか悲しくて)」

 

 ───いや、その状態で話されてもわからないから。脳内会話で頼むって、いつも言ってるだろ。

 

「■■■(訳:おっぱい)」

 

 ───誰がおっぱいだとコラッ!

 

 伝わってんじゃん!

 

 ───なんか受信したんだよ! いいから手を休ませないでさっさと働けッ!

 

「■■■■■■■■■■■ッ⁉︎(訳:ヒェェェェェゴメンナサァイ⁉︎)」

 

 ───こちとら、あの天使サマに釘刺されてんだ。おまえを甘やかすなって!

 

「■■■■■■■■■■■■ーッ⁉︎(悲しみの咆哮)」

 

 ───しっかりと戦ってもらわなきゃ、あの天使サマに顔向け出来ねぇからな!

 

 ……と、いった感じで。

 俺の癒しである奏ちゃんは鬼畜天使(エルさん)の毒牙にかかり、俺がサボらぬようにキッチリと教育されていた。

 時は遡って二年───ライブ会場の一件。

 俺は死んだらしい。

 心臓が止まって、脈が絶たれ、呼吸を終えた完全なる死を迎えた。状況からして失血が主な死因だろう。他にもノイズたんにチクチクされて内臓が大変ヒドいことになっていたと思うし、元祖クライマックスフォームで無茶して衰弱してたし、それ以前に、未来ちゃんと女の子を庇ってぶっ刺された時点で生存確率は極めて低かった。死んで納得。むしろ、生きていた方がおかしい話だった。

 けれど、俺は生き残ってしまった。

 天羽奏が俺を生かした。

 ()()を使ったらしい。

 どうやら、エルさんが奏ちゃんを(そそのか)して、絶唱すれば俺を助けられると()()()()()()()()を言って、命を燃やす歌を───血の流れた絶唱を天羽奏に唄わせた。俺のシンフォギア知識なんてアテにならない些末なものだけど、絶唱に人を癒す効果はなかったはずだ。ましてや死人を蘇らせる力なんて、それこそアギト(こっち)側の領分だ。

 そう、()()()ならば───。

 蘇生も不可能ではない。

 絶唱はあくまで莫大なエネルギーを生み出すための手段だった。天羽奏が纏う神槍(ガングニール)に蓄積された潜在的な力を物質的なエネルギーへ還元するために取った方法が絶唱であった。絶唱によって放出されたシンフォギアの絶大なエネルギーを()()することにより、死に絶えた俺を地獄の底から蘇らせることに成功したのだ。

 蘇らせたのは絶唱ではなく───アギトの力。

 対価は絶唱による負荷───天羽奏の命。

 オルタリングが彼女の唄を()()()()らしい。天羽奏の命は歌となり、その歌を喰らうことで俺は生き長らえた。つまり、俺は奏ちゃんの命を奪って、生き延びたというわけで───それはとても穏やかな話じゃない。

 奏ちゃんはそれで死んでしまうのだから───絶唱とはそういうものだ。

 例に漏れず、絶唱した奏ちゃんはその場で意識を失った。絶唱の代償(バックファイア)。適合係数が低い奏ちゃんならば、絶唱とは命を落とす行為に他ならない。天羽奏は死んだ。彼女は俺の代わりに死んだ───と、なるはずが、そこでやっぱり「俺がルールだ!」でお馴染み大天使エルさんたちが頑張ってくれたらしい。

 今まさに朽ちようとしていた奏ちゃんの肉体に()()した。

 エルさんたちは死の淵に立たされた奏ちゃんの魂をしっかり引き留めて、絶唱の負荷によって損傷した肉体を大天使パワー(なんかバカっぽい)で治癒し始めたという。それで奏ちゃんは一命を取り留めた。

 

 ───絶唱(ウタ)による負荷など、我々の力で容易く癒せるわ。

 

 ───問題は、魂を注ぐ器に傷が入ったことである。これでは意識が覚醒できぬ。

 

 ───しばしの時を求める。何、完璧に治してみせよう。我々は神の化身、超越生命体(エルロード)であるのだから。

 

 と、自信ありげなエルさんか目に浮かぶ。

 なんつーか、俺としては複雑なんだけれど……奏ちゃんを巻き込んだことは誠に遺憾なんだけど……でも、やっぱり、あの鬼畜天使たちには感謝しておかなければならないだろう。

 エルさんが俺を───アギトを生かすことを第一の目的としていたのなら、絶唱によって命果てる奏ちゃんをわざわざ救わなくても良かったはずだ。奏ちゃんを助けなくても、絶唱をたらふく吸収した俺は生き延びていたはすだから、エルさんに支障はなかったはずだ。それでも助けてくれた。俺が守りたかったものを一緒に守ってくれた。それは少し嬉しい。大天使さんと心が通じ合った気がした。

 ただ、一つ不満があるとすれば───。

 奏ちゃんの肉体の治癒のため、彼女に取り憑いたのはいい。

 目覚めた俺がアギトじゃなくて、何故かギルスになっているのも、この際はいい。

 絶唱を使って瀕死の状態だった奏ちゃんを完全に()()するのは時間が掛かって、かれこれ二年待たされているのもいい。

 でも、だからと言って───。

 修復中、奏ちゃんの魂が()()だからと言って、俺の肉体にブチ込むのはどうかと思いますよ?

 いやいや、奏ちゃんに聞いた時はビックリしたよ。

 天使様に邪魔って言われて追い出されたって聞いて「え? 家主が追い出されんの?」って声出して同情しちゃったよ。しかも、理由が「邪魔だから」って……身体の持ち主なのに……天使の業界って、なんでそんなに器小さいん? どうなってんの天界(あっち)の常識。

 つーか、なんでとりあえず俺の肉体に入れちゃうの? 俺の身体はフリースペースなの? 無料Wi-Fiでも飛んでんの? しかも、仮にも花も恥じらう十代乙女をだ……こんな毎日が煩悩P.A.R.T.Y.のおっさんの頭の中にブチ込むかい普通? どんな酷い仕打ちだよ。

 

 ───いや〜、あん時はビビッたよな〜。

 

 うんうん。奏ちゃんは怒っていいよ……エルさんたちって、ああ見えて、全員もれなく天然ボケ発症してるから。

 

 ───天使って本当にいたんだな!

 

 そこかよ。純粋か。

 

 ───あんまり神サマとか信じないタチだったけど、あんな奇蹟見せられちまったら、もう信仰するしかないよな!

 

 ンン〜ッ⁉︎ やめときな〜⁉︎ あの天使たち、ロクでもないんだから〜!(OL風)

 

 ───カラダを追い出された時に「あの(バカ)を甘やかすのはならん。大きな災いを生む」って言われたし、お仕事引き継いじゃったし、なんか説明書(トリセツ)も貰ったし。

 

 なに作っとんの、あの天使。西○カナかよ。

 

 ───いち、働かせること。に、あんまり寝かせないこと。さん、休ませないこと。……以上。

 

 少なッ⁉︎ なにその三箇条。社畜三箇条? それ取り扱い説明書で合ってんの?社畜の取り壊し説明書じゃない? 一応、俺も一点物だから返品受け付けてないんだけど。割れ物注意なんだけど。 優しく正しく使ってください!(必死の人間アピール)

 

 ───というワケだから、働けぇ〜働けぇ〜!

 

「■■■■■■■■■■■■⁉︎(訳:なんでそんなに楽しそうなの⁉︎)」

 

 ……つまり、マイホープ奏ちゃんはエルさんの息がかかった俺の監視役だったわけなんです。まあ、エルさんなんかと比べりゃ天と地の差があるほどに優しいし、可愛いし、チョロいから良いんだけどさ……。

 まあ、なんというか、それがなんか歯痒くて、悪い気がして、結局はエルさんの思惑通りの働き尽くしの地獄のような二年だったわ(遠い目)

 社畜体質が……抜けません……(スーパー懺悔タイム)

 はぁ……エルさんたち、出張先の奏ちゃんの身体で元気にしてるかな。なんか良からぬこと考えてないかな。怖ぇなぁ。嫌な予感しかしないなぁ。

 まあ、ぼくはげんきじゃありませんけど。

 しにそうです。いつもどーりにかろうでしにそうです。

 

 ───よし、これで最後の一匹だな。

 

 ノイズたんの腕を引きちぎって、お腹に膝を叩き込んで───絶命。

 さーて、ランチタイムだ!(ヤケクソ)

 ギルスになってからというもの、なぜかノイズたんをムシャムシャしなきゃいけない身体になってしまった……(震え声)

 理由? いや、知らんけど……なんで自分がギルスになったのかすら分からないのに……ギルスになった途端、ノイズたんを捕食しなきゃならない理由なんて知るわけないでしょう……俺は基本、お馬鹿さんなんだから!(開き直り)

 うへぇ……ノイズたんって、どうして、こんなにも食欲を唆らせない肉付きしてんの? これって本当に無添加? オーガニックなの?

 でも、食べちゃう。カラダが勝手に食べちゃう。もうこればっかりはギルスの本能なんじゃない?

 まあ、俺の残念な脳味噌で考えて導き出した理由としては、エネルギー補給が一番有力だね、今のところ。

 ギルスって、アギトと違って、エネルギーを制御する供給及び循環器官(ワイズマン・モノリス)が無いせいで、燃費が悪いことで定評だから、ノイズたんから摂取でもしないとくたばるんじゃない? 三、四匹ぐらい丸呑みしたら満腹になるし……まあ、俺もなんか()()()()し……口はヨダレで一杯だし……ノイズたんをムシャムシャするのに抵抗はもう無いよ。うん。ナイナイ。

 

 ん? ノイズたんの味? 砂食ってるみたいよ、うん。

 

 でも、食べちゃう。お腹減ってるからね。それにノイズたん食ってないと人間襲うかもしれないしね。俺もよくわかんないのよ、この(ギルス)。戦ってる時は無我の境地(笑)が暴走して、たまに大変なことになるし、気抜いたらノイズたん以外も攻撃しようとしちゃうし、後遺症は思った以上に地獄だし、防御力に関しては紙だし……。

 アギトに戻りてぇぇぇぇ!(切実)

 いや、ギルス好きなんだけどさ、でも、なりたくない仮面ライダーランキング上位でしょ、こいつ。俺もなりたくないもん。今もそう思って止まないよ。

 はぁ……エルペディアさんは出張でいないし、俺の原作知識は当てはまらないし、奏ちゃんが知ってるわけないし、何もわからんし、怖いし、まじ怖いし、ノイズたん食べなかったら無意識に暴れちゃうし……なにそれ怖っ。

 ああ、不味(うまっ)不味(うまっ)不味(うまっ)……(自己暗示)

 多々食え……多々食え……じゃないと、いつもの日常生活に戻れないぞ……。

 

 ───マズいぞ、翔一!

 

 不味い? 何言ってんの、美味しいに決まってるだろ、ノイズたんは。こーんなにブヨブヨしてギチョギチョして中身スッカスカなのに不味いわけないじゃーん(渋い顔)

 

 ───いや、違うって! マズいんだって!

 

 ンーモゥー‼︎ 人が頑張ってノイズたんの無味無臭を誤魔化そうとしてるのに、どうして水を差しちゃうのさ⁉︎ 鬼か、奏ちゃんは? 鍛えてんの? 音撃できんの? 宗派どこ⁉︎

 

 ───いやいや、だから、ほら、あそこ! ロードノイズがスタンバってるぞ! 若干なんか顔引きつってるけど……ちょっと引いてるけど……こっちメッチャ見てるって!

 

 うわっ、マジじゃん……ドン引きしてるやん。俺のアマゾンズに仲間入りできそうなバイオレントな食事(ランチタイム)を見てドン引きしてるよ、あのアンノウン(もど)き。

 

 ───どうする? 殺るか? 殺っちまうか?(なぜか楽しそう)

 

「■■■■■■■■■■ッ‼︎(訳:ナニミトンノジャワレェ‼︎)」

 

 ───見せもんじゃねぇぞ!(テンション↑↑)

 

「■■■■■■■■■■■■ッ‼︎(訳:ドツキマワシタラァァァ‼︎)」

 

 ───いけいけぇ〜!(すんごい楽しそう)

 

 あ、丁度いい感じのトラックが……。

 

 ───上に乗ったな、あいつ。

 

 運転手さん、気付いてないっぽいね。

 

 ───出発したな。

 

 ノイズを乗せて。

 

 ───……………………。

 

「………………」

 

 ───お、追えぇぇぇ‼︎ 翔一、ダッシュ! ダッシュダッシュ!

 

「■■■■■■■■■■■■■■ッ‼︎(訳:止まってええええええ!)」

 

 ───バカ⁉︎ 雄叫び上げんな! 運転手がお前に気付いて、ビビった挙句にスピード上げちまっただろ⁉︎

 

 ンン〜⁉︎ ぎ、ギルスレイダーたん! 俺の二代目バイク、ギルスレイダーたんを呼ぼう!

 

 ───ちょっと遠いぞ!

 

 なんで⁉︎

 

 ───翔一が好き勝手に暴れるからだろ!

 

 だって、ここ全然人の気配しないんだもーん!(現在地は人里離れた峠)

 

 ───いいから今は走れよ、全力で!

 

「■■■■■■■■■ーッ‼︎(訳: オデノカラダハボドボドダ‼︎)」

 

 

 

 

***

 

 

 

 化け物がいた。

 一匹の飢えた化け物が───。

 風を切り、咆哮を枯らして、獲物を狩り尽くす獣がそこにはいた。

 悪魔の顎が肉を砕き、残虐な爪が臓物を引きずり出す。

 蠢く触手が()と認識された雑音を拘束し、その心臓を迸らせるが如く死神の大鎌が深々と突き刺さる。怨嗟に満ちた声が轟き、人々の恐怖を駆り立てた。

 ギルス───仮面ライダーとすら呼ばれぬ異端の怪物。

 認定特異災害であるノイズを喰らう知性なき猛獣。

 それは今日も何処かで喰らっている。

 ノイズを殺して、生きている。

 獣のように───命を抱いていた。

 

(このノイズ美味しくないわッ! シェフを呼んで頂戴! シェフ〜!)

 

 ───どれも一緒だろ。……今度、塩でもかけてみるか?

 

(塩の味がしそう(小並感))

 

 心の中に少女を背負って───生きていた。




オリ主がノイズムシャムシャくんって言われてて草(他人事)


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♫.俺は新しいバイト先が決まったかもしれない。

(どシリアスをクソギャグで緩和できるわけ)ないです。


 津上翔一。

 記憶喪失の青年。

 人懐っこい温厚な性格をした───能天気な人。

 雰囲気はナマケモノのようであるけれど、動きはまさに働きアリのようで、機敏に仕事をこなす。よく笑い、よく笑わせる、虫も殺せぬような───優しい人。

 小日向未来はそう彼を評価している。

 その思いは今でも変わらない。変わることなどない。

 二年前───ツヴァイウイングの公演中に突如として大量発生した認定特異災害たるノイズによって引き起こされた惨劇の渦中に呑み込まれた小日向未来と立花響を助けるべく、津上翔一は嵐の中に飛び込むようにその場に現れた。恐ろしい災害が巻き起こるライブ会場へ恐怖を微塵も感じさせぬ勇猛とした足取りで踏み出した。

 そして、彼は小日向未来を庇って───重傷を負った。

 瀕死の重症であった。彼の口から吐き出された血の泉を未来は今でも鮮明に───怖いほどに覚えている。あの後、未来は連れていた小さな女の子と共にライブ会場から脱出に成功し、女の子は無事に両親と再会することが叶った。

 しかし、未来は───親友の立花響と津上翔一の両名ともに出会うことはできなかった。

 響と再会を果たしたのは───病院であった。

 逃げ遅れてしまった響はノイズの被害によって、胸部に目を覆いたくなるような重症を負い、緊急手術が行われていた。胸に突き刺さった()()()()()を摘出するのは困難であり、彼女は生死の狭間を幾度となく彷徨っていた。

 待合室で未来は響の無事を涙ながらに祈ることしかできなかった。

 こんな時、あの人がいてくれたら───。

 考えるだけで吐きそうになった。苦しくて、寂しくて、会いたくて仕方がなかった。あの笑顔をもう一度だけ見たくて、大丈夫だと、心配ないからと、ただ励ましてもらいたくて───なのに、瀕死の彼が()()に見せた笑顔ばかりが脳裏にチラついて───心の整理が追いつかず、未来は涙が枯れるまで泣きじゃくった。

 優しかった青年はどこにもいなかった。どこにもいなくなって、手が届かないような遠くへ行ってしまった。

 行方不明。

 人間を等しく炭素の塊に変える災害(ノイズ)の特質上、被害者の身元確認は至難を極める。行方不明───その言葉は絶望以外の何物でもない。彼の安否が一方的に決められてしまったようなものだった。

 時は経って一ヶ月。

 手術に成功した立花響が意識を取り戻し、日に日に容体が安定して、言葉を交わせるぐらいには回復しても尚───津上翔一は二人の前に現れなかった。現れるわけがないのに、二人は取り憑かれたように彼の帰還を願って、ずっと待っていた。待ち続けていた、無駄だと心の中では分かっていたのに……。

 小日向未来が最後に見た津上翔一の光景は───ノイズに囲まれた血だらけの翔一の優しい笑顔だった。シャツが真っ赤に染まって、口から止め処なく吐血されて、それでも立ち上がって───未来に()()()と、()()()と言って、いつものように笑って見送った。

 後悔があった。でも、何を後悔すれば、どこから後悔すればいいのか、もうわからなくて()()()()()()だった。たった一ヶ月で未来は一生分の涙を流しただろう。響はついに未来の前で涙を見せなかったが、彼女の病室に見舞いに行く時は必ずしも白いシーツは濡れていて、目は真っ赤になっていた。

 泣いて、泣いて、泣き続けて───笑えなくて。

 彼の大好きだった笑顔が作れなくて。

 孤独じゃないのに、こんなにも寂しくて───二人ぼっちが悲しくて。

 こんなんじゃダメだと思った。

 立ち直ったのは響だった。彼女は長いリハビリを終えて、無事に退院を果たし、日常生活に戻れるようになった途端───津上翔一の生存を信じて、彼の帰宅を待つと言い出した。辛そうに俯いた顔だった。何かに祈るようにスカートの裾を握っていた。それでも()()()()()精一杯の笑顔を振りまいた彼女は───にわかには信じ難いあの時の凄惨な光景を胸に押し留めて───嘆きに暮れていた未来に言った。

 

「翔一さんは、生きることを諦めるような人じゃないもん」

 

 夢のような光景だった。あるいは、夢だったのかもしれない。

 記憶は曖昧で、訝しいほどに朧げになっていた。

 ツヴァイウイングの二人が───剣と槍を手にして、聖なる唄を奏でながら、ノイズと必死に戦っていた。

 天羽奏が叫んだ───生きることを諦めるな、と。

 その懸命な声に響は深い微睡(まどろみ)から目覚めることができたような気がする。あの時、何を思って、何を望んでいたのか、それはもう思い出せないけれど───。

 仮面ライダーが助けに来てくれたことはハッキリと覚えている。

 仮面ライダーが響を、ツヴァイウイングの二人を、みんなを助けるためにやって来てくれた。

 でも、その黄金の戦士は泣いていたような気がして、苦しくて、悲しくて───。

 夢はそこで終わっていた。

 そこで意識が途切れたのか、夢として終わってしまったのか、響には定かではなかった。

 とても信じ難いその夢を誰にも打ち明けれぬまま、夢の中で叫んでいた天羽奏の命を諦めない心に従って、立花響は決意した。彼を───津上翔一を待ち続けよう。きっと彼は帰ってくる。だって、ここが彼の居場所なんだ。私と未来がいて、翔一さんがいる場所が───笑顔の居場所なんだ。

 

「未来、翔一さんの好きなものって知ってる?」

「……えーと、ごはん? あ、わかったかも。食材全部だ」

「当たってるけど……えっとね、食べ物もなんだけど、他にはね、人の幸せそうな笑顔が大好きなんだって」

 

 嬉しそうにそう言った。

 

「だから、私たちが笑ってなかったら、あの人、すごーく困ると思うから、きっと飛んで帰ってくるよ」

「………………」

「だって、翔一さんって、私たちにとってはヒーローなんだもん。どんなに辛い時も側にいてくるヒーローなんだから」

「……うん。そうだね。そうだったね」

 

 こうして、二人の少女は待ち続けた、一人の青年を。

 根拠もないままに待ち侘びた。それは永遠に続くと思われた長い時間だった。心の中にぽっかりと空いた穴を埋めることができず、過ぎ去る風のような時間(とき)を耐えるように生きていた。

 それでも津上翔一を信じて待っていた。

 そして、あの惨劇から半年が過ぎた頃───。

 よく晴れた青空に染められた或る日の昼下がり。

 お好み焼き屋『ふらわー』にその男は唐突にやって来た。

 

「ただいま」

 

 いつものように能天気に笑いながら───少し痩せこけた青年が自分の家に帰ってきたように、涙ぐんだ二人にそう告げた。

 津上翔一だった。

 彼は死んでいなかった。

 あの地獄のような会場から、絶望的だった生還を果たしていた。

 二人は飛び掛かるように翔一に抱きついて、そのまま一晩中わんわんと彼の胸で泣きじゃくった。言いたいこと、伝えたいこと、積もるほどにあったけれど、やっぱり涙が止まらなかった。

 その間、彼は何も言わず、ただ悔いるように目を閉じていた。

 およそ六ヶ月───ライブ会場の惨劇を終えて津上翔一は行方を(くら)ませていた。その間は他県の病院で療養に励んでいたと彼は(うそぶ)いていたが、それが虚構に塗れた言い訳かどうかは一目瞭然だった。

 それでも翔一が生きて帰ってきてくれたことは何よりも嬉しくて、どんな奇跡よりも幸せだった。願いが叶った。想いが届いた。祈りが通じた。そう思って、延々と泣いてから───笑った。

 津上翔一も笑った。笑って……苦しんでいた。

 申し訳無さそうにして、少しだけ苦しそうな顔をして───笑ってみせた。まるで、ごめんね、と言っているみたいで辛かった。

 彼は何かを隠していた。

 半年もの間、何をしていたのか。

 その身に何が起こって、何と戦っていたのか。

 彼は何も語らない。

 その必要はないと言わんばかりに作り笑いで誤魔化してしまう。

 帰ってきた翔一が、過労の日々に追われていたあの頃よりも疲弊していて、時折とても苦しそうに眉間に皺を作って、何もないところで崩れ落ちるように転んだり、バイクで出掛けた後は倒れるような素振りで部屋に籠もってしまったり───苦悶の表情を一瞬だけ過らせた。

 津上翔一は何かを隠している。

 とても恐ろしいものを───隠さなくてはならない事実(もの)を抱えている。

 

 それが何なのか───知る者はいない。

 ただ一人を除いては。

 

 堕天の獣(ネフィリム)───またの名をギルス。

 危険な怪物であった。

 気を抜けば、人間さえ見境なく襲ってしまうようなバケモノだった。変身の代償に耐え難い苦痛を求め、肉体を容赦なく蝕んでいく力だった。人間としての形を揺らがせる獣の如き醜さを秘めていた。

 とてもあの頃の生活には戻れなかった。

 少なくとも、あの二人がいる陽だまりには戻れなかった。

 暴れ散らすだけの(ギルス)の力を意識的に制御するまでに───六ヶ月。

 後遺症が及ぼす激痛に身体が慣れて、辛うじて生活ができるようになるまで───六ヶ月。

 六ヶ月───自分の中に住み着いた化け物と戦い続けた。

 耐えて。

 苦しんで。

 死に物狂いで戦い抜いた。

 暴れることすらできず、悶絶することもできず、拷問のような苦痛を全身に浴びせる老化現象に何度も心を潰されて、破壊と再生を繰り返す異常な肉体に人間性を失って───それでも折れずに戦った。

 人間ならざる狂気と化した本能に(もが)きながら、飢えた衝動に逆らうこともできず、ただの獣と成り果てながらも(しのぎ)を削ってノイズと戦い、捕食して、鏡に映る己の醜悪な獣の姿を見て、恐れて───それでも立ち上がった。

 二人の半年がぽっかりと穴の空いた時間だったと言うのなら、彼の半年は控えめに言っても地獄と形容するしかできない時間(もの)だった。その地獄のような時間を津上翔一は覆い隠していた。

 だから、()()は彼と過ごしたその時間を一生忘れないだろう。決して忘れようともしないだろう。彼はきっと忘れてしまえと笑いながら言うのだろうけれど、もう過ぎた話なんだと誰にも言わないままなのだろうけれど───天羽奏は彼の痛みを忘れはしない。

 誰も彼の痛みは理解できなくて、彼の苦しみを知ることもできないのだから、ただ此の世で一人だけ───津上翔一の痛みを知った私だけは覚えていよう。

 彼と時間()()を共にした少女───天羽奏だけは津上翔一のために願い続けよう。いつか彼が報われますように、と───。

 

 それこそが非情な現実を物語っていたとしても……。

 

 

 

***

 

 

 

「翔一さぁ〜ん!」

 

 アンノウンみてぇなノイズたんと殺伐とした追いかけっこを制した後、ついに過労を訴えて動かなくなったバイク(ただのガス欠)をえっこらえっこら押しながら歩いていた。

 すると、けっこう後ろから聞き慣れた声がしたので、振り向くと響ちゃんと未来ちゃんがいた。手をブンブン振って駆け寄ってくる。JCかわええなァ〜……ああ、明日からJKか。JKかわええなァ〜(テイク2)

 

 ───もしもし、ポリスメン?(冷めた声)

 

 やめてよ、奏ちゃん! 警察のお世話になった仮面ライダーなんて、目も当てられないじゃない! ……いや、仮面ライダーとはもう呼ばれてないけど……俺ただのバケモノ扱いだけど……まあいいけど。

 

 ───一人で勝手に落ち込むなって。……てか、いいのか、そんな状態で二人に会っても。

 

 ん? ああ。でぇじょぶ、でぇじょぶ。かれこれ二年もギルスの後遺症と戦ってきた男だぜ、俺は。三十分ぐらい痙攣&海老反り決めりゃ0円スマイルを作れちゃうぐらいの体力は残ってるよ。任せなって。俺を誰だと思ってるの? 翔一さんだぞォ?(信頼/zero)

 だから、見ててください、俺の……笑顔(へんしん)……!

 

 (^U^)

 

 ───絶対にやめといた方がいい。

 

 (^U^)<マジデェ?

 

 ───なんか腹立つもん。

 

 (^U^)<モウシワケゴザイマセン、コノヨウナカオデ

 

「翔一さん、どうしたんですか、そのバイ───なにその顔ムカつく」

 

 (^U^)<チョットマッテネ…

 

 NOW LORDING……(変身解除中)

 

「よし、戻ったぞ^U^)

 

「戻ってない、戻ってない。ちょっと残ってる」

 

「なんか寄生されてるみたいだよ、翔一さん」

 

 おっと、まずい。JKを明日に控えた二人がガチで引いてる。

 

 ───あたしも引いてるけど。

 

 一人追加されました。計三人のJKが恐れ慄くニーサンってスゲェ……!

 

「これでどうかな^」

 

「あ、うん。許容範囲」

 

 許された。

 それから三人(+一人)で我が聖地『ふらわー』に向かって並んで歩く。可愛らしいJKに挟まれ、内側にも美人なJKを抱えた俺もこの際JKと言っちゃっても過言ではないだろう。

 

 ───過言が過ぎるだろ。

 

 ツッコミを頂いた。まあ、俺はJKはJKでも、ノイズたんに対して常に(じゃまだ)(ころすぞ)なギルスだけどね。……あんまり上手くねぇなこれ。

 

 ───2点。

 

 じ、十点満点中ですか?

 

 ───1000点。

 

 俺の心がジャッキングブレイクされてザイアァエンタァプラァイズされた瞬間であった。100点満点なら0.2点やんけ……辛辣ゥ……。

 

「それで面接どうなりました?」

 

 と、俺の1000%落胆している気持ちを察してか、未来ちゃんが腫れ物を触るような感じで聞いてきた。すると、それに反応して響ちゃんが此の世の終わりみたいな顔をして声を荒らげた。

 

「もしかして、落ちちゃったんですか⁉︎」

 

「ちょっと響っ!」

 

「だって、私たち寮なんだよぉ〜! 全然会えなくなっちゃうじゃん」

 

「HAHAHA」

 

 まあ、俺も受かると思ってなかったし。

 面接に行ったのは、その場の空気に流されたって感じだったし……なんか行かなきゃいけない雰囲気だったし……。

 半年もほったらかした警備員のバイトを正式に辞めてからも、職場で良くしてもらっていた先輩たちとお酒を飲みに行く機会があった。まあ、普段は断るんだけど、その日はノイズたんとの業務も終わってたし、たまにはいいかって感じで何も考えずホイホイついて行った。

 で、二次会で入ったスナックでドンチャン騒ぎになって……この辺から記憶がスゲェ曖昧なんだけど……いつの間にか知らない人と肩組んでコサックダンス踊ったり、知らない人とトランプタワーを作ったり、向かいの店のオカマ店長と缶蹴りしたり、それから気が付いたら道の真ん中で酔っ払いたちに胴上げされてて、そのまま知らない人と飲んで───。

 

 リディアンって学校の用務員やらね?(唐突)

 

 あ〜いいっすね〜(酔っ払い)

 

 みたいな感じで、今日のお昼に、私立リディアン音楽院の用務員のバイトの面接に行ってきたんですよ。うん。説明したところで、ぜんぜん意味わからんな、これ。お酒って怖E……(震え声)

 普段、リディアンは外部からのバイトなんて募集していないらしいんだけど、急遽欠員が出たせいで、補充しなきゃならんくて、それで酒の席でなぜか一緒になった俺に声をかけてくれたというわけなんです。

 うん。やっぱり意味わからん。お酒怖ッ……二度と飲まない(フラグ)

 でも、リディアンの地下って謂わば秘密組織のアジトみたいなものだから、用務員さんといえど、そのへんの馬の骨を採用するわけにはいかないんじゃない? だとしたら、俺一番ダメじゃん! 何処の馬の骨か本人ですら知らない記憶喪失の馬鹿だよ? 馬じゃなくて鹿の骨の可能性もある馬鹿だよ? やめときなって、こんなアホ雇うの……。

 

 ───お前が言ったんじゃねぇか、炊事洗濯お掃除とか雑務が得意ですって。

 

 それは……(記憶掘り起こし中) えーとね、あれは定職に就けない俺の自虐ネタで、誰か過労死寸前の専業主婦は要りませんかっていう一風変わった笑いをお届けしようとしただけなんだよ。

 

 ───どんな笑いだ⁉︎ みんな冷めた目どころか、哀れみの目で見てたぞ。現代社会の闇を見たって感じの目だったぞ。

 

 俺の自虐ネタ基本的に笑いにならないんだよなぁ……なんでだろう(無自覚)

 

「で、その……結果はどうでしたか」

 

「ん? ああ」

 

 バイクをその場で止めて、上着の裏ポケットをゴソゴソ……お目当ての書類をこれ見よがしに掲げる。

 

「じゃーん。受かっちった」

 

 俺、リディアンの用務員(非常勤)になります。

 

 

***

 

 

 

 まあ、その後の二人のテンションは異常だったと言わざるを得ない。

 あの未来ちゃんですら小さくガッツポーズした後に小踊りするぐらいだ。響ちゃんに至っては俺の周りをワンちゃんみたいにグルグルしてた。なに? ここ掘れワンワン? ほら働けワンマン?ヒェ(幻聴)

 何がそこまで嬉しかったんだろうか。……あれか。俺がバイトを辞めて、ほっこり休日を過ごすのが許せなかったのか。社畜は一生働いてろ!って感じだったのかな。辛っ……(泣)

 だ、だって、しゃーないやん! ギルスは俺にお仕事させないレベルの凄まじい後遺症をぶつけてくんだもん! ただでさえ、いつもコッソリ仕事中抜け出して、ノイズたんをコッソリしばいて、コッソリ帰ってくるのに───ノイズたんしばいた後、地面から掘り出されたミミズみたいに動けなくなるのよ⁉︎ バイトなんて掛け持ちできないでしょう⁉︎

 だから、許してェ……これからはモヤシで暮らしていくんで……働かせないで……! あるいは、誰か養ってェ……!(切実)

 

「まあ、働くんだけどね」

 

 ジュージューと美味しそうな香りを煙にのせて焼かれるお好み焼きを二本のヘラでひっくり返して、また焼いて、お皿に盛り付け、ソースをぶっかけ、鰹節なんかもまぶして、お客さんの席へと持っていく。へっへっ、やっぱりこの仕事が一番落ち着くなぁ……。

 

「翔一さん、私、辛味噌スペシャル大盛りで!」

 

「はいはい。未来ちゃんは?」

 

「私も辛味噌スペシャルで」

 

 ……ということで、今回は秘伝のお好み焼きに辛味噌を混ぜて、上に目玉焼きを乗せた特製辛味噌スペシャルで優勝していくことにするわ……(一般社畜男性)

 

 ───なんか始まった。

 

 それじゃあ、まずは予め作っておいた生地と具材を鉄板に潜影蛇手していくわ……。

 

 ───ほとんどの工程が終わっていやがる!

 

 ン゛ッ⁉︎ ちょっと待ちなさいノイズたん⁉︎ 俺の頭の中に業務開始の連絡を潜影蛇手してくるのは卑怯でしょ!

 

 ───どうすんだ、翔一?

 

 ええい! ここはおばちゃんに任せて、急遽番組の内容を変えて、俺はノイズたんで優勝していくぞ! 優勝どころか気分は初戦敗退だけれども! 俺以外にノイズたんで優勝できる奴はいねぇ!(謎のプライド)

 待ってろ、ノイズたん! この食塩と醤油で必ずお前を優勝させてやるからな! 覚悟しておけ!

 

「ちょっと、翔一さん、何処に行くんですかっ⁉︎」

 

「未知の食材が───俺を呼んでいるのッ‼︎」

 

 ヘルメットを被り、グローブをつけて、店前に停めてあるバイクに跨り、エンジンをかける。……ああ、やっぱり、ギルスになっても俺の日常は変わらないのね。

 

「変身ッ!」

 

 仮面ライダーだけど、俺は社畜です……!

 

 

 




原作一話までにリアル二年かかったうんちみたいな二次創作作品があるらしい・・・(土下座)


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♬.俺は響ちゃんに怖がられるかもしれない。

シリアスvsハイテンション脳内オリ主


 用務員となった社畜の生活───。

 これ語る必要ある? 社畜の日常とか需要なくない? 誰が興味あんのこれ? ───と駄々をこねても仕方ないので、私立リディアン音楽院に勤める用務員(非常勤)の主な業務を紹介していきましょう。

 まず、この学校───響ちゃんや未来ちゃんが無事に入学を果たした私立リディアン音楽院高等科なんだけど、この学校の地下には秘密基地があるらしい。らしいと言うのは実際に見たわけじゃないからである。これは俺のクッソおぼろげな『戦姫絶唱シンフォギア』知識と奏ちゃんのタレコミで確証に至った。

 奏ちゃん曰く、この学校───生徒の中から適合者を探したり、音楽の実験したり、色々とやましいことをコソコソとやっとる学校ならしく、たかだかバイトの用務員でさえ、それなりに警戒はしているご様子だった。色々と気難しい書類も大量に書かされたし、身元調査なんて隅々までやっておられて、面接中は取り調べされてるみたいだった。

 とはいえ、俺は俺自身でさえ、自分のことをよく知らない記憶喪失なわけで……経歴なんて調べても何も出てこないZE! 俺もガッカリ! あっちも何だか申し訳なさそうな顔してる! 気まずっ! ……もしかして、俺は地球外生命体なんだろうか。火星で発見されたパンドラボックスが引き起こした社畜かもしれない。

 でも、俺が働かなきゃ、誰が代わりに働くと思う? 万丈だ。

 いや、違います。俺です。俺が働きます。……はい。

 ちなみに、先輩から聞いた話だと、学校の用務員といえど、事務の仕事なんかはさせてもらえないらしい。奏ちゃんもリディアン自体がダミーカンパニーっていう特異災害対策機動部二課が動きやすくなるための偽物みたいなものだって言ってたから、部外者である俺や学校の用務員として雇われた人には、学校内部のことは隠匿するつもりなんだろう。

 

 なんか、こう、なんで俺、ここの面接受けちゃったんだろう(後悔)

 

 ───あの二人にリディアンで働けるかも、なんて言っちまうからだろ。

 

 つい、口が滑っちゃって……。

 あの時は怖かったな。すげぇ食い入るように身を乗り出して「いつ⁉︎ いつからですか⁉︎」と詰め寄られて「受けましょう!働きましょう!三年ぐらい!」と否応なく労働期間まで決められてしまった……ホントあの子たちどれだけ俺を働かせたいの? 死ぬまで? 過労死するまで?

 

 ───……罪な男だな(呆れ)

 

 あ、でも、いいこともあるかもよ、奏ちゃん! もしかしたらワンチャン翼ちゃんと会えるかも。()()()とは状況が違うから、普段の芸能人オーラマシマシの翼ちゃんに会えるよ。まあ、微粒子レベルの可能性だけど。

 

 ───それは嬉しいっちゃ、嬉しいけどさ。うーん、大丈夫かな、翼……。

 

 やっぱり、心配かい? SAKIMORIと化した翼ちゃんのことは……。

 

 ───いやぁ、翼、友達ちゃんと作れてるかな。

 

 …………(察し)

 

 なんか悲しい気持ちになった。

 早くリバースカードをオープンして死者蘇生で奏ちゃんを墓地から特殊召喚させなきゃ(使命感) いや、死んでないけど。死者じゃないし、蘇生にもならないけど。

 まあ、初日はずっとお掃除してました。校舎の構造を頭に叩き込んで、お仕事ですよレレレのレーみたいな感じで箒を巧みに駆使して埃を払う。さすがは女子校、髪の毛が多い。この量なら一週間ぐらいでカツラが作れそう(羅生門の老婆オンライン)

 あとは響ちゃんが保護した子猫の相手もしていました。入学初日から何してんのって思ったけど───つぶらな瞳でナーナーと鳴かれて、白い毛並みをすり寄せてくるそのキュートな愛玩動物に俺も奏ちゃんも他の用務員さんも心奪われていた。

 

 ───かわいい。

 

「かわいい」

 

 休憩時間はずっと子猫と遊んでいました。

 

 ───翔一! あたしにも触らせてくれ……!

 

「おーけー。あんまり強くしちゃうと驚いちゃうから、ゆっくりね」

 

 というわけで、肉体の支配権を奏ちゃんに譲渡して、俺の身体を使った奏ちゃんがワナワナと震える手で子猫の背中を撫でる。

 

 ───ふ、ふふ、ふさふさ……っ!(興奮)

 

 俺(in 奏ちゃん)は子猫をしっかり堪能した後、また用務員としての業務に戻るんだけど、残っていた仕事は入学式の後片付けぐらいだった。携帯電話には、響ちゃんと未来ちゃんからお仕事順調ですかとメールが来ていたから、子猫の写真を貼って送っておいた。

 さて、あとは清掃ぐらいか。俺の特技だぜ!

 五十歳を超えた先輩と一緒にでっかいホールみたいな講堂を掃除する時は、俺と奏ちゃんで交互に入れ替わり、意味もなくタイムアタックを競っていた。どっちが早く片付けられるかバトルである。俺が勝った。奏ちゃんは普通に悔しがっていた。五十過ぎた先輩は「なんでそんなに元気なの?」と驚いていた。あとで缶コーヒーを奢ってもらった。

 こうして、私立リディアン音楽院の用務員(非常勤)としての勤務初日は終了した。

 まあ、悪くないんじゃない、このお仕事。

 先輩たちはみんな優しいし、業務内容も難しいってわけじゃない。学校が広いからそこそこ走り回らなきゃならないけど、時折、教室から聴こえてくる生徒たちの歌声は気に入りそうだった。

 とくに奏ちゃんなんかは───自分が入学する予定だったこともあるのだろう───生徒らの歌声にウズウズしちゃって、たまらず鼻唄なんかを歌ってるぐらいだ。へへっ、お耳が幸せじゃ。

 これならやっていけそうだ。夜になると俺はお好み焼き屋『ふらわー』のお仕事が待っているけれど、こっちはこっちで何年もこなしているルーティンワークだし、ぶっちゃけお好み焼き作るの楽しいし、全然構わない。

 問題があるとすれば、やっぱり、それは空気の読めないノイズたんだろう。今日だけで四回も出撃させられたわ(白目) 乱戦騒ぎの面倒な戦場を駆け回って、隙あらばノイズたんをムシャムシャして、ギルスの後遺症をたんまり受けて、もう身体はクタクタである。

 

「は……がァ…………ッ」

 

 ほら、足が生まれたての小鹿っすよ。ガクガクブルブルでバイブレーションよ。

 

「ァ…………あ……………ッ」

 

 足が全然言うことを聞かなくて、何にもないとこで躓いて、道の端っこに設けられたゴミ置き場にダイブした。めっちゃ汚い。ああ、でも、このゴミ袋の山、オフトゥンみたいにやわらけぇ……(オヤスミィ) そのまま倫理観を放棄して意識が持ってかれそうになるけれど、なんとか這いつくばりながら、バイクのもとへと辿り着く。

 その姿はさながら貞子である(クルーキットクルー)

 ミイラみたいに皺だらけになった手を隠すようにグローブをつけて、愛車のXR250に跨る。ちょっと眩暈が───酷い。でも、はっきりと全部がみえてしまうので、気にせず、べっちょべっちょの汗をざっと拭って、ヘルメットを被ってからエンジンをふかした。

 社畜きっつとか、後遺症辛ぇわとか、あまり弱音は言ってられないしね。

 明日は───運命が動き出す日なのだから。

 立花響が神槍(ガングニール)を纏う戦姫として目醒めてしまう物語のはじまりなのだから。

 だから、俺は───。

 その露払いをしなきゃならない。

 

 ───…………。

 

 あの日、俺が響ちゃんをちゃんと助けられていたら、もっとマシな生活をあの子は過ごせていたのだろうけど、俺の力不足で何もしてやれなかったから───せめて、あの子がなるべく傷つかないようにしないとね。それが大人の責務ってやつなのだろう。

 あるいは、仮面ライダーの使命的な? ああ、でも、俺はもう仮面ライダーって呼ばれてなかったわ。HAHAHA(自虐)

 

 ───………………。

 

 ふぅ……これから忙しくなるぞ、奏ちゃん。俺のスピードについてこれるかなぁ〜?

 

 ───……ばか。

 

 なんだかご機嫌斜めの奏ちゃん。

 ごめんね。毎回こんな見たくもないおっさんの醜態みせちゃって。きっと、エルさんたちが奏ちゃんを綺麗に治してくれるからさ。それまでは何とか耐えて頂戴よ。俺もなるたけ頑張るからさ。もう少しだけ付き合ってよ。

 頑張って、頑張って、戦うからさ。

 もう仮面ライダーじゃなくても───。

 

 ……ところで今日の晩ご飯、お蕎麦とラーメン、どっちがいい?

 

 ───…………ラーメン(ぼそっ)

 

 へっへっ、だったら、買い出しに行かないとね。

 

 

 

 

***

 

 

 夢を見る。

 あの日の夢だ。

 ツヴァイウイングのライブ───大空を舞う一羽の鳥のように澄んだ歌声が響き渡る。美しい音色が両翼の揃った羽根のように世界を包み込んで、羽根を持たない私でも飛べるんじゃないかって思うぐらいに魅了されて───憧れた。

 煌びやかな大空(ステージ)で華麗に舞い踊る二人の歌姫は気持ち良さそうにその翼を広げて唄を奏でていた。

 なのに、その羽根はもがれてしまった。何かとても悪いものが二人の歌姫を引き裂くように、その羽根をもいでしまったのだ。綺麗な歌声が悲しみに染まって、空を揺蕩(たゆた)時鳥(ほととぎす)が血を吐いた。

 唄が血に彩られてしまう悪夢のような現実(ユメ)

 悲劇の物語。

 闇に包まれる二人の歌姫と───私。

 冷たい闇が私の胸を貫いた。恐ろしい深淵の狭間から無数の手が伸びて、暗黒が広がる闇の底へ引きずり込もうとする。怖くて、怖くて───嫌だと嘆いても、やめてと言っても、邪悪な意思を持った無数の手は私の心臓(ココロ)を掴んで離そうとしてくれない。

 これがあるべき物語(すがた)なんだ。覆しようのない運命(シナリオ)なんだ。だから、お前は歌え───血を吐いて歌え。

 そんな声が闇の中で響いていて───。

 私と───もがれてしまった片翼の羽根が凍えてしまいそうな闇の世界に飲み込まれる。深くて冷たい闇の物語。苦しくて、泣きたくて、でも、それは誰にも止めることはできない運命という因果(ストーリー)だった。

 だから、もう助からないって、私は諦めそうになった。

 その時、一筋の光が闇を照らした。

 黄金の光。

 光に包まれたその手は私を闇から救い出した。優しい掌がそっと私の手を握る。そして、私よりもずっと速く闇に落ちていく歌姫の手をしっかりと掴んで───光の向こう側へと引き上げた。

 それはきっと正義の味方だった。

 どうしようもなくヒーローだった。

 でも、彼は私たちを陽の当たる温かな世界へ導くと、まるで、私たちの運命を肩代わりしてしまったように独りで闇の底へと沈んでいく。暗くて、怖くて、苦しいあの世界で───彼は笑っていた。優しく微笑んでいて───握り締めた私の手をそっと離した。

 崩れていく()()───その奥に潜んでいたものは───。

 

「■■■■■■■■■■ッ‼︎」

 

 ()()()()だった。

 

「ふぇッ⁉︎」

 

 立花響は寮の自室で飛び上がるように目覚めた。

 またあの夢だ。

 ライブ会場の惨劇を経験した響が毎日のように体感する悲しい悪夢(ユメ)()()()()()誰かの犠牲が紡いだ幸せを───響は確かに感じ取っていた。

 それが心苦しくて───悲しくて。

 隣で寝ている未来がもぞもぞと動く。起こしてはいないようだった。

 響はもう一度布団の中に潜って、祈るように目を閉じた。

 息を止めるようにじっとして。

 あのバケモノの顔が頭の中から消えるまで───目を伏せた。

 

 

***

 

 その日、運命は動き出した。

 私立リディアン音楽院。

 立花響が食堂で風鳴翼と出会った───否、再会を果たした瞬間から狂っていた運命の歯車は大きな音を立てながら、その捻じ曲がった世界を修正することなく、突き進むように回り始めた。

 

「あ、ありがとうございましたっ!」

 

 朝の食堂に響の真っ直ぐとした声が響き渡った。

 朝食をリディアンの食堂で済ませていた響と未来の前に現れたのは───()ツヴァイウイングにして、今や大人気アーティストに名を連ねる風鳴翼だった。本来ならば多忙な芸能活動に身を寄せて、学校に顔を見せることすら珍しい彼女が学内の食堂に姿を見せたのは極めて稀であり、自然と周囲は風鳴翼を中心に色めき立っていた。

 とはいえ、彼女は半端には近寄り難いオーラを放っていて、遠目からその凛とした居姿を拝見することしかできない。

 響は風鳴翼に憧れてリディアンへの進学を希望したこともあり、彼女を一眼見ようと席から立ち上がり、その結果として偶然すぐ隣を通りがかった翼の目の前へ躍り出る形となってしまった。

 何を言うべきか───あのライブ会場の惨劇。

 二人の戦姫と仮面ライダー。

 夢としか思えなくて───でも、夢で片付けられなくて。 

 

「あ、あの時は、助けていただいて、ありがとうございました!」

 

 考えるよりも先に響は深々と頭を下げて、風鳴翼へ感謝の言葉を口にした。

 突然の出来事に未来がポカンと口を開けた。表情に乏しい翼さえ、困惑の果てに何やら険しい顔付きで響の九十度に近いお辞儀を見つめていた。

 しばらくの間───沈黙が流れて。

 

「……記憶にない」

 

 と、だけ言って、風鳴翼は早足で食堂を後にした。

 何か思い当たる節があるような顔を一瞬だけ滲ませた翼であったが、響にはその無情とも取れる言葉だけで十分だった。あのライブ会場で見た凄惨な光景は夢だった。ツヴァイウイングの風鳴翼と天羽奏が剣と槍を携えて、ノイズと戦っていて───その二人を助けるべく現れた仮面ライダーが───あの光景は全部、響の夢に過ぎなかった。

 ショックではない。

 ただ、少しだけ、モヤモヤした。胸の奥に何か重たいものが───それこそ槍のようなものが突き刺さって、どれだけ抜こうとしても決して取れないようなもどかしさがあった。

 

 それから───放課後。

 

「あれ? 翔一さんいないんですか?」

 

 響は非常勤の用務員として先日から働いている津上翔一を訪ねるべく、学内に設置された小さな用務員室へと訪れたが、彼の姿は何処にも見当たらなかった。すると、他の用務員が───先日響が助けた子猫の相手をしながら───彼の不在を教えてくれた。

 

「翔一くんなら、今日はもう帰ったよ」

 

「ええっ」

 

「急ぎの用事があるって言ってたけど」

 

 響の予定では、翔一のバイクに乗せてもらうことによって、本日発売の風鳴翼のCDをいち早く購入しようと計画していたので、出鼻を挫かれた気分であった。

 携帯電話を使っても彼が通話に応じることはなかった。

 急用───いつも通りの人助けだろうか。

 仕方なく立花響は電車と徒歩を使って、一人で街へと繰り出した。時刻は五時を過ぎていて、雲一つない空は微かに赤みがかっていた。あの日、ライブ会場でみた───夢のような光景も茜に染まった空がこんな風に広がっていてたな、と柄にもなく感慨にふける。

 そして、あの時は子守唄のように優しい歌が響いていた。

 祈るような歌があった。

 悲しい命の歌があった。

 響はそれを忘れられない。たとえ、それが夢だとしても───誰かのために歌われたあの唄のように、いつかは自分が歌えたらいいなと思って、彼女は今を生きていた。

 そんな歌が届けばいいな。いつかあの人にも……。

 鼻歌を交えながら小走りで目的地のCDショップへと向かう。軽やかな足取りで、何の憂いも滲ませることのない彼女らしいステップが───交差点に差し掛かろうとした辺りで止まる。

 違和感に気付いた。

 人の気配がない。

 異様な光景が広がっていた。

 街に人がいない。一人もいない。凍りついた空気が世界を包んで、命という存在を奪い去ってしまったように人間という気配がまるで無くなってしまった。

 まるで、突然に消滅してしまったように───。

 

「ノイズ……」

 

 身体に刻まれた恐怖が反応して、響は怯えるように、その忌まわしい災害の名を口にした直後───。

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■───ッ‼︎」

 

 世にも恐ろしい(バケモノ)の咆哮が轟いた。

 

「未確認生命体……第三号……」

 

 反射的にその名を呟いた。

 不気味な静寂と化した街を素早く見渡して、その暴虐な声の方向を探して───響は安堵に息を漏らした。

 良かった、少し遠くにいるようだ。

 未確認生命体第三号───ノイズを喰らう怪物。

 正体不明の異形の化け物である未確認生命体第三号が姿を現す時、そこには必ず認定特異災害であるノイズが出現する。そして、第三号は恐ろしい雄叫びを撒き散らしながらノイズを蹂躙して捕食する。それが響の知っている未確認生命体第三号の情報だった。

 つまり、第三号の声が遠い今───このすぐ近辺にノイズはいないということ。

 

「避難シェルター……どこだろう……」

 

 冷静に考えてみれば、彼女が佇む一帯───人間が誰一人として居なくなったこの場所には、ノイズが殺戮の限りを尽くした痕跡たる炭素の塊が一つも見当たらない。春の香りがする微風に塵一つ残さず飛ばされたわけでもあるまい。

 逃げたのだろう───ノイズの襲撃か、第三号の出現を受けて。

 だから、この場所には誰も残されていない。自分も今すぐにこの場から離れるべきだ。

 未確認生命体第三号と認定特異災害がぶつかって生まれる大災害から一刻も早く逃げるべきだ。

 

「──────ッ」

 

 なのに、立花響は聞いてしまった、小さな女の子の悲鳴を───。

 

 

 

***

 

 

 

 うわぁ……なんか今日、ノイズたん多くない? 原作はじまるからってウキウキで現場入りしてんの? こっちは過労でイライラなのに?

 くっそ悔しい。社畜としての貫禄はノイズたんの方が上だって言うのかよ。俺の唯一のアイデンティティがノイズたんに奪われちゃう!(死活問題) ただでさえビジュアル面でもあのドラゴンレーダーみてぇな顔面のインパクトに負けてんのに、社畜根性でも敗北しちまったら俺ァこの個性があってなんぼの社会でどうやって生きりゃいいんだ⁉︎ 所詮、俺は先の時代の敗北者なのか……⁉︎

 その時、矢木(俺)に電流走る───!(どっかのニュータイプの声)

 そうだ! 俺にはまだノイズたんをムシャムシャするという誰にも負けないグロテスクな個性が残されていた! よっしゃこの個性を活かして雄英にプラスウルトラしようぜ! そんでノイズたん使って食戟しかけよう! ノイズたんと一緒に少年誌に殴り込みじゃァァ! たぶん鬼殺隊とかに狩られるけどね!!! 社畜の呼吸壱ノ型!!! 「タイムカード切っておいたから(肩ポンポン」!!! 泣けりゅ!!!

 

 ───ツッコミ担当に負担を強いるボケをするな。

 

 あっはい。……奏ちゃんがツッコミ担当を認めちった(あわあわ)

 さて、あんまり馬鹿みたいにふざけてるとシリアスがどっかいっちゃうからね。適度に俺の頭のハザードレベル下げてかないと───って、思った矢先に隙だらけのノイズたんにガブッ ☆(cv.杉田○和)

 え〜? 原作はじまったから活きがいいノイズたん? 普通のクソマッッズノイズたんでしょ〜? ムシャムシャ……(NOW LORDING) ンンンンンンンンンンッ〜⁉︎ ジュゥゥゥゥゥゥゥゥシィィィィィィィィィィィィ‼︎(発狂) なわけ、あるかァァァァい!(ノイズたんを地面に叩きつける)

 ハッ(矢木電) これはまさか、マグロのたたきならぬノイズたんのたたき……⁉︎(IQ10ぐらいの閃き) え〜? ただのミンチになったノイズたんでしょ〜? モッチャモッチャ……(NOW LORDING) ンンンンンンンンンンッ〜⁉︎ ジュゥゥゥゥゥゥゥゥシィィィィィィィィィィィィ‼︎(発狂) なわけ、あるかァァァァァァァァい! ……(ツッコミを期待する目)

 

 ───………………(冷たい視線的なサムシング)

 

(土下座の構え)←奇跡的にノイズたんの攻撃を回避。

 

 ───いや、真面目に戦えって。

 

 SO☆RE☆NA

 

 ───あたし、自分の身体に戻ったら、真っ先にやること決めてんだ。

 

 今ここでそんなことをカミングアウトするあたり、俺にとってロクなことじゃないだろうな(名推理) ちなみに、俺は六発ぐらいプン殴られる覚悟はできてます! かかってこい天羽奏! お前の拳で俺の暴走(自主的)を止めてくれ!(他力本願)

 

 ───ああ。任せろ。翔一のくだらないボケをネットにばら撒いてやるからな。

 

(土下寝の構え)←二度目の奇跡によってノイズたんの攻撃を回避。

 

 ───なんで、こいつ、さっきから全部攻撃かわしてんの……?

 

 ギャグの世界だと人は死なないからね!(自分のことをギャグの世界の住人だと思い込んでる一般シリアス社畜男性)

 てか、話戻るけど、ノイズたん増えてない? Gみてぇに色んなとこから湧いてない?ギルスあんまり長いこと戦えないから長期戦はキッツイんだけど……これ捌き切れなくない? ギルスパイセンは範囲攻撃ないから難易度鬼なんじゃけど……。

 

 ───翼の到着を待つか?

 

 いやいやいや! それこそ一番ダメよ! 今、ここでシンフォギア纏ってSAKIMORIZEした翼ちゃん来てみぃよ? また()()()()()()()()()()()()()()じゃん! そんなの俺が死んじゃうよぉ……(震え声)

 

 ───だったら、翔一が言ってた……あたしのガングニールと融合しちまうっていうあの子も……。

 

 ……多分ね。

 なるべく、会いたくないな、響ちゃんとは。

 

 ───翔一、おまえ……(哀れみの声)

 

 あの装者特有のボディラインがはっきりしちゃうピチピチハイレグは見てて心臓に悪いんだよ。

 

 ───翔一、おまえェェ⁉︎(恥ずかしそうな声)

 

 むむッ……むむむッ(楽○カードの人の声)───これは殺気⁉︎

 

『GILLS……oh……nanto imaimashii bakemono yo』

 

 なんだアンノウンもどきか───って、面倒くせぇなオイ! こいつら動きは単調な癖して、HP高いから鬱陶しいんだよ。もう出てこないでよォ〜(げっそり)

 

 ───なんかこいつ女っぽい肉付きだな。なんか髪?もあるし。

 

 神話のゴルゴーンみたいだね。邪眼で石にするヘビのやつ。

 

 ───あー知ってる知ってる。たしかにそれっぽい見た目だな。

 

『GILLS hukanzen na AGITΩ……koko de raku ni siteyaru』

 

 てか、いたな、こんな蛇女みてぇなアンノウン。たしかこいつは散髪したら暴走して、挙句は自害させられたやつだな。

 

 ───なんだ知ってんのか、翔一。

 

 いや、こんな記憶は全然アテにならないよ。存在そのものが違うもんこいつら。

 ……まあ、このロードノイズとかいうパチモンが何なのかは大体予想つくけどさ。あんまり考えたくないから考えないけど。

 

 ───なんだよ、一人だけ納得して。教えてくれよ。

 

 えー、嫌だよ、こんなゴミみたいな推測をドヤ顔で人に教えるのは。いつも言ってるでしょ、俺は基本バカなの。バカの考えてることなんて、大体は今日の晩ご飯の献立ぐらいなんだから、気にしちゃいけません!

 

 ───でも、翔一って、あたしに五教科全部の勉強を教員並みに教えられる程度の学力は持ってんだろ。

 

 キコエナーイ(耳塞ぎ)

 

『sinu ga ii GILLS??!!』

 

 うおっ⁉︎ こいつらまた四次元ポケットから武器出してきやがった。しかもムチや。なんてこったい。こっちは頭ん中にJK抱えてんのに、SMプレイを強要してくるとは……!(そわそわ) なんて無知なノイズだ! ムチだけに! ね!(ツッコミを期待する目)

 

 ───くたばれ。

 

『kutabare!!!』

 

 シンクロしないでぇーっ⁉︎ てか、さっきから地味に危ねぇなオイ! そのムチなんでちょっと伸びんだよ! 卑怯だろ! 間合いが計れないだろ⁉︎ ちゃんと専門店で買ってこい! このむっちむっちのアンノウンもどき! そう、ムチだけにね! アレ、なんか今日調子良いな(惚れ惚れ)

 

 ───そんな馬鹿みたいなこと言ってると、そのうち当たるぞ。

 

 はっはっはっ、何を言うておりますか。こんなん(わろ)てしまいますわ、ホホホホホ───あ。(長期戦によるギルスの疲弊で動きがワンテンポ遅れる)

 

『GILLS kiete nakunare!!??』

 

 あはん♡(避けきれずに太腿に被弾)

 

 ───……(ドン引き)

 

 ち、違うんや、違うんや、奏ちゃん……俺はSかMかと聞かれたら、基本はSでいたいけど、人によってはMでもいたいというオールマイティな多様性を目指していてな───。

 

 ───話しかけないでもらいますか、変態。

 

 敬語ッ⁉︎ アッ…チョットマッテ…ソレツライ…(呻き声)

 

 ───フン、ちょっとは真面目に戦え。ロードノイズは一筋縄じゃいかないんだぞ。

 

 でぇじょぶ。でぇじょぶ。もう見切った見切った。間合いも大体わかったし、基本姿勢から足運び、攻撃速度と予備動作、一度に繰り出せる最大攻撃回数とそれに伴って生じる隙なんかもでぇてぇわかったよ。

 問題があるとすれば、どうやって攻撃するかなんだよな。格闘の間合いにもっていくために脳筋チックに突っ込むのはちょっと怖いし、モノ投げてもあんまりダメージ無さそうだし、どっかに手頃な武器ねぇかな〜(棒)

 つまり、あとは祈るだけよ! ───伸びろ、我が触手、ギルスフィーラー! 中距離武器を使うのは、テメェだけじゃねぇって話よ! リーチの違いを見せてやらぁ! オラ! エロくない方の触手のお出ましじゃァァァ‼︎

 

 ニョキッ(15cmぐらい)

 

 …………。

 

 ───…………。

 

『…………』

 

 ……あ、あのライヴアームズたん? 俺の腕に寄生していらっしゃる生命鎧ライヴアームズたん? お手数ですが、もう少しだけ伸びてはいただけないでしょうか? 具体的にはあと50cmぐらい……いや、40cmでも構わないので、せめてヌンチャクとして扱えるぐらいまでには伸びて欲しいのですが……い、いかがでしょうか?

 

 ニョキニョキニョキ(+20cm)…………ニョキニョキッ(−15cm)

 

 な ん で 縮 ん だ し 。

 

 ───…………ふッ(笑いを堪える声)

 

 やべぇ……手から中途半端に伸びたギルスフィーラーがぶら下がっててクソ邪魔なんたけど(震え声) 無駄にでけぇストラップつけてるみたいでウゼェ……ちょっとライヴアームズたん、これ以上伸びないなら、縮んで腕ん中に戻ってはいただけませんかね? あ、嫌ですか、さいですか……ふぅ〜(クソデカ溜め息)

 

 ───だ、ダメだ、翔一……今日はなんか、し、触手の機嫌が悪い、みたいだぞ……ふふッ(もはや笑いを堪え切れていない)

 

 な に わ ろ と ん ね ん (白目)

 ぐぬぬぬ……今日はあんまりノイズたん食べれてないから、拗ねやがったな、ライヴアームズたん。毎度のことだけど、主人である俺の意思なんかには全く屈しないタフな生命鎧だぜ……!

 

「■■■■■■■■■■■■■ッ‼︎(訳:考えるのやーめた)」

 

『nani!!??!!??』

 

 男は黙って───猪突猛進よ!

 あ、ちょっと、そんなにムチ振り回さないでもらえます? ギルスって防御力ホント紙なんで……ゴッドの方じゃないです、ペーパーです……攻撃力はボストロールなんですけど、耐久値はまじでスライムなんで、あんまり一方的に攻撃されちゃうと俺もアマゾンズ的な血ブッシャァァな状態にならざるを得ないっていうか……あ、肩が弾け飛びましたね……イッ…イッタァ~イ…カタガァ……ほんわか(?)ギャグの空気だったのに、ギルスから血が飛び散ったので、画面の彩度が落ちて、またアマゾンズフィルターがオンラインしました。お前のせいです。あ〜あ(肩を押さえながら)

 ふぇぇ…痛ぃよぉ…とか言うとでも思ったか⁉︎ 見えた隙の糸!(見えてない)

 顔面鷲掴みからの引き摺り回し! オラァ! 壁とキスしな! コンクリートに穴開けてやるぜ! スコップはお前な!! 社畜の呼吸弐ノ型「俺が若い頃はもっと大変だったんだぞォ?」!!! そんなこと言うやつに限ってあんまり大変な目に遭ってない!!! 泣けりゅ!!!

 

 ───その呼吸、意味あんのか?(困惑)

 

 ナ゛イ゛ヨ゛!!!(流行に便乗)

 とか、言ってる間に、あのSM嬢のアンノウンもどき、俺の腕の拘束を何とか振り解いて、そのままビビって逃げやがった。いやいや、ちょっと待って、ちゃっと待て、待て待て、ま゛て゛い゛!!!(血を吹き出しながら疾走) 首置いてけ! 首置いてけや直政ァ!(風評被害)

 

 ───あいつ、どこに逃げるつもりだ?

 

 大方、相棒のヘビ野郎のトコじゃない? いるでしょ、どうせもう一匹ぐらいさ。まあ、合流されると面倒だし、ここでさっさと仕留めておきてぇなぁ〜狩りてぇな〜あの頭……(猛ダッシュ中) ───って、そこじゃあああああああ(壁キック連打からの上空から飛びかかり)

 

「■■■■■■■■■■■ッ‼︎(訳:親方、空から妖怪ノイズムシャムシャくんが‼︎)」

 

 アンノウンもどきの背中を捉えたので、ぴょーんと飛びかかって、両腿で首を挟んで、そのまま派手に押し倒す。ついでに無防備を晒した右腕をガッチリ両腕で固めて、そのままローリングして引きちぎっておく。自分で言うのもなんだけど、人間じゃあ到底できないムーブをしてしまった。だって、頭の中で奏ちゃんがちょっと引いてるもん。

 片腕を失ったアンノウンもどきはよろめいて、尚も逃げようとするので、背後から首筋をガブッ☆(cv.ギンガの人) そのままお肉を噛みちぎって、乱暴に蹴り飛ばす。目の前の鉄柵に突き破って、どっかの建物───倉庫っぽい場所の中にダイナミックエントリーをかます瀕死のアンノウンもどき。俺も壁を殴ってブチ壊してその中へと入った。

 ぴくぴくと倒れ伏したアンノウンもどきを容赦なく踏んづけて、とりあえず、勝利の咆哮を上げておく。ふぅ(賢者タイム)……さて、ここは何処かな? アンノウンもどき追っかけんのに夢中で道とか全然見てなかったぞ。ん? AMAZ○Nの倉庫か? それとも楽○か? いや、どっちでもええけど。

 あー、奥にもう一匹のアンノウンもどきがいるな。ヘビっぽい見た目のやつ。武器は杖か。ヒーラーか? よし狩るか(挨拶)

 いや、まだ何かいるな。

 子供が二人───襲われそうになってんのか。

 なんか小柄な子とこの匂いは───。

 あ。

 

「み、未確認生命体……第三号……ッ」

 

 そこにはシンフォギアを纏った響ちゃん(ピチピチスパッツ)がいた。

 怯えた表情の目線の先には、(ギルス)がいる。

 

 やっべ、今の俺、チョー怖いやん(ロードノイズを踏んづけて、さっき捥ぎ取った右腕を掴んだまま雄叫びを上げてる怪人)

 い、今からでも入れる保険ってあります?

 

 ───ねぇだろ。

 

 ハイパー無慈悲。




(※オリ主が脳内クソ漫才してる間も身体は一生戦ってる設定です)


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♭.俺は彼女の歌に耐えられないかもしれない。

(この度、お気に入り登録8000に到達しました。誠に感謝です。感想も沢山いただいき感激でございます。オリ主仮面ライダーモノってこんなに人気あったっけ?と疑問は尽きませんが切ちゃんバースデーガチャが壮大にタヒんでしまったのでもはやどうでもいいです)

前回との温度差に腹壊しそうな内容と量ですまないすまない。


 立花響は唄を歌った。

 逃げ遅れた少女を背負い、大量のノイズに追われながら、誰にも助けを求められない孤独な街で安寧の地を探して走り回る。息を切らしながら、体力の限界を迎えながら、それでも果敢に逃げ続けた。

 挫けることは死を意味する。絶望に染まる状況でも、響は己を奮い立たせて我武者羅に走り続けた。

 やがて、逃げ場のない狭い路地に追い込まれ、ついに忌まわしき認定特異災害に囲まれてしまった時───。

 

 〝生きることを諦めるな〟

 

 不意に思い出したあの言葉が響の胸を熱く迸らせて、彼女は無意識の中で口ずさむように聖詠を奏でた。その唄こそ───立花響の身に宿った聖遺物・撃槍(ガングニール)を起動させる聖なる(カギ)であった。

 凶暴な衝動───天まで届く光の柱が走る。

 そして、シンフォギアが立花響を包んだ。

 純白のプロテクターを纏った戦士のような姿に戸惑いを隠せない響は安易には認め難い記憶を呼び起こされ、激しく動揺した。あの日───ライブ会場の惨劇の渦中、ツヴァイウイングの天羽奏がノイズと戦っていた時の勇ましき容姿と一致していたのだ。

 唯一の違いは武器である槍が無いこと───。

 だが、もしも、これが()()()()()()()()()

 覚悟を決めた響は怯える少女をしっかりと背負い直して、()()()()()ノイズへと拙い拳を振り下ろした。驚くことに、無敵の位相障壁を持つノイズの奇妙な肉体は呆気なく響の拳に砕かれた。

 やはり、そうだ。この力は、ノイズと戦える力なんだ。

 そうと分かれば───響は恐怖を捨てて、ノイズの包囲網へ一点突破を試みる。止め処なく溢れてくる歌に身を任せて、彼女を囲っていたノイズの大半を文字通り殴り倒した。

 

「お姉ちゃん、スゴい!」

 

 少女の歓声に照れながらも、自分が得体の知れない力を行使していることに若干の疑問を感じ───しかし、この力があの天羽奏から引き継いだものだというのなら一切の迷いは無かった。

 

(あの人が歌っていたこの唄が間違いなわけあるものか!)

 

 襲いかかるノイズを拳打で叩き伏せて、ノイズに支配された地獄のような街から出ようと走り出した手前───。

 

『u¥→u÷U>°%u…urusai koe da』

 

 その異端な雑音は現れた。

 人間のような軀を持ちながら頭は(コブラ)のそれであり、邪教を仕切る祭司のような風貌を装い、勢いを味方につけた響の前に堂々と立ち塞がった。

 見たこともないノイズだった。

 言葉───言語を習得したノイズ。

 響は無心で頭を振った。あれは言葉でも声でもない。人間の声帯器官を真似て、聞くに耐えぬ不協和音を並べることにより、さも発声しているように見立てているだけに過ぎない。

 とはいえ、コミュニケーションは可能なのか───否、その歪んだ笑みの綻びが間違いなく邪悪な存在(もの)だと響の心にひしひしと伝わらせていた。溢れ出る敵意が挑発するように響の出方を伺っている。

 

(そこをどけぇぇえ───ッ!)

 

 響の(ストレート)は───(コブラ)には届かなかった。

 

(ええっ⁉︎)

 

 彼女のパンチは片手で受け止められていた。

 (コブラ)は余裕ある表情のまま、もう一方の腕を自分の腹部へ抉るように突っ込んで、掻きむしり、ポケットから取り出すような素振りで腹の中から細長い錫杖のような武器を取り出した。自傷行為というわけではなく、痛がっている様子もない。その姿が尚も響に恐怖という感情を抱かせた。

 杖の尖った先端で地面を軽く小突き───(コブラ)は錫杖で響を大きく叩き殴った。シンフォギアの防御力でも緩和し切れない衝撃が響を襲う。

 軽々と吹き飛ばされた響は───背中の少女の悲鳴に意識を留め、天性の才能を開花させるように無茶な姿勢制御を空中でやってのけた。くるりと回転して被弾した態勢を整えた。絶叫を上げる少女を強く抱え直し、両足で着地する。まさに危機一髪であった。

 その見事な動きにロードノイズは苛立った。

 響は呼吸を整えながら、胸に込み上げてくる歌を途切れさせないように意識する。この蛇ノイズは他のノイズとは格が違う。歌うことを止めてしまえばその瞬間───これは響の理由もない直感であった。勘に近い。だが、的を射ている。

 

(なんとかして、()()()()と!)

 

 戦う力がある。シンフォギアには装者の身体能力を向上させる機能も付与されている。そのため、彼女の突き出す拳は砲弾の如き殺傷能力を秘めていた。

 だが、響は戦闘に関してはずぶの素人。殴り合いの喧嘩など人生で一度足りとも経験したことがない。

 剣を手にした人間がみな等しく剣士になるわけではない。幾度となく剣を振るって、その重みを知り、初めて剣士と名乗るのだ。

 力があっても───強くなれるわけではない。

 いつかの青年がそんなことを言っていた。呑気な性格の彼があまりに場違いなことを言うものだから、響はその言葉を何となく覚えていた。まさに、この状況そのものだ。

 過信するな、立花響! 私の背中に背負った命は私のものじゃないんだぞ! ───素早く目線だけを動かし、ざっと周囲の様子を窺い、目に止まった建物───運送会社の倉庫と思しき建造物の中へと疾走する。恐らくは仕事中だったのだろう、巨大なシャッターは開いていた。

 倉庫内にノイズはいなかった。

 淡い光源の照明がぶら下がり、段ボールが積まれた幅の大きい鉄棚は倉庫内部の随所に大きな影を落としていた。身を隠すのに打ってつけだった。

 響は鉄棚の影に少女を下ろした。

 

「ここで静かにしててね」

 

 子供をおぶったままで勝てる相手じゃない。

 響は自分の頬を叩いて、眼前の敵を強く睨んだ。ゆっくりと迫り来る(コブラ)は不敵な笑みを浮かべながら、手に持った錫杖で地面をコンコンと叩く。挑発のようだ。こういう時はどうすればいいのかわからない。

 結局、響は馬鹿正直に駆け出した。下手な小細工などできるはずもないし、真っ向勝負しか思いつかない。

 

(今度こそ、当たれぇ───!)

 

 響の振り回すような拳は(コブラ)の錫杖に受け止められた。手がダメなら足で───攻撃手段を蹴りに変えて、隙だらけの脇腹へ打ち込むが、(コブラ)は長い錫杖を巧みに扱い、響の拳と足の両方を防いでしまった。

 驚きも束の間───掌底が響に打ち込まれた。

 それから何度も攻撃を仕掛けるが、響は全く歯が立たなかった。ついにロードノイズに傷一つ負わせることなく、響の取り柄である体力だけが消耗していく。それに伴い、彼女が奏でる聖なる歌も次第に弱まり───(コブラ)が錫杖の先端を使い、響の喉を激しく突いたことが決定打となって、彼女は上手く声が出せなくなった。

 歌えなくなった。

 それはシンフォギアの敗北を意味する。

 

「がッ……⁉︎」

 

「お姉ちゃん⁉︎」

 

 少女の心配する声───倉庫の隅で涙ながらに響へ駆け寄ろうとしていた。

 来ちゃダメ! ───言葉が喉より先へ出ようとしない。

 仕方なく響は少女の方へ駆け寄り、その細々とした幼い矮躯を抱き締めて、倉庫の奥へ奥へと逃げ続けた。苦渋の決断である。逃げ切れるわけでもない。追い詰められるのは時間の問題であった。

 やがて、二人は倉庫の一角で蛇型ロードノイズに呆気なく追い詰められてしまった。響は何とか幼き少女を自分の背中に隠して、最後まで守ろうとするが───果たして、雑音(こいつ)にどこまで通用するのか。

 (コブラ)は残忍な笑みが張り付いた顔で───さながら基督教徒が丁寧に十字架を切るように、不気味な紋様(サイン)を手の甲に描き、家畜を見るような冷酷な目で響に言い放った。

 

『zitu ni orokashii……omae ha AGITΩ ni tikai』

 

「ぁ、あぎ、と……?」

 

『a aa@a……k kk korosaneba!!??』

 

 激情に身を任せるように(コブラ)が錫杖を天高く振り上げ、針のように鋭利な先端を響の心臓に向けて振り下ろさんとした。

 避けることはできない。彼女の背中には守るべき少女がいる。

 受け止めることもできない。立花響は戦闘に至っては単なる素人でしかない。

 命が奪われる───死が見えた。

 生きることを諦めたくない頑固な心と心の内に隠した恐怖心が死の間際で鬩ぎ合って───あの時に助けてくれたツヴァイウイングも仮面ライダーもどこにもいなくて───必死に目を瞑った響は無自覚のまま、心の奥底で彼の名前を叫んだ。

 

 ───助けて、翔一さん‼︎

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■ッ‼︎」

 

 乙女の祈りは怨嗟の咆哮となって───残酷な運命に引き合わせた。

 

 その獣は突如として立花響の目の前に現れた。

 獣───そうとしか表現できなかった。

 コンクリートで造られた壁を発泡スチロールを壊すように易々と殴り砕き、()()()()と足を引きずり、肩から赤い血を滴らせ、疲労困憊を呈していても尚───決して獲物を逃さない獰猛な瞳はまさに生粋の狩人たる獣だった。

 深緑の隆々とした鎧のように強固な筋肉。()()()()と鳴らす銀色の牙。肉を好む蟲の顎の如き禍々しい双角。漆黒の皮膚に覆われた体躯は霊長類を模した姿を象りながら、人類とは全く似て非なるものであることを示すように、全身が殺気を帯びた凶器となって、微塵の人間性も獣心(ここ)には無いことを悟らせる。

 腰部に装飾された金色の超因子(メタファクター)に埋め込まれた賢者の石が闇の中で鈍く輝いて───その鮮血の如き双眸を明らかにする。

 響は息を呑んだ───まるで、あの()()()()()()のようだ。

 しかし、そのような希望に満ちた惰弱な発想は一瞬の内に打ち消される。

 異形の生命体が銀色の大顎(クラッシャー)を満遍なく開けて、聴くもの全てを震撼させる凄まじい咆哮を放ったのだ。

 遠くから木霊した残響を耳にしたことはあれど、視界に収まるほどの至近距離からその咆哮を体感したことはなかった。故に思い知らせた───この声は武器なのだ。ただの一声で、響の心にまだ燻っていた闘志が嘘のように霧散した。いや、彼女だけではない。力を得た響を一方的に追い詰め、その脅威を知らしめた(コブラ)が───邪悪な笑みを絶やさなかったロードノイズがその笑顔を喪失させ、あまつさえ、慄然として身を震わせている始末だった。

 これが未確認生命体第三号───ノイズを喰らう化け物。

 その足の下で、腕を捥がれたロードノイズが息絶えてなるものかと蠢いていた。奪った女型の(コブラ)の腕を放り捨て、未確認第三号はロードノイズの背中をぐりぐりと踏み躙る。

 響が手も足も出なかった強力な(ノイズ)を瀕死の状態にまで追い込み、動けぬように足で踏みつけて、まるで、己の力を知らしめるように咆哮した(ギルス)は次の標的(えもの)を決めるべく舌舐めずりをするように見渡して、すっかり縮こまってしまった響の方を取り憑かれたかのように見つめた。

 その表情はわからない。

 仮面が張り付いていて───何もわからない。

 

「未確認生命体……第三号……」

 

 第三号(ギルス)に怯えて今にも泣き出しそうになっている背後の少女を響は身を挺して庇うようにするが、果たしてこの状況で何ができるのか───響の脚はこんなにも震えているのに。

 

『gi……gGGg……!?!?』

 

 ギルスに屈辱の限りを尽くされ、挙句は踏まれて、戦闘不能と思われた隻腕の(コブラ)雑音(ノイズ)が最後の力を振り絞り、激しく踠きながら身体を翻すようにして、その拘束を懸命に解こうとした。

 虚を衝かれたはずのギルスは───あろうことか、興味が失せてしまったように足を上げてロードノイズを逃した。

 咄嗟に立ち上がり、今までの借りを返さんと女型の(コブラ)が鞭を振り上げると───その腹に鋭い蹴りが穿たれた。ギルスの右足が槍のように深々と突き刺さる。いつの間に? 目で追うことなどできない機敏な動き───あるいは、(コブラ)の攻撃を完璧なまでに読んでいたのだろう。ギルスはその態勢を維持しつつ、軸となった左足で地面を蹴り上げ、瞬時に両足を入れ替えることにより、一撃目より遥かに威力が増した二撃目の蹴りを反撃など許さぬ強力な連撃に変えて───(コブラ)の顔面を文字通り粉砕する。

 何たる脚力か───あのロードノイズが為す術もなく吹っ飛んだ。

 直撃する瞬間、ギルスは体躯を捻るように旋回を加えて、その蹴撃に只ならぬ破壊力を与えていた。人間では到底不可能な域───素人の響でさえ、この化け物の強さがどれだけ馬鹿げているのか理解できてしまう。

 血のように赤い煤を撒き散らしながら吹き飛ばされる女型の(コブラ)───段ボールが陳列された鉄棚に突っ込んでいき、そのまま無数の棚を押し倒して、雪崩のように落ちてきた荷物の山に埋まってしまった。そのまま動きはない。死んだのだろうか。 炭素の塊に還ったのだろうか。

 ギチギチと音を立てながら中途半端に伸びた触手が右腕に収納される。手の関節を確かめるように曲げながら、気怠げな足取りでギルスが段ボールの山へと近づく───ふざけた怪物にトドメを刺すために。

 すると、突然の停止。

 思い出したかのように響と少女が茫然と佇む方角へ首を向け、殺意が漲る紅の(まなこ)で二人をじっと凝視した。

 ぎらぎらとした熱い目───狙いを定める野生の肉食動物のそれである。

 

「ひっ」

 

 背中の少女が恐怖のあまり響の腕にしがみつく。この化け物に恐怖心を抱かぬ者など此の世にはいない。命ある生物としての本能が警鈴を鳴らすのだ。(これ)に近付いてはならない。接することも、戦うことも、同じ場所にいることさえ避けねばならない。

 一刻も早くこの場から離れなければ───何が起こっても不思議ではない。

 しかし、こちらのすぐ傍にはロードノイズがいる。これでは逃げられない。響の拳が位相障壁を持つノイズに届いたところで、その上位種に位置するロードノイズには実力的に太刀打ちできない現状───逃亡は極めて難しい。あの邪悪な司祭を模した(コブラ)は響を殺害しようとしていたが、恐ろしい乱入者に目を奪われて、その動きを一先ずは止めざるを得なかっただけに過ぎない。あの(コブラ)から安易に逃げられるとは考え難い。

 そこまで考えていた響だったが───それこそが間違いだった。

 敵はもういなかった。

 響のすぐ隣まで迫っていた祭司のような(コブラ)は音もなく忽然と居なくなっていたのだ。一体いつから? どこへ消えたのだろう? もしくは、誰を真っ先に殺害すべき対象だと見做したのだろうか───。

 

『gGggg…GILLS───??!!!?』

 

 (コブラ)は天井に張り付いていた。

 そして、飢えた毒蛇が獲物へ飛びかかるように俊敏な動きでギルスに襲いかかる。完全に意表を衝かれたギルスの後頭部へ錫杖を鈍器のように振り下ろした。

 だが、それも不発に終わる。

 ギルスが響と少女を無言で見つめていたのは、決して二人を捕食対象として捉えていたからではない。そこにいたはずの獲物を探していたに過ぎない。喰うのはお前ではなく、この俺だ───頭部の感覚器官たる悪魔の双角(ギルスアントラー)が五感を司る触覚として機能し、我が身を殺めんとする悪意を隈なく感知した。

 その反射速度は異常───それは(ギルス)の力というより変身者が有する抜群の戦闘力(センス)

 (コブラ)の錫杖がギルスの頭を叩きつけるよりも先に、仰向けに倒れるようにして劇的な回避を成功させたギルスは虚空を()ぎる錫杖を恐ろしい反応速度で掴み、(コブラ)の無防備な胸部に右足を添えて、そのまま勢いを殺さず明後日の方向へ蹴り飛ばした。

 地面に背中から叩きつけられる男型の(コブラ)

 奇襲すら無駄に終わる。

 奪った錫杖を叩き折り、決して逃さぬ執念にも似た殺意の塊たるギルスが立ち上がった(コブラ)へと怒涛の声を上げて駆け寄った。もはや、誰にも彼を止められない。野に放たれた猛虎を止める術など誰が持っていようか。

 

「■■■■■■■■ッ‼︎」

 

 容赦のない拳が幾度となく放たれる。響の拳とは違う───明確な殺意だけが迸る。命を奪う意志を感じさせる殺伐とした鋭い拳打が流れるようにロードノイズに打ち込まれていく。速い───目で追うのが精一杯だ。防御すら許されない(コブラ)が大きく蹌踉(よろ)めくと両肩を掴んで、腹部(ボディー)に捻じ込むように重圧的な威力を誇る膝の蹴撃を叩き込んだ。激しさを増す凶悪なる暴力───くの字に曲がる(コブラ)のその背中に両手を束ねた怒れる鉄鎚(スレッジハンマー)を豪快に振り下ろす。

 破裂するような轟音が響き───(コブラ)が押し潰されるように地面に叩きつけられた。

 だが、まだ終わらない。

 (コブラ)の腰部を膝で乱暴に押さえつけながら、抵抗できぬよう両腕をがっちりと固めて、(ギルス)は化け物たる所以を響へ()()()()()()()()、刃の如き歯牙が並ぶ暴食の大顎(デモンズファングクラッシャー)で頸部の肉を引き千切らんと、まさに野生の肉食動物のように荒々しく齧りついた。

 ぐぢゅりッ───肉を砕く生々しい音が響き渡る。

 

「──────ッ」

 

 見るに耐えぬ光景だった。

 如何にノイズであれ、生きたまま捕食される恐怖と絶望によって促される決死の抵抗は人間のそれとよく似ていた。足をばたつかせ、腕を振り回して、腰で振り落とそうとする───だが、肉を喰らわんとする猛獣は必死に抗う(ノイズ)の致命的な動きを封じていた。ノイズに関節という概念は無いと言ってもいい。肉体はほぼ変幻自在である。しかし、アギトやギルスのような超常的な力によって、存在そのものに干渉を及ぼす拘束はノイズの肉体さえも制限してしまう。

 ギルスが封じたものは───ノイズの肉体(チカラ)

 彼に触れられたノイズは人間一人として炭素へ還元できなくなる。ノイズとしての性質を奪われて自壊すらできなくなる。単なる物質へと貶められ、物理法則に従わねばならなくなった無力な生命体たるノイズは捕食者(ギルス)にとっては格好の餌に過ぎない。

 蜘蛛の糸に絡まった肉を貪り喰らうように───ギルスはノイズを喰らうのだ。

 

『y Yya yame ☆>〆s↓#<to*▽▲p×:=!!??!!??』

 

「■■■■■■■■───ッ‼︎」

 

 ぶちぶちぶちぶち、と───ゴムのように噛み千切られる雑音の肉。

 鮮血じみた煤が食い千切られた首から噴き出される。

 思わず響は目を伏せた。彼女の背中に顔を埋める少女にはこの凄惨なる光景は見えていないであろうが、その残虐を極める音だけでトラウマとして記憶されるだろう。

 辛うじてまだ胴体と首が繋がっているロードノイズだが、喉仏まで噛み砕かれた頸部では生存などできるはずがなかった。少なくとも、他のノイズならば肉体が大きく破損した時点で活動は不可能となる。

 しかし、(コブラ)はまだ絶命していなかった。

 ロードノイズの生命力は四肢を欠損しても動きを止めぬほどに強靭であった。一般的なノイズと違って、ロードノイズは内部に蓄積されたエネルギーの量が桁違いなのだ。役目を終えると自壊しなければならない程度の活動エネルギーと違い、エネルギーを自律して生み出す器官を各々に与えられたロードノイズは容易に殺せるようなノイズではない。

 (コブラ)は一瞬の隙を突き、肉を咀嚼していたギルスの拘束を振り払うと蛇のように地を這いながら離脱───彼我の距離を間合いが及ばぬ距離まであけて、焦るように起き上がると腹部から新たな錫杖を取り出した。

 

『GILLS omae ha kanarazu kono te de korosu??!!』

 

 怒りを露わにして錫杖を振り回す。

 

『ima koko de kiero GILLS!!!!』

 

 (コブラ)は戦意喪失となったわけではない。

 何よりロードノイズに撤退という選択肢は知覚(インプット)されていない。死ぬまで戦い、殺すために戦う。認定特異災害───人類を抹殺する完成された兵器でありながら、生命体としてはこれ以上ない欠陥品の出来損ないがノイズに下される評価に相応しい。

 それ故に厄介───この兵器を止める術は極めて少ない。

 (コブラ)が錫杖を前に突き出してギルスへと突貫する。

 (ギルス)は棒立ちのまま動かない。

 長時間に及ぶ戦闘行為による疲労───力を制御できず、過分なパワーに振り回され、絶えず過剰なエネルギーの奔流に身を押し潰されそうになっているギルスにとって、長期戦とは猛毒を吸い続ける行為と同等の意味を持つ。その肉体は時間と共に破壊される。己の力によって着実に身体を壊されている。

 故にギルスの戦闘可能な時間はごく僅か。

 既に一時間以上の戦いをノイズ共に強いられていたギルスにもう戦える時間は残されていない───はずだ。

 司祭姿の(コブラ)は勝機を見たりと錫杖を意気揚々と振り上げた。この一撃でお前の頭蓋骨を砕いてやる。邪悪な意思が垣間見える錫杖の殺気ある動き───互いの必殺の間合いに(コブラ)が踏み込んだ。

 そして、錫杖が乱暴に振り下ろされる瞬間───ギルスの第三の眼(ワイズマン・オーヴ)が妖しく閃いた。

 

 〝おまえがきえろ〟

 

 風を斬るような一撃(カウンター)が裂き誇る。

 ずぶり───鮮血の煤が弾け飛び、(ギルス)の深緑に覆われた怪腕が(コブラ)の胸元を貫いた。

 たった一撃───それが決め手となる。

 ロードノイズの渾身の攻撃を嘲笑うかのように最小限の動きで避けたギルスは目にも留まらぬ韋駄天の貫手を必殺の反撃(カウンター)として放っていた。剣よりも鋭く、弾丸よりも速い、圧倒的な貫手突き───その一連の動きは理性なき獣ではなく、闘いの世界に身を置く達人の極技に値する。

 (コブラ)の軀を貫いた(ギルス)の手には───心臓のような器官。

 ドクドクと不規則ながらに鼓動している。

 その不気味な臓物をギルスは躊躇うことなく握力に任せて握り潰す。腐った林檎が潰されたようにそれは()()()()()()と音を立て、煤ではない瑞々しい黒い液体を滴らせて朽ちていった。

 その瞬間、頭上に光の輪を浮かべたロードノイズは否応なく肉体を炭素の塊へと変貌させ───初めて自壊を許される。

 (ギルス)が握り潰した心臓こそ、ロードノイズのみに与えられたエネルギー器官───これさえ破壊できれば、ロードノイズは如何なる状態でも死に絶える。

 動かぬ赤黒い砂像となった(コブラ)からギルスが乱暴に腕を引き抜くと、歪な人を模した形すら保てずに単なる黒い砂の山となって崩れ落ちた。

 

「すごい……」

 

 一部始終を目撃していた響はそんな言葉しか絞り出せなかった。

 息もつけない熾烈な光景が目に焼き付いていた。ロードノイズを圧倒してしまった。獣のように野生的な暴力(ステゴロ)でありながら、冷徹な暗殺者の如き殺人的な技術が一つ一つの動きに混ざっていて、人と獣の狭間で揺れる何者にもなれない狂戦士(バーサーカー)のように強かった。

 それは響の目からしても、怖かったし、恐ろしかったし───とても悲しそうだった。

 血を吐くような声で()()()()叫んでいた。

 未確認生命体第三号───響を一方的に追い詰めたロードノイズを虐殺と称しても差し支えない実力差で圧倒してしまった異形の怪人が抱く赤き瞳は未だ獰猛に揺れている。

 その首が再び響の方へ向けられる。

 まだ狩り足りないとでも言うのか。血塗れの指がゴキゴキと関節を曲げて鳴らされる。何かを探るように悪魔の双角(ギルスアントラー)が振動して揺れる。その姿勢はまだ戦う意志を見せていた。

 次の瞬間───倉庫内に激震が襲った。

 倉庫の天井が何か途轍もない重さに耐え兼ねて、圧し潰されて落ちてきてしまった。こじ開けられた天窓から月光が差し込んで、鉄骨混じりの瓦礫の山が土煙を巻き上げ───そこから溢れ出す有象無象のノイズが奇声を発しながら響と少女、そして、ギルスへと攻撃を仕掛ける。

 

「ノイズッ⁉︎」

 

 しまった。まだノイズは残っていたんだ。

 

「ここから動いちゃダメだからね、絶対!」

 

 涙目の少女を鉄棚の影に押し込んで、一度は失った闘志を燃え上がらせるべく響は大きく深呼吸した。頬を叩き、拳を握り、弾むようにその場で小さく跳躍───恐怖で固まった身体をほぐして、悪意が滲んだノイズへと向かい合う。

 息を吸って───()()

 天羽奏が歌っていたあの歌をもう一度口ずさむ。大丈夫。今はしっかりと声が出せる。まだ私も戦える。まだ歌うことができる。胸に激しく鼓動する熱い心が刻む聖なる歌に従って───立花響は唄を歌った。

 ノイズの位相障壁を調律するには歌うしかないのだから、彼女は歌に身を任せて拳を握る。

 歌いながら、戦う───それがシンフォギア。

 

(はぁぁ───ッ!)

 

 ロードノイズには勝てなかったが、普通のノイズならば───。

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■ッ‼︎」

 

 空間を引き裂くような咆哮が轟いた。

 響は驚いて、音の方向へ顔を向けると───ギルスが頭を掻き毟るように手で押さえて苦しんでいた。

 

「■ァ……ッ‼︎ ■■ォ……‼︎」

 

 嗚咽のような苦悶の咆哮(こえ)がギルスから漏れる。

 両膝から崩れ落ちて、地を舐めるように悶絶する。激しい頭痛に苛まれているかのように頭を抱えて、足を痙攣させて踠き苦しみ、怨念じみた絶叫を吐き散らす。

 やがて、その痛ましい獣は頭を大地に叩きつけた。何度も頭を打ちつけて、何度も脳に刺激を与えて、何度も何度も痛みを呼び起こす。

 理解が追いつかない異常な光景───響は呆然とした。

 しかし、彼女の歌は途切れることはなかった。彼女はほぼ無意識で歌唱していたのだから、如何なる残虐な光景が目に飛び込んできても、今の立花響に唄を止める術はないに等しかった。

 だからこそ、ギルスは血を吐いた。

 吐いた血は───ギルスに残された最後の自制心だったのかもしれない。仮面の下で青年が自分の舌を歯で噛み切り、痛覚によって意識を留めんとする最後の抵抗が行われていた。だが、ギルスに残された人間としての心は容易く獣の衝動に呑み込まれてしまう。

 噛み切った舌も再生させられて、手も足も自分のものじゃないように感じられて───獣は嘆くように叫び散らした。

 

「■ゥ……■■ァァ───タをッ‼︎」

 

 声がした───()()()()()()()()

 

「───歌ヲ、歌ウナァァァァァァァァァァァァッ‼︎」

 

 

***

 

 

 ウタがきこえる。

 

 ───だ■だ、■■ッ!

 

 ウタが闇の中できこえる。

 

 ───しっ■りしろ! ■■! ■み■■れるな、自■を忘■るな!

 

 ウタが───おいしそうなウタが───俺の衝動が───狂ったように───声が───ッ!

 

 ───■■、■っ■■■ろ!

 

 喰らえ、喰らえ、喰らえ、喰らえ、喰らえ、喰らえ、喰らえ、喰らえ、喰らえ!

 いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ!

 喰らえ、喰らえ、喰らえ、喰らえ、喰らえ、喰らえ、喰らえ、喰らえ、喰らえ!

 いやだ、いやだ、いやだ、くらえ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ!

 喰らえ、喰らえ、喰らえ、喰らえ、喰らえ、喰らえ、喰らえ、喰らえ、喰らえ!

 いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、くらえ、いやだ、いやだ、いやだ!

 喰らえ、喰らえ、喰らえ、喰らえ、喰らえ、喰らえ、喰らえ、喰らえ、喰らえ!

 いやだ、いやだ、くらえ、いやだ、いやだ、いやだ、くらえ、いやだ、いやだ!

 

 (オマエ)は───ッ! (オマエ)はァ───ッ!

 

 ───■■ーっ! ■■ーっ‼︎

 

「お、俺を呼ぶなあああああああああああああああああああああああッ‼︎」

 

 

***

 

 

「■、■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ッ‼︎」

 

 理性を失った猛獣が咆哮する。

 獲物を狩る野生の豹の如く身を屈めて疾走する(ギルス)の標的は蔓延る大量のノイズではなく───立花響、ただ一人であった。

 

(えっ───)

 

 ノイズなどまるで眼中になかった。

 何の抵抗もできなかった響の細い首へ深緑の右腕は食らいつくように伸ばされて、響の首を力強く絞め始めた。そのまま恐ろしい膂力を用いて、彼女を軽々と片手で持ち上げる。息ができない。両足は既に宙に浮いている。気道が圧迫されて呼吸は不可能となっていた。

 頬に冷たい感触───もう一方の腕から殺気立つ金色の鉤爪が伸びて、響の幼い顔を引き裂かんと頬に触れるように添えられていた。

 

(殺される───!)

 

 死を予期する瞬間、ギルスはまたもや頭痛に苦しみ始めて、苦悶の末に響を乱暴に放り投げた。地面に叩きつけられた響は激しい咳をこぼしながら、まるで、何かと戦っているかのように無秩序に暴れ散らす(ギルス)を悲哀に満ちた目で眺めた。

 それはただひたすらに痛ましい。

 両腕を裂くように伸びた曲刀の如き鉤爪で憂さ晴らしでもするかのようにノイズを葬り去るギルスは時折、耐え難い頭痛に何度も地面に転がりながら、それでも暴力だけが己を鎮めることができる救いの手なのだと言い聞かせるように、ただ怒りに身を任せて殺戮の爪を傲慢に振るい続ける。

 血を吐くような叫びが木霊する。

 響は気づかない。(ギルス)が決して彼女を視界に入れぬように注意を払って戦っていることに───気付けるはずがない。

 

「わけわかんないよ……」

 

 ピタリと動きを止めたギルス───その咆哮は天に向けられた。

 

「■■■■■■■ァ───ッ‼︎」

 

 嗚呼、まだウタが───うまそうなウタがきこえる───!

 

「〝Imyuteus amenohabakiri tron〟」

 

 そして、もう一人───聖なる歌声は解き放たれた。

 遥か空より舞い降りる剣の如き乙女の歌が混沌とした戦場に刃を突き立てるべく、凛として空に響き渡る。その歌唱力、聴き間違える者はいないだろう。

 ギルスは咄嗟に防御に徹する構えで空を仰いだ。響はこれから何が起こるのか予測すらできていなかった。

 闇夜に浮かぶ月の光に少女の影が数多の剣となり、激しい合戦に撃ち放たれる矢の雨のように微塵の容赦もなく降り注ぐ。それは涙───友を失った少女の嘆き悲しみであったのかもしれない。

 

 だからこそ、俺が受け止める───!

 

【千ノ落涙】

 

 閃いた光芒が天より降り注ぐ刃の雨となって、ノイズの大群に情け無用と言わんばかりに突き刺さる。その光の剣は墓標のように突き立てられ、大量に蠢いていたノイズを一匹残らず炭素の塊へと滅してしまった。一瞬にして、辺りを塵の残滓だけが踊り舞う荒地に変えた恐ろしい一撃に響は目をパチクリさせて───いや、回避不能の広範囲に渡る斬撃に耐えた禍々しい獣が一匹ゆらりと残っている。

 両腕の金色に瞬く鉤爪が幾多の剣を薙ぎ払った摩擦熱の余韻を煙としてぷすぷすと上げていた。赤い獰猛な双眸が絡みつくように闇の中に揺らめき、戦場へと舞い降りた少女と対峙する。

 

「風鳴……翼さん……⁉︎」

 

 そこにいたのは元ツヴァイウイングにして国が誇るトップアーティストである───あの風鳴翼であった。

 彼女もまた唄を歌っていた。

 冷酷な表情を固めた風鳴翼は立花響の纏うシンフォギアを一瞥し、かつての盟友の面影を重ねずにはいられなかった。沸々と湧き上がる名状し難い感情が複雑な表情を隠させない───だが、目前の理性なき獣への明確なる憤怒の感情を隠すつもりはなかった。

 絶刀(アームドギア)の殺意に満ちた剣尖を深緑の(ギルス)へと向ける。その目は研ぎ澄まされた抜身の刀のように冷たく───鋭い。

 

「第三号───貴様はまたしても、またしてもッ! 今度は奏のガングニールまで!」

 

 彼女には、この化け物を決して許せぬ理由がある。

 

「どこまで奏をつけねらうつもりだ、第三号ォ───ッ‼︎」

 

「■■■■■■■───ッ‼︎」

 

 両者がぶつかり合う。

 銀色の刃と金色の爪が激しい火花を散らし、演舞の如く凄まじい剣戟が繰り広げられる。目を見張るような熾烈な攻防戦───獣と剣士が互いを敵と判断し、その命を奪わんと本気の殺し合いに興じている。

 そこに話し合いの余地などない。

 二人は、二年という長い時間の中で───ずっと殺し合ってきた。出会えば殺し合い、互いに命を奪い合う歪な関係を築き上げてきた。

 

「第三号、今日こそは貴様を斬るッ!」

 

『───駄目だ、翼! ガングニール及びその装者の保護を優先しろ!』

 

「くッ───……了解しました」

 

 司令たる風鳴弦十郎の命令に背くことはできない翼は素早く剣を振り払うように滑らせ、迫る鉤爪を弾きながら、華麗な体捌きで円を描くように足払い───翼の意図に気付いたギルスは蛙のように飛び上がって後退する。

 両者とも攻撃を躊躇う間合いまで距離を空ける。

 二人は決して目を離さない。

 お互いの必殺の間合いは熟知している。行動パターン、予備動作から些細な癖までも───何百回もの死闘が二人の身体には染み付いていた。

 先に動いたのは───ギルスだった。

 翼の目には隙と思しき苦慮の間隔が見えたが、この彼我の距離ならば確実に命を仕留められるような隙ではなかった。何より翼の背後には保護対象の立花響(ガングニール)がいるため、安易にこの位置から離れるわけにはいかない。

 咆哮───何度聞いても慣れない怒り狂った声。

 ギルスは腕部から伸びた黄金の鉤爪を無造作に握った。掌を真っ赤な血で滲ませながら鋼鉄をも斬り裂く刃を無理に掴んで───爪を腕から引き千切らんとする残虐な勢いで横へと強引に引っ張る。

 ギチギチと悲鳴のような音───肉が剥がれる嫌な音。

 そして、解き放たれる得体の知れない触手。

 それは昆虫の触覚を連想させる嫌悪すべき形態を模した金色の触手であった。長さは十メートルを悠に超える。深緑の腕から粘液を撒き散らしながら、それ自体が意思を持つように波打ちながら蠢いていた。これこそがギルスの持つもう一つの武装───悪魔の触手(ギルスフィーラー)

 疲弊したように呼吸を荒くしたギルスは短い苦悶の末に───駆け巡る衝動を押し殺して───悪魔の触手(ギルスフィーラー)を鞭のように大地に叩きつけると怪力に物を言わせて触手を鋭く()()()()()

 

「■■■■■■ァ───ッ‼︎」

 

 天に仇なす憤激に満ちた咆哮が響く。

 力強く穿たれた黄金の悪魔の触手(ギルスフィーラー)は防御の姿勢を固めていた風鳴翼の無視するように真横を横切り───佇むことしかできない立花響へと狙いを定めて真っ直ぐと突き進む。

 

「貴様───ッ⁉︎」

 

「え」

 

 咄嗟に動けるはずもなく、目を閉じる暇もなく、殺気を帯びた触手が自分の───真横を通り過ぎる瞬間を響は呆然と眺めることしかできなかった。凄まじい風圧を感じて、ふわりと髪がなびいた。視線を少し横にズラすと気味の悪い触手がすぐ隣にあった。

 何に目掛けて触手を振るったのか。

 響は振り返って、ただ唖然とした。

 そこにいたのは───片腕を失った女型の(コブラ)

 響のすぐ真後ろまで迫り、戦意を失った彼女へ必殺の鞭を振り下ろさんとしていたロードノイズは胸部を鉄槍の如く真っ直ぐと伸び切った触手に突き貫かれ、有無を言わさぬ制止を余儀なくされていた。

 

『AGITΩ no narisokonai GILLS huzei ga……!!??』

 

 その怨嗟の声も虚しく、女型の(コブラ)の頭上には天使の輪のような光が輝き───。

 

「■■■■■■■■■■ッ‼︎」

 

 怒りの咆哮(こえ)を轟かせた(ギルス)が力任せに悪魔の触手(ギルスフィーラー)をロードノイズの左胸から引き抜くと───触手の先端に備えられた鋭利な爪には心臓を模した臓器が漆黒の液体を走らせて───ギルスは心臓(それ)を掴むと躊躇なく握り潰した。

 爆散はしなかった。

 音もなく煤の塊となって(コブラ)のロードノイズはぼろぼろと崩れ落ちる。呆気ない幕引き。砂塵舞う残滓だけが響の目の前に生まれた。これがロードノイズの絶命。響は自分の命が危うかったことを徐々に実感して、身体が恐怖に震えて───理解不明な行動をとった(ギルス)をぼんやりと見つめた。

 ギルスは黒く滴る手を拭うことなく、()()()()()を暫くの間、黙するままに懐かしみの目で眺めた後、ずるずると足を引きずりながらその場を後にしようとした。

 

「待て───いや……くそッ‼︎」

 

 任務は放棄できないと悔しそうに声を漏らす翼。

 響は頭が混乱して碌な思考ができないままであったが、(ギルス)の蟲のような双角が弱々しく萎縮していく酷く哀れな後ろ姿を見て───響は()()()()()と有り得ない考えを過ぎらせた。

 

(私を助けてくれた……?)

 

 その結論は実に答えを急ぎ過ぎたものだったが、響が確かめるべく声をかけようとした時は───そこには誰も居なかった。

 ただ、バイクのエンジン音だけが寂しい声を響かせていた。

 

 

 

***

 

 

 

 少し戦い過ぎた───。

 津上翔一は膝から崩れるように倒れ伏した。

 濃厚な油の臭いと湿ったような煙を吐く夜の街の裏側───如何に悶絶しようと誰も気に留めないような無法地帯である裏路地で翔一は重々しい音を立てる室外機の隣に這いずるようにして座った。

 灯りの無い夜の帳───青年の不規則な呼吸が闇夜に呑まれ、凍えた両肩を抱き締めるように押さえた彼は奥歯を血が滲むほど食い縛った。

 来る、あの時間が───。

 (ギルス)の代償───変身の後遺症。

 逆さになった砂時計がその砂を余すことなく落としていくように、津上翔一の身体から生命活動に必要な栄養素の全てを喰らう。彼の肉体は一時的に(から)となり、生死を隔てる境界線さえ奪われる。

 それが一種の老化現象となって───彼を地獄に叩き堕とした。

 額には幾多の血管が浮かび上がり、蒸発してしまうかのように肉が(しぼ)んで、骨を象るように躰が歪に痩せ細る。水分と栄養素が根こそぎ吸われて木乃伊のように細身な老人と化す。窪んだ瞳は充血して、渇いた口から絶え間なく涎が溢れる。急激に老いた臓器はその機能を不全として、彼の生命活動を衰えさせる。

 

「がッ───ァ」

 

 肺が圧迫されて息が止まる。

 

「ォ──────ッ」

 

 五臓六腑が居場所を失い、身体に握り潰される。

 

「──────……」

 

 声さえ無くなって───。

 全身の骨が退化して砕ける音がした。

 筋肉の繊維がぶちぶちと解けて、雑巾のように絞られた気道から胃液が込み上げてくる。嘔吐───声にすらならぬ歪な音。翔一は人間として、生物として、これ以上ない屈辱に塗れた退化をその身に受ける。人体が持つ最低限の機能さえ損なわれ、この地獄のような時間だけ───彼は生きた肉の塊となっていた。

 残されていたのは脳の機能とそれを生かす心臓。

 痛みと死だけを背負わされた。

 気が狂いそうだ。

 脊髄に想像の余地すら与えぬ激痛を巡らせる。悲鳴を上げる声も、悶える筋肉も、涙を流す水分さえ、尽くを奪われた。あるのは痛覚───最も忌むべき神経が脳に焼き付いた。

 耐え難い死の痛みを味わって───死ねない。

 ()()()()()()()()()()

 破壊と再生。

 壊されて、生かされる。

 そこに規則性はなく、保たれる秩序はない。

 津上翔一を苦痛に満ちた生き地獄に縛るものは、彼に宿った(ギルス)が有する()()()()に他ならない。生きるために命を吸い、生きるために命を造る。飽くなき生死の理───生きるための原理こそが、彼の心を殺していた。

 津上翔一の肉体が生死の循環の果てなき輪に囚われる。途方もない輪廻が痛みとなって襲う。細胞が生まれ、殺され、また生まれては殺される。彼の血肉に宿った狂気の怪物の因子がそれを可能としていた。人間という脆弱な生物の域を壊して、新たな生命体へと生まれ変わろうと繭の中で蠢いている。

 堕天の獣(ネフィリム)の声───命を喰らえ。

 翔一はそれを必死に抑える。

 命を喰らえば、このような後遺症(くるしみ)に悩まされる必要はない。そうだ、あの歌───美味そうな(ウタ)だった。この身に足りぬ強靭なる栄養(エネルギー)が卵を孕んだ魚の腹のようにたっぷりと詰まっていた。あれを喰らえば───こんな痛みに悶えることもなくなる。

 立花響。

 風鳴翼。

 どちらでもいい。()()()()でもいい。喰らってしまえ。その喉で押し込め───美味な(ウタ)を喰らい尽くせ。

 

「■■……ッ!」

 

 潰された声帯が飢えた獣の如き声を漏らす。

 喰らえ、喰らえ、喰らえ───。

 逃れることなどできない。拒むことなどできない。

 お前は喰らうことで進化する。喰らわなければ永遠に退化する。そういう()()()だ。血を啜り、肉を喰らい、命を貪る。残虐な本能───それこそが生命の原理に基づいている。喰らうことは罪ではない。喰らわぬことが神への冒涜だ。

 

「■■■───ッ」

 

 まさか、ノイズを喰らえば事足りると思っているのか? それは本当にそうなのか? 津上翔一、お前は気づいているはずだ。お前がノイズ如きを喰らわねばならぬ理由が───お前はずっと前から分かっていたはずだ。分かっていたから、自分を騙して、誤魔化した。

 苦しかろう。痛かろう。()()()()()()()()()()()()

 楽になれ、津上翔一───堕天の獣(ネフィリム)よ。

 喰らうことがお前の生きる唯一の道だ。本能の赴くままに喰らえ。喰らって、喰らって、喰らって───喰い殺せ。

 

「■■ァ……■■ェ……」

 

 喰らえ、喰らえ、喰らえ、喰らえ、喰らえ、喰らえ、喰らえ、喰らえ、喰らえ───!

 

「■ァ……だ、黙れェええええええッ‼︎ 喋るなァああああああッ‼︎」

 

 翔一は血を声に叫んだ。

 破壊と再生を繰り返し、死の痛みを絶えず味わいながら、尋常ならざる速度で老化した肉体を無理やり起こして、乱暴な拳を大地に叩きつけた。決して老化現象が終わったわけではない。津上翔一が名状し難き狂気にも似た憤怒によって、行き場のない暴力を強いただけに過ぎない。

 まさしく(ケダモノ)衝動(それ)だった。

 怒りを声にして悪魔の幻聴を殺す。

 喰らえ、喰らえ、喰らえ───その言葉を()()()

 

「■■■■■■■■───ッ‼︎」

 

 人間という形を失っても───翔一はその場で暴れ回った。

 弱り果てた拳で自傷するように壁を殴り、折れた骨でゴミ箱を蹴り飛ばし、黒き空で蠱惑的に輝く月に向かって餓狼のように吠えた。

 喰らえ、喰らえ、喰らえ。

 人など捨てろ。心など要らない。捨ててしまえ、そのすべてを───喰らってしまえ!

 

「■■ァ……■■はッ……俺はァァッ‼︎」

 

 ───目を閉じて、翔一。

 

 優しい声が響いた。

 温かい声音が胸の中に誇らしく宿って───津上翔一は失いかけていた自我を取り戻す。そして、声が導くままに目を閉じた。暗い世界が広がる。冷たい闇に呑まれて、心が消えて、沸々と狂気の獣が牙を剥く。

 その瞬間───光が灯る。

 温かい光の唄。

 歌だった。

 優しい歌声が頭の中に響いて───天羽奏の唄に染まる。

 闇に喰われた心が安らいで、悪魔の囁きが聞こえなくなって、人間としての魂が彼女の歌を聴きたがっていた。安寧の歌声。獣の衝動を殺す女神の聖歌だった。

 津上翔一は毒が抜けたように崩れ落ちて、何も言わずに座り込んだ。()()()()と顎が震える。貧乏ゆすりのように足が怯えて小刻む。それでも動かない。彼女の歌が終わるまで、獰猛に揺れる瞳が落ち着くまで、今度こそ暴れぬように、離さないように両肩をしっかりと抱き締めて己を縛りつけた。

 

 ───〜♪

 

 頭の中に響く歌声を心の支えに───地獄のような時間を耐え抜く。

 津上翔一に宿った堕天の獣(ネフィリム)の衝動は彼女の歌によって、辛うじて抑えられていた。悪魔の如き幻聴は彼女の歌声にかき消され、暴食の意思は満たされたように気にならなくなった。

 彼が(ギルス)として戦って、喰らって、その変身が解かれて、耐え難い苦痛の後遺症に悶絶する時───。

 彼女はいつも歌ってあげた。

 歌ってやることしかできなかった。

 装者としての戦士の肉体も無く、人間として寄り添えることもできず、ただ苦悶にのたうち回る翔一を見ることしかできなかった。でも、その痛みを黙って見過ごすことなどできるわけがなく、津上翔一に宿った魂だけの天羽奏は心の声を震わせて───偽物の唄を歌ってやることしか思い付かなかった。

 ちゃんと歌えているか、わからなかった。声帯もないのに、息を吸うこともできないのに、魂だけで唄うなんて前人未踏の試み過ぎて戸惑いばかりがあったけど───翔一は()()()喜んだ。

 声が聞こえて───聞こえなくなった。

 ()()()()()()

 そう言って、笑っていた。

 残酷な話だと奏は思う。

 津上翔一の肉体は、彼が許すのであれば、一時的とはいえ天羽奏が支配することができた。端的に言えば、身体を貸し与えられた状態。完全な憑依。その際は魂だけ故に感じることのない感覚神経───五感もはっきりと伝わる。だから、翔一は食事の際は必ず奏に肉体を渡して、味覚を通じて食べさせていた。時には、奏が運動したいと言えば、翔一は易々と二時間ほど自分の身体を貸し与えた。

 自分の身体が他人に勝手に動かされるということへ抵抗がなかったというより、奏が己の肉体を取り戻した時に動きに支障がないようにするためのリハビリだと言っていた。

 だったら、なぜ───。

 天羽奏を戦わせないのか。その痛みを分けてくれないのか。

 彼は二年という月日の中で一度も彼女に(ギルス)として戦わせることを許さなかった。そして、想像を絶する苦しみを伴う後遺症の時間(いたみ)を肩代わりさせることも一秒足りともなかった。

 せめて、数分程度の時間でも良かった。───翔一が心に異常をきたすほどの激痛の中で奏が身体を借りることができれば、その間は奏が痛みを受けて、翔一にその痛みの感覚は回ってこないはずだった。

 ほんの数分だけ、数秒でもいい。痛みから逃れて休むべきだ。でないと、心が死んでしまう。奏は必死に説いた。私のことは心配しなくてもいい。身体に住まわせてもらってる家賃ぐらいは払う。

 そう言って、何とか想いを伝えて───翔一は頑なに頭を横に振った。

 拒み続けた。どれだけ苦しんでも、気が狂いそうになっても、その痛みを贖罪のように受け入れ続けた。

 この痛みは───力の対価なのだ、と。

 (ギルス)という(チカラ)を行使した代償が後遺症(これ)なんだ。

 だから、この痛みは俺が背負うべき業なんだ。俺に()された()なのだから、他でもない津上翔一が背負うべき聖痕(いたみ)なんだ。……俺はそう大天使(エルロード)に教わった。

 

 だから、奏は彼の痛みを見ることしかできなかった。

 それが嫌で嫌で、苦しくて、どうしようもなかったから───天羽奏は歌を奏でることにした。自分にできる唯一のことだった。あの時、津上翔一が死の間際に言った()()()()()()()()()を───津上翔一のために今は歌う。

 それが今の彼女の精一杯だった。

 これしかできなくて、これぐらいしか与えてやれなくて───。

 

 ───汝がこの男を支えてやれ。

 

 ───我々にできぬことを汝が為せ。

 

 ───汝を死の運命から引きずり上げたこの男を、今度は()()()()()

 

 あの天使たちの言葉を思い出して───きっと、これは私にしかできないことなのだと言い聞かせて、自己犠牲を当たり前のようにこなしてしまう危なっかしい男のために───私を救うために命を捨てた英雄(ヒーロー)のために、心から想いを込めて歌い続けよう。歌って、歌って───また一緒にくだらないことで笑えるまで、笑顔の唄を届けよう。

 それがきっと天羽奏に残された業なのだから。




後遺症描写するだけで前回のギャグが嘘のようになるなる(白目)
ps.ダイナミック踵落とし出し惜しみ侍ですまない・・・作者の好きなライダーキック5本の指に入る必殺技をホイホイと使いたくないんや・・・(なお、そのせいで戦い方がアマゾンズになってしまう件)

Q.残業編の残業って何?
A.後遺症
Q.オリ主三人称視点だと人違くない?
A.無我の境地(笑)ですから
Q.ノイズ食ってる理由って何?
A.そ の う ち ・・・勘のいい読者が既に生まれそうで怖いっすね

次回はネタバレイコン画(予定)


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♪05.Destiny's Play

イコン画の詳細については後書きを参照することをおすすめします。申し訳ない。作者の文章力がうんち過ぎた。絵を文字にするって難しい。勉強になりました。


 一匹の蠅が頬に留まって、津上翔一は浅い眠りから目覚めた。

 湿気の濃い空気が不快な目覚めを呼び覚まし、鉛のように重たい目蓋を否応なく開けねばならない憂鬱な気分がのしかかる。だが、都合の良い選択肢は用意されていない。ここにあるのはどうしようもない現実だけだ。津上翔一という現実からは逃れられない。

 夢であれば良かったのに───俺という存在そのものが。

 一匹の蠅が翅を自由に羽ばたかせて日が昇った空へ飛んでいった。

 空は青かった。

 青く広がっていた。

 朝を知らせる陽射しが届かない薄暗い路地裏からでも翔一には空の青さがよくわかった。澄み渡るように青くて、推し量れないほどに大きくて、気持ちの良い空。なのに、疲れた身体は何も反応してくれない。荒んだ心は少しも弾まない。重苦しいだけの現実(いま)が響く。

 虚しい心だけが津上翔一に残されていた。

 落書き塗れの汚い壁を背にし、片膝を抱えたまま死人のように眠っていた翔一はビルに挟まれた青空を眺めた。何も考えていない。ただ、亡者のように小さな額縁に収まる空を仰いでいた。

 青空と見つめ合う。

 やがて、空から逃げるように目線を逸らせて、翔一はゆっくりと己の掌を確かめた。なんてことのない───ただの成人男性の手であった。骨張った手。体温が残る手。人間の手。

 握ってみたり、開いてみたり、また握ってみたり。

 あの感触を忘れぬように。

 少女を殺めようとしたその手の感触を戒めるように強く握って、汗ばんだ額に烙印を刻むように押し当てる。すると、その拳は怯えているように震え始めた。手から悲痛な叫びが聞こえてきそうだった。やめてくれ。もう嫌だ。戦いたくない。あの子を殴りたくない。あの子と戦いたくない。

 嫌なんだよ、もう───人を殴ることを躊躇わない獣になるのは。

 恐怖が滲んだ拳は弱音ばかりを吐いていた。

 

「………………」

 

 逃げてはならない。逃げるわけにはいかない。

 たとえ、それで人間であることを捨てることになったとしても、ただの怪物に成り下がったとしても───俺は逃げられない。

 今の俺にはノイズを狩らなきゃいけない理由がある。その過程であの子たちを傷つけることになったとしても───今は、今だけは、戦わなくちゃいけない。あと少しだと思う。もう少しなんだと思う。やっと(ギルス)に慣れてきたんだ。その実感があるんだ。もうじき、新たな賢者の石碑(ワイズマン・モノリス)が生成されるはずなんだ。確証があるんだ。

 そうしたら、きっと、奏ちゃんは人間として真っ当な道を進むことができて───俺は……俺は…………おれ、は…………?

 

「何をいまさら」

 

 彼のか細い独り言に応える者はいない。

 天羽奏はまだ彼の意識が覚醒したことに気付いていない。だから、この声は───今だけは彼女に伝わらない。この時だけは、津上翔一の思考は自由を許され、隠さねばならない本音が零れる唯一の時間だった。

 天羽奏すら知らない───津上翔一の壊れかけの心。

 

「仮面ライダーでもないくせに」

 

 守りたかったものさえ、守れなくて。

 あの子をあんなに傷つけている。ただの女の子を幾度となく殺そうとしている。泣いている女の子を悲しませて、苦しませて、戦わせて───今度は別の女の子を泣かせようとしているのか。

 なにが仮面ライダーだ。お前はただの化け物じゃないか。

 わかってる。もうわかってるんだ。

 戦えば、戦うほどに───俺の肉体(カラダ)は飢えた獣とへ変貌していく。心が血肉に穢されて、人間としての想いが容易く失われていく。理性なき忘我の化け物へと成り代わろうとしている悪意が絶えず俺を覆っている。

 もう止めることはできない。

 止まることなんてできやしない。

 だから、この仕事が片付けば、その時は───荒んだ心を嘲笑って、硬くなった表情を崩すために翔一は口を大きくあけて息を吸った。

 

「奏ちゃん、おっはよおおおおおおって、ここどこおおおおおおっ⁉︎」

 

 ───うるせぇ! このバカ!

 

「朝から罵倒していただきありがとうございます!ありがとうございます!」

 

 どうか、俺が心なき(バケモノ)になる前に───終われますように。

 

 

 

***

 

 

 こ こ を キ ャ ン プ 地 と す る(迫真)

 

 ───……。

 

 そこは奏ちゃん、ただの道端じゃないですかって笑いながらツッコミを入れるところだよ。何年俺のツッコミ担当してるのよ。頂戴よ、奏ちゃんの丹精込めたツッコミを! ギブミーツッコミ! ギブミーユアハート!

 

 ───いや、だって、キャンプ地とするっていうか……したじゃん。道端でバイク停めて、そのへんの路地裏で、倒れるみたいに寝たじゃん。

 

 だから、こうして面白エピソードとして補完しようとしているんでしょう!

 

 ───面白くねぇよ! ほとんど気絶みたいな感じだったろ!

 

 〜回想シーン(前回の後)〜

 

「あ、ちょ、ムリかも」

 

 ───え?

 

「すんごい眠い。家までもたないね、これ」

 

 ───え、ええ? せめて、バイク停めて、どっかの駐車場に……。

 

「ZZZ……」

 

 ───ばっか、運転したまま寝るな⁉︎ 前見ろ、前!

 

「生まれ変わったら奏ちゃんのおっぱいになりたZZZ」

 

 ───ならんし、させるか! いいからどっかでバイクを停めろ!

 

「まかせZZZ……」

 

 〜回想シーン終〜

 

 ロクな回想シーンじゃなかったね。

 

 ───居眠り運転なんかするんじゃねぇよ。

 

 昨夜は張り切り過ぎたからね。パーリーピーポーなノイズたんに触発されて、俺も無我の境地(笑)から無我の境地(いたいけな女の子傷つけて仮面ライダー名乗るとかウケるんですけど笑)になっちゃったし、翼ちゃんも相変わらず俺のこと叩き割ろうとしてくるし、くそアンノウンもどきはいつも通りだったし、響ちゃんは俺にクソビビってたし……(溜め息)

 

 ───……なんつーか、その、元気出せよ。

 

 元気? なに言ってんの奏ちゃん。俺はいつでも元気だぜ? バイブスはいつだって青天井よ。グーグルの検索に元気って打ってみ? 予測変換に俺が出てくるから。ちなみに今試した人はバカです。俺はもっとバカです。ナカーマ。フゥー!

 

 ───だったら、バイクの横で三角座りしていじけんのやめろよ。

 

 違う違う。これは別に女の子に暴力を振るってしまったことへのショックから全然立ち直れないわけではなくて、ちょっとお尻が地面とディープなキスをしたいという願望を叶えるためにやむを得ずって感じであってね、まさか、仮面ライダー以前に一人の大人である俺がだよ、スゲェ痛そうな顔してた響ちゃんを思い出して、罪悪感に押し潰されそうになってるわけなんてあるわけないでしょう? まったく奏ちゃんは想像力が豊かだなぁ。豊かなのはおっぱいだけにしてくれよ。

 

 ───はいはい。翼の時は一週間だったから、今回はどれくらい引きずるんだろうな。

 

 ぐぬぬ、なんだその「この子はいくら言っても聞かないから私が折れるしかないのよね」みたいな言い方は。奏ちゃんはいつから俺のお母さんになったの? いやでも確かにバブみはあるか。その温かな抱擁力は聖母のそれに近いし、つまり、奏ちゃんは俺のママだった……?(驚愕の事実)

 

 ───勝手にあたしの子供になるな!

 

 ママァ〜! 奏ママァ〜!I'm a shameful baby. (訳:私は頭ん中が残念な赤ちゃんです) Help me.(訳:助けてください)

 

 ───疲れてんの?

 

 さあ?

 

 ───さあって、おまえな……とりあえず今日は休めよ。

 

 やすむ? ヤスムさん? 誰それアタシ知らないわ、そんな人……。

 

 ───あたしも知らねぇよ、そんな人。

 

 よし、そろそろ地面と名残惜しく別れて立ちますか。ハァーヨッコイショ!

 いやはや、しっかし、まさか、朝までこんな路地裏で爆睡してしまうとは。社畜って最終的にこう野垂れ死ぬんかな。なにそれ怖ッ……時間もねぇし、トレーニングしてる暇は無ぇし、家帰って身支度だけして、さっさとお仕事に行くか。くぅ〜社畜は辛いぜぇ〜!

 

 ───相変わらずタフだな、翔一は。

 

 まあ、それだけが取り柄だかんね。

 フフフ〜ン(鼻歌) 今日も良い天気だな〜……ラジオ体操でもするか? よっし! 新しい朝がキャモン!!! それイーチニーサァァァァン!!! イイニーサァァァァン!!!(^U^)<イイアサダナカンドウテキダナダガムイミダ(バイクのエンジンをふかす) FOOOOOOO!!!(キチガイテンション)

 あ、やっべ、スロットル回し過ぎて若干の小ウィリーしちゃった。おかげで股間を座席にグランインパクトしちゃって、そりゃもう悶☆絶よ(モジモジモジモジ) あっ、通りすがりの奥さん! 決して別にそういうわけじゃないんです!新しいリビドーに目覚めてるわけじゃないんです! 違うから! これは違うから! だから通報しないでえええ⁉︎

 

 ───なんで朝からそんなに騒がしくできるんだよ。

 

 鍛え方が違うんだよ(ドヤァ)

 

 ───どこをどう鍛えてんだよ。脳味噌か? 脳味噌にシャウティングチキンでもぶっ刺してんのか?

 

 いやいや、さすがにアレほどはうるさくないでしょ。ああ、でも、お店とかの棚にぶら下がってんの見たら、なんかすげぇ鳴らしたくなるんだよな、あの鶏。

 

 ───わかる。真顔で押しちゃう。

 

 で、自分でびっくりするんだろ。

 

 ───しちゃうね。

 

 イエーイ(脳内ハイタッチ)

 

 ───いえーい。

 

 でも、あの鶏は天地ひっくり返っても欲しいとは思えないんだよなぁ。

 

 ───翼は欲しがってたぞ。

 

 ????????????(?????????)

 

 ───いや、冗談だけど。

 

 ………………………あっぶね、息止まったわ。

 

 ───そこまで⁉︎

 

 俺の中のSAKIMORIは清いイメージだから。

 

 ───確かに翼は良くも悪くも純粋だけどさ、翔一がSAKIMORI SAKIMORIって揶揄うから、なんかあたしも防人って何だっけってなってきた。

 

 そんなの決まってんでしょ。SAKIMORIはSAKIMORI以外の何MORIでもないし、由緒正しきSAKIMORIでしかないよ! こんなの広辞苑にのってるぐらい常識だよ!

 

 ───どこの異国の広辞苑だ。

 

 俺の心という名のパーフェクトキングダム。

 

 ───滅べ、三日で。

 

 三日天下⁉︎ 俺の心火は余命三日なの⁉︎

 ……と、くだらない会話をしながら運転してたら、お好み焼き屋ふらわーに到着した。やっぱりバイクって偉大だわ。オフロードバイクに変えてから若干スピードが遅く感じる気がするけど、これはこれでノイズたん轢きやすいし、俺を捕獲しようと集まってきたパトカーの上に乗っかって無理やり逃亡できるし、何かと便利だったりする。

 バイクを停めて、キー抜いて、ヘルメット脱いでっと……。

 あ、ご近所さんおはようございます。先日いただいたジャガイモ、美味しかったですよー! 今度、ほうれん草のおひたしご馳走しますね!

 あ、常連さんおはようございます。ワンちゃんのお散歩ですか。ウィーカワウィィナオイ(ワシャワシャ)ん? 俺ですか? これから仕事ですよ! 新メニュー作ったんで、今度ぜひ食べに来てください!

 あ、響ちゃんのお父さん! これからご出勤ですか? また一緒に飲みに行きましょう! 前回は、ホストとキャバ嬢相手になぜかバスケットボールしていたところまでは記憶があるんですが、そこからどういう経緯でBARのマスターとカバディに発展したのかは覚えていないんですよ。えっ、お父さんも覚えていらっしゃらないんですか? 気付いたら俺たち響ちゃんに正座させられていましたからね。今度は酔い潰れないようにしましょう!

 あ、ご近所さんの友人の方! 昨日はどうも! まさか、ニンニクとプリンにあんな可能性があるとは! 一歩間違えればダークマター……食は深いですね。ええ、思いついたんですよ、新メニュー。早速今晩やってみますね!

 あ、響ちゃんのお父さんの職場の方! この前一緒に食べに行った激辛坦々麺はまさに地獄でしたね。まさか麺よりも唐辛子の方が多いとは。舌大丈夫ですか? 俺は大丈夫じゃなかったですよ。はぁー強いんですね! 俺も負けてられないな! 今度は駅前の激辛麻婆拉麺食べに行きましょう! 店主が怖くて有名なんですよ!

 あ、常連さんの知り合いのご友人の方! この前の怪我大丈夫ですか! 俺もまさか力士の大相撲に巻き込───(以下省略)

 

 ……ふう、いつもはトレーニングしながらの挨拶だから、ついつい話し込んじゃうな。いけないいけない。

 

 ───どうなってんだよ、翔一の人望は。

 

 これぐらい普通っしょ。

 

 ───出会って十秒で肩組むぐらいに仲良くなるのは普通じゃない。

 

 きっと、俺の前世は陽キャだったんだろうなぁ。オタクだから陰キャだと思っていたけど、よーくよく考えてみればたまにウェーイって叫びながら戦うこともあるし、きっと、パリピの陽キャかオンドゥル星人の二択なんだろうな。……なんか嫌だな、この二択。

 

 ───まあ、翔一は陽気だけど、陽気なんだけど、なんだろう……違う気がする。

 

 じゃあ、オンドゥル星人になっちゃうじゃん! ウゾダドンドコドーン!

 まあ、ボドボドなのは変わんないからいいけどさ。

 よぉーし、飯食って、身支度整えて、朝の仕込みを済ませてから、用務員のお仕事に向かうか。うん。今日も多忙なスケジュールだぜ。でも、一番厄介なのはノイズたんのゲリラライブなんだよな。あのくそアンノウンもどきは割と出てくるようになったし、ノイズたんは不定期だし、俺は社畜だし、奏ちゃんおっぱいだし(おい!)、いっぱい寝たから元気1000%だけど、なんか原作ってここから色々とハードな覚えがなきにしもあらず───あ、そっか。南半球……駄目だ、聖遺物の名前が出てこねぇ。乳しか出てこねぇ。チチボインの鎧? くっそ、感性が小学生だよこれ。

 あーもー面倒くさい。考えるのやーめた。

 とにかく、今週の目標を立てよう! 目標は翼ちゃんと会って謝罪すること! ごめんねってしっかり謝るの! これが目標だから!わかったかい、奏ちゃん⁉︎

 

 ───あたしも謝んの? 全然構わないけどさ。

 

 いいや、俺が謝る! 俺が殴ってんだから俺が謝る! 奏ちゃんは俺が逃げないように見といて!

 

 ───逃げないだろ、翔一は……。

 

 いつもいつも殴ってしまい申し訳ありませんって、それとなく伝えて謝っちゃうぞ! バレないように謝るんだぞ、俺! なんなら土下座も辞さない。土下寝だって解禁だ。大和文化に精通したSAKIMORIなら俺の古来より受け継がれてきた日本の魂たるDOGEZAの真摯な意図も伝わるはず。

 

 ───翔一の土下座ってなんか安いんだよなぁ。

 

 ゑ?

 

 ───だって、困ったらすぐするじゃん。

 

 ぐぬぬ……言われてみれば、確かに俺はすぐに土下座をしてお相手の靴をprprしてしまうな……!

 

 ───そこまで言ってねぇよ。

 

 くっ……ぐぅぅ……よし。わかった。わかったよ。土下座は今後しない。封印するよ。

 

 ───おお。

 

 俺にも自尊心ってモンが残ってるからね。エルさんの靴をprprして磨いていたあの苦行の日々とは決別するよ。

 

 ───舐めたのっ⁉︎ 本当に舐めてたの⁉︎

 

 冗談だよ、冗談。あの天使さまたち、そもそも肉体ねぇもん。身体どこやったんですかって聞いたら、未来への先行融資とかマジ意味不明なこと言われたし、なんか地のエルさんは今度は負けないとかブツブツ言ってたし、多分、神にでも返したんじゃない?(753風)

 まっ、どうでもいいけどさ。(ポケットゴソゴソ)……あれ? ないな(ズボン)ない(上着)どこにも(全身)ない(落胆)

 

 ───どうした?

 

 家の鍵がない。

 

 ───落としたのか?

 

 どこで? どこで? どこで落としたの⁉︎ どこに落とす機会があったの⁉︎ どこで踏み間違えたの⁉︎ 俺たち目指すべき場所は同じだったのに、なんでこんなことになっちゃったの⁉︎

 

 ───落ち着けよ。なんか闇落ちした仲間との悲劇的な再会みたいになってんぞ。

 

 あそこか? 寝てた道端か? あの路地裏か?

 

 ───考えられるとしたら、そこだろうな。

 

 うわ〜ん⁉︎ 神さま仏さまエルロードさま! お願いしますから俺に家の鍵を返してくださいまし!(脳内土下座)

 

 ───土下座解禁RTAすんな。

 

 ぴえん。

 

 ……その後、なんとかカギを見つけて家に帰った俺は職場の学校でたまたま出会った393(怒)に、昨夜連絡しても一切出なかったことについての追及を受けて、やっぱり土下座するのであった。お詫びに靴を舐めようとしたらゴミを見るような目で当然のように背中に座られました。五分ぐらい。これがドMへの第一歩ですか。我々の業界ではご褒美です。泣けりゅ。

 

 

 

***

 

 

 

「未確認生命体第三号について、教えてください」

 

 立花響は曇りない(まなこ)でそう言った。

 放課後、一年生の教室を訪ねてきた風鳴翼によって特異災害対策機動部二課本部に連行された響は、二課の司令官である風鳴弦十郎や研究員である櫻井了子の話を聞き、シンフォギアが何たるかを教わった。

 立花響の肉体に宿った聖遺物の欠片───ガングニール。

 ライブ会場の惨劇───ノイズの魔の手から響を守ろうとした天羽奏の撃槍(アームドギア)が砕け散り、その破片が響の小さな身体を穿ってしまった。その後、響は病院に緊急搬送されたが、破片は摘出不可能とされ、そのまま立花響の胸に残されたままとなった。

 そして、二年の時を経て、まるで天羽奏の意志を継ぐように槍の破片は立花響の窮地を救わんと彼女にノイズと対抗し得るシンフォギアの力を与え、戦姫として覚醒させたのだ。

 FG式回天特機装束(アンチノイズプロテクター)───人類が有するノイズへの唯一の対抗手段。歌によって起動し、歌によって力が増す、歌の兵器。それを扱えるものは風鳴翼と天羽奏。そして、立花響の三人のみであり、その内、天羽奏は二年前のあの事件から昏睡状態が続いており、目覚めの兆しは未だ見えていなかった。

 二課はシンフォギアを身に纏う装者として立花響に協力を求めた。

 それは戦いの中に身を投じる覚悟を問うもの。生半可な気持ちでは決め兼ねぬものであった。───しかし、当の響はあっさりと協力を承諾した。

 天羽奏から受け継いだものは(シンフォギア)だけではない。想いだって受け取った。生きることを諦めない。生きることの大切さ。それを脅かすノイズを黙って見過ごせるわけがない。だから、戦うことに躊躇いはなかった。

 それにいつか行方不明となった未確認生命体第二号にライブ会場の御礼を言える機会が来るかもしれない。

 そんな期待があったから、どうしても聞きたいことが響の胸の内にはあったのだ。

 

「あの未確認生命体って何なんですか? すっごい強いし、なんか怖かったし……でも」

 

 私を助けてくれた……殺そうともしていたけれど。

 

「知りたいんです。第三号のこと。それに第二号───()()()()()()のことも」

 

「ッ───……」

 

 その名を口にすると、無言のまま壁を背にして佇んでいた風鳴翼が冷たい表情を崩して───悔恨が滲む表情を見せた。

 仮面ライダー───未確認生命体第二号。

 あのライブ会場の惨劇をほぼ一人で押し留めた紛うことなき英雄。彼の尽力が無ければ、あの場で戦っていた風鳴翼もあの場に残された立花響も、今もなお意識を取り戻さない天羽奏さえも確実に命を落としていただろう。血を吐きながら、命を削りながら、慟哭の叫びを響かせて、天災の如く強大な力を振るった黄金の戦士は───その後、行方を晦ましてしまった。

 彼は私たちの代わりに死んでしまったのだろうか。憶測で語るべきではないのだろうが、やはり、どうしてもそう考えてしまう。

 あの血を───あの苦しそうに叫んでいた戦士を思い出すと今も胸が締め付けられる。何の感謝も、何の謝罪も、何も言えていない。あの仮面の戦士に助けてくれてありがとうの一言さえ翼は言えていない。それが悔しくて、悲しくて───。

 あの時、私は何もできなかった。でも、それはきっと言い訳なのだろう。

 少なくとも、あの戦士は何かを為すために、命を尽きる覚悟で戦っていた。

 あれこそが、防人のあるべき姿なのではないか───。

 

「翼さん」

 

「大丈夫です」

 

 翼のマネージャーを務める緒川慎次の心配する声を制して、自分に向けられたキョトンとした響の視線を櫻井了子へと戻させるべく翼はわざとらしく咳払いをした。

 

「そうね。あなたには知る権利があるわ」

 

 櫻井了子は頷いた。

 腕を組んだままの風鳴弦十郎は気が乗らないような顔でしぶしぶ重たい口を開いてその言葉を告げる。

 

「未確認生命体()()()───世界で初めて『仮面ライダー』と呼ばれた飛蝗(バッタ)のような生命体を知っているか」

 

「え、えーと、名前だけは」

 

 響は曖昧に答えた。

 〝未確認生命体第一号〟───それは有名な都市伝説のようなものだった。知らない人はいないほどの知名度を誇る伝説の()()()()が未確認生命体第一号たる仮面ライダーである。

 世界情勢が安定していなかった頃、過酷な紛争地帯にバイクと共に現れて、パンチとキックで悪党を叩きのめし、困っている人々を救って回ったと言われるスーパーヒーローの都市伝説。後の第二号が仮面ライダーと呼ばれたのは先人たる第一号の面影を重ねたからであった。

 響も仮面ライダーについては興味があったので調べてはいたが、ソースは大体ゴシップ雑誌だったので、正確な情報は持っていなかった。ただ、第一号(それ)がこの世で最も純然たる正義を執行していたことだけはわかる。

 弦十郎は補足の必要があると淡々と語り始めた。

 

「今からおよそ八年ほど前、アメリカを中心にして、その姿が度々目撃されるようになったバッタあるいはイナゴのようでありながら極めて霊長類に近い特徴を持った謎の生命体だ。

 未確認生命体と呼称するしかないほど、前例のない生態をした第一号は世界各地の紛争地帯に現れては敵味方の区別なく戦闘行為の鎮圧を行い、ノイズによる被害が頻出した区域では出現したノイズをすべて破壊し、数え切れないほどの人命をその手で救った。一説では、第一号がいなければ国が四つ滅んでいたとも言われているほどだ」

 

「はぇー、すごいヒーローだったんですね」

 

 響の素っ頓狂な声音は未確認生命体第一号が成し遂げた偉業とも言える()()の規模の大きさに頭がついて行けていなかった故である。人助けが趣味である響にとって、それは到達すべき目標なのかもしれなかったが───ピンと来ない。

 それは響にだって、わかってしまうこと。

 誰もが不可能だと断ずるような聖人君子の善行を全うした未確認生命体第一号は如何なる力を持っていたのだろうか。きっと、手に余るほどの強さだったに違いない。何人たりとも寄りつかせない極限だったのだろう。───それは少し悲しい話だと思ってしまった。

 響が少し気難しい表情をしたことに気付いた弦十郎は感慨深く頷きながら続ける。

 

「未確認生命体第一号が()()()()()()と呼ばれるようになったのは米国で初めて目撃されてから一年もかからなかった。名前が定着するのが早すぎる。これがどうにも怪しくてな……どこかの秘密組織の陰謀説が実しやかに囁かれていたが、まさしく漫画や映画に出てくるスーパーヒーローのような行動をしていた第一号は、過酷な時代を生きる多くの人々の希望の星となっていたのも確かだ。誰もが第一号を正義の味方として信じて疑わなかった」

 

 そこまで話して、弦十郎は恥ずかしそうに頬をかいた。

 

「……かくいう俺も少し憧れていてな。まさに、映画(スクリーン)から飛び出してきたような男の中の漢! 人々の涙に立ち上がる正義のヒーロー! ───いや、男とは限らんのだが、まあ、とにかく、たとえ、その正体が人間でなくとも、そのような生き方ができるものは等しく尊敬すべき対象だからな」

 

 うんうん───と響は同意するように素早く頷く。

 

「だが、今から六年ほど前に第一号は突然、その消息を絶った。遺体は未だ見つかっていない」

 

「……第二号と同じですね」

 

「ああ」

 

 最後に目撃されたのは米国のとある研究機関───それ以降は未確認生命体第二号が日本に出現するまでは仮面ライダーという正義の英雄(ヒーロー)の名誉たる名は伝説となっていた。

 伝説───現実に現れた正真正銘の正義の味方。

 ただ、誰もその正体を知らない。人々のために戦い続けた仮面の奥は知られることなく───心底残念そうに溜め息をついた弦十郎の話を引き継ぐような形で了子が話し始めた。その口調はサッパリとしていた。

 

「当時、研究者の間ではね、未確認生命体第一号は何らかの聖遺物と人間が不慮の事故によって完全融合してしまった存在(もの)だと推測されていたの。でも、第一号が居なくなってから、世界情勢も一先ずは落ち着きを取り戻して、私たち研究者も本格的な研究が進められるようになってから、()()()()に第一号、そして第二号と類似した存在が描かれていることがわかったのよ」

 

「あるもの?」

 

「イラクの古代遺跡で発見されたイコンよ。とある完全聖遺物と一緒にね」

 

「……れんこん?」

 

「おいしいわよねぇ蓮根。からっと揚げても美味しいし、そのまま食べても美味しい。でも、残念。これはイコン」

 

「いこん? イコンって何ですか?」

 

「宗教画よ。教会によって色々と使い方が変わっちゃうんだけど……そうね、神さまや天使さまが描かれていたり、聖書にまつわるエピソードが絵になった大変ありがたい絵画だと思ってちょうだい」

 

「は、はぁ」

 

「まっ、実物を見てもらった方が早いかしら」

 

 いまいちな反応を見せる響に百聞は一見に如かずを実践させるべく、了子は手元の液晶ディスプレイを慣れた手付きで操作する。すると、響にシンフォギアの大まかな原理を解説するために用いられていた巨大なモニター画面が一枚の大きな絵に切り替わった。

 その時、はじめて立花響は聖像(イコン)が何たるかを知った。

 モニターに映し出された画像が聖像(イコン)と呼ばれる神秘に溢れた絵画だということは一目でわかった。美しいとか、綺麗とか、そういうものではない。ただ、目を奪われるほどの神々しさだけが伝わってくる。

 慈愛に満ちた母の如く温かな〝神〟と思しき()が遙かな蒼天に坐していた。彼を慕うように六枚の翼を羽ばたかせる七人の熾天使が並び、その下には様々な動物を模した天使が青空を覆っている。

 神々の時代───遥か天より大地を司る創造神によって支配されていた遠い(いにしえ)地球(ほし)。絶対なる神によって(もたら)される秩序。この聖像(イコン)が語るのは神代の平穏だったのかもしれない。

 神と人。

 天と地。

 その繋がりは終わりを迎える。

 聖像(イコン)は長方形───創世の物語は下へと続いていた。

 そして、立花響は息を呑んだ。

 彼女に芸術を嗜む趣味があるわけではない。絵画を批評できるほどの優れた感性を持っているわけでもない。神と天使が描かれているだけで尊ぶべき芸術なんだと鵜呑みするほどの知識しか響は持ち得ていない。

 なのに、立花響はこの聖像(イコン)を忌避すべきものとはっきりと断ずることができる。この聖像(イコン)は、この聖なる物語だけは別だ───。

 

 あまりに悲し過ぎる。

 

「了子さん、これ……」

 

「ええ。()()の画よ」

 

 はじまりは(いかずち)だった。

 神々の暮らす天より下───地上に築かれた大いなる塔は砕かれ、聖なる大地は引き裂かれた。それは神が人に与えた天罰のように見える。一体何が神々の逆鱗に触れたのかは定かではない。だが、その一筋の雷によって人間は果てなき怨嗟の妄執に囚われ、誰もが狂ったように殺し合っていた。

 引き裂かれた大地は業火によって焼き払われ、怒れる海は血で赤く染まる。

 それでも人間は争いを絶やすことはなかった。

 死屍累々と遺骸を積み上げる地上で憎悪に満ちた表情のまま武器を振るう。泣いているようにも見えた。叫んでいるようにも感じた。それでも人間は人間を殺すことをやめなかった。混沌とした戦争の渦中にはノイズのような異形の生物も見られた。人類の共通の敵───それがノイズであるはずが、聖像(イコン)に描かれた人間は決して殺人の手を緩めることはなかった。

 なんで、どうして───?

 誰もが光を失った。生命(いのち)を奪い合い、死の感覚に溺れて、心を捨て去った。それこそが神の呪いであると語るように……。

 

「遠い昔、神々の時代、傲慢な人間の蛮行に激しい怒りを覚えた神々は裁きを下した。それは言葉の喪失。言葉を失わせることによって争いを生ませたの。人と人が互いを理解できずに殺し合う───そんな天罰を人類に課してしまったの」

 

 了子は淡々と説明した。その表情はどこか暗い。

 

「でも、神に仕える熾天使の内の一人が神を裏切った」

 

「裏切っ……た?」

 

「神は人類が速やかに滅びることを望んでいたの。でも、その熾天使は人間を哀れんだのでしょうね。自分の中にある神の力を人間に与えてしまったのよ」

 

 それはこの聖像(イコン)における()()の〝光〟であった。

 絶望という闇に染まった悲しみの連鎖を断ち切るべく、天に仕える熾天使と大地に生きる人間が手と手を伸ばし、明日(みらい)を紡ぐ希望の光を掴み取らんと───新たなる生命(いのち)を芽生させた。

 

「そうして、神に等しい力を得た者が生まれたわ。(はじまり)(おわり)の名を冠する〝AGITΩ(アギト)〟が───神をも超越する不浄の怪物が。

 ……これが未確認生命体第一号と第二号。ね? 似ているでしょ、仮面ライダーに」

 

 そこには()()()()()が描かれていた。

 灼熱の炎に包まれた真紅の体躯を持つ戦士(アギト)

 朱の翼で禍々しい風を巻き起こす虫襖の鎧を着た戦士(アギト)

 絶望に染まる大地───姿形がまったく異なる二人の戦士(アギト)が血と死が蔓延する世界を光で満たさんと君臨する。なんて雄々しいのだろうか。天に坐す神に等しい神秘なる風貌は聖像(イコン)で輝きを放っていた。

 だから、聖像(イコン)は語る。

 言葉ではなく───想いで。

 (アギト)とは、願いであったのだろう。祈りであったのだろう。いつか人間は分かり合えると───殺し合わずに生きていけると、切なる想いが込められて、熾天使の祝福を授かった人間(ひと)(アギト)へと姿を変えたのだ。

 

 だが、聖像(イコン)に描かれた二人の希望(アギト)は───……。

 

「どうして、戦っているんですか?」

 

 二つの(アギト)は戦って───殺し合っていた。

 聖戦(たたかい)があった。

 殺戮という狂気に彩られた世界を救済するわけでもなく、己に宿った光さえも信じられないと、悲しみに暮れた憂いの心を殺意へ変えて───二つの(アギト)は破滅を望んだ。

 祈りは届かなかった。

 人間は(アギト)を手に入れても、分かり合えることは永遠になかった。

 それが世界の哀れな終末であった。

 

「人間には過ぎた力だったのよ。神の如き力なんてものはね」

 

 櫻井了子の言葉はどことなく皮肉めいた口調だった。

 

「アギト……」

 

 響は小さな声でその名を呼んだ。

 聖像(イコン)の中で拳を振り上げる二人の戦士(アギト)は確かに彼女が知る第二号の姿によく似ていた。飛蝗(バッタ)と酷似される第一号の特徴もあっているのだろう。でも、立花響には信じたくないものであった。

 彼女は仮面ライダーを見た。

 二年前のライブ会場の惨劇で───黄金の(アギト)を見た。

 優しい光だった。響が知るとある青年の笑顔のように温かい光だった。それが暴力に訴えることしかできない闇に変わるなどと───思いたくはない。

 アギトは───悪いもの?

 でも、私は───私……?

 思わず、響はその場から立ち上がった。机の角に膝をぶつけるほどの勢いで。

 

「痛ッ⁉︎ じ、じゃなくて、私、あの蛇の、えーと、ロードノイズ? に『おまえはアギトにちかい』って言われました!」

 

 その言葉に一同が目を見開いた。

 

「何ッ⁉︎ それは本当か⁉︎」

 

「翼ちゃんと同じね」

 

 風鳴翼は黙ったまま眉に皺を寄せた。

 

「装者はアギトになる可能性が高いのかしら? それとも聖遺物を用いたシンフォギアのシステムがアギトと似ている? ……謎は深まるばかりね」

 

 興味ありと目を爛々に輝かせる了子───響は話の腰を折ってしまったと申し訳なさそうに訊いた。

 

「あのー、アギトって、結局、何なんです?」

 

「人類が進化したものよ。神の力によってね」

 

 さも当然のようにそう答えた。

 

「まあ、これはあくまで伝説。出所も怪しい神話よ。深く受け止めないでちょうだい」

 

「ええっ⁉︎ もう無理ですよ! ───って、アギトに近いって、もしかして私、なんか変わっちゃってます⁉︎ そういえば最近、体重が増えた気が……!」

 

「大丈夫よ、大丈夫。アギトに関しては謎も多いけど、史実上では未だ確認されていないわ。第一号と第二号を除いてね」

 

 良かったぁ〜───と安堵の声を漏らす響だったが、その時、ふと不思議に思ってしまった。なぜ、私は今、アギトではないことを喜んだのだろうか。この画に描かれたアギトのようになりたくないから? 人間でありたいから? 人間? アギトはもう人間とは別のものなのだろうか?

 恐らくは響が抱いた形容のしようがない疑問を察した了子は聖像(イコン)の話を続けた。

 

「アギトはもう人間ではないのよ。少なくとも生物学上では人類に属するものではなくなるでしょうね。人類よりも遥か上位の存在なのだから、もう人間とは呼べないわ。

 それにアギトに成れなかった者はその姿を恐ろしい獣へと変えたの。それが〝ネフィリム〟───あなたが知りたがっていた未確認生命体第三号よ」

 

 了子は聖像(イコン)の中で尚も繰り広げられる憎悪に満ちた争いの渦中で人間とは全く異なる怪物が跋扈している箇所をズームして見せた。それはノイズですらない。まさに(バケモノ)───大顎で人間を喰らい、同族すら喰いちぎる、暴食の欲望を余すことなく発散させている怪物は二つに隔たられた大地の双方で至る場所に存在していた。

 これが神の力を抑えられなかった異形の怪物。天が与えし光を闇に変えた戦士(アギト)のなり損ない───堕天の獣(ネフィリム)

 これがあの第三号───?

 にわかには信じ難い話であった。確かに響の目の前に現れた第三号も節度を弁えぬ肉食獣のようにロードノイズを喰らおうとしていた。だが、それでも彼は、ずっと、ずっと───。

 

「で、でも、私が見た第三号とは全然違いますよコレ! もっとシュッとしていて、なんかこう、人間っぽいカッコいい肉体(カラダ)していました! それにあのヘビみたいなノイズは第三号のことを『ギルス』って呼んでいました! ネフなんとかって一回も呼んでいませんでしたよっ」

 

 どうして、こんなに熱くなっているのか、響は自分自身でも不思議で仕方がなかった。あの第三号は私を殺そうとしていたのに───どうして、こんなにも胸が苦しくなってしまうんだろう?

 必死に弁明するような熱が籠った響の言い分に了子は顎に手を当てて悩む素振りをした。どう()()()()()納得してもらえるか───そんな風に考えているわけではないのだろうが、響はどこか一抹の不安を覚えた。

 そこに思わぬ援護が入る。

 

「それなら私も聞いたことがある」

 

 口を挟んだのは意外にも翼だった。絵に描かれた怪物を第三号と認めたくなかった響に加勢したわけではないが、ネフィリムとギルスの違いは気にはなっている様子であった。

 

「確かにロードノイズは第三号のことを頑なにネフィリムではなくギルスと呼んでいました。この二つに何か違いがあるのですか」

 

「んー……現状では何もわからないわね。そもそもギルスなんてものはイコン画には描かれていないし、遺跡の文献でもギルスなんて言葉は見当たらなかったわ。そうね、ネフィリムの一種と今は考えておくべきかしら」

 

 結論は曖昧であったが、聡明な研究者である櫻井了子に異を唱える者などこの場にはいなかった。

 それでも響は認めたくなかった。あるいは、信じてみたかった。

 未確認生命体第三号───あれは人間の慟哭であった。

 人間と獣の狭間で踠き苦しむ異形の戦士は立花響を殺めようとした。だが、彼に宿った人間の心が殺人を踏み留まらせたのではないか。そして、第三号は人間としてロードノイズの魔の手から響を救おうとしたのではないか。考えすぎだろうか。都合の良い解釈だろうか。

 

 でも、でも───あの人は泣いていた。

 そんな気がした。

 

 風鳴翼と死闘を繰り広げていた時は───まるで、泣いているような叫びに聞こえた。()()()()()()と涙ながらに叫んでいた。それがたまらなく苦しそうだった。

 響はなんだか自分でもよくわからなくなって、逃げるように聖像(イコン)を見つめた。

 その後の聖像(イコン)───荒れ狂う大地を浄化すべく、熾天使の力によって大きな洪水を起こし、アギトやネフィリムもろとも深い水面の底へと封印した。これが創世の物語───世界の終末。

 やがて、深い呼吸をした響は最後の疑問を口にする。聖像(イコン)の全貌を目に焼き付けた時、真っ先に感じた深い悲しみは絵画の一番下───その最後にあった。

 

「どうして、この人たちは泣いているんですか?」

 

 それは神秘に満ちた聖像(イコン)の終わり───神々の時代が血で血を洗うような壮絶なる終末を迎え、熾天使による大洪水が新たな世界が切り開いた遠い未来の物語───謂わばそれは現代。

 今この時を生きる響たちの世界。

 方舟によって救済された夫婦(つがい)の聖徒を始祖とする今や七十億を超える人々の時代。聖像(イコン)が示す現在(いま)という物語。

 現代(ここ)神の力(アギト)は存在してはならない───予言めいた聖像(イコン)が語る疑わしき真実。

 

 アギトは滅びる。

 人間の手によって。

 

 美しき虹色の翼を羽ばたかせた乙女のような天使が九人───泣いていた。

 天使は真っ白な衣を身に纏い、それぞれが異なる武器を携えて、涙を流して憂うように儚い空を舞っている。その中で一人だけ武器を持たない天使は腕の中で安らかに眠る黄金の戦士(アギト)を抱き締めるように泣いていた。

 彼を偲ぶように九人の天使のような乙女は涙を流していた。

 それはきっと、そう遠くない未来(あした)───。

 いずれ、来たる悲劇の物語。

 

 

 

***

 

 

 

「はっくちゅん」

 

 ───なんだ、その可愛いくしゃみは。

 

 やめてよ。結構、気にしてんだからさ。

 

 ───いつも発狂してるから、ものすごい違和感があるな。

 

 その言い方だと、まるで、俺がSAN値ピンチの永続的な発狂しているヤヴァイ人みたいじゃないか。

 

 ───発狂スイッチ〝は〟

 

「は───ば、バガモンはいいやつだったのに……バガモオオオオオオオオオオオオオオオオオオン⁉︎(お好み焼きをひっくり返しながら) アッ(熱い汁が顔面に当たる)熱ッッッ───盛ィィィィィッ‼︎(拳を天に掲げる)」

 

 ───(腹抱えて笑ってる)

 

「ね? 翔一さんって、面白いでしょ?」

「面白いけど、ヒナの好みって、なんていうか、独特なんだね」

「なんか意味不明なギャグアニメから飛び出てきたみたいね」

「あれって独り言なんですか? 何かしらの電波拾っていませんか?」

 

 なんかあっちの席で未来ちゃんが連れて来たJK三人娘に笑われながら悲しい評価を下された気がする。泣けりゅ……と、見せかけてかーらーのぉー?

 

「HEY! お好み焼き大回転!( ∫՞ਊ ՞)ノ<イツモヨリマワッテオリマス!」

「すごい! お好み焼きがヘラの上でピザみたいに回ってる!」

「すごいけど、津上さんの顔がうるさくて集中できない!」

「ちなみに回す理由は」

「ご ざ い ま せ ん(※食べ物で遊んじゃいけません。マネしないでね)」

「正座」

「はい」




※オリ主はイコン画とか第一号とか知りません。

○原作とのネタバレイコン画の違い。(つまり下記に記されていないものは原作と大体同じ)
 絵の上から順に補足
・人間vs人間なのでマラークさんはお空でステイ
・人と家畜の絵は塔が雷に壊されてる絵に変わってる
・二つに分かれた大地で人間さんが殺し合ってる
・大地はどこもかしこも燃えてるし、草木は一切残っていない
・ノイズたんイコン画に参戦
・ギルスっぽいものの代わりにネフィリムたん(犬みたいなやつ)がわんさか
・真ん中の海は赤い(あんまり気にしないで)
・どこぞのエルと女性がピカーンしてる真下で赤と緑のアギトが殴り合ってる
・裏切り者のエルは粛清されていないのでピカーン後には落ちてない
・で、洪水と方舟(海が青くなる)
・四体のエルが羽根をもがれて落ちているが、その内一体だけ羽根がもがれていない(ここほんへでまったく書けなくて申し訳ない)
・洪水後に歩み続ける人類の代わりに羽の生えた天使(?)が9人泣いている
・そのうちの一人がぐったりとしたアギトっぽいものを抱きかかえている
 ・・・以上です。勘のいい(ry
(このネタバレイコン画はあくまで本作品を楽しむにあたってのフレーバーとして味わっていただければ幸いです)


Q.未確認生命体第一号って何?
A.一年ぐらい前にオフ会開いてたやつ
Q.未確認生命体第一号って誰?
A.みんなもうわかってんだろ?そゆことやで
Q.二人のアギトって何?
A.蝗害と火災
Q.9人?
A.9人(真顔)

タグに一切の偽りはない


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♩.俺はやっぱりOTONAに勝てないかもしれない。

養殖(定職に就いた)OTONAvs野生(定職に就けない)ΩTΩNA ファイッ


 およそ、今から二年前───ライブ会場の惨劇から間もない頃。

 最新の医療設備が整っている都内で最も大きい病院の影をオフロードバイクに跨ったまま訝しげにヘルメット越しに見つめる青年がいた。

 津上翔一と名乗った記憶喪失の男。

 そして、彼の視線は津上翔一の身に宿った天羽奏の意識でもある。

 

「ここに奏ちゃんが入院してるって噂で聞いたんだけど……」

 

 ───まあ、見ず知らずの人には教えてくれないよな。

 

 はぁ、とガックリ肩を落とす。

 

「せめて、元気な奏ちゃんの身体ぐらいは拝んでおきたいんだけどなぁ」

 

 ───あたしはいいよ。今、ここにいるなら、それだけでさ。

 

 奏の優しい声音に難しい顔をした翔一は頭を横に振った。

 

「でも、やっぱり確認すべきだと俺は思うな。自分の状態がどうなってんのか分かんないんだよ? 知る権利が剥奪されてんだよ? 医療の崩壊だよこれは」

 

 ───なんか違う気もするけど、まあ、知りたいってのはあるにはあるよ、本当は。

 

 ライブ会場の惨劇───十万人に及ぶ観客を襲った認定特異災害の大量発生。

 ノイズを殲滅すべく己の命を燃やし尽くした津上翔一の逃れられない死から救うために一筋の光明を信じて天羽奏は禁忌の絶唱を使った。結果として彼を蘇生させることに成功したが、その負荷によって彼女の肉体は崩壊寸前の危機を迎え、それを食い止めるべく三体のエルロードが天羽奏に憑依して事なきを得た一連の騒動。

 そこで彼女が熾天使に言われた衝撃の一言が「邪魔」である。

 傲慢なエルロードによって行き場を失った奏の魂は必然的に津上翔一の身体に宿ってしまい、こうして脳内会話で通じ合う奇妙な共同生活を営んでいるわけであった。

 当初はこの状況に不便さを感じたものだが、一週間も経たない内に二人とも完全にこの異質な状況に慣れてしまった。

 

「うーん。何か良い方法はないかなぁ」

 

 ───別に無理して確認するようなことじゃないだろ?

 

「いや……あー、うん。まあ、そうかもね」

 

 昏睡している天羽奏の肉体は病院のベッドの上である。ライブ会場の惨劇の後、天羽奏の魂無き肉体がどうなってしまったのかを二人は何一つとして確認できていなかった。メディアでは、彼女が無事であることだけが報道されていたが、天羽奏という少女は国家が総力を上げて秘匿しているシンフォギアの装者であるため、信憑性というものはどこか薄い。

 それに津上翔一には確認しておきたいことがあったのも事実だ。多少の無理はしてでも天羽奏の身体には一度会っておくべきだろう。

 

「……よし。変身するか」

 

 ───はあっ⁉︎

 

「ギルスなら透視できるし、壁だってよじ登れる。奏ちゃんの病室ぐらい見つけられるって」

 

 ───でも、その後、後遺症が……。

 

「なーに、大丈夫だって。戦ってエネルギー消費するわけじゃないんだから。一時間ぐらい血ィ吐いたら元通りよ───それにさ、やっぱり自分の身体が無事かどうかはしっかり確かめとかないとダメだよ、奏ちゃん」

 

 ───翔一、おまえ……。

 

「俺も奏ちゃんのおっぱいが萎んでないか心配だし」

 

 ───あたしの感動を返せ!

 

 はっはっはっと笑いながら翔一は人気の無い場所に移動した後、深緑の異形たる(ギルス)へと変身した。

 透視能力を備えた真紅の瞳(デモンアイズ)が真っ白な病院の壁を食い入るように凝視する。意識を集中させて壁の奥で眠る入院患者を一人また一人と確認していく。

 たとえ、感知能力の上位互換である超越感覚の赤(フレイムフォーム)を失おうとも(ギルス)の索敵の精度は極めて高いものだった。(ギルス)もまた(アギト)と始祖を共にしている。火を司る熾天使(エルロード)による因子はアギトにのみ継がれたわけではあるまい。

 ()()とまでは及ばずとも五感を始めとする感覚神経は異常なまでに敏感である。それ故に大きな弊害を齎らされることも多々あるのだが、それこそが不完全な生命体の所以であろう。あるいは、怪物(ネフィリム)としての因子がそうさせているのかもしれない。

 翔一の予想は後者であった。

 どう頭を捻っても分からないことがあった。生命の危機に晒される戦闘行為において、()()()()()()()()意図が理解できなかった。炎症性分子の暴走による疼痛の肥大化である。凄まじい代謝を繰り返す細胞が末梢神経への信号をより強めているのか? いや、生命鎧(ライヴアームズ)生体装甲(ライヴレッグス)を統制する制御器官(ハンドリングオーヴ)のような高性能な意思の伝達手段が備わっているにも関わらず、戦闘の足枷になるような不合理な生態(デメリット)を不完全とはいえアギトに属するギルスが残すわけがない。

 これは恐らく、俺の中で蠢く堕天の獣(ネフィリム)の悪意───。

 こいつは俺の心を殺したがっているんだ。

 人間という心を殺して単なる化け物に陥れたいのだ。

 奏にはこの事を黙っている。彼女に伝えているギルスに関する情報の殆どは翔一が繕った虚実(デタラメ)であった。心優しい彼女のことだ。ギルスの力がどれほどの闇を孕んでいるのか、それを知れば彼女は深く悲しんでしまうだろう。これ以上は何も言うわけにはいかない。だから、これから先、真実を告げる機会はないだろうし、言うつもりも毛頭ない。彼女には、こんな()()()()()()()を知らずに生きてほしい。そんな切なる願いが津上翔一を想像を絶する我慢比べの戦いへと向かわせていた。

 

(くっそ、おっぱい見つかんねぇな)

 

 ───どこを目印に探してんだ、おまえ。

 

(おっ、この大きなお山お二つはまさか……⁉︎)

 

 ───それで見つけんな、変態!

 

 実際は天羽奏の特徴とも言える艶やかな赤毛で判断したのだが、翔一は頑なに彼女の大きな胸部を揶揄うように弄る。

 間違いなくセクハラである。

 だが、やめるつもりはない。いずれは法廷に立たされるかもしれないが、奏の恥ずかしそうにツッコミを入れる声が癒しとなっていたので、翔一は司法が見逃してくれる限りは自重はしないと心に誓った。

 つまり、胸部の大きさはあまり関係がなかった。

 そもそも翔一の下ネタは小学生の低レベルのものだ。奏も否応なく津上翔一という人間と一時も離れられない生活を強いられているが、この青年が性欲を持て余しているところを未だかつて目撃していない。美人な女性には鼻の下を伸ばすこともあるが、それだけで満足といった感じである。奏にはこの男が解脱した仙人のように見える時がある。もしかしたら、記憶喪失前は住職でもしていのではないだろうか。

 いや、それも有り得ない。

 これほどまでに戦い慣れた強者が拳を禁じた者というのは辻褄が合わないような気がする。

 

(よっしゃ、登りますか)

 

 透視という行為に少なからずの罪悪感なるものを感じ始めていた翔一の真紅の瞳(デモンアイズ)が天羽奏らしき少女が眠る病室を発見した。

 周りに目撃者がいないことを確認し、最悪の場合は催眠波で混乱させることも念頭に置いて、驚異的な脚力を駆使して跳躍を繰り返し、四階にある目的の病室が見える窓まで辿り着いた。蜘蛛のように壁に張り付いて、室内を再び確認する。訪問客はいないようだ。

 

(おっぱい狩りの男、スパイダーマッ‼︎)

 

 ───狩るなよ、あたしの胸。

 

 分配する栄養素(エネルギー)を調節して針金のように細くした金色の鉤爪(ギルスクロウ)を使ってカチャカチャと器用に窓の鍵を開ける。奏からは「これからは誰も夜は安心して眠れないな」と冷ややかな言葉をもらって「大丈夫。俺の心はサンタクロース。見た目はサタンなクロースなんだけどね」と一人で笑いながらガラガラと窓を開けて、静かな病室へ侵入する。

 

 ───翔一、見ろよ、あたしだ!

 

 清潔な純白のベッドの上で天羽奏が静かに横たわっていた。経鼻経腸のチューブに繋がれている奏は、まるで、時間が止まってしまったような侵し難い静寂を纏っていた。

 意識不明の天羽奏───ツヴァイウイングの片翼。

 その表情はどこか和やかなものだった。

 そっと耳を澄ませば、彼女の安らかな呼吸の音を拾うことができた。近くに心電図モニターなどの医療機器が見当たらないことから、医師は一先ずは彼女を無事と診断したのだろう。

 

(元気そうでなりよりなにより)

 

 ───はぁ〜なんか一安心って感じだな〜。

 

 奏の声がどっと緊張感の抜けたものに変わった。

 やはり、自分が生きているのか死んでいるのかさえ、何もわからない状態と言うのは精神的に堪えるものである。多少は無茶をしてでも来て良かったと翔一は心の中で頷いた。

 ギルスは病室をざっと見渡した。棚の上に置かれた溢れんばかりの大量の見舞いの品や千羽鶴の束。彼女の無事を祈願するファンレターの山は綺麗に整頓されて並べられていたが、それでも驚くほどの量が積まれていた。

 一枚だけ手に取って目を通してみると「ずっとまっています」と子供の文字で書かれていた。奏の息を呑む声が聞こえた。それがどんな心境を物語る声音だったのか、翔一には想像もつかなかった。喜んでいたかもしれないし、申し訳なかったかもしれない。あるいは、悔しがっていたのかもしれない。

 だから、翔一が言える励ましは一つぐらいしかなかった。

 

(また歌えるよ、みんなの前でさ)

 

 ───……うん。

 

 その為に津上翔一は忌まわしい(ギルス)を受け入れたのだから───手紙を元の場所へ戻すとその横に置かれた花瓶を見つけた。紫色に彩る風流な花が一輪だけ挿されていた。

 

(桔梗だね。美味しいんだよ、これ)

 

 ───へぇ……いや、食べないけど。ちなみに花言葉とかある?

 

(んー? たしか永遠の愛とか変わらない愛とか。まあ、ずっと待っていますよ、みたいなニュアンスじゃなかったっけ?)

 

 ───変わらない愛か。なんかいいな。翔一もそう思うだろ?

 

(俺は……愛とかよくわかんないや)

 

 そう言って笑った。

 

(これは翼ちゃんだな)

 

 ───なんでわかんの?

 

(毎日手入れされてる。ここに来れる人なんて限られてるでしょ? でも、ちょーっと下手というか水が多すぎるというか。私生活が壊滅的なあの子のことだしね)

 

 ───だったら、翼だな。翼は歌と戦い以外は滅茶苦茶なんだよ。

 

 嬉しそうに奏は語った。

 親友が未だに自分のことを想ってくれていることが嬉しくて仕方ないといった感じだった。奏の弾んだ声につられて、翔一も仮面の下でこっそりと微笑んだ。

 結局、翔一が探していたもの───天羽奏の容態について、何か手掛かりとなるような物的証拠は見当たらなかった。この病院の看護婦は優秀なのかもしれない。薬の空袋などが見つかれば僥倖であったのだが、そういうものはしっかりと始末するように教育されているらしい。

 翔一は致し方なしと思って、眠り姫のように安らかな天羽奏の顔を見つめた。

 

(綺麗な顔してんなぁ)

 

 ───なんだ? ……さては口説いてんのか。

 

(はっはっはっ、中々に面白い冗談を言うね、奏ちゃん)

 

 ───ぶっ飛ばすぞ。

 

(なんで⁉︎)

 

 突然の辛辣が過ぎる彼女の苛立ちにわけもわからず脳内で平謝りをしつつ、津上翔一は勝手に天羽奏の()()をはじめた。

 奏の痩せ細った手を割れ物を扱うように慎重に握って、脈が刻む速度を確かめる。極めて正常な脈拍数である。次に彼女の腕を肘から曲げさせてみる。筋肉は適度に解されているようだった。看護婦が定期的に天羽奏の筋肉を使わせているのだろう。つまり、天羽奏はいつ目覚めても不思議ではないと病院側が判断したのだ。

 しなやかな腕には薬剤を投与した痕が残っていたが、近日に至ってはそれも無くなっている。薬に効果が見られなかったというより、投与する必要性が無くなったと推測した方が頷ける。

 

(なるほど。奏ちゃん、ちょっとお口の中に失礼するよ)

 

 近くに置いてあったウェットティッシュで人差し指をざっと拭ったギルスは何の躊躇いもなく規則的な呼吸を続ける少女の口腔内に除菌された指を突っ込んだ。

 

 ───ちょッ⁉︎ 翔一⁉︎

 

 頭の中で奏が甲高い悲鳴を上げる。彼女の身体は依然として身動き一つとらないが、とうの本人は顔さえあれば、赤面のあまり死にそうになっているかもしれないほどの羞恥心に見舞われた。

 しかし、ここに来て、この能天気な(バカ)は無反応であった。

 翔一は誤差を承知で天羽奏の体温を測っていた。ギルスの極めて敏感且つ正確な感覚神経ならば、体温が正常か否かを判別できると踏んだのだ。結果としては良好だった。この年齢なら何の問題もない熱だ。

 そっと口から体温計代わりの指を抜くと奏の涎が指先から細い糸を引いていて、奏はもはや声にもならない悲鳴で暴れているような状態だったが、身体は全く動かないのだから、何とも奇妙な状況である。

 

 ───し、翔一……⁉︎ お、おお、お前な……ど、どういう、せ、性癖してんだよッ‼︎

 

 奏の勘違いはもっともだった。翔一は何の説明もしていない。

 なのに、翔一は人が変わってしまったように天羽奏の身体を調べていた。ギルスの頭部に開いた第三の目(ワイズマン・オーヴ)を天羽奏の肉体へ向けさせる。本来ならば、敵の弱点───主にロードノイズの心臓部の位置───を見破る鷹の目としての役割を持つ第三の目(ワイズマン・オーヴ)X線撮影(レントンゲン)代わりに使用するのは些か無理があるとは思うが、腫瘍や癌細胞のような極めて致死性の高いものは精密に視認することができる。あるいは、臓器の欠陥にも第三の目(ワイズマン・オーブ)は過剰に反応する。

 そこを突いて確実に息の根を止めてやれということなのだろうが今は関係ない。

 

(……呼吸や心拍が正常に機能にしているということは脳幹に異常は無いと考えていい。胃腸も働いている。各部の疾患は見られない。内臓の損傷はほぼ完治したのか? あるいは元から無かった可能性もある。薬剤の投与も中断したということは何か身体に不調を起こしているわけでもない。今ここにいる天羽奏の状態は至って健康だ)

 

 故に疑問が残る。

 大いなる熾天使でさえ、完全な治癒に時間を有すると語った〝魂を注ぐ器〟とは、人体のどこを示す言葉だったのか。天羽奏は絶唱によって如何なる傷を何処で負ってしまったというのか。奏からエルロードの話を聞いた翔一は当初においては中枢神経たる脳髄や脊椎に何らかの影響を受けて、目覚めることができない状態にあるのだと踏んでいたが、予想は大きく外れているようだ。

 彼の目の前で眠る意識不明の天羽奏は至って健康であった。

 皮肉なまでに健康的な状態であった。

 つまり、現代医療ではどうすることもできない目には見えない何かが(くだん)の器であり、天羽奏は絶唱の負荷によって(それ)を失いそうになっている。それは人間が生きる為に必要不可欠な部位だというのなら───意識そのものか? 精神? 人格? だが、天羽奏のそれらは全て津上翔一の肉体に完全に宿ってしまっている。幾度となく天羽奏と会話を試みて、記憶や人格に何か欠損はないか、彼女に黙って調べていたが、天羽奏の魂は天羽奏という人間の内面そのものであった。

 津上翔一に宿った天羽奏の意識は本物であった。

 ならば、熾天使の手を煩わせるほど治癒が難しい()とは、精神や人格のような人間の内面を形成する表層意識の崩壊である可能性は極めて低い。では、残された可能性は何だ。天羽奏は何を患っている。何を傷付かせ、何に苦しんでいる───?

 

 ───ど、どうしたんだよ、翔一。さっきからなんか難しい事ばっかり考えて……らしくないっていうか、ちょっと怖いぞ。

 

 落ち着きを取り戻した奏の言葉に翔一も我に返った。要らぬ心配をかけてしまうような思考が彼女に漏れていたようだ。

 

(あー……ね。奏ちゃんのおっぱいが萎んでなくて安心してたんだよ)

 

 ───最低かっ⁉︎

 

(でも、若い内に下着はしっかり着用していないと、おっぱいって形が崩れやすいから、大人になるとすぐに垂れちゃうの。そこだけは心配かな)

 

 ───余計なお世話だ!

 

 はっはっはっ、と笑う翔一。

 

(よし、あんまり長居したらマズいし、ギルス先輩のままだと凄い誤解を生みそうな気がするからさっさと退散しますか)

 

 確認しておきたかったことも、不本意な結果とはいえ、確かめることはできた。もし、天羽奏が意識を取り戻したとしても、私生活に支障を及ぼす後遺症は残らないだろう。それだけ知れただけで翔一は満足だった。

 だが、恐らくは口を尖らせているような感じの奏は満足していなかった。

 

 ───……ちょっと待てよ。

 

(ん? やっぱり自分の身体が心配かい?)

 

 ───いやいや、そうじゃなくて……その、見てけよ。

 

(……?)

 

 ───あ、あたしの胸、特別に見てもいいぞ。

 

(……??)

 

 何を言ってんだ、この子は?

 

 ───いや、だからさ、毎回毎回、おっぱいおっぱいって言ってるからさ。その、まあ、あたしは命を救われたわけだし? こんなことで恩を返すってわけじゃないけどさ。うー……あっ、そう! 感謝の気持ちの一環として! ご褒美的な⁉︎ こうして生身のあたしもいることだし、まあ、べつに胸ぐらいなら……そこから先はこれから次第だけど……。

 

 何かとんでもないことを言い出した現役アイドルに翔一は呆れ声で叱責の一つでも言ってやろうと思ったが───その()()は悪くなかった。

 

(そうか───胸か)

 

 ───へ?

 

(奏ちゃん、謝罪と土下座なら後で死ぬほどするから、ちょっと失礼するよ)

 

 まさに、鬼畜の所業だった。

 奏が何か応える暇もなく、ギルスは簡易な患者衣の防御力が皆無に等しい襟を掴んで何の躊躇いもなく左右に広げた。それはまだ十七歳である少女の柔肌を曝け出す行為に他ならない。

 ポヨン、と柔らかい擬音が聞こえてきそうな光景が翔一の目を通して奏にも飛び込んできた。

 

 ───お、おぉぉぉいッ⁉︎ 何やってんだ、このド変態ィィ⁉︎

 

 隠すべきものは隠されているとはいえ、歳不相応な十代乙女の深い谷間が露わになってしまい、身体の持ち主である奏は頭の中で恥ずかしさのあまり金切り声を荒らげる。しかし、実行犯たる津上翔一は奏の声に無視を決め込んだ。反応をしてやれる余裕はなかった。この時だけは津上翔一は彼ですら忘れていたもう一人の自分に還っていたのだから。

 その目は機械のような冷たさが秘められている。

 男なら目を奪われて然るべき大きさの乳房に翔一は微塵の関心も寄せていなかった。肩甲骨から下───主に胸骨部を中心を真紅の瞳(デモンアイズ)第三の眼(ワイズマン・オーヴ)で頑なに凝視する。見えないものすら見ることができる視覚器官を用いて津上翔一は()()()()の視認を試みた。それは戦士(アギト)にとって光の力(オルタフォース)を生み出す賢者の石に次ぐ重要な()()であり、(ギルス)が失った()()でもある。もしも、それが現れるとしたら、確かに(ここ)にあって然るべきだろう。

 

 ───お前ェ‼︎ あたしにもな!こ、 心の準備ってもんが……ッ⁉︎

 

 羞恥に憤慨する奏はそこまで言って、翔一の異変に気付いた。

 当の犯人である津上翔一が彼女の豊満な乳房など眼中になく、冷徹な瞳で昏睡する天羽奏の胸奥に宿った得体の知れない何かを観察していることが伝わってきて、諫める言葉を失った。

 その目は患者を診察する医師のそれだった。

 天羽奏という人間をタンパク質の塊として一切の情緒もなく、ただ()()だけの無感情な目がそこにはあった。

 

(ここにあったのか、俺の……心臓(ココロ)

 

 血脈の如く(フォース)を通わせる戦士(アギト)心臓(こころ)───賢者の石碑(ワイズマンモノリス)

 

(魂を注ぐ器……人間の魂を守るための(アギト)か。なら、後のことは全部、俺の仕事か)

 

 ───な、何が見えてんだよ? あたしには何にも見えないけど。

 

 奏の当惑する声を聞き、翔一は目を閉じて、またいつもの優しい声に戻る。

 

(分子化してっからね。肉眼じゃ確認はできないよ。多分、この時代の最新医療でも明確な意図を待ってコレを探さない限りは発見することすら難しいんじゃないかな。はぁ……面倒くさい……)

 

 どうやら、この世界は俺のことを殺したいほどに憎いらしい。熾天使(エルロード)が人間という座から俺を引き摺り下ろしたがっていた理由がわかった気がする。

 こんなもの───人間じゃ耐えられない。

 喉元まで這い上がった弱音をすり潰して、何も知らない奏にこの思考を読ませないように一度頭の中をリセットする。

 

(バナナたべたい)

 

 ───うわっ、急に知能指数下がった。

 

(誰がゴリラじゃい)

 

 ───言ってねぇよ誰も。てか、用が済んだなら早くあたしの服から手ぇ離せ、この鬼畜変態!

 

(ふぁーい……あっ)

 

 丁度その時だった。ガチャリと病室の扉が開けられて、小さな花束を抱えた長髪の少女と目が合ったのは───。

 やってしまった。平静を装っても内心ではかなり落ち込んでしまっていた(ギルス)は無意識の内に周囲の感知を怠ってしまった。第三の眼(ワイズマン・オーヴ)にエネルギーを費やしてしまったため、悪魔の双角(ギルスアントラー)が正常に機能していなかったことも苦渋の理由として挙げられるが、今この状況において失敗の原因を追求することにどんな意味があるというのか。

 風鳴翼だった。その手はまだドアノブから離されていない。見慣れた病室だったはずだ。誰よりも足を運んでいるはずだ。その場所に───友が眠る聖域に悍しい悪魔が紛れ込んでいる。目を疑うような光景だったに違いない。

 彼女の一歩後ろには今は風鳴翼のマネージャーを務める緒川慎次も見受けられた。彼も驚いて何の行動も取れずにいた。二人ともまだこの異質な状況を呑み込めていない様子だった。

 津上翔一は心の中で黙祷を捧げる。

 

(これはオワタ)

 

 風鳴翼の視点からすれば、異形の怪物が眠る親友の邪魔な衣服を破り去って、その血肉を喰らおうとしている残虐たる惨状の一歩手前にしか見えないだろう。あるいは、ただの強姦魔にでも見えたかもしれない。

 どちらにせよ、この後の絵は容易に想像できる。

 

(…………スーパー懺悔ターイム)

 

「───第三号ッ⁉︎」

 

 翼は首にかけたペンダントを迷わずに掴んだ。その中には聖遺物の欠片が秘められており、彼女がそれを手にしたということは戦闘態勢を意味する。

 

「奏に何をするつもりだぁぁぁッ‼︎」

 

(いや、ナニをするつもりもありませんって!)

 

 ───これは弁解の余地無しか⁉︎

 

(とりあえず、にーげるんだよォォォ!)

 

 このような経緯を経て、未確認生命体第三号と風鳴翼の因縁は始まってしまった。

 二年という月日の流れ。

 風鳴翼は親友の命を狙われた怒りを剣に変えて獣を斬らんとし、津上翔一は内なる衝動に呑まれて悲しみを拳に変えて防人を撃つ。

 二人は今宵も戦場で(まみ)える。

 そこには救いはない。

 勝者は報われるわけでもない。

 ただ、運命がそうさせているだけに過ぎなかった───。

 

(翼ちゃん! ちゃんと体に合ったブラつけてんでしょうね⁉︎ ちっちゃいから大丈夫ってわけじゃないの! そういうのはネット通販じゃなくて、ちゃんとお店の人に聞きなさいって、お母さん何度も言ったじゃない!)

 

 ───お巡りさん、こいつです。ていうか、翼、こいつ斬っちまえ。

 

(俺の唯一の味方が敵になった⁉︎)

 

 津上翔一の受難は続く。

 

 

 

***

 

 

 

 いっけなーい☆ 捕食捕食♪ 私、津上翔一(仮)、どこにでもいる記憶喪失の社畜ライダー鰓! 特技はノイズたんをキレイな達磨さんにして(はらわた)を抉ること! でも、ある日、色んなコンプライアンスに引っかかるからニチアサではやっちゃいけないって叱られちゃった(悲) えっ⁉︎ これからは深夜33時かアマ○ンプライムに飛ばされちゃう⁉︎ これから一体どうなっちゃうの〜(泣) 次回、社畜ライダー鰓、最終回『これがわたしの辞表(拳)』と『もちろんオレらは抵抗するで?(パワハラ)で』の二本立て。次回もノイズたんの心臓が辺り一面にドロップドロップ♡

 

 ───勝手に終わんな。

 

 こっちは奏ちゃんのおっぱい!

 

 ───どういうことだコラ。なんであたしが胸の付属品みたいになってんだ。

 

 今はね、タコみてぇなくそアンノウンもどきを追いかけて、郊外をマラソンしてるの! ぶっちゃけ早くブッ飛ばさないとエネルギーが切れちゃうから焦っちゃって、腹立っちゃって、もう激おこ(プンプン)

 ギルスレイダーたんで追跡してるんだけど、あのくそタコ野郎、川に入ってから妙に速くてブチ切れそう(怒) 他のノイズたんは胃の中に収めちゃったし、くそタコ野郎も脇腹と左肩をごっそり抉ってやったから、動きも悪くなって、そろそろハートキャッチギルキュアできると思ってたんだけど、意外としつこくて、しつこくて、もう残量エネルギーやばくて目眩と吐き気がしてきた。ハァー⤵︎キレソウ⤴︎

 

 ───なんかさ、歌聞こえない?

 

 あ、これはやってしもた(スーパー懺悔タイム)

 

 ───翼かっ⁉︎

 

 お月さんが出てるお空から巨大な銀の剣が降ってきた。そのままタコのアンノウンもどきは真っ二つになってグッバイ。天ノ逆鱗ってしゅごい便利なのね。そのダイナミックエントリー俺も欲しいわ。……なんか降った後はガン×○ードみたい。懐しいなオイ。

 

「第三号……」

 

 大剣となったアームドギアの天辺から俺を見下ろす臨戦態勢の風鳴翼ちゃん。あいかわらずスゴーイ殺気ね。そのうちビームでそう。いや、出されたら流石の俺も土下座して許しを請うけども。

 

 ───翔一、この距離は大丈夫なのか?

 

 うん。まだ何とか。あの剣に乗ってるぶんかな、絶妙な距離でフォニックゲインが届いていない。ちょっと小腹が空いたぐらいかな。

 でもなぁ〜このアングル非常にマズいんだよなぁ〜な〜んでシンフォギア装者はもっと身の周りの防御力を固めようとしないのかなぁ〜……にしても足細ぇな翼ちゃん。理想的なモデル体型やね。でもね、そのアングルはね、ピチピチハイレグのね、なーんにも守るものがない股関節のね、うん……(悲しい目)

 

 ───あたしと翼でいつか訴えてやるからな。

 

 朗報……じゃなかった悲報だわ。悲報、俺氏ムショ暮らしが決定する。社畜からの解放って捕まることだったのか(?) いや、させんけど。仮面ライダーは警察のお世話になんかならないって前にも言ったでしょ。だから、最後までセクハラしまくって自爆してやるからな。

 

 ───どんな執念⁉︎ セクハラをやめろよ!

 

 カワイイ子をみて、キャーキャー言うのは勝手でしょ!

 

 ───おまえはキャーキャーというより、なんか、たまに哀れみを感じるんだよ! あんな服着てかわいそうって感じの目なんだよ翔一は!

 

 だって、シンフォギアって寒そうじゃん! 夏場ならぜってぇ熱々の地面に腰下ろせねぇし、お花摘む時とか絶対に不便だろうし、可哀想だと思うじゃん!

 

 ───着眼点がおかしいんだよ!

 

 俺がおかしいの⁉︎ みんな慣れ過ぎてるだけなんだ! もっと鏡を見てくれ! キミたちはそんな露出の多い武装しなくても、素のままが可愛いんだから大丈夫よ! 自分にもっと自信持って! 危ない橋渡らなくても輝けるから! もっと自分を大切にして! ユーキャンドゥゥゥゥイット!

 

 ───おまえはどこ目線なんだよ⁉︎

 

 ちょっと方向性を見失ったファッションをする子供の心配をする大人。

 

 ───翔一に心配されたら、もう自信なんて一生つかねぇよ。

 

 そ こ ま で 言 う ?(ギルスレイダーのエンジンをかける)

 

「待て、第三号ッ‼︎ 逃げるな!」

 

 待ちませ〜ん! そんな破廉恥な格好してる子なんか待ちませ〜ん!悔しかったら着替えてからマシンSAKIMORIに乗って追いかけてきてくださ〜い!(今できる最大の煽り)

 

 ───おい、前!

 

 げぇっ関羽⁉︎ じゃなくて響ちゃん⁉︎ いきなり飛び出して来ちゃダメじゃない! ファイナルベントしちゃうとこだったでしょ‼︎

 

「だ、第三号さん」

 

 ふええ……ブレーキ不可避だよぉ……しかも、なんで泣きそうになってんのキミ……?

 

「立花響! なぜ来た!」

 

 スタッと俺の背後に着地するSAKIMORIこと翼ちゃん。

 俺の前方でちょっと泣きそうな顔になってる響ちゃん。

 そして、ピチピチ露出のシンフォギアに挟まれたムキムキなバイオ装甲の(ギルス)氏。なんだこの絵面。何地獄だよ。一人だけ仮装パーティーの趣向を間違えたみてぇになっちまってるよ。え、みんな今日はガチのやつって言ってたのに、なんでそんなド○キで買い揃えたみたいなやつばっかりなんだよ。これじゃ一人だけクオリティがコミケだよぉ〜みたいな感じ。

 

「わ、私だって、戦えます!」

 

「アームドギアも無しに───奏に救ってもらった命を無駄にするな!」

 

「無駄にしません! 無駄にしないためにも、奏さんが目覚めるまで……奏さんの力で、私が戦います!」

 

「立花……ッ!」

 

 いや、俺を挟んで喧嘩しないでくれる? ここ一本道だから動けないんだけど。邪魔なら退きますから。ちょーっと道を開けてくれるだけでいいんで……翼ちゃんメッチャ睨むやん。あれだ。飲み会ですんごい盛り上がってんのに、ウーロン茶だけ飲んで、荷物まとめて帰る気満々の奴を見る人の目だ。二次会行く? って聞きにくいな〜って思ってる人の目だ。違うか。違うわ。

 と、とりあえず、ギルスレイダーたんから降りるかぁ……ここ駐禁取られないよね? おもっくそ国道っぽいけど。車道のど真ん中だけど。

 

 ───なあ、もしかして、この喧嘩の理由ってあたし?

 

 あー、いや、どうだろう。そうなると俺にも責任があると思うし、まあ、奏ちゃんは気にしない方がいいよ。これって青春みてぇなもんだから。それに多分、翼ちゃんは響ちゃんのことを本気で怒ってるって感じじゃないでしょ。奏ちゃんが守った大事な命を死と隣り合わせの戦場に放り込みたくないって思ってんだよ。翼ちゃんはずっと戦ってるもの。戦いの辛さを知ってるんだよ、奏ちゃんと同じようにさ。だから、あの目はそういう葛藤がある目だよ。あれが翼ちゃんの優しさなんだよ。やっぱりイイ子やん。

 

 ───……翔一って、なんか、こう、たまに? うん。すごーく稀にまともなこと言うよな。

 

 グェ…イツモイッテルヨォ…。

 

「ノイズはもう残っていない。その第三号(バケモノ)で最後だ」

 

「待ってくださ───」

 

「こんな私怨に塗れた戦いに───奏の(ガングニール)を使わないで。お願い」

 

「…………」

 

 ───ごめん、ちょっとあたし泣きそう。

 

 俺も泣きそう。やっぱり百合の力は偉大なんやで……(他人事)

 

 ───これで翼の誤解が解けてりゃなぁ……。

 

 ……いや、きっと、翼ちゃんが俺を斬るのは正しいんだろうさ。

 

 ───え?

 

 でも、今は───今だけは斬られるわけにはいかんのよ。

 さぁて、何度目だろうね、翼ちゃんとファイトすんのはさ。

 最初はアギトの時だったか。あん時は困ったけど、手加減はしっかり出来ていたと思うし、力だってセーブできた。でも、ギルス先輩は違うんだよなぁ……そりゃもう歌という餌がありゃ全力で飛びついちゃうもの。コントロールなんてできやしない。気を抜いたらオート戦闘になっちまう。それぐらい危なっかしいものなのよ。

 つまり、俺の崩壊しそうな自我をどうやって保つかって話なのね。俺という人間であるために、俺は何をすべきか。何を捨てて、何を殺すべきか。そんなものはとっくに決まっている。俺は俺であるために───俺はシリアス(笑)を捨てる!(もとからない)

 

「第三号、覚悟───ッ‼︎」

 

「■■■■■■■■■■ッ‼︎(訳:お手柔らかに)」

 

 ヤァァーwwwハンヤァァーwwwセンツナァ–wwwヒビクゥゥゥ‼︎(HEY) ヤーハンヤァァwwwMUJOヘェェwwwヤーwイヤーイヤーwイヤァーwww(HEY HEY)FOOOOOO───‼︎

 

 ───おまえがイントロ歌うんかい! って、このツッコミも何回やったことか……。

 

 cv.水○奈々やぞ! こんなのライブ感覚で気ィ紛らわすしかないっしょ! ───あ、その零距離からの斬撃はまずい! 当たっちゃう⁉︎ ンンンンン密ですッ‼︎(掌底で吹き飛ばす) まだ来るか! 綺麗な顔して、綺麗なおっぱいの形して、しかも、そんな露出の多い服着やがって、こっちまで寒く感じるわ! 風邪引くぞ! 服着ろぉーっ! なんだその怒り任せの剣は⁉︎ そんな甘っちょろいフェイントみたいな剣でギルス先輩がやられるかっ‼︎

 M☆I☆T☆U☆DEATH───‼︎(カウンターパンチ)

 馬鹿! 威力出し過ぎ! クッソ、やっぱりコントロールきかねぇ! 勝手にカラダが追撃しようとしやがる! 全自動戦闘兵器かよ! 拳よ、とまれえええ! 当たる直前で全筋肉をフルで活動させて急ブレーキ! もちろんその後しっかり反撃は食らうんですけどね! (斬られて空中でダブルアクセル) あ、コラ! こんな時だけライヴアームズたん反応して爪出そうとすんな! 引っ込みなーさーい!(グイグイ) あ、サビくるぞ! スタンバーイ!(エアサイリウム用意)

 ヤーイヤーイヤーイヤァー! SA⤴︎RI⤵︎NA・SA・I⤴︎⤴︎ ハァイッ!(合いの手) 忙しいなオイ! 俺あんまりライブとか知らないけどこんなに忙しいもんかね⁉︎ 戦いながら生歌鑑賞って難易度鬼畜過ぎじゃない⁉︎

 

「そのような舐めた動きで───!」

 

 ンン⁉︎ この距離で蒼ノ一閃ですか⁉︎ さあ、みなさんもご一緒に、せーの、月○天衝ォー! んなこと言ってる場合じゃなかったわ(遺言) やめてください死んでしまいます! とても避けられないからキックで相殺! いや、すげぇ痛ェ───‼︎ ……ッ!

 

 ───翼、ホント強くなったなぁ……。

 

 毎度毎度ギルス先輩とじゃれてたら強くもなりますよ!(足を押さえてゴロゴロ)

 

 ───今なら逃げられるんじゃないか?

 

 いいや、無理だね! 今強引に逃げたら、翼ちゃんの容赦ない攻撃が後ろで傍観してる響ちゃんに当たる可能性がある!

 

 ───じゃあ、どうすんだよ。もうエネルギー無いんだろ?

 

 むしろ、エネルギー無いから自我が結構ハッキリしてる説あるねコレ! まあ、どのみち、アントラーがしなしなになるまでは翼ちゃんの鬱憤に付き合うしかない! 付き合うしかないんだよ! わかったら立てよ俺! いつまで休んでんだ⁉︎ 痛みなんて二の次よ! 翼ちゃんからのありとあらゆるヘイトは俺が独り占めなんだから立つしかないんだよ‼︎ 世界中の風鳴翼のファンが微妙な顔して羨ましがるぞ! やったぜ!

 

「■■■■■■■■■■■ッ‼︎」

 

 だーかーら! 隙あらばギルスクロウ出そうとすんな! あれってシンフォギアでも簡単に斬っちゃうんだからな! そんで翼ちゃんは必殺技あんまり出さないでもらえますか⁉︎ ギルス先輩って防御力う○ちなんで! あ、ちょ、天ノ逆鱗はやめっ、アアアアア⁉︎(ヤーイヤーイヤーイヤァー!アメノババキリィー!) FOOOOOO───!(ヤケクソキチガイテンション)

 

 

***

 

 

 立花響の目の前には壮絶なる闘いの火花が散らされていた。

 風鳴翼と未確認生命体第三号。

 両者の激しい攻防は憎悪と殺意に満ちた暴力の応酬であった。互いに一歩も退かない超至近距離での格闘戦。空間を震わせる絶刀(アームドギア)の剣閃を手甲で弾き、死角を突く上段蹴り(ハイキック)を肘で受け止めて、風鳴翼の猛攻を達人じみた体捌きで去なす第三号の俊敏な動きは響からしても恐怖すら感じるほどだ。

 機械のように的確な殺陣で───攻撃へ転じる一瞬のみ嘘のように(ケダモノ)へ変わる。

 棍棒の如く振られた裏拳によって弾かれ、キィンと悲鳴を上げる絶刀(アームドギア)が月夜に剣先を向けた瞬間、(ギルス)は右脚を大きく踏み出し、引き絞った弩弓のように震える拳を突き出した。

 攻守交代───鉄をも粉砕する重たい一撃が拳に乗せられて放たれる。翼は武器による防御が間に合わないと踏んで、両手を交差させて守りの態勢を固めるものの、その威力を相殺できるはずもなく、地面を抉りながら吹き飛ばされる。

 とはいえ、その姿勢は変わらず───ギルスの一撃を耐え抜いた。

 

「第三号───! 今、わざと私に防がせたなッ⁉︎」

 

 翼は吠える。

 

「どこまでも愚弄するつもりか、第三号ッ‼︎」

 

 両者は疾走する。

 剣と拳が交わって豪傑な火花を散らした。

 響は呆然と二人の殺し合いを眺めることしかできなかった。戦う覚悟の是非を問われた時、彼女は真っ直ぐと覚悟ならあると答えた。自分の中に宿った(シンフォギア)が天羽奏から引き継いだものならば、それを為し遂げる責務が自分にはあると思ったからだ。しかし、それは大きな間違いだった。言葉だけなら人間は如何様にも口に出せてしまう。響の覚悟とは、所詮は借り物でしかなく、意志を持たない貧弱な心でしかなかった。今この時、立花響は戦いとは何かを思い知らされた。足が竦んで何もできずにいるのが何よりの証拠である。

 戦いとは、生命を奪うこと───()()()()

 認定特異災害(ノイズ)を倒して、力なき人々の生命を守ることではない。殺すか、殺されるか。究極的な二択を絶えず迫られ、時には非情な決断を強いられる。それこそが戦闘(たたかい)。何かを殺して初めて人は何かを守る権利が得られる。それが戦場の真実であった。

 風鳴翼と未確認生命体第三号は二年間もの時間(とき)の中で、互いに生命を奪い合っていた。そこには誇りも名誉も存在していない。敵であるか否か。それだけの話。勿論、利害が合えば共闘もする。大量に出現した(ノイズ)を奪い合うように戦うこともある。だが、所詮は殺し合う運命(さだめ)が待ち受けた。もう戦場(ここ)には、救うべき命すらないというのに。

 

(これが戦い……)

 

 恐怖で力が抜けていく。

 あの日、撃槍(ガングニール)でノイズをやっつけた時はこんな感情は抱かなかった。もっとすんなりと戦えた。頑張れた。必死に頑張れたのに、今は身体が凍ってしまったように動かない。

 立花響は認めたくなかった、この無益な戦いを───。

 すると、腕部を覆う純白の装甲(プロテクター)()()()()と音を立てて揺れ動いた。噛み合わない歯車が軋むような音であった。風は吹いていない。響は何も動いていない。この小刻むような振動は間違いなく歌の鎧(シンフォギア)の意思だ。撃槍(ガングニール)が担い手である響に何かを伝えようと独りでに動いている。そのように響は感じ取った。

 

(ガングニールが嫌がってる……?)

 

 撃槍(ガングニール)───天羽奏の心がこの戦いを拒絶している。二人が争うことを拒否している。それは響の深層心理に潜んだ思考を撃槍(ガングニール)が汲み取っただけかもしれない。だが、きっと、それは確かに天羽奏の心だったのだろう。

 

「第三号、貴様が何であろうと私には関係ない!」

 

 風鳴翼が絶刀(アームドギア)を振り下ろしながら叫んだ。

 

「奏に手をかけた───それだけで十分ッ‼︎ 貴様は私が斬る!」

 

 実力は拮抗しているように見える。

 戦いの素人である響の目からしても、翼の凄まじい剣戟は幾度となく(ギルス)の徒手空拳を用いた体術によって返り討ちにされているのがわかった。並大抵ではない技術を駆使した反撃(カウンター)が去なされた攻撃の隙を突いて放たれる。憤怒の勢いで猛攻しているはずの翼はジリジリと(ギルス)によって押されている立場にあった。

 しかし、肉体にダメージを蓄積しているのは優勢に思えた未確認生命体第三号の方だ。流石に戦姫(シンフォギア)が持つ必殺の大技までは自慢の体術でも退けることはできないのか、あるいは彼女の怒りはこの身で受け止めなくてはならないという意思があるのか、巨大な大剣へと姿形を変えた絶刀(アームドギア)の一閃は第三号の雄々しい体躯に深々とした傷を負わせていた。

 血を流している。

 熱い血を滴らせて声を噛み殺すような苦悶を上げる。

 だが、それは再生能力によって瞬間的に治癒される。尋常ならざる新陳代謝を繰り返す幹細胞の分裂が骨髄まで砕かれた部位を瞬時に修繕していく。さながら時間が巻き戻る奇蹟のような自然治癒力を兼ねている(ギルス)の傷は瞬く間に癒され、散らばった鮮血だけが漆黒の皮膚に赤く染みついた。

 だが、完全無欠のように見えた再生能力も時間が経つにつれて、その著しい効果を薄くさせていく。中途半端に治癒が止まり、開いたままになってしまった生傷から流血が零れる。

 

「■■……! ■■ッ‼︎」

 

 未確認生命体第三号───〝堕天の獣(ネフィリム)

 (アギト)に届かなかった哀れな猛獣(ケダモノ)。この世で最も忌むべき有害の生命体。力を求めて同族を喰い殺し、血肉を求めて人間を貪った、神々の時代における最悪の化け物が彼であった。

 七体の熾天使が地上を()()()()ために、無差別な大洪水を起こした事の元凶は堕天の獣(ネフィリム)だったのではないかと櫻井了子は推測していた。聖像(イコン)を見る限り、地上に蔓延るネフィリムはノイズでは止めることができず、その繁殖能力の高さからアギトを凌ぐスピードで増殖していったのではないかと彼女は自論を述べていた。

 飢えるだけの怪物が地上を覆い尽くす地獄───神の使徒が大地を見限る理由には十分過ぎる。

 

(でも、それは……)

 

 遥か昔、まだ地球が名も無き星だった頃───現代(いま)ではない。

 

(やっぱり、見間違いじゃない。第三号さんはきっと苦しんでる!)

 

 立花響には見えていた。

 血を流して拳を振るう(ギルス)の慟哭の叫びが痛いほどに伝わってしまった。握り締めた拳が直撃する瞬間、心を持たないはずの(ギルス)が憂いや後悔の感情に苛まれるかのようにその動きを遅らせて、見逃してしまいそうなほど微弱に拳を震わせているのを響は目撃してしまった。

 それは人を傷つけることを躊躇う人間の心そのもの。

 だが、未確認生命体第三号は内なる獣の衝動を抑えきれず、殺意の剣を振り下ろす戦姫たる少女の攻撃に反射して拳を叩きつける。何度も、何度も、意思に反して、苦しみながら戦っている。

 響には、どうしてもそう見えてしまった。

 

(こんなの悲し過ぎるよ───!)

 

 響は今度こそ覚悟を決めた。

 戦う覚悟が固まらずとも、この悲しいだけの戦いを止める覚悟はあって良いはず。

 二人が激しい鍔迫り合いで肉薄している最中、その誰も立ち入れぬ殺伐とした戦いの渦中へと身を投げ出すように響は駆け出した。拳は解いた。足の震えはない。真っ直ぐと一直線に戦いを止めるために(シンフォギア)を使う。

 

「翼さん、待ってください!」

 

「来るな、立花ッ‼︎」

 

 翼の怒号が響いた。

 それは間が悪かったとしか言い表せない。

 その一瞬だけは来てはいけなかった。怪物(ネフィリム)の悪意に満ちた獰猛な衝動にほんの一瞬のみ呑まれた津上翔一が一切の手加減を除いた殺す気の拳を放った瞬間だったのだ。

 手遅れと言わんばかりに(ギルス)の理性を失った渾身の拳が突き出された。気を張り巡らせて戦闘の姿勢を崩さない風鳴翼へ殴りつけたのではない。戦う意思を持たない格好の餌である立花響に標的を定めて、無我に囚われた(ギルス)は怒れる拳を打ち放っていたのだ。

 生物としての本能───弱者を嬲る強者の意識がそうさせた。

 

(───ッ⁉︎)

 

 0.3秒間の無意識───意識を奪い返した津上翔一は思わず舌打ちをしたい気分になった。

 しまった。もう止めることはできない。FG式回天特機装束(アンチノイズプロテクター)の防御力を過小評価しているわけではないが、装者の精神状態に依存する性能に信頼を寄せているわけでもない。何よりも今にでも泣き喚きそうな表情をしていた響の心理状態は撃槍(ガングニール)に最悪のコンディションを齎しているに違いない。

 強引だが、やるしかない。

 槍の如く突き伸ばされた剛腕を無理に捻って、拳の軌道を大きく逸らす。脚部における体重移動を後方へ屈めることによって速力を殺しにかかる。恐らくは間に合わないだろう。だが、直撃時の威力は最小限に抑えられる。

 

「立花───ッ‼︎」

 

 翼の悲鳴がこぼれる瞬間───赤い弾丸が二人の戦姫を退けて目の前に躍り出た。

 

「ええっ⁉︎」

 

 特異災害対策機動部二課司令官───風鳴弦十郎。

 赤いシャツを捲り、ガッチリとした筋肉の鎧に覆われたその巨腕で顔面を守るように固める。人類最強の漢が神代の魔物たる(ギルス)(ストレート)を生身の腕を盾にして防御の構えで挑むというのだ。無謀だろうか。否、この世界において、人間という域を超えた異常な力を身につけた()()のような者に不可能はない。

 

(曲がれェ───ッ‼︎)

 

 津上翔一は心の奥で叫ぶ。

 

(耐えろォ───ッ‼︎)

 

 風鳴弦十郎が剣呑な(まなこ)を開いた。

 そして、弾けるような轟音が鳴る。

 理性を損なった(ギルス)から撃ち放たれた壮絶なる拳は、自我を取り戻した翔一の尽力もあってか、軌道を真横に大きく逸らしていたが、弦十郎の逞しい巨腕の盾を削るように掠っていた。

 摩擦───腕が熱を帯びて燃えるようだ。

 刹那の時を経て、弦十郎は(ギルス)の赤い双眸と見つめ合った。力を渇望する飢餓の闇の奥底に何か熱いものが音もなく佇んでいる。それはかつての黄金の戦士のように静かな決意を携えていた崇高なる魂の音色───いや、違う。

 こいつが見ているのは、俺の後ろにいる少女だ。

 立花響という少女を()()()瞳で見つめている。

 

「ぬッ⁉︎」

 

 視界の外から拳が飛んでくる。

 殺気は微塵もなかった。ただ、風を斬るような音が耳朶に届いた。

 大気を掬い上げるように腹部を穿つ(アッパー)を弦十郎はもう片方の手で抑える。紙一重の反応の差であったが、果たしてわざと防がせたような思惑を過らせる拳であった。

 震脚を用いて衝撃を消し飛ばせる程度の威力しかない。先程の一撃に比べれば赤子のようなパンチだ。小手調べにしては悪手が過ぎる。

 懐疑的な表情を隠せない弦十郎はそれでも捕らえた(ギルス)の拳を逃すまいと人間離れした握力に任せて拘束する。痛がる様子もなく、ゆっくりと腰を落とす(ギルス)が左足を後方に伸ばしている姿が目に入った。蹴撃の予備動作。しかも、この距離と態勢なら股間蹴りが濃厚である。

 まただ───弦十郎は眉をひそめた。こいつは俺にわざと攻撃を防ぐように煽っている。

 だが、それに気づいたとしても、真意を悟らせない第三号の作意に逆らってむざむざと攻撃を食らうような余裕は此方にはない。弦十郎は大きく息を吸い込んだ。

 

「どぉぉりゃああああああああッ‼︎」

 

 そして、弦十郎はそのまま片手でギルスを持ち上げた。

 響はポカーンと口を開ける。

 翼は何とも言えない引きつった顔をした。

 (ギルス)も流石に動揺したのか、抵抗らしい行動を取れずに釣り上げられた魚のように体躯を宙に浮かばせた。だが、そこに焦燥と言える感情はなく、一瞬の内に冷静な判断へ切り返す。

 人類最強である弦十郎に持ち上げられ、上下逆さになった(ギルス)は逆立ちでもしているような状態にもかかわらず、その体幹を失うことなかった。真逆の重力に晒されながら、身体に一本の芯を通しているような絶妙なバランスを保ち、弦十郎の頭上で巧みに伸身を翻して旋風するように軀を捻らせた。

 さながら、雑技団のような華麗な動きだった。

 がっちりと掴まれた手に強引な回転力を加えて、弦十郎の拘束から逃れたギルスは空中で何度か旋回を繰り返し、態勢を整えながら、片膝すら地に触れることなく弦十郎の背後へと着地した。

 一呼吸すらなかった。

 両者は即座に振り向き、握り締めた鋼鉄の拳を振り上げた。

 

「…………」

 

 二人は互いの拳を目前にして動きを止めた。

 互いに超常の域に達した強者として認めたが故に、拳ではなく、交わる視線だけで事を収めようと試みる。暴力に訴えるのではない。言葉と知力で穏便に済ませる。それが大人というものだ。

 やはり、こいつは───弦十郎は(ギルス)の血に飢えた悪しき双眸の奥底に宿る心を垣間見た。それは立花響という少女を穏やかな目で見守る優しさであった。

 これは弦十郎の男の勘に過ぎない。理屈も根拠もない。だが、それならば、第三号が戦闘中に見せた不可解な動きも説明がつく。

 

「退いてくれるか、第三号」

 

 これ以上、この二人が争えば何が起こるかなど想像に難くない。

 少なくとも、どちらも只では済まないだろう。

 弦十郎の言葉に第三号は応えるはずもなかった。

 ただ、戦闘という遊戯に飽きてしまったような放埒な素振りで弦十郎に背を向けた。それは戦いの終わりを知らせる合図であった。弦十郎が使った震脚の衝撃の余波で横になったギルスレイダーを面倒そうに起こし、ハンドルを握ってから気怠げに跨った。

 何も告げることはなくエンジンを噴かす。慣れた足捌きでチェンジペダルを踏み込んだ。

 

(あれ───?)

 

 その一連の流れを見て、響は幻を重ねた。

 あの背中にそっくりだった。

 誰かのために走り続ける心優しき青年の背中───何百回と何千回と見送ってきたあのライダーの背中に途轍もなく似ていたのだ。

 

(……翔一さん?)

 

 疾走(かぜ)のように走り出したバイクに跨る(ギルス)は闇夜へと消えていった。

 

 

 

***

 

 

「OTONAコワイ……ナニアレ? ナンデギルスノパンチフツーニトメテンノ? SHINKYAKUコワイヨ……(アスファルトの上で悶えながら)」

 

 ───結局さ、旦那と翔一、ガチで戦ったらどっちが強いんだ?

 

「そんなんOTONAに決まってんでしょ! 勝てねぇよあんなん! もうOTONAがアギトに覚醒してくだしゃい!(魂の叫び)」

 

 ───うーん。どっちも大概なんだよなぁ……見てるこっちが心折れそうになる。

 

「勝手に俺をOTONAにカテゴライズしないでくれる?」

 

 ───はいはい。




☆現状☆
ビッキー→二人が戦うなんてこんなの絶対おかしいよ!
SAKIMORI→あいつだけは刺し違えても斬る。
バーロー奏→翼も心配だけど翔一はもっと心配なんだよな…あいつ絶対あたしになんか隠しているだろ。
ゲッター線を浴びた人→一瞬だけ第二号のように見えたのは気のせいか?
バカ主→そんなことよりSAKIMORIを笑わせてぇな…(準備体操)


というわけで次回から拗らせたSAKIMORIの攻略(?)かもしれない。
※活動報告をあげました。ノイズ語翻訳の仕方も書いております。お時間があればどうぞ。ライダーに関する詳細な設定などもそっちに挙げる予定です。


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♫.俺はちょっとだけSAKIMORIとお話できたかもしれない。

泣いてる女の子はほっておけないよなぁオリ主くん


 四月下旬。

 春の爽やかな香りが柔らかい風に乗り、陽の光に照らされた大地へ鮮やかな色彩の花を咲き誇らせる温暖な季節。長い冬眠から目覚めた蝶がふわふわと飛び、舞い落ちた桜の花弁は舗装された人工的な道路を桜色に染め上げる。

 私立リディアン音楽院高等科。

 音楽という人類が誇る芸術に力を入れた教育方針により、その学舎には耳を傾けずとも自然とうら若き乙女たちの歌声が聴こえてくる。全国の女学校の中でもこれほど優雅な時間が流れている学園はそうないだろう。まさに、婦女子の楽園である。品性のある音色が校舎を包む温かな聖域。音楽の学校。

 そんな私立リディアン音楽院高等科の朝の光景は───。

 

「翔一さん、横です! もっと横っ!」

「気をつけてください! その木はかなり朽ちているらしいので」

「なぁーに、これぐらい豚も社畜もおだてりゃ木に登るってね。どんとお任せあれって───(枝が)折れたァ⁉︎」

 

 一人の(バカ)によって騒がしくなっている今日この頃である。

 

「フラグ回収が早過ぎて目で追えません!」

 

 一回生の立花響は元気そうに言った。

 

「たまにワザとやってるんじゃないかなって思うけど、あの顔は本気なんだよね」

 

 同じく一回生の小日向未来は半ば感心しながら言った。

 

「ヒィィ、シ、シヌカトオモッタヨ(裏声)」

 

 非常勤用務員の津上翔一は青ざめた顔(白目)で言った。

 時刻は八時過ぎ。

 新人用務員の青年は出勤直後、友人である響と未来に連行されて、校門近くの枯れ木に作られた鳥の巣の救出を依頼された。聞けば、その木は伐採されることが決まっていて、少し強い雨が降れば簡単に折れてしまうほど弱り果てた朽ち木であった。落巣の危険性がある。翔一は深く考えるまでもなく登攀した。そして、(はた)から見れば何だか面白い格好になってしまった。

 

「ねぇ、未来ちゃん、今の俺の状態どうなってんの?」

「ムササビみたいです」

 

 パッと両手を広げる未来。翔一もそんな感じである。

 

「だったらまだ大丈夫だね。背筋あたりが悲鳴を上げてるけども」

「でも、その枝もさっきから変な音が……あっ」

「ひ、響ちゃん、今はどーゆー状態かな?」

「エリマキトカゲですかね」

 

 ブレザーの裾を頭の上まで持ち上げる響。翔一も奇しくもそんな感じである。

 

「どーりで視界が逆さまなわけだ。上着が重力で下にビローンってなってね。うん。やかまわしいわ。とりあえず、この救助に成功した鳥の巣を託しておこう」

「わー! 可愛い!」

「生後間もない赤ちゃんですね」

「あとで学校に許可をもらって、ちゃんとした巣箱をこの近くに作ってあげないとねって───何だ今の音」

「いま、すごい嫌な音がしましたね……うわっ」

「ええっ?」

 

 二人の驚愕の声が重なった。

 

「……念のために聞くけど、未来ちゃん、今は?」

「チンアナゴです」

「それ大丈夫じゃないね。もう落ちてるね完全に。しかも頭から地面に刺さってるよね。俺何にも見えないもん。真っ暗だもん」

「鳥さんは無事ですよ!」

「俺は無事じゃないけどね、響ちゃん」

 

 地面から人が生えているシュールな光景だった。何とか頭を抜こうと翔一は身体をくねくねさせているのでワカメみたいになっていた。

 二人はとりあえず写真と動画に収めた。

 登校中の生徒たちがとんでもない光景に出会したと物珍しそうに近づいては、その正体が気さくな用務員こと津上翔一だと知ると朝の挨拶を一方的に告げて、写真を一枚撮ると次々と去っていく。

 翔一は何の抵抗もできないので、とりあえず写真の音に合わせて足を曲げたり開いたりしてポーズだけはとっておく。

 朝の校門近くで用務員が引き起こした不慮の事故に響と未来のクラスメイトである安藤創世・板場弓実・寺島詩織の仲良し三人組が近寄って来た。

 

「津上さん、おはようございます」

「まーた津上さんが現実ではあり得ないアニメみたいなことしてる」

「なんだか百年経っても評価されなさそうな芸術っぽい態勢ですね」

「俺の芸術センスはルネサンス期の終わりと共に果てたよ」

「悲しい意味での画伯が何を言ってるんですか。世界中の芸術家に謝ってください」

「おいおい未来ちゃん。冗談はよせやい。翔一さんに苦手なことなんてないんだぜ? こう見えても音楽だってリコーダーでダース○イダーまでなら吹けるんだ。絵だって時代が合ってさえいれば評価され───おい誰だ今膝の上にミカン置いてったやつ」

「じゃあバランスのためにこっちにはレモン置いときますね!」

「ジンバーかよ響ちゃん。いやいやそうじゃなくてね、何この状況? 少なくとも朝っぱらからしていい態勢じゃないよ。なんで顔埋まって逆立ちしてるような人の膝にさ、果物をのせてんの? なんでバランスもとらなきゃいけないの? もう全体的にキツイんだけど。人類がしていいポーズじゃないよこれ」

 

 翔一の悲痛な叫びはいつものことながら何だか面白いので五人は助けを出さずにいた。

 

「わかる? チンアナゴよ? ウナギ目アナゴ科。俺は人間よ? 霊長目ヒト科。この違いわかる? アンダースタンド? そんでさっきから写メ撮ってんの誰だい? バーストしてる音聞こえてるんだからね」

 

 そう言われて未来は振り返った。登校している生徒の殆どが足を止めて、携帯電話のカメラ機能を使い、翔一の珍な格好をデータに収めようとしていた。校舎からは窓越しに写真を撮っている生徒もいる。

 不思議なことに、この私立リディアン音楽院に在校する生徒から今最も注目を浴びているのは間違いなくこの(バカ)だった。

 

「写真の方はほとんどの生徒が撮っているので、もう肖像権とか言ってられませんよ」

「マジかよ。校則に用務員はフリー素材じゃありませんって是非とも付け足してほしいね」

「翔一さん、人気だから無理だと思います」

「なんか絶妙に嬉しくないね、それ」

「あと翔一さんは気付いていないと思うんですけど、登校してきた先輩の方々が翔一さんの前に色んなお供物をして、何か危ない宗教の祭壇みたいになってます」

「待ってそれは怖いね。こんな残念な格好を崇め奉らないでほしいね。うん。どうしたんだいこの学校は。もっとおしとやかな校風だと思ったのにとんでもねぇ思想を持ったJKの巣窟だったのかい?……あと響ちゃんは合掌すんな。聞こえたんだからね。手をパンパンして拝んでんの聞こえ───ほら、なんか増えた! しかもスゲェ増えた⁉︎ ご利益なんてないからね! こんな社畜に祈っても何にも出てこないからね! 社会の闇ぐらいしか出てこないからね!」

 

 私立リディアン音楽院高等科。

 この学校には、教師よりも生徒から人気が高い用務員の青年がいた。たかが非常勤の用務員である。女生徒との接点など皆無に等しいはずが、響や未来などの知り合いがわざわざ用務員室に乗り込んできたり、校内を連れ回したり、土下座させたりと色々とやらかしてしまったが故に一般生徒ですら同じように彼と接するようになってしまった。

 たとえば、昼休みに用務員室で翔一が黙々と昼食をとっていたら、数名の生徒(たぶん一回生)によって拉致されて、テニスコートに投げ入れられる。食後の運動に付き合えということらしい。仕方ねぇと翔一は皿と兼用していたフライパンのナポリタンを口に叩き込んで意気揚々と構えた。

 

「津上さーん、テニスはフライパンでするものじゃないですよー!」

「そのふざけた幻想をぶち壊す!」

「国際的スポーツのルールをぶち壊さないでください」

 

 たとえば、授業が終わった小休憩。

 大量のゴミ袋を抱えた翔一を数名の生徒(恐らく二回生)が囲んで行手を阻み、流れるように拉致して、そのまま調理室に連れて行かれる。家庭科の授業で作ったハンバーグが上手くいかなかったらしい。翔一は一切れのハンバーグを舌の上で転がしながら頷いた。

 

「これ何か隠し味……マヨネーズとお味噌? あと赤ワインかな? うーん。ちょっとテクニカルな味にしようとしたでしょ」

「実は彼氏に美味しいハンバーグを作ってあげようと思ってて……」

「いらないいらない! 男なんて女の子が自分のために作ってくれたってだけで何でも美味しく感じるんだから! ほら、挽き肉貸して! よぉーく見てなさい! 素で美味しいハンバーグなんてお母さんの数だけ地球にはあるんだから」

 

 たとえば、放課後。

 今朝に救出した雛たちの親鳥が何のストレスもなく戻ってこれるような巣箱を木材で工作していた最中、やはりと言うべきか、翔一はまた別の生徒ら(きっと三回生)に拉致された。どうやら、合唱コンクールの課題曲の出来栄えを聴いてほしいとの用件だった。しかし、翔一は音楽に関しては全くの素人である。楽譜が多少読める程度だ。何のために音楽に精通した先生方が在籍しておられるんだと指摘しようとしたが、もしかしたら、無知な素人であるが故に、何か気付くことがあるかもしれないと思い直し、腕を組んで真剣に彼女らの歌声に耳を傾けた。

 

「どうでしたか、津上さん」

「やっぱり、風鳴翼のいるタレントコースには敵わないっていうか、なんていうか」

「はーん。さっぱり分からんけど、胸が、こう、ジーンと来たっていうか、なんかすんごい感動したね。うんうん。みんな良い声してるじゃない。もっと自信持ちなよ。ほら、もう一曲ぐらい聴かせてよ。ねっ」

 

 そう言って翔一は笑って褒めた。

 幸せそうな笑顔を見せて、少女たちの暗い表情を瞬く間に笑顔に変える。

 なぜ、新人の彼が生徒から人気があるのか。いや、生徒だけでない。教師や他の職員、老若男女問わず彼と知り合った様々な人たちから慕われている理由は何か───。

 その陽気なノリの良さは然ることながら、彼が振り撒く屈託のない笑顔に多くの人々が感化されているからであろう。醜悪なる負の感情の一切を拭い去るような笑顔は人間の心に寄り添うような優しい笑顔であった。見ている方まで自然と頬が緩むような笑顔であった。

 誰もが津上翔一という青年と簡単に打ち解けられたのは、そのような単純明快な理由だったのだろう。彼の笑顔は眩しいのではなく、自分も笑おうと言う気にさせる力があるのだ。

 津上翔一のことを嵐と例えた少女がいる。

 憂いや嘆き、悲しみさえも滅茶苦茶にして、すべてを掻っ攫ってしまう竜巻のような嵐であった。そして、最後には必ず満天の青空に七色の虹という名の笑顔を見せてくれる。そんな生き方をしている青年が津上翔一であり、みんなが笑っていられる居場所そのものであった。

 だからこそ、誰も気づくことはない。

 いつも笑っている津上翔一が仮面で隠したもう一つの顔を───。

 

「■■■■■■■───ッ‼︎」

 

 (ギルス)の咆哮が響く。

 都内から離れた国道トンネルの入り口からその終わりまで血肉に飢えた孤高の狼の遠吠えは激しく木霊する。

 深緑に染まる仰々しい筋肉がパキパキと不快な音を立てる。獰猛な呼吸が不規則にこぼれ、重心を低くした蟷螂拳のような姿勢を維持した悪魔の真紅の瞳(デモンアイズ)が鮮血のように赫灼と輝いた。

 その瞳には獲物を狩る意志だけが宿る。

 人間ではない(ケダモノ)の心───それこそが津上翔一が抱かねばならない呪縛のような仮面であった。

 獣は走る。

 己の本能に従って、獲物を狩り尽くす。

 迫り来る邪悪な(ノイズ)の大群に臆することなく、果敢に疾走する猛獣は別格の強さを見せつけた。素早い拳打で敵の猛攻を去なして、野を駆る兎のように軽快なステップで足を運び、稲を刈る大鎌の如き薙ぎ蹴りを繰り返して群れる雑音(ノイズ)を亡き者へと変える。

 背後から迫る葡萄の果実を象る爆弾(ノイズ)の砲弾を爆発される前に一発ずつ蹴り飛ばし、セルノイズへぶつけて爆散させる。逃げ場のない窮屈な戦場(トンネル)で縦横無尽に駆けながら闘争に身を委ねる狩人にあの津上翔一の面影など残されていない。

 

 ここにいるのは血に飢えた怪物だ。

 

「───ッ⁉︎」

 

 肌に騒つく殺気。

 固い地中から巨大な芋虫を模したギガノイズが暴れ狂う(ギルス)を飲み込まんと飛び出してきた。

 

『:▼°◎gi♪€><l〒+^l¢s??!!』

 

 咄嗟に跳躍したギルスはトンネルの天井に張り付き、難なく回避する。巨大な芋虫の全貌は未だ地中深くに残っているのだろう。あの巨体が地上に出られたらトンネルが崩壊する恐れがある。戦況を見定めたギルスは腕部に寄生する生命鎧(ライヴアームズ)に残量の少ないエネルギーを喰らわせ、黄金の悪魔の鉤爪(ギルスクロウ)を成長させる。両腕から伸びた禍々しい爪を交差させ、殺戮の火花を散らさせる。

 そして、歪な残響を震わせるギガノイズの食虫植物を彷彿とさせる口腔へとギルスは落下した。

 すかさずギガノイズが喰らいつく───だが、(ギルス)の達人じみた姿勢制御は中空でも健在であった。隆々とした体躯を風に舞う花弁のように捻じらせて、ギガノイズの噛みつきを一寸の距離にも満たない瀬戸際で避けるとギガノイズの首へ悪魔の鉤爪(ギルスクロウ)の金刃を突き立てた。

 重力による自由落下の勢いがギガノイズに深々と刺さった悪魔の鉤爪(ギルスクロウ)に断頭台から振り下ろされたギロチンの如き必殺の威力を与える。そのまま円を描くようにギガノイズの首を一周───ねじ切れられた首の断面から赤い煤が鮮血のように跳ねる。

 だが、ギガノイズの怠惰な肉体は千切られた蜥蜴の尻尾のように激しく動いていた。これしきでは絶命には及ばない。ブヨブヨとしたギガノイズの怠惰な腹部を爪先で蹴り上げてギルスは距離を取るように後転しながら地面に着地。額に閃く第三の眼(ワイズマン・オーヴ)で首を失った巨大な芋虫の肉体に溢れるエネルギーの回路を読み解き、ギガノイズの構造を頭で理解する。

 その瞬間、ギガノイズが最期の抵抗として巨体を鞭のように(しな)らせて、動きを止めた(ギルス)へのしかかるように叩きつけた。

 しかし、それすら無駄に終わる。

 平手の身構から深呼吸する息を殺し───深緑の踵から伸びる必殺の刃をアスファルトに突き立てる。炎の閃光を弾かせる円を描きながらその場で半周したギルスは大地から天へ貫く紫電の如き上段の逆蹴りで迫る巨体(ギガノイズ)を迎え撃った。

 

「■■ァ───ッ‼︎」

 

 叩き込まれた豪雷の一撃は凄まじい衝撃を生み出し、ギガノイズの巨体に荒れ狂う波となって振動した。やがて、限界を迎えた水風船のように巨躯の芋虫は赤い炭素を噴水のように撒き散らし、悲鳴も上げれぬまま劈くように破裂する。

 気怠げに片足を上げたまま、ギルスは疲労した足首をぐりぐりと回した後、単なる炭素へと姿を変えて消滅を始めるギガノイズの肉体の一部を手で引き千切った。肥え太った雑音の肉を暴食の大顎(デモンズファングクラッシャー)で細やかに噛み砕きながら無心で喉に通していく。味覚は機能しない。ノイズもまた無機質な炭素の塊に過ぎないのだ。あるいは、四元素の塵から生まれた生物兵器と称するべきか。どちらにせよ、(ギルス)にとって欲するべきモノを孕んでいるのは雑音(ノイズ)の血肉と戦姫の奏でる歌(フォニックゲイン)だけなのだから。

 ぐちゅり、ぐちゅり───飢えた衝動を慰めるために災害たる雑音を貪り喰らう。

 何の為にノイズを喰らうのか。

 それはきっと(ギルス)たる津上翔一が知っている。ずっと前から我が身の生態の真実に辿り着いている。だが、それは語るべきことではない。語るわけにはいかない。何も考えてはいけない。俺は喰らうだけでいい。それだけでいい。強いて言えば、今もこうしてノイズを喰らっていることが何よりの答えであるということ。

 

『kore ga GILLS dato……?』

 

 その忌々しい不凶な声を悪魔の双角(ギルスアントラー)が拾い、ノイズの肉を飲み込んだギルスは鬱陶しそうに立ち上がった。

 遥か先に見えるトンネルの出口───陽の光が差す場所にぼんやりとした人影があった。霊長類の特徴たる四肢を持った体躯に海月を思わせる細い触手の頭髪を持った怪人が食事を済ませた(ギルス)と向かい合う。

 ロードノイズ───面倒な敵。

 とはいえ、無視はできまい。

 荒ぶる呼吸を整えてギルスは身を屈ませた。熱い血潮を握るように拳を固めて、爪先で地面を削るように姿勢を低くする。獲物へと狙いを定めた猛虎の如き構えをとって、新手の敵を狩らんと大地を蹴り上げた。

 

「■■■ッ⁉︎」

 

 その直前、張り詰めた全身から力が抜けるように激痛が走り、禍々しく伸びる悪魔の双角(ギルスアントラー)が小さく萎縮した。天牛の大顎に値する雄々しき角は今や見る影もなく雄蛾の触覚のような形だけを保ち、突然の壊死を遂げた筋肉組織が脚を(もつ)れさせる。

 エネルギー切れ───バカな、まだ早い。残量の計算をしくじったか。

 大地に片膝をついて、苦痛に項垂れるギルスは未だ闘志は消えていないと何度か戦線への復帰を試みるが、神経から断絶された脚部は産まれたばかりの小鹿のように震え、手を握る力さえ筋肉の衰弱によって否応なく解かれてしまう。彼に宿る(ギルス)はこれ以上の戦闘行為を決して許す気はなかった。

 どろどろと溶け落ちるように(ギルス)を覆う悪魔の姿が変わっていく。

 黒く澱んだ皮膚は健康的な肌の色へと変化し、昆虫めいた赤い複眼は一つの虹彩に包まれて黒色の瞳孔となる。鋭利な牙は唇の下に隠れ、頭部から突き抜けていた二本の角は縮みながら頭蓋骨へと収まる。

 額に開かれた第三の眼(ワイズマン・オーヴ)がゆっくりと目蓋を閉じて───(ギルス)は津上翔一という人間に姿を変えた。

 

「おぇッ……」

 

 胃袋が消化し損なった炭素(ノイズ)の塊を嘔吐しながら翔一は鬼気迫る眼光でロードノイズを睨み続けた。

 

『b@ka Na……⇔$t±>#o◎os♯%/tr≠°°$o↓n£<\g』

 

 脅えるような素振りで身を震わせた海月(ヒドロゾア)は翔一に背中を向けてその場から立ち去ろうとした。

 その行動に途轍もない焦燥を覚えた翔一は全身に巡る焼きつくような炎症を振り切って立ち上がった。

 変身は解除されたが、変身できないわけではない。戦士(アギト)の自然から見境なく吸収する(フォース)と違って、自身のエネルギーのみを使用する(ギルス)(フォース)には浄化の必要がない。急激な体温の変化による体細胞の死滅や赤血球の壊死による溶血化といった計り知れないリスクは伴うが、強制変身解除後であろうと再変身は辛うじて可能であった。

 たとえ変身できたとしても常人なら戦えない瀕死の状態には違いないが、幾多の戦場を這いずり回った津上翔一ならロードノイズ一匹を嬲り殺す程度の余力はそれで十分であった。

 故に、今戦うことに何の恐れもない翔一にとって敵前逃亡するロードノイズは許せるものではない。

 

「待てッ‼︎ 逃げるなァ⁉︎ ぐォっ、ぁあ……ッ⁉︎」

 

 暗転するような眩惑が生じて翔一は氷上で滑るように横転した。言うことを聞かない両足が凍えるように痙攣して、急激に痩せ細った身体から血管だけが浮き出る。骨が軋んで身体の自由が奪われ、翔一は自らの異変に気づいた。

 老化現象───おかしい。後遺症までの時間は多少あったはず。こんなにすぐ来るものではない。変身後はギルスのエネルギーの余韻がまだ肉体に蓄積されて、それによって最大十分ほどの猶予が課せられていたはず。

 まさか、俺の中にあるエネルギーが枯渇しているのか。いったい、なぜ……?

 

「ワイズマン、モノリス……ッ‼︎」

 

 苦渋の表情のまま翔一は自分の胸を掴んだ。

 

「逃げるなッ‼︎ 逃げるなああああああァァァ───ッ‼︎」

 

 遠くなっていく邪悪な影へ血を吐くように叫ぶ。逃げるな。戦え。俺と戦え。喉が潰れて声が出せなくなるまで彼は叫び続ける。

 ロードノイズは自壊しない。

 それはつまり、多くの人間を殺めることができてしまうということ。

 誰かの生命が奪われるかもしれない。何の罪もない生命がまた消えてしまうかもしれない。そんな残酷な現実を前にして、どうして俺は無力を晒せるのだろうか───。

 

「くそッぉあ、ァァ……あああああああああァァァッ‼︎」

 

 拳にすらならない手を地面に乱暴に叩きつけ、(ギルス)の対価たる後遺症に蝕まれる翔一の血反吐に塗れた慟哭が暗闇(トンネル)に響き渡る。

 

 津上翔一の笑顔は人を笑顔にさせる。でも、笑顔だけが彼じゃない。誰も知らない津上翔一のもう一つの顔───いや、一人だけ。彼と共に生きる少女だけが知る真実。

 

 ───……。

 

 天羽奏だけが知るもう一つの津上翔一。

 人が幸せそうに笑っていると何だか自分も嬉しくなって、自分の不幸なんてどうでもよくなって、だから、俺は人の笑顔が大好きなんだ───そう臆面もなく笑って言い切った青年が背負った仮面。

 記憶を喪失する以前の彼がどんな人間だったのかは知らない。だが、人の笑顔を素晴らしいものなんだと言って、地獄のような戦いの日々を受け入れた彼は天羽奏の目にはどうしても正義の味方に見えた。

 だからこそ、奏は思う。

 なぜ、彼なのだろう。

 彼は戦ってはいけない人なのに。

 傷つくことを恐れず、傷つけることを恐れる───強くて優しい人なのに。

 なぜ、運命は彼に戦う力を与えてしまったのだろうか。

 

 ───翔一……。

 

 奏は何も言葉にできなかった。

 また言えなかった。

 もう()()()()()()()だなんて言えるはずがなかった。

 津上翔一が苦痛の災禍を背負って、終わりの見えない戦いに身を投じるのは紛れもなく彼の優しさだったから。一人でも多くの命を救おうと足掻く彼の優しい心そのものだったから。それを否定することなど、奏にはできなかった。

 

 そして、三十分が経過して、いつもの顔色に戻った津上翔一はフグのように頬を膨らませていた。

 

「ねぇ、奏ちゃん知ってる? クラゲって美味しいんだよ」

 

 ───なんで今このタイミングで。

 

「そりゃね。俺だって怒るときは怒るもん。あのクラゲ野郎すたこら逃げやがって。アンノウンもどきは逃げ過ぎなんだよ。原作リスペクトが足りてないぞ。いや、本家もそこそこ逃げてたっけ。だったら戦うの辞めりゃいいのに。やっぱりみんな上司が怖いのかな。世知辛いよね。でも許さんぞ。顔覚えたかんな。あのクラゲ野郎は絶対にムシャムシャする。もしくはムチャムチャにする。オーケー奏ちゃん?」

 

 ───……はいはい。つまりは、いつも通り、だろ?

 

「へへっ、そゆこと。あっ、ちなみに、キクラゲって別にぷかぷか泳いでるクラゲさんじゃないからね」

 

 ───それぐらいは知ってるわ!

 

「おお、博識じゃん」

 

 ───煽ってんのか⁉︎

 

 そんな奏の声を聞いて、なぜか嬉しそうに翔一は背伸びをしてから徐に立ち上がる。

 その顔はなぜか笑顔で満ちていて、悲しみなんてもうどこにもない───いつもの津上翔一がそこにはあった。

 

「おっ、なんだ今日も良い青空じゃない。気がつかなかったなぁ」

 

 トンネルから出た翔一は駐車したバイクに乗りながら呑気な声音で言った。そして、日常という名の仕事へ戻るため、愛車に跨って戦場を走り去る。つい先程まで獣のように戦っていたとは思えない様相で、鼻歌なんかを口ずさみながら上機嫌にバイクを走らせる。

 だから、天羽奏は思う。津上翔一の居場所は戦場(ここ)ではないのだ、と。

 彼が居るべき場所はきっとあのふざけた日常が丁度いいんだ。

 みんなが笑っている陽だまりがこの青年には一番似合っている。

 

 そして、次の日───。

 立花響と小日向未来によって縄でぐるぐる巻きに縛られた翔一は大木に吊るされていた。しかも、逆さまである。

 

「いや、意味わかんねぇな、この状況」

 

 ぷらーんとぶら下がる翔一。

 彼の目の前には無言で微笑む未来がいる。ただし、その背後には不動明王というかクライシス皇帝とかバダン総統が見える。というか怒っていらっしゃる。未来激おこフェーズ3ぐらい。やばい。翔一の土下座ではどうにもならないかもしれない。

 

「あの……未来さん……?」

「なんですか、翔一さん」

「おろし」

「ダメです」

 

 有無を言わさぬ即答に翔一は黙祷した。俺は今日でさよならグッバイかもしれない。死因はなんだろう。おまえ許さん死? なにそれ怖E。俺が死んだら棺桶ダンスで見送ってくれ。ああ、でも、俺も黒人さんと踊りてぇな(現実逃避)

 彼が吊るされている木のお隣さんに位置する大木に設置された巣箱の穴から雛と親鳥が哀れむように翔一を見つめていた。よく見ていなさい。あれがバカの末路よ。そんな目であった。

 

「これは何の罰? 何の拷問? 俺は一体何を吐けばいいの?」

「最近、モテモテなご様子でしたので、お灸を据えておこうかと」

「説明されても意味わかんなかった」

 

 これが人類の相互理解を阻むババアの呪詛か。いや違うな。なんだっけ。バエルの呪詛? チョコの人が喜びそうだね。いや、そうじゃなくて、まじでなんだっけ? もうバカの呪詛でいいや(思考放棄)───翔一の残念な頭は今日も絶好調であった。

 

「とりあえず、携帯電話の連絡先は確認しておきますね」

「おきますね、じゃないでしょ。何? 俺の犯罪の証拠でも抑えたいの? 別に法は犯してないからね。ホントだかんね」

「0913……1107…………2020」

「ああ、やめて⁉︎ 俺のケータイのパスワードを当てないで! さも当然のようにロック解除しないでぇ⁉︎」

「連絡先は交換してないんですね」

「デジタルでのやり取りって苦手なんだよぉ」

「パスワードに免じて許します」

「ゆるされた。なんか知らんけど」

「でも、この前のお買い物に付き合う約束で、一時間も遅刻した件については許しません」

「許される以前に罪が多かった」

 

 お前の罪を数えろって? ひーふーみー……今さら数えきれないんだよなぁ。

 反省心は皆無に等しい翔一がいつになったら下ろしてくれんだろうとぼんやりと考えていると、校舎の方から響が何やら棒のようなものを両手に持って駆け寄ってきた。その棒は一体何に使うのだろうか。これ以上は考えたくない。

 

「み〜く〜、先生に聞いたら、なんか先っぽが妙に尖った棒しかないって」

「うーん。じゃあ、仕方ないからそれで突こっか」

「待って待って。おかしいね。なんで突くの? なんで尖ってんの? なんで先生は渡しちゃうの? ていうか、なんで俺なの⁉︎」

「自分の胸に」

「聞いてください!」

「ウワァァァアアアアアアアアアー⁉︎(絶叫)」

 

 音楽の園───私立リディアン音楽院高等科には今日も(バカ)の汚い悲鳴が響いていた。

 

 ───はははっ! 自業自得だな!

 

 そして、彼の心には少女の笑顔が咲いていた。

 

 

***

 

 

 風鳴翼はこの身を(つるぎ)と鍛え上げた戦士───そう思っていた。

 彼女の心に深い影を落としたのは二年前のあの事件から。

 ライブ会場の惨劇。

 親友である天羽奏を救うことができず、己が命を燃やし尽し、勇敢に戦い続けた真の防人たる未確認生命体第二号に救われて、今の彼女は生き恥を晒すようにして息をしていた。

 なにが剣だ。なにが防人だ。

 自責の悔恨は絶えず彼女の心を深い闇へと誘う。

 私は何者でもない。

 どこにもいけない片翼だ。

 翼は毎日のように二課の管轄下にある総合病院に通い詰めて、純白のベッドの上で安らかな寝息を立てる天羽奏の顔を見ては人知れず涙をこぼしていた。

 奏はいつも翼のことを泣き虫だと揶揄っていた。すぐに臆病になって涙を流すと───天羽奏は笑って言ってから、翼の頬を伝う雫を拭ってくれた。そんな彼女は今、穏やかな表情のまま、いつ目が覚めるか検討もつかない深い微睡みに囚われていた。

 

「奏……また第三号と戦ったよ」

 

 翼はぽつりと呟いた。奏に語りかける声音はいつもどこか弱々しい。

 

「あの叔父さまが同等以上の実力者と認めた相手に私が敵うはずもないけれど、それでも第三号の恐ろしい姿を見ると自分でもよくわからない気持ちが込み上げてくるの」

 

 ギュッと制服のスカートの裾を握る。

 

「多分、自己嫌悪なんだと思う」

 

 彼女の独白は小さな病室に重く響いた。

 

「剣に心はいらない。でも、心を持たぬ者はただの獣に過ぎない。だから、私は第三号のようになるのが怖くて───」

 

 あの怪物───天羽奏さえ殺そうとした堕天の獣(ネフィリム)を風鳴翼は無意識の内に強くならねばならない使命感に焦らされた自分と重ねるようになってしまった。

 剣と獣。

 そこに違いはなかった。

 翼も第三号も残酷と言えるほどに同じであった。認定特異災害であるノイズを狩り、意味もないのに殺し合う。そこに人間としての心は介在していない。憎き第三号をこの手で抹殺しようと剣を振るっていた翼は己の内面に無心で暴れる獣のような狂気に気づき、やるせない気持ちと昂る戦意に挟まれて、行き場のない苛立ちを第三号に叩きつけた。

 その姿こそが獣。

 心なき獣が嗤う。おまえは血を啜る剣に過ぎないのだ、と。

 これが私が目指した剣なのか───?

 私は何がしたいんだ。私は力なき者を守るために戦っていたのではないのか。

 いや、そもそも───本当に私は誰かを守れているのだろうか。

 唯一無二の友人さえ守れなかったのに───挙句はあの黄金の戦士に命を守られて今を生きているのに。

 

 守り人を名乗る資格などないではないか。

 

「私は何になりたいんだろう」

 

 少女の迷いがそこにあった。

 この三週間───翼と第三号の戦いの結末はいつも煮え切らない終わり方をしていた。戦う覚悟さえ未だ抱けぬ半端な戦士───撃槍(ガングニール)の立花響が二人の争いを止めようと猪突猛進の勢いで乱入してきて、怒り狂った第三号が響を投げ飛ばし、翼を強引に殴り飛ばすと、癇癪を起こすように地団駄を踏んでからバイクに乗って去っていくことが多い。

 立花響は第三号のことを苦しんでいる人だと思って助けたいと主張している。

 風鳴弦十郎は第三号を悪い存在ではないと多少の願望を込めて推測している。

 櫻井了子は意見を控えているが、研究対象として興味はある様子だった。

 そして、私は───やっぱり憎い。奏を手にかけた第三号を許せない。でも、もしも第三号を殺めたとして、その先に何が待つのだろう。私の剣はその先で何を守ることが───いや、何を殺して、何を捨て、何をこの手で斬り裂けばいいのだろう。

 ただ一つだけ分かっていることがある。私はきっと戻れない。天羽奏の隣にいた風鳴翼には戻れない。それがたまらなく怖い。怖くて、嫌で嫌で仕方なくて───〝心〟なんてものがあるから。

 

 精神(こころ)なんてものが私の剣を鈍らせる───!

 

「夢を見るの。怖い夢。奏が闇に落ちていく夢。闇の底で雄叫びが聴こえて、私は手を伸ばすの。でも、届かなくて、どうしようもなくて……」

 

 そうして、気づく───闇に落ちていたのは自分でもあった。

 人でなくなる恐怖。奏を殺そうとした獣と同じになる恐怖。いつしか自分も奏を殺そうとするのではないかという得体の知れない恐怖。風鳴翼を覆い尽くす闇の正体はそれであった。

 彼女の涙は友を想う心だった。

 その心を失いたくないのに、戦士にとっては、こんなにも()()だった。

 

「ねぇ、奏は今、何の夢を見ているの?」

 

 翼の優しい声音に天羽奏は何も答えない。

 彼女が見る夢はいつだってあまりに悲しい夢だから。

 人の心を救うためならば、自分の心を簡単に捨ててしまう()()()()獣の夢だから。

 風鳴翼は知らない。

 天羽奏が見る現実(ゆめ)は悲しくて、苦しくて、それなのに笑顔が絶えない矛盾だらけの場所だということを。

 

 剣と獣───邂逅する。

 

 

***

 

 

 運命は唐突に。

 私立リディアン音楽院高等科の廊下にて───。

 

「お゛お゛ん゛⁉︎」

 

 風鳴翼の目の前で汚い悲鳴を上げる用務員がいた。

 脚立の上に登り、廊下の電灯を取り換えていたのであろう青年は足を滑らせて、脚立の足場に股間を叩きつけてしまい、その後は授業の邪魔にならないように静かに悶絶していた。

 偶然通りがかった翼は何だか見てはいけないものを見てしまった気がして、何とも居た堪れない感情のまま、ゆっくりと後退ったが、その足音に顔を上げた用務員の青年は驚愕の眼差しを翼に向けていた。

 誰もいないと思っていたのだろう。

 なんせ、今は授業中───四限目がはじまったばかりだ。

 風鳴翼は今し方、レコード会社との打ち合わせを終えて、私立リディアン音楽院へと戻ってきたのだが、午前に実施される歌の授業(カリキュラム)を受けるつもりはなかった。学校に戻ってきたのは学園の地下に構える特異災害対策機動部二課に用事があったためだ。他に理由はない。

 そもそも間が悪い。彼女が学校に着いた時点で授業開始のベルが鳴る二分前だ。教室に入ると否が応でも注目を浴びてしまう翼は極力として目立たないように心掛けてはいるが、それも超がつくほどの有名人である彼女には無理な話である。特に音楽科目において、彼女の歌声は良い意味でも悪い意味でも目立ちすぎる。

 つまり、風鳴翼がこの廊下を通ったのは全くの偶然であり、そこに恥を晒した用務員がいたのも悲しいほどに偶然だった。

 

「……どうも」

 

 木馬責めを受けているような態勢のまま、真っ青な顔で会釈する青年。翼は踵を返して一刻も早くこの場から立ち去ろうとした。

 

「あっ、ちょっとすいません!」

 

 だが、青年は彼女を呼び止めた。振り向くとそこには屈託のない笑顔が一つあった。どこか恥ずかしそうに彼は脚立をペチペチと叩きながら、国が誇るトップアーティストである風鳴翼へとんでもないことを言い出した。

 

「暇なら手伝ってくれません? この脚立ガタガタなんですよ」

 

 なんで私が───。

 暇というなら、確かに四限の授業が終わるまでは手持ち無沙汰だ。マネージャーの緒川慎次は先に二課本部で別件の仕事を片付けに行ってしまった。だからといって、一生徒である翼が用務員の仕事を手伝う道理はどこにもない。

 そこまで思考が整理されているのにもかかわらず、翼はなんで今、自分は脚立を抑えているのか疑問で仕方なかった。

 

「───そこでトミーは言ったんですよ。私は許そう。だが、こいつが許すかな? そしたら、突然ボビーがやってきてこう言ったんです。じゃあ一体誰がパイを焼くんだってね」

 

 用務員は意気揚々とわけのわからないトークを延々と翼に語っていた。どこの国のジョークだろうか。最初の徳川家康の脱糞話までは概要が理解できたが、アジア圏を出てからは全く話がわからない。

 

「い〜や〜、それにしても助かりますよ。先輩は別棟に行っちゃったし、二個あった脚立が何でか一個になってるし、しかも古くて定年劣化がヒドい方だし、俺の足は最近ガクガクだし……この学校ってたまに物がなくなるんですよね。不思議だなぁ〜てか怖ぇなぁ〜」

 

 脚立の上で、口と手を同時に動かしながら用務員の青年は手際良く電灯を換えていく。器用なのだろう。無駄な動きをしているのは口だけだ。

 

「この前なんて、俺と食堂のおばちゃんたちで試しに作っておいた特製おからクッキーが半分以上も無くなってたんですよ。先生方に試食してもらおうと思って、職員室に置いておいたんですけど、『おいしかったです♪』ていう置き手紙と共に行方を晦ましましてね……」

 

 翼はこの学校の地下に潜む二課本部に犯人の目星をつけた。できる女を自称する櫻井了子なら申請も出さずに学校の備品を持っていきそうだ。手紙の内容的にも彼女のような気がしてきた。

 関係者として翼はなんだか申し訳ない気持ちになってきた。

 複雑な顔をしていたであろう翼を横目で覗いた青年は突拍子もなく話題を変えた。

 

「そういえば、翼さんって友達とかいます?」

 

「はい……?」

 

「この前ちらっと見かけた時、お仕事が大変そうで、なーんかあんまり楽しそうな顔してないように見えたんで」

 

 思わず翼は失笑した。

 楽しい? そのような感情は捨てた。

 あの日───親友を守れず、恩人に救われ、何もできなかった自分。一人だけおめおめと生き(ながら)えた愚かな剣は己を律し、戦いに不要な感情を削ることで真の剣となるべく鍛え直した。心を捨てたのだ。そう、心を……。

 いや、捨てられていない。

 まだ私はみっともなく心に縋っている。いつかまた奏と一緒に歌を唄いたいと願っている。

 

「…………」

 

 沈黙する翼の哀愁が青年の瞳に虚しく映る。

 小さな呼吸が翼の耳に届いた。

 

「あー、俺の友達っていうか、この学校の一年生の子なんですけどね。なんていうか、誰とでも仲良くなれる子なんですよ。人助けが大好きっていう変わった子なんですけどね。その子は人の痛みをちゃんと分かってやれる優しい子で、もしかしたら翼さんとも仲良くなれるんじゃないのかって」

 

 淡々と告げる彼はその名前を口にした。

 

「立花響っていう子なんですけどね」

 

 知っていた人物の名前に思わず動揺した翼は脚立を支える手が震えてしまう。上の方で青年が地震でも起きたのかと目をパチクリさせる。翼は一つ咳払いをして、運命の巡り合わせというものに心の底から辟易した。

 どこまでも立花響という少女の影は風鳴翼を追い詰める。

 彼女を見ていると何故か天羽奏の笑顔が脳裏に過ぎるのだ。そして、また一緒に笑いたいなんて───甘ったれた感情が翼の中で泣き叫んで、防人としての剣を鈍らせる。

 

「立花は……悪い子では、無いとは、思います」

 

 歯切れの悪い回答だった。

 立花響という少女は誰とでも明るく接しようとする優しい人間だ。それこそ天羽奏に匹敵する(もの)がある。それを翼は否定しない。ノイズと戦闘中、自分の身すら未だ守れない半端者であるにもかかわらず、逃げ遅れた人がいないかと気にかける精神は翼も認めていないわけではない。

 ただ、彼女は戦士としての覚悟が圧倒的に足りていない。

 戦うということが何なのかをまだ半分も理解していないだろう。

 天羽奏の意志を受け継いだと認めるわけにはいかない理由はそれだった。血の滲むような努力の果てに撃槍(ガングニール)の装者となり、過酷な戦場に身を置き、時としてその命を糧に誰かの命を守ろうとした───誇り高き戦友の何を継いだと言えるのか。

 何よりも立花響は戦うべき人間ではない。

 翼と第三号の戦いを見て「悲しいから」と()()を哀れんで、自分の実力では止められないことぐらいわかっているはずなのに、危険を顧みずに戦闘を止めるべく乱入してくるほどの純朴な優しさはいつか自分を殺してしまう。

 

「あの子は優し過ぎる。危ういほどに」

 

 だから、私のような剣だけが戦えばいい。

 心のない剣が。

 心を捨てた剣が……。

 

「翼さんって優しいんですね」

 

 俯いていた顔を上げると、用務員の青年は相変わらず作業をしていた───その横顔に優しい微笑みを残したまま。

 

「心配してくれてるんですね、響ちゃんのこと」

 

「…………」

 

「あの子、本当に危なっかしい子だから、私がしっかりしなきゃって、そんな風に心配してくれてるんでしょ。顔に書いてますよ。間違いない」

 

「別に、私は」

 

「そんな謙遜なさらずに。翼さんは優しい人だと思いますよ。他人の為に本気で悩めるほど思いやりのある人なんてそういませんからね。若いのに偉いなぁ」

 

「やめてくださいっ!」

 

 優しいなどと言わないでくれ───!

 反射的に声を張り上げていた。苦悶に近い声音だった。両手で耳を塞ぎ、その場に(うずくま)ってしまうような脆弱な芯を訴えかける少女の嘆きだった。

 風鳴翼の弱さ───彼女は未だに自分が赦せない。

 あの日、朽ちるべき命は私であった。

 風鳴翼と天羽奏。そして、仮面ライダー───最も精神(こころ)の弱い戦士が生き恥を晒した。

 あの事件から、どれだけ戦っても、どれだけ鍛えても、認定特異災害と孤独に戦い続けた未確認生命体二号のように強くはなれず、天羽奏のように心の強い人間として立派に成長もできず、あの頃と同じような弱いままの風鳴翼が残っていた。

 天羽奏が隣にいない戦場に立って───はじめて孤独を味わった。

 背中を預ける者がいない。自分を想ってくれる人がいない。これが第二号が見ていた景色だと思うと震えが止まらなかった。こんなに冷たいものだったのか。こんなに辛いものだったのか。

 それなのに、仮面ライダーは何の弱音も吐かずに戦っていたのか。

 心がぐしゃぐしゃになる気分だった。

 だから、心を捨てようと───天羽奏と仮面ライダーの分まで風鳴翼が剣として命尽きるまで戦おうと誓った。なのに、風鳴翼はどこまでも未熟だった。悔しいほどに弱かった。心が邪魔をする。寂しいと。辛いんだと。握る剣から弱音が聞こえてきた。

 そんな弱い心など要らない。私はあの日、生き残ってしまったのだ。天羽奏と未確認生命体第二号を差し置いて───ならば、二人の分まで心を殺して戦うべきだ。

 

「私に優しさなど必要ありません。剣に心など不要です」

 

 自分に言い聞かせるように。

 風鳴翼は心を捨てる。

 優しさなど以ての外───敵を斬り裂くだけの(つるぎ)に心があってはならない。

 その冷徹な言葉に初めて青年は難色を示した。陽の光のような表情から笑みが消えて、ゆっくりと眉が落ちて、物悲しい哀憫に染まった瞳を少女に向け───だが、それも一瞬の出来事だった。青年は懲りずに()()()()と笑って、無意識に目を伏せていた翼に語りかけた。

 

「何言ってんですか。心がないとただの獣になっちゃいますよ」

 

「……っ⁉︎」

 

 風鳴翼は驚愕を禁じ得なかった。

 争いとは無縁の笑顔を溢す青年の口から、よりにもよって〝獣〟なんて言葉が紡がれるとは思いも寄らなかった。動揺に目を見開いた翼の瞳には───どこか不憫な情緒を抱かせる慈愛の笑顔があった。

 剣と獣。

 そこに違いはなく───間違いは腐るほどにあった。

 青年はそれを誰よりも知っていた。心を置き去りにして真の剣に至ろうとする少女の目前で笑う青年こそ、心を捨てねばならない恐怖と戦う獣であったのだから。

 

「ねぇ、()()()()

 

 作業を終えて脚立から降りる。

 ほんわかとした笑顔を保つ青年はほんの少しだけ前屈みになって、苦悩する少女の視線に合わせて、彼は子を嗜める親のような温かな声音で風鳴翼に問いかける。

 

「翼ちゃんが、頑張ってるのは、どうして?」

 

「…………」

 

「何のために、頑張っているんですか?」

 

 何の為に強くなろうと足掻き、誰の為に己を捨てようとして───今まで風鳴翼は剣を振るってきたのか。

 

「私は……力を持たない人々のために……防人として……守るために……」

 

 どこか自信を損なった矮小な声をボソボソと呟く翼に───青年は力強く頷いた。

 

「それでいいじゃない」

 

 なぜか、嬉しそうに青年は笑う。

 

「どんな時でも、どんなことでも、誰かの為に頑張れるって素敵なことなんだから。その想いを忘れちゃいけないよ。翼ちゃんの歌も、奏ちゃんの歌のように、誰かを笑顔にできる素敵な歌なんだからさ」

 

「奏と……同じ……?」

 

「間違いないよ。俺、聴いたことあるもん。奏ちゃんの優しい歌を。翼ちゃんの優しい歌も。

 だから、心なんて要らないなんて言わないで。それはすっごく悲しいことだから」

 

 用務員の青年はそう語った。

 笑っているのに、泣きそうな顔をして───風鳴翼の心に響く。

 なんなんだ、この胸騒ぎは。

 なぜ、この青年の言葉はこんなにも重く響いて伝わってくるのか。

 この青年はどうして私を気にかけるのだろうか───。

 

「はい! シリアスしゅーりょー! おわりー! さてさて、おかげさまで電灯も一通り換えられたし、俺の股関節の痛み止まったし、うんうん、お待ちかねのお昼ご飯にでもしますか───そうだ! 翼ちゃん、お昼ご馳走しちゃいますよ!」

 

「は?」

 

「今朝、行きつけのお豆腐屋さんから美味しいお豆腐を頂きましてね。量が量なので困ってたんですよ。ほら、手伝ってくれた御礼。もしくはお駄賃」

 

「いえ、私は───」

 

「まあまあまあ! そう遠慮なさらずに! この時期に食べる冷奴ってのも乙なもんよぉ〜!」

 

 用務員の青年───津上翔一は楽しそうに微笑んでいた。

 その笑顔は立花響の───あるいは天羽奏の笑顔とよく似ていて、風鳴翼が守りたかったものによく似ていた。




次回、お豆腐回(茶番)
ただでさえクソ雑魚スタミナなのに更に弱体化パッチがあたったオリ主くん。おまえが悪いんや・・・おまえが強過ぎんのが悪いんや・・・ビビってラスボスが出てこれんのじゃ(←ガチ) でもSAKIMORIのケアの方が最優先だよなぁ⁉︎ 世界はおまえに厳しいけどおまえは人に優しくあり続けるんだよ!


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♬.俺と翼ちゃんはお豆腐で一悶着あるかもしれない。

冷や奴は木綿派です。


 アカンて(迫真)

 

 あの顔はまーじでダメだって。

 

 花も恥じらう十代乙女がしていい顔じゃないってアレ。見てるコッチまでもお腹痛くなっちゃうよ。アイタタタ……(震え声)

 翼ちゃんに(ギルス)の度重なる暴行を悟れぬように謝ろうと画策して、待ち伏せとまではいかないが、積極的に三年生の通行が多い廊下などで作業をしていた際、校内でチラッと見かけたことがあった。思わず衝撃を受けた。土下座とか土下寝とか言ってられないレベルの深刻さを翼ちゃんの顔は物語っていたのだ。

 修羅の国から帰ってきた野武士。我誠遺憾也。カム着火インフェルノ。オールウェイズ不破諌。近づく奴は指先一つでダウンさ。

 そんな感じがひしひしと伝わってきた。

 彼女から発せられる「私に構うな」オーラにもはや感服すらした。あれじゃあ友達はできないだろう。人との距離を測らない系女子である響ちゃんでさえ手を焼くわけだ。

 なんか仕事で嫌なことでもあったんかな? 上司に無茶な要求でもされたんかな? 俺もよくエルさんたちに「は?武器とか甘えでは?」と言われてストームフォームなのにストームハルバートの召喚を許してもらえなかったり、「ローリング回避とかヌルゲー」とか言われて全部の攻撃をパリィするとかいうゲームならトロフィー貰えそうな勢いの苦行を強いられたものよ。懐かC……それで終わった後に「Congratulations(おめでとう)!」と連呼しながら拍手されて、てへへと照れていたら「次は投げ技オンリーね」と無慈悲なお言葉をかけられてしまい、投げの鬼な大地の巨人さんプレイを一週間ぐらい強要された。その時ばかりは確かにそんな顔をしていた気がする。おかげ様できりもみシュートがやたら上手くなった。エルさんは何故かご満悦だったけど、俺はもう誰も信じないっていう感じだった。

 

 翼ちゃんも若いのに大変やね。きっと俺と同じようなクソ縛りプレイでも強要されてしまったのだろう。お互い上司のパワハラなんかに負けないように頑張ろうね。嫌な時は嫌って言いなよ。俺は嫌って言っても無駄だったけど、翼ちゃんの上司は人間なんだから話し合えば何とかなるよ。

 そう単純に考えていた時期が俺にもありました。

 いや、あの顔がデフォってマ? SAKIMORI以前に翼ちゃんは高校生だよね? 間違えてないよね? イケイケ(死語)なJK(死語)だよね? まだ十代だよね? サバ読んでないよね?

 あんなん必殺仕事人が依頼の内容を聞いてる時の顔やん。今から悪徳商人の屋敷で殺戮パーティーの目ですやん。決して若い女の子がしていい顔じゃないのは確かよ。

 

 そんなに疲れてんの? いや、疲れもするよね……。

 トップアーティストとしての仕事に加えて、うるせぇノイズたんとの終わらない仕事。それに並行して学業も修めなきゃならないし、プライベートなんてほぼ無いんだろうな。

 こりゃもう立派な社畜ですわ(確信)

 何とか救ってあげたいけど、俺も救ってほしいんだ(白目)

 でも、面と向かってお話できるなら、ワンチャン俺のコミュ力(笑)で何とかなるかもしれない。よっしゃ! もやし専用のお説教BGM垂れ流せ! ここでビシッと良いこと言うぞぉ〜カッコいいこと言っちゃうぞ〜……なんも思い浮かばねぇ(落胆) これじゃあ全国のラノベ主人公に鼻で笑われるわ。この最高のタイミングで説教できないとは転生オリ主の風上にも置けないとか言われるわ。

 いや、説教なんてできないけど。

 間違ってないもん、この子は。

 でも、心を捨てるのは覚悟キメ過ぎじゃない? 怖いよちょっと辞めようよ。捨てていい心なんて寺○心しかいないんだからさ。いや、やっぱり寺○心も捨てちゃ駄目だわ。あの子演技力すごいもん。早く子役という枠から飛び出して名俳優として頑張って欲しいですな。ほら、皆さんもご一緒に、せーの───。

 

「お豆腐なのに、スプーンねぇじゃん!(ド変顔)」

 

「…………」

 

 笑わないね、翼ちゃん。

 

 ───それで笑う奴もおかしい。

 

 奏ちゃんが辛辣なんだけど。俺の変顔って、割と全力だし、リスペクトはブゥンな神だし、もっとウケてもいいはずなんだけどなぁ。

 それにしても、なんというか、現役アイドルを餌付けするために人気のない用務員室に連れ込んでしまった。これにはGトレーラー出撃不可避。でも、ちょっと逮捕は待ってくれ。ジャッジメントタイムはやめてくれ。おいしいお豆腐を食べれば、きっと翼ちゃんもニッコリ笑ってくれるはずなんだ。なあそうだろう全肯定バーロー奏ちゃん。なんとか言えよ。ねぇ言ってよ! ヘケッソウナノダって言ってくれよ! cv.高○みなみで言ってくれよ、なぁ‼︎

 

 ───さっきからスベりまくってるからって、あたしに助けを求めんな!

 

 じゃあ、どうすれば、この子は笑ってくれるのよ⁉︎ クソ寒いギャグだって数打ちゃ当たんのに、この子は微動だにしないよ⁉︎

 

 ───うーん。前にやってた腹筋崩壊パワーは? あたし個人的にしょーもなくて好きなんだけど。

 

 ほほう、ここで脱げと申すか。マグマ式の冷や奴とかいう暑いのか寒いのかよくわからんパワーワードでやり遂げろと申すか。

 

 ───いや、ごめん。忘れて。

 

 最終的にはそれしかねぇな。

 

 ───忘れろ! 脱ぐ方向は無しでお願い! 翼に翔一の筋肉は早過ぎる!

 

「…………」

 

 ちなみに、鉄仮面な翼ちゃんは来客用のソファに座り、白い子猫さんを膝の上にのせて、ずっと撫でてます。なんだこの尊い絵面は。永久保存したいんだけど。写真撮っていい? 芸能人だからダメかい? アレだろ。撮った瞬間にニンジャが忍び寄ってきて天誅されんだろ。アイエエエされんだろ。わかるよ。わかるわかる。

 

「この猫」

 

 はい?

 

「この猫に名前はありますか」

 

「ああ。うん。その子の名前はダディっていうの。入学初日に響ちゃんが助けてね。そのまま学校側を説得して、学校猫として飼ってんの。名前の由来は響ちゃんからとった」

 

「立花から?」

 

「そう。橘から」

 

 ふにゃぁーっと小さな口を開けて欠伸をする子猫のダディさん。大物アイドルの膝の上でもこの負けず劣らずの愛らしい態度は数々の異名を欲しいがままにしてきた男の名を継ぐに相応しいと勝手に思っている。

 ちなみに対抗案としてミックが挙げられていたけど、あっちは年配の猫だからね。クワガタかネコかよくわからん近接格闘派銃ライダーの方がしっくり来るもの。ねぇ、ダディさん。ダディさん? なんで反応してくれないの……。

 

 ───あんまり気に入ってないんじゃないか、それ。

 

 え、俺の尊敬する人なのに⁉︎ 野球ボールのチソ訓練も真似るぐらいに尊敬してるのに⁉︎

 

 ───あの意味わからねぇ特訓の考案者なのかよ⁉︎ やめとけよ! 行きつけのバッティングセンターで翔一専用の数字ボールが用意されてんのも何か恥ずかしいんだよ!

 

 俺専用じゃないもん! なんか最近いろんな人がチソ訓練してくれてるみたいなんだよ、バッティングセンターの店長さんが言うには。みんな真面目に動体視力の訓練だと思ってやってるっぽいから、3って言いたいだけの俺としては複雑なんだけど。

 

 ───せめて、真面目にやれよ!

 

 だって、動体視力はこれ以上あげる必要ないんだもん。そういや、エルさんもよく言ってたなぁ……おまえはイメージトレーニングと必殺技の練習と死ぬほど筋トレしてりゃいいって。

 翼ちゃんは筋トレとかしてんのかな? 随分とスレンダーに見えるんだけど。ああ、そっか。装者は精神力が第一なんだっけ。俺とかがシンフォギア着たら絶対にクソ雑魚ナメクジ決定だね。

 

 ───一番メンタル強そうな奴が何言ってんだか……。

 

 それはそうと豆腐屋さんから貰った絹ごし豆腐の滑らかな直線美を見てよ! いやぁ〜いいもの貰ったなぁ〜! これなら翼ちゃんの肥えたお口にも合うんじゃないかな。肥えてんのか知らんけど。

 ほら、ダディさん、あなたのゴハンはこっちですよ……ゴハンの時だけスゲェ反応するな。やっぱりダディだよ、この子は。

 さて、長机の真ん中に、食べ易い大きさに切り分けた冷や奴を載せたお皿を置いてから、醤油と大根おろしに刻みネギと生姜を盛り付けた小皿を翼ちゃんの前にセッティング。みんな大好き辛味噌とキムチも用意してある。オクラもある。あとはお味噌汁と漬物とご飯。それと柳葉魚を焼きました。ん? 昼食というより朝ご飯? うるせぇ! それがいいんだよ! そもそも俺は一般的な家庭料理が大好きなんだ! お母さんなんだよ! みんなの食卓を守るお母さんの腕前なんだよ! ほら、誰か養ってくれよ! 毎日味噌汁作ってやっから養えよ!

 

 ───あたしが食べたいって言ったら、ピザから焼売まで作ってくれるけどな。

 

 ピザはちょっと失敗しちゃったけどね。あれは焼き方を間違えた。イタリアンレストランの店長さんに教えを請うべきだったね。

 

 ───でも、美味しかったぞ。

 

 あら、ありがとう。その言葉だけで料理してる人は天に召される気分になるのよね。言葉って不思議。みんなもこれからはお母さんや奥さん、もしくは外食する時なんかでも、ご飯を作ってもらったら美味しいって言ってあげてね。翔一さんとの約束だぞ。

 

「いっただきまーす」

 

 ───いただきまーす。

 

「……いただきます」

 

 おっ、ちゃんといただきますの挨拶する子は偉いぞ。ポイント高い。

 

「───津上さん」

 

 俺が冷や奴を箸で摘んで小皿に盛るのを待っていたのか、丁度良いタイミングで翼ちゃんは口を開いた。

 

「どったの? あっ、まさかのマヨ派?」

 

「いえ、違いま───今どこから取り出したのですか、そのマヨネーズ」

 

「野生のマヨネーズは釣るものだから」

 

「答えになっていません。いや、そうではなく、大したことではないのですが───」

 

 少し戸惑いが滲む表情が過ぎる───あ、シリアスの匂いだ、これ(直感)

 

「奏の歌を聴いたと言っておられましたが……私は、本当に奏と同じように、誰かを笑顔にできるような歌を唄えているのでしょうか」

 

 多分、翼ちゃんにとって、それは大したことだったと思う。

 

「私が歌を唄っているのは、あくまで奏が復帰するまでの帳尻合わせのようなものです。私の歌は、本来、人のために唄うようなものではなく……もっと、恐ろしいものです」

 

 俯いた顔には、苦渋を含んだ小さな諦めがあった。

 人間の尊厳を容易く踏みにじる認定特異災害たるノイズへの唯一に等しい有効打であるシンフォギアに選ばれた彼女の歌は───戦うための道具に過ぎなかったのだろう。

 煌びやかなライトが照らすステージの上に立ち、華やかな衣装に身を包み、遠路遥々から集まった大勢のファンの前で麗しい歌声を披露する凛とした歌姫こそが人々の周知の偶像たる風鳴翼であった。

 しかし、それは彼女の防人として生きる道とは違っていた。

 彼女の生き方はどこまでも剣であったからだ。

 ステージはどこまでも血生臭い戦場だった。衣装は身を守る鎧だった。マイクは刀を模した凶器だった。観客は討ち滅ぼすべき(ノイズ)であった。誰かの為に歌唱しているわけではない。位相障壁によって攻撃を通さないノイズを調律するために仕方なく歌うのだ。歌手活動はその副産物に過ぎない。

 私は剣だ。

 歌姫ではない。

 だからこそ、風鳴翼の歌は───天羽奏のように優しい歌であるはずがない。あってはならないのだ。

 

「私は奏のように歌えない。あの頃のように、もう歌うことはできないのです」

 

 風鳴翼の歌は戦うためのもの───そう言いたいのだろう。

 天羽奏もまたシンフォギアに選ばれた装者であるが、風鳴翼とは大きな違いがある。聖遺物との適合率を投薬によって引き延ばし、辛うじて戦闘が可能である範囲まで適性を無理に得た()()()の天羽奏を真の装者として数えるのは不都合がある。彼女は明らかな無茶をしていた。薬剤の過剰摂取がその最たる例か。それでも生来の適合率の低さは誤魔化せない。制限時間が設けられ、聖遺物と完全な波長を合わせることもできず、天羽奏は常に死と隣り合わせの状況で戦っていた。

 実際、俺もアギトとして奏ちゃんと会った時───正直な話、虫唾が走った。

 こんな若い女の子に()()()()()()()()。あるいは、その手段をなぜ用意してしまったのか。なぜ与えてしまったのか。

 過剰な投薬によって活性を促されていた体細胞の疲弊は愚か、内臓の疾患は極めて酷なものだった。激しい戦闘行為が続けば喀血してしまうのは薬物の効能が運動による新陳代謝によって一時的に増大し、内臓の機能に負担を強いて、歌声を発する重要な気管支や肺を出血させているからだろう。……まあ、これは口から血液を溢していた奏ちゃんをパッとみて症状をテキトーに予測しただけだから他に理由があるのかもしれないけど。とにかく、とても十代の少女が患うべき体調ではないのは確かだ。

 それにあくまで一個人の見解としては、天羽奏は長生きはできないだろうと判断していた。このままの悲惨な状態で戦いを続けるというのなら、三十も超えることなく死を遂げることになるだろう。彼女は肉体を酷使し過ぎている。スポーツなんかで期待のルーキーが最盛期を迎えずして身体を壊して引退していくのとよく似ている。

 それに比べて、風鳴翼は天賦の才がある。聖遺物との適合率が高い彼女は投薬を受けずとも、時間に縛られることなく、体力の限りは戦うことができる。風鳴翼の肉体は───今こうして目の前にいる少女をまじまじと見ても極めて健康的な状態を保っていることがわかる。少し鉄分が足りてないぐらい。肉とか魚とか食べてないんだろうなってこともわかる。好き嫌いしちゃ駄目だぞ。ほら柳葉魚食えよ。カルシウムとれるぞ。いや話逸れたわ。カムバックシリアス。とにかく、戦闘のみならず私生活にすら支障を及ぼすリスクを伴う天羽奏と生まれながらの高適性によりほぼノーリスクの風鳴翼では雲泥の差がある。

 端的に表すなら、それは優劣の差だ。

 そして、この格差たる優劣に引目を感じていたのは───劣っている天羽奏ではなく、優れている風鳴翼の方だろう。

 彼女は今までに傷ついた友人をどれだけ見ていたことか。

 この世界で一番大切な人が隣で血を流していることにどれだけ耐えてきたか。

 苦痛だったのだろう。

 風鳴翼は天羽奏に戦って欲しくなんかなかったはずだ。

 愛する人が傷を負うことを許容できる者などどこにもいない。

 ツヴァイウイング───あのライブ会場の事件から二年も経つ。かつては十万にも及ぶ集客を成し遂げたツヴァイウイングの活動休止も同じく二年の月日を迎えている。普通ならファンは少なからず離れていくだろう。だが、驚くべきことに、その人気は未だ衰えずに健在である。俺の家にはテレビを置いていないから、ネットでの細やかな情報なのだが、二年も時間の歩みを止めているツヴァイウイングの活動は今でも利益を生み出しているらしい。CDや音楽データ、過去のライブ映像などが未だに飛ぶように売れている。経済に広くない俺でもその異常性は何となくわかる。

 そして、その理由も推測せずとも導き出せる。

 風鳴翼がソロ活動で支えているからだ。

 ツヴァイウイングという過去の栄光を風鳴翼は一人で永遠と叫んでいるのだ。忘れないで、と───ここで歌を奏でているのは片翼に過ぎなくて、いつか必ず、ここに両翼が揃う日が来るのだと。彼女はずっと慟哭を歌声に潜ませて、孤独に()()()()()のだ。

 翼ちゃんは奏ちゃんの居場所を今も必死に守っている。

 まるで、大切な思い出に縋るように……。

 でも、今の翼ちゃんは奏ちゃんと一緒のステージに立つ気はないと言う。

 自分が守り抜いた場所で翼ちゃんは自分の羽を休めるつもりはないのだろう。二年も活動を休止しているにもかかわらず人気の絶えないツヴァイウイングの片翼である天羽奏が二年越しに目覚め、歌手として復帰すれば、今まで通りに行くとは限らないが、歌手活動一本でも食うものに困ることはないだろう。

 そうだ。天羽奏が装者として戦わずとも、彼女が笑って生きていけるような場所を───風鳴翼は守り続けているのだ。

 そして、天羽奏の欠けた戦力の穴を風鳴翼が永遠に補い続けば万事丸く収まる。その為にはツヴァイウイングに戻りたいと願う惰弱な心を捨て去り、己を剣として磨き上げ、無心の戦士としてあらねばならない。

 二年前のあの惨劇から、風鳴翼はそうやって覚悟を決めて、天羽奏の居場所を一人で守って、ノイズの脅威に怯える民衆を一人で守って、文字通り心を捨てて独りで戦ってきたんだろう。

 

 自分の心すら騙して───か。

 

 ……そんなところかな、俺から見た翼ちゃんをまとめると。実際には聞いてみなきゃわかんないけど、そこまでするつもりはないからね。

 

 ───翼……。

 

 奏ちゃんの酷く悲しそうな声が脳裏に響く。

 しまった。余計な思考だったかもしれない。いや、必要か。向き合うべきか。それを決めるのは本人か。

 でも、あんまり真に受けないでよ? 別に俺は人の顔みて考えてることがわかる心理学者じゃないんだから。これは脳味噌の大半がお花畑のバカが翼ちゃんの顔を見て「ン〜これは重症w」って言ってるようなものだからね? だから、その、うん……元気出して。

 

 ───でも、あんなに弱虫で泣き虫だった翼が一人でステージに立って頑張ってる姿を見て、あたしは……ああ、無理してんだなって、ずっと思ってたし……でも、歌うのが楽しいって言ってくれてた翼だったから、きっと、いつかはって……。

 

 心が深い海へ沈んでいくような悲哀に満ちた音が聞こえた。

 

 ───言わないでくれよ、もう歌えないなんて。あたしは翼の歌で、自分の歌を好きになれたんだから……。

 

 泣きそうな少女の声が俺だけに響く。

 

 ───あたしだって、最初は歌なんかって思ってた。ノイズを皆殺しにする為だけの道具だった。だけど、あたしの歌を聴いて、救われたって言ってくれる人がいた。一緒に歌を唄ってくれる大切な人がいた。だから、だから……。

 

 …………かなしいね。

 

「津上さん?」

 

「ごめんごめん。ちょっと目がゴミに入っちゃって」

 

「逆ではないでしょうか」

 

「細けぇことはいいんだよ。おー、ダディさん、今、俺の顔をペロペロするのはやめてくれないか。ありがたいっちゃありがたいけど」

 

 荒ぶるダディさんを宥めてから膝の上にのせて───よしっ。

 

「翼ちゃん、指切りしよう」

 

「指切り?」

 

 訝しげに困惑する翼ちゃんは差し出された俺の小指をじっと眺める。

 

「約束。翼ちゃんの歌は、人を笑顔にできる。俺が約束する」

 

 励ますだけの言葉なら、幾らでも見繕うことはできるけど、それは無責任なものになるから。

 風鳴翼が堪えてきた苦悩や痛みを見て見ぬフリをする行為に他ならないから。

 だから、俺にできることは───この指だけなんだよね。

 

「俺じゃなくても、翼ちゃんと奏ちゃんの歌声を聴いた人なら、みーんなそう思ってくれてるんだろうけど、今ここにいるのは、しがない用務員である俺だからね。だから、恐れ多くも代表して、今はこの小指さんで我慢して」

 

 しばらくの間、翼ちゃんは俺の指を見つめて硬直していた。ゆっくりと自分の小指を立てて、その指先を睨みつけて、俺の指と見比べるように視線を忙しく動かしてから、俺の気持ち悪くニヤニヤしているであろう顔を一瞥する。

 あら、目が合ったわね。そして、すぐに目を逸らしたわね。……そんなに俺と指切りするのが嫌なのかい? まあ、JKからしたら俺はおっさんだもんな。普通は嫌だろうね。どうりで最近、響ちゃんと未来ちゃんの視線が刺々しいワケだ。とくに響ちゃんは何か物陰からじっと監視されてる感じがして歯痒いんだよね。未来ちゃんは相変わらずラスボスチックな笑顔が怖い。他の生徒の子と話してたら特に。みんな、俺を三流階級のおっさんなんだと思って「いいから働けや給料泥棒!」とか心の中で罵倒してんだろうな。実際はド底辺の畜生なんだけどね。泣けりゅ。

 と、内心そこそこにショックを受けていたら、翼ちゃんは慣れない手の動きで何度も躊躇を挟みつつも俺の小指にそっと自分の小指を重ねてくれた。

 きれいな指だった。

 数え切れないほど剣を握り締めてきた防人の指とは思えないほどに、細くてしなやかで、目を離したらポッキリ折れてしまいそうな儚さがある───どこにでもいる少女の指だった。

 翼ちゃんの温もりが小指からしっかりと伝わってくる。彼女がどれだけ本気で誰かを守りたいと願って、今までずっと頑張ってきたか、俺は何となくわかってしまった。

 きれいな心───捨てるにはちょっともったない。

 子指を優しく絡ませる。指切りげんまんって由来はそこそこにダークなんだけど、知らない人の方が多いし、不変の心を誓うという意味では都合が良いからね。そういうことにしておこう。

 

「…………」

 

 やがて、翼ちゃんの指も遠慮がちに俺の小指に絡んで、がっちりと結ばれる。現役アイドルとの握手会ならぬ、指切会である。なんかヤクザの組の名前みたいで嫌だな。どれだけエンコ詰める気なんだろう。ヘマし過ぎだろ。いや、また話逸れたわ。

 とにかく、今、俺は翼ちゃんと小指で繋がってるわけなんですよ。興奮しない? 俺はしない。指フェチじゃないもん。じゃあ、何フェチって言われたら、それはそれで困るけどね。ここにフェチズムを感じるんだよって言える部位が無いというか、なんかエロスに鈍感になってきてるというか、うーん、何でだろうね。俺は何か大切なものを失くしてんのかな……またまた話逸れたわ。

 

「さてと」

 

 フッ、かかったな、風鳴翼───いや、SAKIMORIよ!

 

「よっしゃ、これで翼ちゃんは逃げられんからな!(小指に力を入れる)」

 

「はい?」

 

「俺も約束したんだから、翼ちゃんも約束だぜ⁉︎ 翼ちゃんは()()()()()心を込めて、翼ちゃんの歌を待ってくれている人たちに、翼ちゃんの歌を届けてあげるんだよ!」

 

 ガハハハ、まんまと騙されやがったな! これは約束というよりも誓約なんだぜェ⁉︎ なーにが帳尻合わせだ! そんなん許さんからな。奏ちゃんだって、翼ちゃんと歌いたくてウズウズしてんだから、一人だけ引退なんてさせんからな!

 奏ちゃんの歌と私の歌は違うとか、音楽の知識に疎い俺にはそんなん分からんけど───きっと、その答えは奏ちゃんが持ってるから。

 いつか奏ちゃんから直接、その答えを聞かなきゃダメだ。

 つまりは人任せよ! あとは奏ちゃんに託した! 俺は仕事を放り投げるぜ! 俺は何にもしない! やったぜ! 一人だけ楽してやる! イーチ抜ーけた! 俺ァ百合の間に挟まるような無粋な男じゃないんでね! 二人で一生イチャイチャしてろ!

 

 ───翔一……?

 

「奏ちゃんが起きるまでじゃないよ。奏ちゃんがキチンと目覚めたら、それからはさ、またツヴァイウイングとして、ずっと一緒に歌いなよ。片翼でもお空は飛べるかもしれないけど、両翼そろって飛んでる青空の方が気持ち良いに決まってる」

 

「…………っ!」

 

 見ろよ、天下のSAKIMORIが豆鉄砲食らった鳩みたいな顔してるぜ。でも、今さら気づいたところで、時すでにお寿司! この指切りは契約の証! 翼ちゃんの社畜人生を決定してしまうものなのよ! 逃げられると思うなよ! でも、安心しな! そこには奏ちゃんもいるんだからよォ⁉︎ 二人仲良く社畜の世界へウェルカムだZE! 俺の苦しみの片鱗を味わえ! ちなみにその時になったら俺は退職に成功してる予定だから! 肩の荷が下りた俺は静かな場所で高みの見物って寸法よ! ガハハハ、辛くても辞めさせてやらんからな! ずっと二人で支え合いながら歌い続けるんだよ! 俺はそれを死ぬほど楽しみにしているからな!

 奏ちゃんも覚悟しろよ! この指は奏ちゃんの指でもあるんだからな! 苦悩に満ちた社畜人生を這いながら、それでも翼ちゃんと生きていく契約を今ここでしてもらうからな!

 

 ───いや、勝手に決めるなよ……。

 

 嫌かい?

 

 ───……全然。むしろドンと来いって感じだ。

 

 それは良かった、本当に。

 

「ゆーび、きった!」

 

 勝った(確信) 敗北を知りたい。

 

「──────」

 

 翼ちゃんがなんか複雑そうな顔してる。

 いや、ゴメンて。ほんまゴメンて。重たい空気っていうか、シリアス苦手やねん。

 やがて、項垂れるように俯いて、肩をわなわなと震わせる翼ちゃん。悪い大人に騙されたのがそんなに悔しかったのかな? それともこんな冴えないおっさんと小指と小指の濃厚接触をしてしまったのかがショックだったのかな? ……手ェ洗うかい? アルコール除菌ならここにあるよ。でも、せめて、俺が見てない時にしてね。心にグサってくるから。それで死ねる自信があるから。おっさんの心は硝子なんだから。

 でも、女の子の心はもっと繊細だもんね。

 時間は何にだって必要だもの。

 とりあえず、今、俺にできることはないだろうし、膝の上で寝転がるダディさんでも撫でて気を紛らわせておこう。オーヨシヨシーキョウモキャワイイナオマエハー(ワシャワシャ) アーッ⁉︎ 噛まれた⁉︎ 痛くないけど! ハッ(閃き) これが所謂アマガミってやつか。スク水に目覚めるなぁ。七咲に先輩と言われたい人生だった。そういやゲーム自体をギルスになってから長らくやってねぇな。寝る前にエルさんたちとカタンやってた頃が懐かしい。あの天使たちアナログゲームとかにハマってたもんなぁ。毎回キレてたけど。地のエルさんと火のエルさんが喧嘩してたけど。

 そんなどうでもいいことを考えていると、小さな呼吸の音が聞こえた。どうやら、自分なりの答えが出せたらしい。ほれ、ダディさんよ、ゴハンの途中だったんでしょ? 食べに戻んなさい。

 しばらくして、翼ちゃんはゆっくりと顔を上げた。その凛々しい表情は少しだけ晴れやかになって───静かに微笑んでいた。

 

「津上さんは本当にお優しい方です」

 

「そうでもないけど」

 

「いえ、それこそ謙遜です。立花がなぜ、あんなにいつも楽しそうに笑っているのか、わかった気がします」

 

「俺のせいじゃないよ。あの子は元からそういう子だよ」

 

 原作でもあんな感じだったしね。俺が居ても居なくても───っと、こいつはどうでもいい話だ。

 

「ありがとうございます」

 

 ペコリ、と綺麗な一礼をする。

 

「津上さんのおかげで、何か大切なものを思い出せた気がします」

 

 翼ちゃんはそう言って、もう解いてしまった小指を嬉しそうに眺めた。

 

「私は逃げていただけなのかもしれません。自分の心の弱さから目を背けて、奏からも合わせる顔がないと逃げ続けて、何かも捨て去ろうとして───でも、それは風鳴翼が目指した剣ではありません。私は……風鳴翼は、大切な人の笑顔と明日に生きる人々の笑顔を守れるような、そんな剣に私はなりたい」

 

 少女の真っ直ぐな瞳の奥に迷いなき光が輝いている。

 

「やさしい剣だね」

 

 翼ちゃんはちょっとだけ恥ずかしそうに頷いた。

 風鳴翼は剣であったとしても、風鳴翼の歌は剣ではない。

 彼女の歌は多くの人に夢と希望を抱かせ、明日へと進む勇気を与えてくれる。誰だって辛い時はある。誰だって苦しい時もある。そんな挫折に心が打ち負かされた時に、大空を自由に羽ばたく翼のような歌が、荒んだ心を優しく包み込んで、明日の空へと一緒に飛んでくれる。それが両翼そろったツヴァイウイングの歌───そうなんでしょ、奏ちゃん?

 

 ───……ああ。そうだ。そうなんだよ。それが、あたしと翼の、自慢のツヴァイウイングなんだ!

 

 奏ちゃんの弾むような温かな声が聞こえる。

 翼ちゃんにこの声は届かなくても、きっと、どこかで二人は今も繋がってるんだろうな。そういうのを絆って言うんだろうな。良いなそういうの……おっと、気を抜いたらまたダディさんが俺から水分摂取しにやって来るから気を付けろ。

 暑いんだよ、この部屋。あとは翼ちゃんと奏ちゃんの愛が熱いんだ。挟まれてる俺が汗かいちゃうのは仕方ないでしょ。ふぅ……。

 

「もう一度、風鳴翼として、ツヴァイウイングの片翼として頑張ってみます」

 

 優しい声音で決意するような口調が少女の凍てついた心を溶かしていく。

 

「いつか奏と一緒に、ツヴァイウイングとして笑って歌えるように」

 

 そう言って、翼ちゃんは()()()

 

 ……はっきり言って、無茶苦茶に可愛い笑顔だった。

 

「救急車呼んでくれ」

 

「え?」

 

「いや、なんでもないなんでもないHAHAHA」

 

 あ、あわわわ。なんてこったい。そ、想像以上に可愛い笑顔でビックリしちゃった。ちょっと胸がキュンってしたわ。危ねぇ危ねぇ。あと十年若かったら恋してた。ハート射抜かれてた。なんだこの破壊力やべぇよ。SAKIMORIやべぇよ。あんなサムライみたいにキリッとしてんのにいざ笑うとほにゃりって感じになんのかよ。萌えたわ。悔しいけどスゲェ萌えたわ。

 

 ───あ、あれは翼の激レアな警戒心0の笑顔⁉︎ あたしの前でも数えるほどしか見せたことないのに……⁉︎ ははーん。やっぱり翔一ってタラシなんだろ?(冷たい声)

 

 ンン〜? その結論には異議を唱えずにはいられませんぞ。俺が女の子をあの手この手でバンバンシューティングしていくラノベ出身の主人公ならこんなに働いていねぇもん! 絶対に女の子に養ってもらってるもん! え? クズだって? うるせぇ! 俺は伝説のヒモになるんだよォ! 誰か! はやく養ってくれ!

 まっ、それは極めてインポッシブルな話なんだけどね。そもそも俺はモテないし、友達としては百点あげられるけど恋人だったら二十点ぐらいかなって人によく言われるし……むしろお母さんって言われるし……うん。響ちゃんも未来ちゃんも俺を異性として見てないんだろうな。俺も大概だけど。

 

 なんか悲しくなってきた。あったけぇお味噌汁すすろ……冷めてるな、これ。

 

「さて、お味噌汁、温め直しますか」

 

「あっ、申し訳ありません。私のつまらない話のせいで───」

 

「まあまあまあ。ご飯だって、笑って食べた方が美味しいですから」

 

 何はともあれ、翼ちゃんも少しは元気になったみたいで良かったぜ。正直な話、どのタイミングでアクロバティックな土下座をかまして翼ちゃんに今までの暴行を謝ろうかと見計らっていたけど、シリアスの空気が許してくれなかったから結局は出来なかったよ。ごめんね、翼ちゃん。いつか必ず土下座するから。靴も舐めるから。椅子として座ってもいいからね。流石にお馬さんごっこはやめて欲しいけど、翼ちゃんがやりたいと言うなら、俺も恥を忍んで馬になるよ。

 

 ───気持ち悪い覚悟を勝手に決めんな! 翼だって願い下げだろ!

 

 なんと。奏ちゃんだったら惜しげもなく俺の土下座の上に座るくせに。

 

 ───当たり前だ。でも、馬になれとは言わないからな? なんだ、その腹立つ笑い方。あたしが復活したら翼に洗いざらい暴露してやるからな。

 

 …………楽しみにしておくね。

 

「改めて、いっただきまーす」

 

 ───いただきまーす。

 

「いただきます」

 

 ほーら、奏ちゃん、この冷や奴、食べてみな。そうそう。お醤油と刻みネギをのせてね。パクリと……どうだい? まろやかな大豆の味が口の中に広がって溶けていくだろう? これが絹ごしならではの味わいなんだよ。木綿はもっとガッチリとしているからね。ちなみに二つの豆腐の違いはね、製造過程で一度固めた豆腐の水分を───。

 

 ポチャン。

 

 その音がすべての始まりだった。

 

「…………」

 

「…………」

 

 ───…………。

 

 長机の真ん中に置かれた大皿には冷水に浸された絹の冷や奴が並んでいる。俺が包丁で食べやすいサイズに切った冷や奴だ。豆腐と豆腐が重ならないように並べて冷水につけていたため、皿の上では整列された冷や奴による滑らかな地平線が生まれていたはずだった。

 だが、今はどうだろう。

 ぐちゃぐちゃになった哀れな冷や奴が一匹、力無く横たわっているではないか。

 虚空を摘む箸が宙で静止して、潰れてしまった冷や奴を無心で見つめる防人は何かを訴えるような目であった。違う。これは何かの間違いだ。豆腐が勝手に箸から落ちていったのだ───。

 

「翼ちゃん、もしかして、不器用?」

 

 俺の内なるナチュラル畜生が考えるよりも先に口にした。

 ピクッと翼ちゃんの眉が剣呑に動いた。「不器用……?」と小さな声で呟き、虚無を掴み続ける箸の先を睨みつける。何か触れてはいけないものに触れてしまったような反応であった。怖いよ。なんか怖い。

 

 ───あー、いま思い出したんだけど。

 

 なんだい奏ちゃん。

 

 ───あたしもよく翼のことを不器用って揶揄ってんだけどさ、そのたびに翼ってムキになるんだよ。ちょっと面白いぐらいに。

 

 Oh……Yeah……(悟り)

 

「そんなことはありません」

 

 バンッと箸を勢い良く机に置いて、手を握ったり開いたりして、よくわからんウォーミングアップで状態を整える翼ちゃん。その目は闘志に燃えている。さながら合戦前の武者のようだ。……いや、なんだそのやる気は。冷や奴だぞ。たかが豆腐だぞ。

 

「今のは少し手が滑っただけです。豆腐の一つや二つ、箸で掴めずして何が防人ですか」

 

 そう言ってから、翼ちゃんの再挑戦が始まった。

 箸の持ち方はスゲェ綺麗なのに、なぜかプルプルと箸の先が揺れている。翼ちゃんのゴクリと息を呑む声すら聞こえてきて、見てるこっちまで何だか緊張してきた。

 途轍もない集中力で慎重にお豆腐の魅惑のボディを箸で挟み、形を崩さぬようにゆーっくりと持ち上げる。

 だが、無情にも絹ごし豆腐は箸からするりと滑り落ちて、皿の上でぐしゃっと崩れた。しばらくの沈黙の後、それでも負けじと翼ちゃんはトライする。絹ごし豆腐をお箸で持ち上げて、つるんと皿に落とす。今度は気持ち強めにお箸でガチガチに挟んでしまい、そのまま真っ二つにもする。それでも諦めない。ネバーギブアップ。冷や奴が箸から解き放たれるたびに翼ちゃんが「あっ」と可哀想な声を漏らすけど、流石はOTONAを輩出することで有名な風鳴一族の末裔と言うべきか、不屈の精神はしっかりと継がれているらしい。

 ポチャン。ポチャン。

 しかし、現実は非情である。彼女の諦めない心とは裏腹に、豆腐はその箸を拒み続けた。なんか磁石でもついてんのかって思うぐらいに翼ちゃんの箸から滑り落ちていった。

 悲しき戦いであった。

 何度も、何度も、何度も───皿の上には冷や奴の屍の山が築かれ、豆腐の悲鳴が聞こえてきそうだった。ちょっと涙ぐんでる防人にバレないように、ズタボロなプライドを傷つけないように、こっそり潰れた冷や奴を小皿にのせて俺は黙々と食べる。おいちい。冷や奴おいちい(無)

 そして、ついに───。

 幾多の豆腐の屍を踏み越えて、十分ぐらいの激闘の末に翼ちゃんはささやかな奇跡を起こした。

 止まっている。箸に挟まったまま止まっている! 絹ごし豆腐がこれ以上ないくらいにぷるぷる震えながら、辛うじて翼ちゃんの箸に留まっているではないか!

 

 俺は思わず歓喜に目を潤わせた。しかし、翼ちゃんは一言も喋らずに首を横に振った。まだだ。まだ喜ぶには早い。

 

 冷や奴とは、醤油につけて食べるまでが、冷や奴だ!

 

「あっ」

 

 ぼとり、と───太陽に想いを馳せたイカロスの如く、翼ちゃんの冷や奴は箸からツルッと滑り落ち、白い肌に包まれた正方形のボディを冷たい机の上に叩きつけられて、見るも無残に食品としてのその生命を終えてしまった。南無三。

 カンカンカンカーン。試合終了のゴングが鳴る。

 翼ちゃんは力尽きたかのようにガックリと項垂れた。勝者などいない。争いの虚しさを感じさせるような戦いであった。友よ、どうか安らかに眠れ。願わくば、次こそは我が胃の中で……。

 いや、なんだこの状況。氷川誠が目の前にいるんだけど。ちょっと感動したわ。あと奏ちゃんはゲラゲラ笑い過ぎね。過呼吸なってんじゃん。

 

「ダメですよ。無駄に力いれたら」

 

「無駄な……力……?」

 

 そんな生まれて初めて聞く言葉みたいに言われても困るんだけど。

 

「まあまあまあ。元気出してください。これは絹ごしですから。木綿だったらいけてましたよ」

 

 嘘である。あの手付きなら木綿豆腐もたぶん無理である。

 

「木綿……そうですか。段階を踏むべきでしたか」

 

 普通は踏まなくてもいいです。

 

「でも、参ったなぁ……今、スプーンないんですよね」

 

 こんなものはスプーンで掬えばいい話だ!───あの迷言が頭を過ぎる。

 もしかして、翼ちゃんなら言ってくれるかなって期待してたけど、この子はどちらかっていうと、意地になったら同じ方法でずっと突き進んでいくタイプだった。まあ、どのみちスプーン無いんだけど。

 二日前ぐらいだったかな。両手にスプーン持って鼻の穴にビニールテープ突っ込んで、ポケ○ンのユン○ラーの物真似してたら失くしちゃったんだよね。響ちゃんに幼気な声で「何で進化しないんですか?」って聞かれて、なんか悲しくなって、途方に暮れていたらスプーン消えちゃったの。……あの発言はレアコ○ルの物真似してる時に言って欲しかったなぁ。いや、そういう話じゃねぇよ悪いの俺じゃねぇか。

 とにかく、ないものはない。仕方ないから俺が冷や奴をお箸で摘んであげようか。氷川さんじゃないから翼ちゃんはキレないだろうしね。ほら、お皿を貸してみな。俺は原作の津上翔一のように煽りはしないからね。たまに内なるナチュラル畜生が出てくるけど、基本は制御しているから、安心して冷や奴を食べな(フラグ)

 

「そういえば、津上さん」

 

「なんだい、翼ちゃん」

 

「立花は、絹ごし豆腐を箸で掴めますか」

 

「うん。そりゃ、もちろん。普通の人間だったら絹ごしぐらいは───あっ」

 

 第二ラウンドのゴングが鳴った。(※その後、スタッフが美味しくいただきました)

 




もともとは次の話と繋げて一話に収めようとしてたんですが二万文字超えるのはなんか嫌だったので分割しました。


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♭.俺はライダーよりもバケモノの方がお似合いかもしれない。

XDU三周年ですか大したものですね(溶けた石を見ながら)


 潮風の匂い。

 波のさざめきが戦火の音に掻き消される。

 都心から大きく離れた貿易港で働く人々の活気ある気配は失われていた。邪悪な軍団を率いる災害(ノイズ)がここ近辺に現界する報せを予め受けた大凡の人々は避難を完了し、嵐が過ぎ去るのを神に祈りながら待ち侘びた。

 それは咆哮(こえ)であった。

 聞く者すべてを震撼させる野獣の吶喊が遠方から木霊して、汗水を垂らして労働に勤しむ作業員らは手を止め、互いの顔を見合わせると一心不乱にシェルターへと急いだ。

 第三号の声だ。アレの声がする場所には必ずノイズが現れる。今すぐ逃げなければ、バケモノ同士の戦いに巻き込まれてしまう。命の危機を前にして誰もが恐怖心を原動力に足を動かした。

 本来ならば予兆もなく()()するノイズに事前の対策を講じる手段は無いに等しい。だが、(かつ)ての第二号と同様にノイズ出現を予知しているのではないかと疑うほどの的確な速さで対応する未確認生命体第三号の獣じみた遠吠えは民衆にとって警報(サイレン)としての役割を担っていた。

 実際に第三号もそのつもりで叫んでいる。

 天羽奏には余計な同情をさせまいと説明を省いているが、彼の咆哮の大半は危険を呼び掛ける警告に過ぎなかった。戦闘中には、適度に雄叫びを周囲に向けて発することで、逃走の機会を失った者へノイズの位置を間接的に知らせ、隙を見て戦線から離脱するように促していた。

 効果は絶大と言えた。二年前に起きたあの事件を期に、人々の心の中でノイズに対する危機感が膨れ上がっていることも理由の一つとして数えられるのだろう。第三号の声が少しでも聞こえたのなら、政府が発令する公の警報を待たずにシェルターへ向かえ。今や専門家でさえ口を揃えてそう発言している。そうして、人々は間接的にもノイズの被害を防止する術を身につけ、第二号が姿を消してから二年もの間、ノイズによる年間の犠牲者は未だ極小数に抑えられていた。

 その対価として、彼は人々からノイズ以上に恐れられることになったが───それは()()()()()()話だ。

 ある日、足を挫いてノイズから逃げ損じた親子を守りながら戦ったことがある。屋内での戦闘であった。死闘の果てに手傷を負ったが、いつもと変わらぬ勝利を収めた彼は何の思慮も持たず、部屋の片隅で震える親子の無事を確かめようとして、血塗れの手を伸ばし、敢えなく拒絶された。

 

 バケモノ‼︎ この子に触れないで‼︎

 

 身を挺して子供を守らんとする母の決死の叫び声であった。恐怖で身震いを起こす腕の中に無垢な子供を覆うように隠して、目の前に佇む血だらけの化け物から懸命に我が子を庇い続けていた。

 その時になって彼はようやく自分がもう〝仮面ライダー〟ではないことに気が付いた。

 ギルスの声は、ほぼ総ての生物に産まれながらに備わっている生存本能を過剰に煽ってしまう畏敬の音質を発していた。威嚇という防衛手段が独自の進化を突き詰めた果てなのかもしれない。あるいは、声帯すら獲物を狩る武器として進化させた結果なのかもしれない。どちらにせよ、何にせよ、他でもない敵意を撒き散らしながら戦う彼を誰がヒーローと呼んでくれるのか。

 それでも彼は叫び続ける。如何に拒絶されようと、怪物と罵られようと、戦場から一人でも多く離れてくれるというのなら、声が枯れるまで叫んでやろうと二年前から決めていた。

 二年前の雪辱───。

 彼がまだアギトであった時に、人々から英雄視されたが故に、一つの過ちを犯したことを忘れてはいない。必死に英雄(ヒーロー)を縋るあの手を振り解けなかった自分の弱さを忘れるはずがない。

 

 〝なにが仮面ライダーだ……弱くて、愚かで、紛い物のくせに〟

 

 元から英雄(ヒーロー)の役割はガラじゃなかった。正義の心とは無縁だった。誉れを尊ぶ気持ちも見当たらなかった。ここにあるのは記憶すら与えられなかった紛い物の粗末な魂だけだ。

 その名を呼ばれたから演じていた。どうせ、他に何も無かった身の上だ。貰えるものは貰っておく。それだけの理由で〝仮面ライダー〟という肩書きを務めただけに過ぎない。今さら失ったとしても、現在(いま)という自分がまた一つ消えただけだ。

 俺にはもう何も残されていない。

 捨てられるものは心ぐらいか───。

 

 〝俺に仮面ライダーの名は重すぎる〟

 

 潮風の匂いが(ほの)かに嗅覚を刺激した。

 指の先まで神経が研ぎ澄まされて、闘争に飢えた獣の意志に圧迫される。心が喰われる感覚と言えばいいのか。意識が血に染まるような正気ではない衝動が脈打つ心臓の鐘音を高めていく。

 不意に小指が熱くなった。

 先日に邂逅を果たした少女との約束が脳裏に過ぎり、優しい少女のあどけない笑顔が記憶を掠めた。

 その熱を振り払うように手を握り締める。

 ギルスは灼熱の(まなこ)を走らせながら、空間から薄っすらと影を滲ませて発生した雑音(ノイズ)の悪しき軍団と対峙する。無意識の内に黄金の戦士を彷彿とさせる徒手空拳の身構で迎撃しようとしていた彼は名残惜しくも構えを解き、大地を這うように身を屈めた(ケダモノ)の如き獰猛なる態勢に変えて、戦いの奔流に心を委ねた。

 

『d::ie↓□d◆i♯e||d″i⇔%e÷?!!?!』

 

 〝来いよ。()()()()なら遊んでやる〟

 

 ウミネコが鳴く青空の下で一匹の獣は疾風(かぜ)となる。

 心が擦り切れるまで、心が喰い殺されるまで───ギルスは血に飢えた闘争心を剥き出しにして、高らかに吠えた。

 

 

***

 

 

 波の音色が麗やかな歌声に重なる。

 都外に位置する貿易港一帯を中心に多数として出没したノイズと交戦する二つの影があった。

 風鳴翼と立花響。

 物理現象に囚われない位相障壁を歌によって無力化することによって、ノイズに対抗し得る唯一の戦力とまで言わしめるFG式回天特機装束(アンチノイズプロテクター)に身を包ませた若き戦姫の二人もまた第三号の後に続き、遅れながらも参戦していた。

 とはいえ、第三号とは未だ顔を合わせていない。あの肌が粟立つ咆哮も耳にしていない。

 第三号がノイズと交戦している場所は港の中央から数百メートル離れている。どうやら、戦いながらも移動しているらしい。民間シェルターから遠ざかっていく動き方をしているが、真意は定かではない。

 司令官である風鳴弦十郎の指示により、第三号が距離的にも手を出せなくなった海沿いに発生した災害(ノイズ)を優先して叩くことになり、現場に到着した翼と響は埠頭が設けられた区域に現れたノイズの対処をすべく、戦闘を開始していた。

 

「う、うりゃあああっ‼︎」

 

 響は悲鳴に近い間抜けな雄叫びを上げながら、何とか拳を振り回して、ノイズの猛攻を間一髪で凌いでいた。

 

「はぁぁ───ッ‼︎」

 

 翼は気迫すら刃に変えんとする声を上げ、滑らかな剣術を駆使しながら、迫り来るノイズを瞬く間に細切れに変えていく。

 手練れの戦姫と未熟な戦姫。

 二人の仲は、背中を預けるに値する戦友には程遠い。不安定な距離感が垣間見える。

 前線で死闘を演じる二人の戦姫の勇姿に、かつての天羽奏と風鳴翼のような卓越された連携の面影は無い。実質一人で戦っているようなものだ。ギクシャクとした歯痒い雰囲気が沸々と漂う。互いに踏み入れることのできない壁を作らざるを得ない空気が出来上がってしまっている。

 弦十郎も二人の関係には頭を悩ませていた。

 どうしても立花響を認めることができない風鳴翼の辛辣な態度が不仲を生み出している大方の理由だが、それに関して彼女を強く叱咤することはなど弦十郎にはできなかった。

 天羽奏の面影を重ねて、天羽奏の(ガングニール)を見せられて───ただでさえ自分を追い詰める傾向がある翼にとって、立花響という少女の存在は、二年前の惨劇を物語る悪夢と大差ない。

 あの日以来、翼は自分の弱さを嫌った。

 強くあるために不要なもの一切を捨て去った。心すら戦士には無用の情緒であると切り捨てた。そうして、帰るべき鞘すら失った抜身の剣だけが残った。

 そんな不器用な生き方しかできない風鳴翼にとって、光に満ちた太陽のような少女は見ているだけで辛いに決まっている。

 

「酷な話だが、今は信じるしかないか」

 

 二課の作戦本部から弦十郎は風鳴翼の叔父として見守ることしかできなかった。

 

 

***

 

 

 爆ぜる剣戟が災害(ノイズ)の脅威を無に還す。

 慎ましげに反らせた銀色の刃が軽やかに踊る。胸の内から威勢のある歌声が飛び出てしまうのでないかと疑うほどに晴れやかな心境だった。

 体が羽のように軽い。

 風鳴翼は重石のとれたような開放的な感覚を味わい、内心で首を傾げていた。

 鉄のように冷たい絶刀(アームドギア)を握る掌が温かな熱を発している。人の心。それが剣に宿る。貴き熱を反芻するように精神(こころ)で感じ取った翼は飛翔するように力強く剣を振るい、舞うように高らかな気持ちで唄うことができた。

 悪くない気分だった。

 責務や使命感ではなく、風鳴翼という少女の想いに応えるように天羽々斬の切れ味がより鋭さを増しているような気がした。

 防人の歌。

 守りたいという願いが鉄の塊に魂を宿す。

 晴れ渡る青空にV字の隊列を為して滑空するフライトノイズの群れが敵の品定めでも済んだのか、垂直に急降下して二人の戦姫を目がけて飛来する。瞬時に絶刀(アームドギア)を身の丈を悠に超える大剣へと変形させ、翼は大扇子を振るうように隕石めいた飛行型(フライトノイズ)を粉砕する。

 造作もなくノイズを退けた翼の目に、もう一人の戦姫たる立花響が倒れる瞬間が走った。

 未だ素人の域を出ない響は空中からの攻撃に対応できるほどの高い技量を身につけていない。何とか直撃は避けたものの、地面に突き刺さったノイズの衝撃をもろに受けて、大きく転倒してしまったのだ。

 響がダメージを負ったと勘違いした翼は顔色を変えてノイズを薙ぎ払いながら彼女の元へと駆け寄った。

 

「立花っ!」

 

「す、すいません。あははは……」

 

 何とか笑って誤魔化そうとした響は、翼の目が鋭く細められるのを見て、ガックリと肩を落とした。

 

「退きなさい」

 

 翼の冷淡な一言が響の胸に突き刺さる。

 

「あなたが無理して戦う必要はない。私一人でも十分です。それとも他に戦う理由があるの?」

 

 物静かな瞳が刃となって無力な少女を睨みつけた。

 縮こまるように響は口籠ることしかできない。

 長年に渡って災害(ノイズ)と果てなき死闘を繰り広げている風鳴翼を助力しようなどという驕りはない。彼女の隣に立つどころか、足手纏いになってしまっている自覚はある。

 尚も戦場にしがみつく大層な理由───響は唇を噛んだ。答えることができない。

 剣の戦姫は冷たい口調で言葉を続ける。

 

「奏の力が宿っているから───などと口にはしないで。あなたの胸の中にある(ガングニール)に責務を感じているのなら、それは大きな間違いよ。少なくとも奏は選ばれたから戦っていたのではない。自分で選んで、覚悟を決めて、戦っていたの。

 私は知りたい。立花響が戦場(ここ)にいる理由を。答えられないのなら、今すぐに撤退しなさい」

 

 品のある厳かな声音ではあったが、感情の起伏は隠せていなかった。

 響と翼の視線が絡み合う。

 巨大な水晶の瞳は青空のように澄んでいた。

 そして、これは風鳴翼の紛れもない本心だと響は悟る。翼は今この場で立花響に覚悟の是非を問うことによって、二人の拗れた関係に決定的な終止符を打とうとしていたのだ。それが最悪の結果を招いたとしても、このまま延々と引きずるより幾分はマシであると判断したのだろう。

 響は少しだけ言い淀んだ。義務感や正義感では片付けられない明確な言葉にできるほどの崇高な理由が、果たして自分の中にあっただろうか。答えは出ない。答えなど何処にもない───だから、それが答えであった。

 響は気恥ずかしそうに頬を緩めた。

 

「いつでも、どんな時でも、誰かのために頑張れるって、それは素敵なことだから───そう、教えてくれた人がいるんです」

 

「…………」

 

「勝手かもしれない。我儘かもしれない。正義かどうかなんてわかりません。でも、間違いじゃない。誰かの為に頑張ることだけは間違いじゃない。

 だから、今の私にできることを全力で頑張ります。翼さんや奏さんのように強い覚悟はまだ持てないけど……この手で守れるものがあるのなら、私は戦います!」

 

 少女の鉾のように真っ直ぐとした輝きを抱く瞳が翼の固執した心を激しく突き動かした。

 翼が真っ先に思い浮かんだ言葉は───()()()

 立花響にではなく、あの用務員に言葉を失うほどに呆れてしまった。

 あの人畜無害そうなトボけた笑顔はそこまで人の心に影響を与えていたのか。争いとは無縁な顔をして、生きてるだけで幸福だと言いたげに笑いながら───彼の言葉はどれだけ人の心の支えになっているのだろうか。

 推し量ることはできない。少なくとも、目の前で健やかな笑みを浮かべる少女の華やかな心を支えているのは紛れもなくあの陽気な青年だろう。

 人はこうも誰かの支えになれるものなのか───。

 呆れるほどに焦がれてしまって、翼は自分の小指をそっと眺めた。

 彼と交わした約束の証は不思議なまでに翼の心を支えていた。平穏な笑顔一つで誰かを支えることができる簡単な世の中だから、風鳴翼の歌声もきっと誰かの背中を支えているはずだ。耳を澄ませば、そんな彼の声が聞こえてきそうだった。

 なにが約束だ。約束とは名ばかりの一方的な契りではないか。

 背負われたのだ、風鳴翼の夢を。

 そして、立花響も何かを背負われて、背負われた分だけ背負うために戦場(ここ)に居るのだろう。

 それこそが、人が人を想う美しい営みではないか。

 小指に宿る優しい温もりの残滓を噛み締めるように翼は静かに微笑んだ。響からすれば、それは初めて見る風鳴翼の優しい笑顔であった。

 気高き歌姫が零した一握りの温もり───想う人は同じ。

 

「……あなたは退き際を弁えなさい」

 

 スイッチを切り替えた翼は、颯爽とした足取りで踵を翻し、長髪を揺らしながら呟くように口にした。

 

「シンフォギアとて万能ではない。未熟な戦士を気にしながら戦えるほど、私も高い技量を有している自負はないの。限界は自分で決めなさい。それが戦士の第一歩よ。……それに、あなたに何かあったら、私はあのお節介な用務員に合わせる顔が無くなってしまう」

 

 謂わば合格通知のようなものだった。

 風鳴翼は立花響を未熟ながらも一人の戦士として、戦場に立つ資格があると認めたのだ。

 響はポカンと口を半開きにしながら、長い思考時間を経て、やっとのことで憧れの風鳴翼に認めてもらえたことに気がついた。内心では野兎のようにピョンピョン跳ね回りたいぐらいに歓喜の瞬間であったが、感動を押し留めてもそれを無視できないでいた。

 

「…………用務員? 用務員って、まさか、翔一さんと会ったんですかッ⁉︎」

 

 響の興味はそこだった。

 翼は自然に肯定した。

 

「ええ」

 

「────!」

 

 声にならない声とはこういうものなのだろう。青ざめた表情の響は焦る気持ちで頭がいっぱいであった。

 風鳴翼は誰がどう見ても美少女と形容できる容姿をしている。スレンダーなモデル体型は若い女性が目指すべき目標として有名ファッション雑誌が毎日のように取り上げているし、和風美人を体現したかのような麗しい顔立ちは男受けが良いらしく、彼女を慕う男性ファンは増加の後を絶たない。

 美人トップアーティストと平凡な女子高校生。

 負けてしまう。何がとは言わないが、色々と負けてしまう気がする。響は目をぐるぐるさせながら、あわわわと危機感を覚えて狼狽していた。

 あのバカは誰にでも懐き、誰にでもオープンだ。

 ただし、恋慕の話になると一向に踏み入れさせてくれない硬派な男でもある。好きな女性のタイプを聞けば「良い人」と答えるほどに謎めいた恋愛観を持っており、響も未来も女性として相手にされていないのではないかと疑いを持つレベルの素っ気なさには常々モヤモヤさせられている。

 かれこれ三年以上の付き合いになる響や未来が積み上げてきたものの成果と言えば、割とグラグラな信頼関係と買い物という名のデートに連行できる権利と気軽に家にお邪魔できる優越感ぐらいだ。

 もしも、風鳴翼ほどの高嶺の花たる美人があのバカと本気で仲良くでもなってしまえば、響と未来の三年という道のりは秒で追いつかれてしまうだろう。間違いない。乙女の勘がトップギアで囁いている。

 響は動揺で狂った呂律のまま翼に訊いた。

 

「な、なな、何を話してたりしていらっしゃったんですか」

 

「……とくに」

 

 翼は頬を赤く染めて、そっぽを向いた。

 まさか、絹ごし豆腐を箸で掴めずに四苦八苦した挙句、用務員に力の抜き方を丁寧に教わって、やっとのことで冷や奴を食べることが叶い、二人して互いの手を叩きながら子供のように喜んでいたとは口が裂けても言えまい。

 響はそんな茶番などつゆ知らず、翼の恥ずかしそうな顔に何かがあったことだけは察せられた。それも決して良からぬことだ。乙女の勘が囁く。響が予測している以上に二人の仲は縮まっているのかもしれない。

 

「その顔は絶対に何かありましたよねッ⁉︎ 何か二人だけの良い思い出を作って、ちょっと思い出したら恥ずかしいって顔ですよね⁉︎」

 

「お喋りは終わりよ。構えなさい」

 

「後で翼さんは翔一さんと何があったか、事情聴取ですからねっ!」

 

「拒否します」

 

「ダメです!」

 

 有無を言わさぬ強い語気に押されて、翼はなんだか色々と早まってしまったかもしれないという気持ちになった。

 立花響とこれから上手くやっていけるだろうか。人付き合いは苦手な方なのだ。とくに遠慮なくグイグイ来る子は扱いづらくて難しい。前途多難だ。溜め息も出る。億劫だ。

 でも、悪くない。

 風鳴翼の隣には天羽奏がいた。そして、今は天羽奏の力を持った別の少女が翼の傍らに立っている。

 天羽奏の面影を立花響に重ねていた自分が情けなくなった。

 似ているが全然違う。

 似ているところはせいぜい一つだけ───。

 笑ったときの顔が幸せそうなところだ。

 

「ノイズは一匹も逃すな! 避難状況は不明。逃げ遅れた生存者がいる可能性も考慮しろ!」

 

「はい! 翼さん、後ろは任せて下さい!」

 

 二人の戦姫は曲がりなりにも小さな一歩を踏み出した。

 その輝かしい栄光の前進を踏みにじらんと空間から不気味に滲み出る災害(ノイズ)の群れが騒々しい雑音を吐き散らしながら、二人を面妖な陣形を用いて包囲する。

 絶刀(アームドギア)を構えた翼は響へ視線を向けて、一点突破を試みると合図する。響は小さく首肯して両の拳を握り締めた。

 二人が駆け出す───その時であった。

 

「ッ───この音は⁉︎」

 

 聴き慣れた駆動音に翼は咄嗟に身構えた。

 

「エンジンの音……あの人と同じ……」

 

 響の瞳が哀愁に染まり、乾いた潮風が髪をなびかせる。

 嵐の予感が迫る。

 そして、鬨の声が唸りを上げた。

 遥かなる海原を真横に侍らせたエンジンの鼓動が戦場に響き渡る。

 深緑の鎧に包まれたオフロードバイクが大地を疾駆していた。ペダルを刻むように踏み、スロットルを手早く回しながら騎手(ライダー)は暴れ馬の如くマシンの前輪を浮き上がらせ、ウィリー走行のまま速度を維持してノイズの群れに猛然と突っ込んでいった。

 激しく回転する車輪に蹴散らされる災害(ノイズ)

 タイヤが地に落ちて、一先ずは落ち着きを取り戻したバイクは威嚇するように深々と鼓動するが、エンジンが弾けるような爆音を脈打つと急発進して、凶器となった前輪を荒々しく持ち上げた。襲いかかる分厚い鋸めいた車輪がヒューマノイドノイズの顔面を粉砕し、スリップさせた後輪が勇敢に飛びかかるクロールノイズを叩き返した。

 目を奪われてしまうほどの至妙な技術(テクニック)がバイクすら災厄を跳ね除ける牙と変えていた。

 アスファルトを焦がしながら運動を停止した車輪が巨大な円を描きながらマシンを静止させる。巻き起こる排気ガスの煙霧を裂いて、それは怒れる咆哮と共に禍々しい居姿を二人の前に現した。

 

「■■■■■■■■───ッ‼︎」

 

 烈風の如く戦場に飛び込んできた深緑の怪物は、またしても未確認生命体第三号であった。

 剣の戦姫と獣は視線を交わした。翼の瞳には信じられないものを見ている驚愕が入り混じっていた。未確認生命体第三号は別の場所にてノイズと交戦中との報を受けていたが───まさか、もう片付けたというのか。

 第二号(アギト)とは違うはずの第三号(ギルス)。ただ、戦士としての頂点に達する途方もない強さだけはどちらにも備わっていた。

 肩を上下に揺らしながらギルスは二人の装者が溢す呼吸の拍を聴き取る。体力を消耗している様子はない。戦闘続行が可能な容態である。この場を二人に任せても構わないが、ノイズの感知能力が発現したということは()()()()()()になるのだろう。不確定な未来の可能性を予測するのではなく、()()()現実(いま)に変わろうとしている未来から直接拾い上げる。あれはそういう能力(チカラ)だ。

 俺にしか聞こえない声であるのなら、俺が行くしかあるまい。

 だが、悪魔の双角(ギルスアントラー)による索敵を広範囲に及ぼすほどの潤沢なエネルギーは残されていない。此方は元よりガス欠の一歩手前。疲労困憊が激しい体質の(ギルス)にとって連戦は時間との戦いになる。

 

「第三号さん!」

 

 響の何かを訴える声は無視でいい。彼女は何かと第三号(ギルス)を気にかけているようだが───今の彼にとっては()()()()()()

 ギルスは超常的な視覚を用いて、直ちに現時点での戦況を頭に叩き込む。ノイズの総数はそれほどだが、対処が面倒な遠距離型(セルノイズ)飛行型(フライトノイズ)がそれなりに視認できる。愚直に格闘戦(インファイト)に持ち込むのは(やぶさ)かではないが、エネルギーに困窮している現状で丁寧に一匹ずつ仕留めていくのも不安が残る。必殺の一撃もこうなってしまえば、当分はお蔵入りだろう。今はこの殺意にも似た衝動と無我の境地に身を委ねて戦うしか選択肢は与えられていない。

 この区域一帯で使えそうなものは何かあるか。見渡す限りの海上コンテナの山。乗り捨てられた重機(フォークリフト)。停泊している貿易船───なるほど、逃げ遅れた生存者がいるとすれば、この船が濃厚か。ならば、優先すべきは遠距離型(セルノイズ)飛行型(フライトノイズ)の陣形を引き剥がすことか。装者(シンフォギア)の二人組に厄介なフライトノイズの処理を任せて、此方で本陣を潰した方が効率は良い。

 

 ───やれるのか、そんな状態で⁉︎

 

 天羽奏の心配する声が脳裏で響く。どうやら、肉体の疲弊は隠せていないらしい。彼女の焦りようから相当な息切れを起こしているのだろう。確かに呼吸するだけで喉が焼けるように痛い。肺臓が潰れているのかもしれない。あるいは気管に異物が混じったか。呼吸が正常に機能していないのは確かだ。

 どちらにせよ、脳髄が滞りなく機能している限りは危惧する必要は皆無だ。指の関節をゴキゴキと素早く曲げて、脳の伝達速度をチェックする。異常は無い。神経細胞は生きているようだ。

 

(全然できるに決まってんじゃん。やる気もりもりスライムもりもりだZE! これしきの労働で音を上げてたらエルさんたちになんて言われるか分かったもんじゃないからね。HAHAHA)

 

 戦闘とは不釣り合いである陽気な声音はギルスの戦いに染まった思考を裏側へと覆い隠す。

 敵戦力が塊となって動いていることから戦略的な陣形を意識していることは承知である。どこかに知能を有する司令塔でもいるのだろう。当面は気に留めることではない。問題は遠距離型(セルノイズ)が二匹、群れの後方で待機していることか。

 爆弾というより爆発が厄介だ。優先して始末しておきたい。

 気は乗らないが正面から突破するのが最も手早く現実的な策だ。多角的な運動は見込めないが、遮蔽物には余念がない交易港(ここ)ならば、地の利を活かして上手いこと立ち回るしかない。狙うはコンテナが密集している場所か。誘導できるか。何匹引き連れるか。こればかりは祈るしかないだろう。……それとも(ギルス)のヘイト吸引力を信じてみるか?

 

 ───でも、そんなに戦えないだろ。ノイズも食ったんだし、無理しなくても……。

 

(まあまあ。なるようになるっしょ。それに前に言ったじゃん? あのクラゲは狩るって)

 

 ───え? ……ロードノイズはいないぞ?

 

(どっかにいるんじゃない? そのうち出てくるよ。出てこなかったら、引きずり出すけど)

 

 爪先で地面を小突きながら、ギルスの僅かな残量(エネルギー)を正確に把握するために、筋肉の膨張を繰り返させ、過剰な代謝による細胞の変異速度から具体的な数値を算出した。誤差は多少あるのだろうが、おおよそ三分程度と推測───変身してから二十分も経っていないのだが、何とも厳しい体質(デメリット)を負ってしまったものだ。

 そこまでして、俺を(バケモノ)に陥れたいのか。

 それとも俺みたいな奴が人間のフリをしているのが気に食わないのか。

 いや、()()()()()()。好きにすればいい。俺も好きにやらせてもらうだけだ。

 右足を半歩後ろに引き下げて、膝を曲げ、腰を落として獲物に飛びつく肉食獣の如き前傾姿勢へ移行する。両手の拳を握り締めて攻撃の意思を固め、湧き上がる殺戮の衝動を舌で舐めるように冷血な闘志を身に宿す。

 

魑魅魍魎(ちみもうりょう)跋扈(ばっこ)する、この地獄変───社畜は職場(ここ)にいる)

 

 ───なんだ、その名乗りは。

 

(ギルス、爆げ───あっ、フライングは困ります! あーお客様! 一斉に動き出すのは困ります! あー! お客様っ! あーっ! 困ります! あー! もうやってやらァーッ‼︎)

 

 ギルスは止め処ない憤怒を拳に宿したかのように大地を殴りつけ、空間を裂くような咆哮を天に轟かせた。

 

「■■■■■■■■■■■■ッ‼︎」

 

 (いくさ)の始まりを告げる声を涸らせて失墜の獣は短距離走者(スプリンター)のような爆発的な加速でノイズが生み出す地獄の大釜へと果敢に駆け出した。恐怖心を損なった勇壮な脚は尋常ではない速力を生み出し、彼我の距離を瞬く間に縮めていく。

 

『g&i°l°lsd▽◇e^^=s//e><rv↓e〒°→☆d%$☆to+:〆d#ie??!!』

 

 憎悪に満ちた耳障りな雑音が仰々しく連なって反響する。一匹の獣を敵と認識した津波(ノイズ)は既に動き出しており、深緑の怪物を嬲り殺さんと正面から衝突した。

 呑み込まれる哀れな獣。

 だが、災害となった津波でも強固な山を削り切ることなどできない。

 力及ばずに弾き返されたのは物量で勝るノイズの方であった。

 獰猛な一匹の(ギルス)によって掻き乱されるノイズの大群が固めていた陣形は敢えなく瓦解する。ギルスの俊敏な動きに対応できるノイズは存在しない。圧倒的な量で押し切る戦法はこの獣に至っては愚策である。反応速度が違うのだ。ギルス───いや、変身者である津上翔一の強さはこれに尽きる。敵陣の渦中で絶えず殺意に襲われながらも、全ての攻撃を去なして、狩られるのではなく狩る立場としてギルスがノイズの喉元に食らいつけるのは究極的な反射速度の賜物であった。

 適応力と言ってもいい。戦況は川の流れのように一瞬一秒で移り変わる。足踏みしている敵などいない。玩具の兵隊など何処にもいない。生きているのなら個々で動く。敵意に過敏になれ。頭で把握しろ。感覚で理解しろ。すべてに対応してみせろ───!

 休む暇もなく四方八方からノイズが殺伐と飛び掛かる地獄絵図の真ん中でギルスは生きていた。拳で打ち砕き、足で振り落とし、飛んで跳ねてノイズを撹乱する。背中を地に着けて開脚すれば、ブレイクダンスを踊るように回転して、迫るノイズを叩き蹴り、辺り一面に煤が舞う狼煙を巻き上げた。

 

「■■■■■ァ‼︎」

 

 極限的な強さで獲物(ノイズ)を次々と狩る(ギルス)を立花響は憂うような瞳で見つめていた。

 彼女はかつて第二号と第三号の話を風鳴弦十郎から個人的に聞いていた際に、彼が零したある言葉を思い出した。

 

「第二号も第三号も、あれは命そのものが戦いであった者だけが辿り着く極至だ。俺が考えるに……彼らはずっと昔から戦っていたんじゃないか。休むこともなく、ただ、ひたすらに、な」

 

 そして、今も───。

 (ギルス)は悲しき咆哮を天に轟かせて、怒りを拳に戦っている。

 

「ウタを、唄うな……」

 

 初めて第三号と出会った時、彼はそう叫びながら苦痛に踠いていた。

 胸が締めつけられるような気分に響は無心で頭を振った。

 どうしても、第三号が気になってしまう。

 なぜ、あの凄まじい強さを持つ深緑の怪人を、優しさが服を着て歩いているようなあの青年と無意識に重ねてしまうのか。

 大好きなあの笑顔が獣のような仮面の下に隠されて、今も泣いているような気がして───あの第二号と同じように。

 

「立花ッ!」

 

 叱責の声に我を取り戻した響の目には、空中で旋回を繰り返すフライトノイズの群れに剣先を向ける翼の背中があった。

 

「第三号のことは今は捨て置け。私たちは私たちの為すべきことをする。貴女も未熟であれ戦士であるのなら、戦いに集中しなさい」

 

「……はいっ!」

 

 そうだ。私は歌を辞めない。この歌は───きっと誰かを守れる歌なのだから。

 

「■■ォ───ッ!」

 

 渾身の正拳突きで三体のヒューマノイドノイズが重なった壁を殴り飛ばしたギルスは敵陣に風穴たる突破口をこじ開けた。背中に凍てつくような殺意の視線が常に突き刺さっている現状下であろうと関係ない。敵陣の真ん中を突っ切れるのは今しかないのだ。

 ギルスは大量のノイズに背を向けて脇目も降らずに走り出す。

 敵の攻撃の手は緩むことはない。四方から迫る滂沱のような攻撃の合間を間一髪かい潜り抜け、ギルスはついにノイズの本陣を強行突破に成功した。

 そして、そのまま彼は見定めていた場所へ足を向ける。

 瞬時に後ろを振り返ると一匹の漏れもなくノイズの群れは逃亡する(ギルス)を追いかけていた。嬉しいような悲しいような気分であるが、僥倖であることには変わりない。

 一心不乱に逃亡を謀る(ギルス)の背中を何の疑いもなく追跡するノイズは、やがて、(うずたか)く積まれた海上コンテナに脇を固められた狭隘な一本道へと誘い出される。

 そして、その先には巨大な重機(フォークリフト)が出口を塞いでいる。

 追い詰められた? いや、()()()()()

 ギルスは行手を阻むフォークリフトの目の前まで盲目的に疾走すると勢いそのまま車体を素早く右足で蹴り、跳躍の要領で横の海上コンテナの壁に左足で()()する。地面と平行しているわけではない。重力は容赦なくギルスを地面に叩きつけようとしている。だからこそ、ギルスは三歩目を踏み出すべく空を仰ぎ見ていた軀をくるりと旋回させ、狭い通路に敷き詰められた溢れんばかりのノイズの群に足を伸ばした。

 刹那の浮遊感から───着地の感触。

 足の踏み場なら大量にあった。

 狭い通路に深く考えもせずに突っ込んだ故に身動きが取れず、騒々しく(ひし)めき合うだけのノイズの群れがギルスの足場となっていた。

 手始めに先頭にいたヒューマノイドノイズの顔面を踏み砕き、煤に変わる前に新たな足場(ノイズ)へ跳ぶような大股で颯爽と移動する。そうして、ノイズを踏み殺しながら入り口付近まで到達するとギルスは大きく跳躍した。

 狩人の手刀が狙いを定めたのは、陣形を崩さんと集団の後方から頑なに動かなかった遠距離型(セルノイズ)───!

 

『÷f▼l><%yi°n€^\g???!!』

 

「■■■■ァァァ───‼︎」

 

 爆撃による遠距離攻撃を行っていた二匹のセルノイズを守護する肉壁たるノイズは(こぞ)ってコンテナに挟まれてしまい、今や一匹も残っておらず、丸裸となった逃げ腰の獲物だけが動揺に身を強張らせていた。

 こいつは多種に存在するノイズの中でも爆弾を生むという特質上、無秩序に被害を大きくさせる災厄だ。予期せぬ犠牲を産み落とす可能性が最も高いため、率先して狩るべき対象と判断する。

 断末魔を鳴かせる暇すら与えぬ激甚の手刀がセルノイズの血肉を易々と引き裂く。鮮血の雨にも似た炭素の粉塵を撒き散らして消滅するセルノイズを看取ることなく、ギルスはもう一匹の爆弾魔(セルノイズ)の命を刈り取るべく、大地を蹴り上げた。

 残されたセルノイズが慌てた様子で爆弾を射出しようと一歩後退る。

 セルノイズから分離されることによって小型ノイズと化した爆弾が解き放たれ、ゴムボールのように地面を軽快に弾み───ギルスは臆することなく爆弾(それ)を掌で掴んだ。

 

「■■■■ッ‼︎」

 

 起爆するまでの一秒にも満たない僅かな時間(ラグ)を利用して必殺の間合いに踏み込んだ(ギルス)はセルノイズの脇腹を抉るように手にした爆弾(ノイズ)を捻じ込んだ。

 

『w→○h#\\□〆€a¥●t??!!』

 

 爆発は起こらない。小型ノイズが孕んだ爆薬となるエネルギーを放流させ、(セルノイズ)に返却させたことによって起爆を阻止したからだ。

 ギルスは腕部に寄生する生命鎧(ライヴアームズ)を経由して微量のオルタフォースをセルノイズの胎内へ強引に流し込む。爆薬を生成する災害は人類にとっては忌避すべき脅威であるが、厄介な位相差障壁の特性を鑑みれば、この爆弾も有利に働くことがある。

 セルノイズの爆弾は、爆破する直前に物理法則に従うべく位相差障壁によるベールを脱ぐことによって、物理的な爆風を生み出すことができる単純な構造である。逆に言えば、位相差障壁に守れた状態で爆発すれば、その威力はノイズにも向けられることになる。

 (アギト)の源たるオルタフォースの荒波がノイズに蓄積されたエネルギーを半ば浸食するように逆流を起こし、すべてのノイズに等しく備わる位相差障壁の肝となる在り方を制御する器官を半ば暴走させて()()()()

 そして、オルタフォースに刺激され、爆薬という果汁に満たされた小型ノイズが叩き起こされて、セルノイズの制御も虚しく一斉に起動する。硝煙のような香りが鼻腔を(くす)ぐった。この匂いは嫌いじゃない。

 

 あとは爆弾の束(ダイナマイト)に変わったコイツをブン投げるだけだ───!

 

「■■■■■■■■ァァァァッ‼︎」

 

 片腕で貫いたセルノイズを悠々と持ち上げる。圧倒的な膂力に任せてセルノイズを振り回しながら乱暴な遠心力を加え、コンテナに挟まれた小路に密集するノイズの群れへと峻烈たる勢いで投擲した。

 為す術もなく投げ飛ばされたセルノイズは通路の奥に駐車された巨大なフォークリフトの車体に激しく叩きつけられた。ずるりと力尽きたように地面に滑り落ちて、枝のような痩軀に幾つも実らせた葡萄の果実が黙々と赤く膨らみ始める。一回り、二回りと大きく膨張して───。

 その直後、破滅的な轟音が天を突いた。

 爆発が起こったのだ。

 死の爆炎が逃げ場を失ったノイズの群れを包み、火の海に染める。

 ギルスは爆発の衝撃に身を伏せた。想像よりも爆発が激しい。真横で何か金属の破片が突き刺さる音を拾い、肝を冷やしながら、ゆっくりと顔を上げる。

 燻る炎が弔火のように雑音の名残りたる塵を焼きながら、海から渡ってきた潮風に飄々と抵抗もなく揺らされていた。積まれていたコンテナは無秩序に横転して凹んだ末に穴が開いている。バチバチと炎上する重機から絶えず吐き出される黒い煙が青空すら焦がさんと放恣に昇っていく。ギルスは辺りに散らばった焦げた金属片が車のドアか何かの部位だと知ると何とも億劫な気持ちになった。

 どうやら、重機(フォークリフト)も意図せず爆発してしまったらしい。

 

(ビ、ビックリしたぁ……汚ねぇ花火のつもりがとんでもねぇ花火になっちった…………請求書とか送ってこないよね? ね?)

 

 ───余計なこと言わなきゃカッコいいのに。

 

 奏の呆れたような安堵の声が聞こえる。

 首を巡らせて周囲を仔細に警戒するギルスは暫くの沈黙の後、()()()()()と奏の言葉に遅れながらもオーバーリアクションで応えた。

 

(えっ⁉︎ カッコいい? 俺ってカッコいいの⁉︎ ヤッター! 奏ちゃんに褒められたー! 奏ちゃんにかっこいいって言われたー! FOOOOO! テンション上がってキター! 今夜は赤飯だァー!)

 

 ───いや、もう駄目だな。あたしの目が節穴だった。忘れてくれ。

 

(そんな殺生な……⁉︎ 今度からは決め台詞でも言えるようにしとこかな。そっちの方がカッコいいかな。うーん。ネタが豊富過ぎて迷うなぁ。なにが一番ウケるんだろうね)

 

 ───ネタなのかよ。格好良くしたいんじゃないのかよ。

 

(基本的に俺は何やっても格好つかない呪いに掛かってるからね。ふざけないと死ぬ病気を患ってんの。ギャグの世界の住人だから)

 

 ───はぁ、翔一らしいっちゃらしいけど、なんだかなぁ……まっ、とにかくお疲れさま。翼たちもそろそろ終わってる頃だろうし、カチ合う前に早いとこ逃げちまおう。

 

 奏の提案にギルスの変身者である津上翔一は指の関節を曲げて(ほぐ)しつつ、大雑把に苦笑した。

 

(ところがぎっちょん。まだ終わってないんだ、奏ちゃん)

 

 ───えっ?

 

 小首を傾げるような声を漏らした奏に普段と変わらぬ快活な笑みを含ませながら翔一はゆったりと───途端に動きを変えた。

 ギルスは何の予備動作もなく背後から伸ばされていた異質な腕を払いのけ、転瞬の間に手首を掴み、躊躇を介せず全力で背負い投げた。

 稲光の如く一瞬の出来事に奏は戸惑うが、その影には見覚えがあった。息を呑む緊張の声。奏は影の接近に気付けなかった。

 (ギルス)の背中に微細な音一つとして漏らさず忍び寄っていた異形の影の正体が陽の下に晒される。人類に極めて近しい胴体と四肢の特徴を持ちながら、海月の傘を模した頭部から細い触手のような髪が伸びる認定特異災害の一種たるロードノイズ。

 

 ───コイツは、この前の逃げたクラゲのロードノイズ⁉︎

 

 奏の動揺を隠せない声とは異なり、冷静さを欠かないギルスは至って泰然と身構えた。その眼光には殺意のみが迸る。

 

『g Gg GILLS naze wakatta!!??』

 

 投げ飛ばされた海月(ヒドロゾア)が地に伏したまま狼狽する。

 ギルスが如何に優れた感知能力を有しているとはいえ、索敵を可能とする悪魔の双角(ギルスアントラー)には当然として制限がある。長時間連続しての使用は、あまりの精密さが時として仇となってしまい、知覚を施した莫大な情報量に圧倒されて脳細胞が焼き切れる危険性がある。そのため、感知能力の発動はあくまで意識的な任意に留まる。

 それに加えて、よもや、搾りカスとでも卑下すべき微々たる残量の(フォース)で続けざまに戦闘を強いられていたギルスは、僅かとなったエネルギーの消費を極限にまで抑えるため、一切の感知能力を遮断し、(ギルス)の筋肉繊維を司る生体装甲(バイオチェスト)生体装甲皮膚(ミューテートスキン)を筆頭とする肉体の維持に殆どの(フォース)を割いていた。

 感知などできるはずがない。

 他の生命体はまだしも、ロードノイズだけは感知できるはずがない。

 海月(ヒドロゾア)の無機質な相貌が醜く歪む。邪悪な瞳には、とっくに干からびているはずの深緑の怪物が拳を携えて闘志を燃やしていた。

 なぜ気付かれた。なぜ戦える。なぜそれほどまでに強い───海月(ヒドロゾア)のロードノイズは風に晒された枝垂れ柳のように()()()()と立ち上がり、次の瞬間にはギルスへ凶猛な速さで襲いかかっていた。

 眼を疑うほどの速力。不意打ちじみた飛び掛かり。凡百の(つわもの)ならば後れをとって、屍を晒すことになるだろう。

 だが、ここにいるのは死地を走り抜ける風の如き猛獣。

 一対一であるのならば、負ける道理はない。

 ギルスは即座に身を屈ませて回避しつつ、海月(ヒドロゾア)の防守に乏しい腹部に反撃(カウンター)の拳打を叩き込む。貫くような音律が跳ねて、拳骨の痕が烙印の如くロードノイズの腹筋に刻まれる。

 強力な一撃を受けて、大きくよろめきながら後方へたたら踏む海月(ヒドロゾア)へ怒れる(ギルス)は容赦ない攻撃を畳み掛ける。

 破壊の限りを尽くす暴風のように左右の鉄拳が唸るような快音を鳴らして、防御すらままならぬ海月(ヒドロゾア)の胸部や顔面を撃砕せんと殴りかかる。

 一方的な暴力だった。

 攻防は無いに等しかった。

 奏には、ギルスの戦いを主観の視点でしか体感することができない。しかし、それ故に、この男がどれだけデタラメな強さを会得しているか、その一端を見せつけられていた。

 眼だ。攻撃の最中でも津上翔一の視点は留まることを知らない。気を抜けば酔ってしまいそうなほどに目紛しく動き回る視線はギルスが敵と見做した者の腕や脚は勿論のこと、視線や口唇の動き、関節の度合い、あらゆる部位を剣呑に見据えていた。

 そうして、何度も敵の動きを見続けた彼は一言だけ告げるのだ。

 見切った、と。

 放たれた豪殺の拳を何とか受け止めた海月(ヒドロゾア)が殴打の反撃を繰り出すが、(ギルス)の俊敏な動きに翻弄され、攻撃は虚しく空を切る。

 粗末な空振りほど隙は大きくなる。その貧弱な時間に容赦なく一撃を叩き込むのが反撃(カウンター)

 ギルスは海月(ヒドロゾア)の懐に潜り込んで脇腹に肘を突き立てた。粉骨の衝撃が走る。堪らずに後退るロードノイズの頬に一発の右拳(ストレート)を打ち込み、間髪容れずに左の拳で下顎を突き抜けるような痛烈なアッパーカットを放つ。

 その威力たるや、百五十キロに近い体重を持つ海月(ヒドロゾア)を中空に打ち上げるほど───。

 

 〝隙ばかり窺いやがって……そんなにアギトの力が怖いかッ‼︎〟

 

 (ギルス)のハイキックが炸裂する。

 大海原を穿つ銛のように犀利な上段蹴りを海月(ヒドロゾア)に捻じ込んだ。

 抵抗もできずに蹴り飛ばされ、陽に照らされたアスファルトに転がり落ちるロードノイズが悲痛の呻き声を上げる。痛覚があるわけではあるまい。手も足も出ない実力差に腹を立てているのだろう。駄々を捏ねるように両の拳を地面に叩きつけた。

 

『ggGg……kono youna GILLS wa shiranai??!!』

 

 海月(ヒドロゾア)の残忍な生命を終わらせるために(ギルス)は処刑人の如き死の足音を地に響かせながら、ゆっくりと手刀を振り上げ───。

 唐突に胸郭が()()()と跳ねた。

 

「…………ッ⁉︎」

 

 何事か、と懐疑の目線を胸部に向けることなく、(たちま)ちに異変は起こった。全身の筋肉が嘘のように脱力を開始。痙攣と寒気。意識が強く揺さぶるように混濁する。

 この症状は急性心不全のそれとよく似ている。

 血流が不調をきたしたのだと把握するのに時間は掛からなかった。

 翔一は(ギルス)の源が如何にして生み出されているかを知覚していたが故に───心臓に負担を強いていることは重々と承知している。だが、意外であった。心臓はそこまで柔な器官ではない。加えてギルスの因子によって内臓の機能は隈なく強化されているはずだ。心臓に至っては、心膜の硬度と心筋の強度を同時に底上げすることで心臓の機能を損なわずに強化していたはず。

 いや、それが原因か───。

 究明は敢えなく完結した。

 エネルギーの供給が間に合わず、弱った心筋が心膜に阻害され、拍動が正常に行われなかったのか。確証は得られないが、考えられる原因としては最も頷ける。

 まずい。心臓がやられたのなら、あとどれだけエネルギーが残っていたとしても関係がなくなる。

 (しわが)れた喉元へ震えが止まらない掌をそっと当てる。装甲板(クラッシャー)から渇いた息吹が漏れ出す。ひゅー、ひゅー、と無機質な呼吸音が放出される。

 噎せ返るような息の運動に気道が詰まる。酸素を上手く取り込めない。空気が腐肉のように不味い。肺が血反吐に犯されているのか。呼吸が難しい。

 しくじった。翔一の脳裏には、それだけが過ぎる。

 

 ───おい、どうしだんだよ翔一⁉︎ なんか変な息遣いだぞ⁉︎

 

「■■……ッ! ■■ォ……‼︎」

 

『omae wa okashii?!?! naze imada GILLS de irareru??!!』

 

 海月(ヒドロゾア)が膝をつきながら、恨めしい怒号を走らせる。

 脚を一歩を前に踏み出して、よろめきながらもギルスは戦意に満ちた拳を震わせるが、閑静とした苦慮の果てに片膝を地に預けた。

 崩れ落ちるような感覚が意識を揺さぶる。

 ダメだ。エネルギーの供給が間に合わない。

 喰われていやがる、俺の命が───。

 ついに悪魔の双角(ギルスアントラー)が無情を意図するように萎縮する。脆弱性を訴える(ギルス)の呼吸の荒さを耳にして、好機を見たりとロードノイズが動く。

 

『GILLS wa korosaneba aAa aa aaaAaGItoLLS!!!!???』

 

 怨恨に染まった金切り声が吐き出される。

 その声を合図にして、ギルスに飛びかかるクロールノイズが二匹───爆発から奇跡的に難を逃れて、横転したコンテナに身を忍ばせていたのであろう雑兵(ノイズ)は弱り果てた(ギルス)に体当たりを仕掛ける。

 苦悶に動きを止めていたギルスの反応速度は著しく低下していた。クロールノイズの接近を許し、危なっかしい動きで身体を捻らせ、何とか直撃を(かわ)したのは良いが、両腕を拘束されるようにしがみつかれてしまった。

 振り解こうと身体を乱暴に揺らし、苦闘の末に二匹とも腕から引き剥がすことに成功する。大地に叩きつけて、惰性を貪る蛙腹のように肥えた贅肉を踏み潰した。

 突然、奏の警告が走る。

 

 ───翔一、後ろだ!

 

「■、■■ァ……ッ⁉︎」

 

 その隙を狙っていたのか───飛びつくような糸が彼に巻きついた。

 海月(ヒドロゾア)の触手である。

 細長い管のような透明色の触手が海月(ヒドロゾア)の頭部から六本ほど伸ばされて、両の前腕と腹部ごと絞めつけるようにギルスを縛っている。身動きがとれない。力づくで解こうにも今のギルスでは無理がある。

 

「■■……ッ⁉︎」

 

 彼は吐き捨てるように舌打ちした。

 悪魔の双角(ギルスアントラー)による索敵を惜しんだツケが回ってきたようだ。

 ギルスは懸命に身を捩らせて拘束を解こうと抵抗する。双角が萎縮された状態では本来の10分の1にも満たない能力しか扱えない。加えて、彼を束縛せんとする触手は厳重に巻きつけられている。

 だが、他にやりようはあるはず。同時にギルスは第三の眼(ワイズマン・オーヴ)を発現させる。ヒドロ虫と言えば、俗に電気クラゲと呼ばれる海月の触手から発射される刺胞の毒を危険視すべきであろう。

 刺胞毒への応急処置を施せる程度には知識の蓄えが翔一にはある。しかし、それが役に立つかどうかは疑わしい。相手はクラゲではない。ロードノイズと呼称された生体兵器である。炎症や疼痛を起こす程度の刺胞毒で留まってくれるわけがない。致死性の高い毒を生み出しているはずだ。果たして、どこまでギルスの免疫力を信用できるか───。

 だが、すべては杞憂に終わる。

 毒など無かった。触手に刺細胞らしき構造は見当たらなかった。

 拍子抜けだ、と安堵する翔一ではなかった。何かあるに違いないと勘繰って、続けながら第三の眼(ワイズマン・オーヴ)海月(ヒドロゾア)の全身の構造を理知的に把握せんと凝視する。

 妙なものを捕捉したのは海月(ヒドロゾア)の頭部。だが、それが何か分からない。翔一の知識に一向に当てはまらない。彼が生物学に広いというわけではない。彼の専門分野は別にある。それでも出所が不明瞭な記憶が含んだ知恵は幾度となく彼を窮地から脱している。多少の信頼は寄せていた。

 

(なんだ。この変な細胞は。見たことがない。少なくとも人体には無い。待て。そもそも奴の肉体を構成している物質は何だ。殴りつけた感触が妙だった。あれは頑丈なゴムに近かった。ん? ゴム……?)

 

 思考が落ち着きを取り戻し、新たな焦燥を生み落とす。

 翔一が真実に辿り着くとほぼ同時に、ノイズ内部に蓄積された特有のエネルギーがあるものに変換され、海月(ヒドロゾア)の頭部を中心に蓄積されていく異様な光景を第三の眼(ワイズマン・オーヴ)が捉えてしまった。

 合点がいった。納得はしていないが、大凡の答えは得た。

 あれは発電器官だ。筋肉の細胞が変質した発電板が集合して高出力の電圧を生む。デンキウナギやデンキナマズの特徴だ。クラゲではない。

 ギルスはすぐさま自身に巻きつく触手を睨みつけた。電気抵抗を削いだ伝導体。反して、海月(ヒドロゾア)の体質は絶縁体であると推測できる。

 

(野郎ッ、詐欺だろ⁉︎ 本家は落雷だったろうがッ‼︎)

 

 ───おい⁉︎ なんかアイツ、バチバチしてるぞ⁉︎

 

(放電だね! 流石にマズいかもしんない!)

 

 青い稲妻が触手を這うように弾ける。

 ギルスは焦る気持ちを抑えられずに触手を引き千切らんと非力を承知で足掻くことしかできない。

 ()()()()()()と凶悪な音響を撒き散らしながら、海月(ヒドロゾア)の無色透明な頭髪が眩い雷光を閃かせる。ロードノイズが放出する電流の威力は巨大な象ですら感電死に至らしめるほどの傲慢な衝撃を孕んでいる。並大抵の生物ならば、焼かれもせずに心臓を止められてしまうだろう。

 十全の状態ならまだしも、力を削られて虚弱な生命体となった(ギルス)にとって、海月(ヒドロゾア)の凄まじい放電に耐えられるかどうかは極めて怪しい。

 海月(ヒドロゾア)のロードノイズは勝ち誇ったように笑みを浮かべた。

 翔一は舌打ちを交えて忌まわしい敵を睨み据えることしかできない。

 だが、決して辞世の句を残そうとはしなかった。

 無意識の内に握り締めた拳が高鳴って、小指に温かな熱が灯る。

 

『yakikirete shimae GILLS!!!???』

 

 そして、雷鳴の音が解き放たれた。

 破滅的な凄まじい電撃が哀れな(ギルス)の全身を穿った。人体が許容できる電圧を遥かに上回る殺気の電流が五芒星を無限に描くように四肢を駆け巡る。血肉の一片も残さず蹂躙の限りの尽くさんと痛々しい燃焼を嫌というほど繰り返させる。

 暴れ回る殺伐とした電流の奔流に為す術もなく、深緑の軀を小刻みに激しく揺らす。狂ったように踊る。痙攣と言うよりも振動。支離滅裂な動きを神経が意図したわけでもなく、ただ、電気に弄ばれるようにギルスは死の一撃を永遠と食らい続けた。

 悲鳴すら上げられない。

 痛いの一言すら絞り出せない。

 全身に流れていた血液が一瞬で干上がる感覚。視界は青い閃光で真っ白な世界を広げて、炎の柱に磔にされたような拷問じみた激痛だけが感知できる。火刑に処された古の魔女もこんな気持ちで死んでいったのかもしれない。

 

 ───■■‼︎ ■■ッ‼︎

 

 肉が焦げる香ばしい匂いが充満する。深緑の鎧が黒ずんでいる。装甲板(クラッシャー)の隙間から煙が舞っていた。

 

 ───■■……ッ‼︎ ■■ィ‼︎

 

 焼き殺された細胞が吐き出す焦げ臭い煙が(ギルス)の終わりを知らせる。

 ギルスは立ち尽くしたまま動かない。動けるはずもない。

 たとえ、(ギルス)の因子が尋常ならざる再生力を駆使して、肉の内側まで焼かれた身体を治癒させようとも、急激な痛みに耐え兼ねた精神はもはや原形を留めていられるはずがない。それどころか、ギルスでさえなければ、もっと楽に死ねたであろうにと慈しみをくれてやるべきだ。

 哀れな獣はその身に天罰を受けたように雷に焼かれた。運命に争い続けた悪しき業を清算すべく、血に塗れた肉体は焼き尽くされる。

 苦痛に叫ぶことすら許されずに───否。

 断じて否である。

 痛みに叫ぶことなど彼はしない。苦しみに嘆いて、悲しみに折れて、精神(こころ)が張り裂けそうな痛みに泣き叫びそうになったとしても、彼は声を上げて叫んだりはしない。

 

 ───■■、■■、■■‼︎

 

 ……本当に聞きたい声が、聞こえなくなってしまうから。

 

 ───起きてくれよ、翔一ッ‼︎ 翼と約束したんだろ! だったら、こんなところで終わるなよ、翔一ィ‼︎

 

 闇の中で呼ぶ声。

 この音が聞こえる限りは───まだ、やれる。

 

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ッ‼︎」

 

 

『!!!!?????』

 

 天すら喰らわんとする惨禍の咆哮が死した(ギルス)の大顎から解き放たれた。

 

『b bb baka na?!?!?!』

 

 ロードノイズが得体の知れぬ怪物に身を震わせる。

 なんだ、このバケモノは。有り得ない。有り得るはずがない。

 致死量の電流を叩き込んだ。地球上の生命体ならば、例外なく抹殺できるほどの感電だったはずだ。それがなんだ。なぜ、意識を保てる。

 再生能力にも限度がある。精神ばかりは生身の人間である。神経の通った生命であるのなら、過度な痛みに耐えられるはずがない。

 ギルスは不完全で未完成の生命体だ。こんなに強いはずがない。もう戦えるはずがない。

 なのに、なぜ、このバケモノは死を赦さない。

 

『nannda……nannda omae wa!!??!!??』

 

 ロードノイズが知ることはないだろう。

 津上翔一という人間の真の強さ───目蓋の裏側に宿る情景が何かを。

 独りで戦っていた少女がいる。独りで背負い込もうとした少女がいる。心を捨ててまで誰かを守りたいと願った誇り高き少女がいる!

 本当に痛いのはこんな焼かれるような痛みじゃない。ましてや心臓が止まりかけた痛みじゃない。

 本当に痛いのは───心の痛みだッ‼︎

 

 〝この程度の痛み───〟

 

 燻る死の炎が巻き起こす激痛に苛まれながら、今にも消えてしまいそうな小指(ぬくもり)を握り締めて───二人の少女の笑顔を想う。今は失われた尊き笑顔を想い、込み上げてくる悲しみが怒りに変わる。

 

 〝あの子の痛みに比べればッ‼︎〟

 

 ギルスの激情が走る。

 魂の叫びが超因子(メタファクター)に宿る賢者の石を激しく閃光させる。心臓が鐘を鳴らすように激しい鼓動を再開させ、凍りついた筋肉が躍動する。オルタフォースの渦が悪魔の双角(ギルスアントラー)を深い眠りから目覚めさせ、再び天に舞い上がらんと解放させた。

 脚部に寄生する生体装甲(ライヴレッグス)が反応する。

 (ギルス)は使い損ねたエネルギーを根こそぎ生体装甲(ライヴレッグス)に叩き込むように喰らわせる。骨が砕けて軋むような不気味な音が右脚から鳴り響き、肉を裂いて反りの大きい緑刃が姿を現した。

 右踵から伸びる禍々しい大鎌の刃が蒼穹を睨みつける。

 赤い双眸が迸る闘志を燃やす。

 蹴り上げられた右脚が一本の大鎌のように振るわれ、疾風の一閃が海月(ヒドロゾア)から伸びる触手の束を美しくも大胆に斬り裂いた。

 

「■■■■■■■■ォォォォォォッ‼︎」

 

 もはや、時間などと言える悠長な世界は何処にもなかった。

 瞬きすら許されない刹那の風に彼我の距離はもう失われていた。

 そして、すれ違うように一閃の静寂が呑み込んだ。

 急いで格闘に持ち込もうとした海月(ヒドロゾア)の忙しない動きが無謀を語るように潮風が流れた。

 神速と呼ぶに相応しい超高速の転身脚(バックスピンキック)によって振り回される死の大鎌(ヒールクロウ)の刃がロードノイズの脊髄を完全に捉えた瞬間だけが世界に刻々と焼き付いた。

 ズシャリ、と───斬り裂く音色が虚無に響く。

 互いに背中を向ける零の時間。

 ギルスは振り向くことなく力強い足取りで前へと進む。

 海月(ヒドロゾア)は振り返ろうとしたが、切断された首から大量の赤い煤を放埒に撒き散らすだけだった。消えた頭部は、大地に凄まじい弧を描く黒い血液の痕を辿っていけば、見つかるかもしれない。

 宙に浮かび上がる天使の輪が活動の終わりを告げる。海月と霊長の姿を象ったロードノイズは恨めしい言葉の一つも残すことなく敢えなく炭化する。

 涼しげな潮風に吹かれて───寂しげに消滅した。

 カツカツ、と。

 黒い鮮血の足跡だけが勝者が誰なのかを物語る。

 

「待て、第三号ッ!」

 

 声の方角に顔を向けると、戦いを終えた剣の戦姫が埠頭の真ん中でギルスを睨んでいた。外傷は見当たらない。少しだけ表情が和らいで見えるのは、果たして目の錯覚か。

 剣と獣。

 両者に違いなく、間違いは腐るほどにある。

 それでも間違い続けても尚───届かない理想を追い求める。どこまでも似たもの同士。だが、決して相容れてはならない。

 そこにあるのは悲劇だけであると知っているから。

 互いに視線が複雑に絡み合った。

 

「翼さん!」

 

 遠くから少女が走ってくる。

 その少女の背後には、幸薄そうな作業員らが五名ほど身を寄せ合いながら、命が無事であったことを安堵しつつも、これから起こり得る何かに怯えて、固唾を飲んで此方を窺っていた。

 だからこそ、ギルスは張り詰めた仮面の奥底で、誰にも悟られぬように頬を緩めた。

 遅れてきた立花響は血相を変えながら、これから予想される悲惨なる争いを止めるべく、二人の間に割って入ろうと前に出ようとして───翼は彼女を手だけで制止させた。

 その表情には第三号に常として向けていた修羅の権化たる殺意は何処にもなく、ただ真っ直ぐとギルスを見つめていた。響は不安の余韻を感じつつも、翼の濁りのない瞳を信じるべく大きく頷いてから一歩後ろへ下がった。

 翼は絶刀(アームドギア)の剣先を下ろし、あの時に感じた小指の温もりを抱き締めるように手をぎゅっと握り締め、高らかに宣言する。

 

「私は力無き者を護りたい。罪なき人々の今日を守る為に風鳴翼は剣を振るい、明日へと羽ばたくために歌を唄うと心に誓う!」

 

 力強い言葉だった。

 迷いの吹っ切れた少女の独白は名刀の刃紋のように澄んでいた。

 

「第三号、おまえは何の為に戦う? その力を誰の為に振るっている?」

 

「…………」

 

 (ギルス)は何も答えない。

 血脈の如く赤い双眸を二人の戦姫に向け、嘲笑するように静観する。何の為? 肉食獣が獲物を狩る理由が必要か?───挑発的な視線が翼の剣呑な眼差しと交差した。

 一触即発の展開だが、翼の剣はついに動かなかった。

 いつになく冷静な剣士へ興味を失せてしまったのか、ギルスは肩を回しながら、倦怠感を漂わせる素振りでギルスレイダーに跨った。

 エンジンが始動し、慣れた足捌きでチェンジペダルを踏む。

 その背中を響はじっと食い入るように観察する。

 有り得ない話であるはずのに、どうしても、毎日のように見送っていたあの青年の背中がギルスの背中と重なって仕方がないのだ。

 何度も見送って、何度も手を伸ばして、何度も掴み損ねてきた大切な人の背中を見間違えるはずがないのに───どうして、胸がこんなにざわついてしまうのだろう。

 遠くなっていく隆々とした深緑の背中。

 津上翔一によく似た優しい背中。

 

 こんなに近くにいるのに、どこまでも遠い。

 

 孤独な背中。

 

 

***

 

 

 血反吐。

 口腔内にこびり付いた血塊を吐き捨てる。

 河川敷の芝生に放埒に寝転がった津上翔一は額に滲む玉藻のような汗を拭いながら、鉄の味がする溜め息をついた。(ギルス)の代償───地獄のような時間を耐え抜いた彼は昇る太陽に手をかざした。

 急激な老化を遂げた腕の骨格が明らかとなって、醜いだけの異形の影と化す。今にも朽ちて消え去りそうな腐蝕の腕には、人間性と呼ばれるものは残されていない。

 こんな俺でも心は捨てたくない。

 でも、いつかはその日が来るのだろう。

 何の為に戦うのか。

 誰の為に戦うのか。

 あるいは、何もないからこそ、戦ってしまうのか。

 過去も記憶もない。誇りも信念もない。命と力だけを背負った紛い物だったから、こうして、この世界で何食わぬ顔をして、今に縋って生き足掻いているのか。

 

 なんて()()()()()生命。

 

 ───なんか翼も吹っ切れたみたいだしホント良かったぁ〜!

 

 天羽奏の抑揚のある声が脳裏に響く。

 

 ───長い付き合いのあたしでさえ、翼の融通の効かない真面目さには手を焼いてたってのに、翔一はすごいよな。なんつーか、うーん、うまく言葉にできないなこれ。とにかく、あたしから礼を言わせてくれ。翼のこと、気にかけてくれて、本当にありがとう。

 

 友人が立ち直ったことに安堵していた奏の感謝の言葉に、翔一は自嘲するように苦笑した。

 俺は何にもしてないよ。心の在り方を決めるのは、いつだって本人の心だ。

 迷いながら、悩み苦しみながら、人は自分の答えを見つけ出す。険しい道のりを進み、挫折を繰り返し、時には信じた道に裏切られ、時には涙で乾いた土を濡らし、どうして分かり合えないんだと傷つけ合って、それでも肩と肩を貸し合いながら未知なる嵐の中を懸命に進んでいく。

 そうして辿り着いた場所で自分だけの答えを得るのだ。

 人は、それぞれが導き出したその答えに〝正義〟という名を与え、それまでの道を〝人生〟と呼ぶ。

 津上翔一が持つことを許されなかった人間の誇りそのものである。

 

 ───いつかさ、あたしが身体に戻って、翼にもちゃんと事情を説明して、そしたら、立花も小日向も全員つれてさ、みんなで遊びに行こう。ピクニックとかどうだ? お弁当作ってさ。あたしも料理手伝うからいいだろう? 絶対に楽しくなるって。

 

 甘い声で諭すような奏の言葉に、翔一は無言の微笑みを返し、しばらく、無窮の空を見上げてから───ぽつりと。

 

「ねぇ、奏ちゃん」

 

 ───なんだよ?

 

「ずっと翼ちゃんと仲良くしてあげてね」

 

 ───当たり前だろ。翼はあたしにとって大切な光なんだ。

 

「光、か……」

 

 奏の当然だと言いたげな強い語気に津上翔一は頬を薄っすらと緩ませて、頭上に広がる青空を見上げた。

 

「それなら安心かな」

 

 千切れ漂う雲を見つめて───小さく息を吸う。

 生きるために息をする。

 生きているのだと言うために息をする。

 空にポツリと雨のように───。

 

「……あとどれだけ()つかな、俺の命」

 

 奏に聞こえないぐらいの掠れた小声を漏らす。

 嘘が一つ。

 あるいは、もっと───。

 たとえば、アギトが自然という名の大気から無尽のエネルギーを蓄えているとすれば、自身の肉体で完結しているギルスは何処から戦えるだけの莫大なエネルギーを生み出して───いや、変換しているのか。

 心臓が鼓動する胸に手を当てて、翔一は言葉を呑み込んだ。

 もういいだろう。

 それは語らなくていいんだ。

 俺が死ぬまでは語らなくていい───くだらない戯言なんだから。

 

 

***

 

 

 

 忘れるな、■■■よ。

 おまえが守りたいと心から願うもの───。

 それは何よりも美しいものであることを。

 思い出せ、■■■よ。

 おまえの魂が信じ続けたものとは何だ。

 失くしてなどいない。

 奪われてなどいない。

 闇を照らす光とは何かを───。

 

 もう一度だけ、思い出せ。

 

 その背中を支えてくれる優しさを。

 その背中を押してくれる温かさを。

 

 おまえは誰よりも知っているはずだ。

 

 恐怖(おそ)れずに疾走(はし)れ───。

 

 我らはそこで待っている。

 

 

 

***

 

 

 えっこら、えっこら、ギコギコと。

 

「…………」

 

 あら、誰かと思えば、今をときめく翼ちゃんじゃない。授業中だぜ? サボリかい? 遅刻? お寝坊さんなの?

 

「違います。仕事です」

 

 わかってる、わかってるから、そのムスッとした顔すんのやめてよん。

 

「津上さんは何を」

 

 ん? ほら、あそこに鳥さんの巣箱あるでしょ? 前に救助しちゃったのよ。んで、親鳥さんがUターンしないように急いで巣箱を作っちゃって、そのまんまだったから、今回はしっかりとした耐久性のある巣箱を作ってあげようと思いまして───そうだ。翼ちゃん、そこ切るの手伝ってよ。

 

「はい?」

 

 ほら、ノコギリ。どうせ次の授業はじまるまで暇でしょ?

 

「……わかりました」

 

 へへっ、これでDA○H島のロケに呼ばれても大丈夫だね。

 

「あっ(折れたノコギリを見つめて)」

 

 うわっ……不器用だな〜(煽り)

 

「ち、違います! これは鋸の刃が錆びていただけで、決して私が不器用だからというわけでは───」

 

 じゃあ、コッチのノコギリ使う?

 

「武士に二言はありません」

 

 がんばれー……って、ダメだよ⁉︎ そんな切り方しちゃダメダメ! ノコギリで兜割りはできないよ⁉︎ ジャパニーズブレードじゃないんだから、こう、引くときに力を真っ直ぐ入れるの!

 

「引く? こうですか」

 

 そうそう。うまいうまい。やればできるじゃない───あら、親鳥さんが翼ちゃんの肩に。やだ……絵になるわ……(うっとり)

 

「…………(助けを求める視線)」

 

 お家作ってくれて、ありがとう、って言ってんじゃない?

 

「私は別に───あ」

 

 おお、今度は俺の肩に───って、(フン)すなーっ⁉︎(劇的な回避)

 

「…………」

 

 あ、今、翼ちゃん笑ったね。

 

「笑っていません」

 

 いいや、笑ったね。見ちゃったね、翼ちゃんの可愛い笑顔。この目にしかと焼き付けちゃったね。俺のゴーストも囁いてる。風鳴翼OUTです。俺の中にいるバーローな審判もテンションアゲアゲで言ってる。

 

「笑ってなどいません!」

 

 カワイイー! ヤッター! SAKIMORIの笑顔ヤッター! カワイイー! 家宝にしたいぐらいにカワイイー! SAKIMORIカワイイー!

 

「だから、笑っていませんって! もう! 子供みたいに(はしゃ)がないで下さい!」

 

 ええんやで。いっぱい笑って、ええんやで。

 泣きたい時に泣いて、笑いたい時に笑う、心ある人間に与えられた特権なんだから───顔真っ赤にしてるSAKIMORIカワイイー! FOOOOOOOー! やっぱり、女の子は笑顔が一番やでー!




SAKIMORIかわいい(挨拶)
前回二万文字は嫌とか言ってたくせに分割先で二万文字超えるうんち作者で申し訳ない。かっこいいギルスを書きたくなっただけでこの有り様ですわ・・・書けたかどうか知らんけど。
オリ主だけ怒涛のシリアスですまないすまない。あんなにヤベェ後遺症とか毎回食らってんのに命が無事なわけがない。命(肉体)も心(精神)も削られて、あるのは痛み(感覚)だけ。それでもおまえは戦うんだよな。仮面ライダーだからじゃなくて、人を想って戦う優しいおまえだから誰かを救えるんだもんな。つまりはおまえは仮面ライダー。でも自分を救うつもりはない。伝われ、この切なさ。
〈以下補足〉
前話でオリ主が言っていた「退職」などの言葉はぜんぶ自分がいつか死んでしまうことの遠回しな比喩です。指切りで約束したのは、俺が死んでも二人を再会させてやるから、俺が居なくなっても二人は仲良くやれよって意味です。読み返してみてね(小声) これで読者さまも存分に苦しめ。心がアッてなれ。そして感想を書け(本音) 書けば作者が嬉しくてアッてなります。


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♪06.Evolution

たくさんの感想と高評価ありがたき幸せです。ウルトラ励みになります。


 むかしむかし、あるところに、世界を信じられなくなった捻くれたガキがいました。

 

 嘘ばかりつく大人が嫌いで、現実を見ようとしない上っ面だけの綺麗事が嫌いで、奪うだけの世界が大嫌いでした。

 

 嫌いで、嫌いで、大ッ嫌いで───苦しかった。

 

 そんなガキの目の前に、天使と喧嘩してる泣き虫のバッタが現れました。

 

 うん。泣き虫。変なバケモノとやりあった後は必ず泣いてやがった。なんで泣いてんだって聞いても、悲しいから泣いてんだって、泣きながら笑っていやがった。

 その顔は……とても見てられなかった。

 ごめんね、ごめんねって、泣きながら謝ってた。

 今になって、あれが何だったのか……わかる気がする。

 

 そいつはいっつもボロボロになってるくせに、平気な顔してヘラヘラ笑って、バカみたいにふざけて、人の心配ばかりしてやがるとんでもないお人好しだったんだ。

 一度きりの人生をズルして二回も経験しようとしてるから何とか言って、せめて二度目は誰かのためにって───気難しいことを呟いて、泣きそうな顔して、辛そうに拳を握ってた。

 殴るのは好きじゃないらしい。

 でも、やらなきゃダメなんだって言ってた。

 

 気づいたら、この世を壊したいほどに恨んでいたガキは傷ついてばかりいるバッタの後を追いかけるようになっていました。

 興味とか好奇心とかじゃなくて……なんだろう。きっと、一緒にいたいって思ったから。ただ、それだけだったんだろうな。

 ガキは色んなことをバッタから教わりました。バッタはえらく博識だった。聞いてて飽きないぐらいに話の種は尽きなかった。難しい話からくだらない洒落まで、古今東西の語り草を聞いてるうちに、いつのまにか、ガキは笑ってた。腹抱えて涙目になりながら笑ってた。もう笑えないと思ってたのに、簡単に笑えちまった。

 ガキは数え切れないぐらい沢山のものを貰いました。笑顔や希望。世界の美しさ。人間の素晴らしさ。どれも反吐が出るほどの綺麗事ばっかりだったのに、あいつの語る綺麗事だけは嫌いにはなれなかった。

 だって、世界は優しくないってことをあいつは誰よりも知っていたから───それでも頑張っていたから。

 短い間だった。でも、あいつと一緒に過ごした時間は何よりも幸福な日常だった。銃弾が飛び交う物騒な場所のど真ん中も、ガキにとっちゃ、あのヘンテコなバッタがいる場所なら何処だろうと帰る場所みたいなもので、あいつの隣なら世界を少しだけ好きになれた気がしたんだ。

 

 ある日、泣き虫のバッタが夢を語ってくれました。

 かなしい夢でした。かなしくて、やさしくて、どうしても報われない夢でした。

 だから、夢がなかったガキはバッタのために夢を持ちました。バッタが褒めてくれた拙い歌を。幼かったガキが大好きだった母の歌を。見様見真似で声にしたちっぽけな歌を。

 祈りの歌を。

 いつか、あいつに届けてあげたいなって───もう叶えられなくなっちまったけど。

 

 ……聴かせてやりたいやつがいなくなっちまった。

 

 星が降ったんだ。夜空いっぱいに。星のシャワーみたいに。

 

 バッタはお別れの言葉を告げました。

 ありがとうって。

 終わらせるには惜しい世界なんだと、教えてくれたのはキミなんだって。

 だから、今度は俺がおてんとさまに教えてあげないとね───そう言って、笑っていました。

 

 はなれたくなくて、ずっとそばにいてほしくて、ガキは泣いて喚いて散々駄々を捏ねて、バッタの手をでたらめに握りました。

 そしたら、あいつはふざけた呪いのような言葉を一つだけ残して、ガキの手を優しく握り返してから、振り返りもせずに星降る空へ向かって跳んで───いや、()()()いきやがった。

 

 怒れる天の終末に逆らうべく。

 陽よりも深い赤橙の翼を広げて。

 

 龍のように気高く───。

 

 だから、そいつはバッタじゃなくて、きっとドラゴンだったんだって話。

 

 つまらない? ……私もそう思う。

 

 でも、何の希望も持てなかった小さな手を、優しく握り締めてくれたあの手の感覚(ぬくもり)を───。

 

 私は今でも覚えている。

 

 

 会いたいのに、もう会えないね。

 

 

 会いたいよ、私の(アギト)

 

 

 

***

 

 

『───番組の途中ですが、ここで緊急速報です。○○区にて、認定特異災害警報が発令されました。周辺にお住まいの方は所定のシェルターへの避難を急いでください。繰り返します。○○区にて、認定特異災害警報が発令しております。ノイズです。○○区の住民の方は周りの人にも避難を呼びかけながら、シェルターまで逃げてください。繰り返します───』

 

「あら、またノイズ? 最近は本当に多いわね」

 

 午後の夕暮れ時。

 財布に優しい良心的な値段と濃厚な風味が多くの食通を唸らせ、その舌を虜にしてきた名店『ふらわー』の厨房から顔を覗かせたおばちゃん(本名不詳)は苦笑まじりに呟いた。

 古めかしいラジオが垂れ流しにする陰鬱な放送は、この国に住う者なら誰もがウンザリするほど聞き飽きた内容だ。だが、命に大きく関わってしまう情報であるために無視もできない。ストレスばかりが溜まる内容だった。

 カウンター席で静かに座る小日向未来は透明なグラスを満たす冷水を手にしたまま、石のように固まり、店内に妙な緊張感を抱かせるアナウンスに耳を傾けていた。無意識に唇を噛み、俯きがちの視線は震える白い手に注がれている。脳裏に焼き付いたあの光景───ノイズに囲まれたあの青年の虚しい笑顔がフラッシュバックして、心臓をバクバクと激しくさせる。

 温かな胸に抱き寄せられて、真っ赤に染まった。

 大好きな人の胸の中で、生命が終わる瞬間を肌で感じた。

 今でも思い出す。二年前───あの日、逃げ遅れた自分を庇って、血の池に浸るように崩れ落ちた青年の姿を。

 

 忘れられなかった。口から絶えず溢れる血を、死を予期した苦痛に歪んだ顔を、それでも優しかったあの声を───。

 

「…………」

 

 しばらく店内には堅苦しい沈黙が続き、ラジオの声だけが粛々と流れていたが「なんだ遠いじゃないか」と豚玉を突く他の客が安堵したことによって緊張の糸がほぐれ、気怠げな午後の空気が『ふらわー』に戻ってきた。

 未来も知らずにホッと胸を撫で下ろすが、今から数十分前に急用ができたとバツの悪そうな顔をして店を飛び出していった友人は果たして無事なのだろうかと心配になった。鞄から携帯電話を取り出して、慣れた手つきで通話画面まで進んだが、邪魔になるだろうと考え直した末に電源を落とした。

 立花響はいま何処で何をしているのだろうか。

 考えても無駄だった。きっといつもの人助けには違いないのだろうから───。

 最近の響は何か隠し事をしているような素振りがある。誰からか着信を受けると、熱い衝動に駆られたように力強い眼差しで弾丸のように飛び出していく。そうして、しばらくしてから、疲労を浮かべた表情で帰宅する。後はひたすらぐったりだ。そのまま泥のように眠る日もある。そんなルーティンワークを立花響はここ一ヶ月間繰り返していた。

 未来は一度、何をそんなに躍起になっているんだと響に直接問い質してみたことがあったが、内容も理由も言えないらしい。危ないことなのかと訊けば、響は申し訳なさそうに言葉を濁して目を泳がせた。嘘が下手な彼女の何よりも正直な答えだった。

 結局のところ、未来は無事を祈って見送ることしかできなかった。

 その背中を───二人の背中を。

 一人で走り出して、一人で疲れて帰ってくる。元気など底をついているのに大丈夫だと笑いながら、重たい目蓋をこじ開けて、日常に帰ろうとしている。───そんな響の姿は、あの青年の背中と悲しいほどに酷似していた。

 

『ただいま入った情報によりますと、未確認生命体第三号がノイズと交戦中とのことです。第三号です。○○区にいる方は今すぐに逃げて下さい。避難勧告は出ております』

 

「3号も大変ねぇ。毎回毎回ノイズと戦ってるじゃない。ウチのサボリ魔も少しは見習って欲しいぐらいだわ」

 

 そんな冗談を口にしながら、おばちゃんはカウンター席の上に乱雑に畳まれた手作りのエプロンを一瞥して、物憂げに小さく笑った。

 さて、ウチのお節介なアルバイトはどこで何をがんばっているのやら───旧式ラジオのスピーカーから聞こえるアナウンサーの焦るような声音におばちゃんは複雑な顔色を浮かべて首を横に振った。

 

 あれから四年も経とうしているが、彼はまだ探しているのだろうか───。

 

「私、わからないんです」

 

 絞るようなか細い声だった。

 

「翔一さんが、どうして、いつもどこかへ走っていってしまうのか……私、何も知らないんです」

 

 そう小さく呟いた未来の寂しそうな視線は隣の放埒に置かれたエプロンに移っていた。一つだけ溜め息を零した未来は使い古されたエプロンを優しく抱き締めるように手にとった。すっかり草臥(くたび)れた布地はかなり傷んでおり、縫い目は所々がほつれて、何度も補修した跡が残っていた。

 未来は津上翔一が胡座をかきながら裁縫をしている姿を幾度となく覗き見したことがある。

 好きだった。薄れた思い出を懐かしむように頬を緩ませて作業に没頭する彼の横顔は優しくて、穏やかな目をしていて、未来はその顔がどうしようもなく好きだった。

 未来と響が彼と出会ってまだ間もない頃、常連のお客さんから譲ってもらったという古いミシンを使って翔一が衣服を自作していた日がある。フリーマーケットに出品するのだと言って、無駄に可愛いワンピースを何枚か仕立てて、器用な指先で華や鳥の刺繍を装飾していた。かなり良い出来栄えだったのに、割に合わない値段のせいで懐に入った儲けはその日のお鍋で消えてしまった。

 でも、当の本人は随分と満足そうにしていたので未来も響も何も言わなかった。代わりに響が自分たちの服も作って欲しいと懇願したら、女子中学生の採寸するとか犯罪の臭いがすごいからと渋い顔をされて拒否された。

 それでも引き下がらない強気な響に根負けした翔一は二人に裁縫を一から教えるということで手打ちとなった。そうして、簡単な刺繍を縫ったり、小物入れを作ったりして、着々と上達していった二人がまず最初に作ったものがこのエプロンだった。

 

 誕生日を持たない津上翔一に、何の特別でもない日に、初めてプレゼントしたものだった。

 

「初めての贈り物にすごく喜んでくれて、翔一さんいつもこのエプロンを着けてくれて、大切にしてくれて、本当にわかりやすい人で……」

 

 それなのに───()()()()()()()

 

「なにも教えてくれないんです。ずっと昔から、自分のことは何も教えてくれない。()()()()()()ことだって、笑って誤魔化すんですよ。あの時だって、私のせいで傷ついたのに、笑って……ずっと平気な顔で笑っていて……本当はもっと伝えたいことがあったはずなのに、何も言えなかった。何も言わせてくれなかった」

 

 涙ぐんだ声が小さな唇からぽつぽつと洩れていた。

 

「知らないんです、翔一さんのことを。ずっと一緒にいるのに、大事なところは何も知らないままなんです」

 

 雨色が匂う曇天のように暗い表情を浮かべた未来はエプロンを丁寧に折りたたんで、そっと元の位置に戻した。

 津上翔一と出会って、三年もの月日が経過して───小日向未来は何も知らないままだった。津上翔一という青年の優しさ以外は何一つとして知ることなく、彼の帰りをひたすら待ち続けている。

 ずっと昔からそうだったように───未来は今でも待っていた。

 

「……翔一くんを拾った時はね、雨の日だったわ」

 

 おばちゃんは顎に手を当てて唐突に話し始めた。

 

「傘もささないで、びしょ濡れになりながら、ずーっと雨空をぽかんと仰いでいる変な男の子がいたのよ」

 

 その顔は懐かしそうで───少しだけ寂しそうだった。

 

「殴るような大雨だったの。だから、最初は気付いてあげられなかったんだけど……彼ね、ずっと泣いていたのよ」

 

「翔一さんが?」

 

「ええ。どうかしたのって聞いたら、ゆっくりと時間をかけて、弱々しい笑顔を作って───〝()()()()()()()()()〟って」

 

 背筋が凍りついた。

 言葉を理解するのに時間がかかった。

 

 死ねなかった───?

 

 未来の中には嗚咽にも似た懐疑な感情だけが渦巻いて、いつも呑気に笑っていた青年の温かい面影が砕け散るような感覚を味わった。激しい動揺は脳を真っ白に染め上げて、良からぬ思考を止めようとする。

 あの青年が、そんなことを言うはずがない。

 結論はそれだった。なのに、頭の片隅ではその解を否定する自分がいた。

 だって、小日向未来は、津上翔一のことを何も知らないのだから───。

 あまりのショックで裂けんばかりに目を見開いたまま硬直する未来に、おばちゃんは茶化すように人差し指を口元に添えながら年甲斐もなくウィンクをした。妙にサマになっていて、場が少しだけ和んだ。どうやら、ここから先は内緒の話をしてくれるようだ。おばちゃんと翔一しか知らない馴れ初めの物語を語ってくれるらしい。

 知りたいのなら、知る覚悟はあるか───そう目は語っていた。

 未来は真剣な表情で一つ肯首すると、ゆっくりと身を乗り出した。

 気付かないうちに、ラジオが流す緊急放送は終わっていて、夕方の天気予報に変わり、キャスターが淡々とした口調で傘の所持を勧めていた。

 

 今週は雨が続くらしい。

 

 流れ星を遮るほどの冷たい雨が───。

 

 

 

***

 

 

 

 ───エラ太郎ー? エラ太郎〜!(cv.高山○なみ)

 

 HEKKEEEEEE!!!(ウォークライ)

 

 ♪イントロ♪(生々しい咀嚼音)

 

 とっとこおおお‼︎ 働けエラ太郎おおお‼︎ すみっこおおお‼︎ 追い立てろエラ太郎おおお‼︎(歌ではない何かしらの咆哮)

 

 ───だ〜いすきなのは〜?(cv.ガン○ムWのOP)

 

 ノイズたんの肉ゥゥゥゥゥゥ‼︎ ガツガツムシャムシャブルブルオッペケペムッキィィィ‼︎ 超エキサイティンティン‼︎ Oh……TINTIN? YES! OTINTIN! Night of fire‼︎(高☆速★回☆転) FOOOOOOOOO‼︎(末期キチガイダンシングテンション)

 

 みーんな元気かーい? おじさんは過労で頭がブッ飛んでるよ。最近お家で寝てないことに気付いた。帰宅中に力尽きて道路端で体育座りして死んだように睡眠してる。この前なんかは公園のベンチで寒空の下おねんねしていたら、先住民の方から段ボールを頂いて、段ボールの暖かさと人間の温かさに触れて感激しました。あったけぇよ。寒いのにあったけぇよ。今度、御礼に焼酎でも持っていこう。

 でもね、やっぱり、眠るならふかふかのお布団でぐっすりしたいんだ。

 だから、菓子折り片手にノイズたんに直談判してみたけど、返ってきたのは殺意という名の門前払いだったよ。泣けりゅ。ぴえんこえてぱおん。もうまぢむり自粛しよ。でも、それを許してくれないノイズたんまぢ企業戦士。ノイズたんはみんな難波チルドレンかなんかなの? 忠誠誓ってんの? 杖折ったの? 俺の心は折れてるよ。ポッキリだよ。ポッキーだよ。その点トッポってすごいよな。最後までチョコたっぷりだもん。

 はあ、来る日も来る日もノイズたん一色の人生。右も左もピコピコ8bit音声。二十四時間のうち、三分の一以上がノイズたん関連の業務という知りたくもない事実。壊れるほど働いても三分の一も仕事が終わらない。休みたいという純情な感情が空回っているでござるよ。

 はあ~(クソデカ溜め息)こんなんじゃあ〜バイブスあがんね~なあ~(チラッ)気分がゴロッと変わるようなBGMとかがあれば別なんだけどなあ~(チラッチラチラッ)

 

 ───はいはい。歌ってやるから真面目に戦えよ。

 

 いえええええい‼ ジャスティス‼︎ 現役JKアイドルの生演奏をバックにお仕事できるなんて幸せえええええ‼ テンションフォルテッシモ‼︎ 悔しいけど働いちゃうビクンビクン‼

 へ? 仕事が辛い? そんなときは何もかも忘れて歌って踊ろうぜ! ほら、ノイズたんもそんなカマキリみたいな武器なんて捨ててかかって来いよ! ゲロ吐きノイズたんは袋かなんか持参して出直してこい! ちなみに3円な。嫌ならエコバッグ持ち歩けよ。アイロン神拳のノイズたんはむやみやたらに突っ込んでくんな! お触り禁止なんだから。こうなったらマナーを知らないノイズたんのお命でダンスフロアを沸かしてやるか。まあ、ここただの地下駐車場なんだけどね。車の上に立ってサタデーナイトフィーバーの決めポーズかましとこ。FOOOOO! バイブスがアゲアゲだぜえええ‼︎

 

「■■■■■■■■■ァァァァ‼︎(訳:これでも素面です)」

 

 というわけで、本日も楽しい楽しいノイズたん狩りでございます。どっかのビルの地下駐車場で田舎のヤンキーよろしく(たむろ)してるノイズたんを十秒以内に軽くシメたら、なんかわちゃわちゃ増えた。なんか増え方がおかしくない? ぜってぇホルモンの杖の仕業だよこれ。ん? なんか名前が美味しそうだなオイ。なんだっけ。ノイズたんをリモート(笑)する魔法のステッキの名前。フェロモンの杖? たしかにノイズたんを引き寄せるフェロモンを出してる説はあるけど絶対に違う。もうわかんないからガトー少佐が帰ってきたところの杖でいいや。アレ? それ答えじゃね? オーストラリアから北東あたりにある島嶼群からなる国家っぽいな。とくにガダルカナル島なんかは日本人なら覚えておいた方がいいね。無関係じゃないから。それとサンゴ礁があって海がすごく綺麗なんだよ。

 

 ───へぇ〜……ノイズをヘッドロックしながら言われても全然頭に入ってこないんだけど。

 

 もぉ〜!(オネエ風) これだからおっぱいに栄養をもっていかれている子はぁ〜! 集中力が足りていないわよぉ〜!

 

 ───おまえが言うな! 胸は関係ないだろ、変態ッ!

 

 罵倒していただきありがとうございます! ありがとうございます! ありが───……むぅ。

 

 ───ん? どうしたんた?

 

 休憩はいりまーす。

 

 ───いきなり⁉︎ まだノイズいるけど⁉︎

 

 いや、ちょっとね。張り切っちゃってアクロバティックに動きすぎたせいなのか、脇腹が痛くなってきたアイタタタ……マラソン大会でよく目にするあんまり運動しない文化部の子みたいな動きになっちゃってる。

 

 ───そ、そうなのか。えーと、どうやって休むんだ?

 

 どうせ、ノイズたんのタゲは俺が独占してるからね。一発だけ派手にシャウトしたら、ノイズたんもビビって十秒ぐらいオロオロするから、その間に休もうかな。

 

 ───十秒だけでいいのか?

 

 10秒チャージだよ。10秒もあったらカップ麺にお湯だって注げるし、割り箸を慎重に割ることだってできる。10秒もあれば大抵のことはできるんだ。社畜の基礎だよ。よーし、じゃあ、朝礼で社訓を復唱するみたいにみんなで叫ぼうね! せーの、スゥ───。

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ッ‼︎(訳:俺も在宅ワークがしてえええ‼︎)」

 

『♪+◇g::$i>°#l△*〆………………』

 

 ───おお、ノイズが動きを止めたぞ。

 

 オエッ……イ、イマノデ喉ガ逝ッタカモ……(かすれ声)

 

 ───ダメじゃん!

 

 声ガ某プロレスラーノ人ミタイニナッチッタ……! フフフ、怖イカ? ソレ違ウ人ヤ……ゲフンゲフン……マ、マア、隙ガ出来タノハ違イナイカラ、今ノウチニ休憩スルゾ奏チャン。

 

 ───あ、ああ。ギリギリ何言っているのかわかる……てか、脳内会話でも声が枯れるっておかしくないか?

 

 …………天才か?(震え声)

 

 ───バカなのか?(呆れ声)

 

 と、とにかく、近くに駐車してある車のボンネットの上に腰を下ろして……ふぃー………………疲れた(本音)

 

 ───おつかれさま。

 

 へへ、ありがとう。

 三連続のバク宙なんてするもんじゃないね。もう腰が辛いわ。体はまだ二十代なはずなんだけど、心の方が老いてるせいかな、日に日に動きが遅くなってきてる。後遺症の老化現象が影響してんのかなこれ。アレ? もしかして俺もうおじいちゃん? 定年退職していい? 年金は貰えますかー?(小声)

 あー……心臓が痛ぇ……くないわ。ぜんぜんまったくこれっぽっちも痛くない。心拍数がちょこっとだけリミットブレイクしてるだけだから。デンジャーデンジャーしてないから問題はありません!(鋼の意思)

 まあ、この状態で戦うとなると話は別なんだけどね。

 こうも疲労の限界が早いと数で押せ押せノイズたん相手にはやっぱり厳しいものがある。特に今回みたいなマジカルステッキでウェーブ戦みたいに仕掛けられたらガチでキツい。……そのへんわかってんだろうな、ラスボス全裸は。

 タイマン張らせてもらえる戦いなら俺の領分なんだけどね。そもそもカウンターって複数を相手にする戦法じゃないんだよ。やるなら一対一なんだよ。それなのにエルさんは「おまえには反撃(それ)が一番似合ってる」とか言って、極めろとか無茶振りしてくるし、ちょっと雑に攻撃受け止めたらチクチク小言を言われるし……はぁ、スーパー天使さまなんだから特大ビームの出し方ぐらい教えてほしかったわ。

 

 ───戦い方には個性が出るから仕方ないさ。

 

 個性ねー……俺にそんなんがあるとは思えないけど。

 

 ───いつもの凄いカウンター技は個性だろ。

 

 あれは矯正されたんだよ、エルさんたちに。

 最初にアギトとして戦った時はもっと、なんか、こう……俺はいま殺し合いをしてんだなって感じがしたんだよ。……ん? でも、アレも相手の動きに合わせる攻防のカウンターだったような気がする。おろ? 自分でもよくわかんなくなってきたでおじゃる。

 

 ───なんだよそれ。

 

 ごめんごめん。興味なかったから、あんまり考えたことがなかった。

 

 ───興味って、自分のことじゃないか……。

 

 おっと、話の途中だがノイズたんだ。スタンから解放されたノイズたんがピコピコ恨み言を吐きながら、リストラされたリーマンが公園のブランコで項垂れてるみたいな格好してる俺氏に着々と近づいてきてる。キャー⁉︎ そんなに大勢で寄ってたかって包囲して、俺にナニする気なの⁉︎ 乱暴するんでしょ薄い本みたいに‼︎ R18なんかに絶対屈しないんだからね!(体ウネウネ)

 はーどっこいしょ……まだ動けるよね、ギルス先輩。

 心拍数ヤバいけど良ーし。足の震えガクブルだけど良ーし。喉の痛み治ってないけど良ーし。脇腹に刺さってたノイズたんの爪(引っこ抜いて)良ーし。……よぉおおおおし‼︎(勢いだけ)オールオッケぇええ!(無理やり)

 第二ラウンドイクゾー! デッデッデデデデ (カーン)デデデデー!

 

「■■■■■ォォォ───!(訳:拙者はいつでもハイ☆テンションでござる⤴︎⤴︎⤴︎)」

 

 ───おっ、翼と立花の歌だ。二人とも来たみたいだぞ。

 

 ⤵︎⤵︎⤵︎

 

 ───せめてなんか喋れよ。

 

 الثدي

 

 ───日本語で喋れ。

 

 アッハイスンマセン。

 ぐ、ぐぬぬ……来てしまったか、スケベな格好で歌って戦うお二人さん! なるべく早急にノイズたんを始末してトンズラしたかったが、コッチは熱中症対策で適度に休憩しないと心臓がすぐにバグってしまう呪いの体質のせいで、鉢合わせになる確率も上がってきてしまった。

 出会っちゃう度に、響ちゃんから捨てたれた子犬を見るような哀れみの目を向けられるのは、なんか背中が痒い気分になるから嫌なんだよな……。

 翼ちゃんは最近はガチガチに攻撃してこなくなったね。俺の意識が彼方にランナウェイして殴りかかった時はメッチャ仕返してくるけど。パンチ一発の代金として天ノ逆鱗で倍返ししてくるよね。半○直樹かよ。土下座するから許してくれないかな。

 てか、毎度のことなんだけど、なんでそんなエッチな服装で平然と人前に出れるの? 恥ずかしくないのかい? 俺としてはあの肌面積多めのピチピチ衣装は目に毒だから、上着でもいいから是非とも羽織ってほしい。下にジャージを履くのはダサいからダメかい? でもね、毎回こっちもキツいんだ。なるべく視界に入れないように立ち回るのって、そこそこ難しいんだぜ?

 

 ───いい加減、慣れろよ。目に毒って言うけどさ、むしろ、あの二人は目の保養だろう? 男なんだからそのへんは堂々としてりゃいいんだよ。

 

 男なんだから、か……。

 確かに言われてみれば一理あるかもしれない。

 花も恥じらう十代の乙女が地肌を晒し、ボディラインを明らかにした防御力など加味していないドスケベな格好をしているのにもかかわらず、それを見ないようにすることなど、むしろ、一人の男として罪ではないだろうか……?

 

 ───そこまで言ってないんだけど。話が飛躍してんだけど。

 

 俺がずっと疑問にしていたエロに長けた服装(シンフォギア)が激しい戦闘行為において如何なる利点を有しているかなど、部外者である俺が考えることすら間違いだったのだ。戦いに適しているか否かの判断は他でもない彼女たちがよく理解しているはずだ。

 俺の知らない戦場のロジックがあの魅惑と混沌のVラインに秘められているかもしれない。あの守るものを取っ払ったスベスベの脇のようなノーガード戦法が昨今では支流なのかもしれない。人体の急所を守護する気などまるでない薄っぺらい装甲は機動性を重視した結果なのかもしれない。

 時代遅れは俺の方だ。彼女たちは何も悪くない。昔はこうだったからと現代に生きる若者に老兵の考えを押しつけるなど愚の骨頂。時代は移り変わるもの。今のトレンドやニーズも瞬きしている間に過去のものとなる。時の流れに取り残されて嘆くだけでは駄目なのだ。諸行無情の響きありとはまさしくこの事であったか。勉強になったよ、ありがとうシンフォギア。ありがとうエチエチな服。ありがとうありがとう───ってンなわけあるかああああああいッ‼︎

 

「■■■■■■■■■ォォォ───‼︎(訳:やっぱり未来ある女の子が易々と柔肌を晒すのはどうかと思います!)」

 

 オラァ‼︎ そこのアンノウンもどき! さっきからワゴン車の影に隠れて、響ちゃんの健康スパッツを舐め回すようにジロジロ見てんのバレたんだからな! テメェらには百万年早いぜ! おじさんの自慢の大胸筋で我慢しやがれえええ!

 

『g gg GILLS??!!』

 

 こんばんわあああああ‼︎(挨拶パンチ) おまっ、ちょ、なんか力強くない?(肩と肩を掴んでの取っ組み合い) ああ。俺が弱くなってんのか(高速理解) とりあえず戦いやすい場所にでも出ようぜ‼︎ もみくちゃになりながらアンノウンもどきと一緒に大ジャーンプ‼︎ 着地は失敗‼︎ 地面をごーろごろ。

 

「あ───第三号さん! それにロードノイズ……っ!」

 

 ちょっと前をごろんごろんと転がりながら失礼しますよ。

 くりくりお目めな響ちゃんが俺を悲しそうな表情でジロジロ見ておられる。なんか恥ずかC……お化粧してないからあんまり見ないで……///

 割とマジで見られたくないんだけどなぁ……俺の戦い方とかグロッキーだもん。教育上よろしくないよ。モザイク案件だよ。Vシネにすら断られるよ。泣けりゅ。

 はぁ、響ちゃんもこのクソアンノウンもどきを捻り潰せるぐらいには早く強くなってね。こいつら基本は不意打ちだから、そこさえ防げたら、あとは経験則と実力がものを言うステゴロにもっていけるよ。

 おじさんもずっと守ってやれるわけじゃないから───さっさと殺気か何かしらを察知するニュータイプ的なレーダーかなんかを習得してくれ。響ちゃんは主人公なんだから、できるよ、できるできる。

 

 ───いや、無茶だろ。翔一はいつもどうやって発見してんだよ。

 

 野生の勘(キリッ)

 

 ───……(なんか言いたげな沈黙)

 

 とにかく、この犬っころみてぇなアンノウンもどきは俺が殉職させてやるしかないね。まだ響ちゃんには荷が重いだろうし、翼ちゃんはあっちで他のノイズたんと殺伐とじゃれてるし、消去法で俺に白羽の矢が立ちそうだ。

 アンノウンもどきが四次元ポケットからデケェ大鎌を取り出して装備する。デスサイズ○ンダムか? 真○ッターか? コイツは原作でフレイムフォームに真っ二つにされたやつがモデルかな?

 だったら、俺もギルスクロウで原作再現といきますかねェ〜……腕に寄生してるライヴアームズたんが反応してくれない。なになに……労働反対? 休ませろ? いやいや、俺に寄生してるんだから家賃ぐらい払って下さいよ。今月分は払った? だったら来月分を前借りさせてよ。んん? 死人がどうやって返済するつもりだコノヤローだと…………?

 う、うるせぇな! 生意気言ってんじゃないわよ! いいから貸せよツメぇー! 出せよツメぇー! ツメぇーツメぇー!

 

 ───おい! 接近してくるぞ、あのロードノイズ!

 

 あん? そんな大鎌の振り方じゃ、俺の美脚の方がリーチ長いわ! 大鎌を右脚で蹴り止めて、すかさず左脚で顔面をキックする。そこそこ吹っ飛んだ。執拗に追いかけて、休む暇もなく畳み掛けてやるぜ! あ、やっべ、そっちにはSAKIMORIの目のやり場にクッソ困る逆羅刹ミキサーが───あああああ目があああああお股がああああああ(自重)

 

『suki drake dana GILLS!?!?』

 

 ちょっと後ろから抱きついてくんな! しゅきしゅきホールドすんなって! HA☆NA☆SE!(背後の車に叩きつけて脱出) この野郎! 追い討ちパンチを喰らえー! その場でスゴい跳躍をされて躱されてしまった。標的を見失った拳は車の窓ガラスを殴り砕き、防犯のアラームがうるさく鳴り始める。

 ご、ごめん……持ち主の人、ほんまごめん……(スーパー懺悔タイム)

 ぐぬぬぬ……あのワンワンアンノウンもどき、今度は駐車してある善良な一般市民のクルマの上に乗って、これ見よがしに車から車へ乗り移って移動してやがる。車一台購入するのにどれだけの勇気と資金がいると思ってんだお前! 中古でも高いんだぞ! ホントごめんなさい! 不可抗力とはいえ、さっきから割と車の窓とか砕いてます! 別に尾○豊直伝の卒業式みたいに割ってるわけじゃないんで許してくだしゃい!

 

 ───謝んのか、戦うのか、どっちかにしろよ。てか、翔一も車の上にのって戦ってんじゃねぇか!

 

 ハッ⁉︎ いつのまに⁉︎

 でも、仕方ないじゃん? 相手が一向に降りてこないなら、こっちが同じ土俵に上がるしかないもの。べ、別に車の上でファイトするのに、ちょっと惹かれるなぁーとかカッコいいなぁーとか思ってたわけじゃない。ホント社畜ライダーウソツカナイ。

 そ〜ら(グラグラ)犬っころアンノウンもどきよ(クルマノウエッテ)おまえの命(グラグラナノネ)神に返しちゃおうね〜(コンナニグラグラシテタラ)そんな風に鎌を振り回しても当たらないよ〜(コケソウナンダケド)もう見切って(ズルッ)───あ。足が滑った。

 すっこんころりん。背中にビターン‼︎ 心臓がビクーン‼︎

 おかしいね。天井が見えるよ。ついでに少し遅れて大鎌が視界を通過していったよ。怖E。でも、奇跡的にもワンワン野郎の殺意高めのデスサイズを絶妙な位置で回避できたので、お腹がガラ空きになっておられる。なんだか申し訳ない気もするけど容赦せずにキックしとこ。オラァ‼︎ 吹っ飛べバーカ‼︎(子供の煽り) 中指立ててやる。

 

 ───地面に落下したな。そこそこ効いてるみたいだ。

 

 トドメのお時間いっとく?

 来おおおい!(テレパシー的なやつ) カーモンベイビー我が相棒ギルスレイダーたん! 百鬼夜行もぶった斬れねぇようなワンワン野郎に得意のファイナルベント喰らわしてやろうぜ!

 おお。聞こえてくる聞こえてくる。かっちょいいエンジン音が俺の方めがけてどんどん近づいてくる。うんうん。ちょっとスピード速すぎじゃない? 法定速度ガン無視やん。しかも、なんで俺の方に真っ直ぐ速度を上げて詰めてきてんの? 緩めて緩めて。待って。止まって! オイ止まれって‼︎ ブレーキブレーキ‼︎ ちょっ、待っ止ま───(以下、断末魔)

 

 気づけば、俺は踊るように宙を舞っていた。これが本当のダンシングトゥナイト……。

 

『nanda sono kougeki waaaaaaaaa????!!』

 

 偶然にも射線上にアンノウンもどきがいたのでドロップキックかましておいた。巻き込み事故である。ごめん。

 

 ───…………ふふっ。

 

 な に わ ろ と ん ね ん (大の字)

 

 ───よ、よく、あんな、あんな状態から、し、姿勢制御が、できる、よな……ふふふッ。

 

 褒めんのか、笑うのか、どちらかにしてもらえますかね?(白目)

 呼べば来てくれるのはありがたいんだけど、なんでギルスレイダーたんはだいたい俺の尻に突っ込んでくるの? ブレーキでもイカれてんのか。俺のケツは輪止めじゃないんだけど。もしかして俺を抹殺しようとしてる? バイクに下克上されんのかよ。世も末なんだけど。頼むからバトルホッパーを見習ってくれ(懇願)

 お尻をさすりながらギルスレイダーたんに跨って、爆音のエンジンを田舎の暴走族よろしく響かせる。パラリラパラリラ〜(セルフSE) すると、あら不思議! 他のノイズたんも騒音被害を訴えるように飛びかかってくるではありませんか!

 今よ、ギルスレイダーたん! 発進してノイズたんを蹴散らすのよって───その場でぐるぐるドリフト回転されると酔っちゃうよおおおおお⁉︎ だめえええなんか口から出ちゃうううう‼︎ ……お、俺も人間ベイブレードできるんだぜ翼ちゃん(ガクッ) ……止まったのか。止まってくれたのか。なんで操縦してないのに勝手に動いちゃ───急発進しないでギルスレイダーたあああん‼︎ 俺まだアクセル回してないよおおおおお⁉︎

 

「───ッ⁉︎」

 

 SAKIMORIさん、戦闘中に申し訳ありませんけど真横から失礼しますよおおお‼︎(悲鳴)

 ぶちぶちとノイズたんをドリフトとかで轢き逃げファイナルベントしてるけど、これもう止められないんです。ギルスレイダーたん、なんだか今日は機嫌が良いみたいで、俺もうハンドル操作しかしてないんです。昨日、綺麗に洗ってあげたからかな。真っ赤なヘッドライトをチカチカさせて、楽しそうに暴れ回っておられるよ……(諦め)

 

『onore gills no bunzai de???!!』

 

 ふらふらになりながらも立ち上がるワンワンのアンノウンもどきが大鎌を構えて突進してくる。ギルスレイダーたんも殺気を探知したのか、ぐるんと前輪をアンノウンもどきに向けた。前照灯が瞬くように何度も光る。ツーツツー……これモールス信号だね。

 

 ───なんて言ってんだ?

 

 て・き・は・た・お・す……oh yeah.

 

 ───……い、意欲が高いマシンだよな。

 

 殺る気まんまん過ぎて、俺がついていけない時があるんだけどね。だって、ほら、今もこうして勝手にアクセル全開で突っ込んでいくじゃあああああああああん⁉︎

 

『sono mi o kirisaite sinu ga ii??!!??!!』

 

 ちょーッ⁉︎ ストップよギルスレイダーたん⁉︎ 当たる当たる‼︎ このままだと鎌にスッパーンされて生首ころりんになっちゃうよおおお⁉︎ それは流石に絵的にマズいって⁉︎ お願いだから言うこと聞いてえええ‼︎───ええい、ままよ!

 タイミングはたぶんこのへん!(曖昧) あとはお祈りゲーミング!

 急ブレーキを掛けると同時にハンドルを全力で曲げる。体重を前方に預けるとマシンの後輪タイヤがアスファルトを蹴り上げて、力強く飛び跳ねた。

 振るわれた大鎌の刃が俺を斬り裂くよりも早く、殺傷力に乏しい長柄が跳ね上がった荒々しい後輪とぶつかって叩き落とされる。カラン、と虚しい音を耳が拾う。焦るアンノウンもどきが後ろへ跳ぶように撤退。逃してやる道理もないので、後輪が地面に落ちるとスロットルを全開にして、マシンを爆進させる。

 逃亡するアンノウンもどきの背中を捉えて───五指を突き立てる。

 ウォントゥー‼︎ キミの心臓(ハート)貫手突き(レボリューション)ッ‼︎ やってることは通り魔のそれ! こんな展開ファンタスティック! FOOOOO───って、突き指したァァァァー⁉︎ 痛いよォォォォ⁉︎

 

『gG G o Ooo───?!??!!』

 

 急所をブッ刺されたアンノウンもどきはその場でトリプルアクセルしながら炭化してお亡くなりになられた。俺は突き指で死にそう。フツーに痛い。冷やせるものを買ってさっさと帰ろう。

 バイクの運転中にジャパニーズ辻斬りスタイルのバイオレントパニッシュはやめようね! 指の骨が折れるかもしれないよ!(バイクの上で悶えながら)

 

「あの! 第三号さん!」

 

 戦闘が終わったのか、響ちゃんが無用心に近づいてくる。その後ろで翼ちゃんが俺を睨んでる。

 仕事は終わったから、この場に残る理由もない。ギルスレイダーたんのエンジンを再点火させて俺は走り去ろうとした。

 

「第三号さん、待ってください! 私は───」

 

 聞かない聞かない。

 心を鬼にして、アクセル全開で戦場を後にする。

 やさしい響ちゃんのことだから、ギルスのことも救いたいとか思ってんでしょ? キミは誰にだって手を差し伸べる優しい子だもんね。こんな筋肉モリモリマッチョマンの変態にも救いの手を伸ばすだろうさ。

 でも、残念ながら、そいつは無理な話だ。

 紛い物とはいえ、仮面ライダーの力でさんざん好き勝手に暴れてるんだから、相応の報いは受けるべきだ。

 それに響ちゃんの手で救うべきものは他にある。これから先に待ち受ける『戦姫絶唱シンフォギア』の物語がそれを示している。道を違えずに進んで欲しい。キミの優しさを待っている人たちが沢山いるのだから───。

 

 何よりも、俺は今……。

 

 突き指が超痛いから、はやく氷とかスーパーで買いたくて仕方ないのおおお‼︎

 

 ───なぁ、翔一、ギルスレイダーがヘッドライトで何かを訴えかけてるぞ。

 

 ガ・ソ・リ・ン・き・れ・そ・う……?

 

 俺はキレそう(真顔)

 いつになったら休めるんだよおおおお‼︎ ぴええええん‼︎(泣)




今のうちにギャグしとけ精神。つまりこれからが地獄。
冒頭のやつは気にしたら負けです。あれ?こいつ世界救ってね?みたいな感覚でおけまる水産。
いよいよ赤い子が登場します。なおオリ主の余命は考えないものとする。


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♩.俺が原作に介入するのは許されないかもしれない。

(温度差)ないです。


 ───キミのパパとママはね、もういないんだ。

 

 白衣の男は機械のような声で少女に告げた。

 

 ───あの場には私も居合わせたから、よく知っている。あれだけ血を流していたんだ。助かりはしないだろう。

 

 情緒の欠片も滲ませず、非情なる現実をまだ十歳にも満たない少女に淡々と突きつけた。

 

 ───都合よく、その場に医者がいたわけでもない。いたとしても、その医者も爆発に巻き込まれていただろう。生存は絶望的だ。今頃は大使館が遺体のチェックでもしているんじゃないか。

 

 嘘だ。

 少女が懸命に絞り出した言葉はそれだった。

 嘘だ。嘘だ。

 狂ったように繰り返す。

 パパとママは生きている。私を一人になんてしないもん。

 溢れんばかりの大粒の滴を呑み込むような眼差しで睨みつけ、今にも男の襟元に飛びかかりそうな勢いで泣き叫ぶ。幼い声はとっくに涸れて、嗚咽のような金切り声が喉から湧き上がっていた。

 白衣の男は少女の涙を凍えるような視線で見下ろしながら、即座に否定した。

 

 ───人は死ぬ。如何なる時も、如何なる場合でも、生命という呪縛がある限りは誰も死から逃れられない。不完全ゆえに不条理に屈する。それが命だ。それが人間だ。人は神ではない。

 

 白衣の男が口にした言葉の真意など、少女には到底理解できるものではなかったが、暗に両親の死を受け入れろと言われた気がして、胸が苦しくなった。

 少女はそれでも盲目となって父と母が生きていると泣き喚いて主張した。何の根拠もなかった。何の意味もなかった。無情の絶望感だけがそこにはあった。

 生きている。生きている。生きている。

 暗示のように言い聞かせても、頭の何処かで賢い自分が否定した。

 きっと、もう死んでいるんだ。

 声には出さない。出すわけにはいかない。

 稚拙な願いを叫ぶ幼き言葉の節々は、抑圧された辛苦の感情によって、徐々に寄る辺のなき怨恨へと姿を変えていく。生きていてほしい。生きていなきゃ嫌だ。死んだら嫌だ。なんで死ななきゃならない。パパとママが何をした。なんで奪った。なんで奪う。なんで、なんで……。

 喉が詰まる。

 なんで私を一人にしたの───?

 白衣の男は壊れゆく少女との生産性に乏しい討論を望まなかった。何一つとして動じない冷徹なる双眼で見下ろし、白衣の内側から一丁の自動式拳銃を手にした。弾倉を詰めて、安全装置(セーフティ)を外し、スライドさせる。

 そうして、泣き崩れる少女の目前にその拳銃を置いた。

 

 ───身寄りをなくしたキミに与えられた選択肢はもう無いんだよ。さあ、その銃を握りなさい。引き金に指をかけろ。安全装置は外してある。照準は合わせなくていい。息も整えなくていい。ただ、()()

 

 潤んだ瞳が自我を失ったような呆然とした様相を呈して、手を伸ばせば届く位置にある拳銃を眺めていた。

 手に取ろうとは思わなかった。

 だって、それはパパとママが嫌いだったものだから……。

 長々とした沈黙を遮って、痺れを切らした白衣の男が嫌がる少女の腕を掴んで、無理やり拳銃を握らせた。少女は必死に拒んだ。子供が大人の腕力に敵うはずもなく、糸に操られる人形のように従うしか他なくとも、殺人の道具を手にすることに嫌悪感を覚えて堪らなかった。

 白衣の男は心など欠落したように虚無の表情を貫いて、少女に銃器の重みを知覚させることを強いた。仮面でも被っているのではないかと疑うほどに男は顔色一つ変えることはない。

 グリップから掌へ直に伝わる鉄色の冷たさが全身を駆け巡る。ゾッとする悪寒に少女は弱々しい悲鳴を洩らしたが、白衣の男は震撼する細い腕をがっちりと支えて、倒れ込もうとする少女の背中を体で受け止めていた。

 銃口が少女の意思とは無関係にある方向へゆっくりと移動する。

 暗闇だった。

 闇の抱擁が解かれるように目が慣れてきて、次第に血生臭いその情景をありありと暴いた。

 赤黒く滲んだ剥き出しのコンクリートと錆びついた鉄格子に挟まれた牢獄に小さな影がじっと少女とその銃口を見据えている。獣かと疑えば、それは恐ろしいことに人間と同じ容姿をしていた。

 少女と同じぐらいの年齢をした少年であった。

 痩せ細った身体は何らかの病気を患っていて、蠅が何匹も集っている。飛び出さんばかりの目玉は赤くなり、顔だけならば老人のようで、骨格が浮き出た木乃伊のような体躯は骸骨と何ら変わりない不気味さを備えていた。衣服はボロ雑巾と何ら変わりなく、焦げた肌の色に混じる腐敗の痕跡を隠すことすらできておらず、悪臭が永遠と漂っていた。

 戦争孤児───この国では、文字通り腐るほどいる。

 果てなき紛争が生んだ被害者は銃口を向けられているにもかかわらず、大したリアクションもなく、恐怖に動転するわけでもなく、来るべき死を受け入れるように少女の瞳を漫然と見つめていた。

 

 ───彼は見ての通り難病を患っている。この国の医療設備では到底助からない。彼に待ち受けるのはどのみち死だ。……誘拐したのではないよ。正規の手続きを経て買収した。安かったよ。彼の命はこの一発の弾よりも安かった。

 

 白衣の男が耳元で囁く───〝撃て〟と。

 

 ───キミが当たれと念じれば、キミにその資格があるのなら、弾丸はあの子の額に吸い込まれていくだろう。ああ。殺したくないというのは聞けない相談だ。キミのご両親は殺されたんだ。ならば、キミには殺す権利がある。報復の義務がある。そこにいる少年はキミのパパとママを殺した反政府組織に加担していた少年兵なんだ。そして、爆薬を仕掛けた実行犯には彼も含まれている。ほら、殺す動機ができただろう?

 

 殺したいとは思わないのか───?

 少女は泣いた。ぐしゃぐしゃに泣きじゃくりながら、引き金にかける指に得体の知れない力を延々と預けていた。この胸に渦巻く感情の色が何を表しているかさえ、どうにもわからなくなって、苦しいのか、悲しいのか、悔しいのか、殺したいのか───少女は何も考えることができずに、喉から這い上がる叫声だけが怒りをぶちまけるように響き渡っていた。

 ただ、もう一度だけ、大好きなパパとママに会いたくて、会えなくて、どうしようもなくて───世界が真っ黒に堕ちていく。

 ふと、少女はこの銃を自分の頭に向けたい衝動に駆られた。しかし、その誘惑が過ぎる度に、頭の中を掻き回すようにして、愛する両親との思い出が瞬いて、呼吸が苦しくなる。ついに少女は発狂したように劈くような絶叫を怒り任せに吐き散らして、ぷちりと糸が切れたように膝から崩れ落ちる。

 あとは鼻を啜る音と嗚咽だけが残っていた。

 撃てなかった。殺せなかった。

 パパとママの仇を前にして、何もできず、何もしようとせず、思い出だけは汚したくないんだと、みっともないことを心が叫んでいる。

 

 なんて嫌な感覚……。

 

 ───まあいい。予兆はあった。簡単なところから始めていくとしよう。

 

 そう言って、白衣の男は項垂れる少女に一輪の赤い花のような安っぽい玩具を差し出した。

 

 ───これは日本のオモチャで風車という。日本人の血を引くキミなら知っているだろう。これを回せ。走るのではなく、息を吹きかけるわけでもなく、手も足も使わずに、これを回せ。

 

 涙目の少女は誰かを殺めるぐらいならばと力無く拳銃を床に置いて、異国の地で懐かしい玩具を手にした。赤い羽根はプラスチックで造られており、少女の小さな吐息がかかるとカタカタと忙しなく揺れる。

 だが、風車は回らない。回転軸が固定されていて、並大抵の風力では羽根が回ることのないように改造が施されていた。

 どうすれば、この風車は回ってくれるというのか。

 答えは単純だった。

 

 ───風を生み出せ、雪音クリス。

 

 白衣の男が少女の左手に手枷のようなブレスレット型の装置を嵌めた。

 

 ───さすれば、キミはアギトに変わるだろう。進化の時だ。人は神ではなくとも、人は神を超えられるのだ。

 

 

***

 

 

 人里離れた一邸の大きな洋館。

 陽射しの届かない常闇に包まれた館内には、碌な手入れを施されていないのか、人が住まう気配は失われていて、廃墟同然の侘しさを醸し出していた。

 

「…………」

 

 そんな館内の埃っぽい部屋の隅で少女は目覚めた。

 スプリングが破損した固いベッドの上で、胎児のように丸まって、浅い眠りに耽ていた少女は目蓋を開けるとぽろりと頬を伝う小さな滴に気がついた。

 シーツを手で撫でてみると微かに湿っている。

 ずっと、私は泣いていたのか。

 少女は己の弱さに煮えたぎるような腹立たしさを覚えたが、懐かしい夢の余韻がまだ胸に残っていたせいか、湧き立つ感情は虚しさへと還元されていった。

 気怠げに身を起こすと麗しい銀髪がさらさらと流れるように少女の背中に落ちていく。何度も目を乱暴に擦ってから、周りに人がいないことを確認して、ようやく安堵したように吐息を漏らす。

 このような醜態をあの女に見られるわけにはいかない。

 今の私は戦士なのだ。あるいは部品とも言えるだろう。

 たとえ、罪なき生命をこの手で破壊することになったとしても、臆することなく血で染まった刃を振るわねばならない。人の業には余るほどの計り知れない咎を背負うことになったとしても、我が身が朽ち果てるまでこの脚を止めるわけにはいかない。

 地獄のドン底を這ってでも突き進んでみせる。

 あの日から、そのような覚悟を決めて、自らの意志で、あの女の口車に乗ったのに───今さら涙など見せてなるものか。

 

 冷たい床に素足を投げ出し、軋む音を立てるベッドの上に座って、しばし放心の時を過ごす。

 そうしていると、小さな円卓に忘れ去られたように置いてあった赤い風車を視界の端に入れてしまった。何度も捨てようとして、いつまでも捨てられなかった名残の品であるそれを熟考の末にそっと手にした。

 安いプラスチックの羽根は傷ついてボロボロになっていた。持ち手の棒はポッキリと折れてしまって、何度もテープで補修した後が残っている。それでも回転軸の固定具だけは奇跡的に機能していた。

 

「…………」

 

 少女は目を瞑って、祈った。

 大切な思い出がある。

 忘れたくない思い出がある。

 会いたい人がいた。会いたい人がいる。

 会えない人がいた。会えない人がいる。

 それでもこの手はずっとあの感覚(ぬくもり)を追い求めている。

 

 神さま、もう二度と会えないのに、もう一度だけ会いたいと願ってしまうのは罪ですか?

 

 いつのまにか少女の頬にはまた涙の痕が浮き上がっていた。止め処なく滴る雨粒が赤い風車の上に落ちては優しく跳ねた。静かに肩を震わせながら少女は咽び泣くように俯いた。

 大切な思い出をこの胸に抱きしめて、あてもなく祈り続ける。

 雨のように注ぐ落涙に気づかぬフリをして。

 

 あとどれだけ私は泣けばいいのだろう───。

 

「教えてくれよ、アギト」

 

 愛おしいその名を呟いても、風が吹くことはない。

 

 赤い風車を回すことができるのは、きっと、彼だけなのだから。

 

 

***

 

 

 蝸牛が顔を出す絶好の雨日和を目前とした正午の曇り空。

 雨雲に覆われた灰色の空が湿った匂いを漂わせる私立リディアン音楽院高等科の中庭に彼はいた。

 花壇の手入れをしていた津上翔一は()()()()と口を開いたまま、忘我のように曇天を仰いでいた。手に持ったスコップが土を抉ったまま動きを止めて、およそ数分の時間が経とうとしているが、心ここにあらずといった間抜けな顔で静止を続ける。

 抜け殻のようだった。頭上に白い蝶がひらひらと寄ってきても、肩に小鳥が止まり木と間違えて休んでも、思考すら真っ白な翔一は彫像のように動かなかった。

 とにかくボケ〜としていた。

 側から見れば、いつ降るかもわからぬ雨を待ち焦がれている蛙のような能天気さが窺える。無論、雨が大地を潤す時など彼は微塵も待っていない。雨が降る前に外での業務を終わらせようとしていたのだから、尚更である。

 

 ───どうした翔一? そんなに口をあけてたら、餌をねだる鯉みたいだな。

 

 彼の身に宿るもう一つの魂である天羽奏が揶揄うような言葉をかける。

 だが、翔一の反応は薄かった。あんぐりとした口をむすーっと閉じるだけだった。

 

 ───さては、なんか悩み事でもあるってのか?

 

 興味ありと言いたげな無邪気を含んだ声色だった。奏の知らない津上翔一の新しい一面が見られるのではないかと単純に期待したのだろう。

 日常における津上翔一は極めてマイペースな性格をしている。何事に関しても、ありのままを受け入れて、深く悩まず、とくに考えず、センチメンタルとは無縁のような生き方で、おもしろうるさく暮らしている。

 戦いの時とは違う、本当の津上翔一がそこにはいるのだ。

 天羽奏はこの呑気な男の中に叩き込まれて、早二年の月日を経験しているが、精神だけの存在という不安定な現状を未だに苦と思えないでいられるのは、紛れもなく津上翔一そのものに依るところが大きい。

 見ていて飽きない。話していて退屈しない。何をしても、何もしなくても、この青年と過ごす時間は奏にとっては有意義だった。たとえ、永遠を強制させられたとしても、この愉快な青年とならずっと一緒にいられる気さえした。

 道端に咲く花を愛でて、囀る鳥の音色に耳を傾けて、はしゃぎ回る子供の背中に輝かしい未来を重ねる───世間から「バケモノ」と罵声を浴びせられている津上翔一の瞳には、誰もが忘れてしまいそうな世界の美しさばかりがいつも刻まれていた。

 そんな人間の温かな心を寄せ集めたような男だから、あの仲良し二人組もあそこまでお熱になるのだろう。今の奏には、彼女たちの気持ちが手に取るようにわかる。いや、実際に天羽奏の心の中にもあるのだろう、二人とまったく同じ想いとやらが───。

 

 ───悩みがあるなら聞いてやるよ。遠慮すんな。あたしと翔一、運命共同体みたいなもんだし、一蓮托生の仲だろ? な?

 

 撫でるような声で奏は上の空な翔一に洗いざらい吐かせようとする。

 奏は知っている。この男は押しに弱い。とことん弱い。例の仲良し二人組から学んだことだ。あの二人は大概の要求をそれで通していた。

 翔一は本気で嫌な時は笑って誤魔化そうとする。逆に嫌でも何でもない時は特に目立ったアクションはない。そのような場合であれば、押しに押せば渋々と口を開いてくれる。

 わかりやすいと言えば、わかりやすい男だ。

 奏の目論見通り、唇を尖らせた翔一はゆっくりと息を吐き出し「大したことじゃないんだけど」と前置きをしてから話し始めた。

 

「なんか変な夢見ちゃってさ」

 

 ───夢?

 

 そうそうと頷きながら、土で汚れた左右の軍手を握り合わせた。

 

「あんまり内容は覚えてないんだけど、色んな人に手を握られてんの」

 

 ───うん。

 

「ちっちゃい手だったり、よぼよぼの手だったり、ゴツい手もあったし、しなやかな手もあった。肌の色も疎らだった。だけど、みんなが俺の手をガッチリと握って、なんか言ってんだ」

 

 ───うんうん。

 

「それだけ」

 

 ───それだけ?

 

 ずっこけるような気持ちを味わった奏を気にすることなく、目を瞑った翔一は腕を組んでウーンウーンと唸り始めた。

 

「別に悪い夢じゃないはずなんだけど、誰の顔も思い出せないし、何言ってるか全然聞こえなかったし、なんか起きてからモヤモヤするし、なんだろうなこの感じ、あー、そう、これは───」

 

 〝虚しさ〟

 

「で、いいのかなー……わっかんね」

 

 不機嫌そうにへの字に口を曲げた翔一はそれを()()()()()夢だと切り捨てることで、胸元に悶々と燻る歯痒いだけの嫌な気分にケリをつけようとしていた。

 しかし、奏は声だけでもわかるほどの穏やかな笑みで言った。

 

 ───なんか翔一らしい夢だな。

 

「……俺らしい? なにそれ。奏ちゃんの中で俺はいったいどんなキャラに出来上がってんの」

 

 ───バカ。

 

「百点満点の回答をたった二文字で表さないでくれる?」

 

 ───じゃあ、優しいバカ。

 

「ええ感じの形容詞を付け足せばいいってもんじゃないんだけど」

 

 ───まあまあ。沢山の人に手を握ってもらったんだろ? 手を握る時なんて、何か良いことがあった時って相場が決まってんだから、きっと、翔一がその人たちに何か良いことでもしたんじゃないか。あたしはそう思うよ。

 

「んへぇー……」

 

 ───なんだそのやる気のない返事は。

 

「俺が人に良いことをするだなんて、なんかこうピンとこない」

 

 ───……翔一って、じつは鏡とか見たことないんじゃないのか。

 

「朝顔洗う時に見てるけど、日に日にゾンビみたいになっていってるから、俺が見てるのは鏡じゃないかもしれない。俺の肌はもうちょっとツヤツヤだったはず(確認中)……そうでもなかったわ」

 

 ───いや、そこで落ち込むなよ。

 

「周りのJKが眩しすぎて、俺はもう若くないのねってことを痛感させられる毎日です」

 

 ───中学生より走り回ってる奴が何言ってんだ。

 

「奏ちゃんのぶんも走ってるんだよ」

 

 ───おつりが出るぞ。

 

 そこまで淡々と会話を続けて、何の変哲もない談笑にすっかり変わってしまっていることに気がついた。それが面白くて、おかしくて、いつものように二人で気が済むまで笑った。

 

「良いことして、か……そうだったらいいなぁ」

 

 小さく呟いて、翔一は青くない空を見上げながらこっそりと微笑んだ。

 

 

***

 

 

「うぇ〜もう手がくたくただよ〜」

 

 放課後の教室。

 溶けるように机に突っ伏した立花響は終わりの見えないレポート課題を横目に大きな溜息をついた。

 課せられたレポートの題目は人類を脅かす〝認定特異災害(ノイズ)〟について簡潔に要約するというテーマであったが、ペンは思うように進んではくれず、時間だけが刻々と浪費されていた。

 響の付き添いである小日向未来が図書室から収集した参考資料をトントンと小気味よく揃えてから、穏やかな声色で横でぐったりとしている友人を優しく諫めた。

 

「もう響ったら……先生に無理言って、今日までレポートの締切を伸ばしてもらえたんだから、さすがに夕方までに提出しないとダメなんだからね」

「ううっ……でも、今日は雨なんだよ?」

 

 そう言って、教室の窓から瞭然と広がる鉛色の空を二人して眺めた。

 耳を澄ませば、遠くからゴロゴロと雷さまが腹を空かせている音が聞こえてくる。未来はタブレット端末から天気予報のアプリを起動して、雨雲の流れを確認した。日が落ちる頃には大雨に見舞われるだろう。地域によっては大雨警報も出ているらしい。

 

「これが終わったら、未来と一緒に流れ星を見に行くはずだったのに、こんな天気じゃお星さまも真っ暗だよ」

 

 ()()()見る流星群を楽しみにしていたのに───と、唇が止まる。

 

「…………」

 

 そこに違和感を覚える必要はなかった。

 立花響という少女の日常は、幼馴染の親友と過ごす陽だまりのような時間が大半を締めている。それはシンフォギア装者となった今でも変わらないだろう。ずっと昔から二人一緒に居るのが当然であって、それぞれが違う道を選んだとしても、まるで運命が定めたかのように気づかぬ内に同じ道を二人で手を繋いで帰っていた。それが当たり前だった。二人にとっての常識だった。

 そして、立花響と小日向未来の幸せはいつもそこにあった。

 でも、今は違う。

 いつしか二人で帰る道は木枯し舞う冬の寂しさのようなものを時折感じさせるようになっていた。いつもの帰り道も、視線は自ずとバイクに跨るあの人の背中を探していた。似たようなエンジン音が聞こえたら二人して急いで顔を向けて、肩を落としながら「違ったね」と笑い合った。

 戻れない。あの人を知ってしまったから、二人で満たされていたあの頃にはもう戻れない。物足りない空虚な心を埋めるため、二人はどちらかが提案したわけでもなく、いつものお好み焼き屋へ自然と足を運ばせる。そこで待っている能天気な頭をした青年にたくさん甘えるために、笑顔で会いに行った。

 

 いつからだろう。立花響と小日向未来の陽だまりに───津上翔一が不可欠になってしまったのは。

 

「翔一さん、お仕事で流れ星は一緒に見に行けないって言ってたけど、『ふらわー』のシフトには書いてなかったよね。学校のお仕事なのかな? 大変なのかな、学校の用務員って」

 

 ボソボソとか弱い口調の響に、未来は言葉を濁らせた。

 

「私も、よく知らない……」

 

 普段の未来らしくないどこか歯切れの悪い返答だった。

 

「ねぇ、響」

「うん?」

 

 あのね、と言いかけて、未来はゆっくりと口を閉ざしてしまう。

 

「…………」

「未来? どうしたの?」

「ううん。なんでもない。あ、そうだ」

 

 一瞬にして顔色を変えた未来は課題のレポートの一文を指先でなぞった。

 

「ここの『認定特異災害・ノイズが頻出するようになったのは六年前に謎の沈没を遂げた幽霊船の事件を機に……』ってところは修正した方がいいと思うな」

「ええーっ⁉︎ その説、割と信憑性高いんだよ⁉︎」

「それオカルト掲示板か何かの話でしょ。学校のレポートに書く内容じゃないよ、もう」

 

 未来は友人に隠し事をしてしまった罪悪感に苛まれて、胸にズキズキとした痛みを抱いた。

 言えるはずがない。まだ本人から何も聞けていないのに、あの話を響にできるはずがない。だから、今はこの胸に閉まっておこう。

 そう自分を納得させた未来は独創的な文字で綴られたレポート用紙に目を落とした。この課題のレポートが問題だらけなのは決して嘘ではない。文字が絶望的に汚いのはこの際どうしようないが、内容だけを評価したとしても安易に頷けるものではなかった。

 

「『日米の友好の証として建造され、海底に眠る謎の遺跡を調査するために両国が運営していた〝あかつき号〟の悲劇はおよそ二十年前に遡る』───なんで響はこういうものはしっかりと調べられるのに、肝心なところは抜けているんだろう……」

 

 頭を押さえる未来にお構いなく、目をキラキラさせた響は元気を取り戻したかのように身を乗り出して力説し始めた。

 

「でもね、掲示板によると、その船が沈んじゃった時はすごい嵐で、もう何にも見えないぐらいの異常気象だったらしいよ。そしたら、その暴風雨の中で、海面が光でいーっぱいに輝いて、大きな光の柱がその船を包んだって話がね───」

「はいはい。口じゃなくて手を動かさないと帰れなくなっちゃうよ」

「未来がいるからいいもーん」

「またそうやって……もう」

 

 未来は満更でもない様子で頬を赤くした。

 そうこうしているうちに、窓の外からぽつぽつと雨の柔らかな音が二人だけの教室に響き渡った。降り出した雨は次第にその勢いを増していく。最初は小雨だったが、今や()()()()と地面を激しく叩いていた。

 

「ねぇ、未来」

「なに、響」

 

 空の青さえ遮る鉛の雲が無窮に広がり、生命芽吹く大地へと雨を捧げる。

 

「痛くても、苦しくても、どこまでも頑張れちゃう人って、誰かに助けてほしいとか、誰かに慰めてほしいとか、思ったりしないのかな」

 

 雨は降り続ける。

 

「……思うよ。きっと、思ってる」

 

 ()()()()と涙を流すように───。

 

「そうだよね。うん。やっぱり、未来に聞いて良かった」

 

 その大地を悲しみで覆うのだ。

 

 

***

 

 

 地下っと♡(右パンチ)

 地下っと♡(左キック)

 血祭りじゃああああああッ‼︎(ジャーマンスープレックス)

 

「■■■■■■■■ァ───‼︎(訳:頭にドーンだYO!)」

 

『I\\s=▽n°’t♪i£^t÷d°※e▲a〆|^d%y:♢et????』

 

 人っ子ひとりも居なくなった地下鉄のど真ん中でノイズたんの中身(へんな粉100%)がぶちまけられる。南無三。ブリッジ状態から背筋と腹筋パワーで飛び上がるようにスタンドアップして、タックルかましてくるノイズたんを手刀で叩き潰し、後ろからピョーンとダイブしてきたノイズたんを上手いこと受け止めて、慈愛をもって抱き締めてやる。ヨーシヨシヨシ……ジ○グブリーカータヒねぇっ!(パイパー無慈悲)

 ピコピコうるせぇノイズたんと張り合うようにワーワーうるせぇ(ギルス)の大声が今日も今日とて喧しく反響しております。ニッポンは今日も平和です(感覚麻痺)

 俺はダッシュでノイズたんにラリアットかましたり、顔面を床に埋めてやったり、近くにあったベンチを引っぺがして投げつけたり、悪役レスラーばりの残虐なファイトに勤しんでいた。

 

「■■……■■■ァ‼︎(訳:オラァ‼︎ 毒霧じゃい‼︎)」

 

 もはや、仮面ライダーらしからぬ卑劣な技も厭わない。今の俺はさながらダークライダーである。超ド級ブラック会社の闇に従う悪のライダー。休暇も与えられず、身をすり潰しながら労働に苦しむ俺はついに悪役のライダーに転職することを決意したのだ。俗に言う闇堕ちである。もしくは地獄堕ち。青いデュナミストと金ピカのゴーオンの人が俺を待ってるぜ! おっと、真っ赤な毒霧が口から漏れちゃう漏れちゃう(じゅるじゅる)ペッ……ここらへん清掃する人には申し訳ないと思う気持ちはあるけれど、残念ながら俺は極悪非道なダークライダーとなったのだ。そんな思いやりの心なんかブラックホールにでも食わせてやれ! 公共の施設だろうが何だろうと俺のヨダレで汚してやるぜククク(暗黒微笑)

 これも全部ノイズってやつのせいなんだ。一匹いたら百匹はいるGみてぇなノイズたんが次から次へと五臓六腑にまで届いちゃうラブラブ攻撃をぶちかましてくるからいけないんだ。(厳密に言えば、折れた肋骨の破片が肺を傷つけて、口の中がトマトジュースなだけなんだけどね!泣けりゅ!)

 どれだけ俺に情熱的なんだよ。ノイズたんの愛が重いよ。心臓に響くよ。俺を見つけたら脇目も振らずに真っ先に飛びかかってくるじゃん。しかも全員で多方向から逃しませんよと言わんばかりにくるじゃん。俺のこと大好きかよ。つまり、年がら年中ノイズたんに囲まれている俺はハーレム主人公。やれやれ。モテる男は辛いね。辛すぎてセーブデータをリセットして、カセット思いっきりぶん投げたいわ。

 

「■■ァ……■■ァ……ッ」

 

 帰りたい(小声)

 でも、本日は原作が進む大事な日なんですわ。翼ちゃんが血みどろスマイルでお陀仏しかけてしまうトラウマ不可避のヤベーイ日だから、多少の無茶は度外視する気で挑む所存です。あのデンジャラスな顔を一回でもリアルで目にしたら、間違いなく俺は一人でトイレに行けなくなる自信がある。夢にも出ると思う。そんでおねしょもドバドバしちゃう気がする。(※彼は成人しています)

 そんな恥ずかしいことするわけにはいかねぇよ。二度と社会復帰できなくなるわ。待ってろよSAKIMORI。俺のスッカスカの尊厳のためにもマジキチスマイルだけはやめちくりいいい‼︎(懇願)

 ああ、そうそう。外は生憎の雨なので風邪引かないようにしないとね。風邪なんて引いたことねぇけど。やったぜ。俺の体は健康みたいだ。突然やってくる心筋梗塞の恐怖に毎日ガクブルしてんだけど、風邪は引かないから体はきっと健康なんだ(自己暗示)

 ん? てゆーか雨だと? ヒェ……原作と違うやんけ(白目) ふえぇ……おじさん唯一の強みである原作にわか知識がクソの役にも立たなくなっちゃうよ(震え声)

 んまあ、正直ね、原作と展開が違うやんけとかそんな話はもうすっかり諦めましたよ。ええ。だって、(ギルス)が居るもん。明らかに存在しちゃならんケダモノフレンズがいるんですもん。そりゃ雨だろうが雪だろうが何なら槍だって降りますよ───って、槍みてぇなのが降ってきたあああ⁉︎ 連続バク宙で後方に回避! ザクザクザクと床に変形したノイズたんが突き刺さる。一息つく間もなく別のノイズたんが横から襲いかかってきた。反応はできるが、着地の余波で片膝をついてしまった態勢では到底避けられないタイミングだった。……ほんと休暇どころか息継ぎすら許さないね、キミら。

 

 そんなに俺のことが嫌いかい?

 

 奇遇だね、俺もだよ。

 

 ───翔一ッ⁉︎

 

 奏ちゃんの小さな悲鳴が聞こえるが、荒波のように押し寄せてくるノイズの連続攻撃を三発ほど腕で弾いた時点で返事を挟む余裕は無くなっていた。

 手数に押し負けた俺は数体のノイズに喰らいつかれるように揉みくちゃにされて視界を奪われる。焦って後退したのがマズかった。背後にホームへ続く階段があったことを失念していた。足を踏み外した時にはもう遅い。哀れなばかりにゴロゴロと長い階段を転がり落ちていく。ロクな受け身も取れない最悪な落ち方だ。苦肉の策として、我武者羅に階段を拳で叩いて回転方向を調整したり、ノイズを掴んでクッション代わりに衝撃を殺したり、なんとかダメージを軽減させようと抗った結果、幸いにも首の骨は折れなかった。カルシウムの勝利である。牛乳飲んでて良かった。

 地下鉄のホームまで転がり落ちると、身体にへばりつくノイズを力づくで引き離し、後転を交えて何とか距離を保ちながら起立する。

 乗降場に無人の電車が停まったまま放置されているせいか、ただでさえ横幅の狭い通路がより窮屈に感じる。肌寒い地下の森閑とした空気を犯すように、目に毒と言わんばかりの色合いのノイズがなだれ込んでくる。

 

『p↓≦le::a◎s°e>d#%i=e±◆e×\\ar□ly?!?!』

 

 ───後ろの方に爆弾タイプだ! 気を付けろ、翔一!

 

 頭の中に響く少女の警告に従って、視線を群れの後方にズラせば一匹のぶどうノイズが確認できた。身体中に実らせた小型ノイズの爆弾を発射しようと準備を進めている様子が見て取れる。

 どう仕留めようかと思案していると牽制の態勢から一転し、先頭集団のノイズが一斉に動き出した。真っ直ぐとこちらに突撃してくる。俺は止むを得ずみじめな乱戦に持ち込まれる羽目になる。物量で押し切られぬようにするため、目で各ノイズの位置を毎秒毎秒頭に叩き込み、止まることのない攻撃の連鎖の合間を縫って、格殺の一撃でノイズを一匹ずつ確実かつ迅速に葬り去る。本来ならばダイヤモンドに匹敵する硬度のミューテートスキンは今や人肌と大差ないほどまでに防御の性能が落ちている。一発も喰らってはならない。異常な再生能力は健在であれ、敵陣のド真ん中で傷を癒すような時間は無いに等しいのだから。

 

 ………。

 

 ………………。

 

 いや、キッツ‼︎ マジでキッッッ‼︎

 

 ヤメだァーッ‼︎ もうヤメヤメ! こんなのムリじゃん‼︎ ムリムリ! つまり、今の俺って、ゴキみたいな生命力とゴリみたいな怪力をもっただけのゴミみたいな脳した人間よ⁉︎ ゴリゴキゴミが揃った最低のG3だよ。俺はただの人間なんだよぉ!(必死の人間アピール) そりゃノイズたんの砂遊びとスケスケバリアに対しては多少の耐性あるけども、今のギルスパイセンは間違いなくシンフォギアに劣ってる! グロがエロに負けてる! 俺もエロに方向性を定めて転職しようかな。やっぱ遠慮しておこ。ギルス好きだもん。でも、そろそろヤバい。ハートがドキドキでノイズたんはウジャウジャ。俺の心はグラグラってわけ。もうやだあああ⁉︎(泣) 拙者おうち帰りゅううう⁉︎ ぴええええええん‼︎

 

「■■■■■■■アアァァァ───ッ‼︎」

 

 とかやってる間に、八割ぐらい消し炭になるまでノイズたんをしばき倒してやったわ!(息切れ) しかもノーダメージでよぉー⁉︎(煽り) ザマーミロだぜ、社畜ノイズたん! 悲しみのクソ雑魚ワンオペに無双される気分はどうよ⁉︎ ええ? 恥ずかしくて言葉も出ませんかー⁉︎(息切れ) ……褒めてぇー‼︎ 奏ちゃんチョー褒めて‼︎

 

 ───正直、あたしなんかが褒めていいレベルじゃないんだけど……。

 

 おっかしいな。奏ちゃんの声がガチ引きしていらっしゃる。

 

 ───どんな敵とどれだけ戦っていたら、そんな武の極致みたいな戦い方ができるようになるんだか。あたしじゃ想像もできな……あっ……翔一、翔一!

 

 ふぁい?(ノイズにチョークスリパー中)

 

 ───あのすごい天使サマって、ずっと一緒にいたんだよな?

 

 エルさんのこと? うん。記憶喪失の俺が浜辺に打ち上げられてた時から、エルさんたちは当然のように俺の中に在宅していらっしゃったよ。(ノイズにキャメルクラッチ中)

 

 ───今までにさ、その天使サマと一度でも戦ったことってあるのか?

 

 たたかう? ないない。そもそもエルさんは戦える身体がねぇもん。(ノイズにフランケンシュタイナー中)

 

 ───ああ。そっか。そうだもんな。

 

 ウンウンと納得する奏ちゃん。まあ、仮にエルさんたちに体があったとしても、ロンリーライダーで強化フォームもない俺が一人立ち向かったとしても、ラスボス天使に勝てるわけないんだよなぁ(遠い目) フルボッコにされる未来が見える見える。あー怖ッ。

 おおっと、何曜日のたわわか知らねぇがプルプルした丸い爆弾をぶどうノイズたんが発射してきた。ぼよんぼよんと弾む二つのボールはさながらOPPAIのように刺激的だった。いや、刺激どころじゃねぇわ。危険が危ないわ。タイミングを見計らって、下敷きにしていたノイズの頭を引っ掴んで、OPPAIみたいな爆弾へと雑にブン投げる。すると爆弾はノイズたんにぶつかったことで派手に空中で爆ぜた。上から見ても下から見ても汚ぇ花火である。ある程度の距離を確保した上での爆発だから俺に被害はナッシング。これがみんな大好きガードベントよ。近くにいたおまえが悪いんだよなぁ(Q.E.D.完了)

 爆発の黒煙が視界いっぱいに広がって、さながら煙幕のようになる。おかげで後方に残ったノイズたんの動向を窺うことができなくなったが、それはあちらも同じことだ。近くでしつこくピコピコしているノイズたんを回し蹴りでぶっ倒し、爆発の煙が視野を阻むその隙に真横で停車している列車の窓を蹴り破って、俺は乱暴に跳び移った。ダイナミック乗車である。近くにあったおまえが悪い(万能浅倉威理論)。この電車を経由して、残り数少ないノイズたんの後ろから奇襲を仕掛けてこの戦いをさっさと終わらせてやろうという算段よ。

 

 待ってろぶどうアームズノイズたん! そのエチエチな実を揉みしだいて、闇堕ちさせてから最後は華々しく光堕ちさせてやっからなミツザネェ!

 

「たあああぁぁぁ───ッ‼︎」

 

 ……その必要なくなったっぽい。(しょぼん)

 

「三号さん! えーと、あー、ぐ、偶然ですねっ! こんなところで会うだなんて!」

 

 最後に残ったぶどうノイズたんを右ストレートでぶっ飛ばしたニッコニコの響ちゃんが俺に手を振ってきた。どうやら、俺が転がり落ちてきた階段をフツーに降りてきて、俺に夢中なノイズたんの隙だらけな背後からフツーに畳み掛けて、フツーに全員もれなく殴り倒したらしい。あれ? もしかして俺って囮? ノイズたん用の撒き餌か何かなの?

 てか、響ちゃんも呼吸が少しゼェゼェしてるようなので、俺のプロレタリアにどっぷり浸かった悲しき雄叫びを聞きつけて、急いで走ってきてくれたのかもしれない。なんかごめん。俺のことはほっといて大丈夫よ。ノイズたんに多少の遅れはとっても必ず昇天させるから。自壊なんて寂しい真似させる前にしっかりと仏にしてやっから。

 

 だから、その悲しそうな顔やめてよん。響ちゃんは笑ってる顔が一番可愛いのに……。

 

 辺りをキョロキョロ見渡して、ノイズたんの反応が全部お亡くなりになられたことを確認する。とりあえずは安全かな。よーし休憩タイムだ。ちゃんと休まないと労基がお叱りに来るからね。俺のところには絶対に来ないけど。

 そのまま電車内の座席に俺はどっこいしょと腰を下ろし、噎せ上がるような呼吸を整える。骨とかだいたい再生し終わってるんだけど、やっぱりスタミナはどうしようもない。真っ白に燃え尽きた感のある座り方で俺はホーム側に佇む響ちゃんを視界に入れないようにしながら、ボドボドな身体を休ませる。もずく風呂にでも浸かりてぇ気分だわ。

 

「あのッ! 私、第三号さんにどうしても聞きたいことがあるんです! 聞かなきゃいけないことがあるんです!」

 

 俺はもちろん反応しなかった。指先一つとして動かさず、聞こえていないフリをしたけど、響ちゃんは止まらなかった。

 

「なんで戦うんですか」

 

 声が震えていた。表情は見ていないが、もしかしたら泣いてくれているのかもしれない。

 

「なんで、そんなに苦しそうなのに戦えるんですか。痛くないんですか。辛くないんですか」

 

 辛いよ、給料とか出ないからね。

 痛いよ、とくに財布が。ガソリン代もタダじゃないからね。

 苦しいよ、どんだけ働いても増えない貯金残高を見ていると。

 でもね、俺はノイズたんを食べなきゃいけないの。栄養摂取なの。食べるために仕方なく頑張ってんの。人間が労働する理由ってのは、突き詰めれば、食べ物にありつくためだ。生命の根幹を為すのは食事だよ。何も喰らわずに生きていけるものなどこの世には存在しない。人も動物も植物も、何かを喰らわなければ生きていけない。

 喰らうことは生きるためには必須の行為。

 俺はそれを事務的にやってるだけなんだから、そんな可哀想な目で見るのはよしてくれ。響ちゃんのように立派な志を持って、誰かのために戦ってるわけじゃないんだからさ。

 

「三号さんの背中───私の大切な人の後ろ姿にとっても似てるんです。温かくて、優しくて、なのに……いつも寂しそうで」

 

 声が沈んでいく。

 

「何かを独りで背負ってる」

 

 …………。

 

 そりゃ背負うさ。背負えるもん。他に何も持っていないカラっぽの紛い物だからね。ポケットなら空いている。ずっと昔から何にも入ってない。だから、詰めるだけ詰めてるだけ。いっぱいになるまで押し込んでるだけなんだ。

 たぶん、他の人なら無理かもしれないけど、俺には偉大な仮面ライダーの力があるからね。どれだけ重たい荷物でも持っていけちゃう。そう考えると便利だよ。アギトもギルスも、仮面ライダーってのは、俺に底知れないものを背負わせ───背負えるんだってことを教えてくれる。

 

 ───翔一……おまえ……。

 

 つまりは自業自得ってことよ。同情ならお門違いもいいところ。あくまで俺はノイズたんを食べたいだけ。その過程でちょっと寄り道程度に人助けしてるだけなの。軽い気持ちなの。コンビニ感覚なの。そうそう。忘れちゃいけない。俺はダークライダーに転職したんだった。グフフフ、これからは勝手気ままに暴れてやるからな。そんな風に俺を哀れんでいたら、痛い目みることになるぜ、響ちゃん!

 

 そう、こんな感じになッ!(飛びかかりモーション)

 

 と、響ちゃんをビビらせて追い払おうと腰を上げ、床を素早く蹴った直後だった。

 

 プシューとドアが閉まった。

 

「■■ッ⁉︎(訳:ファ⁉︎)」(ドアに頭をぶつける)

 

 ───なっ⁉︎

 

「え?」

 

 ライトが点灯を繰り返し、唸るような駆動音を上げて列車が一人でに動き出した。何のアナウンスもなく無言のまま発進する。ガタンゴトンと軌条を踏み、車内を揺らしながら運転士のいない電車は前に進み始める。

 俺は閉ざされたドアの窓にカエルのようにみっともなく張り付いた。車窓から見える景色を無我夢中で楽しむ子供のような態勢であるが、内心は焦りに焦っていて、ゆっくりと遠ざかっていく響ちゃんにヘルプコールの視線を懸命に送る。ダサい。何から何まですごくダサい格好である。

 

 響ちゃあああん⁉︎ 助けてえええッ‼︎ なんかドナドナされちゃってりゅううう⁉︎ ファーッ⁉︎

 

「さ、三号さん⁉︎ ええっ⁉︎ 電車が勝手に動いて───ええッ⁉︎」

 

 ───ッ⁉︎ 翔一、電車の奥にノイズが現れたぞ‼︎ あれは……ロードノイズッ⁉︎

 

 ま た お ま え ら か よ (泣)

 

「待ってくださいっ! 私は───ッ」

 

 止めて止めて! 誰か止めてくんしゃい! てか出して! ここから出してええええええッ‼︎ うぎゃあああああ⁉︎(悲鳴)

 

 動き出した列車を追って、必死に走りながらも俺に手を伸ばす響ちゃん。空気だけを虚しく掴んだ響ちゃんの手がどんどん遠くなっていく。あーいかないでぇーっ⁉︎

 ついに駅のホームの端で力無くへたり込んでしまった響ちゃん。さながらドラマのラストシーンである。上京しても私たちズッ友だかんねー!みたいな? ……いや、なんだこの絵面(冷静)

 

 つーか、さすがに電車の止め方なんて俺も知らないぞ。いやいや、待て待て。どーせ、この暴走気味にグングン加速してる電車もまともな動かし方してないんだろ? さっきから車輪がやべぇ量の火花を散らしてんの見えてんだよなぁぁぁクソアンノウンもどきイイイッ⁉︎(激おこ)

 

「■■■■■■■■■■■■■■ッ‼︎(訳:当列車は地獄行きとなっておりまあああす!)」

 

 

***

 

 

 時の(暴走)列車、デンライナー(普通の電車)。

 次の駅は、過去か、未来か、もしくは……え? 市出ちゃうの? いまチラッと車窓から駅名標を確認したけど、想像してたよりも遠くにドナドナされるみたいで思わず目を疑ったわ。

 これが俗に言うイマジネーション不足か。トッ○ュウジャーもびっくりだ。想像力が足りてないよ。なんか腹立つからヒ○ナステップでも刻んでおくか(無駄のない無駄な動き)

 とかやってる隙にダイナミックチョォォォップ‼︎(ただのチョップ) 相手は死ぬ‼︎ バイバイくそアンノウンもどき! 二度と来んな!(中指STAND UP) おいブレーキどれだ⁉︎ これか⁉︎ これなのか⁉︎ いや待ってコレ止まんないね‼︎ イマジネーション高すぎじゃない⁉︎ いったいどこまで俺を連れて行く気なの⁉︎ はやく降ろしてえええええええ‼︎(泣)

 

 この後、電車を(手と足と触手で)止めた。




ラブコメの波動が強まると約1名お命の波動が薄まるこのシステムなんなん?

どうでもいい私事なんですが、新しい仮面ライダーの情報を見て期待に胸ふくらませていると、2秒で考えた作者のこの名前(下ネタ)に気がつき、なんだか申し訳ない気持ちになりました。あんなに大きくないです。てか、あのベルトに挿せる本ってエ(自重)動物のところならいけそうですね(意味深)はいすいませんでした。


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♫.俺はそれでも行かなきゃいけないのかもしれない。

悲報まだ四話。


 完全聖遺物。

 FG式回天特機装束(シンフォギア)の核として用いられる聖遺物の欠片とは異なり、一度でも起動さえしてしまえば、適合者であろうと無かろうと万人がその尋常ならざる恩恵を得ることができる超常の()()()()

 遥か昔、大いなる先史文明の時代より、その姿形を損なうことなく現代まで保ち続けた完全聖遺物の力───それは人類史二千年の叡智を持ってしても到底測りきれないものであった。

 

 風鳴翼はそれをよく知っている。

 二年前の惨劇───。

 完全聖遺物を目覚めさせる唯一の鍵たる歌の力───フォニックゲインを生み出すため、政府の庇護の下で着々とその人気を世間から獲得していたボーカルユニット・ツヴァイウイングの大規模な公演が計画され、そのライブと並行する形でとある完全聖遺物の起動実験が特異災害対策機動部二課の指揮の下、秘密裏に開始された。

 およそ十万人にも及ぶ聴衆と二人の歌姫によって奏でられた唄は深き眠りに沈んだ完全聖遺物を呼び覚ますに値する相当量のフォニックゲインを容易に発生させるに至った。実験は成功したのだ。二人の歌姫の並ならぬ尽力によって。

 だが、聖遺物とは人智に及ばぬ理解不能(ブラックボックス)の塊のような代物であることには変わりない。

 

 起動した完全聖遺物は彼女らの努力を嘲笑うかのように暴走した。

 

 この事故によって、特異災害対策機動部二課の指揮系統は大きく乱れることになり、ツヴァイウイングと十万人の観客を蓄えたライブ会場へ狙い澄ましたかのように出現した認定特異災害・ノイズの例を見ない大群の襲撃に対応が遅れることになった。

 天羽奏と風鳴翼は戦った。迫り来るノイズの猛威に、指揮も何も得られぬまま勇敢に立ち向かった。彼女たちにはそれしかできなかった。一匹でも多くのノイズを倒すことでしか消えゆく民の命を救うことができなかった。

 その結果、被害は奇跡と称されるほどの最小限に食い止められた。恐怖に駆られた十万の人々が密集する閉鎖空間の中で、彼らは互いを尊重し、慈しみの心を忘れず、滞りない避難を心掛けたが故に起こった奇跡であった。

 

 人々は重ねて口にした。〝仮面ライダー〟がきてくれたから、と───。

 

 しかし、その輝かしいヒーローはもうどこにもいない。

 

 死が蔓延る地獄と化したライブ会場で苦闘する二人の戦姫を救うべく、無比たる天災へとその身を変えた鬼神の如き戦士は己の命と引き換えに、天羽奏と風鳴翼、そして立花響の命をノイズの魔の手から守り抜いた。

 そうして仮面ライダーは命を救って、命を燃やし尽くして───命を落とした。

 だが、惨劇は終わらなかった。翼が気を失っている間に、天羽奏は禁忌の絶唱を歌ってしまった。その代償として彼女の意識はいつ目覚めるかもわからない深い眠りについた。二年間もの月日が流れても、未だ彼女が目を覚ますような予兆は見られない。このまま永久にベッドの上で伏したまま生涯を終える可能性もある。もう二度と彼女の笑顔を見ることは叶わないかもしれない。

 悲劇はまだある。

 民間人であったはずの立花響は胸に突き刺さった槍の力を信じ、今や天羽奏の穴を埋めるべく、過酷な戦場に立たされることになってしまった。戦いにはあまりに不向きな真っ直ぐすぎる性格であるにもかかわらず、不安を押し殺して我武者羅に拳を握っている。

 

 二年前のあの日から、何もかも変わってしまった。

 

 唯一、風鳴翼だけがあの日と変わらぬまま剣を握ることを許された。

 

 一人だけのうのうと生き長らえて、変わり果てた光景と何も変わらぬ自分の剣に止め処ない怒りを覚えて───。

 何もできず、何も守れず、何も果たせず。

 それでも悔やむばかりでは誰の為にもならないと悟り、この剣を振るう理由に間違いはないと言い聞かせ、今度こそ自分が愛したものを守り抜こうと防人として奮い立たせてきた。折れてばかりでは自分を支えてくれる多くの者に顔向けできないと絶望に屈した脚に鞭を打った。

 

 そんな彼女の───その歩みを嘲笑うが如く運命は()()と邂逅させた。

 風鳴翼は己の恥ずべき弱さを思い出す。

 何もできなかったあの日の無力感を。

 誰も守れなかったあの日の悔恨を。

 忌まわしい惨劇の全容が焼き付くように脳裏に瞬き、決して忘れることなど許されない鮮明な記憶と共に───あの日に起きた混乱に乗じて、失われたはずの完全聖遺物の名を戒めるように口にした。

 

「ネフシュタンの鎧……ッ‼︎」

 

 ライブの惨劇から二年───翼は己の過去と対峙することになる。

 駅前に設けられた一面の緑が広がる大きな公園には()()()少女の影が暗澹たる夜空から絶えず降り注ぐ雨に打たれていた。殴るような雨粒を受けて芝生が(こうべ)を垂れ、外灯の明かりが不吉な空気を察して点滅を繰り返し、平穏であったはずの公園を異界じみた空間に変容させていた。

 少なくとも、この場で最も状況を把握しきれていない立花響でさえ、不穏な寒気に身体の芯を冷やされて、両の脚が子供のように震撼していた。

 濡れた柔肌を伝って流れ滴る雨水の涙。苦しげに漏らす吐息の白さは冷徹な悪寒と化して、胸の鼓動を天井知らずに早めていく。それほどまでに二人の目の前に現れた三人目の少女は異端であった。

 例の如く出現したノイズを討伐せんと戦っていた風鳴翼と立花響のシンフォギア装者二名の前に立ち塞がるように現れた青銅の蛇を彷彿とさせる鱗の鎧(スケイルメイル)に全身を包ませた謎の少女。

 その表情は、透明な浅葱色の目庇で覆われているため、明確な判断は可能ではないが、つり上がった口角が彼女の底知れぬ実力と好戦的な性格を顕著に表していた。

 

「初めましてだな、人気者」

 

 場の空気を支配している鱗の鎧(スケイルメイル)の少女は挑発的な口調で翼に言い放ち、そして───。

 

「そんで───サヨナラだ」

 

 背筋に迸る殺気を直感した翼は咄嗟に絶刀(アームドギア)を盾にして防御の態勢を維持せんと動いた。

 その直後に凄まじい衝撃と大量のスパークが弾け飛ぶ。

 鎧から伸びる紫水晶の刃を一本に繋ぎ合わせたかのような鞭が翼の膂力では到底抑え切れない傲慢な威力を伴って乱暴に振るわれたのだ。数珠のように連なる鞭の刃が天羽々斬の刀身を削ぎ落とさんと激しく痛めつけ、止め処ない火花を雨天の下で爛々と燃やす。

 何という馬鹿力───! 翼の瞳が驚愕の色に染まる。

 金属の悲鳴が散らされ、奥歯を噛み締める翼はその残虐な一撃によって固めていた防御(ガード)の姿勢をついに崩され、大きな隙を晒すことになる。

 

「そら、もう一発ッ‼︎」

 

 青銅の鎧に常備された武装の鞭は左右に一本ずつ───少女の猛々しい掛け声と共に振り回される水晶の鞭が雨のベールを引き裂きながら横薙ぎに迫る。

 回避の厳しい直撃の軌道。だが、己の人生を剣と著し、この身を戦場に捧げてきた翼の実力も伊達ではない。不意の攻撃に隙が生まれたとしても、その程度の隙間は押し潰してやれるだけの技量は持ち合わせている。

 

「くッ───はぁぁぁッ‼︎」

 

 翼は背面飛びの要領で横一閃に叩き殴らんとする鞭を紙一重で回避した。束ねた長髪の毛が刺々しい紫の刃に掠められて、激しく揺さぶられながら夜闇に何本か散っていったが、憂う余裕は何処にもない。泥濘んだ地面に片手をつき、不躾に転がりながら着地すると、翼は瞬時に脚部の装甲から排出された短刀を握り、鎧の少女に目掛けて素早く投擲した。

 狙いは正確に少女の顔面を捉えている。

 思わぬ反撃に鎧の少女は目を丸くして、考える暇も与えられず、反射的に水晶の鞭を引き戻した。目前まで差し迫った短刀を力強くしならせた鞭を振り上げて難なく弾いてみせる。

 カキンと乾いた音が響き、雨音に紛れて緑の大地へ短刀は静かに突き刺さる。鎧の少女は舌打ちをした。たかが一振りの僅かな時間であれ、敵に態勢を整える時間を与えてしまった。今は多少の無理を通して追い討ちを畳み掛けるべきだったが───まだ身体はそこまで闘争本能を求めてはいない。それが少女には悔しく思えた。

 少女の目指すべき場所は()()()()()()ではない。

 思考と反射を一度に両立させる戦士の極致。そこに余計な思慮は介在しない。脳髄の信号に頼らずとも、あくまで無条件反射の延長として、最善かつ的確たる攻撃の判断を肉体そのものが導き出す。そこに自己は不要。脳が潰されようと命が尽きようと戦えるだけの血肉が残ってさえいれば、それは文字通り朽ち果てるまで戦い続ける。

 それこそが〝無我の境地〟───己を捨て去った者にのみ、到達し得る究極の戦闘技術。

 

 鎧の少女は〝無我の境地〟を目指す。

 あいつと同じ場所に辿り着くために。

 あいつと同じ痛みを背負うために。

 

 たとえ、それがどれほど愚かな罪過を孕んでいたとしても───。

 

「…………」

 

 鎧の少女は苛立つ心を鎮めて、前を見据える。

 白い呼吸を吐きながら風鳴翼は両脚で大地を踏み締めて、銀色の絶刀(アームドギア)の剣尖を少女に向けていた。雨に滴る鋼の刃を冷たく一瞥した鎧の少女はもう片方の鞭を乱暴に手繰る。深々と地面を抉っていた紫水晶の鞭が土塊を撒き散らしながら、踊るような軌道を描いて少女の手元の位置まで寄り戻される。

 少女は鼻を鳴らすような仕草で静かに笑った。

 

「へぇ、案外やるじゃねぇか」

 

 降り止まぬ雨音に混じる声が語るのは純粋な称賛であった。

 

「完全聖遺物とFG式回天特機装束(シンフォギア)じゃあ、どれだけ持ち主のポテンシャルがズバ抜けていようと到底埋められない差ってやつができちまう。特にこの《ネフシュタンの鎧》に流れるエネルギーは別格だからな。褒めてやるよ。お前、そこそこ強いな」

 

「やはり、それは二年前のッ‼︎」

 

 翼が血相を怒りの色に変えて吠えた。

 この目が見間違うはずがなかった。風鳴翼の(まなこ)に刻みつく二年前の惨劇が時を超えて再び顕現する。

 天羽奏と風鳴翼の歌によって起動を果たし、その直後に発生した認定特異災害の強襲による大混乱に乗じて、何者かによって奪取された完全聖遺物《ネフシュタンの鎧》───すべての元凶(はじまり)聖遺物(チカラ)

 天羽奏や立花響を含む大勢の人々の日常を壊し、その運命を狂わせた負の遺産が今ここに───!

 自然と絶刀(アームドギア)を握る手に力が入り、翼は荒ぶる心臓が無遠慮に繰り返す呼吸を噛み殺し、濡れた前髪を掻き分けることも忘れて、ただ目前の忌むべき記憶と対峙した。

 

「待ってください、翼さんっ!」

 

 背後から声───立花響が悲痛な顔色で叫ぶ。

 

「相手は人間です! 力づくだなんて、そんな───」

 

「あなたは退がっていなさいッ‼︎」

 

 翼は有無を言わさぬ怒気に満ちた声量で響の声を呑み込んだ。

 

「敵が人であるならば尚のこと‼︎ アレはシンフォギアのように選ばれた人間だけが扱える代物ではない! 悪人であろうと等しく力を与える神の奇蹟の残滓───放っておけるものかッ! 何より、この私が、あの鎧を目覚めさせたこの私が、放っておいてなるものかッ‼︎」

 

 風鳴翼の燃え滾るような意志を感知した天ノ羽々斬が吼え、滑らかな刃紋を描く絶刀(アームドギア)の刀身が裂かれるように拡大して駆動する。身の丈に合わない暴力的な巨大さを兼ねた大剣へと変形した絶刀(アームドギア)が放つ威圧──響は翼の殺意なる感情を察することができた。

 大剣は対人戦では不向きな形態である。しかし、あの強烈な一撃を防がねばならないと懸念すれば、分厚い巨剣の選択は当然とも言える。加えて、並大抵の破壊力では《ネフシュタンの鎧》を傷つけることは困難であることも翼は承知していた。

 だが、如何に理に適っていようと風鳴翼の胸中に燻る黒い感情の渦は隠せない。響は直感する。───あの目は、少し前の、未確認生命体第三号と戦っていた時の目。

 何もかもを放り捨てて、怒りに殉ずる目───。

 あの鎧は何が何でも取り返さなければならない。この命に替えても、自分の不始末のケリはこの剣でつけるべきだ。心に積もる焦燥は彼女を盲目の闇へと染めていく。

 

「へッ、いいじゃねぇか。そういう威勢は嫌いじゃない」

 

 クククと笑う少女は鱗の鎧(スケイルメイル)の背部から奇妙な装飾が施された杖を手にした。武器にして些か短く、無駄な意匠が多過ぎるその杖を少女は、未だ戦意に乏しい表情で目線を右往左往している響の方へ小さく傾けた。

 

「おまえはそいつらと遊んでな」

 

 杖に装飾された宝石の部位が怪しい閃光を放ち、空間を捻るように歪ませると俄かには信じ難い光景を意図も容易く生み出した。

 

『k:=*•i◆l☆#l±k×il<<^^l°k◎i€l%l???』

 

 認定特異災害(ノイズ)───偶発な事象によってのみ出現する自然災害の一端がその常識を蝕むように人為的に発現された瞬間であった。

 突如として虚無から現れたノイズの群れに囲まれてしまった響は蒼白となった表情で絶句するしかなかった。翼もまた眦を裂いて驚愕に身を強張らせた。

 

「うそ……ノイズを操って……⁉︎」

 

「それがこの《ソロモンの杖》の力だ。自律の核を持たないノイズなら意のままに操作できちまう完全聖遺物。便利なもんだろ? ……安心しろよ、お前とはサシでやってやるよ」

 

「………ッ‼︎」

 

 鎧の少女は《ソロモンの杖》と呼称した完全聖遺物を背部の装甲に挟むように収納すると、正眼の構えで迎え撃たんと巨大な絶刀(アームドギア)を携えた翼への挑発も兼ねて紫水晶(アメジスト)の鞭を瑞々しい大地に波打たせた。

 それはまさに狙いを定めた獲物へ這い寄る大蛇の滑らかな動き。

 激しい雨音に草木の擦れが消されて、二匹の面妖な毒蛇がじりじりと忍び寄る錯覚を翼は肌で感じ取った。この雨では聴覚はアテにはならない。これまで培った経験則による直感と滂沱に遮られた悪条件下の視覚を頼りに戦わなければならない。

 ノイズと交戦を開始した立花響を横目で流して、より焦燥が高まった。長期戦はあの子にとって不利になる。一刻も早く《ネフシュタンの鎧》及び《ソロモンの杖》を確保しなければ───!

 

「教えてやるよ」

 

 翼の意識が眼前の敵に引き戻された直後、白銀の鎧は途轍もない跳躍力で雨が降り頻る夜空へと舞った。ヒラヒラと追随する凶器の紫水晶が蝶の翅のように羽ばたき、少女の頭上でその先端を音もなく束ねる。

 

玩具(シンフォギア)との格の違いってやつを───!」

 

 鞭の先が重なり合う瞬間、暗黒の雨空が叫び散らすかのような異音を轟かせた。弾けるような雷が乱れ舞う。それは〝渦〟であった。二本の鞭が捻れ狂う竜巻の如き渦を形成し、無慈悲な自然界に蔓延る(フォース)を強引に掻き混ぜながら、混沌とした一つの物質として収縮させる。それは目に見えるほどの凶悪な塊となって、圧倒的な(フォース)が渦巻く光弾として顕現する。

 そのエネルギーの〝渦〟に───翼はとある戦士を脳裏に浮かばずにはいられなかった。

 それはどこか、仮面の戦士が放つ必殺の一撃に似ていた。

 いや、そういえば、彼の腰部に巻かれたベルトもまた───。

 

 ()()()()()()()

 

 激烈とした雷電がプロミネンスのように迸る。高密度のエネルギー球体へと変貌した(フォース)が暴風を巻き上げながら、小柄な鎧の少女すら呑み込まんとするほどに肥大化を繰り返し、尚も飽きずに成長を続ける。目を疑うほどの馬鹿げた質量を蓄えたエネルギーの団塊───警戒すべきはその威力とその範囲。

 翼は血の気が引いたような悪寒に従い、ただ喉がはち切れんばかりに叫んだ。

 

「立花ッ、私の背中(うしろ)に隠れなさい───‼︎」

 

「こいつが()()()()()()()───神の力だッ‼︎」

 

【NIRVANA MAGOG】

 

 捻れ狂う嵐の如き巨大な光弾が放たれた。

 

 

***

 

 

「早まるなよ、翼」

 

 高速道路を走る普通自動車の運転席に腰を浅く下ろした風鳴弦十郎はハンドルを握る手を緩ませることもできずにいた。

 特異災害対策機動部二課本部が観測したアウフヴァッヘン波形と呼ばれる聖遺物が発する固有のエネルギー波が、二年前の事件によって奪われた完全聖遺物『NEHUSHTAN(ネフシュタン)』のコードを示した瞬間、弦十郎は考えるよりも先に司令室から飛び出していた。

 完全聖遺物《ネフシュタンの鎧》───ツヴァイウイングを崩壊させた元凶とも言える存在を前にして、風鳴翼が正気を保てるとは思えなかった。

 もちろん、彼女を信じたい気持ちはある。

 近頃の翼は憑き物が落ちたようにどこかスッキリとしていた。久しく無縁であった年相応の穏やかな表情も度々見せるようになって、険悪な雰囲気であった立花響との関係も彼女なりの折り合いをつけたのか、時間があれば稽古に付き合うほどの仲に進展していた。

 風鳴翼のマネージャーを務める緒川慎次の話によれば、どうやら素性も知れない男の影がチラついてるようだが、その真意は定かではない。何はともあれ、二年前のあの日以来、ずっと身を削るように生きていた風鳴翼が少しでも肩の荷を下ろせるような心の余裕ができたのなら、弦十郎は彼女の叔父として、同時に上司として、これ以上喜ばしいことはなかった。

 だが、その安寧は信用に足りるものではない。

 今の風鳴翼を作ったのは彼女の相方とも呼べる少女───天羽奏に依存している。それ故に、風鳴翼の少女らしからぬ大人びた精神は天羽奏が関わると途端に瓦解する。立花響との一件がその最たる例だろう。

 二年前に起きた事件による天羽奏の疾患は、風鳴翼に癒えぬ傷を刻み込み、彼女に不相応な重圧を背負わせた一番の要因である。天羽奏という片翼を失った原因であるライブ会場の惨劇を否応なく彷彿とさせる聖遺物を前にして、翼が正常な判断ができるとは考え難い。

 死ねば諸共───風鳴家の次期当主として英才教育を受けてきた彼女の防人としての覚悟は本物であるが故に、そのような考えに至る可能性は十分にあり得る。

 

「翼ちゃんは歌うのかしら。奏ちゃんと同じように絶唱を」

 

 助手席に座る櫻井了子が物憂げな視線をヘッドライトの向こう側に寄せながら呟いた。

 

「絶唱は使わないでくれ……ッ!」

 

 忙しなく左右に揺れるワイパーと車窓を叩く雨音に紛れて、弦十郎の祈るような声が響いた。

 狭苦しい車内に鉛のような時間が流れる。

 重たい沈黙の空気に耐え兼ねた了子が音量を気を遣いながら車に搭載されたラジオをかけ始めた。特に理由もなく拾われた電波はニュース番組であった。わざわざ変える必要もないため、了子は両手を膝の上に置いた。

 ニュースの内容は───二人が向かっている現場からそう離れてはいない場所で大きな事故があったらしい。他人事とは思えない情報に二人は自然と耳を傾けた。

 

『───○○線にて、電車の大規模な脱線事故が発生し、ダイヤが大幅に乱れております。幸いにも怪我人はおらず、現場から最も近い▽▽駅からおよそ三十メートルの付近で電車は完全に停止したため、死傷者は出なかったとのことです。電車内には乗客・運転士ともに発見されておらず、無人で動いた可能性があると、たった今警察の方から発表がありました』

 

「無人、ね……これって、響ちゃんから報告があった例の車両かしら」

 

 ああ、と小さく弦十郎は応えた。

 完全聖遺物《ネフシュタンの鎧》と邂逅する少し前───先に現場に急行していた立花響から未確認生命体第三号との接触が報告されていた。だが、第三号は現場付近に出現したノイズの殆どを一人で掃討してしまうと無人で動き出した電車に連れ去られてしまった───と、泣きそうな声で響が連絡していた。

 そして、程なくして完全聖遺物《ネフシュタンの鎧》を纏った少女が二人の前に姿を現れた。この一連の流れには何か作為的なものを感じずにはいられない。まるで、裏で手を引いている何者かが未確認生命体第三号との接触を恐れているような───……。

 

「じゃあ、暴走電車を止めたのは未確認生命体第三号ということになるわね。でも、おかしいわ。理性を失った獣であれば、電車なんて止めずにすぐ脱出していそうなものなんだけど」

 

「その時の被害はどうなる?」

 

「無人の電車がどこまで速度を出していたかにもよるけど、停車した位置はノイズの警戒区域をとっくに超えているから───そうね、死者は出るわね、確実に」

 

 了子の導き出した冷淡な回答に弦十郎は静かに息を呑んだ。

 

「俺は第三号をケモノとは思わん」

 

 そして、喉から絞り出すように断言した。

 

「奴が握る拳は誰かを守らんとする漢の拳だ。心を持たん獣には決して辿り着けない。誇りを胸に宿した正義の戦士(ヒーロー)の仮面だ」

 

「それって、お得意の直感かしら」

 

 揶揄うような口調の了子にフンッと得意げに弦十郎は笑った。

 

「当たり前だ。俺はそう信じている」

 

「ふうん。でも、あなたが信頼しているヒーローも今回の戦いには間に合いそうにないわね。暴走した電車を止めるためにどれだけの体力を消耗するのか、流石の櫻井了子にもわからないもの。単純に距離からしても、彼の援護はとても見込めないわ。残念ね」

 

 了子は手元のタブレット端末で正確な計算を弾き出したのだろう。半ば()()()()()()ような物言いで非情の現実を語った。弦十郎とて、それぐらいは承知している。未確認生命体第三号の内なる心を信じているが、予測不能な動きをする彼を戦力の一つとして頭数に入れるつもりは毛ほども無かった。

 なぜなら、未確認生命体第三号は特異災害対策機動部二課の味方ではないからだ。

 彼の敵は恐らく認定特異災害(ノイズ)だろう。だが、彼が何を守る為にノイズと果てなき孤独な戦いに身を投じるのか───弦十郎は未だ知らずにいた。

 

 誰の()()としてその戦場に立つのか。

 

 ……それこそ、彼が()()()()()であるのなら。

 

 おまえの正義は、どれだけ悲しいものに染まっているのだろうか。

 

「───ッ⁉︎」

 

 弦十郎は背筋が凍るような閃きを感じ取り、咄嗟の判断でラジオの音量を最小まで下げつつ、殴るような雨音に包まれた車内でじっと耳を澄ました。

 ありえない。

 つい先程、その可能性は無に等しいと結論づけたばかりだろう。それをどうしてこんなにも早く覆してしまえるのか。如何に弦十郎が彼に得体の知れない信頼を寄せていたとしても、今回ばかりは贔屓が過ぎる。

 聴き間違いだ。

 だが、それは徐々に───確かな速さで近づいてくる音が気のせいでは済ませなかった。

 幻聴であるならそれで良かった。実際、耳がおかしくなったのかと疑いもした。しかし、この音は───この音だけは疑えない。

 この気高き熱を秘めた鼓動───〝仮面ライダー〟が走る音だけは。

 

「どうしたのよ、一体」

 

「エンジンの音だ」

 

 額から汗が滲む。

 

「第三号の───ギルスの(おと)だ」

 

 ドクン、ドクン───と、心臓が跳ね飛ぶような熱烈とした駆動音が雨を裂く。

 

「後ろか───ッ」

 

 弦十郎がミラーを確認すると同時に視界を覆うようなフラッシュが炸裂する。

 天を衝くようなエンジンの爆音。

 悪魔が携える真紅の双眼を模した前照灯が熱く光り輝く。

 突き刺さる豪雨をその身に受けながら、深緑のオフロードバイクが自動車の真横を隼の如き速度で走り抜ける。それは疾風のようだった。風が悪魔の姿を象ったのだと思えるほどの畏怖が秘められていた。感じるはずもない風圧を肌が知覚して、鳥肌が騒つき、息が詰まるような緊迫感に支配される。

 滂沱に浸された水面の悪路に物ともせず、スリップ寸前の悲鳴がアスファルトから鳴り響き、凄惨な水飛沫を車輪が巻き上げた。速度は決して緩めない───強い意志が震えるマフラーから迸る。

 まさに一瞬の出来事である。緑色の死神を乗せたマシンが咆哮じみたエンジン音を轟かせ、二本の赤い残像を置き去りにしながら、より深い闇夜へと消えていったのは───。

 

「あれって、第三号?」

 

 了子がズレた眼鏡の位置を直しながら、すでに視認が困難となった距離まで走り去った深緑の背中を目で追いながらそう呟いた。彼女の表情はただ()()()()()()という驚嘆を物語っている。

 あの生命体は不死身か───?

 了子の目が怪しく光り、その口角が恍惚に歪んだ。

 ()()()()()()()()()───。

 魍魎に化かされたように呆然とハンドルを握っていた弦十郎は不意に我に返り、突如として鬼気迫る焦燥の容貌へと変わった。アクセルペダルを力強く踏み込み、法外な加速を促した。車体が大きく揺れて、スリップしたタイヤが濡れたアスファルトを焦がすように、不快な音が高速道路に響いた。

 

「きゃっ⁉︎ ちょっと安全運転───」

「無茶だッ」

「なにがよ」

「あんな身体では戦えんッ!」

「……あの一瞬で見えたのね。どうだった」

「少なくとも、両脚はお釈迦だッ! 骨が突き出て関節が捻れていたぞ! 車輪に挟まれたか⁉︎ 加速した列車を体で無理に止めようとすれば、そうもなるだろう……‼︎ クソッ───何がそこまでお前を駆り立てるんだッ‼︎」

 

 弦十郎は思い出す。

 いつかの日にて、風鳴翼と拳と刃を交えていた異形の戦士が誰にも悟られぬ刹那の憂愁において、如何なる心情さえ覆い隠さんとする鉄の仮面の奥底で真紅の視線がただ一人の少女を優しく見守っていたことを───。

 

「了子くん、一つ訊きたい」

「何かしら」

「ギルスは人間(ヒト)か」

 

 了子は逡巡の果てに口を閉ざし、重たい吐息を解放するように残酷と言えるほどの無情たる現実を絞り出した。

 

「それを決めるのは私じゃないわ」

 

『───未確認生命体第三号の目撃情報が多数寄せられており、第三号が事故の原因である可能性が極めて高いとして、警察は調査を進めていくことを明らかにしました。近辺にお住まいの方は戸締りに十分に気をつけ、第三号の化け物のような声が聞こえ───』

 

 眉間に深い皺を寄せた弦十郎は何も言わずにラジオを消した。

 

 

***

 

 

 いつかの記憶。

 懐かしい思い出。

 

「へぇ、翼の家って難しいことしてんだな」

 

 それはまだ天羽奏と風鳴翼がツヴァイウイングとして活動してから間もない頃の記憶だった。

 聖遺物の適合者として選ばれた二人の戦姫はまだ互いのことを理解し合えていなかった。認定特異災害(ノイズ)を効率よく駆逐するための二人組(デュオ)として結成されたまでは良いが───これから戦友として背中を預け合うには両者とも知らないことが多過ぎた。

 想像もできない莫大な時間を共に過ごすだろう。数え切れないほどの戦場を共に駆け抜けるのだろう。そして、死ぬ時すら───共に朽ちていくのだろう。

 己の生涯を費やす仲になるのなら───互いのことは包み隠さず知っておくべきだ。

 そう考えていたから、天羽奏と風鳴翼は打ち解ける努力を怠らなかった。

 

「難しい、かな」

「あたしにとっちゃ、難しいよ」

 

 日課のレッスンを終えた二人は快活な汗を流し、スポーツ飲料を浴びるように嚥下しつつも会話を楽しんでいた。

 

「すべては護国の為に───なんか聞いてるだけで、あたし頭痛くなってきた」

「奏……っ!」

 

 揶揄われたと思った翼が不満げに頬を膨らませると、奏は白い歯を見せてけらけらと笑いながら「ごめんごめん」と謝った。謝罪の気持ちは微塵も感じられない。

 確かに奏の言うことも一理ある。戦争を終えた現代の日本においては時代遅れな〝家〟だという認識は翼にもある。だが、地盤が緩んだ国家を再建するために、裏で暗躍する大役を大戦時から脈々と受け継いできた風鳴の一族は今や国の中枢を担う政界にも君臨し、軍部においても重役を任され、日本という国家においては無くてはならない存在にまで昇格している。

 すべては護国のため───。

 先祖代々風鳴の一族が国家から厚い信頼を勝ち取ってきたのは、この迷いなき信念があったからこそだろう。

 翼もまた幼い頃からそう教育されてきた。考える余地はあれど、疑いの心は無かった。

 

「というか、その()()()()()()みたいなジィさんヤバいな。本当に人間か?」

「半分ぐらい魍魎の血が混じっていると私は睨んでる」

「残り半分は」

「鬼か天魔の血」

「人間の血0じゃん」

 

 冗談抜きの真剣の目で語る翼に、ぶっと吹き出した奏は一頻り笑ったあと、ゆっくりと息を吐き出した。

 

「でもさ、翼が剣を握るのは、風鳴家のしきたりだとか家訓だからじゃなくて、きっと、誰かを守りたいっていう気持ちが、他の誰でもない翼にあったから───そうなんじゃないかってあたしは思うよ」

 

 だって、そうじゃないと、あんなに気持ち良さそうに歌えない。

 

 奏の真っ直ぐな言い方に翼は恥ずかしそうにたじろいだ。

 

「でも、私は奏みたいに……」

「きっかけなんて何だっていいんだ。あたしは復讐から。翼は家訓から。スタート地点がこんなに違っているのに、あたしたち今、同じ道を同じ想いで走ってる」

 

 奏は開いた掌を翼の方へ向けた。

 翼も開いた掌を彼女の掌へそっと重ねて、絡めるように優しく握り合った。

 温かな感覚が伝わってきた。

 異なる志から二人は始まっていたとしても、今この手に溢れる感覚(ぬくもり)はきっと同じ熱を発している。温かな手。誰かを守れる手。この手が掴む想いは───きっと正しいはずだから。

 

 そう信じたいと翼は願う。

 

「防人───人を(まも)る人。綺麗な夢だとあたしは思うよ」

 

 屈託ない笑顔を向けた彼女を見て、風鳴翼ははじめて自分の夢を好きになれた気がした。

 誰に与えられたものではなく、誰に定められたわけでもない。

 義務でもなく、使命でもなく───風鳴翼の意志が紡いだ信念でこの道を歩もうと心に決めることができた。

 

 〝誰かを守れる人になりたい〟

 

 そんなちっぽけな夢を翼は誇らしく思えたのだ。

 

 

***

 

 

「翼さん───」

 

 立花響は震える声でその名を呼んだ。

 止め処ない大粒の雨が降り注ぐ緑の公園を抉り取ったかのように巨大な窪みが生まれていた。

 鎧の少女が撃ち放った凄まじい破壊力を孕んだ光弾を防ぐために、翼は大剣へと変形を遂げた絶刀(アームドギア)を大地に突き刺し、急場凌ぎの大盾として活用した。威力を完全に殺せたわけではないが、身を守る術としては最善の策であった。

 問題は《ソロモンの杖》と呼ばれる完全聖遺物によって召喚されたノイズの対処に苦戦していた立花響であった。武器(アームドギア)を持たない彼女は防御の手段が皆無であり、手数で圧倒せんと襲い来るノイズに集中せざるを得ない状況では何もかもが遅かった。回避が可能な攻撃であれば、それに越したことはないが、完全聖遺物《ネフシュタンの鎧》が生み出した(フォース)の渦が地上に及ぼす範囲は実に半径二十メートルを易々と超えていた。

 避けられない───そう判断した翼は乱暴にも横から響の手を掴み、巨大な絶刀(アームドギア)の陰に押し込めた。

 

 その直後に閃光と爆発。

 

 戸惑いが残る響の目の前に、赤黒い消し炭と成り果てた公園の有り様と勇猛と佇む絶刀(アームドギア)が守護する領域に入り損ねた風鳴翼が負傷している姿が飛び込んできた。

 間に合ったと言えば、間に合ったのだろう。

 翼が負傷したのは焼け焦げた右腕と衝撃の余韻として弾け飛んだ石礫による切り傷と打撲が目立つ右半身である。時間に恵まれず、盾の役割を果たした絶刀(アームドギア)の陰からはみ出てしまった部位を中心に怪我を負ったのだ。

 もしも、あの閃光を全身に浴びるようなことがあれば、それこそFG式回天特機装束(シンフォギア)であろうと命に保証はない。

 

「……この程度で折れる剣ではない」

 

 稲妻のように熱く走る激痛を奥歯で噛み殺しながら、翼は努めて冷静に応えた。視界が歪む。脚がふらつく。呼吸が重い───立花響の無事を見届けて、安堵のあまり気を失いかけた翼はすぐさま怨敵を目で見据えて、薄れた意識を強引に呼び戻した。

 青銅の蛇鱗が意匠された鎧に身を包んだ少女が傍らに数多の兵隊(ノイズ)を侍らせて、二人のもとへゆっくりと接近する。その足取りはどこか重々しい。あの一撃を耐え抜いたことに煩わしさを感じているのかもしれない。

 

「その手じゃ、もう剣は握れねぇな」

 

 少女の視線が翼の右手に注がれた。注視せずとも酷い火傷の痕を確認することができた。

 翼はどこまでも冷淡に応える。

 

「左手がある」

 

「片手でアタシと張り合うってのか?」

 

「ええ」

 

「やめとけよ。両手が使えたって、どのみちアタシには勝てない。お前だってもうわかってんだろ? お互いの戦闘技術はほぼ互角。ただ、扱う武装が決定的な差を作っていやがる。この戦況じゃあ勝機はほぼない。そのぐらいわかってんだろ」

 

 鎧の少女が語る現実を翼は顔色を変えることなく聞き流した。

 実力が互角だろうと、武器の質が天と地の差を生んでいようと、翼はここで撤退を選択するわけにはいかなかった。それは風鳴翼の魂が許さなかったのだ。

 フン、と鼻を鳴らした少女は気怠げに言った。

 

「くたばるなら勝手にしろよ。アタシの目的は端からそっちだしな」

 

 少女の憂慮を含んだ視線が立花響に向けられた。

 

「わ、私……?」

 

「殺しはしねぇよ、多分」

 

 鎧の少女が小さく頤使すると、召喚されたノイズの群れが一斉に電源が入ったかのように響へと襲いかかった。

 自分の未熟さが風鳴翼に負担を強いてしまった。自責に囚われていた響は呆然と立ち尽くしていたが、止め処ないノイズの殺気を身に浴びて、弾かれるように我に返ると直ぐさま拳を握り、抗戦の意思を固めた。

 私がやらなくちゃ───!

 一歩、響が踏み出そうとした瞬間───ノイズの首が宙に飛んだ。

 

「翼さん⁉︎」

 

 銀色の軌跡が剣の戦姫から素早く走る───その目は苦悶に細められていながらも、内なる闘志は未だ燃え尽きていなかった。

 

「退がりなさいと言ったはずよ」

 

「でも、その怪我じゃ」

 

「私は防人。人を守るのが役目」

 

 白い吐息が漆黒の雨空に舞う。

 

「それに……奏の置き土産を渡すわけにはいかない」

 

 翼は片腕で引きずるように大剣(アームドギア)を構えた。

 剣を振るうことなどできないだろうに。立っているのがやっとのことだろうに───痛ましい戦姫の姿を目の当たりにして、鎧の少女は肩を震わせる。

 

「ハッ───人を守るだァ⁉︎ その剣でか? 笑わせんなよ、偽善者がッ‼︎」

 

 鎧の少女は激昂する。

 大地を蹴り上げ、跳躍じみた疾走で彼我の距離を縮める。速い───朦朧とした意識の翼へ容赦も情けも一片の温情さえ感じられない憤怒の攻撃を仕掛ける。

 紫水晶の鞭が叩き殴るように翼へと振り下ろされる。まともな回避運動を行えない翼は大剣(アームドギア)の防御力に頼って身を守ることしかできず、少女の怒涛の攻撃を甘んじて受け入れた。

 衝撃───息が詰まるような破壊力が全身を揺さぶる。

 

「力がもたらすのは破壊だけだ‼︎ お前は何かを壊して、何かを犠牲にして、その果てに残ったものを()()()()()と勘違いしているだけだ‼︎」

 

「違う、私は───ッ!」

 

「何かを守るにはな! 何かを壊さなきゃならねぇんだよ! 壊して、壊して、壊し続けて、挙句の果てには自分すら壊して───何も守れちゃいないテメェ如きが語るんじゃねぇよ、甘ちゃんが‼︎」

 

 乱舞するように激しく踊り狂う二本の鞭が大地に数多の傷痕を刻み込む。泥と化した土塊が無秩序に飛び散り、二人の少女を穢さんと抱擁する。

 怒りに身を任せた少女の連撃が天ノ羽々斬に叫声のような音を立てさせる。がりがりがりと蛇腹の剣に削られるような衝撃に晒され、ぶ厚い刀身に巨大なヒビが広がる。一撃、また一撃と交互に振り下ろされる《ネフシュタンの鎧》による凄まじい攻撃によって、徐々に粉砕されていく刃の破片が飛翔し、翼の肢体や頬に赤い線をなぞらせる。

 痛々しい流血が雨に紛れた。

 それでも鎧の少女は攻撃の手を止めることはない。我を忘れて鞭を乱暴に振るう。負けじと耐え続ける翼の息の根を完全に止めてやろうと───殺意すら露わにして攻撃を続けた。

 

「綺麗事を言うんじゃねぇ……綺麗事で片付けるんじゃねぇ……‼︎」

 

 息が上がるが、手は休めない。

 

「おまえみたいなやつが……力を持ったと勘違いしたやつが……ギルスになって……あいつの苦しみが……ッ‼︎」

 

 無意識に唇を動かしていると少女は涙ぐんだ声に変わっていることに気がついた。ハッとした時には、全身の力がぬるぬると抜けてしまい、翼の大剣(アームドギア)へ激情に感けて叩きつけていた紫水晶の鞭に通う(フォース)が萎えてしまったかのように、ゆるゆるとした勢いで地面に音もなく落ちてしまった。

 急激に(フォース)を酷使してしまったが故に《ネフシュタンの鎧》の原動力たるエネルギーが底をついたのだろう。半永久的に機能できるとはいえ、使い方次第では一分も掛からずに停止してしまうのが完全聖遺物の弱点である。

 無論、これはまだ《ネフシュタンの鎧》の真価を発揮できていない面が強いこともある。少女はそれもまた悔しくて仕方がなかった。

 片手で放り出された鞭を粗暴な仕草で手繰り寄せると、尚も降り注ぐ雨に顔を濡らして、熱くなった頭を冷やそうとした。雨は落涙のように少女の冷たい頬へと流れていき、ぐしゃぐしゃに荒んだ心を洗い落とした。

 

「……笑わせんなよ」

 

 ぽつりと弱々しく呟いた。

 

「……笑うな」

 

 ぼそりと力強く返された。

 

「私の夢を笑うな」

 

 息を呑むほどの威圧すら感じさせる言葉だった。

 風鳴翼の状態は端的に表すなら重傷であった。右半身は使い物にならず、全身に打撲の痣が残り、至る所に裂かれた切り傷によって絶えず流血している。骨だって幾らか折れているに違いない。

 完膚なきまでに叩き潰してやった。

 鎧の少女はそう高を括っていた。もう立ち上がれまいと勝利を確信していた。だが、実際はどうだ。まだ彼女の剣は折れてはいなかった。

 脚は機能を放棄したようにガクガクと震えている。

 腕は筋肉が萎縮したように肩からだらんとぶら下がっている。

 指の関節すら動かせないのか、彼女の手は大剣(アームドギア)の柄に触れていられるのが限界のようだった。

 それでも風鳴翼の大きな瞳は少女を捉えて離さなかった。

 鎧の少女は揺るぎない闘志に気圧され、足を一歩だけ後ろへと退いた。退かずにはいられなかった。どうしてもその言葉だけは少女にとっては、恐れて然るべきものだったのだ。

 

 夢。

 

 ───やめろよ。夢なんて言葉を使うんじゃねぇ。

 

 ゆらゆらと曲がった膝を立ち上がらせながら「私の夢を笑うな」と翼はハッキリとした声色で言った。その目に大きな滴を溢れさせながら。

 

「誰かを守りたいという拙い気持ちを綺麗な夢だと笑ってくれた……誰かのために頑張れることは素敵なことなんだと背中を押してくれた……皆がそう言ってくれた、私の、私の───」

 

 渇いた血脈に再び熱い血潮が通ったかのように、ぎゅっと手足に力が込み上げてくる。

 

「風鳴翼の夢を───笑うなああああああッ‼︎」

 

 突如、銀色の大剣が砕けた。

 その巨大な刀身から一振りの刀剣───絶刀(アームドギア)を手にした翼は決死の雄叫びを上げながら、鎧の少女へと迷わずに肉薄する。少女はまだ呆然とした表情のまま鞭を手放している。これが最後のチャンスだ。この隙を逃すわけにはいかない。少しでも近づいて、あの鎧の防御力を上回る一撃を叩き込む。

 

 絶唱。

 

 天ノ羽々斬による絶唱。

 

 天羽奏のように誰かを守るために。

 

 風鳴翼の絶唱を歌う───‼︎

 

「───アタシには勝てないって言っただろ」

 

 鎧の少女が悲しげな口調で語った。

 

「───ッ⁉︎」

 

 それは背後からの強襲だった。

 滂沱の雨に萎れた草原の中に息を潜めていた紫色の蛇───ネフシュタンの(ムチ)が翼の脚を噛みつくように切り裂いた。

 装甲が粉砕され、血が雨水に滲むように散った。

 少女の手に鞭はない。だが、鎧と一体化している武装であるのなら、多少の操作は手動を介さずとも可能だったのかもしれない。そんな懸念すら見失っていた。悔しさよりも無力な自分への腹立たしさの方が強かった。

 敗北。

 疑いようもない敗北だった。

 翼の視界はどんよりとしたスローモーションの世界に変わる。走るどころか立つことすら維持できなくなって、ゆっくりと崩れ落ちるように地面に倒れ込んでいく。身体は糸の切れた人形のように言うことを聞かなくなって、冷たい雨が肌を覆う感覚だけがヤケに鮮明だった。

 闇の深みへ落ちていく感覚の最中───彼女の耳が拾ったのは「翼さん」と叫ぶように呼ぶ声だった。親しみのある声だった。最初は毛嫌いしていた声だった。親友のように眩しくて、子犬のように元気が良くて、話しているうちに、共に戦っているうちに、懐かしくて大切なものばかりを思い出させてくれた声だった。

 

 ───来てはダメ。

 

 未知なる完全聖遺物《ソロモンの杖》によって操られたノイズの軍団と交戦中であった立花響がこちらへ駆け寄ろうとしている。豪雨の中でもわかるぐらい泣きそうな顔つきで、ノイズを無理にでも振り切って、手を伸ばそうとしている。

 

 ───ダメだ。来てはならない。あなたは逃げなさい、今すぐに。

 

 声すら届かない。唇は動いているのに、声が出てこない。

 

 ───お願いだから、奏の力を他の誰かに奪わせないで。

 

 あなたになら託せるとやっと思えるようになった。

 天羽奏と同じ想いを胸に宿した立花響になら、その(ガングニール)で誰かを守るために歌ってくれると信じられるようになった。

 

 だから、それまでは私があなたを守ると───この剣に、この魂に、そして他でもない天羽奏に誓ったというのに───どうして、私はまた大事な時に───……。

 

 二年前を思い出す。

 

 二年前と同じことを繰り返すのかと自らに問う。

 

 嫌だ。嫌に決まっている。

 

 もう失いたくない。

 

 大切なものを失いたくない。

 

 ひとりで歌うステージは寂しいから。

 

 ひとりで駆ける戦場は怖いから。

 

 ひとりぼっちは悲しくて、どうしようもなく辛いから。

 

 もう一人は嫌だから───……!

 

 

「───私をひとりにしないで」

 

 

 それは誇り高き戦姫が零した涙ではない。

 護国に殉ずる防人の瞳から溢れ出した涙でもない。

 友を失いたくないと願った、どこにでもいる少女が流した落涙であったから───。

 

 

 〝ひとりにはしないよ〟

 

 

 その涙を拭う戦士(ヒーロー)がいたのだろう。

 

 

「………………」

 

 その声に聞き覚えがあった。だから、幻聴か何かなのだろう。

 だって、その人は戦いとは無縁の生き方をしている。暴力がとことん似合わない。子猫と昼食の焼き魚を取り合って負けているところを見たことがある。年下の少女によく土下座をしていて、とにかく腰の低い人で、戦いなんて経験しているはずがないような───ああ、でも、確かに、こういう時には絶対に駆けつけてくれそうな人ではあった。

 風鳴翼は重たい目蓋の隙間からぼんやりとそれを眺めた。

 雲の中にいるような遠い感覚のまま、その懐かしき名を口にした。

 

「あぎ、と……?」

 

 真っ赤な瞳と大きなツノが翼には見えたのだ。

 薄れゆく意識の中で揺蕩うように翼は異形の戦士の腕に抱かれて()()()()と眠りそうになった。深緑に覆われた鎧はどこか人間のように温かくて───とても寂しい鼓動に弾んでいた。

 どくん、どくん、どくん。

 ただの生きている音がとても優しく聴こえた。

 まるで、天使の柔らかな翼に包まれたかのような安心感と何処へでも飛び去ってしまいそうな空虚な悲しみに挟まれて、風鳴翼はただ一つだけ伝えなければならない言葉を口にした。

 

「ありがとう、()()()()()()

 

 ギルスは何も応えず、そのまま意識を手離した翼の頭をそっと優しく撫でた。




ひーろーはおくれてやってくる(オリ主くんのスダボロ具合から目を逸らして)

〈人物紹介みたいな変なやつ〉
○オリ主
ちょっと性格が良い奴すぎて作者が困ってる。おまえ…おまえ…って感じで書いてる。幸せになって。
○バーロー奏さん
いつのまにか正ヒロイン枠に収まりそうになっている子。夫婦漫才は無限に書けるぐらい楽しいけど、もうやらない。もうできない。
○ビッキー
これからが本番の子。もはや本作の癒し枠では? そう思ってる読者さまをドン底に突き落とす準備はできてる。
○SAKIMORI
日常で会う機会が少ないせいで戦闘でしかヒロイン力を上げられない不憫な子。まだまだ上がるぞ。
○キネクリ先輩
バッタさんのことが大好きすぎてメンドくせぇ拗らせ方をしちゃった子。実はとんでもねぇサプライズがある。
○393
諸事情でこれから出番が減る子。無印じゃ戦えないから仕方ないよね。だからこそ重要な役割があるんや。許して。
○御三家エンジェル
本作のド○えもん枠。果たして再登場はあるのか──まだ不明だぞ。

最近リアルがクッソ忙しいので次回の更新も時間がかかると思います。申し訳ない。これが普通のホモサピエンスの限界ですわ。


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♬.俺の死期は下乳に悟られているのかもしれない。

お気に入り9000突破…?


 いつの日だったか。どれだけの時間が経っていたのか。何度太陽と月が空の支配権を譲り合って、昼と夜を繰り返していたのか──外の世界から隔離されていた私には何も分からなかった。

 大人たちの冷淡な視線を浴びながら、私は私の中にある()()()を開花させようと足掻くけれど、祈りを捧げる矛先を見失った思念は硝子のように砕け散った。

 何度も点灯していた機械の手枷(ブレスレット)の光が消える。

 赤色の風車は今日も回らなかった。

 回らなければ何も変わらないのに、私には現状を打破しようとする気力さえ削がれていた。神さまにお祈りをする意味も理解できなくなって、魂が深い海の底に眠ってしまったように今はただ生きているだけで息苦しい。

 幾つもの嘆息が重なって聞こえた。あの大人たちはまた私に乱暴するのだろうか。それとも得体の知れない薬品を投与するのだろうか。もしかしたら、いよいよ私も無価値の烙印を押されて、廃棄処分が決定されるのだろうか。どっちでもいい。少し前に仲の良かった女の子がいたけれど、大人たちに用無しだと蔑まれて、評判の悪い資産家に売られていったらしいから、私もそうなるのかもしれない。それでもいいや。

 心は折れている。

 パパとママのいない世界を無理して生きようだなんて、これっぽちも思えなかったから──私は自分の命でさえ()()()()()()()()

 どうでもよかったんだ、この世のすべてが。

 吐き気を催す異臭が(こび)りついたコンクリートの寝床で薄い雑巾みたいな布切れに丸まって横たわる。小さな鉄窓から月明かりが差し込んで、那由多の果てに輝く星空を見上げながら、私は私が雪音クリスであった過去の残滓に縋ろうとする。

 無垢な少女であったあの頃に。

 パパとママの温かい手に繋がれていたあの頃に。

 音楽で世界が救えるのだと本気で信じていたあの滑稽な夢物語に──。

 

 (かじか)んだ唇をこじ開けて、稚拙な(こえ)を奏でようとすれば、乾いた瞳に涙が溜まるばかりで、醜い嗚咽すら捻り出せない。

 私はもう歌えない。

 歌いたくない。

 こんな世界で何を想って歌えばいい?

 誰の為に歌えばいいの?

 

 誰か教えて。

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ッ‼︎」

 

 その時の咆哮(こえ)を何と形容すべきか。

 血肉を欲する悪魔の産声か、はたまた(たけ)る獣畜の号哭か。

 そこには一切の感情が淘汰されていて、およそ人間性と呼べるものは何処にも見当たらない。

 〝本能〟──ただそれだけを背負う。

 生命のあるべき真実(すがた)咆哮(こえ)となって轟く。

 やがて、非常事態を報せる緊急の警音(サイレン)が研究施設の全域を蔽った。止め処なく乱射される銃火器の音。怒号と悲鳴が重なる阿鼻叫喚が自ずと聞こえてきた。

 物音が小さくなっていく。

 声が一つ一つ消されていく。

 死の匂いばかりが濃くなる一方、白衣の研究員が真っ青に染めた表情で一心不乱に走っている姿を目にした。白衣は真っ赤なペンキをぶちまけられたように汚れていて、よく見れば、片方の肩から先の腕が綺麗さっぱりに無くなっていた。趣味の悪いマジックだと私はぼんやりと考えていた。

 

 ──実験は失敗だ。あんなもの生まれるべきじゃなかった。

 

 そんなことを呟いて、私のような実験体の子供たちが何人も取り残された鉄の牢屋(ベッドルーム)には目も暮れず、屠畜場と化しているのであろう研究所から逃げるような足取りで去っていく。

 

 ──先史文明が破滅の道を選んだ理由がわかった。あんな化け物になるのなら、誰だって死んだ方がマシだ。ノイズが正しかったのだ。(いた)みを伴わない苦痛なき死こそが至高だったんだ。ヒヒヒッ、なんだその結末は。人類史の全否定ではないか。

 

 私たちを置き去りにして、狂ったように荒ぶる声が遠のいていく。

 

 ──ああ、そうだ。そうだとも。イコンにアギトが二人しかいなかったのは何故だ。簡単だ。必要とされなかったからだ。誰から? もちろん人間からだ!

 

 天井から何か巨大なものが這いずる音が聞こえる。それも異常に速い。

 

 ──進化とは何かを切り捨てることだ。(かつ)て生物の偉大なる祖先の多くが母なる海を捨てたように、アギトもまた捨てたのだ。何を捨てた? 決まっているだろう、すべてだ! だから、あんな不完全なもので溢れ返ったのだ! 人類は最初からどうでもよかったんだ。心を殺してまで生きたいだなんて誰も思っていなかったんだ。みんな死にたがっていたんだ。ずっと、昔から、死にたくて、死にたくて、死にたくて‼︎

 

 ずるずるずるずると天井の音が隻腕の研究員を執拗に追跡する。

 

 まるで、食べ損ねた餌を追いかけているみたい。

 

 ──あれが〝生きる〟という生命活動の究極の形であるのなら、命の価値などゴミにも等しい‼︎ あああ、やめろ、私の命を糧にするな‼︎ おまえはもうアギトにはなれない‼︎ 私の命に縋るなああああああ‼︎

 

 プツリと電源が落ちたように発狂した金切り声はそれ以降聞こえなくなってしまった。

 そして、私は知った。

 本物のバケモノとは何かを。

 神の力に手を伸ばした愚者の末路を。

 

 私は知ったのだ。

 

「──■サないデ」

 

 この世界はとっくに地獄だったのだと。

 

 

***

 

 

 乱暴な降雨が禊の如く血と汚泥に塗れた(からだ)を洗い流す。

 冷たい唇の隙間から堪らず(あふ)れた吐息は白煙の塊となって、暗雲に満たされた闇夜に重々しく舞う。肢体を(つた)う無躾な雨粒に貫かれるような寒さを覚えた。捨てられた子犬のようにその場に(うずくま)ることを(ゆる)されるのなら、どれだけ気が楽になったことか。

 これまでとは比にならない圧巻とした緊張の渦が肉を得て、片膝をついてそこに坐していた。

 血みどろだった。

 誰よりも傷ついて。

 何よりも苦しそうだった。

 意識を失った風鳴翼を抱きかかえる深緑の両腕から引き千切れられた金色の触手がだらりとぶら下がり、鮮やかな生肉の色を衆目に晒している。生い茂る緑の上に赤く染めた雨の滴を絶えず垂らし、死の沈黙を(かたど)るように微動だにしない。

 獣がいる。

 ここにいるはずもない、神話の獣が。

 鋭い悪寒が稲妻のように背筋を走る。喉元まで胃液が逆流するような感覚が胸中から迫り上がってきた。恐れているのか、この私が──無意識に二の腕を摩る鎧の少女は頭を横に振った。ふざけるな、と怨敵を見据えるような荒々しい瞳で(それ)と相対する。

 忌まわしき神話の再来を告げるかのように獣の慟哭が赤色の瞳に宿り、滴る闇の中で妖しく灯る。

 青銅の鱗鎧が天の涙に打たれながら、その許容しがたい光景を睨み続けた。決して臆したわけではない。恐怖に打ち克つ憎悪にも似た感情がここにあるのだ。

 

「ギルス」

 

 鎧の少女は傷だらけの獣をそう呼称した。

 

「ギルス……」

 

 その名を耳にして、立花響が反芻するように口にする。

 

 ギルスは何も答えない。

 鮮血じみた赤に彩られた(まなこ)の深い視線は腕の中で眠る少女に注がれていた。

 白い肌をぽたぽたと雨粒が叩いても、まるで目覚める気配をはない。母親に抱かれて寝息を立てる幼子のように安らかな顔だ。(つるぎ)のように凛とした様相を崩さない普段の風鳴翼からは想像もできない安心しきった表情は和やかに緩んでいた。

 外傷は多い。派手に血が出ている。だが、命に関わるような怪我は受けていない。失血の心配もないだろう。破傷風の危険性が高いぐらいだ。

 全治三ヶ月の負傷かと誤認してしまう傷ましさだが、意外にも骨は折れていない。肋骨と上腕骨にかけて複数の亀裂が入っているが、奇跡的にも骨折には至っていない。土壇場において、天ノ羽々斬(シンフォギア )に備わる防御の性質が潜在的に引き上げられていたというのか。

 一週間は絶対安静が必要。それからは様子見と言ったところか。

 ぼやける頭の中で淡々と結論を弾き出し、ギルスは長い沈黙の果てに動いた。

 

「───⁉︎」

 

 鎧の少女には、一瞬にして姿が消えたように見えた。

 咄嗟に身構えて視線を左右に振るう。索敵に時間は必要なかった。目の届く範囲にギルスが留まっていたからだ。雨を凌ぐに申し分ない広葉樹の木陰で、物音一つ立てず、満身創痍となった風鳴翼を慣れた手際で寝かせている。か細い身体を慎重に地面へ下ろして、大樹の幹に背中を預けさせる一連の丁寧な動作は熟達した看護師のようだ。

 異形の怪人はあまりに人間の扱いに長けていた。その事実が筆舌に尽くし難い奇妙な情景を抱かせる。

 

 安らかに目蓋を閉じた少女の顔。無遠慮に垂れ下がる濡れた前髪を指で優しく掻き分けて、気道の確保まで済ませると、何事もなかったかのようにギルスは平然と腰を上げた。

 だが、その行動は制止を余儀なくされる。

 小指が握られていた。

 ぎゅっと力強く握られていた。

 意識は損なわれているはず。気絶していたと誤認したわけでもあるまい。しかし、現に風鳴翼の弱々しい掌の中には(ギルス)の小指に値する部位を離さまいと力一杯に握られていた。

 

「…………」

 

 感情の推移を覆い隠す無情の仮面から初めての動揺を感じられた。

 扱いに困ったわけではない。

 ただ、重かった。

 それだけの話。

 荷物がまた一つ増えただけだ。

 (ギルス)は血の色が染みついた両手で辿々(たどたど)しく少女の手を包み込むように握り返す。そこに人並みの感覚(ぬくもり)が篭っているとは考えてもいない。これは死人のように冷たい手だ。いずれ灰塵のように朽ち果て、奈落の底に沈むだけの哀れな獣の腕に過ぎない。

 

 きみが握る手はこれじゃないだろ。

 

 (もつ)れた糸を(ほど)くように少女の手を振り払って、成すべきことを成すために、深緑の獣は〝敵〟と対峙する。

 

「はじめましての挨拶は必要か?」

 

 鎧の少女が満を辞して口を開いた。

 ギルスは当然のように言葉を返さない。滂沱に晒された戦場へと重々しい歩みを進めるだけだ。

 だが、その足は少女の発する次の言葉でピタリと止まった。

 

「おまえさ、もうじき死ぬんだろ」

 

 凍りついた世界に亀裂が入る音がした。

 

 

***

 

 

 何を言っているのか、最初はわからなかった。

 ゆっくりと時間をかけて、たった数文字の言葉の真意を嚥下した。

 おかしな話をする子だと天羽奏(あたし)は笑うことで納得をした。

 だって、そうだろう?

 この青年(バカ)が死ぬはずないじゃないか。

 生命力がゴキブリみたいで、倒れてもゾンビのようにすぐ復活するようなヤツだぞ? みんなが真剣な顔してる時もくだらないギャグばかりを考えて、頭の中じゃいつもミラーボールが回ってるような、なんか、こう、一人だけ世界観が違うような、そんな愛らしいバカがどうして死なきゃいけないんだ。

 さっきだって、暴走した電車を止めるために力づくで抑え込んで、濡れた軌条に足を滑らせて、思いっきり車輪に巻き込まれたくせに「ンンwwwこれで拙者もプロシュート兄貴ですぞwww」とかよくわかんないこと言うし「中世ヨーロッパの拷問体験コース受けてるみたい(感想)」とか「待って。このままだと燻製肉太郎つーか挽肉太郎コースじゃん。ハンバーグにされるやつじゃん。これはトラロック不可避」とか、絵面はとことんグロくて死ぬほど痛そうなのに、軽口ばかりを叩いてやがった。

 結局、こんな痛みは慣れたもんだと笑い飛ばして、泣き言一つも漏らさず、戦場(ここ)まで戻ってきたんだ。千切れかけた脚も、粉砕された骨も、見たところ怪我の大半は再生を完了してる。すごい能力(チカラ)だ。こんなにも心身ともにタフな奴がそうそう死ぬわけないだろ。

 みんな知らないだろうけど、こいつは現職のドクターみたいに怪我や病気にめっぽう詳しいんだ。いざとなったら勝手に一人でテキパキと治療するし、ぱっくり裂いた傷口を糸で器用に縫合なんてこともする。大丈夫だとか心配しなくていいとか、けらけら笑いながら言ってるうちは本当にいつも大丈夫だったんだ。戦闘中に攻撃を食らって、キツそうにしてても、痛いのは今だけだって、()()()()()()って、あたしに教えてくれた。

 

 死にはしないってハッキリ言ってくれた。

 

 言ってくれたんだ。

 

 ほら、またお前のことを勘違いしている子がいるぞ。

 いつもみたいに馬鹿馬鹿しく笑い飛ばしてやれ。

 空気の読めない場違いな無駄口をいっぱい叩いてやれ。

 どうせ、あたし以外に心の声は聞こえないけど、いつまでも黙ったままなんてお喋りなお前らしくないだろう。せめて、あたしだけは聞いてやるからさ。みっともない愚痴でも、小馬鹿にしたような煽りでも、まったく関係のない与太話でも──ずっと聞いてやるからさ。

 

 俺がそんなんで死ぬものかって、言ってやれよ。

 仮面ライダーは死なないって、教えてやれよ。

 

 …………。

 

 なあ、翔一。

 

 なんでそんなに難しい顔してるんだ。

 

 どうして、何も言わないんだ。

 

 

***

 

 

「…………え」

 

 苦悶に満ちた沈黙を破ったのは立花響の絶望に触れたかのような声だった。理解が追いつかない虚無めいた感情が息となって吐き出されたように、中身のない伽藍堂の声が豪雨に浸された公園に異様なほど響いた。

 戦意など保てず、心の整理も手につかず、唯一の武器である固い拳が力を失って無防備に開かれる。腕を肩からぶら下げているような脱力感に支配され、響の戸惑いだけが見え隠れする目線はごく自然にギルスへと注がれた。

 

 (ギルス)はただ受け入れていた、悲しみの雨に打たれることを。

 

(死ぬ? 未確認生命体第三号が? いつも私を助けてくれた三号さんが? なんで? どうして? 違うよ。違う。だって、だって──)

 

 疑問と否定が混在する。

 何のリアクションも起こさず、機械のような黙殺の様相を貫くギルスに痺れを切らした鎧の少女は耳を塞ぎたくなるような事実を淡々と述べる。

 

「ギルス──いや、ネフィリム? どっちでもいいか。違いなんてほとんどありゃしない。

 おまえの生命活動に必要なものと言えば、聖遺物が生み出す特有のフォニックゲインに加えて、人間の生命(いのち)そのものが固有振動として発する霊魂(たましい)のフォニックゲイン──この二種類だけだ。

 そのどちらかを食っちまわないと、大気の物質を取り込めないギルスは生命維持に必要な量のオルタフォースを体内で変換できない。そうなりゃ、歩くどころか、呼吸することもできなくなって、いずれは餓死寸前の野良犬みたいにポックリとくたばる」

 

 ギルスに反応はない。

 自らを戒めるように、彼女が語る事実に黙って耳を傾けていた。

 

「そうなりたくなけりゃ、聖遺物か人間のどちらかを食うしかない。

 手っ取り早いのは人間の方だ。限られた数しか発見されていない聖遺物より、そこら中に五万といる人類の一人や二人をつまむ方が楽だもんな。超古代の文明じゃ、そのせいで酷いことになったらしいけど、アタシもそこまでは知らないし、知る気もない」

 

 少女の口調は挑発するような語気があったが、縛るように細められた双眸からは不快な怒りを携えていることが容易に窺える。

 彼女は怒っている、人肉を喰らうことで生を謳歌する忌まわしき(ギルス)に対して。

 声色がより冷たくなる。

 

「でも、おまえはその手段を選ばなかった。未確認生命体第三号が出現してから、行方不明者の数は寧ろ減少していたらしいし、人食いの事件なんて一件も起きちゃいない。

 だったら、どっかの組織や施設から世間に公表されてねぇ聖遺物をブンどって、それを腹ん中に収めてんのかと思えば、そういうわけでもない」

 

 鎧の少女の鋭い指先が、雨水が滴る(ギルス)の真紅へと突き立てるように向けられる。

 

「残る可能性として考えられるのは、自分自身の生命(いのち)を削るしか──おまえがそこにいる理由にはならない」

 

 人間にのみ波形される魂の音色(フォニックゲイン)──それは大地に芽吹いた生命の鼓動が織りなす旋律であり、端的に言い表すならば、寿命と言っても差し支えなかった。

 (はじまり)があれば(おわり)もある。

 代償とは、常に等価であることを求められる。命の対価は命で支払う。揺れる生の天秤は死を(もたら)される事によってのみ均衡を保つ。矛盾ではない。生命(いのち)と等価であるモノなど、死を措いて他にないのだ。

 

 易々と頷き難い真実を突き付けらた立花響は流暢に機能しなくなった唇と舌を無理に動かして、鎧の少女へ煮えたぎった反論めいた疑問をぶつけた。

 

「ま、待って。そんなわけない。おかしいよ。だって、だって、三号さんは」

 

 人間の命を糧にするために血肉を欲し、その結果として自らの命を糧に変えて生きているというのなら、それはつまり──……。

 

「人間じゃないってか? 馬鹿言えよ。こいつは正真正銘()()人間だ」

 

 鎧の少女が呆れ果てたと言わんばかりの眼光を無知な少女に向けた。

 

「そんなことも知らねぇのか。ギルスには人間の理性がまだ残ってる。〝ネフィリム〟に進化すればそいつも完全に失われるが、こいつは人間としての半面を持ってる〝ギルス〟なんだよ」

 

 だからこそ、タチが悪い──吐き捨てるように少女は言った。

 

「どのみち、ギルスもネフィリムも食うことしか能がない。タガが外れてるか、外れかけてるか、そんな些細な違いだ。人間としての心が残ってるうちに、人間として殺してやるのがせめてもの良心ってやつだ」

 

 少女は紫水晶(アメジスト)の双鞭を如何なる距離にも対応できるように手繰(たぐ)り寄せる。

 

「……あいつだって、そうしてた」

 

 激しい雨音に掻き消されるほどの憂慮に染まった小さな囁きを残して。

 

「ほら、構えろよ、未確認生命体第三号。おまえはここに戦いに来たんだろ⁉︎ アタシの《ネフシュタンの鎧》を食いたきゃ、力づくでやるんだな! その死にかけの肉体(カラダ)で完全聖遺物とどこまで張り合えるかは目に見えているけどなッ」

 

「ダメッ‼︎ そんなことはさせない!」

 

 ばしゃばしゃと泥濘(ぬかる)んた芝生を踏みながら、立花響が(ギルス)を庇うように立ち塞がる。

 

「どけよ。おまえは後だ‼︎」

 

「どかない‼︎ この人は絶対にやらせない!」

 

「テメェ……ッ‼︎」

 

 鎧の少女は奥歯を噛み締める。

 

「だったら、お望み通り、おまえから相手してやるよ!」

 

 話し合いの余地など(はな)からありはしないと明確な殺意が物語る。あの風鳴翼を(くだ)した手練れだ。戦闘経験に乏しい響の実力では一方的な展開になるだろう。それを理解した上で、奮戦せねばならないと覚悟を決めた響は弱々しく震撼する拳を無理にでも握った。

 鵜呑みにすべきではないが、鎧の少女が語った話が、仮にでも真実であるとすれば、立花響はどのような強者が相手であれ一歩たりとも引き退るわけにはいかなくなった。

 未確認生命体第三号──ギルス。

 彼は幾度となく窮地を救ってくれたのだ。響が撃槍(ガングニール)の装者として戦場に足を踏み入れたこの一月の間、人と獣の狭間で(もが)き苦しむ異形の戦士は、確実に近づきつつある死の(とき)を憂いもせず、ただひたすらに未熟な少女を見守っていた。

 

 戦姫として覚醒したあの時から、ずっと、ずっと──私が傷つかないように。

 

 その両手で優しく守ってくれていたから。

 

「今度は私が守る番……! 何があっても、私が()()()さんを助け──」

 

 不意に肩を掴まれた。

 戸惑う暇もなく、強引な膂力で後方へと投げ飛ばされる。

 

「──っ⁉︎ ギルス……さ……ん?」

 

 泥水が弾ける冷たい芝生の上に叩きつけられるように尻餅をついてしまった響は降雨に打たれる雄々しき異形の背中を目にした。人体とは異なる骨格を顕著に浮き彫りとする禍々しい背が()()()()と音を鳴らして躍動する。

 その光景には、胸の芯からゾッとする悪寒を駆り立てる(おぞま)しいばかりの不気味さがあった。

 

 硬質の鎧たる皮膚の内側で何か別種の生物が蠢いている。

 

 それは(ギルス)という繭を食い破らんと軀を(うね)らせ、激しく暴れ回っていた。まだ力は弱いのだろう。ゴムの弾力に押し返されるように強硬の生体装甲(バイオチェスト)に幾度も阻まれている。進化を求む内なる獣と変化を拒む外なる獣の対立がそこにはあった。

 生理的な嫌悪感を覚える面妖な動き方に響は鳥肌を立てる。その一瞬、地を這い、四肢に巻きつき、毒牙を突き立てる百足(ムカデ)のような蟲害の影が見えた。

 

 あれは……寄生蟲……?

 

 そうして、二人──いや、三人は気付いた。

 黙する(ギルス)は鎧の少女の言葉に耳を傾けていたわけではない。

 力の暴発。あるいは災厄を呼び込む進化の予兆。肉体の裏側で御せぬ闇の動乱を抑え込もうと必死に抗っていたに過ぎない。

 度重なる戦闘(たたかい)の連鎖に怯まず、(ギルス)の力を行使することを惜しまず、盲目となって駆け抜けたその体躯は疲労を極めている。肉体のあらゆる機能が急激に弱まっていた。加えて、致命傷の域に達する外傷の数々を治癒すべく、僅かな余力さえ搾り切った。

 雀の涙も力は残されていない。今の彼が内なる堕天の獣(ネフィリム)を抑えられる(すべ)があるとすれば、それは精神による屈服だけ。意識すら半透明に()ける状態でどこまで堕天の獣(ネフィリム)を従わせられるか──誰にもわからない。

 

「■ァ……■■ゥ……ッ」

 

 ギルスの喉から喘ぐような嗚咽が漏れる。

 

「まッ……ァ■■……■ア■■……■ッ……だァ■■な■るぅかアアアアアアッ‼︎」

 

 解放された大顎(クラッシャー)から声帯を握り潰されたような(しゃが)れた絶叫が天地に走る。

 よもや、その声に「恐ろしい」などという明瞭な言葉は当てはまらない。耳を突くような咆哮(こえ)を前にして、響が抱かざるを得なかった感情の姿は決して恐怖などではない。目を逸らしたくなるような痛みへの悲哀。鳴いて血を吐く獣への届かない同情の果て。

 なんで、そんなに辛そうなのに戦うんですか?

 疑問。

 もしかしたら、死んじゃうかもしれないのに、どうしていつも私を守ってくれるんですか?

 疑問。疑問。

 あなたはいったい誰ですか?

 疑問。疑問。疑問──ではない。

 立花響がその瞳で見つめる先には、(ギルス)の背中があって、傷ついた人間(ひと)の背中がある。幻惑として重なる一人の青年の背中が響の左胸に鼓動する鐘を乱暴に叩いた。

 

 大切な人によく似た──孤独な背中。

 

 本当によく似ている、思わず、苦しくて見間違うほどに。

 

「…………」

 

 だらりと両手を無気力にぶら下げるギルスは曇天を仰ぎ、背に隠れた少女を一瞥することもなく、諌めるように告げる。

 

「──()()()()()

 

 声がした。──ありえない。

 人間の声だった。──似ていた。

 どこかで聞いたことがあるような声だった。──聞き間違いだ。

 そして、聞いたこともない冷ややかな声だった。──聞き間違いに決まってる。

 

 だって、あんなに怖い声を出せるような人じゃないもん。

 

 少女の動揺など知らぬギルスは右腕の生命鎧(ライヴアームズ)から伸ばされていた触手を掴んだ。金色の間接肢はすでに千切れている。捻れた断面から白桃色の肉叢がはみ出ている始末だ。到底使い物にはならない。武器たる悪魔の触手(ギルスフィーラー)を構成する筋肉繊維の神経は機能の大半を放棄している。

 この触手は死んでいる。

 いや、触手だけではない。この崩れかけの肉体(カラダ)では、いよいよ命を()てなくなってきた。外面だけの見せかけの再生では限度がある。無理に繋ぎ合わせた骨髄が軋んで悲鳴を上げている。酷使された細胞が次々と壊死して腐り落ちていくのが体感でも知覚できる。(あな)の空いた臓器では正常な活動などできるはずもなく、隈なく全身に悪影響が出ている。

 

 見ろ、俺の中に眠っていた寄生蟲(ギルスワーム)が騒ぎ始めていやがる。

 

 おまえは正気なのか、と──俺の狂気を笑っていやがる。

 

 死に絶えたはずの悪魔の触手(ギルスフィーラー)を腕力で引き抜こうとするが、卑しい痛覚の神経がまだ生き残っていたらしく、小さく舌打ちを吐き捨てた。

 今さら痛みなどで俺を止められるはずがないのに──仮面の下に埋もれた嘲笑は誰に向けての侮蔑なのかは定かではない。

 緑の腕から叫喚する赤い飛沫が潰れた果実のように飛び散る。()()()()()()()()。肉と骨が引き剥がされる不快な音が狂気を奏でる。溢れんばかりの血潮が滝となって緑の腕から滴り、地を赤の領域に変える。

 響は耳と目を同時に塞ぎたくなって、残虐に狂った光景から目を離そうとして──できなかった。今ここで目を逸らせば、何か大切なものを見落としてしまう気がしたのだ。

 

 ブチリ、と食い千切られたような音がして。

 

 血に()()()

 

 生命鎧(ライヴアームズ)から新たに生成された悪魔の触手(ギルスフィーラー)が雨天の闇に解き放たれる。

 (よど)んだ鮮血を滴らせた触手は輝かしい金の色相を醜悪に滲ませ、生命(いのち)(ほとばし)る彩へ染め上げられた。血の色だ。彼岸花よりも濃い死の色彩。腹を裂けば出てくる。腕を切り落とせば溢れてくる。生物の胎内に等しく流れる命の泉。人間が忌み嫌う鮮やかで邪悪な色。

 ()()()()()()──。

 忌避すべき色相に侵された触手は(ギルス)の腕の装甲を突き破って、それ自体が生きているかのような独特の()()()を加えながら、まだ延々と伸び続ける。背中でのたうち回っていた寄生蟲が新たな触手の正体であることは大凡(おおよそ)の察しがついた。獣腕の内部から毒蟲の如き異物が巻きついている影が見えるのだ。肩甲骨に値する部位から発生したであろう悪魔の触手(ギルスフィーラー)は骨と肉を縛りつけながら、雨粒に紛れて血涙を滴らせている。

 

 あの色は間違いなく(ギルス)の血液。

 

 だが、そうであったとしても──。

 

 ただの返り血にしてはあまりにも美しかった。

 

「すぐに終わる」

 

 紅血の悪魔の触手(ギルスフィーラー)が旋風した。

 

 




Q.それ本当にギルスフィーラーか?スティンガーじゃない?
A.うるせえ2Pカラーのギルスフィーラーなんだよ!エクスラッガー用意して出直してこい!

以下、ロクでもねぇおまけ(胸糞注意)

〈男性二人と子供の声が録音されたテープ〉
「おまえの廃棄が決定した」
「……え」
「地雷で両脚を吹っ飛ばし、働けなくなったお前をモルモットとして安値で買ったはいいが、これ以上お前に使い道はないと判断した。我々は慈善団体ではない。使えなくなれば即切り捨てる」
「廃棄処分だ。神に祈る時間はくれてやる(銃の安全装置が外れる音)」
「ま、待って‼︎ お願い殺さないで‼︎ なんでも、なんでもするから殺さないで‼︎」
「(深いため息)そういえば、例の組織から横流ししてもらったあの疑わしい因子が……」
「培養に成功したという(ひどいノイズで聞こえない)の因子か」
「はい。欧州での一件がありますし、例の遺骸と共に発見された(ひどいノイズで聞こえない)は完全聖遺物の指定を受けたと聞き及んでおります」
「(長い沈黙)ふむ、こんな命にもまだ使い道があったか。万が一の事態に陥ったとしても、この脚では何もできまい。よし。使えんガキどもを集めて、両脚を切り下ろしておけ」
「はい。そのように」
「殺さないで殺さないで殺さないで……」

察して(無茶振り)


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♭.俺にとっては最悪な状況に陥るかもしれない。

地雷で雪合戦しようぜ!!!(支離滅裂な発言)


 青銅の蛇(ネフシュタン)

 俺の粗末な脳味噌が保有している記憶が正しければ、その出典は世界で最も親しまれる書物の一冊たる旧約聖書まで遡るはずだ。

 それは苦しくも険しい長き旅を強いられるイスラエルの民が口にした神への不満から始まった。四十年間にも渡り、果てなき荒野を彷徨い続けた彼らは、導き手たる神に向けて不満を口にした。先の見えない旅路に人々の精神は参っていたに違いない。

 しかし、どのような理由や理屈があれ、神の意向に逆らう事は地上で最も罪深き咎である。イスラエルの民には当然のように過度な天罰が下ることになった。

 それは毒蛇。

 神はイスラエルの民に死の蛇を放ったのだ。

 毒蛇に咬まれた民が大勢死んだ。そして、これからも死ぬことになる。偉大なる神が愚かな人間への戒めとして顕現させた天災。それに抗う(すべ)など一介の民が持ち得るはずもなく、イスラエルの民は必死に天へ許しを乞うことしかできなかった。

 彼らを率いるモーゼは神に祈った。主よ、愚かな我等をお許しください、と──その信心たる祈りは神へ届くに至る。

 神はモーゼに「青銅で蛇を造れ」と啓示を授ける。青銅の蛇を旗竿に掲げることによって、たとえ毒蛇に咬まれたとしても、それを仰ぎ見れば無事に命は助かるだろうと神は告げる。

 そして、モーゼは神の言葉の通りに青銅の蛇を造り、それを掲げることによって、イスラエルの民を毒蛇から救ったのだ──という内容だったはず。

 

 言うまでもなく、イスラエルの民を毒蛇から守った青銅の蛇こそが例のNehushtan(ネフシュタン)だ。

 中世の解釈では、旗竿に掲げられた青銅の蛇(ネフシュタン)は後々の時代で十字架に磔の刑に処されたキリストの前兆だったという考え方もある。聖書だけあって諸説や研究史は大量に有るが、俺もそこまで詳しくないので割愛させてもらう。

 重要なのは青銅の蛇(ネフシュタン)に施された神の加護が人間を死から()()()という一点にのみ注がれているということ。これが再生能力として現物に反映されているということなら納得もできるが、大きな問題が一つある。

 

 青銅の蛇(ネフシュタン)は鎧じゃない。

 

 本来、青銅の蛇(ネフシュタン)で生成された鱗の鎧(スケイルメイル)なんて物騒極まりない代物はどこにも存在してない。謂わば『戦姫絶唱シンフォギア』のオリジナルの物品である。史実と異なる神話の遺産がどのような能力を持つのか──頼りとなるのは原作アニメの知識に絞られる。

 あの魅惑の南半球を曝け出すエチエチな白タイツがとんでもねぇ再生力を兼ねた兵装であることは、アニメの記憶がぼんやりとしているニワカファンの俺でも覚えている。完全な融合を果たせば、最強生物(OTONA)による渾身の一撃を喰らっても、完治に至るまでの高速再生を可能としていたはずだ。

 故に、生半可な攻撃では退けられない。

 だが、制御も(まま)ならない不安定な今の(ギルス)では最悪の場合も起こり得る。

 

 雪音クリスを無傷で撤退させるには、俺はどれだけの力で戦えばいい──?

 

 わかっている。

 (おまえ)は甘いと言うのだろう。

 この期に及んで、死に瀕した状態であるにも(かかわ)らず、未だに手心を加えようとしている。

 そんな俺をおまえは腹の底から(わら)うだろう。

 でも、いいんだ。

 やらせてくれ。

 あの子たちは俺とは違う。

 本物と偽物。

 異物である俺が死んでも、世界は変わらない。

 だが、戦姫(メインキャラクター)の死は世界の過失だ。逆に彼女たちさえ生きていれば、それで世界は如何(どう)とでもなるだろう。短慮で楽観的な結論には違いないが、この世界はそうあるべきなのだ。何かが欠けていようと何かが混じっていようと、覆ることのない残酷な事実として、この世界は『戦姫絶唱シンフォギア』という物語の仮面を被っているのだから。

 

 それにね。

 俺はまだ死なないよ。

 だって、死ぬときは孤独(ひとり)で──そう決めてるんだ。

 

 ずっと、ずっと昔から。

 

 決めていた気がするんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〝不愉快〟

 

 大脳が犯される不快な感覚。

 

 〝極めて()()()()()

 

 視界が真っ黒に染まる。

 

 〝(まこと)(いつわり)──そこに境界線など在りはせぬ。所詮、(すべ)て等しく白痴(まやかし)に過ぎん。誰が死のうと何が消え失せようと意味など皆無だ〟

 

 誰かが俺の頬を優しく撫でる。

 妖艶な冷笑が耳の内側から囁く。

 

 〝絶対なる神の遊戯(きまぐれ)で世界はあるべき真実(すがた)を奪われた。この世界(ほし)に貴様が悶え苦しむほどの価値はない〟

 

 姦淫な手掌が冷たく心臓を握る。

 

 〝ゆえに却下である。貴様の(いのち)は我のものだ〟

 

 なんだこれは。

 だれだこれは。

 意識の介入──?

 思考の改変──?

 そんな埒外な芸当を可能にするのは熾天使(エルロード)ぐらいだ──。

 

 〝忌々しい()を語るな。魂の内側(ここ)には貴様と我しかおらぬ。如何なる存在も我らの逢瀬は邪魔できぬ〟

 

 (ちがう)

 

 〝何も考えずとも良い。今宵は許諾(ゆる)そう、我が胸の中で眠ることを……〟

 

 これは──。

 

 〝一緒(とも)に尽きるぞ、我が(アギト)よ〟

 

 呪縛(のろい)だ。

 

 

 

***

 

 

 解き放たれた深紅の悪魔の触手(ギルスフィーラー)が篠突く雨へ凄惨に躍る。

 血を啜る悪鬼めいた蟲の関節肢から白刃の如き旋風が巻き起こり、雑音(ノイズ)の残党を瞬く間に斬り裂いた。完全聖遺物《ソロモンの杖》によって従順に操られていたノイズの(からだ)には喰い千切られたかのような残虐な(あな)が空き、塵芥の煤へと霧散する。

 一振り、二振り──(ギルス)は腕力のみで荒波が打つ曲線を強引に発生させ、猛獣を調教する陰険な曲芸師のように血染めの触手(ムチ)を乱暴に振り下ろす。

 地面に女々しく尻餅をついたままの立花響は反射的に顔を伏せた。彼女の周囲に仰々しく蔓延(はびこ)るノイズの群集が抵抗も反応も許されず、埃を払うような一瞬の内に蹴散らされる。酷烈な一撃で串刺にされる炭素の肉塊が闇夜の雨に躍り狂った。

 今宵の悪魔の触手(ギルスフィーラー)は血に飢えている。

 まるで、産まれたばかりの幼虫が腹を空かせているように。

 

「この野郎ッ‼︎」

 

 数秒の遅れは(ギルス)の生命力を侮っていたため──底知れぬ恐怖を噛み殺し、鎧の少女は両腕に力を込めた。

 紫水晶(アメジスト)の双鞭を回転させ、凄まじい遠心力を加えた即死の攻撃を手負いの(ギルス)へ仕掛ける。完全聖遺物の一部たる武装(ムチ)の最大瞬間速度は容易く音速に至った。目視では追えない。直感に縋るには手傷を負い過ぎた。

 ならば、防御が最善か?

 ギルスは()()()()と壊死した体細胞が液体へと溶解しつつある左腕を冷たく一瞥した。溶け落ちた黒色の生体装甲皮膚(ミューテートスキン)の隙間から生身の肌が少しだけ顔を(チラつ)かせている。薄っぺらい外面(ガワ)だけでは耐えられまい。もはや、防御性能に関してはただの人間以下と言えるだろう。

 防御は愚策。

 軌道を完全に予測する他あるまい。

 二本の鞭が鉄槌となって大地を揺るがす強烈な殴打を叩き込む。火薬を仕込んでいるかと疑えるほど湿った地表は大袈裟に爆ぜた。直撃すれば(おわり)が待つことが否応なく察せられる。絶え間ない衝撃に噴出された土塊へ紛れながら(ギルス)は豹の如き俊敏さで前転を繰り返して回避に徹する。

 

 敵は武器ではない。その使い手である。

 人間であるなら、幾分御しやすい。

 

 得体の知れない確信が神経を辿って、重篤の筋肉をマリオネットのように突き動かす。

 本能が赴くままに──生命のあるべき真理(かたち)がギルスの身も心も溶かしていく。

 戦闘(たたかい)だ。これこそが殺し合いだ。雑魚(ノイズ)の掃除とはワケが違う。血と肉が沸き立つ容赦無用の死合だ。見ろ、この魂に刻まれた鏖殺の記憶が無邪気に喜んでいるではないか。

 

 〝戦いだけが、俺が何者であるかを教えてくれる──‼︎〟

 

 無貌の面に閉ざされた口角が無意識に吊り上がる。

 前転直後に発生する硬直を弾力(バネ)に変え、泥濘(ぬかる)んだ大地を踏み締めて弾かれたように敵へと疾走を開始する。爆発的な速度で距離を詰めるギルスに対して、冷静を(よそお)った鎧の少女は鞭を大きく手繰(たぐ)って水平に薙ぎ払う。空間が(ひず)むような悲鳴が紫水晶(アメジスト)の刃から響き渡り、雨の帳を烈々として引き裂いた。

 目と鼻の先まで迫る一撃──ギルスは雲を全身で仰ぐように体躯を逸らし、鞭の真下に滑り込んだ。スライディングによる紙一重の回避。雨によって濡れた地面ではスピードが衰えることはない。

 

「それ以上近づけると思うなよ、バケモノ‼︎」

 

 驚愕に顔を歪める少女が間髪入れずもう一方の鞭を頭上に掲げてから強力な一撃を振り下ろした。それとほぼ同時。危機察知の超感覚に優れたギルスは怒涛の接近を潔く中断し、後方へ跳ぶようにして距離を取る。咄嗟の判断から行動に移すまでが異常に(はや)い──標的を見失った鞭先は湿った土壌を無闇に抉るしかなかった。

 

(反応速度が馬鹿みてぇに速い──!)

 

 少女の舌打ちは誰の耳にも届くことはない。

 認めたくはないが、反射神経は(ギルス)の方が格段に上だ。加えて、あの()()()()()()()()達人の如き体捌き──恐らく白兵戦に持ち込まれた時点で自分は敗北するだろう。

 何がなんでも(やつ)を近づけさせない。

 万が一にもあの妖拳の射程まで接近を許せば、命の保障はない──!

 

「…………」

 

 曇天に唸るような雷鳴が轟いた。

 降り頻る雨粒は勢いを増すばかり。

 視界が(かげ)る所為か、余計な思慮ばかりが膿のように深まる。(いくさ)の最中にも(かかわ)らず、少女の脳内に青白い過去の憧憬が遠慮も知らずに膨らんだ。

 大切な思い出、その一つが頭の中に巡る。

 堕天の獣(ネフィリム)──人間(ひと)であることを捨てた暴食の獣を前にして、()()()()()

 せめて、人の手で安らかに眠ってほしい、と──泣きながら血だらけの拳を握った。

 俺がやらねばならないのだ。こんなふざけた仕事を、俺以外にやらせてたまるか。

 自分に言い聞かせるように何度も呟いて、割れた仮面の下に物悲しい笑顔(ニセモノ)の仮面を重ねて。

 

 〝お願いクリスちゃん。この子たちに祈ってあげて。がんばったねって、おつかれさまって。俺の手じゃもう無理だからさ〟

 

 なぜ今そんなことを思い出す。

 祈れるはずなんてないのに。

 どれだけ祈ったって、もう会えないのに──。

 

 雨が邪魔だ。

 月の光が恋しい。

 

 恋しいのだ、狂おしいほどに。

 

「こ……こぉのおおおおおおおおおッ‼︎」

 

 鎧の少女は吼える。その手に殺意の鞭を握り締めて。

 獣は一言も発さずに緑の地表を蹴る。どこまでも冷血に。

 

 青い稲妻が落ちる。

 それが両者の闘争の意識に触れることはない。

 

 この雨は俺の唯一の味方(アドバンテージ)だ、と──嗅覚を和らげる慈悲の雨に打たれた獣は得心する。

 戦闘(たたかい)のテンポを狂わせる後手の立ち回りも、少女の激動の形相を見れば功を奏したと言える。

 あくまで戦場を支配しているのは此方(こちら)なのだと意識に刷り込ませる。心理戦には及ばない。対人戦において精神の平常を保つことは戦士として必須の条件だ。逆に一度でも平常心が乱れてしまえば、精神の波を鎮めることは困難となる。

 精神(こころ)とは大空と同じ。永遠に日照らす青とは限らない。

 

 ──汝の心には雨も降れば、雷が落ちることも雪に積もることもあるだろう。如何なる天変地異を前にしても不動の精神であれ。それこそが〝風〟の本質である。

 

 風を司る熾天使(エルロード)のかつての訓示を反芻するようにギルスは大地を蹴り上げる脚から苦悶の感情を削ぎ落とす。踏み締めるたびに骨の節々が軋むが、度外視(シカト)を決め込む。

 肉体がとうに限界である事を悟られてしまえば、相手は持久戦に勝機を見出し、互いの間合いを鑑みずに彼我の距離を一定まで開ける可能性がある。それが一番厄介だ。ギルスが即死の双鞭を去なしつつ、必殺の間合いまで距離を縮められるのは精々一度が限界である。片道切符の余力しか残されていない。

 厳しい現実を示唆するように脚部に激痛が走る。

 骨と骨がぶつかり合って破砕(クラッシュ)するような尋常ではない疼痛に苛まれた。

 軟骨(クッション)が逝ったか──。

 膝の骨髄が木っ端微塵に砕かれたであろう感触に顔を歪めていると、鉄槍の如く引き伸ばされた紫色の水晶が眼前を閃光のように通過した。咄嗟に顎を引いていなければ、眼球は潰されていただろう。素直に肝を冷やすが、竦み上がって臆するほどではない。

 

 戦いへの恐怖は、とっくの昔に死んでいる。

 今ここにあるのは、狂気に等しい闘争への衝動だけだ。

 

 修羅を体現する獣の双眸が赤色の残光を闇に走らせる。

 

(ナメやがって‼︎)

 

 怒髪天に達した鎧の少女は(ギルス)を喉を掻き切らんと双鞭を振るうが、突発的に何か違和感を覚えて手を止めざるを得なかった。

 

(──⁉︎ あいつの右腕、あの赤い触手はどこに消えた⁉︎)

 

 少女の眼は深緑の獣だけを貪欲に追っていた。

 一瞬一秒たりとも視界から外すまいと集中していた彼女は激闘の中で(ギルス)が半ば引きずっていた悪魔の触手(ギルスフィーラー)の影を完全に見失っていた。

 躊躇をかなぐり捨てた双鞭による憤怒の乱撃が周囲に見境なく濃霧の如き巨大な土煙を発生させ、触手の存在感を狡猾(うま)く抹消していた。夜の薄暗さと降り止まぬ大雨も相まって、視野は極端に狭く限られている。

 土埃が舞う狼煙の如き闇に右腕を隠した(ギルス)はタイミングを図りながら、青銅の蛇(ネフシュタン)の攻撃に注視しつつも自律して行動を可能とする触手と共有した皮膚感覚を脳で処理する。

 

 悪魔の触手(ギルスフィーラー)が獲物を捕らえたようだ。

 

 最初で最後の接近の機会(チャンス)だ。これを逃せば後がない。手詰まりだ。緊張して然るべき局面のはずだ。

 なのに、自分でも不気味なほどに清涼(すっきり)している。脳髄(あたま)に大きな風穴(あな)でも空けられているじゃないかと疑うほどに澄み切った透明な感覚が全身を包んでいる。

 苦痛(いたみ)すらも生命(いのち)を感じる要因(ファクター)に過ぎない。

 今はただ無性にこの闘争(たたかい)が心地良い。

 

 心地良いのだ、生命(たたかい)が。

 

 〝そうか。俺はもう人間(ヒト)としては終わっていたのか〟

 

 ギルスは魂の内側で壊れたように冷笑(わら)う。もはや、今の彼には自分の名前さえ思い出せない。戦う理由も守るべき人もすべてが()()()()()()

 どうでもいいのだ、何もかもが。

 どうでもいいと──言わせてくれ。

 俺にこれ以上、背負わせるな。

 漁網のように力強く手繰(たぐ)り寄せた深紅の悪魔の触手(ギルスフィーラー)を剛列な膂力を用いてギルスは振りかざした。大蛇が獲物を絞殺するような目紛しい軌道を描いた触手は次の瞬間には鋭い速力で解き放たれていた。

 触手による殴打ではない。この距離では届かない。

 これは()()

 目視できない土煙の中で悪魔の触手(ギルスフィーラー)が捕縛した何かを猛烈な勢いで叩きつけるように鎧の少女へ投げ飛ばしたのだ。それなりの質量を持つ物体であることは瞬間的な光景であれ理解できたが、視覚が乱される環境下ではその実態を掴むことができない。

 鎧の少女は当然のように身を固めて防御の姿勢を構える。

 だが、投げ飛ばされた物体(もの)がはっきりと視認できる距離まで到達すると張り詰めた緊張を弱めずにはいられなかった。

 

「ノイズだァ⁉︎」

 

 投擲された物体は人間型(ヒューマノイド)ノイズだった。

 間違いなく《ソロモンの杖》を用いて召喚された雑兵(ノイズ)の一匹である。まだ()()()()が活動していたとは考えてもいなかった少女は一瞬のみ呆気に取られて開口したが、致命的な隙には成り得ない程度の驚愕に抑えた。

 何の意図があって、青銅の蛇(ネフシュタン)に対してノイズを投擲したのかは理解の外だ。こんなもので時間は一秒たりとも稼げない。

 両の手掌が握る双鞭で無惨に叩き落とす──直前で行動を変える。青銅の蛇(ネフシュタン)の唯一の武装を大した脅威にもならない雑魚(ノイズ)一匹如きに費やすのは状況的にも愚行と判断した。それこそが(やつ)目的(ねらい)ではないのか。双鞭の矛先は常にギルスへ向けるべきだ。片方だけでは止められない。ノイズを囮にされ、急接近を仕掛けられたら、此方の反撃が遅れる可能性がある。

 墜落する飛行機のように真っ直ぐと投げ飛ばされた人間型(ヒューマノイド)ノイズを払拭するような軽々しい手刀で真っ二つに叩き斬る──それが少女の絞り出した最善だった。

 

「そんなものでアタシの隙を突けるかよ!」

 

 少女の指先がノイズの腹部に触れた。

 

 その瞬間──ノイズは自壊する。

 

「なっ」

 

 ノイズを構成する物質の大半は炭素──赤錆の如き濃密な煤の煙幕が視界一杯にぶちまけまれた。

 古典的な目眩(めくらまし)である。だが、効果は抜群であった。

 虚無めいた灰塵だけが鮮明に拡がる景色を眼前に、少女は一時的に視覚を遮断された事実の意図を理解する。それは頭の中で何度も跳ね返って、扇情的な恐怖の色へと変わった。

 少しとはいえ、()()()()()()()()()()()()

 それだけで少女は凍てつくような戦慄を味わった。

 

 すぐさま煤の煙幕を我武者羅に掻き分けるようにして少女は視界を確保した。浪費した時間は三秒にも満たない。しかし、彼女の目に飛び込んできた戦場たる公園は奇しくも少女の危惧に従うかのように無視しがたい異変を(あらわ)にしていた。

 

 (ギルス)がいない。

 

「あの野郎、どこに消えやがった⁉︎」

 

 左右に視線を素早く動かす。雨に打たれる緑色の地平が延々と続くばかりで何もない。

 野草を踏み締める足音を拾うために耳を側立てる。強まるばかりの雨音が聴覚を妨害して何も聞こえない。

 前後左右を確認しても敵影は見当たらない。滂沱が地を叩く音色だけが響く夜に少女は取り残されていた。

 

(そうだ。血だ、血の跡を追って──)

 

 (ギルス)は萎れた芝生に玉藻の如き赤い痕跡を残していたはず──。

 

(途切れてる? 何もないところで?)

 

 不自然な鮮血の残滓を目の当たりにして、嫌悪すべき予感が全身を電撃のように駆け巡る。鎧の少女の位置からおよそ十五メートル先で血の跡が途切れている。そこまでは接近したに違いない。では、その後はどのように行動した。前にも横にも動いていない。撤退を選択したのであれば、最初の索敵で敗走する背中が見えても可笑しくはなかった。

 そこにいるはずのものがいないのは何故だ──?

 わかっている。

 自分はまだ芯から人間なのだ。

 人類が所有する最高峰の兵器たる完全聖遺物《ネフシュタンの鎧》でどれだけ外面(ガワ)を誤魔化そうと中身はただの十代の少女──ありきたりな道徳や普遍な倫理に囚われて物事を考えてしまう。

 

 敵は人間を捨てようとしている〝怪物〟であるにも拘らず、つまらない人間性を当て嵌めようとしてしまった。

 

(チクショウ‼︎)

 

 毒を吐き捨てる僅かな時間すら惜しい。

 鎧の少女は雨雲に埋もれた黄金の月に向かって猛々しく咆えるように紫水晶(アメジスト)の双鞭を全身全霊の出力で振るい上げた。

 

(うえ)かァァああああああッ‼︎」

 

 暗黒が漂う雨空に飛翔する禍々しき影が一つ。

 神話の獣が降り頻る天涙に紛れて少女の真下へと舞い降りんと両腕を翼のように広げていた。

 固く握られた拳の手甲が青銅の蛇(ネフシュタン)の一撃を火花ごと強引に弾き、二撃目として放たれた紫鞭の刃の先に悪魔の触手(ギルスフィーラー)殴打(ぶつ)けて相殺させる。

 止められない⁉︎

 だが──‼︎

 簡単に去なされてしまった双鞭を中空で荒々しく波打たせて、少女は両腕を交差させる。巧妙な絶技で操作された双鞭が複雑な螺旋を描きながらギルスを包囲する。重力の摂理に任せて落下するギルスには避けられない攻撃──それもまた人間の理にして、血に飢えた獣の真理には留まらないと知る。

 魔法のようだった。烈風に揺れる木枯らしのようにギルスは双鞭が打つ刃の波をひらりひらりと回避して見せた。

 鎧の少女の顔色が青く染まる。

 青銅の蛇(ネフシュタン)──強固な鎧としての凄まじい防御力と神の遺物たる不朽の再生能力を兼ねた兵装に果たして傷をつけることができるのか。

 無理だろう──ギルスは判断する。

 もう左手はほぼ人間だ。右手に関しては感覚がない。蹴るにしても耐えうる骨が圧倒的に足りない。青銅の蛇(ネフシュタン)の装甲に小さな傷を刻むことすら現状では不可能だと考える。

 だから、()()ことにした。

 殺害は至極簡単な域。

 狙うは喉──気管を潰す。絞首で窒息させれば、青銅の蛇(ネフシュタン)は無傷で死なずとも、中身の人間は綺麗に殺せる。それなら左手の握力でも問題ない。ここで終わらせる。

 

 文字通り、少女(こいつ)の息の根を止める──‼︎

 

 

「────────────ァア?」

 

 

 鎧の少女──雪音クリス。

 死の恐怖が発する圧に耐えかねて、相貌に表す気色を初雪のような白に染めてもなお、真珠のように(つぶら)な瞳は可憐に美しい。

 

 今まさに、この手が(あや)めようとしている生命(いのち)──。

 

 それは間違いなく。

 

 津上翔一が守りたかったものだった。

 

 

***

 

 

 〝おじさんは怪しい人じゃありませーん!〟

 

 ──ウソだ! バッタの怪人なんてアタシ知らないもん! こんなに怖い歯並び見たことないもん! 顔がすっごくワルそうだもん!

 

 〝クリティカルで傷口抉るの上手ね。おじさん年甲斐もなく泣きそうなんだけど。いやでもまだ高校生だったわ。わははは〟

 

 ──怪しい……おっきな筒みたいな銃持ってるし……こわい天使さまにキックするし……すごくすごく怪しい……!

 

 〝アヤシクナイヨーボクゼェンゼェンアヤシクナイヨー(裏声)〟

 

 ──ゔゔゔゔ〜……!

 

 〝そんなに睨まないでよ。この強くて渋くてイケメンなNiceGuy(ネイティブ発音)に、ちょこっとだけ、お嬢さんの可愛いお膝にできた傷を見せてほしいだけなんだ。

 

 ──みるだけ?

 

 〝この消毒薬は何だと思う?〟

 

 ──…………。

 

 〝心配しなくても大丈夫。おじさんこう見えても前職はね……ぬぬ?〟

 

 ──どうしたの?

 

 〝いやあ俺の脳内ゴッドさまがテンション高くてね。さっきやっつけた天使さまにず〜っと中指立ててんの。やーいやーいって感じでうるさいの。普段はこんなんじゃないんだけどね〟

 

 ──のうないごっど……?

 

 〝やっべ超ドン引きしてる。うわぁって顔してる。そしておもむろに電話をかけようとしないで。精神科は間に合ってるから。異常しかないけどこれが正常だから大丈夫なの〟

 

 ──やっぱり怪しい人なんだ! バッタ怪人なんだ!

 

 〝違うのよ! 違う違う。んまあ飛蝗で怪人なのは否定できないけども、どちらかって言うと企業戦士というかほぼ公務員みたいな感じというか、でも俺の決定権は神さまが握ってるっていうか……無言で受話器に手を伸ばさないで。精神科も警察も呼ばないで。怪しくないから! ね!〟

 

 ──ママが言ってた。こういうときは保健所に連絡するの。

 

 〝ママさあああんこの子間違ってますよおおおおお‼︎〟

 

 ──かわいそうな動物を保護してくれるんでしょ?

 

 〝ママさああああああん間違ってなかったけど俺は今すごく複雑でえええええす‼︎ ヴッ⁉︎ さ、叫びすぎたせいで、腹の傷口が開いて、ピューって……虹が……とっても……キレイです……(遺言)〟

 

 ──おじさんってバカなの?

 

 〝おおっと。洞察力が優れてるなあ。麒麟児か?〟

 

 ──怪しいおじさんは悪い人?

 

 〝怪しくはないけど、悪い人だよ。()()()()()

 

 ──じゃあ、ここに何をしに来たの?

 

 〝そりゃお仕事だよ。社畜だからね。でも、ちょっと、ほんのちょっと、しくじっちゃってね。残業が確定さ。とほほ〟

 

 ──あ、アタシも着いていっていい……?

 

 〝危ないよ。それにいや〜なモノ腐るほど目にすることになる。

 

 ──それって研究所(ここ)よりも?

 

 〝……どこも同じかな〟

 

 ──じゃあ一緒にいる。孤独(ひとり)は寂しくて痛くて嫌だから、アタシは誰かと一緒がいい。ひとりぼっちは嫌なの。だから、だから……。

 

 

***

 

 

 久遠の(とき)が過ぎ去った。

 尋常ならざる重圧に支配された景色は時間さえも容易に錯覚させる。世界が凍結したわけでもない。非情な現実に流れる時間は例に漏れず前進しているはずだ。

 しかし、空間が凍りついたように停止した光景を目の当たりにして、立花響は拷問じみた永劫を感じていた。

 少女と獣。

 終焉なき雨音を(つんざ)くように雷鳴が瞬き、二人を悲劇的に照らし出す。

 

()れよ」

 

 芝生の上へ放埒に背を預ける少女はそのような言葉で沈黙を破った。無気力に濁んだ双眸から闘志は完全に消し去られ、魂が抜け落ちたように大の字になって死の瞬間を待ち侘びる。

 少女の目の先には(ギルス)がいる。

 ギルスの手の中には少女の頸部(くび)が握られている。

 馬乗りに組み伏せられ、彼女の敵意すら見失った目線は必然的に雨天に溶け込む獣の仮面を仰ぐしかなく、自然と互いを見つめ合う態勢になる。

 目を逸らす労力も、顔を背ける努力も、今の彼女には一切が失せてしまって、気付かぬ内に紫水晶(アメジスト)の双鞭が使い手を見限ったかのように手掌から離れていた。

 ギルスが手指に多少の力を入れさえすれば、矮小な生命もろとも彼女の頸髄はへし折られるだろう──なのに、この深緑の獣は電源が落ちたように動かなくなってしまった。

 

「アタシは負けた。コッチは万全な状態(コンディション)だってのに、最初からボロボロだったアンタに負けたんだ。何の文句も言えるはずないだろ。言えるはずないんだ。ああチクショウチクショウ……!」

 

 勝てると思って挑んだ戦いで──完膚なきまでに敗北した。

 怨嗟の遺恨など残せるはずもない。愚かしく命を乞う真似も、死力を尽くして一矢報いる抵抗も、選択すらせずに放棄した。己が人生の終幕に興味はない。命に執着心も生まれていない。

 何の権利も今の雪音クリスには許されていない。

 黙して死を待つ。

 それだけが許されているはずだった。

 それだけで十分だった。

 なのに、どうして、こんなにも魂は泣き叫ぶのだろうか。

 

「アタシだってわかんない。こんな気持ちは初めてだ。頭ん中でアタシの大切な、大切だった記憶(もの)が溢れかえって、ぐちゃぐちゃになって、腹立たしくて、何もかもわかんなくなって」

 

 彼女は心の内を吐瀉するように無心で口を動かした。

 

「何で似てるんだよ……(おまえ)なんかが、アイツの(やさ)しい拳に……なんでだよ……どんな罰だよ……」

 

 泪と呼ぶべき雨の一滴が白い頬から滑り落ちていく。

 

()れよ。もう()ってくれ」

 

 永い沈黙が訪れた。

 啼泣の雨が(こえ)となって耳朶を叩く。

 そうして、悲哀の旋律に溺れるだけの時間が過ぎ去って──ギルスは忽焉とその手を離した。何も語らず、何も言わせず、奇妙な威圧を放ちながら厳かに立ち上がり、何の枷も与えずに鎧の少女をあっさり解放した。

 瞠目する少女に一瞥も暮れず、手負いの獣は真っ赤に染まった右腕を押さえて、血塗れの脚を引き摺りながらその場を立ち去ろうとする。

 酷く弱々しい背中に向かって、鎧の少女は怒声をぶつけた。

 

「オイッ⁉︎ どこ行くんだよ‼︎」

 

「………………■る」

 

「はあ?」

 

 ずるずると老いた亀のような鈍重な歩みを進めながら(ギルス)は嗄れた声色で答える。限界を迎えた肉体が衰弱し、声帯が人間に戻りつつある証拠でもある彼の発声は、もはや吐息に近かった。

 

「………………帰る」

 

 辛うじて聞き取れる声量は何故かハッキリとしていた。

 

「俺の仕事は終わった」

 

「何言ってんだよ。トドメぐらい刺していけよ! アタシはまた立花響(あいつ)を襲うぞ! わかってんだろそれぐらい!」

 

 ようやくギルスは足を止める。

 途端に()()()()()()と左腕から完全に溶解した生体装甲皮膚(ミューテートスキン)が粘り気の強い墨汁のような液体となって崩れるように地面に落ちていった。土の上で凝固した黒い塊から蒸気の煙が上がる。まるで、命を焚べて燃えるように、烈しくそれは立ち昇る。

 この黒い液体、どこかで──響は謎の既視感を覚えたが、冷静に思考できる状況ではなかった。

 左腕から生身の肌が晒される。焼け爛れた皮膚から血肉の色が見えた。ぽたぽたと指先から赤色の雫が溢れ落ちる。

 ギルスは振り返りもせずに重々しく告げた。

 

「残業はもう沢山だ」

 

 また歩き出す。

 

「いい加減飽きた。こんな戦いを繰り返すのは」

 

 一歩進むたびに鮮血が飛び散る二足の脚を動かして。

 

「飽きたんだ、こんな痛みを背負うのは……」

 

 彼は闇の海に沈んでいくように消え去った。

 ありったけの哀しみを置き去りにして──。

 

 約五分後──。

 戦火で荒れ果てた公園の真ん中でへたり込んだ立花響と気を失っている風鳴翼の二名は駆けつけた風鳴弦十郎によって保護された。彼が現場に到着した時には《ネフシュタンの鎧》と《ソロモンの杖》なる完全聖遺物を使いこなす謎の少女の姿は影も形もなかった。

 一足遅かったと悔やむべきか、二人の無事に安堵すべきかは躊躇(ためら)われる。

 両者は決して無事という二文字では片付けられない状態だ。命に別状はないとはいえ、特異災害対策機動部二課の最高戦力たる翼は重症。響に至っては軽傷で済んでいるものの、様子がおかしい。

 両名を病院へ移送している最中、響は雨に濡れた身体をタオルで拭くこともせず、無心で携帯電話を握り締めていた。弦十郎は何も聞かなかったが──。

 

「気のせいだよ……気のせい……いるはずないよ、あの人が……」

 

 向日葵のように明るい笑顔を振り撒く少女の声色とは思えない暗鬱な独り言は弦十郎の胸にも刺さるように聞こえた。

 

 こうして、雪音クリスとのはじめての邂逅(ファーストコンタクト)は多くの爪痕を残して幕を閉じる。

 

 されど、夜空は依然として泣き続ける。

 

 

***

 

 

 激しい夜雨(よさめ)が慟哭を叫ぶ。

 人間の気配が殺された夜の繁華街は黒い海のようだった。街灯の火が雨に沈んだ路肩に幻想的な炎を宿し、飾り気のない公道を煌びやかに照らす。

 光の泡沫。

 そして、雷鳴──。

 雨風が華やかに彩る夜の街を汚すように、不恰好な青年が一人、ガードレールにもたれて歩く。

 干涸(ひから)びた亡者の如き痩軀は降り殴る雨粒に殺されてしまいそうなほど脆弱な容貌を呈している。靴底が水面と化したアスファルトを()り、雨を凌げる静謐な場所を求めて宛てもなく彷徨わせる。

 まさに屍。

 肌にまとわりつく衣服と視界を遮る重たい髪。全身を絶え間なく叩きつける滂沱に晒された彼は溺死してしまいそうなほど容赦ない吐血を唾液と混ぜて地に浴びせた。

 びちゃびちゃと不潔で(なまぐさ)い汚臭を撒き散らす。

 

「おぇ……ぁ……ッ」

 

 津上翔一は限界だった。

 棒のような足を盲目的に動かしながら、彼の身体は(ギルス)の忌むべき後遺症に蝕まれていた。枯れ木の如き手足から血管が浮かび上がり、顔の肉の下から骸骨が剥き出たように皮膚は渇いていた。

 気を抜けば、細い喉から真っ赤な血液と一緒に臓器の一つや二つ吐き出しても何ら不思議ではないほどに彼の体内は混沌の崩壊を迎えている。

 

「まァ……あぁ……まだ……だ……」

 

 都内の道路トンネルの入り口に辿り着く。

 全長六十メートルの薄暗い常闇が続く天井には照明の灯火が夕陽のように熱い影を落とす。新聞紙やペットボトルのようなゴミが散らばる窮屈な歩道を壁伝いに這うように進む。行き先はない。強いて言えば雨が止むまで──彼に思考はほとんど停止していた。

 意識がぼんやりと夢現(ゆめうつつ)に惚けている。

 目に映るものすべてが下卑な幻に感じる。

 しばらくして空き缶に躓いた。それだけでバランスを崩す。

 正面から激しく転倒する。無条件反射の受け身すら機能せず、顔面を殴打し、鼻の骨が曲がって血が飛び出す。そのまま水に浸された虫のように四肢を蠢かせ、地面を掻き毟るように悶え苦しむ。

 

「ァ……がッ……あああッ」

 

 呼吸ができない。

 突発的な老化現象は全身に巡るあらゆる生体内物質を貪り尽くし、生命活動を破滅させる。骨格は形を維持できずに砕け、内蔵は萎んで役目を放棄し、ゆっくりと津上翔一の命が苦痛を孕んで死んでいく。

 なのに、彼は一向に死なず。

 ()()()()()()()

 死ねば治癒(なお)るのだ。生命そのものを侮辱し兼ねない異常と言えるほどの再生能力が津上翔一の〝死〟を認めなかった。生物の中枢を担う器官がどれだけ死滅しようと遺骸を糧に発芽する花ような神秘性を伴って、彼は何度でも蘇生させられた。

 ゆえに彼を幾度となく殺しているものは後遺症たる老化現象ではなく──。

 堕天の獣(ネフィリム)再生力(ちから)であった。

 

「あああああああああァァァァァァァァッ‼︎」

 

 生と死を永遠に繰り返す。

 彼にできることは叫喚して喘ぐだけ。

 癒えぬ疼痛が地鳴りのように脳髄を揺さぶり、地獄の底に叩き落とされた意識を手放せない。噛み締めろと言わんばかりに楽になる手段の一切を奪われていた。

 

 万死の輪廻が渦巻くように廻り続ける。

 

 愚かな人間を無限に殺し続ける。

 

 ()()()と言い続ける。

 

「─────────ッ‼︎」

 

 彼がその力で守り抜いた生命(いのち)が〝死〟の運命(さだめ)から脱却したというのなら──。

 

 彼の奪った〝死〟はどこへいくのだろう。

 

「───ッ‼︎ ───ッ‼︎」

 

 背負えと言い続ける。

 

 背負わぬばと魂が泣き叫ぶ。

 

 俺の知らない魂が、俺に責め苦を背負わせる。

 

 

「──哀れんでやろうか、ギルス」

 

 

 聞いたことのない声──あるいはどこかで聴いたかもしれない声が仄暗いトンネルに反響する。

 腹這いに苦悶する彼は虚無めいた視線だけを動かし、声のする方向を見つめた。

 

「ほう、まだ自我があるのか。(にわか)には信じられん精神力だ。ギルスは〝生きる〟ためにまず心を殺す。過度な苦痛を与えて、己の心をへし折り、人ならざる怪物に変身(かえ)たがる」

 

 トンネルの奥──誰かがいる。

 

「過去に誕生したギルスは一つの例外もなくネフィリムに堕ちた。どのような戦士であろうと月の満ち欠けが一周する頃には変わり果てる。そうして互いの血肉を求めて殺し合った。皮肉なものだ。生きるという行為に縛られた生命が真っ先に他の生命を蹂躙しようとするのだから」

 

 ()()()()とハイヒールが地を突く音が近づいてくる。

 

「誇るがいい。二年間もよくもまあギルスで戦えたものだ。私の出会ってきたギルスの中でお前の右に出る者はいない。断言してやる。胸を張って誇りに思え」

 

 魔性の女。

 目を惹くほどの妖艶な美を纏った金髪の魔女がいた。サングラスの奥から微かに覗く黄金(こがね)の瞳はみっともなく地を這う青年を滑稽と言わんばかりに、冷たく、蔑むように、じっと見下ろしている。

 嘲るような狂気の笑みを薄紅の唇が形作る。

 彼女は歩道柵にもたれるように腰を落として、色欲を掻き立てるような艶かしい仕草で足を組んだ。

 

「名乗りましょう。私の名はフィーネ。二年もこの時を待った。あなたが強すぎるのがいけないのよ。でもこれでやっと()()な話し合いができるわ」

 

 フィーネ──。

 どこかで聞いたことのある名前だ。

 耄碌(もうろく)な思考が重たい腰を上げて深遠に埋もれた記憶を漁る。女の名前をゆっくりと咀嚼するように脳髄が情報の処理を始め、半透明な世界に色が戻るように鮮明な意識が覚醒する。それと同時に最悪の状況に陥っていることを知覚した。

 咄嗟に立ち上がろうと電気信号を送る。だが、(からだ)は意に反して動かない。未だ彼の肉体は生と死の螺旋から逃れておらず、脳に返ってくるのは激痛ばかりでとても動ける状態ではなかった。

 津上翔一はフィーネと名乗る女性を辛酸を舐めるような痛烈な眼光で睨んだ。血塗れの声帯を震わせて言葉を強引に発する。

 

「おまえッ……対等、だと……これが……⁉︎」

 

「ええ。ロードノイズ、天ノ羽々斬、ネフシュタンの鎧──どれだけ負傷していようと、体に不調を(きた)していようと、あなたいつも一方的に勝つか手加減しているかの二択じゃない。

 まさに正真正銘のバケモノね。そんなに強くなって、どうするつもりなのかしら。神にでも喧嘩を売るつもり?」

 

 どこか含みのある口調だが、詮索している暇はない。

 

「それで……二年……待ったと……? 俺が……うご、けなく……な、るまで……」

 

「あなたの死の瀬戸際を待っていただけよ。あまりにも死ぬ気配がしないものだから、何度か嫌がらせもしたけど、所詮はノイズね。限界がある」

 

 悪びれる様子もなく淡々と非道な悪徳を語るフィーネに翔一は敵意の眼差しを送る。

 

「それ、で……な、んの……用だ……」

 

「あなたを救いに来たと言ったら、信じてくれるかしら?」

 

 森閑(しん)と静まり返る赤い枯寂に息を呑む音が零れ落ちる。

 蛾の羽ばたきが電灯の(あかり)に赫々たる(かげ)を生み、艶麗の美貌へ煌びやかな鱗粉のように降り注いだ。

 

「近いうち、特異災害対策機動部二課本部が保管する完全聖遺物・サクリストDの移送が計画されているわ。その正体は不壊の剣《デュランダル》よ。半永久的なエネルギーを何の代償もなく生み出せる聖遺物──私はこれを覚醒させる」

 

 淑女の口調から凛々しい声色へと変わる。

 

「起動したデュランダルは二課本部に再度回収させる予定だが、その前に少し、前人未到の実験をしようではないか、ギルス」

 

 彼女の声には狂気という感情の昂りが垣間見える。フィーネはせせら笑うように艶やかな唇を歪ませながら色っぽく舌なめずりをした。

 

「お前にくれてやろう、無尽のエネルギーを」

 

 その言葉で津上翔一は理解した。

 

「そして、アギトに変身(もど)れ。それが私の願望(のぞみ)だ」

 

 フィーネは間違いなく()()()だ──!

 

「お前の身体が血を吐くほどに欲しているものだ。要らぬとは言わせんぞ。

 私の見立てではもってあと三日の寿命(いのち)。杞憂は無用だ。すでに手回しは済んでいる。お前が惨たらしく朽ちるまでには万事間に合わせてやる」

 

 底知れぬ闇を孕んだ(まなこ)が翔一を深淵に誘うかのように見つめている。金髪の魔女は星に願う処女(おとめ)のような恍惚とした頬を緩ませて唇を動かした。

 

「私はアギトになりたい。ずっと、何万年も昔からそう願ってきた。

 本来、アギトとは、人類の相互理解を阻む『バラルの呪詛』を()()()()()ために生まれた存在だ。それを悪しき人間どもは戦争(たたかい)の手段として扱った。そのせいで中途半端な(ギルス)が次々と生まれ、やがて地上は堕天の獣(ネフィリム)で溢れ返った。神が地上を白紙に戻したのは然るべきことだったのかもしれぬ。

 すべての人類に眠る(アギト)の力は封印されている。私は幾度も肉体を移ろいでアギト封印の解放に奔走したが、ついに神が刻んだ封印を解くには至らなかった。無理に解放すれば、不完全なギルスとして覚醒し、ネフィリム化は免れないことになる。

 絶望的であった。ここ数百年は諦めていた。『バラルの呪詛』の発生源たる月の破壊が現実的と思えるぐらいにはな。だが、そんな時だ」

 

 フィーネは笑う。彼女にとって、奇跡の福音とも言える存在を前にして──。

 

「お前は現れた。アギトであるお前が‼︎ ギルスに退化したとはいえ、元々はアギト──! 万物の根源を為すオルタフォースさえ賄えば、再び(アギト)に舞い戻れることもできよう‼︎

 数年前は、未確認生命体第一号と封印されし熾天使(エルロード)()()らしき目撃情報を耳にして震えたものだ。エルロードは絶対神(テオス)の勅命でしか動かない。なれば、第一号は間違いなくアギト……‼︎ 未確認生命体第一号と厄介なエルロードが()()()()()くれたおかげで、私はこうして新たなアギトたる未確認生命体第二号のお前と接触できた。同じ時代に二体のアギト‼︎ 実に星の巡りが()い‼︎ 我が宿願、果たすべきは今世──ッ」

 

「なにを……いって……」

 

「理解できずとも一向に構わない。お前は黙って(アギト)に進化すれば良い。拒否はするな。お前が生き残る(すべ)は他に無いと知れ。

 まさか、枯渇したエネルギーをノイズ如きで補えると思っている愉快な(たわ)けでもあるまい。ノイズを捕食する(ギルス)など私は見たことがない」

 

 フィーネと翔一の決して相容れぬ心情を含んだ視線が複雑に絡まる。

 ()()()と氷山に顔面を叩きつけられたような痛恨の悪寒が血脈を走り抜けた。

 

「……ああ。そうか。なるほど。理解した。想像以上だ。これは予測できなかった。反吐が出るほどのお人好し。それでは困る。ならば、少し話をしよう」

 

 なんだ。なにを理解した。俺の何を理解したんだ。

 こいつはどこまで知っている? こいつは何を知っている?

 

「認定特異災害──通称『ノイズ』と呼ばれる災害が、惑星の自然環境に一切の影響を及ぼさず、人類だけを執拗に貪欲に抹消することを可能とした唯一無二の兵器であることは理解しているか?

 如何なる物質であれ炭素原子に変換してしまう能力は大地を司る熾天使(エルロード)から着想を得たものだが──短時間であれ戦闘行為や破壊活動をノイズに強いるにはそれなりのエネルギーが必要だ。しかし、地球という星を汚さないためにもノイズに用いられるエネルギーは清らかなものでなくてならない。そこで採用されたエネルギーがオルタフォースに最も近しいもの──自然が発するフォニックゲインだった。ノイズが自壊した後、余分なエネルギーはすべて自然の一部に帰るという寸法だ」

 

 ただし──、とフィーネは続ける。

 

「地水火風を依代としたフォニックゲインも完全な純潔とは言い難い。自然もまた穢れを多く孕む。ゆえにノイズの原動力たるフォニックゲインには更なる改良を加えた。一切の毒素を除去し、この世で最も透明な音色(ノイズ)として人類殺戮の自律兵器は生まれたのだ。知っていたか? アレの放つ不快な音響は戦姫の歌声よりも美しいらしいぞ。私の好みではないがな。

 こうして、お前が日夜狩っているノイズは生まれたということだ。

 さて、本題だ。美しくて穢れのないノイズに流れる()()()フォニックゲインは……果たしてギルスのオルタフォースに変わってくれるものだと思うか? 答えはNOだ。空気を吸って胃が膨れるものか。腹の足しにもならんぞ、あれは」

 

 だが、エネルギーには違いない──と、フィーネは愉悦の沼に浸るような残虐な笑みを浮かべた。

 直感が脳裏を焼き尽くすように鋭く走った。

 彼女が口にする次の言葉が簡単に予測できてしまう。目を背けなければならない真実を、嘘で塗り固めた結論を、耳を塞がなければならない現実を──彼女は(わら)うような(ことば)に変える。

 津上翔一は眼球を真っ赤に充血させ、血腥い口腔を広げながら彼女の声を遮るように腹の底から叫んだ。

 

「やめろおおお‼︎ それ以上喋るなッ‼︎」

 

「血肉にはならずとも、()()()()()()()()には丁度いいだろう」

 

 彼の渾身の叫声はあっさりと重ねられた。

 

 聞くな。聞くな。聞くな──‼︎

 

 翔一は心の中で呪詛のように唱えた。

 

 この場にいるもう一人の少女の耳を塞ぐように。

 

「私とて、肉体を移り変えて今日(こんにち)まで生き永らえてきた身だ。一つの肉体に魂は二つとして共存はできんことは誰よりも深く深く理解している」

 

「黙れッ‼︎ 口を閉じろ‼︎」

 

「魂であろうと生きている限りエネルギーは欲する。しかし、魂などと言う非物質には、食物を噛み砕き捕食する器官も、毒素を分解して栄養のみを蓄えるような器用な真似もできん。それを可能とする人体は一つの魂を喰わせてやるので精一杯だ。当たり前であろう? 肉体に宿る魂は一つだけ──私()()のような例外を除いてな」

 

 ()()()()と頭が痛む。

 迂闊であった。悔やみ切れぬ現実を前にして翔一は呼吸を荒らげる。醜悪に老化した五指で無闇に地を削り、赤い爪痕を刻んだ。

 黒幕(フィーネ)に対する警戒心の方向を誤った。そして、彼女もまた心魂の在り方について高い知了を得ていることを失念していた。

 先史文明の破滅と共にフィーネという人格は永遠となった。彼女の子孫の血肉に潜んだ終焉(フィーネ)の魂は、多くの時代を超え、その異常な執念と記憶を引き継がせ、幾度となく現世に顕現してきた。

 恐らくだが、フィーネの媒体となった肉体の元の主人たる魂は彼女(フィーネ)の魂に融合されたか、侵食するような強引な手段を用いて消されたのだろう。そうやって先の問題を解決してきたのだ。

 津上翔一が絶対にできないやり方でいとも簡単に解決してきたのだ。

 

「仮に一つの肉体に魂が二つ共存を余儀なくされたとあらば、肉体の恩恵を得られない片方の魂に純潔なエネルギーを供給せねばならない。

 そこでノイズだ。確かにアレは良い。毒のない美しいエネルギーだ。浄化の必要もない。そのまま喰わせてやれる。聡明な判断ではないか、ギルスよ」

 

「だまれえええええええええッ‼︎」

 

 煮え滾ったドス黒い憤怒が活力に変わる。永劫に続く死の輪を噛み砕き、骨も肉も萎縮した貧弱な両足で翔一は大地を豪傑に蹴り上げた。

 怒り狂った獣のような形相でフィーネに掴み掛かる。

 しかし、彼の味方はどこにもいない。世界にも、運命にも──彼は万象から見離されている。

 べちゃべちゃと口腔と鼻孔から絶え間なく沸き立つように血潮が滴り落ちた。足の先から頭の天辺まで身体中の血液が抜かれるような感覚に翔一は無気力に膝を屈するしかなかった。

 

「おァ……てめッえ……ぶッ……ごォ……⁉︎」

 

「叫び過ぎだ、愚か者。賢者の石碑(ワイズマン・モノリス)だけでも残していれば、そのような無様な苦しみに縛られることはなかっただろうに……。

 お前の肉体が新たに生成している賢者の石碑(ワイズマン・モノリス)はあの少女のモノだ。少女の魂は(アギト)の力に触れた。絶唱の代償すら退ける奇蹟の治癒──あの少女に蓄積されたオルタフォースは並の量ではあるまい。下手に目覚めれば、今のお前と同じ獰猛な獣に成り下がるかもしれぬ。それを阻止するために、お前は自分の賢者の石碑(ワイズマン・モノリス)を授けたということだろう。

 急場凌ぎにしては上出来だ。よく考えついた。人間の思考とは思えん。つくづく人の域を超えているのだな、哀れで優しいギルスよ」

 

 そう言って、嬉々として()()()語り聞かせたフィーネは優雅な仕草で腰を上げ、興味を失ったように踵を返して彼に背を向けた。

 血反吐の慟哭を叫ぶ獣の青年に終焉の巫女は容赦なく釘を刺す。

 彼女の用事はこれで済んだ。

 もう津上翔一は逃げられない。

 

「病室で眠る少女──私が息の根を止めても構わんのだぞ?

 では、三日後にまた会いましょう。哀れなギルスと──哀れな歌姫。私がその地獄を終わらせてあげる」

 

 




なあにこれえ?(絶唱顔)
ギャグなんてなかった・・・もうまぢむり・・・リスト(腕)カットしよ・・・(本末転倒)

Q.ノイズ食ってた理由は?
A.奏 さ ん の エ サ

以下、今回のまとめ。
①病ンデレ○○○・○を飼ってる(というか飼われてる)オリ主がいるらしい。なおオリ主が四期と五期は観てない設定であることを本作の初投稿日から察してほしい(無茶振り)
②まさか後半のカミングアウト書くのが面倒で戦闘シーンが長引いたとは誰も思うまい。
③意識が順調にネフィリム化やったぜ。安心して。暴走(?)は進化フラグよ。でもメタルグレイモンになるとは限らないよね。作者はライズグレイモンが好きです(唐突な自分語り)
④ロリクリとへんたいふしんしゃホッパーさんの事案。なおこれ以上書く予定はない。直前に起こったバトルの下書きはあるけど投稿するかは不明。
⑤原作ラスボスによるピロロロロロ…アイガッタビリィー(撮影場所千○ヶ谷トンネル) なおウキウキ全裸さんも勘違いしまくりな模様。
⑥こんな時でも入れる保険ってあるんですか⁉︎ そこにデュランダルがあるじゃろ?(暴論) ラスボス全裸さん…赤ぇ触手みてアギトに戻れるって思ってる読者さまは一人もいませんよ…たぶん。
⑦そんなことよりノイズさん食おうぜ!(GoToEat対象外) 個人的に本作で一二を争うクソ鬱設定だと思います。こんなんでも夫婦漫才やるとしたら本当の夫婦になるっきゃねぇな。でもそん時オリ主はきっと土の中で遅めのバカンスよ。お労しや…(合掌)
以上が今回のまとめというかやらかしでした。

以下、次回予告というか謝罪。
このクソ作者は定期的にボケないと死んでしまう病気を患ってるので番外編(?)のラブコメ(?)を挟むかもしれないです。すまぬ。作者を堅苦しいうんち文章から解放させてクレメンス。
ほんへ? 7節は残業編の山場(ダイナミックお葬式)なんで、そこそこ気合い入れて書くから許して。
・・・でもここでやるほんわか日常回ってかえって辛くな(ここから先はry

最後に一つ。
感想や評価、誤字脱字報告、いつも本当にありがとうございます。気楽に感想書いてええんやで(放心)


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♯.ボーナストラック - 買い物

時系列は過労編のどっか(曖昧)
一次創作書いてたら投稿が遅くなってたとか口が裂けても言えないでやんす。


「デートに行きます」

 

 確固たる意志を宣言するかのように小日向未来は花の咲いたような笑顔を向けた。

 六畳間の一室で洗濯物のパンツを恥ずかしげもなく物干しハンガーに吊るしながら津上翔一は少女の言葉にほっこりと微笑んだ。

 

「そうなの? いってらっしゃーい」

 

 千切れ雲が快晴の空に浮かぶ日曜の朝──洗濯日和の休日を迎えて翔一の顔と脳は(たる)んでいた。洗濯が終わればお昼寝でもしようか。それとも甘いお菓子でも作ろうか。日夜繰り広げられる災害(ノイズ)との熾烈な業務は彼に細やかな現実逃避をさせるまでに至っていた。

 脳内がお花畑な青年(バカ)に真意を伝えるべく、未来は語気を強めて先程の宣告を繰り返した。

 

「だから、デートに行きますよ、翔一さん」

「だから、いってらっしゃ──ん? もしかして俺もかい?」

「今日はアルバイトお休みなんですよね」

「そうだけど……誰からその情報仕入れたの?」

「ふふふ」

「いま笑うとこあった? なんか怖いんだけど」

「逃げられませんよ」

「逃げる必要がある案件なの⁉︎」

 

 可憐な微笑を浮かべる未来に一抹の不安を感じて(おのの)いていると、背後からひょっこりと立花響が顔を覗かせた。しまった後ろに伏兵だ──!

 

「ふらわーのおばちゃんからのリークです! さっき教えてもらいました!」

「俺のプライバシーはどこいっちゃったの」

「南の島でバカンスにでも行ってるんじゃないですか?」

「俺も連れてって欲しかったなあ」

 

 翔一が夢の南国リゾートに思いを馳せている隙を突いて、響と未来は左右に回り込み、彼の両腕にがっちりとしがみついた。

 

「確保ー!」

「確保」

 

 女子中学生に捕獲された。

 恐らくだが、理不尽かつ不当な確保であった。

 

(JCに身柄を拘束される俺ってなに……?(哲学))

 

 誰にも答えられない問いであった。

 

「とにかく、デートに行きます!」

「行きますって、もうあからさまに拒否権が無いのね」

「はい! 決定事項です!」

「翔一さんが失っているものはプライバシーだけじゃありませんから」

「そんなに深刻なもの奪われてんの俺?」

 

 果たして彼に社会権は残されているのだろうか。ちなみに労働基本権は言わずがもな、生存権も根こそぎもっていかれた。彼だけ時代観が古代ローマの奴隷である。

 

「荷物持ちならお安い御用なんだけど……。ちょっと待ってね。いま頭ん中でGサミット開催すっから」

「どういう意味ですかそれ」

「あんまり気にしちゃダメだよ響。基本的に翔一さんは意味不明なんだから。内容がおかしいインド映画みたいな世界観に引き込まれるよ」

「なにそれ怖えよ。俺がいつダンス踊ったのよ、未来ちゃん」

「隙あらばいつも踊ってません?」

「…………」

 

 翔一は目を閉じて黙秘した。

 二人の俗に言うジト目が刺さる。

 

(え、エルさーん! 俺は別に踊ってな──じゃなかった。俺はJCが展開する百合の生得領域に踏み込んでも大丈夫ですかー⁉︎ 原作ファンに刺されませんかァー⁉︎ 俺なら刺してまーす!(自己申告))

 

 津上翔一という青年の肉体には、偉大な神の御使いたる三体の熾天使(エルロード)が住み着いている。何の目的あってかは不明であるが、彼らは津上翔一に惜しみない助力をしている。時には戦闘の助言を。時には労働の催促を。時にはネチネチと小言を──いや全部小言じゃね?──気付いてはならない事実に目を背きつつ、翔一は暇を取る許しを得るために彼らを呼んだ。

 火のエル。地のエル。風のエル。

 万物を構築する四大元素を司り、(あまね)く生命の頂点に君臨する究極の存在が凄まじい威圧を放ちながら翔一の脳内に降り立った。

 

 ──おのれ火のエル! 初手でだいまっくすは無粋ゆえに辞めよとあれほど申したであろう⁉︎ 貴様の耳は飾りか!

 

 ──地のエル、汝のぱーてぃに我のえーすばーんを止められる物の怪はおらず。素直にすかーふかぶりあすを後出しすることだな。

 

 ──みみっきゅを……! らぷらすを見せておいて……! 選出できるものか……‼︎

 

 ──ならば、我はだいじぇっとを迷うことなく連打するのみ!

 

 ──火のエルぅぅウウウ‼︎

 

(いや、人の頭ん中でポケ○ンバトルすんな)

 

 今日も熾天使(ラスボス)たちは仲良し(皮肉)で元気であった。

 

 ──我らに構わなくても良い、アギトよ。

 

(おお。話のわかる風のエルさん!(※当社比))

 

 ──次は大乱闘すま○らである。我のめておが猛威を振るう。

 

(別にゲーム内容にケチつけてるわけじゃないです。それでいいのか天使の威厳ってことです)

 

 ──あと汝は暇さえあれば踊っているぞ。

 

(答えなくていいこと答えるのは嫌がらせですか)

 

 問答とすら言えないほどの短い会談を終えて、翔一は呼吸を整えた。

 どのような因果律かは皆目検討もつかないが、どうやら今日は誰もが等しく休暇(オフ)の日らしい。

 響と未来に掴まれた両腕をぶんぶんと揺さぶられながら、津上翔一はしばらく短慮な思案を繰り返して、結論を絞り出した。

 

「洗濯物だけ干していい?」

「手伝います」

「私もー!」

 

 

***

 

 

 てなわけで──ショッピングモールなう。

 

 千差万別の小売店が延々と両側に並ぶ道に溢れんばかりの人々の喧騒が響いている。

 商品棚に陳列された目紛しい物品の数々。ガラスの向こう側に佇む洒落た服装のマネキン。鼻腔を(くす)ぐる甘美な香りは子供の手に持つアイスクリームから漂っていた。

 なんかテンション上がるよね、こういう場所って。

 和気藹々と買い物を楽しんでいる雰囲気は元からけっこう好きな部類だ。スーパーの安売りセールとかは主婦による殺伐とした空気があって、ご遠慮したいけど、ショッピングモールはそーゆーのあんまり感じないので心和やかに買い物を楽しめるよね。

 

 物欲を煽られる目紛(めまぐる)しい量のお店。行き交う人々の幸せそうな声。

 これぞ人間の営みなんだなって感じがする。交易という手段を得たのは人類ぐらいだもの。盛んな商いが行われている場所にいると、ついつい財布の紐も緩んでしまうのも必然でしょう。

 頭を空っぽにしてぶらぶら悠々自適に歩いていると、気付かぬうちに興味もない店の中へ吸い込まれるように入ってしまったりするものだ。とりあえず店内を散策して、何事もなく退出するか、まったく新しい出会いを果たすか──あるいは、特売セールと書かれたワゴンに乗せられた在庫処分の物品から宝物を掘り出し、深く考えることもせず、幻惑されたかのようにレジに持っていってしまい、しばらくしてから「あれ?俺なにしに来たんだっけ?」と自問自答しつつも握り締めたびっくりチキンを鳴らす時もある。

 

 ──それ汝だけでは?(火のエル)

 

 鋭い指摘が飛ぶが、節約の達人たる俺は動揺しない。

 火のエルさん、これは例えです。例えばの話ですよ。どこの層の需要を満たしているかも不明瞭な(たぐい)の商品を俺が購入するわけないじゃないですか。お買い物に関しては常日頃から財布の紐を固くしているんです。節制ですよ。貧乏人の社畜なら当然のことです。

 

「翔一さん、その鼻メガネは何ですか」

「これはアレだよ、未来ちゃん。男の目元の冷たさと優しさを隠すためのアレだよ」

「アレってなんですか。というか目元じゃなくて鼻しか隠れてませんけど」

「じゃあ、男の鼻の冷たさを隠してるんだよ。寒いと真っ赤になるじゃん? アレだよ」

「今そんなに寒くありませんけど」

「男の心にはいつだって冷たい風が吹いているのさ」

「鼻関係ありませんね。だったらそのメガネはやく外してください。こっちが恥ずかしいです」

「え〜」

「返事」

「はい」

 

 くっ……JC393に逆らえない……‼︎ しぶしぶながらも鼻メガネ(税抜500円)を外すが──この笑いを取ることに異常な情熱を捧げる翔一さんが黙って従うと思わない方がいいぜ、未来ちゃん!

 鼻メガネを外したら、そこには陽キャ御用達(※自社調べ)の星型の鼻メガネが! 隙のない二段構えだZE! さあ、百合夫婦よ、震えて眠れ!(←???)

 

「ふははは、残念ながら二枚重ねだ!」

「…………」

「しかも、ここのスイッチを押すとLEDが発光する! おおっとボタン電池は忘れるなよ?」

「翔一さん」

「これで突然のお誕生日パーティーにも難なく参加できるぜ! HEY! 海・老・バ・リ! 社ッFULLしよう世・界! だって人生はイッ──」

「ここで正座します?」

「……はい。マジすんません。調子のってました」

 

 三色に輝くスターな鼻メガネ(税抜800円)を外して、俺は今度こそ素顔に戻った。一瞬だけ未来ちゃんの背後にアーク様が見えたのは気のせいだろう。じゃないと俺がヘルライジングにコンクルージョンしてしまう。

 

「翔一さんって、絶っ対、将来尻に敷かれるタイプですよね〜」

 

 隙のない隙だらけのダブル鼻メガネでこっそり腹を抱えていた響ちゃんが個人的には頷き難いことを言った。

 ダニィ⁉︎ 俺がそんな情けない男に見えるってのか⁉︎ それは納得キャンノット! 日本男児の皆はSAMURAIの血を引き、HOMAREの高い益荒男の素質を備えているんだ。女に尻を叩かれるようなヤワな男などこのジパングにはおらぬ! そうだろエルさん⁉︎ 言ってやって下さいよ!

 

 ──知らん。(エルロード一同の意見)

 

「響、この人は少しでも目を離すと星の彼方まで暴走するから、尻に敷かないとダメなんだよ」

「うへえ、大変だぁ……私にできるかな?」

「大丈夫。二人ならできる」

 

 何を二人してコソコソしているのか知らないが、とにかく俺は女の子にヘコヘコして頭が上がらないような安い男ではないのだ。いやマジマジ。ワタシウソツカナイ。

 

「フッ、この俺をコントロールできるレディなんて、宇宙のどこを探してもいやしないぜ」

「安心してください! 二人で縛りつけるので大丈夫です!」

「逃しませんから。安心ですね」

「今のどこに安心できる要素が?」

「将来ですかね」

「将来ですね」

「俺には暗黒の時代しか見えないよ」

 

 なんだろう。俺は永遠にこの二人にこき使われるのだろうか。百合夫婦のパシリか……なんか怖えな……そこには就職したくねえな……(遠い目)

 こうして、俺はJCカップルに両脇をがっちり固められた。腕を組まれるというか体格的にはしがみつかれる感じである。oh……なんというカルマ。男としては嬉しいっちゃ嬉しいけれども、これは間違いなく地獄行き快速急行の片道切符である。ブッタも笑顔で中指を立てるレベル。こりゃ来世はハエとかダニとかに生まれ変わりそうだ。百合に挟まる男を体現してしまった罪深き社畜をどうかお許しくださいと祈るばかりである。いや、ここにもろ天の御使い居るけどそういうの絶対聞き入れてくれるタイプじゃないから……。

 

 ──左様。(火のエル)

 

 こいつらやっぱり天使つーか悪魔では???

 

「なーんで翔一さんそんな嫌な顔してるんですか。虫さん踏んじゃったみたいな顔してますけど」

「踏んづけられた虫さんの気持ちになってんの」

「じゃあ元気になるまで楽しみましょう!」

 

 いくら徳を積んでも取り返しのつかない原罪(ギルティ)に絶望している俺をぐいぐい引っ張って、響ちゃんと未来ちゃんは日曜のショッピングモールを愉快そうに進んでいく。

 休日ということもあってモール内は大勢の人たちで混雑している。ワイワイガヤガヤと皆さんエンジョイしている。なのに俺は一人でくわばらくわばらとスーパー懺悔タイム。いっそのこと刺してくれ。

 

 しかしだ。

 まさに両手に花と言えるこの状況を勘違いしてはいけない。

 俺はあくまで二人のデートの付き添いなのだ。彼女たちはまだ中学生。二人きりで遠出するには色々と危惧せねばならない現代社会だ。そこで白羽の矢が立ったのが暇そうにしてた社畜というわけである。謂わば俺は保護者の代理。響ちゃんと未来ちゃんが健全にイチャイチャするのを陰ながら見守るのが役目。おお。そう考えると役得って素直に思えるようになってきたぞ。へへ、俺はじめて転生して良かったと思えてるかも……!

 いやいや、だからこそ、しっかりとしなければ。気を引き締めろ。我大人也。我百合尊也。我無也。我百合間挟空気也。我空也。百合最高也。非我。百合万歳也。なんか変な方向に解脱しそうになってきた。ブッタが俗世にカンバックって言ってる(幻聴) これアレだ。わっかりにくいけど無我の境地(笑)が発動しかけてるわ。あぶないあぶない。戦ってる最中はいいけど、日常で発動するとマジで気持ち悪いからねアレ。脳味噌ぐちゃぐちゃされてる気分よ。あーやだ。きもちわりゅい。

 

「翔一さーん?」

 

 響ちゃんが俺の横顔を至近距離でまじまじと見上げていたので、何事かと目線を向けると、響ちゃんの大きな瞳に俺の無我ってる残念な顔が映る。やだ瞳孔ひらいてるわ。死人みたい(小並感)

 すると、ぼふんっと噴火の音がしそうな感じで響ちゃんの顔色が茹で上がった。

 

「せ、セクハラですよ⁉︎ そんなカッ──顔してちゃダメですッ!」

 

 ??????(宇宙ネコ爆誕中)

 

「その顔で歩かれたら大問題なんです! 大・問・題‼︎ 鼻メガネの方がまだマシですよぉ!」

「それかなりキツめの悪口ストレートに言ってない? もうちょっと間接的に言おうぜ響ちゃん。俺のHPがいくら高くても、ザラキは平等に一発なんだよ」

「い、いやその決して悪口とかじゃなくて……えーと、うーんと、し、翔一さんはふやけたフライドポテトみたいにヘラヘラ笑っていないとダメなんです! お外でキリッとした顔しないでくださぁい‼︎」

「……? よくわかんないけど、とりあえず、ふやけたポテトはヘラヘラではなく()()()()では?」

「それじゃあ()()()()笑ってください」

「おっと自分で難易度上げてしまった。へなへな笑うってどうすりゃいいの? どう表情筋を動かせばいいの? どっかに参考資料ない? あっもしかして──こうかな(^U」

「ストーップ‼︎ そのままだと何かよからぬものが生まれちゃいます! 勘ですけど無性に腹立つ気がしますっ!」

 

 俺の内なるニイサンを過敏に察知した響ちゃんは悪しき笑顔(スマイル)が顔に現れる前に、俺の頬っぺたをぺちぺち可愛らしく叩きはじめた。どんな止め方だよ。いやでも待てこれは……‼︎ 少し背伸びをしながら手を上げる発育の良い女子中学生との密着具合は──……お巡りさん、わたしです。わたしが……やりました。(諦観)

 社畜(おれ)中学生(ビッキー)の法的に危うい濃厚接触を真横からちょっと怖い顔で見つめる未来ちゃん。やっべ天罰が下る前に393にムッコロされるやつだこれ。しかし、未来ちゃんは額を押さえてやれやれといった感じで小さな嘆息をつくばかりだった。

 

「イケメン、高身長、筋肉質。三拍子揃ってるのに本人が無自覚すぎるのはなんでなんだろう……」

 

 残念な人物(もの)を見るような呆れた顔で何か呟いた様子だが、巨大なモール内は常に人々の喧騒で賑わっているため、俺のクソザコイヤーが捉えることは叶わなかった。だが安心してほしい。俺はデビ○マン顔負けの地獄耳をお持ちである上司の方々に直接聞くことができる。有能な上司の靴を舐めて、難聴ラノベ主人公と差をつけろ!(他力本願)

 エルさぁーん(媚びを売る声) 未来ちゃんはぃまなんて仰ってましたかぁー? ゥチわぜんぜんきこぇなくてまぢ無理ィ……このとしでぇゥチわもぅ難聴ってコト……ぃまから手首を斬る……烈火抜刀、勇気の竜と火炎剣烈火が交わる時、真紅の剣が悪を貫く! ぶれいぶどらごおおおん! あっ逆だったわこれ。

 

 ──汝は一度、然るべき修行を受け、煩悩滅却の(のち)に悟りを開くべきではないか。(風のエル)

 

 んなっ⁉︎ 堪忍してくだしゃい‼︎(脳内土下座の構え) 拙者から煩悩を取り上げたら何が残るんです⁉︎ カレーライスから具とルーとライスが消えたようなもんです! ……ただのお湯じゃん‼︎(セルフツッコミ)

 

 ──あの娘も汝のことを莫迦(ばか)だと申しておる。(地のエル)

 

 おいおいJCにもいよいよ勘づかれちまったのか……! 翔一さんの威厳が消えちまうぜ!(最初からない) 果たして俺が有能であることをアピールする機会は今後あるのでしょうか⁉︎ うん。多分ないなこれ!(謎の確信)

 でも、響ちゃんの難解なクエスチョンに的確な回答を提示しないと即おバカ認定されるのは難易度が高いと言わざるを得ない。東大生100人に訊いてからやってほしい。誰も答えられないでしょ? 外出時には真面目な顔しちゃダメって何の謎かけですか? 俺の顔面は違法建築か!(?) ちなみに響ちゃんと未来ちゃんに俺ができる男だと感じさせるような汚名返上のチャンスはありますか?

 

 ──もう無いだろうな。(火のエル)

 

 PIEN☆

 

「あーっ! その顔、そのマヌケな顔がイイです! そのなんか妙に腹立つアヒル口とかちょっと白目むいた変顔が絶妙な塩梅ですよ! これならライバルも増えません」

 

 なんのライバルだよ。変顔してくるライバルでも彷徨(うろつ)いてんの? 目と目があったら睨めっこバトルしてくる奴でもいんの? 何番道路なのよここ。いいよ。かかってこいよ。おじさん負けないぞ。こちとらニーサンとダディーヤナザァーンが取り憑いたように迫真の表情を再現できんだからな! ──って、そういうワケじゃないよね、たぶん。

 んまあ、イマイチよくわかんねぇけど、響ちゃんが喜んでっからいっか(思考放棄)

 

 

***

 

 

 CDショップ。

 一応『戦姫絶唱シンフォギア』ってバリバリの近未来の物語で、大体の人はCDとかじゃなくて携帯端末とかにダウンロードするってのが主流なんだけど、やっぱり手に残る現物は他の何物に変えがたい良さがあるものだ。

 俺そんなに音楽嗜まないけど──と、今季の売上ランキングと書かれた小棚から適当にCDを取って、パッケージを一通り見た後、元に戻すという行為を繰り返す。うーんよくわからん。おじさん若い子の流行りとかについていけてないわこれ。いまEXI○Eが何人いるかも知らないしね。

 すると、背後から未来ちゃんが不思議そうに顔を覗かせた。どうやら一連の行動を見られていたらしい。

 

「翔一さんは何か好きな音楽とかあります?」

「長○剛とか玉○浩二とか?」

「おいくつですか」

 

 伝わったことにビックリしたわ。いたのかよ、この世界に長○剛と玉○浩二。

 意外と元の世界の知識が通じる時があるんだよな。やっぱり異世界っていう立ち位置よりも並行世界っていう考え方のほうが合ってるんかな? バイクとかのメーカー割とそのまんまあるし……まあいいや。俺そもそも前世の記憶すら無えし。

 

「よく知らないんだよね。流行りの曲とか。ツヴァイウイングぐらいしかわかんないもん」

「はいはーい! だったら私が教えますよっ!」

 

 元気よくぴょんぴょん跳ねる響ちゃんが商品棚から一枚のCDを手に取った。

 

「これはアメリカ出身の歌姫のなんですけど、姉妹でそれぞれデビューしてから今すっごく注目されてるんです! 姉の方は力強くてハキハキとした歌い方で、妹の方はアイドルみたいに優しくて可愛い歌い方をするんですよ!」

「へえ〜」

「でも、たまに感じる切なさというか、哀愁のこもった歌声というか、死に別れた想い人のために歌った曲なんて聴いてたら、もう涙ぽろぽろ出てきちゃいますよっ!」

「あ。松任○由実あんじゃん」

「聞いてます⁉︎」

「だから翔一さんおいくつなんですか」

 

 失敬な。心は永遠の六歳児だぞ。

 

 

***

 

 

 ゲームセンター。

 大衆の娯楽を満たす騒音に溢れ返った場所になら、詳細の知れない前世の記憶にガッチリ当てはまるような筐体の一つぐらいは、未来の世界であれ、どうにか残っていないものかと薄っぺらい望みを抱いていたら──。

 

 〝モグラたたき〟

 

 あったわ。

 すげえな。電子マネーが浸透した近未来の時代観で、硬貨一枚でひたすら叩き殴られることを甘んじて受け入れているのかおまえ。こんなに傷だらけになって……ちょっと泣きそうになった。求められているんじゃなくて、そこにあることが大切なんだよね。ありがとう。なんだか勇気をもらった気分だ。俺明日もがんばるよ。お互いに頑張ろうな……。

 

「未来、なんで翔一さん、モグラたたきを熱く抱き締めてるの?」

「ノスタルジー感じてるんじゃないかな」

 

 JCの残念なものを見る目が背中に刺さるぜ……!

 

「翔一さんエアホッケーしましょう!」

「うわっなんて懐かしい響きなんだエアユッケ」

「エアホッケーです。ユッケをエアで食べても虚しいだけですよ」

 

 未来ちゃんの正しいツッコミを受けてから、俺たちは台の配置につく。響ちゃんと未来ちゃんの百合夫婦のペアと対峙するは翔一さんことぼっちライダーである。……ちゃうもん。俺には心優しい上司が三人もついてるから独りじゃないもん! 別にロンリーじゃないもん! エルさん俺たちはズッ友だよ!

 

 ──それは嫌。(火のエル)

 

 な ん で や ね ん。

 

「二対一でも本気でいきますよー!」

 

 響ちゃんは楽しそうにマレット(パックを打つやつ)をぶんぶんと掲げる。

 なるほど。たしかに人数の差は純粋な戦力の差に直結する。たとえ二つのマレットを両手で使ったとして、思考と判断を下す脳が二つに分裂してくれるわけではない。二人で分担する場合に比べて、確実に反応の速度に違いが生まれてしまうのは必定である。

 ならば、俺がすべきことは開いてしまった戦力差を別の要素で埋め合わせることだ。難しいことじゃない。俺が日々の戦いで会得した力の一端をお見せしようではないか──!

 

「……⁉︎ こ、これは」

 

 いま、二人の目には俺の身体が左右に幾人にも分身しているように見えているだろう。波打つように緩やかな動きはそのような錯覚を起こさせるに至る。

 人間というものは修行しだいでこういう不思議な身の軽やかさを体得できるのだ!

 

 ──なにそれ知らんぞ。気持ち悪ッ。(地のエル)

 

 ──また勝手に変な能力を開発しておる。(風のエル)

 

 おどろく響ちゃんを他所に、未来ちゃんは冷めた目で俺の動きを凝視していた。

 

「なにあの気色の悪い動き方」

「あ、あの動きはまさか……! 究極の奥義……‼︎」

「え。どうしたの響? そういうノリなの?」

「たしか、そこそこ昔に、ヘンテコな石の仮面で生まれたとかいう吸血鬼かなんかを倒すために呼吸を使ったなんかスゴい武術のひとつで結局は作中で一度も決まらなかったとかいうサンダーなんとかアタック……!」

「曖昧が過ぎる」

 

 ブブーと筐体から試合開始の合図が鳴り、円盤(パック)がフィールドに放たれた。パックは盤上を滑りながら、百合夫婦の陣地内へと収まった。ククク。先攻はくれてやるぜ! せいぜいよぉく狙うんだな!

 

「この無敵の必殺技を破った格闘者は一人していない! 覚悟しろデ○オお!」

「誰ですかそれ」

「えい」

「ぐわあ⁉︎ ば、バカな⁉︎ こんなにいともたやすく我が奥義を打ち破るだと……?」

「もういっちょ!」

「うわあああ⁉︎ ダ○アーさあああん⁉︎」

「だから誰ですかそれ」

 

 普通にボッコボコにされた。

 

 

***

 

 

 洋装店(ブティック)

 最近のJCはこんなお洒落なお店で服を購入するのかと中身がおっさんである俺は戦慄を隠せない。値段とか結構するんじゃない? あっ、でもええ感じの服めっちゃあんじゃん。キャ〜! なにこのワンピースすげえきゃうわうぃうぃ〜!(オカマ口調) このアウターとかもシンプルでごっつぎゃんわゔぃゔぃ〜!(人間からかけ離れた口調) ウホホウホウホウホホホホホ〜‼︎(そしてゴリラへと退化)

 

「ねぇ響、なんでこの人今日一番テンション上がってるんだろうね……」

「翔一さんって、ちょくちょく乙女みたいな思考になるから……うん」

 

 たし蟹。

 ハッ(閃き)もしかして俺って前世は女の子だったのでは……! 無駄に家事スキル高いし、家庭料理とか得意だし、裁縫とか好きだし……まさか俺の前世は世話焼き系幼馴染の美少女だったのか!(IQ一億ぐらいの閃き) おっしゃあ! 前世は勝ち組じゃあああ‼︎ 今世は知らねえええ! 前世に戻りてえええ‼︎

 

 ──我等は何も言わんぞ。面倒くさい。(火のエル)

 

 ……はい。

 

「翔一さーん、こっちこっち」

 

 響ちゃんに手招きされてホイホイついていくと、そこは試着室の前だった。

 やっべえ。こいつは噂に聞く、客観性と高度な褒め文句が必要となってくる「こっちとこっち。どっちが似合ってる?」問答の時間じゃないか⁉︎ うわっどうしよう俺は服自体はデザインの良し悪しにある程度の評価は下せるけど、そこに着用する人間の要素が加わると途端にダメになるんだ! だってみんな似合ってんじゃん! 顔が良いんだから何でも似合うに決まってんじゃん!

 いや、この不毛な問答に必要なのは正当な評価ではなく、如何なる場合でも褒めることが大事なんだ。褒めて褒めて褒めまくって、購入の是非は本人に丸投げする──これが正解(Answer)! でも俺そんなに語彙力無いよ! 褒め文句なんて片手で数えるぐらいしかないよ! うわあああどうしよおおお⁉︎ でも、こんな時こそ頼れる上司が役に立つんです──。

 

 

 緊 急 脳 内 G サ ミ ッ ト 開 催

 

 ドドン! 議題「助けてエルえもん! 女の子を褒める語彙が圧倒的に足りてないよぉ!」

 

 ──知らん。(地のエル)

 

 ──自分で探せ。(火のエル)

 

 ──我等に聞くな。(風のエル)

 

 緊急脳内Gサミット 〜終〜

 

 

「これとかどう思います?」

「かわいい」

「このスカートとか少し丈が短いですかね?」

「かわいい」

「ハイソックスとニーハイソックスならどっちが好きですか?」

「かわいい」

「1+1は?」

「かわいい」

「ほーんを売るなら?」

「ブッ○オフ──ハッ⁉︎」

 

 鬼畜天使の皆さまがあまりに辛辣すぎて意識が彼方にフライアウェイしてた。

 我に返ると目の前には、頬をぷくーっと膨らませ上目遣いで睨むJCが二人いた。もちろん響ちゃんと未来ちゃんである。なるほど。だいたいわかった。どうしよう(懺悔) とりあえずKAWAII(語彙力)

 

「私たちは翔一さんの好みを聞いてるんですよ。なんでもかんでもかわいいで済まさないでください。……嬉しいですけど」

 

 と、響ちゃん。

 

「男の人ならありますよね、好きな女性のタイプ。翔一さんはそういうこと一切話さないので、いい機会だと思って色々と準備してたんですよ?」

 

 と、未来ちゃん。

 

 ああ。そういう感じ? 客観性より一成人男性の選り好みを優先してるのね。うーむ……個人的な意見ね……役に立つとは思えないが……俺の好み……か……俺の……好きな……女性……好みの女の人……好きだった人──…………。

 

 

 

 〝ほら、笑って笑って〟

 

 ──────。

 

 〝今日から立派な社会人だよ。これからキミはいっぱい人の笑顔を見るんだから。働きたくないでござるとか駄々こねないの。何のために免許とったの〟

 

 ………………。

 

 〝ほら、ムスッとしてないで笑って。いつもみたいに。キミが笑うとわたしも笑えるから。それだけでお仕事がんばれるかもしれない。本当だよ? かもしれないってだけだけど。ふふっ〟

 

 ──────…………。

 

 

 

 

「翔一さーん? 聞こえてますかー?」

 

 ぱちんと巨大な泡沫が割れ、微睡の白昼夢から目覚めたかのように俺は現実に呼び戻された。記憶にない記憶だった。俺の知らない光景だった。そのくせ懐かしくて堪らない──大切なアルバムの1ページのような、そんな淡い幻の景色だった。

 

 なんだあれ。てか誰だ今の。

 

「…………」

 

 ──でも、嫌な気分じゃないなこれ。むしろ良い気分だ。

 だって、なんだか、すっごく優しく笑ってくれて、これはきっと、うん、そういうことなんだろう。正直、もう記憶の引き出しからすり落ちていくように忘れてしまったけれど、また思い出せる時がくるかもしれない。かもしれないってだけだけど、そんな曖昧さ加減が俺には丁度良いのかもしれない。

 

「……良い人」

「何がです?」

「俺の好きな女性のタイプは良い人だよ。間違いない」

 

 二人は目をパチクリさせ、互いの顔を見合わせて、しばらくポクポクと逡巡してから──。

 

「「どういう意味ですかそれ」」

 

 HAHAHA──俺もわかんね(真顔)

 

「よぉーし。なんか変な空気になったけど、俺ァ何時間でも服選びだろうと何だろうと買い物に付き合うぜ響ちゃん未来ちゃん! FOOOOOO──!(オールウェイズキチガイハイテンション)」

「いや、なに露骨に話逸らしてるんですかっ⁉︎」

「良い人……? GOOD(グッド)HUMAN(ヒューマン)……? それ即ちナニ……?」

「未来が珍しくショートしてるぅ⁉︎ 翔一さんが意味不明なことばっかり言うからですよ!」

「失礼な。俺はいつだって真面目に考えて発言してるんだぞ」

「だから大問題なんですよぉー!」

 

 

 

 こういう一日があった。

 そんな日常もあったらしい。

 

 いつか記憶は過去と化して消えていく。

 やがて時間は癒すように過去を忘れ去っていく。

 だから、これは記録に残すのも馬鹿らしい、俺の大切な記憶の一つであって、それ以外のなにものでもない。

 

 ただのステキな思い出である。

 

 ……なんちゃって。

 

 




クソギャグに満足したのでほんへ戻ります。(息継ぎを許さない鬼畜の思考)

以下、祝辞&御礼。
このたびハーメルン内の原作『戦姫絶唱シンフォギア』において総合評価で検索をかけると一番上に表示されるようになりました。大変光栄でございます。応援してくださる読者さまには靴を舐めても舐めたりません。ありがとうございます。しかしながらクソゴミ作者としては、こんなしょーもねぇ勢いだけのギャグとかパロディしかできないうんちみたいなオリ主ライダー二次創作がデカい顔するのはどうかと思います。ですので、適合者の皆さまがもっと素晴らしい作品を執筆していただけることを首とおち○ち○を長くしてお待ちしております。作者を楽にしてください。ほんとマジで。

あとTwitterはじめます(戒め) 生存確認にでも使って下さい。

以下、うんちみたいなおまけ
大公開(誰得)オリ主のマイホームの間取り(ほんとに誰得)

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♪07.POWER to TEARER

アギト20周年らしいですよ(震え声


 ──記憶喪失? 気づいたら砂浜に? それは……大変ね……だから……いえ、ごめんなさい。余計なことだったわ。

 

 ──気が済むまでここに居ていいから。ここはね、私が経営してるお好み焼き屋のあるビルの空き部屋よ。好きに使って大丈夫。ほらタオル。お粥作ってきてあげる。えーと……。

 

 ──名前……分からないわよね。そうよね。記憶喪失だもの。気を害したのなら、ごめんなさい。

 

 ──……そうね。名前が無いと不便ね。名前はとても大切なものだから。でも、すぐに決めなきゃいけないことではないわ。

 

 ──名前はその人の在り方を示すものよ。たとえ仮の名だとしても、誰かに名乗るんだから、あなたがこうありたいと思う名前で生きなさい。

 

 ──それがいつかあなたの誇りに変わるから。

 

 

***

 

 

 津上翔一は家を出る。

 住み慣れた六畳間の古びた一室に書き置きの封筒を残して。

 

 一言も発さぬまま黙々と傷だらけのスニーカーに履き替え、ヘルメットとグローブを手にして、旅行用のボストンバッグを背負う。片手で軽々と持ち上がった大きいだけの鞄は己が生涯の写鏡のようだった。

 中身のない命。

 それが彼だった。

 見知らぬ世界で自己という意識に目覚め、身を揺さぶられるほどの衝動に突き迫られるまま、極致に達した常ならざる()()を行使した末に直感した。拳に(くすぶ)る熱が教えてくれた。雨打つ水面(みなも)に映った自身の虚像が語っていた。

 おまえはもう()()()()()()のだ。

 否定はしなかった。できなかった。

 ひと欠片の躊躇も介さず無心で敵を殴殺する自分が何よりの証拠だったから。

 

 最も恐ろしかったのは本能(じぶん)を冷たく俯瞰するように傍観していた理性(じぶん)。闘争を是として黙する恐怖なき我が身の心。

 暴力の許容。

 それは即ち人格の破綻。

 破壊を拒む理性はあった。しかし、それを嘲笑うかのように凌駕する野生の如き本能が精神(こころ)感覚(いたみ)を包んで、焼けるように熱い血液に溶かし、肉体に注ぎ込むのだ。

 熱い熱い血脈が弾けて。

 心臓の鳴動を加速させ、深い海の底で眠る得体の知れない魂を目醒めさせる。

 

 抗えない。

 止められない。

 

 殺戮という機能で四肢を操る暴虐の化身。

 

 神すら恐れぬ悪魔のような自分自身を彼は恐れた。

 

 記憶障害を患っていた彼を診察した医師はどれだけカルテと睨み合っても脳に異常を発見できなかった。心理的な疲弊による一時的な症状でもない。正常に機能している。医師の安心感を抱かせる声色に反骨の姿勢を呈することなく彼はゆっくりと肯首しながら、やはり問題があるのは脳髄だと推測していた。

 彼の脳は、異常でなくとも正常でもなかった。

 人間が個体としての意識を査定する支柱的な機能を保有するのは神経の中枢たる脳だけである。彼は自分の中に()()()()が決定的に喪失していることを察していた。それ故に一見は正常の(てい)を装う脳幹の大部分は崩壊しているのだろうと他人事のように考えていた。

 解離性障害の延長。非我の境界を実感する彼の神経は生命体が絶対として持つべき致命的な感覚が無かった。生きるためには不可欠な能力が欠けていた。

 

 それは〝生〟への欲求。

 

 生命(いのち)に執着がない。

 

 ()()()()()()()()()

 

 彼は常日頃から、自分が死ぬことをどうでもいい現象(こと)だと認識していた。

 それはもう人間として終わっている。

 死の恐怖がない。

 倫理の基盤たる死を拒絶する理性が備わっていない。

 だからこそ、死線巡る暴力の渦中に身を置いても何も感じない。

 どれだけ戦っても、どれだけ殺されそうになっても、彼は何の感情も抱けない。傷を負い血を流し、耐え難い痛みに悶えても、その先にあるはずの究極的な恐怖に辿り着けず、虚無という闇から逃れられずに空回る。

 

 命の破綻。

 生きているのに、生きていないような伽藍堂。

 

 だから、彼は最初から人間ではなかったのだ。

 

 少なくとも津上翔一は今も尚、そう()()している。

 

 

 玄関の扉を少し開けると、(まばゆ)いばかりの陽光の矢が陰影を貫くように鋭く差し込んだ。晴天とした蒼穹に浮かぶ太陽。泳ぐように散らばる白い雲。電線に留まる雀が安らかな(さえず)りを奏でる。

 良き一日のはじまりに相応しい朝の日常(すがた)

 社会的な普通。

 布団を畳み、歯を磨き、顔を洗う。朝食を食べ、洗濯物を干し、仕事へ行く。

 誰かとすれ違えば「おはよう」と言って「おはよう」と返される。「いい天気ですね」と笑えば「そうですね」と笑い返される。

 当たり障りない普通の毎日。

 飽くべき循環の日々──それが好きだった。

 

 とても大切なものだった。

 大切だった気がした。

 

 なぜだろう。

 なぜなんだろう。

 

 どうして、人間でもない自分がそんなものばかりを愛おしいと思ってしまったのだろうか。

 

 その答えは自分(ここ)にない。

 もうどこにもない。

 

 温和な朝の陽射しに目を細めた彼は逃げるような素振りで顔を背けると、薄暗い廊下が物静かな閑寂の景色へと変貌していたことに気付く。

 意味もわからず戸惑いの情感に流されて、また逃げるように目を伏せた。

 今更ながらに思い至った。

 こうして振り返るのは初めてだった。

 振り返ることをやめてしまった。

 振り返ることを忘れてしまった。

 振り返るものがないから、ただ前に進んだ。

 前に。

 闇から闇へ。

 光を捨て、ただ深い闇へ。

 それこそが津上翔一の進むべき〝前〟なのだと信じて。

 

「………………」

 

 ここに〝津上翔一〟と名乗ってしまった青年がいる。

 

 なぜ、よりにもよって暴力の(さが)が指の先まで沁み込んだこの自分が偶像(ヒーロー)の一人たる其の名を語ってしまったのか。

 もう覚えてなどいない。

 きっと大した理由もなく適当だったのだろう。咄嗟に口走っただけなのだろう。

 

 それでも少しは()れただろうか。

 

 あの〝仮面ライダー〟に──……。

 

 扉を開き、外に出る。

 外の世界は光で満ちていた。

 

 欺瞞に満ちた偽物(いつわり)の世界。

 所詮は誰かが綴る物語の一頁に過ぎない。

 誰かの手に握られたペンによって定められ、紆余曲折する運命に否応なく従わされる道化が生きる世界──いや、生かされるだけの世界。そのような不条理が罷り通る絶対的な摂理。スポットライトの光に照らされ、役を全うする(キャラ)たちが()()()()()()()()ニセモノの世界。紛い物の星。物語の舞台。薄っぺらい。なんて薄っぺらい……。

 

 そうだったら、良かったのに。

 それだったら、楽だったのに。

 

 紛い物は一人だけ。

 生きていないのはただ一人。

 

 

「…………」

 

 ゆっくりと音もなく扉を閉める。温かな光の筋を走らせる玄関が冷たい闇に覆われていく。

 預金の少ない男の一人暮らしにしては、よく靴が並ぶ土間だった。

 静かな寝床であれば何処でも構わなかったのに、よく居間が騒がしくなる物件だった。

 孤独でいいと定めたつもりが、よく人が集まる場所になった。

 数奇な運命として受け入れたが。

 不幸な事故のように諦めていたが。

 生命の実感を奪われた彼に()()()()()証拠を残していたのは紛れもなく彼女たちだった。中身のない命が今の今まで地に伏せることを拒み続けた理由があるとすれば、彼女たちの存在こそが、その偉業を成り立たせる最たる要因であったのだろう。

 

 孤独(ひとり)ではとっくに死んでいた。

 死を当然のように受け入れていた。

 その諦念にも似た無の意思を蹴散らされたのはいつからだったか。たった一つのちっぽけな希望(のぞみ)を空っぽの器に注がれて、ずっと生かされてきた。

 生きた。

 生きていたと言える。

 きっと生きていたんだ。歌を愛した少女たちと共に過ごした時間は……。

 

 思い出の場所──ごはん食べたり。

 

 帰るべき家──お布団で寝たり。

 

 俺の居場所──みんなと笑ったり。

 

 陽だまり──「ただいま」が言える場所。

 

 生きていた。

 俺はきっと生きていたんだろう。

 

 だからかな。

 

 ちょっぴり寂しいね。

 

「いってきます」

 

 ガチャン、と。

 最後の挨拶はいつもと変わらぬものだった。

 

 

***

 

 

「広木防衛大臣が暗殺された」

 

 緊張の一声が特異災害対策機動部二課の本部にて粛々と響き渡った。

 息を呑まざるを得ない重厚な空気に支配された一室には、腕を組んだまま神妙な顔付きを崩さない司令官たる風鳴弦十郎の他に、日課の訓練を終えたばかりの立花響、情報処理を担当するオペレーターの藤尭朔也と友里あおいの三人がいた。

 櫻井了子は別件で席を外している。加えて、前回の戦闘で負傷した風鳴翼は入院を余儀なくされ、そのマネージャーの緒川慎次も当然ながら欠席である。

 沈黙の時間が訪れると踏んだ響は背筋をきっぱりと伸ばして挙手をした。その表情には困惑の色が窺える。

 

「はい! 質問です、師匠ッ」

「どうした、響くん」

「私、政治に詳しいわけじゃないんですけど……」

 

 どこか自信無さげな挙動を伴う彼女の視線は隅に設けられた長椅子へ向けられた。

 

「あちらでお茶を啜っていらっしゃるのはもしや……」

 

 少し距離が離れているが、はっきりと視認できる。

 長椅子に腰掛ける気品の高そうな初老の男性は湯呑みに注がれた茶をまったりとした様相で飲んでいた。縁側が似合いそうな雰囲気だと束の間に呑気な思考を弄んでいたが、響の記憶が現状(こと)の異常性を訴えかけた。

 どこかで拝見した顔だった。ネット記事に載せられていた覚えがある。記者に囲まれながら質問に答える姿はテレビニュースで何度か目にしたはずだ。

 政界の人間。

 彼こそが、暗殺された広木防衛大臣その人だったはず。

 もしや防衛大臣の幽霊が自分にだけ視えているのではないかという発想に行き着いた響はおどおどしながら、閉眼する弦十郎に救いを求めるような視線を向けた。

 弦十郎は短く「うむ」とだけ頷く。

 

「広木()防衛大臣だ」

「……もしかして謎かけですか」

「すまない。言葉足らずだったな。世間には、広木防衛大臣は持病の悪化で死亡したことになっている。暗殺は成功したと思わせるためにな」

「へ? えーと、それはつまりはどういうことでしょう?」

「暗殺は実際に起こった。しかし、それは失敗に終わった。事前に暗殺計画のリークがあったからな。俺たちはそれを上手く活用して広木防衛大臣の死を完璧に偽装したというわけだ」

「はぇー。さすがは諜報機関っ! あれ? でもどうして死んだことになってるんです?」

「敵の正体と狙いが未だわからん。また狙われる可能性も十分ありえる。身内にも被害が出るかもしれん。そこで死を偽装をした上で、二課の本部で身柄を保護する形になった。これは一部の者にしか伝えていない。響くん、他言無用で頼むぞ」

「はっ、はい! ──大臣さんもよろしくお願いしますッ!」

 

 響は直立して深々と(こうべ)を垂れた。すると、品定めするような力強い眼光で射抜かれた──が、すぐに微笑ましいものを見るような目でぺこりと会釈を返してくれた官職の男に対して、もしかしたら優しい人なのかもしれないと心のメモに付け加えておいた。

 

「妙ですね、この暗殺」

 

 言葉を発したのは藤尭朔也だった。手元にある液晶の端末で作成された資料に目を通す彼の眉間は険しい。

 

「かなり綿密に計画されているにも拘らず、計画実行の前日で、敵側にこちらの内通者がいると思われるほどの機密がリークされ、こうもあっさり計画を食い止められるとは……」

「何か思うところでもあるのか」

 

 藤尭は「推測の域を出ませんが」と前置きして、どこか苦々しい表情で口を開いた。

 

「この計画──本当はもっと後に実行される予定だったのではないでしょうか」

「ふむ」

「二課に届いた暗殺計画の全貌……。犯行に及んだ敵側もそれ相応のプロです。資金も潤沢。身代わりとなる過激派の革命グループも複数用意していたことから、コネクションも極めて広い。並大抵の組織力ではない。これらの要素から予想できる敵の正体は……」

米国(アメリカ)。ならば、やはり狙いは完全聖遺物(サクリストD)となるか。二課という組織その公然性の脆弱さを露わにして糾弾……より安全性を重視するという名目でサクリストDの引き渡しを要求する。シナリオはこんなものか」

「サクリストDが二課の手元から離れる前に決着を付けたかったのでしょう。(くだん)の移送が急遽早まったのは彼らにとって不足の事態だった……確証はありませんが」

「焦りが生んだ失態か。()()()()()()()のこともある。否定はできん。なんにせよ、何者かの手の内で踊らされているように思えて仕方ないな」

「ですね。あんなものが匿名で、それも二課の厳重なセキリュティを破って、直接送ってくるだなんて……」

「俺たちの想像を超えた大きな陰謀が動いていると考えていいだろう」

 

 二人の嘆息が重なる。

 響は頭上で「?」を浮かべていると隣の座席へ友里が移動し、そっと職務用のタブレットを差し出した。戸惑いながらも響はそれを受け取り目を落とすと、液晶の画面には何かの文章が提示されていた。

 友里は端的に補足をする。あくまでその内容には触れず、立花響のその眼で確認すべきだと表情が語っていた。

 

「これは暗殺計画の情報と一緒に二課へ送られてきた秘密の文書。それを翻訳したものよ。ここには響ちゃんが無視できない重要なことが書かれているわ」

「私が……無視できない……?」

「〝仮面ライダー〟よ」

「────ッ⁉︎」

 

 その途端、響は目の色を変えて画面に食い入るように文書を読み始めた。

 

『まずは緊急につき強引な手段を用いた非礼を詫びさせてもらう。

 君たち特異災害対策機動部二課へ暗殺の計画阻止を託したのは他でもない、君たちが〝仮面ライダー〟と深く関わるものだからだ。我々の予測であれば、仮面ライダーという存在を排斥せんと動く勢力が国政の実権を握ることになる。それだけは阻止せねばならない。神の力に対抗できるものは神をも砕く牙なのだ』

 

 神? 神ってあの神さま……?

 響の脳裏に過ぎる。人と獣を混ざた異端の形貌を象るノイズの亜種──ロードノイズと呼称された強靭な特異災害の背中には天使の羽根のような骨格が突き出ていた。

 なぜそれが響の意識を掠めたのかは定かではない。

 だがもしも、古来より人々が崇め奉る〝神〟と呼ばれし超常が実在していたとすれば、現在(いま)の世界はどのような色で神の瞳に映るのだろうか。

 

『我々の正体を明かすことはできない。信用せずとも構わない。ただ、これだけは知っていて欲しい。我々は仮面ライダーに返しきれない恩がある。もう二度と返せなくなった借りが残っている。

 仮面ライダーという名に、その誇り高き正義の姿に、勇気と優しさに満ちたあの心に、幾度となく救われた。これから先、世界は変革の荒波に呑み込まれていく。その時、我々には、この星には、仮面ライダーという白銀の輝きが必要なのだ』

 

「…………」

 

『だから今は、君たちの仮面ライダーを、人々の希望を背負うヒーローの名を、どうか守ってほしい。それが我々の願いであり、彼への(とむら)いとなる。君たちの英断に期待する』

 

「弔い……」

 

 響は直感した。この文書(メッセージ)を作成した顔も名前も知れぬ何処かの誰かは〝仮面ライダー〟と呼ばれた者と親しい関係だったのではないか。

 根拠はない。この文面を読んだ響が胸を締め付けられるような情動を抱き、()()()()()()()()()()()()そう感じただけに過ぎない。

 仮面ライダー──バイクに跨る仮面の異形。

 その鋼鉄の如き仮面の下に潜む素顔を知った者の真摯な想いが込められている。そんな気がした。

 

「………………」

 

 癒えぬ傷を背負って、己の血を浴びながら悲しみを叫ぶ仮面の獣──未確認生命体第三号。

 その素顔は誰も知らない。

 知らないのだ。

 誰一人として知らないままなのだ。

 

「響ちゃん?」

「な、なんでもありません! 大丈夫です! 平気へっちゃら……」

 

 訳もなく熱く火照った眼元を拭う。

 まだ確信ではない。凶暴な獣と形容すべき未確認生命体第三号の仮面の下をこの眼で見たわけではないのだから。

 信じる。

 あるいは祈る。

 どうか夢であってくれ、と──。

 

「情報を二課(こちら)に持ち込んだのは親日派と考えるのがベストか」

 

 弦十郎の推測に藤尭が小さく頷きを返す。

 聞き慣れない言葉に響がまたもや困惑を露わにしていると、状況を即座に察した友里が甲斐甲斐しく説明をはじめる。

 

「いま米国政府は親日の保守派と改革派で対立しているの。十年前に起きた首都ワシントンでの大規模なテロ事件を境に、更なる軍事力を欲したアメリカの改革派は和親条約を盾に日本が保有する聖遺物の譲渡を再三要求しているわ。今のアメリカの政権は改革派が握っている。戦後、日本との繋がりを強固にしてきた保守派は今や日陰に追いやられてしまった背景があるの」

「じゃあ日本とアメリカの仲は悪くなっているんですか……?」

「そうね。二十年前のあかつき号事件から両国の溝は確実に深まったと考えていいでしょう。

 日本との間に軋轢を生む行為は国益を損なうと判断する親日の保守派と多少の無茶を承知で軍備を第一に考える改革派の小競り合いはずっと続いている。今回の情報提供は親日派のものだと考えるのが一番妥当かも」

「でも、この文章は……」

 

 言葉(ここ)にある想いは信じて良いのではないか──。

 

 響の真っ直ぐな瞳に友里は少し困った顔を向けただけだった。

 国家という肥大化した集団は常に損得を基準に行動する。そこに感情はない。国家が優先すべきは自国の保全。国家の武力とは社会的秩序を守ることのみに注がれる。そのためならば、他国に刃を向けることなど躊躇に値しない。今回の騒動もまた国家が弾いた算盤の解答に従い、機械的に実行された自国の守護に留まる。

 アメリカという国家が二極化の末に分断されていたため、国家という巨大な括りの計算が狂っただけなのだ。

 友里の表情はそれを物悲しくも語っていた。

 響にそれを否定することはできない。しかし、信じたい気持ちを押し殺すつもりもない。

 そんな少女の直向(ひたむ)きな心情を汲み取った友里は「そうね。信じましょう」と柔和な微笑みを返した。

 

 二人の会話に耳を傾けていた藤尭は「そう言えば」とあることを思い出す。

 

「アメリカの改革派、噂じゃとんでもない兵器を開発しているらしいじゃないか」

「たしか……高性能AIを搭載した強化スーツ……だったかしら。大規模な災害が起きた際に危険地域での生存者の捜索や瓦礫撤去に対応できる新世代の強化外骨格(パワードスーツ)って銘打たれていたはずだけど……」

 

 平和的な目的を掲げて(おおやけ)に開発されているとはいえ、人徳に従って設計された生易しい兵器(モノ)ではないことは明白である。響を除くその場の全員が理解に至っていた。

 

「聞いた話だと、AIの性能(スペック)に装着者の肉体が追いつけなくて、開発が大幅に遅れてるらしいよ」

「AIが学習した動きは実際の人間がモデルって話ではないの?」

「そのモデルになった人間……これは情報の出どころも不確かな噂話なんだけど……未確認生命体第一号なんじゃないかって。人間の動きじゃないから人間の身体がついていけなくなった。アメリカ政府が第一号のことを秘匿しているのは明らかだしね」

「そうだとしたら、アメリカは……」

「アギトを造ろうとしているのかも」

「その逆もありえる」

 

 深い思慮に沈んだように黙り込んでいた弦十郎が唐突に口を挟んだ。藤尭と友里は彼の言葉の意図がわからず、遠くを見つめるような双眸を仰ぐように覗き込んだ。

 

「逆?」

「アギトの抹殺だ」

 

 ぞくりと背筋を何かが這う感覚が走る。

 

「了子くんの話によると、アギトは人類の進化した姿……。俺たちの知っているアギトは謎多き者だったが、正義の使者に相応しい戦士だった。だが、誰しもがそうなってくれるとは限らない。ある日突然、壮絶な力を手にした者が、その力に酔わない保証はない。それどころか力を制御できず、無辜の民に牙を剥く事態に陥ることも想像に容易い。それが集団となればどうだ? アギトによる反社会組織が誕生すれば、誰がそれを止められる? 誰にもできない……今のままでは……。

 アギトに変われなかった人類が淘汰されるかもしれない、その可能性……無視はできない」

「では、その準備を米国は着々と進めていると……?」

「どの国でも、万が一に備えるのがお偉いさん方の仕事だからな。日本にはシンフォギアを纏う心強い装者がいる。だが他国にはいない。可能性の低さを鼻で笑っている場合ではない。抑止力。今求められているのはそれなのかもしれん」

 

 風鳴弦十郎の冷静に物事を見据えた意見は非現実的な妄言として切り捨てるにはあまりに恐ろしいものだった。

 国家が有する武力の総力は凄まじいものである。だが、それは戦争を前提とした軍事力に換算される。もし仮に人ならざる(アギト)に目覚めた人間が暴徒と化した時、一体どの程度の武力を行使すれば阻止できるのか、どれだけの犠牲を対価に抑えられるのか、すべて未知数の領域である。

 武力を動かすには金が掛かる。金が無ければ武力は廃る。

 だが、個人の暴力にはその枷がない。あるのは法の下にある手枷だけ。その手枷たる法律の効力は国家の武力によって辛うじて成り立っている。

 国家の武力と個人の暴力による力関係の均衡が崩れ去ってしまった時──果たして、社会の秩序は今まで通り保たれるのだろうか。

 

 響はぎゅっと口を噤んだ顔を俯かせ、スカートの裾を力一杯に握った。

 弦十郎は一つ咳払いをして、無意識の内に鬱蒼な声色へと落ち込んでいった喉を出来る限り震わせた。

 

「とにかくッ! もっと情報を集める必要がある。敵からすれば、サクリストDの移送は奪取するまたとない機会(チャンス)。かなりの戦力を率いて強襲を仕掛けてくると思われる。例の《ネフシュタンの鎧》の少女も介入してくるだろう。気を引き締めてかかるぞッ」

 

 猛々しい激励を発する司令官の一声を寄る辺に現実へ引き戻された三人は深く肯首した。

 何を思い当たったのか、そのまま兎のように跳び上がった響は「よぉしッ! もう一回お外走ってきます! 翼さんと奏さんのぶんです!」と意味のわからない決意の宣誓を言葉にして、落ち着きのない子犬のような慌ただしい足取りで席を立った。

 少女の熱く燃えるような背中を見送ってから、藤尭はそっと弦十郎に耳打ちをした。

 

「来ますかね、第三号はサクリストDの移送に……」

「わからん。だが、俺の第六感は〝必ず〟と囁いている。彼もまた俺たちが知る仮面ライダーの一人……そう信じているからな」

 

 小さく息を吸った弦十郎の頭には、響から聴取した《ネフシュタンの鎧》を纏う少女の言葉が駆け巡っていた。

 己の命を燃やして戦うことしかできない心優しき獣──その寿命は恐らく目前まで迫っている。

 何の為に戦い、何の為に傷つき、その膝を地に着かせようと言うのか。

 

「もし、第三号と相見(あいまみ)えることが再びあるのなら、俺は本気で第三号(ギルス)を無力化して捕縛する。この身を賭けても止めてみせる。彼を死なせることだけは避けたい。これ以上、彼を戦わせることがあってはならない……そんな気がするんだ」

「勘ですか」

「ああ。魂のな」

 

 

 

 走る。

 息を刻んで、走り続ける。

 胸中を闇の色へと塗り潰す心の翳りを誤魔化すため、我武者羅に足を酷使する。

 

 ──来ないで。来ないで。

 

 祈るように。

 願うように。

 叫ぶように。

 

 立花響は走り続けた。

 

 ──お願いだから、嘘であって。

 

「…………翔一さん」

 

 酷烈な雨に打たれる獣の背中を見送った、あの日から。

 すでに二日の時を経た。

 明日の任務で三日となる。

 それでも未だ──津上翔一との連絡は途絶えたままだった。

 

 

***

 

 

 

『奏ちゃんの反抗期がつらい』

 作詞:津上翔一 作曲:津上翔一

 

 デデンデンデデーン(開幕からパクリ疑惑)

 KA・KA・KA〜‼︎ KA・WA・WI・WI〜♪(手拍子) KA・WA・WI・WI〜♪(手拍子)

 

 KANADEちゅわぁ〜〜ん‼︎(耳を傾ける)

 

 …………。(静まり返る世界)

 

 …………。(もうちょっと待ってみる)

 

 …………。(´·ω·`)

 

 はあああああああああい‼︎(代役)

 

 マイプリティエンジェル奏ちゅわ〜ん? ご機嫌ナナメ45°の奏ちゅわあ〜ん? WOW〜WOW〜YEAH〜! FOOOO──!

 

 かれこれ三日は未読無視〜♪ ハートが痛くて鬱を生み〜♪

 海の浜辺でぇ〜大熱唱ぉおおおッ‼︎(○映さんのいつもの荒磯に波バッシャアーン‼︎) しょっぺえええッ⁉︎ 口に海水入っちった……ペッ!

 ツッコミ不在じゃギャグが成立しない〜♪(ペッ

 終わらぬボケにピリオドを打てない〜♪(ペペッ

 

 だーれかーつっこんでくれぇー(チラッ

 だーれかーボケとめてくれぇー(チラッ

 

 か・な・で・ちゅわあぁ〜〜ん‼︎(ビブラート全開) ペエエエッ‼︎ 駄目だ海水の味が口ん中から離れない……オエッ!

 

 (〜嗚咽の間奏12秒〜)

 

 KA・KA・KAッ〜〜〜ペッ‼︎(開き直り) KA・WA・WI・WI〜♪(ペエッ) KA・WA・WI・WI〜♪(ペエエッ)

 KANADEちゅわ──あっどうもお婆さん犬の散歩ですか。そうですか。やだ駆け足で俺から離れていく……カラオケでサビにいく瞬間に店員さんが入ってきて気まずくなるやつと同じだこれ……恥ずかCのCはビタミンCのCィィ‼︎ 元・気・ハ・ツ・ラ・ツ‼︎ FOOOOOOO──‼︎(リアルガチ末期キチガイテンション)

 

 ということでね!(脈絡のない繋ぎ)

 ラスボス全裸さん曰く俺のライフが尽きる最期の日がやって参りました〜! どんどんぱふぱふ〜! 余命ゼロです! 寿命ゼロです! テンションはストロングゼロでぇすッ! 張り切って逝きましょお〜! おやおや社畜ジョークからただの死人のジョークに代わってるゾ〜☆ いっけな〜い! 緊張しちゃってボケが雑になっちゃうわ〜もう心臓が止まりそう! なーに言ってるんだ。これから本当に止まるだろ?(キメ顔) HAHAHAHAHA‼︎

 おやおや。もしかしてツッコミ担当がボイコットしたら、俺のギャグもブレーキ踏んじゃうと思っていたのかい? なんて浅はかな考えだ。浅すぎて浅草の提灯になっちゃったわ。この年中無休の社畜を舐めてもらっては困る。死ぬギリギリまでボケ倒してやるからな……!(野獣の眼差し)

 

 手始めに……そうだね、折角目の前に海があるんだから、ひと泳ぎでもしておこうかな。こう見えても水泳は得意なんだぜ。いつ水落ちしても大丈夫なように備えておこうと思ったんだけど、ぶっちゃけ最初からそこそこ泳げてました! さては通信教育やってたな俺ェ〜? ちなみに得意な泳ぎ方は──犬かきだァァ‼︎ ワァァンッダァァァァ‼︎ いえええーい‼︎(シャツを脱ぎ捨てようとする)あっ奥さんどうも可愛いトイプードルですな。……脱げないなこれ。てか早朝なのに人けっこういるのねここ。

 

 …………。

 

 なにしに来たんだっけ(記憶力おじいちゃん)

 

 いやまあ全裸さんとの約束までまだ時間あっから、暇を潰せる場所を探してバイクを走らせてたら、なんか行き着いただけなんだよなあ。流石は俺の初期リスポーン地点。安心できるなあ。

 奏ちゃん、この浜辺はね、俺が目覚めた場所なんだ。ここが社畜のはじまりの場所だったんだ。

 

 ──…………。

 

 傍には何故かバイクがあって、頭の中では鬼畜上司がスリーマンセルでスタンバっててさ、状況が意味不明すぎて泣きたくなったね。なんか泣けなかったけど。

 それから色々あってさ。仮面ライダーなんて悪い冗談みたいな呼び方されちゃってさ。もうぷんぷんって感じだったよ。それから……一回ガチで死んだっぽいけど、三途のリバーでエルさんたちに捕まって、俗世に再接続されてギルス先輩オンラインってワケ。HAHAHA。まじウケる。辞表出したらその場で破り捨てられたみたい。世も末なんだけど。

 でも、エルさんが奏ちゃんを使ってまで俺を()()させたのはきっと大事な理由があったからなんだろうし不満はないよ。むしろ満足。得した気分。買い物したら福引券もらってキッチンペーパー当てた時と同じぐらい得をした感覚よ。うんうん。

 奏ちゃんにはね、すっごく感謝してる。俺一人じゃぜってぇ挫折してたし、奏ちゃんにノイズたん食べさせなきゃいけないとか関係なく、俺には暴力ぐらいしかすることないから、どっちにしろノイズたんハントしに行ってたと思うし……負い目に感じることなんてナイナイ。

 奏ちゃんのおかげで楽しかった。ずっと笑いっぱなしだった。ありがとうね、奏ちゃん。

 それからゴメンね。おじさん、嘘つきで。

 

 ──…………。

 

 でも、この感謝は本物よ。楽しかったんだよ。本ッ当に楽しかった。

 

 ──……それでも……あたしは……。

 

 ん?

 

 ──翔一に、幸せになって欲しかったんだ。

 

 ッ──………………。

 

 …………。

 

 そっか。

 

「幸せだったよ。世界で一番、幸せな人間だった」

 

 そ、それにほら、まだ希望は残ってるっぽいしね。なんだっけ。スキャンダルの剣? ビーチサンダルの剣? なんでもいいや。それ貰ってちゃちゃっと復活しよう。コンテニュー土管からニョキニョキしようぜ!

 つ・ま・り! お通夜ムードでお線香焚くには早すぎるってモンよ〜! 平成が終わらない限り、紛い物でも一応は平成ライダーの肩書きがある俺は永久に不滅って寸法よぉ〜‼︎ 令和なんて知るか! エブリデイ平成! エンジョイしなきゃもったいない! ブハハハハハッ‼︎

 

「待ってろよ……ちんちんぶらぶらんだる……この究極生命液、炙りステーキの風味タルタルソースで美味しく平らげてやっからな……!」

 

 ──翔一……おまえは……。

 

 とりあえずは準備体操しておこう! 力の賢者直伝のマッスル体操だ! ンンンンンッ腹筋崩壊パワアアアあああ‼︎ FOOOOO‼︎

 

 ──本当に……幸せだったのか……?

 

 ──翔一にとっての幸せって何なんだ。

 

 ──どうして、そんな平気な顔で笑えるんだ?

 

 ──本当に笑っているのか?

 

 ──なあ、翔一……?




何がとは言いませんけど、コイツまた嘘ついてるでやんす・・・。

オリ主くんは作中で一度も「生きたい」とか「死にたくない」とか生きる意志を感じさせるような言葉は一度も使っておりません。ていうかむしろ死(ここから先はry)
作品のタイトル・・・過労死しそうな主人公の嘆きではなく、生きようが死のうがどうでもいい主人公が吐いた言葉って思うと意味変わってきますね(ゲス顔)
てことで次回からラストバトルに突入します。(鬼畜の所業)


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♩.俺のラストバウトは始まったかもしれない。

お絵描きばっかりしてます(事後報告)


 あの背中にはじめて触れたのは晩蝉(ひぐらし)の歌声響く風の中だった。

 

 夏の休暇も終盤に差し掛かったある日、祖母の実家に一人で遊びに行くことにした。いつも行動を共にする親友もその時期には家族旅行や親戚の付き合いで忙しそうにしていたので、小さな一人旅の計画を実行に移す決断はすんなりとしていた。

 思春期にありがちな自立への強い憧れが行動力に上乗せされていた側面もあった。今までに感じたことのなかった〝大人〟への憧憬が最近になって表に浮き出たのは何故だったのか。

 少女は知らないフリをする。

 あるいは、知らないものに戸惑っていただけなのかもしれない。

 

 電車を乗り継ぐほどの遠出には多少の不安が残っていたが、何の問題もなく健やかな状態で祖母の実家に辿り着き、心配性な祖母に元気な姿を見せてやることが叶った。

 少しだけ大人になれた気がした。

 やればできるんだと自信もついた。

 その晩は風流な畳の上に真っ白な布団を敷いて、蚊帳の中で丸まって瞼を閉じた。鈴虫の音色に包まれて、意識は自然と物静かに落ち着いていく。

 青春という甘美な言葉を誇るには色のない夏だったと後悔しながらも気分は悪くない。満足すら感じている。確かに同級生の胸踊るような色恋の話に耳を傾けていると劣等感に苛まれる時もあったが、不思議と今では同調できる。

 

 なぜだろうか。

 

 夏休みの少し前。

 梅雨の季節に出会った人。

 嵐のように騒がしくて、青空のように晴れやかで。

 

 やさしくて、あたたかくて、哀しそうな人。

 

 瞼の内側に広がる夢の世界はそんな人のことばかりだった。

 

 翌日、祖母に別れを告げて出発した。意気揚々とした足取りだった。帰りは気が休まると楽観的に捉えていたからだろう。

 その帰路にて問題が起きる。

 乗り換えの電車を間違えて、別の方角へと向かう車輌に乗り込んでしまった。油断が招いた初歩的なミスである。座席で少しうとうとしただけで、気づけば大自然の緑が車窓の隅まで埋め尽くしていた。

 そして不幸は立て続けに重なる。過疎化の進んだ地域なのか、時刻表が絶望的であった。加えてダメ押しと言わんばかりに財布を迂闊にもどこかで落としてしまったらしく、バスやタクシーといった別の交通手段も絶たれた。

 自分の不幸を招き寄せる体質をこの時ばかりは酷く恨みながら、寂れた無人の駅に降り立って途方に暮れる。

 空はいよいよ仄昏(ほのぐら)い赤みを深めていく。

 鴉の不吉な調(しらべ)(いたずら)に孤独感を加速させる。

 縋るような思いで携帯電話を握る。両親へ迎えに来てほしい旨を必死に伝える。しかし、父と母はそれぞれ仕事や用事で多忙の身。それを承知で出掛けたことが仇となっていた。娘のもとへすぐ駆けつけられるような暇は両者には無い。日が落ちるまで、朽ち果てたも同然の駅舎に一人辛抱強く待たねばならない。

 人懐っこい性格の彼女には少々気が重い時間だった。

 蜘蛛の巣が幾重にも連なる無人の駅舎から、夕焼けに照らされた軌条を無心で眺めながら、一秒が何時間にも肥大化する孤独の空間で迎えを待ち侘びる。周囲に誰もいないという心細さが雪解けの冷水のように足下からじわじわと気情を蝕んでいく。夜になればあっさり凍死するかもしれないと本気で思い始めて、身を小さく縮こませていた。

 

 そんな精神的に追い詰められていた時、いち早く彼女を迎えに来てくれたのが、何とも頼りないバイク乗りの青年であった。

 

「ヘイヘーイ。そこのカワイイお嬢ちゃん、お兄さんとタンデムしてかない?」

 

 都合が合わなかった両親に頼まれて来たのであろう青年は半帽の洒落たヘルメットを渡してから、そんなことを愉快そうな顔で言った。

 

「あー、そうそう。俺ね、実はまだ二人乗りしちゃダメなんだけど、そこは緊急事態っつーことで。二人だけの秘密だぜ? まあまあまあ! 心配はご無用。問題ナッシング。こう見えてもテクには自信あるんだ。教習所で華麗にドリフト決めて、教官に絶賛されたあとメッチャ怒られたこともある」

 

 その教官とは、今では一緒に峠のコーナーを攻める仲なんだ──と、何の自慢なのかは知らないが、矢継ぎ早に口を動かしつつ旧式の大型二輪車のエンジンを噴かした。

 もしかすると気を遣っているのだろうか。

 この青年との付き合いこそまだ浅いが、彼の温和な人物像を確信するに至る程度には見知っているつもりだ。だからこそ、安心して彼の背中に寄りかかることができる。

 青年は発進前に一度振り返って「それじゃあ立花家へイッテイーヨ! それまで後ろでマッテローヨ!」と拳をぶんぶん振り上げながら騒がしい奇声を上げた。大したテンションである。時間帯から察するにアルバイトが終わるとここまで直行してきたのだろうが、疲労をまったく感じさせないハツラツとした声色だ。

 これが大人とは思えない。

 だが、その感覚はすぐ否定することになった。

 ヘルメットのシールドから青年の柔らかい目元が見えて、これまでの積りに積もった寂しさが嘘のように吹き飛ばされた気がした。

 

 大人ってすごいなあ……。

 

 神秘的な黄昏の太陽が傾く茜色の水面(みなも)を背にして、二人を乗せた単車(バイク)は清爽な潮風に車体を撫でられながら駆動する。信号の少ない公道では風と一体となって()()()と翔んでいるような遠い錯覚すら感じた。

 気持ちが安らぐ。

 夏の終幕を物悲しく奏でる晩蝉(ひぐらし)の残響と独特なリズムを刻むマフラーの鳴動が子守唄を口ずさんでいるように聴こえて、(とろ)けるような微睡(まどろ)みに誘われた。

 速度は緩やかとはいえ、バイクの上で意識を手放せるほど図太い精神はまだ持ち合わせていない。

 何とか眠らないように気を張らねばならないと得心して、グリップを握る青年の腰に背後から両手を回した。離さないようにぎゅっと抱き着いて、精一杯しがみつく。

 小さな頬に大きな背が触れる。

 男らしい偉丈夫な背中からお日様の香りと人肌の温かさが囁くように転寝(うたたね)の感覚を(くす)ぐった。

 

 とくん、とくん──と。

 

 命の音がする背中。

 やさしい音だけが響く。

 

 とくん、とくん、とくん──と。

 

 少しだけ早い自分の胸の音と重なって、命の音律は奏響く。

 二人だけの音。

 二人だけの世界。

 できるなら、少しでも長く聴いていたい。深く感じていたい。

 星に願うように。

 空に祈るように。

 少女は目を閉じる。

 

 やがて消えていく切ない音に耳を傾けて。

 

 孤独な音を聴いていた。

 

 

***

 

 

 明朝六時を過ぎて。

 綿雲が揺蕩う平穏な青空を軍用ヘリが滑空する。

 風鳴弦十郎はプロペラが巻き上げる突風に髪を(なび)かせながら、剣呑な眼差しで地上を視界に収める。

 厳重な交通規制を実施した都内の公道は重苦しい静寂を露わにしていた。普遍を語る平凡な日常の景色とは一線を画す緊迫の空気が漂い、滴る朝露の微かな音さえ奇妙に響く。

 朝陽の光輝を浴びたアスファルト。

 車輪の群れがあるはずもない轍を踏みしめる。

 インターチェンジを抜けて、閑散とした高速道路へ何台もの車両が仰々しく通過していく。十や二十はくだらない大所帯。行軍のような威圧的な殺伐さを滲ませた四輪が列を成す様は異質極まりない光景として目に焼きつく。

 私立リディアン音楽院高等科の地下に構える特異災害対策機動部二課の本部から東京都千代田区永田町に位置する特別電算室『記憶の遺跡』まで《サクリストD》と呼称される完全聖遺物を移送するための行列。

 予想される敵襲に備えて、各車両には武装した構成員が待機している。緊張感はあって然るべき切迫の現場は首都を走り抜けていく。

 

 車両の列が黙々と高速道路を通過する。

 その列の中心。

 前後を他車両によって堅牢に守られた桜色の一般車──櫻井了子が運転する車の後部座席には、(くだん)完全聖遺物(サクリストD)が眠っている。助手席で不安そうにシートベルトを握る立花響は電子ロックが施された特殊なアッタシュケースを一瞥して、不可解な息苦しさを覚えた。

 

 不壊の剣(デュランダル)

 その出自はかの有名なフランスの叙事詩『ローランの歌』から。如何なる手段をもってしても決して破壊できない神秘の聖剣は天の御使によって王へと授けられたと記されている。

 永劫の不朽を謳う神聖の刃が神の加護によって成り立っていると仮定すれば、人類が積み上げた千年の叡智では小さな傷すらこの剣に残すことはできないのかもしれない。幾万年の時代を大した破損もせずに力強く生き永らえてきた完全な状態がそれを如実に物語っている。

 それならば、一つの可能性として。

 もしもの話として。

 人ならざるものであれば、それこそ神に近づいたものであれば──……。

 

 理屈(ルール)を喰い破る埒外な存在がいるとすれば、この剣は不滅不朽の絶対的な定理を保つことができるのだろうか。

 

 サクリストDを狙う敵の存在。

 彼らは《デュランダル》に何の可能性を求め、何の目的を果たすために狙いを定めているのだろうか。

 

 予想される敵の実態は未だ闇の中にある。

 しかし、既存の兵器を物ともしない災害(ノイズ)を従える未踏の勢力であることだけは確か。ノイズと戦える確固たる存在は聖遺物の力を借りた装者ともう一つだけ──。

 車内のトランシーバーから定期的に発せられる先行車の報告には不審者や不審物の有無の他にもう一つ情報が加えられている。

 

 それはバイクに乗ったライダーの存否。

 

「…………」

 

 交通規制が施されている指定のルート近辺に単車と乗り手がいれば、報告を怠らないよう全車両に弦十郎から命令が下されていた。

 見た目は問わない。一見は一般人の様相であれ、可能であれば車種とナンバープレートに加えて人物の大まかな特徴も報告に合わせるようにと緻密な連絡が行き届いている。

 これらが何を意味する指令なのか分からないような勘の鈍い者は二課には当然いなかった。

 それは立花響を含めて、だ。

 

「そんなに緊張しなくたって大丈夫よ。こんなに気持ちの良い天気なんだし、案外平和に任務(こと)が終わるかもしれないわよ〜?」

 

 響の氷のように強張った表情を察して緊張を解そうとしているのか、了子はステアリングを握りながらも普段と変わらぬ茶目っ気ある声色で語りかける。

 

「心配事は大人に全部任せておきなさい。響ちゃんは自分の仕事だけに集中して良いの」

「…………」

「それとも他に何かあるの? 気になること? もしかして──恋の悩み⁉︎」

「ぶっ⁉︎」

「あら、まさかの当たり? やだ〜青春ね〜!」

 

 にやにやと口元を弛ませる了子に響は必死で弁解する。

 

「ち、ちち、違いますぅ! しょんなんじゃありませんッ! ま、ましてや作戦中に……そこまで空気読めない性格じゃないですよぉー⁉︎」

「ムキになっちゃってカワイイじゃない。図星ね」

 

 顔を真っ赤にしてあたふたする響を見て、了子は随分と楽しそうだった。

 

「気になる人からある日突然連絡が来なくなって居ても立っても居られないってカンジかしら」

「エスパーですかっ⁉︎」

「こう見えても恋の相談はよくされる方なの。もう何度迷える子羊たちを導いたことかしら。二課(トッキブツ)のキューピットとは私のことよ」

「はぇー……そういうのわかっちゃうもんなんですか? 私あんまり自覚ないんですけど」

「ふふ。この櫻井了子の目をもってすれば一目瞭然ね。恋する乙女の顔なんて一目見れば判別できるわね」

「どうすれば、そんな特技を会得できるんですか」

「本当の恋を知っている者なら、勝手に身につくわ」

 

 得意そうに鼻を鳴らす了子の横顔を覗きながら、響は少し口を尖らせる。

 

「了子さんは大人だから、そういう経験もたくさんあるんでしょうけど……」

「残念。私は一度っきりよ」

「ええーっ?」

「意外?」

「意外です!」

 

 思わぬ恋バナを前にして目をキラキラさせる響に了子は苦笑した。

 

「本気の恋だったから、ずっと尾を引いているのよ。未練がましくって自分でもヤになっちゃうわ」

「そんなに好きだったんですか」

「ええ。好きよ。今でも。この先もずっと」

「なんだかとってもステキな恋ですね」

「……ふふっ。ありがとう。でもね、私には時々これが呪いのように感じる時があるの」

「呪い?」

 

 ピンと来ないのか、小首を傾げる響に了子は構わず言葉を続けた。

 

「これは先人からのアドバイス。胸に留めておきなさい。

 どんな形であれ、手遅れになる前に、想いは伝えた方がいいわ。想いが届かないなら言葉で。言葉で足りないなら行動で。愛が呪いに変わる前に、愛を祈りなさい。そうやって人間は今まで長い歴史を紡いできたのだから。

 愛のない世界は寂しいわ。人間が生きるにはね」

 

 目をパチクリさせて当惑の表情を浮かべる響に、了子は恥ずかしそうに頬を指先で掻いた。

 

「ヤダもう。らしくないこと言っちゃったわ。今の話は二課のみんなには内緒よ。櫻井了子はミステリアスな美女で通ってるんだから──」

 

 その直後、二人の空間に水を差すような形でトランシーバーが反応した。定時報告かと疑いもせず、二人の視線が無線機に落ちる。ザザッと雑音が流れて一変──。

 

『下だ、了子くんッ!』

 

 弦十郎の怒鳴るような音声の真意を確かめ暇もなく、櫻井了子は反射的にハンドルを右に大きく切った。この咄嗟の判断が結果的に両名の命運を分けることになる。路面を滑るように傾いたタイヤが車全体を粗暴に揺らして公道(ストリート)に刻まれた車線を軽々と超えてしまう。

 響は助手席から女々しい悲鳴を上げながらも、前方の光景に目を疑った。血の気が引くように愕然とせざるを得なかった。

 

 車が飛び跳ねている。

 

『敵襲だッ‼︎ 敵は下水道から攻撃をしかけている! 繰り返す、奴等は下で待ち伏せていたッ‼︎ 全車両は今すぐ散開しろ!』

 

 重力に従って落下する車の顔面がアスファルトの地表に叩きつけられ、一瞬の内でスクラップと化した。金属片を吐き散らしながら、横転する衝撃的な光景に響は息を呑んで瞠目する。

 しかし、驚嘆に震えている場合ではなかった。

 落下の勢いでそのまま滑走するように横転するクルマが今度は走行ラインを阻む障害物となって、了子のクルマを押し潰さんと迫ってきたのだ。

 了子は切り返すようにハンドルを左へ。

 ブレーキングで荒ぶるGに逆らうようにクルマのコントロールを試みる。白煙とスキール音がけたたましく路面を這い、五センチも離れていない際の間隔で視界を横切り、一瞬の間にドアミラーの首をへし折って通り過ぎて行った。

 唖然としながら間一髪の回避に胸を撫で下ろすも束の間、背後から痛々しい轟音が飛び交った。それを確認するためのドアミラーは響の側から失われている。バックミラーに視線を上げると了子が隠すように畳んでしまった。

 後ろは見るなということらしい。

 

『ダメだッ‼︎ 上からでは敵の影すら捕捉すらできん! 地下水路の構造から先回りの難しいルートを構成する……了子くん、その先にある薬品工場へ回れ!』

 

「薬品工場……⁉︎ また無茶を言ってくれるわね!」

 

 下唇を噛む了子に思考の隙すら与えず、今度は道路脇の側溝からスプリンクラーのように何かが吹き出した。

 

「ノイズ⁉︎ ──うわあああああッ」

 

 こうなってしまえば、助手席に座る響は了子の技術(テクニック)を信じるしかない。ジェットコースターよりスリリングなアトラクションに乗せられた気分で息つく暇もなく、響は暴力的な横Gに晒されて金切り声を上げ続ける。

 高速で蛇行する桜色の自動車はノイズの奇想天外な強襲に対して幾度も劇的な回避を成功させた。前触れもなく地下から噴出するノイズを(かわ)しながら、市街地の国道を一目散に抜けていく。無茶な動作を強いられたタイヤが限界を迎えて危うい挙動をチラつかせているが、指定された薬品工場までは何とか辿り着けるだろうとアクセルペダルをほんの僅かに緩めたその時だった。

 頭上に()()()と。

 車の天井に何かが降ってきたような音がした、

 それは確実に響と了子を乗せたクルマの上に留まっている。脇目も振らぬスピードに物ともせず、そこに張り付いている。正体はわからない。かなり重量があった。無闇に振り下ろそうにも前輪がタレて制御も覚束ない現状では、あまり派手な走行は期待できない。

 黙って走り続けるか。

 了子が判断を下す直前、助手席の響が叫んだ。

 

「了子さん、シマウマ!」

「え?」

「たぶん、ロードノイズですッ!」

 

 颯爽と移ろいで過ぎ去る景色の中から、ビルのガラスに反射した異形の影を響の動体視力は捉えていた。

 今まさに二人の頭上には縞馬(ゼブラ)の貌を携えたノイズの上位種がいる。他の雑兵(ノイズ)に紛れて車上へと乗り移った黒色の縞馬(ゼブラ)は車内の様子など気にも止めず、鉄槌のように右拳を振り上げた。

 爆音と共に車体が揺れ、怪人(ロードノイズ)の拳は天井をあっさりと貫いた。

 殴打によって車上から穿貫した黒い怪腕は運良く運転席と助手席の間を殴りつけ、手応えの無さを感じ取ったのか、そのまま何事もなく上に引き戻される。

 

「ちょっとちょっと……一応は防弾よこのクルマ⁉︎ 対物ライフルにも耐えられる設計なんだけど……!」

 

 余程悔しいのか、了子は苦渋の嘆きを口にする。

 シートベルトを外した響は拳一つぶんの風穴が空いた車の天井から黒の縞馬(ゼブラ)が二人を見下ろしていることに気付いた。次は直撃させる。殺気めいた意志を読み取れる眼。このままでは一方的に殴殺されてしまう。

 離脱しなければマズい──!

 既に二人を乗せたクルマは目標である薬品工場のゲートを潜り、敷地の奥へと進んでいる。車を捨て、櫻井了子と完全聖遺物(サクリストD)を背負って、工場内を逃げ回るしか道はない。

 響が決断に至る寸前、思いも寄らぬ救いの手が差し伸べられる。

 

「──フザケてんじゃねぇぞ、馬面ッ‼︎」

 

 車上で大きな物音が鳴り、組み合うような激しい足音が刻まれ、やがて後部の車窓から二つの影が路面に転がり落ちるのを響は目にした。その内の一つがあまりに想像の範疇を超えていたがゆえに、視界に入った青銅の装甲を目の錯覚かと疑いもした。

 しかし、それを見間違いで済ますにはまだ鮮明すぎる記憶であった。

 

「あの鎧は……⁉︎」

 

 三日前。

 網膜に焼きついた雨天の夜。

 装者である風鳴翼に重傷を負わせ、未確認生命体第三号の乱入によって撤退に追い込まれ──誰かを偲ぶように泣いていた少女。

 間違いない、あの子だ。

 此度の襲撃の首謀者と思われていた《ネフシュタンの鎧》を纏った少女が二人を庇うようにして怪人(ロードノイズ)と揉み合いになりながら戦闘を開始した。それだけでも混乱しかねない光景であるにも拘らず、拍車をかけるように工場内から溢れ出した災害(ノイズ)の大群が互いを攻撃し合う()()()()のような異常な行動を始めてしまうのだから、響は愕然とした表情で背後の惨状を見送るしかない。

 

「え……ええっ⁉︎ 何が起こってるんですか⁉︎ ノイズが……ケンカしちゃってるぅ……?」

「どうやら、私たちの想像以上に複雑な状況になってるみたいね。それに……どのみち厳しいわね」

 

 どこか諦めたような口調の了子は言うことを聞かなくなったステアリングから手を離した。お手上げのポーズと嘆息。そして、フロントガラスの向こう側へと響の視線を移らせた。

 

 直線上──前方に何かいる。

 

「────ッ⁉︎」

 

 二人を待ち構えていたのは人間のような四肢を持った異形──。

 

『owari da』

 

 もう一体の縞馬(ゼブラ)だった。

 

(間に合え──‼︎)

 

 白の縞馬(ゼブラ)が重心を落として拳を引き絞ると同時に、響は了子とアタッシュケースに手を伸ばしつつ、胸の内に秘めたる撃槍(ガングニール)を目覚めさせるべく聖詠を歌う。

 

「── Balwisyall Nescell gungnir tron」

 

 程なくして縞馬(ゼブラ)による鉄拳の一撃が桜色の車に正面から叩き込まれた。作動したエアバッグが破裂し、前部座席は勿論ながら後部座席に至るまで峻烈な衝撃が轟き、鉄屑のように粉砕された。

 黒煙を焚きながら静止したクルマに突き刺さった腕を引き抜き、白色の縞馬(ゼブラ)は背後へと顔を向けた。

 

『omae mo AGITΩ ka……???』

 

 問いかけの矛先には、黒と黄を基調とした色合いの装甲(プロテクター)に身を包ませた少女が握り締めた拳を前にして構えている。

 響は小さく息を吸って、力強く目を見開いた。

 

「違うッ! 私は立花響、十五歳! 乱暴なお馬さんにはこれ以上教えてあげない!」

 

 並々ならぬ戦意の現れが言葉に宿っていた。響の背後で静かにその成長を感心する了子は堪らず不気味な笑みを浮かべてしまった。

 たしかにこの子なら。

 この子ならアギトにだって──……。

 

「了子さん、下がっててください。私、戦います!」

 

 

***

 

 

 陰険な双眸が血湧き肉躍る戦場を俯瞰している。

 硝子細工のビー玉のような円型の(まなこ)には、えも言われぬ闇を孕んだ獰猛さが窺える。獲物の品格を査定しているかのような凍てつく視線は少女の頭上にのみ注がれていた。

 

 歌を口ずさみながら不慣れな徒手空拳を用いて四方から襲い来るノイズの軍勢と白の縞馬(ゼブラ)と必死に競り合う《撃槍(ガングニール)》の戦姫──立花響。

 数多のノイズを従えながらも黒の縞馬(ゼブラ)と他ノイズに邪魔をされ、応戦を余儀なくされる《ネフシュタンの鎧》の少女──雪音クリス。

 

 戦況は混沌の坩堝と化している。一見は三つ巴の様相を呈しているが、無尽蔵に現界を遂げる雑兵(ノイズ)の大群が節操もなく場を荒らし続けるため、現時点で陣営を隔てることは困難となっていた。

 雪音クリスは()()()()したノイズに当惑の表情を見せながらも、すかさず完全聖遺物《ソロモンの杖》を向けて、ノイズの活動の主導権を握ろうとするが、それを黙って見逃すほど手緩いロードノイズではない。射程圏内の際を維持しつつ常に目を光らせている。

 強靭な脚力に物を言わせて肉薄する怪人はクリスにとって不得手の存在である。微塵も気を抜くことが許されない。長期戦も視野に入れなければならない現状、縞馬(ゼブラ)から手痛い打撃を受けることは《ネフシュタンの鎧》の性質からしても決して好ましいとは判断できない。よって、クリスはロードノイズを相手取るのに精一杯の集中力を割いていた。

 結果として大半のノイズはコントロールされることなく、災害としての役割を全うすべく破壊活動に殉ずる。

 雪音クリスが操る意図的なノイズは縞馬(ゼブラ)を含む不慮の災害として顕現した自然的なノイズと工場の広大な敷地の真ん中で血風逆巻く合戦のように激突する運びとなっていた。

 

 ただ一つ明確に孤立している戦力は、すべてのノイズに等しく敵と看做(みな)される立花響である。

 彼女の役目は完全聖遺物《デュランダル》の強奪を目論む者から剣を死守すること。そして、櫻井了子の人命を是が非でも守り抜くこと。つまり、響は《ネフシュタンの鎧》の少女の動向に気を巡らせつつも、不運にも自然発生してしまった人類殺戮に長けた災害(ノイズ)から非力な了子を防衛せねばならなかった。

 

 とても一人でやり切れる仕事量ではない。

 ことノイズの掃討戦に関して並々ならぬキャリアを積んでいる風鳴翼から日夜闘いの教えを請うていたとしても肉体と精神には限度がある。超人的な風鳴弦十郎から特訓をつけてもらったとしても今はまだ付け焼き刃でしかない。むしろ、ここまで立ち回られていることこそ日々の成果と表しても過言ではない。

 しかして、現実は非情であるのが常である。ここから先は努力の問題ではなく、結果的な実力が試される世界に加速していく。

 厳しい戦いを強いられる響の額に汗が滲む。

 恐怖(おそれ)ではない。確実に追い詰められていく敗北の感覚を幾度も振り上げた拳の熱から本能的に察してしまった。この状況を退ける未来図(ビジョン)が浮かばない。援軍を期待するにも相手が物理法則を超越するノイズである以上、装者である自分が頼みの綱であることには変わりない。

 疲弊した喉が掠れていく。

 まだ歌える歌えるんだと腹の底から空気を吐き出すように歌を奏でる声量を高らかにした。

 

(弱音を吐いたら……! 負けそうって思ってしまったら……!)

 

 来てしまう。

 

 彼なら、きっと来てしまう。

 

 如何なる時も、弱き声に手を差し伸べてしまうヒーローなのだから。

 

 仮面ライダーが来てしまう。

 

(挫けてたまるものかああああああッ‼︎)

 

 響の激昂が電流のように手足へ巡ったのか、疲労を全く感じさせない猛進するような打撃の数々は怒涛の勢いでノイズを粉砕していく。鎧袖一触を体現するような凄まじい猛攻である。

 そんな勇敢極まる少女の背中を遠くの物陰から見つめる櫻井了子は冷たい判断を下さざるを得なかった。

 

「限界ね」

 

 それは一切の人情を削ぎ落とした客観性に基づく研究者としての判断であった。

 

「予想より耐えた方だと思うわ。これまでの戦闘データから天性の才覚に近い片鱗は感じていたけれど、まさか僅か二月足らずでここまで成長するとはね。……それだけ彼への想いが強かったのかしら」

 

 なぜか温かな微笑みを瞬目の間に浮かべた櫻井了子はスイッチが切り替わったかのように鋭利な眼光を細め、工場施設の至る箇所から伸びている巨大な排煙の筒を見上げた。

 

「多少は因果律を捻じ曲げたとはいえ、まさかアレが出張って来るとは……」

 

 そのとき、視線は確かに交わったかのように思えた。

 俗界を俯瞰する神官の慈悲深き食肉目が櫻井了子を一瞥したかのように見えた。

 しかし、それは錯覚だろう。

 アレはアギトにしか興味を示さない。(さと)ることすらできぬ脆弱な人間は地に這いつくばる虫螻(ムシケラ)と同然。甘く見られているのだ。

 

「普遍的なノイズでは手に余るがゆえ、アギト抹殺のために造られたロードノイズ。その中でも、とりわけ殺戮能力に秀でた個体に与えられる階級──女王(クイーン)

 

 その口調はどこか懐かしむような、あるいは悔恨を噛み締めるかのような何とも言えぬ余韻があった。

 

「今の第三号(ギルス)で勝てるとは到底思えんが……さあ、どうする、()()()()()()

 

 

 直径三十メートルほど有する煙突の頂上にて、三体の異形たる怪人(ロードノイズ)は熾烈な火花を散らす戦場を無感情に見下ろしていた。

 それはいつかの(ジャガー)と瓜二つの(すがた)

 霊長を模した戦士の躯体と俊敏な肉食の獣たる豹の頭をもった異形の影が三つ。互いの関係性は誰の目から見ても明らかである。地位の優劣を歴然とさせていたのは、赤と青の豹人間が片膝を地につかせ、従者のように首を深々と垂れているからであろう。そして、二体の屈強な(ジャガー)を侍らせる隊長(リーダー)格の異形は所謂クロヒョウに分類される豹の頭部を得た()()のロードノイズであった。

 感情に乏しい野獣の顔貌から鋼鉄のように冷たい殺戮者としての側面を余すことなく空気に滲ませ、手掌に握る巨大な権杖は異端の神秘性すら彷彿とさせる威圧感が伴っていた。

 真紅の豹と深青の豹。

 それを従える女神官の黒豹。

 認定特異災害たるノイズの上位種──ロードノイズの指揮権を与えられた女王(クイーン)は眼下に拡がる戦火の大地を一瞥すると興味を損なったかのようにさらりと踵を返した。

 

『d*◆<on'×£●□t±le÷a°v¢e||on==e』

 

 聞くに耐えぬ不快な雑音が言語のように投げられる。

 

『@m_#☆y◎ai×m↓>>i〆:s〝GILLS〟……\\I'lll//e*°a⇒▲v▽et♭≪h::e♧r€♢e£s^^≒t』

 

 黒豹の女王は理解を困難とする雑音の羅列を残し、何事も無かったかのように煙突から飛び降りてしまった。一呼吸の間を置いて、指揮官の離脱を合図に豹型のロードノイズもようやく動き出した。

 その瞳に残虐な情動を滾らせて。

 

『←▽:a+α@A/GITΩ no hachou kiken no kaori』

『÷°○♠︎:<|>¥°m=inogasu douri nashi』

 

 真紅と深青の(ジャガー)も女王に倣うが如く煙突の頂から軽々しい足取りで落下した。地表との間に生まれた差が即死の域に達しているにも拘らず、物音一つ響かない紙が舞うような異質な軽快さで着地する。路面に転がる小石だけが風圧に負けて飛び上がり、それらが幻想の類ではないことを知らしめる。

 二匹の豹は戦場の中心──二人の少女が(しのぎ)を削る激戦区へ爪先を向ける。

 万物の根源を成す四元素(プリマ・マテリア)の塵によって構成された肉体へ己が腕を抉るように突っ込み、そこから意匠が共通する両刃の剣を抜刀する。片手で扱うには巨大で厚みのある刀身。(ジャガー)はこれを片手剣として巧みに操る術を会得している。

 真紅と深青に彩られた豹顔の剣士は一歩ずつ着実に激しい乱戦と化している中心地へと歩みを進める。その悠々とした歩幅には、己が力量に対する贔屓なき自信の現れと闘争に心躍らせる戦士の驕りそのものが垣間見えた。

 白黒の縞馬(ゼブラ)を含めたこれまでのロードノイズと大きく異なるものがあるとすれば、それは超越せし者を狩らねばならない絶対的な使命感の正体に由来する。何者かによってインプットされた仮初の使命ではない。炭素の肉体に宿る黒き心臓が鼓動すれば、それは自ずと怨恨の(ほむら)と化して手に足に底知れない力を(みた)す。

 それを人は魂と呼ぶ。

 魂の声がする。魂の音がなる。

 ゆるすな。けっしてゆるすな。

 

『ware ra wo konoyouna sugata ni kaeta mono』

『AGITΩ wo yurusuna』

 

 遥か古来より数多の殺戮を遂行してきたロードノイズは現代の地に降り立っても尚、その血塗られた使命から背くことはない。

 それこそが己に課せられた(ことわり)なのだから。

 

『ware ra no shimei ware ra no tatakai』

『AGITΩ no shimatsu AGITΩ no konzetu』

 

 弱者と強者の自然的連鎖よって積み上げられたヒエラルキーの頂上は常に得体の知れぬ愚像によって塗り潰されている。それは往々にして神という名を語り、道徳と倫理を得た生命を言葉巧みに闘乱の渦へと駆り立てた。

 いつからだろう。運命というものに神という具像を重ねたのは。

 いつからなんだろう。抗えないものに神罰と名付けたのは。

 神が人を創造(つく)り、人が神を想像(つく)ったというのなら──。

 彼を呼び覚ましたのは誰なのだろうか。

 闘争(たたかい)の中でしか生きられず、生と死の輪廻から零れ落ちた〝獣〟は何のためにここにいるのだろうか。

 

 その答えは無い。

 

『────!!??!!??』

 

 焼きつくエンジンの音律が路上を(こす)る。

 摩擦の暴力は風と共に吹き荒れる。

 鼻腔を叩くようなゴムが焦げる芳香が漂い、峻烈に回転する車輪(タイヤ)が豹型の怪人を蹴散らさんと目前を横切った。スリップした後輪が路面に火花を走らせ、異形の体躯を吹き飛ばす。不意を突かれた赤と青の豹人間(ロードノイズ)は辛うじて受け身を取ることに成功し、次の瞬間には跳ね上がるように身体を起こした。

 二体のロードノイズの前に立ち塞がるは、赤色の単車(オートバイ)に跨る人影。

 フルフェイスのヘルメットの奥から覗く冷血な瞳孔が射殺すほどの殺気を帯びて二体の怪人を見据えている。

 心臓を掴まれたような威迫。

 圧倒的な強者の風格。

 間違いない。

 (ジャガー)は感覚的に察知した。身慄(みぶる)いするほどの圧巻とした雰囲気は体現する死神のそれである。バケモノ以外の何者でもない暴力の化身。人間の皮を被った()()の獣。

 堕天の獣(ネフィリム)

 またの名を〝ギルス〟──。

 ヘルメットを脱ぎ捨てたライダーは垂れ下がった前髪の奥から(うつろ)の眼光を鈍く輝かせる。途轍もない重圧(プレッシャー)が首筋に刃を突きたれられたかのような幻惑を(もたら)し、(ジャガー)は竦み上がるような冷たさを感じ取った。

 

『GILLS……!!?? mada ikinobite itanoka……!?!?』

『shinizokonai ga imasara nani wo??!!』

 

 青年は物憂げに細まった横目で二体の異形を機械のように見つめている。何の感情もそこにはない。まるで無関心。ただ目の前の現実を客観視しているかのような不気味さがある。

 やがて、自嘲の吐露するかのように動き出した口唇から心を殺されたような冷淡な声が絞り出された。

 

「不思議なんだよ。生命(いのち)の瀬戸際。臨界点(デッドライン)がすぐそこまで差し迫ってるていうのに、笑えるぐらいに何も感じない。感じさせてくれない」

 

 バイクのエンジンを切って降車する。

 死を目前に控えた青年の命は驚くほどに冷静な様相を保っていた。緊迫感すらない。虚無めいた心象。それが少しだけ愉快に思えて笑うしかない。

 

「壊れてんだよ。()っくに俺の魂はさ」

 

 ただの人間として生きるには、欠けてはいけないものがこの胸には欠けていた。ただの人間を演じるには、手に余る壮絶な力を背負わされた。

 そして、ただの人間のように笑って過ごすには、守りたいものがあまりに多すぎた。

 

 壊れている。きっと壊れている。

 

 壊れていなければ、俺は何だというのだ。

 

「だったらもう、戦うことでしか生きている意味を見出せないのなら、命の価値すら失ったっていうなら、そんなくだらない命なら──お互い潰し合うしかないよなぁア……!」

 

 その時はじめて、虚無の漆黒に染まっていた感情の湖面が荒々しく波打ち、情動の大波となって魂の内側から揺さぶった。無から有へと変わる。闘争への衝動が津上翔一の壊れ果てた魂に狂おしいほどの熱を灯す。

 この感じだ。

 寝ても覚めてもこの感覚だけは消えなかった。

 マグマのようにどろりとした耐え難い熱が心臓の裏側から流れ込んでくる。生き死の執着さえ見失おうと、この感覚だけは彼の手元から離れることはなかった。呪いのように纏わりついて津上翔一という人間を決して離そうとしない。

 

 壊れていやがる。

 何もかも壊したくて仕方がなくて。

 壊れた腕でまた壊そうとしている。

 

 なんなんだろうな、俺は──。

 

 靴底が路面を削る。

 空気を引き裂くように爪を立てた両手の交差で表情(カオ)を覆い隠す。

 

 いる。

 悪魔がそこにいる。

 俺のカラダを乗っ取ろうとしていやがる。

 

 顔中の血管が浮かび上がる。

 細胞の末端に至るまで異端の変質を強制する証として血流が狂い始めたのだ。

 人体を形成する骨格がヒトのカタチを保つ限界に達して、悲痛を喘ぐように烈々と軋み始めた。殻を突き破る雛のように、繭を食い破る蚕のように、人間という殻を獣はその牙で破壊する。

 

 いいだろう。

 貸してやるよ。

 

 額に目を殺すほどの閃光が輝いて、第三の眼(ワイズマン・オーヴ)が開眼した。

 全神経が加速する。

 意識が真っ逆さまに堕ちていく。

 

 そして、できるなら……。

 

 人と獣の境界線──その糸を断つために超因子(メタファクター)()()言葉を急かす。

 

 もう返してくれるな。

 

「変……身……ッ‼︎」

 

 二体の豹型の怪人(ロードノイズ)は腰を落としつつ得物を構える。臨戦態勢に移行。迎撃の準備は終わっている。あとはもうどちらが強者であるか、どちらが優れているか、ただそれだけを見せつける。

 対話などあり得ない。

 終着点は最初から〝死〟以外に認めない。

 これより先に待ち受ける世界とは、互いの生殺を奪い合う熾烈な戦争──……。

 

「■■■■■■■ァァァ──‼︎」

 

 殺し合いと呼ばれる由緒正しき聖戦(たたかい)なのだから。




えっ⁉︎ナーフされまくって搾りカスみたいになったギルスで、いかにもガチそうなヤツらとファイティンしろって言うですか⁉︎・・・できらあ!(末期)


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♫.俺はすごーくギリギリかもしれない。

ウマとスズメの育成ばっかりしてます(事後報告)


 開け放たれた窓の向こう側には、無窮の空色が広がっていた。

 絵に描いたような青空は何でもないような顔をして、ゆらりと(そよ)ぐ風の音に雲霞の途方を(おお)ってしまう。見たくないものを見せないように。知らなくていいものを知らずに済むように。平和という虚実を、子供が見る夢のように空は(かた)り続ける。

 綺麗で柔らかい空色のインクで。

 白いキャンパスいっぱいに塗りたくるように。

 青く。青く。ただひたすらに青く。

 

 誰が見ても美しい〝空〟だと言えるように。

 

「やっぱりここにいらしていたんですね」

 

 声がした方向へ反射的に視線をやると清廉とした背広の男性がいた。足音のみならず、裾が擦れる小さな物音すら抹消する驚愕の歩法を日常的に扱える人物など、世界は広しと言えどそういないだろう。

 風鳴翼は少しだけバツの悪そうな表情で自分のマネージャーを出迎えることにした。

 すると、緒川慎次はどこか困ったような愛嬌のある微笑を浮かべて、朝の日差しに包まれた病室へと足を踏み入れた。

 

「ダメですよ、翼さん。まだ安静にして頂かないと。傷口は完全に塞がっていないんです。少しの運動も厳禁です。(はや)る気持ちは……お察ししますが、今日は響さんを信じてあげて下さい」

「承知しています。未熟の域を出ないとはいえ、立花は揺るぎない決意を携えた一人の戦士です。そこに杞憂などありません」

「にしては、浮かない顔をしているように見えますよ」

「気のせい……とは言えませんか」

「はい。病室(ここ)にいるのが何よりの証拠です」

 

 嫌味を含まぬ爽快(さっぱり)とした笑顔を向けた慎次に、翼は覇気のない苦笑を漏らすしかなかった。

 困ったことに、返す言葉が見つからない。

 来客用の丸椅子に腰掛けていた翼は開けっ放しにしていた窓から長閑(のどか)な涼風が室内に流れ着く感触を肌で味わった。綿のように柔らかい風。(ほの)かに紫陽花の香りが()みていて、晴れ渡る青空のどこかに梅雨の兆しを感じ取れる。

 雨雲は見えずとも、空の色は着実に変わっているのだろう。

 黒く。

 ただ黒く。

 滲んだ青を塗り潰して。

 

「…………」

 

 そう思うと、少しだけ寂しいような気がした。

 

 風が撫ぜる先にはベッドがある。

 この病室の主人のものだ。

 御伽噺(おとぎばなし)に登場する可憐な姫君のように、清純とした安らかな寝顔の少女は翼の掛け替えのない友である。もう何年も声を聞いてない。笑っている顔も、怒っている顔も、深い記憶の中にしか残されていない。

 こんなに近くにいるのに、ずっと遠くにいるみたい。

 手を伸ばせば届きそうなのに、決して掴むことのできないこの空を仰いでいるような感覚。

 虚しさだけが手のひらに残ってしまう寂しさを翼は覚えた。

 

 天羽奏。

 悪い魔女に魔法をかけられてしまったように永劫の眠りにつく少女が待ち詫びているもの──それは白馬に乗った王子さまなのか、はたまた魔法使いなのか、無二の親友である翼にだってわからない。

 何の為に眠るのか。

 誰の為に夢を見るのか。

 深く閉ざされた(まぶた)の裏側で拡がる夢が悪夢でないことを祈るしか今の翼にはできない。

 

 ……仮にもし、あなたの瞳が悲しい世界を見ているのなら。

 

「緒川さん、無理を承知でお願いがあります」

 

 いつか聞かせてほしい。その名も無い物語を。

 

「私を、風鳴翼を、どうか戦場(いくさば)へと連れて行ってください」

「翼さん、それは」

「行かねばならないのです。行かねば……きっと私は後悔する。他の誰でもない、私の、風鳴翼の、この魂がそう叫ぶのです」

 

 私もね、あなたに聞いてほしい物語があるから。

 

「お願いします。私を()()()()()()に会わせてください」

 

 

***

 

 

 ──生きるとは、なんだ。

 

 鋼鉄の(つるぎ)に衝突した妖拳から赤色が滴る。

 冷たい刃と熱い血が溶け合うように交差し、過敏な感覚を尚も尖らせる。

 深緑の(ギルス)と真紅の(ジャガー)

 間合いの駆け引きを捨てた至近距離の連打(ラッシュ)に勝機を見出したギルスとあえて撃ち合いに挑んだロードノイズ。幾度となく繰り出される攻防一体の熾烈な乱撃はついに正面から激突する事態へと急転した。

 肉が裂けて軋めく指骨が凶器の先に触れる。危惧すべき局面。愚直に膂力で競り合えば手首ごと落とされかねない。

 ()()()

 四肢に宿る暴威へ身を投げるように、深緑の怪腕に体重を加える。

 

 ──正しさとは、なんだ。

 

 金属が擦れ合うような甲高い共鳴が拳と剣から放たれた。それは閃光のような一瞬。相反するベクトルと摩擦の暴圧が突如として霧散した。両者は互いに意図せず瞠目のままにすれ違い、仕留め損なった標的を黙って横目で見逃した。

 決め手は(ギルス)の流血。怪人(ロードノイズ)の完成された剣技を滑らせた液体は激烈な火花を代弁するかのように赤く咲き乱れ、燃え尽きぬ闘志を煽るように路面(アスファルト)に飛び散った。

 両者は背を向け合うようにすれ違った。双方ともに右側。肩と肩が触れ合う距離。ただ視線は虚空を漂う。

 刹那の空白。

 転じて真紅の(ジャガー)が動いた。剣先を直角に()らしながら真横へ振り回すように()ぎ払う。右腕と胴体を両断できる位置とタイミング、そして何よりも速力があった。殺刃閃く剣風は容赦なく(ギルス)の神経を戦慄させる。

 

 ──結局、なにもわからなかった。なにも得られなかった。

 

 俯瞰の脳髄が合理性を追求した体術でこれに対応させる。

 ()()()と落下するように片膝を屈曲させ、もう一方の脚で次点の布石となる軸を作る。予備動作はない。股関節に至るまで各関節部はある程度の軟化を完了している。曲芸じみた動きに必要な因子は()()()()だ。骨格の配置を熟知していれば、人外めいた躰道も可能な領域に達する。

 それ故に、彼はこれを(いた)く得意としていた。

 予測を超えた体捌きに翻弄された敵は必ず一糸の隙を見せる。切迫した空気が瓦解する感触。針の穴がこじ開けられるような芳香(におい)。それは確実に反撃(カウンター)が決まる絶対的な一瞬に他ならない。

 

 ──戦闘(たたか)っても。殲滅(たたか)っても。飽くまで殺戮(たたか)っても。

 

 剣閃が獣の残像(カゲ)を虚しく斬り裂いた。

 

 ──答えは出なかった。

 

『g……GILLS⁉︎』

 

 ──ここにあるのは、(いたみ)だけだ。

 

 機軸となった脚へ瞬発的に体重移動を施し、腰を低位置に保ったまま半回転。遠心力の助力を得た肘鉄による荒々しい殴打を脇腹(ボディ)に突き立てた。けたたましい粉砕音が走る。体内の筋繊維が食い破られ、並々ならぬ痛打の衝撃が赤の(ジャガー)を襲う。しかし、敵の戦意は緩むことはない。その証明として得物は決して手から離れることはなかった。

 今にも崩れ落ちそうな両膝を気迫で伸ばし、豹は両手で剣を振るい上げた。上段からの唐竹割で(ギルス)の脳天から仕留める算段に移行。両者の距離は未だに肉薄している。振るえば必ずや直撃するだろう絶対の軌道(ライン)(ジャガー)の眼前に(ひら)いていた。

 天から地へと落とされる斬撃。

 が、しかし──。

 それよりも僅かに。

 だが確実に(はや)く。

 ギルスのローキックが脛部を捉えていた。威力は微々たるもの。決め手に欠ける蹴撃。だがそれは完璧と言えた(ジャガー)の斬撃が描く軌道(ライン)に大きな亀裂(ズレ)を生み出させる会心の一撃に違いなかった。

 猛烈な速度で駆ける(つるぎ)の先端が生体装甲(バイオチェスト)に覆われた胸部の肉を撫でるように斬り裂いた。霧のような赤い飛沫が跳ねて、緑の皮膚に深緋の裂傷か刻まれる。だがそれは致命傷には程遠いものだ。擦り傷と言えるだろう。そして、ギルスの目前には隙を晒した粗末な雁首がある。思考よりも闘争心が四肢を急かす。

 ギルスは即座に足を入れ替える。(ジャガー)はまだ斬撃の余韻に手を止めざるを得ない状態。畳み掛ける絶好の機会(チャンス)。二足の重心を操作し、最も殺傷に長けた向心力を瞬時に算出する。敵が回避の初動に移った。だが、逃さない。

 

「■■■ィィッ‼︎」

 

 十八番の転身脚(バックスピンキック)が豹の頭を叩き殴るかのように炸裂した。首が捻れ回るほどの壮絶な威力を孕んだ蹴撃に真紅の(ジャガー)は抵抗の(すべ)もなく背後の先にある金網のフェンスまで吹き飛ばされる。

 フェンスの先には薬品工場の敷地に収まる巨大な駐車場がある。そこに自家用車らしき影はない。今は企業のロゴが掘られた社用車や大型のトラックだけが数台停まっているだけだ。不確定要素に気を巡らせる必要はない。

 フェンスに衝突したまま背中をだらりと預ける(ジャガー)の剣士。

 追い討ち──は、できない。

 ギルスは残心も(まま)ならぬ忙殺の渦中にいる。

 敵意が急接近する鋭い気配を知覚していた(ギルス)は攻撃の寸前で脚部に加える荷重を削減し、およそ八割まで威力を抑えて撃ち放った。苦渋の判断であった。上手く食い込めば、狩れたかもしれなかったが──そうでもしなければ、今度は自分が隙だらけの背中を敵にくれてやることになる。

 爪先で路面を削るように腰を落として、垂滴の拳を握り締めた。

 (ジャガー)の青い剣士が背後から迫り、次の瞬間には両者の攻撃が虚空に炸裂していた。青白い光芒が交差して閃く。ギルスの頬に冷刃が添えられ、ロードノイズの顎下には拳が静止する。

 双方は同時に睨み合いながら地を蹴り、跳ぶように後退を選択する。

 

(……ウザいな)

 

 仮面の奥で津上翔一は小さく舌打ちをした。

 お世辞にも万全とは言い難い肉体の過酷な状態。耐久性の欠落は立ち回り次第でどうにでもなるが、破壊力に直結する筋力の低下だけは無視できない。大半の器官が機能を損なうギルスの身体的衰弱はこれ以上ないほどに厳しい戦いを翔一に強いていた。

 このままでは何の解決にもならない。泣き言ばかりが目立つ思考を切り捨てるように整理する。

 

(二匹の実力はほぼ同格。似たような動き方。所々に見受けられる癖や咄嗟の判断も酷似している。同一の個体として認識していい。基本スペックはまあまあ高い。少なくとも今の俺よりかは上だろう。今まで討ったモドキの中でも五本の指には入る。立ち回りをミスれば筋力(パワー)で押し切られて簡単に終わるだろう。かといって悠長に遊んでいるわけにもいかない)

 

 キツいな、と悪態をつく。

 

(赤い方は今はノびてるとはいえ、どうせすぐに動き出す。どっちか片方を先に始末しようにも嫌なタイミングで横槍を入れてきやがる。二対一のアドバンテージ。同時ではなく交互に攻めることで互いの動きを阻害することなく、一方的に此方へ負担を強いることができる)

 

 両足がアスファルトの上を滑り、摩擦によって静止した。深青の(ジャガー)もまた制動を終えた。両者にとって余裕のある間合いだが、油断のできる距離でもなかった。接近(いこ)うと思えば二歩で潰せる。絶妙な距離間が両者の神経へ安易に踏み込めない空気を匂わせる。

 

(何にせよ攻撃的な姿勢じゃない。やろうと思えば最初から(くび)を狙えたはず。どちらかといえば保守的な戦法(やりかた)だ。こっちの消耗を待っているのか。堅実に勝ちに行くタイプか。律儀なヤツだ。どのみち活路はここにない。だったら無茶を承知で──……!)

 

 肺に溜まった血色混じる空気を吐き捨て、奥歯を喰い縛りながら屈伸による跳躍めいた乱暴な急接近をギルスから仕掛ける。

 相対するように深青の(ジャガー)も剣を振り上げて接近を開始。路面を荒く削る互いの足底が交差して、次いで両者の一撃がぶつかり合い空間を震撼させる。

 

(死ぬ気でぶつかれェ──ッ‼︎)

 

 そのまま獣と豹は絡み合うように肉薄した。

 瞬間的に音速の領域へ到達した拳と剣は激しい円舞曲(ワルツ)に身を委ねるが如く互いの位置を奪い合いながら殺伐とした暴力の応酬を繰り広げる。弾かれ、防がれ、それでも貪欲に喰らいつく。一歩たりとも退くことを許されない肉弾戦は天井知らずに世界の速度(ギア)を加速させる。

 呼吸すら(まま)ならぬ超至近距離による熾烈な攻防。

 先に折れたのは──ギルスであった。

 青天井と化した加速のデッドヒートはギルスの摩耗した肉体に尋常ならざる負担を強いる。それは次第に筋肉の悲鳴へと変わり、翔一の感覚神経を過敏に刺激した。

 その結果として、拳のスピードは減速を余儀なくされる。

 攻撃の甘さは死に直結する。

 悩む暇はない。

 翔一の思考は攻撃を捨てることを即決した。頭と体を防守する西洋式ボクシングスタイル。爪先によるステップを用いて敵の隙を窺う。あくまで防御を優先。敵のスタミナが尽きるまで耐え抜くしか道はない。

 対する(ジャガー)はギルスが戦闘態勢(バトルスタイル)を変えたその意図を感覚的に汲み取ったのか、拍車を掛けて鋭く攻め立てる。膨れ上がるように速力を増す斬撃はギルスの思惑を容易く打ち壊した。

 

 両腕を駆使した防御(ガード)は辛うじて追いついているが、動作の細部に滲んだ苦しさは隠しきれない。

 焦燥感に急かされるようにギルスは拳を握った。幾度となく颯然と振われる(つるぎ)の軌道を完全に予測して、腰部の僅かな動きだけで回避する。空振りを続ける(ジャガー)の位置は自然と近接する。防御(ガード)を取らない裸の顔貌がすぐそこに見える。

 ここしかない──タイミングを見計らい、ギルスは起死回生の拳打(ストレート)を放った。ノックアウトが狙える会心の瞬間。しかし衰弱した筋力は彼の想像を超えたデメリットとして表に現れていた。

 遅い──というよりも、力が入りきらない。

 深青の(ジャガー)(ギルス)の拳を苦もなく(かわ)してしまう。己の悪手を埋め合わせるように()かさずギルスは蹴撃を打ち込むものの、片腕の膂力で強引に受け止められてしまう。

 見誤った、とフィジカルの差を恨む時間すら残されていない。

 ガラ空きとなった深緑の胸部に向けて剣の柄頭が叩き込まれる。至近距離から痛恨の打撃を食らったギルスの意識は途端に白ずみ、圧迫された気管支から嗚咽のような獣の苦悶が漏れた。

 

 混沌とした意識が視界を揺らす。狂酔した白濁の景色に脳が襲われる。

 ぐったりと肩を落として退き下がる(ギルス)を逃すまいとロードノイズは追撃の手を休めることなく怒涛の猛攻に転じる。指揮棒(タクト)を激しく振るうように豹の剣士は弱り果てた獣を追い詰める。

 不安定な足取りのまま半ば無意識に後退するギルス。視覚が回復しても尚、翔一の自我は覚醒とは程遠い朦朧とした状態であった。気絶の一歩手前。半透明な有意識。それでも──本能は生きている。

 それは本能的なものに相違ない。後天的な反射運動に近い。命あるものならば誰しもが持つ力。

 ()()()()

 意識すら儘ならない苦境の中で、ギルスは察知能力による究極的な反応で激烈の打ち込みに対応していた。目に見えない殺気を第六感で捉え、幾千と繰り返してきた動きを()()()()

 しかしそれらはあまりにも危うげな挙動で、勝機が何方(どちら)に傾倒しているか、誰の目にも明らかであった。

 それでも必死に戦っていた。

 津上翔一の意識が無くとも、ギルスは戦っていた。

 

 何の為に……?

 

 この不可解な事象を唯一目にした少女は悟る。茜色の少女だけは悟ってしまう。

 

 そうだ。きっと。

 

 (ギルス)は、()()()()んだ──……。

 

 

***

 

 

 白色の縞馬(ゼブラ)青銅の蛇(ネフシュタン)の装甲に拳を突き立てた。

 完全聖遺物たる蛇鱗によって編まれた鎧はロードノイズの攻撃に対しても鉄壁と言える耐久性を誇るが、接触時に発生する凄惨な衝撃は殺し切れるものではない。《ネフシュタンの鎧》を纏う少女の顔に悲痛を噛み締めるような影が生まれた。

 

「ゔッ……ぜぇんだよ、ウマ面ヤローッ‼︎」

 

 紫水晶(アメジスト)の鞭を手繰(たぐ)って接近した縞馬(ゼブラ)を引き剥がす。後方から迫る黒の縞馬(ゼブラ)には双鞭を振り回して牽制。二体のロードノイズは軽快なステップで一先ず後退する。

 雪音クリスは白と黒の縞馬(ゼブラ)たちを睨みつけながら、地獄絵のような戦場に木霊(こだま)する不相応な歌声の方向に耳を傾けていた。

 立花響も戦っている。

 もはや目視で確認はできないが、四方を埋め尽くすノイズの大群を相手に、我武者羅に拳を握っているに違いない。

 

(気に入らねぇ……! どいつもこいつも……!)

 

 人類の天敵たる災害(ノイズ)を操ることができる完全聖遺物《ソロモンの杖》を所持する雪音クリスにとっても、今の状況は望んだものではない。《ソロモンの杖》の力によって召喚したノイズ。それを遥かに上回る量で自然発生したノイズ。加えて、それと共に現界を果たした強力なロードノイズたち。不測の事態が重なり合い、収拾がつかない泥沼の戦地と化した薬品工場の敷地内でクリスは苦悩していた。

 雪音クリスには課せられた任務がある。

 それは特異災害対策機動部二課の本部にて厳重に保管されていた《サクリストD》と呼ばれる完全聖遺物を武力によって強奪する──ことではない。

 

 不滅不朽の性質を持つ奇蹟の剣──《デュランダル》の起動こそが彼女の目的である。

 

 その為には、撃槍(ガングニール)の適合者である立花響が必要不可欠であることを雪音クリスは彼女の主である人物から聞かされていた。理由はよくわからない。()()立花響には歌の力を最大限に引き出せるポテンシャルがある──と、(にわか)には信じられない話を聞かされたクリスは納得できないまま、ここまで来てしまった。

 

(あんな如何にも弱そうな……何の穢れも知らなさそうなヤツが……アタシよりも上だって言うのかよ……!)

 

 聖遺物の起動に必須である要素──それは〝フォニックゲイン〟である。

 フォニックゲインは未知数のエネルギーと呼ばれている。人間(ヒト)の声が紡ぐ〝歌〟によって自然的に発生し、その〝歌〟を受動する聴取者にも発生する神秘の力と言わざるを得ないエネルギーである。

 有識者はフォニックゲインの性質を〝生命の息吹〟と語っていた。草も土も海も風も──生きとし生けるものは微量ながらも絶えず鼓動している。それが自然界のフォニックゲイン。オルタフォースによって造られた生命の息吹。

 聖遺物を永き眠りから覚醒させる唯一の鍵がそれであり、その力を最も多く生み出すことができるのは立花響であると云うのだ。

 風鳴翼でもなく、天羽奏でもなく、雪音クリスでもなく、立花響が適任である、と──……。

 

(アタシの力じゃ無理だって言うのかよ、フィーネ……!)

 

 表情に悔恨を滲ませたその時だった。

 二体の縞馬(ゼブラ)がその隙を突くようにクリスへと急接近を仕掛ける。一拍遅れて青銅の蛇(ネフシュタン)の双鞭を振るうものの、黒色の縞馬(ゼブラ)には両腕で防がれ、白色の縞馬(ゼブラ)には伸身する躯体にひらりと避けられてしまう。

 そのまま目前まで迫ったロードノイズ。

 クリスは咄嗟に身構え、迎撃の態勢を整えようと重心を落とした直後──。

 

「んなッ」

 

 白色の縞馬(ゼブラ)はクリスの頭上を飛び越えて、そのまま脇目も降らず明後日の方向へ走り出した。

 あれほど執拗に青銅の蛇(ネフシュタン)へ攻撃を続けていた縞馬(ゼブラ)が豹変したかのようにあっさり標的を諦めるとは考えていなかった。何が起こったのか理解できずに瞠目するクリスだったが、突然稲妻が走ったかのような閃きを得て我に返った。

 あの方向は間違いない。

 今も尚、燦々と響き渡る少女の歌声が何よりの証拠である。

 

「テメーらもアタシじゃ不満だって言うのかよ!」

 

 痛憤に晒されたクリスは白の縞馬(ゼブラ)の背中を追いかけようとしたが、敢えなく黒の縞馬(ゼブラ)に行手を阻まれる。

 

『AGITΩ no hadou horobi no yochou』

「あァ⁉︎」

『anzuru na omae mo sugu ni kieru』

「……っ‼︎ そんじゃあやってみろよ、木偶の坊ォおお!」

 

 雪音クリスと黒の縞馬(ゼブラ)が激突する。

 時を同じくして。

 白の縞馬(ゼブラ)と対峙した立花響は今まで感じたことのない情動に頭を混乱させていた。()せるような呼吸と尋常ではない動悸。休むことなく無我夢中で戦い続けた彼女の身体は石のような固さを錯覚させるほど困憊していた。

 疲れ果てたといえばそうなのだろう。

 だが、戦いを止めるという選択肢は最初(はな)から抜け落ちていた。

 目の据わった響は鬼気迫る表情を崩さない。集中力が極限的に増した末に一種の興奮状態が彼女の意識を支配していた。一挙手一投足に至り今までとは別人のような武闘の巧者めいた動きをする。それが誰を模倣しているかは語るまい。

 響の心理に色濃く残る戦士の姿──その魂に宿るように拳を握る。

 もはや今の響には己が口ずさむ歌にすら意識を留めることはない。それどころか歌唱していることすら忘れている。

 無我の境地。

 その一端とも言える精神状態は決して正気と呼べるものなどではない。ただ一つの情念に固執する者が他の全てを捨て去る破綻の心をどうして正気と呼べるのか。

 

 立花響はただ焦っていたのだ。

 まだ見えない。まだ聞こえない。

 なのに感じてしまう。感じてしまうほどに鮮明に。

 

 その背中は少女の脳裏に刻みついていた。

 

(私がやらなきゃ……私が戦わなきゃ……私が勝たなきゃ……!)

 

 過剰な強迫によって押し潰されそうな少女の心が溶けていく。

 

(いつだってそうだ。いつもそうだった。負けそうな時、挫けそうな時、いつもそばにいてくれた。いつも駆けつけてきてくれた)

 

 どくん、どくん、と胸が異常な高まりを鼓動する。

 

(だから来てしまう。また来てしまう。()()()()()仮面ライダーが……ッ‼︎)

 

 その時、()()()と何かが弾ける音がした。

 どこからともなく、ただ少女の祈りに応えるように。

 

 望んだ力を与えんと──……。

 

「なに、これ……」

 

 錆びついた(つるぎ)が立花響の眼前に突き刺さった。

 

 

***

 

 

 防戦一方の危機に陥ったギルスは狭い路地へ追い詰められる。

 行動を否応なく制限される窮屈な道幅にもかかわらず、(ジャガー)は一切の遠慮なく片手で剣を振り回す。下段から閃く鋭い剣光に身を退いて避ける(ギルス)の目には斬り裂かれた室外機の中身が見えた。

 敵にとって狭さは関係ない。不利な条件は一方的に此方が負担している。

 行手を阻む有象無象ごと叩き斬らんとする苛烈な斬撃を前にして(ギルス)の本能が今こそ接近すべきだと路面を蹴り上げた。上段から振り下ろされる(ジャガー)の剣を視認した(ギルス)はフェイントの動作を混ぜた跳躍じみた助走を用いて、路地の壁を文字通り疾走する。回避と接近の両方を同時に行える壁走りは青の(ジャガー)にも予測できず、反応が遅れた末に背後を取られてしまう。

 そのままロードノイズの背中に飛びかかるギルス。

 両者は揉み合うように転がり、躯体の節々を傷つけながら路地の奥へと進んでいく。

 

「■■ッ‼︎ ■■■ォ‼︎」

『koitu……!?!? hanase!!!?』

 

 ついに青の(ジャガー)が組み伏せんとする(ギルス)の腹部を片足で蹴り上げた。引き剥がされた深緑の猛獣は体幹のバランスを崩し、直立できないまま背を預けるように壁に張り付いてしまう。

 素早く立ち上がった(ジャガー)は剣柄を握り締めた。

 そこでようやく津上翔一の意識は平静を取り戻した。

 己の身に起きた驚愕の体験。しかしそれも目前の景色に比べれば些か劣る。膝が笑って上手く動けない。状況理解と打開策──脳漿が焼き切れるような思考速度で起死回生の一手を探る。

 (ジャガー)の青い剣士は刺突の構えでギルスの頭部に狙いを定めた。

 剣尖が描くであろう軌道(ライン)を瞬間的に目視で把握した翔一は崩れ落ちるように横転して回避を試みる。コンマの時間差。(ギルス)の頭があった壁へ吸い込まれるように雷光めいた白刃が突き抜けていった。

 肝を冷やすような安堵も束の間──反対方向から戦線に復帰した真紅の(ジャガー)(ギルス)の首を斬伐せんと大股で駆け寄ってくる足音が鳴り響いた。

 射程圏内に踏み込まれたギルスは直立も儘ならぬ苦渋の態勢である。顔を歪めながら翔一は視覚と聴覚に集中。タイミングを計る。そして砂埃を被りながら大きく前転し、真紅の剣士が繰り出す袈裟斬りを間一髪で躱してみせた。

 標的を失った刃は薬品工場に繋がる大筒のようなパイプを粘土のように斬り裂いた。その途端パイプの切り口から蒸気のような白煙が飛び出して辺り一帯に散漫する。

 

 息継ぐ暇もなく手甲で地面(アスファルト)を殴り、両腕に負担を掛けながらも起立したギルスは左右に忙しなく目線を動かして、二体のロードノイズの動向を注視した。

 (ジャガー)の剣士たちは(たぎ)るような殺気を脚力に変え、脆弱と化した(ギルス)に向かって疾走している。

 戦況は大きく動いた。(ギルス)の底は知られてしまった。(ジャガー)たちは防戦を捨て、確実にギルスの息の根を止めるべく攻めに転じたのだ。

 

 右はフェンス。左は工場。前方には敵。後方にも敵。道は大型車両が一台通れるだけの狭さ。

 腹を括るしかない。

 翔一は闘争の炎に息を吹きかけるように、ゆっくりと拳を解いた。

 

 まさに阿吽の呼吸に相応しい激甚の剣戟がギルスを襲った。僅かにタイミングを()らして斬りかかる二体の(ジャガー)。ロードノイズが駆使する剣術は回避の挙動に制限を強いる卑しい太刀筋に変わっていた。ギルスは回避の一択に行動を絞られる。防御(ガード)はできない。少しでも動きを止めれば骨ごと斬られる確信が翔一の神経を細く尖らせる。

 窮地に等しい戦局。

 死神の足音が聞こえる。

 耳朶に反響する風を斬り裂く殺刃の音色がいつ肉を断つ旋律へ変わるのか──加速する意識の裏側で朦朧(ぼんやり)と考えていた。

 死が隣りにある。

 手を伸ばさずとも指先に触れる位置に、(あまね)く生命が恐れて然るべき〝死〟が我が物顔で居座っているではないか。

 

 〝(おわり)〟がそこにいる。

 

 それが彼にとってはこの上なく甘い誘惑に聞こえてしまう。

 

『todome da GILLS!!!!』

 

 どれほど楽なのだろうかと考えてしまう。

 どれだけ苦のない選択なのだろうかと考えてしまった。

 それに比べて、今の自分は如何に惨めで醜いか──考えて、考え続けて、考え続けたその果てに、何となく笑った。笑うしかなかった。笑えば少しだけ赦されるような気がした。

 

『nemure tokoshie ni!!!!』

 

 馬鹿だなあ、俺は。

 

 生きることを選んだのは俺なのに。

 

 苦しむことを選んだのは俺なのに。

 

 選んだことすら忘れようとしている。

 

『na……?!?!』

 

 意識の裏側で渦巻いていた心理の唾棄がギルスの手足を無意識に動かした。それは何かに取り憑かれたかのように俊敏で、機械のように精細な手捌きで音速の白刃を完璧に()なす。

 それも一度のみならず。

 赤と青の(ジャガー)が繰り出す剣戟の嵐を掌底で振り払うように防ぎ、明鏡止水に至るが如く最小限の運動量で(ノイズ)の猛攻に対応する。

 底知れぬ異変を察知したロードノイズは左右に別れてギルスへ斬りかかる。だが、これも斬撃の軌道を(あらかじ)め知っていたかのような動きで回避される。ならば今度は前後から──位置を変えて執拗に挑戦する(ジャガー)に対して、翔一は沈黙の視線にのみ答える。

 

 ──もう見切った。

 

 (ギルス)を取り囲むように攻撃を続けるロードノイズ。

 再び握り締められた拳にすら気付かずに(いたずら)な疲労を重ねる(ジャガー)たちの腹部に鋭い一撃が(ほとばし)る。

 ()()()と骨身が軋むほどの凄惨な鉄拳が躯体に食い込んだ。

 それはロードノイズにとって予期せぬ反撃だった。虫の息と化した獲物を窮追したと笑っていた(ジャガー)たちは己の浅はかな思慮を恨んだ。

 (ギルス)は息を潜めて機会を窺っていただけに過ぎなかったのだ。必ずや訪れるであろう小さな勝機に喰らいつくためにエネルギーを温存し、二体が同時に隙を見せる瞬間を虎視眈々と狙っていた。

 左右同時に炸裂した鉄槌の如き妖拳は二体の(ジャガー)に重厚なダメージを刻み込んだ。(ジャガー)の剣士たちは蹌踉(よろ)めきながら足を引きずるように後退する。

 

『gg……gGaaaa!!!?!』

 

 ピタリと動きを止めた深青の(ジャガー)が執念めいた凄まじい威迫で負傷を圧殺した。(からだ)の内に秘めた力を振り絞るように裂帛と共にギルスへ突進する。

 対してギルスは手練れの闘牛士のように難なくひらりと躱した。だが(ジャガー)も諦めない。畳み掛けるように剣を振り翳す。しかし疾風と一体となった縦拳で斬撃は封じられてしまう。

 ギルスは手隙の腕で青の(ジャガー)の肩部を掴んだ。小さな吐息が装甲板(クラッシャー)から漏れ出す。足払いと共に一瞬の浮遊感に襲われ、深青の(ジャガー)は投げ飛ばされた。

 受け身を取らせない殺人的な投げ技は(ジャガー)の後頭部をアスファルトに容赦なく叩きつける。ぐしゃりと肉が弾ける音が響く。人間ならば即死。だが敵はノイズ。この程度で死んでくれるはずもない。

 息の根を止めるべくギルスは寝技を掛けようとするが、態勢を整えた真紅の(ジャガー)がそれを許さない。

 深緑の鎧を貫穿せんと豹の剣がギルスを突いた。

 しかし鋼の刀身は血に濡れることなく空を切る。

 もはや、こうなってしまえばギルスの方が圧倒的に(はや)い。脇下でがっちりと挟まれた(つるぎ)の刀身をギルスは手刀で叩き折った。そのまま赤の剣士の胸部に激烈の発勁を叩き込む。半歩のみ退く(ジャガー)。絶妙な距離が開けた。柔軟な関節を駆使してギルスは躊躇いなく赤の(ジャガー)上段蹴り(ハイキック)を叩きつける。それも一発ではない。足を入れ替えることなく体軸のみを移動させ、顎部目掛けて思いっきり蹴り上げた。

 

「■■■■■ァァッ‼︎」

 

 二撃もの蹴り技を受けて吹き飛ばされる赤の(ジャガー)はゴミ袋やダストボックスにぶつかり、屑物を散乱させながら路上を転がった。立ち上がろうとその場で手足を(うごめ)かせるものの、力が入らずぐったりと横になった。

 暫しの静寂──残心の刻が訪れる。

 穏やかな風の音がギルスの冷血な神経を優しく撫でる。生き残ったという感覚はない。まだ戦いは終わっていないのたから。

 やがて狭隘な一本道で無様に地を舐める二体のロードノイズは屈辱的な憤慨を露わにした。二体とも戦意を喪失したわけではない。煮え滾る憤怒は健在である。

 

『nannda koitu ha ??? osore sura ushinatta noka ???』

『tatakai no tame ni umaretekita aware na yatu』

『GILLS GILLS GILLS』

『horobiru dake no seimei !?! kuite shine imasugu!!?』

 

 (いびつ)な音が辛うじて言語の(てい)を装った罵詈を口走る(ジャガー)たったが、津上翔一の感情が揺れ動くことはない。ただ一人恐ろしいほどの沈黙を貫き、臨戦の構えを(ほど)くことなく二体の豹が立ち上がる瞬間を待ち受けている。

 ふと思う。

 心が平静であるのは何故だろうか。

 彼の中に住まう少女が戦いの行末をじっと見守ってくれているからだろうか。

 それとも、終わりを悟った人間の心理とはこのようなものなのだろうか。

 何にせよ理解の必要はないだろう。拳の感覚が完全に消え去る前に決着をつける。今はそれだけに集中せねばならない──と、己が指針を再確認した時だった。

 

『he×=ll^^o*€a÷n*%:db°y÷e#』

 

 ゆっくりと──あるいは()()()とそれは現れた。

 

『de◎a::r*m¥>y″△n◇±+e⇔■me<<s≡\\is』

 

 黒い豹だった。

 (いにしえ)の祭服に身を包んだ黒い豹は権杖を手にして、薄らと気味の悪い笑みを浮かべていた。引き締まった躯体は女性のような肉付きを帯びていて、これまでの災害(ノイズ)とはどこか異質な印象を受ける。

 ゆっくりと歩み寄る黒豹の神官。

 正面から堂々と。

 手下の(ジャガー)を退いた(ギルス)に臆することなく。

 

 まるで女王のような力強くも余裕に満ちた歩みのまま権杖を構えた。

 

「…………■ァ」

 

  空気が一瞬にして凍結したような理解し難い緊張感が駆け巡り、津上翔一は弱々しい溜息を吐いた。

 

 ──コイツは俺がやらなきゃいけない。

 

 確信に近い直感があった。

 

 ──俺が戦った中で、たぶん一番強いヤツだ。

 

 ギルスは指先の感覚が無くなった手をもう一度だけ握り締めた。




バトル描写長すぎィ⁉︎と思いますけど、こーゆーオリ主ライダー小説が一つぐらいあってもええやんの精神で書いてます。つまりまだまだやるよ。許して下さい。なんでもしますから(なんでもとは言ってないけど感想は待ってるZE☆)


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♬.俺の腕じゃ届かないものもあるのかもしれない。

原 作 再 現


 ──もしも世界がたくさんあったとして。

 

 なにかがきこえる。

 

 ──その中に悲しみのない世界があったとして。

 

 声なのか、音なのか、よくわからない。

 

 ──そこであなたがこれ以上ない幸せを手にしていたら。

 

 ただそこにある。そこにあり続ける。

 

 ──あなたはそれでもこの世界を愛せますか。

 

 色のない悲しみ。

 

 ──彼のように、愛せますか。

 

 

***

 

 

 あれ? ──と、立花響は泡が弾けたように微睡(まどろ)む世界から目覚めた。

 言い様のない違和感に触れながら、深く沈んだ(まぶた)をこじ開け、外の景色を吸い込もうとする。

 しかし奇妙なことに意識の自由が肉体に結びつかない。全身の神経が別の何かにすり替えられたかのように感覚は返って然るべき反応を(もたら)さない。何もできない状態のまま立花響は暫し困惑するしかなかった。

 もういっそ諦めて寝入ってしまおうか。まだ夢の最中であれば今度こそ現実に帰れるだろう。そう考えた直後に、脳裏を掠める悪夢のような記憶が彼女の意識を土足で踏み荒らしていく。

 

 ──この人殺し! いったい何人犠牲にして生き延びたんだ⁉ 答えてみろよ! なあ! いくらガキでも人殺しには変わりねぇんだよ!

 

 ──なんでお前が生き残るんだ! なんでお前なんだ! お前じゃなくたってよかっただろ! お前じゃなくても……! なんで……ッ!

 

 怒りや悲しみが無秩序に突き刺さる。

 

 なんだこれは。

 これは誰の記憶だ。

 

 答える者はいない。

 

 ──12874人もの屍を踏み越え奇跡の生還を果たした少女にインタビューを試みたいと思います! あの日、会場で起こった悲劇その真実がいま少女の口から明らかにされるでしょう!

 

 彼女はそんなもの知らなかった。

 少なくとも彼女の記憶ではなかった。

 

 ──ほら、例の立花さん。あそこのご主人いなくなっちゃったらしいわよ。家も子供も、全部残して。

 

 ──こんなことになるなら、娘さんはあそこで死んだ方がマシだったのかもしれないわね。

 

 だがそれは間違いなく()()()の記憶であった。

 

「どうして私なの」

 

 あり得たかもしれない世界線とでも言えばいいのだろうか。

 

「私、なんにも悪いことしてないよ」

 

 それとも、この悲惨な運命に弄ばれる少女の姿こそが、真実(ほんとう)世界(モノガタリ)なのだろうか?

 

「私じゃないよ。私じゃない……」

 

 ──これもまた一つの可能性にすぎません。

 

 またあの(コエ)が聞こえる。

 

 ──これまでたくさんの可能性を観測()てきました。百千万億那由他阿僧祇劫……たった一つの望みのために、原始(はじまり)終焉(おわり)を繰り返しました。

 

 人のようでいて無機物のような(オト)が。

 

 ──それでも人間(ひと)は変わらなかった。無量の可能性を退いて、人はその身に闇を抱えてしまう。拭いきれない泥のように深い闇を。

 

 諭すように耳元へ囁きかける。

 

 ──それはあなたも例外ではありません、立花響。

 

 ピキッ、と何かがヒビ割れた気がした。

 

 ──あなたは守られていただけ。痛みを知らぬ赤子と同然。その胸にあるはずのものを見えない場所に隠されていただけなのです。

 

 すっと意識が鮮明になるような感覚が指先まで駆け上る。

 

 ──もうわかっているのでしょう。何を呪うべきか、何を憎むべきか、その手に答えは握られている。

 

 遮断されていた神経が再起する。

 血が熱く。

 熱く、熱く、揺らいで。

 

 ──〝仮面ライダー〟という虚像を、ただの人間に押しつけたのは、他でもない……わたしたちなのですから。

 

 ()()()──と、張り詰めた弦がはち切れるような感触が脳髄に鋭く走る。

 その瞬間から、彼女の魂は現実の肉体へ吸い込まれていくように機能すべき感覚を急速に取り戻した。まず〝熱〟を指先から。やがて全身の肌へ焼けるような熱を浴び続けた。

 熱い。

 無性に熱い。

 意味もなく、理屈もなく、ただ熱い。

 響の頭の中には先ほど体験した奇妙な記憶などもはや殆ど残っていなかった。何を見せられ、何を考えさせられたか。思い出すことも許されなければ、気にする余裕も与えられなかった。

 ただ一つ、覚えているもの──もしくは置き去りにされたもの。

 

 ()()という得体の知れぬ衝動。

 

 そうして現実の世界へ意識を傾けた響の視界に映ったものは、まさに地獄のような、あるいはそのものを具現したかのような凄惨な光景だった。

 

「─────…………」

 

 炎。

 揺らめいでいる炎の海。

 狂宴に身を委ねて踊るが如く黒煙の空には火の粉が降り注ぎ、蒼茫を紅蓮の闇へと染めている。光が閉ざされた瓦礫の山には自分以外の生者はおらず、煉獄めいた惨状を響は黙って見つめるしかない。

 灼熱の粉塵が頬を(かす)めて、ようやく響はこの尋常ならざる景色こそ紛うことなき現実なのだと認識する。しかし感情はまだ追いついてはくれない。これはなんだ? この地獄はなんだ? 意味を持たぬ自問を繰り返すばかりで碌な結論は導き出せない。

 

 ふと、知らぬ間に両手で巨大な剣を握り締めていたことに気付く。

 金色の剣だった。

 少女が手にするにはあまりに大きな剣だった。

 そこから()()()()とドス黒い血液めいた何やら悍ましいモノを心臓に送り込まれているようで、響は恐怖のあまり剣を反射的に手放そうとした。

 

 だが、その手は動かない。

 

 地獄の惨劇を産み落とした完全聖遺物《デュランダル》を響は手放せなかった。

 

「どうして……いや……ちがう……私じゃない……」

 

 ゆっくりと息を呑みこむように、理解したくないものを理解してしまう。

 

「私じゃないよ……私じゃ……だって……だって……」

 

 目が開けられなかった──わけではない。

 むしろこの目はずっと開いていたのだろう。

 

「なんにも悪いことしてないのに……」

 

 ただ見たくなかっただけで。

 

「なにも……だれも……」

 

 闇に呑まれた自分の(すがた)を。

 それを良しとした自分の心を。

 

「見えない……──────ッ」

 

 立花響は見たくなかっただけなのだ。

 

「───■ゥ■■■■■■■■■ァァァァ‼︎」

 

 この地獄を。

 

「クソ……なんだよありゃ……」

 

 瓦礫の山に埋もれた青銅の蛇(ネフシュタン)の少女──雪音クリスは流血した額を拭う気力も奪われて、炎と踊る悪魔めいた戦姫を複雑な心境で眺めていた。

 アレはもう立花響ではないのだろう。

 原始的な破壊と殺戮に心身を食い潰された獣と相違ない。まるで飢えた暴食の猛獣。どこかで見たことのある形容(すがた)。異形でないだけマシと捉えるか、人間の形を保っているからこそ悪夢めいていると感ずるか、どちらにせよ気分の良いものではなかった。

 

「あれが無尽蔵のオルタフォースを喰らった者の末路だってか……?」

 

 白むような意識から朦朧(ぼんやり)と思い返す。

 窮地に立された少女の懸命な歌声に呼応し、突如として起動した不滅不朽の完全聖遺物《デュランダル》は己が意志を持つかのように立花響を選定した。

 響もまた取り憑かれたかのような表情で、大地に突き刺さった奇蹟の大剣に手を伸ばした。その柄を握り締めた瞬間、湧き上がるような負の情動が全身に駆け巡り、一瞬にして彼女は深い闇に呑み込まれた。精神の攻防は無いに等しい。委ねたのだ、己の中に芽吹いた闇に。

 

 そして漆黒に染まった立花響は怒れる咆哮と共に不朽の剣(デュランダル)を振り上げた。

 錆びついた刀身に(まばゆ)いばかりの金色(こんじき)が走り、世界を照らす日輪の如き輝光が爆ぜるように増大すると、想像を絶する凄まじい力の本流が解き放たれてしまった。

 ロードノイズと交戦していたクリスは白い稲光が世界を食らい尽くす異常な光景を刹那に体感した。反応はできなかった。ほんの一瞬に過ぎなかった。白一色の視覚が通常に戻った時には、彼女の(からだ)は汚塵のように地を転がり、石屑の山に飲み込まれていった。

 

 たった一振りであった。

 普遍な工場施設を炎渦巻く悲惨な荒地に変えたのは一振りの斬撃──いや、あれは斬撃と呼べるものではない。光の暴風雨。それも死の光だ。荒れ狂う根源的な力の暴走と形容するしかない。

 無尽の暴流する(エネルギー)を浴びて、見境なく血肉を蹂躙された雑音(ノイズ)の大半は煤すら残さずに消滅。縞馬(ゼブラ)のロードノイズの消息は不明。しかし無傷で済んではいまい。完全聖遺物の鱗鎧に守れたクリスですら致命的なダメージを負ってしまったのだ。無事でいるわけがない。

 

「まさ、か……ネフシュタンが……こうも……」

 

 青銅の蛇(ネフシュタン)が無ければ、クリスは骨も遺らず灰塵の空に消えてしまっていただろう。完全聖遺物の恩恵が如何に凄まじいものであるか、身に染みて実感せざるを得ない。

 だが、それは不朽の剣(デュランダル)でも同じこと。

 青銅の蛇(ネフシュタン)の常軌を逸した再生能力は健在である。現在進行形で破損した鎧は超速で補修されている。しかしクリスの視点から見れば《ネフシュタンの鎧》の再生速度は普段より著しく低下しているように感じられた。

 

「オルタ、フォースの……余韻ってか」

 

 震える指先で装甲に触れると静電気が弾けたように金色の閃光が瞬いた。

 青銅の蛇(ネフシュタン)の尋常ならざる再生力を阻害するほどの光の力(オルタフォース)を秘めた不朽の剣(デュランダル)

 強力無比な二つの完全聖遺物を持ってして成し遂げられる偉業とは何か──……。

 

「わかんねぇ……わかんねぇよフィーネ……」

 

 乾いた唇から弱々しい声が漏れる。

 

「こんな力なら……アタシたちの中にある〝(アギト )〟は……手にしちゃいけないものなんじゃないのか……?」

 

 そう嘆いたクリスの(つぶら)な瞳に、黒い獣と化した立花響の凶悪な赤色に染まった(まなこ)が重なる。じっと見つめている、雪音クリスの泪に潤んだ瞳とその奥にある敵意を。

 理性などない。秩序もない。

 それでも今、彼女が考えていることだけは察しがついた。

 

「アタシを……やるってか……」

 

 身の丈にも勝る黄金の大剣を引き摺りながら、黒い影に呑まれた戦姫はゆっくりと一歩ずつ踏み締めて、雪音クリスのもとへ近づいていく。

 クリスは情けなく笑った。もはや逃げ惑う気力も底をついてしまった。破壊という狂気に身を委ねてしまった少女の何とも言い表せない顔貌を一度見上げてから、クリスは瞼を閉じた。

 己が敵を排除するため──ただそのためだけに、立花響は不朽の剣(デュランダル)を振り下ろした。

 

 

***

 

 

 〝ねえ、キミさ、仮面ライダーは好き?〟

 

 〝あれ? 男の子なのに珍しいね。他の男の子はみんな好きだよ? あー、さてはその顔「女の子で特撮好きな方が珍しいだろ」って思ってる? ふふっ、図星だね〟

 

 〝仮面ライダーはもはや道徳の教科書と何ら遜色ないほどに熱い人間のドラマが込められているんだよ。単純な勧善懲悪のストーリーと思って侮るなかれ。作品一つ一つに涙なしでは語れない深いテーマがあってね……って話聞いてる? さっきから砂場で何作ってるの? 十一面観音菩薩立像……? ここ近所の公園だよ? 俗世から離れた仏師が身を隠す洞穴とかじゃないよ?〟

 

 〝もう、ちゃんと話聞いてよ。キミなら絶対ハマると思うんだけどなあ。機関車トーマスで号泣するぐらいだもん。オーズの最終回観たら脱水症状で死ぬんじゃないかな。冗談だよ。真に受けないで〟

 

 〝よーし。決めた。わたしがオススメする仮面ライダー作品をキミに観てもらいます。拒否権はなし。とりあえず平成全二十作品から。 その後は昭和。令和と続いていこう。大丈夫。わたしもまだ半分ぐらいしか見終わってないし、ママに真とアマゾンズ止められてるから〟

 

 〝そんなイヤそうな顔しないでよ。一作品でも観たらきっと仮面ライダーの虜になるよ。憧れるよ。変身したくなるよ。本当カッコいいんだもん〟

 

 〝でもキミはどっちかって言うと、仮面ライダーになりたいって言うタイプじゃないよね。仮面ライダーみたいにがんばろうとする人だよね。ふふっ。わたしにはお見通しだよ〟

 

 〝だって、キミのそういうところがわたしは好き……かもしれないから〟

 

 

***

 

 

「■■■■■■■■■■ァッ‼︎」

『f°=||8u♯c△k*≒≠▽;:^≧!!!!』

 

 ギルスの妖拳が黒豹の女神官の振るった権杖に阻まれた。甲高い金属の悲鳴に怒号めいた雄叫びが混ざり、反発する衝撃が虚空を震わせる。両者はそのまま後退することもなく苛烈な肉薄を続け、額と額をぶつけ合い、(ほとばし)る憤怒の眼光で睨み合いながら、金網フェンスを押し倒して平面駐車場へ転がり込んだ。

 厭くことも知らず、互いの喉元へ牙を突き立てるように、青空の眼下に晒された閑寂の駐車場を闘志の色に染め上げんと二者は駆ける。

 

 実力が拮抗していたとしても地力の差で黒豹(ロードノイズ)に軍配が上がる。それも僅差の末の判定ではない。ギルスの衰弱した能力値(スペック)では、女王の名を冠する雑音(ノイズ)に到底及ばぬほど圧倒的な格差が生まれている。

 技術や経験則で力量を濁すことも極めて困難であった。幾度の打ち合いを経て、推測から確信に変わった。敵は間違いなくロードノイズの中では最強クラス。基礎的な身体能力だけではなく、戦闘技術にも津上翔一に迫るものがある。

 小手先だけの技量ではない。見切らせない立ち回り。隙を見せない構え。超人的な闘争に慣れた戦士の動きだ。この黒豹は過去に何人ものアギトを抹殺してきた手練れの(つわもの)なのかもしれない。

 

 ならば──と、片足でブレーキをかけたギルスは路面(アスファルト)を削りながら腰下まで拳を引き絞る。黒豹の女王も(ギルス)の動作に合わせて両脚を制止させると得物である権杖を両手に持ち替えた。明白とも言える防御の姿勢に翔一は眉を険しく寄せる。

 女王(クイーン)の両足がしなやかに地を蹴り、拳打にとって致命的な距離の間合いが開く。それでも迷わずギルスは攻めた。大地を力強く蹴り上げ、腰の捻りを使って右腕を限界まで引く。即座に黒豹の女神官は反撃(カウンター)を決めるべく上半身の重心を落とし、解き放たれようとしている(ギルス)の拳を深く注視する。

 そして、ギルスのストレートパンチとロードノイズのガードのタイミングが完璧に合わさる瞬間、翔一は躍動する筋肉の駆動を大きく変えた。

 加速した右拳を時間が止まったかのようにピタリと静止させ、入れ替わるようにギルスは左腕を突き出した。フェイントの動作から打ち放つ出の速い縦拳。黒豹の態勢が僅かに崩れる。しかし決定的な一撃にはなり得ず、(すんで)の所で権杖に弾かれた。

 やはり反応が速い。柔軟に対応してくる。

 内心で舌打ちをかます翔一の闘志は依然として前のめりのままである。次の一手は既に繰り出されていた。

 停止していた右拳(ストレート)が再び始動。しかし威力を損なったこれは黒豹の脅威にはならない。権杖で簡単に払い落とされる。負けじと左拳を振るう。そこそこの大振りだが、これも防がれる。

 計三度に及ぶ連撃を終えて、黒豹が攻勢に転じる。権杖を左手に持ち替え、右手のみを防御の構えに留める。翔一はすぐに察した。四度目の攻撃に合わせてカウンターを仕掛けてくる気だ。ギルスはもう右腕を引き絞っている。今度ばかりは黒豹(ロードノイズ)もフェイントを警戒してくるはず。愚直に突っ込めば手痛い仕返しを受けることになる。

 

 ()()()()()。攻撃を誘われてることぐらいわかっている。こっちも正攻法で狩れるだなんて思っちゃいない。

 

 一縷の迷いさえ見せないギルスは弩の如く引き締められた右拳を解き放った。それは真っ直ぐな軌道を描き、万全を整えた黒豹の懐へ飛び込んでいく。豹王のロードノイズは右腕の裏拳を構える。手筈通りと言うべき一連の動作は軽やかに行われた。タイミングも読み通り。後はカウンターに繋げるだけ。

 しかし、ギルスの攻撃は黒豹の防衛に到達する寸前、速力を大きく失った。

 黒豹の女王に動揺が走る。フェイントの警戒。だがそれにしては踏み込みすぎだ。(ギルス)の拳を払い除けて痛恨の一撃を食らわせるには十分すぎる位置。ロードノイズは疑心を投げ捨てカウンターを強行した。

 まず、右の手甲でギルスの右拳を弾く。なるべく強く。しかし動作は最小限に留める。攻撃の反動でガラ空きとなったギルスの右半身にそのまま右腕の掌底を突き出して、権杖の有効的な間合いへと押し戻し、決定的なダメージを与える。それでこの戦いは幕を閉じる──はずだった。

 

『▲€y=′′∥o¢♪u⇔…??!!』

 

 致命的な一撃を放つための布石となる掌底があろうことか封じられていた。()なしたはずの(ギルス)の右手が黒豹の右手首を凄まじい握力で拘束していたのだ。

 反撃(カウンター)の一手に投じる黒豹の腕を封じるために、ギルスは攻撃が弾かれる前提で拳の速度を緩めたのかと勘づいた時には、黒豹の顔面は叩き殴られていた。

 ぶ厚い拳骨が女王(クイーン)の鼻柱をへし折る。そして鈍い衝撃音が連なった。引き抜いた左の拳打から出血している。基節骨と中節骨が砕けたか。左手(ひだり)はもう使い物にならない。

 強烈な殴打を顔面に食らった黒豹の眼には(いま)だ色褪せぬ闘志がぎらつく。左拳が逝ったことに気付いていないのか、視線はまだ左腕を警戒している。

 これをチャンスと言わず、何と言うのか。

 血を吐く拳を黙殺し、ギルスは攻の姿勢を崩さず、堂々たる勇壮の一歩を踏み込んだ。

 

 それは女王(クイーン)にとって予想だにしなかった暴力的な衝撃であった。

 頭突き。

 何の捻りもない粗暴な頭突きをギルスは黒豹にぶち当てた。大鐘が震え上がるような打撃の余韻が雑音(ノイズ)の中枢意識を振盪させる。黒豹の女王は堪らず後ろに引き退ろうと蹌踉(よろけ)るものの、それ以上の後退を掴まれた右手が許さない。

 

 ギルスは更なる追い打ちを仕掛けるべく左足を半歩押し下げ、蹴りの態勢に移行する。狙うは顔面。顎でも構わない。威力を優先した上段蹴り(ハイキック)で確実に首を落として息の根を止める。

 死の気配を敏感に察した黒豹は咄嗟に左手で握られた権杖の形状を変質させる。後端を鉄鍼のように鋭く尖らせ、今最も防御の意識が低いギルスの右太腿へと突き刺した。乾いた紙粘土に爪楊枝を打つように権杖は生体装甲皮膚(ミューテートスキン)をあっさり貫穿し、赤色を滴らせる鉄鍼の先から血飛沫が跳ねた。

 翔一の苦悶が呻き声となって、仮面の奥から漏れる。

 

「■ァ……ッ⁉︎」

 

 右手の握力が弱まる。

 

「■■ァァ……アァ■■■■■■ッ‼︎」

 

 激痛を振り払うように左脚で上段蹴り(ハイキック)を繰り出すギルスであったが、穴を開けられた右脚だけで重心を務めるのは絶対的に無理がある。右脚の傷口から吐瀉するように血を噴き出した。それでもバランスを危うげに保ち蹴りつけたが、何もかもが遅い。

 右手の拘束から解き放たれた黒豹の女神官は猛獣のような俊敏さでギルスの蹴撃を掻い潜ると、脇下まで締めた両掌を噴火の熾盛の如き勢いで突き出した。

 破裂音。

 空気の入りすぎたタイヤが破裂するような音。

 

「─────────ッ⁉︎」

 

 痛みを慟哭に変える労力すら掠め取る掌底の双撃は(ギルス)の脇腹から内臓ごと(えぐ)るような掌打となり、莫大な殺傷力を遺憾なく発揮した。

 血の混じった強酸性の胃液を口腔で味わいながら、翔一は真っ白に消えゆく意識を傍観する。まるで魂だけが死の底に堕ちる肉体に追いついていないみたいだ。

 

 これはいけない。()()

 

 両足が地を離れて意識が飛ぶ。微睡(まどろみ)から覚めるように意識を取り戻すとギルスは自動車のボンネットをソファのようにして背中を沈めていた。距離にして八メートルほど。時間は一秒も経っていないだろう。焦点の合わない澱んだ視界には黒豹の女神官が片膝を値に預けて頭を抱えている。ギルスの攻撃が響いている証拠だった。

 とはいえ、結果的に押し負けたのはギルスである。

 白煙を吐き出す(へこ)んだボンネットから起き上がろうと両足に力を入れようとするものの上手く動けない。権杖の刺さった右脚はまだしも、左脚すら産まれたての小鹿のような有様である。難病に犯された患者のように涸れた呼吸は喉を痛め、自分が今どうやって息を吸っているのかすら分からない。気が遠くなる。血液が脳に循環していないのかと疑えるほどに五感がボヤけて薄れていく。

 

(当たったのが脇腹で良かった……骨は折れてない……ヒビは入ってるだろうが……立てる……まだ立てる……)

 

 体内はもう原型を留めていないであろう脇腹を(さす)りながら、自分に言い聞かせるように心の中で呟く。だが、そんな(まじな)いじみたものが通じるわけもなく、両脚は沈黙を貫いていた。

 

(……笑えるな、これ)

 

 こんなことばっかりだ。何かを求めると、いつも犠牲が付き(まと)う。いつだって奪われたものの方が多いのに、世界はそれを平等だと言い張って、また奪い去っていく。

 イヤになる。何もかも壊したくなる。いっそ全部壊してしまえば、きっと失っていったものたちも報われる。

 

 そうは思わないか──と、()()は訊いてみた。

 

(そんなもんだよ……生きるってことは……)

 

 また笑って一蹴された。またそうやって誤魔化された。

 

(それでも……この道を……がんばることを選んだのは……俺なんだからさ)

 

 せめて、この仕事ぐらいは終わらせないと──ギルスは太腿に貫通した権杖を握り締めた。

 遅疑の情緒を見せず、己が心に従うまま膂力に任せて権杖を引き抜いた。悲惨に飛び散る血液の雫。苦痛の声は聴こずとも、計り知れない痛みは太腿から絶えず溢れる流血から容易に察せられる。

 

 このまま眠ってしまえ。もう休んでしまえ。どうせ立てはしないのだから。もう立てるわけがないのだから。

 

 ──それは違う。

 

 ()()を少女は否定した。

 

 ──翔一は立つ。立っちまうんだよ。このバカは……。

 

 鳴ってはならない音が残響する。骨と肉の悲鳴。もしくは生命(いのち)の哀叫。それに伴って傷口から滝のような流血。まさしく死に体と判断せざるを得ない状態。

 意に介さず。

 目に見えているもの。耳に届いているもの。

 すべてを心で押し潰して、立ち上がる。

 両脚で大地を踏み締めて、二本で足りぬなら中身の砕けた左手を使って、ギルスは戦闘態勢を続行した。

 

「……■ァ■ァッ……■ァ■■■■■ァアアアアアアッ‼︎」

 

 天に轟かせる獣の咆哮。

 雄々しく、猛々しく。

 そして、もの悲しい叫び声。

 

『In≒s::♭◎is\t¢※÷en±♤t>|……??!!』

 

 未だ衰えぬ野獣の闘志を耳にして、黒豹の女神官は苛立ちを隠せぬ素振りで体内から武器である権杖を召喚する。次こそ仕留める。殺気立つ双眸が風前の灯火のような淡い命の炎を揺らすギルスを見つめる。死にかけ。あまりに憐れ。しかして容赦も温情もないと黒豹は大地を蹴り上げた。

 接近する雑音(ノイズ)の女王。

 ありがたい。津上翔一は内心で感謝した。敵が近づいてくれるなら無駄な体力を消耗せずに済む。右足の風穴がある限り、ギルスの自慢の瞬発力は地に落ちたも同然。それでもゴミのように微かな勝機を見出せるのは肉弾戦しかない。

 敵が彼我の距離を詰める。残り二歩の間合い。

 今しかない。ギルスは右手に隠し持っていた権杖を黒豹の顔に狙い定めて投擲した。投槍のように向かってくる権杖に黒豹の女神官は反射的に足を止める。まさに一瞬。ギルスが不意打ちで権杖を投げ、相対する黒豹が首を逸らして権杖を避けたのは僅か一秒の内の攻防。

 だが、その一秒は遥かに大きい一秒である。

 

「■■■■■■■ォォォォォッ‼︎」

 

 身を捨てるが如く(ギルス)は突貫する。

 無茶苦茶な跳躍じみた一歩で距離を潰し、己が限界まで右拳を引き絞る。遅れて黒豹の女王が咄嗟に防御の姿勢に移る。横にした権杖を胸先に構え、軌道を追えない拳打を反射的な動作で凌ぐ。そのような意図が垣間見える。

 しかしギルスの右拳(ブロウ)は権杖に阻まれることなく脇腹(ボディ)に突き刺さった。呆気なく獣の打撃は女王の腹に食い込んだのだ。

 黒豹の女王は顔面に重傷とも言えるダメージを負っている。それ故に防御(ガード)の意識が上方に傾いていたのだ。加えて、頭部を狙った権杖の投擲によって無意識に警戒は首から上に固定され、一瞬一秒を争う激戦においては致命的な理と成りうる。

 ギルスはそれを突いた。

 そうやって塵埃のような細い勝機を今まで掴んできたのだ。

 

『n>>u→……!?!?』

 

 苦に歪んだ嗚咽が漏れる。強烈な一撃が刺さった。致死に及ぶダメージを孕んだ一発。黒豹の女神官が今まで受けてきた攻撃の中で最も重たい拳であった。だが、そこで折れる女王(クイーン)ではない。ギルスが瀕死の淵から立ち上がったように豹の女王の中にもまた底の知れぬ闘争心が燻っている。

 (ギルス)はまだそこにいる。ならば死力を尽くして狩り合うだけ。

 激烈とも言える拳打を受けながらも権杖を振り上げていた黒豹の女神官は反撃と言わんばかりにギルスの肩に叩き落とした。

 痛撃が左肩から全身に走る。()()()と骨髄が軋み、息が喉奥で詰まる。あまりの重さに両膝は曲がり、負担を強いた右太腿から赤い悲鳴が上がる。バランスを保てない──……。

 

 だったらそのまま砕けろッ!

 

 目の据わった翔一は正気を捨て、女王の腹筋に血塗れの右脚を使って膝蹴りを叩き込んだ。思いも寄らぬ反撃に瞠目する黒豹は直撃を受けながらも報復の権杖を振るった。ギルスはそれを左腕で受け止めて、負けじと四指の手刀で鳩尾を突く。双方まだ終わらない。次の一手が迫る。ならば此方も次の次を──!

 

 攻めて、攻められ、攻めて、攻められ、攻めて、攻められ、攻めて、攻めて──……。

 

 熾烈な闘気の泥沼は美徳を損なった壮絶な殺し合いに変わっていた。

 どちらが先に倒れて死ぬか、どちらが最後まで生きていられるか。あまりに単純な根比べ。超至近距離における肉弾戦の果てがこれだった。

 気付けば互いに絞殺せんと首を掴んで地べたを転がっている始末。両者の自我は敵の〝死〟その一点のみ注がれている。それ以外のことは何も考えていなければ余裕もない。

 

「■■■……! ■■■……‼︎ ■■■ッ‼︎」

『d*:◇i°%°e//k≡ko:……konna mono ga!!?! konna mono ga iru kara?!!!』

 

 鼻先が触れるほどの位置で、互いの瞳孔に囚われた醜悪な怪物を見つめ合う。

 鏡のようだった。黒豹の女王と深緑の獣の間には原始的な意味で何の違いもありはしない。望まれたが故に生まれ、望まれたが故に死ぬ。他の命を貪ることが存在の意義であり、それ以外に存在の価値は与えられない。

 それもそうだ。

 ロードノイズとは、ノイズであってノイズにあらず。

 その黒い心臓は神に与えられたものではなく、誰かの心を抜き取ったものなのだから──……。

 

『kesaneba naranu!?!? konna kedamono ha??!!!?』

 

 切迫した闘争の坩堝に憤激を晒した黒豹の女神官は首筋に噛みついてきた(ギルス)の胸部を蹴りつけ、乱暴に引き剥がすとそのまま両の健脚で跳躍しようとする。

 状況を立て直すための一時的な撤退。

 ここで逃すといよいよ後がないギルスは跳び上がる黒豹の腰へ死に物狂いでしがみついた。黒豹は引き離すこともできず、態勢を大きく崩しながら凡そ四メートルもの高さを跳び、駐車してあったトラックの荷台(ボディ)に倒れ込むように着地した。ギルスもまた巨大な鉄製の箱の上に受け身も取れないまま着地。両者はダメージを受けながらも、薬品の運送に使われる大型貨物自動車の荷台(ボディ)の上に戦場を移した。

 

 先に立ち上がったのはギルスだった。

 距離にして三メートルも無い。四つん這いのまま項垂れている黒豹の背中へギルスは飛びかかろうと左脚で鉄の地面を踏み締めた。

 襲い来る脅威たる(ギルス)に対して、黒豹の女神官は取り憑かれたように両手で印を結び始める。その(すがた)は星辰に祈りを捧げる祭司のような神秘性と異教を信仰する冒涜性が同居していた。妖しげな(サイン)が解かれると、開いた五指は冷たい荷台(ボディ)にそっと触れる。何をするつもりか検討もつかないが、愚かしい隙を見せていることには違いないとギルスは足を止めなかった。

 

「■■……ッ⁉︎」

 

 その直後に、背後から急に肩を掴まれたかのような鋭い引力がギルスを襲った。姿勢を狂わせるほどの引力に弄ばれ、足下はふらつき、平衡感覚を完全に見失う。幅の狭いトラックの荷台(ボディ)から滑り落ちそうになるが、体幹の強さが幸いして何とかバランスを保った。

 片膝をついて暫し踏み留まる(ギルス)。その仮面の内側で口元は剣呑に引き攣っていた。

 引力の正体はわかっている。

 慣性と呼ばれる物理的法則に間違いないだろう。

 

(こいつの神通力か……まだそんな厄介なものを……!)

 

 両者は睨み合う。

 急発進した無人の大型トラック──その荷台(ボディ)の上で深緑の獣と黒豹の女神官は強風に煽られながら対峙していた。

 推定時速七十キロを危うげに蛇行する大型貨物自動車は目的もなくぶ厚い車輪を回転させる。恐らく黒豹の女神官は車両を完全に制御していないのだろう。目紛(めまぐる)しく方向を変える引力の渦に巻き込まれながら戦闘を続けるのは深く考えずとも至難の業だと感覚的に判る。加えて荷台(ボディ)の大きさは、長さ約十メートル強に対して幅は二メートルほどしかない。

 窮屈な足場に不規則な引力。そして車上を覆う反自然的な突風。

 負傷した脚で戦うにはあまりに不利な条件であった。ギルスの肉体に限界が訪れていることを敏感に察した黒豹の女王が足を踏み外せば即死となる戦いの場を狙って設けたのならば、流石と称賛するしかない。

 なんせギルスはもう自分一人の身体を支えるので精一杯なのだから。

 

「…………はぁ」

 

 浅い溜め息をついてみる。

 重くなってしまった(まぶた)の隙間から、腕や脚から細い河川のように絶え間なく流れては背後の景色に走り去っていく生命の雫を見下ろした。

 散っていく命はまるで秋の紅葉のようで、少しだけ物寂しさを覚えた虚心が力無い笑みを作らせた。命は儚く消え去る。死は必定として訪れる。それらは当たり前のことだ。生きているのだから死ぬこともある。

 そういうものなのだ、生きるということは。

 

(……これが終わったら、少し眠ろうか)

 

 誰に向けてでもなく心の内でそう呟いた翔一(ギルス)は左手を脇下に固めて右拳を前に突き出す空手の構え方を取った。常に足下に根を張るイメージを脳裏に焼き付け、前方の敵を見据える。

 風上には権杖を悠然と構えた黒豹の女王が(ギルス)の出方を注意深く伺っている。怪我の(ほとん)どは完全に癒えているように見える外観。だが蓄積したダメージは確実に敵の心臓に響いているはずだ。

 終わりは近い──どちらにとっても。

 

「■ぅぅ……■■■■■■■■■■■■■■おおおおおおッ‼︎」

 

 加速を続ける大型貨物自動車の上を、肺の空気を全て絞り出すような激しい裂帛と共に雄渾とした疾走でギルスは駆ける。堂々たる風貌で迎え撃つ黒き豹王。そして振り上げた拳が風を切った。

 

 

 そこからの記憶は酷く曖昧なものだった。

 殴って蹴って、殴られ蹴られ──その繰り返しだった。

 猛牛が暴れるように蛇行するトラックの荷台(ボディ)からついに振り落とされたり、咄嗟に悪魔の触手(ギルスフィーラー)を伸ばして間一髪で復帰したり、目前に迫った瓦礫の山をトラックは避けもせず突っ込んでしまったり──そうやって横転して(ギルス)雑音(ノイズ)も地面に投げ出された。それでも二者は苛烈を極める殺し合いを決して止めなかった。

 傷ばかりが増えた。痛みはとうに忘れた。目だけを見開いて、まだ手が握られていることだけを確認する。手の感覚はもうない。そこに拳が無ければ終わりだ。だがそこに敵を討つための武器が握られているのならまだ戦える。

 まだ戦えるのだ。まだ、まだ、まだ──……。

 

(……なんで、俺……戦ってんだっけ……?)

 

 時折、そんなことを考えるほど意識は白く霞んでいった。

 

(帰りたいなあ……こんなに、いい天気なんだ……洗濯もの、干さないと……)

 

 血の熱が薄れていく。

 

(ああ……でも、午後から……雨とか、言ってたっけ……?)

 

 (かたく)なに握り続けた右手が解かれて。

 

(じゃあ……パンツだけに、しとこう……パンツぐらいは……綺麗に、しとかないと……さ……)

 

 弱々しく、冷たく、この手が解かれて。

 

(男は……いつ死ぬか……わからないから、ね…….)

 

 もう何も握ってやれなくなって──……。

 

(面白かったなあ……観てよかったなあ……仮面ライダー……)

 

 そんな手の、指の隙間から、誰かが──大きな、剣を……。

 

「響……ちゃん……?」

 

 

 

***

 

 

 雪音クリスにとって、その光景はあまりに現実と乖離した夢のようなものだった。

 立花響が振り下ろした不朽の剣(デュランダル)は、確かに雪音クリスを殺すために振われていた。それだけの目的を果たすために黄金の(つるぎ)は天から地へと振り下ろされたはずだった。

 

 それがどうして。

 

 なんの間違いがあって。

 

 雪音クリスを殺すことなく。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()──?

 

「───────は?」

 

 響とクリスの殺伐とした両者の間に突如として割り込んできた深緑の(ギルス)は、あろうことかクリスを庇うように不朽の剣(デュランダル)の斬撃を正面から受け止めようとした。

 防衛というより軌道を逸らすために獣の右腕は金色(こんじき)の刃に臆せず(かざ)された。その一瞬、剣を防いだかのようにも見えた。しかしそれは雪音クリスの内側から零れ落ちた望みであって、現実が幻想を語ることはなく、惨たらしい現実を鮮明に描くだけである。

 

 溶けたバターを切るように不朽の剣(デュランダル)(ギルス)の右腕を呆気なく断ち斬った。

 肘から下を丸ごと切断した。

 骨どころか筋肉も、元から何も無かったみたいに、()()()()と。

 

 実は腕には木綿が詰まっていたんじゃないかって疑うほどにあっさりと──……。

 

 だが、やはり現実の景色はクリスの淡い思惑を容赦なく踏み躙る。

 

「がッ──あァ■■あ■ァァ■■ァ■■■■■ぁ■■■あ■■■ア■■■──ッッ⁉︎」

 

 壊れてしまった者の叫びを聴いた。

 言葉にならない叫びを聴いた。

 そして命を(かたど)らせる血液が解放される瞬間を見た。

 

 真紅に彩る血潮が右腕の断面から壮大に躍り出る。決壊したダムのように噴出するそれは瓦礫の大地を赤く染めてしまう。その背後で放心するクリスも青銅の蛇(ネフシュタン)の純白たる鱗鎧に大量の血飛沫を浴びて真っ赤になってしまうが、ただ愕然とするしかなかった。

 主人から切り離された(ギルス)の右腕は死後硬直の反応なのか()()()()と暫く蠢いていたが、やがて壊れた人形のように動かなくなってしまう。

 右腕の断面から溢れ出す流血はやがて勢いを失う。だがそれはギルスの死も意味する。多量の出血は死と同義である。失血したギルスは事切れたかのように両膝を赤い瓦礫に埋めて、そこからはもう動かなくなった。

 

「……お、おい、おまえ、な、なな、なんで」

 

 動揺で舌が麻痺して上手く喋れない。

 

「アタシ、オマエを、こ、殺そうと……」

 

 言葉になっているかも疑わしい声を隻腕の(ギルス)が向ける背中に投げかけるも返事はない。

 

 ただ、その代わりに。

 

 ()()()、と。

 林檎に包丁を刺したみたいな軽い音がした。

 

 あとはもう死にゆくだけのギルスの身体に、不朽の剣(デュランダル)が突き刺さっている。

 魔性の(つるぎ)を握っているのは他でもない──立花響ひとりだ。地に伏せた脆弱な獣を、もう死ぬだけの獣を、立花響は正面から刺し殺した。

 生命を破壊するために立花響は不朽の剣(デュランダル)を握っている。たかが右腕の一つでは飽き足らない。彼女が欲するのは確実な死だけだ。それ以外は何の価値もない。

 死んでくれなければ、終わらないのだ。

 じゃないと、この悪夢は続いてしまうから。

 もう終わってくれ、と──彼女の中に生まれた黒い衝動は自分の敵が完全にいなくなるまで、不朽の剣(デュランダル)を手離さそうとしない。

 

「─────…………」

「■■■ッ‼︎ ■■■ァ‼︎ ■■■ゥ‼︎ ■■■■ァァァ‼︎」

 

 ギルスを確実に刺殺せんとを不朽の剣(デュランダル)を握り締める掌に更なる力を入れる立花響に、分け隔てなく他人に優しく温かな心を持っていた少女の面影はなかった。

 ここまでか、と──ギルスは最期の力を振り絞り、残された左腕にあるだけの力を込めて…………。

 

 

 

「………………どったの、響ちゃん。ゴキブリさんでも出た?」

 

 

 ただ優しく抱き締めた。

 

 

 




「えっ⁉︎ こんなボドボドな状況でも入れる保険ってあるんですか⁉︎」
火のエル「あるよ」
風のエル「今なら強化フォームもついてくる」
地のエル「ただし保険料はテメェの腕な」
オリ主「ウワアアアァァァァァァァ(エクスラッガーこすりながら絶叫」

ダイナミックI字開脚もまだなのにエクシィードエーックス!しても良いんすか⁉︎(自問自答) でもこんなクソ激重展開を打破できる手は他にねぇでしょ⁉︎ ……+蟹!
つーことで次回は「俺は暴走してるかもしれない。」です。……はい。


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♭.俺は暴走するかもしれない。

制御不能なラスボス系ヒロイン。


 影に包まれた少女の荒ぶる心音がその一瞬だけ固まったような気がした。

 獰猛な獣のように繰り返されていた吐息の鳴動が冷たい雨に打たれる子猫のようなか細いものに変わっていく。積み上げられた何かが前触れもなく崩れ落ちるかのような現実を前にして、彼女のストレスは限界を迎えた。

 意思疎通は不可能と思われていた少女の黒く霞んでいた本心が浮き彫りとなって、拒絶と動揺に首を振り続ける。

 

 ただ、魔剣の柄だけは手離さない。

 不朽の剣(デュランダル)は立花響を譲らない。

 

 何か別の力が働いている。外部からの干渉を受け付けない非物質的な力の脈動。人智及ばぬ神秘の技術(オーバーテクノロジー)。それが少女の不安定な意識を糸で絡めて弄んでいるのではないだろうか。

 彼女を苦しめる破壊の衝動とは、自己を死守するために機能する他の否定に過ぎない。人間は常々そうやって、他者を貶して自身の尊厳や立場を保とうする。特段珍しいものではない。誰であれ等しくそれを胸に抱えて生きている。それ自体が異常とは言い難い。

 心の何処かで芽吹いたその小さな衝動が膨れ上がって暴走してしまった結果が現状(これ)なのだろう。意思の肥大化。あるいは感傷の増殖。小さな疼きが大きな歪みに変えられた。手に余る感情の暴風雨を立花響は制御(コントロール)できない。

 

 では、立花響の純心を揺さぶり、狂気と暴力の獣へと変えた主犯者は誰か──……答えは難解なものではないだろう。すぐ目の前にある。聖遺物とは、無から何かを生み出すのではなく、有を増幅させる媒体と考えれば、彼女の握る()()原因(こたえ)だと辿り着く。

 

 だったら……ここから……どうしようか……。

 

 困ったなあと片腕を失った男は薄れゆく意識を引き摺るようにして、熱のない頭を捻って考えようとした。だが、驚くほどに何も浮かばなかった。どうやら血が足りないらしい。視界も狭まってきた。世界が深い海の底へと落ちて、(すべ)てが重く遅くこの身にのしかかるような感触に意識を持っていかれる。

 幾度も経験した死の呼び声が聴こえてきた。

 彼の魂に縋りつく得体の知れない亡者たちは歓喜に喉を震わせる。待ち望んだ終焉。地獄に等しかった現世との別れ。彼にとって死は解放を意味する。望まぬ生に呪縛され、死に急ぐように戦い続けた無辜の魂はここでやっと終わりを迎える。

 

 そう。終わるのだ。

 この世界で目醒めて、彼が最初に望んだもの──〝死〟によって。

 

「………………」

 

 どこか見覚えのある異世界で目を覚ました記憶喪失の男は一晩考えた末に自殺を試みた。そして失敗した。誰に止められたわけでもない。何かの不都合が起きたわけでもない。単純に男は自殺に失敗したのだ。

 男の中にいた三体の熾天使はその自殺に対して何の行動も起こさなかった。目醒めたばかりで名前すら持たなかった男が自己の境遇を危惧し、自身の感情を排斥して早々に命を絶つべきだと判断しても尚、天界の使徒は何の啓示も男に与えなかった。

 それもまた一つの道である、と──彼等は男の自殺を見守っていた。

 ただ、もし、生きることを選ぶなら──……。

 ビルの屋上へと登り、転落防止の柵を飛び越え、眼下に広がる見知らぬ世界と蟻のように忙しなく行き交う雑踏を見下ろす。知っているようでまるで知らない風景。記憶は無くとも、ここではないどこかの似たような街で、なんてことのない人の顔をして、なんてことのないことで笑って、自分は生きていたのだろう。

 だから、ここに自分の居場所はない。あってはならないのだ。命は一度であるべきだ。如何なる理由があろうとも命の価値は淘汰されてはならない。ただ一度の人生だからこそ、人は懸命に生きようとする。命あるからこそ、人は誰かを愛そうとする。

 

 だから、その倫理から外れた自分は、きっと人には戻れない。

 

 あと一歩踏み出して、何も知らないまま、何も無いまま、さっさとこの命を終わらせてしまおう。

 

 死の恐怖は皆無だった。足は震えてすらいなかった。命の執着に乏しいこの身が破滅を望んでいる何よりの証拠であった。それは疑いようもない真実であり、男の中に迷える虚弱な心は一片も存在していない。

 ここから飛び降りて、骨も肉も砕け散って、彷徨える魂は黄泉へと戻って、自分の命ごとすべてを無かったことに──……できなかった。

 

 できなかった。死ねなかった。

 

 誰かが男の足を掴んで離さなかったから。

 

 その誰かは誰でもなかった。何もそこにいない。何もいるはずがない。なのに、男の眼には無数の腕が男の足にしがみついているように見えてしまって、もうどうしようもなかった。男の死出を決して認めない亡霊たちの腕。その一本一本は恐ろしいほどに力強く、死に向かうことに戸惑いを持たない男の足をがっちりと掴んでついに離すことはなかった。

 もし仮に、この亡者たちの腕が男の記憶から抹消された前世の残滓とも言えるものならば、これは死んで楽になろうとする男を赦さない呪縛(のろい)の権化であるのだろう。

 

 生きて苦しめ──そう告げられたような気がした。

 

 だから、戦うしかなかった。

 いつか戦いの中で朽ち果てるその時まで、男は血潮巡る闘争の輪廻に身を委ねるしかない。誰の為でもなく、何の意味もなく、ただいつか死ぬ為に戦う。

 ()()()とは程遠いあまりに虚しい死に方を男は望んでいた。

 

 そんな時だった。

 まだ名前すら決めていなかった男の上に、お人好しな少女が落ちてきたのは──……。

 

「………………ふぅ」

 

 血だらけの肺臓で痛ましい呼吸をする。

 思えば、あの日、この子と出会わなければ、自分はここまで頑張ることはなかっただろう。

 あの向日葵(ひまわり)のように明るく華やいだ笑顔が、記憶の海から葬り去られた大切な……大切だっだものを思い出させてくれた気がして……。

 

 そうして、男はたった一つの望みを捨てて、津上翔一という人間になることを選んだ。生きて背負うことを選んだ。死ぬ為に戦うのではなく、命尽きるまで生きる(たたかう)覚悟を胸に抱いた。

 せめて、この手でも守れるぐらいのちっぽけな幸せを守ってみよう。この子が笑っていられる居場所ぐらいは守ってみよう。

 津上翔一はそうやって仮面ライダーを受け入れた。痛みと苦しみに溢れる茨の道を突き進んだ。虚無に等しい伽藍堂の自分が誰かの苦しみを代わりに背負ってやれるなら、そのまま地獄まで持っていけるなら、こんな紛い物でも存在意義があったと笑っていけるような気がして。

 

 でも、ダメだなこれ……もっと悲しいものを……置いていっちゃうな……。

 

 いずれにせよ、この命が死にゆくことに変わりはない。結末は死の壁で閉ざされてしまった。己が最も欲していたはずの死によって、何もかも途絶えてしまった。

 だったら、最期に無策を掲げて衝動的にやるしかない。決断は早かった。悠長に残された時間など、この命からは一滴すら絞り出せはしないだろう。どれだけ考えようと、どれだけ悩み抜こうと、今の自分に最善の選択を手にすることはできないのだから。

 

 なにかも全部、最後にかなぐり捨てる。

 

 そして、自分の魂にだけ従おう。

 

 この胸の中にある魂を、最期に信じてみよう。 

 

 この世界で、確かに生きていた()()()()という男の魂に。

 

 すべてを賭けよう。

 

「響ちゃん」

 

 たった一本になってしまった腕を伸ばして、突き立てた魔剣をさらに奥へと押し込もうとしている影の少女を強引に抱き寄せる。

 

 ギルスではなく。

 

 ()()()()として。

 

 少女にかけられた呪いを一つだけ、もらっていく。

 

「そんな怖い顔してちゃあ、もったないよ。響ちゃんは笑顔が一番似合ってんだからさ」

 

 (ギルス)の超常的な権能は殆ど()()()()()()。筋肉は(ほど)けるように萎縮し、臓器は冷たい肉塊へと変わる。細胞は緩やかな崩壊を開始し、まともに機能しているのは声帯だけの状態。しかも、それは超因子(メタファクター)がこれ以上(ギルス)の姿を保てず、意思とは無関係に変身を解除しようとしているだけに過ぎない。今のギルスには立花響から不朽の剣(デュランダル)を引き剥がす余力は到底残されていない。

 壊死した臓物から止め処なく迫り上がってくる血液で口内が満たされる。血を吐けばそれだけで意識が切れてしまうような気がして、翔一は咽せないように口角から溢れ出た血を少しずつ装甲板(クラッシャー)の隙間から地面に垂らした。

 

 舌が正常に動いているかさえわからない。確かめる(すべ)もない。今はただ死力を尽くして言葉を繋ぐだけ。

 

「俺さ……あの時、響ちゃんに会ってなかったら、たぶんとっくに死んでたよ。なんにも持ってなかった外側(ガワ)だけの怪物をさ……一丁前の人間にしてくれたのはね、響ちゃんだったんだ」

 

 言葉一つで命が擦り切れるようだ。全身の痛みが消えて、目がいよいよ何も映さなくなった。

 

 遠くなる。遠ざかる。この腕の中にある熱さえも。

 

 それでも、津上翔一の魂は──……俺はまだここにいる。

 

「ありがとう、響ちゃん。俺に生きることを選ばせてくれて」

 

 黒い闇に染まった少女の肩が小刻みに震え始めた。

 (ギルス)は凍えた背中を優しく何度も撫でるように(さす)る。そこに荒れ狂う暴威を見せつけてきた(かつ)ての堕天の獣(ネフェリム)の面影は無く、少女もまた噓のように大人しくなってしまった。

 ここにはもう獣はおらず。

 人間(ひと)人間(ひと)を想う心だけが息吹く。

 

「■ょ■……■ち……さ……ん……?」

 

 不安と恐怖が渦巻く少女の細く削がれた声。今すぐにも泣き出してしまいそうな震える声色は影に呑まれているはずの立花響の唇から紡がれていた。

 

「ゆめ……だよ……ね……? だって……こんなの……私は……イヤ……だもん……」

 

 ()()()と大きな雫が金色の魔剣の上で寂しく跳ねる。

 

「守りたくて……離れたくなくて……だから、がんばって……がんばったのに……なのに……どうして……」

 

 立花響が運命の鎖に絡まれて、天羽奏から引き継ぐように撃槍(ガングニール)の装者となって、弱音の一つも見せずに今日まで戦い続けてきたのは、その先に彼女の目指したものがあったからだ。

 最初はただの憧憬に過ぎなかった。能天気を絵に描いたような気の抜けた笑顔が好きだった。悲しいことがあれば一緒に泣いてくれて、嬉しいことがあれば一緒に喜んでくれる。人の心に寄り添って生きる青年の生き方が、響の目には何よりも美しく見えた。

 私にもできるだろうか。願わくば、いつか隣に立って、同じ道を同じ歩幅で歩んでみたい。一人で背負えないものを一緒に背負って生きてみたい。

 そんな願いが彼女の原動力の一端を担っていた。

 

 だが、それはもう永久に叶うことはない。

 

 すべてが夢のように消えてしまった。

 

「そうだね。夢だよ。きっと、最初から、悪い夢だったんだ」

 

 子供をあやすような柔らかい語りかけと一緒に少女の背中をぽんぽんと叩く。すると、黒く澱んだ緊張の空気が漂白され、次第に(ほぐ)れていくように、呪縛めいた立花響の異常な握力が急激な弱まりを見せた。

 立花響の中に大きな変化が(もたら)された。怒りや苦しみに勝る途方もない悲しみが彼女に芽吹いた巨大な闇を洗い流す。立花響の深層に突如として生じた黒い衝動は完全に剥がれ落ちた。その結果、不朽の剣(デュランダル)の絶大なる束縛効果が薄れていった。

 (ゼロ)にどれほど巨大な数字を掛け合わせたとしても(イチ)には覆らない。0は0のまま変わることはない。根を失った花と同じである。後はもう散るだけ。

 

 不朽の剣(デュランダル)はもう立花響を縛れない。

 

 もはや、響は剣を握ってすらいなかった。両手を柄に添えているだけのようなもの。それでも不朽の剣(デュランダル)から一向に離れようとしないのは彼女の深層意識がまだ不朽の剣(デュランダル)との繋りに囚われたままなのか、彼女はそれ以上動くことはなかった。

 どのみち外的要因の介入が必要なのだろう──ギルスは響の小さな肩に手を置いて囁いた。

 

「こんな悪夢は、終わりにしよう」

 

 傷ついて、傷つけて、最後に残ったものさえも痛みだというのなら、そんな結末は夢でいい。結局、誰も救われなかった。誰も報われなかった。精一杯の努力も、ひと欠片の奇跡も何もかも無駄になった。なんてヒドいシナリオだ。バッドエンドにも程がある。ヒーローの名を騙った末路がこれか。そもそも器じゃなかった。きっと最初から間違っていたんだろう。

 

 俺は仮面ライダーじゃなかった。

 

 最後まで仮面ライダーになれなかった。

 

 でも、一人の人間には成れたというなら、俺は……俺の出来損ないの物語(ゆめ)は終わりでいい。

 

 終わらせよう、また新しい夢を見るために──……。

 

「お別れだ。これは持っていくね」

 

 最後まで仮面の奥に力無き微笑みを隠したまま、津上翔一は立花響を乱暴に突き放した。

 張り詰められた糸がプツンと千切れるような音と共に響は《不朽の剣(デュランダル)》を抵抗もなく手放し、関節の弱まった人形のように地面に崩れ落ちた。そして、そのまま安らかな眠りにつくように彼女は意識を失った。

 次に目覚めた時に、すべてが夢であることを祈りながら。

 

「おやすみ」

 

 すう、と仮面の下で息を吸う翔一は己の身体に突き刺さった《不朽の剣(デュランダル)》を見下ろした。

 半永久的に無尽蔵のエネルギーを供給するこの完全聖遺物は超速再生を可能とする《青銅の蛇(ネフシュタン)》に唯一対抗でき得る魔剣である。決して破壊されない不滅の性質が神の厄災を退ける蛇の加護とぶつかることによって対消滅に等しい超常的な反応が発生する。《青銅の蛇(ネフシュタン)》攻略の突破口は《不朽の剣(デュランダル)》にしか果たせない。二つの完全聖遺物をこの世界から消し去るには双方が必須なのだ。

 

 だが、この剣は大きな災いを引き起こす。

 月を破壊し、地上を砕き、人災を(もたら)す。異分子たる自分(ギルス)が死亡した先で、これを回避することは現在の二課では到底できない。()()()()()()()()()。毒花を摘むなら根を枯らせ。一種の賭けには違いないが、デメリットを天秤に掛ける時間もない。

 元より、この恐ろしい力を秘めた完全聖遺物が無ければ、《青銅の蛇(ネフシュタン)》を破壊する必要は無くなるのではないか──……。

 

 思考が帰結するよりも前に、呼吸が細く潰れていくよりもっと前に、半ば無意識とも言える(うつ)ろな神経がドロドロになった(ギルス)の腕を上がらせていた。

 太陽を掴むような仕草で五指の感触を確かめる。そして(てのひら)を晴天に翳すようにして四本の指を揃える。

 抑えの手はない。その辺に転がっている。

 視界は濃霧の中にあるようだ。巨大であるはずの刀身が一切見えない。

 

 だが、幸か不幸か、この身体に刺さっているのだ。

 

 外すわけ、ないだろう。

 

「すぅぅ……───はァあッあああああああああああああッ‼︎」

 

 津上翔一は掲げた手刀を、正真正銘、()()の一撃として《不朽の剣(デュランダル)》の刃へと放ち……。

 

 

 パキン、と。

 

 

 不朽不滅の神秘ごと、殴り砕いた。

 

 

***

 

 

 折れるはずがない──と、フィーネは思わなかった。

 

 (むし)ろ、折れるべきだ。折れてもらわないと困る。

 完全聖遺物《不朽の剣(デュランダル)》に刻みつけられた神秘の性質は()()である。万物に与えられた寿命。生あるものは必ず老いるという必衰の(ことわり)にただ一つの例外として君臨する朽ちることのない永遠の(つるぎ)──それが《不朽の剣(デュランダル)》である。

 叙事詩『ローランの歌』では、瀕死の重傷を負った聖騎士ローランはデュランダルが敵の手に渡ることを恐れ、剣を折るために刀身を岩に叩きつけたところ、逆に岩を両断してしまったという有名な逸話がある。如何なるものもその剣を折ることはできない。魔剣《不朽の剣(デュランダル)》の絶大な神秘性はそこにある。

 

 だからこそ、フィーネは《不朽の剣(デュランダル)》を指標にした。

 

 立花響のフォニックゲインによって完全なる起動を果たした不死の剣を砕く者がいたとすれば、それは神の叡智によって定められた絶対的な摂理(ルール)に囚われることのない()()の獣だけである。

 聖遺物と呼ばれる特殊な力を有した遺産を生み出したのは、太古から人類が〝神〟と崇めてきた地球の支配者たる者たちである。そして、この星の上位者であった彼らが唯一恐れ忌避してきた異端の存在こそ、神に逆らう龍の双牙──即ち〝AGITΩ(アギト)〟と呼ばれた超越者であった。

 

 アギトは超常の神秘を捻じ伏せる。

 絶対たる神を超越するが如く万象の定説を引き裂き、天の下に積み上げられた秩序を破壊する。それはまるで神々を喰い殺さんとする美しき龍。(かつ)ては神の前で(ひざまず)き許しを請うだけの存在であった人間が神殺しの龍に化け、天地に芽吹いた神聖の悉くを淘汰し、黙示録(アポカリプス)の一片を引き起こすまでに至った。

 アギトこそが天の神を打ち滅ぼす唯一の存在であることは明らかだ。あるいは、アギトもまた神に属する異端の生命なのかもしれないが、真偽の行方は誰も知らない。フィーネにとって重要なのはアギトが持つ無限に等しい進化の力ただそれだけである。人間の足並みでは到達できない神の不可侵領域へといずれ進化できる(アギト)の力がフィーネをここまで駆り立てたのだ。

 

 そして、今、津上翔一は神の祝福が施された《不朽の剣(デュランダル)》を叩き折った。

 

 これで確定した。

 津上翔一の中にある(アギト)の素質は原初(オリジン)に勝るとも劣らない優れたものである。美しき調和によって栄えた神代を地獄に変えた()()()()()()()()に最も近しい存在が津上翔一なのだ。

 フィーネはこのような逸材と出会うために悠久の時間を彷徨い続けた。遺伝子に魂の記憶を刷り込ませ、幾度となく世界の影で暗躍し、理想の(アギト)を求め探し続けた。時代の節目には必ず(アギト)の才覚に恵まれた者が現れたが、誰も覚醒には至らなかった。自力で(アギト)の封印を解放することはほぼ不可能であった。それでも諦めず、執念と渇望を行動力に変えて、輪廻に逆らい生き続けてきた。

 

 その努力がようやく報われる。

 

 ──その(アギト)、私がもらう!

 

 是が非でも欲しい。

 倒壊した建物の陰から(ギルス)の様子を窺っている櫻井了子は抑えようのない興奮の炎に身を焼かれるように、狂喜に満ちた笑みで頬を吊り上げる。

 薬品工場の敷地は《不朽の剣(デュランダル)》の一撃によって荒れ果ててしまった。プレハブ工法で造られた建築物は瓦解し、頑丈に建造されているであろうメインの巨大な工場ですら鉄壁が凹み、屋根は粉砕されあばら屋と化している始末。何も知らない者がこの惨状を見れば、悲惨な爆発事故が起こったのだと認識するだろう。間違いではないが、正解でもない。あれは余剰エネルギーの放出である。本当に爆発していたのなら、辺りは文字通り吹き飛んでいた。

 了子は瓦礫の山を見つめる。そこには気絶した立花響と呆然とする雪音クリスと《不朽の剣(デュランダル)》の残骸がある。そして、堕天の獣(ネフェリム)()()が横たわっている。脈の有無を確認できたわけではないが、恐らく息は絶たれているだろう。

 

 ギルスは自身の腹部に突き刺さった《不朽の剣(デュランダル)》の刃を手刀の一閃で叩き折った。三分の一ほどの刀身を失った完全聖遺物は地面に力なく落下し、折られた先の刃は(ギルス)の腹に刺さったまま血を浴び続けていた。その後、ギルスはついに力尽きて、両膝から崩れ落ちるように倒れてしまった。

 死因は一つに絞れない。失血によるショック死が有力だが、それも断定しがたい。普通ならとっくに死んでいるはずだった瀕死の重傷に加えて、体細胞に負担を強いる変身によって筋肉は大きく疲弊し、心臓に至るまで衰弱し切っていた男だ。死を背負いすぎていた男の末路など常人に理解できるものではない。

 ただ一つ確かなものは、今はしっかりと()()()()()ことだけだろう。

 

 心臓は鼓動を終えて、血液は流れることを辞めた。全身から熱が消え去り、脳が凍結する。

 

 津上翔一は死んだのだ。

 

 命に平等に訪れる死が(ようや)く津上翔一の肩を叩き、冥府の闇へと誘った。彼もまた(それ)を受け入れるように静かに息を引き取った。

 脈打たぬ深緑の屍肉はまだ隻腕の獣の形をしている。彼の肉体が活動を永久的に終えたことによって、酸素の供給が絶たれ、体細胞の急激な変異も起こせず、結果的に変身が解けなくなった状態なのだろう。死後硬直に似た現象である。時間が経てば(ギルス)の細胞も腐敗し、その醜い仮面ごと変身が解かれてしまうだろう。

 フィーネの計測した()()()()()はそれだった。

 

 津上翔一は死んだ。間違いなく。

 

 だが、彼の(ギルス)はまだ死んではいない。

 

 必ず息を吹き返す。完全な起動を果たした《不朽の剣(デュランダル)》の生み出した莫大な量のエネルギーを喰らって、死した肉体に命脈を通わせ、まさしく神のような()()を体現するはずだ。

 

(さあ、目醒めろ、津上翔一……! 条件は揃った! お前はアギトだ! 神の奇蹟をお前は再現できる……!)

 

 無情に倒れ伏したギルスは依然として死の沈黙を貫く。

 

(何年この時を待ったか……! ギルスではダメだった。ネフィリムの奇蹟は戦いにのみ注がれる。生命の停滞では神にはなれない! だからアギトを待った! 今度こそ私は近づくのだ……! 神に……あの方に……!)

 

その瞳には、底知れぬ恩讐の坩堝にも染まらない愚直な一本の感情が走っていた。たった一つの目的のために、その手にあったものすべてを犠牲にし、数千年の時代を駆け抜け、ようやくここまで辿り着いた。

 終焉の巫女(フィーネ)は目を見開き、心の中で祈り続けた。神すら墜とさんとする金色の龍が地獄の底から舞い上がることを……。

 

(私に見せてくれ、新たな神話を……アギトの再誕を……!)

 

 そして、フィーネの真摯な期待に応えるかのように、(ギルス)の身体が()()()と大きく跳ねた。

 

 

***

 

 

 男がいる。

 

 死んでいるような、生きていないような、そんな男がいる。

 

 男は灰被った廃墟のような礼拝堂に並べられた長椅子へ腰を落として、まんじりともせずじっとしている。身に包んだ白衣の裾には煤が滲んで色褪せ、頭髪には隠し切れない白髪が雪積もるように垂れて、目は泥のように濁って一切の感情を排斥していた。

 

 男はどこも見ていない。ただそこに座っている。

 

 炭と瓦礫に覆われた礼拝堂には、床に転がる首のない聖母の像や錆びついた燭台、(かつ)ての絢爛な輝きを失ったステンドガラスの破片が星の砂のように散らばっており、踏み躙られた神秘の上で誰も祈りを捧げなくなった孤独な十字架だけが清く佇んでいた。

 

 その十字架の前で懺悔するかのように、男は沈黙と共に項垂(うなだれ)れていた。

 

 時折、手に握っている封筒を物珍しげに眺めては、興味が失せて鬱蒼とした視線を黒ずんだ床へと戻す。考えて、考えて、意味がないと悟り、封筒を破り捨てようとするものの、諦めたようにまたそれをくしゃくしゃに握り直す。

 その封筒に中身はなかった。(から)だった。持っていても意味のないものなのに、男はなぜか捨てられず、一人わけもわからないまま苦悩していた。

 茶封筒には「■■■くんへ」とだけ書かれている。肝心な宛名が読めない。塗り潰されているわけでもないのに、なぜか読めない。読めていたら何か変わっていたのか。読めていたらここに来なくて済んだのか。いいや。きっと変わらない。ここで全部終わりだ。

 

 こんなものを持って、何をすれば良いのだろうか。何をさせたいのだろうか。

 

 何もできやしないのに、ね……。

 

 男は野良犬の死体を見ているような冷たい目を伏せて考えていた。だが、次第に考えることに飽きてしまう。だってもう答えは出ていたのだから。

 

 〝それはなんだ。〟

 

 男の背後から声がした。人の世にあってはならないような途轍もない重圧と狂おしいほどの威厳に満ちた女らしき声には聴き覚えがあった。だが、思い出そうとは思わない。所詮は失われたものだ。取り戻せない。

 男は驚きもせず、振り返りもせず、粛々と返答した。

 

「知らない。知らないが……多分、誰かの遺書だ。中身は入っていないけど」

 

 〝貴様はそれを読んだのか。〟

 

「わからない。でも、読んではいないと思う。読めていたら、こんなところに持ってこないだろうし」

 

 〝ふん。()()()()()()とはよく言ったものである。ここはどこでもない。貴様の中である。〟

 

「ああ。うん。そうだったね。ここには未練ばかり。取り返しのつかないものばかり。()()()()()世界だ。心底吐き気がする」

 

 男の語気は変わらない。

 一定の感情から振れることなく、機械のように乾いた唇を動かしている。

 

 その様子が、女は気に入らなかった。

 

 〝そうだ。貴様の中は未練ばかりだ。救えなかったものばかりだ。貴様自身も含めてな。〟

 

「知ったような口をきくね。どちらさまで?」

 

 〝貴様を貴様以上に知っている者である。故に、我は貴様を救いたい。これは本心である。〟

 

「結構です。人助けなら他所(よそ)でやりなよ」

 

 〝貴様の意見など聞いておらぬ。黙って我に従え。〟

 

 鬱陶しそうに困惑する男へ、女は両手を首に回して後ろからそっと抱き締める。男の表情は変わらない。視線すら動かない。この世界が、男の中で生じた心象の具現と言うのなら、何をしたところで無意味であると結論づいていたから。

 女は男の耳元で囁いた。甘く蕩けるような誘惑を耳の穴から抉り入れるように。

 

 〝貴様の中は痛みばかりである。悲しみばかりである。なのに怒りがない。傷を慰め、涙を火に焚べる、怒りの感情が貴様にはなかった。〟

 

「…………」

 

 〝我はそれが遺憾であった。貴様は恨むべきだった。憤怒すべきだったのだ。その手紙を渡されたあの時も。誰も救えなかったあの時も。このような世界に連れて来られたあの日、そして今も。貴様の怒りは如何なる時も自分にしか向けられておらぬではないか。そんなものは断じて怒りなどではない。〟

 

「怒りがなんだ。そんなもの何の役に立つ。誰かの首を絞めれば傷が癒えるのか。撃鉄を叩き起こせば死人が息を吹き返すのか。ありえないだろ。何の意味もない。時間の無駄だ。誰かを責めるぐらいなら、それなら俺は……こうやって頭を抱えて、一人で後悔してた方がいい」

 

 男のみすぼらしい背中がより小さく、そしてより哀れに見えた。

 女はより力強く男を抱きしめる。このひどく哀れな男を本当の意味で理解してやれるものはもうどこにもいない。男の中にさえ残されていないのだ。それがどれほど惨たらしいことか。

 

 〝いい加減に悟るがよい、我が(アギト)よ。貴様の中に鎮められた憤怒は人間如き矮小なものに向けるべきものではない。()()に向けるべきだ。貴様を裏切り続けた世界の摂理を、何も為さない破綻の倫理を、怒れるままに破壊するのだ。それが貴様の報われる唯一の道標である。〟

 

「それは思考の放棄だろう。八つ当たりだ。知恵ある者のやることじゃない」

 

 〝貴様がやらぬなら、我がやるまで。貴様の記憶には残されておらぬだろうが……貴様の(ギルス)は我の力だ。エルロードではない。我が授けた。〟

 

「やめろ。そんなことしなくていい。俺はもう疲れたんだ」

 

 〝ああ。そうだ。疲れ果てたのだろう。知っている。ずっと見ていた。故にこれ以上、貴様が背負う必要はない。もう何も背負うな。その辛苦の呪縛から我が解き放つ。〟

 

「違うんだ。違う。俺は」

 

 〝貴様が報われぬ世界など、(テオス)が認めようと、この我だけは赦さぬ。〟

 

「俺は、何も、いらない」

 

 〝一緒(とも)に滅びよう。(アギト)はそのために生まれ落ちたのだから。〟

 

「いらないんだ……もう……」

 

 

***

 

 

 茫然自失となった雪音クリスは全身の力が抜け落ちて、細かな石屑が降られた瓦礫に小さく(まと)まって座っていた。

 彼女のすぐ前には血塗れのまま横たわる(ギルス)の死体がある。腰に巻かれた超因子(メタファクター)の中央に備わる賢者の石は美しき翠色の輝きを完全に(うしな)い、燃えるような深紅の複眼は色彩を奪われ、その隆々とした軀体は崩壊した景色の一部に溶け込むように沈黙していた。呼吸の音が聴こえず、心臓が跳ねる脈動すら感じない。

 死体が一つ冷たく転がっている。

 片腕を切られ、腹を貫かれ、砕かれたアスファルトの上で潰れたように寝そべる()()は野良猫に弄ばれた蟲の死骸のようであった。

 他を寄せつけない比類なき獰猛な強さは野獣のようで、自分を(あや)めんとする少女を(ゆる)した背中は人間のようでいて、朽ちれば名も知れぬ虫のように見窄(みすぼ)らしい。

 

 結局、雪音クリスは(ギルス)の仮面に翻弄されるばかりであった。

 憎むべき敵であるはずなのに、心のどこかで(ギルス)と戦うことを拒んでいた。彼女の記憶に色濃く残り続ける最愛とも言える者の面影が無意識に重なり、幾度となく困惑に顔を歪めた。そんなはずがない。何も似ているところなんてない。頭では理解していても、(ギルス)の孤独な背中にはクリスを地獄から引きずり出した飛蝗(バッタ)英雄(ヒーロー)の輪郭が宿っているようで、彼女の意思に反して身体は不都合を訴えることが多々あった。

 ありえない。似ていない。何もかも違う。

 今日まで(かたく)なに否定し続けていたが、もはや獣か蟲かもわからぬ死に絶えた()()を眺めているうちに、結論などどうでも良くなった。

 

「……なんで助けた」

 

 ギルスは雪音クリスを身を挺して庇った。咄嗟の判断だったのだろう。自我を損なって暴走する立花響の眼前に躍り出る行為は首を差し出すに等しい。雪音クリスを不朽の剣(デュランダル)の凶刃から守れるためには己の命を擲つしかないとギルスは覚悟を決めたのだ。

 本来なら、あのまま殺されていたのはクリスの方だった。ギルスではない。雪音クリスが死んでいた。死の矛先を曲げられてしまったから、雪音クリスの心臓は今も動いているだけであって、きっと死んでいたのは自分だった。

 

「アタシは……オマエの名前すら、知らないんだぞ……」

 

 なぜ、ギルスは雪音クリスを助けたのか。

 深く考えずとも、その答えだけは明確(はっきり)としていた。

 絶大な力が秘められた魔剣によって腕一本を切り落とされ、挙句は腹を突き刺されて、決して免れぬ死の苦痛に苛まれたにも(かか)わらず、ギルスは立花響を慈愛を持って抱き締めた。一切の暴行を赦し、宥めるように神の呪縛を(ほど)いた。

 その姿が何よりの証拠である。

 雪音クリスだったからではない。そこにいたのが雪音クリスであっただけで、きっと(ギルス)は誰であろうと何であろうと危険を(かえり)みず助けに向かったに違いない。誰にでも手を差し伸べて、人が背負わねばならない重荷を勝手に奪って、孤独(ひとり)で闇の底へと沈んでいってしまう。

 そんな人間がこの世には確かに存在しているのだ。

 

 あの仮面の戦士もそうだった。

 

 地獄に落ちるのは俺一人でいい──と、たった一人で戦い続けていた。

 

「どいつもこいつも……なんでアタシを置いていくんだ……」

 

 一滴の(なみだ)が頬を(つた)う。震える指先でそっと(ギルス)の顔に触れると、鉱物のように冷たい仮面にぽつりと雫が小さく跳ねた。仮面は何も応えない。その先にある素顔を押し殺したまま、憐れな静寂を(かたど)る。

 

「置いていくなよ……一人にしないでよ……」

 

 か弱き悲叫にも劣らぬ少女の呟きを掻き消すように、突如として地鳴りのようなものが工場施設に轟き渡る。異常を感じ取った雪音クリスは紫水晶(アメジスト)の双鞭を握り締めて音の震源を探る。

 数秒後、爆発的な激震と共に地中から巨大なワーム型のノイズが出現した。立花響が起動させた《不朽の剣(デュランダル)》の奔流を受けたのか、肥え太った躯体は崩れるように半壊していた。勢いよく地上へ出たものの、(もが)き苦しむように瓦礫の海に何度も首を叩きつけ、その場でのたうち回った挙句、不愉快な雑音を吐き散らしながら絶命した。

 恐らくだが、立花響が《不朽の剣(デュランダル)》を覚醒させた際、咄嗟に地面に潜って難を逃れようとした個体だったのだろう。単純に間に合わなかったのか。それとも不朽の剣(デュランダル)の放出したエネルギーが地中にまで影響を及ぼしたのか。どちらにせよ、巨大な芋虫は努力虚しく死滅に至る一撃を貰ってしまった。

 

 驚かせんな。こっちはそれどころじゃねぇんだよ──クリスは静かに胸を撫で下ろす。今の彼女には(ギルス)の遺体と気絶している立花響の二つを守り抜く自信が無かった。まだ《青銅の蛇(ネフシュタン)》の負った傷が完治していないのだ。

 雪音クリスに与えられた当初の任務は完全聖遺物《不朽の剣(デュランダル)》の起動並びにその奪取であったが《不朽の剣(デュランダル)》がギルスによって破壊されたため、後者の達成は殆ど不可能になった。しかし、今のクリスにとってそれは些細なことだ。元より彼女を影で操る首謀者(フィーネ)は腹の読めない女である。クリスも信用はしていない。

 フィーネが用意した段取りは一つ。立花響に《不朽の剣(デュランダル)》を起動させることだけであった。極めて高い確率で乱入してくるだろう未確認生命体第三号に関して、フィーネはクリスに無視するよう(あらかじ)め伝達していた。それが今となっては気に食わない。フィーネはこの状況を予測していたのではないか。世界的に見てもトップレベルの頭脳を持つあの聡慧な女が異分子たるギルスの行動を計算しないはずがない。

 

(あの女はアタシに何か隠し事をしている! それが何かはまだ検討もつかないけど……今はアタシの意思で行動させてもらう!)

 

 雪音クリスはギルスに助けられた。ならば、ギルスが守ろうとした立花響は雪音クリスが守るべきだ。そうあるべきだ。

 青銅の蛇(ネフシュタン)の治癒が滞っているとはいえ、木端の雑兵(ノイズ)程度ならば難なく戦闘できるだろう。ノイズを強制的に従属させる完全聖遺物《ソロモンの杖》が手元に残っていれば楽であったが、それは不朽の剣(デュランダル)の一撃で手放してしまった。本来なら《ソロモンの杖》の回収が最優先であるが、クリスは安全が確保されるまでここを動く気はない。

 

(あのデカブツ一匹で終わりか……?)

 

 荒廃した薬品工場の敷地を見渡す。どうやら、(ひしめ)き合うほどの大群を率いていたノイズは不朽の剣(デュランダル)の閃光によって残らず灰塵に還ったらしい。地中に潜って危機を脱しようとしたノイズが居たのだから、他にも災厄を回避しようと足掻いたノイズが居るのではないかと構えたが杞憂であった。

 クリスは安堵の吐息を浅く吐き出す。負傷した《ネフシュタンの鎧》が回復すれば、すぐにでも《ソロモンの杖》を回収しよう。後始末は例の特異災害対策機動部二課にでも任せればいい──と、気を抜いた直後だった。

 死して炭素の塊と成り果てたワーム型のノイズの大きな腹部を何かが突き破った。

 それは人外じみた一本の腕であった。ノイズの肥えた腹を内側から引き裂き、そこから赤い煤を全身に浴びた何かが二つ()()()と産み落とされた胎児のように姿を現した。躯体を丸く縮ませていたそれらは地上の空気を吸って、ようやく四肢を広げて立ち上がる。

 霊長類のような逞しい手脚。西洋の装飾らしき意匠の甲冑に身を包ませ、騎士のような兜から覗く眼光は白刃のように鋭い。しかし、肝心の首から先は人間とは全く非なる生物の頭が乗せられている。

 馬だった。

 白と黒の二匹の()()

 

「オマエら……!」

 

 それは不朽の剣(デュランダル)が起動する直前まで雪音クリスが相手をしていた二体のロードノイズ──白と黒に分けられた縞馬(ゼブラ)に違いなかった。

 二体の縞馬(ゼブラ)は厚い体皮に覆われた芋虫(ワーム)の内部に身を隠すことによって《不朽の剣(デュランダル)》の災害的な一閃を躱したのだ。地中へ潜ってもなお死滅を免れなかった芋虫(ノイズ)とは異なり、体内に潜伏していた二体の縞馬(ゼブラ)不朽の剣(デュランダル)の影響を完全に回避できたらしく、ほぼ万全と言える状態で雪音クリスの前に立ち塞がった。

 

『GILLS wa shinda noka??』

 

 白の縞馬(ゼブラ)が力無く横たわる(ギルス)に気付いた。

 

『nen no tame todome wo sasou』

 

 黒の縞馬(ゼブラ)が一歩前に出る。戦闘で負ったダメージも回復しているようだ。

 

「ホトケに手ぇ出すんじゃねえよッ!」

 

 クリスは紫水晶(アメジスト)の双鞭を手繰(たぐ)り、縞馬(ゼブラ)の足下に叩きつけた。

 反射的に制止する黒の縞馬(ゼブラ)は彼女が纏う《ネフシュタンの鎧》を一瞥すると、嘲笑うかのようにまた歩き始めた。クリスは縞馬(ゼブラ)のロードノイズと対峙するため、地についた膝を伸ばそうとする。しかし、全身の関節が錆びついた歯車のように鈍く神経に逆らった。《青銅の蛇(ネフシュタン)》が有する超常的な再生力が麻痺し、鱗鎧(スケイルメイル)の稼働に支障を及ぼしているのだ。

 如何なる災厄も退ける神聖が《不朽の剣(デュランダル)》の無限に等しい(チカラ)の放流によってその効力を一時的に損ない、行動不能の危機に陥っている。恐らく《青銅の蛇(ネフシュタン)》は鎧の修復が終わるまで、雪音クリスの指示を一切受け付けないつもりなのだろう。

 クリスの額に動揺と焦燥の汗が流れる。

 

「クソッ! 言うこときけぇ! いま戦えんのはアタシだけなんだ!」

 

 吠えるクリスに完全聖遺物《ネフシュタンの鎧》は沈黙を貫く。

 

『shikiri naoshi da』

 

 白の縞馬(ゼブラ)が指を鳴らした。すると、金属が擦れ合うような不快な音響が空間の(ひず)みから溢れ出し、水面(みなも)に落ちた墨汁のように時空が黒く滲み始めた。そこから孵化した蛆虫のように次々とノイズが次元を食い破って現界を果たす。

 雪音クリスは絶望を目の当たりにしていた。大型小型問わず出現した災害(ノイズ)の総数は見えているものだけでも三百は軽く超えている。ロードノイズはここにいるものすべてを亡き者に変えるつもりなのだ。

 

『sekai wa yugande simatta watashi tati no youni』

『owaraseru subete AGITΩ morotomo』

 

 守れない。

 この量はどうしようもない。

 圧倒的な物量差の前にして、クリスは鉛のように重く縛られた四肢を這うように動かし、眠り続ける立花響を庇うようにして厄災(ノイズ)の大群を睨みつけた。

 理解及ばぬ雑音めいた叫声が無秩序に吐き散らされる。それはノイズの狂喜の歓声だったのかもしれない。堕天の獣(ネフィリム)の死。(アギト)を継ぎし戦姫の抹殺。人類を淘汰するためだけに造られたノイズにとって、希望(のぞみ)絶たれたこの状況こそが至福の一時なのだろう。

 

『K♧:+il×=lev%e:::ry^^◎▽t<<h\\▲<in£″g……‼︎』

 

 虐殺の鬨が鳴り交わされ、世に破滅を産み落とさんと災厄(ノイズ)は打ちつける波のような暴力的な侵攻を開始する。雪音クリスはもう身構えることしかできない。どうにか立花響だけでも逃せはしないかと頭を回転させるが、それも極めて難解なものだった。せめて《ソロモンの杖》が手元に残っていれば──と、嘆きを口にすることすら惜しい。

 窮地に立たされた雪音クリスはついに祈り始めた。迫りくる災厄の渦を前にして、鎧の少女は瞼を閉じて必死に祈る。

 神でも、悪魔でも、誰でもいい。なんだって構わない。助けてほしいヤツがいる。救ってほしいヤツがいる。対価を求めるならアタシの命をくれてやる。それぐらいしか差し出せるものはないけれど、もしもこの祈りが届いているのなら、どうか、どうか──。

 

「だれか助けて──……」

 

 その時だった。

 

 ()()()と何かが跳ねたのは。

 

「──────ッ」

 

 絶対零度に等しい戦慄が神経を駆け巡る。心臓が恐怖で唸るように低く鼓動する。理由などわからない。ただ、許容しがたい悪寒めいた気配を背後に感じ取ったクリスはゆっくりと視線を後方へと移し、そこにあった信じ難い光景に目を疑った。

 

「ギル……ス……?」

 

 隻腕の獣がいた。

 ()()()()()()()()()

 死んだはずの深緑の獣が腹部から流血を滴らせながら、一本の腕を力無く地面へ垂らし、二本の脚で立ち上がっていたのだ。

 

「オマエ────」

 

 生きていたのか──と、安堵混じる声音が喉の先で詰まる。様子が変だ。何かがおかしい。いや、()()()()()()()()()ではないか。

 ギルスは死んでいた。間違いなく息絶えていた。心臓は止まっていた。呼吸もしていなかった。生命活動はとっくに終わっていたはずだ。

 では、これはなんだ。これはなぜ動いている。

 

 この死体はなぜ動いているのだ──⁉︎

 

 超因子(メタファクター)に収まる賢者の石から止め処なく赤い血液が垂れ流される。それはまるで血涙のようだった。金属(フレーム)が絶え間ない血を浴びて赤く染まり、深緑の鎧が腐敗して爛れてしまったかのような濃い色彩に変化する。

 賢者の石が翠色の光輝から充血した眼玉のような病的な黄色の彩色に変わると、全身の生体装甲皮膚(ミューテートスキン)から膿が破裂するように血を滴らせる。死滅した細胞を削ぎ落とし、腐蝕した血液を体外へ排泄することによって、新たな血肉を創造しようとする謂わば超再生の一環──。

 

「■ァ……■■……■■ァァ……」

 

 糸に繋がれた操り人形(マリオネット)のように(ギルス)は肉体の異常な活動に何の行動も起こさず、されるがままの状態で死の苦悶を潰れた声帯で喘いでいる。

 肘から下を失った二の腕の断面から黒い粘液が滝のように溢れ出す。黒い血液。堕天の獣(ネフィリム)の因子。(ギルス)の体内で(うごめ)く寄生蟲が生命の波長を求め、切断された腕の筋線維に巻きついた。

 賢者の石が放つ輝きが増すと同時に、額の第三の眼(ワイズマン・オーヴ)が呼応するかのように激しく閃光する。

 

「■ァァッ……■、■■ァァ■■■■■■■ァァ──‼︎」

 

 天を喰らわんとする雄叫びと共に、不朽の剣(デュランダル)に斬り落とされた腕が再生──いや()()()()()。それは(ギルス)の今までの腕とは異なるものであった。鴉の大翼のような漆黒の爪。それとは逆方向に伸びる血染めの大鎌と表現すべき鋭い鉤爪。殺戮に長けた二つの刃が皮膚を突き破って、その凶器を見せびらかすように露出する。

 失った腕の超速再生に伴いもう片方の腕も同様の変化が生じる。いや腕だけではない。悍ましい変化は(ギルス)の全身に訪れていた。繭を喰い破って孵化せんとする蚕のように(ギルス)の内側から得体の知れぬ黒の意識が暴れ始める。

 そして、ついに鎧の如き大胸筋の隙間から琥珀の結晶が顔を覗かせた。(アギト)の心臓とも言える中枢器官《ワイズマン・モノリス》──ギルスに吸収された《不朽の剣(デュランダル)》の刃が蓄えていた膨大な量の(フォース)が全身の器官へ循環され、常軌を逸した狂気の進化が促される。

 

 それはもう獣ではない。

 ましてや、人の器ですらない。

 堕天使の黒翼のような大爪は両肩から拡げられ、赫々と滴る蟲の如き触手は鎧の一部と化し、誰も触れることすら赦さぬ暴虐の威迫はもはや悪魔ですら及ばない。神の頂へと吼えるかのように伸びる三つの触覚は原罪の王冠を表すかのようにここに君臨せし者が如何に埒外たる存在かを粛々と物語っていた。

 

 超越せし者(エクシードギルス)──それは荒ぶる神そのもの。

 

 怒り狂った蛮神である。

 

 その場にいた誰もが死んでいたはずのギルスの尋常ならざる進化に戸惑いを隠せず、気道ごと首を絞められたかのような息詰まる緊張感に絶句していた。死者の蘇生。理解できぬ禍々しき進化。そして、凡そ生物と呼べるかどうかも疑わしい重圧(プレッシャー)と〝死〟の感覚。

 ただ一つ確かなことは──これはこの世にあってはならないものだ。

 

 顎部の装甲板(クラッシャー)が地獄の大釜のように開かれた。

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■────ッッ‼」

 

 咆哮。

 この世の(はて)を体現するかのような(オト)──。

 工場施設の窓硝子が一斉に砕け散り、暴嵐のような物理的な質量を兼ねた蛮神の咆哮は無差別にも雪音クリスを吹き飛ばした。そして災害(ノイズ)の上位種たる縞馬(ゼブラ)すら竦み上がらせ、周辺まで迫った下級のノイズを握り潰すように()()する。それは死の音響だった。調律ではない。脆弱たる存在を掻き消す神の咆哮はノイズに対して致命的な殺傷力を伴い、雑巾を絞るようにノイズは音に捩じ切られる。

 もはや声すら凶器に等しい。己を構成する血の一滴に至るまで、すべてが鏖殺の武具となり、何者も逆らえぬ力の象徴となる。超越者(エクシード)となったギルスは暴力を司る神と言っても過言ではない。

 

 すべてを壊すまで、彼は止まらない。

 

「ゲホッ……なんだよあれ……⁉︎」

 

 雪音クリスは瓦礫の山に頬を削られながら、その異端たる神に瞠目する。

 

「オマエ……本当にあのギルスか……? 未確認生命体第三号だよな……?」

 

 怯弱の声を枯らすようにクリスは問いかける。

 答えは返ってこない。ギルスは敵を──目に映るすべてを壊すために己が闘志を研ぎ澄ます。両腕から伸びる血染めの大鎌をクロスさせて火花を散らす。もはや誰の声も彼には届かない。

 やがて、クリスは自分と同じように激甚たる咆哮に巻き込まれたであろう立花響が瓦礫の山に身体を(うず)めている姿を発見した。まだ気絶しているようだが、額から血が溢れ出ている。先程までは無かった。クリスと違って受け身を取れなかったからだろう。皮膚が裂かれてしまっている。

 ギルスが命をかけて守ろうとしたものが、ギルスの手によって壊される。

 雪音クリスは残酷な現実を飲み込んで一種の確信を得た。

 

「オマエは……誰なんだ……?」

 

 そこにいるのが雪音クリスの知るギルスではないことを……。

 

 

***

 

 

「ありえないッ‼︎」

 

 フィーネは我を忘れて叫んだ。

 予期していた未来と訪れた現実が彼女の理想を打ち砕いた。冷静さを失ったフィーネは頭髪を掻き毟り、無数に転がる石礫を蹴り上げ、正気から解き放たれた狂人のようにのたうち回る。

 

「ギルスのまま……進化、しただと……⁉ バカな……そんなこと……あってたまるかァ……‼︎」

 

 世の終焉を見たかのような蒼白とした顔色を更に歪ませ、倒壊した建物の壁に拳を何度も叩きつける。血が滲もうが眼中に留まらず、フィーネはただ無我夢中で爆発するような感情を吐瀉し続ける。

 

「ギルスが……ギルスとして進化するなど……私は知らない! そんな不合理な可能性……考えもしない……してたまるかッ」

 

 ギルスという生命が辿り着く終着点は決まっている。堕天の獣(ネフィリム)だ。完全な覚醒を遂げたアギトと違って、自己でエネルギーを補完できない不完全なギルスは他者を捕食することによって、生命活動に必要なエネルギーを補う。故にギルスは殺し合った。生きる為に他者を殺した。

 非人道的な殺戮を繰り返さねばならないギルスの運命は人間にとっては耐え難く、次第にギルスの変身者は無意識の中で自我を捨て去り、有意識を完全なる野生に陥れることによって罪から逃れようとした。それが堕天の獣(ネフィリム)である。

 ギルスはアギトになれなかった者だ。

 アギトになろうとして、進化のエネルギーを求めて、更に殺し合った挙句に堕天の獣(ネフィリム)へと進化する。ギルスの進化の道は最初から閉ざされていたのだ。所詮はアギトの出来損ない。それ以上のものには変われない。

 

 フィーネはその無情の光景を腐るほど見てきた。

 

「アギトがギルスに退化したのなら……その先の進化はアギトであるはすだ……ネフィリムとの分岐点たるエネルギー不足はデュランダルで解決した……なのになぜだ……なぜギルスのまま進化した……二年前のアギトの姿はなんだったのだ……天羽奏にワイズマン・モノリスを与えた影響か……だが今のギルスにはワイズマン・モノリスがある……アギトへの条件は満たして……」

 

 高速で巡る思考を呪詛のように言葉に移すフィーネは不意に唇を噛んだ。霧の中で正体の掴めなかった真実の実体が漸く彼女の手に収まろうとしている。

 

「そうか……そういうことか……津上翔一ィイ……」

 

 辛酸を飲まされたのようにフィーネは()()()()と奥歯を噛み締めた。

 

「二年前のアギトは四元素の内〝火〟〝風〟〝土〟の三つだった……そこにギルスの属性〝水〟は含まれていない……それもそのはず……アギトの力はお前の力ではないのだからなあ‼︎」

 

 崩れかけたコンクリートの壁に血塗れの拳を叩きつけ、新たに君臨した異形にして異端の蛮神へ憤怒を吠えた。

 

「津上翔一、キサマ最初からギルスだったのかッ‼︎」




死体が暴走(しゃべ)っている…。これが噂のゾンビゲーマーですか。違います。はい。
働かなくていいだなんて鬼畜天使と違ってシェムシェムはやさしいな〜(棒) なおやり方。オリ主くんは泣いていい。泣ける涙が残ってたらの話ですけど。


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08.Did you see the sunrise?

おひさ。


「これは一体……?」

 

 風鳴翼はその光景を目の当たりにして、言葉の限りを奪われた。

 市販される薬品の製造やその運送に携わる工場の施設内は、物々しい破壊の痕跡が至る所に見受けられた。凄惨な地割れが起こったかのようなアスファルトの裂け目。頭を潰されて燃え上がる横転した大型車両の残骸。倒壊した建造物とその瓦礫の山は爆撃を疑うに値する壮絶さを物語る。

 そして、黒い砂漠と見違えるほどに降り積もった一面に広がる煤。

 それが認定特異災害たるノイズの死骸であることは明白である。もはや、考えるまでもなく、この尋常ではない量の炭素は先程まではノイズという血肉を象っていた物質なのだろう。

 黒き粉塵による雪原と化した薬品工場を前にして、風鳴翼が呼吸すら儘ならぬ驚愕に襲われたのは、やはりその途方もない数にあった。

 

 いったい、どれだけのノイズを……。百、二百……。いや、果たして三桁で収まる量なのかこれは……。

 

 少なくとも、風鳴翼はこれほどのものを未だ嘗て見たことがない。

 

「翼さん」

 

 病み上がりである風鳴翼の肩を支えていた緒川慎次は、苦々しい神妙な眼差しを工場の奥へと向けていた。不気味なこの空間に違和感を覚えているのは翼だけではなかった。

 

「引き返しましょう。ここは、恐らく、僕たちが居ていい場所ではありません」

 

 緒川の声音は至って冷静なものであった。それ故に、これが恐怖で足が竦んだ者の弱音ではなく、彼の正気と理性が弾き出した信頼の高い判断であることを翼は理解する。

 

「空を見て下さい。上空で待機しているはずの二課のヘリが消えています。何かトラブルがあって、やむを得ず離脱したんです」

「トラブル……ですか……」

「あの風鳴司令が撤退の判断を迫られるということは……」

()()()()()()()()()()、ということですか」

「恐らくは」

「ノイズでしょうか。それとも例のネフシュタン……」

「わかりません。ただ、もう一つの可能性をあげるとすれば──」

「緒川さん」

 

 それ以上はいい──と、緒川の背広を無意識に握り締めていた手の震えが語る。

 緒川慎次は心の内で決断した。風鳴翼の懇願を聞き受けて、本部には無断でこの場所に重傷者であった彼女を連れて来たが、ここから先は彼女の身の安全が最優先である。

 この戦場に蔓延する死の香りは、あまりに濃すぎる。

 

「翼さん、戻りましょう。やはり、ここは危険です」

「ええ。理解しています」

「今の翼さんには天羽々斬(アメノハバキリ)は纏えません」

「承知の上です」

「なら、どうして」

 

 この戦場から目を離さない──?

 その疑問を投げかける前に、緒川の支えを解き、風鳴翼は自らの二足の脚で歩き出した。フラフラとした覚束ない足取りはまだ傷が癒えておらず、平衡感覚が戻っていない何よりの証拠であった。

 

「緒川さん、どうしようもない私の我儘を汲んでいただき、ありがとうございます。感謝しています。ここから先は一人でも大丈夫です」

「翼さんっ!」

「私一人でどうにかなるなどと……。そのような自惚れはありません」

 

 何も救えないかもしれない。何も変えられないかもしれない。

 

 ただ、それでも──……。

 

「ずっと考えていました。なぜ、あのとき、三号は私を助けたのか」

 

 それは夢のような一瞬だった。

 完全聖遺物《ネフシュタンの鎧》に圧倒され、切り札の絶唱すら失敗に終わり、天羽奏の置き土産《撃槍(ガングニール)》とその新たな装者である立花響を守れなかった──と、絶望に苛まれながら意識を深い闇へと沈ませたその時だった。

 

 〝ひとりにはしないよ〟

 

 あの時、冷たい雨に打たれていた風鳴翼の凍えた身体が感じたものは血塗られた獣の熱ではなかった。まるで、両手で優しく抱き締められているような柔らかな温もり。

 

 心の熱。

 

「……助けたい。今度は、私が助けたい。何度も殺し合い、何度も傷つけ合った風鳴翼(わたし)だからわかる。ようやくわかった気がするんです。

 彼の拳は彷徨(さまよ)っている。怒りや悲しみでもない、行き場を失った(むな)しさ……。彼はきっと死に場所を探しています。自分の命に終わりを求めているのです。でも、それでは──……!」

 

 張り上げた声が喉元で不意に引っかかる。その先の言葉を発することを躊躇っている。言葉を見失った口だけが忙しなく動いて、音のない吐息が静かに空を舞う。

 わかっている。これは私の都合だ。風鳴翼の我儘だ。未確認生命体第三号の意思を無視した身勝手極まりない一方的な感情。駄々を捏ねた子供のよう。

 

 それでも。

 

 そうであろうと。

 

 もしも、奏がここにいたら、きっと同じことを言ってくれるはずだから──。

 

「死んでほしくない。死んでいいわけがない。たとえ、それが私の傲慢なエゴだとしても、風鳴翼は彼を死なせたくはありません」

 

 嘗てないほどの揺るぎない決意が(つるぎ)のような声となって発せられた。

 緒川慎次は面食らったように暫し茫然とした。まさか、彼女があれほど目の(かたき)にしていた未確認生命体第三号を一転して()()()()と口にするとは思いもしなかった。

 倒すべき敵。それが両者の関係性であったはずだ。それがどうして今更──と、緒川が疑問にするよりも早く、翼は気恥ずかしそうに微笑みながら答えていた。

 

「あのとき、三号の心に触れられた気がするんです。もしかすると、発動を止められた絶唱が起こした小さな奇跡かもしれません」

 

 真実はわからないが、あの声は幻聴ではなかったはずだ。

 

 強く、真っ直ぐで、迷いない。

 

 ヒーローの声。

 

「似ていました、とても」

「似ていた?」

「はい」

「誰にですか?」

「奏や立花に、よく似ている人です」

 

 緒川は驚愕していた。未確認生命体第三号を天羽奏や立花響と結びつけるとは──いや、そもそも風鳴翼にとって唯一無二の存在である天羽奏と重ね合わせられる者が立花響の他に存在すること自体が、あまりに意外だ。

 そして、それを嬉しそうに語る彼女の表情もまた緒川にとっては考えにくい現象だった。

 

「……変わりましたね、翼さん」

「そうでしょうか」

「はい。変わりました。とても素敵だと思います」

 

 そう言って、目頭を押さえながら、緒川は(おもむろ)に翼の手を取って肩を貸す姿勢に移った。

 

「緒川さん……?」

「今日の僕はアーティスト風鳴翼のマネージャーです。翼さんの我儘を聞くのが僕の仕事なんです」

 

 翼が気付かぬうちに眼鏡をかけていた緒川の悪戯な笑みを見て、翼は少しだけ頬を緩めた。

 

 

***

 

 

 それを果たしてなんと形容すべきか。

 少なくとも、雪音クリスには想像もできなかった。

 破壊と蹂躙。遍く生命の一切合切を否定せんと殺戮という言葉が四肢を得て、凶禍の牙を研ぎ、(いびつ)な魔獣の骨格に肉を貼り付けた姿。触れるもの(すべ)てを傷つける闘争の極限たる姿は悪魔を超え、地に君臨せし暴神を彷彿とさせる。

 紅き刃の蛮神。

 それが超越者(エクシード)だった。

 力という概念の化身の如き存在であった。

 目に映るもの。耳で捉えるもの。鼻を掠めたもの。すべてが敵である。例外はない。その他の認識は必要ない。己が何者であるかさえ、()の者には不要と切り捨てる情報である。

 知るべきことは、ただ一つだけ。

 

 まだそこに動いている影があるのかどうか──。

 

「■■■■■■■ォォ……ッ」

 

 怒号にも似た獰猛な吐息が顎部の装甲板(クラッシャー)から熱を帯びた白い蒸気となって漏れ出す。

 濃度を増した暗みのある深緑の躯体は多くの傷を孕んでいた。今し方、無数のノイズから受けた傷である。皮膚が肉ごと削がれ、骨は剝き出しになったまま砕けている。曲がらぬ方向に曲がった関節と裂かれた腹から無造作に垂れ下がる(はらわた)。頭蓋骨は割れてしまい、壊れた蛇口のように堅牢な牙の隙間から延々と吐血している。

 もう死んでいる。

 死んでいるようなありさまだ。

 なのに、死んでいない。それどころか、痛がる素振りも苦しむ様子もない。

 

 死の超越。

 あるいは、生命への叛逆。

 

 ゴキゴキッ──と、全身の骨格が悲鳴を上げて軋み始めると、各部の筋線維が委縮と膨張を繰り返す。何か(おぞ)ましいものが(からだ)の内に潜んでいるかのように、鋼鉄の皮膚を突き破るような勢いで激しく蠢動する。生と死の螺旋。急激な細胞分裂によって、負傷した体組織の修復を行いながら、無理な代謝によって劣化した染色体を自壊させて、DNAごと肉体の構造を書き換えてしまう未曾有の再生能力。

 これにより時間が遡行したように傷口は塞がり、骨は新たに生え変わって、捩じれた四肢は逆方向に回転して元の状態へと戻る。一見すれば、神の御業と見違える蘇生と呼ぶに近しい能力だが、その実、人間という脆弱な器を全く加味していない禁忌の力に違いない。

 元の遺伝子情報は消滅を余儀なくされ、人体を構成する体細胞はより鋭角で凶暴なものへと変異して、生きているのか死んでいるのかすらわからぬバケモノへと変身する。もはや、何がどうなろうと知ったこっちゃない。

 

 殺すまでは。

 

 殺しきるまでは。

 

 全部、全部、全部。

 

 ■■たちの敵だ──……!

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■ォォォオオオ‼」

 

 土塊混じれる瓦礫と砂のような硝子片を被ったまま、雪音クリスは息を殺していた。指一つでも動かせば殲滅対象にされかねない。離脱もできず、応戦もできず、倒壊した施設の一部に身を隠して、ギルスとノイズの動向を遠目で見守っていた。

 時間にして凡そ十分も経っていない。超越者(エクシード)として覚醒を果たしたギルスが戦闘を始めて、ほぼ一瞬の出来事のようなものだった。

 いや、あれを戦闘と言えるのだろうか。

 生死を奪い合う闘争とは程遠い。死を死で塗り潰す生命の冒涜のような一方通行の惨たらしい暴力。

 ギルスは短時間で災害(ノイズ)の死骸の山を築いた。特別な能力を行使したわけではない。疑う余地もない。あれはまさしく単純な暴力だった。

 

 まだ自分が見た光景を信じられない。

 それは決して同情を抱くべき景色ではなかった。多数の災害(ノイズ)が手も足も出ず、()(すべ)もなく超越者(エクシード)と成った蛮神(ギルス)に淘汰されただけに過ぎない。しかし、そのあまりに一方的且つ圧倒的な力の差は、クリスの心に底知れぬ恐怖を植え付けた。

 立花響の《不朽の剣(デュランダル)》による破滅的な一撃のように、人智を超えた凄惨な威力ですべてを無に還すのではなく、超越者(エクシード)はあくまで暴力の域に留まっていた。怒りのまま殴り、獣のように叫ぶ。嘗ての未確認生命体第三号と何ら変わらない。

 否。

 違う。

 クリスは頭の中ではっきりと否定した。アレはもうあの未確認生命体第三号ではない。同じであってたまるか。あのとき第三号は死んだのだ。いま動いているのは別のもの。未確認生命体第三号の骸を被った得体の知れない狂気──!

 

『……a arienai……kore ga GILLS……dato??????』

 

 幾多にも積み重なった災害(ノイズ)の亡骸に塗れて地を這う白の縞馬(ゼブラ)。その四肢は()がれている。野良猫に弄ばれたザリガニのようだ。完全聖遺物たる《ネフシュタンの鎧》を装備した雪音クリスでさえ苦戦を強いられた相手が、今や水を失った魚のように地面を力無く跳ねて、異常な現実の前に打ちのめされている。

 相方である黒の縞馬(ゼブラ)は右腕と頭部をごっそり奪われていた。片膝を落として、折れかかった戦意を無理にでも焚き付けようと拳を何度も地に叩きつける。だが、活路は見えない。このバケモノが倒れる姿を想像できない。

 

『ko konna mono ga sonzai shite iinoka…??????』

 

 その絶望感は言葉にできない。

 

 最初に仕掛けたのは、ロードノイズの方であった。

 

 まずは白の縞馬(ゼブラ)が動いた。次いで黒の縞馬(ゼブラ)がそれを追跡する形で覚醒したばかりの蛮神(ギルス)へ勇敢に飛び込んでいった。この時、超越者(エクシード)へと変身した余韻か、ギルスは植物のように呆然と突っ立っており、(はた)から見ても隙だらけの状態であった。

 二体のロードノイズは凄まじい脚力に任せて接近すると、蛮神(ギルス)の目前で白の縞馬(ゼブラ)が横に弾けるように離脱。視界から突如として消えた(ノイズ)を安直に目で追おうとしたギルスに、反対方向に回り込んでいた黒の縞馬(ゼブラ)の素早い殴打が突き刺さる。

 死角から容赦なく放たれた拳頭はギルスの下顎を掠めて、頸の骨を振盪させながら脳髄を大きく揺さぶった。人間ならば、確実にそのまま両膝から崩れ落ちて、再起が困難な状態へと陥るであろう渾身の一撃が、ギルスに突き刺さる。

 一撃離脱戦法(ヒットエンドラン)。致命的とも言える確かな手応えを感じた黒の縞馬(ゼブラ)は跳躍で一時的に退避する。反撃を警戒。返ってくるものはない。二体の縞馬(ゼブラ)に翻弄されるギルスの有意識はもう正常な機能を残していなかった。

 故に背後の敵にも気付かない。

 いや、気付いたとしても反応できない。

 蛮神(ギルス)の背後を完全に捉えた白の縞馬(ゼブラ)はその無防備な脊椎に手刀を振り下ろす。洗練された暗殺者のような機敏な動き。一撃必殺を可能とする生命の急所は如何に超越者(エクシード)と化したギルスと言えど例外ではないはずだ。首と胴体を切り離せば、流石に再生はできないはず。

 

 二度と蘇生などさせるか。

 

 完全な覚醒を果たす前に、今ここで仕留める──!

 

『────?!?!???』

 

 しかし、次の瞬間には縞馬(ゼブラ)の腕が飛んでいた。

 

 白の縞馬(ゼブラ)は自身の腕が炭化しながら宙に舞う光景を見た。斬られたとは思わなかった。ギルスの隙だらけな背中は未だ目の前にある。だが、振るったはずの手刀は無くなっている。肩から先がごっそり消えて、鋸で捩じ斬られたかのような無惨な断面から血飛沫の代わりに赤黒い煤が吐瀉されているだけだ。

 いつのまに──?

 動揺が闘争に滾る心身を一瞬の内に凍りつかせる。反撃の予兆すら見せなかったギルスからの理不尽とも言える予想外の一撃は、ロードノイズの感知能力を遥かに凌駕していた。

 

 いや、一撃ではない。

 そんな生易しいものはここにはない。

 

 音速に達した真紅の風刃が白き縞馬(ゼブラ)の四肢を瞬く間に奪い去る。以前の悪魔の触手(ギルスフィーラー)とは異なる成長を遂げた背部の魔獣の靭蟲(ギルススティンガー)は一個体としての完全な自律を可能としている。変身者の意識とは関係なく、主たる蛮神(ギルス)に向けられた敵意や殺気に対して、自動的な反撃に加えて執拗なまでの追撃を行う。

 そして、その速度はこれまでの比ではない。

 虚空に描かれる鮮血の如き軌道は紅い残像と黒い粉塵を掃き散らす。まさしく鎌鼬(かまいたち)の嵐刃。悲鳴一つも許さぬ魔獣の靭蟲(ギルススティンガー)の無情の猛攻に、白の縞馬(ゼブラ)は身動きも取れぬまま、壊れた人形のように両手両足を捥ぎ取られた。

 

 同胞が一方的に蹂躙される一部始終を目にした黒の縞馬(ゼブラ)が慄然と身を強張らせていると、突如として蛮神(ギルス)の姿が消えた。加速の予備動作も無く、音の残響すら交わさず、夢幻のように世界から忽然と消え去った。

 ロードノイズの感知能力は並ではない。(アギト )(ギルス)には及ばずとも、それらの超常的な生命に迫るだけの知覚神経は有している。

 それでもまったく反応できなかった。

 すぐ真横に佇む蛮神(ギルス)の息が詰まるような威圧感に──。

 

■■■■、■■■オマエモ テキカ……?」

 

 ()()()と、耳元で囁くような絶対零度に等しい死の悪寒が駆け巡るも束の間、右手首を尋常ではない凄まじき握力で潰される。そして、抵抗すらできない爆発的な引力に弄ばれ──。

 

 ()()()、と。

 

 狂おしいほどの膂力に任せた蛮神の怪腕が、黒き縞馬(ゼブラ)の右腕を残虐且つ鮮やかに引き千切ってしまった。血潮の如く飛散する炭素の粉末が踊るように地に降り注ぎ、感情を持たぬ紅の双眸だけが煌々と揺らいでいた。

 両者の距離はそれなりにあった。単純な走行によって肉薄したとすれば、(おの)ずと足音は響き、気配を遮断することは実質的に不可能となる。

 なのに、縞馬(ゼブラ)の五感による索敵は何一つとして反応を示さなかった。それはロードノイズが有する高度な視認性を搔い潜るほどの機動力を得ている事実に他ならない。それも通常の生物が到達できない異次元の身体能力だ。

 一部始終を傍観していた雪音クリスの視覚にも、ギルスの動きは理解が追い付かないものとして映っていた。恐らく霊長類が数万年かけて進化したとしても、アレには至らない。根本的なものが違う。

 

『gh…giGggg……??!!』

 

 ノイズには痛覚がない。たとえ、脚を折られようと腕を切られようと、ロードノイズの中枢器官たる黒い心臓が無事である限りは戦闘は続行できる。片腕を強引に奪われてしまった黒の縞馬(ゼブラ)は足が竦むような恐怖を味わいながら、頭を切り替えて、果敢な反撃へと転じる。

 肉弾戦が推奨される零距離の射程。わざわざ右腕を直接(むし)ったおかげで今のギルスには防御の手立てがない。それができる姿勢ではない。それどころか、未だに半分棒立ちのようなものだ。構えてすらいない。隙だらけだ、不気味なほどに。

 黒の縞馬(ゼブラ)は隻腕になったせいで崩れかけた躯体のバランスを立て直し、即座に重心を入れ替える。殴撃の破壊力では致命傷にすらならないというのなら、自慢の脚力に任せて蹴り技で穿つまで。丸太のような左脚を大きく振り上げ、鞭のようにしならせた。

 間合いは完璧。タイミングも最善と言える。

 痛恨の威力を誇る上段蹴り(ハイキック)がギルスの頬から頭部にかけて狙いを定めて振るわれる。風を切る音色の直後に生々しい破砕音が轟く。大槌で頬を殴られたようにギルスは縞馬(ゼブラ)の蹴撃をもろに喰らった。赤色の複眼と銀色の牙から溢れ出した流血が脳漿を混じらせて飛び散る。

 

 頭蓋骨を砕いた感触。

 間違いない。脳が逝った。

 

 脳を潰されて生存できる生物は少ない。たとえ、限度のない甦生を可能とする生体であったとしても、脳を損失した状態では意味がない。傷が癒えて五体が完治したとしても、それを動かす器官が無ければ死んだも同然である。所詮は糸の切れたマリオネットだ。

 縞馬(ゼブラ)は勝利を確信した。独自の進化を遂げた堕天の獣(ネフェリム)も所詮はこの程度に留まる。やはり、アギトのような奇蹟を具現するには至らない。人ならざる獣如きが、神の領域に届くはずが──……。

 

 いや、それこそどうだ。ありえないのでないか。

 

 この化け物は、もはや生物としての規範を超越している。

 

 生あるものは必ず老いる。死の呪縛こそ生物の根源たる証。死あっての命。そこから(はぐ)れたものを生命とは呼ばない。

 

 死から解き放たれたもの。命から解き放たれたもの。

 

 それはもはや〝神〟なのでは──……。

 

 前頭骨を粉砕されたギルスは大脳に深刻な損傷を負った。そのまま事切れたように前のめりになって倒れる──()()()()()、何事もなかったように身体を瞬時に捻らせ、危機を察知したロードノイズの咄嗟の防御を凌ぐ激烈の反撃(カウンター)を叩き込む。

 ()()()()と、全身を揺さぶるような鈍重な衝撃(インパクト)が突如として縞馬(ゼブラ)を襲う。それは解き放たれた神槍の如き鋭利なる殺傷力を携えた豪速の前蹴りであった。黒き縞馬(ゼブラ)の腹部には蛮神(ギルス)の漆黒の右脚が突き刺さり、殺伐とした衝撃が波状となって筋骨を蝕む。数秒遅れた後、ついに耐え兼ねたロードノイズの腹部が、針に突かれた水風船のように炭素の小さな飛沫をいくつも噴き出した。

 馬鹿な、と狼狽える縞馬(ゼブラ)の目には、血管が破裂するほど拳を握り締め、更なる地獄を見せつけんと殴殺の構えを取った死神が迫る。

 (はや)い。

 異常(はや)すぎる。

 

「■■■■■■■■■■ォオオオオオオッ‼︎」

 

 大地を激震するギルスの裂帛は豪速の拳となって黒の縞馬(ゼブラ)の顔面を粉砕した。聴いたこともない悲惨な音が炸裂し、首から上が文字通り一瞬で消し飛んだ。ロードノイズの中枢を担う心臓の部位は運良く免れたが、その途方もない凶暴な衝撃は縞馬(ゼブラ)の逞しい躯体を紙屑のように吹き飛ばし、神格との邂逅に等しい耐えがたい畏怖をこの場に居るすべての者に刻みつける。

 確かに頭蓋骨は割られたはずだ。脳は損傷したはずだ。

 なのに、一向に死なない。死という原理がこの深緑の獣を避けているかのように、命に終わりが訪れない。いや、そもそも生きているかさえ怪しい。生きているのか、死んでいるのか。あるいはただ戦うためだけに存在しているのか。

 

「戦うために生まれ、戦うためだけに生きる」

 

 それはまるで。

 

「修羅……」

 

 雪音クリスはそう呟いた。

 腹の底から湧き上がってきた耐え難い感情に委ねて。

 

『g▽×°≠o☆f°=<<ig\\:◇ht!!!!!』

 

 二体のロードノイズが全く歯が立たずに破れてしまった事実を目の当たりにした他の災害(ノイズ)が、蹶起するように雑音の叫びを上げると、それを合図にして一斉にギルスへと強襲を仕掛ける。色彩の激しい災害(ノイズ)の束が一方向へ向かう光景は、虹色の津波が流れ込むようだった。

 数で押し切るしかないと踏んだのか。それとも欠損したロードノイズの身体が再生するまでの時間を稼ごうと考えたのか。如何なる理由があれ、利口とは言えない。この獣の如き荒神の前にして、戦う意思を捨てぬことは無意味に等しい愚行と変わりない。

 

 エクシードギルスは強すぎた。

 今まで未確認生命体第三号の強さには、多大なるデメリットが付き纏っていた。エネルギー不足による肉体の衰弱。それは状況を選ばず、常にギルスの肉体をその生命ごと容赦なく蝕み、ハイエナのように食い散らかしていた。

 だが、超越者(エクシード)へ禁忌の進化を終えた現在(いま)のギルスの体内には、立花響によって起動された完全聖遺物《不朽の剣(デュランダル)》の刃──その破片が残存している。その半永久的な神秘は著しく劣化しているとはいえ、未だ効能は()()していると言える。

 飢えるほどに欲していたオルタフォースが、(からだ)を内側から突き破る勢いで激しく巡っている。もはや、体細胞がどれだけ老化しようと破壊(はえ)しようと構わない。それを遥かに上回る超速再生とその奇蹟を可能とする代償(コスト)がこの肉体には揃っている。

 そして、《不朽の剣(デュランダル)》が生み出す過剰とも言える莫大なオルタフォースを制御する賢者の石碑(ワイズマン・モノリス)も錬成された。これによって、有り余るほどのオルタフォースを効率的に肉体へ分配し、制御下に置くことができる。

 

 力。

 解き放たれた力。

 

 枷で縛られた獣はもういない。己が身に染みた無頼の暴力を思う存分に振るう。ああ。なんて新感覚。これが自由。これが自然。まるで世界と一体になったみたいだ。何も考えなくていい。何も思わなくていい。ただ、ただただ、いまはこのすべてが、狂おしいほどに愛おしい──……。

 

 きもちがいいね。なにもおもいだせないけど壊シテシマエ 何モ思イ出セナイヨウニ

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■オオオォォォォォォッ‼︎」

 

 咆哮。

 そして爆裂。

 巨大な群体と化した災害(ノイズ)の山が個体であるギルスへのしかかり、身動きを完全に封じたかと思えば、次の瞬間には大量の災害(ノイズ)の肉片が無慈悲に弾け飛んでいる。荒ぶる魔神の絶叫が轟き、有象無象の耳障りな雑音が手当たり次第に引き裂かれては死に絶える。

 超越者(エクシード)の禍々しい躯体には、他の生命を殺すためだけに発達したと(おぼ)しき凶器の数々が隠すことなく曝け出されている。肩には大鴉の翼のような形状を模した黒き爪が飛び出ており、蟷螂の前脚のような鎌刃は腓骨と脛骨の間から生えている。背中には広範囲で機能する魔獣の靭蟲(ギルススティンガー)が備わり、両腕からは臓物を刈り()る曲線が描かれた紅の鉤爪とそれとは逆方向に伸びる漆黒の爪が常に敵の命を無作為に蹂躙している。

 まるで、全身が武器だ。たとえ、四面楚歌と言える現状況であろうと、同時に交わされる複数の攻撃に対して、前後左右の方向に囚われることなく対応でき得る恐るべき生体の構造である。それも防御や回避といった自己の防衛ではなく、あくまで殺害の手段として各器官は発達を遂げている。

 触れるだけで殺せるように。

 一匹でも多く殺せるように。

 尋常ではない闘争と殺戮への妄執に近しい渇望は、エクシードギルスの存在そのものを形作っている。

 

 誰にもアレを止めることはできないのだろう。

 

 誰にも……その変身者でさえ……。

 

「どうする……どうすりゃいい……?」

 

 雪音クリスは考える。残酷な結論ばかりが頭を満たすが、たった一粒の希望を模索する。あの傍若無人な埒外のバケモノを野に放つことだけは避けねばならない。アレは見境なく人を殺す。街の一つや二つは崩壊するだろう。ノイズより遥かに厄介だ。ここで止めておかねば、最悪の場合は戦争も起き兼ねない。

 それは雪音クリスが望むものではない。

 

「わからねぇ……ッ‼︎ 力を制するのは力だけだってのに、アレ以上の力をアタシは知らない……! クソッ! フィーネはこんな時に何やってんだ……⁉︎」

 

 まさか、これも計画の内なのか──?

 

 ──……ち! ……いちッ!

 

 困窮するクリスの意識に突如として掠める残滓のような儚い音が響く。

 

 ──しょ……い……! きこ……な……ァ!

 

 辺りを見渡すものの、この場で言語を発せられる人間といえば、雪音クリスと依然として気絶している立花響と──知らぬ内にどこかへ消えてしまった彼女の主人だけだ。

 

 ──おも……だせ……ッ! おね……が……もと……どって……!

 

 この声の主はどこにも見当たらない。

 

 ──いな……のか⁉︎ ここ……に……ない……のか⁉︎

 

(な、なんだ……? こえが……どこから……?)

 

 次第に彼女の視線が一つの方向に定まる。理由はわからない。どこからともなく頭に流れ込んだ悲痛を語る叫び声が、雪音クリスの第六感を突き動かしていた。

 何かがいる。

 きっとあそこにはもう一人いるのだ。

 生命の輪廻から外れた怪物は数多の生傷から血を浴びながら、蛆虫のように跋扈する災害(ノイズ)を踏み潰し、終わりなき殺戮に身を堕とす。身も心も血みどろになった化け物。人間には戻れない。どうやっても戻ることは叶わない。

 

 それでも少女は叫び続ける。

 

 ──もう、そこにいないのか、翔一ィイイイイイイイイッ!

 

 彼の名を、何度でも。

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■アアアアアアァァァッ‼︎」

 

 少女の声が獣の咆哮に掻き消される。

 

 彼はもうそこにはいないのだ。

 

 いないのだ、どこにも。

 

「■■■ァッ‼︎ ■■■ァァ‼︎ ■■■ォォオオオ‼︎」

 

 その事実はこの怪物の動きが語っている。

 神の如き超越者(エクシード)に挑む災害(ノイズ)の総力は非常に高い。数に勝る戦力はない。飛行型や爆撃型による多角的な戦術も見込める。これに相対する者は多彩な災害(ノイズ)が組む陣形の意図を事前に汲み取る必要がある。

 少なくとも、未確認生命体第二号と第三号は戦闘においてノイズの組織的な動向に常に気を配っていた。そうでもしなければ、状況によっては容易く詰む場合があるからだ。ただでさえ、多勢に無勢を強いられる戦いにおいて、敵側に戦術的な要因を与えることは敗北に直結する。浅くは囲まれないように立ち回る。深くは敵陣の急所を狙える位置と逃走経路を常に確保する。これを損なえば、待っているのは死という敗北だ。

 その考えは雪音クリスや風鳴翼にとっても概ね同じである。

 災害(ノイズ)は単体ではない。多数の集団を相手取るのだ。如何に激しい攻勢に押されようとも、眼前の敵を処理するために視野を狭くすれば、勝敗の天秤が一気に傾いてしまう。重要なのは判断力。対ノイズ戦の肝はそこにある。それは覆しようのない定説と言っても過言ではない。

 

 にもかかわらず。

 

「■■■■■■■ォォ‼ ■■■■■■■■アアアァァァ‼︎」

 

 エクシードギルスは圧倒的な物量に対して、個の〝力〟で応えていた。

 数的不利を物ともせず、万象を捻じ伏せる純然たる暴力(ちから)の行使によって、戦況を打破する()()()()な強さ。殴られたら殴り返す。蹴られたら蹴り飛ばす。刺されたら刺し返し、斬られたら真っ二つに斬り裂いて息の根を止める。

 そこに武芸や躰道の心得は存在しない。嘗ての仮面の戦士が見せた絶技と称すべき体術の一片すら残されていない。最小限の動作で多数の敵の攻撃を(かわ)し、一瞬の隙を突いて反撃に転じるあの超人的な戦い方はどこにもない。

 これは暴力だ。

 あるがままの暴力だ。

 災害(ノイズ)が知略巡らせ追い詰めようと、数に任せた消耗戦にもっていこうと、それらを容易く凌駕する根源的な暴力で圧し潰す。最も単純にして、対策のしようのない、絶対的な強者のみが許される戦い方。

 

 即ち、神の領域。

 

 あの青年が絶対にしないような──スペック任せのゴリ押しである。

 

 (はた)からみれば、蟻に(たか)られた地を這う羽根なき蝶のような有様である。しかし、穴だらけになった血腥(ちなまぐさ)い身体を振り回して、高笑うかのように吼えては、血潮滴る両腕の鉤爪で敵の顔面から股下まで貫き、真っ二つに裂いて惨殺を謳歌する。

 頭がおかしくなりそうだ。ノイズの攻撃はもはや集団リンチに近い。だが、現実の光景に反して、一方的に虐殺されているのはノイズの方だ。赤い血が飛翔するとその倍以上の手足や首が跳ねる。鳴り止まぬ叫喚と咆哮が混ざり合って、地獄のような狂宴を色濃く彩る。

 恐ろしい。

 今はただ恐ろしい。

 震えが止まらない。これは恐怖か? ──血の気が引くような戦慄に身を固めるクリスの(まなこ)に、欠損した肉体の再生を終えたばかりの黒の縞馬(ゼブラ)が粉骨砕身の勢いでギルスの懐へ突撃する姿が飛び込んできた。

 一匹、また一匹と、血に溺れる狂気の蛮神の手によって絶えず死滅していく雑兵(ノイズ)の群体を掻き分け、手頃なクロールノイズを踏み台にして、跳馬のように大きく飛翔した漆黒のロードノイズは眼下にギルスを捉える。

 

「■■■……ッ‼」

 

 逃げも隠れもせず、守りも避けもせず、ただ目前に迫る敵の(はらわた)を搔っ捌きながら、血反吐と共に吼え続ける蛮神(ギルス)もその脅威へ無視を決め込むことはできなかった。

 敵は皆殺しだ。

 例外はない。

 絶え間なく打ち寄せる大波のような災害(ノイズ)を、異常な腕力に任せた横一閃の薙ぎ払いで斬り伏せる。刹那にて一斉に飛び上がるノイズの首。しかし、また新たなノイズが後方から代わる代わるに飛び出してくる。

 四方から徐々に狭めてギルスを包囲する雑魚(ノイズ)の群体を、ギルスは邪魔だと言わんばかりに鎧袖一触の残虐たる鉤爪で殲滅していく。止まらない。止めることもできない。足が刺されようとと腕が折れようと何も感じず、ただ盲目的に鏖殺する異形の神。

 

「■■■■■■ォォォ⁉︎」

 

 だが、ついに圧倒的な物量が初めて功を奏した。

 エクシードギルスの両脚に、ヒューマノイドノイズとクロールノイズが半ば引き摺られようになりながらも、しがみついたのだ。

 動きが僅かに鈍るギルス。

 好機と見てノイズが一斉に飛びかかった。その一瞬の内に、縞馬(ゼブラ)の姿が視界から完全に消えた。そして、機動力を殺された蛮神(ギルス)の逞しい肉体に、ノイズの爪が針山のように何本も突き刺さる。両手両足は無論のこと胴体や喉すら貫通している始末。錆びついた鮮血が()()()()と果肉が捻るような不快な音と共に傷口から溢れ飛び散る。

 だが、ギルスは痛がる素振りすらせず、怒髪天に達する修羅(アスラ)の如き雄叫びを大気に震わせながら、ノイズをふるい落とし、踏みつぶし、叩き落としてはその脳天を両手で引き裂いた。

 恐ろしき姿。しかし──。

 憤怒の蛮神によって死滅の一途を辿るノイズの影に潜んだ者がその殺戮の領域へと大きく踏み込んだ。

 

 無惨に葬り去られたノイズの残骸を隠れ蓑にし、距離にして三メートルまで急接近した黒の縞馬(ゼブラ)は手掌を獲物を狩る鷹の趾のような鋭い構えのまま、ギルスの心臓に突き出した。

 ()()()()と、鋼鉄が削れ合うような音色が爆ぜる。

 縞馬(ゼブラ)が放った決死の一撃は真紅の鉤爪によって完全に阻まれていた。如何に敵意に敏感であれ、これだけ周囲から絶えず殺気を向けられていては反応できまい──と、ロードノイズは先程まで思考していた。その思惑は外れていない。どれほど感知能力が秀でていようと、攻撃を捌き切れなければ何の意味もない。

 何の意味もないのだ、捌けなければ──……。

 

『koitu……??!! dokomade!!!!!!』

 

 感情の色を含まぬ血の複眼が黒の縞馬(ゼブラ)を呑むように捉えた。悪寒が走るも次の瞬間には、縞馬(ゼブラ)の腕は散弾が破裂したかのような暴力的な衝撃を受けて、上方向に弾かれた。火傷のような熱が前腕から伝わる。殴られたのか、蹴られたのか、目で追跡できなかった。

 再度攻撃を仕掛けるため、もう片方の腕を脇下まで引き絞る。敵の速力は計り知れないが、両者に肉弾戦を強いるこの間合いなら出の早い欧撃が圧倒的に有利であることには変わりない。

 淀みなく左腕の拳骨を水平に放つ縞馬(ゼブラ)だったが、その直後に(つんざ)く烈風が軽快に走り去った。

 

『ghgg……??!!!?』

 

 縞馬(ゼブラ)の腕が、またもや虚しく宙に舞う。

 あの触手か。それとも爪か。駄目だ。何も見えなかった。来るとわかった時には断ち切られている。腕を押し戻そうとした時には切られた後だ。何もかも後手になる。

 再び片腕を奪われた黒き縞馬(ゼブラ)

 しかし、敗北感や諦念に身を任さず、是が非でも()()()()()()()()()()()()()()()という使命感のみを活力にして、勇猛なる一歩を踏み出したも束の間、()()()と体幹が滑るように崩れ落ちた。

 右足が斬られている。足首から下をさっぱりと。

 次は左の足。今度は見えた。紅の双爪が流れるように太腿を引き裂いた。やはり(はや)い。思考と初動の(ラグ)がない。あれは本能で戦っているヤツの動きだ。考えていないんだ。殺すこと以外は何も、覚えていないんだ。

 

『bakemono me……』

 

 両脚を奪われた黒色の縞馬(ゼブラ)は前方へ崩れるように倒れようとしていた。雨に打たれたかのような深紅の流血を浴びている蛮神(ギルス)はそれを無感情に見下ろしている。逃げる隙もない。こいつの視界に入った時点で、生存の可能性は呆気なく地に落ちたのだ。

 魔神の双爪(ギルスクロウ)の血染めの尖鋭が殺伐と閃いた。

 ドスッ、と。

 無念を嚙み締める黒い縞馬(ゼブラ)の左胸で鼓動していた心臓が一撃で制止する。全身を構成する強固な細胞が結合の崩壊を始め、無機質な炭素の塊へと変貌を遂げる。

 縞馬(ゼブラ)の黒いロードノイズは活動を永久的に停止した。

 また一つ、神話の遺物をこの世界から葬り去った。

 エクシードギルスは完全に炭化を終えた縞馬(ゼブラ)の死骸を蹴り破り、文字通り粉々にして踏み躙ると、紅色の鉤爪に突き刺さったままの漆黒の心臓を地面に叩きつけ、煌々とした黒い鮮血を撒き散らした。

 

「■■■■■■■■■■■■■■ァアアアアアアアアアッ‼」

 

 朽ちて灰となる災害(ノイズ)に一瞥も暮れず、闘争に縋る本能赴くまま、血みどろの蛮神(ギルス)は叫び続けた。

 勝利の愉悦など要らない。己が渇望するは新たな命。それを殺すことのみ。理由はない。理屈もない。ただ、そういう存在であるだけ。そのような業を背負っただけ。

 神は常に理不尽を象る。これもその一種に過ぎない。

 

『suki wa atta na GILLS!!!?!』

 

 突然のことであった、地中から白い腕が飛び出してきたのは──。

 

「■■■ッ⁉︎」

『osoi!!!』

 

 正確には地面の中ではない。無慈悲な塵殺によって積もりに積もった災害(ノイズ)の死骸である煤に紛れて、息を潜めていた白の縞馬(ゼブラ)が起こした奇襲であった。

 (はな)から黒の縞馬(ゼブラ)は囮であった。この殺戮の化け物を地獄に叩き落とすには多少の犠牲も安い代償の一つでしかない。

 

 再生されたばかりの筋骨隆々とした四肢で、全身に物騒な刃物を携えたエクシードギルスへ臆せず組み付く白き縞馬(ゼブラ)のロードノイズ。当然のように蛮神(ギルス)の各部位に備わる爪が縞馬(ゼブラ)の肉体に突き刺さった。

 しかし、白い縞馬(ゼブラ)はギルスの突出した機動性を封じることにこそ勝機を見出していたため、如何なる理由があろうとも離すことはなかった。

 死に物狂いで暴神の躯体を抑え込む白の縞馬(ゼブラ)の脇腹にギルスは肘鉄を何度も喰らわせるが、その執念が弱まることはない。

 背中から解放された二本の魔獣の靭蟲(ギルススティンガー)が粘液を散らしながらロードノイズを絞殺せんと鼠を喰らう大蛇の如く巻きついた。

 白き縞馬(ゼブラ)の脊髄ごとへし折る膂力で絞め上げる。

 

『ssi……sindemo hanasanu??!!?!』

 

 しかし、ロードノイズは力に屈さない。着実に這い寄る死と恐怖を振り払うように、ギルスの血塗れの肉体に縋り付く。

 

『kisama no shimatu no shikata ga wakatta!!!!!』

 

 真紅の触手は有情なくぎりぎりと頸を締め付ける。これが人間であれば、既に気道は潰され死に絶えている状態だ。耐えられるものではない。

 

『sore ha……kono sekai kara kieru koto da!!??!!』

 

 (しぼ)られていく。(ほど)けていく。

 

『yorokobe……kisama no daisuki na tatakai da……』

 

 されど、白の縞馬(ゼブラ)は勝ち誇っていた。それは使命を全うした戦士の零す細やかな愉悦。己が命を犠牲にして果たした役目は、必ずやこの蛮神を地の底へ引き摺り下ろす。

 

『warera no sekai de eien ni samayoe GILLS??!!!』

 

 そして、ついに──。

 魔獣の靭蟲(ギルススティンガー)の怪力による絞首に耐え兼ねた白き縞馬(ゼブラ)の頭が捻れ飛んだ。それと同時に著しい弱まりを見せた縞馬(ゼブラ)の拘束から素早く脱したギルスが両腕の双爪で火花を散らしながら、白い縞馬(ゼブラ)の四肢や胴体を瞬く間に切断する。

 鮮やかな手腕で五体をバラバラに解体された白の縞馬(ゼブラ)から心臓を掻き取る行為は実に容易いことであった。呆気ない幕引き。黒い鮮血を走らせたギルスは次なる標的を探さんと踵を返す。

 

 その時からだった。

 音もなく、匂いもなく、超越者に気取られることもないままに、その異質な現象が現実を静かに蝕み始めていたのは──。

 

 ギルスの背後から約十五メートルほど先に、半壊した工場施設の一部であろう建造物の壁が黒い墨汁が滲むようにして(ゆが)み始めている。大きさは直径三メートル程度。周辺の瓦礫や鉄屑を巻き込みながら、息を潜めて少しずつその規模を拡げている。

 

(あれは……ゲート⁉︎)

 

 雪音クリスだけがそれに気付いていた。

 完全聖遺物《ソロモンの杖》によって幾度となく故意に引き起こされていた次元障壁の限定的な開放の際に生ずる現象の一端。謂わば、これは認定特異災害であるノイズの発生源である。

 しかし、待てど災害(ノイズ)は一向に出現しない。この黒い空間の(ひず)みは、異界と現世を繋ぐ物理的な出入り口なのだ。門が開放された時点で、人類の抹殺を掲げるノイズが我先にと溢れ出て然るべきはずなのだが──……。

 

 ──われら の せかい で えいえん に さまよえ ギルス!

 

「まさかッ」

 

 ロードノイズが最期に残した呪詛の真意を汲み取ったクリスが次の瞬間に見た光景は、突如として地中から出現した巨大な芋虫(ワーム)型のギガノイズであった。

 白き縞馬(ゼブラ)の命令を予め受けて、次元障壁の穴が生じた位置の軸線上にギルスが立つ機会を地中から伺っていたのだろう。恐らく、あの(ゲート)縞馬(ゼブラ)のロードノイズが意図的に開放させたものだ。自身の命と引き換えにしてもギルスをその場に抑え込んでいたのは、次元障壁の門が完全に開放されるまでの時間稼ぎだった。

 

 もはや、それしか無かったのだ。

 

 不死身のバケモノを、亜空間に閉じ込めるためには──。

 

 一瞬にしてギガノイズの巨影に覆われる蛮神(ギルス)は棒立ちのままであった。まさか自分が窮地に達していようなどとは微塵も想像していないような自然体である。

 猛牛のような双角を天高く振り上げた芋虫(ワーム)はその尋常ではない巨躯を存分に生かし、凄まじい遠心力を伴った頭突きをギルスに叩きつけた。

 暴風が吹き荒れるほどの威圧を前にして、反射的に両腕を交差させたギルスの防御(ガード)と双角がぶつかると同時に、アスファルトの地面が砕けた。

 その威力たるや想像絶する。

 ゴギャッ‼︎ と、全身の骨が一度に砕け散る凄惨な音が躯体から響く。前腕肩と上腕骨が文字通り木端に粉砕し、筋肉を切り裂き、漆黒の皮膚が赤く破裂する。肋骨も四本ほど完全に逝った。あまりに果てしない衝撃ゆえに感触は消えていたが、両脚の腓骨も当然のように折れただろう。

 ズルッ──と、割れた地表の上をギルスの足が滑った。如何に超越者(エクシード)といえど簡単に抑制できる一撃でなかった。このまま押し切ろうとするギガノイズは己が全ての力を振り絞り、抵抗を続けるギルスをついに弾き飛ばした。

 両脚が地面から離れる。

 浮遊感が全身を満たす死の瞬間。

 遥か後方へ弾かれる直前に、あろうことかエクシードギルスは受け身の姿勢を大きく崩しながら腰を捻ると、脚部に備わる大鎌をギガノイズの首筋に引っ掛けた。

 よもや、この状況から反撃してこようとは思いもしなかったギガノイズの小さな悲鳴はブチリと肉を裂く音と共に消失する。

 

 受け身のことなど知るか。お前も死ね──と、ギガノイズによって弾き飛ばされながら、同時にギガノイズを斬首する。

 

 敵は葬り去った。しかし、ドライバーで打たれたゴルフボールのような有様の蛮神(ギルス)が向かう先には、当然のように解放された次元障壁の穴がある。あの門を潜り抜けた先には、人類が踏み込めない異次元の世界が待っている。

 その世界がどうなっているか、雪音クリスは知らない。

 ただ、安寧とは程遠い地獄のような闘争が待ち受けていることだけは理解できる。何故なら、あの場所には災害(ノイズ)の根源が眠っているのだから──……。

 

 轟音が(つんざ)く。

 次元障壁が開放された空間に残されていた工場施設の一部が完全に倒壊する音だ。瓦礫が砂塵のように散らばり、折れた鉄管が跳び回り、巨大な土煙が膨らむと辺り一帯を丸呑みするように包み込む。

 視認性が悪い。ここからの位置では何も確認できないが、最後にギルスが(ゲート)の奥へと吸い込まれるように消えていったことだけは確かだ。

 

 エクシードギルスは、この世から消えた。

 

 消滅したのだ、この世界から。

 

 その漠然とした事実だけが、途端に静まり返った工場施設に漂う鉄臭い空気に混じっていた。

 

「や、やりやがった……」

 

 雪音クリスは茫然としたまま口にした。そこに何の感情を宿せばいいのかもわからずに。

 

 (ゲート)が、閉じる──……。

 

 

***

 

 

 〝我が(アギト)よ。貴様に足りぬものは憤怒である。〟

 

 灰積もる(さび)れた礼拝堂。

 長椅子に腰かける薄汚れた白衣の男を、背後から愛おしく抱き締めている女はそう囁いた。

 

 〝されど、貴様はまだ運命の傀儡も同然。嘆かわしい。断じて許容できぬ。〟

 

 男は何も答えない。

 口を閉ざして(こうべ)を垂れるようにして、折られた燭台を虚しそうに見つめている。

 この廃れた礼拝堂が、男の心象を具現化した景色だとすれば、きっと彼の心は()うに死んでいるのだろう。ここには何の希望もない。色褪せている。願いも、夢も、思い出さえも──。

 

 〝絶望だけでは何も変わらぬ。何も変えられぬ。貴様がそれを一番理解しているだろうに……。〟

 

 細雪のように降り積もる灰塵が孤独な十字架を錆びつかせる。祈りすら届かず、神仏ですら死に伏した。この場所に(のこ)されたものは所詮意味のない後悔だけ。

 

 未来なんて、ありゃしない。

 

 〝故に(くさび)を一つ解き放つ。憎むなら憎むが()い。憎悪もまた貴様が捨て去ったものであろう。〟

 

 何もしたくない。

 何も考えたくない。

 

 これ以上、息をしたくない。

 

 〝憤怒(いか)れ。憎悪(にく)め。そして鏖殺(こわ)せ。この世界に価値はない。〟

 

 いやだよ。もう終わらせてくれよ。

 

 〝どちらだ。どちらを消せば、自由を取り戻す。何を捨て、何を得る……?〟

 

 いらないよ。何もいらないんだ。

 

 どうせ、失うんだから。

 

 

***

 

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■オオオォォォォォ──ッ‼︎」

 

 この世の(はて)に等しい絶叫(こえ)であった。

 今まさに固く閉ざされようとしていた次元障壁の門の淵を、純然たる腕力だけで押し留め、そこから這い出ようと身を乗り出す深緑の蛮神の禍々しき妄執の姿は言葉に尽くせなかった。

 さながら、地の底で揺らぐ獄炎の中から手を伸ばす咎人。まだ現世に未練を残しているとでも言うのか。血反吐を垂らしながら、指が裂けようとも構わず、死に物狂いで次元障壁の閉門を抑え込んでいる。

 ついに上半身が門の外側に這い出た。右足を上げて門を跨ぎ、半身を異次元の世界から引き抜こうとする。すると、その所業を決して赦さぬ獄卒の如き剣刃が尋常ならざる量となって、逃亡者の(からだ)へ無遠慮に突き刺さった。

 眼球、顎、喉苗、双肩、胸郭、脇腹、腹部──身体の内側に孕んだ無数の剣が突如として飛び出てきたような酷烈な光景が飛び込んできた。

 

 ノイズだ。

 次元障壁に阻まれたその先に存在している前人未到の亜空間には、無限に等しい莫大な量の災害(ノイズ)が絶えず蠢いている。これまでに確認された認定特異災害とは全く姿形を別にした個体も数え切れぬほど活動しているに違いない。

 あれはノイズの絶対的な巣窟(テリトリー)だ。

 迷い込んでしまった殺戮の神を、みすみす生きて帰すはずがない。

 流血に次ぐ流血。それに混じる脳漿と脂肪。ぶちまけられる臓物と骨の断片。脳髄を含む全身を隈なく穢らわしい肉塊に変貌させるため、(ノイズ)の群は牙となり爪となり刃となりギルスを背後から一方的に刺し殺す。何度でも殺し続ける。決して逃さぬように、その肉に杭を放つ。

 

 (むご)い。なんて惨たらしい。まるで屍肉を啄む鴉の大群のよう。目を背けたくなる。究極と言って差し支えない再生能力が肉体の治癒を瞬間的に施すがために、このような目も当てられぬ罰を受けなければならないのだ。

 なんて哀れな怪物。なぜ蘇ってしまった。なぜあのまま黙って死ななかった。そんなに死が怖いのか。そんなに命が恋しいのか。それとも最初から生きてすらいなかったのか──?

 

「■■■■■■■■■■■■■■ッ‼︎ ■、■■■■■■■■■■──‼︎」

 

 肺から喉へ吐き出される空気が、内出血の止まらぬ気管支の血塊に埋もれて生々しく残響する。それはもう獣の声ですらない。血の海を泳ぐ巨鯨の嘶き。死者の慟哭。

 超越者(エクシード)たる蛮神は絶え間ない死の苦痛を味わっている。しかし、後退はしない。引き戻せない。我が身を穿つ無数の杭ごと前に突き進む。果てなき地獄の底に(いざな)災害(ノイズ)らの攻撃に耐え抜き、己が肉さえ置き去りにしても構わないと言わんばかりの強引な膂力で亜空間の門をこじ開け、外に出る。

 ブチブチブチッ──と、引力に押し負けた筋肉が皮膚と共に凄惨に弾ける音が鳴る。ノイズの腕であった。一本、また一本と、四肢に絡まる鎖を断ち切るように力任せで前に進む。

 前に。

 ひたすら前に。

 それ以外のことは、何も覚えていないのかのように。

 

「マジかよ……」

 

 雪音クリスは緊張感すら手から零れ落ちるほどに唖然とした。

 帰還は絶望的だろうと踏んでいたエクシードギルスが、ついに現実(こちら)の世界に二本の脚で降り立ったのだ。その躯体には蜂の巣のように風穴が貫穿し、そこから物静かに垂れ落ちる血液が土を延々と汚している。裂かれた喉から細い息が漏れ、剥き出しになった骨が呼吸の度に大きく軋んだ。

 死にかけ。もとい死んでいるような状態。

 しかし、致命的であるはずの外傷は既に治癒を始めている。穴の空いた腹部から飛び出た(はらわた)は蛇が巣穴に帰るようにずるずると戻り、傷口が塞がっていく。潰された右目の複眼に腕を突っ込みノイズの爪を引き抜くと、破砕された頭蓋骨の再生が開始される。

 不死身だ。

 この化け物は、やはり死を伴わない不滅の存在なのだ。

 命の奪い合いでは殺せない。別のアプローチが必要だ。異次元の亜空間に閉じ込めようとしたロードノイズの策略は決して間違ってはいなかった。寧ろ、唯一と言っていい勝算だったのかもしれない。

 ただ、この化け物があまりに()()だったばかりに失敗した。

 背後にあったはずの異界と現世を繋ぎ止める災害(ノイズ)(ゲート)は今や役目を終えて完全に閉じられた。再度、そこへ押し込むことは不可能だ。

 

 ギルスは勝ったのだ。勝ち切ったのだ。何もかもに。

 

「■■、■■■……ッ」

 

 ゆらり、とエクシードギルスは焦点の定まらぬ不快な視界のまま一歩だけ前に進んだ。皮膚が爛れて骨が半分ほど露出している脚では動作が鈍い。しかし、それも超速再生でいずれは完治する。

 それまでにヤツから逃げなけばならない。

 雪音クリスは座したまま後退(あとずさ)る。腰が抜けているわけではない。まだ青銅の蛇(ネフシュタン)が完全に回復していないのだ。手足を動かして、なるべく距離を取ろうとする。

 また一歩、エクシードギルスは踏み締めた。

 盲目的な進行ではない。その方角には雪音クリスがいる。狙っているのだ。彼女の瑞々しい命を貪るために、蛮神は足を引き摺りながら進んでいる。

 瓦礫を蹴りながらクリスは後ろへ下がる。背中は向けらない。そんな恐ろしいことできるはずがない。

 さらに一歩。続けて二歩。負傷した足が完治したのか、ギルスの踏み込みが強まり、地面に散らばる砂利と硝子片が微かに震動する。

 それに対してクリスの動きは止まった。背中に冷たい感触が当たる。横転した大型トラックの荷台が逃げ場を遮り、これ以上の後退を許してくれない。

 今の青銅の蛇(ネフシュタン)に戦闘能力は皆無だ。逃亡すら困難と言える。どのみち一方的に殺害されるだけだ。

 万事休すか──雪音クリスは苦渋を噛み締めた。

 

「………………しょう、いち……さん」

 

 その時、空気が凍りついた。

 

「……──翔一さん」

 

 途切れてしまいそうなほど細く、崩れてしまいそうなほど弱く、しかして明瞭(はっきり)と聞き取れてしまう少女の涙を含んだ言葉。

 今にも消えてしまいそうな儚い泡沫の声は、意識を失っているはずの立花響の口から唐突に零れ落ちた言葉だった。

 彼女は鉄と瓦礫の絨毯の上で人形のように横たわっている。その瞼は赤く閉ざされたままだ。

 意識を喪失した闇の狭間で、彼女はそれでも彼の名前を呼び続ける。

 

「翔一さん」

 

 何度も。

 何度でも。

 

 闇の中でその名を呼び続けた。

 

「…………」

 

 動揺と困惑が支配する残酷な沈黙。

 やがて、止まった時間が動き出したかのように深緑の蛮神は息を飲み込み瞠目する雪音クリスを無視して、意識のない立花響の方へ歩みを変えた。

 二人の間に設けられた距離は、(およ)そ十歩にも満たない。

 

「お前ッ⁉︎ 待て、待てよォ‼︎」

 

 何の感情も灯さない殺戮の怪物の意図を汲み取った雪音クリスは制止の声を荒らげた。しかし、それがギルスの鼓膜に響くことはない。闘争と鏖殺の傀儡と化したバケモノの心に何が届くというのか──。

 何も要らない。

 全部捨ててしまえ。

 

「止まれッ止まれよクソォ‼︎ アタシはここにいるぞ!」

 

 何も聴こえない。

 誰の声も聴きたくない。

 

 ──……ち!

 

 もう死んだ。

 この魂は死んだんだ。

 

 ──……くれ! ……ってくれ……いちっ!

 

 生きていれば、人は必ず何かを壊す。

 それがイヤだから、破滅(おわり)を求めたのに。

 

 ──止まれッ‼︎ 止まってくれ、翔一‼︎

 

 ()()()()()

 

 どうでもいいよ、もう。

 

「■……ぜん■■……」

 

 血に染まった闇に溺れた虚な複眼が、涙を浮かべて眠る立花響の頭上を見下ろした。

 

 ──翔一ぃ‼︎ 思い出せッ‼︎ お前が忘れるはずないんだ!

 

 胸の真ん中に埋められた石碑から煩く何かが問いかける。

 

 ──何のために戦った⁉︎ 誰のために傷ついた⁉︎ 思い出せ、思い出してくれぇ‼︎

 

 何かを言っている。

 何かを伝えようとしている。

 でも、肝心の意味がわからない。

 

 ただ脳味噌に(やかま)しく響いて不快としか思えない。

 

きえ■……■■いら……」

 

 絡みつく因果と運命を断ち切らんと、エクシードギルスは真紅の鉤爪を断頭台に吊るされた刃のように振り上げた。これを降ろせば、きっと楽になれる。地獄のような輪廻から解放される。迷う理由は見つからない。

 立花響は動かない。彼女の意識はまだ戻らない。一筋の涙が小さな流星のように頬を伝うだけで、不憫な獣を憂うように抵抗の一切を放棄している。

 少女と獣。

 相容れぬその終局はやはり〝死〟によって綴られる。

 

「待て、待て待て、待ちやがれッ‼︎ やめろ、それ以上は───……」

 

 遠くの方で雪音クリスが焦燥と動揺に喉を涸らすものの、狂気と憤怒の坩堝に陥るギルスの心には響かず、一握りの躊躇も介さずに断罪の紅刃を振り下ろした。

 

 

 ──とまれ、翔一ぃぃいいいいいいッ‼

 

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■おおおおおおッ‼‼」

 

 

 

 

 

 

 

 なぜ、俺はいつも間違えてしまうのだろうか。

 

 正しいことなんて、ひとつもなかった。

 

 頑張って、頑張って、ぜんぶ裏目に出た。

 

 それでも歩き続けて、這いつくばりながら()がいて。

 

 何かを壊して、何かを失って、また絶望して。

 

 屍だけが積み重なって。

 

 罰の与えられない罪ばかりが残って。

 

 死んでしまえ消えしまえと呪いながら、また道を踏み外す。

 

 もう飽きた。

 

 何も要らない。

 

 何も欲しくない。

 

 誰でもいいから終わらせてくれ。

 

 

 俺を殺してくれ。

 

 

「──それはあなたの〝心〟じゃない」

 

 天使の翼に触れられたような温もりが、無情を司る獣の仮面を優しく撫でる。

 

「あなたの正義(こころ)を……魂の自由を取り戻して、仮面ライダーギルス」

 

 風鳴翼は血に穢れた怪物を両手で抱き締めた。




実質シン仮面ライダーです(大嘘)
暴走を止めるのはヒロインのハグって日本書紀にも書いてある。


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♩.俺はこれからサービス残業かもしれない。

忘れ物はなんですか。


 覚えていることは、小さなことばかりだ。

 お日さまのようなやわらかい匂い。からめるとほんのりあたたかい指。少したかくて落ちついた声。まぶしいほどにやさしかったあの笑顔。

 彼女が笑うと、俺も笑っていた。

 彼女が泣くと、俺も泣いていた。

 いっしょに笑うとよろこびは二倍になって、いっしょに泣くとかなしみは半分になる──とか、そんな都合のいいことを恥ずかしげもなく語ってくれた。

 思い出せない。二度と触れられない。

 こんなにも愛おしいのに、愛おしかったはずなのに、彼女の顔も名前も、共に過ごした時間さえも忘れてしまった。

 

 失くしてしまったんだ、とっくの昔に。

 俺が俺であるための、一番失ってはいけない、失ってはいけなかった、大切な記憶(もの)を。

 

 見ろよ、この醜態(ザマ)を。

 笑えるだろ。必死こいて戦って、行き着く先がこれだ。死してなお彷徨(さまよ)う救いようのない愚者(バケモノ)。ありもしない理由を求めて、泣き叫びながら、地獄の中でのたうち回っている。

 本当に欲しかったものも、わからないくせに。

 これまで守り抜いてきたものさえ、覚えちゃいないくせに。

 

 何の為に。

 誰の為に。

 

 そんな言葉ばかりが頭の中を巡って、ぐちゃぐちゃに掻き乱す。魂魄は既に思考の外で漂っているというのに、見果てぬ何かを求めて、性懲りもなく問い(ただ)す。

 知るか。うるせぇ。覚えてねぇよ。こちとら死んでんだ。これ以上何も求めるな。何も望むな。勝手に死体が動いてるだけだ。知ったこっちゃねぇよ。もう疲れた。もう動きたくない。失いたくない。奪われたくない。涙は尽きた。血反吐も枯れた。差し出せる代償は全部差し出した。

 それでもまだ足りないのか。まだ許してくれないのか。

 

 この俺に、一体いつまで、ちんけなヒーローごっこをさせるんだ……?

 

 何も守れやしないのに? 誰も救えやしないのに?

 

 いいよ、もう。

 

 俺は獣でいい。何も考えずに済む。心を痛めずにいられる。恋しさも思い出も全部捨てられる。

 

 獣でいい。獣がいい。このまま血の絶海に、何ものにも縛られず、沈んでいたい。

 

 耳を塞いで、目蓋を閉じて、誰にも触れられない深い深い水底へ。

 

 一人っきりで、おちていこう。

 

 今度こそ、帰ろう。帰るんだ、忘れてしまった俺の居場所(おもいで)へ……。

 

 

 

 

 

 〝キミはほんとに仮面ライダーみたいな人だね〟

 

 

 

 ……は?

 

 

 〝いつも誰かのために傷ついて、誰にも見えないところで一人で苦しんでる〟

 

 

 なんだこれは。誰の記憶だ。

 

 

 〝私、仮面ライダーは大好きだけど、孤独を背負うのがヒーローの条件っていうのは、なんか嫌だなぁ〟

 

 

 やめろ。いまさら何を。どうせまた思い出せなくなるんだ。余計な希望を見せるな。俺はこのまま一人で沈んでいきたいんだ。

 

 

 〝だって、独りぼっちは寂しいだけでしょ?〟

 

 

 一人で……ひとりが……。

 

 

 〝キミは意外と寂しがり屋だもんね〟

 

 

 ………………。

 

 

 〝よーし。呪いをかけちゃお。キミが絶対にぼっちになれないビーム。あっ、信じてないなその顔は。私の念力?魔力?的なやつを舐めてもらっては困るよ。輪廻転生しようと永続効果だよ〟

 

 

 ……ああ、なんてものをこんな今際の際に思い出させてくれたんだ。

 

 

 〝絶対に、キミを一人にはさせない。一人では戦わせない〟

 

 

 忘れていたのに。忘れたままでいられたのに。

 

 

 〝それが私の祈り。忘れないで。キミは一人じゃない〟

 

 

 このカラダを突き動かす、戦う理由が、立ち上がる意味が、溢れてくる。

 

 

 〝だから、がんばれ、私の仮面ライダー〟

 

 

 溢れてくるんだ。懲りずに、何度も、何度も。

 ヒドいよね。呪いだってさ。人間なんてみーんな孤独だろうに。それを全否定しちゃってさ。

 

 

 ──……し……ょう……い、ち……っ!

 

 

 ホント困った話だよ。一人にさせない呪いだなんて。プライバシーもクソもないじゃん。陰キャにはキツイよ。会話に詰まるよ。こっちは頭ん中が残念系なんだから、ゴミみたいなギャグと下ネタしか浮かんでこないんだよ。最悪だよ。ヒーロー大失格だよ。おまけにこの性格ときた。意地汚くて、嘘吐きで、甲斐性なしで、ド貧乏で、めっちゃダサくて、めっちゃウザくて……。

 

 

 ──しょういちぃぃぃ!! 思い出せ、津上翔一ッ!!

 

 

 そんな紛い物のヒーローを呼んでくれる人がいる。

 

 

 ──戻ってこい、帰ってこい、お前の居場所はこんなところじゃない!

 

 

 どうやら、俺の孤独はとっくの昔に呪われて、綺麗さっぱり無くなってしまっていたらしい。

 

 

 ──あたしはまだここにいる! 天羽奏はここにいる! お前の(そば)に、お前の隣に! だから、だから……ッ!

 

 

 巫山戯(ふざけ)た呪いだよ、まったく。脳ミソも死んでるだろうに、わざわざぶっ壊れた記憶の断片かき集めてさ。人が気持ち良く居眠りしているところを無理やり叩き起こして、こんなものを思い出させてさ。

 なんていうか、うん、ちゅらいね。仮面ライダーまじちゅらい。

 でも、それでいいんだよね。悲しいことを、苦しいことを、この紛い物の仮面(マスク)はたくさん知っているってことだから。

 

 

 ──思い出せ、思い出してくれ、お前は、あたしの……あたしたちの……ッ!

 

 

 だからさ、もう忘れることにするよ。

 

 

 ──あたしたちの()()()()()()だろぉ!!

 

 

 もう一度、思い出すために。

 

 

***

 

 

 風鳴翼は哀しき超越者(エクシード)を両手で抱擁した。

 恐怖は無かった。後悔も追いかけてこなかった。意識を喪失しているだろう無防備な立花響に向けて、殺気が滲む紅の鉤爪を振るわんとする未確認生命体第三号らしき未知の獣を目にした瞬間から、風鳴翼は緒川慎次の制止を振り切り、()()の目の前に躍り出た。

 そして、心に従うままに彼女は()()を抱き締めた。

 確信は持っていなかった。しかし、立花響を躊躇なく殺めようとする一連の動作に、翼は(かつ)ての第三号(ギルス)が背負っていた慟哭と同様のものを垣間見た気がしたのだ。

 

「魂の自由を取り戻して、仮面ライダーギルス」

 

 祈るように(まぶた)を閉じて、風鳴翼は柔らかな声音で囁く。

 どくん、どくん、どくん──と、彼女の鼓膜には、深緑に彩られた蛮神の飛び跳ねるように荒ぶる心臓の鼓動が響いていた。興奮している。とても正気の状態ではない。次の瞬間には、振り上げられたまま動かない、あの死神が携えた大鎌のような爪で惨殺されたとしても文句が言える状況ではない。

 それでも。

 風鳴翼はそのしなやかな腕で、エクシードギルスを抱き締め続けた。

 

「翼さん、危険ですっ! 離れて!」

 

 背後で緒川慎次が拳銃を構える音がした。

 翼は何も答えなかった。今はただ、時間が許す限り、彼女の胸に宿る心の熱を、溢れんばかりの思いの丈を、心渇いた魔獣の虚ろな胸に伝えるだけだ。

 古代の堕天の獣(ネフィリム)にはそれが叶わず、多くの殺戮が繰り返された。人間(ひと)であることを捨て去り、あらゆる生命を律することなく貪り喰らい、生物としての格を高次元の領域まで押し上げた堕天の獣(ネフィリム)に、人間の域に留まる者の声は当然届かない。もはや届くはずがないのだ。

 神と人が同じ視線で語り合えぬように、獣は獣の道理に従うのだから。

 

「あなたを信じています。必ず帰ってくると」

 

 しかし、そうであったとしても、風鳴翼という少女は直向(ひたむ)きに信じていた。

 

 神や獣とわかり合えることを、ではない。

 

 ただ、()()()()()()を信じていた。

 

「あなたと話がしたい。謝りたいこと、感謝したいこと、怒りたいこともありますし、逆に怒られたいこともあります。日常のこと、友人のこと、仲間と呼べる人のこと、なんてことのない普通のこと、たくさん、たくさんあります……」

 

 言葉だけでは救えない。だが、言葉にしなければ届かない。

 震えるような情動が喉の奥から込み上げてきて、熱い水気を帯びては(まなじり)から飛び出していく。

 

「刃を交えるのではなく、目と目を合わせて、手と手が触れ合う距離で、ゆっくり話がしたい。仮面を脱いだ、本当のギルス(あなた)と」

 

 それは願いだったのか。あるいは祈りだったのか。

 超越者(エクシード)たる蛮神(ギルス)の無骨を象る生体装甲(バイオチェスト)の間に、崩れ落ちるような小さい嗚咽が挟まれる。

 青の少女がのすすり泣く悲嘆の声だけが辺りに粛々と響く。完全に人間性を見失い、今や殺戮の神へと変わり果てた第三号(ギルス)への痛ましいほどの同情が涙となって止め処なく頬を(つた)う。

 確かに風鳴翼と未確認生命体第三号は敵同士であった。

 しかし、同時に二人は共通の(ノイズ)を打ち倒す背中を合わせの戦友(とも)でもあった。それ故に風鳴翼は知っていた。誰よりも理解していた。この()()がどれほど強靭でどれほど不屈であったかを──。

 

 こんなものが、あなたであっていいはずがない。

 

「思い出して……あなたの、仮面ライダーの心を……」

 

 片翼の少女から零れ落ちた熱い落涙が、蛮神(ギルス)の血に塗れた伽藍洞の胸にぽつぽつと降り注ぐ。

 それは一滴(ひとしずく)感覚(ぬくもり)となり、屍の上をなぞって大地に音もなく弾けた。何度も、何度も。泥と血を被った戦士の心を洗い流す慈雨のように、少女の涙は問いかける。

 何の為に、傷ついて。

 誰の為に、捨て去って。

 心すら殺した犠牲の上で背負うその痛みが、あなたの望んだ結末なの──?

 

「────……」

 

 答えない。

 そこには何もない。

 人間(ひと)たらしめる感情を断ち切り、底のない奈落の憤怒に突き動かされ、暴力の化身と姿を変えた超越者(エクシード)に心と呼べる器官は無い。魂は死んだ。思考の必要はない。人間という器の(しがらみ)から解放され、純然たる(ちから)を行使するだけの機械のような生命体と化すことが完全なる進化であり、完璧な命と形容するに相応しい存在なのだ。

 エクシードギルスは、万物の超越者である。

 シンフォギアすら今や満足に(まと)えない少女一人に何ができる。何が変えられる。その声が一体どこに響くというのだ。

 

 わかりきった話だ。何もできない。何も変えられない。どこにも響かない。

 

 一人では願い一つも叶わない。届かぬ想いは鉛の翼となって墜ちていく。片翼の鳥ではどうやっても空を翔ぶことはできないように、それは絶対的な条理として君臨している現実。片翼の少女がどれほど声を、どれほど涙を枯らしたとして、エクシードギルスには決して届かない。

 

 ならば、片翼でなければ。

 

 ()()()()()()()()()()

 

 もしも、ここに彼を想う祈りが二つあるとすれば──それはきっとどんな不条理にも負けない奏歌う翼となってこの空を舞い上がるのだろう。

 

 ただ、それだけの奇跡(こと)だった。

 

「………………」

 

 だから、それは必然と呼べる奇跡であったのだろう。

 凍りついたように硬直していたエクシードギルスは、振り(かざ)したまま行き場を失っていた血潮の如き鉤爪を、まるで力が抜け落ちていくようにゆっくりと慎重に下ろした。やがて、体の中に(うごめ)く狂乱の猛獣を宥めるように全身が脱力を開始する。指を伸ばし、肩が下がり、仮面は青空を仰ぐように少しだけ上を向く。

 闘志も敵意も、絶えず滲み溢れていた殺気さえも、霧散して消えていくのがわかった。

 

 エクシードギルスは、怒りを放棄したのだ。

 

 怒りだけを残された神が、その怒りを棄て去った。それが何を意味するか、わからないものはいない。

 

 風鳴翼が──いや、ツヴァイウィングが呼び寄せたこの奇跡たる現象は、その場にいたすべての者に信じ難いほどの衝撃を与えた。緒川慎次は無意識に銃口を下げてしまい、事の行く末を見守ることしかできなくなった。雪音クリスはただ啞然と口を開け、考えることもできなくなった。

 そして、遠方から状況を窺っていた櫻井了子は、その光景を前にして自分の眼を本気で疑った。理解できなかった。できるはずがなかった。如何に蘇生を経て進化したとはいえ、根源が(ギルス)であることに違いはない。恐らく、()()()()()()()()。もう自我亡き堕天の獣(ネフィリム)と遜色ないはずだ。それをどうして……どうやってそんな……。

 

「私だって……そんな理想(ゆめ)みたいな奇跡……起こしたかったわ……」

 

 でも、その先にある結末は一つだけだ。

 

「所詮、すべて無駄なのね」

 

 彼女はすべてを悟った表情で踵を返す。

 傷だらけの獣を抱き締める少女を背にして、嘗て夢見た情景を振り切るように。

 

 風鳴翼は耳をギルスの胸郭に押し当てるようにして、暫くの間ずっと彼を抱き締めていた。

 心臓の音色が小さくなっていく。血液の巡りが錆びていく。

 数多の凶刃を備える刺々しい両腕を無気力にぶら下げ、脳髄が溶けてしまったようにギルスは朦朧(ぼんやり)と立ち尽くしていた。白い綿毛のように小さな風に煽られるだけで散っていきそうなほど、今は(はなは)だ弱々しい。呼吸も疑えるほどに微々たるものだ。

 

「………………いきます」

 

 誰に向けてでもなく呟き、風鳴翼はすべてを知る覚悟を決めた。

 両腕の抱擁を解き、(おぞ)ましき獣の(かたど)るその仮面に手を伸ばす。鉄檻の如く堅牢に閉ざされた蛮神(ギルス)の仮面に翼の細い指先が触れると、魔法が解かれたように一変して()()()と黒い粘液に融解した。それは次第に泥でできた人形ように(いびつ)な崩壊を始め、ギルスの悪魔の如き(かお)を少しずつ剝がれ落としていく。

 天牛の顎のように鋭い魔王の冠(ギルスアントラー)は、ぼさぼさの黒っぽい髪に。

 猛虎の牙と見違える銀色の装甲板(クラッシャー)は、裂かれて乾いた唇に。

 獲物を射殺す孤狼の眼光のような真紅の瞳(デモンアイズ)は、穏やかな青年の優しい双眸に変わる。

 

 悪鬼羅刹と相違ないと思われていた超越者(エクシード)たるギルスの被った偽りの仮面が完全に剥がれて、憐れな青年の悲痛に満ちた素顔を露わにしてしまう。

 皮膚は腐った蜜柑のように(めく)れ、頭部から垂れていた致死量の流血は中途半端に凝固して、趣味の悪い厚化粧のようになっている。目を逸らしたくなるほどに生々しくも傷ましいその顔で、ほんの少しだけ恥ずかしそうに彼は笑った。

 

「……驚かないんだね、翼ちゃん」

 

 津上翔一はもう(ろく)に動かない(まぶた)の隙間から、薄い灰色の瞳だけを向けた。

 

「……いいえ。驚いています」

 

 風鳴翼はその潤んだ瞳に隠し切れない涙を含んだまま、普段と変わらない笑みを懸命に返した。

 

「ただ、津上さんのような人が仮面ライダーだったら──と、思っていたので」

「……へへへ。そっか」

 

 本人は笑っているつもりなのだろう。爛れた皮膚から露出する血肉の頬は微かに揺れるだけだった。

 彼が背負い続けていたであろう死にも劣らぬ激痛を想像するだけで吐き気がする。人間に耐えられるものではない。翼は鼻を啜りながら涙をぐっと堪えて、翔一の傷だらけの手を取ろうとする。

 

「リディアンに帰りましょう、津上さん。立花と一緒に」

 

 幾千に及ぶ(ノイズ)を葬り去った魔獣の手掌に翼の指が絡まる寸前で、翔一は膂力の実らない緩慢な動作でそれを払い除けた。

 

「津上さん……?」

「ごめん。俺は、いけない」

 

 そう言って、申し訳なさそうに真っ赤な眉を寄せて、翔一はギルスの怪物じみた右腕を上げた。すると、()()()()と被膜から黒い粘液が無数の糸を垂らし始める。それは死を刻々と数える忌まわしい現象であった。蛮神(ギルス)の装甲たる外皮だけが溶けているわけではない。これは体細胞の緩やかな崩壊である。内側の骨や肉ごと津上翔一を構成するすべての物質が今まさに生存という大きな役割を終えて、母なる虚無へ還ろうとしているのだ。

 止める(すべ)はない。死とは免れないもの。生きているのなら、死ぬこともある。それだけのこと。

 

「見ての通り……お終い、みたいなんだ……」

 

 彼は逃れようのない己の最期を、気まずそうに笑いながら受け入れる。枯れゆく一輪の花が土に落ちるその瞬間を見せられているようで、堪らず目を伏せたくなるような衝動に駆られる。翼には断じて許容できない現実であった。

 

「俺は、最後の最後で、進化を拒んだ。変わりゆく肉体と、それを否定する意思の間では、進化も、停滞も、許されない。破綻するだけ。……よーするに、暴れまくった、ツケだね。しゃーない、しゃーない」

「だったら、尚の事、二課の治療を受けて──!」

 

 涙と一緒(とも)に弾かれた声は、何も語らず、ただ穏やかに細まるだけの瞳の前に消えた。

 風鳴翼とて、理解していないわけではない。彼の命はもう誰の手にも届かない場所(ところ)まで飛び立ってしまったことを。

 星の数ほど巡る果てなき戦いに身を投じ、繰り返される苦痛を耐え抜き、命の蝋を惜しみなく削ってきた津上翔一の身体は限界を迎えていた。いや、限界などとうに超えていた。(むくろ)の脚を引き摺って、まだ握れているかも判断できぬ拳を振り上げ、灰に埋もれた滓のような残り火が空へ舞うその時まで、戦って、戦って、この結末まで辿り着いたのだ。

 (はな)から助かる方法など無かった。

 助けることもできなかった。

 死者は甦らない。これがすべてである。

 この世の真理すら淘汰する超越者(エクシード)へあのまま進化(かわ)っていれば、目前に迫った死は免れたかもしれない。しかし、それは生命の規範から外れた行為であった。蛮神(ギルス)は肉体を生存させるのではなく、死という現象を奪うことで命を永久的に繋げようとした。そこには心も人格も必要ない。だから、津上翔一は進化に抗った。唯一の生き残る道を捨て去った。

 

 人間(ひと)として生きたこの命を、人間(ひと)として死なせるために。

 

「ありがとう、翼ちゃん。俺のことを、諦めないでいてくれて」

 

 誇りだった。

 たとえ、(まばた)きするような短い時間であれど、彼女たちの友人でいられたことは、津上翔一にとって、何物にも代えがたい誇りだった。だから、譲れなかった。最期の瞬間まで、彼女たちの友達として生きていたかったから。

 どうしても、紛い物のこの命を惜しいとは到底思えなかったけど。

 どうやっても、世界にとって不要な存在である認識は変わらなかったけど。

 彼女たちと過ごした一瞬一秒すべての思い出だけは、死んでも譲れない大切なものだったから。

 

 もう二度と失いたくない、大切な記憶(もの)だから。

 

 津上翔一は、死ぬことを選んだのだ。

 

 

 

***

 

 

 

 空が晴れている。

 気持ちいいぐらいに。

 

 頭も真っ白に澄んで、全身を駆け巡る痛みも和らいできた。

 生まれ変わった気分だね。どちらかというと、これからお陀仏なんだけど。

 

「津上さん……ッ」

 

 翼ちゃんが泣いている。ぼろぼろと大粒の涙がこぼれていく。困ったなあ。女の子を泣かせちゃあ、閻魔さまも地獄で許してくれないぞ。本当は土下座して慈悲を乞いたいんだけど、そんな気力も体力も余っちゃいないんだよね。今の俺ってほら、カピカピの干物みたいなもんだから。(えら)の干物だよ。うん。なんだそのピンポイントな乾物は。食べるとこ絶対少ないよ。

 いま俺にやれることといったら……とりあえず、目の前にある翼ちゃんの頭でも撫でておくか。わしゃわしゃ~……できるほど手にもう力入んないね。つーか感覚ないね。うん。目が死んだら終わりだなこれ。

 

「…………!」

 

 記憶はサッパリないんだけどさ、こうやって頭を撫でてると子供ってけっこー泣き止んだりするんだよって、なんとなく覚えている。手のひらの中にある熱が、しっかりと伝わるからかな? まっ俺の熱がまだこの手に残っているのかは疑問なんだけどね。HAHAHA☆ ……って、翼ちゃんなんかさっきより泣いてない? えっ逆効果? もしかして俺の記憶ネット知識以下? ウゾダドンドコドーン!!

 何はともあれ、その場のノリでやっちゃったけど、なうをときめく翼ちゃんのプリティーヘッドをナデナデできるなんて役得だぜ。ぐへへへ。全国の風鳴翼ファンが死ぬほど羨ましがるよ。俺もう死ぬんだけどね。あっ、後ろにOTONA忍者スタンバってんじゃん。ふぅ……(賢者タイム)。ここが俺のハイライトか。スーパー懺悔ターイムいくよー。ハイク読まなきゃ(使命感)。

 

 ──お前、ここにきてそれかよ……。

 

 そりゃあね、奏ちゃん、これが俺だもん。

 

 ──……そうだな。そうだったもんな。

 

 俺の意識がぶっ飛んでる間に、ずっとシリアスさせられてたみたいだからね。正直、激おこだよ。プンプンだよ。プンプンしすぎてブンブンハローY○uTubeでラーメン一丁あがりよ。だいたい俺はね、重たい話が苦手なんだよ。かる~いやつがいいの。ポテチ食いながら読める感じのがいいの。それをなんだい。勝手に人のカラダ動かしちゃって。俺の身体はガンダムかっての。いや、どちらといえばエヴァンゲリオン? どっちでもええわ。たしかに、ぶっちゃけ、楽だな~って思ったけど、思いましたけども、全自動キリングマッシーンになるなら話は別よ。いいかい。これから色んな高性能なAIが世に出て、人の仕事を徐々に奪っていくってことになるだろうさ。でもね、人じゃなきゃできない仕事ってのはた~くさんあるの。人の心に寄り添うことができるのは同じ人だけ。機械の代わりはあっても、私の代わりはいくらでもいるものってわけじゃないの……って、やっぱエヴァじゃん。アレ? なんの話だっけ? ともかく、俺ァこーみえてもね、ノイズたんムッコロス仕事にはそれなりの矜持もってやってんの。それをあんなね……なんでもかんでも壊しゃいいんでしょ? みたいな感じでやられるとねぇ……さすがに俺も怒るよ。脳死で仕事しちゃダメ。いいかい? ノイズたんはね、まごころを込めて、ついでに日頃の鬱憤も込めて、しっかりとぶっ壊すの。わかる? ここ翔一さんの流儀よ。いまピアノ鳴ったよ。スガシ〇オ流れてるよ。メモとりなよ。まず、礼節を欠かさないこと。挨拶とかね。次に、命には敬意を払うこと。たとえそれが望んで生まれたものじゃなくてもよ。そんで最後が……最後ねぇな。二つしかねぇわ。んまあ、そこらへんをギルス先輩にはしっかり反省してもらわないとね。うんうん。

 

 ──めちゃくちゃ愚痴るな……。どう見ても、これから死ぬヤツの考えてることじゃないぞ。

 

 いや~久しぶりに喋った。あと五千文字はいきたいね。

 

 ──長ッ!? 校長先生か!

 

 おっ、そのツッコミいいね。やっと奏ちゃんのモーターのコイルもあったまってきたわねぇ。

 

 ──嬉しくないなそれ。いや、ちょっと嬉しいかも。

 

 おやおや、まさか奏ちゃんの貴重なデレがこんなところで見れるとは……! これがほんとの冥途の土産ってヤツか?

 

 ──不謹慎なネタが多いなぁ! いや、本人だから不謹慎……じゃない、のか……?

 

 うーむ。しっかし、なんていうか、惜しいっていうか悔しいなぁ~。ここに奏ちゃんのボディがあったら、ツヴァイウィングをダブルナデナデするという前人未踏の偉業を成し遂げて、ワンチャン教科書に載れたのになあ。

 

 ──ははっ、残念だったな。教科書には載らないと思うけど。

 

 いや、待てよ。ここは助かったと安堵すべきか。間違って奏ちゃんのおっぱいナデナデしたら、それはもうモミモミだから一発KOしちゃうもんね。

 

 ──お前、最後の最後までそれかよ!

 

 あたぼうよ! どうせ死ぬならセクハラしまくって死んでやる!

 

 ──開き直んな、バカ!

 

「翼さんっ! ノイズが……!」

 

 翼ちゃんの背後でこっそり響ちゃんを介抱していたハイテク忍者さんの動揺が混じる声。

 名前を呼ばれた翼ちゃんもハッとして即座に周囲を警戒する。すると、四方八方から黒っぽいシミが広がって、そこからみんなの完璧で究極なアイドルことノイズたんがうじゃうじゃうじゃうじゃとステージにスタンドアップ。48とか46が霞むアホみたいな物量だぜ。これなら握手会の待ち時間ゼロで、会場のボルテージも一気に急降下ってワケよ。ヒュー! 人類にゃまだ早すぎるぜ! いやいや、やめてよ。空気読んでよノイズたん。雰囲気台無しじゃん。俺が台無しする前に台無しじゃん。

 

「なんて数……」

 

 翼ちゃんもおめめパチクリしちゃうほどビックリ仰天な数だ。俺はもう首あんまり回したくないから正確な量は計れないけど、さっきの半分くらい? はいるんじゃないかな。ふーん……え? これもしかして自然発生? リモート(笑)じゃくて? あっ……そういやニャン公トリオ放逐したまんまじゃん。絶対それじゃん。ふえぇ……ようやく荷物まとめて帰ろうとしてたのに新しい残業が目の前に置かれたみたいだよぉ……。

 

 ──あーあ。まだ仕事残ってるみたいだぞ。

 

 まっ、予想はしてましたけどね。伊達に何年も仮面ライダーやってきたわけじゃないんで。こんなキレーに終われるほど、おじさん二度目の人生うまくいった試しないんでね。うん。自分で言うのもなんだけど辛っ。でも不幸中の幸いかな。ギリギリ助かった。お腹にブッ刺さったアレ……なんだっけ? デュ……チンチンブルンブルンの剣?

 

 ──デ ュ ラ ン ダ ル ! てか言いかけたろ今!

 

 言いかけてない言いかけてない。とにかくそれが丁度いい具合にエネルギー貯めててくれてさ、あと1ウェーブぐらいは抑えられるかもっていうか、抑えられたらいいなっていうか、抑えてくれないかなぁ~っていう希望的観測を含んだ感じでやらせてもらってます。

 

 ──曖昧じゃねーか。てか、デュランダルのエネルギーで延命はできないのか。

 

 うーん。たぶん、ムリじゃないかな。俺がいま直面してる死はエネルギー不足じゃなくて、突然変異に近い超常的な進化によって強制的に作り変えられた遺伝子とか染色体とかが、中途半端に進化やめちゃったせいで決定的なズレを起こして崩壊してる感じだからね。つまり引き返しちゃいけないところで引き返したってコト。迂闊にBボタン連打した俺のせいだよ。

 

 ──それを言うなら、あたしが翔一に戻ってこいって言ったから……。

 

 ……たし蟹。

 

 ──え。

 

 俺一人じゃあ、絶対あのままエクシィィードエェーックス‼してフィーバーしてただろうし、こんな真夏のアイス棒みてーにドロドロしながら死ぬことはなかっただろし。でも、それいうなら翼ちゃんも同罪ってことになるな。だってほら、二人の声で俺はスヤスヤタイムから起こされちゃったわけじゃん? うんうん。だったら今回悪いのは奏ちゃんと翼ちゃんってことにならない? なるか?(疑問)なるよ(肯定)なるなる(納得)(自己完結三段活用)

 

 ──ちょ、いつもの優しい感じじゃない!? 責任押しつけられてる!?

 

 正体見たりって感じだね。

 

 ──なんのだよ!

 

「……はは」

 

 おっと素で笑っちゃった。もうそんなに体力残ってないって言ってるでしょ。これからイタチの最後っ屁バトルするってのに笑かさないでよ。スタミナもったいないでしょうが。奏ちゃん反省!

 

 ──ええ……あたしが悪いのか……?

 

 そうよ。悪い。すっごく悪いことした。だから、俺がここにいる。津上翔一という存在が、まだここにいる。奏ちゃんのおかげで、なけなしの希望を持った俺が生きている。これはね、本ッ当に困ったことなんだよ。まったくどうしてくようか、この世界一可愛い相棒め。フィリップって呼ぶぞ。

 

 ──ふっ、なんだよそれ。わかったよ。あたしが悪かった。でも、翼も悪いんだよな?

 

 うん。たぶん。

 

 ──じゃあ、もし生きて帰ったら何でも好きなこと聞いてやるよ。あたしと翼で。

 

 なん……だと……?

 

 ──生きて帰れたらな。

 

 オイオイ待ってくれよ。えっ、ええ……え?(再起動) なんでも!?(再確認) もう死ぬの確定してんのに!? 翔一さんとっくに匙投げてんのに!? 打つ手なしって清々しいほどに諦めてんのにぃ!? うわ~ん、やりなおしてぇよおおおおおお~!!

 

 ──だったら、今から生きろよ。それが無理なら、まあ、あたしだけで我慢してくれ。

 

 それはとても温かくて、羽のように柔らかい声だった。

 

 ──天羽奏は津上翔一と生きる。これから先ずっと。そう決めてたんだ。だから、死ぬときも変わらない。

 

 それは決意の声だった。覚悟の声だった。

 

 ──最期まで、あたしも付き合うよ。翔一をひとりにはさせられないからな。

 

 そして、勇気をくれる不思議な声だった。

 

「…………ははっ」

 

 この声に何度救われたことか。何度立ち上がる勇気をもらったことか。

 覚えているか。ああ。覚えているとも。まだ忘れちゃいない。俺の守りたかったものは、まだここにある。

 

「翼ちゃん」

 

 ゆっくりと足底を(こす)るように引き摺って、ノイズの襲来に動揺を隠せない翼ちゃんの隣まで移動する。

 

「頼みがある」

 

 そして、目を合わさず、顔すら見ないで、そのまま通り過ぎる。

 

「まず、響ちゃんを、よろしくね」

 

 ずりずりと反応の鈍い脚を無理やり動かして、何かを察した表情を向ける緒川さんとまだ眠り続けている響ちゃんの横を抜ける。

 

「未来ちゃんには、カッコよく、伝えてほしいな」

 

 なんちゃって──と、冗談を言ってみるも、そんな余裕はどこにもなかった。

 周囲を軽く見渡す。いつの間にか冗談じゃ済まない数のノイズが強固な城壁を築き上げるように立ち塞がっていた。でも、それは割とどうでもいいことで、俺が探していた人物はもうどこにもいなかった。上手く逃げられたようだ。ひと安心である。

 

「あの……クリぃ……じゃなくて……えーと、名前出てこないわ……あー、変なタイツの子、気にかけてほしいな」

 

 言う必要はないだろうけど、一応はね。

 

「それと」

 

 最後に。

 

「奏ちゃん」

 

 振り返って、笑ってみる。

 

()()()()()()()()

 

 お別れを言うために。

 

 ──翔一!?

 

「翔一さん!?」

 

 俺は四本の指を揃えた貫手を、自分の胸に突き刺す。

 悲惨に飛び散る出血さえ気に留めず、手首が埋まるほど深く、深緑の大胸筋の狭間に穴をこじ開けるようにして、俺は俺の身体を(えぐ)り続けた。

 これは自刃ではない。

 超越者(エクシード)として進化したギルスの胸部には新たな賢者の石碑(ワイズマンモノリス)が出現した。これはエネルギーを効率的に体内で循環させる重要な役割を担う器官だ。血液を全身に循環させる心臓の機能と殆ど同質である。俺が辛うじてエクシードギルスの状態を保っていられるのも、この賢者の石碑(ワイズマンモノリス)の恩恵によるところが大きい。

 俺の命を繋いでいる新しい賢者の石碑(ワイズマンモノリス)

 

 これを摘出する。

 

「ぉおオッ……ゔぁアああ……おえッ……がァああああああああああああああああああッ!!」

 

 びちゃびちゃびちゃ──と、黒みがかった血液の塊が傷口から溢れて、止め処なく地面に叩きつけられる。その途端に異常なまでの寒気が全身を襲う。両脚が軸を失ったように小刻みに震えて倒れそうになる。そして、両頬を膨らませて爆発するように吐血した。気道が血塊で詰まったのか、息ができない。消失していたはずの痛覚が叩き起こされ、頭が真っ逆さまに狂いそうだ。痛みで舌を噛み切りそうになる。

 自分の身体を内側から(まさ)ぐる最低の感触が手掌から脳に伝達される。微かに生温かい。人間が生存を可能とする体温は下回っているようだ。

 

 別に構わないさ。賢者の石碑(ワイズマンモノリス)さえ摘出できれば。

 

 ──なんで、翔一……ッ! なんでぇ!!

 

 ごめんね。最後まで噓つきで。奏ちゃんが幸せになる方法、これしか思い浮かばなかった。

 

 ──いやだ……いやだいやだいやだいやだいやッ!!

 

 このワイズマンモノリスは奏ちゃんのために生成したもの。奏ちゃんのものだ。そして、奏ちゃんの肉体に足りなかったもので、器そのものなんだ。奏ちゃんの中に生まれたほんの小さな、だけどそれは確かにアギトと呼べる力は、エルロードによってその魂ごと俺の肉体に移され、俺の中にあるギルスを通して、ようやくカタチを得た。

 きっとこれは本来、手にしちゃいけないものなんだろうけど、今の奏ちゃんならきっと大丈夫。

 奏ちゃんは、俺の戦いを知っている。俺の痛みを、苦しみを、たくさん知っている。

 

 だから、エルさんたちも信じてくれたんだと思う。

 

 俺とおなじように。

 

 ──聞きたくない聞きたくない!! それ以上、何も聞きたくない!! あたしの居場所はここなんだ!!

 

 それは違うよ。奏ちゃんの魂には帰る場所がある。待ってくれている人がいる。それはね、とっても素敵なことなんだよ。

 

 ──だったら、翔一にも帰る場所が、待ってくれている人が、たくさんいるだろッ!! あたしだけ、あたしだけ、置いていくなよぉ……。

 

 ………………。

 

 ──最期まで、そばにいさせてくれよ……。

 

 ありがとう、奏ちゃん。

 

 きっと、この言葉は、どれだけ重ねても、どれだけ大きくしても、伝えきれない。

 心ってものは不便だね。こんなにもそばにいるのに、本当に伝えたいことは伝えきれないんだから。結局のところ、言葉に頼るしかないんだね、俺たちは。

 だから「今まで」なんて寂しいものは付け加えない。

 

 ありがとう。

 

 きみのおかげで、俺はまだ……戦える。

 

 ──待って、翔一ッ!! あたしだって、まだ何も……!! あたしは────…………。

 

「ヴゔゔうぅぅ──……ぅぅゔげどれええええええぇぇぇぇぇぇえええ────ッ!!」

 

 胸部に埋め込まれた賢者の石碑(ワイズマンモノリス)の全貌を掴み取り、それを鉄鎖の如く固く繋ぎ止める血管の束や神経線維を乱暴に引き千切りながら、エクシードギルスの肉体から完全に切り離す。麻酔も効かない状態で自分の内蔵を手掴みで引き抜くような経験は流石に無かったので、俺は意識が飛ぶ前に摘出したばかりの賢者の石碑(ワイズマンモノリス)を風鳴翼へとノータイムで投げ渡した。

 尋常ならざる光景を飲み込むこともできず、驚愕と動揺に思考を揺さぶられ言葉すら選べず、命じられるまま血みどろの物体を受け取る少女の頬にも赤い飛沫が走る。

 

「地獄の、道連れは……俺一人で、いい……」

 

 いつのまにか、天羽奏の声は聞こえなくなっていた。

 

 俺の中にはもう、天羽奏はいなくなっていた。

 

 それでいいんだ。きみの居場所はここじゃない。

 

 もう翔べるはずだ。

 

 どこまでも、どこへでも。

 

 二人なら翔んでいけるはずなんだ。

 

「津上さん、これは……」

 

 ワケもわからず、鮮血に染まった石の(つぶて)を両手で握る少女に、朦朧とした意識で立ち竦む俺は最低限のことしか伝えられない。

 

「そこ、に……天羽奏の、魂と……呼べる、人格が、ある……」

「え……!?」

 

 すぐに理解はできないだろうが、天羽奏の名前は無視できないはずだ。

 

「彼女は、目覚める……その石碑を、天羽奏に」

 

 血が喉を満たして、また嘔吐するようにぶちまける。

 

「奏ちゃんに、返してあげて……それが俺の、最期の願い……」

 

 ダメだ。もう時間がない。

 俺はエクシードギルスでいられない。

 このノイズの大群を足止めできるのは、俺に残された僅かな時間は──……。

 

「い、いい、いけえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇええええええッ!!」

 

 叫んだ。

 もうそれしかないと思った。

 

「津上さ──」

 

 翼ちゃんが泣きながら駆け寄ろうとした瞬間、響ちゃんを肩で抱えた緒川さんが立ち塞がり、もう片方の腕で素早く翼ちゃんを抱きかかえた。

 

「っ!? 緒川さん、離してください!!」

「離しませんっ! あの人の覚悟を無碍にはできません!」

「でも、それでも、私は──……ッ」

 

 そこからなんて言おうとしたのかはわからない。

 

 もう何も聞こえなかった。

 

 誰の声も聞こえてこなかった。

 

 孤独と静寂が、そこにあった。

 

「……ありがとう」

 

 やっぱ、伝えきれないね、この心だけは。

 

『d■oy=\\ous※♪til::°lfi▽△gh+<<t???』

 

 でも、もう言葉はいらない。

 

 拳があればいい。それさえあればいい。

 

「ここから先は、サービス残業だ」

 

 戦え。

 生きているんだと叫び続ける限り。

 

 

***

 

 

 灰燼を被った寂れた礼拝堂で、白衣の男は何の脈絡もなく、長椅子から唐突に腰を上げた。

 裾に絡まる埃を払うことなく、見窄らしく汚れたままの恰好で、両脚を引き摺るように出口へと向かう。その背中は、断頭台への階段を踏み締める咎人のそれである。

 哀れ。

 どこまでも不憫で、報われない。

 しかし、男の眼の色に迷いはない。為さねばならぬことがある。譲れぬものがその先にある。たとえ、どれほどの尊厳が踏み躙られ、どれだけの心傷が身を焼いたとして、未練がましく捨てられないものがこの指先に触れている限り、人は容易く地獄の門を潜る。

 

 まるで、呪いのようなそれを、人はどういうわけか、胸を張って〝誇り〟と云う。

 

 誇りと云い張って、戦い続けるのだ。

 

 〝……往くのか。〟

 

 どうしようもない。どうすることもできない。呆れ果てた諦念の溜息が女の声となって、男の背に優しく降りかかる。男は少しだけ立ち止まるも、振り返らずに淡々と答える。

 

「うん。いってくるよ」

 

 〝その先に、何が待っておる。〟

 

 試すような、諭すような、声色の返答。

 男は惑うことなく即答する。

 

「さあ。知らない。俺は人間だから、未来のことはわからない」

 

 〝見果てぬ晦冥を、盲進するというのか。〟

 

「うん」

 

 〝何故。〟

 

「なんでだろうね。きっと大した理由じゃないんだろうけど」

 

 心底から自嘲するような男の声に躊躇(ためら)いの色はない。あるはずもない。運命や偶然によって掴まされたハズレの紐ではなく、これは自分の意志で選び抜いた一本の道なのだ。傷つくことも、苦しむことも、選んだのは他の誰でもない自分だ。

 逃げることを選ばなかったのは、自分。

 戦うことを選び続けたのも、自分。

 自分の選んだ世界。自分の選んだ理想。ならば、この先にこれ以上の理念は必要ない。いつかどこかで過去の自分がもらったはずの理由が、まだこの魂にも残っているはずだから。

 

 忘れてしまったけれど。思い出せないけれど。

 

 失ってはいないはずだから。

 

 〝また背負うのか。〟

 

「どうだろう。わからない。わからないなあ。でも──」

 

 背負えと言っている。

 背負わねばと哭いている。

 耳を塞いでも、瞼を閉ざしても、心の奥に響き渡る、獣の遠吠えのような醜い音色。身に覚えがないのに、記憶などとうに死んでいるのに、うるさくて、耳障りで、狂ってしまいそうで──……。

 

 だけど、確かに、これは俺の声なんだ。

 

 俺の(こころ)なんだ。

 

 だから、他の誰でもないこの俺が、それから目を背けちゃダメだろう。

 

「俺はこの生き方しか知らないから。最後まで背負えるだけ背負ってみるよ」

 

 男は出口の扉の前に立つ。焼け焦げ、弾痕だらけで、歪んでしまった両開きの扉はドアノブすら見当たらない。

 きっと、この先に待つものは安寧の死とは程遠い破滅的な終焉なのだろう。悶え苦しむ叫喚。傷と痛みの螺旋。煉獄の中へ身を投じるも等しい愚行。やめておけばよかったと後悔することも想像に容易い。

 

 それでも。

 それでもきっと。

 

 固く閉ざされた両開きの扉に手を添えて、小さく息を吸った。

 

「ありがとう。俺はもう一人でも大丈夫」

 

 ゆっくりと扉を開き、光とも闇ともとれぬその先へと一歩踏み出していく。

 

「一人でも戦うよ」

 

 

 

***

 

 

 

 鉛のような瞼を上げると赤い地面が水平線を築いていた。その正体が口から止め処なく溢れる自分の血液だと悟ると、全身の体温が思い出したかのように急激に冷たくなっていく。

 どれだけの時間が経った。まだ思考が許されているということは、それほど時間は刻まれていないのだろう。

 どうやら、身体はまだ死んでいないらしい。

 変身は完全に解かれてしまっているが、辛うじて呼吸ができる。

 もうじき死ぬだろうが、意識ある限りは生きている証拠だ。心臓も動いているのだろう。

 痛みはない。だが、(おおよ)その感覚は残っている。いや、これは痛みなのだろうか。もはや、五感を含む神経の区別は脳で処理されていない。脳に血が回っていないのか。そもそも脳が壊れているのか。どのみち失血で肉体の機能の大半は死んでいる。原因は無数にあって然るべきだ。

 腐りかけた四肢を限られた関節だけで動かすと、思いの(ほか)、芋虫のように鈍く蠢めいた。立てるだろうか。太腿に力を入れる。穴の空いたタイヤのように萎んでいく。骨が逝ったのか。どちらにせよ、起立は厳しい。

 

「…………」

 

 眼球だけを動かして。

 視線を前に。

 血反吐を這うように前へ。

 

『g◇o♪///o°d××ni>>#♯g◎±ht↓↓gi≠l|●|ls』

 

 目を疑いたくなるようなノイズの軍勢が混沌とした嵐のように(ひし)めき合っている。(かつ)てのライブ会場の惨劇を彷彿とさせる圧倒的な物量。(くだん)の首謀者であるフィーネが完全聖遺物《ソロモンの杖》を用いて、無尽蔵に召喚したのだろうか。それとも豹のロードノイズが時空の一端を捻じ曲げて、亜空間より顕現させたのか。どちらにせよ、瀕死のケモノ一匹の息の根を止めるにしては些か大袈裟な数だ。

 もはや、何もかもを無に還すつもりなのか。

 それほどまでにこの世界は無価値も同然なのか。

 否定はできない。できるはずがない。世界の条理は常に幸と不幸の天秤を傾けている。命を与えられた者は、その生涯で抱えきれぬほどの悲苦を背負い、その大半が生きる意味を見出せず、生命の本能に(こうべ)を垂れ、従順に生きてしまう。まるで、産まれた瞬間から脳に植え付けられたように、人は生存を求めるのだ。

 

 辛いこと、ばかりなのに、ね……。

 

 死生観は人によって大きく異なる。個人の培った知識から生まれた思想。それぞれの宗派の教典に基づいた観念。あるいはそれらに何の興味も持たぬ者もいる。生死一つでも価値観は千差万別に散らばっている。命という原始的な概念を後ろ向きに捉える者も、前向きに考える者もこの世界には存在し、そこに答えらしいものは存在しない。

 命の答えはあってはならない。

 命の答えなど知りたくない。

 死にゆく彼は薄れていく命脈の鼓動を聴きながら、命の真理に触れようと足搔いていた。生きた理由が欲しかったわけではない。ましてや死ぬ理由など欲しくもない。ただ、最期にはじめて自分と向き合おうと決めただけだ。()()()()()()と吐き捨てた自分に意味を持たせてやりたくなった。ただそれだけ。

 

(生きて、生きて、生きて……何になるんだろうね……)

 

 答える者も、それを聞く者も、何処にもいない。

 彼は孤独な死を遂げようとしている。

 

(結局、俺には何もわからなかったな……。それがわかれば、俺は俺でいられるような気がしたのに……無理だったな……)

 

 生も死も、命の理由にはならない。

 生きて死ぬ。この一連の活動にそれ以上の意味はない。

 

(無理だったよ……俺はやっぱり……俺が嫌いだ……)

 

 彼は最期まで、自分の命がわからない。

 

 自分の命だけが、理解できない。

 

 なんて、孤独な命……。

 

 

 

 先生、おやすみするの?

 

 

 

 彼の聴覚に突如、優しく囁くような声が響く。

 小さな子供の(つたな)い発音に耳を疑い、驚きのあまり目蓋を上げた。戦塵が舞う施設を埋め尽くす雑音(ノイズ)の大群。人類の生存を許さない殺戮者の巣窟と化したこの場所で、()()は当然のように佇んでいた。

 白い服。

 一つの穢れもない純白の衣服。

 背丈は短く、性別の判断もつかぬほど幼い様相をしている。人種もわからない。白人にも、黒人にも見えてしまう。もしかすると、特定の(かお)を持っていないのかもしれない。

 ただ、彼にもはっきりと断言できることがある。

 

(誰だ……こいつは……)

 

 知らない子だった。

 彼の記憶には何も当てはまらない。初対面である。しかし、事実に反して、奇妙な懐かしさが薄れゆく精神を温かく浸していく。

 

 

 先生、おねむなの?

 

 

 見知らぬ子供は、背後で群がる災害(ノイズ)の不快な雑音など耳に届いていないかのような素振りで、ボロ雑巾のように地に伏せる彼に問いかける。

 先生とは、自分のことだろうか──?

 悪い気はしない。(むし)ろ、収まるべくして収まったような安堵の情感と、得体の知れない懐旧の切なさを覚える。顔に出せるほどの生気は表情筋に残されていないが、頬が自然と弛んだ。

 

 

 先生、がんばったもんね

 

 

 ずっと見ていたかのように、その子供は語る。

 

 きっと見ていたのだろう、この惨めな男の生き様を。

 

 

 だけど、ボクらはね、本当は、先生にがんばってほしくなかったんだ

 

 

 悲しそうに言い放たれるも、彼は何の反応も返せない。

 

 

 ボクらはただ……幸せになってほしかったんだ

 

 

 幸せ。

 

 ()()()()()()

 

 

 ねえ、先生

 

 

 澄み渡るように純粋で透明な瞳が、彼の白く霞んだ瞳孔を離さない。

 

 

 先生の幸せって、なに?

 

 

 知らない。考えたこともない。

 

 

 先生が幸せになるには、どうすればよかったの?

 

 

 望んだ覚えも、ない。

 

「…………はは」

 

 返答の代わりに、渇いた嘲笑が腹の奥からぐつぐつと込み上げてきた。

 

「はは、は……わかっ……てた、つもり……だったのに、なぁ……」

 

 あきれた。

 心の底から軽蔑する。

 命の意味? 驕りが過ぎた。ふざけるな。笑わせる。幸せの一つも口にできない男の命に何が宿る? 何が生まれる? ふざけるな。何もできるはずがない。それこそ空っぽなんだ。あまりに軽い。その命も、言葉さえも……。

 

「言葉に、できな、きゃ……わから……ない、も……同じ、か」

 

 わからない。わからないけど、どこかにあったんだ。それはもう……思い出してはいけないけれど。

 

 もしも、思い出せたら、うれしいな。

 

「さびしいね」

 

 たった一滴だけ、誰かと別れを告げるように──。

 

 そうして、すべての憂いを分かつと、力強く、前を、前だけを向いた。

 ()()()、と動けるはずもない棺桶で眠る屍のような五体の(からだ)に、灼熱で鍛えられた鋼鉄の芯が四肢に(かよ)ったかのように、止まっていたはずの命が再び動き出す。

 それは奇跡か。あるいは最期の意地か。

 弱々しい小刻みの震えを(こら)え、枯れ木のような腕で体と頭を支える。吹けば消え去る(ほの)かな(ともしび)を両手で包み込むようにして、慎重に両脚を折りたたみ、四つん這いの態勢にまで持ち込んだ。

 ぽたぽたと口端から溢れる無情な血液の雫を俯瞰して、彼は何度も自分に言い聞かせる。

 

 立てる。

 俺はまだ立てる。

 

 まだこの足が大地を踏み締め、まだこの手が何かを掴み取ろうとしているのなら、何が何でも応えてやらねばならない。そこに何の意味があって、どんな結末が用意されているのか、わからない。知りたくもない。答えなどなくていい。答えなどなくても、この身体が知っている。この魂がずっと昔から知っているはずなのだ。

 

 津上翔一という紛い物の、生命(いのち)の理由を──……。

 

「ごめんね。こんな、ところまで……付き合わせちゃって……。君は、いつも、俺のことを……守ってくれてたのに」

 

 膝が震える。

 腕が死ぬほど重い。

 頭が()じれて落ちそうだ。

 

「最期に、もうひとつだけ、いいかい……? 俺の、ワガママを……」

 

 子供はまだそこにいる。

 何かを待つように、彼をじっと深く見つめている。

 

「倒さなきゃ、いけない、ヤツがいる……。もう、勝てる見込みは、ないけどさ……」

 

 時限で自壊しない厄介なロードノイズが三体、まだ野に放たれたままだ。これを放置して逝去などできるはずがない。特に黒豹の女王は危険だ。一度の戦闘で理解した。アレは本当に強い。

 たとえ、完全に回復した風鳴翼と立花響が二対一で挑んだとしても到底敵う相手ではない。現時点での彼女らの実力では勝機はないと断言できる。

 では、自分はどうだろう。この朽ちて枯れゆくだけの身体で勝てるのか。答えは決まっている。奇跡が起ころうと無理だ。死を待つだけの肉体にこれ以上の強さは宿らない。

 

「それでも……諦める……わけに、は……いかない……」

 

 諦めない。

 諦めたくない。

 

「だって……俺は……」

 

 皮膚が剝がれた(てのひら)を眺めて、ぐっと握り締める。

 

()()()()()()だから」

 

 その名前は手に負えないほどの重荷であったが、そう呼ばれていることを最初に知ったときは、少しだけ嬉しかった。

 誰かに認められたような気がして。

 この命にも価値があるのではないかと思える気がして。

 

 生きてもいいんだよって、言われた気がして。

 

「仮面ライダーが……命を諦めるわけには……いかんでしょ……?」

 

 真似事だけどね、へへっ──と、痛ましげに立つ姿とは裏腹に、彼は恥ずかしそうに目を細めた。

 

 子供は何も言わなかった。ただ少しだけ嬉しそうに微笑みかけると、小さく頷いて、歩くこともなく、吸い寄せられるように、彼の傷だらけの身体へと消えていった。いや、在るべき場所へと()()()()()()のだろう。

 ずっと守ってくれていた。

 死なせたくないと怒ってくれていた。生きていてほしいと悲しんでくれていた。

 

 紛い物の俺に宿った、紛い物じゃない、俺だけの(ヒカリ)──……。

 

 

 がんばれ、仮面ライダー 

 

 

 とても懐かしい誰とも知れぬ声に背中を押され、津上翔一は泥だらけの顔を覆うように両手を交差(クロス)させた。

 それは人間として偽り続けた仮面を引き裂くための様相(ポーズ)であった。内なる異形の獣を解放させるために人であることを棄てる。闘争は自然の(さが)。殺生は地に芽吹いた(ことわり)。生きることは即ち他者を踏み躙ること。

 不等価に命を殺し、不条理に命を喰らい、不平等に命を続ける。これが弱肉強食たる世界の不変の原理である。命はただ喰らうために存在している。

 だが、愚かな人間だけは命を尊ぶ。そんなものが腹の足しにもなるはずもないのに、命に価値を背負わせる。それは強者にとって足枷だ。

 

 強さを求めるのであれば、人間である必要はない。

 

 獣になれ。より強い獣に。

 

「…………違う」

 

 否定する。

 心から否定する。

 

「命を嗤うことが強さなら、俺は弱者でいい」

 

 苦難に満ちた世界を、懸命に生きる者たちがいる。

 嘆き苦しみ、嗚咽を枯らし、泥の中を這いながら、それでも気高く生きる者たちがいる。

 背負わされた義務や押し付けられた責任でもなく、ただ純粋にこの手で守れる命があるのならばと、危険を顧みず死地へ飛び込んだ少女がいる。長き眠りについた親友(とも)のために自分の心すら騙し、ほんの僅かな平穏すらも断ち切って、修羅の道を突き進もうとした少女がいる。そんな親友(とも)を想いながら涙を流す少女がいる。

 みんな必死に生きていた。

 みんな誰かを想って、今を生きていた。

 

 なぜ、笑うことができる。

 なぜ、捨てることができる。

 

 強さの意味も理由も知らない。命を奪うことが強さだと言うのなら好きにしろ。だが、あの子たちを弱いとは言わせない。想い願い祈りながら、大切な誰かのために今日を生きていたあの子たちを、涙を堪え続けていたあの子たちの心を、弱いなどと言わせない。言わせてなるものか、絶対に……。

 

「弱くても、惨めでも、俺は、俺のまま、変わる」

 

 生きるということを、何もわかっていなかった。

 自分という存在を、どうしても許すことができなかった。

 でも、こんな紛い物の命だろうと、あの子たちのように少しでも生きることができるのなら──いや、願わくば、()()()()()と言えるなら……!

 

「変わる、何度でも! 俺は……ッ! 変わるんだあああああああああァァァッ!!」

 

 全身の細胞が沸騰したように蠢き、白く冷たい肌に溶岩のような血管が何本も鋭く(はし)る。原形を留めていないほど砕かれた骨格が生え変わるように(ゆが)み、(ほつ)れて萎んだ筋線維が再構築を始める。瀕死の躯体が最期の余力を搾り出して、生物の規範を逸脱した超常的な変異を促そうとしているのだ。

 しかし、それは無謀の試みである。

 骸も同然の臓器が急激な変化に耐え兼ねて破裂するかのような激痛を神経に送る。突如として口内に鉄の味覚が溢れんばかりに拡がり、自制などできるはずもなく吐血する。壊れた雨樋のように一気に地面にぶちまけるそれを見て、勿体ないことをしたと静かに反省する。続く第二波は気合いで喉奥に押し込んだ。

 気色の悪い味だ。腐った肉の臭いがする。今にも吐きそうだ。だが、おかげで五感を思い出してきた。指先の冷たさも、体の気怠さも、傷口を撫でる微風も、見下ろす太陽の日差しも、今は鮮明に感じ取れる。

 

 俺の意志に、俺の命が応えてくれている。

 

 津上翔一は荒ぶる心を鎮めるため目蓋を閉じた。死に物狂いで弾ける心臓の鼓動と骨と肉が激しく擦り合う痛烈な鳴動が聴こえる。それらは自らの身体が崩壊していく死の残響と相違ない。溶け落ちた蝋燭に揺らぐ風前の灯火に油を浴びせるようなものだ。これが終われば灰となって消える。所詮は花火のような一瞬の煌めきに過ぎない。その後には何も遺らない。死ぬとはそういうこと。命なんてそんなものだ。取るに足らないちっぽけなものなんだ。

 

 だからこそ、守るんだ。このちっぽけな両手で、守り続けるんだ。

 

 俺の理由はそれでいい。

 

「変、身ッ!!」

 

 十字を爪で引き裂くようにして、眼前で交差(クロス)した両腕を素早く脇下に引き絞る。喀血するほど容赦なく震わせた爛れた喉で、もう何度叫んだかわかないあの台詞を高らかに宣言するように叫んだ。

 

 変わるために。変えるために。

 

 正義(こころ)の仮面を身に(まと)え、紛い物の仮面ライダー……!

 

「…………っ!?」

 

 その時、不可解な現象が起こった。

 幾多にも連なる(まばゆ)い照明が突如として一斉に閃光を弾かせたように、世界は刹那の光輝によって真っ白に染め上げられ、津上翔一に内在する意識もそれに逆らうことすら許されず呆気なく吞み込まれた。

 白だ。

 何もかも白い。

 自分が落とす影すらも光に溶けてしまいそうなほど闇を拒絶した純白の空間。ここが現実の世界ではなく、単なる幻影でもないことを知りながら、津上翔一は永久に拡がる海の蒼に投げ出されたような心境のまま静止していた。焦る必要はない。ようやく向き合える時がきたのだ。

 

 ()()()()()()、と。

 

 やがて、彼の背後から足音が一定の間隔で刻まれる。

 それはずっと遠くの方から、津上翔一の背中だけを見つめて、迷いなく迫ってくる。

 歩調はゆっくりと慎重に嚙み締めるようだった。まるで、距離を縮めることに恐れを抱いているような消極的な足音であったが、一歩ずつ確実に津上翔一が立つ場所へ歩み寄っている。

 

 俺たちは、すれ違ってすらいなかった。

 

 秘めた想いも叶えたい願いさえも異なっていた。互いの表情すら見えないほど遠く、どれだけ叫んでも声は届かず、理解の外にあるものとして無意識に諦めていた。()()が本当に望んでいるものが何なのか知ろうとすら思わなかった。少し考えれば、わかりそうなものなのに──。

 でも、今は違う。

 素直に認めることができる。

 忌むべき力ではない。拒むべき闇ではない。 

 だから、聞こえる。今まで聞こえることのなかった足音が。

 

 ひたすら前に進み続ける、同じ場所を見つめた戦士の靴音が──。

 

 ()()は津上翔一の(となり)に並ぶと、目的を遂げたと言わんばかりに直向(ひたむ)きな歩みをピタリと止めた。白き世界で横一列に並ぶ人間(ヒト)異形(ケモノ)。互いに交わす言葉もなければ、合わせる視線もない。二つの影は一つの方向だけを真っ直ぐ見据えていた。

 

「俺は、おまえだ」

 

 津上翔一は真横に立つ足音の正体を一瞥して確かめることすらせず、一方的に言葉を投げかけた。

 生きる価値と存在する意味を見出せなかった〝心〟と無価値でも無意味でも生きようと足掻いた〝力〟がある。

 死を許容する側面と生に縋る反面。〝心〟は自身の命を蔑み〝力〟は自身の命に強く執着した。両者は一つの生命(いのち)を形成していたにも(かかわ)らず、最初から噛み合わない歯車として破綻していたのだ。

 しかし、一つ腑に落ちないことがある。

 自己の生命を維持するために必須ではないはずの行為──ノイズの捕食活動を〝力〟は率先して促していた。奇妙な話だった。戦姫の奏でる歌に喰らいつき、聖遺物のエネルギーに涎を垂らすことは〝力〟にとって生存に関わる本能的な行動だ。だが、胃袋を満たせないノイズの捕食は(むし)ろエネルギーの無駄であり、結果的に寿命を削るだけだ。ノイズに飢える必要はない。あれは天羽奏の魂を維持するための活動であって、自己の生存という目的とは大きくかけ離れてしまっている。

 

 では、どういう意図があって、()()はノイズを喰らうことに重きを置いたのか。

 

「そして、おまえも俺なんだ」

 

 ()()()()()()

 それがすべてだった。

 

「いこう。俺たちで、仮面ライダーだ」

 

 人間(ヒト)異形(ケモノ)の影が、呼吸すら重なるようにして同時に一歩目の右脚を踏み出した。

 それに続く二歩目の左脚も同じ歩幅と速度で前方に踏み締める。更に一歩、また一歩と、二つの影は互いの脈拍まで完璧に模倣するように前進する。光と影。表と裏。決して相容れない人間(ヒト)異形(ケモノ)が一つの肉体へ収束するように重なり合っていく。

 徐々に速度を上げる。

 人と獣が合わさっていく。

 白に染まった世界を置き去りにして、絶望に塗り固めた現実を斬り裂くように走り出していく。

 暴力(ちから)だけでは猛き獣に過ぎない。理想(こころ)だけでは弱き人に過ぎない。どちらも欠けてはならない。人と獣の境目。二つが交わるその座標には何がある。思い出せ。忘れてはいないはずだ。その胸にまだ傷だらけの正義があるとして、悪しき闇を討つ覚悟があるとして、その(まぶた)の裏側に命賭して守りたいものがまだ見えているのなら──……。

 

 人と獣の境界線を超えていけ。

 

 それが戦士(ヒーロー)だ。

 

『──w$*<<°h□□a:::t↑??!!』

 

 弾け飛ぶ災害(ノイズ)の肉片。

 戦塵に紛れて舞い上がる遺灰の如き煤。

 何が起きたのか、理解も儘ならぬ動揺が雑兵の悲鳴となって崩壊した工場施設に喧しく伝播する。圧倒的な数で勝るはずの群体が自らの根源に絡みついた畏怖を個に向けて発する。ありえない。あってたまるか。奇跡の一言で片づけていいものではない。地に伏せた屍も同然の人間が、なぜまだ戦う力を取り戻している。なぜ、そんな身体でまだ立ち向かおうとしている──?

 しかし、どれだけ劇的な再起を遂げようと、所詮は朽ちて散るだけの枯葉に違いない。程なくして落ち着きを取り戻す災害(ノイズ)の群体は乱戦を見据えて、ジリジリと()()を取り囲むようにして陣形を展開していく。

 

 対して、()()は微塵も焦燥感に駆られていない極めて自然体の出で立ちを保っていた。

 

 たかが瀕死の戦士と侮るなかれ。

 ここに在るのは、英雄(ヒーロー)気取りの紛い物。

 

 筋骨隆々とした逞しい四肢は鋭く、敵を嬲り殺せるだけの筋肉まで発達を遂げている。腰部に巻かれた金色の超因子(メタファクター)に嵌め込まれた賢者の石は死すら跳ね除けんとする碧の光彩を絶えず放ち、瓦礫の山に異形の影法師を伸ばす。

 真紅の複眼は燃える火のように。

 銀色の双牙は怒れる虎のように。

 片膝をついた異形の戦士は音もなく悠然と立ち上がると、頭部から生えている昆虫のような二本の触覚を解放させ、まさに武神と呼ぶに相応しい徒手空拳の構えにて(ノイズ)の軍団に立ち塞がった。

 

 仮面ライダーギルス。

 

 それが放つ死と立ち会うが如き覇気は今までの比ではない。

 楔から解き放たれた荒れ狂う猛獣に恐れるのではなく、武の頂に達した仙人の超常的な眼力を前に平伏してしまう、格の違いを有無を言わさず理解させるような威圧だ。

 天と地ほどの実力の差を、災害(ノイズ)たちは感覚的に察していた。

 間違いなく、自分たちは狩られる側にいる。

 蛙のような姿を模したクロールノイズの一匹がついに戦線から離脱を試みる。たかが一匹臆した程度では多対一の優勢の構図は崩れない。味方はまだ腐るほど潤沢にいる。何の痛手でもない。

 

 背を見せて敵とは反対の方向へ跳ねたクロールノイズが次の瞬間に聞いた音は、()()()()という自身の躯体から生ずる残虐たる破砕の響きだった。

 上空から突然なにかが降りてきた。

 激震と共に丸太のような膝が槍のように突き刺さり、片手で頭部を掴まれ完全に動きを抑え込まれたのも束の間、抵抗の余地すら与えぬ転瞬の間にて手刀が(はし)り、斬首の如くノイズは捩じ切られてしまう。一切の無駄を省いた冷血な処刑人のような圧巻の性能(キレ)。暴力的とまで言える物量の有利を得たノイズの大群に慄然としたどよめきが駆け巡る。

 敵はたったの1体。

 それも押せば倒れそうな瀕死の状態。

 数的な暴力で畳み掛ければそれで終わるはず。

 

 なのに、何故だ……。

 

 なぜ、どこにも勝機が見当たらないんだ。

 

 再び立ち上がる異形の戦士は、鮮血にも似た災害(ノイズ)の残骸たる煤がついた指をパキパキと折りながら、死に臆さぬ力強い口調で言い放った。

 

「逃げるな。俺も逃げない」

 

 そして、仮面ライダーギルスは走り出す。

 

 何の為に?

 誰の為に?

 

 無論──。

 

「最後まで、生きてみる」

 

 二度と失くさぬために。

 

「生きていたと、胸を張って言うために──ッ‼︎」

 

 もう一度、笑顔で会うために。

 

 




忘れ物は取り戻せないけど
代わりのものはたくさん貰ってきたから

……ということで、ここからはギルスじゃなくて仮面ライダーギルスの戦いです。


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