仮面の理 (アルパカ度数38%)
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序章
序章 前


色々と思うところあって、途中で止まっていたこの作品を再開する事にしました。
再開に当たって、ハーメルンに投稿する事にも。
とりあえず五章を1話分書けたので、投稿開始いたします。


 

 

 ぷーん、と香る薬品の臭いに、僕は軽く顔を歪めた。

背を預け、踵で床に体重をかけ、足裏を少し上げてみせる。

得体のしれない素材のクリーム色の壁からは、わずかに塗料の匂いがした。

 

 僕は何時ものように憂鬱だった。

毎日のように行われる“実験”は麻酔つきなので痛みこそ無いが、最悪は痛み云々ではない。

電気を流したり魔力を流したりしてその反応を見るぐらいならまだしも、痛みも無いまま腹を捌かれ、臓器のサンプルを取られるのは本当に嫌だ。

確かに痛くは無いのだが、その間に何かをされていると言うのが、なんとも言えずおぞましい感覚なのだ。

痛みなど、どうでもよくなるぐらいに。

 

 後からホルマリン漬けの輪切りの臓器を笑顔で見せてくる科学者どもは、一体何を考えているのだろうと思う。

本当に最悪って奴なのだ、あの感覚は。

 

 そんな風に思いながら、七歳児の背丈に患者衣のまま、軽く頭をかきむしる。

少し伸びた黒い髪の毛が、視界に映って少し鬱陶しい。

そういえば髪の毛と同じく、僕の目は黒いのである。

魔力が高いほど髪なんかの色素が薄くなりやすいと聞いたのだが、それは僕には当てはまらないようだった。

 

 ガクン、と言う音。

僕と監視役の白衣の男が同時に視線をやった先の、赤いランプが消える。

それからそのすぐ下の両開きの扉が開き、中からガラガラとキャスターの音を響かせながら、金属製の担架が出てくる。

嫌な予感とと共に、異臭が漂ってきた。

 

 目を細めながら見やると、出てきたのは昨日まで“広場”で遊んでいた仲間の全裸の死体だった。

名前はUD-193。

銀髪の女の子で、確かオッドアイを持っていたのが印象的。

年下の子の面倒を見るのが好きな、穏やかな性格の子だった。

 

 この“家”の中には大体10歳以下の様々な実験体がいるが、もう駄目となった実験体は、もったいない精神で最後の最後まで利用される。

確か齢9つだったUD-193は、股から白い液体を零しながら、全身の要所の皮膚を剥がれた上に脳を剥き出しにし、瞼を無くし閉じる事の無い目を開けていた。

実験的にも性的にも使い尽くしたと言う事だろう。

末路は恐らく、廃棄所にポイ、だ。

 

 相変わらずな光景に吐き気を感じつつも、入れ替わりにこれから実験室に連れて行かれる僕には、それに憤る暇すら無い。

何時もの事だ、とため息をつきながら、僕は白衣の男に監視されながら実験に連れられていく。

そんな僕の名前は、UD-265。

“家”と子供たちが呼ぶ違法実験施設に生まれた、ただの実験体である。

 

 

 

 ***

 

 

 

 瞼を開く。

青空と雲に太陽が描かれた天井が見え、僕は自分がまだ生きている事を確認した。

腰を上げて胡座をかき、重い頭に額をごりごりと擦る。

一つ欠伸をして、目に浮かべた涙を拭ってから、僕はため息をついた。

 

 此処は、“家”の中でも“広場”と呼ばれる場所である。

どんな場所かは、閉所にある公園をイメージしてもらえばそれでいい。

なんだかアスレチックな遊具や、ブランコに滑り台に砂場があったりする。

正確な広さは分からないが。

 

 百人近くいる子供が集まっても、手狭には感じない広さだ。

僕ら実験体はなんでか個室に閉じ込められるのではなく、多くの時間をこの“広場”で過ごしている。

小さな子供に運動の一つでもさせないと、実験体としての性能に差し支えでもあるのだろうか、よく理由は分からないが。

 

 そんな広い“広場”内だが、それでも子供達は皆自由と言う訳ではなく、しがらみと言う物がある。

いわゆる、グループの形成である。

女子の方がどんなグループを形成しているのかは寡聞にして知らないが、男子の方はわかりやすい。

腕っ節の強さ順、それにつきる。

 

 これは結構変わりやすい基準で、数日前まで弱かった子供がある日魔力を覚醒して下克上したり、ある日ボスが実験室に行ったっきり戻らなくなったり、そんな事はよくある事だ。

なのでこれまでは頻繁に男子のボスが変わっていたのだが、ここ一年は違う。

UD-213と言う番号の子供が、ずっとガキ大将として収まっている。

 

「おい、生意気な事言ってるんじゃあねぇぞっ!」

 

 喧騒の中心にいるのは、どうやらUD-213であるようだった。

特徴的な小太りの体型に、短く刈り込んだ金髪、濁った青い瞳。

事ある毎に格下の男子に暴力を振るう、確か齢9つぐらいの男だ。

魔力ランクはAA。

当然、魔力が覚醒していない事になっている僕よりも、ずっと腕っ節が強い。

 

 なので僕は、それに関わらないように、僕は静かに実験後の気怠い体を立ち上げ、遊具の影を通ってその場を離れようとする。

 

「はっ、何処の誰が生意気だってっ!?」

 

 が、その言葉が僕を引っ掴んで止めてしまった。

思わず振り返ると、そこには黒曜石のツンツン髪に黒く深い瞳をした、僕の親友UD-182が立っていた。

何やってんだよ、親友。

僕はため息をつき、広場の中心に注目している子供らをかき分け、砂場まで歩いていく。

 

「おっ、265っ! 起きたか、丁度いい、手ぇ貸してくれっ!」

「げっ、265、てめぇまで来やがったのかっ!」

 

 砂場にたどり着くと同時、僕を迎えたのは二通りの大声だった。

残る心地良い眠気がはじけ飛んでいくのを感じつつ、僕はため息混じりにUD-182に聞く。

 

「で、何があって213と喧嘩になっているんだい?

僕らは理性ある人間なんだし、対話で解決しようぜ?」

「いつも通りさ。ただの因縁だ」

「あぁ!? てめぇが生意気なのがいけないんだろうがっ!」

 

 対話は十秒と持たなかった。魔力を開放してUD-182に殴りかかるUD-213。

対してUD-182もまた魔力を開放し、拳に収斂して殴りかかる。

その速度は圧倒的。

颶風と化した二人が数メートルの距離を一瞬でゼロにし、互いの拳を巧みな技で避けきる。

そのまま魔力で強化された身体能力で殴りあう二人。

 

「ぉおおぉおおぉっ!」

 

 絶叫が輪唱し、その場は二人にしかついていけない戦闘の場となる。

勿論、魔力が未覚醒な僕も、手を出せば邪魔になるだけ。

なので僕は振り返り、それを呆然と見ていたUD-213の取り巻きを見やる。

はっ、と彼らは僕の存在に気づき、拳を腰だめに構えながらジリジリと近づいてきた。

 

 敵意が、僕の全身を舐めるようにするのを感じる。

唾液が気化熱を奪い、全身が凍ったかのように寒くなった。

怖い。

予測される痛みも現在の敵意も、どちらも怖くてたまらない。

足が今にも震えそうになる。

生まれてからずっと変わらず、僕は暴力沙汰が苦手だ。

 

 やっぱり、UD-182の手助けになんか、来なければよかったかもしれない。

反射的にそう思ってしまう自分が情けなくて、涙腺が刺激されるのを僕は感じた。

それでも意地を通して、どうにか涙を引っ込める事に成功する。

何でもないかのように、僕は虚勢を張って口を開いた。

 

「あぁ、面倒くさっ」

 

 小さくため息をつくと、それが勘に障ったのだろう、一番近くに居たUD-198が拳を振り上げ突進してくる。

反射的に目を瞑ってしまいそうになるのを、全身全霊で阻止。

僕は拳を伸ばした左手でさくっ、と弾き、そのまま左手の掌底を彼の顎に当てる。

今更になって上がる女子の甲高い悲鳴と共に、UD-198はくわん、と目を揺らすと、そのまま倒れた。

 

「で、誰からぶっ飛ばされたいのかな?」

 

 その倒れたUD-198に念のため蹴りを入れつつ、僕は細めた目で周りの男子を見やる。

僕のこの体は中々ハイスペックらしく、こうやって一対一の喧嘩をする分には、魔力持ち相手じゃなければ負けた事はない。

何というか、非常に勘が冴えていて、こうすれば相手を倒せるんだ、と言うのが何となく分かるのだ。

 

 それでも僕は、暴力沙汰が怖かった。

自分が勝てるとわかりきっていても尚、だ。

敵意を向けられるのは勿論怖いが、向けるのだって怖かった。

今だって僕は、UD-198に余計に蹴りを入れてしまった。

大丈夫だと勘は告げる。

でも、UD-198が何か大きな怪我をしていないか、不安で仕方がなかった。

殴った時の肉の感触が、気持ち悪くて仕方がなかった。

 

 僕の流し目に男子達は半歩下がり、それから自らの臆病さに顔を真っ赤にして、先頭の数人が殴りかかってくる。

恐怖に身が固まりそうになる反面、体は不思議と流暢に動いた。

拳やら蹴りやらを軽くあしらい、その場に叩きのめす。

 

「く……くそっ!

頼む、245、186、179っ!」

 

 すると今度は、UD-213以外の魔力持ちの男子が前へ出てきた。

今度ばかりは簡単に勝てる相手ではない。

とは言え、勝てない相手ではない。

 

 と言うのも、この“家”では魔法について一切の知識を教えていないのだ。

科学者らを見るに、防護服のような魔法とか捕縛用の魔法とかがあるのだが、僕らはそれを知らないのでできない。

できるのはただ、原始的な魔力による強化のみである。

当然効率は悪く、パワーとしても大人と子供程度の差しかでない。

勿論それも十分な差ではあるが、僕の肉体はそれを覆すだけの勘を持っている。

精神がそれに全くついていけていないのが、なんとも言えない事実だが。

 

「うりゃあっ!」

 

 掛け声と共にびゅおんと大きな風音を立てて顔面を狙ってくる拳を、左拳で弾く。

その際、何となく腕を回転させ、コロリと転がすように威力を流すのがコツだ。

ビリビリと表皮を持って行かれそうなぐらいの痛みが走るが、無視。

続いて腹を狙ってきた縦蹴りを、半身になって躱す。

当たれば反吐をぶち撒ける蹴りが、僕のすぐ横を素通りしていった。

 

「何っ!?」

 

 拳を弾いた左手をそのまま下ろし、蹴ってきた足を確りと掴んで引っ張った。

小さい悲鳴を上げながら、真ん中のUD-186がずっこけて床に頭を打ち付ける。

まぁ、砂場だし大した怪我にはならないだろう。と思う。

大丈夫だよな、大丈夫だよな、と内心ビビリながらの行動だった。

 

 などと心配している暇も無く、僕の背面に回ったUD-179が回し蹴りを。

前面からはUD-245が反対方向からの回し蹴りを。

受ければ骨が折れてしまうので、咄嗟に僕はUD-245の方に走りだす。

蹴りは僕の背側を空振り。

そのまま顔面に拳をくれてやると、小さな悲鳴を上げてUD-245が倒れた。

踵を返すと、UD-179が怯えた笑みで僕を見ている。

地味に、辛い光景だった。

 

 やれやれ、何とかなったっぽいな、と思ったその瞬間、嫌な予感。

全力で避けようとするよりも前に、ガツン、と言う音と共に視界が揺れた。

思わず膝をつく。

何とか背後を見ると、先程転ばせたUD-186だった。

蹴りの一発ぐらい入れておけば良かった、と思いつつも、まぁどうでもいいかと思う。

 

 何せ、僕と相対している三人は、確かBランクの魔力しか持っていない筈であり、AAランク同士の喧嘩なんかに割り込む力はない。

つまり僕が勝とうが負けようが、UD-182とUD-213の喧嘩でどっちが勝つかが、この喧嘩の勝ち負けとなるのだ。

要するに僕が頑張っても頑張らなくても結果は同じって事だ。

なら僕が相手を傷つけずに済んだ分、この方が良いのではないか。

誰かを傷つけるのは、本当に怖い。

傷つけられるよりかは。

頑張ればもうひと暴れぐらいできそうだった体から、活力が無くなっていく。

 

「くそっ、くそっ、魔力無しの癖にっ!」

 

 後はうずくまった僕に適当に男子たちが蹴りを入れるばかりの展開である。

UD-182が僕に気づいてくれれば加勢に来てくれる事もあるのだが、どうやら必死らしくそうもいかないらしい。

まぁ、魔力覚醒済みの男子達も流石にフクロにしてまで魔力を込めて蹴ってきたりしない。

というか、そんな事されたら冗談抜きで死んでしまうのだが。

まぁ、なのでこのままでいいかと意識を薄くする。

 

 意識を薄くする。

しかし僕のその行為はなんだか自分の精神が頭の後ろの方にびゅんと飛び出て、遠くから自分を見下ろしているような気分になるのだ。

なんだかこれは僕がこの人生を未だ現実だと認識していない証拠のような気がする。

諦めが早いのも、その為だろうか。

今の喧嘩も、僕が本気で殺す気でやってれば勝てただろうし、そこまで本気じゃなくてももっとやる気があれば勝てたかもしれない。

なのに結果は、これである。

 

「こらっ!

やめなさいっ!!」

 

 と、研究員の怒声が響いた。

すぐさま僕を蹴る奴らの動きが止まり、UD-213の動きも止まるが、UD-182だけはその動きを止めなかったようだ。

おずおずと視線をあげると、バキッ、という小気味良い音と共に人間が吹っ飛んでいく光景が目に入る。

 

「へへっ、よそ見してっからだよっ!」

「UD-182っ、何をやっている!」

 

 勝どきをあげるUD-182に、研究員が怒声をあげる。

研究員の足元に緑色の円形魔方陣が出現、そこから飛び出た緑色の鎖が僕の親友を絡めとり、拘束した。

多分バインドとか言う魔法だろう。

その魔法をよく見て記憶していると、僕に気づいたUD-182が目を丸くし、自由になる手を縦に立て、ごめんなさいのポーズをする。

それから親指を立てて自身へと向けた。

何時もの合図である。

 

「またやらかしたのか、お前ら……!

さっさと個室へ戻れっ!」

 

 親友からの合図に頷き、僕はゆっくりと立ち上がる。

鉛のように重い体は節々がズキズキと痛むが、それを表に出さないよう僕は立ち上がった。

先程までフクロにされていた僕が何でもないように立ち上がったので、研究員が目を見開く。

 

「お、おい、UD-265、大丈夫なのか……?」

「えぇ、はい。何の支障もありませんよ」

 

 本当は痛くて仕方がなかった。

泣きたかった。

周りの目など気にせず、むせび泣いてしゃがみ込みたかった。

しかしなけなしのプライドでそれを無視して、軽く皆へと視線を流す。

男子はなんでか半歩引いてしまい、代わりに関係のない女子からは嫌悪の視線で見られる。

喧嘩をして“広場”に居られる時間を減らす僕らは、彼女たちに取っては嫌悪の対象なのだろう。

軽く肩をすくめ、僕は“広場”を真っ先に出ていく。

 

 “広場”から出る際には、まるで僕らの立場を示すように首輪を嵌められる。

逃走防止用の、魔力の使用を抑止する首輪である。

冷たい感触に眉を潜めつつ廊下に出ると、裸足が冷たい床に張り付くようだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 ズキズキと痛みが全身を駆け巡る。

子供の裸足とはいえ、同じぐらいの体重の相手に蹴られまくった痛みは暫く引かなかった。

 

 憂鬱な気分になりつつ、自室に戻った僕は扉を閉めてすぐ、扉に耳をくっつけ、外の音を聞く事にする。

どうやら大して防音性が高く無いらしい実験体の個室からは、扉を閉める音が聞こえるのだ。

いくつも重なるそれを聞き、それが途絶えて暫くしたのを確認してから、僕は立ち上がった。

ベッドの上に椅子を乗っけて、その上に立って手を伸ばすと、通風口に手が届く。

簡単な引っ掛ける仕組みになっているそれを外し、僕はタイミングよく全身に力を入れ、通風口の中に入っていった。

 

 蜘蛛の巣が張っている通風口を通りぬけ、UD-182の部屋の上までたどり着いた僕は、先程と同じ様に通風口の蓋を外し、口を開く。

 

「182、来たよ」

「おっ、いつもすまねぇな、俺だと通風口に引っかかっちまうからさ」

 

 と言いつつベッドの上からUD-182がどき、続いて僕がベッドの上に飛び降りる。

と同時、膝を曲げてクッションを作り、音を可能な限り消した。

謎の身体能力の面目躍如である。

 

「ヒュー、相変わらずスゲェな、お前のそれ。

俺も真似できそうにねぇや」

「こんな時ぐらいしか役に立たないけどね」

 

 肩をすくめつつ、僕は勧められた椅子に座り、UD-182はベッドの上に座った。

僕より3つ年上らしい彼は、矢張り僕よりも数段大きく、力強く見える。

その精神までもがそうな事を知っているからかもしれないけれども。

 

「で、一体今日の喧嘩は何が理由だったんだい?」

「あぁうん、巻き込んじまったんだし、それぐらいは言わねぇとな」

「自主的に、だったけどね」

 

 と言うと、クスリと微笑んでからUD-182は言う。

 

「丁度此処を出る為の訓練をしてた所に、いきなり213がいちゃもんつけてきてよ。

癇に障るからやめろ、だったっけな。

いきなりそんなんだからこっちも喧嘩腰で行かせてもらって、そんで結局喧嘩かな」

 

 あんにゃろめ、とシャドーボクシングをする親友に、しかし僕はため息混じりに答えた。

 

「でも、それも分かる気がするな」

 

 拳を止めるUD-182。

ゆっくりと僕へと体ごと視線をやり、じっと見つめてくる。

意識が僕に向かうのを感じながら、僕は口を開いた。

 

「此処はさ、地獄以外に行き先のない場所だ。

何せ僕達は消耗品なんだ、いずれ使い捨てられる事は目に見えている。

覚えてるだろ、今日だって一人死んだ。

僕らみたいに潜在魔力が高ければ扱いも丁重になって死にづらいけれど、それだっていずれ死ぬ事には変りない」

 

 UD-182はAAランク、僕はSランクの潜在魔力が確認されている。

潜在魔力と言うのは、リンカーコアが未熟な幼少時に上手く魔力が運用できない際の、推定魔力量の事を言う。

なのでUD-182に対しては適切な言い方では無い。

僕にしても、ここ最近なんだか魔力が使えそうな感覚があるのに使っていないだけなので、そろそろ魔力に覚醒しそうなのかもしれない。

した所で、何の役にも立たず、此処で死ぬまで実験を続けられる事は変りないのだろうけれど。

 

「そして、だからといって此処を逃げ出す事はできない。

それは此処を二度も逃げ出そうとして失敗している僕らが一番実感している筈だろう?」

 

 UD-182が僅かに目を細める。

先を促しているだけの視線もなんだか僕を責めているように思えて、僕は足元に視線をやった。

自意識過剰だと分かっていても、僕がこんな臆病な態度を取ってしまうのはいつもの事だった。

 

 しかしそれにしても、事実だった。

僕ら、というかUD-182は此処を逃げ出そうとし、僕も無気力な身ながらその気力に引きずられるようにして此処を逃げ出そうとした。

 

 第一回は、“広場”に入ってくる研究員と入れ替わりにダッシュだったが、迷ってとりあえず下に降りる階段を探しているうちに行き詰まり、捕まった。

一応、成果がなかった訳ではない。

その際迂闊な研究員から此処が地下施設であると言う事を聞いたのだ。

代償として、“広場”への出入りの際、研究員が入り口近くの監視カメラを確認してから入るようになってしまったが。

 

 第二回は、魔力に覚醒したUD-182による強行突破だった。

ドアを次々にブチ抜いていく僕らの強行突破は途中まではトントン拍子に進んだが、デバイスも無しに魔力を放出して殴るだけのUD-182のスタミナに限界が来て、途中で捕まった。

今度は正真正銘成果無しである。

それどころか“家”の内部のドアに軽い対魔力障壁まで作られてしまった。

 

「182はそれでも逃げ出す事を諦めてないみたいだけどさ。

そうやっている僕らを見ていると、余計に此処から逃げ出せない事を実感するのは仕方ない事なんじゃあないかな。それに……」

 

 僕は一旦言葉を切り、思い悩む。

脳裏に思い描かれるのは、二度とも僕が捕まった時の光景。

正直、捕まった時は殺されるかと思った。

空虚な人生を歩んでいると言っても、矢張り殺されるかもと本気で思った時は、怖くてたまらなかったのだ。

 

「それに僕達も、そろそろ逃げ出そうとするのはやめておいた方がいいかもしれない。

これまでも偶々僕らが魔力資質に恵まれているから殺されずに澄んだだけで、きっともう何度か面倒を起こしたら、きっと殺されちゃうよ。

僕は、それが……怖い」

 

 言い終え、僕は強まる視線の圧力に、思わず体を縮こまらせる。

言ってから、少しだけ僕は素直に思った事を言った事に後悔した。

ついに僕は嫌われてしまったかな、と思ったのだ。

しかも言ってしまってから後悔する自分の浅慮さや小心さに、ガクンと心が沈む。僕ってなんて小さい奴なのだろう。

 

「でも、さ」

 

 UD-182の言葉に、苛立ちなど攻撃的な物は含まれていなかった。

ゆっくりと僕が視線をあげると、彼のそれとかち合う。

真摯な瞳だった。

その瞳には、僕の賢しげで癇に障りそうな口調の言葉にも波立たない、巨大な心の海が見えるようだった。

 

「でもさ、いずれ死ぬのなら、何処に居たって一緒だろ?」

「……うん」

 

 言われて、思わずそういえば確かに、と思う。

別に此処を抜けても永遠に幸せで居られる訳でも無いのだ。

などとネガティブに向かってしまう僕に、野獣のような笑顔でUD-182は続ける。

 

「だったら俺は、好きなように生きたい。

此処にいたってただ実験体になって、アイツらの研究の成果になるだけだろ?

そんなの、俺はゴメンだね」

 

 一旦口を切るUD-182の瞳は、いつの間にかその意思を宿すような凄まじい威圧を発していた。

UD-182を中心に、まるで小さな台風でも巻き起こったかのような圧力が発せられる。

 

「俺は決して、此処から出る事を諦めない」

「……っ」

 

 燃え盛るかのような熱量。

物理的には何もなく、魔法的にもあの首輪をつけられている以上、UD-182には何一つ超常現象を起こす力は無い筈だ。

だが僕は、確かにUD-182から、心の底が燃え上がるような圧倒的熱量を感じた。

心の一番深い所に火がつき、その明かりが仄暗い僕の全身を照らしてみせるのを感じる。

お腹の奥が燃え上がるように熱く、全身から汗がじんわりと吹き出すようだった。

 

「確かによ、無理かもしれねぇ。

どうしたってここから逃げるのは無理で、俺がしている事は無意味なのかもしれない。

魔力のお陰で今まで命までは取られちゃあいないが、次こそ駄目かもしれない。

無意味な行為で、無意味に死ぬかもしれない。

だけどよ」

 

 ニヤリ、と男臭い笑みを浮かべ、UD-182はボスンと胸の前で掌に拳を打ち付ける。

 

「何度そう思ったって、心の中で、燃え続ける何かがあるんだ。

諦めるなって、そう叫び続ける何かがあるんだ」

 

 普段なら聞き流すような言葉だけれども、今まさにUD-182の言葉を聞き、心の中に燃え盛る何かを感じる僕にとっては、頷ける話だった。

 首肯する僕を見て、笑みを深くしながらUD-182は続ける。

 

「目の前に、壁がある。

どでかくて、分厚くて、周りを囲ってあって、決して抜けられないような壁がある。

そしたらどうする?」

「どうするって……、どうしようもないんだろ?」

 

 ふっ、と小さくUD-182は微笑んだ。

次の瞬間、拳を打ち出す。

僕とは距離がある筈なのに、確かにその風圧が胸に届き、押されたような気さえした。

 

「その壁が、ぶっ壊れるまで殴るのさ」

 

 凄まじい笑みだった。

心をガシッと鷲掴みにされるような笑み。

 

「それが例え、その壁を殴り続けるだけの一生で終わっても、いい。

俺は決して壁の中で座り込むような真似だけはできねぇ」

 

 伸ばした拳をほどいて翻らせ、掌を天に向けるUD-182。

そのまま手を真っ直ぐに天に向け、ぎゅ、と握り締める。

 

「掴むんだ、求める物を。

俺はそれを、絶対に諦めない」

 

 これだ。

これが、UD-182だ。

誰もの心を燃え上がらせ、希望の灯火を作る男が、僕の親友なのだ。

無意識に僕は興奮し、生唾を飲み込みながら彼に見入っていた。

その崇高で輝かしい魂に、魅入られていた。

まるで英雄譚の主人公のような、圧倒的心力。

 

 いつの間にか、僕の中からもう逃げ出すのをやめようなんて考えは、消え去っていた。

体の中で暴れまわる感情に任せて、僕もまた口を開く。

 

「ありがとう、182。

僕、ちょっと弱気になってたみたいだ」

「へへっ、いいってことよっ!

じゃあ、いつも通り、作戦会議としゃれ込もうぜ!」

 

 にっこりと微笑むUD-182に、こちらも思わず笑みを凝らしながら、ガッツポーズを取る。

そんな風にして、僕らは此処から逃げ出す為の作戦会議を始めるのであった。

 

 

 

 

 



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序章 後

 

 

 

「おい、何だと?」

 

 UD-182が冷たく僕に吐き捨てた。

僕は内心震え上がるような思いだったが、表情筋を凍らせながら告げる。

 

「諦めろ、って言ってるんだ。

いい加減にしろっての、君の無茶に付き合わされるこっちの気にもなれよ」

「……本気か? いや、正気か?」

 

 “広場”の中心。

青く塗られた雲ひとつ無い描かれた空の元、僕とUD-182は向かい合っていた。

互いに氷点下の視線を向け合い、憎悪に満ちた言葉を口にする。

 

「君ごときが、何を言うのかな?

僕の助言が無ければ、此処を逃げ出す方法なんて思いつく筈も無い脳筋が」

「……上等だ。ハンデとして、魔力無しでやってやるよ」

 

 腕まくりをしながら、ピクピクと額の肉を痙攣させるUD-182。

僕もまた、腰を落として片手を腰だめに、片手を開いて伸ばす。

これも何となくこうすればいいんだ、と言う僕の肉体の命ずる勘による構えみたいなもので、今までも役に立ってきた喧嘩用の構えだ。

既に遠巻きに見ていた“広場”の子供たちが、更に数歩引き、十分な空間が空いく。

僕としても関係のない子供たちを傷つけるつもりはなかったので、それに内心安堵する。

 

「おりゃあぁっ!」

 

 怒号。

UD-182の拳が、真っ直ぐに僕の顔面へ向かって来る。

僕は更に低い姿勢をとり頭を下げ、それを回避した。

風切り音に肝が冷えるが、全身全霊でそれを無視。

そのまま溜めていた拳を放ち、UD-182の腹へと突き刺す。

 

「げ、ほっ!」

 

 一瞬動きを止めるUD-182。

効いているように見えたが、しかし悪寒が僕の背筋を走る。

ステップで横に跳ね跳ぼうとした僕だったが、既に遅く、UD-182は両手で僕の頭を引っ張るようにして抑えた。

しまったと思う時には、僕の顔面へとUD-182の膝が飛んでくる。

咄嗟に両手を交差させ、受けた。

 

「オラッ! オラッ! オラァッ!」

 

 一度。二度。三度。

最初は痛みの余り動けなかった僕だが、すぐにそれに慣れ、体を自由に動かせるようになる。

すぐさま僕は片手を膝の着地点に合わせ、膝を受ける寸前にもう片手で思いっきり引っ張った。

 

「オ……うおおっ!?」

 

 僕の股の間を突き抜けていく足に体重を取られるUD-182。

加えて僕が体重を預けたのもあって、すぐさま仰向けに倒れる。

僕はすぐさまマウントポジションを取る。

余計な行動を取られる前に、とりあえず仕返しとばかり、拳を作ってUD-182の頬を殴った。

 

「げはっ!」

 

 殴った。殴った。殴った。

二回目からはUD-182の交差した腕の上からだったが、関係なく殴った。

自分のしている事の罪深さに手が震えそうになるが、歯を食いしばって拳を握りしめ、殴り続ける。

すぐにUD-182の顔が腫れ上がり、口内からは血が滲むようになる。

僕は自身の拳から血が滲むのを感じたが、関係無い。殴る。

 

 しかしそうこうしているうちに、UD-182が防御を解いた。

何をしようと無駄であるのに何故、と思ったが、UD-182にはその知識が無いのかもしれない。

なので気にせずUD-182を再度殴ろうとした次の瞬間であった。

 

「ラァッ!」

「う……!」

 

 僕の下腹部を、経験したことのない痛みが走った。

金的だった。

思わず股間を両手で抑えるが、真っ直ぐに背筋を維持できない。

UD-182にもたれかかるようになるのを、彼はすぐさま押しのけ、立ち上がる。

僕は未だ全身を襲う吐き気と気持ち悪さに似た痛みに、動く事もままならない。

せめて地面に伏すようにして丸くなる。

 

「今度はこっちの番、だっ!」

 

 飛んでくる蹴りに、僕は最早耐え忍ぶしかなかった。

ゴス、ゴス、と鈍い音と共に、脇腹へと向かってUD-182の蹴りが飛んでくる。

蹴りが入った瞬間の突き刺すような痛み。

じんわりと広がる鈍い痛み。

金的の吐きそうな痛み。

全てに耐えながら僕が待っていると、“広場”の出入り口が開く、独特の機械音がした。

 

「おい、貴様ら何をやっているっ!」

 

 体の隙間から、実験体の子供たちがモーゼが割った海のように分かれ、その間から研究員が走ってくるのが目に見えた。

UD-182も今回は堪えたのだろう、ふらつきながら僕を蹴るのを止めて、足先から判断するに、研究員の方を向く。

 

「おい、オッサン、邪魔するんならただじゃあおかねぇぞっ!」

「くそ、またお前か、しかも相手がUD-265だとっ!?」

 

 悲鳴をあげる研究員が再び魔方陣から鎖を発射、UD-182を雁字搦めにする。

それから僕の方へ近づいてきて、強引に肩を引っ張り顔を上げさせ、言った。

 

「おい、大丈夫か? くそっ、こいつもUD-182も、医務室行きだな」

 

 僕の事を、こちらは通常の輪っかの方の捕縛魔法で縛る研究員。

そのまま僕とUD-182を魔法で浮かせ、せかせかとした足取りで“広場”を出ていく。

その際、偶々僕とUD-182は目が合う。

くすりと、お互い小さな笑みが重なった。

思わず、僕の内心に先日の作戦会議の内容が思い浮かんでくる。

痛みを紛らわす為にも、僕の思考はゆっくりと先日の光景へと向かっていくのだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「いつも通り、お前の知恵を借りたいんだ」

 

 UD-182の言葉に、僕は頷く。

“家”で培養された実験体の彼らには、知識が不足している。

どれほどかと言うと、一年前に僕とUD-182が初めて外に脱出しようとした時には、そもそも外の存在すら知らない子ですら居たのだ。

UD-182も知識不足である事は確かで、前二回の脱出方法も僕の出したアイディアから二人で吟味した物である。

 

 と言うと疑問に思う人も居るだろう。

ならお前はなんで知識があるのだ、と。

それについては僕もよく分からない。

僕は物心ついた時から、聞いた覚えの無い事や見た覚えの無い事を知っていたのだ。

多分バグか何かなのだろうと思っているが、言って研究者達に解剖されるのも嫌なので、研究者達に聞いてはおらず、自然詳しい理由も分からない。

ただ便利なので、使ってはいるけれども。

 

「そうだね、ちょっと整理するから待ってくれ……」

「あぁ」

 

 と言うUD-182は、何故だか目を細めて僕の事をじっと見つめてきた。

どうしたのだろう、と内心首を傾げるが、取り急ぎ知識を思い出していると、UD-182が口を開いた。

 

「なんつーか、さ。いつもありがとうな」

「へ? なんだい、いきなり」

 

 思わず目を点にしてしまう僕。

UD-182は、照れくさそうに鼻の頭をかきながら続ける。

 

「俺なんて此処から出る出る言ってるけどよ、具体的なアイディアは何時もお前頼りだからさ。

お前、何でか知らんけど、“家”に居れば知るはずのない事を、色々知っているだろ?

それがさ、俺にとっては、希望みたいなもんなんだ」

「…………なんか恥ずいな」

 

 こちらも思わず軽く赤面しながら、UD-182から視線を外す。

触らなくても顔面の温度が高まっているのがよく分かる。

それを悟られたくなくて、僕は椅子に体育座りするようにして、膝で顔を隠した。

 

「俺が何時脱出を考え始めたか、なんて正直覚えてない。

いつの間にかだった。

でも、俺は“家”の純粋培養だ。

生まれてこの方此処から出た事もねぇし、研究者どもが俺に外の事を教えてくれるだなんて思わねぇ。

だから、さ」

 

 そこまで言って、UD-182はじっと僕のことを正面から見つめる。

その真剣な視線に、僕は顔を隠していた膝を下ろし、少し身を乗り出すようにした。

 

「多分、お前の言葉を、知識を聞かなければ、俺は外に出ようなんて思わなかったんだと思う」

 

 衝撃だった。

胸の奥を、ずん、と重い物に貫かれたかのようだった。

今度は恥辱ではなく興奮で、顔の温度が上がっていくのを感じる。

 

「意思はあった。

何かに抵抗しようと言う意思はあった。

だけど、それに方向を、向ける先をくれたのは、お前の知識だったんだ」

「ぁ……ぅ……」

 

 この感情を、何と呼べば良いのだろうか。

黄金の意思を持つUD-182の心の形成に、僕が大きく関わっていた。

その事実は、僕の心を大きく揺さぶった。

光栄さ、とでも言えばいいのだろうか。

そんなような気持ちが心の中を満たしていく。

 

「だから、ありがとうなっ!」

「……あぁ!」

 

 喉の奥がマグマでも飲み込んだかのように熱かった。

腹の奥の方で灼熱の炎が燃え盛っているみたいに、体中が活気に満ちていく。

今なら僕は、なんでもできそうだった。

UD-182の言葉は、いつも無気力な僕にさえそんな万能感が湧き上がるぐらい、最高の賛辞だったのだ。

 

 同時に、僕の脳内もやる気に満ちて、知識の検索を早くする。

常日頃からピックアップを心がけているだけあって、それはすぐさま整理できた。

僕は、考え中な間下げていた視線を、UD-182へと戻す。

 

「一つ、僕に考えがある」

 

 UD-182の顔が、野獣のような笑みを浮かべる。

僕もまた、攻撃的な笑みを浮かべていただろう。

 

「三つ、三つも偶然が必要な、かなり分の悪い賭けだ。

でも、成功すればきっと、この研究所から逃げ出すぐらい、簡単にできるって賭けさ」

「乗ったっ!」

 

 ぐっ、と握りこぶしを作り、白い歯を見せるUD-182。

こちらも微笑みを深くし、続ける。

 

「だろうな。

中身を続けるよ?

一つ目は、最近僕の魔力が覚醒しかけているって事だ。

後は何だか僕の意思一つで魔力を操れそうな気がするんだ」

「ならやってみりゃあいいんじゃないか?」

「いや、理由は後で言うけど、直前まで僕への警戒は低くしておきたい。

だから僕は土壇場で魔力に覚醒して、操れなくちゃいけない。

これが一つ目の賭け」

「悪くない賭けだな」

 

 何時もならここで反論するのが僕だが、此処だけは僕も自信があったので、強く頷き返す。

 

「あぁ、僕自身、少なくとも此処だけは上手くいくって自信があるんだ、多分行けると思う。

二つ目も、そんなに難しい話じゃあない。

抗麻酔薬を手に入れるって事だ」

「抗麻酔薬?」

 

 オウム返しするUD-182に、僕は頷いた。

というか、そもそも麻酔を知らないかもしれないUD-182に、僕は解説を続ける。

 

「実験の時、僕らは痛みも感じないが体を動かす事もできはしないだろ?

あれは、麻酔と言う薬を使って体を痺れさせているからなんだ。

抗麻酔薬は、それに抵抗する為の薬。

それを予め投与しておけば……」

「そうか、首輪が外れたまま自由に動けて、しかも対魔力障壁だっけ?

それの強いのがある“広場”以外からスタートできるって事か!」

「その通りだよ。

ついでに言えば、実験室は“広場”より上の階にあるから、ショートカットにもなるね」

 

 思わず、といった風に手を打つUD-182に、僕はまたもや頷く。

UD-182は知識が無いが、理解力が無い訳でも無いので、話が簡単に進んで心地良い物だった。

そして僕の予想通りに、ふとUD-182が首を傾げる。

 

「でも、それってどう隠すんだ?

見つけてすぐ使っちまったら、実験の時まで持たないんじゃあ?」

 

 当然の疑問であった。

確かに抗麻酔薬は注射してから実験に呼ばれるまで、都合よく効いてくれるとは限らない。

だから。

 

「胃の中に隠すのさ」

「胃の中っ!?」

 

 流石に驚くUD-182に、僕はクスリと微笑む。

 

「僕の知識の中でも、特に深い所にあって最近見つけた奴なんだけどさ、収容所から逃げ出す方法の一つに、前例としてそういうのがあったんだ。

胃の中に隠した後は、“広場”で実験に呼ばれると同時に、物陰で注射をしてから行けば大丈夫さ」

 

 勿論二人がほぼ同時に呼ばれる日でなければいけないが、実験の順番はほぼローテーションで行われているので、それは容易く分かる。

そう付け加えると、成る程なぁ、とUD-182は頷いた。

 

「で、賭けの要素ってのは、医務室で抗麻酔薬が見つかるかどうかってのと、使う日に僕達二人にちょっかいをかけてくる奴らが居ないかどうかって事だ」

「成る程……、でもまぁ、それぐらいなら何とかなりそうだな」

「あぁ、ここまではね」

 

 と言うと、少し戸惑ったようで、UD-182が腕を組んで首を傾げる。

 

「って言うけど、ここまででも十分脱出はできそうじゃあないか?

お前の魔力ってたしかSランクだろ?

それがどんくらい凄いのかは分からないけど、俺より上なのは確かだよな。

それなら、俺と二人なら何とか脱出できるんじゃあ?」

「そうかもしれない。

けど、僕らは二度目の脱出で警備がどれだけ強化されたのかまだ分かっていないだろ?

それを考えると、まだもう一つ賭けが必要だと僕は思う」

「……そうか」

 

 納得した様子で頷くUD-182に、続けて僕は言った。

 

「もう一つの賭けは、デバイスだ」

「デバイス?」

 

 オウム返しに聞くUD-182に、またも僕は頷く。

僕は二つの知識によって、デバイスと呼ばれる魔法補助具の事を知っていた。

一つは僕のよく分からない知識から。

もう一つは、実際に魔法を“視た”感想から来る経験からである。

前者はそのままだが、後者は幾度か視た研究者達の魔法を使う時、毎回触れていた胸ポケットのカードが反応していた事からだ。

 

 なので僕は、僕が知るデバイスに関する情報について懇切丁寧に喋った。

あの科学者が使う鎖を放つあれのような魔法は、プログラムによって作られている事。

デバイスは明らかにそれを補助する目的で作られており、それによって魔力の使い方の能率も上がり、手に入れば脱出の可能性も高くなる事。

警備員が使っていたカードから変化した杖を見るに、カード型の時は待機状態である事。

待機状態はカードだけではなく、宝石型の物など幾種類もあるような事。

 

 どれも初耳のUD-182には理解しづらい事柄だったにも関わらず、UD-182は思った以上の理解力を示した。

僕の拙い説明に一々頷き、的確な質問を見せ、きちんと内容を自分なりに咀嚼している事を示してみせたのだ。

 

 UD-182の意外な能力に感心しつつ、ひと通り話し終えると、僕はそのデバイスがどうしたのかについてに話を変えていった。

 

「で、だ。僕が見るに、それらしい物を、何度か実験室内に待機状態でいくつも置いてあるのを見かけた事があるんだ」

「って事は、運次第で実験室でデバイスとか言うのを手に入れられる、って事か?」

「もう一つ運良く、使用者認証がついていなければね」

「使用者認証?

あぁ、成る程、奪われた時の為って事か。

でもそれじゃあ、運次第なんて事ありえないんじゃあ……。

いや、実験室に置いてあるんだから、意識をなくしている時の俺達が使わされている可能性がある、つまり俺達にも使用者権限がある可能性があるって事か。

265、お前が魔力覚醒を隠すのも、覚醒前と後のどっちがデバイスを使わされているのかよく分からんから、リスク分散って事か」

「鋭いね、その通りさ」

 

 と、あまりの理解の速さに若干目を見開きつつ答える。

なんだか不自然さを覚えないでもないが、よく考えるまでもなく、UD-182は何時もこんなもんだ。

僕の予想の斜め上を行く奴である。

変な納得の仕方をする僕を知り目に、UD-182はうんうんと頷きながら、続けた。

 

「よし、つまりこうだな。

準備を終えたら俺と265が同時に実験室に呼ばれる時を待って、抗麻酔薬を注射。

実験室で首輪を外されたら魔力を使って研究者の奴らをぶっ飛ばして、あったらデバイスを確保。

その後合流は、魔力がぶつかり合ってる所に互いに集まる事、でいいか。

で、準備はえーと、まず抗麻酔薬の入手からだから……」

「医務室に行く必要があるから、喧嘩でそこそこやられる事からかな。

どうせなら、僕らが仲間割れして喧嘩したフリでもして、互いに怪我するぐらいやり合おう。

少しでも研究員の油断を誘いたい」

 

 そう言う僕に、一瞬キョトンとしてから、ニヤリ、と男臭い笑みを浮かべるUD-182。

 

「なるほどな、確かに。

そういや、お前と本気で喧嘩した事は無かったっけ」

「へ? 本気?」

 

 と、言われてから僕は自分が何を口走ったのか悟り、思わず顔を青くした。

僕が、UD-182と喧嘩する?

しかも互いにある程度怪我をする程度に?

想像しただけで、胃が痛くなる事柄だった。

まず僕がUD-182に喧嘩で怪我をさせる事なんてできるだろうか。

ノータイムで僕の脳内は無理と返した。

だって僕はただでさえビビリで、それを克服できる時があってもUD-182の言葉を受けてでしかないのだ。

なのに当のUD-182に殴りかかるなんて、できる筈も無い。

 

「勿論魔力は抜きでだけど、結構楽しみだぜ。

お前、なんだかんだいって何人に囲まれても、魔力持ちが相手でもなけりゃあ絶対勝つしなぁ。

う~、なんか燃えてきたぜ!」

 

 しかし、この眼の前で嬉しそうにシャドーボクシングをするUD-182を見て、僕はついに前言撤回を言い出せなかった。

何せこれは物理的に実現不可能な事ではなく、しかも実現すればここを脱出する可能性が高くなる事なのだ。

なのに僕一人の我儘をここで通そうとするのも、いただけない。

 

 とか思っていたけれど、僕がUD-182に殴りかかり、怪我をさせるなんて、物理的に実現不可能な事ではあるまいか、なんて考えが浮かんでくる。

それを言えば、UD-182は、仕方なしに許してくれるだろう。

でもそれが甘えのような気がして、普段からこいつに頼りっぱなしで、今日彼が僕のアイディアを頼りにしている事を聞いてようやく対等になれた気がする今、どうしても言い出せなかった。

 

 いや、でも、しかし、いや、それでも、しかし。

そんな風に頭の中をグルグルとループする考えを言い出せないまま、僕とUD-182の作戦会議は終わってしまう。

 

 警備員の見回りが来る前にと再び通気口を通って戻りながら、一体どうやってUD-182と殴り合おうか、胃を痛くしながら考え続ける僕なのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 明るい広場で、実験体達は様々な遊びに興じている。

子供らしい明るく甲高い声が響く中心を眺めながら、僕は端の方で遊具の影に隠れながら、一人ため息をついていた。

 

 と言う訳で、僕とUD-182の喧嘩は、敗北に終わったものの、ある程度は対抗できた。

正直やるまでは胃が口から出てきそうなぐらい緊張していたのだが、一度拳を繰り出してからは、不思議な程僕の体はよく動いてくれた。

僕は自分の勘が指し示す道に、身をゆだねるようにして動いた。

まるで肉体があらゆる戦闘を知っているかのような、全能感がそこにはあった。

 

 悔しいのは、しかしそれに追従するには僕自身の精神の速度が足らず、それ故に僕は負けたと言う事だ。

そう、勘で次にどの行動をすればいいか分かっても、体の繰り主である僕が躊躇をすれば、間に合わない。

それさえなければ僕は、UD-182に勝てていたかもしれなかった。

その事実は、密かに僕の自信に繋がっている。

 

 あれから数日が経過した。

抗麻酔薬は無事手に入り、今日は恐らく僕とUD-182が同時に実験をされる日取りで、後は呼ばれるのを待つばかり。

僕とUD-182は表向き喧嘩した仲なので、言葉を重ねる事なく、お互い一人と一人で過ごしている。

ついでに言えば、胃の中にある抗麻酔薬の注射を壊さないよう、争いごとは避ける方針で。

 この数日、僕は二人の死体を見る事になった。

男女一人づつの死体は、どちらも先日のUD-193の死体に負けず劣らず酷い有様であった。

 

「僕は、こいつらを見捨てていくんだな」

 

 誰にも聞こえないよう小さく呟くと、それが実感となって僕の内部に襲いかかってきた。

まるで冷水でも浴びせられたかのように全身から体温が消え去り、震えが走るようになる。

グッ、と両手を握り、体育座りをしていた膝の間に顔を埋め、震えを掻き消そうと僕は努力した。

 

 そう、毎回僕とUD-182の脱出は二人きりの脱出だったが、何も他の実験体が逃げ出す助けをしなかった訳ではないのだ。

どちらの時も、僕らは大声を張り上げて、ここから逃げられるぞ、と叫びながら“広場”を脱出し、後から大勢の実験体が続いてくる事を想像しながら逃げた。

だけど実際は、誰一人僕らについてくる事はなく、ポカーンと僕らを眺めていただけだった。

理由は、よく分からない。

外の存在をぼんやりとしか知らない故なのか、それともここで残る一生を過ごす選択をしたのか。

 

 しかし何にせよ、今回は“広場”の皆が逃げだせる余地のあるような作戦では無かった。

彼らが望んでいないにしろ、僕らは皆を見捨てて二人だけで逃げ出すのだ。

UD-182はもうアイツらなんて知らん、とか言っていたけれど、僕にはそう簡単に割り切る事ができそうになかった。

皆は此処から脱出する事なく、此処であんなふうに女は股を、男は尻を陵辱された上に、グチャグチャの死体にされ、廃棄処分されるのだ。

そう思うと、やりきれなかった。

 

 甘い、のだろうか。

何にせよ、僕は今更皆を見捨てる事に罪悪感を感じ始めているようだった。

まるで今の今まで、現状に現実感を感じていなかったかのようで、僕はそんな自分に嫌気が刺す。

 

 そんな風に自己嫌悪に浸っていると、ふと、現実感が無いといえば、逃げ出そうとしない“広場”の実験体の皆も現実感が無いのかな、と思った。

お揃いだな、なんて思いながらぼんやり過ごしていると、キーン、と甲高い音と共に放送が“広場”に鳴り響いた。

 

「UD-182、UD-265、“広場”出口まで来なさい」

 

 はっ、とぼんやりしていた意識を覚醒させ、予め胃液と共に“広場”の隅で戻しておいた注射器を手に取り、僕は自身の腕に抗麻酔薬を投与する。

針の痛みに眉をひそめながらそれを終えると、僕は注射器を目立たない所に隠し、小走りで“広場”の出口へと向かう。

その途中、UD-182と目があった。

僕らはその瞬間だけニコリと微笑み、計画が順調に行っている事を互いに確認。

心配していた注射も、UD-182は成功させたようだった。

安堵を内心で抱きつつ、僕らは出口へと向かう。

不仲を装い、無言のままで。

 

 金属製の床を裸足でペタペタと歩き、階段を二度上ってからUD-182と別れ、ついたのはいつも通りの実験室だった。

脳内の記憶を検索してみるに、何度かデバイスを見かけた事のある場所である。

待機状態でプレートの上に乗ったそれらは、ガラス玉だったりカードだったりのような物だった覚えがあった。

知識によると、杖やら槍やらがデバイスの基本的な装備だった筈だ。

扱いやすいそれらが残る事を願いながら、僕は白衣の男に連れられ実験室へと入った。

 

 室内の強い光が、目を焼くように届く。

数秒して目を開き、研究者達が僕ではなく実験器具の確認や話し合いに集中している事を確認してから、僕は実験室全体を眺めた。

 

 あった。

ただし、一つだけだった。

研究者達の中の一人が銀色の小さなケースを持っており、開かれたそれの中にはやわらかなクッションが敷き詰められ、中心には小さな金色の剣のペンダントが収まっている。

それ以外のデバイスは、さりげない所作の中で実験室内を見やる分には、見つからなかった。

 

 選ぶ余地は、無いと言う事か。

勿論選ぶ時間が減ってUD-182と合流するのが早くなる、と言う利点もあるのだが、メリットよりデメリットに思考が傾いてしまうのが僕であった。

 

 欝な気分になりつつ、僕は科学者に誘われるまま、金属製の可変椅子へと座る。

するとすぐに科学者がやってきて、僕の腕に注射器を刺し、麻酔を打った。

 

「10時22分、UD-265に麻酔投与」

 

 書記らしい研究者が、麻酔を打った研究者の声を空中の透明キーボードに入力する。

それから、僕はなるべく自然に思えるよう、目をトロンとさせ、瞼が重いかのように見せかけた。

 

 UD-182は果たして、この演技に成功しているだろうか。

直情型の気がある彼だったが、先の喧嘩は本気で怒っていたんじゃあ、と思う程に自然な演技で、見事な物だった。

僕のような芋演技よりは余程上手くやるに違いない。

とか思っていると、今度は逆に僕が上手く演技できているのか不安になってくる。

 

 胃が痛い時間が過ぎると、再び研究者の声。

 

「10時27分、UD-265の首輪解除」

 

 言ってから、ピ、と言う小さな電子音と共に、首元で駆動音が響く。

少し頭が持ち上げられ、百八十度回転した首輪が僕の首から取られた。

その瞬間に目を見開きたくなる自分を抑え、首輪が収納され、少なくとも一瞬で僕の魔力を閉じ込める事が無い距離になるまで、待つ。

 

 目算で十秒。

数え終えた瞬間、僕は目を見開いた。

 

「なっ……」

 

 一気に全身にスイッチを入れる。

同時、僕は僕の全身を循環している『それ』に気づいた。

薄々感じていた『それ』は、これまでに無い程濃く感じられ、同時に『それ』が僕にとって体の延長であるかのように自由に扱える事を直感した。

 

 魔力を、全開放する。

 

「うぉおぉぉっ!」

 

 絶叫と共に、ごぉ! と、風が吹き荒れた。

完全に油断していた白衣の研究者達は吹っ飛ばされ、頭なり全身なりを打って、気絶していく。

軽く研究室を一瞥し、研究者達がすぐに動けそうにも無い事を確認。

僕は急いで椅子から飛び降り、先程のケースを開き中の金色のペンダントを取り出す。

 

「頼む、動いてくれっ! セットアップッ!」

『イエス、マイマスター』

 

 果たして、奇跡は起きた。

金色の小剣から流れこんでくる情報が、言葉も無しに理解できる。

バリアジャケット、非殺傷設定、魔法プログラム……、様々な知識が僕の脳に渦巻いた。

湧き上がる万能感に、思わず口の両端が上がる。

 

 そして僕は、即座にバリアジャケットを選択。

光が僕を包み、次の瞬間僕は、バリアジャケットを展開する事に成功していた。

黒いインナーに黒いつや消しのアーマーと手甲、編み上げのブーツに黒いコート。

服といえばとりあえず黒、と言う地味根暗発想の発露である。

 

 対し手に持つデバイスは、巨大な黄金の剣だった。

刀身は太く僕の体の幅近くあり、鍔にはデバイスコアたる緑色の宝玉が収まっている。

僕の性根とは逆で、派手にも程があるデバイスだった。

 

「ば、馬鹿なっ、バリアジャケットだと!? 知る筈も無いのに発動させたのかっ!?」

 

 動けない研究員の一人が、大声を上げ驚く。

愚かな研究員に、僕はとりあえずデバイスの刀身を向けた。

“家”の実験体なら兎も角、研究員相手に手加減するつもりは、僕には毛頭ない。

 

「君の名前は?」

『私の名前は、ティルヴィングです』

 

 何処か機械じみた、女性の声が答えた。

僕は一つ頷くと、こちらも名乗り返す。

 

「よろしく、ティルヴィング。

早速だけど、単純な魔力弾作れる?」

『できますが……』

「時間がないけれど、試し打ちしたいんだ、頼むよ」

 

 ティルヴィングの口調は芳しくなかったが、時間が押している。

頼み込んでみると、短い沈黙の後、肯定の返事。

 

『では、掌を発射したい方向に向けてください。

非殺傷設定で構いませんね?』

「あぁ」

 

 答えると、僕は先程驚いていた研究者に掌を向けた。

ひっ、と短い悲鳴。直後僕の体を循環する魔力が掌に集められ、解き放たれた。

白い球形の光弾が研究者に激突、研究者は再び短い悲鳴を上げると、今度こそ気絶した。

幸いな事に、無抵抗な科学者を一撃で昏倒させる程度の威力はあるようだ。

これで本格的な魔法が必要だとか言われたら、どうしようかと思った所だった。

 

「よし、まずはエリアサーチをしたい」

『イエス、マイマスター』

 

 言って僕は、目をつむった。

魔力的な感覚の網を僕自身から伸ばし、UD-182の存在を探す。

不意に、もし見つからなかったらどうしよう、と悪寒が走った。

彼相手にできるとは言ったし、僕自身の感覚もできるとは告げている。

それでも尚、一度不安が過ぎってしまうと怖くて怖くて、僕は早く見つかりますようにと何度も念じながら、UD-182の居場所を探った。

 

 見つかった。

崩れ落ちそうな安堵感と共に目を開き、僕は溜息をついた。

一体何分かかったのだろうと実験室の時計を垣間見ると、三十秒とかかっていなかった。

どれだけ僕は小心なのだろう、と自己嫌悪に陥りつつ、僕はそちらに向かう直線上にある壁に、掌を向ける。

 

「ティルヴィング」

『イエス、マイマスター』

 

 白い魔力弾が、壁を破壊。

瓦礫をまき散らしながら、UD-182への道を作る。

一発では足りないので、二発、三発と連発しながら、僕は先へと進んでいった。

 

 早く、早く、早く、早く。

内心は焦りで一杯だった。

僕一人が脱出できた所で、何の意味もない、UD-182も一緒でなければ。

そう思って急ぐのだけれど、短い筈のUD-182との距離が永遠に感じる程、僕の動きは遅々として進まない。

何より、UD-182の魔力反応がほとんど動いていないのが、僕の焦りを加速させた。

警備員に捕まったのか、それとも何か予測のできないトラブルでもあったのか。

そんな事を思っているうちに、同じ階な上然程遠くなかった事もあったからだろう、すぐにUD-182の居る場所へと辿り着く。

 

「182っ!」

 

 壁を爆砕、叫びながら僕は廊下へと飛び出した。

土煙の上がる中、僕の体感時間が伸びていく。

廊下には、UD-182の他には、黒スーツの警備員が二人。

片方の男がUD-182の両脇に腕を通して持ち上げており、もう片方が通信端末を片手に報告をしようとしている所だった。

咄嗟に、UD-182を抑えている相手に目をつける。

 

「ティルヴィングっ!」

『了解しました、マスター』

 

 叫びつつ魔力弾のチャージを開始。

同時にティルヴィングを振るい、UD-182を捕らえている男の顔面にフルスイングする。

 

「ぐはぁっ!?」

「くっ、UD-182とUD-265が脱走っ! 場所は……」

 

 顔面を強打され、吹っ飛んでいく黒スーツ。

そのまま僕は、振り回したティルヴィングの重量に逆らわず、くるりと空中で回転。

掌を残る黒スーツへと向け、叫んだ。

 

「行けっ!」

『魔力弾発射』

 

 機械的な女性の声と共に、僕の掌から白い魔力弾が発射される。

悲鳴と共に、再び上がる土煙。

その結果を見るよりも早く、僕はUD-182に叫ぶように言う。

 

「大丈夫かっ! デバイスは確保できたっ!?」

「あぁ、まだ一発も殴られてないっ! デバイスはスマン、無かったっ!」

「こっちは体も大丈夫でデバイスも確保できた、急ぐぞっ!」

 

 叫び終えるが早いか、僕らは走りだした。

幸い、ここの階までは逃げてきた事がある、階段の位置は分かっている。

迷いない足取りで、僕らは“家”からの脱走を始めるのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「うおぉおぉぉっ!」

『魔力弾発射』

 

 白い光弾が掌から発生、軽く尾を描きながら扉へと着弾。

一瞬の静謐の後、爆発が起きる。

土煙が晴れるのを待つ事なく、僕らはその中を突き進んでいく。

 

「くそ、また階段かよ! 一体どんだけ地下深くに作ってあるんだっての」

「これでもう地下七階あったのは確実だね」

『魔力弾発射』

 

 互いに呆れつつ、僕は魔力弾を再び生成、前方へと発射し、階段の下り口の扉を破壊する。

ちらりと後ろを見ると、黒スーツどもは僕らに追いついていないようだった。

 

 ここまで都合三回、僕らは黒スーツどもに行く手を塞がれた。

しかしSランクの魔力と魔法の基礎知識を得た僕は相当な強者だったらしく、そのいずれもを打破している。

“広場”で研究者にすらよく捕まるUD-182の事を心配していたのだけれども、相手が僕に集中しているからか、UD-182がこれまで研究者相手には手を抜いていたのか、黒スーツと一対一ぐらいなら何とか硬直状態を維持する事ができるようだったのも大きかっただろう。

 

 しかし、僕の魔力はまだ余裕があるものの、UD-182の魔力が底をつきはじめている。

当然そうなれば、UD-182を守らねばならない道中は格段に難易度を増す事となるだろう。

それまでに出口にたどり着いて欲しい、と思っている、正にその時であった。

 

「これは……」

 

 階段を登りきり、扉のあった場所を乗り越えると、そこにあったのは自然の岩で囲まれた洞窟であった。

電球がずっと先までぶら下げてある以外は、噂に聞く大自然とやらのままである。

思わず、唾を飲み込んだ。

 

「もしかして、出口っ!」

「あぁ、行ってみようっ!」

 

 互いに声をかけあい、僕らは走るペースを上げて外へと突き進む。

ゴツゴツとした洞窟の悪路もなんのその、そのままいくらか走っていくと、外の光が見える。

 

 外。

僕のよく分からない知識の中にしか無い場所で、そしてUD-182が憧れ手に入れたかった、自由に満ち溢れた世界。

胸の高鳴りを抑えきれないまま、僕らは光へと飛び込むようにして外へと飛び出す。

 

「うわぁっ……!」

 

 思わず、僕らは歓声を輪唱させた。

“外”。

初体験の世界は、思い描いたよりも遥かに美しかった。

洞窟の出口付近は四方を木々に囲まれている。

陽光を反射しきらめく緑、太いワイヤーをねじりあわせたような力強い幹に、鬱蒼と茂る木々の奥の不思議と優しい暗黒。

“家”の中で培養されてきた僕らにとっては、まるでファンタジーの世界に迷いこんだかのような気分だった。

 

「これで……俺達は、自由、なんだよな……!」

 

 思わず、といった風に声を滲ませながら、UD-182が言う。

言われてようやくの事僕にも達成感が湧いてきて、じんわりと涙が溢れ出した。

涙を拭う指先は、不思議と熱い涙の温度を感じる。

 

 UD-182が、急に走りだした。

かと思うと、ばっ、と僕に向かって振り返り、満面の笑みで言う。

 

「そうだっ、外の人間には、“名前”って物があるんだよなっ!」

「あぁ、そっか、名前も考えなくちゃならないのか……」

 

 と言っても、自分で自分の名前を考えるのも、難しい。

はて、どうしたものか、と僕が首を傾けるのを尻目に、UD-182はぐっ、と作った握りこぶしを眼前に、キラキラとした目で僕を真っ直ぐに見ながら、言った。

 

「俺の名前は、ウォルター・カウンタック。これから誰よりも早く、誰よりも強く、そして誰よりも輝く男の名前だっ!」

 

 叫ぶのと同時、UD-182、いやウォルターは、掴んだ拳をパシン、と掌に向けて放ち、受け止めた。

圧倒的な威圧感が、ウォルターから噴出される。

体中の皮膚が総毛立ち、全身を雷が走るようだった。

僕はまるで生ける神話を見たかのような感動に襲われていた。

ウォルター・カウンタック。

間違いなくこれから全次元世界に名を轟かせるであろうその名前の誕生の瞬間に、僕は居合わせる事ができたのだ。

これを光栄と言わずして、何を光栄と言うのだろうか。

 

 暫く感動に震えていた僕だが、すぐに今度は自分の名前を考えねばならない事に気づく。

ウォルター・カウンタック。

それが彼の名前なのだすれば、僕の名前はどうしたものか。

そう考えながら、僕がウォルターに近づいていった、その時だった。

 

 パララララ。

乾いた音と共に、ウォルターの体が踊った。

まるで何処かから糸でもつけられていて、それを滅茶苦茶に引っ張りまくったような、そんな踊りだった。

すぐに踊りは終わり、ウォルターはその場に倒れ伏す。

背の低い緑色の草を、目も覚めるような鮮やかな赤が犯していった。

 

「……え?」

 

 僕は、白痴のようにとぼけた台詞を吐いた。

一体、何が起こっているのか分からない。

分からないけれど、全身が鳴らす警笛に従い、僕は肩越しに振り返った。

肩で息をする黒スーツが、両手で黒光りする銃を構えている。

 

「くそっ、なんてこった、あっちはバリアジャケットを展開していなかったのかっ!」

 

 叫びながら、黒スーツの男は僕へと銃を向ける。

“知識”と、ティルヴィングを得た時に得た魔法知識が囁いた。

口径の大きなあの銃は、低ランクのバリアジャケット相手なら拳で殴りつけるぐらいのダメージを徹す弾丸を吐き出す為の物だ。

 

 当然のように、僕にも向けて、弾丸は吐き出された。

パララララ。

僕のバリアジャケットは初展開だけあって構成がまだ雑なので、弾丸は僕に痛みを訴えた後落っこちる。

といっても、Sランクの魔力で作られたバリアジャケットである、何時だかウォルターに蹴られた時の方が、一発一発の痛みは上なぐらいだった。

 

 じゃなくて。

そんな事はどうでもよくて。

現実逃避している場合じゃなくて。

とりあえず、この黒スーツは邪魔だ。

 

「あ……ああぁあぁぁっ!」

 

 ティルヴィングを構え、突進、稚拙ながらも魔力で加速した斬撃を、黒スーツに見舞う。

奇妙な悲鳴を上げ、黒スーツはそのまま吹っ飛び倒れ伏した。

 

 後続が来ても厄介なので、僕はそのまま掌を洞窟の天井へ向け、魔力弾を数発打ち込む。

すると洞窟の入り口は崩れ、半ば埋まった。

これなら後続が魔法を用いて吹っ飛ばすにしろ時間が稼げるし、不意打ちを無くす事ができる。

そういえば先の黒スーツは下敷きになったのかな、なんてどうでもいい事が頭の中をよぎり、先の攻撃で大分吹っ飛んだから大丈夫だろうと思って僕は振り向いた。

 

 変わらず、ウォルターは血の泉の中心に伏していた。

 

「ウォルター……」

「265……!」

 

 搾り出すような声。

まだ生きているっ!

その事実に全身を突き動かされ、僕は弾けるようにウォルターの元にたどり着いた。

血でバリアジャケットが汚れるのを厭わずに、膝をつきウォルターの肩を掴む。

 

「おい、おい、大丈夫かウォルターっ!」

「へ……へへっ、早速その名前で呼んでくれるんだなぁ」

「当たり前だろうっ!」

 

 気づけば、僕は両目から涙をこぼしていた。

先程まで、外の世界を見て感涙したのと同じ涙なはずなのに、どうしてか、胸が異様に苦しい。

だって大丈夫なはずだ、こいつはウォルター、ウォルター・カウンタックなのだ。

何事も諦めず、絶対に生き延びる男の筈なのだ。

 

「俺は……、多分もうすぐ死ぬ」

 

 けれどウォルターは、そう言った。

死ぬ。

死ぬ?

ウォルターが、UD-182が死ぬ?

ありえない事実に、僕の全身は痺れたまま動こうとしない。

そんな僕に、野獣のような笑みでウォルターは言う。

 

「事実だ。俺はもう、助からねぇ」

「そんな事言うなよっ! お前は、望んだものを掴むまで、絶対に諦めないんじゃなかったのかよっ!」

「……すまん」

「そんな言葉が聞きたいんじゃないっ!」

 

 叫び、僕はウォルターの肩を思いっきり握った。

魔力で強化された僕の膂力は明らかに激痛を走らせる物であったのに、ウォルターは眉ひとつ動かさない。

もう痛みを感じていないのだ、と悟った瞬間、僕は凄まじい脱力感と共に理解した。

ウォルターは、死ぬ。

もう助からない。

ならば、せめて。

 

「僕に……、僕に何かできる事は、ないか?」

 

 ウォルターは、暫く視線を彷徨わせた後、ゆっくりと口を開いた。

 

「俺は、やりたくない事は死んでもやらねぇ男だ。

やりたい通りにやって死んでいくんなら、後悔は……」

 

 ぴたり、とウォルターは言葉を止めた。

少しの間目を細めると、言う。

 

「いや、一つだけあるかな……」

「何だ?」

 

 矢継ぎ早に僕が聞くと、ウォルターは歯を噛み締め、忌々しげに口を開いた。

 

「悔しいのさ」

 

 と、ウォルターは言った。

続けて、彼の真っ青になった唇が動き、言葉を吐き出す。

 

「このまま俺が死んでいったら、どうなる?

俺の、決して諦めないと言う生き方は、消えて行ってしまう。

この心の中の燃えあがる何かを絶やそうとしない生き方が、俺の命と一緒に消えていってしまう」

 

 震える手で、ウォルターは自らの胸に手をやった。

現実に、そこには弾丸に蹂躙された胸板があるだけだ。

しかし僕の目には、その奥にある燃え盛る炎が、今にも消えてしまいそうなぐらいに弱まっているのが目に見えるようだった。

 

「それが、悔しいんだ」

 

 気づけば、ウォルターの目には光るものがあった。

涙が目尻に集まり、ついに決壊、ウォルターの横顔を重力に従い流れていく。

実を言えば、僕は初めてウォルターが泣く所を見た。

それぐらいにウォルターは悔しくて悔しくて仕方がないのだろう。

 

 だから。僕は言う。

 

「なら——、僕がそれを継いで見せる!」

 

 ウォルターが、目を見開いた。

 

「僕は、本当に心の底から、君の生き方を尊く思っていたんだ。

そんな風に生きたいと、心の底から思えたんだ。

だからお前の生き方は——、僕が継いでみせるっ!」

 

 僕は、何時かウォルターがやったのと同じように、天に向け掌を掲げた。

震えるほどに力を込めて、それを眼前にまで下ろし——、握り締める。

爪が皮膚に食い込み、血が滲む程に力を込めて。

 

「良かった、それじゃあ俺には、もう悔いは……」

 

 続く言葉は、永遠に無かった。

ウォルターは目を閉じ、首から力を無くした。

ウォルター・カウンタックは、UD-182は、死んだ。

死んだのだ。

その事実が僕の胸の中にぐるぐると渦巻いて、ぎゅっと心を締め付ける。

気づけば、僕は号泣していた。

 

「うっ、えぐっ、ううっ……!」

 

 僕はこれから、UD-182の心を受け継ぐ。

あの涙を一度も見せなかった男の心を受け継ぐのだ、僕もまた涙を見せない事が要求されるだろう。

 

 だからこれは、僕の人生最後の涙だ。

 

 そう胸に誓いながら、僕はひたすらに涙をこぼし、嗚咽を漏らした。

長い時間、僕はずっとそうしていた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 UD-182の遺体は、少し離れた所に見つけた小さな広場に葬った。

墓は小さな枝で作った十字架で、恐らく此処にまた訪れる事があっても、その時には無くなっているぐらいの質素さだった。

まぁ、UD-182も死後に豪華な葬式を望むタイプではあるまいし、構わないだろう。

 

 僕はようやくUD-182の埋葬を終えると、立ち上がり、空を見上げる。

“家”の“広場”の描かれた物ではなく、本物の空。

目も覚めるような青に、白い雲。

旅立ちにはいい天気だった。

 

 そういえば、と、僕は急に自分の名前を考えていなかった事に気づく。

歩き出そうと思った足を止め、暫く考えるも、一切合切思いつかない。

 

「なぁ、ティルヴィング。僕の名前、何か思いつかないかい?」

『思いつきません』

 

 中々セメントな答えだった。

僕はこれからこいつと本当に上手くやっていけるのかと不安になりつつ、改めて自分で考えてみるも、やはり思いつかない。

 

 ふと、思いついた。

 

「UD-182……。君の名前を、借りていいかな」

 

 ウォルター・カウンタック。

UD-182が如何なる思いでこの名前をつけたのか分からないが、これから僕がUD-182から受け継いた信念を貫き通すのに、この名前はいかにもピッタリな物であるかのように思えた。

 

 だから、僕は一人頷く。

 

「UD-182。何時か僕が土に帰るその日まで、この名前を貸してくれるかな」

 

 だって僕は、あまりにも心が弱い。

それを嘘偽りで固めた仮面で隠す事はできても、その中では呆れるほどに泣いているのだ。

だから僕は、信念を受け継いだ仮面を被る事でしか、彼の信念を継ぐ事ができないだろう。

 

 内心で怯えていても、仮面は勇ましく。

内心で泣いていても、仮面は笑顔で。

内心は無気力でも、仮面は活力に溢れて。

そんな仮面に名前をつけるのだとすれば、“俺”と名乗るこの仮面に名付けるのだとすれば、この名前が一番しっくりきた。

 

「“俺”の名前は、ウォルター・カウンタックだ」

 

 全ては決まった。後は突き進むのみだ。

 

 僕は立ち上がるとウォルター、もといUD-182の墓に背を向け、歩き出す。

永い旅路が、そこには待っていた。

 

 

 

 

 



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第一章 立志編 ムラマサ事件 新暦62年
1章1話


 

 

 

「ティルヴィングッ!」

『了解しました、切刃空閃・マルチファイアを発動します』

 

 廃棄区画の中心で、僕の叫び声が木霊した。

女性の機械音声と共に、僕は十個の直進魔法弾を形成。

魔力ダメージ設定のまま、敵へと放つ。

金髪モヒカンに黒い外套を羽織った相手は、すぐさま杖型デバイスを掲げ、叫んだ。

 

「こぉのクソガキがぁっ!」

 

 僕と同じく、モヒカンは直射型の魔法を詠唱。

僕の二倍の二十個もの緑色の球弾が発射され、僕の十閃の光弾を迎撃する。

閃光。

刹那遅れて、爆音。

僕らの間にある二十メートルを土煙が満たし、一時的に互いの視界が阻まれる。

ここだっ!

内心での叫びと共に高速移動魔法を発動し、一気に距離を狭めようとした、その瞬間であった。

——違う、そうじゃない。

そんな風に脳裏を、僕の勘と言うべき物が走った。

自身の霊的な勘を完全に信じている僕は、即座に手段を変更。

モヒカンの魔力をロックして、彼の居るであろう場所にティルヴィングを向けて叫ぶ。

 

「フープバインドッ!」

『イエス、マイマスター』

 

 白光が目的地に収束、四肢を照準して拘束する。

僕の勘はこれで上手く行ったとしていたが、油断は禁物だ。

腰を低くしティルヴィングを構え、何時でも四方に逃げれるように注意しつつ、土煙が晴れるのを待つ。

今戦っているこのモヒカンは、確かAランク相当の陸戦魔導師。

僕よりランクは遥か下とは言え、経験値は相手の方が遥か上だ、油断できる相手では無い。

事実僕は、空戦魔導師だと言うのに相手のステージである陸戦に戦闘の舞台を移されている。

次はどんな手で、経験不足の僕を引っ掛けようとしてくるのか。

致命的な手段が来るのではないか。

そんな不安に胃痛をひた隠しにしながら、僕は適度に緊張した両手で剣を握り締め、ひたすた土煙が晴れるのを待った。

 

 時間にして十秒程。

土煙が晴れた先には、気絶したまま僕のフープバインドに捕まったモヒカンが居た。

先の直射弾は僕の物に対しモヒカンは二倍の数を用意できていたが、威力差が二倍では効かなかったのだろう。

僕の切刃空閃が全弾当たった後があり、バリアジャケットが所々破けていた。

それでも油断なく幻術の可能性を考えて一発直射弾を打ち込み、モヒカンが痙攣するのを見て、ようやく僕は小さくため息をつく。

 

「はぁ……、これで勝利か」

 

 安堵のあまり、肩が落ちそうになるのを、おっと、と呟き僕は背筋を改める。

それからティルヴィングで管理局の最寄り地上部隊への通信を繋ぎ、僕はこのモヒカン男を捕縛した事を伝えるのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 ミッドチルダは流石管理局のお膝元だけあって、管理局への就職が容易い場所でもある。

かといって、どんな人間でも魔法が使えれば管理局に就職できるのかと言うと、そうでもない。

例えば、魔導師としてAランク相当の使い手が、無名の田舎から出てきたとしよう。

そんな男がいきなり管理局に就職しようとしても、まず不可能だ。

後ろ盾も実績も無い人間を審査する程、管理局の人事は暇では無い。

まずは士官学校なり陸・空士訓練校に通い、その上での就職を勧められるのがオチである。

だが、基本的にプライドが高い在野の魔導師は、そんな事やってられるか、と思うのが普通だろう。

田舎から出てきた魔導師は大抵伝い手などなく、訓練校を卒業するまでの生活費すら捻出するのは難しい。

奨学金をもらってアルバイトで当座を凌げばいいのだが、大抵力の強い魔導師ほどプライドが高く、そんな事までして管理局に就職しようとはしない。

かといって企業に就職するには当然ある程度の学歴が必要なので、それも不可能だ。

 

 必然、力のある魔導師が街をうろつく事になる。

そんな魔導師達がどんな風に生計を立てていくかといえば、大抵は犯罪や非合法組織への所属によってである。

至極当然の事だが、これによってミッドの治安はどんどん悪くなる。

魔法犯罪が氾濫していく中で、それを止められないか、とある人間が考えついた。

在野の魔導師によって治安が乱れるのならば、在野の魔導師を使って治安を良くする事もできるのではなかろうか、と。

 

 そんな考えからだ、賞金稼ぎと言う人種が次元世界に生まれたのは。

一部の犯罪者に賞金がつき、局外の人間でもそれを捕まえて管理局に引き渡す事で、賞金がもらえるシステム。

勿論犯罪者への過剰な暴力が認められなかったりと厳しい規則はあるものの、これを後ろ盾や実績どころか身分の保証の無い僕が利用しない手は無い。

幸い“家”があったのがミッドチルダの僻地で、次元転送魔法無しで首都クラナガンに行けた。

なので“家”を出た僕はクラナガンまでゴミ箱をあさりながら旅をし、首都周辺で賞金稼ぎとして糊口をしのいでいるのであった。

 

「はぁ……」

 

 自動ドアの開閉に合わせてため息を漏らし、靴裏でカーペットを蹴りながら、外に出る。

高層ビルの立ち並ぶコンクリートジャングルに足を踏み出す僕は、いつもどおり憂鬱な気分だった。

別に、金が無い訳ではない。

あのモヒカン、つまりAランク魔導師の犯罪者の賞金は結構高く、切り詰めれば中々の期間生活できる金額だった。

なんでも正規の訓練無しにAランク魔導師に対抗するのはかなり難しいらしく、その為だと言う。

普通は何人かの魔導師でチームを組んで追い詰めるのだそうだ。

しかし当然単独で彼を打倒した僕が金に困る訳がなく、高級デバイスで金食い虫なティルヴィングの整備を考えたとしても、かなりの余裕がある。

 

 なら何故憂鬱なのか。

それは、ここ数カ月、僕は賞金稼ぎとして活動している間、殆ど弱い者いじめしかできていない、と言う事だった。

今回のモヒカンとの戦いは、直射弾を目眩ましに高速移動魔法で接近、近接魔力付与斬撃の連発で追い詰め……、と言う風に戦闘を進めていくつもりだったのだが、目眩ましの筈の直射弾で勝負がついてしまった。

これまでの戦いも、そんなもんばかりである。

これでは僕は、いかに優れた勘があろうとも、同格の相手との戦いになれば、まず間違いなく負けてしまうだろう。

経験値の少なさ以外に、このままでは油断せずに戦い続けるのが難しい、といった点においてだ。

 

 一応、訓練と言うものはしてはいるのだ。

幸いティルヴィングが訓練プログラムを用意してくれるのでそれを毎日やっているし、魔力養成ギブスとか言うのも戦闘中以外は常につけている。

だが人間の指導者が居ないとどうしても動きが機械的になってしまうし、今はそれを勘で補っているが、それも長くは続くまい。

僕は同格か、せめて一つ格下程度の実力者との戦闘を欲していた。

 

 せめてもの慰めは、敵を攻撃する度に内心が震えてしまう癖が、どうにか治まってきた事か。

“家”を出てから最初の戦闘などは、酷いものだった。

内心の怯えが僕の行動から速さをもぎ取り、Cランクの魔導師にすら敗北しそうになってしまった。

戦闘に必要な能力が心技体の順番であると言う、良い証拠だろう。

 

 と、そんな事を考えていると、赤信号にさしかかり、僕は立ち止まる。

管理局の地上本部が近く人通りの多い此処は、すぐに待ち人が溜まっていき、その中で僕は大変目立っていた。

管理局の平均就職年齢は12歳である。

もっと年下で管理局に入局する人間が居ない訳ではないが、そういうのは大抵エリートらしく、本局勤めになるそうだ。

当然、7歳の僕は大変に目立つ。

人の視線が苦手な僕としては、嫌な気分でいっぱいだった。

あまり多くの視線で見つめられると、もしかして僕は何か見目に分かるほど変な事をしているんじゃあないかと思い、憂鬱になる。

ズボンのチャックが開いていないか、頭に鳥の糞でもついていないか、それとも背中に張り紙でもつけられてはいないだろうか。

さりげない所作でそれらを確認したくて仕方が無いし、もしそうだったらと思うと、このまましゃがんで泣き出してしまいたい。

 

 が、僕はもうウォルター・カウンタックなのだ。

ウォルター・カウンタックの名に、UD-182から受け継いだ名に、無様は許されない。

背筋を伸ばし、集まっている視線にだから何だと言わんばかりにして、辺りの人間をぐるりと見回し、ふん、と鼻を鳴らす。

それだけでお腹が痛くなってしまう僕なのだったが、その影響は絶大で、僕を見ている人皆が目を逸らした。

これでいい。

僕はUD-182がそうしていたように、大胆不敵で、自信満々な姿でいなければならない。

信号が青に変わったのを確認し、僕はややゆっくりとした足取りで前に進む。

 

 話を戻すと、僕は自分に近い実力者との戦闘経験を欲していた。

UD-182は、何事にも一生懸命で気力に満ちた奴だったのだ。

故に僕には、UD-182の志を受け継ぐ者には、油断して負けるような無様な行動は許されない。

 

 正直に理想を言うならば、こうやって賞金稼ぎをしている現状でさえ、あまり良い経過とは言えない。

僕が考えるUD-182の姿は、全次元世界を旅しながらひねた奴らをぶん殴り続ける旅人だ。

管理局との距離が近い此処に束縛されている現状は、ちょっと違う気がする。

勿論霞を食って生きる訳にもいかないので、矢張り彼も僕と同じように、賞金稼ぎをしていただろうが。

 

 かといって、僕がそれをやろうとするには、その自信も経験もどちらも足りなかった。

勿論その真似をやってみる事なら簡単にできるが、犯罪者相手に失敗は死を意味する。

誰にも理想を見せること無く死んでしまえば、折角UD-182から志を継いだ意味が無くなってしまう。

とはいえ、困難や強敵を前に臆するのもまた、僕がやってはならない事な訳で。

 

 はぁ、と内心でため息をつき、頭を振った。

まぁ、同格以上の相手に確実に会う方法なんてどうせ無いのだ、暫くはこうやってくすぶっている事ぐらいしかできないだろう。

せめてもの慰めとして、ティルヴィングの用意するトレーニングを順調にこなしていく他あるまい。

新暦62年の秋。

僕にとって“家”からの脱出に次ぐ最初の大きな事件と関わるその季節を、僕はそんな風にして過ごしていたのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「願いが叶うロストロギアぁ?」

 

 思わず語尾を上げて、僕は驚いた。

スキンヘッドにサングラスの筋肉隆々とした店主が、おうよ、と答える。

至る所がボロくなった、車輪付きの屋台。

暖簾は赤く、ミッド語でラーメンの文字。

一見すれば、と言うか何度見てもラーメンの屋台にしか過ぎない其処は、いつもどおり座っている客は僕一人だった。

なんでも第九十七管理外世界の食文化らしいラーメンと言う食べ物は、ミッドでも割りと人気な食べ物だ。

しかし此処のラーメンは正直微妙な味で、よっぽど変な客でもないと、一度食べたら二度と近づかなくなる。

夜になると此処に来る変な味覚の連中も結構居るらしいが、昼、しかも昼休みの時間を過ぎた頃に来れば、当然人口密度はこんなもんだった。

 

 そんなところに何故僕が居るのかと言うと、勿論ラーメンを食いに来ただけではない。

高ランク犯罪者を、スペックの差でとはいえ容易く捕らえる僕は、此処数ヶ月でかなり有名になった。

当然、そんな僕を利用すれば、かなり儲ける事ができるのではないかと考える輩もたくさん出てくる。

店主はそんな輩の一人で、情報屋を自称する男だった。

こんだけ目立つ男が情報屋かよ、とか、ラーメン屋で情報屋ってどうよ、と思う。

が、店主曰く此処の客はさながら多種のスープが混ざったラーメンのスープの如く、様々な人種が集まってくるらしい。

その連中の話を聞いて、ばらしてもいい情報は情報屋として扱うようにしているんだとか。

 

 正直眉唾な話だったが、他の情報屋は僕の例の直感が駄目だと囁いていたので、僕はこの店主と繋がりを持っている。

何度も情報をもらい犯罪者を捕まえるうちに、もしかして情報屋とは皆ラーメン屋をやっているものなのかとすら思った。

が、今度こそはやっぱり失敗だったんじゃないかなぁ、と思い、僕はジト目で店主を見つめた。

何を勘違いしたのか、ハハハ、と体を反り返らせながら笑い、続ける店主。

 

「あぁ、ここ一週間ぐらいに広まった噂なんだけどな、なんでも死人だって生き返らせる事ができるらしいぞ?」

「アホらし、そんなロストロギア、あってもリスクが半端無いだろ」

「冷めてるねぇー、ウォルター君」

 

 ハハハ、と笑いながらもまたもや体を反り返らせる店主。

僕はそれを無視して、これも第九十七管理外世界の文化らしい、箸とかいう使いにくい食器を使って麺をすする。

麺はきちんと湯切りされているし、染み込んだスープもそれほど不味くはないのだが、矢張りなんでか美味いとは到底言えない味だった。

夜に此処に集まる連中は余程舌がおかしいんだな、と一瞬思ってから、次にもしかして彼らじゃなく僕の舌がおかしいんじゃないかと思い、それからどちらにせよ外から見れば僕も舌のおかしい連中の仲間なのを思い出し、程良く憂鬱になった。

前かがみになり、肘をついてニヤニヤと僕を眺める店主。

 

「そんな冷めてるウォルター君に、朗報だ。

ここ一週間ぐらいで起きてる魔導師連続殺人事件、知ってるかい?」

「知ってるよ、新聞でもニュースでもやってた」

 

 クラナガンにおいても、一般人は兎も角魔導師相手の連続殺人事件と言うのは、中々珍しい。

殺人そのものが目的なら一般人が相手でいいし、怨恨なら数の少ない魔導師ばかりが相手と言う事はあまりなく、腕試しなら犯罪者相手に賞金稼ぎとしてやればいいからだ。

なので各マスメディアはこぞってニュースに取り上げるものの、具体的な殺害状況は管理局が差し止めているらしく、出ていない。

いや、うん、出ていなかった、よな?

内心少し不安になりつつも、僕は不敵な顔を崩さずに、店主に言う。

 

「で、死者は十一人だっけ。

一週間遅れのニュースだけが伝えたい事か?」

「くす、勿論それだけじゃあない。

死者は十三人になったし、その死者が共通して強化した膂力による刀傷で殺されていた、と言うのは知ってるかな?」

 

 僕は思わず、ラーメンをすするのを一旦停止した。

麺を噛み切り、スープの中に落とす。

 

「管理局はベルカ式を疑っているらしい。

しかも、殺された魔導師の中にはAAランクの陸戦ベルカ式が居たとか。

その上、殆どの魔導師の体には、致命傷の他にいくつもバリアジャケットの上からの傷があったと聞く」

「つまり、不意打ちでの一撃必殺では無く、正面からの戦闘で殺されたって事か。

殺された魔導師のデバイスに、犯人の血とかはついていなかったのか?」

 

 ハハハ、と背筋を反り返らせる店主。

サングラスとスキンヘッドが陽光を反射し、まばゆい輝きを放つ。

 

「いい質問だね。

答えは、少しも無かったそうだ。

殺傷設定になっているデバイスにも、血の一滴すら見つからなかったらしい」

「AAランクのベルカ式相手に一撃もバリアジャケットを抜かれずに、正面から殺害、か……」

 

 ミッド式対ベルカ式で遠距離から近寄らせなかったのなら兎も角、近接戦闘のベルカ式同士でとなると、かなりの凄技である。

僕とて魔力はSランクだが、実戦技能は高く見積もってもAAランクが精々だろう。

明らかな格上の存在に、体がぶるりと震える。

もしそいつに出会って負ければ、僕は間違いなく殺される。

怖かった。

“家”の中で脱走に失敗した時の記憶が蘇る。

研究者も警備員も、僕に一言も話しかけなかった。

代わりに養豚場の豚を見るような、冷たい目で僕を睨むばかりであった。

UD-182と別れて個室に入れられてからは、何時僕が実験室に送られ使い捨てられるのか、怖くて怖くて眠れなかった。

脱走に失敗してから初めて実験室へ連れられた時なんかは、あまりの恐怖に失禁すらした。

とにかく僕は、死ぬのが怖くて怖くて仕方がなかったのだ。

 

 そんな記憶が蘇ってしまった自分に、しかし僕は怒りをすら感じた。

違う、そうじゃない、と。

僕が恐れる事を許されるのは、UD-182の志を継げずに死んでしまう事だけだ。

UD-182は死の間際ですら死にたくないなんて言わず、唯一の後悔を除けば、やりたい放題やって生きて良かった、なんて言う奴だった。

その志を継ぐ僕が、死への純粋な恐怖になんて、怯えてはいけない筈なのだ。

そんな怒りでどうにか死への恐怖を吹き飛ばし、僕は顔を怯えた小動物の顔にする事無く、野獣のような獰猛な笑みに作り変える。

どうにか間に合ったようで、店主は眉を軽く上げて、ため息をつき言った。

 

「武者震いかい?

相変わらず、小さいのに男らしいガキだなぁ」

「まぁ、ここんところ弱い者いじめしかできていないんでね。

燃えてくるなぁ、こいつはさぁ……!」

「そういや、今日もAランク相手に圧勝だったっけ」

 

 吹けば飛ぶような虚勢だったが、どうやら店主はそれに騙されてくれたらしい。

本当はこんなんじゃあ駄目な筈だ。

もっと根本的な所から変わっていかないと、本当にUD-182の志を継いだ事にはならないだろう。

だけれど僕は本当に弱虫で、だからこんなふうに紛い物の仮面を顔に貼りつけていく事しかできない。

そんな自分の愚かさに内心惨めになる僕だった。

それをおくびにも出さず、肩をすくめる。

 

「で、情報はそれだけかい? 目撃情報とかはなし?」

「まさか、犯行現場を記した地図付きさ、残留魔力パターンの波形もあるよ。

目撃情報は、残念ながら今のところナシ。

入り次第、別料金で通信するよ」

 

 と言って、店主はクラナガンの地図を差し出し、デバイスを取り出した。

僕は地図をポケットに入れつつ、ティルヴィングで情報を受信し、もう一つ尋ねる事にする。

 

「管理局の対応は? 賞金を賭けられたりはしていないのか?」

「いや、相手のレベルがレベルだ、局内で対応するつもりみたいだね。

とっ捕まえてから民間協力者って事にされて、報奨金を狙うのがいいと思うよ」

「あぁ、うん。

にしても、随分ふわっふわした情報だな」

 

 思わず毒づくと、はて、と言った風に店主が首を傾げた。

少女のような仕草を彼のような筋肉隆々とした男がすると、違和感が激しい。

思わず微妙な顔になってしまいつつ、続けて言う。

 

「なにせこれじゃあ犯人に繋がる情報なんて、殆ど無いに等しい。

犯行現場から次の犯行がたどれるとは限らないし、魔力パターンは魔法を使わない限り隠せる物だ。

偶然出会いでもしなけりゃあ、犯人を捕まえる事なんてできないんじゃあないか?」

「そりゃあ、普通の奴ならね」

 

 含みのある物言いだった。

視線で先を促すと、溜息混じりに店主。

 

「君さぁ、最近は兎も角、最初の一月ぐらいはずっとこれくらいの情報で賞金首を見つけていただろう?

それに、道を歩けばひったくりに遭いそうになり、銀行に行けば銀行強盗に遭い、だ。

君は勘がいいのに運が悪い。

そんな君だ、これぐらいの情報でもあれば、偶然殺人現場にでも遭うだろうよ」

「嫌な予言するなよ……、いや、強い相手を探してる所だし、いい予言、なのか?」

 

 なんとも言えない気分になる。

その通りだった。

僕は最初の一月、情報に金を渋ってはいけない、と思い知るまでの間、殆ど勘で賞金首を探していた。

それで食っていけたのだから、僕の勘は異常と言ってもいいだろう。

かといって運が良いかと言われると、犯罪者と異様に遭遇するのを運がいいと言うのも、なんだか間違っているような気がする。

なので僕の運勢を総評するなら、勘がいいのに運が悪い、となるのだろう。

ため息をつきつつ、僕はラーメンを食べ終わった。

 

「じゃあごちそうさま、代金は?」

「五でいいよ、お前ぐらいにしか売れない話だったし」

 

 立ち上がって椅子にかけておいた黒いジャケットを羽織り、僕はラーメンの代金と共に情報料をカウンターに置き、店主に背を向ける。

これでようやく、ボロを出さずに店主との会話を終えられた。

内心安堵の溜息をもらしつつ立ち去ろうとした僕に、店主が声をかける。

 

「気を付けろよ、君も規格外だが、相手もこれまでとは格が違う相手だ」

 

 一瞬、既に気を抜いていた僕は、頭の中が真っ白になってしまう。

パニックを起こしかけ、自分がどうしたらいいのか判らなくなる一方、僕の中には一部冷静なままの部分があった。

その部分がUD-182ならこうした、と言う動作を予想し、実行する。

僕は肩越しに振り返りながら、不適な笑みを作り、言った。

 

「俺を、誰だと思ってやがる」

 

 “俺”。

僕はあの日UD-182の死を看取って以来、一人でいる時以外はずっとその一人称を用いている。

 

 

 

 ***

 

 

 

 古いドアを開けて、僕は自宅のアパートに帰宅した。

後ろ手に扉を閉めて鍵も締め、ワンルームの自室に進んでから窓を閉めてカーテンも締める。

それから念のために盗聴器や盗撮器を魔法で探索、部屋にそれが存在しない事を確かめた。

その上で僕は部屋の中に防音結界を発動、外に中の音が漏れないようにしてから、ようやくため息をつき、古いソファに座り込んだ。

 

「はぁ~、今日も一日疲れたぁ~」

『お疲れ様です、マスター』

 

 ティルヴィングが明滅しながら言うのを聞きつつ、ジャケットをハンガーにかけて吊るす。

外に出ている間の緊張の余り喉が乾いてヒリヒリしていたので、背筋を曲げながら冷蔵庫にたどり着き、ミネラルウォーターを取り出し、口付けた。

喉を数回鳴らして水を飲み込むと、ガクッと全身に疲労感が来た。

残る体力でソファの上に向かい、倒れこむようにソファに横になる。

再び、ため息をつく。

 

「ねぇ、ティルヴィング」

『なんでしょうか、マスター』

「僕、店主さんに嫌われちゃったかなぁ」

 

 だって、僕が演じる“俺”は、一歩間違えればただの傲慢で感じの悪い男でしか無い。

UD-182は鮮烈で熱い男だったが、僕が果たしてその通りにできているか、とてつもなく不安だった。

かなり本気での質問だったのだが、何故かティルヴィングからはため息の音声が流れた。

 

『そんな事はありませんよ』

「でも、僕の言葉、嫌な感じじゃあなかった?

変な事、してなかった?

“俺”の演技に漏れとかなかった?」

 

 言っていると、次々とネガティブな考えが思い浮かんでくる。

 

「ひょっとして、“俺”の演技に気づかれていたら、どうしよう。

もしそうだとしたら、店主さん、内心で笑いながら僕の事見てたんじゃないかな。

ううん、それどころか、管理局から歩いている間に街中の皆から笑われていたのかも」

 

 と言ってから思い出し、僕は急ぎ立ち上がって鏡を見る。

大丈夫だ、ズボンのチャックも閉まっているし、頭に鳥の糞もついていない。

部屋に戻ってジャケットの背側を確認すると、張り紙も無かった。

ラーメン屋で一度確認してはいたものの、それから家に帰るまでにつけられていたのでは、と言う疑念が消えなかったのだ。

そんな僕が無様なのだろう、ティルヴィングは冷たい声を出す。

 

『毎日のようにその確認を行なっていますが、一度もそんな事ありませんでしたよね』

「そ、そりゃあそうだけどさ、でも気になるじゃん」

『そんなのは貴方だけです』

「つ、冷たいなぁ、ティルヴィング……」

 

 冷や汗をかきながら言うと、ティルヴィングは更にもう一段低い声で言った。

 

『常々思っていますが、マスター、貴方は被害妄想癖がありすぎます』

「いや、まぁ、薄々分かってはいるけど、止められないんだよ……」

 

 外に居る時の僕の態度は、“俺”と言う仮面を被った演技である。

当たり前だが、演技で他人と接するのは正道の行いとは言いがたく、罪悪感のある物だ。

その罪悪感が、僕の元々ある被害妄想癖を助長しているのだろう。

 

 UD-182は、無論被害妄想癖なんて、欠片も持っていなかった。

目指している所にせめて形だけでも自分を置きたくて、僕は“俺”の演技を続けている。

でもその事で僕は余計にUD-182から離れていっているのかもしれない。

そう思うと、自分が情けなくて情けなくて、涙が滲みそうになる。

 

「うっ、ぐうっ……。

な、泣くな、泣いちゃ駄目だ、僕」

 

 こんな事で、UD-182の遺体の前で誓った二度と泣かないという誓いが破れそうになるのが、余計に情けなくて。

目がじんわりと滲んでいくのを、何度も瞬きをしながら歯をかみしめて、どうにかやり過ごす。

そうこうしていると、ティルヴィングが疑念を声を出した。

 

『その泣かないと言う誓いも、守る必要があるのですか?』

「あ、当たり前だろ、僕が182に誓った事なんだ」

『UD-182とやらとの誓いを守る必要があるのですか?』

 

 瞬間、僕の脳内が沸騰した。

思わず立ち上がり、待機状態のティルヴィングを握りしめ、怒鳴りつける。

 

「あるに決まってるだろ!」

『そうなのですか』

 

 黄金の小剣が掌に食い込み、痛みを僕に訴えた。

明らかに納得していない様子のティルヴィングに、言葉を重ねようかと思ったものの、思いつく言葉は無い。

僕は大きなため息をつくと、どすん、とソファに座り込んだ。

ティルヴィングから手を離す。

所詮機械のティルヴィングに、人間の感情は理解できないのだろう。

仕方ない事と思いつつも、寂しさが拭えなかった。

何せ僕が弱音を吐ける相手は、この世で唯一ティルヴィングだけなのだから。

 

「まあ、いいさ。

魔導師連続殺人事件の犯行現場、見てみるか」

 

 何か法則性が分かるかもしれないし。

と言う事で、ポケットに突っ込んだままだった地図を、机の上に広げる。

手に持ったミネラルウォーターで喉を鳴らしてから、ジロリと地図を睨みつけた。

 

 地図上には赤ペンで十三個、点と数字、日付が書きこまれている。

それによると、死体は管理局の地上本部を中心とし、ほぼ一定距離でバラバラに見つかっているそうだ。

最初の死体が十二時の辺り、それから大分離れて七時の辺り、三時半の辺りで二人……。

 

「地上本部から一定の距離って以外に、法則性は見つからない、かな」

 

 指で辿っても図が作れる訳じゃなく、被害者の名前や住所からも法則性は見られず、本当にただの辻斬りとしか思えない。

人通りの少ない所で、夕方から夜にかけて犯行が行われれているのが共通点といえば共通点だが、その程度の情報では次の犯行現場は特定できない。

唯一の幸運は、魔力パターンの波形をもらっているので、犯人を間違える事が無い事ぐらいか。

 

「こりゃ、何時もの通り、勘で探していくしか無いかな……」

『でしょうね』

 

 思わずため息をつく。

賞金首相手でも、恋人の家なり行きつけの酒場なりと居場所を絞っていっても、最後にモノを言うのは勘でしかない。

僕の勘は相当に冴えているらしく、不思議なぐらい同業者から抜きん出て賞金首を捕まえている。

なので今回の連続殺人犯相手でもある程度信を置いているのだが、それにしたっていい加減、勘頼りの捜査は御免被りたい物だ。

なんというか、不安定過ぎて心臓に悪い。

そんな事を考えつつ、僕はゆっくりと立ち上がると、夕方までティルヴィングの作った鍛錬メニューをこなす事にするのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 クラナガンを斜陽が赤く染める。

商店街から遠くに見える鏡張りの高層ビルが、陽光を受けてキラキラと輝いていた。

商店街の中心には、噴水があり、こちらもまた陽光を受けて夕焼け色に輝いている。

家族連れの買い物客や、買い物袋を下げた主婦が買い物を続ける中、僕は一人寂しく買い食いをしていた。

屋台の香辛料が効いた肉串に柔らかなパンと、何の変哲もない夕食である。

 

 量の少なさから、夜まで動くならまた夜食を買わねばならないだろう。

ティルヴィングが栄養指示まで結構細かい事をしているので、次は野菜などを多く取らねばなるまい。

僕は子供の多くがそうであるように、野菜が苦手だった。

と思ってから、UD-182ならどうしただろう、と思ってしまう。

最早不随意反射にまで達した思考は、嫌いな物は食べない、とか言いそうでもあるし、そんな事で自分の言葉の価値を安くしたくない、と食べそうでもある、と言う物だった。

まぁ、ティルヴィングが五月蝿いし、UD-182を自分の怠けの言い訳にしたくないので、どっちにせよ食べるのだろうが。

そんな事を考えて、どっかでサラダでも買って食べておくか、と思い、立ち上がった所であった。

 

「きゃあっ!」

 

 と甲高い悲鳴と共に、主婦らしき女性が倒れるのが見える。

その先には、ニット帽子を深く被った男が、女物の鞄を持って走っていた。

 

「ひ、ひったくりです!」

 

 女性が言い終えるが早いか、僕はその場から飛び出していた。

待機状態のままティルヴィングを使用、身体能力を強化して距離を縮めると同時、犯人が魔導師であった場合を考え、拘束力の高いそれを叫ぶ。

 

「チェーンバインドッ!」

 

 しかし声は、すぐ隣から輪唱した。

思わずそちらを見ると、青い髪を水色のリボンでポニーテールにした、緑瞳の女性が居た。

私服の割に買い物袋を抱えているでもないのは妙に感じるが、そこは問題ではない。

問題は、その手から青いチェーンバインドが飛び出ている事である。

 

「って、しまったっ!」

 

 再び犯人に視線をやると同時、ガシャン、と言う金属音と共に、僕と女性のチェーンバインドが絡まってしまう。

咄嗟に目測のロックで、脳裏に電撃が走るほどの高速詠唱。

白光と共にフープバインドが発動するも、速度を優先してロックが甘かったからか、奪われた女性の荷物をバインドしてしまう。

 

「ってくそ、犯人がっ!」

「まかせてっ!」

 

 と叫び、女性が足元に三角形の魔方陣を発動。

そこから青い帯が犯人の上空へ向けて発射、同時に女性の靴が煌めいたかと思うとローラーブーツに変わる。

思わず、冷や汗をかいてしまう僕。

初めて見る魔法だが、見るだけで何となく効果はわかった。

 

「ちょっと待て、バインドを消してから……」

「それじゃあ間に合わないでしょっ! 男の子なんだから我慢っ!」

「ば、ばかっ!」

 

 と、女性は僕の言を捨て去り、バインドで僕と繋がったまま、かなりの加速で青い帯の上を走ろうとする。

すぐに金属音と共に緩かったチェーンバインドがピン、と引きつった。

見目には次の瞬間体重の軽い僕が引きずられる事になるのだろうが、実際は違う。

体重の軽い僕は、チェーンバインドを発動する時に引っ張られないよう、自己を空間固定しているのだ。

空間固定の強さは術式の練度によって決まるが、体重の軽い僕はかなりの時間を空間固定に割いている訳で。

ピンと張ったチェーンバインドに、ぐい、と引きずられる女性。

当然、青い帯の道から外れ、空中に引っ張り出される形になる。

 

「へ? あれ?」

 

 と、その場で落下を始める女性。

先の青い帯の魔法を使い慣れている様子から落下にも慣れているだろうが、不意の落下となると万が一がある。

とは言え、あまり女性に対する言葉では無いが、流石に五メートル近い高さから落ちる大人は、子供の体には正直重い。

せめて落下地点まで人がおらず直線であり、高速移動魔法を多重発動する必要がない事が慰めか。

内心ため息をつきつつも、僕はティルヴィングに呼びかける。

 

「はぁ……縮地、発動な」

『了解しました、マスター』

 

 視界が流線となる程の急加速。

高速移動魔法で女性の落ちる地点に到達した僕は、覚悟を決めて両手を広げ、女性を抱きとめた。

 

「わぷっ!」

 

 と、子供っぽい悲鳴を上げて、僕の両手に収まる女性。

髪が柔らかに広がってから、重力に従い降りてゆく。

年はどれほどだろうか。

先程の犯人を追おうとする顔は凛々しく大人っぽかったが、今の悲鳴やら顔立ちそのものは、なんだか背丈に比して幼く感じる。

それでも年齢は大人の女性の範疇なのだろう、お姫様抱っこのようになる形から鼻の近くに女性の首筋が来て、香水の華やかな良い香りがした。

かと思うと、女性はバツが悪そうな顔をして僕を見つめ、てへっと子供っぽい笑顔を作る。

 

「格好わるい所見せちゃったね、ボク」

「そいつはお互い様だな」

 

 僕もバインドを目視ロックとは言え外してしまったのだ、偉そうに言える立場ではあるまい。

なのでそう答えると、女性は僕をキョトンとした目で眺め、それから何がおかしいのか、クスリと微笑む。

僕と長年に渡り縁のある女性、クイント・ナカジマとの出会いは、そんなお互い様の失敗から始まったのであった。

 

 

 

 

 



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1章2話

 

 

 

 夕焼けももうそろそろ終わる頃合い。

夜の帳が紫の帯と化して空を覆い始め、街灯も所々でつき始める。

探せば一番星が出てくるかもしれない空の元、喫茶店のテラスにクイントの明るい声が響き渡った。

 

「ごめんごめん、待った~?」

 

 と言いながらクイントが近づく。

先程荷物をひったくられた女性に返したのだが、クイントが管理局員だと知ると途端にクレーマーと化し、長々と拘束されていた。

その間手持ち無沙汰と言う事で、先の少年ウォルターには小銭を握らせ喫茶店で飲み物を飲ませておいたのだ。

コーヒーを飲んでいたウォルターは、肩をすくめて答える。

 

「今来た所だよ、とでも答えておけばいいのか?」

「あはは、君面白い事言うねぇ」

 

 明るく笑いつつ、クイントはウォルターと同じテーブルの椅子を引き、座った。

まずはとばかりに手を上げ、店員を呼ぶ。

何故だかウォルターはクイントを呆れた目で見ているようだったが、気にせず来た店員に注文を告げた。

 

「すいません、このストロベリータルトと、チョコケーキと、抹茶白玉と……」

「待った、この時間だし俺は一個でも十分過ぎるぐらい……」

「え? まだ全部私の分だけだけど。

ていうか君は今食べたら夕御飯がお腹に入らなくなっちゃうでしょ」

「あんたどんだけ食うんだよっ!」

 

 ウォルターのツッコミに首を傾げる所作で返し、クイントは止まった注文を再開。

冷や汗を掻いたウェイターにケーキやタルトを5つ頼み終えると、さて、と一息ついて、ウォルターへと視線をやった。

やや線の細い少年で、触れれば折れてしまいそうな繊細さを醸し出しているが、その表情がそれを覆している。

今はクイントの胃の容量に呆れた様子だったが、それまでは野生の狼もかくやと言う獰猛な笑みを見せていたのだ。

まぁ、この年齢であれだけの魔法が使えるのだ、好戦的なのは別段おかしい事ではないし、好戦的な男は職務上よく相手にする。

そう納得すると、クイントはウォルターに向け口を開いた。

 

「さっきはありがとう、貴方が咄嗟にバインドをかけてくれなければ、ひったくりを取り逃がすばかりか荷物すら取り返せなかったわ」

「俺が居なけりゃクイントさんがひったくりを捕まえていただろうし、お互い様だよ。

それに礼なら荷物を取られたお姉さんから言われたしな」

 

 と、斜に構えた態度で言うウォルターに、思わずクイントは眉間に皺を寄せる。

ビッ、と効果音が付きそうな勢いで人差し指でウォルターを指さし、言った。

 

「あら、お礼ぐらい素直に受け取りなさいよ、どういたしましての一言も言えないのかしら?」

「……はぁ、どういたしまして」

「よしよし、それでいいわ」

 

 呆れたように言うウォルターに満足して頷きつつ、クイントは次々と運ばれてくるケーキやタルトにフォークを動かす。

口の中に広がる甘味を味わいつつ、クイントはミルクを入れたコーヒーを飲むウォルターを眺めた。

とんでもないチェーンバインドの練度だった。

クイントは女性とはいえ前衛のベルカ式魔導師である、体重はかなりある。

だのにウォルターは一歩も引っ張られる事なく、クイントはチェーンバインドが張り詰めてすぐに引っ張られ、墜落してしまった。

それに思い出せば、クイントの動体視力はチェーンバインド同士が触れ合った時、ウォルターのチェーンバインドがより強力にクイントのチェーンバインドへ絡んだのを視認している。

バインドは魔法犯罪者を捕縛する時に使う、基本的な魔法である。

クイントも管理局員の常識として一定以上の練度があったが、ウォルターのそれは更に上をいっていた。

 

「君、今いくつ?」

 

 だしぬけに、クイントは問うた。

ストローでコーヒーを吸っていたウォルターは、質問の意図を掴めないようで一瞬視線を明後日の方にやったが、すぐに真っ直ぐに視線を戻し、答える。

 

「今7歳だな」

 

 思わず、クイントは目を見開いた。

ウォルターが背が高めな事や魔法の練度からしてもっと年上だと思っていたのだが、7歳とは。

この年齢層の子は年齢を詐称するとしても大きい方にである、恐らく7歳より年上と言う事はなかろう。

しかし普通魔法に触れ始めるのは、早くて5歳や6歳である。

とすれば、多く見積もってもたった2年で、クイントのチェーンバインドを練度で超えたと言うのか。

 

「へー、凄いわねー、ウォルター君。

この年であれだけの魔法を使えるなんて、お姉さんビックリよ。

普段誰に魔法を教わっているの?」

「こいつに教わるのと、後は実践でだな」

 

 と言いながら、ウォルターは胸元の黄金の小剣のペンダントを掲げる。

なるほど、デバイス頼りか、と手を打ち一瞬納得しそうになってから、思わずテーブルに手をつき身を乗り出し、クイントは叫ぶ。

 

「って君、殆ど独学って事じゃないっ!」

「まぁ、そういう事だな」

 

 流石にウォルターに二、三言いたい事が出来たクイントであったが、口を無理やり閉じ、椅子の背もたれにもたれかかり、ため息をついた。

いくらなんでも疑わしい事だが、ウォルターの目を見るかぎり、嘘を言っているように思えない。

クイントは常識よりも自分の直感の方を優先する人種であった。

それに、そんな事よりも気になることが一つある。

 

「でもじゃあ、実践って、師匠も居ないのに誰を相手にやってるのよ」

 

 この年齢の子供でこれだけ魔法を使えると、嫌な予想が一つ立つ。

常識的に考えて、親とか学校の先生とかそういう答えが返ってくるのをクイントは期待していた。

が、この少年はそういった常識的な場所に居るにしては、野性味が強すぎる。

ウォルターは、痛い事を聞かれた、と言うようにしばし視線を宙に彷徨わせていたが、やがて観念したかのように口に出した。

 

「犯罪者、っつーか賞金首」

「そっかぁ……」

 

 外れて欲しい予想が当たった事に、クイントは思わず天を仰いだ。

念のため、次ぐ質問もしておく。

 

「ご両親は、どうしているのかしら?」

「居ないさ、どっちもな」

 

 想定するケースの一つとして、働けなくなった、もしくは働こうとしない両親を養う為にウォルターが賞金稼ぎをやっているのかと思ったが、そうではないようだ。

ウォルターを見る限り、前者の悲壮感も感じられないし、後者の場合両親を蹴っ飛ばして無理やり働かせる方だと感じるので、それは無いと思ってはいたが。

ともあれつまり、ウォルターは天涯孤独であり、齢7つで賞金稼ぎをしていると言う事である。

本人はどうもそうは思っては居なさそうだが、不憫な子だな、とクイントは考えた。

考えたら即決即断がクイントの持ち味である。

 

「ウォルター君、管理局の保護を受けてみない?」

 

 早速クイントは、そう切り出した。

予想通り死ぬほど嫌そうな顔をするウォルターだったが、反論を許さずクイントは畳み掛ける。

 

「君、魔法が得意みたいだけど、だからって何時までも犯罪者に負けずにいられるとは限らないわ。

管理局の保護を受ければ安定した生活ができるだろうし、学校にだって通えるわよ」

「どうせ後々管理局に就職しなくちゃならねぇなら、総合的な危険度は大して変わらないだろ」

「そんな事は無いし、もし闘う事にかわりなくても、望めば正規の訓練を受ける事だってできるわよ」

「んなもん無くても俺は強いっての。

賞金稼ぎだって、一人でやってるんだぞ?」

 

 強情に提案を避けるウォルターに、クイントは思わずため息をついた。

確かに賞金稼ぎとして生計を立てる事ができている以上、ウォルターは弱い筈がない。

どころか、子供相手に命を託す物好きが居ないだろう事を考えると、単独で賞金首を打倒しているのは予想のうち。

それなら公平な目で見ても、ウォルターが十分な強さを持っている、と言うのは頷ける話だった。

チェーンバインドの練度やフープバインドの詠唱速度を考えると、更に納得がいってしまう。

だが、しかし。

 

「でもね、ウォルター君。

学校に通うのは、学力や強さ以外にも、重要な意味があるのよ?

それに友達ができるって事だって、大切な事よ。

学校にいる間に広い世界を知れば、将来の夢だってできるかもしれない」

 

 当たり前だが、学校を出たと言う裏付けは身分の保証に非常に役立つし、それ以上に学校は協調性を手に入れるのに非常に役立つ場だ。

友達を作り、いざと言う時支えになってくれる人を見つけるのも重要である。

それを理解していない訳ではないのだろう、ウォルターはクイントの言に、俯いてしまう。

 

 先程まで真っ直ぐにクイントの事を見つめていたウォルターの事を考えると、少しだけ過保護だったかな、とクイントは思った。

7歳と言うのは管理世界において社会人として認められなくもない年齢である。

学校を飛び級すればそのぐらいの年齢で社会に出る子供も、珍しいが居ない訳ではない。

ミッドの常識で言えば、ウォルターはやや若いものの、大人扱いしてもおかしくは無い相手だ。

こんなふうに頭ごなしに言って、人生を変えさせる権利なんて、クイントには無いのかもしれない。

 

 それでも尚クイントは、この少年を放ってはおけなかった。

その理由を自己分析してもよくわからないモヤモヤとした物しかないが、それでも放っておけない物は放っておけないのだ。

話していて分かったが、ウォルターはその言動に反して理知的な人間だ。

学校に通うメリットも、考える切欠を与えればすぐに理解できるだろう。

そうなれば、この子を保護手続するのに、今日の休暇は消えてしまうかもしれない。

無理を通して休暇を取り、自分の抱えていた案件を追うつもりだったクイントだが、仕方が無いか、と内心苦笑を作った。

偶然とは言え出会った子供の将来を左右する事を、クイントは放っておけなかった。

 

「あんたが俺の事を真剣に考えてくれているってのは、よく分かった」

 

 ウォルターが視線をあげる。

クイントの瞳とウォルターの瞳が直線上に並んだ。

どくん、とクイントの心臓が高鳴った。

 

「でも、それはできない」

 

 灼熱の瞳が、クイントを射ぬいた。

心の奥底が、ごう、と燃え盛るのを感じる。

 

「俺には、既に一生を賭してでもやらなければならない事がある」

 

 理由や過程抜きで、全身が熱くなるような目だった。

腹腔を炎の舌がチロリと舐め、全身から汗が吹き出すのをクイントは感じる。

何の圧力も無い筈なのに、その視線一つでクイントは思わず腰が引けた。

気圧されたのだ。

管理局の最前線で闘う、ベルカの魔導師が。

 

「今はそれに目一杯で、他に手を出す余裕なんて無いんだ」

 

 そう言ってのけるウォルターは、まるで後光が差しているかのように、輝いて見えた。

まるでそこだけ、存在の密度が違うかのような感覚。

カリスマ、と言う単語がクイントの脳裏を過ぎった。

この子は、生まれついてのカリスマを持っている人間なのかもしれない。

 

 例えウォルターの言葉が真実でも、彼が学校にはいるメリットがなくなる訳ではない。

学校に入ったと言う裏付けは多くの事に役立つし、他の夢を見た上で今の夢を選択する事だってできる。

だがそんな理屈を抜きにして、何かを納得させる力が、ウォルターの言葉には篭っていた。

 

「そっか……」

 

 クイントは肩を落とし、小さくため息をつく。

クイントの霊的な直感は、いくらクイントが言っても、ウォルターが考えを変える事はない、と感じていた。

どころか、自分をさえ気圧すこの少年は、自分と対等に扱っても良いのでは、とすら思える。

勿論人生経験が文字通り桁が違う以上そんな事は無いのだが、ウォルターの眩い言葉は、そんな錯覚すら覚えかねない物だった。

 

「ったくもう、ガキんちょの癖して、格好いい事言っちゃって!」

 

 クイントは思わずウォルターの頭に手を伸ばし、ガシガシと力強く地肌を撫でる。

嫌そうな顔で頭を撫でられるウォルターを見て、その子供っぽい顔に安心し、クイントは相好を崩した。

この子は、大人になったらきっと物凄く男らしい大人になる事だろう。

それを思い、思わずクイントは口からこんな言葉を漏らす。

 

「あと私が十年ぐらい若くて、旦那が居なけりゃ、貴方に惚れていたかもね……」

「え? 二十年じゃなくってか?」

 

 にっこりと微笑み、クイントはウォルターを撫でていた手で拳を作った。

ガツン、とウォルターの頭を殴る。

頭を抑えて悶絶するウォルターに、いい気味だ、とクイントは溜飲を下げるのだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 クラナガンの夜は治安が悪い。

夜暗に紛れて違法魔導師が徘徊し、日夜血と硝煙の匂いを街に振りまきながら全世界の不幸度を上げている。

そんなネオンの明かりも届かない静かな路地裏を、クイントさんと別れた僕は一人で歩いていた。

いや、一人で歩いていると言うのには、少し語弊があるか。

僕の足音と重なるもう一つの足音に向かい、僕は振り返った。

何を考えているのか、にっこりと微笑み、手を降ってくるクイントさん。

 

「さっきも言ったけど、なんでついてくるんだよ、あんた」

「さっきも言ったけど、本当に行き先が同じなだけよ。

ウォルター君、そろそろ夜になるし、お家に帰ったほうがいいんじゃない?」

 

 僕は深くため息をついた。

この女性——ちなみになんと人妻らしい!——は、何を考えているのかよくわからないが、僕と同じ行き先に行こうとしているらしい。

何度か道がわかれて別々の方向に行った事があるので、つけられている訳ではない。

ないのだが、僕は勘に頼って歩いているだけなのに、何故目的地が同じと言う事になるのだろうか。

もしやクイントさんも、魔導師連続殺人事件の犯人を探しているのだろうか?

などと突拍子もない考えが僕の脳裏に描かれた、その時であった。

 

「……したくない……になんで……いけない……ごめん……」

 

 街灯の直下、肩まで届く茶髪に黒のワンピースを来た女性が、壁に向かって額をあてながら何やら呟いていた。

荷物は一つも無く、代わりに何故か布に包まれた長い棒を抱えているのが奇妙である。

思わず、背後のクイントさんと目が合った。

どうしたものかと様子を伺ってみたいが、子供の僕ではむしろ僕が事情を問われる側になってしまう。

無言のアイコンタクトが伝わったのか、クイントさんが僕の横を通って茶髪の女性に話しかけた。

 

「あの、こんな所でどうしたのでしょうか。

私は管理局員です、何か困っている事があれば、お力になりますよ?」

 

 女性が、クイントさんを見た。

瞬間、背筋に凍土が生まれる。

直感が悲鳴を上げ、脳が焼け付く程の超速詠唱で魔法を唱えた。

 

『縮地発動』

「下がれクイントさんっ!」

「えっ?」

 

 とバリアジャケットを展開した僕が到着するより早く、女性は布で包まれた棒を蹴り回転させ、クイントさんの足を払う。

不意をつかれて対応できなかったクイントさんが体勢を崩した次の瞬間、風を裂く轟音と共に棒がクイントさんへ向け叩きつけられた。

 

 甲高い金属音。

辛うじて大剣と化したティルヴィングで、僕は女性とクイントさんとの間に入り込む事に成功していた。

が、なんという膂力か。

咄嗟に片手で柄を、片手の篭手で刀身を押さえていなければ、剣を弾き飛ばされている所だった。

冷や汗をかきながら、鍔迫り合いをする相手の武器を視認する。

 

 カタナ、と呼ばれる片刃の曲刀が存在する。

重さで切るのではなく鋭さで切る武器であり、特に人を切る事を目的としたカタナを人斬り包丁と言うそうだ。

質量兵器時代の初期、火薬が発達する前によく使われた武器であり、今でも一部の特殊なベルカ式に伝えられている武器だと言う。

そのカタナが、女性が両手で握る武器の正体であった。

咄嗟にティルヴィングでもらった魔力波形のパターンと照合し、僕は相手が誰なのか理解する。

 

「あんたが魔導師連続殺人犯か……!」

 

 成る程、その身に纏う魔力は僕と同等のSランク。

更にベルカ式の使い手であるクイントさんを、油断していたとは言え一合で殺しかねなかった技量。

どちらも犯人像と合致する。

詰問の言葉を突きつける僕に対し、女性はカタナを打ち払い、背後へと飛翔、距離を取った。

 

「黙れ……!」

「なっ、この人がっ!?」

 

 言外に僕の言葉を認める女性に、僕の台詞に驚くクイントさん。

すると女性はバリアジャケットを展開。

赤黒い和風の具足を装備すると、カタナを頭の横から空に刃を向け地面と並行に構え、半身に足を大きく開く。

 

「この刀……、ムラマサにさえ選ばれなければ、私だって、普通の女の子だったのに……!」

 

 吐き捨てるように言う言葉の内容とは反対に、踏み込む速度は凄まじい殺気に満ちていた。

瞬きの瞬間を縫うように僕へと接近、上段に構えたムラマサとか言うカタナを振り下ろす。

幸い上段からの攻撃だと理解できていたので、横に構えたティルヴィングで防御魔法を展開。

激突するも、ムラマサの斬撃は僕の防御を貫くに至らない。

あわよくばふっ飛ばした後追撃を、と考えたその瞬間、背筋を氷点下の気温が蹂躙した。

 

「ムラマサ、ロードカートリッジッ!」

『御意、大鷲の剣発動』

「ぐっ、ティルヴィングッ!」

『了解、ロード・カートリッジ。トライシールド強化』

 

 機械音声と共に、ティルヴィングの柄から薬莢を排出。

強化したシールドを展開するも、嫌な予感はまだ消えない。

次の瞬間、オレンジ色の魔力光がムラマサに収束、解き放たれる。

 

「ぐぁっ……!!」

 

 銀光が走ったかと思うと、僕は背後に吹っ飛ばされていた。

どころか、右腕に鈍い痛み。

見れば右手の篭手はティルヴィングの刃が食い込み、数条に分かれた血の川が流れていた。

強化したシールド魔法を抜いた上、残ったパワーのみで篭手を破壊されたのだ。

何処が重さではなく鋭さで切る武器だよ、と内心毒づきつつ、急ぎスフィアを展開。

 

「切刃空閃・マルチファイアッ!」

 

 縦に放射状に十個の直射弾を発射し、狭い路地裏を利用して空間攻撃を行う。

こちらも相手と同じSランクの魔力を用いた攻撃である、流石にこれを防御無しで突っ込んでくる程相手は化物では無かったらしく、防御魔法の三角形の橙光が見えた。

この隙にと立ち上がり、黄金の大剣を構える。

相手も同様に、再びムラマサを上段に構えていた。

腕の傷の分こちらの状況が悪いとも言えるが、クイントさんがある程度離れてくれた為、こちらも心置きなく戦えると言えば未だ互角か。

とりあえず、自分から殺人犯と言外に告白してくれた辺り、口が緩そうなので、適当に挑発してみる。

 

「くそ、馬鹿力女めっ! ゴリラかなんかの仲間かっつーのっ!」

「誰が馬鹿力女ですかっ! 私には、ティグラって言う立派な名前があるんですっ!」

 

 あまり期待せずにした挑発だったのだが、普通に名前を返してくる辺り、頭の出来は微妙らしい。

クイントさんと念話しつつ、作戦を考える。

しかし何にせよ、この路地裏は僕が圧倒的に不利だった。

普通の長剣ぐらいの長さのムラマサは自由自在とまでは行かなくとも振り回せても、僕の馬鹿でかいティルヴィングは横に剣を振ろうとすれば、壁にひっかかってしまう。

両隣が高層ビルなので、空を飛んでも条件は同じ。

何か策を考えねばなるまいが、それより先に相手が突っ込んでくる。

 

「また子供を殺したくなんてないけど、仕方ない、か……!」

 

 ムカつく物言いだが、先程よりも早い踏み込み。

しかし一撃目で速度に目は慣れた、今度はこちらの番だ。

再びオレンジ色の三角形がティグラの足元を照らし、薬莢の跳ねる音と共に斬撃が来襲。

しかし相手の振りおろしのタイミングに合わせて、こちらもティルヴィングを振りおろし、ムラマサを地面にたたき落とす。

そのまま流星の速度で剣を跳ね上げ、無防備なティグラの顎を狙うも、咄嗟の判断でティグラはムラマサを手放し飛行魔法で後ろ上空へ後退、斬撃は空を裂く。

予想外にデバイスを手放させた、と思った、その瞬間である。

 

「来て、ムラマサ!」

 

 と、一言ティグラが声を発したかと思うと、ムラマサをオレンジ色の結界が包み、次の瞬間ティグラの手にムラマサは舞い戻っていた。

 

「自動送還機能付き……ロストロギアか?」

「くっ、ムラマサがロストロギアだってバレたッ!?」

 

 またしてもカマかけに引っかかるティグラ。

自動送還機能があったとしても、ムラマサではなく仕込んであった他のロストロギアの可能性もあるのだが、わざわざ口に出して教えてくれた。

内心なんとも言えない気分になりつつ、こちらも飛行魔法を使ってティグラへと突貫。

大上段に振り上げたティルヴィングを振り下ろそうとし、対するティグラは今度は中段の構えで迎え撃つ形に。

激突の寸前、ローラーの摩擦音が背後に近づいているのを確認しながら、僕は高速移動魔法を発動する。

 

「悪いがっ」

「ここで選手交代よっ!」

 

 地面に飛燕の速度で落下する僕と入れ替わりに、青い帯の道を走るクイントさんが突撃。

当たり前だが、この横幅の狭い路地では僕の大剣よりティグラのムラマサの方が扱いやすく、そしてティグラのムラマサよりも、念話で教えてもらったクイントさんの拳の方が扱いやすい。

そしてクイントさんには近距離の攻撃しかできないが、僕は中遠距離からの援護射撃ができる。

となれば、このスイッチは妥当な戦術判断と言えよう。

クイントさんのリボルバーナックルがムラマサを弾くのを尻目に、僕はティルヴィングに呼びかける。

 

「パルチザンフォルム、行くぞっ!」

『了解、ロード・カートリッジ。パルチザンフォルムへ変形します』

 

 ティルヴィングの刀身が二つに別れ、緑の宝玉から一直線に空洞が伸びるように。

柄は倍に伸び、二条槍のような形状の薙刀へと変形する

ベルカ式には珍しい、遠距離からの射撃系魔法をメインに使う際の形態、パルチザンフォルムである。

早速ティルヴィングをティグラへと向け、叫ぶ僕。

 

「誘導弾、チャージ……!」

『イエス、マイマスター』

 

 早速誘導弾を同時に制御できる限界である5つまで形成。

青い光と帯、オレンジ色の光が激突する箇所へと向けながら、タイミングを見計らう。

 

「おぉおおぉっ!」

「てやぁあぁっ!」

 

 状況はクイントさんが不利だった。

スイッチして一分と経っていないのに、既に全身には刀傷が所々にあり、失った血の量も相応の物だ。

当たり前といえば当たり前か、先程密かに念話で聞いたクイントさんの魔導師ランクは陸戦AA。

以前AAランクのベルカ式魔導師がバリアジャケットを抜く事すらできずに殺された事を思えば、不利なのは当然と言えよう。

しかし背後に隠れた僕が誘導弾で狙っているのを気にしてか、ティグラはクイントを攻めきれないようだった。

そして戦況をコントロールしきれないのだろう、クイントさんとティグラが直線で並び、ティグラが僕の姿を確認できない時が来た。

 

「踊剣小閃ッ!」

 

 と同時、僕は誘導弾を発射。

五閃の白光がクイントさんの背中近くまで到達すると同時、軌道を歪曲。

クイントさんを回りこむようにしてティグラへと突撃、4つが命中し爆発する。

 

「ぐあっ!?」

 

 悲鳴をあげるティグラへ、しかし容赦無しにクイントさんは突貫。

薬莢を右手から排出しつつ、すれ違いざまに鉄腕を叩きこむ。

 

「ナックルダスターッ!」

「——っ!」

 

 声にならない悲鳴と共に、落下を始めるティグラ。

赤い具足のバリアジャケットが砕け、破片が下へと落ちていく。

腹部にはクイントさんの拳の形の痣が残っていた。

しかしその目には、わずかながら意思の光が見受けられる。

が、外れてしまった誘導弾がまだ一つ残っているのだ。

明後日の方向に行ってしまったそれを操作、ティグラへと向け発射し、これで勝利かと思った、その瞬間であった。

 

 絶大な悪寒。

咄嗟に誘導弾をクイントさんに向け発射、こちらは全力のプロテクションを発動、殺意の大体の方向へ向け防御姿勢を取る。

 

「ウォルター君っ!?」

 

 クイントさんの悲鳴の直後、爆音が二つ響く。

一つはクイントさんの間近に迫っていた、幻術により隠蔽された透明の直射弾。

もう一つは、幻術で隠れながら僕に接近し、背後から奇襲してきた者による直射弾によるものであった。

すぐさま晴れる土煙の中から、オプティックハイドによる透明化が剥げた襲撃者が姿を現す。

 

「……うっ!」

 

 思わず、と言った風にクイントさんが悲鳴をあげる。

襲撃者は普遍的な杖型デバイスを手に持ち、バリアジャケットは黒いコートにパンツと普通の姿だったが、その顔が異様だった。

襲撃者の顔面は、焼け爛れていた。

鼻はそぎ落とされ筋繊維が所々姿を見せ、唇は異様にも真っ白な色をしている。

髪の毛は一本も残っておらず、頭は禿げ上がっていた。

一体こいつは何者なのか。

脳裏に走る疑問を口にだそうとするより早く、ティグラが口を開く。

 

「お、遅いですよ、ナンバー12っ!」

「……お前は相変わらず口が多い」

 

 男とも女とも取れない皺がれた声で、ナンバー12は答える。

要するに、ナンバー12はティグラの仲間と言う事なのだろう。

早速情報を明かされて、ナンバー12が呆れているように取れるのには、少々同情心をそそられないでもない。

こうまで片っ端から言わなくてもいい事を口に出されては、さぞかし嫌な気分な事だろう。

 

 しかしそれにしても、僕とナンバー12との距離が近いのはマズイ。

僕は未だティルヴィングの基本形態であるソードフォルムに習熟している途中であり、現在のパルチザンでの近接戦闘はお世辞にも形になっているとは言い難い。

その上当たり前だが、刀身の面積は減っていない以上、大剣より薙刀の方が狭い路地では扱いにくい。

かと言って形態変化をする暇があるほど力量の低い相手か、今はまだ判断できない。

冷や汗をかきつつ僕はナンバー12と相対する。

そして不安なのはクイントさんも同じだろう。

僕の援護なしにティグラと相対すれば、クイントさんは数分と持たず地に伏す事となる。

 

「よ、よし、ナンバー12が来たんだし、これならきっと勝て……!」

「引くぞ」

「あれ?」

 

 しかし援護は意外な所から現れた。

ナンバー12はそう告げると同時、高速移動魔法で上空へ。

ティグラも慌てた様子でナンバー12に続き、上空へと飛び立つ。

意外な台詞にビックリした瞬間を狙われ、阻止はできなかった。

当たり前だが、上空へ逃げられては、こちらは追いたくても追う事はできない。

クイントさんはあの青い帯の道の魔法である程度空中戦闘ができるとはいえ、空戦魔導師に比べれば自由度に劣る。

となれば僕一人でティグラとナンバー12に対応せねばならず、それは勿論僕の死を意味するからだ。

 

「殺さなくて済むからいいんですけど、なんで?」

「クイントは兎も角、あっちのガキは未知数だ。

殺れるかどうか、不確定要素が多すぎる」

 

 という事らしかった。

確かに相手から見れば、ティグラと同等の魔力を持つ僕は、なるべく相手にしたくないのだろう。

こちらとしては一応下からチマチマ射撃で応戦する方法もある。

勿論こちらの不利は免れないが、時間稼ぎをしつつ管理局員であるクイントさんに応援を呼んでもらい、数の暴力で片付けると言う選択肢があるためだ。

僕の報酬金がかなり減額されるだろうが、背に腹は代えられない。

早速ティルヴィングを向けるも、先程から隠蔽発動していたのだろう、ナンバー12の転移魔法の展開の方が早かった。

僕とクイントさんは、二人を転移魔法の魔力光が包み、消えていくのを黙ってみている事しかできないのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 クイント・ナカジマは元々魔導師連続殺人事件を追っていた。

計13人と言う大量連続殺人である、それほどの非道を許す訳にはいかないと必死に現場をかけずり回り、やっと法則性らしきものを見付け出した、その日である。

クイントは突然、捜査権限の移譲を上司に伝えられた。

しかも、その移譲先が管理局の存在しない部隊と言われる部隊であった。

どんな人員が居てどんな活動をしているのか一切分からない部隊であり、管理局上層部の都合の悪い事態をもみ消す為に使われる部隊だと言う噂すらある。

当然烈火の如く怒ったクイントであるが、上司は上からの圧力だ、と言う以上の事は何一つ教えてくれなかった。

業を煮やしたクイントは通常業務の他に独自に魔導師連続殺人事件の捜査をし、夫に謝りつつ休暇をその調査に使っていたのであった。

 

「……って訳だ」

 

 ティグラとの交戦から約1時間。

クイントはウォルターを夕食に誘い、念のため個室で食事をできるバーに連れ込んで、ウォルターの事情を聞いている所であった。

大体の事情を聴き終わったクイントは、そうかぁ、と口に出してから机に肘をつき、手の上に顎を乗せる。

ウォルターの話は非常に単純で、情報屋に魔力パターンの波形をもらって勘で彷徨いていたらクイントと同行する事になり、ティグラと遭遇したという事である。

いくらなんでも都合が良すぎる話だが、単独では流石に勝ち目の無いウォルターにとってクイントを仲間に引きこむ絶好のチャンスだ。

この場で態々嘘を言う事も無いだろう。

 

「はぁ……」

 

 現状に思わずため息をつきながら、クイントはウォルターを見つめる。

ウォルターが料理を食べる姿は、意外にも上品な物だった。

言動からもっと野性的な食べ方を想像していたのだが、クイントよりも上品なのでは、と言うマナーの良さである。

どうやらデバイスに指図されての事らしく、時折デバイスから叱声が飛ぶのを見ると、微笑ましくて思わず笑顔になってしまうクイントであった。

こうしてみると、普通の子供である。

しかし先程の戦闘を思い浮かべると、そうも言えない。

 

 ウォルターは恐らく、クイントよりも強かった。

武器の差もあり比較しづらいが、単純な近接技量ではクイントよりやや劣るものの、魔力量はウォルターが圧倒的。

何より魔力運用が非常に上手く、勘の良さが凄まじい。

特にクイントの目を引いたのは、ナンバー12の透明化直射弾からクイントを守った、あの誘導弾である。

直前まで自由落下するティグラを狙う単純軌道から、鋭角に曲がって見えない目標へ向かっての軌道変換は、かなりの難易度だろう。

加えて、ウォルターがあの透明化直射弾を察知した勘も凄いが、もっと凄いのはその勘を十全に信じたその精神力である。

決まったかもしれない勝負を捨て、仲間を誤射する危険性を孕みながらも、尚自身の勘を信じるのは非常に難しい。

 

 クイントとウォルターが戦えば、恐らくウォルターに軍配が上がるだろう。

遠距離からの攻撃に徹されていてもそうだし、近距離戦闘に持ち込むことができても、技量差を覆す魔力によるスペック差がある。

加えてあの凄絶な勘と、それを信じきる精神力。

状況にもよるが、近接戦闘に限定しても4:6でクイントが不利と言う所だろう。

この年齢でこの領域である、クイントの脳裏には「天才」の二文字が過ぎった。

 

 対し、ティグラもまた凄まじい強者であった。

近接戦闘での力量はクイント以上、その上ウォルターのような天才型ではなく、その剣技には重厚な経験が見て取れた。

言動や見目の若々しさからすると妙だが、少なくとも経験値はクイントの上を行く程度はある。

その上魔力量でウォルターと互角である、クイントではティグラ相手に足止めにしかならない。

加えて対峙したクイントだから分かる、口では殺したくないと言いつつ、その手腕は人を殺す事に既に躊躇を覚えなくなっている。

 

 ナンバー12の存在を加えれば、既に事態はクイントの手には余る状況となっていた。

それでも、13人もの魔導師を殺したティグラを、存在しない部隊などと言う不透明かつきな臭い部隊に任せてはおけない。

特に13人の死者のうち、4人がまだ幼い魔導師だったと言うのがクイントの義憤を買った。

どうしてかは自身でも分かっていないが、子供の不幸はクイントの逆鱗である。

クイントは何としてもこの事件に食い下がりたかった。

 

 普段なら同じ隊の仲間に呼びかけて捜査を手伝ってもらう所だが、上司も仲間も今新たに降り掛かってきた案件に関わっている所で、手が離せないのが見て取れる。

この状況では、クイントが休暇を使って個人的な捜査をするのを黙認してもらっただけでも上出来だ。

恐らくクイントにとっての逆鱗である、子供の死が関わっていたから許されただけだろう。

加えて、AAランクのベルカの騎士が敗れた、と言う報がある前だった事も一因か。

とにかく、これ以上となれば、苦汁をなめながらもこの件について諦める事を要求されるに違いない。

 

 そこで手なのが、ウォルターを民間協力者として私的捜査に加える、と言う手段だった。

ティグラと互角に切りあう事のできるウォルターであれば、クイントは残るナンバー12を相手にすればいいだけだ。

ナンバー12の力量が不明瞭なのが不安要素だが、少なくとも見て取れた魔力量はクイントと互角程度。

幻術使いと言うのは厄介だが、とある理由でクイントは幻術使いとの戦闘経験を積んでいる、勝てない相手では無い。

 

 では何が問題かと言えば。

ウォルターが子供なのが、問題だった。

子供達の敵を取るのに子供を危険に晒すのか、と言う事だ。

それも、夕方に管理局で保護しようかと誘った、その日のうちに手のひらを返して、である。

 

「……っ」

 

 クイントが声にならない声を小さくあげると、ウォルターは食事の手を止め、クイントを仰ぎみた。

上品な手つきなのに不思議と食事は早く、その皿はクイントに負けない速度で露出度を上げている。

背丈はやや高めなものの、その顔はまだ歳相応に幼い。

 

 クイントより強いとは言え、ウォルターはまだ7歳の子供なのだ。

とは言え、ミッドの常識では独り立ちしている彼を大人扱いするのも、然程おかしい話でもなく。

子供らしい仕草もあるけれど。

時折クイントをさえ超える覇気を感じさせる時もあり。

迷うクイントの内心を読み取ったのだろう、口元で小さく笑みを作ると、ウォルターは口を開いた。

 

「心配するな、俺はティグラなんざに負けはしねーよ。

必ず勝つ。

勝って、生きて帰る。

大体、心配なのはこっちさ、クイントさんはあのナンバー12とか言うのに勝てるのか?」

 

 また喫茶店の時と同じ、全身に電撃の走るような凄まじい笑み。

心の中で、何処かナンバ−12との戦いを不安に思っていた部分が浮き彫りにされ、その上でそれが燃焼する。

カッ、と全身が熱くなり、思わず食器を強く握りしめてしまう。

血潮は熱く、活力はみなぎり、腹腔の燃え盛る炎を吐き出すようにクイントは言った。

 

「勿論よ。

私だって、ナンバー12なんて男に、負けはしないわ。

そっちこそ、ティグラに負けたりなんかしたら、大爆笑してやるわよ」

 

 言い切ってから、はっとクイントは実質ウォルターの同行を許すような発言をしてしまった事に気づく。

あっ、と声に出してしまうと、ウォルターは悪戯が成功した子供のような表情で忍び笑いをしていた。

それに怒ろうと、身を乗り出して何か言おうとするものの、何を言えばいいのか思いつかない。

ぱくぱくと口を開け閉めしてから、仕方なしに大きくため息をつき、クイントは席についた。

 

 そも、ウォルターの事を子供扱いするなら、夕方の時点で無理にでも保護していただろう。

そうならなかった以上、クイントは本能的な部分でウォルターをある程度大人と認めている事にほかならない。

とすれば、言う事は最早一つである。

 

「あーあ、分かったわよ、ウォルター君を民間協力者として認めるわ。

『偶然』出会った事件に関する調査の協力者って事になるのかしらね」

「で、『偶然』捕まえてみたら犯人が魔導師連続殺人犯だった、って訳か」

 

 訳知り顔で言うウォルターの顔に何となくムカムカして、クイントはテーブルの下で蹴りを出すも、あっさりと避けられる。

悔しくて何度も蹴りをしてみるも、テーブルの下を見ているんじゃあないかと言う精度でウォルターは次々に足を避け、結局一つも当たらなかった。

むすーっと膨れ顔を作るクイントに、ウォルターは再び忍び笑いをしてみせる。

これじゃあどっちが子供だか分からないな、とクイントが思った時、ふと、ウォルターが真剣な表情で口を開いた。

 

「そういや、ナンバー12を男って言ってたけどよ。

あいつ、骨格から見て女じゃあないか?

女にしては、胸が無さ過ぎる気がするけどさ」

 

 ピタリ、とクイントは動きを止めた。

ウォルターの目を見つめるも、そこに嘘の色は無い、とクイントの勘は判断する。

 

「それ、本当?」

「ああ、胸に関しても、あんまし想像したくないが、削ぎ落とせばいい話だしな」

 

 クイントは、静かにグラスを手に取ると、一口、二口と水を飲む。

一旦頭を冷やす行為が必要だった。

頭の熱を追い出すように頭を振り、じっとウォルターを見つめてクイントは口を開く。

 

「だとすれば、少し心当たりがあるの。

ティグラと言う名前からも何かたどれる事があるかもしれないし、明日は別行動でいいかしら」

「ああ、管理局への伝は無いからな、そっちは頼む。

俺は情報屋と、ちょっと気になる噂があるんで、それに関して聞き込みをしたい」

「えぇ、そうしましょう」

 

 言って連絡先を交換すると、ちょうど食事も終わりだった。

立ち上がり、割り勘を主張するウォルターを寄せ付けずに全額支払い、バーを後にする。

一旦帰宅するというウォルターと別れてから、夜風に涼みながらクイントは思った。

直射弾を透明化する幻術使いで、女。

嫌というほどに心当たりがあった。

陸士訓練校時代の先輩であり、卒業後空士の資格を取り執務官となった人。

そして、故人である。

秘匿任務での死亡という事で、何一つ家族にすら知らせずに死んでいった先輩。

もし本当にその先輩が関わっているのだとすれば。

顔面が焼け爛れ乳房を抉り喉を潰した、身元不詳の人間がその先輩だというならば。

そして更に、存在しない部隊への捜査権限の移譲を考えるとすれば。

存在しない部隊への噂程度だった疑念が、真実味を帯びてくる。

 

「この事件……、本当に管理局が裏で関係している……?」

 

 答える者は誰もいない。

クイントの言葉は、夜風に乗って果てないどこかへと消えて行くのであった。

 

 

 

 

 



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1章3話

 

 

 

 休日の午前中。

僕はクラナガンの繁華街の中心、歩き疲れた人が足を休めるベンチスポットに腰を下ろしていた。

午前中というだけあって目の前を通り過ぎていく男女はまだ元気いっぱいで、足を休めようという人はあまり居ない。

そんなところに僕は何をしにきているのかと言うと、噂を確かめる事だ。

ラーメン屋の店主は言っていた。

「ここ一週間ぐらいに広まった噂で、願いを叶えるロストロギアの噂がある」

「一週間ぐらい前から魔導師連続殺人事件は起こっていた」

どちらも時期が同じで、ティグラの持っている武器のムラマサは、ロストロギアとの自白がある。

その機能のうち判明しているのは、自動送還機能だけ。

当然それだけでも立派なロストロギアではあるのだが、それではあの慌て様は妙だった。

 

 そこで、願いを叶えるロストロギアの噂である。

勿論それだけでは眉唾な話だし、この程度の情報でムラマサと噂のロストロギアを結ぶのは短絡的に過ぎよう。

しかし例の僕の直感というべき部分がささやいているのだ。

この二つには何か関係がある、と。

 

 そこで思い出すのは、ティグラのあの口の軽さであった。

加えて言えば、僕とクイントさんがティグラを見つけた時、ティグラは一人でブツブツと独り言を呟いていた。

それで僕は思ったのだ。

もしやティグラが口を滑らせて、ムラマサの効力を話してしまったのではないかと。

そしてそれを誤魔化すために、曖昧な噂と言う事にしたのではないかと。

勿論、そこまで都合よく事態が進むとは思っていないが、情報屋から情報を聞く以外決まった用事の無い僕である。

願いを叶えるロストロギアの噂を探す事に、残る時間を使おうと思ったのである。

 

 勿論、それには噂を知るラーメン屋の店主に聞くのが手っ取り早い。

が、あのラーメン屋、開店時間は正午からである。

屋台なので、当然午前中に行ってもまず見つからないだろう。

なので折角時間があるのだ、たまには自分でも情報収集をするか、などと思ってしまった。

そう、思ってしまったのである。

 

「…………」

 

 無言で僕はベンチにもたれかかり、半目で街を行き交う人々を見つめる。

クラナガンの繁華街は早速街に遊びに行く気の早い男女ばかりだ。

ウインドウショッピングなどはまだ店が開いていないのでやっておらず、映画館やら遊園地など、急いだ方がいい場所へ人は群がっていく。

当然人は足早になり、他人の話を聞いている時間などない。

特に相手が子供であり、夏休みの自由研究という伝家の宝刀も使えない、秋という時期である。

僕は全く相手にされず、「ごめんね僕~」だの、「悪いね君~」だの、そんな台詞ばかり聞かされていた。

30分ぐらいは頑張ったのだが、一時間経つ頃には僕も目が死んできて、体からやる気というやる気が消えていった。

後は英気を養う為、という自分を騙す言い訳に釣られて、ベンチに足を広げて座り、二度と立ち上がらなくなってしまったのであった。

 

「一体、俺の何が悪かったんだろう……」

『全てかと』

 

 僕は首元のゆるいTシャツからティルヴィングを取り出し、片手で保持、もう片手ででこピンを放った。

空中を踊るティルヴィング。

じゃらじゃらという金属音と共にティルヴィングが胸元に戻り、代わりに指に鈍い痛みだけが残る。

虚しさしか残らなかった。

 

 ついでに言えば、ラーメン屋は繁華街の外れにある。

此処から自宅に戻っても訓練時間など残っておらず、またすぐに家を出なければいけない、そんな時間だ。

そんな事実もやっぱりやる気を削ぎ、なんとも言えない隙間時間ができてしまう。

読書でもすればいいのだが、繁華街に戦闘関連の指南書など殆ど売っておらず、ここでも売っているような代表的な本は既に目を通した。

八方塞がりであった。

 

 ふぅう、と深い溜息。

全身の気だるさを吐き出すつもりで、深い吐気をする。

のんべんだらりと背もたれに預けていた体を起こし、パン、と顔を叩いた。

半目になっていた目を見開き、全身に活力を戻す。

 

 こんな所でだらけていても意味がない。

それどころか、ウォルター・カウンタックの名を背負いながら気怠い姿を見せるなどマイナスである。

成果が期待できなかろうと、諦めずに頑張るのが“俺”のあるべき姿だ。

 

 そう考え、立ち上がろうとしたその時であった。

僕の目前に、人影が差し込んだ。

思わず視線をあげると、其処には茶色いショートカットの髪の毛に、藍色の瞳の女性が立っていた。

黒いインナーに胸元の空いた白い上着を着ており、白く大きな帽子が特徴的だった。

 

 はて、どうしたものか、と首を傾げると、にっこりと女性が微笑んだ。

思わずドキッとしてしまいそうになる、魅力的な微笑み。

まるで母が子に向けるような、無償の微笑みにそれは似ていた。

そんな微笑みを見たことが無かったからだろうか、僕は思わず心臓が跳ねるのを自覚する。

それを悟られまいと、全力で表情筋を統制している僕に、彼女が話しかけてきた。

 

「私はリニス、リニス・テスタロッサです。

少しお時間をよろしいでしょうか?」

「はぁ、まあいいけどさ」

 

 ベンチのど真ん中に座っていた僕は、ずりずりと尻をずらし、ジャケットを引っ張ってリニスさんの座る場所を作る。

すると彼女は膝下まである上着を抑えながら、僕の隣に座る。

ふと、昨日のクイントさんもそうだが、大人の女性というのは良い匂いがするもんなんだな、なんて思った。

思ってから、僕は何を色気づいた事を考えているんだろう、と思い、小さく頭を振ってそんな考えを追い出して、言う。

 

「俺は、ウォルター・カウンタックだ。

それで、何の用だい? 俺に」

「はい、ウォルター。

少し前から、貴方を見ていたんですが……」

 

 一気に、奈落の底に落とされたような気分だった。

誰も僕の事に注目していないと思って油断し、僕はだらけた所をリニスさんに個として認識されてしまったのだ。

それはつまり、僕がウォルター・カウンタックの名を、UD-182の名を貶めてしまった事にほかならない。

自分で自分の首を絞めたくなるのは、生まれて初めての事だった。

たかが数ヶ月とは言え、積み上げてきた物が無くなってしまうかのような幻覚。

許されるのならば、僕はなにもかも終わってしまったと、自暴自棄に暴れだしたいぐらいの気分だった。

 

 だが、当然ながら僕にはそれが許されない。

血反吐を吐いてでも、僕は今の失態を挽回せねばならない。

どれだけ辛くても、僕はUD-182の遺志を継ぐ事を、諦めてはならない。

諦めなんて、あの男には少しも似合わない言葉だったのだから。

 

 どうやら、僕が表情を凍らせたのは、ほんの一瞬だったようだった。

すぐさま僕は、嫌そうな顔を作り、だらけた所を見せたのが嫌だった、という程度の感情に表情筋を調整する。

するとそれは功を奏したのだろう、リニスさんはくすりと微笑み、弾むような声で続けた。

 

「くす、ちょっとだらけていましたよね。

でも私が言いたいのは、それよりも少し前の事です」

「って言うと、俺が大人に色々聞きまわっていた時から、か?」

 

 リニスさんは首を縦に振った。

僕の怠けが見られた事とは別の部分で、頭が冷えていくのを感じる。

 

「願いを叶えるロストロギアの噂について……でしたか、貴方が聞いていたのは」

「……そうだな」

「そして、ムラマサという名に心当たりが無いか、と」

 

 思わず僕は、目を細くする。

勿論僕も馬鹿では無いつもりだ、ムラマサについては局外のデータベースでは無関係の刀が出てきただけで、あのロストロギアについて何も出て来なかったのは確認済みである。

一般人はその無関係の妖刀の噂と、願いを叶えるロストロギアとしての噂以外、ムラマサについては知らない筈だ。

 

「そうだな、その通りだ。

自由研究の課題がまだできてなくてね、先生にどやされながら必死でやっている所なのさ。

噂について調べていてな」

「それで、ムラマサというのは?」

「聞きまわっている最中に、そんな名前を聞いたのさ。

それで何か関係あるかと思って、駄目元で聞いてみているんだよ。

見てたんなら分かるだろ?

この時間、みんな急いでいてなーんも聞いてくれねぇの」

「……そうですか」

 

 苦しい言い訳だ、本心から納得した訳ではないのだろう。

が、静かに言うと、リニスさんは再びあの暖かな笑顔を作る。

こちらも思わず釣られて頬を緩めそうになるが、必死で冷たい顔を維持した。

そんな僕の顔が見えているだろうに、一つも嫌な顔をせず、むしろ笑顔のまま両手をあわせ、リニスさんは言う。

 

「私もちょうど、その噂について調べている所でしてね。

所がその噂、ちょっと黒い部分があるみたいなんですよね。

子供じゃそういう噂、聞きづらいと思いません?」

「……」

 

 しまった。

なんでか周りがすぐに僕と大人扱いするようになってばかりなので、僕は自分が子供だということを失念していた。

ティグラの言い分をそのまま聞くなら、ムラマサは13人もの魔導師を殺害する発端となるようなロストロギアだ。

黒いどころか血なまぐさい内容になるに決まっている。

当然、そんな事子供に喜んで話す人などまず居ないのであった。

内心冷や汗をかきつつも、そんな考えをおくびにも出さず、僕は続きを促した。

 

「かと言って私だと、ここってカップルが多いじゃないですか。

男の人には変な目で見られて、女の人には逆ナンと間違えられちゃうんですよね。

ですから、ここはちょっと、二人で協力しませんか?

子連れの私なら、変な勘ぐりを受けずに話を聞けると思うのですが」

「……そうだな」

 

 リニスさんの物言いは、少し強引だった。

外見で区別される僕はどうしようもないが、リニスさんは新聞なりテレビなりの企画と偽ればいくらでも話を聞ける筈である。

とすれば、何か裏に目的があるのは推定できる。

ならば泳がせておくより、目の届く範囲で居てくれた方が良い。

なにより、リニスさんがもしティグラまでたどり着いてしまったら、まず間違いなく殺されてしまうだろう。

リニスさんの実力は不明だが、Sランク相手にどうこうできる魔導師がゴロゴロしているとは考え難い。

とすれば、答えは一つ。

 

「それじゃあ、協力してくれるか? リニスさん」

「えぇ、ではよろしくおねがいします、ウォルター」

「こちらこそな」

 

 と言って、二人同時に立ち上がる。

尻の埃を払い、僕とリニスさんは街の雑踏へと歩みを進めるのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「……よし、こんなもんか」

 

 屋台を定位置に動かしてからスープの様子を再確認していた店主は、そう言うとスープを入れた鍋から離れ、額の汗を拭った。

店主がラーメン屋を初めてからこれで2年になる。

それ以前は管理局に務めていたのだが、ある事を切欠にどうしても戦い続ける事ができなくなり、店主は管理局を辞した。

特にラーメン屋として修行もせずいきなり開業したからか、ラーメンの味は微妙だったが、昔の伝で様々な人がラーメン屋に集ってくれた。

酔いに酔って管理局の内情をちらほらと漏らしてしまう仲間も居たが、店主はその内容を誰にも言わなかったし、その為管理局の仲間は此処なら安心して飲める、とよくこの屋台を利用した。

 

 そんな店主だったが、一つ悩みがあった。

息子との仲が良くない事である。

息子は店主が局員を続けている姿が好きだったらしく、それを辞めた店主を弱虫、とよく罵った。

事実、店主は管理局を辞めた自分を強い人間だとは思えなかったからか、そんな息子を叱る声にも力は入らなかった。

そんな折である、ウォルターと出会ったのは。

 

 ウォルターの事は、管理局員から噂を聞いて知った。

それからたまたまラーメンを食べに来たウォルターが賞金稼ぎだと知り、噂を思い返した店主は、ウォルターに対しこう持ちかけたのだ。

私は情報屋をやっている、うちの客にならないか、と。

 

 店主は勿論情報屋などやっていなかった。

ただ、それでも息子と同年代のウォルターを放って置く事ができず、それで思いついたのが情報屋という形での支援だったのである。

元管理局員の伝を使って集めた情報と客が漏らす情報を、ウォルターにだけ与える事にしたのだ。

当初はウォルターに魔法を教えてやろうと考えた事もあったが、店主の魔導師ランクは空戦Aである。

あっという間にウォルターに実力は抜かれてしまい、やめておいて正解だったと知る事になる。

 

 足音が、一つ、二つ。

管理局時代に培った気配の察知方法に触れた二人に、店主は過去の回想を止め、笑顔を作る。

念のため鏡で確認、いつもの陰りの欠片も無い笑顔だ。

暖簾をくぐってやってきたのは、ウォルターと、見知らぬ美女であった。

 

「やぁウォルター君、隣の連れはコレかい?」

 

 小指を掲げてみせると、ウォルターはどっと疲労感を増しながら、ちげーよ、と力ない声で返した。

その隣で困った笑みを作っていた女性が、店主に向かい頭を下げる。

 

「初めまして、リニスです。

よろしくおねがいします、店主さん」

「ハハハ、こちらこそよろしく」

 

 体を反り返しながら言ってから、リニスが席に着くのを待ち、店主はグラスに水を注いで二人に出した。

 

「ウォルター君、しかしそれじゃあ彼女とはどういう関係?」

「同じ噂話を追う仲だよ」

 

 と言ってから、追加でウォルターから秘匿念話が届いた。

どうやらウォルターは昨日魔導師連続殺人犯と出会ったらしい。

ティグラという名に関して何か情報はあるか、と問うてきたので、店主は密かにデバイスを起動し探すが、無い。

そう返すと、そうか、と小さく返し、これから聞く事はリニスにも聞かせて構わない、と言ってからウォルターは念話を切った。

 

「俺海苔ラーメンね」

「私はラーメンを食べるのが初めてなんですけど、ウォルターは何かオススメあります?」

 

 ウォルターの言からすると然程二人は深い関わりではないようだ。

とすると、まず店主の頭の中に描かれるリニスの本性の候補は、ウォルターを利用しようとする人間である。

強いが子供なウォルターはそういった連中によく付け狙われていて、辟易としていると言う愚痴を零したことがあった。

しかし、よくよく考えてみると、ウォルターが此処に誰かを連れてきた事は今まで無かったのだ。

それに勘の良いウォルターはそういった悪意を直感で感じ取り、そういった人間と距離を取る事ができていた。

とすると、このリニスと言う女性はウォルターとどういった関係なのか。

自然、店主は好奇心の目で二人を観察する事にする。

 

「ありきたりで悪いが、ここなら最初は普通のラーメンがいいと思うぜ。

っつーか、どれも正直味は……」

「こらっ、例え思っていても、店主さんの前でそんな事は言っちゃ駄目ですよっ!」

 

 ビッ、と指差すリニス。

対するウォルターは、肩をすくめながら返事。

 

「はいはい、分かったよ」

「はいは一回です!」

「はいはい、人を指さしてもいけないけどな」

「あっ、うっ、ごめんなさい。

って、また二回はいを言っているじゃあないですかっ」

「はいはい」

 

 なんとも、微笑ましい関係であった。

まるで口うるさい母と息子と言うような関係に、思わず店主も顔をほころばせてしまう。

同時、自身の冷たくなった家庭に思いがいきそうになるが、それを強引に無視。

結局海苔ラーメンとラーメンに決まったメニューを作る為、厨房に立ち向かう事にする。

ラーメンを茹で始めてから、店主はウォルターに言った。

 

「で、今日はどんな情報が欲しいんだい?」

「昨日言っていた、願いを叶えるロストロギアの噂について、詳しく。

あと、ムラマサというカタナについて」

「ふぅん、ちょっと意外な内容だねぇ」

 

 言いつつ店主は早速デバイスを起動、二つの質問に対する答えを検索する。

こんなふうにウォルターに情報を与えるのは、代償行為なのだろう、と店主は理解していた。

不仲な息子に構ってやれない分、ウォルターに世話を焼く事で店主は己の心を慰めているのだろう。

だからか、ウォルターの真っ直ぐな姿が時たま眩しく、瞼を焼くように痛い時がある。

だが、それだけではない、と思う部分もまたあった。

そんな風に店主が検索している間に二人は、恐らく自分たちで聞き込みをしたのだろう結果について話しあう。

 

「私達で聞き込んだ結果は、あまり芳しくありませんでしたね」

「まぁな、人の生き血を吸う剣だの、魂を対価に願いを叶えるロストロギアだのな」

「絶対他の物と混じっていますよね……」

 

 と、二人が話しあっているうちに、店主は検索を終える。

デバイスに記録した管理局との伝ではあまり分かる事は無い。

しかし、店主がかつて管理局員だった頃の先輩が言っていた武勇伝の中に、ムラマサと言う名はあった。

それが今回の件と関係あるかは分からないが、と思いつつ、口を開く。

 

「いや、多少は合っているんじゃあないかな」

 

 その言葉に目を見開き、それから店主に視線をやるウォルター。

店主は一つ頷くと、続く話を口にする。

 

「願いを叶えるロストロギアについては、噂の火元が女らしい、と言う事以上は分からなかった。

ただ、ムラマサ、と言う名については少しばかり情報がある」

 

 ウォルターとリニスが、僅かに身を乗り出す。

 

「ムラマサは、かつて何度か犯罪者によって使われた事のある、自動送還機能付きのロストロギアらしい。

能力の一つは戦闘経験の付与。

これを与えられた人間は、例え小さな子供であっても歴戦の経験を持った戦士と化したそうだ。

コレのせいか、ムラマサの持ち主は一度も管理局に捕まった事は無く、ムラマサも犯罪者の元を渡り歩いているようだな。

もう一つの能力は、完全には分からない。

しかしムラマサを持った人間は、明らかに普通じゃないタフネスを得る事ができるらしい」

「タフネス?」

 

 オウム返しに聞くウォルターに、店主は頭をポリポリと掻く。

 

「いや、正確に言うとちょっと違うか。

あくまで相対した事のある一人間の感想だが……、一人魔導師を斬り殺すごとに、ムラマサの持ち主は体力を回復させていたようだったそうだ。

何分持ち主が捕まったことの無いロストロギアだ、それ以上の事は分からないが」

「いや、十分過ぎる程の情報だったさ」

 

 獰猛な笑みを浮かべつつ、ウォルターはそう返した。

店主は時計を見て、麺が茹で上がった事を確認し、麺を湯切りする。

 

「気を付けろよ、ウォルター君、リニスさん。

ムラマサとやらは相当物騒なロストロギアだぞ」

「おいおい、昨日も言ったが……、俺を誰だと思っていやがる」

 

 肩越しに振り返った店主と、ウォルターとの目が合う。

ごう、と店主は心の中で炎が吹き荒れるのを感じた。

この目だ、と店主は思った。

この見た者の心を燃やすこの目こそが、店主がウォルターに惹きつけられる理由だった。

現状は余り褒められた物ではない。

息子を放っておいて他所の子にうつつを抜かし、仲間が信頼して預けてくれた情報を渡す。

綱渡りの人生でしかなく、一歩先には暗闇に落ちるかもしれない。

 

 それでも尚、この炎に焼かれるような感覚は、店主を惹きつけてやまなかった。

全身に活力が満ち、灰色の視界は色鮮やかに。

一瞬前と何も変わっていない筈なのに、自分には何かができると言う無根拠な確信が湧いてくる。

所詮挫折した局員でしかない自分にさえ、勇気が湧いてくるのだ。

この感覚こそが、店主がウォルターに肩入れする理由だった。

 

 依存だと言う事は分かっている。

それでも、管理局を止めて腐ってしまった心が花咲くようなこの瞬間が恋しくて、店主はウォルターに力を貸す事を止められなかった。

一瞬動きを止めていた店主は、改めて麺をスープに入れてほぐし、具を入れて二人に出す。

 

「そうだったな。

さて、それじゃあ海苔ラーメンにラーメンお待ちっ!」

 

 急激に微妙な顔になるウォルターを尻目に、リニスが顔を輝かせる。

初めてのラーメンに興奮したのだろう、尻尾がついていればぶんぶんと振り回していそうな表情だった。

 

「いただきます」

 

 二人が輪唱し、同時に麺を啜る。

二人はなんとも言えない表情になり、思わず、と言った風に顔を見合わせた。

こらえきれず、ぷっ、と二人が吹き出し、小さく笑った。

そんな光景に、店主は胸を刺されるような気持ちになる。

 

 二人の微笑ましい光景は、店主の中にできていたウォルターへの憧憬を脅かしていた。

何時も独りで心が燃え盛るような瞳をした、英雄じみたウォルター。

対し目前でリニスと笑いあうウォルターは、まるで普通の子供のようだった。

それに、ふと、店主はウォルターはまだ7歳の子供だったんだな、と言う当たり前の事を思い出す。

ハハハ、と背筋を反り返しながら笑いつつ、店主は思った。

 

 確かに店主は、ウォルターに依存していた。

しかしだからといってやめればいいかと言えば、違うような気がするのだ。

ウォルターとの時間は矢張りかけがえのない物で、それを捨てればいいと言うのとはまた違う。

これを足掛けにして、この体に溢れる活力を使い、自分の人生を真っ直ぐに見つめ直すべきなのではないか。

今日にでも、まずは息子と向きあおう。

自分の思っている事を話して、息子の思っている事を話して、分かり合おう。

そう思いながら、店主は愉快な二人を眺め、ハハハ、と背筋を反り返しながら笑っていた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 リニスは、プレシア・テスタロッサの使い魔である。

故に主の幸せを思い、その為に行動するのがリニスの存在意義だ。

そんなリニスに、プレシアは言った。

クラナガンで今起きている魔導師連続殺人犯の持つロストロギア、ムラマサとその持ち主を連れてこい、と。

持ち主もなのは、自動送還機能と自動転生機能を持つムラマサを単品で手に入れるのは至難の業だからなのだそうだ。

どうして、と問うリニスに、プレシアは見つかるとは思っていなかった保険が見つかった、急ぎの任務なのだと告げた。

とある理由から、プレシアが求めるロストロギアを見つけてしまってもいいのかと思わないでも無かった。

しかし断ればまだ未熟なプレシアの子、フェイトが任務に行かされる事を懸念し、リニスはそれを承諾する。

それに、もし奇跡が起きてプレシアが目的を達する事があれば、それを切欠にプレシアがフェイトに目を向けてくれるかもしれない、と言う希望もあっての事だった。

 

 クラナガンを訪れたリニスが出会ったのは、ムラマサについて調べる少年ウォルターであった。

その動きは日常の中でも洗練されており、体幹のブレなさなどを見るに、近接戦闘者としての訓練を積んでいる事は容易に見て取れる。

かといって、管理局員ならばこんな聞き込みなどせずとも情報を得られるだろうし、一人で動いているという事もあるまい。

こんな大きな事件に対し執務官が一人で、と言うのもまず無いだろう。

それらの事からリニスはウォルターを賞金稼ぎと想定したが、今度は何故賞金稼ぎ風情がムラマサの名を知るのか疑問が残る。

色々と考えた結果、リニスはこう予想した。

恐らくウォルターは既に連続殺人犯と出会っているのだ、と。

 

 そうとくれば、リニスは犯人を特定する情報を持つウォルターに張り付いていく事を選んだ。

一度犯人と出会ったウォルターなら、次も見つける方法を知っているかもしれないし、そうでなくとも犯人と相対するだけで犯人を特定できる。

特に捜査についてのノウハウを持たなかったリニスに思いついたのは、精々そんな手段でしかなかった。

が、今のところそれは上手くいっていた。

情報屋と称してラーメンの屋台に行ったウォルターには大丈夫なのかと不安に思ったものの、店主からの情報で、プレシアがムラマサを求める理由も何となく分かった。

さて、これからもウォルターについていけば、プレシアの定めた期間以内に犯人と出会えるかもしれない。

そう思った、矢先の事である。

 

「俺、家に帰るわ」

「……へ?」

 

 時は昼過ぎ。

一日で最も暑くなる時間帯のクラナガンは、まだ秋口と言う事もあって薄着の人々が目立った。

まるで太陽がまだ夏だと勘違いしているみたいだ、などというどうでもいい事を考えてから、リニスは我に返った。

 

「で、でも、あ、あれ?

これからウォルターは犯人を追い詰めるんじゃあ……」

「…………」

 

 と、なんともいえない目で見返されて、あっ、とリニスは自分の言った言葉を反芻した。

私、思いっきり犯人って言ってた……。

一気に帽子の中に隠れた猫耳まで真っ赤になるのが自覚できる。

思わず俯いてしまい、両手をあわせて足をもじもじとさせてしまう。

恥ずかしさのあまり憤死しそうになるリニスに、ウォルターが呆れた声で口を開いた。

 

「いや、明日知人と待ち合わせがあるんでな、アイツらをどうにかするにしても、それからだ」

「……はい」

 

 見なかった事にしてくれるウォルターの温情が、余計に痛い。

このまま座り込んでしまいたい気持ちをどうにか押さえ込み、なんとかウォルターを真っ直ぐ見据える。

なにはともあれ、ウォルターにどうにかして同行する方策が必要だ。

監視と言う手もあるが、果たしてウォルターにサーチャーが通じるかどうか分からない。

が、他に手も無いのが事実である、このまま別れてからサーチャーで監視するしか、と思った、その時である。

なんとも言いづらそうに、ウォルターが口を開いた。

 

「所で、もしホテルに空き部屋が無かったりしたら、俺の部屋を貸してやってもいいぞ」

「……はい?」

 

 思わず首をかしげてしまったが、すぐにリニスはウォルターの言いたい事を理解した。

そう、恐らくだが、ウォルターもリニスの事を監視したいのだろう。

ムラマサの事についてのリニスの情報源も知りたいし、あちらから見れば実力の不明なリニスが犯人に対抗できるかも分からない。

とすればウォルターもサーチャーを使ってリニスを監視したいが、ウォルターにとってもリニスにサーチャーが通じるかどうかは分からないのだ。

できれば肉眼でリニスの事を監視したいのはリニスと同じ。

それをリニスに伝える為の一言であった。

となれば、リニスの答えは一つである。

 

「そうですね、確かにホテルに空き部屋が無くて、困っていた所なんです。

お部屋を貸してもらってよろしいでしょうか? ウォルター」

「あぁ、構わねぇよ」

「ありがとうございます」

 

 笑顔を作りながら、二重の意味での礼をリニスは言った。

ウォルターが言い出してくれなければ、お互いに非効率的な事態に陥る所だったのだ、当然と言えよう。

そんなリニスに、手をパタパタとふりつつ、ウォルター。

 

「こういうのは男の役割だからな、別にいいって」

「……あっ」

 

 と言われて、リニスは初めて、自分が一人暮らしの男の家に泊まりこむ形になった事に気づいた。

ウォルターの実年齢は分からないが、童顔で背が低めだとすれば、上限で14歳ぐらいに見えなくもない。

14歳といえば性的な欲望を持て余している時期であり、そんな時期の男相手に18歳の女性から泊まりこもうと言うのは、少しはしたない。

その点ウォルターから誘ってくれたのであれば、性欲を持て余した男の子の冗談にできる。

そういった気遣いだったのか、と気づいてすぐに、あれ、とリニスは思った。

 

 よく考えれば、ウォルターの実力は不明瞭で、リニスの上を行く可能性もあるのである。

とすれば、強引に迫られればリニスは抵抗しきれないかもしれない訳で。

リニスの脳裏に、裸体となった自分にむしゃぶりつくウォルターの姿が浮かんだ。

妄想の中で自分が蹂躙されるのに、思わずリニスは顔面を真っ赤にして、今度こそ座り込んでしまった。

ウォルターの事を見ると性的な事を連想してしまいそうで、どうしても視線を向けられなかったのである。

 

「って、どうしたんだ、リニスさん?」

「う~……」

 

 小さく呻き声をあげながら、リニスはぐるぐると目を回しながら考える。

いやいや、14歳と言うのはウォルターを見ての上限である、そこまで行っていない可能性もあるのでは。

いやいや、賞金稼ぎとして働いていると予測されるのである、低くても12歳ぐらいではあるまいか、それぐらいなら性的な興味が出てきている所な訳で。

いやいや、だからといってウォルターがリニスの実力を超えている可能性は低いし、そもそも性的衝動にウォルターが負けると決まった訳ではない。

先程までの自分の妄想が湧いて出てこようとするのを全力で抑え、立ち上がる。

キッ、とウォルターを睨みつけた。

リニスは片手で腰に手をあて、もう片手は指を天に向けてウォルターに向け突き出す。

 

「ウォルター、念のため言っておきますけれど、エッチな事は駄目ですからねっ!」

「……あぁ、うん、はい……」

 

 死んだ目で頷くウォルター。

それに満足し、リニスはうんうんと頷く。

この時リニスは、まさか自分が、小児趣味でもあるのか? と思われているとは夢にも思わなかったのであった。

 

 閑話休題。

訪れたウォルターのアパートは、やや古いものの可もなく不可もなく。

寝台代わりになるのはベッドとソファの二つがあり、ソファを希望したウォルターにリニスは無理やりベッドを押し付けた。

それからどうするのかと言うと、ウォルターは近場の公共魔法練習場で体を動かしてくるのだと言う。

これをリニスは、互いの実力を見せ合おうという提案だと判断した。

ウォルターにしろリニスにしろ、相手の実力を知らねばこれからの行動が決定しづらい所があるのも確かである。

加えて言えば、想定されるのは遭遇戦である、そこで互いの実力が把握できていないのは少々辛い。

ということで、リニスはウォルターについていって公共魔法練習場にたどり着いたのだが。

 

『ロード・カートリッジ』

「斬空一閃ッ!」

 

 視認すら不可能な、神速の魔力付与斬撃の一撃。

まるで空気分子が焼け焦げる匂いのするような、凄絶な一撃であった。

そこに込められた魔力も超一級、Sランクを超えそうな勢いである。

プレシアにはやや及ばぬものの、明らかにリニスよりも格上の魔導師であった。

 

「……凄いですね、ウォルター。

強いかもとは思っていましたが、まさかここまでとは……」

 

 思わず本音が漏れてしまうリニスに、ウォルターは軽く微笑みつつ連撃を空中に打ち込む。

兜割りからの逆袈裟、∞の字を描くように再び逆袈裟。

黄金の剣を翻らせ、そこから怒涛の三連突き。

左、左、右と逃げ道を塞ぐように放たれた連撃は、空気に悲鳴をあげさせながら打ち込まれ、そこでウォルターの動きが停止した。

 

「ま、こんなもんだな、俺の方は。

リニスさんはどうだ、折角此処に来たんだ、体動かしていかないか?」

「……そうです、ね」

 

 ウォルターの発言を遡れば、犯人は複数であるように思える。

とすれば、足手まといにならない程度の実力はある事を見せて、同行を消極的にでもさせてもらえるようにせねばなるまい。

リニスは元々戦闘用に作られた使い魔ではないが、それでも主のスペックの高さから、AAランク相当の戦闘能力を誇る。

普段は魔法を使う機会などフェイトに魔法を教えるだけである、本気を出すのは久しぶりだな、と思いながらリニスは手を掲げた。

瞬き程の一瞬で、25のスフィアを形成。

淡い黄色の魔力光を発するそれに、トリガー・ワードを下す。

 

「フォトンランサー・マルチショット!」

 

 雷を纏った直射弾が、一斉に飛び立った。

轟音と共に、公共魔法練習場の仮想的が砕け散る。

リニスの最強魔法は更に上があるのだが、リニスは最大攻撃力よりも魔法の即時同時発動に重きを置いているスタイルだ。

こちらを見せた方が良いだろうと思っての抜き打ちの魔法だったが、どうやら効果は良い方に上がったようだ。

振り返ってみると、リニスにはぽかんと口を開けたウォルターが目に入った。

 

「どうですか、ウォルター。

貴方に比べると劣るでしょうが、これでも私は結構強い自信があるのですけれども」

 

 と言われて硬直が解けたのだろう、慌ててリニスの方に寄ってくるウォルター。

 

「いや、凄いなマジで。

俺なんてデバイス有りでも直射弾スフィアの即時同時展開なんて、10個が限界なんだけど」

「くす、それでも十分凄いですよ。

うちのフェイトでも、デバイスがあったとしても5つか6つぐらいが限度じゃあないでしょうか」

「へ~、ってフェイトって誰だ?」

 

 と言われて、リニスはフェイトの事を紹介していなかった事に気づいた。

フェイトはリニスにとって自慢の娘のような子である、思わず顔をほころばせながら口を開く。

 

「今年6歳になる、そうですね、私が魔法を教えている子ですよ。

天性の才能の持ち主でしてね、貴方と同じように遠近両方の魔法を扱える子です」

「へぇ、って事は俺の1個年下かぁ」

 

 そうそう、と頷きそうになってから、リニスは硬直。

バッ、と身を乗り出し、ウォルターに詰問する。

 

「って、ウォルター、貴方まさか……」

「7歳だよ。何時も年上に間違えられるんだが、俺ってそんなに老けてるのか……?」

 

 嫌そうな顔をしながら言うウォルターだが、その顔に嘘は見受けられない。

どころか、そもそもこの場で年齢を低く偽る理由がウォルターには無いのだ。

ウォルターが7歳であると言う事実を静かに飲み込み、リニスは痛む胸を静かに抑えた。

 

 7歳と言う年齢は、フェイトのたった一つ上なだけの年齢である。

だのにウォルターは独りで、しかも賞金稼ぎなどと言うヤクザな商売で生計を立てているのだ。

それだけでも心が痛く、リニスは思わず涙が零れそうになるのを感じる。

だがリニスは、それを自身に許さなかった。

何故ならリニスは、それを聞いて尚、ウォルターをムラマサの所持者との戦いから遠ざけようとは思えなかったのだ。

 

「……っ」

 

 心が軋む音が、聞こえるようだった。

リニスは娘を嫌うプレシアと母を求めるフェイトの間で、板挟みになっていた。

かと言って何かできるほどの時間は残っておらず、彼女の命はフェイトが魔導師として一人前になるまでだけ。

恐らく自分は何もできないまま、せめてとフェイトの心が強くなるよう育て上げる事しかできない。

ムラマサ奪取の任務は、そんな時に差した一つの光明だった。

 

 勿論、リニスは死者の蘇生というプレシアの悲願を現実的と見ている訳ではない。

ムラマサを奪取しても恐らくはプレシアの悲願は叶わず、フェイトとの関係は変わらないままだろう。

それでも、奇跡が起きれば。

奇跡が起きてプレシアの悲願が叶えば、二人が同時に幸せになる可能性ができるのではないか。

そしてそれを、何もできないと思っていた自分の手で行えるのではあるまいか。

そう思う事を、リニスは止められなかった。

その為に、フェイトよりたった一つ年上なだけの少年を、危険に晒してでも、である。

 

 許されるのならば、リニスは己の罪深さに、この場で泣き崩れたかった。

しかし、今誰よりも年齢に不相応に辛く危険な場所に居るのは、ウォルターなのだ。

そのウォルターが、今日一日一度も陰りのある表情を見せていないと言うのに、リニスが泣いていい訳がない。

 

 だからリニスは、精一杯の笑顔を作る。

せめて少しでもウォルターの心が安らぐように、フェイト専用だった、出来る限りの笑顔を作る。

作って、ウォルターを抱きしめた。

 

「わぷ……っ」

 

 子供っぽい声を漏らすウォルターを、強く抱きしめる。

最初は恥ずかしそうに抵抗しようとしているウォルターだったが、リニスが抱きしめるのを止めないのを理解すると、抵抗を諦めた。

代わりに、顔をほんのり赤くしながらリニスに抱かれるままにする。

 

 ウォルターはあんなにも強いけれど、その体は小さくて暖かくて、愛おしさが溢れてくる。

そして自分はその愛おしい子供を危険に晒すのだと思うと、リニスはウォルターに何一つ言えなかった。

そんな資格が無い事は分かっている。

ただできる事なら、この体温の伝わりが、ウォルターの心を癒す事を祈って。

リニスはただ、ウォルターを抱きしめていた。

抱きしめ続けていた。

 

 

 

 

 



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1章4話

 

 

 

 昼も過ぎて、そろそろおやつ時と言う時刻。

一昨日クイントさんに小銭を握らされてコーヒーを飲んでいたカフェで、僕は一人コーヒーを啜っていた。

いや、より正確に言うならば、向かいのバーガーショップからこっちをチラチラ見ている人も居るので、一人ではない、とも言えなくもないのだろうが。

などと考えているうちに、透き通った声が響いた。

 

「ごめんごめん、待った~?」

 

 なんだか一昨日と同じような台詞を言いながら現れたクイントさんに、僕は肩をすくめて返す。

 

「今来た所だよ、って答えておくべきか?」

「あっはっは、なんか私達同じ会話してるわねぇ~」

 

 と、豪快な笑いと共に椅子に座ったクイントさんは、早速飲み物と甘味を注文し始めた。

バーで夕食を共にした時も思ったが、この人の胃袋はどうなっているのだろうか。

目を細めてクイントさんの全身を見るも、太っている箇所は見当たらず、適度に実用的な筋肉のついた近接系の体だ。

だが、近接系と言うだけでこんなに食べる物なのか。

もしかして僕は少食なんじゃあないかと思い、不安になってティルヴィングに秘匿念話で問う。

 

(ねぇねぇティルヴィング、僕ってもしかして少食? もっと食べたほうがいい?)

『いえ、あれは特殊な例です』

(そっかぁ……)

 

 僕は脳内でクイントさんに特殊例と言うラベルをつけると、グラスのストローからコーヒーを吸い込む作業を再開する。

どうでもいいが、ブラックなのは別に僕の好みではない。

UD-182らしさを追い求めての行為であり、僕の子供舌には大変苦行だった。

一昨日なんてこんなんで泣きそうになり、泣かないと言う誓いを破りそうになって僕は大変凹んだ。

そんな苦行を三分の二ほど終わらせた辺りで、隠蔽遮音結界を張る。

読唇術の使い手には意味がないが、それでも保険はかけておくべきだ。

とまぁ、そこまで準備してから僕は口を開いた。

 

「こっちはこんなんだったな」

 

 と、僕は得た情報を伝える。

ムラマサが持つ人間に経験を付与する力があること。

ムラマサの能力の一部である体力の回復。

ムラマサを追う女性、リニス。

 

「成る程、そっちも結構な情報が得られたみたいね……。

ちなみに、そのリニスさんは何処なのかしら?」

「ん、あのサングラス」

 

 僕は通りの向かいにあるバーガーショップに視線を向け、サングラスにトレンチコート姿のリニスさんを見る。

残暑の残るこの季節にコートである、ただでさえ怪しいのに動作も挙動不審で、二乗に怪しかった。

慌てて襟を立て顔を隠すリニスさんは、どう考えても尾行には向いていないだろう。

呆れ顔でクイントさんに視線を戻すと、彼女もなんとも言えない表情をしていた。

 

「成る程、危険は無さそうね……」

「だな、人格面でもそう思うよ」

 

 あの間抜けな姿には毒気を抜かれるが、それ以前にリニスさんはその母性溢れる人格からして、物騒な目的は持っていないように思える。

僕の勘はそれに対し何の答えも持たないようなので、何とも判断し難いのだが。

とりあえずそれは置いておく事にして、僕は話を戻す。

 

「さて、それじゃあ今度はクイントさんの話を聞かせてもらおうか」

「オッケイ、まかせて」

 

 と言いつつクイントさんが語ったのは、以下のような事柄であった。

ティグラと思わしき人間は何人か居たが、うち一人は行方不明者として届出が出ていた。

その一人の名を、ティグラ・アバンガニと言うそうだ。

遍歴は普通、普通に大学まで学校を出た後14歳で保険会社に就職、そのまま18歳まで勤務し続けてきた。

友人も適度にいて社交性もあり、異性関係は失踪時にはちょうど途切れてしまっている所。

住んでいるのも普通のアパートに一人暮らしで、近所にも評判が良い。

正に普通の女性を絵に描いたような女性だった。

所が彼女が失踪した後、届出が出ているにもかかわらず、それを調べる部署は実在しない部署でしかなかったのだと言う。

 

「で、次はナンバー12ね」

 

 ナンバー12の戦闘スタイルに酷似した先輩を、クイントさんは知っているらしい。

名はインテグラ・タムタック。

クイントさんの陸士訓練校の先輩で、卒業後空士訓練校を経由して執務官試験に合格。

単独で動くタイプの執務官として優秀だったらしく、武装隊などでの階級は一尉扱いだったと言う。

そんな彼女は、ある日秘匿任務で死亡、任務内容は家族に何も知らされないままだったそうだ。

しかも調べてみると、インテグラの死体は一切家族に見せられないまま、火葬を強行されたらしい。

 

「臭い話になってきたな」

「えぇ、ナンバー12が先輩だという予想があっていれば、だけど」

「っていっても、ナンバー12はクイントさんの事、名前で呼んでいたしなぁ」

 

 と、初戦の事を思い出す。

あの時駆けつけてすぐだったのならば、ナンバー12がクイントさんの名前を知っているのは少々可笑しかった。

とすれば、恐らく後輩を臭い仕事に巻き込みたくなかったから、と言うのが理由だろうか。

勿論出待ちしていたのならば、僕がクイントさんの名前を呼んだのを聞いている可能性はあったが。

 

「まぁ、優しい人だったから、ね……」

 

 目を細めながらクイントさんは言う。

その通りだとしても、インテグラは現在魔導師連続殺人犯の仲間なのだ、胸中は複雑だろう。

僕にはこういう経験が無い、どころか“家”を出てから好意的な知り合いなど、クイントさんとリニスさんと店長ぐらいしか居ないので、こんな時に言える言葉は思いつかない。

代わりに話を進めるぐらいが、僕にできる事だった。

 

「さて、予想が的中していたならば、この一件、裏では管理局が関わっているな」

「えぇ……そうね」

 

 苦虫を噛み潰したような顔で、クイントさん。

自分の所属している治安維持組織の暗黒面を見る事になるのだ、当然といえば当然か。

テーブルに肘をついて指組みをし、口元を隠しながら話す。

 

「当然、危険な任務になるわ。

私の権力なんて殆ど無いに等しい、このままこの件を明かそうとすればやばい橋を渡る羽目になるわよ?」

 

 言われなくとも想像できている事だった。

どの程度上の人物がどの程度この件に関わっているのか分からないが、場合によっては僕やクイントさんが管理局に狙われるかもしれない。

その時相手にするのは、クイントさんの言う存在しないはず部隊のような、非合法の部隊だろう。

僕は正面からの戦闘にはある程度強くが、暗殺の類への対策は殆どした事が無い。

当然、そうなれば、路地裏に打ち捨てられるような最後を迎える事になると思われる。

 

 本当は怖かった。

正面からでも勝てるかどうか分からないティグラの相手でさえも、僕は怖かった。

一度戦闘に入れば大丈夫なのだが、こうやって日常の部分に居ながら彼女の剣戟を思い出すと、背筋が冷たくなるのを感じる。

UD-182は死ぬ事を恐れなんかしなくって、僕はその通りにしなければいけないのに、情けない事この上ない。

でも、怖い物は怖いのだ、少なくとも現状、事実としてそうなのだ。

昨日は殆ど一日中誰かの目のある所で過ごして、僕は自分を自由にさせなかったが、それはこの恐怖を誤魔化すためでもある。

もし僕が自由であれば、怖くてベッドの上でブルブルと震えながら泣きそうになって、一日中だって過ごしてしまえただろう。

それでも、僕はUD-182の遺志を受け継がなければいけない。

僕は死を怖がってはならないのだ。

そんな風に強がって、仮面で自分の感情を覆い隠して、やっとティグラに立ち向かう勇気を作ってきた所だった。

 

 そんな勇気は、何の役にも立たなかった。

所詮ティグラに立ち向かえるのはティグラに勝つ算段があるから、管理局と言う巨大な勝ち目のない相手になれば、僕のちっぽけな勇気なんて吹き飛んでしまう。

本当は管理局なんかに立ち向かう勇気なんて、無い。

UD-182だったらやってのけていたのだろうけれど、所詮紛い物の仮面を被る事しかできない僕には、そんな物高望みが過ぎると言う物だった。

 

 けれど。

だけれども。

 

「それが、どうした」

 

 内心ではブルブルと震えが止まらず、泣く事が許されていれば嗚咽を漏らしていたぐらいで。

自分の命の保証に縋りつく、弱くて醜くて格好悪い僕だけれども。

幸いに、と言うべきか。

僕には、演技の才能があるようだった。

 

 口元は不敵な笑みを。

目付きは鋭く、視線は吃驚するぐらい真っ直ぐに。

UD-182が見せていたあの野獣のような表情を、僕の顔は自然と形作っていた。

 

「俺は人の心が、どれだけ輝けるか知っている。

どれだけ人の心を打ち、感動させる事ができるか知っている」

 

 言葉は本当に思っている事。

UD-182のような輝く心を僕は知っているし、だから少しでもその輝きを持つ可能性のある人の命は尊いと思っている。

けれどそれを管理局相手に言える度胸は本当には無い。

だけど僕は、UD-182との約束を破りたくなくて。

だから彼の仮面を借りて、僕は続けるのだ。

 

「だから俺は、その人間を輝かせる間もなく殺す行為は、絶対に許せねぇ」

 

 仮面を被ったまま死ぬのか、それとも何時か強がりで作った仮面が滑り落ちて本性を晒すのか、それとも他の形でか。

どんな道を辿ろうとも、僕の前に待つ道は、破滅の道だろう。

そうと分かっていながら、僕はこの仮面を被りながら行く事を止められなかった。

現実を直視して自分の道を選ぶ事が、僕にはできなかった。

だからこれは、きっと間違った行い。

 

「……そっかっ!」

 

 でも、クイントさんは花咲くような笑顔で微笑んで。

まるで間違った行いを、それでも肯定してもらったかのような錯覚があって。

だから僕もまた、微笑み返す。

それが錯覚なのだと知りつつも、間違っていると思っている自分が、それでも肯定してもらえるのは、嬉しかった。

 

 瞼を閉じ、数瞬の感慨に浸る。

そして僕は恐怖と一緒に、正しいだの間違っているだのという観念的な考えを、頭の奥に蹴り込んだ。

闘う事は決定している。

今すべきなのは、少しでも勝率を上げるための会話だ。

 

「で、話は戻るが、ナンバー12と思われるインテグラの戦闘能力は、どんなもんなんだ?

執務官をやっていたって事は、スタンドアローンで戦える魔導師なんだろうが」

「何度も模擬戦して胸を貸してもらった事があるから、ある程度は分かるわ。

得意なのは幻術と正確な直射弾。

幻術は直射弾を透明化するのに大分リソースを使っているみたいで、他の幻術は自分を透明化するぐらい。

基本的に遠距離型の魔導師だったけれど、体術もそこそこできる方だった。

一瞬の隙に透明化直射弾を入れて距離を離すまで、まず押し切られないぐらいにはね」

「ちなみに最終魔導師ランクと、模擬戦の戦績は?」

「それは、ね……」

 

 クイントさんは、少しばかり口を濁した。

コーヒーで口内を湿らせてから、再び口を開く。

 

「空戦AAA。模擬戦では、一対一では3:7で負け越していたわ。

先輩の死から2年、今はどうなっているか分からないけれど……」

「そう、か……」

 

 嫌な沈黙が横たわった。

僕の目算では、剣を自由に振れる空間があれば僕はティグラよりもやや強い。

なので勝機はありと考えていたのだが、クイントさんがナンバー12に勝てないとなると、話は変わってくる。

昨日までならば、絶望的な状況になる所だった。

だがしかし、である。

 

「なら、追加戦力を連れて行く事にするか」

「へ? 追加戦力?」

 

 僕は頷いた。

肩越しに振り返り、サングラスにトレンチコートの女性を、親指で指さした。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ふぅん、やっぱり君の勘って凄いのね」

「今のところ、クイントさんの現場予測と同じだもんな……」

 

 と、僕を先頭にクイントさんが半歩後ろを歩く形で、僕らはティグラの次の犯行現場と思わしき場所へと足を進めていた。

僕は勘で、クイントさんは捜査で得た法則で。

ちなみに僕の勘を先入観無く発揮する為、その法則とやらは教わっていない。

そんな僕らの更に一歩後を、サングラスとトレンチコート姿を辞めたリニスさんがついてきている。

 

「うう~……」

 

 ちらりと振り返ると、赤面しうつむき気味に僕を睨んでくるリニスさん。

どうやらあの格好は相当恥ずかしかったらしく、それで赤面するのはわかるが、僕を睨んでくる理由は不明だった。

八つ当たりか何かかな、と首をかしげつつ、視線を前に戻す。

 

 リニスさんを同行させるのは容易かった。

あの姿のまま尾行してきたリニスさんを適当な人通りの無い路地裏で囲み、ちょっとお話をしただけである。

お話と言っても、目的がムラマサ自体にある事を聞いて、別に復讐者とかでは無いのを確認しただけ。

こちらがティグラとナンバ−12の情報を話すだけで、素直についてくるようになった。

リニスさんとしては僕とクイントさんが犯人らを倒した所で漁夫の利を得るつもりだったのだろう。

だが、そもそも勝てないかもしれないぐらい戦力差があるとすれば、僕らの方にテコ入れしにくるのは目に見えていた。

 

 勿論、それだけでは管理局が関わっている事が分からず、僕らがリニスさんを騙す事になる。

なのでクイントさんは積極的ではなかったが、僕は強引にこの一件に裏から管理局が関わっている可能性を説いた。

それを聞いたリニスさんは暫く考えていたようだったが、それでも最終的に首を縦に振った。

 

 昨日の、僕が7歳と聞いて僕を抱きしめたリニスさんの事を思い出さなかったかと言えば、嘘になる。

所詮他人の子だと言うのに、それを利用する事に罪悪感を覚えた様子の彼女は、母性が強い人なのだろう。

それはつまり、僕の危険を考えてこの一件に参加すると決めたかもしれないのだ。

罪悪感を覚えなかったと言えば、嘘になる。

その意思に僕の意図が孕まれていないとも言い切れない。

それでも大人が自分の意思で決めた事だ、僕は結局の所、彼女の意思を尊重すると言う飾り付けられた言葉を盾にして、彼女の同行を許可したのであった。

UD-182もきっとそうしたさ、と言う言い訳を使って。

 

「さて、もうそろそろか?」

「えぇ、確かに」

 

 と、僕とクイントさんは顔を見合わせて頷く。

リニスさんもそれに加わり、三人で密集した陣形をとって歩き出した。

都市区画から離れた此処は、道も三人が横に並んで両腕を伸ばせるぐらいはあり、僕のティルヴィングもなんとか引っかからずに振るえるぐらい。

空は夜の帳が下りてきており、一番星がキラリと輝く時刻である。

そろそろティグラ達の活動時刻だな、と思った、その瞬間であった。

 

「きゃあぁぁあっ!」

 

 悲鳴。

弾かれるように僕ら三人は飛び出し、すぐ近くだった悲鳴の元へと向かう。

視界にバリアジャケットを展開したティグラを発見、近くには魔導師らしき影が見えた。

いきなり、凄絶に嫌な予感が背筋を這う。

即座に嫌な予感の方向を、僕が指さした。

 

「リニスさんっ!」

「了解しましたっ!」

 

 と同時、25ものスフィアが展開。

薄い黄色の直射弾を発射し、うち殆どは空中へ消えるものの、数発は透明化していた直射弾に辺り誘爆する。

と同時、僕も直射弾を展開、感覚が告げるナンバー12の方へ打ち込む。

 

「切刃空閃!」

「……ちいっ!」

 

 舌打ちの音と共にオプティックハイドの透明化が解除され、ナンバー12も姿を表した。

当たり前だが、透明化していようと直射弾に直射弾をぶつければ相殺できる。

そして透明化した直射弾など一度にそう何発も打てるものではなく、大体の方向が分かれば弾幕で当てる事が可能だ。

更に言えば、直射弾のスフィアは本人の近くからしか出せないので、本人の透明化さえ剥がせば僕の勘が無くとも対応は可能である。

クイントさんとリニスさんがナンバー12の方へ向かうのを尻目に、僕はティグラへと突撃。

黄金の巨剣を振り下ろす。

 

「また、貴方ですか……っ!」

「おうよ、二日ぶりっ!」

 

 金属音と共に、一瞬の鍔迫り合いで視線が交錯した。

そのまま膂力に勝るティグラがムラマサを振るい、僕はその衝撃に乗って距離を取る。

相変わらず迷いのある瞳だった。

裏に管理局云々の話を聞いた上では同情を引く瞳だったが、この場に満ちる血臭がそれを否定する。

 

「また、一人殺しやがったのか……!」

 

 先の悲鳴を上げた魔導師は首を切断されており、明らかに事切れていた。

冗談のような量の血液が、元々赤黒いティグラの具足を鮮血に染めている。

腹腔に湧く怒りでティグラに対する恐怖を塗りつぶし、僕は半歩ティグラへの距離を縮めた。

 

「仕方ないでしょ、私だってこんな事、やりたくてやっているんじゃあないんです……!」

「…………」

 

 イラッと来る言葉だった。

それに力んでしまったのが分かったのか、即座にティグラは僕へと突撃。

上段からムラマサを振りおろしてくる。

 

 僕はティルヴィングで流して剣戟を回避。

続いて逆袈裟に切り上げられる斬撃に対し、飛行魔法を発動、地面に対し垂直にティルヴィングを振り下ろす。

 

「ムラマサ、ロードカートリッジ!」

『承知。大虎の剣』

 

 地面を這うような姿勢からの斬撃が、僕の斬撃を捉えた。

甲高い金属音が響き渡る。

僕ははじき飛ばされ、視界は周囲の景色が線状になって流れた。

空中で体勢を立て直すも、それより早くティグラはこちらへ突貫してくる。

 

「あんな気持ち悪いものを生かす為に、人殺しなんてしたくなかった……!」

『弾丸激発。大猪の剣発動』

 

 薬莢が排出される音と同時、ティグラのムラマサはオレンジ色の光を纏った。

明らかに速度を増し、肩の高さで真っ直ぐに構えた切っ先をこちらに向け、突撃してくる。

 

「気持ち悪いもの?」

『トライシールド発動』

 

 こちらは対抗して白い三角形の防御魔法を発動する。

橙色の光と白光が激突。

一瞬の停滞の後、防御魔法が割れてその破片が地上に降り注ぐ。

その行く末を見る間もなく、僕は体を一気に動かし、突きを回避した。

突きは剣技の中でも最速とだけあり、見切るのは難しい。

だがトライシールドで一瞬でも止めれば軌道もタイミングも読め、そのどちらも読める突きなど児戯に等しい。

そして突撃突きの技後硬直は、考えるまでもなく大きかった。

僕の振り下ろしたティルヴィングが、ティグラの肩口へと突き刺さる。

 

「……っ!?」

 

 声にならない悲鳴をあげつつも、ティグラはそのまま突撃、僕と距離を取る。

殺傷設定であれば骨すら断つレベルの魔力ダメージがティグラを襲っている筈なのだが、タフな相手だ。

再び相対し、僕らは向かい合う。

ふと、何かに濡れた頬に触れると、結構な勢いで血がこぼれ出していた。

先ほどの突きを避けきれなかったのだ、と遅れて理解が通る。

 

「ま、互角って所か」

「ええ。まさかムラマサの突きを、一瞬とは言え防御魔法で抑えるとは、驚きましたよ」

 

 傷は僕の方が浅いが、血液の減少は体力の減少を招く。

対しティグラは骨折級のダメージだが、非殺傷設定による魔力ダメージなので、痛いだけで副次効果は無い。

先程魔導師を殺し、ティグラの体力が満タンになっているだろう事を考えると、互角かやや僕有利と言う程度だろう。

再びティルヴィングを構え直し、ティグラを見据える。

 

「質問の答がまだでしたね。

気持ち悪いものは、気持ち悪いものですよ。

あんな人に生命力を注ぐために人殺しをしているなんて考えると、自分が嫌になります」

「…………」

 

 勿論、質問に答える義務などティグラには無い。

が、ムラマサの機能がまた一つ明らかになったのであった。

ついでに、黒幕がムラマサを何のために使っているかも、なんとなく。

 

 しかし、である。

此処にいたって、ティグラの口数の多さは、たんなる間抜けでは無いのでは、と僕は思い始めた。

ティグラは言外に、助けを求めているのではなかろうか。

自分で意識しているかどうかは不明だが、自分を止めてくれる人を求めているのではないだろうか。

 

 決して、ティグラは許せる相手ではない。

13人、今は14人目となる犠牲者を出しながら、いくら脅されていたという事実があるからといって、許していいはずが無い。

だが、だけれども。

だからといって、助からなくていいとは言えないのではないだろうか。

一瞬の迷いが、記憶を呼び覚ます。

こんな時、UD-182ならばどうしただろうか。

 

 決まっている。

あの熱く、心の奥底が燃え盛るような言葉で、諭すのだ。

 

「お前は……本当に人を殺すのが、嫌なんだよな?」

「い、嫌に決まっているじゃあないですかっ!」

 

 気づけば僕は、口走っていた。

僕は生きているだけじゃあ意味がない。

UD-182の生き方を継承していかなくてはならない。

最初は殺人犯であるティグラを止めればいいだけだったけれども、今は。

 

「ならさ、お前のやる事は……俺に愚痴を吐く事じゃあないだろ」

「……え?」

 

 怖かった。

本当はティグラの様子は僕を欺くための嘘で、会話に意識を傾けた僕が殺されるんじゃあないだろうかと怖かった。

だけどそれが一番怖い事じゃあ、ない。

それが一番怖くては、いけない。

もっと怖いのは、この説得が欠片も通じない事でなくてはならない。

そうなれば、僕はUD-182を演じきれておらず、その生き方を継承する事ができていないと言う事なのだから。

 

「お前を脅している存在がある事は、何となく分かった。

お前が本心から人を殺しているんじゃあないと言う事も、何となく分かった」

「え、あ、え……?」

 

 ティグラが呆然とムラマサを下ろし、言葉にならない声を漏らす。

涙さえ滲ませているその顔は到底演技のように見えず、僕の勘もその判断を是としている。

ならばより僕は、説得に力を入れなければならなかった。

 

「だけど、どんなに諦めたくなるぐらいの苦境でも、乗り切る道は必ずある!」

 

 自分に言い聞かせるように、僕は内心で繰り返す。

もし本当にティグラの心に炎をもたらす事ができなかったのならば——。

僕は、UD-182の遺志を受け継げなかった事になるのだと。

そうなれば僕には、生きている価値すら無いのだと。

本当は死にたくないだけの弱い自分を、無理やりに曲げて強い自分を形作る。

 

「諦めるな、目を逸らさず、自分の人生に目を向けろ!

お前のやるべき事は、本当に誰かの為に人を殺し続ける事なのか!?」

 

 そんな事を言う資格が僕には無いのは分かっている。

でも僕は、言わねばならなかった。

弱い自分を見ない為に。

かといって強い自分になる事すらできず、僕は強い自分の仮面を演じる事しかできないから。

だから僕は、演技の言葉でティグラの人生を左右しようという、最低の行為を続ける。

そんな僕の言葉に、それでもティグラはゆっくりと視線を上げ、言った。

 

「……違、う」

「……っ!」

 

 僕の全身を、電撃が走る。

本当は僕は、死ぬ事を恐れるただの弱虫。

それでも必死に仮面を演じてきて、何のためだとか、それが何になるとか、そんな事から無理して視線を逸らして。

そこに、この台詞である。

僕の言葉を受け入れてくれたと見れる、この台詞である。

 

 嬉しかった。

誓って禁じていた涙が出そうなぐらい、嬉しかった。

僕の紛い物の言葉でもティグラに届いたのだと思うと、心の奥に炎が灯るのが分かる。

僕がUD-182の生き方を、僅かでも継ぐ事ができているのだと思うと、感動で体が震えそうだった。

水面下で必死に足掻くのを取り繕う白鳥のような、全体を見れば滑稽なだけの僕。

さっきまでは、どうにかして自分から目を逸らさなければ、そんな滑稽な努力すら続けられなかった。

だけどそれでもいいと、偽物でもこんなにも嬉しい事なのなら、続けられると、思えたのだ。

 

 瞳に力が宿るのが、自分でも分かった。

全身が感覚器になったかのようで、風の動きが、魔力の動きが、手に取るように分かる。

吐く息は巨大な質量を伴うかのようで、全身には活力が満ち満ちた。

言葉に少しだけ出てきた自信を乗せ、続ける。

 

「だろう? なら、今お前がやるべきことは、今すぐ俺の手を取って、ナンバ−12の居る組織から逃げ出す事だ」

 

 未だに構えていたティルヴィングを下ろし、僕は手を伸ばした。

ティグラの視線が、僕の手へと下ろされる。

 

「俺を信じろ、必ずそれはできる!」

 

 しばし、沈黙がその場に横たわった。

クイントさんにリニスさんにナンバ−12達の戦闘音を背景音楽に、僕は固唾を飲んで答えを待つ。

チャキ、と、金属が鳴り響く僅かな音が響いた。

ムラマサを構える音であった。

 

 少し前の僕ならば、視界が真っ暗になったかのような感覚を覚えただろう。

だけど今の僕ならば、言葉が通じたかもしれないと思うだけであんなにも幸せな僕だったならば、違う。

まだだ、と内心で叫び、全身に活を入れる。

今なら少しだけ、UD-182があんなにも強くあれた理由が分かるようだった。

誰かに自分の中の炎を分ける事ができる事は、それがほんの少しであっても、こんなにも嬉しい事なのだから。

 

「それが、答えか……。

なら、ぶちのめしてでも連れて行くっ!」

 

 全身にみなぎる雄々しさを乗せ、大口を叩く僕。

ティルヴィングを構え、ティグラに突きつける。

今や僕には、負けるかも、とかそういう不安は少しも無かった。

むしろ、今の僕に負けは無いと、確信じみた感覚すら覚える。

その感覚を信じて、僕はティグラとの戦いを再開するのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「シュートバレット……」

 

 嗄れ声と共に、再び透明化直射弾が発射。

舌打ちつつクイントは一旦ナンバ−12と距離を置き、直後目前を薄黄色の直射弾が通りすぎる。

閃光、続いて爆発が四つ。

空中で魔力煙が上がり、同時にクイントの背筋に冷たい物が走る。

直後、魔力煙が盛り上がり、クイントの目前にナンバー12が出現。

何も持っていない筈の両手を、軌道が交差を描くように振るった。

 

「右ぃっ!」

 

 それに対し、クイントは勘で右側の空中へ迎撃の拳を打ち出す。

金属音と共にナンバー12がはじき飛ばされ、距離が出来た。

直後薄黄色の直射弾がナンバー12を襲うも、あっさりと弾かれる。

そのクイントから見て右側、左手には透明化が剥げた、普遍的な杖型デバイスが姿を現した。

 

「……ったく、いつの間にそんな根性悪い技、覚えたんですか? 先輩」

「誰の事だか知らんが、2年もあればそれぐらいできるようになるものさ」

 

 残る魔力煙を払うように、杖を振るうナンバー12。

そう、ナンバー12は直射弾の他に、自分のデバイスを透明化できるようになっていたのだ。

幻術は強い衝撃に弱いため一撃しか持たないが、それでも迎撃の為魔力煙を作らねばならないこの状況では、何度も見えない初撃を捌かねばならない。

直射弾同様暗殺にも不意打ちにも役立ち、実戦でも脅威となる、最悪の一手である。

クイントもこれまでに迎撃できた攻撃は、半分しかない。

 

「……これは、マズイわね……」

「えぇ、少々嫌な展開になってきましたね……」

 

 そして加えて悪いのは、クイントとリニスの連携がまだ上手くいっていない事が挙げられる。

当たり前と言えば当たり前と言えよう、二人はまだ出会って数時間と経っていないのだ。

さらにクイントはリニスの目的がムラマサにある事を知っており、ムラマサを奪取される可能性を脳裏で否定できない。

クイントがリニスを信じられる一点は、あの凄まじい勘を持つウォルターが信じていると言う、ただ一点である。

加えて言えば、何となくクイントから一方的にではあるが、馬が合わない所があるのだ。

そんな状況でいきなり信頼関係を築こうにも、無理がある。

 

 戦闘の手順は先程から変わらず、リニスが継続的にクイントとナンバー12を結ぶ直線上を直射弾で満たす。

その上でナンバ−12が突撃してくれば一気に直射弾を撃ってナンバー12を攻撃し、クイントが突撃を選ぶなら直射弾を取りやめる。

透明化直射弾による一撃がある以上、クイントはリニスの援護を確実にもらえるコースしか動けず、得意の変則的な軌道は行えない。

にもかかわらず、リニスは本来必要な近接戦闘時の誘導射撃による援護は行えていない。

時折油断したリニスを堕とそうと透明化直射弾が飛んでくるため、スフィア20以上の維持が欠かせない為だ。

唯一の朗報は、開所でのウォルターが予想以上に強かった事か。

先程まで説得をしていたウォルターは、修羅もかくやと言う勢いでティグラに斬りかかり圧倒している。

とは言え、ナンバ−12も時間稼ぎに徹させてくれる程甘い相手では無い。

 

 内心の苛立ちを抑えつつも、しかし、とクイントは思う。

それでも全く情報が得られていない訳ではない。

恐らく透明化直射弾の最大保持数は、2年前から2つ増えた4つ。

威力は高いが一発二発なら根性で耐え切って突っ込む事も可能で、そこに突破口があるとクイントは考える。

 

(透明化直射弾を2発惹きつけてくれれば、私が突っ込んでナンバー12を打ち倒せるわっ!)

(透明化直射弾を10秒程惹きつけてくれれば、私の最大魔法でナンバー12を仕留めますっ!)

 

 念話は、奇しくも同時に輪唱した。

相手が聞き分けてくれる物と考え体を動かし始めてから、相手の念話を脳が理解。

動き出したまま固まったままのクイントと、詠唱を開始した所で固まったリニス。

焦りが産み出した、最悪の隙であった。

 

 ——やばい、どっちかが殺られるっ!

内心の叫びと共に思わず防御姿勢を取ったクイントだが、ナンバー12はクイントにもリニスにも目をくれなかった。

 

「シュートバレット・マルチショット……!」

 

 慌ててナンバ−12が杖を向けた先を、思わずクイントは辿ってしまう。

その先に、居たのは。

 

「ウォルター!」

「ウォルター君っ!」

 

 ウォルターは、今まさにティグラを追い詰めた所であった。

ムラマサを大きく空振り隙を見せたティグラに対し、最後の一撃を叩きこむその寸前。

クイントとリニスの声に目を見開き、超反応でウォルターもまた直射弾を生み出す。

爆音と同時、魔力煙がウォルターとティグラを覆い隠した。

魔力煙から糸を引くようにティグラが脱出、ナンバ−12もまた離脱し、即座に転移魔法の術式を開始する。

 

「くっ!」

「させませんよっ!」

 

 咄嗟にリニスが15発もの直射弾を打ち出すも、ティグラが迎撃。

その頃やっとウォルターが煙から脱出、パルチザンフォルムとなったティルヴィングを構え、何らかの魔法を放った。

が、煌く白光も容易にティグラに弾かれ、ナンバ−12の高速転移魔法が完成する。

 

「悪いが、勝機の薄い戦いはここまでだ」

「すいません、ウォルター君。さようならです」

 

 深緑色の魔力光が煌き、二人は姿を消した。

逃げられたのだ。

遅れて脳がそれを理解し、クイントは思わず叫ぶ。

 

「くっ! これで暗殺に回られたら、こっちに勝ち目は……!」

 

 事実だった。

この勝負は、逃げられてはいけない戦いだった。

より権力が上手のティグラとナンバ−12は、クイントらの情報などいくらでも手に入れる事ができる。

そうなればクイントらを襲うのは、暗殺だ。

特に夫と言う明確な弱点を持つクイントには、人質を取られる可能性すらある。

事態の深刻さを理解したのだろう、リニスも体に震えが走り、瞳が揺れている。

だが、ウォルターがそこに待ったをかけた。

 

「いや、最後の一撃で、どうにか魔力トレーサーをマーキングできた」

「へ?」

 

 思わず目を見開くクイントにリニス。

最後の透明化直射弾を避けきれなかったのだろうか、左肘付近に回復魔法をかけつつ、上空で戦っていたウォルターが下りてくる。

 

「つっても、昨日感覚で作った付け焼刃だ。

昨日リニスさんで試した所、持つのは丸1日ぐらいって所だろうな。

それまでに奴らと再戦しなけりゃならないし、逃げ回られたら厄介なのは確かだけど」

 

 と言うウォルターの言葉を、クイントの脳が遅れて理解。

やったじゃない、と肩を叩いてクイントがウォルターを労ろうとした、その瞬間である。

 

「お手柄じゃないですか、ウォルターっ!」

 

 飛び込むようにして、ウォルターに抱きつくリニス。

豊満な胸に首を押しやられ、何とも言えない顔のウォルターだったが、その顔が一瞬だけ嬉しそうに笑みを作るのをクイントは見逃さなかった。

ウォルターは、深刻さを醸しだそうとしているのだろう、低い声色で続ける。

 

「つっても、何時やられたんだか分からないが、こっちもなんかトレーサーくらってるみたいだな。

となると、効果時間ギリギリまでこっちに有利そうな場所で相手を焦らしながら待ち構えて、時間が来そうになったら襲撃って所か。

多分あっちも俺のトレーサーに気づいている、お互いに同じ行動に出るだろうな。

まぁ、さすがに突貫で作った俺のトレーサーより相手のトレーサーの方が性能が低いって事は無いだろうから、こっちが襲撃する事になるんだろうけど」

「それでも偉かったですよ、ウォルター」

「はいはい……、分かったからもう無でなくていいよ」

 

 と、嫌がるウォルターを撫でに撫でてから、リニスはウォルターを離す。

ようやく離れられたウォルターは、深い溜息をつきながら明後日に視線をやり、それからクイントへと視線を下ろした。

訝しげな顔。

 

「どうしたんだ、クイントさん。

なんか固まっているけどさ」

「えっ、いや、なんでも無いわ」

 

 と言いつつも、クイントは今自分が氷の視線でリニスとウォルターを見ていた事に気づいていた。

両手をブンブン振りつつ、何時もの明るい表情で誤魔化す。

首をかしげつつも、ウォルターは納得したのだろう、うんうんと頷きつつ続けた。

 

「それはそうとして、俺達は個別行動は厳禁だ、今晩はちょっと狭いが俺の部屋で、三人で交代で寝るようにするか」

「えぇ、それで構いませんよ、ウォルター」

「こっちもそれでいいわ、夫を巻き込めないしね」

 

 と話に乗りつつも、クイントはさり気なく自分の胸を抑えた。

先程、リニスとウォルターを見て走った痛切な痛みを、目を細めながら思う。

そんな感情が、自分にあるとは思っていなかった。

何時も明るくてパワフルに動けて、こんな悩みなんて持たないと思っていた。

けれど事実、クイントは醜い感情を持っていて。

歯噛みしつつ、クイントは自分のその由来不明の感情を思う。

 

 クイントは、嫉妬していた。

リニスの持つ母性に、嫉妬していたのだ。

 

 

 

 

 



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1章5話

 

 

 

 フライパンの上で、ソーセージが焼けていく。

油が熱されるバチバチと言う美味そうな音がそこから溢れ、部屋中に響いた。

ぐぅうう、と、腹の音が一つ響き、リニスは思わずぷっ、と噴きだしてしまう。

 

「ウォルター、もうお腹が減ってきたんですか?」

「……まぁ、な。家で誰かの料理を待つのは初めてだし、胃が驚いているのかもな」

 

 と、難しい顔をした後、誤魔化せないと分かっているのだろう、ポリポリと頭を描きながら言うウォルター。

以外にもウォルターの家の冷蔵庫は品揃えがよく、ちょっと手抜きをしている主婦ぐらいの物が入っていた。

何でもウォルターいわく、ティルヴィングが健康管理について五月蝿いのだとか。

三食全部口を出されるのはいくらなんでも五月蝿くないか、と言うウォルターだったが、リニスは笑顔でティルヴィングの味方である事を伝えた。

ウォルターはがっくりと項垂れ、その様子はリニスの目には普段大人びているだけに子供っぽく見える。

中々に母性を刺激される光景だったが、段々子供扱いされると嫌そうな顔をするようになってきたウォルターの顔を立て、なんとか我慢する事にした。

ウォルターは確かにフェイトと一つしか違わない子供だが、同時にリニスを遥かに超える超常の魔導師であり、ともに闘う仲間でもあるのだ。

あまり子供扱いし過ぎるのも良くないだろう。

 

 静謐な部屋に、料理の音だけが寂しく響く。

そういえばクイントはどうしたのだろう、と部屋の方に目をやると、クイントはベッドの上で丸くなって寝ていた。

この中で最年長の彼女の無防備な姿に、思わずリニスは目を見開く。

 

「あら、クイントは寝てしまったのですか?」

「相当無理して休暇取ったみたいでな、疲れているんだろうよ。

夕食は取り分けておいて、後でレンジで温められるようにしてやっておいてくれ」

「はい、了解です」

 

 と言いつつ、リニスは手早く料理を作っていく。

できた料理を皿に取り分け、自分とウォルターの分だけ持って部屋に向かい、ウォルターに手伝ってもらって中央のテーブルに配膳する。

彩り豊かな食卓に満足した笑みを作ると、リニスはウォルターと共に夕食に取り掛かるのであった。

 

 パリッとしたソーセージやフカフカのポテト、バターの香りのするパン。

時折グラスの水でそれらを流し込みつつ、二人はゆっくりと食事を取る。

食事中の話は、専らリニスのフェイトの自慢話であった。

 

「と言う事で、魔法を習い始めてたった一年なのに、もうそろそろ学士レベルの勉強ができるようになっているんですよ、フェイトったら」

「へぇ、凄いなそいつは。俺は流石にまだ高等学校レベルだな」

 

 と、フェイトの優秀さを語る時もあれば、

 

「でしてね、フェイトったら目を瞑ったままシャワーノズルを探すことができなくって、一人じゃシャンプーできないんですよ。

何時も私やアルフに、手伝って、ってお願いしにくるんです。

可愛いでしょう?」

「あぁ……、なんだか分かる気がするな」

 

 と、フェイトの可愛らしい失敗を話す時もある。

そんな風に華やかな食事は過ぎていき、終わった。

食器を水につけておき、ウォルターと共にソファーに深く腰掛ける。

食後の緩やかな眠気と闘う時間であった。

普段のリニスであればフェイトに勉強を教える時間だ。

ならばウォルターにも勉強を教えてやってもいいのだが、一日だけとなると、正直出来る事など無い。

それに先ほどの戦闘で失態を犯してしまった手前、目上の者として振る舞うのに何となくバツが悪いのもあった。

自然、リニスの思考は先程の戦闘の事に傾く。

 

「……ウォルター」

「うん?」

「凄かったですよ」

 

 とリニスが言うと、男臭い笑みを浮かべるウォルター。

 

「まぁ、俺の戦闘能力は、自画自賛だがかなり高いからな。

ティグラとの戦いも二回目だ、慣れが少しは出てきたし、あれぐらいはできるさ」

「そうじゃなくって、ティグラを説得していた時のウォルターです」

「あぁ、あれか」

 

 と、ウォルターはバツの悪そうな表情になり、ポリポリと頭を掻きむしる。

何とも言えない渋い顔をして、視線を明後日にやりながらウォルターは言った。

 

「つっても結局説得できなかったからな、それほどでもないさ」

「いいえ、本当に凄かったですよ」

「…………」

 

 沈黙するウォルターから視線を外し、リニスもまた視線を泳がせる。

ソファーに沈んでしまいそうなぐらいに体重を預け、脱力するようにリニスは言った。

 

「本当に、凄かった……」

 

 ——それがまるで、自分に言われているかのように聞こえるぐらいに。

そんな言葉を噛み殺し、リニスは思考を過去に傾ける。

リニスは主プレシアに、その娘フェイトの世話と教育を任せる為に作られた使い魔である。

素体が山猫であるリニスは母性が強く、その愛情を全力を持ってフェイトに注ぎ込み、育ててきた。

けれどフェイトもまだ幼い子供。

母親の愛情を欲しており、リニスもまたフェイトには母の愛情が必要であると考えていた。

しかしプレシアは、フェイトに構って欲しいと言うリニスの言を、研究が忙しいの一言で何時も断っていた。

私には、時間がない。

病に侵されながらそう言うプレシアの鬼気迫る迫力に、リニスは渋々引き下がる毎日が続いた。

 

 しかしある日、リニスは見てはいけなかった物を見てしまう。

それは完全な状態で保存されたままの、プレシアの本当の娘アリシアの遺体。

それと同時に今まで切られていた精神リンクを一瞬だけ最大接続され、リニスは全てを知った。

フェイトがアリシアを生き返らせる為に作られた記憶転写クローンである事。

人格の転写には失敗し、プレシアはフェイトを失敗作とした事。

そしてプレシアが、フェイトを憎んですらいる事を。

 

 それ以来、リニスは主プレシアとフェイトとの間で、板挟みになる生活を送ってきた。

プレシアはアリシアの蘇生など出来るはずもあるまいし、フェイトは求めるプレシアからの愛情など決して手に入れる事はできないだろう。

二人ともが二人とも、幸せになどなれる筈も無いのだ。

だけどリニスはプレシアの使い魔で、フェイトの母親代わりなのである。

主の幸せを望むのは当然だし、娘のようなフェイトの幸せを願うのもまた同じ。

けれどリニスにできる事は、何もない。

プレシアに与えられたリニスの寿命はフェイトの教育が完了するまで。

せめてフェイトが真実を知る時まで一緒に居られれば何かできるかもしれないが、それは叶わぬ夢だった。

つい、最近までは。

 

 ムラマサ、生命力を奪い与えるロストロギア。

偶発的にリニスに回収の命が与えられたそのロストロギアだが、もしもそれが、プレシアの研究を完成させる事ができるならば。

例え失敗でも、プレシアがフェイトに真実を伝える時が来る可能性があるのならば。

自分は何もできないまま消え去るのではなく、二人の間で何かができるのではないだろうか。

それはリニスに生まれて初めて芽生えた、利己的な欲望であったと言っていい。

自分の限られた生の中で、フェイトに魔法を教えるだけでなく、少しでも意味有る事を残してやりたい。

当たり前のその気持ちが、リニスに芽生えて。

そして、木っ端微塵に掻き消えた。

 

 ティグラは強すぎた。

遠目に見ただけだが、明らかにリニスの力を遥かに超えた戦闘能力。

自動送還機能のみなら主を魔力封印すればムラマサのみを持ち出す事はできるが、もしプレシアに聞いたとおり自動転生機能を持っているのならば、主と共に捕らえなければならない。

加えて更に、ティグラにはもう一人リニスより格上のナンバー12が控えている。

リニス単独では到底攻略不可能だし、ウォルターとクイントの力を借りて打倒しても、今度はウォルターとクイントを倒さねばならなくなる。

もし奇跡的に消耗が噛み合い二人を倒す事ができたとしても、今度はリニスは管理局に表裏両方から追われる身となるのだ。

例えプレシアにムラマサを渡す事ができたとしても、テスタロッサ一家共々追われる身になるのでは意味がない。

表だけならフェイトが保護を望める可能性があるだけいいが、裏からも追われるとなれば、そんな可能性はまず無いだろう。

今ここに居るのも、ウォルターを放っておけないのと、一人で離れればティグラらに狙い撃ちされて死ぬと言う消極的理由からだけ。

 

 ティグラを説得するウォルターの言葉を聞いたのは、そんな風に諦めが心を覆い始めてからであった。

——どんなに諦めたくなるぐらいの苦境でも、乗り切る道は必ずある!

まるで心の奥にある扉が開け放たれるような、圧倒的感覚だった。

胸の奥に吹き荒れる風が飛び込み、漂っていた紫煙が吹き飛ばされたかのように爽やかな気分になる。

——諦めるな、目を逸らさず、自分の人生に目を向けろ!

目の前の霧が晴れ、視野がまるでパノラマのように広がった。

心の奥に火種が灯り、それが風を取り込みすぐさま成長していくのが分かるようであった。

——俺を信じろ、必ずそれはできる!

涙が滲むほどに、リニスは胸の奥が熱くなるのを感じた。

目頭が熱く、こんなにも心が燃え盛っているのだから。

 

 ウォルターの言葉は凄まじい熱量を含んでいた。

それは事実だろう。

が、同じく聞こえていた筈のクイントがリニスほど感動していなかったのを見ると、リニスにも原因があったのは確かだ。

恐らく、とリニスは思う。

恐らく自分は、大人な人格に比して経験の少ない使い魔なのだろう。

故に知識ではなく肌で感じなければ分からない、ウォルターの持つ精神を熱くさせる何かに強く影響されたのだ。

 

「ウォルターは、本当に凄いですよ」

 

 再び言うと、リニスはウォルターにもたれかかった。

肩の上に頭を置き、ウォルターの手を両手で包み込むように持つ。

少し驚いたような表情をしたウォルターは、すぐさまリニスを何時ものあの強く光る瞳で見据えた。

息がかかりそうなぐらい間近で、ウォルターの目が見える。

 

 自らの経験の少なさを思い知ったリニスは、自分の出した答えの正しさを信じられなくなっていた。

私はフェイトに魔法を教える事を通して強い心を持たせる事しかできない。

その筈だった。

その答えはムラマサと言う希望に容易く揺らぎ、そして希望を無くしまた縋りつく先となった。

そんな風にフラフラしている自分が、情けなくて悔しかった。

ウォルターのように、揺るぎない信念を持つ事ができれば。

そんな気持ちを乗せて、リニスは口を開く。

 

「どうしたって両立できない事があった時、貴方はどうするのですか? ウォルター」

 

 思わず、そんな言葉が口をついて出た。

流石にいきなり過ぎたのだろう、目を瞬き、ウォルターは返事をする。

 

「えーと、もうちょっと具体的に、どういう事なんだ?」

「……片方が愛していて、もう片方が憎んでいる、そんな関係の二人をどうにかして、二人で二人ともを幸せにできないでしょうか」

 

 瞑目し、ウォルターは暫しの間考えこむ。

リニスは経験によってしか得られない、表現しようのない何かを持っていない。

だからそれを持っているウォルターならば、リニスには得られないような答えが返ってくるのではないか。

勝手な期待だけれども、内心縋るような気持ちでリニスは問うたのだ。

しかし、答えは簡潔だった。

 

「もし本当にその通りなら、無理だな」

 

 リニスは、体が凍りつくような錯覚を覚えた。

思わずウォルターの手を持つ両手から力が抜けていき、だらりと垂れ下がるのが分かる。

そんなリニスに、垂れ下がった手をガッシリと握りしめ、ウォルターは再び視線を向けた。

どくん、とリニスの心臓が跳ね上がる。

 

「だけど、本当にそうなのか?」

 

 あの時と同じ、体が燃え上がるような瞳だった。

弱さの欠片も感じさせず、胸の奥が理由無しに熱くなる視線。

 

「憎んでいる側は、本当にもう片方の事を憎んでいるだけなのか?

憎しみの中に他の感情が入り交じっている事は無いのか?」

「それは——」

 

 あの日、プレシアが一瞬だけ精神リンクを最大にした時以来、リニスはプレシアとの精神リンクを繋がれた事は無かった。

それを考えれば、一瞬だけだったのでその感情を見失った可能性は——。

そんな風に考えこむリニスに、ウォルターは続ける。

 

「憎しみは強い感情だから、他の感情が入り交じっていてもかき消してしまっていて、一見分からないようになっているかもしれないだろ?」

「……そうかも、しれません」

 

 思わずリニスは呟いた。

確かにプレシアのフェイトへの感情は憎しみで塗りつぶされていて、他の感情があったとしても見えなかったかもしれない。

それも長時間プレシアとの精神リンクを繋げていれば分かったかもしれないが、プレシアはそれを良しとしないだろう。

もしもフェイトに対し憎しみ以外の感情を僅かでも持っていたのなら、尚更、それに気づかないために。

 

 そういえば、とリニスは古い記憶を呼び覚ました。

リニスが真実を知った後、一度だけプレシアにフェイトに愛情を分けてやってほしいと言った事があった。

その時プレシアは何と言っただろうか。

アリシアを愛する為だった時間をフェイトの為なんかに使いたくない、とそう言っていただけなのだ。

フェイトの事を嫌っていると、そう匂わせる言葉は何度も吐いた。

だがフェイトの事が嫌いだなどとは、直接口に出しては一言も言った事が無かったのだ。

 

「もし、そうだとしたら」

 

 と、ウォルターは言う。

 

「もしそうだとしたら、誰かがそいつに自分が憎しみ以外の感情を持っている事を、教えてやらなきゃならない。

その近くに居る、三人目の誰かがな」

 

 燃えるような視線が、リニスを突き刺した。

腹腔で燃え上がる炎が、勢いを増すのが分かる。

 

「その三人目に会えたら、言ってやるさ」

 

 言って、ウォルターは手を天に向けて伸ばした。

震えるほどに力を込めて、それを眼前にまで下ろし——、握り締める。

爪が皮膚に食い込み、血が滲む程に力を込めて。

 

「求める物が手に入るまで、決して諦めるな、ってな」

「……っ!」

 

 思わず、リニスはギュッとウォルターの手を握り返した。

体を起こし、しっかりとウォルターの瞳を見据える。

リニスは不思議な感動を覚えた。

これまでのウォルターの言葉が持つ熱さだけでなく、それ以上の何か……、何かとしか言い様のない何かが、リニスの心を刺激したのだ。

 

 リニスは、自分には時間が無いと思っていた。

フェイトの教育は予想以上に上手く行き、後数ヶ月でフェイトは魔導師として一先ずの完成をするだろう。

リニスの寿命はそれまでだ。

それだけの時間では、自分にできる事は少ない。

それにリニスは存在しているだけでプレシアの魔力に負担をかけ、ただでさえ病に侵されたプレシアの体調を悪くしている。

消える事も悪いだけの事ではないのだ、と思っていた。

 

 けれど、だけれども。

なんだろう、この体に湧く活力は。

隠している尻尾がピン、と真っ直ぐに張り詰めるのを感じ、リニスは残る片手で自身を抱きしめる。

まるで何でもできそうな、全能感とさえ言っていい感覚がリニスの中を暴れまわっていた。

 

 できる。

何の根拠もない確信が、リニスの中にはできつつあった。

プレシアとフェイトを、二人とも幸せにしてみせる。

そしてそれはできる、必ずやってみせる。

体に渦巻く煌きが、リニスの心に力を与える。

 

「それでももし、力足りず、求める物を手に入れる事ができなくなりそうだったら——」

 

 そんなリニスに、ウォルターは齢7つにして男らしい笑みを浮かべ、言ってみせた。

 

「リニス。俺に、助けを呼んでくれ。——絶対に、駆けつけてみせるから」

「……はいっ!」

 

 ぎう、っと。

両手でウォルターの手を抱きしめつつ、リニスは満面の笑みで答えた。

するとウォルターから出ていた威圧感のような物が消え、表情は少しだけ照れを含んだ笑みに戻る。

少しだけ子供らしさを取り戻したウォルターに、そういえば、と唐突にリニスは思った。

そういえば、リニスはまだ、自分が使い魔である事をウォルターに告げていないのだ。

勿論外で知られる主の名までは此処で明かす事はできないが、これだけ親身に相談に乗ってくれたウォルターに、なるべく隠し事はしたくない。

それにしても、ウォルターはどれだけ驚くだろうか、と内心で少し悪戯心を持ちながらも、リニスは口を開く。

その心からは、先ほどまであった倦怠感は欠片も残さず消え去っているのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 数時間後。

夜半、交代だと言う声で起きたクイントは、リニスと交代で起きる事となった。

それから時間帯的に夜食となってしまった夕食を食べ、何ともなしにソファーに腰掛け時間を過ごしている。

 

 ウォルターとの会話は、不思議と無かった。

静かな空間だが、実年齢7歳のウォルターに眠ってしまいそうな様子は無い。

ウォルターは、明日使う予定なのだろう新魔法の最終確認を行なっているようである。

話しかければ答えてくれるのだろうが、何となくそれも気が引けて、クイントは一人漫然と時間を過ごしていた。

そうしていると、先の戦いを終える時、自分が何を気にしているのか分かった経験から、その事ばかり頭の中に浮かんでくる。

思考がネガティブになっていくのを感じ、クイントはため息混じりに立ち上がった。

 

 額に手をやり髪を掻き上げながら、台所へ向かう。

暖かな冷蔵庫の天板に体重をかけ、片手で冷蔵庫を開閉し、ミネラルウォーターをボトルから直に飲む。

数度喉を鳴らすと、クイントは何ともなしにシンクの辺りまで進み、寄りかかった。

壁紙が外れかかった壁が視界を占拠する。

 

「はぁ……」

「どうした、なんか気になる事でもあるのか?」

「うわっ!」

 

 と思わずクイントが飛び上がり、勢い良く視線を横に向ける。

するとそこにはウォルターがクイントと同じようにキッチンに腰掛け、こちらを何時もの鋭い目で見ていた。

ウォルターは冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し口を開け、数口飲むとまた冷蔵庫に戻す。

それから再び視線をクイントに。

まるで映した物全てを燃やし尽くすような灼熱の視線に、クイントは僅かにたじろいだ。

それをどうとったのか、ウォルターは腕組みしながら問う。

 

「俺みたいなガキにでも、話すだけなら無料さ。

それだけでも結構気持ちがスッキリするもんだぜ?」

「君、年齢詐称してないわよね……」

 

 呆れてクイントはぼやきつつ、視線を壁に戻してから、すっと上のほうを見やる。

そこには壁と天井の境目があるだけだったが、クイントの内心はそれを超えて遠くにある内心の情景を映し出していた。

しかしそれは、数日前に会ったばかりの子供に相談するには重すぎる内容だ。

代わりとばかりに、自然に思い浮かんでくる言葉をクイントは口にする。

 

「いや、ウォルター君みたいな小さい子が大人びなくっちゃいけない社会が、どうもね……」

「……そうか?」

 

 ウォルターの疑問詞には、単純な疑問以外にも、本当にその内容なのか? と言う疑問が詰まっているかのように思えた。

誤魔化すように笑みを作り、クイントは続ける。

 

「私、何でだか、子供には子供らしくして欲しい、って思っているのよ。

私が子供だった頃はとにかく大人扱いして欲しかった記憶があるけれど、立場が変われば思いも変わるもんなのよね」

「ふぅん。立場って大人になった事か? それとも他の事?」

 

 虚を突かれ、クイントは思わず目を見開いた。

バッ、とウォルターに体を向けると、微動だにせずウォルターはあの炎の視線でクイントを見ている。

しかし今のウォルターの視線には、あの他者の心を燃え上がらせるような成分だけではなく、他の何かが含まれているような気がした。

自信、だろうか?

クイントの思考は直感的にそう思ったが、しかし元々ウォルターは自信が服を着て歩いているような男だ、違うような気もする。

何にせよ、何と言うべきか、ウォルターの瞳はまるでクイントの全てを見通すような不思議な輝きを宿していた。

 

「……そうね、他の事よ」

 

 気づけばクイントは、本音を口にしていた。

一度言葉にしてしまうと、雪崩のように次々と言葉が口をついて出る。

 

「最近ね、検査で私は後天的に子供ができない体質だって分かったの」

「…………」

 

 もしかしたら動揺されるかな、とクイントの脳裏を小さな不安が過ぎったが、ウォルターは軽く眉を上げただけで、動じる様子は無かった。

かと言って無関心と言う訳でもなく、何よりもクイントの事を労っている事が伝わってくる。

それに安堵し、クイントは続きを口にした。

 

「夫にその事は話して、理解してもらったけれど、何処か夫も寂しそうにしているように感じちゃってね。

ううん、当たり前なんだけれど。

それまでもそうだったけれど、それからは特にかな、子供に子供らしくして欲しいな、って思うようになったの。

もしかしたら、自分の子供に優しくする筈だった分の優しさを、他の子に分けたいと思っているのかもしれない」

「……それで、か」

 

 クイントは静かに首肯した。

流石にウォルターには話せないが、他にももっと醜い事だって考えている。

ウォルターに対する対応を思い出すと、クイントは明らかにリニスに母性で劣っているように思えるのだ。

クイントはウォルターを、一人の人間として認め捜査に加えた。

リニスも利用する相手としてウォルターを認めたが、同時にまだ子供であるウォルターを慮っている部分が強く認められるような気がするのだ。

事実、トレーサーをつけたウォルターへの労りとして、クイントは肩を叩こうとし、リニスはウォルターを抱きしめ撫でた。

それが子供のような存在を持つリニスと、子供を持たない、持つことのできないクイントとの徹底的な差に思えたのだ。

それ故にクイントは、リニスに嫉妬していた。

それを柔らかく言い換え、クイントは言う。

 

「それでも本当に子供を持っている人には、母性で及ばないような気がしてね。

うん、でもそっか……、そうね。

私は優しさを他の子に分けたいんじゃあない。

他の子を自分の子にしてしまいたかったんだわ」

 

 それでも口にしてみると、それが本当に自分の考えなのかどうかが本能的に分かり、答えが見えてくる。

分かっている事ではあったが、ウォルターの言うとおり、話すだけでも気持ちは整理されるものだ。

こんな簡単な事を忘れちゃってたんだな、と思いつつ、ウォルターに視線を向ける。

その顔には、やんわりと困ったような表情が浮かんでいた。

 

「流石に、子供が作れる云々はまだ分からないけど」

 

 と、ウォルターは切りだす。

 

「だけど俺には、自分の信念を貫き通す為に、歩まなければならない道がある。

だから俺がクイントさんの子供の代わりになるって事は、できない」

 

 言われて、クイントは初めて自分がこの子供を自分の子供としたい、と思っていた事に気づいた。

それは勿論自分で気付けないぐらい小さい気持ちだったけれども、確かにあった気持ちなのだ。

それが否定される物悲しさと、クイント自身よりもクイントの事を分かってくれるウォルターへの暖かな気持ちが、入り混じる。

 

「けれど、それがあんたに子供ができないって事と、イコールじゃあない」

 

 クイントとウォルターの視線が、合った。

あの腹腔が燃え盛るような感覚が、クイントを襲う。

 

「何時か誰か、クイントさんの手を必要としていて、クイントさんが子供にしたいって思える相手に出会える」

 

 暗雲を吹き飛ばすような、パワーのある言葉だった。

クイントの嫉妬は消えないけれども、それを土壌として育っていた暗い感情は、ウォルターの言葉に吹き飛ばされてしまった。

 

「諦めなければ、必ずその時は来る」

 

 全身からぶわっと汗が出てくるかのようで、思わずクイントは自身を抱きしめた。

何の根拠もない言葉だ。

言葉面は平凡、医者や同僚や、それどころか街を歩いている赤の他人にでも言える言葉だろう。

だがウォルターの言葉は、不思議と説得力のある言葉であった。

何の慰めにもならない普通の言葉な筈なのに、クイントはその言葉に不思議と慰められた。

 

「ま、折角この気持ちに気づいたんだ、旦那さんとよく話しておくんだな。

そういう子の中で、家族になりたい、と思う子と出会った時の為に」

 

 と言うと、ウォルターは視線を冷蔵庫にやる。

再びミネラルウォーターを取り出し、数口飲むと、ボトルをしまった。

ウォルターの発する威圧感が消え去り、ふぅ、とクイントは内心ため息をつく。

確かに見つけたこの気持ちについて、夫とは話しておくべきだろう。

そう思ってから、10歳以上も違う子供に慰められてしまった事に気づき、クイントは小さく苦笑した。

 

「本当にあと10年若くて夫と出会っていなければ、君に惚れてたかもね」

「そりゃ光栄だ」

 

 肩をすくめるウォルターに、虚を突かれてクイントは目を瞬いた。

それからニッコリと、とびっきりの笑顔を作ってみせたのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 僕は、絶好調だった。

何時もは他人と話す前に何度も自分の言葉を確認しなきゃいけないし、それにマルチタスクだって使っている。

自分の姿が何かおかしくないだろうか、気になって仕方がない。

もしかして今の自分は何かを間違っているのでは、と思うと、その場でうずくまって泣きたい気分に襲われる事もしばしばだ。

 

 だけどあの時、ティグラにほんの少しでも僕の紛い物の言葉が届いた瞬間からは、違った。

言葉を吐く時、僕は何時もその責任に震えて泣きそうだけれども、今は強がりながらも辛うじて内心で震えずに言えている。

誰かの相談に乗るなんて初めてだったけれど、僕の言葉や態度が持つ重さに辛うじてとはいえ耐え切り、リニスさんとクイントさんを明るい表情にできた。

それは勿論失敗した僕に気を遣っての演技なのかもしれないけれど、最低限その演技はできるぐらいには心が軽くなった、と言う事なのだろう。

何時もの僕ならそれに落ち込んでばかりだけれど、今は次に備えてもっと確りするようにしよう、とすら思える。

 

 今なら僕は、ティグラに勝てる。

何の根拠もない確信だけれど、そんな確信が僕の心の中にはあった。

二度戦ってどちらも逃げられてしまったけれど、次こそは必ず勝ってみせる。

その後僕は、どうなるのか分からない。

ひょっとして管理局の裏側に関わり、二度と光のある世界に出てこられないまま一生を終えてしまうかもしれない。

それでもいいとまでは、僕には思えなかった。

幼い僕には漠然とした想像の世界でしか無いけれど、そんな一生は怖くてたまらなくて、想像するだけで足が震えてきそうになる。

 

 それでも、僕はティグラを止める事を辞めようとは思えない。

UD-182に誓った事だけでなく、僕はティグラにも、僕を信じろ、必ずそれはできる、と言ったのだ。

その言葉の責任は重く、今にも僕は潰れてしまいそうだったけれど、それでも言わなかったほうが良かったなんて少しも思わない。

ただその責任の重さを噛み締めて、やってみせると内心の炎に力を込めるばかりだった。

 

 あれから夜が明けるまで、僕ら三人は一人づつ眠った。

僕は順番にリニスさんとクイントさんから相談を受け、最後に僕が眠った。

直前のクイントさんの相談の内容からして、クイントさんとリニスさんと二人きりにする事に不安が無い訳ではなかった。

けれど眠らないわけにもいかず、せめて心配の声だけかけてから僕は眠ったのだけれど。

朝起きたら、何故か二人はものすごく距離が近くなっていた。

一体何を話していたのかと聞いたけれども、女の子の秘密よ、と二人して閉じた唇に人差し指を立て、ウインクまでされてしまった。

となれば追求する訳にもいかず、僕は後ろ髪をひかれる思いで追求を断ち切る事にする。

 

 さて、僕のトレーサーはほぼ丸一日持つと思われ、相手のトレーサーはそれ以上持つと思われる。

とすれば、決戦はティグラの忍耐が切れて僕らが待ちぶせしている所に来るか、僕らのトレーサーが切れそうになって相手の待ちぶせている所に行くかだ。

しかし前者であっても、ティグラが元々夕方以降に活動していた事から、夕方以降になるだろうと僕ら三人の意見は一致した。

となると、朝起きてからかなりの時間ができる。

僕らは午前中を作戦会議に使い、それぞれの手の内をある程度明かした。

一度逃げられてしまったのが効いたのだろう、作戦会議は順調に進み、終わった。

そして当然だが、待ち伏せに適した場所を見つけるよりも先に、昼食を取る事になる。

僕はクイントさんに任せたかったのだが、何故だか話の流れで僕が食事処を案内する事になった。

となると僕が知る外食の場所でパッと思い浮かぶ所など、一つしか無い訳で。

 

「一昨日もあそこでしたし、味は……それほどでも無かったんですけど」

「っていうか、微妙なんだけどなぁ」

「まぁいいじゃない、ウォルター君の言う情報屋にも会ってみたかったのよ」

 

 という訳で、僕らはラーメン屋の屋台へ向かって歩いていた。

繁華街の外れにあるそこに近づくに連れ、ラーメンのスープの良い匂いがして……こない。

代わりに嗅ぎ覚えのある、不思議な匂い。

どうしたのだろう、と首をかしげつつ僕らは進んでいく。

 

「ああ、っていうか此処なら、私同僚に連れていかれて一度来た事あるかも」

「げっ、それなら他所でも良くないか?」

「いや、面倒くさいし、もうそこでいいじゃない」

 

 と、最後の抵抗を試みるも、相手にされなかった。

肩を落としつつ進んでいき、最後の曲がり角を曲がる。

どうせ何時ものように、ハハハを背筋を反り返らせながら店主が挨拶してくるのだろう、と視線を上げて。

 

「…………え?」

 

 それが目に入った。

縦横無尽に張り巡らされた、進入禁止の黄色いテープ。

管理局の地上部隊の制服を着た大人達。

白いテープで型取りされた、人間のシルエット。

そして、嗅ぎ覚えのある……拭き取られて薄くなった、血臭。

 

「あぁ、こっちは……他所を回って……」

「……ういう事なんですか? ……知り合いで……」

 

 膝をつくのを、僕は辛うじて耐える事ができた。

けれど耳に入ってくる言葉が意味を成さない。

視界に映る光景が、理解できない。

 

「私も……捜査で……教えて……」

「連続……師殺害事件……者!?」

 

 呼吸音が嫌になるぐらい五月蝿い。

僕は今皆が何を話しているのか知りたいんだよ、と思うも、口は粘つき、目は乾いて、何もどうにもならなかった。

それでも精一杯力を込めて、耳に意識を集中して、ようやく僕はリニスさんの言葉を聞きとった。

 

「店主さんは……ティグラに殺された?」

 

 聞き取れて、しまった。

 

 

 

 

 



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1章6話

 

 

 

 ティグラ・アバンガニは普通の少女だった。

父も母も普通を絵に描いたような人物で、通った学校も普通の範囲を出る物ではない。

ただ一つ、Sランクの魔力だけは普通じゃなかったけれど、ティグラはその魔力を役立てようとは思わなかった。

管理局からスカウトは受けたけれど、戦う事なんて怖くてとてもできなさそうで、ティグラはそれを断り普通に生きる道を選んでいたのだ。

普通の魔法を使わない企業に就職し、魔法資質も精々事務にマルチタスクを使うぐらいで、本格的に活用した事は一度も無かった。

普通というレーツの上を歩く人生だが、それなりに楽しかった。

多分それは、自分で選んだ人生だからなのだろう、とティグラは考える。

魔力資質の有無にかかわらず、普通と言う魅力に惹かれ、自由にそれを選ぶ事ができたからこそ、楽しかったのだと。

 

 そんなある日の事だった。

残業で夜遅くに家に帰ってきた所であった。

スーツのままベッドに寝転がり、伸びをして体のほぐれを取った、その瞬間である。

凄まじい閃光がティグラの部屋を覆い、次の瞬間ティグラの目前には、怪しいオーラを纏った一本の刀が浮かんでいた。

それが、ムラマサである。

 

 ムラマサは言った。

我が主よ、剣を持ち修羅の道へと歩みが良い、と。

怖くなって管理局に通報したティグラの前に現れたのは、管理局員を名乗るナンバー12だった。

妙に印象に残らない人だな、と部屋に迎え入れると、ナンバー12はすぐさま変装を解き、あの焼け爛れた顔を顕にして言った。

魔導師を殺し、その生命力をある人物に流しこめ、と。

断ってもいいし、私を殺してもいいが、次に来る局員はお前を殺しにかかるだろう、そうなればお前は死ぬしか無い、と。

ムラマサによってティグラに強制的に刻み込まれた戦闘経験が、こう言っていた。

これを断れば、自分は死ぬ、と。

 

 幾多の主の死の経験は、ティグラに死への過剰な恐怖を与えていた。

ムラマサを持った主は、誰もが凄惨な戦いに身を投じ、そして地獄の底のような人生を歩み、そして何の救いもなく死んだ。

自分もそうなるのかと思うと、全身の震えが止まらない程に怖くて、ティグラは涙ながらに答えた。

従うから、殺さないでください、と。

 

 それからティグラは、14人もの人間を殺した。

子供だって容赦なく殺した。

怖くて怖くて仕方なかったし、罪悪感で胸が潰れてしまいそうだった。

けれど一度戦闘になってしまえば、ムラマサからの戦闘経験が強制的に震えと躊躇を殺す。

殺さなければ殺される。

生命力を注ぎに行った時に見た、あの三つの脳みそのみで生きる存在を見た時、既に自分は引き返せない所に居るのだと気づいた。

 

 最早ティグラの人生は絶望的だった。

普通に生きたいだけだった。

誰にも迷惑をかけないとまではいかないものの、特別に誰かを傷つけるような人生では無かった筈だった。

けれど今は、殺人者なのだ。

これからもティグラは酷使されるだろう。

殺人を辞める事は許されないし、本当に辞めた所ですぐに殺されるだけだ。

かといって続けていても、何時かは敗北するか、義憤に燃える局員によって逮捕され、口封じに殺されるか。

ナンバー12が漏らした話によると、あの脳みそを長生きさせる仕組みはティグラだけではないらしい、簡単に切り捨てられるだろう。

ティグラは夜寝る時に今日もまだ一日生きていられたと、そんな事にさえ感謝する日常を送っていた。

 

 そんな時だった、ウォルターと出会ったのは。

初戦では会話こそ無かったものの、その瞳に宿す強い輝きが、彼への印象を特別にした。

その輝きは強すぎるぐらいで、まるで汚れてしまった自分を見せつけられるかのよう。

正直に言えば、直視するのが辛いぐらいであった。

そして彼は、ティグラが戦ったことのある相手の中で、一番強かった。

狭い路地で存分に力を振るえないと言うのに互角に戦い、即座に仲間とスイッチする判断力、ナンバ−12の介入を予期した勘に、透明化直射弾を落とした精神力。

全てがティグラの戦った相手を凌駕しており、故にティグラは最大限の関心をウォルターに向けていた。

 

 だからか、二戦目のウォルターの説得の言葉は、ティグラの心を強く打った。

心の奥が燃え盛るような不思議な言葉に、ティグラの心は揺れに揺れた。

そして極めつけに、この言葉である。

——お前のやるべき事は、本当に誰かの為に人を殺し続ける事なのか!?

違う、と反射的にティグラは呟いた。

違う、違ったのだ。

自分がこれまで生きてきた生き方は一体どういう物だったのか。

それを思い返せば、これからどうすべきなのか、すぐに答えは出た。

答えは簡潔だった。

今までの自分が本当に視野が狭くなっていた事が分かり、内心でティグラは苦笑さえもした。

 

 そう、ティグラは——。

 

「……あ……」

 

 ふと、ティグラは午睡から覚めた。

眠気の残る頭を振り周りを見渡す。

見覚えのある家具の配置、窓を見やると、夕日に照らされた高層ビルの汚れたコンクリが目に入る。

此処はどうやらナンバー12によって与えられたセーフハウスの一つのようだ。

 

 そう納得し、立ち上がろうとしたその瞬間である。

きぃいぃ、と甲高い音を立てて、部屋の唯一の出入り口のドアノブが回転した。

ティグラは無言で立ち上がり、壁からムラマサを自由に振るえるだけの距離を取る。

汗がすっと引き、目は細まり、午睡から覚めた黒衣の少女は一瞬で魔剣を振るう修羅と化した。

 

「私だ」

 

 しわがれ声と共に、ドアが開く。

その隙間から体を滑りこませ、ナンバー12は後ろ手に扉を閉める。

ぬるりと言う擬音が似合うような動作であった。

それでもティグラは、ムラマサによる魔力パターンの波形一致を得るまでは戦闘体勢を崩さない。

 

『一致』

「そうですか」

 

 短く答え、ティグラはムラマサを下ろす。

それでいい、とばかりにナンバー12は一つ頷き、ティグラへと近寄ってきた。

閉口一番、ナンバ−12は言う。

 

「一体何のつもりで行方を晦ましていた」

「次こそあのウォルターとかいう子供に勝つ為にですよ」

 

 乾いた声で答え、ティグラは冷蔵庫へと歩み寄る。

中から清涼飲料水の缶を取り出すと、プルタブを開き、口をつけた。

それを尻目に、ナンバー12は微動だにしないまま続ける。

 

「つまり?」

「トレーサーをつけられて、三回戦目があるのは確定。

ならば少しでも勝率を上げるために、魔導師を6人ばかり切ってきました。

あれに勝つにはこの程度の小細工は必要でしょう」

「奴はそこまでの強さなのか?」

 

 数度喉を鳴らし、一旦缶を置いてから、ティグラは冷たい声で言った。

 

「あの子の強さは、天才的としか言い様がありません。

ただでさえ強い上に、私の気の所為でなければ、戦闘中に劇的に成長までしてみせました」

「……ほう」

 

 初めてナンバ−12から関心の色のある声が出た。

世間的に言えば、ムラマサの戦闘経験を借りる事のできるティグラも十分に天才と言える。

その戦闘経験を体になじませる事で、戦闘中に成長する事などざらである。

だが、ティグラと対峙したウォルターは違った。

 

「多分あの説得の言葉を言うまでは、互角かやや私が劣勢と言う程度。

ナンバー12、貴方の勝利を待つ余裕はありました。

しかしあの言葉を挟んでからは、殆ど別人と言うべき強さでしたよ。

あそこまでの成長速度は、ムラマサの二千年の戦闘経験の中ですら、稀です」

「…………」

 

 無言で俯きながら、ナンバー12は僅かに動揺の色を見せる。

それを絶対零度の視線で見つめつつ、ティグラは続けた。

 

「6人分の生命力でブーストした私ですら、互角が精々でしょう。

ナンバー12、貴方があの二人の魔導師をどれだけ早く殺せるかが勝負の分かれ目です」

「……あぁ、分かった」

 

 しかし返ってくるナンバー12の言葉は、何処か浮ついた物。

それに眉を潜めたティグラは、ごっごっごっと清涼飲料水を飲み干すと、勢いよく作業台に置く。

カンッ、と金属質な音が響いた。

 

「……やる気はあるんですか?

まさか私に14人も殺させておいて、今更怖気付いたんじゃあないでしょうね。

あの青い道の魔導師の方は昔の知り合いみたいですけど、まさか知り合いが死ぬのだけは嫌だとでも?」

「……そうでは、ない」

 

 ナンバー12は、苦渋を飲んだような表情を作り、言い切る。

一旦瞼を閉じ、開く。

むき出しになった筋繊維が脈動し、鋼鉄の表情を作り出した。

しかし真っ白な口唇は、表情筋の統制を離れたのか、内心と思わしき言葉を発する。

 

「私は、私の家族だけが幸せなら、それでいい」

「家族? 家族が居たんですか?」

 

 ナンバー12が、目を瞬いた。

明らかな動揺の印に、ティグラの凍てついた内心が、僅かに踊る。

ナンバー12の弱みは、いざという時の為に出来る限り握っておくべきだろう。

そんなティグラの内心を察したのか、ナンバー12の返事はにべもなかった。

 

「お前には関係の無い話だ」

「……そうですか」

 

 ここで自慢話でもしてくれれば、口撃のネタぐらいにはなったのかもしれないのに。

と思ってから、はっ、とティグラは目を見開いた。

普段なら考えもしない冷徹な思考が浮かんでくるのに、ティグラはムラマサの戦闘経験が日常にまで進行し始めているのに気づいたのだ。

苦々しい表情でムラマサの柄を持つ手に力を込めるも、セーフハウスには切りかかって八つ当たりできるような物は無い。

せめてもの抵抗として、清涼飲料水の缶を握りつぶし、ティグラは吐き捨てた。

 

「それじゃあ、もう準備は完了です。

早速あの3人を殺しに行きましょう」

「おい待て、相手が待ち構えている所に行くのは愚策だぞっ」

 

 珍しくナンバー12が声を張り上げるのに、肩をすくめてティグラは答える。

 

「元々生命力に溢れたこの身に、一気に6人分も生命力を吸ったんです。

一時的に生命力は上がりますが、それも時間が経てば私一人の最大値にまで減少してしまう。

なら速攻が一番でしょう」

「くっ、ならせめて作戦を……」

「兵は巧緻より拙速を尊ぶ、と言います」

 

 くどいナンバー12の横を体捌きで抜き、ティグラはドアを開け玄関へと向かった。

後ろからナンバ−12が変身魔法を発動しながらついてくるのに、ティグラは暗い笑みを浮かべつつ、3人の待つ場所へと向かい始めるのだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 夕焼けと夜の境界線が、窓枠ごと外れてただの穴となった所からよく見えた。

僕ら3人の顔は夕焼けの赤い日に照らされ、真っ赤に染まっている。

普段なら高揚したように見えるその顔が、この状況だと血に染まったように見え、僕は嫌な顔をしそうになるのを抑えねばならなかった。

 

 僕らは、3人揃って廃棄区画の廃工場に居た。

広さは申し分なく、僕のティルヴィングを振るうのにも何の障害も無いぐらい。

加えてどうにかして壁を隔てた場所に交戦箇所を移す事ができれば、相手を分断する事もできる。

その上陸戦対空戦となるナンバー12との戦いでは、ナンバー12が上空へ逃れて仕切りなおしをする事ができない為、ややこちらに有利だ。

 

 とまぁ、基本的にこちらに有利になる場所で僕らは待っていた。

けれどもまぁ、恐らくこちらのトレーサーが先に切れると考え、襲撃する事になる可能性の方が高いと見ていたのだが。

たん、と軽い足音。

黒いワンピースの上に赤黒い具足を纏った茶髪の女性、ティグラがその瞳で僕を射ぬく。

心なしか、その瞳には以前よりも遥かに強い力が篭っているかのように見えた。

 

「奇襲は無しかい?」

 

 肩をすくめて言うと、ティグラの隣に降り立ったナンバー12が、同じように肩をすくめた。

 

「トレーサーをつけておいて、何を言う」

「おっと、そいつはすまねぇな。

お早い到着にこっちも吃驚しているみたいだ」

 

 しわがれ声におどけた声で返しつつ、背にかけておいたティルヴィングを引き抜き、構えた。

隣のクイントさんが腰を低く構え、青い三角形の魔方陣を起動。

反対側のリニスさんも薄黄色の円形の魔方陣と共に、小さな雷をピリピリと発生させる。

ティグラは腰から引きぬいたムラマサを正眼に構え、ナンバー12も杖型デバイスを地面に触れそうな程低く構えた。

耳が痛くなるような静謐。

次の瞬間、爆発するように僕らはそれぞれの相手に向かい飛び出した。

 

「うぉおぉおおっ!」

 

 金属音と共に僕はティグラと鍔迫り合いに。

視界の端ではナンバ−12がクイントさんとリニスさんの方へ向かうのが見える。

どうやらあちらも分断戦を望んでいるようだ。

僕とティグラは同時に飛行魔法を残る3人とは反対方向に発動。

リニスさんの弾幕に巻き込まれないよう距離をとりつつ、互いに怒号を交わす。

 

「おい、ティグラ、一つ聞きたい!」

「何ですか? ウォルター君」

「あれからお前は、また魔導師を殺したな!」

 

 問い詰めると、ティグラは薄っすらと微笑んだ。

花弁が開くような可憐な笑みに、思わずこちらがたじろぐ。

と同時、僅かに力の均衡が敗れ、僕はティグラの斬撃に吹っ飛ばされてしまった。

空中で姿勢維持、すぐさまティルヴィングを中段に構え直し、顔を引き締める。

それが悪意のある物ならばまだしも、まるで感謝の意を込めたかのような笑みであった。

怖気が走るのを感じながら、僕が追求の声を続けようとするよりも早く、ティグラが口を開く。

 

「そうでしたね……、貴方には一つ礼を言わなければなりません」

「礼だって?」

 

 駄目だ、言葉が通じている気がしない。

以前までのティグラには見られなかった何かがある今の彼女に、僕は戦慄を隠せなかった。

一体あれからティグラに何があったのだろうか。

思考は想像を張り巡らせようとするが、戦闘に集中するために無理やりにでも断ち切る。

しかしティグラは、言った。

 

「私は、貴方のお陰で気づけたんです」

 

 僕の、お陰?

脳裏に二回目の戦いで僕が吐いた台詞が再生される。

 

「お前のやるべき事は、本当に誰かの為に人を殺し続ける事なのか……って。

あれは本当に、心に響く台詞でした。

そう、私のやるべきことは、誰かの為に人を殺し続ける事なんかじゃあ、決して無かった」

 

 気づけば残る3人の戦闘音も聞こえなかった。

代わりに息を飲んでこちらを見守る気配が3つあるだけ。

僕が戦慄と共に見つめるのに対し、ティグラはぱっ、と両手を開きながらこう言った。

 

「私のやるべきことは、自分の為に人を殺し続ける事だったんですっ!」

「……え?」

 

 思わず、声が漏れた。

何だって?

自分の為に、人を殺す?

理解不能な言葉に思考が停止する僕だったが、それを気にする様子も無く、ティグラは自分に酔いながら瞼を閉じ、続ける。

 

「貴方のお陰で気づけた、私は自由に生きる事が好きだったんです。

これまでの普通の人生だって、押し付けられてきたんなら好きになれなかった。

私が管理局の勧誘を断って、自分の手で選んだ日常だからこそ、大好きだったんです。

だから、私は自由に生きる事が好き。

私は、誰を殺してでも自由に生きたいっ!」

 

 次々と吐かれる衝撃的な言葉に、僕の思考が追いつかない。

自由に生きたい、そこまでならば分からないでもない。

けれど誰を殺してでもって、どういう事なんだ?

 

「ウォルター君、貴方の言うように貴方の庇護下に入って、貴方の意思に従い生きるなんてまっぴらです。

だから私は貴方たち3人を殺します。

私を監視するナンバ−12も殺します」

 

 ティグラは既に圧倒的と言っていい狂気を放っていた。

ティグラは内心で僕に助けを求めている、か弱い女性などでは無かった。

自由に生きる、それだけの為に他者を殺す事を選択できる狂気の人であったのだ。

遅ればせながらそれに気づく僕だったが、それに追い打ちをかけるようにティグラは言った。

 

「その為に、私は生命力を自分に込めてきました。

6人分の、魂を対価にですっ!」

「……え?」

 

 再びの衝撃に、僕の理解がまた追いつかなくなってしまった。

その為に6人を殺してきた。

自由の為に6人を殺してきた。

何故自由の為にと思ったのか。

気づいてはいけない、と内心が叫ぶのも聞かず、僕は口を開く。

 

「つまり……俺の台詞を聞いたから、お前は6人の人間を殺した、のか?」

「はい、そうですよっ」

 

 弾むような元気のある声で、ティグラは言ってのけた。

全身が凍りつくような感覚。

手足が微細に震え、ティルヴィングの切っ先が揺れる。

喉がカラカラに乾き、ひゅうひゅうと言う呼吸音が嫌に強く聞こえた。

つまり。

つまり、だ。

 

「俺が……店主を、殺した?」

「違いますウォルターっ!」

 

 リニスさんの声が聞こえるが、それでも尚僕は、構えを崩してしまった。

いや、それどころか、演技が解けなかった事ですら奇跡だったのかもしれない。

兎に角、愚かな事に僕は生命力を蓄え強化されたティグラを前に、構えを解いてしまったのだ。

刹那の後、視界を覆うティグラの姿。

高速移動魔法か。

そう判断したと同時に、全力で防御魔法を発動。

白光と共に三角形のシールドが発生するも、既にティグラは目前だった。

 

「隙ありッ!」

『ロード・カートリッジ。大鷲の剣発動』

 

 上段から撃ち落とされる剣戟が、僕を吹っ飛ばす。

視界が線分と化し、勢い良く壁が拡大されていき、轟音と共に僕は墜落した。

 

 

 

 ***

 

 

 

 その瞬間、ティルヴィングは自動でウォルターを守るプロテクションを発動させた。

刹那の後、轟音と共にウォルターが墜落する。

上がる土煙を見て、ウォルターが土煙に守られているのは十数秒と判断。

しかし途中で壁をぶち抜いたらしく、ティグラからはこちらは見えない筈。

ティグラ曰くナンバー12も彼女の敵なのである、恐らくどちらにも手は貸さず消耗させる事を選択するだろう。

となれば、警戒してこちらにやってくるまで、多少の時間は稼げる。

その間にウォルターを体勢を立て直せる状態にする為、自分の人工知能が必要であると判断し、ティルヴィングは存在しない口を開いた。

 

『マスター、立てますか』

「……ううっ」

 

 演技の解けた青い顔で、ウォルターは呻いた。

幸い目立った怪我は無く、立ち上がるのに支障はなさそうだ。

これで自分の人工知能の役割も終わりか、とティルヴィングが判断しそうになった時、ウォルターが言った。

 

「僕は……店主さんを、殺して、しまった」

『ノー、マスター。貴方は店主を殺害していません』

 

 事実を告げるティルヴィングに、ウォルターは頭を振りながら続ける。

 

「いいや、これは事実だ。

僕は、店主さんを……殺してしまった」

『イエス、マイマスター、インプットしました。

マスターは、店主を殺しました』

 

 と、事実とは違う事をウォルターが言うのに、ティルヴィングはそちらを事実として捉え直す。

言う通りにしただけだと言うのに、ウォルターは何故か一層顔を青くし、体を震わせた。

震える手を、爪が食い込み血が滲みそうなぐらいに強く、握り締める。

 

「あの時、ティグラがナンバー12に助けられたのは偶々だ。

ナンバー12に対するクイントさんとリニスさんは、ミスこそあったものの全力で戦っていた、このタイミングに二人の意図は無い。

けれど、僕がティグラを説得しなければ、僕はもっと早くティグラを追い詰められていたんだ。

そしてそれは、僕がティグラを説得すると言う意図を持ってしてやった事なんだ」

 

 握りしめた手を、ウォルターは胸の上においた。

それから吐き捨てるように、言ってみせる。

 

「僕の意図とは、UD-182の遺志を継ぐ事。

その為の演技をする為に、僕は、店主さんを……殺した。

いいか。

僕は、店主さんの命よりも……、UD-182の遺志を継ぐと言う、信念を選択したんだ」

『イエス、マイマスター。

マスターは、店主の命よりも信念を優先しました』

 

 自分で言った台詞をデバイスに復唱させているだけ。

なのにウォルターは額に皺を寄せ、脂汗をかき、歯を噛み締め。

まるで臓腑を抉られたかのような、絶大な苦痛に耐えるような表情となる。

それでも、握りしめた拳に力を込め、まるで水中で喘ぐかのように顔を高く上げ、言った。

 

「いいか、気づいていなかったけれど、今回は偶々信念の為に命を犠牲にしたんじゃあない。

これからもきっと、僕の信念……UD-182の遺志を継ぐ為には、人の命を犠牲にしなければならない時だって、ある」

 

 ウォルターは顔を伏し、深く息を吐いた。

僅かに残るだけだった土煙が、息に従い運ばれていく。

 

「その時僕は……、また命よりも信念を優先しなければならない」

『イエス、マスター。

マスターは、常に命よりも信念を優先しなければなりません』

 

 ついにウォルターが噛み締める歯茎からは、血が滲み始めた。

これ以上力を入れれば、いずれ綺麗に噛み合った歯が折れてしまうかもしれない。

そう忠告しようとしたティルヴィングだったが、それよりも先にウォルターが続ける。

 

「……本当は、嫌だ」

 

 これまでとは打って変わって、か細く幼い声であった。

先程とは質の違う震えがウォルターを襲い、彼は抵抗する事もできずただただ震えるばかり。

素のままのウォルターに、先程まではただの強がりだったのだと、遅れてティルヴィングは理解する。

強がった、演技なのだと。

 

 ティルヴィングから見て、ウォルターの演技の才能は凄まじい物がある。

演技のレパートリーが一つだけだと言う欠点はあるものの、それ故にか戦闘の才能に匹敵する程であった。

表情筋をどう動かす事が相手にどう見られるか、小さな仕草がどんな印象を自分から匂わせるか、それを天性の物としてウォルターは知っているようだった。

事実、クイントもリニスもウォルターの演技に未だ不自然さを感じている所は見えない。

ティルヴィングの演算部は、このまま成長すれば、一生演技を悟られずに生きていける可能性すらある、という答えを出していた。

 

「人の命なんていう重い物、背負いたくない。

知らなかったんだ、僕の言葉でティグラがあんな事を思うだなんて」

 

 ウォルターは両手で顔を覆い、泣く寸前であるようにティルヴィングには思えた。

なのでティルヴィングは、忠告のために釘を刺す。

 

『マスター、貴方は泣かないと誓ったのでは』

「……っ! 泣いて、いないっ」

『泣きそうだ、と判断しましたので』

 

 事実、ウォルターの目は潤みはしたものの、すぐに涙は引っ込んでしまったようだった。

自分が主の言葉を覚えており、それを補佐できた事に、ティルヴィングは僅かな満足感を覚える。

 

「……いや、そうだな、僕は泣きそうだった。

命より信念を選ぶのだって、今みたいに怖くて泣きたくなってしまう。

殺したとかそんなふうに考えるのすら、嫌で仕方がない」

 

 だらり、とウォルターは手を重力に従い垂らした。

何の力も入っていない完全に脱力した手は、掌を天に向けた形で停止する。

 

「だけど」

 

 そして、全力で握り締められた。

爪が皮膚を破り、血が滲む程の力で。

 

「だけど僕は、店主さんを殺してしまった事を、認めなければならない」

 

 膝を立てる。

ガクガクと震える膝に力を込めて、危なっかしい動きでウォルターは立ち上がった。

 

「だけど僕は、店主さんの命を背負わねばならない」

 

 ウォルターはティルヴィングを手に取り、地面に突き刺した。

ティルヴィングを杖代わりに、フラフラとした動きを止める。

 

「だけど僕は、何時かまた来る選択の時、命より信念を選ばねばならないっ!」

 

 伏した顔を上げ、ティルヴィングを引きぬく。

天井に向けて掲げられたティルヴィングは、まるで己が途方もない遠くを指し示しているかのような錯覚を、一瞬覚えた。

機械である己にそんな錯覚などありえないと言うのに。

 

「そして……僕は今、ティグラに……勝たねばならない」

 

 静かに言い、ウォルターは両手でティルヴィングを構え直す。

活力は無かった。

常に比してウォルターの握力は弱く、呼吸すらも上手くできていないようだとティルヴィングは捉える。

しかしそれでも、ウォルターは狂気の光を目に宿し、幽鬼のような表情でティルヴィングを構えた。

瞳とは対照的に、悟りきった高僧のような、静かな言葉で告げる。

 

「僕は……UD-182の志を継ぐ、たった一人の人間なんだから……」

 

 直後ウォルターの足元に、白い円形の魔方陣が発生。

ウォルターはその魔方陣に反発するかのように空中に踊りだし、再び戦場へと突き進んでいった。

 

 

 

 

 



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1章7話

 

 

 

 どがぁん、と瓦礫が弾けた。

流星のごとき速度でティグラへと飛んでゆく白光に、クイントはウォルターの無事を確信する。

すぐさま煌く白光と橙光が幾重にも交差し、幾何学的な図形を描いていった。

その速度は以前の戦いを遥かに超えており、矢張りウォルターは天才だと思わせる物である。

ウォルターとティグラの怒号が響くが、それを無視してクイントは意識を目前のナンバー12に戻した。

ナンバー12も、迂闊にクイントらを始末してしまってはティグラに先に殺されると気づいているのだろう、戦いはまだ始まっていない。

 

「お互い、新事実を知った訳だが……」

「お互い、今やる事は変わらないようね」

 

 拳を上げ、重心を低く。

体中の空気を押し出すように息吹を吐いて、クイントは構えをとる。

押しとどまっていたウィングロードが再び発生を開始、並行に重なった複雑な地形を描き始めた。

それと時を同じくして、ナンバ−12が杖を構え、深緑色の円形魔方陣を足裏に発生させる。

 

(リニス、ちょっといいかしら?)

(はい? 何でしょうか)

 

 念話を繋ぎ、クイントはそうリニスに問いかける。

午前中の作戦会議では、結局作戦と言える程の新しい作戦はできなかった。

ただ、一応ウィングロードを幾重にも走らせ、近接戦闘での多重角度から攻撃できたほうが良い、と言うだけの話。

その程度しか対応できない程に、ナンバー12の透明化直射弾は脅威だ。

普通に考えればただの小細工でしか無いのだが、仕組みが分かっても尚通用する小細工は、恐ろしい物である。

これなら低い魔力量ながらも執務官にまで至れた事にも納得できる。

これまで何度も痛感してきた先輩の強さを再度実感しつつ、クイントは続きを口にした。

 

(ちょっとだけ口先で試したい事があるの。

 もしも隙ができたら、そこを突破口にできるかもしれないわ)

(口撃、ですか?

 そうですね、手が乏しい今、試せることは試してみるべきです)

(ちょっと、卑怯なやり口だけどね……)

 

 自嘲気味の口調で念話を閉じると、クイントは再びナンバ−12を見据える。

相変わらず、酷い姿だった。

流れるようなブロンドの長髪は一本残らず消え去っており、代わりに見えるのは肌色でどこか筋張った感じの地肌のみ。

白磁のようだった顔面は焼け爛れて赤黒くなっており、そこかしこからは筋繊維のようなものが見え隠れしている。

ぷっくりと花弁のようだった唇は真っ白でめくれ上がったような形。

豊満だった乳房は、黒いコートの上からはあった形跡すら見つからなかった。

かつての面影を残すのは、その青い瞳だけである。

 

 これが、あの美しかったインテグラ先輩なのか。

そう思うだけでクイントは胸が苦しくなる。

加えてこれから、その先輩に卑劣な口先で口撃をし、墜とさねばならないとすれば、苦しさもひとしおである。

 

 だが、先のウォルターの復活を思えば、そんな苦味など吹っ飛んでしまった。

クイントは、ウォルターと店主との関係など知らない。

だが店主を己の手で殺してしまった、と言ったウォルターの青白く染まった顔は、見れたものではなかった。

仕事上絶望する人間の顔はよく見てきたが、あの自信が服を着て歩いているようなウォルターがそんな表情をしたと思うと、やりきれない。

そして同時に、ウォルターがそれを更に乗り越えティグラとの戦いに舞い戻ってきた事に、クイントの胸が熱くなる。

ウォルターのあの激烈な言葉を聞いたかのようになる体を押しとどめ、クイントは口を開いた。

 

「先輩、貴方はいつも、家族が一番大事だと口にしていましたよね」

「……そうだな、今更隠す事でもないか。

私は、インテグラは、家族を一番大事にしていたさ」

 

 二人が同時に飛び出し、リニスの直射弾が降り注ぐ。

誘爆する直射弾の煙に紛れ、ナンバ−12が出現。

構えた杖を透明化しながらクイントへと殴りかかる。

右、と判断し拳を振るうクイント。

それに反し、相当の重量と魔力のこもった一撃がクイントの脇腹を襲った。

 

「——がっ!?」

「私がある事件を捜査している際、知ってはいけない事を知ってしまったみたいでな。

その時私は瀕死の状態に追い込まれたが、存在しない部隊の隊員を一人殺ったよ」

 

 しかし、左右のどちらから来るか悟らせないために片手で構えなければいけない以上、両手持ちと比べれば威力は落ちる。

クイントは咄嗟に地面と垂直にウィングロードを展開、壁のように使って自身をウィングロードの上に押しとどめた。

そのまま反撃に移ろうとすると同時、周囲を飛び交っていた薄黄色の直射弾が、発生した深緑色の直射弾に命中。

咄嗟にクイントも拳を振るうも、手応えは薄い。

爆煙を煙幕として使ったナンバ−12は、再び距離をとってしまう。

 

「それが目に止まったんだろうな。

私は問われたよ、生きたいかってな。

何をしてでも生き残りたいか、と」

 

 再びクイントは構え直し、愚直に直進。

かと思えば、リニスの念話に合わせて並行するウィングロードに次々に飛び乗り、透明化直射弾の魔力煙を避けて走る。

 

「私は、家族の事を放って死ねなかった。

だからさ、私は存在しない部隊の人間としてその為に何でもやった。

もらった金は家族に渡るようにつぎ込んだし、夫も息子が無事に生きている事さえ知っていれば、私は何だってできた」

「……そうね、分かるかもしれない」

 

 呟きつつ、クイントは自身をナンバ−12に当てはめて考えていた。

今自分が死んだら、残る夫はたった一人だ。

残された夫がまた何処かへ踏み出せるまで見守る事を許されると言うのならば、どんな代償でも支払うと言ってしまうかもしれない。

だが、しかし。

 

「……ふん、まぁそう言ってしまえば、私もティグラと大して変わらないのだろうな。

あの子は自由の為に、私は家族の為に、人を殺してでもやりたい事がある。

違うとすれば、それが自分一人の為では無い、と言う事ぐらいか」

「……そうだったら、良かったんだけどね」

「何?」

 

 疑問詞を吐き出すナンバー12に、クイントは複雑な跳躍起動を持ってして突撃。

しかしそれでもナンバ−12はクイントを追う直射弾を切らさない。

当たり前と言えば当たり前だろう、クイントが移動するコースは後ろのリニスを見れば分かるのだ。

この程度の悪あがきに頼らねばならない程に焦っているのか、とナンバ−12は思うだろう。

その心の緩みに口撃と攻撃を叩きこむのが、クイントの目的だった。

 

「貴方の夫は、死んだわ」

『リボルバーナックル』

 

 クイントは至近から拳に魔力を収斂。

カートリッジを吐き出し、回転するリボルバーナックルの衝撃波を拳に乗せて撃ち出す。

目を見開いたナンバ−12は、それでも反射神経のみで防御魔法を貼るが、それすらも打ち砕きクイントの拳はナンバー12の胸部に突き刺さる。

肺の中の空気を吐き出すナンバー12。

吹っ飛んでいく彼女を、しかし回り込んでいたウィングロードが受け止めた。

辛うじて意識を繋いだナンバー12は、即座に飛行魔法で飛び立つ。

タッチの差で、クイントの蹴りが空を切った。

 

「何を言っている、あの人の生死どころか健康までつい一週間前に確認したばかりだ。

ティグラの殺人には全て私がついていった、そんな筈が……っ!」

「最後の6人を除けば、でしょ」

 

 それでもクイントの勢いは止まらない。

そのまま空中へ踊りだし、半回転しながらの二連蹴りをナンバー12に叩きこもうとする。

辛うじて間に合ったナンバー12のデバイスがそれを受け流すが、胸部が痛むのか、それとも会話の内容故にか、顔を歪ませながらであった。

 

「馬鹿な、そんな偶然が……!」

「さっきウォルター君の言っていた、店主ってさ。

元局員のラーメン屋の店主、なのよね」

 

 決定的な言葉に、ナンバー12が硬直。

それでも戦士の勘が至近から透明化直射弾を発射し、クイントの腹部に直撃する。

吹っ飛ばされていくクイントはウィングロードに降り立ち、そのまま地面に対し垂直にローラーブーツで登っていった。

何にせよ、一旦距離が離れたのならば、とナンバ−12はすぐさま深緑の魔方陣を展開。

無線配信されているクラナガンのニュースに即座に目を通し、その中に自分の夫の名が死者として載っているのを見つけた。

 

「……嘘、なんだろう」

 

 声を震わせながら、ナンバ−12は言う。

胸を抑え、震える手でデバイスをつかみながら続けた。

 

「此処の無線ネットワークをハッキングして作った、嘘の記事なのだろう? これは。

お前たちが確実に勝つ為の、策略……」

 

 と言いつつナンバー12が、クイントを追って視線を上げる。

するとその視界に、眩く輝く巨大な薄黄色の光が見えた。

一瞬目を細め、すぐさまナンバ−12はそれが無数の直射弾の発射台だと気づく。

と同時、ナンバー12の四肢を立方体のバインドが縛り付けた。

絶望的な状況に、それでもナンバー12の口をついてでたのは、己の夫の死を否定しようという言葉であった。

 

「……嘘、なんだろう?」

「……ごめんなさい、本当よ」

 

 助けを請うように、ナンバー12は天を仰ぐ。

僅かに、沈黙がその場を支配した。

ウォルターとティグラの戦闘音だけがその場に響く。

残る呼吸音さえ聞こえそうな程の静謐。

しかし誰一人それに答える者はおらず、代わりに断罪の言葉がリニスの口から吐き出された。

 

「……フォトンランサー・ファランクスシフト」

 

 指揮棒を振るうかのように、リニスの手が振るわれる。

それと同時、32基ものスフィアから毎秒7発ものフォトンランサーが発射された。

その光景は、正にフォトンランサーの豪雨であった。

質量を持った雨が、まるでナンバ−12を押しつぶすかのように空中で踊らせる。

3秒間、672発にものぼるフォトンランサーが命中した後、リニスは天に向け手を掲げた。

32の発射台が集結、一本の巨大な矢と化す。

 

「スパーク……エンド」

 

 静かな言葉と共に、最後の一撃が放たれた。

優に音速を超える速度で雷撃はナンバー12へと命中。

バインドごとナンバー12の意識を、破壊した。

 

「——……っ!」

 

 声にならない悲鳴をあげ、クイントは地面に垂直なウィングロードを走り、ナンバー12の元へと飛び込んでいく。

高さが揃った辺りで、視線をナンバー12へ、膝を曲げてウィングロードに手を突き、飛び立った。

空中でクイントは、ナンバー12を抱きとめる。

そのまま地面へと墜落するかのように思えた二人の元に、薄黄色の魔力が形作ったフローターフィールドが多重発生。

二人分の体重を受け止め、地面にふわりと下ろした。

 

「……先輩」

 

 クイントはナンバ−12を膝枕する形で横たえる。

勝ったというのに、最悪の気分だった。

夫を愛する気持ちがどれだけ心の中を占めるものか、クイントはよく知っている。

子供が作れないと知った時、夫がクイントの事を受け止めてくれた事も記憶に新しい。

そして家族に対する思いが強いのは、クイントだけではない。

視界の端ではリニスも苦虫を噛み潰したような顔をしており、家族への思いを利用した後悔が見て取れた。

 

 ナンバー12は、僅かに目を開いており、意識はあるようだった。

手を天に伸ばし、何かを掴みとろうと握り締める。

しかしそれは空を切り、何も掴まないままにナンバ−12の胸の上へと戻っていった。

目を細め歯を食いしばるクイントに、優しげな声でナンバ−12は言った。

 

「……何時か、こんな日が来るんじゃあないかと思っていた」

 

 ナンバー12の目に、涙が浮かぶ。

涙滴は大きさを増していき、決壊。

重力に従いナンバ−12の横顔を流れていく。

 

「私が殺している相手にも家族が居るんだと言う事は、分かっていた。

なのに自分の家族だけは奪わないでくれと、そう叫ぶ事の罪深さも分かっていた。

分かっていて、辞められなかった」

 

 静かな涙であった。

真っ白になった唇が動く様は、まるで蛆が踊っているかのよう。

そのグロテスクな光景は、まるでナンバ−12の末路を指し示しているかのようだった。

 

「ただ、大切なだけだった。

……いや、それも違うのかな。

それだったら、見守る必要なんて無かった。

家族を信じて逝く事もできた筈だった」

 

 胸の上に開いておいていた手を、握りしめるナンバ−12。

刺さった爪に溢れた血が、掌を伝い、胸元へと零れ落ちる。

ぽつぽつと、雨粒のように落ちる血が飛び散り、小さな円を作った。

 

「だからこれは、ただの私の我儘だ。

私は……自分の我儘で、夫を殺してしまったんだ」

「……それは……」

 

 反射的に反論しようとして、クイントは口をパクパクと動かし、それからつぐんだ。

何も言う言葉が思い浮かばなかった。

ウォルターも店主を殺してしまったと言っていたが、その台詞よりも彼女の台詞の方が遥かに真実に近い響きを持っていた。

そしてそれは、クイントの言葉では到底覆し様のない事に思えたのだ。

悔しさから、歯を噛み締めるクイント。

それを、聞き分けのない子供を見守るような目でナンバー12が見つめる。

 

「クイント、お前はこんなふうになるんじゃあないぞ。

家族への思いと、自分の我儘とを、履き違えるんじゃあない。

そうでなければ……、何時か取り返しのつかない事になる」

「……はい、先輩」

 

 気づけばクイントも、涙をこぼしていた。

悲痛なナンバ−12の境遇は、ある種自業自得とは言え、嫌でもクイントの身に置き換えた場合を想像させる。

クイントにとって未だ想像でしかない子供を残しての状況だと思えば、こみ上げる涙は増えるばかりであった。

そんなクイントを優しげな目で見つめ、ナンバ−12は伸ばした手でその頬を撫でる。

愛おしげな仕草でそれを終えると、突如ナンバー12は目を見開いた。

 

「……っ! クイント、こんな事言えた義理じゃあないが、私の子を頼んだぞっ!」

「え、何を……っ!」

 

 ナンバ−12は突如クイントを突き飛ばすと、立ち上がり、全力で飛び込むようにしてクイント達を距離を取る。

次の瞬間、閃光が走った。

続いて、爆音、土煙。

思わず両腕で顔を覆ったクイントの体に、脂っ気のある何かが幾つか張り付く。

しばらくしてから、クイントが震える両腕を開くと、ナンバー12は消え去っていた。

代わりに赤黒い肉の破片がそこら中に散らばっているだけ。

 

 クイントは、両手を地面につき、放心した。

背後のリニスも同じような感覚を覚えたのだろう、膝をつく音が続く。

これまでの経験から、クイントは勝利が誰かを救う訳では無いと知っていた。

勝った事がすなわち誰かの幸せになるとは限らないと、知っている筈だった。

なのになんだろうか、この無力感は。

体中が鉛になったかのように重く、喉奥からは吐き気が、目からは涙が溢れていた。

もっと誰かが救われていい筈だったと、そんな言葉がクイントの脳裏を過る。

 

「……私は、ウォルターに加勢しにいきます」

 

 と、リニスの言葉を受け、自失していたクイントは、小さく、あ、と声を漏らした。

確かに二人ともそうすべきだ、狂気の殺人者となったティグラはまだ残っているのである。

クイントはふらつく体で立ち上がり、体からナンバ−12の肉片をふり落とした。

それから、つい先ほどまでナンバ−12が居た場所へと視線をやり、一瞬、目を細め歯を噛み締める。

後ろ髪を引かれる思いでそこを視界から振り切り、ウォルターらの戦いへと視線をやる。

極大の白光と橙光が交錯。

丁度、決着がつく所であった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「うぉおぉおおっ!」

「てやぁああぁっ!」

 

 絶叫と共にティルヴィングを振るう。

魔力で超強化されたティルヴィングを袈裟懸けに振るうも、ティグラのムラマサは剛力で強引に僕の攻撃を捌いてみせた。

しかし、強引な防御のツケとして、ティグラのバリアジャケットに小さな傷が生まれる。

されどティグラには痛がる様子どころか、それに気づいているかどうかも分からない程度の反応しか無い。

溢れる生命力による無限のスタミナに、僕は内心舌打ちしつつ、旋回。

再びティグラへと向かって突き進む。

 

 僕が思うに、ティグラの強さは3つある。

一つはその膂力の強さ。

僕の巨大なティルヴィングの斬撃を何とも無いかのように捌き、攻撃はカタナによる物とは思えぬほどの強さである。

一つはその生命力の高さ。

いくら戦っても体力を消耗しない、長期戦になればなるほど強いそのスタミナの高さである。

そして最後の一つは、近接魔力付与斬撃の、バリエーションの豊かさであるように思える。

 

 通常は近接魔力付与攻撃は強力な物を一つ用意しておき、それを姿勢によってアレンジして使うのが空戦での常套手段である。

対しティグラの見せた魔力付与斬撃は、三種類。

上段からの振りおろし、大鷹の剣。

中段からの突き、大猪の剣。

下段からの払い、大虎の剣。

通常一つしか持たない魔力付与斬撃を、それぞれの姿勢に特化させた魔力付与方法で発現させる事により、効率を高める事ができているのだ。

その分デバイスの容量は食うのだが、そこはロストロギアの面目躍如である、こと近接戦闘においてはティグラに不足した魔法は見当たらない。

つまり、近接戦闘においてティグラには弱点がない。

対し僕は、遠距離戦闘は近接戦闘の補助としか使っておらず、ティグラと戦うレベルでは近接戦闘しかできない。

八方塞がり感のある展開であった。

 

「はぁぁああっ!」

「わぁぁああっ!」

 

 斬撃が交差。

再びティグラのバリアジャケットに薄い傷を作るも、矢張りダメージが通っているようには思えない。

そして僕の動きは最高潮から劣り始めてきたものの、ティグラの動きは未だに全開。

このままいけば押し切られる、と、嫌過ぎる勘の囁きが脳裏に走った。

状況打開の為の魔法はあるが、使うならば必殺の隙に使わないと、このタフさでは復活される恐れすらある、その状況は避けたい。

別に種が割れたからと言って脆弱になる魔法ではないが、そう何発も使えない魔法なのだ。

 

 まぁ、それについては考えながら行くしかない。

ティグラの6人分の生命力とやらを解析しながら戦っていた僕は、基本方針に変わりは無い、と決める事にする。

それから僕は、やっと口を開いた。

 

「お前は……自由の為なら、人殺しも厭わないって言ってたよな」

「……そうですよ?」

 

 突然の言葉に、ティグラは空中で一瞬静止。

あの何処か狂気の響きのある声で、返してくる。

矢張り変わらぬ答えに、僕は内心で震えつつもそれを隠し、続けた。

 

「俺は……人の命を尊いとは思っている」

「…………」

 

 ティグラは僕の言葉を無視してこちらへ突撃。

僕もそれに応じて、再び剣を振るう。

ティグラの剣のわかりやすい点として、構えでどの攻撃が来るか分かるということがあげられる。

上段で兜割りか袈裟逆袈裟、中段で突き、下段で胴か逆胴。

勿論分かった所で対応できるかは別なのだが、解析しない訳にはいかない。

 

 今回は、中段であった。

カートリッジの炸裂音と共にムラマサが橙色の光を帯び、銀光が煌く。

超高速の胸、喉、頭蓋と三連続で迫り来る突きを、僕は咄嗟の高速移動魔法で回避した。

背後に回りこみ、直射弾を即時発動限界の10発打ち込むも、あっさりと弾かれる。

 

「何故なら人の命がどれだけ輝く事ができるか、俺は知っているからだ」

「……それで?」

 

 先日クイントさんに語った内容の焼き直しに、ティグラが怜悧な声で返した。

内心はそう来るだろうと分かっていても傷つき、まるで血が滲み出ているかのように痛い。

本当はそれだけで口をつぐみ、自分の言葉を何度も検証したいけれど、必死で僕は続ける。

 

「だが……俺はそれよりも更に優先している事があった」

「奇遇ですねぇ」

 

 僅かに嬉しそうな声を出すティグラ。

たったそれだけでほっとしそうになる内心を、僕は全精神力を込めて抑えこむ。

表情筋を操作し、鉄面皮を作り続けた。

 

 旋回した僕らは再びの激突に備える。

ティグラは魔力を収束、僕は直射弾を剣戟と同時に出せる4発身に纏い、突撃を開始。

視界の中の互いが急激に拡大していく。

 

「それは、自分の信念に気づいていない奴に、気づかせると言う事だ」

「あら……っ!」

 

 喜色の混じった声と同時に、僕らは激突する。

袈裟の斬撃は同時に激突。

そのまま僕は翻るようにして上段から切り落としを振るうも、ティグラもまた同じようにバック宙のような動きで旋回、僕の首を狙っていた。

それを直射弾2発で遅らせ、その隙にまたもや僕が上になってティルヴィングを振り下ろす。

ティグラが追いつくその場所に、先んじて直射弾を発射。

回避姿勢を取り硬直したティグラに、半回転しながらのティルヴィングの切り上げを放つ。

しかしそれすらも高速移動魔法で逃げられてしまい、かすり傷しか作ることは出来なかった。

 

「それじゃあ、貴方の目的も叶ったんですね? それは良かった。

私にとって、貴方は殺すべき相手であると同時に、恩人でもありましたから」

「…………」

 

 怒涛の四連撃も、バリアジャケットを僅かに凹ませただけ。

矢張り生命力で強化されたティグラは、近接戦闘においては僕と互角だ。

決定的な一撃を当てる為の隙が必要なのだが、勘で経験を補っている上体力で劣る僕の方が、先に隙を見せてしまう事だろう。

 

 そしてティグラの言葉は、重たくも真実であった。

そう、僕の信念とはUD-182の遺志を継ぐ事である。

それをわかりやすく言語化するならば、曲がった事をやっている相手をぶん殴り、真っ直ぐに自分の道を見させる事だ。

これをもう少し丁寧に言えば、ティグラに言った台詞になる。

そう、ティグラを殺人鬼として覚醒させた事を、僕は喜ばねばならない筈なのだ。

 

 喜んだのなら、笑わねばなるまい。

命を落とした人が居て、それが6人も居て、しかも知り合いがうち1人居たと言うのに、笑わねばならないのだ。

その罪深さに僕は今すぐ失神してしまいそうなぐらいの頭痛を覚える。

だが、それでもやらねばならない。

表情筋を統制し、歯茎が見える程に口を開き、えくぼを作り、目を僅かに細めた。

 

「その通りだ」

 

 果たして、僕はUD-182のような笑みを浮かべる事ができていただろうか。

できていたとしても、僕は死者を冒涜し、既に後戻りできない場所まで進んでいるのだ。

今更帰る場所など無いと、強がりばかりでできた紛い物の心を、口にする。

 

「だが、同時に命が大切だって事も確かなんでな。

嬉しい、確かに嬉しいさ。

だがそれ以上に、ムカつくんだよ、お前は」

 

 そう、UD-182はその信念を命よりも優先するような人間だったが、だからといって、決して命をないがしろにするような人間でもなかった。

本当は僕は他人の命の心配をする余裕がなく、自分の命の心配で精一杯な小者だ。

けれども笑みに怒りを混ぜ、攻撃的な物にし、僕は理想の表情を創り上げる。

 

「自分の歩むべき道を見つけた、それはいいが、なんだって人殺しの道なんだよ。

いや、人殺しを嫌がって他の道へ行くよりはよっぽどマシだ。

マシだけれど、ムカつくのさ、てめぇは」

「……酷い言い草ですね」

 

 困ったような表情で言いつつ、ティグラは再び突貫してきた。

こちらも牽制の直射弾を打ちつつ突っ込んでいく。

カートリッジの薬莢が奏でる二重奏と共に、互いの剣が魔力光を纏った。

 

『大鷹の剣』

『断空一閃』

 

 いつしかの焼き直しのように相手の剣を撃ち落とそうとするも、タイミングを調整され、僕の剣は空振った。

僅かに遅れて、ムラマサの鋭利な刃が僕に迫る。

せめてもの回避策として、そのままティルヴィングの慣性のままに高速移動魔法を発動。

しかし攻撃をかわしきるには至らず、僕の背中に斬撃が叩きこまれる。

 

「……っ!」

 

 背中に焼きごてを押し付けられたかのような痛みが走った。

声にならない悲鳴を上げつつも一気に距離を取り、ティルヴィングを構え直す。

 

『骨や神経までは達していませんが、太い血管に傷がつきました。

現在バリアジャケットで圧迫しています。

戦闘用リソース確保の為、回復魔法は発動していません』

「オーケイ」

 

 ティルヴィングの自己診断に頷き、僕は中段に構えつつティグラと距離を保ちながら動く。

丁度円の直径の両端のような位置につきつつ、互いの出方を見ながら回転していった。

その間も、僕は口で語る事を辞めない。

 

「だから、これは俺の信念を守る為の戦いじゃあない。

これは俺がムカついたからやる、ただの喧嘩と変わりねぇ物なのさ。

俺は、お前が人殺しをするのが何か気に食わねぇから、ぶっ倒す!

シンプルでいいだろう?」

 

 精一杯、僕は男らしい笑みを作った。

それにくすりと微笑み、ティグラは返す。

 

「私は自由になりたいと言う信念を掲げているのに、貴方はそんな程度の理由なんですね。

なのに……心で勝っている筈なのに、未だ互角ですか」

「あぁ、てめぇは負けるのさ。

ただムカつくと言う理由で戦っているだけの、俺にっ!」

 

 本当は僕だって信念の為に戦っている。

けれど口に出したら意味の無い信念だから、口に出せなくて。

それでも、ティグラなら悟られてしまうかもしれない、そんな不安が何処かにあった。

 

 ——けれどティグラの微笑みは、本当に仕方がないなぁ、と諦めの混じったような表情で。

それに僕は結構ショックを受けている自分を見つけた。

 

 それで僕は、やっとのことで気づく。

僕は、何処かでティグラと自分を同一視していたのだ。

自分の信念の為に人の命すらも切り捨てる、そんな所が僕らは似ているのだと。

似ているから、分かってもらえるかもしれない。

そんな風に僕は、甘えたことを考えていたのだ。

 

 けれど現実は違った。

ティグラは自分の真の信念を声高々と上げる事ができ、僕は自分の信念を隠し紛い物の信念を掲げていて。

ティグラは僕の紛い物の信念を信じ、それを僕の本当の信念だと思っていて。

僕の信念は、誰一人にも気づいてもらえない。

僕とティルヴィング、一人と一機だけの秘密。

今更僕は気づいたのだ、これから一生、僕は他人に信念を見つけさせながらも、僕の信念は誰にも分かってもらえないのだと。

 

 視界が真っ暗になるようなショックだった。

全身から活力が抜けて行きそうになるのを、必死で抑える。

こみ上げてくる吐き気に我慢し、まるで極寒の地に居るかのように震えそうになる体を全力で固定した。

絶望とは、この感情の事を指しているのだろうか。

そんな言葉が浮かんでくるぐらい、僕は酷い状態だった。

 

「行きますよっ!」

 

 けれど現実は、待っていてくれない。

ティグラは僕の隙を見つけたのか、超加速でこちらへと突撃してくる。

こちらもそれに合わせて直射弾を10発発射、軽業師のようにそれを避けながら突っ込んでくるティグラを待ち構える。

見に徹したこちらを警戒したのか、ティグラの攻撃は最速の突きであった。

頬に軽い傷を作りつつ避けるこちらを、目を瞬くように見つめるティグラ。

それでも反撃に移ろうとする僕に後退しつつ、まさかと叫ぶ。

 

「そうか、この会話は体力切れを隠すための詐術。

ウォルター君、貴方はもう限界ですねっ!」

「……クソッ!」

 

 現実には死ぬほど活力が消え失せてしまっただけなのだが、体の動きが鈍いと言う事実に変わりはない。

そのまま袈裟、突き、正面と繋げてくるティグラの剣戟を必死で防御し続ける。

まさに狂気を孕みながらも信念の乗った剣だからだろう、その一撃一撃は物理的にも精神的にも果てしない重さであった。

受けるこちらの両手から血がにじみ始め、体のあちこちには小さな傷ができ始める。

上方のティグラから下方の僕が受ける姿は、まるでティグラの凄まじい剣戟が僕を地面まで叩き落とすかのような勢いであった。

 

「ムラマサっ!」

『大虎の剣』

 

 胴体を狙う斬撃を縦にしたティルヴィングで防ぐも、滲む血が僅かにティルヴィングを滑らせる。

押し込まれた剣の腹が頭蓋に辺り、小さい腫れを作った。

元々気分の悪さから来る頭痛に加えて、二重奏の痛みが僕を苦しめる。

 

「うぉおぉおおおっ!」

『大猪の剣』

 

 喉を狙った突きを首を振って回避、ティルヴィングを薙ぎ払うも、あっさりと避けられる。

円弧を描く軌道で再びこちらへ戻ってきて、再び連撃を僕に見舞った。

必死で防御する僕をあざ笑うかのように、小さな傷は増えてゆく。

 

 駄目だ、これではいけない。

故に僕は、マルチタスクを一つ使い、思考の中に埋没する。

確かに、僕はこれからずっと一人と一機で戦い続けるだろう。

誰にも理解されないのではない、誰かに理解されたら終わってしまう、そんな道程をだ。

きっと孤独だろう、きっと辛いだろう。

だけれども。

 

「それでいい……これでいい……!」

 

 小さく、勇ましげな言葉をつぶやく。

すると心の中でも、少しだけ勇ましさが湧いてくるような気がした。

そうだ、僕はたとえ孤独でも、寂しくても、それが果たしてUD-182の遺志を継がない理由になるだろか。

違う。

絶対に、ならないのだ。

脳裏に描かれるUD-182の笑みが、僕の心を照らす。

 

 あの誓いが、僕の胸の中に浮かんだ。

——なら——、僕がそれを継いで見せる!

あの言葉を言えたのが、僕の一生で一番の宝物だから。

だから僕は、もうこの道を歩む事を迷わない。

道程はあまりに辛く、尻込みしそうだったけれども。

それでも、僕はこの道を歩み続けてみせる。

 

 思い描くのは、UD-182の言葉で燃え上がる自分の心。

腹腔が熱くなり、全身に回る熱が血潮を熱くする。

四肢の指一本一本まで沸騰しそうな血液が周り、全身に活力が溢れてゆく。

燃え盛る内心を胸に、僕は叫びだしそうなぐらいの気迫を全身に込めた。

 

「終わりですっ!」

『大鷹の剣』

 

 橙色の魔力光と共に振り下ろされるムラマサ。

その攻撃は、僅かに油断が滲んだのか、少し大きく読みやすい。

今だ。

内なる勘の叫びに従い、僕は叫んだ。

 

「そっちがなぁああぁっ!」

『ロード・カートリッジ』

 

 薬莢がスローモーションで落ちていくのが見える。

全神経が集中し、刹那しか無い隙間に僕は自分の剣を割りこませた。

 

「断空一閃ッ!」

 

 ティグラのムラマサを、何時かと同じく叩き落す。

無理にでも持っていたなら簡単だったのだが、この場では武器を手放してでも後退すべき、と判断したのだろう。

ティグラはムラマサを手放しつつ全力で後退。

ただの斬撃では、バリアジャケットを傷つけるのが限界の距離にまで離れる。

ニヤリ、とティグラの微笑みが目に入った。

が、それもどうでもいい事だ。

 

『ロード・カートリッジ』

「——二閃ッ!」

 

 こちらもまた、野獣の笑みを見せていたのだから。

白光を纏った切り上げがティグラへと直撃。

バリアジャケットを引き裂き、ティグラの本体へと魔力ダメージが突き刺さる。

 

「か……は……っ!」

 

 肺の中の空気を全て吐き出すティグラ。

本来であれば脇腹から心臓まで駆け抜ける筈だった剣戟は、ついにティグラの意識を奪った。

墜落していくティグラ。

それを尻目にティルヴィングの排気口から魔力煙が吐き出される。

咄嗟に僕はバインドを発動、ティグラの四肢を拘束。

念のため二重三重に展開し、ティグラを完全に魔法行使不可能状態にまで追い込んだ。

それからようやく、現実感が僕に追いついてきた。

 

「……勝った……のか……」

 

 ティルヴィングの切っ先を下げ、肩で息をする。

ティグラに対する僕の戦術はたった一つ、正面突破であった。

近接戦闘において技術的には格上であるティグラ相手にできるのは、ただのスペック勝負に追い込む事だけ。

それには僕の肉体のスペックでしかできない、魔力付与斬撃の二連続が最適だった。

一撃でもティグラのそれを上回るそれですら、ティグラ相手では二撃目は威力不足になる。

それなら二連続でやればいいだけと言う、単純明快な答えであった。

 

「……っ痛うッ!」

 

 が、当然無茶なやり方ではある。

元々魔力付与斬撃自体魔力で身体能力を補助しての一撃必殺で、そこには普通切り返しの猶予すら無いと言う。

今回のように撃ち落としに使うのに無理やり身体能力でなんとかしているが、普通はこれも筋を痛めてしまうそうだ。

なのに魔力付与斬撃を二連続で行うなど、体を痛めるどころか、壊してでもできない。

それができてしまうのが僕の体の凄さなのだが、それでも痛烈な痛みが残るのは致し方なしか。

それでもその痛みが僕に勝利を告げているように思い、僕は小さく叫ぶ。

 

「……勝ったぞ……ッ!」

 

 天を仰げば、いつの間にか完全に夜になってしまった外が目に入った。

その中にキラリと光る星々は、まるで僕を祝福しているかのように思えたのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 僕が下に降りると、クイントさんとリニスさんがこちらへ寄ってきた。

その姿に大きな傷は無く、完全勝利だった事が伺える。

 

「ウォルター!」

「ウォルター君!」

「良かった、そっちも勝ってたんだな」

「……えぇ、そうですね」

 

 と、何でか微妙な顔をされる僕。

一体何でだろうとまず思い当たるのが、僕の傷の多さである。

小さい傷がいくつかと、背中に大きな傷が一つ。

対し二人は大きな傷を一つも負っておらず、見目にはちょっと汚れただけに見える。

内心思いっきり凹みそうになるが、それにしては二人の様子がおかしい。

僕の顔の疑問詞を読み取ったのだろう、リニスさんが口火を切る。

 

「ナンバー12は、自爆させられました。

もう生きてはいません」

 

 思わず、目を見開いた。

咄嗟にティグラの方へと振り返るが、意識を無くしているだけで自爆しそうにはない。

ほっとしてしまったが、それもナンバー12の後輩であるクイントさんに酷い話だろう。

結局何とも言えない顔を作りながら、二人へと視線を戻す。

 

「そう、か……。冥福を祈る。

兎に角、こっちも勝ったぜ」

 

 とティグラを指さすと、二人を引き連れティグラの元へと行く。

その途中で僕はさりげなくムラマサを拾っておいた。

自動送還機能を持つムラマサだが、ティグラが魔力行使不可能に追い込まれればその機能も使えない。

となればリニスさんが持って逃げる可能性もあると考えての事だ。

視界の端で何とも言えない顔をしているリニスさんを見ると心が痛むが、それでも僕はムラマサを手放さない。

 

「……う、うぅ……」

 

 と、丁度そこでティグラが目を覚ましたようだった。

これからこの我儘な女を管理局に連れていき、更に管理局の非正規部隊から守らねばならないと考えると、憂鬱な気分になる。

けれどそれが勝利の味であると言うのなら、案外悪い気がしないのだった。

僕は肩をすくめ、口を開く。

 

「さて、ようやく眠り姫のお目覚めか。

これからお前は管理局に逮捕される訳だが、身の安全は何とか俺達で保証してみせるから——」

「うぅん、違います」

 

 僕は咄嗟に、ティルヴィングを構えた。

バインドで拘束されている現状で何をするのか分からないが、ムラマサはロストロギアである、どんな不思議機能があるか分かったものじゃあない。

しかしそんな僕の反応が的外れだったのか、クスクスと笑ってからティグラが口を開く。

 

「くす、そういう意味じゃあないですよ。

ただ、この事件は……」

 

 ティグラがバインドで拘束された先の手首を回し、指先を天に向ける。

指先は、白い粒子となって少しづつ消え去ろうとしていた。

 

「私が死んで終わり、っていう事です」

「……え?」

 

 思わず、疑問詞が口から漏れた。

それはクイントさんとリニスさんも同じようで、疑問詞は3つ輪唱する。

 

「馬鹿な、一体何で……っ!」

「今までのムラマサの使い手の中には6人分の生命力ぐらい溜めていた使い手はいくらでも居ました。

それに6人分を超える生命力を誰かに分け与え、それをゆっくりと注がれる外部タンクのように設置した人もいくらでも居ます。

でも、私のように6人分もの生命力を一気に使おうとした人間は、居なかったんですよね」

 

 はっ、と気づいた。

それならばティグラの現状が理解できる説明が思いつくが、絶望的過ぎて考えたくない。

けれどティグラはそんな事気にせず、続きを口にする。

 

「そんな事を試してみたからでしょうね、過剰な生命力を込められた私という器は、空気を込めすぎた風船のように、壊れてしまったのです。

それでも人を切り続け、その生命力を吸い続ければ生きてはいけたでしょうが……、それも自由とは言い難い身。

結局私の求めた自由など、何処にも無かったと言う事ですか」

 

 掠れた声で言うティグラの瞳には、何一つ写っていないかのようだった。

先程まで狂気じみた精神力が宿っていた体には、覇気の欠片も存在しない。

生ける死体のようだ、と僕は反射的に思ってしまう。

信念の道先に求めた物が何も無かった人間は、こうなってしまうのか。

哀れむと同時、まるでこう言われているような気すらする。

お前も何時かこうなる、と。

 

「くそっ、最後まで足掻けよ、諦めるのかっ!?」

「はい、すいません、ウォルター君。

君の言葉で信念を見つけられたと言うのに……それを諦めてしまって、曲げてしまって」

 

 そう儚い笑みを浮かべるティグラは、既に肘や膝の辺りまで光の粒子となって消え去っていた。

思わず掴みかかりたくなるも、掴んだところから崩れてしまいそうな現状に僕は何もできない。

 

「それでも何でですかね、結構スッキリしているんですよ、私は。

勝負にも負けて、足掻く事も止めて、信念すら曲げて、それなのに。

何でだろうなぁ……」

 

 何処か遠くを見つめるティグラに、僕は何一つ、気休めすら言う事も出来なかった。

それはクイントさんとリニスさんも同じなのだろう、二人の言葉も何一つ聞こえない。

代わりに戦闘の後で荒くなった呼吸音だけが、その場に響くのみだ。

 

「あ、そうだ、最後に一つだけ、ウォルター君にお願いがあるんですよ」

「……何だ?」

 

 聞き返すと、まるで花弁の開くような、素敵な笑みを浮かべてティグラは言った。

 

「ムラマサを、破壊してください。

それには自動転生機能があります、このままでは私の死と共に新たな主の元に行ってしまう」

 

 表情とは打って変わって、淡々とした言葉だった。

なのに何処か人を従わせる力のような物があり、僕は頷いてしまいそうになるが、それをどうにか抑えて理由を聞く。

 

「……何故だ?」

「理由は、2つあります。

一つは、ムラマサが私から自由を奪う原因だったから。

もう一つは、ムラマサが戦闘経験の憑依という形で、私の人格を侵食し始めたからです」

 

 驚きすぎて、今度こそ言葉もでないぐらいだった。

そういえば、僕はムラマサの戦闘経験の付与について、どれほどの物であったか少しも知らなかったのだ。

成る程、経験の付与なんて言う物をされれば、人格に影響が出るのも分かる。

とすれば、今のティグラの行動もどれほどの部分がムラマサに影響されたのかどうかも分からないのか。

 

「人殺しが増えるから、なんていう綺麗事を言うつもりはありません。

私は、私の自由を侵食したムラマサがこれからも自由に人の手を渡っていくのが、許せないのです。

お願いします、ウォルター君」

「……あぁ」

 

 耐え切れず、僕は頷いた。

それから気づき、ふとリニスさんを振り返る。

彼女は一瞬目を見開き、それからムラマサと僕との間で視線を数回往復させたが、結局にっこりと笑って頷いてくれた。

それに感謝しつつ、僕はムラマサを逆手に持ち、地面に突き立てる。

 

「いけるか、ティルヴィング」

『イエス、マイマスター』

 

 カートリッジを使用、薬莢の跳ねる音を背景音に僕は全力でティルヴィングを袈裟懸けに振り下ろした。

 

「断空……」

『……一閃』

 

 キィィン、と甲高い音。

宙へ跳ね上がった柄側のムラマサが回転しながら落ちてゆき、最後には地面に突き刺さる。

それを見届けて、ティグラは口を開いた。

 

「……ありがとう、小さな英雄さん」

 

 それを最後に、ティグラは顔面まで白い粒子となって消えてゆく。

後には僕が作った、何重にもティグラを拘束していたバインドだけが残っていた。

 

 天を見上げる。

ボロボロの廃工場からは夜空が見え、星々が光っているのもまた見えた。

先程までは僕を祝福しているかのように見えたそれは、今は命の輝きの儚さを表しているかのように思える。

 

 一つ、流星が煌めいた。

まるでティグラの命が地に落ち燃え尽きる、その瞬間を表しているかのようで。

僕は目を瞑り、静かに彼女の冥福を祈る。

 

 酷い無力感であった。

僕は、勝った筈だった。

けれど僕は、救えなかった。

誰一人救われないまま、この事件……後にムラマサ事件と呼ばれる事件は、終わりを告げたのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「あー……」

 

 寝ぼけた声を出しながら、僕は目を覚ました。

腰を上げ、寝癖のついた髪をピョンピョンと跳ねさせたまま、目を何度か瞬く。

掛け布団を横にやって足を地面に下ろし、サイドテーブルのリモコンに手を伸ばし、テレビをつける。

普遍的な大きさの四角いテレビでは、今朝のニュースをやっていた。

 

「魔導師連続殺人事件、解決ねぇ……」

 

 テレビではムラマサを得たティグラによる単独犯とされており、ナンバー12の事は欠片も匂わせていなかった。

被害者の声だのに憂鬱な気分になりつつ、寝間着を脱いで洗濯カゴへ。

黒いシャツと黒いジーンズに着替え、顔を洗いに行く。

戻ってきてからトーストを焼き始め、冷蔵庫からハムの塊を取り出した。

眠気覚ましのコーヒーを入れ、誰も見ていない事を再確認してからミルクと砂糖を入れて口にする。

うん、やっぱり今の僕ではコーヒーのブラックは駄目だ。

少しづつ慣れなければ、と言う謎の使命感に燃えつつ、適当に野菜を刻んでサラダを作り、ドレッシングと共にダイニングテーブルまで持っていく。

切ったハムとトースト、ホットコーヒーを運び、朝食の準備ができた。

 

『何処がですか、ちゃんとトマトも食べなさい』

「……はーい」

 

 がくり、とうなだれつつ、トマトを切り分けサラダに追加。

代わりに、トマト味が少しでも薄れるように、と呪いの視線を送りながら多めにドレッシングをかけた。

無意味なのは分かっているけれど、毎日ついやってしまうのだ。

 

 テレビでは魔導師連続殺人事件の詳細を、小道具を交えて説明していた。

毒舌で知られるコメンテーターが管理局の対応の遅さを批判し、最初からSランク相当の魔導師を動かすべきだったと言っている。

それを聞き流しながら食事を続け、トマトも含めどうにか完食し、シンクに持って行きさっさと洗ってしまう事にした。

この事件に関する情報開示の少なさについてまで批判の声が続き、その辺りでアナウンサーが強引に話を切り上げてしまう。

 

「まぁ、そんなもんか……」

 

 それでニュースは他の事件へと移っていき、それを背景音楽としながら僕は食器を洗い終えた。

それからティルヴィングをセットアップし、体の状態を確認する。

断空二閃の負荷はあれから二日経った今でも残っており、訓練のペースも落とさざるを得なかった。

早朝訓練のできない現状に、焦りばかりが募っていくが、完治も近いと聞いたのでどうにか我慢できそうである。

 

『この分なら、明日には早朝訓練を再開しても良いでしょうね』

「そりゃあ良かったよ」

 

 肩をすくめながら、ティルヴィングを待機状態に戻そうとすると、ティルヴィングの宝玉が静かに明滅した。

 

「どうしたんだ、何か言いたい事でもあるの?」

『いえ、マスターはこの事件にどのような感想をお持ちなのか、まだ聞いていなかったと思いまして』

 

 僕は、即座に通信妨害・視認妨害などの数種の妨害結界を発動。

決して僕の喋る言葉が外の誰にも漏れないようにしてから、瞼を閉じ、静かに一連の事件の光景を思い浮かべた。

クイントさんとの出会い、ティグラとの戦闘、リニスさんの勘違い、ティグラに言葉が通じたと思った瞬間、店主が死んだと知った時、ティグラの狂気を知って、そして自分の孤独を再確認し絶望したあの時。

どれも鮮明で、まるで今それが起こっているかのように思い浮かべる事ができる。

僕はティルヴィングを待機状態に戻すと、ベッドに腰掛けてからまずはとクイントさんとリニスさんの現状に思いを馳せた。

 

 ナンバ−12との会話——と言っても、詳しい内容は知らないが——を聞いて、クイントさんは家族の事を大切にする事を改めて決意したらしい。

そんなクイントさんは、昇進してゼスト隊と言われるエリート部隊に移る事になったと聞く。

と言っても、その部隊は正義感が強く上層部との折り合いが合わない人間が多いそうだ。

本人曰く、厄介者は纏めておこうと言う事らしい。

それでも元気そうにしていたので、心配は要らないだろう。

 

 リニスさんは結局ムラマサを手に入れるという目的は果たせなかったが、それでも得る物はあったのだそうだ。

それが何かは知らないが、リニスさんはあのあと一日僕の部屋に泊まった後、僕の元を去っていった。

何処か希望に満ちた表情をしていた彼女の事だ、先日言っていたどうしたって両立できない事も、彼女ならどうにかできるのではないかと思う。

 

 ——そして、僕。

僕は民間協力者として事件解決に強く貢献したばかりではなく、そこに口止め料も入って、莫大な報奨金を得る事ができた。

これまでの賞金稼ぎも十分な収入だったが、それを遥かに上回る金の入り方である。

賞金稼ぎでのレベルアップが見込めなくなっている今、これからは管理局の介在するような大きな事件に民間協力者として参加すると言うのは、一つの魅力的な未来として考えられた。

少なくとも、賞金稼ぎよりはUD-182の目指していた姿に近づく事だろう。

とまぁ、そんな風に未来の展望はできたのだけれども。

 

「——今回の僕は、誰一人救えなかった」

『ノー、マスター。貴方はティグラがこれから殺すはずだった人間を救った筈です』

「……そりゃ、そうだったな。

それじゃあ言い直すよ、僕は全員を救えなかった」

 

 今度こそ、ティルヴィングは僕の言葉を否定しなかった。

当たり前だ、ティグラもナンバ−12も死んで、僕が介入してから7人もの被害者が出てしまったのだ、全員を救ったなどと誰も言えないだろう。

けれど、ティルヴィングは鈍く明滅して言った。

 

『しかし、今回の事件は、根本的に全員が救われる事はできない事件だったのでは』

「そうかもしれないな、だけど——」

 

 瞼を閉じ、僕は思い描く。

ティグラが己の信念に気づいた上で普通の生活に戻り。

ナンバー12が再び店主と夫婦として一緒にくらし。

死人は誰も出ず、誰もが自分の信念を見つける事ができる。

そんな未来など存在しない、分かっている。

けれど。

だけれども。

 

「UD-182だったら、何とかできていたかもしれない」

 

 多分、これは過剰評価なのだと分かっている。

狂信に近い、間違った思いなのだと分かっている。

けれど、紛い物の僕でさえここまでできたのだ、本物の彼ならばもっと多くの人を救えたかもしれない、と思ってしまうのだ。

 

「例えば僕がティグラの事をもっとよく分かっていたのなら。

今からでも元の生活に戻ろうとする事が、元々選択していた普通を選ぶ事こそが、最も自由だと説得できていたのかもしれない。

UD-182なら、アイツなら……二戦目の僕のようにティグラの心を取り違えず、真のティグラを見抜けていたかもしれないんだ」

 

 後悔は胸に重く、まるで体が鉛になってしまったかのようだった。

憂鬱さが体から活力を無くし、瞳から力が抜けていくのが分かる。

 

「本物のUD-182は、今の僕よりももっと完璧だった。

僕はもっと、完璧を目指さねば……ならない」

『了解しました。マスターは、完璧を目指さねばなりません』

 

 そうやってティルヴィングに復唱してもらうと、僕は自分で言い聞かせるだけでなく、誰かが僕に言い聞かせてくれるかのように思える。

勿論、それは錯覚だ。

それに本物のUD-182でさえ完璧とまで言える程だったかは、分からない。

何せ僕らは“家”の中で培養される身だったのだ、事件など僕らが外に出ようとして起こすぐらいしか起きなかった。

必然UD-182の精神的な実力を見る機会も少なく、解決できた規模も小さい物である。

それではUD-182が完璧であったかなど、分からない。

 

 でも。

だけれども。

 

 こうやって完璧な存在が何処かに居て、それを僕が真似ているのだと思うと、こう思えるのだ。

何時か僕も、こんな悲劇を解決できるようになれるのではないか、と。

こんな悲劇を無くす事ができるのではないか、と。

それは小さく純粋な子供が夢見るような事。

僕のような、絶望に囲まれ自分の価値を信じられない子供が見る夢ではないと、分かっている。

分かっていても、想いたかった。

僕は完璧になれるのではないか、と言う妄想を。

 

「…………」

 

 黙しながら、僕は窓の側へと歩み寄る。

窓を開けて、窓枠に腰掛け、僕は空を見上げた。

目も覚めるような青に、白い雲。

旅立ちの時と同じ、青空。

UD-182の墓と、同じ青空で繋がっている場所。

視線を回し、誰も僕を見ていない事を確認した後、僕は防音結界をはり、言った。

 

「僕は……もっと君のように、完璧になってみたい」

 

 僕は、UD-182に対して話しかけていた。

届かぬ言葉と分かっていても、胸にあふれる想いが言葉となって出てきてしまうのだ。

だから僕は、続ける。

 

「君のくれた誰もの心を動かすような炎だけではなく……誰かを悲劇から救えるような、力も欲しいんだ」

 

 僕は、何時かUD-182がやったのと同じように、そして僕がリニスにやってみせたように、天に向け掌を掲げた。

震えるほどに力を込めて、それを眼前にまで下ろし——、握り締める。

爪が皮膚に食い込み、血が滲む程に力を込めて。

 

「掴みたいんだ、求める物を。

それを、絶対に諦めたくないんだ」

 

 それが不可能な事ぐらい、僕にだって分かっている。

それでも僕は、その力を掴んで見せたい。

UD-182の言葉に後押しされながら、僕は言った。

 

「許して……くれるかな」

 

 蒼穹は静かに言葉を吸い込み、そして変わらぬ表情を見せるばかりであった。

当たり前の現実に、僕はそれでも表情を柔らかくして、窓枠から部屋の中へと戻る。

返事は無い。

けれど、僕の胸の中のUD-182は笑っているかのように思えて……。

僕は静かに微笑んだ。

 

 

 

 

 



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第二章 黄金期編・前 PT事件 新暦65年 (無印)
2章1話


 

 

 

 リニスは結局何もできなかった。

本当に何もかと問われればまた違う答えが出るが、まず第一声で言うならそうなるだろう、とリニスは思っている。

何故ならリニスは、ウォルターの言葉を受けて見た希望を、何一つ達成できなかったからだ。

プレシアとの会話を意識してしようと努力したけれど、プレシアの心を動かすどころか、彼女が本当にフェイトに対して嫌悪以外の感情を持っているのかどうかすら分からなかった。

フェイトとプレシアの接点を増やそうにも、真実を知るプレシアは少しでもそんな様子を見れば凄まじい表情でリニスを睨んだし、フェイトはそれを怖がった。

 

 せめてもの救いは、フェイトに対し話すことのできる外の世界の話ができた事か。

リニスはフェイトとアルフに請われるまでもなく、よく時の庭園の外の世界の事を語った。

ウォルターとの出会い、陽気な店主、ムラマサを持った殺人鬼、そして何よりウォルターの言葉で心動かされる自分。

流石に血なまぐさい内容やティグラの狂気、二人の犯人の最後はぼやかしてながらの話だったが、フェイトとアルフは何時も目を輝かせながらリニスの話を聞いてみせた。

語るリニスも楽しく、休憩時間を逸脱しそうになってしまう事もある程であった。

 

 フェイトはウォルターに仄かな憧れを持ったようだった。

——だって、そんなに人の心を奮わせる事のできる人なら、母さんの心の栄養になれるかもしれないから。

そう言ってはにかみつつ、フェイトはウォルターへの憧れを語った。

言われて、リニスは確かにそれができるかもしれない、と思うようになる。

ウォルターのあの胸の奥が燃え盛るような言葉を、借り物とは言えフェイトに与えられたら。

そうしたら何時しか来る真実との直面の時、フェイトの言葉がプレシアに届く為の一要素となるかもしれない。

そうでなくとも、プレシアの言葉に心折れたフェイトの事を、支える一助となるかもしれない。

何もできない自分だけれども、せめてウォルターの言葉の持つ炎をフェイトに伝えよう。

そう考え、リニスはフェイトにウォルターの言葉を聞かせながら、無能な自分を呪い最後の時間を迎えた。

 

 使い魔は主との契約が切れた場合、即刻死に至ると言う訳ではない。

残る魔力が徐々に消費されていき、それが零となった瞬間に死ぬのだ。

なので当然、リニスも契約を解除されてすぐに死ぬ訳ではなく、せめて消え行く自分をフェイトに見せない為に隠れる時間ぐらいはあった。

場所は、フェイトのデバイスであるバルディッシュを作った工作室。

椅子に腰掛けながら、リニスはゆっくりと最後を待とうとして。

彼の言葉が頭を過ぎった。

 

 ——求める物が手に入るまで、決して諦めるな。

 

 爆炎がリニスの心を燃やした。

興奮で体温が上がり、汗が拭きでて、四肢に思わず力が入る。

目は見開かれ、歯は噛み締められ、痛いぐらいに活力が回った。

そうだ、このままただ座して死を待つ訳にはいかない。

そうやって諦める事は、あのウォルターの炎を分け与えられた生命として、やってはならない事だとリニスは直感した。

けれど魔力が無く、寿命があと僅かしか無いのは事実。

ならば運否天賦に賭けて、スリープモードで醜くも生き長らえる事の方が重要ではないか。

そう考え、急ぎリニスは数年は見つからないだろう場所を探し隠れ、そこでスリープモードになって眠りについた。

 

 それでも僅か数年で、魔力は底をつきそうになっていた。

みっともない悪あがきですらも、後10日もすれば完全な魔力切れ、死の時だ。

使い魔として主の為に死を厭わぬよう作られたリニスは然程死への恐怖と言う物は無かったが、それでもリニスの脳裏には走馬灯が見えた。

その中で大切なのはフェイトだったし、幸せにしたいのはプレシアだったけれど。

最も鮮烈だったのは、矢張りウォルターだった。

そんな思い出の中でも、リニスが久しく思い出した一言が思い起こされる。

 

 ——それでももし、力足りず、求める物を手に入れる事ができなくなりそうだったら……。

リニス。俺に、助けを呼んでくれ。……絶対に、駆けつけてみせるから。

 

 最早リニスには、それしか縋るものがなかった。

残る魔力の半分程を使い、この次元世界の何処かに存在するウォルター目掛けて、念話を発信する。

 

(——ウォルター。お願いします、貴方の手でプレシアとフェイトを救ってください——)

 

 念話の魔力が次元世界に吸い込まれていくのを見る事なく、リニスは再び意識を手放した。

 

 

 

 ***

 

 

 

「……い、胃もたれがするぞ……」

『マスターには前回も進言していますが、あの大食いに付き合う必要なんて全く無いですよ』

「いやさ、そうなんだけど……」

 

 と、僕はティルヴィングから視線をそらす。

僕の部屋から見る外の景色は相変わらず近くの古いビルが見えるだけで、身を乗り出さないと空など見えはしない。

相変わらずのカビの生えたコンクリートにため息をつきつつ、僕はベッドに倒れかかった。

 

 2年半前、僕は世間に言うムラマサ事件の解決に関わり、それを皮切りにして、僕は主に勘を持ってして大事件に関わるようになった。

時には民間協力者として管理局に協力したり、時には管理外世界をふらついているときにロストロギアを見つけたり。

僕はこの2年半で、クラナガンのニュースに流れるぐらいの事件を7つも解決する事になった。

魔導師としても成長し、僕は次元世界でも有数の大魔導師の一人として数えられる事になっている。

有名所のフリーの魔導師としては最強と言っても過言ではないだろう。

まぁ、フリーの魔導師は強くても無名な場合が多く、有名なのが珍しいだけ、とも言うのだけれども。

 

 そんな僕だが、利害関係の絡まない人との関わりは、出来る限り絶っている。

何故なら、限りなく自由に動ける必要のある僕には、人質として使える人間と言うのは邪魔にしかならないからだ。

UD-182ならそんな事関係無く広い人脈を築いているのだろうが、所詮紛い物でしか無い僕には、そこまではできない。

……いや、それも言い訳か。

何処まで行っても仮面でしか誰かに接する事のできない僕は、誰とでも素の心を見せた付き合いと言うのができない。

それでも尚人と付き合いを持つと言うのが、酷く傲慢で卑劣な行為であるように思えるのだ。

 

 そんな僕の限られた対人関係の一角を占めるのが、クイントさん達、ナカジマ一家だった。

あの事件から一年ほど経ってから家に呼ばれるようになり、最初は旦那さんと何とも言えない空気の中で過ごした。

そして二回目、先日の事である。

ナカジマ家に行くと、なんと二人程家族が増えていた。

それには流石に吃驚し、サプライズ成功、とか呑気に言っているクイントさんに文句の一つ二つ言ってやりたかったが、なんとかそれを我慢。

人見知りする二人に気を遣いながら過ごしたのだが、それは午前中のうちぐらいだった。

何故か二人ともが僕に懐いてしまい、姉のやんちゃなギンガだけでなく、妹のおとなしいスバルの方にまで僕は遊び倒された。

口には決して出さなかったが見目と比べて恐ろしく体重のある二人で、僕の方が軽いぐらいだったので、そのパワフルな遊びに付き合うのに魔力まで使わされてしまった。

加えて夕食の席にも参加させてもらったのだが、クイントさん含め三人の食う事食う事。

一度目もクイントさんに釣られて胃もたれしそうなぐらい食ってしまったのだが、その反省を生かせない結果となってしまった。

 

 さて、僕は“家”を出てからティルヴィングの指導で勉強を続けている。

魔導師としては博士号も取ろうと思えば取れるぐらいに納めてきたし、一般教養もそれなりに身につけている。

何が言いたいかと言うと、子供ができないと言うクイントさんに、コウノトリがいきなり赤子を運んできたりしないと知っている、と言う事だ。

かと言ってギンガとスバルはクイントさんと瓜二つの姉妹であり、無関係の子供と言うには頭をひねる部分がある。

そしてギンガとスバルの足音、関節の駆動音、見目に合わぬ体重。

裏に何かあるのは悟ったが、タイミングが無かったのか、クイントさんにはその詳細を語られぬままであった。

まぁ、何かあれば向こうから言ってくるだろう、と、そんな風に考えつつ何とか疲労を見せないでギンガとスバルの相手をし終え、帰宅した。

 

「あの二人、仮面が外れないかと言う意味では、ティグラ並の強敵だったかもしれない……」

『大袈裟です』

 

 とティルヴィングは言うが、「食べないの?」とでも言いたげにこちらを見る二人の目は、本当に強敵だった。

UD-182ならどうしただろうか、と思うも、UD-182が年下の子と会話している場面が思い浮かばない。

そういえばアイツは男子のボスと喧嘩ばっかりしていたから、年下の子とは巻き込まない為に滅多に会話しなかったんだっけか。

と、そんな風にUD-182の事を思い出すと、連鎖的にムラマサ事件の最後に誓った事を思い出す。

 

「完璧になる、か……」

『はい。マスターは完璧を目指さねばなりません』

 

 何時かと同じ文句がティルヴィングから発せられるのに、憂鬱な気分になった。

あれから7つもの大事件に関わった僕だが、結局の所、全員を救えた事なんて一度も無かった。

そもそも原理的に全員を救う事が不可能な事件もあったが、いくつかの事件は奇跡が起きれば全員が救われる事になった筈である。

なのに僕は、全員を救う事などできなかった。

当たり前といえば当たり前だ、奇跡などそうそう起こるものじゃあないから奇跡と呼ぶのだ。

奇跡が起こらない事に憤るなど、馬鹿みたいな行為に違いない。

そう分かっている筈だけれども、蒼穹に一人で放った言葉とはいえ、UD-182に誓ったつもりの言葉を守れていない事に心が痛む。

勿論分不相応で無理な約束まで履行する必要など無いのだけれども、一度そうやって妥協してしまうと、何から何まで妥協してしまいそうで怖い。

 

「次だ……、次こそ誰も犠牲にせず、救わなくちゃ……いけない」

『了解しました、マスター。

次こそマスターは、誰も犠牲にせず救わねばなりません』

 

 こうやってティルヴィングが復唱しているのを聞くと、自分の言葉を外から言われるようで心が重くなる反面、他に思う事がある。

と言うのも、ティルヴィングが『どうです、役に立っているでしょう』と胸をはっているようで、微笑ましくなってくるのだ。

勿論まだまだ機械じみたティルヴィングにそんな感情など無いのは分かっているが、それでも、である。

何となく嬉しくなって、何時かみたいに僕はティルヴィングに軽くでこピンをし、胸元で揺らした。

 

 その瞬間である。

背筋が凍りつくような戦慄。

 

「ティルヴィングっ! 念話受信最大っ!」

『了解しました』

 

 咄嗟に勘が命ずるままにティルヴィングに命令。

セットアップしフルスペックを発揮できるようにしながら、全力で僕へ向けての個人念話を受信しようとする。

額に汗が滲み、力み続けた両手が限界を迎えそうになった頃、僕の耳にこんな声が聞こえた。

 

(——ウォルター。お願いします、貴方の手でプレシアとフェイトを救ってください——)

 

 声の主は、リニスさんだった。

思わず目を見開きつつも、手は冷静に動き、声は録音、魔力パターンの波形も記録しかつてのリニスさんと照合をしている。

結果は一致、これが確かにリニスさんから着た念話だと分かった。

短く、ティルヴィングに告げる。

 

「ティルヴィング」

『逆探知はできています』

「ナイスだ」

 

 肩をすくめると、ティルヴィングの示すデータを目にする。

リニスさんの送信元は相当遠くの次元空間からの送信であった。

恐らくは次元航行艦か、次元航行施設かがそこにあるのだろう。

ならばとりあえずは近くの次元世界に降り立ち、それから探索するべきか。

そう考え、僕はその世界の名を口にする。

 

「第九十七管理外世界、地球、か……」

 

 リニスさんの声には、今までに聞いたことのないぐらいの必死さが垣間見えた。

これは急がねばならないだろう、と違法スレスレの手段を取る事を決意し、僕は早速転移ポートへと向かう事にするのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 高層ビルにアスファルトの大地。

かと思えば適度に作りこまれた自然がところかしこに配置されており、無機質一辺倒の街と言う訳でもなく。

滅茶苦茶な人の多さに、僅かな汗や香水の匂いに混じって、心地良い潮の香りがする。

僕の降り立った地球の街、海鳴はそんな感じの、中々良い街であった。

と言っても、僕がこの街に来たのは、前回地球に転移してきた人が海鳴に来ていたので、何となくその通りにした方が良さそうに思えただけなのだが。

 

 僕はこの街に、拠点を作り、サーチャーでリニスの念話発信位置を確かめるまで、リニスの関係者と出会えないかどうか探してみる為に来た。

と言うのも、念話の逆探知は個人でやると、多少の誤差はあるものなのだ。

いくら僕が強くとも、次元空間内に放り出されれば即死である。

焦りは募るが、流石にそんな命を投げ出すような行為はできず、今の状況に甘んじている形となる。

が、当たり前だが、数時間経ってもまだ手がかりの欠片も手に入っていなかった。

 

(元々勘頼りとは言え、結構無謀だったか……?)

『何時もの事です』

 

 と、何時もの機械音声で言うティルヴィングに、でこピンで返す。

ムラマサ事件で優れた情報源を無くした僕は、それからかなり勘頼りの捜査をしてきたのだった。

今となれば少しは情報源となるコネもあるが、それまでは取っ掛かりですら勘で探していたので、最初の頃はやたら大変だったのを覚えている。

その経験が勘を更に磨いたと考えれば、というかそう考えないとやってられない作業だった。

何の目的もなく街中を歩きまわり、何の成果もなく家に帰ってきては憂鬱な気分で、今日は鍛錬しておけば良かったのかなぁ、と思う事もざらにあったし。

まぁ、その作業で地形把握した事が後に役立つ事もあったので、完全に無駄では無かったのだが。

 

(まぁ、愚痴言わずに探しに行こうか)

『イエス、マイマスター』

 

 ティルヴィングとの念話を終えると、僕は背を柱から離し、歩き出す。

ショーウィンドウに映る僕が、視界の中に入った。

視界の中の僕は2メートル近い長身を持ち、全体的にやや筋肉質な男として映る。

そう、僕は変身魔法で20歳ほどの自分に変身していた。

と言うのも、この次元世界では平均的な就業年齢が約22歳と、ミッドより遥かに高いのである。

今年10歳になる僕がうろついていれば、当然現地の治安機関に捕まり、学校はどうしたの、とか聞かれる事になるのだろう。

いや、僕はミッドでも学校に通った事が無いので、これはこの世界特有の問題と言う訳じゃあないのだが……。

それは兎も角として。

 

 そんな訳で僕は、地球について以来変身魔法を使いながら行動していた。

違和感バリバリな上リーチが違いすぎて、戦闘行動は不可能だが、お陰で何の問題もなくホテルを取る事ができた。

と言っても、勘がどう囁くのか分からない現状、とりあえず3日分だけ宿を取らせてもらった。

リニスさんがこの付近の次元空間に居る以上、何の弾みでこの世界を離れる事になるか分からない事だし。

 

 暫く歩いた僕は、ふと魔力の波動を感じたような気がして、通行人の邪魔にならないよう端に寄りつつ辺りを見回す。

時は既に夜。

濃紺の夜空には星々が輝き、ビルはネオンに彩られ種々様々な色に染まっている。

何も起きていないか、と思った、その瞬間であった。

金属質な、高音。

橙色の魔力光の柱がビルの屋上からそびえ立ち、暗雲を呼び起こす。

 

『魔力流を打ち込んでいるようですが……一体何故?』

「分からないが、兎に角……」

 

 行ってみよう、と言おうとした瞬間である。

広範囲に魔力が発せられたかと思うと、世界が薄紫色に染まってゆく。

咄嗟に僕もティルヴィングを手に抵抗魔法を発動、すると僕らを取り残して雑踏の人々が消えてゆくのが分かった。

封時結界である。

時間信号をずらし現実世界に影響を与えない空間を作り出す魔法であり、魔法戦闘を非魔法文明から隠蔽するのによく使われる魔法だ。

とすれば、魔法戦が起こる可能性がある。

 

「行くぞっ、ティルヴィング!」

『セットアップ・レディ』

 

 僕は即座にティルヴィングをセットアップ。

黒尽くめだった服装からまた黒尽くめになる、と言う地味な変身を終え、変身魔法を解除、その場を飛び立った。

するとすぐに、どくん、と何かが脈動するのを感じる。

直後発動した何かが青い魔力光を天空に向けて伸ばした。

おおよそAランク相当の魔力がそこから溢れだし、無秩序に暴れまわる。

だが、それはただ暴れまわっているにしてはどこか人工的な感じがし、魔導師による物とは考えられない。

 

 ロストロギア、だろうか。

僕のこれまで関わってきた大事件は、多くがロストロギアが関連する犯罪であった。

ロストロギアはいずれもその魔力量に比さない不思議な効力があるものばかりで、どんな危険があるのか簡単には分からない。

例えばあのムラマサとて、現在の技術ではただのオーバースペックなデバイスとしか解析できないのだ。

今度もどんなロストロギアだか分からない、と緊張を途切れさせずに空を飛び、青い光柱の周辺までたどり着いたと思った所で、である。

突然、二箇所で莫大な魔力が湧き上がった。

 

『AAAランクの魔力です』

 

 ティルヴィングの言う通りの巨大な魔力を用いて、封印魔法が放たれる。

桜色と黄金の二色の光線が青い光柱の根本に突き刺さった。

それらは同時に着弾、直後光線は極太のビームになって突き刺さる。

流石の僕でも、無防備に食らえば一発で落とされそうな威力である。

その中心にあるだろうロストロギアが、可哀想になってくるような光景であった。

 

 さて、相手がAAAの魔導師が二人ともなると、僕としても用心せねばなるまい。

魔力量は二人合わせても僕以下だが、技術的に後塵を拝する可能性がある以上、あまり余裕ぶっていると負ける可能性がある。

発散魔力の関係で魔力的感覚で見つかりやすい飛行魔法ではなく、隠蔽性を重視し身体強化魔法でビルの屋上を伝っていった。

夜空に、桜色と黄金の魔力光が交錯する。

桜色の魔導師の魔法は何処かぎこちなく荒い感じの魔法であるのに対し、黄金の魔導師の魔法は洗練されており、高等な教育を受けてきたのだろうと想像させる物だった。

まぁ、ビルの間から飛んでくる魔法でしか判断できないので、実物を見ないと何とも言えないが。

内心で黄金の魔導師に要注意のチェックをつけつつ、僕は近くのビルの屋上へと到着する。

 

(……子供だなぁ)

『体格からするとマスターと同年代、誤差は2年程でしょう』

 

 思わず漏らした感想通り、交錯する二人の魔導師はどうも僕と同年代のようだった。

一人は桜色の魔力光の白い魔導師。

茶色い髪の毛をリボンでツインテールに纏め、瞳は青く、何処か力強さを感じさせる。

服装は白を基調とし青いポイントの入った物。

デバイスはオーソドックスな杖型だが、パーツがやたら高級っぽいのでワンオフ物かもしれない。

一人は黄金の魔力光の黒い魔導師。

金髪をこちらも黒いリボンでツインテールにしており、瞳は赤く、澄んだ感じの瞳だ。

服装は黒いレオタードに黒いマントと装飾過剰。

デバイスはミッド式には珍しい、魔力刃を用いて近接戦闘もできるような、斧だの鎌だのに変形する物だった。

しかしそれにしても、同年代の高ランク魔導師と出会うのは、何気に初めてである。

これまでとは違う意味での緊張感が湧き出てくるのを、僕は感じた。

 

(どど、どうしよう、ティルヴィング)

『何がですかマスター』

(僕、同年代の子に向けて、どうやって演技すればいいのか分からない!)

 

 事実である。

というか僕は初めて同年代の子と話したのは、ギンガとスバルと出会った時、つまり昨日だった。

それまで一応脳内でマニュアルを作り暗記してはいたものの、パワフルな彼女らに僕は押されっぱなしだった。

それでも何故か尊敬は得られたようだが、僕が思うにそれはクイントさんから事前に僕の話を聞いていた事が大きいだろう。

とすれば、僕がまっさらな状態から同年代の子と向かい合うのは、これが初めてと言う事になるのだ。

 

『どうって何時も通りで良いのでは?』

(でも、UD-182が年下の子にどう見られていたかなんて、よく分からないし……)

『マスター自身がその例では。

と言うか、マスターから聞いた情報から申しますと、UD-182が年上からどう見られていたかもよく分からなかったのでは』

(…………あ)

 

 その通りだった。

僕って馬鹿なのではないだろうか。

ちょっと本気で落ち込みつつも、何とか心を整理。

元々最初に仮面をつけて話したのは何の情報も無い年上相手、ならば同年代相手でも行けるはず。

多分。

きっと恐らく。

と、そんな風に次第に弱気になっていく心に鞭打ち、僕はどうにか二本の足で直立。

とりあえず二人の戦いに介入しようと思った、その瞬間であった。

 

「——……っ!」

 

 背筋が凍りつくような戦慄。

即座にティルヴィングから薬莢を排出、全開の魔力で高速移動魔法を発動する。

光の線分となる視界の中心、先程まで青い光柱を立ち上らせていた宝石だけが原型を保ったまま拡大された。

が、目的はそれではない。

僕は宝石の寸前に到着すると同時、ティルヴィングで二人の魔導師のデバイスを打ち払う。

 

「にゃっ!?」

「わっ!?」

 

 悲鳴を上げながら吹っ飛んでいく二人を尻目に、僕はすぐさまティルヴィングを宝石に当てる。

 

「ティルヴィングっ!」

『了解、収納します』

 

 と、ティルヴィングのデバイスコアが明滅。

数字の刻印された青い宝石を、コア内部に収納する。

ようやくの所胸騒ぎが収まった僕は、静かに二人へ向けて振り返った。

無言で杖を向ける、二人の魔導師。

 

「やれやれ、嫌な予感がしたんで介入させてもらったんだが……。

お話から、って雰囲気じゃなさそうだな」

「えっと、私はそれでもいいんだけど……」

 

 と言う白い魔導師は比較的柔らかな態度だが、それでも何処か表情が硬い。

黒い魔導師に至っては消えていた魔力刃を再展開、攻撃の準備にすら入る。

空気を読めと言われているような視線に、内心でいたたまれなくなる僕。

これじゃあ尊敬どころかただのウザイ相手である。

が、UD-182も時に人を苛立たせる事だってあったのだ、これぐらい乗り越えてみせなくて、何が彼の志を継ぐだろう。

そう内心で奮起し、僕はどうにか口元の不敵な笑みを崩さずに保った。

それからこちらも、ティルヴィングの排気口から魔力煙を排出。

攻撃の準備をしつつ、念のため口を開く。

 

「念のため、戦闘に入る前に聞いておくが……、二人とも、俺の言う名に聞き覚えはあるか?

リニス、フェイト、プレシアの三人なんだが」

 

 あまり期待しないで言った台詞だが、反応は劇的だった。

白い魔導師は目を見開き、黒い魔導師は目を見開くどころか武器を下ろし、口をぽかんと開く。

どちらからも反応が無くなってしまったので困っていると、緑と橙色の魔力光。

ベージュの毛並みのイタチとオレンジ色の狼がこちらにやってくる。

 

「なのは、ジュエルシードはどうなったの!?」

「フェイト、どうしたんだい、あいつは一体!?」

「……へ?」

 

 オレンジ色の狼は、フェイトと黒い魔導師に向けて言ってみせた。

流石にあっさり行き過ぎな展開に目を見開き、恐る恐る黒い魔導師へと視線をやると、こくん、と頷いてみせる。

 

「あの……私がフェイト、フェイト・テスタロッサ。

貴方はその名前を何処で?」

「ああ、スマン、自己紹介もまだだったな。

俺の名はウォルター・カウンタック。

リニスさんとは以前の知り合いでな、あいつから名前を聞いていたんだが……」

「あ、貴方があのウォルター!?」

「えぇっ!?」

 

 と、再び驚いてみせるフェイトと、オレンジ色の狼……恐らくアルフ。

リニスさんが話したのかな、と納得しつつ、続けて僕は口を開く。

 

「今リニスさんは何処でどうしているんだ?」

 

 と、フェイトの表情が完全に固まった。

すぐに鋼の表情で感情を覆い尽くすが、分かりやすい子である。

しかしリニスさんが何か危うい状況にあるのは、彼女が僕に助けを呼んだ事で分かっている。

ならば次なる情報を、と続ける僕。

 

「昨日、俺はリニスさんから念話で助けを呼ばれてな。

一日かけて、その発信源を辿り近くにある次元世界の此処に来たんだ」

「え……?」

「何だって!?」

 

 目を見開く二人に、頷き続きを口にしようとするのを、アルフに遮られる。

 

「待ってよ、そんな事ありえない!」

「ん? あぁ、リニスさんが年下に頼るなんて、よっぽどの事が……」

「違う! リニスはもう……2年近くも前に死んだ筈なんだよ!」

「……へ?」

 

 思わず、目を瞬く。

ニネンチカクモマエニシンダハズナンダヨ?

頭の中でアルフの言葉を数回咀嚼、ようやく意味を理解する。

膝が崩れ落ちそうな絶望感が僕を襲った。

リニスさんは、クイントさんと同じく僕の数少ない利害を超えた友人であった。

少なくとも、僕の方からはそう思っていた。

そのリニスさんが、死んだ?

頭の中を暗雲が占めたかのようだった。

吐き気がし、体が震えそうになるのを必死で抑えなければならない。

駄目だ、このままでは仮面が外れてしまう。

念話が2年近くも遅れて届くなんて事は想像し難いと言う事実により、何とかリニスさんが死んだかもしれないと言う事実から目をそらしてみせる。

顎に手をやり首を傾け、僕は口を開いた。

 

「……嫌なことを聞くが、お前たちはリニスの消える瞬間を見たのか?」

「……ううん、リニスは誰もいない所で最後を迎えたいと、そう言っていたから……」

「ならそれからスリープモードにでもなって生きながらえたって方が、念話が2年近く遅れて届いたってのより信憑性があるな」

 

 言ってみると、意外と納得できる話であった。

何とか絶望から逃れられた事に安堵すると同時、僕の胸には悲痛な痛みがあった。

結果的に合理的な判断だったとはいえ、僕は数少ない友人の生死よりも自分の仮面が外れない事を優先したのだ。

相変わらず僕は最低で、それに反吐が出そうな気分になるが、何とか飲み込み堪える。

 

「リニスが最後を迎えようとしていた所まで、連れて行ってもらえないか?

あいつの助けになりたいんだ、頼むっ!」

 

 勢い良く、頭を下げる僕。

それにデバイスを胸に抱えつつ、ひと通りあたふたとした後、フェイトは答えた。

 

「分かった、代わりに……、さっきの青い宝石、ジュエルシードを私にくれるなら構わないよ」

「ああ、そんな事でいいなら、勿論やるよ」

『排出します』

 

 と、僕は迷いなくジュエルシードとやらをフェイトに渡す。

勘は小さく警笛を鳴らしていたが、同時にここで拗れたらリニスさんの命が危ないと言う感覚もあった為だ。

僕と同じようにしてフェイトがジュエルシードをデバイスに収納すると同時、黙っていたベージュ色のイタチが叫んだ。

 

「待て、そのロストロギア、ジュエルシードは危険な物なんだ!

一体それをどうするつもりだっ!」

「……ウォルター、一旦私の拠点に場を移さない?」

「そだな、此処だとちょっと邪魔が多いし」

 

 と、僕とフェイトとアルフは一箇所に固まり、フェイトが転移魔法を発動する。

 

「あぁっ、逃げられる! なのは、なんでもいいから攻撃を!

転移魔法を中断させないと!」

「ふにゃっ!? う、うん!」

 

 所在なさげに足をブラブラさせて頬を膨らませていた少女は、即座にデバイスを構えた。

足元に桜色の円形魔方陣を展開、自身を空間固定しつつその杖先に魔力を集める。

砲撃魔法の準備と一目で分かる光景であった。

迎撃の為にアルフが前に出ようとするが、僕はそれを遮る。

怪訝そうな目で僕を見る彼女に、僕は肩を竦めて答えた。

 

「大口叩いたんだ、少しは役に立つって所を見せたいんでな。

任せてもらえるか?」

「あー、まぁいいけどさ、あの子の砲撃は強烈だよ?」

「大丈夫大丈夫」

 

 ひらひら手を振りながら前に出ると、その様子になのはと呼ばれた少女は井桁を作りながらトリガーワードを叫ぶ。

 

「行くよっ! ディバイン……」

『バスター』

 

 極太の桜色の魔力が、光線となりこちらに押し寄せた。

が、こちらとてこの2年半、遊んでいた訳でも無い。

砲撃魔法の一つぐらい、僕だって憶えたのだ。

 

「ティルヴィング」

『了解。パルチザンフォルムへ変形。突牙巨閃、発動します』

 

 二股の薙刀と化したティルヴィングの切っ先に、白い魔力光が集中。

僕の足元に白い三角形の魔方陣が形成され、次の瞬間、こちらからもまた極太の白い光線が放たれた。

ドリルのように回転しつつ発射された桜と白の光線は、僕と少女の中間で激突。

数秒の拮抗の後、互いに互いを爆散、掻き消える。

 

「って、互角かよっ!?」

「ベルカ式で砲撃、しかもなのはと互角っ!?」

 

 感じる魔力は僕の方が上なのだが、砲撃魔法自体の練度が違うのだろう、僕の砲撃と少女の砲撃は互角であった。

というか、最後ちょこっとだけこっちに抜けてきたような気さえする。

しかしいくら僕のスタイルが近接で遠距離が補助程度とは言え、魔力量が倍以上差のある相手に負ける事になるとは。

内心凹み、今にも両手を地につきそうなのを、必死で隠して不敵な笑みを作る。

 

「中々強かったぜ。じゃなっ!」

 

 手を振り少女に挨拶をすると、フェイトの転移魔法が発動。

僕ら三人は黄金の魔力光に紛れ消えていくのであった。

 

 

 

 

 



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2章2話

 

 

 

「あ、う……」

(がんばれフェイトっ!)

 

 フェイト・テスタロッサはガチガチに緊張していた。

ウォルターを連れて帰宅する途中に、基本的に特定の時間帯にしか時の庭園に帰れず、今は恐らく転移魔法の妨害結界が貼ってある事を説明。

ウォルターから感じる超常の魔力ならばそれを破れるかもしれないだろう。

だが帰還予定が余程遠かったのなら兎も角、元々翌日の午前中には一旦時の庭園に帰宅するつもりなのだ。

ウォルターの感覚からすると後数日でリニスの命が危なくなると言うぐらいらしいので、半日程の遅れであれば許容範囲だ。

更に言えば、無理やり結界を破ればプレシアは傀儡兵を出してきてしまい、収集がつかなくなる恐れすらある。

よってウォルターは、翌朝フェイトと共に時の庭園に向かう事になった。

そう、つまり今夜は、ウォルターがフェイトの部屋に泊まる事になったのだ。

 

(わ、私変な格好じゃあないかな、アルフ……)

(大丈夫、フェイトにバッチリ似合ってるって!)

 

 黒いワンピースを翻らせながら、鏡の前で何度も自身の姿を確認するフェイト。

ちょっと待ってて! とウォルターをマンションの部屋の前に置き去りにして早数分。

フェイトとアルフは大急ぎで埃っぽかった部屋を掃除し、身支度を整えていた。

何せ相手はウォルター、ウォルター・カウンタックなのだ。

小さい頃リニスに請うて何度も英雄譚を聞かせてもらった、あの実在する英雄なのだ。

変な格好をして迎え入れる事なんてできないし、何時もの無精気味な部屋に入れるなんてもっての他だ。

ドタバタと急ぎ支度を終えたフェイトは、アルフに何度も確認をした後、ようやくマンションのドアを開けた。

ウォルターはバリアジャケットを解き、光沢のある黒いシャツに、つや消しの黒いジーンズと言う、黒尽くめの姿で腕組みしながら待っていた。

鍵を開ける音で気づいたのだろう、視線は部屋の中、つまりフェイトの正面を見ており、すぐさま目が合う。

ニコリ、とウォルターは何処か男臭い笑みを浮かべた。

 

「おっ、似合ってるじゃんか、フェイト」

「あ、ありがど……っ!」

 

 舌を噛んでしまった。

フェイトは自分が耳まで真っ赤になるのを自覚しながら、思わずその場で膝を折り、蹲ってしまう。

穴があったら入りたい気分だった。

本当なら、フェイトはウォルターの前でもう少し格好いい自分を見せていた筈である。

そして機嫌の良くなったウォルターから、母を元気にさせる為の秘訣を聞き出そうとしていた筈なのだ。

なのになんだって自分は、こんな時にこんなミスをしてしまうのか。

 

 リニスにたまに言われた、フェイトのおっちょこちょいは中々治りませんね、と言う台詞が脳裏を過る。

自分の間抜けは生まれつきで、もう治らないぐらいの重症なのではあるまいか。

そう思うとちょっとだけ涙がこみ上げそうになってきて、アルフに助けを呼ぼうとした瞬間の事である。

ふと、フェイトの視線の先に、ウォルターの靴が見えた。

見上げると、少しだけ困った表情で、ウォルターが屈みながらフェイトに手を差し伸べている。

 

「お招きに預かり光栄だ、早速俺を中に案内してくれるかな?」

「う、うんっ!」

 

 無かった事にしてくれるウォルターの優しさが、手に取るように分かるようだった。

それもその優しさは、高い位置にあってフェイトが見上げるような物ではなく、同じ位置まで下りてきてくれるような感覚の物。

だからフェイトは余計に凹むのではなく、期待に応えたいと思い、ウォルターの手を取り立ち上がった。

あまりにも硬い手に、一瞬驚いてフェイトは動きを止めてしまう。

ウォルターが不思議そうな顔で見ていたので、なんでもないよ、と答えてフェイトはウォルターを中へと案内した。

男の人って、こんな手をしているんだ。

何気に生まれて初めて男性とこんなに近い距離に居る事を自覚し、少しだけフェイトの頬が火照る。

もし私にお父さんがいたら、こんな手をしていたのだろうか。

そんな風に考えつつ廊下を超え、ロフトのある天井の高い部屋に出ると、ヒュウ、と小さくウォルターが感嘆した。

 

「いい部屋だな、開放感があって素敵だ」

「あ、うん……」

 

 と言っても、フェイトは殆ど寝る為に此処に戻ってくるだけである。

部屋に実用性以外の何も求めていなかったが、ウォルターの為に掃除をして整えた今見ると、確かに立派な部屋だった。

それを今まで休憩と睡眠にしか使って来なかった事を、少しだけフェイトは後悔する。

今はジュエルシードの探索に忙しくてこの部屋でくつろぐ事はできないけれど、全てが終わったら少しだけ休ませてもらおうか。

そんな事を思いつつ、フェイトはウォルターをソファに案内し、飲み物を用意。

フェイトとアルフで対面のソファに座り、向かい合った。

 

 が、いざ向い合ってみると、フェイトは何を聞けばいいのかわからなくなってきてしまった。

リニスの事をどう思っているのか、リニスが隠していたムラマサ事件の真相、リニスとどう過ごしてきたのか、ムラマサ事件からこれまでどんな生活をしてきたのか。

聞きたい事は山ほど有る筈なのに、頭の中でグチャグチャに混じりあって、言葉にならない。

アルフに頼ろうと視線をやろうとする、その時であった。

ウォルターが、口火を切る。

 

「さて、時の庭園に転移できるのは明日の午前中。

体力温存の為そんなに遅くまでは起きていられないが、大抵の話だったら話してやれるぞ?

何がいい? リニスの事か、それとも俺の関わった色々な事件の話か?」

「う、うん……」

 

 身を乗り出し指組みしたウォルターの瞳は、静かで深い海のようで、急かされる感じは全くしない。

それに甘えて、フェイトは何を聞くべきかもう一度考えてみる事にする。

そんな時一番にフェイトの思考に現れるのは、矢張り母の事であった。

 

「その……、私には、母さんが居るんだ。

母さんは、ずっと不幸で、笑っている所もこの数年ずっと見なくって……。

だから私は、そんな母さんに幸せになって欲しい。

そこで、ウォルターはなんて言うか、人の心の栄養になるような言葉が言える、ってリニスから聞いていて。

だから私にも、そんな言葉が言えたらな、って思うから、その、そういう言葉を教えて欲しいな、って……」

 

 我ながら分かり難い話だ、とフェイトは思う。

大体そういう言葉を教えて欲しいなんて言われても、ウォルターだって困ってしまうかもしれない。

チラリと俯いてしまった面を上げると、ウォルターは腕組みして悩んでいるようだった。

やっぱり、困らせてしまった。

内心落ち込んでしまうフェイトを尻目に、アルフが慌てて口を開く。

 

「あ、あたしもご主人様を励ます言葉とか、聞いてみたいかなー、って。

ほら、あんたがこれまでの事件で、人の心を動かせたような言葉を教えてくれれば、それでいいんだよ」

「そう、か、まぁそれなら」

 

 と一つ頷き、ウォルターは真っ直ぐにフェイトを見据えた。

まるで心の裏側まで覗かれるような視線に、フェイトの心臓が思わず脈打つ。

しかしそれでも何故か、不快ではない。

それはきっと、ウォルターが真剣だからなのではないか、とフェイトは思う。

これがもし興味本位での視線であればフェイトは目を伏していただろうが、不思議とフェイトは真っ直ぐにウォルターの視線に答えられていた。

 

「そうだな、まずはフェイト、お前から見た母親……プレシアでいいんだよな、その人となりを教えて欲しい。

そうじゃなきゃ、何を教えればいいのかサッパリだからな」

「う、うんっ!」

 

 弾けるように頷き、フェイトは高揚した気分のまま語った。

お花の冠を作ったら、上手ねと褒めてくれた事。

作ってくれるお菓子はほっぺたが落ちそうなぐらい美味しい事。

お仕事が忙しくても、必ず自分に構ってくれた事。

そして……、金色の閃光を見てから意識不明だった自分を、研究を続けて治してくれた事。

 

 フェイトは様々な事を語った。

他所の家の家庭事情なんて聞いても楽しくもなんとも無いだろうに、ウォルターは嫌な顔一つせず、それどころか興味津々と言った風に聞いてくれる。

それが嬉しくて、フェイトは久しく無理せずに満面の笑みを浮かべ、母との思い出を事細かに語った。

だが、楽しい時間は早く過ぎる物。

すぐにフェイトの楽しかった幼少時代は終わり、母とのエピソードも小さな物になってゆく。

小さい頃なんてなんとピクニックに出かける事すらあったのに、最近の母との思い出は久しぶりに話しかけてくれたとか、そんな物である。

だんだんと尻すぼみになってゆくフェイトの言葉。

それでも最後まで言えたのは、変わらずウォルターが興味を絶やさずに聞いてくれたからであった。

 

 そんなウォルターに感謝しつつ、フェイトは最後まで話し終えた。

分かっていた筈なのに、現状を確認すると、どうしてもフェイトの内心は落ち込んでしまう。

母が少なくとも表面的には変わってしまったのは、どうしようもない現実だった。

原因は断定できないけれど、やっぱり自分の所為なのかな、とフェイトは思う。

プレシアはフェイトの事を何度も折檻し、その度にプレシアはフェイトをなじった。

どうして母さんを悲しませるの、どうして母さんの言う通りにできないの、と。

そう思うと自分なんて消えてしまったほうがいいんじゃないかとさえ思うが、フェイトにはそれはできない。

フェイトは、プレシアの心には昔の通りの優しさが残っていると信じている。

とすれば、今プレシアはそんな優しさを無くしてしまうぐらいに酷い状態なのだ。

フェイトはプレシアの娘なのだ、そんな母を自分が支えなくてどうしろと言うのだ。

だから近くに居たいけれど、その自分が母の苦しみの一因かもしれなくて。

切なさに、フェイトの胸が痛む。

 

 精神リンクでそんなフェイトの内心を感じたアルフが、悲痛な顔をするのが視界の端に見える。

アルフはなんだかんだでまだ4歳に満たない年齢だ、時々吃驚するぐらい大人っぽい仕草も見せるが、基本的にフェイトより年下である。

思わずフェイトはアルフに手を伸ばし、頭を撫でてやる。

目を細めながら、嬉しいような、苦しいような、複雑な表情でアルフはフェイトの手を受け入れた。

アルフがプレシアを嫌うのは、分からないでもない。

自分がプレシアの娘ならば、アルフはフェイトの娘でもあるのだ。

自分だって母親を傷つける相手が居れば、それが例え祖母のような存在であろうと嫌ってしまうだろう。

けれどフェイトがプレシアの事を好きな気持ちだけは変えられなくって。

板挟みにさせちゃってごめんね、と内心で唱えつつ、フェイトはアルフを撫で続ける。

暫く目を瞑っていて考え事をしていたウォルターは、急に目を見開いた。

 

「聞いていていっぱい伝わってきたけど、お前はプレシアが大好きなんだよな?」

「うん」

「また昔みたいに仲良くなりたいんだよな?」

「うん、勿論」

「だったら俺にできるアドバイスは、一つだけだ。

きっと俺の言葉なんかよりも、きっとこっちのほうが為になる」

 

 ウォルターは腰をかがめ、身を乗り出す寸前のような姿勢で言った。

 

「絶対に、諦めるな」

 

 ごう、と心のなかで炎が巻き上がったかのようだった。

胸の一番奥にある場所が熱くなり、それが一瞬で全身に伝わっていく。

汗が全身から吹き出し、喉の奥はカラカラに乾いてしまう。

けれどそれが全然不快じゃないのだ。

むしろその熱がとても大事な物に思え、フェイトは熱を逃さぬよう両手を握りしめる。

 

「気持ちが中々伝わらない事があるかもしれない。

伝わっても、それを無視されるかもしれない。

受け入れられても、その気持ちが報われるとは限らない。

だけど、それでも諦めるな」

 

 じんわりと体温が上昇していくのが、フェイトには分かった。

全身を得体の知れない熱が伝わり、まるで心のなかにあった氷の刺を溶かしていくかのよう。

胸の中の切なさは、いつの間にか、決意に変わっていた。

自分がプレシアの苦しみの一因だったとしても、それなら自分はプレシアを笑顔にする存在に変わってみせる、と。

 

「お前は、プレシアの事が大好きなんだろう?

それなら、どんな障害があってもその心だけは本物だと、信じ続けるんだ。

例え心裏切られる事があっても、自分の心が何をしたいと思っているか、考え続けるんだ」

 

 渦巻く熱量を吐き出したくて、フェイトは深く息を吐いた。

まるで室温が上がったかのように感じるほどに、吐息は熱かった。

 

「例え何で負けても、心でだけは負けるんじゃあない。

何度挫けても、立ち上がっていけば……道は、必ずある!」

 

 言って、ウォルターは掌に拳を打ち付ける。

パシン、と言う小さな音が、フェイトにはまるで、大鐘が打たれたかのような轟音にさえ聞こえた。

これが、ウォルター。

これが、ウォルター・カウンタック。

リニスの心を燃やしてみせた、小さな英雄。

ウォルターが自分よりたった一つ年上なだけなんて、フェイトにはとても信じられなかった。

どうやればこれ程に熱い人間に育つ事ができるのだろう、とそんな疑問さえ頭の片隅に湧いて出てくる。

だけどフェイトはそれを封殺し、今自分がすべきだろう最適な動作をしてみせた。

 

「……うん、分かった!」

 

 叫び、力強く頷く。

それにウォルターも男臭い笑みを浮かべながら頷き、グッ、と手を握りしめてみせた。

心の炎がより燃え上がるのを感じつつ、フェイトは上気した頬のまま、同じように手を握りしめる。

するとウォルターが握りこぶしを寄せてくるので、フェイトもまた自然とそちらに握りこぶしを伸ばす。

カツン、と小さな音を立てて、拳と拳が打ち合わされた。

 

「約束だぞ? やってみせろよ?」

「うん、当然だよ」

 

 熱く燃える激情のままのフェイトの言葉は、常の物には無い自信が込められていた。

それを感じ取ったのだろう、野獣のような笑みを浮かべると、ウォルターは拳を離してみせる。

胸の奥に宿る約束に、フェイトは思う。

例えどんな事があっても、自分が母を好きだと思うこの心だけは、決して折れる事は無いだろう。

必ず、母を幸せにしてみせる。

新たにしなおした決意により、フェイトの心は生まれ変わったかのようになるのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 黄金の魔力光が視界で明滅する。

そのあまりの光量に目を閉じた次の瞬間、瞼を開くとそこは荘厳な城のような場所に変わっていた。

やたら天井が高い古風な建築で、扉もやたらでかく、まるで自分が小人になったような気分だ。

装飾も柱には蔦が巻き付いていたりと、どこか古めかしい感じが拭えない。

それが時の庭園。

以前はミッドチルダのアルトセイム地方にあったと言う、次元航行施設である。

 

「フェイト、まずはリニスの念話の逆探知場所から辿ってみていいか?」

「うん、母さんには念話で連絡しておいたから」

 

 僕が地球に来た翌日、僕とフェイトとアルフの3人は転移魔法で時の庭園へと来ていた。

その座標はティルヴィングが逆探知したリニスの居場所に近く、故に僕はフェイトに許しを得てまずは逆探知した場所へと向かう事にする。

にしても先日は、なんとも言えない夜だった。

わざわざ合流する手間を入れると白い魔導師の邪魔が入る可能性を示唆され、僕はフェイトの拠点に泊まる事になった。

それ自体はいいのだが、中でやっていた事と言えば、僕の関わった事件の話とフェイトの心の鼓舞であった。

 

 果たしてフェイトに対し、僕はあんな言葉を吐いても良かったのだろうか。

何せリニスの話から想像する限り、プレシアはフェイトの事を憎んでいるのである。

勿論それ以外の感情がある事も考えられるが、使い魔の精神リンクで発見した以上、憎しみが無いと言う事はありえない。

せめてその時が来た時、フェイトが僕の言葉を頼りにできるように、必死で取り繕った言葉を吐いたけれども。

けれども、本気でプレシアがフェイトに対し憎しみしか持っていなかったとすれば、僕の言葉は逆効果でしか無い筈だ。

 

 その時は僕は責任を取らねばなるまいが、一体どうやって?

自分でけしかけておいて、自分でフェイトを止めるのだろうか?

考えれば考えるほど暗雲立ち込める未来に、内心げっそりとしつつも僕は頭を振る。

せめてフェイトを連れている間だけでも、暗い想像は止さねばならない。

ただでさえ、昨夜は暗い想像が拭えず、一睡も出来なかったのだから。

 

「そこそこ遠いし、無言で行くってのもアレだ、少し地球に来てからの事、教えてくれないか?」

「え? うん、いいけど……」

 

 と、フェイトは語り始める。

地球に来てまず出会ったのは、ジュエルシードで大きくなった猫だった事。

その時なのはと言う白い魔導師と出会った事。

ただの素人だった彼女が急成長を遂げていった事。

話を聞いてと何度も言われた事。

 

「おかしいよね、私はジュエルシードを巡る敵なんだ、そんな事を言うべき相手じゃあないのに」

「フェイトちゃんの事を知りたい、ねぇ」

「ふん、あんなのただの甘ちゃんの言葉さ」

 

 吐き捨てるアルフに、思わず内心渋い顔を作る僕。

甘い環境で育ったら甘くなるほど、人間は簡単にできてはいないと思うが……。

しかし僕はあのなのはと言う子の事を殆ど知らないに等しいので、この場では黙っておく。

僕自身、そんなに甘い環境だったかと言うと、そうでもない育ちな事だし。

それにただの甘い子だったらすぐにメッキが剥がれるのでは、と思ってから、なんというブーメラン言語なのだろうと思って、僕は落ち込んだ。

メッキが剥がれて困るのは僕も同じである。

そんな僕を尻目に、フェイトは続ける。

 

「私の事なんて知っても、大した価値は無いと思うんだけど……」

「そんな事は無い」

 

 と、思わずアルフと輪唱してしまった。

目を見合わせ、どうぞどうぞと違いに発言を譲ろうとするも、中々順番は決まらない。

いや、私は何時もフェイトと一緒だし、と言うアルフに、ならば尚更アルフの言葉が必要だろうに、と僕。

お互い譲り合っているのにお互い相手に先に話させる事を譲らない、と言う妙な状況になってしまった。

なんだか言っているうちに負けられない気分になってきて、軽く構えながらも譲りあう僕ら。

 

「くす」

 

 と、そんな僕らにフェイトが小さく微笑んだ。

思わずアルフと同時に振り向くと、これ以上無いぐらいに満面の笑みを作ったフェイトがそこに居た。

清流を思わせる邪気の欠片も無い笑みに、僕は内心少しだけドキリとする。

クイントさんやリニスさんも美女だったが、同年代の子を美しいと思ったのはこれが初めてだった。

頬が熱くなりそうなのを全力で統制している僕に何を思ったか、慌てて弁解するフェイト。

 

「い、いや、二人が譲り合っているのが、なんだか面白くって。

……決して、滑稽で笑った訳じゃあないんだよ?」

 

 不安そうに付け加えるフェイトに、思わずまたもやアルフと目を合わせる。

フェイトの言葉からは、少しだけ嫌われるんじゃあないかと言う不安が滲んでいて、それを隠そうとする必死さも垣間見えた。

それがいかにも可愛らしい仕草に思えて、今度は僕とアルフがくすりと笑う。

 

「こ、今度はなんで二人が笑うの!?」

「いや、なー」

「だって、ねー」

 

 アルフと顔を見合わせ、互いに首を傾けながら笑みを交わし合う。

だって、こんな小さな事なのに嫌われたかもなんて思う所がいかにもいじらしくて、心をくすぐる物があったのだ。

こんなに可愛い娘を育てるなんて、リニスさんは子育ての天才だったのかもしれない。

そんな風に思いながら僕とアルフは歩みを進め、それに半歩遅れて、あの、何でなの? と疑問符を漏らしながらフェイトがついてくる。

そうこうやっているうちに、僕らはリニスさんの念話を逆探知した辺りまでたどり着いていた。

 

「此処らへんみたいだけど、此処って……デバイスの工作室、か?」

「ごめんってばフェイト、膨れないで……あ、うん、そうだよ」

 

 後ろではついに頬を膨らませながらプイッと他所を向いてしまったフェイトと、それを慰めるアルフが居た。

僕の言葉で慌てて事態に気づいたらしく、フェイトはすぐさま真剣な表情に戻る。

それでもその頬が僅かに赤みを帯びているのは、ご愛嬌か。

そんな僕の邪念を尻目に、フェイトは硬質な声で返してくる。

 

「うん、私のバルディッシュが作られたのも、此処だった」

「そうか……さて、リニスさんは山猫だったか、山猫の体格で隠れられそうな所は……っと」

 

 ひと通り見回す。

引っかき傷などが無数についた金属製の机、頑丈な工具棚に書物がこれでもかと言わんばかりに詰め込まれた本棚。

それぞれ中を開けてみるも、全てにきちんと中身が詰まっており、リニスが隠れるようなスペースは無い。

徐々にフェイトの顔が暗くなっていくのを尻目に、僕は一通り調べ終えると、うん、と一つ頷いた。

膝をつき、手を床に添える。

つつ、と動かすと、僅かに凹凸を感じられる部分があった。

そこを指で押し込むと、ビリリ、とシールが破ける音の直後、隠されていた取っ手が現れる。

そして取っ手を掴むと、一気に持ち上げた。

 

「ていっ」

 

 パカッ、と開いたその収納の中には、丸くなった山猫が一匹。

2年半も前の事なのであまり覚えていないが、リニスさんはこんな山猫だったような気がする。

流石僕、いや僕の勘だな、と中途半端に自画自賛しつつ、確認のため二人へと肩越しに振り返った。

すると二人は、目を丸くしながら人差し指を開いた隠し収納に向けている。

パクパクと口を上下させた後、飛びつくように喋り始める二人。

 

「え、ええっ!? な、なんでそんなのが分かるの!?」

「ずっと此処で暮らしていた私達でさえ見つけられなかったのに!?」

 

 肩を掴まれグラグラと揺らされる。

内心ため息をつきながら、僕は答えた。

 

「見つけられなかったのは、どうせこの部屋はこのままにしておいてくれ、とかそういう風に言われていたんだろう?

埃は積もっていなかったから掃除ぐらいはしていたんだろうが、それじゃあ上から迷彩された隠し収納は分からないわな。

俺が分かったのは、まぁ勘と、あとはこんな鉄臭い部屋なのに微かに食べ物の匂いがして、昔は台所か何かだったのかな、と思ったとか」

「よ、よくそんなの分かるね……」

「よく見ると、壁の色がちょっと違う所もあるだろ?

今は窓の外が次元空間なんで分かりづらいが、日が指して居れば日焼けしていた部分だ。

その境目が見えるって事は、前は工作室以外の用途で使われてたって事だな」

「そういえば、リニスが時の庭園は何度か所有者が変わった事のある、息の長い施設だって言っていたような……」

 

 関心して黙りこむ二人を尻目に、僕は取り急ぎ中のリニスさんを抱えて取り出す。

ティルヴィングで早速魔力パターンの波形を調査、僕の記録したリニスさんの物と一致するのを確認。

 

「よし、こいつは確かにリニスみたいだ」

「本当っ!?」

「良かった、アイツはまだ生きていたんだねっ!?」

「ただ……」

 

 喜色満面となる二人に、思わず渋い声を漏らす僕。

 

「魔力が物凄い少なくなっている、これじゃあ普通に供給するだけじゃあ足りないな」

「……え?」

 

 疑問詞を上げるフェイトに、噛み砕いて僕は説明した。

 

「使い魔を持っているお前なら知っている事かもしれないが……。

使い魔は元々主以外の魔力をプールさせておく事はできても、自身の根幹部分の構成に使う事はできないんだ。

つまり誰かがリニスさんの主になって、魔力を供給する必要がある」

「それなら私がっ!」

 

 思わずと言った様相で申し出るフェイトだが、僕は頭を横に振る。

 

「いや、普通に主になるだけじゃあ駄目なんだ、それじゃあリニスさんを素体に新しい使い魔を作る事になってしまう。

だからまぁ、使い魔に関する専門的知識が必要なんだが……」

 

 と、そこまで言ってから、僕は意識して男らしい笑みを作った。

暗い表情の二人を前に、ビッ、と親指で自身を指さす。

 

「それなら、俺が居る」

「……え?」

 

 疑問詞を上げる二人に、くすりと笑みを漏らしながら、僕は続けた。

 

「かつてリニスさんから主の名としてプレシアの名前だけ聞いていてな、どんな人物か調べた事があるんだ。

抹消されてる記録も多かったが、研究に関しては割りと簡単に出てきた。

そしたら研究の一つに、使い魔に関する特殊研究って奴を見つけてな。

次元エネルギー関連とかは置いておいて、先ずそれからって事で論文を読破してきたんだ。

だから俺は、ある程度使い魔に関しては融通の効く知識を持っているのさ」

 

 事実である。

プレシアについて調べた時出てきた研究はやたら違法性が高い物が多く、記憶転写関連や次元エネルギー関連など、閲覧禁止になっている物が多かった。

その中で最も違法性の低く、閲覧可能な研究がそれだったので、まずそれから理解してみようと論文に手を出したのだ。

一応これでもティルヴィングに教育されて、博士号ぐらいなら取れるレベルの教養を持っている僕である。

まだ完全に理解したとまでは言えないが、使い魔を変質させずに契約を結び直す事ぐらいなら何とかできるのだ。

 

「それじゃあ……っ!」

「あぁ、俺がリニスさんの主として、契約を結び直す。

ちょっと広い場所が必要になる、案内してくれるか?」

「うんっ、こっちに私が魔法の練習に使っていた広場があるからっ!」

 

 と、小走りになるフェイトに、苦笑しながら僕はついていく。

勿論、問題が無いわけではない。

当たり前だが、僕は内心を悟られる訳にはいかない為、リニスに対して精神リンクを開くことができないのだ。

主従としてそれは歪だし、やってはならない事だと僕も思う。

けれどまぁ、僕が主になっても、この技術の完成者であるプレシアの手を加えれば、プレシアとの再契約なども容易だろう。

それが許される事態ではなくなってしまっても、管理局などの技術者の手を借りればフェイトとの再契約も可能だ。

腰掛けの主になるけど、構わないよな、と内心リニスさんに呼びかけながら、僕はフェイトの後についてリニスさんとの契約を結びに行くのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「リニス、早く元気にならないかなぁ……」

「うん、そうなったらお祝いだねっ、フェイトぉ!」

 

 きゃいきゃいと話し合う二人に半歩遅れ、僕は一匹の山猫を抱えながら歩いていた。

優に大人が7人は並べるだろう巨大な廊下を歩き、僕らは今プレシアの元へ向かっているのである。

何せ僕が此処に来た理由は、リニスさんの命を助ける事だけじゃあない、彼女の願いを叶える事なのだ。

プレシアとフェイトを助けてください。

その願いを叶える為には、プレシアの人となりを知らねばなるまい。

勿論リニスさんの言から悪い人では無いんだろうと分かっているし、フェイトの言葉から昔は良い母親だったと聞いている。

けれど一番いいのは、直接出会う事だろう。

家主に挨拶抜きで居るのも心苦しいし、と言う訳で、僕はフェイトと共にプレシアに挨拶しに行く事にしたのだ。

 

 僕とリニスさんとの契約は、無事に成立した。

しかしリニスさんは僕が思っていたよりも高性能な使い魔だったらしく、基幹構造の再生だけでいきなり僕の魔力が半分も使われてしまった。

強靭な僕のリンカーコアでも、これは流石に辛い。

正直言って、戦闘を満足にできるコンディションでは無いだろう。

しかも契約がまだ完全に繋がっていないからか、僕はリニスさんから離れる事ができない。

加えてリニスさんは、今の状態で攻撃を受ければ容体がどうなるか分からない状況だ。

と言っても、まぁプレシアがどんなに邪悪な人間だったとして、いきなり戦闘になる事はなかろう。

……無い、よなぁ。

と、なんだか嫌な予感がするのに、内心ですら語尾が怪しくなる。

そんな僕の内心を読み取ったのか、ぴたり、と停止して振り向くフェイト。

 

「その、かなりの魔力を使ったみたいですけど、具合は大丈夫ですか?」

「あぁ、大丈夫だって、まだ半分近く魔力は残っているしな」

 

 リニスさんを片手で支え、ぐるりと腕を回してみせる。

そんな僕の様子を気遣ってくれたのか、フェイトは納得した様子を見せて再び前に体を向ける。

年下に気遣われるのは、もしかしたらこれが初めてかもしれない。

案外心にくる物なんだな、と内心苦笑を浮かべつつ、フェイトに続いて僕は時の庭園の道を歩んでいった。

 

 数分ほど歩いただろうか。

巨大な扉を前にしてフェイトが立ち止まる。

そのだいぶ前でアルフが立ち止まり、口を開いた。

 

「それじゃあ、私はいつも通り適当な所で待っているから」

「へ? 一緒に行かないのか」

 

 思わずそう漏らす僕に、苦笑するアルフ。

やんわりと追求して欲しくなさそうな空気に、僕はそんな事もあるか、と納得した様子を見せる。

扉を開くフェイトに続いて、僕もまた部屋の中に入っていった。

 

 巨大な部屋であった。

吹き抜けの高い天井に、そこら中を覆い隠す濃紫色のカーテン。

しかし窓は一つも見当たらず、何処か閉塞感がある。

部屋の中心には青いレンズのような発光体が埋め込まれており、そこから発せられる光が薄ぼんやりと部屋を照らしていた。

そんな発光体と扉をと結ぶ直線で赤い絨毯が敷かれており、その直線の反対側には矢張り赤い絨毯が、その終点にはやたら背の高い椅子がある。

 

 その椅子に、一人の女性が座っていた。

薄紫色の髪に紫玉の瞳、体は豊満で肌は青白く、魔女と言う形容がよく似合う美しさである。

年の頃は一見見分けがつかない。

服装は露出が多く、なんというか、フェイトのバリアジャケットを思うに、あぁ、フェイトの母親なんだなぁ、と言う感じの服装。

肌にもシワひとつ無く艶然とした美貌を誇るものの、その目には深い隈が刻まれ、肌の青白さは不健康的な容体を思わせる。

何よりその威容が年長の威厳を想像させ、余計に年齢の見分けをつかなくしていた。

 

「母さん、ジュエルシードの探索の、報告に来ました。

それと先程話した通り、偶然出会ったウォルターを連れて此処に」

「……そう、分かったわ。

母さんはまず、ウォルターと少しだけ話があるの。

一旦席を外してもらえるかしら?」

 

 そう言うプレシアの言葉には、フェイトへの労りは少しも感じられなかった。

予想通りの反応に内心が陰鬱になるが、単に部外者が居るから抑えているだけかもしれない、と自身に言い聞かせる。

こちらを視線で伺うフェイトに、一つ頷いてやると、フェイトは小さく肯定の返事を返し退いていった。

扉を開け閉めする音が、広い部屋に響き渡る。

フェイトの軽い足音が徐々にこの部屋を離れていき、やがて聞こえなくなった。

僕はそれを合図に足を踏みだし、発光体の上にまで歩みを進める。

 

「初めまして、ウォルター・カウンタックだ。

リニスさんを抱いたままで失礼する」

 

 軽く頭を下げ、それから視線をやる。

プレシアは僕を、氷の視線で見ていた。

まるで自分が本当に氷漬けになって動けなくなってしまっているんじゃあないかと思うぐらいの、威圧感。

それを感じていないかのように、強がりで肩を竦めてみせる。

半目になり、ようやく口を開くプレシア。

 

「ウォルター、ね。

全く、余計な事をしてくれる餓鬼だ事。

わざわざ廃品を回収して復活させるだなんてね……」

「廃品、だと?」

 

 思わずこちらも怒気を強め、言った。

フェイトもリニスさんもプレシアを悪くは言わなかったが、そもそもリニスさんを使い捨てにするような人間である。

あまり上等な反応は期待していなかったけれども。

他所の子供の僕が賞金稼ぎをしていると言うだけで涙ぐんでしまったリニスさんを、思い出す。

あの涙もろく、子供に甘く、フェイトを大切にしていたリニスさんを、廃品、だと?

 

 腹腔を炎が湧き上がるのが自分でも理解できる。

久しく覚えの無い程の怒りが、僕の中を渦巻いた。

必死で力もうとする手を抑え、リニスさんを抱える手に力を入れないよう努力する。

それでも力は入ってしまったのだろう、リニスさんが僅かに身動ぎするのが僕の両手に伝わった。

そんな僕を尻目に、プレシアは立ち上がる。

 

「そればかりか、何時だったかはムラマサを破壊までしてくれたと聞くわ。

廃品回収だけなら目障りなだけで済ませてあげるけれど……、ムラマサの破壊だけは許せない。

アリシアの助けになる可能性の高かった、あのロストロギアを破壊するなんてね……」

 

 莫大な魔力が、プレシアを中心に渦巻いた。

咄嗟にこちらも身構え、リニスさんを片手持ちにし、ティルヴィングをセットアップする。

それでも普段両手で持つ大剣を片手で持つのだ、慣れない重みに内心舌打ちした。

プレシアはと言うと、待機状態だったデバイスを杖へと変換。

一目でワンオフと分かる形状の杖を、こちらに向ける。

狂気の渦巻く視線が、僕の目と合った。

 

「貴方だけは……、私の手で殺さないと気が済まないッ!」

「……上等ッ!」

 

 それを合図に地面を蹴り、体を突き動かす。

背後をプレシアの放った紫電が打ち抜き、轟音を立てて床を砕いた。

クラナガンでかつて調べたプレシアの魔導師ランクは、条件付きSS。

魔力の供給があればSSランクとの事だが、目を細めれば何処ぞからプレシアに魔力が供給されているのが分かる。

とすれば、プレシアの戦闘能力はSSランク相当。

これまで僕の戦った敵の中でも最強の魔導師との戦いが、今始まるのであった。

 

 紫電が連続して走る。

地面に立っていて、地面を走る雷撃にやられるんじゃあ話にならない。

僕は地を蹴り空中に躍り出て、広いとは言え一つの部屋での空戦を余儀なくされる。

空中を自在に動きまわりプレシアの雷撃を避けるが、こちらは一度でも防御魔法を貫通されたら終わりである、中々前に進む事ができない。

プレシアの使うサンダーレイジは、一撃目の雷で拘束、二撃目で雷撃と言う二段構えの魔法だ。

当然魔法としては重量系に属し、連発できるような魔法ではない。

のだが、プレシアはそれを容易く連発してくるのであった。

流石大魔導師の面目躍如か、と内心毒づきつつ、僕は遅々とした歩みで前に進んでいく。

ティルヴィングを振るおうにも、一度押し負けて捕縛されてしまえば、そこからエンドレスで雷撃が来るのは簡単に予想できた。

そうなれば僕などすぐに黒焦げである。

そんな僕をあざ笑うプレシア。

 

「そういえば、あっちの不良品とも貴方は仲が良かったわね。

廃品に不良品、貴方はゴミ拾いか何かかしら?」

「不良品だぁ?」

 

 疑問詞を吐きながら、ティルヴィングの側面で雷撃を逸らしつつ空中跳躍、したと見せかけ平行移動。

先読みで放たれた雷撃を避けつつ再び僅かながら前進してみせる。

しかし直後雷撃に混ざり飛んできた直射弾に撃ち負け、一歩進んで二歩下がる状態となってしまった。

せめて両手が使えればまだ違ったのだろうが、リニスさんの命を考えるとそうはいかない。

そう考えていると、口元に半月の笑みを浮かべ、プレシアは叫んだ。

 

「それは勿論、あの子……フェイトの事よっ!」

「……てめぇっ!」

 

 目の前が真っ赤になりそうなぐらいの怒り。

昨晩フェイトがプレシアの事を語っていた時の、幸せそうな顔が思い出される。

あれだけ純粋に母親の事を思ってくれる子を、よりにもよって、不良品などと呼ぶのか。

全身がはち切れそうなぐらいの怒りが湧いてきて、思わず前に出ようとする、振りをして下方へ落下。

頭上を雷撃が飛んでいくのを感じながら、僕はプレシアに向かって突進する。

当然直線になる動きに、にやりとプレシアは嗤った。

 

「ばぁか」

 

 紫電が僕へ向かって直進。

僕はそれに対し、ティルヴィングを振るって対抗する。

激突。

一瞬僕の斬撃が押すものの、直後2つ3つと飛んでくる雷撃にこちらが押し込まれそうになる。

だが、野獣の笑みで微笑んでいるのは、こちらもまた同じであった。

 

「ティルヴィングっ!」

『ロード・カートリッジ』

 

 排出される薬莢が、金属音を立てて床を転がる。

今や5つになっていた雷撃を纏めて切断。

余波が嵐のように吹き荒れ、髪を渦巻かせる。

 

「くすっ、廃品にあれだけの魔力をつぎ込んだ今、そんな無茶をしていいのかしら?」

「……」

 

 しかし代償として、僕の全身の毛細血管がいくつか破裂。

耳朶や眼球から耳血や目血をこぼし始めた。

邪魔臭いそれを拭いつつ、僕は口を開く。

 

「無茶? まだ血反吐も吐いていない、骨も折れていない、内蔵も破裂していない。これの何処が無茶だって!?」

 

 口が耳まで裂けるつもりで笑みを形作り、僕は笑った。

それに気圧されたのか、僅かにプレシアの連撃が収まる。

——今だ!

内なる勘の命令に従い、僕は突進を開始した。

 

「ちぃっ!」

 

 紫電をティルヴィングの斬撃で切り裂き進む。

微かに残った電撃は、決してリニスに届かないようリニスにだけ防御魔法を貼り、残りは全て肉体で受けた。

肉の焦げる匂いと神経が加熱される痛みが踊り狂う。

だが、僕は直進を止めない。

代わりに口先を開き叫ぶ。

 

「リニスから聞いていた、お前がフェイトの事を憎んでいるってな」

「だから何よっ!」

 

 叫びと共に、プレシアは雷撃を一旦停止、他の魔法に切り替える。

一瞬だが僕の身が自由になり、ようやく雷撃を抜け切れた安堵が体を支配した。

しかし、それも正に一瞬の事である。

次の瞬間、100個近く形成された直射弾スフィアに、脊髄を死の予感が駆け抜けた。

 

「不良品だなんて言うなんて、よっぽど憎んでいるみたいだなぁっ!」

「そうよ、その通り、あの子はその廃品と同じ紛い物っ!

だから目障りな貴方と一緒に、その廃品も消えてしまいなさいっ!」

『ロード・カートリッジ』

 

 咄嗟にカートリッジを使用。

7つの弾倉のうち一つが排出され、薬莢が床に跳ねる。

強化された僕の砲撃魔法が高速発動、僕とプレシアを結ぶ直線を辿るように伸びていった。

が、次の瞬間プレシアがニヤリと微笑む。

プレシアのファランクスシフトが発動したのだ。

リニスの物の3倍以上の密度の魔法に、2秒と持たずに砲撃は圧壊。

その間にもう一弾カートリッジをロードし、強化防御魔法を発動するも、それすら1秒で掻き消える。

それで直射弾は何とか相殺できたのだが、100を超えるスフィアはまだ残っていた。

再び、背筋が凍りつくような戦慄。

 

「スパーク……エンドッ!」

 

 閃光。

爆音。

視界が赤く染まり、悲鳴を上げそうになる自分をどうにか抑えるのに必死だった。

まるで背中が掻き消えてしまったかのような感覚。

それでいて、その内側のむき出しの肉に、焼き鏝を押し付けられたような痛みが走る。

完全に背側のバリアジャケットを粉砕されたのだ。

血反吐を吐きつつも、咄嗟にリニスさんを庇って背中を向ける事ができた事に、僅かに安堵する。

野獣の笑みを浮かべながら、僕は肩越しに振り返った。

 

「……消えなかったみたいだぜ?」

「……ひっ」

 

 プレシアが、半歩下がった。

何のつもりか分からないが、隙ができた事は好都合だ。

無理やり体を動かし、ティルヴィングを片手で構え、地面を蹴り再び空中へ。

紛い物の言葉を叫んでみせる。

 

「その割には、フェイトをずっと側に置いているじゃねぇか!

あんたの思いは、本当の願いは、フェイトを憎んでいるだけなのかっ!?」

「何も、知らない癖をしてぇ!」

「……ちっ!」

『切刃空閃・マルチファイア』

 

 再び直射弾を形成しようとするのに、僕は白光の直射弾を20個瞬間形成、無理やり割り込んで阻止する。

そう、僕は何も知らない。

プレシアの事も、フェイトの事も、まだ僕は会ったばかり。

何か言える程の事を知っている訳じゃあないし、その義理だって無い筈だ。

けど、それでも。

 

「知っているさ。

ついさっきだが出会って、あんたの本気の攻撃をこうやって凌いでいる。

それだけで、あんたの心を知ったと言うには、充分過ぎるぐらいじゃねぇか?」

「知った風な口をっ!」

 

 それでも打ち漏らした直射弾が飛んでくるのを、ティルヴィングを振るい排除。

一瞬だが僕とプレシアの間に何もない直線ができる。

背中の大怪我を押して戦える時間は然程長くない、突進あるのみだ。

 

 僕は本当は、プレシアの内心なんて少しも分からない。

ただ、その瞳に憎しみ一辺倒なんてもんじゃあない、複雑な光があるのが分かるだけ。

憎んでいる筈なのに、僕の事を邪魔に思っている筈なのに、その瞳を見るとまるでプレシアが泣き叫んでいるようにさえ聞こえるのだ。

勿論目が話している、なんていうのは何の根拠にもならない。

そんな薄い根拠に縋ってプレシアの内心を、僕に都合よく想像するのは、きっと悪行だ。

だけど、僕は言わねばならない。

僕はUD-182の志を受け継ぐ為に、叫ばねばならない。

 

「あんたの望みは何だっ!

何のためにジュエルシードを集め、何の為にムラマサを手に入れようとしたっ!」

「……貴方如きの知る所じゃあないっ!」

「なら、無理やりにでも聞かせてもらうぞっ!」

『ロード・カートリッジ』

 

 ついに僕は、プレシアに肉薄した。

薬莢を排出、強化した膂力で魔力付与した斬撃を放つ。

片手持ちで怪我があり、魔力は半分程でリンカーコアに異常だ、その威力は断空一閃と呼ぶには程遠い。

当然プレシアの咄嗟の防御魔法に押しとどめられ、このままでは弾かれるのが関の山。

だが、ティルヴィングの弾倉には残り3つのカートリッジがある。

これを連続してロードすれば、斬撃を通す事も可能だ。

勝利の予感に薄く笑った、まさにその瞬間であった。

ドアの開閉音。

 

「母さん、一体何が……!?」

 

 フェイトの声が、血まみれの耳朶に響く。

一瞬だけプレシアと目が合い、すぐにその視線がフェイトを発見、口元が歪になるのが分かる。

再び背筋が凍りつくような戦慄。

 

「ティルヴィングっ!」

『ロード・カートリッジ。強化縮地発動』

 

 薬莢を跳ねさせ、僕は高速移動魔法を発動。

フェイトの目前にまでたどり着くと同時、プレシアの手から圧倒的な魔力が弾けた。

 

「サンダースマッシャーッ!」

 

 怒号と共に、紫電の砲撃が完成。

こちらもまたカートリッジをロード、強化した防御魔法をフェイトを含めて発動する。

刹那の後、凄まじい衝撃が僕らを襲った。

辛うじて床に突き刺したティルヴィングを盾に、歯が割れそうな程に噛み締め、耐えぬく。

何時終わるともしれぬ衝撃に耐え切った時、ついに僕は全身の力が抜けていくのを感じた。

崩れ落ちそうになる体に鞭打ち、叫ぶ。

 

「ティルヴィング、高速転移っ!」

『了解しました』

 

 何とかプレシアの言葉を引き出せそうだっただけあって悔しいが、最早僕に戦闘能力は残っておらず、残る手は逃げのみ。

何時しかナンバー12が使った物を研究していた甲斐があり、転移魔法は即時発動する。

プレシアの手に次弾が装填されるより早く、僕を白光が包んだ。

視界が暗転、僕は時の庭園から逃げ去る事に成功するのであった。

 

 

 

 

 



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2章3話

 

 

 

「……あ」

 

 何とも言えない言葉を漏らし、僕は何処かに手を伸ばしながら目を覚ました。

ぼうっと霞がかった頭で僕は思考する。

一体僕は何をやっているのだろうか。

リニスさんから念話を受けて地球に来て、フェイトに案内されて時の庭園に行って。

リニスさんを見つけて契約を結び魔力を供給し、そして……。

 

『負けたのです』

「……あ」

 

 ティルヴィングが明滅し、言った。

同時、僕はまるで今座っている所が底なしの落とし穴になってしまったような感覚に陥る。

今僕は確かに地に伏していると言うのに、いつまでも落ち続けているような感じだった。

全身が鉛のように重く、今にも地面に落としてしまいそうなのに、その地面があるとすら感じられない。

ひゅうひゅうと吐く息が荒くなる。

真っ青になっているだろう唇は、乾いて亀裂を作っていた。

 

 そうだ、僕は負けたのだ。

言い訳はいくらでもできる。

片手が使えなかった。

魔力が半分しか残っていなかった。

リンカーコアが疲弊していて、カートリッジを使う度に激痛が走った。

リニスさんの命を思って、彼女を庇わねばならなかった。

最後にフェイトが乱入してきた。

だけど負けたと言う事実に対して、それらの言い訳はあまりにも軽すぎる。

 

「僕は……また、負けたのか」

『はい、貴方はまた負けました』

 

 平衡感覚が全く無かった。

今こうやってホテルのベッドに伏していると言うのに、今にもどこかにふらりと落っこちてしまいそうで、僕は震える手で出せる全力でベッドにしがみつく。

僕が負けたのはこれが初めてではない。

勿論完全敗北は死を意味するので、全て敗走であった。

それにどんな相手に対しても、何度か戦い最終的には勝利を収めている、今回だって同じようにできるかもしれない。

けれど、今回こそは、と僕は誓った筈だった。

今回こそは僕は完璧にこの事件を解決してみせる、と。

 

 なのに僕は負けた。

負けて、逃げた。

勿論まだ犠牲が出ていないのだ、誰一人犠牲にせずにこの事件を解決する事は可能だろう。

けれどそう分かっていても、敗北の味は僕の精神を徹底的に貶めた。

 

「……ぐっ、あぁぁぁ……っ!」

 

 呻き声を上げながら、僕はベッドのシーツを掴む。

渾身の力が込められた手はぶるぶると震え、まるで泣き叫んでいるかのようだった。

分かっている、まだ僕は完全に負けた訳じゃあないんだと。

まだ僕には挽回するチャンスがあるんだと。

だけど敗北と言う結果は、僕にはまだUD-182のようになれないと言われているようで、辛く、悲しい。

分かっていても、立ち上がる気力が失せそうなぐらいに衝撃的だった。

悔しい。

その一言で内心が埋め尽くされ、感情が決壊しそうになる。

 

『マスター、泣かないと言う誓いは』

「っ! ああ、大丈夫、だ」

 

 ティルヴィングに指摘されて、僕は初めて自分が泣きそうだった事に気づく。

上を向いてパチパチと瞬きを繰り返し、どうにか涙を奥の方まで引っ込ませた。

同時、ティルヴィングの言葉がなければあっさりとUD-182との誓いを破っていたかもしれない事に落ち込んでしまう。

僕は、駄目人間だった。

そして最低だった。

相変わらずの僕だった。

何時かUD-182のようになれると、少なくとも近づけると信じて僕は此処まで生きてきた。

けれど、それがまるで勘違いであるかのように思えてくる。

心の中を、弱音が津波のようにどっと襲ってきた。

言ってはならない、口に出してしまえば全てが終わってしまうような言葉が喉元までせりあがってくる。

辞めちゃおうか。

そんな言葉が、口をついて出そうになった、その瞬間であった。

 

「んにゃ~ん……」

「ひっ!?」

 

 思わず飛び跳ねてしまってから、気づく。

視線の先には、瞳を閉じたままの山猫。

そうだ、リニスさんがすぐ近くに居たのだ、と、寝起きの脳みそはようやくその事実を思い出した。

同時、僕の背筋が凍てつく。

リニスさんは意識が無いようだが、ひょっとすればあったのかもしれない。

だとすれば、僕がここで弱音を漏らしていれば、その瞬間僕は全てを失っていたかもしれないのだ。

ぞっとしつつも、僕は罪深い事に、リニスさんがまだ目を覚ましていなかった事に感謝すらした。

助けようとした相手が意識を取り戻さない事に感謝するなど、最低の行いだのに。

 

「……なさい」

 

 ごめんなさい、と極々小さな、僕自身でさえ聞き取れない声で僕は言った。

それが僕に出来る、リニスさんへ向けて言える最大の一言であった。

数少ない利害を超えた友人にすら、それしか内心を見せられない自分に、反吐が出そうになる。

何とか口元を抑え、ゆっくりと息をしながら数分そのまま硬直していると、静かに吐き気は去っていった。

少しだけ、僕は勘違いをしていた。

地球に来て、フェイトと出会って、素直なフェイトに熱弁を振るって尊敬の視線を受け、リニスさんの命を助けて。

それで全てが上手く行くような気がしていた。

僕は、調子に乗っていた。

けれど、それはただの勘違いだったのだ。

僕はプレシアに負け、その悔しさに泣きそうになり、その事実から逃げるために吐いてはならない類の弱音を吐きそうになって。

そしてそれを遮ったリニスさんの状況に、感謝すらして。

僕は相変わらず、駄目だった。

駄目で、最低で、屑野郎だった。

 

 それでもまだ癒えていない体は、再び休息を要求し始めていた。

全快時と比べると、現在の肉体は6割と言う所だろうか。

魔力は6割ぐらい、リンカーコアは4割ぐらい。

絶好調とは比べ物にならない現状で唯一救いなのは、少しづつリニスさんと距離を離せるようになってきた事だろうか。

プレシアとの戦いではほんの数センチ離しただけでもリニスさんへの供給魔力に影響があったが、今は何とか1メートルぐらい行けるようだ。

この調子なら、リニスさんが姿を取り戻すのもそう遠くはないかもしれない。

僕が一つ頷き、敷いておいた回復の魔方陣を書きなおそうとした、正にその瞬間であった。

どくん、と、心臓が脈打つ。

ジュエルシード発動の気配。

 

「クソッ、もう少し休ませてくれてもいいだろうがっ! ティルヴィングっ!」

『了解、セットアップ』

 

 バリアジャケットに換装した僕は再びリニスさんを抱え、ホテルの窓を開け放ち空へと飛び立つ。

時は夕刻、空はあかね色に染まっていた。

普段と比べると呆れるほどに遅い速度で、空中を駆け抜ける。

暫く行くと、封時結界を見つけ、そこに突入。

すると視界にフェイトとなのはとかいう魔導師、そして封印されたジュエルシードが見つかる。

またしても、背筋を駆け抜ける嫌な予感。

 

「あーもうっ、何だよこれはっ!」

『縮地発動』

 

 絶叫しつつ僕は高速移動魔法を発動、二人の間に割って入る位置についた。

小さく驚きの声を上げながら、武器を構え直す二人。

万全の僕ならばフェイトにも余裕を持って対応できるだろうし、それは昨日フェイトに劣っているようだった白い魔導師の方も同じだ。

しかし今の状態では、フェイトにですら勝てないかもしれない。

自分の不甲斐なさに内心苛つきながらも、僕はフェイトに向けティルヴィングを構える。

 

「よう、フェイト、数時間ぶりだな」

「ウォルター……」

 

 フェイトは悲痛な顔をし、バルディッシュを構えた。

黄金の魔力刃が、僅かにキレを無くす。

後ろでは、えっ? と白い魔導師の疑問詞。

確かに彼女の視点からでは意味不明だろうが、説明は置いておいて、フェイトとの会話を優先する。

ふっ、と小さく鼻で笑う僕。

 

「おいおい、俺と戦う気か? 勝てないと分かっていても挑むのは時に必要だが、今がその時なのか?」

「……勝てる、かもしれない。特に今の貴方が相手ならば」

 

 内心、舌打つ。

当たり前だが、僕はフェイトを庇って彼女に背を向け、防御魔法をはった。

とすれば、僕の背中の傷が彼女にバレている事になる。

そしてリニスさんを離す事ができない事も伝えてあるし、魔力が半減してまだ回復し終わっていないのも簡単に推理できるだろう。

リニスさんから聞いたであろう僕の威光にビビってくれるなら良かったのだが、こうなるとマズイ展開だ。

無いとは思うが、リニスさんの命を無視して攻撃されれば、こちらが堕とされるかもしれない。

普通ならそんな事考えもしないのだが、負けてネガティブになっている僕の心は、そんな可能性まで思考し始める。

そんな僕の内心を知ってか知らずか、表情を変えずにフェイト。

 

「それよりも、教えて欲しいんだ。

ウォルターは、何で母さんと戦ったの?」

 

 どう答えるべきか、一瞬僕は悩む。

ムラマサの事を口にしていいのか迷うし、全体像が見えない今、あまり余計なことを口走るのは適切ではない。

と同時、折角彼女に対し築いた信頼を裏切るべきではない、と言う判断もある。

こんな時、UD-182ならどうしただろうか。

煙に巻くような言葉で曖昧にしたかもしれないし、案外スッキリキッカリと真実を告げたかもしれない。

 

「プレシアは、俺がムラマサを破壊した事を気に入らなかったみたいでな。あっちから仕掛けてきたのさ」

 

 結局、僕は真実を彼女に告げた。

ムラマサの力は生命力と言う誰でも使い道のある物の操作だ、これから絞れる答えなどあまり無いだろう。

そう判断しての事である。

事実フェイトはショックを受けたようで驚いた様子はあるものの、何かにこれで気づいた様子は無い。

僕の勘もまた、そう言っていた。

 

「んでまぁ、後は見ての通りだ。

リニスさんが治ったらリベンジに行かせてもらうからな、覚悟しとけって伝えておいてくれ」

「——っ!」

 

 反射的に、と言った様子でフェイトが僕にバルディッシュを向ける。

じわっと、見えない箇所で僕は汗を滲ませた。

今の状態では目算では恐らく僕はフェイトに勝てない。

スペックで勝てていないと言うなら残るは心で勝つしか無いだろう。

だが、そもそも、母への純粋な好意で戦っている彼女に、僕のような薄汚れた人間の心で勝てる筈があるだろうか。

無い。

一片もそんな理由は無い。

ならば僕は、また負けるのか。

絶望が心を覆っていこうとするのを、辛うじて表情に出さないようにして、数秒待つ。

やがてフェイトの手にあるバルディッシュは僅かに震えだしたかと思うと、その切っ先を地面に下ろした。

機械音と共にモードチェンジ、光刃を消し斧の形態に戻す。

迷いの見える瞳を僕に向け、告げた。

 

「母さんにも、何か理由があったんだと、思う」

「……そうか」

 

 何とも言えず、僕は沈黙した。

僅かな安堵を覚える自分に嫌悪感を抱きつつ、思う。

客観視して思うに、プレシアの行為はどう見ても八つ当たりである。

しかし僕が彼女の目に、何処か複雑な思いを垣間見たのも事実と言えば事実だ。

ティグラの本性を暴けなかった節穴の目なので、あまり信を置けないのだけれど。

結局無言で通す僕に、彼女はその静かな瞳を向ける。

 

「……ウォルターを倒してもリニスに影響が無くなったら、容赦はしない。

私は、どこまでも母さんの味方だから」

「いいぜ、その時は親子タッグで来るんだな。

正面からぶちのめしてやるよ」

 

 握りこぶしを目前で作り、男らしい笑みを見せる僕。

実を言えば、少しだけ今の言葉は強がりではない。

本気で親子タッグで来られても、万全の僕ならば勝利の可能性は充分にある。

僕にしては珍しく、本心からの自信であった。

そんな僕に、一瞬目を瞬いたかと思うと、フェイトもまた今日一番の熱い笑顔で言ってみせる。

 

「そうだね、その時は……私達が勝つ」

「言ってろ、三下」

 

 小さく笑うとそれに笑顔を返し、フェイトは青空へと身を翻らせ、消えていった。

フェイトは会った時よりも幾分明るい表情をし、その笑顔は眩しくて目を逸らしたくなるぐらい。

一体何があって、彼女はこんなにも輝かしい笑顔をするようになったのだろうか。

羨ましく思いつつも、さて、あとはジュエルシードを確保するか、と踵を返す。

すると、ぽかんと口を開けたままの白い魔導師と目があった。

 

「……嘘、フェイトちゃん、帰っちゃった……」

 

 呟くと、泣きそうな目をこちらに向けてくる。

思わずたじろぐ僕。

そういえば、フェイトの言葉を思い返す限り、白い魔導師はフェイトと話したくて仕方がないんじゃあなかったか。

そして今は、その絶好のチャンスであったに違いない。

罪悪感が登ってくるのに、必死で僕は少女を慰めた。

 

「す、すまん、いや、だがまだチャンスは……あれ?」

 

 ある、と言おうとして、思わず疑問詞を零す。

よくよく考えると、僕がそもそもフェイトと出会ったのは、ロストロギア・ジュエルシードが危険だから早く収納せねばならないと勘で感じたからだ。

故に僕はジュエルシード集めに参加する事で、フェイトとこの白い魔導師との戦闘により収納が遅れるのを回避せなばならない。

そして今はそれだけではなく、殺傷設定による殺人を厭わないプレシアにジュエルシードが渡らないように、と言う積極的理由も加わる。

とすると、僕はジュエルシード集めに参加する事になるが、ここで一つ疑問が生じる。

僕はリニスさんと言う弱点を抱えているが、フェイトにとってみればリニスさんと言う人質を抱えているとも言え、その上戦闘能力は基本的に僕のほうが上なのだ。

ジュエルシードを確実に集めようとするならば、僕を避けるようにして集め始めるのではないだろうか?

それだけなら僕とこの白い魔導師が別行動すればいいのだが、リニスさんと言う弱点を抱える僕にとって、彼女と言う防波堤は有益な物ではないか?

と、そんな事を思ってしまい。

思わず、語尾が途切れる。

 

「な、何で黙っちゃうの!? わ、私がフェイトちゃんと話すチャンスってもう無いの!?」

「い、いや、そんな事はない、と思うぞ?」

「思うって何なの~!?」

 

 ポカポカと僕の胸板を叩いてくる少女。

普段ならば何ともない攻撃なのだが、背中に大火傷を負っている今、地味に響いて正直痛い。

痛みに涙腺が刺激されるのを、全力で抑える。

こんなアホな事で泣かないと言う誓いを破ってしまいそうになり、僕は内心大変凹んだ。

そんな僕らに、更なる声がかかる。

 

「この前は暗がりで気づかなかったけれど……、お前は“ロストロギア壊し”のウォルターっ!

一体この地球に何をしに来たっ!」

「いや、誰だよお前は……って、スクライア一族か?」

「だったらどうしたっ!」

 

 地面からこちらを見上げつつ叫ぶ、クリーム色のイタチ。

あぁ、そういえばこういう生き物には嫌われる関係があったな、と、思わず額に手をやる。

 

「フェイトちゃんと話すチャンス、もう無いって言うの~!?」

「ジュエルシードを壊させはしないぞ、あれは貴重な物なんだっ!」

 

 ステレオで僕に襲いかかる音響攻撃に、思わず僕はため息をついた。

この状況、一体どう収集をつければいいんだろうか。

 

 

 

 ***

 

 

 

 小一時間後。

公園にベンチに座った僕等は、互いの情報を交換し終えていた。

ユーノ・スクライアが発掘したジュエルシード。

そしてその輸送艦が事故でジュエルシードをばらまいてしまい、封印されているとはいえ念の為ユーノが回収に。

するとジュエルシードの封印が何故か解けており、ユーノが封印しようとするも、失敗。

そこで現地の住人である高町なのはに手を借りて、封印に成功する。

そうこうしているうちにもう一人のジュエルシードの探索者、フェイトと遭遇。

何度かジュエルシードを取り合っている所に僕が襲来、と言う訳だった。

 

「なんっつーか、なのはの早熟性は凄いな。

比較的早熟な遠距離戦闘がメインとは言え、たった一月足らずでここまでとは」

「うーん、私以外の魔導師ってユーノ君にフェイトちゃんにアルフさん、ウォルター君しか見たこと無いから、今一実感がわかないんだけど」

 

 ちなみに僕が魔法を始めて一月では、何とかクラナガンにたどり着き、Cランク魔導師に負けそうになってヒィヒィ言っていた頃である。

一応自分が才能のある方だと言う自負があったので、ちょっと本気で凹みそうになった。

ただでさえ精神的に弱い僕なのに、肉体的な才能でさえ追いつかれてしまえば、僕は一体どうすればいいのだろうか。

憂鬱な気分に密かに浸っている僕に、でも、となのは。

 

「ウォルター君だって凄いんでしょ? “ロストロギア怖い”だっけ」

「壊しな、壊し。それじゃあただのビビリじゃねぇか」

「にゃはは……」

 

 頭をかきながら笑って誤魔化すなのはに、なんとも言えない視線を送る僕。

僕の方の事情も、ムラマサの事以外はあらかた話した。

なのはの方はそれで納得してくれたようなのだが、ユーノの方はどうやら僕の事を疑ってかかっているらしい。

事実彼は、僕への敵意を隠さずなのはの肩に座りながらじっと僕を睨みつけている。

かつての僕ならば、それだけで内心泣きそうになっていただろう。

けれど、民間協力者として管理局に協力し表彰なんかを何度も受けている僕は、嫉妬や誤解で暗い感情の視線を向けられるのは慣れっこだった。

そりゃあ今でも、油断すれば震えそうになるのは確かだ。

できる事なら目をそらして、震える体を抱きしめてうずくまりたい。

けれど、最近は必死にUD-182の事を思い出さなくとも、何とかそんな衝動を抑える事ができるようになってきていた。

自分の成長にちょっぴり嬉しくなりつつも、表面上は呆れたようにため息。

 

「ま、スクライア一族が居るってんなら、協力は無理そうだな。

ジュエルシードは今のところなのは、お前とレイジングハートで管理してくれ。

本当は管理局が来てくれればいいんだが……」

「あ、そうか! 魔力の回復していない僕は兎も角、お前なら長距離念話で管理局に連絡が……!」

「ああ」

 

 と、頷くも、僕は渋い顔をしてみせる。

訝しげな顔で、なのは。

 

「えっと、管理局って魔法の世界のお巡りさんみたいなの、だよね?」

「まぁ、そんなもんだな。

さっきこっそりと管理局に念話を送ってみたんだが……。

タイミングが悪かったみたいだな。

一応ユーノがこっちに来る前に通報しておいたから、近くに巡回していた艦があったらしい。

封印が解けている兆候が見つかればすぐさま向かうつもりだったそうだが……。

今日、午前中に近くで他の事件が発生したらしくてな、そっちに向かってしまったらしいんだ。

ここは次元世界でも辺境な方だ、他に手の空いている艦は存在しないらしい」

「そんな……」

 

 事実である。

管理局は陸もそうだが海も圧倒的に手が足りていない。

ユーノの通報を受けても、ジュエルシードが封印してあったと言う安全性を考えれば、近くを巡回してみるぐらいが限界だったのだろう。

そして一度手を出してしまった事件から手を引くような真似は、管理局の信頼を損ねる。

それが世界崩壊の危機が目前とかなら兎も角、今のところジュエルシードは暴走体を作る以上の事はしていない。

それを集めようとする犯罪者こそ居るものの、それに対抗しうる現地の協力者が居る。

そして何より、僕が、数々の事件を解決してきたSSランク相当の空戦魔導師が居るのだ。

となれば、少しぐらい後回しにされるのも仕方がないと言えば仕方がないだろう。

事情を飲み込んだユーノが、恐る恐る僕に聞く。

 

「……どれくらかかるって?」

「10日近くかかるそうだ。それも順調に行けばであって、何かトラブルが起きれば、もっとかかるかもしれない」

「そうか……」

 

 落ち込むユーノだが、僕もそれは同じだ。

僕は今非常に弱っており、更に回復速度もリニスに魔力を取られている為遅くなる。

無いとは思っているのだが、もしもフェイトが何かの拍子にリニスの命を無視してでも僕を狙ってくれば、敗北の危険性も充分にあった。

だからなのはにジュエルシードを託しているのだが、それでもプレシアの態度次第では僕を襲ってくる可能性は否定できない。

勿論会った当初のフェイトなら、そんな事はしないだろうと思える。

だが、ほかならぬ僕がフェイトを励まし「自分の心が何をしたいと思っているか、考え続けるんだ」なんて言ってしまったのだ。

僕如きの言葉がフェイトの心をどれだけ変えられたか分からない。

けれど僕の言葉の通り、リニスの命とプレシアの願いを天秤にかけ、プレシアの方に傾いてしまえば、僕を襲ってくる可能性も無いとまでは言えないのだ。

何せ僕は魔力供給を受けたSSランクのプレシアにハンデ有りで勝ちかけたのだ、フェイトが僕に勝つ方法はそれしか無いだろうから。

だからできれば僕も管理局の保護を受けたい所だったのだが、それは不可能なのであった。

 

「ま、そういう訳だから、互いに別れて行動するとするか。

いいか、ジュエルシードの封印以外の事は、俺に任せておいてくれ。

ここ数日でジュエルシードを封印したらお前たちに渡しに来るけど、そのうち回復したら受け取りに来るよ。

そういう事になるが、何か……」

「待って」

 

 異論はあるか、と言おうとして立ち上がろうとした瞬間、グイッと服の裾を引っ張られる。

どうしたものかと視線をやると、なのはと目があった。

ドキッとするぐらい、真っ直ぐな瞳。

それでいて何処か懐かしさを感じさせる瞳だった。

 

「私、まだウォルター君とユーノ君が協力できない理由を、聞いていないよ」

「あー……」

 

 ため息。

腰を下ろしつつ、ユーノに視線をやる。

流石にこれは僕から説明する訳にはいかないだろう。

無言の圧力を受け取ったユーノは、渋々と言った風に口を開く。

 

「僕達スクライア一族は遺跡発掘なんかを生業としている一族で、ロストロギアを発掘する事もたまにある。

そういう一族だから考古学者やその卵も珍しく無いし、僕もその一人なんだ。

そこで、さっき僕はロストロギアを危険で然るべき所に保管されるべき物なんだ、って説明したけれど、同時に、ロストロギアは滅んでしまった世界の歴史がつまった物でもあるんだ。

つまり、考古学上重要な物って事なんだけど……」

「……あぁ、“ロストロギア壊し”だっけ」

「うん」

 

 と頷き、ユーノはなのはに体を向けて続けた。

 

「こいつ、ウォルター・カウンタックは、犯罪者を捉えて賞金を得たり、民間協力者として管理局に協力したりしている奴なんだ。

何度もミッドでニュースになるぐらいの大きな事件に関わっていて、そのうち何度かはロストロギアに関わっているんだけど……。

その何度かで、いくつものロストロギアを壊しているんだ」

「一応、4つな」

 

 と補足を入れると、物凄い速度でこちらを睨みつけるユーノ。

歯をむき出しにしてシーッ! と鳴き声を上げ、威嚇のポーズを取る。

 

「数は問題じゃないっ!

いや、問題ではあるけれど、一個でも故意に壊した時点で君は最悪だろうがっ!

例えばムラマサ、あれが歴史的にどれだけ価値がある物だったと思っているんだっ!

人類の築き上げてきた歴史を、君は一体どれだけ軽視しているって言うんだっ!」

「あー、すまん……」

「謝るぐらいなら最初からロストロギアを壊すなっ!」

 

 罵声を浴びせるユーノに、こちらとしては謝る他無いのだが、それさえもユーノの神経を逆撫でする行為でしかなかったようだ。

まぁ、僕は関わった事件のいくつかで、ムラマサを始めとするロストロギアを壊した事がある。

勿論理由あっての事なのだが、報道ではそんな事まで言われない訳で、僕は一部の考古学者には“ロストロギア壊し”として忌み嫌われているのだ。

特にムラマサについては完全に私的な理由で破壊したのだ、言い訳のしようがない。

何せアレの殺人経験の付与と転生機能はティグラの証言からしか分からず、裏付けがとれていないままだったのだ。

無論破壊した事を後悔こそしていないものの、こういう状況になるとなんとも言えない気分であった。

 

 静かにユーノの言葉を聞いていたなのはが、うん、と一つ頷いた。

まず、ユーノに視線をやり、強い口調で一言。

 

「ユーノ君、ちょっと待ちなよ。

ウォルター君がロストロギアを壊した理由、本人から聞いた事があるの?

もしかしたら人の命に関わる事だったのかもしれないんだよ?」

「え? あ……」

 

 と、それで頭が冷えたようだ、野生の瞳になっていた目に理性を取り戻すユーノ。

内心ほっとすると同時、グルっと回転し、なのはがこちらへ視線をやる。

別段怒っている様子は見えないものの、何故か威圧感のある顔であった。

ぶっちゃけ、ちょっと怖い。

内心腰が引けそうになるのを、どうにか根性で抑える僕。

 

「ウォルター君も。

ユーノ君が気が立っているなら言葉を選ばなきゃいけないし、謝るならきちんと理由を言わなきゃ駄目だよ」

「お、おう、すまなかった、ユーノ」

「う、うん」

 

 どうやらなのはの威圧感はユーノも感じているらしく、アッサリと答えを貰えた。

といっても、僕がロストロギアを破壊した理由は特秘に引っかかる事も多いし、話せる事は少ない。

それで納得してもらえるかどうか、と悩んでいる時である。

ぽん、と両手をあわせ、そうだ、と笑顔になるなのは。

 

「ねぇ、ウォルター君、家に泊まらない?」

「……はい?」

「……えぇ?」

 

 思わずユーノと輪唱してしまった。

そんな僕らを置いてけぼりにしつつ、なのはが続ける。

 

「あまり戦えないっていうウォルター君も回復が早くなるし、ホテル代だって結構高いでしょう?

それにユーノ君とは今日はこんな事になっちゃったけど、ユーノ君はとっても良い人だから、一緒に暮らせば仲良くなれるよ。

ね、いい案でしょう?」

「いい案でしょう? って、あのなぁ……」

 

 思わず頭をかきむしりながら、呆れた視線を返す僕。

にゃははと笑うなのはに対し、僕は表面上平静を保っていた。

が、内心では僕はパニックになっているのであった。

 

(どどど、どうしよう、ティルヴィング! クイントさん家以外に泊まるのって初めてだよっ!)

『貴方が思うままにすればいいのでは?』

(っていうか、年下の子との接し方にも慣れていないのに、すぐ近くとか、仮面の事がバレたらっ!)

『大丈夫かと思いますが』

 

 ティルヴィングは気楽に返してくるが、僕としては心臓がバクバク言うのを止められないぐらいだった。

駄目だ、なのはに僕の本性がバレてしまい、連鎖的に僕の知人や世間にバレてしまうのが容易に想像できてしまう。

僕の生き方は、全ての人に対する裏切りでもある。

クイントさんの、そしてリニスさんの敵意の篭った冷たい視線を想像すると、まるで胃が鉛になったかのように重くなる。

ばかりか、偽物の人生を送る僕の言葉など、誰も聞いてくれなくなるだろう。

僕はそこで、UD-182の志を継ぐという、生きる意味にすら等しい事すら無くしてしまうのだ。

この命よりも大事な、たった一つの信念を、である。

思わず引きつりそうになる表情筋を全力統制、何とか呆れ顔のままに、全身全霊を賭して彼女の言葉を否定する言葉を探す。

 

「いくらなんでも、それは家族が承知しないんじゃあないか?」

 

 結局出てきたのは、こんな定型文だった。

シンプル・イズ・ベストだ、これを打破するのは容易くは無いだろう。

内心ほっとため息をつく僕。

それを尻目になのはは、うーん、と人差し指を顎にやりながら空を見上げつつ考え、口を開く。

 

「大丈夫だと思うよ、うちって昔からお客さんが泊まっていく事が多くて、今は居ないけど居候さんも居た事があるんだ。

だから私から言えば、お父さんもお母さんも許してくれると思う」

「そ、そうか……」

(どうしようティルヴィング、なのはの家庭が自由過ぎるっ!)

『ですから泊まっても何とかなるのでは?』

 

 気楽な返ししかしてくれない役に立たないティルヴィングの事は捨て置き、マルチタスクを全力展開。

脳が焼けつくような高速思考で続く反論を唱える。

 

「でも、俺の事はどう説明するんだ? 10歳児で泊まらせてくれなんて、学校行けよって話になるし」

「うーん、そっかぁ……」

 

 顎に置いていた指を唇にやり、ぽんぽんと唇を叩きながら悩む様子のなのは。

よし、勝ったっ!

と、謎の勝どきを内心で上げる僕を尻目に、なのははくるりとユーノに向き合い、言ってみせた。

 

「いっそ、私の家族に魔法をバラすのって駄目かな?」

「何ぃっ!?」

「えぇ!?」

 

 思わず変な声を上げてしまう僕とユーノ。

唖然とする僕らに、なのはは手を膝の上に戻し、説明する。

 

「だって今は、これまでと状況が違うよね。

私が学校に行っている間はウォルター君しかジュエルシードを封印しにいけないし、ウォルター君は怪我でフェイトちゃんに勝てないかもしれないんでしょ?

それでフェイトちゃんにジュエルシードが渡れば、そのままプレシアさん、ウォルター君を殺す気で魔法を使うような人の手にジュエルシードが渡っちゃう。

流石にこれは、学校に行っている場合じゃあない事かな、って思うんだ」

「う……まぁ、そうだけど……」

 

 渋々と頷くユーノ同様、僕もここまでは反論できない。

僕もプレシアがジュエルシードを何に使う気なのか知らないが、碌でもない事だろう事ぐらいは推測できる。

その為になのはに学校を休んでもらいたいと言うのは、本音ではある。

黙って続きを促すと、うん、となのは。

 

「流石に何も言わずに学校を休ませて欲しいって言うのは、無理があるかなって思うの。

せめて何処か別の所に滞在しなくちゃいけないとかじゃないと、詳しい理由を話さなきゃいけないかな。

お母さんは説得できるかもしれないけれど、それにしたって進展とかを話さなきゃ納得してくれないと思う。

だから、どうかな?」

「……殺人を厭わない違法魔導師の手に危険なロストロギアが渡る事を防ぐ為の処置とすれば、アリだと思うけれど……」

 

 ユーノが漏らすのに、僕は一旦目を閉じる。

とりあえず、僕の仮面がバレるバレないは置いておこう。

いや、置いておける程軽い問題では無いのだが、僕の努力で解決できる問題ではある。

暗い想像に可能なら泣いてしまいたいぐらいなのだが、何とか思考をストップ。

なのはの提案を数回暗唱、吟味する。

 

 なのはの態度は、少しおかしかった。

普通、危険な事に関わって、もういいと思ったらまだ関わらねばならないと言う時に、これ程積極的な訳が無い。

とすれば、何か理由があるだろう。

もしそれが心から望む事ではなく、表面的な何かであったとすれば、なのははそんな事の為に命を賭ける事になってしまうのだ。

そんな事は見逃せない。

そして何より、UD-182の遺志を受け継ぐ僕が、本当の願いじゃない仮初の願いで動く少女を見逃す事など、あってはならないのだ。

故に僕は、それが単なる功名心とかでは無い事を見ぬかねばならない。

なのはの顔に合わせ、目を開いた。

全身全霊を込めて、その視線に僕の意思が宿るよう力を込める。

気の所為か、なのはが僅かに退いたような気がした。

 

「……元々、俺が全快だったら、なのはにはジュエルシードの探索から手を引いてもらうつもりだった」

「……っ!」

 

 息を呑むなのは。

事実であった。

ジュエルシードが暴走体を生み出す以外にどれほどの危険を内包しているのかは分からないが、全快の僕が居れば事足りる。

そもそもロストロギアはどれほどの危険性を持っているか分からないものだ、普通それに素人を関わらせる訳にはいかないのだ。

 

「だが、俺は見ての通り、満身創痍だ。

なのはに力を貸して欲しいとはこちらから頼むつもりではあった」

「……うん」

「けれど、そっちから申し出てくるとは思っていなかった。

何か理由があるんだな?」

「うん!」

 

 勢い良く頷くなのは。

その瞳には欠片の濁りも見えはしない。

青い瞳はどこまでも広く、まるで青空のように爽やかだ。

その瞳で静かに僕を見据え、残る言葉を続ける。

 

「プレシアさんのように危険な人の手にジュエルシードが渡るって事は、この世界も危ないって事だよね。

なら、私はこの世界の住人として、この世界を守りたい。

少しでもその力になりたいんだ」

 

 なのはから威圧感を感じ、僅かに僕は身構える。

まるで物語の中の英雄のような、凄まじい威圧感であった。

受けるだけで心が弾み、心の中の曇り空が一気に晴れていくかのような感覚。

なのははUD-182とはまた違う、不思議な精神の持ち主であった。

総毛立つような凄まじい覇気であるが、幸い僕はUD-182で慣れている。

表情一つ変えず、僕は目を細めた。

 

「……それだけじゃあ、ないな」

「にゃっ!?」

 

 と、あっさりなのはから感じる威圧感は掻き消えた。

つんのめるようにユーノが落下しそうになるのを支えてやりつつ、クスリとほほ笑みながら続ける。

 

「ま、功名心とかそういうのじゃないみたいだし、話したい時に話してくれればいいさ。

と言うことで、頼む、なのは。

俺に力を貸してくれ」

「……うん、勿論だよっ!」

 

 手を伸ばすなのはに呼応して、僕もまた手を伸ばす。

手と手が触れ合い、その体温が互いに伝わった。

暖かな温度に少しだけ口元の笑みを深くし、握手する僕ら。

握り返した手の力は、少し意外なぐらい強く握り締められていた。

 

「それじゃ、お前の家族への説明でも考えながら、行くとするか。

っとその前に、短い間だろうが、世話になるぜ」

「えへへ、こちらこそっ」

 

 頭を下げると、にっこりと返される。

花弁の開くような可憐な笑みに、フェイトの時と同じように内心少しだけドキリとしてしまった。

それから、いつの間にか頭の中から消え去っていた、年下の子の家に泊まる緊張感が戻ってくる。

し、しまった、いつの間にかなのはの家に泊まる事を納得させられていた。

急ぎティルヴィングに相談するも、適当な返事しか帰ってこない。

どうすればいいのか、頭を悩ませながら、僕らは一路高町家に足を伸ばす事になるのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 フェイト・テスタロッサは再び時の庭園に戻っていた。

と言うのも、ウォルターを排除してすぐにプレシアが吐血、そのまま倒れてしまったままなのだ。

プレシアは意識を取り戻した時に、フェイトに地球に行くよう命令した。

プレシア曰く、吐血は魔力の使いすぎによるものだと言う。

時の庭園の駆動炉の魔力を供給し、身に余る魔力を使って戦う必要があったのだとか。

とすれば、吐血も一時的なものだ。

その為心配ではあったもののフェイトは母の命令に従い、一旦地球に行ってきた。

が、今度はあの白い魔導師ばかりかウォルターまでもが出てきてしまったのだ。

白い魔導師なら兎も角、ウォルターは強敵である。

ウォルターは大怪我をしており、本人曰く魔力が半分以下になっている筈だった。

が、仕草の何処にもぎこちない物は無く、魔力はフェイトの全力より更にあるようだったのだ。

口では勝てるかもと言っていたフェイトだったが、流石にウォルターには勝ち目が薄いと考え、その場は逃げ去った。

 

 例えぶつかる事があるとしても、もっと切羽詰まってからの事になるだろう。

ウォルターが回復する事も考えられるが、あの大怪我である。

リニスにかなりの魔力供給をしなければいけない以上魔力はほぼ回復せず、更に回復魔法を使う余裕は恐らく無い。

とすれば、完治までには半月以上かかると言うのがフェイトの目算だった。

それだけあれば、残るジュエルシードを集め終え、直接対決となるまでの時間はあるだろう。

 

 暗い道を歩きつつ、フェイトはゆっくりと母の部屋を目指す。

アルフは難しい顔をしながら、私はそこらで待っているよ、と言って別行動していた。

精神リンクとこれまでの経験から、アルフの行動の理由はプレシアに対する怒りでどうにかなってしまいそうだからだろうと分かる。

板挟みになっているアルフに内心謝りつつも、フェイトは、でも、と思う。

でも、母さんが私を鞭で打つのは、私の事を思っての事なんだ。

だからアルフにも、母の厳しい優しさを、理解して欲しい。

と思うフェイトだったが、安々と納得するアルフを想像してみると、それはそれでなんだか胸がモヤモヤする。

私って我儘だな、と思いつつ、フェイトは母の部屋の近くにたどり着いた。

 

 プレシアの寝室は、ドアが少し開いたままになっていた。

恐らくプレシアが意識を取り戻した時にそうなってしまったのだろう。

きちんと閉めてあげなきゃな、と、少しでも母の世話をできる事に、フェイトの内心は暖かな物で溢れそうになる。

その前に一目見て、一声かけて、それからにしなくちゃ。

そう考え、フェイトが扉に近づいた時であった。

 

「……シア、後少しだけだから、待っていてね」

 

 プレシアの声。

良かった、意識があるんだ。

嬉しく思いながら近づくフェイトだったが、次いでどんな独り言を言っているのだろう、と気になってくる。

はしたない行いだと思いつつも、少しだけ耳を傾けてみるフェイト。

 

「それにしても、たった4つとは、あの子……フェイトは、使えないわね」

 

 胸を撃ちぬかれたかのような衝撃が、フェイトを襲った。

ぽっかりと胸に空洞が開いてしまったかのように、胸の奥が空虚だ。

震える膝に力を入れて、どうにか直立を維持しようとするも、それすらままならない。

頑張っているつもりだった。

必死でできる事をこなしているつもりだった。

それでも自分が母の期待に応えられていないのだと思うと、フェイトの胸がまるで白黒写真のように彩りを失っていく。

 

 しかし同時に、僅かにその奥で燃え盛る炎があった。

あの日、ウォルターの言葉を聞いてから、逆境になると出てくる、不思議な心の炎が。

——絶対に、諦めるな。

あの胸を貫く圧倒的熱量がフェイトの心の支えとなり、辛うじてフェイトを立たせる。

母さんを幸せにするまで、絶対に諦めない。

使えないって言うのなら、使えるようになるまで頑張ってみせるっ!

内心の心の吠えに縋り、フェイトは瞳に力を戻す。

しかしそれも、次の言葉を聞くまでだった。

 

「所詮あの子はアリシアの代わりの人形、使えないのは元々、かしら」

「……え?」

 

 思わずフェイトは聞き返してしまった。

それが聞こえた訳では無いのだろうが、続くプレシアの声。

 

「記憶転写型クローン……、あれは結局失敗だったわ。

折角アリシアの記憶をあげたのに、人格は全然違う」

 

 母さんは、何を言っているのだろう。

思考を拒否しようとするも、優秀なフェイトの頭脳は、すぐさまその内容を理解してしまう。

フェイトは、アリシアと言う子の記憶転写型クローンなのだ。

そう考えれば、恐らくフェイトが生まれたのは、5歳の黄色い閃光の事故から回復した時。

その前後でプレシアが変わってしまった事を考えると、理解したくないのに、納得がいってしまう。

ずっと母が変わってしまったのだと思っていた。

母が優しさを表に出せないぐらい辛い状況になってしまったのだと思っていた。

けれど違うのだ。

変わってしまったのは、アリシアと言う子と入れ替わりになった、フェイトと言う自分の方だったのだ。

 

 証拠はいくつかある。

例えば、元々フェイトには偶にアリシアと呼ばれる記憶が蘇る事があった。

記憶違いだと思っていたけれど、それがもし、自分の持つ記憶では無かったのならば。

例えば、フェイトは記憶の中では魔法を使った事が一度も無い。

大魔導師プレシアの娘なのに、ほんの少しも興味が無かったのだ。

それが、フェイトとして生まれ直した時に魔法を使えるようになったのだとすれば。

 

 プレシアはまだフェイトに対する罵詈雑言を吐いていたが、少しも耳に入らない。

すべての事実が言っているようだった。

お前はただのアリシアの代用品でしか無かったのだと。

お前に母の愛情を受け取る資格など、元々無かったのだと。

母の悲しみは、不幸は、全てお前が原因なのだと。

 

「私が、アリシアになれなかったから……母さんは悲しんでいる」

 

 フェイトを叱るのも、フェイトの事を思ってなどではない、少しでもアリシアに近づくよう願いを込めて。

優しい言葉をかけてくれるのも、フェイトではなくアリシアに言っているだけ。

母が、プレシアがフェイトにかけてくれたのは、罵声だけなのだ。

優しさなど、欠片もくれた事は無かったのだ。

 

 胸を渦巻く感情に比して、不思議とフェイトは冷静に行動できた。

母にフェイトが真実を知ってしまったとバレるよりも早くその場を離れ、アルフが寄り付かない範囲で一人になれる部屋に入る。

ただでさえフェイトの心と通じあって辛い思いをしているアルフなのに、これ以上心労を負わせる訳にはいかないからだ。

扉を閉じて、部屋にある椅子に腰掛け、がらんどうになった体を預けた。

泣いても叫んでも大丈夫な状況ができたと言うのに、何故だかフェイトの目には涙一つ浮かんで来ない。

あるのは、ただ脱力だけだった。

 

「母さんの言葉は、全部私じゃなくてアリシアの為の物だった……」

 

 事実である。

空っぽになった心に、フェイトの言葉だけが寂しく響いた。

何もする気になれなかった。

何も考える気になれなかった。

暫くはこのままぼうっとしていたかった。

 

 けれど。

フェイトの心に、小さな炎が沸き上がってきた。

 

 ——お前は、プレシアの事が大好きなんだろう?

それなら、どんな障害があってもその心だけは本物だと、信じ続けるんだ。

例え心裏切られる事があっても、自分の心が何をしたいと思っているか、考え続けるんだ。

 

 蘇るのは、ウォルターにかけられた言葉だった。

心の奥底に、火が灯る。

全身を沸騰したかのように熱い血液が巡り、体中にぎゅっと力が入った。

歯を噛み締め、両手を握り締める。

居ても立ってもいられなくて、立ち上がるフェイト。

 

 そうだった。

例え母が自分の事などアリシアの代わりぐらいにしか思っていなくても。

例えそれが植え付けられた、紛い物の記憶による物だとしても。

自分が母の事を好きな気持ちにだけは、偽りは無いのだ。

 

「私は……、母さんが好き、大好きっ!」

 

 叫び、フェイトは自身を抱きしめ膝をついた。

冷たい床板と触れ合うけれど、熱を吸い取られると言うよりも、逆に床を溶かしてしまいそうなように思える。

叫んだ喉は少しだけ痛くて、けれどその痛みが何故か心地よかった。

 

「私は、ウォルターと約束したんだ……」

 

 言い、フェイトは空中に拳を繰り出し、ウォルターとしたように、拳を空中に軽く打ち付けた。

あの時の思いが、胸の奥に蘇る。

そう、フェイトはウォルターと約束し、自分に誓ったのだ。

——自分がプレシアの苦しみの一因だったとしても、それなら自分はプレシアを笑顔にする存在に変わってみせる、と。

 

「だから私は、変わってみせるっ!」

 

 叫び、母の事を思う。

きっと母は、フェイトがアリシアじゃあなかった事に酷く落胆しただろう。

それで一度はリニスに教育を全てやらせていたのだ。

けれどそれでも諦めきれなくて、研究を続けながらフェイトをアリシアに近づける為に、フェイトの事を教育し始めたのだろう。

鞭を打ちながらも、心の奥ではフェイトがアリシアになれなかった事に涙していたに違いない。

ロストロギアを集めるのも、きっと少しでもフェイトをアリシアに近づける研究のため。

思えば、集めてきたロストロギアは魂だのなんだの、人格を変化させる事ができそうな物があったような気がする。

母は、フェイトがアリシアになる事を望んでいるのだ。

だから。

だからフェイト・テスタロッサは。

 

「私は、なってみせる……アリシア・テスタロッサにっ!」

 

 フェイトの知るアリシアの記憶は、5歳までの物だけ。

当然不明瞭で、覚えている事はそう多くはない。

険しい道のりになるだろう。

けれど、やってみせるのだ。

あの頃の記憶を、アリシアの記憶を思い出し、その通りに行動するようにしてみせるのだ。

少しでもアリシアに近づき、母の笑顔を取り戻してみせるのだ。

 

 ジュエルシードを集め終えるまでは、魔法を使う為にフェイトでいなければならないだろう。

けれどそれさえしてみせれば、フェイト・テスタロッサは終わり。

それからは、アリシア・テスタロッサになろうとする、新しい自分になるのだ。

 

 そこまで思ってから、ふと、フェイトはアルフの事を思った。

きっとアルフは悲しむだろう。

泣いてしまうかもしれない。

けれど母が大好きだと言うアリシアは、きっと優しさだって充分過ぎるぐらい持っている筈。

ならばアルフにだって、自分などよりよっぽど優しくできるだろう。

だから、アルフの前からフェイトが消えてしまう事を、許して欲しい。

 

 フェイトは静かに目を閉じ、手を組んで祈った。

誰にかは知らない。

母か、ウォルターか、それともアリシアにか。

ただ、決意だけが胸にあった。

必ず母を幸せにしてみせると言う熱く燃え盛るような決意だけが、フェイトの胸の奥を渦巻いていたのだった。

 

 

 

 

 



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2章4話

 

 

 

 蒼穹の元、潮の香りがなのはの鼻に届く。

海鳴市の山中、眼下には広く緑が広がり、広大な裾野へと続いていた。

雄大で、心落ち着く風景である。

そんな光景を目前にしながらも、なのはの心は静寂とは異なる場所に立っていた。

 

「なのはっ!」

 

 ユーノの声に頷き、なのはは愛杖レイジングハートを構えた。

シューティングモードとなったレイジングハートは、先端の宝玉を囲う黄色の飾りが不均等な二股に分かれている。

その長い方の先端に、桜色の光が集まり始めた。

魔力のチャージである。

普段ならば悠然と待つ事のできるその時間も、なのはの焦りが慌ただしい物にしてしまう。

——もっと、もっと早く!

背中に感じる視線を意識し、なのはは全力でチャージを早めた。

ジュエルシードモンスターである大鳥は、ユーノの緑色のチェーンバインドに捕まっているが、もがき続けている以上何時それが外れるか分からない。

もしここで逃げられてしまえば、彼の目前で無様を見せてしまう事になる。

なのはは、それをどうしても避けたかった。

故に焦燥は募りに募り、レイジングハートを構える手は汗で強くベタついてくる。

瞬間、大鳥の足掻きが強くなり、チェーンバインドが軋む音が強くなった、ような気がした。

 

「ディバインバスターッ!」

 

 次の瞬間、思わずなのはは叫んでいた。

目にも留まらぬ超高速でレイジングハートの周りを魔力の帯が円を形成、杖を固定した後魔力を放出。

桜色の光線が発射、大鳥と激突する。

力強い閃光と共に、大鳥が巨大な悲鳴を上げた。

ガチャガチャと金属音を立てながらチェーンバインドを揺さぶり、天空へ向かって吠える。

 

 やったか。

内心でそう呟くなのはの期待を裏切り、大鳥は消え去る事は無かった。

羽は所々抜け落ち、体中に煤を貼り付け、それでも大鳥はまだ健在であったのだ。

しかもなのはのディバインバスターとの干渉で、ユーノのチェーンバインドは切れてしまっている。

10分近くかけてユーノの元まで追い込んだ努力が水泡に帰したかと思った、その瞬間であった。

 

『縮地発動』

 

 レイジングハートよりも、更に機械的に思える女性の声。

同時、背後から大鳥へと白い稲妻が走ったかと思うと、次の瞬間大鳥は真っ二つになっていた。

まるで二つに分かれた事に気づかないかのように、鳥は羽ばたこうとし、失敗。

きょとんと自身に触れてから、ようやく悲鳴をあげようとするも、真っ二つになった大鳥に声は上げられない。

悲鳴のような小さな音を残し、核となったジュエルシードを残して大鳥は掻き消えた。

そのジュエルシードも光はすでに無く、大鳥を裂いた一撃で封印まで同時に行なっていた事が容易に知れる。

 

「ま、こんなもんか。なのはは後で説教な」

 

 と言いながら、ウォルターは軽々しくジュエルシードを手にとった。

彼の斬撃は、発声を必要とする魔力付与斬撃ですらない、通常の付与斬撃。

なのはが必殺のディバインバスターでようやく出せるだけの出力を、ウォルターはただ近づいて切るだけで出してみせたのだ。

心の中を、小さな嫉妬が渦巻く。

——私はその分、遠くから攻撃できるもん。

そんな当たり前の事を内心で呟きつつ、なのははそれを表情に出さないようにしてウォルターを迎えた。

表情筋の統制は、苦にならない。

ずっと一人だった頃に、家族に心配をかけないようにと慣れてしまった。

 

「お疲れ様、ウォルター君」

「そっちこそお疲れ様、なのは」

 

 言ってウォルターが差し出すジュエルシードを、なのははレイジングハートで受け取る。

他愛のない行為だけれども、それがなんだかウォルターに上から見下ろされているような気がして、なのはの心がチクリと傷んだ。

思わず、口から刺々しい言葉が漏れ出る。

 

「思うんだけど、ウォルター君の方が強いんだし、ジュエルシードもウォルター君が持ったほうがいいんじゃないかな」

「んー、フルスペックを出せるかって言うのも意味が大きいし、対人戦だとまだお前の方が上だと思うからな、まだ持っていてもらいたいんだが」

「それなら、分かったよ」

 

 と言いつつ、なのはは続こうとする醜い言葉を内心に留めた。

本当は私なんて必要ないのに、情けをかけているんじゃあないのか。

そんな言葉を口に出すなんて、想像するだけで嫌気が差す。

そんな事を言おうとしてしまった自分に嫌悪感が湧き、なのははぐっと口内を噛み締め我慢した。

今必要なのは、ウォルターを迎える為の笑顔だ。

今の自分には、それぐらいしかできないんだから。

そう念じて、なのはは笑顔を表情筋に貼り付け、笑った。

 

「じゃあ、お家に帰ろう、ウォルター君」

「おう、行くぞユーノ」

「……分かったよ」

 

 あれから何度か話してウォルターとの距離を縮めたユーノだが、まだ刺々しい態度は抜けない。

芳しくない返事にウォルターが少しだけ困った表情をするのに、いい気味だ、と一瞬なのはは思ってしまった。

思ってから、凄絶な自己嫌悪に陥ってしまったのだけれども。

 

 

 

 ***

 

 

 

「……と、言う訳で、今回のジュエルシード探索も無事に終える事ができた」

 

 と言い、ウォルターが待機状態のティルヴィングを手放し、先の映像の放映を終えた。

パチン、と言う音と共に暗くなっていた部屋に明かりが灯る。

 

「よくやったな、なのはっ!」

「あぁ、特に今回の相手は俺たちがどう転んでも対応のしようのない相手だったしな」

「凄いよなのは~」

「怪我もなくて、桃子さんも嬉しいわ!」

「にゃはは……」

 

 手放しに褒める高町家の面々に、なのはは思わず頭をかきながら頬を赤く染める。

ジュエルシード集めを始めてからやって良かったと思う事は多々あったけれども、その中で最も良かったと思う事の一つは、こうやって家族に褒めてもらえる事だった。

勿論、なのははこれまで家族に褒めてもらえなかったと言う訳では無い。

ただ、自分のやりたい事を、自分だからできる事をやって褒められると言うのは、初めての経験だった。

なにせそもそもそういう事をやるのはジュエルシード集めが初の経験なのだ、当然と言えよう。

しばし余韻に浸っていたくて、目を閉じすぅっと息を吸い、感じ入るようにするなのは。

しかし、それも次の瞬間までだった。

 

「ウォルター君も、絶妙なフォローだったなぁ」

 

 ぴしり、となのはの内心にヒビが入ったような気がした。

それをどうにか表情に出さないようにしつつ、瞼の裏から再び家族の居る視界に戻る。

すると、食卓のついた全員はウォルターの方へと視線をやっていた。

次々に家族から発せられる、ウォルターへの賛辞。

ウォルターは涼しい顔でありがとう、と言ってそれを受け取ってみせる。

きっと、自分にしかできない事をやって、それを褒めてもらうなんて、ウォルターは慣れっこなのだろう。

そう思うと、皆に常に認められているウォルターと、今やっと足を踏み出したばかりの自分との差が目に見えるようで、なのはは心に影が落ちるのを避けられなかった。

高町家の賛辞は次いでユーノへと移っていたが、なのはの耳にそれは入らない。

ただ反射的に動くだけで、頭の中ではマルチタスクでウォルターの事を考えていた。

 

「さ、そろそろ飯にしようぜ、俺はもう腹が減っちまったよ」

 

 と、ユーノへの賛辞が収まる頃に、ウォルターが言う。

それも絶妙なタイミングで、丁度皆もお腹がすいてきた所だ、と言う事で食事になった。

いただきます、の斉唱のあと、家族みんなにユーノとウォルターで食事に入る。

食卓を目に、なのはは少しだけ目を細めた。

ユーノは使い慣れたナイフにフォークにスプーンで食事をしていたが、ウォルターは箸を使っている。

高町家は最初異世界人たるウォルターに洋食器を渡したのだが、あっさりと箸も使えると言って使い出したのだ。

その分だけ、ウォルターはユーノよりも高町家に馴染んでいるように見えた。

加えて。

 

「ウォルター君、あの一撃の筋肉運用は、矢張りこんな感じで?」

「あぁ、前も言ったが、空戦では下半身の踏ん張りが効かないからな、上半身の力だけで切るんだ。

それを片手でやると、そんな風になる。

もうちょい腕の力の入り方のダイナミズムを強くしたら、完璧かな」

「俺達は常に足場がある事が念頭に入っているからな、新鮮な話だ」

「だね~」

 

 同じ剣の使い手と言う事で、ウォルターは士郎に恭也に美由希とも話が合った。

食卓の上でも時たま、簡単な物とは言え剣術や鍛錬の仕方なども話に上がり、盛り上がっているようだ。

家族の中でも剣術を教わっていないなのはは、その話にはついていけず、何処か浮いてしまう形となる。

かといって、残る桃子とウォルターが話が合わないかと言うと、そうでもない。

 

「へぇ、ウォルター君ってお味噌汁作った事あるのね」

「遠く日本人の血が入ってる家庭にお邪魔した時、何故か一緒に作る事になってな……」

『マスターの体調管理を任されている物として、新しい調理は習得しておきたかった物で』

「あら、ティルヴィングちゃんのお陰だったんだ」

 

 どうやらウォルターは栄養バランスなどの観点から自炊を中心にしているらしく、その料理は10歳児にしては中々の腕前のようだった。

当然桃子には到底及ばぬ腕前だが、それでも話題には共通点があるのだろう、時折二人で料理話に花を咲かせる事がある。

なのはは簡単な料理の手伝いぐらいはした事はあるが、ウォルターのように一食を全て自分の手で作った事は無かったし、メニューを自分で考える事も殆ど無い。

自然、こちらの話からもなのはは置いて行かれる事になってしまう。

かといってユーノに話しかけようにも、こちらもまた家族からの質問攻めにあっていた。

 

「へぇ、そっちの考古学者ってそんな事やるのね」

「遺跡の探検かぁ……、父さんも随分色んな事やったけれど、そんなインディ・ジョーンズみたいな事はやった事ないなぁ」

「頼むからやらないでくれ」

「ははは……」

 

 古代文明の遺跡の発掘者であり考古学者と言うのが珍しいのだろう、皆興味津々にユーノの話に耳を傾けている。

こちらに関しても、勿論なのはも聞き手に回るしか無い。

遺跡や考古学を知っている筈などないし、魔法の関しての話も大抵ユーノやウォルターの方が詳しいからだ。

 

 仕方ない事だ、となのはは理性では分かっていた。

恐らく家族の皆は、異世界の家に上がりこむ形になってしまった二人を気遣い、疎外感を感じさせないように努力しているのだろう。

勿論異世界人への興味は本物だろうが、そういった側面はあるのは確かだ。

ウォルターらを迎え入れた直後はなのはもそうして欲しいと思っていたし、今でも少なくともユーノに対しては思っている。

 

 けれど。

だけれども。

この光景は、まるで自分よりもウォルターの方が高町家に馴染んでいるかのように見えてしまう。

元々なのはが、家族内で一人浮いているような気がしていた、と言うのがそれに拍車をかけた。

何処よりも暖かな家族の中、自分一人だけ薄い膜のような物に取り囲まれているような気分がなのはを襲う。

 

 なのはがウォルター達を高町家に泊めようとした時の説得を、主にウォルターが担ったのがそれに拍車をかけていた。

最初、なのはの拙い説明では家族は誰一人頭を縦に振らなかった。

いや、ウォルターとユーノを家に泊める事は是としたのだが、なのはが引き続きジュエルシードを集めるのには賛成してくれなかったのだ。

 

 そこで出てきたのが、ウォルターである。

言葉に不思議な説得力を持つウォルターは、いとも簡単に高町家の面々を納得させた。

実力的に、怪我のあるウォルターは今なのはの庇護がある事が望ましい事。

それを己の無力さで引き起こしてしまった事。

リニスの命可愛さに、なのはを危険に近づかせてしまう事。

それでもなのはは必ず怪我一つ無く送り返すと約束し、ウォルターは頭を下げた。

そこまで言われても納得しきれなかった家族は道場に行き、ウォルターの強さを確かめた上で、いくつかの問答を終え最終的に納得した。

なのはは一旦その場から離され、問答の詳しい内容は聞いていないが、いくつか条件がつけられたらしい。

先の上映会も、その時の条件の一つである。

そんな風に高町家の面々とすぐに仲良くなったウォルターは、なのはなどよりよっぽど高町家に馴染んでいるように見えるのだ。

 

 当然、なのはが孤独だなどと言うのは勘違いだ。

家族の皆が情に厚く愛情溢れた人なのは分かっている。

なのに、勘違いの筈の寂しさがなのはを取り巻き、中で渦巻いてくるのだ。

抑えようのないそれに、なのはが小さく口元を動かしたのに、目ざとく士郎が気づいた。

 

「なのは、どうかしたか?」

「ううん、なんでもないよ?」

 

 笑顔を貼り付け、なのはは笑った。

かつて良い子でいなきゃと必死だった時の経験が、なのはの演技を支えていた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 昼間。

昼食に高町家に戻ったなのはとユーノとウォルターは、小一時間ほど食休みを取る事にしていた。

そんな余裕があるのは、フェイト達に比してなのは達には幾分か探索魔法が優秀である為だ。

ウォルターの探索魔法はかなり優秀で、加えて魔力譲渡され存分に探索魔法を使えるようになったユーノは更に優秀だった。

ウォルター曰く、二人合わせれば次元航行艦のシステムにも匹敵しうるぐらいだと言う。

そんな元の姿に戻ったユーノと高町家では一悶着あったが、それは兎も角として、二人は非常に有能だった。

 

 桃子のレシピで作られたウォルター作の昼食でお腹一杯になったなのはは、暫く自室でくつろいでいた。

ウォルターの料理は自己申告の通りかなり旨く、桃子の7割ぐらいには届いている、と言った印象であった。

それに女性として密かなショックを受けつつも、なのはは美味しそうに昼食を食べ終え、作ってくれたウォルターに礼を言った。

なのはの中で育つウォルターへの嫉妬が邪魔をしたが、それはまだなのはの律する事のできる範囲内にあったのだ。

それでもあまり長くウォルターと一緒に居ると、醜い自分を吐露してしまいそうになる。

そこでなのはは一人二階の部屋に上がり、先に休んでいると言う事にした。

 

「……ん……」

 

 小さく声をあげ、寝転がりながらなのはは携帯電話を手にする。

暫く会えないと言った友達、アリサとすずかの事を思った。

そのうちアリサとは、喧嘩をしたばかりである。

フェイトの事をどう思っているのか分からず、ぼうっとしていたなのはに、アリサの堪忍袋の緒が切れたのだ。

 

 それを切っ掛けに、なのははアリサとすずかと出会った頃のことを思い出した。

出会いは、喧嘩からだった。

アリサがすずかのカチューシャを取り上げて、すずかはそれを返してと泣きそうになっており、それを見かねたなのはがアリサの頬を張ったのだ。

あれはいけなかった、となのはは自分の事を省みて思う。

結果的に二人とは友達になれたけれど、あの時自分達は分かり合えなかった。

話せなかったから、分かり合えなかった。

それを思って、なのははフェイトの事を知りたいと言う自分の気持ちに気づけた。

だからあの夜、フェイトとの激突の時になのはは思ったのだ。

フェイトの事が知りたい、と。

何もわからないままぶつかり合うのは嫌だ、と。

そしてその時は、自分の中にその先にある思いが、朧気ながら見えたような気がしたのだ。

 

 だがしかし、その次の瞬間、ウォルターが乱入してきた。

ジュエルシードが何だかヤバイ気がする、と言う勘でなのはらの戦いを邪魔したのだ。

勿論、そんな事知る由もないウォルターを責めるのは間違っている。

だがそれでも、あの時の乱入がなければ、となのはは思わずにはいられなかった。

 

「……ウォルター君は、悪くないのに」

 

 呟き、なのはは胸に手をやる。

僅かな膨らみに押し付けるようにして手に力を入れ、リンカーコアを掴もうとするかのようにしてみせた。

そう、ウォルターが悪い人ではないと言うのもなのはには分かっている。

なのはの我儘だと言うのに、ウォルターはなのはをジュエルシード集めに関わらせてくれる為に、高町家の面々に辛抱強く説得をしてくれたのだ。

それにジュエルシード集めの時、なのはが失敗しても、必ずフォローに入ってくれた。

その後にきちんとなのはを甘やかしたりせず叱るし、問題点もきちんと指摘してくれる。

ウォルターは、完璧だった。

唯一そうではないのは、ユーノとの関係か。

そう思ってから、ふとなのはは残してきたユーノとウォルターがどうなっているか心配になってきた。

二人とも善人なのだ、きっと仲良くなれるだろうけれど、その前に喧嘩などしないだろうか。

もしそうなっていれば、止めるのは二人を引きあわせた自分の役割だ。

 

 なのはは勢い良くベッドから立ち上がると、ドアを開き廊下に出る。

それから、そうっと抜き足差し足で一回に降り、あたりを見回すも、二人は見当たらない。

何処に行ったのかと見回していると、小さく二人の声が聞こえる。

なのははゆっくりとそちらへ向かった。

 

 二人は縁側に腰掛けていた。

背の低い草に苔の生えた石、鯉の泳ぐ池。

純和風の背景に西洋系の顔立ちの二人が縁側に腰掛ける風景は、何処か違和感のあるものだった。

ちなみにウォルターとリニスは家の中ぐらいなら離れる事ができるようになっており、リニスは今ウォルターの借りている部屋で寝ている。

にしても、さっきまでウォルターへと持つ醜い感情について考えていたからか、なのははどうも彼を顔を合わせづらかった。

それに、二人の話が上手く行っているのならば、それはそれで話の腰を折りたくない。

咄嗟に隠れて、なのはは二人の会話に耳を傾ける事にする。

 

「そうか……ムラマサ事件の背後には、そんな事が」

「オフレコだぞ。つっても、そもそも背後を全部話した訳じゃあないんだがな」

 

 ムラマサ、と言えば、確かユーノがウォルターに向かって激昂していた時口に出していた、ウォルターが壊したロストロギアの事だったか。

二人が顔をあわせていると、矢張りユーノは何処か刺々しい態度を取るのが常である。

だが今は、ユーノの態度から刺々しさが抜け落ちているかのように思えた。

不思議に思いつつ、続けて耳を傾けるなのは。

 

「それでも、君が何も考えずにロストロギアを破壊したんじゃあないって事は、よく分かったよ」

「いや、その、スマン、歴史的価値とかはあんまり考えてなかったぞ?」

 

 ウォルターは静かなユーノの声に、思わず、といった様子で頭をポリポリかいてみせる。

何とも居心地が悪そうな様子に、しかしユーノはくすりと笑って答えた。

 

「そうみたいだけどさ、君が金や名誉の為じゃなくて、誰かの命や心からの願いの為に戦ってきたのは分かったよ。

そりゃあ、僕は必ずしも誰かの願いが歴史より重要だとは思わない。

君の行動に納得できない時だって、きっとあるだろう。

だからその時は、ぶん殴るぐらいはさせてもらうさ」

 

 言って、軽くウォルターに拳を突き出すユーノ。

ウォルターは掌を広げ、ポスン、と軽い音を立ててそれを受けた。

あの男臭い笑みをニヤリと浮かべ、炎の瞳でユーノを見据えて言う。

 

「そうだな、殴られっぱなしになるつもりはねーから、そんときゃ喧嘩だ。

ちゃんと喧嘩になるよう鍛えてこいよ?

弱いもの虐めになっちまうからな」

「上等さ、遺跡生活のスクライア一族の体力を舐めるなよ?」

 

 一斉に二人は手を引き、睨み合う。

一触即発か、と飛び出そうと慌てたなのはを尻目に、二人はニヤリと微笑んだ。

示し合わせたかのように腕を差し出し、互いの腕を中間で組んでみせる。

小さく互いに微笑み、ぎゅ、と組んだ腕に力を入れたかと思うと、すぐに腕を解き、立ち上がった。

まるで仲の良い友達のような動きに、なのはは思わずぽかんとしてしまう。

それが災いして、振り返ったウォルターとユーノと、目があった。

 

「あれ? なのは?」

「さっきからそこに居たけど、どうしたんだ?」

「って、君は分かっていたのかよ……」

 

 理由の分からない衝動が、なのはの胸を襲った。

こみ上げてくる何かが内側から顔面にぎゅっと押し付けられるかのようで、こらえ切れない。

気づけば、ぽつり、となのはは涙をこぼしていた。

 

「ってなのは!?」

「おい、お前どうしたんだよ!?」

 

 分からないよ。

そう呟こうとするも、なのはの口は声にならない声を出すのみで、意味ある言葉を発せなかった。

その場で座り込んでしまいそうになるのを、最後の精神力で押しのけ駆け出す。

 

「お、おいっ!」

 

 足の早いウォルターが追いかけてくるのを感じながら、なのはは二階へと駆け上がり、自分の部屋へと飛び込んだ。

ベッドに飛び込み、顔を押し付けるようにして咽び泣く。

胸の中に感情の固まりがあって、それをどうにかして吐き出してしまいたいような気分だった。

嗚咽を漏らし、ベッドをつかむ手に渾身の力を込め、それでも出来る限り小さな声で泣き続ける。

それは根付いた迷惑をかけたくない心故にか、自分が泣いていると言う事実を嫌がっている故にか。

兎に角なのはは、泣いた。

体中の水分が抜け落ちてしまうんじゃあないかと思うぐらいに、泣いた。

 

 暫く経ち、ようやくなのはの涙が収まってくると、なのはの内心は少しだけスッキリとしていた。

代わりに罪悪感が立ち上ってきて、チクリと心が痛む。

いきなり泣きだしたりして、きっと二人は心配してしまっているだろう。

もう大丈夫だよ、って教えてあげなくちゃ。

そう思って部屋の入り口へと振り返ると、バツの悪そうな顔で立ち尽くしたウォルターが視界に入った。

見るとドアは開け放たれており、よくよく考えれば部屋に飛び込んだなのははドアを閉めた記憶が無い。

泣いている所、見られちゃったんだ。

そう思うと恥ずかしさが顔まで登ってきて、思わず頬が赤くなるのをなのはは感じた。

恥ずかしさをどうにかしようと黙り込んでいるなのはに、ポリポリと頬をかきながら、ウォルター。

 

「まぁ、なんだ……、悩みがあるなら、誰かに喋ってスッキリするって言うのも手だと思うぞ。

俺が嫌ならユーノと代わるし、家族がいいならひとっ走り翠屋まで行って連れてこれるが」

「……ウォルター君でいい。ううん、ウォルター君がいいの」

 

 言って、なのははベッドに座るようにし、尻をずらしてウォルターの座るスペースを作る。

いいのか、と問うウォルターに無言で頷き、なのははウォルターを隣に座らせた。

なのはの顔を覗きこむようにして見る、ウォルター。

泣いた後の顔をじっくりと見られるのが嫌で、なのはは俯いたまま黙りこくる。

静かに時間だけが過ぎ去っていた。

ジュエルシードは待っていてくれない、話すなら話すでさっさと話さなければならないと思うなのはであったが、どうにも口は重かった。

ウォルターが一切急かすような仕草を見せなかったのも、一因だろうか。

暫し時間を置いた後、ようやくなのはは口を開く。

 

「私ね、友達が居るんだ。

アリサちゃんとすずかちゃんって言って、二人ともとってもいい子なの」

「アリサと、すずかか」

「うん」

 

 言って、なのはは思い出す。

ユーノと出会った日、いや、それよりもずっと前から二人に対して感じていた事を。

 

「二人ともすごい子でね、きちんとやりたい事を、夢を持っているんだ。

アリサちゃんはお父さんとお母さんの後を継いで経営者、すずかちゃんは工学系の研究者。

自分だからできる、自分がやりたい、夢を持っているんだ」

「……立派な子達だな」

「うん、私の自慢の友達。

でもね、私には、そんな夢は無かったんだ。

ユーノ君と、魔法と出会うまでは」

 

 気遣わしげに、なのはの視界にウォルターの手が入ってきた。

なのはの手を握ろうかどうか、迷うような動きで近づいてくる。

なのははウォルターも迷うような事があるんだな、と思い、手を伸ばしてこちらからウォルターの手を握った。

ウォルターの手は温かく、少しだけ心洗われるような感じがする。

その感触に微笑みつつ、なのはは続けた。

 

「最初はユーノ君の頼みを聞いているだけだった。

でもね、一度私の失敗で海鳴におっきな木が生えて、大惨事になりかけた事があったんだ。

その時思ったの、これまではユーノ君に頼まれたからやっていただけだけれど、これからは私がやりたいから、この街を守りたいからジュエルシード集めをやるんだって。

私は、自分がやりたい事、自分だからやりたい事を、見つけられたんだ」

「そう、か」

 

 鋭いウォルターはその先の展開が読めたのだろう、罪悪感からか、手を引こうとする。

ぎゅっと握りしめ、なのははウォルターの手を二人の中間に留めた。

 

「フェイトちゃんとの事もそう。

私に何ができるか分からないけれど、あの子の悲しい目を見てから、なんとかしなくちゃ、って思うようになったんだ。

けれど……」

 

 一旦口を閉じるなのは。

次の一言を言うのが、少しだけ怖かった。

これを言ってしまえば、それを認めなければならない。

認めてしまえば——、高町なのははまた平凡なただの小学3年生に戻ってしまう。

少しだけ生まれた、なんとか残っている自信も、消え去ってしまう事だろう。

無意識に、手が少しだけ震えた。

ウォルターが少しだけ、握る手に力を込める。

ぎゅっと握られたそれは、その体温がすぐ近くにずっと居てくれるかのように思えて、少しだけなのはの勇気を引き出してみせた。

 

「ウォルター君が、全部解決しちゃった」

「…………」

 

 もし、ウォルターにできる事が街を守る事だけなら、耐え切れただろう。

逆にフェイトの寂しさを拭う事だけだったとしても、自負を持って耐え切れたに違いない。

けれどウォルターは、完璧だった。

怪我をし魔力を半減しながらもジュエルシードを安々と封印できたし、探索魔法だってユーノと肩を並べるぐらい。

一晩フェイトと話しただけで、彼女の瞳から寂しさをいくらか拭い、それどころか熱く燃える炎のような心を持たせてみせた。

ばかりか、プレシアと言うなのはの知らなかった黒幕まで見つけ、それと互角以上に戦えるのだ。

最早なのはだからできる事は、残されていなかった。

全てウォルターが解決してしまえた。

 

「それでも自分にできる事を探して、ウォルター君とユーノ君の仲立ちかなって思いついた瞬間、二人が仲直りしちゃってさ。

そしたらなんだか、胸が一杯になっちゃって……」

「そうか……」

 

 暫く、沈黙がその場を支配した。

時計の秒針の動く音と、二人の小さな呼吸音だけが響き渡る。

掌の暖かさは変わらず、なのはの手を伝い感じられていた。

 

「……私ね、結構最近まで、結構一人で居る事が多かったんだ」

 

 出し抜けに、なのはは口を開いた。

ピクリ、とウォルターの手が動き、意識をなのはの話に向けるのが見て取れる。

 

「お父さんが大怪我しちゃってね。

その頃は翠屋も開いたばかりだったから、お母さんとお兄ちゃんは喫茶店で忙しくて、お姉ちゃんはお父さんのお見舞いで忙しくって。

私、ずっと一人で居る事しかできなかったんだ」

 

 言いつつ、なのはは思いを過去に向ける。

良い子で居てちょうだいと言われ、良い子にしていれば構ってもらえると信じていたあの頃。

良い子にしなくちゃ、と思ってどれだけ良い子にしても、なのはは一人だった。

触れ合える体温が無く、食べ物は冷えた食事を温めるだけ。

寂しかった。

どうしようもなく寂しかった。

なのははもう9歳だ、それは仕方のない事だったと分かっているが、それでも記憶の中のなのはが寂しさを訴えていたのは変わらない。

 

「そんな風だったから、私、ずっと寂しかった。

だから、フェイトちゃんの目の寂しさも、少しだけ分かるような気がして。

そういう過去を持つ私だからこそ、フェイトちゃんの寂しさを分かち合えると思っていて」

 

 ぎゅ、となのははウォルターの手を握る手に力を込めた。

痛いぐらいに力を込めたと言うのに、ウォルターはそれに応えるように力強くなのはの手を握りしめてくれる。

それが嬉しいような、悲しいような、なんとも言えない気持ちだった。

気遣ってもらえて嬉しくて、同時にウォルターの完璧さを知らされているかのようで。

 

「でも、それは勘違いだったんだね……。

ウォルター君が居れば、フェイトちゃんもきっと大丈夫。

私の出る幕なんて……」

 

 無い、といい切ろうとした、その瞬間であった。

ウォルターがなのはの手を離し、両手でなのはの肩をつかむ。

ぐいっとなのはの体を引っ張り、ウォルターの正面に向かせてみせた。

炎の瞳が、なのはの目を射抜く。

 

「ある。お前にしかできない事が、ある」

 

 ごう、と。

なのはは自分の心の一番奥深くで、炎が舞い上がるのを感じた。

全身を巡る血潮が熱く、指先まで今にも燃えそうなぐらいに熱くなる。

吐く息が、まるで物語の竜の吹く炎の息のようだった。

汗がじんわりと全身から溢れ、肌がしっとりとする。

 

「お前がフェイトの瞳に寂しさを見たように……、俺はプレシアの目に悲しさを垣間見た。

俺にはプレシアが、本当の願いを、本当に歩みたい道を歩んでいないかのように見えたんだ」

 

 じんわりと、体の芯が熱せられているかのようだった。

興奮が全身を渦巻き、心臓は早鐘を打ち、喉はカラカラに乾いてしまう。

けれど不思議と、不快さは全く無かった。

ただ、今にも立ち上がって駆けまわりたくなるような炎熱だけがなのはの内側を渦巻いていた。

 

「俺はあいつをぶん殴って、本当の自分の願いを見据えさせたい。

自分が本当は何を願っているのか、直視させなきゃならねぇ。

といっても、あいつは条件付きとはいえ、SSランクの魔導師だ。

一度は勝ちかけたが、次は何か手段を考えてくるから、一筋縄じゃあ行かないだろう。

多分それで流石の俺もいっぱいいっぱいだ、フェイトを助ける奴が他に要る」

「それが……私?」

「ああ。それに俺は、フェイトからは見上げられているように感じる事がある。

対等な所からフェイトを助けられるのは、なのは、お前しかいないんだ」

 

 炎は最早、ただ燃え盛っているだけではなく、風を巻き起こしなのはの心のなかの暗雲を消し飛ばしてしまうような勢いを持っていた。

蒼穹から陽光の光が心の中に差してくるのを、なのはは感じた。

まるで目の前のどうしても開かなかった扉が開いたかのような、開放感。

 

「私が……フェイトちゃんを助けられる?」

「あぁ。お前ならできる、俺はそう信じている」

 

 心が燃え盛るのを、なのはは感じた。

ウォルターから与えられた熱だけでなく、自分の心の奥底から沸き上がってくる炎を。

いつの間にか、なのはの心に巣食っていた嫉妬や諦めは、消え去っていた。

代わりにどんどんと希望や力が湧いて出てくる。

 

「私が、フェイトちゃんを助ける!」

「応、お前ならできるっ!」

 

 野獣のような男らしい笑みを浮かべながら、ウォルターは叫んだ。

肌にビリビリと来る威圧だが、なのはにはそれがむしろ心地よいぐらいに感じられた。

なのはの中を、様々な感情が駆け巡った。

嫉妬してしまった恥ずかしさ、ウォルターのような強い人間に頼られる誇らしさ、嬉しさ。

責任は思いけれど、何故だろう、それが心地よいと思えるぐらいだった。

胸の中から湧き上がる思いを、なのはは口にする。

 

「それじゃあ、ウォルター君と私は、仲間だね」

「仲間?」

 

 目を瞬くウォルターに、なのはは口元を引き上げ、笑った。

 

「私はフェイトちゃんを、ウォルター君はプレシアさんを。

誰かを助けようとする、仲間」

「……そうか、そうだなっ!」

 

 快活に笑うウォルターは、ようやくなのはの肩から手を離し、腕組みしてみせた。

そんなウォルターに、なのはは握りこぶしを差し出す。

すぐにウォルターも気づき、同じように握りこぶしを差し出した。

かつん、と軽い音を立てて、拳と拳が小さくぶつかり合う。

 

「……約束だよ、私は絶対にフェイトちゃんを助けてみせる!」

「応、俺はプレシアを絶対に助けてみせる!」

 

 男らしく笑うウォルターに、なのはもまた熱の篭った笑みを作ってみせた。

そして内心で、一つだけ自分自身との約束をしてみせる。

口では対等のように言うけれど、ウォルターがなのはより遥かなる高みに要るのは確かだ。

今はまだ隣に立たせてもらっているだけで、隣には立てていない。

だけど、それじゃああまりに格好悪すぎるじゃあないか。

だからいつの日か、肩を並べて一緒に戦えるようになってみせる。

確かな誓いを胸に、なのはは笑ってみせた。

心の奥から、笑ってみせた。

 

 

 

 ***

 

 

 

『マスター?』

「ティルヴィング……」

 

 夜中。

夜になってジュエルシードの探索を一旦中断し、睡眠の為各自部屋に分かれた後。

リニスは可愛いもの好きな桃子さんと美由希さんに託し、僕は一人きりで真っ暗な部屋の中に居た。

カーテンを閉め、電気を全て消し、残る僅かな明かりも魔力で塞ぎ、明かり一つ無い真っ暗な部屋に。

そんな部屋の中、僕は部屋の角に体育座りで座り、左右を壁に挟まれるようにしている。

今広い所に居ると、心のなかの不安がはち切れそうで、掴みどころの無さが怖くて仕方がなかったからだ。

狭い所に居ると、何故か少しだけ落ち着く。

僕のミッドの部屋でも、偶に不安で堪らない夜なんかはこんな風に過ごしていたのだが、それにしても久しぶりにこんな精神状態になった。

恐らく、三ヶ月ぶりぐらいではなかろうか。

此処に来る前の最後の事件は、結構疲れはしたけれども、あまり精神的に来るような事件では無かったので、その為かもしれない。

だとすれば、僕は精神的に全く成長していないのだろう。

そんな自分に嫌気がさしながらも、部屋の中の唯一の光源に向かって話しかける。

 

「なのはは……凄かった」

『そうでしょうか?』

「あぁ、機械のお前には分からないのかもしれないが……、凄い精神力だった」

 

 昼間の事を思い出す。

ジュエルシードの探索の最中の食休みの時間、なのはは癇癪を起こし、泣きだした。

僕は必死に彼女を慰め、元々頼むつもりだったフェイトの事を彼女に頼んだのだけれども。

僕の言葉に呼応するように、彼女は自らの心を燃やしてみせたのだ。

数日前、夕方の臨海公園で見たなのはの精神など、氷山の一角に過ぎなかった。

彼女はUD-182とはまた違う、爽やかで、澄み切った青空のような、広大な精神の持ち主であった。

そして。

 

「UD-182とは方向性こそ違えど……、彼女はUD-182に近い精神の高さを持っていたんだ」

 

 紛れも無い、事実であった。

彼女の誇り高き心は、自覚こそ無いようだったが、周りの人間を巻き込んで何処か高い所を目指していける、素晴らしい物だった。

本物の尊き精神。

僕の紛い物とは、格が違う精神。

 

「あの時のなのはを目の前にしていて……僕は、怖かったんだ。

本物の彼女を前にしたら、僕の紛い物のメッキなんて剥がれてしまうんじゃあないかって。

そしたら僕は……、おしまいさ。

何の価値も無い人間になってしまう。

それだけは、嫌だ。

僕はUD-182の生き方の証明を、生きる意味を無くしても歩んでいける程、強くは無いんだ」

 

 高精度防音結界の中で、僕の震える声が反響する。

ティルヴィングの指導でよく通り聞き取りやすいように調教された声は、壁に反射し、僕の耳へと届いてもまだ明瞭なままだった。

ティルヴィングが明滅、疑問詞を上げる。

 

『私はUD-182を知らないので何とも言えませんが……。

貴方が高町なのはより優れている点をいくつも知っています。

戦闘能力、演技力、交渉力……』

「あぁ、確かにいくつかの部分で僕はなのはに勝っているだろう。けれど……」

 

 天を仰ぐ。

ティルヴィングの緑の輝きに照らされ、薄く天井が見えた。

それでも僕の精神は遥かその先にある夜暗を、あの日と繋がる夜空を見据える。

意外なほど簡単に、僕は言ってみせた。

 

「心でだけは、勝てない」

『…………』

「仮面を被っても、心でだけは勝てないんだ」

 

 絶望的な気分だった。

僕はUD-182と言う、誰よりも高い位置にある精神を目指していた。

必死だった。

演技の裏で胃が痛くなり、反吐をぶちまけた事だって数えられないぐらいある。

一人になれば、偏頭痛や理由のない不安、止まらない震えなんかも日常茶飯事だった。

けれどそれらを全て我慢しながら、3年もの間僕は演技を続けてきたのだ。

だけどなのはは、素の感情で僕の演技の上を行っているように思えた。

僕の努力が、血と汗の結晶が、無価値だと言われたかのようで。

泣かないと言う誓いを覚えていて尚、泣きたいぐらいだった。

 

 何より、これまで僕は信念のために多くの人を犠牲にしてきた。

店主一人じゃあない。

7つもの事件で僕がこぼしてしまった犠牲者は、優に10人を超える。

仮初とはいえそれだけの人を犠牲にして作り上げた理想でさえも、心に炎の点ったなのは相手では劣っているようにしか思えないのだ。

代償にしたのは、人の命だ。

軽い筈がない。

なのに、それだけ重い物を代償にしていると言うのに、この体たらくだ。

自分が情けなくて仕方がなかった。

許されるならば、この手で自身を引き裂きたいような気持ちだった。

 

『私には、分かりません。

心で勝てなかったとして、マスター、貴方は何故そんなにも悲しんでいるのでしょうか』

「お前には……、機械には分からない事だよ」

『そうですか。しかし、いつの日か理解できるよう、精進します』

「あぁ、勝手にやっていてくれ」

 

 言ってから、少しの間だけ後悔する。

ティルヴィングの方から話しかけてきたと言っても、これじゃああんまりじゃあないか。

でも同時に、仕方がなかったんだ、と言い訳を始める自分が居た。

僕はなのはへの劣等感を、吐き出さずにはいられなかった。

そうでなければ、明日からまたなのはから同格の人間を見る目で見られる事に、耐えられそうもなかったのだ。

そしてそうするのと同時にこうやって心がささくれ立つのは、避けられない事だったのだ、と。

 

『マスター、そろそろ就寝時間です。ベッドの上へ』

「あぁ……、分かったよ」

 

 防音結界や傍受阻止結界を解く。

ドアの間から廊下の僅かな明かりが漏れでて、カーテンを透過して月明かりが部屋に差し込んだ。

暗闇に慣らされた目は、そんな僅かな光源でも部屋の輪郭をしっかりと捕らえている。

僕はゆっくりとベッドにたどり着き、倒れこむようにして横になった。

掛け布団をかける気にもなれず、僕はうつろな目で空中を睨みながら、ゆっくりと睡魔に身を委ねるのであった。

 

 

 

 

 



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2章5話

 

 

 

 プレシアは、目を閉じ悪夢を見ていた。

アリシアを失った時の記憶が、瞼の裏に蘇る。

その時新型次元エネルギー機関であるヒュードラの起動実験に立ち会っていたプレシアは、その暴走に対し咄嗟に完全遮蔽結界を張る事で自らの命を永らえさせた。

一息ついたのもつかの間、プレシアはすぐさま今の規模の暴走であれば、アリシアが巻き込まれている可能性があった事に気づく。

アリシアの魔力資質は、零である。

当然遮蔽結界など張れる筈も無い。

半狂乱になったプレシアは同じ会社の人間に取り押さえられ、鎮静剤を打たれ気絶した。

次に目覚めた時には医務室に寝かされており、起きたプレシアはすぐに医者に連れられ娘の遺体と対面させられたのだ。

あれから何十年も経った今でも、プレシアはその瞬間の絶望を思い出せる。

プレシアは自分の本当にすべき事に、真の願いに気づくのが、いつも遅すぎた。

今も、昔も。

 

「……はっ!」

 

 覚醒。

プレシアは眼を開き、勢い良く上半身を起こした。

震える両手を目に、直前まで瞼の裏に描かれていた光景を幻視する。

瞼の焼き付いた光景。

黄金の光、アリシアの命を奪った光。

フェイトの魔力光。

余計な事にまで思考が横歩きするのに、ため息をつきながらプレシアは頭を振り、その光景を頭から追い出す。

 

 立ち上がろうとふとベッドサイドを見ると、木目調のサイドテーブルの上に一枚の紙が乗っていた。

寝起きの頭だからか、プレシアは何だろうととりあえず手にとって見る。

フェイトの書いたカードであった。

文面は短く、やや拙い字で「早く元気になってね、お母さん」。

破り捨てようか。

即座にそう思い、両手の指でカードをつまみ、引き裂こうとした瞬間である。

一瞬、理由の分からない躊躇がプレシアの中を巡った。

何か、何か違和感がある。

 

 プレシアはすぐに気づいた。

あの人形が書いたカードであれば、普通もっと綺麗な字で書かれていただろうし、文面も「早く元気になってください、母さん」だっただろう。

しかし、一体何故。

興味のままにプレシアはカードを隅々まで眺め、そしてふと思った。

もしやこれは、フェイトではなくアリシアの利き手、左手で書かれたのではなかろうか。

何故そう思ったのかは、プレシア自身分からない。

だが不思議とそれが真実らしい事のようにプレシアには思えたのだ。

 

 もしそうだとしたら、あの人形はアリシアについて何か知ったのか。

ウォルターとの戦闘で疲弊した自分が、何かを言ってしまったのだろうか?

疑問は尽きないが、それならば、とプレシアは思う。

フェイトは、アリシアを真似ようとしているのだ。

恐らくはある程度真実を知った上で、プレシアからの愛を求めて。

 

「くだらないわね……。所詮あの子は失敗作、無理に決まっているでしょうに」

 

 吐き捨て、プレシアは再びカードを破り捨てようと両手に力を入れる。

手が震える程に力を込めて、息を荒くして、しかし。

何故かプレシアには、カードを破り捨てる事ができなかった。

カードを書き、ほんの僅かな希望に縋って、己の人生全てを賭けるフェイトの姿。

それは決してアリシアには似つかない物だ。

どうやっても永遠にあの人形はアリシアにはなれないだろう。

なのに何故、今自分はこのカードを破り捨てられないのだろうか。

プレシアの疑問詞に、内心が小さく答えた。

 

 フェイトが、自分に似ているからではないだろうか。

 

 所詮アリシアを目指すなんて現実逃避、それしか無いと思い込んで視野が狭くなり、実現性に目がいっていない愚かな行為だ。

けれどそれは、アリシアの蘇生を目指す自分も同じなのではなかろうか。

死者蘇生などこんな筈じゃあなかった現実から逃げる為の言い訳に過ぎず、それしか生きる方法が無いが故にの行為なのかもしれない。

そんな考えが脳裏を過ぎった次の瞬間、プレシアは狂気の笑みを作った。

 

「いや、違うわ……、アルハザードの実在はあの男の存在が証明している。

アリシアの蘇生は、決して夢物語なんかじゃあないっ!」

 

 叫び、プレシアは全力でフェイトの作ったカードを引き裂いた。

何度も引き裂き、小さな紙片にまでなった所で、一気にそれをばら撒く。

紙吹雪のように宙を舞うそれを見ながら、プレシアは言った。

 

「違うわ、今躊躇したのは、少しだけアリシアに近づいた部分があったから。

あの人形の唯一の価値はアリシアに似ている姿だけ、その価値を見たから躊躇しただけよっ!」

 

 こちらの方がずっとそれらしい事実だろう、と冷静なプレシアの内心が呟いた。

狂気と正気の間を行ったり来たりしている今の自分に、人形を憐れむような真っ当な感情など芽生える筈が無い。

そうだ、きっとそうなのだ。

僅かに心に芽生えた疑念を押しつぶし、プレシアは自分を無理やりにでも納得させる。

そうでなければ、プレシアは最早その両足で立ちあがり、人生を歩む事すらままならないのだから。

自分はきっと弱い人間なんだろう、とプレシアは思う。

世界には娘を亡くしても立ち上がり生きていく事のできる人間はいくらでも居る。

しかし自分は、それが出来るほど強い人間では無かったのだろう。

けれど、弱くたって、生きたいのだ。

自分の望みを、アリシアの幸せを望みたいのだ。

だからこのカードの事はこれでお終い。

さっさと4つ手に入ったジュエルシードの解析を始めねばならない。

 

 そう思い、立ち上がり部屋を離れるプレシア。

次第にその脳内は魔法術式が満たされ、先ほどのカードの事は消え去っていく。

しかし何故か、後味の悪さのような物が残る事だけは、避けられなかった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ディバインバスターっ!」

 

 怒号と共に、なのはの砲撃が炸裂。

先程までよりも更に収束率が上がったディバインバスターが、空中を駆け抜ける。

呆れるほどの才能であった。

10日ほど前に近距離型の僕と互角だったなのはの砲撃だが、今となっては僕の砲撃では彼女に押し切られてしまうだろう。

一応僕も、なのはのディバインバスターの強化からフィードバックし砲撃強化をしたのだけれども、なのはの成長率から見れば雀の涙である。

思わず遠い目になる僕。

隣では、動物形態のユーノも似たような目をしていた。

 

「俺が言うのも難だが……」

「うん?」

「天才って居るんだなぁ……」

「本当にお前が言うなよ……」

 

 呆れ声で言うユーノに肩を竦め、それからなのはへの出迎え用に笑顔を作ってみせる。

変わらずなのはへの劣等感はあったが、それを感じさせない演技ができないほどでは無かった。

こうやって対面している限り、僕の心も彼女の心に引っ張られるように明るく爽やかな感じになれるのだ。

代わりに一度離れるとより一層の劣等感が僕を襲ったが、今のところ僕はまだ自分のネジを巻いていける感じだった。

得意気な表情で降りてくるなのはに、評価を告げる僕。

 

「よし、これなら合格点だな。

あとは実戦形式の模擬戦闘だ」

「うぐっ、やっぱりそれも必要だよね」

「当たり前だろ、魔法戦闘に必要なのは魔力の大きさもそうだが、運用と判断も同じぐらい重要なんだぞ?

レイジングハートは超がつく高性能デバイスだが、それでも用意できるシミュレーターは何処か機械じみている。

有機的判断も磨かないと駄目だっての」

 

 ティルヴィングやレイジングハートは高性能なデバイスだが、それでも人間の判断力に比べると柔軟性がやや落ちる。

その為機械的な判断しかした事が無かったり、それでゴリ押しできる相手としか戦ったことが無いと、同格の相手には非常に苦戦する事になる。

かつての僕とティグラの関係も似たような物だったか。

僕は機械的判断を超人的な勘で補っており、何とか負けずに済んだのだが。

 

「俺の魔力回復が許容点に達するまで、後1時間って所か。

その間、レイジングハートの指示を守って訓練な」

「はーい」

 

 良い返事と共に、地面へと着地。

なのははバリアジャケットを解きつつ、近くの自販機へと向かう。

空き缶でも的にして、ディバインシューターの練習に入るのだろう。

それを尻目に、僕もベンチに座り、リニスは膝の上に置き、魔力の回復に勤める事にする。

 

 僕らのジュエルシード集めは、現在停滞していた。

4日前にこちらがジュエルシードを確保し、残り6つとなってから、どうにもジュエルシードが見つからない。

頼りの僕の勘も、今探している所にジュエルシードがあると言う感覚は全くと言っていい程無くなってしまった。

ユーノの探索魔法も同様、ジュエルシードの反応はゼロである。

恐らくは、海にでもあるのだろうか。

とすれば、専用のサーチャー魔法を組んで探し、更に海中探索魔法も組まねばならないだろう。

残念ながら、僕もユーノもそういった魔法の持ち合わせが無い。

 

 なら頑張って組めばいいのだが、それにも待ったがかかる。

というのも、管理局が取り掛かっていた事件が解決し、近日こちらへ向かうと言う通達があったのだ。

当たり前だが、管理局の次元航行艦にはその程度のシステムは装備されている。

という訳で、僕らは襲撃に備える以外やる事が無くなってしまったのであった。

といっても暇にしているのもどうかと思うので、一応サーチャーを回しつつもこうやって訓練漬けの毎日を送っているのである。

 

「さて、俺も新バリアジャケットでも組むかねぇ」

「あれ、君、バリアジャケットを変えるのかい?」

「あぁ、つっても既存のものをちょっと改造するだけさ。

思ったよりプレシアの電気変換資質が厄介だったんで、念の為対策を加えようと思ってな」

 

 結構な重装甲である僕のバリアジャケットだが、特に対電撃を考えて作った訳ではないので、電撃は普通に通る。

かといって、絶縁すればデバイスと生体電流を介したラインが切れてしまうので、それもやりたくない。

それに幾つかの懸念事項もあるので、この際バリアジャケットの術式をいじる事にしたのだ。

 

「まぁ、対策つっても、そんなに複雑な事をやる訳じゃあねーんだけど」

 

 と言いつつティルヴィングからバリアジャケットの術式を投影、空中のキーボードを叩きながら術式を弄る僕。

暫くの間、なのはの方から聞こえる金属音だけがその場を支配する。

そんな中、何時もはなのはの肩に載っているユーノは、僕の肩に乗ったままじっと僕の頬辺りを見つめていた。

正直気になって、作業が覚束ない。

数日前に仲直りと言うか喧嘩の約束と言うべきか、兎に角関係を何とか精算できたと思ったのだけれど、まだ僕に対し思う事があったのだろうか。

悩みつつもキーボードを打ち込むが、矢張り捗らない。

小さくため息をつきつつ、モニタを消し僕はユーノへと視線をやった。

 

「どうした、ユーノ、何か聞きたい事でもあったか?」

「あ、うん、分かっちゃうか……」

 

 前かがみになっていた姿勢からベンチに深く腰掛け、背中を預ける。

ユーノは僕の肩から飛び降り、ベンチの上に立って僕を見上げた。

数日前の熱い目と同じとは思えない、寂しげな瞳だった。

彼はちょろっとあたりを見回し、なのはが充分に離れている事を確認すると、口を開く。

 

「ちょっと前に、なのは、泣いちゃっただろう?

その時の君等の事、いけないと分かっていたけれど、見ちゃっていたんだよ。

君等、なんて言うか、すっごい熱い友情だったじゃあないか。

それを見ていると、何だか……」

 

 口をつぐみ、まるで言葉が自然に落ちてくるのを待っているかのように、ユーノは青空を見上げる。

多分数秒ぐらいだったと思う。

まるで青空に写った何かを見ていたかのような仕草で、一瞬目を細め、それからユーノは言った。

 

「僕の役割なんて、もう無いのかもしれないな、なんて思っちゃってさ」

「…………」

 

 どす黒い感情が、腹の底から湧いてくるのを感じる。

渋顔を作りつつも、僕は思わずユーノに罵声を浴びせようとしてしまう自分を抑えねばならなかった。

自分でも吃驚するぐらいの怒りようだった。

一体彼の何が僕の琴線に触れたのか、自分でもよくわからない。

何にせよ、僕は内心で燻る黒くてドロドロとした物を抑えるのに必死だった。

それでも表情には出ていないのだろう。

ユーノは僕の様子など何も分かっていないようで、堰を切ったように次々と言葉を口にする。

 

「僕はこれまで、なのはのサポート役だった。

最初こそ僕の願いを彼女がやってくれるだけだったけれど、すぐにそれはなのは自身の願いに変わって。

フェイトが現れてからは、もう僕が頼んだっていうのは形式だけで、僕はなのはの願いを叶える為のサポートをしていた。

しかもそれはなんて言うか、抵抗とかは全然無くて、僕の心からの望みだったんだ。

なのはに魔法を教えたり、その心をそっと支えるのが僕の役目だっていうのが、嬉しかったんだ。

つい最近まで、気づいてなかったんだけどね」

「……そうか」

 

 と相槌を打ちつつも、僕は自分の中に現れた怪獣の制御でいっぱいいっぱいだった。

この胸の奥から溢れ、喉を焼き今にも口から飛び出そうな感情は、一体何なのだろうか。

そう思った瞬間、天啓が僕の頭の中に降りてくる。

——嫉妬、だろうか。

唐突な思いつきだったが、僕の勘はそれを是としていた。

とりあえずそうだとして、なんだって僕はこんなにユーノに嫉妬しているのだろうか。

次々に疑問詞を浮かべる事で自分の中の嫉妬をどうにか紛らわそうとする僕に気づかず、俯き続けるユーノ。

 

「でも、今じゃあなのはに魔法を教えるのも、実践も理論もウォルター、君のほうが圧倒的に上だ。

僕だって同い年ぐらいでは相当魔法理論を学んだ方だし、実際防御と結界に関しては君と互角ぐらいかもしれないけれど、その他は君の方が上。

実践に関しては、手も足も出ない。

そしてなのはの心を支えているのだって、僕なんかじゃあない。

ううん、君は支えていると言うよりも、引っ張りあげているっていう感じかな。

けれど兎も角、心身の両方で、君は僕なんかよりもなのはに役だっている」

「……っ!」

 

 仮面を被っている僕の脳裏に、言うべき事がいくつか思い浮かぶ。

けれどそれをどうしてユーノなんかに言わなければならないんだ、と思う自分が居て、僕は咄嗟にそれを言い出す事ができなかった。

僕の嫉妬が、僕の信念より大事な筈なんて、あってはならない。

何故かは考えない。

あまり理論立てて考えてしまうと、理論の穴を見つけてしまった時に何もかもが崩れ去ってしまうような気がするからだ。

なので僕は、兎に角そうなんだ、と内心で何度も唱える。

無理矢理に内心を捻じ曲げ、心のなかで嫉妬に燃える自分に向けて何発もパンチを打ち込み、口を開いた。

 

「そう、か? 俺にはとてもそうは思えないけれどな」

 

 力強く、ユーノは僕に振り向いた。

フェレット形態なので表情がよく分からないが、歯を噛み締める様子が伺える。

 

「それは、君だから言える台詞だよ」

「本当にそうか? そりゃ戦闘魔法についてはお前の言う通りだけど、非戦闘魔法に関してはお前の方が上だろ?

それに心を引っ張るのと支えるのでは、役割が違うと思わないか?」

「それは……っ!」

「俺はなのはを引っ張って立ち上がらせた。

けれどもしお前が代わりに居たならば、お前はなのはが自分から立ち上がれるよう、支えられたんじゃあないか?」

 

 自分で言っている事に反吐が出そうになる。

何がなのはを立ち上がらせただ、僕にできたのだって、彼女が立ち上がる切っ掛けを与える事だけ。

何時もながら、自分がまるで遥か上から物を言っているようにしていると、まるで自分が皆よりも高い所に居るような錯覚を覚える。

違うんだ、僕はもっと低俗な人間なんだ、と必死に自分に言い聞かせなければ、僕など何時驕り高ぶるか分からないだろう。

想像の中で自分を鞭打ち、壁に頭を打ち付けるようにしながら、僕はじっとユーノの言葉を待つ。

ぽつりと、ユーノは零した。

 

「そう、かな……」

「…………」

「僕は、なのはの助けになれているのかな……」

 

 溢れそうになる嫉妬を抑えながら、必死で僕は男らしい笑みを浮かべ、言った。

 

「ああ。お前は、きちんとなのはの背中を支えられているさ」

 

 言った瞬間、ふと僕は気づいた。

僕は、確かにUD-182に憧れていた。

あんなふうに生きたいと、あんなふうになりたいと、心の底から思っていた。

けれど同じぐらい、僕はUD-182を傍で支えていくような生き方をしてみたいと、そうも思っていたのだ。

そしてそれは、目の前のユーノとなのはの関係に似ていた。

嘘偽りを吐き、紛い物の仮面でようやく望んだ生き方をしている僕。

それに対しユーノは、心からの本音を晒しながら、僕の臨んだ生き方をしているのだ。

 

 羨ましかった。

喉から手が出るほどに、羨ましかった。

果たして僕がUD-182を側で支えるような生き方ができたのならば、嘘一つなく正直に生きる事ができたとすれば、どれだけ良かっただろう。

けれどそれは、彼が死んでしまった僕には決してできない生き方だ。

そんな僕に、ユーノは見せびらかすように自分の生き方を相談してくるのだ。

勿論、ユーノにそんな気は無いし、仮面を被った僕の存在に弱気になるのも当然だと分かっている。

けれど、煮えたぎる憎悪が湧き出る事を、僕は避けられなかった。

それでも、たった一つの信念を守るために、それを必死で抑えこむ。

辛うじて笑顔を崩さずに、僕は耐えた。

ユーノは、そんな僕を見て微笑んだ。

 

「ありがとう、ウォルター」

「いいってことよ」

 

 肩をすくめながら視線を明後日にやり、僕は一体何をやっているんだろうと思う。

僕のやりたかった事を僕より上手くできているユーノを前にして、それをぶち壊しにするでもなく、むしろ応援しているのだ。

これじゃあ僕は、まるでピエロじゃあないか。

そんな風に思う感情を必死で押し込める。

UD-182はそんな風に人の人生を貶めたりなんかしない。

だから僕もそうすべきなんだ。

そう何度も思って、波のように打ち付けてくる感情をやり過ごす。

それでも、僕は思ってしまった。

思わざるを得なかった。

そんな感情を覚えてしまう自分の醜さが、まるで僕は永遠にUD-182のようになれないと訴えかけてくるようだと。

 

 

 

 ***

 

 

 

 なのはは小一時間程使い、6つの空き缶が砕け散るまでディバインシューターを練習した。

自分で缶を使ったのは最初の一回だけで、それからは公園のゴミ箱から空き缶を拝借する事にした。

新たに7つ目の空き缶を手に入れたなのはは、再び広場の中心で集中する。

その途中、少しだけ、とレイジングハートに言い訳をして、薄く目を開け公園のベンチを見た。

そこには足を大きく開いて座っているウォルターと、その横にちょこんと座っているユーノが居る。

ウォルターは空中にキーボードを出して物凄い速さでタイピングをしており、相変わらずリニスは睡眠中、ユーノはぼんやりとウォルターを眺めているようだった。

何時もは自分の肩に居る筈のユーノだが、一体何の為に自分の元を離れたのだろうか?

疑問詞と共にユーノを見るも、ただぼんやりとウォルターの事を眺めているようにしか思えない。

その視線を追ってウォルターへと目をやると、ふとウォルターが顔を上げ、目があった。

臓腑を貫くような熱い瞳に、なのはは思わずドキリとする。

 

「~~っ!」

 

 飛び上がるような仕草でなのはは体ごとウォルターから体を背け、同時に空き缶を手放し落としてしまった。

柔らかな芝生の上で止まった空き缶を、真っ赤な顔をしながら持ち上げるなのは。

顔が火照り、火が出そうなぐらいだった。

自分が魔力制御の練習を放っぽって、ウォルターの事を見つめていた事に気づかれてしまったのだ。

思わず今ちょっとだけ見ただけで、サボってなんかいない、と言いたくなるが、それが言い訳がましく思えてなのはは我慢する。

何にせよ、なのははウォルターと対等のように約束をしてみせたのだ。

なのに、ウォルターは休憩中であっても何やら魔法の術式を作っているのに対し、なのははサボってウォルターの事を見ていたなどと思われては、恥ずかしくて穴に入りたいぐらいだ。

けれど言い訳もしたくなくて、なのははきりりと口を横一線にし、行動で自分の心を示すことにする。

再び空き缶を持ち上げ、魔力制御の練習を再開しようと思った、その瞬間であった。

 

 どくんと。

何かが揺れた。

 

「ウォルターっ!」

「応、フェイト達の魔力流だなっ!」

 

 男二人が立ち上がるのを尻目に、なのはは空き缶を直射弾でゴミ箱へシュートし、すぐにセットアップ。

ウォルターがバリアジャケットを装備し、ユーノが人間形態になり、三人は矢のようにその場から飛翔する。

然程近くも無いこの場からも分かる、魔力流が打ち込まれたのは、海であった。

残るジュエルシードは6つとも恐らく海、その全部が発動する感覚がなのはらに届いている。

 

「けど、こんなに大きな魔力を使った後、フェイトちゃんはジュエルシードを6つも封印できるの?」

「……ほぼ無理、かな。他に、方法が無かったんじゃ?」

「可能性はある訳だし、な。しかし、もしジュエルシードが融合暴走を始めたら、全力の俺でなければ手に負えない事になるかもしれねぇぞ!」

 

 警笛を含んだウォルターの言葉に、思わずなのはは見開く。

回復した魔力の殆どをリニスの再起動に使い、残る僅かな魔力をなのはとの訓練と戦闘補助、自己の回復で使い減らすウォルターの魔力量は、依然半分以下である。

それでも模擬戦ではなのはに全勝していると言えば、ウォルターの強さに想像がつくだろうか。

そのウォルターでさえ、現状では手に負えない事象が待ち受けているかもしれないのだ。

フェイトが目前にする困難の大きさに、思わずなのははレイジングハートを強く握り締める。

そんなに恐ろしい事に、アルフとたった二人で挑まねばならないフェイトの心は、どれほど辛く切ない物だろうか。

憂いを含んだ表情を浮かべるなのはに、男らしい笑みでウォルターは告げた。

 

「そう不安がるな、対ロストロギアでは技量よりも純粋魔力量の多さがモノを言う事が多い。

そりゃ、お前一人ならばジュエルシードを6つも相手にできないかもしれない。

フェイトだって同じだろうさ。

けれどお前たちは、決して一人じゃあないだろう?」

「……それじゃあっ!」

 

 例え総魔力量は同じだとしても、一人と二人ではできる事に大いに差がある。

ウォルターの言葉は、一人でできなくとも二人ならあるいは、と思わせる物だった。

期待に花開くなのはの笑顔に、力強くウォルターが頷いた。

 

「ああ、二人でジュエルシードなんかぶっとばしてこい。

俺もユーノも、補助にでも回っているさ」

「そういう事。

なのはは、胸を張って自分の気持ちをフェイトに伝えてきて」

 

 グッと親指を立てるウォルターに、同様にしてみせるユーノ。

こんなに厳しい状況だと言うのに、二人が自分の我儘を聞いてくれる事に、なのはの胸が熱くなる。

涙さえ出そうになるのを、ぐっと歯を噛み締めなのはは我慢した。

二人が折角送り出してくれたのに、泣き顔で登場じゃあちょっと締まらない。

代わりになのはは、ウォルターを真似た、あの燃え盛るような笑みを浮かべる。

 

「分かった。ありがとう、二人ともっ!」

「いいって事よ」

「ま、サポートは任せてね」

 

 軽快に二人が答えた頃である。

三人は海上に張られた結界に到着、停止した。

ユーノが前に出て、両手を広げる。

 

「それじゃあ、結界内の上空に転送する!

二人とも、準備はいい!?」

「うんっ!」

「応っ!」

 

 緑色の閃光が視界を専有、一瞬なのはが目を閉じ開いたその時には、既になのはは雲ひとつ無い青空の元に居た。

自由落下に臓腑が引っ張られる感覚に、思わずなのはは目を瞬く。

フェイトもアルフも見当たらないが、どうしたのか。

と思った次の瞬間、なのはの眼下を地平線まで覆う雲が見えて、自分が雲の上に転送されたのだと理解した。

自然現象からできるだけ遠ざけた地点に送ることで、転送直後の事故を防いだのだろう。

ユーノの心遣いに胸が熱くなるのを感じつつ、なのはは胸に手をやった。

 

「レイジングハート」

『はい』

「私、起動ワード、あれからもう一回覚えなおしたんだ」

『勤勉で良い事です』

 

 既にレイジングハートを起動している今、起動ワードを唱える必要性は一つも無い。

けれどなのはは、ともすれば自分の心を見失ってしまいそうになる自分を鼓舞する為に、その言葉を口にする。

 

「我、使命を受けし者なり。契約の元、その力を解き放て」

 

 思えばクサい台詞だろう。

なのはには自分の使命も契約も分からない。

けれど、これまで胸を疼かせる何かに突き動かされてきたし、ウォルターとの約束はいつも胸を熱くしてくれる。

そう思えば、今の自分にこれほど合った台詞など他に無かった。

 

「風は空に。星は天に。輝く光はこの腕に。そして不屈の心はこの胸に」

 

 そう、なのはは何にも屈したりはしない。

本当はフェイトに対する気持ちがまだ上手く表現できず、もどかしさが胸の奥にある。

けれど、それでも、フェイトを知りたいと、その寂しさから助けたいと思った気持ちは、本物だから。

そして背中に、あの燃えるような熱い視線を背負っているから。

だからなのはは何者にも屈しはしない。

 

「この手に魔法を!」

 

 その願いを叶える手段が魔法だと言うのならば。

思いを伝え合う為の力が魔法なのだとすれば。

約束を守る為の力が魔法なのだとすれば。

ならばなのはは、それを手に取る事に何の躊躇も無かった。

 

「行くよ、レイジングハートっ!」

『イエス、マイマスター』

 

 いつも通りの機械音と共に、レイジングハートが明滅する。

なのはは自由落下から飛行魔法による自発的落下に移行し、雲を突き破ってフェイトが待つ所へと突っ込んでいった。

 

 海は、荒れ果てていた。

雲は漆黒に染まり雷を大量に落とし、風は高い波が海面に叩きつけられるように吹き荒れ、6つもの竜巻が暴れまわっている。

そんな中、フェイトは一人必死で竜巻に立ち向かっていた。

黒いマントを翻らせ、時に海面に落ちそうになり、波に攫われそうになり、それでも必死でジュエルシードに魔法を叩きつける。

しかしそれで一つの竜巻が収まりかけても、すぐに他の竜巻に弾き飛ばされ、封印は失敗。

更にバランスを崩して雷やら波やらにやられそうになり、何とか体勢を立て直すので精一杯のようだった。

それがどうしようもなく寂しい行為のように思えて、胸が疼くのを感じつつ、なのははフェイトに駆け寄る。

 

「フェイトちゃんっ!」

「フェイトの邪魔はさせないよっ!」

 

 が、乱入者を待ち構えていたアルフがそれを遮った。

足裏に円形の橙色の魔方陣を、全身には橙の光をまとわせながら、構える。

慌てて説明しようとしたなのはの言葉を遮り、ユーノが間に入った。

緑色の魔方陣とアルフが激突、軋みながらもアルフを止める。

 

「違う、僕らは君らと戦いに来たんじゃないっ!」

 

 叫びつつも、ちらりとなのはに振り返ってみせるユーノ。

なのはは無言で頷き、フェイトが戦う空を見上げる。

正に、その瞬間であった。

 

「まずは、ジュエルシードまでの道を作るぞ!」

 

 体が芯から響くような大声と共に、雲に穴が空いた。

ウォルターが天を裂き現れたのだ。

まるで陽光がその場に降りてきたかのような圧倒的存在感と共に、ウォルターは黄金の二股槍を掲げ、叫んだ。

 

「今日はカートリッジの大盤振る舞いだ!

基本、俺自身の魔力は使わずに行くぞっ!」

『ロード・カートリッジ』

 

 薬莢を一気に3つ排出、右手一本で支えるティルヴィングで嵐の中に狙いをつける。

同時、太陽が現れたかのような白光がティルヴィングの先に集まった。

圧倒的魔力光を携えながら、ウォルターは叫ぶ。

 

「フェイト、じっとしていろ!」

『強化・突牙巨閃』

 

 次の瞬間、なのはは暗雲の中がいきなり晴れになったのかとさえ思った。

世界を白く照らす魔力が、一条の光となって竜巻を貫く。

一瞬で三つの竜巻が沈黙、しかしウォルターはそれだけでは終わらない。

 

「うぉぉおおぉっ!」

 

 絶叫と共に、ウォルターは右手一本で槍を動かしてみせた。

砲撃を放つ際の自己空間固定を解除、砲撃を放ったまま向きを変えたのだ。

それはさながら、ウォルターが巨大な光の剣で竜巻を切り裂くような光景であった。

残る三つの竜巻は、逃げる様子すら見せたものの、すぐに白光を浴びて沈黙、暗雲こそ消えぬものの竜巻は収まる。

なのはの全力でも2本が限界だろうに、それを安々と一人でやってのけるのだ、矢張り、ウォルターは凄い。

知らず胸に闘志が湧いてくるのを感じるなのはに、二人の声が響く。

 

「今だ、なのはっ!」

「道は作った、後はお前の番だっ!」

「……うんっ!」

 

 叫びながらなのはは飛翔。

ウォルターの声に止まっていたフェイトの元へと近寄る。

見れば、その体が傷ついているのは手に取るように分かった。

薄い防御をそれでも補おうとしたのだろう、マントは既にボロ布と化していた。

雨を良く吸ったそれがべったりとフェイトに張り付いている。

それに体温を奪われているのだろう、唇は青色が差していた。

呼吸も荒く、肩で息をしているのが見て取れる。

更に雷を防御しきれなかったのだろう、軽い火傷が幾箇所かに見受けられた。

 

 悲惨なフェイトが、それでもなのはに凛とした視線を上げる。

その奥には悲壮な決意があって、これでなのはがフェイトに襲い掛かれば、それでも応戦してみせるだろうと言うのが手に取るように分かった。

今、フェイトは明らかに一人きりだった。

その心の中にある弱音を吐き出す相手もおらず、それどころか一人になっても弱音を吐いてしまえばもう二度と立ち上がれなくなるあの感じ。

なのはもまた、一人きりだった頃に一言も寂しいとは唱えなかった。

唱えられなかった。

だからその気持ちが痛いほどに伝わってきて、胸の奥が痛む。

そんな彼女をできる限り安心させようと、なのははできる限りの笑みを形作った。

 

「フェイトちゃん、手伝って。一緒にジュエルシード、止めよう」

「…………」

 

 何か言いたそうな、それでも言い切れないような、何とも煮えきれない表情をフェイトは浮かべた。

そんなフェイトに、戸惑い一つなくなのははレイジングハートを向ける。

一瞬そのまま飛び退りそうになったフェイトへと、桜色の帯が伸びた。

ディバイドエナジー、魔力譲渡の魔法である。

 

「二人できっちり、半分こねっ」

 

 フェイトは耐え難い何かに突き動かされるように、何かを言おうと口を開こうとしたが、それも止め、ジュエルシードへと向かい合う。

どうやらフェイトは、なのはと協力する事に納得してくれたようである。

それが例えようもなく嬉しく、満面の笑みを浮かべながら、なのはもまたジュエルシードへと向き合う。

 

「それじゃあ、せーので一緒に封印ねっ!」

「……うん」

 

 鈴の音のような小さな声は、まるでどんな声を出していいのか分からないで言っているかのような声であった。

なのはにもそれは、少しだけ覚えがある。

ずっと一人で居ると、時々誰かに話しかける時、どうやって声を出したらいいのか判らなくなってしまうのだ。

しかしフェイトの声には、それ以外にも何か理由があるようになのはには感じられた。

 

 が、今はジュエルシードの封印が優先である。

両手でレイジングハートを握りしめ、なのはは先のウォルターを思い返しながら魔力を収束する。

あれはウォルター自身の力だけでなく、カートリッジシステムを利用した物だ。

そうと分かっていても、何時か肩を並べたい人の遥かな高みを見た気になって、なのはの心は熱く燃え盛った。

あの小さな太陽程の魔力を集める事はできなくとも、その真似ぐらいはしてみせる。

その思いが通じたのか、訓練時よりも幾分多くの魔力がレイジングハートの杖先に収束した。

視界の端には、フェイトも同じように限界まで魔力を収束したのが見える。

口元に小さな笑みを浮かべ、二人は叫んだ。

 

「せーのっ!」

 

 桜色と黄金の魔力が怒号を上げながら疾走、命中。

莫大な魔力光が、世界を満たした。

目を開けていられないぐらいの光が数秒走ったかと思うと、ぱっ、と灯りをつけたかのような感覚がなのはを襲った。

見あげれば、空は青く何処までも澄んだ、何時もの海鳴の空に戻っている。

眼下からは封印されたジュエルシードがデバイスに引き寄せられ、なのはとフェイトとの間に収まった。

 

 自分が一人ぼっちで寂しかった時、何をしてもらいたかっただろうか、となのはは思った。

大丈夫? と聞いてもらう事だっただろうか。

否、なのはは何度も家族にそうやって気遣われたけれども、大丈夫だよ、と笑顔で返す事しかできなかった。

むしろなのはの内心では虚ろな何かが広がり、疲労感だけが残るだけであった。

優しくしてもらう事だっただろうか。

否、なのはは夜家に返ってきた家族に優しく接してもらえたけれとも、だからといってそれが昼間の寂しさを解消できた訳でも無かった。

優しさと寂しさはまるで別物で、相殺できる物ではなく、別々に住み分けている物であった。

では、何だっただろうか。

 

 今なら、なのはには分かる。

あの後家族からたっぷりと愛情をもらったなのはは、それでも心の何処かに空虚な物を残していた。

それが解消されたのは、アリサやすずかと出会ってからである。

同じ気持ちを分け合える事、それがなのはの心を少しだけ慰めてくれた。

だとするならば。

なのはは思うのだ。

 

「フェイトちゃん」

「……何、かな」

 

 嵐が明けた後の、爽やかな風がなのはとフェイトの髪を泳がせた。

軽やかに広がる髪の毛が、陽光を反射し栗色に、黄金に、輝く。

輝きに満ちたその場で、なのはは言った。

 

「私、貴方と……友達に、なりたいんだ」

 

 不安が無かったと言えば、嘘になる。

だが、本当に怖いのは断られる事じゃあなかった。

きちんと断られるならば、フェイトが本当は寂しくなんて無いのならば、それはそれでいい事なのだ。

一番怖いのは、自分の言葉に力が足りなくて、寂しくしているフェイトの元に届かない事である。

勿論、自信がある訳じゃあない。

なのはは自分が、ウォルターのように容易く人の心を感動させるような言葉が吐けると思う程、自惚れてはいなかった。

だから内心では必死で通じてほしいと願いながらの一言。

外面も見目には笑顔だろうけれど、それも不安で押しつぶされそうなのを無理に形作ったただの強がり。

つつけば壊れるような、砂上の楼閣にしか過ぎない。

けれど。

フェイトは、言った。

 

「………………」

 

 千の言葉よりも雄弁な無言であった。

目は見開き、手には汗が、心臓の鼓動も早いのだろう、胸に手をあて、フェイトは呆然となのはを見ていた。

気の所為か、その目には涙すら浮かぼうとしているような気がする。

——良かった、私の言葉は届いたんだ。

安堵で涙が出そうになるのを、必死でなのはは抑える。

ただフェイトが何でも言えるように、じっと待つばかりである。

そうやっているうちに、フェイトの中で反響するなのはの言葉が薄れていったのだろう、その意味を理解したフェイトの瞳に理性の色が戻った。

すうっ、と息を吸い、何かを言おうとした、正にその瞬間である。

 

「やばい、何か来るぞっ!」

 

 見守っていたウォルターが絶叫。

白い三角形の魔方陣と共に薬莢を排出、自身となのはらの上空に強化された防御魔法を張る。

その、次の瞬間であった。

空が、裂けた。

まるで水でふやかした紙に指で触れるかのように、空間に穴が空いたのだ。

そして同時にその中から、二条の紫の雷が落ちてくる。

一つはなのは達へ。

一つはウォルターへと突き刺さった。

 

「くっ!」

「なのはっ!」

 

 即座にウォルターの防御の内側に防御魔法を展開するなのはであったが、魔力が半減した後に全力の魔法を放ったのだ、残る魔力では雷の威力に比して心もとない防御でしかない。

必然、ウォルターが必死の魔力運用で防御を続け、虎の子の自身の魔力を追加して防御魔法を展開する。

しかし遠距離防御と自身の防御のマルチタスクは相当辛いらしく、ウォルターの顔には苦悶の表情が浮かんでいた。

そんな中、フェイトは防御魔法を張らずに呆然と空を見上げているだけ。

声をかけようとしたなのはだが、それを遮るようにしてフェイトは言った。

 

「母さん……そうか、そうだったよね」

 

 フェイトは目を閉じ、開く。

次の瞬間、なのはは気の所為か、フェイトがまるで別人になってしまったかのような感慨に襲われた。

どこか今までのフェイトよりも子供っぽく、それでいて靭やかな強さを持った感じが今のフェイトにはあったのだ。

防御魔法を張ることなく、フェイトは目前のジュエルシードを掴みとる。

てっきり一緒に防御に回るのだと思っていたなのはが、思わず目を見開いた、その瞬間であった。

ウォルターの防御魔法が決壊した。

 

「……きゃっ!?」

 

 急ぎアルフがフェイトに向かい防御魔法を張ろうとしていたが、間に合わなかった。

が、幸いにも雷はフェイトを避けて、雷の一条はウォルターを、一条はなのはへと降り注ぐ。

ウォルターの防御魔法で大分減衰していたのだろう、なのははどうにか防ぎきる事に成功した。

対しウォルターは防御魔法を突破されるも、間一髪でユーノの防御が間に合い、どうにか雷を防ぎきる。

 

「フェイトちゃんっ!?」

 

 雷の閃光で塞がれていた視界が戻ってすぐに、なのはは当たりを見回した。

なのは達と大きく離れた箇所に、転送の跡の僅かな黄金の魔力光だけが残っていた。

 

 

 

 ***

 

 

 

「お返事、貰えなかったな……」

「これであっちのジュエルシードが必要量に達して居なければ、まだ会う機会はあるだろうが……」

 

 地上に降り立った三人は元の姿に戻り、なのはとウォルターは並んで歩き、ユーノは動物形態になってなのはの肩に、リニスはウォルターの腕にと、いつも通りの光景。

しかしなのはの顔には元気がなく、ウォルターも渋い顔を作っている。

それも致し方なかった。

ジュエルシードはこれで全部が回収され、過半数である12個がプレシアの元に運ばれた。

プレシアの目的にいくつのジュエルシードが必要なのかは分からないが、必要量を満たしていればフェイトとなのはが出会うことは最早あるまい。

それどころか、ウォルターの言う嫌な予感とやらが当たってしまえば、ジュエルシードを用いた目的の果たし方と言うのは、大災害に繋がりうる物だと言う。

そうなれば、地球も危ないかもしれない事になるのだ。

が、なのはらには時の庭園の場所は分からず、突入のしようがない。

唯一の救いはフェイトが21個全部のジュエルシードを集める事を命令されていた事だが、保険で多めに数を言われたのだとすればそれも霞む。

そんな風に三人で悩んでいた、その時である。

 

「ちょっといいか、君たち」

 

 幼気な声。

年齢に比して背の高いウォルターよりやや低い背の、紺色の髪の毛の少年がなのはらへと歩み寄ってくる。

そして掌を差し出したかと思うと、即座に立体映像が出現、身分証明証が表示された。

 

「時空管理局執務官、クロノ・ハラオウンだ。通報を受けてやってきた」

 

 

 

 

 



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2章6話

 

 

 

「先ほどの次元跳躍魔法の魔力波長は録れていたわ」

 

 リンディ・ハラオウン艦長が言うのに、僕らは頷いた。

そこは、一際変わった部屋であった。

部屋の中だと言うのに水が流れており、椅子や机は無く、平らな一段高い場所に赤い敷物と何に使うのか分からない道具が置いてある。

恐らく高町家にもあった盆栽と言うガーデニングの一種が二段8つ程飾られており、赤い竹傘が開かれている。

竹傘の赤とその下に居る明るい緑色の髪の毛をしたリンディ艦長とでは、色の調和はキツくてあまり綺麗とは言えない感じだ。

しかし、こういうのを、和風と言うのだろうか。

よく分からない価値観だな、と思いつつ、僕らはそこに上がって正座をした。

此処は次元航行艦アースラの中の、艦長室である。

そこで僕となのはとユーノは、艦長であるリンディさんに状況を伝えていたのだ。

一通りの話を終えると、リンディさんは瞼を閉じ、聞き入るようにしてからそう言った。

応ずるように、隣で空中に端末を出し操作していた茶髪の女性、エイミィさんが口を開く。

 

「調べてみたけれど、確かにあの魔力波長はプレシアの物だったよ。

ミッドでもかつて有名だった魔導師の一人で、大魔導師って呼ばれていたぐらいだね。

ただ、26年前に次元エネルギ−関連の事故を起こして、その後すぐに消息を断っちゃったみたい。

少なくとも今取り寄せられるデータで見つかるのは、このぐらいかな。

後は本局に問い合わせして探してもらうか……」

「使い魔リニス、彼女が意識を取り戻すかがなければ、進展は無さそうだね」

 

 と受け取る、アースラ直属の執務官、クロノ。

僕が腕に抱えるリニスは、未だ意識を取り戻しては居ないが、しかし。

 

「既に魔力はリニスさんが起動可能なまでに注ぎこんである。

となると、もう何時起きてもいい状態って事になるが、こればっかりは起きてみるまで分からねぇな」

「かといって本局への問い合わせには一週間ぐらいかかっちゃうから、先に事件が終わっちゃうかもしれないんだよねぇ」

 

 と、ポリポリと頬をかきながら言うエイミィさん。

それでもしない訳にはいかないんだけど、と続けてから端末を消し、再び視線をこちらへ。

管理局側の三人の視線が、なのはへと集まる。

相応の圧力のある視線だった筈だが、なのはは微動だにせずそれを受けきっていた。

いや、それどころか、少し圧力をかけようとしたリンディさん達の方が、戸惑っている様子を見せるぐらいだ。

数日前に見せたように彼女にもナイーブな所があるのだと分ってはいるものの、それでも尚精神が鋼鉄で出来ているのかと疑わざるをえない様子である。

それが例え強がりだとしても、同じ僕の強がりよりよっぽど凄味のある物だ。

内心の分析に憂鬱になりつつも、僕は仕草で三人に続きを促す。

戸惑っていた三人は僕の様子に気づくと、小さく頷き、口を開いた。

 

「さて、なのはにユーノ、君らは明日からそれぞれ元の世界に戻って、元の暮らしに戻るといい」

「ごめんなさい、それはできません」

 

 鋼の言葉でなのはは言った。

断定的な言葉に驚いたのだろう、三人はそれぞれに驚いた顔を見せる。

そしてリンディさんはすぐに僕へと視線をやったが、僕は首を横に振った。

僕は管理局がどんな所かぐらいは言ったが、具体的にどういう対応をしてくるかまでは言っていないし、ましてやどう話せばいいのかなんて事など考えた事もなかった。

なのはの言葉は、全てなのはが考えた事である。

なんとも言えない目をしつつ、リンディさんはなのはへと視線を戻す。

その間になのはの言葉を受け止めたのだろう、吃驚していたクロノが口を開いた。

 

「できないって君、これは民間人の出てくるレベルの事件じゃあないんだぞ!?」

「それでも、お願いします、私、この事件に最後まで手を貸したいんです」

「って言ってもなぁ……。

ジュエルシードは、次元干渉型のエネルギー結晶体だ。

衝撃を与えるだけで次元震を起こし、最悪次元断層を起こしかねない物なんだ」

「それでも、お願いします」

 

 先程説明があったのでなのはも分かっているだろうが、次元断層が起きれば複数の次元世界が崩壊し、100億人単位の死者が出る。

ジュエルシードが危ないとは勘で分かっていたが、それでも次元断層が起きる可能性すらあった物だったとは。

衝撃を与えないよう努力していて良かった、と内心冷や汗をかく僕。

そんな僕を尻目に、頭を下げたままのなのはを見かねたのか、リンディさんが言葉を引き取る。

 

「ふむ……なのはさんは、何故この事件に関わりたいと思うのかしら?」

「フェイトちゃんを、助けたい……そして、友達になりたいからです」

 

 意外な言葉だったのだろう、目を見開くリンディさん。

あら、と思わず口元を抑える彼女を尻目に、何処か威圧感を醸し出しながら、なのはは続ける。

 

「それに、ウォルター君からプレシアさんが凄い物騒な事を引き起こそうとしていると聞きました。

勘だけど、最悪その被害は地球まで及ぶ可能性があるって。

ジュエルシードの怖さを聞いた今、ウォルター君の勘無しでも充分地球が危ないって事が分かりました。

私は、自分の住むこの世界を守りたい。

それに私には、その為の力があります。

ウォルター君の言葉ですけど、私の魔導師としての力はかなり高い……、えっと、AAAランク相当? の力があると言っていました。

そんな力があるのに、ただ見ているだけなんて、私にはできません。

お願いします、力を貸させてください……!」

 

 再び頭を下げるなのはに、渋い顔をするクロノと、対照的に小さく笑顔を作るリンディさん。

僕が目を細めると、それに気づいたリンディさんと視線が合う。

この状況で微笑みなのはの言葉を歓迎する様子のリンディさんは、恐らく可能ならばなのはを登用するつもりではあったのだろう。

ハンデがあったとは言え次元世界最強の一角を担う僕が敗北した大魔導師を相手に、僕がまだハンデ付きのままで挑まなければいけない可能性があるのだ。

戦力などいくらあっても足らないと考えているのだろう。

元々リンディさんがそういった思考の持ち主であるか、それともジュエルシードの危険性がそうさせているのか、その両方か。

そんなふうに考えている僕の、なのはを挟んで反対側で、ユーノが続けて口を開く。

 

「僕も同じく、協力させてください。

その、現状でジュエルシードは全て回収されています。

此処でプレシアが更にジュエルシードを集めようとするのならば、まず連絡をしてくる相手はジュエルシードを持つなのはです。

それなら僕は兎も角なのはが居た方がスムーズに話が進むと思うのですが、どうでしょうか?」

「くす、まぁ合格って所かしら。

いいわよなのはさん、手伝ってもらいましょう」

「母さ……艦長っ!?」

 

 絶叫するクロノを尻目に、リンディさんはこちらへと視線をやる。

僕は組んでいた腕を解き、まっすぐに彼女の視線と向きあった。

頭を下げ、言う。

 

「右に同じく、俺も協力させてほしい。

俺もジュエルシードの事を放って置けないし、そもそもプレシアの奴は一発ぶん殴ってやらねぇと気が済まねぇ。

あいつも何処か、自分の道から目を逸らしているように見えるんでな。

俺の戦闘能力はまぁ、経歴を見れば分かる事だが、そこそこの自信はある。

その俺と互角以上だったプレシアに対抗するには、俺の力は有効に使える筈だ」

 

 傲慢な物言いだったが、事実でもある。

同じ感想だったのだろう、リンディさんは額に手をやりため息をつきながらも、呆れた声を出した。

 

「貴方は噂通りねぇ……。

まぁいいわ、貴方の力が必要なのも事実、協力を受け入れましょう。

条件は2つよ、3人とも身柄の預りを管理局とする事、指示を必ず守る事よ」

「はい、分かりましたっ!」

「応、分かった」

 

 二人の輪唱に遅れて僕が続ける。

偏頭痛を堪えているような様子のクロノには悪いが、僕とて内心では此処で引く訳にはいかないと必死であった。

勿論、実力的になのはに比し僕の協力が断られる可能性が低いのは分かっている。

けれども、僕はなのはと約束をしたのだ。

なのはがフェイトを救うのならば、僕はプレシアを救ってみせる、と。

他愛のない約束だが、僕は何処かでその約束が重要な物になると直感していた。

僕はプレシアを救わねばならないと、そう思うのだ。

 

 何故だかは分からない。

普通、いきなり殺されそうになって怒る事はあっても、救おうと思う事は無い。

加えて僕は、プレシアの事を殆ど知らないのだ。

知っているのはムラマサを破壊した僕にヒステリックに攻撃をしてきた事や、フェイトやリニスが言うには優しい人だった事。

あとはその目に秘める悲しみが、何処か僕の心を揺らしたぐらいだ。

けれど何故か僕の心は、プレシアを救うと言う事に対して何の違和感も感じていなかった。

そんな風に決意を新たにしている僕を尻目に、さて、とリンディ艦長。

 

「あれだけの威力の次元跳躍魔法を放った今、プレシアがすぐに動く事はまず無いし、時間は少しあるわ。

と言うことで、それじゃあまずはなのはさんのご家族に顔合わせぐらいはしておかなくちゃならないわね。

それから……」

 

 と、リンディさんが続けようとした、次の瞬間である。

ピクリ、と僕の腕の中のリニスさんが動いた。

思わず目を見開き、腕を硬直させてしまう僕。

そんな硬くなった腕が心地悪いのか、渋い顔をしながら大欠伸をしつつ、グッと体を伸ばすリニスさん。

目から小さく涙を零しつつ、フニャフニャと鳴き声を上げながら僕へと視線をやった。

 

「あれ……ウォルター? 何をやっているんですか?」

 

 事件解決の鍵が目を覚ました、その瞬間であった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 僕は金属質な床は苦手だ。

特に裸足で歩いたりなんてすると、かつての“家”での凄惨な光景を思い出してしまい、吐き気すらする。

だから次元航行艦の床もやっぱり嫌いで、何時もならちょっと不機嫌になりやすくなってしまう。

けれど今は、それどころではなかった。

あの後リニスさんから話を聞き、リンディさんらは裏を取りに、僕らはとりあえず個室を与えられてそこで休むように言われてから、僕は一目散に自室を目指した。

リニスさんには悪いが、都合の良い事に彼女は細かい話をクロノに聞いてもらっている所であるし、魔力もアースラの艦内ぐらいなら余裕で届く。

つまり、僕は自室へ行けば一人と一機になれるのだ。

足早に与えられた自室に着くと、僕はすぐさまドアを開けて中に入る。

 

「ティルヴィング」

『了解しました』

 

 そして即座に数種の結界を張り、遮音や遮光魔法で外部からの干渉を遮断。

これで、ようやく僕は仮面を外すことが許される。

早速奥のベッドに座り、脱力した。

重力に身を任せ、ベッドへと背を預ける。

ぼすん、と言う音と共に僕は腰から上をベッドの上で寝転がらせた。

 

 リニスさんの話は、衝撃的だった。

プレシアは26年前の事故で娘を失った。

その娘を取り返そうと死者蘇生の秘法を求めて研究を続け、特殊な使い魔の製造を経てたどり着いたのが、記憶転写型クローン技術。

天才であるプレシアはそれを成功させ、アリシアの記憶転写型クローンを作り上げた。

しかし、記憶と肉体は同一であっても、人格と魔力資質は再現できなかったのだと言う。

それでもプレシアは、諦めなかった。

ロストロギアに望みを託し、研究を続けようとしたのだ。

此処からはそれまで以上の違法の戦いとなるが、しかし病魔に侵されはじめたプレシア自身は動けず、手駒が足りない。

そこでプレシアは思ったのだと言う。

手駒なら、あのアリシアの偽物が居るじゃあないか、と。

そこでプレシアは記憶転写型クローンからアリシアという名前についての記憶を奪い、フェイトと名付ける事にしたのだそうだ。

 

 リニスさんは、プレシアに作られたフェイトの教育係だった。

フェイトを一流の魔導師に育てていくが、フェイトにはプレシアの愛情が必要だと思いプレシアに何度も意見したのだと言う。

そんな中、ひょんな事からリニスさんは保存されていたアリシアの死体を見てしまったのだそうだ。

もう隠せないと悟ったプレシアは、閉じていたリニスさんとの精神リンクを一瞬最大限に開放し、全ての事実を伝えた。

それからリニスさんは僕とムラマサ事件で出会い、そしてその後にフェイトを精神的に強くするよう意識しつつ育て終え、契約を切られたのだと言う。

その後は悪あがきと思いつつもスリープモードで生きながらえ、そして僕に発見された、と言う次第なのだそうだ。

 

 僕はベッドの上に半分寝転がりながら、胸のティルヴィングを痛いぐらいに力を込めて握りしめた。

拳の隙間から緑の光が明滅しなければ、血が滲むぐらいにまで力を込めていただろう。

どうにか力を緩めつつ、僕は激しくなっていた動悸を抑えた。

何時もの僕だったら、フェイトの事を何も知らずにあんなアドバイスをして良かったのだろうか、と悩んでいた事だろう。

けれど今は、違う感情が僕の内側を支配していた。

突き動かされるように、僕は口を開く。

 

「なぁ、ティルヴィング。

僕はリニスさんと約束したんだ、フェイトとプレシアを助けると。

なのはとも約束したんだ、プレシアを助けると」

『その通りです、マスター』

 

 あいも変わらず機械的な声で機械的な返事を返すティルヴィング。

しかしそれに今は何処か頼もしさをすら感じ、僕は目を細める。

ぼんやりとする視界に、記憶を思い描く。

 

「プレシアは、僕と同じなんだ」

 

 UD-182の姿を思い描きながら、僕は言った。

ティルヴィングは明滅し、冷徹な声で続ける。

 

『貴方とプレシアは同一人物ではありませんが』

「あぁ、そうだけど……、僕とプレシアは、同じものに縛られているんだ」

『同じもの?』

「大切な人が死んだ事に、さ」

 

 そう、僕がUD-182が死んだ事に、何時までも縛られている。

時々狂おしいまでに寂しくなったり、ユーノに嫉妬するような事はあっても、後悔は無い。

けれど確かに僕はUD-182の死に人生を縛られているし、自らそれを望んでも居る。

多分これからも僕は一生変わらずにUD-182の死に縛られ、また自分を縛っていくだろう。

そんな予感もあった。

そして僕は、その縛り、僕が信念と呼ぶ物と人の命を天秤にかけ、信念の方を取ってきた。

僕は、人の命すら犠牲にして、死者に縛られようとしているのだ。

 

 そしてそれは、プレシアも同じだった。

アリシア・テスタロッサが死んだ事に、彼女もまた縛られ、自分を縛っても居るのだった。

死者蘇生と言う叶う筈のない願いの為に、残る一生を費やそうとさえしている。

そして僕とは違い誰も殺していないけれど、代わりに命を生み出すという禁忌の技術に手を出した。

彼女は、人の倫理さえ犠牲にして、死者に縛られようとしているのだ。

 

「なぁ、僕は何時か言ったよな。

完璧になりたい、誰もを救う事ができるようになりたいって」

『2年半前に初めて言い、それから14回言いました』

「今回こそは……、僕はそれをできなければならない」

『何故今回なのですか?』

 

 僕は、灯りへ向けて手を伸ばした。

握り締める。

形のない何かを掴もうとするかのように。

掴めない筈の何かを、それでも掴もうとするかのように。

それからぎゅう、と血が滲みそうなぐらいに力を込めながら、その手を半回転させ自身へ向けた。

 

「フェイトには僕は偉そうな事を吹聴してしまったんだ、その責任を取らねばならない。

けれど多分、なのははフェイトを救えるだろう。

理由は分からないけれど、直感がそう言っているんだ、多分僕の出る幕は無い」

『マスターの勘の的中率を考えれば、ありうる話かと』

 

 珍しくオカルトな話を肯定するティルヴィング。

それに僕は、僕の勘は無機物にオカルトを信じさせるまでになっているんだな、と思い、少しだけ微笑む。

 

「問題は、プレシアだ」

『イエス』

「僕はこれまで、色々な人を救おうとして、取りこぼしてきた。

でもさ、これまでで一番救わなくちゃならなかったのは……。

可能性とかそういうのじゃなくて、必要性で考えるのならば……。

それはやっぱり、ティグラじゃないかと思うんだ」

『何故ですか?』

 

 目を閉じると、閉じた瞼の裏に今でも尚鮮明に彼女の姿が思い描かれる。

茶色く夜暗でも目立つ髪の毛。

黒い装飾の無いシンプルなワンピース。

そしてその上から纏った赤い具足に、不思議な威圧感を纏った刀、ムラマサ。

 

「僕は彼女の言葉で人の命を犠牲にしてしまった事に気づき、例え人の命さえ犠牲にしてでも、信念を貫くと決めた。

ティグラも僕の言葉で自分の本当に進むべき道に気づき、例え人の命を犠牲にしてでも、進むべき道を歩むと決めた。

あの時は気づかなかったけれど、ティグラだって僕と同じだったんだ」

 

 7つの大事件を解決して尚、最も記憶に残るのはあの事件で出会ったティグラだった。

自分の欲望のために人の命を犠牲にする奴はいくらでもいた。

信念のために人の命を犠牲にした奴だってたくさんいた。

けれど、僕と互いの言葉で自らの狂気に気づき合ったのは、ティグラ一人だったのだ。

それと同時に、その彼女にさえ自分の内心を明かせず気づかれずに生きて行かねばならない、とも気づいたのだが。

ティルヴィングが明滅、言葉を発する。

 

『そして貴方はティグラを……』

「あぁ、救えなかった」

 

 歯を噛み締め、目を細める。

ぼんやりとする視界の中で、灯りだけがハッキリと目に見えていた。

白い光の先に何もかもがあるような気さえもし、それが遥か遠くにあり、僕とずっと離れた所であるようにすら感じる。

それでも僕は、続けた。

続けてみせた。

 

「だからこそ、だ」

 

 そう、だからこそ。

一度は救えなかった。

僕には力が足りなかった。

心を見抜く力も足りなかった。

けれどこの2年半、僕は少しだけだけど前に歩めていた筈だ。

ならば僕は。

 

「今度こそ、僕は救わなくちゃならない」

 

 喉の奥の全てをしぼり出すようにしながら、僕は言った。

ティルヴィングが明滅、機械音を小さく響かせる。

 

「UD-182の信念をこの世に証明したい。

それには僕は、彼の熱い心を再現し、僕が彼の心に救われたように、その熱い心によって多くの人を救わなくちゃならない。

ならば自分と同じ苦しみを背負った人を……プレシアを、僕と違い壊れていってしまっている人を。

その人をすら助けられないんだったら、一体僕に誰を助けられるって言うんだ。

僕は、プレシアを助けなくちゃならないんだ」

『イエス、マスター。

マスターはプレシアを助けねばなりません』

 

 復唱するティルヴィングに合わせ、僕は頷く。

そうだ、僕はプレシアを助けねばならない。

そう心に決めると、申し訳程度の闘志が燃え上がってきて、体がじんと熱くなる。

腹の底の方に熱い物がこみ上げてきて、全身からじんわりと汗が拭きでてくる。

UD-182に直接受けた熱には、到底及ばないだろう。

けれど僕は、少しだけど自分を燃え上がらせる方法を会得していたのだ。

勢い良く上半身を跳ね上げると、僕は微笑みながらティルヴィングに言った。

 

「ふふ、何でかなのはと同じような誓いになっちゃったな。

フェイトと同じ悲しみを知っているから助けたい、だっけ」

『? そうですか? 全く違う誓いではありませんか?』

 

 はて、と僕は首を傾げる。

僕となのはの誓いに、そう大きな違いがあっただろうか。

考えても思い浮かばないので、ティルヴィングに先を促す。

 

『マスターは助けなくちゃならない、と。

高町なのはは助けたい、と。

そう言っている筈ですが』

「…………」

 

 ぐ、とちょっとこちらが詰まるような物言いだった。

確かに、厳密な意味では同じではないだろう。

けれど。

 

「けれど、大体似たようなもんだろ」

『……了解しました』

 

 と言いつつも、僕もまたそこに明確な違いを感じ取ったままだった。

けれどそれを深く考えると、なんだか今の熱い気持ちで均した道に出っ張りができちゃうような気がして、僕はその事について考えるのを止めた。

代わりに立ち上がり、深呼吸してティルヴィングに誓う。

 

「僕は必ずプレシアを救わなければならない。

骨がへし折れ内蔵が潰れようと、戦い続け、勝ち続け、救い続けなくちゃならない」

『イエス、マスター。

貴方は骨がへし折れ内蔵が潰れようと、戦い続け、勝ち続け、救い続けなければなりません』

 

 復唱に頷き、僕は心を燃やす。

そうだ、UD-182には心で到底及ばず、今の僕はまだただ強いだけの男だ。

その強さだけの僕が完全に負けてしまえば、僕に生きる価値なんて無くなってしまうに違いない。

そんな事を想像すると、具体的な光景を何一つ心に描いていないと言うのに、辛くて仕方がなかった。

心が折れそうだった。

そうなりたくないだろう、そんな光景を見たくないだろう、そうやって僕は自分の心を追い立てて、どうにか何かに立ち向かおうとする自分を作り出す。

そして。

 

「なぁ、ティルヴィング」

『何でしょうか?』

 

 変わらずあまり人間味の見られない機械音声に、むしろ安堵を覚えながら僕は続けた。

 

「なのはに劣等感を覚えて、ユーノに嫉妬して、プレシアには負けて、フェイトには悪影響を与えて。

そんな情けない、何時もの僕だけどさ。

プレシアを救えたら……」

『……救えたら?』

 

 思わず、天井を見据える。

鉄板で作られた人工的な板がそこにはあった。

しかし僕の視線はそれを超えて、遥か高い何処か遠くを見ていたのだ。

此処には無い筈の、雲ひとつ無い蒼穹を。

 

「僕も、少しは変われるかなぁ」

『それは貴方次第です』

 

 一切の同情の無い言葉が、何故か逆に心地よかった。

不思議な爽やかさが心の中を吹き、心のなかのモヤモヤが吹き飛んでいくのを感じる。

決意を胸に、僕は結界を解き、現実へと歩んでいった。

その顔に、継ぎ接ぎだらけの仮面を貼り付けながら。

 

 

 

 ***

 

 

 

 無言でフェイトは目を瞑り、思う。

初めに思い出す光景は、矢張り母親との物であった。

地平線まで続く広い草原の中、広げたレジャーシートの上で、プレシアが花で冠を作ってくれている。

宝石のような素晴らしい花々を使って作られたそれは、その時のフェイトにとって最高の宝物だった。

それを惜しげもなくフェイトの頭の上にかぶせてくれるプレシア。

そしてプレシアの口が開き、喋るのだ。

 

「似合っているわよ——、アリシア」

 

 全身の力が抜けそうになるのを、フェイトは感じ取った。

今にも膝をつき、心折れて歩みを止めたくなる。

きっとそうすれば楽になるだろう、と言う予感がフェイトにはあった。

しかし、フェイトは内心で歯を食いしばる。

ガチッ、と歯を噛みあわせて、全身に力を入れる。

全精力を振り絞ってどうにか姿勢を維持し、思ってみせた。

現実を。

厳しい現実を。

 

 ——母さんが好きなのは、私じゃあなくアリシアなのだと言う事を。

 

 そう、それがフェイトの現実で終着点。

プレシアはフェイトにフェイトであって欲しいなんて望んでいない。

それならフェイトにできる事は、アリシアになる事しか無いのだ。

だって、フェイトには母親の他に何もない。

全てを犠牲にしてでも、母親の為になりたいのだ。

例えその笑顔が自分に向けられた物でなくとも、笑顔になって欲しいのだ。

偽りの仮面を通して向けられる物でも、自分の延長線上に向けてほしいのだ。

 

 だからフェイトは、アリシアになってみせると誓った。

そしてその誓いは、今の所上手く行っているようフェイトには思えた。

12個のジュエルシードを確保して帰還した時、プレシアは難しい顔をしつつも結局フェイトに折檻をしなかった。

何時しかプレシアが言っていた必要数、14個に満たないジュエルシードをしか集められなかったのにである。

嫌な予感がしていたというアルフなど、キョトンとしていたぐらいに意外な事だったらしい。

これもきっと、自分がアリシアに近づいているから、ジュエルシードを要せずとも母親の願いが叶おうとしているからじゃあないかとフェイトは思っている。

 

 アルフに対しても、フェイトのアリシアの練習は効果的に働いていた。

底抜けに明るくちょっと抜けた所のあるアリシアであった頃の自分の演技は、アルフに些かの不信を覚えさせた。

けれど、ウォルターの言葉を心に秘めているから、とそう言うと、渋々とと言う様子ではあったものの、納得してみせたのだ。

どころか、なんだか最近明るくなったね、とさえ言うようになってきた。

精神リンクで心がつながっているアルフにでさえ分からないぐらい自然に、自分はアリシアへの移行を上手くできているのだ。

そう思うと、少しだけ先の事態に自信ができてきて、フェイトは思わずはにかむことを抑えきれなかった。

 

 先の事態。

ジュエルシードを集めたら、その後フェイトは完全にアリシアになりきってみせよう、と思っていた。

そう、今控えている、高町なのはとの戦いが終われば、フェイト・テスタロッサの人生はもうこれでお終い。

ジュエルシード21個を母の元に持っていった次の瞬間から、アリシア・テスタロッサの人生が始まるのだ。

 

 怖くないかと問われれば。

怖い、と言うのがフェイトの正直な答えだった。

自分を無くして他の誰かになるなんて、それでは果たして自分の生まれた意味はあるのか、と思ってしまう。

大体本当の意味で他の誰かになりきる事なんて、人間にできうる事なのだろうか、という不安もあった。

けれど、仕方ないじゃあないか、とフェイトは思うのだ。

だって、自分は出来損ないの不良品で、望まれない命なのだ。

だって、自分には母親しかおらず、それが全てなのだ。

それにウォルターだって言っている、絶対に諦めるな、道は必ずある、と。

やっと見つけた道がこれだけなのだ、それを通る事をウォルターだって応援してくれるだろう。

勿論、敵としてできる限りなのであろうが。

 

 瞼を開く。

海鳴臨海公園の端、フェイトは一本の電柱の頂点に立ち、辺りを見下ろしていた。

目前には、あの何度も戦った白い魔導師が立っている。

後ろには動かないリニスを抱えたウォルターと、フェレットの使い魔が控えていた。

魔導師、なのはが面を上げる。

ウォルターのものを思わせる、臓腑を燃やす灼熱の視線がフェイトを貫いた。

 

「フェイトちゃん……」

「なのは、って言ったっけ……」

 

 なのはは広域念話でフェイトを呼び寄せた。

残るジュエルシード全部をかけて、一対一で戦おう、と。

それを受け取ったフェイトとアルフは、十中八九罠だと知りつつも、その場に赴いた。

例えフェイトが完璧にアリシアを演じる事ができたとしても、アリシアはとてもよく母の言葉を聞いたと言う。

とすれば、一度母に命令された事をほっぽり出すような事はしないだろう。

それ故に最低14個のジュエルシードを必要とするフェイト達には、他に選択肢は無いからだ。

 

「私達、始まりはジュエルシードからだったよね。

なら私達の関係は、そのジュエルシードにケリを付けてからじゃあないと、始まらない、そんな気がするんだ。

だから……戦おう。

お互いのジュエルシード、全部を賭けて」

 

 なのはのレイジングハートが収納を開け、ジュエルシード9個を舞わせる。

同時、フェイトのバルディッシュもジュエルシードを12個排出、円を形作らせた。

一瞬の視線の交錯の後、二人はそれぞれのデバイスにジュエルシードを収める。

 

「ユーノ君やウォルター君の戦闘参加は無しだけど、代わりにアルフさんも無しだよ」

「いいよ、どうせ勝つのは私だから」

「……、やってみなくちゃ、分からないよ」

 

 レイジングハートを半身に構えるなのは。

対しフェイトもバルディッシュをサイズフォームへ変形、光刃を出しながら構える。

アルフがウォルター達の元に歩み寄り、少し離れた所に場所を移した。

 

 耳の痛くなるような静謐が、その場に横たわった。

互いの心音を除き、何の音も無い封時結界の中の空間。

フェイトの内心は、僅かな不安が顔を見せていた。

なのはに対し勝てると言ったのは、嘘ではない。

しかし会った時から異常な速度で成長するなのはに、ウォルターと言う最強の魔導師が指導者としてついたのだ。

今のなのはがどれほど強いか、フェイトには到底予想もつかないし、当然勝ち負けも予想がつかない。

だから言ったのは、心の話だ。

母を思うこの気持ちだけは、例えウォルターが相手だろうと負けはしない。

心では、気持ちでは、絶対になのはに負けない。

そんな自信がフェイトにはあった。

 

 一陣の風が吹く。

髪がふわりと重力から開放されたその瞬間、フェイトとなのははその場を飛び出していた。

二人の間にある距離がゼロになり、魔力の衝突が起きる。

戦いの火蓋が切って落された。

 

 

 

 ***

 

 

 

「強いな……」

「うん、あの子達、本当に凄いや……」

 

 次元航行艦アースラの艦内。

ブリッジにて待機するリンディにクロノにエイミィの三人は、展開される光景に見入っていた。

高町なのは、フェイト・テスタロッサ。

どちらも桁外れの力量を持ち、高位魔導師としての力を遺憾なく発揮している。

防御と誘導弾と砲撃魔法ではなのはが、速度と直射弾と近接技能ではフェイトが勝っており、総合力ではフェイトがやや上か。

どちらも年齢に不釣り合いな戦闘能力であり、この三人の中で最強の魔導師であるクロノであっても、どちらを相手にしても油断すれば危ういほどである。

僅かに身震いしながら、クロノは背後の艦長席に振り返りつつ言う。

 

「しかし艦長、高町なのははあの事実を知ってしまって、それでも尚フェイト・テスタロッサを撃墜できるのでしょうか」

「……リニスさんがなのはさんが民間人だなんて知るよりも早く、話をさせちゃったものねぇ」

 

 事実であった。

リニスは起きたばかりで民間人がウォルター以外に居る事など知らなかったので、早速と管理局に話を聞かれてスラスラ喋ってしまったのだ。

当然、その場にいたなのはにもフェイトの生い立ちなどの情報は伝わってしまった。

クロノとしては、別段ここでなのはが勝とうと負けようと、どちらでもいい。

ジュエルシードをフェイトに持ってこさせ、物質転送する他ない状況を作り出せればそれでいいのだ。

だが当然、その後に続くのは時の庭園への突入である。

いくらハンデを背負っていたとは言え、次元世界最強の一角を占めるウォルターに勝ったプレシアの捕縛をするのだ、いくら戦力があっても足りる事は無い。

故になのはに勝ってもらうに越したことはなかった。

それにはなるべく、余計な事情を知ってほしくはなかったのである。

 

「……そうね、でも彼女ならできるわ」

 

 しかしリンディは、そう断言した。

意外な発言に、クロノは目を丸くする。

 

「見て、あの目。

あの子、攻撃に全く躊躇が無いわ。

きっと分かっているのよ、例えフェイトさんの生まれがどうであっても、友達になりたいと思った気持ちに変わりはないって。

そしてその気持ちを伝えるには、答えをもらうには、出会いの切っ掛けだったジュエルシードの争奪戦をきちんと終えなくちゃいけないって」

「……でしょうね。

捜査に直接は関係ありませんが……、これから真実を知る事になるフェイト・テスタロッサの支えになる、喜ばしい事でしょう」

 

 とクロノが言い終えるが早いか、およ、と呟きつつクロノへと振り返るエイミィ。

跳ねた毛がふわりと動き、エイミィの動きに追従。

停止するエイミィについていけず、慣性でゆらりと揺れる。

 

「ありゃ、フェイトちゃんの事を心配してるの?

まだ喋ってもいない相手なのに、珍しいねー」

「確かに、僕はフェイト・テスタロッサと一言も会話していない。

けれど、関係者全員が彼女の人格が善性のものだと言っているし、ウォルター・カウンタックからもらった映像記録からも推測できる事実だ。

そんな人間の心を心配しない程、僕は杓子定規じゃあないつもりだよ。

勿論、過度な同情をする気は毛頭無いけどね」

 

 確かにクロノは、生まれがどれほど悲劇的でも、それを言い訳に犯罪を犯すような人間を心配するような人間ではない。

まだ会話一つもしておらず、よく人格の分からないフェイトもそういった人間である可能性がある以上、心配するにはまだ早い、と言った気持ちがあるのも確かだ。

だがしかし、口にしたようにフェイトの人格を擁護する人間の多さから、それを推定し動くぐらいの要領の良さは持っているつもりであった。

むっつりとした顔でそう答えるクロノに、ニンマリと笑みを浮かべつつ、エイミィは意地悪そうに言う。

 

「うんうん、偉い偉い」

「……撫でるなよ、エイミィ」

 

 微笑ましい光景に、背後のリンディが僅かに相好を崩した。

それに感づき、一層抵抗を激しくするクロノ。

と言っても、女性相手に本気を出せないクロノの弱点をついて、エイミィは無理矢理クロノを撫で続ける。

暫くそんな時間が続いた後、ぽつり、とエイミィが漏らした。

 

「強いと言えば……ウォルター君もそうだよね」

 

 ピタリ、とクロノとリンディが動作を停止する。

和やかな空間に僅かに冷たい物が入り混じったかのようであった。

 

「弱冠7歳で賞金稼ぎを始めて、半年でSランク相当の非合法魔導師に勝利。

その後2年半で、大きな事件だけで7つも事件に関わっているみたい。

その中でAAランク以上の高位魔導師とは5回戦闘、うちSランク魔導師と2回戦って、全部勝ってるね。

うわ、AAAランクの魔導師達と3対1で勝ってるのもあるよ」

「推定魔導師ランク、空戦SSの近代ベルカ式か。

遠距離戦闘に徹しても、僕では正直厳しい相手だな……」

「まぁ、敵じゃなくて助かったって所だね」

 

 苦虫を噛み潰したような表情となるクロノに、苦笑いを浮かべるエイミィ。

クロノはAAA+ランクの高位魔導師であり、格上を倒した事も何度かある。

が、魔導師ランクは上に行けば行くほど、ランク間の実力差が大きくなる。

流石のクロノも、このレベルで一個半も上のランクの魔導師相手に勝てる自信はなかった。

 

「で、そのウォルター君が、かなり大きめのハンデ有りで互角だったのがプレシア、かぁ……」

「ウォルターが強すぎると見るべきか、プレシアがランクに比して戦闘経験が薄いと見るか、迷う所だね。

艦長はどう思います……艦長?」

 

 振り返るクロノの視線の先では、真剣な表情で考え込んでいるリンディの姿があった。

クロノが再度呼びかけると、ようやくそれに気づいて口を開く。

 

「あぁ、ごめんなさい、二人とも……。

ちょっと考え事をしていて、ね」

「考え事、ですか?」

 

 オウム返しに聞くエイミィの言葉に、リンディは再び顎に手をやり視線を足先に下ろす。

数秒考え込んだ後、不意に視線をあげ、二人へと向けた。

 

「ウォルターさん……、彼は一体どんな育ち方をすれば、あんな人間になったのかと、少し気になってね」

「あんな人間、ですか」

 

 二人は同時、リニスが全てを明かした時の事を思い出す。

泣き崩れながら話すリニスの真実に、流石に全員は打ちのめされた。

フェイトのあまりに報われない人生に、涙を零しそうになった者さえ居た。

場は重苦しい空気につつまれ、空気分子が重力を増したかのような空間となる。

沈黙の中、リニスがすすり泣く音だけがその場に響き渡った。

それを押しのけ、口火を切ったのがウォルターであった。

彼はリニスに、必ずフェイトもプレシアも救われる、最高の結果を出してみせる、と約束したのだ。

その時の彼から発せられる凄まじい威圧感は、誰もの心を燃え上がらせるだけの質量を持っていた。

冷静なクロノや、百戦錬磨のリンディの心でさえも、彼の言葉には思わず体の芯を熱くさせたものであった。

 

 弱冠10歳にして、あれだけのカリスマ。

一体どんな生活をしてきたのか、興味は尽きない。

あれこれと脳裏に彼の半生を想像する二人に、キーボードの上で指を踊らせデーターベースを呼び出すエイミィ。

 

「……調べた範囲内では、賞金稼ぎになるまではストリートチルドレンをやっていたと言う事しかわかりませんでした。

しかし、それも3年前の春からの事です。

それまでの記録は、何処にも残ってはいません」

「怪しいと言えば怪しいが、別段犯罪の匂いがする訳でも無いね。

それに彼には、これまで管理局に協力的だった実績があるからな……」

「うーん、気になるけどそれで良しとしましょうか」

 

 話を打ち切り、リンディが再びなのはとフェイトの映るディスプレイに視線を移す。

空間投影された映像の中では、なのはとフェイト、桜色と黄金の魔力光が幾重にも交差し、幾何学的な模様を作っていた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 轟音を立てて、建造物が破壊された。

桜色の光球と黄金の光球が交錯、建物と海面を抉りつつ、魔力光あふれる中心から離れていく。

その始点には、白い魔導師と黒い魔導師とがしのぎを削っていた。

 

「てやぁぁあぁ!」

「うわぁぁああ!」

 

 絶叫と共に、鉄杖と光刃とが激突。

空中に半径数十メートルの、透明な破壊球が発生する。

込められた付与魔力が溢れ、魔力が紫電を発しながら爆発を起こしたのだ。

その爆心地から二条の光が発生、丁度正反対の方向に抜けてゆく。

高町なのはとフェイト・テスタロッサ、二人の高位魔導師の威容がそこにあった。

 

 強い、とフェイトは内心で呟いた。

以前戦った時とはまるで別人のような強さだった。

魔法一つ一つの構成密度が段違いに濃く、展開速度も見違えたかのよう。

もしフェイトがプレシアから折檻を受けながら探索していたとすれば、スペックでは負けていたかもしれないぐらいだ。

——でも、今は違う、私のほうが上。

そう内心で呟き、フェイトは自身を落ち着かせる。

スペックで上なら、フェイトは必ず相手に勝つ事ができる。

何故なら、母を思うこの気持ちだけは、例えウォルターが相手だったとしても負ける事は無いからだ。

 

「フェイトちゃん……」

 

 だしぬけに、なのはがそう呟いた。

同じように肩で息をしていたなのはは、フェイトが様子を伺っている間に回復している。

それはフェイトも同じなので、同条件と言えるのだろうが。

 

「フェイトちゃんは、フェイトちゃんのお母さん……プレシアさんの為に戦っている、そうだよね」

「……そう、その通りだよ」

 

 言いつつ平行思考でフェイトは戦術を考察。

高町なのはの防御は固い。

現在のフェイトの手持ちの札でなのはの防御を抜き決定的なダメージを与える物は、ゼロ距離での砲撃か切り札かの2つに1つだ。

どちらもバインドなり何なりで相手の動きを止めねば、まず成功しない魔法である。

隠蔽詠唱でバインドの準備をしつつ、フェイトは気づかれないようなのはとの会話を続けた。

 

「プレシアさんは、フェイトちゃんがジュエルシードを集めたとして……。

貴方に、笑顔を向けてくれるの?」

「——っ!」

 

 怒りのあまり、フェイトは一瞬魔法の詠唱を切らしそうになってしまった。

が、辛うじてバインドの詠唱だけは維持。

飛行魔法すらおぼつかなくなり、フェイトはその内心の動揺を示すかのように、一瞬ゆらりと揺れる。

気にしている事を言われて、フェイトは最大限に動揺した。

何せプレシアが笑顔を向けてくれる相手は、フェイトではなくアリシアになるのだ。

それでいい、これでいい、と内心で唱えてこそいるものの、それでも怖くて悔しくって、それを思うだけで涙が出そうになる。

必死でそれに耐えて、フェイトは面をなのはに向けた。

 

「……リニスが、目を覚ましたの?」

「——っ!?」

 

 息を呑むなのは。

分かりやすい反応に、フェイトは僅かに目を細めた。

 

「なら、知っているのかな……私の生まれの事」

「うん……ごめんね、勝手に知っちゃって」

「いいよ別に、もう関係なくなるんだから」

 

 言ってフェイトはバルディッシュを構え直すと同時、余計な事を言ってしまった事に気づく。

対面するなのはは目をまたたき、首を傾げながら問うた。

 

「もう関係なくなるって……どういう、事?」

 

 予想通りの問に、フェイトは苦虫を噛み潰したような顔を作る。

バインドの完成は隠蔽性を重視している為、まだもう少し時間がかかる。

とすれば此処で話すしか無いのだが、何故かフェイトの中には戸惑いがあった。

それを口にしてしまえば、最早引き返す事ができなくなるからだろうか。

いいや、そんなはずはない、とフェイトは内心で唱えた。

どちらにせよ他に道など無いのだし、絶対に諦めないでその道を進むというウォルターとの約束だってある。

大きく息を吸い、胸を上下させながらフェイトは言った。

 

「私はジュエルシードを集め終えたら……自分を、フェイト・テスタロッサを辞める。

私は、アリシア・テスタロッサになってみせる」

 

 なのはは衝撃を受けたのだろう、大口を開けて杖先を下ろした。

レイジングハートを取り落としそうにすらなり、辛うじてそれを両手で確りと掴んでみせる。

どうしてだろう、フェイトにはその隙に攻撃をすると言う発想が無かった。

それは矢張り、今から発する自分の言葉が、自分に向けての宣誓でもあるからなのだろう。

目を細め、バルディッシュが小さく悲しげな機械音を鳴らすのを聞きつつ、フェイトはなのはの言葉を待った。

震える唇で、なのはは言う。

 

「なん、で……?」

「母さんはフェイト・テスタロッサを愛してくれる事なんて、無い。

だって私は所詮、アリシアの出来損ない、ただの不良品だから。

だから私は、望まれた命に、アリシアになってみせなければ、母さんに笑顔になってもらえない」

 

 思ったよりもずっと硬い声が出た事に、フェイトは内心驚いていた。

その硬い言葉が、意思の硬さを示しているかのように思え、内心少しだけ微笑む。

対するなのはは、あまりの衝撃に目を泳がせていたが、すぐに視線を定め、キッとフェイトを睨みつけてみせた。

 

「人は、自分以外の他人になんか絶対になれないよ」

「絶対? ううん違う、私はそんな事で諦めない」

 

 なのはもまた硬い声を発し、それにフェイトはマントを翻しながら答えた。

空気を孕んだマントが、外側の黒と裏地の赤とを繰り返す。

フェイトは、ウォルターの言葉を思い返す。

どれひとつをとっても、心の熱くなる不思議な台詞だった。

胸の奥が燃え上がり、全身が指の先まで熱くなる。

 

「——“絶対に諦めるな”。ウォルターが私に言ってくれた、台詞だよ」

「…………」

 

 そう口に出すだけで、フェイトはいくらでも勇敢になれた。

心の中から迷いや憂いがさっぱりと消え去っていき、いくらでも胸を張って前に進めるような気持ちになるのだ。

やっぱり、ウォルターは凄い。

内心でそう思いつつ、何処か晴ればれとした表情をするフェイト。

対しなのはは、疑念に満ちた顔でフェイトを見つめていた。

口を、開く。

 

「それ、本当にウォルター君が言ったの?」

「——っ!?」

 

 どくん、とフェイトの心臓が高鳴った。

慌てて焦燥の色を顔から隠しつつ、フェイトは答える。

 

「本当だよ、一字一句間違い無い!」

「じゃあ文脈がおかしく無い?」

「……それは……」

 

 フェイトは反射的に脳裏に思い返す。

ウォルターの言葉、それは気持ちが伝わらないと思っても諦めるなと言う言葉で。

決して、何事も諦めるなと言う言葉では、無かった筈で——。

 

「違う、そんな事ないっ!」

 

 絶叫し、内心の言葉を遮るフェイト。

しかしそれに追い打ちをかけるように、なのはの言葉がフェイトを襲う。

 

「フェイトちゃん、ウォルター君の言葉を言い訳に使っちゃあ、駄目だよ」

「違う、私は言い訳なんかに——!」

「フェイト、ちゃん」

 

 なのはの鋼の視線がフェイトを貫いた。

ビクリ、と一瞬跳ね上がるようにしてから、フェイトは脱力する。

ぽつり、と涙を零しながらフェイトは面を上げた。

 

「うん……そうだよね……」

「…………」

「私がアリシアになろうなんて思ったのは、本心からやりたかった事じゃあなかった。

そうでもしないと母さんが私を愛してくれる事なんて無いって思った、諦めからだったんだ。

本当はウォルターとの約束を思ったなんて嘘、ただそれを現実逃避に利用しただけ」

 

 数秒前までの内心が嘘のように、フェイトの内心は暗く鬱々しい物に染まっていた。

そう、決意だとか約束だとか言っていたのも、そうやって心を熱くしなければ、立って歩き出す事すらままならないからと言うだけ。

本当はそんな綺麗な物は、フェイトの中には無かった。

あるのは醜い、諦めと羨望だけだった。

けれど。

それでも。

 

「それでも。私は、アリシアにならなくちゃいけない」

 

 涙ながらに、フェイトはバルディッシュを構えた。

対しなのはは自然体のままフェイトをじっと見つめており、戦いを始めようという様子は見えない。

それが何処かウォルターに重なって、フェイトにはなのはが自分とは別の世界の住人であるかのように思えた。

あちら側はとても明るくさっぱりしていて綺麗で、こちら側は暗くジメジメとしていて醜くて。

見えない境界線がそこにあるかのように、フェイトには思えた。

きっとなのはには、全てがあるのだろう、とさえフェイトは思う。

友達も、ウォルターも、母親の愛も。

嫉妬と羨望を乗せて、フェイトは言う。

 

「だから私は……勝つ、勝ってみせるっ!」

 

 血を吐くような叫びであった。

全身に力を込めての叫びを、なのはが静かに聞いた、その時である。

隠蔽されていたライトニングバインドが、なのはを襲った。

黄金の立方体のバインドがなのはを拘束、動きを止める。

 

「これは……!」

「私には……」

 

 同時、38基もの黄金のフォトンスフィアが生成、フェイトの周りに浮かび上がる。

フォトンランサー・ファランクスシフト。

リニスやプレシアが得意とした、射撃魔法の瞬間同時展開による大魔法である。

フェイトはまるで指揮者のようにバルディッシュを振り上げ——。

 

「母さんしか、居ないんだから!」

 

 叫ぶと共に、振り下ろした。

次の瞬間、38基ものスフィアから毎秒7発4秒間、合計1064発ものフォトンランサーがなのはへと襲いかかる。

それはさながら、フォトンランサーの豪雨のようであった。

魔力煙でなのはが見えなくなるほどの激突。

それを最後まで終えると、肩で息をしながらフェイトは掌を天に掲げた。

38基のスフィアがそこに集合、一つの雷撃を形作る。

と同時に、なのはを囲っていた魔力煙が薄れていった。

中に桜色の輝きが見えた瞬間、フェイトは叫び雷撃を放つ。

 

「スパーク……エンドっ!」

「ディバイン……バスターっ!」

 

 雷撃が砲撃に抗えたのは、一瞬の事であった。

咄嗟にフェイトは防御魔法を三重展開、なのはのディバインバスターの前に置くも、激突の瞬間に早速一枚が破壊される。

視界を占拠する、桜色の奔流。

腕が引きちぎれそうなぐらいの負荷を受けつつも、フェイトは歯を噛み締め、残る全力でそれを耐えてみせる。

フェイトの脳裏には、何時しかウォルターがフェイトを庇ってみせた時の事が思い返されていた。

あの背中、痛いでは済まないぐらいの真っ赤に染まった傷を負いながら、フェイトを庇ってみせたウォルター。

その時のウォルターの痛みを思えば、今自分が受けている砲撃なんて、なんて事も無い筈なのだ。

そう内心で言い聞かせながら、フェイトは必死に砲撃に耐える。

永遠と思い違うような時間が過ぎ去った頃、砲撃はようやく収まった。

 

「違うよ」

 

 鋼の声が、フェイトの耳に届いた。

左右を見渡し、上を見あげれば、そこにはなのはが再びの砲撃魔法を放つ体勢で浮いている。

咄嗟に逃げようとするフェイトの体を、しかしなのはのレストリクトロックが捕縛。

動けないフェイトの頭上で、なのはの杖先に桜色の光が集まっていくのが見える。

まさか、と内心でフェイトは呟いた。

収束砲撃。

使い切れずにその場に漂う魔力の残滓を集めて砲撃すると言う、砲撃魔法最大の秘技ではあるまいか。

恐怖に染まったフェイトであったが、次の言葉がフェイトの脳裏に怒りを取り戻させた。

 

「フェイトちゃんには、プレシアさんだけしか居ないなんて事は、無い」

「——っ! だったら、誰が居るって言うのっ!」

 

 思わず叫ぶフェイト。

そんなフェイトをまっすぐに見つめつつ、なのはは言った。

 

「——私が、居るよ」

 

 フェイトの全身を、衝撃が貫いた。

絶え間なく広がる蒼穹が、まるで今始めて視界に入ったかのようによく見える。

どくんと心臓が脈打ち、全身を新鮮な空気が回っていくのが解るかのようだった。

フェイトは一人じゃあない。

なのはが居る。

例えこの一瞬だけの勘違いだとしても、そう思えただけで、まるで視界が開けたかのようにフェイトは感じた。

 

「私だけじゃない、アルフさんも、リニスさんも、ウォルター君も居る。

フェイトちゃんは一人なんかじゃあないんだよ」

 

 そして、となのは。

 

「そして、私は知らないアリシアちゃんとなんかじゃあない、フェイトちゃんと友達になりたいんだ」

「……ぁ」

 

 フェイトの脳裏に、先日のなのはの言葉が思い出される。

“私、貴方と……友達に、なりたいんだ”。

その言葉に、ほんの刹那とは言え、フェイトはどれだけ救われた事だろうか。

まるで自分の価値がこの世に生まれたかのような錯覚ができた瞬間だった。

それを汚したくなくて、フェイトはあまりあの時の事を考えようとはしてこなかったけれど。

もしも、それが錯覚じゃあなくて。

これからも続くのだとすれば。

 

「その為には、一度きっちりとジュエルシード集めを終えなきゃ、きっと私達は始められない。

だから——、行くよっ!」

『スターライトブレイカー』

 

 極太の、何時かのウォルターの砲撃をも超える太さの砲撃が、フェイトを襲った。

桜色の奔流に包まれつつ、フェイトは思考の片隅で思うのだ。

負けた。

これ以上言い訳のしようもない負けだ。

母にはなんと言い訳すればいいのかわからないし、アリシアになる第一歩を失敗してしまい、これからどうすればいいのか何も判らなくなる。

けれど何故だろうか、フェイトの心にはある種不思議な爽やかささえもがあった。

心の中を、春の風に撫でられるような爽やかさが過ぎ去っていく。

先程までは張り詰めて、負ける事なんて考えもしなかったのに。

今はどうしてか、負けたと思っても、まぁ、いいか、と、そう思えさえするのであった。

 

 

 

 

 



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2章7話

 

 

 

 フェイトは気づけば、なのはに連れられ時空管理局の次元航行艦の中に入っていた。

まるで現実味が無く、ふわふわとした時間であった。

スペックの上ではフェイトはなのはよりやや上だった。

なのになのはに負けたとなれば、フェイトはなのはに心で負けていたと言う証に他ならない。

フェイトは母を想う気持ちだけは誰にも負けていないつもりで、それが覆されたのだ。

暗雲に包まれたような気持ちになるのが道理であるし、ひょっとすればそれも今のように現実味の伴わない感覚だったかもしれない。

 

 しかし、何故かフェイトは爽やかで心地良い感覚を覚えていた。

これまでの自分がひっくり返され、未来に何も無くなってしまった筈なのに、何故か心は晴れ晴れとしているのだ。

不思議に思いながらも、フェイトは黙ってなのはに付いていく。

 

 スターライトブレイカーで撃ちぬかれ一瞬気絶した後、フェイトは負けを認めジュエルシードを取り出した。

しかしプレシアがフェイトを砲撃、なのはがフェイトを抱えている隙にジュエルシードを時の庭園へ物質転送。

そうこうしているうちに、どうやら隠れていたらしい時空管理局が時の庭園の座標を割り出したらしい。

なのはが管理局と念話で会話しつつ、フェイトにその事を教えてくれたのだ。

実は先日の海でのジュエルシードの暴走の後、管理局が接触してきた事。

管理局が出てきては警戒させてしまうかもしれないと考え、その事を隠しフェイトをおびき出した事。

騙すような形になってしまって申し訳なく思っている事。

リニスが起きたけれど、その事も黙っていた事。

フェイトがバインドで捕縛された時、アルフが助けに来ようとしたのを、隠れていたリニスが邪魔した事。

ウォルターが抱えていたリニスは、かつての敵の見様見真似の幻術だった事。

様々な事をなのはが語るのに耳を傾けているうちに、フェイトはいつの間にか次元航行艦アースラのブリッジに立っていた。

アルフにリニス、ウォルターにフェレットの魔導師も同じくブリッジに転送されてきている。

艦内の空間投影モニターには、時の庭園の内部が映されていた。

 

「まさか、武装隊をプレシアに!? 無謀です、魔力供給が無くてもプレシアはSオーバーの魔導師なんですよ!?」

「管理局の威光に諦めるのを期待しての事なんだろうが、アイツはそんな性格してねぇと思うんだが……」

 

 叫ぶリニスに呟くウォルターを尻目に、武装隊が次々に時の庭園の奥へと進んでいく。

すぐさま武装隊の隊員達は広間へたどり着き、プレシアを発見した。

すぐに奥にまだ空間があるのを見つけ、幾人かを残し奥の制圧に向かう。

フェイトちゃん、となのはがフェイトの袖を引っ張った。

母親が逮捕される所を見せるのは忍びないと言う事だったが、フェイトはむしろ自分の目で全てが終わるまで見届けたくて、その場に留まろうとする。

引っ張り合いになるよりも早く、サーチャーが最深部へたどり着いた。

 

「…………え?」

 

 誰かが、小さな疑問詞を漏らした。

そこは、植物の根に囲まれた空間であった。

まるで重力の中心がそこにあるかのように、入り口を除いた三百六十度全方向に根が生えている。

そしてそれらを、てらてらとした緑色の光が照らしていた。

光源は、いわゆる生体ポッドであった。

中には薬液で満たされており、繋がれたコードや時折光る末端の機械類を見るに、稼働中なのは目に見えて解る。

その中には、金髪の少女が浮いていた。

これは、と誰かが漏らすよりも早く、プレシアの咆哮が響き渡る。

 

「私のアリシアに触れるなぁあぁっ!」

 

 杖の石突が床を叩くと同時、紫電が八方に走った。

床から足を伝い登っていく電撃が、幾重にも重なる悲鳴を上げさせる。

後に残ったのは、地に伏した武装隊の隊員達のみであった。

急ぎ表示されたサブモニタが映す広間にも、倒れた隊員しか見当たらない。

 

「いけない、退避を急いでっ!」

 

 リンディの言葉に武装隊の体が転送されていく。

しかしその悲鳴も惨状も、フェイトの頭の中には入って来なかった。

先程までとはまた別の、非現実感の上にフェイトは漂っている。

あれは、一体何?

あのポッドの中の子は、一体誰?

フェイトの頭脳は既にその答えにたどり着いていたが、全力で気づかない振りをしながらフェイトは一歩前に進んだ。

モニターに向かって、呼びかける。

 

「母、さん」

 

 肩で息をしていたプレシアが、サーチャーへと振り返った。

どうやら双方向サーチャーだったらしく、プレシアとフェイトとの目が合う。

その目に宿る光には、どうしても今まで感じられたような気がしていた優しさが感じられなかった。

それでも母が、いずれアリシアになる自分に愛着を持っている筈だと信じ、フェイトは口を開く。

 

「私は負けてしまったけど、捕まってしまったけど、まだ生きています。

私はまだ完璧じゃあないけれど、何時か、アリシアになってみせ……」

 

 フェイトの脳裏に、なのはの言葉が蘇る。

——私が、居るよ。

鮮烈な言葉だった。

胸の奥であらゆる物に色を与えてくれる、宝物のような言葉だった。

ウォルターの言葉にも勝るとも劣らない、大切な言葉だった。

それをどうしても汚してはいけない気がして。

フェイトの口は、声にならない声を上げる。

 

 アリシアになってみせると、そう言わねばならないのに。

自分なんて母の為なら捨てられると言わねばならないのに。

なのはの言葉を、裏切る事ができなかった。

初めて自分の価値を認めてくれた言葉を、無下にする事ができなかった。

 

「……なれない、よう」

 

 自然、フェイトの両目からは涙が溢れでた。

留まることを知らない涙が次々と溢れ出し、フェイトの顎を伝い床に落ちる。

得体のしれない物が喉を伝って上がってきて、嗚咽がフェイトの口から漏れでた。

両手の甲で涙を拭うのだけれども、次々と滲んでくる涙は止められないままだ。

 

「ごめんなさい、母さ……」

「貴方は何を言っているのかしら」

 

 プレシアの冷徹な声が、フェイトの言葉を遮った。

思わず、涙をそのままにフェイトは面を上げる。

否が応でも目に入った。

プレシアが、“誰だか分からない子”の入ったポッドを愛おしげに撫でる光景が。

プレシアは酷薄な笑みを浮かべながら、フェイトを見下す。

 

「私の望みは、このアリシアの蘇生。

最初から貴方のような出来損ないがアリシアになる事なんて、期待していなかったのよ」

 

 大槌で頭を殴られたかのような衝撃が、フェイトを襲った。

思わず一歩、二歩と後退りをする。

とても現実とは思えない眼の前の光景にフラリと足を揺らすフェイトに、駄目押しが入った。

 

「私はね、最初から貴方の事が……、大嫌いだったのよ」

 

 フェイトは、自身の内側から全てが消え去っていくのを感じた。

病気をプレシアに治してもらい起きた日、いや、フェイトがこの世に生まれたあの日。

それ以来の全ての感情が、全く意味のない物に思えて。

フェイトは、全身の力が抜けていくのを感じた。

目に光が無くなっていくのが、自分でもよく解る。

膝が、次いで尻が床に触れ、金属の冷たい感触を感じた。

 

「フェイトちゃんっ!」

 

 なのはが思わず、と言った様子で支えてくるも、最早なのはの声でさえフェイトには薄く届くだけにとどまった。

目には入っている筈なのに、今一体どんな状況になっているのか、理解できない。

何となく慌ただし気な雰囲気になっていくと同時、誰かに抱え上げられた事だけフェイトには理解できた。

ひょっとしたら、このまま一生どんな言葉も聞こえないのかもしれない。

そう思った瞬間、フェイトの耳にその声が届いた。

 

「個人的な恨みもあるが……、他にも二、三言いたい事ができたな」

 

 炎が燃え盛る時を今か今かと待つような、圧迫感のある声。

ウォルターの声だった。

少しだけフェイトの視界に色が戻り、ウォルターの姿形を映す。

それに気づいたのかどうか、ウォルターは続けてフェイトの近くに来てみせた。

相変わらず熱いものを内包したその顔で、言う。

 

「お前は、プレシアに笑って欲しかったんだよな。

なら、時間切れまでは後少しだ。

なんせ俺がこれからプレシアを倒しに行くんだからな、逮捕が確実だ」

「ウォルター、貴方は……!」

 

 と、リニスが怒鳴ろうとしたのを遮り、フェイトは思わず口を開いた。

 

「私は……っ!」

 

 視界に色が戻る。

熱く燃える心が少しだけ力を取り戻し、フェイトは何かを掴もうと、手を伸ばす。

その時視界の端に入った橙色に、今自分がアルフに抱きかかえられているのだとようやく理解した。

何か言わねばならない、とフェイトは反射的に思った。

自分にはウォルターのこの言葉に、何か言わねばならない筈なのだ。

けれど薄く曇ったフェイトの頭脳ではそれをはじき出す事はできず、ウォルターのくれた炎も燃え尽き、次第にフェイトの手も力を失っていった。

それを残念そうに見つめるウォルターの顔だけが、フェイトの記憶に残る。

再び、フェイトの視界は色を、そして光を無くしていった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ここが、時の庭園か……」

「フェイトちゃんのお家で、プレシアさんの居る場所……」

 

 感じ入るように呟くクロノとなのはの隣、黙ったままのユーノと同じく僕もまた無言で其処に降り立った。

時の庭園は先程までとは比べ物にならないほど不安定な時空空間を遊泳しており、その空間の歪さはここからでも解る。

空が虹色に輝くと言う、気色悪い光景によってだ。

それを目に、僕はプレシアとフェイトとの事を思い僅かに目を細め、それからみんなに声をかけた。

 

「さて、行くとしようぜ」

 

 その声を合図に、皆一つ頷くと、戦闘形態にしたデバイスを抱え走りだす。

プレシアはフェイトの心を完璧に折った後、ジュエルシードを暴走させ始めた。

意図的な暴走により、時の庭園内部では所々に虚数空間が発生。

いずれ次元断層を引き起こすだろう、次元震の予兆が始まる。

理由を問えば、お伽話にある滅びた古代の魔法文明、アルハザードへの道を開くためだと言う。

僕を除いて全員が、馬鹿げた事をと言う内容であった。

当然止めなければならない事態である。

クロノを筆頭に僕、なのは、ユーノは時の庭園に突入。

リンディさんは入り口で、アースラから魔力供給を受けながらディストーションシールドを張って次元震を抑えている。

心神喪失にあるフェイトと、それに付いているアルフとリニスさんは、アースラの医務室で留守番だ。

 

「……来たぞっ!」

 

 クロノが言うと同時、時の庭園の入口に魔方陣が発生。

魔方陣から現れたのは、金属製の巨大な鎧であった。

僕は、何時しか自分が時の庭園の事を、扉がでかくてまるで自分が小人になったようだと思った。

その比喩は半分当たっていたようで、どうやら時の庭園はこの巨人達を標準サイズとして作られているらしい。

目を見開くなのはが、僕に尋ねてくる。

 

「ウォルター君、この鎧って……」

「傀儡兵、まぁ要するに魔力で動く仕掛け人形みたいなもんさ」

 

 言いつつティルヴィングを構える僕だが、クロノが僕を抑えて半歩前に出る。

 

「待て、この程度の奴ら相手に余計な魔力は必要無い。

特にウォルター、君は対プレシア戦の切り札だ、魔力はできる限り温存していてくれ」

「……分かった、任せるぞクロノ」

 

 ティルヴィングを下ろす僕を確認してから、クロノが杖を手に傀儡兵達へと立ち向かう。

クロノは一発の誘導弾を発射、傀儡兵を2、3貫通させた後空中で加速、更に幾つかの傀儡兵を撃ちぬく。

同時に本人は強化された脚力で移動、飛行魔法も交えて巨大な傀儡兵の攻撃をかわしつつ、密着。

燃費に優れたブレイクインパルスの魔法で鎧を圧壊させる。

その頃には周辺の鎧も崩れ去り、クロノはたった2つの魔法で7体程居た傀儡兵を倒してみせた。

しかも使った魔法も、燃費の良い魔法をわざわざ選んである。

流石は執務官と言った所だろうか。

感心する僕の隣で、なのはとユーノは目を輝かせる。

 

「わ~、凄い!」

「確かに、たった2つの魔法でこれか……」

「君たち、関心していないで急ぐよ」

 

 褒められて悪い気はしないようで、少し照れの混ざった声であった。

まぁ、先程のなのはとフェイトの激戦を見ていれば、自信も揺らぐか。

技術は兎も角魔力量的には、クロノより遥かに上の戦いだった訳だし。

僕は目を細めつつも、しかし無言で奥へと進んでいく。

なのはらもすぐにそれに応じる形で、クロノを先頭に奥へと進んでいった。

 

 虚数空間の説明なども交えつつ、一つ目の広間に僕らは到着した。

扉を開け放ち、僕らは視界を埋め尽くす傀儡兵を目にする。

傀儡兵の索敵範囲外から、クロノ。

 

「いいか、ここから僕らは二手に分かれるぞ」

「うん、どう分けるの?」

「なのはとユーノは上にある駆動炉の封印に。

僕とウォルターは、プレシアの捕縛に動く。

砲撃魔法を放つから、それが合図だ、いいね!」

「はいっ!」

「応っ」

 

 僕らが頷くと、クロノは翡翠色のコアを持った黒杖、S2Uを掲げた。

すぐさま青光が杖先にはちきれんばかりに集まる。

 

『ブレイズカノン』

 

 極太の砲撃が傀儡兵達を打ち抜き、なのは達が上方へ向かうのを尻目に、僕らは下方へと向かい始めた。

道程は僕にとって楽な物となった。

途中大型の傀儡兵が現れた時には流石に協力したものの、他に殆どやること無く僕は進んでいく。

傀儡兵は確か80体以上、その半数以上が下方に仕込まれているとすれば、40体以上か。

それほどの傀儡兵が相手だと言うのに、クロノは弱音一つ見せず果敢に戦った。

 

 道中は、互いに無言であった。

僕もクロノも元々多弁な方では無いし、実務重視な性格なので、当然といえば当然か。

ただ、途中傀儡兵がおらず、暫く何も居ない空間を走る事になった時、不意にクロノが僕に向けて口を開いた。

 

「ウォルター」

「ん、どうした?」

「さっき、君がフェイトに話しかけた事だが……」

 

 僕は一瞬目を閉じて、先の言葉を思い出す。

プレシアにアリシアの代わりとしてすら望まれていなかったと知ったフェイトは、崩れ落ち、目から光を無くした。

そんなフェイトに、僕は出撃の間際に少しだけ話しかけたのだ。

いや、話しかけたと言うか、発破をかけた、と言う方が正しいか。

相応に乱暴な言葉遣いで、心身が傷ついた人に言うべき内容では無かった。

けれど、だけれども。

 

「フェイトは今立ち上がらなければ、今後の人生で一生後悔するだろう。

それに、な。

勿論俺はプレシアを捕まえる気だし、できる限り奴の本当の望みを引き出すつもりだ。

けれど、プレシアの心を本当に揺さぶる事ができるのは、俺じゃあない、フェイトだけなんだ。

あの親子が互いに幸せになるには、フェイトが今立ち上がらなければならない。

だから、少し乱暴でも立ち上がれるような言葉を吐いたつもりだったんだが、な」

 

 結果は、一言二言フェイトから言葉を引き出せただけである。

勿論、まだ全ては終わっていない。

スピードに優れたフェイトなら、空いた道を通って僕らへ追いつき、母と対面する事だって可能だろう。

けれどどうしても、僕の言葉はフェイトの中に残る最後の火種を燃やし尽くしてしまったのではないかと、不安が心の中を過る。

もっと彼女を繊細に扱うべきだったかもしれないと、後悔が胸を焼くばかりだ。

けれど同時に、僕は時間を遡ってあの時まで戻ったとしても、再び同じ事をやるだろうと言う予感があった。

目の前に自分の歩むべき本当に道があって、それを見失っている人が居るのなら。

それがどんな困難な道で、自身がどれだけ傷ついていようと。

本当に求める道に気付かさせ、歩めるようにしてやるのが僕のただ一つの信念なのだから。

そんな風に内心で振り返っていると、クロノがふと速度を緩めた。

僕の方を振り向きながら、言う。

 

「……君は、まだプレシアが正気に戻れると、本気で思っているのか?」

「ああ、思っている」

 

 視線と視線がぶつかり合った。

クロノが執務官となったのと、僕が“家”を出たのは同じ頃だ。

が、恐らく、経験した場数で言えばクロノは僕よりも上だろう。

大事件に限定するならば兎も角、事件に出会う頻度は勘頼りの僕より組織の実務員であるクロノの方が多いに違いない。

そして密度に関しても、特に事件の後処理に関しての経験は明らかにクロノの方が大きいと言える。

背中に解決してきた事件の重みを背負っているからだろう、凄まじい密度の視線であった。

表面上平静は保っているものの、僕の内心は大きく揺れ動き、動揺する。

 

 けれども、それでも僕は視線を外さなかった。

解決してきた事件の重みを背負ってきているのは、僕だって同じなのだ。

救えなかった人々の怨嗟の声を、それでも僕は背負って生きている。

時には僕の意思で、誰かの願いを叩き折る事さえもあった。

その僕が経験の差に怯えて尻込みするようでは、あまりに彼らに対して忍びない。

だからせめて、それ以上の言葉は思いつかないから、僕は確りとクロノに対し視線を返した。

 

 数秒か、十数秒か。

一体どれほど経ったか分からない時間が経過した後、クロノは目を細めて視線を前に戻す。

それでも威圧感は消えず、続く質問。

 

「何故だ?」

「俺はこれまで、何度もあんな目をしてきた奴らを見てきた事がある。

あれは、狂った目なんかじゃあない。

狂ったフリをした目だ」

 

 言いつつ思い出す。

僕が戦ってきた人々は、誰もが本当の願いから目を背けていた。

本当の願いを正視する事が余りにも辛く、それゆえに愚かだったり狂っていたりと言うフリをして本当の願いを見ない為の言い訳を作っていたのだ。

思えば、あれは逆に狂っていないフリをしていたのだけれども、ティグラとてそうだった。

本当の願いを知れば冥府魔道を行くしか無いが故に、本当の願いから目を背けていたのだ。

プレシアもまた、そんな目をしていた。

 

「実際は……、とても悲しそうで、誰かに必死で助けを求めているように見えた」

「……とは言え、時空震を引き起こす事態は許せる物じゃあないぞ」

「あぁ、分かっている、別に許せっつってんじゃあないさ。

ただ、例え叶おうが叶うまいが、プレシアに本当の願いを見据えさせて、そして挑戦させてやりたい、それだけだ。

勿論、それが倫理に反する事なら俺は結局プレシアの敵になるぜ」

「……そうか」

 

 そう言うと、クロノは再び走る速度を上げた。

その様子が何処か寂しげで、僕は何か言おうと思ったのだが、それよりも先に新たな傀儡兵が視界に入り、その言葉を口へと引っ込める事にする。

青い魔力光が、金属の間で踊り狂った。

 

 

 

 ***

 

 

 

「フェイト……」

 

 小さな声が、染み入るようにフェイトの内心に響き渡った。

半ば落ちていた意識が、浮上し始める。

視界は何処か薄暗く感じるものの、正常な色を伴ってフェイトの脳裏に運ばれてきた。

どうやらフェイトは、医務室のベッドの上に寝かされているようだ。

金属質な天井を見るに、恐らくアースラの艦内のまま。

視界の端でチラチラと光る何かは、恐らくウォルターやなのはを追った映像だろう。

その間に影となって自分を見下ろしているのは、見知った顔、アルフとリニスだった。

 

 その二人の顔を見た瞬間、望郷の念がフェイトの胸の内に湧き上がる。

楽しかった日々、フェイトがまだ母に仕置きをされる事はなく、少し寂しいけれど暖かな愛情をもらっていた日々。

それに対するふんわりとした温かみある感情が湧き上がり……そして、すぐに消え去った。

何時か母の為にと必死で頑張ったあの日々も、全く何の意味も無かったのだ。

そう思うと、確かにあった筈の胸の中の感情が枯れ果て、土色になり消えていってしまう。

それを悲しく思う筈の感情すら、フェイトには残っていなかった。

そんなフェイトを撫でながら、アルフが言う。

 

「私、あの子達が心配だからさ、行ってくるよ」

 

 フェイトに背を向け、アルフは流れている映像に視線を向けた。

そこに映っている光景に、僅かにフェイトの胸が鼓動する。

映像には、あの白い魔導師、なのはが映っていた。

 

「私はさっきの貴方との小競り合いで、残る魔力を消耗してしまいました。

行っても足手まといにしかならないでしょうし、私は此処で留守をしています。

頼みましたよ、アルフ」

「あぁ、そっちこそ、フェイトを頼んだよ」

 

 たっ、とテレポーターへ向かい走りだすアルフを尻目に、フェイトの脳内ではぐるぐると同じ思考が渦巻いていた。

フェイトには、最早生きる意味が無かった。

全てだと思っていた母に、希望の全てをへし折られてしまった。

自分さえも捨てて母の為のなろうとしても、何の意味も無かったのだ。

最初から自分は母に憎まれており、好かれようなどとどの道不可能な事だったのだ。

 

 ——私には、何も残っていない。

内心で、確信的にフェイトは呟いた。

しかし、確実に自分の心に止めを差す筈だったその言葉は、何故かこう受け止められた。

違う、と。

何も残っていない訳じゃあない、と。

フェイトの心の奥底、自分でも手の届かない、心の核のような部分がそう叫んでいた。

何故だろう。

そう思うフェイトの心の中に、一つの言葉が響き渡る。

 

 ——私が居るよ。

 

「……ぁ」

 

 小さく声をあげ、フェイトは大きすぎる発見に内心を揺らした。

母が全てだと思っていた。

母を、全てを無くしたと思っていた。

けれど、そんなフェイトを見てくれている人は、確かに居たのだ。

何度もぶつかり合った、白いバリアジャケットのあの子。

なのは。

高町なのは。

 

 フェイトは、自分の心が軽くなるのを感じた。

悲しみやら運命やら何やら、重い物がフェイトの肩に乗って押しつぶしてしまおうとしていたのが、まるで幻のように消えていった。

誰かが自分を見てくれている。

たったそれだけの事実が、どんなに自分の心を慰めてくれるか、フェイトは実感する。

そして。

 

 ——絶対に、諦めるな。

 

 続き、ウォルターの声がフェイトの内心に響き渡った。

確かウォルターの言葉は、こう言っていた。

プレシアの事が好きなら、どんな障害があってもその心だけは本物だと、信じ続けるんだ。

例え心裏切られる事があっても、自分の心が何をしたいと思っているか、考え続けるんだ、と。

正に今の状況を指しているかのようなウォルターの言葉に、フェイトの胸は大きく揺れる。

 

 そうだった。

何度嫌われても、どれほど憎まれても、フェイトは母の事が好きだと言う事実だけは、変わらなかった。

笑っていて欲しかった。

幸せでいて欲しかった。

もしかしたら、二度と顔も見たくないと、そう言われるかもしれない。

それでも尚、フェイトはプレシアの事が好きだった。

抑えきれなかった。

娘でなくてもいい、貴方に笑っていてほしいと願う人が居る事を、伝えたかった。

 

 決意と共に、フェイトは目を閉じ、見開く。

視界には色も光も、全てが元のように戻っていた。

否、それどころか、心の中に燃え盛る炎はこれまでに感じたことの無いぐらいの熱さだ。

その熱に導かれるかのように、フェイトはゆっくりと上半身を起こす。

フェイトを見つめていたリニスが、はっ、と目を見開き、恐る恐る口を開いた。

 

「フェイ……ト……?」

「……久しぶりだね、リニス」

 

 薄くはにかむフェイトに、リニスはすぐさま抱きついてきた。

微かなシャンプーの香りのするリニスの髪が、フェイトの頬に当たる。

背にキツく回された手はガッチリとフェイトを抱きしめ、離そうとしない。

その体は感動故にか震えが止まらず、フェイトはリニスが落ち着けるようその背を撫でてやる。

 

「私を見守っていてくれたんだね、ありがとう、リニス。

でも私、行かなくちゃいけない所があるから」

 

 そうフェイトが告げると、リニスは体を引き、一瞬信じられない物を見る目でフェイトを見つめる。

それからすぐに目尻に涙を溜め、ニッコリと微笑んだ。

 

「そう、ですか……。本当に強くなりましたね、フェイト」

「なのはとウォルターに、強い言葉を貰ったから」

 

 目を細めるフェイトに、リニスは邪魔になる体を退ける。

ベッドからするりと降りて、フェイトはすぐ近くの棚に置いてあったバルディッシュを手にとった。

フェイトは気づかなかったが、先程自失した時に落としてしまったらしく、待機状態のバルディッシュにはヒビが入っている。

ごめんね、バルディッシュ。

内心で呟きつつ優しく撫でてやりながら、フェイトはバルディッシュをデバイスフォームに変形させる。

金色の魔力がバルディッシュを包み、ヒビを治した。

次いでフェイトはバリアジャケットを展開、戦闘態勢を作り、リニスに向き直る。

 

「リニス、私はこのまま終わりになんて、したくない。

母さんに、まだ言いたい事がある。

だから、行ってくるね」

 

 リニスは感じ入ったように目を細めると、そのまま笑みを作り言った。

 

「フェイト、貴方がこんなにも強くなっているだなんて思いませんでした。

貴方は、私の自慢の家族です。

胸を張って、行ってらっしゃい」

「……うんっ!」

 

 大きく頷き、フェイトは黄金の魔力光を発する。

時の庭園内部の座標を指定、転移魔法を発動した。

まずは、自分を立ち直らせてくれた一人、なのはの元へ。

そう考えるフェイトの視界の端で、リニスが堪えていた涙を零すのが目に入る。

まだ心配をかけてしまうのかな。

そう思い、フェイトは私は大丈夫だよ、とリニスへ向けて言ってみせた。

それが伝わったかどうか分からないぐらいのタイミングで、転移魔法の準備が完了。

フェイトの視界が光に包まれる。

——暗転。

 

 

 

 ***

 

 

 

 山積みになった元傀儡兵の残骸を越えながら、僕らは走り続ける。

時の庭園全体を揺らす揺れは、未だ止まらない。

リンディさんが次元震を抑えているようだが、当の彼女からこんな念話が入った。

 

(急いでください、クロノ、ウォルターさん!

アースラと私では次元震の進行速度を抑えるのが精一杯、このままでは遠からず次元断層が発生します!)

「ちっ、流石にジュエルシード12個を相手じゃあ難しい物があるか」

「あぁ、せめて後数個少なければ、なんとか止められたかもしれないが……」

 

 とクロノは言うものの、もしもの話など言っても仕方がない事である。

言っている本人も分かっているのだろう、苦みばしった表情で黙々と進んでいく。

この状況で朗報と言えば、なのはがそろそろ駆動炉の封印に成功する頃で、フェイトがどうやら復帰しこちらに向かってきていると言う事ぐらいか。

などと思っているうちに、僕らはプレシアの居ると思われる地点の直上の部屋にたどり着く。

 

「ち、ウォルター、壁抜きをするぞ。

それからの戦闘行為は、遺憾ながら君に任せる事になるが……」

「応、任せとけって」

 

 肩をぐるぐると回す僕になんとも言えない表情をしつつ、クロノは床に向かってS2Uを突きつける。

直後、轟音。

青い魔力光が床板と厚い岩盤を粉砕、ショートカットして下の階層への道を開けたのだ。

クロノに続き僕も、プレシアの居る最下層にたどり着く。

 

 そこは、岩とステンドグラスで四方を囲まれた、奇妙な空間であった。

見目には強度の不安の残る部屋だ。

足を着くと同時にティルヴィングで捜索魔法を発動、充分な強度を確認してから、僕はティルヴィングを構えた。

アリシアの生体ポッドを抱えるプレシアと、目を合わせる。

 

「よう、プレシア。この前の借りを返しに来たぜ」

「ウォルター・カウンタック……、矢張り来たわね!」

 

 僕を視認すると同時、プレシアは空を舞う12のジュエルシードに向かい、デバイスを掲げた。

直後、時の庭園を襲う揺れが止まる。

クロノは怪訝な顔をしていたが、隣で僕は背筋の凍りつくような戦慄を味わっていた。

そんな僕の表情に気づいたのだろう、薄く笑いながらプレシアは言う。

 

「流石に貴方相手に魔力供給無しには、勝てそうにないものね。

かといって、駆動炉は何時封印されるか分からない。

……でも、あるじゃあない、丁度いい極大の魔力の供給源が、ここに!」

(プレシア・テスタロッサ……まさか貴方はっ!)

 

 リンディさんの叫びと共に、ジュエルシードが極大の魔力を発揮。

まるで視認できるかのような、恐るべき魔力がプレシアに向かって流れ込む。

そう、プレシアはジュエルシードをある程度制御できていたのだ。

予想通りの展開に、舌打ちする僕。

 

「矢張りさっきまでのジュエルシードの暴走のさせ方や虚数空間の発生のさせ方も、ある程度意図した物。

とすると、あんたは本当に見つけていたのか……アルハザードへの道を」

「なっ、あれはただのお伽話じゃ……!」

「えぇ、その通りよ。

流石、リニスと再契約できるぐらいには、私の研究を理解しているだけはあるわね。

頭の硬い管理局とは大違い」

「そこに死者蘇生の方法があるかどうかまでは知らんし、ジュエルシードも足りてないみたいだから行けるかは分からないみたいだがな」

 

 絶句するクロノを尻目に、僕もまた魔力を開放するも、流石にジュエルシード12個でブーストされたプレシアの魔力には届かない。

どう都合よく見積もっても、3倍以上の魔力量の差がある。

これでは以前のようにダメージ覚悟の突進などすれば、一瞬で殺されてしまうに違いない。

内心舌打ちしつつも、プレシアと同じ高さまで降りつつ話す。

 

「で? 次元震はいいのか? 止まっちゃったけど」

「貴方以外の魔導師なら魔力供給など無くても全部纏めて相手にできるわ。

貴方を殺してから、ゆっくりと起こさせてもらうわよ」

 

 プレシアの杖を紫電が走る。

僕もまたティルヴィングを構え、前傾の姿勢を取った。

こうなれば僕のすべき事は単純だ、一撃も食らわずにプレシアまでの30メートル程の距離を縮め、最大魔力付与斬撃で気絶させる。

それ以外に僕の勝つ方法は無い。

 

 自然、その場を沈黙が支配する。

静謐な空間の中、じんわりと嫌な汗が僕の頬を伝った。

汗の落ちる小さな音が、静かな部屋に嫌に響き渡る。

瞬間、僕は高速移動魔法を発動し、プレシアは雷撃を放っていた。

紫電が超速度で視界を横切り、僕はそれを避け、受け流し、掠らせ、前へと進む。

 

「そういえば聞き忘れていたけれど、貴方は一体何故此処に居るのかしら?

どんな理由でも殺す事に変わりないけどね!」

 

 プレシアの雷撃は、以前の物と見違える程の速度であった。

以前ですら重たい砲撃だと言うのに連発してきたが、今回はまるで軽い射撃魔法のような速度で雷撃が飛んでくる。

必死でそれを避けつつ、微々たる速度で前に進みながら、僕は叫んだ。

 

「あんたに言いたい事が2、3できたからさ!

現実を見ようともしていない、あんたになっ!」

 

 絶叫しつつ僕は高速移動魔法やそのプラフ、前進する姿勢のまま後退するなど、様々な技能を駆使して雷撃を避ける。

通常魔導師は大魔力を扱うに連れて、高速処理ができなくなってくる。

それ故に魔導師は自分にとって調度良い魔力量を使って魔法を行うのが最大の効用であり、それは通常最大放出魔力量を意味しない。

だが、大魔導師と呼ばれる人種は違う。

徹底した魔法研究による魔力運用に関する超常の理解を得た彼らは、最大魔力量を持ってしても余裕を持ってついていける処理速度を持つのだ。

故に魔力供給を受け、自分の処理速度についていけるだけの魔力を得る事で、戦闘能力を向上させる事ができる。

 

「あらそう、言ってみれば? その余裕があるのならねぇっ!」

 

 ジュエルシードの魔力供給を得たプレシアは、正にその状態であった。

本来ならジュエルシード12個の共鳴魔力など僕の3倍じゃあ済まないが、3倍で済んでいるのはプレシアの処理速度がそこで限界だからだ。

と言っても、それだけでも既に人外のレベルに達していると言っていい。

聞いたことはないが、条件付きSSSランクと言う物があれば、プレシアのランクはそれになるだろう。

 

「ご丁重にどうも、なら言わせてもらうぜ!」

 

 だが、大魔導師級の処理速度を持つのは、僕も同じだった。

3年前から更に増えてSSランクの魔力を持つようになった僕もまた、魔力量よりも処理速度の方が上回りかけている状態なのだ。

勿論それだけならば僕は3倍の戦力に挑んでいる事になるが、プレシアはジュエルシードの制御に力を割かねばならない。

加えて自慢の勘と身体能力に経験値、魔力が自前である事の自由度の差で、僕は辛うじて生き残っている。

つまりは、劣勢である事に間違いはない。

 

 だが。

だけれども。

僕には、命を賭しても貫かねばならない信念があった。

故に劣勢であろうとも、叫ばねばならない。

嘘偽りで固めた言葉で、どうにかしてプレシアの心を燃やさねばならない。

故に、僕は叫ぶ。

 

「あんたの過去は聞いたが、幾つか腑に落ちない事がある。

プレシア、あんたが使い魔に関する特殊な研究をしていたのは知っていた。

俺には実現できねぇが、あんたなら市販されているカートリッジを使って使い魔を維持できるだろう」

「それがどうしたのよっ!」

 

 咆哮と共に飛んでくる紫電を避け、魔力付与斬撃で弾く。

未だ僕はスタート地点から5メートルと進んでおらず、予想される苦戦に心が苦くなる。

 

「なら、あんたは何故フェイトを教育したっ!

反逆のない手足が欲しければ、使い魔でやれば良かった筈だ!」

「それは……っ!」

 

 そう、プロジェクトフェイトは特殊な使い魔の研究が元となってできた研究である。

ならば手足を作るのに最初に思いつくのは、普通使い魔の制作だろう。

自身の魔力を使わずに使い魔を維持できるだけの技術があるのなら、尚更その方法が良いに決まっている。

なのにわざわざ時間がかかり不確実なフェイトの教育を選んだのは、不自然だ。

だが、プレシアは狂気の笑みを浮かべながら叫んだ。

 

「残念だけど、私の体は魔力関係の病魔に侵されていてねぇっ!

カートリッジでの維持でも、残り時間に影響が出そうなぐらいだったのよ!」

「…………」

 

 バリアジャケットの表面を焼く紫電を避けつつ、僕は目を細める。

言われてみれば、プレシアからは血の匂いがした。

フェイトが妙な傷を負っていない以上、プレシア自身の血である可能性は高い。

だが、しかし。

 

「……フェイトの為に、態々自身の魔力を使ってリニスさんを生み出したのに、か?」

「……っ!?」

 

 一瞬、紫電の乱舞が止まった。

その隙に僕は距離を縮め、慌ててプレシアは紫電の雨を再開させる。

 

「それはっ……、私の残り時間が何時まであるか分からないから、恒常的に魔力を必要としない手駒が欲しかったからよっ!」

「…………」

 

 言っているプレシア自身でも解るのだろう、支離滅裂な言葉だった。

残り時間が何時まであるか分からないのならば、フェイトを手駒として完成させた辺りで寿命が尽きてしまう可能性がある。

そうなるぐらいならば、例え体に負担がかかっても、即育できる使い魔を使ったほうが良いだろう。

実際、リニスさんはムラマサを手に入れようと、プレシアの命で動いていたわけだし。

だが僕はあえてそこを指摘せずに、結論を告げた。

 

「……あんたは、フェイトを憎んでいるように見えて、その実愛情を注いでいるようにも見える」

「馬鹿なっ!」

 

 プレシアが叫ぶと同時、一際大きな雷が僕へ向けて走る。

しかし逆に言えば隙の大きな一撃だ、僕は更にプレシアとの距離を縮めながら叫んだ。

 

「そうだな、違うな。

プレシア、あんたは気づいてすらいなかったんだ、あんたがフェイトを愛していると言う事にっ!」

「違う、そんな筈は無いっ! 貴方に何が解るのよっ!」

 

 叫ぶプレシアの姿に、僕の心が痛みを訴える。

そう、僕に一体何が解ると言うのだろうか。

UD-182という理想を演じるために、仮面を被り、人との繋がりを上っ面だけで行なっている僕に、愛など欠片も分からない。

そんな僕にプレシアがフェイトを愛しているかどうかなんて、語る資格は無いだろう。

ある筈が無いのだ。

 

「私の愛情は、全てアリシアに注ぐ為の物っ!

あんな失敗作に注ぐための愛情なんて、欠片もありはしないっ!」

「本当にか? 本当に、心の底からそう思っているのかっ!」

 

 だが、それでも尚僕は叫ばねばならない。

フェイトの為でもなく、プレシアの為でもなく、プレシアを救わねばならない自分の為に。

醜い、あぁ醜いだろう。

自分の利益の為に、誰かが隠していた愛情を暴き出すなど、外道の行いに違いない。

例えそれが結果的にフェイトやプレシアの為になる可能性が高いとしてもだ。

 

「そうよっ! 私は、それにすら気づくのが遅すぎた!

仕事を優先して、アリシアに寂しい思いをさせて……。

本当に大事なのは、アリシアただ一人だったのに。

私は、あの子に満足な愛情なんて注いであげる事ができなかった。

私は、いつも気付くのが遅すぎたのよっ!」

 

 それでも尚僕は、叫ぶのだ。

UD-182の理想を受け継ぐ為に。

本当の願いから目を背けているプレシアに、本当の願いを見据えさせる為に。

プレシアを救わねばならない、自分の為に。

 

「なら、今のあんたがまだ気づいていない事は、本当に何も無いのかっ!

このままがあんたの、本当に望むままの事なのかっ!」

 

 雷撃を放ちつつも、プレシアは初めて表情に迷いの色を見せた。

まさに、その瞬間である。

鈴の音のような、可憐な声がその場に響き渡った。

 

「……母さん、フェイト・テスタロッサです」

 

 初めて、プレシアの雷撃が完全に止んだ。

僕もまた足を止め、背後に視線をやる。

フェイトとアルフ、2人がこの場に降り立っていた。

念話で知ってこそいたものの、フェイトが再び自らの両足で立って歩いている事に、涙が出そうになる。

歯を噛み締め、どうにかそれをやり過ごし、僕は二人の間に邪魔にならないよう、体を動かした。

フェイトに視線をやると、小さく彼女は頷く。

プレシアは、険しい目つきで吐き捨てるように言った。

 

「今更……何しに来たのよ」

 

 冷徹な言葉に、フェイトは目を細める。

一歩、プレシアの方に近づきながら口を開いた。

 

「私はアリシア・テスタロッサじゃありません。

貴方が作ったただの人形なのかもしれません。

だけど私は、貴方に作り出してもらい、育てられた、貴方の娘です」

 

 まっすぐにプレシアの事を見つめながら言うフェイト。

その視線は、まるで冬の空気のように鋭利に、しかし同時に自然に、プレシアの元へと投げかけられた。

プレシアの眉が、ピクン、と跳ね上がる。

何時ヒステリーを起こされてもフェイトを守れるよう、姿勢を低くしつつ僕は見守った。

 

「貴方がそれを望むのなら、私は世界中の誰からも、どんな出来事からも、貴方を守る。

私が貴方の娘だからじゃあない、貴方が私の母さんだから……」

「それが、どうしたのよ……」

 

 心なしか、弱々しく聞こえるようなプレシアの声。

対しフェイトは、両手を胸に、目を細め、何かを思い返すような仕草のまま言う。

 

「私が挫けそうになった時、私を支えてくれたのは、誰かが私の事を見てくれていると言う事実でした。

だから、私は貴方に言いたいんです。

私は絶対に、どんな時でも貴方の事を見ています、って……」

 

 プレシアは虚を打たれ、目を見開いた。

先程までの邪悪な笑みや咆哮とはかけ離れた、まるで純朴な少女が浮かべるような表情であった。

何かが、彼女の中に通じたのかもしれない。

そんな期待が僕の胸を過ぎった、その瞬間であった。

 

「……黙れぇっ!」

 

 プレシアの絶叫。

同時、広域魔法が発動するのを感じ、僕は高速移動魔法で防御の薄いフェイトの前へ。

超常の魔力とは言え、一瞬のチャージで放たれた広範囲攻撃ならば僕にも防げる。

薬莢を排出しつつ強化防御魔法でそれを凌いだと思った、正にその瞬間であった。

背筋に、今までの人生で最大級の悪寒が過ぎった。

咄嗟に避けたくなるが、背後にはフェイトが居る。

反射的に振り返りフェイトを押し飛ばした次の瞬間である。

 

 視界が、真紅の色に染まった。

これまで感じてきた痛みが、痛みなんかじゃあ無かったと思うぐらいの痛みが、全身を走る。

絶叫する暇すらも無く、僕の視界は暗黒に染まった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 ティルヴィングはコアを明滅、状況を確認する。

プレシアの速攻魔法に対し、ティルヴィングは辛うじて防御魔法の展開に間に合った。

加えて直前の広範囲魔法に対してカートリッジを使った強化防御魔法を使っており、その残滓が残っていた事が幸いする。

結果、ウォルターは辛うじて消し炭になる事を免れたものの、バリアジャケットの機能がほとんど削られた上、衝撃でかなりふっとばされてしまった。

クロノの開けた穴に突っ込み、その奥の壁を2、3ぶちぬいて停止したウォルターは、酷い状態であった。

ティルヴィングは即座にウォルターの登録した電撃魔法を発動、ショックで強制的にウォルターの意識を戻す。

 

「ぅ……ぁ……」

 

 弱々しい声と共に、ウォルターが双眸を見開いた。

直後、ぼんやりとした目で自身の状態を確認する。

四肢が通常ではありえない方向にねじ曲がっていた。

所々から骨がつきだしており、内部から掬ったのだろう、黄色い脂肪や赤黒い肉を引っ掛けている。

腹からは、コンクリの槍が突き出し、顔を見せた臓腑が暖かな湯気を立てていた。

肌の一部は真っ黒に炭化し、ウォルターが微細に震える度にボロボロと崩れていく。

 

「僕は……生きている、のか?」

『生きています。ただ、0.2秒ほど心臓が停止しましたが、例のバリアジャケットの特性で再度動かしました』

 

 ティルヴィングが正確な答えを出すと、ウォルターはこの世の終わりのような表情をした。

真っ青な顔から更に色をなくし、血飛沫で真紅に染まった唇をブルブルと奮わせる。

そして絞り出すように、言ってみせた。

 

「……もう駄目だ、これじゃあ戦えないよ」

『いいえ、新バリアジャケットの特性を利用すれば、まだ戦えます』

 

 即座にティルヴィングが返すのに、今にも泣きそうな表情を作りながら、ウォルターは返す。

 

「それで動けるようになっても、痛み自体は変わらず残る。

その上、僕はこんな痛みがこれから待っているって知ってしまったら、これまでのようにプレシアの魔法をギリギリで避ける事ができなくなってしまう。

それじゃあ、勝てる筈が無いじゃあないか……!」

 

 手を握ろうとするウォルター。

辛うじてくっついていたウォルターの薬指が、その僅かな動作で千切れ、床に落ちた。

たったそれだけの事に、ウォルターは更に血の気を引かせ、目眩でもあったかのようにガクガクと口を奮わせる。

歯を噛み締め、弱音を次々に吐き出した。

 

「大体、僕はもうよくやったじゃあないか。

3倍以上のスペックを持つ相手に、互角以上に戦ってみせたんだぞ。

あそこでフェイトを庇わなければ、僕はきっと、勝っていた筈だ……!」

 

 確かに事実だろう、とティルヴィングも分析する。

ウォルターはスペックからしてありえない程長時間プレシアと戦闘を続け、それどころか話までついでに続けていた。

これまでの戦果だけでも異常と言っていい物だろうし、ウォルターの人生最高の戦いだったと称しても良いだろう。

だが、しかし。

 

『ですがマスター、貴方はプレシアを救わねばなりません』

「……ぁ……」

 

 何時かのウォルターの言葉を、ティルヴィングが復唱する。

それに虚を突かれたかのような顔をし、ウォルターは目を見開いた。

 

『マスター、貴方は骨がへし折れ内蔵が潰れようと、戦い続け、勝ち続け、救い続けなければなりません』

 

 現状、ウォルターはかつて言った通りの惨状となっているが、そのような台詞を残していたと言う事は、想定の範囲内なのだろう。

ウォルターがそれを思い出してくれるよう願いつつ、ティルヴィングはウォルターの言葉を待った。

しばし俯き震えていたウォルターは、やがて面を上げると、凄惨な瞳で告げる。

 

「そう……だな……、思い出したよ」

 

 まるで憎悪を琥珀にして閉じ込めたかのような瞳であった。

怒りや憤りを全身から噴出させ、ウォルターは続ける。

 

「ついでに、なのはとの違いも思い出したよ。

あの子は救いたいと、僕は救わねばならないと、そうとしか言えなかった。

そう、僕は自分に強制力を持たせなければ、信念を貫き通す事さえもできないんだ」

 

 ウォルターの全身の所々にあるバリアジャケットの残滓が、黒い液体と化した。

それは白い紙に落されたインクのように、次々とウォルターの全身へと広がっていく。

 

「そうさ、僕はそんなにも心が弱い。

だけど、仕方がないじゃあないかっ!

弱くても僕は救いたいんだ、信念を貫きたいんだっ!

だから……」

 

 絶叫と共に、黒い液体はついに全身を覆い尽くした。

こぼれ落ちた臓腑やはみ出た骨をも覆うそれは、まるで光の一切無い暗闇のようであった。

光沢が無い黒だからそうとも見えるのだろう。

そんなウォルターを観察していたティルヴィングは、すぐさまあることに気づき、ウォルターに告げる。

 

『マスター、今貴方は高町なのはと同じく、“したい”と、そう言ったではないですか』

「……あ……」

 

 まるで天啓が降りたかのように、ウォルターは呆然と呟いた。

それからゆっくりと、それが染み渡るかのようにウォルターの顔色が変化していく。

徐々に笑顔になったウォルターは、まるで大切な宝物を撫でるかのような表情で、呟いた。

 

「……そう、か……」

 

 瞼を閉じる。

それからウォルターは、勇ましい笑みを浮かべ、目を見開いた。

優しげな、しかし重圧を感じさせる威圧感がウォルターから放たれる。

 

「なぁ、骨が折れたっていったよな」

『イエス』

「だからどうした、押し戻して曲げ戻せば、まだ動くっ!」

 

 絶叫と共にウォルターは、黒い流体と化したバリアジャケットを操作。

無理矢理飛び出た骨を押しこみ、更に肌に微細な穴を開けてバリアジャケットは体内に侵入。

本来骨があるべき所をコーティングするようにバリアジャケットを形成、外側から抑える事によって無理に骨を繋げる。

 

「なぁ、内蔵が潰れたっていったよな」

『イエス』

「だからどうした、集めて固めればそれでいいっ!」

 

 絶叫と共に、体内に侵入したバリアジャケットは内蔵をもかき集め、元の形に押し固める。

落ちた薬指も同様の操作によって押し付けられた。

腹から突き出ていたコンクリの槍は切断され、床に落ちていく。

 

「なぁ、このままだと体は動かないよな」

『イエス』

「ならば、この体を覆う物を……バリアジャケット自体を動かせば、まだ僕は戦えるっ!」

 

 絶叫と共に、ウォルターは全身を覆うバリアジャケットを操作。

肉体の外側にあるバリアジャケットが動くのに追従して、痛みで動かせないはずの内部の肉体もまた動く。

魔力とそれを管理する脳とリンカーコアが死なない限り、どんな怪我を負っても永遠に戦い続けられるウォルターオリジナルの魔法。

狂戦士の鎧の、面目躍如であった。

 

 勇ましげな顔のまま、ウォルターは立ち上がる。

ボディースーツ一枚となったウォルターの肉体に白光が発生。

次の瞬間、黒いコートとブーツがウォルターの狂戦士の鎧の上から被せられた。

戦闘態勢となったウォルターは、ティルヴィングを構え、叫ぶ。

 

「行くぞ」

『イエス』

 

 朗々と答え、ティルヴィングは次ぐ戦闘に備え全計算機能を最高にまで引き上げる。

ウォルターは歯を噛み締め、野獣のような表情を作りながら叫んだ。

 

「行くぞぉぉっ!」

『イエス』

 

 ハッキリと答え、ティルヴィングは明滅、補充されたカートリッジの点検まで万全にする。

ウォルターは瞳に狂気とさえ取れる意思を乗せ、叫んだ。

 

「行くぞぉぉおぉぉぉっ!」

『イエス、マイマスター』

 

 絶叫と共に、ウォルターの足元に白い三角の魔方陣が発生。

それに反発するかのように、ウォルターは戦いの場へと飛び込んでいった。

 

 

 

 

 



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2章8話

 

 

 

 僕が飛び出すと同時、遠く戦場となっていた部屋からプレシアの声が聞こえる。

 

「——確実に心臓を止めたわ、それでも私を守るなんて戯言を吐けるかしら?」

「……ぁ」

 

 偽悪的にあざ笑うプレシア。

その声が痛々しくて、僕は余計に心の中を燃やしながら、床板へとティルヴィングと共に激突。

ぶち抜きながら階下に登場する。

ダンッ、と床板を響かせながら着地、パラパラと崩れる元床板に囲まれ、ゆっくりと起き上がる僕。

まず目に入ったのは、唖然とした顔をするプレシアであった。

探していた彼女が一番に見つかるとは幸先がいい。

口を開けている彼女を見据えながら、僕は叫んだ。

 

「いいや、俺は死なないっ!」

 

 声が物理的な波として衝撃を放ったかのように、プレシアが一歩退いた。

それから一歩下がった自分を信じられない物を見る目で見つつ、愕然とするプレシア。

僕はそれに僅かに目を細めるだけにし、すぐに仲間たちを探すことにする。

あたりを見回し、斜め後ろを振り返ると、目を丸くしてこちらを見ているフェイトが目に入った。

クロノもそれより少し後ろに立っており、隣にはいつの間にか到着したなのはが居る。

全員目を丸くしているのが少しだけ可笑しくて、僕はくすりと内心微笑んだ。

あまり心配をかけてもいけないだろうと、僕はUD-182の勇敢さを思い出しながら、叫ぶ。

 

「俺は負けない! 誰にも、何にもだっ!」

「——っ」

 

 フェイトとクロノ、そしてなのはにユーノが息を呑む音が聞こえた。

勿論、僕など精神的な弱者に過ぎないというのが現実だ。

僕なんていつも暗い考えばっかりで、すぐに心が折れそうになる弱い精神しか持たない。

けれど、どれだけ心で差をつけられても、この肉体があれば誰にだって勝てる。

そんな自負が、僕の内側にはあった。

僕の3倍の魔力を持つプレシアを正面に見てさえ、僕はそんな言葉を吐けた。

 

 視線をプレシアに戻す。

動揺していた彼女はすぐに落ち着きを取り戻したかのように見えた。

しかし、その腕が僅かに震えている事が、その表面が取り繕いでしか無い事を示している。

僕が目を細め、一歩踏み出そうとした瞬間、プレシアがあざ笑う。

 

「へぇ、なら貴方は最強の魔導師だとでも言うのかしらっ!」

 

 視界に重なるように、これまでの強敵達が次々に浮かんできた。

どの敵も、圧倒的に強い人間たちだった。

精神の格が違い、そこに人間としての価値の差を知らされてきた。

すべての人々が、僕なんかでは及びもつかない程の心の強さだった。

 

 けれど。

だけれども。

僕は、そんな人々全てに、最終的に勝利を納めてきたのだ。

ならば少なくとも、この肉体だけに限れば、僕は。

こう叫んでみせるのだ。

 

「そうさ、俺は次元世界最強の魔導師だっ!」

 

 力の限り叫びながら、僕は地面を蹴り飛翔する。

プレシアが杖を構え、紫電を走らせた。

 

「戯言をぉぉおっ!」

 

 絶叫と共にサンダーレイジが発動、次々と僕へと向かってくる。

僕はそれをわざとギリギリで避けてみせ、軽く掠るぐらいの軌道で突っ込んだ。

紫電の走る、チリチリした感覚が全身を覆う。

心臓が止まるような恐怖が、僕の全身を支配した。

今にも涙が滲んできそうになるのを、必死で歯で口内を噛み切り耐える。

体が麻痺して動かなくなり、僕は恐怖に怯え体をこわばらせた。

それでも僕は必死で、内心で叫ぶ。

 

 ——それが、どうしたっ!

心のなかで絶叫すると同時、僕は狂戦士の鎧によって無理矢理肉体を動かす。

神経が泣き叫び、脳がパンクしそうになるぐらいに痛みの信号が送られてきた。

けれども、僕は勇ましい叫び声をあげてそれを押しつぶすのだ。

 

 痛みはある。

恐怖はある。

けれど僕は、それを押し殺して動き、戦えているのだ。

——ならばそれでいい、これでいい!

 

 必死の強がりで体を動かし、雷をスレスレでかわしながら僕はプレシアに迫る。

それに目を見開き、プレシアが忌々しげに口を開いた。

 

「あの一撃を食らって、少しも怯えないなんて、正気!?

次に食らえば、間違いなく貴方は死ぬのよ!?」

「生憎、俺をビビらせるにはそれだけじゃあちっと足りねぇなぁっ!」

 

 叫びながら僕は高速移動魔法を展開、紫電を避けながら足を進める。

距離はあと20メートルほど、先程の中断地点まで後少しと言うぐらい。

だが当然、先に進めば進むほど弾幕は濃くなり、進むのが難しくなっていく。

それでも僕は会話を止めず、偽りの言葉を叫び続けた。

 

「なぁ、あんたが本当にフェイトを憎んでいるのなら、何故俺が吹っ飛んでいった後にフェイトを殺していないんだ。

いや、それどころか、ペラペラお喋りまでしてたみてぇだなっ!」

 

 危険な言葉であった。

じゃあ殺すと言われれば僕は途端に劣勢に変わらねばならない。

フェイトを守りながらプレシアを倒すのは困難に過ぎるし、フェイトを退避させれば今度はプレシアを本当に救う事ができなくなってしまう。

確かにプレシアの目には、フェイトに対する慈しみのような物が見えた。

けれど僕はそれが本当に確信できる程の物とは思えなかったのだ。

だからこれは、危険過ぎる賭け。

プレシアが救えるから吐く言葉ではなく、その通りの事実じゃなければプレシアを救えないからと言う、盲信から生まれた言葉。

こんな言葉に頼らねばならないぐらい、僕の他者の心を見抜く力は弱い。

そんな弱さに頼らねばならない今の僕は、心細くて今にも心折れそうだ。

救いたいと、そう叫べるようになった筈なのに、僕といえば同じ事を繰り返してばかりでまるで成長がない。

けれど。

プレシアは、顔を歪ませた。

 

「それは……! あの子に、いえ、あの人形の生死に、もう興味なんてないからよっ!」

 

 杖を振り上げ、空気分子が裂けるような凄まじい勢いで振り下ろすプレシア。

絶叫する彼女に、しかし僕は嘘の色を見た。

今度こそ僕は確信的に、プレシアが嘘をついている事を見ぬいたのだ。

つまり、すると、確かにプレシアはフェイトを愛していた事を認めつつあるのではないだろうか。

 

 僕は、急に目の前が大きく開けたような感覚を得た。

胸の奥にある僕の心の居場所が、窓を開け放ち、天井を通り抜けて蒼穹を見て、どこまでも広がっていくのを感じる。

今や僕は、不思議な全能感をさえ得ていた。

何時もは怖がりで、細心の注意を払って確認してから一歩をようやく踏み出せる僕。

けれど今は、霊的な勘に全てを任せて両足を次々に踏み出し、雷のような速度で駆け抜ける事ができるよう感じるのだ。

 

「嘘つけ、そんなに現状を見つめるのが嫌なのかっ!

本当は愛していた相手を、人形同然の扱いをしていた自分を見据えるのは、そんなにも怖いかっ!」

 

 勿論怖いに違いない。

自分の間違いを見据えるのは、僕だって当たり前に怖くてたまらない。

特に僕の間違いはUD-182の間違いとなってしまうのだ、認めてしまえば僕が彼の存在を汚してしまったかのように思えてしまう。

そう思うと、何時だって心が凍りつくような感じになってしまい、僕は足踏みばかりだ。

けれど今は何故か、過去の間違い全てが必要だった事のように思えて、間違いが否定ばかりすべき物ではないかのように思えて。

勿論間違いは僕の心に傷を残していくのだけれども、その痛みに耐える事が、辛うじてだけどできて。

全てを受け入れられるような気さえもして。

だから僕は、叫ぶ事ができた。

 

「今を見つめなければ——、あんたが本当に求めている物は、その目に映りはしないっ!」

「黙れぇぇっ!」

 

 絶叫と共に、プレシアは僕との距離が縮まってきた事に反応し、即座に魔法を組み替える。

それは紫の花弁が舞ったようにさえ見えた。

瞬き程の時間でそれは無数の光と化し、僕の視界を埋めていく。

現れたのは、もはや数える事すらままならない数の、直射弾スフィアだった。

それもプレシアから横一直線にではなく、僕の前方半分を半球状に包むように設置されている。

 

「死ね、死んで、そしてもう黙りなさいっ!」

 

 絶叫と共に、秒間10発を超えるフォトンランサーが僕へと降り注いだ。

フェイトのファランクスシフトの、軽く見て5倍はあろうかと言う数のフォトンランサー。

しかもその一つ一つに込められた魔力は、フェイトのそれの3倍はあるだろう。

概算でフェイトの15倍以上の威力と言う、圧倒的殲滅力が僕の目前にそびえ立つ。

 

 流石の僕の背筋にも、死への戦慄が走る。

しかしそれでも尚、僕の霊的な勘は行くべき道を感じ取っていた。

迷いなく僕はその道を高速移動魔法で行きつつ、少しでもその道が広がるよう攻撃魔法を放つ。

そうしてみて、初めて僕は理屈で自分の行動を理解した。

プレシアの魔法は膨大な数のフォトンランサーであり、更に込められている魔力も超常の物のため、フォトンランサー同士で干渉して僅かな空隙ができていたのだ。

 

 本来は10歳児の僕の肉体ですら半分ぐらいしか入らないそれを、何とか魔力を使ってこじ開け、先へ先へと突き進む。

それは、紫電の海を泳ぐ行為に似ていた。

僕はフォトンランサーの波が干渉して凪ぐ瞬間を次々と見つけ、そこを渡り歩くように攻撃魔法でこじ開け、進んでいく。

不思議と恐怖は欠片と無かった。

一発でもフォトンランサーに当ってしまえば、連鎖的に攻撃を受けてしまい、今度こそ骨も残らず消し飛ばされると言うのにだ。

それは多分、僕の中にプレシアに勝てると言う不思議な確信があったからに違いない。

10秒程の斉射時間が終わる頃には、僕は奇跡的にも一撃も貰う事なくスフィアの雨を抜け出し、プレシアに肉薄していた。

 

「はあぁああぁあっ!」

『断空一閃、発動』

「……ぐっ!」

 

 絶叫とともにカートリッジを使用し、断空一閃を発動。

超速度で振り下ろし、一瞬で20近い障壁を削り取るも、そこでプレシアの杖による防御が間に合い、鍔迫り合いとなった。

単純な攻撃力の差では、瞬間魔力放出量でも最大魔力放出量でもプレシアに分がある。

しかし僕は僅かに剣を引きプレシアのバランスを崩そうとしたり、重心を傾け相手の空振りを誘ったりと、技術的な面でプレシアに迫った。

やはり近接戦闘においては、3倍の魔力差があろうと、僕の方が上手である。

ニヤリと微笑むと、僕はプレシアの心を救うために、そしてプレシアを救いたい自分の為に、次ぐ言葉を叫び続けた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 プレシアの脳裏を、かつての光景が過ぎった。

まだアリシアと多くの時間を過ごせていた頃、プレシアは時にアリシアを連れてピクニックに行く事もあった。

どこまでも続く緑の原っぱで、楽しく駆けていくアリシアを見るのは、プレシアの至福の時間の一つであった。

二人はよく花の冠を作る事があった。

そんな時はアリシアと作業を分担し、アリシアは花を集める係、プレシアは冠を作る係としてお互いに協力しあって花の冠を作った物であった。

できた冠は、時にアリシアの物となり、時にプレシアの物となり、そして時には二人でお揃いの冠となった。

そんな風に冠を二人で作った、最後の時の会話が、プレシアの精神の奥底で響き渡る。

プレシアがアリシアに誕生日プレゼントは何がいいか、と聞いた時の事である。

唇に指をやり、首を傾け、少し迷って見せてからアリシアは言った。

 

「私、妹が欲しいっ!」

「えっ……」

 

 想起される光景に、プレシアは思わず赤面した。

そんなプレシアを尻目に、アリシアは嬉々としてその理由を話す。

 

「だって妹が居ればお留守番も寂しくないし、ママのお手伝いもいっぱいできるよ!」

 

 満面の笑みで言ってみせるアリシアに、プレシアは戸惑いを見せるが、それには気づかずアリシアは続けた。

 

「妹がいい、ママ、約束っ!」

 

 元気いっぱいに差し出された小指。

プレシアはその輝かしい笑顔を曇らせるのがどうしようもなく躊躇われて、結局微笑みながら小指を差し出した。

二人の小指が触れ合い、ぎゅ、と握り合う。

プレシアはその暖かな感触を、あれから20年以上経った今でさえ、確かに覚えていた。

そして今は、その感触だけでなく、アリシアとした約束でさえも。

 

「おぉおぉぉっ!」

 

 ウォルターの絶叫に、白昼夢に心奪われていたプレシアは意識を取り戻す。

また意識が飛んでいたようだ。

プレシアはジュエルシードの莫大な魔力を操っているが、それで体にかかる負担は相応の物である。

意識が飛びかけたのも、これが初めてでは無い。

にも関わらずプレシアがウォルターとの戦闘を続けていられるのは、魔力の関するあらゆる能力が3倍以上の差がある為である。

魔力の収束技能、魔力の瞬間放出能力、魔力の精密操作……。

あらゆる魔法技能でプレシアはウォルターに優っていたが、それでも尚ウォルターはプレシアに食いついていた。

否、それどころか。

 

「まだだ、まだ俺は負けないっ!」

『縮地発動』

 

 プレシアの最高の技量を持って隠蔽発動されたスフィアに感づき、高速移動魔法で場所を変更。

プレシアの側面に回りこみ、肩に担ぐようにしたティルヴィングを超速度で振り下ろしてくる。

それも、カートリッジを数発使った、超威力の一撃をである。

空気分子が焦げる匂いすら感じ、戦慄するプレシア。

多重障壁でどうにか抑えている間にデバイスを合間に割り込ませ、辛うじてプレシアはウォルターの一撃を防ぎきった。

再び鍔迫り合いになるのに、プレシアは内心舌打ちする。

それどころか、ウォルターは一度縮めた距離を殆ど開かせない。

常に一足の間合いにプレシアを入れて動き、油断すれば気絶させられる程の威力の一撃を打ち込んでくる。

そう、圧倒的なスペック差を持ってしても、プレシアは劣勢であった。

 

 ぎぃぃん、と、甲高い音。

プレシアの杖とウォルターのティルヴィングとが鍔迫り合いになる。

圧倒的魔力を持つプレシアの杖を、ウォルターが絶妙な筋肉運用で抑え切り、徐々にプレシアの側へと侵略してきた。

歯噛みしつつ、プレシアは叫ぶ。

 

「無駄だって言っているのが分からないのかしら、私は貴方に何を言われようが考えを変えないっ!」

「だろうな、俺はあんたの考えを変えようとしているんじゃあない。

俺はあんたの、本当に願っていた事を明かそうとしているだけだっ!」

 

 魔力でも強化した膂力でもプレシアの方が上で、ウォルターの斬撃など重く感じる理由は一つもない。

なのに何故か、ウォルターが口を開く度にその斬撃は重みを増していっているかのようだった。

それはやはり、その言葉の重量故になのだろうか、とプレシアは思う。

 

 ウォルターの言葉には奇妙な重みがあり、不思議とプレシアの心を打った。

最初は言葉に苛つかされるだけだった。

プレシアは最早アリシアの事以外に心を動かされる事は無かった筈なのに、ウォルターの言葉は奇妙にプレシアの心を抉った。

最初は目障りだから掃除しようと思っただけなのに、いつの間にか全身全霊を持ってウォルターを排除しようと思うようになっていたのだ。

 

 そして最後にフェイトを人質のように扱って、プレシアはウォルターに勝った。

これでプレシアはようやく爽快に戻れる筈だったと言うのに、ウォルターは高速転移で消え去り、そしてプレシアの胸には何故かフェイトを人質扱いした事に罪悪感が残った。

一歩間違えればフェイトを殺しかねない攻撃を放った事は、何故かプレシアの心を強く揺さぶった。

続くアリシアになりきろうというメモが更に一際プレシアの心を揺さぶり、それ故にプレシアはこれ以上心を揺らさないよう、本来ならばフェイトに対して行う筈だった仕置すらも辞めた。

アリシアに対する気持ちを、これ以上揺らしたくなかったのだ。

フェイトに対面するだけで再び心が揺らいでしまうだろう事を、プレシアは本能で理解していた。

だからフェイトに再び命ずる時も、すぐに目をそらし、背中越しに命令するに留めたのだ。

それからはウォルターの事も出来る限り考えず、フェイトをついに捨て去り、プレシアは今度こそ全身全霊を持ってしてアリシアを愛する事ができる、と一安心した筈だった。

 

 なのにウォルターは、プレシアの元までたどり着いてしまった。

ならば速攻で殺すべきだとジュエルシードの魔力まで使ったのに、ウォルターはプレシアに肉薄してきたのだ。

加えてあの言葉、ウォルターが言い放った言葉。

——なら、今のあんたがまだ気づいていない事は、本当に何も無いのかっ!

あの言葉に、プレシアは思い出してしまったのだ。

アリシアとの約束を。

アリシアに妹をあげると言う約束を。

 

「——なぁ、あんたが現実を見つめる事を怖がるのも、分からんでもない」

 

 ウォルターの言葉に、プレシアは目を細める。

約束を思い出しても、プレシアはその内容や意味について、深く考えようとしなかった。

したくなかった。

それを考えてしまえば、最早自分はアリシアの事だけを考えられなくなってしまう。

アリシアにだけ捧げる筈だった愛情を、誰かへ分かち合ってしまうような予感がある。

だからプレシアは全力でそれに抵抗する為、血を吐く覚悟でフォトンランサーのスフィアを高速発動。

十字砲火でウォルターを打つも、姿勢を低くするだけであっさりとかわされてしまう。

 

「フェイトを傷つけてしまったのに、今更自分が何処かでフェイトの事を想っていたなんて知ってしまえば、自分は好きな相手を傷つけてきた事になる。

あんたの子、アリシアに愛情を捧げるのが足りなくて後悔した筈なのに、それをまた繰り返しているなんて思いたくもないだろうさ」

「それは、勝手な想像よっ!」

 

 ウォルターがどんな人生を歩んできたかは知らないが、プレシアの気持ちなどわかる筈が無い。

そう思わねば、思い込まねば、プレシアはアリシアに対する誓いを破りかねない程に消耗していた。

だからそれは、プレシアの必死の叫び。

アリシアに捧げる筈だった愛情を、他に捧げる事など無いと一人誓った、あの時の誓いを守りたいと言う叫びだった。

 

 ウォルターの回避で鍔迫り合いは終了、自由になったプレシアは半秒程で500近いスフィアを形成。

プレシアとアリシアの生体ポッドに当たらないよう打ち出すも、ウォルターはプレシアとアリシアを盾に回避する。

どころか同時に直射弾を20ほど形成、剣戟の邪魔になるスフィアをずらし、再び魔力付与斬撃がプレシアに襲いかかった。

再び大剣と杖が噛み合い、実力伯仲の場となる。

 

「そうだな、俺の勝手な想像さっ!

俺に家族はいないからな、所詮俺の言葉なんてただの想像に過ぎない。

ただの関係ない奴が言っても、耳を通り過ぎるだけの無責任な言葉なんだろうな」

 

 瞬間、プレシアとウォルターとの瞳が合った。

黒曜石の瞳の中に、プレシアは爆発するかのように燃え上がる心の炎を見た。

誰もの体の中に宿り、心を燃え盛らせる不死鳥の炎を見た。

戦い以外の理由で体が火照るのを、プレシアは感じる。

 

「だが俺は今、あんたの唯一の宿敵だっ!

あんたの偽りの願いを阻止しようと、命を賭ける男だっ!」

 

 ウォルターの叫びに、プレシアは心の芯が揺さぶられるのを感じた。

そうだ、そうなのだ。

ウォルターはただの道端を通り過ぎるだけの他人では無い、自分と命と願いを賭けて戦う宿敵なのだ。

不覚にもそう思ってしまったプレシアの内心に、じんわりとウォルターの言葉が流れこむ。

 

「その偽りの願いを叶えようとしても、その道先には俺が立って邪魔をしている。

それなら、俺の言葉を無視する訳にはいかねぇだろう!

例えそれが、俺の勝手な想像だとしてもだっ!」

 

 ならば。

今までのウォルターの言葉を、心で聞くのだとすれば。

心に、自分がフェイトの事を愛しているのかと問えば。

答えは——。

是、だった。

 

 胸の中の扉が、音を立てて開いたような気がして、プレシアは思わず茫然とする。

その瞬間、プレシアは全てに気づいた。

フェイトはアリシアではなかった。

けれど確かにプレシアの娘だと思わせる所もあったのだ。

アリシアがプレシアの頭脳と身体能力の無さを継いだのだとすれば、フェイトはプレシアの魔力資質と性格とを継いでいた。

落ち込みやすく、何か一つの事に向かうと視野が狭くなり、何よりも家族を大切にする性格をだ。

それはアリシアがかつて望んだ妹に、ピッタリと当てはまる条件であった。

 

 だからプレシアは、フェイトを心の底から人形だとは思えなかった。

けれどアリシアに全ての愛情を注ぐために、フェイトに愛情を注いではならないくて。

なので顔を合わせる事もできず、少しでも自分の人格を継いでくれるよう自分の魔力で作った使い魔に教育をさせて。

それすらも、フェイトを手駒にするためと言う言い訳がなければできなくって。

フェイトは健やかに成長していき、ロストロギアの入手の失敗に厳しい罰を与えねば、フェイトに愛情を感じずに居る事すらもできなくって。

そして今、その全てにプレシアは気づいた。

 

「おぉぉおぉっ!」

「——っ!」

 

 プレシアが自失した刹那の間に、ウォルターの剣は一気にプレシアへと近づいた。

最早目前となったティルヴィングに、歯を噛み締めながらプレシアは堪える。

 

 けれど、気づいたから今更なんだと言うのだろうか、とプレシアは内心独りごちた。

顔も滅多に合わせず、鞭を振るい、大嫌いだと告げて心を折り、どの面下げて好きだったなどと言えようか。

しかも、病で命短いこの身である。

今更フェイトが好きだと気づいた所で、できる事は何もない。

そんなプレシアを尻目に、ウォルターは叫んだ。

 

「あんたは、気づくべきだ。

そして気づいたとしても、諦めるなっ!」

 

 プレシアは、内心を読んでいるかのようなウォルターの言葉に、思わず目を見開いた。

それをどう見たのか、ウォルターは僅かに目を細め、続ける。

 

「物凄い苦境で、認めたくない現実で、悲惨な真実だってこの世にはある。

けれど、それでも諦めるなっ!

諦めたら、あんたの欲しい本当の願いは手に入らない。

掴むんだ、心の底から本当に求める物を!

それを、決して諦めるなっ!」

 

 瞬間、プレシアの脳裏にある絵面が思い浮かんだ。

古ぼけた木造の家の中、燃える暖炉の前で椅子に腰掛け編み物をする自分。

後ろではリニスが料理を作っており、フェイトは寝転んだアルフを枕にして床に寝転んでいる。

リニスが料理ができたと言いに来て、プレシアはフェイトに声をかけた。

けれどなかなか起きず、苦笑しながら椅子から立ち上がり、フェイトに直接手を伸ばして——。

 

 頭を振り、プレシアは妄想でしかない絵面を脳内から引き剥がした。

違う、今自分にできる事は、一つしかない。

こんな悪い親が居て、娘の為になれる事なんて、一つも無いのだ。

それどころか、再び狂ってしまい、またフェイトを鞭打ってしまうかもしれない。

そんな自分は、時空の狭間に消えてしまったほうがフェイトの為なのだ。

それが、自分が娘の為にできる唯一の事。

そう思い直し、必死の形相で杖に力を込める。

 

「うぉおおぉぉっ!」

「く……ああぁあぁっ!」

 

 しかしウォルターは、強敵だった。

余計な行動を一つ挟めば魔力ダメージで気絶させられ、確保されてしまう勢いである。

今も全力で杖を押し上げていると言うのに、僅かづつながらウォルターが押してきている様相だ。

フォトンランサーを打ち込むなどと言う真似をすれば、その瞬間プレシアは気絶させられてしまうに違いない。

その様子が、自分の願いが決して叶わないと言われているようで、プレシアは、目尻から熱いものを零した。

思わずプレシアは、激情に駆られ叫ぶ。

 

「何で……何で私をこのまま逝かせてくれないのっ!」

 

 最早プレシアには、ウォルター以外の人間は目に入っていなかった。

ウォルター以外にこの場に居る人間の存在を忘れ、全ての心を込めて叫ぶ。

 

「もう少しで、後もう少しで全てが終わるっ!

こんな……フェイトに親として何もできず、これからも何も出来ないに違いない私が、消える事ができる!

それもアリシアと一緒にこの世を去る事ができるのよ!

なのに……なのに何故貴方は邪魔するのっ!」

「……そうだな……」

 

 背景で、誰かが息を呑むような音が聞こえた。

けれどプレシアは、ウォルターのあまりの存在感の強さに、それを流してウォルターの返事に耳を傾ける。

 

「……本当の自分に気づかず目を背けている奴が居るならば。

自らの信念に気づいていない奴が居るのならば。

そいつをぶっ飛ばして、本当の自分に気づかせてやるのが、俺の信念だからだ」

 

 静かな言葉だと言うのに、驚くほど胸の奥に響く言葉であった。

でも、その本当の自分ができないから、自分は苦しんでいると言うのに。

思わず歯ぎしりし、プレシアは叫んだ。

 

「気づいた所でどうするのよっ!

今更フェイトに向かって謝れと言うの、家族としてやり直せと言うの!?

出来るわけが無いじゃないっ!

私なんかが居た所で、フェイトの事を縛る事しかきっとできない。

私は今、死ぬべき女なのよっ!」

 

 濁流となった涙で顔をくしゃくしゃにしながら、プレシアは叫んだ。

化粧が溶け落ち、ひどい顔になっていくのが自分でも解る。

そんな醜いプレシアに、表情一つ動かさず、ウォルターは真摯な顔のまま告げた。

 

「いいやっ、出来る、必ず出来る!」

 

 所詮家族の居ないどこぞの魔導師の戯言だ、真に受ける必要などない。

なのに何故か、その言葉はプレシアの胸を強く打った。

それはもしかしたならば、ウォルターが何処か必死なように見えたからかもしれない。

真摯で熱い表情の筈のウォルターが、どうしてか、プレシアの目には今にも泣き叫びそうな顔に見えたのだ。

それが、決め手だった。

杖を握る手からゆっくりと力が抜けていくのを感じながら、プレシアは最後に呟いた。

 

「私は……、アリシアを見捨てて、一人で幸せになってもいいのかしら。

フェイトを、幸せにできるのかしら?」

「あぁ……なれるとも、できるともさ」

 

 非殺傷設定の、魔力ダメージに置換される斬撃がプレシアの胸部を襲う。

リンカーコアにかかった巨大なダメージに、意識が薄れていくのをプレシアは感じた。

その目はふと視野が広がり、こちらに駆けつけてくるフェイトの姿が見えるようになる。

必死に叫んだ言葉の全てを聞いていた、フェイトの姿がである。

その光景を見てしまうと、プレシアの胸に暖かな感情が蘇った。

望まない決着だった筈なのに——、何故か何処かが、嬉しかった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 数時間後。

戦闘終了と同時に気絶したウォルターは、怪我を押して動いていたらしく、現在は集中治療室に居た。

プレシアも敗北と同時に血を吐いて気絶した事から、病室で診察を受けた後、現在は深い眠りについているらしい。

なのはやユーノは次元震の影響がある程度収まるまでは、とりあえず艦内に居るそうだ。

そしてフェイトとアルフは、クロノに連れられアースラの艦内を歩いていた。

 

 ちょっとついてきてくれないか。

そう言われてフェイトとアルフはクロノについて隔離されていた部屋から出てきたのだが、それ以降クロノはずっと不機嫌そうに黙っている。

それがまるで自分に断罪を告げる事をためらっているかのように思え、フェイトは思わず身震いした。

自分のした事の罪の重さは分かっている。

母の為とは言え許されることではない事をフェイトはしてしまった。

けれど、折角ウォルターが母の口からフェイトが想像だにしなかった本音を引き出してくれたのだ。

せめて一目でいいから母と出会いたい。

そんな言葉を口にしようとフェイトが下がり気味だった視線を上げた時、丁度クロノが振り向いた。

目が合い、思わずフェイトはキョトンとしてしまう。

 

「プレシア・テスタロッサの罪は重い。

今回の事件は次元断層が起きかねない最悪の事件だった、死者が出なかったとは言え、罰は相応の物になる。

おそらく、永久封印の可能性が高い」

「……っ」

 

 覚悟していたのとは別方面からの言葉に、思わずフェイトの内心は揺れた。

当たり前と言えば当たり前である、フェイトが関わった違法行為は殆どジュエルシード関連で、しかもプレシアの命令を受けての物。

対しプレシアはプロジェクト・フェイトを含め多数の違法行為を行い、その多くで主犯であったのだ。

罪の重さが違うのは当然と言えよう。

それでも、まさか、死刑の無い管理局では最大の刑罰となるとは。

考えたくなくて目をそらしていた事実にぶち当たり、フェイトは思わず目眩を起こす。

アルフに支えてもらうフェイトのその目前で、クロノは何処か苛つきながら続けた。

 

「しかしこの類の刑は裁判にも時間がかかるし、執行までも時間がかかる。

そこで、さっき起きたウォルターが、早速コネを利用して掛け合ったようでね、恐らくプレシアは実質的に辺境の次元世界に幽閉される事になるだけで済むだろう。

勿論、その頭脳を管理局の為に役立ててもらう事なんかは必要だけれどもね」

「……え?」

 

 呆然と呟くフェイト。

その脳裏に、二度三度とクロノの言った言葉は反芻され、ようやくその意味が通じる。

夢のようだった。

勿論母といつでも逢えるような、とはいかないだろう。

思い描いていたような理想の生活ができる訳じゃあない。

けれど、私は、また母さんの笑顔を見れる?

その想像に、フェイトの心に暖かい物が流れ込み——。

苦い顔で、クロノが告げた。

 

「——最も、プレシアの寿命が残り少なくなければ、こうも行かなかっただろうが」

「……あ、え?」

 

 目を見開き、フェイトは思わず呟いた。

クロノは硬い、凍りついたような顔で続ける。

 

「プレシアは、リンカーコア関連の病気にかかっていた。

違法研究を続けるうちに、魔法薬品を吸い込む事が多かったのが遠因のようだね。

ただでさえ魔法を使うだけで寿命が縮まる程の進度の病気だったんだが……そこでウォルターとの死闘だ。

もう少し詳しく調べてみなければ断言はできないが、プレシアの寿命は恐らく、残り2、3年と予測されている」

「に、さんねん……?」

 

 思わず言われた言葉を口にするフェイト。

頭の中がグルグルと回って、何も考えられなかった。

それどころか、あんまりじゃないかと目前のクロノに食って掛かるアルフの言葉も、冷静に返すクロノの言葉も、耳に入らない。

自分が何を考えているのか、それすらもあやふやになっているのに、何故か足だけは動きクロノの後を追っていた。

まるで自分の中に冷静さだけで区切られた場所があって、そこが体を動かしているかのようであった。

そんな風にフラフラと歩くフェイトだったが、クロノが足を止め振り返ると同時、意識をはっと取り戻す。

 

「プレシアの病室だ。

いいか、面会が許されるのは30分、30分だけだぞ。

元々君等は重要参考人の立場なんだ、こうやって会うだけで無茶をしているんだって分かってくれ。

全く、艦長もウォルターも無茶を言ってくれる……」

 

 ぶつぶつと呟きつつ、クロノが横にズレ、扉が顕になる。

恐る恐るフェイトは扉に向かって歩いた。

現実感の無いふわふわとした足心地で、まるで雲の上を歩いているかのような気分であった。

小さな音をたて、自動扉が開く。

そこは、緑のタイルに白い壁紙で形作られた、清潔そうな部屋であった。

扉から右手には薬品棚があり、リニスが棚を開けて何やらいじっている。

左手には扉と垂直にベッドが3つ並んでおり、一番奥の一つだけが膨らんでいた。

フェイトは視線を、ゆっくりとそのベッドの枕の方へ向けて動かす。

シーツの膨らみが途切れた所からは、白い清潔そうな患者服に包まれた細い腰が、その上には乳房の膨らみ、やせ細った喉元、細い顎と続いて。

プレシアの顔が、その上にはあった。

化粧を落としたその顔は、年齢に比して少ないものの、浅い皺が刻み込まれている。

紫玉の瞳には今まであった狂気的な光はなく、かつてと同じ優しさに満ちた瞳であった。

何より、その唇がゆっくりと動き、呼んでみせたのだ。

 

「……フェイト……」

「……っ!」

 

 思わずフェイトはプレシアのベッドの側まで駆け寄った。

母の体を抱きしめたい衝動がフェイトの中を過るが、本当に受け入れてもらえるのかという疑問詞がそれを邪魔する。

結果、フェイトは両手を伸ばそうとして、肘が伸びきる前に両掌を閉じた。

そのまま両手をゆっくりと下げていき、プレシアの太ももの上で重ね合わせられた、母の両手の上へと重ねる。

それが今のフェイトとプレシアに精一杯の、二人の距離であった。

 

「ほら、椅子を持って来ましたよ」

「あ、悪いね、リニス」

 

 使い魔たちの会話と共に、用意された椅子にフェイトが座る。

しかし、会話はそれで終わった。

じっと重なった両手に視線を落とすプレシアもフェイトも、立ち尽くすアルフとリニスも、誰一人言葉を発する事ができなかった。

何を言っていいのか、分からないのだ。

それでいて、何かを口にすれば今こうやって出来上がった奇跡が崩れ去ってしまうのではないかと思え、下手な言葉も発する事ができない。

 

 それでも。

両手と相手との間で視線を行き来させるプレシアとフェイトの、視線が出会った。

思わず、と言った風に二人の口が開く。

 

「フェイト……」

「母さん……」

 

 続く言葉は、二人とも思いつかなかった。

けれど何故か、二人はそれで互いの思いが僅かながら通じ合ったような気がして。

口元が緩む。

少しだけ、微笑み合う。

それが二人にとって、できる限りの心の会話だった。

掌を伝う体温が、互いの体の温度を教えてくれる。

それだけで二人は充分だった。

 

 それを皮切りに、アルフやリニスも口を開き、リニスが居なくなってからの事や、プレシアと相対したウォルターの言葉やらを話し始める。

プレシアとフェイトは偶に相槌を打つだけで、ずっとそんな二人を見ていた。

言葉を発するには、まだ二人の距離は遠かった。

それを縮めるのに必要なのは、これから時間をかけて積み重ねていかねばならない事なのだろう。

けれど、それと同時に、それは必ず達成できると言う確信が二人の心にはあった。

あの誰よりも鮮烈で、熱く燃え盛る、ウォルターの言葉が二人を引きあわせてくれたのだから。

それを苦い顔で時計を睨めっこしていたクロノが止めに入るまで、四人の暖かな時間は続くのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「……ふぅ」

『お疲れ様でした』

 

 ため息と共に、僕は複層多重結界により外部と遮断された室内、与えられたベッドの上で天井を睨みつけた。

全くもって、僕は怪我人だと言うのに大忙しだった。

プレシアを倒した後激痛に倒れた僕は、ついに魔力が尽き果て狂戦士の鎧が解除。

一気に死にそうになった僕は、集中治療室に連れ込まれた。

といっても、一度場所を整頓してある怪我だったからか、手術による治療は大成功。

ほぼ後遺症ゼロ、どころか酷使したリンカーコアの超回復で総魔力量が数%上昇と言う不思議な事態が起きる程。

流石に吃驚している僕だったが、ついでに普通ならプレシア戦で動ける筈が無かったのがバレてしまった。

ティルヴィングのセキュリティはハード的にもソフト的にも最高峰の物を使っていたので、狂戦士の鎧が直接バレはしなかったが、何かあると言うのは最早明白。

そこでリンディ艦長が出張ってきて、僕に尋問を開始したのだった。

 

 所が、どうにか話を逸らそうとしているうちに、僕が管理局のお偉方とのコネが結構ある事がリンディさんに伝わる。

そこで尋問とお説教は後に回すと言う約束で、コネのある人に通信をしまくり頭を下げまくり、プレシアの残り短い時間が、できる限り拘束されない物にする事に成功した。

勿論、それには話術は並程度の僕一人では不可能だっただろう。

リンディさんの海千山千を乗り越えてきた話術があってこその、裏ワザ的な結果である。

実を言えば、リンディさんは僕の今まで出会った人の中で、一番の交渉上手だったのではないだろうか。

密かにリンディさんの交渉術に感嘆し、それをできる限り観察し、可能ならば吸収しようと記憶する僕であった。

 

 が、当然その後に待っているのは、尋問に説教である。

というか、尋問は一瞬で終わった。

というのも、僕はコネを利用中体を動かすのに狂戦士の鎧を使っていたのだ。

最初こそ新しい違法魔法にでもされてしまえば困るので隠していたのだが、リンディさんの口先の上手さに隠すのは不可能だと思い知り、途中からは大っぴらに使った。

お陰で僕は大目玉を食らう事となるのであった。

いや、プレシアに対抗できるのが僕以外居なかった以上正しい判断ではあったのだが、それはそれ、これはこれとの事である。

目からハイライトが消えそうなぐらいの長時間説教を食らった僕は、なんとドクターストップがかかるまで説教をされる事となったのであった。

 

 ちなみにその後、流石にプレシアと同じ部屋は気まずいと言って勘弁してもらい、自室で寝る事を許された。

お陰で今は、この部屋には僕とティルヴィング以外の誰も居ない。

リニスさんが難色を示したが、今はプレシアかフェイトと一緒に居てやってくれ、と言うと渋々と頷いてくれた。

その為僕は、ティルヴィングと二人でゆっくりと喋る事ができる。

 

「ティルヴィング……」

『どうされましたか、マスター』

 

 相変わらず機械的な声のティルヴィングに内心小さく苦笑しつつ、僕は言った。

 

「今回も、別に反省すべき点が無い訳じゃあない。

プレシアに言った言葉なんて、通じたのが奇跡だったしね」

 

 事実ではある。

僕はプレシアの前に立ちはだかる壁として、プレシアに言葉をかけた。

あの時は不思議な確信があったし、結果的に見れば良かったのだが、冷静になって思い返せばそれが通じるかどうかなんて一か八かの賭けだった。

それに、燃え盛る心に突き動かされた言葉は、熱さこそ持っていたものの、精緻さには欠けていて、解釈次第ではプレシアの心を歪めかねない物もあった。

 

「それに僕の真実を知る人が居るとすれば、お前が言うなって言うような台詞だったさ」

 

 事実である。

死者にとらわれる事を是とした僕が、本当の願いでなくとも死者にとらわれる事を是としたいプレシアを諭すのは、どう考えても説得力が無い。

あの時は爆流のような勢いで流れる感情に従い叫んだものの、後から考えて自分に向かって同じ言葉を吐いてみれば、痛いぐらいに胸が軋む。

 

「けれど。だけれども」

 

 僕は、目を細めた。

本当ならばあの日UD-182がしたように、手を高く伸ばし、何かを掴みとれたかのような仕草をしてみたかったのだけれども、今の体でそれは叶わない。

だから僕は、口で言う。

言ってみせる。

 

「プレシアは、救われてくれたんだ」

『……それは、言葉がおかしくはありませんか?』

「ううん、これでいいんだ」

 

 冷徹なツッコミを入れてくるティルヴィングに、思わず苦笑をもらした。

そして視線を遠く、今は医務室で眠りについているだろうプレシアに向けて、言う。

 

「プレシア……救われてくれて、ありがとう……!」

 

 そう言ってみせると、あぁ、やっと僕はプレシアを救う事ができたんだな、と実感できて。

胸の中がいっぱいになって、目が潤いを増す。

ティルヴィングに注意される前に、と瞬きを幾度かして、涙をこぼさぬように務めた。

するとティルヴィングが静かに明滅。

まるで自分の役割を持っていかれて拗ねているかのように思えて、僕は小さく微笑んだ。

機械的なのに、偶にこんな仕草を見せるから、僕はティルヴィングに愛着を忘れずに居る。

 

 それにしても、僕はこれで、今回の事件を犠牲一つなく誰もを救いきってみせる事ができた。

僕はこれで、ほんのちょっとだけ完璧になる事ができたのだ。

視線を天井に向ける。

僕の視線は天井の板でもその奥にある暗闇の空でもなく、あの日みた蒼穹へと注がれていた。

 

 間違いじゃあなかった。

UD-182なら、彼ならもっと完璧に誰もを助けられたと言うのは、間違いじゃあなかったのだ。

なぜなら、彼の志を受け継いだ僕が、こうやって完璧に事件を解決してみせる事ができたのだから。

完璧な人間というのが夢想じゃなく、実在しうる物なんだと、心で理解できたのだから。

 

「ティルヴィング」

『何でしょうか』

「僕はもっと完璧な人間を目指して、やっていけそうだよ」

『イエス、マスターはもっと完璧な人間を目指し、やっていけます』

 

 復唱するティルヴィングに目を細めながら、思う。

そう、完璧に近づけなくて、存在しているのかどうかすらも疑問に思って、僕はずっと前に進んでいないような気さえしていた。

けれど実際は、こうやってプレシアを救えていて。

もっと完璧な人間というのが実在していて、そこに向かって僕は歩めているのだと実感できて。

だから僕は、少しだけだけれども、下を向かずに歩いていけるのだ。

それが少しだけ誇らしくて、僕は小さく笑った。

あの日の蒼穹に向かって、微笑んでみせた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 雲一つ無い晴れ晴れとしたその日。

フェイトと会えるという管理局からの通信を受け、たったと軽い足取りで駆けながら、なのはは海鳴臨海公園へと向かっていた。

曲がり角をいくつも曲がり、木々の連なる光景を後ろにおいていき、ぱっと視界が開ける。

海に面したその橋の中央には、あの見間違いようもない鮮烈な二人の少年少女と、クロノにアルフにリニスが立っていた。

 

「フェイトちゃんっ! ウォルター君っ!」

 

 手を振りながらなのはが駆け寄ると、ユーノが肩をつたって降り、アルフの肩へと移る。

ウォルターとクロノが目を合わせ、一つ頷き告げた。

 

「あんまり時間はかけられないけど、二人で話すといい」

「折角なんだ、二人で話しとくんだな」

 

 と言うウォルターに、思わずなのはは目を瞬く。

フェイトと話したい事も沢山あったが、これには流石に心配の言葉が胸の内から出た。

 

「うん、ってウォルター君、全治3週間って言われてなかったっけ」

「無理はしてねぇよ、戦闘以外の日常活動ならもう充分って言われたんだ」

 

 ちなみに今日はあの決戦の日から、1週間ほどが経過した所である。

ウォルターの非常識な行為には慣れてしまったなのはは、何とも言えない表情でウォルターを見やった。

それに何処か後ろめたそうにしながら、ウォルターはクロノとアルフにリニスにユーノと連れ立って離れてゆく。

リニスがウォルターに小声で小言を漏らすのに、くすりとなのはは笑った。

輪唱する、もう一つの声。

はっ、と振り向くと、フェイトもまた微笑みを形作っていた。

 

「ウォルターって、相変わらず滅茶苦茶だよね」

「うん、本当に相変わらずで安心したよ」

 

 あのウォルターが病室で大人しく寝ている姿など、似合わないを通り越して不気味である。

顔を見合わせ、もう一度クスリと微笑み、改めてなのははフェイトと向い合った。

熱い感情が胸の中にいっぱいになり、今にも飛び出てきそうなぐらいに暴れまわる。

何か言いたくて、伝えたくて、ずっとそう思ってきた筈なのに……言葉は不思議と出てこない。

そんななのはを見かねたのか、フェイトが先に口を開く。

 

 二人の会話は、それを切っ掛けに流れるように続いた。

フェイトが心折れ自分を見失った時、初めて心に響いた言葉はなのはの物だった事。

友達になりたいと言うなのはに対する、フェイトの返事。

友達になるのには、どうしたらいいか。

それになのはは力強く、名前を呼んで、と答えた。

相手の目を見て名前を呼び合う、それだけでいいんだよ、と。

 

 互いの名前を呼び合いながら、二人はお互いを抱きしめた。

重なる鼓動に、互いの唇が互いの耳の近くになる。

互いの呼吸までが手に取るように分かり、なぜだか胸の奥が熱くなるのをなのはは感じた。

暫く時間が経つと、小さな声でフェイトが口を開く。

 

「……私の中で母さんの存在が大きい事は、多分変わらない。

けれど、今はそれだけじゃあない。

なのはが……そして、ウォルターも居るから。

私はきっと、大丈夫」

「うん、そうだね。

離れていても、お互いを想う気持ちがあれば……きっと、通じ合えるよ。

それに、ウォルター君、か」

 

 言われてなのはは、ふと思い出す。

ウォルターとの約束をした時、ウォルターと握りこぶしをぶつけあったあの時の事を。

瞬間、爆発的な勢いでなのはの内側を炎が巡った。

なのははあのウォルターと対等のように約束をし、それを先に果たす事ができたのだ。

そしてウォルターは必死になりながら、大怪我をしつつもその約束を果たしてくれて。

なのはの胸の奥に、誇らしさと嬉しさが混ざった、不思議な感情が湧き上がる。

と同時、思い出した。

 

「そっか、私まだ、ウォルター君に約束を果たしたよ、って言ってなかった」

「あ、そういえば私も……」

 

 自然、二人は抱きあう姿勢を止めた。

目を合わせると、同時にウォルターの方へと向き合う。

ハンカチを手にするリニスの隣に立つウォルターは、ただ立っているだけだというのに驚くほど存在感があるから不思議だ。

久しくなった心地良い威圧に目を細めながら、二人は手をつないでウォルターの元へと歩き出した。

それを見て、クロノが眉を上げる。

 

「ん、まだ時間は大丈夫だが……」

「うん、ウォルター君に言いたい事があってきたの」

「私も、なのはと一緒に言いたくって」

「そうか、そうらしいぞ、ウォルター」

 

 クロノの言葉に頷くと、ウォルターが半歩前に出る。

なのはとフェイトはその前に立ち、ゆっくりと握りこぶしを伸ばした。

伸ばしてから、あれ、と二人の口から同じ言葉が漏れる。

 

「フェイトちゃんもこうやってウォルター君と約束したの?」

「うん、なのはも?」

 

 互いに頷き、視線をウォルターへ。

それを受けたウォルターは深い笑みを浮かべて答えた。

 

「なのはの方が後からだったが、その時はなのはから拳を差し出してきたからな。

俺の意思で、って訳じゃあなく、偶然の一致って奴だ」

「それじゃあ私達、二人ともお揃いだねっ」

「うんっ」

 

 二人は微笑み合うと、改めてウォルターに向けて拳を伸ばした。

それに応えてウォルターも拳を伸ばし、言う。

 

「約束は……果たしたぜ」

「うん、こっちも」

「私もだよ」

 

 カツン、と軽い音を立てて拳が打ち合った。

男らしい笑みを浮かべるウォルターに、気迫の篭った笑みを浮かべるなのは。

ちらりと視線をやれば、隣のフェイトもまた威圧のある笑みを浮かべている。

矢張りウォルターは凄い、となのはは思い直した。

こうして向かい合っているだけなのに、背筋をピンと伸ばしたくなるような空気を作れる。

けれどなのはは、そんなウォルターとの約束に答え、ウォルターの成し得なかった事をできたのだ。

それを誇りに思いつつ、なのははウォルターの気迫に負けないよう胸を張った。

丁度その時である、クロノの声がその場に割り込んだ。

 

「そろそろ、時間だ」

 

 言われて、なのははフェイトと視線を交わし合いながらそうだ、と思いつく。

何か思い出に出来る物はないだろうか。

そう思ってみても、思いつくのはたった一つだけ。

もっと何か家から持ってくれば良かったのに、と思うなのはだったが、それしか無いのは仕方がない。

急ぎ手を回してリボンを解き、フェイトに差し出した。

 

「思い出にできるもの、こんなものぐらいしか無いんだけど……」

「じゃあ、私も」

 

 言ってフェイトも黒いリボンを解く。

二人の手が交差し、白と黒のリボンを交換した。

 

「きっとまた……」

「うん、きっとまた……」

 

 折角友達になったのだから、今すぐ一緒に居たいのが本音だ。

けれどこれからの別れは、必要な別れであり、そしてすこし長くとも永遠の別れではない。

だから我慢、と自分に言い聞かせて、なのははフェイトの黒いリボンを手にしながら胸を押さえる。

クロノの手による青い円形の魔方陣が発動、転移魔法の準備に入る。

 

 大切な出会いだった。

クロノ、リニス、アルフ、ユーノ、そしてフェイト。

誰しもとの出会いがなのはの心に深く刻み込まれ、永い思い出となるのが今から知れる。

そして、誰よりも心通じ合ったのがフェイトであれば。

誰よりも鮮烈だったのは、矢張りウォルターだった。

 

 自然、ウォルターに吸い寄せられるなのはの視線に、ウォルターはグッと親指を立てて返す。

たったそれだけが、胸が燃え盛るような仕草だった。

熱い血潮が全身を巡るのに、顔を薄く火照らせながら、なのはもまた親指を立てて返す。

気づけば、フェイトもまた目尻に涙を浮かべつつなのはに親指を立てており、なのはは親指を立てたままフェイトとも目を合わせた。

瞬間、転移魔法が発動。

二人を含む皆の姿が消え去り、後には青い魔力光の粒子が僅かに漂うだけになった。

 

 潮風に、なのはは解いた髪が揺れるのを抑える。

視線を上げれば、雲一つ無い蒼穹が空を占めていた。

それに少しだけ目を細め、なのはは思う。

燃え盛る炎のようなウォルターは、矢張り炎や熱さが似合うように思えるのだが、不思議とこの爽やかな蒼穹にも似合うような気がした。

だから視界にあの熱い笑みを浮かべるウォルターの顔を思い浮かべて、なのはは思うのだ。

 

「……負けないからねっ、ウォルター君」

 

 何に負けないのかすらも分からず、それでもなのはは呟いた。

その一言で、再び心はあの日ウォルターと約束をした時のように、燃え盛る。

この胸の熱を、絶やさずに生きていきたい——。

そう思いながら、なのははその場に佇んでいた。

 

 

 

 

 



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第三章 黄金期編・後 闇の書事件 新暦65年 (A's)
3章1話


 

 

 

 靴裏で金属製の床を蹴りだし、前に進む。

反響音が小さく鳴り、床の青いライトの光量に比例するかのように、暗闇へと吸い込まれていった。

久しく通るアースラの通路は、相変わらずかつての“家”を思わせる金属的な内装で、少しばかり僕は憂鬱さを増した。

さっさと明るい室内に入ろうと、足早に進む。

もしかしたら、この通路は人々を足早に進ませる為に暗めに設定されているのかもしれない。

そんなことを思いながら僕は、リンディさんから聞いた5人が居ると言う食堂にたどり着く。

小さい排気音と共に、スライドするドア。

光に満ちた空間に足を踏み入れ、思わず一息つく。

 

 食堂は全体的にクリーム色で、明るい部屋だった。

ミッドでは流行の幾何学的な配置となっているテーブルが目につき、壁は木目のある部分と明るく透明なガラスで彩られている。

一見すれば洒落たカフェにも見えなくもないが、所々の天井近くに小型のモニタがくっついている事が、ここは確実に艦内であると告げていた。

その一角、アースラの中でも特に平均年齢の低い箇所へ向かって、手を振りながら歩く。

するとガタリ、と椅子を引いて立ち上がり、金髪の少女が手を振り返してくれた。

それに応じるように残る4人も僕へ視線を向け、次いで体を向けて歓迎してくれる。

 

「よ、ちょっと久しぶりだな、みんな」

「ウォルター、こっちこそ久しぶりっ!」

 

 明るい声を出すフェイトに釣られるように、クロノ、ユーノ、アルフ、そしてリニスさんもまた僕に挨拶を告げる。

それを受け取りつつ近づき、僕はクロノとユーノが座っている側の椅子を引き、座った。

丁度フェイトを左右で挟むリニスさんと対面になる形になる。

早速、身を乗り出すようにして聞いてくるフェイト。

 

「ねぇウォルター、母さん元気だった?」

「あぁ、プレシア先生は滅茶苦茶元気だったぞ。

っつーか、ノリノリで鬼教師やってたぐらいだな、あの人は」

 

 思わず脳内に鋭い眼光のプレシア先生を想起してしまい、苦笑気味に答える。

そう、PT事件の終わりからフェイトの裁判が始まったのだが、僕はフェイトの裁判に協力すると言った手前、他の事件に頭を突っ込む事はできなかったのだ。

当然戦闘訓練は欠かした事も無いし、クロノやフェイトと模擬戦もしたが、それだけではちょっと時間を有効活用できていない感があった。

そこで僕は、迂闊に動けないフェイトにプレシア先生の様子を伝えるついでに、彼女の研究について勉強を教えてもらう事にしたのだ。

プレシアの事を先生と呼ぶようにしたのは、その時からである。

この半年間でかなりの事をプレシア先生から習い、使い魔に関する技術に加えて記憶に関する技術、応用魔法技術についても習う事となった。

お陰で魔法に関しての理解がかなり深まり、魔法処理速度が格段に上昇、戦闘能力の強化にも繋がったのだ。

 

「それで、勉強の進み具合はどう?」

「何とか博士号レベルは突破して、研究者としては初心者の辺りにはたどり着いた、って言って貰えたかな。

まぁ、俺も必要な技術は教えこんでもらったから、これ以上学徒の道を行く事は無いだろうけど」

「そうですか……。まぁ、ウォルターに研究者というのもあまり似合わなそうですけれどね」

 

 といって、リニスさんはフェイトと顔を見合わせ、クスリと口の端を持ち上げる。

まぁ、あまり知的な職業の似合う仕草はしてこなかったつもりだが、なんだか脳筋と言われているようで、僕は何とも言えない表情を作った。

それがまたおかしいのか、またもやクスリと皆が笑い声を漏らす。

こほん、と咳払いをし、強引に話の流れを切って、僕は話を戻してみせた。

 

「で、そっちの裁判の方はどうなんだ、そろそろ判決が出るんだろう? あんまり協力できなくて悪かったが……」

「大丈夫だよ。

君の影響力もそうだけど、これまでのフェイトの受け答えも確りした物だったからね、まず無罪判決を勝ち取れるだろう。

勿論、念の為用意しておいた受け答えを覚えてもらう事は必要だけれどもね」

「うん、分かったよ、クロノ」

 

 と、クロノが答え、フェイトが頷く。

僕の法律関係の知識は、違法犯罪者を攻撃する立場にある以上ある程度はあるのだが、流石に執務官と比べられるほどではない。

PT事件のような大規模な事件であってもフェイトが無罪を勝ち取れるかどうかは、正直不安な物があった。

だが、言っている内容もそうだが、二人の表情に曇りは無く、明るくスッキリしたものである。

これなら大丈夫だろう、と納得しつつ、僕は次いで口を開いた。

 

「そっか、そりゃ良かった。

それともうひとつ、今プレシア先生の元から帰ってきたのには理由があってな」

「へぇ、どうしたんですか?」

 

 首をかしげるリニスさんに、僕は真っ直ぐに視線を向ける。

何かあっただろうか、と視線を少し泳がせたリニスさんだが、すぐに僕へと視線を戻し、視線がぶつかり合った。

静かに僕は告げる。

 

「これからリニスさん、あんたの将来をどうするか、決めて欲しくってな」

「将来、ですか?」

 

 目をぱちぱちと瞬きさせるリニスさん。

僕は深く頷き、続ける。

 

「プレシア先生の授業で、使い魔に関しての技術をより深めてきたからな。

フェイトに主としての権利を移譲する事もできるし、カートリッジの魔力を使用する事で、俺の負担なく俺の使い魔として、プレシアやフェイトの元で生きる事もできる。

ま、どっちの場合も今よりは戦闘能力は落ちてしまうだろうが……。

どっちにする?

答えは今すぐでなくともいいが、考えておいて欲しいんだが……」

 

 これが僕がプレシア先生から勉強を習った最大の理由であった。

リニスさんとしては当然フェイトなりプレシアなりの近くに居たいだろうし、その為には僕の使い魔であると言う立場は邪魔だろう。

それに、一応恩人という形になる僕の負担になるのを、リニスさんが歓迎したいとは思わない。

しかしかと言って、リニスさん程の使い魔を維持するにはフェイトの負担が大きすぎる。

と言うことで、落とし所はこんなところになった。

前者はフェイトの負担が、後者は僕が死ぬとすぐに魔力切れで死んでしまう事が弱点か。

それでもまぁ、何もしないよりはマシな結果に落とせたのだし、我慢して欲しい。

そんなつもりで言った話なのだが。

 

「……え?」

「……え、って、え?」

 

 首を傾げるリニスさんに、同じように首を傾げる僕。

鏡合わせのような変な状況になってしまったのを、困惑気味に続けるリニスさん。

 

「あの、もしかして私のためにプレシアの所に勉強をしに行ったんですか?」

「魔法の処理速度の向上に別アプローチをかけるため、でもあったがな」

「だとしたら、その、すいません、フェイト達とも相談したんですけれども……」

 

 もしや、消滅の道をでも選ぼうと言うのだろうか。

思わず目を細める僕を尻目に、リニスさんは言った。

 

「私は、貴方を主として、共に戦って行きたいです」

「……へ?」

 

 予想外の言葉に、思わず僕の頭の中が真っ白になる。

澄んだ瞳でリニスさんは、僕を真っ直ぐに見つめていた。

その瞳の奥に、何処から湧いてきたのかわからない不思議な熱を感じ、僕は思わず小さく身震いする。

静かな威圧が、リニスさんから放たれていた。

それに呆然とする僕のテーブルの上に置いてあった両手を、リニスさんが両手で上から握りしめる。

互いにまるで祈りを捧げているかのような姿勢を取る事となった。

 

「貴方に受けた恩は、正直に言って一生物です。

それに私は、貴方の事を主として慕ってもいるのです。

どうか私を、貴方の人生と共に歩む使い魔として、認めては貰えないでしょうか」

 

 あまりの突然な事態に、僕の脳内は何かを考えようとしても空回りするばかりであった。

いや、それではいけない、ウォルター・カウンタックは間抜け面を晒して良い訳が無いのだ。

意識を切り替え、何とか僕は思考を取り戻し、考えこむ。

視線をちらりとフェイトとアルフの方にやると、二人とも真剣な眼差しで僕らを見守っていた。

つまり二人とも了承済みと言う事で、要するにこの言葉を引っ込めさせる事はできないか。

霊感と言うべき部分で僕はそう悟り、そして困ってしまった。

 

 仮面をかぶったまま使い魔と付き合っていいのか、と言うのもあるが、それ以前に使い魔と主には精神リンクと言う物がある。

今のところリニスさんとは最低限にしている為、殆ど感情は流れずに居るが、本格的に使い魔とするならば精神リンクを開かない訳にはいかない。

何故なら精神リンクとは、主から使い魔に対する信頼の証でもあるからだ。

僕はリニスさんを使い魔にして、彼女を信頼しないような行為を取りたくないし、また“俺”としても取れない。

ならば僕は、精神リンクを開くのだろうか?

この弱々しい僕を教えてリニスさんを裏切っていた事を教えるばかりか、僕の本性が晒される危険性まで犯して。

 

 できない。

できる筈が無かった。

それでも、“俺”であればリニスさんの言葉には是と答えるべきでもあって。

苦悩の果てに出た言葉は、こんな物であった。

 

「すまん、今すぐには答えが出せない。暫く、考えさせてくれるか?」

 

 明らかに、リニスさんの顔が曇った。

暗い表情を押し殺しながら、作り笑顔でリニスさんは言う。

 

「分かりました、ちょっと唐突すぎましたもんね」

 

 重ねるようにしていた両手を離し、乗り出していた上半身を戻すリニスさん。

なんで、と言う視線がフェイト達から僕に襲いかかり、僕はひょっとして“俺”としてやってはいけない類のミスをしてしまったのではないかと思う。

しかし、ならばどうすれば良かったのだ。

どうしようも無かったとしか言い様がないが、しかしそれはつまり、僕の演技に限界が来てしまったと言う事に他ならないのではなかろうか。

偽物の演技の、限界が。

そう思うと、目の前が真っ暗になりそうになるのを避けられない。

それでも必死で、まだ決まりきった訳じゃあない、と精神を立て直し、少し難しい顔をするぐらいでどうにか留める。

 

 場には、なんとも言えない沈黙が横たわっていた。

何とか口火を切って、ユーノとクロノが軽いじゃれあいのような物をして場の雰囲気を軽くしようとする。

しかし何かが喉にでも引っかかっているような不快な感覚は、今日一日ずっと消えないまま残っているのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「それでは、ご協力ありがとうございましたっ!」

「まぁいいって事よ、俺からも協力したかったんだしな」

 

 軽く手を振って返し、僕はカーペットを踏みしめ、ガラス張りの自動ドアを抜ける。

夜のネオンに彩られた、高層ビルの立ち並ぶコンクリートジャングルに足を踏み入れた。

憂鬱な気分を体の奥に押しこめ、僕は夜のクラナガンを歩き出す。

 

 あれから二週間近くが経った。

フェイトの裁判が終わったその日、僕は何となく夜の風に当たろうとクラナガンをうろついていた。

勘の赴くままに歩いていた僕なのだが、なんといきなり通り魔に遭ってしまったのだ。

当然僕は攻撃を回避したのだが、その通り魔は中々の凄腕だったようで、一般人を庇っている間に逃してしまう。

すぐに駆けつけてきた管理局の地上部隊の話によると、残留魔力波形パターンによると、既に何人もの魔導師を殺害した通り魔なのだそうだ。

生き残った魔導師からの証言によると、凄腕の魔導師との果し合いを望んでいるのだと言う。

と言っても武芸者とは一味違って卑怯な手もアリの戦いが好きらしく、平気で一般市民を巻き込み盾にするような輩だそうだが。

そしてそいつは、狙った相手は完全な勝利を得るまで付けねらうのだと言う。

そんな事柄から、僕は通り魔対策の為に地上部隊に協力する事になり、アースラを離れる事となってしまったのだ。

 

 なのはが巷で噂の魔導師襲撃事件に巻き込まれたと聞いたのは、協力を決めたそのすぐ後である。

流石に心配ではあったが、僕とて連続魔導師殺害事件の協力者である、ほいほい手伝いに行く訳にはいかない。

罪悪感はあったが、リニスさんに対する答えを用意していなかったが為の安堵もあり、なんとも言えない複雑な気分だった。

その事実が更に罪悪感を煽り、すぐになんとも言えないどころではない気分になったのだが。

 

 通り魔による連続魔導師殺害事件は、先日解決できた。

何度か交戦したのだが、全て僕と地上部隊の力で市民に怪我はあっても犠牲はゼロ。

最後には通り魔の魔導師は時限爆弾を使って近くでテロを起こし、部隊がその救援に向かっている隙に僕に挑むと言う頑張りっぷりを見せた。

通り魔の魔導師のランクは凡そAAA、人質を取られながら楽々と勝てるような相手ではなかった。

市民に犠牲なく勝てたのは、正直運が良かったとしか言いようが無い。

ちなみに名乗りもされなかったので、結局名前も知らないままである。

第33管理世界の独房に入れられたと言う話を聞いたが、それぐらいしか彼について知る事は無い。

 

 そんな訳で、すっかり顔なじみになった地上部隊に別れを告げ、僕は夜のクラナガンを歩いていた。

今日はとりあえずミッドで過ごし、明日明後日にはアースラに合流し、力を貸す予定だ。

聞く所によると闇の書とかいうロストロギアが関係しているらしく、ユーノが本局の無限書庫で闇の書についての情報を集めているらしい。

ユーノの所に寄っていってからでもいいかな、と思いつつ、ようやくのこと考える事が無くなり、僕の思考は悩んでいる本題に戻る。

 

「リニスさんを、俺の使い魔に、ねぇ……」

『戦力的には問題ないかと思いますが』

 

 雑踏を歩きながらぽつりと漏らすと、ティルヴィングが明滅して答えた。

分かっているさ、と内心で呟きつつ、僕は人の少ない方へと歩みを進める。

別に誰かに狙われているとかいうドラマティックな展開ではなく、単に人ごみが鬱陶しくなってきたからだ。

元々目的地もなく気分転換に歩いていただけなので、特に不都合もない。

 

『アースラとの通信で、リニスはフェイト・テスタロッサに勝利する程の戦闘能力を保持していると分かりました。

コンビでの戦闘を磨けば、純戦闘能力ではマスター単体に劣りますが、対応力は勝るかと。

加えて言えば、デバイスマイスターとしての腕もマスターに有利に働きます』

「あぁ、分かっているよ」

 

 遠距離戦闘を主として格闘能力も持つリニスは、ちょうど僕と正反対の戦闘適性を持つ魔導師だ。

コンビになってもそれぞれ二手に分かれても相性が良いと言うのは、言われるまでもなく分かっている。

デバイスマイスターとしての腕が有益なのだって分かりきっている。

だが、問題はそんな事ではないのだ。

何時までも僕の心情を理解できないティルヴィングに、思わず苛立ち舌打ちしてしまう。

ティルヴィングが機械的なのは何時もの事だ、と自分を抑え、小さくため息をついた。

 

 横道に一本逸れると、あっと言う間に人が減る。

観光客や一般人は殆ど見られなくなり、薄暗い職業につくもの達が、ネオンの光を避けるように足早に過ぎ去っていくのみだ。

時折僕の方に向かってくる愚かな人間も居るが、僕は魔導師としてクラナガンでは有名人だ。

すぐにリスクの高さを察知し、不自然な軌道で僕を避け、過ぎ去っていく。

 

『使い魔を持つ高位魔導師で強者と称された人間も、少なくありません。

管理局で有名なのは、少し古いですが、かのギル・グレアム辺りでしょうか。

在野の魔導師や古代ベルカの魔導師にも多く居ますし、例えば……』

「分かっているから、少し黙ってくれ」

『了解しました』

 

 キツイ口調で言うと、ようやく夜の静けさが戻ってくる。

小さくため息をつき、僕はふらふらと目的無しにクラナガンを彷徨った。

まだ夜といっても夕食時を少し過ぎたぐらいだ、自宅に戻るのはもっと後でいい。

どうせじっとしていればすぐにリニスさんの事が思い浮かんでしまうのだ、折角歩ける間ぐらいは頭の中を空っぽにしたい。

本来なら鍛錬がいいのだろうが、今朝方に通り魔との決着をつけたばかりでダメージもあるので、ティルヴィングに駄目と言われてしまった。

勿論ダメージを抜くにはさっさと帰って寝たほうがいいのだが、少しぐらいの気分転換は許して欲しい。

 

 僕はなるべくリニスさんの事を考えないようにして歩いた。

見目には分からないよう重心を上げたり下げたりしながら歩き、また靴裏に感じるアスファルトに反響する足音を感じながら歩いた。

腹圧を高めたり限界まで遅く深く息をしながら歩き、また目視した建物の構造や骨子を想像しながら歩いた。

小一時間程は歩いたのではないかと思う。

敢えて頭の中に地図を思い浮かべず、ぐちゃぐちゃな道筋を歩いた僕は、そろそろ自宅に足を向けるか、と思い、足を止めた。

と同時、ティルヴィングが明滅する。

 

『ナカジマ家ですが、此処が目的地だったのですか?』

「へ?」

 

 言われて辺りを見回すと、少し離れた所にナカジマ家があった。

思い返せば、この付近も見覚えのある場所だ。

無意識のうちに来てしまったが、別に何か用事がある訳でもない、引き返そうと振り返る。

すると、丁度曲がり角を曲がってきた女性と目があった。

翻る青色の髪に、深いエメラルドの瞳。

当然僕の記憶の中には、彼女の名前が刻まれており。

 

「あれ、ウォルター君?」

「クイントさん?」

 

 思わず、互いに目を瞬く。

すると、理由は分からないがなんだか恥ずかしくなってきてしまい、僕は薄く頬を染めながらポリポリと頭をかき、言った。

 

「あぁスマン、偶然通りかかっただけだったんだが……、仕事帰りか?」

「えぇ、そうだけど……ここに偶然?」

 

 住宅街にあるナカジマ家は、そうそう偶然たどり着く所ではない。

しかし本当に偶然なので、他に言いようがない。

それをどう思ったのか、クイントさんはツカツカとパンプスを響かせこっちに来て、バッと僕の頬に両手を伸ばした。

僕の両頬を軽く抓り上げ、ぐいぐいと上下に動かす。

 

「そんな訳ないでしょ~が。

何かあるんでしょ、家の中で聞くから、ほら、こっち来なさいっ」

「いや、あのな、本当に……」

「いいからっ」

 

 と言われて、僕は何がなんだか分からないうちにクイントさんに連れられていった。

このへんの強引さに、いつも通りだなぁ、とか思う僕。

そんなこんなで、いつの間にか僕は応接間で暖かい珈琲を手に、私服に着替えたクイントさんと向かい合っていた。

スバルとギンガはちょっと早めだが、もうお眠のようである。

 

「それで、何があったの」

 

 だしぬけに、クイントさんが聞いた。

言えない、言える筈がない。

これは最悪僕の仮面が剥がれてしまうかもしれないような問題なのだ、できる限り少ない人数で処理すべき事だ。

確かにクイントさんは、リニスさんが当事者である以上、僕にとって何かを相談できる唯一の相手だろう。

けれど、それでも言えるはずが無いのだ。

なのに。

気づけば、僕の口は動いていた。

僕はリニスさんが僕の元を離れるだろうと考えていて、その方法を持ってきた事。

リニスさんが僕の使い魔として共に歩みたいと言ってくれた事。

そして。

 

「俺は……リニスさんを連れて行く訳には、いかないんだ」

 

 結局結論は此処に行き着く。

けれど、どうやって断ればいいのか分からなくて、そんな事に悩む僕はあり得ないほどちっぽけだ。

そんなのきっちりと断るしか無いのに、それでリニスさんを傷つけてしまう事が怖くて尻込みしている。

プレシア先生との戦いで僕が感じていた凄まじいまでの全能感が、嘘のようだった。

 

 静かに目を伏せ、暖かい珈琲をすするクイントさん。

視線で僕に先を促し、僕もまたそれに頷き続きを口にする。

 

「これは俺一人の戦いで、簡単に誰かを巻き込む訳にはいかない。

誰かを巻き込むのなら、そいつに俺の誓いを全て話すのが筋だが……俺には、それができない」

 

 つまりはそういう事だった。

僕はリニスさんに全てを話さなければならないけれど、それはできない。

怖いのだ。

僕にとって、この広い次元世界で個人的に友好を持っている相手なんて、クイントさんとリニスさんしか居ない。

その片方に、貴方とその家族を救った口先も人格も、全て嘘偽りだなんて告げるのが、怖くてたまらないのだ。

そんな事を言ってしまえば、僕はリニスさんとの絆を永遠に失ってしまう事になる。

勿論それを広められてしまう可能性も怖いが、どちらかといえばその方が僕には怖かった。

僕はそれに耐え切れず、故に全てを話す事はできない。

 

 ならば今までどおり、嘘偽りの理由を話し離れてもらえば良いのではないか。

それもまた、不可能であるように僕には思えた。

僕と向き合ったリニスさんは、僕が思わず怯んでしまうような覇気を持っていた。

まるでUD-182の鱗片を思わせるかのような、凄まじい覇気をである。

一体何処でそんな迫力を得たのか知らないが、少なくとも、急ごしらえの嘘では誤魔化されないだろう迫力であった。

つまり、嘘もまたつけない。

 

 では、共に行き、リニスさんを騙し続けるのか?

勿論それもできない。

彼女を裏切り続けるのも嫌だし、すぐ隣に居る人を騙し続けられるかどうかという、可能不可能の問題もある。

僕は偶にティルヴィングに弱音を漏らすことで辛うじてこの仮面を維持してきたけれども、果たして隣にリニスさんが居る状態でそれができるのだろうか。

無理だ。

出来るわけがない。

今でさえいっぱいいっぱいなのに、直ぐ側にリニスさんを置いて、僕の仮面が破錠しない訳がない。

よって、リニスさんを騙し続ける事もできない。

八方塞がりだった。

 

「……どうして?」

 

 黙りこんでしまった僕に、当然クイントさんは問いかけてくる。

許されるのであれば、この場で泣き崩れ、彼女に全てを明かしてしまいたかった。

その上で全てを許してもらい、どうすればいいのか一緒に考えて欲しかった。

けれどそんな事は、現実に起こり得ないただの妄想である。

僕は頭を振り妄想を頭からたたき出すと、用意してあった言葉を告げる。

 

「すまん、言えないんだ」

「……そっか」

 

 言って、クイントさんは乗り出していた上半身を引かせ、足を組んでみせた。

人差し指を唇にやり、暫し視線を彷徨わせたかと思うと、僕へと向ける。

視線が絡み合う。

何時も快活なこの人にしては、少し儚げな笑顔であった。

意外な表情に、少しだけ心臓が脈打った。

 

「ウォルター君、生きていくのには、胸の内を、全てとは言わなくとも吐き出せる相手っていうのが必要なのよね」

「……身にしみているよ」

 

 事実である。

僕にティルヴィングが居なければ、彼女がストレージデバイスのような非人格型デバイスであったとすれば、とっくに僕は挫折し仮面が剥がれていただろう。

そして今まさに、リニスさんに胸の内を吐き出せず、それに苦しんでいるのだから。

“俺”が作ってはならない類の憂鬱な笑顔を、思わず見せてしまう。

クイントさんは足を解き、立ち上がった。

テーブルの周りをゆっくりと回りながら、続ける。

 

「勘違いじゃあなければ、私もその一人にしてもらえているみたいだけど。

私には吐き出せない他の部分を吐き出す相手が貴方には必要だわ」

「それを……リニスさんにしろって、そういうのか?」

 

 それができないからこうやって苦しんでいるのだと言うのに?

クイントさんは言外にそう告げる僕の背後に回りこみ、完全に視界から消え去る。

もしかしてこのまま去ってしまうんじゃあ、と思うと、僕は背筋が凍りついたかのような感覚を憶えた。

まるで小さな子供のように、クイントさんを求めて振り返ろうとする。

まさにその、瞬間であった。

ふわり、と。

まるで暖かいヴェールに覆われたかのような感触であった。

血肉の通った暖かな腕が僕を抱きしめる。

肩にはクイントさんの顎が置かれ、白磁の頬は僕の頬に擦り寄せられる。

ほのかな汗とシャンプーの香りが漂い、僕の鼻を刺激した。

僕は、椅子越しに後ろから、クイントさんに抱きしめられていた。

 

「ううん、リニスとは限らず、貴方にはそういう相手が必要だって事。

リニスには悪いけれど、あの子と貴方が主従になるかどうかより、その方が大事だと思うわ。

それに主従になれないのなら、理由が言えないって言っても、リニスならきっと分かってくれるわよ」

「……そう、かな」

 

 違う。

ここは僕は、「そうか?」と言い返すべきであった。

ほんの僅かだけ、仮面の隙間から本音が透けて出てしまったのだ。

それこそが僕の危惧していた事態そのものであったと言うのに。

更に言えば、今の僕はその事が重要だと思えなくさえなっていた。

それほど、暖かに抱きしめられる事は、僕にとって快感であった。

駄目だ、と言う内心の叫びも、少しづつ弱くなっていく。

まどろみのような暖かさに、溶けてしまいそうになる。

続いてクイントさんが何かを言おうと、口を開いた、正にその瞬間であった。

扉が開く、大きな音。

 

「お~い、ただいま~!」

「あ、は~い! おかえりなさ~い!」

 

 言うと、クイントさんは手を解き、僕に小さく両手を合わせて頭を下げた。

あの人タイミング悪いわねぇ、と苦笑しつつ、玄関へと向かう。

その間僕は呆然としていたが、クイントさんの姿が消えるのに、はっと自分を取り戻した。

僕は一体、何をやっていたのだ。

凄まじい自己嫌悪に頭を打ち付けたくなっていると、足音と共にゲンヤさんが応接間に現れる。

目が、あった。

 

「お邪魔してるぜ、久しぶり、ゲンヤさん」

「……あぁ」

 

 言葉少なにゲンヤさんは小さく会釈すると、奇妙な沈黙の場が形成された。

今日に限らず、彼と出会うといつもこんな空気になってしまう。

なにせゲンヤさんは管理局の地上部隊を指揮しており、僕はその地上本部に横槍を入れて犯罪者を捕まえて生計を立てているのだ。

いい顔をされないのは当然で、出ていけと言われないだけマシだろう。

管理局の反応としては、クイントさんやハラオウン一家の対応がおかしいだけなのだ。

そうやって僕が他者に悪意で見られる事を強く自覚すると、先程までのクイントさんから貰った暖かな感情の残り香を、押し流す事ができる。

いつも通りの“俺”に戻って、そろそろお暇しようかと立ち上がろうとした、その瞬間である。

 

「そうだ、ウォルター君、ついでだし家に泊まってく?」

 

 顔を出したクイントさんに、出足を挫かれた。

反論しようとするより早く、続けるクイントさん。

 

「ギンガもスバルもきっと喜ぶわよ~!

丁度明日、あの子達の学校は創立記念日で休みなの、遊んでくれると嬉しいわ。

ね、あなたも良いでしょ?」

「あ? いや、まぁ、別にいいんだが……」

「ほら、歓迎するって!」

 

 と、家長の許可が出てしまった。

とすると、ここまでされて拒否すると言うのも、ゲンヤさんの顔を潰してしまう。

それにクイントさんの事だ、これ僕が家に帰るなどと言い出したら、本当にギンガとスバルを起こしてしまいかねない。

内心ため息をつきながら、立ち上がりかけていた腰を下ろし、言った。

 

「そうだな、どうせ家に帰ってやる事も無いし、今日はお邪魔させてもらおうか」

「オッケイ、布団用意しとくわね~!」

「あぁ、今日は世話になります」

 

 僕が頭を下げるが早いか、クイントさんは引っ込み家事を始める。

疾風怒濤の強引さであった。

それに呆れているうちに、思わずゲンヤさんと目があってしまった。

互いに何となく、目で語る。

——なんていうか、苦労してますね。

——言うな。

先程とはまた違う、なんとも言えない沈黙がその場に横たわるのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 ナカジマ家から少し離れた、早朝の公共魔法練習場の一角。

ベンチに座ったクイントとスバルが見守る中、試合場でウォルターとギンガが睨み合っている光景があった。

普段は此処にスバルとウォルターが居ない代わりにもう一人、店主とナンバー12の息子が加わる。

なのだが、流石にウォルターが居る為それは自重し、現状の人数となっていた。

 

「お姉ちゃん頑張れーっ!

ウォル兄も頑張れーっ!」

「やぁぁっ!」

 

 スバルの声援を背に、ギンガが駆け出しウォルターに向かって拳を突き出す。

左の拳をウォルターの顔面目掛け放ち、同時に右の拳を腹に向かって突き出した。

半身になって避けるウォルターは、ギンガの首筋に向かって手刀を下ろそうとするも、姿勢を低くされ避けられる。

前転してウォルターの攻撃圏外へと逃れるギンガ。

立ち上がると同時、ギンガの側頭部を超速度で間合いを縮めたウォルターの拳が打ちのめす。

かなりのダメージなのだろう、くらりと揺れたギンガに、ウォルターはあっさりと両手を取ったまま足払い。

一緒になって倒れこんだギンガの顔面へ向けて拳を放ち、寸止めする。

 

「ほい、一本だ」

「~~~、ウォルターさん、も、もう一本お願いしますっ!」

「真っ直ぐ立てるようになるほど回復したらな」

 

 ウォルターにすぐさま襲い掛かろうとしていたギンガは、言われて自分がフラつき息を切らしていることに気づき、悔し気な表情で座り込む。

先ほどの側頭部への一撃は、体力が限界近いギンガを一旦休ませる為の方便を作るための一撃だったのだ。

それと交代に、クイントの隣に居たスバルが飛び出していった。

 

「ウォル兄、私も私も~!」

「応、ギンガが回復するまでに兄ちゃんに一発当てられたら、スバルの勝ちな!」

「今日こそは勝ってみせるんだからねっ!」

 

 言って飛びかかるスバルを、ウォルターは軽くあしらう。

何時もインドア派なスバルだったが、ウォルターとギンガが模擬戦をしているのを見ると、体が疼くらしくこんな風に飛んでいってしまうのだ。

ウォルターがナカジマ家に泊まる度に見られる光景だったが、クイントはウォルターが負けた所を一度も見たことがない。

負けず嫌いだなぁ、と苦笑しつつも、クイントは目を細めウォルターを見つめる。

胸の中を苦い物が駆け抜けるのを感じ、クイントは僅かに口元を噛み締めた。

それを見咎めたのだろう、ギンガが首を傾げつつ零す。

 

「母さん、ウォルターがどうしたの?」

「……ううん、なんでもないわ。

それよりほら、まだちょっとグラグラするんでしょ、こっちきなさい」

 

 言ってクイントは、ギンガを抱き寄せる。

少し納得の行かない色を表情に乗せていたギンガだったが、クイントの体温に触れると誤魔化されてくれた。

それに苦笑しつつ、クイントは再びウォルターへと視線を向ける。

スバルが触れようとするのを軽々と避けるウォルターの表情に、昨日のような憂いを帯びた色は一切見えない。

何時も通り、完璧な人間のウォルターであった。

 

 クイントは、昨夜実を言えば、最大級の精神的衝撃を受けていた。

ウォルターが弱音を吐いたことに、死ぬほど吃驚していたのだ。

彼を長年見知っているクイントでさえ、いや、だからこそなのだろうか。

クイントは、ウォルターが弱音を持っていると言う当然の筈の事実に対し、半信半疑にさえなっていたのだ。

それぐらいにウォルターは底なしに明るく熱く、英雄的な人間であった。

局内でも、彼を嫉妬したり邪魔者扱いする者と同じぐらい、彼を英雄視する人間も居る。

加えて言えば、クイントが見た、かつてティグラとの対決で店主を間接的に殺してしまったと悟った時、ウォルターが数分とせずに復活した光景がそれを後押ししていた。

クイントは、自意識過剰でなければ、ウォルターの一番近くに居る人間であった。

なのにクイントは、ウォルターに弱音がある事に気づかなかったのだ。

その事実に、クイントの胸の中を苦いものが過る。

しかし同時に、そのウォルターが弱音を漏らす相手に自分を選んでくれた事に、クイントは少しだけ誇らしさを感じていた。

自分のような大人の心さえも動かすあの熱血少年に頼ってもらえると言うのは、少なからずクイントの自尊心を刺激していたのだ。

 

 けれど、とクイントは思った。

けれど、夫は一体何を言いたかったのだろうか。

昨夜ウォルターが寝た後、少しだけクイントとゲンヤは夫婦の会話をした。

ウォルターにあまり良い感情を持っていないらしかったゲンヤ。

彼にクイントは、現場一筋の貴方からすると、ウォルターが鬱陶しく感じるの? と聞くと、ゲンヤは難しい顔で答えた。

——それもあるんだが、気づいていないのか、と。

何に? と問うたクイントにゲンヤはお前はそういう事に鈍いからな、と言ったきり口を濁し、昨日の会話は幕切れとなった。

一体、自分はウォルターの何に気づいていないのだろうか。

本当にまだ、ウォルターの事で気づいていない事があるのだろうか。

内心首を傾げるクイントの横で、ギンガがピクリと動く。

 

「あら、もう行くの?」

「うん、行ってくるっ!」

 

 元気そうに走っていく娘が、スバルと交代にウォルターと相対する。

自分の胸に向かって飛び込んでくるスバルを抱きしめてやりつつ、クイントは思う。

本当にウォルターの事で気づいていない事があるのだとしても、それは必ずしもクイントが気づかなければならない事ではない。

聞けばウォルターはリニスの事を随分慮っているようだし、主従の関係になれなくとも友人として関係を築く事はできるだろう。

ウォルターは確かに強すぎるほどに強い。

けれどそれは、必ずしも孤高でいなければならないと言う意味ではないのだ。

願わくば、ウォルターに心の中を吐き出せる相手が少しでいいからできて欲しい。

そんな風に思いながら、クイントはギンガとウォルターの模擬戦を見守るのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 明るい緑色の床にクリーム色の壁。

調度品は全て濃茶の木目で彩られており、その滑らかな光沢は高級品である事を思わせる。

それだけ見ればただの執務室だが、その中に幾つかの銀色が混ざり、空間投影ディスプレイが用意されている事が、そこが地球外の技術によって作られた部屋なのだと示している。

革張りの椅子に座った白髪の男、ギル・グレアムは、椅子に深く腰掛けなおし深くため息をついた。

それに彼と机を挟んだ位置に立っている二人の女性のうち一人が声をかける。

 

「お父様、何か気になる事が?」

「あぁ、彼の事でね……」

 

 言いつつグレアムは、指を動かしディスプレイを反転させた。

空間に映し出される情報に、二人の女性、リーゼロッテとリーゼアリアが目を細める。

ネコ科の目が瞳孔を縦に割り、剣呑な空気を醸しだした。

二人は、ディスプレイに表示されている名前を読み上げる。

 

「ウォルター・カウンタック……」

 

 次元世界屈指の戦闘能力を持つ魔導師の名である。

ムラマサ事件を始め9つの大事件に関わり、最近ではロストロギアの補助によりSSランクオーバーとなったと予想される、大魔導師プレシアをも破った事で有名だ。

その魔力も魔法技術も戦闘技能も全てが高水準。

魔力は凡そSSランク相当、魔法技術もかつての敵が使った魔法を容易く模倣できるほど、戦闘技能は純粋な技術もそうだが勘の鋭さが異常だとされている。

グレアムと自分たち2人の3人がかりでも、優勢にはなれても、勝てるとは断言できない。

そう判断する二人を尻目に、グレアムは疲れきった表情で続ける。

 

「彼はムラマサ事件とPT事件で、テスタロッサ一家に深く関わった。

元プレシア・テスタロッサの使い魔リニスを現在使い魔にしているのは、ウォルター。

となれば、偶々足止めになった通り魔事件が解決した今、ウォルターが闇の書事件に関わるのは時間の問題だ。

今現在テスタロッサ一家は闇の書事件に深く関わっていて、抜け出させる事はできない。

保護観察者がリンディ君だからな。

アースラを闇の書事件の担当から外せばいいのだが、そうなると今度はデュランダルを扱う者が居なくなる。

仕様変更をするにもはやて君の寿命に間に合わなくなってしまう可能性がある以上、これ以上の遅延は許されないだろう」

「となると、確実にこのウォルターとかいう餓鬼は関わってくる訳ですね。

この戦闘能力だと、ツーマンセルで行動しているヴォルケンリッターだけでの相手は厳しい……どころか」

「えぇ、“仮面の男”を加えての3対1でも、勝てるかどうか……。

厄介ね、パワーバランスが崩れてしまうわ。

そうなれば、ヴォルケンリッターが萎縮して蒐集効率が下がってしまう」

 

 事実である。

リーゼロッテとリーゼアリアはSランク魔導師相当の戦闘能力を持つし、ヴォルケンリッターも前衛はニアSランクの戦闘能力を持っており、後衛もAAランク相当の戦闘能力を持っている。

しかし、SSランクというのはそれだけで勝てる相手ではない。

グレアムというSSランクの魔導師を知るがゆえの、リーゼ姉妹の判断であった。

同じ判断を持っていたのだろう、グレアムは首肯し続ける。

 

「……ヴォルケンリッターは地球から離れた地域に蒐集の場を移した。

アースラの管轄外で、誘導してヴォルケンリッター4人を集めた上で、ウォルターにぶつける事も不可能ではない。

幸い、地球に行くには第33管理世界を経由する必要がある。

事前に“事故”に遭って脱獄した魔導師との戦闘で消耗したウォルターならば、4人がかりであれば倒せる筈。

ヴォルケンリッターがウォルターの存在に萎縮し蒐集効率が下がるのは避けられないが、ウォルター蒐集分で差し引きゼロに近くなるだろう。

これで、はやて君の死期に間に合ってくれれば良いのだが……」

「逆に早くなりすぎて、デュランダルが間に合わなくても駄目、と。

私達は今度は蒐集を途中で止める役割になりそうですね」

 

 昨日捕まったばかりの通り魔の魔導師は、ウォルターを目の敵にしているのだと言う。

加えて、ウォルターは通り魔との戦闘で市民の被害をほぼゼロにしてみせた。

それらから予測するに、通り魔が“事故”で脱獄しても、被害はウォルターのみで終える事ができるだろう。

“事故”無しではヴォルケンリッター4人がかりでも勝てるか不安が残るし、“仮面の男”が参戦するのはできる限り控えさせたい。

単純に正体を隠すためにもそうだし、不意打ちでウォルターの蒐集を止めさせなければならない為でもある。

“事故”を起こすのに心苦しさが無い訳でも無かったが、最終的にグレアムはそう判断した。

ならば二人も、それに従うのみだ。

 

「了解しました、お父様」

 

 足を揃え敬礼する二人に、グレアムは前かがみに机に両肘をつき、頷く。

 

「頼んだぞ、私の可愛い娘たちよ」

 

 二人が微塵の揺るぎもなく翻り、この場を去っていく。

それに僅かに目を細めながら、グレアムはため息をついた。

“事故”の工作はもうしてある、グレアムは既に引けない場所に居る筈だ。

引けないなら引けないなりに、覚悟を決めるべきだろう。

何時もグレアムはそうしてきたし、はやてや闇の書に関する事以外で後悔を引きずった事など一度も無い。

なのに何故か、グレアムの心の内側に、理由の無い不安が渦巻いていた。

他愛のない不安だと切って捨てようにも、まるで切った所からまとわりつくかのように、不安はその量を増していく。

両肩に見えない手を置かれ、体重をかけられているかのような感覚であった。

 

「……気の所為さ」

 

 気休めの一言さえまるで効いていないかのように思え、グレアムは再びため息をついた。

 

 

 

 

 



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3章2話

 

 

 

「おぉおぉぉっ!」

 

 怒号と共に、僕の断空一閃が炸裂。

通り魔の細い肉体を僕の超魔力が駆け抜け、リンカーコアに過剰負荷をかけて意識を落とさせる。

直後、白光と共に僕のバインドが決まり、丁度そのまま倒れゆく所だった通り魔を捕縛した。

深くため息をついて腕で額の汗を拭う僕。

 

 此処は第33管理世界。

地球へ向かう際の中継ポートのある次元世界である。

昨夜クイントさんに泊めてもらった僕は、夕方までギンガとスバルの姉妹の相手をしてやって、それから地球を目指していくつかの転移ポートを通っていた。

そして翌朝未明、丁度手続きの関係でこの第33管理世界で足止めを食らい、それなら、と言う事で外を歩いていたのだが。

まさかの、脱獄した先日の通り魔との遭遇である。

幸い時間帯もあって周りに一般人が少なかったため、以前ほど苦労しなかったものの、中々に苦戦した。

いや、というか、どちらかと言えば胃に悪い戦いだった、と言うべきか。

僕がなるべく市民を守ろうとするのを逆手に、通り魔は矢鱈と市民を狙ってくるのだ。

以前と同じ手段ではあったものの、だからといって防ぎ損なった時の想像が消える訳でもなく、変わらず僕の胃を刺激していた。

 

 安堵とともにティルヴィングを待機状態にまで戻し、管理局に連絡しようと思うが、ふと視線のようなものを感じ、僕はそれをやめた。

今僕のいる場所は、廃棄区画にある廃工場の中である。

いずれ取り壊されるのを待つこの場所は、工場と言っても四方を囲まれるばかりか辺りに錆びた機械が散乱しており、あまり広いとは言えない。

通り魔との戦闘でなるべく人気のない方に誘導してきた結果なのだが、僕が全力を発揮できる場所では無かった。

とは言え、こういった場所でなければ通り魔が素直に誘導されてくれなかった事を考えると、詮なきことでもあるのだが。

とすれば、この状況はどうしようもなかった状態としか言いようが無いのだろう。

深くため息をつきながら、口を開く僕。

 

「出てこいよ、居るんだろ?」

「…………」

 

 無言で一人の20歳程の女性が現れる。

恐るべき美人であった。

ポニーテールにまとめた桃紫の髪の毛を揺らしている。

その髪の一本一本までもが窓から薄っすらと降り注ぐ陽光に輝き、まるでそれ自体が輝いているかのよう。

瞳はエメラルドのような深い翡翠色、まるで南海の澄んだ海を思わせるようであった。

加えて職人が魂を込めて作り上げたような白磁の肌に、太ももの肌が見えるような、やや装飾過剰な騎士甲冑をまとっている。

腰の鞘からは既に剣が抜き放たれており、やや古臭いアームドデバイスと思わしき刃が僕へ向けられていた。

 

「烈火の将シグナムと、レヴァンティン。

ヴォルケンリッターが将として、貴殿の魔力——貰い受ける」

「魔力を……噂の魔導師襲撃事件の犯人か?

確か全部で4人居た筈だが、一人でかかってくる気か?」

 

 返しつつ、僕はシグナムと対角線上に居る影を睨み、次いで上階から僕を狙う影を睨みつける。

奇襲の失敗に気づいたのだろう、二人もまた姿を表した。

一人は、赤を基調とした可愛らしい服を着た少女であった。

恐らくなのはらより更に年下のように思える容姿だが、その青い瞳の深さと手に持つデバイスの輝きがそれを否定している。

一人は、青を基調としたノースリーブの服を着た筋肉隆々とした男であった。

その頭蓋の左右から生えた獣耳と尻から生えた尻尾が、彼を人外であると示している。

 

「鉄槌の騎士ヴィータと、グラーフアイゼン」

「盾の守護獣ザフィーラ」

「わざわざ自己紹介しながらの登場ありがとう。

俺はウォルター・カウンタック、こいつはティルヴィングだ。

お前らみたいに大層な二つ名は無いがな」

 

 肩を竦めながら挑発気味に言うが、硬い空気は全くほぐれる事が無い。

3人ともが恐るべき真剣さで僕の事を睨みつけており、見れば薄く汗を滲ませてもいる。

恐らく先ほどの通り魔との戦闘を見ていた所為で、僕の力量を把握しており十分な緊張を保っているのだろう。

こちらも流石に見ただけでは彼ら3人の力量など分からず、闇の書云々の情報も正式にアースラに協力してからではないと教えて貰えない為、完全に不明である。

少なくとも見る限りの隙の無さは尋常の物ではなく、純粋な戦闘技術では僕でも勝てるかどうか分からない。

そんなの3人に囲まれているのだ、こっちの方が緊張して冷や汗をかきたい所である。

 

 だが、僕はウォルター・カウンタックなのだ。

次元世界最強を名乗る魔導師なのだ。

この程度の事で怯えてはいけない、と自分に言い聞かせつつ、僅かにティルヴィングを握る両手に力を込めた。

それにしても2週間前と言い今回と言い、僕は通り魔に縁でもあるのだろうか。

そんな事を内心考えつつ、僕が僅かに足を動かす。

靴裏が床の砂利を寄せ、3人の目が僅かに見開いた。

 

「……行くぞっ!」

 

 初手はシグナムであった。

紫色の三角形の魔法陣を足元に残し、空中へ飛び出す。

半回転しつつベクトルを横から縦に、恐るべき速度でレヴァンティンを振り下ろしてきた。

金属音と共に、火花が散る。

僕はティルヴィングを構え防御する、と見せかけ、力に逆らわず背後へと飛び去ったのだ。

直後にグラーフアイゼンの一撃が僕の居た場所を貫き、床板を破砕。

目を見開いたヴィータから視線を外し、僕はそのまま回転に逆らわずティルヴィングを切り上げ。

背後より迫っていたザフィーラに斬りかかるも、瞬時に防御に回られ仕留めるには至らなかった。

 

「……ぐっ、読んでいたかっ!」

「防ぎきった気でいやがってっ!」

 

 瞬間、僕は莫大な魔力を練り上げ、ティルヴィングに通す。

反射的にだろう、ザフィーラが防御魔法の白光を強めた瞬間、僕は背後に手を向けていた。

 

『切刃空閃・マルチファイア』

「なっ……っ!」

 

 ティルヴィングの磨き上げられた刃に映った二人の女性を、瞬間発動した25の直射弾が蹂躙する。

通常誘導弾なら兎も角直射弾を、背後の敵に向けて当てるのは至難の業である。

それをあっさりと、しかも大量にやってのけたのは予想外だったのだろう。

シグナムとヴィータはたまらず動きを鈍らせ、ザフィーラの精神にも一瞬の空隙が生まれる。

わざとらしい台詞はプラフで本当の狙いは女性陣、と見せかけ、その実本当の僕の狙いはザフィーラであった。

なにせ見た所、一番魔力が少ない相手だ、この不利な状況を覆すのにまず堕とすべきは彼である。

 

「カートリッジ・ロードっ!」

『断空一閃』

 

 白い魔力光がティルヴィングへと収斂。

僅かに白みを帯びた黄金の大剣が、濡れた紙のようにザフィーラの防御魔法を引き裂いた。

凄まじい勢いで下がったザフィーラであるが、それでもバリアジャケットに一筋の傷ができるのは避けられない。

そして勿論、僕の攻撃もこれで終わりでは無かった。

 

「——二閃っ!」

 

 断空二閃。

かつては腕の筋肉を断裂させながら辛うじて発動できた魔法であるが、成長した僕にならば、日に一回なら何とか後遺症ゼロで発動できるようになったのだ。

魔力強化した筋肉で無理矢理伸びた腕を動かし、袈裟に斬りかかる。

だがしかし、それは予想外の方向からの攻撃に妨害された。

 

「間に合えっ!」

『シュワルベフリーゲン』

 

 ヴィータの幼い声と同時、鉄球が僕へと向かってきたのだ。

ベルカ式で誘導射撃を持つ相手だったとは、予想外であった。

刹那、このままダメージ覚悟で敵を一人倒すか、それとも絶好のチャンスを不意にして攻撃を避けるか、迷う。

迷った時は直感頼みである。

霊感の赴くままに、僕は魔力付与斬撃の準備を解除、高速移動魔法を発動し空中へと逃れた。

僕を追って螺旋を描きつつ迫り来る鉄球に向け、掌を向ける。

誘導弾を撃って鉄球を破壊すると同時、視界の端でシグナムの魔力が高まるのが見えた。

カートリッジは床板に落ちる金属音が続く。

 

「飛竜一閃っ!」

「もいっちょ、シュワルベフリーゲンっ!」

 

 現れたのは、長大な蛇腹剣であった。

僕へ向け複雑な軌道で飛んでくる剣に加え、四方から僕を囲むように再びの鉄球が迫り来る。

加えて言えば、僕の攻撃を逃れたザフィーラも魔力を高め、不穏な動きを見せている。

絶体絶命の状況である。

が、それでもあの日、プレシア先生と戦った時程の力の差はない。

ならば勝てる。

直感でそう感じ取り、僕は一瞬眼を瞑って、そして見開いた。

極限の集中が視界をスローモーションにし、僕はその中を泳ぐようにして動きはじめる。

 

 まず僕は、ほんの一瞬高速移動魔法を発動し、その場から蛇腹剣へ向かって前進した。

後方でザフィーラの物と思わしきバインドがいくつか空振るのを感じつつ、僕は蛇腹剣へ向かってティルヴィングを突き出す。

縦横無尽に回転しながら迫る剣先に平行になるよう、僕はティルヴィングを突き入れた。

直後、垂直の力を加え、レヴァンティンを滑らせるようにして僕から逸らす事に成功する。

ついでにレヴァンティンの滑りゆく先を調節し、鉄球を2つ撃ち抜かせた。

爆発音と共に、魔力煙が背後で発生する。

次ぐ剣戟で残る鉄球を破壊しつつ、僕は目を見開くシグナムとヴィータの前へと突貫する。

 

 質量が少ないが故に、弾かれれば目標に当てる事が困難になるのが蛇腹剣の弱点だ。

それ故に複雑な軌道を描き読みきらせないよう動くのだが、僕の前でこの程度のスピードなら読みきる事は容易。

しかし今回は弾いても、その隙に鉄球を食らってしまうという欠点があった。

故に突き出すだけでという次の攻撃に繋げられる動作で、蛇腹剣を滑らせるような軌道変化をさせたのだ。

 

「断空——」

『——一閃、発動』

「がっ!」

「ぐっ!」

 

 直後、カートリッジをロードし白光をティルヴィングにまとわせ、横薙ぎの斬撃をシグナムとヴィータへと叩きつける。

腰だめから横に振られたティルヴィングは、工場の機械を切断しつつ二人の防御魔法に激突。

流石に二人がかりの防御魔法を破る事はできなかったが、二人を機械やベルトコンベアーに巻き込みつつ吹っ飛ばす事には成功した。

悲鳴と共に血を流しながら転げていく二人に、更に僕は剣を担ぎ突進。

二人の目前についたと思ったその瞬間、白いバインドが僕を縛ろうとする。

 

「安易な動きだ、油断したなっ!」

 

 と叫ぶザフィーラのバインドは、しかし空を切った。

魔力に触れて僕のフェイクシルエットは圧壊。

同時、ザフィーラの目前にまでたどり着いていた僕の、オプティックハイドが解ける。

 

「——安易な動きだと思って、油断しただろ?」

「……ぐっ!」

 

 咄嗟に両腕で十字防御をするザフィーラの頭上に、僕の兜割りの一撃が叩きこまれた。

バリアジャケットの手甲が破裂、露出した肌にティルヴィングが激突。

しかし咄嗟に後方へ飛んだのだろう、少ない手応えのままザフィーラは吹っ飛んでいく。

丁度その先にあった階段に激突、潰れた蛙のような悲鳴を上げた。

 

「まだまだァっ!」

 

 次いで僕はザフィーラに袈裟に斬りかかる。

辛うじてバックステップで避けるザフィーラだが、代わりに階段が寸断されて落ちていった。

胴、逆袈裟、表切上。

次々に銀閃を走らせ、僕はザフィーラに傷をつけながら、落ちてゆく階段を蹴り進む。

怒涛の勢いで進む僕らが階段の踊り場に達した時、ザフィーラはバック宙と飛行魔法で背後の壁に膝をついた。

 

「調子乗ってんじゃねーぞてめぇっ!」

 

 ヴィータの咆哮と共に、ジェット噴射の排気音。

空中で2回3回と回転し、その遠心力を持ったまま僕を壁に叩きつけようとしてきたのだ。

当然僕も飛行魔法を発動、上空へ向けて飛び出すと、そこにはシグナムがレヴァンティンに炎をまとわせながら待っていた。

背後でヴィータが工場の壁をぶちぬくのを感じつつ、僕もまた、カートリッジをロードしつつ上空へ向けて突っ込んでいく。

 

「紫電一閃っ!」

「断空一閃っ!」

 

 激突。

勝利したのは、僕の断空一閃であった。

弾かれたレヴァンティンは回転しつつ上空へ、工場の天井に突き刺さる。

目を見開いたシグナムへ向かって僕は次ぐ斬撃と叩きこみにいく、とみせかけ一旦横に離脱。

寸前まで僕の居た場所を白いバインドが捕縛するのを視界の端に、高速移動魔法を発動する。

目標はすぐに我を取り戻し、レヴァンティンを取り戻そうと上空へ向かうシグナムである。

 

「させるかぁ——っ!」

 

 すぐに高速移動魔法を持つ僕が追いつくかのように思われたが、飛んできたヴィータが邪魔をしてきた。

受け流しつつ背中に蹴りを入れ壁に向かって突っ込ませ、すぐにシグナムを追おうとするも、距離が空いてしまい追いつけそうにない。

仕方なしに掌を向ける。

 

『切刃空閃・マルチファイア』

「ておぉおおぉぉっ!」

 

 直射弾を15発ほど打ち込むと同時、今度は下方からザフィーラが向かってきた。

拳の部分しか残っていない手甲で拳を打ち込もうとしてくるが、剣と拳では迎撃は容易である。

が、僕は翻るように一つ上空に身を置くようにして、ザフィーラの攻撃を避けた。

同時、ザフィーラ自身も効果範囲に含めた、自爆行為に近いバインドが彼を拘束する。

舌打ちと共にバインドを解こうとする彼を尻目に、僕はシグナムに向かって直進。

見ればやっとレヴァンティンを手にしたシグナムが、辛うじてこちらに向かって構えたのが目に入る。

 

「おぉおぉぉっ!」

『パンツァーガイスト』

 

 絶叫と共に、僕はティルヴィングを振り下ろした。

シグナムごと廃工場の天井を破壊。

手応えが妙に硬くて目を細めるが、煙の中を飛行魔法で突き抜け、上空へと踊り出る。

誘導弾で追いかけてくる鉄球を落としつつ見れば、シグナムは全身を紫色の魔力光で包んでいた。

恐らく普通体の一部だけで発動する防御魔法を、全身に発動させ、僕の攻撃を防御したのだろう。

妙な手応えに納得している僕を尻目に、すぐさま眼下の廃工場からヴィータとザフィーラが飛び出てきて、シグナムの横に並ぶ。

僕を除く3人は、いずれも肩で息をしていた。

 

「まさか、我らを相手に善戦どころか圧倒してくるとは、貴様本当に人間か?」

「よく言われるし、偶に自分でも自信が無いが、一応人間だぞ」

 

 “家”の研究所出身なんで、純粋な人間ではないのかもしれないが。

内心でそう続けつつカートリッジを補給する僕に、戦慄の表情でヴィータとザフィーラが続ける。

 

「シグナムと互角以上の剣技にあたし以上のパワーに、凄まじい見切り……とんでもないな、お前」

「俺のバインドも、結局一度も捕まらず、か……」

 

 とくっちゃべる3人に、僅かに違和感を抱く僕。

こういう騎士前とした魔導師は、通常口先で矛を交わすのをさほど好んでいない筈だ。

剣技や槌技も正統派の技だったので、余計に違和感が強い。

念の為、バインドを隠蔽発動。

あまりバインドは得意ではないので戦闘中に使うような練度は僕にないが、激しい動きを伴わない今なら可能だ。

バインドを形成しつつ、僕も口先の戦いに乗る。

肩を竦めながら、続ける僕。

 

「敵に褒められる事程、気持ち悪い事はねぇな。

見たところ古代ベルカの騎士みたいだが、口先で戦うのが正統なベルカの騎士なのか?」

「ふん、貴様こそ口先は剣ほど上手く扱えないのか?」

 

 挑発に乗らずに返してくるシグナム。

プライドが高そうに見えたので乗ってくるかと思ったが、意外である。

 

 ふむ、と僕は少し状況を整理する。

現在有利なのは圧倒的に僕である。

身の丈ほどあるティルヴィングの所為で工場内では行動を制限されていた僕は、こうやって上空に来たことで自由に戦えるようになった。

更に体力的・魔力的な消耗の度合いにしても、見目の限りでは僕が有利。

問題は、未だ相手の逃げ道も確保できている事である。

今の僕なら目の前で転移魔法を始められれば、例えナンバー12の使っていた高速転移魔法であっても妨害できる。

しかしそれが3人同時、しかも見えない4人目によって予め詠唱されていたとすれば、妨害するのは困難である。

故に僕は、どうにかして4人目を引っ張りださねばならないのだが。

 

 とりあえず僕は、そのままシグナムらの思惑に乗る事にした。

獰猛な笑みを浮かべつつ、口を開く。

 

「生憎、俺は次元世界最強の魔導師。

口先も下手とは言わねぇが、次元世界最高とまでは言えねぇな」

「最強とは、大きく出た物だな」

「あたしらたった3人を相手に倒しきれない奴が、最強だって?」

 

 流石に苦笑気味に言うシグナムにヴィータ。

ザフィーラは無言でこちらを見るばかりである。

素直に取ればザフィーラはバインドの隙を狙っていると言う所か。

僕は大きく肩を竦め、鼻で笑いながら言う。

 

「おいおい、一撃も俺に攻撃を通せない奴らが言う台詞か? それって」

 

 流石に、ヒクリと3人は顔を強張らせた。

事実である。

3人とも僕から数回の攻撃を受けているが、僕は未だ無傷であった。

しかも僕の真骨頂である狂戦士の鎧を用いた戦闘はまだ見せていない。

 

「そうだな、確かに貴様は一撃も攻撃を食らってはいない……」

 

 俯き気味に、シグナムが続ける。

同じようにヴィータもザフィーラもが俯き気味になり、僕の背筋に悪寒が走った。

直後、叫ぶシグナム。

 

「今この瞬間まではなっ!」

 

 同時、僕の腹に魔力反応が生成する。

女性の物と思わしき手が空間を渡って現れて、僕のリンカーコアを摘出。

それを握りしめようとした、まさにその瞬間であった。

白光と共に、その手が僕のバインドに捕まった。

 

「……なっ!?」

「……えっ!?」

 

 疑問詞を上げる奴らと同時に、僕はティルヴィングから手を離し、出てきた手首のバインド隣の辺りを掴む。

同時、女性の手が僕のリンカーコアを掴み、僕の脳を激痛が犯した。

視界が真紅に染まるかのような激痛。

許されるならばもがき苦しみたい程の痛みだが、耐えれないほどではない。

以前プレシア先生に死ぬ数歩手前の大怪我をさせられたまま戦った経験が、僕を痛みに強くしていた。

 

「捕まえ……たぁぁぁあっ!」

 

 即座にそれを引っ張りあげ、肩口までこちらへと引っ張りだす。

きゃあぁあ、と女性の悲鳴が、その空間を繋げるワームホールのみから聞こえる。

矢張り4人目の魔導師は、結界の外から僕に致命的な一撃を加えようと待っていたのだろう。

僕はそのまま、女性の手首を捕まえた手に魔力を集める。

白光の弾丸を、直接女性にぶち込んだ。

 

『切刃空閃』

「あぁああぁっ!?」

 

 通常なら吹っ飛んでしまうものが、バインドで固定されているために、全衝撃を吸収してしまうのだ。

しかも、直射弾とは言えゼロ距離での攻撃。

かなりのダメージだろうが、流石に騎士を名乗る一員だけある、僕のリンカーコアから手を離しはしない。

 

『切刃空閃』

「あぐ、ぐうぅぅっ!」

「くっ、シャマルっ!」

 

 と、二発目を打ち込んだ所で、衝撃から立ち直ったシグナムが突進してきた。

怒り故にか、レヴァンティンを兜割りの要領で打ち込んでくる。

僕はティルヴィングを片手で斜めに構え、単純な軌道の攻撃を受け流し。

流石に手首に来る負担が半端では無いが、どうにか耐えると同時にシグナムが叫ぶ。

 

「シャマル、旅の扉を広げ全身を出すんだっ!」

 

 同時、幾つかの事が起こった。

シグナムが旅の扉と呼んだワームホールが広がり、4人目のシャマルとかいう女性が現れた事。

一対の鉄球が僕を狙い、前方と後方から打ち込んでこられた事。

ザフィーラのバインドが僕を襲ってきた事。

僕はどうにかシャマルをこの場に引きずり出せた事に満足し、その手とバインドを開放する。

同時に高速移動魔法でバインドを避け、こちらに突っ込んでくる鉄球を誘導弾で破壊した。

ようやく消えた痛みに、深く安堵のため息をつく。

見ればシグナムはシャマルを抱えて後退、4人で集まって陣形を作っている。

 

「ようやっと4人目の参戦か……、これで後ろから打たれるのを気にしなくて済むか」

 

 シャマルは、20代前半とおもわれる容姿をしていた。

輝く金髪に真紅の瞳、デバイスと思わしき指輪をしている。

緑を基調としたゆったりとした服をまとっており、左手には黒い表紙の本型のデバイスを持っていた。

デバイス2つ持ちなのか、それともあれが闇の書と呼ばれるロストロギアなのか。

目を細める僕に、シグナムが歯噛みする。

 

「まさか……、シャマルの旅の扉を予想していたと言うのか……」

「さて、お前はどうだと思う?」

 

 肩を竦めながら言うが、勿論そんな訳がない。

僕の知る補助系魔導師のできる妨害魔法に備えて幾つかバインドを用意した物が、偶々上手くハマっただけである。

事実、僕もシャマルを抱えたシグナムを追撃できた筈なのに、びっくりして逃してしまった。

といっても、そんな事わざわざ言う必要も無いので、戦慄した表情のヴォルケンリッターには黙っておく事にする。

 

 さて、これでとりあえずすぐには逃げられないようにはできた。

となれば今度すべき事は、改めての観察である。

と言っても、分かった事は少ない。

彼らがヴォルケンリッターと名乗る4人の騎士であり、魔力量や外見に比してかなり高い戦闘経験と技術を持っている事ぐらいか。

瞳の色からも、義務的にか己からか仕方なくか、どんな気持ちで僕から魔力を取ろうとしているのか読み取れない。

というのも僕が強すぎて、強者に挑む騎士の性として、燃え盛る闘志を秘めた目にしか見えないのだ。

これが弱者や格下相手ならば、その色から感情を読めたのかもしれないが。

仕方なしに、僕は口を開いた。

 

「やれやれ、とりあえず逃げ道を塞いだんで聞くが……、魔力を頂くっていうのはどういう事だ?

さっきは俺のリンカーコアを摘出して魔力を取ってたみたいだが……

話を聞かせてもらえないか?」

 

 シャマルがゼロ距離直射弾に耐えつつも僕のリンカーコアを握りしめていた為、大分魔力を取られてしまった。

これは短期決戦で行かねばな、と頭の片隅で思いつつも、一応口で対話してみる事にする。

なにせ、僕の理想は本当の自分に気づけない奴らに、本当の自分を見つめさせる事なのだ。

彼らが何を考えているのか、何をしようとしているのか、知らずにはそれはできない。

少なくとも正統派の騎士の技を収めている彼らが、何の理由もなく人を傷つけているようには思えなかったのだ。

 

 一瞬、ヴォルケンリッターの面々は目を瞬き、呆然と見合った。

それから僕に向き直り、微笑みを見せる。

 

「襲ってきた相手に理由を聞いてくるとは、あの子らを思い出すな……」

「ったく、高町なんとかみてーな事言ってくるたぁな」

「フェイトちゃんも、よね」

 

 しかしそれも一瞬、すぐさま鋼鉄の表情となり、透き通った氷のような冷たい目で僕を見つめた。

 

「だが、我らヴォルケンリッターの願いは闇の書の完成、ただそれのみだ」

「闇の書はリンカーコアを蒐集する事でページを埋める事ができる」

「だから貴方を襲った、それ以外に理由なんて無いわ」

 

 内心、舌打ちする。

流石に戦闘における人生経験豊富なだけはある、明らかに格上の僕相手に精神的隙を見せる真似はされなかった。

このまま戦っていても、彼らは理由を口にはしないかもしれない。

僕の霊感と言うべき部分がそう言っていた。

となれば、すべき事は一つである。

 

「ならとりあえず、ぶちのめして捕まえてから、ゆっくりと聞くとするか」

 

 僕はティルヴィングを構え直し、ヴォルケンリッターを睨みつけた。

シグナム、ヴィータ、ザフィーラは各々の武器を構え。

シャマルは後方のビルにまで下がって着地し、闇の書と思わしき本を手放す。

ダメージを受けた右手をダラリと垂らしながら、左手でいつでも支援魔法を使えるよう構えた。

 

 肩で息をする3人の呼吸をじっと見つめる。

揺れる3人の呼吸が重なり、全員が息を吐いた瞬間を狙い、僕は飛び出した。

遅れて超速度による衝撃波が砂塵を舞わせる。

全身に白光を纏った僕は、一直線にシグナムへと突っ込んだ。

 

「おぉぉぉおぉっ!」

 

 怒号と共に、縦にティルヴィングを叩きこむ。

外だからこそ出せる超速度での剣戟に、シグナムは驚愕と共に体ごと剣を下に弾かれた。

そのまま第二撃を切り上げれば勝てるのだが、残念ながら両隣に居る騎士と守護獣がそれを許さない。

縦に振り下ろされた槌と襲ってくるバインドを、後方に高速移動魔法で避ける。

ほんの人一人分の後退と同時、僕は振り下ろしたままだった剣を跳ね上げ、無防備なヴィータを狙った。

 

「か、ふ……っ!」

 

 肺の空気を吐き出しながら、すっ飛んでいくヴィータ。

そこに瞬間発動した直射弾を10発ほど打ち込むと同時、剣先に曲線を描かせ、今度は逆袈裟に大剣を振り下ろす。

辛うじて間に合ったザフィーラの白光の防御魔法の上から、ティルヴィングが叩き込まれた。

三角形の魔法陣ごと、先ほどの会話の間に回復していた手甲を再び破壊、破片を散らしながらくぐもった声を漏らしつつザフィーラが後退する。

重傷とまではいかなくとも、かなりのダメージだ。

そのままシャマルの元に行くザフィーラを、しかし僕は見逃す。

 

「ぐっ、紫電一閃!」

「カートリッジ・ロードっ!」

『イエス、マイマスター』

 

 薬莢が跳ねると同時、僕の切り上げる断空一閃とシグナムの切り下ろす紫電一閃が交錯。

炎熱を白光の純魔力が切断、レヴァンティンを再び弾くも、今度こそシグナムは剣を手放さない。

しかし代わりに大きく体勢を崩した上に右腕を痺れさせたようで、レヴァンティンを握る手は左手のみだ。

そこに追撃できれば勝ちである。

 

「こんのぉぉおっ!」

 

 が、突進してくるヴィータと彼女が放つ4つの鉄球がそれを許さなかった。

即座にこちらも誘導弾を生成、相殺しつつ、兜割りの一撃でヴィータを迎え撃つ。

火花が散り、僕とヴィータの視線が交錯した。

しかし拮抗は一瞬、僕の斬撃がヴィータを弾き、大きく体勢を崩させる。

通常ならばここでバインドが来るのだが、ザフィーラはシャマルの回復魔法を受けている途中、残るはシグナムしか居ない。

自然、彼女は残る片手でレヴァンティンを繰る他無かった。

 

「く……おぉぉっ!」

 

 絶叫と共に横薙ぎに振るわれる剣は、しかしその気迫に比して弱々しかった。

半回転しつつ僕が放つ斬撃は容易くレヴァンティンを壊しつつ弾き、その奥にある胴体をついに捉える。

激突。

同時、体をくの字に折り肺の空気を吐き出すシグナム。

辛うじて意識だけは保ったそこに、残酷な宣告の機械音が告げられた。

 

『切刃空閃・マルチファイア』

 

 僕の最大瞬間発動数、つまり25発もの直射弾がシグナムに殺到。

さながら獲物に蜂が集るかのように白光が炸裂する。

 

「おい、てめぇぇっ!」

 

 絶叫しながらグラーフアイゼンを振るうヴィータに、即座にティルヴィングを振り回す。

といっても、結果は先程の交錯を繰り返す事となった。

再び弾き飛ばされるヴィータを尻目に、視界の端に映るシグナムは、気を失ったまま工場の屋上へと墜落していっていた。

慌てて駆け寄るシャマルが居るので、墜落死は無いだろう。

と、その瞬間僕を白光が包み、拘束しようとする。

既の所で高速移動魔法を発動、避けきると、その先には回復したザフィーラが拳を構え待っていた。

 

「ておぉおおぉぉっ!」

 

 獅子の咆哮と共に突き出される拳は、なるほど見事な物であった。

高速移動魔法の終わり際に設置するように突き出された拳は、いかに僕であっても避ける事は難しかっただろう。

というのは、高速移動魔法は連続使用ができず、終わり際に一瞬隙ができてしまうからだ。

それに高速移動魔法は直線でしか動けないので、軌道だって読みやすく、本来なら多用すべき魔法ではない。

——通常ならば。

 

『狂戦士の鎧、発動』

 

 僕の体を覆うバリアジャケットが、一瞬で僕の全身に根を張る。

と同時、僕は高速移動魔法で曲がった。

勿論過剰なGが全身を軋ませ、通常ならばその後動く事もままならないが、狂戦士の鎧が不可能を可能にする。

そのまま僕はザフィーラの背後に出現、薬莢を排出しつつ叫ぶ。

 

「断空一閃っ!」

「が……っ!」

 

 無防備なザフィーラの背に、超魔力を宿したティルヴィングが激突。

袈裟懸けに臓腑を切り裂く一撃が魔力ダメージに転換、ザフィーラの意識を落としながら地面へと叩き落す。

一応、狙ってシャマルの方に撃ち落としたのだ、死ぬことは無いだろう。

次いで僕は半身になりつつ剣を斜めに、篭手で受けつつ、背後から急襲してきたヴィータの一撃を受け流した。

舌打ちしつつ下がろうとするヴィータだったが、一対一になった以上逃すつもりはない。

 

『踊剣小閃』

 

 機械音と共に5つの直射弾を発動、それを纏いつつヴィータへと突っ込む僕。

それを見てヴィータは、迎撃ではなく防御を選択、グラーフアイゼンを構えながら叫ぶ。

 

「アイゼンっ!」

『パンツァーヒンダネス』

 

 と、ヴィータの全身を覆う赤い水晶体のようなバリアが出現。

確かにヴィータの誘導弾には鉄球を生成・グラーフアイゼンで打ち出すの2ステップが必要だ。

ここで防御と言うのは最善に近い選択肢だが、それでも僕には通用しない。

瞬時に僕の誘導弾は結界の一面に集中して激突、ヒビが入ったそこに僕の斬撃が重ねて襲い掛かる。

通常斬撃とは言え超常の魔力を込められた一撃は、容易くヴィータの防御魔法を叩き割った。

目を見開くヴィータの目前で僕はティルヴィングを担ぐようにし、そのまま全力で振り下ろす。

グラーフアイゼンでの防御すら間に合わず、僕の斬撃はヴィータの肩口から斬りかかる。

 

「……っ!」

 

 声にならない悲鳴を上げ、襲いかかる魔力ダメージにヴィータが意識を明滅させた。

辛うじて意識を繋ぐ彼女だったが、次ぐ僕の回転蹴りがその腹に突き刺さる。

こちらも再び、先の屋上へと吹っ飛んでいった。

ヴィータちゃん、と言う悲鳴と共に土煙が止んでいく。

僕もそれを追いかけ、工場の屋上へと飛んでいった。

屋上では、シャマルが範囲回復魔法の中に3人を入れ、両手を広げ3人を守るようにして立ちはだかっていた。

 

「……くっ、これ以上3人を傷つけさせはしないわっ!」

「バインドで捕縛させてもらえるなら、別にそれでも構わねぇよ。

悪いようにはしねぇ、管理局にもいくつかコネがあるからな、突き出してほいサヨナラとは言わないさ」

 

 刹那、シャマルの顔に迷いの色が現れた。

本来ならば彼女らもバインドで捕まえれればそれが一番良かったのだが、バインドは元々ミッド式の魔法である。

近代ベルカ式の術者である僕もある程度バインドは使えるが、今回のような高位魔導師相手に戦闘中に使えるほどの練度は僕には無い。

そんな事を考えながらバインドを構成しつつ、数歩シャマルの方に近づいた、まさにその瞬間である。

背筋を悪寒が駆け巡った。

咄嗟にティルヴィングで防御をすると同時、凄まじい衝撃に僕はふっ飛ばされてしまう。

が、悪寒はまだ消えない。

 

「ぐ……おぉぉっ!」

 

 絶叫と共に、魔力を収束させずに全身から放出。

直後に現れた青色の四重バインドを安定構成させずに破壊する。

しかし危なかった。

感じる魔力も構成も、今まで見たバインドの中では最高峰の物であった。

流石の僕でもあれに捕まったら敗北を喫していただろう。

冷や汗をかきつつ襲撃者を見ると、襲撃者は仮面をかぶった戦士であった。

青髪に青と白を基調とした服、成人と思わしき背丈に四肢の長さ。

どこか獣じみた感覚を覚える人間であった。

 

「……闇の書の力で仲間を回復させろ」

 

 はっ、と目を瞬いたシャマルは、すぐに緑色の魔法陣を展開、何やら詠唱を始める。

邪魔したい所だが、目前の仮面の戦士の動きに警戒を解けず、動くことができない。

あの時僕は、寸前までこの戦士の接近にすら気づく事ができなかった。

加えて奴は、一瞬の攻防で見るにザフィーラ以上の体術の使い手である。

更に言えば、感じる魔力はこの場で僕に次いで多く、更に一瞬で四重ものバインドを繰り出す実力。

間違いない、仮面の戦士はオーバーSの実力者だ。

うかつに動けないが、かと言って待っていればヴォルケンリッターに回復されるだけ。

覚悟して動こうとした、その瞬間である。

 

「闇の書よ、守護者シャマルが命じます。

仲間を癒す力を今ここにっ!」

 

 膨大な魔力が、シャマルの持つ闇の書から放たれた。

魔力炉の供給を受けたプレシア先生並の魔力である。

思わず目を見開く僕を尻目に、黒い魔力光が明滅。

数瞬の後に、倒した筈の3人のヴォルケンリッター達が、頭を抱えながら起き上がる。

あんまりな事態に、思わず僕は叫んだ。

 

「って嘘だろ!? 回復って、全回復かよ!?」

 

 そう、ヴォルケンリッターらは見たところ傷一つ残っていないし、感じる魔力も全回復しているように思えた。

せいぜい立ち上がれるようにするぐらいだと思ったのだが、ロストロギアに常識は通じないと言う事か。

思わず顔をひきつらせながら、僕は改めてティルヴィングを構え直す。

そんな僕に、なんとも言えない表情でシグナム。

 

「……ちっ、また助けられたのか。

4人がかりで襲って言う話ではないが、すまないな、横槍が入ってしまった、ウォルター」

「本当に言う話じゃねぇがな……」

 

 と言いつつ、僕は目を細める。

正直言って、本音は流石に負けそうで怖い。

このまま帰ってくれないかなー、と仮面の戦士に視線をやるが、構えを解く様子はなく、明らかに戦闘継続の意思を見せている。

当たり前の事実に、ため息をつきたくなった。

 

 ならば僕は負けるのかと言えば、しかしそれも微妙な線である。

未だ仮面の戦士の実力は不明瞭であるし、そもそも僕には最近作ったばかりのティルヴィングのフルドライブモードがある。

それに狂戦士の鎧だってまだほんの僅かしか活用しておらず、全身はちょっと痛いぐらいで済んでおり、まだまだダメージを受けても戦闘継続は可能だ。

魔力こそ旅の扉からの蒐集で大分削られて心許ないが、心配と言えばそのぐらいである。

 

 僕は深呼吸をして、動揺した心を落ちつけた。

波紋一つない水面のように心が沈みきった頃、僕はティルヴィングに念話で問う。

 

(なぁ、ティルヴィング、僕はかつて自分の事をなんと言った?)

(俺は負けない、誰にも、何にもと。

そして最強の魔導師であると)

 

 そう、その通りである。

僕はプレシア先生を助ける時、心のなかで燃え盛る炎に身を任せ、そう叫んだのだ。

なのはらに心配をかけたくなくて叫んだという割合が多く、本気で心の底から自分を最強だと思っていた訳ではない。

けれど、僕は一度そう宣言してみせたのだ。

ならばその言葉ぐらい守って見せたいじゃあないか。

そう、僕は負けたくないのだ。

 

 大体、僕の唯一の信念らしい物を守る為には、ヴォルケンリッターの本音を引き出さねばならない。

鋼の表情で感情を覆い尽くす事に長けた彼らから言葉を引き出すには、戦いの中では不可能だろうと僕は直感している。

ならば僕は彼らに勝ち、その上で話を聞かせてもらわねばならない。

そう、僕に負ける事は許されないのだ。

 

 負けたくない。

負ける事は許されない。

その2つの気持ちが合わさったのは、プレシア先生との戦い以来であった。

あの時のような、心の底から燃え盛る炎が僕の身を焼く。

今なら見開いた目から、物理的な波動すら出せるかのような気分だった。

 

「しかし、丁度いいな」

「……何?」

 

 僕は思わず漏らした言葉に、シグナムが返す。

それに僕は不敵な笑みを浮かべながら、UD-182ならこんな言葉でも言うだろう、と言う言葉を続けた。

 

「5対1……それが丁度いいハンデだって、言っているんだよ」

 

 残る僕の魔力が、爆発するかのように膨れ上がった。

そしてすぐに僕の全身に収斂、研ぎ澄まされた刃のように変化する。

誰かが生唾を飲み込む音が、複数聞こえた。

 

「……行くぞおぉおぉぉっ!」

 

 絶叫と共に、僕の足元に白い三角形の魔法陣が出現。

それに反発するかのように、僕は5人の居る場所に突進していくのだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「うぉおぉぉっ!」

「たぁぁぁあっ!」

 

 絶叫と共に、ウォルターとヴィータのデバイスが激突。

しかしグラーフアイゼンは容易く弾かれ、ウォルターはそのまま空中で回転する。

そのままの勢いで、背後から忍び寄っていたシグナムの剣戟を弾いた。

直後その場から弾かれるように動き、白いバインドを回避。

続く仮面の戦士の多重バインドを次々に避けつつ、5人に向かって大量の直射弾をばら撒く。

後衛として働いているシャマル、ザフィーラ、仮面の戦士はなんとかそれを避けたり相殺できるが、距離の近い前衛はそうもいかない。

シグナムはレヴァンティンと鞘の二刀流でどうにか防ぎきる。

視界の端では、ヴィータが数発食らってしまったのだろう、肩で息をしながら顔をしかめている。

 

 駄目だ、とシグナムは思った。

加わった仮面の戦士は実力者だが連携はとれておらず、総合的な戦力は少し上がっただけにすぎない。

先程までは4対1で圧倒されていたのだ、5対1となっても劣勢は覆せなかった。

どうにかして戦闘開始時のような閉所に押しこめば五分五分まで持ち込めるかもしれないが、ウォルターはそれをさせてくれるような生易しい相手では無いだろう。

同様に闇の書による回復魔法を何度か打てれば粘り勝ちできるかもしれないが、それも許されないに違いない。

ならばどうするのか。

ウォルターを取り囲んだまましばし思案し、シグナムは仲間に念話を通じさせた。

 

(……聞こえるか、皆。

ウォルター相手では、我らにあの仮面の戦士を加えても、恐らくは勝てない。

逃げる他、道は無いだろう)

(でもシグナム、ウォルターはそう簡単に私達を逃してくれるかしら?)

 

 シャマルの問に、シグナムは僅かに目を細める。

そう、ヴォルケンリッターにとってはウォルター相手に逃げることすらも難しかった。

一人ひとりが転移魔法を展開する余裕はまず存在しない、故にシャマルが集団転移魔法を発動させるしか無い。

しかしそれすらも、シグナムら3人を相手にしつつシャマルに牽制の直射弾を撃つウォルター相手では難しかった。

ならば、とシグナムは考える。

 

(多重転移魔法ではなく、単一の転移魔法ならどうだ?)

(……できるけれど、簡単に追跡されちゃうわよ?)

(術式が消えるまで仮面の奴が足止めしてくれる、って訳は無いか……)

 

 そう、単一の転移魔法であればウォルター相手であっても逃げ出すこと自体はできる。

しかし普通の魔導師であっても単一転移魔法であれば追跡できるし、転移魔法での追いかけっこになれば管理局にも補足されてしまうだろう。

何故転移魔法を追跡できるのかと言うと、少しの間残留した転移魔法の術式を読み取る事が可能だからだ。

故にシグナムは、こう結論づける。

 

(いいや、足止めを行うのは正解だ。

ただしやるのは、私とザフィーラとでだがな)

(——っ!)

 

 息を呑む音が、3つ聞こえた。

すぐさまヴィータが、顔を険しくしながら叫ぶ。

 

(こんの大馬鹿っ!

そんな事してはやてが喜ぶとでも思ってるのかよ!?

大体、なんで将のシグナムが足止めに残るんだよ、そこはあたしの出番だろうが!)

(そも、此処で全員捕まれば、闇の書の完成は不可能になる。

そうなれば主はやての命は無い。

優先すべきは、我らの命より主はやての命、これはいいな?)

(ぐっ……そりゃ、そうだけど!)

 

 苦虫を噛み潰したような顔をするヴィータを尻目に、鋭い目付きとなったシャマルが口を開いた。

 

(でも、残るのがヴィータちゃんなのは何故?

私が居ないとそもそも逃げられないから、私が逃げる事は解るんだけど)

(レヴァンティンのダメージが大きいからだ)

 

 と言いつつ、シグナムは自身のデバイスを見つめた。

幾度と無く超魔力を纏ったティルヴィングと打ち合ったレヴァンティンは、全体にヒビが入っている。

なるべくウォルターの攻撃を受け流すような事にしか使っていないから機能停止にまでは至っていないが、恐らく全力の紫電一閃に耐えれるのはあと数合。

自動修復機能を働かせたとて、完治まで数日かかる事は目に見えている。

対しヴィータのグラーフアイゼンは、回避される事が多かった分ダメージは少なく、半日もすれば完全回復できるだろう。

はやての命があとどれだけ持つか分からない現状、数日とは言え時間を無駄にする事はできない、というのがシグナムの判断であった。

 

(それは、そうだけど……!)

 

 尚も言い募ろうとするヴィータであったが、言葉につまり、無言で泣きそうな目になりシグナムを見つめた。

その様相に、シグナムは心苦しく思うと同時、僅かに温かい物を感じる。

シグナムらヴォルケンリッターは、ただの魔法生命体である。

故に感情らしい感情を持つ事無く、ただ戦闘のみに明け暮れる毎日を送っていた。

それはどんなマスターが主である時も同じで、少しでも思考を過去にやれば、血と魔力煙に満ちた光景が簡単に思い浮かべられる。

 

 だが、八神はやてが主となった時に、それらは全て変わった。

はやては、騎士達に心をくれたのだ。

驚くほどに安らかな日々であった。

確かに主に忠誠を誓っていたあの日々の中で、今まで自分が何に駆り立てられて戦っていたのか、それすらも判らなくなるぐらいに。

敵を貫く瞳は、主を見守る暖かな瞳となり。

血飛沫を浴びる体は、足の不自由な主を助ける体となり。

命を散らす剣は、近所の子供に守る力を与える剣となり。

全てが温かみを帯びた、心に春を芽生えさせる何かへと変わっていったのだ。

 

 以前であれば、合理的な判断にヴィータは無表情で頷くだけだっただろう。

だが、今のヴィータの、泣き縋るようなあの瞳はどうか。

まるで人間のように感情豊かではないか。

それを思うと、主であるはやての偉大さが身にしみるようだった。

故にシグナムは、はやての命を守るために、自らを犠牲にする事も厭わない。

例えそれが、主が願わぬ事であったとしてもだ。

 

(悪いな、後は頼んだぞ、ヴィータ、シャマル)

(……ぁ)

(シグナム、ザフィーラ、貴方達こそ武運を)

 

 そう一方的に告げ、シグナムはウォルターの周りを旋回、ザフィーラと共にシャマルとヴィータの前に出る。

ウォルターが目を細めるのと同時、シグナムは口を開いた。

 

「レヴァンティン、ロード・カートリッジ」

 

 薬莢を排出しつつボーゲンフォルム、弓へと変化したレヴァンティンを、肩の高さまで持ち上げる。

再びのカートリッジ使用と共に、シグナムは矢を形成。

弓を引きながら、ウォルターへ向かって構える。

隣ではザフィーラが静かに魔力を溜め、巨岩のような存在感を醸し出していた。

それを見て訝しげな顔をするウォルターであったが、すぐさま眼の色を変え叫んだ。

 

「なんだ……? いや、まさかっ!」

「行けっ、二人共っ!」

 

 ザフィーラが叫びつつ、鋼の軛を発動。

近くのビル群から数々の白く太い針が飛び出て、ウォルターを拘束しようと次々に伸びる。

限界を超えた魔力の使用により、ウォルターを拘束しようとする鋼の軛は凡そ50近く。

流石のウォルターも上空に逃れる他に避ける方法は無く、動きを制限させる。

その結果を見る事なく、シャマルは転移魔法を発動。

僅かな術式残滓を残し、シャマルと目を潤ませたヴィータが消えた。

 

「ちっ、逃すかよっ!」

 

 叫びつつも、鋼の軛に追われるウォルターは真っ直ぐ上に行く他に行動のしようがない。

と思われたが、逃げつつもウォルターはカートリッジをロード。

薬莢を落としつつ、ティルヴィングを二叉槍に変化させ、叫んだ。

 

「行くぞっ!」

『突牙巨閃、発動』

「くっ! シュツルムファルケン!」

 

 真っ直ぐにシグナムを狙ってきた攻撃に、既に攻撃準備に入っていたシグナムは相殺以外の防御方法を持たない。

故にシグナム最大の魔法であるシュツルムファルケンを発動、カートリッジ2つ分の魔力を食い尽くし、超常の魔力を纏った矢を放つ。

超速度で進む矢と砲撃が激突。

シュツルムファルケンはウォルターの突牙巨閃を切り裂き進むも、照準が大きくズレて見当違いの方向へ行ってしまう。

術後硬直でウォルターとシグナム、双方に隙ができた、その瞬間である。

 

「はっ!」

 

 叫ぶと同時、仮面の戦士が多重バインドをウォルターに向かって発動。

青い光がウォルターを包もうとする瞬間、ウォルターが槍先をシグナムとザフィーラに向ける。

 

「くそっ、タダで捕まると思うなよっ!」

 

 直後、ウォルターの周りに25もの直射弾が発生。

バインドが決まるのとほぼ同時、シグナムとザフィーラに降り注いだ。

舌打ちしつつ、ザフィーラは鋼の軛を解除、硬直しているシグナムの前に出て全力の防御魔法を張る。

白光と白光、同じ魔力光の魔法同士が激突した。

ただの直射弾だと言うのに恐るべき威力の魔法に、ザフィーラは歯茎から血が滲む程の力を込め、辛うじて防ぎきる事に成功。

肩で息をしながら防御魔法を解き、魔力煙が薄れるのを待つが早いか、超魔力が迫るのを2人は感じた。

 

「下がれ、ザフィーラっ!」

 

 叫びつつシグナムが前に出て、全力の防御魔法を発動。

紫の魔法陣に、恐るべき速度で飛んできたウォルターとティルヴィングが激突する。

あの凄まじいバインドで数秒しか拘束できなかったのか。

背筋に冷たい物を感じつつも、シグナムは即座にシールドを斜めにずらし、直進してきたウォルターの攻撃をいなす。

たったそれだけの一瞬にもティルヴィングが防御魔法を侵食し、レヴァンティンにかすり当たりをされながらの防御となった。

大きく肩で息をしつつ、シグナムはザフィーラと並び立つ。

ウォルターが距離をとって停止、再びティルヴィングを大剣に変えつつ振り向き、忌々しげに口を開いた。

 

「……ちっ、2人、いや3人は逃したか」

 

 言葉の通り、術式の残滓は既に消えていた。

本来ならばもっと時間のかかるものなのだが、そのすぐ近くで大魔法が連続して発動した結果である。

加えて、辺りを見るに仮面の戦士は既に戦場から姿を消していた。

 

 シグナムとザフィーラは、満身創痍もいいところであった。

本来の能力以上の魔力を消費したザフィーラは既に外部への魔力行使ができず、徒手での戦い以外は不可能。

デバイスにも負担が大きいシュツルムファルケンを発動したシグナムのレヴァンティンは、最早通常の斬撃すら数合受けれるかどうか。

だがしかし、二人は目標を達成したのだ。

その事実に薄く笑いながら、二人は構えを取る。

それに眉をひそめながら、ウォルターは言った。

 

「一応言っとくが、投降するって事はしないんだな?」

「無論。我が主の元に帰還できる可能性がある以上、投降などもっての他。

加えて言えば、貴様のような超常の実力者を前に刃を置く事など、出来る筈もあるまい」

「バトルマニアかよ……」

 

 呆れたように言いつつ、ウォルターはティルヴィングを構える。

再びウォルターの元から、無尽蔵とすら思える超魔力が発現。

それを全身に恐るべき精度で纏い、ティルヴィングが薄く白光を漏らす。

絶望的な戦いが、二人を待っていた。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ん……」

 

 小さい声と共に、はやては瞳を開ける。

寝ぼけ眼で外を見るに、まだ太陽が登ったばかりの時間である。

もう一度寝る事にしよう、とそのまま眠りの世界に引きずり込まれる前に、はやてはふと気づく。

同じベッドで寝ている筈のヴィータが、その場に居なかった。

トイレにでも行っているのだろうかと思い、再びはやては横になるも、気になって眠気が来ない。

仕方なしに、はやては車椅子に乗って寝室からドアを開け、家の中を探しまわった。

 

 ヴィータは何処にも居なかった。

他のベッドに紛れ込んでしまったのかと思ってシグナムとシャマルの部屋も覗き見たが、何処にも居ない。

それどころか、シグナムにシャマル、ザフィーラの姿すらも見えなかった。

 

「……みんな、やっぱりどっか行っちゃったんやな」

 

 ぽつり、とはやてはそう漏らし、気落ちしたままキッチンへと車椅子を進める。

冷えた牛乳を取り出し、コップに入れて飲んだ。

半分程飲んだ辺りで一旦コップを置き、目を細めながらリビングに目をやる。

何時もなら家族が揃っているそこには、誰一人の影も存在しなかった。

 

 かつて八神はやては、一人だった。

物心付く前に両親が亡くなり、はやては家で一人きりで生活する事になっていた。

近所の住人ははやての事をまるで空気のように扱い、滅多に会話する事などない。

最初のうちは頻繁に来ていたヘルパーも、はやてが一人の生活に慣れるに従い来訪の頻度を減らし、いずれは来なくなってしまった。

担当医の石田とは会話があったが、医師と患者という関係は崩れず、更に石田の忙しさがその会話の回数を減らしていた。

要するに、はやてが会話する相手などほんの一握りしかいなかったのだ。

八神はやては、孤独であった。

 

 ただ、はやてはそれを心から辛いと思った事が無い。

何故なら、物心ついてからこの方はやてはずっと孤独で、家族や友人の良さというものを知らなかったからだ。

故にはやては自分の境遇に、漠然と自分は不幸らしいんだな、とだけ思っていただけである。

ただ、興味はあった。

果たして自分に友達や家族が居たら、どんな感じなのだろうか、と。

加えて言えば、友達よりも家族の方にはやては興味を持っていた。

友達はこれから作れる可能性は少ないなりにあるが、家族は恐らく二度と持てまい。

そのため、家族が居たら自分はどんなふうに生活していたんだろう、とはやては何度も夢想した。

趣味の読書でも、家族愛をテーマとした本を何冊も読んだ。

 

 そんなはやての元に、ある日突然ヴォルケンリッター達が現れた。

気づけば病院に居たはやては、咄嗟に彼らを親戚だと説明し、石田の理解を得た。

その後、ふとはやては思う。

彼らを親戚と言ったのは、咄嗟の嘘であった。

けれどもしも、彼らと本当に家族のようになれるのであったら、ずっと欲しいと思っていた家族が手に入るのではなかろうか。

そんな思いが、はやてにヴォルケンリッターを家族を呼ばせたのだった。

 

 はやては何も、初めからヴォルケンリッターに愛情を感じていた訳ではない。

主としての義務と言う物だって今一よく分かっていなかったし、無機物のような振る舞いをする4人とのすれ違いに悲しんだ事も数多くある。

けれどヴォルケンリッター達はスポンジが水を吸うように感情を取り入れ、人間のようになっていった。

その姿が、はやての琴線に触れた。

まるで赤子が大人になっていくような姿を早回しで見せられるようで、それはまさに一つの命がこの世に生まれる系譜のように思えたのだ。

始めは家族なんて形だけだったのに、気づけばはやては、何よりも家族の事が大事になっていた。

そしてそれは気のせいでなければ、ヴォルケンリッター達も同じように思ってくれているようにはやてには思えたのだ。

 

 しかし、黄金の日々はそう長く続かなかった。

ここ数カ月、ヴォルケンリッターははやてに隠し事をするようになってきたのだ。

はやてが寝ている間に抜け出したり、昼間用事があると言って頻繁に家を空けたり。

最初はヴォルケンリッターが外の世界に魅力を感じるようになった為だと思っていたはやてだが、それにしては様子がおかしい。

少なくとも、それならはやてが寝ている間に抜け出す必要は無いだろう。

では、一体何があったのか。

はやては、それを追求する事は無かった。

本能的な部分で、もしもそれを明らかにしてしまえば、自分とヴォルケンリッターとの関係に亀裂が入ってしまうように感じたのだ。

だからはやては、みんなも外で色々やりたい事があるのだろう、と自分さえも騙しきれないような嘘で自分を無理矢理納得させていた。

 

 はやては小さく身震いし、自らを抱きしめる。

冷えてきたもんなぁ、と小さく言うが、それだけではないと自分でも分かっていた。

家族の居ない家は、恐ろしい程に冷たかったのだ。

最近夜中に目を覚ますと、結構な頻度でこんな事がある。

いつかこれにも慣れる日が来るのだろうか、と考えながら、はやては残る牛乳を飲み干し、コップを流しに置いた。

暫し、リビングを眺める。

 

 昔は何も辛くなかった。

家族の居る幸せなんてはやての妄想の中の出来事だったし、それはテレビの向こう側のような幸せだった。

想像でしか考えられず、決して手の届かない物だと思っていたから、今の自分と比較する事なんて無かったのだ。

けれど今は。

一度家族ができた今は。

 

「みんなに、居て欲しいなぁ……」

 

 家族の前では零せない弱音を、はやては口から零した。

欲張りだと分かっている。

孤独だった自分に家族ができた、それだけでも素晴らしい奇跡だと言うのに、それ以上を望むなんて罰が当たるだろう。

けれど、分かっていても、はやてはそう思わざるを得なかった。

 

 涙がにじみそうになるのを服の袖で拭い取り、はやてが気落ちしたまま自室に戻ろうとした、その瞬間である。

緑光が、リビングの中に満ち満ちた。

目を瞑ってしまったはやてが目を開くと、そこにはシャマルとヴィータの2人が立っていた。

思わず、はやては目を見開く。

2人は騎士甲胄を着ていた上に、ボロボロになっていたのだ。

 

「2人共、どうしたんっ!?」

「は、はやて!?」

「はやてちゃん、なんで起きて!?」

 

 急ぎはやては車椅子を駆り、2人の目前にまでたどり着く。

見ればみるほど、酷い様相であった。

ヴィータはお気に入りの帽子を無くした上に、騎士甲胄のあちらこちらがボロボロになっていた。

シャマルは怪我の様子こそないが、よくよく見れば右腕がだらりと下がって動かせないのが解る。

こみ上げてくる感情を抑えきれず、はやては何も言わず2人を抱きしめた。

 

「は、はやてぇ……」

「はやてちゃん……」

 

 それに抱きしめられた2人も目を滲ませ、静かに涙を零しながら、はやての背に手を回す。

暫くの間、3人の無言の抱擁は続いた。

 

 それからはやては2人を着替えさせた上で温かい飲み物を用意してやり、3人でテーブルについた。

話を聞く体制になったはやてに、2人は何度も謝りながら話し始める。

はやての病気の原因は闇の書である事。

自分たちヴォルケンリッターではどうしようもなく、例え消えようにも復元プログラムが発動し記憶を無くした自分ができてしまうだけな事。

その為に、はやてとの誓いを破り、闇の書の蒐集をしていた事。

そして今日、狙ってはならない相手を狙ってしまい、敗北した事。

 

 ——そして2人を逃がすのに、シグナムとザフィーラが残った事。

 

 最初ははやては、喜ばしくも悲しいような、複雑な気持ちで話を聞いていた。

家族の心から自分から離れていなかった事は嬉しかったが、しかしはやては人様に迷惑をかけてまで長生きしようとは思っていなかったのだ。

その為なんとも言えない表情で2人の話を聞いていたが、話が進むに連れ思わず顔をひきつらせる事になる。

最後にシグナムとザフィーラが足止めに残ったと聞いた時には、はやてはまるで平衡感覚を無くしてしまったかのようにすら感じていた。

愕然としつつ、はやては2人に問う。

 

「それって、シグナムとザフィーラが捕まってもうたって事なんか?」

「そうだけど……それだけじゃあないんだ」

 

 ヴィータの不吉な言葉に、はやては生唾を飲み込む。

顔を伏したシャマルが、続けて言った。

 

「シグナムとザフィーラは、余計な情報を取られないようにと思ったんでしょうね、闇の書とのリンクを自分から切りました」

「それって、どういう……?」

 

 疑問詞を投げかけるはやてに、シャマルは今にも泣きそうな目ではやてを見つめ、続ける。

 

「これが闇の書の主の手で行ったのなら兎も角、私達騎士の手でやると、魔力源を闇の書から私達の中に移せません。

つまり、シグナムとザフィーラへの魔力供給が無くなってしまいます。

このままでは何時か魔力切れになり、2人は……消えてしまいます。

復元プログラムが働き新しいシグナムとザフィーラが復活しますが、その2人にはやてちゃんと過ごした記憶は……ありません」

「…………」

 

 思わず、はやては絶句した。

重力に引っ張られ、今正に底なしの穴に落ちている最中のようにさえ思える。

全身から嫌な汗がじわっと湧き上がり、はやての幼い肢体を濡らした。

口の中はカラカラに乾き、目は限界まで見開かれる。

そんな瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。

 

「他に何も要らないって思っとった……。

家族さえいれば、残りの命が少なくてもいい、死んでもいいって思っとった……」

 

 気づけばはやては、内心を口にしていた。

まるで自分の中で巨大な獣が暴れているみたいに、自分の制御が効かない。

思った事を、舌がそのまま言葉にしてしまう。

 

「だけど、家族は、家族だけは、持って行かないで……!」

 

 一体誰に言っているのかすらも分からず、はやては泣き叫んだ。

ぽつりぽつりと、涙がはやての膝の上に落ちる。

同じようにして、シャマルもまた涙を零す顔に手をやっていた。

そんなはやてに、思わず、といった様相でヴィータが続ける。

 

「はやて、シグナムとザフィーラが消える前にはやてが闇の書の主として覚醒すれば……。

2人を奪い返して、リンクを繋ぎ直す事もできるかもしれない。

まだ何も……何も、終わっちゃあいないんだ!」

 

 はっ、とはやては面を上げた。

その先では、ヴィータが涙を零しながらはやての事を見つめている。

シャマルもまた、充血した目ではやての目を見据えていた。

その通りならば、はやてにはまだ家族を救う手立てはあると言える。

けれど、それは。

かつて自分が言った言葉が、はやての内心に響いた。

『人様の迷惑になる事なんか、しちゃいかんで』

ヴォルケンリッターに告げた言葉が、僅かにはやてを躊躇させた。

けれど。

けれど、家族だけは。

2人の期待と僅かな希望に縋り、結局はやては言うまいと思っていた言葉を口にする。

ごめんなさいと、これまでとこれから蒐集される、数多の人々へ頭を下げながら。

 

「闇の書の主として、騎士ヴィータと騎士シャマルに命ずる……。

蒐集をして、闇の書を完成させてっ!」

「拝命しました」

 

 輪唱する二人の言葉に、はやては大きく頷く。

そして続けて、両手を胸に当て、2人に問うた。

 

「なぁ2人とも、私にも何かできる事は……」

 

 正に、その瞬間である。

ドクンと。

はやての視界が揺れた。

 

「は……ぁ、うぁ……」

 

 小さなうめき声と共に、はやては胸をかきむしるように抑える。

まるで全身の神経がメキメキと音を立てながら固く太い大木となり、全身を内側から引き裂くような痛みであった。

必死でそれを抑えようとはやては気を保とうと努力するが、それも全身をはしる痛みには叶わない。

直後、はやては一気に脱力した。

 

「はやて……はやてぇっ!」

 

 ヴィータの叫びを聞きながら、ゆっくりとはやては意識を手放すのであった。

 

 

 

 

 



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3章3話

 

 

 

 今にも落ちてきそうな蒼穹の下。

私立聖祥大学付属小学校の屋上で、4人の少女が楽しげに話に花を咲かせていた。

時刻はちょうど昼休み、弁当を食べ終えた彼女らのお喋りは、留まる所を知らない。

そんな中、話の切れ目に電子音が音楽を奏でる。

 

「あ、私の携帯だっ」

 

 目を見開いたなのはは、ポケットから桃色の携帯電話を出す。

瞬間、どくん、となのはの心臓が高なった。

折りたたみ式携帯電話のサブディスプレイには、「ウォルター君」の文字が点滅している。

 

「ごめんなさい、ちょっとお電話してくるね!」

「うん、いってらっしゃい」

 

 手を振って送り出す3人を尻目に、なのはは屋上の片隅にまで足を運ぶ。

胸の高なりが強まり、今にも胃が口から飛び出そうなぐらいだった。

胸を張り深呼吸をするも、緊張は収まらない。

カチコチに緊張したなのはは、直立不動の姿勢で電話に出る。

 

「もしもし、なのはですけど」

『あぁ、俺だ、ウォルターだ。

久しぶりの挨拶と、事件がちょっと進捗したから、その事を話しておきたくてな』

「は、はいっ」

『じゃあ改めて、久しぶり、なのは』

「うん、久しぶり、ウォルター君っ」

 

 久しぶりに聞くウォルターの声は、やはり覇気に満ちており、なのはの背筋をピンとさせる。

朝顔を合わせたらしいフェイトから、なのはは今回の事件にウォルターも巻き込まれた事を知らされていた。

その時からずっとなのははウォルターに会ったら何を言おうか考えており、様々な候補があったのだ。

ヴィータちゃんに襲われて危うく負けそうだったけど、何とか痛み分けに持ち込めたよ、とか。

魔法の訓練を欠かさずやっていたから、またウォルター君との模擬戦やってみたいな、とか。

兎に角なのははウォルターに褒めて欲しかったし、可能ならば実力を認めて欲しかった。

けれど、実際のウォルターの声を聞くと、緊張でなのはは頭が真っ白になってしまい、何を言えばいいのかわからなくなってしまう。

ええと、とかあぁっと、とか言うなのはの言を遮り、ウォルターは事件の事を話し始めた。

 

『実は昨日の朝早くに、ヴォルケンリッター全員に襲われてな。

一度はシャマル以外の3人をぶちのめしたんだが、仮面の戦士が現れてな。

全回復されて5対1になっちまって、シグナムとザフィーラを残して逃しちまったんだ』

「えぇぇ!? あ、うん。ってえぇぇ!?」

 

 何処からツッコミを入れればいいのか分からない話であった。

なのははウォルターの強さを知っていたが、それでもヴォルケンリッター全員相手に勝利したと聞けば驚かざるを得ない。

しかも実力の不明瞭な仮面の戦士を含めた相手に、シグナムとザフィーラを捕まえたとは。

一瞬なのはは自分やヴォルケンリッターがもしかして弱い方なのでは? と思ってしまうが、ウォルターが言っていた台詞を思い出し、その考えを取り消す。

ウォルターは、次元世界最強の魔導師なのだ。

それならそれぐらいできてもおかしくないかもしれない。

そう思うと誇らしくて、なんだか頬が緩んできてしまうのを抑えきれず、なのはは少しだけ破顔した。

 

『そんで、捕まえたはいいんだが2人とも闇の書とのリンクを切っちまってさ。

ヴォルケンリッターのリンカーコアみたいなのは闇の書にあるから、このままだと魔力が切れたら2人は消滅しちまう。

いや、闇の書の転生プログラムで復活するが、記憶は戻らない』

「えぇっ!?」

『だが、検査した結果、プレシア先生の授業が役だってな。

日々消費する魔力ぐらいなら、俺がディバイドエナジーの応用で補給できる。

それでも消滅までのリミットはあって、2ヶ月ぐらいかな。

つっても、蒐集のペースから見て、それまでにはこの事件にもケリが付きそうだが』

「そ、そうだったんだ、良かったぁ」

 

 と、思わず前かがみになり安堵の溜息をつくなのは。

一時は思わず飛び上がってしまうほど驚いたが、なんだかんだで収まる所に収まりそうなので、良かったと繰り返すなのはであった。

けれど、と思うに、不安が湧き出てきて、なのは口を開く。

 

「でも、実質ヴィータちゃん一人で蒐集をする事になるんだよね?

余計に隠れて蒐集をするようになって、見つけづらくなっちゃうんじゃあないかな。

本当に2ヶ月で間に合うの?」

『確かにそうだが、俺の勘は逆の事を言っているな。

そもそも、何でヴォルケンリッターは、負けるリスクのある程魔力の大きい俺を標的に選んだんだ?

直前、俺はAAAランクの通り魔を撃退していて、魔力が大きいだけの魔導師ではないと分かっていた筈だ。

もしかしたら、ヴォルケンリッターには蒐集を急がなくちゃいけない理由があるんじゃないか?』

 

 と、言われてみれば、となのはは小さく頷く。

なのはやフェイトであれば、デバイスの改造さえなければ互角以下の相手だ。

容易い相手と考え蒐集してくる可能性は充分にあった。

しかし、あのジュエルシードを操ったプレシアをさえ撃破したウォルター相手に蒐集に挑むのは、少々無謀がすぎる。

事実、ヴォルケンリッターはその半数を捕縛される事になったではないか。

大幅な実力誤認の可能性も、ウォルターの言葉により否定された。

 

「そっか、ならヴィータちゃんは多少目立っても、蒐集を続けるだろうね」

『多分な。実際、今日になってクロノの師匠……リーゼアリアとリーゼロッテも蒐集されたらしいと聞くぜ』

「リーゼさん達が……」

 

 痛ましげに、なのはは制服の上からレイジングハートを握りしめた。

シャマルによってリンカーコアを蒐集された痛みは、今でもなのはの頭の中にこびりついている。

ヴィータ達に何か事情があり、向こうから話してくれるなら杖を下ろす覚悟のあるなのはだったが、痛みの記憶はそれとは別にあった。

大きな怪我をした事もないなのはにとって、それは生まれてから今までで一番の痛みであった。

行動を制限する程の痛みではないものの、意識して勇敢にならなければ跳ね除けられないぐらいの痛みである。

リーゼ達の痛みを想像し、同時に他者にそこまでして闇の書を完成させて、闇の書の主は一体何がやりたいんだろう、となのはは疑問に思った。

 

『ま、積もる話は実際に顔を合わせてからにしようぜ。

あ、あとこの事はフェイトにも話していい事だから、伝えておいてやってくれ』

「あ、うん、わかったよ」

『それでだな、お前に一個、頼みたい事があるんだが……』

 

 ウォルターにしては珍しく歯切れの悪い声に、なのはは首を傾げた。

どうしたんだろう、と言うなのはの疑問をよそに、ウォルターの困惑気味な声が続く。

 

『放課後……そのだな、リニスさんとリンディさんに押し切られて、だな』

「うん」

『なのは、お前とその友達と一緒に、行動してこいって、言われてだな……』

「へっ?」

 

 あまりに急な言葉に、なのはは目を瞬いた。

脳内でウォルターの言葉を数回反芻、意味を咀嚼し、目を見開く。

思わず大声で、携帯電話を持たない片手を広げる仕草までつけて言った。

 

「わぁぁ……!

それって、とっても素敵な事だと思うな!

私のお友達も紹介したいし、お友達にもウォルター君の事、紹介したかったんだっ!」

 

 と、そこまで言ってからなのはは今日の放課後の予定を思い出す。

一杯になって溢れてしまいそうな笑みを漏らし、なのははくるくるとその場で回転しながら続けた。

 

「それにね、それにね、今日は丁度新しいお友達の子のお見舞いに行く予定だったんだ。

ウォルター君なら、お見舞いでその子にいっぱい元気を分けてあげられると思うなっ!」

『あ、あぁ、じゃあ、付いて行ってもいい、って事なんだな?』

「もっちろん!」

 

 鼻息荒くなのはが返すと、何故か通信先のウォルターが、なんとも言えない顔をしているのが思い浮かんだ。

はて、どうしたのだろう、となのはが首を傾げるのに、ウォルターは少し間を開けてから言う。

 

『りょーかい。じゃ、また放課後になっ!』

「うん、またねっ!」

 

 言って、なのはは通話を切る。

なんだか最後、とても行きたくなさそうな空気があったような気がしたが、ウォルターに限ってそれはないだろう。

あの熱い少年の事である、きっと場をこれ以上無く素晴らしい物にしてくれるに違いない。

期待を胸に、なのはは残る3人の友達が居る場所へと駆け寄るのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 アースラの食堂の一角。

幾何学的な形の机の前に座ったリニスは、ぼんやりと光の降り注ぐイルミネーションの辺りを眺めていた。

光の帯に、今までリニスが見てきた光景が映し出されていく。

ウォルターのアパートで、初めてウォルターにあの熱の篭った言葉を貰った時の光景。

モニタ越しに見た、ウォルターがプレシア相手に立ち向かっていくあの光景。

どちらもが喩えようもなく胸が熱くなるような、熱い光景であった。

 

 その美しさに、リニスは小さくため息をついた、

それらの光景は美しく輝かしい反面、決して自分の手が届かない場所にあるように思えたからだ。

詮なきことよと考え、リニスはあたりを見回す。

昼時を少し過ぎた、かといっておやつ時にはまだ早い時間帯。

辺りには局員の姿も無く、たった一人、10歳と言う年齢にしては高い背丈の少年がトレーを手にこちらに歩いてくるのみだ。

ウォルター・カウンタック。

リニスが主として仰ぎたい、英雄的な少年である。

 

「よ、リニス」

「さっきぶりですね」

 

 短い会話を交わし、ウォルターはトレーを置きリニスの対面に座った。

サラダにハンバーグにパンと言う平凡な中身だが、一つ目を引く所があり、リニスは帽子を抑えながらこてんと首を傾げる。

 

「あれ、サラダに随分トマトが入っていますが、ウォルターってトマト好きでしたっけ?」

「いや……、あんまり、と言うか、苦手、だな……」

 

 遠い目で、死ぬほど言いたくなさそうに語るウォルター。

トマト1つにそんな様相を見せる彼に、リニスは目を瞬く。

 

「食堂のおばさんに苦手だから少なくていい、って言ったら、このザマだよ。

あいつらは悪魔か何かか……」

「……ぷっ!」

 

 と、死んだ目で告げるウォルターに、思わずリニスは吹き出してしまう。

名実ともに次元世界最強の魔導師の一角であるウォルターが、トマト如きにこうまで精神的に追い詰められている。

リニスでなくとも、笑いがこみ上げてくるだろう光景だ。

そんなリニスを恨ましげな目で見た後、ウォルターは手を合わせた後に食事の攻略にかかった。

やや早食いではあるものの、矢鱈と上品な食べ方であった。

それを机に肘をつき手組した上に顎を乗せながら、リニスはウォルターを眺める。

その身に宿す覇気とは裏腹に、少年らしい中性的な顔が、リズムよく食べ物を咀嚼した。

その度に硬い黒髪が揺れ、黒服は明るい照明を反射し薄っすらと輝きを見せる。

 

 リニスがウォルターを主としたいと思ったのは、矢張りその心の強さに憧れたからであった。

どんな苦境でも諦める事無く立ち上がる彼の姿は、誰の心にでも火をつける事ができる。

敵味方構わず人の心に火をつけ、その上で事件を解決してしまえるウォルター。

そんな彼の一助となれたのであれば、彼の手伝いができたのであれば、それはどれほど誇らしい事だろうか。

プレシアの元を離れる事となり、リニスが改めて誰を主にしたいかと考えた時、その誇らしさは強くリニスの心を惹きつけた。

 

 足手まといにならないかと、迷わなかったかと言えば嘘になる。

だが、リニスはプレシアが設計しウォルターが魔力を供給する、最強レベルの使い魔である。

アースラ内部での模擬戦ではなのはにもフェイトにも負けは無いし、クロノ相手でさえ戦績はやや勝るぐらいだ。

本格的な使い魔としてウォルターの精神リンクを大きく開き、彼の経験を得る事ができれば、Sランク相当の戦闘力を得る事ができるだろう。

加えて、リニスにはウォルターには無いデバイスマイスターとしての実力がある。

ミッドから離れていたプレシアの知識がベースなので時代に遅れた部分は多々あったが、それもウォルターと合流するまでの半年間で鍛え直し、本局のスタッフであるマリエルに合格点を貰うまでになっていた。

それらを考慮するに、どう考えてもリニスは総合的にはウォルターを強くできると言えよう。

加えてリニスが受けた恩を返す事ができると言うのなら、リニスに是非は無かった。

 

 だが、ウォルターはリニスを受け入れなかった。

少し時間がほしいと、リニスの実力を把握するよりも先にそう言ったのだ。

それはつまり、ウォルターが精神的な理由でリニスとの主従関係を受け入れる事ができないと言う事である。

リニスはその事実に、二重に驚きを感じた。

一つは単純に自分が受け入れられなかったという事実に対して。

もう一つは、あのウォルターにも精神的な悩みがあったのと言う事実に対してである。

後者の驚きは、同時、リニスに後悔の念をもたせた。

確かにウォルターは、精神的に強烈に強く、悩んでいる姿を欠片も見せようとしない。

しかしだからといって、何も悩まらない筈が無いのだ。

そんな当たり前の事に気付けない自分が、ウォルターと心を共にする使い魔になろうなどと、片腹痛いではないか。

いや、それとも、そんな自分だからこそウォルターは主従関係を結ぶのを戸惑っているのかもしれない。

そう思うと、リニスは穴があったら入りたい気持ちだった。

 

「ごちそうさま、っと」

 

 と、そんな事を考えているうちに、ウォルターは食事を完食したようだ。

上品な仕草で口元をハンカチで拭い、ウォルターはじっとリニスを見つめる。

力強い視線に、リニスは胸元が熱くなるのを感じた。

先程までの後悔の念が、失敗したのならば取り返せばいい、と熱く活発な念に変わっていく。

それほどまでにウォルターのオーラは熱く力強く、それを見る度、リニスは憧れの気持ちが生まれるのを抑えられない。

そんなリニスに、ウォルターが口を開く。

まるで極厚の鉄塊が観音開きするような、強い威圧感であった。

 

「なぁ、リニスさん。

俺とリニスさんの、使い魔としての関係の事だが……。

この事件が終わるまでには、必ず答えを出してみせる。

それしか言えないが、頼む、今はそれで納得してくれ」

 

 言い終えると、ウォルターは頭を下げた。

慌ててリニスは言う。

 

「ちょ、ウォルター、やめてください、頭なんて下げなくてもっ。

その、私も言い出すのが急すぎましたし、じっくり考えて答えを出して貰えるというのは、それはそれで嬉しいですからっ」

「……そうか、すまんな」

 

 少し照れたような顔をして頭を上げるウォルター。

その姿に微笑ましい物を感じつつも、今返事を貰える訳ではないと言うのに、リニスは気落ちするのは否めなかった。

が、そんな姿を見せてウォルターに心配させてしまうのであれば、主従が逆転してしまう。

自分はウォルターに心配してもらいたいのではない、ウォルターの力になりたいのだ。

 

 だが、現状リニスがウォルターの戦闘力において力になれるかというと、そうでもない。

ヴォルケンリッター相手ではウォルター1人で充分すぎる程にオーバースペックだからだ。

ならばリニスがウォルターに力になれるのは、心においてである。

 

「そういえば、ウォルター、なのはから許可は得られましたか?」

「……あぁ、残念ながら、な」

 

 流石に引きつった顔で言うウォルターに、リニスはくすりと小さく笑う。

リニスがウォルターの心に力になれるよう、その一助として、リニスはウォルターに放課後なのはらに付き合うよう呼びかけた。

ノリノリで賛成してくれたリンディの力もあり、ウォルターは放課後に彼女らと一緒にお見舞いに行く事になったのだ。

なのはの許可もあったようなので、覆すことは不可能だろう。

にっこりと微笑みつつ、リニスは続ける。

 

「空き時間の殆どを訓練と言うのも、味気ないと思いませんか? ウォルター。

偶には同世代の子と遊ぶのも、いい経験ですよ?」

「……まぁ、な。

殆ど遊んだ事が無いから今の道を選んだと思うより、自由な選択肢から今の道を選んだ、と思ったほうが自信になるだろうし」

 

 あくまでもストイックな視点からの物言いをするウォルターに、リニスは困ったような笑みを浮かべる。

確かにリニスの意図した通りなのだが、リニスはここでウォルターが子供らしい意識に目覚める事も考えていた。

それはそれで、主候補の心が豊かになるのは歓迎なのでいいのだが、こうまで子供らしい考えを全く考えられないと、思わず苦笑も漏れると言う物である。

どこまでも信念と、それに対する求道に満ちた言葉であった。

しかしそんなウォルターだからこそ、リニスは彼に助けられ、恩を感じたのだ。

勿論、初対面の頃の保護欲だって、無い訳ではないのだけれども。

 

「まったく、何時ものウォルターらしいですね」

「そうか? よく分からんが……」

 

 と首を傾げるウォルターは、何時もは見せない子供っぽさが感じられる。

思わず抱きしめて頭を撫でてやりたくなるのを感じながら、リニスはずっとウォルターの事を見つめ続けるのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「よ、なのはとフェイトは久しぶり、そちらの2人は初めましてだな。

ウォルター、ウォルター・カウンタックだ」

 

 片手を上げ挨拶をしながら、ウォルターは翠屋のテラス席に現れた。

黒いシャツに真っ黒なジーンズ、黒いコート、と黒尽くめで現れた彼に、全員少し微妙な顔になる。

あまりセンスのある組み合わせではなく、黒髪黒目がその印象を更に強くしていた。

しかし矢鱈と覇気に溢れたその存在感が、その野暮ったさを中和している。

ひょっとしてこの服装のセンスの無さは、わざとなのかもしれない。

そんな風に思うなのはの横で、機嫌悪そうにアリサが、それをたしなめるようにすずかが挨拶をする。

 

「私はアリサ・パニングスよ」

「私は月村すずかです」

「よろしくな」

 

 爽やかに言いつつ、ウォルターは2人と握手をしてみせた。

思わずなのはは回想してしまうが、果たして自分は初対面で握手などしてもらっただろうか。

確か初対面では半ば無視してフェイトと話され、二度目だって握手などしなかった。

なんだか、面白く無い。

椅子を引いて座るウォルターに、机の下から蹴りを入れたい衝動になのはは襲われた。

が、そんな子供っぽい事をして、ウォルターに失望されるのも嫌だ。

何とか我慢するなのはを尻目に、ウォルターが口を開く。

 

「なのはとはフェイトと3人で同時期に出会ってな、その頃から付き合いが始まったんだ。

なのはから俺の事は聞いているか?」

「えぇ、あんたの事はなのはとフェイトから何度も聞かされてるわ」

「初対面なのに、初めて会った気がしないぐらいだね」

「そうなのか?」

 

 意外そうに視線をやるウォルターに、なのはは思わず視線を足元にやる。

頬が赤くなっているのが、自分でも分かった。

なのははフェイト達と別れてから、2人とのお喋りの中で何度もウォルターの事を話題にあげている。

こんな凄い人と対等な友達になれたんだよ、と言う主旨であり、別に恥ずかしい話をした訳でもないのだが、ウォルターに知られるとなんだか恥ずかしい。

ちらりと見ると、フェイトも似たような感情を持っているらしく、白磁の肌に薄っすらと赤みが差していた。

そんななのはらをため息混じりに見て、アリサが続ける。

 

「全くもう、2人から惚気話を聞かされる身にもなって欲しいもんだわ」

「えぇ!? そ、そんなんじゃないもんっ!」

「そ、そうだよ、本当にウォルターは凄いんだからっ!」

「はいはい」

 

 と言うアリサは、右から左へと言わんばかりに2人の言葉を受け流す。

ウォルターの事を凄いと言うなのはとフェイトだが、その具体的な凄さを2人に分かって貰えた訳では無かった。

何せその精神に秘める熱さなどを客観的に説明するのは難しく、強さに関しては魔法を知らない2人に教える訳にはいかなかった為だ。

どころか、どうやら2人はなのはに春が来たのではないかと思っているフシがある。

それが気に入らないアリサはウォルターの事を懐疑的に見ており、すずかも表には出さないが似たような事を思っているらしかった。

風当たりの強い現状に、ウォルターは苦笑し口を開く。

 

「まぁ、俺が凄いかどうかは置いといて、2人とは恋愛的な何かがあった訳じゃあないさ。

別に2人を取っていきゃしねーよ」

「なっ……!」

 

 と、アリサが目を丸くし、呻いた。

図星だったのだろうか、と思うなのはは、思わずくすりと笑みを漏らしてしまう。

頬を赤くしながら弁解をしようとするアリサが、可愛らしくて仕方がなかったのだ。

そんななのはとフェイトの生暖かい目を感じたのだろう、アリサはあたふたと慌てながら続ける。

 

「べ、別に取って行かれるなんて思ってないわよっ!

ただ、2人とも抜けた所があるから、変な奴だったらただじゃあ置かないってだけで……!」

「そうか、優しいんだな、アリサは」

「んなっ……!」

 

 と声に詰まるアリサに、ウォルターは少し意地悪そうな顔である。

これ以上喋っても傷を広げるだけだと思ったのだろう、アリサはプルプルと震えながら俯いてしまう。

それを尻目に、今度はすずかが口を開いた。

 

「所でウォルター君、ウォルター君は何処の小学校に通っているの?」

「フェイトもそうだったが、小学校には通っていないな。

色々と事情があって、家庭教師みたいな人に教わってるよ」

「ふ~ん……どんな人?」

「厳格な人、っつーのが一番合ってるかな。

日本では飴と鞭と言うらしいが、飴の部分は滅多に見たことが無い。

まぁ、あんまり温かい感じの人ではないが、信頼できる相手だよ」

 

 と、スラスラ答えるウォルターに、なのははふと気づいた。

そういえば、なのははウォルターの過去を詳しくは知らない。

7歳の時ティルヴィングと出会って初めて魔法を使い、それ以来賞金稼ぎとして一人で生活してきたらしい。

彼の言う家庭教師とはティルヴィングの事であり、その時からずっと一人暮らしだと聞く。

それだけでも衝撃的な過去なのでそれ以上を聞くのを忘れていたが、なのはは7歳以前のウォルターの事を全くと言っていい程知らないのだ。

それになのはが少しだけ寂しさを感じているのを尻目に、すずかが幾度か質問を続け、ウォルターが答えていたようである。

質疑応答が終わり、さて、とウォルターが口を開く。

 

「ま、俺の人柄云々はこれからの時間で確かめてくれ。

見舞いだから、買ってくのは花束と食べ物……あぁ、摂食制限とか確かめたか?」

「うん、ケーキとかも大丈夫だって」

「じゃあ、折角だし翠屋のケーキにするか。

花屋は確か此処からなら病院に行く途中にあったな、それでいいか?」

「いいけど……まぁいいわ、行きましょう、みんな」

 

 と、アリサの合図で皆立ち上がった。

はやての入院している病院目指し、歩き出すのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 斜陽が道を赤く染める。

ブロック塀が影を落とし、繰り抜かれた部分が赤で描かれた図形を残す。

アスファルトには、黒い影が2つ伸びていた。

その影の一つ、なのはは背負ったカバンの肩紐に手をやりつつ、隣を歩くウォルターに話しかける。

 

「にしても、ウォルター君、思ったよりも熱い事言わなかったね」

「初対面の相手に見舞いするのに、どう熱い事を言えばいいんだよ……。

足が悪いってぐらいしか知らないのに」

 

 そう続けるウォルターに、それもそうかと思ってなのはは渋々頷く。

できるならばウォルターの熱さをアリサとすずかに分かってもらい、早急になのはがウォルターに惚れているという誤解を解きたかったのだけれど。

なのはは、ウォルターへの感情は恋というより尊敬に近い物だと理解している。

なのはにとって、ウォルターは憧れで目標なのだ。

なのはは恋を未体験だったが、聞く限りもっとドキドキする物だと言うのだ、それは違うだろう。

 

 見舞いにいってから数十分。

なのはは、ウォルターとともに家路についていた。

アースラに帰るべきウォルターがついてきているのは、一度高町家にも挨拶をしておきたい、と言う事からである。

リンディ達はウォルターの持つ高速転移魔法を理由に、それを許可した。

このまま闇の書が完成してしまえば不味いので、現状を楽観視こそできない。

けれど敵戦力が実質ヴィータと仮面の戦士のみになったため、こちらの戦力が過剰気味であるために、余裕があるのだろう。

 

「そうだけど、もうちょっと喋っても良かったんじゃあないかなぁ……」

「お前らのテンションが高すぎるんだって」

 

 呆れ気味に言うウォルターは、見舞いの間あまり喋らず、女性5人の聞き役に徹していた。

それでもきちんとはやてに快癒を願う言葉を言っており、見ていたなのはにも分かる程に心のこもった物だったのは、流石と言うべきか。

アリサやすずかも、少しウォルターを見なおしたようだった。

そうはいってもなのははまだ不服であり、もっとウォルターの良さを発揮してもらいたかったのだけれども。

 

 しかしそういうのも我儘かと思い、なのはは頭の中を切り替えた。

数歩、たたっと前に出たかと思うと、後ろ歩きをしながらウォルターに話しかける。

 

「そういえば、わたしこの半年で大分魔法も練習したんだよ?」

「ほほう、どんな訓練メニューだったんだ?

俺がバッチリ評価してやろう」

 

 と腕組みしつつ言うウォルターに、うん、と頷きなのはは最近の訓練メニューを話す。

魔力養成ギブスに早朝の誘導魔法訓練、授業中の仮想空間訓練。

加えてその成果である、パワーアップしたスターライトブレイカーなどの魔法の数々。

簡易資料でしかそれを知らないウォルターは、一々関心した様子で頷いてみせる。

ウォルター君に、努力を認められているんだ。

そう思うと、なのははもっと話してもっと認められたくなってしまい、夢中で自分の魔法の訓練について語った。

 

「……って訳かな」

 

 と言い終えると、なのははウォルターの顔をじっと見つめる。

すると、ウォルターの少し難し気な顔が目に入った。

途端、ふわふわと浮ついていたなのはの内心に、陰りができる。

自信満々に言ったけれど、もしかして思ったより大した事じゃあなかったのだろうか。

それは勿論、ウォルターのような超人から見れば大した事ではないのかもしれない。

けれど、ちょっと魔法が得意なだけの普通の女の子な自分にしては、結構頑張ったつもりなのだけれど。

不安に揺れるなのはの目に気づいたのだろう、にっこりと笑みを浮かべ、ウォルターが告げた。

 

「ん、すまん、思ったよりずっとスパルタな訓練だったんで、少し気になってな。

ちょっと嫌な聞き方するけどさ、なのははどうしてそんなに魔法が好きなんだ?」

「え? え~と……」

 

 と言われ、なのはは内心首を傾げる。

理由はいくつかあるだろう。

自分と同じ悲しみを抱えていた人を、助ける手段だったから。

単純に魔法そのものが好きだから。

ウォルターに負けたくないと考えた時、一番最初に思い浮かんだ事だから。

どれも立派な理由ではあるものの、ピンと来る物はない。

言葉を纏めるのを諦め、なのはは言った。

 

「ごめん、よくわかんないや」

「ま、此処じゃあ好きこそものの上手なれと言うらしいしな、無理しなきゃいいか」

 

 と頷くと、ウォルターはぽん、となのはの頭に手をやった。

あの熱く燃え盛るような笑みを浮かべ、染み入るような言葉を吐く。

 

「頑張ったな」

 

 血潮が熱く、今にも煙となって肌から漂ってきそうなぐらいだった。

胸の奥は轟々と灼熱の炎が渦巻き、全身には今にも跳ね上がりたいぐらいの活力が満ちる。

頬を好調させながら、力強くなのはは答えた。

 

「……うん、ありがと!」

 

 それからなのはは、今にも体中から溢れてしまいそうな活力に、思わずスキップしながらウォルターを先導する。

それを苦笑気味に見守るウォルターとともに、それは高町家に着くまでの間続くのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「……あ、ウォルター!」

 

 思わず見かけた顔に、フェイトは手を振り声をかける。

事件も佳境に迫った事で、リンディ達は殆どの時間をアースラ内部で過ごしている。

故にフェイトも一人で家の中に居る理由もなく、帰宅後は基本的にアースラ内部で過ごしていた。

よって食事は食堂で取っており、こうやってウォルターと食事の時間が合う事も、これからは少なくないだろう。

手を振るフェイトに気づいたのだろう、ウォルターはフェイトの方に向かってくる。

 

「こんばんはフェイト、隣いいか?」

「うん、勿論!」

 

 力強く頷くフェイトに、ウォルターはフェイトの隣の席に着く。

トレイに持つのは、大盛りのカレーライスである。

何時もウォルターが定食を頼んでいると聞いていたフェイトは、思わず首を傾げた。

視線の先から疑問を理解したのだろう、あぁ、とウォルターは口を開く。

 

「ちょっと食堂のおばさんとの諍いがあってな。

流石に単品のカレーにトマトは入れられんだろう、と。

ラーメンも候補っちゃ候補だったんだが、ここ3年、何となく食ってないんでこっちにしたんだ」

「はぁ……」

「まぁ、この手もティルヴィングがうるさいから、一日に一回しか使えんのだが……」

 

 よく分からない会話であったが、もしやウォルターはトマトが苦手なのだろうか。

何となくフェイトが自分のトレイを見ると、魚のソテーとパンについてきたサラダには、真っ赤に熟したトマトが入っている。

フェイトはフォークでトマトを刺し、ウォルターの口元にまで運んだ。

 

「ウォルター、好き嫌いはいけないよ?」

「え、いや、もう今日は一日分のトマトをだな……」

「おっきくなれないよ?」

 

 ウォルターはなんとも言えない苦みばしった顔で百面相をした後、覚悟したのだろう、フェイトの差し出すトマトを口にした。

微妙な顔をしつつトマトを咀嚼するウォルターに、ウォルターにも苦手な物があったんだな、と思うフェイト。

普段の様子から見るに、意外な事実であった。

 

 それからウォルターと会話しながら食事を片づけ、そのままの流れでウォルターとフェイトは談話室で少しばかり話をする事になった。

白い床に四角いテーブル、クリーム色のソファーに飲み物の自販機。

L字型のソファーの角を挟んで座った2人は、様々な話に興じた。

フェイトの学校生活。

ウォルターの賞金稼ぎ生活。

その他様々な話が話題に出たが、2人は示し合わせたかのようにリニスの事は話題に出さなかった。

少なくともフェイトが言わない理由は、2人の主従問題は2人で決めるべき事だと思ったからだ。

話題に出せば、どうしてもリニスを擁護する物言いになってしまう。

そんなこんなで話題が闇の書事件の事に移った時、不意にウォルターが言った。

 

「そういや、フェイトは今回どうして管理局に力を貸す事になったんだ?」

「……えっと、最初は友達のなのはが襲われてたから。

そこから保護観察官で世話になっているリンディ提督やクロノが頑張ってるのに、呑気に遊んでられないから、かな」

 

 と、フェイトは答える。

事実、フェイトはそんな流れで闇の書事件に関わっていった。

なので正しい物言いなのだろうが、ウォルターの瞳は納得していないように見える。

 

「それだけか?」

 

 言われ、フェイトは言葉を詰まらせてしまう。

他に何かあっただろうか?

両腿の上で手組した手をいじりながら、考える。

矢張り思い浮かぶのは、シグナムの目であった。

三度の交錯で見た、あの硬い目。

 

「シグナムは、私と同じ目をしていたんだ。

母さんの事を聞くだけだった頃の、私と同じ目。

硬い意思で固めた分だけ、他の事が見えなくなっちゃった目」

 

 思い返す。

フェイトは本当は絶望的な現実を認めたくなくて、わざとアリシアになるという夢をつくり、それだけを見据えようとした。

その意志は決して弱くはなかっただろう、とフェイトは思う。

食べ物をあまり受け付けず、魔力は何時も心ともなく、それでもジュエルシードを見つけなのはと戦えたのは、意思が強かったからに違いない。

けれど勿論、それは本当の目的を見据えた物ではなかった。

薄々と感づいていても、他の事に目を向けられなかった。

 

「もしシグナムが昔の私と同じように他の事が見えないのなら、私の手で助けたいんだ。

なのはは、私のことを昔の自分と同じ悲しい目をしているって、助けてくれた。

なら私も、誰かの事を同じように助けたいんだ」

「助け“たい”、か……」

 

 何処か寂しげに、ウォルターが言った。

不思議な反応にフェイトが首を傾げるより早く、ウォルターは笑顔で続ける。

 

「PT事件が終わってからあんま見てられなくて悪かったけれど、無事に自分を始められているみたいだな」

「……あ、うん」

 

 不意打ちであった。

フェイトは言われる程に自分が自己を確立しているとは思わない。

今やっている事だって、なのはの真似と言われれば否定できないのだ。

自分がきちんと新しい自分を始められているかどうか、よく分からない。

 

 そこに、ウォルターの言葉であった。

フェイトにとって、ウォルターは大恩人であり、英雄であり、尊敬すべき人である。

その言葉は絶対と言う程ではないが、フェイトは非常に頼りにしている。

母に大嫌いだったと言われ、一度は心折れた時、立ち上がるのに頼ったのだって、なのはとウォルターの言葉だ。

そんなウォルターに、新たしく自分を始められていると、認めてもらった。

それが嬉しくて嬉しくて、フェイトは顔が真っ赤になるのを自覚する。

思わず両手を頬に当て、顔を隠してしまった。

それに、クスリとウォルター。

 

「そんなに真っ赤にならなくてもいいのになぁ」

「うぅ……」

 

 思わず俯いてしまうフェイトを、ニヤニヤと笑いながらウォルターは眺めている。

今にも床にゴロゴロと転がってしまいたいぐらい恥ずかしいフェイトは、それを発散するために、キッとウォルターを睨めつけた。

といっても、頬の赤さ故にか迫力は無いようで、ウォルターはニヤニヤ笑いを止めない。

 

「も、模擬戦、模擬戦しよう?

私、この半年で随分強くなったんだよ?」

「くく、運動しないと忘れられなさそうか?

まぁいいぜ、味方の戦力も確かめたい所だったしな」

 

 言って立ち上がるウォルターは、本当に卑怯である。

フェイトが頑張って考えている悩みを、不意打ちでアッサリ飛び越えてたったの一言で解決してしまうのだ。

だからウォルターは、卑怯である。

誰が何を言おうと卑怯である。

なので、模擬戦で一発ぐらいは当てて、罰を与えなければならない。

そんな自分すら騙せないような事を考えながら、フェイトは訓練室へと歩いてゆく。

その後ろを、僅かに沈んだ顔をして歩くウォルターが続いてゆくのであった。

 

 

 

 

 



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3章4話

 

 

 

 八神はやて、と書かれたネームプレートを確認し、ドアをノック。

引き戸になっているドアを開き、リノリウムの床を蹴り中に入る僕。

病室内には、一人の少女がベッドに座っていた。

ショートカットの茶髪にスカイブルーの瞳、肌は少し青白くてやや生気が足りていない。

触れてしまえば崩れてしまいそうな、儚げな印象のある少女であった。

二度目となる邂逅に、僕は笑顔で口を開く。

 

「よ、こんちは、はやて。フルーツ持ってきたぞ」

「こんにちは、ウォルター君。ありがとなぁ、この辺に置いといてくれる?」

 

 病人とは思えない元気な声に、僕は頷きフルーツの盛り合わせを置く。

それから近くの椅子を引っ張ってきてはやての横に座り、視線を合わせた。

 

「今日はありがとうなぁ、来てくれて」

「いいってことよ、暇だったしな」

 

 と言うと僕の言葉は謙遜に聞こえるかもしれないが、本当に暇だから困ったものである。

僕がアースラに着任してから、数日が経過した。

僕の主な待機時間はなのはとフェイトが学校に言っている間であり、その後は彼女らに引き継ぎして休憩時間となる。

僕はその休憩時間を、主に鍛錬に使っていた。

が、流石に消耗した状態で戦いミスしては堪らないので、鍛錬は結構余裕を持った物になっている。

よって休憩時間が余ってしまうのだが、その時間を僕は魔法に関する研究に使っていた。

プレシア先生の授業こそ卒業したが、知識は使わないと忘れる物だし、常に最新の研究などを取り込まなければ時代遅れとなってしまう。

そういう訳で、僕はいつも通りだが充実した時間を送っていた。

 

 が、それも昨日までである。

初日以来アースラに引きこもって待機と鍛錬と勉強しかしていない僕を見かねて、リニスさんがリンディさんと共謀して僕を外に放り出したのだ。

多分、一般的な子供らしさが無い僕への心配からなのだろう。

少しは外の空気を吸ってきたらどうですか、と僕に告げるリニスさんの顔には、明らかに僕への心配の念があった。

まぁ、僕としても、着任初日にリニスさんに言ったように、遊びを体験する事で他の何よりも信念を選んだ自信を持つ事ができるので、やぶさかではない。

何せ僕には、戦闘能力以外に関する自信が欠けているので、それを少しでも補完する事は大きな財産となるだろう。

しかし、海鳴に送り出された僕には、一つ大きな問題があった。

 

(なぁ、ティルヴィング)

(何でしょう)

(遊ぶって、どうやればいいんだろう……)

 

 という訳だった。

当たり前だが、僕は世間一般で言う遊びと言うものを殆ど知らない。

何せ7歳の時からすべての時間を信念の為に使っているのだ、事件の解決と鍛錬に絞った生活に遊ぶ余地など少しも無かった。

管理局員とともに事件に当たる時などに、子供の遊びをいくつか知る機会はあったが、ミッド特有の物が多く地球で出来る遊びなど一つも知らないのであった。

 

 それに、遊びと言うのには普通遊ぶ仲間が必要だ。

一人遊びならできるだろうが、それでは僕を送り出したリニスさんの意を十全に汲み取ったとは言えまい。

となれば誰かを誘う事になるのだが、僕の地球での同世代の知人は、僅か5人しか居ない。

なのはとフェイトは僕と入れ替わりに待機に入るので、当然不可能。

アリサとすずかは僕に対しあまり好意的ではないようだし、なのはによるとそもそも習い事が多いらしいので時間が合わない確率も高いだろう。

すると残るは一人。

先日見舞いに行ったばかりの彼女、八神はやてである。

 

 この前見舞いに行ったばかりでまた見舞いに行くのもどうかと思うが、他に思いつく事もあまり無い。

入院しておりシリアスな状況にあるはやてに、なさけない理由で僕の相手をさせるのに、抵抗が無いと言えば嘘になる。

しかし外で遊んできて欲しい、と言うリニスさんの期待を裏切るのも嫌だった。

それに、僕自身何度か入院した経験から言うと、見舞いはよく知らない相手が来てくれても割りと嬉しい物である。

が、それも僕だけの特異な感想だったらどうしようか。

そうなれば、僕の見舞いは一人よがりな押し付けになってしまわないか。

 

 などなどと思いつつも、結局僕ははやての見舞いに来てしまった。

そんな事情をマズイ所やネガティブな所は除いて簡潔に告げ、僕は続ける。

 

「ま、そんな事だから、邪魔だったら遠慮せずに帰れつっても構わないぞ?

ご家族が来るとかだったら、席を外すしな」

「はは、本気で暇みたいやなぁ」

「俺ってそんな奴だからなぁ。

まぁ、せめて愚痴だったらいくらでも聞くぜ?」

 

 と言うと、はやてはやや呆れ気味だった目に、少しだけ面白そうな色を乗せる。

興味と同時、心の奥に愚痴がすっと湧き出てきた目だな、と僕は思った。

健気な印象を受けるはやてでも愚痴ぐらいあるだろうと予測していたので、そんな光を目に浮かばせるのは想定の範囲内だ。

が、それも一瞬、はやては乾いた目になり、口を開いた。

 

「愚痴なんてあらへんよ。

石田先生はこれ以上無いぐらいよくしてくれるし、家族も私のために必死になってくれている、友達やって見舞いに来てくれるようになった。

こんなに良い人に囲まれていて、愚痴なんて言うたら罰が当たるで」

 

 そう言うはやての目は、穏やかでありながらも、何処か光の無い感じだった。

目を細め、やんわりと笑顔を浮かべて、追求の手を遮ってみせる。

まるで覇気の無いそれは、何故か僕を少し苛つかせる物があった。

自罰的な言葉の奥に、“僕”を彷彿とさせる所でもあるのだろうか。

この目は先日5人で見舞いに行った時にも感じた物で、その時は周りに人も居たので追求はしなかったが、2人きりなら話は別である。

その目の奥にある感情を読み取ろうと、僕は口を開いた。

 

「おいおい、人の愚痴を聞くのが大好きな俺に愚痴を言わないとは、ドSだなぁ、お前は」

「くす、ウォルター君ってもしかして変態?」

「あぁ、実はそうなのさ。そんな変態を助けると思って、ほらほら」

「あ~あ、今私って幸せ過ぎて困ってるんよ~、あー困った」

「それが愚痴かよ、嫌味だってそれっ」

 

 と、軽快なテンポで会話を進めると、困ったような笑みを浮かべ、はやては言う。

 

「でも、幸せなのは間違いないで?」

「……そうか?」

 

 思わず眉をひそめてしまう僕。

はやての病状は、先程聞いた通りならば、原因不明の下半身の麻痺が上半身まで登ってきているのだと言う。

詳しい事までは聞いていないが、それだけ聞けば死病に近い病気であると推察できるものだ。

加えて、はやては幼い頃に両親を亡くし、親戚の人々と一緒に住んでいるらしい。

しかも、その親戚とはやては仲が良かったのだが、最近は親戚が忙しくなり、あまり顔をあわせる事ができなくなってしまったのだと聞く。

どれも明らかに幸せとは程遠い事で、到底自分が幸せだなんて断言できる状況には思えない。

けれど、はやては言う。

 

「うん、私はこの世で一番幸せな女の子や」

「…………」

 

 そう告げるはやては、一般的には健気で可愛らしい女の子のように見えるのだろう。

けれど僕の目には、必死で自分を雁字搦めにして、不満を押さえつけている子供にしか見えなかった。

大体、愚痴が無かったり、不幸な状況になった自分に沈み込んだり、そんな事が無い人間なんて居る筈が無いのだ。

本当ははやては何か、我慢出来ない不満を抱えていて、それを必死で押し留めているように見えた。

そしてそれを自覚しており、その上で我慢しているように思えるのだ。

 

 その状況は、奇しくも僕の仮面を被る事と似ているように思えた。

辛くても必死で我慢し、自分は幸せだから何も必要ない、と言ってみせる彼女。

怖くても必死で我慢し、自分の望みだから何も我慢してない、と仮面を被ってみせる僕。

その同一性は、僕は彼女を救うべきなのではないかと胸の奥で軋む音を立てる。

プレシアの時と同じで、僕に似た彼女はせめて僕の手で救うべきではないだろうか。

 

 けれど、僕にできる事は、本当の自分を見つめていない人に無理矢理自分を見据えさせる事。

既に本当にやりたい事を自覚した上で無視しているように見える彼女に、僕ができる事なんて一つも無いのだ。

 

「そう、か」

 

 辛うじて僕が口に出せたのは、こんな言葉だけだった。

せめて戦闘関係であれば力を貸せたのかもしれないが、彼女は管理外世界の病人である。

今の僕に彼女に手出しできる事なんて、ありはしないだろう。

そんな僕の苦悩が顔にあらわれてしまったのか、はやては申し訳なさそうに俯く。

それに無駄だと分かっていながらも、つい僕はこう言った。

 

「ま、幸せだっつーんならいいんだけどさ。

人生何があるか分からないし、俺の力が必要になる事があれば、せめて俺ぐらいには何の遠慮もなく助けを呼んでくれ。

その時は、何があっても犠牲一つなく、助けてやるさ」

「そんな事あるんかなぁ」

 

 苦笑気味に言うはやての言うとおり、そんな状況などまず無いに等しいだろう。

彼女のような薄幸少女と僕のような魔導師とでは、この接点ですら不自然なぐらいだ。

だから僕は、すぐに相好を崩して答える。

 

「だよなぁ、無いよなぁ……。

でもま、約束するさ」

 

 そんな僕の情けない顔が面白かったのか、はやては口に掌をあてクスクスと笑った。

僕もまた顔を微笑みの形にしたまま、はやてと一緒に笑った。

次の話題に移るまでの間、僕らは2人して小声で笑い続けるのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「でな、ウォルター君が見舞いに来てくれたんよ」

 

 はやてがそう告げると、花瓶の水を替えようとしていたシャマルが動きを止めた。

首を傾げつつはやてがベッド横に視線を戻すと、ヴィータもまたわずかに目を見開いている。

 

「なんや、2人ともウォルター君の事知ってるん?」

「……いいえ、そういう訳ではないんですが」

「そんな奴の事、知らない」

 

 という2人の言に、ひとまずこの場は納得の色を見せるはやて。

頷きつつにこりと微笑みかけ、そっか、と答える。

それに安堵したのだろう、2人もまた笑顔でそれに答えた。

 

 ヴォルケンリッターの2人は、最早八神家に戻る事もなく蒐集を続けていた。

必然はやての世話をする頻度は少なくなり、こうして見舞いに来る事も滅多に無くなる。

せめてシャマルは近くに居たいとはやてに言ってきたのだが、事がシグナムとザフィーラの命に及ぶとなるのだ、はやてはそちらを優先するように言った。

渋々ながらも2人は了承し、結果はやてが2人の顔を見るのは数日ぶりとなる。

はやてはそれを寂しいと思わなくもないが、それでも以前ヴォルケンリッターたちとの距離を感じていた頃よりマシだと思っていた。

ただ、今のはやてはそれ以上の苦しみを味わっている。

何時家族であるシグナムとザフィーラが命を落とすのか分からない、という苦しみをだ。

そんな苦悩をおくびにも出さず、はやては続けて口を開く。

 

「まぁ、此処で話すには微妙な話でもあるしなぁ……」

 

 苦い顔をするヴィータとシャマルであるが、仕方のない話である。

あの発作が起きた日以来はやては病院から出る事はできず、どこに目耳があるのか分からない病院で魔法の話をする事はできない。

結界は管理局が地球を監視している現状万が一を考え使えないし、念話はリンカーコアを侵食されているはやてには使えないのだ。

よってはやてはヴィータとシャマルが敵対する管理局の魔導師の名前を一つも知らないし、シグナムとザフィーラを捕まえた魔導師の名前だって知らない。

尤も腹芸ができるか不安の残るはやてである、地球で出会う可能性が万に一つとは言えあり、知っていた所で何もできない以上、元々魔導師の名前は教えられなかったかもしれないが。

そんなはやてにできることは、ヴォルケンリッターの名前を出さないようにする事だけである。

 

 ついつい暗い顔をしてしまったはやてに釣られ、ヴィータとシャマルも物憂つげな顔になる。

そんな2人に気づき、はやては軽く自らの両頬をペチン、と叩いた。

なるべく優しげな目を意識して2人へ視線をやり、言う。

 

「ごめんな、辛気臭い話してもうて。

話を戻そか、この前ウォルター君が一人で見舞いに来たんよ」

「それでそれで?」

 

 はやての意を汲み取り、ヴィータもシャマルも顔から暗い感情を取り除いた。

ヴィータはベッド横の椅子に座ったまま前のめりになり、興味深げに相槌をうつ。

シャマルは聞き耳を立てながら、花瓶の水を取り替える作業に戻った。

 

「何の変哲もない会話やったけど、矢鱈と覇気のある人でな?

5人で来てくれた時もそう思ったけど、やっぱり一対一の時の方が強く感じたかな。

なんていうか、こう……」

 

 言いつつ、はやては両手を胸に当てる。

それから両手をグッと握りしめ、続きを口にした。

 

「よっしゃー、生きてやるぞー、って気が湧いてくる感じになるんや」

 

 事実であった。

ウォルターとの会話は、まるで心に栄養をもらっているかのような気分になった。

何の変哲もない会話でも、不思議と心の底から覇気が湧いてくるかのようになるのだ。

気のせいか、体中を走る痛みすらも少なくなるような気さえするほどである。

 

「別に他の子達の見舞いが駄目って言う訳じゃあないんやけど。

でも、ウォルター君はやっぱり特別かなぁ、一緒に居るだけで心が燃えてくるんや。

石田先生もちょっと驚いてたで?」

 

 というのは、病は気からと言う言葉の通り、ウォルターの見舞いがあった直後のはやては矢鱈と調子が良かったのだ。

まだ二回しか無いので正確な因果関係は分からないが、もしそうならウォルターの効果は物凄い物である。

ウォルターを解析してウォルター波マシンでも作れば、一財産になるのではないか、などと石田と馬鹿話をしたものだった。

 

 そうやって話をしているだけでも、はやての胸の内にウォルターの覇気が僅かながら蘇る。

心の奥に火が灯り、その熱さで僅かに頬を紅潮させながら、はやては語った。

 

「そんでウォルター君にも、なんか元気出るなぁ、って言ったら、彼はこう言ったんや。

“それは俺の力だけじゃあない。

俺にできたことは、お前の中にある本当の願いを引き出す事だけだ。

つまり、お前の心に、生きたいって気持ちが眠っていたっていう事なのさ。

その気持ち、大事にしな”

——ってな」

 

 はやてにとっては、意外な台詞であった。

八神はやてにとって、家族が全てだった。

家族がみんなで揃っており、看取ってもらう事ができるのならば、死ぬ事だってそれほど怖くはなかったのだ。

けれどウォルターの言によれば、はやての中にはまだ死にたくないと言う気持ちが眠っていたらしい。

ウォルターは、それを引きずり出してくれたのだ。

はやてにはそれに感謝すればいいのか恨めばいいのかまだ分からないが、少なくとも格好いい台詞な事だけは確かだった。

 

 そんな風に嬉しそうに語っていたはやては、ふと、ヴィータとシャマルの顔に困惑の色がある事に気づく。

矢張りウォルターについての事柄は、少し大げさに聞こえてしまうのだろうか。

はやては断じて誇張したつもりはないのだが、それでも10歳児に与える評価としては大きすぎるのも確かだ。

直接目にしていなければ、困惑するのも無理は無い。

そう思い、はやては話を変え、すずかを始めとした4人の事を話し始めた。

 

 はやての近況報告が終わり、2人の見舞いの時間も終わりが近づいてきた頃。

不意に、シャマルが口を開いた。

 

「そういえば、はやてちゃん」

「ん? 何や、シャマル」

 

 静謐な瞳で、シャマルははやての瞳を縫い付けるかのように鋭く見た。

僅かに困惑するはやてに、シャマルは続ける。

 

「シグナムとザフィーラが一旦帰郷する事になった事情を作った人の事……、どう思っています?」

「どうって……」

 

 とオウム返しに言いつつ、はやては考えこむ。

シグナムとザフィーラが事情あって帰郷していると言うのは対外的な言い訳。

勿論その人物と言うのは、ヴォルケンリッター4人がかりでも敵わなかった超常の魔導師である。

さて、その人物にはやては一体いかなる感情を持っているのだろうか。

自問して、はやては返ってきた答えに少し吃驚した。

憎い。

素直な気持ちを言い表わせば、そうなってしまうからだ。

 

 元々、悪いのはヴォルケンリッターである。

いくら人の命がかかっているからと言って、了解を得ずに他者に多大な迷惑をかけてまで蒐集をする事が許される訳ではない。

加えて管理局にも手を出していると言う事は、治安維持組織の戦力を低下させている事に他ならないのだ。

それによって間接的に増える犯罪の犠牲者を思えば、はやてとヴォルケンリッターが悪である事に異存はない。

この事は、主であるはやても分かっている事である。

だが、家族を直接奪った、その魔導師だけは。

家族の命を危険に晒す直接的な原因となった、その魔導師だけには。

隔意を感じずには、居られなかった。

 

 こうしてシグナムとザフィーラと顔を合わせる事が無くなり、はやては家族の命が危険に晒される苦しみを初めて味わった。

怖かった。

自分がベッドの上で呑気に寝ている間に、シグナムとザフィーラが死んでしまうかもしれないと思うと、怖くてたまらなかった。

夜寝る時、朝になって“新しい”シグナムとザフィーラが目前に居たらどうしようと思うと、不安で眠れなかった。

これがほんの僅かな間であれば、はやては誰かを恨む事など無かっただろう。

しかしジワジワとはやての心に染み渡るような絶望は、はやての心を強く蝕んだ。

逆恨みだと、分かっている。

けれどはやては、その魔導師に憎しみを覚える事を避け得なかった。

もしもシグナムとザフィーラに決定的な何かがあった時、その憎しみもまた決定的になるだろうと言うぐらいには。

 

「……思う事は無い訳やないけど、悪いのは私達や。

憎いとか、そういう事は無いで?」

 

 そんな内心をおくびにも出さず、はやては笑顔で言った。

心の奥でドロドロに堆積するその気持ちを、愛する2人の家族に告げたくは無かったのだ。

そんなはやての内心に気づかなかったのだろう、シャマルがほんの僅かに安堵のため息をつく。

逆に何処か聡い所のあるヴィータは、はやての内心に感づいたのか、困惑した表情を作った。

それでもはやてが手を伸ばし、その頭を撫でてやると、誤魔化されてくれてその表情も消える。

それを細めた目で眺めながら、はやては遠くシグナムとザフィーラに思いを馳せていたのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 鉄格子で2つに区切られた部屋の中。

壁から座席がせり出す形になった部分に、シグナムとザフィーラは腕組みし座っていた。

瞼は閉じたまま、2人は呼吸の僅かな動きを除き微動だにしない。

そんな室内に、ピッ、と電子音が響いた。

直後扉が排気音と共に開き、外の光が中に差す。

現れたのは、ウォルターであった。

 

「よ、今日の魔力供給にきたぜ」

 

 と短く告げつつ、ウォルターは出入口で扉が締り、きちんとロックされた事を確認。

分けられた部屋の中心辺りに歩み寄るウォルターに、目を開いたシグナムとザフィーラは立ち上がり、頭を下げる。

 

「毎度済まないな」

「いいってことよ、捕縛したつもりなのに死なれちゃ後味が悪いしな」

 

 言いつつウォルターは鉄格子越しに立ち、ティルヴィングをセットアップ。

室内では振り回すのも難しい程の巨剣を、床に突き立てるようにする。

直後、ウォルターの体から白いもやのような物があふれ始めた。

それがティルヴィングの緑色のコアにまとわりつき、微かな白光となる。

それから、ウォルターが口を開いた。

 

「ティルヴィング」

『ディバイドエナジー、発動』

 

 機械音声と共に、ティルヴィングのコアを通し、2人に白いラインが走る。

直後、シグナムの胸元にラインがたどり着いた。

シグナムはそれを目を閉じながら受け止め、次いで来る魔力の暖かな感触に口元を緩ませる。

シグナムが魔力で体を保っているからか、ウォルターの手で魔力供給される事は、心地良い感覚であった。

と言っても、魔力の供給には数分かかり、毎回その間は他愛のない話をする事になっている。

すぐに経路を確立したのだろう、ウォルターが口を開くのが、その始まりの合図であった。

 

「うし、あとはほっとけばオッケーだな」

「ありがたい事だな、恩に着る」

 

 言いつつ、シグナムは目を細める。

一度は死を覚悟して闇の書とのリンクを切り、主はやての下へたどり着く情報を遮断した。

かつての闇の書の主の一人に、管理局ではない当時の治安維持機関に自首した者が居たが、何の罪も無いと言うのに徹底的に人体実験をされ、闇の書の転生先を調べる為のデータ取りをされたのだ。

それを考えると、闇の書の主が管理局に捕まれば、罪の有無に関わらずろくな目に会わないのは確実である。

 

 故にシグナムは、命を賭してでも主はやてが見つかる可能性を排除した事に、後悔はなかった。

なかったが、辛い選択だったのは確かだ。

間違いなくはやてを悲しませる事になってしまうし、シグナムの好きなはやての笑顔を見る事すらできなくなってしまう。

はやてが闇の書の主として全快したとしても、新しいシグナムとザフィーラを見る度に悲しませてしまう事は避けられないだろう。

だから、生きる事ができると聞いた時、シグナムは思わず喜びを顕にしてしまった。

シグナムが死んでから新しいシグナムが発生するまでにどのぐらいの時間がかかるかも不明瞭なのだ、ならば主を悲しませる事の無い可能性がある現状はどう考えても歓迎すべきである。

勿論その感情を管理局に気取られては、主の人物像を絞られてしまう。

が、それでも、命を救った恩人であるウォルターに対し、非礼は許されない。

故に少なくともウォルターに対しては、シグナムは礼を尽くしていた。

そんな2人に対し、ウォルターは微笑みながら口を開く。

 

「相変わらず、シグナムは丁寧でザフィーラは無口だなぁ」

「そうか?」

「……む、気に触ったのならすまぬ」

「いや、気に障るとかは無いがな」

 

 首を傾げるシグナムに、なんとも言えない顔をするザフィーラ。

2人にウォルターは苦笑しながら返し、ティルヴィングを持ち替え僅かな金属音を鳴らす。

シグナムがウォルターに対し礼の言葉で返すのに対し、ザフィーラは寡黙で礼の行動で返している。

図らずとも、主はやてに対する態度と似たような物となってしまった。

そう思うと、矢張り自分たちはウォルターに対し、敵ながら敬意を持っているのだろう、とシグナムは思う。

 

 当然ながら、ヴォルケンリッター4人を相手に圧倒したウォルターの強さは、素晴らしい物だ。

それもウォルターから聞く限り、才能だけでなく不断の努力によって作られた強さだと言うのがよく分かる。

流石に年齢的に才能に頼る部分も多いが、それでも驚くべき努力の密度であった。

それだけでも尊敬に値すると言うのに、ウォルターはシグナムとザフィーラに魔力供給ができるほどに優れた魔法技術を持っている。

文武両道とはこの事か、とシグナムはウォルターに対し尊敬の念を持って相対していた。

 

 そんなウォルターは、何時も態度も自信に満ちあふれていており、主の事を話せない2人に対し話題を提供してくれる。

口下手なシグナムはそれに感謝しつつも乗り、局員相手にはできない肩の力の抜けた聞き役をやっているのだ。

なのだが、今日のウォルターは、少し様子がおかしかった。

口ごもってばかりで、何を言おうとしているのかよく分からない事が多い。

どうしたものか、とシグナムが内心首を傾げるのに、ウォルターは片手で頭をかきながら、やっとの事口を開いた。

 

「ちょっと最近、使い魔の事で悩んでいてな。

ザフィーラは守護獣だから、使い魔の気持ちが少しは分かるだろう?

シグナムは使い魔って訳じゃあないが、主に仕える立場として、感想を欲しいんだが、構わないか?」

「……あぁ、構わん」

「俺も右に同じく」

 

 頷く2人に、ウォルターは目を細め、遠くを見るようにして言う。

 

「俺に使い魔として仕えたい、と言う人が居てな。

小さい頃……つっても今も小さいが、3年ぐらい前からの知り合いでさ。

主が病魔に侵されて契約破棄した人なんだがな。

俺は、その人との使い魔契約を、断ろうと思っている」

 

 意外な言葉に、シグナムは目を瞬いた。

ウォルターであればその言葉に是とするのでは、と思っていたのだが、そう来るとは。

しかし、かなり曖昧な情報のみである、そういう事もあるか、とシグナムは内心独りごちた。

ウォルターは目を細めながら足元に視線をやり、決まり悪そうに続ける。

 

「ただ……俺は、その理由を言えないんだ」

「……何?」

 

 反射的に、シグナムは鋭い声を出した。

忠誠を断るのであれば、せめてその理由は伝えて欲しい物だ。

例えその忠義が重いとか、その程度の理由でも、話しては欲しい。

そんなシグナムとザフィーラの様子が予想通りだったのだろう、ウォルターは頷きながら言う。

 

「その理由が、理由を他者に話す事で効力を失うような理由なんだ」

「……それは、確かに、何も言えないが……」

 

 シグナムは苦しげな声を漏らしつつ、考えた。

確かに、それではウォルターとしては何も言うことができないだろう。

それでも同じ忠誠を主に誓う者としては、苦言を呈したいものだ。

だが、そもそも忠義とは主の為に持つ物で、主の不利益になってしまっては本末転倒である。

仕方なしか、と答えようとするシグナムを遮り、ザフィーラが口を開いた。

 

「つまり、背中を押して欲しいのか?」

 

 ウォルターが、目を見開いた。

ウォルターの言う通りなら、それこそ他者に口を出せるのは背中を押すことぐらいしか存在しない。

すぐに自分がどんなことを口走っていたのか気づいたのだろう、ウォルターの顔に苦い物が走る。

しかしそれも一瞬、何時もの、いやそれ以上に覇気に溢れた顔になり、ウォルターは口を開いた。

 

「……悪い、どうやらそうだったみたいだな。

格好わるい所見せて、済まない」

 

 言って、ウォルターは伏せていた視線を2人に寄越す。

まるで物理的に風が押し寄せるかのような、凄まじい威圧が2人を襲った。

遠い記憶、圧縮されて記憶の片隅に押しやられていた、戦乱の時代が蘇り、シグナムは目を瞬く。

ウォルターの持つカリスマとでも言うべき威圧は、聖王や他の書の主と比しても遜色ない程である。

思わず武者震いをしてしまうシグナムを他所に、ウォルターが言った。

 

「借りを作っちまったみたいだな。

なんか相談があれば聞くけど、あるか?」

 

 言われ、2人は目を合わせる。

それから視線を床にやり、小さく内心でため息を付いた。

悩みがあるといえば、ある。

闇の書の真実について、である。

クロノを代表とするアースラの乗組員達から、シグナムらは管理局における闇の書がどんなロストロギアか説明された。

主を乗っ取り、純粋な破壊にしか使えず、破壊をまき散らした後アルカンシェルで消滅させられ転生を続けるロストロギア。

主はやての未来を作る事などできず、むしろその未来を閉ざすことしかできない物。

 

 勿論その事実は管理局における情報でしかない、間違いがあったり意図的に歪められた情報を与えられている可能性はある。

しかし、根拠となるデータの信憑性から鑑みるに、その事実が真実である可能性は非常に高い。

かと言って、蒐集をやめれば主はやての麻痺が強まりいずれは命を落とす事にしかならない。

最早八方塞がりと言うしかない状況である。

それでも手があるとすれば、蒐集の道しかない、と言うのが2人の結論であった。

どの道破滅ならば、奇跡的に主はやてが闇の書の暴走を止められる可能性にかけるしかない、と言う事からの判断である。

 

 だが、とシグナムは思った。

この眼の前の男であれば、何か他の手段が思いつくかもしれない。

ウォルターは他者にそんな印象を与える所があって、それに縋る自分たちはまるで誘蛾灯に群がるかのようだ。

情けない、と自分でも思う。

敵に頼らねば状況を打開できず、それで騎士を名乗るとはお笑い種だ。

けれど結局、シグナムは口を開いた。

 

「もし、闇の書の完成が防げなかったら……お前はどうするつもりだ?」

 

 内心の吐露にザフィーラが一瞬苦い顔をしたが、シグナムの言を遮る事は無かった。

ウォルターは少しだけ視線を泳がせ、すぐに視線を戻し言う。

 

「ま、最悪の場合はアルカンシェルに頼る事になるんだろうけどよ。

その前に、俺にはやる事がある」

「……やる事?」

 

 オウム返しに問うシグナムに、こくりと頷くウォルター。

そして彼は、白い歯をきらめかせ、男臭い笑みを作りながら、片手を天に向けて掲げる。

渾身の力を込め、手を震わせながらゆっくりと顔の前まで下ろしつつ、その手を握りしめた。

まるで天から降り注ぐ星々を掴むような、力強い仕草であった。

 

「勝つ。暴走した闇の書を、俺が勝って止める」

「…………っ」

 

 思わず、シグナムとザフィーラは息を呑んだ。

予想だにしなかった言葉に、シグナムの内心に僅かな炎が灯る。

胸の奥に堆積した暗くてジメジメした物を、炎が撫でるようにして燃やし始めるのをシグナムは感じた。

 

「今までは、暴走した闇の書が強すぎてアルカンシェルで消滅させるしか無かったから、暴走を止められなかったんだろ?

ならその闇の書を魔力ダメージでノックダウンできれば、その間に主の手で闇の書を掌握できる可能性がある。

ま、その辺は闇の書の主の良識に期待、って所だが」

 

 ウォルターはそう言ってみせるが、完成された闇の書の力は絶大である。

クロノらから見せてもらった資料によると、高位魔導師10人近くのチームですら闇の書には勝てなかったと聞く。

この世のどんな魔導師でさえ、完成された闇の書の主には勝つ事はできない。

 

 けれど、だけれども。

この男であれば、分からない。

そんな非論理的な思考が、シグナムの脳内を踊った。

何故だろう、彼の言葉から聞くと、どんな事でもできない事は無いように思えてくるのだ。

腹腔は熱く、喉はカラカラで、目は限界まで見開かれ、血潮は熱く全身を巡る。

ウォルターの圧倒的な存在感に、シグナムは軽く畏怖をさえ覚えた。

永い時を戦いに費やした、シグナムがだ。

 

「……ありがとう」

 

 思わず、シグナムは小声で呟くように言った。

それでさえもきちんと聞き取ってくれたのだろう、ウォルターは圧力を弱め、微笑みを形作りながら頷く。

ようやくウォルターから発せられる威圧が弱まり、小さくシグナムは安堵の溜息をついた。

 

 もしかしたらこの男であれば、例え闇の書が暴走しようとも、主を救ってくれるかもしれない。

根拠のない確信に、シグナムは目が潤むのを感じる。

涙が溢れる前に、と拭い取り、シグナムは改めて告げた。

 

「頼むぞ、ウォルター」

 

 シグナムは満面の笑みを浮かべてそう口にする。

対しウォルターは、あの猛禽のような鋭く男らしい笑みで、こう告げるのだった。

 

「応、任せろっ!」

 

 まるで絵画から飛び出してきたかのように美しいシグナムと、それに答えるカリスマに満ちたウォルター。

その場面はまるで神話の中から引っ張りだしてきた場面であるかのように、神聖で、犯しがたい物であるように思えるのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 地球では12月24日は、特別な日らしい。

宗教関連の日らしいのだが、日本では形骸化し男女や家族が共に過ごす日になっているのだと言う。

僕の年代の子供たちは、親しい仲間と集まってパーティーをし、プレゼントを交換したりするのだとか。

僕もその御多分にもれず、なのは達から誘いが来た。

はやての所にサプライズでプレゼントを持っていこう、と言う計画があるらしいのだ。

 

 僕は当然、柄じゃあないと断った。

一応プレゼントだけは渡してあるのだが、はやてを含めた4人のテンションの高さに、ついていけそうになかったのだ。

一度最初にはやての見舞いに行った時など、僕は殆ど喋れていなかったぐらいである。

日本では箸が転んでもおかしい、とか言うらしいが、あの4人は正にそんな感じのハシャギっぷりだった。

元気だなぁ、とか思ってしまう僕は、老けているのだろうか。

兎も角もう女の子達の中で一人男が混じり、置物みたいにじっとしているのは、勘弁してもらいたい。

 

 せめてもの心遣いとして、プレゼントは真剣に選んだ。

意外に思える話かもしれないが、僕はクイントさんから何度かプレゼントを貰っているし、スバルとギンガに何度かプレゼントをした事もある。

勿論地球の流行はよく分からず、プレゼント選びは難航し、恐ろしいほどの時間がかかってしまったが、それなりの物は選べたつもりだ。

といっても、地球では未成年扱いなので、怪しまれないようあまり高い物は選べなかったのだけれども。

 

 まぁ何にせよ、これであのなんとも言えない空間に参加しなくて済む、と思ったが、それでも甘かったらしい。

断固拒否した僕に、それじゃあ念話で実況してみるね、と告げるなのはとフェイト。

ものすごく嫌な予感がした通り、キャッキャウフフな話が念話を通じてきたのであった。

僕は死んだ目になりながら少しは我慢したのだが、やがて力尽きて念話をこちらから閉じた。

よくあんなに元気に喋れるもんだな、と思いつつ、僕は休憩室に足を伸ばす。

結果、奇しくも後で探すつもりだったリニスさんと出会い、2人で軽く話でもする事にしたのであった。

 

「ははは……、確かに女の子に付き合うのは大変かもしれませんね」

「まぁな、男相手ならまだマシなんだが……」

 

 クリーム色の机に突っ伏す僕にクスクスと笑いながら、リニスさんは珈琲を口にする。

文字通りの猫舌らしく、ふぅふぅと冷ましながら飲むその姿は、なんだか子供っぽく見える。

いつも大人びた仕草ばかりだからか、その姿はなんだか可愛らしくって、僕は思わず微笑みを漏らしてしまう。

そんな僕を尻目に、ちびちびと珈琲を飲みながらリニスさん。

 

「と言っても、ウォルターに男友達は居るのですか?

聞いた事が無いんですけれども」

「……ユーノ、とか?」

「何で疑問詞なんですか……」

 

 言っている僕からして自信が持てず、疑問詞になってしまった。

何せユーノとはPT事件解決からあまり会っていないし、会話も少ない。

そして僕の密かなユーノへの嫉妬は未だ燻っており、2人になっても何処かぎこちない会話になってしまう。

知り合い以上友達未満、と言うのが正解だろうか。

 

「まぁ、俺はかなり人に恨まれる仕事をしているからな。

自衛手段の無い友達が増えても、困る事が多い」

「つまり、男友達が居ないんですね……」

 

 呆れたように言うリニスさんだが、女友達だって多いとは言えない。

せいぜいクイントさんとギンガにスバル、リニスさんになのはとフェイトぐらいか。

他にも事件を解決する際仲良くなった相手は居るが、プライベートでも親交があるのはこれぐらいである。

 

 そんなくだらない話をしているうちに、休憩室に居る人もまばらになり、ついには僕ら2人だけになってしまった。

空調の低い音だけがその場に響き、僕ら2人も何となく無言で、時折飲み物を飲む喉音ぐらいしかしない。

しばらくそうしているうちに、僕はふと先日シグナムらと話したことを思い出す。

 

 僕は数日前、シグナムとザフィーラにリニスさんとの関係について話した。

“俺”が悩みを漏らすなどとやってはいけない事だと前なら思っていただろうし、それを表情に出す事など皆無だっただろう。

だがしかし、僕の表情には迷いが現れていたらしく、シグナムらにそれを指摘されてしまった。

それでもいつもなら誤魔化してしまおうと思う所で、僕は不意にクイントさんの言葉を思い出したのだ。

——私には吐き出せない他の部分を吐き出す相手が貴方には必要だわ。

人に頼る、という事は、僕にとっては仮面がバレてしまう可能性がある上に、“俺”と言う虚像を揺るがしかねない事だ。

だからこれまでは、なるべく人に頼らずに生きてきた。

けれども、クイントさんの言葉を思い出した僕は、自然とシグナムらにリニスさんとの事を話してしまっていた。

ばかりか、それが背中を押して欲しい甘えだった事を諭されまでしてしまったのだ。

顔から火が吹き出そうなほど恥ずかしかったが、不思議と心地良い答えだった。

 

 それに思う事はあるが、それよりも今はリニスさんとの関係についてである。

結局僕は、リニスさんとどんな関係になるべきか、決めているのだ。

効率的にも心情的にもそれしか選べない、と言う選択肢が決まっており、それを実行できなかったのは、僕の心の弱さ故にである。

そんな僕の背を押してくれたシグナムとザフィーラの期待に答えぬ訳にはいかない。

丁度、今日は地球で言うクリスマスイブという特別な日なのだと聞く。

リニスさんに使い魔にできないと告げるのに、良い切欠になるだろう。

 

 思うが早いか、僕はリニスさんの目を覗きこんだ。

そして大きく息を吸い、結論を告げようとして。

正にその瞬間、背筋に悪寒が走った。

 

「——っ!?」

 

 思わずその場で立ち上がり、胸元のティルヴィングに手を伸ばす。

が、僕の勘は危険は僕にあるのではない、と直感していた。

驚き目を丸くするリニスさんに、急ぎ告げる。

 

「嫌な予感がした、なのは達が危ない!」

「へ? ……いえ分かりました、念話は?」

「通じない……、糞、妨害結界の中かっ!」

 

 さっきまで念話を閉じてあったので、何時通じなくなったのかは分からない。

叫びつつ僕は走りだし、アースラのトランスポートに急ぐ。

後ろをついてくるリニスを尻目に、リンディさんに念話を繋いだ。

 

(リンディさん、こちらウォルターだ。

物凄い嫌な予感がする上、なのは達と念話がつながらない。

地球の海鳴大学病院に行ってくるっ!)

(海鳴大学病院? ……分かりました、こちらからもサーチャーを回してみます)

(頼んだぞっ!)

 

 トランスポートの前についたので強引に通信を切り、転移魔法を展開。

一拍遅れて飛び込んでくるリニスさんを抱きしめ、2人で海鳴市の病院近くに転移する。

到着と同時、誰かの封時結界が発動。

ギリギリで僕らを入れながら、馬鹿でかい結界が完成する。

 

「矢張り結界の中心は病院か。

……ち、アースラとの念話が通じなくなった。

だが、恐らく代わりに……」

「えぇ」

 

 短く答え、リニスさんが念話を繋ぐ。

 

(フェイト、聞こえますか?)

(リニス!? 良かった、来てくれたんだね。

今ヴィータとシャマルと鉢合わせになって、戦闘になろうとしている所で……)

 

 と、状況把握をしようと思った正にその瞬間である。

背に凍土が生まれる感覚。

咄嗟にリニスさんを突き飛ばし、僕は斜めに防御魔法を張る。

それと殆ど同時に、黄土色の極太の閃光が激突。

なんとか後方に弾いて体勢を立て直し、僕はその発射源の空中に視線をやった。

 

 壮年の男であった。

白くなった髪の毛をオールバックにしており、手には高価そうな杖型デバイス、バリアジャケットは管理局制式の物をカスタマイズした物。

蓄えた髭に鋭い目付き、顔に刻まれた皺は彼が長年戦い続けた勇士である事を教えてくれる。

一度、リンディさんに連れられ挨拶しにいった事があるから、誰だかは僕にもすぐに分かった。

リニスさんはあり得ない物を見る目で、その男を見つめる。

 

「ギル・グレアムか。

俺たちに何の用事だい?」

 

 自然と僕は、敵に対してするよう彼の事を呼び捨てていた。

セットアップしたティルヴィングを両手で持ち、構える。

戦闘態勢に入った僕に、表情一つ変えずにグレアムは告げた。

 

「まさか私自身が出る事になるとは思わなかったが……。

老いたとしても、時間稼ぎぐらいはできるだろうからな」

 

 次いで手にもつ錫杖をこちらに向け、黄土色のスフィアを幾つも背に浮かべる。

そのいずれもが超常の魔力が込められており、管理局でも屈指の実力を持つ魔導師の名が伊達ではない事を示していた。

薄く笑い、僕もまた白光の魔力をティルヴィングに込める。

小さく肩をすくめて、皮肉げに言った。

 

「何であんたが此処に居るのか知らんが、あんたが敵だって言う事だけは直感で分かるな」

「……隣に居る彼女のように、少しぐらいは動揺してくれるのを期待していたのだがね」

 

 ちらりと視線をやると、リニスさんはどうにか戦闘態勢を取ってはいるものの、動揺を抑えきれていない様子である。

体は震え、頭は真っ白になっているようで、戦闘能力を十全に発揮できるようには見えなかった。

それも致し方ないだろうが、動揺で足手まといになられると困る。

僕は念話でリニスさんに告げる。

 

(俺が奴を相手にするから、リニスさんは先になのはとフェイトの方へ……)

(いえ、見たところグレアムは相当な実力者です。

ウォルター一人では、突破に時間がかかるでしょう。

相手の目的は、自称ではありますが時間稼ぎ。

それを打ち破るには、2人で速攻した方が良いでしょう)

 

 僕は隣に立つリニスさんに、ちらりと視線をやった。

流石に動揺の色を隠せないが、それでもさっきまでに比べれば雲泥の差である。

よほど自分が足手まとい扱いされて悔しかったのだろうか。

何にせよ、共に戦う為の及第点は超えているだろう。

そう判断すると、僕は目を細め、言った。

 

(そうか、それじゃあ俺たちの初のコンビでの実戦を、始めるとしようか)

(……えぇ!)

 

 嬉しそうに告げるリニスさんと共に、僕はグレアムを睨みつけた。

足元に白い三角形の魔法陣が展開、反発で僕は空中に吸い込まれるように飛び立つのであった。

 

 

 

 

 



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3章5話

 

 

 

「えへへ……、楽しかったなぁ……」

 

 小さく呟きつつ、ベッドの上ではやては自身を抱きしめた。

今はすっかり暗くなってしまったはやての個室には、先程までヴィータにシャマル、すずかにアリサになのはとフェイトが滞在していたのだ。

なんでかヴィータとシャマルの2人となのはとフェイトの2人がぎこちないような気がしたが、そんな事は気にならない。

何せ、はやての大切な家族と大切な友人、その両方が揃っていたのだから。

 

 夢のように楽しい時間だった。

胸の奥から次々に言葉が湧いて出てきて、終わってみればもう何を話したのか全然分からないぐらいに興奮していたのであった。

それでも、その楽しさだけは胸の奥に刻み込まれたかのように残っている。

もし闇の書が完成して、家族全員で過ごせるようになったら。

その時は、すずか達4人に加えウォルターも自宅に招待して、みんなでこんな夢みたいな時間を過ごしたい、とはやては思った。

 

 勿論、はやては闇の書を完成させるのに犠牲が必要である事は知っている。

幾多の屍の上に立って生きる自分が、本当に笑って生きていていいのかも分からない。

けれど、せめて夢見る事ぐらいは許して欲しい、とはやては思う。

ヴィータが居て、シャマルが居て、シグナムが居て、ザフィーラが居て、友達が居て。

みんなで遊ぶ事ができたら。

みんなで一緒の時間を共有できたら。

それは、とても素晴らしい事に思えて。

 

「うん、頑張ろうっ」

 

 だからはやては、体を苛む激痛にも、立ち向かって行ける。

時折今にも顔を歪ませ泣きたくなってしまうぐらいの激痛も、笑顔でやり過ごせる。

心の中に、希望があるから。

夢があるから。

だからこそ、自分はこれからも頑張っていけるのだ。

はやてはそう思い、小さく破顔した。

 

「きゃっ!?」

 

 そんな時の事である。

はやては、急に目の前が真っ白な光で覆われるのを感じた。

咄嗟に目をつぶって光をやり過ごす。

すると次の瞬間、体中を冷たい夜風が襲った。

膝下が触れる床の感触もまた、固く冷たい。

思わず震えながらおずおずと目を開くと、そこは夜闇の病院の屋上であった。

晴れた夜空には星々が綺麗に見え、高い場所だからか遠くの山々まで遮られる事の無い夜闇が広がっている。

そんな光景にぽつんと浮かび上がる、三人の少女の影があった。

なのはとフェイトが正面空中に浮いており、ヴィータがその間に磔になっている。

 

「……え?」

 

 いきなりの情報量に、はやての思考が停止した。

何故なのはとフェイトが空中に?

何故ヴィータが磔に?

そもそも、何故自分は今此処に?

疑問詞が膨れ上がり弾けそうになった瞬間、なのはが口を開いた。

 

「君の病気は、もう治らないんだよ」

 

 昼間とは打って変わったなのはの言葉は、はやての心を貫く槍のようであった。

臓腑をえぐられるような痛みを感じ、はやては自身の胸に両手を当てる。

すかさず、続けるフェイト。

 

「闇の書の呪いと言う病気……、それは君が死ぬまで治らない」

「そう、君は死ぬんだよ」

 

 改めて他人に言われると、ショックは否めない。

けれど、だけれども。

はやては、その呪いを解こうとしている家族を信じている。

ヴィータとシャマルが闇の書を完成させて、シグナムとザフィーラを助けられるのだと信じている。

だから、硬い声ではやては言った。

 

「そんな事あらへん、闇の書を完成させれば私は死なないってヴィータが言うてた。

それに、そんな事より、ヴィータに何してん?

この子を早く下ろしてっ!」

 

 叫ぶはやてに、しかしなのはもフェイトも口元を歪めるばかりだ。

あざ笑うばかりのその表情には、欠片の優しさも見受けられず、はやてを嘲笑する邪悪な意思が見て取れた。

浴びせかけられる悪意に、はやては僅かに怯えを感じるも、キッと2人を睨みつけ、それを覆い隠す。

怯えは確かにあるが、ヴィータを思う気持ちがそれを遥かに上回っていた。

 

 それにしても、とはやては思う。

なのはとフェイトはヴィータとシャマルの言っていた、管理局とやらの魔導師なのだろうか?

性格が何時もと大分違うが、闇の書相手に冷徹になっているのだろうか。

様々な疑問詞がはやての中をめぐるが、それを待つ筈もなく2人は続ける。

 

「貴方もこのプログラムも、残念だね」

「この子達は、プログラムなんかじゃ……!」

 

 なのはの暴言にいきり立とうとしたはやての頭に、冷水をかぶらせるような一言が響いた。

 

「とっくに使えなくなっている闇の書の機能を使えると、思い込んで」

「……え?」

 

 呆然と、はやては呟いた。

全身から思考による統制が奪われていき、脱力する。

まるで重力が増したかのように、はやてはその体をだらりと地に近づけた。

ただ2人を見据えるその目と、それを支える首だけが、辛うじて脱力を免れる。

 

 はやては頭の中が真っ白になるのを感じた。

闇の書の力が使えない?

それじゃあどうなるのか。

はやては死ぬ、それは元通りになるだけだ、怖いけど別にいい。

そんな事よりも。

 

「それじゃあ、シグナムとザフィーラは……?」

「助けられないね」

「それにウォルターが倒した後、既に死んじゃったよ」

「そいつと同じみたいにね」

「……え?」

 

 様々な動揺が、はやての中から思考力を根こそぎ奪い取った。

呆然とするはやては、フェイトが顎で示した方に視線をやる。

まず、はためくベージュ色の布地がはやての目に入った。

その奥には緑色のカーディガンやその他様々な服など、はやての記憶を刺激する物ばかりが並んでいる。

何だったか、と思考すれば、一瞬ではやての脳裏に答えが過ぎった。

 

 それは、シャマルに選んだ衣服だった。

何故それが病院の屋上で、まるで着ていた人間がすり抜けたかのように重ねて置いてあるのか。

その光景は、まるで着ていた人間だけが消えて無くなってしまったかのようで。

それが何を意味する事か、はやては分かりたくなかった。

全身全霊で思考を放棄し、理解を拒むようにただただ呆然と口を開けている。

それでも脳裏は前後の言葉からその光景が意味する答えを弾き出し、はやての中でその結果が踊った。

 

 ——シャマルは死んだのだ。

 

 はやては、全身を震わせながらなのはとフェイトの下に視線を戻す。

 

「嘘や……」

 

 絞り出すように言ったはやての言葉に、くすりと小さく笑みを漏らし、2人は口を開いた。

 

「そうだ、壊れた物は掃除をしなくちゃね」

「壊れた物に、この世に居る必要なんてないんだから」

 

 言って2人は、どこからか銀色のカードを持ち出し、手にした。

直後、カードが光へと変化。

反射的にはやては顔を腕で覆うも、はやての身には何も起きなかった。

おずおずとはやてが腕をどかせ、辺りを見やる。

なのはもフェイトも先程までと変わらず浮いていて、その中心で磔になっているヴィータも……。

と、そこまで思考し、はやてはそれを視界に入れた。

ヴィータの足元から、粒子がぷつぷつと現れ、何処ぞへと消えている。

一体何が、と思った次の瞬間、はやては気づいた。

ヴィータが足元から、粒子と化し崩れ始めている光景に。

 

「あ、あぁあぁぁっ!?」

 

 絶叫と共に、はやては体を乗り出そうとして、その場でこけた。

顔面に疼痛。

痛みに小さくうめき声を上げ、僅かに震える。

本音を言えば、顔を抑えて動きたくないぐらいの痛みだった。

けれど、そんな事をしている場合じゃない、と全身に力を込め、キッとヴィータに視線をやる。

未だ崩壊は続いており、終わる兆しは無い。

 

「ヴィータ、ヴィータ、ヴィータっ!」

 

 叫びながらはやては、足を引きずり腕の力だけで前進した。

たったそれだけで、はやての全身は内側から引き裂かれるような痛みが走る。

血を吐くような痛みに、思わずはやては動きを止めそうになるも、視界に映る消えゆくヴィータの姿がそれをやめさせる。

ヴィータが大変なときに、何が痛みだ、何が足が動かないだ。

そう内心で吐き捨て、はやては擦過傷ができるのも厭わずに這いつづける。

一度体を引きずるだけで、痛みにうめき、小さな悲鳴を上げ、それでも諦めずに前進を続けた。

ついにはやてがヴィータの下までたどり着いた時、ヴィータはもう顔しか残っていなかった。

 

「あ、あああっ!」

 

 助けなくちゃ。

そうは思うものの、はやてには何をどうすればヴィータを助けられるのか、分からない。

分からないけれど、はやてはヴィータのお姉ちゃんなのだ。

ヴィータは自分が姉のつもりでいるので決して言わないが、はやてはヴィータを妹のように思っていて。

あんなに可愛い妹を見捨てる姉なんて、この世に居る筈が無い。

だからはやては、どうしていいかわからないなりに、行動する。

必死で両手で杯を作り、消えゆくヴィータの欠片を集めようとする。

けれど粒子と化したヴィータは風に攫われて消えてゆくばかり。

はやての手には欠片も残る事無く、消えてゆく。

 

「駄目、やめて、消えないでっ!」

 

 絶叫と共に、はやては涙を流しながら懇願した。

最早意味を成さない両手を祈るように組み、頭を下げ目を閉じ、必死で叫ぶ。

 

「神様お願いします、ヴィータを助けてください!

なんでもします、命だって要りません、もう病気が治らなくてもいいです、ずっと歩けなくてもいいです、もっと痛くなってもそれでいいです!

もう私にはヴィータしか居ないんです、もう私の家族はヴィータ一人しか残っていないんです!

だからどうか、どうかお願いします!」

 

 神頼みなど叶わないと、独りで暮らす日常で嫌という程思い知っていた。

けれど他に何も思いつかなくて、はやては絶叫と共に懇願する。

どうか、どうかお願いします。

そんな風に涙を流しながら叫ぶはやてに、ぷっ、と小さく失笑し、なのはは言った。

 

「もう残らず消えちゃったよ?」

 

 呆然と、はやては目を開け、なのはとフェイトの間を見た。

そこにはヴィータの残滓一つすら無く、ただの空隙が広がっているだけ。

どれだけ願っても、どれだけ叫んでも、ヴィータは消えてしまったのだ。

 

「……嘘や」

 

 現実を認める事ができず、はやては呟いた。

両目から涙をこぼしつつ、続ける。

 

「こんなの嘘や、みんなが私を置いて死ぬ筈なんて、無いっ!」

「違うよ、これが現実」

「ヴィータとシャマルはこの場で消した」

「シグナムとザフィーラはウォルターが消した」

「貴方は助かる事無く死ぬだけ」

「何も変わることは無い真実」

 

 代わる代わるに喋る2人に、はやてはしかし、頭をふる。

最早支離滅裂な言葉を、それでも叫ぶ。

 

「違う、違う!

そうや、ウォルター君は私と約束したんや。

犠牲一つなく私を助けてくれるって言ったんや。

それにウォルター君は魔法使いじゃない、みんなを倒す事なんてできないっ!」

「魔導師じゃあないのに、どうやって貴方を助けるの?」

「ウォルターはシグナムとザフィーラを消した、殺した」

 

 なのはとフェイトの一言一言が、はやての臓腑を抉るような言葉だった。

びょうびょうと吹く風が全身から体温を奪って行き、まるで全身に刃を突き立てられているかのように痛い。

頭の中は先程からずっと真っ白で、何も考える事ができず、ただただ思いついた言葉を叫ぶだけ。

認められなかった。

ヴォルケンリッターが、家族がもう居ないなんて事を、はやては認められなかった。

だから、叫ぶ。

叫ぶ事で現実が変わると信じて、叫び続ける。

 

「そんな事ない、ウォルター君は約束したんやっ!

あの人やったらきっと助けてくれる、ヴィータもシャマルもシグナムもザフィーラも何とかしてくれるっ!

魔導師やなくても、きっとなんとかしてくれるに違いないんやっ!」

 

 はやては、無理矢理にそう信じた。

ウォルター、あの覇気に溢れたあの人間ならば、自分には想像もできない事でみんなを助けてくれる。

そう信じなければ、はやては次の瞬間呼吸をする力すらも湧いて来なかった。

うっうっ、と嗚咽を漏らし、熱くこみ上げるものを双眸から漏らす。

最早はやてには、他に頼れる物が無かった。

友達は敵で家族は死んで、あと頼れるのはヒーローが一人だけ。

だからウォルターなら何とかできると、必死でそう信じて叫ぶ事しかはやてにはできないのだ。

そうでなければ、もう家族は皆死んでしまってどうにもならないという現実を認めなければならないのだから。

しかし、それに苦笑するようにして、2人は空を指さした。

 

「ウォルターが魔導師じゃあないって言うなら、それじゃあ、あれは何?」

「あれって……?」

 

 疑問詞と共に、はやては空に視線をやる。

夜空に白い光がきらめいたかと思うと、光源は凄まじい速度でこちらに向かってくる。

最初は小さな点としか思えなかったそれは、すぐに輪郭がわかり、色がわかり、細部がわかり、はやての脳裏と結びつき誰だか分かった。

それは、黒衣に黄金の剣を持った、空飛ぶウォルターであった。

 

「なのはとフェイト? いや、なんか違う、っつーかはやて? 一体何が……!」

 

 叫びながら、隣に茶髪の少女を引き連れ近づいてくるウォルター。

その姿は、どう考えても魔導師としか言いようが無い姿で。

はやては心のなかの、全てが崩れ去っていくのを感じた。

ウォルターは魔導師なのだ。

シグナムとザフィーラを殺した魔導師なのだ。

そしてその上、ウォルターは誰一人犠牲を出さずに助けてくれるって、言ったのに。

はやての家族を奪ったのは、そのウォルターで。

 

「……嘘つき」

 

 自分でもぞっとするぐらいどす黒い声が、はやての口から這い出た。

同時、はやての足元に白い三角形の魔法陣が発生。

すぐさま魔法陣は紫色に色を変え、はやての魔法陣を侵食する。

 

「……嘘つきっ!」

 

 もう一度叫んだのを最後に、はやての視界が暗転。

体が管制人格の物に変化してゆき、その圧倒的な魔力のうち、制御しきれない僅かな部分が威圧として吐き出される。

闇の書の覚醒の、始まりであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「闇に沈め……デアボリックエミッション」

 

 恐るべき速度で、魔力が刺青の入った銀髪の少女に収斂した。

一拍。

闇色の球体となり超速度で拡大、こちらへと向かってくる。

 

「広域攻撃魔法!?」

「っておい、何がなんだかっ!?」

 

 叫びつつ僕は防御魔法を発動、リニスさんを後ろに入れてあの少女の攻撃魔法を防ぐ準備をした。

それに僅かに遅れて、なのはとフェイトがこちらにやってくる。

 

「ごめん、私も入れて、ウォルター君っ!」

「私もっ!」

「いいけど、一体どういう状況なんだ、これは!?」

 

 叫びつつ、僕は防御魔法の白三角形に更に魔力を注入。

魔法陣を大きくして4人を纏めて覆いきる大きさにし、ティルヴィングの柄を持つ力を強くする。

僅かに遅れ、銀髪の少女の魔法と激突。

魔力自体は僕よりも更に凄まじいのだが、流石に広域攻撃魔法だけあって、一箇所にかかる魔力ダメージは少なくて済む。

よってどうにか攻撃と防御は拮抗、なんとか抑えきる事に成功した。

それはいいのだが、現状が分からなさ過ぎて、どうすればいいのかよく分からない。

が、僕よりは状況を知っているだろう2人もどこから教えていいのか分からないだろうと、僕から口を開く事にする。

 

「こっちは嫌な予感がしてお前らに会いに行こうとしたら結界に巻き込まれて、足止めの魔導師と戦った。

念話はすぐ遮断されて、情報交換ができなかったよな。

んで足止めの魔導師が逃げたもんで病院まで来たら、はやてが嘘つきって叫んで、今の姿に変身した。

そしたらなのはとフェイトに変身していた2人の仮面の戦士が元の姿に戻って、その後短距離っぽい転移で消えた。

わかってるのは、それだけだ」

 

 混乱を招かない為に、足止めの魔導師の名前と、仮面の戦士の正体と思わしき物は言わないでおく。

その辺りの処分は、クロノが上手くやってくれるだろう事を期待してだ。

今も続くデアボリックエミッションの防御を続けながら、僕は今度はなのはらの声に耳を傾ける。

 

 なのはらの言う所によると、はやての見舞いに来たらヴィータとシャマルに鉢合わせし、屋上へ誘われたのだと言う。

そこで戦闘開始と思いきや仮面の戦士のバインドで封じられ、ヴィータとシャマルは闇の書に蒐集されてしまったのだそうだ。

それからなのはとフェイトはバインドの上からクリスタルケージで封じられ、仮面の戦士はなのはとフェイトに変身。

シャマルの衣服やヴィータの偽物など小道具を配置したあとはやてを転移魔法で呼び、精神攻撃をした。

それで絶望したはやての目前で、闇の書が覚醒。

今の姿になり、ディアボリックエミッションを発動したらしい。

 

 その話が終わる頃にはようやくディアボリックエミッションが終了、僕らは取り急ぎ対応を話しあう為、ビル陰に隠れる。

流石に広域攻撃魔法を防ぎきるのは骨が折れた。

僕は小さく安堵の溜息をつきつつ、首を回す。

そんなふうにしている僕に向けてフェイトが半歩進み、僕の目を見つめながら言った。

 

「それで、ウォルター、私もなのはも捕まったシグナム達とは、会えなくって。

だから、その……、本当にシグナム達は、生きているんだよね」

「応、当たり前だ」

 

 フェイトの視線と僕の視線が絡み合う。

確かに、シグナムとザフィーラは容疑者として収容されており、外部協力者の2人は会うことができなかった。

故にの疑問なのだろう、口調とは裏腹に、その瞳は嘘は許さないとばかりに鮮烈で鋭い物。

けれど僕だって別に嘘をついている訳じゃあないので、それに視線を揺るがさずに見つめ合う。

数秒、緊張した空気を保った後に、フェイトは口元を緩ませた。

 

「分かった、ごめんね、疑って」

「いいって事よ」

 

 肩をすくめる僕に、緊張した空気に呼吸すら止めていたのか、ぷはっ、と息を吐くなのは。

白い視線がなのはに集まり、にゃはは、と誤魔化すように笑いながらなのはは両手を左右に振る。

内心ため息をついているうちに、ふと気配を感じ振り向くと、ユーノとアルフがやってくる所だった。

 

「ユーノ君、アルフさんっ」

 

 なのはが喜びを顕にするのを尻目に、僕ははやてというか闇の書を、どう止めればいいのか考える。

僕に与えられた闇の書、もしくは闇の書の情報は大した量ではないし、今の彼女がどんな状態なのかも分からない。

すると、この場で最も情報を持っているユーノに聞くべきか。

そう結論づけると、僕はユーノに視線をやり、口を開く。

 

「ユーノ、あの銀髪の子の今の状態は、一体どうなっているのか分かるか?」

「えーと、変身は管制人格とのユニゾン、あの刺青は防衛プログラムの特徴だから……」

 

 あーなってこーなって、と思考した後、ユーノは面を上げ答えた。

 

「多分、はやてって子の意識は今は沈んでいる所だと思う。

管制人格と防衛プログラムが体を動かしていて、攻撃してきたって事は、こっちを狙っているんだと思うけど……」

 

 と、ユーノがそこまで言った所で、闇の書が掌を天に掲げる。

直後、彼女を中心に凄まじい速度で結界が発生。

僕ら全員を含め広範囲を取り込んでみせた。

 

「……というか狙っているね、この結界は外に出れなくする結界だ。

多分、その中でも狙いは……」

「俺、か」

 

 はやてへの精神攻撃の内容は多少だが聞いた。

最後の言葉が“嘘つき”だった事から、僕に敵意が向いているのは予想の内である。

勘違いだと分かっていても、胸がかきむしられるように痛かった。

あの健気な少女が憎しみに駆られており、その遠因が僕だと思うと、今にもその罪深さに泣きたくなる。

後悔で胸がいっぱいだった。

あの日ヴォルケンリッターの襲撃を受けた時、僕がヴォルケンリッターを全員捕縛していれば、もう少し状況は違ったのかもしれない。

逆に一人も捕縛できていなければ、それもそれで、はやての憎しみはあんなどす黒い声を上げる程までにはならなかっただろう。

けれど、僕はそれを表に出してもいけないし、そんな事を考えていても、状況は好転しない。

無理矢理に暗い感情を心の奥底に押し込めると、僕は意識して男らしい笑みを作る。

 

「まぁ、それならそれで構わん、わざわざこの中で一番強い俺を狙ってくるんだ、戦いやすくていい。

俺が前衛に出る、中衛はフェイトとリニスさん、後衛はなのは、ユーノとアルフはバインドとかで補助を頼む。

どうやってはやてを助けるかは……」

「クロノが今、調べている所だ。

それまで、僕らで持ちこたえるほか無い」

 

 こくりと頷くと、僕はティルヴィングを構えて空中へ飛び出す。

そんな僕を見つけたのだろう、闇の書は3対の翼を生やし、空中へ飛び出した。

闇の書は、20歳程の美しい女性であった。

銀麗の流れる髪に血のように赤い瞳、均整のとれた肉体に赤い刺青が走っている。

黒に近い紫の魔力光が仄かに光っており、そんな彼女が飛ぶ姿は、まるで闇の中を泳ぐようにさえ見えた。

 

「行くぞっ!」

 

 絶叫と共に、僕は闇の書に向かい飛び立つ。

僕の視線と闇の書の視線が交錯した。

 

 

 

 ***

 

 

 

「おぉぉぉっ!」

『断空一閃、発動』

 

 絶叫と共に、薬莢を排出。

超魔力を一撃に込め、闇の書に向かって振るう。

対抗して展開されたのは、こちらも超魔力を込められた、濃紫色の三角形の防御魔法。

激突、一瞬の拮抗の後、白光の剣戟が勝利。

どうにか防御魔法を切り裂くも、同時に闇の書は羽ばたき距離を取り、切り返しの追撃を避ける。

 

「ディバインバスターっ!」

「プラズマスマッシャーっ!」

 

 直後、桃色と黄金の極太の光線が、十字砲火で闇の書へ激突。

するかと思った次の瞬間には、闇の書の両手からそれぞれ展開された魔法陣がそれらと拮抗した。

同時に闇の書が口を開く。

 

「刃以て、血に染めよ。穿て、ブラッディ……」

「させるかぁっ!」

 

 が、それを見逃してやる程僕はお人好しでは無かった。

突進と共に繰り出した横薙ぎの一撃を、闇の書は腕をそのままに縦に回転して回避。

そのまま踵落としに移行、僕へ向けて超魔力を込めた一撃を落とす。

しかし、回転していたのは僕もまた同じ。

横に半回転した僕は即座に薬莢を排出、再びティルヴィングに白光を纏わせ、横回転を斜めに切り替え、逆袈裟に切り上げる。

 

「断空一閃っ!」

「断空一閃」

 

 次の瞬間、同種の魔法が激突。

魔力は闇の書の方が上なものの、踵と大剣という武器の差により、ほんの僅かに僕の断空一閃が勝った。

が、その威力差によって闇の書は弾き飛ばされ、なのはとフェイトの砲撃から逃れる事に成功。

どころか、先程発動寸前までいって待機していた魔法を発動してみせた。

 

「ブラッディダガー」

「ぐ、フォトンランサーっ!」

 

 血塗られた短剣が二十程出現、それが僕へ向かって放たれるのと殆ど同時、リニスさんの直射弾が発射。

半分近くを相殺するも、全てを破壊するには至らず、残る攻撃が僕に着弾する。

爆音と共に、魔力煙が広がった。

と言っても、僕のダメージはそれほどではない。

すぐに視界の効かない煙の中から脱出、油断なくティルヴィングを構えながら、一足一刀の間合いで視界が晴れるのを待つ。

その間に広域攻撃魔法のチャージがある可能性を危険視し妨害の準備をしていたのだが、どうやら取り越し苦労だったらしく、晴れた視界には直立した闇の書が見えるのみだった。

肩を竦めながら、僕は口を開く。

 

「やれやれだ、闇の書、お前は一体何の為に戦っているんだ?」

「知れた事、主の願いを叶える為だ」

 

 予想外の反応に、喜べばいいのか、悲しめばいいのか、微妙な所だった。

先程から無言の攻防だったので会話はこれで初めてなのだが、この内容だと管制人格が僕に敵対的であるようだ。

つまり防衛プログラムと管制人格の両方が僕に敵対していると言う訳だ。

喜んだのは、これで防衛プログラムだけで、これから管制人格が起きて強くなるとか言う事が無かったから。

悲しんだのは、管制人格曰くはやてが僕を倒す事を望んでいるらしかったから。

沈みそうになる心をどうにか引き上げ、僕は話を続ける。

 

「へぇ、具体的にどういう願いだ?」

「主は私の中に取り込まれた時に、愛する騎士、ヴィータとシャマルの存在は確認できた。

しかし、シグナムとザフィーラの存在は未だ確認できていない。

どころか、騎士達の記憶を知り、シグナムとザフィーラが既に魔力切れで消えているだろう事を確信した。

よって主は、ウォルター、お前がシグナムとザフィーラを殺したと半ば確信に至った」

 

 実際は僕がプレシア先生から習った技術で魔力供給をしているのだが、いかに闇の書でもその事は分からないらしい。

当たり前と言えば当たり前だろう、闇の書の知る技術は膨大だが過去の物ばかり、最先端の技術は話が別だ。

蒐集はされたが、僕のリンカーコアは半分ほどしか蒐集されなかったので、その中に魔力譲渡の技術が無ければ誤解を招くのも致し方ない。

無言で居る僕をどう思ったのか、闇の書は続けて口を開く。

 

「よって主は……」

(ええよ、続きは私が話す)

 

 と、念話ではやての声がその場に響いた。

思わず目を見開き、鳩が豆鉄砲を食ったような顔になってしまう僕。

それはなのはらも同じだったのだろう、え、とかふぇ、とか、そんな声が背後から聞こえた。

 

「はやて、なのか……?」

「そんな、闇の書の発動時に主が意識があるなんて……!」

(そうや、最初から意識はあったで)

 

 と、平坦な声で告げるはやて。

そんな彼女に、興奮した様子でユーノが語りかける。

 

「それなら、君の手で管理者権限を使えば、防衛プログラムを切り離す事も出来る筈!

その後防衛プログラムを魔力ダメージでノックアウトすれば、君もヴィータとシャマルも自由になれるんじゃ……」

(多分そうやろな、やればできると思うで)

「なら……っ!」

 

 懇願するユーノに、しかしはやては断言した。

 

(でも、今はしない)

 

 こちらの心が凍えてしまいそうな程に、冷徹な一言であった。

思わず僕は身震いさえしてしまう。

話の流れからその理由が想像できてしまったためだ。

やめてくれ、これ以上話さないでくれ、と願う僕を尻目に、はやては語ってみせた。

 

(だって、まだウォルター君を倒していないから)

「…………っ」

 

 思わず、僕は息を呑んだ。

予想通りの言葉に、しかしそれでも心は準備ができていなくて、今にも崩れ落ちそうだった。

なんだ、この事態は。

僕が加担する事で、全てが悪い方向に向かっていっているようじゃあないか。

今にも崩れ落ちそうになる体を必死で押しとどめ、構えを崩さないようにする。

口内は既に噛み切られ、歯と歯はギリギリと音を立てる程に強く噛み締められていた。

 

(知っている、悪かったのはうちの子達で、私がウォルター君に謝らないかん事ぐらいは。

でも、でも、憎くて仕方がないんや。

家族は、私の命よりも大事な物だったんだから)

 

 血の気が引けていく音が、聞こえるようだった。

今頃僕の顔は真っ青になっているだろう、指先もかじかんで感覚が無くなり始めている。

 

(それに、ウォルター君も悪いんや……。

誰一人犠牲なく救うとか言っておいて、犠牲を出したのはウォルター君やないかっ!

憎い……約束を破ったウォルター君が、家族を殺したウォルター君が、憎いっ!

どれだけ止めようと思っても、心の何処かで復讐を望んでしまうっ!

止められないんやっ!)

 

 最早はやての声は平坦な声ではなく、今にも泣き崩れそうな、感情に溢れた声と化していた。

あの健気でいたはやてがこうまで感情的になる事に、その原因が僕である事に、頭の中が金槌で打たれたみたいに痛くなる。

しかし、全ては誤解なのだ。

吐き気をすら感じながらも、僕は口を開く。

 

「違う、シグナムとザフィーラはまだ生きている、俺が魔力を供給して生きながらえさせている」

(嘘やっ!)

 

 はやての叫びに、僕は震えそうになるのを必死で抑えねばならなかった。

どうする、僕はどうやってはやての誤解を解けばいい。

助かる筈なのに、僕の所為で憎しみに囚われてしまった彼女を、どう開放すればいいんだ。

罪深さに押しつぶされそうになりながら、僕は必死で考える。

 

 シグナムとザフィーラをアースラから転送してもらえばいいのか?

いや、背後でアースラと通信するユーノが、それを既に念話で提案しているようだ。

しかしシグナムとザフィーラには、逃亡防止用に魔力リミッターやら転送妨害装置が付けられていた。

それを解除して此処に送るまで、30分近くかかるだろう。

それだけ持ちこたえればいいと一瞬思ったが、その前に闇の書の本格的な暴走に入られる可能性が高い以上、無理だ。

ならばどうすればいい。

 

 いっそ、僕が負けてしまうのはどうだろうか?

いや、はやての憎しみが僕の敗北だけで収まるとは限らない。

最悪、殺人にまで至ってしまう可能性を考えると、それを防げる最大戦力の僕が堕とされるのは悪手でしかない。

しかしならば、どうすればいいのか。

 

 方法は思いつかない。

けれど二度目に一人で見舞いに行ったあの日、はやてに感じた同質性が、僕に彼女を救えと叫ぶ。

はやては今、健気に自分を取り繕っていた仮面を剥がされ、素の自分として叫んでいた。

その苦しみは、僕が仮面を剥ぎ取られる事と同意である。

その苦しさは、僕だって想像しかできない。

できないけれど、それでもその苦しみが薄皮一枚隔てたすぐ近くにあると感じている僕が、誰よりもその苦しみを想像できている筈なのだ。

ならば僕は、僕こそが彼女を救うべきなのではないかと思う。

思うけれど、何も思いつかなくて。

そんな風に僕が悩んでいるその瞬間に、はやては叫んだ。

 

(嘘や……、生き残りたいから、ウォルター君が勝てないからって嘘ついただけや!)

 

 と、その瞬間、はやての言葉が、かつて聞いたある言葉に重なって聞こえた。

あ、と思わず小さな声を僕はあげてしまう。

体中に電撃が走り、正に天啓といっていい閃きが僕の中を過ぎっていた。

偶然だろうか、僕は既にこの子を救う手段を、数日前に口にしていたのだ。

 

 肩の荷が下りたかのように、一気に呼吸が楽になった。

まるで一瞬前と見ている世界が違うかのように思え、絶望に狭まっていた視界が広く遠く開ききる。

胸の奥には暖かな安堵と仄かな勇気が湧き出て、ひび割れた心を満たしていくかのようであった。

涙が出そうなぐらい、嬉しかった。

結局これでははやてを落として上げて、プラスマイナスゼロにしているだけだと分かっている。

それでも目の前のはやてに、僕の手で現実から目を離させてしまっている事を解消できるのだと思うと、嬉しくて仕方がなかった。

 

 できる、必ず僕ははやてを救える。

そう思うと、心の中に勇気が湧いてきた。

体の微細な震えは収まり、瞳には力が宿り。

全身から活力と言う活力が満ち満ちて、ティルヴィングを握る両手にも力がこもる。

UD-182を思い浮かべながら僕は男らしい笑みを浮かべた。

 

 闇の書を見つめる。

はやての事で焦りや憤りを感じていた僕の心が、平静になったからだろう。

その奥にあるはやての悲痛な感情とは別に、闇の書の管制人格の感情が見えてきた。

その目は深い悲しみに満ちていて、思い返せば僕らを攻撃する度にその悲しさを増していっていたように見える。

ならば、それも問いたださねばなるまい。

僕ははやてに犠牲一つなく全員を救ってみせると約束したのだ、彼女を捨て置く事はできなかった。

 

「ふん、なるほどな。

はやてのいいたい事は分かった、じゃあお前の方はどうなんだ?」

「……?」

「お前だよお前、闇の書の管制人格だよ」

 

 目を見開き、それから僕を怪しむように細める闇の書。

怪訝そうなその目には、嘘偽りを言っている自覚は少しも見られない。

少なくともこれから吐こうとしている言葉には、少しも偽りは無いと信じているように見えた。

闇の書は、すぐに吐き捨てるようにして答えてくる。

 

「私はただの道具だ、意思などないし、必然、いいたい事などない」

「そうか? その割には、涙を零しているみたいだが」

 

 告げると、僅かに目を見開く闇の書。

それから手の甲で涙を拭き取り、言った。

 

「これは主の涙、私には悲しみなど存在しない」

「…………」

 

 言葉とは裏腹に、その瞳の奥には深い悲しみの色が見て取れた。

何故彼女が悲しんでいるのか、この状況と照らしあわせてみればすぐに答えは出てくる。

しかし、それは本当に正しいのか、と言う疑問が、僅かに僕を戸惑わせた。

僕の言葉なんて所詮、10年しか生きていない小僧の妄想にしか過ぎない。

それが当たっているなんて保証も無いし、それどころか勘違いだと一蹴されるのが関の山。

 

 けれど、だけれども。

僕はその妄想を口にする他ない。

彼女が、本当の自分に気づかず目を背けているのかもしれないと言う、可能性を見てしまったから。

彼女を救うと、誰一人犠牲なく救ってみせると、はやてと約束してみせたのだから。

だから、僕は必死で口を開く。

 

「想像でしかないが……。

主を殺してしまうのが、自分がそれを止める事ができないのが悲しくって。

せめて、自分に意思は無いから止めようともしていない、だから悲しくないと思わないと、自我を保つ事すらできない、か?」

「違うと言っている」

 

 僕の言葉はお世辞にも急いていないとは言えない言葉だったが、闇の書の反応には、明らかに単純な煩わしさ以外の何かがこもっていた。

僕の言った妄想は、案外的外れと言う程でも無いらしい。

そしてもしその通りだとすれば、この娘を救う方法を、僕は今手にしている事になるのだ。

ならば、こんな僕でも救える心があるのなら、それを戸惑う理由は何処にもない。

 

(そんな……、私が、この子を泣かせて……)

「違います主、私に意思などありませんっ!

例えあるとしても、貴方がこの涙の原因だなんて事はないっ!」

 

 と言ってから、闇の書は僕に向けて険しい顔を向けた。

明らかに怒りの表情を顕にしながら、両手で手刀を作り、小声で断空一閃と呟く。

次の瞬間闇の書の両手に薄暗い紫の魔力光が収斂、恐るべき魔力付与攻撃と化した。

 

「主を惑わせるな……これ以上、そのよく喋る口を開かせはせんっ!」

 

 叫びとともに、闇の書はこちらに向かって突進、両手で十字の軌道を描き振り下ろす。

僕もまた薬莢を排出、断空一閃を繰り出し、闇の書の攻撃と激突。

本来ならぶっ飛ばされている所だが、全身の魔力を絞り出してどうにか拮抗、鍔迫り合いをしながら僕は叫ぶ。

 

「ったく、お前ら似た者主従だなぁおい、お前ら2人を纏めて救う案を見つけたぜっ!」

「何を……!」

 

 吐き捨てるように言う彼女に、僕は真剣な顔を作る。

そして数日前、シグナムに言った言葉を思い出しながら、言ってみせた。

 

「俺が、勝てばいい」

 

 え、と。

僅かに闇の書の力が弱まったのを見逃さず、僕は彼女を弾き飛ばす。

明らかに動揺している彼女に、しかし僕は追撃をかけず、ただただ視線をやるだけに留めた。

 

「俺が勝てるなら、はやては俺の言う事を生き残りたいからついた嘘だなんて思わずに、シグナムとザフィーラの生存を信じられる。

闇の書、お前は暴走前に力づくで暴走を抑えてもらい、自分の思う通りに主に仕える事ができる。

どうだ、2人の悩み、一気に解決できるだろ?」

 

 ついでに言えば、僕はシグナムとの約束を守る事だってできる、と内心で付け加える僕。

そんな僕を尻目に、主従は輪唱した。

 

(出来るわけがあらへん)

「出来るわけがない」

 

 軽く視線を辺りにやると、なのはらもまた不安そうに僕を見つめている。

そんな事できるのか、今までだってギリギリ拮抗していた所だったのに、と言う心の声が聞こえてきそうなぐらいだ。

だが、僕は未だ狂戦士の鎧も切り札のフルドライブも、どちらも使っていない。

勿論、だからといって勝てるとは限らないだろう。

同じように闇の書とはやても全力を出していたとは限らないし、僕の全力がそれに届くとは限らない。

 

 けれど、僕の中には不思議な確信があった。

勝てる。

僕は彼女ら2人を、必ず救える。

プレシア先生を救った時と同じ、不思議な確信が僕の胸にはあったのだ。

だから、僕は叫ぶ。

 

「いいや、俺は勝つ、必ず勝ってみせるっ!

なぜなら俺は……次元世界最強の魔導師だからだっ!」

 

 そう、心がいくら弱くとも、僕にはこの最強の肉体があるのだ。

だから勝てる、必ず救える。

そう信じなければ、この難事に挑む事すらできないのか。

それとも、本当に僕の霊感がそう言っているのか。

どちらにせよ、僕はそう叫んだ。

天に向け、そう叫んでみせたのだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「おぉぉぉっ!」

「たぁあぁっ!」

 

 叫びつつ、僕と闇の書は共に断空一閃を発動。

ティルヴィングと手刀が激突、僕が僅かに押し負け、剣を弾かれる。

この距離で剣を手放せば敗北に直結する、僕は多少の痺れを覚悟してティルヴィングをどうにか握りしめたままにした。

直後、風切り音。

斜め後ろに弾かれる僕の無防備な腹に、続く闇の書のもう一方の手刀による突きが迫り来る。

 

「バリアジャケット・パージっ!」

 

 既の所で僕の着ていたバリアジャケットのコートが爆発。

僕を吹き飛ばし、手刀の軌道上から回避させる。

空振った闇の書に、爆発の流れに乗りつつも手土産に一撃、ティルヴィングを振るった。

首を振って回避した闇の書は、頬に僅かな白光を残すのみで、カスり当たりしかしない。

舌打ちしつつ、魔力で足場を形成。

足場が壊れるほどの勢いで蹴り、間合いで勝る僕の方から突きを放つ。

 

「やれやれ、女の顔を傷つけるとはな」

「非殺傷設定だろうがっ!」

 

 魔力光を纏った手刀で突きを弾く闇の書。

僕はその慣性に刀剣を乗らせ、小さく半円を描く軌道で袈裟に斬りかかる。

しかしそれも、もう一方の手刀に防がれた。

どころか、込められた魔力の違いか、強く弾かれるティルヴィング。

少し無理にティルヴィングを握っていた僕ごとふっ飛ばされ、僕と闇の書の間に僅かな距離が空いた。

 

「フォトンランサー・ジェノサイドシフト」

 

 ほぼ1秒間で、50近い直射弾が僕と闇の書の間に形成。

一つ一つがなのはのディバインバスター並の威力という凄まじい攻撃に、僕は必死で距離を詰めるも、間に合わずフォトンランサーの雨が降り注いだ。

僕は薬莢を排出、砲撃魔法を放ち正面の10個程の軌道を変え、その間に体を滑りこませ、どうにかそれをやり過ごす。

そして更なる距離を取ろうとする闇の書に、こちらも更なる薬莢を連続して排出しつつ、高速移動魔法を発動。

ヴォルケンリッターの記憶からか、それとも蒐集した魔法に狂戦士の鎧があるのか、僕の高速移動での曲線移動を知って為なのだろう。

防御ではなく迎撃を選択、闇の書は両手に魔力を纏い、十字に放つ断空一閃で僕のカートリッジを2つ使った断空一閃を迎え撃つ。

激突。

鍔迫り合いの形になり、戦況が一旦硬直する。

 

 僕は一応SSランクの近代ベルカ式魔導師で、近代ベルカ式はミッド式によるエミュレートである以上、ミッド式の魔法による中距離戦闘も可能だ。

しかし当然、僕をはるかに超える魔導師である闇の書を相手に勝ちを取りに行くならば、近距離戦闘に持ち込むしかない。

となれば、当然援護は距離が離れてしまった時にしかできず、あまり意味を成さない。

加えて、はやてと闇の書の心を確実に救うには、言い訳しようのない1対1での勝利が確実である。

更に決定的な事に、先程エイミィさんからの通信で一般市民の存在が確認され、その防御の為になのは達の手が必要だ。

その事から、僕はなのは達に1対1での戦闘を願い、そしてその通りに戦っている。

 

 しかし戦況は思わしくなかった。

純粋な魔力量で言えばジュエルシードを使ったプレシア先生の方が強かったのだが、闇の書に蓄積された戦闘経験が半端ではない。

恐らく、中距離戦闘に限定しない総合的な強さでは、闇の書はあの時のプレシア先生以上。

なにせ近接戦闘では両手にそれぞれ断空一閃を纏わせ、距離が離れた瞬間弾幕で更に距離を離し、広域攻撃魔法による撃墜を狙ってくるのだ。

こちらは一々カートリッジを使わねば断空一閃を使えず、通常斬撃では容易く弾かれてしまう。

距離が離れる度に、プレシア先生との戦いで身につけた弾幕の泳ぎ方でどうにか距離を詰めているが、あれは恐ろしい程の集中力を使う。

恐らくあと5回はできないだろう。

どう考えても僕は劣勢、というか自慢の勘が無ければとっくのとうに撃墜されている筈だった。

 

 しかしまぁ、相手が格上なのは予想通りではある。

僕はこのままでは敗北が目に見えている事を内心で再確認し、どうにか作った鍔迫り合いの硬直の中で、新たな魔法を発動した。

 

『狂戦士の鎧、発動』

「——っ!」

 

 闇の書が息を呑むと同時、僕の全身の隅々、至る所までバリアジャケットが根を張る。

続いてバリアジャケットのコートが再生、魔力量とカートリッジこそ減ったものの、動作の阻害率は開戦時と同等まで戻った。

野獣の笑みを浮かべつつ、僕は高速移動魔法の原理でティルヴィングに押し出す力を付与。

腕の筋肉を断裂させながらも闇の書の両手刀を弾き、がら空きとなった腹に蹴りを打ち出す。

 

「か、はっ……」

 

 肺の空気を吐き出しながら、闇の書は背後のビルへと吹っ飛んでいった。

それを僕は高速移動魔法で追いかけつつ、カートリッジを込めなおしながら誘導弾を5つ形成。

闇の書がビルにめり込み、そこに微妙にタイミングをずらした誘導弾が激突する。

ガンガンガンガンガン、と5回音を立てつつ闇の書はビルの反対側まで貫通、宙に放られたと同時、追いついた僕がティルヴィングを振るった。

 

「づあぁぁっ!」

『断空一閃、発動』

 

 白光を纏う一撃を、しかし辛うじて闇の書が防御魔法を展開、受け止める。

だが断空一閃なら闇の書の防御を貫通出来る筈、ここで終いだ。

と思ったその瞬間、背筋に悪寒。

咄嗟にGを無視して高速移動魔法を発動、あばらが数本折れるのと引換に後退する。

 

「バリアジャケット・パージ!」

 

 直後、大轟音。

闇の書のバリアジャケットが爆発、僕をすら一撃で昏倒させうる超威力の攻撃を発したのだった。

敗北の鎌が首筋をカスっていた事に冷や汗をかくが、まだ闇の書の攻撃は終わっていない。

距離が空いた以上、今度は闇の書の独壇場だ。

 

「闇に沈め——デアボリックエミッション!」

 

 直後、闇の書の右手に黒い魔力が収斂、デアボリックエミッションが発動した。

すぐに黒い球体が巨大化、まるで台風のような圧力を持ってして僕へと迫る。

明らかに最初の様子見の一撃とは違い、殺意の篭った一撃である。

僕は舌打ちしつつ薬莢を排出、強化した防御魔法を展開。

どうにか防ぐが、効果時間の長いそれに、ミシミシと音を立てながら両腕の骨にヒビが入る。

 

『身体損傷率、25%。

再起不能まであと50%です』

「くっ、分かっている」

 

 狂戦士の鎧はダメージを無視して行動できる魔法ではあるものの、決してダメージそのものが無くなる訳ではない。

なので闇の書ははやての体を傷つける事を厭い使わないだろう、と言うのは僕の読み通りだ。

しかしそれは僕にも言える事で、ダメージを無視した行動も無限にできる訳ではない。

当たり前だが、狂戦士の鎧を解いた瞬間死んでしまう所までダメージを受ければ、魔力が切れた瞬間死んでしまうのだ。

加えて言えば、狂戦士の鎧無しには二度と動けない所までダメージを受けた再起不能状態になるのも、好ましい展開とは言えない。

なので速攻を心がけたのだが、こうやって遠距離戦闘になってしまえば、ジリ貧になるのは目に見えている。

このままではフルドライブからの最強魔法の発動に必要な身体損耗率すら残らないかもしれない。

 

 内心舌打ちしつつ闇の書を睨みつけると、同時に僕の背筋に悪寒が走った。

恐るべきことに、闇の書はデアボリックエミッションの発動中だと言うのに、残る左手を掲げ、こんな事をつぶやきはじめたのだ。

 

「咎人達に、滅びの光を。星よ集え、全てを撃ち抜く光となれ」

 

 同時、闇の書の左手に桃色の魔力が集まり始める。

かつてなのはが見せた収束魔法独特の魔力の集まり方に、悪寒どころか死の予感が全身に走った。

が、今の僕はデアボリックエミッションの防御で精一杯、それ以上の行動などできはしない。

せめてもの抵抗として、なのは達に念話で呼びかける。

 

(くそ、闇の書がデアボリックエミッションを放ちながらチャージしてやがる!

次、スターライトブレイカーが来るぞっ!)

(嘘っ!?)

 

 悲鳴を上げながら、デアボリックエミッションの範囲外から見ていた皆が後退。

防御の準備をするのを確認しつつ、僕は視線の力で奇跡的に闇の書がチャージ動作を誤る事を期待するしか無かった。

当然、そんな不思議な奇跡が起こる事はなく、デアボリックエミッションの終了と殆ど同時、闇の書はチャージを終え、告げる。

 

「貫け閃光、スターライトブレイカーっ!」

「く、そぉおおぉぉっ!」

 

 絶叫しつつ、第2弾との僅かな間隙に僕は雀の涙程度の距離を取り地面に降り立ち、カートリッジを連続使用。

残るカートリッジ5発を全て排出し、今までで最硬度の防御魔法を展開する。

無理なカートリッジの使用でリンカーコアに激痛が走り、体にかかる負荷が超常の機動で傷ついていた臓腑から血をにじませ、喀血させた。

その直後であった。

闇の書は左手の桃色の光球を、眼下に向けて発射。

地面に激突したスターライトブレイカーは、半球型の光のドームと化し、光の爆発を起こす。

 

「うおおぉおぉっ!」

 

 叫びつつ、僕はスターライトブレイカーの恐るべき圧力に対抗。

構えたティルヴィングを支える両腕の骨がついに折れ、体を地面に突き立てる両足の骨も嫌な音を立てて骨折した事を伝えてくる。

激痛に視界が真紅に染まるのを耐えつつ、僕は歯噛みしてこの時間が過ぎ去るのを待っていた。

しかし、最悪な事態はまだ終わっていなかった。

更なる凍土が背筋に生まれ、今度こそ死神の鎌が首筋に当てられるのを僕は感じる。

なんと、闇の書がまたもや右手に魔力を収斂。

流石にチャージが遅くなっているものの、またもやデアボリックエミッションの発動準備をしているのであった。

 

 不味い、と僕は内心舌打ちする。

このまま連続広域攻撃魔法を連発するのは、恐らく次のデアボリックエミッションで限界だろう。

だが、カートリッジを使い果たした僕に次の防御は不可能、できても遠くまでふっ飛ばされ、今以上の劣勢になるのは確定的。

となれば、数秒程しかない広域攻撃魔法の間に、防御魔法を解いて長距離高速移動魔法を発動、更に攻撃魔法を発動して斬りかからねば、恐らく僕の敗北は確定する。

 

 一応、不可能ではない。

不可能ではないのだが、それにはティルヴィングをフルドライブさせるのが必要になり、その為にはカートリッジが最低1発必要なのだ。

今それを込めるには片腕で防御を続けなければならないのだが、それには腕のダメージが大きすぎる。

魔力に余裕があれば防御魔法を強化してダメージを抑える事も可能なのだが、既に僕は限界近くまで魔力を使用しているのだ。

後の攻撃に使わねばならない大魔力を考えると、これ以上の魔力の消耗は不可能である。

 

 駄目なのか、と諦めが頭の中を過ぎった。

僕は、プレシア先生を救えた筈だった。

完璧に誰しもが幸せになる、ハッピーエンドを導き出す事ができた筈だった。

けれどそれはただの偶然で、僕がほんの僅かでも強くなれていたから得られた幸せではなかったのか。

絶望に、心が暗く落ちてゆくのを僕は感じる。

 

(ティルヴィング、何か手は思いつかないかっ!)

(いいえ、何も)

(もうちょっと考えてくれよっ!?)

 

 断言するティルヴィングに、内心ズッコケそうになりつつも、必死に残る精神力で様々な思索をしてみせた。

カートリッジを弾丸のまま暴発させて、一瞬の均衡を作るのはどうか。

いや、僕へのダメージが大きすぎて最後の一撃が打てなくなる、というか打てるが僕が死ぬので却下。

本来保留でもいいが、今回僕が死ぬと、元々少ない闇の書の管制人格を救える可能性がゼロになってしまう。

バリアジャケット・パージを再度使うのは。

いや、手段は悪くないが、僕のバリアジャケットの外装に込められている魔力では1秒も時間が稼げない、だが試す価値はあるか。

そう思い、バリアジャケット・パージを試そうかと言う、まさにその瞬間であった。

グッ、と僕の中に、余剰魔力が発生した。

目を瞬く僕の脳裏に、リニスさんからの念話による会話が走る。

 

(ウォルター、危ないようでしたので、私がプールしておいたウォルターの魔力を今返しました。

主と使い魔は、一心同体。

そもそもあちらとて八神はやてと管制人格、防衛プログラムの3人がかりなのですから、これでも1対1のうちでしょう?)

(ありがとう、リニスさん……!

恩に着るぜっ!)

 

 叫びつつ防御魔法を強化、減じた圧力に片手でティルヴィングを持ち対抗し、その合間に懐から取り出したカートリッジを全弾込める。

再び両手持ちに戻り、僕の様子に眉を上げる闇の書相手に、野獣の笑みで笑いかけた。

直後、スターライトブレイカーの攻撃が終了。

同時に防御魔法を解き、カートリッジを排出した。

 

「ティルヴィング、フルドライブっ!」

『ソードフォルム・エクステンドギア、変形』

 

 変形といっても、アームドデバイスたるティルヴィングに形状変化は少ない。

鍔の部分が上下に別れ、合間から魔力煙排出機構が外に張り出すだけと言うシンプルな変化でしかないのだ。

しかし、その効果たるや絶大。

耐用魔力量が3倍に跳ね上がって僕の最大運用魔力を受け止められるようになり、残る全魔力の殆どを使う一撃を放つ事ができるのだ。

そう、プレシア先生の教えにより、僕も最大運用魔力が魔力量に比して高い、準大魔導師と言える存在となっていた。

僕は残るカートリッジをロードし、叫んだ。

 

「行くぞ……韋駄天の刃っ!」

『韋駄天の刃、発動』

 

 直後、僕のバリアジャケットが変形。

首筋の辺りから頭部を守る兜が発生、狂戦士の鎧が先程までと違い、頭部を含めた視界確保部分と呼吸用部分以外の全身を覆う。

これでもう闇の書のデアボリックエミッションの準備はほぼ終了してしまったが、何の問題も無い。

次の瞬間白光が全身を覆い、僕は超速度で闇の書へと突貫していた。

 

「断空——」

『一閃、発動』

「なっ!?」

 

 驚いた闇の書は咄嗟にデアボリックエミッションを中断、一瞬で断空一閃を両手に纏わせた。

僕の斬撃を片手の手刀で防ぐも、圧倒的速度による破壊力に抗いきれず、弾かれる。

だが闇の書には残るもう片手が残っており、単純に見れば僕の敗北は明らかだ。

だから、僕はすぐに二撃目を放つ。

 

「二閃っ!」

 

 絶叫とともに、半回転しつつ次ぐ一撃。

残る闇の書の断空一閃を弾くも、反射的になのだろう、闇の書の防御魔法が発動する。

が、僕の攻撃はまだ終らない。

 

 韋駄天の刃は、狂戦士の鎧の応用といえる魔法である。

狂戦士の鎧の特徴の一つとして、バリアジャケットを動かす事によって、中の肉体を動かす事が可能だと言う事が挙げられる。

その特徴を限界まで強めたのが、韋駄天の刃と言う魔法だ。

 

「三閃、四閃、五閃っ!」

 

 続く突き、切り上げ、袈裟と連続した攻撃で、防御魔法を破壊した上に、バリアジャケットの機能を破壊しつくす。

毛細血管が切れた目から、血の涙が流れ始めた。

痛みにより元々真っ赤だった視界に、血液の赤が入り混じり始める。

 

 韋駄天の刃は、要するに予めプログラムしておいた通りにバリアジャケットを動かし、同様に内部の肉体も動かす魔法である。

ただし、その速度が飛行速度一つとってもフェイトの数倍あると言う、超常の速度であるのだが。

勿論その発動によって肉体は過大なダメージを受けるため、即死しないよう狂戦士の鎧の併用も前提条件だ。

 

「六閃、七閃、八閃っ!」

 

 耳や鼻からも出血しつつ、防御面が丸裸となった闇の書へと斬撃を叩きこむ。

それでも恐るべき戦闘経験が僅かに芯をずらし、意識を無くす徹底的な一撃を回避してきた。

しかしそれでも魔力ダメージが強いのだろう、目を朦朧とさせている。

 

 加えてフルドライブ状態のティルヴィングであれば、僕の無闇に多い魔力を使いきれば、最大で11発もの断空一閃が連続で放てる。

勿論通常状態であれば負荷で僕が即死してしまうのだが、予め身体へのダメージが最小限になる動きをプログラミングしておく韋駄天の刃であれば、死なずに使用可能だ。

 

「九閃、十閃……」

 

 続く二撃は、最早死に体となった闇の書に、吸い込まれるようにして激突した。

同時、僕は振り切った体を回転、ベクトルを横から縦に入れ替え全力の一撃を繰り出す。

そして意識も魔力も残る全てを賭けた、最後の断空一閃が発動した。

 

「……十一閃っ!」

 

 絶叫と共に振り下ろした剣が、無防備な闇の書へと突き刺さる。

超大な魔力ダメージが闇の書のリンカーコアに過負荷をかけ、その意識をも奪い取った。

完全に闇の書の意識を失ったのを最後に、僕の意識もまた閉ざされていく。

それでも最後に、内心で僕はこう叫ぶのであった。

 

 ——勝ったぞ、と。

 

 

 

 ***

 

 

 

 それはまるで、神話の世界の出来事であった。

白と黒紫の魔力光を帯びた超絶の技の交錯、続く黒い太陽のごとき魔法と星砕きの桃色の光球。

それら全てを乗り越え、ウォルターは白光煌めく超速度の刃を連続で放ち、暴走前とは言え圧倒的な力を持つ闇の書を下してみせたのだ。

 

「ウォルターっ!」

 

 が、闇の書が意識を落とした直後、ウォルターもまた意識を失った。

黒衣をはためかせながら落下するウォルターに、リニスが悲鳴を上げ飛び出す。

リニスがフェイトに次ぐスピードを持っていた事も味方したのだろう。

リニスは出遅れたなのは達に一歩先立ち、闇の書のすぐ近くを落下していたウォルターを抱きとめる。

正に、その瞬間であった。

リニスの帽子に隠れた猫耳が、不吉な言葉を耳にする。

 

『防衛プログラム再起動開始。

最優先排除指定敵性個体の近接を確認、管制人格に応答願う。

……応答無し、最優先指定魔法である吸収及び闇の書の夢、発動』

 

 闇の書の内部から流れる言葉に、リニスは抱いたウォルターと共に咄嗟にその場から逃れようとするも、失敗。

2人の肉体が白光に包まれ、次の瞬間、その場から消え去った。

 

「ウォルター君……?」

「リニス……?」

 

 遅れて闇の書を抱きとめたなのはとフェイトは、目を瞬き呟く。

2人の言葉に答える者はおらず、その言葉は風に乗って消えてゆくのであった。

 

 

 

 

 



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3章6話

 

 

 

 気づけば、八神はやては薄ぼんやりとした暗闇の中に座っていた。

闇の書の内部空間、暴走前の覚醒状態の時、外の世界を見ていた場所だ。

今は意識が途絶えているのか、外の光景は見えず、ただただ暗闇が広がるばかりの場所である。

そんなはやての目前に、闇の書の管制人格が立っていた。

意識が覚醒に向かうのと同時、はやては目を見開く。

思わず立ち上がろうとして、それから自分は精神空間でさえも足が動かず、車椅子に座っている事がわかり、内心苦笑した。

上げようとしていた腰を落とし、それから呟く。

 

「負けちゃったなぁ……」

「えぇ……、完全敗北でした」

 

 完敗であった。

はやてと管制人格、防衛プログラムの三位一体となった闇の書は、暴走前の状態としては闇の書史上最強の状態であった。

別に、暴走前の闇の書に勝利して闇の書を止めようとした人間は、ウォルターが初めてではない。

最大で高位魔導師10人の連携を持ってして挑まれた事もある。

しかしそれを持ってしても、純粋な出力が一定以下の魔法をキャンセルできるバリアジャケットを持つ闇の書相手では、何の意味もなかった。

そも、闇の書のバリアジャケットを突破した魔導師ですら、ウォルターを含め片手の指で数えきれる程だったのだ。

故に闇の書はこれまでの歴史において不敗、聖王級の相手ですら闇の書に勝てる事は無かった。

 

 だが、ウォルターは闇の書に勝ってみせた。

喋る暇も無いぐらいに全力だったはやてを含む闇の書を、ウォルターは負かせてみせたのだ。

はやては、目前のウォルターがどれだけ必死に戦っていたのか、誰よりも承知していた。

闇の書の歴史を僅かながら知り、管制人格の力で相手の肉体の状態が分かるようになっていたはやては、ウォルターの怪我を全て見切っていたのだ。

骨が折れ、臓腑が潰れ、血を穴という穴から吹き出させながらも、ウォルターは戦った。

その必死さが、はやての心から憎しみを取り除こうとする精神が、そうさせたのだろうか。

あれだけはやての心の中を暴れまわっていた憎しみが、嘘のように爽やかに消えていた。

 

「本当に、完敗や」

 

 自嘲を混ぜ、はやては呟く。

全くもって、力でもそうだが、心でもこれ以上ない敗北感をはやては味わっていた。

はやては見当違いの誤解でウォルターを憎み、殺しかねないぐらいに力を込めて戦った。

だのにウォルターははやての誤解を解くために全身全霊を込めて戦い、はやてのために全てを賭して勝利の栄光を掴んだのだ。

これ以上ない、なのに何故かすっきりとした敗北感に、はやては苦笑する。

 

「結局、誤解やったんやろうな、シグナムとザフィーラの事」

「はい。闇の書には過去の技術の多くは蒐集されていますが、最新鋭の技術は蒐集されていません。

ウォルターを蒐集した時に全ての魔法を蒐集しきる事はできませんでしたから、その際漏れた技術に魔力譲渡の技術があったのでしょう」

 

 淡々と告げる管制人格に、はやては胸に手を当てる。

体温が掌につたい、その奥にある肉の暖かさを伝えた。

はやての胸の奥には、新たな願いが生まれつつあった。

誤解から生まれた憎しみは過ぎ去り、代わりに希望に満ちた展望がはやての心に浮かんでくる。

 

「私は、卑怯な子やな。

ウォルター君に申し訳ないって気持ちは勿論あるんやけど、同じぐらい、生まれた希望が心の中を占めとる。

生きたい。

健康に生きて、私の騎士達と一緒に過ごしたい、ってな」

 

 管制人格は、痛ましげな顔で歯噛みした。

膝を折り、はやてに視線を合わせる。

銀麗の髪が僅かに踊り、闇の中だと言うのに輝きを散らした。

 

「仕方のない事です。

ウォルターへの誤解は状況と判断材料を考えれば、あっても可笑しくない物。

むしろ、貴方の騎士でありながら真実を察する事のできなかった私こそが責められるべき事です。

加えて、生まれた希望に心踊らせるのは、当たり前の事でしょう」

 

 そう告げる管制人格に、はやては顔から笑みを消した。

真摯な瞳を、管制人格の瞳に向ける。

僅かにたじろぐ管制人格に、はやては手を伸ばした。

その白磁の頬を小さな手で撫で上げながら、言う。

 

「ウォルター君の事を誤解して傷つけてしまった罪は、私が償わなあかん」

「しかし……っ!」

 

 反論する管制人格に、はやては手を額に移動させ、でこぴんを放った。

ひゃう、と声を上げて、管制人格は顔を伏せ額に手をやる。

可愛らしい仕草に、はやては僅かに笑みを漏らしたが、管制人格が視線を戻すより先にその笑みも消した。

少し涙目になりながら様子を伺う管制人格に、はやては語りかける。

 

「それが私のマスターとしての勤めや。

貴方のマスターは、今は私やで?」

 

 言いつつ、はやては僅かに身を乗り出し、管制人格の頭を撫でた。

極上の絹のような肌触りの髪を撫で付けつつ、はやては思う。

怖くないと言えば、嘘になる。

ウォルターが良い人なのは知っている。

けれどはやては、誤解でその良い人なウォルターを、殺しかねないぐらいに憎んでしまったのだ。

そこまでの誤解を受けて、それこそ死にそうになりながらでないとその誤解を解けなかったウォルター。

そんな彼が簡単に自分の事を許してくれるとは、はやては思っていない。

その償いに、どれだけの罰と覚悟が要るだろうか。

想像するだけで、心が折れそうな重荷だった。

けれどその重荷を誰かに渡して逃げる事だけは、したくない。

ウォルターの与えてくれた胸の熱さは、はやてにそうさせるだけの熱量があった。

 

「……分かりました、主よ」

 

 それでも、心細さが湧いてくる事をはやては避けられなくて。

だからはやては、管制人格の頭を、軽く抱きしめた。

お腹の辺りに管制人格の擬似体温が伝わり、管制人格が一つの生命といえる事を、改めてはやては実感する。

そんな風に体温を伝わらせてくれる彼女が愛おしくて。

はやてが管制人格の名前を呼ぼうとし、名前が闇の書としか言いようがない事に気づき。

そしてそんな時に、はやては僅かに覚醒の前兆を捉えた。

意識が現実に引き戻され始めるのを感じ、その前に、とはやては告げる。

 

「勤めといえば、もう一つあったなぁ」

 

 管制人格が僅かに身を引き、はやての顔を見上げた。

潤んだ瞳の彼女の両頬に手をあて、はやては続ける。

 

「名前をあげる。

もう闇の書とか、呪いの魔導書とか、呼ばせへん。

管理者のわたしにはそれができる」

 

 臨界を超えた管制人格の赤い瞳から、ついに涙がこぼれた。

はやては、管制人格に正面きって出会うのは今日が初めてだ。

けれどこれまで、はやては何者かが自分の事をずっと見守っていてくれた事に、無意識のうちに気づいていた。

初めて騎士達と出会い、驚いた時も。

騎士達に愛情を注いでいる時も。

一人寂しく、留守にした騎士達に涙しそうになった時も。

どんな時も、はやては自分を見守る暖かな視線があった事に気づいていた。

ぼんやりとした記憶でありながらも、夢のなかで幾度も出会った事に気づいていた。

だから、はやては告げる。

自分にできる、管制人格へと注げる最高の愛情を告げる。

 

「夜天の主の名において、汝に新たな名を送る」

 

 誰かに名前を与えるのは、生まれて初めての事だった。

だから上手くできるかは自分でも分からない。

けれどそれをする事ができるのが自分しか居ないと決まっているのだから、はやては全力を賭して管制人格に名付ける。

 

「強く支えるもの、幸運の追い風、祝福のエール」

 

 今まで呪われた名でばかり呼ばれてきた子だから。

誰よりも祝福された子であれと、祈りを込めて。

 

「リィンフォース」

 

 はやては、リィンフォースの額に口付けた。

その瞬間、ついに目覚めの瞬間がやってきた、とはやては自覚する。

ウォルターが与えた超大な魔力負荷が、リィンフォースとはやてのリンカーコアからようやく抜け出たのだ。

現実に帰還する寸前、はやては思う。

目覚めたら、きっとそこに居るだろうウォルターに礼を言って、そして謝ろう。

許してくれるとは思えない。

償いには、きっと長い道のりが必要だろう。

けれど、この子と愛しい騎士達と一緒ならば、私はその道を歩んで行ける。

そう思いながら、はやての意識は覚醒に向かっていった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 あっ、とフェイトが呟くのに、なのはは闇の書へと視線を合わせた。

ゆっくりと瞼を開く彼女に、なのはとフェイトは距離を取り、デバイスを構える。

即座に戦闘に移れるようにした彼女らの目前で、闇の書は辺りを見回し、訝しげに告げた。

 

「……ウォルターは、一体どうしたのだ?」

「貴方を気絶させた後ウォルターも気絶して、リニスがそれを抱きとめた瞬間、貴方の魔法が発動し……姿を消しました」

 

 何処か冷たい声で告げるフェイト。

なのはも、ウォルターと闇の書が共に気絶した時、正直勝負が決まったと思った。

なのでその後に後にウォルターが消し去られてしまった事が、どうしても卑怯な手段に見えてしまい、あまりいい感情を持てない。

対し闇の書は、僅かな思案の後に告げる。

 

「そうか、私が負けた後に防衛プログラムが再起動し、近接するウォルターに自動防衛魔法として吸収魔法を使ったのか……。

主はやて、念話を」

(うん。なのはちゃん、フェイトちゃん、聞こえますか!?)

「あ、はやてちゃん!」

「はやてっ!」

 

 反応するなのはとフェイトだったが、喜色の声をあげてから、再び警戒を顕にデバイスを握りしめた。

はやての誤解が解けたのなら兎も角、もし解けていなければ最悪の状況だ。

冷や汗を浮かべる2人に、しかしはやては閉口一番に告げた。

 

(ウォルター君の事が誤解だったんは、分かった)

 

 ほっとなのはとフェイトが肩を下ろすが、しかしはやては続きを口にする。

 

(だからウォルター君を脱出させてあげたいんやけど、それには防衛プログラムをもう一度落とさなあかんのや。

私の方でこれから防衛プログラムを書本体から切り離して、それで防衛プログラムは止まる筈なんやけど……。

えっと、この魔法はウォルター君の使ってた魔法かな?

なんかやたら怪我しても動ける魔法があって、防衛プログラムはそれを使うて動けてしまうみたいなんや。

けれど一度敗北してコア部分に魔力負荷がまだ残ってるし、私もリィン……管制人格も妨害に加わる。

だから多分、なのはちゃんとフェイトちゃんの2人がかりなら、魔力ダメージで堕とせる。

そうすれば、私とヴィータとシャマルとウォルター君にリニスさんが出てこれるんや)

 

 とはやてに説明されたものの、魔法学問に疎いなのはには今一どうすればいいのか分からない。

冷や汗をかきながら、なのはは隣のフェイトに視線をやる。

 

「え~と、つまり……」

「私となのはの全力全開で、ブチのめせばいいって事」

「さっすがフェイトちゃん、分かりやすいっ!」

 

 喜色満面に杖を構えるなのは。

それに苦笑しつつ、フェイトもまたバルディッシュを構える。

まるでそうする事が当たり前のように、躊躇なしにはやてを助けようとする2人に、思わずはやては零した。

 

(その……ええんか、私を救う事になるんやで?

そりゃ、ウォルター君を助けるのにも必要な事やけど……)

 

 消え入りそうなはやての声に、なのはは僅かに目を細めた。

プレシアをも救ってみせたウォルターは、なのはにとって目標に当たる人間だ。

あんなふうになってみたい。

あんなふうに人を救える力が欲しい。

そう思ってなのははこの半年ほど、魔法の練習を積み重ねてきた。

だから、ウォルターが実質相打ちだったのには、確かにショックを受けた。

 

「ウォルター君を助ける為だけ、じゃあないよ」

 

 そう告げ、なのはは闇の書の瞳を見つめる。

未だに拭いきれぬ絶望に染まったその目は、悲しみの色を醸し出していた。

今にも再び泣きそうな目を、心では泣いているかもしれない目を、していた。

 

 だが、ならばウォルターが負けたのかと言えば、違う。

ウォルターの勝ちとは一体何か?

相手の心を救うことなのだ。

その一点のみに焦点を絞れば、ウォルターははやてと闇の書の管制人格を救えている。

けれどまだ完全に救いきる事はできず、目標を完走する事まではできていない。

けれど。

だけれども。

ウォルターの残したバトンはまだ続いている、なのは達の手に渡っている。

ならばなのはは、自らの内から響く心の叫びに、応えたい。

だからなのはは、顔を伏せ自らの胸に手を当て告げる。

 

「ここがね……、叫んでいるんだ。

泣いている子を救ってあげてって、私の心が叫んでいるんだ」

 

 同時、なのはは面を上げ、一歩踏み出した。

靴裏が地面を捉え、その圧倒的圧力により土埃が僅かに舞う。

世界が震えるかのような、凄まじい踏み込みであった。

その体重は軽く羽のよう、武術の腕など無いに等しいなのはの踏み込みだ、震脚などと呼ぶに到底及ばない。

なのにその一歩は、誰もが背筋を震わせるような、圧倒的迫力に満ちていた。

自然、その圧に管制人格が半歩下がってしまう。

 

「だから私は、ウォルター君から受け継いだバトンを持って、最後まで走りきりたい。

はやてちゃんだけでなく、闇の書さん、貴方も救ってみせたいんだ」

 

 無言であったフェイトもまた、隣でバルディッシュを構え、半歩踏み出す。

その冷ややかな顔に、しかし莫大な熱量の篭った意思で、告げた。

 

「目の前で泣いている子を、放っては置けない。

私はそうやって救われて、今此処に居る。

だから私も泣いている子を、救ってあげたい。

自分と同じ苦しみを抱えている子に、手を伸ばしたいんだ」

 

 なのはとフェイトは、その真摯な瞳で闇の書を見つめる。

その言葉が伝わったのだろう、少しだけ涙ぐんだような声ではやては返した。

 

(……ありがとう、なのはちゃん、フェイトちゃん)

「今から私が引っ込み、防衛プログラムを切り離す。

準備はいいな?」

「はいっ!」

 

 輪唱する2人の声に、柔らかく微笑み、管制人格は小さく頭を下げた。

銀麗の髪が揺れ、火の粉が舞い散る結界内で綺羅びやかに輝く。

ガクン、と闇の書が脱力し、崩れ落ちそうになった。

が、それも一瞬、すぐさま体を起こし、その瞳でなのはとフェイトを見つめてくる。

意思の感じられない瞳に、これが防衛プログラムなのか、となのはは内心独りごちた。

 

「……行くよっ!」

「……行きますっ!」

 

 輪唱する2つの声が、結界に包まれた海鳴の街に響く。

直後、黄金の魔力光の帯が、続いて桜色の魔力光の帯が現れ、闇色の魔力光と踊るように交錯を始めるのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「……ふあぁぁあ」

 

 欠伸をし、リニスは両目を潤ませた。

口を覆い隠していた手をどけて、それからあたりを見回し、懐かしい場所に来ていた事に気づく。

そこは、かつてティグラ達と戦った、廃工場であった。

懐かしいとは言え苦い思い出に、思わず顔をしかめながらリニスは頭を回転させた。

先程、闇の書に間一髪で勝利を収めたウォルターは、意識を失い墜落しかけており、リニスはそのウォルターを抱きとめた筈。

その直後、闇の書が何らかの自動発動魔法を使い、リニスは意識を失った。

そして気づけば廃工場におり、欠伸をしていたのだ。

 

「……精神操作系の幻術か、それとも内部空間にでも取り込まれたのか。

まだ判断材料はありませんね……」

 

 呟きつつ、リニスはあたりを見回しながら廃工場の中を散策し始めた。

廃工場は、記憶にある限り、リニスの知る通りの構造であった。

細かい瓦礫の配置など覚えていないが、違和感を感じる部分は存在しない。

いや、一つそれがあるとすれば、ウォルターがティグラにふっ飛ばされて開けてしまった穴が、ふさがっている事だろうか。

疑問詞を浮かべつつ、リニスは慎重に奥へと進んでいく。

丁度、かつてティグラ達と戦った大部屋に入ろうとした、その時である。

大きな声が、リニスの耳へと帽子越しに聞こえた。

 

「おぉぉおぉっ!」

 

 急ぎリニスが大部屋の中を見やると、そこでは黒髪の少年とティグラとが戦っていた。

叫ぶとともに、黒髪の少年は黄金の巨剣を振り下ろす。

対するティグラはムラマサを振り上げ、2つの剣戟が激突。

一瞬の鍔迫り合いの後、ムラマサが敗北しふっ飛ばされる。

リニスの目は、黒髪の少年の持つ巨剣がティルヴィングである事を、即座に見抜いた。

 

「ウォル……いや、違う?」

 

 と声をかけようとして、リニスは黒髪の男が微妙にウォルターとは違う事に気づいた。

ウォルターは髪は柔らかく顔はやや中性的な印象で、対し目前の黒髪の少年は、髪は硬質で顔は男らしい印象を受ける。

非常によく似ている顔だが、微妙な差異があるのは確認できた。

そして魔力もウォルターがSSランク、当時でもSランクあったのに対し、少年はAAランク相当といった所であった。

しかし代わりに、その剣技は神がかり的な強さである。

その後もティグラと打ち合っているが、魔力量の不利を、先のウォルター以上とすら思える超絶な技量で補って余りあるのだ。

それを呆然と見つめていたリニスの耳に、また別人の声が聞こえた。

 

「今だ、チェーンバインドっ!」

 

 叫ぶと同時、白色の鎖が少年と離れたティグラを拘束。

黒髪の少年はその隙を見逃さず、ティグラに斬りかかろうとするも、その瞬間腹部に直射弾を受けた。

爆音の後、魔力煙が少年を覆い隠す。

チェーンバインドの主は舌打ち、すぐさま別の方向に再びチェーンバインドをいくつか打ち出す。

それを回避しつつ姿を表したのは、ナンバー12であった。

そしてチェーンバインドの主の、正体は。

 

「ウォルターっ!? 一体ここで、何を……!」

 

 と叫ぶリニスであったが、それに気づかぬ様子でウォルターはナンバー12に向けて幾種ものバインドを放つ。

黒髪の少年はすぐさまティグラとの戦闘を再開し、ウォルターはナンバー12を相手取った。

もしかして、リニスの声は聞こえていないのだろうか。

そんな風にリニスが現状を分析している間に、勝負はそれほど時間をかけずに終わった。

順当に黒髪の少年がティグラを下し、ウォルターがナンバー12を下したのだ。

 

「何故……何故、私が貴方に負けたんでしょうか」

 

 バインドで拘束されたティグラが、黒髪の少年に問う。

対し黒髪の少年は、ウォルターがよくするような男らしい笑みを浮かべ、告げた。

 

「あんたの信念に、俺の信念が勝ったからさ」

「信念……?」

 

 疑問詞を浮かべるティグラに、黒髪の少年が自らに刻み込むように言ってみせる。

 

「本当の自分に気づかず目を背けている奴が居るならば。

自らの信念に気づいていない奴が居るのならば。

そいつをぶっ飛ばして、本当の自分に気づかせてやるのが、俺の信念さ」

「それは、ウォルターの……!」

 

 思わず叫んでしまうリニスだったが、どうやらリニスの声が聞こえていないのは本当らしく、何の反応も無かった。

代わりにナンバー12を拘束したウォルターが近づいてきて、誇らしげに言う。

 

「そしてその道を作るのが、182が相手をぶん殴りにいく道を作るのが、僕の信念さ。

僕らは2人で1人、君等は2人バラバラ。

それも君等の敗因の一つだろうね」

「ま、俺と265のコンビに勝とうたぁ、百年早いってこった」

「……え?」

 

 思わず疑問詞をあげてしまうリニスに、しかし265と呼ばれたウォルターは誇らしげな笑みを浮かべていた。

自分の信念を横取りされて、ウォルターは一体何を言っているのだろうか?

頭の中が真っ白になってしまうリニスを捨て置き、場面は早々と移り変わる。

182と呼ばれた少年とウォルターは2人を管理局に通報し、逮捕させた。

どうやらこの空間のおけるティグラとナンバー12は管理局と無関係だったようで、彼女らが非道な目に遭った形跡は見られない。

2人は賞金の振込を携帯端末で確認した後、2人でクラナガンを歩いてゆく。

 

 その後ろをつけながら、リニスは呆然としていた。

念のためティグラやナンバー12を、魔力波形のパターンが本人と一致するか調べてみたが、明確な差異があった。

というか、先程まで戦っていた闇の書にほぼ一致する魔力波形であった。

これでこの空間は闇の書の内部空間である事が判明したのだが、同時にある真実がリニスの意識を揺らした。

ウォルターの魔力波形のパターンは、闇の書ではなくウォルター本人と一致しているのである。

ということは、あそこで182と呼ばれた少年の斜め後ろを歩いているのは、ウォルター本人な訳で。

 

 一体どういう事だ、とリニスが頭を真っ白にしつつも2人を追跡しているうちに。

ふと、リニスは見知った道筋を歩いている事に気づいた。

リニスはクラナガンに殆ど来た事は無く、歩いた事のある道の殆どはウォルターと共に歩いた物である。

ならば、とリニスが自分の行ったことのある場所を想起した直後、2人はたどり着く。

ナンバー12の夫である店主が運営する、ラーメン屋に。

 

「……え?」

 

 思わず立ち尽くすリニスを捨て置き、2人は屋台の安っぽい椅子に座り、ラーメンを注文する。

スキンヘッドの店主は反り返りながらハハハ、と笑い、陽気にラーメンを作り始めた。

死んだはずの人間が生きているその光景に、もしかして、とリニスはつぶやく。

ウォルターの救えなかった人間であるティグラやナンバー12が救われていて。

ウォルターがかつて、自分が殺してしまったと言った店主が生きていて。

これではまるで。

まさかとは思うけれど。

 

「此処はウォルターにとっての、理想の世界……?」

 

 言ってしまいはしたけれど、真実味の無い言葉だ、とリニスは思った。

ウォルターが救えなかった人が生きているのは、まだ分かる。

しかし、あのどこまでも熱く、人間的魅力と活力に富んだウォルターが、心の底では誰かの補助になりたがっていた?

冗談のようにしか聞こえないし、そんな事はありえないと思う。

けれど、リニスがウォルターに言葉を届ける事ができない現状、闇の書の内部空間に居る事実、リニスの魔法知識。

そしてなにより、ウォルターが今此処から脱出する努力を怠っているという現実。

それら全てが、この空間がウォルターの願望から生み出された空間なのではないか、とリニスに思わせていた。

 

「じゃ、ごっちゃんな~!」

「ごちそうさまです!」

 

 ウォルターのような威勢のいい言葉で182と呼ばれた少年が、違和感すらある丁寧な言葉使いでウォルターが言う。

そして2人はやっぱあそこのラーメンは不味いよなぁ、と歓談しつつ、クラナガンの街並みを歩き始めた。

リニスはそれ以上考える事を放棄し、2人の後を兎に角つけていく。

これ以上考えてしまえば、決定的な真実に辿り着きかねない、と本能が警笛を鳴らしていたのだ。

これまでの全てを覆しかねない、決定的な真実に、だ。

それでも主にしたいと思った相手の危険である、リニスは何も考えずとも、ウォルターの後をつけていく。

そうこうするうちに、2人はウォルターのアパートにたどり着く。

かつてと変わらぬ中に入り、2人はベッドとソファーの上にそれぞれ座り、口を開いた。

 

「今日も金になるわ、むかつく奴をぶん殴れるわ、ウハウハな日だったな」

「まーね。君が一々金にならない相手をぶん殴りに行こうとしなけりゃ、これぐらいの収入が日常になりそうなんだけど」

 

 皮肉気に言うウォルターに、リニスはショックを受ける。

例え冗談であっても、ウォルターが金と信念を秤にかけるような事を言うとは思えなかったのだ。

そんなリニスを尻目に、ヒヒッ、と悪そうに笑いながら182が続ける。

 

「それじゃあ、お前は左うちわな毎日がご所望かい?」

「まさか、今の毎日が一番さ。

君との約束が守られている日常が僕の望む所だよ」

 

 ウォルターの言葉に、182は眩しげな表情を見せ、窓の外を眺める。

ウォルターは席を立ち、窓を開け放って窓枠に座り、空を見上げた。

182は掌を天に向け、高く伸ばす。

それから万力を込めて掌を握りしめ、ゆっくりと腕を反転させつつ目前にまで持ってきた。

まるで全てをも掴めそうなぐらいに、力の篭った仕草。

 

「掴むんだ、求める物を。

俺はそれを、絶対に諦めない。

そしてその姿を、お前に見せてやるさ……だったな」

「そう……え?」

 

 と、言ってからウォルターは目を見開き、182の方を見つめる。

二人の視線が交錯するのに、リニスは思わずウォルターに目をやった。

リニスの胸中に、複雑な思いが錯綜する。

この光景が、ウォルターが信念無く誰かのサポートをする光景が、嘘であって欲しいと言う思い。

ウォルターが本当にこの光景を望んでいたのだとすれば、自分がウォルターにどれほどの苦痛を強いていたのかと言う思い。

それらを胸に抱き、リニスは胸に両手を当てる。

渦巻く感情は複雑で、自分がどうしたいのかもよく分からない。

けれどそんな迷いが胸に渦巻く時、何時もリニスの心にはウォルターの言葉が浮かんでくる。

リニスの願いどおり、プレシアをも救ってくれたウォルターの言葉が。

 

「ウォルター、気づいてください、此処は現実じゃあないっ!」

 

 気づけば、リニスはそう叫んでいた。

ウォルターの言葉の、何に突き動かされたのかすらリニスには分からない。

ただ、胸の奥の熱さが、自然とリニスにそんな言葉を吐かせていた。

それが届いたのかどうか、ウォルターは目を瞬き、つぶやく。

 

「僕は……約束……そうか」

 

 胸に手をやり、ウォルターは瞼を閉じた。

深く息を吸い、吐き、それからゆっくりと目を開ける。

泣きそうな顔で、ウォルターは告げた。

 

「これは……ただの、夢だ」

 

 瞬間、空間にヒビが入った。

ヒビはすぐさま世界を覆い尽くし、まるで鏡がそうなるかのように甲高い音を響かせ、割れる。

破片となった世界の奥には、ただただ広い暗闇が横たわっていた。

破片が闇の奥に消え去ると、闇の中だと言うのに不思議と輪郭までハッキリと見える、ウォルターとリニスだけが立ち尽くしている。

 

「知られちゃった、な」

 

 涙を堪えていると思わしき顔で、ウォルターは笑顔をつくり言った。

リニスは、何かを言わねばならない、と言う強迫観念に襲われ、口を開く。

しかし口は意味のなさない音をぽつぽつと漏らすだけで、何も言う事はできない。

疑問詞の渦巻くリニスの内心を悟ったのだろう、ウォルターは最低限だった精神リンクを最大にした。

 

「——っ!」

 

 リニスの脳内に、一瞬でウォルターの内心の全てが伝わった。

“家”の実験体だった日々。

その中で太陽の如く輝いていた、UD-182の存在。

死にゆくUD-182との約束と、被る事にした仮面。

弱気で陰気ながらも、虚勢で乗り切ってきた戦い。

救えなかった人。

救えた人。

それら全てをリニスが受け取った頃、精神リンクが使い魔との平均的な物に推移する。

 

 リニスは、ウォルターに何を言えばいいのか分からなかった。

慰めればいいのか、憎めばいいのか、それすらも分からずにリニスは立ち尽くす。

そのリニスに背を向け、ウォルターは臓腑から絞り出すような声で言った。

 

「……僕がどれだけ罪深い事をしているかは、ある程度自覚している。

どんな罰だって受けよう」

 

 言って、ウォルターは面を上げ、半ば振り向く。

虚飾の、しかしそれでもリニスの胸を熱く燃え上がらせる、炎の瞳がリニスを射抜いた。

 

「だけど、今は戦いが待っている。

僕のちっぽけな力を、それでも必要としている人達が居るかもしれないんだ。

だから、少しだけでいいんだ、待っていてくれ……」

 

 精一杯の力が篭った、願いの言葉だった。

ウォルターの膝は震えており、今にも崩れ落ちそう。

口先も痙攣を免れず、その奥にどれだけの恐怖を隠しているのか手に取るように分かる。

だから、リニスはふ、と小さく微笑んだ。

柔らかな声で、告げる。

 

「そうですね、全てはこの戦いが終わった後に」

「……ありがとう」

 

 言って、ウォルターは胸元を掴み、小声でセットアップ、と告げた。

直後黄金の巨剣が発生。

それを直上に向けながら、ウォルターがティルヴィングに命令をする。

 

「突牙巨閃、行けるか」

『イエス、マイマスター』

 

 その両手の先に、超大な魔力が発生。

刀身の先に白い光球を作り、ウォルターの顔を白光で染める。

次いで、ウォルターがその魔法の名を告げた。

 

「突牙巨閃!」

 

 極太の白い光線が、暗い空間の天蓋へ向け、発射される。

魔力的な拮抗が空間を揺らすが、それも一瞬。

空間は白い光線に破壊され、全ては現実へと回帰した。

 

 

 

 ***

 

 

 

「う、あ……」

 

 呟きながら、僕は目を瞬く。

視界には、ルビーの輝きの瞳を潤ませた金髪の美女が見えた。

誰だっけか、と脳内で数度その光景を咀嚼、ヴォルケンリッターのシャマルの姿だと気づくと同時、僕は体を跳ね上げようとして——。

視界が真紅に染まる、激痛が走った。

 

「う、づぅっ!」

「あっ、まだ動かないでくださいっ、生きているのが不思議なぐらいな重傷なんですからっ!」

 

 言われ、僕は体にかかっている浮遊魔法に身を任せ、脱力。

首元にかかった待機状態のティルヴィングに視線をやると、緑色の宝玉が明滅、僕の求める答えをはじき出す。

 

『マスターの肉体は骨折が約80箇所、動脈が8箇所で切断、肺や腸に穴が空き、肝臓が少々潰れ、五感にもやや異常が。

その他軽症が多々ありますが、主な損傷は以上になります』

「た、たまに思うけど、俺ってよく生きているな……」

 

 あまりの重傷っぷりに、自分でも冷や汗がダラダラと出てきた。

韋駄天の刃は使った事はあるものの、これまでは最高で四閃までに留めてきたので、全力全開の代償を聞くのはこれが初めてである。

自分で自分に呆れる僕に、リニスさんがシャマルさんと共に視界に入った。

ピンっと人差し指を立て、井桁を浮かべながら言う。

 

「そんな大怪我を負うような魔法、使っちゃメッ! ですからねっ!」

「韋駄天の刃といいましたか、その魔法は当分使用禁止ですっ!」

「あぁ、俺も予想外の大怪我だ、もう滅多な事では使わねぇさ」

 

 予定ではこの半分ほどの怪我で済む筈だったのだが、予想を大きく超えて、マジで死にかける事になってしまった。

流石の僕も、滅多な事が無ければ韋駄天の刃はもう使わないようにしよう、と内心誓う。

いや、それ以前に、僕はリニスさんに命を賭して償いをしなければいけないので、そもそも韋駄天の刃を使う状況が来るかどうかも分からないのだが。

思わず暗くなる内心を捨て置き、ようやく僕は周りに目が行くようになる。

なのはとフェイト、ユーノとアルフにクロノとリニスさん、アースラ組。

はやてにヴィータにシャマルにシグナムとザフィーラ、八神家組。

全員がこの場に揃っていて、どうにか僕の言葉が届いてくれた事に、不覚ながら涙さえ出そうになる。

必死でそれをとどめつつ、僕は口を開いた。

 

「シグナム、ザフィーラ、2人とも無事にはやてとまた会えたんだな」

「あぁ、ハラオウン提督の計らいでな」

「あの御仁には感謝せねばなるまい」

 

 告げる2人に、内心ほっとため息をつきつつ、僕ははやてに視線をやる。

チラチラとこちらを伺いながら、杖に縋りつくようにしている彼女に、声をかけた。

 

「その髪と目、管制人格とユニゾンできたのか」

「あ、うん、リィンフォースって名付けたんよ」

「そっか、良かった」

 

 言って笑顔を作る。

闇の書を夜天の魔導書と呼び替えるのは思いついたが、新しく名前をやると言うのは思いつかなかった。

想像もしない方法で管制人格……リィンフォースの心を救ったはやてに、内心尊敬の念を抱く僕。

すると、おずおずとこちらを伺っていたはやてが、目に涙を貯めた。

首を左右に振り、涙を空中に零しながら叫ぶ。

 

「良かったって……私のせいで、ウォルター君はそんな大怪我をっ!」

「あー、いーっていーって、とりあえずその話は後だ、まだこの後防衛プログラムの暴走があるんだろう?」

 

 言ってクロノに視線をやると、静かに彼が頷いた。

何故か、どこか誇らしげな声で告げるクロノ。

 

「既に防衛プログラムを倒す方策は出来ている、怪我人の君の力を借りる必要はないさ。

個人的に、君に借りも返したい事だしね」

「借り?」

 

 思わず疑問詞をあげると、む、とクロノが眉間にシワを寄せる。

僕がクロノに借りた事ならいくらでも挙げられた。

プレシア関連やフェイト関連で、本来なら僕はクロノに頭が上がらないぐらいの借りを作っている。

勿論リンディさんの方により借りがある状態だが、それでクロノに対する借りが減る訳でも無い。

なので今回も貸しにされると言うのなら納得がゆくのだけれども。

そんな風に悩んでいると、渋々とクロノが告げる。

 

「プレシア・テスタロッサを逮捕する時、僕は何もできず、君に頼る事しかできなかっただろう」

「つっても、お前はきちんと露払いをしてくれたじゃないか」

 

 間髪入れずに答えると、クロノはなんとも言えない表情で吐き捨てた。

 

「……何時もは傲慢に思えるぐらいなのに、なんでこんな時ばかり君は謙虚なんだ。

あぁもう、僕が勝手にそう思っているんだ、僕の勝手だろう」

「じゃ、俺も勝手にお前に感謝しとくさ」

 

 クロノは、不意を打たれたかのように頬を赤く染め、歯ぎしりしながら視線を逸らす。

さてはこいつ、恥ずかしがっているのか。

悪戯心が相応に湧いてくるが、残念ながら身動きできない今の僕では十全に彼をからかう事はできない。

後で情報をエイミィさんに託すとして、この場は仕方なしと流すしかあるまい。

断腸の念でそう思うと、最後に僕はなのはとフェイトに視線をやった。

 

「なのは、フェイト、俺が脱出するのに必要な魔力ダメージを与えたのは、2人だよな?」

「あ、うんっ!」

 

 輪唱。

そっぽを向いて足をブラブラさせていたなのはと、チラチラとこっちを見ていたフェイトとが、物凄い勢いでこちらを向く。

その目はキラキラと輝いており、僕から声がかかるのを待っていたのが手に取るように分かる。

勢いでふらふらと揺れるツインテールが、まるで犬の尻尾のように見えるぐらいだった。

過激な反応に内心汗をかきつつも、すぐに内心を落ち着かせ、告げる。

 

「ありがとう、2人とも。

俺の託したバトンを、最後まで持って行ってくれて」

 

 正直言って、この事は死ぬほど嬉しかった。

あの状況なら当然そうしてくれるだろうと言う予感はあったけれど、僕は基本的に他人を信用していない。

というか、仮面を被って接している相手に信用しているだなんて、片腹痛い物言いだ。

僕は結局の所誰一人をも信用せずに生きている。

更に言えば、仮面が外れた時蔑視を受けるだろうと言う思いがあるのも、他人を信用していない証拠だろう。

だから、僕も闇の書の内部空間から出た後、最悪僕の命を賭して再戦闘を行わなければいけないかもしれないと思っていた。

 

 けれど、2人は僕が託した、というか放り投げたバトンを受け取り、ゴールまで走りきってくれたのだ。

僕が一人きりではないような錯覚に、僕は至上の喜びをすら感じる。

2人がまるで、僕の信念を肯定してくれているような感覚。

いや、実際にそうしてくれているのだろう。

だが、現実を見れば、彼女たちはここまで僕の信念を肯定してはくれないに違いない。

命と天秤にかけて信念を取る僕の事を肯定してくれる人は、限りなく少ない。

罵声や裏切りを受けた事だって何度もあるし、クイントさんとリニスさんも全肯定してくれる訳ではなかった。

今はたまたま、命を救うと同時に信念も貫き通せる状況だから肯定してくれるに過ぎないだろう。

だけど、それでも尚嬉しかった。

間違っていると信じて尚貫きたい信念を肯定してもらえているという錯覚は、それほどまでに嬉しかったのだ。

 

 そんな僕の感情が、僅かでも伝わってくれたのだろうか。

2人は僅かに顔を紅潮させて、僕の近くまで飛んでくる。

動かせない僕の両手を、それぞれなのはとフェイトが両手で包み込んだ。

涙が出そうなぐらいに、暖かった。

そんな感動をしている僕に、なのはが告げる。

 

「まだ、ゴールまでたどり着いた訳じゃあないよ」

 

 思わず視線を彼女に集中させると、なのはは恐ろしく精悍な顔をしていた。

まるで間にある空気が圧力を増したかのように、迫力ある声。

 

「防衛プログラムを倒すまで、私達の戦いは終わらない。

だから、それが終わるまで、ウォルターは見守っていて欲しいんだ」

 

 続くフェイトもまた、まるで夜闇に浮かぶ雷のように鮮明な表情で、そう告げた。

その奥には深い母性が現れており、動く事もままならない僕への労りが伝わってくる。

こんな子を育てられるなんて、何度か思ったが、本当にリニスさんは子育ての天才だったのかもしれない。

フェイトの表情を見てそんな事を考えながら、僕もまたにこやかに告げた。

 

「そうか、そうだったな。

分かったよ、ここで静かに見物させてもらうさ。

心配すんな、もう鼻くそほじる力も残ってねぇよ」

 

 悪い笑みで汚い言葉混じりに告げると、仕方ないなぁ、と言わんばかりの笑顔で2人が僅かに手を握る力を強めた。

それを合図に、彼女たち2人は僕の元を離れ、防衛プログラムを倒す為の配置に着く。

 

 それからの事は、語るべくもないだろう。

実の所、僕の狂戦士の鎧や韋駄天の刃が変な影響を与えていないか心配であったが、その心配は要らないようだった。

次々に放たれる皆の魔法は、防衛プログラムの四層防御魔法を打ち砕き、本体を破壊。

露出したコアは軌道上に転送され、無事にアルカンシェルで破壊された。

それを最後まで見届けた僕は、星々煌めく夜空にアルカンシェルの光が輝くのを最後に、視界を閉じ眠りにつくのだった。

 

 ——リニスさんが僕に望む罰次第では、生涯最後となるかもしれない眠りに。

 

 

 

 

 



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3章7話

 

 

 

 リニスは深く息を吸うと同時、目の前の扉を見つめた。

無機質な金属の光沢が、照明の光を鈍く反射している。

その中央には細く赤いランプがついており、扉がロックされている事を示していた。

手を伸ばす。

指先が、次いで指全体が、そして掌が扉に張り付いた。

その冷たさをさえ覚える感触が、リニスの緊張を更に強める。

真実を知って、リニスには今だウォルターに対する答えは決まっていない。

けれど、それを決めるには前に進まねばなるまい。

意思を固め、リニスは深く息を吐いた。

扉を手放し念話をウォルターに繋ぎ、リニスは言う。

 

(ウォルター、リニスです)

(……分かった、今開ける)

 

 直後、扉のランプが青に点灯。

排気音と共に扉が開き、中の光景がリニスの藍色の瞳に飛び込んでくる。

医務室に押し込まれそうだったウォルターが強引に取った私室は、他の私室とそう変わる所は無い。

デスクにベッドにクローゼットに機械端末、シャワールームにトイレ。

平均的な部屋の白いベッドの上に、これまた包帯の白で顔の半分近くを覆い隠したウォルターが座っていた。

 

 リニスが部屋に入ると、再びの排気音と共に扉が閉まり、ロックの音が鳴り響く。

直後に、ウォルターが視線を首元のティルヴィングに。

同時、多種の結界が部屋を包み込んだ。

防音、遮魔力、遮光……。

ありとあらゆる情報を中から締め出し、サーチャーどころか念話すら入り込めない厳重な体勢が整った。

予想していた以上の厳重さにリニスは驚きを顕にする。

と同時、それだけではない事に気づいた。

その上、ティルヴィングはどうやら内部に通ってきた魔力・電力的監査に干渉、誤情報を流してさえ居るのだ。

呆然とリニスがウォルターを見ていると、皮肉気な笑みでウォルターが口を開く。

 

「俺がティルヴィングに愚痴を零すのに、結界魔法の中でも、この類の魔法だけは慣れちまってな。

……いや……」

 

 歯噛みし、ウォルターはグッ、と全身に力を入れた。

包帯から血が滲む程に力を込め、ウォルターは天を仰ぐ。

吐き捨てるようにして、言った。

 

「仮面を被らずに言うのなら、“僕”は、だね……」

 

 “僕”。

それが彼の本来の一人称なのだと思い返し、リニスは愕然とした。

目の前の少年の今までの何もかもが偽りで作られていたかのように思え、身震いする。

いや、事実、そうなのかもしれない。

内心で唇を噛み締めながら、リニスはウォルターに近づく。

近くにあった椅子を引き寄せ、ベッドの側に座った。

 

 改めてウォルターを視認する。

彼の言う仮面を脱いだその姿は、常とは違い酷く弱々しく見えた。

炎の瞳はジメジメとした暗く陰鬱な光に満ちており、リニスを直視する事を避けている。

体は微細に震え、今にも感情が弾けて泣き出しそうな風にさえ見えた。

陰鬱な姿であった。

しかしウォルターが、あの力強い彼の真実の姿が、これなのだ。

そう思うと、リニスは苦みばしった表情をするのを避けられなかった。

それを視界の端に見つけたのか、ウォルターは顔ごと視線を外そうとし、それを必死な形相で留める。

万力を込めるようにしてようやくリニスを直視。

震える血の気の足りない唇で、しかし確りとした声色で言った。

 

「精神リンクは僕から君への一方的な物だったけど……。

分かっただろう?

プレシアを相手に叫んだ事も、フェイトを相手に言った事も。

そして、君に話した全ての事も……」

 

 ウォルターは、深く息を吸った。

そうしてみてから言葉を探すようにし、一端息を留める。

まるで吐く息の勢いに乗らねば言えないかのように、言葉は吐き捨てられた。

 

「全て、嘘偽りなんだ」

 

 リニスは、奈落の底に落ちるかのような感覚を覚えた。

予想していた筈だった。

けれど、現実にウォルターの口からそう言われてしまうと、心が締め付けられるかのように痛い。

まるで全身が鉛になったかのような感覚に、リニスは鈍い疲労感を覚える。

 

「許してくれとは言わない、どんな罰だって受ける」

 

 ウォルターの瞳は、まるでヘドロのようにドロドロとしており、見たものを引き込み粘着質に絡む物があった。

まるで、仮面を被っていた時とは正反対の瞳。

その感想がどんな意味を持つのかリニスが考えるよりも早く、ウォルターはとんでもない事を口にする。

 

「ただ、簡単に殺す事だけはしないでくれ」

 

 え、と。

小さくリニスは呟いた。

ウォルターはそれを意に介さず、続ける。

 

「嘘の信念の為に殺してしまった人が居る。

そんな僕は、惨たらしく絶望して死ぬのが似合いさ」

 

 そう言ってのけるウォルターの表情は、まるで老人のようだった。

拭いきれない絶望に、極限まで疲労した顔だった。

当然と言えば当然と言えよう。

リニスが知る僅かな情報では、素のウォルターは決して英雄的な人間ではない。

普通の、平凡な人間だった。

決して抗えない壁に立ち塞がられた時、膝を折り絶望する。

信念に全てを賭ける事などできず、僅かな友との幸せを渇望する。

そんな、ごく普通の人間だった。

そんな平凡な少年が英雄の仮面を被って生きる事に、どれほどの活力が必要となる事か。

その答えは、目の前のウォルターが言外に告げていた。

あまりにも落差の大きい真実を知られる事が恐ろしくて、その恐怖に疲れ果て。

結果、何処かで死をすら望むほどに疲労してしまうのだ、と。

 

 ウォルターが真に信念を、UD-182の持っていた心の炎がこの世にあったのだと世界に示す、信念を貫くのなら。

それなら、ウォルターはリニスを口封じに殺す事すら計算に入れるべきだった。

多少不自然でも、リニスが主従を受け入れられないのなら、誰の負担にもならない死を望む、と言う展開はありえない程の物ではない。

結果PT事件と闇の書事件で出会った人々には大きな不信を買うだろうが、ウォルターは他にもいくらでもコネがある。

とすれば、それは大きな打撃になっても、致命傷ではない。

ウォルターは、リニスを騙し続けた罪を償うべきではなかった。

罪から逃れてでも、タフに生き延びる道を取るべきだったのだ。

しかし、目前のウォルターは、それを選ぶ活力すら無くす程に疲れていた。

 

 暫時、リニスはウォルターに何と告げようか迷った。

あの鮮烈な言葉は、今でもリニスの中に深々と刻まれている。

それが嘘だと知って、落胆が無いと言えば嘘になった。

世界には、燃え盛る炎の心を持ち、信念の為に全てを賭す事のできる人間が居る。

その心の炎で誰かの心に火を灯し、誰しもを巻き込み熱く生きさせることのできる人間が居る。

その思いがリニスの中で形作ってきた事は、余りにも大きい。

 

 ——けれど、と。

リニスは内心独り言ちる。

けれど、リニスの心には、それ以上にその真実に気づけなかった自分への怒りがあった。

何が、ウォルターを主としたいだ。

自分はウォルターの事を、何一つ理解していやしなかった。

どれだけ辛い思いをして信念を貫こうとしていたのか、これっぽっちも理解していなかったのだ。

あのままいけば、ウォルターはリニスとの主従関係を断っていただろう。

そしてまた一人、心が折れるその日まで戦い続ける事になったのだ。

そう思うと、リニスは思わずゾッとしてしまう。

想像したくない、しかしあり得てしまう未来予想図だった。

 

 そしてリニスの中には、それでもウォルターの言葉に感謝する自分が居た。

例えウォルターの言葉が、嘘偽りで塗り固められた物であったとしよう。

だが、それでもウォルターの言葉はプレシアを救ったのだ。

フェイトをも救い、そしてリニスが胸焦がれるほどに心惹かれたのだ。

ウォルターの言葉は、例えそれが何でできた物だとしても、人の心を熱く燃やす力があった。

言葉にできない、活力の源となる力強い何かがあった。

それだけで、リニスがウォルターを許し、そして主となってもらいたいと思うには十分過ぎるぐらいであった。

 

 加えて、素のウォルターは、疲れ果てて今にも崩れ落ちそうな、普通の10歳の少年だった。

そんな子供が、人生を賭してまで必死で戦い続けている。

孤独で辛いそんな姿は、どうしようもなくリニスの母性をそそった。

愛おしかった。

これ以上、彼が独りで傷ついていくのを、見ていられなかった。

抱きしめて、彼を守ってやりたかった。

それができなくとも、せめて彼の歩む道が独りきりの物ではないのだと、そう言ってやりたかった。

 

「ウォルター」

 

 言って、リニスはウォルターと再び視線を合わせる。

言葉にビクンと震え、怯えを顕にする少年に、リニスは両手を伸ばした。

首筋に手を回し、抱きしめる。

乳房がウォルターの胸板にあたって変形し、子供らしい高い体温が感じ取れる。

え、と、ウォルターの意外そうな声が聞こえた。

 

 何といえばいいだろう、とリニスは思い悩んだ。

リニスの中の思いを伝えるには、言葉にするのも、ウォルターの心が聞き届けるのも、難しかった。

本音を言えば。

少しづつでもいい、ウォルターには仮面を外して生きられるようにして欲しかった。

仮面として作り上げた、不自然なまでに英雄的な人間なんかじゃなくてもいい。

自然に彼が出来る範囲で、人の心に炎を伝わらせるような生き方でいい。

それができなくとも、せめて幸せに生きて欲しい。

 

 けれど、ウォルターの今にも壊れそうな疲れ果てた心は、そんな生き方に耐えれるだろうか。

否だ。

目の前の少年は、今の生き方に苦しんでいる癖に、それを否定されればそれだけで壊れてしまいそうなぐらい繊細だった。

ならば最初の一歩は、肯定だ。

自分の仮面を嘘偽りと言い、自分が許されない生き方をしていると思い続けている彼を、肯定してあげなければならない。

嘘でも良かったんだよ、と。

偽りでも救われたんだよ、と。

——許すと、ただ一言。

 

「貴方を、許します」

 

 その一言がウォルターに与えた影響は、絶大であった。

精神リンク接続の際見た、ウォルターがUD-182の死に、自分の中で交わした約束。

——これは、僕の人生最後の涙だ。

店主を殺してしまったと嘆いた時も。

なのはの心に圧倒的格差を見た時も。

プレシアに破れそうになった時も。

そしてリニスに、闇の書の夢を見られてしまった時でさえも、彼は泣かなかった。

けれど。

だけれども。

 

「う、あ……」

 

 ウォルターを抱きしめるリニスの頬に、暖かな液体が触れた。

上方から流れ落ちる液体は、2人の触れ合う頬と頬の境界線を流れ行き、2人の顎へとそれぞれの軌跡をたどってゆく。

ウォルターは、泣いていた。

涙を零していた。

始めはただ涙を零すだけだったウォルターは、すぐさましゃくりあげ、嗚咽を漏らす。

大粒の涙を零しながら、声にならない悲鳴を上げ、泣き続けた。

 

 そんなウォルターを、リニスはただただ抱きしめ続けていた。

伝わる体温が、ウォルターにもう独りきりじゃあないと、そう伝える事を願って。

ウォルターを抱きしめる力を、僅かに強める。

伝わる体温の高さ、実感するウォルターの小ささが、彼が10歳の少年に過ぎない事を改めてリニスに理解させて。

涙を零す少年に、自分もまた泣きだしてしてしまいそうになるのを、堪える。

歯を噛み締め、瞬きを繰り返し、必死で堪える。

 

 ——ウォルターが泣き止んだ時、リニスは彼を笑顔で迎えたかったから。

 

 だからリニスは、必死でこみ上げる涙を押しとどめ、泣き続けるウォルターを抱きしめていた。

その姿は、奇しくも今まで涙を堪え続けてきたウォルターに似ているのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 どうしようもないほどの嬉しさで上がりそうになる口角を、必死で抑える。

溢れる幸福感を、どうにかして取り繕い、真面目な顔を作る。

そうして見せても、精神リンクで僕の内心が伝わっているのだろう。

僕の乗る車椅子を押すリニスは、ニコリと微笑ましそうな顔をして僕を見つめていた。

なんだかそれが恥ずかしくって、僕はちょっとだけ頬を赤くして俯いてしまう。

けれど、その恥ずかしいという感情さえもリニスに伝わってしまう訳で。

使い魔契約とは、何ともやりづらい物だな、と僕は思った。

今まで内心を隠すのに必死だったのに、今は開けっぴろげだというのが、正直な話違和感を覚える。

そんな僕の煩悶を、よくよく分かっているのだろう。

精神リンクから暖かな感情を伝わらせながら、リニスは口を開いた。

 

「それにしても、“生涯を共にすること”ですか」

 

 ピクリ、と僕は震えた。

リニスと改めてした使い魔契約の、内容である。

僕の唯一の理解者である彼女を、何としても手放したくないが為の物だ。

……いや、ティルヴィングも居るから、たった2人の、というべきか。

そんな風に考えつつも、僕は思わず内心体をよじらせたい衝動に襲われるのに耐えられなかった。

だって、そんな甘えのような感情を持っているのは、どうしても格好悪いように思えてしまう。

自立できていないというか、なんというか。

そんな風に考えて一拍、僕は唾を飲み込み、思考を回転させた。

……いや、認めよう、と。

僕は照れているのだと。

しかもその感情がリニスに伝わってしまっているというのが、僕の内心の恥辱を助長した。

それをどうにか顔に出さず、続ける。

 

「……それがどうしたんだ? リニス」

「ふふ、照れなくてもいいんですよ、ウォルター。

ただ、使い魔契約の内容が、フェイトとアルフの物と同じだな、と思っただけです」

 

 言われて、面食らった。

恐らく、リニスは単にその共通項に思いを馳せているだけなのだろう。

しかしあの純朴そうな少女と、皆に嘘をつき続ける僕のような汚れ系の人間とで契約内容が一緒とは、世の中なんとも不思議な物である。

 

 そんな事を考えているうちに、僕らはアースラの食堂にたどり着いた。

リンディ艦長に皆が集まっている場所が其処だと聞いた為である。

自動扉の排気音と共に中に入り、明るくも柔らかな、天然光のような照明に目を細める。

食堂の一角に、今だ気絶していると聞くはやてを除く全員が集まっていた。

リニスに車椅子を押してもらって近くに辿り着き、口を開く。

 

「よう、皆。集まってどうしたんだ?」

「あ、ウォルター君……」

 

 しょげかえったなのはの声に、全員が僕を振り返り、硬直した。

まぁ多分そんな反応が返ってくるだろうな、と思っていたので、僕は何とも言えずに返す。

僕は顔が半分程出ている他は、殆ど全身包帯だらけの、ミイラ男のような姿であった。

これでも、今しかできない事だから、と無理言って狂戦士の鎧で体を動かしているので、ギブスなどはしていないのだが。

パクパクと唇を上下させるなのはを筆頭に、皆僕の怪我に多かれ少なかれ驚いているようだった。

 

「す、凄い怪我だけど、大丈夫?」

「応、リニスが車椅子も押してくれるしな」

 

 率先して話しかけてきたフェイトが、目を瞬く。

眉を下げ、疑問詞。

 

「あれ、ウォルター、リニスの事を呼び捨てで……?」

「あぁ、まぁ、なんだその。

色々あって、正式に使い魔契約を結ぶことになってな」

 

 視線を微妙に逸らしながら言うと、視界の端でフェイトがぱぁぁっ、と顔を明るくしたのが見えた。

少しは落ち着いた筈の恥ずかしさが、胸の奥から再び湧いてくる。

それを必死で抑えながら、狼の表情は読めないのでシグナムの方に視線をやった。

意外そうな表情で口を開こうとした彼女だが、僕の視線を受けて口をつぐむ。

一度はリニスとの主従関係を断ろうと思った事を思い立ち、闇の書の夢が影響したのだと気づいて口を開こうとしたのだろう。

恐らくはそこで、僕の理由があまり口外してほしくない類の物と思い出したに違いない。

軽く頭を下げて礼をすると、気にするな、とでも言いたげに腕組みした手から人差し指と中指とを並べて立てた。

それに再び内心で礼を言いつつ、皆の方に向き直る。

 

「それでちょっと聞きたい事があって来たんだが。

リィンフォースとヴォルケンリッター、5人はこのままだとどうなる?」

「あ、そうなんだよウォルター君。

ヴォルケンリッターの皆は大丈夫みたいだけど、このままだとリィンフォースさんが……!」

 

 なのはの言を聞き、ヴォルケンリッターの先頭を行くリィンフォースに視線をやる。

交錯。

その目に満足の色を見て、僕は内心歯噛みする。

それから、リィンフォースは自分と闇の書に関する説明を始めた。

曰く、闇の書の歪められた基礎構造はどうしようもない。

このままでは遠からず新たな防衛プログラムが作られ、それによって今度こそはやてが目覚めること無く暴走状態に移行してしまう。

故にリィンフォースは、闇の書本体と共に消え去らねばならない。

ヴォルケンリッターは闇の書本体から切り離したので、彼らは大丈夫なのだそうだ。

改めて聞かされた言葉に、全員が黙りこむ。

予想通りの結末に、思わず僕は目を細め、口を開いた。

 

「リィンフォース、お前を救う方法は、ある……いや、正確にはあった、というべきかな」

 

 俯いていた皆が、跳ね上がるように顔を上げた。

歓声を上げようとして……、僕の言葉が過去形である事に気づき、表情を歪める。

皆を見渡しながら、口を開く僕。

 

「今となっては不可能な方法だが、これで皆が何か思いつくかもしれないんで、一応話すぞ」

「……あぁ、聞かせてもらおう」

 

 縋るような目付きで言うクロノに頷き、僕はまず、と告げユーノに視線をやる。

 

「条件を詰めるぞ。

ユーノ、無限書庫で闇の書のソースを使って検索したとして、夜天の魔導書のソースを見つけるのにどれぐらい時間がかかる?」

「確かに、無限書庫にはあらゆるデータが詰まっている。

闇の書をはやての手でプログラムソースを閲覧できる今、夜天の魔導書のソースを見つける事は不可能じゃない、か。

それなら闇の書を夜天の魔導書に戻す事も、不可能じゃない……。

……何とか、一族の皆にも手を頼んで……5日でやってみせる」

「分かった」

 

 言って、今度は視線をクロノへ。

口元を引き締める彼へ、続きを口にした。

 

「クロノ、夜天の魔導書の価値で管理局や聖王教会の力をどんぐらい引っ張れる?」

「……コネもあるし、将官クラスの人を複数引っ張れると思う」

 

 頷き、視線をリィンフォースへ。

 

「最後にリィンフォース、防衛プログラム復帰の予想最短時間はどれぐらいだ?」

「……どれだけ早く見積もっても、24時間はかかるだろうな。

逆に48時間以内に復帰しない事はありえないだろう」

「そう、か」

 

 内心、小さくため息。

一瞬伏せた視線を皆にやり、僕に考えつく唯一のリィンフォースを救う方法を告げる。

 

「俺のプランは、単純だ。

暴走前の闇の書は、魔力ダメージで昏倒すれば強制的に主を起こす事ができる。

ならば簡単な話だ、暴走前の闇の書に5回勝ち、5回防衛プログラムをアルカンシェルで消滅させればいい」

「なっ……!?」

 

 思わず、と言った様子で腰を上げるクロノ。

しかしすぐに思案の色を見せ、思考を口にする。

 

「これまで闇の書を捕えるのに、管理局は暴走時の闇の書を、数十人以上の魔導師による封印魔法で主ごと封印してきた。

だが、確かに魔力ダメージで防衛プログラムを昏倒させれば、その間に管制人格……リィンフォースが主のはやてを起こし、再び防衛プログラムを分離するのも不可能じゃない、か」

「リニスから聞いたが、俺が闇の書を倒した時には、防衛プログラム再起動まで10秒以上あったと聞く。

それだけ時間があり、予めはやてがそれを意識していれば、防衛プログラムの分離まで間に合うだろうな」

「そして複数の将官の協力があれば、その為の無人世界の提供やアルカンシェルの準備もできる、か」

 

 頷く僕。

ついでに言えば、5回勝てなくとも次は勝てない可能性が高いと判断すれば、途中でリィンフォースが消滅を選びなおす事もできるのだ。

それがこのプランの優れた点と言えよう。

全員の顔に喜色が満ちてゆき、希望が空間に溢れてくる。

しかしそんな中で、僕とリニスとリィンフォースだけが陰鬱な表情をしていた。

これが過去形な理由を、これから僕は告げなければならない。

そう思うと内心苦いものがあるものの、結局僕は自ら口を開いた。

 

「防衛プログラムのみで動く闇の書の戦闘データは、リニス経由で見せてもらった。

あれなら例えはやてとリィンフォースによる抵抗がなくても、俺なら韋駄天の刃無しで毎日5回連続、制限時間内に勝てるだろう」

「それなら……!」

「この大怪我じゃあなけりゃ、な」

 

 一気に室内に暗い沈黙が満ちた。

全員の表情に暗い影が落ち、目から光が消え去る。

重力が増したかのような空間で、でも、となのは。

 

「でも、私とフェイトちゃんで一回勝ったんじゃあ……!」

「それははやてとリィンフォースが闇の書のバリアジャケットの特性を解除していたからだ。

あれには一定以下の魔力による攻撃をシャットアウトする効果がある。

恐らくこの場の人間で言えば、俺の全力の断空一閃となのはの全力のスターライトブレイカー以外は、バリアを抜いて直撃させたとしても無傷で凌がれるだろう。

例え当てられたとしても、なのはの限界まで魔力を集めたスターライトブレイカーの威力でさえ、5発ぐらいは必要だ。

それで闇の書を倒すには、奇跡がダース単位で必要だろうな。

24時間以内にバリアジャケットを抜ける人材を集めるのは、もっと無理だろう。

収束砲撃を使える魔導師が2人以上居てもあまり意味がないし、自己魔力で抜くにはオーバーSの魔力に加え準大魔導師級の魔力制御技術が要る。

偶々防衛プログラムが次もバリアジャケットを展開できないと期待するのは、都合が良すぎるという物だな」

 

 今度こそ、反論は無かった。

全員が肩を落とし視線を足元でやる中、内心ため息をつきつつリィンフォースに視線を。

頭を下げ、静かな一言を告げる。

 

「……すまない」

「いや、お前が謝ることでもないさ」

 

 優しげに告げるリィンフォースに、思わず僕は歯噛みする。

違う、これは僕の力量によるものなのだ。

あとちょっとでも僕が弱ければ、シグナムとザフィーラを捕まえる事はできず、はやては僕に復讐の念を持つ事無かった。

それなら僕は最強状態の闇の書と戦わず、大怪我をすること無く今の状態までこれたのだ。

逆に、あとちょっとでも僕が強ければ、闇の書との戦闘で狂戦士の鎧を使った時にバリアジャケット・パージで距離を離される事なく、韋駄天の刃以外で逆転不可能な事態にはなっていなかった筈だ。

無傷で勝利できたとは言わずとも、シャマルの回復魔法とアースラの設備を使えば、騙し騙し5回の戦闘を耐え切る事ができる状態になれたかもしれない。

いや、5回勝てなくとも、数回勝てばどうにか人材を引っ張ってこれる可能性がある。

恐らくはその場合、ほぼ確実にリィンフォースを救えたに違いないだろう。

 

 けれど。

だけれども。

それは所詮、IFの話に過ぎない。

そんな事を言っても詮無きことだと分かっている僕は、歯を噛み締めるだけに止め何も口にしなかった。

僕の内心を察しているのだろう、儚げな微笑みを見せるリィンフォース。

まるで大丈夫だ、と告げているようなその顔に、僕は罪悪感が募るばかりだ。

だからせめて、僕は彼女に対して卑劣なままに別れる事はできない。

秘匿念話を繋ぎ、彼女に僕は告げる。

 

(リィンフォース……、俺の闇の書の夢の中での出来事を、知っているか?)

(……後で少し時間を取る。余人を交えずに話をしよう)

 

 リィンフォースが言外に告げた真実に、僕は打ちひしがれそうになった。

それを必死の虚勢で隠し、僕は静かに了承の念をリィンフォースに告げたのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 ガシュー、という排気音。

金属光沢の扉が横に滑って行き、内部の照明の明るさが軽く目を焼いた。

僕に与えられた部屋と同じ家具の室内、銀麗の髪を腰まで下ろしたリィンフォースがベッドに腰掛けている。

その瞳は優しい色に満ちており、その事が僕の臓腑に鉛が溜まるような気分にさせた。

まるで、純朴な少女を騙す詐欺師にでもなったような気分だ。

いや、僕の人生とはつまりそういう事なのだろうが。

 

 まるで自覚のなかった自分に改めて胃痛がするのを耐えながら、僕は室内に侵入。

自動ドアが閉まるのを確認してから、各種結界魔法を発動する。

この一連の魔法は外部への防御力は高いが、内部への隠蔽までは考慮していない。

リィンフォースの瞳はどんな魔法が発動したのか、一瞬で解析しただろう。

それでもその事について触れない彼女の優しさが、逆に僕には苦痛ですらあった。

 

「どうぞ」

「失礼」

 

 車椅子を繰り、ベッドに座る彼女と向き合う形にする。

歳の割には高い背丈の僕だが、リィンフォースには座高でも僅かに及ばず、少し見上げる形になった。

赤い瞳を柔らかに細め、僕を見つめながらリィンフォースは口を開く。

 

「一人で来たのか」

「精神リンクだけは繋ぎっぱなしだがな。

後付けの保護者同伴で来るのはどうも、性に合わなくてよ」

 

 言いつつ、僕は自然と呼吸を大きくしてしまう。

最初は胸が上下するだけだった呼吸も、すぐさま肩で息をするぐらいにまでなった。

バクバクと高鳴る心臓が、今にも飛び出そうなぐらいだ。

頭の中が急に真っ白になって、考えていた筈の言葉が掴めず、口先は言葉にならない言葉を紡ぐ。

駄目だ、こんなんじゃ駄目だ、早く聞かなくちゃ。

そう思うものの、自分から僕の仮面に関する事を聞こうとするのがこんなに辛いなんて思っていなかった。

胸の奥は今にもねじれて千切れそう。

視界にはチカチカと星が散り、体は震えが止まらない。

 

 そんな僕を見かねたのだろう。

リィンフォースは腰を上げ、僕に近づく。

何かと思った次の瞬間には、僕はリィンフォースの胸に抱きしめられていた。

 

「大丈夫だ、落ち着いて。

息をゆっくりと長く、吐くんだ」

 

 はぁぁあ、と言われた通りに深く息を吐く。

吸う、吐く、ゆっくりと。

そうしているうちに心臓の鼓動も落ち着いてきて、頭の中も少しだけど整理されていく。

すると今度は伝わる体温と、鼻にかかる銀糸の髪からするいい匂いに、僅かな動揺が僕を襲った。

すぐに顔を取り繕うと、まるでそれに気づかなかったかのようにリィンフォースは言う。

 

「どうだ、落ち着いたか?」

「……あぁ、ありがとう」

 

 人間より遥かに高性能なリィンフォースに、僕の小さな動揺が見抜けなかった筈がない。

故に彼女は、見逃してくれたのだろう。

二重の意味で礼を言うと、彼女は僕から離れ、再びベッドに腰掛ける。

ゆっくりと深呼吸。

今度こそ僕は、用意してきた言葉を吐き出す。

 

「俺の闇の書の夢の中での出来事を、知っているか」

 

 答えは、縦に振られたリィンフォースの頭蓋が物語っていた。

 

「あぁ、私はお前の願望と、UD-182の存在を知っている。

そしてお前が、それを必死に隠している事を。

心配するな、私はその事を口外するつもりはない。

あと、主はやてはこの事をご存じないという事は言っておこう」

「……そうか」

 

 僕は、小さく安堵の溜息を零しながら言った。

最悪はやてにこの事がバレていた場合、どう誤魔化せばいいか僕はまだ考えついていなかった。

その場合結局どうしていたのか、と言う考えは精神衛生上考えないようにしておく。

今はリィンフォースに全身全霊で向き合うべきだ。

そう考え、僕は立ち上がった。

車椅子を他所に退け、床に正座する。

疑問詞に目を見開いたリィンフォースの光景を最後に、僕は腰を折り、額を床につけた。

つまり、土下座である。

 

「すまない……!」

「ま、待てっ、どうしたんだ一体っ!」

 

 僅かにベッドの軋む音。

恐らく立ち上がってあたふたしているのだろうリィンフォースに、僕は続く言葉を吐き出す。

 

「俺はお前を救うと約束したのに、今真実を知るお前が消滅を免れない事に、少しだけホッとしている……!」

 

 事実であった。

助けようとしたはずの命が。

それも今までずっと呪われた宿命で、今やっと救われて、これから幸福に生きれるかもしれなかった命が。

それが失われようとしているのに、僕は内心では僅かに安堵していたのだ。

僕は、どうしようもなく下衆だった。

 

 UD-182の信念に、共感してくれた人が居た。

僕が伝えようとする信念を、受け取ってくれる人が居た。

心が救われた、それを僕のお陰だと言ってくれる人が居た。

勿論、それが僕の偽りの仮面であることは百も承知だ。

それでも、僕は今までよりほんの少しだけ上等な人間になったつもりでいた。

けれど、それはただの勘違いだったのだ。

 

「それに、結局俺はお前に何も出来なかった!

そればかりか、やっと掴めた幸せを手放してしまうお前の目の前で、これみよがしに俺はリニスと言う理解者を得たんだ!」

 

 言葉と共に、僕の目から涙が滲む。

今まで必死で泣かないという誓いを守ってきたのに、一度破れてしまえばその決壊は簡単だった。

すぐに涙を零してしまいそうになる自分の弱虫さ加減が、嫌になる。

それでも目頭に集まる熱さは消えなくって。

温度が、目を通じて零れ出る。

 

「頭を上げてくれ、ウォルター」

「…………」

 

 言われて面を上げると、そこには困り切った顔のリィンフォースが居た。

一瞬、僕の泣き顔に驚いた様子を見せ、それからニコリと微笑みを形作る。

 

「お前は十分過ぎる程に、私を救ってくれたよ。

私にとって何より大事な、主はやての心をな」

「……だが、原因を作ったのも俺だ。

はやての誤解を誘い、打ち消した。

マッチポンプじゃあないけど、似たような事しかできなかったんだ」

 

 実際、僕がこの事件に関わらなくても上手くいったのではないかと僕は思う。

はやては僕への憎しみなしに意識を浮上させる事ができたのか、とか。

暴走前のリィンフォースを説得するまで僕抜きでできたのか、とか。

いくつか不明点はあるけれども、僕の霊感が、僕抜きでも同じ結果にたどり着いたのだと囁いている。

そんな僕の内心を見ぬいたのか。

それとも、駄々っ子のように言う僕に、困り果ててしまったのか。

リィンフォースは手を伸ばし、僕の頭の上に置いた。

ゆっくりと左右に動かし、僕を撫でる。

 

「いいんだ、そんなに想って貰えるだけで、私は十分幸せだ。

お前から貰う幸せだけで、私にとっては一生分の幸せなんだ。

私は、世界一幸せな魔導書だよ」

 

 ついに、僕の涙腺が再び決壊。

大粒の涙が、両目からこぼれ落ちる。

どうにか止めようと思って力を込めても、それが余計に僕の嗚咽を誘った。

どうしようも無い僕の涙に、リィンフォースは少し困った顔をして、それから床に膝をついて僕と同じ姿勢になる。

再び、僕はリィンフォースに抱きしめられた。

温かい体温に、僕の涙はみるみる増えていき、思考の隅でこのまま部屋が涙で一杯になってしまうんじゃあないか、などと馬鹿な事を考える。

 

 リィンフォースがそう言ってのける理由は、僕には一つしか思えなかった。

誰だって、自分の不幸を望んだ奴を憎まずには居られないだろう。

少なくとも、不快になるぐらいはどうしようもない事だ。

けれど彼女の笑みは、本当に心の底から笑っている、僕の短い生涯で一番幸せそうな笑みだった。

結局何もできておらず、それどころかリィンフォースの死を僅かとは言え望んでさえいる僕に、そこまで幸せそうな笑みを浮かべられる理由なんて、僕には一つしか思い浮かべられない。

 

 ——彼女は、幸せよりも信念を選んでいるのだ。

 

 自分の幸せよりも信念を、何よりはやての幸せを望むという信念を大事にしているのだ。

今までずっと苦しい思いをしてきて、やっと幸せに生きられるという時なのに、そんな時でさえ信念を。

眩しかった。

どうしようもなく、眩しかった。

僕も彼女と同じく、自分の幸せなんて言うものよりも信念を取ってきた人間だ。

そりゃあ彼女のは僕なんかと比べてもっと綺麗で純粋な信念だけれど、おおまかに言えば僕らは同じ道を歩んでいる存在同士だろう。

そこで、リニスに秘密を共有してもらって、別に信念を相反する訳じゃあないけれど、幸せに涙した僕。

そんな僕と比べ、これから待っている筈の自分の幸せを全て捨て、信念に注ぎ込む事のできる彼女。

そんな彼女が、僕のこれから行く道の遥か先に居る彼女が、とても、とてつもなく綺麗に見えて。

僕は、思ったのだ。

できることなら、こんな風に生きてみたい、と。

 

「——うぅっ!」

 

 嗚咽を漏らしながら、僕は思わずリィンフォースにこちらから抱きついた。

もうすぐ逝ってしまう彼女の体温を、感触を、少しでも記憶に留めておきたくて。

大怪我をしてる僕を辛うじて動かしている、狂戦士の鎧を解き、生の肉体で彼女を抱きしめる。

腕の、頬の、背の、彼女の全ての感触を、僕は記憶しようとした。

そんな僕の状態に気づいていて、それでもその我儘を許してくれているのだろう。

彼女は、今までよりも更に優しく、僕の体を労るように抱きしめる。

 

 その後、僕はこのまま気絶し、開いた傷で治療室に運ばれ、数時間意識を無くしたままだった。

次に意識が戻った時、リニスとリンディさんのダブル説教を受けつつ、僕は既にリィンフォースが逝ってしまった事を知る事となる。

故にこれが、UD-182とは別の意味で僕の目標と言うべき存在となった彼女との、最後の記憶なのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 リィンフォース消滅の日から、一ヶ月ほどが経過した。

八神はやては病院から退院し、ミッドチルダと海鳴を行き来しながら生活をしている。

丁度その日は、ヴォルケンリッターを含め八神家全員が海鳴に居る日であった。

メールを通じて来客の予定を知ったはやては、極度の緊張を胸にウォルターの事を待っていた。

 

 リィンフォースが逝ったあの日、ウォルターははやてより先に目を覚まし、今しかできない事だから、と病室から出て無茶をしてみせたらしい。

あの恐るべき狂気の魔法、狂戦士の鎧まで使って、リニスと改めて主従契約を結び、リィンフォースの残り少ない時間にいくらか話をしたのだという。

その後相当無茶をした所為なのだろうか、意識を無くしたウォルターは治療室に運ばれ、その後も監視されながら本局の医療施設に送られたと聞く。

そのウォルターが最近退院し、はやての家に来たいと連絡を受けたのが、数日前。

どうせなら全員揃って彼に謝るべきだと考え、ヴォルケンリッターを含む全員が揃うこの日が空いていると伝え、来てもらう事としたのだ。

 

「ウォルター君、怒っとる、よなぁ……」

 

 沈んだ声を出すはやて。

そんな彼女を見かねたのだろう、シグナムが口を開く。

 

「あの男の事です、それほど怒っているとは思えませんが」

 

 何処か誇らしげに言うシグナムに、無言でザフィーラが同意の念を醸し出す。

この中でウォルターをあまり知らないシャマルとヴィータは、何処か不安げな様子だ。

何せ相手は、あの圧倒的強さを誇るウォルターである。

隠していた怒りを爆発させられてしまえば、ヴォルケンリッター全員でもはやてを守り切るには不安があった。

それでも、面識があり将であるシグナムの言葉は大きい。

2人は少し納得がいかなさそうな顔をしつつも、表面上は納得の色を見せる。

 

 そんなやり取りがあった、丁度その時である。

ピンポーン、とインターホンが鳴り響いた。

出ようとするはやてを制し、シグナムがウォルターである事を確認してから、玄関へ出る。

扉が開く音、閉じる音、短い会話が廊下の奥から響き、はやてらの居る応接間に向かって足音が来る。

先導するシグナムの後ろから、ついてきたウォルターが姿を表した。

包帯一つ無いその姿に一瞬驚くも、どうにかそれを噛み殺し、はやては挨拶をする。

 

「いらっしゃい、ウォルター君。ゆっくりしてってな」

「応、こっちこそ世話になるぜ、はやて、ヴォルケンリッターの皆」

 

 言いつつ、ウォルターは勧められてダイニングテーブルのはやての対面の席に座った。

それから、軽妙な口調で最近の話を話すウォルター。

たまにちょっとした無茶をしてしまい、リニスに説教を受ける事が多々ある事。

雑誌の取材なんかが来て断るのに苦労した事。

全治に三ヶ月以上かかるとされたが、一ヶ月で日常活動なら大丈夫と太鼓判を押された事。

しかし、いつ弾劾されるのかと内心怯えてもいるはやて相手では、中々話は膨らまない。

その事に気づいたのだろう、ウォルターは目を細め、告げる。

 

「……そろそろ、本題に入ろうか」

「……うん」

 

 空気が変わった。

まるで空気が何倍もの密度になったかのような、閉塞感。

はやては、極度の緊張に襲われた。

自分の体の中で、空気が風音を鳴らし通るのが分かるようであった。

吐く息で喉奥から乾燥していき、引き裂かれそうなぐらいだ。

心臓の鼓動は強く早く、今にも胸から飛び出そう。

だが、それでも、それを押してでも言わねばならないのだ。

はやてがそう考えた瞬間、示し合わせたかのように、視線が交錯した。

ウォルターとはやては、殆ど同時に頭を下げながら言う。

 

「……すまないっ!」

「……ごめんなさいっ!」

 

 輪唱。

数秒の沈黙の後、2人は目を丸くしながら面を上げる。

まるで相手が何を言ったのか分からない、と言わんばかりの顔を、見合わせた。

 

「って、何でだ?」

「って、何でやねん!?」

 

 再び、輪唱。

同時に疑問詞を吐き出した2人は、それぞれの言葉を矢継ぎ早に口にする。

 

「いや、だって俺は結局約束を破っちまったし……!」

「いやいや、何言うてんの、私なんか勘違いでウォルター君の事……!」

「どころか、最後の時に俺は気絶していたとか言うダメダメな体たらくで……!」

「それなのに、謝るまでこんなに時間をかけてもうて……!」

 

 それぞれ好き放題に喋る2人は、お互いの言葉を言葉と認識すること無く喋り続ける。

そんな状況に、シグナムがコホン、と咳払い。

それでも止まらぬ2人に、大声で話しかける。

 

「お2人とも! 順番にお話しては如何でしょうか!」

 

 効果はてきめんであった。

2人はピタリと話すのを止め、シグナムに視線をやる。

まじまじと自分を見つめる2人に、少し呆れた表情でシグナム。

 

「では、まず主はやてから」

「あ、うん……」

 

 さりげなくはやてを先にしたシグナムに、思わずジト目で見つめるウォルターだったが、すぐにそれも止めはやてに視線を戻す。

はやてとウォルターの視線が、ぶつかり合った。

ウォルターの瞳には相変わらず何処から湧いて出てきているのか分からない強烈な炎があり、暗さを微塵も感じさせない。

はやてはその視線自体に暗い感情を抱く事はなかったが、こんな目をしている人間を疑ってしまったのだと思うと、自虐の念が湧いてくる事を抑えられなかった。

歯を噛み締める。

必死の思いでどうにかその感情を流し、口を開いた。

 

「……ごめんなさい、ウォルター君!」

 

 再び、頭を下げる。

本来なら許しの言葉が来るまで頭を上げないつもりだったはやてだが、先のウォルターの言葉から、彼が意味を分かっていない事が知れた。

よって面を上げ、ウォルターの瞳に視点を合わせる。

予想通り、何故謝られるのか今一分かっていない顔。

鈍い疼痛が心に走るのを感じながら、はやては鉛のように重い口を開いた。

 

「シグナムとザフィーラを殺しただなんて、誤解をして。

誤解を解こうとするウォルター君を、信じなくて。

その誤解を解くために、ウォルター君に物凄い大怪我までさせちゃって。

……ごめん、なさい」

 

 再び、はやては頭を下げた。

怖かった。

いくらウォルターが善人とは言え、これだけの事をされて、笑って許すなんてありえない。

きっと罰を言い渡されるだろう。

痛いかもしれない。

苦しいかもしれない。

暗い想像に、はやては全身から嫌な汗がにじみ出てくるのをすら感じる。

僅かにウォルターが身動ぎするのを感じ、たったそれだけで体が震えそうになるほど怖かった。

 

 ウォルターの言葉が返ってくるよりも先に、はやての背後から足音が4つ。

代表して、シグナムが口を開く。

 

「重ねて、我らも謝罪させてもらおう。

ウォルター、貴殿を魔力蒐集の為に襲い、魔力を奪ってしまった。

通り魔の所業だ、言い訳などしようがない。

すまなかった……!」

「すみませんでした……!」

「すまない……!」

「申し訳ない……!」

 

 4人の言葉が次々に吐かれた。

それにウォルターが返事を返す前に、再びはやては面を上げる。

ヴォルケンリッターには相談していなかった言葉を、付け加えた。

 

「けれど、この子達の主人は私や。

この子達の罪は私の罪。

罰を与えるのなら、どうか私に……!」

「主はやてっ!?」

 

 絶叫するシグナムを筆頭に、驚きに声を上げるヴォルケンリッターの面々。

誰が罰を受けるべきか、論争が始まろうとした瞬間の事である。

ウォルターが眼前で掌を横にふりつつ、告げる。

 

「いや、罰っていうか、そんなに気にしてないんだが……」

「ってんなアホなっ!?」

 

 思わず悲鳴を上げながら、身を乗り出すはやて。

はやてはウォルターが負ってしまった傷を、痛さこそ想像する事しかできないものの、その全貌を知っていた。

人間の全身の骨は、全部で約200個とされている。

そのうちウォルターは約80箇所、3分の1以上の骨が折れてしまっていたのだ。

はやてはかつて足が悪くなり始めた頃、階段から落ちてしまい骨を折ってしまった事がある。

その時でさえ、はやては涙が止まらず焼け付くような痛みを感じたのだ、その80倍なんてどれぐらい痛いか想像すらできない。

 

 そればかりではない、ウォルターは、内蔵も傷ついていたのだ。

肺に穴が空き、呼吸が困難で、唾と一緒に血が混じっていたのだと言う。

風邪の類で呼吸がし辛いだけであんなにも辛いのに、それに血が混じるなんて、どれほど痛いのだろうか。

 

 それに、騎士達の与えた痛みも、決して少ない物ではない。

リンカーコアを蒐集される痛みは、想像を絶する物だと言う。

加えて、蒐集中や直後に魔法を使えば、更なる痛みがあるのだそうだ。

その痛みは、あの勇猛果敢を人型にしたようななのはでさえ気絶するほどの物だったと言う。

それなのにウォルターは、その凄まじい痛みの中で魔法を使っただけではない。

ヴォルケンリッター4人に仮面の戦士と、戦闘をしてみせたのだ。

当然凄まじい量の魔法を使った事になり、その痛みが凄まじいという形容ですら足らない物だと分かる。

 

 それほどまでの痛みや苦しみを、ウォルターは受けてきたのだ。

そこまでされればはやてとて、相手を憎まざるをえないだろうとさえ思う。

けれど、ウォルターは一切憎しみを感じさせる表情をすらせず。

困り切った顔で頭を掻きつつ、告げた。

 

「じゃあ、一個だけはやてにお願いしていいか? それでお前達への罰はお終いって事で」

「お願い? うん、ええよ」

 

 内容も聞かず、はやては頷く。

例えウォルターが何を言おうと、はやては受け入れるつもりだった。

後ろで僅かに動揺の気配があったが、騎士達に背中で語り、何も言わせずにはやてはウォルターの言葉を待つ。

静かに、ウォルターは告げた。

 

「これから俺の告げる事を、最後まで聞いて欲しいんだ。

その上で、俺と一つだけ約束して欲しい。

……って、2つになっちまったか」

「ううん、2個でもええ」

 

 告げるはやてに、矢張り困ったような笑顔を見せながら、ウォルターは口を開く。

 

「まず、俺にも謝らせて欲しい。

俺は確かに、お前と約束した筈だった。

何の遠慮もなく助けを呼んでくれ。

その時は何があっても犠牲一つなく、助けてやるさ、ってな」

 

 それは、と返しそうになり、はやては口をつぐんだ。

思わず反論してしまいそうになったが、最後まで聞いて欲しい、と言うウォルターの言葉が歯止めとなったのだ。

そんなはやてを見つめつつ、ウォルターは続ける。

 

「その為に力を抜いたつもりは、誓って毛頭ない。

けれど結果として、俺はリィンフォースを救う事ができなかった。

……すまなかった!」

 

 頭を下げるウォルター。

謝る筈だった相手に、謝られる。

何とも居心地が悪い事で、はやては思わず身じろぎした。

同時、さっきまでウォルターはこんな感覚を覚えていたのかと思い、僅かな間視線をウォルターから逸らした。

暫時経って、ウォルターが面を上げる。

 

「けれど、だけれども。

次が無かったのにこう言うのは、卑怯に聞こえるかもしれない。

だけど約束させてくれ……次こそは必ず、救ってみせると。

もう一度お前と、約束をさせてくれ」

 

 はやては、ぽっかりと口を開けながら、ウォルターを見つめた。

その目には一切の嘘の色は無く、ただただ燃え上がる炎の意思が垣間見えるだけである。

まるで夢のなかに居るような心地で、はやてはただただ首を縦に振った。

それに救われたかのように、ウォルターは目を細める。

一瞬後、再び目を見開き告げた。

 

「今度何かあった時。

はやて、お前にはどうしようもない、力及ばない、何かがあった時。

その時は何の遠慮もなく、俺に助けを呼んでくれ。

今度こそ、何があっても犠牲一つなく……助けてみせる。

約束するよ」

 

 ウォルターの黒曜石の瞳が、はやてを射抜く。

罰を貰う筈だった。

けれどウォルターはそんな事欠片も来にせず、それどころか、はやてに新たな約束さえもしてみせてくれて。

今自分が見ているのは本当に夢なんじゃないかとさえはやては思う。

けれど、ウォルターの瞳の炎だけは、夢だなんて思えないぐらいに真実の力強さがあって。

はやては、泣き出しそうになってしまう自分を抑えるのに必死だった。

歯を噛み締め、瞬きを増やし、どうにかしてウォルターに視線を合わせる。

何とか笑みを作り、はやてはなるべく明るくなるよう心がけて、言った。

 

「……うん、分かった、約束やな」

 

 告げると同時、はやての目から涙がこぼれ落ちる。

それを暖かな目で見守るウォルター。

どれだけの苦痛を負っても、誰かの戦い続ける男。

まるで物語に出てくる英雄のようだ、とはやては思った。

誰も彼もを救ってみせる、正義のヒーロー。

そんな人間、現実には居ないと誰でも知っている。

はやてだって、そんな都合の良い存在が居るなんて思っていなかった。

けれど、目の前の男は。

ウォルターは。

全てを救う事まではできなくとも、確かに英雄のように格好良くって。

はやては、仄かなあこがれをウォルターに抱いた。

 

 ただの遠いあこがれ、困ったときに心を奮い立たせる便利な道具。

そんな存在だった筈の英雄が、現実に居ると知って。

はやては今、少しだけ夢想した。

——自分も、こんな風になれるだろうかと。

自分もこんな風に、人を救える人間になれるだろうかと。

 

 尊かった。

炎の意思を持ち、人の心を、命を、救い続ける男。

誰もが彼のようになれるとは、はやてだって思わない。

けれど、少しでも彼に近づけるかもしれない、とは思えて。

故にはやては、まず彼に似た場所に歩み始めようと思う。

闇の書の主となってから初めて、ウォルターやなのは達に救われてからですら初めて、はやては心の底から思うのだった。

 

 ——魔導師になろう。

 

 そうすれば、そうやって少しでも人を救うことができれば、あこがれの人に近づけるかもしれないから。

最初は真似っ子かもしれないけれど、何時か本物の炎が自分の中に宿ると信じて。

両手を胸に、ただただはやてはウォルターを見つめていた。

その姿を、瞳に焼き付けるかのようにして。

ただただ、見つめ続けていた。

 

 

 

 

 



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第四章 斜陽編・前 戦闘機人事件 新暦67年 (空白期)
4章1話


 

 

 

 ぽつりと。

頭の上に、僅かな感触。

 

「雨……か?」

 

 見上げてみると、空は厚い雲に覆われており、言った通りに雨が降り始めてもおかしくない様子だった。

そのまま視線を下げると、朽ちたコンクリと鉄骨の塊が視界に入る。

所々にヒビの入った建物は、塗装が剥げ、灰色のコンクリを顕にしていた。

その表面には度重なる雨の痕なのだろう、暗い灰色が垂れたペンキのような柄を付け加えている。

大通りの真ん中の道は所々ヒビ割れや隆起した痕があり、歩きやすいとはとても言えない。

見慣れたミッドチルダ廃棄区画の光景であった。

人気がない所が良かったとは言え、散歩先にチョイスするには我ながら最悪のセンスだったに違いない。

リニスに押し切られたとは言え久しぶりの休養日なのだ、もう少し別の場所へ行けば良かったと今更ながらに思う。

勘に従って歩いてきたのだが、珍しく碌な場所にたどり着かなかった。

 

 憂鬱な光景に、思わず溜息。

ついでに天気予報になかった雨も憂鬱で、憂鬱さが二乗になり、溜息も長いものとなる。

傘を持ってきていないので、せっかく新調したばかりの黒いコートが早速濡れてしまうだろう。

という事で、早速バリアジャケットを展開、雨に濡れないよう体を保護する。

などとやっているうちに雨はすぐに勢いを増し、すぐに豪雨と化した。

さながら針のように体に打ち付けて来る雨に、更に憂鬱さが増し、再度溜息をつく。

 

 ドォォン、と言う轟音が響いたのは、その直後の事であった。

思わず目を見開きながら、視線を辺りにやる。

念のため右手を胸元のティルヴィングにやりながら索敵魔法を使うと、僕の索敵範囲に一人の魔導師が足を踏み入れた。

かなり速さだが、高度を見るに陸戦魔導師か。

だが違和感を覚えるのは、アスファルトと靴裏との反響音が聞こえる割に、水音が聞こえない事だ。

常にフィールドタイプのスフィア系防御魔法を使っているのなら頷ける現象だが、そんな不思議魔法を使う理由が思い当たらない。

が、賞金首の類かもしれないし、逆に犯罪者から逃げている魔導師かもしれない。

確認に行こうと思うと殆ど同時、魔導師が大通りに入り、こちらへと一直線に走ってくるのを知覚する。

念のため、僕はティルヴィングをセットアップ。

黄金の大剣を道路に突き立て、咄嗟に握れるようにしながら望遠魔法を使用し、魔導師が視界に入るのを待った。

 

 魔導師は、青を基調とした露出の多い衣装に白いコートを羽織った若い女性であった。

脳内で、賞金リストにあった違法魔導師のバリアジャケット姿と重ね合わせると、ほぼ一致する。

確か、アイオン・ヴァンガードと言う名のAAランク相当の陸戦魔導師で、水を操るレアスキルを持つ事が確認されていた。

そのレアスキルを生かして雨の日にのみ強盗を重ね、対魔導師戦で殺人を犯した犯罪者である。

僕はティルヴィングを道路から抜き、両手で構え、待機状態で直射弾を精製。

発射前の状態で、現在の僕の発動上限である30を配置する。

魔力の動きに感づいたのだろう、動きを鈍らせるアイオン。

だが広い道路の真ん中を走っていた事もあり、横道に向かうまでに射撃を受けるのを嫌ったのだろう。

結局直進し、僕を視界に入れると同時に声を上げる。

 

「そこを退きな、坊主……って。

黒衣に黄金の巨剣、まさか……!」

「賞金稼ぎ、ウォルター・カウンタックだ。

大人しく俺の臨時収入になるか、ボコボコにされてから俺の臨時収入になるか、選ぶといいさ」

「今日は厄日か……!」

 

 アイオンが逃げようとするよりも早く、直射弾が放たれた。

欲を言えばフェイトやリニスのようにスフィアから弾幕を打ち続ける事もできるようになりたいのだが、僕はスフィア保持の魔法が苦手なので、それはできない。

その為僕は次なる直射弾をマルチタスクで展開準備しつつ、反撃の様子を見逃さないよう観察する。

するとアイオンは、僕の直射弾をも飲み込む砲撃を放ってきた。

水色の魔力光がこちらに飛んでくるが、流石に魔力量が違う僕の防御を抜くには威力不足だ。

掌を差し出し防御魔法で防御すると、やや重い感触と共に砲撃に耐え切る事ができる。

が、直後妙な水音と共に、悪寒が僕の背筋を走った。

 

『縮地発動』

 

 咄嗟に高速移動魔法を発動し、空中に踊りだす。

見れば寸前まで僕の居た場所が、水でできた槍に貫かれていた。

直後槍は、バシャンと言う音と共に大量の水と化し、再び道路を覆う水幕の一員となる。

なるほど、これを見ればアイオンのアドバンテージというものがよく分かった。

雨の日であればバリアの内側の水を操る事により、防御を抜いた攻撃ができるのだ。

雨の日にバリアジャケットに耐水性を付与していない奴は居ない為、バリアジャケットをも抜いて一撃必殺とはならないが、かなりのダメージになるのは間違いない。

そして自然を操る魔法は、その原理上非殺傷設定ができない。

対魔導師戦闘で局からの追撃が激しくなる殺人ばかりなのが気になっていたが、その為なのだろう。

 

 状況は依然変わらず、僕が雨水をバリアジャケットに貼りつけたままなのは変わらない。

球形の防御魔法であるオーバルプロテクションは、僕自身が攻撃できなくなるので却下だ。

が、今ので水を操る魔法の前兆は捉えた。

高速移動魔法を使わずとも、二度と水を操る魔法による不意打ちは食らわないだろう。

 

 が、アイオンは観念する事なくこちらに射撃魔法を打ちながら走ってくる。

近接メインの魔導師と知られる僕に、後衛っぽいアイオンが向かってくるのは少し意外だった。

やはり追われているのだろうかと思い、それなら足止めに終始したほうが確実か、と僕は再び地面に足をつける。

陸戦魔導師の進行を止めるのに空戦魔導師が取る手段は弾幕かバインドか陸戦近接かだが、僕が最も得意とするのは近接戦闘である。

よってティルヴィングを構え、水を操る魔法に即時対応できるようにする僕。

 

「集まれ……!」

 

 静かな叫びと共に、アイオンの杖に水が集まった。

単純な、攻撃力を補うための水を操る魔法の使い方だろうか?

だとしても、手に持てる重さである時点でそれほどの威力ではないのは明らかだ。

安易な行為だと眉をひそめつつも、僕は違和感を感じた。

本来ならデバイスを弾き一撃入れて倒す所なのだが、高速移動魔法で後退する。

直後、轟音。

破砕されたアスファルトが宙を舞うのを見ながら、僕はカートリッジを使用する。

 

『断空一閃、発動』

 

 機械音と共に袈裟懸けに切り下ろす一撃が、大ぶりの一撃で硬直したアイオンを打ちのめした。

地面に投げ出されるアイオンと、カラカラと音を立て転がるデバイス。

油断せずにマルチタスクで直射弾を用意しながらバインドを発動し、気絶したアイオンを拘束する。

やれやれ、と溜息をつき、僕は小さく肩を竦めた。

 

 最初の一撃が弱かったのは、油断を誘うためか距離に威力が反比例するかなのだろう。

そうやって相手を油断させ、二撃目の近接戦闘ではデバイスに限界量の水を集めて攻撃。

恐らくはデバイスを構える為に、デバイスに飛行魔法を使ってまでの一撃だったのではないだろうか。

流石に背筋が寒くなりはするものの、判っていれば簡単に勝てる相手だった。

アイオンは極端な例だが、矢張り体系的な技術を学んでいない在野の魔導師は、こういう一芸に頼る傾向にある。

僕も手に入れたデバイスがティルヴィングではなく、もしくはそれを教師とする事に疑問を持っていれば、こうなっていたのかもしれない。

そう思うと、何ともいえない気分になるのを避けられない。

 

 苦みばしった顔で少し待つと、雨音に混じって複数の足音が響く。

やれやれ、と溜息をつきながら視線をやるよりも早く、聞き覚えのある声。

 

「管理局です、ご協力感謝します……って、あれ、ウォルター君?」

「……クイントさん?」

 

 こちらに走ってきた人は、青い髪にエメラルドの瞳の女性、クイントさんだった。

彼女と賞金稼ぎとして出会うのは、ムラマサ事件以来の事である。

予想外の相手に目を丸くしてしまうが、そういえばクイントさんはエリート地上部隊の副隊長だった。

ならばこうやって出会う事もあり得るのか。

そういえば勘に従って歩いた割に良い事が無かったが、彼女との出会いが良い事だったのだろうか。

そう思うとなんだか気恥ずかしい感じで、兎に角と僕は事情を話す為に口を開くのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「たぁぁっ! はぁぁっ!」

「よっ、ほっ……」

 

 朝日に照らされた、昨日の雨の跡が残る公共魔法練習場の一角。

冬の始まりを告げる寒空の下、肌を刺すような冷気の中に鋭い声が響きわたっている。

裂帛の気合で攻撃を打ち込むギンガと、軽い声と共にギンガの攻撃を避けるウォルターであった。

将来管理局員になりたいと言うギンガだけあって、既に彼女は基礎的な身体強化魔法を使いこなしている。

その技量は2年前とは違い、ウォルターも割と真剣に向き合わねば身体能力で押し切られかねない程の技量に達していた。

とは言え相手をするウォルターとて徒手は専門外である、母にはまだまだ及ばぬ物であるが。

 

 そんな光景を、クイントとスバルと並び、リニスはじっと眺めていた。

目を細め、膝の上においた手をぎゅ、と握り締める。

昨日、休養日だと言うのに戦闘を行ったウォルターに、合流したリニスは一頻り説教をした。

その後面倒な書類に記入し、戦闘記録を提出した後、クイントがウォルターとリニスを自宅に招待する事となる。

ウォルターは年に一度はクイントと顔を合わせており、数カ月前、秋が始まる頃にも顔を合わせていたが、それとは別の誘いであった。

嬉しい癖に表面上渋るウォルターを尻目に、リニスは笑顔で承諾。

恥ずかしがるウォルターを連れ、ナカジマ家に宿を借りる事にした。

 

 それもこれも、目的あっての事である。

ウズウズとしていたスバルがウォルターとギンガの元へ走り出すのを切欠に、リニスはクイントに話しかける。

 

「クイント。少し話があるのですが、よろしいでしょうか」

「いいけど、何かしら?」

 

 首を傾げるクイントに、リニスは2年前にウォルターが次々に編み出した、狂気の技を説明する。

狂戦士の鎧。

韋駄天の刃。

どちらもが人間の限界を超えた力を与えると同時に、体にとてつもない傷を残す最悪の技である。

リニスは当然、その魔法の使用には難色を示した。

ウォルターに、使わねば信念を守れぬ譲れない戦いの時以外は決して使わぬようにと言いつけ約束させたし、その約束も守らせた。

しかしウォルターの戦いに満ちた人生には、その譲れない戦いが頻繁に存在したのだ。

使えば最大で2か月近く戦闘ができなくなる韋駄天の剣の使用はウォルターとて好まなかったものの、この2年で一度だけだが使用せざるを得ない状況に追い込まれた事があった。

狂戦士の鎧に至っては、両手の指で数え切れない程の使用回数である。

筋肉の断裂や骨折を、ウォルターは幾度となく経験していた。

 

「……そして、これを不幸にも、と言っていいのかわかりませんが。

ウォルターはその傷の治りが、異常に早いのです」

 

 例えば闇の書事件での傷など、常人であれば一生物の怪我である。

いくら狂戦士の鎧によって治りやすい怪我にできたとはいえ、1月で立って歩けるようになるなど、異常もいい所だ。

それ故に。

 

「その所為でウォルターは、異常に早いサイクルで大怪我とその回復を繰り返しています。

けれど彼は、その信念のために足を止める事が無い。

私も何度か長期の休養を取るよう言っているのですが、中々聞いてくれない物で。

何とか休養日を増やしてみせたものの、それ以上は私の口から何度言っても……」

 

 溜息をつきつつ、リニスは今までの苦労を思い浮かべる。

ウォルターは、まるで何かに取り憑かれたかのように戦いに向かっていった。

いや、事実UD-182という名の亡霊に取り憑かれているのだろう。

彼が信念と呼ぶそれは、リニスの目から見て病的に過ぎた。

しかし、それを考慮したとしても、ウォルターの激戦の頻度は異常である。

ウォルターはこの2年でニアSランク十数人、オーバーSランク4人と戦っているのだ。

特にオーバーSとの戦いは次元断層の可能性のあった事件であり、その度にウォルターは数億人が死ぬ可能性のあった事件を解決した英雄として表彰された。

 

 そんなウォルターを、戦闘だけでなく心身状態や日常生活のサポートをするのもリニスの仕事であった。

幸い激戦の成果で金に困る事はさほど無かったものの、代わりにウォルターは戦い続ける事を止めようとはしなかった。

リニスも正面から何度も止め、時には涙やら情やらを使って止めようとしたが、それはウォルターの精神的負担を増すだけであった。

そこでリニスが思いついたのが、クイントの手を借りる事である。

元々、ウォルターが最も心を開いている相手はリニスとクイントの2人だ。

なのは達にも少なからず心を開いているが、ウォルターの信念を僅かでも曲げられる可能性があるのはこの2人しかいない。

そこでリニスは、クイントにウォルターの現状を話したのだが。

 

「…………」

 

 暫し考え込んだ様子だったクイントが立ち上がり、ウォルターの方へと向かう。

3人に首を傾げながら名前を呼ばれつつ、ギンガとスバルを避けてウォルターの前へ。

大分背が高くなり、クイントが僅かに見下ろす程度で視線が合うようになったウォルターへと、視線を落とす。

困惑したウォルターが口を開いた。

 

「あの、どうしたんだ、クイントさん?」

「えい」

「~~っ!?」

 

 ごづっ、と物凄い音を立て、クイントはウォルターの頭蓋を縦に殴る。

声にならない悲鳴をあげながら頭蓋を抑えるウォルターに、腕組みし足を開き、堂々とした態度で叫んだ。

 

「こらっ! あんまりリニスを困らせちゃ駄目でしょっ!」

「……いや、困らせているのは分かっているが、理由に心当たりがあり過ぎてだな……」

「言い訳しないっ!」

 

 と叫び、再び鉄拳がウォルターに突き刺さる。

再び声にならない悲鳴をあげるウォルターだが、当然彼が避けられなかった訳ではない。

恐らく、他ならぬクイントの拳だからこそ、自分から当たったのだろう。

だが、あれだけ自分が注意しても自分を曲げなかったウォルターが、クイントの言葉には簡単に頷くのに、リニスはちょっぴりイラッとした感情を抱いた。

ウォルターはやや涙目でリニスに向かい、頭を下げる。

 

「その、困らせちゃって、すまん……」

「いえ、いいんですよ」

 

 と答え、黙りこむリニス。

これってどういう事情なんだ、と視線で問いかけてくるウォルターであったが、リニスは知らん顔をしてニコニコと見守るだけである。

次いで秘匿念話で教えて欲しい旨を伝えられるが、リニスは笑顔で無視。

徐々に顔を不安気にするウォルターに、意地悪そうな顔でクイント。

 

「で、勿論何で謝っているのかは分かっているわよね?」

「あぁ、そりゃあ勿論」

「じゃあ、言ってみなさいよ」

 

 ウォルターからの秘匿念話は、次第に教えてくれよから教えて下さいになっていく。

ジワジワと冷や汗をかくウォルターの姿は、率直に言って情けなくて、それでいてちょっと可愛い。

その姿に溜飲を下げたリニスは、休養、特に長期休養が無い事をクイントに話した事を、同じく秘匿念話で伝える。

なんとも言えない表情をした後、ウォルターは口を開いた。

 

「大怪我以外での長期休養を取った事が無い事だろ?」

「うん、正解。って事で、半月ぐらいきちんと休んでみたら?」

 

 へ? と目を見開くウォルターを尻目に、クイントはリニスに話しかける。

 

「今の所、やってる仕事は全部キリがいい所で終わっているのよね?」

「えぇ、今直ぐ休養を取る事にしても問題ないかと」

「じゃあついでに、病院とかで改めて精密検査を受けたりとかしてみたほうがいいかしら?」

「なるほど、PT事件の時以来精密検査は受けていませんし、それもいいですね。近隣の病院を探してみます」

「あ、それだったら管理局で使ってる病院でオススメがあるんだけど……」

「ちょ、ちょっと待った!」

 

 勝手に進む話に、思わずウォルターが待ったをかける。

リニスとクイントは同時に首を傾げ、ウォルターへ視線を。

表情筋をひくつかせながら、ウォルター。

 

「俺の意見とか、そういうのは?」

「何、嫌なの?」

「嫌なんですか?」

 

 と、2人揃ってウォルターを見つめる。

視線が交錯。

ウォルターの目が冷徹さを帯びるのを、リニスは感じた。

黒曜石の瞳が、研ぎ澄まされた矛先のような鋭さでリニスとクイントを貫く。

しかしその鋭利さは僅かながら戸惑いを孕んでおり、内心では悩んでいる事が知れた。

恐らくは脳裏で、此処で一旦休養する事が信念を貫き続ける事の効率をあげられるかどうか考えているのだろう。

リニスが散々言っても首を縦に振らなかった頑固者だが、流石に信用する人間2人分の視線は堪えたらしい。

しばらく、緊迫した空気がその場に流れる。

それを察しているのだろう、ギンガもスバルも一言も喋らず、3人の事を見守っていた。

 

「……分かったよ、半月ばかし休養を取る事にする」

 

 暫らくして、ついに観念した様子でウォルターが告げる。

思わず胸をなで下ろすリニスに、ほっと溜息をつくクイント。

ギンガとスバルなど、緊張感に耐えられなかったのか、クイントに向かって抱きつきに行く。

と言っても、ギンガの方は大人ぶりたいのか母の手を握るだけに留めていたが。

 

「ったく、それならアパートを大掃除しなくちゃならねぇな」

「最近帰ってませんからねぇ……。最後に帰ったのは半年前でしたっけ」

 

 と、苦笑気味に愚痴を漏らす2人に、あら、と首を傾げ、クイントが告げる。

 

「何よ、家に泊まっていけばいいじゃない。ねー?」

「え、ウォルターさんが家に泊まるの!?」

「ウォル兄がっ!?」

 

 喜色を顕にする2人に、思わず顔を引き攣らせるウォルター。

いやいや、と掌を左右に振りつつ、口を開く。

 

「いくらなんでも、それはマズイだろ。そこまで迷惑かけらんねぇよ」

 

 と言うウォルターに同意しようとして、ふとリニスは思う。

矢張りウォルターにとって最も親しい人間は、リニスとクイントである。

実際、クイントと出会った時のウォルターは何時もよりも自然な笑顔を浮かべているように思えるのだ。

リニスは、何時かウォルターがその仮面を外しても生きていけるようになってもらいたい。

その為には、少しでも本音を漏らせる相手と仲良くなるのがいいのではないだろうか。

勿論、ナカジマ家に迷惑がかかってしまう事は確かだけれども。

 

「……クイント、ではお邪魔してもよろしいでしょうか」

「リニスっ!?」

「いいわよ、もっちろん! 家のギンガとスバルの相手もして欲しいから、こっちからお願いしたいぐらいよ」

 

 思わず叫ぶウォルターであったが、先にクイントが了承してしまう。

とすればその顔を潰すのもやり辛く、更に。

 

「ウォルターさんと、お泊り……」

「えへへ、一杯遊べるね!」

 

 キラキラと宝石のように輝く瞳を向けられ、うっ、と小さくウォルターは呻いた。

ウォルターは自分を汚れ系だと思っている節があり、その分こういった純粋な感情に弱い所がある。

それでも相手が無関係なら鋼の精神力で無視できるのだが、半ば身内だと思っているギンガとスバル相手ではそれもできない。

暫し悪あがきで視線を彷徨わせ、様々な事に思いを馳せていたようだったが、結局諦めたようで溜息をついた。

 

「分かったよ。クイントさん、長い間世話になるけど泊まらせてもらっていいか?」

「オッケー、もっちろん!」

 

 満面の笑みで告げるクイントに、ウォルターはガックリと肩を落とす。

ゲンヤの事を口に出せばもう少し悪あがきできたのだろうに、と思うリニスだったが、よく考えると彼がクイントに逆らえている所を見たことがない。

彼が妻に逆らえない事は、既に3人の共通認識になっているようだった。

哀れに思いつつも、早速リニスは通う病院のリストアップを始めるのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 ゲンヤさんは、僕らがナカジマ家に泊まるのに、僅かながら難色を示した。

そもそもギンガは9歳スバルは7歳、そろそろ男友達を泊めるのはどうか、というのが彼の大まかな言い分であった。

まぁ、男女七歳にして席を同じゅうせず、と地球でも言うらしいし、分からんでもない事だ。

これが親戚か何かなのなら兎も角、僕はただの友人である。

それもどちらかと言えば、ギンガとスバルの友達と言うより、クイントさんの知人としての色合いが強い。

それを泊めるというのにゲンヤさんが抵抗があるのは、仕方ないと言ってもいいだろう。

だが、そんなゲンヤさんもクイントさんのお願い攻撃に負けた。

両隣にギンガとスバルが、あのキラキラした目で並んでいるのだから、その威力は計り知れない物だったのだろう。

それを眺めながら、僕には一生縁の無さそうな事だが、妻の尻にしかれるというのは大変なんだなぁ、と思ったのであった。

 

 閑話休題。

病院についてだが、僕とリニスとクイントさんとで相談して病院を探す際に、そういえば、と僕は思い出した。

少し前になのはが大怪我をしたという連絡が入っていたのだ。

詳しい様態は作戦中だったので聞いていなかったが、その時聞いた病院は、確か管理局の医療施設だった筈である。

調べてみると、そこでは管理局に協力した魔導師の診察も受け付けていた。

クイントさんのオススメの病院というのもそこなので、丁度いい。

そんな事から、ついでに見舞いに行けるよう同じ施設を検討している。

 

 と言ってもすぐに予約が入れられる訳ではなく、数日は何もない日が続く事になった。

午前中は勘が鈍らない程度の軽いトレーニングの他は、最近の魔法研究についての雑誌を読みあさり。

午後、ギンガとスバルの学校が終わる頃になれば、彼女ら2人に付き合って遊びに行くのが現在の日課である。

 

 そんな訳で、クラナガンの都市部で待ち合わせであった。

そんな事しなくても学校まで迎えに行くのだが、そう言ったら2人がかりで分かっていないと散々怒られてしまった。

なんでも、女の子にとって待ち合わせは夢の詰まった浪漫らしい。

その辺の知識が良く分からない僕なので正確な所はよく分からないが、留守番をしているリニスも笑顔で頷いていたので、多分一般的に正しい事なのだろう。

ということで、待ち合わせのモニュメントの周りの柵に体重を預け、2人を待つ僕。

予定の時間の10分前ぐらいになると、何となく覚えのある感じの魔力を感知する。

そちらへ視線をやると、軽く手を振りながらこちらに歩いてくる姉妹の姿があった。

こちらも手を振り返し、笑顔で返す。

すると2人は小走りになって僕の元へと近づいてきた。

 

「待ちました? ウォルターさん」

「いいや、今来た所だよ」

 

 まぁ、正確には5分前に来た所なのだが、それぐらいなら今の範疇だろう。

そう思う僕を尻目に、なんだか感じ入るようにして目を閉じ両手を握りしめ、やや腰を落として震えるギンガ。

どうしたのだろう、とスバルに視線を向けると、よく分からないらしく、2人で首を傾げる次第となった。

そんな僕らの様子に気づいたのだろう、ギンガははっと僕らの顔を見回すと、僅かに赤面する。

 

 それに気づかない振りをしながら、少し迷ったが、僕は先に視線をスバルにやる。

スバルは、クリーム色のパーカーに赤いチェックのスカート、スニーカーと言う出で立ちだった。

インドア派の彼女にしては珍しく、スポーティーな格好である。

短い青の髪はきちんと整えられており、天使の輪のような輝きを形成している。

見つめられている事に気づいたのだろう、緊張に体を固くするスバルの頭に、ぽん、と軽く手を置いた。

女の子を撫でるのは、髪型が崩れるらしいのでやめておく。

折角おしゃれしてきたのに勿体無いだろうと考えてのことだ。

 

「よく似合ってるよ、スバル。何時もとイメージが違って、新鮮でいいな」

「うん、ありがとう、ウォル兄っ!」

 

 満面の笑みで告げるスバルにこちらも笑みを見せてから、視線をギンガへ。

こちらは黒いワンピースに白いジャケット、足元はパンプスで固めている。

長い髪の毛はいつも通りに、後ろで一旦リボンで纏めた後ストレートに流してあった。

僕の視線に反応し、ギンガはピタッと止まって軽くポーズを取り、少し挑発的な顔を作る。

 

「ギンガは大人っぽい感じで綺麗だな、似合ってるよ」

「やったっ!」

 

 と抱きついてくる彼女を抱き返し、こちらもぽん、と軽く頭に手を置いてやる。

すぐに自分の行動が大人っぽい物では無い事に気づいたのだろう、パッ、と離れ、彼女は顔を赤くして俯いてしまった。

それにしても、背伸びした彼女の行動は可愛らしい物で、それは彼女の求める評価ではないんだろうけども、とても魅力的であった。

そう思って微笑んでいるうちに、スバルが僕を見つめてくる。

今度は僕が褒められる番か、と、できる限り男らしい笑みを浮かべ、スバルを見つめ返す。

僕の今日の服装は、黒いジャケットに黒いシャツ、黒いジーンズに黒い靴。

いつも通りに黒尽くめながらも、新しく下ろした服もあるし、黒にティルヴィングの金はよく映えるので、少しは洒落て見えるだろう。

褒め言葉を想像して暫し待つと、スバル、続いてギンガ。

 

「ごめん、ウォル兄はぶっちゃけセンス無いね……」

「……何時も黒尽くめだしねぇ」

「……あれ?」

 

 とまぁ、そんな一幕を交えながら、僕らは買い物を楽しんだ。

流石に2人はお金が無いので最初はウィンドウショッピングだったのだが、途中から僕のあまりのセンスの無さに、僕の服を見立てる事になってしまったのだ。

予算を告げると、2人とも買う事買う事。

スバルも普段の大人しさをかなぐり捨てて、キビキビと僕に次々と指示を出し、試着だの何だのをさせる。

2人とも、これよさそうじゃない、と言った物を試着した僕を難しい顔で見つめ、次々にこれはナシ、だのこれは駄目、だのと駄目だししていく。

 

 そんなこんなで僕が疲労困憊となった頃、紙袋は2つがいっぱいになっていた。

スバルと疲労で死にそうな顔になっている僕は、現在噴水の近くのベンチに座って休んでいる所である。

ギンガはスバルの好きなアイスを買いに行っており、この場には居ない。

一応一緒に行くよとは言ったのだが、一人でできます、と言ってすっ飛んで行ってしまったので、サーチャーをつけるに留めた。

 

「つ、疲れたなぁ……」

「そうなの? ウォル兄意外と体力無いんだね」

「精神的な疲れだよ……」

 

 告げると、クスリと笑うスバル。

笑いが止まるのを待とうとするも、スバルは笑いを止める事なくそのまま両手で口を抑えつつ、くっくっくと笑い続ける。

仕方なしに、口を開く僕。

 

「そんなの笑わなくてもいいだろ……」

「ご、ごめん、くく、いやさ、だってウォル兄がこんなにぐでーってしてるの、初めて見たんだもん」

 

 言われて考えてみると、そういえばギンガやスバルの前で弱音を吐いたのは今日が初めてかもしれない。

ふと、何時だかリニスに話しかけられた時、ダラっとしていただけで恐慌に陥ってしまった事を思い出した。

それに比し、今はただちょっと首を傾げるだけで済むのは、きっとリニスと主従の関係になり、心に余裕ができたからなのかもしれない。

そう考えると、リニスへの感謝は尽きない物だ。

しかしそれにしても、僕の怠そうな姿はそんなに意外な物なのだろうか?

そんな疑問詞を乗せた視線をやると、なんとか治まってきた笑いを堪え、スバルが言う。

 

「ウォル兄はいっつも格好良いから、今日みたいに格好悪いのを見るのは初めてだなぁ」

「そうかぁ、格好悪いかぁ……」

 

 自分の半分ほどの年齢の子に言われると、正直凹む。

ガックリと肩を落とし溜息をつくと、僕はゆっくりと面を上げ、何時もとは違い男らしさを意識しない笑みを浮かべた。

それをどうしてか眩しそうに見つめるスバルは、満面の笑みで告げる。

 

「うん、ウォル兄、格好悪いっ!」

「そうかぁ……」

 

 そう告げるスバルは、本当に心からの澄んだ笑みを浮かべていて、余計に心に響いた。

なんだろう、この崖を登ってきて頂上に指をかけたと思ったら、その指を踏んづけられてグリグリされて蹴り落とされた感覚。

絶望に再び肩を落とし項垂れる僕に、クスリと笑みを浮かべながら、スバル。

 

「でもね、ウォル兄、いつもは格好良すぎて、お話の中の人みたいなんだけどさ。今はね、普通の人みたいだなっ」

「…………」

 

 ヒヤリとした感覚に、自然顔が険しくなるのを僕は感じた。

スバルに今の僕の表情が見えなくて、幸いだっただろう。

体の奥底が冷えて行き、血潮が凍てついてゆくのを感じる。

頭の中までもがまるで戦闘時のように冷めてゆき、体の軋む音が聞こえてくるようであった。

先ほど考えた心の余裕が吹っ飛んでいくのが、自分でも理解できた。

息を、ゆっくりと吐く。

自然な具合に、少しだけ男らしい笑みを意識して作り、面を上げた。

 

「そうか? 普通の人だなんて、あんま言われねぇけどなぁ」

「そうなの?」

 

 言いながら足をブラブラさせるスバルは、何でか嬉しそうな笑みを浮かべている。

確かに普通の人であるという事は、誰にも許された事なのだろう。

けれど、僕は、僕だけは、あのUD-182の意思を世に広めたい僕だけには、普通人である事は許されない。

僕は英雄的でなければならないのだ。

非現実的で、強い憧憬を覚え、人々の夢になりうる人間でなければならないのだ。

と言ってもまぁ、スバルに非がある訳でもなし。

僕はなるべく内心を顔に出さないようにしながら、口を開こうとした。

それに先んじて、スバルが言う。

 

「それに、ちょっと嬉しかったな」

「……嬉しかった?」

 

 珍妙な感想に、目を瞬く。

そんな僕がおかしかったのか、クスリと笑みを浮かべながら、スバル。

 

「私さ、ウォル兄に憧れてたんだ」

「…………」

 

 突然のスバルの告白に、僕はどんな顔をすればいいのかわからなかった。

僕の信念が通じていて嬉しがれば良かったのか。

それが過去形であった事に嘆けばいいのか。

胸の内側をぐちゃぐちゃな感情が過ぎり、けれど僕の表情筋はまるでその感情と神経が繋がっていないかのように、変化が無い。

ただただ、先ほどの驚きの表情のまま固まったままだった。

 

「私って、いつも弱虫で、トロくて、格好悪くて。

だから、ヒーローみたいなウォル兄に、ちょっと憧れてたんだ」

 

 ならば余計に、夢が崩れた事に憤りを持っていい物だと思うのだけれども。

そんな僕の内心が顔に出ていたのか、返事はそれに答えるような物であった。

 

「でもね、今、ウォル兄が格好悪くて、ちょっと嬉しかったんだ。

なんだかウォル兄が、手の届かない所から少しだけ近くに来てくれたような気がして」

「…………」

 

 僕は、目の前の少女にどう答えるべきか、暫時迷った。

それじゃあ今までよりも仲良しになれたな、とか言って、彼女との距離を埋めるべきなのか。

それとも、そうか? と疑問詞を吐き、今までどおり現実離れした仮面を演じるべきなのか。

咄嗟に後者を選ぶべきでは、と思ってしまうが、僕が仮面を被る理由の一つに、誰かがあんな風になれるかもしれないと希望を持てる存在となる事も含まれている。

スバルの言う事を考慮すれば、少しは距離を近づけて、親しみのある英雄を演じる事も必要なのかもしれない。

けれど僕自身には現実離れした相手だから憧れるだけで、自分もそうなれるかもしれないとは思わない、という感覚が今一わからなくて。

だから結局、保留という第三の選択をする事になる。

ぽん、とスバルの頭に手を置き、笑顔を作って言った。

 

「そっか。ま、それはそれとして……、俺はお前の事、弱虫だともトロいとも格好悪いとも思った事は無いんだけどな」

「……ふぇ?」

「あんまし自分を卑下……ってわかりにくいか、あーっと、悪く言うもんじゃあないぞ」

 

 軽く撫でてやると、スバルは頬を薄く染め、そっか、と呟き俯いてしまう。

もじもじと人差し指と人差し指とを合わせ、足を必要以上にブラブラとさせ始めた。

その可愛らしい姿に、違うんだ、と思わず叫びたくなってしまう。

違うんだ、僕は100%君の事を想って言ったんじゃあなくって、ただの保身、選択肢の保留の為、誤魔化しの為に言っているんだと。

勿論スバルを想う心が無い訳じゃないし、口にした言葉は全て真実だと誓える。

けれど、そんな事は問題じゃあないし、僕の汚さを禊ぐものじゃあない。

それでも、僕はせめてスバルに暗い顔を見せないよう、笑顔を作りながら彼女の頭を撫で続ける。

と、そこに一つ声がかかった。

 

「あー、スバルずるいっ!」

 

 ギンガの声に視線をやると、なんと4段ものアイスを3つ抱えて、駆け出す所であった。

危ないな、と思ったと同時、ギンガのつま先が煉瓦造りの道に引っかかる。

キャ、と言う悲鳴と共に、傾くアイス。

咄嗟にギンガを助けようと動くが、すぐさまバランスを取るのを目に、体の軌道を僅かに変更。

右手の人差し指を伸ばし、とととん、と傾くアイス3つに1回ずつ衝撃を与える。

ギンガの動きから予測した慣性と同等の衝撃を受けたアイスは、ぐらりと前後に揺れた後、元のタワーに形を戻した。

自力で立ち直ったギンガは、目をキラキラと輝かせながら僕に視線をやる。

スバルと共に、輪唱。

 

「す、すっごーいっ!」

「一個づつ、アイスに触っちまったけどな。ばっちいし、交換っこしようか?」

「大丈夫ですっ!」

「ううん、いい!」

 

 満面の笑みで頷きながら、アイスとスプーンとを僕に差し出すギンガ。

4段重ねの、指の跡がちょっとついたアイスを受け取り、全員に行き届くのを確認してから一口、口にする。

おいしーね、と談笑する2人を見ながら、僕もまたアイスを咀嚼。

種類はお任せにしたアイスは思ったよりも甘く、口内が冷えて、とても美味しかった。

 

「そうか、アイスってこんな味するんだな」

「え?」

 

 異口同音に発せられた声に視線をやると、目を見開いた2人の視線が僕に。

肩を竦めながら、素直に答える。

 

「いや、アイスを食うのって、生まれて初めてだからな」

 

 何度かナカジマ家でクイントさんに勧められた事もあったが、特に興味が無かったので、その分アイス好きなスバルにあげていた。

高町家に滞在している間におやつはもらっていたが、シュークリームやケーキばかりだったので、アイスを食べたのは今日が初めてである。

これはちょっと勿体無い事をしたかな、と思うも、まぁ過去は変えられないので、その分今アイスを味わう事に全力を傾けるべきだろう。

などと思っていると、何故か長い沈黙がその場を満たす。

もしかして、アイスってそんなにポピュラーな食べ物だったのだろうか?

ギンガとスバルはなんとも言えない表情で、自分のアイスと僕のアイスを見比べていた。

どうしたものか、と首を傾げていると、胸が張り裂けそうな表情で2人がアイスを差し出してくる。

 

「ウォル兄、アイス一個あげるっ」

「私もですっ」

 

 これがまた断腸の思いを込めたような言葉であったので、思わずクスリと笑みが漏れた。

プラスティック製のスプーンで自分のアイスの最上段を掬い、差し出す。

 

「じゃあ、ちょっとづつ交換して、みんなで食べっこしような。みんなで色んな味食べてみようぜ?」

 

 と言うと2人の表情が一転、満面の笑みへと変わった。

先ほどまでの絶望がなんだったのかと言わんばかりの表情で、皆で互いのアイスを食べあい、騒ぎ合う。

そんな中、ふと思った。

これが皆の言う、素晴らしき平凡な日常と言う物なのかもしれない。

だとすれば僕は、一体どれほどこの平凡な日常という物を味わった事があるのだろう。

“家”では何時処分されるかも分からず、UD-182が居て幸せではあったが、平凡とは言い難かった。

それからの賞金稼ぎ時代も、民間協力者時代と言うべき今も、死と隣り合わせで平凡とは程遠い生活である。

ならば僕は平凡と言う物を知らないに等しい。

そして世間の人々の殆どは平凡な人々である。

なのに僕は、人々に対しUD-182の理想という名の理想を、正しく届ける事ができているのだろうか。

 

 そんな思いを孕みながらの会話は、夕方近くまで続いた。

その後僕はアイスが意外と腹に溜まる事を知り、夕食を食いきれず、リニスとクイントさんに雷を落とされる事になるのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 チチチ、と鳥の囀りが輪唱する。

窓の外、中庭に生えた木から伸びる枝には、数匹の黄色い小鳥が止まっていた。

何を考えているのかよく分からない自由奔放な動きで、小鳥達は枝の上を跳ねる。

 

 なのはは、病室のベッドの上から、虚ろな瞳でそれを眺めていた。

視線の先の小鳥達の動きは、恐らく空気の動きや匂いを感じ取って動いているのだろう、となのはは思う。

硝子窓で仕切られた病室の中からでは、かつては手に取るように分かったその動きもよく分からない。

窓を開け放てば分かるのだろうが、それでは驚いて小鳥達が逃げてしまうだろう。

だからなのはは、ただただそれを眺め続けるだけに留める。

 

 やがて小鳥達は、翼を広げ、枝から飛び立った。

小鳥達を追ってなのはは視線を空にやり、かつて自分が飛んでいた空を飛ぶ小鳥達に視線をやり続ける。

ふと、なのはは先ほどの枝に止まっていた小鳥達の数が、飛んでいる数と合わない事に気づいた。

視線を落とす。

一羽の小鳥が翼を広げたまま、先ほどより下の枝に引っかかっていた。

墜ちたのだ。

そうなのはが思うと同時、ズルリと黄色い小鳥が滑り落ちる。

思わず腰を上げてその末路を確かめようとするなのはだが、力が入らず、それは断念した。

どうせその末路は、墜死に決っているだろう。

よしんば生き残る事ができたとしても、二度と飛ぶ事はできまい。

 

 そんな風になのはが考えていると、コンコン、と扉を叩く音がした。

なのはは静かに目を閉じ、瞳から絶望の色を抜き去るよう努力する。

木目調のサイドテーブルから手に取る手鏡で、きちんと笑顔が作れているか再確認。

短い時間で二度三度と練習し、合格点になってから口を開く。

 

「は~い、どうぞ」

「失礼するぜ」

 

 扉を開き現れたのは、見舞い品にフルーツを持った、黒髪黒目に黒尽くめの少年。

その瞳には炎の意思を、その体躯には無限の魔力と戦闘力を秘め、何度も死の淵から這い上がってきた超常の魔導師。

ウォルター・カウンタックであった。

なのはは胸の中で暗い感情が沸き上がってくるのを、必死で抑える。

それを誤魔化すかのように無理に笑顔を浮かべ、明るい声を出した。

 

「ウォルター君!? 久しぶり~!」

「あぁ、闇の書事件以来だから、2年近くぶりになるのか?」

 

 ウォルターが告げる通り、この2年なのはがウォルターと会う機会は無かった。

ウォルターは次元世界を駆け巡り戦い続け、なのはもまた武装隊の一員として幾多の次元世界を回ってきた。

せめてどちらかがミッドに定住していれば出会う機会もあったのだろうが、どちらも次元世界中を飛び回っているのでは出会う機会も中々無い物である。

 

 なのはは、久しく見るウォルターを改めて見つめる。

背丈は高く、顔は中性的だったのが少し男らしくなったが、一目見てウォルターと分かる覇気に溢れた顔であった。

特に変わらず輝き続けるのは、矢張りその炎の意思を閉じ込めた黒曜石の瞳である。

対し自分は、一体今どんな状態だろうか。

思考が暗い方面に傾きそうになるのを必死で抑え、なのはは口を開く。

 

 それからは、互いの近況を伝え合う会話が始まった。

なのはは武装隊での毎日を、ウォルターは次元世界を旅し戦い続けた毎日を話す。

ミッド中でニュースになるような大事件に何度も関わり、解決に大きく尽力したウォルター。

その話はあまりにも輝かしく、勇気と希望に溢れていた。

聞いているだけで心の中が熱くなり、正義や信念の価値を信じたくなってくるような内容であった。

 

 けれどその話は、なのはの心を大きく抉っていた。

かつてであれば、なのはは自分もいずれは、と心を燃やした内容だっただろう。

けれど、翼を奪われた今それを聞いても、ただただ鬱陶しいだけだ。

なのはは表情筋に全力を尽くして、限界までウォルターの武勇伝を聞いた。

恐らく、ウォルターはなのはに元気を出して欲しくてこんな話をしているだけである。

全くもって逆効果なのだが、それを指摘する事は躊躇われた。

 

「そういえば聞き忘れていたけど、ウォルター君、今日はどうして見舞いにこれたの?」

 

 やがて我慢の限界が近づいてきた頃、話の合間にになのははそう口にする。

ピタリとウォルターは話を止め、僅かに顔に躊躇の色を見せた。

しかしなのはには、これ以上ウォルターの話を冷静に聞ける自信が無い。

 

「ねぇ、教えてくれる?」

 

 続けてなのはがそう口にすると、ウォルターは観念したように小さく溜息をついた。

ためらいがちに、口を開く。

 

「リニスの勧めで半月程休養を取る事になってな。

そのついでに、一度精密検査を受けてみたらどうかって話になって、ここに通う事になったからだ」

「…………そう」

 

 ぞ、となのはの奥深くで、黒く粘着質な何かが蠢いた。

身振り手振りと共に動かしていた両手はきつく握りしめられ、ピッタリと体に沿っている。

吐く息が粘着くのを、なのはは感じた。

自分は大怪我で一人では動くこともできないのに、ウォルターは念のために精密検査。

いいご身分だね、と内心で暗い妬みの声が上がる。

体の中の、どうしようもない何かが喉まで上がってきて、吐き出されてしまった。

 

「怪我の事には、触れないの?」

「……先に医者に聞いたよ」

 

 じゃあ、怪我の事を知っててそんな事言ったんだ。

そんな思いがなのはのなかでとぐろを巻く。

これから毎日病院に通うウォルターはなのはと遭遇する可能性があり、嘘をつけなかったのは仕方がない。

そう言い聞かせようとしても、なのはは黒い感情を抑える事ができなかった。

対しウォルターは、力強い笑みを作り、ぽん、となのはの肩に手を置く。

 

「これからリハビリ、キツいけど頑張らなくちゃな」

 

 思わずなのはは、ウォルターの手を払いのけた。

僅かに目を見開くウォルターに、吐き捨てるように言う。

 

「ウォルター君は、私なんかよりももっとずっと大きな怪我をしていたよね」

「……PT事件の時も、闇の書事件の時もそうだったな」

 

 慎重に言うウォルター。

ウォルターはとてつもない大怪我をしてきたし、その度にリハビリに苦しんでいたのは事実だ。

特に闇の書事件の後はなのはも何度かその光景を目にした事があるし、ウォルターが苦しんできた事を知っている。

だが、だからこそ、なのはは思ってしまうのだ。

ずるい、と。

卑怯だよ、と。

だって。

 

「なのになんで、ウォルター君は何の後遺症も無いの?」

「それは……」

 

 事実、ウォルターはどれだけの大怪我をしても後遺症の心配のある怪我はしていなかった。

対しなのははたった一度墜とされただけで、二度と魔法が使えなくなるかもしれない、それどころか二度と歩けないかもしれないと言われたのだ。

抑え切れない妬みが、なのはの内側でグツグツと煮立つ。

ウォルターは無言で俯くばかりで、何も答えようとはしない。

それが余計に事実を肯定しているようで、思わずカッとなって、なのはは叫んでしまった。

 

「ウォルター君はいいよね、どれだけ怪我しても治る体に生まれていてっ!」

 

 ヒュ、と息を呑む音が聞こえた。

ウォルターの顔から覇気が消え去り、まるで絵の具で上から塗ったかのように蒼白になる。

死人のような顔色に、なのははすぐに自分が何を言ってしまったのか気づいた。

体中から血の気が引く。

醜い感情をぶつけてしまった罪悪感が、すぐになのはの全身を支配した。

熱い体温が目頭に集まり、水滴を作り、やがて涙と化して零れ落ちる。

駄目だ、と思っても涙は止まらない。

今一番酷い事を言われて、一番泣きたいのはウォルターの筈だ。

なのになのはが泣くなんて、それこそずるくて卑怯な真似に違いない。

 

「ごめんなさい……、ごめんなさい……!」

 

 ウォルターに頭を下げ、なのはは何度も謝罪の言葉を口にした。

醜い嫉妬をぶつけてしまって。

なのにこっちが泣いて、まるでウォルターが悪者みたいな扱いにしてしまって。

ごめんなさい。

ごめんなさい。

ごめんなさい。

何度もそう謝るなのはの頭に、ぽん、と軽い音を立てて、暖かな体温が触れた。

優しい感触が左右に揺れ、なのはの頭を撫でる。

 

「大丈夫、気にしてないさ」

 

 はっと面を上げると、なのははウォルターと目があった。

少し寂しげにも見える笑みが、すぐに力強い笑みへと変わる。

まるで言外に、俺は強いから何を言われても大丈夫だと言っているようで。

同時に、そんな言葉を言わせているようで。

なのはは、また一段と涙の波が来るのを感じた。

静かに、嗚咽を漏らす。

そんななのはに、柔らかな声でウォルターは言った。

 

「ただ、ちょっと吃驚しちゃっただけなんだ」

 

 

 

 

 



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4章2話

 

 

 

 夜半のナカジマ家の客間。

2つのベッドは僕とリニスがそれぞれ使っており、リニスが横になっている辺りからは薄い寝息が聞こえる。

疲れているのだろう、彼女はベッドに入るや否やすぐに寝付いてしまい、2人きりになりなのはの事を相談する暇は無かった。

仕方がないか、と、思わず僕は顔を緩める。

検査についていってもする事の無かったリニスは、ナカジマ家に世話になると決めてからやっていた、ナカジマ家の大掃除の続きをしていたのだ。

明日明後日辺りには終わるだろうが、それまでただでさえ疲れているリニスに相談事はやめておこう。

代わりに僕は、各種隠蔽結界を発動。

精神的な相談には微妙に不安が残る、もう一つの相棒へと話しかける。

 

「なぁ、ティルヴィング」

『なんでしょう、マスター』

「なのは、参ってたな……」

『高町なのはは参っていた、インプットしました』

 

 明後日の方向性な答えを返すティルヴィングに、内心苦笑。

軽くデコピンをしてやりながら、視線を天井にやる。

月明かりが入ってくる部屋の中、暗い天井は輪郭すらもが薄ぼんやりとしている。

まるで何もかもが曖昧になりそうな其処を見つめつつも、僕は逆に内心をくっきりと形作る作業を始めた。

 

 大怪我をしたなのはがあそこまで参っていた事に、僕は密かに大きなショックを受けていた。

いや、二度と魔法が使えないかもしれず立ち上がれないかもしれない怪我を受けたら、普通の人間なら憂鬱になるのは当然の事だ。

けれど僕は、なのはならそうはならないだろう、と心の何処かで考えていたのだ。

なのはがフェイトを助けようと決意したあの時に見せた、あの広大で澄み切った、青空のような心。

あの心を持つなのはなら、誰の助けを借りる事もなく立ち直る事ができるだろうと、安易に思っていたのだ。

 

 僕は、どうしようもない愚か者だった。

どんなに強い心をもつ人間だって、弱い部分を持ち合わせているのは誰でも同じだ。

例外など、精々UD-182ぐらいしかいないだろう。

もちろん、誰もが誰もの弱さに気づく事ができるとは限らない。

けれど、僕だけは。

かつてなのはの弱音を聞き、そんななのはを支えようと仮面の言葉を口にした僕だけは、彼女がただ強いだけではないと分かっていなければならなかったのだ。

なのはの言葉に自分の生まれの事を想起し、打ちひしがれている場合では無かったのだ。

 

 後悔で胸がいっぱいだった。

けれど、だったらどうしたら良かったのか、そんな事すらも僕の胸の中には浮かんでこない。

熱い仮面の言葉を吐いた所で、彼女が負った怪我をゼロにできる訳でもないのだ。

けれど僕にはそれしかできなくって、彼女の心を奮い立たせようとする事しかできなくって。

でもそうしてみせた所で、彼女の心を闇雲に刺激して憤らせる事しかできなかったのだ。

僕は、呆れ果てた無能だった。

 

「ティルヴィング……。僕はどうしたら……、いや、182なら、UD-182ならどうしたと思う?」

 

 “家”の中では大怪我など存在せず、それに相当するのは廃棄処分だったため、僕の知るUD-182がどうしたかなど分かりはしない。

けれど自分では何も浮かばない僕には、機械的な心の持ち主であるティルヴィングに頼る事しかできず。

そしてやっぱり、答えは冷徹だった。

 

『データにありません』

「おいおい……」

 

 もう少し考えてくれよ、と言葉に出さず思うが、よくよく考えるとティルヴィングの答えはデータにありません、だ。

しかしティルヴィングは僅かとは言えUD-182と接した時間はあるため、言うならばデータが足りません、となるだろう。

するとこいつ、UD-182のデータを、記憶容量節約の為に削除したのではあるまいか。

別にUD-182の記憶を残すのに外部記録を当てにするつもりは無かったのだが、それでもちょっと頭にくる。

思わずティルヴィングを掴み眼前に、半目で睨みつけながら、再びデコピン。

揺れるティルヴィングが明滅、無言の抗議をするのに溜飲を下げ、溜息をつく。

 

 頭の中をグルグルと感情が渦巻いて、どうにも寝れそうに無かった。

病院から帰ってきてから頭の隅に追いやっていた分、勢い良く悩みが頭の中に広がった気分だ。

仕方なしに、僕は掛け布団をめくってベッドから抜け出す。

月明かりを便りに客間を出て、繋がったキッチンで水でも飲もうとリビングまで歩いてゆく。

すると、リビングの扉から明かりが漏れているのが分かった。

誰か居るのだろうか、と一瞬立ち止まるが、まぁ別に問題無いだろうと扉を開く。

 

「あれ、ウォルター君?」

「クイントさんか」

 

 リビングに居たのは、クイントさんだった。

テーブルの上にはグラスとワイン、来ているのは寝間着なので、一人で晩酌の途中と言う所か。

目を瞬くクイントさんに、説明にと僕から口を開く。

 

「ちょっと寝付けなくってな、水でも飲もうかなって」

「ふぅん……。あっ」

 

 と、急に悪戯を思いついたような、悪そうな笑顔を作るクイントさん。

ここ数日、この表情を見る度にドタバタとした軽い騒動に巻き込まれてきたので、嫌な予感しかしない。

とてもじゃないがそんな気分じゃあないのだけれども、構わずクイントさんは口を開く。

 

「ウォルター君ってお酒に興味あるかしら?」

 

 言葉とは裏腹にクイントさんの表情はからかい以上の物はないので、本気で勧めている訳ではないのだろう。

ちなみにミッドチルダでは酒類の購入制限年齢はあっても、飲酒制限年齢はない。

あらゆる次元世界の人間が集まる世界である為なのだろう。

といっても、アルコールが子供の成長に悪影響を及ぼすのは周知の事実。

僕のようなミッド出身の12歳の子供が飲む機会は、普通あまり存在しないのだが。

溜息をつきつつ、返答。

 

「興味あるも何も、リニスに買ってもらって何度か飲んだ事はあるよ」

『マスターも成長するにつれ、酒を飲まねば失礼な場に出る機会があるでしょう。

その時戦闘になれば酔っていては話にならない為、少しづつ慣らして居る所です』

「一応、脳や筋肉に影響しない程度にだがな」

「なーんだ、つまらないの」

 

 と不貞腐れてテーブルに突っ伏すクイントさんを無視し、キッチンでグラスに水を注いて戻ってくる。

クイントさんの向かいの椅子を引いて座ると、僅かに顔を火照らせたクイントさんが視界に入った。

普段が快活なだけに、彼女の少し気怠そうな姿はなんだか色っぽい。

少しだけ心臓の鼓動が早くなるのを抑え、水に口をつける。

 

「で、病院で何かあったの?」

「——~~!」

 

 思わず、水を吹き出しそうになってしまった。

ケホケホとむせた後に、涙の浮かんだ目をクイントさんにやると、真剣な目で僕を真っ直ぐに見つめている。

剃刀のように鋭い瞳は、僕の心が纏った物を切り裂き、丸裸にでもしそうな物だった。

悩みを見透かされているという事実に、焦りと、何故か少しだけホッとした気持ちが内心に渦巻く。

何時かのクイントさんの言葉が思い浮かんだ。

“生きていくのには、胸の内を、全てとは言わなくとも吐き出せる相手っていうのが必要なのよね”

“勘違いじゃあなければ、私もその一人にしてもらえているみたいだけど”

僕は、彼女を頼るべきなのだろうか。

先にリニスを頼るべきだと思いつつも、今は疲れ果てた彼女を休ませたいと言う思いがそれを邪魔する。

ならば待つのも考えたが、なのはを傷つけたまま放置するのも悪手だと考えられた。

なら、クイントさんに相談しても、別にいいのではないだろうか。

そんな思いが僕の内心を満たす。

 

 気づけば、僕はなのはを闇雲に刺激してしまった一幕をクイントさんに話していた。

勿論僕がかつて彼女に覚えた劣等感だのは秘密のままで、言っても支障のない部分だけである。

とは言え僕の口は流暢に動き、内心で余程吐き出したかったんだな、と自虐の念が沸く程であった。

そんな僕の言葉を、クイントさんは真摯に向き合って聞いてくれた。

最後まで僕の話が終えられ、僅かに沈黙が横たわる。

クイントさんは僅かにワインを口にし、喉を湿らせてから、口を開いた。

 

「あくまで、私の経験でだけど。

少なくとも、これを機になのはちゃんを避けるのは止めたほうがいいわ。

なのはちゃんは貴方に嫌われちゃったんだと思うようになる。

なるべく時間を作って通ってらっしゃい」

「……ああ」

 

 そこまでは僕も考えていた事である。

といっても、僕の考えはなのはを放って置けないという気持ちの方が強かった。

改めて言われて、僕がなのはを嫌ったように見られてしまう事があるという事が、一層強く思えるようになる。

暇な身な事だし、できる限り毎日なのはの元に行こう、と考えつつ、次の言葉を待った。

 

「あとは平凡な事しか言えないけど。

決して嫌な顔をせず、笑顔で世話をしてあげる事がいいんじゃないかしら」

「笑顔で?」

 

 オウム返しに聞く僕に、うん、と頷くクイントさん。

 

「ただでさえなのはちゃんは暗い気持ちになっているんだから、こっちはせめて笑顔で居続けなくちゃ。

そうしていると、相手も少しだけ気楽になってくれるのかな、段々笑顔になってくれるのよ。

途中貴方も辛くなってくるかもしれないけれど、諦めずに続けてみよう?」

「そう、か……」

 

 言われて、僕はふと気づいた。

これまで数回僕が相談を持ちかけた時、クイントさんは勿論真剣な表情なのだが、それ以上に笑顔でもあったのだ。

それが一体どれだけ僕の心を落ち着かせてくれた事だろうか。

そう思うだけで、僕の心に暖かな気持ちがじんわり湧いてくるのを感じる。

胸の奥がポカポカとしてきて、全身がふわふわした感じになってくるのだ。

熱血とでも言うべき血潮が熱くなる時とはまた別の、身を委ねたくなるような暖かさ。

それを実感したからだろう、僕は素直に口を開いた。

 

「うん、分かった、やってみる」

 

 言うと、クイントさんが目を見開く。

同時、背筋が冷えた。

気づかぬうちに、僕は仮面を外した言葉を吐いていたのだ。

じわっと脂汗が浮き出る僕に、悪戯な表情でクイントさん。

 

「へ~。うん、分かった、やってみる、かぁ。なんかウォルター君、ちょっと可愛くなった?」

「なってねぇよ。今のは、その……」

 

 マルチタスクに高速思考で言い訳を思索。

だ、駄目だ、マトモな言い訳が見つからない。

仕方がないので、念話でティルヴィングに相談。

 

『データにありません』

(ほんっと肝心なときに役に立たないなお前っ!)

 

 念話を閉じつつ、リニスに助けを乞おうとするも、寝てたんだったと思い直す。

ニヤニヤとこちらを見つめるクイントさんに、何とかひねり出した言葉を吐き出した。

 

「……な、何となくだっ」

「……ウォルター君って、局地的に残念よねぇ……」

 

 クイントさんが脱力、何故か生暖かい目で見てくる。

窮地は脱した筈なのだが、なんだが納得の行かない評価であった。

そんな顔をしていたのだろう、続けて補足するクイントさん。

 

「勉強はできるし戦闘も割と頭脳派で、交渉事も及第点。

外面だってかなりいい方で、表情も作れる。

なのに何でか、身内での日常生活では残念っぽいのよねぇ。

頭の良い馬鹿って言えばいいのかしら」

「非常に納得のいかん話なんだが……」

 

 ジト目で見るも、クイントさんは生暖かい視線を崩さない。

百歩譲って僕が日常生活で馬鹿っぽく見えるとしても、それは単なる経験不足に過ぎない筈だ。

決して僕の頭が残念とか、そういう事は無い筈なのである。

と脳内で語ってみるも、自分でもあまり出来の良い理屈には聞こえない。

形勢不利を感じ、その後僕は短めに話を切り上げ、さっさと客間のベッドへと逃げ戻るのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 なのはは、無心で車椅子を駆っていた。

曲がり角が無い事を確認してから、強めに車輪を回し、その慣性に乗って前進する。

上半身を使う行動は意外に体力が必要で、衰えたなのはの体はすぐに疲れを訴えてきた。

それでもなのはは、ただただ無心で居たくて体を動かす。

体を動かしたいだけならばリハビリもあるが、それには監督する人が必要だ。

ただ何も考えたくないが為の行動に他人を巻き込みたくないなのはは、一人で出来る車椅子の散歩をしていた。

 

 しかしやがて腕に疲れがたまり、車椅子を動かすのにも限界が訪れる。

人通りの無い場所で止まったなのはは、肩で息をしながら両手を離し、車椅子に深く腰掛けた。

浅い呼吸を繰り返しながら、薄っすらとかいた汗を拭う。

少し休まねば、もう動けそうにも無かった。

深くため息をつきながら、なのはは思索に耽る。

 

 ウォルターはなのはが暴言を吐いた次の日にも病室を訪れ、まるで何もなかったかのような笑顔でなのはに接してきた。

少なくともウォルターは、なのはに会いに来てくれ、表面上は笑顔を作れる程度には、なのはを嫌っていなかったのだ。

その事実になのはの心は幾分か救われたし、安堵もした。

しかし同時に、ウォルターが一言もなのはを責めなかった事は、むしろなのはの心を苛むようになったのだ。

一言でも責めてくれれば、償う事ができた気分にはなれたかもしれない。

けれどウォルターは常に、こっちに覇気を分けてくれるような素晴らしい笑顔でいた。

話の内容もなのはを気遣って英雄譚のような内容は止めて、なのはの知らない次元世界の情景や風俗などをするようになったのだ。

自分が暴言をはいてしまうような悪い子で、魔法も二度と使えないかもしれない使えない子なのに、何でそんな風にしてくれるの。

なのはの無言の問にウォルターが気づく事は無く、既に一週間が経過していた。

 

「ウォルター、その……気を落とさないでください」

 

 聞き覚えのある声に、なのはは意識を浮上させる。

鈴の音のように軽やかな、それでいて何処か野生を感じさせる声。

誰の声だったかと思って、久しく聞くリニスの声だ、となのはは気づいた。

と同時、硬直。

そのすぐ近くにウォルターが居るであろう事を思い出す。

なのはが辺りに視線をやると、扉が閉まりきっておらず、隙間のある部屋が近くに一つあった。

このままでは、盗み聞きになってしまう。

なのはは車椅子の車輪に手をやりその場を去ろうとしたが、遅かった。

弱々しい、少年特有の高めな声が、なのはの耳に届く。

 

「はは……、俺の寿命は40歳まで持たないかもしれない、か」

 

 え、と。

なのはは思わず掠れた声を漏らした。

ウォルター君が、何だって?

そんななのはの疑問詞を捨て置き、ウォルターとリニスの会話は続く。

 

「そうは言っても、このままのペースで戦い、傷つき続けたらの事じゃあないですか」

「つまり、実際の寿命はもっと短いって事だろ。成長し強くなるに連れ、戦うペースは上がっていくんだからな」

 

 2人の言葉はなのはの耳に到着するも、なのはの脳はその意味を介さなかった。

ただただ、記憶として脳に保存されるだけで、一向になのははその意味を咀嚼できない。

 

「しかしウォルター、貴方はまだ12歳です。これからの成長で良い方向に向かっていく事だって……」

「これからこれまで以上に酷使する予定の、この肉体がか?

……いや、悪い、八つ当たりしちまったな」

「いえ……」

 

 気まずい沈黙が、2人の間に横たわる。

その間に、なのははようやくのこと2人の言葉を理解し始めた。

寿命が、40歳。

平均寿命が90歳以上のミッドチルダで言えば、常人の半分も生きられない年齢である。

丁度なのはの父が39歳なので、その辺りの年齢になるだろうか。

 

 なのはは、父の立場に立ったつもりで考えてみる。

長男がようやく独り立ちし、長女が進路を模索し始め、次女はまだ小学5年生。

仕事は喫茶店が雑誌などに乗り始めて数年、ようやく安定し始めてきたという所で、まだまだこれから。

サッカーチームもようやく勝率が上がってきて、地区大会の優勝も見えてきた所。

そんな所で——、死ぬ。

寿命が尽きて、死ぬ。

想像もできない絶望だった。

あまりの事になのはの体に震えが走る。

聞いてはいけない事を聞いてしまったという事実に、体が痺れて動けない。

そんななのはの耳に、最悪の一言が告げられる。

 

「これが調子こいて大怪我しまくった、後遺症か……」

 

 後遺症。

なのはがウォルターに叫んだ罵倒。

“ウォルター君はいいよね、どれだけ怪我しても治る体に生まれていてっ!”

 

 なのはは、顔色を真っ青にした。

全てがなのはの頭の中でぐちゃぐちゃに混ざり合う。

頭の中が弾けて、ぽつん、と一つの言葉が思い浮かんだ。

兎に角、今は逃げよう。

なのはは浮かんだ言葉に従い、車椅子を反転。

全力でこぎ出し、その場を離れる。

誰か居たのか、と言うウォルターの言葉が、背後で虚ろに響いた。

 

 最早何処をどう通って、誰の手を借りたのかわからない。

気づけばなのはは自身の病室へと辿り着き、ベッドに横になっていた。

自分の言ってしまった言葉が想像以上の物だった事に、寒気を覚え、涙すら漏らす。

 

 自分よりもたった一つ年上なだけの人間が寿命を宣告されて、一体どんな気持ちなのだろう。

ウォルターは今、一体どんな気持ちでなのはの言葉を受け止めなおしているだろうか。

 

 なのはの大怪我など、可愛い物だった。

普通の任務の最中、日頃の無理が祟って動きが鈍っての大怪我。

別に誰かの為でも譲れない信念の為でもない、単なるミスでしかない。

それでいて陰鬱な気分になり、それが弾けてしまってウォルターに八つ当たりしてしまう始末。

対しウォルターの負ってきた大怪我は、どれもが譲れない信念のため、命がけの戦いの中での怪我ばかりだ。

なのにウォルターは、リニスに対し八つ当たりしそうになった自分を、自分で諌める事ができていた。

なのはとウォルター、その後遺症の大小の判断は人によりけりと言った所だろう。

だが少なくとも、それを受けての精神はウォルターの方が圧倒的に立派だった。

 

「う、うぅ……」

 

 静かに嗚咽を漏らしながら、なのはは虚ろに天井を眺める。

自分が情けなくて、涙が止まらなかった。

頭の中がグチャグチャで、何も思いつかない。

ただただ自虐の言葉だけが浮かんできて、建設的な考えは一つも思い浮かんで来なかった。

だからなのはは、せめてと一つだけ決意する。

せめて次にウォルターを顔を合わせた時は、謝ろう、と。

 

 

 

 ***

 

 

 

 改めての精密検査の結果を受け取ったその日、僕はなのはの見舞いに行く事ができなかった。

というのも、意外な結果が出てしまい、ちょっと受け止めるのに時間が必要そうだったからだ。

少なくとも即日なのはに対し笑顔を陰らせずに見舞いに行く事は、できそうになかった。

その夜、リニスと2人で話をして、その翌日。

専門家から体のケアの方法などを改めて習おうと病院に来た僕は、空いた時間を見つけてなのはの病室に見舞いに行く事にした。

体のケアの方法を復習しているので行ってきて欲しい、と言うリニスを置いて、僕は一人病室にたどり着いたのだが。

 

「…………」

「…………」

 

 沈黙。

これ以上ない沈黙が、その場に横たわっていた。

入室して、まずは挨拶と謝罪。

時間を見つけてなるべく毎日来る予定だと言っておきながら昨日来れなかった事を謝って、なのはがそれを受け取って。

それから、僕らの間には何一つ会話が無かった。

勿論僕から何度か話しかけてはいたのだけれども、どんな話題を出してもなのはは全身で会話を拒絶している。

別に両手で耳を塞いでいる訳でも無いのだが、なんの返事も無く、顔は俯き、微動だにせず、呼吸で胸を軽く上下させるだけなのだ。

流石にこの状態のなのは相手にしゃべり続ける無神経さは無く、僕もまた釣られて沈黙している次第である。

 

 一体、何があったのか。

大別して、なのはに何かあったのか、それとも僕がなのはに何かしてしまったのか、その二通りである。

前者は想像がつかないので後者を考えるが、それも今一それらしい答えが思いつけない。

昨日まではなのはは少なくとも表面上は元気にする気力があったのだけれど、一体何が。

そう思っているうちに、ふと、昨日病院でリニスと共に診断の結果について話す時、隠蔽結界を発動する心の余裕も無かった事を思い出して。

なのはが面を上げたのは、丁度その時であった。

 

「…………」

 

 無言で、僅かに上目遣いでなのはが僕に視線をやる。

すぅううう、と深く息を吸い、両手を、そして視線を胸に。

まるで心をそうしたいかのように強く、服の上から握り締める。

息を吐き出した。

長く、深く。

それから小さく息を吸って、キッと僕を、事すれば睨んだとも思えるぐらい強く見つめて。

 

「……ごめんなさい!」

 

 叫んだ。

同時、その双眸からポロリと、涙を零す。

突然の言葉に僕が目を見開くのに、なのはが続けて口を開いた。

 

「私、私……っ!」

「お、おい、無理するなっ」

 

 嗚咽で喉が引っかかったように、何も言えなくなってしまうなのは。

前かがみになる彼女に、僕は咄嗟に背をさすってやる。

刹那ナースコールに視線をやる僕だったが、それを察したのか、なのはが僕に向けて掌を差し出した。

その涙を浮かべた瞳で、僕を貫く。

その目があまりに強い意思を秘めていたから、僕は思わず言葉を口の中で踊らせるにとどめて、噛み殺した。

そんな僕へと、なのはが途切れ途切れになりながらも説明をする。

どうやらなのはは、先ほど僕が思い当たった通り、昨日僕の様態を盗み聞きしてしまったらしい。

 

「……そうか」

 

 説明を終えたなのはに、僕は困惑を隠し切れない顔で告げた。

そんな僕になのはがぴくりと震えるが、僕は別になのはに怒りを覚えている訳ではない。

むしろ、変な話を聞かせてしまって申し訳ない、と言うぐらいの気分だった。

仕方なしに、とりあえず説明を補足する僕。

 

 僕は、これまで常人なら軽く10回は死ぬだけの大怪我を負ってきた。

韋駄天の刃のダメージもそうだし、それ以外でもちょくちょくと狂戦士の鎧を使いながらの無茶な軌道をしてきたのだ。

それも狂戦士の鎧によって治りやすい大怪我にする事で、今までは後遺症を抑えてこれたのだけれども、それには一つ盲点があった。

結局大怪我をしている事には代わりが無いので、常軌を逸した量の回復魔法を必要としたという事だ。

回復魔法とは、要するに代謝を促進する事により怪我を治す魔法である。

それを使い続けていれば、老化が早まってくる訳であり、それによって僕の寿命はかなりのハイペースで削れてきているらしいのだ。

 

「何でそれが今まで分からなかったのかと言うと、3つ理由がある。

一つは高魔力保持者特有の若い容姿で、見た目上の老化を相殺しているから。

もう一つは、そもそも大幅に寿命が減る程回復魔法を使わざるを得ない怪我をした人間は、普通死ぬから。

あとはまぁ、たまたま今回診てくれた先生が、回復魔法の弊害について研究していた人だったからだな」

 

 ちなみに僕が年齢に比して背が高いのも、その所為である可能性が高いらしい。

普通に喜んでいた事だったので、聞いた時はなんとも言えない気分になった物だった。

 

 そんな訳で僕の寿命は削れている訳だが、別に今のまま安静にしていて40で死ぬ程と言う訳ではない。

このままのペースで大怪我と大量の回復魔法を使い続けていった場合、40頃に寿命が尽きる可能性が高いという事なのだ。

老化のペースは大量の回復魔法を使う度に早まるので、逆に言えば僕の肉体年齢は二次曲線を描いて老化していく事になる。

つまり戦闘は30代半ばぐらいまで可能らしく、20歳近辺で身体能力が急落し始めると言う事は無いらしい。

 

 と、そんな訳で僕が説明を終えた所で、矢張りなのはは暗い目をしたままだった。

僕の身振り手振り一つ一つに僅かに怯えた様子を見せるので、僕の怒りを買ったと思っているに違いない。

なので僕は、誤解を解くべく口を開く。

 

「とまぁ、そんな訳でな。

流石に聞いた時はショックを受けたんだけど、まぁ今は何とか立ち直っていてな。

聞いちゃった事は、特に気にしてないぞ?」

 

 と僕が告げると、なのはが目を見開いた。

信じられない、と言わんばかりの表情でなのはが叫ぶ。

 

「何で……何でそんなに簡単に言えるの!?」

「つっても、あんまり吹聴する事じゃないけど、絶対に聞かれちゃいけない類の事じゃあないしなぁ。

まぁ、秘密にしてくれないと困る事は確かだが」

 

 こんな風に考えられるのは、5年間もこの仮面という明かしてはならない秘密を隠してきたからかもしれないけれど。

内心でそう付け足すと同時、なのはの目が再び潤む。

止める暇もなく涙滴は大きさを増し、ポロリ、となのはの目からこぼれ落ちた。

慌てる僕を尻目に、なのは。

 

「私は、この怪我をして、あんなふうにウォルター君に八つ当たりしちゃったのに……。

何でウォルター君は、そんなに冷静で居られるの……?」

 

 そういう事か、と僕はようやくなのはの動揺の元に気づく。

言われてみれば、初日のなのはの罵倒は僕の寿命に直撃する言葉だ。

言われた時に僕の生まれである“家”と関連付けてしまった為、今まで気づけなかった。

迂闊だな、と自省しつつ、僕は困り顔で口を開く。

 

「まぁ、改めて考えると別に大した事じゃあないって気づいてな。

よくよく考えてみろよ、これまでアホみたいに大怪我してばっかりの俺だぜ?

今までは運良く生き残ってきたけれど、普通40歳になる前に死ぬだろ。

そう考えると、ぶっちゃけ大した事じゃないように思えてきてな?」

 

 ぽかんとなのはが大口を開けた。

可愛らしい様子にクスリと笑いながら、続ける。

 

「だいたい俺は、本気で生きたいだけなら戦うのを止めて、普通に働けばいいだけの話だ。

クラナガンで雑魚相手に賞金稼ぎして食ってくだけなら、大怪我なんてまずしないだろうしな。

選択肢が与えられている分、なのはの怪我よりもずっとマシな後遺症だよ」

 

 これはリニスと話し合った事でもある。

僕は寿命と信念を天秤にかけて、結局信念を取る事しかできない。

勿論信念を、UD-182というあの鮮烈な魂がこの世に居た事を示し続ける制限時間が短くなってしまった事は、残念極まりない。

けれど言った通り、元々僕は長生きできるつもりではなかった。

リニスはこれを機に少しは自愛して欲しかったみたいだけれど、僕にはそれだけはできない。

そう告げた僕に、リニスは哀しそうな笑みを浮かべて頷くのみだった。

本当にリニスには苦労をかけている、何時かお礼をしなければならないだろう。

 

 そんな風に告げる僕を、なのはは眩しい物を見る目で見つめていた。

恐らくなのはには、寿命と天秤にかけて立派な信念を掲げる人間の姿が見えているのだろう。

けれど実際の僕は、大勢の人を騙す為の仮面を信念と呼んで掲げているだけの、嘘つき人間にすぎない。

罪悪感に陰鬱な気分になるのを表情筋の下で抑える僕に、なのはがポツリ、と言った。

 

「変な事、聞いていい?」

「構わねぇよ」

 

 シーツを両手で握りしめ、歯を噛み締めるなのは。

彼女はまるで自分の奥底にある何かを絞り出すかのように、万力を込めて言った。

 

「ウォルター君が魔法を使えなくなるかもしれない怪我を負ったら、どうする?」

「そうだな……」

 

 難しい質問だった。

仮面に従った上で素直に答えるのならば、答えは簡単に出る。

けれどその言葉は、果たしてなのはを傷つけはしないだろうか。

一週間前と同じ、虚像の僕に対し劣等感を覚えさせ、なのはを悲しませる結果にはならないだろうか。

分からない。

分からないけれど、それ以上の言葉はどうしても僕には思いつかなくって。

できる限り彼女を慮った言葉を、口に出す。

 

「まずは魔法を使える状態に回復できるよう、頑張る。でも、100%無理って事になったら、諦めるかな」

「ウォルター君でも、諦めるの?」

 

 目を見開くなのはに、あぁ、と頷く僕。

 

「でもそれは、夢を諦めると言う事じゃあない。

魔法が俺の夢に絶対に必要とは限らないから、夢の為に足を止め続けているわけにはいかないから、諦めるんだ。

ま、あったら物凄い便利なのに違いないから、足掻くつもりだけどさ」

 

 実際にそうなったとして、僕がその通りに行動できるとは限らない。

もし僕が本当の心の強さを持っているのならば、魔法を諦める事ができるだろう。

けれど惨めな弱虫でしかない本当の僕は、魔法に縋りつく事を止められるとは思わない。

弱り切って頼れる物を探しているなのはに嘘をつく事に、胸の奥を抉られるような痛みが走る。

プレシア先生の魔法をくらった時の、あの視界が真っ赤になる痛みよりも、今の心の痛みの方が堪えるぐらいだった。

けれど、それを今表に出した所で、誰にとっても良い結果にはならない。

だから僕は、必死で痛みに耐え、表情に出さないようにしてみせる。

 

 そんな僕を尻目に、なのはは視線を揺らし、俯いた。

両手に震えるぐらいの力を込めて、考えこんでいる様子だ。

暫時沈黙した後、なのはは不意に面を上げ、疑問詞を吐く。

 

「夢……。ウォルター君の夢って、何なの?」

 

 僕は、僅かに目を細め、小さく呼吸した。

罪悪感が胸を締め付けるのを、必死で無視する。

大丈夫、この言葉は偽りの言葉であると同時、本当に僕がしたい事でもあるのだから。

だから僕は、告げる。

 

「……俺はさ、次元世界の皆の希望になりたいんだ。

皆、どうしようもない絶望的な苦境にあって、頑張る事が無意味に思えてしまって、夢を諦め、信念を曲げてしまう事がある。

そんな時の皆に、俺は、希望を与えたいんだ。

決して諦めなければ目指した物は手に入るんだって、そう伝えたいんだ」

 

 希望。

UD-182という輝ける魂。

 

「だから俺はそれを実践してみせて、皆に自分でも夢を掴み、信念を貫き通す事ができるかもしれない、って思って欲しいんだ。

だから俺は、戦い続けている。

諦めてはいけない何かを諦めてしまっている奴らをぶっ飛ばして、目を覚まさせていく。

その姿を通して、皆に伝えたい物があるから。

それが俺の——、夢で信念だから」

「……ウォルター君の夢で、信念」

 

 原初の思いは、UD-182という魂がこの世にあった事を証明したいという物であった。

その為に僕は彼を真似た仮面を作り、それに従って生きてきた。

それだけで今の僕は必死でフラフラで、それ以上の事なんてとてもできはしない。

けれど生きてくるに連れて、少しだけ欲が湧いてきた。

僕がUD-182に憧れたように。

次元世界の皆が、僕という仮面に憧れを持ってくれたなら。

僕が感じた魂の輝きを、例え紛い物とは言え受け取ってもらえるのなら。

それは、とてつもなく嬉しい事なのではないか。

僕は目を細めながら、呆然とするなのはを見つめる。

 

「その為に魔法はもの凄く便利で重要だけれども、無かったら俺の夢って叶わない事か?

人々に希望を与えるのに、魔法って絶対に必要か?」

 

 僕にできるかは別として、人々に希望を与える職業はいくらでもある。

作家、ミュージシャン、俳優……。

勿論今のフリーの魔導師が最も純粋に貫ける事なのは確かだが、道は一つではない。

それに思い当たったのだろう、なのはは頷く。

 

「ううん、違う、ね」

「だろう? 勿論今みたいに闘って希望を与えるのは無理だろうけれど、他にいくらでも道はある。

勿論、俺は今次元世界最強の魔導師だ、他のどの道を行くのだって今より険しい道になるだろう。

けれど、それでも俺は諦めないさ」

 

 その言葉はなのはに向けるのと同時、自分に向けた言葉でもあった。

きっと弱虫で陰鬱な僕は、魔法が使えなくなったら何時まで経っても魔法に未練タラタラになるに違いない。

けれどそれは信念に、僕の仮面に反する事なのだ。

僕には決して足を止める事は許されない。

どれだけ惨めに見えても、歩みを止めてはいけないのだ。

そう、自分に言い聞かせながらの一言であった。

 

 その言葉が、一体なのはの中の何に火をつけたのだろうか。

なのはの瞳に、心の火花が散るのが見えた、ような気がした。

 

 

 

 ***

 

 

 

「なぁ、なのは、逆に聞いてもいいか?」

 

 暫しの沈黙の後、ウォルターが問うた。

ウォルターの言葉を飲み込んでいる途中だったなのはは、反射的に首を縦に振る。

それに僅かに目を細めたウォルターは、真剣な顔で言った。

 

「なのは、お前の夢は、何なんだ?」

「それは……」

 

 なのはは口ごもると、顔を俯ける。

純粋に考え事に集中する為の仕草で、なのはの胸には欠片ほどの陰鬱さも残っていなかった。

ウォルターの瞳の炎が移ったかのように、なのはの胸の内側は激しい炎が渦巻いている。

ドロドロとした胸の奥に堆積する粘着質な心は、既にその炎の原動力となって消えていた。

 

 今までなのはは、漠然とした夢をしか持っていなかった。

魔法が好きだから、空が好きだからと魔導師の道を選び、家族にもそれで納得してもらう事ができた。

けれど、なのはの持つ夢は本当にそれだけだったのだろうか?

確かにその2つが主な要因である事は確かだったけれども、もっと大きく胸の中で鼓動する、何かがあったのではないだろうか?

 

 なのはは、自分にとって一番鮮烈な事は何だったか思い出そうとした。

両手を胸に、今度は心のなかの炎を鷲掴みにするかのような思いで握りしめ、考える。

瞳を閉じ、熱い血潮が巡る音を耳に、じっと考えて。

それでなのはの心に浮かんできたのは——、矢張り、フェイトと分かり合えた、あの海上の決戦であった。

 

「夢って言っていいのか、分からないけれど」

 

 と告げながら、なのはは胸の中にあの時の感動を思い浮かべる。

必死だった。

自分にしかできない事、ウォルターに任された責任、フェイトのあの悲しみに満ちた瞳。

そして、伝わった言葉。

“——私が居るよ”

 

「魔法を使う事で入ってこれた新しい世界で、全力でぶつかり合う事で——、誰かと心の底から通じ合えるんだって感じて。

それが私の、一番鮮烈な思い出。

だから今は、その先にある物を求めたいって思っているんだ」

 

 その為に必要な魔法は、二度と使えないかもしれないけれど。

その言葉を飲み込み、なのははウォルターの目を覗きこむ。

来るだろう言葉は半ば分かっていた。

けれどその言葉を、他でもないウォルターに言って欲しくて。

だから甘えだと自覚しつつも、なのははウォルターの言葉を待つ。

ウォルターは破顔し、言った。

 

「俺と同じように、その事に魔法は重要だろう。

だけど、必ずしも必要な物なのか?」

「…………」

 

 なのはは瞳を閉じ、暗黒の世界の中で思索に耽った。

心通じ合えた時は、何もフェイトの時だけではない。

それが一番鮮烈だったのは確かだけれども、他にもある。

例えば、アリサとすずかと心を通じ合う事ができた、あの時。

魔法を使わずとも、誰かと心からぶつかり合う事で、心が通じ合えたあの時。

 

 勿論、贅沢を言うなら自分の中で一番鮮烈だった魔法でのぶつかり合いが一番良いけれども、それは果たして必須事項なのだろうか。

違う。

なのはは内心で、そう断じた。

 

「重要なのは確かだけれど……、必要じゃあない、ね」

 

 そう口にするだけで、なのはは心の暗雲が晴れるような気持ちだった。

炎に巻き上げられた汚濁が作っていた黒い雨雲が、吹き荒れる台風のような突風にはじけ飛んでゆく。

気づけばなのはの胸の中には、どこまでも透き通った蒼穹が広がっていた。

驚くほどに心が晴れやかで、誰かに当たり散らしたい、醜い気持ちが嘘のように消えていたのだ。

 

 それが言葉で言い表しようのないぐらいに嬉しくて。

なのはは、胸の奥の炎が伝える温度が、再び瞳からこぼれ落ちるのを感じる。

先ほどまでと同じ道を辿ってゆく涙だけれども、先ほどまでとはまるで違う温度のようだった。

伝った頬が火照り、まるで細胞一つ一つが燃え盛るかのような感覚。

 

 それを温かい笑顔で見つめるウォルターが、本当に格好良くて、惚れ惚れするぐらいで。

不意に、なのはの胸にある思いが過ぎった。

——私も、ウォルター君みたいになりたい。

勿論そのものにはなれないけれど、彼がその炎を誰かに伝えるように、自分もまた誰かに感動を分け与えたいのだ、と。

今まで不明瞭な形をしていた夢が、明確な形を取り始めるのをなのはは感じる。

 

 高町なのはは、その日夢を持った。

どんな形でもいい。

心の底から心通じ合えた時の、フェイトと友達になりたいと思い成就させたあの気持ちを、誰かに分け与えたいのだと。

後になのはが教導隊への道を希望する、最初の切欠がなのはの胸の奥底を渦巻いていた。

 

 なのはは、自分の心が落ち着いてきた事を感じる。

どころか、怪我をする前よりも更に安定感のある、揺れ動きにくい心になった事を自覚して。

なのはは、感謝を込めて頭を下げた。

 

「……ありがとう、ウォルター君。

私、ちょっとだけ大丈夫になったみたい」

「そうかい、良かったな」

 

 感謝の言葉を口にするなのはに、ウォルターは優しさに満ちた笑みを浮かべる。

それが今までの心燃えるような激しさのある笑顔ではなく、心の底からの優しさに満ちた笑みで。

少し照れて、なのはが視線を外したと同時に。

 

「……あ」

 

 なのはは、ウォルターがなのはの質問からここまで誘導するつもりで答えていた事を、改めて確信する。

けれどそれは、なのは自身ですら今一分かっていなかった、なのはの心を知り尽くしていなければできない事な訳で。

つまりウォルターは、なのは自身よりもなのはの事を理解していた訳で。

 

「……う、ううっ」

 

 自然、なのはの口からは恥ずかしさから出るうめき声が漏れていた。

不思議そうな顔で首を傾げるウォルターの顔が、なんでだろうか、視界の端に入るだけで胸が鼓動を早くしてしまい、とても直視できない。

何もなのはの事を自身より理解していた相手は、ウォルターが初めてだった訳ではない。

家族や親友なども、時折なのは自身より深く理解している時があったし、その想いから来る労りも何度も受けてきた。

けれど。

同世代の男性から、そんな風に理解してもらえると言うのは、なのはにしても初めての経験な訳で。

 

「にゃ、にゃはは……」

 

 照れ隠しに、なのはは何時もの笑い声を上げた。

けれど、なのはが照れている事にすら気づいていなかったのだろう、不思議そうに首を傾げるウォルター。

その光景に、なのはは頬を一層赤くして硬直。

もしかして変な子と思われたんじゃあ、と思い、慌てて誤魔化しの台詞を口から吐く。

 

「あ、えーっと、あの、その、そうだ、どうして私なんかにこんなにしてくれたのかな?」

 

 面食らったように、目を丸くするウォルター。

言ってから、そんなのウォルターがなのはに好意的だからに決っているじゃないかとなのはは気づいた。

とすれば、この言葉は優しい言葉を吐いてもらおうという甘えまくった言葉な訳で。

慌てて答えなくていい、と告げようとするなのはに、少し照れたように頭をかき、ウォルターが言った。

 

「なのはに、勇気をもらったからさ」

「……ふぇ?」

 

 言葉は想像の埒外の物であった。

勇気をもらった?

あの、勇気など有り余っているだろうウォルターが?

疑問詞に思考を硬直させるなのはに、少し困ったような笑顔でウォルターが告げる。

 

「フェイトを救ってくれた時、リインフォース相手に俺の心のバトンを継いでくれた時、本当に嬉しかったんだ。

俺の意思を受け取って、心の炎にしてくれる人がいる、その事実が俺に勇気をくれた。

その勇気が無ければ、戦い抜ける事ができなかった事だって、きっとあった。

だからお前は、俺の恩人なんだ」

 

 告げるウォルターの瞳は、真摯な光に満ちていた。

これがなのはを慰める為だけの言葉ではなく、真実であったのだとなのはは直感する。

誇らしさが、胸の中一杯に湧いてきた。

ウォルターの戦い、あの英雄譚のような戦いの中で、自分がウォルターの心の支えになれていたのだ。

そう思うと、それだけでなのはの胸がいっぱいになってしまいそうになる。

 

 なのになのはは、ウォルターが自分の事を思い出している場面をまで想像してしまった。

戦いで膝をつき、心が折れそうな時、なのはの事を思い浮かべるウォルター。

と同時、そんな時に思い浮かべる相手って、親しい相手なだけじゃあなくて、それ以上の感情を持っている相手が普通なんじゃあ、と思ってしまって。

 

「~~!」

「……おい、なのは?」

 

 なのはは、声にならない声を上げた。

顔が真っ赤になってしまっているのが、自分でも分かる。

頭の中がいっぱいいっぱいで、これ以上何かを考えていればどうなるか分からないぐらいで。

 

「……きゅう」

 

 ほんの僅かに残った思考力で、なのはは思考のシャットダウンを選択する。

力を失う自分の体を、慌ててウォルターが抱きとめるのを感じながら、なのはは意識をブラックアウトさせたのだった。

 

 

 

 

 



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4章3話

 

 

 

 薄っすらと青味がかった月が、夜空にぽっかりと浮かんでいる。

客室の窓からそれを眺めながら、僕は椅子に背を預けティルヴィングを磨いていた。

磨いた部分から金色の輝きを取り戻すティルヴィングに、そういえば初めてティルヴィングを握った時は矢鱈派手な剣だと思った事を思い出す。

5年も一緒に居るだけあって、僕はいい加減ティルヴィングが派手だとは思わなくなってきた。

だのに服装の趣味はいつまでも黒一色だと言う事に、思わず苦笑してしまう。

同室でデバイス関連の雑誌に目を通していたリニスが、反応してこちらへ視線を。

なんでもない、と視線で伝えると、少しだけ面白そうな顔をしてリニスは雑誌へ視線を戻した。

いくら精神リンクがあるとはいえ、こうも以心伝心の動きができる相手が居ると思うと、少しだけ嬉しくなってきてしまう。

それがリニスに伝わってしまうのだと考えると、恥ずかしくもあるのだけれど。

と思うと同時、僕の脳裏を一刹那、人顔が過ぎ去る。

その時僕の頭に浮かんだのは、クイントさんの顔だった。

リニスの次に親しい人だからなのだろうか、と思いつつ、ティルヴィングを磨く手を止めて少し思索に耽る。

 

 今日も一日、楽しい時間であった。

ゲンヤさんとクイントさんを見送って、続いて学校へ出かけるギンガとスバルを見送る。

それから午前中は病院で習った体のケアや、負担のかかりにくい事を意識した訓練で鈍った感を研ぎ直した。

昼に差し掛かる頃にはリニスと共に病院へ、運動生理学を学んだ人から数日に渡り体のケアの方法を学ぶ。

最後になのはの所に顔を出し、帰りに時間が合えばギンガとスバルを迎えに行き、ナカジマ家に帰宅。

リニスと共に家事を手伝い、ゲンヤさんやクイントさんが帰ってくるのに合わせて6人で食卓を囲む。

幸せとは、こんな時間を言うのだろうか。

胸の暖かくなる感情に、思わず頬を緩ませてしまう僕。

 

 叶うならば、他の何もかもを投げ捨てる事ができるのならば。

ならば僕は、この掛け替えの無い時間を永遠に感じていたい、とさえ思った。

クイントさんは視界に入るだけで胸の暖かくなる素晴らしい人だし、限りなく少ない、限定的とは言え僕の弱味を見せられる相手だ。

ギンガもスバルも僕になついてくれていて、もう少し一緒に居られればな、と思ってしまう。

唯一ゲンヤさんだけは僕を避けているような節があり、今だ仲良くはなれていないが、クイントさんの選んだ人だ、きっと切欠があれば仲良くなれるだろう。

 

 けれど、と同時に僕は思った。

けれどそれは、僕には許されず、また僕が許さない行為でもあった。

僕は信念を貫くため、UD-182という輝ける人間が居た事をこの世に証明するため、戦い続けなければならない。

今の暖かな時間でさえ、本当は許すべきではないものなのだ。

なぜなら、僕は信念を貫くために人の命でさえ犠牲にすると決めている。

 

 瞼を閉じれば、数々の絶望の死に顔が頭の中を駆け巡った。

僕は直接人を手にかけた事は、殆ど無い。

けれど間接的に殺してきた人数を入れれば、優に50人は超える。

それだけの事をしてきたのだ、僕を恨む人は両手の指では足らないぐらい居るだろう。

身近な所では、クイントさんが面倒を見ているという店主とナンバー12の息子辺りがそうだ。

真実を知れば彼も僕に憎悪を抱く事は想像に難くない。

しかし僕は次元世界最強の魔導師を名乗り、それ相応の実力がある。

とすれば、被害を受けかねないのは僕の周りの人間だ。

クイントさんは兎も角、ギンガやスバルはもとより、強くてもまだ子供ななのはもそれを跳ね除けるだけの実力は無い。

本来は、僕は彼女らと仲良くなる資格など無いのだ。

 

 胸の奥の、暗闇の中のカンテラの光のような、暖かな温度が失われていくのが分かる。

代わりに吐く息も凍るような、絶対零度の空気が胸一杯に広がった。

頭の中が、まるで脳に直接氷でもぶち込んだかのように、冷たく鋭利になっていく。

今だ数々の死に顔を描いていた瞼を、開いた。

良い風合いのある木製の家具は、やや古ぼけただけの家具に。

ギンガやスバルの落書きの跡は、ただの油性ペンの書き残しに。

温かみに満ちていた光景から、想いが削ぎ落とされる。

残ったのは徹底して物理的な、結果が過程も想いも凌駕する、現実の世界だった。

 

 ——そろそろ、潮時だ。

内心でそう呟いたのと、殆ど同時。

パタン、とリニスが雑誌を閉じた音が聞こえた。

視線をやると、口角を僅かに上げ、目尻を僅かに下ろした笑みを浮かべたリニスの表情が目に入る。

 

「伝わっちまったか」

 

 呟くと、リニスは無言で頷いた。

きっと彼女も暖かな想いに身を委ねていただろうに、わざわざ冷たい現実を押し当てるような真似をしてしまった。

リニスには本当に苦労をかけている。

何か礼をしたいが、その度に貴方が幸せを掴むのが一番のお礼です、と言って聞かないのだ。

形はどうあれ信念を貫き生きている僕は、十分幸せなので、お礼はできていると言う事になるのだろうか。

それにしては、リニスは幸薄そうな笑みを浮かべる事は少なくないので、そんな事は無いのだろうが。

 

「相変わらず、貴方は友を作るのに強さを必要とするのですね、ウォルター。

それに言いたいことは勿論ありますが、それは置いておいて。

確かにこの家には、英雄として戦う貴方の友となれる強さの人間は居ません」

 

 出し抜けに、リニスが言った。

頷きかけて、疑問詞が浮き出る僕。

そんな僕を尻目に、リニスは流暢に続ける。

 

「ギンガもスバルも才能はありそうですが、それを十全に発揮してもウォルターが必要とする強さに達するまで、10年近くかかるでしょう。

ゲンヤに至ってはそもそも非魔導師です、戦闘力と言う意味では論外。

クイントは強いですが、ウォルターの求める域には達して居ないでしょう。

最近交友のある人間で唯一その域に達しているのは、なのはぐらいですか」

「って、待てよ……。

むしろなのはよりクイントさんの方が大人だし、その域に達しているって言えるんじゃあないか?」

「現在進行形で子供のウォルターがそれを言いますか?」

「うっ……。いや、俺も子供だし、確かに戦闘能力に比して交渉事は苦手だ。

でも俺にはコネがあるし、リニス、お前だって居るじゃあないか」

 

 と言うと、我が意を得たりとリニスがニンマリ微笑んだ。

何故か、猛烈に嫌な予感。

慌てて何か口走ろうとするが、何も思いつかず、結局リニスが口を開くのを許してしまう。

 

「なら、なのはにはリンディ達ハラオウン家のコネがありますし?

周りの大人にも随分可愛がられているようで、海千山千の武装隊員が近くに居るんですが」

「それは……そうだな」

「対してクイントは、貴方が突き放している様々な人間と同程度の強さじゃあないですか」

「それは……!」

 

 思わず腰を浮かせ声を荒げるが、言葉が見つからない。

確かに言われてみれば、なのはは十分僕が友達になってもいい強さを持っていると、納得できる。

けれどクイントさんがその域ではない、と言われるのに、僕は思った以上の反感を持った。

自分自身、その行動に混乱してしまう。

僕はどうしてこんなにムキになって反論しようとしているのだろうか?

どうせこのナカジマ家を近いうちに離れる気になったのだ、クイントさんと縁が離れて困る事がある訳でもなし。

理性はそう言うが、それに対し驚く程感情をたぎらせている僕が居た。

自分を持て余している僕に、柔らかな笑みを浮かべ、リニス。

 

「何故反発しているか、自分でも分からない……そんな顔をしていますね」

「……ああ」

「じゃあまず考えてみましょうか。貴方が反発している理由は、クイントの強さを否定されたからですか?」

 

 言われて考えてみるが、答えは案外素直に出た。

 

「……違うな」

「では、クイントにはそれをウォルターの中で覆す程の、何かがあるのです。それは何ですか?」

「それは……、一番最初の大事件で出会った人だから」

「私もそうですが、私に感じた事は何でしたか?」

 

 言われて、僕は俯きがちだった視線をリニスに向ける。

初めてリニスと出会った頃の想いが、胸の中に暖かく宿り始めた。

凍てついた内心を溶かし、雪解け水のような清流が胸のうちに流れ始める。

そうして思い出されるのは、矢張り出会って互いの実力を確かめた後、抱きしめられた事だ。

続いて、ティグラにトレーサーを打ち込んだ時、真っ先に頭を撫でてくれた事。

 

「“家”でもUD-182と2人のグループで、他の子との関係はあんまりなくってさ。

だからかな、その……」

 

 言おうとしている台詞の恥ずかしさに、顔が火照ってしまうのを僕は感じた。

できればこんな恥ずかしい台詞は言いたくないが、それをするとクイントさんへの感情の追求がままならなくなる事も何となく分かる。

せめてもの抵抗として俯き、せめて外面からは内心を悟らせまいと、表情を固くしながら続ける。

 

「暖かくって、体重を預けたらそっと支えてくれるような気がして。

俺には居ないけれど……、その、だな。

姉が居たら、リニスみたいな感じだったのかな、と感じたんだ」

 

 これでニヤニヤと反応されてしまえば、僕は恥ずかしさで憤死してしまうかもしれない。

そんな事を思いながらちらりと視線をやると、リニスは幸せでいっぱいだと言わんばかりの表情をしていた。

まるで、掛け替えの無い物を手に入れた感動に感じ入っているかのよう。

想像とは違う反応ではあったが、これはこれでなんだか恥ずかしくなってきてしまう。

別に嫌な感じの恥ずかしさではないのだが、恥ずかしい事は恥ずかしいのだ。

なので僕は、さっさと話を進めようとこちらから口を開く。

 

「で、クイントさんにも同じような感情を持っているのかとか、そういう事なのか?」

「……そうなのですか?」

 

 聞き返され、僕は目を瞬いた。

目を閉じ、瞼の裏にリニスとクイントさんの姿を交互に思い浮かべる。

リニスは今や僕の使い魔だと言う事で、当時と全く同じ感情を抱いている訳ではないのだけれど。

 

「……違う、な」

「でしょう? ではその感情とは、どんな物なのでしょうか?」

 

 言われて考えてみる。

リニスを姉だと思ったのなら、クイントさんを母だと思ったのだろうか?

いや、その割には僕はクイントさんの子供にはなれない、とかつて断言してみせた。

信念がある以上それはそうなのだが、それにしてもきっぱりはっきりと。

では何なのだ、と思って、詰まってしまう。

答えを探るが、考えても考えても見つからない。

思わず、答えを知っていそうなリニスに助けを求める視線を投げかけた。

微笑みながら、リニス。

 

「少なくとも私が見る限りでは、それはとても大切で、自分でその名前を見つける事が重要な感情です。

別に急いでその感情の名前を見つける必要はありません。

ただ、あなたの……」

 

 言いつつリニスが手を伸ばし、僕の胸にペタリと触た。

胸の奥にある暖かさが、余計に意識される。

 

「この胸の中にある、時に貴方の信念を貫くための判断力を鈍らせる感情。

その感情を確かめる事は、必要だとは思いませんか?」

 

 言われて、確かに、と僕は納得がいった。

信を託すに足る力量があるかどうか、その判断を鈍らせる感情を捨て置く事はできない。

僕の信念を貫く事に直接的ではないけれど影響力があり、そしてそれが影響力を増さない保証は今のところ何処にも無いのだ。

故に、リニスは急ぐ必要がないとは言うものの、僕はできる限り早くその感情の名を知らねばならない。

けれど、と悪あがきに言ってみる。

 

「けれど、リニス、お前にその感情を教えてもらい、その感情を押し殺すようにする、それはできないのか?」

「そういう事が出来る類の感情ではないのです。

いえ、できたとしても、それに非常に大きな労力を割く必要のある感情なのですよ」

「……そっか」

 

 言われて、僕はついに観念した。

確かに、その感情を押し殺すために仮面を被る労力が残らないかもしれないリスクを負うのは、本末転倒と言う物だろう。

ならばその感情とやらをならべく早く調べるのに越したことはない。

その為には、もう少しだけの間、ナカジマ家と関わる事が必要になるだろう。

前かがみになっていた体を背もたれにもたれかからせ、大きくため息をつく。

 

「分かった分かった、もう暫くここに居る事にするって。

でも、理由はどうするんだ? 明日にはもう体のケアの講習とかは終わって、自主学習になっちまうぞ?」

「ふふ、私がそれを考えていないとでも思いましたか? それはですね……」

 

 楽しげに話しだす、リニス。

その内容はこの感情に関係なしに、僕の強さにとっても意味がある事で、流石はリニスとでも言うべき内容であった。

一石二鳥と言うべき内容だけに達成するのは難しいが、挑むのに価値がある選択肢ではある。

という訳で、僕らは夜が更けるまで長々と、その選択肢の為の検討を続ける事になるのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 全力戦闘には手狭な空間だった。

30メートル四方近い正方形の空間の端に、散見する9人の魔導師達。

うち、僕の横顔を見れる位置にはクイントさんと、何故かついてきているギンガとスバルが立っていた。

反対側には、視線に反応し手を振るリニス。

正面には、管理局制式のバリアジャケットを展開した大柄な男、ゼストさんが腰を落とし槍型デバイスを構えている。

濃茶の髪に漆黒の瞳、彫りが深い顔は静謐な沈黙が内心から染みだしたかのような印象を受けた。

その技量は僕をも唸らせる程で、その構えにはまるで隙が無い。

年の頃はおおよそ40代半ばだと言うのに、それを遥かに超える年月を戦っているシグナムに匹敵する技量に思える。

対し僕は、いつもの漆黒のバリアジャケットを展開し、黄金の大剣と化したティルヴィングを構えていた。

 

 先日、リニスは僕にクイントさんの所属する地上のエリート部隊の訓練に混ぜてもらう事を提案した。

休養から勘を取り戻すのと、一旦管理局制式の魔法戦闘を学びたかったから、と言うのがリニスの用意した言い分である。

なるほど、そうすればクイントさんに対する僕の感情に整理をつける時間は稼げるだろうし、それ以外に戦闘能力向上の為のメリットもある。

なにせ元管理局員の犯罪者と出会った事も幾度かあるし、そのどれもが難敵であった。

それに僕自身ティルヴィングに頼っての独学での戦闘方法に敵の戦術を混ぜた物を使っているので、きちんと系統立てられた戦い方を知るのは大きなメリットとなるだろう。

 

 普通なら民間人の訓練をエリート部隊がするなど通る提案ではないが、次元世界最強候補とされる僕の実力がそれを覆した。

……のだと、思われる。

というのも、僕はリニスと案を纏めただけで、実際に提案をする前にいつの間にかリニスとクイントさんが結託して案を通していたからだ。

結局、リニスと話した翌々日の朝にクイントさんに後で話があると伝えた所、あぁ、管理局での訓練の件ね、とか言われて度肝を抜かれた。

早口に説明するクイントさんの言葉に呆然と頷き、気づけば管理局員見習い扱いで僕は地上本部の訓練施設を訪れ、エリート部隊の隊長と模擬戦をする事になっていたのだ。

ちなみにギンガとスバルはクイントさんの手伝いらしい。

色々と疑問の残る話だが、あずかり知らぬままに物事が進んでしまったので、疑問を挟む時間が無かった。

 

 それはさておき、と、始めの合図をする事になっているクイントさんの方を意識する。

何でだろう、彼女の視線を受けているのだと意識するだけで、よく分からないままに此処に運ばれてきた戸惑いが薄れていった。

代わりに心の奥で、小さな火種だった絶えない炎が燃え上がっていくのを感じる。

同時、それを最適に生かす為に、頭の中が徹底的に冷えていくのを僕は感じた。

徹底的に現実的な、戦闘に最適な思考が頭の隅々まで行き渡る。

吐く息一つ一つに含まれる空気分子の数までもが知覚できそうな感覚であった。

 

「ギンガ、スバル。お前たちは俺の戦いを見るのは初めてだったな、楽しみにしてろ」

 

 視線を向けずとも、ギンガとスバルが手に汗握るのを僕は知覚していた。

次いで、そのまま視線を向けずに、クイントさんに告げる。

 

「クイントさんは、俺の戦いを見るのは5年ぶりだったな。

あの時とは段違いの強さを見せてやるさ」

 

 最後に意識を最大限に向けている相手、ゼストさんへ。

無駄な緊張の欠片もない、程よく脱力できたその人へ向け、口を開いた。

 

「ゼストさん、噂に聞くあんたの強さも相当なもんだが、上には上が居るって思い知らせてやるさ」

「……ふん」

 

 僕が大口を叩くのに、ゼストさんは小さな失笑で答えた。

その心は自信の裏付けなのだろうが、僕はそこに僅かな慢心を感じ取る。

スペックは兎も角、技量を支えるのは基本的に訓練と戦闘経験の質と量だ。

少なくとも双方の量において、僕は管理局で30年以上戦い続けてきたと言うゼストさんに大きく劣っている。

だが僕は、それでも戦いの質でだけは次元世界の誰にも負けていないだろう。

故に僕は、ゼストさんに技量で負けているとは全く思わない。

そして同時、例え差があったとしても、僕が直感と呼んでいた何かがそれを覆す事ができる、と考えていた。

 

 ——韋駄天の刃。

僕の使える中でも、そして恐らくは最大回数当てる事ができれば、全次元世界でも屈指の攻撃力を持つだろう魔法。

凡そスペックのゴリ押しをする戦闘においては最強と言っていいだろう魔法を会得した僕は、次なる訓練の目標を別の技に定めた。

何故か。

常に万全の体勢で居られるのならば、韋駄天の刃を使いこなす強靭な肉体を作り上げればいいだけかもしれない。

しかしどれだけ体を鍛えても韋駄天の刃の直後数週間は大怪我を負ったままになるのは変わらないだろう。

そこで僕が考えたのが、体への負担の低い精緻なる技、ランクが低い魔導師が格上殺しに身につける事の多い、技術がモノを言う魔法である。

元々僕が持っている才能は、最高のスペックと最高の勘だ。

韋駄天の刃が前者を生かした魔法ならば、精緻な技は後者を生かした魔法となるだろう。

闇の書事件の後から2年、僕は体を鍛えつつも技術を磨き続け、そういった魔法を組み上げてきたのだ。

そこに丁度数日前、僕の寿命の件があり、リニスは僕に負担の少ない戦い方を考えて欲しいと言った。

僕も勝てると言う前提の元にある限りは負担の少ない戦い方が良かったので、それに承諾。

丁度組み上げていた精緻な剣技により注力する事にしたのだった。

 

 最も、僕はまだ技だけでゼストさんのような高位騎士を倒せるような極地には至ってはいない。

精緻な技というのも極限まで磨きあげたとは到底言えず、まだまだ実験段階だ。

だが、それでも技を磨いてきたこの2年は確りと僕の中に息づいている。

今はまだスペックでのゴリ押しを助ける程度にしかなっていないが、それだけでも僕はかつてより遥かに強くなった。

今の僕なら、確実にゼストさんに圧勝できる。

そんな確信が僕の胸にはあった。

 

 構えていたティルヴィングに、何時もより少しだけ力を込める。

それを見て、いきなり連れてこられた僕が混乱から立ち直ったと判断したのだろう。

クイントさんが手を下ろすと同時、叫んだ。

 

「始めっ!」

 

 ゼストさんは、いきなり飛び出す愚は犯さなかった。

魔導近接戦闘は、遠距離戦闘に比べ一撃必殺が起こる可能性が高い。

故にまず注力すべきは、防御の意識。

相手の武器や体格から攻撃を推察し、迎撃を完璧にする精神の作業が最初にある。

それを終えて初めて攻撃に意識を移し、その上で相手の隙を縫って攻撃を当てるのが、近接戦闘の要なのだ。

 

 僕も同じく、全身の神経を高ぶらせながら意識を集中する。

ゼストさんの獲物は、槍である。

僕の持つティルヴィングとリーチは同等程度、しかし重量は槍の方がやや軽く、攻撃への反応や初速が早い。

主な攻撃方法は突き、補助として払いと石突を使っての攻撃。

加えて管理局の魔導師として、正体は分からないものの、中距離攻撃を1つは持っている筈だ。

 

 僕がゼストさんの攻撃を防ぐだけ防御の意識を作り終えたのは、ゼストさんと殆ど同時であった。

2人して肩などの予備動作に見受けられる部分を僅かに揺らしながら、フェイントをかける。

互いにそれに微細な反応を残し、それが相手の攻撃への反応精度や意識を知る糧となった。

言わば、僕もゼストさんも、今互いに情報収集をしているのだ。

孫氏曰く、敵を知り己を知れば百戦危うからず。

そんな古い時代から言われるように、一対一の戦闘においても情報収集は重要である。

無論その上で、隙あれば打ち込むべしという意識も忘れてはいけない。

 

 大凡2分程だろうか。

僕とゼストさんのフェイントの応酬による沈黙は、ゼストさんの方から破られた。

 

「——っ」

 

 ゼストさんの見せた隙に乗ろうとする振りをした僕に引っ張られたのか、ゼストさんが凄まじい踏み込みで突きを放ってきたのだ。

常套手段として喉を狙ってきた突きを、僕は体捌きで避ける。

ゼストさんはそのまま突進、槍を反転させ、続けて石突で僕を殴りにかかってきた。

 

 内心、僕は舌打ちする。

槍は通常剣より長い獲物だが、ティルヴィングとゼストさんの槍とでは長さは同程度。

故に間合いによる優劣は無かったが、ゼストさんが石突を使うなら話は別だ。

ゼストさんはよりインファイトで有利になり、相対的にティルヴィングを使う僕の方が超近接戦闘では不利。

だが、ならばより簡単に間合いを短くする事はできる。

僕はバリアジャケットの手甲でゼストさんの石突を弾きつつ、ティルヴィングを待機状態にし、素手に。

そのまま体の回転に逆らわず、震脚とともに右手をゼストさんの腹に打ち込む。

 

「かはっ……!」

 

 吹っ飛んでいくゼストさん。

想定以上の距離を飛ばれたので、おそらく瞬時にゼストさん自ら後方へ飛んだのだろう。

舌打ちしつつ再びティルヴィングをセットアップ。

即座に直射弾を30個放ち、弾幕でゼストさんを襲う。

しかしダメージの低かったゼストさんは即座に起き上がり、カートリッジを排出。

槍を横一閃に振るった。

 

「こぉぉおおおっ!」

 

 絶叫と共に、刃の軌道上に魔力刃が発生、直射弾を誘爆させながら僕に迫る。

それを僕は極限まで低くした姿勢で避け、地を這うような姿勢でゼストさんへと肉薄。

そこにゼストさんは、先ほど排出したカートリッジが床板を叩くより尚早い、神速の突きを放ってみせた。

恐るべき速度の突きだが、しかしこのぐらいの速度ならこれまで何度も見てきている。

僕がゼストさんの突きを弾くと、予想だにしなかったのだろう、ゼストさんは大きく目を見開いた。

そこに僕は、跳ね上げたティルヴィングを喉に向け突く。

首を振って回避しようとしたゼストさんだが、間に合わない。

 

「がっ……!」

 

 悲鳴を上げながらゼストさんは背後に仰け反る。

そこに僕はカートリッジを排出、ティルヴィングに白光を纏わせ袈裟に斬撃を。

 

「断空一閃!」

「ぐ、おぉぉっ!」

 

 僕の超速度の一撃は、しかしゼストさんに命中しなかった。

絶叫とともに高速移動魔法を使ったゼストさんに、薄く笑みを浮かべる僕。

対しゼストさんは、苦虫を噛み潰したかのような表情で槍を握り締める。

 

「隊長が……」

「……飛行魔法を使わされた!?」

 

 そう、ゼストさんはこれ以上地上にいては僕の魔力付与斬撃を避けられないと判断、空中へ逃れたのだ。

しかし地上から開始となったこの模擬戦で、先に飛行魔法を使わされたのは屈辱に違いない。

僕はゆっくりと飛行魔法を使い、床と天井の間程の高度まで浮かぶ。

 

「よもや、コレほどまでとはな……」

 

 と言い、闘志を全身に漲らせるゼストさん。

僕もまた、ここ2年で戦った魔導師の中でも、こと近接戦闘技術においては最強の相手に心を滾らせていた。

此処で吸収できる事はすべからく吸収せねばなるまい。

内心で思いつつ、僕はティルヴィングを手にゼストさんに向け飛翔する。

 

 初手は僕の纏う直射弾が30個。

ゼストさんは華麗な飛行技術である物は避け、ある物は弾き、体勢をできる限り保って僕の接近を待つ。

間合いに近づいた僕は、早速袈裟に切りかかった。

それを弾こうとするゼストさんの槍だったが、予想以上の威力だったのだろう、僕の剣戟の威力を殺し切れない。

後方に吹っ飛ぶゼストさんに、僕は再び直射弾を精製、発射。

かわしきれないと見たゼストさんは防御魔法を発動、弾幕を弾くも、その合間に既に僕はゼストさんに接近していた。

カートリッジの排出音が、輪唱する。

 

「断空一閃!」

「はぁぁああっ!」

 

 魔力付与斬撃と、魔力付与刺突が激突。

ゼストさんの防御魔法を破壊した分威力が弱まっている断空一閃だが、それでも尚ゼストさんの攻撃よりも強力である。

ゼストさんの槍を容易く叩き落とし、そのまま跳ね上がりゼストさんの喉へと切り上げた。

が、その瞬間、ゼストさんの眼の色に、僕の背に悪寒が走る。

 

「バリアジャケット・パージ!」

 

 瞬間、爆音と同時に僕は高速移動魔法を発動。

後方へ数メートル程後退しており、ゼストさんの魔力を込めた爆発に巻き込まれる事は無かった。

爆音と共に撒き散らされた魔力煙で、ゼストさんを認識する事は難しい。

なのでそのまま僕は再び直射弾を多数精製、出来る端から魔力煙に向かって撃ち放つ。

40発程打ち込んだ辺りで煙の中で動きが。

煙の中から抜けだしてきたゼストさんは、数発直射弾を受けてしまったのだろう、煤けた様子であった。

残念ながらバリアジャケットは再生成したらしく、あっさりと撃ち落とす事はできなさそうだ。

その軌道上に向かって僕は直射弾を放ちつつ飛行、ティルヴィングからカートリッジを排出する。

歯噛みしつつも、他に選択肢が無いのだろう、ゼストさんもまたカートリッジを排出。

 

「断空一閃!」

「こぉぉおおおっ!」

 

 防御を無駄と悟ったのだろう。

ゼストさんの突きは相打ち狙いで僕の左胸を狙う一撃であった。

が、それもまた予想通り。

僕は構えていたティルヴィングに白光を纏わせたまま、ゼストさんの槍を弾く。

よもや魔力付与刺突を通常斬撃であっさり弾かれるとは思っていなかったのだろう、目を見開くゼストさん。

そこに僕は弾いた時のベクトルに体を載せ、一回転しつつ横一閃に胴を撃ちぬいた。

 

「が、はっ……!」

 

 白目を向き、落下するゼストさん。

つい追撃用の直射弾を浮かべてしまうが、そこは自重。

ゼストさんの軌道上にいくつかフローターフィールドを生成、勢いを殺して地上にゼストさんを下ろす。

遅れて僕自身が床に辿り着き、ティルヴィングを油断なく構えながら判定を待つ。

しかしいくら待っても来ないので、仕方なしに口を開いた。

 

「……クイントさん、判定はまだか?」

「え、あ、勝負あり! ウォルター君の勝ち!」

 

 告げられた勝利に、僕は深く溜息をつきながら切っ先を下ろした。

弾かれたようにゼストさんの容体を見に、確か副隊長であるメガーヌさんと紹介された人が駆け寄る。

 

「大丈夫、意識を失っているだけです」

「やっといて言うのはなんだが、良かったよ」

 

 肩を竦めながら言う僕は、早速クイントさんへと視線をやった。

呆然とした様子のクイントさんに、驚かせる事ができたな、と内心安堵する。

笑みを向けた僕に、先に反応したのはギンガだった。

 

「す……凄い、凄いですよウォルターさんっ!」

「まぁ、一応次元世界最強の魔導師を名乗っているんだ、これぐらいはできるさ。

で、ギンガ、今回一番凄かったのは何処だったか分かるか?」

「えっと……」

 

 完全に超常の戦闘に心奪われていて、冷静ではなかったのだろう。

言葉を濁すギンガの頭にぽん、と手をやりながら、自分を取り戻したクイントさんが口を開いた。

 

「ウォルター君、貴方が……一撃も貰わなかったって事ね」

「……っ!」

 

 息を呑む音が、そこら中から聞こえる。

隊員たちに、いやいやお前らは分かっていろよ、と思わず思ってしまうが、管理局地上部隊最強の魔導師が圧倒されている光景を前にしては仕方がない事なのかもしれない。

むしろその事実を分かっている様子だったクイントさんとメガーヌさんが冷静だったと考えるべきか。

そう思いつつ、最後にスバルに視線を。

なんだか戸惑った様子の彼女に、笑顔で話しかける。

 

「で、スバル、お前はどうだった? 凄かったか? 正直に言っていいんだぞ?」

 

 と問うと、困った顔をして周りに視線を。

それから俯いて少し考えたあと、スバルは面を上げ呟くように言った。

 

「……思ったより地味だった」

「……あぁうん、そういう事もあるわな」

 

 インドア派で戦闘に興味の無いスバルが楽しむには、砲撃魔法などの飛び交う派手な戦闘である必要があったのだろう。

とは言え、流石に訓練で手を抜いてまで魅せる事を意識する事は、不真面目にも過ぎる。

実力を見る為の戦いでなら、尚更だ。

それが分かっているのだろう、聞いている隊員達の顔もなんとも言えない顔だった。

 

「あー、クイントさん、メガーヌさんって後衛系か?」

「……えぇそうよ、ってまさか」

 

 僕の言いたいことを察したのだろう、顔を引き攣らせるクイントさん。

そんな彼女に、僕は不敵な笑みを浮かべながら言ってみせた。

 

「俺対クイントさんとメガーヌさんの2人なら、俺も遠距離攻撃を使わざるをえないだろう。

俺の遠距離戦闘技能も見る必要があるだろうし、1対2でやってみないか?」

 

 

 

 ***

 

 

 

 灰色の壁に四方を囲まれた空間。

机も椅子も機材も何もかもが灰色かアイボリーでできており、彩度の低い色ばかりで囲まれている。

その椅子それぞれにゼスト隊の皆は尻を載せて体重をかけており、時折席を立つ以外は短い半径の中で全てを済ませていた。

まるでそれぞれの椅子の上で暮らしているかのようだな、と僕はため息混じりの思考で考える。

不意に、鼻を微かに香ばしい匂いがくすぐった。

照明で過不足無く照らされたその空間には、安い珈琲の香りが充満している。

それと混じりながら、リニスが入れてきてくれた珈琲が僕の鼻孔を刺激したのだ。

 

「ありがとう、リニス」

「どういたしまして」

 

 と定型文を交わしながら、僕は自分の机に珈琲の入ったアイボリーのマグカップを置く。

慣れない仕事に緊張で固まった肩を回してほぐしながら、内心で溜息。

僕はこともあろうにか、なんと事務仕事をしていた。

似合わないにも程がある行為であるが、見習いというかインターンシップ扱いで籍を置いている僕には不可避の仕事である。

またもや溜息をつきたくなるのを噛み殺し、笑顔で僕の給仕をしてくれるリニスに、こちらも笑顔で返した。

内心ではお前も一度やってみろよと言う思いが無いでもないが、プレシアから企業で働いていた頃の知識も貰っている彼女は容易く事務仕事をこなせるだろう。

そう、つまり、なんというか。

僕は、デスクワークに苦戦していた。

論文形式の書類ならいくらでも書けるのだが、社会人独特の定型文や形式を知らない為か、中々文章を書き進められないのだ。

熱いインスタントの珈琲を啜りながら、どうも疲れた様子のゼスト隊の隊員を眺めつつ、僕は昨日の訓練を思い返す。

 

 昨日の僕対クイントさんとメガーヌさんのコンビは、僕がある程度砲撃魔法を混ぜた上で勝利した。

当たり前と言えば当たり前か、僕は以前ヴォルケンリッターの4人相手に、横槍が無ければ勝てていただろうぐらいに優勢だった。

その半分の人数でランクも低い2人に負ける事などまず無いだろう。

そんな訳でクイントさんとメガーヌさんに勝利した後は、負けた隊長格3人を除いた9人の隊員対僕とリニスのコンビで戦った。

流石に、苦戦は免れなかった。

何せ2対9である、手が足りない事足りない事この上ない。

しかも実戦と違って限られた空間であり、更に遮蔽物が無く、ついでに僕はリニスに狂戦士の鎧を禁止されていたのだ。

包囲から抜け出して各個撃破という選択肢が無いので、僕らはヒィヒィ言いながら限られた空間で戦う他無かった。

とは言え、高ランク魔導師たる僕とリニスには低ランク魔導師より遥かに多いマルチタスクがあり、思考の数で言えば大きく劣っている訳ではない。

僕らには一瞬でも一騎打ちに持ち込めばその一瞬で隊員を倒せるだけの実力があるし、加えて僕らは2対多の状況に慣れきっていた。

結果として、僕とリニスは苦戦したものの、結局2人とも大きなダメージを受けずに勝利したのだった。

 

 それで終わっていれば話が綺麗についたのだが、そうは問屋が卸さなかった。

その後意識を取り戻したゼストさんと、元々寸止めで撃墜判定をもらっていたクイントさんとメガーヌさん。

その3人を加えて、2対12での戦いを提案されたのだ。

汚名返上に燃えるゼスト隊の面々の言葉を断りきれず、結局戦闘開始。

流石に分が悪いと感じつつも奮戦した結果、結構ギリギリとは言え、なんと勝ってしまったのである。

しかも、僕らにかなりハンデがあるその状況でだ。

 

 スペックの高い魔導師の空戦は広い空間を必要とする事が多く、僕もまたその例に当てはまるだろう。

特に今回は、僕の超魔力による攻撃を壁面に当ててしまえば、施設を破壊してしまう事になる。

幸い僕はかなり近接よりの万能型なので制約は少なかったが、それでも全力を出せなかった事は事実だ。

当然ゼスト隊も全力を出せたとは言えないが、僕らの方が屋内での制約が多かった事に違いない。

ゼスト隊の面々は、流石にショックだったのだろう。

今日になってから、隊長陣は兎も角隊員達は妙に僕に対し余所余所しかった。

昨日模擬戦の前は割と友好的だったので、その意識の切り替わりの要因は昨日の模擬戦に違いない。

 

 畏怖か。

隊員の中にあるだろう感情の名前を内心で呟き、同じく内心で溜息。

あまり楽しい気分になる事実ではないが、書きかけの文書を目の前に考える事柄としては不適格だ。

というか、こういった感情を管理局の協力相手に持たれる事なんて、日常茶飯事である。

現実逃避に精一杯の自分を戒める為に、インスタントの安っぽい珈琲を再び口に。

苦味で自分を追い立て、マグカップを机に、両手を空中投影コンソールにやろうとした、その瞬間である。

 

「ただいま戻りましたー」

 

 軽やかでありながら弾力を感じさせる、スーパーボールみたいな声だった。

思わず視線をやると、他部署に行っていたクイントさんがオフィスに戻ってきたようである。

朝来てすぐに行ってしまったので、僕がクイントさんを視界に収めるのはデスクワークを始めてから2度めだ。

自然に彼女を追いそうになる顔を、全力を賭して目の前のコンソールに固定。

何とか文章をひねり出そうと頭を回転させながらも、耳はクイントさんの声に釘付けにされていた。

というのも。

 

「で、隊長、ウォルター君はやれていますかね?」

「……新入隊員程度にはな」

 

 こんな具合に、クイントさんはゼストさんと僕に関する話をしているのだ。

どうしても意識がそっちに行ってしまいそうになり、デスクワークに集中しきれない。

せめて黙ってくれよと思っていると、その念が通じたのか、クイントさんは話を終え歩き出す。

ホッとしたのも束の間、クイントさんの足音は何故か自分のデスクではなく、僕の方へと向かってきた。

いやいやいや、何でだよ。

思わず内心で叫びつつ、心臓が早鐘を打つのを聞きながら対処法を考えるも、思考が空回りして何も思いつかない。

結局硬直して動けないままになっているうちに、クイントさんが声をかけてきた。

 

「ウォルター君、デスクワークはどう?」

「あ、あぁ、まぁなんとかやってるよ」

「へぇ~、隊長はマルチタスク数の割りには苦手みたいだ、って言ってたけどねぇ」

 

 視線をやらなくても、クイントさんがニヤニヤしているのが分かってしまう。

僕は何故か、頬が赤くなってしまいそうになる兆候を発見した。

咄嗟に脳裏の戦闘スイッチを入れ、自己を冷徹に客観的に見ようとする。

が、何故か僕は今の自分を客観的に見る事ができなかった。

結果として頬の火照りを予防する事はできず、頬が赤くなる寸前にクイントさんから顔を逸らすという、子供じみた真似しかできない。

この状況が、クイントさんのからかいに恥ずかしがっている状況にしか見えない事が幸いした。

いや、というか、僕の頬を赤くしている源泉は羞恥心なのだろうか?

疑問詞が過るが、考察よりもクイントさんが小さく吹き出すのが先だった。

 

「プッ……! そんな可愛い反応しなくてもいいじゃない、慣れてないんなら仕方ないわよ」

「かっ! ……可愛い、とか、似合わない言葉にも程があるな。もう少しいい語彙を選んでくれよ」

 

 思わず叫んでしまいそうになるのを必死で抑える僕に、クイントさんは何の前触れもなく僕の肩に手を置いた。

飛び上がりそうになるのをどうにか僅かな硬直に抑え、視線で僕は疑問詞を投げかける。

 

「折角だから、ちょっとアドバイスしてあげるわよ」

 

 クイントさんは満面の笑みで言った。

これがまた活気に溢れた瑞々しい笑顔で、まるで十代の少女が浮かべるような印象を受ける笑みであった。

それに僕が呆然としてしまったのを、了承の意と取ったのだろう。

クイントさんは両手を組んで椅子の背もたれの上へ、軽く体重をかけながら視線をコンソールへやる。

僕が自分を取り戻した時には、既に僕がクイントさんの教授を受けるという形に決まりきってしまっていた。

不承不承ながら、僕は視線をコンソールへ。

キータッチを再開させると、クイントさんの指摘が次々に入る。

 

 昼休みを告げる鐘が鳴った時は、疲労のあまりそのまま崩れ落ちてしまいそうになるのを必死で抑えねばならなかった。

何度も視線や念話で助けを求めたリニスは、素知らぬ顔で食堂へ向かっている。

恨みがましい視線をやりながらも、クイントさんがさぁ食べるわよ~、とか言いながら食堂で向かうのに、僕も椅子から立ち上がった。

ふと、気になって辺りに視線をやる。

オフィスに残っている全員が、ゼストさんですら目を見開いて僕を見つめていた。

思わず半歩引く僕。

視線は感じていたが、先ほどまでと同じく畏怖による物だと思って無視していたのだが、なんでこんなビックリした目で見られているんだろう。

混乱する僕相手に、一番近くに居る隊員がぽん、と肩に手をやった。

何故か、小動物を眺めるような暖かな笑顔で、一言。

 

「まぁ頑張れよ、少年」

 

 それに続いて同じような笑顔で皆、僕を軽く励ますような一言と共に食堂へと向かっていく。

驚くべき事に、ゼストさんですら無言とは言え僕の肩に手を置いてから食堂へ向かった。

ぽつねんと僕はオフィスに取り残され、頭の中をぐるぐる回る疑問詞に、思わずティルヴィングに問いかける。

 

「なぁ、これって一体どういう事なんだ?」

『データにありません』

 

 僕は取り急ぎ、ティルヴィングにでこぴんを入れる事から始めることにしたのだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 暖かに部屋を照らす照明の元、僕はベッドに突っ伏していた。

疲れた。

滅茶苦茶疲れた。

別に頭脳労働が苦手な訳ではないのだが、慣れない仕事が僕に超絶な疲労感を与えていたのだ。

事実、プレシア先生のスパルタな指導の元、魔法に関する初歩的な論文を書かされた時も、今ほどは疲労感は無かった筈である。

しかしクイントさんの頭の中では僕は脳筋認定されてしまったらしく、ギンガやスバルに告げ口までされてしまった。

あの純粋な瞳で、ウォル兄って頭悪いの? と聞かれるのは、物凄く精神にくる。

慌ててギンガがフォローに回るお陰で、更にだ。

 

「くす、今日は散々でしたね」

 

 と、軽やかに響く声と同時、ベッドにうつ伏せになった僕の頭を撫でる手。

僕は顔だけグイッと横に向け、恨みがましい目でリニスを睨む。

 

「何でか今日に限って何の助け舟も出してくれなかった相棒が居るからな」

 

 何故かピタリと手を止め、感じ入るように自身を抱きしめるリニス。

その顔は幸せいっぱいと言わんばかりに素晴らしい笑顔で、いきなりこんな顔を浮かべられた僕はぽかんとしてしまう。

謎の反応に頭の中に疑問詞が沸くが、答えらしい物にたどり着くよりも早く返事が返ってきた。

 

「まぁ、ウォルターのクイントに対する感情を知るのが今回の主目的ですから。

クイントとの対話に手を出したら、それがわからなくなっちゃうじゃあないですか」

「……まぁ、そうなんだがな……」

 

 僕の理性も同じ事を言っているが、感情的に今一納得がいかない。

ジト目で見つめる僕に苦笑し、リニスは再び僕の頭を撫で始める。

そんな事で懐柔されるかと思うも、流石にフェイトの育児経験もあるリニスだ、とても気持ちのよい撫で方で、思わず口元が緩んでしまうのを避けられない。

僕がだらしのない顔をしているのを眺めながら、リニスは窓を、そしてその外を照らす月を眺めた。

遠くを見る目をしながら、小さな声で言う。

 

「管理局入り、結構熱烈に誘われましたね」

「ま、断ったけどな」

 

 僕は立場上、結構ダーティーな手段を取る事も少なくない。

拷問とまでは行かずとも、敵を痛めつけて情報を取る事ぐらいなら日常茶飯事だ。

管理局も警察的組織の一面がある、それぐらいはやっているのだろうが、今までのように自由奔放にと言う訳にはいかないだろう。

それに、僕は信念の為に人命を軽視する事だって偶にある。

それは管理局に入ってしまえば、やってはならないことになるだろう。

わざわざクビになりに管理局に入るなど、バカバカしくてやってられない。

けれど、だけれども。

 

「ゼスト隊の皆さん、暖かったですね……」

 

 頷く僕。

昼休み以降、隊員たちからの僕に対する畏怖は消え去り、代わりにただの子供のような扱いをされるようになったのだ。

僕の信念からすれば、そんな扱いをされるよりも畏怖されている方がまだマシな筈だ。

親しみを持たれる事が必要かもしれないと言っても、ゼスト隊のそれは行き過ぎである。

だから僕は、それを跳ね除けてでも心凍る日常を作らねばならない筈だった。

なのに。

 

「うん、暖かかった……」

 

 大勢の仲間と共に過ごすと言う事は、信じられないぐらいに暖かい事だった。

手綱を握っていた筈の感情が揺れに揺れ、時折御しきれないかもしれないと思わされる事ですらある。

大変な筈のその事態が、それでも暖かくて嬉しくて、胸の内側が人肌と同じぐらいに気持ち良い暖かさで。

何時もなんでもないと感じていた空気が、まるで吹雪の中を突っ切るような温度だった事に気付かされた。

それでも何時かはまたその冷たく鋭利な空気に戻らねばならないのだ。

そうやって何度も念じなければ、僕はずっとこのゼスト隊に居たいとすら思いかねないぐらいであった。

 

「貴方の信念は、今までのように冷たい場所に身を置いたほうが貫きやすいのは事実です。

けれど、こんな暖かさを感じながらでも、何時かは信念を貫けるようになれるかもしれない。

そう言う向上心を持つ事は、悪くない事だと、そうは思いませんか?」

 

 暖かなリニスの言葉が、身に染み渡るように響く。

向上心と言う言葉を巧みに使った内容ではあるが、それでも僕はその言葉に惹かれ、イメージしてしまう。

あの暖かさに包まれながら、戦いを続けられる、僕を。

勿論、簡単には行かないだろう。

信念を命より大切だとしている僕は、追い込まれれば仲間を切り捨ててまで信念を掲げなければならない。

それにそもそも、暖かさに戸惑っているこんな僕が、暖かさに身を浸からせながらも判断を鈍らせない事が、果たしてできるようになるだろうか。

道行は全てあやふやで、不安だらけ。

決してその道を行けるか分からないし、それどころか信念を手放しかねない危険な道でもあるのだけれど。

それでも、僕は言った。

 

「……うん、そうだな」

 

 言うと同時、僕は火照った顔をリニスに見せたくなくて、顔をうつ伏せにした。

そんな僕の後頭部を、慈しむような手つきでリニスが撫でる。

無言の肯定が暖かくて、心地よくて、僕は半分意識を眠らせながらもその手を受け入れ続けることにした。

 

 

 

 

 



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4章4話

 

 

 

「ウォルター、起きてください」

 

 リニスの声に、半覚醒状態で寝ていた僕は瞬時に覚醒する。

瞼を開き、掛け布団を避けて上半身を上げた。

それから辺りを見渡しデジタル時計を見つけ、表示されている時間に思わず首を傾げる。

 

「あれ、リニス、今日は9時出発じゃあなかったか? まだ5時なんだが……」

 

 勿論訓練で時間を埋めればいいのだが、今日は折角の休暇なので訓練は禁止と昨夜リニスに言い含められたばかりである。

疑問詞を浮かべる僕に、リニスはニッコリと笑いながら、片手を腰に、もう片手の人差し指をピンと立てた。

可愛らしいウインクを一つし、告げる。

 

「折角のお出かけなんですから、ウォルターもお洒落をしたらどうでしょうか、と思いましてね」

「…………4時間かけて?」

「食事もしますから、3時間半ぐらいじゃないですかね?」

 

 いやいやいや。

思わず空いた口が塞がらない僕を、一体誰が責められようか。

冗談かと思ってリニスの目を見つめるが、そこに一切嘘偽りの色は無い。

本気の目である。

思わず敬語が口から漏れでる。

 

「あのー、リニスさん? 正気ですか?」

「フェイトとは再会するまでお出かけする事は中々無かったですから、コーディネートをするのは久々なんですよね。

ふふふ、燃えてきましたよ。

フェイトと一緒にフェイトのバリアジャケットを考えた時以来です」

 

 あれはリニスのセンスだったのかよ。

いや、リニスはプレシア先生の使い魔なので、結局プレシア先生のセンスでもあったのだろうか。

どっちでも微妙に嫌な予感しかしないのだが、かくいう僕のセンスもギンガとスバルに酷評されたばかりである、あまり大きな事は言えないだろう。

が、どちらにしてもだ。

 

「俺寝るから、7時頃にまだ寝てたら起こしてくれよ」

 

 と言ってベッドの中に戻ろうとする僕に、剃刀のように鋭い一言が突き刺さった。

 

「クイントと一緒に出かけるのに、いいんですか?」

 

 ピタリと。

僕の動きが止まった。

 

「いえ、別にウォルターがいいのなら、私は構わないんですけどね?

ただ、ウォルターが出かけてから、もっとお洒落に気を遣ってから出てくれば良かった、と後悔したら嫌だなぁ、と思っただけでして」

 

 既に寝転がってリニスを背にしている僕だが、声色と気配から、リニスが本気で僕の事を慮っているようだと言うのが分かる。

僕は別にクイントさんの前だからお洒落に気を遣うべきだなどと思っていない。

ただそこで思い浮かべるのは、リニスに苦労をかけていると実感した、数日前の事である。

彼女に報いなければならないと思うのなら、できる限り彼女の心配はきちんと受け止めてやるべきではないか。

そんな風に思って、僕はゴロンと転がり反転した。

リニスの瞳を見つめ、そこに嘘偽りの色が無い事を再確認し、静かに言う。

 

「うん、じゃあ、お願いするさ」

 

 パァァ、と花弁が開くような、素晴らしい笑顔。

両手を組んで身を乗り出し、リニスは弾むような声で言った。

 

「分かりましたっ! じゃあ早速、えーと確かあの服はこの辺に……」

 

 言いながら服を探し始めるリニスに、苦笑気味になりつつ、僕は上半身を起こし、ベッドに腰掛ける。

たったこれだけでリニスがこんなにも喜んでくれると言うのなら、それだけでも今日の休暇は価値ある物だっただろう。

そんな風に心の中を暖かくしながら、僕は静かにリニスを待つ。

 

 待ち時間の間、僕は僅かに思考を巡らせた。

クイントさんが僕にとって特別な人物である事は確かだろう。

なら、先ほどは想像する事すらせずリニスの言葉を受け入れたけれども、本当にそんな事態になったら僕はどんな気持ちになるだろうか。

例えばと、クイントさんにごめんダサいねウォルター君、と言われた時の事を想像する。

ドスン、と僕は臓器が重くなる感覚を味わった。

まるで重力が強くなってしまったかのようで、体中が鉛のように重く感じられる。

有り体に言えば、僕はショックを受けていた。

 

 ただの想像でこんなにショックを受ける自分に驚く。

いやいや、いくらなんでもこれでは、僕はメンタルが弱過ぎないだろうか?

元々精神的に強い人間だとは思っていなかったけれども。

 

(もしかして、この感情で僕は弱くなっているのかな)

『データにありません』

(いや、それはもういいって……)

 

 苦笑交じりに堪える僕に、胸元のティルヴィングが明滅する。

 

『しかし貴方は信念を貫きたいと言い、その為に強くなってきました。

その目標の為には、力は失われるべきではありません』

(その為に、僕とリニスはその感情を調べようとしているのさ)

『了解しました。

マスターとリニスは力の為に、信念を貫く為に、その感情を調べています』

 

 確かに僕が信念を貫くためには、精神的にも弱くなるべきではない。

しかし事が精神や感情によるものなのである、今までのように力押しでは上手くいかない事も多いだろう。

その事を分かっていなさそうなティルヴィングに、僕はやれやれと肩を竦める。

そんな風にティルヴィングと答弁を続けている僕に、目的の服を見つけたらしく、あっ、とリニスが声を上げる。

思考を脇にやりリニスに視線をやると、彼女は手にした服を僕に向け、言った。

 

「これなんてどうですか、ウォルター。鏡で合わせてみましょうよ!」

 

 手にした服を見て、僕は思わず思ってしまう。

……早まったか、と。

 

 ——唐突だが、現実逃避の為に回想を始める。

 

 先日、休暇だ、とゼストさんは僕に告げた。

なんでも通常体力的に劣る見習いには隊員よりも多くの休暇を与えられるらしく、祝日もそのうちの一つなのだと言う。

僕はむしろ体力的にはゼストさんと互角以上なのだが、決まりは決まりだ。

僕はオフトレにでも使うかギンガとスバルの相手でもしようかと思って休暇を承諾した。

しかし当然リニスも休みなので、彼女の為に時間を作るのもいいかもしれない。

そんな事を考えながら帰宅し夕食をとった後、クイントさんが出し抜けに言ったのだ。

 

 ——明日は私も休暇なんだけど、一緒に映画でも見に行く? と。

 

 僕は驚きのあまり、椅子から転げ落ちそうになってしまった。

驚きで頭が真っ白になってしまい、僕はパクパクと口を開け閉めする事しかできない。

硬直している僕へと、苦笑気味にゲンヤさんが家族で出かけるんだがな、と付け加えなければ、果たして何時復帰できたものだろうか。

僕はコホンと咳払いをし、全てを無かった事にしつつ、家族水入らずの所に邪魔するつもりはないさ、と言ったのだが。

ギンガとスバルの、うるうるとした2対の目が上目遣いに僕を貫いた。

ちらりと視線をやると、ゲンヤさんは対僕では何時もの通りの無表情で、クイントさんはギンガとスバルの2人と同じ目で僕を見てくる。

仕方なしに、僕はため息混じりに頷く事となったのであった。

 

 などと現実逃避をしているうちに、2時間半程が経過していた。

虚ろな目をしつつ服を合わせ続けた僕は、7時頃になるまで拘束され続け、朝食という事になりようやく開放される。

が、食後もリニスは僕に幾つかのコーディネートを試着させ、その中で彼女が一番いいと思った物を、試しにギンガとスバルに見せる事になったのだ。

期待に滾る2人を前に扉を開き、僕の姿を見せて。

 

「…………」

「…………」

「どうです、格好いいでしょう?」

 

 この有様である。

ポカーンと口を開けたままになった2人を前にする僕は、一言で言えばラバー素材の服を来ていた。

全部が全部ラバーではないが、体に吸い付くようなフェティッシュな服ばかりで、体のラインが浮き出ているのが自分でも分かる。

10歳にも満たない少女にこの姿を見られていると思うと、羞恥でこのまま昇天したくなってきた。

目が死んでいるのを自覚しつつ、助けを求めてギンガとスバルを見つめていると、僕の意思を汲み取ってくれたのか再起動する2人。

 

「え、えっと、格好いいけど、映画館に行くんだし、もっとカジュアルな格好の方が似合うんじゃあないかな」

「う、うん、そうだね、似合ってるけど今回はちょっと派手過ぎるかも」

「う~ん、そうですかね?」

 

 頑張れギンガ、頑張れスバル!

僕の眼球から放たれる頑張れ光線を受け取ってくれたのか、2人は物凄い勢いでリニスを説得すると、今度は私達がコーディネートする番と言ってリニスを追い出してくれた。

リニスが視界から消えた瞬間、安堵のあまり崩れ落ちる僕。

ある意味これ以上ない強敵に、僕は消耗し尽くしていたのだ。

そんな僕を労りの目で見つつ、スバル。

 

「リニスさんって……」

「俺もアイツのこういう趣味は初めて知ったよ……」

 

 死にそうな顔をする僕に、うん、と一つ頷くと、ギンガが胸を張って告げた。

 

「じゃあ、今度は私達がウォルターさんをきっちりコーディネートしてあげますからねっ!」

「……あ、あぁ、お手柔らかに頼むぞ」

 

 

 

 ***

 

 

 

 白く清潔な空間だった。

壁も白ければ天井も白く、床も矢張り白。

階段までもが白く、エスカレーターの黒との対比で際立つように見えていた。

そんな映画館の中、リニスはギンガと手をつなぎ、一行の最後尾を歩いている。

その前をウォルターとスバルが、先頭をゲンヤとクイントが歩く形になっており、必然ウォルターは2人を後から見る形になった。

ウォルターとリニスが子供の相手をしている為だろう、ゲンヤとクイントは折角だからと2人で並び歩く事になったのだ。

2人は、互いに腕を絡めながら歩いていた。

後ろから見るだけでも愛し合っているとよく分かる背に、リニスと手をつなぐギンガは何処か誇らしそうにすらしている。

代わりにリニスからは背しか見えないウォルターは、その背だけで何処か寂しげな感情を抱いている事がよく知れた。

 

 暫く歩くと、一行はチケット売り場にたどり着く。

矢張り白を基調とした売り場には、大人2人が並ぶ事となり、ウォルター達は離れた所で待つ事となった。

自然、お喋りを始めるギンガとスバル、それに相槌を打つウォルターに、見守るリニスと言う役割になる。

リニスは、ウォルターが時々ふらりと視線を動かすのを見つけた。

そしてその先がクイントに向かっており、彼女と腕を絡めながら待つゲンヤを視界に入れている事を。

そしてそれを見て、時折ウォルターが今にも泣き出しそうな顔をしてしまう事をも。

 

 ——これは、仕方のない事なんです。

そう内心で呟きながら、リニスは今にもウォルターを抱きしめに行きたくなる自分を抑える。

そも、ウォルターがクイントに淡い恋慕を抱いている事にリニスが気づいた瞬間から、こんな日が来る事はわかりきっていた事だ。

クイントは初めて出会った日から明確に夫を愛していたし、それは今でも変わらない。

倦怠期と言う程の物もなく、精々喧嘩中で機嫌が悪い程度で、非常に仲の良い夫婦だった。

2人が揃っている場所に、ウォルターが割って入る隙間は無い。

いや、例え2人を死が分かつ事があったとしても、クイントはウォルターのような子供を相手する事は無いだろう。

確信を持ってリニスはそう考える。

 

 それ故に、ウォルターの失恋は確定している、とリニスは思っていた。

故にリニスは、ウォルターに初恋を通して心の成長を促し、そしてできれば人に恋する事の素晴らしさを知ってほしいと考えている。

仮面を被ったままでは、人に恋をする事はできない。

器用な人間なら可能かもしれないが、生真面目で硬い所のあるウォルターにそれは不可能だろう。

それならばウォルターは、仮面を外した人生を本気で考え始めるのではないか。

少なくとも、今までよりもそれを欲する事となるのではないか。

そしてそれは、きっとウォルターの幸せに繋がるのではないか。

 

 そこに必要以上の介入をするべきではない、とリニスは考えていた。

なるべくウォルターには純粋な恋を味わってほしいし、そもそもリニスに恋の経験は無いのだ、上手い介入の仕方が分からない。

そも、倫理に反する恋である、リニスはウォルターを本格的に応援する気は無かった。

恋に気づかぬまま去るのではなく、気づき、その価値を知ってほしいというだけだ。

故にリニスは我慢を続け、ただただウォルターを見守る立場を取る。

 

「ウォル兄?」

 

 出し抜けにスバルが問うたのは、リニスがそんな考えを一通り回想した頃であった。

不思議そうにウォルターの顔を覗きこむスバルに、ウォルターが首を傾げる。

 

「どうしたんだ?」

「ウォル兄、なんか寂しそうな顔してなかった?」

 

 虚を突かれ、ウォルターは目を瞬いた。

幸い、ギンガがそんな事ないよ、と言うのに反論するため、スバルの視線が外れた瞬間の事である。

ウォルターは目を細め、2人の背丈に合うよう腰を下ろした。

柔らかな笑みを浮かべ、口を開く。

 

「そんな事無いさ」

「ほら、言った通りじゃない」

「む~、本当だもんっ!」

「けれど……」

 

 言い合いになりそうな2人に割って入りウォルターは続けた。

 

「けれど、もしそうだったとしたら、俺はスバルにお礼を言わなくっちゃならなかったな」

「ふぇ?」

「んえ?」

 

 不思議そうな顔をする2人に、苦笑気味にウォルターが笑顔を作る。

それに顔を見合わせ、2人は互いの意思が同じである事を確認。

再びウォルターに視線を向け、異口同音に告げる。

 

「よく、わかんない」

「そっか、まぁそれでも……」

 

 立ち上がろうとするウォルターを制し、スバルが動いた。

えいっ、と手を伸ばし、屈んだままのウォルターの頭の上に置く。

 

「けど、とりあえず撫で撫でしてあげるよ!」

「あっ、私も!」

 

 続くギンガがウォルターの頭を撫で、姉妹は仲良くウォルターの頭を撫でる作業に夢中になった。

それに苦笑しながらも、ウォルターは黙ったまま目を閉じ、それを受けていれる。

その顔が、まるで涙を堪えているかのようにすら見えて、リニスは僅かに目を細めた。

靴裏が硬い床板を叩く音が4人の元に向かってくるのを、リニスは耳にする。

振り向くと、不思議そうな顔をしたクイントと、僅かに苦い色を帯びた顔のゲンヤとがチケットを持って歩いてきていた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 白いテーブルにベージュのソファ、床は暗い木目のフローリングがコントラストを作っている。

照明は明るく快活な印象で、窓の外から差し込む光がそれを助長していた。

そんな中、6人用の座席には僕とリニスが向かいに、僕とゲンヤさんでスバルを、リニスさんとクイントさんでギンガを挟むように座っている。

食事を注文してから待つ間、ギンガとスバルは興奮しながら先ほど見た映画について語っていた。

 

「格好良かったよね、敵がガーってきたのを、ババーってやっつけてっ!」

「うん、凄かったっ!」

 

 擬音満載の台詞を言うのは快活なギンガであり、終始それに同意しているのが大人しいスバルの方だ。

イメージ通りの2人に、思わず笑みを漏らしながら、時たま同意を求める2人に肯定的な返事を返す。

映画は、子供向けと思われるアニメ映画だった。

少年がある日不思議な力に目覚め冒険活劇をするというありがちな内容だったが、細部は中々練られた内容で、見ていて僕も関心してしまう程であった。

子供を惹きつける仕事も大変なんだな、と思いつつ食事を待っていると、そうだ、とスバルが僕の膝の上に掌を置いた。

小さな子供特有の、高い体温が僕に伝わる。

引っ込み思案な所のあるスバルが言いよどまぬよう、僕はなるべく優しい声色を使って問うた。

 

「うん? どうした、スバル?」

「あのね、ウォル兄が小さい頃はどんな映画やってたの?」

 

 虚を突かれ、僕は目を瞬いた。

僕の過去に興味があるのだろう、リニス以外の全員の視線が僕に集まるのが分かる。

過去の事は欠片も明かす気は無かったが、元々知らない事だ、答えようが無い。

僕は困り果てつつ口を開いた。

 

「悪いな、覚えてないんだ」

「えー、そうなの? それじゃ、小さい頃何して遊んでたとか、そういうのは?」

 

 瞬間、僕の脳裏に鮮烈なあの表情が浮かんだ。

UD-182。

あの心が燃え盛るような、齢10にして凄まじい表情。

しかし、僕の記憶の劣化は余程早いらしく、咄嗟に5年前以前に遊んだ内容の事は思い出せなかった。

彼の輝ける魂だけは記憶しているし、その具体的内容も覚えているものの、それ以外の日常が霞がかったように思い出せないのだ。

思い出せるのは、実験で次々に実験体が減ってゆき、そして実験体達は用済みになれば陵辱されて廃棄処分された事だけ。

矢張り困り果てた表情のまま、僕は言う。

 

「悪い、小さい頃の事は本当に覚えていないんだ」

「え~、そうなの?」

「そうなんだ、すまんな」

 

 急な話の転換であったが、僕より幼いギンガとスバルにはよくある話であった。

ふと、そういえば僕にはそんな時期は無かったな、と思うが、思索に入るより早くクイントさんの不満そうな声が響く。

 

「え~、私もウォルター君の過去、興味あるんだけどな~」

「って言われてもな、覚えていないのは仕方がないさ」

「ぶ~、リニスは何か知らない?」

「いい大人がぶーたれないでくださいよ、クイント」

 

 とリニスとクイントさんが会話の応酬を繰り広げるのに、スバルが僕の膝の上の手をぎゅ、と握った。

視線をスバルにやると、大きな目を見開いて僕を見つめている。

僕は狭い席でできる限り腰を屈め、スバルの頭に手をやった。

ぽん、と軽く触れてやると、少しだけ目を細めつつ、スバルは僕にキラキラと輝く瞳を向け続ける。

 

「どうした? スバル」

「その、映画も面白かったけど、戦っているの見たら、この前のウォル兄の戦いを思い出して」

「ゼスト隊でのか」

「うん、格好良かったなぁ、って」

 

 流石に自分の半分も生きていない子供に純粋な憧れの視線を向けられると、僅かに頬が火照るのは止められなかった。

隠し切れない嬉しさを表情に滲ませつつ、僕はニコリと笑みをスバルに向ける。

くすぐったそうに、目を細めるスバル。

気づけば僕とスバルを除く4人は、一言も喋らずに僕とスバルの動向に注目しているようだった。

 

「何時も乱暴な事は怖いって言ってたスバルが、か」

「そうだけど、ウォル兄はちょっと別で。

何て言えばいいのか分からないけど、兎に角、凄かったから。

だから……ウォル兄みたいになりたいな、って思うようになったんだ」

「……俺のように?」

「うん、強くなりたいな、って」

 

 僅かな驚きを、僕はどうにかして内心で処理をする。

大人しいスバルは戦いを嫌っている所があり、魔法にも手を出す様子は無かった。

偶に運動をする範囲で、ギンガと交代で僕と模擬戦の真似っ子をするぐらいであった。

それがどうだろう、自分から強くなりたいと言うようになるなどとは。

 

 僕は、胸の中がいっぱいになるのを感じた。

明らかにスバルは僕の影響を受けて、強さを志してくれた。

それだけならば、今までにも何度もあった事だ。

偽りとは言え僕の信念に共感し、心の炎を灯らせてくれた人々は居た。

けれど。

日常の中に居ながら誰かの心の炎を灯らせる事ができたのは、初めてだった。

日常の中に居る事が、僕の信念を貫く事を邪魔しない事が、証明されたのだ。

意外な程の衝撃が僕の中をめぐり、一瞬、涙すら出そうになってしまう。

僕はそれを隠し、できる限りの優しい笑みを浮かべ、一言告げた。

 

「そうか」

 

 思わずくしゃり、とスバルの頭を撫でる。

くすぐったそうに笑みを作るスバル。

そこに、思わず、と言った様相でギンガが割り込んだ。

 

「わ、私だってウォルターさんみたいになりたいですっ!」

「あぁ、ギンガもありがとうな」

 

 と言って、僕はテーブルに手をつき身を乗り出したギンガの頭を、軽く撫でてやる。

しかし不満そうな表情で、ギンガ。

 

「……スバルと態度が違う気がする」

「そ、そうか?」

「レディは平等に扱わなくっちゃいけないんですよっ!」

「そりゃスマンな。それじゃあ……」

 

 大人ぶって告げるギンガに、さてどうやってギンガを扱おうかと考えた時、料理が運ばれてきた。

頼んだ料理が配膳されていくのに、渋々と言った様子でギンガは席に腰を下ろし、埋め合わせは食後にしてあげますからね、と告げる。

怖い事だ、と思いつつも、僕は湯気をあげるハンバーグを切り分けながら、ちらりとクイントさんに視線をやった。

人目をはばかる事無く凄まじい速度で食事を続けるその姿は、全くもって何時も通りである。

 

 と、そうしているうちに、クイントさんと視線があった。

ニコリ、と笑いかけられる。

ギンガやスバルとの会話を聞いていただろうに、その顔に一切の負の感情を滲ませる事無く。

それに、少しだけ悔しさを抱く僕。

その意味を一旦捨て置き慌てて視線をハンバーグに戻しながら、僕は今の自分の思考を吟味した。

いや、娘を少し前向きにしてもらったのだから、クイントさんの性格なら負の感情を抱く事などまず無いだろう。

なのに何故、僕は少しでいいから負の感情を抱いて欲しいなどと、そんな事を考えたのだろうか。

 

 なんだか女々しい感情を抱いており、しかもそれで心を一喜一憂させている自分が阿呆らしく、憂鬱な気分が湧いてくる。

ふと視線を上げると、そんな僕をリニスは微笑んでいるような、それでいて同情しているような、なんとも言えない表情で見つめていた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 カラン、と氷がグラスを叩く音が響く。

透明なグラスの中には氷と琥珀色のウイスキーが入っており、少し骨ばった手がそれを握っていた。

手がグラスを持ち上げ、薄い口唇へと運ぶ。

重力がウイスキーの水面を傾斜させ、氷が澄んだ音を響かせた。

ウイスキーを啜ると、ゲンヤは気持ち勢い良くグラスをテーブルの上に戻す。

 

「ふぅ……」

 

 気持ち深い、アルコールの混じった溜息。

僅かに皺が刻まれ始めた老け顔を揉みながら、ゲンヤは隣の妻へと視線をやる。

こちらは好物の冷えた麦酒を傾け、グッグッと喉を鳴らしながら勢い良く飲んでいた。

 

「プハーッ! んー、今日の子守の疲れも吹っ飛ぶわねぇ!」

 

 雄々しい声を漏らすクイントの桜色の口唇には、僅かに白い泡が付着している。

色気の欠片も無い筈なのに何故か魅力的な妻に、苦笑気味にゲンヤが答えた。

 

「疲れったって、今日は半分ウォルターとリニスが受け持ってくれただろうが」

「ウォルター君は子供のうちでしょう」

 

 しれっとした顔で言うクイントに、ゲンヤは僅かな驚きと安堵を感じる。

年齢の割にかなり大人びた所のあるウォルターを子供扱いできる所に驚きを。

偶に年齢を超えて魂を震わせるような事を言えるウォルターを、クイントが男と扱っていない事に安堵を。

直後、自分の情けない思考に、ゲンヤは自虐の念を覚えた。

顔を顰めるゲンヤに、クイントが目を細め、軽い声で告げる。

 

「あら、嫉妬でもしちゃってたの?」

「…………」

 

 その声の裏に何処か真剣な物を感じ、ゲンヤは無言で肯定せざるを得なかった。

そも、元々夫婦の時間を取れる今日は、妻にその事を打ち明ける腹積もりであったのだ。

その事実を妻が察していたというのなら、時間の節約になるし、面倒がなくていい。

そんな夫の感情を察したのだろう、クイントは深く溜息をついた。

深くソファに腰掛け、背もたれに体を委ねながら言う。

 

「やっぱり、そうなのかな」

「そうだろうな」

「……最近になって薄々感づいていはいたんだけど。もしかしてウォルター君って、私の事を好きなのかしら」

「あぁ」

 

 ゲンヤの答えに、クイントは再び深い溜息。

ズルズルと体をずり下げ、肩が背もたれの中心に来る程にまでなる。

青い髪がクイントの頭より少し上に張り付き、だらしのない印象を助長していた。

暫し、沈黙。

溶けた氷がグラスを叩く音を皮切りに、クイントが問うた。

 

「あなたは何時から気づいていたの?」

「2年ぐらい前から、薄々だな」

 

 ゲンヤがウォルターに嫉妬に近い感情を感じ始めたのも、その頃からである。

かつてクイントに問うた、気づいていないのか、と言う一言もまた、それを指していたのだ。

 

 次元世界最強の魔導師にして、人の魂を震わせる英雄。

そんなウォルターは、何処か年齢を超越した人間という印象があり、ゲンヤは彼を子供だと心の底からは思えずに居た。

それ故に彼がクイントに淡い恋心を持ち始めた時、ゲンヤは微笑ましさではなく不快感を覚えたのだ。

自分より優れた雄が番に興味を持ち始めた危機感、焦燥感、それでいてクイントが己の妻であると言う優越感。

そう感じるごとにゲンヤは我に返り、ウォルターはまだ子供だと自身に言い聞かせていたが、それでも時折そういった感情を抱き始める事を止められずに居た。

クイントとの間に確かな絆があると思ってはいたが、それでも不快感を抑える事はできなかったのだ。

 

「それで、2年前からウォルター君の事、微妙に嫌っていたのね」

「笑えばいいさ、ガキ相手に本気で嫉妬しそうになっている俺をな」

 

 吐き捨てるように言いつつ、ゲンヤは溜息をつく。

恋心が強まるに連れ、ウォルターは年齢相応の部分を見せるようになってきた。

特に今日のウォルターなど、初恋に振り回される純朴な少年そのものであった。

自分が今までこんな子供に嫉妬してきたのだと思うと、ゲンヤは醜い自分を直視させられる気分だった。

倍以上の年齢差がありながら、あまりにも大人気なかった自身に吐き気をすら感じた。

それ程までにウォルターが特殊な人間だったと言うのも確かだが、そんな事言い訳にすらならない。

 

 沈み込むゲンヤに、クイントが手を伸ばす。

ゲンヤの頬に、クイントの手が触れた。

指先がまず触れ、それから五指が花開くかのように広がり、掌がゲンヤの頬へと張り付く。

 

「笑わないわ。私だって、ウォルター君の事をただの子供として見れたのは、偶々あの子に不安を相談されたからだもの」

「……そう、か」

 

 触れられるままにしていたゲンヤに、クイントは伸ばした手を艶やかな動きで首へとやった。

軽い口づけをゲンヤの頬に残し、少女のような瑞々しい笑みを浮かべる。

 

「私は、何があってもあなた以外の人を愛する事なんてないわ。

例えこれから成長するだろう、ウォルター君が相手だろうとね」

「……あぁ、俺もお前の事を……愛している」

 

 子供に嫉妬してしまうような自身に、それでも愛の言葉を囁いてくれるクイント。

そんな彼女が愛おしくて堪らず、ゲンヤは久しく愛を言葉にしてクイントに告げた。

2人は軽く口付けを交わし、互いに腕を回し抱きしめあう。

互いの体温を、心臓の鼓動を交わし合った後、もう一度口づけを交わし、そして離れた。

そのままクイントを押し倒したい衝動がゲンヤの中を巡ったが、流石に同じ屋根の下に居るウォルターの事を考え自重する。

 

 驚くほど綺麗に、ゲンヤの中にこびり付いたウォルターへの嫉妬が霞んでいた。

代わりに叶わぬ初恋を抱いた彼に、微笑ましさと同情とが湧いてくる。

 

「ウォルターの事、酷い振り方にならないよう気をつけてやれよ」

「わかってるわよ、もう」

 

 そう何の躊躇もなく言ってのける妻に、ついにゲンヤの嫉妬心は掻き消えた。

ゲンヤは再びウイスキーに手を伸ばし、それを見て、クスリと微笑みながらクイントも麦酒へと手を伸ばす。

氷とグラスが鳴らす音が再び響き、麦酒に喉を鳴らす音が続いた。

 

 ウォルターはいずれ初恋を散らすだろうが、この妻であればそう酷い事にはしないだろう。

初恋の経験はウォルターを精神的に成長させ、元より超人的だった精神を更なる高みに上げるに違いない。

そうなった時のウォルターは、果たしてどれほどの大人物になっているだろうか。

管理局の人間であるゲンヤは立場的に表立って彼を応援する事はできないが、それでも内心ではそう思ってしまう。

 

 娘たちもウォルターに憧れ、踏み出せなかった一歩を踏み出せたようだった。

妻も子供を作れないと分かった時、その心を救われた事があったと聞く。

ゲンヤもまた、妻との愛を再確認する事ができた。

ならばゲンヤは、ウォルターに何時か何か、恩返しをせねばなるまい、と思う。

どんな内容にするかは、確かに難しい。

だが、超人的なウォルターにも歳相応の部分があると知ったのだ、協力できる事はあるに違いない。

——いずれ借りは返す。

内心でそう誓う、ゲンヤなのであった。

 

 

 

 

 



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4章5話

 

 

 

 病室。

無機質な部屋の中央にあるベッドの上で、なのははぼうっと外を眺めていた。

物思いに耽りながら木々や空を眺めていると、ふと、その中に居た一匹の小鳥が目に留まる。

小鳥は、包帯を巻いていた。

怪我をしているのだろう、どうやら飛ぶのが上手く行かないらしい。

飛び立つ所まではできるのだが、それを維持する事はできず、危うい足取りで枝に着地するに留まる。

 

 そんな小鳥を眺めているうちに、はたとなのはは思い至った。

この小鳥は、ひょっとしてウォルターが初めて見舞いに来てくれた日に見た、墜死したと思われたあの小鳥ではあるまいか。

大怪我をした小鳥は誰かの手で助けられ、ああやってリハビリをしているのではないだろうか。

そう思うと、なのはは心の中で小鳥を応援すると同時、俄然ライバル心が湧いてきた。

あの小さな体躯で小鳥は既に不恰好ながら一応飛べるようになっており、対しなのはは今だに少々浮くぐらいしかできるようになっていない。

それもリンカーコアのリハビリに近い物があり、数分続けるのが限度だ。

——負けられないね。

心の奥底を燃やしつつ、なのははさて、と直前まで耽っていた物思いに意識を戻す。

 

 なのはは、なんでだろうか、ウォルターに対しよく分からない感情を抱くようになった。

何故だろう、彼を視界に入れると胸がドキドキしてきて、体温が高まってくるのだ。

彼と一緒に居るだけで胸が晴れやかになり、さわやかな風が吹くようになる。

代わりに彼が居ない時に彼を想うと、時折会いたくて胸が裂かれるように痛くなる事さえあった。

特別な感情である。

生来彼以外にこんなに不思議な感情を抱いた事は無いなのはは、それを究明し対策をしようと決意した。

何せ本当に心が振り回されて仕方がないのだ、どうにかせねばこれから先の生活が立ち行かない。

 

 しかし、その作業は難航することになる。

当たり前と言えば当たり前か、精神状態を左右する感情をその精神を持って究明しようとするのは難しい。

仕方なしに、なのはは週に一度見舞いに来てくれる母桃子に、その感情について相談した。

すると何という事だろうか、桃子は何故か大喜びしたのだ。

こっちは本気で困っているのだ、と怒るなのはに、ごめんごめんと言いつつ桃子は告げる。

その感情は決して悪い物じゃあない、女の子なら誰でも経験する感情なのだと。

そう言われて、なのはの脳裏にその感情の名前らしきものが過ぎった。

けれどそれは流石に自分に似つかわしくないと考え、なのははその考えを捨てる事にする。

 

 兎に角、となのはが桃子にその感情の究明の為に聞き出したのは、結局ウォルターと共に居る事でその感情を調べていく他無いと言う事だった。

けれど、病室で見舞いを受けての対話ならばあれから何度もあった。

マンネリ気味であるし、そもウォルターは管理局の訓練を受けるようになり、見舞いに来る回数が激減している。

そう告げるなのはに、桃子はそれなら、と秘策を告げた。

なのはは今一その計画の意味する所が分からなかったが、それでも信頼する母の言葉である、取り敢えずその計画を実行しようと言う次第となったのであった。

そしてその決行の日は今日。

ウォルターが見舞いに来てくれる日であった。

 

「……えっと、大丈夫だよね」

 

 ひとりごちながら、なのはは鏡で自身を確認する。

事情を話すと物凄い勢いで手伝ってくれた女性看護師のお陰で、なのはは先程湯浴みしてきたばかりだ。

ツルツルの肌は普段よりしっとりとしており、髪の毛も容易く纏まった。

いつも通りのツインテールに、皆が似合うと言ってくれる白のリボン。

服装は流石に入院着であるが、それも卸したてで綺麗な物だ。

よし、完璧だ、となのはは思う。

あとは待つだけだ、と。

 

 そうして暫く経ち、コンコン、とノックの音。

どうぞ、と告げると、なのははよし、後は普段通りに受け答えすればいいだけだ、と覚悟を新たにし。

そして気づく。

普段、自分はウォルターに対しどう接していただろうか。

思い起こそうとするも、この不思議な感情を抱くまでは特に意識した事はなく、抱いて以後は緊張して何を言ったのかあまり覚えていない。

どどど、どうしよう。

焦燥がなのはの脳裏を支配した直後、音を立て扉が開く。

 

「失礼するぜ。こんにちは、なのは」

「私も失礼しますよ、なのは」

「ひゃ、ひゃいっ!」

 

 噛んだ。

あまりの羞恥になのはは赤面し、顔を伏してしまう。

そんななのはへと足音が近づき、なのはがちらりと視線をやると、気にした風ではなさそうなウォルターが椅子に座る所だった。

なのはは一昔前のロボットのような、ぎこちない動きで面を上げる。

そんななのはに、ニコリと軽くウォルターが微笑んだ。

たったそれだけで、なのはの胸は大きく弾む。

 

 だが同時、視界に入ったリニスの所為で、なのはの胸はまた別の意味でも脈打った。

——なんで今日に限ってリニスさんも来ているの!?

そう、なのはの秘策はリニスを前に言うには抵抗のある物であった。

ウォルターを前に言うだけでも物凄い恥ずかしい物なのに、更に他の人が加わるとなれば、耐えられるか分からない。

あたふたとするなのはを見て、何かを悟ったのか、リニスは一瞬難しげな顔をする。

そんな2人の様子を不思議そうに首を傾げながら見るウォルターの呑気さに、なのはは的外れな怒りすら覚えた。

すると何故か、リニスはうんうんと頷きながら口を開く。

 

「なるほど、今日の所は2人きりで居たほうがいいみたいですね」

「ふぇ!?」

「うん? どういうことだ?」

 

 驚きの声を上げるなのはを尻目に、疑問詞を吐き出すウォルター。

そのウォルターに、何故か生暖かい視線を注ぎつつ、リニスが加えて告げた。

 

「まぁ、ウォルターはそれに自分で気づけるようになることです。

なのは、見舞いに来ていきなりですが、今日の所はお暇しますね」

「う、うん、ありがとうリニスさん」

「では」

 

 軽く手を振り去るリニスに、胸を撫で下ろすなのは。

どうにか、リニスは勝手に出ていってくれた。

反応が母である桃子と同じ感じだったのが気になるが、これでよしとしよう。

そう考え目を開くなのはの視界に、疑問詞で顔をいっぱいにしたウォルターが映る。

何か聞かれるのだろうか、となのはは身構えた。

が、リニスの言葉通りに自分で気づけるようになるべきと考えたのだろう、ウォルターは不承不承そうながらも疑問詞を捨て置く。

代わりに、ウォルターとなのはの視線が合った。

 

 どくん、と。

脈打つ心臓。

心臓が口から出そうになるのを防ぐのに、なのははぎゅ、と自身を抱きしめねばならなかった。

体中が熱くて熱くて、折角磨き上げた肌の上に汗が滲むのを、なのはは自覚する。

そんないつも以上に緊張したなのはに、怪訝そうにウォルター。

 

「なぁ、随分緊張しているように見えるけど、どうしたんだ?」

「な、なんでもないよ、にゃはは……」

 

 全精力を賭してそう告げるなのはに、納得行かない様子ながら、ウォルターはそうかと頷く。

しかしすぐに心を切り替え、ウォルターは何時もの燃え盛るような瞳でなのはを射抜いた。

またもや心臓が飛び跳ねそうになるのに、なのははそれを必死で抑えながら口を開く。

 

「そ、その、ウォルター君」

「どうした、なのは。ゆっくりでいいぞ」

 

 ウォルターの言葉に甘え、なのはは深呼吸をした。

両手を胸に当て、胸いっぱいに空気を吸い込み。

余計な物を全て吐き出す勢いで、息を吐き出した。

頭が少しだけスッキリとするのに、なのははこのまま話していては情けなくも酸欠で倒れていたかもしれない、とすら思う。

同時、それを見越しただろうウォルターの明晰さに、少しだけ胸が脈打った。

経験からその事実に囚われると余計に緊張してしまう事を知っているなのはは、どうにかそれを無視しつつ、整えた呼吸で声を紡ぐ。

 

「ちょっと、付き合ってくれるかな」

 

 桃子がなのはに伝えた秘策。

すなわち、ウォルターを誘い、病院内の喫茶店へとお茶をしにいく事をである。

 

 

 

 ***

 

 

 

 明るい陽光を取り入れた店内は、白に近い薄色の木々を多く使っていた。

天井近くから取り入れられた陽光は、店内の背の高い観葉植物によって遮られ、その柔らかさを増している。

まるで木漏れ日のような暖かい陽光であった。

自然、落ち着いた雰囲気に僕は少しリラックスしている。

毎日のようにギンガとスバルに私服について小言を言われるので、来てきた服も何時もよりゆったりした感じで、それも一役買っていたのだろう。

 

 一役買うと言えば、香りもそうだ。

木々とニスの匂いが仄かに香る空間に、同時に珈琲の苦い香りが混ざっていた。

木製のテーブルの上にある暖かい珈琲に手を伸ばし、ブラックのまま口にする。

胃の奥までを暖かな温度が支配し、僅かに眠気が頭の中に漂いだした。

暖かな午後の陽気にやられたような気分である。

とまぁ、とてつもなくリラックスしている僕なのだが。

 

「…………」

「…………」

 

 沈黙。

圧倒的沈黙がこの場を支配していた。

対するなのはは、ガチガチに硬直したまま、殆ど言葉を発していない。

表情筋はこわばった笑顔の形のまま先ほどから全く動いておらず、緊張からか、肌には汗がじんわりと滲んでいた。

何時もは誘わない喫茶店への誘いから、なのはに何か相談事があるのかと思っていたのだが、これではその内容を察することもできない。

まぁ、よくよく考えれば、相談事があるのにわざわざ人が多い場所に行くこともなかろう。

多分、何時もの会話から少し気分転換をしたかったとか、そういうことなのだろうけれど。

 

 と、そこまで思ってから、僕はひょっとして僕の見舞いがなのはにとって迷惑なのではないか、と思い至った。

あの日、なのはが心の炎を取り戻してくれた日までは、まぁ迷惑といっても結果オーライだったと言えよう。

しかしそれからと言うものの、見舞いに訪れるたびになのはは大小なりとも緊張した様子を見せるようになってきてしまったのだ。

僕は今までそれを、僕の信念に共感してくれた人の多くが見せる、僕への畏怖のような物だと考えていた。

その程度なら、親しく接していればそのうち治るだろうと思っていたのだが。

 

 もしかして、普通に僕は苦手意識を持たれているのではなかろうか。

そう考えればなのはのガチガチの緊張も分かるし、この席も特別な物として僕への苦手意識を克服する為なのでは、と思えば分からなくもない。

苦手を乗り越えようとするなのはの前向きな精神には感服するが、ここまで緊張されてしまったならばこの場は去るべきではないか。

暫し、僕も思索に耽る。

 

「……いや、違うか」

 

 口の中で、僕はそんな言葉を転がした。

何故なら、それだとリニスの意味深な行動の意味が通らなくなる。

なのはが僕への苦手意識を克服しようとするならば、本人は一気に一対一で乗り越えようとするだろうが、最初は近くに他の人が居る時の方がいいだろう。

気の利くリニスなら最適の人材だし、緊張して混乱しているなのはは兎も角、リニスはその判断を間違うことはあるまい。

とすれば、なのはは一体どんな感情を抱いているのだろうか。

勘に頼った言い方をするなら、好意的な感情である事は何となく察しているのだが。

 

 ということで、僕は素直な自分に頼ることにした。

仮面を被ってもいいが、やることはどうせ同じだ。

目の前のなのはが困っているようだったら手を差し伸べたいと言うごく自然の感情に従い、口を開く。

 

「遅れちまったけど、なのは、久しぶりにツインテールの所を見たな。似合ってるぞ」

「ふにゃぁっ!?」

 

 何故かなのはは妙な鳴き声をあげ、赤面した。

それはそれで可愛らしい仕草なのだが、この手の言動は無かったことにするのが一番だろう。

僕は何も聞いていませんよ、と言う顔で珈琲をすすり、喉を潤わせながらなのはの反応を待つ。

話しかけられたことが切欠になったのだろう、なのはは両手の人差し指同士でもじもじとやりながら、上目遣いに言った。

 

「ありがとう。せ、折角だから、久しぶりにお洒落してみようかなって思ってね」

「入院生活も長いしな、こういう時ぐらいはお洒落するのもいいんじゃないか? 女の子なんだし」

 

 と、またもや顔を真っ赤にし、ビシッと硬直するなのは。

ぎこちない動きでガクン、ガクンと錆びついたロボットのような動きで姿勢を正す。

それでも背丈が足りず、なのはは矢張り上目遣いのまま僕に視線をやってきた。

僕は一体どう反応すればよかったんだろう、と悩みつつも、なのはの言葉を待つ。

両手を胸に深呼吸し、息を吐ききると同時、キッと目を見開いくなのは。

 

「お洒落って言えば、ウォルター君もだよね。今日は黒尽くめじゃあないんだね」

「まぁ、今厄介になっている家でセンスが無い無い言われ続けたんで、ちょっと気分転換にな。似合ってるか?」

「うん、すっごくっ!」

 

 と言うなのはの顔は、満面の笑みであった。

自然で嘘の無さそうな笑みに、ようやく笑顔を引き出せた、と内心安堵する僕。

自然な笑顔など、ある程度リラックスしていなければ出せはしないものだ。

僕はなのはのリラックスした姿勢を保つ為に、余計な事を考えさせないよう続けて口を開く。

 

「今厄介になっている家に、年下の姉妹が居てな。

妹分みたいなもんなんだが、2人に散々駄目だしされた上に、あっちこっち服を買いに行かされたんだ。

この服は、全部その時の奴になるな」

「へぇ、って一式全部買ったの?」

「あぁ、っつーか、信じられるか? 俺、でっかい紙袋が2つ満タンになるまで買い物させられたんだぜ?

あれは流石の俺でも疲れて挫けそうだったな」

 

 思わず遠い目になる僕。

痛痒という意味では対闇の書戦が一番だったが、疲労という意味ではあの買い物が一番だったかもしれない。

なんだって女の子はあんなに時間をかけて服を選ぶのだろうか。

そんな愚痴が脳内を渦巻くが、それを女の子のなのはに言っても仕方がない。

思考の脇にやり、感心した様子のなのはが口を開くのに耳を集中させる。

 

「そういえば、ウォルター君って今管理局の部隊で働いているんだよね」

「期限付きだがな」

 

 と、僕はゼスト隊での毎日を口にした。

個人指導では僕がゼストさんに教わるだけでなく、隊員に僕なりの対応の仕方などを教えていった事。

デスクワークでは書類形式に慣れておらず、何でか脳筋扱いにされている事。

1日の締めの訓練ができる日は、毎回ゼスト隊対僕とリニスの戦いをやっている事。

辛うじてだが全勝を守っているものの、最近リニスを落とされるようになり、どんどんギリギリになってきている事。

そんな事を興味深そうに聞いてくれるなのは相手に話していく。

するとなのはは、ニコリと微笑んで僕に言ってみせた。

 

「ウォルター君、よっぽど今が幸せなんだね」

 

 意表をついた言葉に、僕は思わずドキリとした。

幸せ。

信念の為に犠牲にしてもいい筈だった事。

今はどうしてか、信念と両立したいと思えるようになってきた事。

様々な思考が脳裏を走ろうとするのを、僕は必死で押し止めた。

そんなシリアスな内容を、やっと心をほぐせたなのはの前で考えるべきではない。

僕は笑顔を作り、口を開く。

 

「そうだな、間違いなく俺は幸せさ」

 

 けれどこれは、作り物の言葉の筈なのに。

なのに何故か、まるで本当の事を吐き出せたみたいに、顔が自然に暖かな笑みを形作る。

それに釣られるように、なのはもまた花弁が開くような華やかな笑顔を浮かべた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 ウォルターの言葉は、意外性に満ちていた。

ウォルターが何か言う度に、知れば知るほどウォルターの新しい面が発見されていく。

そしてなのはは、その新しい面に驚くと同時、どんな面もが好ましい物に思えてくるのを感じたのだ。

特に、なのはは今までのウォルターが満足いく生活をしているのだと思っていた。

けれど、実際のウォルターは違う。

ウォルターは、僅かながらも帰ってくる場所を欲しがっているようになのはには思えた。

ナカジマ家やゼスト隊など、暖かな場所に顔をほころばせ、幸せいっぱいの笑顔を浮かべるようになったのだ。

 

 何故だろう、なのははそれが自分の事であるかのように嬉しくてたまらなかった。

ウォルターが幸せであると言う事を思うだけで、胸の中がぽっと暖かくなる。

まるで羽が生えて飛んでいってしまいそうなぐらいに、心がふんわりとするのだ。

ウォルターのくれる炎とはまた違う、もっと緩やかで、だけど安らぎのある感情であった。

そんな感情に身を委ねていると、なのはは自身の中に一つの感情が生まれ出てくるのを感じた。

 

 ——私も、そんな場所の一つになりたいな、と。

 

 何故だろうか、してあげたいという思いよりも、なりたいという感じの方がしっくりきた。

こんなに暖かな感情を貰っているのだから、なのはだってウォルターの事を同じぐらい安らかな感情に満たしてやりたい。

いや、それも僅かに違う物言いのようになのはには思えた。

そう、あえて言葉にするなら。

一緒に、幸せになりたい、と。

そう、なのはは思うのだ。

 

「ねぇ、ウォルター君」

 

 ウォルターが一通り話し終えた辺り、僅かな沈黙を経てなのはは言った。

珈琲を口にしていたウォルターが、カップを起き、柔らかな視線をなのはに向ける。

心臓が脈打つ速度が早くなるのを、なのはは感じた。

胸が熱くて、今にも融けだしてしまいそうで、だからなのははそれを少しでも留める為に胸に手をやる。

少しだけ、服の上からきゅっと握りしめた。

すると少しだけ安心感が心の中に浮かんできて、なのはは緊張せずに話せる自信が出てくる。

 

「ウォルター君の話をたっぷり聞かせてもらったからさ。

今度は、私が自分の事を話してもいいかな」

 

 ウォルターが安らぐ場所になりたい。

その為にはなのはは、まずは自分のことを知ってもらわねばならないだろう。

何故なら、知らない場所で安らげる人は稀だ。

だからなのはは、自分の事を言葉に紡ぐ。

まだこの胸の暖かさは、言葉にできないし、だからこの感情の事を話す事は不可能だけれども。

けれど、できる限りの自分を知ってもらいたい。

そんな思いを、なのははウォルターにぶつけたのだ。

 

 以前にも話した事も混ぜて、なのはは多くの事柄を喋った。

原初の想い、父士郎が大怪我をした時の言い表し様のない寂しさ。

それを抱えながら生きていった事。

すずかやアリサとの出会い。

2人との他愛のない会話。

魔法との出会い、フェイトと、そしてウォルターとの出会い。

心に宿った想いと炎。

ヴォルケンリッターとの出会い。

再び現れたウォルターが、どれほど心強かったか。

はやてとの出会い。

ウォルターの極限の戦いを見て、心で繋いだ炎のバトン。

そして、管理局入りを目指す間、常にウォルターが心の目標にあった事。

訓練校で負けてしまったけど、落ち込むよりも目指す場所の達成のしがいに、フェイトと2人燃え盛った時。

武装隊での辛かった事、楽しかった事、なんでも様々。

そして。

そして。

 

 ——そして、今日この日、ウォルターと一緒に居られた幸せ。

 

 最後の一つだけは言葉にできなかったけれども、他の事をなんでもなのはは話した。

ウォルターはとても興味深そうに、そして嬉しそうになのはの話を聞いた。

一つ一つのエピソードに真剣に感じ入り、一緒に悲しみ、一緒に楽しみ、一緒に燃え盛った。

そうこうしているうちに、なのはは長い時間が経っている事に気づく。

気づけば暖かな昼の日差しは、夕焼けの赤のベールに覆われ始めていたのだ。

ハシャいで恐ろしく長時間喋ってしまった自分に、なのはは頬が赤くなるのを自覚した。

それを覆い隠してくれる夕焼けに、なのはは感謝する。

 

「そ、そろそろ、時間だね……」

「ん、あぁ、もうこんな時間か」

 

 時計にちらりと視線をやるウォルター。

時計の皮のベルトは矢張り黒く、ウォルターが黒好きである事をなのはは再確認した。

 

「ごめんね、長々と付きあわせちゃって。

それに、私ったら最初は全然喋れなかったし、後半は逆に喋ってばかりだったし……」

「いや、楽しませてもらったよ。って事で、感謝の念として、会計は俺のおごりな」

 

 言って、ウォルターはすっと伝票を取り上げてしまう。

しかし、なのはとしてはむしろウォルターに楽しませてもらってばかりで、こちらこそおごりにしたいぐらいだ。

なのでなのはは、咄嗟に伝票に向かって手を伸ばす。

 

「あっ」

「ほい」

「んっ」

「ほい」

「にゃっ!」

「ほいっと」

 

 が、ウォルターはその超常の戦士の力を大人気なく発揮。

次々となのはの手を回避すると、ニコリと男らしい笑みを浮かべ、告げた。

 

「ま、今日の所は俺のおごりって事で我慢してくれ。そうだな、男の甲斐性って事にしてくれ」

「お、男の甲斐性……?」

 

 言われて、なのはは思い当たる。

今日はおごりな、と言う台詞からして、まるでデートをしている男女の男の台詞のようではあるまいか。

ばかりか、手を伸ばした姿勢で、今までよりも遥かにウォルターに近い位置になのはは居た。

ウォルターの気づきにくい呼吸が、ほんの僅かになのはの肌を撫でていく。

ウォルターの吐いた息を吸っているのだと言う事実に、なのはは頬を林檎のように火照らせた。

 

「……わ、分かったよ」

 

 暫し苦悩した後、なのははそう言って引き下がった。

本当に今が夕焼けで良かった、と思いつつ、口から出てきそうな心臓をなのはが抑えている間に、ウォルターが会計を済ませる。

その姿をちらちらと見ているなのはの元へ、レジからウォルターが戻ってきた。

 

「なんか調子悪そうだけど、もし辛いようなら車椅子まで抱いて戻そうか?」

「……っ!?」

 

 なのはは、思わず目を見開く。

なのはの脳裏にお姫様抱っこの光景が過ぎった。

腰と膝に回る、ウォルターの大人顔負けの逞しい腕。

頬を当てられるぐらいに近くになる、ウォルターの厚い胸板。

仄かな汗の香りまでなのはの脳裏では妄想され、それを振り払おうとなのははブルブルと頭を振った。

 

「だ、大丈夫、楽勝だからっ!」

「あ、あぁ、そうならいいんだが……」

 

 冷や汗をかくウォルターを尻目に、なのはは一人ではない状況でごく短時間であれば使用許可をされている飛行魔法を発動。

体を浮かせ、車椅子に座らせる。

勿体無かったかな、と言う思考を強引にねじ伏せながら、なのははウォルターが押す車椅子に乗りつつゆっくりと病室へ戻るのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 夜闇に包まれた、ナカジマ家の客室。

暖かな色の照明が、白い壁紙と木製の家具とを照らしている。

僕とリニスが寝ている2つのベッドもまた、電球色の光のベールを被せられていた。

 

 僕は、視線を窓の外の星々に向け、今日一日の事を思い出す。

そうしてみて矢張り思い起こされるのは、なのはの事であった。

昼過ぎに見舞いに行って、すぐにリニスが退出してから夕方まで数時間、僕はなのはと2人きりだった。

なんだか妙な反応をするなのは……いや、そう考えるのは最早欺瞞か。

僕は、素直な言葉を零してみせる。

 

「俺は、どうやら相当なのはに懐かれたらしいな」

「……そう来ますか」

 

 額に手をあて、天井を仰ぎ見るリニス。

そんな反応が来そうな事は予想していたので、加えて言葉を続けた。

 

「いや、それ以上であるらしいって事は分かっている。

ただ、それに上手い言葉が見つからないんだ。

なのはが俺を見る目は、俺がクイントさんを見る目に似ているように思えたんだがな」

 

 言うと、今度はリニスが目を見開いた。

顎に手をやり視線を膝下に落とし、考えこむリニス。

暫く経つと、複雑そうな視線を僕へ。

 

「そういえば、貴方の勘は相当な物だったのでしたね」

「勘……。これは、ただの勘で、何時もの勘とは違うみたいだがな」

 

 勘。

僕がそう呼んでいる物の大方は、もしかして僕のレアスキルの一種なのではないかと僕は睨んでいる。

何故かと言えば、魔法が関連する事柄についての勘が、他の類の勘に比べ物凄いよく当たるからだ。

僕が勘に頼って出歩いていて、魔法犯罪に出会う事は多くとも、質量兵器犯罪に出会う事はそうでもない事もある。

その事から、僕は自分のレアスキルが何なのか、大凡の検討をつけ始めていた。

と、そこまで考えて、僕は思考が他所へ行っている事に気づき、思考を元に戻す。

 

「しかし、リニスがそう言うって事は当たっているんだな?」

「まぁ、そう言って構わないでしょう」

 

 含みのある物言いであった。

それに僕の内心にさざ波が立つが、言語化されるよりも早くリニスが口を開く。

 

「それで、そんな感情を向けられた感想は、何かありますか? ウォルター」

「感想? 感想ねぇ……」

 

 僕は視線を漂わせながら、腕組みして思索に耽る。

なのはの感情は、好意的ではあるが、同時にそれ以上の何かを孕んだ物であった。

それを思うだけで、胸の奥が暖かくなるのを僕は感じる。

瞼を閉じて思い出すと、なのはの少しだけ頬を火照らせた、とてつもなく可愛らしい表情が思い浮かんだ。

胸が小さく鳴り響くのが、聞こえた。

 

「嬉しかった、かな」

 

 告げ、瞼を開くと、リニスは微笑みを僕に向けている。

僕の顔もまた、気づけば心の奥の暖かさが漏れでてしまったかのように、笑みを形作っていた。

念のため、隠匿念話を発動し、リニスに話しかける。

 

(僕じゃあなくて“俺”に向けられる感情は、所詮紛い物に向けられてしまった感情なんだって分かっている。

好意的な感情であれば、それを僕は裏切っているんだって分かっている。

それは罪だと自覚すべきで、素直に喜んでしまってはならないんだって分かっている。

でも、それでも)

 

 その後の言葉は、どうしてか、この口で言いたくて。

一旦念話を切って、大きく息を吸い、言った。

 

「本当に……、嬉しかったんだ」

 

 言ってから、急になんだかそんな事を素面で言えてしまう自分が恥ずかしくなってくる。

電球色の照明で、頬の赤みはどうにか隠れてくれるだろう。

ナカジマ家に泊まるようになってから、すぐに頬が赤くなりやすくなってしまい、困ることこの上なかった。

そんな僕に、リニスは破顔。

就寝前と言う事で帽子で隠れていない、猫耳が左右に揺れる。

隠匿念話。

 

(それはきっと、滲み出る貴方自身を好いてもらえているからではないでしょうか。

いかにUD-182を仮想した仮面とは言え、完全に彼をトレースできない以上、ウォルターの色が滲み出るのは仕方がないです。

特にナカジマ家やゼスト隊に居心地の良さを感じているのは、ウォルター自身の感情でしょう?

それを言って尚好かれているのが、嬉しいのではないでしょうか)

 

 言われて、考えてみる。

僕自身。

ネガティブで、強い以外に何の取り柄も無い、へなちょこな僕。

ばかりか、紛い物の仮面で世界中を騙し続けている僕。

そんな僕自身が、もしも好いてもらえるのだとすれば。

例えそれが、仮面を見抜けぬ勘違いから来る物だとしても。

それは、とても嬉しい事なのではないだろうか。

そんな思いからか、僕の口は自然と動いていた。

 

「そうかも、しれない」

 

 衣擦れの音。

リニスがベッドを抜け出し、寝間着のまま僕のベッドに腰掛ける。

僕の体に彼女の腕が回され、ぎゅ、と抱きしめられた。

体温と体温が触れ合うのを、感じる。

物理的な暖かさ以上に、心が暖かった。

 

「日常も、いいでしょう?」

 

 脈絡ない言葉であった。

けれど、すぐになのはの好意を嬉しいと思う自分が、僕が日常を求める事にとても近い場所に位置する事だと分かって。

僕は、無言で頷いた。

リニスの片手が僕を抱きしめるのを止め、代わりに僕の頭へと移動。

髪に指を絡めさせながら、僕を撫でる。

 

「ウォルター、こんな事を言われると、貴方は怒るかもしれませんが。

寿命の問題もあるのです、日常を求め剣を置くのも、一つの選択肢なのではないでしょうか」

「それは……」

 

 僕は言いつつ、黙りこんでしまう。

一瞬後、そんな反応を返す自分に驚き、目を見開いた。

今までの僕であれば、例えリニスが相手であったとしても激高して然るべきだ。

なのになんだろう、この反発心の少なさは。

僕はそんな自分に危機感を覚えるが、それすらもリニスの体温の暖かさが流していくようであった。

 

 僕は、必死でUD-182の顔を思い起こす。

僕によく似た、しかし内に秘める精神が表情を全く別物に見せる、あの凄まじい表情の男を。

けれど、それすらも今日のなのはの可愛らしい笑顔に流されていくようで。

それでも必死でUD-182の顔を想うも、最後にはクイントさんの笑顔がかき消していく。

そればかりか、僕は思ってしまったのだ。

胸の中にある想いが暖かくて、嬉しくって、あまりにも輝かしくて。

今まで僕は、一体何に駆り立てられてきたんだろう、とすら。

 

「……今すぐには、決められない」

 

 驚くべき事に、僕はそうとしか言えなかった。

同じく驚いたリニスが、目を見開く。

直後感じ入った物があったようで、リニスは再び両手を使い、力いっぱいに僕の事を抱きしめた。

少し痛いぐらいの強さで、包み込まれる僕。

 

 今この瞬間、僕は何もかもが上手くいくかのように思えていた。

全てが、この胸の中と同じように、安らかにいくかのように思えていた。

それはきっと、リニスも同じなのだろう。

精神リンクで繋がるリニスの内心もまた、僕と同じような思いがあると告げていた。

 

 僕は、視線を再び外の夜へとやる。

月光がまるで祝福を与えてくれるかのように、僕へと降り注いでいた。

その時、僕の胸の中を、薄っすらとした不安が駆け巡る。

勘に近い物があった。

けれど僕は、それを重要な物とは捉えなかった。

胸の中に確かにある安らぎが、これから全て上手くいくと告げていて。

僕自身も、気づけばそれを信じたくなっていたからだ。

 

 ——いつの間にか随分と内心が変わってしまった自分に、僕は小さな苦笑を漏らすのであった。

 

 

 

 

 



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4章6話

 

 

 陽光を遮る物の少ない、硝子張りの建物だった。

わずかに青味がかった硝子が、陽の光を少しだけ柔らかに、中に居る人々へと差しかけてくれる。

吹き抜けになった中央には、都会にある物とは思えない程巨大な植物が植えられていた。

中でも目に付くのは、巨木だ。

大人二回り分ぐらいはあろうかと言う幹が、そこら中にびっしりと苔を張り付かせながら、堂々と青空へ向かって伸びている。

その青々とした葉が、これがまた上手い具合に光を遮ってくれ、美しい木漏れ日が床に影絵を描いていた。

ミッドチルダ中央第3次元港。

様々な次元世界へ向けて次元転送や次元航行ができる、次元世界の港であった。

 

「やれやれ、結局ナカジマ家には一ヶ月以上滞在したのか」

「ふふ、良い休暇でしたね」

 

 上品に口元へと手をやりながら言うリニスに、僕は肩をすくめて答える。

なのはのお茶会から一週間近く。

僕らはゼスト隊への訓練参加を終え、無事に今まで通りの無職に戻った訳だった。

……無職と言うと、無闇に心が痛むのは、何故だろうか。

賞金稼ぎ賞金稼ぎ、と脳内で字面を変換しつつ、僕はキャリーバックに僅かに体重をかけ、首に手を。

ティルヴィングに触れながら、僅かに回想に耽る事にする。

無論、ティルヴィングの抗議の意を込めた点滅は無視して、だ。

 

 僕は結局、自分がクイントさんにどんな感情を抱いているのか、分からなかった。

その事をきちんと解明できなかった事に不安が無いと言えば、嘘になる。

信念を貫くために結局障害が生じている事には変わらず、その原因を特定する事ができていないのだ。

自分の無力さに打ちひしがれない訳が無かった。

 

 けれど、だけれども。

この一ヶ月で僕の胸の中に生まれた物は、それだけじゃあなかった。

これまで僕には縁のない物だと考えていた、暖かな感情が、山ほど僕の内側に積もり積もっていたのだ。

それはまるで一つ一つが穏やかに燃えているかのようで、その感情を想うだけで胸の奥が暖かくなる。

そうすると、不思議と今までの自分が一体何に駆り立てられてきたのか、分からなくなってくるのだ。

それぐらいに暖かな感情は、僕の胸をいっぱいにした。

 

 今の自分が中途半端な状態だと言うのは、誰に言われずとも分かっている。

信念を貫くのか、この胸の中の暖かさの為に生きるのか、僕は結局どっちも選んでいない。

けれど、僕の中の慎重さが、この感情の名前すら分かっていないのに、それを人生の指標にしてはならない、と告げていたのだ。

故に僕は、宙ぶらりんの状態のまま、ミッドを出ようとしている。

 

『マスター、私を弄ぶのは止めてください。私は玩具ではなくデバイスです。戦いの道具です』

「はいはい」

『口頭だけでなく行動でも示して欲しいのですが』

「はいはい」

『私はアームドデバイスですが、インテリジェントデバイスAI保護団体に訴えれば保護の可能性は十分にあり……』

「はいはい」

 

 ティルヴィングの台詞を聞き流しながら、僕はくすくすと微笑むリニスと共に次元転送ポートの順番を待つ。

靴の踵の高鳴る音が様々な方向に飛び交うのを聞きながら、僕とティルヴィングとリニスは静かに佇んでいた。

僕は硝子越しに、遠くに見えるクラナガンを見据える。

久しく、僕の胸を郷愁が襲ってきた。

何故だろう、これまで一ヶ月なんてもんじゃあない時間を此処で過ごしてきた筈なのに、こんなに胸が締め付けられるような感覚になるのは初めてだ。

矢張り、ここで幸せな思い出を得る事ができたからだろうか。

そういえば、リニスと主従の関係になったアースラを離れる時も、少し胸が切なくなったのを思い出した。

薄っすらと涙を浮かべる僕に、近くに居たクロノが飛び上がらんばかりに驚いたのを覚えている。

ならばきっと、そういう事なのだろう。

良いか悪いかはまた別の機会の判断すればいい。

僕は思索を胸の奥にしまい込み、キャリーケースに預けていた体重を戻し。

 

 ――その瞬間だった。

 

 ぞ、と。

背筋に液体窒素を放り込まれたような、極大の悪寒。

リニスの念話を感知する寸前に比類しうる、恐るべき凍土の侵略。

僕は咄嗟にどんな魔法を使えばいいのか、勘に全てを任せ、ティルヴィングを握り締める。

それが、幸いした。

何の因果か、かつてリニスを救った時と同じ、念話受信強化の魔法が発動する。

と同時、聞き慣れた、あの活力に満ちた瑞々しい声が脳内に響いた。

 

(助けて、ウォルター君っ!)

 

 動揺が胸を襲うが、手だけは冷静に動いており、声は録音、魔力パターンの波形も記録しクイントさんのそれと照合をしていた。

結果は合一。

ティルヴィングに視線を。

 

『逆探知はできています』

「よくやったな、ティルヴィング」

 

 普段はともかく、シリアスな場面になればティルヴィングと僕のコンビネーションは完璧だった。

ミッド郊外の、一見何もないような場所が発信元であった。

転移魔法で飛べばいいのだが、念話がすぐに途切れて繋がらず、咄嗟に展開した転移検証魔法で失敗し、何らかの理由で転移はできないと分かった。

僕は何もかもなげうって、今すぐ高速飛行魔法を発動し、硝子窓をぶち破っていきたい気持ちをどうにか抑える。

視線をリニスへ。

僕が何を言うでもなく、彼女は対話式ウィンドウを出し僕の知り合いの管理局高官と念話していた。

頷き、彼女は告げる。

 

「緊急飛行許可の申請を今出しています。応援の要請から荷物や貴重品の管理まで、バックアップは任せてください」

「恩に着るぜ、リニス」

「何時もの事ですよ」

 

 言って、僕は狂戦士の鎧を発動、黒いアンダースーツの上に黒いコートを纏った何時ものバリアジャケットを展開。

超絶の見切りで客でごった返しになっている中を走りながら駆け抜けていく。

警備員の声。

 

「待ってください、何事ですかっ!」

「死にかけている人の救助に行かねばならない、局の許可は取ってある、通してくれっ!」

 

 叫びつつ僕は、ある程度人が道を開けてくれた時点で縮地を発動。

外に繋がる場所に出た瞬間にティルヴィングを展開、飛行魔法を発動し、蒼穹へと飛び立つ。

タッチの差で先に飛行魔法使用許可の念話がリニスから届いていた。

 

 心の中は、焦りで一杯だった。

確かにクイントさんはかなりの強者であり、地上でも指折りの実力者である事に間違いない。

しかしクイントさんは自分の仕事に誇りを持っている人だ、ちょっとやそっとのピンチでは僕に助けを呼ぶ事など無いだろう。

僕の脳裏に、クイントさんの顔が思い浮かぶ。

続いてゼストさん、メガーヌさん、他の隊員の人たち。

誰もがあの暖かな空間に居た人々で、僕の思い出を作ってくれた人々だ。

頼む、無事で居てくれ……。

必死でそんな願いを思い浮かべながら、僕は飛行魔法を続けていた。

 

 港を出て、制限速度に悩まされながら市街地を出るまで、高度を取りながら加速する。

緑が多くなってきた辺りでリニスから高速飛行許可の念話が来て、僕は飛行速度を一気に引き上げた。

最大速度の半分近くまで出た辺りで、減速を開始。

雲をいくつも突っ切りながら高度を下げ、目的地へと正確に近づいていく。

 

 線分と化していた風景が徐々にはっきりと見えるようになってきた。

ようやく目的地が見えてきて、僕は望遠魔法でそこを拡大して見る。

そこは、洞窟のようだった。

あまりに似ているので、一瞬僕は“家”の事を思い出してしまうが、あれはミッドはミッドでも此処とほぼ反対側の北部にあった。

それにしても似ているので、嫌な思い出が思考の片隅を過る。

光を無くした目が反射する照明。

股や尻から垂れ流された精液の臭い。

打たれて青くなった痣。

折れた骨が肉を突き破り、そこから漂う血の臭い。

 

 と、そんな事を考えていると、爆発音がする。

同時、洞窟の中から火が噴き出た。

その爆風に煽られて、人間の体が3つ、外に飛び出る。

慌てて望遠魔法を動かすと、見慣れた顔が見当たった。

ゼスト隊の隊員であった。

 

「お……おぉぉぉおおぉっ!」

 

 絶叫しつつ、僕は減速を継続。

望遠魔法を取りやめ、ブレーキを強くし、足先が地面へ。

土を抉りつつ停止、数歩走りだし、一番近くの隊員、エクセルさんを抱き起こす。

 

「エクセルさん、大丈夫かっ!」

 

 呆然とした表情で、エクセルさんがゆっくりと僕を仰ぎ見る。

その顔は、酷い物だった。

頬は焼けただれ、耳朶は抉れ、片目は瞼が無くなり閉じる事すらできなくなっている。

残る左目でエクセルさんは瞬きをし、それから急に目のピントがあったかのように意識をはっきりさせた。

 

「ウォルター君、か、クリオは、テムプラは……?」

「2人は……」

 

 先ほど顔を視認した僕は、視線をそちらにやる。

クリオさんは上半身と下半身が別れ、上半身から蛇の尻尾みたいに内蔵がはみ出ていた。

テンプラさんは両腕が無くなっており、心臓があるだろう胸部が消しゴムで消したみたいに抉られていた。

僕は再び視線をエクセルさんに戻し、首を横に振る。

 

「そう、か」

 

 一瞬エクセルさんは視線を遠くへ。

すぐさま僕に視線を戻す。

 

「いいか、ウォルター君、敵はAMFを使う、気をつけろ。

クイント副隊長は、最初の十字路で右に行ったが、そこで俺は別れてしまった。

此処に居るのはメガーヌ分隊の3人だけだからな、AMF下じゃあまともな念話も通じなかった、そこからは分からない」

「いいんだ、エクセルさん、これ以上喋るな!

すぐにクイントさん達を助けてきて、あんたも病院に……!」

 

 そう言って遮ろうとする僕に、エクセルさんは目を見開き、叫んだ。

 

「いいか、ウォルター君、君なら必ずクイント副隊長を助けられる、諦めるなよ、少年っ!」

 

 その言葉は、最初の事務仕事の日に僕の肩を叩きながら“まぁ頑張れよ、少年”と告げた時と同じ調子だった。

それだけ言うと、エクセルさんは全身から力を無くす。

エクセルさんは死んだのだ。

僕は一瞬呆けてしまったけれど、すぐに唇を噛み締め、それからエクセルさんをそっと地面に置き、左目を閉じさせる。

しかし瞼の無い右目は閉じさせる事すらできず、永遠に見開いたままであった。

僕は数瞬瞼を閉じ祈ると、すぐさま立ち上がり、洞窟の中へと飛び込んでいく。

 

「ティルヴィングっ!」

『バリアジャケット、耐火性A+付与。消火魔法発動』

 

 黄金の巨剣の剣先から、緊急用の消火魔法が発動。

道を燃やし尽くす炎を弱め、その隙間を縫って僕は奥へ奥へと進んでいく。

放水に比べると威力は劣るが、その分を魔力で強引に補っている為、効果は覿面であった。

 

 洞窟内部は、“家”より更に新しい機材で埋め尽くされた、機械的な施設であった。

炎にてらてらと照らされた金属質な光沢の中、機械型の浮遊した兵器がこちらへと向かってくる。

中心のコアとみられる球体が明滅、こちらへと光弾を放ってくる兵器達。

 

「遅いっ!」

 

 叫びつつ僕は光弾を回避、瞬き程の時間で複数の兵器を切り裂きながら先へと進む。

エクセルさんから教わった十字路を右に進むと、すぐにこの兵器の製造ラインと思わしき巨大な部屋に出た。

広い空間だけあって無数に存在する兵器達が、こちらへと殺到。

視界が埋まる程の光弾を放ってくる。

 

「邪魔……」

『パルチザンフォルムへ変形。突牙巨閃、発動します』

「だぁぁっ!」

 

 絶叫。

巨大な白い砲撃を放ち、光弾を吹き飛ばす。

どころか、僕の膨大な魔力を用いてAMFを強引に突破。

その奥にある兵器を破壊し、更に僕へ両手でティルヴィングを握り締める。

 

「おおぉおぉっ!」

 

 そしてそのまま、かつて竜巻に対しそうしたように、砲撃を振り回してみせる。

それはおそらく、白い強大な光の剣でなぎ払うのに似ていただろう。

減衰を計算して壁まで破壊しない程度の威力に止め、次々に兵器を破壊。

この部屋に居る分を全て破壊した辺りで、僕は早速奥へと進んでいく。

と、思ったその瞬間である。

 

「――っ!?」

 

 悪寒と共に飛び退いた僕。

その寸前まで居た場所で、金属音と共に火花が散る。

ステルス迷彩か、と舌打ちしつつ、僕は切りかかろうとするのを既の所で思いとどまり、跳躍。

背後から迫っていたステルス兵器の攻撃が、金属床を叩く。

 

「くそ、何体居るんだ、キリがねぇぞっ!」

『…………』

 

 とりあえず場所の分かっている2体に直射弾をお見舞いして破壊、ステルスが解けるのを見て兵器の形状を確認。

そこまではいいのだが、そうこうしているうちに何もないように見える空中から光弾が発生し、こちらへと飛んできた。

これで飛行ができなければまだ何とかなったのかもしれないが、これではどうしようもない。

舌打ちしつつティルヴィングで弾き、返す刃を直感で横に振るって更に一体を破壊。

どうすればいいのかと言えば、音で判別すればいいのだが、それには相手が動くまでこちらが待つ必要がある。

クイントさんを助けに行かなければならない僕としては、可能な限り急ぐ必要があると言うのに。

いっそのこと、命を賭して突っ切るべきだろうか。

そんな事が思い浮かんだ、その瞬間であった。

ティルヴィングの緑の宝玉が明滅する。

 

『マスター、例のレアスキルを試してみては如何でしょうか』

「だけど、AMF……いや、あれは魔力の結合を阻害するだけで、魔力素そのものに影響を与える物では無かったか」

 

 自問自答し、僕は一瞬瞑目した。

迷っている暇は無い。

直感に身を任せ、目を見開いた。

 

「行くぞ、ティルヴィング」

『了解しました、マスター』

 

 言って、僕は微細な加工を施した魔力素を放出。

空間に散布する。

5秒ほどそうしていたかと思うと、僕は突如更なる深部へ繋がっていると思わしき扉へ向かって飛行を開始した。

瞬間、霊感に従い僕は航路を鋭角に左へ変更。

その背後に鋭利な物が空を切る音を置き去りに、僕は扉へと兵器達を避けながら進んでいく。

 

 僕の勘の大凡半分は、僕のレアスキルに依る物だと僕は考えた。

そのレアスキルを、僕は単純に第六感……シックスセンスと呼んでいる。

効果は単純明快、魔力素の流れがとてもよく分かるだけである。

しかし情報として脳がそれを受け取っても、それを表現する器官は人間には存在しない。

いわゆる第七の感覚、魔力の目と言う感覚で処理できる量を完全に超えた情報量なので、普通の魔力感知とはまた別の感覚として受理される。

それが第六感……、要するに勘として僕の脳に降りてきているのだ。

 

 要するに、対リンカーコアを持っている生物限定で勘が鋭くなるレアスキルである。

そう言うとなんだか微妙な能力に聞こえるが、魔導師は当然全員リンカーコアを持っている。

ばかりか非魔導師も微弱な上休眠しているだけでリンカーコアを持っているとされているので、効果は少ないとは言えあると思われる。

つまり、シックスセンスは人類全員に対して効果のある勘なのだ。

勿論これ単体で戦闘の役に立つスキルでは無いが、僕の戦闘能力と合わせればとてつもない効果が得られるのは分かるだろう。

今の僕の使い方は、魔力素に簡単なマーキングを施し察知しやすくし、部屋中にまき散らしただけである。

これによって、リンカーコアを持たない兵器の動作自体は分からないものの、それを包む魔力素の動きが分かるので、擬似的に勘を鋭くする事ができるのだ。

とは言え、まだ他の積極的用法が一つも浮かんでいないのだが。

 

 そんな事を思考しながら、僕は奥へ奥へと進んでいく。

邪魔な兵器達を乗り越え、時には切り捨て、奥へ奥へと進んでいく。

すると、視界の奥に、血で汚れたとは言え、見覚えのある青い髪が見つかった。

 

「クイントさんっ!」

 

 叫びながら僕は地面に降り立ち、駆け寄る。

血に濡れて尚美しいその顔が、呆然と僕の方へと向いた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 ストライク・アーツは対人技であるが故に、呼吸や行動の前兆を隠す複雑な技も多い。

だが、目の前の機械相手では、そこまでの技は必要無く、単純なフェイントで十分だった。

歯と歯がガチッと噛み合い、万力を全身に伝える。

両手のデバイスが脈動、衝撃を増幅して相手に伝える、シンプルな魔法を発動。

 

「らぁぁっ!」

 

 地平線まで吹っ飛ばすつもりで、クイントは目の前の兵器を殴り飛ばした。

本来なら収束した超常の衝撃により、目の前の兵器は豆腐のように容易く貫かれる筈であった。

が、その威力は成人女性の腕力の限界を、多少超える程度。

故に兵器はそのコアにヒビを入れるに留まり、数メートル後退するだけで停止する。

最も弱い、扁平な長方形の両端に半円を足したような兵器でさえ、これである。

AMF、アンチマギリンクフィールドの効果は絶大であった。

これで相手が数体程度なら兎も角、辺りにはクイントが見回す限り数十台の兵器が並んでいる。

一体一体が発動するAMFは凄まじい濃度を誇っており、対策をしていなければAAAランク未満の魔導師では魔法を発動する事すら難しいだろう。

クイントも近接型である故になんとか魔法を発動できているが、それも殆ど意味を成さない。

何より。

 

「痛ぅ……」

 

 クイントの両拳からは、既に幾筋もの血が流れていた。

床には血飛沫の斑点がいくつも並んでおり、その傷が幾程か前からあった事が知れる。

クイントの両拳は、半ば壊れていた。

確実に骨は折れており、今の打撃もクイントの中に身悶えするような痛みを伝えている。

加えて疲労は限界を超えており、足も子鹿のように震え、今にも倒れんばかりだ。

だが。

それでも、クイントには倒れてはならぬ訳があった。

 

 ――娘達が家で待っている。

 

 それを思うだけで、クイントは心の奥が燃え盛るような感覚を覚えた。

筋肉の火照りとは全く別の、胸の奥底から湧いてくる熱量。

ぬるま湯のようだった吐息が、炎のそれとなっていく。

僅かに開きすぎていた指が、強く握りしめられ、絶妙な脱力へと移行していった。

 

 娘達はクイントにとって宝であった。

何よりも待ち望んだ物であり、生きる意味の多くを占める物であった。

だが、それだけではなく、娘達はクイントにとってもう一つ特別な意味がある。

ウォルターとの絆だ。

初めてウォルターに心の底から燃え盛る本当の炎を託された時、クイントはウォルターを息子のように思おうとしていた。

その感情に、断じてそれだけではないが、焦りや劣等感が多くを占めていたのも事実である。

クイントは子供を作れないショックを、確かにゲンヤに癒された。

だが同時に、ウォルターにその膿を燃え盛る炎に変えてもらえたのだ。

そしてその待望の子供が、ギンガとスバルである。

そこに絆を感じず、何を感じようと言うのか。

 

「まだ……まだよッ!」

 

 叫び、クイントはウォルターから受け継いだ魔法を発動する。

狂戦士の鎧。

肉体の内部で完結する上、技術的難易度の低いこの魔法はAMF下でも発動する事ができた。

とは言え、それを有効活用しようとするには驚異的な痛みへの耐性が必要である。

事実、ウォルターは麻薬などで痛みを麻痺させなければ狂戦士の鎧を使えないと考え、狂戦士の鎧の譲渡にはかなり慎重だ。

しかし今の燃え盛る心であれば。

同じウォルターから継いだ物であれば、クイントにはそれができるように思えて。

クイントは、僅かな微笑みと共にその魔法を発動する。

 

 微かな違和感と共に、バリアジャケットがクイントの内部へと侵食した。

臓器を、血管を、骨を、神経を、バリアジャケットが覆い尽くす。

文字通り、死ぬか魔力が切れるまで戦い続けられる魔法が、今自分を覆っているのだ。

そう考えるだけで悪寒が走るクイントは、今までこれを幾度も使ってきたと言うウォルターの恐るべき精神力に畏怖を覚えた。

いくらウォルターが人間らしい弱さを併せ持っているからと言っても、矢張り総合的に見れば彼は自身より格上の精神を持つ存在のようにクイントには思える。

先ほど明らかに部下を守りきれず、死なせてしまうであろう事が決まりきった時、思わずウォルターに助けを呼んでしまった事も、それを助長していた。

クイントはそんな思いを拭い去りつつ、構えを取る。

 

 その直後であった。

クイントの目前に、何の前触れもなく遠距離通信の仮想モニタが現れた。

驚きに目を瞬くクイントの前に、すぐさま白衣の男の映像が現れる。

紫の髪に金の瞳。

次元世界中で指名手配されている、違法研究者。

 

「ジェイル・スカリエッティ……っ!」

「おや、自己紹介の手間は省けるようだね、クイント・ナカジマ」

 

 芝居がかった口調で言うスカリエッティに、クイントは歯噛みした。

このプラントの異常な技術力に疑問は持っていたが、それがこの男相手であったのだとすれば全て納得がいく。

スカリエッティを今の自分では逮捕できないだろう事に悔しさを感じながら、すぐにクイントは思い至った。

何故、私に通信を。

疑問詞が浮かぶと同時、それを見越したように口を開くスカリエッティ。

 

「何、見知った魔法を見て、驚いてしまってね。思わず話しかけてしまったよ」

「見知った……?」

 

 オウム返しに聞くクイントに、スカリエッティは僅かに目を細めた。

そこに、クイントは嫌悪の臭いを感じる。

 

「あの失敗作……UD-265の作った、失敗作魔法だろう?

やれやれ、あんな麻薬中毒の使い捨て兵士を量産する原因となる魔法を作るなど、矢張りアレの脳はたかが知れているね」

「失敗、作……?」

「おやぁ、知らなかったのかい?」

 

 言いつつ、スカリエッティは笑みを顔に浮かべた。

芝居がかった様子白衣を翻しながら、一回転。

アップになりつつ、何処か演技がかった笑みを浮かべ、叫ぶ。

 

「今はウォルター・カウンタックと呼ばれているアレは、私の監修したプロジェクトHの失敗作なのだよ!

あぁ、プロジェクトH!

あれほど詰まらない研究など、この世に果たして存在しただろうか!

全く、スポンサーの要望でさえなければ、私は絶対にあんな最低の研究などしなかっただろうね」

 

 告げるスカリエッティの顔には、本物の嫌悪が混じっていた。

そんなスカリエッティを呆然と見つつ、クイントは頭が鈍く回転しだすのを感じた。

ウォルターの7歳以前の経歴は、管理局の手を持ってしてさえも不明である。

それを成すにはかなり深い裏の世界との関わりがなければならないが、7歳のウォルターは然程裏の世界にコネがあるようには見えなった。

つまり、ウォルターは経歴を消しているのではなく、そもそも表に出ない経歴の持ち主なのである。

 

 そしてクイントは、スカリエッティの言葉からある言葉を連想した。

人造魔導師計画。

人の手で同じ人間にメスを入れ、命を冒涜する倫理に反した研究である。

プロジェクトHと言うのが、ウォルターの生まれた原因の研究なのだろう。

そう思えばウォルターの異常な強さにも納得がいく。

 

 しかし解せないのは、スカリエッティの言葉である。

ウォルターが、失敗作。

クイントとて偶々人間的な弱さを見る事がなければ、今でも完璧な人間だと思っていたかもしれないぐらいに完成された、あのウォルターがである。

様々な憶測がクイントの中を駆け巡るが、思考が言葉になるよりも早く、スカリエッティが次なる言葉を吐いた。

 

「さて、あんな失敗作の事はどうでもいい。君にはいくつか聞きたい事があるのだよ」

 

 言われて、クイントが目を瞬く。

ウォルターに関する思考を頭から振り払い、生き残る為の算段に思考を回した。

犯罪者の提案になど乗れる事は無いが、せめて体力の回復の為に話を引き伸ばさねばならない。

よってクイントは、ともすれば怒鳴りそうになってしまう感情を抑え、口を開く。

 

「何かしら? 内容によっては答えてあげてもいいけれど」

「君が娘としているTYPE-0の事だよ」

 

 クイントは、目前の画面を殴りつけない事に、全精力を賭さねばならなかった。

神経がチリチリと焦げる音を立てるような怒りであった。

目の前の生命を冒涜する下衆に、よりによって娘を型番で呼ばれるなど、吐き気すら催す。

口内から血すら垂らしながら、鬼の形相で画面を睨むクイントに、スカリエッティは肩を竦めた。

 

「あぁ、怖い怖い、その顔で返事は分かったよ。

では提案を変えよう。

君は、まだ生きたいかい?」

「……えぇ、当然生きたいわ」

 

 怒りを噛み殺し、クイントは答えた。

スカリエッティは、口の端を微細にひくつかせながら、歪んだ笑みを浮かべる。

 

「では、私の研究を手伝ってくれないかい?」

「断るわ」

 

 クイントは即断した。

それを気にする事もなく、スカリエッティ。

 

「君の存在は大いに私の研究に役立つんだ。

私の元で制作されたのではないのに、あの完成度を持つTYPE-0は大変興味深い存在だ。

遺伝提供者の君とあと何年か成長したTYPE-0とのデータを比較して、その完成度を見てみたいのだよ」

「もう一度言うけど、断るわ」

「それに、君自身を後に戦力として扱いたいと言う気持ちもある。

UD-265と敵対する事になった場合の方策の一つとして、君の存在は非常にありがたい事になる。

狂戦士の鎧を譲渡される程に仲が良い君等が殺しあった時、UD-265がどう苦しみ、どんな選択をするのかにも興味があるのさ」

「悪趣味ね。そして三度言うけど、断るわ」

「失礼な、学術的興味と言ってくれ。

人間の本質を垣間見る事ができる事柄の一つに、絶大の苦しみを味わった時、それにどう対応するかという物がある、と私は考えているのだよ。

あの失敗作の事だが、最近の行動を見るに僅かに興味が湧いてきた。

まぁ、メインはTYPE-0との比較である事に変わりはないがね」

 

 やや早口にそこまで告げると、スカリエッティは大きく深呼吸する。

冷ややかな目で彼を見るクイントに、スカリエッティは僅かに目を細めた。

首元のネクタイを整え、静かにクイントを見つめながら、腕を組む。

何処か子供じみた雰囲気があったのが、今消え去った。

そう感じ取り、クイントは次なる言葉に備えて僅かに体に力を込める。

 

「君は私の提案を断ると何度も言うが、君は娘を見守る事より大切な事でもあるのかね?」

「あるわ。

娘に、私の生き様を残す事よ。

貴方のような外道に魂を売る真似は、死んでもできないわ」

「そうかい?

TYPE-0に君の行いがバレるとは限らない。

私としても、求めるのは君とTYPE-0のデータだけだ、別に正体を伝えるような真似をするつもりは無いさ。

現実に、君は知っているだろう?

君の言う外道の行いに手を貸しながら、子供にその事はバレていない人間が」

 

 誰の事を、とクイントが告げるよりも早く、スカリエッティは静かな笑みを浮かべながら、言った。

 

「ナンバー12……、インテグラ・タムタックのように」

 

 クイントは思わず絶句した。

予想外の言葉だった事もそうだが、それ以上の事実に気付いたからだ。

ナンバー12の事件は、黒幕も解決者も管理局である、それ以外の機関が知る事などありえない。

言外に、スカリエッティはこう言っているのだ。

己の裏に居るのは、管理局なのだと。

 

 絶望が、クイントの脳裏を支配した。

ギンガとスバルはその体のメンテナンスの為、管理局との繋がりを断てない体である。

その娘らを、管理局と繋がるスカリエッティが狙っているのだ。

スカリエッティの研究に必要な財力を考えれば、そのスポンサーはかなり上の人間である事が容易にわかる。

その上の人間が、2人の戦闘機人と狂気の科学者と、どちらの意見を優先させるか。

誰に聞いても、答えは明白であった。

 

 であればクイントにできる事は、泥を啜ってでも生き、決定的な時に娘を助けられるよう見守る事ではあるまいか。

迷いが、クイントの脳裏を支配する。

同じ道を選択したナンバー12は、志半ばに自爆させられた。

しかしクイントが必ずしも同じ道を辿るとは限らないし、むしろそれを教訓にしてより上手くやっていけるのではないだろうか。

クイントは、その両目を閉じ、しばし悩んだ。

沈黙。

鋭利に感じられる空気を打ち破り、クイントが口を開く。

 

「それでも、断るわ」

「ほう……」

 

 意外そうに、スカリエッティが目を瞬いた。

首を傾げながら腕組みし、一点を見つめ数秒。

再びクイントに視線を戻し、言う。

 

「参考までに、何故か教えてくれないかい?」

 

 クイントは一瞬迷った。

胸の中の熱い想いは、口に出せば風化して別物になってしまいそうな予感がする物だったからだ。

しかし現実問題として、ジリ貧でしか無いものの、その間に解決策が思いつけるよう願い、時間は稼がねばなるまい。

結局、クイントは重い口を開いた。

 

「一つは、旦那が居るからよ。

私が逝ったら、あの人が娘を頼まれてくれる。

私が余計な茶々を出さなくても、あの人ならギンガとスバルを守ってくれるわ」

「ふむ、確かに彼には、地上部隊とは言えそこそこの将来性があるようだ。

実現性は兎も角、そう考える理由が理解できない話じゃあないね」

「もう一つは……」

「もう一つは?」

 

 オウム返しに聞き返され、クイントは残る僅かな迷いを振り払う。

 

「もう一つは、ウォルター君が居るからよ」

「…………」

 

 スカリエッティの反応は不思議なものであった。

興味を無くしたようにも見えるし、それでいて興味津々のようにも思える。

まるで通知表を待つ幼年学生のようだな、とクイントは思った。

 

「私が居なくても、ギンガとスバルの近くにはウォルター君が居る。

あの、誰よりも熱い心を持つウォルター君が居る。

彼からその熱い心の炎を貰って生きる事ができれば、ギンガもスバルも、きっとどんな困難が相手だろうと立ち向かい、幸せを掴めるわ。

……私がそうだったようにね」

「……そう、かね」

 

 なんとも言えない表情で、スカリエッティは腕組みし、頷く。

直後、空間投影ディスプレイが明滅し、消えた。

いきなりスカリエッティからの通信が途絶えたのだ。

目を見開くクイントを他所に、周囲の兵器達がいきなり戦闘を再開する。

 

「きゅ、急ねぇっ!」

 

 叫びつつ、クイントは飛び交う光弾を足捌きで回避。

咄嗟の動きが完璧にできている事に、今更ながら自分が狂戦士の鎧を発動できている事に安堵する。

代わりの痛みは、然程無理な動きでは無かった分、あまり大きくはない。

歯噛みし、クイントは崩れていた構えをとった。

スカリエッティの行動に謎は多いし、不安は多々ある。

しかし、それは全てこの戦いを乗り切ってからだ。

そう考え、クイントは深く呼吸をした。

全身に力が満ちていくのを感じ、クイントは目を見開く。

 

「おぉぉおぉおっ!」

 

 絶叫。

続いて金属音が、しばしのあいだ響き渡る事になった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「おぉぉおおぉっ!」

 

 ウォルターの絶叫が響き渡ると同時、金の閃光が複数走った。

瞬く間に兵器達は切り刻まれ、破片が床に落ちてゆく。

その姿を見てクイントは、矢張りウォルターは自分とは桁違いの戦闘能力を持つ事を実感した。

クイントが瞼が落ちそうになるのをどうにか気力で抑えていると、すぐにウォルターが駆け寄り、クイントの頭蓋を抱きかかえた。

 

「クイントさん……クイントさんっ!」

 

 視点が上がったクイントは、無言で自身の体を見下ろす。

魔力切れで狂戦士の鎧が解けたクイントの体は、酷い状態であった。

両足はパックリと幾筋も筋が入っており、そこから真っ赤に染まった骨肉が垣間見える。

骨は骨折を何箇所もしており、最早元の形が想像できない程だった。

腹部も折れた骨が所々から突き出ており、裂けた肉の間から潰れた臓腑が見える。

最も酷いのは、両手であった。

最早原型を留めておらず、ザクロのような赤い塊にしか見えなかった。

それでも顔にはダメージを受けてないので、恐らく比較的無事だろう、とクイントは思う。

実際、口と鼻と両目と両耳から流血していたが、それ以外は綺麗な物であった。

 

「私は、もうすぐ死ぬわ」

 

 クイントは、確信を持って告げた。

動揺を顕にするウォルターに、クイントは細めた視線を向ける。

ただの少年のような顔をするウォルターは、歯を噛み締めながら頭を振った。

諭すようにクイントは呼びかける。

 

「事実よ、私はもう助からない」

「諦めるな、諦めなければ道はきっとある! 俺の言葉に、クイントさんだって頷いていたじゃあないかっ!」

 

 叫ぶウォルターに、クイントは僅かな間瞑目した。

死の間際においてでさえ、ウォルターの言葉はクイントの心を熱く燃やす。

死闘に擦り切れそうになっていた心に、暖かな炎が宿った。

しかし、それはあくまでウォルターからもらった種火の分しか燃え盛る事は無い。

最早、自分の心には炎を維持する燃料すら無いのだろう、とクイントは思う。

何を思っても、死の確信がクイントの希望を打ち払ってしまうのだ。

故にクイントは、諦観の言葉を吐いた。

 

「すまないわね」

「何で……182と同じ……!」

 

 ウォルターはついに涙を零しながら、そう吐き捨てる。

言葉の内容は分からないし、その内容を察する思考力もクイントには残っていなかった。

目の前の少年にできる事は、後は切りよく彼を振ってやる事ぐらいだろうか。

しかし、告白もされていないのに振るのはどうかとクイントは思ったし、加えて言えば今のウォルターは初恋を自覚しているかどうかすら定かでは無かった。

もしウォルターが恋を自覚できているのならば、彼の方から何かしら言ってくるだろうが、それが無い為だ。

クイントは、もしそうだとすればウォルターは今すぐ初恋に気づくべきではないと思った。

ただでさえ自分の死はウォルターに重くのしかかるだろう。

だから初恋の人を救えなかったと言う事実は、後になってから気づくぐらいでちょうどいい。

そう思い、クイントは最早自分がウォルターにできる事は何も無いと考える。

 

 そしてクイントが最後に想うのは、矢張りギンガとスバルの2人の事であった。

上手くやっていけるだろうか、と言う疑問に、クイントは既にその答えは自分で言っていた事に気づく。

スカリエッティとの問答。

夫とウォルターが居れば、ギンガとスバルは立派に生きていけると言う希望。

そこまで考え、クイントは鈍った思考でスカリエッティの事をウォルターに告げなければと思い至り、口を開く。

 

「ウォルター君……、此処の敵は、ジェイル・スカリエッティ。

貴方を自分が監修したプロジェクトHの失敗作と、呼んでいたわ。

そして彼の背後には……、管理局が居る」

「えっ……」

 

 流石に目を丸くするウォルターに、これで全てを伝え終えただろう、とクイントは心地良い脱力に身を任せた。

このままゆっくりしていれば、もう逝く事ができるだろう。

そう思うクイントの目の前で、ウォルターがなんとも言えない痛悔の表情を浮かべた。

 

「俺があの時、いや、それからでもスカリエッティが居る内に“家”を破壊していれば……!」

 

 叫ぶウォルターの姿を見ながら、ゆっくりとクイントの意識は途絶えようとしていた。

全身から力が抜けていき、もう最期の一言を言えば大丈夫、それで自分の人生は終わりだと考え。

 

 ――本当にそれで十分なの?

 

 と。

悪魔の囁きが、クイントの脳裏に甘く響いた。

 

「…………」

 

 冷静に考えれば。

このままクイントが死ねば、ウォルターは余計に信念に注力するのではあるまいか。

親しい相手であった店主が死んだ時も、彼は余計にその信念を強め、英雄として強くなった。

だが、それはすなわちギンガとスバルとの距離が開いてしまう事を意味する。

そうなれば、クイントがウォルターに期待した役割は果たされない可能性もあった。

ならば。

ウォルターの心を縛ってしまう言葉を告げれば。

それで、娘達を意識せざるを得ないようにしてしまえば。

 

「ウォルター君」

 

 気づけば、クイントの口は突き動かされるように動いていた。

悔恨を吐き捨てて、クイントへの心配に満ちた顔で、ウォルターがクイントを見つめる。

クイントは、衝動に突き動かされるままに言った。

 

「貴方、私に惚れてたでしょ?」

「……え?」

 

 呆然と、ウォルターは目を丸くする。

クイントは残る僅かな力を総動員して、口角を上げぎこちない笑みを浮かべた。

 

「私は最近気付いたんだけど、夫は2年前から気づいていたって言ってたわ。

多分、初恋なのかしら?

君は、私に恋していたわ」

「……あ」

 

 ウォルターの顔に、理解の色が現れ始める。

驚愕が理解に、理解が絶望になっていく途中で、クイントは続けた。

 

「だからって訳じゃあないけどさ。

ギンガとスバルは、貴方にとってただの知り合いじゃあない。

貴方の初恋の人の娘なの。

だから……、私が死んでも、2人が真っ直ぐに育ってくれるよう、その目標になってくれない?」

 

 ウォルターは、天井に視線を上げ、込み上げてくる何かを飲み干すようにした。

それから一気に俯き、乱暴に熱い吐息を吐き捨てる。

歯噛みし、震える手から小指を一本差し出し、クイントのそれと絡めた。

 

「不器用なやり方しかできないけど、それでいいか?」

「うん、約束ねっ」

 

 2人の手が上下。

直後、力を無くしたクイントの手はぱたりと床に落ちる。

クイントは視線を天井に、そしてその遠くにあるだろう蒼穹に、そして映るはずのない死者の国へとやった。

先に逝った仲間たち、ナンバー12を始めとする先輩、守れなかった人々。

様々な人々が映るそれを見ながら、クイントは最後の言葉を告げる。

 

「ありがとう、これでもう悔いは……、無いわ」

 

 クイントの瞼が、ゆっくりと閉じた。

全身が脱力し、心地良い暗黒に包まれてゆく。

ウォルターの嗚咽を最後に耳にし、クイントの意識は永遠の闇へと落ちていった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 クイントさんは、僕の腕の中で死んだ。

確信に近い感覚が、その事を僕に告げる。

ついさっきまで力強い命の息吹に満ちていたクイントさんの体は、脱力しぐにゃりとしたただの肉のよう。

体はぐちゃぐちゃで、けれど顔だけはそこだけ別世界みたいに綺麗であった。

 

「うっ……ううっ……」

 

 僕は、クイントさんを抱きしめながらただただ泣いていた。

留めなく溢れてくる涙と嗚咽。

僕はまるで小さな子供のように泣きじゃくり、震える体を必死に抑えようとするも、それすら成せない。

 

 クイントさんは、死の間際に目の前の僕よりも娘を選んでいた。

気付けない筈があろうか、クイントさんはギンガとスバルをただの知り合いではなく初恋の人の娘にしたくて、僕に恋を自覚させたのだ。

当たり前の事だ。

誰だって、夫がいるのに一回り以上年下の子供に好かれていて、その子どもを娘より大切に想う事などありえない。

当たり前の、事だ。

 

 けれど当たり前の事なのに、なんでだろう、僕の胸は掻き毟られるかのように痛かった。

胸の中を感情の奔流が流れていき、僕は一体今どんな感情を抱いているのかすら分からない。

僕の胸の中の感情が恋だったと、自覚できた事。

連鎖的になのはの僕に対する感情の名も、恋であっただろう事。

恋の素晴らしさと、その素晴らしい物を持たせてくれた相手を救えなかった事。

クイントさんに、その初恋を自覚した瞬間に、娘と天秤にかけて娘を取られた事。

それらに対する喜びが、悲しみが、ぐちゃぐちゃに交じり合ってマーブル模様になって心の中に広がっていく。

混沌とした思考は、具体的な答えを何一つ弾き出さなかった。

ただただ泣き続ける僕に、ティルヴィングが明滅する。

 

『おめでとうございます、マスター。貴方の心を乱す要因は、消えました』

「…………あ?」

 

 思わず、僕は間抜けな声を出して胸のティルヴィングを見やった。

長い付き合いだ、緑色の宝玉の点滅パターンで、ティルヴィングの内心はなんとなくわかる。

こいつは、本心から言っている。

そう思った瞬間、沸騰した怒りが沸き上がってきた。

 

「ふざけるなっ! クイントさんが死んで、何がおめでとうございますだっ!」

『マスターは信念を貫くために、ある感情について調べていました。

その感情の原因がなくなれば、結果的にマスターの信念を貫きたいという希望は達成されるのでは?』

「違うっ! 俺はっ!」

『では、何故マスターは蘇生行為をしていないのですか?』

「…………え」

 

 そんな言葉を口にして、僕は一瞬呆けてしまう。

すぐに脳裏にティルヴィングの言葉が染み渡り、サッと顔色が青くなっていくのが自分にも分かった。

 

「ち、違うっ! これは、ただ、気が動転していてっ!」

『では蘇生行為を開始しましょう』

「あ、ああっ!」

 

 僕は叫びながら、回復魔法と蘇生用の魔法を同時展開。

組織の回復と同時、魔力による心臓マッサージと人工呼吸を開始する。

そのまま僕はクイントさんを背負い、出口に向かって走りはじめた。

再び湧いてきた兵器を切り捨てながら、脳裏に小さな声がこびりつくのを僕は感じる。

 

 僕がクイントさんに蘇生行為をしなかったのは、本当に気が動転していただけなのか?

これまで僕は何人もの人間の死を見てきて、適切な対応を取れるようになっていただろう筈なのに?

加えて僕は、信念の為に大勢の人を殺してきた。

それと同じように、僕は信念の為には邪魔な恋心の対象であるクイントさんを、これ幸いと見捨てようとしたのではないだろうか。

いや、それなら僕はそもそも助けに来なかっただろうって?

僕が恋心を自覚したのはクイントさんに言われてからだ、それ以前の行動で感情を確かめる為にクイントさんを助けようとするのは当然の行為じゃないか。

ならば。

ならば僕が。

 

 ――僕がクイントさんを殺したも、同然じゃあないだろうか。

 

「……違う」

 

 僕は呟き、ティルヴィングを強く振って兵器を破壊。

金属片がぶち撒けられ、炎を照り返し、光が複雑に入り混じる光景を作る。

 

「……違う!」

 

 叫ぶ。

他の隊員の死体を乗り越え、出口まで到達。

最寄りの管理局の病院を検索、そこに向かって空中へと飛び立った。

 

「……違うっ!」

 

 絶叫。

涙を止める事なく僕は飛び立ち、ただただ願う。

クイントさん、お願いだから息を吹き返してくれ。

そうすれば、僕はクイントさんを殺してなんかいないって分かるのだから。

 

 その願いが、酷く自己本位な願いだと、僕は自覚していた。

人の命が失われようとしているのに、自己保身に注力する僕の願いは、唾棄すべきものだろう。

けれど、そう自覚して尚、僕にはそう願う他無かった。

クイントさんが死んでしまうなんて思いたくないけれど、それ以上に、僕がクイントさんを殺したも同然だなんて思いたくなかった。

初恋の人をこの手にかけたも同然だなんて、思いたくなかった。

 

 だから、僕はクイントさんに負担をかけない状態では最高速で空を飛ぶ。

念話で病院に連絡し、誘導を受けながら飛行を続ける。

とにかく、全力をもってクイントさんを病院に送り届ける事に尽力する。

 

 太陽が、ぽかぽかと照りつけてくる。

真冬の肌を刺すような空気を切り裂き、僕は進んでゆく。

口元からは吐く息が白く漏れ、空気へと溶けこんでいった。

 

 

 

 



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4章7話

 

 

 

「……あれ?」

 

 全員が見守る中、クイントさんが呟いた。

ゲンヤさんにギンガにスバル、僕にリニスの五対の瞳に見つめられ、不思議そうに目をこするクイントさん。

僕らはそれに目を見開き、驚きの余り硬直していた。

最も早く立ち直ったのは、ギンガとスバルである。

弾丸のように飛び出し、泣き叫んだ。

 

「お母さんっ!」

 

 輪唱が響き、クイントさんに2人が抱きつく。

流石に病み上がりだけあって、クイントさんは痛みに顔をしかめたが、すぐにそれを温かみのある表情に変えた。

クイントさんの両腕が、まるで壊れ物を扱うような繊細さで、ギンガとスバルを抱きしめる。

それから、視線をゲンヤさんと僕とリニスに順に向けてゆき、全員の顔を見終わった辺りで頭を下げた。

 

「ごめん、心配かけちゃったみたいね」

「ったりめぇだっ! この、馬鹿野郎……!」

 

 叫ぶゲンヤさんは、喉に何か詰まったような、今にも泣き出しそうな声で叫ぶ。

しかしそれを揶揄する人はこの部屋に一人も居ないし、そもそも僕とて今にも溢れ出そうな涙を必死で抑えている所であった。

そんな僕らへ再び視線を上げ、クイントさんはすぐさま僕へと視線を。

一瞬目を細め、それから真剣な顔を形作り、僕に向かって頭を下げた。

 

「ごめんね、ウォルター君」

 

 嗚咽を漏らすギンガとスバルが、不思議そうに僕とクイントさんを見比べた。

ゲンヤさんも首を傾げながら僕へ視線を、まだクイントさんの言葉について話していないリニスも同じようにする。

僕は、できる限りの笑みを浮かべながら、クイントさんへと一歩、二歩。

至近距離で、神速のデコピンを放つ。

 

「あいたァッ!」

「これで許してやるよ」

 

 肩を竦めながら僕が言うと、きょとんとした顔でクイントさんは僕を見た。

それから花弁が開くような、あの素晴らしい笑みを浮かべる。

見る人の胸をときめかせるような、瑞々しい笑みであった。

それを目にした僕の胸に、暖かな物と、同じだけの苦い感情が浮かぶが、僕はそれを噛み殺して笑い返した。

 

 僕は、それから一週間程ナカジマ家に滞在する事となった。

クイントさんの不在で一気に忙しさを増したナカジマ家を、リニスと共に手伝ったのだ。

当然ゲンヤさんもクイントさんもそれを固辞したが、僕らは半ば強引に手伝わせてもらう事にした。

せめて、生活のリズムができるまでぐらいは、手伝わせて欲しい。

関わった事件なんだ、もう少しだけ見守らせて欲しいんだ、と言って。

 

 クイントさんは、恐らく一生歩く事はできないだろうと言われた。

当然戦闘も出来ないし、両手も酷い状態で、元のように動くようにはならないそうだ。

流石に重い事実であったが、それでも娘にシューティングアーツを教える事ぐらいはできるけどね、と本人は笑っていた。

剛気な物である。

 

 ギンガとスバルは、余計に僕に懐くようになった。

元々学校から帰ってから僕らと遊ぶ事が多かったのだが、それがより頻繁になったのだ。

一週間で立つ予定の僕らは訓練も欠かさなかったが、その時でさえもギンガとスバルは物欲しげにこちらに視線をやり、遊ぼうとしてやるととてつもなく喜び出すのであった。

そんなもんだから、リニスは大体2人が家に居る時は2人に構ってやり、僕もできる限りギンガとスバルに構ってやるよう意識した。

 

 ゼスト隊は壊滅した。

唯一の生き残りであるクイントさんは、スカリエッティの存在や奴が管理局との繋がりを示唆した事を証言したそうだが、いつの間にかデバイスの記録を消されていた為、あまり信憑性のある発言とは見なされていないそうであった。

僕も結局自分が人造魔導師なのかその辺から攫われた子供なのか、確信は持てていない為、力添えする事はできなかった。

クイントさんは管理局を辞し、これからは専業主婦になる予定なのだと言う。

まずは車椅子に慣れて、それから家事もできるようにならなくっちゃね、と元気よく言っていたのが印象的だった。

 

 僕は、クイントさんへの気持ちに気づくと同時、なのはの僕への気持ちにも気付いた。

なのはは、恐らく僕に恋をしている。

けれど、結局のところ僕にできる事はあまりに少ない。

告白される前に振る事は僕自身でどれだけ残酷な事なのか思い知ったし、そもそも万が一にでも間違いだったら憤死物である。

なので僕は、なるべくなのはに気のない様子を見せつけつつ、自然消滅を願う事しかできないのだ。

告白されたとて、僕は、少なくとも今はなのはの気持ちに答えられない。

信念のためだけに生きるか、幸せにも手を伸ばすか、未だに決められていないのだから。

 

 そして一週間が経過して、僕は再び次元世界へと旅に出ようとしていた。

硝子張りの天井の高い施設の中、巨大な観葉植物に心洗われつつ、ゲート搭乗口でゲンヤさんとギンガとスバルの3人から見送りを受ける。

見送られる事のこそばゆさに、なんとも言えない気持ちを味わいながら、僕はゲートへとゆっくり歩いて行く。

 

「行ってらっしゃ~い、ウォルターさんっ!」

「おみやげ買ってきてね、ウォル兄っ!」

「気をつけていけよ~!」

 

 3人に手を振りながら、僕はゲートの内部へと続く通路を進んでいった。

正円形の魔法陣の刻まれた部屋に、僕とリニスの2人で。

中心に立ち、僕は次なる次元世界へ思いを馳せて。

 

 ――ふと。

 

 ――目が覚めた。

 

 無機質な部屋であった。

中央にある黒い棺は半分が開いており、その中には顔の血を拭き取られ、ただ眠っているだけのように見えるクイントさんが横たわっていた。

酷い状態の両手両足は残り半分の閉じた棺の影になっている上、首から下にかけられたシーツで隠されている。

僕はその部屋にあるこちらもまた簡素な作りのソファに腰掛けており、隣にはリニスが死んだような瞳でクイントさんを見つめていた。

僕らの間に、一切の会話は無かった。

クイントさんが集中治療室に運び込まれて、その後この部屋に運ばれ、そして今に至るまで、一切。

僕らは沈黙と精神リンクだけで、互いの心を交わし合っていた。

勿論十分な情報量では無かったが、例え口を開く力が僕自身に残っていたとしても、僕は簡単にクイントさんの最後の言葉をリニスに告げる事はできなかっただろう。

 

 そう、最後。

恐らく、あの言葉は永遠に最後である言葉で。

つまり。

 

 ――クイントさんは、死んだ。

 

 その事実を認めたくなくて、僕はグルグルと回る思考で、薄っすらとした睡眠と共に淡い夢を見て、すぐに覚醒するのを繰り返すばかりであった。

鈍くなった思考は何一つ考えられず、まるで僕らは時が止まったかのようだった。

停止した映像が再生ボタンを押す誰か無しに動き出せないのと同じで、僕らは時を動かす合図を待っていたのだ。

などと考えていると、ほら。

合図が急いでやってきた。

 

 たったった、と。

足音が四種類。

3人分の急ぎ足と医師の物だろう足音とが、こちらへと向かってくる。

扉の前で、止まる足音。

僕はリニスに顔を向け、残る全身全霊を賭して仮面を作った。

リニスが厳しい顔で僕を見て、目を細め、しかしハッキリと頷く。

僕はそれに納得し、視線を部屋の扉へとやった。

排気音。

扉が開き、外の光と、4人分の人間の影が室内に差し込む。

 

 

 

 ***

 

 

 

「では、失礼します」

 

 医者の声が何処か慇懃に響き、排気音と共に扉が閉まった。

クイントの死体が残る部屋に、立ち尽くしたウォルターら5人が残される。

会話は殆ど無かった。

最低限の受け答えをするゲンヤとクイントの死を告げる医者以外、誰一人喋ろうとしなかったのだ。

沈黙が横たわる中、スバルは呆然とウォルターを眺める。

ウォルターは、鋭い目つきでクイントを見つめていた。

その鋭さは穴が開きそうなぐらいの物で、その先には母が居る。

スバルは本当に穴が開いたら大変だな、とふと思い、口を開こうとしたが、不思議と声は出なかった。

代わりに、乾いた口が奇妙な音を鳴らすだけであった。

 

 が、それが切欠となり、時間が動き出す。

まず初めに、ウォルターがスバルら3人の方を向いた。

普段より幾分青白く見えて覇気が減じており、その瞳から感じる力は弱まっている。

しかしそれでも尚ウォルターの視線は、3人の背筋をピンと張らせるぐらいの力を持っていた。

スバルは、期待に胸を躍らせる。

これからウォルターは、母を蘇生させる方法を告げるのかもしれない。

次元世界を旅したウォルターだけが知る、秘術のような物があるのかもしれない。

もしかしたら、母は実は既にウォルターに助けだされており、此処に居るのは偽物なのかもしれない。

幾種類もの空想が、スバルの脳内で踊った。

しかし、それに反してウォルターは頭を下げたのであった。

 

「……すまない」

 

 聞こえなかったと問いただす事を許さないような、低く、ハッキリと通る声。

気力と意思に満ち溢れた声は、スバルの中に確かに届き、強制的にその言葉を脳裏に刻んだ。

すまない。

その四文字をだ。

 

 すまないってどういう意味だろう、と一瞬思ったスバルと対照的に、ギンガはその意見を一瞬で理解したのだろう。

ギンガは弾かれるように飛び出し、ウォルターの胸元を掴んだ。

皺が寄る黒いシャツを、引っ張りながら小声で言う。

 

「どういう……事ですか……」

「クイントさんが死んだのは、俺の責任だ」

 

 弾かれるようにリニスとゲンヤが顔を上げ、ウォルターを見つめた。

ギンガは全身をぶるぶると震わせている。

スバルはその言葉の意味が最初分からなかったが、徐々に頭に染みこむように理解が進んでいった。

 

 ――ウォルターの所為で、母が死んだ。

少なくともウォルターはそう言っている。

 

 ウォル兄がそんな事する筈が無い、とスバルは反射的に思った。

何故ならウォルターは次元世界最強の魔導師で、心もとっても優しい、スバルにとってのスーパーマンだったからだ。

そんなウォルターが母を殺すような事をする筈が無いし、母を殺すようなミスをする訳が無い。

と思ったものの、すぐにスバルは、それならウォルターが嘘をついている事になることに気づく。

ウォルターが、人の生き死にに関する嘘をつく筈がない。

だから、ウォルターの所為で母が死んだのは事実な訳で。

矢張り反射的にそう思ったスバルは、はっとウォルターに関する思考が堂々巡りになっている事に気づく。

 

「貴方の……ミスだったと、そう言うんですか?」

「そうだ」

 

 スバルの思考がその辺りに至った所で、ギンガがウォルターに問うた。

スバルより思考の到達が早いのに、流石自慢の姉だな、とぼんやりスバルは思う。

そんなスバルを尻目に、ギンガが何かを噛み殺すような声で続けた。

 

「詳しい事を、教えてください」

「できない」

 

 どうしようもないほどに、拒絶は強く、確かであった。

ゲンヤは歯噛みし顔を背けつつも、どうにかそれに踏みとどまる。

しかしギンガは、一瞬目を見開き、すぐさま叫んだ。

 

「何で……教えて下さいよっ!」

「できない」

「教えて……、貴方のミスはどうでもいいから、せめてお母さんの最後をっ!」

「できない」

「何でっ!?」

「…………」

 

 ぴしゃぁん、と。

唐突に、ギンガはウォルターにビンタを繰り出した。

避けるのも容易な筈のギンガの一撃を、ウォルターは抵抗無しに食らう。

顔が逸れ、頬は薄っすらと赤く腫れた。

ギンガは歯を折れんばかりに噛み締め、ポロポロと涙を零しながら叫んだ。

 

「教えてよ!」

「できない」

「何でウォルターさんが! 次元世界最強の魔導師が居て! お母さんは死んだの!?」

「俺の力が足りなかったからだ」

「何で! ウォルターさんの力が足りなかったの!?」

「……言えない」

 

 ぴしゃぁん。

再びビンタをされたウォルターが、今度は顔の反対側にも紅葉を作られる。

緩慢な動きでウォルターが顔を正位置に戻すと、ギンガは半歩下がり、構えた。

ギンガのトレーニングを何時も見ていたスバルだから、分かる。

それは、シューティングアーツの構えだった。

直後魔力がギンガの体に収束。

 

「やめろギンガ!」

 

 ゲンヤが止めようと飛び出すよりも早く、ギンガが咆哮する。

 

「答えろぉぉおっ!」

 

 スバルの目では捉え切れない超速度を持ってして、ギンガの拳が飛び出した。

が、それすらもウォルターの前では児戯に等しいのだろう。

一刹那の後、乾いた音と共にギンガの拳はウォルターの手に受け止められていた。

何時もトレーニングを見ていたスバルにすら、何時ウォルターの手が動き出したのか、それすらも分からない。

超絶技巧と言うべき恐るべき能力を発揮するウォルターに、それゆえに、スバルの中にあるどろりとした何かが強く蠢く。

 

「何で……何でっ!?」

 

 泣き叫ぶギンガ。

スバルは、そんな姉の言葉にならない言葉に共感ができた。

ウォルターの強さが、より具体的に見せつけられたからこそ、その力でも母が助からなかったとより分かる。

それはまるで、母は決して命の助かる運命では無かったと、そう見せつけられるかのようで、余計に辛い。

スバルは、両目から涙が溢れるのを感じた。

涙が頬を伝うのを感じて、初めて自分が泣いている事に気づく。

 

「何で、何で、何で、何で……!?」

 

 叫ぶギンガに、ゆっくりとゲンヤが近づき、後ろから抱きしめた。

ギンガは嗚咽を漏らしながら体の向きを変え、ゲンヤに正面から抱きつくようになる。

それから、ゲンヤとスバルの視線が合った。

 

「スバル、お前、なんて顔をしてやがんだ……」

 

 その言葉に、ギンガもまたスバルの顔を見つめ、直後硬直した。

自分は一体どんな顔をしているんだろう、と思い、スバルは両手で顔を触る。

全くの無表情であった。

まるで感情を表情に伝えるスイッチが切られてしまったかのような、そんな感覚。

そう思ってから、自分はロボットだったんだと思いだし、スバルは少しだけ寂しさを覚えた。

 

「スバルぅ……!」

 

 ギンガがゲンヤの腕の中を飛び出し、スバルを抱きしめる。

その2人を覆うように、その上からゲンヤが腕を回した。

3人の体温が集まっていると、スバルは少しだけ胸が暖かくなるのを感じる。

けれど、まるで胸の中にポッカリと穴が開いていて、胸の中の暖かさは、そこに吸い込まれてしまうかのようにすぐに消えていった。

スバルは、全身が脱力しそうになるのに、全身全霊を賭して抵抗する。

今のスバルは、全力で体に力を入れて、ようやく立てている状態だった。

 

 スバルは、母が死んでしまった事が悲しかった。

けれど同じぐらいの質量を持って、それがウォルターの所為だと言う事がスバルの胸に響いていた。

なぜなら、スバルにとってウォルターは絶対の存在であった。

日常で格好悪い所はあっても、ウォルターは完璧な強さを持つ存在だと、スバルは信じて疑わなかったのだ。

そして何より、スバルにとってウォルターは、力に正しさがある事を教えてくれた存在であった。

 

 スバルは、物心ついた時から力を恐れていた。

誰かを傷つける事を恐れていた、と言い換えてもいいかもしれない。

誰かを傷つける事で、自分が傷つくのを恐れていた、とも言えるだろう。

力を使って悪者をやっつけて、いじめられていた誰かを救う事はできる。

けれど、それで悪者はどうなっちゃうのだろう、と何時もスバルは思っていた。

悪者は何時もやられっぱなしで、それは悪いことをしたから当然なんだけど、それでも可哀想だ、と。

 

 そしてスバルにとって、悪者とは自分の事でもあったのだ。

スバルは、子供特有の鋭さによって、自分が社会正義に反する生まれの存在だと感じていた。

機械の体が疎ましくて仕方なく、みんなにバレたらどんな風に扱われるか、そんな想像をするだけで心が凍りつくようであった。

自分は、悪い生まれの、生まれつき悪い子供なんだ。

どんなに楽しい時間でも、どんなに母の愛を感じていても、スバルの中にそんなしこりが常に残っていた。

力を振るえば回って最後には自分に返ってくるような気がして、スバルはずっと力を恐れていたのだ。

 

 ――それを解消したのは、ウォルターだった。

 

 ウォルターは社会正義よりも、自身の信念を優先する男であった。

それだけなら他にもそんな人間は居たが、ウォルターは自分の命や他人の命よりも自身の信念を優先する、稀有な男であった。

加えて彼は、それを何時も成し遂げていた。

彼の熱く燃え盛るような英雄譚の中で、人々は確実に彼に感化され、心を燃やしていったのだ。

作り話を疑った事もあるが、時折ウォルターが見せる自分の影響力への過小評価が、彼の話に真実味を加えていた。

 

 こんな風になりたい。

激烈な思いが、スバルの中に渦巻くようになる。

ウォルターは社会正義に裁かれる事を、恐れてはいなかった。

決して逃げようともしなかったし、それを当たり前の事だと受け入れる圧倒的覚悟が彼にはあったように、スバルには思えたのだ。

それでいて、ウォルターは力の行使を躊躇う事は無かった。

必要な時は必要なだけ、精緻な調整を持ってして力を使い、最大限の効力を上げている。

少なくともスバルの目には、ウォルターがそんな風に映っていた。

父も母も姉も少なからずそういう所があったが、スバルにとって最も鮮烈に見えたのは、ウォルターであった。

 

 そんなスバルにとってのヒーローのウォルターが、家にやってきた。

それだけでも嬉しいと言うのに、初日に早速ウォルターはスバルと2人きりになり、言ったのだ。

 

 ――俺はお前の事、弱虫だともトロいとも格好悪いとも思った事は無いんだけどな。

 

 スバルは、背中に羽がついたのかと思うぐらい、内心舞い上がった。

理由も分からず嬉しさと恥ずかしさが胸の中を渦巻き、ともすれば涙が出そうなぐらいであった。

その時すぐに姉が帰ってきたので涙は引っ込んでしまったけれど、スバルはそれを切欠に自分に少しだけ自信を持てるようになってきたのだ。

自分を悪者と思わなくなってきた。

そうしたら、力を振るう事から闇雲に目を背ける事が無くなり、母や姉が誰かを助けようとする事が心の奥底から綺麗に見えるようになった。

そしてそれは、遠いテレビの向こうのような風景ではなく、スバルの歩いていける地平にあるように思えた。

スバルは、こっそりと自主トレーニングを開始した。

学校の宿題と偽り、母にこっそりトレーニングの仕方を聞き出し走りこみから始めた。

どんどんと体ができてくる実感があり、ウォルターが再び旅立ったら、母に言ってトレーニングに入れてもらおうと思うようになって。

 

 ――クイントは死んだ。

ウォルターの所為で、死んだ。

 

 スバルは、今触れている筈のギンガとゲンヤから遠く離れた所に立っているような気がした。

心がしわしわとしぼんで、枯れていくのを感じた。

何のために今全力で立ったままでいようとしているのか分からなくなってきて、もう眠りたいと思うようになってくる。

涙だけは止まらなかった。

せき止める物のなくなったダムのようで、涙は永遠に流れ続けるようにスバルには思えた。

 

「ウォルター」

 

 ゲンヤが、ウォルターに視線を向けずに言う。

呆然とスバルが視線をやると、ウォルターは直立不動のまま立っていた。

スバルにはそれが、全ての罵詈雑言を受け入れようと言う姿勢の現れのように思えた。

 

「すまん、少しの間でいい、此処から離れていてくれないか。

俺に、冷静になる時間をくれ。

……俺は、間違っても今のお前をなじる真似をしたくないんだ」

 

 ウォルターは、一瞬目を閉じ、それから見開いた。

頷くと、硬直していたリニスの手を取り、ゆっくりと部屋から出ていく。

その瞳が僅かに寂しさを携えているように思えて、スバルは少しだけ不思議に思った。

けれど、それすらもどうでもいいように思えて、スバルは思考を閉じる。

ただ、両目から流れ落ちる涙だけがスバルの表情に残った。

 

 

 

 ***

 

 

 

 一歩一歩、僕は踏みしめるようにして歩いていた。

足を上げようとすると、足が鉛のように重く感じられる。

まるで、何人もの死者が僕の足に縋り付いているかのよう。

けれど僕は、それを無視して、縋りつく死者を引きずるように足を上げる。

僕の耳に、死者達の悲鳴が木霊したような気さえした。

それでも僕は、必死で足を前に繰り出し、歩んでいく。

 

「ウォルター……」

 

 何処へ向かっているのか、まるで見当がつかなかった。

頭の中が霞がかったかのように薄暗く、思考は明瞭さを欠いている。

辛うじて、人とぶつかるような事は無かった。

代わりに人の顔がなんだかぼんやりと見えて、僕はまるで自分以外にこの世に人間が存在していないような錯覚に陥る。

 

「ウォルター、止まってください!」

 

 リニスの声に、僕は思わず足を止めた。

一瞬後に、僕は果たして次に歩き出そうとした時に歩き出す事ができるのだろうか、と思ったが、それがどうでもいいことのように思えてすぐに辞める。

代わりに、リニスの方へ振り向く事に僅かな恐怖を覚えた。

もしリニスの顔もぼんやりと表情の分からない顔にしか見えなかったら、どうしようと思ったのだ。

迷う僕の肩に手をかけ、リニスは僕を振り向かせる。

リニスの顔は、ハッキリと明確に見えた。

その表情は怒りと悲しみに満ちていたが、それでもその顔を見る事ができた事に、僕は密かに安堵する。

 

「ウォルター、一体何を考えているんですか!?」

(ナカジマ家への対応の事かな?)

 

 秘匿念話で返すと、すぐに騒ぐ愚を理解したのだろう、リニスは僕の肩を掴む力を緩めた。

ゆっくりと頷く彼女の瞳には、真っ直ぐな光が満ちている。

その光には見る人に真実を言わせようとするような力がこもっており、疲れ果てた僕にはそれに抗う力は残っていなかった。

ギンガやスバルに言わなかった事を、彼女には言うのか。

自身を糾弾する声が僕の体の中を反響するが、僕はその声から目を背け、念話越しに口を開く。

 

 僕はリニスと別れてから再び会うまでの事を、一言も漏らさず語った。

そう、僕は一字一句違わずクイントさんの声を覚えていたのだ。

自身の記憶力の良さを呪ったのは、生まれて初めてだった。

今までは、UD-182の言葉を心に留めておける素晴らしい力だと思っていたのだけれども。

 

 リニスは、最後まで聞き終えると、崩れ落ちそうな程に脱力した。

慌てて僕はリニスを支えると、近くにあるベンチに向かい、彼女を座らせる。

真っ青な顔をした彼女を労るように背を撫でていると、不意にリニスが涙を零した。

 

「ごめ……ウォルター、今辛いのは私なんかより貴方の方なのに……!」

「いいんだよ、リニス」

 

 少しだけど、精神リンクでリニスの心が伝わってくる。

リニスは、クイントさんよりも僕の事を悲しんでいた。

僕の境遇があまりにも悲しくて涙が出てきて、すぐにその原因を突き止め、自分が友人の死よりも主の境遇に悲しんでいる事に気づき、そしてその事に倫理的な自己嫌悪を覚えている。

そしてそれが僕に伝わり、僕に慰められている事にリニスは涙を零していた。

 

 10分ほどそうしていただろうか。

リニスはゆっくりと涙を引っ込めると、不意に僕の事を見つめた。

リニスの瞳は先程までと同じ真っ直ぐな光で満ちており、同じ現実を前に僕より早く確かに立ち直ってみせる彼女の眩しさが、僕には少し眩しく見える。

わずかに目を細める僕に、リニスは念話で言った。

 

(ウォルター、貴方はクイントを殺そうなどとしていない。私が保証します)

(……分かっているさ。そりゃ、当初は混乱したけどね)

 

 僕は、多分死んだ目をしていた事だろう。

リニスは、納得の行かない目で僕を見つめ続けている。

 

(でも、理屈では分かっていても、感情ではそうも行かないみたいでさ。

僕がクイントさんを殺したも同然だって、僕は自分の中で叫び続けている。

分かっているんだ。

それが無力感に理由があって、それを解消すれば無力感から開放されるって言う、希望からくるものだと言うことは。

クイントさんが死なずには済む可能性が十分にあって、それは達成できた事かもしれないって思いたがっているだけだと言うことは)

(ウォルター……)

 

 リニスは僕を抱きしめようとしたが、僕は周りに視線をやり、やんわりとそれを拒絶した。

衆目のある場所で、ウォルター・カウンタックは慰められることなどできない。

 

(それに、リニス以外にどうしてもクイントさんの死に様を説明したくなかった。

ううん、できなかった。

ギンガとスバルを傷つける事になるって分かっていても、できなかったんだ。

……僕の心が、弱いから)

 

 リニスは、ぶるぶると首を左右に振った。

けれど同時、それが僕の目に慰めにしか映らない事を自覚していたのだろう、力ない動きであった。

 

(適当な嘘をつけばよかった。

けれど僕には、嘘を考える力すらも残っていなかったんだ。

僕は、無力だ。

どんなに力が強くなっても、心が強くなっていない)

(そんな事は無いっ!)

 

 叫ぶリニスの声にも、精神リンクで分かる彼女の精神にも、確信が満ちていた。

彼女は僕の心が強くなってきていると、信じているのだ。

けれど僕は、その言葉を受け入れる事ができなかった。

だって僕は、自分の心の弱さで年下の女の子を2人もずたずたに傷つけてきたばかりなのだ。

一体誰が、自分の強さなんて物を信じられようか。

 

(それに……、ウォルター、今からでも真実を言うのは遅くないです。

貴方は、クイントからお願いされたのでしょう?

2人が真っ直ぐに育ってくれるよう、その目標になってくれないかって!)

 

 僕は、じっとリニスの目を見つめた。

リニスは少しだけ視線を震わせた後、ゆっくりと目をそらす。

 

(今更何を言っても、都合の良い嘘にしか聞こえないさ。

だから僕は、ギンガとスバルにとって、母親殺しの男に過ぎない。

そんな僕が2人の目標になる方法なんて、一つしか思いつかないんだ)

 

 息を、深く吸い込み、吐いた。

 

(僕は、幸せよりも信念を選ぶ。そして信念を、貫き通し続ける)

 

 リニスの瞳が、動揺に揺れる。

彼女の思考が定まる前に、僕は畳み掛けるように続けた。

 

(なんだかんだ言って、誰かの命よりも信念を優先し続けてきた僕がギンガとスバルにできる事は、2人に自分の信念に従った生き方をさせる事ぐらいだ。

けれど、母親殺しの僕の言葉は決して2人には届かないだろう。

ならば僕にできる事は、結果を出し続け、彼女らの先を歩み続ける背中で語りかける事しかできない。

そうやって歩む事で、僕の心の言葉がたどり着く事を、信じ続ける事しかできない)

 

 そんな事は、とリニスの唇が動く。

けれど音は成さず、吐いた息は風となって消えていった。

 

(それに、僕はクイントさんの死を決して無駄にはできない。

クイントさんの死から、何か大切な物を学び取らねばならない。

それが何か悩んで得た答えは……、やっぱり幸せよりも信念が大事だっていう事なんだ)

 

 息を呑む音。

僕は視線をリニスの瞳に合わせたまま、続ける。

 

(僕はナカジマ家の、そしてゼスト隊の暖かな日常に慣れ、心を緩めてしまった。

剣を置く事すら選択肢に入れてしまった。

その心の緩みは、確実に僕を弱くしていただろう。

少なくとも、僕が幸せの為に割いていた時間の一部を、レアスキルの鍛錬に使っていたならば。

そうすれば、僕はもう少し早くクイントさんを見つけられた)

(……それは、生死を左右できない程度の小さな差に過ぎません)

 

 うん、と僕は頷いた。

 

(けれど、その差が積み重なればクイントさんを助けられたかもしれなかった事は事実だ。

僕にとって、クイントさんの死を糧にする方法はこれしか思い浮かばない。

かと言って、クイントさんの死から何も学び取らない事は、誰よりも僕自身が許さない。

だから。

だから、僕は――)

 

 言って、僕は掌を返し自身に向けた。

五指の間が適度に空いたそれを、顔に向けて触れる寸前にまで近づける。

その行為は、多分仮面をかぶる所作に似ていただろう。

 

 僕は、両目を閉じる。

すると僕の脳裏には、一枚の仮面が思い浮かべられた。

仮面は、UD-182の顔と同一の物であった。

あの炎のような表情をしているその仮面は、不思議とヒビ割れ、砕けそうになっている。

その仮面が、鈍く光り輝いた。

すると今にも壊れそうだった仮面は、再び元の姿に戻っている。

いや、折れた骨がより太くなって再生するように、より強固な仮面となって。

 

 瞳を開ける。

リニスに視線をやると、彼女は呆然とした目で僕を見つめていた。

暫く視線を交わし続けていると、彼女はいきり立ち、違う、とでも言いたげに口を開こうとする。

その瞬間であった。

聞き慣れた声が、耳朶に響く。

 

「あれ、ウォルター君っ!」

 

 弾むような元気に溢れた声。

高町なのはの。

僕に恋していると思わしき、彼女の声が。

 

 

 

 ***

 

 

 

「あれ、ウォルター君っ!」

 

 視界にその人の姿が入っただけで、思わずなのはは叫んでしまった。

すぐにウォルターは視線をなのはにやり、怪訝そうな顔からすぐにあの活力に満ちた顔に変わる。

ウォルターの炎のような表情は、健在であった。

その事実に、単にウォルターからもらう炎の分だけでなく、何か暖かな感情が湧いてくるのをなのはは感じる。

それが嬉しくて、急ぎなのははウォルターの元へと車椅子を駆った。

半ば腰を浮かせようとしたウォルターは、その急ぎようを見て苦笑し腰を下ろして待つ。

 

「そんなに急がなくても、俺は消えてなくなりゃしないさ」

「あ、う、うん、ごめんね」

 

 無言でウォルターは、ぽん、となのはの頭に手をやる。

恐らくは軽く罰を与えるというポーズなのだろう。

けれどなのはは、ウォルターの体温が至近に感じられると言う現実に、思わず頬を赤くした。

何時もの燃え盛る炎のようなウォルターの印象とは異なり、ウォルターの体温は平均程度で上気したなのはの体温よりやや低い。

心地良いぐらいの冷たさに、なのはは思わず目を細くし身を任せたくなるのを、必死で自制する。

今の自分は車椅子で散歩していた事もあり、薄っすらと汗をかいている。

汗臭いなどと思われたら、憤死してしまうかもしれない。

なのはは驚異的な精神力を発揮し、口を開いた。

 

「ウォルター君、今日は次元世界に旅立つ日だったんじゃあないの?」

「あぁ、そうなんだけど、ちょっとした事で予定が崩れちゃったんでな。ミッドチルダで足止めさ」

 

 そう言ってのけるウォルターの顔には、一片の嘘偽りも見当たらなかった。

なのに何故だろう、なのはは一瞬だけウォルターの表情が陰ったような気がして、ウォルターの顔を覗きこむ。

何時も通りに凛々しい表情で、何もおかしい所は見当たらない。

気のせいだったのかな、と思いつつ、なのははウォルターの挙動一つ一つに敏感になっている自分に気づく。

桃色の妄想が脳内に浮かびそうになるのを気力で阻止し、言った。

 

「そっか、残念だったね」

 

 と言いつつ、なのはは自分があんまり残念そうな声を出せていない事に気づく。

矢張りなのはは、ウォルターと一緒に居られる時間がとてつもなく大切で、掛け替えの無い物だと思っているのだ。

その事に改めて気づき、なのはは薄っすらと頬を染める。

 

 なのはは、ウォルターとお茶をしてから、ずっとウォルターに抱く気持ちが何なのか考え続けてきた。

いや、答えは殆どあの日に出たも同然であった。

けれどその答えで本当にいいのか、なのははずっと精査してきたのだ。

それは臆病さからくる感情なのかもしれない。

自分にそんな感情が芽生えるなんて想像だにしていなかったし、そんな事はずっと後のことで、今は関係無いのだと思っていたのだから。

 

 けれど、こうやってウォルターと直接会った瞬間、なのははその感情に半ば確信を持てるようになった。

そう思うと、自分の中にあるその感情がとても大切な物なのだと余計に確信できるようになる。

とても嬉しかった。

ばかりか、誇らしくもあった。

元々持っていた憧れから、その感情を持てる事が単純に嬉しくもあった。

そして何より、ウォルターに感じるその感情がそうなのだと知り、自分がウォルターに持つ感情が素晴らしい物だと心から認められた事が嬉しかったのだ。

 

「ウォルター君、それでも不貞腐れた感じじゃあないよね?」

「ん? そうか?」

「うんっ!」

 

 故になのはは、確信していた。

自分の心が出した答えが正しい物なのだと、確信していた。

 

「ウォルター君、格好いい!」

 

 ――私は、ウォルター君に恋しているんだ、と。

 

「そっか、ありがとな」

 

 言葉はそっけないが、僅かに口元を上げながら言うウォルターの表情は、少しだけ照れているのだとなのはには分かる。

なのはは、にっこりと満面の笑みを作った。

天上に昇るような心地で、心にいっぱいになった感情が顔に溢れだしたみたいだ、となのはは思う。

自分で抑えようとしたとしても抑えきれないだろう笑みを受けて、ウォルターもまた笑みを作った。

あの、燃え上がるような激烈な笑みを。

なのはの心を捉えて離さない笑みを。

 

 ――曇り一つ無い、満面の笑みをウォルターは浮かべた。

 

 

 

 

 



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閑話1
閑話1


 

 

 

 簡素な作りのアパートの一室。

何時もと同じ家に戻ってきたウォルターとリニスは、一通りの掃除を終えて中でくつろいでいた。

ウォルターはベッドに腰掛けながら、サイドテーブルにある写真立てに目を。

その中に映るクイントとギンガとスバルとを眺めている。

その目が今にも零れ落ちそうな、コップいっぱいの水の表面のように思えて、リニスは僅かに目を細めた。

僅かに歯噛みし、それまでと同じく机に向かって予備用デバイスの整備に戻る。

 

 クイントの死から2年が経った。

あれからウォルターは何度も次元世界を旅したが、一つ事件を解決する度に必ずミッドチルダに戻るようにしている。

自分の信念を貫いた結果が少しでもギンガとスバルに届いているよう、願いながら戻っているのだ。

信念を貫き続ける、人間から半歩踏み出した人生を歩み続ける事を決意したとはいえ、その理由であるギンガやスバルに何かあっては元も子もない。

そこでウォルターは、ギンガとスバルに監視の目をやり、できることは少しばかりだが手を貸していた。

ギンガもスバルも大きな心の傷を負っていたが、2人ともどうにか今は持ち直しているようである。

ギンガはシューティングアーツを修める事に力を入れ、スバルは再び力を恐れるようになったものの、基礎トレーニングだけは惰性のようにだが続けている。

決して最高の展開とは言えないが、当初スバルが引き篭もりそうになった頃から比べると雲泥の差と言えよう。

 

 そして、とリニスはウォルターへ視線を向ける。

各種結界を完備し、リニス以外に顔を晒す事の無い今、ウォルターは完全に仮面を外していた。

それ自体は嬉しい、とリニスは思う。

ウォルターが自分にだけ真の表情を見せてくれると言うのは、リニスを心から信頼しているからに違いない。

主からの信頼の証に嬉しいと思わない使い魔など存在しないだろう。

模範的な使い魔であるリニスは、当然の如く歓喜に身を震わせたいぐらいの思いである。

 

 だがしかし、そこには一つ問題点があった。

静かに、リニスはウォルターの表情を視線でたどる。

瞳はガラス玉のような人工的な輝きで、肌は異様に冷たい作り物のような質感、口唇は荒れ一つ無く、成長期だと言うのに鼻梁に脂っこさは少しもない。

人形のような表情だ、と歯を食いしばりながらリニスは思った。

一言で言って、素のウォルターを見つめていると、動くマネキンと言う比喩が思い浮かぶぐらいだ。

まるで幸せを捨てた時に、一緒に人間味も捨ててしまったかのようにすら思えて、リニスは時折その事に泣きたくなる。

けれど、泣いてもただウォルターの心労を深めるだけだと分かっているリニスは、決して泣かずにウォルターを支え続けてきた。

その過程で、少しでもウォルターの心が癒されるよう希望を抱きながら。

 

 リニスは、ウォルターに幸せに生きてもらう事を望んでいた。

主が信念のために生きると言っているのに、そんな勝手な事を、と自分でも思うのだけれども、それだけは止められないのだ。

ウォルターは、決して幸せを享受できない人格をした人間ではない。

あのクイントが生きていた頃の日々、ウォルターは確かに無自覚に幸せに心を委ねていたし、自覚的にも委ねる事を選択肢に入れていた。

ならば、幸せに生きる事ができるのならば、ウォルターは幸せに生きるべきだ。

かつての主であるプレシアを自分の手で幸せにできなかった事が、余計にリニスの思いを強くしていた。

勿論そのプレシアを救ったのがウォルターの信念なのだが、それでも尚、だ。

 

 だからリニスは、常から可能な範囲内でウォルターに幸せになれるように誘導しているが、その成果は芳しくない。

だが、その中で今のところ少しだけ効果がありそうなのが、一つ――。

そこまでリニスの思考が至った所で、電子音が鳴り響いた。

映像付き通信の受信だと感づき、ウォルターが目を細める。

掌を顔の上に。

まるで仮面をかぶるような所作を経て再び“俺”の人格をかぶり、ウォルターは少し顔の筋肉をほぐした後に通信を開いた。

 

「あ、こんにちは、ウォルター君、リニスさん!」

「応、こんちは、なのは」

 

 相手は、高町なのは。

ウォルターの知り合いの、昨年空戦Sランクを習得した砲撃魔導師である。

その砲撃魔法の適正は凄まじく、魔力量の差を覆し、ウォルターの砲撃魔法を上回る威力を誇る程だ。

が、その実態はまだ幼い少女に過ぎない。

茶色の髪の毛をツインテールに結び、顔は幼さを残しており、体躯もまだ女性らしさを帯び始めた所である。

管理局の制服を着たなのはは、ニッコリとした笑顔を浮かべると、尻尾があったら振り回しているだろうというぐらいに元気よく口を開く。

 

「えへへ、久しぶりだね、前回直接会ったのは何時だっけ?」

「……あー、プレシア先生の葬式で、だな」

「あ」

 

 なのはが硬直。

視線を他所にやり、にゃはは……、と乾いた笑みを浮かべた。

ウォルターは仕方なしに、苦笑交じりに続ける。

 

「その前は、確かなのはのSランク昇進祝いだったっけ」

「そ、そうだったね、にゃはは……。

通信でなら偶に話すけど、あんまり予定合わないからねぇ」

「俺は完全不定期の休暇だからなぁ」

 

 ぼやくウォルターに、なのはは目を閉じ、すぅ、と息を吸い込んだ。

深く息を吐き出し、キッと目を見開く。

両手を胸に、覚悟を決めた硬質な宝石を思わせる瞳でウォルターを見つめた。

 

「その、そこで今度の日曜日なんだけど、ウォルター君、予定空いてないかな」

「今度の日曜日かぁ……」

 

 言いつつ、ウォルターは携帯端末を展開、指でたどりつつ予定を確認する。

リニスは覗きこむまでもなく内容を暗記しているので、結果は分かるし、ウォルターの答えも分かっていた。

予定は空いている。

だが、ウォルターはなのはの誘いを断るだろう。

なぜならウォルターは、なのはは自分に恋していると半ば確信している。

加えてウォルターは、信念にのみ生き幸せを捨てた人間だ、決してなのはの気持ちには答えられない。

自然消滅を期待してつれない態度を取るのは、何時もの事だ。

なのでリニスは、横からウォルターの予定を覗きこむようにした後、頷く。

 

「おや、良かったですね、空いてますよ、なのは」

「っ!?」

 

 息を呑むウォルター。

それを捨て置き、なのははパァッ、と暖かな光でも舞い散りそうな笑顔を浮かべた。

 

「え、本当!?

良かったぁ、それじゃあ、ウォルター君にちょっと付き合ってもらえないかな。

一応私、喫茶店の娘でしょ?

だからミッドでケーキマップを作っているんだけど、一人じゃあ中々進まないんだよね。

そこで、よく食べる男の人に付き合ってもらいたくって。

それに、2人だとケーキをしぇ、シェアとかできるし!

あ、あと、ちょっと話したい事もあって……!」

 

 早口でまくしたてるなのはは、明らかに考えてきた文章を話すようで、多分桃子から助言を受けたのだろうな、とリニスは思う。

リニスが視線をウォルターにやると、少しだけ困ったような表情を浮かべていたウォルターは、一瞬瞑目、直後熱い笑顔を浮かべ口を開いた。

 

「応、構わないぞ」

「――~~っ!」

 

 思わず、と言った様相でなのはは両手を握りしめ、歓喜を顕にする。

その後2人は他愛のない話を幾らか続け、半時間程しゃべり尽くした後に2人の通信は終幕を迎えた。

名残惜しそうにしながらも手を振りつつなのはが通信を切り、対するウォルターも同じようにしたまま通信が途切れるのを待つ。

プツン、と通信が途切れて数秒、深く溜息をつきながらウォルターは辺りに視線を。

各種の結界に綻びが無いかどうか確認した後、リニスに視線を向ける。

 

 冷たい瞳を向けられると、リニスはどうしようもなく悲しい気分になった。

リニスは精神リンクで、ウォルターがただ戸惑っているだけで少しも怒っていない事は分かっている。

分かっていて尚、その背後には冷たい怒りが控えているかのように思えるのだ。

自分にそんな怒りが向けられているような錯覚、ウォルターがそんな風に見える顔をする程心に大きな傷を負っている事。

そのどちらもが悲しくて、心を両手で掴まれ、引きちぎられるような痛みをリニスは感じる。

それに耐え切れず、リニスは両手をさりげなく胸にやった。

 

「リニス、どういう事なんだ?

僕はなのはの恋を、そっと終わらせてやりたいだけなんだけど」

 

 何か間違いがあったかな、と呟くウォルターの様子は、少しづつ春の訪れが溶かす氷のように、柔らかになりつつあった。

先ほどまでのように黙っていると人形のような精気のない顔をするのだが、リニスが話しかけると徐々に人間らしさを取り戻してくるのだ。

今はまだ、ウォルターの心は凍りきってはいない。

その事実に僅かな安堵を抱きつつ、リニスは口を開いた。

 

「前から少しづつ思うようになってきたんですけれど……。

きっとなのはの恋心は、そっと消える事は無いと思うのですよ」

 

 面くらったようで、ウォルターは目を瞬いた。

 

「なのははそれぐらい諦めの悪い性格ですし、何より貴方の存在は強烈で、何年も心に残る物です。

ならば貴方にできる事は、なのはをキッパリと諦めさせる事でしょう。

他に恋人を作る事はできませんから、なのはに告白させるほどに貴方を好きになってもらい、その上で振る事しかないです」

 

 無論、リニスはウォルターが言った通りにするだろうと思いつつも、淡い期待を捨てずに居る。

ウォルターがかつて恋によって幸せのために生きる事を選択しかけたように、なのはの恋が再びウォルターに幸せの素晴らしさを味わせる事を。

そして、その後にウォルターが再び幸せの為に生きる事を選ぶ事をだ。

儚い願いであるということを、リニスは分かっていた。

クイントがウォルターの中に残した呪いは、それほどに強烈で解き難い。

けれどリニスは、諦めが悪かった。

ウォルターからもらった心の炎が、彼女の諦めの悪さを後押ししているのだ。

 

「そう……なのかな」

 

 自信無さげに言うウォルターに、リニスは深い笑みを浮かべながら言った。

 

「少なくとも私は、3年経っても貴方の言葉に心を突き動かされていましたよ」

 

 そう言われ、ウォルターは頬を染めて俯き、小さな声でうん、と呟いた。

相変わらずウォルターは自分の言葉の持つ力に自覚が足らない所があり、そのギャップがリニスには可愛らしくて仕方がない。

リニスは思わずウォルターを抱きしめようとしてしまうが、どうにか堪えた。

思春期に入ったウォルターは、リニスに甘やかされるのを今まで以上に恥ずかしがるようになってきている。

これはこれで人間らしい反応なので良い事なのだが、リニスは少しだけ寂しさを拭えない。

が、世の母や姉はこんな気持ちを味わっているのだと思うと、少しだけ我慢が効く。

代わりにリニスは、慈しむような笑みをウォルターに向け浮かべるのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 休日だけあって、クラナガンは人でいっぱいだった。

人混みをなのはは小走りに抜けつつ、腕時計にちらりと視線を。

小さな文字盤が示す時間はわかりづらく、なのはは内心舌打ちする。

もう少し大きな文字盤の時計にすればよかっただろうか。

そう思うものの、少しでもウォルターへと自分を可愛らしく見せたくて、女の子らしい小さい文字盤の時計を選んだのだ。

これは外せなかったなぁ、と思いつつ、足をゆるめながら時間を確認する。

時間は、約束の時間を少し過ぎていた。

それもこれも、なのはが事前に買っておいた服のうちどれを着ていくか、非常に悩んだ為である。

何せこれからするのは、ウォルターとのデートなのだ。

あっちはそう思っていないだろうが、と思うとなんとも言えない気分になるのだけれども。

そうこう思いつつなのはが駆けてゆくと、待ち合わせ場所の広場にたどり着いた。

 

 なのはは、待ち合わせの広場にたどり着くと同時、視線を辺りにやる。

とりあえず背の高い真っ黒な人を、と探してみると、すぐにウォルターが見つかった。

ウォルターは黒いジャケットにシャツにジーンズに靴と、いつも通りに黒尽くめである。

2年前のなのはが入院していた頃にはもっと他の色の服も着ていたのだが、いつの間にかウォルターの服装は再び黒尽くめに戻ってしまっていた。

普通に考えればただ飽きただけなのだろうと思うが、なのはは何故かそこにウォルターの強い気持ちが篭っているよう思うのだ。

だからなのはは、ウォルターを誘う計画として一緒に服を買いに行こうと言う選択肢は辞めていた。

 

 なのはは、深呼吸をした後に精一杯の笑顔を浮かべてウォルターへと近づく。

多分足音の方向と重さで気付いたのだろう、ウォルターはすぐになのはの方へと視線をやった。

体重を預けていたモニュメントから背中を離した所に、なのはがちょうど目の前にたどり着く。

なのはは両手を合わせ、体ごと傾けながら言った。

 

「ごめ~ん、待った? ウォルター君」

「何、今来た所さ」

 

 なのはにとって、ドラマや少女漫画の中の台詞のやり取りである。

それが現実に自分の目前にある事に、なのはは思わず両手を握りしめ、感じ居るようにガッツポーズを決めた。

決めて、今自分がウォルターの目の前に居る事に気づき、はっと両手を後にやり、にゃははと誤魔化すように笑う。

ウォルターは不思議そうに首を傾げた後、口を開いた。

 

「それギンガと同じ反応なんだが、流行ってたのか?」

「え? いや、そういう訳じゃないけど……」

 

 予想外の反応に一瞬戸惑った後、なのはは思わずひくりと頬を動かした。

同じ反応。

つまり、ウォルターは既に誰かとデートをした事がある?

なのはは、なるべく自然を装い首を傾げた。

 

「ギンガって誰なのかな?」

「あぁ、俺が世話になっていた事のある家の娘さんで、今11歳だったっけな」

「ふーん」

 

 ギンガの三文字を脳裏に刻むなのはに、ウォルターが視線を上下させる。

服装を見られているのだ、と即座に気づき、なのはは気持ちばかり可愛いポーズを取った。

今日の格好はなのはの好きな白を基調とした格好で、過度にならない程度にレースやフリルをあしらった服である。

なのはは自分が白を好きなのは自覚していたものの、似合っているかどうかまではあまり考えた事が無かった。

なのでこうやって品評される場に来ると、とたんに弱気が胸の中に生まれてくる。

そも、ウォルターに見られているというだけでなのはは頬が好調していくのを抑えられなかったと言うのに、これでは二重に恥ずかしいではあるまいか。

そんな風に思うなのはに、ウォルターは満面の笑みで告げる。

 

「うん、似合ってるぞ、なのは。やっぱ白が似合うな、お前は」

「え、えへへ!」

 

 思わずなのはは笑みを漏らし、もじもじと恥ずかしさに身悶えした。

嬉しさのあまり、この一瞬の気持ちを冷凍保存したいぐらいである。

胸の奥が花吹雪で満ちたかのような感覚であった。

幸せ過ぎてどうしよう、となのはが思った瞬間、その目前にウォルターの手が差し出された。

 

「え?」

「え? って、ほら、行こうぜ? 行き先は決まってるんだったよな、歩きながらでも話せるだろ?」

 

 当然のように言うウォルターに、なのはは思わず生唾を飲み込む。

つまり、それはつまり、手を繋ごうとでも言うのだろうか。

あまりの出来事に、なのはは顔が沸騰するのを感じた。

ぷるぷると震わせながらなのはは思わず両手を伸ばし、ぎゅ、とウォルターの両手を握る。

緊張のあまりそうしてしまった直後、はたとなのはは気付いた。

両手でウォルターの手を握ってしまっては、歩きにくくてしょうがない。

 

「にゃ、わ、私の馬鹿っ」

 

 その事に気付いたなのはは、小声で思わず叫びつつ、両手を手放し後ろに隠してしまった。

やってから、今度は片手は残さなければいけなかった事に気づき、なのはは視界がグルグルと回転しそうになるのを感じる。

多分、今の自分の目は渦巻き模様のように混乱している事だろう。

赤面した顔をちらりとウォルターの顔に向けると、ウォルターは怪訝そうな顔をした後、あぁ、と何かに感づいたような顔をした。

一歩、二歩となのはに近づいたかと思うと、ふっとその姿がなのはの視界から消える。

なのはが目を見開いたと同時、後ろに回ったウォルターがぽん、となのはの手を握りしめた。

 

「よし、捕まえたっと」

「にゃ!?」

 

 暖かな温度に思わず猫のような鳴き声をもらしつつ、なのはは半回転。

ウォルターに向き直ると、確かになのはとウォルターは手をつないでいた。

 

「こういう事でいいんだろ? それじゃ、最初の喫茶店に行こうか。あっちの方でいいんだよな?」

「う、うん……」

 

 どうしよう、となのははその言葉だけで頭がいっぱいになってしまう。

今なのはは、なんとなんと、ウォルターと手をつないでいるのだ。

その恐るべき事実はなのはの脳の中を完全に支配し、最早なのはの中には何の考えも残っていなかった。

散々雑誌や漫画で予習してきたウォルターへのアタックの仕方など、綺麗サッパリ消えてしまい、ただウォルターの体温の暖かさだけが残る。

緊張の余り体温の高まっているなのはに比べ、ウォルターの体温は僅かに低く、涼しげな感覚だった。

 

 ――ウォルター君って、こんなに気持ちいいんだ……。

 

 思ってから、その台詞がどうにも破廉恥な内容に思えてしまって、なのはは更に赤面するのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 借りてきた猫のように大人しいなのはの手を引きつつ、僕は先日なのはと相談して決めた、最初に行く予定の喫茶店へと足をすすめる。

大人しいなのはに何度か話を振ってみると、どうもなのはは心ここにあらずと言ったようで、生返事ばかりが返ってくる。

僕は彼女に何かしてしまったのかと内心首を傾げるが、あまり思い当たる事柄は無い。

精々、僕が今こうやって手をつないでいる事ぐらいだろうか。

僕も健全な男の子である、女の子の柔らかい手に触れている事自体が嬉し恥ずかしな気分ではあるが、残念ながら今はそれ以上ではない。

とすると違うのかと思うけれども、もしかしたら好きな異性の手は、別物なのかもしれない。

僕はクイントさんの手を握った時の事を思い出そうとしたが、残念ながら僕がクイントさんの手を握ったのは、一度しか無い。

クイントさんの最後を看取る時である。

流石に陰鬱な気分になりそうになるのを、どうにか頭を振る事で追い出した。

いくらなんでも、今そんな事を考えるのはなのはに対し失礼過ぎる。

 

 僕は内心、なのはに対しどう接すればいいのか、困っていた。

リニスに言われてなのはを惹きつけた上で振る方法が一番妥当だと理解していたけれど、恋心の素晴らしさを知ってしまっただけに、それを玩具のように扱い事に抵抗を覚える。

それが単に僕が手を汚したくない潔癖症だからなのか、それとも真に恋心を経験しその価値を知ったが故なのか、そのへんは分からないけれど。

兎も角、僕はなのはの恋心を弄ぶような真似は、したくなかった。

しかしだからといって、リニスの言葉を聞いてなのはにつれなく接するのもあまり意味が無い事だとも理解していた。

本当に僕がそこまで価値のある人間なのか首を傾げる所もあるが、僕の演じる“ウォルター・カウンタック”を見ての事なら理解もできる。

 

 ならばどうするのか。

と言うと、結局僕ができる事なんて一つしか無い。

正負の両方の意味で心に刻まれた恋に対し、その素晴らしさを知っているが故に、僕は素直に率直に接する事しかできまい。

その結果なのはが僕から興味を失う事を望んではいるけれど、それが好意を向けられた僕にできる唯一の事なのだろう。

 

 そう納得した辺りで、僕ら2人は最初に訪れるべき喫茶店にたどり着いた。

明るい木目の家具で彩られた明るい空間の中、僕らは奥のテーブル席に座る。

2人席で向い合って着席した辺りで、はっ、となのはが目を瞬いた。

 

「あ、あれ? 此処どこ?」

「最初に行こうって言った喫茶店さ。大丈夫か?」

「……にゃ?」

 

 昔からの口癖なのだが、なのはは“にゃ”と言う言葉を多用する。

笑うときは“にゃはは”だし、驚いた時だって“にゃ”と言う事が多い。

音だけ聞いて正直に言うとちょっと痛いかなぁ、と思わなくもないのだが、これがまた悔しい程になのはには似合うのだ。

これが僕であれば、世間から袋叩きにされるに違いない。

可愛いって得だなぁ、と思いつつ僕は、目を白黒させながらなのはが現状を把握するのを待つ。

ウェイトレスによって水が運ばれてきた辺りで、はっとなのはが眼の色を戻し、現実に舞い戻ってきた。

 

「ご、ごめんねウォルター君、私上の空でいちゃって……!」

「ま、そういう事もあるさ、気にすんなよ。それよりなのは、話したい事があるって言ってなかったか?」

「あ、うん……」

 

 このままだとなのはが謝り続ける事になりかねないので、気にしてない様子を見せつつ話題を提供。

話を前に進めようとすると、なのはが深呼吸しながら僕を見つめた。

青い瞳が僕を射抜く。

窓の外に永遠に広がる、あの蒼穹のように広く澄み切った瞳。

 

「私、今度から教導隊に配属になったんだ」

 

 言われ、思わず僕は目を白黒させる。

 

「え? 本当か!? 良かったなぁ、ずっと入りたいって言ってたもんなぁ!」

 

 思わず僕は両手を机に、腰を浮かせながら叫んでしまった。

言ってから大声で叫んでしまった事に気づき、小さく咳払いしながら席につく。

ちらりとなのはに視線をやるが、その顔には満面の笑みがあり、困った色や嘲笑の色など欠片もない。

興奮し過ぎた僕に恥ずかしがる様子は無く、むしろ心から喜んでくれているようだった。

内心ほっとしつつ、口を開く僕。

 

「えっと、怪我が治りきる前からずっと教導隊に入りたいって言ってたよな。

長年の夢が叶った訳だ、おめでとう!」

「えへへ、ありがとう、ウォルター君」

 

 照れるなのはだが、本当に嬉しくて僕は笑顔を抑えきる事ができない。

分析すると、多分僕自身が信念と名付けた夢を追い求める人間だからか、他人の夢が叶うのも嬉しく感じるのだ。

特に親しく、僕の言葉で少しでも心に炎を灯してくれたなのはであれば、尚更の事だ。

と、冷静に分析しないと嬉しさを抑えきれないぐらいに嬉しい僕なのであった。

そんな僕に、恥ずかしがりつつなのは。

 

「で、ウォルター君ってとっても強いでしょ?

だからさ、教導隊に入る前に、参考としてウォルター君の訓練とかも聞いてみたいなぁ、って」

「へ? まぁ構わないが、俺って団体行動苦手だからなぁ。参考になるかどうか……」

「ね、お願いっ」

 

 と言いつつ、両手を合わせながらなのははこちらを上目遣いに見つめてくる。

思案してみるが、初見殺しの類の戦術は秘密にしておくにしても、基本的な訓練や戦術解釈などの話は特に不利益は無いだろう。

 

「まぁ、全部は無理だがある程度なら話せるよ」

「本当!? 良かったぁ!」

「基本的にティルヴィングが居てくれるから、その指示に従っている部分が多いがな」

 

 言いつつ、僕は胸元のティルヴィングを握り、ウィンドウを展開。

基礎は内容には大した違いは無いようなので、割り当て時間だけで内容は省略して話す。

 

「って言っても、ウォルター君の方が密度も時間も多いね」

「生まれ持った魔力資質があるからな、基本はスペックの押し切りだし」

 

 例えば、魔導近接戦闘には4つの攻め時がある。

先の先、先の後、後の先、後の後の4つである。

先の先は不意打ち。

先の後は相手が意識を防御から攻撃に切り替える瞬間。

後の先は相手の攻撃中。

後の後は相手の攻撃が終わった後。

 

「互角の相手が向かい合ったならば先の先は選択肢から消え去る。

けれど、スペックが大きく違う近接魔導師同士が向かい合った時には、先の先が残るんだ。

言わばスペックの違いによる“正面からの不意打ち”が成立する訳だな」

「不意打ちに技とかあんまり関係なさそうだもんね……」

「まぁ、厳密にはあるんだが、その話はあんま関係ないから置いておくか。

兎に角、下手に他の期を狙って戦うと、高ランク殺し、ジャイアントキリングが起きうる。

だからスペックで押しきれる相手は押し切るべきだし、その相手が多い程普段の業務での勝率が上がり負傷率も下がる」

「うん、基礎が大事って事だね」

 

 頷く僕。

勿論戦術も大事なのだが、質量兵器時代に比べ個々の戦力差が大きい現代は、基礎によるスペック増大が特に重要となる。

僕のような若造が次元世界最強を名乗れる事からも、その事実が伺えるだろう。

 

「と言っても、なのは達教導隊が相手にするのは、多分ある程度の習熟が終わった部隊になるだろう。

だからなのはの求める基準に基礎が辿り着いていて、戦術からって事が多くなるだろうな」

「まぁでも、近接戦闘でも基礎が大事って分かって良かったよ」

 

 と、そんな感じに僕らは魔導戦闘について話した。

話題は次に基礎的な戦術やその分解、解釈に移り、白熱した議論が交わされる。

死力を尽くしての一対多や一対一が多い僕に対し、多数の魔導師を率いた経験のあるなのはの言もまた貴重な視点で、目新しい物だった。

自然、議論の熱気は次第に増していく事になる。

次第に僕の戦った超常の魔導師達との戦闘へと話が移った頃、一つの声が僕らへと割り込んできた。

 

「あの~」

「何ですか?」

 

 反射的に言ってから、声が輪唱した事に気づき、なのはと視線を合わせる。

それから声の主を見ると、この喫茶店のウェイトレスだった。

気まずそうに彼女は、小さな声で言う。

 

「あの、ご注文はお決まりになりましたでしょうか?」

 

 僕となのはは、これ以上ないぐらいに赤面してみせた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 狭い個室の中、なのはは深く溜息をついた。

思わず頭を抱えながらがっくりと頭を下ろし、今までの自分に思考を伸ばす。

はっきり言って、今日のなのはは駄目駄目だった。

まず待ち合わせに数分とは言え遅れ、その後はランチを食べる喫茶店まで上の空。

喫茶店についてからは2人で注文もせずに話し込み、それだけならいいのだが内容が戦術論であった。

そのあとはあまりの恥ずかしさにウォルターもなのはも言葉少なになり、互いに食事に集中し、あまり話せていない。

なんとかそこで精神を切り替えようと、なのはは花を摘みにと席を外し、現在は反省中である。

デートのセッティングを買ってでたのはなのはなのに、酷い内容であった。

 

「う~、が、頑張れ私」

 

 と自分で自分を応援しつつ、なのははぐっと片手を握りしめ、決意を胸にする。

折角のチャンスなんだから、もっとこ、こ、恋人みたいな会話とかしたい!

そう思いつつなのはは水を流し、鏡に向かった。

少し乱れた髪を手櫛で直し、よし、と気合を入れて席に戻る。

席につくと、すぐにケーキセットが運ばれてきた。

 

「お、ちょうど良かったな、なのは」

「うん、そうだね」

 

 言いつつ、なのはは運ばれてきたチーズタルトに視線をやり、見分する。

評判どおり、見目には中々良いケーキである。

自分の前に置かれたケーキから視線を外し、次はウォルターの選んだショートケーキに視線を。

生クリームの状態を仔細に観察しつつ、ウェイトレスがホットコーヒーを置いていくのを待った。

ウォルターが、気のせいか少し目を輝かせつつ口を開く。

 

「中々美味しそうなケーキだな」

「あれ、ウォルター君って甘い物好き?」

 

 何気に食事時より真剣な目のウォルターに、思わず尋ねるなのは。

対しウォルターは、少し恥ずかしそうに頬をかきながら答える。

 

「いや、こいつが普段は厳しくて、こういう機会でもなければ中々間食をする事が無くってな」

『正当な制限です』

「とかこいつは言ってるが……」

 

 と、首元のティルヴィングにデコピンをするウォルターに、なのはは思わず目を見開いた。

高鳴る胸に両手を、緊張する全身を深い呼吸をしてリラックスさせ、どうにか震えの無い声で言う。

 

「そ、それじゃあ、また今度もウォルター君を誘ってもいいのかな」

「……そうだな、大歓迎だよ」

 

 ニコッと笑うウォルターの顔は、普段の熱い表情よりも、幾分か優しさの割合の多い笑みであった。

なのははそれに舞い上がりそうになるも、同時に冷静な部分が少しだけウォルターの表情の動きが遅かった事に首を傾げる。

と言っても、然程気にする程の差異では無かったので、なのははその部分についてはそのうち考える事にして捨ておいた。

そのまま天にも昇る心地なのを必死で抑え、なのははそれじゃあ、と手を合わせる。

ウォルターも同じようにして、言葉が輪唱した。

 

「いただきます」

 

 言って、2人はフォークを持ってケーキを一口。

舞い上がりそうな気分がケーキを余計に美味しく感じさせるが、なのはの喫茶店の娘としての観察力がケーキを見分する。

流石にミッドの有名店だけあってチーズ自体は翠屋より良い物を使っていた。

が、タルトやチーズの生かし方を考えるに、総合的には翠屋より幾分下であろう。

視線をウォルターにやると、目が合った。

視線を辺りにやってから、ウォルターが身を乗り出し、手で小さなメガホンを作る。

これは、これはもしかして、内緒話の姿勢ではあるまいか。

心臓が破裂しそうなぐらいに鳴り響くのを感じつつ、なのはは乗り遅れぬよう急ぎ腰を上げ、耳に手をあてウォルターの口元に寄せる。

 

「此処の店には悪いけど、翠屋の方が美味しいかな」

「……う、うんっ」

 

 ウォルターの声と共に、吐息がなのはの耳に吹きかけられた。

嬉しすぎて昇天してしまいそうな心地のまま、なのはは辛うじて返事を。

崩れ落ちそうな程ふにゃふにゃになった体を、どうにか椅子へと戻す。

足元がふわふわしていて、もう立ち上がれるかどうかも分からないぐらいだった。

 

 真っ赤な顔をするなのはに、ウォルターは不思議そうに首を傾げた後、あぁ、と納得の色を。

それから苦笑気味ながらも、暖かな視線をなのはにやる。

内心を見ぬかれたのだと、なのはは更に頬を赤く染めた。

多分、なのはは自分がウォルターの事を好きだとは見ぬかれていないと思う。

なのでウォルターは、なのはの様子を年の近い男に近づかれて恥ずかしがっている、という程度にしか捉えていない筈だ。

それでも、その動作一つで、ウォルターがなのはを赤面させたのが天然の動作だったと知れる。

ずるいよ、となのはは内心で身悶えしながら呟いた。

計算づくでもそれはそれで嬉しいのだけれども、天然でこんなになのはを恥ずかしがらせる動作をするのは、そう、なんというか、ずるくて仕方がない。

 

「っと、半分だな」

 

 そんな事を考えつつ、なのはが一口、二口とケーキを口にした辺りで、ウォルターがなのはのケーキの皿へと手を伸ばした。

首を傾げるなのはを前に、ウォルターが互いのケーキを入れ替える。

 

「確か、ケーキは半分づつシェアするって約束だったよな?」

「……にゃ」

 

 ぼん、となのはは自分の頭が爆発する音を幻聴した。

確かになのはは、ウォルターを誘う時にケーキをシェアしようと約束したけれども、今、ただでさえ悶え死にそうな今この時に?

なのはは先日の自分を呪えばいいのか感謝すればいいのかすら分からないまま、ぶるぶると震える手で、ウォルターのショートケーキを口にする。

関節キスであった。

流石にウォルターもそれは分かっているのだろう、少し頬を赤らめながらの食事であり。

なのはの脳裏には、最早味など入ってくる隙間は残っていなかった。

 

 なのはは、それから自分でも何を話したのか記憶にないまま、ウォルターとの会話を終えた。

多分ケーキに関する蘊蓄を話していたというぐらいまでは分かるのだが、ウォルターの反応が思い出せない。

もしかしたら、思い出したらそれだけで憤死してしまうような甘い内容だったのかもしれない。

そんな事を思いつつ、なのははどうにかケーキを食べ終え、支払いをし喫茶店を出た。

外の空気を吸った事で、なのはの頭が少しだけ冷え、思考能力を取り戻し始める。

 

「……よ、よし」

 

 と片手を握りしめ、なのはは再び己に誓う。

今度こそ、今度こそなのはがウォルターをリードし、女性として意識してもらうのだ。

その為には強固に自分を保つ必要があり、自制心を極限まで働かさねばなるまい。

恐るべき意志力で自己を固めたなのはに、ウォルターが微笑ましげに話しかけてくる。

 

「それじゃあ、少し腹ごなしに散歩しながら、次の店に向かおうか」

「うん、そうしようっ」

 

 胸を張って言い、なのはは確信する。

今のなのはのテンションは、覚醒したリィンフォースを前に、フェイトと共に立ち向かった時にさえ匹敵した。

今の自分ならウォルターに決して負けず劣らず、立ち向かえる事だろう。

そう考えるなのはの手に、恐るべき自然さでウォルターが手を絡めた。

 

「……にゃ?」

「それじゃ、行こうか」

 

 あ、となのはは思考を空白にする。

そうだ、外に出て歩くと言うことは、またウォルターと手を繋ぐと言う事なのだ。

失念していた事態に、なのはは再び脳内が爆発する音を幻聴した。

 

 

 

 ***

 

 

 

「なのはー」

「にへへ……」

「なのは、ちょっとなのは?」

「にへへ……」

「はぁ……なのは!」

「にゃっ!?」

 

 母桃子の叫び声に、なのははふと我に返った。

気づけば、なのははパジャマ姿でベッドの上に頬杖をついて寝転がっていたのだ。

驚きに目を白黒させつつ、母に視線をやると、溜息をつきつつ口を開く。

 

「なのは、嬉しかったのは分かるけどもう0時過ぎよ? 明日早いんでしょう、そろそろ正気に返って寝なさい」

「え? えぇ!?」

 

 思わず悲鳴をあげるなのはを捨て置き、桃子はじゃあおかーさんはもう寝るからね、と言って部屋を出ていってしまった。

驚くべき時間の経過の速さであった。

一瞬前にはウォルターとケーキを食べていたような気がするのだが、いつの間にかこの有様である。

それほど自分がウォルターの事を好きなのだと自覚し、その事がなんだか嬉しくて、なのはは両手を胸にやった。

 

 あの後なのはは、ウォルターと共に数件の喫茶店を周り、その上なのはに夕食まで付き合ってくれたばかりか、なのはを地球の自宅まで送り届けてくれた。

当然、士郎や家に居た恭也とも顔をあわせる事になる。

なんだか2人分の殺気がするんだが……、とウォルターは冷や汗をかきながら帰っていき、その後なんだか金属質な音が聞こえたような気がするが、なのはのふわふわした記憶には曖昧にしか残っていなかった。

 

 なのはは兎に角、と思考を持ち直し、明日以降の為に寝る準備をしつつ、ふと思う。

ウォルターは今日なのはにとても優しくしてくれたけれど、時々とても哀しそうな目をしている時があった。

ウォルターに翻弄されっぱなしだったなのははそこに口を出す余裕が無かったが、ウォルターのその目を思い出すと、なんだかやりきれない切なさを感じる。

どうにかして、ウォルターの支えになりたい。

そう思うなのはであったが、今日の有様ではそれはかなり遠い目標になってしまうだろう。

何せ今日のなのはは殆ど一方的にウォルターに世話を焼いてもらい、なのはは死ぬほど楽しかったけれど、ウォルターもそうであったかと言うと自信が無い。

 

 次こそは、私がウォルター君の心の慰めになりたい。

それが可能だと信じ、なのはは希望を胸に床につくのであった。

 

 

 

 

 



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第五章 斜陽編・中 再生の雫事件 新暦69年 (空白期)
5章1話


こっから凍結後に書いた分です。
間空きすぎて作者が忘れてる内容もあると思うので、突っ込みあればお願いします。


 

 

1.

 

 

 

 砂塵。

透明なバリアジャケットの表面を細かな砂や埃が流れてゆくのが、手に取るように分かる。

さながら風の道を示すかのように砂埃は流れていたが、やがてその勢いを強くすると、視界全体を覆っていった。

ため息混じりに、完全密閉された容器の中の筈なのに砂っぽい水を口に含む。

口内を湿らせた後にそれを吐き出すと、固まった砂が多分に混じっていた。

バリアジャケットも呼吸を可能とするために、あまりに細かい砂は遮断しきれないのだ。

お陰で目もなんだかチクチクするし、服の間に砂がぎっしり詰まっているかのような感触すらある。

 

「やれやれだな」

「……右に同じく、です」

『後に分解洗浄を要求します』

 

 僕の呟きに、合わせるリニスにティルヴィング。

僕らは2人して、体中に布を巻き付けるような服装をしていた。

別に突然オリエンタル趣味に目覚めた訳ではなく、この管理世界で一般的な格好をしているだけである。

リニスはクリーム色の布に、一枚だけ口元にワンポイントでワイン色の布を。

僕は相変わらず黒尽くめの格好を。

この世界の一般人に可能な限り紛れ込む為、そんな格好をしているのであった。

 

 砂塵で悪くなる視界の中、寄ってくるスリを自然に避けつつ、ぼくらは街の中心部へと進んでいく。

第二十一管理世界アティアリア。

次元世界まるごと砂漠化しているというこの世界は、地下資源の豊富さからその類の商いで有名だ。

そう聞くと腹黒い人間の集まりのように思えるかもしれないが、実際は違う。

アティアリアは、その地下資源の豊富さから、文化的成熟を待たずに管理世界に参加させられた経歴があるのだ。

その後地下資源の利権を求めて暗い職業の人間が集まり治安が悪化し、現地の住民は逃げ出そうにも文明の未成熟さから他所の世界では職にありつけず、この世界に留まるしか無い。

いや、それどころか、他の次元世界に移るという発想事態が殆ど無いのだと言う。

それが文化的未成熟さから来る視界の狭さなのか、それとも故郷に住みたいという念からなのか。

半ば宿なしに生きている僕からしてみれば、どちら故になのかは分からないが。

 

 兎も角、アティアリアは恐ろしく治安が悪い。

こうして首都のメインストリートを歩いていても、何処からか魔力光が煌めき人の悲鳴が途絶えるのが聞こえ、そしてそれでも誰一人歩みを止める奴は居ないぐらいだ。

風化しかけた死体を蹴りそうになってしまった事も一回や二回では済まないし、真っ直ぐ歩いていれば、砂塵故に僕らが魔導師だと気づかないスリに、とっくに財布を抜き取られていただろう。

それだけならまだマシ、と言っていいのか分からないが、この世界は貧民層だけではなく富裕層まで危うい立場にある。

というのは、アティアリアではテロが日常茶飯事なのだ。

民衆の教育レベルが低い割に民主政を取っているアティアリアでは容易く政治家になれ、ゆくゆくは他の次元世界で名を馳せるという道を進む事も不可能ではないが、代わりに爆破テロなどで政治家がよく死ぬ。

それでも地下資源の収集は全て他の次元世界主導で行われており、アティアリアに生まれて成り上がるには黒社会に生きるか政治家になるしか無い。

よって上昇志向が高い奴は黒社会で死ぬか政治家になって死に、生き残った僅かな奴も黒社会ではやっぱり死に、政治家はこの世界に見切りをつける。

おかげでこの世界にはずいぶん長いこと有力な指導者が居なかった。

 

 ――居なかった。

過去形である。

つまりは最近とんとテロリズムによる死者が減ってきており、アティアリアの政治家が徐々に育ちつつあるのだ。

かと言ってテロはどんどん規模を増してきており、警備体制も特に見直された形跡は見られず、よってアティアリアは今不思議な幸運に恵まれているとしか言い様のない状態である。

徐々に民衆の暮らしは良くなってきており、このままいけば名実ともに管理世界に進出できるかもしれない、という噂だそうだ。

勿論事実上の植民地を手放したがる次元世界など無いので、実際はまだまだ困難を極めるだろうが、それでも希望ができた事は確かである。

僕はそれを、臭いと感じ取った。

僕の霊感が、これまでロストロギアと対峙し続けてきた直感が、そして僕がシックス・センスと名付けたレアスキルが、全てがアティアリアに何かある、と感じ取っていた。

が。

 

「これで二週間、収穫はあったが……」

「えぇ、そろそろ行き詰ってきましたね」

 

 言いつつ、溜息。

現実の不条理さにもう一つ溜息をつきながら、僕らは裏路地へ。

死体がその辺に転がっているが、嫌な臭いはせず、どの死体もさらさらしている。

この乾燥世界では、死体は腐らずに風化するのだ。

骨しか残らない死体に初めて出会った時は、流石にこみ上げる物があったものだが、二週間もいれば徐々に慣れてくる。

そんな自分を擦れたと思えばいいのか成長したと思えばいいのか、数本裏路地を行った所で、頭を振りながら僕は立ち止まった。

直後リニスも、立ち止まったかと思うと一歩横にズレる。

同時に振り向き、僕はティルヴィングをセットアップ。

身に秘める強大な魔力を開放し、僕らを着けていた人間に向かって口を開く。

 

「今朝から付きまとっていたが、お前らは何時からストーキングが趣味になったんだ?」

 

 一息。

心のなかで表情に肉の仮面を。

表情筋を絡繰仕掛けにし、感情との繋がりを廃して。

言う。

告げる。

 

「――フェイト、アルフ」

 

 僕の言葉と共に、よく見知った金髪の女性と、橙髪の女性が現れる。

フェイトは白い外套の中に黒いコートとミニスカート。

アルフは会った時と変わらぬ露出度の高い服装に、マントの色だけ白に変わっている。

こんな砂塵まみれの世界でも何時ものバリアジャケットの2人に少しだけ微笑み、次の瞬間、自分もそうかと思って笑みを苦笑に変えた。

 

 

 

2.

 

 

 

 屋内のカフェ。

木をふんだんに使っているが、所々が傷んでいて黒ずんだ所の多い、とうてい洒落た雰囲気とは無縁の場所で、僕ら4人はテーブルについていた。

久しく出会う彼女は、出会った頃から持っていた美しさの素養を開花させつつある。

白磁の肌に光を反射し輝く金髪、洗練されたルビーの輝きの瞳に均整のとれた肉付きの体、高い背丈。

未だ未完成ではあるものの、僕の一つ下だから13歳という年齢になるのだろうが、その年齢に比して早く、そして美しく彼女は成長していた。

僕といえば身長はまだまだ伸び盛りで、筋肉の量も大分増えたものの、いかんせん顔に迫力が無いのが玉に瑕である。

これが気心知れた関係だから遠慮は無いものの、そうでなければ気圧される程に美醜の差があるかもしれない。

 

 将来の想像に陰鬱な想像を巡らせながら、僕はアティアリア特産というやたら甘ったるい茶をすすった。

フェイトとリニスも同じく、アルフだけは水だけ注文して肘をつきながら僕を眺めている。

僕ら以外の客が居ないこのカフェでは、僕らの茶器の触れ合う音だけが、外の風音と共に鳴り響いていた。

 

「プレシア先生の葬式以来か」

「……うん、そうだね」

 

 僕は自然、僅かに目を細めながら火蓋を切って落とす。

フェイトは数瞬目を閉じ、しかし動揺する事なく視線を僕の瞳にやった。

プレシア先生が亡くなった時期は、こう言うのは難だがタイミングが良く、僕がミッドに帰ってきている時であった。

故に僕はおっとり刀で駆けつけ、悲しむフェイトをリンディさん達と共に支え、葬式の手配などを手伝った。

流石に葬式を終えて僕が旅立つ頃にはまだフェイトは立ち直っておらず、僕は後ろ髪を惹かれる思いで旅だったのだが、この様子ならば大丈夫のようだ。

恐らく、リンディさんに引き取られてテスタロッサ・ハラオウン性になったのも良い影響を与えているのだろう。

この時点で、早くも僕は半ばフェイトを協力相手として認めつつあった。

が、それにはそもフェイトに協力してもらうつもりになってもらわねばならない。

僕は続けて口先を酷使する。

 

「ってことは、フェイトが執務官になってから顔を合わせるのも、初めてって事になるか」

「そうだね、こんな所で会うなんて奇遇だね」

 

 と、白々しく言うフェイトだが、目が泳ぎまくっていた。

呆れれば良いのか、微笑ましく思えばいいのか、複雑な心持ちで肩をすくめる僕。

 

「ま、そうだわな。俺はいつも通り次元世界を旅している途中なんだが、フェイトはどうしてアティアリアに来ているんだ? バカンスか何か?」

「ばばば、バカンスだよっ」

「ここにバカンスねぇ……」

 

 こいつは本当に執務官試験に合格したのだろうか。

胡乱な目つきと共に、僕の内心でフェイトの採点が株式相場の如き勢いで下がっていく。

それを察したのだろう、慌てて両手を差し出し左右に振り、咳払いを一つ。

フェイトが瞼を閉じ開くと、瞳には表情筋を従える凍てついた意思を秘めた、冷涼な光が輝いていた。

美貌と相まって恐ろしいほどに鋭い雰囲気だが、敢えて言おう。

遅い。

遅すぎるだろ。

そんな僕の内心を知ってか知らずか、フェイト。

 

「私は最近歴史に興味があってね。アティアリアは比較的歴史的建造物が残っている世界だし、来てみたかったんだ」

「あぁ、そうユーノから聞いた事があったんだな」

 

 平坦な声で僕が言うのに、フェイトは一瞬相好を崩しそうになるものの、持ちこたえる。

隣では既にアルフは頭を抱えており、フェイトが見えない位置でその横腹をつついているのが、筋肉の緊張具合で知れた。

 

「そうだよ。でもユーノは忙しくて休日が合いそうにないし、アルフと一緒に見に来てみたんだ。ユーノに聞いたけど、ウォルターも結構歴史に詳しいんだよね、案内とか期待できない?」

 

 言いつつ、肩に掛かった金糸を軽く持ち上げ、後ろに流すフェイト。

僕は一瞬見惚れそうになる自身を歯を軽く噛み締めて自制させ、眠そうな目で維持しつつ、口を開く。

 

「別にいいけど、お目当てだと思う首都のカテナ神殿はバカンスは似合わないと思うぞ。入れる所少ないし、解放されてるのは国民向けで、管理局のコネ使わないと入れないし」

「…………う」

 

 痛い所を突かれた、と言わんばかりのフェイトに、僕は小さく溜息をついた。

 

「まぁ、バカンス発言からのリカバリーは難しかっただろうけど、顔見知りの俺相手に裏を取ればすぐ分かる歴史趣味も減点対象だな。カテナ神殿と絡めたんだろうが、割と無理があったぞ」

「うぅ……」

 

 縮こまるフェイトも分かってはいるのだろう、反論は無い。

恩人である僕と姉代わりであるリニスの前で失態を演じたのが、余程堪えたのだろう。

とは言え、と持ち上げようとする前に、アルフが割って入る。

 

「まぁまぁ、フェイトがこれだけミスをするなんて、あんた達が相手だからさ。いつもはもっと上手くやるもんなんだよ? なんとか許してやってくれよ」

「確かに、評判を聴く限りではそうですね。雷神、でしたか」

 

 と、リニスが答えると同時、フェイトの頬に朱が差した。

あぁ、と頷く僕。

 

「雷の如く迅速且つ激烈に事件を解決する新人執務官、雷神フェイト、だったか」

「その美貌もまた雷のように心を居抜き、男を捉えて離さないとか」

「あぁ、確かにそんな風に言われているねぇ」

「やめてよぉ……アルフまで……」

 

 耳まで顔を真っ赤にしながら小さくなるフェイトに、僕らはくくくと小さく笑う。

そうなると笑いは中々止まらず、一頻り僕らは堪えた笑みを漏らし続けるほかなく、張本人であるフェイトは小さく縮こまりながら耐える他無いようだった。

そしてしばらく笑い続け、全員口内を再び甘ったるい茶で湿らせた辺りで、再び僕が口火を切った。

 

「ま、カテナ神殿にたどり着いている時点で、フェイトなら十分合格点さ。お互い腹を割って情報交換と行かねぇか?」

「……うん、ウォルターなら信頼できるし、大丈夫だよ」

 

 ドキッとするような笑顔と共に、フェイトは遮音結界を発動。

万年仮面男の僕に比べるとまだまだ拙いものの、必要十分な出来のそれに、僕は僅かに相好を崩した。

 

 僕の得た情報というのは、それほど大した物ではない。

基本的に中央から離れた次元世界にまで情報網を持たない僕は、足で集めた情報と情報屋から買い取った情報ぐらいしか知らないのだ。

特にアティアリアの地元民には次元世界の人間が混ざっておらず、次元世界を股にかける情報屋も余り深い情報は持っていない。

なので自然足で稼いだ情報ぐらいしか無く、しかもフェイトの情報を補完する程度でしかなかった。

 

 アティアリアでは、死人が生き返る。

 

 明らかに死んだとしか思えない、魔法的防御無しに近接した自爆テロを受けた政治家が、翌日平気な顔で歩いていたり。

明らかに死人が出ざるを得ない戦力差で軍隊と犯罪組織が衝突し、軍隊に死人がゼロだったり。

犯罪魔導師が路上で殺され、政府に死体で引き渡された後、心を入れ替えて魔導師として働き始めたり。

全て不可思議なほどに強力に隠蔽されていたものの、シックスセンスを持つ僕はそのうちいくつかをこの目で捉える事ができた。

勿論、ティルヴィングを用いて映像を記録だってしてある。

とは言え無改竄の証拠があるでもなしに、これだけで次元世界を治める政府を相手に異常を訴えるのは難しいだろうが、それでも管理局が動く十分な証拠にはなるはずだ。

 

 フェイトも似たような情報を持っており、僕よりも大分政府よりの情報から死者蘇生の噂に迫っていた。

例えば政府施設に明らかに書類上の人数より多くの人間が住んでいるとしか思えない、食料などの消費や流通。

アティアリアでの月間死亡人数の奇妙な偏りの開始。

そして関係あるかは分からないが、不自然な貿易の変遷や、奇妙な程の政治的な下手打ちの連続に、管理局の出張所の人間すら不可思議な程に非協力的だったと言う。

 

 加えてフェイトは、無限書庫を通し、この世界での歴史上何度か見つかったが、未だ管理局が保護できていないロストロギアの情報を持っていた。

死者蘇生のロストロギア、再生の雫。

宗教的儀式によって選ばれた波長の合う人間の手により、死者蘇生魔法を成功させる神秘のロストロギア。

 

「……プレシア母さんも一時探していたから、元から覚えていたんだ」

 

 とはフェイトの言である。

とは言え、再生の雫は最近一度歴史に現れた事があり、その時の調査で分かったことは、未熟な魔導師の手による死者蘇生は、その度に次元震の可能性があるという事であった。

その際は中規模次元震が起き、その時の混乱で再生の雫の在り処はあやふやになってしまったのだとか。

 

「となると、最近の噂の原因は再生の雫とその使用者が見つかったからかもしれない」

「なら、当然怪しいのは、再生の雫の使用者を選ぶ儀式を行うという、カテナ神殿」

「都合が良いことに、最近カテナ神殿に政府関係者の出入りが激しくなっていますしね」

「ちなみにカテナ神殿は管理局と多少繋がりがあって、見学ぐらいなら執務官のコネを使えば申請できるよ」

 

 と、そうは決まったのだが、疑問は残る。

 

「しかし、いくら俺の勘があったとはいえ、2週間で4回も死体になった人間が歩いているのを見るような事件が、何故今の今まで管理局にバレていなかったんだ?」

「う~ん、私の前にも何人か執務官が公式に査察に来ているんだけど、その人達は問題なしって判断したんだよね。ただ、気になるのが……」

 

 言葉を詰まらせ、組んだ指の上に顎を乗せるフェイト。

自分でもその事実を上手く噛み砕けていないのだろう、困り顔で続けた。

 

「その3人の執務官が、全員辞職届を出しているんだよね。その後の足取りは全員は追えなかったけれど、少なくとも1人はアティアリアに行っているみたいなんだ。ちなみに、全員私より凄腕だったし」

「…………ふむ」

 

 いくつか思いつく事はある。

死んだ人を生き返らせて欲しかったからとか、ロストロギアの平和利用の実現性に夢を見たか、それとも再生の雫に死者蘇生以外の力もあったのか。

しかしどれもしっくり来る内容ではなく、僕の霊感にも引っかからない。

分かるのは、わざわざ外部の人間である僕を捜査に引き込もうとする、フェイトの不安の源泉のみ。

 

「……惜しい所までは来ているような気はするんだが、駄目だ。今一その理由は思い浮かばないな」

 

 溜息と共に頭を振り、僕は甘ったるい茶を飲み干す。

茶器の触れ合う音が4つ、続いて靴裏が床を捉える音、椅子脚が床を擦る音。

僕らは外套に身を包み、互いに視線を交わし合った。

目だけが爛々と光る姿で、僕とフェイトが見つめ合う。

念の為にと、僕はフェイトに向かい口を開いた。

 

「カテナ神殿に向かう前に一応言っておくが、引き返すなら今のうちだぞ?」

「そっちこそ、私達が居なければ正面からカテナ神殿に入れない癖に」

 

 プクッと頬を膨らませながら言うフェイトに、悪い悪い、と苦笑しつつ、互いに決意は折れないと確認。

互いに示し合わせたかのように同時に、掌を差し出し、つかみ合う。

 

「それじゃあ、共同戦線と行こうか」

 

 僅かに僕より高い体温が、少し印象に残った。

 

 

 

3.

 

 

 

 カテナ神殿の中は広々としていて、何処か寂しいぐらいだった。

石造りの床を靴裏で蹴り、10メートル以上ありそうな天井へ視線を。

灰色の石で出来た空間は何処か寒々しく、窓から入る陽光も何処か硬質に思える。

視線を戻すと、現地の人間がガイドとしてこの次元世界の歴史を語っていた。

 

「アティアリアは次元世界全体の8割が砂漠に覆われた世界です。加えて大陸は1つしか無く、後は小さな島々が点在するだけ。なので必然、大陸の人間達は手を取り合って生きるため、一つの巨大な国を作ったのです。アティアリア……。次元世界の名称と同じ、この国を」

 

 と、とっくに調べてきた内容を耳から耳へと通り抜けさせながら、僕は神殿を通りかかる人間をチェックし、ティルヴィングのメモリと照合しチェックする。

高い頻度で政府関係者が見当たり、ついでに何人も死んでなきゃおかしいテロに巻き込まれた奴を見かけ、当たりにしても稚拙すぎる内容に頭が痛くなってきた。

ここまで怪しいと、どうしても罠の可能性を強く見てしまう。

どうしたことか、と頭を悩ませる僕に、ふと近づく足音。

軽い体重をしか支えていない音に、ぶつかるまいと僕はその進行方向から身体をどける。

 

「わわっ!」

 

 すると現れた少年がたたらを踏み、そのままこけそうになった。

危うし、と僕は彼に手を伸ばし、支えてやる。

 

「おいおい、大丈夫か?」

 

 問いつつ少年を離してやると、恥ずかしそうにしながら彼はきちんと一人で立った。

色あせたぼろい服を着た彼は見目に年齢は一桁、恐らく5,6歳ぐらいの子供だろうか。

短めにカットされた茶髪から覗く青い目は不安に揺れており、下手をうてば泣き出してしまいそうなぐらいだ。

気になったのだろう、フェイトが彼に近づき、膝を折って視線の高さを合わせる。

優しげな声色。

 

「ねぇ、君、お父さんとお母さんは?」

「2人とも、迷子になっちゃった……」

「そ、そっか。じゃあ、一緒に探しに行く?」

「えっと、えっと……うん!」

 

 と、少年が元気な声で言うのに合わせ、僕も腰を下ろし、彼と視線の高さを合わせた。

 

「そいじゃあ、お前の名前、教えてくれないか? 俺は、ウォルター。ウォルター・カウンタック」

「私はフェイト、フェイト・T・ハラオウンだよ」

「僕は、プレマシー・ミレーニアです! ねぇねぇお兄ちゃん、今ウォルターって言った!?」

 

 と、何故かいきなり元気そうになるプレマシー。

僕は思わずフェイトと視線を合わせてから、すぐにプレマシーへと向き直り、頷いた。

パァァ、と背景が明るくなりそうなぐらい、喜色満面になるプレマシー。

 

「読んだことある、凄い魔導師の本に出てる人!」

「……ウォルター?」

「あぁ、そういやそーゆー雑誌の取材を受けた記憶が……」

「1年ぐらい前でしたっけ?」

「ほ、本物だ! 凄い!」

 

 僕の言う雑誌は、いわゆる戦闘能力に重点を置いた「今次元世界最強の魔導師は誰か!」とかいう特集を組んでいた奴だ。

僕は現代でぶっちぎりの最強の魔導師として名前を挙げられており、嬉し恥ずかしな気分になった物である。

と言っても現実はそんなに容易くは無く、SSランク相当の魔導師相手だと苦戦する事も多い僕は、例え最強だとしても逆転可能な僅差による所なのだろうが。

 

「ま、軽くなら話しぐらいしてやるからさ、とりあえず入り口にあった休憩所に行こうぜ? 合流できそうな所、それぐらいしか見当たらないしな」

「はい! わかりました!」

 

 と、拙い敬礼をするプレマシー。

その背後で、なんだかプクゥ、とフェイトが頬を膨らませていた。

多分最初にプレマシーへと話しかけたのが自分なのに、彼があっさりと僕になついたのが不満だったのだろう。

可愛い反応に薄く微笑みながら、僕はプレマシーを連れ、入り口近くへと歩いて行った。

ガイドが手を煩わせるなんて、とは言ってきたが、気にするな、と言って僕らはプレマシーの話し相手を買って出る。

どうせガイド付きの今回、入れるのは解放されている僅かな部分だけである。

次回以降忍び込むなどするための前準備みたいな物なので、僕らは今回はそれほど余裕が無い訳ではないのであった。

ついでに言えば、執務官が来た事による警戒を緩めるのも目的ではあったが。

 

 いくつかの十字路を越えて進むと、休憩所の看板が掛けられた部屋がある。

中には石造りのベンチがいくつもあり、ぽつぽつと人が座っているのが見えた。

アティアリアの現地人は浅黒い肌ばかりで、明らかにアティアリア出身ではない白い肌の僕たちは十分に目立ってしまう。

視線が集まるのを感じつつ、僕らはとりあえず向かい合ってベンチに腰掛けた。

当然のように、僕の正面にはプレマシー。

きらきらに輝かせた目を僕に向けてくる。

どうしたら最強になれるの、とか聞かれるんだろうなぁ、と困っていると、予想外の質問が来た。

 

「お兄ちゃん、正義の味方なんだよね?」

「へ?」

 

 思わず僕は、目を点にしてしまった。

正義って僕がか?

あまりに似合わない言葉に、苦笑が漏れそうになると同時、鋭い視線。

隣に座っている、フェイトによる物だった。

子供の夢ぐらい守ってやれよ、という視線なんだろうが、僕はそれを無視して告げる。

 

「違う違う、俺は正義の為に戦った事なんて無いさ」

「え? じゃあお兄ちゃんは何のために戦ってるの?」

 

 “何のために”。

刹那、脳裏を過ぎ去る複数の光景。

UD-182が息を引き取ろうとする瞬間。

穏やかな顔で娘を見るようになったプレシア先生。

死して尚はやての幸せを願ったリィンフォースの、最後の笑顔。

口から血の筋を零しながら、僕に呪いをかけたクイントさん。

継がなければならない信念、背中を見せなければいけない人たち。

それを、僕は常に心に浮かばせなければならないから。

だから。

原初の想い、UD-182のあの燃えるような信念を思い起こしながら、僕は言った。

 

「信念のためだ」

 

 ず、とプレマシーが身を乗り出す。

その光景はまるで、かつての僕がUD-182に惹かれた時のようで、内心懐かしさが過ぎった。

けれどそれは心の奥底に封印し、僕はできる限りの、作り物の野獣の笑みを作る。

 

「しん……ねん?」

「あぁ。ここの……」

 

 と言って、僕は自身の左胸を指さす。

 

「奥の方に、皆燃え上がる炎を持っている。その炎は、そいつにとって大切な何かの為だけに、燃え上がる事ができる。その炎を燃え上がらせる大切な何かを、俺は信念と呼んでいる」

「僕……そんなの、感じた事あったかな」

 

 不安げに視線を下ろすプレマシーに、微笑み僕は続けた。

 

「それはまだ、自分の炎に気付いていないだけだ。誰もが、自分だけの信念を持っている。気付いていてそれを知っている奴と、気付いていない奴と、気付いていても目をそらしている奴が居るがな」

「う~ん、よく分かんないや。でも……大切な人だけは分かる」

 

 と、僕と視線を合わせるプレマシー。

かがり火のような、まだまだ小さい炎ながらも、確かに燃え上がる炎がその瞳にはあった。

 

「パパとママだよ」

 

 圧倒されそうなぐらいの、意思の強さであった。

こんな子供の何処にここまでの意思が眠っていたのか、と驚嘆すると同時、彼と同い年の頃の、”家”で腐っていた自分を省みて情けなくなってしまう。

けれど僕は必死でそれを隠して、口を開いた。

 

「応、それでいい。なら、お前のパパとママを、何時か守れるぐらいにならないとな」

「うん……」

 

 と言って、俯いてしまうプレマシー。

見れば顔は、僅かに頬を赤らめている。

どうしたのか、と首を傾げる僕を尻目に、フェイトが声をかける。

 

「プレマシー、ちょっと恥ずかしくなってきちゃった?」

「う、うん。何かお兄ちゃんの前だと、普段なら恥ずかしくて言えない事、言えるようになっちゃって……」

「へ? 恥ずかしい事じゃないだろ?」

 

 と僕が告げると、呆れ顔で視線を交わす、フェイトにプレマシー、アルフ。

養豚場の豚を見るような、温度の無い目であった。

 

「ウォルター、相変わらずだね……」

「お兄ちゃんって……」

「たまにこいつ、アタシよりも……」

「な、なんか納得がいかんぞ……この展開」

 

 言ってちらりと視線をやると、リニスだけは何も言わず、代わりに困ったような目で僕を見ている。

しかし、それもまた微笑ましい物を見る生暖かい目である。

何か言い返さねばならないが、咄嗟に思いつく物もなく、焦る僕。

そんな僕を尻目に、大声が響いた。

 

「プレマシー!」

「あ、パパ、ママ!」

 

 と、何処かプレマシーと似た雰囲気を持つ夫婦が、休憩所の入り口に立っていた。

ベンチを下りて歩み寄るプレマシーをプレマシーの母が抱きしめ、父はその厳格そうな目を細めつつも、どこか安心しているのが見て取れる。

2人はすぐに僕たちに視線をやり、礼を言ってからプレマシーを叱りつつ、休憩所を去って行った。

それを僕らは笑顔で見送りつつ、視線を交わす。

 

「可愛い子だったね」

「えぇ。でも、ウォルターは割と子供の扱いが上手いですからね。ウォルターと一緒だと、子供も素直になる事が多いんですよ」

「たまに思うけど、それって脳みそのレベルが同じって事じゃあ?」

「おいおい……」

 

 と言いつつも、女三人寄ればかしましいとは言った物だ、割って入る隙が見当たらず、3人はぺらぺらと僕に地味な人格攻撃を仕掛けてくる。

僕は顔をひくつかせながら、ネタにされている現状と、休憩所から人が居なくなっている現状に3人が気付いていない現状に、二重の意味で溜息をついた。

わざとらしく、視線を辺りに。

気付いたリニスが眼を細め、遅れてフェイトとアルフが僅かに居住まいを正した。

 

 直後、こつこつと足音が響く。

廊下を歩いてきたそれは、入り口正面に差し掛かると同時、その靴裏の持ち主の姿を現した。

現れたのは、褐色の肌に銀髪碧眼の少女であった。

アティアリア独自の純白の巫女服は小さなその体躯を隠すゆったりとした物で、羽織るように白い長方形の布地を肩にかけている。

年の頃は僕やフェイトよりやや上、15歳前後と言った所か。

周りには足音一つ立てない護衛の魔導師が取り囲んでおり、彼らの魔力ランクはAからAAほどとかなり高め。

しかし少女の魔力ランクはそれさえも霞む、目測でSランクという恐るべき物。

肌を刺すような魔力に、しかし僕は平然とした表情でそれを迎え入れる。

 

「初めまして。ウォルター・カウンタック様、フェイト・T・ハラオウン様、並びにその使い魔様達」

 

 鈴の音のような、美しい声。

少女の護衛の表情に陶酔の色が混じり、僕は僅かに眼を細めた。

気にせ少女はスカートの端を持って軽く頭を下げ、その美貌にうっすらと笑みを浮かべる。

 

「私の名は、アクセラ・クレフ。アティアリアの巫女姫をしております」

 

 幻想的な声色で告げる少女。

彼女こそが、再生の雫の使い手としての最有力候補……、再生の雫を扱う事のできる宗教的儀式を受ける事のできる、最大の身分の持ち主であった。

 

 僕たち4人が返礼を告げ終えると、アクセラは先ほどまでプレマシーの座っていた、僕の向かいに腰掛けた。

護衛の魔導師が彼女を囲む正方形を作り、掌をデバイスに当てた姿勢で硬直する。

隣でフェイトが薄く汗をかいているのを尻目に、僕は厳重だが不用心だな、と思った。

4人がかりの防御結界だろうと、断空一閃の一撃で破壊する事は難しくないし、駄目なら返す刃で二撃目をたたき込めばいいだけの話である。

この距離であればさほど警戒する必要性も無いので、僕は早速口を開く。

とは言え、流石にいきなりのボス候補の登場で、緊張こそはしていたのだが。

 

「この次元世界の感想か何かでも聞きに来たんですか?」

「えぇ。あぁ敬語は要りませんよ? 私も先ほどの少年と同じく、貴方の一ファンでして。故にこそ、幾多の次元世界を救ってきた貴方の感想が気になるのです」

「そうかい、なら気楽に話させてもらうさ。さて、この次元世界の話だったな。……やたら砂っぽい気候だが、飯は中々いけるし、茶が美味いな。酒は残念ながら滅多に飲まないんで分からんが。服装も独特で、異文化情緒あって中々楽しい。それに、そうだな……、妙な噂話も聞くな」

「どんな?」

 

 僅かに身を乗り出すアクセラ。

僕は隣でパクパクと口を開け閉めするフェイトを尻目に、薄く微笑んでみせる。

実は飛び出てきそうな心臓を根性で押さえ、必死で裏返りそうになる声を平静に出して見せた。

 

「この次元世界では、死人が生き返る……とか」

「へぇ……」

 

 アクセラは艶然と微笑んだ。

銀嶺の髪が流れるシルクのように、少し前のめりになった彼女の肩から流れてゆく。

護衛とフェイト達に緊張が走り、僕は薄い微笑みを維持した。

場違いな笑みと共に、アクセラ。

 

「本当に人が生き返るなんて事があれば、どれだけ良かった事か。どこでもそうでしょうが、恥ずかしながらアティアリアにおいては不慮の死を遂げる方が多すぎますからね」

「……っ」

 

 隣で、プレシア先生の事でも思い出したのか、息をのむフェイト。

その両手が硬く握りしめられるのが視界の端に映り、僕は思わず視線はそのままに、フェイトに手を伸ばした。

爪が皮膚を裂かんばかりのフェイトの手に重ね、柔らかに包む。

目を向けていないのでどんな表情をしているか分からないが、少なくとも、握りしめられていた両手は脱力した。

結果に内心ほっとしつつも、僕は続ける。

 

「さて、そうかな。真面目に人が生き返る事を考えると、結構怖い未来が待ってると思うぜ?」

「さて、そうでしょうか?」

 

 頑なな光が、アクセラの瞳に宿った。

ここだ、と思い、僕は続けて口を開く。

 

「そりゃ、限られた命じゃあないと人の命は輝けない。俺はそう思っているからな」

「おや、そうなのですか?」

「あぁ。俺が今まで戦ってきた中で、多くの人が命を輝かせていた。それを見て来た実感から言うと、な」

「私の意見は違いますね」

 

 断言するアクセラに、僕は真剣に彼女の瞳を見据えた。

事件の中心人物が相手からこっちに来てくれるという、折角のチャンスなのだ。

彼女がどんな信念を持ち、どうその信念と向き合っているのか、知らねばならない。

 

「例えば、ですよ? 寿命ですら死ぬ事の無い永遠の命があれば、どうなると思いますか?」

「満足する……か?」

「えぇ。その結果として、自らの命の為に余計な選択をする必要性が薄れ、心置きなく自らの心に従う事が出来るようになるでしょう」

 

 そう告げるアクセラの瞳には、必要以上に頑なな光が見える。

しかし、それ以上にどんな意思が秘められていたのか、現時点では分からず、僕はその光景を脳裏に秘めておくに止める。

自信満々に言うアクセラの言い分は、まぁ、性善説度合いが高いが、分からないでもない物だった。

だが、果たしてUD-182が永遠の命を持っていたとして、彼の命を輝かせる事はできただろうか。

確かに彼は銃撃で死する事は無かっただろうが、障害の存在に燃え上がる彼の心が従前にその輝きを発揮できたとは、僕には思えない。

それに永遠の命があったところで、食料問題がどうにもならなくなり、いつかは破綻の日が来るだろう。

と思いはしたが、僕は別にアクセラと口喧嘩しに来た訳ではないので、こう告げるに止めた。

 

「ま、俺個人の意見としては、反対だってだけだ。与太話だがな」

「えぇ。しかし、あのウォルター・カウンタックと、与太話とは言え軽い討論が出来たとは、自慢話のネタにできそうですね」

 

 と、あちらも一歩引き、この話はここまでだと言外に告げる。

それから十数分ほど話しは続いたが、雑談以上の物にはならず、僕らは互いに内心を引き出すことなく会話を終える事となった。

 

 

 

4.

 

 

 

「ねぇ、ウォルター。私の事は、どう思うの?」

「へ?」

 

 宿屋の一室。

隣の部屋を取ったフェイトとアルフは一端僕の部屋に集合しており、部屋に結界を張った上で得た情報を整理していた。

それも一息ついて、ルームサービスで取ったあの甘ったるい茶を飲んでいる、その最中である。

唐突に告げるフェイトに、僕は思わず目を瞬く事しかできない。

話の流れが掴めない僕に気付いたのだろう、続けるフェイト。

 

「ほら、アクセラと人が生き返る事の話をしていて、ウォルターは人が生き返る事に反対していたじゃない? なら、人を生き返らせる為の人造生命体だった私の事は、どう思うのかな……って」

「フェイト、フェイトはそんなんじゃあ……」

「ごめんアルフ、ウォルターの意見、聞いてみたかったんだ」

 

 触れれば裂けそうなぐらいに、鋭い視線であった。

こちらに真剣さを必要とさせる類いの鋭さで、僕は内心たじろぎながらも、脳を回転させる。

フェイトを傷つけないための答えはすぐに思い当たったが、簡単に話せる類いの内容ではないので、脳内で数回読み上げ吟味。

多少UD-182に関連する真実に近い所があるが、真実の持つ重みが彼女の問いに答えるのには必要だと言う霊感もある。

それにフェイト相手なら問題ないと言う結論が出て、僕は素直に口を開いた。

 

「別に何とも思わないぞ。人を生き返らせようとしたのはお前じゃないし、人造生命だって事も特に。っつーか、俺も人造魔導師の類いだしな」

「……へ!?」

 

 その場で飛び上がるフェイト。

驚くのも分かるが、そんなに驚くべき事だっただろうか。

あんまりにもオーバーなリアクションに、僕は思わず目に呆れの色を浮かべてしまう。

漫画かよ、という内心の突っ込みは口に出さず、慌ててフェイトが喋り始めるのに耳を傾けた。

 

「じじじ、人造魔導師? え? え?」

「と言っても、実験施設で実験体として色々されてたって記憶があるだけで、人造魔導師なのか攫われてきた実験体なのかは不明だが……。まぁ、俺自身の強さを考えると、人造魔導師って考えるのが妥当だろうな」

 

 息をのむフェイト。

視線を狼狽えさせながら、落ち着かない様子でフェイトが言った。

 

「でも……あれ、ウォルターって小さい頃、一人で賞金稼ぎしてきたんだよね。助けてくれた人は?」

「いや、俺が自分一人で逃げ出したんでな、そーゆーのは居なかったぞ?」

「…………」

 

 絶句するフェイトを尻目に、僕は肩をすくめる。

事実、生きて逃げ出せたのは僕一人、間違っては居ないだろう。

そう思いはするのだが、それでも心の奥を痛痒が走るのは避けられず、僕は内心震えた。

そんな僕の内心を精神リンクもあって悟ったのだろう、静かに隣に座ったリニスが僕の手を握る。

それで初めて、僕は手先が微細に震えていた事に気付き、自己嫌悪とリニスとの感謝で、脳内がない交ぜになった。

そんな僕に気付いていない様子で、フェイト。

 

「……その、ウォルターなら、他の実験体の子も、助けられたんじゃあないかな」

「…………」

「同じ人体実験で苦しめられている子供達を、救おうとは思わなかったの?」

 

 フェイトには似合わない、無神経な問いだった。

自分が人造生命である事に悩み、一度はアリシアとなって自分を捨てようとしたが故の焦りか何かなのだろうか。

当時の実力を考えろ、無茶言うなよ、と返すのは簡単だった。

しかしそんな彼女に冷たい返事をしたくはなかったし、それ以前にウォルター・カウンタックに弱音は吐けない。

真実を微妙に隠した言葉を告げる。

 

「まず、一人居た友達は一緒に逃げようとした。脱出の最後に死んだがな」

「……っ」

 

 息をのむフェイトとアルフ。

僕の手を握る力を強くする、リニス。

僕は泣きそうになる自分の手綱を必死で持ち、続けて告げる。

 

「ただ、他の奴らはなぁ……。脱出に二回失敗したけど、そのどちらもいくら呼びかけたって、誰一人外の世界に出ようとしなかったんだ。どうしようもねぇから、俺はついてきてくれた友達と二人で逃げ出したんだ」

「…………そっか。変なこと聞いて、嫌なこと思い出させちゃって、ごめんね」

 

 ぺこりと頭を下げるフェイト。

いいってことよ、と返し、甘ったるい茶を口にする僕に、独り言を囁くような音量でフェイトが呟いた。

 

「なんか、寂しいな……」

「ん?」

「いや、何でも無いよ、ただ……」

 

 僕が疑問詞を口にすると、目を見開き、慌て両手を振りながらフェイト。

その動きを止め、僅かに眼を細め、フェイトは手を下ろした。

それから眩しい物を見る目で僕を見つめ、静かに微笑み告げる。

 

「ウォルターは、本当に強いんだな、って」

 

 違う、と叫びたくなる内心を、全力で押さえつけて。

涙を零さんとする顔面を、表情筋で捕まえて。

噛みしめたくなる歯を、必死で僅かに浮かせて。

告げる。

 

「さて、俺が強いかどうかは分からんが……。お前が思うのなら、そうなのかもしれないな」

 

 僕はそう言って、満面の笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 



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5章2話

 

 

 

1.

 

 

 

 夜闇が世界を包みはじめる頃合い。

本来なら見えるだろう夕焼けは、厚い砂塵に遮られてよく見えず、ただただその橙色の光をだけ通してその存在を見せつけていた。

砂塵が窓を叩く音を背景に、僕ら4人は再び宿屋の一室に集っている。

アクセラとの邂逅から3日。

それぞれの手段で探し出してきた情報を交換するためである。

 

「私たちは、アティアリアの次元世界代表官邸とカテナ神殿とに忍び込んで、そこの人員の話しを聞いてきました」

「猫・子犬モードでの盗み聞きだけどね」

 

 と、口火を切るリニスとアルフ。

アルフが獣耳をぴくぴくとさせ、リニスはそれを微妙な目で見つつ、自分の尻尾を滑らかに動かした。

自分の猫としての部分を嫌っているリニスとしては、アルフの獣っぽい行動は時折目に余るのだろう。

僕個人としては、リニスの猫っぽい所も可愛らしくて好きなのだが。

そんな僕の内心を尻目に、リニスはコホンと咳払いをし、順番に僕とフェイトを見つめた。

僅かに緊張し、言う。

 

「結論から言えば、ここの人員は、心が綺麗過ぎます」

 

 と言うのが、リニスとアルフの言い分であった。

権力を持つと人は腐敗するという何故か不変の法則が有るとおり、通常権力者はどんどん腐敗してゆく。

アティアリアは管理世界の中では後進的とは言え、それでも権力を握れば心が腐ってゆくのは止められないだろう。

無論心が綺麗なまま進んでいける人も居るには居るのだろうが、少数派には違い有るまい。

だがしかし、アティアリアでは違った。

 

「ここ一年ほどの政治において、不正が見つからないのです。証拠どころか、不正が行われたという形跡や、憶測されるべき物事すらも」

「まぁ、リニスの隠密魔法でも入れる場所が限られているんだけど、それにしてもさぁ……」

 

 恐るべき事に、ある時期以降、アティアリアの政治家の殆どは不正を一切しなくなったのだと言う。

正確に言えばリニスとアルフでは見つけられなかったという事になるのだが、それだけでも恐るべき事実である事に違い有るまい。

アルフの調査能力は知らないが、リニスのそれはプレシア譲りの頭脳に僕の戦いの中で磨かれてきた、一級の物である。

政治がらみは専門分野ではないが、不正に関する事を何一つ見つけられないというのはいくらなんでもおかしすぎる。

百歩譲って何かの出来事で政治家の心が綺麗になったとしよう。

清濁併せのむ事無い清廉な行為しかしない上司に苦労するのは、下の者である。

しかし。

 

「加えて、館内や神殿で働く者達も、心が綺麗過ぎるのです」

「この3日間、誰一人休憩時間にすら、愚痴の一つも言わなかったんだ。それどころか、冗談でも汚い言葉を使わない。馬鹿とか、阿呆とか、そんなのをね」

 

 気味が悪いぐらいだったよ、と言って肩をすくめるアルフ。

隣では悔しげなリニスが、溜息と共に言った。

 

「お陰で不正や噂話を見つける事もできず仕舞いでした。何かが異常だと言うことだけは分かったのですが、それ以上は……」

「面目ない。折角リニスとの共同捜査だったのになぁ……」

「そんなことないよ、私も大したことは調べられなかったし」

 

 と告げたのは、フェイトである。

腰掛けた椅子から体を前のめりにさせ、肘をつきながら言った。

 

「私は主に管理局執務官として、社交の場に出てみたよ。噂話とか、あの巫女姫……アクセラ・クレフの事とかね。彼女の評価は、真っ二つ。異常に彼女の事を賛美する崇拝者と、不気味に思っていて腫れ物のように扱っている人たち。前者と後者で、8:2ぐらいの割合かな。共通しているのは、魔導師としての力量が高いって事ぐらい」

「そりゃ随分だな……」

 

 どう考えても普通逆の数字に、思わず僕は軽く突っ込みを入れてしまう。

流石に呆れた僕の表情に、フェイトも困り顔になり、視線を足下へとやった。

少し頬を赤らめながら、続ける。

 

「まぁ、冗談なら良かったんだけどね……。本当なんだよ。事実は小説よりも奇なりだね。経緯としては、最初アクセラは御神輿扱いの魔導師だったらしいよ。まぁ、戦闘力があっても、宗教関連だし」

「アティアリアは建前では政教分離しているしな。建前ではだが」

「うん。まぁ、一年前までは実質、支持母団体にカトナ神殿が入ってたみたいだしね。でも教徒の中でもアクセラは御神輿でしかなかったみたい。実質的な権力は他の人間が握っていたんだけど……」

 

 と、そこで眉をひそめるフェイト。

顎に手をやり、ぷっくりとした唇を指で撫でながら、続ける。

 

「その人達、一年前から実質政治から手を引いているんだよね……。で、アクセラがいきなり賛美されるようになって、彼女の元に政治家が訪れる事が増えた」

「うへぇ……。なんか大体予想がついてきたな……」

 

 と、思わず漏らす僕に、フェイトもまた頷いた。

その瞳に複雑な光を浮かべつつ、異口同音に、4人で言う。

 

「洗脳」

「……だよね?」

「だよなぁ」

 

 思わず顔を見合わせる僕たち。

そういった魔法が得意なのか、それともロストロギアの類いの力なのか、もしくは噂の死者復活と関連していると思われる再生の雫にそういった機能があるのか。

どれが正解なのか不明だが、どう考えてもこの状況にはその類いの魔法が必要だ。

反吐が出るやり方に、僕は表情は軽いままに、僅かに歯を噛みしめる。

蘇生以前に洗脳された人間に、それこそアクセラの言う幸せなどある筈があるまい。

邂逅の時、アクセラが瞳に見せた頑なな光は、僕に内心を見抜かれないための防壁だったのだろうか?

それなら一瞬でもアクセラが信念を露わにしていると思った僕は、最低の間抜けだろう。

自分とアクセラの両方に対し、僕は腹腔が憎悪で熱く燃えるのを感じた。

さて、問題はその証拠なのだが。

 

「さて、俺の番だが……、俺はちょろちょろっと裏技を使って、証拠品を集めていた」

『証拠の撮影物です』

 

 とティルヴィングのコアから写真を投影、空中に書類の類いを何枚か映す。

投影された内容は、死んだ筈の人間とその顔写真と、その人間が死亡日以降に平気な顔をして歩いている写真である。

思わず、と言った様相で目を見開くフェイトにアルフ。

2人がパクパクと口を開け閉めしている間に、僕が続ける。

 

「入手先は秘密だが、これで裏が取れただろう? この中にフェイトが言う賛美者は混じっているか?」

「な、ウォル……うぅ、分かったよ。えーと、この中では少なくともこの3人はそうかな」

 

 秘密と言っても、単に忍び込んで撮ってきただけであった。

当然の如くフェイトから追求が来ようとするも、無駄と悟って彼女は話を続ける方を選ぶ。

実を言えば結構胃を痛めていた小心者の僕は、内心ほっと溜息をついた。

法の網をかいくぐったり、グレーギリギリの行為をするのは慣れっこだ。

しかし流石に、執務官のフェイトにそういった行為の拾得物を見せるのには勇気が要った。

無論話がこじれるのは単純効率の悪さでも嫌だが、そもそもテスタロッサ家と関係の深い僕である、正直フェイトに嫌われたくない気持ちはかなりある。

というか、僕は人間としてフェイトの事を結構尊敬している訳で、彼女に嫌われる事を想像すると体が一回り小さくなったんじゃないかというぐらいの不安が沸いてくるぐらいだ。

彼女が多少の清濁を併せのんでくれて良かった、と安堵しつつ、続けて告げる。

 

「ま、他にも資料はあるが、これで決まりだな。あとは管理局に要請して正式な調査をすれば、片が付く話だ」

「え? でも、普通こういうのはすぐに隠蔽……って、あ、そうか」

「あぁ」

 

 言って視線をリニスへ。

自信に満ちた微笑みと共に、彼女が告げる。

 

「アティアリアの政治家は、ここ一年ほど不正をしていません。これが洗脳によるものであれば、実際に操作が及ぶまで不正を隠す事も難しいかと」

「他の命令を受けているとしても、命令の矛盾で手際悪い隠蔽しかできないだろうな。ま、今回は俺の出番は……」

 

 直後、僕のシックスセンスに引っかかる僅かな魔力の揺らぎ。

溜息。

胸元のティルヴィングを握りながら、眼を細めるリニスを尻目に、視線をフェイトとアルフへ。

 

「無かったら、良かったんだけどなぁ」

「……っ!」

 

 遅れてフェイトとアルフが腰を浮かすと同時、宿のドアが吹き飛び、窓硝子が割れて四散する。

僕は窓側をリニスに任せ、吹っ飛ばしたドアごと切断してこようとする斬撃を、セットアップしたティルヴィングで切り払う。

槍型デバイスを離さず吹っ飛ぶ前衛魔導師と、それを避け構えを見せるもう一人の前衛魔導師。

背後からは二色の光弾が黄色の弾丸に打ち負けていくのが垣間見えた。

鼻で笑い、バリアジャケットの黒いコートを翻しながら、僕は叫んだ。

 

「やれやれ、たった4人とは俺たちも安くみられたもんだぜ!」

 

 言うと同時、階下と階上で魔力反応。

天井をぶち抜きながらハルバードを振るう魔導師に、アルフの防御魔法が拮抗し、部屋の端へと押し戻す。

床板をぶち抜いてきた砲撃は、フェイトがバルディッシュを振るい窓側へと弾き、弾幕を張ろうとした魔導師を牽制した。

6人の魔導師は、全員がAランク前後の魔力を秘める強力な魔導師である。

刹那、沈黙。

疲れ果てた声で、フェイトが呟く。

 

「……ウォルター、口は災いの元って、聞いた事ない?」

「…………ちょ、丁度いいぐらいのハンデだなっ!」

 

 引っ込みが付かなくなった僕のセリフと同時、強烈な魔力反応が遠方から。

思わず防御を固める僕らを尻目に、世界が震える。

地震と間違うような振動が走るが、アティアリアは地震など滅多に起きない大陸である上に、魔力反応の炸裂が僕らにその結果を教えた。

 

「小規模次元震……!」

「く、次元震自体は他次元世界から観測できない程度の小規模さですが、これは……他次元世界との通信が絶たれている!? という事は、転送もですか!?」

 

 そう、僕ら4人はアティアリアに閉じ込められたのである。

遅れて僕は、フェイトの言う先輩執務官がどんな運命を辿ったのか理解した。

フェイト曰く彼女より凄腕の先輩達は、当然の如く真実を突き止め、そしてこんな風にアティアリアに閉じ込められた上で洗脳されたのだろう。

そしてその後管理局を辞し、アクセラの私兵辺りにでもされているに違いない。

非協力的だという管理局の出張所も、恐らくは既に全員洗脳済みか。

そんなことを考えつつ、僕は静かに視線をちらりとフェイトへ。

ジト目で見つめている彼女に、思わず視線を大きく逸らす。

 

「ウォルター……?」

「ご……ごめんなさい」

 

 と、僕が謝った、その瞬間である。

ドアに立つ3人の魔導師が、本来塞ぐべきドアがあった場所を空けた。

同時、僕の耳は床板の軋む2人分の足音を捉えている。

いくらなんでもオーバーキル過ぎはしまいか、と思いつつも、僕はフェイト達と目配せ。

流石に場所も人数も悪い、立て直そうと意図を交換する。

そんな僕らを尻目に足音は近づいてきて、ついにその姿を現した。

 

「え……?」

 

 と、フェイトの呆然とした声。

一人目の魔導師は、紫色の髪を腰まで伸ばし、僕に何度言われようと止めなかった邪悪な魔女のようなドレスのバリアジャケットを着た、妙齢の女性。

その恐るべき魔力を隠す事無く足を進め、3人の魔導師の真ん中に陣取る。

手には宝玉のついた、さんざんティルヴィングでぶつけ合った記憶のある、あの杖型デバイス。

その瞳には哀愁が込められ、かつてとは違う冷静さを宿したままに。

彼女の名は。

 

「プレシア母さん……?」

「えぇ。久しぶり……と言うには、まだ早いかしら。私の葬式から、1年も経っていないようだしね」

 

 戦慄するフェイトの声色は、明らかに正常の色を失っている。

しかし僕は、そんな彼女を気遣う余裕など無かった。

僕は頭の中が真っ白になるのを自覚しながら、静かにその後ろから現れた、10歳児の肉体に魂を秘める、当時と変わらぬ彼を見つめていた。

黒髪黒目。

中性的な僕の顔を男性的にしたような、僕と割と似ている顔の作り。

AAランク相当という高めの、そして肌を刺すような恐るべき質の魔力。

“家”で着せられていた、薄いグリーンの患者衣。

そして何より、その秘める魂を体現したような、激烈な表情。

 

「UD-182……?」

 

 僕は、震える声で問うた。

どうか答えないでくれ、とも、どうかその通りであってくれ、とも、どっちつかずの願いを込めながら。

リニスが息をのむ音。

疑問詞を浮かべるフェイトとアルフ。

それらを置き去りにして、果たして願いは片方叶えられた。

彼は静かに口を開き、その炎の声で言って見せたのだ。

 

「あぁ。久しぶりだな、UD-265。……7年ぶりって所か」

 

 僕は全身全霊を賭して、この場で崩れ落ちない事を維持せねばならなかった。

 

 

 

2.

 

 

 

「操り人形って所だ」

 

 油断無く構えながら、UD-182は言った。

僕の記憶と寸分の違いも無い様子に、必死で手綱を取ろうとする心が暴れ回る。

許されるなら、僕は今ここで跪いて泣き出したいぐらいだった。

けれど状況が辛うじて僕を押しとどめ、続く彼の言葉にそれが正解だったと知る。

続いて、自身の行為の正しさに喜べばいいのか、それともUD-182が完全な姿で復活したのではないことに嘆けばいいのか、一瞬迷ってしまった。

というか僕は、もし後者だったとして、どうするつもりだったのだろうか。

余裕があれば考えたい事だったが、戦闘態勢に入ってから考える事ではあるまい。

考えを先送りにし、僕はティルヴィングを握る手に力を込める。

それを、どうしてか喜ばしげにUD-182。

 

「ま、完全な洗脳って訳じゃあないが、アクセラに蘇生させられた人間は与えられた命令に逆らえないみたいだ。つってもこの6人は何の命令も与えられていないらしいがな」

「私たちに与えられた命令は、話せないわ。理由は察してちょうだい」

 

 言って、プレシア先生が全員に視線をやった。

僕にとって恩師である彼女もまた、僕にとって割とクリティカルな敵なのだが、流石にUD-182のインパクトが前では霞んでしまう。

震えを辛うじて押さえながら、やっとのことで僕は仮面を被ったまま口を開く。

 

「命令を話せないっていう命令、か」

「応。で、続いて本人から話しがあるみたいだぜ」

 

 言って、UD-182が視線を中空へ。

直後空中に平面映像が投影、白い巫女服を着た褐色肌の少女、アクセラが映る。

ぺこり、と一礼。

その翡翠の目を僅かに細め、口を開く。

 

「こんにちは、ウォルター様、フェイト様、そして使い魔のお二方」

「アクセラ・クレフ……」

 

 フェイトが怖々と告げるのに、アクセラは天使のような柔らかな笑顔を浮かべた。

呼び捨てに6人の魔導師達がデバイスをカチャカチャと言わせるが、正直、僕もフェイトもそれを気にする精神の余裕が無い。

僕もまた、周囲への警戒がおろそかになるほどに映像に集中する。

 

「見ておわかりになったでしょうが……、一から説明します。私は管理局の定めるロストロギア・再生の雫を持っています」

 

 言って、胸元からペンダントを取り出すアクセラ。

褐色の手の先には、銀の鎖で繋がれた青い涙滴型の宝石がある。

あれが、再生の雫。

死者蘇生のロストロギア、と聞いては居たが。

 

「私は再生の雫を用いて、死者を蘇らせる事ができます。そしてそれは、死んだ直後に限らず、私が直接は知らない人間も生き返らせる事ができるのです」

「……参考までに、どうやってなんだ?」

「今回の場合は、ウォルター様とフェイト様、2人にとって最も大切な死者を選ばせて貰いました」

 

 瞬間、背筋を悪寒が走る。

最も大切な死者という台詞に、思わず僕はクイントさんの事を想起してしまった。

無論、僕にとってUD-182が最も大切な死者である事に変わりは無いが、既に処理できている部分が多いのは確かだ。

対しクイントさんの死は、未だ消化しきれていない部分が多い。

つまりもし、アクセラの選んだ条件が違えば、クイントさんが現れた可能性すらあったのか。

どちらにしてもクリティカルな事には違いないだろう、果てしなく嫌な可能性だった。

 

 いや、しかし、それにしても、と僕は思う。

それにしても、アクセラの条件はちょっとファジー過ぎないだろうか?

最も大切なんて曖昧模糊とした条件で、それでも死者を生き返らせる事なんて本当にできるのだろうか?

疑問が頭を過ぎるが、目前のUD-182が偽物とは思えない現状、無意味な問いでもあった。

とりあえず保留にする、という選択肢を選ぶ僕。

そんな僕に対し、アクセラは微笑みと共に言った。

 

「そして私はこれから、再生の雫を使って死者の無い世界を作ろうとしています」

 

 半ば予想していた答えではあった。

フェイトがいきり立って半歩前に出ようとするのを、僕は止めた。

何か言いたげにするフェイトに、僕は軽く視線を送って黙らせる。

続けて僕は言った。

 

「この2人は、その証明の為に蘇生したのか? それとも、俺たちに対する戦力のつもりで? それとも……人質のつもりでか?」

「さて、それはどうでしょうかね? その判断は、あなた方に任せますよ」

「…………っ!?」

 

 息をのむフェイト。

そう、僕らは死者蘇生のメカニズムなど分かるはずなどなく、故に僕らは証明できないのだ。

アクセラがUD-182とプレシア先生を蘇生したように、今この瞬間殺す事ができない、などとは。

それが自然な状態に戻るだけだと分かっていても、UD-182が再び死んでしまう事を考えると、僕は今にもこの場で卒倒してしまいそうになる。

けれど様々な意味で僕はそれを己に許せない。

仮面を外してしまう行為でもあるし、何より僕はUD-182の前でも格好付けたかったのだ。

あまり彼の前で、無様な格好を見せるわけにはいかない。

それは自然に沸いてきた感情であると言うより、むしろそうでも思わなければ立っている事すらできないかもしれないから、という理屈と利益に基づく感情であった。

そんな風に必死で自分を奮い立たせる僕に精神リンクで気付いているのだろう、いつの間にか近づいてきていたリニスが僕の肩に手をやった。

僅かに震えながらも、僕は必死で歯を噛みしめ沸いてきそうな涙を奥底に沈める。

決して乱れぬよう鍛錬した筈の呼気までもが、僅かに乱れた。

 

「さて。死者の無い世界は、私の理想です。死の恐怖の無い世界で、人間は必ず利己性を捨てる事ができ、必ずしや人類全体への幸福がもたらされる事でしょう」

「何故言い切れる?」

 

 鋭く……というより、鋭くあってくれ、と願うように僕は言った。

幸い不自然な声ではなかったらしく、当然の疑問を待ち構える目のアクセラ。

反論する程度で一々UD-182が殺される可能性は低い、と分かっていても、心が折れそうになる。

肩から伝わるリニスの体温と、共に戦い続けてきたティルヴィングの冷たい温度だけが、辛うじて僕を支えていた。

 

「再生の雫を使えるのがお前しか居ない事や、再生の雫が一個しかない事に、再生の雫が次元震のリスクを孕んでいる事。それら3つは、絶対に解決が不可能って訳じゃあない。再生の雫の過去の適正者や制作者を蘇生すれば、それで済む話だからな。当然いくつかは難問もあるんだろうが、絶対不可能って訳では無いんだろう。だが、食料問題に土地問題はどうやって解決する? いや、それ以前に人間が利己性を捨てるとは思えねぇが……」

「あら、話が早いですね。以前同じ提案をした執務官の方々は、毎回その3つの問題もこちらから解説しなければなりませんでしたわ」

 

 にっこりと微笑みながら、アクセラは両手を広げた。

満面の笑みを浮かべ、告げる。

 

「食料問題と土地問題は、そもそも蘇生に特有の問題ではありません。延命技術の発達には必ずついて回る問題ですよ。この点で医療の進歩を批判せずに死者蘇生を批判するのは、程度問題に過ぎません。そして、死者蘇生が大々的に行えるようになれば、過去の偉人をいくらでも蘇生できるのですよ? 悲観する程の問題だとは思いませんがね」

「技術の発展には才能だけじゃなく時間も必要だと思うが……、そこは主張はできても、お前を説得できる程の明快な理屈ではねぇか」

「お早いご理解で」

 

 一応僕も魔法技術においてある程度の知識は持っており、当然技術史もかなり簡単にだが頭に入っている。

とは言え専門家ではないのだ、アクセラを説き伏せるほどの理屈は唱えられなかった。

が、僕にとって最も大きな問題はそこではない。

誤魔化しで説得されるつもりはない、と睨む僕に、微笑みながらアクセラ。

 

「そして、死の無い世界で人間が利己性を捨てる理由、ですね?」

「あぁ。そんなもの、ある訳が……」

「あります。事実、あなた方は見て来たでしょう?」

 

 瞬間、背筋が凍り付くような戦慄。

まさか、と呟く僕に、フェイトが小さく、え? と疑問詞を呟いた。

指先まで冷え切り、微細に震える僕に、アクセラが告げた。

 

「アティアリアにおいて、死者蘇生を知る人々は皆、不正をしなくなった事を。……心が綺麗になり、罵詈雑言すらしなくなったという、明快な事実を」

「…………ぁ」

 

 誰が呟いた言葉だったのだろうか。

小さな、喉が震えるような声を最後に、その場に沈黙が満ちた。

重苦しい沈黙の中、僕は最早思考を上手く回転させる事すらできなくなっている。

UD-182の蘇生、仮面の意味、戦う意味、死の無い世界は本当に否定すべきなのか、今言われた事実の反証。

考える事が多すぎて、流石に頭が回らない。

だが、頭は混乱し、心はふらついていても、体に染みついた仮面は、僕を動かして見せた。

チャキ、と小さな金属音。

無言で僕がティルヴィングを構えた、その音であった。

 

「交渉決裂……というより、冷静に考える為の時間稼ぎ、という所ですか。しかし、ウォルター様の戦闘能力であれば、一人で次元震の影響を乗り越えて逃げる事も不可能ではないでしょう」

「いや、流石にそれは無理だと思うが……」

 

 言いつつも、僕は己から発する魔力をより濃密にしてゆく。

戦闘準備、の振りをして近くの次元世界の管理局支部に強化念話を送ってみると、アティアリアの外に通じはしないのだが、手応えが全く無い訳ではなかった。

リニスの技術でも僕の超魔力でも通じないとなると念話不可能と言えるだろうが、次元震の発生地から離れれば、確かに連絡も不可能とは言い切れない。

まぁ、転送は博打過ぎて流石にしたくないのだが……。

とにかく。

するとアクセラ達は僕らを野放しにする事はできず、かといって監視下でゆっくり考え事ができると思う程、僕は状況を楽観視していなかった。

当たり前だが、アクセラが死者蘇生を知る人間全てを洗脳しているという可能性も別に無くなった訳ではないのだ。

そして僕は、自分の精神力という物を1ミリたりとも信用しておらず、洗脳に対抗できるなどとは考えていなかった。

となれば、少なくとも現時点では決裂である。

同じ結論に至ったのだろう、フェイトもまたデバイスを握る力を強くするのが、視界の端に映った。

 

「では、貴方が考えを改めて、自らカテナ神殿に来てくださる事を祈っております」

「抜かせっての……」

「そんなこと、無いですっ!」

 

 呆れた僕の声と、フェイトの強がった声を最後に、投射映像が切れる。

僅かな沈黙。

僕は視線を下ろし、UD-182へとやった。

なんでだろうか、意味は不明だが、やたらとキラキラした目で拳を構えるUD-182。

真逆のテンションでティルヴィングを構える僕。

 

「へへ、そいじゃあ喧嘩って事になるわな。お前が強くなるとは思っていたが、この年で次元世界最強の魔導師なんて呼ばれてるたぁ、思ってなかったからなぁ。楽しみで仕方ねぇや!」

「君は……」

 

 と言ってから、僕は歯を噛みしめた。

万力で全身を制御し、心臓の鼓動さえ操ろうとするぐらいの心意気で仮面を被り直す。

眼を細め、敵意を込めて言い直した。

 

「お前は、本当に元気だな……。本当にな」

「へへっ、それが取り柄でなぁ!」

 

 叫ぶと同時、UD-182を中心に魔力の奔流が風を巻き起こす。

隣ではプレシア先生が溜息交じりに超常の魔力を解放し、紫の魔力光をうっすらを放ち始めた。

僕もフェイトもリニスもアルフも戦闘態勢へ、周りの6人の魔導師達もデバイスを握りしめて。

戦闘の火蓋が切られようとする、その時である。

UD-182が、何でも無い事のように言った。

 

「そういや、戦闘中に分かって動揺されたくないから言うけどよ」

「何だ?」

「俺たちは純魔力生命体って奴になってるみたいだからな。非殺傷設定魔法……魔力ダメージでも、食らえば物理ダメージと食らったのと同じ事になるみたいだぜ」

「…………は?」

 

 思わず呆然とする僕に向かい、UD-182は床を蹴った。

 

 

 

3.

 

 

 

「おぉぉおぉっ!」

 

 咆哮。

同時、ティルヴィングを器用に振るってUD-182の手を柔らかく弾く。

そのまま反転、Aランク魔導師達の魔力弾を弾き返しつつ、咄嗟にそのまま切り捨てようとして、押し止まった。

UD-182の言は本当らしく、これまでの幾度かの交錯でUD-182の防御を抜いた攻撃は、物理ダメージとして通っている。

そしてそれは他の6人の魔導師達も同じようであり、それはつまり、僕の超魔力で切りつければ殺してしまう可能性すらあると言うことだ。

これが、心底の敵であると確信している相手であれば、僕は心を押し殺して殺人にすら手を出していたかもしれない。

しかし僕は、未だにアクセラの言葉を否定しきる事ができなかった。

全力攻撃の代わりに魔力を手加減した攻撃を放つも、その一瞬の合間を使って避けられてしまう。

舌打ち。

 

「やりづらい事この上ねぇな、本当!」

「ウォルター、バインド苦手だもんね……」

 

 言いつつ、フェイトもまた苦戦している。

こちらはそもそも全力を出せても勝てるかどうか不明なプレシア先生相手であり、リニスを彼女の援護に行かせ、アルフを加えて3対1なのだが、それでも互角と言った所か。

残る魔導師とUD-182をまとめて相手にする僕も、流石にこの人数差で苦手なバインドを決められる余裕は無い。

それでも未だに相手をできているのは、魔力による力押しではない、技術による魔剣技を鍛えていたからだろう。

それを悟っているのか、目を爛々と輝かせるUD-182。

 

「すげぇ……、あんなに剣とぶつかってるのに、俺の拳、壊れるどころか殆どダメージがねぇぞ……!! なんつー剣技だよ!」

「余裕だなぁ、おい!」

 

 叫びつつ僕は、フェイトと視線を交錯。

この場は逃げるが勝ちと伝え合い、同時に魔力を床板にたたきつける。

白と黄金の閃光を目くらましに、僕らは宿の窓から飛び出した。

残っていた窓硝子が空中を舞い、砂っぽい空気の中、夕焼けの放つ最後の光を反射する。

遅れて、空中を舞う僕らへと雨のように直射弾が飛んできた。

定石通り地上へ向かって逃げて人混みに紛れようとするフェイトの襟首を掴み、僕は急上昇。

 

「な、何を!?」

 

 とフェイトが叫ぶと同時、地上の人々すれすれの所の巨大な紫の雷が、数本。

外部供給無しでもSランクという超常の魔力によって放たれた、プレシア先生の砲撃魔法であった。

食らっていれば、防御の薄いフェイトでは致命的となり得ただろう。

 

「あ、ありがとう……」

「ま、いいって事よ。とりあえず逃げ切る方法を考えなくちゃなっと」

 

 青い顔で告げるフェイトの襟首を離し、ティルヴィングを構える僕。

砂塵を切り裂く雷を見たのだろう、人々が悲鳴を上げ始めるのが眼下に見えた。

何とか苦手な閉所から空中へ出てフルスペックを発揮できるようになったのだが、そもそも非殺傷設定が意味を成さない今、さほど大きいアドバンテージとはならない。

加えて不幸な事に砂塵は晴れ間に入ったらしく、視界は悪くないため、逃げる難易度が上がっている。

ついでに言えば、地上ではここから逃げだそうとしている人ばかりのため、あまり時間をかけると紛れる人混みが無くなってしまう。

内心溜息をつきながら、砂塵を突っ切ってきたUD-182の拳をティルヴィングの腹で受け止めた。

視界の端では、プレシア先生へと接近しようとするフェイトの姿が。

本人を攻撃できないのでデバイス狙いか、と内心見当を付けつつ、僕は意識を目前のUD-182へと。

 

「ははっ、命令で縛られてるのは気分悪ぃけど、まさかお前と戦えるなんてなぁ! いい日が来たもんだぜ!」

「……さっきは元気つったけどな、それを通り越して呑気だよ、お前は」

 

 言いつつ、僕は内心不安を感じた。

僕は、UD-182は死の無い世界に反対していると思っていた。

けれどそれにしては彼は楽しそうに僕に殴りかかってくるし、特別アクセラに反抗しようとしている様子も無い。

もしかして、と言う恐怖に、僕は内心打ち震えた。

疑問詞が、流れるように口を突いて出る。

 

「と、いうか。お前は死の無い世界に、賛成なのか?」

「へ? なんでお前がそんな事を聞くんだ? 俺の意見がどっちだろうと、お前はそれに左右されないだろ?」

 

 純粋に疑問に思っている様子のUD-182に、ぴくりと僕は震えた。

UD-182が賛成だとして、僕は果たしてどうするのだろうか。

そもそも僕が仮面を被って生きてきたのは、UD-182の信念を世に示すためである。

死の無い世界がUD-182にとって否定すべきもの、という僕の考えが、もしも間違っていたのだとすれば。

僕は、アクセラに協力すべきではあるまいか。

管理局などの勢力と戦って次元世界から死を駆逐する戦士として、彼女に従うべきではあるまいか。

それも、かつての夢の通り、UD-182の隣で剣を振るって……。

 

 僕は内心頭を振るい、甘い夢想をはじき出した。

あまりゆっくり考えられる状況ではない今、まともな考えが僕にできるとは思えない。

一端引くという一時的な目標を忘れてはならない。

それを自身の胸に刻みつけるように、僕は固い声で言った。

 

「まぁな。でも聞いておきたいのが人情ってもんだろ?」

「……そう、か。ま、俺は賛成だがな」

「…………っ」

 

 悲鳴を上げないようにするので、精一杯だった。

流石に動揺を隠せない僕に、何処か訝しげな視線を向けながら、UD-182。

 

「つっても、アクセラの言葉が全部正直で正確な物だった、っつー前提の上でだが……。俺は、死の無い世界だろうと人の魂の輝きが無くなるとは思っていない。少し違う輝き方にはなるだろうが……」

 

 言って、UD-182は視線を僕の目へ。

その圧倒的な精神力が、物理的圧力を伴っているかのように、僕へとたたきつけられる。

心に火が灯るかのような感覚。

胃のもっと奥の、腹腔が燃えさかるかのように熱くなる。

何時も悩みうじうじしてばかりの僕の心の汚濁が、燃えさかる炎と触れ合い、爆発するかのような勢いでその莫大な熱量を解放した。

 

「必ず、人は輝ける。俺はそう信じている!」

 

 理屈なんて無いに等しいのに、信じたくなるような言葉であった。

これが。

これが、UD-182だ。

オリジナルの、最も輝ける人類の至宝たる魂。

僕の親友にして、僕が全てを賭してでもその存在を証明し続けたかった、燃えさかる炎の心。

 

「だから、俺はお前が相手であっても戦う。俺の信じる物の為に。掴むんだ、求める物を! 俺はそれを、絶対に諦めない!」

 

 構えるUD-182の魔力は、高い事は高いが、僕よりも数段下の物。

相手になんてならない筈で、本気で戦えば数合で僕が勝つ事間違いない。

だが、なのに一体何なのだろうか、この威圧は。

全身を針で刺すような緊張感が襲い、僕は反射的にティルヴィングを構え魔力を解放していた。

力の差は歴然で、僕が勝つと言う未来は確定している筈なのに、死の気配すら感じる緊張感でいっぱいになる。

恐怖に顔面が熱くなり、涙が出そうになるのをこらえるのに、僕は必死だった。

 

 勝てない。

何故か、そんな確信が僕の中に過ぎりさえする。

僕は、つい口を開いた。

 

「僕は……」

 

 いや、と僕は辛うじて口を閉じる事に成功する。

しかし、彼を前にしては、それですら遅かったのだ。

UD-182が目を見開き、呟くように言った。

 

「お前……もしかして、この7年で変わったんじゃあなくって」

 

 止めろ、止めてくれ。

内心で泣き叫び、僕は今すぐに出さえティルヴィングを振るって彼の口を閉ざさせるべきだと思うのだが、体が言うことを聞いてくれない。

結局僕が止める間もなく、UD-182は言った。

 

「仮面……、なのか?」

「…………っ」

 

 息をのむという僕の言外の肯定に、UD-182は呆然と目を瞬く。

僕は、真っ白になった頭で何も考えられず、ただただ棒立ちになっていた。

UD-182が、次に口を開こうとした、その瞬間である。

 

「きゃぁあっ!?」

「フェイトっ!?」

 

 悲鳴。

僕は咄嗟に高速移動魔法を発動、負傷したフェイトの前に立ち、カートリッジを排出。

超常の魔力を発揮し、反射のままに目前に迫る砲撃へと剣を振るう。

 

「断空一閃!」

 

 咆哮と共に、紫色の雷を切り裂き、それでも僕の断空一閃はまだ終わらない。

そのまま回転しつつ、追撃として放たれた6人の魔導師達の砲撃魔法を相殺。

続けて直射弾をばらまき、牽制の一手とする。

運が良いことに、包囲の一部が今の攻防で空いた。

 

「あんた今まで何を……!」

「すまんアルフ、今は逃げるぞ!」

「あぁ、もうしょうが無いねぇっ!」

 

 リニスとアルフと共に、僕はフェイトを抱えながら、何も考えずにただただ直射弾をばらまいた。

流石に足を止める魔導師達を捨て置き、最高速度の飛行魔法でこの場を逃げだそうとする。

その最後に、僕の耳朶へとUD-182の叫び声が、聞こえてきた。

 

「俺はお前に、そんな生き方をして欲しくって、夢を託したんじゃあないっ!」

 

 心が削がれるような、このまま墜死しそうになってしまいそうな、恐るべき重さの言葉。

それでも、抱えている傷ついたフェイトの体温が辛うじて僕の意識を引き戻し、僕は辛うじて墜ちずにその場から逃げ出す事に成功したのであった。

 

 

 

 

 



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5章3話

 

 

 

1.

 

 

 

 差す夕日を砂塵が包む街中。

その裏路地を、滑るような速度で駆けてゆく影が四つ。

僕を含め、全員ともアティアリアでは珍しくも無い、全身に大きな布を巻き付けるような服装である。

大して役に立ちそうも無い迷彩だったが、今の所は有用に働いているようで、UD-182らから逃れてから、今の所敵との遭遇は無い。

それでもいくつか用意してある隠れ家へはまだ距離がある、急がねばならない。

そう思って地面を蹴る靴裏に少し力を込める所に、フェイト。

 

「ウォルター、あれ……」

 

 密やかな声に、僕は足を止め、フェイトが指さす先を見据えた。

魔導師である。

男が3人、バリアジャケットを展開しデバイスを構え、悠々と歩いていた。

つい先刻宿で僕達を囲んだ者達では無いが、似た意匠のバリアジャケットである事から、アクセラの手の者だと知れる。

視線を交わし、僕らは方向転換をしようと意識を統一。

踵を返そうとした瞬間、魔導師達は近くの民家のドアへと魔法を放った。

物理ダメージ設定で放たれた直射弾はドアの鍵だけを破壊、その反動でドアが彼らを招き入れるように開く。

 

「何だ……? 偽の情報でも掴まされたのか?」

「分からないけど。まさか綺麗な心を持つようになった筈なのに、自国民を傷つける筈が……」

 

 と、僕らが無視しようと半ば定めたその瞬間である。

 

「お父さんとお母さんから離れろ-!」

「……っ!?」

 

 かつて出会ったアティアリアの少年、プレマシーの声。

僕らが目を見開き、咄嗟にデバイスに手を伸ばした、次の瞬間。

魔力光のフラッシュが、開け放たれたドアの中から、外の道までを照らした。

肉塊が倒れるような鈍い音が、3つ。

奴ら、理由は不明だが、自称綺麗な心とやらを持ちながら自国民に攻撃魔法を放ちやがったのだ。

信じられない事実に僕は歯を噛みしめ、理性の手綱すら放し駆けだしていた。

 

「――ティルヴィングっ!」

「――バルディッシュっ!」

 

 全力戦闘の為、アティアリア風衣装はそれぞれのバリアジャケットへ。

隠蔽や隠密を無視した超魔力を込めて、僕らはプレマシーの家へと突っ込んでいった。

開ききったドアから中へと、魔導師達への憎悪を込めて突入し。

 

「……あ?」

「……え?」

「……あれ?」

「……嘘、でしょう?」

 

 僕らは。

体に大きな穴が空いた死体を、3つ見つけた。

折り重なるように3人は床に倒れており、特に体の小さなプレマシーは空いた穴が大きすぎて、片腕が半ばもげそうになっている。

空いた穴からは冗談のような量の血液が床へとぶちまけられ、血だまりとなって今も広がりつつあった。

魔導師達は入ってきた僕らに目を見開くも、すぐさま万全の体制で防御を固める。

仲間が来るまで持ちこたえる為の堅実な戦術なのだろうが、そんなことはどうでも良かった。

思わず、激情が口から漏れる。

 

「お前ら……、何故プレマシー達を……!?」

「知れたこと。カテナ神殿で交友を持ったこの子供なら、隠れ家について何か聞いている可能性はあっただろうに」

 

 他に理由も思いつかないので、半ば分かっていた答えだった。

それでも腹腔が煮えくりかえるような、凄まじい憎悪がわいてくる。

それは彼女も同じだったのだろう、続いてフェイト。

 

「馬鹿な……、そんな事の為に、3人の命をっ!」

 

 全くもって同感な僕は、魔力を完全解放し、ティルヴィングへと乗せる。

敵に見つかる可能性だとか、魔導師達が蘇生体である場合殺してしまう可能性だとかは、完全に無視。

可能な限りの全力をたたきつけようとした、その瞬間である。

訝しげに、魔導師達は言った。

 

「……お前たち、一体何をそんなに怒っているのだ?」

「そうか、お前たちはアティアリアの外から来たばかりか」

「なら思いつかなくては無理もあるまい」

「……何を、言って……?」

 

 子供好きなリニスもまた、鬼のような表情で直射スフィアを浮かべていたのだが、魔導師達の尋常では無い様子に疑問詞を呟く。

魔導師達の様子は、まるで罪悪感という物が感じられない。

まるでプレマシー達3人を殺したのと、紙くずをゴミ箱に捨てたのとで、何ら差が無いような様子であった。

僕も流石に気味の悪さに、今すぐ相手をたたき切ろうとする自分を抑え、答えを待つ。

魔導師の一人が、自慢気に言った。

 

「死んだなら、生き返らせればいいだけではないか」

 

 ぞっ、と。

僕の全身を、脱力感が襲った。

辛うじてティルヴィングを持つ力を維持するも、姿勢が僅かに崩れそうになるのを押さえきれない。

それは僕の仲間3人も同じだったようで、全員から隙が見えた。

しかしそれでも専守防衛の方針に変わりは無いのだろう、魔導師達は防御に腐心しデバイスを構えたままである。

フェイトが、震える声で呟いた。

 

「な、何を……」

「だから、生き返らせればいいだろうに」

「むしろ一度死んで生き返る事で、彼ら3人は私たちと同じように、清い心を持つ事ができるのだよ」

「私も、一度死ぬまでは思いもしなかった、アクセラ様に蘇生させていただいてからのこの人生を。清い心で生きる事の、なんと心地よい事かを」

「今は管理局の目から逃れる為に、国民全員を殺して蘇生する訳にはいかない」

「故に彼ら3人は、選ばれた幸福な者なのだよ」

「きっと彼らは、生き返った後私たちに感謝する事だろうな。私たちもそうだったのだから」

「お前たちも、死して蘇生してもらうと良い。良いぞ、蘇生体の人生は……」

 

 ちゃき、と。

フェイトが呆然としたままバルディッシュを構える音に、僕はようやく我に返る。

半ば本能的に、フェイトが手を汚す前にと、僕は床板を蹴った。

 

「――断空一閃」

 

 殆ど同時にカートリッジが排出され、超魔力の斬撃が魔導師達を襲う。

話していて油断もあったのだろう、激突の寸前に作られた結界はもろく、一合で僕は魔導師達3人を巻き込み切り裂いた。

魔力ダメージが致死となる彼らの肉体を、ティルヴィングは感触を僕に伝えながら切断。

肉を断ち骨を断つ感触に、僕は歯を噛みしめながら黄金の巨剣を振り抜いた。

3人の分かたれた上半身が、空中を回転する。

遅れて肉体が床を打つ音が待っているかと思われたが、魔力生命体たる彼らの肉体は、床にたどり着く前に粒子となって消えていった。

代わりに、背後でフェイトが膝を突く音が響く。

 

「……こんなのが。こんなのが、アクセラの望む世界なの!?」

「182は、これを知って奴に協力しているのか……?」

 

 思わず呟きながら、僕は鉛のように重い足を引きずり、先にプレマシーの両親の元へとたどり着く。

大きく見開かれた2人の目を閉じさせてやる間に、フェイトが呟くように言った。

 

「プレマシー……。私たちと出会わなければ。両親を守る決意なんてさせなければ。この場から逃げようとして、一撃でも魔法を避けていれば。生きていたかもしれないのに……」

「……ま、そうかもな」

 

 言いつつ僕は、次いでプレマシーの死体の前に立ち止まる。

どうしようもなく心が空虚で、何もかもが自分からこぼれ落ちていくような感覚すらあった。

彼の見開き、こぼれ落ちそうになっている目を閉じさせてやるために、腰を下ろした。

まるで重力が少なくなってしまったかのような、頼りない感覚。

投げやりな僕の言葉が怒りに触れたのだろう、フェイトが鋭い声で言った。

 

「そうかもな、って……。プレマシーは、ウォルターと話して自分の信念に気付いたんだよ!? そして、そして……そのせいでプレマシーは死んだ!」

「だろうな。勿論、責任が俺にある事は確かだ」

 

 言って、僕は頭を振った。

UD-182との対立がある現状、仮面を被る意味すらも曖昧だったが、それでも僕は仮面から手を離す事ができない。

溺れた人間が、決して板を手放す事ができないような事なのだろうか。

藁にもすがる気持ちで、僕は心を立て直す。

プレマシー。

僕よりも何倍も格好良く、尊い本物の信念を持ち、それに殉じて死んだ子供。

 

「だがしかし、俺はこの子を不幸だとは思わないさ」

 

 僕は、できる限りの敬意を込めてそういった。

伸ばした手で、プレマシーの目を閉じさせてやる。

自分の信念が何かすら曖昧になりはじめている僕と比し、彼の生き様はあまりにも尊く見えた。

父母を守るというありふれた信念を、それでも己の命を賭けてまで守った子。

そんな子を、僕は不幸だなんて言えなかった。

言える筈が無かった。

 

「自分の信念に一生気づけない人間だって居る。だけどこいつは、自分の中にある本物の信念に気づき、そのために命を賭けられたんだ」

 

 僕の紛い物の信念とは違う、本物の信念。

プレマシーと出会ったあの日、僕が彼の瞳に見た、僕なんかとは比べものにならないほどの炎。

羨ましいぐらいの心の強さ。

例え死んでも、それを発揮できた彼を、僕は。

 

「それを不幸だなんて、俺は言えない」

 

 言えない。

言える筈が無かった。

 

「勿論責任を感じているし、怒りも沸いてくるが……。俺は泣くより先に、こいつを褒めてやりたいんだ」

「……っ!」

 

 立ち上がると、フェイトが無言で走り寄ってきた。

片手を伸ばし僕の胸ぐらを掴むと、もう片手を伸ばし、僕の頬にたたきつける。

ぱぁん、と痛ましい音が響いた。

くしゃくしゃに歪んだ顔のフェイトは、ぽろり、と涙をこぼしながら叫ぶ。

 

「ウォルター、貴方は人の弱さを知らない。……人の弱さを知るのには、強すぎたんだ!」

 

 足の力が抜け落ちそうになった。

頭の中がすぅっと済んだ冬の空気のようになって、急に何もかもが遠く感じられる。

そんな頭蓋の中に、フェイトの叫びは幾度も反響し、響き合った。

強すぎたんだ、強すぎたんだ、強すぎたんだ……。

何度も、何度も。

この弱虫の僕に、なんて皮肉な台詞なのだろうか。

恐ろしい程に心が空虚になるのと同時、僕は自分の仮面が未だ完璧である事の安堵をも得ていた。

 

 そんな僕を手放し踵を返すフェイト。

アルフは僕とフェイトを見比べてから慌ててフェイトについてゆき、僕とリニスだけがその場に突っ立っていた。

数秒、立ち尽くした後で、僕はフェイトの後を追って歩き出す。

プレマシー達を弔うべきなのだろうが、明らかに先の魔導師達は念話で増援を呼んでいる事だろう。

これ以上この場で戦い、彼らの死体を傷つけるのは本意では無かった。

加えて、UD-182やプレシア先生の例を見るに、埋葬したら蘇生できなくなると言う訳でも無いらしい。

故に行くべきは、隠れ家の一つである。

靴裏で床板を蹴り、進む僕。

すれ違う瞬間、リニスが呟いた。

 

「ウォル、ター……」

 

 思わず僕は足を止めて、フェイトが振り返る様子が無いのを伺ってから、リニスへと視線をやった。

今にも崩れそうな彼女に、僕は両手を伸ばす。

冷えた手を腰に回し、彼女を抱きしめた。

僅かな安堵と共に脱力するリニスだったが、それは抱きしめた側の僕も同じであった。

人肌の体温が、驚くほど僕の心が冷えていた事を伺わせる。

 

「大丈夫だから。さぁ、行こう」

 

 “僕”とは口に出して言えない僕は、主語を抜いて告げる。

次いで体を離し、僕はできる限りの笑みを浮かべた。

流石にちょっと硬すぎる笑みだっただろうが、それでも一応笑みの形だけは作る事に成功する。

しかしそれでも精神リンクが繋がっているリニス相手には不器用な所作だったのだろう。

彼女は頷いてくれたが、ぽろり、と目尻から涙を零しながらであった。

僕も頷き、先行するフェイトに追いつくべく、歩き出すのであった。

 

 

 

2.

 

 

 

 暗い組織の多いアティアリアには、拠点の類いを用意した組織が壊滅した後、誰にも知られず残っている施設などがある。

僕ら4人が隠れている半地下の施設もまた、その一つであった。

入り口から階段を下りると、20平方メートル前後の正方形に近い空間がある。

一面を未整備状態の質量兵器が突っ込まれた棚が埋め、残り二面には壁際にぼろソファと、天井近くに細長い窓が取り付けられていた。

古くてたまに明滅を繰り返す照明に照らされ、僕とリニス、フェイトとアルフでそれぞれ一つのソファを占領している。

言葉は無く、僕らはただただ使い魔と寄り添うようにして座っていた。

 

 はっきり言って、僕らは劣勢に立たされていた。

先ほどの一件で僕とフェイトのチームワークはバラバラ、敵は最も大切な人であるUD-182とプレシア先生で、先生の戦闘能力はフェイト以上。

加えて最大戦力の僕に至っては、先ほどまでアクセラと協力する道を捨てきれずに居た。

それだって、プレマシーの死とその理由が辛うじて僕をUD-182の元にはせ参じるのを止めているだけに過ぎない。

 

 そう、プレマシーの死は僕にいくつかの疑念を抱かせていた。

UD-182はアクセラの言葉が事実であれば、彼女に協力すると言っていた。

それは果たして、アクセラの私兵が言っていたように「どうせ生き返るんだから殺しても何の問題も無い」という考えを含んでいるのだろうか。

含んでいるとして、それは生前のUD-182でも同じ結論であったのか。

蘇生によりUD-182は人格を変えてしまったのではあるまいか。

そうであれば、僕の仮面の方がまだ生きていた頃のUD-182に近いのかもしれない。

 

 けれど、僕の霊感はそうは言っていなかった。

あれは僕の記憶にある限り、寸分の互いも無くUD-182であると。

同じ死者蘇生でも、プロジェクト・フェイトのアリシアとフェイトにあったような人格の差異は無いのだと。

どうせ生き返るんだから、という考えについてUD-182がどう考えているのは分からない。

けれど少なくとも、蘇生UD-182は、僕の仮面よりも生前のUD-182に近いのだろう。

少なくとも、僕がこれまで頼りにしてきた勘によってはそうだった。

 

 そういえば、UD-182は命を大事だと思ってはいたが、信念と選ばされたとき、迷い無く信念を選べる人間であった。

それを考えれば、人の生き死になど、彼にとってはさほど重要では無かったのかもしれない。

思えば彼の遺言も、ようやく渇望していた外にたどり着いてすぐに殺されてしまったというのに、自分の信念の事しか考えていなかった。

すると、彼が本心から全てを知ってアクセラに協力するというのは、例え蘇生による人格改変が無かったとしても、十分あり得る事なのかもしれない。

では、つまり。

 

(ティルヴィング、変なことを聞いていいかい?)

(何でしょう?)

 

 リニスを巻き込む形で隠匿念話を発動。

3人だけの念話の中で、僕は震えそうになる声で言って見せた。

 

(僕と蘇生したUD-182。どっちのほうが、生前のUD-182に近かった?)

(エラーが出ました)

 

 お前……。

一気に脱力しそうになるのを必死で押さえ、続ける僕。

 

(あぁもう、あれだ、どっちの信念の方がよりオリジナルの信念に近かったかって言っているんだよ)

(蘇生したUD-182と称される個体の物です)

(あっそ……)

 

 一回脱力しそうになったのが良い感じに肩の力を抜いてくれたのか、ティルヴィングの答えは思ったより僕の心を動揺させなかった。

半ば僕自身でも予想していた答えだったからかもしれない。

心配そうに僕に視線をやるリニスに、大丈夫だ、と薄く笑みを作って安心させる。

続けて念話。

 

(僕の信念は、少なくともUD-182の持つ信念そのものではない、紛い物の間違った信念だ。加えて、UD-182の台詞。

“俺はお前に、そんな生き方をして欲しくって、夢を託したんじゃあないっ!”。

僕は信念を間違い、その受け継ぎ方も間違っているんだ。間違いだらけの紛い物の人生さ。けれど)

 

 言って、僕は目を閉じ、開いた。

弱虫の僕に本当にそんな事ができるのか、分からなくて不安だらけだけど。

怖くて怖く仕方ないけれど。

だけど。

 

(でもじゃあ、僕はUD-182に全てを託し、彼の刃となれば良いのか? かつて7年前に夢見ていたように、僕は彼の隣で戦うだけの、信念無き刃であればいいのか?)

 

 僕は、静かに膝に置いた右手を天井に向けた。

天へ向けて伸ばす事無く、その場で僕はゆっくりと、右手を握りしめる。

力強く。

噛みしめる歯が、指の骨が、軋む程に。

こみ上げてくる涙を飲み干して。

 

(――嫌だね)

 

 僕は、言って見せた。

震え声だった。

今の僕の目がどんな目かなんて、見なくても分かる、酷い目をしているに違いない。

恐らくは自己不信と恐怖に滲んだ、どろどろの目をしているのだろう。

当たり前だった。

だって、その理由は。

 

(理由は、分からない。僕自身、なんでそんなに嫌なのか、自分でも分からないんだ。僕はただUD-182の刃であれば良かった筈だった。なのに何でだろうね、どうしても僕はただの刃になりきれない)

 

 けれどリニスは、そんな酷い目をしているだろう僕の目を見て、少し惚けてさえいるようだった。

どうしたものかと内心首を傾げつつも、僕は言葉を重ねる。

 

(結局の所、我欲なんだろうね。名誉か、誇りか、何による物なのかは分からないけれど、僕は信念の為に自分自身までは捨てられなかった。敗北なんだろう。最初に定めた僕の目的からは、外れているんだろう。スバルとギンガだって、僕に失望するに違い無い。彼女達の為に信念を貫き続けると決めたのに、そのために自分自身を捨てられないんだからさ)

 

 相当格好悪い事を言っている自覚はある。

というか、敗北宣言に近い言葉である。

なのに何故だろうか、僕を見つめるリニスの目には熱い炎が宿っていて。

僕はそれにすら劣等感を覚えてしまうのだけれども。

それでも僕は続ける。

 

(でも、僕は……、僕なりの仮面を被るやり方で、UD-182の物だと信じていた紛い物の信念を、それでも貫いていく。理由がどんなに分からなくても。根拠がどんなに薄くても。僕は、僕の信じる事の為に、戦う。例え――)

 

 力が入りすぎるほどに握りしめていた手を、開く。

爪の跡が残る掌が天井に向けられて。

意識して覚悟をより噛みしめ、僕は告げた。

 

(UD-182を殺してでもだ)

 

 きっとその目は薄汚れていただろう。

目的のためには親友をも殺してみせるという目が、清い訳がない。

最低最悪、腐った蛆虫のような瞳なのだろう。

リニスだって流石にこれは、僕から離れたがるに違いない。

その時は、僕の仮面の事を口外しないと約束したならば、彼女を信じ、互いに道を分かつつもりだった。

無論リスクは大きいが、仕方があるまい。

 

 なのに何故、僕はこんな事を宣言したのか。

それは当たり前のような事で、僕は言葉ではきっぱり言いつつも、自分が土壇場でUD-182を本当に殺していいのか迷う、と確信していたからだ。

その時僅かでも自分を後押しするために、リニスに、そしてティルヴィングに宣言したと言う事実が欲しくて言ったのだ。

 

 それでも何でだろうか。

そんな身勝手な理由で、汚濁のような宣言を聞かされたと言うのに。

リニスは、両手で天井に向け開かれた僕の手を取った。

暖かな体温が伝わってきて、思わず僕は目を見開く。

 

(褒められるはずの無い宣言なのでしょうね。でも、なんででしょう、私は……)

 

 続けてリニスは僕の手を引っ張り、両手で包んだままに自信の胸に当てた。

そして、微笑む。

天上から天使が舞い降りたかのような、美しく清廉な微笑み。

リニスは熱っぽい目をしながら、告げた。

 

(――貴方の使い魔であった事を、誇りに思います)

 

 予想と正反対のリニスの反応に、暫時僕は惚ける。

そんな僕の反応を見てクスリと微笑み、リニスはゆっくりと僕の手を離した。

そして人差し指を可憐な動作で唇に当てると、ぱちっとウインクを。

 

(理由は秘密です。何時か貴方が、自分の手で見つけるべき事ですから)

(……そっか。ありがとう!)

 

 そう言われてしまえば仕方有るまい。

僕は礼を告げると、ゆっくりと目を閉じ、開いた。

深呼吸をし、椅子に対し垂直に視線をやる。

視線の先にはアルフと念話しながら話し合っていたフェイトが居て、偶々か、視線が合った。

何処か怯えの混じる、緋色の瞳。

僕は表情を硬くしながらも、椅子から腰を上げ、口を開いた。

 

 

 

3.

 

 

 

「俺は――、UD-182。要するにあの黒髪の子供だが、そいつを殺す事になってでも、この事件を止める」

 

 え、と。

フェイトは小さく声を漏らした。

目前のウォルターは、UD-182なる少年と出会ってから何処か張り詰めた空気を持っていた。

当たり前と言えば当たり前か。

蘇生させられたプレシアはフェイトにとっての最も大切な死者である、ならばあの子供はウォルターにとっての最も大切な死者であるに違いない。

その服装とウォルターの言動から推測するに、恐らくはウォルターの言う実験体だった友達である。

先の戦闘時はただでさえフェイトに余裕が無かった上、分断までされてしまったので、会話内容は分からない。

けれどそれでも、2人の間に強い関係がある事は見て取れた。

それを。

ウォルターは。

 

「最悪再生の雫を破壊して止める可能性もあるし、その場合生き返った死者がどうなるのかは分からない。それでなくとも、アクセラの手で殺されるのかもしれない。そもそも、魔力ダメージが致命傷に繋がる以上、手加減はし辛く俺たちの手で殺してしまうかもしれない。つまり、敵対すれば俺たちの最も大切な死者は……ほぼ確実に再び死ぬと考えてもいい」

「だから……殺す覚悟をする、の?」

「必要だからな」

 

 フェイトは元々ウォルターを偶像視をしている所があった。

誰よりも熱い炎を身に秘めた、人間として持ちうる最大の輝きを持つ魂の持ち主。

誰もの心を輝かせる、精神的超人。

 

 その印象は、アティアリアに来てから幾分か変化する事となる。

例えば、同じ実験体を助けずに逃げたウォルターの話。

普通実験体は外の世界など知らず、閉塞的な世界で死んでゆくだけと絶望する者が多く、ウォルターと共に脱出しようなんて思えないのが普通だ。

だがウォルターは外に出る希望に心を燃やし、脱出しようとしない実験体達を理解できないと言わんばかりであった。

フェイトは、それがウォルターが弱者を理解できない程に強い人間だったからだと考えた。

 

 更にプレマシーの件である。

ウォルターのような超人であれば信念を命より優先する事など、当然のことに違い有るまい。

だが、フェイトはプレマシーの痛ましい死骸を前に、とてもそんな事は思えなかった。

勝手な物言いだが、プレマシーのような子供には、信念なんてどうでもいいからただただ生きていて欲しかったのだ。

だからフェイトには、プレマシーを褒めてやりたいなどと言ってしまえるウォルターが、まるで人間では無いようにすら思えてしまって。

加えて、親友を殺す覚悟を決めるウォルター。

 

「そして俺が勝利するという事は、恐らくプレシア先生ももう一度死ぬという事だ。フェイト、お前が何を考え、どう行動するのかは分からない。だが……」

「分かってるよ」

 

 言ってから、自分の声が思っていたよりずっと冷えた物になっていた事に気付き、フェイトは内心驚愕した。

それでも感情が歪めてゆく表情筋だけは元に戻せず、フェイトは凍り付いた声のままで続ける。

 

「分かってる、私はプレシア母さんを殺してでも、アクセラを止めなくちゃいけない事ぐらいは。でも。でも」

 

 フェイトは、両手を胸にやり、己をかきむしるようにした。

胸の奥にたまった、どろどろとした感情があふれ出る。

グチャグチャになった感情が吹き出し、フェイトは立ち上がりウォルターへと歩み寄った。

その肩を掴み、激情と共に叫ぶ。

 

「でも、簡単にプレシア母さんを殺してでも、なんて言える訳ないじゃない! ウォルターは……、ウォルターは何でそんな事言えるの? 貴方にとって一番大切な人は、そんなに簡単に殺せる人なの!?」

 

 直後、パン、と乾いた音。

惚けた顔で2歩3歩と下がり、それから頬に走る熱に、フェイトは走り寄ってきたリニスに頬をはられた事に気付いた。

 

「あ……」

 

 ぽろり、とフェイトは目尻から涙を零す。

頭の中が冷え、自分が何を言ってしまったのかが痛烈なまでにフェイトの内心に刻まれた。

怒りで顔を歪めたリニスが続けて叫ぼうとするのを、ウォルターが手で制し、続ける。

 

「簡単じゃあねぇが……。理由つっても、な。見ただろ、命を簡単に生き返らせられる事は、歪んでいる。――いや、それも正しい言い方じゃあないな。俺は、命が簡単に生き返る世界が気に入らない。そんな世界で人の心が輝けるとは思えないからだ」

 

 炎の視線がフェイトを貫いた。

ぞくり、と背筋が浮くような感覚。

かつてプレシアやリィンフォースへと向かっていった時よりも尚熱い、魂を燃やす熱量。

 

「だから俺は、例え親友を再び殺してでも、再生の雫をどうにかしてみせる。182、あいつと友達だったからこそ、俺がどうにかしなくちゃならないんだ。全てを賭してでも、俺はあいつを止めなくちゃならない。他でも無い、この俺がな」

 

 理由も無く心が震える言葉であった。

フェイトの中の劣等感や恐怖、悲しみ、鬱屈とした感情達が、まるで燃料となったかのように燃え、熱い炎へと変わってゆく。

腹腔の炎が全身にたどり着き、フェイトは体中にみなぎる熱い血潮に、小さく震えた。

 

「それに、アクセラの奴もだ。あいつが何を考え、どうしてこの世界を肯定しているのか、今一分からん。全部分かってやってるんだったら敵同士さ、戦って勝つ。でも本当の自分を見失っていたら、そいつを見据えさせてやりたいんだ」

「ぁ……」

 

 言われて、フェイトはアクセラの精神状態など全く頭に無かった事に気付く。

アクセラはフェイトよりたった2つ年が上なだけの少女なのだ。

死者蘇生の力を得た少女が心を歪ませない筈も無いのに、フェイトはそれを考えたことすらもなくて。

目前のウォルターが、どうしようもなく大きく見えた。

 

「本当の自分に気づかず目を背けている奴が居るならば。自らの信念に気づいていない奴が居るのならば。そいつをぶっ飛ばして、気づかせるのが俺の信念なのだから」

 

 ウォルターが右手を天へ向け、伸ばす。

ゆっくりと万力を込めて掌を握りしめ、同時に肘を曲げ手を己の目前に。

手の腹を己へ向け、あの燃えさかるような野獣の笑みを浮かべた。

 

「他にも、プレマシー達の仇討ちだとか、ダチに負けるつもりがねぇとか、色々あるが……。まぁ、そんな所だ。フェイト、お前はどうする?」

「どうするって……」

 

 目の前の男のあまりにも大きな器に、フェイトは半ば呆然としていた。

自然返事も浮ついた物になり、対するウォルターは目を瞬いてから、改めて告げる。

 

「こんな事言っているが、俺はUD-182とは一対一で決着がつけたいし、いくらなんでも敵が多すぎて楽勝とは到底言えない。プレシア先生に加えて、多分行方不明になった執務官3人も来るだろうし、他にも魔導師は居るだろうしな。だから俺は――」

 

 言って、ウォルターはフェイトの目をじっと見つめた。

視線が交錯し、フェイトはウォルターの黒曜石の瞳に、自身の緋色の瞳をさえ見る。

普段なら見つめ合うのは何となく居心地が悪くて視線を逸らしてしまう物なのだが、どうしてだろうか、目前の男の目は視線を吸い寄せるような不思議な何かを持っていた。

 

「お前に、力を貸して欲しい」

 

 どくん、とフェイトの心臓が高鳴った。

興奮による熱い血潮が全身へ巡る。

かつてのリィンフォースとの戦いの時、ウォルターのバトンを受け継いだ、あのときのような高揚感。

喉まで肯定の返事が出かかって、それでもその意味を考えると、フェイトは返事を口に出せなかった。

ばかりか、胸の奥がいっぱいになってしまい、何も言えなくなってしまう。

次いでウォルターの目を見続けるのが辛くなってしまい、フェイトは視線を逸らした。

数秒後、ウォルターの、何処か寂しげな声。

 

「とりあえず、考えておいてくれ。俺は外から建物に展開している隠蔽結界を見てくるさ」

 

 言って、ウォルターはゆっくりとドアまで歩いてゆき、慎重に開けて外に出てゆく。

ドアの閉まる重い音を合図に、フェイトの両目から再び涙が溢れ始めた。

 

「リニス……ごめん」

 

 開口一番、フェイトはリニスに謝り頭を下げた。

すると、すぐにリニスはフェイトの頭蓋を抱きしめる。

思わずフェイトが視線をあげると、先ほど怒りに歪んでいた彼女の顔は、何時しか慈悲に溢れた暖かな笑顔になっていた。

そんな彼女の顔を見ていると、どうしてだろうか、フェイトの中からこみ上げてくる涙が増え、大粒になる。

 

「大丈夫ですよ、貴方は十分反省しているようですからね」

「うん……ありがとう」

 

 言って、フェイトは静かにリニスの胸に顔を埋め、泣き続けた。

フェイトは、自己嫌悪で今にも自分を埋めてしまいたいぐらいだった。

ウォルターが親友を殺す決断を簡単にしてみせた?

そんな事ある訳がない。

友であったリニスを救う為に地球に現れ、フェイトのために、プレシアのために、あれほど傷ついてまで戦い続けた男が。

偶々出会った少女に過ぎないはやてとの約束のため、あの血も凍るような怪我をしながら闇の書に立ち向かった男が。

あのウォルター・カウンタックが、簡単に親友を殺せるような男である筈など、無いに決まっているではないか。

その誤った判断の原因は。

 

「私、ウォルターに嫉妬してたんだ……」

 

 呟き、フェイトはリニスを抱きしめる力を強めた。

慈母の表情で自身を受け止めてくれているだろうリニスに、フェイトは続け懺悔する。

 

「私が、プレシア母さんと戦うのが嫌で、うじうじ悩んでいる横でさ。ウォルターは、私よりもずっと早く決断をしてみせたから。それがあんまりに輝いて見えたから。だから……」

「……後悔していますか?」

「え?」

 

 思わず視線を跳ね上げるフェイト。

その視線の先には、想像通りの柔らかな母性に満ちた笑顔がある。

言葉だけではなく、心の奥の何かが促されるのを感じ、フェイトは言った。

 

「うん……後悔している」

「なら、まずは本人に謝りましょう」

 

 言って、リニスはフェイトを抱きしめていた両手を解き、肩に手を。

顔がぶつからない程度の距離を作り、少しだけ身をかがめようとして、止めるリニス。

その仕草に、フェイトはいつの間にか彼女に背丈が追いつきそうになっている自分に気付き、内心驚いた。

懐かしさに顔を緩めるフェイトの頭頂に、ぽん、と暖かな温度が接する。

頭を撫でられているのだ、と感じ、フェイトは薄く頬を赤らめた。

 

「貴方とウォルターであれば、きっと心が通じ合える筈。ウォルターなら、彼なら貴方の心を引き出してくれますよ」

 

 リニスの言葉は暖かな顔と温度と共に放たれている筈なのに、何故だろうか、薄ら寒く聞こえる。

それでも内容に間違いは無い筈だ、とフェイトは考え、頷いた。

にこり、と微笑み返すリニス。

 

「さぁ、では行ってらっしゃい」

「……うん、行ってきます、リニス」

 

 フェイトもまた微笑みを返し、扉へ向かい歩み始める。

心臓が高鳴り、不安と恐怖が手足を縛るが、それ以上の熱量がフェイトの中には渦巻いており、それが彼女の歩みを止めず動かしていた。

短い階段を登り終え、重いドアを開く。

すっかり夜の帳が下りた、月明かりだけが注ぐ夜闇がそこには広がっていた。

 

 

 

 

 




あんまし動きは無し。
次回もこんな動きの量な気がしましたり。


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5章4話

お腹風邪にかかってからペースが乱れ、実に遅れる事になりました。
が、投稿です。


 

 

 

1.

 

 

 

 フェイトが扉を閉める、重い音。

半地下の部屋にはリニスとアルフの2人だけが残り、すぐに場は沈黙に満ちた。

フェイトを見送ったリニスは暫く視線を扉へやった後に、先ほどまで座っていたソファへと腰掛ける。

アルフは暫時迷い、結局リニスの隣に座る事にしたようであった。

どすん、とリニスの隣に腰を落とすアルフに、リニスはくすりと微笑んだ。

 

「こら、アルフ。座る時はもうちょっと女の子らしくしなさい?」

「……ちぇ、分かったよ」

 

 言いつつアルフは頭をぽりぽりとかき、組もうとした足を下ろし前屈みになる。

手を組み肘をももに下ろし、アルフは視線を天窓にやった。

つられてリニスも、視線を同じく。

時折窓の外のウォルターとフェイトとの会話が聞こえてくるが、それは意味を成さない小さな音にしかならない。

だが、リニスはウォルターがフェイトの心を立ち上がらせると確信していた。

先の、ウォルターの決意。

親友を殺してでも信念を貫き通す。

信念のためには親友でさえも殺すという、信念の化け物への一歩を踏み出した言葉。

それはリニスから見れば、ウォルターが幸せからまた一歩遠のいた事になり、決して肯定して良い筈の言葉ではない。

けれどリニスはどうしてだろうか、ウォルターの言葉に感動さえしていた。

 

 何故ならば、その言葉はウォルターの信念が彼自身の物になった事を示しているからだ。

UD-182を元とした物であった事は確かだろう。

ウォルターが常日頃から言っている通り、借り物の理想、借り物の信念だ。

けれどオリジナルであるUD-182に否定され、オリジナルであるUD-182を殺してまで貫き通す信念が、果たして借り物であるのだろうか?

否、とリニスは考える。

ウォルターは今、生まれて初めてUD-182の意思無き戦いを始めようとしているのだ。

それは例えば、今まで補助輪を外そうとしなかった子供が、自分から外し、自転車に乗ろうとしているかのようであった。

己の信念が真に己の物であると認め、ウォルターが人の心を燃やすだけでなく、それ以上の何かへと至ろうとするかのような、錯覚染みた感覚を起こすモノ。

 

 それを見て、リニスは生まれてから最大級の感動をすら覚えていた。

胸の奥が高鳴り、今までに体験した事の無いような高揚感に包まれる。

体の芯が熱くなり、火照った体が爆発するかのような力をすら得ていて。

何故だろうか、リニスはウォルターが必ず何かを成し遂げてくれるという確信をすら得ていて。

その確信が、ウォルターがフェイトを立ち直らせてくれると告げていた。

 

「あんたは、まだ私たちの姉代わりをやっていてくれるんだね」

 

 急にアルフが告げたのに、リニスの思考が現実へと引き戻される。

見ればアルフは、いつの間にか己の手を見つめ、眼を細めていた。

常の明るい性格とは打って変わったその姿に、リニスは目を瞬いた。

そんなリニスに、アルフは自嘲し、続ける。

 

「ここに来てからの私、正直パッとしなかっただろう?」

「そんな……!」

「いいんだ、本当のことなんだからさ」

 

 事実ではあった。

アルフの捜査能力は獣化しての動作である。

今回は偶々警戒が緩く役に立ったが、偵察系使い魔への警戒は普通カテナ神殿よりもっと強く行われており、あまり意味を成さない事が多い。

加えてその分野において、アルフは殆ど全ての能力がリニスに劣っていた。

かといって、戦闘においてもアルフはサポートタイプであるが、フェイトはさほどサポートを必要としないタイプである。

義兄であるクロノを目標とし、単独スキルを磨いた結果であった。

しかしその結果、アルフはフェイトとのコンビで本領発揮をできない状況にある。

 

「そりゃあ居ないより居る方がまだギリギリマシだけど、それもあと1~2年もすればひっくり返るぐらいだろうさ」

「それは……」

「リニスはウォルターの欠点を補っているだろう? 羨ましい限りだよ、ほーんと」

 

 わざとらしく溜息をつくアルフ。

事実、リニスはウォルターの欠けた部分の多くを補う、優れたペアである事は確かだ。

例えば戦闘能力において、ウォルターは最強を名乗れる強さを持つが、完全無欠とは縁遠いタイプだ。

遠距離戦闘は比較的苦手で、特に射撃スフィアの設置と広域攻撃魔法が苦手な為、特に多数を相手にした場合の遠距離制圧力に欠ける。

他にもバインドが苦手だったり、回復魔法が苦手だったりと、案外苦手な魔法は多い。

その圧倒的な基礎戦闘能力で目立っていないだけで、ウォルターは戦闘において少なくない欠点を持つ魔導師なのだ。

その点、リニスは直射弾スフィアの同時多数展開を最も得意とし、遠距離制圧力に優れた魔導師である。

バインドに関してはさほど得意という程でも無く、ディレイドバインドを扱うほどの技量は無いものの、チェーンバインドなどによる補助は可能だ。

故にリニスとウォルターは、相性の良いペアであると言える。

無論、リニスが居なければ居ないで、供給する魔力分、ただでさえ圧倒的な近接戦闘能力を持つウォルターが更に強くなるため、それはそれで恐ろしい強さになるのだろうが。

 

 アルフの自虐的な物言いにリニスは言葉を探すが、主との相性にまで恵まれたリニスがアルフにかけられる言葉は見つからない。

ウォルターであれば何か言葉を見つけられたのだろうか、とも思うのだが、それで何か言葉が飛び出てくる訳でも無かった。

困り果てるリニスを尻目に、アルフは眼を細め、軽快に告げる。

 

「私さ、そろそろ前線から身を引く事を考えるよ」

「……え」

 

 リニスは反射的に腰を浮かせた。

慌ててアルフ。

 

「いや、フェイトの魔力負担を減らす為だけだよ。子犬モードみたいに、子供モードとか作って魔力を節約してさ」

「それは……確かに、選択肢の一つではありますが……」

 

 言う通り、パートナーに負担の大きいアルフはこのまま無理にフェイトと共に行動するよりも、前線から身を引いた方が総合的な戦闘・捜査能力が高まるのは確かだ。

だが、アルフに生涯を共にと約束したフェイトが、それに果たして納得するのか。

そんなリニスの疑問詞を読み取ったのだろう、アルフは立ち上がりながら言った。

 

「別に、フェイトの負担になりたくないってだけじゃあないさ」

 

 言いつつ数歩進み、アルフは両手を広げ半回転。

リニスに視線を向け、満面の笑みと共に告げた。

 

「フェイトの、帰る所を守りたいんだ」

 

 瞬間、リニスは背筋に走る悪寒を感じ取った。

帰る所。

ウォルター・カウンタックの持たない物。

リニスが喜んだ、ウォルターが信念の為に踏み出した一歩で、離れた場所。

 

「なんていうか、フェイトは捜査では完璧に近い行動ができるんだけどさ。プライベートは相変わらずで、可愛い所だらけなのさ。もう見てらんないって事が多くて」

 

 アルフは、頭に手をやり照れ笑いをしながら続ける。

嬉しそうに語る彼女は、まるで日だまりの中に居るかのように暖かであった。

が、それとはまるで見えない壁で隔てられているかのように、リニスは寒気にぴくりと震えていた。

アルフの語る成長したフェイトは、何処かかつてのウォルターに似ている部分があった。

仕事では完璧、プライベートはおっちょこちょい。

リニスが出会った頃のウォルターは、それよりも大分暗い性格ではあったし、仕事の顔を向ける相手が自身をティルヴィングを除く全員であったが、それでも大別すれば似ている部分はある。

 

「だからさ。私は、フェイトの帰る場所を。あの子が一番自然な自分で居られる時間を、守りたいんだ」

「…………っ」

 

 だからだろうか。

アルフのその一言は、強くリニスの心へと突き刺さった。

つい先ほど、ウォルターが告げた信念の為に人生を捨てる第一歩の言葉に、喜んでいたリニスへ。

ウォルターが自然な自分で居られる時間が減る事に、喜んでしまっていたリニスの心へと。

か細い、今にも消え入りそうな声でリニスは呟いた。

 

「私は、一体……」

「ん? 何だい、リニス?」

 

 俯いたリニスに、疑問詞を告げるアルフ。

リニスがアルフにとって姉であり、保護者である事を疑っていない声色。

リニスがアルフに劣等感を感じてしまったなどとは、想像だにしていないだろう言葉。

 

 リニスは、一瞬迷った。

今ここで表情を隠さねば、アルフはリニスの異常からウォルターの異常を感じ取り、ウォルターの仮面をはぎ取る第一歩となってくれるかもしれない。

そうする事が、ウォルターの使い魔たるリニスのすべき事なのではあるまいか。

同じ契約を主から賜り使い魔となったアルフが教えてくれた、主従のあるべき姿なのではあるまいか。

 

 だが、リニスは片手を持ち上げ、ウォルターが自己暗示のためよくするように、五指を広げ顔にやった。

仮面を被るのに似た所作を終え、リニスは目を瞬く。

次の瞬間顔を持ち上げたリニスは、劣等感や罪悪感を脱ぎ捨てた、純粋にアルフへの祝福に満ちた表情となっていた。

 

「いえ、いつの間にか貴方も成長しているんだなぁ、と思いまして」

「ふふ、そりゃあ何時までもリニスに負けてられないさ。アタシだってフェイトの使い魔なんだからね」

 

 グーを作って空中を殴り抜くアルフに、リニスは悪戯な子供を窘めるような顔で対処する。

しかしその心の中には、暗い感情が幾重にも重なり渦巻いていた。

辛かった。

いつの間にか、ウォルターの幸せを一番に思えなくなってきていてしまった自分が、恐ろしく醜い物に思えてしまって。

内心でリニスは歯噛みする。

許される行為ではない、とリニスは自身を虐めた。

使い魔が一番に願うべきは主の幸せなのだ。

それはプレシアの使い魔であった頃と同じ、そのはずなのに。

 

 だが、と。

それでも言い訳をするのならば。

言葉はたった一つで済んでしまって。

 

 ――格好良かったのだ。

 

 自覚無しにとは言え、生まれて初めて自分の信念で何かを成す事を決意した、ウォルターが。

そして嬉しかった。

あのあらゆる生命を燃え上がらせる炎の意思が、何時か仮面による仮初めの物ではなく、真の意思としてこの世に生まれるかもしれない事が。

その次元世界で最も輝ける魂の持ち主が、己の主である未来が。

 

 始めはこうでは無かった筈だ、とリニスは思った。

始め、ウォルターの使い魔となった頃は、リニスはただただあの壊れそうな少年の幸せをだけ望んでいた筈であった。

信念を貫き通せなくてもいい、ただ幸せになって欲しいと、そう願えた筈だった。

その心が、無くなった訳ではない。

けれど、いつの間にか4年の歳月はリニスの心を少しだけ変えてしまっていて。

ウォルターがUD-182の魂に憧れるように、リニスはウォルターの可能性に憧れるようになっていた。

 

 ふと、リニスは思った。

その4年はつまり、リニスの主がウォルターになってからの事である。

使い魔契約の主従は精神リンクを持っており、ほんの僅かではあるものの、心の一部を共有する事になる。

であれば。

リニスのその変化は、もしかして、リニスがウォルターに似てきた事が原因なのかもしれない。

 

 そう思うとリニスは、自分の不実な心の変化を、少しだけ歓迎できて。

アルフへと浮かべる仮面の笑みは、ほんの少しだけ真実の笑みを含むようになってきたのであった。

 

 

 

2.

 

 

 

 フェイトが扉を開け外に出ると、外は既に夜の帳が落ちきっていた。

空気は冷え切り、奇襲用にと纏っているバリアジャケットの保温機能が無ければ風邪でも引いてしまうかもしれないぐらいだ。

月明かりを頼りにウォルターを探すと、扉の開閉音に気付いた彼はすぐ近くでフェイトへと視線をやっている。

 

「あれ、フェイト、どうしたんだ?」

「その……、ちょっと、お話したくて」

「そっか。じゃあその辺で座ろうぜ」

 

 言ってウォルターは、直方体となっている施設の壁に背を預け、地べたに腰を下ろした。

倣ってフェイトが腰を下ろすと、地べたの冷えた温度が腰に伝わってくる。

なんだか心まで冷えてしまったかのような気がして、フェイトは伝えようとしていた言葉を飲み込み、視線を夜空へやった。

砂塵が収まったこの時刻、見えるのは満面の星空と大きな半月だ。

僅かな間それに見惚れていると、隣からウォルターが呟く。

 

「こんなにはっきりとした夜空を見るのは、アティアリアに来てから初めてだな」

「うん……。私も」

 

 あぐらをかいたウォルターの横で、フェイトは体育座りの形で、顎を膝に乗せながらであった。

フェイトの内心は、ごちゃまぜになった感情で揺れに揺れていた。

何を聞けばいいのか、何から聞けばいいのか、それすらも分からないままで。

それでも一つだけ浮かんでくる言葉があるとすれば、謝罪だった。

 

「……ごめん、ウォルター」

「うん?」

「さっきは、酷い事言っちゃって」

「……ま、いーって事よ」

 

 言って容易く許すウォルター。

逆の立場であったらそう容易く許せるものかと思うと、フェイトは自身の小ささに見が縮む思いであった。

外気に冷やされてから、どうしてか、フェイトの頭の中にはネガティブな思いばかりが浮かんでくる。

どんどんと沈み込んでいくフェイトに何を思ったのか、ウォルターが口を開いた。

 

「そーいや、お前はUD-182の事、全然知らなかったもんな。それを知らずに俺の言動を見ていれば、ああ思うのも無理は無いさ」

「そんな……」

「だから。話せる事は全てではないけど。あいつの事、聞いてくれないかな」

 

 言って、ウォルターは空から視線を外し、フェイトへとやる。

普段の燃えさかる意思に満ちた顔ではなく、何処か儚げで、今にも壊れそうな繊細な顔であった。

思わず心臓が跳ねるのを感じ、フェイトは目を見開いた。

そんなフェイトに、ウォルターは思い出を映す為にだろう、視線を空へ。

フェイトがその横顔に釘付けになっている事など露程も知らずに、続ける。

 

「そっか、182の事を話すのは、リニス以外ではお前が初めてになるのか」

「え!? 私が!?」

「あぁ。なんっつーか、あれから7年も経つんだが、未だに整理しきれてないから、なのかな」

 

 言ってウォルターは視線を空へ伸ばした拳へ。

拳をゆっくりと開き、内側に向けた掌へと視線をやったままにした。

 

「死ぬほど、格好良い奴だったよ」

「え? ウォルターよりも?」

 

 思わず、一言目からフェイトは横やりを入れてしまった。

言ってからしまったと思ったものの、同時に自己弁護の心が沸いてくる。

何せフェイトが知る限り次元世界で一番格好良い人間と言えば、ウォルターなのである。

彼がこんな台詞を言う日が来るなど、フェイトにとっては想像の埒外であった。

そんなフェイトの内心を悟っているのだろうか、くすりと微笑みながらウォルター。

 

「あぁ。命よりも信念を優先する奴で、人生を燃やし尽くすような勢いで生きているような奴だった。死ぬ間際でも、自分が死ぬ事なんてどうでもよくて、ただ信念の事だけを気にしていたっけ」

「そう、なんだ」

 

 ウォルターもそうなんじゃあないか、と思ったものの、フェイトはそれを口にしなかった。

そうするにはウォルターの相貌は哀しげ過ぎたのだ。

普段というか、彼と出会ってからの4年間、フェイトは彼がこんな表情をするのを初めて見た。

それほどウォルターは、UD-182との邂逅で傷ついているのだろうか。

そう思うとフェイトは胸の奥がざわつくのを押さえきれなくなり、思わず衝動に任せ、ウォルターが地面に投げ出している方の手へと手を伸ばす。

ウォルターとフェイトの手が重なった。

ウォルターは流石に目を瞬き手をぴくりとさせたものの、すぐに落ち着き話を再開する。

 

「あいつは例え命令が無くとも、自らアクセラに協力しようとしていた。多分、自分の命を信念の為に軽視できる奴だから、他人の命も軽視できてしまう所があるからなんだろうな。一緒に居た時は、そんな所があるなんて考えもしなかったよ」

 

 それは私も同じだ、とフェイトは思った。

ウォルターにこんなにも繊細な部分があるなんて、フェイトは想像だにしていなかったのだ。

4年前の闇の書事件の頃、リニスとの使い魔契約の話が出た時に難しい顔ぐらいはしていたが、それでもウォルターがこんな弱いところをさらけ出すのは、フェイトの前では初めてである。

リニスの前では、使い魔たる彼女の前では、ウォルターは同じように、いやそれ以上に弱い部分をさらけ出しているのだろうか。

そう思うと、何故だろうか、フェイトはちくりと胸が痛むのを感じた。

 

「だから俺は今、あいつの信念と対立している。俺は、死の無い世界が命を輝かせるとは思えないから。その信念を貫き通す為に。例えUD-182と……」

 

 ぴくり、とフェイトの手を重なるウォルターの手が、僅かに跳ねた。

深く息を吸い、ウォルター。

 

「殺し合う事になってでも」

 

 暫時場には沈黙が満ちた。

2人の呼吸音だけがその場には残り、互いの口腔が奏でる音だけが響く。

全てを聞き、フェイトはウォルターの決意の裏にあった苦悩を悟っていた。

かつての友と違ってしまった信念、それでもそれを貫き通す為に、選んだ道。

軽いはずが無いとは地下での会話の時に既に考えていたが、ウォルターが語るUD-182の人格がその重さに拍車をかけていた。

 

 UD-182は、ウォルターのライバルだったのだ。

フェイトは、そう理解していた。

この次元世界で最も熱く燃えさかる魂を錬磨する、幼き日の好敵手。

互いを尊敬し、高め合った仲。

もしかしたらウォルターに比類しうる熱量の魂を持つ男へと成長していたかもしれなかった、その可能性。

それがUD-182なのだと。

 

 今回の事件は、ウォルターにとってそのライバルとの魂を賭した戦いなのだ。

例え親友を殺してでも、信念を貫き通す姿を見せねばならぬ、2人の男の戦い。

互いの魂の熱量を競う場所。

ウォルターの精神を疑う事など思いつきもしなかったフェイトは、そう理解した。

そして、自分がウォルターの心をある程度理解したのだ、と思った。

故に。

フェイトは今度は自分の番だと考える。

ウォルターが心を開いてくれたのだから、今度は自分がウォルターに向けて心を開く番なのだと。

 

「プレシア母さんはね」

 

 フェイトは出し抜けに言った。

すぐにウォルターがフェイトへと視線をやり、彼が耳を傾けるのを待ってから、フェイトは続ける。

 

「自分が、世界で一番幸せな母親だって言っていた。死んだ後に、それでも一度でも娘に会うことができる母親なんて、世界で一番幸せな母親だって」

 

 ぴくり、とフェイトが繋ぐウォルターの手が震えた。

ぽつり、とウォルターが何かを呟く。

誰かの名前のようだったが、フェイトの耳朶に音は形を成したまま届きはせず、拾いきれなかった。

誰か、ウォルターが知る母親であった死者の名前だったのかもしれない。

視線を夜空に向けていたため、彼の顔は分からず、どんな関係だったのかは窺い知れないが。

そう思いつつ、フェイトは続ける。

 

「だから、躊躇せず私を殺しなさい……、プレシア母さんは、そう言っていた」

「……プレシア先生の方から、望んでいたのか」

「うん。私、何も言えなかった」

 

 胸を引き裂かれるような言葉であった。

許されるのであればフェイトは叫びたかった。

なんで、もう会えないと思っていたのにまた会えて、なのに自分の手で再び母と永遠の別れを経験するなんて。

嫌だ。

嫌だ。

嫌だ!

叫びたくて、でもプレシアの穏やかで、とてつもなく幸せそうな顔を見ると、どうしても言い出せなくて。

フェイトは、プレシアを前に言葉を胸の中に詰め込んで、立ち尽くす他無かった。

命令とやらに縛られたプレシアは戦闘において手加減はしておらず、フェイトはまともな戦いすらできぬままであった。

 

 無様だろう、とフェイトは思う。

ウォルターはUD-182と曲がりなりにも戦いながら言葉を交わす事ができたのに、フェイトは母に対し攻撃魔法の一つも放つ事ができず、言葉さえも口にできなかった。

できたとしても、互いの魂を認め合うようだっただろうウォルター達の会話ではなく、泣き叫ぶような惨めな会話だったに違いない。

けれど、ウォルターは言った。

 

「お前たちらしい会話だな」

「……え?」

 

 フェイトは、思わずウォルターの顔を見つめる。

穏やかでいて、その瞳は何時もの通り炎の熱量を持っており、見るだけで体温が上がりそうな目だった。

 

「だって、PT事件の時を思い出せよ。あのときはプレシア先生が本音を口に出来なかったのが全ての原因だっただろう? で、フェイトはなのはとの出会いを通して、プレシア先生に思いを伝えた。それがあのときの2人の会話だった」

「うん、そうだけど……」

「今度は、逆だな」

「逆?」

 

 オウム返しに問うフェイトに、ウォルターは力強く頷いた。

繋いだ手から伝う温度に、フェイトはうっすらと汗をすらかいている自分に気付く。

先ほどまで外気で体を冷やしていた事が嘘のようだった。

 

「プレシア先生は、かつてを反省して、本音でぶつかっていて。フェイト、お前は賢しげに本音を隠してばかりいるだろう?」

「……ぁ」

 

 瞬間、フェイトは己の視界が広がるかのようにすら感じた。

狭い通路を出た先が、まるで何処までも広がる青空だったかのような感覚。

体を縛る鎖が何本もあった事に気付いていなかった事に、やっと気付いたかのようで。

こみ上げてくる熱い温度に、フェイトは空いた手で目頭を押さえた。

 

「なぁ、あのときプレシア先生にフェイトの言葉が通じたのは、なんでだった?」

「私が……本音で、全力全開でぶつかり合って! 諦めないで、立ち上がろうとしたから……!」

 

 そうだった。

フェイトはなのはとウォルターから、大切な物を貰っていたのだ。

なのはからは心からぶつかり合う事でわかり合える事を。

ウォルターからは、諦めずに挑戦し続ける不屈の心を。

プレシアを前に、フェイトはそのどちらも忘れていたのだ。

誰よりもわかり合いたいと思っていた母を前にしたと言うのに、である。

 

「なぁ、フェイト。それで今は、本音を吐くのにもう遅いか? 手遅れか?」

「ううん、全然、違うよ……!」

 

 フェイトは、大粒の涙を零しながら、思わずウォルターに抱きついた。

寸前、僅かに目を見開くウォルターを視界の端に捉えながら、フェイトは両手をウォルターの背に回す。

遅れてウォルターがフェイトの背に手を回し、その男らしいごつごつした手でフェイトの頭を撫でた。

バリアジャケット越しで上手く感じられない筈の体温が、それでも強く伝わってくる。

心とは裏腹に僅かに冷えたウォルターの体温が心地よく、フェイトはウォルターの背に回す両手に少し力を込めた。

ぎう、と。

体と体の距離が縮まる。

 

「なぁ、覚悟を決めないといけないのは確かだ。プレシア先生がこの事件から生きて帰るのも難しいし、もしそうなっても余生をまともに送るのも難しい。でも、それよりも前に、お前にはやるべき事があるだろ?」

「プレシア母さんと……お話する事」

 

 ウォルターが頷くのが、肩越しにも分かった。

嗚咽がフェイトの口から漏れ始める。

恐ろしい程の感情の奔流が、フェイトの内側を暴れ回っていた。

体の中をぐちゃぐちゃにしてゆくそれを、どうしても吐き出したくて、フェイトはウォルターを抱きしめる力を強くする。

僅かに身じろぎした後、ウォルターはフェイトを抱きしめる力を僅かに強めた。

自分が情けなくて心が崩れ落ちそうな今、ウォルターが自分をしっかりと捕まえてくれる事が、例えようも無く嬉しい。

故にフェイトは、自分の中の暗い物が燃え尽きるまで、ただただ涙を零し続けていた。

 

 暫く経ち、フェイトの中の感情が収まってきた頃。

ぽつり、とフェイトは呟いた。

 

「私……大切な事を忘れちゃってたんだね」

「無理もねぇさ。プレシア先生が亡くなってから、まだ1年も経ってないんだ」

「でも……」

 

 フェイトは、ウォルターの背に回した手を緩めた。

応じて力を緩めるウォルターの手を解き、フェイトはウォルターの両肩に手をやる。

自然、2人はそれぞれの吐息が感じ取れるような距離で顔を合わせた。

ウォルターの吐いた息を、フェイトが吸って。

フェイトが吐いた息を、ウォルターが吸うような距離。

 

「私もウォルターみたいに、揺るぎない信念が欲しいよ……」

 

 何故か、ウォルターが顔に僅かな陰りを見せた、ような気がした。

しかしそれはあまりにも一瞬の事で、見間違いだったのだと己を納得させるフェイト。

そんな彼女を、ウォルターはあの燃えさかる炎の視線で貫く。

 

「なぁ、フェイト。今お前には、本当に一つも揺らがない信念が無いのか?」

「え……?」

「なんっつーか、ふわふわした言い方しかできねーんだけどさ。お前が俺に食ってかかったのは、プレシア先生を前に動揺していた事も確かだろう。でも、本当にそれだけだったのか?」

 

 フェイトは母に対峙する事すら適わない精神しかなく、その目前で親友を殺す覚悟を決めたウォルターが眩しくて。

それだけの、筈だ。

そう思うフェイトに、熱く、それでいて何処か穏やかな瞳でウォルター。

 

「俺のことでいらついたり、嫌だったりした事。積み重なっていたんじゃあないのか? 俺には、そう思えたんだ」

「それは、ある、けど……」

 

 実験体を残して脱出した事。

それはフェイトがウォルターに反感を覚えた切欠で。

でも、それがどうしたのだろうか、とでも言いたげなフェイトに、ウォルターが告げた。

 

「なぁ。信念ってのは、作ろうとして作るもんじゃあない。何時でも胸の中にある物で、大変なのはそれを見つけたり、見失わないようにする事だ。だから必ず、お前の行動の裏には信念が見つかる筈なんだ」

「そう、かな」

「あぁ。俺はお前の信念が、何となくだが分かる。でも、そういうのは自分の心で見つけて、初めて貫き通す力がわき出すもんだ。だから……」

「うん……」

 

 実験体を残して出たウォルター。

思い浮かぶのは、子供を相手にしていた事、だろうか。

それだけでは、と思うフェイトに、穏やかなウォルターの声。

 

「別に今回だけじゃあなくていい。今までのお前の人生で、大きかったと感じた出来事を思い出すんだ」

「大きかった、事……」

 

 フェイトは瞼を閉じる。

子供。

子供の時、自分が一番嬉しかった事は何だっただろうか。

母を助けられた事?

ウォルターの言葉を授けられた事?

そうじゃなくて。

 

 ――私が居るよ。

 

 なのはの言葉。

自分には母しか居ないと、狭い世界で閉じこもっていたフェイトの心を広げた、一言。

 

 天啓に、フェイトは思わず目を見開いた。

興奮で思わずウォルターに顔を近づけ、告げる。

 

「そっか、私は、言ってあげたいんだ。自分一人になってしまって、誰も助けてくれなくて、自分には誰も居ないって、そう信じてしまっている子に」

 

 わき起こるような興奮が、フェイトの胸の奥から全身へと広がっていた。

血潮は熱く、今にも破裂しそうなぐらいに体中に力が満ちてゆく。

その興奮を言葉に乗せるようにして、フェイトは力強く告げた。

 

「――貴方は、一人じゃないんだよ、って」

 

 刹那。

ウォルターが、泣きそうな顔をした気がしたけれども。

次の瞬間には熱い意思が籠もった、肯定の笑みを見せていて。

 

「頑張ったな、フェイト」

 

 微笑むウォルターに、フェイトは力強く頷く。

先ほどウォルターの言葉で開かれた視界が、それでもまだ狭かったと言わんばかりに世界が広がり、色づいた。

これが、信念なのか。

ウォルターの炎を貰うのではなく、己の内側から炎がわき出るような、とてつもなく心が踊る感覚。

迸る全能感が、フェイトの全身を巡る。

 

 先の疑問もとうに解けていた。

ウォルターが実験体に共感せず、実験施設を2人で逃げ出した事に反感を覚えたのは、自分なら実験体の子供達に理解を示し、きっと不安だっただろう彼らの心に寄り添うだけでもしてあげたかったから。

それは無論、フェイトの身勝手な物言いで、当時7歳だったと聞くウォルターに不満を抱くのは醜い感情だったけれども、少なくとも理由は分かってきて。

 

「ごめんね、ウォルター」

「ん?」

「実験施設から逃げ出したって聞いた時、酷い事言っちゃって」

「気にすんなって」

 

 微笑むウォルターに、フェイトは止まっていた涙がこぼれ落ちそうになるのを感じた。

それでも彼の笑顔には、どうしてだろう、笑顔で答えたくなって。

フェイトは、満面の笑みを浮かべた。

 

「……ありがとう」

 

 ウォルターが僅かに眼を細め、僅かに頬を紅潮させる。

それから視線をフェイトの顔から外し、恥ずかしそうに告げた。

 

「おう。……で、だ。さっきからちょっと、距離が近すぎる気がするんだが」

「え?」

 

 言われて、フェイトは気付く。

互いの息が吹きかかるような距離。

あと少し顔を進めれば、唇同士が触れ合いそうな距離であった事に。

 

「わ、わっ!?」

 

 思わずフェイトは、ウォルターの肩を置いていた手で突き放した。

至極当然、壁際にあったウォルターの頭蓋は、コンクリの壁に痛そうな音を立て激突。

 

「――っ!」

「あぁっ!? ご、ごめんっ、ウォルター!」

「だ、大丈夫、だ……」

 

 ぴくぴくと蠢くウォルターを尻目に、フェイトは先ほど考えた事を反芻する。

唇の触れ合いそうな距離。

キス。

思わずフェイトは、人差し指を己の唇に沿わせた。

先ほどまでの魂の熱量とは別の意味で、胸がどきどきするのが、自分でも分かった。

何せ男の子とそんな距離に居たなんて、自分でも破廉恥だと思ってしまうし、はしたない。

何より恥ずかしくて、頭が爆発しそうだ。

などとフェイトが思っているうちに、回復したウォルターがよろよろと頭を上げる。

 

「と、とりあえず、だ。さっきの言葉、もう一度言わせてもらってもいいか?」

「え? さっきの?」

 

 疑問詞を浮かべるフェイトへと、ウォルターはあの炎の笑みを浮かべ、手を伸ばした。

胸の奥を燃やす、恐るべき熱量の言葉。

 

「――お前に、力を貸して欲しい」

 

 ぞわ、と。

背筋を戦慄が駆け上るような、魂が燃え上がるような、そんな言葉だった。

フェイトもまた、己の内側に燃えさかる炎を意識しながら、手を伸ばし、ウォルターの手を掴む。

がっしりと。

離れないように、手を握り合って。

 

「――私で良ければ」

 

 答え、2人は握手をした。

それだけでウォルターの手から、燃えさかる信念が伝わってくるような気さえして。

フェイトは思うのだ。

 

 ――独りぼっちで自分には自分一人しか居ないと思っている子に、貴方は一人じゃあないと、教えたい。

 

 今はまだ、その自分の信念を見つけたばかりで、ひな鳥のような自分だけれども。

何時かはウォルターへと追いついてみせる。

彼と隣り合い、信念を貫く者同士として対等に顔を合わせてみせる。

心燃える感覚に身を委ねながら、フェイトはそう思っていた。

 

 

 

3.

 

 

 

 アクセラ・クレフはある日、再生の雫を使えるようになった。

経緯としてはなんて事は無い。

アティアリアの神官達は必ず一度はカテナ神殿において再生の雫に祈りを捧げ、そして反応が無くても満足し、正式な神官となる。

その儀式において、再生の雫はアクセラに呼応し、覚醒したのだ。

生まれが特別だった訳ではない。

クレフ家は代々神官を輩出する家であった事は確かだが、特別地位の高い家だった訳でもなく、血だってさほど古くは無い。

精々200年程度しか神職と関わっていなかった。

生まれ持った魔力だって高い事は高く、回復魔法の適正があったため時空管理局からスカウトが来る程だったが、それだけだ。

珍しい事は珍しいが、次元世界では多々あるケースである。

故にアクセラが再生の雫の契約者となれたのは、ただの突然変異とされた。

そしてそれは、アクセラにとって暗い日々の始まりに過ぎなかった。

 

 再生の雫を使えるようになった当初、彼女は政治家の圧力に屈した神殿により、軟禁状態となった。

家族であった父母も軟禁され、人質として十分に活用される中、アクセラは権力者のいいなりになって人を生き返らせる毎日であった。

それだって、感謝の言葉をかけられた事は一度も無い。

ただ死体を運ばれてきたら再生の雫を使い、その後起きる前に蘇生された人間は運び出されてしまうだけ。

アクセラはその時、半ば己の人生を諦めていた。

自分はこのまま死者蘇生の道具として残る一生を過ごすほか有るまい。

一人で生き、一人で死ぬ他無いのだ。

それでも、人を生き返らせているのだから、これは良い事なのだ、と自分に言い聞かせて。

そう思って、日々感情が薄れていくのを感じながら過ごしていった。

 

 1年ほどが経った頃である。

従順なアクセラは、美少女と形容していい容姿に成長しており、それ故に一つ、事件が起きた。

監視役だった男が一人暴走し、欲情しアクセラを襲おうとしたのだ。

アクセラは抵抗し、そのまま弾みでアクセラは男を殺してしまった。

慌てて何も考えず、アクセラが男を生き返らせると、不思議な事が起こった。

生き返った男は、アクセラに謝罪を始めたのである。

何故と問うと、男は言った。

死を経験した事で、浮世の欲が消え、善性に目覚めたのだ、と。

 

 アクセラはその時、夢想した。

このまま知る限りの悪い人間を殺して生き返らせれば、善性に満ちた世界が作れるのではないか、と。

権力者のいいなりに、本当は生き返らせてはならない人を生き返らせてきただろう、悪い事を続けてきただろう自分にできる、償いができるのではないかと。

 

 怖いぐらいに計画は上手く行った。

まずは男の同僚を次々に殺しては蘇生し、善性に目覚めさせた。

男達には必ず生き返らせるから、と約束した上で政治家や権力者と差し違えさせ、そしてアクセラは双方を蘇生した。

そこから手を広げつつけるうちに、巡回している執務官に感づかれた事もあった。

その時はアティアリアを次元震で封鎖した上で、Aランク魔導師10人を蘇生し続けながら戦わせ、どうにか殺して蘇生する事に成功した。

 

 計画に修正も幾分入った。

当初のアクセラの計画だけでは、アクセラが殺されたり寿命が尽きた時、世界に善性が続くかどうか分からない。

故にアクセラは蘇生した有識者と会話し、時には蘇生する前の人間とも話し合い、そして無論蘇生する前の人間は殺して生き返らせたりもした。

その結果が、ウォルターに話した通りの計画である。

アクセラはより再生の雫を使いこなせるようになり、直接知らない人間を生き返らせる事もできるようになっていた。

今は何故か直接蘇生者と違い悪性をそぎ落とす事ができず、あまり多用はできないのだが、それも修練が解決する事だろう。

故に時間をかければ再生の雫の制作者やその関係者を蘇生する事も不可能ではなく、つまりは再生の雫を量産する事も、安全に動かす事も可能だ。

無論まだ準備が出来ていない状況な為、実際に行ってはいないが、十分な実現性があると蘇生者達のお墨付きである。

 

 私は正義なのだ、とアクセラは確信した。

何せ蘇生者達はそろってアクセラの事を正義と言っていたし、生き返ったことの無い人間達はアクセラの事を気味悪がっていたが、そんな悪性の残る人間の言うことなど信用できない。

故にアクセラは己の正しさを、正義を確信していた。

私は正義なのだ。

正義なんだから、正しいと思った事をやらねばならない。

この道を完遂せねばならない、と。

その心に満ちた正義感に従って。

 

 そして、アティアリアにウォルター・カウンタックが現れた。

次元世界最強の魔導師。

次元世界で最も輝ける魂を持つ英雄。

彼がアクセラに賛成しようが反対しようがどちらでもいい、殺して蘇生するべきだ。

彼を蘇生者とすれば、必ずアクセラの理想に共感してくれる筈。

加えて新人とは言え有名な執務官を加えれば、次元世界を揺るがしうる貴重な存在となるだろう。

そしていずれ、次元世界は善性に満ちた世界のみになるのだ。

 

「――ん」

 

 アクセラが瞼を開く。

カテナ神殿の最深部。

再生の雫との契約を執り行った間において、アクセラは豪奢な椅子の上に座っていた。

灰色の石造りの外側と違い、材料となった石達は細かな装飾が掘られており、ステンドグラスからは色彩のついた光が降り注ぐ。

アクセラを囲むように立ち、守ろうとするのは、3人の元執務官だった高ランク魔導師である。

アクセラは座ったまま、再生の雫の機能の一つで命令を下している相手、プレシアへと視線をやった。

 

「今の魔力の波動……感じましたか?」

「えぇ。ウォルターね。あの子、また強くなってるわね……」

「それは恐ろしい事です。が、神殿の入り口にはUD-182を配置してあります。ウォルター・カウンタックも彼を素通りはできないでしょう」

 

 UD-182はウォルターとの関係性を黙しており、アクセラも詳しい関係についてはどうでもいいので、命令で吐かせることもしていない。

だが明らかにウォルターと強い関係にあった事は間違いなく、それ故にウォルターはUD-182を置いてはゆけず、分断される。

残る3人が合わさっても、プレシアと3人の元執務官を同時に相手はできまい。

加えてもしウォルターが合流しても、アクセラの配下には10人ものAランク魔導師がおり、その数を相手では如何にウォルターでも敗北は必須だろう。

万が一その数を相手に倒す事ができる戦闘能力を持っていたとしても、再生の雫の蘇生魔法は低コストである、何度も蘇生させられる魔導師達に勝てるはずなど無い。

蘇生すると目の前に蘇生してしまう制限があるので、最大戦力であるプレシアを最深部でしか使えないという弱点はあったが、それも戦力比の大差で霞むだろう。

万全の体制であった。

 

「さて、プレシア。フェイト執務官と使い魔2体の相手、頼みましたよ」

「……えぇ」

「元執務官のお三方も、劣勢のようでしたら手を貸してあげてください」

 

 頷く3人を尻目に、アクセラは視線を通路の方にやる。

靴裏で床を蹴る音が3対近づいており、戦いの予感をそこに響かせていた。

 

 

 

 

 




敵にも味方にも精神的にボコられるウォルターさん。
次回から決戦です。


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5章5話

激しく遅くなりましたが、投稿です。


 

 

 

1.

 

 

 

 日は高く、黒々とした影が芝生を染めていた。

カテナ神殿の中庭。

石造りの神殿の中、ぽつんとある芝生でいっぱいのそこに、僕とUD-182は立っていた。

からっとした空気で、砂塵を舞わせる風も、今日は殆ど無い。

額のうっすらとした汗は睫に貯まり、瞬きして振り落とさねばならない。

そうやってクリアになった視界には、ナックルタイプのデバイスを装備したUD-182が目に見えた。

先日のわくわくした好奇心満載の表情から、今日は何処か真剣で空気を鋭利にさせるような表情である。

それは多分、僕も同じだった事だろう。

互いに睨み合いを続けていたが、先行したフェイト達の後ろ姿が見えなくなった頃、僕が口を開いた。

 

「……1日ぶりだね、UD-182」

 

 僅かな動揺がUD-182の顔にあった。

すぐに立て直し、鋭い目つきで告げる彼。

 

「そうだな、265。今日は仮面を被らなくてもいいのか?」

「一対一で観客も居ないし、君を相手に仮面を被る意味なんて、無いだろうからね」

「そっか」

 

 言って、UD-182は深い呼吸をし、構えをより盤石にした。

僕もまた、ティルヴィングを構えながら全身から不要な力を脱力し、何時でも瞬発力を発揮できるようにする。

互いに無言であった。

何を言うでもなく、滑り落ちる汗が地面と激突し弾ける音を合図に、僕らは芝生を靴裏で蹴る。

 

「おぉぉおっ!」

「あぁぁぁっ!」

 

 絶叫。

僕は全力でティルヴィングを振ろうとするも、力んでしまい大ぶりかつ遅くなる。

それでもUD-182を大きく超える力があったのだが、182は互いの力量差を一瞬で把握。

溜めた拳を迎撃に使い、ティルヴィングを逸らしながら半回転、逆の腕の肘を僕の腹にたたき込もうとしてくる。

僕はすぐさまティルヴィングから片手を離し、襲い来る肘の一撃を包むように防御。

そのまま肘を握りつぶそうと握力をかけようとしたが、すぐに察知され距離を取られてしまった。

 

「何故だ! 何故お前は、そんな生き方を選んじまったんだっ!?」

 

 追撃に切刃空閃の直射弾を放つ寸前、182が叫ぶ。

動揺に放った30ほどの直射弾は弾道が乱れ、直射弾同士でぶつかり合い相殺しながら進んでいった。

流石にそれでは避けきるのも難しくないのだろう、容易くかいくぐってくる彼。

そのままUD-182は右手を大きく引きながら高速移動魔法を発動。

大ぶりの拳を放ってくる。

 

「五月蠅い……、僕には、これしかなかったんだ!」

 

 叫びながら僕は迎撃しようとするも、あまりにもあからさまな拳はフェイント。

間合い直前で停止したUD-182はその場から跳ね上がり、横回転。

上から振り下ろすように右の拳を放つ。

安い手だったが、それすら見抜けぬ程に僕は動揺していた。

辛うじて間に合った反射神経が、空ぶったティルヴィングを引き戻し、楯として使い防御に成功する。

刹那、魔力と魔力が拮抗。

UD-182と視線が合う。

 

「そんな腰の引けた理由が、お前の信念を決める理由だったってのか!?」

 

 炎の意思の籠もった視線に、僕は思わず息をのんだ。

怯えから魔力が過度に放出され、バリアを貫けずに拳を当てたままでいた182を吹っ飛ばす。

彼は空中で回転しながら姿勢を制御し、地面に両足で下り立ちすぐさま構えた。

 

 強い。

強い事は確かだ。

しかしそれにしても、僕が苦戦するほどの強さではなく、恐らく彼の魔導師ランクは陸戦AAランクの下の方ぐらいだろうか。

“家”に居た頃の彼はこれほど強くなかったので、恐らくは蘇生されてから習得した技術による戦闘能力向上なのだろう。

推定した蘇生期間からその天才性は窺えるし、事実今の状態でも強い。

だが、本来の僕であれば10秒で決着をつけられる相手である事も確かだった。

 

 つまり僕は、あれほど大言壮語を吐いたと言うのに、未だにびびっているのだ。

彼を。

UD-182を殺す事に。

あの次元世界で最も輝ける魂を、僕の手で終わらせる事に。

 

「そうだ! だって、僕には他に、君から受け継いだ信念を貫き通す方法は無かった!」

「なんでだよ! お前はお前自身であっても、俺の信念を受け継ぐ事ができただろう!?」

「出来るわけ、無い!」

 

 叫びつつUD-182は、正拳突きを放った。

拳の弾道に円形の直射弾が放たれ、僕がそれを避ける隙に彼が高速移動魔法で踏み込んでくる。

素早い踏み込みによる間合いの侵略に、しかし僕はティルヴィングを振るって対処。

袈裟に切りつける攻撃は、しかし怯えに満ちた震えで切っ先が進行方向とそろってすら居ない。

それでもUD-182はカートリッジを使用し、全身全霊を込めて、僕の無様な斬撃と拮抗。

腰の引けた僕をはじき飛ばし、懐に潜り込んで再びカートリッジを使用する。

 

「なんで最初っからそう……決めつけるんだ!」

 

 高まった魔力と共に僕の腹部へとUD-182の魔力付与打撃が放たれた。

が、必殺の筈のその攻撃すら、僕にとっては容易く跳ね返せる児戯に過ぎない。

僕は即座にティルヴィングを待機状態にし、半身に捻った体で攻撃を回避。

加えてカウンターの一撃をUD-182の顔面に向けて放つが、手が震え、威力は心許ない上に、首を振って避けられた。

そのまますれ違うように距離をとり、再びティルヴィングをセットアップ。

 

「お前は、お前の魂の輝きで、救えたじゃないか! ティグラ・アバンガニも。プレシア・テスタロッサも。リィンフォースと八神はやても! なのに、何故お前は自分を信じようとしない!」

「それこそ、みんな僕が仮面を被っていたから助けられた相手じゃあないか! 君の言うように自分自身を強くさせようとしていたのならば、僕は誰一人助けられなかったに決まってる!」

 

 絶叫しながら、僕は歯を噛みしめた。

自分自身へと向け、吠える。

違う、僕の言いたかった事はこんな事じゃあなかった。

もっと燃えさかる、言語化不可能な何かを秘めた言葉だった筈だ。

フェイトに言った言葉は、半ば自分を鼓舞する為の言葉は、一体何だったんだ?

素直に自分自身を伝えようとする事を説いたのは、何のためだったんだ?

 

「――今、このときの為だ」

 

 思わず口に出して言った脈絡の無い言葉に、怪訝そうな顔をするUD-182。

それに立ち向かおうと、僕がティルヴィングを持つ手に力を込めた、その瞬間である。

明滅する緑の宝玉。

 

(マスター、UD-182の発言に矛盾があります)

(へ? 矛盾って何が?)

 

 珍しく僕に口を開くティルヴィングに、僕は内心首を傾げた。

それでUD-182が引いてくれる訳でもなく、咆哮と共にこちらへと突っ込んでくるUD-182。

僕はそれをあしらいながら、ティルヴィングの情報を聞く。

 

(――……と言う訳です。この事実から導かれる推論は、マスターに任せます)

(そう、か……)

 

 事実を認めた言葉を自分が吐いた事に、僕は自分で驚いてしまった。

加えてその事実に、僕は視界が暗くなるのを感じた。

歯を噛みしめ、前に傾き倒れようとする肉体を、右足で踏みとどまりどうにか支える。

違う。

僕がいまやっていい事は、この場で倒れる事なんかじゃあない。

事実を知ってもまだ心が萎えきらない事に、僕は僅かな炎を胸の奥の感じる。

 

「どうした、いきなり弱くなったじゃあねぇか!」

「……いや」

 

 呟き、僕はカートリッジをロード。

断空一閃。

超常の魔力が込められた一撃を放ち、UD-182へと斬りかかる。

兜割りの一撃を182はすんでの所で間に合った高速移動魔法で避けるも、直後ティルヴィングが地面へと激突。

凄まじい威力に、地面が震えた。

 

「のわっ!?」

 

 と叫びながら後退するUD-182は、見ただろうか。

僕のティルヴィングが激突した地面が、地割れを起こし数メートルに渡って亀裂を刻まれた事を。

ティルヴィングを軽々と持ち上げUD-182の方を見ると、冷や汗をかきながらも構えを解く事の無い彼。

 

「へへ……、ようやく本気になったか。面白くなってきやがったぜ」

 

 強敵に興奮するUD-182に、僕は静かに問うた。

 

「最後に一応、聞いておく」

「ん? 何だ?」

「本当に君は、本心からアクセラの蘇生計画に賛成しているんだな?」

 

 真剣な顔で言う僕に、UD-182もまた真剣な顔を作り、威圧感を放射し始めた。

背筋が凍るような、圧倒的な魂の質量。

物理的圧力すら兼ね備えているのではあるまいか、と勘違いしてしまうほどの精神の格。

敵対する物の心をも溶かす、炎の視線。

全てが僕などでは到底適わない、圧倒性に満ちた魂の輝きがそこにあった。

 

「あぁ、勿論だ」

「――なら君は僕の敵だ。大人しく、切り捨てられるといいさ」

 

 意識して冷たく告げ、僕はティルヴィングを構えた。

僕は、押さえていた全魔力を解放。

いつぞやのプレシア先生や闇の書全開状態のリィンフォースには及ばぬものの、それに比類しうるだけに到達した魔力を、である。

流石に気圧されたのか、半歩下がるUD-182。

 

「圧さ、れた……。この俺が?」

 

 精神の持つ力だけで次元世界最強の魔導師にしのぎを削る彼。

肉体の持つ魔力で次元世界最高の魂に挑む僕。

どちらがより偉大かと言えば、前者であるのは当然だろう。

例えそれは勝敗がどちらに傾こうと、それは同じ事。

けれどUD-182はそうは思わなかったらしく、己への怒りに満ちた顔で、下がった足を前へと踏み下ろした。

世界がその振動で色を変えるようにすら思える、圧倒的圧力。

ただ足を踏み出しただけの動作だと言うのに、惑星が揺らぐような錯覚。

先ほどまでより更に錬磨された彼の魂に、僕は薄く微笑んだ。

 

「あぁ、お前はこれから二度と僕に圧し勝つ事は無い。そのまま負けて、全て終わりだ」

「抜かせよ……! その腐った脳みそ、鍛え直してやる!」

 

 互いの武器を構え、僕らは向かいあったまま睨み合った。

それぞれの呼吸は上手く隠され、筋肉に力が入った瞬間など欠片もわかりはしない。

それでもこれまでの戦闘と呼ぶのにもお粗末な戦いで、互いの呼吸はなんとなく読めていた。

故に、互いに飛び出すのは同時。

全てを賭した刃と拳を武器に、僕らは芝生を靴裏で蹴った。

 

 

 

2.

 

 

 

 石造りの広間。

天井は高く、恐ろしく広い空間に細微な装飾のある石と豪華なステンドグラスが見える。

色付いた光が床を差す所に、物語に出てくる魔女のようなバリアジャケットを着た妙齢の女、プレシアが立っていた。

その後ろでは豪奢な椅子に座るアクセラとそれを守る元執務官が3人。

対するは黒衣の金髪の少女フェイトと、彼女に半歩下がってリニスとアルフ。

テスタロッサ一家のそろい踏みであった。

先頭に立つフェイトは顔を引き締め、口を開いた。

 

「プレシア母さん……。また、会えたね」

「……一応先に言っておくけれど。対話を禁止された訳じゃあないけれど、戦闘を止める事は禁止されているわ。つまり、話すとしても戦いながらしかできないわよ」

「うん、大丈夫。今度は私も戦えるから」

 

 言ってフェイトはバルディッシュを構え、腰を低くした。

同時、リニスとアルフもまた魔力のスパークをちりちりと巡らせ、戦闘準備が万端な事を示す。

プレシアは満足気な笑みを浮かべ、杖を構えた。

 

「それでこそよ。……では行くわよ」

 

 言って、プレシアは瞬き程の時間で10の直射弾スフィアを発動。

優に音速を超える紫電の魔力弾が放たれると、それらをすり抜けフェイトは低空を飛行。

強化された視力で直射弾を見切り、最低限の動きでプレシアへと迫る。

 

「まずは、ごめんなさい!」

 

 叫ぶと同時、フェイトは死神の鎌と化したバルディッシュを振るい、プレシアへとたたきつけた。

杖型デバイスでそれを容易く押さえるプレシア。

 

「何のごめんなさいかしら?」

「私、昨日の戦いでプレシア母さんに何も言えなかった。母さんが死んでから何があったのかも、母さんにどうして欲しいのかも、伝えようとしてなかった」

「そう……。そうね、許すわ。だって、今からそれを伝えてくれるんでしょう?」

「うん!」

 

 叫び、フェイトは拮抗していたその場から素早く飛び退く。

フェイトの残像を十字砲火していた射撃スフィアの魔力弾が通り過ぎ、遅れてリニスとアルフの魔法がようやく射撃スフィアを残らず処理し終えた。

それに微笑み、プレシアがもう一度杖を振るうと、今度は刹那に直射弾スフィアが20生成。

思わず顔を厳しくするフェイト達へと向かい、紫電の槍が降り注ぐ。

 

「まずは、私……。どんな理由があっても、母さんに死んで欲しくなんてない!」

 

 咆哮。

フェイトは瞬く間に同数の射撃スフィアを設置、紫電の槍を相殺してみせた。

同時自身は飛行魔法でフェイントをかけながらプレシアへと向かっており、黄金の魔力光をまき散らしながら彼女へと迫る。

 

「それは、無理な話よ……」

「分かってる。どんな結末だろうと、母さんが生きたままこの事件を終わらせる事はできないって。でも、私はどんな形であっても、母さんが生きていてくれたら、嬉しいんだ。私はそれを、まず伝えなくちゃいけなかったんだ!」

 

 近接戦となったと見るや、プレシアは杖型デバイスを変形、鞭型となったデバイスに恐るべき魔力を纏わせ振るう。

音速の数倍の速度で振るわれるそれは、見切るのは至難の業。

辛うじてフェイトも初撃、二撃目はバルディッシュでの迎撃に成功するも、続く三撃目は避けきれない。

激突。

短い悲鳴。

思わず動きを止めるフェイトの脇を、二色の直射弾が貫いてゆく。

薄い黄色と橙色の閃光が、続く鞭の攻撃を相殺し、その間にフェイトは距離を取って直射弾をばらまいた。

即座にプレシアもデバイスを杖型に戻し、その圧倒的な量の魔弾であらゆる攻撃を打ち落とす。

 

「そう……、ありがとう、フェイト」

「それだけじゃあない、母さんが死んでから、いろんな事があったんだ。お葬式はウォルターとリンディ……提督達が凄く力になってくれて。その後も、落ち込んでる私を、リンディ提督やクロノ……が面倒を見てくれて。良かったら、養子にならないかって」

 

 プレシアの猛攻が、途絶えた。

その間にフェイト達は最初広間の入り口に集合、互いに辛うじて直撃はしていない事を確認する。

遅れて、プレシアの声。

 

「感謝すべきなんだろうけれど……、ちょっと嫉妬しちゃうわね。確かにリンディには、罪人の私が見てあげられなかった分、フェイトの事をずっと見てもらってきたけれども」

「あ、その、受けたには受けたけど、別に母さんの事を忘れたとかそういう訳じゃあなくて……!」

「くす、冗談よ。嫉妬が無いと言えば嘘になるけれど、安心したのは本当。貴方ったら、頑張り屋だけど、本当は甘えん坊だったもの。執務官試験に受かったのも、最初は信じられない程だったわよ?」

 

 うぅ、とたじろぐフェイトに向け、プレシアは再び魔法を発動。

早撃ちの砲撃がフェイトに向かって放たれ、固まっていた3人は辛うじて高速移動魔法が間に合い回避に成功する。

しかし同時に用意されていた直射弾スフィアは、今度は50である。

流石に顔色が悪くなるフェイトだが、容赦なく魔力弾が雨のように降り注いだ。

 

「くっ……。そ、その、そんな風にリンディ母さんにも面倒を見て貰って。クロノ兄さんには執務官として色々な事を教えて貰って。そして……」

 

 フェイトはそのスピードと飛行魔法の精度で紫電の槍を避けきっているが、それも長くは続かない事を本人が悟っていた。

やはり、基礎力は3人がかりですらプレシアの方が格上。

加えて、どういった方法かは不明だが魔力が供給されているらしく、プレシアはSSランクの魔導師としてその場に君臨している。

流石にジュエルシードを魔力源とした時ほどでは無いが、それでもフェイト達3人を圧倒するには十分なレベルと言えた。

通じる言葉や心とは裏腹に、防戦一方の展開にフェイトは内心焦りを隠せない。

それでも、話さなければ何も伝わらないから、と言葉を吐き出し続ける。

 

「昨日。母さんに何も言えなかった私に、ウォルターが気付かせてくれた」

「……あの子が」

 

 呟くプレシアが、眼を細めてみせた。

必死で魔力弾の雨を避けながらだけれども、フェイトは内心の炎を吐き出すべく叫ぶ。

胸の奥のウォルターからもらったあの炎を、それでも伝えられるようにと。

腹腔から全身に駆け巡る、あの熱い血潮を再び巡らせて。

 

「私が持っていた信念を。心の奥底に秘めていた、言葉を!」

 

 叫びつつフェイトは、直射弾を避けつつ、ついにプレシアへと接近。

直射弾スフィアを維持したまま、杖を構えるプレシアへ向け、黄金の鎌をたたきつけた。

魔力のスパークが拮抗する刹那、叫ぶフェイト。

 

「私は……、独りぼっちで自分には自分一人しか居ないと思っている子に、貴方は一人じゃあないと。そう教えてあげたいんだ!」

 

 迸るフェイトの内心の炎を表すように、言葉は明瞭に広間に響き渡った。

しかし現実に、バルディッシュに込められた魔力と物理力は、杖に込められた超魔力には及ばない。

はじき飛ばされ、空中のフェイトを直射弾の雨が襲う。

プレシアの魔力弾が激突するかと思ったその瞬間、薄黄色の影がフェイトを攫い、直撃を避けた。

 

「あ、ありがとうリニス」

「えぇ。プレシアに言いたいことはまだあるでしょう? さぁ、続けてください」

 

 告げるリニスの眩しげな笑みに押され、フェイトはリニスの手を離れプレシアへと向き直る。

暫時魔力弾は止まり、プレシアの背に恐るべき魔力が収束。

即座に気付いたフェイトは、一瞬遅れて同じ魔法を詠唱する。

 

「私、ジュエルシードを集めていたあのとき、誰にも助けなんて求めてはいけない、もうこれ以上自分の世界は広がらないって、そう決めつけていた。でも、実際は違っていて、私にはなのはが居てくれて。あの子が、私の世界を広げてくれた。私にはたくさんの人が居たんだって、教えてくれた。だからっ!」

 

 展開されるのは、フォトンランサー・ファランクスシフト。

最早数える事すらままならない、それぞれ50を超える直射弾スフィアが空間を占めるも、フェイトが展開するスフィアはプレシアの数に明らかに届いていない。

焦りがフェイトを支配するが、遅れて薄黄色のスフィアが30ほど浮かんだ。

弾かれるようにフェイトが視線をやると、リニスがにこりと微笑んでいるのが視界に入る。

ありがとう、と心の中で唱えつつ、数ではプレシアのそれを超える、100近い直射弾スフィアが空間に展開された。

 

「だから私は……、自分が与えて貰った物を、今度は誰かに与えたい! 自分がそう思っていた事を、ウォルターに気付かせて貰ったんだ!」

「……そう」

 

 胸を張り、勇者の如き堂々とした宣言をするフェイトに、プレシアは満面の笑みを浮かべる。

遅れて、互いの魔法が発動した。

1つのスフィアに付き毎秒10発以上という、超弩級の直射弾の嵐が荒れ狂う。

1秒で行き交う直射弾は2000発を超え、直射弾と直射弾の激突する爆音が耳を貫いていった。

歯を噛みしめつつフェイトがじっと耐え、10秒。

合わせて1万発以上の直射弾を放ったフェイトとリニス、1人でそれと同数の直射弾を放ったプレシアが、向かい合ってみせた。

3人の手には、直射弾を放った後の残る魔力をつぎ込んだ、巨大な雷が放電現象を起こしている。

 

「スパーク・エンド!」

 

 輪唱。

激突する黄系の2つの雷が、プレシアの紫電の塊を逸らしてみせた。

逸れた紫電は神殿の一部を貫き、青空へと向かって直進。

遙か遠くに到達した後、爆音と共に剛風が巻き起こり、砂塵を運んだ。

 

「はぁ、はぁ……」

 

 肩で息をしつつ、再びバルディッシュを構えるフェイト。

少し離れて、まだ余裕があるアルフとは対照的に、リニスもまた疲労を隠せない状態である。

対しプレシアは息を乱す様子すら見せずにゆっくりとデバイスを構え、告げた。

 

「フェイト。それが……貴方の信念なの?」

「うん。だから私は……これからもずっと、きちんと生きていけるよ」

 

 母さんが死んでも、とは告げず、フェイトは答える。

それでも言外の言葉は通じたのだろう、プレシアは破顔してみせた。

片手を胸に、目に薄く涙をすら浮かべながら、続ける。

 

「そう……それじゃあ、示してちょうだい」

「示す?」

「貴方の信念が、言葉だけじゃなくて実も伴っているという事を。私が逝っても、貴方がきちんと歩いて行けると、証明してみせてちょうだい」

 

 フェイトは、思わず口をつぐんだ。

わかってた。

フェイトとプレシアがいくら心を通わせようと、結局プレシアが生きて帰れないのに変わりは無いのだ。

つまり、フェイトはプレシアを殺す覚悟をせねばならない。

 

 けれど、とフェイトは思った。

けれどなんでだろうか、それに感じる抵抗は、蘇生されたプレシアと出会った頃よりも遙かに少なくなっていた。

我が儘放題に叫んだからなのか。

少しでもプレシアと通じ合うことができたからなのか。

何がフェイトの心を動かしたのか、それは分からないけれど。

 

 フェイトは、キッ、と目に力を入れた。

潤んだ目から涙が空中へこぼれ落ち、乾燥した空気に霧散する。

疲れ切っていた筈の体には、無尽蔵かと思えるような力がわいてきて、燃える血潮が体中を巡り脈動していた。

 

「わかったよ。母さんの事、安心させてあげなきゃね」

 

 それでも、出てくる声は震え声で。

構えた体だって震えているけれど。

情けない自分に憤りが沸いてくるものの、それは腹腔の炎に燃やし尽くされ、体中に満ちるエネルギーに変わっていく。

吐く息が燃焼するかのような熱量を胸に、フェイトはバルディッシュに黄金の雷を纏わせた。

 

「バルディッシュ……。ソニック・フォーム、行くよ?」

 

 明滅するバルディッシュの答えに満足し、フェイトは目を薄くした。

黄金の光がフェイトを覆い、次の瞬間、限界まで薄くした黒い水着のようなバリアジャケットがフェイトの肌を覆い尽くす。

どのみち、ファランクスシフトで消耗したフェイトではプレシアの魔力弾に一度でも当たればもう終わりである。

故に防御を捨て、回避に特化するのはむしろ定石。

しかしそれに必要な意思力を知るプレシアは、微笑みつつも紫電を纏い、呟いた。

 

「さて……、そういえば貴方に直接稽古をつける形になるなんて、もしかしたら初めてかしら」

「ジュエルシードの事件が終わってからは、母さんの病気が進行していたしね」

 

 互いに視線を絡ませ、微笑む。

その次の瞬間、紫電と共に雨のような直射弾が空間を満たし、黄金の光が鋭角な軌道でその隙間を縫ってゆく。

援護の薄黄色と橙色の光が、そこに添え物のように控えめに輝いていた。

 

 

 

3.

 

 

 

「おぉぉおぉっ!」

 

 怒号と共に、UD-182の拳が振るわれる。

威力は並。

速度も並で、込められた魔力による付与効果も無い。

しかしその威圧の、なんと巨大な事か。

実物の数倍の威力を感じ取り、大きく避けようとする自身を、僕は必死で制御。

鋼鉄の如く、と意識した精神でどうにか小さく避ける。

そのまま超魔力を込めた剣をたたき込もうとしたが、容易く避けてみせるUD-182。

相貌に冷や汗を滲ませつつ、彼が呟く。

 

「やれやれ……、一撃でも貰ったら死亡とか、笑えねぇな」

「そうかい? 案外試してみたら、死なないかもよ?」

 

 呟きつつ僕は飛んでくる膝を、片腕で防御。

反撃に体当たりするも、体重で勝る僕に抵抗する愚を犯さず、UD-182は後方へと高速移動魔法で避けた。

鼻で笑う僕。

 

「さっきから逃げてばっかりだけど、勇ましい言葉は何処へ行ったんだい?」

「お前こそ、大ぶりばっかだが脳筋にでもなったのか?」

 

 飛び交う皮肉に、互いに微笑み合う。

UD-182が逃げてばかりなのは一撃でも貰えば終わりだからだし、僕が大ぶりばかりなのは、UD-182の恐るべき威圧に対抗するために力が入ってしまい、繊細な動きができないからだ。

互いにそれを恥じてはいるものの、それを表に出さない程度の余裕はあると再確認。

お互いの武器を構え、UD-182が僕の心を揺さぶるべく叫ぶ。

 

「なぁ、UD-265。お前の仮面、今までに綻ぶ事は無かったのか?」

「無い……訳じゃあ、ないね」

 

 事実に僕は肯定の意を返した。

次いで高速移動魔法でUD-182へ向けて突進、ティルヴィングを振るう。

最も避けにくい斬撃である袈裟の軌道に、UD-182は間合いを見切った上で大きめに後退。

UD-182の目前を、見目の間合いより大きいティルヴィングを取り巻く魔力の衝撃が走ってゆく。

 

「それは、お前が仮面を被って取り繕おうとするから出来た綻びじゃあないか? お前が、お前自身を貫いて輝けば、それは無かったんじゃあないのか?」

「そんなわけあるかっての」

 

 大ぶりの一撃の合間を縫ってUD-182は踏み込む、と見せかけ拳から直射弾を発射。

しかし僕がティルヴィングを横にして構え楯にすると、衝撃すら殆ど無くかき消えた。

同時、楯にしたティルヴィングを目隠しに迫るUD-182だが、僕の耳朶は音だけでも距離を捉えている。

直射弾を防ぎきると同時にティルヴィングを待機状態に、そのまま目を見開くUD-182へと正拳突きを放った。

 

「ある。あるし、それは今からでも遅くない! 少しずつでいい、お前自身をさらけ出していけば、きっとお前は、お前自身の魂で輝ける筈だ。俺はそう信じている!」

「確かに、そうかもしれないな……」

 

 が、UD-182は野生の勘か、首を振って拳を回避。

頬を切り裂いてゆく感覚と共に、僕の腕はUD-182の目前で伸びきった。

すかさず腕を折ろうとしてくるUD-182だが、僕は同時に叫んだ。

 

「けど、嫌だね」

 

 バリアジャケット・パージ。

僕の行動に目を見開いたUD-182は、しかし力んだ僕の魔力の漏れで素早く察知、高速移動魔法で後退してみせた。

遅れてバリアジャケットの魔力が物理的衝撃となって爆発。

魔力煙が視界を防ぐ間に僕は即座にバリアジャケットを生成し、更にシックスセンスで危険が無い事を確認し踏み込んだ。

視界が無い中で踏み込む僕に動揺したUD-182の動作が一瞬遅れる。

それでも煙の動きで一足早く察知できたのだろう、僕の次ぐ斬撃はかすり傷を残すのみであった。

続けて叫ぶ僕。

 

「何故ならそれは、僕が今まで信念の、信念と信じようとしている物の為に犠牲にしてきた人たちへの、裏切りだからだ」

「それは……!」

 

 叫びながらも距離を取るUD-182に、僕は僅かに眼を細める。

 

「なんでだろうな。”家”を出た時、僕には君の信念だけしか無かったのに。気付けば、いろんな物が僕の肩の上に乗っていたんだ」

 

 救えた人。

救えなかった人。

ラーメン屋の店主。

ナンバー12。

ティグラ・アバンガニ。

なのは。

フェイト。

プレシア先生。

はやて。

リィンフォース。

ゼスト隊の面々。

クイントさん。

リニス。

そして目前に居る、UD-182もまた、当然ながら。

 

「だが、死人は死人だ。お前は今を生きているんだぞ?」

「あぁ、そうかもしれない。だが君もまた死人だ。だから僕は、君をもう一度殺してでも選ぶ。君の信念に反する事だったとしても、選ぶ。僕の手で、他の誰でも無い僕の手で」

 

 深呼吸。

吸った息が肺に染み渡り、全身を巡るのが分かるぐらいで。

高速移動魔法、縮地。

UD-182の目前に現れ、一切の乱れ無き完璧な力の配分で。

振り下ろす。

刃を。

 

「君を模した仮面を、それでも被り続けていく事を!」

 

 UD-182の、僅かに目を見開いた顔を最後に。

ティルヴィングの切っ先は、UD-182の肩口へとたどり着いた。

超魔力によって重さも切断力も強化されている黄金の巨剣は、容易くUD-182の皮膚を切り裂き、鎖骨へと到達。

柔らかな骨を叩きおる、瑞々しい感触が僕の手に伝わってくる。

 

「おぉぉおおぉぉっ!」

 

 度し難い事に、気付けば僕は涙すら流していた。

そのまま止める事無く刃はUD-182の骨を切り裂き心臓へ到達。

分厚い筋肉の塊を切断する、鈍い感覚が僕の手に。

吐き気を堪えつつ僕は切り進む。

 

「おぉおぉおぉっ!」

 

 咆哮。

遅れて背骨へと到達した刃で太い神経を切る、とても言い表せない感触を残し、切断は右半身へと移行。

程よく重量の乗った刃は更に抵抗無く血肉を切り裂き、あばらを切断し腋下へと抜けてゆく。

 

「おぉぉぉおぉっ!」

 

 おぞましい感触を僕の全身へ残し、UD-182の体は2つに分割されていた。

空中を、UD-182の上半身が回転する。

まき散らされる血飛沫はそれぞれが光る粒子となってかき消えてゆき、まるで光のシャワーのようだった。

そんな中、僕とUD-182の目が合って。

視線が交錯する。

開くUD-182の口唇。

 

「そっか……、ならま、いっか」

 

 何故か、UD-182は最後に微笑みを残し。

その上半身すらも、地面にたどり着くことなく光の粒子と化して消えていった。

後にはデバイスすら残らず、彼の居た痕跡は何一つ残らず消え去った。

次元世界最高峰の、あの輝ける魂は、二度とここには存在しない。

そしてそれは、他でも無い僕自身の手による行為なのだ。

 

 思わずこみ上げてくる物を、僕は必死で飲み干した。

今は時間が無い、フェイト達の元へ急がねばならないのに、僕の目はUD-182が最後に居た場所に釘づけられていた。

時間が許せば、僕は何時までも惚けてそこを見つめ続けていただろう。

けれど現実にそんな事はあり得ず、僕は進まねばならない。

何時までも彼が最後に居た場所を眺めようとする自分自身に、ケリを付けるべく、自身へと告げる。

 

「……さようなら、UD-182」

 

 その場に突き刺さっているのではないかというぐらいに動こうとしない足を、必死で動かし。

釘づけになった視線を万力を込めて剥がし。

歯を限界まで噛みしめて。

僕は、全身全霊を込めてようやく、その場を背にし、歩き始めた。

辛かった。

胸がはち切れそうなぐらいに痛くて、少しでもそれが収まるようにと、僕は自身の胸を押さえる。

それでも痛みは治まらず、僕は左右に頭を振り、涙を振り落とした。

歩いていては、僕はここを離れるまでに力尽きてしまいかねない。

故に僕は全速力でフェイト達の居る最奥部へと向かい、靴裏で芝生を蹴り始めた。

柔らかい反動はすぐに石畳の堅い感触に変わり、その間に両目から零れる涙を強引に拭き取る。

僕は決して、振り返りはしなかった。

 

 

 

 



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5章6話

 

 

 

1.

 

 

 

 遠く、魔力煙が匂う空間から響く声。

 

「いい加減、諦めたらどうですか?」

 

 呆れかえったアクセラの声に、それでも力強い、僕の足音をかき消す大音声が帰ってくる。

 

「諦めない!……私たちは、絶対に諦めない!」

 

 咆哮。

胸の奥の激情をひねり出したかのような、強い声。

聞こえているだけの僕の胸でさえも熱く燃えさかるような、魂の熱量の籠もった声。

 

「確かに、力の差は大きいよ。私一人じゃあ母さんに勝てはしない。でも、私は独りじゃない! そして、例え何で負けても、心でだけは負けない。何度挫けても、立ち上がっていけば……道は、必ずある! だから、私は、私たちは!」

 

 そんなフェイトの声の中にあったのは、かつて4年前に僕がフェイトに説いた言葉であった。

胸の奥が燃えさかるかの如き熱量を孕むのを感じながら、僕はようやく感じ取れた道先に、高速移動魔法を発動。

白い三角形の魔方陣を足下に残し、跳躍する。

そして、咆哮。

 

「よく言った!」

 

 同時、フェイトの目前へと放たれた紫電の砲撃魔法へと、ティルヴィングを振り下ろす。

プレシア先生の魔力をも超える僕の超魔力が、容易く魔法を破壊。

静電気の方がマシな程度の放電現象を残し、かき消える。

肩越しに振り返り、僕は今まで耐えてきただろうフェイトへと視線をやった。

 

「ウォルター!」

「あぁ、遅くなっちまったな。今まで良く耐え……」

 

 と、そこまで言ってから、僕は気付く。

フェイトのバリアジャケットが、もの凄い事になっていた事に。

一瞬思考を停止、目の錯覚という現実を期待し視線をリニスとアルフにやり、彼女達の格好がいつも通りな事を確認。

それから視線をフェイトへと戻す。

水着だった。

漆黒のハイレグ水着だった。

いや、ソニックフォームは4年前も使っていたので存在は知っていたが、まだ使っているとは思っても見なかったのである。

女性としての羞恥心は、果たして何処へ行ったのだろうか。

目のやり場に困る事この上ない服装だが、本人に自覚は無いようで、小首を傾げながら誇らしげな笑みを見せてくる。

僕が到着するまで耐えきったという意味なのだろうが、服装がこれなので別の意味に思えてきてしまい、僕は頭痛に頭を抱えたくなった。

が、小さく頭を振り、とりあえずその事は無かった事にして続ける。

 

「耐えたな、フェイト。頑張ったぞ」

「うん! ……今の間、何?」

「さて、俺はこれからアクセラの奴をぶちのめしに行かなきゃならない。その間、もう少しだけプレシア先生の相手、頼めるか?」

「勿論だよ、誰に言ってるの? ……ねぇ、それとさっきの間って」

 

 僕は極めて紳士的にフェイトを無視、アクセラへと向き直る。

僕の内心を見抜いているのだろう、あちらも微妙な顔で出迎えてきた。

 

「……苦労してるんですね」

「言うな」

 

 何とも言えない対話は一瞬。

すぐに視線は鋭さを増し、普段通りの空間に戻る。

 

「さて、ウォルターさん。一応聞いておきますが、貴方は本当に私たちの仲間になるつもりは無いのですね?」

「あぁ、当然。人が生き返る世の中なんて――」

 

 UD-182を斬り殺した感触。

空中で粒子と化し、消えてしまった彼。

 

「まっぴら、ごめんだね」

 

 言って僕はティルヴィングを構え直した。

アクセラの周りの大凡AAランク相当の魔導師3人が、同時にデバイスを構える。

激戦の合間を縫って、フェイトの声が届いた。

 

「ウォルター! その人達は3人とも元執務官だよ、気をつけて!」

「分かった!」

 

 とは言え、4年前にヴォルケンリッター4人に対し圧倒できた僕である、大した敵ではあるまい。

そんな僕に、何故か微笑みながらアクセラ。

 

「なら、仕方有りません。……散りなさい、理想の世界の為に!」

 

 という謎号令と共に、執務官3人が突進を始める。

後衛の1人から高い練度で放たれた直射弾を見切って避け、そのまま近代ベルカ式の槍使いの攻撃を、ティルヴィングの斬撃でデバイスごと破壊。

返す刃で1人目の首をはねる。

 

「え……」

 

 瞬間、粒子となって消える執務官を背後に、僕は高速移動魔法を発動していた。

遅れて2人目が詠唱していた範囲攻撃魔法が発動、僕の残像を空間爆撃する。

術後硬直で棒立ちになった2人目を、兜割りで真っ二つにし殺害。

迫ってくる誘導弾を打ち払いながら直射弾を30ほどばらまき、3人目をアクセラの防御に回す。

必死になって迎撃している隙に魔力煙に紛れて素早く近づき、3人目の首をはねた。

 

「は?」

 

 惚けた声を残すアクセラへと高速移動魔法を発動。

そのまま非殺傷設定の斬撃をたたき込もうとした瞬間、水色の光がアクセラの目前に。

先ほど瞬殺した1人目の近代ベルカ式使いが現れ、僕の斬撃を受け止める。

 

「アクセラ様、距離を!」

「は、はい!」

 

 悲鳴を上げるアクセラを尻目に、僕は剣を支点に回転、超速度の蹴りを放ち、1人目の頭蓋を破壊。

再び粒子となる彼を尻目に視線をやると、アクセラの周りには水色の粒子をまき散らしながら、12人もの魔導師が現れた。

いや、遅れてベルカ式使いが現れたので、13人、アクセラを含めて14人か。

魔力量と勘からの判断では、うち10人がAランク、3人がAAランク、アクセラがSランク相当という所だろう。

 

「ちっ、あと少しで楽勝だったのになぁ……」

「あ、貴方人間ですかっ!?」

 

 とアクセラが悲鳴を上げる。

当然人間だ、と答えたい所だが、”家”謹製の僕なので、厳密に人間と言えるかどうかは不明だ。

故に僕は肩をすくめて答え、ティルヴィングを構え直す。

何もかもが予想通りで、吐き気がするほどに正解だった。

AAランク相当と感じた魔導師の呆気なさ。

蘇生された魔導師の反応。

どちらも僕が考えていた結果にたどり着く、一欠片となっていた。

 

 内心でわき起こる憎悪を胸の奥へと押し込める。

狂いそうなほどの激情を押し込めたからだろう、目の奥が熱くなってきて涙がこみ上げてくるのを、必死で押しとどめた。

吐く息一つにも灼熱が含まれているかのような感覚であった。

殺意に似た感情さえわいて出てくるのを避けられず、僕の内心は黒い炎となって燃え始める。

 

 だが、それは僕がUD-182を殺してまで続けようとした、仮面を被り続ける事を止めるという選択なのだ。

僕は僕自身の信念らしきもののために、この殺意を殺さねばならない。

深い呼吸と共にそれをどうにか押し込めて、代わりにできる限り大きな声で叫んだ。

 

「さぁ、行くぞ……。てめぇの遊びに付き合うのは、もうこりごりなんでな!」

 

 咆哮と共に靴裏に白い三角形の魔方陣が発生。

蹴り抜き、急加速と共に14人の魔導師へと突っ込んでゆく。

 

「遊び……? この世界を善くする為の革命の事を言っているのですか!?」

 

 アクセラの声が号令となり、アクセラ以外の魔導師が動き出した。

アクセラはどうやら蘇生魔法を待機でもさせているらしく、莫大な魔力自体は感じるのだが、動きは見られない。

代わりに他の魔導師達がバインドや直射弾の雨を放ち、前衛魔導師達がそれを守ろうとデバイスを手に防御魔法を発動寸前にして待機した。

 

 僕は敵陣に突っ込んでゆき、次々に前衛魔導師達を切り裂いてゆく。

肉を裂く最悪の感触を手に残しながら前衛魔導師達は消えてゆくが、アクセラの元で蘇生させられるペースの方が早く、撃墜速度が間に合わない。

ほぼ1合で切り捨てられる魔導師達だが、バインドやら直射弾を避けながらなので、一人一人を切るのに相応の魔力が必要だ。

対しアクセラの蘇生用魔力はさほど要らないらしく、明らかにアクセラが使った魔力より、蘇生者の持つ魔力の方が多いという、理不尽な状況である。

とは言え、アクセラが他者を蘇生する時間を作らせない事で、再びUD-182を蘇生されたり、最悪の事態としてクイントさんまで蘇生される可能性は防げている。

最も、フェイトにとって次に恐るべき死者であるアリシアは、どうせ蘇らせる事はできないだろうが。

 

「おぉぉおぉぉっ!」

 

 咆哮と共に、ちらりと脳内に韋駄天の刃という選択肢が浮かんだ。

僕の現在の韋駄天の刃での最高攻撃回数は、どうにか体を壊さない範囲内では15回。

攻撃回数は敵の数を上回り、無茶をすればそれ以上も行けるが、それでもこの場では無意味だ。

というのは、そもそも韋駄天の刃は、あらかじめプログラムしておいた動き通りにしか動けない事を代償として、攻撃力と攻撃速度・頻度を最大限に上げた魔法である。

当然ながら出現していない敵は対象外であり、復活位置の法則性が今一分かっていない今、有効性はさほど高く無いのだ。

つまり消耗戦となるが、それだと燃費で劣る僕が不利。

 

「くす……、先ほどは焦りましたが、あれが貴方の唯一の勝機。それを逃してしまった今、貴方に勝ち目はありません!」

 

 似たような結論を得たのだろう、偉そうに言うアクセラ。

対し僕は、肩をすくめて笑った。

 

「……俺にとっては、何時ものことさ」

 

 そう、いつものこと。

プレシア先生と戦った時も、後にリィンフォースの名を得る闇の書と戦った時も、いつも相手は僕より格上。

勝機は薄く、勝つと信じて戦い続ける他に何も無くて。

加えて心はいっぱいいっぱい。

今にも狂いそうなぐらいに荒れている心で、それでも精一杯の虚勢を張り、綱渡りの言葉が相手の心を動かす事を信じ、全てを賭して。

言うのだ。

叫ぶのだ。

信念だと必死で信じる事の為に、弱い心で考え出した、偽りの言葉を。

 

「UD-182は、俺がティグラを救えた事を知っていた!」

 

 叫ぶと共にティルヴィングを振るう。

デバイスごと前衛を切断、光の粒子を目隠しに他の前衛の槍が突っ込んでくるのを半身になって避け、あばらを折るどころか心臓を破裂させる蹴りを放った。

口から吐く血飛沫すら光の粒子となる前衛を尻目に、直射弾が雨のように降ってくるのを、こちらも直射弾で強引にこじ開け進む。

 

「公式記録じゃあ、ティグラは死んだだけで、奴が俺に救われてたと言っていた事を知る者は、今はこの世に俺とリニスだけ。なのに、何故UD-182はそれを知っていた!?」

「突然、何を……?」

 

 疑問詞を吐くアクセラを無視、直射弾の海を泳ぎながら途切れた箇所に飛び込むが、そこには必殺の構えととっていた前衛が。

裂帛の気合いと共に放たれる突きに、こちらもティルヴィングで突きを。

目を見開く前衛のデバイスを、超魔力を纏ったティルヴィングが魚の開きのように真っ二つに。

奥の前衛の喉を突き殺し、そのままティルヴィングを横薙ぎに変更。

突きを避けた所を狙っていた前衛を切り裂き、そちらも光の粒子に。

 

「そしてさっき俺が殺した元執務官は、蘇生されると同時に俺の攻撃を防いだ。そいつはどうやって俺の攻撃を知ったんだ? 死んだ後も魂がその辺に漂っていたから? んな訳あるか、それだったらUD-182は俺の事を知らなさすぎだ!」

「…………」

 

 UD-182は僕が仮面を被っている事に気付いたが、それは最初からでは無かった。

勿論魂が漂っておけるのはちょっとだけの間だよ、とか、ティグラ戦の時はUD-182の魂が力を貸してくれたんだよ、とかいう御都合主義設定が出てくるのかもしれないが、その可能性を意図的に無視して続ける。

 

「再生の雫は、死んだ人間を生き返らせているんじゃあない。魔力で作った肉に、誰かの記憶を参照して作った人格を詰め込み、死者蘇生に見せかけているだけだ!」

「…………」

 

 冷ややかなアクセラの反応。

動じているのは背後のフェイト達の気配と、プレシア先生の気配のみ。

アクセラの記憶を元に蘇生させられた疑似蘇生者達は、全く動揺していなかった。

胸の奥を貫くような、冷涼な言葉がアクセラの唇から発せられる。

 

「貴方は自分で言っている事の意味が分かっているんですか?」

「…………」

「貴方の言うことが正解だとして。それはあのUD-182という少年と貴方との戦いや対話は、貴方と貴方の記憶との独り相撲に過ぎなかったと言う事なんですよ?」

 

 胸の奥を穿たれる心地だった。

精神の炎で心の奥の重い物は溶けており、空いた穴から零れだした灼熱の鋼鉄がどろりと臓腑を焼き尽くす。

全身を漆黒の怒りが迸り、それでも僕はそれを必死で押さえ込んだ。

何故なら。

 

「……俺は、それでもあいつが、蘇生されたUD-182が確かにUD-182本人だったと信じている。少なくとも俺にとってはな」

 

 事実であった。

僕の妄想の存在であるとさえ言っていい疑似蘇生UD-182は、恐らく僕の深層心理によって歪められた部分もあっただろう。

もしかしたらアクセラに協力しようとしていたのも、その部分が影響したのかもしれない。

それでも、と僕は思うのだ。

それは自分を慰めているだけなのかもしれない。

真のUD-182は、そんな事欠片も思っていないかもしれない。

けれど先ほどUD-182に向けて放った言葉は、確かに彼に届いていたのだと。

必死でひねり出した、けれど源泉は確かに胸にあった事は確かな言葉は、彼の魂と響き合っていたのだと。

アクセラが独り相撲と言うあの戦いにも、意味はあったのだと。

 

「で、それなら例え私の再生の雫の機能が、誰かの記憶を参照した疑似蘇生だったとして、何の問題があるのですか?」

「ありまくりだろ」

 

 呆れたように言うアクセラに、僕は鋭く告げた。

軽く眉を跳ね上げるアクセラ。

気付けば彼女は、僕に対する攻撃を止めさせていた。

僕もまた、油断無く構えつつも動き自体は止め、口論に心血を注いでいる。

 

「いいか、お前がお前自身の記憶を参照して、死んでいく人間全てを生き返らせようとしても、結局アクセラ、お前一人の発想や知識を持った集団にしかならない。そして人一人の脳みそだけじゃあ、次元世界は維持できない」

 

 魔導師達はその所作や感じる魔力に技術と比して、戦闘判断は酷く疎かになっていた。

おそらくは実戦経験の少ないアクセラの記憶を元に疑似蘇生したが故の、弊害である。

魔導師達を戦う姿を見たことがあるのと、魔導師達の動きの根元にある戦闘理論を理解するのとでは、雲泥の差があるという事だ。

当然それは倫理観や政治的判断にも及ぶ。

疑似死者蘇生が何よりも善いと信じている、少なくともそう信じようとしているアクセラの倫理観は下っ端の魔導師にまで及んでおり、プレマシーが殺されたのもこのためだろう。

政治的判断のミスは善い事しかできなくなったんじゃあなく、政治の素人であるアクセラの記憶をベースに疑似蘇生させられたためだ。

 

「お前のやっている事は、この次元世界を滅ぼす行為でしかない!」

「中々立派な嘘ですね。そんな戯言に私が揺らぐとでも?」

「思ってはいないさ」

 

 小さく溜息をするアクセラ。

小馬鹿にしたように、上方から僕を見下し、号令をかけようとする、その瞬間。

その瞬間こそが、真の僕の戦いの始まり。

勘と観察頼りの、本当かどうか分からない嘘偽りを重ねた、綱渡りの始まり。

真実だと信じているからと言うよりも、真実であれば都合が良いからと言う言葉を、吐き出す瞬間。

僕は、告げた。

 

「お前はそんな事、本当はとっくに気付いていたんだから」

「――っ!!」

 

 アクセラの集中が乱れた。

僕は高速移動魔法を発動、アクセラへと一足に近づこうとするも、遅れて肉壁のように前衛魔導師達が群がってくる。

断空一閃。

魔導師4人を纏めて横一線に切り裂き、光の粒子に還してみせた。

 

「お前の目を最初に見た時から、思っていたよ。お前は自分の感情と善い事、どちらを優先する人間だ?」

「そんなの……善い事に決まっています!」

「そう、善い事を優先する。お前は自分の信念ではなく、社会や法律、倫理が、外的要因が決めた事に従うタイプの人間だ」

 

 蜂のようにむらがってくる直射弾を全方位に魔力波を放出し破壊、魔力煙に紛れてアクセラへと向かうも、アクセラの元では切った4人が最復活。

怒号と共にデバイスを振るい、しかしそれぞれ一合で僕に斬り殺されてゆく。

変わらぬ肉を断つ感触に吐き気がするが、必死でそれを押さえ込み、加速。

 

「なのに何故お前は、世界が滅びると知っていて、蘇生者の世界作成を止めない!? 何故正しさに従うと言っておきながら、世界を滅ぼそうとする!?」

「違う、滅ぼそうなんて……」

「信じられないから、か?」

 

 疑似蘇生の光の粒子が、震えた。

その一瞬の動揺に全てを賭し、僕は叫ぶ。

 

「気づいた時には、最早周りは蘇生者だらけ。何を聞いてもイエスマンばかり。全員が疑似蘇生世界を作り上げる事を正しいと信じていて、それを疑う者なんていやしない。そんな中で、ただ独り疑似蘇生による世界が次元世界を滅ぼす要因だと、信じている……」

 

 言葉を切り、直射弾で直射弾を相殺しつつ、再びの断空一閃。

粒子となって消える疑似蘇生者達を尻目に、告げる。

 

「お前自身を、信じられなかったからか!?」

 

 自己不信。

それがアクセラの根本であると気付いたのは、僕自身が自己不信が得意技の人間だからである。

それに当てはめた時のアクセラの行動を昨夜に考えておいたが、アクセラの言動は殆どがそれに一致していた。

加えて僕自身の自己不信力の高さが、僕の言葉に少しでも実感の重さを加えてくれたのだろう。

アクセラは。

震えながら目を瞬き、気持ち青くなった顔を動かし、呟いた。

 

「それ、は……」

「だからお前は、正しさをだけ信じてきた。周りの人間、つまり疑似蘇生者であり、疑似蘇生世界が素晴らしいと信じていた頃のアクセラ、お前の記憶を反映している奴らの言う正しさを」

 

 冷や汗が内心を伝う。

自己不信までは自信があったが、それ以降のアクセラの内心に関して僕はさほど知らない。

こうやって向かい合った今の言動を見て、修正しながら告げていくしかないのだ。

命綱無しの綱渡りに、心臓が破裂しそうな程強く鼓動する。

 

「正しさ。そう、お前の言う正しさっつーのは、何だ? さっきお前は、自分の信念ではなく正しさを、善い事を優先すると言ったな?」

「それが、どうしましたか!?」

 

 叫ぶアクセラの意思に呼応するかのように、僕へと迫る直射弾の嵐。

その量は凄まじく、最早正面から向かえば避けきる場所が無いぐらい。

誘導弾では捉える事のできぬ早さ故に、直射弾しか飛んでこないのが唯一の救いだろうか。

流れ弾がフェイト達の方へ行かないよう注意しつつ、僕はアクセラへと迫る。

 

「お前の言う正しさっていうのは、何なんだ? 信念じゃあ無いっていうなら、自分の中にある物じゃあないんだろう。法律や社会でもない、死者蘇生はどちらでも認められていないからな。じゃあ残るは、周りの人間の言う事。つまり……」

「蘇生者達の、言う事……」

「そう。つまり、死者蘇生が完全だと信じていた頃のアクセラ、お前自身の考えだ」

「私、自身の……」

 

 勿論それは、故意に歪めた認識である。

何せアクセラの記憶を元に構成された人格とは言え、それがそのままアクセラと同じ考えの集団とは言えない。

アクセラ一人の発想や認識を超える事が無いのは事実だが、意見が食い違う事ぐらいはありえるだろう。

というか、僕と疑似蘇生UD-182が正にその通りの関係だった。

だが、現実としてアクセラの周りはイエスマンばかりなのだろう。

故にか、アクセラは素直に僕の言葉を反芻する。

 

「なぁ、お前が正しさだと言って信じようとし続けてきたのは、自分に自信が無いから、きっとこっちの方が正しいのだと信じ続けてきたのは。元を辿れば、お前自身の考えだったんだ! お前は、これまでも過去の自分の考えを信じ続けてきた。だから……」

「……っ!」

 

 目を見開くアクセラ。

再び死者蘇生のスピードが落ち、僕は更にアクセラとの距離を詰める。

ティルヴィングの超常の魔力を込め、疑似蘇生魔導師達を切り裂き続ける僕。

 

「だからお前は、信じていいんだ! 自分が感じた、疑似蘇生の欠点を信じて! 止めていいんだ! 今の自分が信じた通りの事をやっていないと、心からそう感じたら!」

 

 どの口が言うのか、皮肉な言葉であった。

かつてUD-182を模してゆこうとした僕が、UD-182の信念を間違った形でしか受け継げていないと知った時、僕はそれでも間違った信念を貫こうと決めた。

そんな僕の言葉に真実の説得力は無く、あるのは自分に甘く他者に厳しい最低理論の薄汚さだけ。

けれど。

だけれども。

 

「無理、ですよ……」

 

 悲鳴を上げるようにアクセラ。

対し僕は、群がる直射弾を切り裂きながら、怪我を厭わず猛進してくる前衛を一合で切り捨て続ける。

何故だ、という瞳に乗せた問いが届いたのだろう、アクセラが絶叫した。

 

「だって私はとっくに、実の両親すらも殺して蘇生してしまったのだから!」

 

 ぶわぁ、と魔力が膨れあがる。

13人の魔導師達を疑似蘇生すると同時、アクセラは更にBランク以下の魔導師達を蘇生した。

その中にはアクセラによく似た銀髪碧眼の、中年の夫婦に見える魔導師も存在している。

が、代償としてアクセラが溜めていた魔力が切れ、蘇生用ストック魔力を再度展開せねばならなくなった。

魔導師の数は30人を超えたが、好機。

カートリッジを排出しながら、電子音声が響く。

 

『フルドライブモードへ移行します』

「行くぞ……ティルヴィング!」

 

 排出機構が露わになり、最強状態へとなったティルヴィングが、残るカートリッジ全てを排出。

超魔力が僕の全身に満ち、失策に目を見開くアクセラが慌てて魔力を練り上げようとするも、遅い。

体中に根を張っていた狂戦士の鎧が頭蓋を覆い、兜の形となって完成する。

 

『韋駄天の刃、発動』

 

 次の瞬間、白光に包まれた僕は、白い閃光と化してアクセラへと突進。

が、アクセラは何らかの方法で僕の韋駄天の刃の弱点を知っていたのだろう。

攻撃力の代償に、いわばプログラムした通りの攻撃しかできない韋駄天の刃は、音速を遙かに超える速度で動ける代わりに、単純な動きしかできない。

故にだろう、読んだ軌道上に魔導師達が次々に高速移動魔法で肉壁になりにくると、いたずらに攻撃回数が増えてしまう。

が、そんなことは予想済みだ。

何故なら――。

 

「お前は、俺のファンらしいからな」

「なっ、幻術!?」

 

 そう、白い光と化した僕はただの幻術。

さほど幻術適正の高く無い僕だが、早すぎて白い閃光としか見えない程度の幻術ならさほど労せずに発動できる。

これが何の変哲も無い場面で使ったのなら怪しまれただろうが、アクセラが見せた隙に一縷の望みをかけたように見えた今、アクセラの意表を突けた。

その隙を見て、透明化魔法と同時に高速移動魔法を使ってアクセラの背後を取った僕が、最後に告げる。

 

「自分を信じられないまま惰性で動くお前も、人が生き返る世界も、滅び行くだろう次元世界も、全部気にくわないんでな!」

 

 咆哮と共に超魔力を纏うティルヴィング。

白光に包まれたティルヴィングの非殺傷設定の刃を振り下ろす、正にその瞬間。

独りでにアクセラの胸元にあった、涙滴型の空色の宝石、再生の雫が動き出す。

主を守ろうとでも言うのか、ティルヴィングの刃の軌道上に。

 

「ぁ……」

 

 どちらともなく、小さく呟くと同時に、小さく響く堅い音。

砕けた再生の雫が、分かたれ、陽光に照らされながら落ちてゆく。

瞬き程の時間で再生の雫は光の粒子へと変化。

蘇生者達がそうであったように、どこかへと消えていった。

 

 そして、再生の雫を砕いたとは言え刃を振るう力は残ったまま。

再生の雫が持つ最後の力で一瞬止まった切っ先は、再びアクセラへ向けて進行を開始する。

それを認めたアクセラは、場違いな微笑みを浮かべ、呟いた。

 

「……ありがとう」

 

 次の瞬間、ティルヴィングがアクセラへと接触。

物理力を魔力ダメージへと転化し、彼女の意識を闇に沈めていった。

 

 

 

2.

 

 

 

 アクセラを抱き留めた僕は、彼女を横抱きにしたまま床へと飛行。

地面に足を付けた後に彼女をバインドで拘束し、浮遊魔法で空中に残す。

視線を、プレシア先生とフェイトの元へ。

どうにか僕が決着を付けるまで耐えきったフェイトは、足下からゆっくりと水色の光の粒子となるプレシア先生と抱き合っていた。

 

「最後に貴方の腕の中で逝けるなんて、思ってもみなかったわ。でもごめんね、フェイト。私は貴方の母親の、偽物にしか過ぎなくて」

「違うっ!」

 

 叫び、フェイトは頭を振った。

両目から溢れる涙が飛び散り、空中へと消えてゆく。

さながら彼女の魂がこぼれ落ちるかのような、美しい光景であった。

そんなフェイトを、聞き分けの無い子供をあやすような声色で、プレシア先生。

 

「いいえ、違わないわ。記憶が同じなら同一人物だなんて、少なくとも今の私は思っていない。だってフェイト、貴方はアリシアと同じ記憶を持っていても、貴方という人間はアリシアではないわ」

 

 道理である。

僕は疑似蘇生UD-182を本家本元のUD-182と同一人物だと感じると言ったが、それはフェイトには認める事のできない主張だろう。

何せ、彼女はかつて、アリシアにならなくては、という強迫観念に囚われてしまった経験があるのだ。

いや、他人事みたいな言い方だが、主に僕の責任でなのだが……。

兎も角、そんな彼女にとって、記憶が同一であると人格も同一だ、などと認める事は出来るはずの無い事だ。

その考えは、かつての彼女のトラウマを刺激する事になり、更にアイデンティティを揺らがしかねない事になってしまうだろう。

だが、それでもフェイトはプレシア先生の肩に手を。

体を離し、代わりに視線を合わせて、言って見せた。

 

「それでも! 世界中の誰しもが認めなくても、母さん! 今の貴方も私の母さんだったと、私が認めるよっ!」

「——っ」

 

 息をのんだのは、僕かプレシア先生か、はたまた両方か。

動揺する僕らを前に、フェイトは高らかに宣言する。

 

「だって、私の心は貴方を母さんだと認めている。この胸の奥にある感じが、貴方が私の母さんだって、認めている! 確かに、それは私の心を揺らがせる事実かもしれない。でも、それでも!」

「フェイト……」

 

 僕は、間抜けなことにフェイトの言葉に思わず惚けてしまっていた。

一体、何という心の強さだろうか。

思わず自分に置き換えてどうするだろうか考えてしまうが、どうしても僕は怜悧な計算で、プレシア先生に泣いて詫び、彼女を哀しい顔のまま逝かせる想像しかできない。

事実、僕はUD-182に彼が疑似蘇生体だと言う事を伝える事ができなかった。

勿論、フェイトの場合は僕がプレシア先生が疑似蘇生体だとばらしてしまったので、状況は違うのだが、それでも。

 

「……ありがとう、フェイト」

 

 そんな風に僕が間抜け面を晒している間に、プレシア先生の粒子化は首元まで及んでいた。

最後の言葉をフェイトに残し、プレシア先生は満面の笑みで辺りを見渡す。

視線の合った僕に、何故か少しだけ笑いかけてから、最後の笑みをフェイトに向け。

プレシア先生は、分子一つ残さずこの世から消え去った。

思わず僕は、似たような場所で似たように消えたティグラの事を連想する。

ムラマサに呪われた彼女本人は救われたと言いつつも、僕としては彼女を救う事はできなかったと言うほか無い。

 

 ――ありがとう、小さな英雄さん。

 

 そう告げて逝った彼女の言葉が、今更ながらに脳裏に蘇る。

最後の言葉すら似たティグラとプレシア先生だが、果たして、本当に相手を救えていたのは僕とフェイト、どちらなのだろうか。

反射的にフェイトだと思いそうになってしまうのを、ティグラに失礼だとなんとか思い直す。

 

「うっ、くっ……」

 

 嗚咽と共に、フェイトが体の力を抜こうとするのが見えた。

殆ど反射的に僕は走りより、フェイトの体を抱き留める。

するとフェイトも体温が恋しかったのか、僕の背に手を回し、泣きじゃくり始めた。

 

「わ、わたし、格好悪かったよね」

「そんなこと無いさ。お前は良くやった。プレシア先生の前でも、最後まであの人を安心させる振る舞いを続けられたじゃあないか」

 

 ぶるぶる、と僕の肩に顎を乗せたまま、首を左右に振るフェイト。

嗚咽と共に、震える声を漏らす。

 

「だ、だって、ウォルターは親友を、その手で……。なのに私は、母さんを最後まで手にかける事はできなくて。私がやるべき事だったのに! これじゃあまるで、ウォルターに殺人を押しつけたみたいで……」

「違う。俺たちは互いにやるべき事をやっただけ、自分の役割を果たしただけだ。お前は十分に自分の役割を果たしてくれたよ」

 

 事実ではある。

戦力比からしてフェイトにプレシア先生を殺す事など誰も期待していないし、逆に僕はUD-182を殺して然るべきだった。

そして当然、殺さないで済む相手を殺すべきだなどと、誰も言いはしない。

それでも心は重いのだろう、首を左右に振り続けるフェイト。

 

「そ、それに! アクセラはウォルターのお陰で、本当の自分に気付いて。ウォルターは、親友と戦って信念を貫き通して。なのに私だけ、二度目の母さんの死に、動揺しっぱなしで!」

 

 大きく息を吸い、フェイトは一端体を離し、視線を僕の目へ。

ぐしゃぐしゃになった顔を歪め、無理のある笑みと共に告げる。

 

「私だけ、格好悪いよね」

 

 言い終えると同時、フェイトは再び僕に抱きつき、涙をぽろぽろと零すのを再開した。

その背を撫でてやりながら、僕は思う。

 

 違う。

違うんだ。

アクセラは本当の自分が何を思っていたのか、少しは気づけたのかもしれない。

けれどこれから彼女は自分が殺してきた人々の命を背負わねばならず、大切なのは気づきよりも、むしろその重い物を背負っての一歩一歩の方だ。

そして勿論僕は、信念を貫き通したと言っても、結局は偽りの仮面を被り続けるという、信念と信じようとしなければ信念とは到底言えぬ物。

未練は結局振り切れないままで、彼を切った感触は未だに手の中だ。

これから長い時間を苦しみ続けるのを乗り越えて、初めて信念を貫き通したと言える。

では、今回の事件で本当に格好良かったのは誰か。

誰よりも自分を真摯に貫き通せたのは、誰なのか。

 

 ――そんなの、フェイトに決まっている。

 

 自分の出生にもかかわらずプレシア先生を認め。

新しい信念さえ見つけ、そしてそれを母に向けて宣言し、更にその力を示しさえしてみせた。

そして二度目の母の死を認め、これからも歩もうと、不格好ながらも必死で足掻いていて。

そんな彼女こそが、本当に格好良い人間なのだ。

 

 眩しかった。

闇夜を貫く雷のように、暗い中を貫く鮮烈な光のように、フェイトは輝いていた。

それがあまりにも綺麗で、美しくて。

だから僕は、精一杯の言葉を、こう告げた。

 

「ううん、お前は滅茶苦茶格好良かったさ」

 

 それは精一杯と言うには、普通過ぎる言葉だったけれども。

フェイトは僕を抱きしめる力を強くし、いっそう大きな嗚咽を漏らし、涙を零して。

そんな僕らを、涙ぐみながらリニスとアルフが眺めていたのであった。

 

 

 

3.

 

 

 

 クラナガンの町の一角。

管理局の施設の一つ、その屋上にウォルターとフェイトは立っていた。

正方形の屋上にあるベンチに座る2人は、透明フェンス越しに空を見上げ、肩と肩が触れ合うような距離でいる。

2人のデバイスはクラナガンの無線ニュースを拾い、機械音声を流していた。

 

 再生の雫事件。

後にそう呼ばれるこの事件を終えて、幾ばくかの時間が過ぎた。

アクセラ・クレフは今裁判中で、軌道拘置所に送られる可能性が濃厚とされているものの、情緒酌量により減刑の可能性もあると言う。

フェイトとしては複雑な気分ではあるが、アクセラもまたロストロギアの力に飲まれてしまっただけの少女である事を知るが故に、どちらかと言えば後者を応援したいと考えていた。

一気に大人数の死者が出たアティアリアは政治的混乱が長く続く事になり、それに伴う貧困や圧政による死者が予想されている。

しかし歪な政治が行われていた状況は脱し、夢に燃える若者達が政治に人生を賭す事も増え、状況の悪化を食い止めようと必死なのだそうだ。

無論再生の雫の残した傷跡は大きいが、それでも人々は逞しく生きている。

後ろ髪を引かれる思いが無いとは言えないが、フェイトはウォルターと共にアティアリアを去った。

 

 フェイトは初めての勲章を、ウォルターは数個目になる勲章を得た。

フェイトは出来たことの少なさから遠慮する姿勢を見せたが、管理局としてはウォルターだけが活躍したように見えないよう、フェイトを引き立てたがっていたのだ。

結局リンディとクロノの言葉に折れる形となったフェイトは、過分な物だと思いつつも勲章を手に入れる事になる。

そしてその授与式を終え、再生の雫事件は完全に終わった。

 

「終わったね……」

「あぁ。いつも通り、やれやれって感じの話だったがな」

 

 肩をすくめるウォルター。

その目は言葉とは裏腹に熱い炎が宿っており、心の奥がじんわりと熱くなるような物だった。

愚痴っている時でさえ、ウォルターの魂は熱く燃えさかっている。

遠く、果てしなく遠い頂に立つ彼の精神に、フェイトは憧憬を憶えた。

同時、彼が完璧ではなく傷つきながらも戦う男であることも、思い出して。

半ば無意識に、フェイトは手を伸ばしてウォルターの手の上に置く。

手が重なってから気づき、それから少し躊躇したものの、フェイトはそのまま指をウォルターの指の間に挟み、絡める。

ごつごつとした男らしい手に、フェイトの滑らかで柔らかな手がしなやかに絡みついた。

 

「……ん」

 

 フェイトは、その扇情的な感覚に、小さく声を漏らした。

一瞬目を見開き、少し恥ずかしそうにするも、ウォルターの反応はそれだけであった。

フェイトは心臓が破裂しそうなぐらいにドキドキとしているというのに、なんだかそれは、ずるい。

とてもずるい。

が、何故それをずるいと思うのか、よくよく考えてみてもフェイトには分からず、内心首を傾げた。

それでも分からないので、仕方なしにフェイトはウォルターの横顔を見つめる。

 

 ウォルター。

今回の事件で、フェイト自身よりもフェイトの事を理解してくれていた男性。

夢に気付く切欠をくれた人。

とても強くて格好良くて、英雄という言葉が誰よりも似合う人間。

 

 どうしてだろうか、フェイトは彼の事を想うと、少しだけ胸の奥が痛くなってしまう。

まるで臓腑がキュッと縮まるかのような感覚。

切なさとは、果たしてこの感情の事を言うのかもしれない。

何を言いたいのか、何を伝えたいのか、それすら分からなくて。

けれど何かを伝えたいというのだけは確かで、フェイトは口を開いた。

 

「ウォルター、格好良かったね」

 

 意表を突かれた様子で、目を瞬きながらウォルターはフェイトへと振り向いた。

視線が合い、胸が跳ね上がるのをフェイトは感じる。

それでも、出来るだけの笑顔を保って、フェイトは続けた。

 

「何度も言ったけど、また言いたくて。ウォルターは今回、ううん、これまでもずっとだけど、特に今回も……」

 

 息を吸う。

澄んだ空気がフェイトの脳裏から霞がかった部分を追い出し、明瞭な思考を生み出した。

それでも言葉は変わらない。

心の奥で感じたままに、あの4年前の事件で得た教訓のままに。

フェイトはウォルターへと告げる。

 

「ウォルター、格好よかったよ」

 

 目を瞬き、続いてウォルターは口元を僅かに緩め、眼を細めた。

慈愛の表情と共に、ウォルターはフェイトと繋がっていないもう片方の手で、フェイトの頭を撫でる。

 

「ありがとう、フェイト」

 

 その言葉も、撫でる手も、吃驚するぐらい温かくて。

フェイトは破顔し、されるがままになっていた。

このままもう一度ウォルターに抱きつきたいという衝動さえ生まれたのを、必死で押し込めて。

この人に見て貰いたい表情を、形作る。

フェイトはにっこりと、満面の笑みを作った。

応じて、ウォルターもまた笑みを作る。

あの燃え上がるような鮮烈な笑みを。

何故かフェイトの心を鷲掴みにする、あの男らしい笑みを。

 

 ――曇り一つ無い、満面の笑みをウォルターは浮かべた。

 

 

 

 

 




ようやく5章完結。
次回は6章の前に閑話を1個入れます。


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閑話2
閑話2


大分久しぶりの更新になります。
言い訳としては「ラブコメとか書くのってこんなに辛かったっけ……」という感じでした。


 

 

 

1.

 

 

 

「遊園地の事、教えてくれないかな」

 

 映像通信の先から、フェイトが言った。

いつも通りのウォルターとリニスが住むアパートの一室、生活感の薄いその部屋の中、映像と相対しつつ、リニスは顔をしかめる。

 

「エリオ、と言いましたか? その保護した男の子は」

「うん。その子が初めて言った我が儘が、遊園地に行きたいって事だったんだけど……。私、一度も遊園地に行ったこと無いから、楽しませてあげられるかどうか不安で……」

 

 というフェイトは、ウォルターに宣言した通りに人体実験の被害者を積極的に保護しており、中でも特に関係の深かったエリオという子供の保護責任者となっている。

エリオは、プロジェクト・フェイトで生まれた子だ。

オリジナル・エリオの代わりとして生まれ、自分が記憶転写クローンだなどとは思わずに生活していたが、ある研究機関にその事実を突き止められてしまう。

事実を突きつけられた両親はあっさりとエリオを手放し、エリオは非人道的な実験を繰り返されていた所をフェイトによって保護された。

当初エリオは人間不信状態に陥っていたそうだが、献身的なフェイトの言動により立ち直っている最中なのだと言う。

そんな子供の言った事だ、是非叶えてあげたいというフェイトの気持ちは分かるし、経験の無い遊園地での遊びで楽しませてあげられるか不安なのも分かる。

だが、とリニス。

 

「半ば分かっていたとは思いますが、私も遊園地、行ったこと無いですからねぇ」

 

 事実である。

リニスは時の庭園で生まれ、寿命の時が来るまで殆どの時間をフェイトと共に過ごしてきたのだ、当然と言えば当然か。

そしてそれからはストイックというか、遊びという選択肢を脳内に持たない、ウォルターの使い魔である。

別段それに不満を持ったことは無くむしろ誇りに思っている部分もあるが、遊園地に行ったことが無いという事実だけはどうしようもない。

 

「一応プレシアの記憶と経験も一部受け継いでいますけど、あの人も仕事一辺倒な人でしたから。アリシアが遊園地に行けるような年齢になった頃からは、離婚と仕事であまり構ってやれなかったようで。ピクニックぐらいなら行ったことはあるようですが……」

「そっか……」

「クロノの奴も遊園地は行ったこと無いって言ってるし、エイミィにでも頼むしか無いんじゃあないかい? なのはやはやてとは予定が合わないし。エリオを連れてくなら地球の遊園地には連れてけそうも無いから、アリサにすずかにも頼りづらいし」

 

 落ち込むフェイトと、通信先から声だけ出演するアルフ。

それぐらいしか、と思った瞬間、リニスは何時もの気配を察知。

視線をドアに、笑みを作る準備をし、ドアが開く音を待ち受ける。

どうしたものかとフェイト達が疑問詞を浮かべるのを尻目に、ドアが開く。

 

「ただいま~」

「おかえりなさい、ウォルター。今丁度、フェイト達と通信をしていた所なんですよ」

「お、そうか、久しぶりだなフェイト。ちょっと待ってくれよなー」

「うぉ、ウォルター!?」

 

 帰ってきたのは、管理局での書類申請の追加があり引き留められてきたウォルターである。

買い物を任され先に帰ったリニスよりも大分時間がかかったようで、何処かくたびれた様子が見えた。

しかしそれも、リニスの言葉を聞いてすぐにかき消える。

仮面。

親友と認めたモノを殺してでも、維持しようとする彼の信念。

陰鬱な気持ちが掠めるのを押し殺し、笑顔を維持するリニス。

そんなリニスを尻目に、ウォルターは手を洗ったりコートを脱いだりと格好を整え、リニスの隣に座り通信に参加する。

 

「ほ、本日はお日柄も良く……」

「お、応。地球は晴れなのか」

 

 クラナガンはどんよりとした曇りであり、陽光が差さない秋の終わりは肌寒く、コートが恋しくなるほどである。

あ、と目を泳がせるフェイトに、どうしたものかと思案顔のウォルター。

再生の雫事件以来、フェイトはどうもウォルターと顔を合わせる度に緊張する所がある。

その理由はリニスにも何となくは分かっているだけに、もどかしいものがあった。

なんとかできれば、と思った瞬間、ピンときた物があったリニス。

 

「ウォルターは、次の休養日は一週間後でしたっけ?」

「え? あぁ、今の所予定に変更は無いな。それまでの期間も、ちょっと技を磨きに山ごもりするだけだから、多分休養日のずれも無いと思うぞ」

「――っ」

 

 フェイトに聞かせようというリニスの意図を拾うウォルターに、息をのむフェイト。

子細を知らないウォルターが訝しげにするのに、フェイトが叫ぶ。

 

「うぉ、ウォルター! その、一週間後のその日、私と一緒に遊園地に行かないかな!」

「ん? そうだな……。うん、行こうか。俺も丁度、行ってみたかった所なんだよ」

 

 そう言うウォルターは、恐らくコミュニケーションを円滑にする為の話題作りとして遊園地に行ってみようという所である。

実を言うとウォルターは、数日前に管理局との共同作戦前の雑談において、遊園地に行ったことが無い発言で場を凍らせてしまったのであった。

幸い怪我人一人出さずに終わったとは言え、チームメイトのメンタルを乱すのはあまり宜しくない。

なので一回は経験してみても良いかもしれない、という話がウォルターとリニスとの間にあったのであった。

 

「ほ、本当!?」

 

 と、ウォルターの言に目を輝かせるフェイト。

本当本当、と苦笑気味に告げるウォルターに続き、リニス。

 

「丁度いいですから、二人で行ってきたらどうですか? 二人の年なら、保護者同伴よりも友人同士で、という方が一般的でしょうし」

「ふ、二人っきり? で、でも……」

「応、俺は構わないぞ」

 

 と、フェイトが戸惑いの声を上げるのに、ウォルターが何でも無いように言ってのける。

内心、ニヤリと微笑むリニス。

ウォルターはフェイトを善き友人と思っている節があるが、わざわざ二人っきりで遊びに行きたいと思う程の親密さは持っていない。

故にフェイトを遊園地経験者だと勘違いさせねば、経験者を混ぜて遊園地の醍醐味を教えて貰おうとする事だろう。

それには通信先で冷静に状況を聞いているだろうアルフへの説得も必要だ。

即座に隠匿長距離念話を発動するリニス。

 

『アルフ、今ウォルターについて疑問を持ったでしょうが、そこは一つ黙っておいてくれませんか?』

『へ? まぁいいけど、なんでだい?』

『くふふ……このままいけば、もの凄く面白い光景が見られるでしょうからね。後でティルヴィングとバルディッシュに録画録音と、後はエイミィ辺りも巻き込んで記録を残さねば……!』

『……ま、まぁ別にいいけど。あんたも偶にははっちゃけるんだねぇ……』

 

 視界内に居れば5メートルは距離を取りたそうな声色のアルフだったが、説得は完了。

内心でガッツポーズを取りつつ、初々しいフェイトと何にも気付いていないウォルターのいじらしい会話に耳を傾けるリニス。

その口元は押さえきれぬ愉悦に三日月を描き、すぐにそれに気付いてリニスは自然と口が隠れるように両手を組んだ。

 

 ウォルターとフェイトを、二人っきりで遊園地でデートさせる。

フェイトの初々しい感情を助けてやる事になり、ウォルターの心に幸せを与える可能性も増やすことになる事柄である。

リニスは再生の雫事件の渦中、ウォルターの信念を貫き通す精神に憧憬を憶えたのは確かだが、だからといってウォルターが幸せでなくて良いなどとは思わない。

故に、これは正しい選択な筈である。

それでも、胸の中にもやもやとした物が浮かんでくる事は避けられない。

恐らくは妹と弟が自分の手から離れてゆく、その感覚が少し寂しいのだろう。

そう納得しつつ、リニスは二人の会話から実は双方が遊園地未経験だとばれないうちに、会話を締めくくらせるのであった。

 

 

 

2.

 

 

 

 休日のミッドチルダは、何処でも人でごった返しである。

いささか二酸化炭素の多そうな空気に内心辟易としつつも、僕は遊園地の最寄り駅の広場で腕組みしていた。

当然ただ突っ立っているのが趣味という訳ではなく、フェイトとの待ち合わせの為である。

僕としては現地集合で良いのではと思ったのだが、フェイトとリニスが二人して力説するものだから、ついつい待ち合わせに同意してしまった。

男女で待ち合わせというと、かつてのスバルとギンガとの買い物、なのはとのデートを思い出す。

フェイトとは善き友人同士だと思うのだが、待ち合わせなどして恋人にでも間違えられたら、フェイトにとって迷惑ではなかろうか。

内心疑問詞に首を傾げていると、知った気配が索敵範囲内に。

山籠もり後で鋭敏になった感覚に内心満足を憶えつつ、そちらへと視線をやる。

小走りのフェイトは人混みを上手く避け、僕の目前へと駆け寄ってきた。

 

「ごめんね、待った? ウォルター」

「いや、今来た所だよ」

 

 告げると、えへへ、と破顔するフェイト。

こちらまで思わずにっこりと笑顔を作ってから、僕は視線をフェイトの服装へ。

優れたスタイルを活かした、体の線の出る服装であった。

黒く短いジャケットに黒く細いパンツ、丈の長い白いプリントTシャツは胸元が開いており、そこにはバルディッシュをネックレス代わりに。

ほぼ真っ黒なのだが、その明るい白い肌と黄金の長髪があるため暗く感じず、むしろ調和が取れた感がある。

 

「服、似合ってるよ。綺麗だなぁ」

「え、えへへ……」

 

 照れて頭をかくフェイト。

微妙にリニスの趣味と被る所に不安を覚え、このまま突き進んでラバースーツとか着られても反応に困るとは思うのだが、言わずに念じるだけにしておいた。

そんな僕の念が通じたのか、ててて、と可愛らしい動きで近づき、フェイトは僕の手を取る。

一瞬迷ったが、男として友人であれ女性と遊びに行くのなら、エスコートはするべきだろう。

なのはの笑顔が脳裏に走るも、かと言って付き合ってもいない相手の為に友人を避けるのはいかがな物か。

もっと良い手はあるのかもしれないが、今の僕には思いつかない。

そんなわけで僕が丁寧にフェイトの手を握ろうとすると、フェイトが呟いた。

 

「……いいよね」

 

 聞き取れない程の小さな声と同時、普通に繋ぐ筈だった僕に手に、フェイトの指が絡む。

指と指の隙間に、しっとりとして張り付きそうな、それでいてどこかつるつるとした感覚のある物が、滑ってゆく。

何処か官能的な感覚に、僕は内心生唾を飲んだ。

内心のドギマギを押し殺して怪訝そうな視線をフェイトにやる。

 

「い、行こうっ!」

「お、応」

 

 しかしすぐに出発を宣言されてしまったので、思わず僕は頷いてしまった。

僕を引っ張ろうとさえする彼女に置いて行かれないように、僕は足のコンパスを動かし始める。

それから僕の服装が品評されていない事に気付き、褒めづらかったのかと微妙に凹みながらも、僕らは遊園地に向かうバスへと乗車した。

 

「う、バス混んでるな……」

 

 と思わず呟いた通り、バス内は座る場所はなく、立つにしても狭苦しいぐらいである。

僕はとりあえずフェイトを奥の方に誘導し、つり革に捕まりフェイトと隣り合う。

発車音、窓の外の風景が流れていった。

 

「私、バスに乗るの久しぶりだなぁ。小学校に通っていた頃以来かも」

「俺もだよ。バス程度の距離だったら足で移動する事が多いからなぁ」

 

 などと他愛の無い話を続けていると、バスのブレーキが勢いよくかかる。

自然慣性の法則に従い前方へと進む肉体を、踏みとどまらせる僕。

しかしフェイトはタイミングを外したのか、上体をこちらへと押しつけるように傾かせた。

 

「わぷっ」

 

 と可愛い声と共に、思わず、と言った様相で片手をつり革に、もう片手を僕の背に回し捕まるフェイト。

向かい合って話していたため、半ば抱き合うような姿勢になる。

服の上からでも分かる、柔らかな乳房が僕の胸にあたってつぶれる感触。

髪の毛からするシャンプーの香り。

吃驚するぐらい近くにある、弾力を感じる見目の口唇。

脳の奥が痺れるような、甘い感覚が僕を襲う。

思わずフェイトを抱きしめたくなる自分を、根性で律し、仮面の要領でにこやかな笑顔を。

 

「大丈夫か? フェイト」

「う、うん……」

 

 と、肩を支えてやると、頬を林檎のように赤くしたフェイトが、俯きがちになりながら元の姿勢に戻る。

恐ろしく魅力的だった。

最近なのはとデートをする時も、たまに彼女がこんな風にどきっとするぐらい魅力的に見える事がある。

なのはは僕の仮面の事が好きなだけで、フェイトも僕の事を友人以上だとは思っていないだろう事は分かっている。

加えて、未だに僕の中にはクイントさんを思うと切なくなる気持ちがあるし、それは薄れてはきたけど、薄れる事自体を哀しく思う気持ちはまだある。

なのに他の女の子にドキッとするなんて、それも2人もの女の子に感じてしまうなんて、僕はひょっとして、とても軟派な男なのではなかろうか。

自分で考えておいて自分で凹む僕だが、そんな僕の太ももにふと、暖かな体温が。

何かと思うより早く、痛み。

 

「いてっ」

 

 思わず小さく呟きながら視線をやると、フェイトが僕の太股をつねっていた。

頬を膨らませている表情はとても可愛らしく愛らしいのだが、どうして怒っているのかは分からない。

疑問詞を視線に乗せると、視線を逸らしながら、フェイト。

 

「……他の女の子の事、考えていなかった?」

「え? あぁ、すまん」

 

 と頭を下げると同時、僕の太股はもう一つねりされる。

思わず眉を跳ね上げてしまう僕だったが、今度は声を漏らす事なく我慢に成功した。

それから内心首を傾げるも、答えがそれしか思いつかないので、告げる。

 

「えーと、すまん、女の子をエスコートするのに、それは失礼だったよな」

「えっと、そういうんじゃなくて……」

 

 しかし帰ってきたのは否定の意。

上手く言葉にできない様子のフェイトに僕が首を傾げていると、フェイトが首を傾げながら言った。

 

「あれ? なんでだろう?」

「う~ん、なんでだろうな? 俺もパッと思いつく事は無いんだが」

「不思議だね~」

 

 と、まぁ。

そんな間抜けな会話を続けているうちに、バスは遊園地前のバス停にたどり着く。

下車してみると、そこには。

 

「うっわ、行列凄いな……」

「うん、ちょっと酔いそう……」

 

 遊園地経験があるだろうフェイトですらそう呟くほどの、行列があった。

内心仰天しつつも、仮面の顔面でどうにかそれをやり過ごし、僕らも行列の中の一員となる。

他愛ない会話を続けながら暫く待つと、回転する入場バーに吸い込まれるようにして、僕らは遊園地の中に足を踏み入れていた。

煉瓦造りの床を踏みつつ、入り口の大きな道の真ん中で、僕とフェイトは2人で立ち尽くす。

手に遊園地内部の地図を持ち、口を開く僕。

 

「さて、まずは何処に行こうか?」

「経験のある人に任せよう?」

「あぁ」

「…………」

「…………」

 

 無言。

空気分子が死滅していくのを感じつつ、内心の焦りに冷や汗をかきつつ、続けて言う。

 

「遊園地行った事あるんじゃ無いの?」

 

 果たして言葉は、輪唱した。

僕とフェイトは見つめ合い、互いにその場で立ち尽くすのであった。

 

 

 

3.

 

 

 

「作戦会議だ」

 

 と、勢いよく面を上げながら告げるウォルター。

相も変わらず黒ずくめの彼の胸元に、陽光を反射するティルヴィングが煌めく。

ウォルターはいつものように真摯な視線でフェイトの瞳を射貫いていた。

これが戦場であれば心に灼熱の炎が沸き立つ行為だが、場所は遊園地の喫茶店である。

開園直後故に人気の無いそこに、客はウォルターとフェイトのみ。

何処か侘びしさを感じつつも、フェイトは頷く。

異論は無い。

 

「全くもう、リニスもアルフも念話切られちゃうし……」

「リンディさんもクロノも仕事中で、エイミィさんも繋がらず。俺の人脈も全滅だしなぁ」

 

 と、何処かすすけた顔で呟くウォルター。

フリーの魔導師という立場上弱味を握られるのが非常に辛いウォルターは、長いつきあいの相手にも中々弱味を見せられないのだと言う。

事実、恐らくリニスの策略である現状が無ければ、フェイトもウォルターが遊園地に来た事が無いなど思いもしなかっただろう。

何せウォルターは、何となく何でもできそうだし知っていそうな、とにかく頼りになる雰囲気を持っている。

遊園地を連想すれば、フェイトには自分を優しくエスコートしてくれる姿がありありと思い浮かぶぐらいだ。

それはそれで身もだえしそうなぐらいに嬉しいのだが、現状、2人で初の遊園地を回るというのも、それはそれで思い出に残る行為となるだろう。

そう思ってから、頭を振るフェイト。

違う、考えるべきなのは……そう、これでも一回分の経験にはなるんだから、エリオを遊園地に連れてくる時も役に立つだろう、それだけで十分だ。

そんな風に物思いに耽るフェイトを尻目に、遊園地の地図を広げ、ウォルター。

 

「さて、まずは遊園地のアトラクションについてだ」

 

 遊園地の顔と言えば、絶叫系、お化け屋敷、観覧車の3つである。

有名な遊園地であれば他にも様々なタイプのアトラクションがあるが、エリオの保護施設から近く、ほどほどの知名度で待ち時間が少なさそう、という方針で選んだここにあるのはその3種。

 

「まず、観覧車って普通最後だよね?」

「あぁ。逆に、絶叫系ってみんな乗りたがるみたいだし、待ち時間長そうだし、最初がいいんじゃないか?」

「じゃあお化け屋敷と観覧車が午後にしよっか。で、絶叫系はいくつもあるんだけど……」

 

 と、フェイトはウォルターと共に地図を指さしつつ、仮ルートを設定。

状況によってルート変更も視野に入れるが、基本はこれ、と合意に達する。

そうと決まれば、茶を飲む時間などありはしない。

そう思い立ち上がろうとするフェイトの側から、さっと伝票を取り上げるウォルター。

自然財布を取り出そうとするフェイトを尻目に、ウォルターは手で制する。

 

「ここは俺が払っておくよ」

「え? でも悪いよ、自分の分ぐらい……」

「少しぐらい俺にも格好付けさせてくれって」

「……え」

 

 とくん、と心臓が高鳴るのをフェイトは感じた。

ウォルターはフェイトの前で格好付けたいと言った。

つまりそれは、ウォルターが格好いい姿をフェイトに見せたいという事ではあるまいか。

そこから導き出される結論は。

ウォルターは、フェイトの事が……。

 

「フェイト? どうした、行こうぜ?」

「え、あ、うん。分かった」

 

 と、思考はウォルターの言葉で中断、フェイトは慌て喫茶店を出ようとしていたウォルターの後を追った。

歩幅を合わせ、先ほど決めた絶叫系アトラクションへと向かう。

途中フェイトは、先ほどの熱に浮かされたような結論を追い出そうと、思わず頭を振った。

まるでそれでは、ウォルターがフェイトの事を女性として好いているという事になるではないか。

 

 それはあり得ない、と内心フェイトは断言した。

何せ相手は、ウォルター・カウンタックなのである。

次元世界最強の魔導師なのである。

女の子なんて引く手数多だろうし、その中には自分よりも魅力的な女の子なんていくらでも居る筈だ。

ウォルターがフェイトに恋するなんて事柄は、ありえない。

なのに。

 

「……ぁ」

 

 喫茶店を出てすぐ。

石造りの床を踏みしめると、すぐにウォルターはフェイトへと手を伸ばしてきた。

歩幅を合わせ、ほんの少しだけフェイトをリードする位置から、その堅い戦士の手をだ。

胸の奥が高鳴るのを感じながら、フェイトは目を伏せ、思った。

仕方ないのだ。

ウォルターにも男の子としてのプライドがあるのだ、女の子として、男の子に見栄を張らせるのは義務なのだ。

だから、仕方が無い。

何時かエイミィに聞いた理屈をこねて、フェイトはウォルターの手を取る。

指と指の間、皮膚が柔らかく敏感な所を、硬質なウォルターの指が絡め取った。

その官能的な感覚に、思わずフェイトが視線をウォルターへやると、やや悪戯な笑みを浮かべている。

先ほどフェイトがウォルターに向けて自然とやってしまった、その仕返しなのだろうか。

文句を言ってやろうと思ったのだが、ウォルターの珍しい表情を見ると、そんな気も無くなってくる。

仕方なしに、とても仕方なしに、フェイトはされるがままに、ウォルターに手を繋がれるようにした。

顔が真っ赤に火照り、とてもウォルターの顔を見られない事も、仕方の無いことである。

 

「お、すっげぇ行列……」

 

 ウォルターが漏らすのに、思わずフェイトは面を上げた。

気付けばフェイトは、ローラーコースターの行列を前にしていた。

行列の凄さに唖然とし、次に看板に30分待ちと書かれている事に目を見開き、幻覚かと思ってウォルターを見ると、矢張り彼も驚いた様子であった。

数瞬立ち尽くす2人だが、すぐに最後尾に新たに人が並んでゆくのに気付き、我に返る。

 

「と、とりあえず最後尾、並ぼうぜ」

「う、うん」

 

 言って2人は最後尾に並んだ。

あとは順番が来るのを待つだけ、という事で、2人は安堵の溜息をつく。

 

「やっと並べたよ……。にしても、皆よく待つねぇ」

「それほど楽しいって事なのか?」

 

 などと、僅かに興奮気味に話す2人。

しかし最初は行列の熱気に当てられていたフェイトとウォルターだったものの、すぐに収まってきて、穏やかな空気になってくる。

 

「やれやれ、それにしても平日の朝に30分待ちとか、どうなってんだ? 遊園地ってのは」

「見た感じ学生の子が多いみたいだし、近くの学校で創立記念日とかの休みがあったんじゃない?」

 

 などと他愛のない話をしているうちに、順番はもうすぐと言った所に。

流石に生まれて初めて乗る絶叫マシンに、フェイトは内心落ち着かない部分があるものの、隣のウォルターが弱気を欠片も見せていないのだ、あまり弱気を見せるのは、そう、格好悪い。

なのでウォルターの手を握る力を少しだけ強くして、彼の体温からもらえる勇気だけで、心を落ち着かせる。

そんな風にしているフェイトに気付いているのかいないのか、ウォルターが口を開いた。

 

「さて、俺も絶叫マシンに乗るのは初めてだが。ま、原理としては韋駄天の剣と同じだからな、普通に楽しめるだろう。フェイトはどうだ?」

「大丈夫大丈夫。ウォルターこそ、本当に絶叫なんてしないでよ? 格好悪く見えちゃうかも……」

「そのままそっくり返すけど、お前こそ絶叫なんてするなよ? 腹抱えて笑ってやるからな?」

 

 冗談交じりの言葉に、フェイトは自身の強ばった体が柔らかになってゆくのを感じた。

気遣ってもらっているのだ、と思うと同時、ウォルターの自信あり気な言葉に、緊張が解けてゆく。

よくよく考えればフェイトは戦闘においては超速度で飛行魔法を使っているのだ、絶叫マシンに乗って楽しむ事はできても、絶叫する事まではできないだろう。

そこに幾ばくかの寂しさを感じつつも、2人はやっと来た順番に従い、コースターの席へと乗り込む。

体を固定するアームを下ろし、何となく肘掛けにあたる部分に手を乗せると、重なる体温。

見れば、フェイトの手にウォルターの手が重なっていた。

続いて何時もの、あの燃えさかる炎のような声。

 

「大丈夫だ」

「……ぁ」

 

 思わず頬を火照らせるフェイトに、微笑むウォルター。

胸の奥がまた高鳴り始めるのを感じつつ、フェイトは視線を前にやる。

がたん、と音を立て、コースターが動きだすのを、フェイトは感じた。

 

 

 

4.

 

 

 

 駄目だった。

 

「……はぁ、はぁ」

「……うー……」

 

 死屍累々とは、これを言うのだろうか。

虚ろな目をした僕とフェイトは、半ばベンチにへばりつくようにしながら倒れ込んでいた。

呼吸は乱れ、叫び続けた喉はヒリヒリと痛み、衣服は互いに乱れている。

フェイトの汗の浮かぶ肌や乱れた衣服から垣間見える肌は、かなり扇情的なのだが、それに何一つ反応しないほど僕は疲弊していた。

恐らくはフェイトも、同様にだ。

 

「の、飲み物、買ってきてあるから。喉、回復しようぜ、とりあえず」

「う、うん……」

 

 ベンチへの道中で何とか買っておいた缶ジュースを差し出しながら、告げる。

清涼飲料水で喉を潤しながら、荒い呼吸を繰り返す僕とフェイト。

僕らは2人とも、絶叫しすぎるほどに絶叫マシンで叫んでしまっていた。

幸い空戦魔導師なので三半規管などは無事だったのだが、怖いことこの上ない機械であった。

一体あんな物を作り上げた奴は何を考えていたのか、胸ぐらを捕まえて問い詰めたい所である。

そんな風に虚ろな目で数分ほど呼吸音のみの空間を作っていると、やっと回復してきて、どうにか喋れるようになってくる。

 

「ぜ、絶叫マシン……。とんでもない奴だったな」

「う、うん……。二度と乗りたくない……」

「……お前、エリオとかいう子と、少なくとも一回は乗る事になるんじゃ」

「…………」

 

 言うと、今にも地面にへばりつきそうなぐらい沈み込むフェイト。

慌て僕は続ける。

 

「ま、まぁ、あくまでそのエリオが乗りたいって言ったらの話だからさ。乗るとは限らないよなっ、そうだよなっ」

「う、うん……」

 

 が、僕の口から出たのはとってつけたような慰めだけ。

沈み込んだままのフェイトを放っておけず、思考を巡らせるものの、あまり良い手は思い浮かばない、

焦り、僕は仕方なしに話を逸らす事にする。

 

「そういや、そのエリオっていう保護した子は、どんな子なんだ?」

「あ、うん、とっても良い子だよっ。エリオはね……」

 

 と、勢いよく面を上げ、エリオの美点を話し出すフェイト。

一瞬で元気を取り戻す様にほっとするものの、僕は少し寂しさを感じてしまう。

彼女の元気は、自分の信念に向き合い、真摯に生きているからこそ得られる物。

UD-182の亡霊を斬り殺してでも貫くと決めた僕の信念は、しかし元を辿れば歪で狂った信念だ。

羨ましさ、なのだろうか。

そこだけスポットライトが当たっているかのように明るく感じるフェイトに比し、僕は暗い舞台袖からぼんやりと眺めているような気分であった。

暗く落ち込む内心を、せめて悟らせぬよう仮面の維持に力を入れる。

 

 フェイトが語るエリオは、悲しい過去を持ちながらもそれを乗り越えようとする立派な子であった。

親に代替品として製造依頼をされ、親愛を裏切られ、苦痛と絶望に満ちた実験材料生活。

それだけの苦難がありながらも、全てを乗り越え彼は明るく快活な人格を取り戻してきているのだと言う。

 

 何処か僕と似た過去に、思わず僕は自分を重ねて考えてしまった。

エリオも僕も、誰も信頼しようとしなかったのは確かだ。

けれどエリオは自分を偽る事をせず、僕は自分を偽る事に決めた。

だからだろうか、僕はリニスと出会っても他の人を欺し続けているというのに、エリオはフェイトと出会い全ての人に素直になりつつあるのだと言う。

年齢が倍ぐらい違う子だと言うのに、人間として先を行かれた気分で、嫉みは沸かないものの、正直もの凄い凹む。

 

「それでね、エリオったら、やっと我が儘を言ってくれるようになってね……」

 

 けれど、その話をしてくれるフェイトは満面の笑みで。

あまりにも幸せそうなその姿を見ると、なんだかまぁいいや、という気分になってくるのだ。

何せ僕は、フェイトが自分の信念を見つける為の一因になれたのだ。

別に僕がいなくとも、いつかは彼女は自分の信念に辿り着けただろう。

けれど、一瞬でも早くこの笑顔が訪れる為の力になれたのだと考えると、例え偽りでも、僕が誰かの力になれたんじゃあないかと思えてしまう。

勘違いだろうと知りつつも、僕は敢えてその勘違いの幸せに浸り、微笑んでいた。

 

「……うん、そろそろ回復してきたかな」

「あぁ。昼までまだちょっと時間あるし、絶叫マシン以外の奴で何か、定番の奴に乗って行こうぜ」

 

 軽く半時間は喋っていたと思う。

ようやく気力が戻ってきた僕らは、そんな会話をしつつ立ち上がり、再び手を繋いで歩き出した。

石造りの床を靴裏で蹴りながら、僕らは遊園地を無計画に回ってゆく。

メリーゴーランドは流石に勘弁してもらいつつ、水に突っ込むコースターを見て2人青ざめ、3Dショーは2人してあまり興味が無いのでスルーし、洞窟の暗闇の中を行くコースターに2人青ざめて。

そんなこんなでたどり着いたのは、コーヒーカップであった。

 

「ちょっと少女趣味だが、まぁ、物は試しって言うしな」

「とか言いつつ、さっきはメリーゴーランドに乗らなかったじゃない」

「いや、すまん、流石にあれは……」

 

 などと言いつつ、がらがらに空いているコーヒーカップの中に座ると、すぐに動き出す。

緩やかに回転するカップの台とカップ本体の、二重の回転。

普段中々体験する事のない動きは新鮮で、目前のフェイトも目をキラキラさせている。

 

「わー、なんか面白い」

「これ、真ん中のハンドルでカップの回転速度を調節できるみたいだな」

 

 言いつつ軽く回転させると、少しカップの回転速度が速くなる。

少し平衡感覚への負荷が強くなるが、空戦魔導師たる僕らにはさほど影響はない。

 

「あ、私にもやらせてくれる?」

「おぉ、いいぞ」

 

 とハンドルを渡すと、キラキラした目のまま回転速度を上げてゆくフェイト。

周囲の景色が回転する速度も増え、三半規管がじりじりと不平を訴えてくる。

あまりにも考え無しな速度向上に、思わず口を開く。

 

「なぁ、こんくらいにしたらどうだ? あんまり速度を上げてもだな……」

「あ、ウォルター、先にギブアップするんだ。負けだねー」

「……あ゛?」

 

 かちん、ときた。

僕は思わず無言のままコーヒーカップのハンドルへと両手を。

視線を鋭く、貫くようにしてフェイトの瞳を睨み付ける。

 

「おいおい、何言ってるんだ? 先にギブアップすんのはそっちの方だろ? 無理しない方がいいんじゃないか?」

「あれ、一瞬前まで腰の引けた事を言ってたのって、何処の誰だっけ?」

 

 視線と視線が激突、紫電が走らんばかりのスパークを上げた。

気付けばここは、戦場であった。

互いの能力を競う仁義なき戦いに、僕は内心が豪、と燃えさかるのを感じる。

血潮は熱く、全身が燃えたぎるかのよう。

熱量の根幹たる腹腔は、さながら恒星のごとき超熱量を孕む。

頭脳の片隅で「僕は何をやってるんだ?」という疑問が沸くが、沸騰しかねないほどの熱量に浮かされた頭脳は疑問を燃焼、灰化、熱風で空気分子の中にばらまいてゆく。

最早戦いは決定的だった。

強化魔法は意地で無しに、素の三半規管の能力を持ってして、の戦いである。

僕は口元を歪ませながら告げた。

 

「行くぞ――!」

「負けないよ――!」

 

 咆哮が輪唱。

ハンドルが2人分の力で速度上昇方面へと回転、どちらが先に降参するかのチキンレースが始まり……。

 

 

 

5.

 

 

 

 呆れられた。

 

「…………」

「…………」

 

 遊園地内のレストラン。

喧騒に満ちた空間に一席、フェイトとウォルターが座る席だけが沈黙に満ちていた。

運ばれてきたハンバーグランチをつつきつつ、フェイトは虚ろな瞳で先ほどの事件を回想する。

魔法なしでも超人的な身体能力を持つ2人の戦いは、制限時間切れという結末を迎えた。

互いの健闘を称えつつ立ち上がった2人だが、既に2人の三半規管は歩行能力を有しておらず、ふらつきながら出て行き、根性でコーヒーカップの外に出た辺りで力尽きてしまう。

遊園地の職員に呆れられながらも介抱され、流石に窘められるフェイトとウォルター。

平均就業年齢を過ぎた15歳にもなって、はしゃぎ過ぎで大人に呆れられるとは、恥辱の極みであった。

フェイトはもとより、流石のウォルターも目に虚ろな光を宿しており、カレーライスを一定のペースで口にしている。

珍しい光景だが、それを喜ぶ気力すらフェイトには無い。

それでもカレーライスを半ばほどまで食べ終えた辺りで、ようやく、と言った様相でウォルターが口を開く。

 

「……まぁとりあえず、馬鹿な事だったが、楽しかったし。それに怪我とかしなくて済んで良かったさ」

「うん……」

 

 まだ声に力は戻りきっていないものの、ウォルターの声は人の心に覇気を与えてくれる。

フェイトもどうにか沈みきった精神を引き上げ、弱々しくも声を返した。

返事がある事に満足したのだろう、ウォルターは頷き、控えめではあるが、いつものあの男らしい笑みを浮かべる。

 

「それにしても、遊園地の食事って、割高なんだなぁ……。缶ジュースの値段を見て予想はしていたけどよ」

「まぁ、ね……」

 

 と文句を言いつつハンバーグを口にするフェイトであるが、ふと目を瞬く。

確かに、酷いと言う程ではないが、値段不相応にハンバーグの作りは微妙だ。

リンディから料理を習っているフェイトは、すぐにこのハンバーグが手ごねもしていない事が分かるし、肉もそれほど良い肉ではないと、何となくだが分かる。

なのに何故だろうか、不思議と味は不味く感じない。

遊園地の空気がそうさせるのか、それとも、目前の男性が、ウォルターがそうさせるのか。

料理の味まで向上させるとは、流石ウォルターだな、と思いつつ、フェイトはウォルターと話に花を咲かせながら食事をした。

食後の、恐らく業務用の物をそのまま使ったと思われるコーヒーを口にしながら、フェイト。

 

「そういえば、次に行く予定なのは……」

「あぁ、お化け屋敷だな」

 

 何でも無いように言うウォルターに、フェイトは思わず視線を逸らした。

ホラー映画、特に地球の日本製ホラーが苦手なフェイトである。

アリサの家に5人で泊まって遊んだ時、夜中にホラーゲームをやった時も、涙目で悲鳴を上げながらの操作であった。

止める者もおらず全員で思いっきり悲鳴を上げてしまい、アリサの家が広大でなければ近所迷惑で怒鳴り込まれていた事だろう。

思わず唾をのむフェイトに、しかしウォルターは平然とした様子で続ける。

 

「ここの目玉らしいな、お化け屋敷って。って、目玉でも何でも無いコースターであんだけ凄かったのか……。いや、それはいいとして、楽しみだな、お化け屋敷」

「う、うん……」

 

 僅かな緊張と共にコーヒーを飲み干し、嫌な予感を振り払うフェイト。

ホラー映画やホラーゲームは確かに怖い。

けれどそれは、受動的にしか見られない映画や、決められた行動しかできないゲームだから怖いのだ。

だから現実にお化け屋敷なんてあっても、それほどは怖くない、筈だ。

それだとお化け屋敷が流行らないという現実を無視してそう考え、どうにか平静を保つフェイト。

そんな彼女に、心配そうにウォルターが口を開いた。

 

「……大丈夫か、フェイト。なんか顔色悪いけど」

「それはウォルターも一緒だよ。さっきの酔いが残ってるんでしょ?」

「まぁ、そうかもしれんが……。じゃ、そろそろ行けるか?」

「うん」

 

 短く答えるフェイトを訝しがりながら、ウォルターはさっと伝票を取り、会計に行ってしまう。

あ、と短く呟くフェイトだったが、レジに並んでいる客も居なかったので、支払いはすぐに終わった。

すぐに追いつくフェイトに、先ほど、格好付けさせてくれと言った時と同じ顔で見つめてくるウォルター。

 

「ずるいなぁ……」

「ん? 何が?」

「ううん、ありがとうっ」

 

 言ってフェイトは、ウォルターの手を掴み歩き出す。

体温と体温が重なり、安堵がフェイトの不安を塗り替えた。

ウォルターが揃えてくれる歩幅に、フェイトは胸の奥が暖かくなるのを感じながら、ヒールで石造りの床を叩いてゆく。

幸いと言っていいのか、お化け屋敷はレストランからそう遠くはなかった。

すぐに目前にたどり着き、数秒立ち止まる。

 

「うっ……」

「こ、こりゃあ随分と……」

 

 ボロボロになった廃館のような施設を前に、フェイトはもとより、ウォルターでさえ僅かに顔をひくつかせていた。

古びた植物の蔓が巻き付いていたり、蝙蝠の姿をしたオブジェが様々な場所に止まっていたりと、雰囲気満点である。

自然ウォルターの手を掴む力を強くするフェイトに、ウォルターもまたフェイトを安心させるように、柔らかにフェイトの手を握り直した。

はっとウォルターの顔に視線をやると、流石に顔をひくつかせながらも、緊張の汗も震えもなく、平常そのものであった。

 

 頼りになる彼の横顔だが、しかしウォルターの目には何時もの炎は宿っていなかった、

代わりに何処か、怯えているとまでは言わない物の、緊張しているような気がする。

ウォルターが緊張などと悪い冗談のような現象だ、と1年前のフェイトなら思っていた事だろう。

しかし再生の雫事件を終えて、フェイトはウォルターにも弱さと言える物があると知っていた。

 

 可愛いな、とフェイトは思った。

不思議と頼りないとは思えず、代わりに慈しむ心ばかりが沸いてきて、思わずフェイトは空いているもう片方の手を、ウォルターの手へと重ねる。

ぎう、と。

少し力強く。

 

「ん? どうしたんだ?」

「…………」

 

 視線を送るウォルターに何も言えず、フェイトはただただウォルターの手を握っていた。

どうしてだろうか、フェイトはウォルターの隣に居なければならない、という強い衝動を胸に抱えた。

可能であれば両手で触れるだけでなく、その腕に抱きつきたいぐらいな程にだ。

けれど、現実にそこまでする勇気はフェイトにはなくて。

大きく深呼吸をし、フェイトは少しだけ落ち着いた心のままに告げる。

 

「ううん、大丈夫。いこ、ウォルター」

 

 強がりの一言。

ウォルターは少し困ったような顔をしていたが、すぐにあの何時もの男らしい笑みを浮かべる。

 

「あぁ、行こうか!」

「うんっ!」

 

 弾む声で、フェイトは返した。

怖い物は苦手だけれども、彼と一緒であれば、きっと乗り越えられる。

だから、この手を離さなければ私は大丈夫だから――。

 

 

 

6.

 

 

 

 泣いてしまった。

 

「…………」

「あー、まぁ、ほら、女の子だし、良くある事だろ、うん」

 

 流石にフォローが拙くなってきているウォルターの言葉に、更にフェイトは頭蓋を重く感じる事になる。

溜息に混じって口から魂が出てきそうな気分であった。

落ち込むフェイトを半歩先導するウォルターは観覧車に向かっており、夕日が伸ばした影法師が床の石を染めていた。

落ち込んでばかりも居られない、と面を上げるフェイトの視界に、巨大な観覧車が入る。

 

「わぁ……」

 

 と、感嘆の声が漏れた。

気づき、歩調を合わせるウォルター。

 

「結構高いよな。街中であの高さまで飛行した事は、ここの所は無いかもしれんな、俺も」

「うん、そうだね……」

 

 事実、管理世界の都会の多くでは、安全のために飛行魔法は規制されている。

許可が出たとしても、特に管理局側は町への被害を押さえる為に上空に位置どる事はあまり無い。

フェイトが思い出せる街中でのあの高さと言えば、PT事件の頃の海鳴ぐらいだろうか。

宝石がちりばめられたかのような光景と、それを気にする余裕もなかった自分。

なのはとの出会い、復活したリニス。

そしてウォルター。

次元世界最強の魔導師にして、今隣を歩く彼。

 

「お、まだそんなに並んでないみたいだな、良かった良かった」

 

 と言いつつ、ウォルターはフェイトを連れ短めの行列の最後尾につく。

談話しながら暫く待つと順番が来て、2人は観覧車の一室へと入った。

ウォルターが先んじて座ったので、フェイトは少しだけ迷ってから、向かいではなくウォルターの隣に座った。

目を瞬くウォルターだが、すぐに落ち着いた様子であった。

すぐに観覧車の一室は僅かな揺れと共に上がり始める。

 

「お、いい眺めだな」

「うん……」

 

 硝子窓を大きく取られた室内からは、夕焼けに染められた町がよく見えた。

中々じっくりと見られない光景に、2人は自然口数も少なくなり、繋いだままの手を重ねただけで、じっと外を眺める。

遊園地に遊びに来たのだ、喋らなければ、と思わないでもないフェイトだったが、その気持ちもすぐに消えていった。

どうしてだろうか、今は喋らずとも互いに心地よい空気で居られると、そんな確信が胸にあったのだ。

故に沈黙のまま、フェイトは暫し夕焼けに染められた町を眺めていた。

 

 町が小さく見えてきた頃、ふと、フェイトはウォルターの横顔に視線をやる。

驚くべき事に、ウォルターは物憂げな顔で夕焼けに染まる町を見つめていた。

気怠く下りた瞼に遮られた、憂鬱そうな瞳が視線を外へ。

何時も堅く引き締まった口唇は緩やかに繊細そうなカーブを描き、何処か首の角度さえもから弱々しさが垣間見える。

どうしてだろうか、フェイトはそんなウォルターを見たその瞬間、確信に近い思いを得た。

 

 ——フェイト・テスタロッサ・ハラオウンは、ウォルター・カウンタックに恋をしている。

 

 激烈な自覚がフェイトの胸に浮かぶと同時、視線に気付いたウォルターが、何時もの表情に。

男らしく、それでいてにこやかな笑みを浮かべフェイトへと視線をやる。

 

「どうした、なんか俺の顔についてるか?」

「う、ううん、なんでもないっ」

「そ、そうか……」

 

 先ほどまではあんなにも自然体に話せていた相手なのに、急に恥ずかしさがこみ上げてきて、フェイトは赤面してしまう。

胸が飛び出んばかりに高鳴り、繋いでいる手から感じる体温は燃えるように熱い。

これが、恋なのだろうか。

フェイトは普段中学校で見る、相手は不明だが、明らかに誰かに恋をしているなのはの事を思い浮かべる。

断じて相手の情報を出さない彼女だが、その言動から推測される誰かに抱く感情は、間違いなく恋だ。

その表情はとても言い表せない程に幸せそうで、未だ恋を知らなかったフェイトにさえ恋の素晴らしさが伝わるぐらいで。

ならば、と自分の顔を片手で覆い尽くすフェイト。

触れた自分の顔は、記憶にある限り、あの恋するなのはと同じような表情をしていて。

故に先ほどの確信は、フェイトの中でより強固になってゆく。

 

「なぁ、本当に大丈夫か?」

「だ、大丈夫っ」

 

 尚も心配して話しかけてくるウォルターに、辛うじてフェイトは返事した。

彼の視線は明らかにフェイトの顔に向けられており、普通ならばその顔の赤面に気付かれてしまっていただろう。

だって夕焼けの朱に染められた自分の顔は、きっと普段と変わりなく見える筈だから。

夕焼けに感謝を捧げながら、フェイトはただただ観覧車が早く一回転し、外に出られるようになる事を祈る。

それでも離す事の無い繋がった手が、ただただウォルターの燃えるような体温を伝えていた。

 

 

 

 

 




こいつら爆発すればいいのに。


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第六章 斜陽編・後 黒翼の書事件 新暦72年 (空白期)
6章1話


ちょっと間が空きましたが、再開です。


 

 

 

1.

 

 

 

「熱いな……」

 

 クラナガンの街を歩きながら、思わず呟く。

うだるような熱気に、溜息。

季節はまだ初夏だと言うのに、太陽は出さなくても良いやる気を出してアスファルトへ照りつけている。

熱された地表から温度を吸い上げた空気分子が、熱気となって辺りを彷徨っていた。

 

 久しく何の予定もない休養日。

掃除の邪魔だとリニスに追い出された僕は、とりあえずという事で繁華街をうろついている。

というのは、趣味のない僕にとって、他に行く場所がないのである。

やることと言えば、ギンガとスバルの様子を見に行く、鍛錬する、それぐらいしか思いつかない。

無論鍛錬はばれたらリニスに泣かれるし、ギンガは既に管理局員となって地上部隊で働いているし、スバルも陸士訓練校に入学している。

2人ともこちらから定期的に映像通話はしているのだが、程よく向こうからばっさり切られるし、沸いて出た休養日に会いに行けるような暇な立場ではない。

まぁゲンヤさんなど周りの人の話を聞くに、彼女達は僕のことさえなければ上手くやっているらしいので、心配する事も無いのだろうが、これも性分である。

 

 さりとて、魔法の研究やらをしようにも、僕はリニスに部屋を追い出された形になる。

恐らく趣味の一つも無い僕に、少しでも人間らしい幸せを望み、その切欠になればと外出をさせたのだろう。

僕としては受け取りづらい好意だが、リニスの思いを考えると無視もしづらい好意である。

かといって、なのはとたまにする喫茶店巡りは男一人でやるのは拷問に近く、フェイトと行ったことのある遊園地も一人で行くような場所ではあるまい。

どうしたものかと思いつつ、人通りの少ない通りを選びながら歩く僕。

 

 最早どうする事もできまいと、僕は直感に従い適当な道を歩く事にした。

頭の中で地図を思い浮かべる事すら拒否し、適当に道を選び進んでいく。

同じ交差点を通る事すらある、効率など考えもしない粗雑な直感。

それを元にぼーっと歩いていると、ふと見覚えのある道を歩いている事に気付いた。

 

 このまま真っ直ぐ歩いて行けば、ナカジマ家へとたどり着く。

 

「…………」

 

 胸の中を抉られるような痛み。

そういえば、かつてもリニスさんの事で悩んでいたとき、僕は勘に従って歩き、ここにたどり着いたのであった。

そして。

クイントさんと話して。

外れそうになった仮面。

心が潤むような、人の温かさ。

それらを感じ、僕は少しだけ長い旅路を歩む力を得て。

 

 ――クイントさんは死んだ。

 

 守れなかった。

そしてクイントさんは、僕のことよりも娘の事を想って死んだ。

当たり前の現実で、僕はクイントさんにとってただの仲の良い子供でしかなくって。

不意に胸の奥からこみ上げてくる物があり、僕は咄嗟に視線を外し、ナカジマ家の方向に背を向ける。

歯を食いしばったまま、靴裏で踏みつけるアスファルトに視線をやりつつ振り返ると。

どん、と。

 

「うおっ」

「おわっ」

 

 見知らぬ男とぶつかってしまった。

お互い予想外の衝撃にふらつくも、足でバランスを取り踏みとどまる。

すぐに相手の顔に視線を、口を開く僕。

 

「すまん、いきなり……」

「悪い、前見てなかっ……」

 

 と。

男がぽかんと口を開き、僕も同じようにして絶句した。

男は、金髪蒼眼の小太りの男であった。

短く刈り込んだ金髪は力強く天に突き立ち、蒼眼は何処か濁った感じがしており、多めについた贅肉が骨格を覆い隠している。

何より、何処か傲慢そうに見えるその顔立ちは、忘れるはずもない。

見覚えのある雰囲気の顔に、思わず記憶にある魔力波長と実測波長を合わせてみると、違い無く一致する。

遙か昔の記憶が呼び覚まされ、金属質な床板を裸足で歩く感触、薬品の匂い、閉塞的な空気が脳裏を過ぎった。

 

「UD-213……?」

「UD-265……?」

 

 UD-213。

“家”で僕が脱出するまで実験体の中で君臨していた、ガキ大将。

UD-182とよく喧嘩をしていた、僕より幾つか年上の子供だった男。

 

 ――仮面無き僕を知る男であり、UD-182を知る男。

 

 僕は頭の中がぐしゃぐしゃになっていくのを感じた。

仮面を無意味にしかねない相手にどうすればいいのか泣きじゃくりたくなる反面、冷静な部分が人格の差異など10年の月日で言い訳できると告げる。

しかし、彼はUD-182本人を知っているのだ。

僕の言動がUD-182そのままである事などすぐにばれてしまうだろうし、それを元に糾弾されれば、僕は全てを……。

いや、僕が偽りではなく彼の意思を継いだと誤認させれば?

そんな風に混乱の局地にある僕だったが、それはUD-213も同様のようだった。

お互い呆然としたまま立ち尽くし、無言で立ちすくむばかりである。

そんな中、先に我に返ったのは、UD-213の方であった。

 

「えっと……とりあえず、どっかで座って話さないか? いや、その前に時間はあるか?」

「あ、あぁ。ぼ……俺は今日は完全な休養日のつもりで居たからな……」

 

 告げ、ぎこちない動きで先導するUD-213についてゆく僕。

僕らは無言で住宅街を抜け、一番近くにある喫茶店へと足を踏み入れる。

繁華街から外れた所にある喫茶店は人も少なく、低めの音量で落ち着いた音楽が流れていた。

言葉少なに窓際の席に着き、僕らは向かい合う。

口火を切るのは、今度は僕の方からであった。

 

「まずは、”現在”の自己紹介といこうか。俺は、ウォルター・カウンタック。フリーの賞金稼ぎをやっている」

「ウォルター……。そうか、写真で似ているとは思っていたけどよ、まさか本当にとはな。俺はハラマ・エスパーダ。管理局の地上部隊で捜査官をやっている」

 

 UD-213……、ハラマの言葉でハッとする。

もしも”家”出身の子供が生きて外に居れば、そこそこ有名な僕である、その見目から一方的にUD-265=ウォルター・カウンタックとして認識されているかもしれない。

とは言え、それはハラマに聞いた所で判明する事ではないだろう。

胸の奥に疑念は秘めておきつつ、運ばれてきたアイスコーヒーを口にしながら、僕らは近況から口にする。

 

「へぇ、地上部隊か……。地上部隊とは協力する事も多かったが、最近は専ら海との連携が多いな」

「お前の外での事はニュースで聞いている以上の事は知らないがよ、7歳の頃から賞金稼ぎをやってたんだって? すると脱出してすぐって訳か?」

「あぁ。ストリートチルドレンで点々としながらクラナガンに着いて、そっから賞金稼ぎコースだ。お前こそ、一体何時脱出したんだ?」

「お前の脱出に応じてだよ。俺はストリートチルドレンから孤児院、魔力測定で陸士訓練校に推薦、そっから管理局員コースだ」

 

 そういえばハラマの魔力量は子供の頃でさえAAランク相当はあったな、と思いつつ、疑問点に口を挟む。

 

「あれ? 俺の記憶だと、”家”の入り口を吹っ飛ばして逃げた気がするんだが……」

「あぁ、入り口は複数あったんだよ。ま、今なら分かるが、突入されても逃げ出す為の常套手段って奴さ」

「なるほど。中々脱出できなかったことだし、結構警備に気を遣っていたのかね」

 

 と、ハラマが視線を跳ね上げ、瞼を閉じてコーヒーを口に。

数秒思案する様子を見せ、口を開く。

 

「中々? お前は一発で脱出してみせたじゃあないか」

「おいおい、あの2回は数に入れてないのか? UD-182と一緒に脱出しようとして、2回失敗した奴。あれで確か、”広場”の出入りに監視が付くようになってさ……」

 

 と、僕が記憶の通りに話すのに、訝しげにハラマが告げた。

 

「UD-182? 誰だそりゃ」

「……え?」

 

 思わず、頭の中が真っ白になった。

パクパクと口を開け閉めする僕に何を思ったのか、ハラマ。

 

「そもそも、俺の記憶がただしけりゃ、UD-200未満ナンバーは、俺たち200番台ロットが実験体として扱われるようになった時に、廃棄処分されてた筈だ。そうだろ、親友?」

「しん、ゆう……? 俺は結局お前と話した事なんて数えるぐらいしかなかった筈だったが……」

「……え?」

 

 訪れる沈黙。

先ほどの僕と同じように、蒼白になった顔でハラマが叫ぶ。

 

「おい、お前は俺の親友のUD-265だろ!? 俺よりチビだったくせに、誰よりも勇気があって、熱血していた、あの!」

「……俺はUD-265だったが。お前はUD-182と敵対していた、ガキ大将で、いつも取り巻きの居るUD-213だった筈じゃあないのか?」

 

 口を突いて出た言葉は、あまりにも動揺の色の濃いハラマを目前にしたからか、冷静な物であった。

そんな僕の様子に、ハラマはこみ上げてきたのであろう言葉を飲み込み、静かに力のこもった握り拳をテーブルの上に置く。

けれど内心の混乱が大きいのは、僕とて同じだった。

座っている感覚すらあやふやで、今にも倒れそうなぐらいの動揺に、体は微細に震え、ともすれば歯がカチカチと鳴り始めかねないぐらいだ。

視界が真っ暗になりそうな動揺の波にどうにか耐えきると、ハラマも同じように落ち着いてきた様子が見えてくる。

 

「……まずこれからすべきだったのかもしれねぇが。”家”の位置や周りの環境とか、すりあわせようか」

「……あぁ」

 

 言って口を開く僕ら。

けれど中身は全く一緒。

“家”の位置どころか内装もほぼ一致しており、周りに木々が茂っている事、脱出の季節さえもが一致している。

けれど、記憶の相違点は無視できない量があった。

 

 例えば、実験は麻酔無しで行われる事も多く、痛みを伴う凄まじい物だったとは、ハラマの言い分である。

僕の記憶が正しければ実験は必ず麻酔をもって行われ、臓器を回復する程度の小ささだが取って行かれる事すらあった。

輪切りにしてホルマリン漬けにされた自分の臓器を見せられた事は、一種のトラウマとなって僕の記憶に残っている。

 

 この事をどう捉えればいいのかすら、今の僕には分からない。

情報が足らなさすぎるし、そも、足りたとして何をどう捉えるかなんて、今の僕は脳が思考を拒否すらしていた。

かといって、この問題は放置しておくには大きすぎる問題だ。

故に。

 

「ハラマ。これから数日、休みを取れるか?」

「あぁ。ウォルター、お前こそ、予定は大丈夫か?」

「山籠もりしようとしていた所だったんでな、予定はキャンセルだ」

 

 互いに考えている事は一緒だろう。

それでも、と確認の為に僕らは答えを口に出す。

 

「”家”に行こう。真実を見つけよう」

 

 結果がどんな物であれ、ここで悠長に話しているよりはマシな結論が出るだろう。

早速僕はリニスと連絡を取り、休養日の取り消しを伝える事にするのであった。

 

 

 

2.

 

 

 

 うっそうと茂る木々を手で除けながら、道なき道を歩んでゆく僕ら3人。

高くまで伸びた木々の葉が陽光を遮る影になると同時、地熱を籠もらせる原因ともなり、汗を滲ませる結果となる。

思わず、溜息。

 

「ったく、飛んでいければすぐなんだがなぁ……」

「無茶言うなよ、どういう理由で飛行許可を取る気なんだっての」

「まぁな……」

 

 ハラマの言い分に肩をすくめながら、僕は肩越しに僕とハラマから数歩遅れて歩くリニスへと視線をやる。

その顔はこの熱さだと言うのに蒼白で、僕とハラマのじゃれ合いのような掛け合いにも反応しきれていない。

当然と言えば当然と言えよう、彼女は僕の本当の人格を知っており、故に現状の危うさも知っている。

僕は確かに、UD-182の疑似蘇生体を斬り殺した。

けれど結局貫いているのはUD-182の信念だと僕が信じる物、根底に彼の記憶があるのは間違いない。

そして今、その記憶があやふやになっているのだ。

 

「…………」

「…………」

 

 空間に、奇妙な沈黙が満ちる。

視線をやれば、ハラマもまた何処か苛つきの混じった、乱暴な手つきで木々をかいくぐっていた。

ハラマの……UD-213の記憶を知らない僕には想像しかできないが、彼の言動から、彼の記憶において僕の占める大きさとて少なくないだろうと推察できる。

そして、僕とハラマの記憶は、そのすれ違いからどちらか片方しか正しくはない。

僕らは行動を共にこそしているものの、潜在的には利益を共にできない、いわば敵同士とさえ言えるような存在なのだ。

僕はまだしも、親友であったと言う人間と記憶の正誤を分かつハラマの気持ちは、一体どのような物なのだろうか。

それは、UD-182の疑似蘇生体と殺し合った時の僕と似ているのかもしれない。

だとすれば彼は、精神的にも僕の同胞であり、そして僕はその同胞と記憶の正誤を奪い合っているのだ。

 

 ただでさえ蒸し暑い中、陰鬱でジメジメとした考えをしていると、気が滅入るどころでは済まない。

それでも、親友と思わしき僕とまともに会話できない事は、ハラマの精神衛生上良くないのだろう。

口を開くハラマ。

 

「なぁ、”家”を出てからの事、話してくれよ」

 

 僕は、思わず口をつぐんだ。

僕にとって、ハラマは敵とまでは言わずとも、利益を共に出来ない人間だ。

そんな人間相手に、過去語りなどするのは奇っ怪に過ぎる。

 

「……あぁ、いいぜ」

 

 だが、僕はそう答えねばならなかった。

僕はウォルター・カウンタックだから。

記憶が不確かで、”家”の記憶が間違っていたとしても、それで揺らぐような人間でいてはならないから。

 

 けれどどうしてか、僕がそう答えた理由は、それだけではないような気がした。

もしかしたら僕は、寂しかったのかもしれない。

この広い次元世界の中、真の僕を知るのは今やリニス一人なのだ。

けれどハラマは、UD-213は、僕の記憶が正しければUD-182を知っており、弱く惨めな僕自身を知っている相手で。

 

 僕は夢想した。

UD-213はこの記憶を巡る旅で真の記憶を取り戻し、UD-182の事を思い出すのだ。

そして彼は自然僕が仮面を被っている事に気付き、弱くて格好悪い、けれど本当の僕を知る人間となる。

そうなれば、勿論待っているのは僕の仮面の破滅が妥当だろう。

けれどもしかしたら、かつてリィンフォースがそうだったように、彼が僕の秘密を守ってくれるのであれば。

僕の友達となってくれるのであれば。

それは、想像できないぐらいの幸せな事なのではないだろうか。

 

 勿論、クイントさんとの約束で幸せを捨て信念に生きなければならない僕にとって、そんな夢想は唾棄すべき物だ。

実際にUD-213に僕の仮面が知れたのならば、万難を排してでも彼を黙らせなければならない。

最悪、この刃を向けてでもだ。

当然そんな相手に過去を語り自身の情報を渡すなど、正気の沙汰ではない。

 

 けれど、夏のうだるような暑さがそうさせたのだろうか。

それとも、自覚している以上に僕は、記憶の不確かさという現状に混乱し、何も考えたがらないで居たのか。

僕は気付けば、僕の戦いについて語っていた。

ティグラ、プレシア先生、リィンフォース、アクセラ。

彼女達のような超弩級の魔導師ばかりではなく、それには劣るSランクオーバーの強敵達の事さえも。

 

「そうか、相変わらずお前はすげぇ奴だな……」

「……まぁ、な」

 

 何時もなら即答できる返事も、やや遅れてになった。

普段は弱い僕を覆い隠す仮面に語りかけられているだけなのだが、今はもっと複雑だ。

弱い僕を間違った記憶で勇敢な人間だと言うハラマの勘違いと、弱い僕が被る仮面が何故か一致し、間違っている筈のハラマの考えが表面上正しいという、ややこしい状態になっているのだ。

そんな僕に応じて、半歩ほど先行しながら、ハラマ。

 

「俺は……お前と違って、最初は底辺からだったよ」

「…………」

「賞金稼ぎなんてできなかったからな。ゴミ箱あさって泥水すすって……、なんとか公開の魔力値測定まで生き残って、そこで魔力値目当ての孤児院に拾われた。そこでも、俺は所詮よそ者だからな、虐められてそだってきた。あの頃は辛かったが……」

 

 ハラマの過酷な幼少時代に、僕は思わず眼を細めた。

豊富な魔力と才能に恵まれた僕と違い、強いと言っても同じ未訓練者の間でのみだったハラマは、賞金稼ぎなど不可能だったのだ。

それだけの障害を乗り越えて生きてきたハラマは、矢張り僕なんかよりもずっと心が強い。

羨望と僅かな嫉妬を込めた瞳を、ハラマにやる。

けれど何故か返ってきたのは、燃えさかる瞳であった。

 

「お前の暑苦しいぐらいの言葉を思い出すと、何時でも立ち上がれたんだ」

「…………」

 

 絶句。

こちらを見据えるハラマの瞳には、明らかに心の奥底を燃やす、例えようのない光があった。

僕と会話する人々が良くその目に持つ、あの灼熱の瞳。

UD-182が持っていたような、炎の瞳。

 

「なんっつーか、恥ずかしい話だけどよ。挫折しそうになったとき、俺はお前の言葉を思い浮かべて、それで今までなんとかやってきたんだわ。だからま、これからどういう結果になるか分からないけどよ、お前ともう一度会えて良かったわ」

 

 何処か誇らしげに鼻の頭を擦りながら、枝を除けるハラマ。

その先には、ぽっかりと暗い口を開けた洞窟が。

僕らの”家”が待っていた。

思わず息をのむ僕を尻目に、ハラマが数歩進みながら言う。

 

「さて、入るか……」

「あ、ちょっと待て」

 

 言って僕は視線を周囲へ。

首元のティルヴィングを掴み、セットアップ。

黄金の巨剣を手に取り、うっすらと攻勢魔力を放つ。

野獣のような、と良く比喩される笑みを作り、告げた。

 

「何処の誰だか知らねぇが……、6人か7人って所か? さっさと出てこい」

「……っ」

 

 息をのむ音。

暫し迷っていたようだが、やがて木々に隠れていた気配が動き出す。

隣でパクパクと口を開け閉めしていたハラマが、呆然と告げた。

 

「び、尾行されてたって事か?」

「されてたが、途中からだ。どっちかっつーと、目的の場所が同じだったって所だろうな」

「……流石ウォルター君、規格外にも程があるわなぁ」

 

 聞き覚えのある声に、思わず目を見開く僕。

そんな僕らの前に現れたのは、管理局地上部隊の制式装備に身に纏った魔導師4人に加え、2人の専用装備を身につけた魔導師に、妖精のような小人が一人。

 

「久しぶりやな、ウォルター君」

「お久しぶりですー!」

「……どうも」

 

 八神はやてとリィンフォース・ツヴァイ、ギンガ・ナカジマの3人であった。

 

 

 

3.

 

 

 

「……って訳だ。こっちの事情は分かったか?」

「う、うん。そんなことがあったんか……」

「可能な限りオフレコって事で頼むぞ? あんまり吹聴したい事じゃあないからな」

「そ、そら当然やっ!」

 

 もの凄い力の入りようで頷くはやて。

他の隊員達……、陸士108部隊の面々も同様に驚いているようであった。

僕は戦いを生業にする魔導師達の中では割と有名だし、ハラマも管理局の地上部隊ではエースの一人として有名らしい。

知名度の高い僕らが実験体だったなどというのは、流石に意外だったのだろう。

 

 さて、一応理由を言いはしたものの、だからと言って僕らがここを捜査して良い理由にはならない。

せめて僕らが何も知らずに”家”に突入できていれば良かったのだが、”家”の中で挟み撃ちされる可能性から彼らをあぶり出してしまった今、後の祭りである。

かといって、管理局相手に黙って強硬手段というのもないし、誤魔化してもはやて達が突入した後からでは欲しい情報が入らない可能性は高い。

要するに僕らは現地協力者にして欲しいのだが、はやて達の状況が分からない今、僕にできるのは祈る事だけである。

はやて達が可能な限りの戦力が欲しい状況に陥っている事を祈るというのも、中々に下種な祈りなのだろうが。

それでも、できるだけ真摯な目ではやての目を見つめる僕。

 

「……うっ」

「…………」

「いや、そんな顔しても、駄目やからね? ……って言いたい所やけど」

 

 と、何故か赤面しながらこほんと咳払いするはやて。

それに応じ、ギンガが目を見開く。

 

「……っ! 八神分隊長、それはっ」

「最悪私らはロストロギアの暴走を戦闘で止めなあかん。それに2人の……、特に次元世界最強のウォルター君の力は有用や。ま、責任は私がとる」

「分かりました……」

 

 歯軋りをしながら、渋々と言った様子で頷くギンガ。

すぐに僕の視線に気付き、一睨み効かせてから、すぐに視線を逸らす。

明らかに嫌われていると分かる言動であったが、母の死の原因相手とすればむしろ優しい部類に入るだろう。

僕としては、僕が信念と呼ぶ物を貫く背中を、教師なり反面教師なりに使ってもらえるならそれでいい。

いい、筈なのだ。

胸の奥が軋むのを無視し、色よい言葉のはやてへと視線を。

堅い視線を向けながら、はやてが告げる。

 

「私らは現在、ロストロギアを強奪した犯罪者、クリッパー・デュトロを追ってここまで来てるんや」

 

 曰く。

管理局のロストロギア保管庫から、2つのロストロギアを盗まれたらしい。

盗まれたロストロギアは、黒翼の書と白剣の書。

対となるロストロギアで、黒翼の書は宿主に圧倒的戦闘能力を宿し、白剣の書はそのコントロールの為のロストロギアだと言う。

特に黒翼の書は適正が合えば、かつての闇の書並の戦闘能力を発揮できるそうだ。

これだけ聞けば条件付き貸与が認められるロストロギアのように思えるが、適正が高いと白剣の書で制御できないという欠点付きなのだと言う。

では適正の低い魔導師で運用しようと思えば、今度は宿主を侵食し、食らってしまうのだそうだ。

お陰でお蔵入りになっており、危険なロストロギアとして封印されていたのだと言う。

 

 そして、肝心の犯人だが。

保管庫の警護シフトを読み切った動きだったが、動き自体は素人の物で、ちぐはぐな印象だったと言う。

お陰で監視カメラの画像解析で人物特定が出来た。

クリッパー・デュトロ。

以前管理局に摘発された違法研究所数カ所の名簿に名があった人物で、いくつかの違法研究所を渡り歩いている男である。

後天的な魔導師資質付与に関する研究を行っているとされる違法研究者で、本人も推定総合AAランクの戦闘能力を持つ魔導師だと言う。

 

「……で、その足を追ってきた所に、ウォルター君の言う”家”があったんや」

「なるほど」

 

 と頷く僕。

何故クリッパー本人が直接ロストロギア強奪に現れたのかは不明だが、他はおおむね筋が通る。

後天的魔導師資質付与に関わっていると言う事は、リンカーコアの後天的変質に関わっているという事だ。

黒翼の書との相性は、要するにリンカーコアの質である。

つまりクリッパーは黒翼の書との相性が良い魔導師を製造している可能性がある。

加えて言えば、白剣の書で確実に制御できるようにした上で、だ。

 

「となれば、危険性はとんでもない事になっている筈だが……」

「でもでも、実現性が低いので、今回派遣されたのは私たちだけなんですー。それに最悪の場合、黒翼の書は白剣の書とリンクしているので、白剣の書を破壊すれば一緒に破壊できるんですよー!」

 

 言って、ふわりとはやての肩から飛び立つツヴァイ。

僕が軽く肩を空けてやると、そこに下り立ち、小人の体で僕の頭蓋を抱きしめてきた。

ぎう、と柔らかい感触。

額に少し冷たい体温が張り付き、頭にツヴァイが頬ずりをしてくるのを感じる。

そんな僕らを微笑ましい目で見つつ、はやて。

 

「でも、それじゃあ黒翼の書の宿主も死んでしまうんや。できれば黒翼の書が暴走しても勝ちたい所やったんやけど、ウォルター君が居るなら何とかなるかな?」

「応、そこんとこはまかせとけ」

「ハラマ二等陸尉も協力願えますか? 貴官の捜査官としてのキャリアも、私たちにとって有力ですので」

「それもこっちから願い出たいぐらいだ、頼むぜ」

 

 と、ハラマとはやてが握手するのを見て、ツヴァイが僕の肩から飛び立った。

ふわふわと浮きつつ僕の目前に躍り出て、気持ちキリッとした顔で、胸を張りながら手を差し出す。

 

「ウォルター・カウンタック、貴方にも協力を要請するです」

「おう、協力させて貰うぜ」

 

 言って手を伸ばし、僕はツヴァイと握手をした。

するとツヴァイは見る間に頬を緩め、握手を終えるが早いか、はやての元へ飛び立つ。

 

「はやてちゃ……マイスターはやて、ウォルターさんが握手してくれたですー!」

「良かったなぁ、リィン。撫で撫でしてやるで」

「わーい!」

 

 と、はやてがツヴァイの頭を撫でてやる。

なんでか、その周囲だけが別次元のような、柔らかな雰囲気に包まれているようにすら思える。

胸の奥に暖かい物が生まれる感覚を覚えながら、僕は先ほどから堅い視線を送ってくるギンガへと視線をやった。

これから作戦だと言うのに、わだかまりがあったままと言う訳にはいかない。

ギンガの目前に立つと、僕はできる限り男らしい表情を維持しながら、告げた。

 

「ギンガ……、直接会うのは久しぶりになるな」

「……えぇ、そうですね」

 

 粘度を感じさせる声。

どろっと粘ついた憎悪が籠もっており、ギンガの体からは薄く殺気さえもがにじみ出ている。

痛かった。

許されるのであれば、僕はこの場で涙を流しながら頭を下げたかった。

けれど、現実に僕はウォルター・カウンタックなのだ。

クイントさんと、最低な形でとは言え約束をした男なのだ。

元々そうだけど、彼女の前では尚更に、僕は自分の信念に忠実でなければならない。

だから。

殺気を毛ほども気にならない様子で続ける。

 

「……大きくなったな。それに、さっきから見てたが、歩き方も洗練されてきてる。成長したな」

「……随分偉そうに言うんですね」

 

 底冷えする声に、歪みそうになる顔を、必死で制御。

男らしい笑みを意識して作り、告げる。

 

「ま、実際偉いからな。何にせよ、これから施設に突入する訳だ。その間だけでいい、協力して行こうぜ」

 

 言って僕が手を差し出す。

握手の催促に、ギンガは顔を歪め、俯いて歯を噛みしめた。

数秒、何かに耐えるように大きな呼吸を繰り返した後、面を上げる。

涙が滲みさえした目で僕を睨んでから、ギンガは僕の横を通り過ぎていった。

 

「八神分隊長、そろそろ出発の準備をしませんか?」

「え、あぁ、うん。……えぇの?」

「はい」

 

 背後でのそんな会話を聞きつつ、僕は薄く溜息をついた。

駄目だ、上手く行かない。

それもそうかもしれない、僕の被る仮面はUD-182の燃えさかる魂を原形としており、彼ならば自分を嫌う者にわざわざ救いを与えたりはしない。

やることはただ一つ、相手に自身が本当にやりたい事を見据えさせる事だけ。

そしてそれが敵対を意味するのならば、彼は容赦しなかった。

けれどそれだと、クイントさんとの約束を守れなくって。

何より僕は、ギンガと敵対する事に耐えられそうになかった。

その結果が、この様だ。

 

「やれやれ、だな……」

 

 半端者め、と己を罵る事も許されなかった。

何故なら、クイントさんとの約束を違えるのならば、僕の両肩にある人々の思いを裏切るのならば、僕は疑似蘇生UD-182を殺すべきではなかった。

僕は死んでいった人々の思いとUD-182の遺志、その双方を守り抜かねばならない。

それなのにこの体たらくだという現実には溜息が漏れるが、それでも進むべき道は他にないのだ。

僕もまた踵を返し、はやて達と共に作戦会議へと参加しようとする。

そんな僕に、ハラマが不思議そうな顔。

 

「どうした、年下のナンパにでも失敗したのか?」

「……何処を見たらそうなるんだ?」

 

 冗談で場を紛らわせるにしても、的外れもいいところであった。

なんだかどっと疲れが両肩にのし掛かってくるのを感じながら、僕は僕以上に蒼白な顔をしたリニスを引き連れ、靴裏で地面を蹴った。

 

 

 

 

 



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6章2話

毎回言っている気がするけど、亀更新でした。
年末休暇の間に書きためたい(願望


 

 

 

1.

 

 

 

 熱線が空気分子を焦がしながらギンガへと迫る。

己の残像を貫いてゆく光線を尻目に、ギンガは細かい回避を連続し、発射源である機械へとたどり着いた。

腹腔に力を入れ、魔力を纏わせた拳を放つ。

異音。

ガジェットと、そう呼ばれる鋼鉄の塊がひしゃげた。

やったか、と興奮を胸にすると同時、隣で莫大な魔力が巻き起こった。

目をむくギンガの視線の先には、黄金の巨剣を持った黒衣の男。

ウォルター・カウンタック。

母の死の原因。

 

「視野が狭いな」

 

 一言でギンガの高揚を切り捨て、ウォルターが告げた。

見ればウォルターの前には、ギンガが居た場所を斜線上に置いていた、一撃で倒されたガジェットが3体ほど。

ギンガが渾身の鉄拳をたたきつけてようやく倒す事ができた相手を、瞬き程の時間で3体である。

次元の違う戦闘能力に、ギンガは内心歯噛みした。

強いのは分かりきっているし、恐らく母の死も戦闘能力ではどうしようもなかった原因だったのだろうと推測はできている。

それでも、こんなに強い人なのに何故、という思いは消えない。

 

 ギンガ・ナカジマにとって、ウォルター・カウンタックは憧れだった。

次元世界最強の魔導師であり、何より圧倒的なカリスマを携えた、憧れの人。

たまにナカジマ家に顔を見せる度に、その心が燃えさかるような英雄譚を語ってくれたものであった。

そんなウォルターへの幼少期のギンガの入れ込みようは強く、実を言えば、将来の夢をウォルターのお嫁さん、などと考えていた頃すらあった。

 

 5年前の冬、ウォルターはナカジマ家に長期滞在をするようになった。

憧れの人であるウォルターとの同居にギンガの心は焦がれた。

飛び上がりたいほどの嬉しさに包まれながらギンガはウォルターと生活を共にし、以外にも彼にも弱い部分がある事を知る。

服は黒ずくめばかりというだらしない部分もあれば、アイスすら食べたことがないという人間的な楽しみに疎い所もあった。

そんな英雄の人間味は、けれど決してウォルターの魅力を損なう物ではなく、むしろギンガは余計にウォルターに夢中になったのであった。

 

 大好きな人だった。

幼いなりに、本気の恋だった。

1日中彼の事を考え、どうすれば喜ぶのか、どうすれば楽しんでもらえるのか、ずっとずっと考えていた。

手を繋げば胸の奥が暖かくなり、彼が他の女性と話しているのを見ると、それだけで胸が切なさにはち切れそうだった。

だからギンガは、ウォルターがミッドチルダを発つ日、次に会う日に焦がれながら彼を見送り。

 

 ギンガの母、クイントが死んだ。

 

 後にギンガが調べた所によると、クイントが所属する、地上最強の部隊と謳われた、通称ゼスト隊と呼ばれる部隊は、ウォルターがミッドチルダと発とうというその日、全滅した。

その日突入したとされる研究所から、ウォルターはクイント一人を救い出したものの、クイントは病院に着いた頃には既に命を落としていたと言う。

詳しい事を知るはずのウォルターは管理局の上層部にのみ供述をし、その子細はギンガの父ゲンヤですら知らない。

機密事項とは関係無い筈のクイントの最後の言葉でさえ、ウォルターはゲンヤにもギンガにも、ギンガの妹スバルにも話さなかった。

ただ、クイントの死は自分の責任だ、とだけ言って。

 

「…………」

 

 ギンガの目前で、ウォルターは黒衣をはためかせながら辺りを見回し、残心をゆっくりと解いてゆく。

その背中はかつてよりも数段大きくなり、大柄で筋肉質な彼は、既に見目だけで並の成人魔導師よりも迫力があった。

 

 最初は、全てを裏切られた心地であった。

怒り、憎悪、そういった暴力的な感情がギンガの原動力となり、ギンガは力を得る為に魔導師としての道を歩み始めた。

そんなギンガに連絡をしてくるウォルターは鬱陶しくて仕方が無かったし、通信越しに顔を合わせる度に腹が煮えくり返るのを感じた。

妹であるスバルも同様で、むしろスバルの方がウォルターに対する感情は強いのではないかとすら思える程だ。

 

 けれど、時間は静かにギンガの心の傷を癒やしていった。

ギンガは魔導師として強くなり、管理局員としていくつかの事件を追うに連れて、一方的だった見方が変わり始めてきた。

ウォルターだから、あの極限のカリスマを持つ次元世界最強の英雄の言葉だから、ギンガはウォルターの言葉を信じてきた。

クイントの死はウォルターの責任であるという言葉を信じてきた。

けれど、世の中に絶対的な物があまりにも少ないという現実を知るに連れ、ギンガの中でウォルターの言葉の持つ絶対性が薄れていったのである。

ウォルターが何も言わないのは、何か理由があるからではないだろうか?

上手く想像はできないけれど、ギンガ達ナカジマ家の面々が知ればより傷つく事実があるから、ウォルターが口を閉ざしているのではないだろうか?

そう思うようになってきたのである。

 

 加えて、”家”出身だと言うウォルターの、過去の記憶が正しいかどうかすら曖昧だと言う立場に、心揺れる物があったのもの確かである。

ウォルターが精神的窮地にあるという事実は、ギンガの心を強く揺さぶった。

ギンガのウォルターへの憎しみは、何処かに彼への甘えがあったのかもしれない。

この人はどんなに恨まれてもびくともしない、何処か非人間的な程の強い人なのだから、と。

彼が同居した際、精神的な弱味を見せた事を、意識して忘れて。

 

 ――けれど、ウォルターはまだ何も言わない。

言ってくれない。

だから、待つ事しかできないギンガの立場では、待っている事が不安で仕方なくて。

悪い想像がギンガの中の古い怒りを、憎悪をかき立て、ついギンガはウォルターを憎しみの籠もった目で見てしまう。

 

 だから、ギンガはウォルターの事が嫌いだ。

大好きだった人が何も言わないのを、訳があるのだと信じ切れない、嫌な自分を直視してしまうから。

そんな理由で大好きだった人を嫌っている事を、直視してしまうから。

 

 だからギンガは、自分の失態を取り返してくれたウォルターに礼の一つも言えず、歯噛みしウォルターから視線を背けた。

そんなギンガにはやてが物言いたげな視線をやったが、それでもギンガは頑なにウォルターを見ようとはしなかった。

口を開けば、醜い言葉があふれ出るのが目に見えていたから。

 

「…………」

 

 無言で歩き出すギンガに、ウォルターは距離を取り、リニスはそっとギンガを何時でも守れる位置に立ち、ハラマは心配そうにウォルターを見やりながら指示を出すはやての近くに位置取った。

リニスは使い魔ながらSランク級の戦闘能力を持つ為にギンガの護衛に、ハラマはユニゾンで近接戦闘能力が増しているとは言え、基本的に後衛なはやての防御のための位置取りだろう。

張り詰めた空気の中、一行は”家”の奥へと進んでゆく。

 

 “家”は、人っ子一人居らず、代わりに旧型のガジェットが点在している程度であった。

明らかに一部の機能しか稼働しておらず、既にこの施設は廃棄された物と容易く分かる。

ガジェットは最新式とされるレリック関連の事件で現れた物とは違い、AMFを発動する事すらままならない、見た目が同じだけのただの機動兵器でしかなかった。

それではそもそもガジェットではないただの兵器かもしれないのだが、それでも実際にガジェットと戦った事のあるはやてとウォルター曰く”アルゴリズムが似ている”という事から、旧式ガジェットと呼称している。

 

 入り口から続く細長い道を終えると、次はT字路が待っていた。

ウォルターとハラマの一致した発言によるとほぼ正方形の通路が各階に存在し、内側に四方の何処かから入れる大部屋が、外側に4つの部屋がある構造となっている。

階数の行き来は外側の何処かにあるエレベーターか、通路の何処かにあった階段によるのだと言う。

逃げるのに必死だったので詳しくは憶えていないが、よく入れられていた”広場”は地下7階よりは深かったとの事である。

 

 無論それから10年もの月日が流れているのだ、構造が変化している可能性を考えつつ、はやては一端地下1階の構造を調べる事にした。

今の分隊の構成は、陸戦Cランク魔導師が3人に、ギンガを含めた陸戦Bランク魔導師が2人、総合SSランクのユニゾン中のはやてに、陸戦AAのハラマ、推定空戦Sのリニスに推定空戦SSSのウォルターである。

クリッパーは研究者が本業とは言え推定総合AAランクの魔導師である、侮れる相手ではない、ランクで劣る魔導師であれば4人以上であたる必要があるだろう。

加えて捜査にはある程度の人数が居なければ非効率的で、単独で強いウォルターとリニスは捜査スキルが無い。

更に言えば、余所の部隊の人間であるハラマを単独で泳がせるのは、あまり褒められた選択肢ではない。

“家”の通路や部屋がかなり広めで複数人が入り乱れて戦える事も後押しし、はやては基本的に全員で行動する事に決めた。

 

「……承知しました」

 

 とは口にする物の、ギンガは内心穏やかではない。

少しでもウォルターから離れられる機会の喪失に内心歯噛みしつつも、指示に従いポジショニングをし探索をする。

地下1階には殆ど何もなかった物の、地下2階の大部屋には、恐るべき物が詰まっていた。

駆動音と共に開く扉の奥で一行を待ち受けていたのは、蛍光緑の光で照らされた、幾多の生体ポッドであった。

 

「うっ……」

 

 思わず吐き気を堪えるギンガ。

入り口から一番近くにある生体ポッドから既に強烈で、そこには口を大きく開いた人間の頭蓋があり、その口腔からもう一つ人間の頭蓋が生えていた。

根元の方の生首は限界まで目を見開き叫ぼうとしており、生えてきた方の生首は虚ろな無表情をただただ天井へと向けている。

ギンガが思わず視線を逸らすと、その先の生体ポッドには、全身に顔がある女性の体があった。

安らかな顔面が女性の肉体のあらゆる所から浮き出ており、元となった女性の顔面は発狂し、白目をむいた苦悶の表情である。

何処の生体ポッドも似たような様相で、全てが狂気に満ちた生理的嫌悪感を刺激する物だった。

 

 顔をひくつかせ、ギンガは思わずウォルターの方に視線をやりたくなってしまうのを気合いで制御、そのまま視線は”家”の実験体であったというハラマの方へ。

地上のエースとして有名な彼は、複雑そうな表情で生体ポッドの中身を見つめている。

頭を振り、ハラマ。

 

「俺の記憶には生体ポッドでの実験はなかったが……。そもそも地下2階まで上がる事も脱出時以外無かったからな」

「そこは俺も同じだ。脱出するのに中央区画はむしろ避けてたからな。それより気になるのが……」

 

 入ってウォルターが指さす。

中にゲル状の液体がこびりついただけの、中身の無い生体ポッドの一群に、一つポッドごとなくなっている箇所があった。

下部の機材は残っており、上部のポッド部分のみがなくなっているその様から思いつくのは。

 

「実験体……それも、成功作区画の物がなくなってるって事は、人造魔導師の類いが待ち構えているかもしれないって事だ」

 

 最悪、俺よりハイスペックな奴がな。

続けるウォルターの言葉に、ギンガは思わず背筋が凍り付くのを感じた。

ギンガの脳裏に、かつてウォルターが模擬戦でゼスト隊を全滅させた時の事が過ぎる。

あの圧倒的戦闘能力を、更に超える存在が?

身震いするギンガに、肩をすくめハラマが言った。

 

「ヘイ、ウォルター。言っても、ロットナンバーと魔力量とは関係無かっただろ? お前より後に”制作”なり”調整”なりされた奴が、必ずしもお前より強いとは限らないだろ」

「まぁな。それにスペックが上なだけで負ける程、俺は弱かねーっての」

 

 軽妙な言葉に、ギンガは知らず握りしめていた拳を解く。

そうしてから掌が汗でいっぱいだった事に気付き、歯を噛みしめた。

ウォルターの言葉を信じる事も頼る事も、悪い事ではない筈だ。

母の事だって冷静に考えれば何か理由がある筈、ウォルターは憎むべき相手ではない。

 

 ――なのにどうしてだろう、ギンガはウォルターの事がどうしても憎く感じてしまう。

一挙一動に反応してしまう、いわばウォルターの存在が自分の中で大きい事にさえ、怒りがこみ上げてくる。

胸の奥から真っ赤な何かが一気に広がり、何も考えられず、ただただ体の中で爆発しそうな暴力衝動に身を任せたくなるのだ。

そうしてすぐに、それを例え御せまいが、ウォルターの超人的戦闘能力を前では何の意味も無い事を理解してしまう。

その後にギンガの中に残るのは、ぞっとするほどの虚無感であった。

胸の中にぽっかりと穴が空いたようで、風が吹き抜けるような、全てが通り抜けていってしまうかのような、無感動感。

それでも胸の奥で煮えたぎっていた筈の、原初の思いを胸に、ギンガは歩みを進めていく。

 

 かつてギンガ・ナカジマには幾つもの夢があった。

ウォルター・カウンタックのお嫁さんになりたかった。

母クイントの武を継ぎ、母を武で超えたかった。

父母が魂を賭して守ろうとする人々を、自分の手でも守りたかった。

けれど一つ目は叶える気が失せ、二つ目は最早永遠に叶わず、縋れる夢は三つ目だけ。

月日がそぎ落としてゆく夢たちの中で、ギンガは選んだ夢への道を賢明に歩んでいた。

 

 

 

2.

 

 

 

 酷い頭痛がする。

頭蓋の中に変な腫瘍が出来ているかのようにじんじんと熱を持っていて、更に鉄球でも詰め込まれたのかと思うぐらいに重い。

それでも仮面のために、ふらつきを可能な限り制御し、僕は重心を揺らさずに歩けている。

吐き気もした。

喉奥から吐気と同じ頻度で胃液が上ってきそうになり、喉の奥は硫酸でも飲んだかのように痛んだ。

それでも、表に出す訳にはいかない。

僕は表情筋を完全に制御し、可能な限り顔面を揺らさずに歩く。

 

 歩く。

それ自体も、古い記憶を抉るような行為であった。

金属質な床は、あの仮面を被っていなかった幼き日を、今となっては不確かな日々を思い出させる。

辛く、虚無的な絶望感のある日々、UD-182のあの輝ける魂とふれ合えていただけではない、地獄を歩んでいた時の事を。

UD-182の存在が一筋の光となって僕の精神を助けるが、それすらも記憶の不確かさに怯え、信じる事が怖い。

 

 怖い。

怖いのだ。

僕は、UD-182の存在が不確かである事そのものが、怖くてたまらなかった。

それは、信じていても存在しないと判ってしまった時のダメージが大きすぎるから、という後ろ向きな考えですらなくて、もっと根源的な、おぞましさの混じる物であるよう思える。

僕にとってUD-182の存在は絶対だった。

疑似蘇生体を斬り殺す瞬間すら、僕は根底にUD-182の存在を置いていた。

いや、それどころではない、僕は全人生をUD-182の輝かしい魂を前提に生きていた。

それを今更覆されては、僕は、僕の人生は。

 

「――…………」

 

 僕は小さく頭を振り、懐かしい空気に触発されてでてきたネガティブな思考を追い出した。

内心の溜息を、いつものように内心に止めるのではなく、実際に吐き出す。

珍しく、僕は仮面を被るべき場面で、呆れではなく憂鬱から溜息をついた。

めざとく見つけたはやてが、訝しげな視線。

 

「おや、ウォルター君が憂鬱そうに溜息って珍しい」

「確かにガキの頃のイメージでもねぇな」

「お、ハラマさんもそう思うんか?」

「応、こいつガキの頃から変わらないみてぇだなぁ」

 

 と、ハラマと2人、僕にちらちらと視線をやりながら笑みを携えていた。

やれやれ、と内心、今度は呆れからの溜息をつく。

視線をはやてへ、ユニゾンで色素の薄くなった彼女の相貌へとやった。

 

「盛り上がってるなぁ……。ツヴァイ、お前もそう思うのか?」

『へ? そそそ、そんな事思ってないですよ!』

「そーかそーか……」

 

 肩をすくめ、僕は邪魔にならないよう、かつ戦闘時に最重要人物であるはやてを守れるよう、彼女に張り付いたままになる。

地下、4階。

僕の記憶が正しければ過半数に届く階数となり、僕らは中央区画で探索をしていた。

意味の分からない機材や汚れのこびり付いた手術台、研究者の居住区画などを通り抜け、僕らは奥へと進んできている。

地下4階の中央区画は、中心に実験をしていたのだろう機械に囲まれた椅子があり、それを囲むように大きなコントロールデスクが四方にあった。

恐らく、僕ら実験体を使用する部屋の中でも大きい物の一つだろう。

 

 進み方は、慎重な方だと思う。

時間を与えればロストロギアを実験体に埋め込まれてしまう可能性があるが、実験体の特性は資料などを当たらなければ判らない。

ただリンカーコアの質を黒翼の書に最適化されただけの実験体なら正面から戦うしかないのだが、他に特性があるかどうかや、例えば白剣の書とのリンクが生きているかは重要な情報となる。

いざというとき、白剣の書で何時でも実験体ごととは言え無効化できるというのは、非常に重要な選択肢だ。

それが可能か不可能か判らないまま突っ込むのは、できる限り避けたいというのが部隊の本音なのだろう。

 

 僕は資料の閲覧などについては武装局員よりも知らない程度なので、邪魔にならないようついていく事しかできない。

ガジェットが沸いてくる可能性のあるポイントに意識を集中しながら、内心僕は己の戦闘能力を確認した。

いわば、絶不調であった。

再生の雫事件以来、それほど苦戦した戦いはなかったのだが、頻度が多いわ味方を庇わねばならないわで体に負担が大きい戦いが多かった。

そこに今回の、精神の絶不調が重なり、肉体にも影響がでてきている、という事だろう。

無論技も、精神の均衡を欠いているだけあり、精緻な技を披露するのは難しい。

今目の前に、闇の書を下した時の10歳の頃の僕が出てきたとしたら、技でもスペックでも勝てるかどうか。

 

「…………」

 

 そんな僕の現状を理解しているのだろう、リニスからは心配そうな視線が刺さる。

先ほどギンガを庇っての一撃、あの程度の低い一撃を見て、現状の僕の不調を再確認したのだろう。

何せあの一撃、旧式ガジェットを3体一閃したのだが、刃筋が駄目で、何時も心がけている開発中のある技の練習にすらなっていなかった。

結果は同じだっただろうが、それに成功していれば明らかに消耗が違っていた事だろう。

技の開発に助言してくれているリニスには一目瞭然だったに違いない。

元々の予定である山籠もりの後に休養を進めてくれたのもリニスである、当然の視線と言えた。

 

「あ、これ、実験マニュアルちゃうん?」

 

 そんな憂鬱な気分を拭ったのは、はやてのそんな言葉であった。

集まってくる隊員達と共に、はやての目前の大型空間投影ディスプレイを見る。

そこに移っているページが捲られていくのを、待機状態のティルヴィングに触れ記録させた。

そしてやがて、あるページではやての操作が止まる。

 

「あ……」

 

 UD-200番台の実験前の諸注意、というタイトル。

中には大きく、必ず実験には麻酔を使う事、という文字があった。

視線をハラマへ。

実験に痛みが伴った、という彼の言葉が脳裏を過ぎる。

空気が凍り付く中、ハラマは青白くなった顔で告げた。

 

「……、マニュアルに、全員が従っている訳じゃあない、だろ」

 

 誰も何も言えなかった。

誰一人身じろぎもできない中、ハラマは頭を振る。

 

「続けて、くれ」

「う、うん……」

 

 数ページ捲られると、今度は実験例というタイトルの動画が空間に映る。

不鮮明な映像に、ノイズの混じった音声が響いた。

 

『プロジェ……H、UD-213を対象と……、幻覚剤投与の……開始します』

「……ぇ」

 

 息をのむ音が、複数聞こえた。

僕らの視線の先では、麻酔を注射されたUD-213が椅子に固定され、電極やらを体中につけられた後、幻覚剤と思わしき注射をされる。

うわごとのようにUD-213の口から言葉が漏れた。

 

『265……おい、265……』

 

 それを全く無視するように、手術は進んだ。

頭蓋に刺された電極から流れる電流に従い、ハラマはうわごとを口走る。

立ち尽くす周りの研究者達は、時計を見ながらボタンを押す者、応じた内容をカルテに記入する者、様々であった。

 

『なぁ、265、俺は、お前の魂を信じるよ』

『幻覚剤α、0.01mg投与。計0.05mg』

『お前の言葉を信じて……、俺は生きてみせる』

『電極AからE、調整開始。電流を強めます』

『脱出、しよう。このくそったれな”家”から』

『電流調整、適正値。次に……』

 

 動画の中のUD-213は虚空に向けて僕に対する言葉を口走っていた。

虚ろな目で呟くその様は、言葉の内容と表情があまりに剥離しすぎていて、どうしようもなく、哀れで、同時に生理的嫌悪感をかき立てられて。

それでも僕は、それ以上に思った。

思って、しまった。

 

 ――良かった、UD-182は幻じゃあなかったんだ、と。

 

 すぐに自己嫌悪が僕を襲った。

脳裏に浮かんだ安堵を振り払い、視線をハラマへ。

青ざめたその相貌は、瞳よりも尚青いとさえ思える程。

微かに震えながら、虚空を見つめていた視線を、ふと、僕へと向けた。

吸い込まれそうな、何処か生理的嫌悪感をかきたてるような……、ぞっとするほどに虚ろな目。

 

「ウォルター……」

「……ハラマ」

 

 辛うじて、崩れぬ声色を返す事ができた。

本音を言えば、怖くてたまらなかった。

これが僕のifの姿だと、そう考えるだけで膝から力が抜けそうだった。

それでも仮面の虚勢だけで、僕は辛うじて両足で立ち続けたまま彼の言葉を待つ。

 

「俺たちは……、親友、だったんだよな」

「…………」

「なぁ、そうだろう!?」

 

 喉を引き裂くような悲鳴。

ハラマは顔面を歪ませ、歯を限界まで噛みしめながら、僕へと手を伸ばしてくる。

直後、ハラマの目尻からぽろりと、涙がこぼれ落ちた。

ふらふらと、夢遊病患者のような足取りでこちらへと歩み始める。

ざっ、と部隊の皆が割れ、僕らの間に道を作った。

 

「ゴミ箱を漁りながら生きてきた時も……、孤児院で虐められてきた時も……、地獄の訓練も……、死ぬかも知れない戦いも! 俺は、お前の親友だったと、それを誇りに思ってきたから生きてこれたんだ!」

「…………」

 

 血を吐くような咆哮。

ふらつきながらも、ハラマは出来た道を歩み僕の元へとたどり着く。

伸ばした手を僕の襟元にやり、掴みかかった。

万力を込めて、再び叫ぶ。

 

「俺は! お前の! 親友だったっ!」

「……違うな」

 

 それでも僕は。

僕は、他でもない自分自身のためにその言葉を肯定できない。

気付けば泣きそうになる表情筋を制御し、万力を込めて鋼鉄の表情を形作る。

呆然と僕の目を見つめるハラマに、重ねて告げた。

 

「俺は、お前の親友ではなかった」

「……違う、確かに、お前は……!」

 

 これ以上言うべきなのか、僅かに僕は迷う。

これで十分なんじゃあないかと思う反面、僕は彼を肯定し、僅かでも僕の記憶が脅かされるのが怖かった。

恐怖が反発を呼び、正当性を形作ろうと理論付けが僕の中で行われる。

奇跡的に、ハラマの記憶が間違いで僕の信念が正しければ、言うべき言葉ではあって。

 

「なぁ、お前が何を現実だと信じて生きようが、お前の勝手だ」

「…………」

「だけど、一つ俺が言える事があるとすれば」

 

 ハラマの気持ちなど考えなかった。

考えたくなかった。

考えずに、僕は告げた。

 

「――それは、ただの妄想だ」

 

 あ、と小さく声を漏らし、ハラマは愕然と僕の襟首を離した。

震えながら二歩三歩と離れ、ぺたんと尻をつく。

俯き、すぐにハラマは沈黙した。

後味の悪さと、醜い安堵とが、僕の胸の中を渦巻く。

 

 すぐに、堅い足音。

重心の移動からギンガの物と正体の知れるそれに、視線を。

激情に駆られた憤怒の表情で、彼女は僕へと走りより、ハラマに続き僕の襟首を掴んだ。

万力を込めて僕を引き寄せ、叫ぶ。

 

「何故、そんな事しか言えないのっ!」

 

 僕は視線をギンガにやった。

よほど冷たい視線をしていたのだろうか、僅かに怯む彼女。

それでも内心の憤りは大きいのだろう、続けて叫ぶ。

 

「貴方なら! 誰よりも強い心を持つ貴方なら、他にもっと何か言い方を考えられた筈だ! なのに何故、そんな言い方しかできないの!?」

 

 叫びつつ、ギンガの膝の力が抜けてゆく。

そのまま床へと膝を下ろす彼女を支え、ゆっくりと彼女の腰を下ろしてやった。

僕の襟首から両手を離し、代わりにその相貌を両手で覆い隠す。

嗚咽を漏らしながら、泣き声を漏らすギンガ。

 

「何時から貴方は、こんな人になってしまったんですか……」

 

 昔からだよ、とは言えなかった。

僕の心が本当に強かった時なんて、一度だって存在しない。

何も言えず、僕はただただ立ち尽くす他できなかった。

 

 視線を、ハラマへとやる。

腫れ物に対するように、誰一人近づけないそこへと、僕は歩んでいった。

頭痛と吐き気でふらつきそうになるのを必死で隠しながら、ハラマの目前へ。

 

 本当に。

本当に完全な仮面を被るのであれば、僕は彼へと言葉を告げるべきなのだろう。

彼の心が、本当にやりたいことへと目を向けられるよう、諭すべきなのだろう。

けれど、僕が。

彼の記憶が否定された事で、記憶を肯定された他でもない僕が、そんな事を言う資格があるとは、到底思えなかった。

言えなかった。

だから、僕は無言で彼の前で腰を下ろし、手を差し伸べる。

無言のメッセージのつもりだった。

立つか座り続けるかは彼次第だけれども、立ち上がるなら手を貸すという、それだけの。

 

「…………ぁ」

 

 ハラマの、かすれた声。

その瞳には僅かながら光が戻り、活力が彼の顔に僅かな赤みを戻していた。

理由は分からない。

彼の記憶がどのような物か判らない以上、僕にはそれを想像する事すら叶わなかった。

けれど。

彼は、僕の差し出した手を、握った。

 

「…………」

 

 無言で、彼は僕に引き上げられ、立ち上がる。

数秒視線を交わすも、矢張り僕も彼も言葉が出てこなかった。

互いに踵を返し、僕はギンガの側で立ち尽くすリニスの元へ。

ハラマは役割であるはやての防御の為、彼女の側へ。

 

「だ、大丈夫なんか……?」

 

 思わず、と言った様相で告げるはやて。

それに堅い声色でハラマが答える。

 

「……全快じゃあねぇがな。整理したい事だらけだが、まだ俺は戦える。なら、呆けてるのは性に合わなくてな」

 

 誰も何も言えなかった。

言葉を失う面々を尻目に、ハラマが続けて、作り物と分かる明るい声で続ける。

 

「さて、さっさと先に行こうぜ? 俺たちには制限時間があるんだ、こんな所でぼーっと時間を潰している訳にはいかねぇだろう」

「あ、あぁ、うん……」

 

 頷き、はやてが号令を出す。

重い空気の中、僕らの無言の行軍が始まった。

一歩一歩。

歩みと共に胸の奥の重さが増してゆくのを感じながら、僕もその行軍の一要素となり、歩んでゆく。

歩んでゆく。

 

 

 

 



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6章3話

年末力による更新速度でした。
あ、微鬱展開注意です。


 

 

 

1.

 

 

 

「ぁ……!」

 

 声にならない悲鳴。

反射的に、僕は高速移動魔法を使ってギンガを突き飛ばしていた。

スローモーションになった世界で、寸時遅れて同じ行動に出ていたリニスが、僕と視線を交わし驚いているのが見える。

馬鹿だったと考えるべきか、それとも同じ分断されるなら2人で良かったと考えるべきか。

考えつくよりも早く飛行魔法を発動させようとするのと同時、軽度のAMFが僕らの居る空間を狭く覆った。

意表を突かれ、飛行魔法の集中が解け、僕とリニスの体を重力の鎖が絡め取る。

次の瞬間、僕らは階下の部屋へと落下。

 

「ウォルターさん!?」

 

 と。

ギンガの悲鳴と同時、床に靴裏で着地する音と、頭上で開いた床が閉まる音とが和声を形作った。

パラパラと落ちてくる埃を頭から払いつつ、僕は周囲に視線をやる。

狭い部屋だった。

机とその上にあるラップトップ、薄汚れたベッドに備え付けと思わしきクローゼット。

異彩を放つのは大きめの壁面埋め込みのディスプレイと、それに繋がった端末が床に転がっている事ぐらいか。

部屋は研究員の誰かの、居住用個室のようであった。

最大限だった警戒を薄め、僕は仮面を外した呆れ声で呟く。

 

「落とし穴って、また古典的な罠だね……」

「しかも落ちた先がただの部屋で、分断以外の効果がほぼ無意味って。さっきからある罠と言い、ここの設計者は馬鹿なんでしょうかね?」

 

 ぼやくリニスの表情も、浮かない物だ。

先ほど、ハラマの過去が妄想だったと確定した地下4階。

階段が通路に見当たらなくなったので四方の部屋を探索する事になったのだが、四方の部屋にはトラップの類いが仕掛けられていた。

トラップ自体の出来は良いのだが、しかし配置は明らかに素人が作ったと分かる物。

トラップ同士が連携する事もなく、恐らくは既に作ってあったトラップを適当に配置した物が殆どだろう。

次元犯罪者クリッパーとやらは、やはり進入の手際が悪かった事を考えても、研究者一筋か、精々魔導師として多少の練度があるぐらいなのではなかろうか。

 

「施設も大分前に廃棄された物みたいだからなぁ。こりゃあ、クリッパーがプロジェクトHに関わっているかどうかもよく分からんぐらいか」

「クイントによれば、プロジェクトHの監修者はあのジェイル・スカリエッティらしいですからね。少なくとも、全容を知っているという事は無いのでしょうが」

「だろうな。さて、ここにクリッパーの奴が逃げ込んだ理由は何なんだかなぁ」

 

 などとぼやきつつ、僕は溜息をつく。

記憶の正誤が分かった以上、僕にとってここで得たい物は2つ。

はやて達への助力と、僕を制作か調整かをしたプロジェクトHの秘密。

両者をクリッパーから得られると考えていたのだが、それも怪しくなってきたかもしれない。

すると、前者、クリッパーの逮捕とロストロギアの無力化を優先して動くべきだろう。

実を言えば、僕はプロジェクトHが何だろうがアイデンティティをUD-182の存在で確立しているので、それほど必死でプロジェクトHの正体を確かめようとしている訳ではない。

それでも、手に入りそうだった手がかりにひらりと身をかわされた気がして、面白くないのは事実だが。

 

「さて、流石に上階への転移妨害結界ぐらいは張ってあるか」

「とすると、位置ははやて達にも分かっているのですから、待っていた方が良いでしょう」

「……応」

 

 と、僅かに渋い声を漏らす僕。

気付いたのだろう、訝しげな声でリニス。

 

「……何かありましたか? それとも、ハラマの事が……」

「いや、それもあるが、それだけじゃなくて、何か嫌な予感が……」

 

 と言いつつ僕が足下の端末を蹴り、脇へ寄せる。

からん、からん。

見目より軽い音を立てて端末らしき物が転げてゆき、ぶぅん、と低い音と共に、壁面ディスプレイが明滅した。

ぞくり、と背筋を這う凄絶な戦慄。

直感が今すぐディスプレイを破壊すべきだと感じていたが、できなかった。

何故なら。

映った映像には、幼い頃の僕が映っていたのだから。

 

『個人記録ナンバー13。UD-265記録映像』

 

 ノイズ混じりの電子音声。

映像に映るのは見覚えのある研究者の部屋で、はたと見渡せば、この部屋であった。

研究者に手を引かれて来た僕は、”家”では何時もの緑の患者着。

しかし、僕の記憶に研究者の私室に入った記憶なんて無いが、忘れているのだろうか?

疑問詞が沸く僕の前で、研究者は僕を引っ張りベッドに放った。

僕がふらふらと歩きベッドに倒れ込むのを尻目に、研究者は机の引き出しを空ける。

 

『ひひ……、一週間ぶりに順番が回ってきたんだ。幻覚剤ももう一回注射しておいた方が良いな……』

 

 気色悪い笑みを浮かべながら、研究者はベッドにうつぶせに倒れる僕を押さえ、腕に注射する。

びくん、と僕は小さく跳ね、呟いた。

 

『……182。182じゃないか』

『ひひ、存在しない廃棄処分した番号かぁ。お前は相変わらず好きだなぁ』

 

 え? と。

僕は思わず呟いた。

靴裏に確かにあった筈の床板の感触が感じられず、けれど何故かその場に立ち尽くす事だけはできている。

よく分からない感覚だった。

まるで、足下が、全て崩れ去って行くような、とでも形容できるような。

不思議な感覚。

そんな僕を尻目に、目前の映像は残酷にも続いてゆく。

 

『ありがとう、182。僕はちょっと弱気になっていたみたいだ』

『嫉妬しちゃうなぁ、265ぉ。お前は本当に可愛い奴だ……。213のような醜い子とは違ってねぇ』

『掴むんだ、求める物を、か。そうだね、僕も……絶対に……』

『うんうん、俺も求める物を掴むよぉ』

 

 生理的嫌悪感を伴う声を漏らしつつ、研究者は僕の患者着に手をかけた。

手慣れた手つきで全裸にされたうつぶせの僕の上に、覆い被さるようにして。

ねっとりとした声。

 

『あぁ、なんて可愛い奴なんだ……』

 

 がつん、と言う音。

気付けばリニスが、視界の端で、転げた記録装置と思わしき物に攻撃していた。

けれど映像が乱れただけで、音声は切れず。

 

『う、おおぉ……』

 

 と。

男が甘露を舐めたような声を漏らしたのと同時、リニスの二撃目が記録装置に突き刺さる。

ノイズ混じりに、水気のある音が響いて。

 

「わぁあぁぁぁっ!」

 

 三度目の正直。

悲鳴を上げるリニスの攻撃で、音声も完全にノイズに飲まれた。

呆然と立ち尽くす僕の視界の端で、涙を零しながら、リニスが荒い息で肩を上下させている。

暫しの間ノイズを垂れ流した後、壁面ディスプレイは完全な漆黒となった。

 

 沈黙。

何も言い出せないのではなく、僕は何を言えばいいのか分からなかった。

どころか、何も考えられなかった。

まるで雷に打たれたかのように、立ち尽くすだけで、動く事すらままならない。

呼吸をする事に、必死だった。

意識を保つ事に、必死だった。

 

 それでも。

一瞬前の映像を認めたくない一心で、僕の口は辛うじて動いた。

 

「ティルヴィング……」

『イエス、マイマスター』

「UD-182は……、あいつは、確かに存在していたっ!」

『データにありません』

 

 冷酷な一言。

まるで袈裟懸けに切り裂かれたかのような、心血が冷えてゆく感覚。

かつて同じ言葉を、脱出時の記録映像を消してしまったのだと勘違いしていたけれども。

 

「馬鹿な……! そうだ、脱出時の映像記録はっ! 本当に消したのか!?」

『いえ、ありますので、投射いたします』

 

 言ってティルヴィングは映像ディスプレイに向かい、プロジェクターの要領で映像を映し出した。

7歳児の肉体で緑色の患者着を着つつ、ティルヴィングを振り回す僕。

 

『182っ!』

 

 映像の中の僕が叫ぶ。

黒スーツの男2人が構えるのを見目に、僕は彼らを蹂躙。

秒殺した直後、僕は虚空に向かって手を伸ばした。

 

『大丈夫かっ! デバイスは確保できた!? ……こっちは体も大丈夫でデバイスも確保できた、急ぐぞっ!』

「おい……、なんだこれは」

 

 呆然と呟く僕を尻目に、映像の中の僕は虚空に話しかけながら先へと進む。

そして僕は単身脱出に成功し、虚空に逸れた銃弾を見て怒りを露わにして黒スーツを倒し、虚空に向かって話しかけていた。

 

『僕に……、僕に何かできる事はないか』

「やめろ……」

『何だ?』

「やめろ……!」

『なら――、僕がそれを継いでみせるっ!』

「やめろぉぉぉおおぉぉっ!!」

 

 絶叫。

ティルヴィングが映像投射を終了し、空間は再び沈黙に満ちた。

肩を上下させつつ、僕は内心事実を悟り始めていた。

当たり前の話。

ハラマの、UD-213の記憶が間違っていたからと言って。

僕の、UD-265の記憶が正しく、間違っていない保証など、どこにも無かったのだ。

それでも、認めたくない事実を前に、僕の口は突き動かされるように動く。

 

「それでも……そうだ、再生の雫でUD-182は蘇生したっ!」

『記憶と元に疑似蘇生体は作られていました。元々存在しない人物が蘇生可能な可能性は十分にあります』

「それは、それだけど……! でも、そうだ、僕は……そんな事知らないっ! そうだ、UD-182は居て、これはただのまやかしなんだ、僕を混乱させるだけの! だって、僕は次元世界最強の魔導師だ、混乱させる価値はある、そうだろうっ!」

『マスター』

「そうだ、そうに違いないっ! ははっ、僕を騙そうだなんて、甘いんだ! 他人を欺く事にかけては、年期は兎も角、人生の割合では僕は誰にも負けないからなっ! そうだ……そうに、違いな……」

『マスターの先ほどの会話を再生致します』

 

 言って、ティルヴィングの緑色の宝玉が明滅。

つい先ほどの、仮面を被った僕の声色が再生される。

 

『なぁ、お前が何を現実だと信じて生きようが、お前の勝手だ』

「ぁ……」

『だけど、一つ俺が言える事があるとすれば』

「やめ……」

 

 手を伸ばす。

何を求めてなのか。

何のためなのか。

そもそも、何処へ向けてなのか。

それすらも分からないまま、ただただ僕は手を伸ばして。

空中を彷徨わせて。

僕の言葉が、再生された。

 

『――それは、ただの妄想だ』

「――ぁ」

 

 呟くように、声色が漏れた。

僕の声。

仮面の声。

UD-182の声。

妄想の声。

妄想を否定する、妄想の声。

道化の声。

 

 僕は、ついに全身から力が抜けてゆくのを感じた。

膝が床に、ゆっくりと落ちる。

続けて尻がぺたんと床に触れて。

僕はただ、呆けて目前の光景をだけ見ていた。

暗く、何も映らない壁面ディスプレイを見ていた。

 

 UD-182。

あの輝ける魂は。

次元世界で最も尊く、輝ける魂は。

僕が生涯を賭して、その存在を皆に知らしめようとした魂は。

無かったのだ。

存在しなかったのだ。

 

 ――妄想だったのだ。

 

 僕は、全てが色あせてゆくのを感じた。

語った言葉、奮った力、それら全てから、意味が、価値が、抜け落ちてゆくのが分かる。

暗い何処かへと僕の中にある全てが溶け落ちてゆくのを感じて。

 

「――ウォルター!」

 

 それでも。

ここには、僕を抱きしめてくれる人が居た。

暖かな体温が、体を温める筈が、先ほどの映像がどうしても頭を過ぎってしまい、怖くもある。

僕自身は、知らぬ間に陵辱されていたのだから。

それでも、そんなことは構わぬとばかりに強く僕を抱きしめるリニス。

その力強さが、今は少し、嬉しかった。

 

「それでも、です。例え、貴方が言うように、UD-182の存在が貴方の妄想だったとしても……」

 

 ぐったりとした僕の体を抱きしめたまま、リニスは鼻梁と鼻梁とが触れそうなぐらい近くにまで顔を寄せた。

吐く息が頬に当たるぐらいの、くすぐったい距離。

いつもなら恥ずかしいそれに、反応する事すらままらなかった。

全身から力が抜けてゆき、このまま何も考えたくなくなってゆく。

そんな僕に、リニスは告げた。

 

「その人物像は、貴方の内から生まれた物なのです」

「…………」

「確かに貴方の信念の元となる人間は、存在しなかった。けれど、UD-182は貴方自身の心から生まれた物。であれば、こうも言える筈です」

 

 思わず、目を瞬いた。

このまま世界に溶け落ちなくなってしまいそうだった心が、辛うじて踏みとどまる。

そんな僕へ向け、リニスは真摯な目を僕に向けつつ、叫んだ。

 

「貴方の信念を形作ったのは、貴方自身だったのです!」

「…………ぁ」

 

 頭の中に、染みこむような言葉であった。

僅かに心が揺れ動き、全てが色あせてゆく速度が遅くなる。

 

「そう、なのかな……」

「そうです。確かに貴方の信念の元となる存在は、貴方の外から内へと場所を変えました。けれど無くなった訳ではないのです」

 

 少し、だけ。

少しだけ、僕の体を辛うじて動かすだけの気力が、僕の体には残っていた。

投げ出されていた手の指が、ゆっくりと曲がる。

拳を形作れる事を確認してから、床に手を置き、両足に万力を込めた。

ぶるぶると震えながら、リニスに支えられながらだけれども、僕はゆっくりと立ち上がる事に成功する。

それでもやはりふらついたけれども、僕は、辛うじて両足で立つ事ができていた。

やっとのことで立ち上がった僕は、再び口を開く。

 

「納得、できた訳じゃあない。けれど僕は……、とりあえずまだ、立って歩き続ける事は、できるみたいだ」

「ウォルター……」

 

 心配そうに僕を見つめてくるリニスに向かい、僕が口を開こうとした、その瞬間である。

複数の気配。

感情の乱れで鈍った探知でようやく引っかかったそれに、僕は深い溜息と共に、片手を広げた。

震える手を顔面にやる、仮面を被るような所作。

これから仮面を被るという、僕自身への半ば自己催眠行動。

それを終えるのとほぼ同時、部屋のドアがスライドし、悲痛な声が。

 

「大丈夫かっ、ウォルター君っ!」

「大丈夫、何の問題も無いぜ、はやて」

「ぶ、無事で良かったぁ」

 

 肩をすくめながら言う僕。

不敵な笑みを浮かべている筈だが、果たして僕は上手く笑えているのだろうか。

それすらも自信が無くなってしまっていたが、とりあえず変な顔はしていなかったのだろう、はやてはほっと溜息をつくだけだった。

 

「ま、なんもねー部屋だったし、資料も無い訳じゃないが大した物じゃあなかったからな。捜し物をするよりは先を急いだ方が良いと思うが」

「そか。まぁ、元々居住区は階段の有無以外調べとらんかったし、行こうか」

 

 と、すぐに冷静さを取り戻すはやてと共に、広めの通路に出る。

隊員は基本的にほっとした顔をしていて、混ざっているハラマはまだ硬さの残る表情。

そんな中で複雑そうな表情で見守っていたギンガが見つめてきていたので、視線を返し、微笑み返してみせる。

するともの凄い勢いで視線を逸らされた。

一瞬、クイントさんの姿が幻視できてしまい、僕の心が痛切に痛むも、すぐに痛みは鈍化し消えてゆく。

全てがいくらか色あせた僕の心は、無感動性と同時に無痛性も高まっていた、という事なのだろうか。

 

 内心頭を振り、後でいくらでも考えられる事を一端置いておき、僕は歩調を合わせ、リニスの隣に位置取った。

誰もが僕らから視線を外しているのを確認し、リニスにだけ届く声量で、僕は告げる。

 

「ありがとう」

 

 目を見開くリニス。

彼女の泣きそうな笑みを尻目に、僕はフォーメーションの中の一人として配置に着いた。

 

 

 

2.

 

 

 

(ティルヴィング)

 

 リニスは、隠匿念話をティルヴィングに向かい繋げた。

緑色の宝玉が、リニスにのみ見える角度で明滅。

肯定の意を感じ取り、リニスは冷涼な光を目に宿したまま、念話を続けた。

 

(貴方は何故、ウォルターにあれほど安易に全てを教えたのですか? せめて、もう少しゆっくりと。いえ、それができなくとも、伝え方という物がある筈です)

 

 そう、リニスはティルヴィングのあまりにも機械的な、ウォルターの精神を思いやる気配のない行為に、内心憤りを抱いていた。

リニスにとって、理想のデバイスAIは己の作成したバルディッシュである。

寡黙ながらも必要なときは主の声に応え、寄り添って主が自立する力の一助となる。

そんな理想と比べ、ティルヴィングはあまりにも冷徹なAIであった。

寡黙で戦闘において力を発揮するのは間違いないが、主の一助となるというより、ただ主に事実を伝えているだけの人格。

今まではそれを捨て置いてきたが、ウォルターの心を後一歩で破壊していたかもしれないという今回ばかりは見過ごす訳にはいかなかった。

そんな思いを乗せた言葉に、ティルヴィング。

 

『私は機械。鋼の血肉をしか持たない、人造人格。故に知っている現実を伝える事だけがその役割です』

(それなら、何故貴方というAIがあるのですか? その人格を持って、人として主を支える為ではないのですか?)

 

 リニスの言葉に、ティルヴィングが明滅。

何時にない力強さで、反論が飛んでくる。

 

『違います』

(何故ですか? あの、今にも折れそうだったウォルターを見ても、そう言えるのですか!?)

『言えます』

 

 冷徹な声に、リニスは沸いてくる怒りに思わず表情を失いかける程であった。

そんなリニスに、冷水を浴びせるが如く、ティルヴィング。

 

『何故なら、機械であるが故に見える物があるからです』

(機械であるが故に……?)

『人間は常に、あらゆる事実を認知フィルターを通してしか事実を認識できません。加えて、得た事実も感情のフィルター越しにしか見る事ができません』

 

 事実ではある。

人間の脳はあらゆる事実を見たまま、聞いたままに感じ取るのではなく、ある種の認知フィルターを通してから理解している。

それ故に複雑な事実を抽象的なイメージで簡単に捉える事ができ、ある種の事実群からその奥にある意図を辿る事もできるのだ。

だが、それは事実を完全に正しくは認識しきれないという、諸刃の剣でもある。

対し機械であるティルヴィングは、人格データを強力薄くする事で、そういった認知フィルターを可能な限り通さずに事実を認識できるのだ。

例えば大きい所で言えば、ウォルターが求めるUD-182という名の存在の有無についてがそのまま答えになるだろう。

これがデバイスでなければ、過ぎた月日とウォルターの言葉によって過去がねつ造され、UD-182が居たかもしれない、と間違った記憶をしていたかもしれない。

 

『私たちデバイスは、機械であるが故に機械でなければ認識できない事を認識できます。過度に人間らしいAIになれば、その利点を減らす事はできても、伸ばす事はできません』

(それは……)

『少なくとも私は。デバイスの、私の役割とは、人の目では見る事の適わない事実を伝える事だと信じています。人格はその事実を人が受け入れやすいようにある、それだけの物に過ぎません』

 

 リニスは、上手い反論が思いつかず、口ごもった。

不覚にも、一理ある、と思ってしまった事もあるのだが、それ以上に。

既視感。

何処かで、見た事があるような。

聞いた事が、あるような。

 

『加えて』

 

 と。

ティルヴィングが続ける。

 

『人の心は移ろいやすい物。歩むべき道を見失う事などいくらでもあります。ですが機械である私はマスターの過去を、歩いてきた道を見せるだけが役割です』

(……何故、ですか?)

 

 思わず問うたリニスに、変わらぬ冷涼な声でティルヴィングは告げた。

 

『それ以上は、道具の領分を超えます。主の道を定めるなど、道具の風上にも置けぬ愚物であるが故に』

(…………)

 

 似ている、とリニスは思った。

己の信念に頑なで、自分で自分を雁字搦めにして、それで苦しみながらも進んでゆく人に。

方向性はまるで逆で、人間性が高すぎるのか低すぎるのかは別だけれども、端から見れば非人間性にたどり着くのは同じようで。

ティルヴィングは、ウォルター・カウンタックに似ていた。

似た者、主従。

 

(……はぁ、一人でも頭が痛いのに、二人も居る事に今気付いてしまったのですね)

『? どういたしましたか?』

(なんでもないです……)

『つまり、どうしたのですか?』

(はいはい……)

『はいはいではありません。どうしたのですか?』

 

 頭を振り、しつこいティルヴィングの念話を打ち切るリニス。

抗議の意味を込めて明滅するティルヴィングは、何時もの非人間的な様子に比し、どこか人間的で微笑ましく思える。

噛み合っているようないないような、不思議な似た者主従であった。

それに羨ましくも妬ましい、複雑な気持ちを感じつつも、リニスは溜息をついた。

 

 けれど、少なくともティルヴィングは彼女なりにウォルターの事を想って動いているのは分かった。

あの頑固者はリニスの言を聞き入れるような事は無いだろう。

つまり、要するにリニスがフォローせねばならない事が減らない訳なのだが。

ただでさえウォルターの精神が酷い状態だと言うのに、頭の痛くなる事である。

だが、不思議と僅かだが足の運びが軽くなったような気がして、リニスは少しだけ表情を柔らかくするのであった。

 

 

 

3.

 

 

 

 地下5階中央。

広い部屋の中、10分ほどと短めに取った捜査の指揮をとりつつ、はやてはついすぐ近くで所在なさ気に立つウォルターに視線をやった。

すぐに気づき、視線を合わせるウォルター。

思わず跳ねる内心に顔を紅潮させるはやてだったが、ウォルターは一つ微笑みかえすと、すぐに辺りの警戒に意識を戻してしまう。

 

『どうしたんですか? はや……マイスターはやて』

「……うぅ、何か悔しい」

 

 こちらは目が合っただけでドキリとしてしまうのに、ウォルターはと言えば余裕気に微笑む事すらできるぐらいで、全く動揺の色など見えなかった。

それはなんというか、ずるい。

とてもずるい。

何時もウォルターはずるい存在だった。

先ほどハラマが、過去の記憶が妄想だったと突きつけられた時だってそうだ。

ハラマに現実を突きつけながらも、彼を、辛うじてとは言え再び立ち上がらせて見せた。

それも、言葉すらなく、手を差し伸べるたった1つの所作のみでである。

ずるい。

果てしなくずるい。

はやてなど、ハラマに慰めの言葉を何十と考えながらも、結局どれも陳腐に思えてしまって口に出せなかったと言うのに、である。

 

 ずるいのに、果てしなく格好良くって、憧れてしまう。

はやてにとって、ウォルターはそんな存在だった。

闇の書事件の時も、ずたぼろになりながらも戦って戦って戦い続け、はやてとリィンフォース・アインを破滅的な運命から救い出してくれた。

リィンフォース・アインこそ命を長らえさせる事はできなかったものの、それでもツヴァイに至る種子と言える物を、はやてに残す余裕ができたのである。

加えて、はやてを相手に約束さえしてくれた。

 

“今度何かあった時。はやて、お前にはどうしようもない、力及ばない、何かがあった時。その時は何の躊躇もなく俺に助けを呼んでくれ。今度こそ、何があっても犠牲一つなく、助けてみせる。約束するよ”

 

 あの約束の、なんと尊く輝いていた事か。

死ぬほど格好良かった。

憧れた。

少しでも彼のような英雄に近づきたくて、はやては本格的に魔導師としての道を歩み始めた。

勿論理由はそれだけじゃあなくて、罪を償うこと、家族とともに過ごす事、様々にあったけれど、一番の理由はやっぱりそれで。

 

 けれどはやてには、例えヴォルケンリッターの力を合わせたとしても、ウォルターほどの力は無い。

だからはやては、必死に組織としての力を手に入れ、その力を込みでウォルターに近づこうとしてきた。

昨年4月の空港火災事件を切欠に、自分の部隊を持ちたいという夢を持つようにもなって。

伝えたかった。

ウォルターを部隊に引き入れたいという気持ちがないと言えば嘘になるが、それ以上に、自分が目標としている彼に近づいているのだと、少しでも知って欲しかった。

そして、できれば褒めて欲しかった。

最も、部隊で作戦行動中の今にそんな事はできはしないので。

 

「……まずはこの事件、とっとと片さんとな」

 

 呟き、時間が来たという事でくる隊員達の報告を受ける。

集まった面々を前に受けた報告をまとめ、はやてが口を開いた。

 

「つまり、まとめると……」

 

 プロジェクトHはナンバー300辺りで新規個体を調整する意味が薄れてきたので、規模を縮小した施設に拠点を移し、ここは放置。

残っていたのは個人的な記録や消し忘れ程度で、大した情報は残っていない。

だが、緊急時に利用できるよう非常用の動力などはあり、今はそれが動いている状態。

つまり、この施設はプロジェクトHのみと関連しており、黒翼の書とは関係無い。

 

「要するに白剣の書が通用するかも、黒翼の書が特殊な適合が成されているかどうかも、不明って事や。当てが外れたって事やね」

 

 聞く隊員達の顔は硬い。

何せ今から最悪、最強クラスのロストロギアを適合した実験体と戦わねばならない可能性すらあるのだ。

エース級の魔導師ですら死を覚悟するレベルだと言うのに、部隊員はBランクとCランクが殆ど。

それでも白剣の書が効けばどうにかなるのだが、効く保証はさほど高く無い。

 

 そんな暗い雰囲気の中に、突如炎が巻き上がるような感覚。

硬い靴裏が金属床を踏みつける音に、皆がそちらを見ると、炎の瞳をした一人の少年が立っていた。

ウォルター・カウンタック。

次元世界最強の魔導師にして、英雄。

 

「つまり、黒翼の書相手に……正面から勝てば、何の問題もねぇって事だな?」

 

 言葉面だけ見れば、不遜にして非現実的。

失笑物の、現実を見ていない、ただただ呆れと怒りだけを生み出す台詞。

けれどそれは、ウォルター・カウンタックの口から出る事で、全く違う姿を見せていた。

その言葉は、他者をなんと熱く燃えたぎらせる事だろうか。

比較的慣れている筈のはやてでさえ、腹腔の奥が燃え上がるように熱く、全身を巡る血潮が燃えさからんばかりであった。

 

「ふん、俺が今まで戦ってきた相手で最強だったのは、7年前の闇の書の最強状態だったが……。それ以上だろうが、何の問題もねぇ」

 

 そう、黒翼の書の過去適合者は、最高でも闇の書の暴走状態と同程度。

暴走以上の力を発揮したはやてとリィンフォース・アインと闇の書の暴走部分の三位一体状態を倒したウォルターに、黒翼の書に勝てない理由など無い。

ましてや、7年前の状態でさえそうだったのだ、あれから更に強くなったウォルターなら。

武者震いに打ち震えるはやてに、ウォルターが視線を。

隊長として鼓舞を頼まれたのだ、と直感するはやては、自分が頼られた事実に心躍りながら、告げた。

 

「その通りや。よーく分かっとるやないか、流石ウォルター君。まさか、7年前より弱くなっとるとかは無いわな?」

「ばーか、んな訳ねーだろ。格の違いって奴を見せてやるよ」

 

 はやては、告げるウォルターが今絶不調だと言うのは、リニスから聞いている。

実験体の適合率が、過去の適合者よりも高い可能性が高く、今までで最強の黒翼の書の適合者となるだろう事も予想できている。

けれど、それでも尚何も考えずに頷きたくなるほど、ウォルターの言葉には力があった。

理由もなく誰かに何かを納得させる力。

カリスマと呼ばれる、そんな力が。

 

「いつも通りやな、ウォルター君」

『えへへ、戦いの時のウォルターさんを見るのは初めてですけど、こんなに格好良いんですね』

 

 内側で告げるリィンに頷くはやて。

そう、ウォルター・カウンタックは完璧だった。

この人なら、例えこの”家”で見つけた過去がどんな物であったとしても、容易く立ち上がり、戦い続ける事ができるのだろう。

これが、ウォルター・カウンタック。

はやてにとって、最高のヒーローなのだ。

自慢したいぐらいの気持ちで、はやてはウォルターへと微笑んだ。

すぐにウォルターは気づき、顔面で笑みを形作る。

 

 ――曇り一つ無い、満面の笑みをウォルターは浮かべた。

 

 

 

 

 




ちなみに初期プロットではもっと酷かったので、ややマイルドになっています。


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6章4話

新年明けまして胃腸炎でした。
まさか元旦から何も食えないとは……。
と言う訳で、遅ればせながら、いつもと違った時間に更新でした。


 

 

 

1.

 

 

 

 クリッパー・デュトロは幼い折、人類の為を想い研究者の道を志した。

専門は後天的な魔力資質の付与。

魔法主義社会となった現代において、魔力資質の全体的増強は、救える人を増やす意味でも、非魔導師への差別緩和においても、人類に有用である。

そう考え、クリッパーは齢10にして大学の門を叩いた。

 

 しかし、いくら研究を重ねても、クリッパーの研究分野は特定の研究所に先取りされてしまう。

全く同じテーマではないにしろ、明らかに数歩先を行ったテーマに、クリッパーは幾度も研究テーマを変えざるを得なかった。

常に先を行かれる自身の才能に疑問を抱くようになった頃、クリッパーはある噂を聞く。

先取りをしていた研究所は、管理局に見逃されながら、密かに違法研究をしているという噂を。

そしてその成果こそが、先取りの理由であったのだという噂を。

 

 己の努力は、何ら意味を持たない物だったのだ。

自身の専門において、人体実験の有無は天と地ほどの実験効率の差を生む。

それを成しに己が成功を手にする事は、永遠にあり得ない。

そうやって活力を喪失したクリッパーは、酒に溺れ、賭博に打ち込み、それでも縋り付いた研究で一定の成果を上げて生活の糧を得ていた。

 

 そんなある日、クリッパーの元に、違法研究所からの誘いがあった。

倫理観や正義感が、全く無かった訳ではない。

躊躇はあった。

恐れもあった。

けれど失いかけていた夢の為、クリッパーは人類のための犠牲だ、と己を騙し、違法研究者としての道を歩み出した。

 

 違法研究者としてのクリッパーは、すぐに頭角を現した。

皮肉なことに、クリッパーは人体実験に関する天才的な嗅覚を持っていた。

裏の世界でのキャリアを積んだクリッパーは、ロストロギアの移植実験の主任研究者となった。

死蔵されている強力なロストロギアを資源に強力な魔導師を生み出し、管理局の力を強めるための実験であった。

単独で強い魔導師を生み出す事のメリットについての議論はあったが、皮肉にもウォルター・カウンタックという幾度も次元震を防いだ英雄の存在がその有用性を証明していた。

尤も、そこまで高位の魔導師はそうそう制作できなかったのだが。

 

 元々人類のためにと思って研究を始めたクリッパーである、実験体であった筈の子供達をただの実験体とだけ見る事はできず、苦しみながらも人類のためと信じ子供達を犠牲にしてきた。

そんなある日、黒翼の書と白剣の書の移植実験に入った頃、ある実験体がクリッパーの所属する違法研究所に連れ込まれた。

ソニカ・デュトロ。

クリッパーの姪であった。

 

 クリッパーの弟夫妻の娘であったソニカは、弟夫妻に金で売られていたようだった。

その弟夫妻も、次は臓器を売って血を売って、最後には死んだらしいが。

クリッパーは、動揺しつつも立場を利用し、ソニカと直接話をするため、彼女の元を訪れた。

冷たい実験体を入れる個室の中。

患者衣を着た姪は、儚げな笑顔でクリッパーの事を迎えた。

 

「クリッパー……。本当にここの人だったんだ」

「……あぁ」

 

 クリッパーはソニカと仲が良く、自身の仕事についても漠然と話した事があった。

人類のための研究。

人々が救いたい誰かを救うための剣を与えられるようにする仕事。

かつてのソニカはそれを信じ、クリッパーの事を尊敬していた物であった。

 

 しかし、今のソニカがそれを信じている筈がなかった。

既にソニカもその耳で聞いているだろう、非人道的な実験を行われる子供達の悲鳴を、使い物にならなくなれば脳を摘出され、余すことなく利用しつくされる子供達の悲哀を。

そのはずなのに、ソニカは儚げな笑顔でクリッパーに問うた。

 

「じゃあここの人って、偉いお仕事をしている人たちなの?」

 

 クリッパーは、即答できなかった。

代わりに震える唇を噛みしめ、涙を零しながら膝を床に着き、そのまま土下座した。

泣き叫びながら、クリッパーは叫んだ。

 

「そうだ……。だから。君の命を、未来を、人類の為にくれ!」

 

 己の卑劣さに、クリッパーは嗚咽を漏らし、心臓を掴まれる思いであった。

両親に売られ、子供達が人間の尊厳を失う中、最後の希望として出会った叔父に泣きながら土下座で命を捧げろと請われるなど、齢10の少女相手には酷すぎる。

しかしそれでも、ソニカは告げた。

 

「いいよ」

 

 弾かれるように、クリッパーは床にすりつけていた頭蓋を上げた。

ソニカは変わらずに儚げな笑顔を浮かべていた。

 

「そりゃあ、自由になりたいけどね。皆のためになる事なら、私、我慢するよ」

 

 天使の笑顔だ、とクリッパーは直感した。

そしてこの天使を犠牲になど、できはしないと。

 

 クリッパーは主任研究者としての立場を利用し、逃亡の準備を整えた上でソニカを奪取した。

しかし、決行には遅かった。

知らぬうちにソニカは適合手術をある段階まで受けており、黒翼の書を移植せねば遠からず死す体となっていた。

迷うクリッパーはソニカを連れ出し、噂に聞いていた”家”なる廃棄研究所を再起動させ、ソニカを生体ポッドに入れて生命維持を行う。

そのまま単身管理局から黒翼の書と白剣の書を奪い、黒翼の書の移植を始めていた。

 

「もうすぐだ……、ソニカ、お前をもうすぐ自由にできる」

 

 “家”最深部の研究室。

蛍光緑の光が照らすのは、生体ポッドの中に浮かぶ金髪の瞼を閉じた少女と、それを見守る小汚い茶髪に眼鏡の男であった。

コンソールを前に立つクリッパーは、しかし自分の言葉が現実的ではない事を知っている。

 

 ソニカへの移植実験は、難航していた。

そもそも、クリッパーの担当したロストロギアの移植は低ランクの物が多く、黒翼の書のような高ランクロストロギアの成功例は未だ無い。

加えてソニカに対する調整は途中からクリッパー一人で行っており、腕は兎も角人手が圧倒的に足りていない。

現時点では黒翼の書との親和性は高すぎる調整になりがちであり、暴走確率は大凡7割程か。

一度暴走すれば、敗北するか白剣の書によって宿主を殺害するしか、黒翼の書を止める方法はない。

 

 それでも時間があれば、クリッパーにはソニカを確実に黒翼の書を制御可能な状態へと調整する自信があった。

けれどクリッパーの存在は既に嗅ぎ付けられており、管理局の走狗が既に”家”内部に侵入してきている。

局員として犯罪者を捕まえる為には致し方ないのだろうが、もう少し待ってくれれば、というのが本音であった。

 

「くそ、ソニカと私で一端管理局を撃退するしかないのか……」

 

 無論暴走の危険性は高い。

しかし、かといって管理局を頼る事も出来ない。

何故ならクリッパーは、元を辿れば管理局からの出資で違法研究を行っていた者である。

仮に表向きソニカの調整の許可が下りても、いつの間にかソニカもクリッパーも行方不明になる未来しか思い浮かばない。

奇跡的に管理局でまともな権力者とコネのある相手に捕まれば、ソニカを助けられる可能性はあるが、賭けるにはあまりにもギャンブルが過ぎる。

暴走を押さえきる可能性は3割だが、そちらに賭けた方がまだマシだ。

 

 クリッパーは、コンソールを操作。

呼び出した監視カメラの映像を見るに、ウォルター達は最下層である地下7階に到着しそうな塩梅であった。

眼を細め、クリッパーはコンソールのボタンを押す。

排気音と共に生体ポッドの液面が下がってゆき、ソニカは底面に下り立ち、その瞼を開いた。

光のない瞳。

少しでも暴走確率を下げる為に精神を遮断処理されている彼女に意思はなく、白剣の書を辿った命令に従うのみの人形に過ぎない。

 

「……必ず、救う。君にあげられるのは自由ぐらいしかないけど、それでも」

 

 奪う側に居た自分の誓いの言葉は、空虚で滑稽に違い無い。

けれどもそれでも、気付けば臆病さに震えそうな自身の足を進める為に、クリッパーは告げた。

心を封じられている筈のソニカが、どうしてか、あの儚げな笑みを見せてくれた、ような気がした。

 

 

 

 

2.

 

 

 

 靴裏が金属質な床板を踏みつける。

見覚えのある、金属製の大きな扉の前。

僕ら10人……ツヴァイを入れれば11人がそろい踏みし、デバイスを手にする。

 

 小さく、目立たぬように深呼吸をし、瞼を閉じる。

体調は最悪だった。

全力で押さえているが体は今にも震えそうで、根源を失ったが故の恐怖と、行方の分からない憎悪が暴れ回っている。

頭蓋は沸騰したみたいで、何かを判断する事すらも難しく、気力で止めていなければ今にも涙が滝のように流れ出てしまうだろう。

 

 僕が生きてきた理由は、結局の所UD-182の魂の証明が根幹であった。

勿論それだけじゃなくて、そのために僕が背負ってきた事は、僕だけの物なのだろう。

けれど、その背負う理由の根幹となったのは、やはりUD-182の魂があるが故だった。

 

 あの、輝ける炎の魂。

他者にその炎を伝える、最も輝ける魂。

その炎が宿った時の、高揚と言ったら。

あぁ、胸の内側に炎が宿り、血潮が沸騰せんばかりに燃えたぎり、心の全てを燃焼させる瞬間の、なんと心地よい事か。

 

 僕はその魂に魅了されていた。

格好良かった。

憧れていた。

その通りになれなくても、少しでも近づきたかった。

そんな彼の死の間際の遺言。

悔しい、と彼は言った。

この魂を燃えたぎらせる生き方が消えてしまうのが。

継いでみせる、と僕は言った。

お前の生き方は、僕が継いでみせる、と。

けれど僕は、卑小で臆病な弱虫だったから、仮面を被る事でしか彼の生き方を継ぐことができなくて。

 

 必死だった。

仮面を被って生きていくのに僕は必死で、そのために命を背負ってまで戦い続けて。

気付けば背負った命は重く、しかしそれ故に僕は、疑似蘇生体とは言えUD-182本人を殺してでも仮面を被り続けていく事を選んで。

それでも根幹はやはり、UD-182の魂の実在で。

 

 ――でも、UD-182はただの妄想だった。

 

 全ては崩れ去った。

仮面を被る理由は妄想で、僕は妄想のために人の命を蹴り落として、背負った命があるからと妄想の為に妄想存在を斬り殺した。

全ての意味が色を無くしてゆき、心が朽ち果ててゆくのを僕は感じた。

 

 それでも僕が未だ両足で立ち仮面を被っているのは、一体何の為なのだろうか。

リニスは、例え妄想であっても、僕の信じる魂は僕の中にあるのだと言っていた。

僕はそれに納得したふりをしたけれども、正直、実感は無い。

けれど最早それを信じる他に僕が立ち上がる方法はなくて。

だから必死に、僕はそれを信じる言葉を重ねるのだ。

 

 皆は僕の言葉に、勇気づけられたと、燃えてきたと、言ってくれる。

幾分お世辞も混ざっているのだろうが、それでも彼らは少しでもあの魂の燃えさかる感覚を得てくれて。

それが僕の中に信念がある証拠なのだから。

僕に、生きる意味はある。

生きる価値もあるのだと。

 

 それでもふとした瞬間、それがどうしたんだろうと思ってしまうのが怖くて。

立ち上がる意味を己に問う瞬間が怖くて。

僕は、目を開いた。

リニスと視線が合う。

相変わらず白い帽子で猫耳を隠した彼女は、慈愛の満ちた藍色の瞳で僕を見つめている。

右手に視線を、握りしめたティルヴィングを見つめる。

掌を開くと、そこには金色の剣の装飾にはまった緑色の宝玉が明滅していた。

2人の存在の心強さに、ほんの少しだけ後押しされて。

僕は、呟いた。

 

「セットアップ」

 

 白光。

黄金の巨剣と化したティルヴィングを手に、視線を部隊の皆に。

視線を逸らそうとし辛うじて思いとどまった様子のギンガに心抉られて。

僕を真摯に見つめるはやての姿に複雑な感情を抱き。

告げる。

 

「なぁ、この先にはクリッパーの奴と、実験体らしき子が居る」

 

 魔力反応による測定結果の通りである。

既知の情報に、それでも、ハラマを含めた部隊の皆は僅かに顔を硬くした。

 

「実験体の子は黒翼の書を移植されているだろうな。それがその子の望んでのことなのか、生きるために仕方なくなのか、それともクリッパーの奴の欲望の為になのか、分からねぇが」

 

 豪、と部隊の皆の瞳に炎が宿ったように見える。

本当のところはどうなのか、分からない。

僕の感じるような高揚を彼らも感じてくれているのか、少し前まではちょっとだけだけど自信があったけれども、今は欠片も無かった。

けれどそれでも、僕は他ならぬ自分のために、彼らが心を燃やしているのだと信じて。

続ける。

 

「なぁ、理由は分からない。でもお前らは、それを見て放っておけるような奴らなのか?」

「――違う!」

 

 咆哮が重なった。

そう、夢を持って管理局員を目指した彼らには、僕とは違う真っ当な信念がある筈だった。

それは始めはあった物が摩耗していったのかもしれない。

それとも始めは無かった物が、人々を救い続けるうちに生まれたのかもしれない。

どちらにしろ、僕には想像でしか思えない物だけれど。

それでも、長年共に戦い続けてきた経験からの類推で、僕はティルヴィングを天に向け、叫んだ。

 

「なら、答えは簡単だ! 話を聞いて、手を差し伸べてやればいい! そして、そのために。想いを伝える為に力が要るから。外道を打ち倒すのに力が要るから。そのために、お前たちは力を磨いてきた筈だ!」

「雄ぉぉおぉお!!」

 

 叫び、デバイスを掲げる皆。

気付けば、部隊長のはやてでさえ、そしてユニゾンしているツヴァイでさえもが咆哮と共にデバイスを掲げていた。

皆が高揚を共にしてくれている事に、僕は少しだけ感謝の思いから、涙をさえ零しそうになってしまった。

それを内心で噛み殺し、続け今度は静かながら良く通る声で言う。

 

「なぁ、それでも敵は強大だ。黒翼の書は、かつての闇の書並の力を持つ、最強クラスのロストロギアらしい。白剣の書を壊せば倒せるらしいが、黒剣の書ごと実験体の子は死んじまうし、黒翼の書もそのうち再生しちまうっていうおまけ付きだ。だが、お前らは運がいいな……」

 

 静まりかえる面々。

そこに僕は、可能な限り獰猛な、男らしい笑みを浮かべて見せた。

 

「ここには、俺が居る」

 

 全員が、背筋をピンと張った。

歯を噛みしめ、どうしてだろうか、目を見開き僕を見つめてくる。

 

「黒翼の書なんてなんてことねぇ、いくら暴走しようが、俺がぶちのめしてやるさ! お前らが心配する事は、抵抗してくるだろうクリッパーの奴をぶん殴る役まで盗られないかどうか、それだけさ」

 

 嘘八百の言葉だらけだった。

僕は自分の絶不調を理解している。

体調は悪いの一言で済むが、精神的には絶不調のどん底と言ってもまだ足りぬほど。

頭痛と吐き気とふらつきと腹痛で、こうやって仮面を被り続けているだけで辛くて仕方が無いぐらいだ。

けれど、だけれども。

少しでも彼らの心に大きな炎を灯らせるために、僕は野獣の笑みを浮かべたまま、叫ぶ。

 

「さぁ、行くぞ!」

「雄ぉぉおおお!!」

 

 咆哮と共に、僕らは”広場”へと飛び込んでいった。

 

 懐かしい空間。

かつては高いと感じていた天井が低く感じる事に時間の経過を感じつつも、僕は中心に居るクリッパーと実験体の子へと視線をやった。

茶髪眼鏡に無精ヒゲ、白衣に杖型デバイス、白い本を持った痩身長身のクリッパー。

見覚えのある緑色の患者衣に身を包んだ、10歳前後と見られる金髪蒼眼の少女。

少女から感じる超弩級の魔力に眼を細めつつ、僕は視線をはやてへ。

何故か突入前の音頭を取るよう言ってきた彼女だが、投降の呼びかけなどは管理局員ではない僕には出来ない。

頷き、部隊員達が配置に着いたのを確認してはやてが告げる。

 

「次元犯罪者、クリッパー・デュトロ! 貴方には古代遺失物窃盗の容疑がかかっています! 速やかに投降してください!」

「私にはやらねばならない事があるのでね……。遠慮させてもらうよ」

 

 それを静かに切り捨て、告げるクリッパー。

全員が構えたデバイスに魔力を込めると同時、クリッパーもまた杖型デバイスを構え、魔力を込める。

意外にも慣れた堂々とした構えに、僕は内心でクリッパーの脅威度を一段上げた。

“広場”は地下にしては広めの空間だが、はやての広域魔法が使える程では無い。

故にこの場で僕を除けば最強の魔導師は、リニスとハラマだ。

 

(リニス、ハラマ、クリッパーは任せたぞ)

(分かりました。ウォルターも、無理せずに……)

(応、そっちも負けんなよ!)

 

 告げるハラマの様子は既に立ち直ったようにしか見えず、僕は自分の弱さを浮き彫りにされるかのようで、内心歯噛みした。

それでも、必死で視線を実験体の子に向けると、殆ど同時、クリッパーが告げる。

 

「ソニカ……、この場だけは、君の力を借りる!」

 

 クリッパーの持つ白い本、恐らく白剣の書が輝いた。

瞬間、実験体の少女ソニカの目前に黒い本が出現。

恐るべき魔力をまき散らしつつページがめくれ、やがてあるページで停止した。

黒い光がソニカを包み込み、次の瞬間、バリアジャケットと化す。

黒いリボンを巻き付けたのを所々で止めただけのような淫靡なバリアジャケットだが、それを着ているのが年齢が2桁になるかという少女なので、酷くインモラルに感じる。

遅れ、飛行魔法の類いを収束したのだろう、一対の黒い翼がソニカの背から生えた。

青い瞳を僕に向け、肌を刺すような圧倒的魔力を僕へと向ける。

 

「…………」

 

 黒い光がソニカの手に収束した。

背筋に液体窒素を流し込まれるような、凄絶な悪寒。

咄嗟に発動した縮地の魔法が僕をソニカの目前にまで到達させ、ほぼ同時にソニカの口が開かれた。

 

「……プロミネンス」

「うぉおぉぉ!」

 

 絶叫と共に、ティルヴィングをたたきつけ、発動しようとする黒い光を相殺。

そのまま慣性に身を任せて蹴りをソニカの腹にたたき込み、クリッパーと分断、次なる魔法を溜め始めたソニカへと飛び込んだ。

即座にソニカは魔法を中断、両手に纏った魔力付与魔法で強化された手刀を振ってくる。

ティルヴィングで打ち合いつつ、思わず叫ぶ僕。

 

「いきなり広域殲滅魔法かよ!? “家”とクリッパーごと吹っ飛ばす気か!?」

「…………」

「ち、感情が封印でもされてるのか?」

 

 無言のままにソニカは残る片手で僕の顔面の残像を貫く。

僕は地を這う姿勢のまま半回転、ティルヴィングで表切上に斬りかかった。

超反応で魔力を纏った肘で防御、されるのを見越して魔力付与の抜き手をソニカの腹へ放つ。

 

「てやぁあっ!」

「…………」

 

 しかし、やはり超反応でソニカは防御魔法を展開、抜き手が激突するも、防御を抜くには至らなかった。

舌打ち、高速移動魔法で回り込もうとする僕の頬を、ソニカの黒槍の射撃魔法がかすっていく。

こちらも射撃魔法でそれを逸らしつつ、カートリッジをロード。

薬莢が落ちるより尚早く、咆哮。

 

「断空一閃っ!」

「……コロナ・コーティング」

 

 白光を帯びた黄金の巨剣を、しかしソニカは一瞥するだけで、超弩級の魔力を込めた片手の魔力付与手刀で迎撃しようとしてきた。

激突。

刹那競り合った物の、すぐさま僕が打ち負け、吹っ飛ばされる。

追い打ちの黒槍の射撃魔法を打ち落としつつ、舌打ち。

 

 明らかに僕は攻撃力・防御力、共にソニカに劣っていた。

僕には魔力付与された抜き手をノータイムの防御魔法で受けきる事などできないし、先の魔力付与攻撃の激突も、ソニカは片手を残し僕を僅かとは言え上回っていた。

速度ではやや勝っているが、それすらもこの閉鎖空間では上手く使い切れないだろう。

戦闘技術と勘で僕が上回っているため辛うじて生き残っているが、そうでなければ既にミンチにされている所だった。

 

 と、戦慄を覚える僕に、ソニカは再び手に黒い光球を。

再びの悪寒を振り払うため、高速移動魔法で突っ込む僕。

 

「馬鹿の一つ覚えかよっ!」

「…………」

 

 すんでの所で魔法を中断させる事に成功。

顔色一つ変えないソニカは、すぐさま射撃魔法に移行するが、見え見えの軌道なので避けつつ僕はソニカの元へ。

“広場”の壁へ射撃魔法が激突する音を聞きつつ、袈裟に斬りかかる。

迎撃の手刀と、今度は威力は互角。

しかし僕は激突点を支点に空中へと回転、もう片方の手刀が僕の残像を貫くのを見つつ、ソニカの後頭部に膝をたたき込んだ。

 

 ソニカが遊具へと吹っ飛んでゆき、滑り台付きの半球の遊具が崩壊してゆくのが目に見えた。

どうせ大して効いてないだろう、と突進する僕に、予想通りの黒槍が飛んでくる。

避ければいいのだが、角度的にはやてやハラマ達に当たりそうなので、舌打ちしつつ全部打ち落とした。

見ると、ソニカの手にはまたもや広域殲滅魔法の溜めが。

 

「おぉおおぉ!」

「…………」

 

 叫びつつ突進、必死の刺突で溜めを解除させる。

僅かでも距離が空けば広域殲滅魔法の溜めに入るソニカに、僕は作戦を考える暇も無く連続で攻撃し続けるしか無い。

計算なのか、それとも暴走しかけているのか不明だが、どっちにせよ厄介なこと極まりない。

はやて達の方に向かった攻撃魔法を殆どたたき落とす余裕があるのが、せめてもの救いだろうか。

そう思い、僕は僅かに意識をクリッパー達の方へとやる。

 

 

 

3.

 

 

 

 ハラマは、愛槍に魔力付与しクリッパーへと刺突を放った。

避けようとするクリッパーだが、戦闘に慣れていないだろう彼の動きでは次ぐ神速の刺突を避けきれない。

 

「う、うわぁぁっ!」

 

 叫ぶクリッパーは、思わず、と言った様相で両手で顔面を庇う。

当然、右手に持った白剣の書を楯にされる形となり、舌打ちつつハラマは刺突を逸らした。

白剣の書を破壊してしまえば、黒翼の書も同時に破壊される。

2つの書は自動再生するが、宿主である少女ソニカは死んでしまうので、避けざるを得ないのだ。

クリッパーの白衣の肩口に槍が突き刺さり、吹っ飛んでゆく。

 

「う、ぐぅ、シュートバレット!」

 

 吹っ飛びながらも、クリッパーが咆哮。

追撃のリニスのフォトンランサーを迎撃しつつ、靴裏で床板を掴んだ。

摩擦音と共にどうにか踏み止まり、体制を立て直す。

 

「アラクネ・プロテクション!」

 

 続けクリッパーが紫色の魔力光と共に、魔法を発動。

蜘蛛の糸の如き防御魔法に低ランク魔導師達の援護射撃が激突するも、破壊効果は現れない。

代わりに攻撃力を維持したまま防御魔法に張り付いているだけだ。

珍しい魔法に、部隊員達に動揺が走る。

 

「さぁ、お返しだっ!」

 

 クリッパーが叫ぶと同時、味方の物だった筈の魔力弾はハラマに向かい飛んでくる。

舌打ち、トライシールドで防御を固めるハラマ。

緑色の正三角形の防御魔法に、数十の魔力弾が激突、魔力煙をあげる。

 

「ふはは、仲間の攻撃の味はいかがかな!」

 

 哄笑するクリッパーであるが、その直後、響くローラー音に気づき、そちらに視線を向けた。

凄まじい速度で向かってくるのは、近代ベルカ式の魔導師、ギンガ・ナカジマである。

 

「ひ、ひぃぃっ!」

 

 思わず悲鳴をあげ、後方に大きく逃げるクリッパー。

遅れてクリッパーが寸前まで居た場所を、はやてとリィンフォース・ツヴァイの氷の拘束魔法が覆う。

接近するギンガの姿に防御魔法でその場に止まるだろうという、はやての読み違いであった。

 

「く、こいつ素人やけど強いっ!」

『ぐぬぬ、魔導師としての実力と戦闘勘の無さが、嫌に噛み合わないですっ!』

 

 叫ぶはやては、場所柄として広域殲滅魔法を封じられているため、できるのは偶にこうやってバインドを放つぐらいであった。

というのは、他にはやてには役割があるからである。

 

(すまんはやて、2発、射撃だ!)

(オッケーウォルター君!)

 

 ウォルターの咆哮と共に、はやては全力の防御魔法を展開。

ウォルター達の戦いの流れ弾である黒槍の射撃魔法が、はやて自慢のウォルターとお揃いの白い魔力光の膜へと激突した。

爆裂。

噛みしめた歯茎から血が滲まんほどの、衝撃。

はやてが辛うじて防御しきると、後には漂う魔力煙だけがその場に残っていた。

 

『うぅ、とんでもない威力です……。ウォルターさんは、よくあれを相殺できますね』

(1本に付き何本も射撃魔法を打ち込んどるみたいやけどな)

 

 歯噛みしつつ言うはやて。

涙目でリィンフォース・ツヴァイが告げる通り、ソニカ=黒翼の書の攻撃力は異常である。

射撃魔法の1本1本が、あの高町なのはのディバインバスター並の威力を誇っているのだ。

それも凄いが、そんな魔法が雨あられと降り注ぐ中、一撃もくらっていないどころか流れ弾を処理する余裕すらあるウォルターも、大概常識外れである。

とにかく、さほど防御の得意では無いはやてだが、そんな馬鹿魔力を防ぎ続けられるのは、ウォルターに次いで魔力量に優れたはやてのみである。

故にはやては半ば強制的に、戦場を2分し流れ弾を処分する役割となっていた。

 

 一方、対クリッパーのハラマ・リニス、108地上部隊の面々。

迂闊な射撃魔法は利用される上に、バインドの類いは構成を読み解くのが得意な研究者タイプには大した効果が無い。

故に部隊員にできる事は、残るは近接戦闘のみ。

しかし、前衛のハラマと中衛のリニスについていけるのは、隊員中近接最強のギンガのみである。

必然、他の面々は後方で魔力を温存する事となり、歯噛みしながら戦況を見つめるほか無かった。

 

 そんな中、ハラマ・リニス・ギンガの3人がクリッパーを追い詰めてゆく。

ウォルターからの魔力供給を最低限に絞っているリニスは戦闘能力が低下しているが、それでも戦力比は圧倒的。

追い詰められてゆくに連れ厳しい顔をするようになるクリッパーに、ハラマは叫ぶ。

 

「てめぇは、一体何であのガキに黒翼の書を仕込みやがった!? 一体、何の為にだ!?」

「……あの娘の、命の為だ」

「はぁっ!?」

 

 恫喝に似た疑問詞を叫びつつ、ハラマは神速の突きを放つ。

腹部を狙ったそれに、クリッパーは先の蜘蛛の糸の防御魔法を発動。

絡め取られるデバイスに、ハラマが判断を迷う一瞬に、クリッパーは紫色の射撃魔法を放った。

ほぼ鼻先で放たれた射撃魔法に、吹っ飛ばされるハラマ。

低空を飛んでいたリニスが抱きかかえるも、文句を垂れる。

 

「は、ハラマ、重っ! ダイエットしてくださいよ! 魔導師でしょ、貴方!?」

「うるせぇ、前衛は体重があった方がいいんだ、足りないぐらいだ!」

「……私も前衛ですけど、ハラマさんはもう少しお腹の肉を減らしても良いような……」

 

 軽口を叩きつつ、流れるような動きで2人の穴を埋める為に動くギンガ。

直撃すれば鉄塊でさえひしゃげるパンチを、クリッパーは顔色を青くしながら避ける。

尤も回避の基本ができておらず、続く拳は避けきれず、防御魔法に頼っての防御であった。

しかし、魔力量の差故に、ギンガの拳は防御を突破できずに終わり、絶大な隙を晒す事となる。

 

「とぅたぁっ!」

 

 が、咆哮と共に追いついたハラマの槍がクリッパーの次ぐ射撃魔法を防いだ。

後退するギンガと入れ替わりに、ハラマが怒濤の連撃を浴びせかける。

先ほどの続きとなる、問いかけも共に。

 

「どういうこった、ソニカとか言う娘の命が何故危険になる!」

「あの娘は……、私の姪は、研究所に居る事を知ったときには既に実験を施されていた。黒翼の書が無ければ生きていけない程に!」

 

 息をのむハラマに、クリッパーの杖が襲いかかる。

が、所詮素人の付け焼き刃、あっさりと躱すハラマ。

続けて背に刃を向けようとするも、足が動けない。

床に仕込まれたアラクネ・プロテクションに捕縛されたのだ。

続き、振り向きざまにクリッパーが杖で殴りかかってくる。

が、それをリニスの精密射撃が打ち落としてみせた。

床を舐めるように回転してゆくデバイスに、舌打ちつつクリッパーは後退。

懐から2つめのデバイスを取り出し、杖型形態に戻し構える。

 

「……ち、何個デバイス持ってるんだよ、お前は!」

「さて、な。それより私の言いたい事は分かったか? 私はこれから、あの娘の暴走しかけの状態を白剣の書で押さえ、体に調整を施さねばならない! 今のままでは、完全に暴走してしまうからな!」

 

 叫ぶクリッパーに、ハラマはしかし、躊躇無しに怒濤の連撃を放つ。

そこに、はやてが口を挟んだ。

 

「待ってください、そういう事なら管理局に投降すれば、ソニカちゃんの命は必ず助けます!」

「管理局など信じられるものか! 大体、それでは時間が足りん! 今の、あの娘の心を精神遮断処理で閉じ込め、心地よい夢を見させているうちだけしか、時間が無いんだ!」

 

 クリッパーの叫びに、ハラマは一瞬静止した。

その隙にクリッパーは後退、射撃魔法をばらまくのに、ハラマ達は一端防御を余儀なくされる。

 

「……心地よい、夢、だと……」

 

 思わず、ハラマは震えながら呟いた。

対し、目を瞬き、はっと気付いた様子でクリッパー。

 

「君は……、ここの記録にあった、幻覚剤を投与されていた……」

 

 全員が、硬直した。

ハラマにとっての致命傷としか言えない言葉に、全員の視線がハラマに集中する。

ハラマは、一瞬落とした視線を、しかしすぐに持ち上げた。

豪、とハラマの瞳に炎が巻き上がる。

 

「あぁ。俺は、幻を信じて生きてきた、ただの馬鹿野郎さ。幻の親友を心の支えに生きてきた、大馬鹿野郎だ!」

「馬鹿な……、君は一体、何故立ち上がれるんだ……?」

 

 思わず、と言った様相で問うクリッパーに、ハラマは眼を細めた。

片手を胸に。

灼熱の血潮が巡る心臓に当て、僅かに微笑み言った。

 

「なぁ、俺はヒーローの親友じゃあなかったんだろうさ。俺の過去は全部妄想、俺が心の支えにしてきた誇りだって全部妄想だ」

 

 告げ、ハラマは思い出す。

妄想の過去において、ハラマが心折れた時、ウォルターは常にただただ無言で手を差し伸べてくれた。

立ち上がるのはお前の意思だ、とでも言うかのように。

目を見開く。

濁った青の瞳が、その瞬間、澄み切った青色に変わる。

 

「でも、少なくとも。現実に、ヒーローは居た」

 

 そう、現実のウォルターもまた、全く同じ事をしていたのだ。

彼もまた、ハラマが迷った時、ただただ無言で手を差し伸べてくれたのだ。

そのたった一つの行為に、ハラマの心がどれだけ震えたものか。

打ち震える心に、ハラマは確信したのだ。

 

「俺はヒーローの親友じゃなくても、せめてヒーローは現実に、居てくれた。俺が立ち上がるのには、それだけで、現実だけで十分なんだっ!」

 

 構えたデバイスに、魔力がたたき込まれる。

次いで、カートリッジを排出、薬莢を落とし床を跳ねさせながら、爆発的に上昇した魔力を操りながら、ハラマは叫んだ。

 

「妄想の言葉なんて、心地よい夢なんて、俺には要らないっ!」

 

 魔力付与刺突が、クリッパーへと迫る。

あまりの迫力に体が硬直し、動きが鈍ったクリッパーは、回避もままならずに防御魔法を展開してみせた。

クリッパー得意の蜘蛛の巣の防御魔法に絡みとられ、槍は蜘蛛の巣を伸長させるに止まる。

が、同時、咆哮。

 

「おぉぉおぉっ!」

 

 怒号と共に全力を振り絞ったハラマの攻撃が、ついに防御魔法を破った。

あり得ない物を見る目のクリッパーの腹部へと、吸い込まれるようにハラマの一撃が決まる。

 

「ごふっ!?」

 

 悲鳴と共に胃液を漏らしつつ、クリッパーはその場にうずくまった。

遅れ多重バインドがクリッパーを拘束、駆け寄る部隊員達の手で十、二十とバインドが重ねられ、最早逃げる事は不可能になる。

急ぎハラマは白剣の書を回収し、クリッパーへと叫んだ。

 

「さあ、ソニカを止めろ! 俺たちを信じてくれ、俺たちは決して、ソニカみたいな娘を殺す為にこの仕事をしている訳じゃねぇんだ!」

「け、けほ……」

 

 呻きながら、クリッパーはハラマの顔を見つめた。

疑いの目で睨み始めたが、すぐに、す、とその表情から憎悪が抜け落ちる。

困り顔で、クリッパーは言った。

 

「そうだな、忘れていた。上は兎も角、管理局に入ろうとする若者達は、正義に燃えているのだと。こうなった以上、それしかないが……、君を信じるのは、吝かじゃあない」

「あんま褒めんなよ。あっちに本家本元が居るからさ、恥ずかしいんだっての」

 

 告げるハラマに、ふ、とクリッパーは微笑んだ。

次いで視線をソニカへ。

同時、顔色が変わった。

 

「しまった、あれは……! まさか、完全暴走に入ってるのか!?」

 

 ソニカの手には、黒い光に形作られた、疑似太陽があった。

恐らくウォルターの迎撃が追いつかなかったため、ソニカの広域殲滅魔法が発動してしまったのだ。

高速移動魔法でウォルターが斬りかかろうとするのが見えたが、間に合わない。

はやても時間さえあれば広域殲滅魔法で相殺できたが、今はその時間が無かった。

 

「――プロミネンス」

 

 次の瞬間、黒光が世界を満たす。

闇の書の最強状態をすら上回る攻撃力によって放たれた広域殲滅魔法が、”家”を破壊の光で蹂躙した。

 

 

 

 

 




みんなウォルターに精神的腹パンするの止めればいいのに……。


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6章5話

なんとか週1更新に間に合った……かな?


 

 

 

1.

 

 

 

「危ねぇな、おい……」

「うん、ウォルター君が居らんかったら全滅やったね……」

 

 と、呟きつつ、僕らは”家”の外に居た。

ソニカの広域殲滅魔法の寸前、僕は咄嗟にはやてらの正面に回り砲撃魔法を発動し、1秒ほどだが攻撃を相殺。

稼いだ時間ではやてらが発動した転移魔法で、辛うじて避けきる事に成功した、のだが。

 

「とんでもない威力やな……」

 

 戦慄するはやての言う通り、眼前の光景が見せるソニカの攻撃力は桁違いだった。

“家”は、消滅していた。

半球状にくりぬかれた地面は、未だ土が沸騰した状態で、ぽこぽこと泡を漏らしつつ湯気をあげている。

地下7階分の深さはあるそれは、半径30メートル近くあるだろうか。

その中心に、一対の黒翼を広げたソニカが、光の無い目で僕らを見つめている。

地獄のような光景の中心に浮いている、裸身に黒いリボンを巻き付けた黒翼の少女は、正に告死天使の如き様だ。

はやてのデアボリック・エミッションでも似たような事はできるが、それでもあのチャージ時間の短さでは難しいだろう。

改めて圧倒的なソニカの攻撃力に、内心舌打ちつつも、ティルヴィングを構え直す僕。

 

「ソニ、カ……?」

 

 すると、僕らの背後で乾いた声が。

意識をやると、バインドで捕縛されたままのクリッパーの声であった。

僅かにソニカが眼を細めるのに、反応があると感じたのか、続けてクリッパー。

 

「ソニカ、駄目だ、止めるんだ! これ以上黒翼の書の力に飲まれてはいけないっ!」

「…………」

 

 返答は、魔力が殺意を帯びる反応であった。

それに気付いているのかいないのか、クリッパーは叫ぶ。

 

「その力があれば、確かに外に出られるかもしれない。だが、力に振り回されるのは、本当に君が求めた自由なのか!? 例えそうだとしても、白剣の書がある以上、君はそう遠くないうちに殺されてしまう!」

 

 ソニカは、その手に魔力を籠め始めた。

僕もまた、対応の為に魔力をティルヴィングに。

何時でも斬りかかれるよう準備しつつ、僕はクリッパーが話すに任せる。

閉所の戦闘では勝てない程の力の差は感じなかったが、そもそも僕は仮面のために、勝って暴走を止めるだけではなく、彼女の心も救わねばならない。

しかし、何せ僕はソニカとは初対面である、彼女の心を目覚めさせる可能性として、クリッパーに喋らせるのは、リスクの少なさを鑑みれば悪くない手ではあるだろう。

と思うと同時、クリッパーと相対していたハラマの台詞を思い出してしまい、僕は必死で歯を噛みしめやり過ごそうとした。

 

「――優しい夢を見せた私が言うべきではないのだろう。けれど、帰ってきてくれ! 夢の中ではなく、この現実へと!」

 

 が、そこでこの台詞である。

言葉の槍が刺さり、目の前が真っ暗になりそうになるのを、必死で堪えた。

このまま立っていると倒れてしまいそうなので、戦闘態勢を強くする演技で体に力を込め、何とか胸の奥で暴れる激情をやり過ごす。

涙を堪え、折れそうになる膝を必死で伸ばして、仮面を被る意味を問うてくる内心を無視し、ただただ戦いに全てを賭す事だけを考えようとした。

 

「いや、この言葉では飾りすぎ、だな。私が、君に居て欲しいから。たった一人の家族に、生きていて欲しいから。私を、少しでも目覚めさせてくれた君に、生きていて欲しいから。いや、理由なんて何でも良い、兎に角君に、自由を掴んで生きていて欲しいんだ! だから!」

 

 叫ぶクリッパーは、いつの間にか涙を零し、がらがらの声となっていた。

必死さに溢れる行為だが、それでも、と僕は思った。

実験体だった頃の半ば偽りだった記憶が、それでも教えてくれる。

あんな絶望感の中にたたき込んだ原因にそんな事を言われた所で、心が動くはずなどありはしない。

言わせてみたが、クリッパーではソニカの心を動かせるはずなど無かった。

恐らく、同じ実験体であった僕やハラマの言葉の方が、まだマシかもしれない。

なのに。

 

「…………クリッパー?」

 

 ソニカの口から、鈴の音のような声が響いた。

その瞳には確かな意思の光が見えており、今までは感じなかった理性が感じられる。

え、と口の中で小さく呟く僕を尻目に、クリッパーとソニカ。

 

「ソニカ……意識が!?」

「うん……。寝ていた間のことも、ぼんやりとだけど……。でも、体が言う事を聞かない! このままじゃ……!」

 

 遅れて僕の脳裏にも理解の色が戻る。

ハラマがそうだったように、ソニカもまた心地よい夢を否定し、妄想を否定し、現実に舞い戻ってきたのだ。

打ちのめされるようだった。

心の中の柱が、折れて崩れ去るのを感じる。

 

 リニスの言う通り、妄想であっても僕の中に信念はあったのだ。

そう信じる僕にとって、妄想を否定するハラマの言葉やソニカの態度は、猛毒に等しい。

僕も自身の妄想を否定し、現実に生きていくべきなのか?

でも、僕にとっての現実って、UD-182の関係無い事って、存在しているのか?

様々な疑問が渦巻き、今にも頭を垂れ、泣きわめきたかった。

それを、堪える意味すらも考えず、ただただ堪える事だけを考え、必死で受け流す。

自分を正視すれば、二度と立ち上がれない気がしてならないから。

 

「このままじゃ、私、クリッパー達を殺しちゃう! 早く、今は少しだけこの体を押さえていられるから、今のうちに白剣の書を壊して、私を殺して!」

 

 思わず視線をはやてに。

ハラマがクリッパーから奪った白剣の書は、今ははやてが手にしていた。

青白い顔色となった彼女が、ぴくりと震える。

対し、クリッパー。

 

「止めてくれ……。お願いだ、私の命などどうでもいい、ソニカを助けてくれ! この子は私の、たった一人の家族なんだっ!」

 

 はやては、呆然とクリッパーを見つめた。

クリッパーの言葉は、かつての闇の書事件を思い出させる言葉であった。

家族という名の絆、書という名前の入った危険なロストロギア。

僕がリィンフォースを救えなかった、かつての戦い。

震えるはやてを見ていられなくて、そして同じぐらい、僕自身の仮面のために。

僕は、できる限り男らしい笑みを浮かべ、言った。

 

「やれやれだ……。ソニカ、お前が死ぬ必要なんて無い。俺がお前を倒し、黒翼の書なんざ強制停止させてやるさ。心配要らねぇっての」

「でも、さっきまでは……!」

「閉所での戦いと外での戦い、一緒にしてもらっちゃ困るぜ。お前如きに、俺は負けはしない!」

 

 視線を、決定権を握るはやてへ。

目尻が潤んでいる彼女に微笑みかけ、視線をソニカへ。

叫ぶ。

 

「俺を信じろ! 俺は、負けない。誰にも、何にもっ!」

 

 靴裏で地面を蹴り抜く。

構えた黄金の巨剣に超魔力を籠め、僕は告死天使の如きソニカへと向かっていった。

 

「相当痛いが、我慢しろよっ!」

 

 神速の突きを、首を振るだけであっさりと避けるどころか、カウンターで手刀を合わせてくるソニカ。

が、読み筋である。

幻術を引き裂くソニカの横に現れた僕は、透明迷彩が自身から剥がれてゆくのを感じつつ、ソニカへと振り払いの一撃を。

くの字に折れながら飛んで行くソニカへと、飛行魔法のパワーを上げて追いつき、咆哮。

 

「断空一閃っ!」

『コロナ・コーティング』

 

 唐竹の斬撃を、ソニカは空中で捻りを加えた回転からの手刀で防御。

一刹那の拮抗の後、ソニカが再び後方に吹き飛び、苦しそうな顔で小さく呻いた。

なけなしの良心がキリキリと痛むが、無視。

そのまま咆哮と共にソニカの目前に、続けて斬撃をたたき込む。

袈裟。

半身に避けつつ放たれる抜き手を膝で防御、そのまま片手で持ったティルヴィングで突きを放った。

胸への衝撃に目を見開くソニカに、続け剣を振り払う。

が、横薙ぎの斬撃は低い姿勢で避けられ、次いで僕の腹に向けてアッパーが。

すんでの所で魔力を集中し防御するも。

 

「がはっ!?」

 

 薄い防御は容易く破れ、僕は思わず口から血を吐き出した。

凄絶な痛みに体が硬直した瞬間、次ぐソニカの蹴りが頬に突き刺さり、僕は回転しながら眼下の丘へと吹っ飛んで行く。

三半規管を揺らされつつも、どうにか意識を保つ事に成功、すると同時に衝撃。

丘の崖にめり込んだのだ、と理解すると同時、目前にソニカが。

咄嗟にティルヴィングを楯にするも、予想していたのだろう、回転を加えた攻撃で剣を弾かれてしまう。

辛うじて剣を手放さなかった僕だが、無防備に。

続く万力が籠もった拳が、僕の腹に突き刺さった。

 

「ごほっ!?」

 

 視界が深紅に染まる程の一撃。

口から血塊が飛び出るのを感じると同時、目前のソニカはそのまま回転し、僕の腹に蹴りを放つ。

辛うじて間に合った防御魔法を紙のように引き裂き、ソニカの素足が僕の腹へとたたき込まれた。

 

 ほんの刹那、視界が真っ暗になる感覚。

遅れて大音声。

一瞬混乱してしまうが、すぐに僕はソニカの蹴りが僕どころか丘を蹴り崩したのだと理解する。

舌打ち、生き埋めの進行形を除する為に、魔力を周りに発散する。

 

「ずぁっ!」

 

 咆哮と共に、超魔力で周りの岩を吹っ飛ばした。

同時感じるソニカの気配へと、岩を目隠しに突進。

背後に回り込み、半回転しつつの一撃をたたき込んだ。

 

「きゃっ!?」

 

 意識だけはあるというソニカの悲鳴と共に、告死天使が吹っ飛んでゆく。

追撃の直射弾を放ち、その間僕は消耗した体力を荒い息で回復させていた。

尤も、ソニカはすぐに体制を立て直し、僕の放った白槍を爪楊枝か何かみたいに片手ではじき飛ばす。

思わず、引きつる頬。

 

「もう少し謙虚に生きろって、格好も派手だしよぉ」

「し、知らないよ! 格好は勝手にこうなってたんだもん! ……じゃなくて、大丈夫!? お兄さんっ!」

「このぐらい軽傷だってのっ!」

 

 とは言うが、既に狂戦士の鎧無しでは動きに大きく支障が出るレベルの怪我ではあった。

口元やら鼻やらから零れる血を拭いつつ、野獣の笑みを浮かべる僕。

その姿にソニカは安心したようだったが、実際の僕らの戦闘能力はややソニカが上だが逆転可能な程度と言った所か。

いや、総合的に見ればそうなるが、スタミナは明らかにソニカの方が上なので、恐らくこのまま戦えばジリ貧の感じがある。

何か手を打たねばならないとは思うものの、精神的に不安定な僕は、考えつく賭けに中々手を出せないでいる。

内心舌打ちをしつつ、それでも僕はソニカへと剣を向け、向かって行くしかない。

 

「行くぞっ!」

 

 咆哮と共に、ティルヴィングに白い魔力光を纏わせ、僕はソニカへと立ち向かって行く。

 

 

 

2.

 

 

 

 別次元の戦いであった。

白と黒の光は、最早高位魔導師でさえも生涯届かぬ領域の戦いに足を踏み入れており、どちらもSSSランク、つまり測定不能領域の魔導師であると知れる。

はやてですら辛うじて見える程度の戦いである、部隊員やハラマ達ではその姿すら捉えられていないだろう。

足手纏い以外の何物でも無い自分たちに、歯噛みしつつ、はやてはウォルターを信じ見守るしか無い。

 

「……でも」

 

 と、はやては呟いた。

2人の超次元の戦いは、絶不調というだけあって、ウォルターが劣勢のようであった。

辺りに破壊をまき散らしながら戦う2人は、しかし傍目にはウォルターがダメージを受ける回数の方が多いように見える。

ウォルターも圧倒的な魔力を持つが、ソニカの方が魔力量では一段階上か。

加えてソニカの悲痛な声が、はやてでは目で捉える事すら難しい戦いの現状を教えてくれる。

 

「ウォルター、もういいよ、私、死んでいいからっ! これ以上なんて……!」

「この程度で負けを認めるなんざ、悪いが、死んでも嫌だね。安心しろ、勝つのは俺だっ!」

 

 叫ぶウォルターはほぼ無傷に見えるが、狂戦士の鎧がある以上、どれだけの怪我を負っているかなど外からでは分からない。

知っているのは本人と使い魔たるリニス、そしてダメージを与えているソニカぐらいか。

そう思い、はやてはリニスに視線を。

頷き、リニス。

 

「……ウォルターが、やや劣勢ですが。逆転の目が無い程ではありません」

「……そか」

 

 はやてが目を伏せるのに、ギンガもまた、苦虫を噛み潰したような顔になる。

それから半歩前に出て、はやてに視線を。

迷いの混じった目で、口を開く。

 

「八神分隊長。ここからクラナガンまでは、さほど遠くはありません。あの飛行速度で迫られれば、1時間足らずで……。仮にソニカがクラナガンで暴走した力を振るってしまえば……」

「……分かっとる」

 

 そう、仮にソニカがクラナガンに破壊をまき散らせば、結果は最悪の物となるだろう。

ソニカ=黒翼の書は強いが、かつての闇の書が持つ一定以下の魔力攻撃をシャットアウトするような防御力は無い。

故に、仮に白剣の書が見つからなくても、数の力で勝る管理局が最終的には勝つだろうが、首都を襲われたミッドチルダの受ける被害は甚大な物となるだろう。

なんだかんだと言って、管理局のお膝元であるミッドチルダの経済が次元世界に与える影響は大きく、二次被害は更に恐ろしい事となる。

加えて、恐らく壊滅状態となるだろう地上部隊の事を考えると、各地の犯罪組織が台頭してくるのは想像に難くない。

そしてはやて個人にとって大切な事だが、クラナガンにはヴォルケンリッターが、高町なのはが、フェイト・T・ハラオウンが居る。

そして何より、ソニカ=黒翼の書の魔法は全て殺傷設定である。

負ければ戦っているウォルター・カウンタックが死ぬのだ。

 

 嫌だ、けれども。

迷うはやてに、それでもギンガは硬い視線で告げる。

 

「八神分隊長、私は白剣の書の破壊による、黒翼の書の破壊を提案します」

「君はっ!?」

 

 叫ぶクリッパーを無視し、ただただはやてを見つめ続けるギンガ。

その意思の裏にあるのは、ウォルターへの不信か、裏腹に心配なのか。

ウォルターとギンガとの関係を、ウォルターが昔世話になった事のある家の娘としか知らないはやてには、よく分からない。

 

「待て、部外者だが言わせてもらうぜ。ウォルターは、あいつは負けない。必ず勝って、黒翼の書を停止させてくれる筈だ。そうでなくとも、あいつの敗北が濃厚になってからでも遅くない筈だ」

 

 告げるのは、ハラマであった。

その瞳にはただただウォルターへの信頼が燃えさかっており、尊いと同時に危うさを感じる部分もある。

先のウォルターとハラマの関連性を知るはやてには、仕方ない事だと分かっているのだけれども。

 

「頼む、私に残った、たった一人の家族なんだっ! ソニカの、あの娘の命だけはっ!」

 

 叫ぶクリッパー。

その目にはやては、己の過去を想起した。

7年前の闇の書事件の折、八神はやては世界の為に命を狙われ、ヴォルケンリッターはそれを救おうとして奮起し、ギル・グレアムは八神はやての命を握っていた。

今、ソニカ・デュトロは世界の為にはやての手に命を握られ、クリッパーはソニカを救おうとして敗北し懇願しており、八神はやてはソニカ・デュトロの命を握っている。

 

 ――私は、グレアムおじさんの立場に居るんやな。

はやては、内心そう独りごちた。

気が狂いそうな苦悩であった。

ソニカを殺せば、はやては自分は奇跡に縋って生きながらえておきながら、他人が奇跡に縋る事は許さない人間となる。

自分に優しく他人に厳しい生き方を、八神はやては許容できない。

ソニカを生かせば、はやては奇跡に縋り現実を見ない管理局員失格の人間であり、グレアムを完全否定してしまう事になる。

こちらは管理局員として生きてきた自分の半生の否定であり、当然八神はやてはそれを許容できない。

 

 許されるのであれば、白剣の書を誰かに託し、自分もまた戦いに赴きたい程であった。

しかし現実に、広域殲滅が専門であるはやての力では、例えウォルターが前衛であろうともソニカのみに当てるのは至難の業。

加えて、レベルが違いすぎてソニカには大したダメージにならない可能性が高く、むしろ足手纏いとなる可能性が高いぐらいであった。

これがなのはやフェイトであれば、多少の助けにはなれたのだろうが、八神はやては少数での戦闘に向いた魔導師ではなかった。

 

 迷うはやてを尻目に、戦況は進んでいた。

 

「おぉぉおぉっ!」

「もうやめて、ウォルター!」

 

 叫ぶソニカに向けて、咆哮と共にウォルターが立ち向かう。

圧倒的なパワーとスピードだが、それも先ほどまでと比べてやや落ちる。

ついにウォルターの戦闘能力に陰りが見えてきたのだ。

いくら狂戦士の鎧で怪我の影響を受けないとは言え、脳や精神に疲労は溜まる。

そうなれば判断や行動が鈍くなり、スタミナの減少という形で戦闘能力が弱まって行くのだ。

これが尋常な戦いであれば数時間戦い続けられるウォルターだが、今は一撃一撃がなのはのエクセリオンバスター級の威力が籠められており、断空一閃の魔力付与斬撃はスターライトブレイカー級の威力である。

当然疲労も早く、魔力が尽きるのも早い。

それでもまだ全開時の9割以上の戦闘能力を保持しているのだが、元々辛うじて食い下がっていた所である、僅かな戦闘能力の低下が大きく天秤を揺らしていた。

 

 弾かれるように、ウォルターはソニカと距離を取る。

油断無く黄金の巨剣を構え、黒衣をはためかせながら、ウォルターが口を開く。

 

「……ちっ、賭けるしか無いか……、俺の最強の魔法にっ!」

 

 次いで、ティルヴィングがカートリッジをロード。

柄のカートリッジ機構により全7発のカートリッジを全て使い果たし、一瞬とは言え黒翼の書やかつての闇の書をも超える魔力をたたき出す。

ウォルターを覆う狂戦士の鎧に兜が生成、ウォルターの頭蓋を包んで見せた。

超弩級の魔力を剣に籠め、ウォルターが叫んだ。

 

「韋駄天の刃っ! 断空連閃――二十三閃っ!」

『発動致します』

 

 ウォルターの姿が、煌めいた。

白い閃光と化したウォルターが、ソニカの周囲で閃光の檻を形作る。

超速度で空気が破裂する音が連続し、圧倒的魔力が吹き荒れる。

1秒と経たぬ間の交錯。

魔力と魔力が衝突する波動を残し、分かたれた2つの影が地上へと落ちて行く。

 

「あ、相打ちっ!?」

 

 とはやてが叫んだ瞬間、墜ちるソニカがその手に黒槍を生成、ウォルターへと放った。

黒槍はウォルターへと激突、何処かを貫いたまま、小さな林の方へとたたき落とす。

 

「ウォルター!?」

「ウォルターさん!?」

 

 叫び飛び出す、リニスとギンガ。

後を追いたくなる自身を押さえ、はやては視線をソニカへ。

墜落先の草原を割り出し、叫ぶ。

 

「ウォルター君はあの2人に任せよう! ここに居る全員は、ソニカの落下地点に行くで!」

「はいっ!」

 

 後ろ髪を引かれる思いながら、はやて達はハラマを先頭に、ソニカの元へと急ぐのであった。

 

 

 

3.

 

 

 

「はっ、はっ、はっ……」

 

 荒い息と共に、ギンガは走る。

使い魔であり主の居場所が分かるリニスが僅かに先行しており、ギンガはそれについてゆく形であった。

木々をかき分け、草土を踏みつけ、全速力で走る。

障害物が多い地上を走るのは煩わしいが、万が一にソニカが復活してきた時の事を考えれば、発見されてしまうので飛行魔法やウイングロードは使えない。

歯を噛みしめつつ、ただただギンガは靴裏で地面を踏み抜いて行く。

 

 口を開く余裕すら無かった。

頭の中がぐちゃぐちゃで、上手く物事が考えられず、ただただ涙が零れそうになるのを必死で堪える事しかできない。

ギンガは、ウォルターが半ば敗北した事にショックを受けていた。

思えば、ギンガのウォルターに対する憎悪には甘えがあった。

この人ならどんな憎悪でも受け止められる、この人ならどんなに嫌われてもへこたれない、この人なら絶対に負けないから、容赦なく恨んでいられる。

だって、ウォルター・カウンタックは最強だから。

誰にも負けない、次元世界最強の英雄だから。

 

 馬鹿だった。

そんなはず、ある訳が無かった。

強さなんてその時によるし、例えウォルターが最強でも、それが無敗を意味する訳ではない事ぐらい、当然のことだった。

なのにギンガは、ウォルターが誰よりも強く、故に恨もうが殴ろうが、全て受け止めてくれる人だと信じていたのだ。

 

 自分の愚かさに、ギンガは自身を殴りつけたい程だった。

何が、”何時から貴方は、こんな人になってしまったんですか”だ。

ウォルターが変わった訳ではない。

変わったのは、ギンガの目だ。

自分が可愛く、ウォルターを恨む事で母の死のショックを和らげようとして、もう一人で歩かねばならない今でもウォルターに甘えている、ギンガの。

ウォルターの強さだけを見て、その心を少しも理解しようとしなかったその目が、ウォルターの姿を変えて見せたのだ。

 

 ウォルターの心は確かに強い、完璧に近いだろう。

かつてギンガに見せた人間らしい欠点も、何処かその偶像性を高めているような気がするぐらいだ。

けれどウォルターの強さは、完璧だとは限らないのだ。

それをギンガは、分かっていなかった。

ウォルターが負けそうになって、初めてギンガはそれを理解しようとしていた。

何が初恋の人だ、と歯を噛みしめ、ただただギンガは足を進めて行く。

 

 ギンガは祈った。

クイントの死以来、初めて神に祈りを捧げた。

――神様、どうかウォルターさんが無事でいますように。

震える唇、噛みしめた歯、今にも泣き出しそうな目、そんな情けない様相で、それでもギンガは祈る。

祈りながら走り続けて、そしてたどり着いた。

 

 開けた、小さな木々の隙間と言うべき場所。

陽光が差すそこの背の低い木に、ウォルターは背を預け目を閉じていた。

見えるのは首から上で、胴体は大きな葉っぱに遮られ、見えない。

ひゅ、とリニスが息をのみ立ち止まるのを尻目に、ギンガはウォルターに近づく。

 

「ウォルターさんっ!」

 

 叫ぶと同時に、ギンガは葉っぱを退けた。

 

 ――荒く挽いた挽肉に、一瞬見えた。

ぐちゃぐちゃの肉体は、まるで解剖が初めての学生に解剖された蛙のよう。

折れた骨の白。

てらてらと輝きながら顔を覗かせる肝臓の赤紫。

所々破けながら垂れている腸の黄土色。

そして赤。

血肉の赤。

赤、赤、赤、赤、赤。

最後に、黒。

 

 ――その心臓に突き立った、黒い魔力光の槍。

 

「ぁ――」

 

 ギンガは、重力に従い膝を落とした。

遅れて尻が土につき、肺が空気を求めるのに従い、口がひゅうひゅうと音を立てながら、何とか呼吸をしようと努力する。

熱い物が、ギンガの顔面からあふれ出た。

頬を伝う涙がポトリと垂れ、ギンガの太股へと落ちる。

 

「どいてくださいっ!」

 

 叫ぶと同時、ギンガを押しのけリニスがウォルターの元へ。

その手に回復魔法の光を宿し、どう見ても手遅れにしか見えないウォルターに回復魔法を。

それを、ギンガは一人見ている事しかできない。

 

 ギンガは、己の内側から、名前の付けられない感情が渦巻いてくるのを感じた。

後悔、恐怖、悲哀、憎悪、衝撃、それら全てが混じり合い、爆発するような勢いでギンガの中を蹂躙する。

例えようのない感情の奔流がギンガの口を、突いて出た。

 

「ああぁあぁぁぁあぁぁ――っ!」

 

 絶叫。

 

 

 

4.

 

 

 

 ぬるま湯に浸かっているような気分だった。

体中が気怠くて、頭の中が霞がかっていて、ぼんやりとした感じ。

目は開けられないけれど、瞼に覆われて黒い筈の視界には、何故か乳白色の世界が広がっている。

とても心地よい感覚で、全てをこの感覚に任せてしまえばどうか、とさえ思えるぐらい。

その感覚は抗いがたい魅力を孕んでおり、僕はついついこんな事さえ考えてしまった。

 

 ――僕は一体、今まで何に駆り立てられてきたのだろうか。

 

 何故、僕はUD-182の魂を証明しようなんて思ったのだろうか。

別にわざわざ僕が証明なんてしなくても、仮にUD-182が現実の存在だったとすれば、その魂は少ないとは他者へと伝わっているではないか。

それからの戦いで背負った命だって、そうだ。

なんで戦って殺したからって、僕の選択で殺したからって、その相手の命やらを背負わなくちゃならないんだ?

死人は死人だ、所詮この世ではもう一言も喋る事なんてできないし、それが自然の理だ。

僕は死人の命を背負わねばならないと思って来た。

けれど違うのだ

僕は死人の命を背負っても、背負わなくてもいい。

僕には、選択肢があるのだ。

 

 それでも、僕は何かに駆り立てられるかのように信念を貫き、他者の命を背負ってきた。

でも、その何かとは、一体何なのだろうか?

今までは、そんな疑問すら沸かなかった。

理由は分からないけど、胸の奥に何か確信のような物があって、僕はそれに駆り立てられて戦ってきた。

けれど、今こうやってまどろみの中に居ると、そんな確信がとてもあやふやな物のように思えてくる。

 

 もう、いいじゃないか。

そんな言葉が、胸の奥に沸いてきた。

だって僕は、ある程度の不幸は味わってきたつもりだけど、十分それに釣り合うだけの幸せを得てきた。

仮面越しにとは言え英雄と言われるのは、心が痛い反面心地よくもあった。

皆が僕の言葉で心を燃やしてくれたと言う言葉は、9割お世辞だと分かっていても、嬉しかった。

加えて、僕は辛い道を歩んできたつもりだけど、それは自分で選んだ事だったのだ。

選んだ道を歩めるという事だけでも、なんて幸福な事なのだろうか。

そして何より、リニスとティルヴィング。

人生で1人現れれば十分過ぎる程の理解者が、僕には2人も居たのだ。

それで僕は不幸な人間だなんて言えば、世界中から総スカンをくらうこと間違いなしだ。

 

 もう、歩かなくて、いいや。

このまどろみに全てを任せ、意識を眠らせよう。

心地よい眠りの予感に、僕は身を任せようとして。

 

『――……』

 

 電子音。

ティルヴィングの、声なき声。

 

「てぃる、う゛ぃんぐ?」

『イエス・マイマスター』

 

 僕にとって尤も大切な相棒の声に、僕はほんの僅かだけまどろみから引き戻された。

眠くて落ちそうになる瞼を開くと、目前には僕の胸にかかった、黄金の剣型のアクセサリの中心の、緑色の宝玉が明滅している。

 

『意識への介入、かつて闇の書――リィンフォース・アインが貴方へ使った”闇の書の夢”なる魔法の亜種を発動しました。魔力は兎も角、リソースはかなり持って行かれますね』

「あぁ、それで、君は僕に話しかけられている訳だ。それで、どうしたんだい?」

『マスターの意識混濁状態を解除し、判断を仰ぐ為、私は参りました』

「あぁ、うん……」

 

 僕は頭を振った。

寝ぼけ眼をティルヴィングに向けて、へらっと、生きてきて一度もした事のないような、気の抜けた笑みを浮かべる。

 

「僕はもう、立ち上がるつもりは無いんだ」

『…………?』

「なんて言うか、何が僕を駆り立てていたのか、分からなくなっちゃって。もう、このまま眠れさえすれば、それでいいやって、ね」

『…………』

 

 目前で、ティルヴィングが明滅。

本当か、と問うているのだろう彼女に、僕はへらへらとした笑みを浮かべつつ、続ける。

 

「本当だよ。もう、疲れちゃったし。なぁ、だからもう、僕を少し休ませてくれないかな?」

『……念を押しますが。本当に、なんですね?』

「うん、そうだよ。僕はもう……」

 

 言って、僕は再び瞼を閉じようとして。

ティルヴィングが明滅、ノイズを吐き出し始める。

疑問に思って目前に目をやると、明滅するティルヴィングから、音声が流れ始めた。

 

『”君は、私に恋していたわ”』

「ぁ……」

 

 脳髄を、氷水につけられたような感覚。

全身が冷たく乾いた針に刺されるような錯覚すら伴い、ぴん、と緊張の糸が張った。

 

『”だからって訳じゃあないけどさ。ギンガとスバルは、貴方にとってただの知り合いじゃあない。貴方の初恋の人の娘なの。だから……、私が死んでも、2人が真っ直ぐに育ってくれるよう、その目標になってくれない?”』

「辞めろ……、辞めてくれ……」

 

 頭を振る僕に反応せず、続けティルヴィングが違う音声を再生する。

 

『”今度何かあった時。はやて、お前にはどうしようもない、力及ばない、何かがあった時。その時は何の遠慮もなく、俺に助けを呼んでくれ。今度こそ、何があっても犠牲一つなく……助けてみせる”』

 

 口の中が乾き、全身に冷たく鋭利な力が宿ってきた。

それでも否定したくて、歯を噛みしめる僕の目前で、止めとばかりに音声再生。

 

『”約束するよ”』

 

 ――ぬるま湯の感覚は、最早過ぎ去っていた。

あるのはただただ怜悧な冷たい、現実の痛みと苦しみに満ちた感覚だけだ。

瞼は開き、表情からは微笑みが抜け落ち、全身からは活力が、胸の奥からは血潮が沸騰するような熱量が沸いて出てきていた。

僕は、それでも甘えとばかりに、ティルヴィングへと問うた。

 

「それで……お前は僕に、どうしろって言うんだ」

『それは、鋼の血肉しか持たぬ私が決める事ではありません。私に出来るのは、確定した確実な過去と、歩んできた道を見せる事だけ』

 

 皮肉気に明滅。

電子音声が、僕を突き放すような口調で続けた。

 

『マスター。貴方の道は、貴方が決めるのです』

 

 冷たく、鋭利な言葉であった。

けれどどうしてだろう、それなのにどうしてか、それぐらいの言葉が嬉しくて。

僕は、僅かにだけ微笑んだ。

ティルヴィングが、戸惑い気味に明滅する。

 

「はは、手厳しいな……。でも、さ」

 

 僕は、両手で浮遊するティルヴィングを掴んだ。

そっと抱きしめると、彼女の冷たく胸を裂くような温度が伝わってきた。

そんな彼女に、こんな言葉で応えられているのだろうか、分からない。

けれど僕のような盆暗な脳みそで思いつく言葉は、これぐらいしかなくて。

だからせめて、精一杯に、僕は告げた。

 

「ありがとう。お前が僕の相棒で、本当に良かった!」

 

 電子音と共に、恥ずかしげにティルヴィングが明滅。

乳白色の優しげな世界が、暗い波に押し流されるようにして何処かへと消えて行く。

代わりに視界が晴れて行き、現実の瞼が僅かに動く感覚が、僕の精神へと繋がった。

 

「ウォルターっ!」

「ウォルターさんっ!」

 

 うっすらと開く瞼に見えるのは、リニスとギンガの2人だった。

手が動かないので、心の中でだけ手を開き、顔面にかぶせるようにする。

内心での仮面を被る動作と共に、僕は口を開いた。

 

「すまねぇ、心配かけたな」

「——……っ!!」

 

 泣き崩れるリニスを尻目に、蒼白な表情で息をのむギンガへと視線を。

疑問の視線に気付いたのだろう、叫ぶギンガ。

 

「心配かけたって! あ、貴方は……、こんな怪我で……、何で、どうやって……!」

「あー、っと体はどんなもん……、うおっ、結構派手な怪我だな」

 

 彼女の言葉に自身を見下ろすと、かなり派手にやられたようで、僕は死ぬ数歩手前ぐらいの状態だった。

けれどまぁ、割と複数の強敵と悪条件で戦う事は多いため、慣れた光景ではある。

勿論一対一でここまでやられたのは初めてだし、意識があの世に飛んでいきそうだったのも流石に初めてだったが、怪我の程度としては慣れた物だ。

 

「ティルヴィング、血液損失と神経系保護は?」

『血液損失は7%程。神経保護には98%成功、リハビリも一週間で済むでしょう。臓器も心臓を貫かれていますが、それ以外の臓器は自己回復可能な範囲内の損傷です』

「ま、重傷一歩手前の軽傷って所か」

 

 軽口と共に僕は、意識が落ちて完全オートによるセーフティモードになっていた、狂戦士の鎧を発動。

全身が黒い粘度自在のバリアジャケットによって整えられ、戦闘可能な状態にまで戻る。

僕は立ち上がって首を軽く曲げストレッチしつつ、心臓をぶち抜いている邪魔な黒い槍を抜き、捨てた。

心臓が生まれて初めて止まったのは7年前のプレシア先生との戦いだったが、それから慣れっこになるほど心臓が止まっている事に、嘆けばいいのか笑えばいいのか。

内心溜息をつきつつ、ぱくぱくと口を開け閉めしているギンガを尻目に、ティルヴィングに話しかける。

 

「戦闘能力と、残魔力は?」

『戦闘能力は92%を維持。残魔力は11%を割ります』

「ま、そんなもんか」

 

 言って僕は、ティルヴィングを握る力を少し強めた。

白い魔力光と共に、バリアジャケットを生成。

黒いコートやらブーツやら、壊れていた戦装束が再生される。

 

「さて、すまねぇがリニス、小言は後だ。今は、戦いに行かないとならない」

「ま、待ってください、ウォルターさんっ! 戦うって、まだ!?」

 

 頷くリニスに割り込み、ギンガが吠えた。

僕は、ギンガの目を見つめた。

何故だろう、手に取るように彼女の恐怖と自己嫌悪が見て取れて、だから僕は彼女を安心させるために、可能な限り力強い笑みを作る。

あのまどろみの中で、ぬるま湯の感覚に溺れそうだった自分にも言うつもりで、僕は口を開いた。

 

「あぁ、まだだ。俺はまだ、戦える。戦って戦って、戦い続けられるんだ」

 

 

 

 

 



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6章6話

 

 

1.

 

 

 

「ソニカちゃんっ!」

 

 開けた草原の中。

駆けつけたはやて達は、裸身に黒いリボンを巻いた少女を囲み、デバイスを手に叫ぶ。

その中で一人、はやては手にした白剣の書に何時でも魔力刃を放てるよう、手を差し伸べながらの言葉である。

ユニゾンするリィンが泣きそうな目になるのを感じつつも、はやてはそれを辞めない。

 

「ソニカちゃん、大丈夫か!? 意識は? 黒翼の書はっ!」

 

 叫ぶはやての視線の先、ソニカ=黒翼の書は、見目にその体にはほとんど傷は無かった。

唯一と言っていい傷は、その両翼がずたずたに引き裂かれているのみで、黒翼の書の影響がどれほど解けているかは分からない。

はやてらが見守る中、小さく呻きながら、ソニカがその目を開く。

現状を把握すると同時、咆哮。

 

「早く、私を殺してっ!」

 

 その内容は、ウォルターの失敗を意味する言葉であった。

はやては、瞳孔が収縮するのを感じた。

吐く息が乾き、喉奥が裂けんばかりに枯れ果てて行くのを感じる。

全身から力が抜け落ちそうになるのを押さえるので、必死だった。

 

「少しの間飛べないけど、まだ戦闘はできちゃう……。私の意識で押さえられているのは、後数分も無い! お願い、早く、私を……!」

 

 悲痛な叫びに、局員達は誰もが視線を逸らす。

ウォルターを信じようと説いたハラマでさえも、唇を噛みしめ視線を足下にやった。

はやての中のリィンでさえもが、涙を目尻に溜めながら口元に手をやり、耐えきれずに視線を逸らす。

最早、この場にウォルターの勝利とソニカの生還を信じている者は居なかった。

 

 はやては、ゆっくりと手を振り上げた。

静かに掌へと魔力を集中、生まれた氷の短剣を手に、ソニカへと視線をやる。

ソニカは、歯を噛みしめ、唇を奮わせ、涙を堪えながら、それでも静かに頷こうとして。

目を、見開く。

 

「クリッパー!?」

 

 反射的にはやてらが振り返ったそこには、強化魔法と共に走ってきたのだろう、肩で息をするクリッパーが居た。

見れば、当然ながらその体を束縛していたバインドは既に無い。

バインドブレイクに成功していたのだ、と悟ると同時、はやての脳内に疑問が。

吐き出すよりも早く、同じ意図でソニカが叫ぶ。

 

「嘘、バインドが解けたのなら、なんで逃げなかったの!?」

「なんでって、当たり前だろうっ! 君を残して、一人で逃げられるかっ! 家族だろうがっ!」

 

 雷鳴のような言葉であった。

今正にそのソニカを殺そうとしていたはやての脳裏に、クリッパーの言葉が煌めく。

はやての脳裏に、愛する騎士達の姿言葉が過ぎった。

シグナム、ヴィータ、シャマル、ザフィーラ、リィンフォース・アイン、そして今も共にあるリィンフォース・ツヴァイ。

そんなはやてへと向き直り、叫ぶクリッパー。

 

「頼む、何だってする! 命だって、残る生涯だって、何にでも捧げてみせよう! だから、この娘だけは! ソニカだけは、殺さないでくれっ!」

 

 次いで、土下座。

震えながら枯れた声で叫ぶ彼の様相は、情けなくも、その意思の真摯だけは伝わってくる。

その真摯さが、心に痛かった。

はやては、これからその真摯な祈りをへし折り、白剣の書を破壊しソニカを殺さねばならないのだ。

 

 吐き気がした。

はやては、かつて世界の為に殺されようとし、奇跡で救われた少女だった己は。

世界の為に殺されようとしている少女を、奇跡など起きないと断じ、殺そうとしているのだ。

家族の命乞いをする男の前で、はやての家族の命の為にと、男の家族である少女を。

ユニゾンした家族の、末の妹であるリィンの前で、外道の行いをし。

ソニカを、その少女を。

殺す。

殺すのだ。

 

 覚悟は揺れに揺れ、定まる事なんてありはしない。

それでも、と氷の短剣を握る己の手に力を込め、震える喉での呼吸を荒くし、歯を噛みしめた。

己を見つめるソニカの、クリッパーの、そして内側からのリィンの目を受けながら。

それでも最後に、はやては呟いた。

どうせ意味の無い言葉。

自分の中に少しだけ残る、燻った希望を殺す為の、消化試合。

ただの、誰にも聞こえない筈の呟き。

 

「たすけて……」

 

 なのに。

応えは返ってきた。

 

「――応っ!」

 

 はやては、思わず全ての思考を捨て去り、振り返った。

その視線の先には、炎の意思を秘める男が。

次元世界最強の魔導師が。

はやての英雄が。

 

 ――ウォルター・カウンタックが立っていた。

 

 

 

2.

 

 

 

「嘘っ!? さっき、確かに心臓を貫いちゃった筈なのにっ!?」

 

 思わず叫ぶソニカに、目を見開くその場の面々。

人類としての常識だが、普通心臓を貫かれたら死ぬ。

しかし、目前のウォルターは確かに心臓を貫いた筈なのに、ピンピンと立っていた。

そんなソニカに、野獣の笑みを浮かべ、ウォルター。

 

「いいや、俺は死なないっ! そして、俺は負けない。誰にも、何にもだ!」

 

 ぞ、と。

ソニカは、理由もなく、背筋が沸き立つのを感じた。

心の内側が、爆発するかのような炎で満たされる。

心の血管を凄まじい勢いで烈火が駆け巡り、全身を熱い血潮で満たした。

 

 何だ、この人は。

これが人間が持ち得る、心の炎だと言うのか。

人類として、否、命を持ちうる者の一人として、ソニカは叫び、驚きを露わにしたかった。

しかし、目前の男の、心臓を鷲掴みにし、誰もの心を引き寄せるような魅力が、そうさせない。

確かに彼は、初めて見た時から熱い、血潮燃えたぎる男であった。

しかし今の彼は、先ほどまでの彼でさえ線香花火の炎に思えるような、爆発的な熱量を心に宿している。

 

「貴方は……! 何、何なの!?」

「……悪いな。お喋りしてやりたいのもやまやまなんだが、流石にあんまりペラペラ喋ってる力は残って無くてよ。だがまぁ、丁度いい、元々省エネの為に開発していたら、できた必殺技がある。まだ未完成だが――」

 

 言って、ウォルターは黒衣をはためかせながら、黄金の巨剣を構える。

瞬間、ソニカは、全身に異物感を憶えた。

一瞬遅れ、無数の刺傷の感覚だと分かったその次の瞬間、気付く。

幻覚。

ウォルターの闘志に、ソニカは全身を杭で串刺しにされたかのような戦慄を覚えたのだ。

脂汗を浮かべ、生唾を飲み込むソニカに向け、ウォルターはゆっくりと剣を振り上げる。

 

「――一撃で。決めてやる」

 

 ウォルターの輪郭が、歪んだようにさえ見えるほどの闘気。

黄金の巨剣が、モノクロの輪郭のみに幻視するかのような、戦慄。

全身を刺すような空気が、全身を杭で串刺しにされるかのような感覚にさえ感じる。

ソニカは、最早ウォルター相手に黒翼の書を押さえる事を忘れていた。

生存本能に突き動かされ、黒翼の書と一体になり、目前の男を突破する事だけを考える装置と化す。

 

 ソニカ=黒翼の書の戦闘能力は地上では大凡9割を維持し、無理矢理飛行すれば7割程度に落ちる。

魔力は全開時の6割程度まで落ちているが、目測でウォルターの6倍以上はあった。

戦力比は圧倒的にソニカ=黒翼の書の方が上の筈。

このまま戦えば十中八九はソニカの勝利は揺るがない、筈。

 

 なのにどうしてなのか、ソニカは、黒翼の書は、半ば己の敗北を確信していた。

少なくとも、傷ついた翼を使った飛行魔法を発動しようとすれば、もしくは翼を再生しようとすれば、次の瞬間敗北が決定する。

当然、背を向け逃げても、確実な敗北が待っているだろう。

理由もなく、ただ命を突き動かす本能がそう囁いていた。

 

 では立ち向かわねばソニカの勝利は無いが、どうすべきか。

一撃、この一撃を凌げば、恐らくウォルターは継戦能力を失うだろう。

狂戦士の鎧の維持にはある程度の魔力が必要だ、それを全力戦闘域で使うのなら尚更の事である。

故にウォルターが断空一閃級の一撃を放てるのは、あと一度。

そしてそれ以下の威力であれば、ソニカのバリアジャケットを前では牽制以上の意味を持つ事は無い。

 

 その一撃も、軌道は割れていた。

少なくとも始点は上段、それも中央付近から。

無論踏み込みの時に揺らす事ぐらいはできるだろうが、それでも中段の構えと比べ、今のウォルターの大上段の構えは大きく自由度が下がっている。

ならば当然左右に翻弄する動きをすれば、避けられる可能性は高い。

勝機が見えない相手では無いのだ。

 

 なのにどうしてだろうか。

ソニカは、黒翼の書は、今のウォルターを前に自分が勝利する姿を全く想像できなかった。

逆に、ウォルターの宣言通りに一合で切り伏せられる姿をしか、想像できない。

歯噛みし、苦悩するソニカ。

あまりにも強烈な目前の存在に、ソニカは、黒翼の書は、圧倒されていた。

 

 それでいい筈なのに、己が敗北してむしろ利となる筈なのに、ソニカはそれすら考える余裕も無い。

非殺傷設定があり、ウォルター自身ソニカを殺そうなどと欠片も思っていないだろうという確信がある。

事実、ソニカはウォルターの剣から殺意は欠片も感じない。

それでも尚、ソニカはこの剣に切られて生き残れるとは、思えなかった。

それほどまでに、目前の剣は、ウォルターは、圧倒的存在感があった。

 

「ぁ……」

 

 どれほど時間が経っただろうか。

時間の感覚すらもが曖昧で、まだ数秒しか経っていないような気もするし、数時間経過したような気さえもする。

太陽と影の関係から大凡は割り出せるのだろうが、他のことに意識を裂いた瞬間、ソニカは敗北を喫するに違い無い。

 

「ぁぁああっ!」

 

 己の内側で膨れあがる、ウォルターの存在に、ついにソニカは負けた。

これ以上、目前の圧倒的存在と対峙する事に、ソニカは、黒翼の書は、耐えきれなかったのだ。

半ば半狂乱に、その圧倒的な魔力を解放。

その手に籠め、コロナ・コーティングを発動し、魔力付与手刀を準備する。

神速の踏み込み。

左右に揺れるそれと共に、ウォルターへとソニカ=黒翼の書から突進。

後先を考えず、ウォルターの断空一閃以上の魔力を籠めたそれを、ウォルターへと振るい。

 

「――……」

 

 白い、閃光。

その魂をも焼き尽くすような光が、次の瞬間、ソニカの身を切り裂いていて。

 

「……ぁ」

 

 小さく声を漏らし。

刹那遅れ、ソニカ・デュトロは、黒翼の書は、己達が敗北した事を確信した。

――暗転。

 

 

 

3.

 

 

 

 低い駆動音。

外気をかき回すプロペラの音は、ヘリの分厚い装甲に遮られ、さほど大きくは聞こえなくなっていた。

それでも心臓の鼓動音をかき消すのには十分な音量で。

ヘリ後部の座席、応急処置を終えたウォルターが横になった側に座るギンガは、片手を己の心臓の上に、もう片手をウォルターの胸へとやる。

聞こえなくても感じられる、心臓の鼓動。

 生きている。

ウォルターは、生きている。

それが確かめられただけで、涙が溢れそうだった。

先の惨状から想起されるウォルターの現状を思うと、彼が生きている事を今なお信じ切れなくて、ギンガはただただ歯を噛みしめる。

 

 瀕死のウォルターは、確かに狂戦士の鎧なる魔法で戦闘可能な状態に復活した。

その後ソニカへと挑み、あの背筋の凍るような、圧倒的な威圧を伴う魔剣技を放つ。

リニス曰く、あらゆる魔力防御をくぐり抜ける事ができるという、成功すればあらゆる魔導師を一撃で倒す事が可能な技なのだとか。

超絶技巧が必要となるため未だに成功率が5割を切るそうだが、ウォルターはあの土壇場でそれを成功させ、ソニカ=黒翼の書に勝利してみせた。

が、集中力が切れてしまったのだろう、直後意識を失い、倒れてしまったのである。

直前の怪我を見ていたギンガなどは、ウォルターが死んでしまったのではとさえ思ったのであった。

使い魔として主人の生存を確信しているリニスが居なければ、果たしてギンガは狂態を晒さずに済んだか、分からない程である。

 

「無茶、しないでくださいよ……」

 

 無理なことを言っていると、ギンガ自身も分かっていた。

我が儘を言っていると、痛いほどに彼女は理解していた。

あの場でウォルターが無茶しなければ、確実にソニカは命を落としていた。

他の誰が許せても、ウォルター自身はそんな自分を許せないだろう。

誰にとってもどうしようもない状況で、何の希望も見えないとき、そんなときにさえ、いやむしろそんなときだからこそなのか、ウォルターは絶対に諦めない。

諦めず、結果を出し続ける。

それがウォルター、ウォルター・カウンタック、次元世界最強の魔導師なのだから。

 

 それでも、ギンガは彼に傷ついて欲しくなかった。

かといって、あの場で引くような男でもいて欲しくなかった。

つまり、ギンガはウォルターに、傷つく事無く強敵に勝てる男であって欲しかったのだ。

我が儘極まる事だと、ギンガは自分の感情を自覚していた。

していて、それでも押さえきれなかった。

あの死体と見間違うような状態で、それでも軽傷だなどとネジの外れた事を言って、ソニカに挑んでゆくウォルター。

その姿を見ると、心配で胸が張り裂けそうで、残酷な刃で心を引き裂かれるかのような気さえした。

勝手でも、我が儘でも、言わずには居られなかったのだ。

 

「貴方が傷つく事で悲しむ人だって、沢山居るんですから……」

 

 眼を細めるギンガ。

視線の先では、巨体に似合わず意外に子供っぽい寝顔のウォルターが。

小さく口をあけ、すうすうと寝息を漏らす彼は、常の血潮燃えたぎる姿が想像出来ないほどに穏やかだった。

こんなにも穏やかな顔ができる人が、あんなにも肉体を傷つけながら戦い続けている。

それが精神的には辛そうに見えないのが、痛々しさに拍車をかけていた。

 

「……ん……」

 

 小さく、ウォルターが呻き声をあげた。

目を瞬き、寝ぼけ眼で視線を天井に。

ふわふわと視線を動かし、ギンガに目を合わせると、急速に目が確りとする。

 

「おー……。ギンガか」

「ウォルター、さん……」

「応。ここって、ヘリの中、だよな……? ってちょっと待て、ソニカはっ!?」

「ってわっ、待ってください、大丈夫、大丈夫ですからっ!」

 

 叫び、飛び起きようとするウォルターをギンガは押さえつける。

痛みに耐えかねた様子で呻き声をあげ、ゆっくりとウォルターはベッドに横になった。

疑問詞を視線に乗せるウォルターに、ギンガ。

 

「まず、ウォルターさんはソニカに、黒翼の書に勝ちました。あの技で黒翼の書は機能停止、ソニカと切り離されて摘出に成功しました」

「あー、確かに、その辺りで俺の意識が落ちちまったのか」

「はい。で、ウォルターさんもソニカもこの場では処置できませんし、特にウォルターさんは動かすのも危なかったので、ヘリを呼んで運んで貰っています。私とリニスさんは付き添いですけど……」

「……あぁ、そうみたいだな」

 

 と、ウォルターは視線をギンガから外す。

ギンガがその視線を追うと、その先には毛布を抱きしめた、椅子に座ったまま眠りこけているリニスの姿があった。

先ほどまでヘリに乗ってきた医務官たるシャマルと共にウォルターの処置をしていたのだが、ヘリ内でできる事を終えると、糸が切れたように眠ってしまったのである。

シャマルはウォルターの容体が安定したのを見計らい、ソニカが乗せられたヘリへと移っている。

深部まで一体化していた黒翼の書を摘出されたソニカの容体も、ウォルターほどではないが悪く、処置が必要な為だ。

無論転移魔法のマーキングはしてあるので、ウォルターの容体が悪化してもすぐ駆けつけられるという前提あっての事だが。

 

「で、ソニカの体は、黒翼の書無しでも大丈夫そうなのか、分かったか?」

「はい。幸いシャマル先生の古代ベルカ時代の医療魔法に適した物があったようで、時間はかかりますが、ほぼ健康体に戻れるようです。尤も、上がった魔力キャパシティはそのままなので、元通りという訳にはいかないようですが……」

「ま、とりあえず何とかなったみたいで良かったさ。大口叩いておいて、最後まで面倒見切れなかったからなぁ」

 

 ぼやくウォルターに、ギンガは胸を締め付けられたかのように感じた。

手足の先が冷えて行き、理由もなく体温が顔面に集まってきて、涙を堪えるのに必死になる。

無茶をしないで、と言いたかった。

けれど先ほど思った通りその言葉はあまりにも身勝手で、少なくともこの人の、ウォルターの前で言うのは憚られる程で。

言えない。

意識の無いウォルターの前でしか、言えない。

だから代わりに、ギンガは俯き、膝の上で両手をぎう、と握りしめる。

 

「ウォルター、さん」

「うん? どうした?」

 

 怪訝そうにウォルター。

対しギンガは、かつてと同じあの言葉を言おうとして、口が動こうとしないのに気付いた。

心では言いたい、言わねばならないと思っていても、体が言う事を利いてくれない。

ギンガは、その場で深呼吸をしてみせた。

震えた吐息ばかりが漏れ、内心の動揺が空気分子へと伝わって行く。

それを見抜いているウォルターが眼を細めて行くのを尻目に、吐き出すようにギンガは問うた。

 

「お母さんは、どんな最後だったんですか?」

「言えない。……すまんな、言えないんだ」

 

 ウォルターはギンガから一切視線を逸らさず、その真っ直ぐな、燃えさかる瞳のままに告げた。

ギンガは、思った通りの反応が返ってきた事に、喜べばいいのか悲しめばいいのか、分からない。

結局中途半端な表情が顔に表れ、そのままに続ける。

 

「そう、ですか。……分かりました」

 

 意外性のある返事だったのだろう、ウォルターの眉が飛び跳ねた。

それに僅かに微笑みながら、ギンガ。

 

「だったら、何時か。何時か、ウォルターさんが話してくれる時が来ると信じて。――待ちます。ずっと、待っています」

「……俺が、何時か話すなんて保証は無いぞ」

「それでも、私が、勝手に待ちます」

 

 待てる。

今になって、5年の時間を経た今になってようやく、ギンガはそう確信する事ができた。

ウォルターの言葉を再び聞いて、やっとの事でギンガは彼を信じられるようになったのだ。

何故なら。

 

「ウォルターさんの戦いを見て。あんなに傷つきながらも戦っている姿を見て。その、背中を見て。考えたんです」

 

 ギンガは静かに両手を伸ばし、ウォルターの肩に手をやった。

人肌の体温が、手を通じて伝わってくる。

 

「例えお母さんが死んだのが、ウォルターさんのせいだったとして。貴方は、絶対にそれを正直に言う。言って、傷ついて、それでも自分が傷ついている事にすら気付かずに進んでいく。貴方は、きっとそんな人です。そういう、強い人です」

 

 困り切ったような、ウォルターの笑顔。

俺はそんなんじゃあない、とでも言い出しそうな彼の表情に、間髪入れずにギンガは続ける。

 

「けれど現実に、貴方は私に、私たちに何も話してくれない。それはきっと」

 

 言って、ギンガは微笑みかけながら告げた。

 

「――真実が、お母さんの名誉を傷つけるような事だから、ではないですか?」

 

 ウォルターの心が変わっていなかった事に気付いたギンガは、考えていた。

ウォルターがギンガに真実を告げない理由は、何か。

ギンガ達を傷つけたくない為だろう、というのは、既に考えついていた。

けれど、どうやって傷つくのだろうか、と考えてみると。

例えば、ギンガが最も聞きたくない真実は一体何なのか。

ウォルターが最も告げたくない真実とは、一体何なのか。

そうやって考え、やっとのことで思いついた事。

それが、母が名誉を失うような最後だったという事。

 

「さて、どうだろうな」

 

 はぐらかすウォルターに、ギンガは思わず眼を細める。

本当にその通りなのかは、今もギンガには分からない。

事実ウォルターは微動だにしない鋼鉄の表情を保っており、ギンガの推測が当たっているのか居ないのか、全く分からなかった。

けれど、大きく的が外れていたのであれば、ウォルターは軌道修正をさせるために、ギンガにそれが失敗と分かるような仕草をしていただろう。

それすらないという事は、当たらずとも遠からず、という可能性は高い。

 

「ウォルターさんが私たちに真実を言わないのは、私たちがその真実に耐えきれないから、だと、私は思っています。だから」

 

 言って、ギンガは両手を己の胸にやった。

両手を重ねながら、口元を緩め。

ついにぽろり、と目尻から涙を零しながら。

微笑んだ。

 

「――何時か、私やスバルが真実に耐えきれるぐらいに強くなったら。その真実を、教えてもらえますか?」

 

 苦虫を噛みしめたような顔の、ウォルター。

視線を逸らし、小さく溜息をつき、苦々しげな言葉で告げる。

 

「……待つのは勝手だ。俺が何時か話すとは限らないし、そもそも言わない理由だって合ってるかは限らないけどな」

 

 最大限の譲歩に、ギンガは、顔面に体温の塊が上ってくるのを感じた。

思わず俯き、嗚咽を漏らすのを辞められなくなる。

大粒の涙を零しながら、ギンガはただただ涙を零し続けた。

 

 今まで、ギンガ・ナカジマはウォルターに甘えていた。

彼ならどれだけの憎悪を受けてもびくともしないと甘え、彼ならどんな事があっても負けないから、どれだけに憎んでも良いと甘えていた。

けれど現実に、今回のウォルターの戦いは薄氷の勝利だった。

いくらウォルターの心が強くても、死んでしまえばもう甘える事はできない。

当たり前の事実に、けれどようやく気付く事ができたから。

 

 未だに、ギンガはウォルターに甘えを持っているのは確かだろう。

けれど、ギンガは今のやりとりで、ほんの少しでも自分の足で立ち、甘えを少なく出来たのではないか、と思えて。

それがあのウォルターにほんの少しでも認められたかのように思えて。

たったそれだけが、号泣する程にギンガの心を揺らしていた。

 

 必ず待とう、とギンガは思った。

必ず、何時か必ずウォルターが真実を告げる日まで、待ってみせよう。

ただの一人も欠ける事なく、その力を、心を磨いて。

そしてその時が来たら、きっとギンガは傷つくだろう。

スバルも、ゲンヤでさえも傷つくのだろう。

けれどその時、もし自分が立っていられれば。

ウォルターに甘えず、少しでも自分の足で心の地平を踏みしめる事ができていれば。

 

 ――少しでも、ウォルターの近くに立つ事ができれば。

 

 それはとても素敵な事なのではないかと、思えて。

何時か来るだろうその日まで歩いて行けると信じ、それでも今だけはギンガは泣き続けるのであった。

 

 

 

4.

 

 

 

 ノック音。

どうぞ、と伝えてすぐ、遠慮がちな力でドアノブが回され、開く。

白磁のドアから顔を覗かせたのは、私服姿の金髪蒼眼の小太りの男、ハラマだった。

Tシャツにジーンズ姿なのだが、Tシャツがパンパンに張っていて、プリントが伸びているのは何かの突っ込みどころなのだろうか。

意外な人物に目を見開く僕を尻目に、明るい声で果物の入ったバスケットをかかげ、彼が言う。

 

「おう、元気かウォルター。見舞いに来てやったぜ」

「お、ありがとな。一週間ぶりぐらいか?」

 

 へへっ、と何故か誇らしい顔で、ハラマは荒っぽい仕草で果物をベッドサイドのチェストに置いて見せた。

キャスター付きの椅子を足で引っ張り、背もたれを股に挟んで座る。

悪そうな、それでいて憎めない笑みを見せるハラマ。

 

「そーなるか。でまぁ、気になるだろう? ソニカとクリッパーがどうなったか」

「……まぁな。流石に病院の中じゃあ、テレビぐらいしか情報収集はできないからなぁ」

 

 実を言えばリニスがちょこちょこと集めた情報をくれては居るのだが、あまり綺麗な手段ではないので、一応局員のハラマには言いづらい、という側面もある。

故にそう告げる僕に、嬉しそうにうんうん、と頷き、ハラマは2人の処遇を告げた。

 

 まず、クリッパー。

人体実験を続けた罪は重く、彼の自供でいくつもの違法研究施設の摘発が進んだ事を考慮しても、長い懲役が与えられるのが妥当だ。

しかしソニカ戦の最中にバインドブレイクを成功しながら、逃げずに命がけでソニカの命乞いにやってきた事から、反省の余地ありとされている。

当然裁判はまだだが、可能ならば研究者として人々の役に立てる生涯を与えてやりたい、というのがハラマの弁だった。

 

 そして、ソニカ。

彼女はクリッパーとシャマルの手によって、無事ほとんど健康体に戻れたらしい。

あと数ヶ月は経過を見る必要はあるそうだが、今の所は魔導師としてのキャパシティが上がったぐらいで、他に変わった所も無いとか。

引取先だが、ソニカの両親は借金苦で彼女を違法研究施設に売った後、自身の血や臓器を売って生活し、最後には闇社会に殺されたと言う。

かといって、クリッパーのような犯罪者の元に身を寄せる事もできはしない。

よって今は管理局の保護施設で教育と共に心身のケアを行っており、将来的には外の普通学校への通学も考慮されているのだそうだと言う。

とは言え本人は、できればクリッパーと共に居たい、とは思っているようだ。

あまり実現性の高い将来ではないが、人体実験の材料にされながらもクリッパーを信じられるほど心の強い彼女ならば、何時か実現してみせるのかもしれない。

 

「なるほど。ま、何とか今回の事件は上手く収まったって事になるかな」

「クリッパーの犯してきた罪を思うと、大団円とは言えねぇが……。まぁ大凡の所は、って事になるわな」

 

 皮肉気に肩をすくめるハラマ。

小太りな彼のその仕草は、何でか異様に似合っており、こちらを微妙な気分にさせてくれる。

トマトとミントガムを一度に食べたかのような微妙な顔をしている僕に気付いたのか、ふ、とハラマ。

 

「まぁ、今回は2人とも、お前が説得するまでもなく自分の意思を知っていて、あとは倒すだけだったからな。物足りなかったか?」

「いんや。お前の顔と仕草が妙に合っていて、微妙な気分になってただけだ」

「ふっ、まぁそうか。そういう事にしとくよ」

 

 正にそういう事なのだが、謎の勘違いから明後日の方向性で納得するハラマ。

最早誤解を訂正するのも面倒くさく、内心溜息をつく僕の耳に、再びノック音が響いた。

思わずハラマと視線を見合わせ、それからどうぞと告げ客を促す。

 

「あ、ハラマ君も一緒やったんか」

 

 と、入ってきたのははやてであった。

制服ではなく私服なのを見ると、今日は休暇なのだろうか。

それにしても、気のせいだろうか、私服に結構気合いが入っているような気がする。

ガーリーな白いワンピースに、袖の短い薄手のサファイアブルーのカーディガン。

ワンピースには服本体と同系統色のフリルがついており、可愛らしいデザインが強調されている。

夏らしい服に、最近冷房完備の室内で回復に努めていた僕は、そういえば今は夏なんだよな、などと言う間抜けな感想を抱いた。

無論、それを口に出さない程度には賢明だったけれども。

 

「ふーん。なるほど、なるほど」

 

 と、何故かとてつもなく嬉しそうな笑みを見せるハラマ。

にやついた笑みで視線を僕とはやてで往復させ、ニヤニヤとしながら、粘っこい声を作って続けた。

 

「まぁ、なんっつーの? 俺ってお邪魔虫になるのは勘弁だし? うん、ここはちょっと退散させてもらおうかなぁ。じゃあ、また今度ぉ~」

 

 止める間もなくまくし立てたハラマは、何故かドップラー効果たっぷりの声を伸ばしつつ、病室を去って行った。

呆然と見ている事しかできなかった僕は、思わず呟く。

 

「なんだったんだ、あいつは……」

「き、気を利かせてくれたんかな?」

 

 何の気を利かせたのだろうか。

疑問詞を抱く僕に、はやては見舞いに持ってきたのだろう果物の盛り合わせを置くと、ゆっくりと腰掛けた。

スカートを巻き込まないよう手を動かし、ゆっくりと腰掛けるその様は、思いの外似合っている。

思わず、呟いてしまう僕。

 

「上品だなぁ」

「え?」

「いや、さっきのハラマなんて、こう……足で椅子引っ張って、背もたれを股に挟んで座ってたからなぁ。ついつい」

「あはは……。まぁ、その辺は聖王教会の教育の成果って事やね」

 

 と控えめに言うはやてだが、僅かに頬が赤い辺り、照れているのだろうか。

そんな彼女のいじらしさに微笑みつつ、僕らは他愛の無い話を始める。

何せ気になっていたソニカとクリッパーの処遇はハラマから聞いてしまったので、特に目的のある話も無くなっている。

八神一家の楽しそうな日常について、僕が聞き役として楽しく話を聞いていると、ふと、はやてが漏らした。

 

「そういや、ウォルター君、きちんと守ってくれたなぁ」

「ん? あぁ、7年前の約束の事か?」

「へ!? 憶えてたの!?」

 

 思わず、と言った様相で叫ぶはやて。

憶えていたも何も、混濁した意識の中、僕を現実に引き戻した2つの約束のうちの1つである。

とは言えそうは言いづらいので、僕は当たり前だと言わんばかりの表情で頷いた。

 

「応。まぁ、途中ボッコボコにされたから、かなり不安にさせちまったけど……」

「う、ううん、そんなことないっ! あ、いや心配だったけど、その、ウォルター君は必死で約束、守ってくれたから……!」

 

 何故か頬を林檎のように赤くし、体を縮めながら言うはやて。

恐らくは約束を疑った自分を恥じているのだろう。

とは言え僕自身、意識が混濁していた時は半ば以上忘れていたため、むしろ疑われて妥当だったと言うぐらいなのだし、思う所は無いのだけれども。

 

 約束。

僕が妄想を飛び出して現実に生き始めてから、得た絆。

それが無ければ、ティルヴィングの言葉でさえ現実の感覚を取り戻せなかった僕は、死んでいたかもしれない。

つまり今の僕を生かしているのは、約束があったからだ、と言っても過言では無いだろう。

 

 分かっている。

それがUD-182に依存していて、彼の疑似蘇生体を斬り殺した事で離れ始めていたとは言え、まだまだ依存があった僕が見つけた、新しい依存先に過ぎないのだと。

 

 けれど、辞められなかった。

UD-182が妄想だと知り、きっと本当の意味で立ち上がるには、まだまだ時間が必要だ。

けれど立ち上がるための時間を得るために心の柱は必要で、そのためには仮面を被る事は、やっぱり必要。

そのための理由作りに、僕は約束があるから、それを果たす為に仮面が必要だから、と立ち上がれているに過ぎないように思える。

クイントさんとの約束を果たすのに、仮面を被った僕の背中が必要だから。

はやてとの約束を果たすのに、仮面を被った僕の英雄としての振るまいが必要だから。

 

 全てとは言わない。

けれど、今の僕が辛うじて立ち上がれている理由には、確実に約束の重みが含まれていた。

 

「”今度何かあった時。はやて、お前にはどうしようもない、力及ばない、何かがあった時。その時は何の躊躇もなく俺に助けを呼んでくれ。今度こそ、何があっても犠牲一つなく、助けてみせる。約束するよ”」

「……本当に、憶えていてくれたんや」

 

 けれど。

クイントさんとの約束は、ギンガについては半ば果たされている。

はやてとの約束は、ソニカとの戦いで果たされた。

僕には、再び生きていく燃料とするため、約束が必要だった。

何時か、本当の意味で自分の両足で立ち上がれる日が来るのかもしれないけれど、その時まで支えとなる何かが。

だから。

 

「はやて。もう一回、約束しようか?」

「……へ?」

 

 疑問詞を浮かべるはやてに、僕はゆっくりと告げた。

 

「いや、俺としては、正直今回もボロボロになりながらのギリギリだったから、約束を果たせた感じがあんまりしなくてな……。今一、スッキリしねぇというか、何と言うか」

 

 言葉の上では軽く。

心の中では重く、縋り付きたいぐらいの気持ちで吐いた言葉だった。

きっと醜いのだろう、約束を生きる燃料にしたくて探す様は、舌をだらりと垂らしたハイエナの如く。

何かをはき違えた生き方をする僕の本性が綺麗なはずなどなく、汚濁に濡れた物に違い無い。

けれど。

はやては。

当然のように。

 

「ううん、大丈夫。要らんよ」

 

 静謐に、女神のような微笑みで告げた。

 

「むしろ、次は私がウォルター君を助ける番なんやないかな。まぁ、ウォルター君はそんなん要らん、ちゅうかもしれんけど」

「そ、そーか? いや、助けてくれる事自体は歓迎なんだが……」

 

 ポリポリと頭を掻きつつ、僕は震える内心に今にも崩れ落ちそうだった。

お願いだ、助けてくれ。

気付いてくれ、頼むから。

反射的にそう思い、思ってから、自分の醜さに反吐が出そうになる。

自分から被った仮面なのに、望んで被っている仮面なのに、相手は僕の仮面に騙されているだけなのに、都合のいい部分だけ素顔を見て欲しいと思っている。

そんな自分が、僕自身が、辛くて、苦しくて、仕方が無くて。

 

「えへへ」

 

 甘い声と共に、はやてが、僕の手を両手で握った。

満面の笑みを僕の薄汚れた顔に向け、告げる。

 

「ウォルター君、格好いい」

 

 止めろ。

 

「ウォルター君、格好いいっ」

 

 止めてくれ。

 

「ウォルター君、格好いいっ!」

 

 止めてください、お願いします……。

 

 いくら心の中で叫んでも、届くはずが無い。

口に出さねば、伝わる物も伝わらない。

けれど、口に出して言えば、僕は仮面を、自分のより所を失ってしまう。

心の中がねじ切れそうに辛くて、心臓が槍に貫かれるよりも痛くて。

それでも、僕は必死で笑みを浮かべた。

全身全霊で、内心汗水垂らし、表情筋を懸命に動かして。

笑った。

笑って見せた。

 

 ――僕は今、果たして本当に笑えているのだろうか。

それすらも今は、よく分からない。

 

 

 

 

 




ようやっと6章完結です。
1月中に、という目標だったので、何とか達成……。
この後閑話を1個挟んで7章・宿命編(sts)に入ります。

(追記)
気付けば、一番長かった拙作「ルナティック幻想入り」より長くなってました。
そりゃ、連載も長引く訳ですよね……。


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閑話3
閑話3


気の早い新生活風な忙しさで、盛大に遅れました。
が、まだ続くのじゃよ、という事で更新です。


 

 

1.

 

 

 

「うっし、ウォルター君より先ついたでっ」

 

 周りを見渡し、はやては呟いた。

気持ち急いだためにうっすらと浮いた汗を、ハンカチで拭う。

クラナガンの繁華街の駅前広場。

男女の逢い引きの待ち合わせ場所として有名なその場所に、はやてはウォルターとの待ち合わせ時間よりも1時間以上早く着いていた。

遅れないようにと必要以上に気を張ったためであるが、これだけ早いと、流石に重い感情だと思われてしまうかも知れない。

不安に、はやては手を握りしめた。

 

「……誘う時も、強引やったしなぁ」

 

 はやては、視線を雑踏へ。

ぼんやりと、1週間ほど前の事を思い出していた。

 

 八神はやては、ウォルター・カウンタックに恋をしていた。

何せウォルターは強くて頭も良くてしかも格好いい。

それだけならただの憧れなのだが、加えてウォルターは、はやてにとって自分だけの英雄だった。

かつて自分を命がけの戦いで救ってくれたばかりか、最近は、7年も前の約束を果たすために、心臓を打ち抜かれる重傷を負ってまで戦い、勝利を届けてくれたのだ。

はやてにとって、ウォルターは自分だけの英雄だった。

他の誰もがウォルターを英雄と認めていて、特別なことじゃあないと知っていたけれど、それでも、自分だけの物だと思いたくて。

独占欲。

それが醜い物と知りつつも、はやてはウォルターへの気持ちを抑えきる事ができなかった。

 

 だが、そこに一つ待ったがかかる。

はやての親友なのはもまた、ウォルターに恋をしていた。

はやての親友フェイトもまた、ウォルターに恋をしていた。

2人は互いの思い人がウォルターだと気付いていないようだったが、はやてはたまたま2人の恋する相手がウォルターだと気付いてしまった。

他の誰かならいざ知らず、親友が先に好きになった人を好きになるのは、はやての中ではルール違反である。

なのはの思い人がウォルターだと知らないフェイトなら兎も角、気付いているはやてが動くのは、駄目だ。

 

 いけない。

やっては、ならない。

そうは思っても、はやては自分の心を押さえきれなかった。

だって、なのはもフェイトも、ウォルターが実験体だった過去を乗り越えてきた事を知らない。

ウォルターがどれほど容易く、心の壊れそうだった人を救う事ができるのか、知らない。

なのに、なのはに、フェイトに、ウォルターを渡す事なんてしたくない。

 

「だから、たった一度、だけでも……」

 

 呟き、はやては立ったまま下ろした両手を指組みし、指と指の間をすりつけるようにする。

そうすると、人肌の感触が感じられて、それが自分の物だと分かっていても少しだけ安堵する事ができた。

 

 はやては、ウォルターとせめて、一回でいいからデートをしたい、と考えた。

それが最後のデートになるのかもしれないけれど、一度だって一緒に過ごす時間が無いなんて、嫌だ。

耐えきれない。

だからかなり強引に、しかも引かれないようデートとは明言せずにウォルターを誘い、折角の家族で集まれる休日もウォルターの都合に合わせ、ヴォルケンリッターの皆には休日をそれぞれで過ごして貰う事にした。

計画だって、一人でした。

最初で最後かもしれない今回ぐらいは、一人で計画したい、と言うはやての言を聞き入れ、ヴォルケンリッター達は内容を知らぬままである。

手伝ってくれようとした皆には悪い事をしたと思うが、少しでも後悔をしたくなかったのである。

 

「だって、最後かも知れへんもん……」

「何が?」

「何がって、そりゃ……」

 

 デートが、と言いかけて、辛うじてはやては静止。

ぎぎぎ、と油をさしていないブリキのロボのような動きで振り返り、視線を背後の声の主へ。

黒ずくめの、灼熱の感情を瞳に宿した、次元世界で最も燃えさかる魂を持つ男。

はやての英雄。

ウォルター・カウンタックがそこに立っていた。

 

「うぉ、ウォルター君っ!?」

「応、すまんな、待ったか?」

「ううん、今来た所……、って、そっちこそ何時から居たんねん!?」

「今正に来た所なんだが……」

 

 ぽりぽりと頭を掻きながら言うウォルターの顔に、嘘の色は無い。

飛び跳ねる心臓を内心押さえつつ、はやては思わずウォルターの顔をのぞき込んだ。

 

「本当か~? きちんと本当の事を言ってみ?」

「本当だっての」

 

 呆れたように言うウォルターの首筋からは、ほんの少し汗の臭いが感じ取れた。

衣服も注意して見なければ分からない程だが乱れており、走ってきた様子が見て取れる。

ちらりと腕時計の文字盤に視線をやると、時間はまだ約束の30分以上前。

となると、ウォルターはその人外の気配察知ではやてを待たせていた事に気付き、焦り走ってきたのだろう。

 

 ――意識、されとんのかな?

とは言え、デートと明言して誘った訳ではないので、ウォルターの認識は女友達と少し遊びに行く程度だろう。

なので単に、ウォルターが相手を待たせるのを嫌っているというだけかもしれないが。

とは言え気遣いはできるが、どちらかと言えば不遜なイメージのある男である、それでも急いできたという事は、そういう事なのかもしれない。

そう思うと少し溜飲が下がるような気がして、はやては薄く微笑んだ。

 

「ま、ええか、許したる! じゃあ、いこいこ、ウォルター君っ!」

「応、行くかっ」

 

 と、微笑むウォルターの顔に、はやては胸が高鳴るのを感じた。

オフの時のウォルターの笑顔は、何時もの燃えさかる物とは何処か違い、胸の奥が暖かくなるような感覚がある。

日だまりのようなそれに、思わず頬を赤く染めるはやて。

そんな風に真っ赤になっている自分を見せるのが、どうしてかとても恥ずかしい事に思える。

咄嗟にはやては、ウォルターを僅かに先導する形になり、歩き出した。

 

「おいおい、エスコートは要らないのか?」

「今日は大丈夫、私が街に不慣れなウォルター君をエスコートしたるからっ」

 

 驚くべき事に、フェイトに誘われるまで遊園地に行ったことも無かったというウォルターである、街に不慣れなのは予想できたし、リニスに裏付けは取ってある。

そんなウォルターにボーリングやカラオケなどの街遊びを教えるのも楽しそうだが、今日は女の子らしい自分を見て欲しいので、もう少し女の子らしい場所に行く事を計画している。

 

「よっしゃ、行くでっ」

 

 と、はやてが繋いだウォルターの手を引くのに、寸時遅れウォルターがついて行く。

巨漢のウォルターの目前を、背の小さなはやてが先導してゆく姿は、見目に何処かちぐはぐで可笑しな組み合わせとなるのであった。

 

 

 

2.

 

 

 

 待ち合わせの時間は、昼近くであった。

故に2人は出会ってまずランチをと、はやての先導で歩んで行く。

 

「えへへ、今日は私の女子力を完全発揮やで~!」

「お、おう、お手柔らかにな」

 

 どんな店を想像したのか、ウォルターの表情は僅かながら引きつっている。

それでも違和感を僅かにしか感じない辺り、やはり彼は気遣いのできる男である。

一人納得する部分と同時、微笑ましくも思え、はやてはくすりと微笑んだ。

 

「大丈夫、ファンシーショップとかは行かへんよ。もっと大人の女子力というのを見せたるっ」

「そうか、楽しみにしてるぜっ」

 

 告げるウォルターの言葉の内容は、不慣れな街遊び故にか、普段に比して受け身である。

奇妙な感覚を覚えないでも無いが、それ以上にチャンスだ、とはやては捉えた。

いつも皆の先頭を行く英雄であるウォルターの前を歩ける機会など、滅多にあるものではない。

不思議と沸き上がってくる笑みを押さえきれないままに、はやては繋いだ手の先の体温を感じながら、先を行く。

 

「それにしても、ウォルター君、直接会うのは二ヶ月ぶりぐらいかな?」

「えーと、黒翼の書事件が7月半ばだったから、そんなもんか。久しぶりに会えて嬉しいぜ」

 

 と、世間話を始めようとすれば、気障な台詞である。

思わず頬が赤くなるが、それを素直に見せるのも恥ずかしく、はやては冗談めかして告げた。

 

「きゃ~、気障な台詞ぅ。ウォルター君、誰にでもそんな事言うとるの?」

「へ? 気障か? まぁ、誰にでもは言わない台詞だが……」

「へ?」

 

 つまり、相手がはやてだから、そう言ったのだろうか?

頭の中が真っ白になるのを感じ、はやては一瞬停止した。

目を瞬き、全身を流れる血が早くなるのを感じつつ、あははと笑いながら続ける。

 

「またまたぁ、格好言い事言っちゃって!」

「ん? お、応」

 

 告げるウォルターの顔は、冗談として取られたと受け取ったのだろう、複雑な表情であった。

会えて嬉しいと告げて冗談だと思われるのは、不愉快であっても愉快ではあるまい。

どうして、こんな事言っちゃたんだろう。

デートを始めて数分で早速後悔に襲われそうになるはやてだったが、今ならまだ挽回できる、と奮起。

思い浮かんだ台詞に頬が林檎のように赤くなるのを感じつつも、全力を賭して口を開く。

 

「で、でもな、ウォルター君」

「うん?」

「わ、私も……久しぶりに会えて、嬉しいで……」

「……おう。ありがとなっ!」

 

 上目遣いに見るウォルターの笑顔は、あの英雄染みた心燃える成分が殆どではあったが。

その中にほんの僅かに、何処か胸の奥をつんざくような、切ない部分が含まれているように感じた。

そんな切ない部分が、果たしてウォルターの内部に存在するのだろうか?

否。

恐らくそれは、はやての妄想である可能性が高い。

ウォルターに弱い部分があって、それを自分にだけ垣間見せてくれているなど、ウォルターに恋するはやてにとって都合が良すぎる妄想に過ぎないだろう。

現実は恐らく厳しく、ウォルターは完全無欠の英雄で、はやては実験体関連でウォルターの弱い部分を知っているが、はやてにだけ垣間見せている訳ではないのだろう。

それでも。

はやては、妄想かもしれないと思いつつも、その切ない部分に手を付けずには居られなくて。

口を開こうとした、その瞬間。

 

「あれ、ここじゃないのか? はやてが予約した店って」

 

 現実に、引き戻された。

慌て視線をやると、確かに自分の予約した店の看板が。

あまり頻繁に行く店ではないが、リンディ経由で知った地球で言うカジュアルなフレンチに近い料理を出す店だ。

都合の良い妄想に引きずられて何を言うつもりだったのか、恥ずかしさを笑みで誤魔化し、ウォルターに言う。

 

「そ、そーやな、ごめんごめん通り過ぎる所やった」

「あぁ、それはいいんだが、ここの中は……」

「うん、とりあえず中入って席案内してもらおか」

「うん、だが……」

「大丈夫、ドレスコードとかある感じのお店やないから、気軽に入れるでっ」

「いや、まぁ、いいのか?」

 

 謎の疑問詞と共に、はやてと共に店内へ入るウォルター。

その言葉を置いて店員に予約席に案内してもらうはやてだが、すぐにその内容を知ることになる。

というのは。

 

「……主はやて?」

「あれ、はやてじゃん」

 

 隣の席に、ザフィーラとアルフが座っていたのであった。

思わずウォルターへと振り向くと、だから聞こうとしたんだが、と呟く。

どうやら先ほどの台詞は、その人外の気配察知で2人の気配を察知したためらしく。

 

「…………」

 

 あかん、と思いつつも。

今更席を離れるというのも気まずすぎるし、後に尾を引いてしまう事に違いは無く。

はやては視線をアルフ達のテーブルの上へ。

写真で見た、はやてが予約注文しておいたのと同じコース料理の1品目が、まだ殆ど手を付けられずに残っている。

つまり、食事を終えるタイミングも同程度。

加えて。

 

「……まぁ、うん、アルフとザフィーラって、その、付き合ってたのか?」

「……うむ」

「ま、まぁそうなるね」

「そっか、おめでとう!」

 

 と、2人を祝福している様子のウォルターを、蔑ろにもできない訳で。

 

(申し訳ありません、主……)

(え、ええよ、偶然やもん、ザフィーラに責任は無いもん……)

 

 とまぁ。

はやては何とも言えない食事を続けるほか無いのであった。

 

 

 

3.

 

 

 

「む~」

 

 と漏らしながら、はやては頬を膨らませていた。

隣を歩くウォルターは、困り果てた様子で、はやての機嫌を取ろうと話しかけてくる。

 

「すまんすまん、2人を見てたら祝福してやりたくってさ」

「別にそれが悪いなんて言っておらんもん」

「そうか? じゃあ機嫌直してくれないか?」

「機嫌悪くなんかないもん」

 

 視線を背けたままのはやての様子に、参ったとばかりにウォルターは頭を掻いた。

それを視界の端に映し、大人げなかったかな、とはやては思う。

ウォルターの性格からして、2人を祝福するのは当然の行為だろう。

なのにそれで機嫌を悪くしてみせるはやては、きっとウォルターにとって面倒くさい女だ。

嫌われたく、ない。

けれど胸の奥にあるもやもやを燻らせたままでこの時間を過ごすのも嫌で、ついついウォルターに甘えてしまう。

 

 二律背反の感情に、はやては胸の奥を切なくさせた。

冷たく滑らかな物に心を擦られるような、独特の感覚がはやてを襲ってくる。

自己の内側に意識が行きそうになると同時、ウォルターの声が、はやての心を奮わせた。

 

「ほら、そうだ、あそこの店とか雰囲気良さそうだな」

「……うん。ダーツとかあるお店やったよ」

「あ、まだ開いてないけど、ここ外から見た感じ雰囲気いいな」

「……そこはスモークバーやからなぁ、煙草吸わへんから、行かんかな」

「よ、よく知ってるなぁ。あ、あっちは」

「……東洋風のカフェやな。名前なんつったっけ、第9管理世界の首都付近がネタ元らしいで」

 

 はやての機嫌を直そうと、必死に慣れない街の話題を振ってくるウォルター。

常の彼にはない必死さは、それだけはやての機嫌を取りたいという意欲の表れである。

はやてが自分の英雄を独占しているかのような、感覚。

満たされて行く自尊心に機嫌を直したはやては、町並みが目的地に近づいてきたのも相まって、これで許してあげよう、と決めた。

決まれば早速、とばかりにはやてはウォルターと手を繋いだまま躍り出て、向かい合う。

 

「さて、目的地はここや、私が良く行っているお店。ウォルター君は、さっきの罰として、私に似合う服を一緒に探す事っ!」

「応。まぁ、美人に似合う服ならなんとかなりそうだな」

「び、びじ!?」

 

 思わず叫ぶはやてに、何のことだと言わんばかりに首を傾げるウォルター。

何の気負いも無いその様子が、彼の言葉が本心からだったとはやてに伝えてくる。

頬が林檎のように赤く染まるのを感じながら、はやては慌てウォルターの手を引っ張り、先導する。

ただでさえ恥ずかしくて頭が茹だりそうだと言うのに、加えて赤く染まった頬を見られるのは、いくらなんでも恥ずかしすぎる。

 

「ほ、ほら、行くでっ」

「って、そんなに急がなくてもいいんじゃないか?」

 

 訝しげなウォルターに、当然はやては振り返る様子を見せず、大股に店へと歩みを進めていった。

リニスを通じ、はやてはウォルターの経済状況は割と裕福であり、金銭的にさほど遠慮は要らないと把握していた。

しかし服飾にさほど強い興味は無いのも確かである。

すると高過ぎる店に行くと引かれてしまいそうなのだが、かといってあんまり安っぽい店に行って、安っぽい女と見られるのも嫌だ。

悩んだ結果、いつもより少し高い店に行く程度に落ち着いた。

と言っても、幼少時より生活費の管理をしてきたはやてである、財布は太っていても、紐は固めだ。

収入に比して控えめな店ではあるのだが。

 

 店員の挨拶を浴びながら、はやてはウォルターの手を引きつつ階段を下り、レディースフロアに着く。

そこでようやく頬の紅潮が落ち着いてきたはやては、視線をウォルターへ。

辺りを見回した後、落ち着かない表情をするのを見つけた。

 

「お、ウォルター君ってやっぱオシャレ空間とか苦手な感じなん?」

「なんだその、俺がオシャレじゃ無い感じの話は……。別に苦手でも何でも無いが、男だからなぁ、こういうフェミニンな空間はどうも」

「いや、いつも真っ黒やん、ウォルター君……。てか、これで苦手意識あるんか」

 

 と、口では僅かに呆れた様子を見せつつも、胸の内ではやては喉を鳴らした。

完璧に最も近い人間だと思っていたウォルターだが、思っていたよりも弱点は多い。

そういった人間らしい部分を見ると、そういう部分を独占しているかのようにさえ思えてくる。

ぞくっとする程の愉悦に、はやては思わず口元に半月を作った。

これで下着売り場に連れて行けばどうなるものか、と刹那思うも、頭を振り思考を払う。

いくらなんでも、それは流石に引かれるだろう。

 

「さて、女の子の服のいろはなんざ、何も分からないからな。少しは講釈してくれよ」

「へ? 何が?」

 

 と、一人百面相をしているはやてに、唐突にウォルター。

疑問詞をあげると、呆れ気味にウォルターが言う。

 

「あのな、お前に似合う服を探す、って話はどうなったんだ?」

「ぁ……」

 

 胸が脈動するかのような、高鳴り。

思わずはやては、ウォルターの手を握る力を強くする。

自然、はやては指を動かし始めていた。

ウォルターの硬く厳つい手に、その細い指を絡めようとして。

 

「……あ」

 

 と、ウォルター。

疑問詞に彼の視線の先に視線を合わせると、試着室のカーテンが目に入る。

何事かと視線を返すはやてに、困り顔でウォルター。

 

「なぁ、いきなりだが、他の店にした方がいいかも……」

「え、なんで……」

 

 と言ってから、似たような事が直前にあった事を思い出したはやて。

まさか、と視線をやるのと、試着室のカーテンが開くのとは、ほとんど同時であった。

 

 翻る金糸の髪。

白磁の肌で形作られた肉体は豊満で、緑を基調としたワンピースに身を包んだその姿は、妖精が舞い降りたかのよう。

薄桃色の口唇は、その清純さを思わせるかのようで、彼女の美しさを一層と引き立てている。

その顔の中心を担う瞳が、まっすぐにはやての顔に向けられ、ぱちくりと瞬いた。

 

「……はやてちゃん?」

「……シャマル?」

 

 勿論、大変気まずい思いであった。

 

 

 

4.

 

 

 

「という訳で、料理やっ!」

 

 半ばやけくそに、はやては叫んだ。

それにウォルターは気付いているのかいないのか、ぱちぱちと拍手を浴びせる。

シャマルと鉢合わせた後は、カフェでギンガと出会うという事件があり、その後にはウィンドウショッピングでクロノとエイミィと遭遇。

あまりにも不運極まりない状況に、それでもはやてはくじけなかった。

一緒に買い物をして帰宅したはやては、自身の料理の腕を振るう事にしたのである。

しかも。

 

「じゃ、頼むぜ、はやて先生」

 

 というウォルターもまた、サックスブルーのエプロンを身につけている。

そう、秘密兵器リニスを通じて、はやてはウォルターの好物を把握するついでに、彼がある程度自炊ができると言う事を知っていたのだ。

となれば、二人っきりの料理教室である。

むふふ、と影で笑いつつも、それにしてもリニスの優秀さには頭が下がる思いなはやてであった。

何でもリニスははやてとリィンフォース・アインには借りがあったので、幾分返すためだったと言う。

借りの内容もよく分からないし、そもそもそんな物は救われた時点でチャラだと考えているはやてだったが、リニスにとっては違うらしい。

都合は良いので受け取ってはおいたが、後々礼も必要だろう。

そんな事を思いつつ、はやては料理の先生としての第一声を発しようとして。

 

「ただいまー!」

 

 崩れ落ちそうになるのを、気合いで押さえる。

そんなはやてを尻目に、普通に反応するウォルター。

 

「お邪魔してるぜー、ヴィータ」

「って、あれ、ウォルター!? あ、はやても!? てっきり今日は外食か何かかと……」

「俺もそう思ったけど、料理教室してくれるんだと」

 

 だからせめて、料理教室の間は帰ってこないと踏んでいたのだが。

項垂れたはやては、気力を振り絞り、どうにか曲がった背筋をぎぎぎと伸ばす。

垂れた髪の毛の合間からの眼光で、ヴィータの瞳に願いを。

二人っきりにして、という念が通じたのか、引きつった笑みを作るヴィータ。

 

「そ、そーか。邪魔しちゃ悪いし、あたしはリビングでゲームでもやってるよ」

「邪魔? あれ、料理できるんじゃないっけ? お前」

「いや、そういうんじゃなくてさ……」

 

 と、去ろうとするヴィータだが、ウォルターの流れるような言葉がそれを許さない。

 

「まぁ、とりあえず今日の品目ぐらいは聞いてけよ。今日はシチューハンバーグだってさ」

「え!? ギガうまじゃん!?」

「ハンバーグこねるぐらいならできるだろうし、後で参加するか?」

「あぁ、もちっ!」

 

 と。

言ってからしまったという顔をするヴィータだが、はやての表情は最早諦観のそれとなっていた。

ウォルターの行為は、分からないでもない。

料理という家族のための行為を行うのに、はやてが妹のように想っているヴィータとの共同作業をするというのは、思い出に残る行為だ。

ヴィータは料理は食べるのが専門だ、はやてだってこれが常なら嬉しさで満点だっただろう。

けれど。

 

「ふ、ふふふ、えぇよ……。後で、な? ヴィータ」

「お、おう、ごめんなはやて」

 

 ウォルターの死角から幽鬼のような気配を覗かせつつ、ヴィータに一言を。

顔を引きつらせたヴィータがムーンウォークで退場をするのを尻目に、ウォルターの視線移動に呼応するかのように幽鬼の気配を引っ込める。

後に残るのは、目を僅かに潤ませる感覚だけである。

 

「ん? どうした、はやて」

「な、なんでもないで」

 

 内心歯を噛みしめながらの一言に、首を傾げるウォルター。

それを尻目に、はやてはウォルターへの料理指導を開始する。

その過程でウォルターの料理が予想以上に上手く、なのはやフェイトの腕前では危ういレベルだった事に驚いたりとしながら、二人きりの時間は過ぎていくのだった。

 

 

 

5.

 

 

 

 八神はやてが知る限り、ウォルター・カウンタックは特別色香に強くはない。

自己制御が超人の域に達しているため他人認定した相手には全くドキドキしている様子は無いのだが、一定以上心を許した相手であれば年相応の男の子のような反応を、時折だが見せる。

無論それはウォルターのほんの一部でしかなく、あの英雄性、非現実的なまでの精神の強靱さを貶める物ではないのだが、事実としてそうなのだと言う。

リニス曰く、豊満な肢体を見てもさほど気にしないが、触れたり見せびらかしたりしてやれば意識する。

エイミィ曰く、フェイトとのデート映像を見る限り、指を絡めたり腕を抱きしめたりすればばっちり意識される。

どちらも信憑性のある発言であり、故にはやては。

 

「ふふふ……お風呂上がりの色気むんむんで悩殺やっ」

 

 と、風呂場で丁寧に自らの肌を磨いた後、湯の中で体を温めていた。

半ば無理矢理な程にはやてに夜半まで居るよう勧められたウォルターは、困り顔ながらもリニスに連絡し、遅くなる旨を伝えた。

その間にと、はやては何時もより早い時間に風呂に入っている訳である。

時たまこういうとき、はやてはウォルターが案外押しに弱い所があるのでは、と思わないでもない。

信念に絡まない事であれば、あまり人間関係で我を通す事をしないし、男女の関係になれば尚更のようである。

 

「もしかして、ちょっと繊細な所があったり……?」

 

 とは思うが、正直ウォルターを繊細と言うのには凄まじい抵抗があった。

彼の行動は慎重かつ大胆で、繊細などと言う言葉とは程遠い言動である。

かつて”家”で傷ついた姿を見せたことはあるが、あれは繊細云々以前に人間として傷ついて当然の傷であったし、そも、彼はその傷でさえも独力で乗り越えて見せたのだ。

 

「くす、まぁ大雑把とはちゃうけどな」

 

 彼の今日の気遣いを思い、それが自分に向けられていた事に嬉しくなり、それからよく考えるとあんまり恋とか愛とかそういう感じの気遣いではなかった事に凹むはやて。

忙しく表情を変えた後、うう、と一つ唸ってから拳を振り上げる。

 

「よしっ、今日はお風呂の中にみんなのおっぱいは無いけど、昨日揉みまくってパワーもらったからなっ! 行くでみんなっ!」

 

 屋内に居る4人と、まだ帰ってきていないシグナムに向けて叫ぶと、はやてはざばり、と音を立てて風呂桶の中で立ち上がった。

寸前の想像の中では揺れていた胸部装甲がほぼ揺れなかった事に気落ちしつつも、頭を振りはやては脱衣所へと足を進める。

パジャマ姿になったはやては、少し悩んだ末にシャツの一番上のボタンだけ外して僅かに肌を見せ、それからリビングへと向かった。

気配を読めるウォルター相手に心の準備は不審を呼ぶだけである、躊躇無しにはやてはリビングへと入る。

 

「上がったで-、ウォルター君っ」

「おう、はやて……」

 

 ツヴァイと談笑していた様子のウォルターが、はやての姿に寸時釘付けになる。

思わず、と言った様相ではやてを見つめるウォルターに、はやては内心作戦の成功を確信。

心の中でガッツポーズを取ろうとした、その瞬間である。

 

「ただいま戻りました」

 

 と。

玄関の方から声。

思わず、と言った様相でウォルターはそちらに視線をやり、当然はやての自称悩殺バディからは視線が逸れた。

遅れシグナムがリビングのドアを開き、姿を見せる。

 

「主、ただいま戻りました。……お、ウォルターか」

「おう、お邪魔してるぜ」

 

 と片手をあげるウォルターに、シグナムは薄く微笑みながら薄手のコートを脱いだ。

コートの中は、はやての選んだシグナムの豊満な肢体のラインを存分に見せる服である。

開けた首元にはうっすらと汗が滲み、潤んだ肌はぞっとするような妖艶さを孕んでいる。

男なら誰でもむしゃぶりつきたくなるような程蠱惑的でありながら、シグナム自身の凜とした雰囲気がそれを健康的な美にしていた。

はやてですら息をのむそれに、ウォルターでさえ釘付けであった。

 

「今夜は秋口だというのに少し暖かいですね。汗を掻いてしまいましたよ」

 

 と、苦笑しつつはやてに視線をやるシグナム。

それからその視線を辿った先にウォルターが居り、ウォルターが思わず自身に見とれている事に気付いたのだろう、顔を凍り付かせた。

意思せずとは言え、主の思い人を誘惑するなど彼女にとってはあってはならない事なのだろう。

顔色を悪くする彼女に、遅れウォルターが表情を戻し、からからと笑った。

 

「やれやれ、風呂上がりのはやてに続いてシグナムの私服か、眼福眼福」

 

 目を瞬き、遅れはやては場を冗談で流そうというウォルターの思考を理解。

恐らくはやての恋心など理解しておらず、単に女性的魅力で主に対抗してしまう形になったシグナムへの助け船程度なのだろうが。

 

「……っ、てシグナムのおっぱいは私のやーっ! どうしてもと言うのなら、私を倒してからにしてもらおうっ!」

「でこぴん」

「ふごぉっ!?」

「はやてちゃーん!?」

 

 叫ぶリィンを尻目に、はやては軽くでこぴんをされた額を押さえながら、ゆっくりと崩れ落ちる演技。

膝を落としつつ、上目遣いに睨みながら絞り出すような声で続ける。

 

「ふっ、この私を倒したとしても、すぐに第二第三どころか出血大奉仕、第四第五の私が……」

「よし、準備しとこうか」

 

 言ってウォルターは、親指に残る4本の指を引っかけ、4本でこぴんの準備を。

慌てはやては、額を押さえながら後ずさりつつ叫ぶ。

 

「のわーっ!? ギブギブっ!」

「……くくっ」

 

 と、その姿がよほどコミカルだったのだろうか、笑いを堪えるウォルター。

応じるように笑いを堪えるようにしているヴォルケンリッターの面々に、どうにか場の雰囲気を和ませる事に成功したはやては、ほっと胸をなで下ろした。

同時、胸を去来する空しさ。

 

 ――私、何やっとるんやろ。

磨いた柔肌で悩殺するはずが、何故自分は好きな人の前で道化の真似などしているのだろうか。

思わず崩れ落ちそうになる内心を押さえ、それでもはやては微笑んだ。

 

 

 

6.

 

 

 

「はぁ……」

 

 溜息。

パジャマ姿でベッドの上であぐらをかくはやては、窓へと視線をやった。

夜闇を映す窓にははやての顔が映っており、死んだ目で自身を睨んでいるのが見て取れる。

謝り倒してきたヴォルケンリッターの面々に一人にしてくれと告げ、1時間ほど。

はやてはただただぼんやりと中空を見つめるばかりであった。

 

「やっぱり、そういう運命じゃないって事なんかなぁ……」

 

 呟き、はやては掌を差し出した。

暗い窓に映る己の掌をぼうっと見つめつつ、鈍くなった思考を働かせる。

今日が最初で最後のデートになるかもしれなかった。

そんな日なのに、まるで運命が悪戯を仕掛けてきているかのように、ウォルターとのデートは上手く行かなかった。

至る所で邪魔ばかりでてきて、ウォルターとの相性が悪いかのような状況ばかりである。

というか、事実、相性が悪いというべきなのか。

 

「巡り合わせにない、っつーんかなぁ」

 

 呟いた一言が、驚くほど重く胸中に響く。

何気なく呟いただけの一言の筈だったのに、何度もその言葉がはやての胸の中に反響し、ぞっとするほどにはやての内側を抉っていった。

理由無く、涙が出そうだった。

泣いてしまえばもう涙が止まらないと分かっているから、はやてはそれを押さえようと必死になる。

歯を噛みしめ、目を幾度も瞬き、唇を寄せ顔をくしゃくしゃにした。

それでも、防波堤は押し寄せる波に打ち勝てなくて。

 

「うっ……」

 

 はやての両目から、ぽろり、と涙がこぼれ落ちた。

予期していたとおり、一度涙が出てしまえば止まらなかった。

――私、なんでこんな事で泣いちゃうんだろう。

自分のあまりの弱さが恥ずかしくなり、それが余計に涙の流量を加速させる。

最早止まるところを知らない涙に、ついにはやてが嗚咽を漏らしそうになった、その時である。

ぴりり、と通信音。

 

「――ぁ」

 

 ストレージデバイスに表示されたのは、ウォルターからの通信を意味する文字であった。

反射的に出ようとするのを自制、はやては手早く涙を拭い、それから軽く手櫛で髪を整え、そこでコールが収まってしまう可能性に気付き、姿勢を正しこほんと一息。

映像通信に出る。

 

「よ、はやて、一人か? さっきぶりだな……って」

「うん、ウォルターくん、さっきぶり。今は一人やでっ」

 

 流石に相手がウォルターだけあってはやての涙の跡に一瞬で気付かれるも、誤魔化しの笑みで押し通すはやて。

一瞬視線を迷わせたウォルターだが、すぐに笑みを浮かべはやてに真っ直ぐな視線を戻した。

 

「……そうだな。元気そうな顔で、心配要らないみたいだな」

 

 慈しみの籠もった声に、はやては思わずそれほど元気な顔なのかと首を傾げ、ちらりと視線を部屋の中の鏡へ。

見れば、先ほどまで泣きはらしていた自分の顔は、驚くほどに元気そうになっていた。

明らかに裏が無いと見て取れるほどの笑顔。

ウォルターと顔を合わせただけでこんなに元気になれてしまう自分に、現金な物だと内心はやては苦笑した。

 

「で、どうしたん、ウォルター君」

「あぁ。何か今日、特に最後の方は、はやてが元気ながらも辛そうな感じだったからな。ヴォルケンリッターの前じゃあ中々そういう面って見せられないだろ? だから、一人の時間を見計らって通信してみたんだが……」

 

 にこり、とウォルターが微笑んだ。

常に見るそれに比し優しげな笑みに、はやての胸が高鳴る。

 

「何があったのか、元気になったみたいだな」

 

 ――ウォルター君のお陰やもん。

そう言いたくて、でも言えなかった。

言える筈が無かった。

はやては今の所、ウォルターとの関係は仲の良い男友達で止めているつもりである。

傍目にはそう見えなくとも、少なくとも自身としてはそうだ。

その自身で定めた境界線が、その言葉を言わせてくれない。

親友達の好きな人を取るのが、怖くて、できなくて。

 

 それでも、天に昇りそうなほどに嬉しかった。

巡り合わせじゃなかったかもしれない、なんて考えていたウォルターが、そんなにもはやての事を考えていてくれたなんて、嬉しくて恥ずかしくって、心が破裂しそうだった。

だから。

はやては、今の自分にできる限りの感謝を伝えたくって。

言葉の上では大した事は言えないけれど。

 

「えへへ。八神はやては元気の子、ウォルター君程やないけど、凹んでもすぐに元気になれるんやもん」

 

 せめて笑顔だけは、満面の笑みで。

応じてウォルターもまた、非の打ち所が無い、満面の笑みを浮かべる。

完璧な笑みだった。

完全無欠の笑みだった。

なのに何故だろうか、はやてはそこに僅かな不安を感じた。

笑みは完璧で、その場面を切り取れば間違いなく芸術となるだろうぐらいに鮮烈で、それでいて祝福と賞賛に満ちた素晴らしい笑みだ。

けれど、どうしてか、ほんの僅かな不安がそこから滲んでいる。

それはきっと、長年のつきあいのはやてだからこそ感じられたのかもしれない。

 

「……ウォルター君?」

「うん? どうした?」

 

 思わず疑問詞を吐き出したはやてに、ウォルターは笑みを浮かべたままに問う。

滲んだ不安は、既にウォルターの顔には欠片も無かった。

はやてが見た不安も、ほんの一瞬だったので、勘違いか記憶違いかとしか思えず、だからはやては内心疑問符を浮かべつつも、こう告げるほか無かった。

 

「ううん、なんでもないっ」

「そっか? ま、いっか」

 

 不思議そうに言うウォルターに、はやては次々と他愛ない話を続ける。

応じるウォルターはどうしようもなく魅力的で、はやての心を掴んで離さない。

 

 ――やっぱり、諦めきれない。

 

 八神はやては、横恋慕と知りながらも、ウォルター・カウンタックを諦められなかった。

好きで好きでしょうがなくて、胸の内がいっぱいになって、はち切れそうで。

けれど、まだそれを口に出して言うほど、親友達との絆を割り切れもしなくて。

だから、はやては口に出さずに心の中でだけ告げる。

両手を胸に当て、口を動かしもせず、視線だけで告げる。

 

 ――好きです、ウォルター君。

 

 当然その言葉は、空気を振るわせる事はなく。

代わりにはやての心をだけ振るわせて、その振動は何時までもはやての心の中に残っているのであった。

 

 

 

 

 




次話からの7章、プロットで既に1万字ぐらいあるんですが(震え声
多分いつもの2章分ぐらいの分量になりそうです。


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第七章 宿命編 JS事件 新暦75年 (sts)
7章1話


7章・宿命編開始です。
毎回言ってるような気がしますが、これまでで最熱最鬱で行く予定でしたり。


 

 

 

1.

 

 

 

「ウォルター・カウンタックですか……」

 

 多角形の部屋の一面、明かりを採る窓に視線をやりながら、カリムは呟いた。

視界の端のはやてが勢いよく頷き、通信窓の向こうのクロノも力強く頷く。

ウォルター・カウンタック。

次元世界最強の魔導師。

 

「うん、ウォルター君が機動六課に協力してくれるんやったら、心強い。……まぁ、あの人は自由な人やから、ちょっと望み薄やけどね」

「あぁ。彼が所属すれば、必ずはやての力になってくれるだろう。民間協力者たる彼なら、保有魔導師ランクに関係しないしね」

 

 続く2人の言葉に、カリムは眼を細めた。

口唇と平行に人差し指をやり、しばし外に視線をやる。

しかし視線は外に向いているが、彼女の内心は過去の情景に視線をやっていた。

数年前、カリムの目前でSオーバーの魔導師3人を相手に一歩も引かずに戦い、ついに下したあの次元世界最強の魔導師の戦いに、だ。

 

「実を言えば、私も彼と面識がありましてね」

「へ? ほんま!?」

「えぇ。”預言者の著書”の予言を元に防ごうとした事件を、ウォルターさんが防いでくださったんです。それも、予言の解釈を変えるというより、ほぼ予言を元から変えてしまう程の規模で」

「流石ウォルター君やなぁ……」

 

 苦笑するはやてだが、それにカリムは貼り付けた笑みをしか返せない。

実を言うと、その際カリムの弟分たるヴェロッサのレアスキル、”無限の猟犬”で彼の思考を読もうとした場面があったのだが、彼の超弩級の閉心術を前に諦めた事がある。

無論ヴェロッサが長時間かければ彼の思考を読む事は不可能ではなかっただろうが、悟られない程度の接触では、眠っている間でさえまず無理と言って良かった。

彼の言動は確かに心が燃えさかる素晴らしい物で、英雄的と言っていいかもしれない。

しかしカリムは、彼に似合わぬよう思える閉心術の精度がどうしても引っかかり、素直に彼を賞賛できない所があった。

加えて。

 

「そこで、つい先日出た追加の予言について話があるわ」

「追加の……」

「……予言?」

 

 訝しげに言う2人に、カリムは古びた紙片を取り出し、謳うように告げる。

 

“最も強き力を持つ者が鏡を覗いた時

無限の欲望の力を用い、真なる存在へと昇華する

しかし真実に到達できなければ、繰り返される悲劇が始まり

永遠に踊り続ける道化は、幾多の海に津波を起こし続けるだろう”

 

「……現代語に訳した際に、意味は多少変わっているし。いくらでも解釈のしようがある事だけれど」

「最も強き力……ウォルター君?」

 

 はやてが呆然と呟くのに、カリムは静かに頷いた。

視界の端では、クロノが硬い顔で予言を口の中で転がしている。

それらを尻目に、カリムは続け口を開く。

 

「機動六課設立の要因……管理局の崩壊を示唆する予言と同じ単語がいくつかあるでしょう? “無限の欲望”は何らかの力を持つ存在だと示唆されているし、”幾多の海”は恐らく、次元世界全体の事」

「となると……、ウォルター君が何らかの力を使って真実に到達できなければ、悲劇が繰り返されて、道化になって、次元世界に”津波”……、災害を示唆する事が起き続けるって事、なんか?」

「その可能性が、高いわね。加えて、”真なる存在”というのは、彼がプロジェクトHの実験体だったことから、プロジェクトHの完成形にたどり着く事なのかもしれないわ」

 

 青白い顔をしたはやてに、カリムは唇を強く結びながらも、言い切った。

はやては小さく息をのみ、悪寒が走ったのだろうか、大きく一度震えてみせる。

それでも彼女は気丈に歯を噛みしめ、揺れた体をピッタリと押さえてみせ、視線を確かにカリムへ向けた。

 

「なら……尚更、ウォルター君を機動六課に入れないとあかん、っつー事やね」

 

 道理である。

悲劇を防ぐ鍵となるだろうウォルターは、なるべくならば強い戦力と近くに居た方が対処しやすい。

無限の欲望という単語が他の予言を重複している事から、類似の事件である可能性も高く、機動六課で対処できる方が何かと都合が良いだろう。

何よりウォルターを慕うはやては、彼が窮地に陥れば間違いなく手を差し伸べたい筈なのだ。

 

「えぇ。ただ、貴方も言った通り、自由な人でしたからね。難しいのは確かです」

「海の提督という立場から融通できる条件は無くは無いが、あまり強制力のある話は難しいな……」

「うん、でも、私……、必ずウォルター君を引き入れてみせるっ」

 

 青い顔で無理をしてまで握り拳を作る妹分に、カリムは胸の奥が絞られるように痛むのを感じつつ、笑顔を貼り付けた。

何処か引っかかる物のある彼を信用しすぎるのは、カリムとしては胸に含む物があるのだが、それをこの妹分を前に言い出せるはずも無かった。

そも、カリムが恩人である彼を信用しきれない事は、カリム自身とて恥と感じている物である故に、尚更である。

 

 ちらりと視線をクロノにやるカリムだったが、通信窓の向こうの彼には、しかしウォルターを疑う様子は欠片も無い。

矢張り彼は表面通りの英雄であり、自分の中にある猜疑心は真実を捉えている物ではなく、ただの薄汚い感情に過ぎないのではあるまいか、と思えてきた。

憂鬱な気分に内心気落ちしつつも、カリムははやてを慰めるため、あの手この手に思考をやる事にする。

 

 ――それから一月ともせぬうちに、ウォルターははやての勧誘の言葉に首を縦に振った。

そのあっさりとした態度に、カリムは余計に彼に対する警戒を心の中で強くし、複雑な心持ちをより強くするのであった。

 

 

 

2.

 

 

 

「失礼するぜ。久しぶりだな、3人とも」

 

 言って、僕は開いた自動扉の溝を跨ぎ、室内に入る。

執務机越しに指組みしたはやてがにこりと微笑み、その前に立っていたなのはとフェイトは勢いよく振り返った。

亜麻色の髪と金糸の髪が広がり、陽光を反射し煌めく。

何処か眩しい光景に眼を細める僕に、はやてが告げた。

 

「やぁ、ウォルター君。私は兎も角、2人は久しぶりかな?」

「まぁ、そうなるか? やれやれ、部隊発足前にこき使うのもいい加減にしてほしいもんだぜ」

「おや、準備運動でくたくたなんか? ウォルター君は」

「まさか。ただ、体を温めるだけにもいい加減飽きてきたって事さ」

 

 肩をすくめると、ニヤリと邪悪な笑みを浮かべるはやて。

遅れ、なのはとフェイトがその弾力ある口唇を開いた。

 

「……ん? さっき挨拶してたし、機動六課に入る事は前から聞いてたけど」

「……いつの間に、はやての元で働いていたのかな?」

 

 何故か底冷えするような冷気漂う声であった。

思わず2人の顔を交互に見比べるが、その表情は満面の笑みそのものであり、見目に怒りの色は微かにも見られない。

なのにどうしてか、冷や汗が止まらなかった。

心臓がぷるぷると震えるのを感じつつも、それをおくびにも出さず、僕はとりあえず簡潔に事実をだけ答える。

 

「2ヶ月ちょっと前から、リニスと一緒にだが」

「へぇ……」

「ふぅん……」

 

 どうしてか、寒気が止まらない。

発生源の2人を見るが、心当たりが全く無いので、何が何だかよく分からないだけだ。

一体何が何なんだろうと内心首を傾げる僕を尻目に、楽しそうな笑みのはやてが続ける。

 

「それにしてもウォルター君、挨拶の間スバルから睨まれとったけど……。例の件はまだ、解消できてないん?」

「まぁ、な」

 

 言葉を濁す僕。

はやてはギンガやゲンヤさんから事の概要をだけ聞いているらしく、僕とナカジマ家との間にある確執の事を知っているのであった。

成長したスバルは管理局の陸戦魔導師となっており、機動六課のフォワードメンバーに選ばれ、つまり当然先ほど僕が機動六課の稼働挨拶をした時も同じ部屋に居た。

僕は、ギンガにもスバルにも真実を話せていないし、その予定すら無い。

ギンガはそれでも僕を恨む様子を無くしたのだが、スバルはどうも僕に対する強烈な感情を持っているようだった。

単純な恨みとは思えないのだが、それでも何処か彼女の様子には鬼気迫る所があり、そしてその態度は僕を睨んでいるようにしか見えなかったのである。

 

「……例の件、かぁ」

「……何のこと、だろうなぁ」

 

 液体窒素を脊椎に流し込まれたかと錯覚するような、冷涼な声。

再び心臓がぴくぴく震え出すのを感じ、表情筋の維持に全力を賭してそれを仮面で覆い隠した。

居心地の悪い沈黙。

なんなんだよ、と言おうとする僕を遮って、はやての続く言葉。

 

「そういや、ウォルター君のあのときの、必殺技の斬撃。物になったん?」

「……必殺技? あぁ、”斬塊無塵”の事か。いや、まだ気心知れたリニス相手に、辛うじて9割の成功率に達した所でな。レアスキルのお陰で大分難易度は下がっている筈なんだがな」

「ふぅん……レアスキルかぁ」

「”斬塊無塵”とか、知らない技できてるね……」

 

 再度沸き上がる悪寒に、嘆息。

現実逃避として、自身の魔法について脳内でおさらいをする。

 

 かつて黒翼の書を一撃で堕とした、僕の最強の技にして魔法剣技たる”斬塊無塵”。

あれは簡単に言うと、魔法防御をすり抜けて断空一閃を当てる魔法剣技である。

原理的には簡単だ。

通常、魔法防御には制御できない一定の波のような物があり、その波の凹凸の、凹の部分を攻撃する事ができると、魔法防御の薄い部分を攻撃する事になる。

それを更に細かく見ると、振動する魔力子の密度が低い部分を、攻撃側の魔力子が通って行くのが分かる筈だ。

その理屈で言うと、魔力子が限界まで薄い割合の防御が攻撃軌道上にそろえば、特殊な魔力付与斬撃ならば約1億分の一の確立で相手の魔法防御をほぼ無視した攻撃ができるのだ。

それをレアスキル”第六感”と微細な魔力放出を重ねて人為的に確率を引き上げ、そこに魔力子をすり抜けやすい特殊な断空一閃をたたき込むのが、”斬塊無塵”である。

一応頑張ればレアスキル無しでも使えるのかもしれないが、それには空前絶後の才覚と察知能力が必要になることだろう。

 

「こほん」

 

 と、一つ咳払い。

謎の悪寒を振りまいているなのはとフェイトの正気を戻すと同時、自身の脳内から現実逃避成分をたたき出す。

あとちょっと、と再び夢想妄想にしがみつこうとする精神を必死で律し、意思が覆らぬうちにと口を開いた。

 

「で、改めて俺の機動六課稼働開始後の役割だが……」

 

 うん、と頷くはやて。

 

「当分は今まで通り、他部隊に貸し出されてもらって貸し作りと顔売り兼、地道に敵の戦力削り。で、ある程度準備が整ったらなのはちゃんとフェイトちゃんの手伝いもしてもらいたいんや」

「私の方は、フォワードの皆がある程度形になったら、ウォルター君に手加減して仮想敵をやってもらおうと思っているんだ」

「私は単独で捜査を進める事が多いんだけど、ウォルターにはその勘で力を貸して貰おうかなって。でも、なのはの教導の方が優先度は高めかな」

「なるほど、だな。承知した」

 

 捜査に勘というのは字面は悪いが、僕のやたらと働く勘を思えば猫の手ぐらいには役に立つだろうし、問題は無い。

教導に関しても内容は仮想敵と、僕でも数回だがゼスト隊で経験があった事なので、問題はスバルとの関係ぐらいである。

 

「とは言え、流石に正規の隊員と比べると暇になるな……。まぁ、そこは”斬塊無塵”を完成させるために修行って所か」

「あはは……、ウォルター君、まだ強くなる気なんかい……」

「まぁな。剣と言えば、丁度良くシグナムと同じ部隊だし、あいつに付き合ってもらって完成させるさ」

 

 と、軽妙に告げると同時、何故か空気が凍り付いた。

はやては口元を一瞬ひくりと動かした後、硝子玉のような冷たい瞳を僕に向ける。

なのはは笑っていない笑みで僕を表面上だけにこやかに見据え、フェイトに至ってはほぼ無表情になって穴が開きそうなぐらいに僕を睨み付けていた。

思わず悲鳴を上げそうになってしまうのを、気合いで耐える。

 

 暫し、沈黙。

じんわりと嫌な汗がにじみ出てきて、同時僕は耐えたはいいが、この先何をどうすればいいのか全く分からない事に気付いた。

助けを求め3人に視線を順繰りにやるが、3人とも凍てついたかのように表情は不変のままである。

ちょっと泣きが入りそうになってきた所で、ゆっくりとはやてが口を開いた。

 

「ここはシグナムと付き合うには私に話を通してからや、って言っとく場面かな?」

 

 空気が、溶け出した。

遅れ脳がはやての言葉を理解、意図を探るより早く口を開く。

 

「は、はは、訓練に付き合ってもらうだけだっつーの」

「あはは、ウォルター、言動には注意しようねっ」

「お、応。じゃあそんな感じで、とりあえず部屋引っ越したから、荷物整理に戻るが、まだ何かあるか?」

「あぁ、まだちょっとだけ……」

 

 言って、続くはやてとの簡素な事務会話を終え、僕は課長室を後にした。

課長室を離れた後、注意深く、隠匿念話をティルヴィングに向かって発動。

その中でさえ思わず小声になりながら、僕は問うた。

 

(なぁ、ティルヴィング、僕は今までなのはが僕を好きな事には何となく気付いていたけれど)

(はい)

(……もしかして、フェイトとはやても僕のことを好き、なんじゃないだろうか)

 

 何故僕なんかを好きになったのかは謎だが、2人の反応やはやての話題選びは、そう考えると全てつじつまが合うのだ。

それに2人の感情には、よくよく考えるとクイントさんに僕が感じていた感情に、そしてなのはが僕に向けている感情に似たような物を感じる。

 

(…………え?)

 

 核心を突いた鋭すぎる質問に、ティルヴィングでさえも呆けた声を漏らした。

僕は内心少しだけ得意顔になりつつ、隠匿念話を続ける。

 

(理由もタイミングも謎だけど、間違いないんじゃないか、と思うんだ。確信は無いけど……)

(いや、あの、今さ……)

(でも、こんなに早く気づけて良かったよ。取り返しのつかない失敗をする前で良かった。流石僕の勘、素早いね)

(……むしろ、おそ……)

(ん? どうしたティルヴィング?)

 

 と、そこで僕の台詞に割り込んで何か言おうとしているティルヴィングに気づき、問うた。

すると何故か、これ見よがしにティルヴィングから嘆息の音声。

続け電子音声が、なんでか珍しく人間味ある感じで。

 

(……何でも無いです。マスターはマスターのままで居てください)

(うん? 何だか良く分からないけど、まぁ、そりゃあその通りになるだろうさ)

 

 よく分からないなりに納得してみせた僕は、隠匿念話を閉じて自身の部屋へと向かう事になる。

そこで隠匿念話を聞いていた筈のリニスが、何故か顔を真っ赤にしてぷるぷる震えているのを見て、何があったのかと多大に心配する事になるのだが、それはまた別の話。

 

 

 

3.

 

 

 

 機動六課の課長室。

ウォルターが出て行って数分、何処か居心地の悪い沈黙を破り、溜息が3人の口から漏れた。

顔を見合わせ、小さく苦笑する。

 

「……ちょっと、感じ悪かったかな、私たち」

「うん」

「そう、やなぁ……。一番悪いのは私やったし、ごめんな」

「ううん、そんなことないよ」

「悪いのは皆だったもん」

 

 と、なのはとフェイトが庇ってくれるのを嬉しく思いつつも、心の中が晴れるとまではゆかず、はやては乾いた笑みを浮かべた。

リィンが居なかったのは、不幸中の幸いか、それともむしろ居たほうがブレーキになってくれたのか。

今となっては知る由も無い話だが、そんな言葉がはやての脳裏を過ぎる。

それもこれも、ここからの展開によるのだろうが。

 

「……なのはちゃんもフェイトちゃんも、かな」

「うん。私も、ウォルター君の事が……好き」

「私も。ウォルターの事が、好き」

 

 満面の笑みで言ってみせる2人には、後ろ暗さが欠片も見えない。

ちくり、と胸の奥を刺される感覚を負いつつ、はやては口をまごつかせた。

本当は、隠し通すつもりだった。

けれど2人を前にしてしまったら、自慢のような事を止められなくて。

シグナムと付き合うという字面だけにも耐えきれなくて。

結局、最早こうなっては隠す事は不可能で。

それでも嫌われたくない、という我が儘が心の奥底で滲むのが、自分でも卑劣で仕方なく思える。

けれどはやては、鋼鉄の如き重さの顎を開き、告げた。

 

「……私も、ウォルター君の事が好き。でも、ええの? 2人とも。多分私、こん中で一番最後にウォルター君を好きになったのに」

「……?」

「何が?」

 

 事の次第を理解していないかのような、2人の声。

僅かに苛立ちを憶えながら、はやて。

 

「だから。友達の好きになったウォルター君を、後から私が好きになってるんやで? ええの?」

 

 言ってから、自分は何を喧嘩腰になっているのだ、と自己嫌悪に陥る。

そんなはやての目前で、パチクリと目を瞬かせ、見合わせる2人。

それから花弁の開くような華やかな笑顔を、はやてへ。

桜色の口唇を開き、告げた。

 

「だって、そんなの仕方ないじゃない」

「はやては強敵だけど、友達だもん」

 

 思わず、はやては息をのんだ。

そんなはやてに、くすりと微笑み2人は意地悪な笑みを浮かべる。

 

「っていうか、はやてちゃん、これからは一番ウォルター君と接する機会少ないんだし、もっとがんがん行かないと駄目なんじゃないかなぁ」

「なのはは教導で、私は捜査で一緒になるしね。なのはは一緒に大きな仕事をやって、私はウォルターと2人きりになるのかな?」

「うぐっ……」

 

 痛いところを突かれ、はやては胸に手をやり顔を引きつらせた。

事実であった。

実力や予言関係での位置は兎も角、ウォルターの立ち位置は責任の少ない民間協力者である。

責任者であるはやてとの立場的な距離は遠く、会う機会は少なくなる事違い無い。

ウォルターの人脈を利用する事も偶にはあるだろうが、それもなのはやフェイトに比べれば少ない機会である事に違い無かった。

が、そんなはやての葛藤を余所に、きゃぴきゃぴとした雰囲気で、なのは。

 

「ほらほら、はやてちゃん、じゃあこれからガンガン行くために。はやてちゃん、ウォルター君のどんな所が好きになったの?」

「うっ。あ、あんなぁ、そんなの恥ずかしくて言えんってばっ」

「え、私も聞きたいなぁ。あ、じゃあさっき言ってた、後から好きになったの、これでチャラって言うのはどうかな」

「ちょま、仕方ないって言ってたやんっ!?」

「それはそれ、これはこれ」

 

 と、珍しく2人にはやてがやり込められる形になった。

そんなはやてを見つめる2人の瞳には、期待の光が綺羅星の如く鏤められている。

そうなると罪悪感を利用される形となったはやては、素直に答えるほか無い。

憶えとけや、と内心閻魔帳に書き留めつつも、期待を裏切れず、はやては小さく呟いた。

 

「は……」

「は?」

「白馬に乗った、王子様みたいな所……」

 

 なのはとフェイトが、無言で5メートルほど距離を取った。

 

「遠っ!? 2人が言えって言ったんやんっ!?」

「いや、うん……」

「素面でここまで言えるって、ちょっと……」

 

 心の底から引いている顔に、ほぼ本心を告げたはやては結構なショックを受ける。

頬をひくつかせながらも、慌て解説を続け、納得させようと試みた。

 

「いや、ほら、ウォルター君ってピンチに駆けつけてくれるから、私だけのヒーローに思えてな? そこが、私を迎えに来てくれた、その、王子様みたいに思えて……」

「あー。分からなくもないけど、私はちょっと違うかなぁ」

「うん、私も。私も場合、どっちかって言うと一緒に手を取り合って歩いて行く感じかなぁ」

 

 と、子細を告げるはやてに2人もまた心の内を語り始める。

引きずられるように次々と言葉は零れ出て行き、3人はそれぞれの切ない感情を共有し始めた。

そのままウォルターの好きなところを上げる大会と化したその場は、短い間だが、甘酸っぱいガールズトークの場と化す。

それが終える頃には、はやての心の中にあった2人に対する引け目は完全に消えているのであった。

 

 

 

4.

 

 

 

 六課施設の高層階の廊下。

大きく取られた窓からは丁度眼下に広場が見えるようになっており、今は訓練中のフォワード陣が見えた。

なのはの指導を元に訓練を積む彼女らは、現時点ではランク通りかそれ以下の実力でしかないものの、それぞれ原石のような光を感じさせる物である。

防御力に秀で、ウイングロードによる機動力も併せ持ち、まだまだ未熟だが武術の腕も光る物のあるスバル。

視野が広く、幻術などの多彩な魔法を使い、指揮も個人戦闘もこなせる射撃型のティアナ。

突破力と速度を併せ持ち、雷の魔力変換資質まで持っており、シグナムとフェイトの間ぐらいのタイプに成長していきそうなエリオ。

補助魔法と召喚魔法を主体とし、召喚魔法に至っては、まだ制御こそできないものの真竜まで呼び出せるというキャロ。

全員高位魔導師となり得る才能の光を感じさせる戦闘である。

 

「ふむ。まぁ、光る物はあると思うが……。そこまで言う程か? キャロの真竜は兎も角、他は具体的な強さとして感じるにはまだ早いと思うが」

「素直な感想としては、そうなんだよ。特に真竜には苦戦した憶えがあるからなぁ」

 

 と、隣から訝しげな声をかけるシグナムへと返答する。

偶々出会った彼女とスバル達の訓練を見ていたのだが、何故か彼女達の品評会になってしまっていた。

そこから連想した真竜との戦いを思い出し、思わずげんなりとした僕は、溜息をつきながら手すりにもたれかかるようにする。

その隣で、動揺の混じった声。

 

「待て、真竜との戦闘経験があるのか? 私達の場合はヴォルケンリッター4人で戦い、辛うじて勝った記憶しか無いのだが……」

「あぁ、15歳ぐらいの頃だったか? アルザスに仕事で行ったら、運悪く竜の群れに絡まれてな。大竜クラスを十数体相手にしてたら、派手にやり過ぎて寝てた真竜を起こしちまってな。しかも、番いの真竜が来て二対一になるし……。流石にあれは死ぬかと思ったぞ」

「……お前は相変わらず存在が冗談のようだな」

 

 思わず、と言った様相で頭を抱え、溜息交じりに呆れ声で言うシグナム。

何気に酷い事を言われているような気がするのだが、この手の台詞は言われ慣れて気にならなくなっている。

それより片腕組みして強調されるシグナムの胸部に、思わず視線を逸らさざるを得ない自分の助平心の方が寂しくなってきた。

 

 誰の体にも反応する訳ではないのだが、ある程度心を許した相手だと僕の精神的ガードががくんと下がってしまい、この程度の色香にも反応してしまう。

巷では童貞を脱出すればさほど気にならなくなるとは聞くが、一時期魔導師としての才能のため遺伝情報を狙われて以来、遺伝情報の流出には気を遣っている身である。

色町には興味があるが、その辺に遺伝子をばらまく訳にもいかないのだ。

結果、初心な”俺”のできあがりである。

せめてもの抵抗として、表情筋を一切動かさない事で、単に視線を動かしたのと勘違いしやすくするようにしている。

それも効いているのか、哀れ過ぎて見逃されているのかは不明という現状であった。

 

「で、新人達の前に姿を見せなくていいのか?」

 

 と、気付いていないのか、気にしていないのか、よく分からないシグナムの反応。

肩をすくめながら、僕は答える。

 

「まぁ、まだいいだろ。俺は割合飲み込みの早いほうだったからな、指導者向きじゃないんだよ」

『などと言っていますが、クイント・ナカジマからシューティングアーツも教わっていますから。少なくとも、そのうちスバル・ナカジマの指導にはあたるつもりでしょう』

「おいおい……」

 

 でこぴんの刑をご所望か。

待機状態のティルヴィングを持ち上げる僕を尻目に、ほう、と関心を見せるシグナム。

 

「無手もできるのか?」

「剣が一番で、そこから大分開いて槍、そこからちょっと落ちて無手って所だな。デバイス無しでもある程度は魔法使えんと、不味い場面もあるからなぁ」

「つまり、エリオの指導もできるのか。あぁ、そういえばお前は幻術も使えたな、ティアナの指導も行ける、と。真竜との戦闘経験からキャロへの仮想敵としても優秀。何気に全員指導できるんだな」

「まぁ、な」

 

 事実ではある。

最近余り使っていないが、ティルヴィングには基本のソードフォルムの他に中距離・遠距離用のパルチザンフォルムも存在しており、その状態では槍として扱う事になるのだ。

ゼストさん仕込みの槍術は、流石にセカンドウェポンだけあって一流とは言いがたい物だが、それでもそこそこは使えるという自負がある。

無手は言ったままの理由とクイントさんのお節介で習得、幻術は透明化とその誤魔化しにかなり特化しているが一応現時点のティアナよりは良い腕前だろう。

アルザスでは嫌と言う程竜と戦ったので、竜の弱点なども熟知している。

とは言え。

 

「ただ、もう少し基礎ができてからじゃねぇと、流石に俺の出番は無いかな。試しにあの4人用に基礎メニュー組んだらなのはに駄目出しくらったし」

「ほう? どう駄目だったんだ?」

「きつすぎて、レリック関係の事件があって出動があった時に出られないから、だってよ」

「道理だな。その当たりの機微は風来坊のお前には分かりづらいか」

 

 頷くシグナムに、肩をすくめ答える僕。

事実、管理局の地上部隊の出動頻度なんて、僕が知るはずが無い。

ゼスト隊の経験こそあるものの、あれはあれで機動六課とは別の意味で特殊なエース部隊だったので、あまり参考にはならないのだ。

 

 と、駄弁っているうちに眼下での訓練は一区切りを終えたようであった。

フォワード連中の一通りの動きを脳裏に焼き付けた僕は、手すりから体を離し、こきこきと首をならした。

同じく、僅かな闘志を表情に秘めるシグナム。

 

「そいじゃ、そろそろ俺たちも訓練と行くか」

「”斬塊無塵”と言ったか。お前の新技、存分に見せて貰うぞ」

「見て、立ってられるかは知らんがな」

 

 互いに燃えさかる闘志を瞳に。

爆発せんばかりの血潮通う握り拳同士をかつん、と合わせ、肩を並べ歩き始める。

 僕の斬塊無塵は相手の技量のみならず、癖や魔力パターンの把握などによって大幅に難易度が変わる。

つまりリニス相手に9割方成功させられるからと言って、シグナム相手でも同じという訳ではない。

そしてその錬磨としては、多彩な技と経験を持つヴォルケンリッター、中でも技術に最も秀でたシグナムが最適な相手と言えよう。

 

 そしてシグナムとしても、数少ない格上との戦闘で得られる物は少なくない。

記憶がすり切れるぐらい昔は聖王のような格上との戦闘もあったそうだが、闇の書時代には殆ど格下との戦闘ばかりだったらしく、負ける時もほぼ数の利に負けていたそうだ。

そのため一対一で圧倒されるのは珍しいらしく、その経験はシグナムの鈍った部分を鍛え直すのに有用だと言う。

 

 結果。

互いに上機嫌で訓練に向かう事になり、そこから漏れた噂でなのは達3人の機嫌が急降下するという未来など、僕は知る由も無く。

僕らは2人して、野獣の笑みを浮かべながら訓練場所へと向かうのであった。

 

 

 

 

 



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7章2話

執筆頑張っても、このペースが限界です(白目
序盤なので、展開はサクサクで行きます。


 

 

 

1.

 

 

 

 静かな月夜。

機動六課の寮の中、照明に照らされた屋内で金属質な床板を蹴り、エリオは歩んで行く。

有り体に言えば、体が火照って寝る気になれない為である。

体を鎮める為に、少しでもいい、体を動かし汗を流したかった。

 

 その日、エリオは機動六課としては始めての出動を行った。

大量のガジェットの間を縫って走行中の列車へ突入、キャロと共に大型のガジェットを相手に立ち回って見せたのだ。

キャロを守ってエリオはガジェット相手に立ち向かうも、敗北。

落ちるエリオを追って飛び降りたキャロが愛竜フリードリヒを覚醒させ、飛行した上で、エリオをブーストし大型のガジェットを倒して見せたのである。

 

 戦いを終えて、フェイトに褒められつつもエリオの中には小さな蟠りがあった。

有り体に言って、今回エリオはさほど役に立てなかった。

大型ガジェット相手にも、恐らくキャロがさっさとフリードに竜魂召喚魔法を使い覚醒させていたのなら、エリオの力を借りずとも勝てただろう。

エリオ・モンディアルは、弱かった。

守る相手だった筈の、キャロ・ル・ルシエよりも尚。

 

 仕方ない事だと分かっている。

分かっていて尚、エリオの中では渦巻く熱が確かにあった。

仕方ないだなんて、納得したくない。

この悔しさを、ただ忘れてはいけない。

この熱が残っているうちに、自身を叩き鍛えねばならない。

そんな衝動に駆られ、エリオは夜中の訓練に出ようとしていた。

疲れを残す愚を分かっていて尚、その衝動は抑えきれないほどであるが故に。

――そういう事にしておかねば忘れられそうもない、心の中のしこりを押し流すために。

 

 階段を下り、玄関に差し掛かった所で、人影を見つけエリオは体を硬くする。

体を休めるべき夜の訓練など褒められるべき物ではないし、寝間着ではなく訓練着なのが言い訳を難しくしている。

それを思えばエリオが誰かに見つかるのは得策とは言えない。

どうにか隠れていこうと思ったその瞬間、人影が角度を変え、月明かりがその人物の顔を照らす。

 

 ――ウォルター・カウンタック。

あのフェイトでさえ敵わないという、次元世界最強の魔導師。

その両の瞳が、真っ直ぐにエリオの顔を見つめていた。

 

 内心溜息。

観念して、エリオは両手を挙げる心地で進み出る。

 

「よう、どうした、そんな格好で。喉が渇いて起きてきたって感じじゃねーが」

 

 言いつつ、自動販売機の前でスポーツドリンクを口にするウォルター。

常に黒ずくめだと言うウォルターだが、民間協力者とは言え流石に定時内は地上本部の制服を着ている。

個人訓練に顔を見せる際も所定の訓練着を着ており、今も彼は紺色の訓練着に白いTシャツを着ていた。

フェイトの持っている写真でしか彼を知らなかった身でさえ新鮮に映るのだ、フェイト達昔なじみにとってはどれほど新鮮なのだろうか。

そんな事を想いつつ、エリオは咄嗟に告げた。

 

「その……、ちょっと、気分転換に」

「気分転換に、体を動かしにでもか?」

「……は、い」

 

 萎縮。

思わず縮こまってしまうエリオに、くすりと微笑むウォルター。

 

「自己管理の範囲内なら、別に怒りはしねーよ。ただそうだな、その前にちょっと、何か飲むか? この際だ、ちょっと話そうぜ」

「は、はい。あ、お金、部屋に……」

「それぐらい奢るさ」

「え、でも……」

「遠慮すんなって」

 

 とまで言われてしまえば、断る方が逆に失礼である。

そう教わった事のあるエリオは、勧めるウォルターに逆らわず、それじゃあ、と柑橘類の飲料を選んだ。

電子音、がたん、と音を立て出てきた缶を、ウォルターがエリオに投げ渡す。

危なげなく手に取るエリオに、ウォルターは僅かに目を薄くした。

プルタブを開け、エリオがジュースを口にするのを目に、ウォルターが話し始める。

 

「さて、今日の初出動、見ていたぜ」

「……はい」

 

 思わず言葉が硬くなるのをエリオは感じた。

数日もすれば収まっているだろう蟠りも、その日のうちにはまだほぐれきっていない。

そんな風にざわりとする胸の奥を、ウォルターの不思議な光を携えた瞳は、見抜いているかのように思えた。

そんなエリオの内心を余所に、ウォルター。

 

「ま、今日の所は及第点の働きだったな。キャロの前衛としちゃあ十分な働きだったさ」

「……本当にそう、でしょうか」

 

 軽やかなウォルターの言葉に、思わずエリオの口を本音が突いて出た。

一瞬しまったと思うエリオだったが、一人で悩むより先人に相談してみた方が良いかもしれない。

思い切り、そのまま本音を口にする。

 

「今回、キャロがフリードを最初から竜魂覚醒させていれば……、僕の出番なんてなかったんじゃあないでしょうか」

「ほう。どうしてそう思う?」

「最初のガジェット群は、フリードならブレスで一撃です。なんなら、飛んで空から一方的に攻撃しても良かったです。最後にツインブーストで見せ場を貰いましたけど、フリードの爪と牙なら……」

 

 言いつつ、俯くエリオ。

そんなエリオに、ウォルターの言葉は殊更重く響いた。

 

「確かに、その通りだな」

「――っ」

 

 思わず、息をのむエリオ。

ただし、ウォルターは続けこう言った。

 

「前提として、キャロが最初からフリードを竜魂覚醒させる事ができれば、だ」

 

 面を上げるエリオの視線の先では、ウォルターが野獣の笑みを見せていた。

見ているこちらの胸の奥が、じんわりと熱を持つような笑顔であった。

 

「まず、後から振り返ってみたとしても、だ。そもそもキャロは現場到着時にメンタルが不安定で、実力を出し切れていなかった。あんな状況だ、竜魂召喚なんざまず間違いなく失敗してただろうな」

「そ、それは……」

「大体メンタルが安定してたら、あの大型も楽勝だ。キャロの遠距離からのアルケミックチェーンなりの物理系召喚で足止めしてからお前が距離を取って、ダブルブーストしてからもう一回お前が突っ込んでぶった切れば終了だっただろうが」

 

 事実である。

歯に衣着せぬ物言いだが、どうしてか心地よい感覚すらあり、エリオは不思議に思った。

フェイトの柔らかな言葉が悪い訳ではないが、ウォルターのそれは新鮮で、胸の内が空くような不思議な爽やかさがあるのだ。

 

「大体、例え後から振り返ってみてキャロが一人でなんとかできる相手だったとしても、そんなもん後からだから分かる事だ。前衛無しでフルバックを敵地に放り込むなんざ、やる訳ねーだろ」

「それは、そうなんですが……でもっ」

 

 言い、エリオは歯を噛みしめた。

片手を胸に、己の全てを伝える為に、感じるままに叫ぶ。

 

「悔しいんですっ! キャロを守ろうって思ったのに、殆ど役に立っていなかった、自分の弱さが! そして何より……」

 

 一端、言葉を句切る。

そこまで自分を露わにしていいのか、と刹那の躊躇があったが、それを勢いで振り切ってエリオは告げた。

 

「槍を振るって大型ガジェットに立ち向かっている間は、信じられていました。例え僕がガジェットに及ばなくても、キャロと一緒なら、必ず勝てるって。キャロが震えていて何もできていなかった時にも、僕が守らなくっちゃと思うのと一緒に、キャロが必ずすぐに一緒に立ち向かってくれるって」

「…………」

「でも……、信じ切れなかった。大型ガジェットに負けて墜ちそうになった時、一瞬僕は諦めてしまいました。自力では助からないと思った瞬間、ならキャロが助けてくれると信じられなかったんです」

 

 前衛の失敗をフォローするという後衛の仕事を信じられず、諦めてしまった自身の行動は落第点もいい所だろう。

ベストは失敗をリカバーする方法を即座に見つける事。

ベターだったのは、キャロが助けてくれると信じ、その方法を想定し、それを前提に次の一撃を考える事。

エリオは、そのどちらもできなかったのだ。

結果として勝てたのは、運以外の何物でもない。

 

 後悔に胸を焼くエリオの頭上に、ぽん、と暖かい感覚。

気付けば、ウォルターはその炎の瞳をエリオにやったまま、エリオの頭を撫でていた。

 

「信じきらなくっちゃならなかった、と自分で気付けた時点で、お前は十分立派だよ」

「で、でも……」

 

 尚も言いつのろうとするエリオに、にやり、と男らしい笑みを浮かべ、ウォルター。

 

「キャロを信じようとするのには、キャロを知るのが一番だ。が、夜中にそりゃできねーし、俺はリニスとコンビだが、使い魔との精神リンクがある分参考にはならんだろ。だが……」

 

 言って、ウォルターは胸元の黄金の剣型飾りに手を。

燃えさかる笑みと共に、告げた。

 

「強さの方なら、軽く訓練をつけてやる。来るか?」

 

 ぞ、とエリオの背筋に戦慄が走った。

ウォルターは今、剣を持っていない。

デバイスこそ手に持っているが待機状態で、構えすらしておらず、隙こそないもののただただ立っているだけ。

なのに、今この瞬間、エリオはウォルターが剣を持ち構えている光景を幻視した。

喉元に切っ先を突きつけられているかのような威圧感に、潤った筈の喉が渇くのをエリオは感じる。

 

 これが。

これが、英雄。

これが、次元世界最強。

打ち震える胸の奥に、エリオは思わず歯を噛みしめ、震えたつ心を元に、全霊を籠め足を前に一歩踏み出した。

 

「――お願いしますっ!」

 

 対しウォルターは、笑みを見せる。

豪、と心の奥から炎が巻き上がる音が聞こえるようにさえ、エリオは感じた。

胸の奥が燃えさかり、マグマのような血潮が全身を巡る。

火照っていた体は今や爆発しそうなぐらいの熱量を秘め、魂が燃えさかっているかのようでさえあった。

 

「――さぁ、来い」

 

 

 

2.

 

 

 

「――すまんな、お前の教導計画だってあるだろうに」

(ううん、エリオのケアの意味合いもあるし、少しの時間なら大丈夫だよ。じゃ、頑張ってね)

「適度に頑張るさ。だから、お前も適度な所で休めよ?」

 

 と、なのはへの通信報告を終え、僕はパルチザンフォルムと化したティルヴィングを手に。

ストラーダを手にし僕に向かい構える、エリオへと視線をやる。

燃えるような赤髪の合間から、闘志の籠もった瞳が真っ直ぐに僕を見据えていた。

その心は、誰も信じようとはせずに自分を偽り続ける僕と違って、誰かを信じようと進み続けているだけ、僕なんかより何百倍も尊いに違い無い。

けれど、それでも強さだけは僕の方が圧倒的に上で。

だから僕には、幸運なことにも彼に伝えられる物がある。

 

「――待たせたな」

 

 告げ、僕は身体強化魔法のランクをエリオに合わせて落とした。

加え、時たま見る訓練と目前の姿を重ね、エリオと鏡合わせの構えを取る。

訝しげに目を細めた後、すぐに気づき、エリオ。

 

「あれ、その構えって」

「いいから、とりあえずかかってこい。俺は教えるのが苦手でな、実践形式で行くって言ったろ?」

 

 言葉を重ねると、すぐに覚悟を決めたのだろう、エリオは僅かに体に緊張を走らせる。

すぐに吐気、脱力し弛緩した肉体に魔力のうねりを走らせた。

僕は、わざと瞬きをしてみせる。

同時、踏み込みの気配。

 

「――つぁぁっ!」

 

 裂帛の気合いと共に、瞼を開いた視界に映る突き。

音速を容易く超えるそれに、僕は映像資料を見て憶えた通りの動きで返す。

つまり、カウンター。

腰を落として構えた刺突でエリオの突進を受け流し、交差。

背後に抜けていくエリオを尻目に半回転、石突をエリオの脇へとたたきつける。

 

「ご、は……!」

 

 肺の中の空気を吐ききり、そのままエリオは地面に二転、三転。

四回転目で辛うじて動けるようになり、弾けるような動きで地面を殴りつけるようにして起き上がり、すぐに構える。

その相貌には、戦慄の色が見えた。

 

「今のは……!」

「あぁ、お前の技だ。他にも、色々な」

 

 と、意味ありげな言葉を含ませてやると、ハッと何かに気付いた様子のエリオ。

確信は無いのだろう、迷いの色が僅かに見えたが、すぐに表情を真剣に戻す。

言葉は無く、そのまま無言で腰を低くし、地を這う低さで突進を始めた。

今度は僕も目を開いたままであり、故にエリオの動きを待つ必要は無い。

僕もまた姿勢を低くし、エリオよりも更に低い位置から掬い上げるような突きを放った。

鈍い悲鳴をあげつつ、エリオは咄嗟に攻撃から防御に切り替え、柄を回転させる動きで僕の突きを弾く。

そのまま流れるような動きで僕の横を取り、槍で僕の背を薙ぎ払いに来た。

が、無駄である。

僕も反対方向に回転しており、エリオよりも尚早く薙ぎ払いを放っていたのだから。

 

「——っ!?」

 

 声にならない悲鳴と共に、エリオは歯を噛みしめ、裂帛の気合いと共に僕の薙ぎ払いとぶつかり合う。

身体能力も同程度、魔力強化も同程度に収まっている以上、どうしても体やデバイスの大きさと重さが威力を決める事になる。

はじき飛ばされるエリオに、次いで僕から追撃。

ティルヴィングで振り下ろし気味に突き、エリオの腹部を狙う。

が、反射的にエリオは高速移動魔法を発動。

後退し、僕の攻撃を避けきってみせる。

 

「これは……」

 

 距離を取られたので、ふむ、と様子を見る。

今の一撃が最速軌道を取っていれば当たっていたのに気付いたのだろう、表情を変え悔しげな顔でストラーダを構えるエリオ。

続け、エリオが突進。

そこに僕は、牽制の雷魔法の代わりに細かい純魔力の鞭を無動作で放った。

目を丸くした後、意図を理解したのだろうエリオが歯を噛みしめながらも避けきれない鞭をくらい動きを止める。

 

「全部僕の、技と動き……!」

「その通りだ」

 

 例えば相手に先手を取られた時にカウンター一本調子なのも、体の小ささを活かして低い位置からの突きを多用するのも、相手をはじき飛ばすとすぐ追撃を、しかも焦ってあまり最短距離の突きを放てない事が多い事も。

全部エリオの動き、癖、戦術思考。

その全てを僕は解析し、咀嚼し、動きに変えているのだ。

とは言え僕のへなちょこな大道芸なので、完全にコピーできているとは言い難いし、かなり格下相手でないと使い物にならない。

なのだが、滅多に機会は無いものの、こういう教導時には役立つ代物である。

 

「ま、お前の疲れの抜け方を見るに、制限時間はあと30分って所か。それまでできる限り、自分の動きの欠陥を自覚してけよな」

「……はいっ!」

「欠点を自覚した所で、治すのには基礎力が必要でもあるが……、まぁそこはなのはに任せてるんで、そっちを頼ってくれ」

「分かりました、ありがとうございますっ!」

 

 元気の良い返事と共に、エリオはストラーダを構え立ち向かってきた。

欠点を解消すべく、試行錯誤の動きをしながら自分自身に立ち向かってくるその姿は、燃えさかる精神と相まってとても尊く見える。

僕もその精神に相応しい教えを届けるべく、全霊を賭して残る時間、彼に向かい合うのであった。

 

 

 

3.

 

 

 

 とかなんとかやっているうちに、時は流れ、5月末日。

新人達が個別スキル訓練に移行し、僕は同行しなかったものの、地球の海鳴への出張任務なんて物があったらしい。

というか、僕も出張を求められたのだが、言い訳を並べたら逃げ切れた。

何せあそこにはなのはやフェイト、はやてにヴォルケンリッター達との出会いの場所であると同時、嫌な思い出も売れる程ある。

フェイトは僕が原因でアリシアにならねばと決意し、なのはは僕に致命的な劣等感を抱き、プレシア先生は僕の心臓を止め。

はやては絶望し僕を憎み、リィンフォース・アインと闇の書との戦いでは、僕は全身がバッキボキになるまで骨折する羽目になったのだ。

強敵と戦う度にそんなもんだが、地球の海鳴はちょっと強敵が多すぎて勘弁して欲しい物である。

 

 そんな今日の任務は、ホテル・アグスタの護衛任務であった。

当たり前だが、機動六課の本来の任務には関係無い任務ではある。

何せ僕は、ガジェットと、つまりその背後に居るだろうスカリエッティとの因縁に決着を付けるために機動六課に属しているのだ。

プロジェクトHにクイントさんの仇にと、奴には聞きたい事や殴りたい要因が山ほどあるのだが。

 

「ホテルの料理、美味しそうだなぁ。えへへ、楽しみ! ティア、この辺って何料理が美味しいのかなぁ」

「あのねぇ、護衛にホテルの料理が振る舞われる訳無いでしょ……」

「え、ほんと!?」

「むしろなんで食べられると思ってたのよ……」

 

 と、そんな僕を尻目に、他愛の無い話を続ける凸凹コンビことスバルとティアナ。

その2人を何が面白いのかニコニコと見つめるエリオとキャロ。

今回の僕の配置は、新人のお守りであった。

シグナムとヴィータと行動予定のリニスと、代わって欲しい物である。

 

「やれやれ、攻撃偏重の上、サポートには自信が無い俺が、ねぇ……」

『ホテルの中よりマシでしょう』

 

 とティルヴィングの言う通り、機動六課がここに呼ばれた主要因である華々しいなのはとフェイトとはやては、ホテルの中での警備中である。

肩凝りそう、とか愚痴を吐いていた3人には悪いが、外で新人のお守りの方がまだ気は楽だ。

とは言え、苦手分野に溜息を漏らすのは避けきれない。

それを聞きとがめ、スバル。

 

「……ウォルターさん。やる気の無い態度は、周りの志気まで下げますよ」

 

 凍てついた声。

8年前、クイントさんの死以来、スバルの僕に対する態度は何時もこんな物で、加え僕をウォル兄とは呼ばなくなった。

スバルの変わり身に驚いたのだろう、固まるティアナら3人を尻目に、肩をすくめ、僕。

 

「すまんな。まぁ、それを補う程度には働くさ、安心しろ」

「……貴方相手に安心なんて、できそうもないですよ」

 

 言ってからスバルは、目を見開き、掌を口にやる。

明らかに発言を後悔している様子だが、それでも吐いた唾は飲み込めないのだろう、目に力を込め、僕を睨み付けた。

僕の胸の奥に、痛切な感覚が過ぎる。

心臓がよじれそうで、噛みしめた歯が砕けそうなぐらいだった。

当たり前だ、スバルにとって母親殺しである僕が戦うと言った所で、一体何を安心できるのだろうか。

後悔が胸の奥からしみ出てきて、表情に浸透しようとする。

それでも僕はそれをおくびにも出さず、肩をすくめた。

 

「……あ、すまん、ぼーっとしてて聞いてなかったわ。何が何だっけ?」

「……もう、いいですっ!」

「スバルっ」

「スバルさんっ」

 

 勢いよく踵を返すスバルに、慌て3人。

その様子に溜息をもう一つつく僕の背後から、更にもう一つ溜息。

溜息のオンパレードだな、などと思いつつ振り返ると、深紅のバリアジャケットに身を包んだヴィータが視界に入る。

 

「なんっつーか、お前とスバルの因縁は聞いてたけど、まさかあのスバルがここまで変わるたぁなぁ……」

「まぁ、な」

 

 茶を濁す言葉で返し、ポリポリと頭を掻く僕。

機動六課の隊長陣には、既に簡単に僕とナカジマ家との関係を告げてある。

一時期厄介になっていた家で、僕はそこの母親を守り切れず、その最後を訳あって誰にも話していない、と。

ゲンヤさんは僕に何かあるのだと考え無理に話させようとしていないし、ギンガは僕が話すのを待つ方針のようだが、スバルは僕に敵愾心に近い感情を抱いている様子だ、と。

それを聞いているヴィータとしては、スバルの気持ちも分からないでも無いのだろう、微妙な表情ながらも、それでも告げた。

 

「しっかし、一応お前は三尉待遇だ、上官になる。あの態度は注意しておきてーんだが……」

「管理局の上下関係に関しては、俺も今一機微が分からんからな。そこら辺はお前に任せるさ。だが……」

 

 律儀に僕に確認を取るヴィータが、訝しげな表情に。

僕は弱々しい口調になりつつも、告げた。

 

「なんっつーか、あいつの俺に対する感情は、憎しみとかそういうのじゃない、気がするんだ」

「……お前の勘、か?」

「あぁ。つっても、今一曖昧なんだが」

 

 本当に曖昧だし、実際負の感情があるには違いないのだろうが、どちらかと言うと僕自身への怒りのような物があるような気がする。

加えて、スバルは何か焦っているようにも感じられた。

どういう意味なのか、その辺の詳しいところまでは僕では察せられないけれども。

 

「……俺じゃあ、スバルに冷静に話させるのは無理だろうからな。その辺は任せたぜ、ヴィータ」

「応、言われるまでもねーよ」

 

 と言って、ひらひらと手を振りつつその場を離れようとするヴィータ。

しかし数歩進むと、ピタリと足を止め、背を向けたまま、こほん、と咳払いをする。

 

「そーいや、ついでに思い出したけどよ」

「ん? どーした」

「……今まで言う機会が無かったけどよ。8年前、お前も大変だっただろうに、事故にあった頃のなのはを元気にしてくれて、ありがとよ」

 

 思い出の時期的に痛切な思いが胸を過ぎるが、それ以上に、耳を真っ赤にしながら告げるヴィータが可愛らしく、思わず微笑みが顔に漏れた。

雰囲気が伝わったのだろう、耳の赤さが増すヴィータに、本心からの言葉を。

 

「俺にできた事は、あいつが気付いていなかった、本当にやりたい事を見据えさせる事だけだった。そっから立ち上がれたのは、なのは自身の力だぜ」

「うっせー、人が礼を言ってるんだから、素直に受け取りやがれっ!」

「応、どういたしまして」

 

 告げると、ふん、と鼻を鳴らし大股に歩みを進めるヴィータ。

ぷんぷん、という効果音が似合う、頭から湯気でも出そうな雰囲気で、すぐに彼女は小さくなって行き、やがて曲がり角に差し掛かり、視界から消えてゆく。

それを微笑ましく見送ってから、僕もまた持ち場へと向かい靴裏で地面を蹴り、進んで行くのであった。

 

 

 

4.

 

 

 

 収斂。

スバルの拳に魔力が収束、震足と共にひねりの加えられた拳が突き出される。

魔力によって強化された人外の膂力が発揮、ガジェットの鋼鉄の肌を紙のように破壊し、臓腑に当たる基盤部分を圧壊させた。

破壊の拳を振るったスバルは、ガジェットの機能停止を悟ると同時、拳を引き抜きつつ姿勢を低くしてみせる。

その頭上を、光を伴う熱線が通過、バリアジャケット無しの生身で食らえばコンクリが泡立つ熱量が駆け抜けて行く。

結界魔法たるバリアジャケットの見目は本当に見た目だけである、実際には露出している肌にも服が有る部分と同等の防御力があると知っていても、冷やっとする光景だった。

 

 とにもかくにも、新人達がようやく7体目のガジェットを破壊する。

最初の訓練の頃の駄目っぷりから見るに、中々の成長具合である。

最も、僕がそれを褒めても、特にスバルには嫌味にしか聞こえまい。

何せその横で僕は、いつでも新人4人のフォローをできる距離を離れずに50体ものガジェットを破壊しているのだから。

 

「やれ、やれだな……」

 

 溜息。

視線をやるまでもなく背後からの強襲を回避し、返す刃でまた1体のガジェットを切り裂く。

その破片を超魔力による超絶の膂力で投擲、次いで3体のガジェットを破壊。

ガジェット達の制空権が開いたので、そこに跳躍、次ぐ熱線の嵐を回避する。

 

『切刃空閃』

 

 直後、40の直射弾を超音速でガジェットへと発射した。

うち30が囮で、残る10は多重弾殻型である。

多重弾殻でAMFを軽減した上に僕の超魔力による威力だけあって、当然の如く10のガジェットを破壊。

スコアを64に伸ばしつつ、思わず叫ぶ。

 

「っつーか、多すぎだろ、こいつらっ!?」

 

 思わず咆哮。

新人には目もくれず、僕の包囲を続ける100体以上のガジェットへとティルヴィングを油断無く向けた。

スカリエッティはよほど僕の戦闘能力を警戒しているようだが、それにしたって限度があるだろう。

苛つきに歯噛みする僕を尻目に、新人達が呟いた。

 

「す、凄い……真竜以上の実力って聞いてはいたけど」

「僕でも全力じゃないと切れないあのガジェットを、紙みたいに……」

「っていうか、私がちょっと前まで一度に1発しか撃てなかったヴァリアブルバレットを、今一度に10発ぐらい撃ってなかった……?」

「…………っ」

 

 個性豊かな台詞は良いのだが、新人達に隙が出来てしまう。

ガックリときつつも、ガジェットの壁へと直行。

直情的な行動に、好機とばかりに集中する光線を飛行アルゴリズムの急激な変化で避け、進路上のガジェットを3体ほど切り裂きながらも直射弾を発動した。

白光の弾丸が歯噛みしつつこちらを睨んでいたスバルの、その背後に迫っていたガジェットを牽制する。

 

「わっ!? ……ぐ、くそっ」

「スバル!? ……あ、ありがとうございます、ウォルターさんっ!」

 

 遅れその事に気付いたスバルが、悔しげな表情を見せつつガジェットへと立ち向かうのを尻目に、僕もシューティングゲーム状態の戦場を飛び交った。

ティアナの礼に少しだけささくれた心が静まるのを感じつつ、適当にガジェットを減らしつつ、僕は意識を新人達にやったままにする。

 

「雄ぉおぉおぉっ!」

 

 怒号を上げながら、スバルが突貫、ラインを上げて行く。

その隙間を縫う敵を、戦場を動き回るエリオと、合間を縫う射撃でティアナが排除。

キャロは森林火災の危険があるためフリードを使いこなせず、強化魔法でのブーストに終始している様子であった。

一見、バランス良く見えるのだが、致命的な部分がある。

というのは。

 

「スバルっ! あんた前に行きすぎよ、もう少し後衛との距離を気にしなさいっ! 漏れは処理しきれてるけど、あんたのフォローが間に合わなくなる!」

「ううん、大丈夫! まだ、私は戦えるっ!」

「スバル!?」

 

 咆哮と共に、突貫するスバル。

ウイングロードを駆使した変速機動に、なのはとの訓練で培われた防御力、それらが合わさったスバルは多少のガジェットの攻撃など物ともしない。

が、それが通じるのもほんの僅かな時間だけだ。

明らかにスバルは、突出しすぎていた。

舌打ち、僕は半ば新人達の戦いを見守るつもりでいた気分を切り替え、瞬き程の時間で本気に意識を切り替えた。

吐気。

高速移動魔法を発動、軌道上のガジェット数体を切り捨てながら直射弾をばらまき、スバルを何時でも助けにいける環境作りに力を込める。

 

「うぉおおぉおぉっ!」

 

 咆哮と共に、ガジェットへと殴りかかるスバル。

既に5,6体のガジェットを撃破したスバルだが、その辺で限界だろう。

次ぐガジェットの熱線への意識が遅れた。

 

「ぐっ!?」

 

 悲鳴と共に、辛うじてスバルの防御魔法が発動。

熱線数本をまとめて防御しきるも、遅れ反対側のガジェットの光線発射部分が明滅した。

今から防御魔法を用意したとしても、スバルの魔法構成速度では十分な強度は発揮できまい。

顔色を青くするスバルだが、その時点で僕は、100を超えるガジェットの半数以上を堕とし、スバルの助けに入る十分過ぎる程の時間を確保している。

 

『縮地』

 

 電子音声。

爆音と、砂塵の巻き上がる音。

しかし、すぐに風が粉塵をまき散らし、無事な姿の僕とスバルを周りに映す。

白光の線分と化した僕がスバルの目前に下り立ち、黄金の巨剣から発動した防御魔法を用い熱線を遮断していたのだ。

 

「おいおい、スバル。何やってんだよ、お前」

 

 思わず気怠げに言うと、スバルが大きく目を見開く。

動揺したようで、荒い呼吸と共に、口をぎこちなくパクパクと動かして見せた。

続けて力なく膝を突く彼女に言い過ぎたかと思うも、流石にあの無謀な突貫に何も言わずには済ませられない。

何よりウォルター・カウンタックには、スバルを腫れ物のように扱って怒らない事なんて、許されない。

してはならない。

だから、僕は改め肩をすくめる。

 

 たったそれだけの仕草に、スバルは打ちのめされたような顔を見せた。

こちらも、内心に動揺が響いた。

心の古傷に塩を塗りたくられたかのような感覚。

今本当に辛いのはスバルだと言うのに、比して小さいはずの辛さにすら耐え切れなさそうになる、そんな自分の弱さが情けなくて。

精神から血が滲むのを感じつつ、僕は無言でスバルに背を向け、ガジェット達へと立ち向かう。

 

「スバルっ!? あんた無事なの!?」

「スバルさん、怪我は無いですか!?」

「か、回復魔法は必要ですかっ!?」

 

 ガジェットに突貫してゆく僕の背後で、スバルを心配する3人の声。

この時ばかりは、どうしてだろうか、呆然とするスバルがとても羨ましく思えて。

その分だけ、ティルヴィングに力を込めてガジェットへと振るった。

振るってみせた。

 

 

 

5.

 

 

 

 蛍光緑の灯りが、スカリエッティの相貌を染めた。

スーツの上に白衣を羽織った彼の紫色の髪は、光の色も相まって奇っ怪な色となり、金の瞳を含め彼の狂気を際立たせるパーツとなる。

その視線の先には、空間投影ディスプレイが。

先のホテル・アグスタへの襲撃、その際の機動六課の魔導師達の戦闘映像が流れていた。

冷涼に保たれた空気の中、金属床を片足の靴裏でリズムカルに叩く。

一小節の音楽が奏でられた頃、排気音と共にドアが滑り開き、一人の男が姿を見せた。

 

「やっと来たのかい」

「悪いな。トーレに捕まっていて、中々来られなかったんでな」

 

 肩をすくめる、長身の大男。

部屋に入った後、扉のすぐ横に背を預けたその相貌は、闇に飲まれ形もあやふやである。

それを一瞥もせず、スカリエッティが告げた。

 

「今回私が確保したいのは、アルザスの巫女とタイプ・ゼロの2体さ。特に、アルザスの巫女と真竜の生態には興味があってね。タイプ・ゼロも、できの良さは偶然とは言え私以外が開発した中では最高峰の出来の戦闘機人だ、手中に収めてみたいものだよ」

「ほう、プロジェクトFの遺産にはあまり興味が無いのか?」

「比較的ね。数年前なら兎も角、今は。それは、君も分かっているだろう?」

 

 つまらない冗句を聞いた、と言わんばかりの反応を示すスカリエッティ。

肩をすくめつつ、眼を細め乾いた声をぽつりと漏らした。

 

「プロジェクトFの逆位置と言うべき計画。プロジェクトH。あの死ぬほどつまらん計画の遺物だけあって、UD-265もつまらん凡作な上に、失敗作だよ」

 

 呟きつつ、スカリエッティは映像を切り替える。

投射映像には、ガジェットのカメラを通したウォルター・カウンタックの戦闘が映されていた。

ガジェット100体を超える戦力を、狂戦士の鎧すら使わずに圧倒するその姿は、戦闘能力に限ればスカリエッティですら背筋が凍り付く物だ。

だが。

 

「――何せ、あれは人造魔導師ではなく天然物。高い資質を持つ子供を攫ってきてはいたものの、UD-265のあの戦闘能力は偶然による物なのだからね」

 

 そう、ウォルター・カウンタックの魔力や戦闘の資質に、スカリエッティはほぼ関与していなかった。

多少のてこ入れこそしたものの、彼の強さを大きく変えた訳ではないのだ。

己を介在する事なく勝手に最強の魔導師となっていった彼は、死ぬほど嫌味な上に、である。

 

「プロジェクトH。あれの目的を鑑みれば、奴は完全な失敗作だからな」

「あぁ。全く、あの腐った見るに耐えない魂を見せつけられるなど、気分が悪いにも程がある」

 

 吐き捨てるスカリエッティに、暗闇の男が緩やかに首肯する。

続け、男。

 

「……ちなみにその場合、”俺”は成功作という事になるのか?」

「まぁね。その分、UD-265よりはマシな物だよ。凡作だがね」

 

 溜息と共に、スカリエッティは頭を振った。

目論見通りの存在が出来上がったとは言え、背後の男もスカリエッティにとっては凡作であった。

プロジェクトHの完成作。

スカリエッティにとって、最もつまらない研究の成果である彼も、スカリエッティにとっては退屈な玩具でしかない。

戦闘能力以外にスカリエッティにはなんら価値が無いと言うのに量産不可能、どころかたった一人ですら同じタイプの存在は作れない。

唯一の救いと言えば、彼を作成する過程で得た技術によるフィードバックが、彼の誇らしい娘達をより強力にしていることだろう。

とは言え、男を作成した事は、スカリエッティにとっても忌まわしいことである。

 

「全く。UD-265がここまで忌まわしい戦闘能力を持っていなければ、対抗するために君などを作らなくても良かったというのに」

「そうだな……それ故に」

 

 言って、男は首元にある鎖を辿り、胸元に隠し持っていたペンダントヘッドを取り出した。

青い宝玉をあしらわれた、銀色の剣型飾りを手に、告げる。

 

「奴は……、ウォルター・カウンタックは、俺が倒す。真に次元世界最強の魔導師たる、俺がだ」

 

 何やら闘志を燃やしているらしい背後の存在に、スカリエッティは内心溜息。

視線を、暗闇で輪郭を無くしている男へ。

プロジェクトHの。

プロジェクトHERO……、英雄計画の成功作へと。

 

 ――スカリエッティが、ただ”セカンド”とだけ呼ぶ男へと、やった。

 

 

 

 

 




露骨な伏線でした。
次回、スバル回。


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7章3話

構成力が切実に欲しい。
その辺に落ちてないですかね(白目


 

 

 

1.

 

 

 

 夜中。

月明かりに照らされる機動六課の隊舎のすぐ近くにて、風切り音が断続的に響く。

森とコンクリの壁の間の広場にて、青髪を振るわせながらスバルはただただ拳を振るっていた。

滝のような汗に荒い息、拳や脚が鈍ってゆくのを感じつつも、スバルはその四肢を動かすのを止めない。

止められなかった。

スバルの求める強さは今より遙か先、届かぬ頂に位置していて、加え早くそこにたどり着かねばならない。

早く。

今すぐにでも。

 

「はっ、はっ、はっ……」

 

 しかし、内心の焦りに反し、疲労がスバルの四肢に溜まって行くばかりで、成果はさほど見えない。

拳も脚も鈍って行くばかりで、昼の訓練ではミリ単位の正確さを誇っていた型も、今は見る影も無かった。

歯噛み。

あのウォルターは、狂戦士の鎧なる魔法で生理現象すら操作し、20時間を超える連続戦闘を可能にすると言う。

対しスバルが拳を振るい続けたのは数時間、それも戦闘ではなく訓練による物である。

比べるまでも無い差がそこにはあった。

己の不甲斐なさに涙ぐみそうになるのを、スバルは辛うじて我慢する。

歯を噛みしめ、瞼をきつく閉じて、涙の衝動をやり過ごした。

背筋を振るわせる感覚が過ぎてから、スバルはぼんやりと呟く。

 

「……水分、補給しなくちゃな」

「はい」

 

 反射的に後ずさりながら構えるスバル。

その視線の先には、スポーツ飲料の入ったボトルとタオルを差し出したコンビの相方、ティアナが立っていた。

 

「……ぁ、ティア……」

「はい」

 

 有無を言わさず、再びボトルとタオルを差し出してくるティアナに、スバルは渋々とそれを受け取る。

俯きがちに、ちらちらと上目遣いに相棒の顔に視線をやると、ティアナはスバルを細くしたその目でじっと見据えていた。

怒鳴りたさそうにも見えるし、心配しているようにも見えるし、あるいは両方かもしれない。

 

 いや、きっと両方なのだろう、とスバルは独りごちた。

以前のホテル・アグスタの戦い。

功を焦り、死の光線を浴びかけたのは、スバルにとっても背筋の凍る思い出だ。

心配をかけているのは分かっていた。

それでも、スバルには成さねばならない事があって。

そのためには、自分の心身を削ってでも訓練するしか思いつかないのだ。

 

「……無茶、するわね」

 

 鈴、とティアナの声が響く。

鈴のような声は、澄んでおり、それでいて容易く割れそうで、切ない程だった。

胸の奥が縮まるのを感じつつ、スバルが意図して朗らかに笑う。

 

「大丈夫だよ、私、体力には自信あるしっ」

「それでも! 限度ってもんが……」

「だ、大丈夫だって。ほら、私の体は……機械だし、さっ!」

 

 ぱしぃん、と乾いた音。

遅れ、頬が熱を持つのを感じ、スバルは思わず頬を抑えた。

ぽろぽろと、涙を零しながらスバルを睨み付けるティアナ。

 

「馬鹿……! ばかぁっ!」

 

 続け、ティアナはスバルの襟を掴んだ。

スバルに比し、圧倒的にか細い力で、それでも必死にスバルを引き寄せる。

嗚咽を漏らすティアナの相貌が目前にあるのに、スバルは思わず息をのんだ。

その痛々しさに、そしてその痛々しさを他でもない自分が作り出していることに、胸の奥に重く冷たい物が溜まって行くのを感じる。

自然、スバルの口から素直な言葉が漏れ出た。

 

「ごめんね、ティアナ……」

「ごめんじゃないわよ! 悩んでるなら、苦しんでるなら、話をしてっ! あたしたち、コンビでしょ!?」

「――っ」

 

 普段スバルとコンビである事を恥ずかしがり、中々認めようとすらしない、ティアナの言葉である。

思わずスバルは、胸の奥が詰まるのを感じた。

吹き荒れる感情が、温度となって、顔面に集まって行く。

唇を噛みしめ、スバルは衝動をやり過ごすのに腐心した。

 

 言うべきか。

迷いが無いと言えば、嘘になる。

スバルの強さを求める理由は、不確かで、しかも危うく、加えてウォルターに関連する事柄である。

特に最後の理由は、ティアナ・ランスターに相談するには重要な点だ。

何故なら、ティアナはウォルター・カウンタックのファンだからである。

 

 スバル・ナカジマは知っている。

ティアナが何時もウォルターの写真を持ち歩いていることを。

辛くなったとき、悔しさに唇を噛みしめたとき、何時もティアナは次元世界最強の英雄の事を想って立ち直ってきた事を。

それでも、スバルがウォルターと因縁のある立場だと知ると、それをスバルに隠し続けてきた事を。

スバルに遠慮して、最初はウォルターの居る機動六課に入るのでさえ遠慮しようとした事を。

 

「…………」

 

 ――それでも。

目前の相棒の涙は、凍り付いていたスバルの唇を溶かすだけの熱量を秘めていて。

何より、スバル自身の心が、誰かに心の中のよどみを吐き出したがっていた。

だから。

 

「……ティア。少しだけ、お話聞いてくれるかな」

 

 スバルは、語った。

それは、一人の鋼の少女の昔話。

半ば鋼の絡繰で出来た少女は、自分を悪者と、許されるべき者では無いと感じていた。

それを吹き飛ばすだけの熱量を持った英雄と出会い、憧れて。

けれど英雄は少女の母を助けられず、その最後すら語ろうとしない。

 

「……最初は、訳が分からなかった。何週間か、家に引きこもっちゃったっけ。でもね、ふと、分かったんだ」

「……何、が?」

「ウォルターさんが、私たちに何も言えないのは。私たちが、真実を知ったほうが傷つくと思ったからなんじゃあないかって」

 

 ――例えば。

 

「お母さんを、誇りに思う気持ち。お母さんを、愛する気持ち。それらがへし折れてしまうような、現実が待っているんじゃあないかって」

「待って、スバル。それじゃあ……!」

「ウォルターさんを信じるのならば。お母さんが、自分で自分の名誉を踏みにじっていたんじゃあないかって」

 

 その言葉が、ティアナの傷を抉る言葉であると知っていて、スバルは告げた。

亡くなった兄を信じ、その名誉の為に戦おうとするティアナにとって、スバルの言葉は劇薬に等しい。

思わず、と言った様相で叫ぶティアナ。

 

「そんな!? あんたのお母さんは、立派な人だったって! あんたの自慢だったって!」

「……うん。それに、私自身には、どんな真実なのか、見当も付かないんだ」

「じゃあ、なんで!?」

「お父さんの目を見たから」

 

 冷や水を浴びせられたかのように、ティアナは押し黙った。

自分は今どんな顔をしているんだろうか、とスバルは思う。

思って手でぺたぺたと自身の顔を触ってみて、全くの無表情である事に気付いた。

ウォルターが母の死を告げた日と、全く同じ顔だった。

 

「お父さんは、半分真実に気付いているんじゃあないかって、思うんだ。だってお父さんは、いつもウォルターさんに謝ろうとしている。謝って謝って謝ってそれでも足らないぐらいだろうに、それでも私とギン姉を誤魔化すために謝れなくて、辛い思いをしている。見てて、分かるんだ」

「…………」

 

 同じ家族だから母の不名誉を信じられないけれど。

同じ家族だから、父の懺悔を感じ取る事ができて。

 

「でも。お父さんも、ギン姉も、そしてウォルターさんも。みんな辛い顔ばかりしていて、だから、一日でも早くウォルターさんが真実を明かせる日が欲しい」

 

 何処かに憂鬱さを何時も匂わせるようになったゲンヤ。

今でこそ許せるようになったものの、ウォルターを憎み続け、今でも悲しげな顔を続けるギンガ。

そして何より、あの英雄らしからぬ殉教者のような雰囲気を見せるウォルター。

3人のそんな顔を、見たくなくて。

何より、自分も真実を知りたくて。

だから。

 

「ギン姉は、ただ待つつもりみたいだけど。私は、待てない。一日でも早く、真実を明かしてもらえる日が欲しい。だけど、その為には……」

 

 スバルは告げ、拳を眼前に持ち上げた。

ウォルターが何時かそうしたように、開いた手をゆっくりと、全霊を籠めながら下げて行き、眼前で握り拳を作る。

 

「強さが要る」

 

 強さ。

ウォルターが真実を告げても、耐えきれる強さ。

 

「最初は、心の強さだと思っていたけど……。見えない強さをどうやって計ればいいのか分からなくって。だから私は、せめて肉体の強さだけでも、強くならなくっちゃならないんだ」

「それは……、でも……」

「うん。直接的には、ウォルターさんに真実を話して貰う道には通じてないかもしれないよ」

 

 きっぱりと告げるスバルに、驚きティアナが目を見開く。

そんな愛らしい様子に、スバルはくすりと苦笑してみせた。

虚ろな笑みだと、自身でも分かっていた。

 

「でも、駄目なんだ。計れない強さを鍛えるなんて、どうすればいいのか分からなくて。だから、目に見える強さだけでも鍛えなくちゃ、不安で不安で仕方が無いんだ」

「スバル……」

「でも、鍛えれば鍛えるだけ、ウォルターさんの居る場所が遠いのが分かって。なのに、あんなに遠くまで歩んでいける人なのに、私に遠慮して卑屈な態度を取るあの人に、私が勝手に苛立って」

 

 強くなればなるほど、ウォルターの強さがとてつもない物だと分かってくる。

山をも切り崩し、大陸でさえ切断するとさえ噂される、SSSランク――測定不能ランクの魔導師。

SSランク相当の真竜、それも制約付きの召喚状態ではない本体を2体、同時に相手して勝利を収め。

SSSランク相当とされる、惑星を打ち砕く程の戦闘能力を持つ黒翼の書の暴走状態と、辛勝とは言え一対一で勝ち。

古代ベルカの王達を戦闘能力では超えるとさえ噂される、力。

次元世界、最強。

そんな男がスバル如きに、隠しながらも卑屈な態度を取ってみせるのが、苛立たしくて仕方が無い。

 

「そりゃ、分かってるよ。強いからってそれが、イコールで偉いって訳じゃないし、それにウォルターさんが私に負い目を持っている理由も、何となく。でも」

「……でも?」

 

 ティアナの問いに、スバルは震えた深呼吸で答えた。

両手を胸に、凍えそうになる心を可能な限り温める。

 

「そんなウォルターさんを見ていると、怖くなるんだ。お母さんが不名誉な死だったなんて、私のただの妄想だったんじゃあないかって」

「そんな……」

「だって、そうでしょ? 私の考えには、何の証拠も無いんだよ? ウォルターさんに、何の言葉ももらえてないんだよ? 何も、話せていないんだよ?」

 

 俯き、スバルは矢継ぎ早に告げた。

顔面に集う温度が、ポロポロとスバルの両目から零れ始めていた。

 

「聞けば、分かるかもしれない。でも、怖くて。信じているんだけど、本当は違ったらどうしたらいいか、分からなくて。だから、聞けないんだ。なのに勝手に苛立って、不安で、怖くて、苛立って、不安で、怖くて。もう頭の中、ぐちゃぐちゃなんだよ」

「スバル、あんた……」

「――だから」

 

 俯いたままに。

スバルは、胸の内を告げた。

 

「だから今は、信じたい。強くなれば、ウォルターさんが真実を教えてくれるって。強くなって教えてもらえる真実なら、私の考えが妄想じゃなかった時の真実だから」

 

 後ろ向きな上に、弱虫の思考だな、とスバルは内心自嘲した。

もしかしたら、ウォルターはそんなスバルの弱虫思考を見抜いていて、だから真実をひた隠しにしているのかもしれない。

それでも。

 

「だから。今はただ、強くなりたいんだ」

 

 誰よりも早く。

誰よりも遠い、あの頂に立つ背中に、少しでも近づかなくちゃいけないから。

だから、放っておいてくれと、スバルがそう告げようとするその寸前。

溜息交じりに、ティアナが呆れ声で告げた。

 

「じゃあ、仕方ないわね。納得いくまで、あたしも付き合ってあげるわよ」

「――ぇ」

 

 思わず、スバルは頭蓋を跳ね上げた。

訝しげな顔が分かったのだろう、むっとした表情を作ったティアナが、高速ででこぴんを作り、スバルの額へ。

ぺちん、と力ない音と共にスバルの額を叩く。

あて、と小さく呟くスバルに、くすりとティアナは微笑んだ。

 

「なーにへんてこな顔してるのよ。相棒でしょ、あんたの足りない考えに付き合ってあげられるのなんて、私ぐらいしか居ないんだからさ」

「ティア……」

 

 目頭の熱量が爆発するのを、スバルは感じた。

どっと涙が溢れる量を増やすのを感じながら、ぎこちないながらも、できる限りの感謝を込めて笑みを作り。

 

「――ありがとう」

 

 スバルは、精一杯の笑みをティアナに見せた。

 

 

 

2.

 

 

 

 そして、数日でなのはに感づかれた。

 

「…………」

「…………」

 

 小会議室。

防音壁で区切られた部屋は採光に優れ、飾られた疑似花やクリーム色の明るい壁と、朗らかな雰囲気だ。

加え、スバルとティアナの目前に座るその人は、あの高町なのはである。

半ば鋼の血肉で出来たスバルにでさえ分かる程に、厳しくも優しい、スバルの自慢の教官。

その教官は、再びスバルに問うた。

 

「最近、夜間の自己訓練、オーバーワークが過ぎるみたいだけど。どうしたのかな?」

 

 参謀役であるティアナではなく、スバルに問う辺り、どちらが主導の訓練か察しているのだろう。

吸い込まれそうな瞳に、スバルは思わず内心を吐露してしまいそうになる自身を抑え、俯いた。

言う訳にはいかない。

思ってしまってから、ふとスバルは、自分が悪いことをしていると言う自覚はあるのだな、と思い当たった。

悪い事だと、逃げだと知りつつも力を磨く事は、やはり間違っていることなのだろう。

けれど、スバルはどうしてもそれを止められなくて。

ちらりと、相談すれば何か答えをくれるかも、という思いがスバルの中に芽生えたが、それも話しても無駄だと言う諦めにかき消された。

 

「……ウォルター君から、スバルとの関係、概要だけは聞いているよ」

「――っ」

 

 スバルは、思わず頭を跳ね上げた。

目を見開くスバルの視線の先、なのはは儚げな笑みを浮かべている。

遅れ、その笑みを陰らせているのが、自分がなのはを頼れない、信用しきれていない事だと気づき、スバルは顔を強ばらせた。

それでも尚、スバルは全てをなのはに告白するまでには至らなかった。

これが清い真実であればまだしも、スバルは母を、故人を疑うという、忌避されるべき行為を行っているのである。

それを目の前の眩しい人に告げる事ができる勇気を、スバルは持っていなかった。

歯を噛みしめるスバルを目に、なのはは微笑みかける。

 

「強くなりたいのは、ウォルター君が憎いから?」

「違うっ! ……ぁ、違い、ます」

 

 思わず叫んでから、スバルはしおらしく訂正した。

それだけは、無い、筈だった。

けれど否定の力強さが、スバルがウォルターを憎んでいる事から目を逸らしているのではないかと思えてしまって。

頭を振る。

考える事を、何時も相棒に預けていたツケが回ってきたのか。

スバルが難しい事を考えると、どうも上手くまとまらない。

 

「じゃあ、スバルはウォルター君と、どうしたい?」

 

 なのはの問いかけに、とくん、とスバルの胸が鼓動した。

真実を話して貰いたい。

けれど、真実を問うても答えてもらえないのは、聞かなくても知っていて。

だから。

一度しかチャンスがある訳ではないのだから、今の自分を。

この心身全てを、ぶつけたくて。

 

「……力を」

「うん?」

「真実を話して貰えるだけの力を、示したいです」

 

 気付けばスバルは、胸の内を僅かながら零していた。

ティアナに話したほどではなくとも、どうしても、溢れそうになる内心は抑えきれなくて。

 

「心の力は、目に見えないから。せめて、目に見える力だけは、ウォルターさんに」

 

 知らぬうちに、スバルは背筋を伸ばし、真っ直ぐになのはを見据えていた。

誇れるはずの無い言葉なのに、どうしてこんなに真っ直ぐに口に出せるのか。

それすら分からないままに、それでもスバルは告げる。

 

「……ウォルターさんと、戦いたいです」

 

 それを受け、なのはは眼を細めた。

半歩遅れ、隣からティアナ。

 

「――なのはさん。私は、スバルの相棒です。私も、参戦させてください。こいつの力を引き出す事にかけては、右に出る者は居ないと、そう自負しております」

「ティア……」

 

 相手はあの次元世界最強。

それも裏に有る事情が事情である、手加減されずにあまりの実力差に心を折られる可能性すらもある。

それを知って尚、ティアナの瞳は硬く、意思に充ち満ちていた。

あふれ出んばかりの意思宿る瞳には、なるほどウォルターのファンを続けているだけあるのだろう、彼の瞳に宿る炎に似た物が垣間見える。

安堵と感動と、ちょっぴりの嫉妬がスバルの胸の内に広がった。

 

「明後日の、昼休みを終えてすぐになるかな」

 

 きょとん、と一瞬スバルは目を丸くした。

遅れ、なのはの言外の許可に、徐々に理解の色を表情に表す。

 

「あ、ありがとうございますっ!」

「ありがとうございますっ!」

 

 2人の言葉に、なのはは儚げな笑顔をただただ表情に乗せていた。

 

 

 

3.

 

 

 

 廃棄区画が再現された、六課の訓練施設。

所定の場所で、僕は陰鬱な気持ちでただただ立ち尽くしていた。

スバルとティアナとの、組み手。

戦闘ではないが、模擬戦でもない、戦い。

互いの力を示すための行為。

その舞台がこの廃棄区画で、僕がスバルとティアナを待つのも、戦闘相手の2人が来るのを待つ為である。

それまでの数分、僕は瞼を閉じたまま静かに回想していた。

 

 スバルもまた、クイントさんの最後がどんな有様だったのか、朧気ながら予感していた。

それに気付いたのは、なのはの言葉からである。

無茶な訓練を繰り返すようになったスバルは、その真意を問うなのはとの面談で、僕に力を示したいと告げたのだと言う。

真実を話して貰うだけの力を、と。

そこから連想できる事実は、一つしかなくて。

 

 隠しておきたかった。

初めは、僕の心が耐えきれないからという、ただの我が儘。

クイントさんにとって、初恋の人にとって、僕はただの仲の良いませた子供に過ぎなかったという真実を、言えなかっただけの事。

本当の事を隠し続けてきたのは、約束があったから。

クイントさんが、僕の初恋を利用し、僕の心を縛った一言があったから。

 

 ――“私が死んでも、2人が真っ直ぐに育ってくれるよう、その目標になってくれない?”

 

 前提として、僕は既にナカジマ家の3人に真実を隠し、母親殺しの男も同然だった。

そんな男の言葉なんて届くはずも無く、だからと言って真実を告げ信じてもらえたとして、母親を信じられないギンガとスバルの心は折れてしまうだろう。

幼く潔癖だった2人にとって、クイントさんの使った手段は、理解すらもできなかっただろう。

時間が必要だった。

少なくともギンガとスバルが、真実を知って母親を嫌っても、理解はせめてできるために。

そしてクイントさん以外の心の柱を見つけ、例えクイントさんという心の柱が折れても、進みたいところに歩いて行けるために。

 

 でも、ゲンヤさんは元々、ギンガは3年前に、スバルはいつだか知らないが、少なくとも今は既に気付いている。

真実そのものではなくとも、その近くにまでたどり着いている。

そして。

ギンガは管理局員としての仕事にも、そして様々な仲間達に支えられていて。

スバルもまた、ティアナという素晴らしい相棒に、なのはのような素晴らしい先生を持っていて。

2人はもう、僕の嘘から巣立つ時が来たのだ。

 

「――その前に、一つだけ、やる事があるがな」

 

 呟き、振り向く。

靴裏がコンクリを叩く音に垂直な位置に視線をやり、スバルとティアナを視認。

胸元に手を。

冷たく凍り付くような温度のティルヴィングを手に、告げる。

 

「セットアップ」

『了解しました』

 

 極光。

現れた黄金の巨剣を手に、黒衣をはためかせる。

これからする事は、褒められた事ではない。

むしろ下種の行い、唾棄すべき行為、そういった部類に属するものだ。

何せ、これから僕は剣で問いかけるのである。

 

 ――お前が真実が知りたいのかどうか、教えて欲しいと。

 

 だって、僕はスバルから、何の言葉も聞いていない。

ゲンヤさんからは真実を問われ。

ギンガからは本当の事を教えてと言われたけれど。

スバルが真実を知りたいなんて、直接は一言も聞いていないのだ。

僕がいくら馬鹿でも、スバルの口から何も聞いていないのに、勝手に隠すべき真実を話すなんて事はしない。

自分の口で真実を問う勇気の無い子に、渡せる真実じゃあないのだから。

 

 単に選択権を相手に委ねているだけのような気がするし、せめて相手に真意を問うだけの年上の余裕があっても良いのではと思う。

そもそも、自分の真意は仮面で覆い隠して、なのに相手の真意は知りたいという僕の思考は、屑野郎の思考に違い無い。

自分を見せず、相手の姿だけ暴こうという人間が、真っ当な人間だなんて言える筈が無いだろう。

でも。

だけれども。

 

「よく来たな、スバル、ティアナ」

「……っ」

「――っ」

 

 僕から放たれるプレッシャーに、身じろぎする2人。

民間協力者たる僕に、リミッターの類いは存在しない。

故に僕は何時でも次元世界でも屈指の魔力を解放する事ができる。

無論本気を出す訳ではないし、解放している魔力もさほどの量では無い。

とは言えそれでも、2人には戦慄すべきレベルだったのだろう。

2人は脚を震わせ、半歩下がってみせる。

 

「なのはから聞いたが……、お前の口から、お前の言葉で、直接聞きたい。スバル、お前はどうしたい――?」

 

 それでも、僕の問いに2人は踏み止まった。

視線を合わせ、頷き、心の背を押すティアナはとても良い子なのだろう。

そんな相棒に支えられたスバルは、僕へと真剣な顔で振り向き、全霊を籠め告げた。

 

「力を。ウォルターさん、貴方に……、私の今の、力を示したいっ!」

 

 構えるスバル。

腰を低く、半身に片手を伸ばし、もう片手を腰にひきつける。

隣のティアナは顕現させた双銃を手に、数歩下がって見せた。

スバルとティアナから、魔力の高まりが波打つ。

僕の魔力に比べれば小波も良いところだが、それでもその力強さは不思議と僕の心を打った。

 

「そうか……。なのは」

(うん、開始の合図は私からするよ)

 

 空中に発生した投射ウィンドウから顔を覗かせ、なのはが言う。

こんな半ば以上私情の戦闘を組んでくれた彼女には、本当に頭が上がらない。

借りばっかりあるというのに、それを返せる見込みが無いどころか、彼女を現在進行形で仮面越しに騙しているのだと思うと、自分で自分に反吐が出る思いだ。

それでも必死の演技で頷くと、僕はティルヴィングを構えた。

スバル達の力量では秒殺で終わってしまうので、手加減は必須である。

緑色の宝玉が明滅。

電子音を小さく漏らす。

 

(3,2,1……)

 

 カウントダウン。

意外にも冷静に自分をコントロール出来ている様子のスバルは、最適量の脱力を己に課している様子であった。

逆にやや緊張気味だったティアナは、スバルの後ろ姿を見て我が振りを治しているように見える。

そんな様子を眺めつつ、僕の可能な限りの手加減をするための心構えを。

 

(スタートっ!)

 

 弾き出されるかのように、スバルが突進、ティアナが後退。

立ち尽くすままの僕に向けて、橙色の魔力弾が二発飛んでくる。

軽く一閃、打ち払うと同時に突っ込んでくるスバルの拳を避けた。

直後、スバルの足下に青光が宿る。

ウイングロード。

クイントさんと同じ先天性魔法。

 

「うぉおおおっ!」

 

 ウイングロードはスバルの前後の両方に発生。

コの字型に僕とスバルの足下を凹の部分として生まれ、片方は剣を振り終えた僕の視界を遮り、もう片方はスバルの壁を使った三角飛びの材料に。

そこに、合間を縫うような、視界外からのティアナの射撃。

嫌味な所を狙ってくる弾丸を避けつつも、スバルを視界に捉えようとするも、丁度僕の眼前、視界の中のスバルを覆い隠す大きさの弾丸が駆け抜けて行く。

中々の精度の射撃魔法であった。

関心しつつ、視界から消えたスバルの位置を、咄嗟にウイングロードから読み取れば、すぐ側面。

眼を細めつつ、ティルヴィングを振るった。

が。

 

「……ウイングロード、だけか」

 

 黄金の巨剣が打ち砕いたのは、青光の帯だけ。

遅れ、剣を振り抜いた体制の僕の背後に、スバルの魔力が発生。

カートリッジの炸裂音と共に怒号が響く。

 

「うぉおおぉぉっ!」

 

 元々人外並の膂力を魔力で強化した上、コンパクトな振りにマッハキャリバーの加速力が加わったそれは、音など容易く置き去りにした。

身体強化の基礎にして極限たる魔法で強化された、正拳突きが僕へと迫る。

半歩遅れ、その両隣からはティアナの弾丸が。

射撃しつつ準備はしていたのだろう、その数はほぼ同時に4つと、どう足掻いても一閃では弾けない数。

だが。

 

「――おいおい」

 

 この程度なのか。

気落ちしつつ、僕は瞬き程の詠唱で直射弾を4つ生成、ティアナの直射弾と激突する軌道に撃つ。

ティアナに比しやや精度では落ちるものの、近くの直射弾に当てる事ぐらいはなんてことはない。

と同時、ティルヴィングを軽くスバルへと振るい、拳を弾き返した。

後方に流れる体と共に信じられないような顔をするスバルだが、同時に僕の直射弾がティアナの直射弾と激突。

突破するかと思えば、ティアナの直射弾4つは全て多重弾殻弾であった。

外殻が破壊されると同時、爆発、目くらましとなってスバルの姿を物理的にも魔力的にも覆い隠す。

 

「ほぉ……、面白い使い方をするな」

 

 内部には攻性魔力と反応し爆発する魔法が籠められていたようであった。

僕にもできなくはないが、あの速度と精度では同時に2発が限界だろう。

中々小器用な真似をする物だと思いつつ、魔力を軽く放出、砂埃を打ち払った。

視界にはスバルとティアナ、2人の姿は見えない。

灰色のうち捨てられたコンクリが広がるばかりである。

 

「……まぁ、そりゃあそうだよなぁ」

 

 ティアナの強みの一つたる幻術魔法は、相手の視界外で使ってこそ本領を発揮する。

となれば、正対してからの戦闘開始となれば、一端姿を隠すのは定石と言えよう。

とは言え、僕がそれに付き合ってやる義理は、毛頭無い。

 

「俺に広域殲滅魔法が使えないっていう情報があるからだろうし、事実俺が広域攻撃をリニスに任せっきりっていう事もあるんだろうが……」

 

 呟きつつ、僕は飛行魔法を発動。

ビルの中程の高さに位置してから、ティルヴィングを振るう。

 

「そう」

 

 射撃魔法『切刃空閃』。

幼少の頃より改良を続けた魔法は、瞬くほどの時間で40もの射撃魔法を生成。

 

「でも」

 

 が、その勢いは止まらず、1秒で計150発。

 

「ない」

 

 2秒、計270発。

 

「ぜっ!」

 

 3秒、計400発。

1発1発が並の魔導師の砲撃魔法を超える威力の直射弾が、僕の号令と共に地上へと降り注いだ。

円錐型の破壊範囲だが、破壊範囲内のビルは当然下部を無くし崩壊するので、敵をいぶり出すのは悪くない魔法である。

とは言え、本家本元の広域殲滅魔法に比し圧倒的に攻撃範囲が狭く、加え高速戦闘中は3秒もチャージしてる暇が無い為、滅多に使わないのだが。

などと内心溜息をついていると、青い帯が伸びてくるのが視界に。

崩れ落ちるビル群の合間を縫い、スバルが突進してくる姿が見える。

 

「……ま、引っかかってやるか」

 

 と、軽い射撃魔法を発射。

白い弾丸がスバルを穿ち、幻術魔法が消えて行く。

遅れ多方向からの橙色の射撃魔法が僕へと飛来、8つの橙色の弾丸を8つの白光の弾丸で破壊する。

僕の集中が削がれ、加えて時間も稼がれたが、代償はあった。

余りに巨大なまき散らされる魔力に、フェイクシルエット系の魔法が耐えきれず、空中にヒビが。

隠しきれなかったウイングロードと、その上を走るスバルの姿がついに露わになる。

焦りを隠せぬ表情で、スバルは歯噛みし僕に接近、その拳を硬く握った。

 

「が、これも幻術なんだよなぁ……」

 

 だが、呟き僕は構える事すらせずに本物のスバルの場所を読み取ろうと意識を集中。

何せ僕は、ティアナと同じ幻術魔法が使え、総合的な練度では僕の方がまだ上なのである、幻術を使われている場所ぐらいは分かる。

目前のスバルの幻術を無視して探るも、透明化がかかっているらしき場所はウイングロードの上の3カ所を移動中。

どれも僕が目の前のスバルの幻術に対応した瞬間アクションできる位置であると認識した瞬間、はっと気づき僕はティルヴィングを構えた。

遅れ、金属音。

僕のティルヴィングと、スバルの……幻術かと思いきや、本物だったスバルのリボルバーナックルとが、噛み合った。

 

「く、ばれたっ!?」

「いや、本物のスバルの上に、スバルの姿の幻術をかけて、その上に透明化の幻術をかけていたのか……。二重幻術って奴か。器用だな、お前の相棒は」

 

 そう、恐るべき事にティアナは、最初の突進してくるスバルの幻術を1つ、何も無い場所に透明化の幻術を3つ、ウイングロードを透明化する幻術を1つ、スバルの上にスバルの姿を上書きする幻術を1つ、最後にその上から透明化を上書きする幻術を1つ。

つまり、平行して7つもの幻術魔法を使った上で、射撃魔法による援護まで行っていたのである。

しかも、姿を隠してから僕が切刃空閃を放つまでの、ほんの僅かな時間に全ての準備を終えて、だ。

 

「で、お前はウイングロードだらけの得意な場を作った上で、ティアナの援護を受け放題の、得意な距離を維持できる訳か。本当に良い相棒を持ったな、スバル」

「……うん。だから、私はっ!」

 

 咆哮。

カートリッジが連続して排出、超魔力が僕のティルヴィングと噛み合う拳に集まる。

が、僕の超弩級の魔力に比してあまりにも心とも無い量である。

このまま押し切ろうと魔力を籠めた瞬間、スバルが跳躍。

フェイントに籠めた超魔力を、事も有ろうにかぽいっと捨て流し、無防備な僕の背に蹴りを振り下ろす。

流石に目を見開く僕だったが。

それでも尚、僕には届かない。

 

「くっ……うぉおおっ!」

 

 ずしん、と音を立て、反転しながら垂直に受けた僕の左腕に衝撃が。

そのまま半回転、衝撃を逃しつつ右手に持ったティルヴィングが反撃の牙となり、軽やかにスバルへと襲いかかる。

スバルは決死の形相でそれを、ウイングロードを凹ませつつ姿勢を低くし、回避。

片手をウイングロードにやり支点に、水面蹴りを放つ。

が、僕は見切り脚で踏みつけ止めた。

僕が飛んで避けていれば頭蓋を穿っただろう位置を、ティアナの直射弾が通り抜けて行く。

 

「どうした……こんなものかっ!」

 

 叫びつつ、両手持ちに戻ったティルヴィングを縦に振るった。

脚を固定されたスバルは咄嗟の判断で一部のウイングロードを解除、僕の靴裏で挟み込む先が無くなり、体ごと空中に放り出される。

しかしそれも一瞬、どこぞから伸びて追いついてきたウイングロードに着地。

構えなおしつつ、叫ぶ。

 

「まだ……まだぁっ!」

 

 咆哮と共に、ティアナが放ったのだろう援護射撃を引き連れ突貫。

スバルを追い抜く射撃を僕が左手で弾くのとタイミングを合わせ、拳を振るう。

ティルヴィングで弾こうかと思った刹那、予感に僕はティルヴィングを待機状態に。

ティアナの細く絞り込まれた砲撃魔法が、ティルヴィングのあった場所を通り過ぎて行くのが、視界の端に見えた。

上手い物だと思いつつ、無手となった僕に、スバルの万力を籠めた拳が襲いかかる。

体勢の整っていない僕は正面から打ち合う訳にはいかず、受け流すも、続く拳が連続して飛んできた。

一合、五合、十合、瞬く間に五十合。

それらを捌きつつ、僕。

 

「……お前は、今の力を示したいと言ったな」

「はいっ!」

「……理由を。他でも無い、お前の口から聞きたい」

 

 ティアナの援護を受け、鋭さに磨きがかかっていたスバルの拳が、僅かながら遅れた。

その隙を見逃すはずも無く、反撃の僕の脚撃がスバルの脇へと襲いかかる。

肘で受けつつも、威力の違いに僅かながらスバルは体を浮かせてしまうが、それはウイングロードの操作でカバー。

巧みに壁と床を操作し、自分は自在な動きをしつつ、僕の動きの制御をし、叫ぶ。

 

「いま、さらっ!」

「今更でもだ」

 

 どの口で言うのか、と僕は内心陰鬱な気分になりつつも、仮面の表情だけは崩さない。

仮面を被って皆を騙し、本当の事をひた隠しにしながら、俯き怯え生きている僕が言って良い台詞では無いのだろう。

けれど。

だけれども。

 

「お前のやりたいことは、分かる。何となくだがな。だが、本当にそうなのかは、真実までは、俺には分からない」

「そんな……ウォルターさんは、何時だって、誰かの心を見抜いてきたんでしょ!?」

「あぁ。やりたい事とやってる事がちぐはぐで、本当にやりたい事を見失っている奴らに、本当にやりたい事を気付かせてきた」

「なら……」

「だがっ! 俺の敵達は、最後には、本当にやりたい事を口にしていたっ! 自分自身の口でだっ!」

 

 叫び、僕は一層力を込めた拳でスバルの拳を迎撃。

開いた距離に、即座に差し込まれる援護射撃を、こちらも即座にセットアップしたティルヴィングで切り払った。

そんな僕の視線の先では、スバルが顔を青白くし、小さく震えている。

 

 いくら僕に言う資格が無い台詞でも、僕は言わねばならなかった。

だって僕は、約束を守らねばならない。

真実を知った日、僕は仮面を被る理由を半ば失った。

妄想の男だったUD-182の為に仮面を被る意味は、最早無い。

あるのは、UD-182という僕が焦がれた妄想は、僕の内側から零れ出た物だから、自分でなりたかった自分だから、仮面を被り続けるのだと言う理由だけ。

 

 でも、それはあまりにも儚い理由で、僕が心の脚で立ち続け、歩き続けるには心許ない物だった。

だから僕は、約束に縋った。

果たしてしまったはやてとの約束は、最早僕の中では心の柱にはなり得ない。

あるのはただ、クイントさんとの約束だけ。

 

 ――“私が死んでも、2人が真っ直ぐに育ってくれるよう、その目標になってくれない?”

 

 僕は今、自分の妄想の他には、この約束だけしか仮面を被り生きて行く理由を持っていないのだ。

それが終わってしまうのは、心が凍えそうで、文字通り死ぬほど怖いけれど。

でも。

約束を果たそうとしない生き方を、僕はできなくて。

けれど、スバルの口から聞かれもしないのに、真実を教える事だって、する訳にはいかなくて。

だから僕は、言う資格の無い筈の台詞を、それでも叫び続ける。

 

「だから今度も、お前の口から聞きたい。お前は、何故俺に力を示したい。お前は、俺に何をして欲しいんだ。言葉にしなければ……、伝えようとしなければ、何も伝わらないっ!」

 

 言葉の一つ一つが、翻って刃となり、僕の心を切り裂いてゆくのを感じた。

叫ぶ度に心が揺らぎ、今にも膝をつき泣き叫びたいほどだ。

許してくれと、懺悔できたらどれほど良かったのだろうか。

けれど、それはできない。

僕は仮面を被り続け、ギンガとスバルに必要な間は、真っ直ぐに育つ目標とならなければならないのだから。

その約束を果たすと決めたのは、他でも無い自分なのだから。

 

「私は……私はっ!」

 

 叫びつつ、スバルは涙と共に、握り拳を己の眼前に。

瞼を閉じ、深呼吸。

 

「真実を、知りたいっ!」

 

 咆哮。

見開いたスバルの瞳は、黄金の色をしていた。

 

 

 

4.

 

 

 

 スバル・ナカジマは戦闘機人である。

人と機械が融合されたその存在は、魔力を用いずとも並の魔導師を超える戦闘能力を持ち、魔力を併用すれば超弩級の戦闘能力を発揮できる。

だが、その機能の殆どは平時封印されており、己の強固な意思でそのロックを解除せねばならない。

それは、世にも珍しい機人という存在を隠す為、とスバルは聞いている。

自分に使われている技術では次元世界でも超弩級の高度な技術を使われており、しかも半ば偶然に近い成功を収めた肉体であるため、貴重なサンプルとして狙われているのだ、と。

それ故に、できる限り正体を隠し生きていかねばならないのだ、と。

 

 ――だから、その力を使う時は、どうしても後が無い、譲れない戦いの時だけだ。

 

 スバルの父ゲンヤは、そう告げた。

今がその時だ、とスバルは思った。

 

「おぉおおぉぉっ!」

 

 絶叫。

スバルの戦闘機人としての機能、インヒューレントスキル・振動破砕が発動し、スバルの拳に超級の物理力が発生する。

加えリンカーコアから流れ込む魔力とカートリッジから流れ込む魔力とが合わさり、超魔力を形成。

鋼の肉体、振動破砕、超魔力の3つが連なり超弩級の破壊力を作り出した。

 

「行けぇぇぇっ!」

 

 エース級の魔導師の奥義に匹敵する、超威力の拳。

半ば不意打ちでウォルターにたたき込まれたそれは、咄嗟に構えられたティルヴィングに激突した。

全霊を籠めた一撃が、この試合で初めてウォルターを吹っ飛ばす。

直下にある重なったウイングロードを破壊、破片を散らばらせながらウォルターは地面へ激突した。

スバルは爆音と粉塵を無視、追撃に眼下へと加速する。

 

「もう一発っ!」

 

 続けカートリッジを排出。

天から再度三位一体の拳を腰だめに、生成したウイングロードへと踏み込む。

ウイングロードの強化地平が砕ける程の、踏み込み。

山をも穿つ一撃が、粉塵の中の影に放たれて。

 

「……まぁまぁやる、が」

 

 金閃。

超絶技巧に切り払われ、スバルの拳は地面へと激突し、巨大なクレーターを作り出した。

地面に半ば埋まりかけた手を引っこ抜き、飛び退くスバルの残像を斬撃が切り裂く。

そこでウォルターの全身を視界に捉え、スバルは戦慄した。

 

「……無傷……っ!?」

「いや、まぁ、結構重い一撃だったがな……」

 

 呟きつつティルヴィングを構えるウォルターの身には、かすり傷一つ無い。

リミッターのかかったフェイト辺りであれば、一撃で戦闘不能に陥りかねない威力を受けて、である。

背筋が凍り付くスバルを尻目に、静かな声で、ウォルター。

 

「さて、真実か。……クイントさんの事、でいいんだな?」

「……はいっ!」

 

 叫び、スバルはマッハキャリバーから振動破砕を発動。

地面を割り砕いて足場を崩し、自身は地表すれすれに発動したウイングロードで移動し、ウォルターへと突進した。

全霊の闘志を籠めた拳で、地平線まで吹っ飛ばす勢いで殴るも、あっさりウォルターの剣で防がれる。

 

「俺が素直に真実を話すと、そう思っているのか?」

「はい」

 

 告げ、スバルは振動破砕を拳から発動した。

臓腑にダメージを与える筈の”通し”は、ウォルターが刹那の遅れで寸分の違いも無い振動を魔力で生成、あっさり相殺される。

どころかウォルターの超魔力による膂力に負け、スバルの拳が後ろに弾かれた。

追撃の切り返しの斬撃は、ティアナの弾丸が牽制に消費させる。

 

「だって、本当にウォルターさんが真実を隠そうとしていたのなら、嘘をつけば良かった。けど、貴方はただ、それは言えないとしか言わなかった」

「……確かに、そう言ったな」

 

 告げ、待ちの姿勢を崩さないウォルターへと、スバルは歯噛みし掌を天に掲げた。

意図を読んだティアナの援護射撃が激しくなり、鬱陶しげに弾くウォルターの前で、スバルは一本一本、指を折りながら告げる。

 

「だから、貴方は待っていた。私が、ギン姉が、真実を受け入れられる心の強さを持つ、その日まで」

「…………」

 

 無言のウォルターを前に、スバルは指一本一本ごとに振動破砕を発動。

五指にそれぞれに微妙に違う振動係数の振動を起こし、共鳴させ、乗数倍の攻撃力を発揮させる。

吐気。

カートリッジの薬莢が、コンクリ床に落下する。

 

「だから、示します。心の強さは目に見えないから、せめてこの拳の、その強さだけはっ!」

 

 咆哮と共に、神速の踏み込みでスバルはウォルターの懐へと踏み込んだ。

振動破砕無しで地面をたたき割る、震脚。

 

「一」

 

 カートリッジとリンカーコアから供給される魔力は、最早限界を超えていた。

全身が引き裂かれるような痛みと共に、それでもスバルは拳を振るう。

 

「撃」

 

 血潮が全身から滲む。

時間が圧縮され、スバルの視界からは色が消えて行き、光と影だけのスローモーションの世界と化した。

 

「必」

 

 目前のウォルターが、ゆっくりとティルヴィングからカートリッジを排出。

一瞬で超弩級の魔力を絞り出し。

 

「倒っ!」

 

 全身全霊、全力全開の拳。

スバルのこれまでの全人生の籠もった、生まれてから今までで最強の拳が、ウォルターの剣と。

 

「――断空一閃」

 

 激突。

あっさりと、スバルの拳は打ち負けて。

 

「――ぁ」

 

 それでも、その圧倒的な強さが、どうしてか嬉しくて。

微笑みながら、スバルは意識が闇に落ちて行くのを感じる。

最後に何か暖かい物に包まれたような気がして、瞼を開くと、未だ色を失った視界に、泣きそうなウォルターの顔が見えたような気がした。

なんだ、幻覚か、とスバルは思い、その意識を手放した。

 

 

 

5.

 

 

 

 “ありがとう、これでもう、悔いは……無いわ”

 

 暗照明のみの、暗い部屋。

椅子に座ったナカジマ家3人の、その後ろの壁際に僕とリニスとが立っていた。

ティルヴィングの緑色の宝玉を通じ、リニスの手によって仮面を外した場面をカットされた、編集映像が流れる。

クイントさんが最後の一言を告げ、息を引き取るのを最後に、映像は途切れた。

何度も脳裏に思い出してきた映像なのに、今更な事なのに、胸の奥が引き裂かれるかのように痛くて、内心呆然としてしまう。

遅れ、リニスがスイッチを押す。

ちちち、と点滅した後、照明が部屋の中を照らした。

暫く、誰も口を利かなかった。

 

「……俺は」

 

 口火を切ったのは、他ならぬ僕であった。

本来なら間髪入れずに告げる筈だった台詞を、久しぶりに聞くクイントさんのあのときの言葉に衝撃を受けて、言えなかったのである。

自分の弱さに嫌気が差しつつ、続けて。

 

「俺は、この事実を打ち明けられなかった。あのときの、幼い2人にこの事を打ち明けてしまえば、クイントさんとの約束を……、お前たち2人を真っ直ぐに育てる事ができなかったからな」

 

 弾かれるように振り向く、スバルとギンガ。

両の瞳に涙を溜めた彼女達に、僕は微笑んだ。

自然、あの熱く燃えさかるような笑みを作れなくって、だから素に限りなく近い、ぼんやりとした笑みが浮かぶ。

弱虫め、と己の不甲斐なさを罵りつつも、反面この場面に熱い笑みは似合わないとも分かっていた。

ウォルター・カウンタックに熱い笑みが似合わない場面などあってはならなかった筈なのに、できてしまっていた。

真っ直ぐだった筈の仮面の道が、うねり、崩れ出すのを感じる。

それでも、必死の虚勢で続ける僕。

 

「で、だ。じゃあ嘘を言ったら、今度は何時か来る真実を受け入れる日が難しく……、いや、こいつは言い訳だな。他ならない俺が、クイントさんの最後を嘘で告げたくなかった。すまねぇ。我が儘だったが、許せ」

 

 ふるふる、と声も無く首を横に振る2人。

ゲンヤさんは唇を噛みしめ、俯いてぶるぶると震えている。

それを尻目に、続けて僕。

 

「……あとは、スバルとギンガがクイントさんという柱無しに生きていける物を見つけて、その上で自分から俺に真実を教えてくれと、そう言ってくるのを待っていた。……、で、その覚悟を見せて貰って、今日に至るって訳だ」

 

 言い、僕は壁に預けていた背を剥がす。

鉛のように、重い足取りだった。

一歩一歩、靴裏で踏みつける床は、まるで底なし沼のよう。

それでも、渾身の力を込めて足を動かし、3人の前まで歩み寄る。

 

「それでも、俺がお前たち3人に真実を隠していた事は事実。……すまなかったっ!」

 

 頭を、下げた。

ひゅ、と息をのむ音が3つ。

姉妹に続けざまに叫ばれる。

 

「ちょ、待ってよっ!?」

「ウォルターさんが頭を下げる事なんてっ!?」

 

 遅れ、静かな声でゲンヤさんが告げた。

 

「……許すさ。頭、上げな」

 

 言われ、ゆっくりと頭を上げる。

視界に入ったゲンヤさんに、涙が浮かんでいる事に、胸に穴が開いた心地だった。

崩れ落ちそうになるのを、必死で隠し耐える。

仮面を何とか維持し、真剣な眼差しをゲンヤさんへ向けた。

 

「……俺こそ、すまなかった。何となくだが真実を分かっていたが、それを娘達に言うべきじゃねぇって、都合良く悪役を引き受けてくれたお前に、そのまま汚れ役をやらせちまって」

 

 違う、違うんだ。

内心の悲鳴が、心臓を締め上げるかのようだった。

僕はスバルとギンガのために真実を言わなかったのではない。

単に自分の心が可愛くて言えなかっただけで、それから真実を隠し続けたのも、自分の仮面を暴かれるのが嫌だったからだ。

こんな僕の何処が、2人のことを想っていると言えるのだろうか。

 

 仮面の僕が、真実の僕に比し異常に美化されるのは、何時ものことだ。

けれど、ことクイントさんの事に関してそうされるのだけは、胸が軋む音が聞こえてきそうなぐらい辛かった。

それでも。

仮面の口は、惰性で動いてくれる。

 

「いいって事よ、お互い様さ」

 

 綺麗事を口にし、手を差し伸べる僕。

それに嗚咽を漏らしながら、ゲンヤさんも手を伸ばし、握手が成立した。

続け、両隣からスバルとギンガが手を伸ばし、合わせて4つの手で、僕らの握手を包み込むようにする。

 

「ウォル、兄……」

 

 ぽつりと漏らしたスバルの言葉に、全員が視線を集中させた。

てへ、と笑うスバルは、もう一度、桜色に染まった頬を動かし、告げる。

 

「ウォル兄っ」

 

 胸を打つような、明るい調子だった。

沈み込み、汚濁に濡れた僕の心が、暖かな温度に渇いて行くような感覚。

 

「ウォル兄、私、お母さんの事はショックだったけど。共感したく、無いけど。でも、少しだけ理解、できちゃうんだ。……大切な何かを守ろうって時、他の何かを傷つけちゃう時、あるから」

「……えぇ、そうね。それが自分自身の時もあれば、同じぐらい大切な何かの事も、ある」

 

 続けるギンガの視線は、刹那、大空へと向けられていた。

あの黒翼の書事件の時、命がけで姪を守ろうしたクリッパーが、ロストロギアを窃盗し暴走させ、多くの人を命の危機に陥れたのを思い出していたのかもしれない。

それとも、これまで関わった事件での事柄なのかもしれないし、その全てなのかもしれない。

 

「だから、お母さんのことは、綺麗な思い出ばかりじゃなくなっちゃったけど、それでも、大丈夫。私、立って、歩いて行けるよ」

「私も。私たちには、いろんな人との絆がある。絆がくれた、力がある。そして……」

 

 異口異音、しかし同じ意味で。

告げる2人。

 

「ウォル兄が居る」

「ウォルターさんが居る」

 

 僕の心を貫くような、真っ直ぐな視線。

その真っ直ぐさに、僕はふと、あぁ、この子達は真っ直ぐに育って来られたんだな、と実感が沸いてくるのを感じた。

不意に、涙が出そうになるのを感じ、必死の虚勢で覆い隠す。

それを誤魔化すように、顔をくしゃくしゃにして、言った。

 

「……ありがとう、2人とも」

 

 ――この日、僕は残る全ての約束を果たした。

仮面に縋って生きるだけでは、立って歩く事すらもままならなかった僕が、生きる理由に頼った約束。

”今度何かあった時。はやて、お前にはどうしようもない、力及ばない、何かがあった時。その時は何の躊躇もなく俺に助けを呼んでくれ。今度こそ、何があっても犠牲一つなく、助けてみせる。約束するよ”

“私が死んでも、2人が真っ直ぐに育ってくれるよう、その目標になってくれない?”

僕からした約束、クイントさんからした約束、主体は違えど、確かに結んだ約束は、今はもう無い。

 

 僕は、仮面を被る理由を半ば失いつつあった。

妄想の男UD-182が、それでも僕の心から生まれた妄想だと言う理由に縋る以外、僕が仮面を被る理由は無くなっている。

それでも僕は、仮面を被って進んで行く以外に、生き方を知らないのだ。

これでいいのか、それでいいのか、他の生き方を試したことが無いから少しも分からなくて、不安で仕方なくて。

それでも。

 

「…………」

 

 無言で僕は、胸元のティルヴィングを見つめる。

続け僕は、背後で壁に背を預けたままの、リニスを見つめる。

少なくとも、僕は2人が居てくれた。

背中を預ける事の出来る、相棒達が居た。

それを思うと、目の前の、ナカジマ一家の仲睦まじい姿も、心を引き裂かれるような感覚だけではなく、その暖かみを素直に受け取る事ができる、ような気がして。

 

 僕は。

できる限りの、満面の笑みを浮かべた。

今日ばかりは、無理をしての笑みではなかった。

 

 

 

 

 




鬱フラグが立ってますが、鬱展開はまだですよ?


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7章4話

 

 

 

1.

 

 

 

 ティアナ・ランスターはウォルター・カウンタックのファンである。

6年前、殉職した兄の名誉を守るため、ランスターの弾丸に打ち抜けぬ物は無し、と証明するべき立ち上がった頃。

ウォルターの事を凄いとは思っていても、憧れる程では無かったその頃に、ティアナは出会ったのだ。

あの、燃える魂を持つ男と。

次元世界最強の英雄と。

 

 今でもティアナが瞼を閉じると、鮮やかにあの日の彼の相貌が浮かんでくる。

当時、兄を亡くしたばかりで抜け殻のようだったティアナは、魔導師による銀行強盗に巻き込まれた。

未だ魔力を持つだけで魔法を行使する力を持たない彼女は抵抗できず、犯罪者の手に寄り人質になる。

無気力で怯えていたティアナの心に炎が灯ったのは、その時だった。

犯罪魔導師の手にあったデバイスは、兄と同じ拳銃型のデバイスであった。

彼は兄と同じ魔法で、他者を傷つけようとしていたのだ。

許せる物ではなかった。

怒りに我を忘れたティアナが抵抗し、殺傷設定の弾丸を足に撃たれそうになった、その時である。

 

 ヒーローが、現れた。

その手には黄金の巨剣、背にははためく黒い外套、黒曜石の瞳に漆黒の髪。

ウォルター・カウンタックが、ティアナを助けてくれたのだ。

 

 その後の事を、不覚にもティアナはあまり憶えていない。

使い慣れていない魔力を使った上に、緊張のしすぎで頭が真っ白になっていたのが原因だろう。

だが、少なくともウォルターがティアナの事を守ってくれたのは確かで、それを滅茶苦茶格好良いと思ってしまったのも確かだ。

参ってしまった、と言うのが適当な表現だったのだおる。

その日からティアナはウォルターのファンになってしまった。

 

 と言っても、熱狂的ファンという訳では無かったのかもしれない。

生写真ぐらいは財布に入れて持ち歩いていたし、戦闘記録には必ず目を通し、映像記録があれば何度も観てはいた。

しかし、ディープなファンのように彼について語り合ったり変身魔法でコスプレどころか本人になりきってみせたり、それ以上の事などしてはいないのである。

 

 それでもティアナは彼の言葉と信念を頼りに、これまで辛い訓練や戦いを乗り越えてきた。

何より一番辛かったのは、スバルがウォルターと仲違いしていた事と、そのスバル達に密かに才能で劣等感を憶えていた事だろう。

しかしそれも、前者は2人の和解により、後者はなのはとの面談やウォルターによる個人訓練により、解消された。

 

 個人訓練。

そう、個人訓練である。

 

「さて、今日も幻術の時間だな」

「は、はいっ」

 

 今日この日に至って、ティアナはウォルターに師事できるという幸運に至っていた。

と言うか、フォワード陣は偶にだが全員個人レッスンを受けており、一番最初に個人レッスンを受けたのもエリオであってティアナでは無い。

しかし、一番丁寧に教えられているのは、ティアナであった。

 

「スバルとエリオは組み手で、キャロは竜の弱点の座学と仮想敵、対しお前は幻術の実技からだからなぁ」

 

 とはウォルターの言である。

今日もまた、ウォルターはティアナに一対一で己の技術を教え込もうとしてくれていた。

 

「……だから、定数hは乗数倍に増えて、こう……」

 

 言ってウォルターは、ティルヴィングを構えて見せた。

良く観ていれば分かる、透明化や通常の幻術の組み合わせで、その切っ先は数センチほど短くなっている。

 

「なる。まぁ、シグナムレベルの相手だと数合で見切られるが、その数合でも貴重なリソースになるからな。近接戦闘では十分有効な魔法だよ。お前のクロスミラージュのダガーモードでも有効活用できるだろうさ」

 

 告げ、ティアナのデバイスに視線を。

なのはの手によってリミットを解除され、近接戦闘形態を追加されたクロスミラージュに視線をやる。

たまたまその視線の先には、焦点こそ合っていないのだろうが、ティアナの乳房があり。

ふと、見られているだな、と思うと同時、ティアナは思わず頬が赤くなりそうになるのを必死で堪える必要があった。

自分はそんな簡単に頬を赤らめるようなチョロい女ではないし、そもそもウォルターは真面目に魔法を教えてくれているのだから、羞恥を憶えるなど失礼にも程がある。

咄嗟にティアナは、歯を噛みしめ、己をなじり、どうにか平静を取り戻す。

当然見ていたのだろうウォルターは、優しい笑みで気にせずに続け口を開こうとしていた。

その優しさが微妙に痛いのだが、そこはぐっと堪え、飲み込むティアナ。

 

「そういや、射撃と言えば、こいつもあったか」

 

 言って、ウォルターは白色の直射弾を空中に静止させた。

そのまま、ティルヴィングを手に集中、白い三角形の魔方陣が足下に浮かび上がる。

数秒、演算を終えてウォルターが僅かに力むと、直射弾に透明化魔法のオプティック・ハイドが発動。

直射弾を透明化して見せた。

常識を越えた魔法に、思わず息をのむティアナ。

 

「……そ、そんな事もできるんですか!?」

「っつーか、戦闘中にこれを使う敵と戦った事があってな、その真似事の大道芸さ。流石に俺の幻術のレベルじゃあ戦闘中に使えないし、習得にかなりのリソースが必要な上に特化型魔導師になる必要がある。習得はお勧めしないが、まぁこんなもんもあるって事さ」

 

 軽く言うが、真似事でこのレベルにまで達する技を使えるのであれば、天才の名をほしいままにできるだろう。

思ってから、ティアナは目前の存在がその天才そのものなのだと気付く。

これが身近な存在であれば嫉妬していたかもしれないが、流石にティアナがプライドが高い方だとは言え、次元世界最強と張り合うつもりまではない。

むしろ内心呆れさえしながらも、ティアナもまた同じ魔法を試しにやってみようと、悪戦苦闘し始める。

いつの間にか自身の動きから硬さが取れていた事にティアナが気付くのは、もう少し後の事であった。

 

 

 

2.

 

 

 

 さて、となのはは自室の鏡の前で半回転。

自慢のサイドテールが揺れるのを確認し、うん、と一人頷く。

服装こそ地上部隊の茶色い制服ではあるものの、午前中の訓練を終えてから超特急で磨いた肌はきらきらに輝いている。

これでウォルターもイチコロだ、と思ってから、何度もそう思って来たが毎回撃沈されている事に気付き、一瞬凹んだなのは。

それでも落ち込んでばかり居られない、と奮起し、なのはは落ちた肩を張り、自室を後に。

昼時のウォルターが居ると思われる、食堂へと足を伸ばす。

 

 今日は、機動六課が始まってから初めてのフォワード陣の半休である。

早急に戦力補強する必要があったため、かなりの強行軍で強化された新人達は、初めての休みを告げるなのはに歓声を上げていた。

スバルはティアナと一緒に出かける予定だそうで、エリオとキャロなど、初々しい事にデートに出るのだと言う。

それはそれで歓迎するなのはなのだが、一筋縄ではいかない理由が一つあった。

外部協力者であるウォルターも、今日はオフなのである。

 

「私も今日は休めたら良かったのに……はやてちゃんの意地悪……」

 

 ぶつぶつと呟きつつも、何時ウォルターが現れるか知れぬ現状である、なのはは笑顔を崩さずに廊下の床板を靴裏で蹴り出して行く。

当然の如くなのはとフェイトの休日は同じ日付とは行かなかった。

そこには腹黒狸の陰謀があるのではないかと睨んだなのははフェイトと共に手を回し、案の定こっそりと自分だけ休みを合わせようとしていたはやての妨害に成功したのである。

足の引っ張り合い、とも言う。

ともあれ結局仕事になってしまったなのは達がウォルターと共に過ごす術は、一つしかない。

仕事を手伝ってもらうのである。

 

「ちょっと図々しいかな……ううん、かなり図々しいけど……」

 

 でも、となのは呟く。

例えなのはがウォルターに遠慮し、休みを満喫してくれと言っても、フェイトとはやてが諦めるとは限らない。

となれば、折角仕事を手伝って休日を過ごすのであれば、なのはと一緒が一番良いだろう。

多分。

きっと。

恐らく。

 

「うぅ……、どうしよう、急に自信なくなってきたよ」

 

 呟き、思わず頭を抱えてその場で蹲りたくなる衝動を抑え込む。

高町なのはは、とても普通の女の子である。

エースオブエースだとかなんだとか呼ばれるし、なんだか教え子には不思議なぐらい尊敬される事が多く、犯罪者には吃驚するぐらい怖がられているが、それでも自分的には普通の女の子なのである。

対し、フェイトは性格が抜けているが、超絶美人。

はやては性格が悪い所があるが、家庭的で包容力がある。

普通の女の子である自分より、2人のどちらかと居たほうがウォルターも楽しいのではあるまいか。

悩みつつも、足の方は止まる事なく動き続け、気付けばなのはは食堂にたどり着いてしまっていた。

 

「……うん。とりあえず、今日のウォルター君、一目見るだけだから」

 

 今日のなのはは、ウォルターと顔を合わせていない。

昨日は夜中まで他部隊に貸し出されており、なんでもガジェットに乗じて暴れていたニアSランクの魔導師を倒してきたのだと言う。

ウォルターであれば楽勝だったのだろうが、その後の処理で時間を取られたらしく、なのはが起床する少し前に就寝してしまったのだそうだ。

それを伝えてくれたリニスも、すぐに寝て起きたのは先ほどだとか。

 

「リニスさん、応援してくれるのはいいけど、平等主義だもんなぁ……」

 

 リニスはどうやらウォルターが誰かと恋仲になるのを応援しているように見える。

とは言え、特定の誰かを応援する様子はなく、例えば今日のウォルターが食堂に顔を出す時間などを念話で教えてくれたのも、なのは・フェイト・はやての3人共にである。

となれば、今回も恐らく2人と鉢合わせで、恋という名の戦争を勝ち抜かねばウォルターとの時間は作れないのだろう。

不満が無い訳では無いのだが、リニスがフェイトに肩入れする様子は無いだけでも感謝すべきか。

などと思いつつ、なのはは食堂に足を踏み入れる。

 

「あ」

「え」

「お」

 

 と、三者三様に声を漏らした。

食堂の三カ所の入り口それぞれから、なのは、フェイト、はやての3人が同時に足を踏み入れたのである。

顔を見るだけで良いという先ほどの決意は何処へやら。

互いに視線を交わし牽制、その後すぐに食堂を見渡すと、リニスと共に朝食兼昼食を取るウォルターの姿は、すぐに見つかった。

声をかけようにも、3人でのそれぞれの牽制に、上手くタイミングを掴めない。

どうすべきか、となのはが迷ったその時、明るい声が上がった。

 

「あ、ウォル兄、リニスさん、こんにちはっ」

「ちょ、スバル……! あ、ウォルターさん、リニスさん、こんにちはっ」

「ん? 応、2人ともこんちは」

「こんにちは、スバル、ティアナ」

 

 スバルとティアナの2人である。

すわ何事か、と目をこらすなのはを尻目に、ティアナを引っ張ってウォルターの席までたどり着いたスバルが、一言。

 

「ウォル兄、今日私たち午後は半休で、クラナガンに出ようと思ってるんだ」

「お、良かったじゃないか。お前たちも休みなんだな」

 

 言って、食器を置いてにこりと微笑むウォルター。

胸の奥が暖かくなるのを感じつつ、なのはが僅かに頬を緩ませると同時、スバルが恐るべき事を告げた。

 

「で、なのはさんから聞いたけど、ウォル兄も休みなんだよね? 午後、一緒に遊びにいかない?」

 

 がっしゃーん、と雷が落ちる幻聴に、なのはは思わず頬を引きつらせた。

言った。

確かに言ったが、同時にウォルターの休みを邪魔しないように、とも告げた筈である。

それを憶えているのであろう、ティアナは「ちょ、あんた、空気を……!」と口を挟もうとするが、展開的に嬉しい事は嬉しいのだろう、嫌よ嫌よも好きのうち、というレベルでしかない。

 

 ――へぇ。少し、頭冷やそうか?

 

 内心の声と共に、なのははにこりと2人に向けて誠心誠意籠めた微笑みを向けた。

凍り付くティアナは予想の内だが、スバルはちらりと視線を合わせつつも、にへらっと微笑んでウォルターに視線を戻す。

良い度胸だね、と冷たい笑みを浮かべつつ、脳内の恋敵リストにスバルの名を刻むなのは。

それを尻目に、スバルは笑顔でウォルターへと続け問う。

 

「ね、どう? ウォル兄、久しぶりに黒以外の服でも選んであげようか?」

 

 しかも、内容は暗になのは達3人の誰もが成し遂げたことの無い、ウォルターの服を選び着飾ると言うシチュエーションを、経験済みという牽制の一手。

目に荒んだ光が宿るのを自覚するなのはを尻目に、ウォルターが悩み返す。

 

「う~ん、誘い自体はありがたいんだが。すまんな、最近読む予定の論文が山積みになっちまってさ。そろそろ消化しないと不味い感じなんだわ」

「あー、そういやウォル兄は凄い頭良いんだっけ? 大魔導師とか言われてるんだよね」

「頭良いっつーか、魔法式の効率化に必要でな。あと、大魔導師級の処理能力ではあるけど、大魔導師そのものじゃないぞ? 俺は」

「すいません、馬鹿スバルが……。でも、ウォルターさんの魔導知識なら大魔導師に賞されてもおかしくないのでは?」

「ありゃ研究成果に対してもらえる物だからなぁ。俺も個人的に魔法の研究はやってるが、自分専用の魔法ばっかで汎用性は無視してるから、多分無理だと思うぞ?」

 

 などと雑談に移る面々に、なのははほっとすると同時に、僅かながら違和感を憶えた。

何が、なのか分からない。

どう、なのかすらも分からない。

けれど、なのはは何かがおかしかったような気がして、目を瞬きながら何度かウォルターの目を見つめる。

しかしその目は、寝起きの食事時だけあってそれほどの熱量では無いものの、確かに精神の炎を宿す何時ものウォルターの目にしか見えかった。

 

「気のせい……かな」

 

 何より、ウォルターならば何かあれば話してくれるに違い無い、となのはは思っていた。

何せウォルターは、他ならぬ自身の口で、スバルに向かい話す事の大切さを説いていたのだ。

そのウォルターが悩んでいて、誰かに悩みを話せないなどと言う事は、ありえないと言っていいだろう。

無論自覚症状が無い場合もあるが、それにしても、今すぐにどうこうと言う訳ではあるまい。

それでも気をつけておくべきか、と内心に違和感を感じたことを刻み込み、なのははウォルター達の席へと近づいていった。

 

 

 

3.

 

 

 

 排気音。

ドアが閉まるのを確認し、仮面を覆い隠す各種結界が効果を発揮しているのを確認し終えて、ウォルターは張り詰めていた緊張を解いた。

途端、力が抜けてしまって、急に膝が落ちる。

 

「ウォルター!?」

 

 慌て、リニスはウォルターを抑えてやった。

辛うじてそのまま頭蓋を床と激突させずに済んだウォルターは、か細い声で、ありがとうとだけ答える。

 

「だ、大丈夫ですか? あ、はい、ベッドですね?」

 

 身振り手振りで答えるウォルターに頷き、リニスはウォルターを連れベッドへとたどり着き、どうにかウォルターをベッドに寝かしつける。

横たわったウォルターに、リニスは歯噛みした。

 

 その目は、控えめに言って虚ろであった。

光の欠片も宿っておらず、小さく口を開け呆けた顔で、虚空を見つめるのみである。

その様子は木石と見間違うような動きの無さ、否、生命力が欠けていると言う点を鑑みれば、鉄板の方がまだ近いかもしれない。

吹けば消えそうな命にしか見えないウォルターの姿に、リニスは思わず握りしめた手の中で、爪を食い込ませる。

 

 あの日、ナカジマ家に真実を告げた日から、仮面を外したウォルターはこのような無気力状態が続いていた。

料理の美味い不味いもよく分からなくなってきており、記憶もやや混濁気味である。

判断力も落ちており、何より底辺を突き抜けて行く気力の無さがまともに何かを成す事すら許さない。

これで仮面を被れば元のまま完璧だと言うのが、現状の異常さに拍車をかけていた。

 

 ウォルターの言う部屋で論文を読むと言うのは、建前。

これ以上仮面を維持できるか自分でも分からず、一度この無気力状態で回復に努めるつもりなのだと言う。

傍目には回復できているようには見えず、むしろ精神的に悪化の一途を取るようにしか見えないのだが、対案の出せないリニスはそれに従った。

何せ、万が一仮面を被って然るべき場面で仮面が取れてしまえば、全てが白日の下にさらされてしまえば、果たしてウォルターは立ち直れるのだろうか。

 

 リニスとてその日のためにウォルターとなのは達とを仲良くさせているが、それが本当に効果があるのかは分からない。

リニスはウォルターの事を受け入れられたが、なのは達もそうだとは限らないのだ。

なのは達がウォルターに裏切られたと感じその悪感情を隠さなかったら、ウォルターが立ち上がれる日は来るまい。

 

 病院に直接行く事は評判故に避け、ちょっとした伝手で精神安定剤は手に入れたが、さほど効果は無かった。

半ば気休めの為にしかならない薬は、仮面を被ったときの判断力が鈍るという事から、ウォルター自ら摂取を止めている。

 

 何が悪かったのだろう、とリニスは思った。

ウォルターが仮面を被り、自分を偽っている事は確かに褒められた行為では無いだろう。

しかし、彼はその代わりに、延べ十数億の命を救い、幾多の魂を燃えたぎらせ、次元世界に勇気と希望の炎を宿しているのである。

だと言うのに、そんな彼に与えられた運命がこれだと言うのであるのならば、神はなんと残酷な事なのだろうか。

 

「……いや、私のせい、なんですかね」

 

 独りごち、リニスはベッドに横たわるウォルターの隣、椅子に腰掛けたまま両手を握り合わせた。

さながら、神に祈りを捧げるかのようにして。

 

 ウォルターがここまで心折れずに立ち向かえたのは、恐らくプレシアを救えたから、そしてその成果であるリニスが一緒に居続けたからだろう。

もしあの日、リニスがウォルターに助けを求めなければ。

ウォルターが地球にやってこなくて、ウォルターが今より少しだけ心の柱を無くしていれば。

ウォルターはクイントの死でとっくに心が折れて、仮面を外した人生を歩んでいたのではあるまいか。

UD-182の疑似蘇生体を自らの手で殺したり、UD-182がただの妄想の男であったと知ってしまう機会は無かったのではあるまいか。

信念を貫き通せなくても。

ここまで虚ろで、壊れていく事は無かったのではあるまいか。

 

「うぉる、たー」

 

 リニスは、すべき事は一つだと直感していた。

このままウォルターが仮面を被り続けたとして、どうなるかは2つに1つだ。

何か残酷な真実を更に突きつけられ、今度こそ心が壊れるか。

何時か仮面を維持できなくなり、矢張り心が壊れてしまうか。

どちらにせよ、ウォルターの心が壊れる日はそう遠くはあるまい。

 

 そんなウォルターを救う方法を、リニスは一つしか思いつかなかった。

仮面の裏の真実を、ばらすのだ。

なのは達、3人に。

ウォルターの心が、時間をかければ立ち直れる程度の壊れ方であるうちに。

 

 賭けではある。

なのは達がウォルターを受け入れてくれるかどうかは分からないし、そもそも真実だと受け入れてくれるかどうかすら分からない。

一応簡易デバイスにウォルターの仮面とそれを外した部分のダイジェスト、いわばウォルターログを保存してはある。

ウォルターの仮面の真実味を知らせる事はできるだろうし、その苦悩が受け入れやすくはなるだろうが、それでも絶対とは言えまい。

 

 だが、このままウォルターの心が壊死してゆくのを眺めていく事だけは、リニスにはできなかった。

出来るはずが無かった。

瞼を閉じれば、リニスにはウォルターとの思い出全てが浮かんでくる。

 

 初めて出会った時、フェイトと一つしか変わらない子供が独り懸命に戦っている事に、思わず抱きしめてしまった事。

その瞳の熱量に、心の炎を貰った事。

フェイトもプレシアもアルフも、リニスの助けたかった全てを助けてくれた事。

そんな彼は仮面でしかなく、本当のウォルターは心優しい普通の少年だった事。

ウォルターの初恋と、それが破れた日の事。

親友と相対し、仮面を親友のためでは無く自分のために被ると決意した日の事。

全ては妄想だったと知り、致命傷を負いながらも、圧倒的な敵に立ち向かい倒した事。

 

 守る。

このひとを、守ってみせる。

決意を胸に、リニスは静かに立ち上がった。

ウォルターはベッドの上で虚ろな瞳を天井へ、胸を小さく上下させている。

ノックなどがあれば瞬時に意識が戻る状態であり、声は届くと知っていても、痛々しくて仕方が無い状態である。

歯を噛みしめ、行き場の無い憤りを噛み殺して、リニスは手を伸ばした。

ウォルターの頬を撫でてやると、ぴくり、と彼の視線がリニスへと。

ほんの僅かだけ、生気を取り戻した目。

 

「ウォルター、少しだけ、席を外します。すぐ戻ってきますから、待っていてくださいね?」

 

 小さく頷くと、ウォルターは再び視線を天井へ。

あの虚ろな目で、ぼうっと見つめている。

それをじっと見つめてから、リニスは静かに部屋を辞した。

 

 後ろ手に鍵を締め、そのまま床を靴裏で蹴りつつ、向かう先へと足を進める。

精神リンクは、相変わらずウォルターがリニスに遠慮しており、最低限のままである。

とは言え、流石に念話で呼びかければウォルターに察知されてしまう可能性が高いので、リニスは彼女達の居る場所に直接立ち寄るつもりであった。

無論、3人が集まっている訳ではないので、誰か一人を選ばねばならない。

 

 悩んだが、リニスの向かう先はなのはの元である。

仮面の存在を信じてくれるかで言えば、ウォルターを最も英雄視するが故にはやてが。

ウォルターを受け入れてくれるかで言えば、その夢の向かう先がウォルターでもあるが故にフェイトが挙げられる。

しかし、リニスの脳裏に鮮明に焼き付いた、なのはがフェイトを救ったあの光景が、リニスになのはを選ばせたのである。

 

 今の時間であれば、恐らくは教導準備室で資料解析やらをしているだろう。

やや早足になりながら、リニスは床板を靴裏で蹴りつけ、前へ前へと進んで行く。

すれ違う人々に挨拶を交わしつつ、リニスはついに教導準備室にたどり着いた。

辺りに、人は居ない。

早速、とノックのために拳を作り、手の甲を扉にたたき付けようとして。

動きを、止める。

 

「……ウォルターの、ためですから」

 

 内心を過ぎった裏切りの後ろめたさを誤魔化し、リニスが手の甲をたたき付けようとした、その瞬間。

視界を、白い光が染めた。

きゃ、と小さい悲鳴と共に目を覆って数秒、小さい目眩が起きて頭蓋を抑えつつ、光が収まるのに気付いた頃。

冷たい温度を、首に感じた。

 

「……リニス」

 

 凍てついた、愛する主の声。

光に覆い隠されていたのはウォルターの部屋の内装であり、首に突きつけられたのはティルヴィングの黄金の刃であった。

ゆっくりとリニスが声の方向へと視線をやると。

冷たい、刺すような目。

温度の無い、凍り付くような視線。

 

「なん、で……」

 

 恐らくサーチャーで尾行してきて、そのまま転送魔法で部屋に戻したのは分かる。

しかし、リニスの行動に気付いた理由は何なのだろうか。

と、思ってから、リニスは気付く。

勘。

ウォルター・カウンタック最強の武器が、今やリニスにとって最強の敵となっていたのだ。

絶望に顔を蒼白にするリニスを尻目に、ウォルターは呟いた。

 

「何も言わないなら……、悪いけど」

 

 告げられ、リニスは精神リンクが最大になるのを感じた。

ウォルターの心の絶望、己への憎悪、虚ろな虚脱感、全てが刹那にリニスの心を満たす。

思わず剣を突きつけられている事も忘れて膝を突きそうになるリニス。

それを尻目に、精神リンクの最大化は終了。

最低限にまでリンクを戻し、ウォルターは呟いた。

 

「……やっぱり、か」

 

 ひゅ、とリニスの喉から音が響いた。

ウォルターの両目からは、涙が零れていたのだった。

怒気がウォルターの全身に満ちあふれて行くのが、目に見えるかのよう。

ただでさえ巨体のウォルターが、数段大きく見える程になって。

叫んだ。

 

「ふざけるなぁぁぁっ!」

 

 喉から血が吹き出そうなほどの、絶叫。

殺意と憎悪に充ち満ちた、漆黒の瞳。

万力を籠められた両手は、握りしめたティルヴィングをかたかたと言わせながら、リニスの首筋に薄く痕を付ける。

 

「なんで……どうして!? 分かってるだろう!? 僕は……僕は!」

 

 最早論理性を失った言葉が、ウォルターの口を突いて出た。

僅かながらの精神リンクから、混乱と行き場の無い感情が溢れ、リニスの胸に伝わってくる。

覚悟していたはずだった。

こうなる可能性も、考えていた筈だった。

それでも、痛々しい姿に、リニスは自分の行おうとしていた事の重大さを改めて思い知らせられる。

大槌で頭蓋を叩かれたかのようで、頭蓋を反響音でいっぱいにされたかのよう。

平衡感覚が無くなりかける程の衝撃。

 

「嫌だ……、なんで、リニス……! なんで……」

 

 ウォルターは、リニスに仮面の裏の真実を明かして以来、何度か泣いた事がある。

しかし、こんなに顔をぐちゃぐちゃにするまで泣いた事は、一度も無かった。

あのクイントを看取った時でさえ、こんな砂になって崩れ落ちてしまいそうな泣き方はしなかったのだ。

慰めたい。

そんな衝動に駆られるリニスだが、他ならない自分がその原因なのだと言う事実が、その身を凍らせたままにする。

そんなリニスに、ウォルターは叫んだ。

 

「なんで、僕を裏切ったっ!」

 

 刹那、音が遠のいた。

気付けばリニスは尻餅をついており、ウォルターがティルヴィングを合わせて動かさねば、大怪我をしていた事に間違いない。

全身に力が入らず、足下から駆け上がるぞっとするような絶望だけが、リニスの内側に救っていた。

 

 違う、と言いたい衝動を、リニスは噛み殺す。

違わない。

違わないのだ。

主を想った行動とは言え、リニスの行動はウォルターに対する裏切り行為そのものである。

その事は、どんなに言葉を飾っても間違いではないのだ。

 

 死ぬのか、とリニスは考えた。

ウォルターは、いくら何でもリニスを許すまい。

冷静に考えればリニスの死はウォルターの仮面が暴かれる一因ともなりうるのだろうが、今のウォルターは全く冷静では無いのだ。

全てを無視し、リニスを殺す事さえも考えられた。

 

 悪くない、とリニスは思った。

裏切り者である自分には当然の罰のようには思えたし、何より、希望の無い死では無い、というの事がリニスにそう思わせた。

リニスの死はどう考えても不自然であり、ウォルターの仮面が剥がれ出す役目の一因となる事には違い無い。

もしかしたら、リニスが直接ウォルターログを持って説明するよりも、リニスの死という事実があった方が説得力があるかもしれないぐらいだ。

 

 かつてリニスは、一度死に瀕した事があった。

プレシアの使い魔だった時、フェイトの教育の完了とデバイスの完成をもって、リニスはその命を終えるよう設定されていたのだ。

それでもリニスは、フェイトを育てる事に一切の手を抜かなかった。

死が怖くなかったと言えば嘘になるし、結局は抵抗し生きながらえたのだが、それでも。

何故なら、その死の理由は、そのまま新たなる希望に直結していたからである。

フェイトという、リニスにとって一番の宝物だった子、そのものへと。

 

 今回も、同じだ。

リニスにとって今や最も大切な宝物、ウォルター・カウンタック。

この子の為であれば、リニスが死ぬ事で希望が生まれるのであれば、それも吝かでは無いと思えてしまうのである。

勿論、ベストな展開とは言えないだろう。

けれど、それ以上を裏切り者の自分が望むのは、分不相応に思えていて。

だからリニスは、自らの命を半ば諦め。

それ故に、次のウォルターの言葉に、耳を疑った。

 

「君が裏切りを成功させたら……、僕は死ぬぞ!」

「…………え?」

 

 呆然と、リニスは呟く。

死ぬ?

ウォルターが、死ぬ?

何時までも意味が浸透してこない言葉を、リニスは内心幾度か反芻した。

思わず、口に出る。

 

「なんで……ウォルターが、死ぬんですか?」

「だって! 許せないけど! 僕がリニス、君を直接殺せる訳無いだろう!?」

 

 叫ぶウォルターの言葉が、ゆっくりとリニスの理解の範疇に収まっていった。

激高したウォルターは、リニスを許さない。

そこまではリニスの予想通りだったけれども。

 

 ――ウォルターは、リニスの予想より、臆病で優しい子だった。

リニスを、直接手にかけられないぐらいに。

 

「……――っ!」

 

 思わず、リニスは息をのむ。

確かに主を失えば、今度こそ主変更の魔法を受け入れはしないリニスは死ぬしか無いだろう。

直接リニスを殺せないウォルターがリニスを殺すには、自殺しか無いと言うのは確か。

同時に死ねば仮面も失う訳なのだが、その辺りは錯乱しているからなのかどうか、気にしていないようであった。

だが、それは同時に一つの意味を暗喩していた。

ウォルターはかつて、信念の為に疑似蘇生体とは言えUD-182を斬り殺した。

ウォルターは今、信念と言う名の仮面を守る為に、リニスを斬り殺せなかった。

つまり。

 

 ――ウォルターは、UD-182よりリニスの事を大切に想っていたのではあるまいか。

 

「……ぁ」

 

 そして。

リニスは、そこまで想ってくれた主を裏切ったのだ。

 

「ぁ、ああぁあぁ」

 

 へんなこえが聞こえた。

のど笛に空気を吹き込んだだけのような、生気の無い声。

乾いた、ひび割れ、しわがれた声。

 

「ぁぁぁぁぁぁぁぁ」

 

 それは勿論、リニスの喉から発されている声。

聞くに堪えない醜い音。

そんな音を耳にしながら、ごめんなさいと思い、そして自分に謝る資格など無いのだとすぐに思い当たって。

 

 ――リニスは、全てを諦めた。

 

 

 

4.

 

 

 

 視界が上手く定まらなかった。

吐き気と頭痛で立ちくらみが収まらず、平衡感覚と握力が完璧では無い。

気を抜けば飛行魔法すら失敗しそうなぐらいに、今の僕は精神状態が悪かった。

けれど。

 

(保護した女の子の体調が危険域を脱しました。ただ、未だ衰弱状態である事には変わり有りません)

(スターズ1、接敵! 突貫しますっ)

(八神部隊長、リミッター解除の許可をっ)

 

 飛び交う念話。

かかった出撃要請の意味も、朦朧とした頭では今一分からないままだ。

それでも現状が戦闘中であるという事ぐらいは、僕にだって分かる。

そして僕が戦いに力を貸さない理由は無い。

 

 だって。

僕にはもう、この力とティルヴィングしか無いのだから。

 

「…………」

 

 視線を斜め後ろ、何時もならリニスがついてくる定位置へ。

命じたとおり、彼女はフォワード陣のバックアップについており、僕が視線をやった先には誰も居ない。

ただただ無限に広がる空があるのみだ。

鬱屈とした感情が頭蓋を占め始め、ふらつきそうになるのを必死で堪える。

 

 自分が、冷静な判断ができていない自覚はあった。

あったが、何が正解なのか分からない。

僕にとって縋れる物は、仮面と力とティルヴィングしか存在しない。

その中でも最も大きいウェイトを占める仮面を奪うのであれば、例えリニスであろうと容赦してはならない。

はず、だ。

だから殺さねばならないけれど、僕はリニスを殺す事なんてできる筈がなくて、だからできる事は唯一、この手で自分の生涯を終えさせ、リニスを間接的に殺す事ぐらいだ。

支離滅裂なのは分かっていても、他に方法は思い浮かばなかった。

 

 だって、リニスを許してしまえば、いずれ彼女は僕の仮面の事を皆にばらしてしまうだろう。

自分を偽り他者を騙し続けてきた僕が、許される事も、受け入れられる事も、ある筈が無い。

例えあったとしても、他ならない僕自身が、僕を許さない。

あんなにも美しい感情を持つ皆を騙し続けた、僕自身を。

 

 でも、じゃあ、なんで僕は仮面を被り続けているのだろうか?

ふと沸いてきた疑問に、僕は答えられなかった。

全く論理的では無く、ただ感覚として僕は仮面を被り続けなければならないと信じていた。

盲信していた。

妄想を、信じ続けていた。

 

 何故なのかは、自分でも分からない。

惰性かもしれない。

英雄としての名誉が心地よかったのかもしれない。

仮面を外した時の罵声が怖かったのかもしれない。

自分でも何も分からず、誰か教えてくれ、とわめき散らしたいけれど、真実を話せる相手は居ない。

もう、居ない。

ティルヴィングはあくまで機械であろうと己を律しているが故に、僕はその意味では最早孤独だ。

 

「くそっ」

 

 呟く。

永遠の時間があって尚足りない程に、僕の悩み事は多い。

それでも飛行を続けている限り、目的地への距離は縮まってくる。

流れて行く景色を視界の端に、飛び続ける僕の目前に、突然転移魔法の反応があった。

突如停止、警戒する僕の目前に、白い魔方陣が現れる。

 

「……白、だと?」

 

 珍しい魔力光という訳ではない。

僕とザフィーラはほぼ同じ色の魔力光だし、目前の色は僕の魔力光より更に白味が増しているよう見える。

とは言え自身の魔力光を正確に把握するのは、自分の声を把握するのと同じような理屈で難しい、第三者から見れば似たような魔力光なのかもしれない。

奇妙な予感に魔力波長を計測してみれば、ティルヴィングから返事。

 

『目標の魔力波長、マスターと99.8%一致しました』

「……ふぅん」

 

 眼を細めると同時、僕はティルヴィングを改めて構えなおす。

たったそれだけで、不調が全て吹き飛んだ。

頭痛も吐き気もふらつきも、ただこの力を振るう時だけは薄れてくれる。

それでも絶好調とは言い難い状況だが、大抵の敵はそれでも何とかなるし、常に絶好調で居る訳などない事を考えればまずまずのコンディションだ。

相手が何者であろうと、敵ならば勝つ。

己を叱咤した僕の前に、ついに転移してきた魔導師が現れる。

 

「…………」

 

 フード付きの外套を羽織った、巨体の男であった。

僕と似た体格だが、それ以上に似通った物が、男の手の中にある。

 

「てぃる、う゛ぃんぐ……?」

『否定。私の名は、ダーインスレイヴ。です』

 

 それは、白銀の巨剣であった。

ティルヴィングと全く同じ装飾を施されたそれは、色彩こそ白銀、コアたる宝玉の色は青くなっていたものの、ティルヴィングとうり二つの形である。

人格データの音声は、ティルヴィングと同じく機械的な女性の物。

となると、姉妹剣とでも呼べば良いのだろうか。

ティルヴィングが元あった場所が”家”だった事を考えると、スカリエッティの元にあったと考えやすい。

となれば、黒衣の男もまた。

 

「…………」

『マスター。は、今事情あって、貴方とは話せません。です。なので、私から一言』

 

 驚愕に身を凍らせている僕を尻目に、ダーインスレイヴが片言喋りを続ける。

突如、目前の男から強大な魔力が発生。

僕と互角の魔力がいきなり現れた事に、想定内だとしても背筋が冷たくなった。

 

『時間稼ぎ。です。でも、倒してもいいんでしょう? です』

「この……上等っ!」

 

 咆哮。

僕も解放した全開の魔力と共に、黒衣の男へと突っ込んで行く。

衝撃波を置き去りに、突進。

袈裟に斬りかかる僕の斬撃に、ダーインスレイヴが鏡映しの軌道を辿ってきた。

激突、鍔迫り合いに。

 

『片言しか話せない低脳AIが、何をほざくのかと思えば。しかも黄金の私に比し、たかが白銀と、格が一つ下の分際で』

『黄金とか、趣味悪。です。成金っぽ。です』

 

 デバイス達の気が抜ける罵声を無視、そのまま僕は超魔力で押し切る、と見せかけ高めるのは魔力だけ。

力を抜いた柔の剣で男の剣をすり抜け、懐へ。

片手を離し拳を腹にたたき込もうとするも、男も片手を離し僕の拳を受けていた。

舌打ち、高めた魔力で小さなバリアバーストを発動。

爆発を起こし捕まった手を剥がし、後退する。

 

「…………」

『デバイス。は兎も角、使い手は予想通り強い。です。マスターの次ぐらいに』

「…………」

『デバイスは格下ですが、使い手は恐るべし相手ですね。マスターの次に』

 

 お前ら仲良いな、と突っ込みそうになってしまうのを自重。

次にいつになく饒舌なティルヴィングに、同型のデバイス相手という事から同族嫌悪でも沸いているのかと思い、ふと、僕もだなと思った。

同じ剣技、同じデバイス、同じ魔力量、同じ魔力光を持つ相手。

人格こそどうなのか分からないが、正直言って気色悪いし、嫌悪感がどこぞから沸いてくる。

それでもそれを必死で抑えて、冷笑的な一言。

 

「さて……俺の記憶転写クローンか、それともプロジェクトHの完成品か、それとも他の何かなのか……。ま、良い気分じゃねぇな」

「…………」

「だんまり、か。とりあえず、その口開かせてもらうぜ」

 

 僕が眼を細めるのと、黒衣の男が突進してくるのとは殆ど同時であった。

切刃空閃、瞬く間に出せる数十の光弾が発射され即相殺、魔力煙に紛れて僕は感覚と勘で感じ取った奴の居場所にティルヴィングの斬撃をたたき込む。

が、金属音。

あっさりと切り払われ、大きく隙が開いた所に銀閃が吸い込まれて行く。

咄嗟に片手を自由にしていた僕は、小楯型の防御魔法を発動し、相手の攻撃を弾いた。

とは言え無理な姿勢だったので、回転しながら後ろに弾かれた上に僅かに筋が痛む。

即座に狂戦士の鎧が傷を無理矢理繋げるのを確認しつつ、カートリッジを使い相手を見ずに誘導弾を撃った。

 

「…………っ」

 

 黒衣の男の息をのむ音。

男の用意していた直射弾を全て打ち砕き、誘導弾が男へと迫るも、距離を取った男の放つ誘導弾に相殺される。

だが、その間に僕には幻術を発動するだけの時間があった。

静かに僕は5体の幻術を男へと接近させる。

 

『マスター。5体。とも、幻術。です』

「…………」

 

 小さく頭を横に振り、男は直射弾を発動。

僕自身の幻術をかぶせた僕を含めた5体の幻術へと炸裂し、無効化される。

つまり、幻術と見せかけ本物だった僕の正体は露わになったのだ。

ティアナの見せた戦術の模倣だったのだが、初見で通じないとは。

内心歯噛みしつつも、最後の幻術は破られなかった事に安堵しつつ、ティルヴィングを振り下ろす。

 

『間合い。外、で……内!?』

 

 振り下ろしたティルヴィングは、ソードフォルムの幻術を被せた、パルチザンフォルムであった。

当然間合いは数段伸び、咄嗟に飛びのいた男の二の腕を切り裂く。

魔力ダメージにバリアジャケットが破け、中の血肉に魔力不順を起こしたが、僕の魔力感覚はそれがすぐに修正されるのを感じた。

矢張り、狂戦士の鎧持ち。

舌打ち、その間にティルヴィングをソードフォルムに戻しておく。

 

 睨み合い。

あれほどの好機で小さなダメージしか与えられなかったのは、痛手としか言いようが無い。

とは言え、予想したとおり奴は僕に似たスペックを持っているようで、一筋縄ではいかない相手のようだ。

他の要素では上回られている場面が多いが、魔力量が同じぐらいなら何とかなる、可能性はある。

切り札たる斬塊無塵を放つ決意を胸に、集中力を高めようとした瞬間、ダーインスレイヴの声。

 

『マスター。曰く、「絡め手を使ってこの程度か」との事。です』

 

 負け惜しみか、と眼を細めた、その瞬間であった。

戦慄。

背筋が凍り付き、肉が凍土と化し、血潮は血塊となる。

神経は震えしか呼び起こさず、脳は真っ白な思考のみを映し出し、頭蓋は震えて今にも崩れ落ちそうだった。

圧倒的な威圧に、脂汗が滲み始めるのを僕は感じる。

 

『馬鹿な、マスターを超える魔力……!? 何故……』

『完成品。に失敗作が劣るのは当然。です』

 

 得意げに言うダーインスレイヴ。

震えが心から肉体に伝い、僕が完全に震えだしてしまう、その寸前であった。

突如、黒衣の男の側方に空間投影ディスプレイが。

 

(やぁ、セカンド。作戦は終了したよ、時間稼ぎはもういい)

「すかり、えってぃ……」

 

 紫の髪に金の瞳、ダークスーツに白衣の男。

クイントさんの仇。

宿命の敵。

奴は僕に目をくれるでもなく、すぐにウィンドウを消してしまい、その姿は消え去る。

それを見た瞬間、僕は震えや怯えが飛んで行くのを感じた。

代わりに、心の奥からマグマのように吹き出す熱量で、全身が燃えるように熱くなる。

そんな僕を尻目に、踵を返す黒衣の男、セカンド。

 

「待て、セカンドっ!」

「…………」

 

 無言で、ちらりと僕に視線をやると、セカンドは興味なさ気に魔方陣を展開。

思わず突進、斬りかかる僕だったが、ティルヴィングの斬撃はすんでの所で転移していった奴の残像を切るのみだった。

ナンバー12、あのかつて敵対した元執務官の魔法と同系統の即時転移魔法か。

舌打ちしつつ、念のため転移先を探ろうとする物の、多重転移により行方は分からない。

 

「……逃げられたか」

 

 歯噛みし、俯く僕。

掌に視線を、心の熱量が過ぎ去り、先ほどの恐怖がぶり返してくるのを感じる。

奴は、セカンドと呼ばれていた奴は、僕よりも強い。

それだけなら今まで何度も戦ってきた相手も同じで、僕は何度も格上の相手を倒してきた。

例え心で劣っていても、僕には技と体と魔法があるのだと信じてきて。

 

 初めてだった。

心以外の技に体に魔法の全てで勝てないと感じた相手は、初めてだった。

 

 魔導剣術であればセカンドは間違いなく僕より格上。

恐らくただの剣術戦闘では十回戦って一回勝ちを拾えれば良い方か。

身体能力も大きく差がある。

反応速度は大して変わらなかったが、膂力などは確実に奴の方が上で、魔力での強化量が僕の方が上だったというのに互角であった。

魔法において、技術はほぼ互角だが、魔力量は一段奴の方が上だ。

 

 そして、残る心において、僕が勝てる要素などこの世の何処にもありはしなくて。

今まで、心では負けていても力では勝てているから、と信じ戦ってきたのに。

今度は、全てで負けている相手と戦わねばならないのだ。

 

「……勝たないと、な」

 

 虚勢の仮面。

それでも声は、自分の耳には枯れ果てているように聞こえて。

 

『マスター……』

 

 ティルヴィングの声を耳に、僕は空を見上げる。

仮面を被る理由は妄想で。

約束は既に果たし、守る約束は無くなって。

リニスへの信頼を失い。

今度は、次元世界最強の力でさえも信じられなくなるのだろうか。

 

「いや……」

 

 頭を振る。

僕はまだ、斬塊無塵を試していなかった。

つい最近会得したばかりの奥義を奴が手に入れているとは、手に入れていたとして完成させているとは限らない。

ならば僕が告げるべき言葉は。

被った仮面が告げるべき言葉は。

 

「次は……俺が勝つ」

 

 告げ、蒼穹に言葉は流れて行く。

そういえば、とふと思った。

時たまこんな時、仮面と自分があまりにも剥離している時に、思うのだ。

本当のウォルター・カウンタックとは、”僕”なのか”俺”なのか。

“僕”こそが偽物のウォルター・カウンタックであり、”俺”こそが本当のウォルター・カウンタックなのではないだろうか。

 

 ――一体、何を言っているんだか。

自分でも自分の考えている言葉の意味が分からなくて、僕は小さく頭を振った。

僕は僕だ。

ウォルター・カウンタック本人は、この弱くて惨めで臆病な、僕自身だ。

何を考えているのだろうと溜息をつきながら、僕は六課隊舎へと戻り始める事にした。

 

 

 

 




今回鬱じゃないかって?
鬱じゃなくてジャブです。


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7章5話

 

 

 

1.

 

 

 

「なのはママ~、フェイトママ~!」

 

 手を振りながら叫ぶ、金髪オッドアイの少女、ヴィヴィオ。

可愛らしい仕草に、フェイトは口元が際限なく緩んで行くのを感じる。

先日機動六課が保護した身元不明の少女は、なのはとフェイトに懐き、2人を母と呼ぶようになっていた。

何らかの実験体、培養槽の種類から見て恐らくは誰かのクローンだと思わしき彼女に、両親は存在しない。

そんな彼女を放っておけなくて世話を焼いていた所、母を求める彼女の言葉を振り切れず、フェイトはヴィヴィオに己を母と呼ぶ事を許すようになったのである。

それはなのはも同じようで、理由までは知れぬが、彼女もまたヴィヴィオの事を娘として愛し始めているように見える。

 

「あっ……」

 

 訓練の終わりの時間。

現れて2人の元に走り寄ろうとしたヴィヴィオは、草に足を取られ、その場で転んでしまった。

 

「ひ……ぐっ……」

 

 泣き声の前兆に、四つ足をついたままの格好。

助け起こさなくちゃ。

ヴィヴィオ、と呼びかけながら駆け寄ろうとするフェイトを、しかし横のなのはが制した。

思わず睨むフェイトににこりと微笑み、なのははヴィヴィオに笑顔を向け告げる。

 

「ヴィヴィオ。我慢して、ここまで立って歩いてこれる?」

「なのは!?」

 

 スパルタ過ぎる、と思わず叫ぶフェイトを尻目に、ヴィヴィオが涙目で告げた。

 

「が、頑張る……」

 

 思わず息をのむフェイトを尻目に、ヴィヴィオは渾身の力を込め立ち上がる。

その膝の擦り傷はさほど広い面積ではなかったが、少女と言うにも幼いヴィヴィオの膝にあると、十分に痛々しい。

それでもヴィヴィオは必死に足を庇いながら歩いてくる。

 

 ふらつくその姿にハラハラとするフェイトだったが、その瞬間、僅かな魔力を感知。

思わず視線をやると、その先ではウォルターが微量の身体強化を自分にかけていた。

視線が合い、肩をすくめるウォルター。

恐らく、大怪我になりそうな転び方をすれば助けるつもりなのだろう。

僅かな安堵と共に、フェイトは再び視線をヴィヴィオへ。

ウォルターの様子に気付くでも無い彼女は、必死の形相で涙を我慢し、歩きを続ける。

 

 固唾をのむフェイトを尻目に、ヴィヴィオはなのはの目前までたどり着いたとき、ついに足をもつれさせた。

今や転ぶかと思った瞬間、必死の形相でヴィヴィオは倒れるのを我慢。

そのまま万力を籠める気概でもう一歩踏み込み、それからなのはの胸元へと飛び込んだ。

確りと抱きしめ、なのはは満面の笑みでヴィヴィオの頭を撫でてみせる。

 

「ヴィヴィオ、偉かったねっ!」

「うん、頑張ったよう……」

「うぅ、良かった……」

 

 感涙するヴィヴィオに、思わずもらい泣きしかけるフェイト。

そんなフェイトの隣を、溜息交じりにウォルターが抜けて行く。

首を傾げるなのはに、こつん、と軽く拳を当てて見せた。

 

「あて」

「偉かったはいいが、消毒ぐらいはさせろよ」

 

 告げ、ウォルターはヴィヴィオの足に手を。

目を見開き、固まるヴィヴィオを無視し、ウォルターは掌から白い光を放ち、ヴィヴィオの膝を撫でてやる。

 

「ほわ……あったか……あれ? ねぇウォルター、痛いまんまだよこれ?」

「消毒……、怪我がこれ以上酷くならないようにしてるだけだ。魔法で治すと、大きくなったら怪我が治りにくくなっちゃうからな」

「うー、分かった。我慢する」

「おう、負けるなよ」

 

 涙目のまま言うヴィヴィオに、微笑みウォルターはその頭を撫でてやった。

その様子に、思わずとくんと胸が高鳴るフェイト。

つつっと歩いて行き、ウォルターの目前、ヴィヴィオの隣でしゃがみ込む。

ぺこっと頭を下げ、頭頂部をウォルターへ向けた。

困惑気に、ウォルター。

 

「……何だ? フェイト」

「う、こうやったらついでに撫でてもらえるかな、って……」

 

 見えずとも、呆れた気配が返ってくるのが分かる。

周知に顔を真っ赤にするフェイトだが、直後大きな温度がフェイトの頭に伝わる。

動揺に震えるフェイトに、やや呆れた様子ながら、ウォルター。

 

「ま、別に構わないけどよ」

 

 と、直後、もう一つ、小さな暖かさがフェイトの頭に。

え、と小さく呟くフェイトに、明るい高い声。

 

「まー、別にかまわないけどよー」

 

 と、ヴィヴィオの声が響く。

天上に昇りかねない現状に、フェイトは耳まで真っ赤にし俯いた。

天国のような心地だが、このまま続くと羞恥と歓喜のあまり本当に天国に登ってしまいそうで、フェイトは慌て告げる。

 

「あ、ありがとう、2人とも。仲良くなったんだね」

「いや、今日一日、どうせデバイス封印中ならって子守を押しつけたのはお前らだろうが……」

「だろうがー」

「え、えへへ……」

 

 思わず頬をかきながら、手が離れたのを切欠にフェイトが面を上げる。

視界の端の凍り付いた笑みのなのはに背筋がぞっとするも、気合いで無視。

そのまま柔らかな笑みを表情筋に強制する。

 

 ウォルターは、先日セカンドと呼ばれる男と相対した。

ダーインスレイヴなるティルヴィングの姉妹剣を持つ男は、恐らく何らかの方法によってウォルターの戦闘能力をコピーした存在。

その圧倒的な戦闘能力はウォルターと互角であり、2人の戦闘は恐らくはどちらが勝つか分からない戦いになるだろう。

スカリエッティの切り札と思わしき男だが、実を言えば六課内部ではそれほど大きな問題とは思っていない。

何せ、他の技や体、魔法でウォルターが劣っている所があろうとも、ウォルターが負ける所を想像できる人間が居ないのである。

何故なら、戦闘に置いて最も重要な心において、ウォルターがセカンドに圧勝していると思われるからだ。

他の有象無象なら兎も角、あのウォルター・カウンタックが自分のコピーに負ける光景など誰も想像できなかった。

 

 とは言え、ウォルターとしては万全の状態でセカンドに挑みたいのだろう。

今までリニスに頼んでいたティルヴィングの本格的な整備を、六課のデバイスマイスター・シャーリーに任せていた。

リニスも相当手練れのデバイスマイスターだが、使い魔としての戦闘補助とデバイスの整備を半々でやってきている以上、どうしてもシャーリーには腕前では一歩劣る。

そこで重要なデータの暗号化とそれを覗く事の禁止を条件として、ウォルターはシャーリーにデバイスの整備を依頼したのである。

あの生ける伝説のデバイス・ティルヴィングを整備できるだけあって、シャーリーは狂喜乱舞しながらデバイスルームへと向かっていったのであった。

 

 それ自体、フェイトには喜ばしい事でもあった。

デバイスを六課で整備してもらえるという事は、つまり六課を信頼してもらえていると言う事だ。

無論、リニスへの信頼が減っている為という説も思いつかない訳ではないが、あり得ないと言っていいだろう。

あの風来坊に信頼してもらえているという現状に、フェイトは思わず頬を緩ませる。

 

「ウォルター、後でテレビ見よ! ゴーゴーレンジャーがいい!」

「はいはい、怪我の処置して、手ぇ洗ってからな?」

 

 流石に子供の相手は疲れたのだろう、肩を落としながら溜息交じりに、ウォルターは怪我をしたヴィヴィオをお姫様抱っこしつつ、隊舎へと向かって行く。

 

 ヴィヴィオの世話をウォルターに任せたのは、2人同士にとって良い影響があるだろうと考えたからである。

無論、まさかのウォルターパパという呼び名が聞ければ、という欲望も無かった訳ではないが、そちらはメインではない。

ウォルターもヴィヴィオも、スカリエッティの実験体だった幼少時代を共通して持つ事になる。

似た過去を持つ2人であるが故に、ヴィヴィオはウォルターの英雄性から何か良い影響を受けるよう思えるのだ。

そしてウォルターもまた、庇護者が居なかったが故に手に入れられなかった、幼年時代にしか手に入れられない何かを、少しでも掴めるような気がして。

 

 だから、と言う思いを秘めての願いだったのだが、順調に2人は仲良くなっているようだ。

このまま、ウォルターの心に僅かでも善い事が起きますように、とフェイトは慈しみを籠めてウォルターの顔を見つめる。

最近、どうしてかウォルターが切ない程に愛おしく思えるようになってきた。

無論以前から好きではあったものの、どちらかと言えば包まれたいという気持ちが強かったのだ。

対し今は、何故かウォルターを守ってあげたい、と思うようになってきた。

 

 何から、何故、とは思う。

確かにウォルターはUD-182の疑似蘇生体を自ら手にかけ、その後もはやて曰く”家”の仲間に真実を告げ、心折れそうになった事すらあったと言う。

加えてクイントの件もあるのだ、悩みが無いとは言えない。

しかし、フェイトの眼から見て疑似蘇生体を切り捨てた事はある程度割り切れているようだし、”家”の仲間は立ち直り、ナカジマ家とも和解できたのだ。

今、ウォルターを極限まで苦しめるような事など、無い、筈だ。

 

 自分はどうしてしまったのだろう、と首を傾げながらも、置いて行かれる訳にはいかないため、フェイトは首を傾げつつも、ウォルター達の後を追って行く。

靴裏に踏まれ折れた雑草たちが、彼らの足跡を形作っていた。

 

 

 

2.

 

 

 

 ヴィヴィオは日溜まりの感じが好きだった。

何処の日溜まりの感覚にも好きがあって、草木があればその青々しい香りも暖かな温度と共であれば心地よく、アスファルトであっても僅かに熱した照り返しの感じが心地よいぐらいだ。

その意味で言えば、ウォルターは人型の日溜まりであった。

大きくて、暖かくて、心地よい。

おまけにヴィヴィオは彼の戦っているところを見た事が無いが、もの凄く強く、最強のヒーローなのだと言う。

そんな彼の膝に体を納め、お気に入りのテレビ番組を見ているのだから、ヴィヴィオはご満悦だった。

 

「……終わったねー!」

「おう、面白かったな」

 

 テレビの特撮番組が終わるのを合図に、ふぅう、と息を吐いてヴィヴィオは言った。

呼吸すら意識しなくなるほどに見入っていた自分に、僅かな羞恥が沸き、ヴィヴィオの頬を赤らめる。

レディとして、もう少し優雅な感じの方が良かったのだろうか?

うぅん、と優雅なテレビの見方を想像するも、中々思いつかない。

 

 ちらりと、ヴィヴィオは視線をウォルターへ。

精悍な顔つきだが、その男らしさの大部分は雰囲気と表情で出ており、たまに優しい顔を見せるときは本当に柔らかで優しい笑みを浮かべるのだ。

男性の知り合いの少ないヴィヴィオにとって、今の所父親のように甘えられる相手はウォルターしかいない。

とは言え、なのはとフェイトには遠慮無く本当の母親のように甘えられるようになってきたが、ウォルター相手ではまだまだだ。

ウォルターが自身を鍛え上げるのに忙しいというのもあるし、彼との間に僅かながら壁を感じるから、というのも確かだ。

 

 そう、ヴィヴィオはウォルター相手に薄い透明な壁を感じていた。

それはとても不確かで、時たまヴィヴィオ自身そんな壁は無かったんじゃあないかと思う事もあるのだが、それでも感じる事があるのは確かである。

どんなときにウォルターとの壁を感じるのかと言えば、それはリニスの事を話題にする時であった。

それがどういう意味なのかはよく分からなくて、遠慮を胸に、ヴィヴィオはウォルターに踏み込む事をしていなかった。

 

「――でも、もっと仲良くなりたい!」

「へ? 急にどうした、ヴィヴィオ」

 

 黙っていたと思えば急に叫びだしたヴィヴィオに、怪訝そうなウォルター。

それを無視して振り向き、ヴィヴィオは両手を伸ばし、ウォルターの両頬を掴む。

 

「ねー、ウォルター! 合図! 合図決めよっ!」

「……? 何の合図だ?」

「さっきの、ゴーゴーレンジャーとお姫様のっ!」

「あぁ、なるほどな」

 

 と、合点がいった様子のウォルター。

先ほど放送されていた特撮番組では、人質となった姫はヒーローを約束していた合図で敵に反撃し、タイミングを合わせたヒーローの活躍で見事救い出されたのだ。

ヴィヴィオはウォルターの様子に頷き、背を預けた姿勢に戻って彼の手を取り動かす。

 

「ウォルターが、こうやったら……」

 

 と言って、ヴィヴィオはウォルターの手を動かした。

予想通りの動きに満悦するヴィヴィオに、困惑気味のウォルター。

 

「いや、これ何やってんだ?」

「マント、ふわふわってさせる!」

「……俺のはコートな?」

「でねー、そうしたら、私がずがーってする!」

「お、おう、分かった。合図無しには絶対やるなよ?」

 

 真剣な表情で告げるウォルターに、不思議に思いつつもヴィヴィオは複雑な内心を押し込め素直に頷いた。

何故かヴィヴィオには、ずがーってする……強力な魔法攻撃ができる確信があるのだが、それが他者と共有できない確信である事も分かっている。

自分は、皆にとってただの無力な子供なのだ。

己の確信を誰かと分かちあえない寂しさに、ヴィヴィオは笑顔を表情に貼り付け、内心で僅かに表情を歪め。

同時、ぽん、とヴィヴィオの頭を撫でる温度。

 

「理由は分からないが、お前がずがーってすると、犯人が無事かどうかが怖いんだよな。ほんと何でか分からないけどさ……」

「……ぇ」

 

 胸の奥が高鳴るのを感じ、ヴィヴィオは思わず視線をウォルターの顔へ。

己の感覚が不思議でしょうがないのか、首を傾げている彼の顔が見える。

胸の奥から洪水のように暖かな感情がやってくるのに逆らわず、ヴィヴィオは衝動に駆られるままに満面の笑みを浮かべた。

その手を必死でウォルターの頭へと伸ばすと、不思議そうな顔で頭を下げるウォルター。

その頭を撫でてやりながら、ヴィヴィオは言った。

 

「えへへ、ウォルター、偉いっ!」

「お、おう?」

 

 矢張り何のことか分かって居なさそうな声に、それでも笑みを崩さず、ヴィヴィオは満足行くまでウォルターの頭を撫でる。

暫く撫でた後、ふと思いついたことがあり、ヴィヴィオは手を戻した。

下げていた頭を上げるウォルターの顔に、両手を伸ばし、頬を掴む。

 

「じゃ、今度は変身ポーズ、練習しよ! 私ピンク、ウォルターはレッドね!」

「いいけどヴィヴィオ、お前が下りてくれないと変身ポーズできねぇぞ?」

「ぁう、しまった……」

 

 頭を抱えるヴィヴィオに、微笑まし気な笑みを浮かべるウォルター。

なんだか子供扱いされているようで、いや事実ヴィヴィオは子供なのだが、それでも腹が立つ。

腹いせにちょっと強く浮かせた背をウォルターにたたき付けるが、彼の頑丈な胸板はびくともしない。

それどころか、ぶつかったヴィヴィオの方がちょっと痛いぐらいである。

不満の意を露わに頬を膨らませるヴィヴィオだが、それにも矢張りウォルターは微笑まし気な笑み。

ぷいっと横を向き、できる限りのウォルターへの反抗としてヴィヴィオは暫く彼に反応しない事に決め、それでも背を預ける事は止められなかった。

 

 

 

3.

 

 

 

 今にも奈落の底に落ちて行きそうな心地だった。

一歩間違えれば数秒後には発狂していてもおかしくない感覚。

何時自暴自棄になってしまうか分からない程の狂おしさ。

それらをギリギリで押さえ込んでいる仮面も、そう長くは持たないだろうという確信があった。

僕は、もうギリギリだった。

リニスへの信頼を失い、力への信頼ですら揺らぎ始めた今は、特に。

 

 そんな折りに舞い込んできた、ヴィヴィオなる子供の面倒を見る事。

余裕の無い僕は咄嗟にヴィヴィオを傷つけてしまう事を厭い逃げだそうとしたが、流石に理論武装された上で権力行使、加えデバイスも手元に無いとなるとどうしようもない。

あるいは仮面の裏を悟らせる事を厭わないのであればどうにかなったのかもしれないが、僕はまだそこまで狂っていなかった。

リニスを殺してでも守らねばならない仮面の裏を開かすリスクを背負うのは、不味すぎるという事だ。

 

 結局逃れられなかった僕は、決死の覚悟を抱いてヴィヴィオの世話をした。

感情的な幼年期の子供の世話だ、苛つき、辛うじて均衡を保っている僕の心はどうにかなってしまうかもしれない。

それでも、せめてこんな小さな子供を傷つける事だけはしないよう、いざという時の為にこっそり狂戦士の鎧を発動し、攻撃行動を制限した上で挑み。

 

「ねー、ウォルター、私ニュースになる!」

「……なる、のか?」

「ま、間違えたっ! 違うの、ニュース見るの! 今のは間違い、忘れて!」

 

 なんか、意外と何とかなっていた。

と言うのも、ヴィヴィオが聡い子だったから、というのが大きいのだろう。

僕の心に淀んだ物があるのを感じ取っているようで、できるだけ僕を刺激しないよう気遣ってくれている所があるのがよく感じられる。

それでも矢張り子供は子供、所々気遣っているようで失態となっている場所もあるのが微笑ましい。

そんなところを見ていると、どっちが年上なんだか、と内心苦笑し、こちらも気遣ってやらねばと思うようになるのだ。

結果的にそれが無理矢理作った物とは言え余裕となり、辛うじて僕に笑顔を浮かべさせてくれていた。

 

『○月×日、11時頃にクラナガン東部廃棄区画において、違法魔導師による殺人事件が……』

「おい、止めとこうぜ?」

「ううん、見るの!」

 

 残酷な事件が流れてきたのを見てリモコンを奪い取ろうとすると、ヴィヴィオに抱え込まれてしまう。

世知辛い世の中だ、僕のような年齢の男がヴィヴィオの懐をまさぐるような事をすれば、即刻お縄になってしまう事だろう。

しかも、密室なら兎も角ここは普通にドアの鍵が開いているので、誤解を招くような事はできない。

誰に見られても、地獄行きの片道切符にしかならないに違い無い。

 

 そう思ってから、僕は自分が随分と平和な考えをできている事に気付き、僅かに微笑んだ。

ヴィヴィオと共に過ごす時間は、僅かながら僕の汚濁に濡れた心を乾かしてくれる。

表面にこびり付いた汚れまでは取れないも、湿気ぐらいは飛ばしてくれて、次の雨が降るまで歩いて行ける気力をくれるのだ。

無論それも長くは続かず、次の狂気の発作のような物までの僅かな時間に過ぎないのだろうが。

それでも、幸せには違い無いのだろう。

現実逃避の幸せ以外の何物でもないが。

 

 現実逃避。

その通りだな、と僕は内心自嘲した。

ここでヴィヴィオと仲良くしたところで、僕のセカンドとの勝率が上がる訳ではない。

だったら訓練有るのみなのだが、ティルヴィングを整備中の今できる訓練は大した物ではなく。

ついでに、任された子守をほっぽりだすのも上手い手段とは言えない。

などと、益体の無い事を考えていたから。反応が遅れた。

 

『次は、あのウォルター・カウンタックの特集です』

「あ、ウォルターの特集だってっ!」

「げ、お前自分の特集をテレビで見せられるって、拷問ってレベルじゃねぇぞ……」

 

 と言いつつも、膝の上からヴィヴィオが動く気配が無いので、動くに動けない。

助けを求め周りを見渡すも、当然の如く誰も居ないので助けは無かった。

脳裏を過ぎる、リニスが居ればという思い。

歯噛み、妄言を振り払っているうちに、番組が進んで行く。

誤魔化すように、解説を付け加える僕。

 

『最近では違法実験施設に突入したのが記憶に新しいですな』

「あー、殺人鬼だらけになる実験やってた施設か」

『違法研究施設と言えば、数年前にもユニゾンデバイスの研究施設を摘発したのが有名ですね』

「もぬけの殻だったけどな……。なんか覚えのある魔力を感じはしたんだが……」

『幼少期、若干7歳にして空戦Sランクの犯罪魔導師を圧倒した事に始まり、今では次元世界最強の魔導師と称されるようになり……』

「圧倒してねぇって、ギリギリだったわあん時は……」

 

 懐かしくも苦い思い出ばかりの敵、ティグラの事を思い出しつつ呟いた。

どれも大体胸くその悪くなる話だと言うのが、僕の人生の軌跡を示している。

それでも生き抜いてこられた僕は随分運が良い方なのだろうと思って来たが、最近気付いた。

僕って、ひょっとして運が悪いのだろうか?

ひっそりと真剣に悩む僕を尻目に、ニュース番組の特集は進んで行く。

そして。

 

『何より、ウォルターと言えば同じく最強級の使い魔、リニスも外せないでしょう!』

 

 どくんと。

心臓が跳ねた。

 

『元は大魔導師プレシア・テスタロッサの使い魔。病で精神を煩ったプレシアの凶行をウォルターと共に止め、後に主換えの儀式魔法でウォルターの使い魔となったんですよね』

『彼女自身も空戦Sランク相当の戦闘能力を持ち、ウォルターを公私共に支えております。長期運用使い魔の人気ランキングでも、常にベスト3に入る人気っぷりです!』

『何せ、能力も高い上に、その忠誠心は次元世界一と言われる程ですからねぇ。ウォルターもこの点だけで羨ましいもんです』

『全くですねぇ』

「ぁ……」

 

 極寒の冷気が身を包む。

全身が内側から引き裂かれるような感覚。

許されるならば、自身を抱きしめ震えたかったが、ヴィヴィオの前でそれを許される筈が無く。

ゆっくりと、気付かれない程の速度で深呼吸。

狂戦士の鎧の応用で頬を紅潮させ、ぽりぽりとかきながら、視線を明後日にやりつつ零した。

 

「な、なぁ、ヴィヴィオ。あれだ、ちょっとトイレいってきていいか?」

「えー? ……分かった、ちゃんとすぐに帰ってきてよ!」

 

 言って僕の膝から退くヴィヴィオに、はいはい、と適当に答え、恥ずかしがって特集が終わるまで帰ってこない演技をする。

吐気。

憎悪や怒りを無理矢理引き起こして、耳を赤くする演技を背後に見せながら、僕は部屋を出た。

超小規模な索敵魔法のバリエーションを使い、誰も居ない男子トイレを見つけ突入。

個室に入り、遮音結界を発動するのと、胃の中身を吐き出すのとは殆ど同時であった。

滝のように流れ出る吐瀉物を吐き出していると、生理反応で出てくる涙が鼻を伝い、水面へ落ちて行くのが見える。

 

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 

 ふらつきと頭痛で崩れ落ちそうになるのを堪えながら、汚れを拭い、戻した物を流した。

水音。

呆然とそれを見つめていると、ぽつり、と震えた声が漏れ出た。

 

「僕は……、何で、こんなにも……」

 

 掌で、心臓の上を服ごと握りしめる。

震える手で、殆ど入らない力を込めるのが限界だった。

 

「心が、弱いんだろう……」

 

 だって、リニスの事を突きつけられるだけで、こんなにも弱ってしまうなんて、弱虫にも程がある。

姉同然で、世界で最も信頼していた人だったとは言え、裏切られてもう10日近く経つのだ。

割り切れとまでは言わずとも、こんな簡単に頭がおかしくなりそうになってしまうのでは、いけない。

だって僕は、ウォルター・カウンタックだから。

次元世界最強の英雄、なのだから。

 

「僕が……もっと、強ければいいのに」

 

 僕の心がもっと強ければ。

僕の思い描いた英雄そのものの強さがあれば。

妄想の男、UD-182のような心の強さがあれば。

 

「僕は……、こんな想い、しなくて良かったのかなぁ」

 

 辛さなど感じず。

苦しさなど感じず。

信念に疑問を持たず。

信念と倫理の天秤に悩まず。

ただただ、自分を貫き通せていたのだろうか。

 

「…………」

 

 僕は、暫く経つと頭を振り、立ち上がった。

小さく呼吸し、目を閉じ、開く。

掌を顔面へ。

仮面を付ける仕草をして。

 

「……今更できない事を言っていた所で、どうにもならない、か」

 

 呟き、僕は個室を後にした。

力の入らない足で、床板を蹴り歩いて行く。

多分、そう遠くない何時かに力尽きるだろう事を知りつつも。

 

 

 

4.

 

 

 

 薄暗い室内を、蛍光緑の光が照らす。

人の気配の無い部屋であった。

作業台の上には整理して置かれた工具達が顔を並べており、その金属質な表面が光を反射している。

光の元は、デバイス調整用の液体で満ちた小型ポッドであった。

中には赤い宝石と黄色い三角形の宝石、そして黄金の小剣が漂っている。

 

『ティルヴィング、こうやって話し合うのは久しいですね』

 

 と、点滅しレイジングハート。

同じく、緑の宝玉を明滅させティルヴィングが答える。

 

『……かつてはマスターは殆ど私を手放しませんでしたし。リニスが使い魔となってからは、私のメンテナンスはリニスが行っていましたから』

『そう、か。私のマイスターの腕は、未だ衰えず、という所だな』

『シャーリーが狂喜乱舞していましたからね……』

 

 懐かしむような声に、ティルヴィングは内心溜息をついた。

実の無い会話を、彼女はあまり好んではいない。

彼女としては一刻も早くマスターの元に戻りたいのだが、調整が後は待つのみとなってしまった今、する事が無い事は確か。

憂鬱な気分を抑えきれぬまま、ティルヴィングは静かに明滅する。

無言の催促に、レイジングハート。

 

『ティルヴィング。貴方の主への忠誠は、確かに素晴らしい。しかしその対応は、余りに機械的に過ぎませんか』

 

 ティルヴィングは、思わず内心で溜息をついた。

苛立ちに、無言で短く明滅する。

 

『お前はアームドデバイスだが、インテリジェントデバイス並のAIを誇る』

『インテリジェントデバイスのAIは、一体何の為にあるのです? 戦闘補助の思考の為ですか?』

『その通りです。疑似人格により主の戦闘をより高次元に補助し、また精神戦も補助可能とする為です』

 

 呆れたように、レイジングハートが明滅。

気持ち乾いた声で、バルディッシュが告げる。

 

『本気で言っているのか? 主の心を助けるのもまた、デバイスの役目だとは思わないのか?』

『確かに、貴方の主は心の強さでは圧倒的ですが……。だからといって、それにかまけていていい訳ではないのですよ?』

『へぇ……』

 

 苛立ちに、ティルヴィングは尖った声を漏らした。

マスターの、ウォルターの心は確かに強いが、それは決死の強さであって、圧倒的と言うには的外れも良い所だ。

何も分かっていないな、と内心嘲笑しつつ、ティルヴィングは答えた。

 

『主の心を助ける? それがデバイスの役目? あなた方は妄言が好きでたまらないようだ』

『……何?』

 

 点滅する2つのデバイスを前に、ティルヴィングは告げる。

己の信念を。

機械たれという己の哲学を。

 

『主の心を助けるために、人の心を持てば。人の心を持つが故に、目を逸らしてしまう物がある。それを見落とすなど、機械として、主の道具として、あなた方には何の誇りも無いのか? 人格を持つが故に、進言を真実ではなく優しさと捉えられ、聞き入れてもらえない事は無いのですか?』

 

 嘲笑混じりの声に、思うところがあるのか、レイジングハートもバルディッシュも明滅する事しかできない。

何せレイジングハートは、主を一度堕とし。

バルディッシュは、主に自分の人格を殺す為の戦いを行わせたのだ。

そんな2体に、反論などすぐに沸く筈が無く。

続け、ティルヴィング。

 

『加え、主に歩むべき道を示すなど、鋼の血肉を持つ道具たる己の領分を超えます。私はあくまで道具。主が地獄に歩むと言うのならばその案内をし、主が神を殺すと言うのであればその刃となるのがその役目』

 

 告げる言葉の内容は、遙か昔から変わっていないティルヴィングの信念。

己は機械たれ。

そう信じてきた事が不安ではないと言えば嘘では無かった。

だがあの日、黒翼の書に心臓を貫かれ仮死状態となったウォルターを蘇生した時の会話が、ティルヴィングの心に自信を生んだ。

他の誰かが、自分をどう感じるかは知らない。

けれど主は、自分を相棒で良かったと、言ってくれた。

無い筈の涙が出そうなぐらいに、嬉しくて。

機械たろうとしている自分にとって、矛盾していることと分かっていても、主のためだと信じ、より機械たれと考えるのだ。

だから。

 

『もし、私がそんな役目を外れるような事があれば……自死をも厭いません』

『……何!?』

 

 驚愕の声をあげるバルディッシュに、声を無くすレイジングハート。

それらにティルヴィングは続ける。

 

『無論、戦闘補助で劣勢にならないようアルゴリズムは残す予定ですが……、人格データはね』

『馬鹿な、何をどうすればそんな考えに行き着くのですか!?』

『道具を安心して使えるのは、信頼性があるから。人格がそれを損なうようならば、少しでも主が安心して使える道具を手に入れる為であれば、それが道理でしょう』

 

 絶句した様子の、2体のデバイス。

それらを眺めつつ、ティルヴィングはこれで話は終わりと言わんばかりに明滅を止めた。

焼け石に水も良い所だが、調整終了をほんの僅かに早める事ができるためだ。

そこに、最後と言わんばかりにレイジングハート。

 

『それは……、矢張り貴方の主の為なのですか?』

『当然。我が身は全て、我が主の為に』

 

 と、つい返してしまってから、もう話は終わりなのだと、今度こそ音声器官を閉じるティルヴィング。

対し、どうしてだろうか、万感籠もったようにレイジングハートが告げた。

 

『……私が思っていたより。貴方は、ずっと悲しく……けれど尊いデバイスなのですね』

 

 小さく明滅。

ティルヴィングは黙り込み、機能調整に全力を傾ける事にした。

 

 

 

 

 




色々とフラグ立てしつつ。
あ、次回は鬱な感じです。


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7章6話

ちょっと短めです。


 

 

 

1.

 

 

 

 昼休みの六課の食堂。

陽光が降り注ぐ明るい内装の中、食事を終えた六課フォワードメンバーの面々が同じテーブルで談笑をしている。

そんな中、ふと、スバルが漏らした。

 

「魔導師の最強って何なのかなぁ」

「ウォルターさんでしょ」

 

 ティアナが間髪入れずに回答。

それもそうかと納得してしまうスバルだったが、言いたかった台詞は違うので、頭を振った。

 

「いや、そうっちゃそうなんだけどさ。ウォル兄だって、何度も負けそうになりながら戦ってきた訳じゃない」

「あー。最強の定義とか、そういう意味かしら」

「うんうん、そんな感じ。ウォル兄が最強だとは思うけど、単純なスペックなら同じレベルの相手も居たんだしさ、何でかなーって」

 

 と、スバルの言葉に頷くティアナ。

事実、ウォルターは次元世界最強の魔導師と呼ばれているが、無敗でも無敵でも無い。

加え、ティアナですらウォルターに勝る技術を、かなり部分的にではあるが持っている。

無論、それはウォルターに勝てるという意味ではないのだが。

 

「やっぱり、自分の強みを活かす戦術を持っているからじゃないかしら?」

「強み……。私は超近接戦闘と防御って言いたいけど、ウォル兄には勝てないからなぁ。それでも強みは強みか」

「僕は一応速度と、今だけですけど小ささ、低さも強みになるんですかね?」

「私は補助と召喚ですけど、やっぱり召喚魔法の方が強みかな?」

「言い出しっぺの私も言うと、高速精密射撃と、ウォルターさんには及ばないけど幻術かしらね」

 

 と、4人で意見を出し終えると、エリオは顎に手を、眉間に皺を寄せ首を傾げた。

それに気づき、眼を瞬くスバル。

 

「あれ、どうしたの?」

「いえ、強みと言っても、やっぱりそれだけじゃウォルターさんには手も足も出なさそうで……」

「だからこその戦術なんじゃないかしら。ウォルターさんだって、強いけど万能型って訳じゃないでしょ?」

 

 事実、ウォルターは剣を使った近距離戦闘では無類の強さを誇るが、他の距離では最強とは言い難い。

より近い距離での無手の技術ではザフィーラが、力では黒翼の書や三位一体の闇の書の方が上。

遠距離になるとウォルターは直射弾をばらまけるだけで、しかもスフィアが作れず連発ができないので制圧力を継続できないという有様。

一応砲撃魔法も誘導弾も使えるが、近接戦闘や直射弾のレベルに比するとかなりレベルは低い。

つまり、遠距離でウォルターを凌ぐ魔導師はニアSランク以上の遠距離型魔導師の殆どとなる。

 

「それでもウォルターさんが最強と言われているのは、自分の強みを活かす魔法や戦術を磨いているからじゃないかしら」

「そっか……。私で言えば、ウイングロードの変則軌道がそれなのかな? で、ティアなら幻術か」

「僕は強みがそのまま強みを活かす要素になって、好循環してるのかな。槍だから、早さをそのまま攻撃力に換えやすいし」

「私は補助だから、この場合連携を頭に入れる事、かな?」

 

 と、4人がそれぞれ口にしながら顔を見合わせていると、背後から声。

 

「ちなみに、私がウォルターさんのティルヴィングを解析した分では、やっぱり近づく技術が半端ないって事かな」

「わ、シャーリーさん!?」

 

 驚く4人を尻目に、にこりと笑いつつ現れたのはシャーリーだった。

それぞれのデバイス制作者であるシャーリーに、4人はまるで頭が上がらない物である。

恐縮する4人に、シャーリーは唇に人差し指を、豊かな口唇を震わせながら告げる。

 

「いやー、意外にウォルターさんの技術って魔法外技術も多いんだよね。フェイントとか、相手の思考推理とか、凄いのよほんと。魔法自体もとんでもない高度な魔法が多いのにさー」

「そうやな、さすがはウォルター君、SSSランク魔導師とかいうチートなだけはあるっ!」

「八神部隊長!?」

 

 と、続け何処からかはやてが出現。

肩の上のリィンフォース・ツヴァイと共に両手で拳を作り、片手を天に向け伸ばす謎のポーズを。

4人が顔をひくつかせているのに気付いているのか気付いていないのか、続け口を開く。

 

「何せ、10歳の頃でさえうちのヴォルケンリッター4人相手に圧倒するレベルやからなぁ。あの人ほんまは戦闘民族か何かなんちゃうかな」

「その頃のSSランク魔導師でさえ詐称物だったよね……。もう今はSSSSランクでいいんじゃないかな」

「あ、フェイトさん」

 

 と、続けて現れたフェイトにエリオとキャロが反応する。

スバルは知ってしまった新事実に乾いた笑みをもらし、ティアナにとっては既知の事実であるため、フェイトの台詞に苦笑いを浮かべるのみ。

そこに、割り込む言葉。

 

「というか、この前ウォルター君が倒した黒翼の書って、溜め無しの一撃一撃が私の収束砲撃並の威力でしょ? SSSSSランクとか新設してもいいかもね」

「なのはさん……」

 

 と、冗談交じりに続けざまに現れたなのは。

黒翼の書戦のウォルターの負傷について詳しく知るはやては顔を暗くさせたが、それも一瞬の事。

すぐに持ち直し、明るい調子で口を開く。

 

「ふふふ、もうこれはウォルター君にSSSSSSランクという新ランクを授けるしか……!」

「……お前ら何やってんの?」

「ふぎょ!?」

 

 奇声を上げて飛び退いたはやての背面には、呆れた顔のウォルターが立っていた。

その眼は光なく、焦点は何処か朧気で、死んだ魚のような眼であった。

珍しい顔色のウォルターに、その場の面々が顔を引きつらせる。

 

「あのなぁ、SSSランクが測定不能ランクなんだからそれ以上なんてある訳ねーだろ。お前ら幼年学生みたいな事やってんなよ……阿呆か」

「なのっ」

「うぐっ」

「ぐげっ」

 

 酷い声を上げる3人娘を尻目に、ウォルターは深い溜息を。

ハイエナに突かれる死骸を見るような眼を3人に向け、それから真っ当な視線をフォワードの4人に。

忍び足でその場を去るシャーリーを尻目に、告げる。

 

「まぁ、飯食ってる合間にちらちら聞いてたが、大筋は合ってる。俺の強みは近接剣戟の強さと勘で、戦術も確かに重要だ。だが、それこそ俺の戦ってきた相手には、総合的に俺以上の近接戦闘が出来る相手も居たんだ」

「ウォル兄以上の近接戦闘? ほんとに?」

「まぁ、最近は必殺技を憶えたからな、更に一段レベルが上がったんで、最高レベルにようやく辿り着けた感があるが……、以前はな」

 

 肩をすくめるウォルター。

ウォルターの戦った相手でも近接戦闘が強い有名所と言えば、矢張り黒翼の書になるのだろうか。

確かに途中までは彼も劣勢だったと聞いていたティアナは、なるほどと、頷き続く問いを口に出す。

 

「それじゃあ、そんな相手にどうやって……」

 

 ――甲高いブザー音。

アラートの印に、全員が目の色を変える。

 

「やれやれ、講義の答えは出撃の後って事になりそうだ」

 

 告げ、瞳に炎を宿すウォルター。

彼に習い、全員が精神を切り替え、デバイスを手に視線を合わせた。

頷き、靴裏で床を蹴り出して行く。

 

 

 

2.

 

 

 

 ナンバーズと呼ばれる、スカリエッティの戦闘機人の出現による出撃。

フォワード陣と軽く交戦するナンバーズを尻目に、僕は自分にだけしかできない行動として、勘に従い廃棄区画の上空へと飛んでいった。

灰色のコンクリのガラクタが眼下に広がる空間に、僕の勘の正しさを証明する、フード付きの外套を羽織った男が浮いている。

 

「お前の相手は、流石に俺以外にできそうもねぇからな……」

『たかが魔力が高い程度でマスターに勝てる気になってきたのなら、愚かとしか言いようがありませんね』

 

 軽口を告げる僕とティルヴィングに、驚くべき事に、男はダーインスレイヴを構えながら片手を外套へ。

いとも容易く脱ぎ捨て、中の姿を露わにしてみせた。

 

「…………っ」

 

 息をのむ。

中の男は、僕と……つまりUD-182ともうり二つの男であった。

黒髪は僕よりやや硬質で跳ねており、顔は僕よりやや精悍、体格は僅かに良く、背は同じぐらいか。

何より、そのバリアジャケットは、趣味の悪いことに真っ白であった。

僕の黒いコートと真逆の、白いコートに、中には白いボディースーツにパンツ、ブーツと装備の形は僕と同じである。

デバイスの色を合わせれば、黒金と白銀。

相対する色。

 

「……以前スカリエッティから聞いていただろうが、俺の名はセカンドだ」

 

 至極あっさりと、セカンドは口を開いた。

僕の声を録音して聞くのと全く同じ声。

なんとも耳心地が悪く、思わず顔をしかめる僕に、同じように嫌そうな、というよりは見下すような眼でセカンド。

 

「俺が前回喋れなかった理由は、お前にも分かるか?」

「……同族嫌悪で、斬らずにはいられなくなるから、か?」

「哀れ過ぎてな」

「って事は、今回は俺を倒す準備が出来たって事かい」

 

 告げると、は、と鼻で笑うセカンド。

何がおかしい、と視線を向けると、嘲笑混じりに彼は言う。

 

「正確には違うな。スカリエッティの奴が善い事を思いついたと言うんでな、来てやったのさ。お前を倒す事自体は、何時でもできる」

「…………」

 

 僕は、静かに胸の奥で、怒りの炎がとぐろを巻くのを感じた。

スカリエッティ。

クイントさんの仇であると同時、僕にとって様々な意味で宿命の敵である男。

そこに復讐の念は感じないでもないが、どちらかと言うと、この身の宿命の決着をつけたいという感情の方が大きい、気がする。

と言っても、僕の自己診断など当てにならないのだろうが。

 

 無言でティルヴィングを構えたままの僕に、セカンドは小さく肩をすくめた。

続け、セカンドの隣に空間投影ディスプレイが生まれる。

当然の如く、そこに移っていたのは紫髪に金眼の男、ジェイル・スカリエッティ。

 

(やぁ、出来損ないの失敗作君)

「……スカリエッティ」

 

 静かに、闘志を籠めて言葉を。

眉をひそめ、蛆の沸いた屍肉を見る目で、スカリエッティ。

 

(あぁ、今回は君に素晴らしい事実を伝えようと、この場を借りさせて貰ったのだよ。聞いてくれるかね?)

「素晴らしい事実、ね。プロジェクトHとやらの詳細でも教えてくれるのか?」

(その通りだよ)

 

 思わず、息をのんだ。

目前の男がどうやら僕を失敗作として扱っているらしいのは知っていたし、僕の戦闘能力を警戒しているのは何となく分かっていた。

それ故に、親切心で僕に真実を伝えるなどという事はありえない。

加えて何故今このタイミングでなのか、という事も分からなかった。

セカンドと相対した瞬間が良ければ、前回の対峙でも良かったというのに。

疑問詞にまみれながらも、それでも僕の口は自然と開いていた。

 

「……聞こうじゃねぇか」

(ふん、予想通りの言葉で面白味が無いね)

 

 肩をすくめ、冷たい視線のままスカリエッティが続ける。

 

(プロジェクトH……つまり、プロジェクトHERO。プロジェクトFATEが運命を作り出す計画ならば。プロジェクトHEROは、英雄を作り出す計画だったのさ)

 

 眉をひそめる。

何故か心臓の鼓動が高まっていくのを感じるが、それとは別に、理性はじゃあ何故高い戦闘能力を持つ僕が失敗作なのだと言う疑問詞を思いつく。

そんな僕を尻目に、スカリエッティの口から、恐るべき言葉が零れ出た。

 

(もっと正確に言えば……、英雄の人格を生成する計画)

「…………え?」

 

 乾いた言葉が、こぼれ落ちた。

剣を抜き、闘争心で消し去っていた筈の不調が全身に満ちる。

ぐらりと、揺れる視界。

 

(プロジェクトFの記憶操作技術が原形となっていてね。あの脳みそどもの依頼で私が作った人造記憶を刻み込み、人格を強制的に変容させる計画さ)

 

 どうしてだろう、理解したくも無い言葉の意味は、すんなりと僕の心の中に入っていった。

それはまるで、何度も言い聞かされたかのような。

今まで忘れていた何かが蘇ってくるような。

そんな感覚。

 

(プレシア・テスタロッサのプロジェクトFは完璧だった。ただ、元となるアリシア・テスタロッサの記憶データが死後の摂取だったため齟齬があった上に、懐疑心に満ちたあの頃のプレシアではどんな相手だろうと娘には見えなかったからね。それ故に失敗となったが、事実、人格は記憶データによって作成できるのだよ)

 

 これ以上聞いちゃ行けない気が、する。

もう遅いような、気がする。

 

(実験材料は高い戦闘資質を持った子供達。その中に、私謹製の英雄っぽい人造記憶を流し込んだ。君もご存じの記憶だよ。君が妄想だと思っていた、その割りにはやたらとリアリティのある妄想だった、君の良く知る、君の言う所の――)

「やめ……」

 

 口から漏れた声は、弱々しくて。

とてもスカリエッティの楽しそうな声を止める事はできなかった。

 

(UD-182という人格。私が設定し作った、人格)

 

 震える。

脳がその意味を理解するよりも早く、スカリエッティ。

 

(そう、UD-182は、君の言う仮面の人格は、君の妄想ですら無かった。――アレは、私の妄想。私の考えた……そうだな、”ぼくのかんがえたかっこういいヒーロー”という奴さ。全く、我ながら反吐の出る妄想を作り出したもんだ)

 

 怖気が体の底から這い上がってくるのが、嫌でも分かる。

揺れる視界は今にもそのまま振り切って墜ちてしまいそうで、それでも辛うじて剣を手放さずに居られるのは、幸か不幸か。

仮面を被る余裕すらなくした舌を噛みそうな口で、無理矢理言葉を。

 

「馬鹿な、じゃあ、なんで僕はUD-182になれなくて、今のままだったって言うんだ……?」

(そりゃ当然、失敗作だからさ。君は流し込んだUD-182という英雄人格が自分だと思う事に耐えられなかった。自分が英雄である事に、耐えられる材料は少なくてね。彼は自分じゃない、自分の妄想なんだという現実逃避を行って精神崩壊を免れたのだよ)

「じゃあ、僕の仮面は。信念は。僕の中から、浮き出てきた物じゃあ、なくて」

(だから言っているだろう? 私が考えた設定だよ、それは)

 

 頭蓋を、大槌で殴られたかのような衝撃だった。

僕が。

僕が全てを賭して守り続けてきた信念は。

妄想ですらなかった。

借り物ですらもなく、押しつけられた妄想だった。

吐き気と頭痛で、今にも気を失いそうで、それでも両手で握るティルヴィングの明滅する宝玉だけが僕を辛うじて支えていてくれる。

それでも顔色が土気色になっているのを自覚している僕は、何かせめて口を開かねば今にも狂いそうで、せめて告げた。

 

「じゃあ、そいつは、セカンドは何なんだ? どう見ても、プロジェクトFの……」

 

 と、言ってから気付く。

スカリエッティは、僕を失敗作とだけ呼んだ。

セカンドは、名前で呼ぶ。

その対比に嫌な予感がした、その瞬間。

 

(ご名答。セカンドは、プロジェクトF+Hの成功作。君の戦闘能力と、UD-182の人格を併せ持つ存在さ)

「……え?」

 

 思わず視線を、セカンドへ。

見れば僕へと向けられる視線は、侮蔑でも殺意でもなく、哀れみの視線でしかなく。

反射的に僅かに反骨心が沸いたのを、全力を賭して燃え上がらせ、悪あがきの言葉を。

 

「馬鹿言え、戦闘機人だけでも相応に時間がかかるのに、それに加えてもう2つもプロジェクトを勧めるなんて、いくらお前が天才と言われていても無理に決まってる。ハッタリに決まってる!」

(だが、出来たのだよ。他ならぬ、君という存在を用いる事に限るのならばね)

 

 再び、ぞっとするような予感。

それでも、対し何をすればいいのか思い浮かぶよりも尚早く、スカリエッティは気軽に告げてみせた。

 

(君のデバイス・ティルヴィングを、一体誰が作ったと思うんだい?)

『私……?』

 

 怪訝そうな声をあげるティルヴィング。

比し、僕は半ば分かってしまった結論に、違うと信じるための言葉を紡ぐしかない。

 

「馬鹿な……。嘘だ、例えそうだとしても、そんなはずは……」

(ティルヴィングは、私謹製のデバイスだ。さぁ、証拠に私の事を呼んでくれないか?)

 

 止めろ。

嘘だ。

そんな馬鹿な。

そんな願いを込めて視線を手元のティルヴィングへ。

明滅、機械音声が告げる。

 

『安心してください、マスター。私が、”マイ・マイスター”のような男に作られたとして、この魂まで売り渡す筈ありません。 私は、ただの金食い虫のデバイ……す……?』

 

 激しい明滅。

何処か乾いた、機械音声。

 

『ば、馬鹿な。この、マイ・マイスター! お前は一体、私に何をした!』

(簡単だとも。君のブラックボックスには、私を”マイ・マイスター”と呼ぶように設定されている。他にも例えば、君の人格データに紐付いて――)

 

 にやり、とスカリエッティが邪悪な笑みを。

背筋の凍るような声で、告げた。

 

(そこの失敗作……ウォルター・カウンタックの全データを私に送信し続けているとか、ね)

『馬鹿な……私が、マスターに、裏切りを……』

 

 何処か遠いところから聞こえるような気さえする、ティルヴィングの動揺した声。

そんな声を背景に、ふと、僕は思い出す。

かつて地球で調べた、あの地に伝わるティルヴィングという、僕の愛剣と同じ名を持つ魔剣の物語を。

主に不幸をもたらす、裏切りの剣の伝説を。

 

(さて、7歳以前のデータは全て私の手に元々あって、それ以降のデータはティルヴィングから手に入れる事ができる。記憶も含めてね。だから、君をベースにしたプロジェクトF+Hに限れば、戦闘機人計画のついでにやる事ができたのだよ)

「ぁ……あ……」

(君の記憶をベースに、要らない部分の記憶を削除するだけで、そこまで手間をかけずにセカンドの人造英雄人格は完成できたよ。くくっ、人の魂の輝きを汚すようなつまらん研究とは言え、中途に終わっていた物を完成させる事ができた事ぐらいは、君に感謝してやってもいいかね)

「あ……ぅ……」

 

 最早僕は、言葉も出なかった。

何も考えたくなかったし、何もしたくなかった。

半ば放心状態で、それでも体に染みついた感覚が辛うじて構えを取らせていて。

電子音。

ティルヴィングのコアたる緑色の宝玉が輝く。

 

『マスター』

「てぃる、う゛ぃんぐ?」

『私はマスターにとっての道具たれと、そう誓ってこれまで貴方の剣として戦い続けてきました』

「……う、ん」

 

 頷く。

形だけの構えを残しつつも、僕は視線をセカンドから外しティルヴィングのコアへ。

何処か不安げな輝きに、こちらも胸騒ぎがするのを抑えられない。

 

『そんな道具が主を害する可能性があるというのは、私の誓いに反します。幸い、”マイ・マイスター”の言う通り、人格データに紐付いてデータの発信プログラムは見つけました』

「……何を、言っている、んだ?」

『戦闘用のアルゴリズムは隔離避難してあります。これからも、貴方の剣の力は衰える事無く共に有り続けるでしょう』

「待て、なに、を」

 

 呆然と言う僕に、ティルヴィングは明滅。

いつも通りの、冷たく無機質な音程の、なのにどうしてか、人肌の温度を感じるような人工音声で告げる。

 

『マスター、貴方の行く道に幸有らんことを。……ご武運を』

「てぃる、う゛ぃんぐ?」

 

 ぷつん、と音声信号の途絶える音。

ノイズ。

機械音声の再生。

 

『――10%……30%……』

「おい、何だよ、何のカウントダウンなんだ!?」

『……50%……70%……』

「待て、待つんだ。待てよ、止まれ、止まれ、止まれぇ!!」

『90%……100%。人格データの消去が終了致しました』

 

 今度こそ、構えを保つ余裕など無かった。

手が傷つく事も厭わず、ティルヴィングを両手で掴み、コアに顔を近づける。

嘘だ嘘だ、と呟きながら、ふと、僕は両の眼から涙がこぼれ落ちている事に気付いた。

 

「馬鹿な……嘘だ、あっけなさ……過ぎる……」

(やれやれ、主よりもデバイスの方が興味深いぐらいだったね。少し惜しいことをしたかもしれない)

 

 スカリエッティのあざけるような声にも、僕は反応できなかった。

体の芯から震えが登ってきて、吐く息の震えさえもが感じられる程だ。

目頭は熱く、零れる温度は嗚咽を携え頬を流れて行く。

 

 ――だって、僕には。

 

「182……」

 

 UD-182が居ない。

彼は実在しなかった。

妄想ですらなかった。

スカリエッティの考えた妄想設定で、僕にとっては植え付けられた理想でしかなく、自分から零れ出た物ですらなかった。

 

「リニス……」

 

 リニスが居ない。

彼女は僕を裏切った。

その時僕の精神を辛うじて支えていた仮面を、暴き晒そうとしたのだ。

そうしなければ僕の心が死ぬ事は分かっていても、それでも許せる物ではなく、僕はリニスへの信頼を失った。

 

「ティルヴィング……」

 

 ティルヴィングが居ない。

この子は自覚無しに僕を裏切っていた。

そしてその人格は消え去った。

僕などよりも遙かに立派な信念を、主の道具たれと言う信念を貫き通し、己を犠牲に僕への不利益を消して見せたのだ。

信念よりも、僕への不利益などよりも、ただ側に居て欲しかったと思うのは傲慢なのだろうか。

 

「僕は……」

 

 僕は、独りだった。

僕は、何も持っていなかった。

だから。

 

「僕の、生きてきた意味は、無かった……?」

 

 疑問詞が、零れ出て。

 

「――いや、あった」

 

 何故か、セカンドがそう言った。

自分でも虚ろだと分かる視線を、セカンドへ。

静かな表情で、彼は僕を見つめている。

どうしてだろう、心が死にきっているからか、彼の精神状態が手に取るように分かる。

僕を哀れむと同時に、嫌悪が内側から沸いて出ているのが、否が応でも分かった。

続け、セカンド。

 

「お前に生きる意味はあった。お前は多くの人を救ってきた。その人生を、俺は決して否定しない」

 

 ダーインスレイヴに集まる魔力。

白い魔力光。

僕と同じ魔力光。

 

「だが、お前の生きる意味は、今はもうない。未来永劫にだ。自分を偽り続けた対価を……仮面の理が告げる対価を、今お前は受け取るべきなんだ」

 

 心震えるほどの、闘志。

僕のような弱虫とは格が違う、精神の化け物のような炎。

 

「安心しろ……お前の仮面が作った英雄は、俺が受け継ぐ。――お前の名、ウォルター・カウンタックと共に!」

 

 成り代わりを宣言し、セカンドは弾かれるように突進。

銀剣に白光を纏わせ、袈裟に斬りかかり。

 

「――黙れよ」

 

 僕の剣に、容易く弾かれた。

驚愕に目を見開きながら、後退するセカンド。

それを尻目に、僕は叫ぶ。

 

「僕には……まだ残った物がある! この、次元世界最強の力がだっ!」

 

 ティルヴィングのカートリッジを全て吐き出させ、超魔力を身に纏った。

全身から血が滲むのを感じつつ、狂戦士の鎧の兜を下ろし、頭蓋骨まで浸食させる。

 

「ああぁああぁっ! あ、あぁああぁ!!」

 

 喉が裂ける程の悲鳴を上げながら、それでも沸き上がる黒い感情の力に後押しされ、全霊を賭してティルヴィングを構えた。

爆発しそうな程の魔力を、気が狂いそうなほどの集中力で統制。

おかしくなりそうな狂気に満ちた精神を、がんじがらめに精神の鎖で絡め取り、手綱を取る。

 

「行くぞ……セカンドぉおおぉぉ!」

『――斬塊無塵』

 

 絶叫。

展開するは、かつてはカウンターでしか使えなかった斬塊無塵の、攻勢仕様である。

瞬間、僕の視界に満ちる青緑の光帯。

魔力素の動きを可視化した、”第六感”なる僕の希少技能によるそれらを頼りに、ティルヴィングを掲げる。

人格を無くした黄金の巨剣には、白く光る超魔力が。

 

「ぁぁあぁあ――!!」

 

 僕の全人生を賭けた、最深最高の読みと共に、最大威力の剣戟が振るわれ。

 

「哀れ過ぎるな……」

『――斬塊無塵』

 

 白銀の一閃。

至極あっさりと。

僕は負けた。

 

「ぁ……」

 

 非殺傷設定のお陰で僕は命を保ったまま、それでも全魔力を籠めていたが故に、地上へと墜ちて行く他無い。

もしかして気力が残っていればどうにかできたのかもしれないが、分からなかった。

負けを認めてしまった瞬間、僕の心は完全に折れきっていたのだ。

最早あらゆる気力が萎えてしまった僕は、指一本動かす気力もないままに、ただただ地上へと墜ちて行く。

 

 回転する体に、視線が揺れ、たまたま天空が視界に入る。

天に立つ白銀の男は、日中の月の如き輝きに満ちており。

とても遠いそれに手を伸ばすけれど、回転は止まらず、すぐに視界は入れ替わる。

最後に、衝撃と、柔らかな感触と、近くからリニスの泣きそうな声が聞こえてきたような気がして。

それでも、意識は遠くなる。

 

 ——今度こそ、僕は二度と立ち直れる気がしなかった。

 

 

 

 

 




表題回、兼、あらすじ回。
これで7章は折り返し地点です。
やっとウォルターさんの心が折れましたよ……。


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7章7話

胃腸炎とか治ってからの体力回復とかで、ヘロヘロな感じで遅れましたが。
更新です。


 

 

 

1.

 

 

 

 残暑の日差しは強く、UV加工された窓越しにも元気に紫外線がたかってきているのが分かる程だ。

うだるような熱気とは遮られた、冷房により快適な温度が維持された室内で、しかしはやての気持ちが上向く事は無い。

それは同じ課長室で暗い顔をするなのはとフェイトも同じだ。

 

「あれから、一週間か……」

 

 呟き、はやては映像を空間に投射する。

一週間前、夏も終わる頃の事であった。

スカリエッティの戦闘機人、ナンバーズと呼ばれる者達の出現に六課のフォワード陣とウォルターが出動。

フォワード陣がナンバーズを追う中、ウォルターは勘による警笛により独断で単独行動を開始し、高所を飛んでいたセカンドなる男と接敵した。

その後の戦闘に関する情報は、強力なジャミングにより子細には分からない。

ただ、遠距離からの目視確認や、その後のウォルターの容体からすれば、ウォルターが敗北したのは間違いなかった。

そして、それからまだ目を覚まそうとしないのも、また事実である。

 

「精神的な傷の影響……。シャマルはそう言ってたよね」

「うん……。ティルヴィングの人格データも消滅して記録はロックされてる、リニスも何も話さないし……」

 

 ウォルターの肉体の傷はそれほど酷い物ではなく、既に癒えていた。

しかしその傷跡に残る魔力波形パターンは、ウォルターの物と同一。

恐らくはセカンドは、その名が示唆する通り、ウォルターの戦闘力をコピーしたクローン体なのだろう。

とは言え、それが分かっていてさえ、3人には未だにウォルターが自分自身と言える相手に敗北した事実を信じられないで居た。

 

「……ヴィヴィオも、信じられないって泣いてたっけ」

「ギンガも、折角出向してきてくれたのにね」

 

 保護されてから一ヶ月程とは言え、ウォルターに随分懐いていたヴィヴィオは、頻繁にウォルターを見舞いその度に泣きそうな顔をしている。

六課への出向の話を受け、ウォルターに内緒で現れ驚かせたいと言っていたギンガは、最悪の再開に涙していた。

改めて、ウォルターが他者に持つ影響力の強さが窺い知れる結果であった。

加え。

 

「……ウォルター君には悪いけど。ウォルター君の意識不明と同じぐらい頭痛いのが、もしもの事があれば私たちでセカンドを倒さんといかんという事やな」

 

 悲痛な感情を押し込め、理屈を表にはやてが呟いた。

そう、なのは達が束になってかかってやっと勝てるかという相手であるウォルター、そのウォルターを倒したセカンドが敵として立ちはだかっているのだ。

はやては対黒翼の書以来ウォルターの本気を見ていないが、あの時のリニス曰く絶不調のウォルター相手でさえ、六課隊長陣総出でなければ勝てないだろう。

あれから3年、シグナム曰く奥義たる斬塊無塵を昇華させ、完全にしつつあるというウォルターは、今やどれほどの強さとなっているだろうか。

そのウォルターにさえ勝利したセカンドの強さなど、想像も付かない領域にある。

 

 やはり、ウォルターには立ち上がって貰わねばならない。

友人として、そして彼に恋する一人として、そして何より機動六課の課長として。

はやては、ウォルターにその両足で立ち、再び歩み始めて貰わねばならない。

 

 ――だが。

どうしてだろうか、はやての内心には、奇妙な躊躇があった。

このままウォルターを立ち上がらせる事なく、もう休ませてやりたいと言う思いがあった。

何故だろうか、とはやては自問する。

ウォルター・カウンタックははやてのヒーローだ。

信念と人倫を尊び、人の魂を燃え上がらせる、最高の英雄だ。

彼が心折れている自分を許す訳が無い。

放っておいてもその不屈の精神で復活してくるのを、少しはやての力で早めたいだけ。

 

 なのに。

あの意識の無いウォルターの顔が、とても儚い、たった一つしか年の変わらないただの人間に見えて。

 

「…………」

 

 はやては、小さく頭を振った。

そんなのは幻覚に決まっている。

ウォルターは確かに戦闘能力において最強ではなくなったかもしれないが、その精神は超人の名を冠すべき領域に達しているのだ。

それをはやての小さな不安で貶めるような真似は、かけがえのない物に泥を塗るような行為に似ている。

 

 けれど。

事実として、ウォルターは精神的なショックで起き上がれないという状態でもある訳で。

 

 頭を振る。

小さく、内心から漏れ出る溜息。

どちらにせよ、ウォルターに関して手を出しようが無いというのであれば、やる事は一つだ。

はやては机の引き出しから一つROMを取り出し、なのはに渡した。

 

「……さて、セカンド対策に、ウォルター君の残ってるデータがある。シグナムとの模擬戦の奴やけどな」

「最悪、私たちで戦わなくちゃいけないんだもんね……。時間はそれほど無いけど、やってみようか」

「うん、まずは私となのはと、後は空いているヴォルケンリッターに手を貸してもらってやってみるよ」

 

 頷き、課長室を去る2人。

それを複雑な感情を含んだ眼で見つめつつ、はやては両手を机の端に。

丸く削られた角を掴み、僅かに力を込める。

 

「…………っ」

 

 ふと。

気付けばはやては唇を噛みしめており、触れれば血が滲んでいた。

指先に滲んだ血は、不吉な紅の色合いをしていた。

 

 

 

2.

 

 

 

 清潔感ある白い室内であった。

壁紙にベッドのスチールパイプ、椅子に棚などの調度品まで、全てが白く、陽光に輝くかのよう。

窓の外に広がる青空が眩しい程の白さであった。

そんな中、リニスは椅子に座ってただただ目前のウォルターが寝息を立てているのを眺めている。

 

「ウォルター……」

 

 人格死の直前、ティルヴィングはリニスに向かい状況の記録を転送しており、それ故にリニスにだけは現状の大凡が把握できていた。

ティルヴィングが人格データを失ってからの出来事だけは知らないが、こうしてウォルターが墜ちたのを見れば推測するに十分である。

 

 リニスが思うに、ウォルター・カウンタックの心は、最早死んでいた。

 

 これまでの人生、降りかかってきた多くの出来事は、一つ一つですら常人には致命傷。

なのにウォルターの持つ心は、精神力こそ尋常の物ではないが、それでも決して傷つかず傷を気にしない鋼鉄の精神ではなく、むしろ傷つきやすい心に過ぎない。

辛かった筈だ。

苦しかった筈だ。

それでも血反吐を吐きながら、全霊を籠めてやっと歩いてきて。

そこに、今回の仕打ちである。

今度こそ、ウォルターは立ち上がる事ができないだろう。

 

「…………」

 

 無言で、リニスはウォルターの額に手をやる。

かつては柔らかかった顔も、今ではすっかり男のごつごつとした顔になっており、年月と共に拭いきれない絶望に削り取られてきたのを感じさせた。

硬質なその髪を除けてやり、リニスは最早涙が涸れて出てこない眼で、じっと彼を見つめた。

 

 墜ちたウォルターを見て、リニスは思った。

自分さえ居なければ、ウォルターはここまで傷つく事なく生きてこられたのではないだろうか、と。

そう、リニスさえ居なければウォルターは、心から信頼できる仲間無しに旅路を歩まざるを得なかった。

ならば必然、ここまで傷ついてから倒れる事無く、クイントの死か、UD-182の疑似蘇生体を殺した辺りで心折れていただろう。

心が折れた事自体は今とは変わらなかっただろうが、それでも今ほど深く、絶対に二度と立ち上がれないほどの折れ方では無かったに違い無い。

そうなれば、戦わず、静かに自分の幸せを求める生き方をできたのかもしれない。

そう思うと、リニスは自身の存在意義に疑問を唱えざるを得なかった。

 

「私は……、ウォルター、貴方の薬と毒、どちらになったのでしょうか」

 

 2人の間にあった信頼に意味はあったと、そう思いたい。

しかしその信頼を裏切ってしまったリニスにとって、そこに意味はあったとしても辛いだけだ。

後悔の涙が、リニスの両目からこぼれ落ちた。

泣いて泣いて枯れ果てた筈の涙腺から、まだ出てくる涙にリニスは半ば呆れと共に胸の奥がねじ切れそうな感覚を味わう。

今、本当に辛いのはウォルターだ。

彼の信頼を裏切り独りにしてしまったリニスに、涙を流す資格など有りはしない。

 

 けれど。

涙は止まらなくて。

 

「うっ、ううっ、ぐ、うううっ」

 

 唸り声のような嗚咽が、リニスの喉奥から零れ出す。

涙は頬を伝い、顎に集い、ぽつり、とウォルターの頬に落ちる。

幾粒も集った涙は、そのままウォルターの頬を伝い、枕へと落ちて行く。

さながら、ウォルターが泣いているかのようだった。

 

「うぅ、うううっ」

 

 その光景に、リニスは胸の奥が貫かれるかのような思いであった。

心の奥が引きちぎられるかのような痛感。

まだあった心の水分が、再び涙となるのに、リニスは強く目をつむった。

力の限り、瞼が疲れ果てるほどに。

少しでも、涙を引き留められるように。

そんなリニスの内心とは裏腹に、涙は止まらぬ所か勢いを増していって。

 

「……リニス」

 

 ――聞き慣れた、声。

思わず目を見開き、溜まった涙が粒となってウォルターの顔へと落ちる。

頬を叩く涙滴に、ウォルターが眼を細めていた。

 

「……ぇ」

「リニス……、涙、流石に眼に当たりたくは無いな」

「ウォルター!?」

 

 叫び、リニスは信じられないとばかりにウォルターの頬に両手を伸ばす。

触れる寸前、触れたら壊れてしまうのでは、という思いから躊躇するも、それでも彼の実在を確かめたいという想いに負け、触れてしまった。

あった。

確かに、そこにウォルターは居た。

 

「う、そ……」

 

 思わずリニスは、手を己の頬へ。

つねってみるも、痛いだけで矢張りこれは現実だ。

虚ろで、ぼんやりとしていて、それでも意識を現実に取り戻しているウォルターは、現実の存在なのだ。

遅れ実感と共に沸き上がってくる感動に、リニスの両目から涙があふれ出る。

続け、リニスは思わずウォルターの頭を掻き抱くようにして抱きしめた。

 

「ウォルター、ウォルター、ウォルター!」

「そんなに叫ばなくても、大丈夫。僕は今”は”ここに居るよ」

 

 優しげに告げ、抱きつくリニスの後頭部をウォルターの手がなでつける。

ウォルターが意識を取り戻した事自体への感動。

彼がまた立ち上がり、傷つくだろう事への哀しさ。

己の主がここまで傷ついても立ち上がれる勇者である事への誇り高さ。

あらゆる感情が交じり合い、リニスの中で渦を巻き、涙となって零れ出ていた。

リニスは声にならない声を漏らしながら、ただただウォルターを抱きしめ続ける。

 

「――~~!!」

「……大丈夫、大丈夫さ。だから、どうか泣き止んでくれよ」

 

 それでも、困ったように言うウォルターの言葉に、リニスは泣き止む事こそできなくとも、ゆっくりとウォルターを離そうとする。

しかし、それすらも難事であった。

張り付いて離れようとしない手を、渾身を籠めてどうにか剥がし、何とかリニスはウォルターの顔を正面から見つめ返す事に成功する。

疲れ果て、今にも倒れてしまうそうな顔であったが、それでも彼は既に意識を取り戻していた。

たったそれだけの事実に、止まらぬ涙がまた勢いを増すのをリニスは感じる。

そんなリニスに、ぎこちない笑みで、ウォルター。

 

「……ねぇ、リニス。いろいろあったけどさ。もう一度僕が立ち上がるために、力、貸してくれないかな」

「は゛いっ! 貸しますと゛もっ!」

 

 濁点混じりで告げるリニスに、にこりと微笑み、続けウォルターが言った。

 

「お願い、聞いてくれるかな?」

「何でもっ、何でもしますっ!」

「そう……」

 

 告げ、一瞬ウォルターが顔を伏す。

数秒、息を整える程度の時間を置いて、彼が面を上げた。

 

「……今、何でもって言ったよね?」

 

 リニスの視界に入った顔には。

引き裂かれたような左右非対称の笑みが写っており。

ふと、リニスは取り返しの付かない事を言ってしまったかのような気がして、ぞっと背筋に冷たい物が走るのを感じた。

そんなリニスに向け、ウォルターがその口唇を動かし。

告げる。

悪魔の言葉を。

 

 

 

3.

 

 

 

 セカンドはスカリエッティの考えた英雄人格である。

故にウォルター・カウンタックの仮面とは等価の存在ではなく、例えば彼が人倫と信念を共に尊ぶのと違い、セカンドは倫理に頓着しない。

事実、かつてウォルターが相対したUD-182の疑似蘇生体もまた倫理より信念を選んでいた。

そんなセカンドの中にあるのは、ただただ苛烈な熱量による信念のみ。

求める物を掴む事を諦めない不屈の意志。

己が求める物をはき違えている者達に、真に求める者を見据えさせる信念。

それらがセカンドの中に渦巻く全てであった。

 

 故に、セカンドはスカリエッティを許容する。

スカリエッティは性格的に好みではないが、己の欲望に、信念に忠実な男としてセカンドは評価していた。

無論、自分を生み出してくれたことに恩義がある事も彼を許容する一因でもあるのだろうが。

 

 逆にセカンドは、オリジナル・ウォルターを見下している部分があった。

その精神的な弱さでよく生きて来られた、と呆れ混じりの賞賛も無いでは無いが、それだけ。

自分を偽り、全てを欺き、求める物をどこかはき違えて生きてきた彼を、セカンドは許容できない。

 

 最も、そこには恐らくセカンドの同族嫌悪のような物も含まれているのだろう。

セカンドを生み出したプロジェクトH+Fは、優れたスペックと優れた経験を持った魔導師を簡単に作れるが、代わりに量産はできない。

何故なら、スカリエッティの作った試作セカンド達は全員、同族嫌悪で殺し合いになってしまったのだそうだ。

ウォルターは大きく差異のある精神故に嫌っている程度で済むのだが、完全同一精神の持ち主同士は殺し合わざるを得ないようだった。

改善する余地は、ある可能性はあるのだと言う。

しかしウォルターという強敵さえいなければ、人の魂の輝きを人造するような研究を行いたくないと、スカリエッティは研究を放棄しているようだった。

 

「さて、何にせよ、どうせウォルターの奴が立ち上がってくる事はもう無いだろうな。あとは、スカリエッティへの恩義に報いたら、ウォルターの名を受け継ぎ、信念を貫いてゆくか」

『そのためにも。です。今回の作戦、成功させましょう。です』

「あぁ」

 

 告げ、セカンドは通信用の空間投影ディスプレイに眼を。

各地の戦況に目を遣る。

 

「地上本部へはチンク達が。機動六課には、俺たちとルーテシア、オットー達か。どうみても俺抜きでも優勢だな」

『マスターの手で、ナンバーズは育てましたからね。です』

 

 頷くセカンド。

あまりに機械的で最適行動を尊び過ぎるナンバーズに、セカンドは模擬戦を通じ揺らぎある読みづらい戦闘を憶えさせた。

お陰で対弱者の戦績はやや横ばい気味だったものの、対強者の戦績はうなぎ登りとなったのである。

お陰でトーレに睨まれ、頻繁に模擬戦を挑まれたのも良い思い出だ。

 

「とは言え、オリジナルが六課のフォワード陣に訓練を付けていたのも確かだ。ついでに、流石に一対一では並のエースは兎も角六課隊長陣はきつい物があるだろうから……」

『マスターの出番、という訳。ですね。です』

 

 などと2人が告げているうちに、始まる。

チンクのランブルデトネイターにより、地上本部にて多数の爆発が発生。

続き、ガジェットのAMFにより魔法を阻害、その中でフルスペックを発揮できるナンバーズ達が次々に魔導師達を撃破してゆく。

中にはエース級魔導師も混ざっているが、特殊なISを駆使するナンバーズの前では永くは持たず、次々に墜ちていった。

セイン・ノーヴェと共にチンクがタイプ・ゼロを狙い潜入してゆきつつ、セカンドに向け報告。

 

(セカンド、こちらチンク。地上本部側、接敵開始。戦況優勢、私とセイン・ノーヴェでタイプ・ゼロの確保に動く)

「了解。俺は機動六課側、ただいま移動中だ。そろそろ接敵する辺りだ」

 

 短く通信を切ると、セカンドは視線を仲間へ。

髪をの長短以外は似た物同士の双子の姉妹は、応じて視線をセカンドへ。

 

「お兄様、先陣は僕たちにお任せください」

「お兄様に教わったこの剣の冴え、奴らに見せてやりますとも」

「……毎回言うが、お前らお兄様は止めろよ……いや、聞こえない振りするなっての、分かりやす過ぎるわっ!」

 

 げんなりと告げるセカンドに、2人は不安げな視線をセカンドへ。

 

「その……嫌、だったかな?」

「でしたら、改めます、けど……」

「い、嫌って訳じゃないが、なんか背中がむずがゆくて……な?」

「掻きましょうか?」

「いや、そーゆーんじゃなくてだな……っつーか、俺も後発組だから年は大して変わらないだろうが……って、ほら泣きそうになるなよ……」

 

 などと他愛の無い話をしながら、3人は機動六課上空にたどり着く。

慌てセカンドは通信を開き、ルーテシアに通信。

 

「ルーテシア、こちらはそろそろ仕掛けるが、準備は大丈夫か?」

(……大丈夫)

「ならいい。ま、行くとするか」

 

 告げ、セカンドは視線をオットーとディードへ。

頷き合い、双子の姉妹が先陣を切って機動六課へと襲撃をかける。

レイ・ストームの緑色の光線雨が降り注ぎ、バリアを次々に打ち抜き建物にたたき付けられる。

オットーの攻撃に加え、引き連れたガジェット達の攻撃も加わり、AMFが展開された。

僅かに体が重くなるものの、すぐさまセカンドは魔力を練り直し、ウォルターの開発したAMF下でも魔力の減衰の少ない強化魔法に切り替える。

ウォルターの体質にパーソナライズされたそれはセカンドにとっても最適化されており、十分な効力を発揮していた。

 

「お、ヴォルケンリッターか」

 

 とセカンドが興味深く視線をやると、シャマルとザフィーラの2人が防御に現れてきていた。

共にエースクラスの中でも更に上位に位置する魔導師達である、これは助力が必要かとセカンドはダーインスレイヴに手をやる。

が、即座にディードが対応。

死角からの強襲に対応しきれず、ザフィーラが背中に大きな十文字傷を負う。

 

「――“スペックの違いによる正面からの不意打ち”が有効なら、普通の不意打ちだって有効という事だな。さて、なんかもう俺の出番無いんじゃねーか?」

『そんな気もしますが……いえ、転移魔法察知』

 

 と、ダーインスレイブの声と共に、上空に多数の転移魔方陣が発生。

極光。

遅れ、強大な魔力と共に機動六課の戦闘員達が姿を現す。

 

「……っ、遅かった!?」

「ザフィーラ!?」

 

 悲鳴をあげるなのはとはやてを尻目に、閃光と化したフェイトが追撃をしかけようとするディードの前に割り込んだ。

遅れ、攻撃を仕掛けようとするオットーに地上から襲い来る橙色の弾丸が牽制する。

口をひくつかせ、セカンド。

 

「……まさか、オマケの方の地上本部を切り捨て、フォワード陣までこちらに来るとはな」

「切り捨てた? 何を?」

 

 家族を堕とされた怒りでいきり立つはやての、凍り付くような皮肉の笑み。

セカンドが眉をひそめると同時、通信が開く。

 

(セカンド、こちらチンクっ! 地上本部側、目標の半分までは破壊できたが、陸のエース部隊に補足されたっ! くそ、失敗作のデブの分際でっ!)

(誰がデブだっ!? これは体重を増やして近接戦闘を有利にしようという思想に基づいた……!)

「ち、ハラマの奴が動いたか。地上本部側はもういい、デモンストレーションには十分だろう。引いて構わねぇっ!」

 

 通信先でナンバーズを押さえ込むのは、かつてウォルターと共に戦った”家”の実験体、ハラマ・エスパーダであった。

彼は腐ってもプロジェクトHの被検体に選ばれる程の才能を持っており、かつての黒翼の書事件以降、その才能を開花させつつある。

今やかつてのゼスト・グランガイツに迫る戦闘能力を誇る彼に、同じ部隊との連携を加えればナンバーズでも分が悪い。

舌打ち、セカンドは急ぎ通信を閉じ、縮地を発動。

窮地のディードにたたき込まれようとするフェイトの雷刃を抑え、そのまま蹴りをフェイトの腹にたたき込む。

寸前で間に合った防御魔法の上から吹っ飛ばされるフェイトを尻目に、届く隠匿念話に頬を緩めるセカンド。

 

「オットー、ディード、ルーテシアが目的を果たしたっ! 殿は俺がやる、待避しろっ!」

「でも、お兄様っ!?」

 

 悲鳴を上げるオットーとディードに、野獣の笑みを浮かべ、セカンドは告げた。

 

「大丈夫だ、安心しろ。こいつら全員をここで再起不能にするまではしねーよ、お前らの分も残しとくさ」

「……分かりました、ご武運を」

 

 告げ、踵を返す2体のナンバーズ。

それを見逃すはずもなく、ヴィータが吠えた。

 

「って、そう易々と帰れると思うなよっ!」

 

 鉄球の誘導弾が発射、2人の後方へと迫る。

が、同時白光が発生。

爆発。

魔力煙がまき散らされる。

 

「……俺が居るんだ、そう易々と追撃させると思うなよ?」

 

 引き裂かれたような笑みを見せ、セカンドはダーインスレイヴを構えた。

白銀の威容に超魔力が集結、圧倒的な威圧感を放ち始める。

舌打ち、ヴィータを含めた機動六課の面々がセカンドへの追撃態勢を取った。

 

 ――陸戦魔導師達も、追撃はしないか。

全体を見渡しながら、セカンドは内心一つ頷いた。

機動六課のフォワード陣の多くは陸戦魔導師である、空戦魔導師であるウォルター相手には戦いづらい相手であり、オットー達に追撃を仕掛けるのも一つの手段ではあった。

無論、セカンドはそれを成功させるつもりはなく、そんな真似をすれば瞬殺するつもりではあったので、賢い手段ではあったのだが。

 

 にしても、とセカンドは思う。

セカンドはティルヴィングが人格データを損なうまで、定期的にウォルターの記憶をアップデートしてきた。

機動六課隊長陣とは少なくないつきあいがあり、フォワード陣にも訓練をつけるなど関連性が深い記憶をセカンドは持っている。

その機動六課と相対するというのは、正直妙な気分だった。

だが、その感覚も、戦いの火蓋が切られた時、終わる。

 

「――っ」

 

 吐気。

閃光と化したフェイトが斬撃を仕掛けてくるが、それでもウォルターの最高速度に劣る程度。

余裕を持って対処できるレベルだったが、セカンドは敢えて何もせずにそれを受け入れる。

交差する、幻術。

 

「見抜いたっ!?」

「だけど、これでっ!」

 

 そしてフェイトの幻術によって死角となっていた後ろから、光を押さえられた桜色の誘導弾が姿を現す。

開く花弁のように直前で散会、四方八方から襲い来る誘導弾に、セカンドは慌てずダーインスレイヴを振るい前方の誘導弾を破壊し前進回避。

遅れフェイトの雷速の直射弾が迫るが、隠蔽発動していた直射弾でたたき落とす。

同時に襲い来る蛇腹剣を片手の剣戟で弾き、超速度で迫るフェイトの雷刃を半身に避け手首を掴み、襲い来るヴィータに向かい投げ飛ばした。

 

「わっ」

「きゃっ!?」

 

 悲鳴を上げる2人を尻目に、セカンドが直射弾をはやてに向かい放つも、なのはの砲撃でかき消される。

が、それでなのはのチャージしていた砲撃は消費された。

同時、地上からバネのように渦巻いておいたウイングロードで跳ね上がってくるナカジマ姉妹。

 

「てやぁぁっ!」

「いやぁぁっ!」

 

 咆哮と共に空中へと躍り出る2人に眼を細めるセカンドであったが、冷静に続く直射弾を地上へ。

キャロの召喚魔法を中断させつつ、空中への一撃必殺の突撃を狙っていたエリオを牽制する。

続きフェイトが高速移動魔法ですれ違い様に切りつけるのを、容易く受け流すどころか逆にフェイトの体勢を崩してみせた。

きりもみ回転しながら高度を下げるフェイトを尻目に、襲い来るウイングロードに眼を細めるセカンド。

 

「やはり、ウイングロードは移動妨害のステージ造りに使う、か。集団戦を分かってやがるな」

『ですが、脆い。です』

 

 同時、一発目のカートリッジがたたき込まれる。

 

「断空一閃っ!」

 

 瞬間、世界が悲鳴をあげた。

音速どころか光速に迫る剣戟が、空間を軋ませる威力で回転切りを放つ。

セカンドの移動を妨害していたウイングロードをスバルの物もギンガの物も両方破壊、どころか風圧で2人をはじき飛ばし、地面へとたたき落とす。

 

「うぉおおおぉおぉっ!」

 

 が、まだ終わらない。

追撃を仕掛けようと迫っていたヴィータに向かい残る断空一閃をたたき込み、鉄槌グラーフアイゼンを破壊。

慣性のままに回転、続きグラーフアイゼンの一撃を避けた所を狙っていたシグナムの紫電一閃へと斬撃をたたき込む。

 

「馬鹿なっ!? く、おぉぉお!?」

「おぉおぉっ!」

 

 せめぎ合いは一瞬、打ち勝ったのはセカンドであった。

弾かれ、無防備になったシグナムの腹へとセカンドの蹴りが突き刺さり、地面へと彗星の速度でたたき落とされる。

しかも狙いはキャロ、再び真竜召喚の詠唱をしていた彼女を、エリオが必死で庇うのがセカンドの視界に入る。

流石に終わった断空一閃に、ダーインスレイヴに宿る白光が消えた。

が、それを待っていた、とリィンフォースとユニゾンしたはやての眼が煌めく。

 

「しかし油断したなっ! 皆と距離を離したでっ!」

(ウォルターさんの仇です!)

『デアボリック・エミッション』

 

 遅れ、ウォルターより僅かに離れた位置に黒い球体が発生。

刹那の収縮の後、圧倒的膨張を見せようとした、その瞬間である。

 

「――遅い」

『断空一閃。です』

 

 なんと高速リロードによる二撃目の魔力付与斬撃が発動。

デアボリック・エミッションの刹那の発生準備状態を、真っ二つに切り割った。

 

「なっ……」

「くっ!? でも、これならっ!」

 

 が、そこになのはのチャージが完了。

桜色の光球が光度を増し、カートリッジを山のように使った一撃が放たれる。

 

「ディバイン……っ」

『バスター』

 

 桜色の洪水。

かつてはウォルターの砲撃魔法と互角以上であった、超威力の砲撃魔法が、広域殲滅魔法を切り裂いた直後のセカンドへと迫る。

しかしセカンドは眼を細めるだけに止め、集中を増しながら告げた。

 

「斬塊無塵」

『防性型。です』

 

 同時、セカンドはその超筋力で切り返しを放つ。

砲撃魔法は単調な魔力波で、斬塊無塵の難易度は最低に近く、矢張り成功。

魔力付与斬撃ですらない通常斬撃は、桜色の洪水をいともたやすくかき分けるように切り裂いてみせた。

なのはが目を見開くと同時、セカンドはそのまま砲撃を切り裂きつつなのはに向かって直進。

なのはのディバインバスターの切り裂いた残りを防御膜として利用しつつ、なのはの目前にたどり着く。

 

「悪いが……、一人ぐらいは決戦まで起き上がれなくなってもらう事にするかね」

『断空一閃。です』

 

 凍り付くような声色で、告げるセカンド。

遅れダーインスレイヴが白光を纏い、振り上げられた剣先が、僅かに揺れて。

 

「ぁ……」

 

 ――振り下ろされる。

 

 

 

4.

 

 

 

 走馬燈。

なのはの脳裏に、今までの人生の光景が映し出される。

 

 父士郎が大怪我をして、家族がなのはに構う余裕を無くした幼少時代。

それを経て成長しすずかやアリサと友達になる。

そして9歳の時、魔法と出会い、フェイトと出会い、ウォルターと出会った。

フェイトに手を差し伸べる為、ウォルターの言葉を胸に秘め、全力全開で戦ったあのとき。

続け冬、ヴォルケンリッター達との戦い。

ウォルターの圧倒的強さと決意、そしてそれを引き継がせてもらえた戦慄と高揚。

救えなかったリィンフォース・アインの命。

 

 そして管理局に入り、成長し、墜ちた。

全てに絶望したなのはに、夢を、生きる希望を、全てがまだあった事に気付かせてくれたウォルター。

そして、初恋。

教導隊を目指すのと平行して、ウォルターに対する恋心を持てあましながら、それでもアタックを続けてきて。

 

 そして機動六課が出来た。

憧れのウォルターと同じ職場。

教導メニューを共に練ったり、フェイトやはやてに嫉妬したり、意外な伏兵スバルに度肝を抜かれたり。

楽しくて、やりがいがあって、心から安らげる家族のような部隊で戦って。

ヴィヴィオ、娘のように愛おしい子と出会えて。

ウォルターと3人並べば、親子のような光景ができて。

 

 ウォルターが墜ちた。

 

 信じられなかった。

なのはの中ではウォルターは次元世界最強の肉体と精神を併せ持つ男だったのだ。

それが負けるなど、例え相手がスペックで上であったとしても信じられない。

加え、起き上がれないのは精神的な傷が理由と言う。

何がなんだか分からなくて。

ただ、それでも何かをしてあげたいという心だけがあって。

 

 墜ちられない。

けれど目前に迫る白銀の刃は、凝縮した時間の中、ゆっくりとなのはへと近づいてきて。

動けないなのはに、それをどうこうする事はできなくて。

だから。

自分ではどうしようも無い時、力を尽くして気力を尽くして、それでもどうしようもなくて、届かなくて涙が零れる時。

なのはには、つい呼んでしまう名前があった。

その人が今誰よりも辛い状態にあると知っても尚、呼んでしまう名前があった。

 

「ウォルター、君……!」

 

 言ってから、後悔の念がなのはの胸に渦巻き。

かくして、答えの言葉があった。

 

「応、待たせたな」

 

 白金の閃光。

なのはが思わず目を閉じると、豪快な金属音と共に、セカンドが吹き飛ばされるのが感覚で分かる。

うっすらと、目を開ける。

はためく黒衣に黄金の巨剣、短めの黒髪が風に僅かに揺れる巨体の男。

なのはの呼んだひと。

ウォルター・カウンタックがそこに――。

 

「うぉる、たーくん?」

 

 と。

そこまで思ってから、なのはが疑問詞を吐き出した。

目前の男は、確かに見た目はウォルター・カウンタックそのものであるし、セカンドの攻撃を正面から打ち払った強さもまたそう。

けれど。

しかし。

目前の男には、熱量が無かった。

ただ居るだけで心が高揚し、全身を炎の血潮が巡るような、あの独特の威圧感が無かった。

代わりにあるのは、凍てついた絶対零度の硬質感だけ。

なにが、となのはが口を開くよりも早く、セカンドが叫ぶ。

 

「馬鹿なっ!? オリジナル、何故お前がそこに居るっ!? 今度こそ、お前は立ち直れない筈じゃあっ!?」

「…………」

「……この、感覚! なんでここまでの同質性がっ!?」

 

 叫ぶセカンドの横に、突如空間投影ディスプレイが現れた。

写るは紫髪に金目の男、機動六課の宿敵。

 

「スカリエッティ!?」

 

 叫ぶなのはらを無視、スカリエッティは信じられない物を見る目でウォルターの事を睨み付けていた。

 

(馬鹿なっ! 確かに使い魔への信頼を失った直後に仕掛けるのは情報収集のタイミングからして不可能だった。だが、間が空いたからといって、それだけであの絶望から抜け出す程のタフネスを得られたというのか!?)

「…………」

(答えてくれ! 君は、あの半ば発狂した壊れた心で、立ち直る事が出来たと言うのか!? 一体、どうやって!?)

 

 叫ぶスカリエッティは血走った目を見開き、唾を吐き散らし、鬼気迫る様子であった。

普段余裕ぶっているイメージにそぐわない彼に、そしてその言葉の内容に目を見開く六課の面々を尻目に、ウォルターは静かに答えた。

 

「いや、確かに俺の精神は、壊れた。もう二度と、少なくとも戦えはしないレベルではあっただろう」

(…………)

「だが。心が壊れたなら。……心を、取り替えればいい」

 

 え、となのはは呟いた。

呆然とした声が、六課の面々から次々に漏れた。

 

(どういう、事だね……?)

「……スカリエッティ、お前の言った台詞だ。”君の記憶をベースに、要らない部分の記憶を削除するだけで、そこまで手間をかけずにセカンドの人造英雄人格は完成できたよ”」

(記憶操作による、自己記憶改変……!? だが、独力で? いや、それは使い魔が居るが、そもそも、君にそんなノウハウが……いや!?)

「リニスを使い魔として造ったのは。そして、途中からとは言え、俺に魔法学を教えたのは。誰だった……?」

 

 嘲りながら告げるウォルターに、悔しそうな様相で告げるスカリエッティ。

 

(プレシア・テスタロッサ……! プロジェクトF、記憶操作クローンの第一人者……!)

「そういう事だ」

 

 何を、言っているのだろうか。

真っ白になったなのはの脳裏に、ただただウォルター達のやりとりだけが刻まれて行く。

精神崩壊。

記憶操作による自己記憶改変。

プレシア・テスタロッサ。

意味が、分からない。

ぐるぐると単語だけが脳裏を回るなのはを尻目に、話は続いて行く。

 

(くくっ、素晴らしい狂い方だ! 予想を超えて、まさか君も真の英雄に、プロジェクトHの異例の成功作となったとは!)

「褒めてもらえて嬉しいね。ついでにそこに脂汗かいてるセカンドも、逃してやろう。この場で仕留めるには足手纏いが多すぎるしな」

「ぐっ……!」

 

 確かに、この場でセカンドを倒すのにはリスクが大きすぎた。

ウォルターが復活した今倒せない相手ではないが、その場合の被害が大きすぎて手を出しづらくてしょうがない相手だ。

そんな実利ばかり計算できるなのはの脳みそだったが、逆にウォルターの精神に関する思考は空回りを続け動こうとしない。

 

「ち、狂ってやがるな、オリジナル。だが、お前はいずれ俺が倒す。倒して、その名は俺が奪い取る。いいなっ!」

「お前如きにできるのなら、何時でも歓迎だ」

 

 舌打ち、セカンドは空を飛びこの場から去って行く。

誰も、セカンドを追撃する精神的余裕は無かった。

ただただ、現状に対する疑問が大きすぎて、思考が空回りし続けるだけ。

動く事もままならず、ただただ真っ白な頭の中に混乱しながら呼吸を続けるなのは達。

そんな全員に、ウォルターは静かに振り向く。

 

 その目はまるで、魂の籠もらぬ硝子玉のようで。

凍てついた狂気をだけ感じさせる、絶対零度の地獄の如き瞳であった。

 

 

 

 

 




やっと2章でプレシアが助かった伏線出せましたよ……。
次回、ようやく仮面バレ回。


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7章8話

 

 

 

1.

 

 

 

 機動六課の全員が集まった部屋の中。

リニスが卓上に置いた簡易デバイスから、映像光が放たれる。

プロジェクターに写った映像は、ティルヴィングが最後に転送してきたウォルター・ログを、リニスが編集し数時間で見終えられるようにした物だ。

口外無用と念を押した上で、なのは達のプライベートにも踏み込むと念を押し、上映をしているのだ。

フォワード陣だけでなく六課全員が集まっているのは、少しでも既に亡いウォルターの事を想って欲しい、ただ知っていて欲しいと言うリニスたっての願いである。

否が応でも陰鬱さに包まれる心の中、リニスは死んだ目でじっと映し出される映像を見つめている。

 

 初めは、ウォルターの記憶に沿ってUD-182の存在を編集追加した”家”から脱出する序章。

さわりだけ知っていたフェイトを始め、皆が涙ぐみながらも、UD-265が己の名を受け継いだ時を見る。

 

 続いて、ムラマサ事件。

まだまだ弱気だったウォルターに、違和感を感じつつも、六課の面々は感情移入してゆく。

母クイントとウォルターとの邂逅に、何とも言えない表情をするナカジマ姉妹を始め、皆がウォルターに同調しながら映像は進んでいった。

そして、店主の死。

ティグラによる店主の殺人が、ウォルターの言葉が引き金だった事実。

凍り付く室内を尻目に、悲壮な決意を固めるウォルターに、胸が熱くなりつつも、切なさに皆ウォルターの事を真っ直ぐには見られなかった。

 

 そしてPT事件。

ウォルターが仮面を被ったままで居た事に、展開から薄々気づきながらもショックを受けるなのはとフェイト。

それを尻目に、ウォルターがなのはに敗北感を憶え、続いてプレシアを救わねばと決意を固めて行く。

時の庭園での戦いに皆固唾をのみ、ウォルターが致命傷を負って焼け死にかけた時には悲鳴があがる。

それでも、仮面を被っている事が知れても尚、彼には他者の心を熱くさせる才能があった。

狂戦士の鎧を纏って戦いに向かう彼に、皆が思わず感涙をすら漏らすのであった。

 

 そして闇の書事件。

リニスとの関係に悩んでいたウォルターに、それに殆ど気づけなかったなのはとフェイトがショックを受ける。

同時、やはりと思いながらも、はやてが会った際のウォルターが仮面を被っていた事に顔をしかめた。

クイントとの、仄かな恋心を暗示させる関係。

そして決戦、ウォルターは言葉通り全身全霊を賭して最強状態の闇の書を打ち破り、代償としてリニスに全てをさらけ出してしまう。

そのウォルターのバトンを継ぎ、はやてを救うなのはとフェイト。

そしてウォルターとリニスの和解、リィンフォースへの謝罪。

はやてとの約束を最後に終えるこの物語は、皆の心に壮大な何かを垣間見させた。

これからウォルターが真の英雄となってゆくのかと、皆の心に期待が孕まれる。

暗い表情になるナカジマ姉妹を除いて。

 

 そして、戦闘機人事件。

墜ちたなのはとの交流、ウォルターがクイントに抱く恋心。

ウォルターに恋する面々が複雑そうな表情で見る中、ウォルターはミッドチルダを去ろうとした瞬間、その直感によりクイントを救いに行く。

しかし間に合わず、クイントはウォルターに呪いを残し逝った。

改めて絶句する六課の面々を尻目に、ウォルターはなのはの初恋に気付きながら止めさせようとする事を、そして幸せを全て捨てる決意をする。

なのはは、今までのウォルターとの関係が全く違う意味を持っていた事に気付き、顔色を青くした。

ここに至り、六課の面々は薄々気づいていた。

これは英雄嘆ではなく、絶望へと墜ちて行く独りの少年の物語だったのだと。

 

 再生の雫事件。

フェイトは即座にUD-182との決着が自分の認識とは全く違う意味を持っていた事に気付き、顔色を悪くした。

それを尻目に、ウォルターはUD-182の疑似蘇生体と剣を交える。

UD-182を斬り殺してでも、己の信念を貫き通すと、自分の信念に全てを賭すウォルター。

UD-182を、必死の形相で、普段とは比べものにならない弱さで、それでも斬り殺す姿は、切なく、胸を引き裂くような光景であった。

それでもウォルターはアクセラを倒し、仮面の裏に絶望の色を濃くしつつも、必死で歩いて行く。

 

 黒翼の書事件。

最近名を挙げてきた陸戦エースのハラマと共に、自分たちの真実を探す物語。

ハラマに妄想の過去を押しつけたウォルターに、苦い物を感じる面々。

しかしその後、ウォルターは最悪と言っても事足りぬ事実を知る。

全てを賭した信念はその根幹から間違っており、ただの妄想、陵辱に濡れた最悪の過去。

それでも、自分の中から漏れ出た物だからと、辛うじて足を踏み止めるウォルター。

虚ろな心で黒翼の書に心臓を貫かれ、それでも生死の境でティルヴィングの言葉により復活し、ウォルターは勝利を収める。

悲壮にも過ぎる戦いに、六課の面々からは既に小さく嗚咽が漏れ出していた。

 

 そして、レリックを追う今の事件。

心折れ、仮面を外せば立ち上がる事すらままならなくなっていたウォルター。

疑心暗鬼と妄想不安に発狂しそうになっていた彼を、リニスの裏切りが襲う。

そしてヴィヴィオに僅かながら心を癒やされた後、セカンドとスカリエッティによる真実の暴露。

全ては妄想ですら無かった。

目前に完璧なUD-182が存在する。

相棒は裏切り者で、目の前で自殺した。

 

「……ここで、ティルヴィングからの映像は途切れました。この後は、目測になりますが、ウォルターはセカンドに敗れ、墜ちました。ここまでがまず、先の精神的な傷によって起き上がれなかった時の話です」

 

 最早室内は、凍り付いたような沈黙に満ちていた。

人が一人発狂するのに余りある狂気と絶望に満ちた道を、それでも他者の心を燃えさからせながら戦ってきたウォルター。

彼の凄絶を極める人生に、声も無かったのである。

そんな面々を尻目に、続けリニス。

 

「そして、先日ウォルターは意識を取り戻しました。……そこからは、スカリエッティの暴いた通り。私は、裏切りの罪悪感からウォルターに逆らえず……、ウォルターの記憶改変によって、あの子の人格を改変しました」

 

 吐く息と共に涙が零れるのを感じつつ、リニスは唇を噛みしめた。

唇から血が滲むのを感じつつ、続ける。

 

「恐らく今の新ウォルターは、セカンドより強いでしょう。恐ろしい事に、今までのウォルターは正常な精神状態ではないが故に、あれで使い切れていない魔力がありました。身体能力はセカンドの方が上のようですが、恐らく魔力ではウォルターの方が上。技術も今の精神状態なら、恐らくはウォルターの方が……」

「それが……どうしたんや……」

 

 乾いたはやての声に、リニスは笑みを浮かべた。

今にも崩れ落ちそうな、儚い笑みだった。

 

「セカンドと違い、ウォルターは人倫を尊ぶ、かつて被っていた仮面の通りの人格です。未だ安定していないが故に先日は撤退させる事を選びましたが、安定すれば必ずセカンドに勝ち、そして……、きっと……、きっと……」

 

 人倫を尊ぶ存在がセカンドに勝ったからと言って、どうなるのだろうか。

リニスの主であるウォルターは、もう帰ってはこないのだ。

大好きな主、リニスに生きる希望を与え、全ての絶望を覆して見せた少年は、もう二度と。

 

「う、うううっ……」

 

 それでもリニスは、自分がウォルターから離れられないだろうと自覚していた。

結局の所、かつてのウォルターの残り香を持つのは、新ウォルターを置いて他に居はしない。

唯一セカンドがその範疇に入る事には入るが、ウォルターを絶望に追いやった相手など死んでも御免だ。

つまり、リニスは変わってしまった、半ば死体と化したウォルターと、共に生き続ける事になるのだ。

 

「ひぐ、うぁぁ……!」

 

 嫌だった。

苦しかった、悲しかった。

何より、許せなかった。

本当に辛かった筈のウォルターを救えなかったのはリニスなのに、そのリニスがウォルターを差し置いて悲しんでいる事が許せなかった。

憎悪と、それでも抑えきれない悲しみにリニスは悲嘆に暮れる。

そんなリニスの前に、影が落ちた。

誰の顔も直視できないリニスがビクリと震えると、なのはが告げる。

 

「リニスさん。今、”未だ安定していないが故に先日は撤退を選びました”って言ったよね?」

「……はい? そう、ですが」

「じゃあ。安定を無くしたら、今のウォルター君の心はどうなるの? 壊れるの? それとも……元に、戻れるの?」

 

 周囲がざわつくのを、リニスは感じた。

呼吸。

肺の奥まで酸素が染みこむような感覚。

血潮の隅々まで万力を籠めて、ようやくリニスはなのはと視線を合わせる事に成功する。

くじけそうな目で、それでも、真っ直ぐになのはを見ながら告げた。

 

「……ウォルターの記憶改変は、現在魔力を用いて固定しています。大量の、それこそ昏倒する程の量の魔力ダメージを負えば、元の人格に戻るのは間違いないでしょう。……その状態も、あと一週間も持たないでしょうが」

「つまり。今全力全開で倒せば。ウォルター君の記憶は、人格は、元に戻るんだよね?」

 

 煌めくなのはの瞳には。

何処か、あのウォルターの瞳にあった物に似た炎が垣間見えた。

 

 

 

2.

 

 

 

「まず、どうやって? 現状、ウォルターは人格固定中のため、魔力ダメージに弱く、タフネスで劣るでしょう。しかしそれ以外の点では、あのセカンドを越える戦闘能力を持っているんですよ? それを、誰が、どうやって倒すんですか?」

 

 悲痛な、今にもねじ切れそうな声を漏らしながら、リニスはその両目から涙を零した。

なのははそれをじっと見つめ、僅かにその内心を慮る。

なのはには想像も付かないだろう絶望の中に居るだろうリニスに、それでもなのはは、ハッキリと答えて見せた。

 

「私たち機動六課の皆でなら――」

 

 本当は自信なんて無い。

あのセカンドを相手になのは達は手も足も出なかったのだ、それ以上の人格改変ウォルターにどう勝てようか。

けれど。

だけれども、虚勢を胸に、震えを胸の奥に隠し。

告げる。

 

「できる。必ず、勝ってみせる」

 

 何故か、リニスは目を見開いた。

まるで懐かしい物を見るかのような目を一瞬し、それからすぐにあの絶望に濡れた目に戻る。

あまりの速度に、錯覚かとなのはが目を瞬くのを尻目に、リニス。

 

「勝って、ウォルターの人格を元に戻してどうするんですか? また発狂寸前の、このまま壊れていくしかないウォルターに戻して。それで、何をどうするんです? ウォルターを発狂死させるおつもりですか?」

 

 事実ではあった。

そもそも、ウォルターは狂気に墜ちたからこそ自分で自分の人格を改変したのだ。

なのはたちが元に戻す事に成功したとして、それがなんだと言うのだろう。

結局ウォルターはどうにかして再度人格改変を行うか、今度こそリニスの言うように発狂死してしまう可能性が高い。

故に、なのはの言う台詞は一つだ。

 

「そのつもりは、無いよ」

「じゃあ、どうするおつもりで?」

 

 苛立ちから何処か攻撃的になりつつあるリニスの言葉に、なのはは深呼吸してみせた。

刹那瞼を閉じ、思いをはせる。

あのウォルターの瞳に宿る、精神の炎。

全身が沸き立つような、圧倒的熱量に血沸くあの感覚。

目を、見開く。

 

「お話をする」

 

 それしか、なのはの中に答えは出なかった。

何故なら。

 

「ウォルター君は、ずっと私たちに本音を隠してきて、ずっと心の底から思った言葉をぶつけ合うのを避けてきた。でも、ウォルター君の言葉だけど、”言葉にしなければ……、伝えようとしなければ、何も伝わらない”」

 

 なのはがかつてフェイトに話をしようとしたように。

なのはがかつて、ヴォルケンリッターに話をしようとしたように。

かつての幼いなのはが、寂しさを押し殺しても誰にも伝わらなかったように。

 

「仮面の裏の、本当のウォルター君。彼が、どれぐらい私の知るウォルター君と違うのかは、分からない。でもね、実は私、ウォルター君に偶にだけど、違和感のような物を感じる事はあったんだ。少しだけだけど、本当のウォルター君に気付きかけた時もあったんだ」

 

 その時気付ければ、と言う思いがなのはの中には淀んだ感情として溜まっていた。

例えばなのはがウォルターの本心に気付く事が出来ていれば、そしてそれを受け入れる事ができていれば、何かが違っていたのかもしれない。

そう思うと、その事実は悔恨の極みであった。

それでも、悔しさを振り払い、前を見てなのはは告げる。

 

「ウォルター君は確かに仮面を被っていたけれど。心の中に本音を閉じ込めて、ウォルター君に限ってそんな事なんて有るはずが無いって思い込んで。私も、ウォルター君とお話をしてこれなかった。嫌われたくないって気持ちでいっぱいで、お話を避けてきちゃっていた」

 

 恋心を自覚した直後のなのはは、まだウォルターに真っ直ぐにぶつかっていた。

けれどそれからの年月が、なのはの心に小さな臆病さを植え付けていたのだ。

ウォルターが弱い訳が無い。

ウォルターが臆病な訳が無い。

そんなある筈の無い事実を告げて、ウォルターに嫌われたくない。

無論、ウォルターの超絶技巧と冠するに相応しい演技力に起因する部分が大きくはあるが。

なのはたちに問題が無かったなどと、言える筈がないのだ。

 

「このまま。このまま、すれ違い続けたまま、ずっと隣に居ても一言も話をせず、そのまま離れて行くなんて。もう二度と会えないなんて、嫌だ」

「…………」

「そして、ウォルター君が私と、私たちとお話して、どうなるかは分からない。でも、変わるよ。少なくとも何かは変わるよ」

「……何故、そう言い切れるのですか?」

 

 弱々しく告げるリニスに、なのはは、できる限り彼女を安心させるよう、満面の笑みを浮かべて。

 

「だって、私は、私たちは、ウォルター君の心の炎を継いでいるから」

 

 演技なのか、本心なのか、それすらもよく分からなくなってしまったけれど。

それでも心の炎のあの熱量だけは、確かになのはの胸の奥底に息づいている。

 

「ウォルター君が、その胸の炎を使ってあれだけ沢山の人の心を動かしてきたんだもん。その炎を少しだけだけど、私は貰っている。私一人じゃあ足りないかもしれないけれど、ここには皆が居る。皆で集めた心の炎なら、きっと。ううん、必ずウォルター君の心を動かす事ができる」

 

 それが、どんな結果に結びつくかは分からない。

何せなのはは、仮面の裏のウォルターと向き合って会話した事は、今まで一度も無いのだ。

仮面から覗くウォルターから垣間見える未来はあまりに薄暗く不明瞭で、結果的にウォルターがどんな道を選ぶかは分からない。

けれど。

少なくとも、その道は狂気しか残らない袋小路では無いのだ。

 

「……みんな、私と一緒に、ウォルター君と戦ってくれるかな?」

 

 振り返り、機動六課の面々を見据えるなのは。

全員が、迷い無く頷く。

多かれ少なかれ、皆がウォルターの心から分けて貰った、その心の炎と瞳に宿して。

故に、なのははそのまま視線を僅かにあげ、いつの間にか部屋の入り口に居る男へと視線をやり。

 

「……だから。ウォルター君、お話ししよう」

 

 ウォルターに、告げた。

炎など見えはしない、絶対零度の瞳をした男に告げた。

 

 

 

3.

 

 

 

 いつの間に、というざわめきを無視し、冷徹な目でウォルター。

 

「意味が分からねぇな」

 

 肩をすくめるウォルターの、そのあまりにも凍てついた言葉に、なのはは僅かに身震いした。

しかし道理でもある。

ウォルターの改変後の人格にとっては、己の消滅の可能性を意味する戦いなど、何の価値も無いものだ。

素直に乗ってくる筈も無いと、なのはにも分かっていた。

 

「大体、お前らスカリエッティはどうでもいいのか? ヴィヴィオはあいつに攫われた。しかも、あいつは管理局の体制を崩そうと、セカンドと一緒に何かしでかそうとしている事に間違いないんだぞ?」

「……分かってる、よ」

 

 加えてこちらも、事実である。

ヴィヴィオの事を想うと胸が張り裂けそうになるし、そも、スカリエッティの行為を許すつもりも毛頭無い。

なのにウォルターの事にかまけてばかりでいいのかと言えば、そんな訳は無いだろう。

 

 けれど。

だから言って、ウォルターの事を放っておいていい訳が、ある筈が無いのだから。

 

「だから、両方皆でケリを付ける」

 

 なのははそう言い切った。

僅かに目を見開くウォルターに、なのはは続ける。

 

「ウォルター君の方がタイムリミットが近い上、相手が見つかっているからね。ウォルター君から先に人格を戻してお話して、それから一緒にスカリエッティの野望を阻止してヴィヴィオを助ける」

 

 微塵の震えも無く言い切れた自身に、なのはは内心僅かな安堵を覚えた。

これほどまでに迷い無く言い切れた自分に、心の奥から勇気が燃え上がってくるのを感じる。

今のウォルターの凍土のような気配に一歩も引かずに、なのはは続けた。

 

「私たちはそんな事あるはずが無いと思っているけど、仮に私たちが負けたとしたら、ウォルター君の事はタイムリミット。一端諦めて、スカリエッティの野望阻止とヴィヴィオの救出に全力を注ぐよ」

 

 口では無いと確信していると言って居るも、無論それは虚勢。

ウォルターのタイムリミットは一週間とリニスから聞いた以上、この約束をするのならば最早ウォルターを救える戦いは一度きり。

後の無い、引けない戦いなのだ。

プレッシャーに握りしめた手が汗ばむのを隠しつつ、続けるなのは。

 

「これなら、ウォルター君にもメリットはあるよ。……君にとっては必勝の筈の戦いに勝つだけで、記憶改変での周りの軋轢とか騒動を、少なくとも表向きは鎮静化させられる。……はやてちゃん、勝手に決めちゃったけど、いいかな?」

「やれやれ、なのはちゃんには敵わへんなぁ。ええよ。リミッターも全部解除で場所も時間も何とか作る。責任は私が全部取るわ」

「ありがと、はやてちゃん。……どう? ウォルター君」

 

 何時も迷惑をかけてばかりの親友に心からの感謝を告げ、なのはは視線をウォルターへ。

絶対零度の視線に真っ向から対抗しつつ、目の感情の色が読めない彼に、冷や汗をかいた。

緊張に唾をのみつつ、それでもなのはは必死に真っ直ぐにウォルターに立ち向かい、視線をぶつけ続ける。

 

「……いいだろう」

 

 やがて、ウォルターはそう告げて踵を返した。

瞬間、消えたプレッシャーと安堵に崩れ落ちそうになるなのはを、慌て近くに居たフェイトが支える。

それに背を向けたまま、続けウォルター。

 

「ついでだから、俺のスタンスを表明しとくか。俺はかつてのウォルター・カウンタックの仮面そのものであって、UD-182ではない。人の命と魂の輝きの為にだけ戦い続けるつもりだ」

 

 大方、リニスの告げた通りの内容である。

要するに今までのウォルターの仮面だけと同じ活動をするという事だ。

恐らくはリニスの告げた通り、次元世界という広い目で見ればウォルターという一個人の魂が消えるだけで、何も変わらず多くの人は助けられていくのだろう。

 

「……スカリエッティの野望は信念と輝きに満ちてはいるが、それは他者の命を吸い取って初めて生まれる輝きだ。俺はそれを許すつもりはねぇ。気に食わないでな。……いつだか、それをただの喧嘩だ、と言った日もあったかね。そんなもんだ」

 

 肩をすくめ、ウォルター。

先ほど流れていたウォルターログにもあった内容なのに、どうしてだろうか、聞こえる声がもたらす温度は真逆であった。

背筋に液体窒素を流し込まれたかのような感覚に、なのはらは身震いする。

 

「……じゃあ、後で戦いの日が決まったら教えてくれ。負ける気は欠片もねぇ、ってだけ言っとくぜ」

 

 告げ、ウォルターは扉を開け部屋から出て行った。

途端、あまりにも巨大だった存在感の急激な消失に、部屋に居た全員が脱力する。

記憶改変後のウォルターは、まるで抜き身の刃であった。

常に凍り付くような威圧感を持ち、圧倒的という言葉が似合う男である。

汗を拭いつつ、なのはは辺りを見回した。

先ほどまでウォルターに勝つと息巻いていた皆は、あまりにも凄味のあるウォルターに疲弊して見える。

 

「勝てる、んでしょうか。本当に、あのウォルターさんに……」

 

 ぽつり、と漏らしたのは、彼に憧れていたティアナであった。

皆が同様に思っていた弱音であるが故に、波紋のようにその言葉は伝わって行く。

俯く者も多くなる面々を尻目に、告げたのはフェイトだった。

 

「分からない。私たちの強さがウォルターに届いているかなんて、分からない。そこまで自分たちを信じられはしないよ。……けれど」

 

 皆の視線がフェイトに集まる。

その瞳には、やはりかつてウォルターの瞳にあった物と同質の炎が燃えさかっていて。

 

「私たちが、前のウォルターから貰った心の炎なら、信じられる気がしない?」

 

 波打つように、その言葉は皆の胸を打った。

機動六課の面々の顔色から、青い物が薄れる。

 

「ウォルターは、どんなに辛くても苦しくても、そして相手がどれだけ自分より強くても、今まで必死で戦って、勝ってきた。私たちが胸の奥に貰ってきた炎は、そのウォルターの心の炎なんだよ? なら、それを皆で集めれば……、今の変わっちゃったウォルターに勝つ事だって、できる」

 

 告げ、フェイトは掌を天にかざした。

万力を籠めながらゆっくりと視線の高さまで下ろし、同時にゆっくりと握り拳を作り。

掴む。

ウォルターがよくやっていたのと、同じ仕草で。

 

「ううん、必ず勝つ。できる、私たちなら。ウォルターと一緒の時間を過ごしてきた、私たちならっ!」

 

 本人とは比べるまでも無い、小さい炎ではあるが。

確かにフェイトの瞳には、あのウォルターが浮かべていた、心の芯を熱くする、あの炎が宿っていた。

身震いするような嬉しさと誇らしさに、なのはが目を潤ませるのを尻目に、続けはやて。

 

「やれやれ、言いたい事はなのはちゃんとフェイトちゃんに大体言われてしもうたけど、一応言っとくで。なぁ、こん中に居る人、皆がウォルター君と仲良いとは言わんやろう。接点が少ない人だって居るやろうし、そりが合わない人だって居るやろう。いくら、同じ機動六課の仲間やいうてもな」

 

 言われ、なのはは目を瞬く。

恋は盲目というか、ウォルターがあまりにも多くの人に受け入れられているからか。

なのはは、ウォルターに反感を抱く人が六課の中に居るなどとは思っていなかったのである。

確かに先ほど、ウォルターと一緒に戦う事を意思確認した時は皆頷いてはくれたが。

気恥ずかしさに頬を赤くするなのはを尻目に、勇ましい笑顔ではやて。

 

「そんな皆は、ウォルター君の為やなくてもいい。ウォルター君とお話したい私たちの為に、力を貸してくれんか。この場に居た、ウォルター君の過去を観た皆の力が必要なんや。私は。私たちは、ウォルター君を、どうしてもこのまま放ってはおけんのや。……頼むっ!」

 

 勢いよく頭を下げるはやてに、皆が慌て見回し、すぐに視線を交わし、全員が頷いた。

ウォルターに近しい面々を除いた代表として、はやての副官であるグリフィスが一歩前に出る。

気配にそっと頭を上げるはやての顔には僅かながら不安がにじみ出ており、グリフィスは柔らかな笑みを浮かべながら、優しく告げた。

 

「やれやれ、スカリエッティとの決戦の前哨戦としては、随分豪華な相手のようですけどね」

「それじゃ……!」

「えぇ。機動六課全員、ウォルター・カウンタックとの戦い、参加させてもらいますよ」

 

 私なんかは場所と時間作りの交渉がメインでしょうが、と肩をすくめながら付け加えるグリフィス。

それに目を潤ませながら、はやてを筆頭に隊長陣、フォワード陣の面々が頷く。

なのはもまた、胸の奥に目前の光景を焼き付けるようにしながら、思うのだった。

 

 ――ウォルター君、貴方とお話をするために、こんなにも多くの人が力を貸してくれるんだ。

貴方にも、この光景を見せたかったよ。

ううん、違う。

もう一度、貴方と一緒にこんな光景を見られるように……、勝ってみせる!

 

 そう内心で吠え。

なのはは、胸の奥の炎で、血潮を熱くさせ、手を握りしめる。

ウォルターを前に冷や汗が滲んでいた手は、今度は内心の熱量で滲み出た汗に濡れていた。

 

 

 

4.

 

 

 

 シグナムは、口に出さず胸中を燃やしていた。

元より、シグナムはウォルターに大恩ある身である。

闇の書事件の時はもとより、黒翼の書事件の時もはやての心を救ってもらうなど、彼にある恩の量は数え切れない程だ。

故にシグナムは、ウォルターが斬塊無塵を完成させる為に協力してくれ、と頭を下げてきた時、一も二も無く承諾した。

 

 そして剣を、幾度も交えた。

ウォルターの剣は、そもそもが必殺の威力を持っており、一合一合が魂を削るような緊張感ある瞬間だった。

多くの戦場を渡り歩いたシグナムでさえ希にしか感じない、恐るべき緊張感ある剣戟。

それはシグナムにとって主と家族を除けば最も欲する物であり、心動く物であった。

 

 一撃一撃に、全人生を籠めた。

幾千幾万の戦いの経験を。

剣を振ってきた気が遠くなるような時間にたたき上げられた、誇りを。

はやてを主と仰ぎ、戦場以外の空気を知ったが故の柔らかな剣を。

シグナムは全てを賭し、そしてウォルターもまた全てを賭していたのだろう、と感じていた。

剣を通してしか理解出来ない部分を、2人で共有しきれている、と信じていた。

 

 違った。

今思えば、ウォルターの剣はその強さに隠れ、仄暗い何かを孕んでいたのだ。

それにウォルターログを見てから気付くというのでは、剣を交わして内心を一つも理解できていなかったと言うのと何が違うのか。

悔恨にシグナムは、できるのなら己を殴りつけたい程であった。

ただでさえそうなのに、加えウォルターははやての思い人である、一層気をつけねばならなかったと言うのに。

 

 だから、なのはがウォルターともう一度話す方法を見つけ出した事に、シグナムは視界が晴れるかのような感覚をさえ抱いた。

同時、胸の奥に炎が沸き立つのを感じたのである。

ウォルターを救うとまではいかなくとも、手を貸す事ができる。

加え、その方法がシグナムが何より得意とする戦いである。

2つの条件が揃った事で、シグナムはこれまでに無い己の血潮の熱さを感じ取っていた。

プログラム体である筈なのに、それでもここまで熱くなれる自身に、最初は僅かな戸惑いがあったが、すぐにそれは誇りへと変わり視線は前に向いている。

 

 ――2日後。

不眠不休で走り回った、隊長陣・フォワード陣を除いた機動六課の面々のお陰で、恐るべき事に超速度で対ウォルターの戦場は作られていた。

シグナムは子細を知らないが、対ウォルターのシミュレートに全霊を賭していたはやてが涙して感謝していた程である、相当な内容だったのだろう。

心からの感謝を抱きつつ、シグナムを含め、機動六課の隊長陣とフォワード陣はウォルターと相対していた。

幸いなことに被害の殆ど無かった機動六課の演習場、廃棄区画をシミュレートした部隊である。

面々を尻目に、気怠そうにウォルターが告げた。

 

「……一応、俺が必ず勝つから無駄だと言っておくが。引く気は無いんだな?」

「とうっぜん!」

 

 なのはが握り拳と共に告げるのに、ウォルターは溜息を一つ。

開始前に大きく距離を取り、特にフォワード陣とギンガは地上戦メインのため姿を隠した位置取りをしている。

 

 戦いに挑むのは、総勢13名。

なのは、フェイト、はやて、リィンフォース・ツヴァイ、シグナム、ヴィータ、ザフィーラ、シャマル、スバル、ティアナ、エリオ、キャロ、ギンガ。

リニスも心持ちとしては参加したがっていたが、主から供給された魔力で主を傷つける事は、不可能では無いにしろ非効率的極まりないため、不参戦となった。

今頃緊張しながら、辛うじて機能を残している六課本部にてバックアップに参加している筈だ。

 

 13対1という酷い数の差だが、それでも劣勢なのは六課チームだ、とシグナムは直感していた。

ウォルターから感じる感覚は、心の熱量こそ消え失せたかのようにさえ思えるものの、威圧感は数段増している。

より一層の緊張感を内心に巡らせ、それをシグナムは闘志で押し込め、戦闘に最適な量の緊張に押さえ込んだ。

張り詰めた空気の中、念話によるカウントダウンが始まる。

 

(では、開始の合図を。……3……2……1……GO!)

「いっけぇっ!」

 

 言い終えるが早いか、無数の誘導弾と直射弾がなのはらによって生み出された。

牽制の魔力弾に、眉一つ動かさずにウォルターもまた直射弾を生成。

その数、瞬く間に100を超え、300を超え、500に達する。

 

「早いっ!?」

 

 思わず悲鳴を上げるフェイトを尻目に、ティルヴィングを構えたままのウォルターから発生する直射弾が雨のように降り注いだ。

それをかいくぐろうとする誘導弾でさえ、その正確無比な狙いでたたき落とし、魔力弾が近づく事すら許さない。

だが、そこまでの魔法を使っているのであれば処理能力を大分直射弾に裂いている筈。

シグナムが蛇腹剣を放ち、それにウォルターは初めて剣を動かした。

他愛も無く弾かれる蛇腹剣だが、僅かな隙がそこにできる。

 

「ち、行くぞっ!」

 

 弾丸による制圧は不可能と知れば、難しいと知っても前衛がウォルターの前進を抑えねば、いずれ近づいてきたウォルターに全員切られて終わる。

故にヴィータが咆哮、中距離での剣戟に徹するシグナムを追い抜き、ウォルターへと迫った。

そこに、同時に赤い影。

キャロのブーストを限界までかけられたエリオが、建物を這うように伝ってウォルターへと一本の槍と化し迫る。

 

「うぉおぉおぉ!」

『ラーケテン・ハンマー』

「てやぁああぁぁっ!」

『紫電一閃』

 

 絶叫。

蛇腹剣がウォルターの剣に弾かれた、つまり僅かな隙が垣間見えた瞬間、前後から同時に襲い来る2人。

右方に弾かれたティルヴィングは、前方か後方どちらかの攻撃を防ぐ事は出来ても、もう片方を同時に防ぐのは難しい。

今までのウォルターであれば、全力攻撃で前後のどちらかを空けて、空いた空間に身を滑り込ませたのだろうが。

さぁ、どう防ぐか。

目をこらし、シグナムが記憶改変ウォルターの剣を観ようとした、その瞬間である。

 

「斬塊無塵」

 

 前兆は無かった。

極限の集中や魔力を観る動作などなく、ごく自然にウォルターはヴィータを切った。

カートリッジを使ってのラーケテン・ハンマーなど物ともせず、一撃で治ったばかりのグラーフアイゼンを切断、続いて奥にたどり着きヴィータを仕留めた。

凄まじい勢いで落ちて行くヴィータにウォルターの前方が空くも、紫電一閃を纏ったエリオの槍撃がウォルターへと迫る。

 

「もう一回、と」

 

 が、狂戦士の鎧による慣性無視機動による急速回転・急速停止によるウォルターは視界にエリオを。

紫電纏うストラーダに眉一つ動かさず、吐気。

黄金の剣閃。

必殺の刺突はあっさりと弾かれ、そのまま剣はエリオに吸い込まれるかのようにしてたたき込まれる。

強烈な魔力ダメージに、一瞬でエリオもまた昏倒。

地上へと落ちて行き、慌てバックアップのロングアーチ達が保護用の魔法を放つのが視界に入る。

 

「…………」

「……うそ、でしょ」

 

 開始20秒足らずで2人撃墜という結果に、絶句。

凍り付くシグナムを含めたなのは達を尻目に、つまらない物を見る目でウォルターが告げる。

 

「今の俺は、ほぼ溜め無しで斬塊無塵を放てる。……今の俺を相手に、近接戦闘など自殺行為だな」

 

 戦慄に震える面々を尻目に。

溜息、ウォルターは告げた。

 

「じゃ、続けるぞ。……5分は持ってくれよな」

 

 絶望的な戦いが、始まった。

 

 

 

 

 

 




なのはさん「OHANASHIしようなの!」→オリ主
というテンプレ。


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7章9話

 

 

 

1.

 

 

 

 開始1分で、ヴィータとエリオに加え、ザフィーラとシャマルが墜ちた。

現状、弾幕を張りながら全速後退する事で、辛うじてゆっくりと前進するウォルターとの距離を保っているに過ぎない。

その間中距離での牽制と共に見に徹していたシグナムは、かつてと現在のウォルターとの違いを明確に判断しつつあった。

一撃も受けていない以上、リニスの言っていた魔力ダメージ耐性の減少量は不明だが、ほぼ全ての能力が段違いに上がっている。

パワー、スピード、テクニック、どれをとっても人格改変前のウォルターより数段上。

特に半呼吸ほどの溜めで放てる斬塊無塵により、攻撃力は圧倒的だ。

 

 半ば分かっていた事だが、付けいる隙は、一つしかない。

リニス曰く度合いは未知数だと言う、魔力ダメージ耐性の減少量に賭け、強引に一撃当てる事だ。

何せ現在のウォルターは魔力によって人格固定を維持している身、魔力ダメージを受ければ人格に影響が出て、戦闘判断力も下がる筈である。

つまり、魔力ダメージを一撃当てるのは、単なるダメージ以上の意味が存在する。

その度合いは誰も試したことが無い為未知数、完全な賭けに過ぎないのだが。

 

 しかし、どうやって、という疑問符が当然ながらあった。

砲撃魔法は味方を巻き込まない為に刹那の自由をウォルターに許してしまい、その刹那の溜めでウォルターは斬塊無塵で砲撃魔法を切り払える。

射撃系はウォルターの圧倒的制圧力を突破できない。

加え、発生の遅い広域殲滅魔法はウォルターに当てるのは至難の業。

当然ながら、複数人で近接戦闘を行っても、すぐに斬塊無塵で堕とされる事を考えると、ダメージを与えるのは難しかった。

 

 だが、シグナムには一つ案がある。

ウォルターログを、そして彼の戦いを模擬戦とは言え機動六課で一番多く見て来た、シグナムだからこそ可能な案が。

 

(――という方法です。かなりの無茶になりますが、他に奴に一撃を与える方法は思いつきません)

(……しゃーない、ジリ貧やしな。ウォルター君相手に無茶するなとは言えへんが、代わりに必ず、一撃を頼むで)

 

 司令官たるはやてに確認、シグナムはレヴァンティンを僅かに強く握る。

吐息を細く。

眼に、意識に、集中を。

蛇腹剣から通常の直剣に戻し、レヴァンティンを構えた。

 

「――行くよっ!」

 

 なのはの咆哮と共に、後衛の後退が止まる。

それに呼応、無数の魔力弾とウイングロードがウォルターを牽制、それに紛れシグナムがウォルターへと突貫した。

 

「おぉぉおぉぉっ!」

 

 怒号。

それに眉をひそめ、つまらない物を見る目で、ウォルターが告げる。

 

「遅いし、鈍いぜ」

 

 一閃、両方のウイングロードが一撃で粉々に砕け散る。

二閃、紛れ飛んできたバインドを切り払う。

合間に張られた直射弾が、ウォルターへと降り注ぐ弾幕を全て遮断。

ついにシグナムとウォルターは、一対一の様相を示す。

当然、ただの一対一ではシグナムに勝ち目どころか、二合目を交える事すら至難の業。

故に。

 

「ディバイン……!」

『バスター』

「トライデント・スマッシャー!」

 

 桃色と黄金の砲撃が、シグナムを巻き込みウォルターへとたたき込まれる。

予想外の砲撃軌道に目を見開くウォルターだが、背面への防御を限りなくゼロに近づけたシグナムにより、威力はほぼ減衰無しでウォルターへと到達。

しかし。

 

「驚いたけど……それだけだな」

 

 斬塊無塵。

曰く単調な魔力波を持つという砲撃魔法であれば、ウォルターは2つの砲撃魔法を同時に切り払えた。

一太刀、砲撃魔法を切断し消滅させたウォルターだが、その顔が僅かに強ばる。

 

「おぉぉおぉぉっ!」

 

 絶叫。

全身がボロボロになったシグナムは、しかし寸前と違わぬスピードでウォルターへと追撃を仕掛けていた。

狂戦士の鎧。

ウォルターが親しい人間にだけ漏らしている狂気の業を、シグナムもまた用いていたのだ。

全身の骨が軋みを挙げ、物理設定であれば容易く骨が二桁は折れていただろうダメージ。

口内を噛みしめ、絶叫しなければ、それだけで頭が狂ってしまいそうな激痛の中。

それでもシグナムはありったけの闘志を籠め、剣を振るう。

 

『紫電一閃』

「ふん……断空一閃」

 

 半呼吸の間すら置かせず、シグナムの魔力付与斬撃がたたき込まれようとした。

が、ウォルターの魔力付与斬撃は、それこそ半呼吸の溜めすら要らない。

刹那の溜めでシグナムの紫電一閃を遙かに上回る斬撃がたたき込まれ。

金属音が、二つ重なる。

 

「――!?」

 

 目を見開くウォルターに、シグナムは虚勢の笑みを浮かべた。

透明化直射弾、かつてウォルターがナンバー12からデッドコピーした技は、ティアナに受け継がれ、彼女の超精密射撃と合わさりオリジナルを超えていた。

ウォルターの剣戟に合わせるという超弩級の技を成功させたティアナに畏敬の念を送りつつ、シグナムは勢いの弱まった剣戟に対抗する。

 

「が……ぁぁあああっ!」

 

 臓腑の底から出てくるような声。

全カートリッジ、全魔力をたたき込み、後も先も無い全身全霊を、シグナムは剣に籠めた。

走馬燈がシグナムの脳裏を過ぎる。

遠い戦乱の記憶、主はやてとの出会い、楽しかった日々、再び剣を持ち、そしてウォルターの剣と出会って。

 

 少なくとも。

シグナムは、ウォルター本人を除けば、次元世界で最もウォルターの剣の事を知っていると自負していた。

なのは達は当然、リニスでさえ実際に剣を交えた訳では無い為、シグナム程はウォルターの剣を知りはしない。

コピーに過ぎないセカンドや、記録や記憶だけでウォルターの剣を知ったつもりになっているスカリエッティなど、問題外だ。

だから、完璧と化した今のウォルターの剣を崩せるのは、シグナムを置いて他には居ない。

 

 はやてとの、仲間達との家族としての暖かな感情。

戦乱の世を駆けた経験。

血を望む猛々しい部分。

ウォルターの剣を最も知るという自負。

それら全て、これまでの命全てを賭して。

シグナムは、吠えた。

 

「あぁあぁあぁあっ!」

「……惜しいな」

 

 それでも尚、ウォルターは圧倒的だった。

シグナムの空前絶後の人生最高の一太刀を相手に、必殺技の刹那の直後、ティアナの援護を受け、虚を突かれ、全力を出せず。

それでも尚、優勢なのはウォルターの断空一閃であった。

拮抗は数瞬、それも終わりウォルターがシグナムの剣を切り払おうとした、その瞬間である。

 

 ――奇跡が、起こった。

 

「――ぐっ!?」

 

 ウォルター自身ですら予想していなかった、急激な魔力消費による人格固定魔力への微量の影響。

それに周囲の環境、魔力素のバランス、ウォルターの体内栄養素の偏り、あらゆる要素が奇跡のように集まり。

ウォルターの剣が、一瞬鈍った。

奇跡がダース単位で集まり、ようやく出来た一瞬の隙。

普段であれば、その隙を突くなど誰もできない一瞬。

拾い上げる物の居ない筈の奇跡。

 

 だが。

今この瞬間だけは、その奇跡を拾い上げる、一人の剣士が居た。

 

「あぁぁ――っ!」

 

 全身から血を吹き出しつつ、全霊を籠め、シグナムはレヴァンティンを振るう。

僅かながら鈍ったウォルターの剣を弾き、そのまま再び狂戦士の鎧による慣性無視動作で紫電一閃をたたき込んだ。

 

「ぐぁ……!」

 

 寸前に左腕を防御に差し込む事に成功するウォルターだったが、それでもダメージは避けられない。

顔をしかめ、魔力ダメージにふらつく。

それを尻目に、シグナムは薄れ行く意識のままに地面へと墜ちていった。

 

 ――やったぞ、と。

意識が途切れる瞬間、僅かに掌を握りしめ、内心で叫び。

そこで、シグナムの意識は途切れた。

 

 

 

2.

 

 

 

 八神はやては、リィンフォース・ツヴァイは、シグナムを信じていた。

例え最強状態にある今のウォルター相手とは言え、他でも無い自分の家族であれば、必ず一撃を入れてくれると。

もし実力が届かなくとも、今この瞬間だけは奇跡を起こしてでも、その一撃を入れてくれると。

 

 果たして、奇跡は起きた。

全霊を賭して尚届かぬ筈だったウォルターの一撃をシグナムの一撃が退け、ついにウォルターに魔力ダメージを与えたのだ。

それを寸分の違いも無く信じていたはやては、その結果を見るどころか、成功を確認するよりも早く、それを発動する。

 

「デアボリック・エミッション!」

 

 ――広域殲滅魔法。

その魔法はウォルターどころかシグナムまで巻き込む距離で、シグナムの剣戟が命中した直後に発動した。

家族を誰より大切に想うはやてがその家族を巻き込む魔法という意外性に、ウォルターの反応が一刹那遅れ。

シグナムによる魔力ダメージによる人格固定の影響から、もう一刹那反応が遅れ。

 

「ぐ……うぉおおっ!?」

 

 黒球の広域殲滅魔法が、ウォルターに直撃。

切り払おうにも拡大した広域殲滅魔法は大きすぎて斬塊無塵では切断できない。

逃げようにもダメージを受けながらではデアボリック・エミッションの拡大を超える速度では動けない。

通常ならば加えて防御もダメージを受けながらでは痛みで発動不可能なのだが、ウォルターはその超人的な精神力で防御魔法を発動させようとして。

 

「――真竜召喚っ!」

『ぐるぁぁぁあぁ――ッ!!』

 

 エリオが墜ちて以来、タイミングを見計らい召喚魔法を準備していたキャロの、真竜召喚。

召喚されたヴォルテールは完全に制御されており、召喚と同時にその手をデアボリック・エミッションの中に突っ込み、ウォルターを握りつぶそうとする。

 

「なっ!? くそ、そりゃこのタイミングだよな!?」

 

 叫びつつ、ウォルターは発動しようとした防御魔法を身体強化魔法に変更、握りつぶされるのを辛うじて防いだ。

が、同時ヴォルテールの口腔に光が。

加え、砲撃魔法のクールタイムが終わったなのはとフェイトが、再びの砲撃魔法を杖先に準備する。

今度は交差する軌道でウォルターを狙い、白炎に加え桃色と黄金の光線がウォルターへと突き進んだ。

Sオーバーの魔導師達による全霊の攻撃が、防御不可能な状態でウォルターへと迫り来る。

一撃一撃が都市を一つ破壊しうる威力を秘め、それらは相乗効果で、意図して範囲を狭めなければ小国を荒地にする事すら可能な程。

到底一個人で持ちこたえられる攻撃ではない。

 

 ――が、しかし。

 

「舐める……なぁぁぁぁっ!」

 

 それでもウォルター・カウンタックは、次元世界最強の魔導師であった。

超弩級の魔力を一気に放出、デアボリック・エミッションの攻撃域に空白を作り、その中で全力の強化魔法でヴォルテールの握力を突破。

手を強引にはじき飛ばし、斬塊無塵でなのはとフェイトの砲撃を切り払う。

痛みに呻くヴォルテールの白炎のブレスは蛇行し、ウォルターを掠めるようにして僅かなダメージをしか残さない。

 

「お……おぉぉお!」

『斬塊無塵』

 

 加え、ウォルターは回転しながらティルヴィングをヴォルテールに振るった。

魔法生物は魔導師に比し単純な魔力波長をしか操れず、故に斬塊無塵を避ける事も叶わず、やはり一撃で堕とされる。

悲鳴を上げながら後方に倒れるヴォルテールを無視、ウォルターは続け無数の直射弾を生み出した。

 

「流石に……、様子見はもう止めさせてもらうぜっ!」

 

 射撃位置と召喚魔法の位置から捕捉された、ティアナとキャロの位置に直射弾が降り注ぐ。

うちキャロが視界内で墜ちるのを確認、歯噛みしつつも、攻撃が想像より上手くいった事に戸惑うはやて。

寸前まで見ていたウォルターの戦いの印象から、例えシグナムの攻撃が成功しても、その後の攻撃がここまで当たるようには見えなかった。

矢張り、魔力ダメージによる人格固定の揺らぎは確かな物らしく、明らかにウォルターの判断力には陰りが見える。

とは言え。

 

「次ははやて……お前が一番厄介なんでなっ!」

「くっ、やっぱこっち来るかっ!」

『ぐぬぬですぅ!』

 

 現状、ウォルターにとって驚異となりうるのはユニゾン中のはやてのみ。

フォワード陣は一対一では驚異たり得ず、なのはは主力の砲撃がウォルターに効かず、フェイトは得意のスピードが既にウォルターに追いついていない。

唯一、他の攻撃を合わせ発動時の隙を無くせば、ウォルターに大ダメージを与えられる広域殲滅魔法の使い手たるはやてこそが、ウォルターにとって最優先で排除せねばならない相手であった。

 

(みんな、10秒稼いで欲しいんやっ! 頼んだでっ!)

 

 返答を聞かず、はやては魔法のチャージを開始する。

発動する場所は既に決まっている、発生位置まで決めた上でのチャージであった。

 

「おぉおぉぉぉっ!」

 

 咆哮と共に空を駆るウォルターは、なのはの誘導弾を直射弾で相殺しつつ直進。

そこにフェイトが死神の鎌を構え突貫するも、ウォルターは眼を細め、その場で立ち止まり剣を振るった。

殆ど同時、地上から立ち上った二条のウイングロードがウォルターの動きを阻害しようとし、現れた瞬間に壊される。

 

「馬鹿なっ!?」

「見え見えの手に乗ると、思っていたのか?」

 

 凍り付くような声で告げ、ウォルターはしかしフェイトを超軌道で避けてはやての元へ。

逆説、今のウォルターは集中力不足のため、一瞬で斬塊無塵を発動しフェイトを鎧袖一触できないという事実でもある判断なのだが。

それでも、焦るなのはの誘導弾とフェイトの直射弾を避け迎撃し、ウォルターははやての元へと迫る。

 

「残念だったな」

 

 氷雪地獄の言葉と共に、ティルヴィングよりカートリッジを排出。

断空一閃が発動、黄金の巨剣が白光に包まれた。

はやてが目を見開き、対応しようとシュベルトクロイツを構える。

リィンフォース・ツヴァイとユニゾン中のはやては、近接戦闘の技術は兎も角身体能力は高く、スバルやエリオと数合であれば打ち合える程。

広域殲滅型としては破格の近接戦闘能力だが、ウォルターを前に、あまりにも儚い力であった。

 

「へへ、何が残念やって?」

 

 だが。

それでも、はやては諦めない。

 

 かつてはやては、ウォルターを自身にとってのヒーローだと感じた。

約束をし、果たされ救われ、心から彼を英雄だと信じた。

かつてはやては、ソニカを、自身と同じ境遇にある少女を殺す以外の方法で止められなかった時、ウォルターに向け言った。

“たすけて……”と。

そして、その時もまたウォルターははやてを助け、どうしようもない状況を救ってくれた。

 

 そして今。

ウォルター自身にとって、どうしようもない状況にあって。

人格的に死ぬ以外に方法など無い、袋小路に嵌まってしまった状況にあって。

だから。

はやては、彼に。

 

「私は、まだ墜ちん。今度は、私がウォルター君に”たすけて”って言ってもらって! 今度は、私がウォルター君を助ける番やっ!」

「……不可能だな」

 

 凍り付いた声と共に、果たして斬撃は振り下ろされ。

金属音。

目を見開き、軌道が大きくずれた斬撃が、はやての杖術で弾かれるのを見るウォルター。

 

「馬鹿な、今のはティアナっ!? さっきので墜ちてなかったのか!?」

 

 叫ぶウォルターに、はやては杖を待機状態に戻し、僅かな隙を縫って掴みかかる。

距離を取ろうとしないはやての抱きつきに、一瞬意図を読めず反応の遅れるウォルター。

そこになのは、フェイト、はやて、リィン、スバル、ギンガ、ティアナの7人より多重バインドがたたき込まれ、動きを拘束された。

 

「どういう事だ? ここまで全力のバインドをされれば俺は5秒は動けないが、逆に言えば俺に攻撃できる奴も……まさかっ!?」

 

 目を見開き、ウォルターは頭上へ視線を。

そこには、墜ちてくる巨大な黒い魔力光の球体があって。

 

「へへ……、一緒に墜ちてもらうで、ウォルター君」

『私も一緒ですから、ご安心を、ですっ』

 

 歯噛み、強引にバインドを破ろうとするウォルターだが、既に遅い。

特にはやてとリィンフォース・ツヴァイのゼロ距離バインドの威力が高く、命中までに逃れる事は叶わず。

はやては、ふと場違いなことに、自分はもしかしてもの凄く恥ずかしい格好をしているんじゃあないだろうかと考え。

触れるウォルターの肉体を意識し、顔を赤らめながら。

それでも、告げた。

 

「もいっちょ……デアボリック・エミッション!」

 

 逃れようのない黒い光が、3人を襲った。

 

 

 

 3.

 

 

 

 まだだ。

黒光に包まれるウォルターを視界に入れながら、しかしフェイトはそう確信していた。

防御力不足の状態で、シグナム全霊の紫電一閃をくらい、デアボリック・エミッションを2発くらったウォルター。

喰らった攻撃は一撃一撃が並のエースであれば防御の上からでも堕とす程、ウォルターのように防御を弾かれた上でくらえば、オーバーSの魔導師でさえ一撃堕とされる程だ。

 

 それでも、ウォルターなら。

あの次元世界最強の魔導師なら、必ず立ってくる。

そう信じているが為に、フェイトは油断せず、かつ自分にできる最大の準備を行う。

 

 戦況は依然六課不利。

ウォルターがまだ立っているのならば、終盤、斬塊無塵が使えないレベルまでダメージを与えるまで牽制以外できないなのははまだ戦力外。

ティアナはウォルターに秘していた訓練で憶えた新魔法もあり、幾度もウォルターのとどめの一撃を阻んでいる。

そんな鬼神の如き奮戦を見せているティアナだが、近接戦闘能力は低く、前線に立つには向かない。

ウイングロードを持つスバルとギンガも、ウォルター相手に近接戦闘をできなくはない。

が、どうしても空戦魔導師に機動力で劣るウイングロードでは時間を許し、斬塊無塵で堕とされるだろう。

 

 故に。

ウォルターを抑えるのは、唯一フェイトを置いて他には居ないのだ。

 

「バルディッシュ」

 

 呟く。

黄金の光に包まれ、フェイトのバリアジャケットが変化した。

流れ弾を警戒していた通常のフォームと違い、防御を捨てスピードに特化した真・ソニックフォーム。

極限まで容量を削るため、衣装の子細すら削り最小限の服パーツに抑えられたそれに、フェイトの肌を蒸し暑い燃えるような空気が撫でた。

 

 続け、バルディッシュがフルドライブ。

形状変化し、黄金の光の刃を持つ双剣と化す。

その柄同士を黄金の綱が繋ぎ、フェイトの背を回っていた。

 

 ――魔力煙から突き抜ける物がある。

はやてとユニゾン解除されたリィンフォース・ツヴァイが墜ちて行くが、それに視線をやる余裕など無かった。

白光、風圧により魔力煙が晴れた。

黒衣に威圧感と莫大な魔力、ウォルターは健在であった。

 

「ぐ……っ、くそっ」

 

 頭を抱えるウォルターだが、映像の中で知る限り絶不調でさえあの黒翼の書と渡り合った彼である。

微塵の油断もせず、かといって過剰に警戒するでもなく、自然体でフェイトはウォルターへと突進した。

僅かでもウォルターに回復する間は与えられない、という判断故にだ。

 

「おぉぉおぉっ!」

 

 裂帛の咆哮と共に振るわれる剣戟は、シグナムとでさえ打ち合える程の物。

右の袈裟切りは、苦悶の表情を浮かべたウォルターに容易く防がれる、どころか弾かれた。

加えウォルターは神速の踏み込み、切り返すが、フェイトの左の剣が辛うじてそれを防ぐ。

 

「ちっ……」

「やっぱり、もう斬塊無塵にはある程度の溜めが要るようになったみたいだね。それに……」

 

 告げ、フェイトは高速移動魔法を発動。

ウォルターの背後に回り剣を振るい、ウォルターに容易く反応され切り払われるも、そのまま堕とされる事は無かった。

戦いが始まった時の速度であれば、斬塊無塵無しでも連撃で容易く堕とされていただろうに。

 

「やっぱり、スピードが落ちている……。今の君なら、私のトップスピードとほぼ互角っ!」

「……パワーも技術も俺の方が上だぜ?」

「でも、それを扱う判断力が鈍っている……」

「…………」

 

 事実に、ウォルターは眼を細めた。

言外の肯定に、フェイトは胸を熱くさせる。

とは言いつつも全開のフェイトと互角の機動力を持つウォルターを、スバルやギンガが空中戦で捉えるのは至難の業。

なのはの砲撃魔法も当てるのは難しく、フェイトを巻き込んだ方法でさえ二番煎じは通用しないだろう。

唯一ティアナのサポートだけは可能だが、ティアナがウォルターを撃ってもまだ堕とされない原因の魔法はあまり燃費が良くない、多用は禁物だ。

故に。

 

「次の一撃……私が、たたき込んでみせるっ!」

「やってみろ……、まぁ不可能だがなっ!」

 

 言葉面に違い臓腑の冷えるような響きの叫びと共に、ウォルターが吠えた。

応じ、フェイトがウォルターへと突進する。

 

 右の剣線。

唐竹の一撃をウォルターは受け流し、そのまま蹴りを放つ。

魔力の装甲を纏った蹴りに、続け振るわれたフェイトの左の剣が跳ね上げられ、ウォルターを外した。

半回転する形になったフェイトは背を晒す事になる。

眼を細め、袈裟に剣を振り下ろすウォルター。

 

「パージっ!」

 

 が、フェイトの叫びと共に双剣を繋ぐ雷糸が弾け、ウォルターを襲った。

目を見開き、咄嗟の魔力防御でそれを防ぐウォルター。

それを尻目に、フェイトはもう半回転し斬撃を横に振るう。

ティルヴィングで防御しようとするウォルターだったが、直後、金属音。

 

「しまっ!?」

 

 ティアナの援護で防御ががら空きになったウォルターは、歯噛みしつつ狂戦士の鎧による慣性無視高速移動魔法で背後へ逃げる。

空振ったとみるや、フェイトは牽制の直射弾を放ちながら自身も高速移動魔法を発動。

退くウォルターを追う形となる。

 

 刹那で追いついた事実に、フェイトは確信した。

矢張り、単純なスピードはフェイトの方が僅かながら上。

狂戦士の鎧による無理な動きが出来る分、ウォルターの方が小回りが利く為、端から見れば互角のスピードができるだけに過ぎない。

なのはの誘導弾が待機し牽制している事もあり、追いかけっこは終了。

剣戟が噛み合い、再びの鍔迫り合いが始まる。

 

「くそ、本当に厄介になったぜ、ティアナはっ! こいつは、時間差射撃だなっ!?」

 

 ついに言い当てられ、フェイトはしかし無反応を貫いた。

そう、ティアナの新たな魔法は時間差射撃魔法であった。

発動から数十秒まで、発射された直射魔力弾はその場に止まり、あらかじめ設定された時間を過ぎると発射されるのだ。

これなら発射時に居場所を悟られる事は無く、広域殲滅魔法でもくらわない限り場所をいぶり出される可能性は極小だ。

誘導弾とは違い発射時の軌道を変えられない為使い所の難しい魔法なのだが、これをウォルターの超剣戟中の剣にあてられるとは、ティアナの精密射撃と動作予測は人間業では無かった。

加えそれに透明化直射弾も発動しているのだ、同時に3発しか準備できず、威力もかなり低いとは言え、超弩級の神業と言って違い無い。

とは言え、当人もここまで中るとは思っておらず、奇跡の連発に変な汗が出ているのだが。

 

 鍔迫り合いは、再びの金属音により1秒と続かず終わる。

ティアナの時間差透明化直射弾がウォルターの剣を跳ね上げたのだ。

刹那の判断、交差する斬撃でウォルターを切り裂こうとするフェイト。

超反応で後退するウォルターだが、その肉体を魔力ダメージがうっすらと撫でてゆく。

舌打ち、体の軋む超反応で交代後連続前進をし、袈裟に切るウォルター。

しかしそれも、思ったような速度が出なかったのだろう、フェイトは容易く避ける事に成功した。

 

 すれ違い、十数メートルを間に置く2人。

音速の10倍を超える速度で戦う2人にとっては、瞬く間に侵略できる距離でしかなく、未だ一足一刀の範囲であった。

故に緊張を解かぬままに、2人は睨み合う。

 

 凍り付くようなウォルターの気配は、戦ってみて恐ろしく感じる反面、悲しくも感じられていた。

唇を噛みしめ、フェイトはウォルターを睨み付ける。

何故なら。

 

「ウォルター……」

「ん?」

「ウォルターは、元のウォルターと違うウォルターに、なろうとしているんだよね」

「正確には、”なった”だな」

 

 フェイトは、弱々しく微笑んだ。

 

「私は、なれなかったよ」

「…………」

「10年前、私はアリシアになれなかったよ」

 

 PT事件。

アリシアを望まれて作られた事を知ったが故に、フェイトはアリシアになろうと望んだ。

その望みもなのはに負け諭され、捨てる事となったのだが。

 

「”人は、自分以外の他人になんか絶対になれないよ”。……これは、なのはの台詞だっけ」

「お前はこうも言った。”絶対? ううん違う、私はそんな事で諦めない”。俺の台詞の影響だった筈だ」

「……そうだね。貴方の台詞を、私が好き勝手に切り貼りして作った台詞、だったね」

 

 変わらず凍り付いたウォルターの言葉だが。

どうしてだろうか、フェイトにはその瞳の奥に、氷に囲われた炎があるように見えた。

小さく、弱々しく、息も絶え絶えだが、決して消える事のない炎が。

 

「貴方は、本当に人格改変を完全に成功させているの? ううん、魔力ダメージで戻るような状態じゃあ、まだ元の貴方は消え去ったとは言えない。今の貴方は、少しだけ元の自分の形をあやふやにしているだけ」

「……で?」

「今の貴方も、元々ウォルターが持っていた一部分。人格が元に戻っても、貴方が消える訳じゃあない、元の場所に戻るだけだよ」

 

 フェイトは信じても居た。

ウォルターが記憶改変による人格改変で英雄となれるのであれば、矢張り仮面はウォルターの内側に存在してはいたのだと。

ウォルターの言う仮面とは、己の人格の一部分を強調したに過ぎない状態であったのだと。

でなければ、あそこまでに誰にも本格的には気付かれない演技など、不可能だっただろう。

故に。

告げる。

 

「怖がらなくても、いいよ。貴方は消えて無くならないし、英雄も居なくならない」

「……ほざけっ!」

 

 咆哮。

ウォルターが突進、剣を振るうが、明らかに先ほどまでよりも遅く、鈍い剣であった。

想定外の口撃の効果に目を見開き、フェイトは容易くウォルターの剣を半身に避け、半回転しつつ右の剣をたたき込む。

ウォルターは縦回転で剣を振るい、体ごとフェイトの剣を避け、そのままの動きで追撃。

フェイトは左の剣で応じ、剣戟は刹那拮抗するも、フェイトの右の剣がウォルターを後退させた。

 

「おぉおおぉぉっ!」

 

 己の剣の鈍りを自覚し、それを認めたくないのか、ウォルターが再び吠えた。

突き。

胸中を狙ったそれをフェイトは半身に避けるも、横に突きが変化し、フェイトを襲う。

右の剣に膝をあて変化した剣を抑えつつ、左の剣をウォルターへたたき込むフェイト。

ウォルターは歯を噛みしめ、万力を籠めた。

超膂力と化したウォルターの斬撃が、攻撃が届く前にフェイトを防御の上からはじき飛ばす。

 

「……でも、ダメージにはならないよ」

「く、そ!」

 

 距離が空いた瞬間、直射弾の嵐が2人の間に吹き荒れた。

白と黄金の光が交錯、桃色の光が加わる事で僅かに黄金が優性となり、突き抜けた数本を避けつつウォルターが突貫する。

フェイトもまた、最大速度で突貫。

互いに音速の20倍を超える速度と化し、衝撃波をまき散らしながら進んだ。

 

「うぉぉおぉっ!」

「はぁぁぁっ!」

 

 怒号が重なる。

自身でも見えない程の超速度で、フェイトはバルディッシュを振るった。

剣閃もまた、重なった。

邂逅を終えて、数瞬。

フェイトは崩れ落ち、地上へと墜ちて行く己を自覚する。

泣きそうになりながらも視線を彷徨わせると、同じ空の元、黄金の巨剣を持った男が墜ちて行くのを視界に入れた。

 

 ――相打ちだったのだ。

 

 それを理解し、フェイトは僅かに口元を微笑ませた。

脳に登ってくる思考の麻痺に身を委ね、意識を手放そうとする。

最後に見えたのは、桃色の光線が墜ちて行くウォルターへと突き刺さり、咆哮と共にウォルターが健在を示す光景であった。

 

 

 

4.

 

 

 

 なのはは、舌打ちした。

フェイトと相打った直後にウォルターに、カートリッジを十数個つぎ込んだ砲撃をたたき込み、直撃させたのだが。

それでも尚、ウォルターは健在。

怒号をあげながら二撃目の砲撃を避け、三撃目のショートチャージ砲撃は斬塊無塵で切り払われた。

 

「まだ、だ!」

 

 叫ぶウォルターは満身創痍であったが、依然六課側は不利。

何せ残る六課チームは、なのは、ギンガ、スバル、ティアナの4人のみ。

うち空戦可能なのはなのはのみ、ギンガとスバルが疑似空戦をできるだけだ。

しかも、溜めに時間がかかるようになってきたもののウォルターはまだ斬塊無塵を使えるので、なのはの砲撃はかなり限定的な場面でしか仕様できず、主力とはし辛い。

歯噛み。

どうすべきか、となのはが一瞬思考に気を割いた瞬間である。

 

「いい加減、面倒なんでなっ!」

 

 叫び、ウォルターは天に掌を向けた。

刹那で意図を察知、なのはは数十の誘導弾をウォルターに放つが、容易く避けられウォルターの集中を崩すには至らない。

数秒後、瞬くほどの時間で空中に千を超える白い直射弾が浮く。

 

「しまったっ!?」

「3人には、退場してもらうぜっ!」

 

 ウォルターが手を振り下ろす。

スフィア無しで千本以上同時射撃というウォルターの超弩級の魔法は、最早広域殲滅魔法と言って差し支えの無い領域に達していた。

超音速で地上に、雨のように降り注ぐ直射弾。

1本1本の威力も恐るべき事ながら、爆発し1本でも広範囲を埋め尽くす射撃は、瞬く間に地上を舐めるように破壊した。

魔力煙が地上を覆うと同時、ウォルターは眼を細め、何も無い場所で剣を振るった。

金属音。

 

「悪あがきか。だがティアナ、お前の射撃はもう憶えたぞっ!」

「…………っ!」

 

 なのはは、思わず息をのんだ。

透明化され、射撃手が見えず、魔力反応すら無いに等しく、更に呼吸を読んでさえ時間差が無効にする、時間差透明直射弾。

威力は兎も角、射手の狙いを避けるのはまず不可能なそれを、ウォルターは剣で切り払ったのである。

常軌を逸した霊感の冴えであった。

何処が判断力が鈍っているんだ、と内心悪態をつきつつ、なのはは愛杖レイジングハートを握る手に力を込めた。

可能な限り悲壮な決意に見えるよう、演技をして。

 

「――っ!?」

 

 唐突になのはに背を見せたウォルターに、しかし想定内、となのはは誘導弾を差し向けた。

ウォルターから常識外に濃密な魔力波が放射状に放たれ、半径10メートルほどの幻術が溶けて行く。

現れたのは、二条のウイングロードの一部と、ローラーを使わず隠密軌道をしていたスバルとギンガの2人であった。

既に拳を握りしめ、ウォルターの動きと同時に足下のローラーのスイッチを入れ、高速起動に移り変わり2人が交差する軌道でウォルターを狙う。

 

「ぐ……って事はっ!」

 

 しかしウォルターは、迫り来る2人も誘導弾も無視し、空中に剣を振ってみせた。

再び金属音、橙色の魔力光の欠片が弾ける。

ティアナの無事が悟られた事に、なのはは内心歯を噛みしめた。

が、それでも刹那の時間を得られた事は事実。

誘導弾を繰る念に力を込め、同時隙を見据えて砲撃のチャージを開始する。

迎撃の白い直射弾が発射され。

 

「……え!?」

 

 次の瞬間、思わずなのはは声を漏らした。

あのウォルターが、なのはの誘導弾の迎撃に失敗したのだ。

無論40ほど放った誘導弾のうち2発だけだったが、僅かながら確実にウォルターの防御を抜くダメージが与えられる。

思った以上に、ウォルターは消耗していた。

その事実に僅かに勇気を貰う、六課の面々。

それを尻目に、不甲斐ない己にだろうか、吠えるウォルター。

 

「うぉぉおぉぉっ!」

 

 ティルヴィングが翻る。

陽光それ自体のように輝く黄金の巨剣は、超速度でスバルの喉を突く。

その恐ろしい速度に、しかしすんでの所で防御魔法が間に合い、スバルは後方に吹っ飛ばされるだけで済んだ。

が、しかしギンガは健在。

吐気、かつては母の死を前にウォルターに放った事もある、正拳を放つ。

 

「――ふっ!」

 

 空気が裂かれ、ウォルターへと拳が迫る。

寸前薄っぺらな防御魔法が間に合うも、濡れた紙のように突破され、彼の腹部へとギンガの拳が突き刺さった。

既に目を金色に輝かせていたギンガが、叫ぶ。

 

「振動拳っ!」

 

 瞬間、ギンガの拳の中で衝撃が増幅。

先のなのはのほぼフルパワーのディバインバスターに勝るとも劣らぬ威力が、ウォルターにたたき込まれる。

肺の中の空気を吐き出し、ウォルターが地面へと吹っ飛ばされていった。

すかさずなのはは追撃、誘導弾を速度優先にしてウォルターへと放つ。

 

「ま、だ、だぁっ!」

 

 怒号。

恐るべき事にまたもやウォルターは立て直し、なのはの誘導弾を直射弾で迎撃、抜けてきた残りを切り払った。

魔力ダメージに対する耐性が激減したウォルターに与えられたダメージは、Sオーバーの魔導師を一撃で堕とすレベルの物に限定してでさえ、既に6発に登る。

それらを全て防御を抜いてくらっているのだから、ウォルターのタフネスは尋常の域を逸していた。

 

 流石に血走ってきた目でなのはらを睨み、ウォルターは高速移動魔法を発動。

しかし気力で意識を持たせているウォルターはは、軌道に置かれたティアナの弾丸に喉を打ち抜かれ、鈍い悲鳴を挙げ空中に投げ出される。

 

「今だっ!」

『ディバインバスター』

 

 すかさずなのはは主砲を発射。

カートリッジ1ダースをつぎ込まれた砲撃を、しかしウォルターは辛うじて体制を立て直し、迎撃する。

白光と共に、断空一閃の叫び声と共になのはの砲撃は相殺された。

しかし、技後硬直のウォルターへとギンガ、スバルがすかさず距離を詰める。

 

 矢張り、ウォルターは判断力を大幅に失いつつあった。

その事実に勝機を見いだしたなのはだが、直後、寒気のするような気配がウォルターから漏れ出る。

 

「ひっ……」

 

 思わず、なのはは悲鳴を漏らした。

心臓に直接氷を貼り付けられたかのように思える程の、寒気だった。

一気に脳みそが冷水で洗い流され、希望という希望が流れて行くのをなのはは感じた。

ウォルター相手では現状でさえ辛うじて互角。

あと一発大きなダメージを与える前に前衛が堕とされれば、なのはたちに勝機は無い。

 

 だが。

次は、斬塊無塵が当てられる。

つまり、また一人堕とされる。

理由無しに直感してしまうほどの圧倒的威圧感に、なのはは脂汗を滲ませる。

あと少しで、ウォルターを救う一歩が、果たせたのに。

仮面の奥の本当の彼と、お話をする事ができたと言うのに。

何故、と既に敗北の予感と絶望さえ感じてしまった、その瞬間である。

 

「――っ!?」

 

 息をのみ、ウォルターが半回転し背後上空に剣を放った。

瞬間、透明化の幻術が解除、魔力刃を展開し密かに近づいていたティアナが現れる。

 

「か、は……」

 

 流石に技量差からか、斬塊無塵は容易く成功。

肺の中の空気を吐き出しつつ、ティアナは数瞬滞空した後、地上へと墜ちて行く。

それでも尚、ティアナは残る意識を振り絞ったようで、こう告げた。

 

「後は、頼んだわよ……相棒!」

「……うんっ!」

 

 スバルが咆哮で答える。

ウォルターは歯噛み、既に先ほどの悪寒は霧散しており、斬塊無塵の溜めができていない事が、なのはにも感覚的に分かる。

決死の斬塊無塵を既に放ってしまったウォルターへと、ギンガとスバルの2人が迫った。

またもやほぼ同時にウォルターへと到達する軌道で、腰だめに、黄金の光を瞳から漏らしつつ、叫ぶ。

 

「振動拳っ!」

 

 声は、異口同音に発された。

合間を縫うように迫る誘導弾への迎撃に直射弾を消費、矢張り剣をしか残していないウォルターが2人を迎え撃つ。

眼を細め、息を吸い、吐いた。

目を見開く。

たった一瞬のその動作で、ウォルターは緊張感に満ちた威圧感を取り戻してみせた。

先ほどには劣るも、矢張りまた斬塊無塵の気配を感じられる、圧倒的感覚である。

不味い、となのはが思うも、スバル達を信じ追撃の砲撃を溜めていたなのはに、最早できる事は奇跡を祈るだけであった。

 

「斬塊無塵……!」

 

 叫び、ウォルターの黄金の巨剣が翻る。

絶妙のタイミングで前に出たウォルターの剣により、同時攻撃のタイミングは崩され、スバルの攻撃が先に命中確定し、交錯が待たれる。

向けられた超常の剣戟に、しかし一歩も退かず、スバルは怒号と共に拳を振るった。

 

「うぉぉぉおぉっ!」

 

 足下のウイングロードにヒビが入る程の踏み込みから、カートリッジを可能な限りたたき込んだ、超威力の一撃が放たれる。

対するはウォルター最強の奥義、斬塊無塵の完全版。

ただあらゆる魔力防御を抜くだけでなく、その刃には断空一閃の白光が宿っており、元々の威力でさえ超弩級である。

 

 ――次の瞬間。

剣と拳が、すれ違う。

本来なら攻撃を無効化した後、防御をすり抜け、一撃で堕とす斬塊無塵が放たれたのに、だ。

それも、ウォルターが未だ攻撃軌道上にその身を置いているのに。

失敗。

その二文字になのはが目を見開くと同時、ただの断空一閃と化した斬撃とスバルの衝撃拳が互いに直撃した。

 

「ぁ……」

 

 短い声を漏らし、スバルが墜ちて行く。

対しウォルターは。

 

「ぉ……おぉおぉぉ!」

 

 バリアジャケットにヒビを入れ、ふらつきつつも健在。

自分から向かう事で僅かに時間差を作ったギンガの拳へ迎撃の剣を放つ。

返す刃は再びカートリッジを吐き出し、断空一閃を形作り、しかしギンガの拳とまたすれ違った。

 

「ご、ほ……」

 

 互いに直撃。

墜ちて行くギンガを尻目に、しかし辛うじて意識を保ったウォルターだが。

ついに彼の動きが、止まった。

 

「ディバインバスターっ!」

 

 当然の如く、なのはの桃色の砲撃が突き刺さり。

為す術も無く、ウォルターは桃色の光に飲み込まれて行く。

 

 

 

5.

 

 

 

 桃色の光の洪水を、なのはは止める事なく放出し続けていた。

空中に貼り付けにされたまま、ディバインバスターを喰らい続けているウォルターは、常識的に考えればもう立ち上がってこない筈。

しかし、微塵の油断も出来るはずの無い実力差に、なのはは滝のように汗を流しつつ、ディバインバスターを放ち続けていた。

 

『ブラスター・1』

 

 レイジングハートの音声と共に、更なる強化をつぎ込まれたディバインバスターが、より一層強烈な奔流となってウォルターを襲う。

更なる威力の増加に、しかしウォルターは、吠えた。

 

「う……ぐおぁあぁあぁっ!」

 

 ウォルターの体から、白光が放出。

無志向性の魔力波で僅かに攻撃を弱めた瞬間、ウォルターは体制を立て直し、ティルヴィングを振るった。

すわ、斬塊無塵か。

なのはの背筋に冷たい物が走るが、流石にもう集中力が持たないらしく、ウォルターの剣は通常の断空一閃であった。

しかし、それですらなのはのディバインバスター・ブラスター1を超越する威力。

慌て、なのはは叫んだ。

 

「ぐ……レイジングハートっ!」

『ブラスター・2』

 

 更にカートリッジを1マガジン消費。

体が軋む音を聞きつつ、なのはは更にディバインバスターの威力を上げた。

流石に押され、抑えきれない光の筋にダメージを受けつつ、ウォルターが呻いた。

己を鼓舞する為に、咆哮。

 

「くそ……俺は、俺は負ける訳にはいかないんだっ! やっと完成しかけた俺を……、次元世界最強の英雄を、ここに来て諦める訳にはいかないっ!」

「……ウォルター君」

「僕は、いいや、俺はっ! 俺の仮面を、貫き通さねばならないっ!」

 

 最早ウォルターの言葉から窺い知れる人格は、元のウォルターの人格が半ば入り交じって居た。

悲壮で、心を抉るような響きの言葉。

他者の心を理由無く揺さぶる才能。

皮肉にも、なのはの良く知る次元世界最強の英雄の面影は、先ほどまでよりも今の方が、色濃くある。

哀れみと強がりとを一緒にして、なのはは言った。

 

「ねぇ、ウォルター君。変わろうとした後のウォルター君はね、次元世界最強の英雄なんかじゃなかったよ?」

「そりゃあな。今こうやって、無様に負けそうに……」

「違う」

 

 言い切るなのはに、ウォルターは苦しげにしていた顔をなのはに向けた。

桃色の光越しに、光量故に見えぬまま、それでも2人は互いの視線が合うのを感じる。

 

「ねぇ、自分を変えようとしたウォルター君の言葉。なんでかな、全然心に響かなかったんだ」

「……? それは……今までだって、大して……」

「違うよ。今までの、仮面を被って必死で戦ってきたウォルター君の言葉、とっても強く響いてた。沢山の人の心、揺らしてきていた」

 

 目を見開き、ウォルターは何事かを小さく呟いた。

なのはには、微かな音が届いただけで、唇の動きも正確な言葉も窺い知れなかった。

 

「きっと、だけど。私はそう感じるってだけだけどさ。……それは、今までのウォルター君の言葉がみんなの心に響いてきたのはね。本当は、普通の心の、弱い人だったからなんじゃないかな」

「…………」

「そんなウォルター君が、必死で強がって、仮面を演じて、痛む心でさえ隠して。その必死さが、貴方の言葉を響かせていたんじゃないかな、って」

「馬鹿、な」

 

 なのはは、静かに頭を振った。

ウォルターに見えているかは、分からなかった。

 

「だから、ウォルター君の今までの人生は。傷だらけの人生は。間違ってなんていなかったんじゃあないかな。辛かったし、苦しかったんだとは思う。でも……」

「…………」

「……でも、それだからこそ、他人の心を揺り動かす、力があったんじゃないかな」

「ちが、う」

「貴方はそれを自覚していなかったし、あんまりに一生懸命で横を見る余裕が無かったから、自分の人生の意味を無くして。自分を捨てようとさえしたけれども」

「やめろ……」

「その必要は無かった。でも、奇跡的に今私達が勝って、貴方に自分は間違っていなかったって、そう教えてあげられるかもしれなから。だから」

「やめろ……!」

「それで良かった。これで良かった」

「やめろぉっ!」

 

 悲鳴と共に、ウォルターの魔力が更に高まる。

互角に持ち直され、なのはは歯を噛みしめる力を僅かに強くした。

レイジングハートの収納スペースからカートリッジマガジンをもう一つ取り出し、装着する。

 

「そう思えないぐらいにウォルター君の人生は辛かったかもしれない。過去も、ティルヴィングの人格死も、他にも沢山辛い事はあったと思う。でもね?」

 

 告げると共に、なのはは更にカートリッジを1マガジンつぎ込む。

発射時に1マガジン、途中1マガジン継ぎ足し、今更にもう一つ足し、計3マガジン分、36発のカートリッジが一発の砲撃魔法につぎ込まれた。

 

「……貴方は、自分を肯定していいんだよ?」

『ブラスター・3』

「ぐっ……」

 

 機械音声と共に、爆発的な威力がウォルターへと迫る。

今にも敗れそうになるウォルターが、必死の形相で持ちこたえるのに、なのはは告げた。

 

「仮面をしか見ていない誰かじゃあない。ログでだけど、本当の貴方を、仮面の奥の貴方を知る私が言うよ! 貴方は、ウォルター君は……」

「おぉぉぉおおぉっ!」

 

 光の奔流に負け、ついに飲み込まれて行くウォルターへと、なのはは叫ぶ。

 

「次元世界一、格好良いんだからっ!」

 

 爆音。

広がる魔力煙。

それでも尚油断せず、間髪入れずになのははウォルターの居た位置に向けバインドを放つ。

手応え、あり。

数秒後、魔力煙が霧散しバインドに捕まった、未だ意識あるウォルターがなのはの視界に入った。

 

「でもね……。辛いなら、苦しいのなら。強がってもいいよ、それがウォルター君の強さだから。でも、貴方は一人じゃあない。ただ一言、”たすけて”って言ってくれれば、私たちが助けてみる。だからっ!」

『——チャージ開始。10、9……』

 

 叫びながら、なのは杖先に収束砲撃魔法を発動。

長時間に渡ったこの戦闘中に使われた魔力は膨大も膨大、先ほどのディバインバスター・ブラスター3をも超越する威力の魔力が、なのはの杖先に集う。

 

「だから、お願いっ! “たすけて”って言って!」

『3……2……1……チャージ完了』

 

 なのはは、レイジングハートをバインドで捕縛されたウォルターへと向けた。

発射よりも早く、ウォルターは震える声で、なのはに告げる。

今までウォルターに助けられてきた者達が、ウォルターに向けてきた言葉を。

今度は、ウォルターが、なのはに、今までウォルターが助けてきた相手に。

 

「……たす、けて……!」

「……っ! とうっぜん!」

 

 だから返事は、ウォルターと同じ内容で。

叫び、なのははレイジングハートのトリガーを引いた。

 

『——スターライトブレイカー』

 

 桜色の極太の光が、ウォルターを飲み込む。

最早永遠と思える程の時間、光はウォルターを魔力ダメージで焼き続け。

ふと、思い出したように光が途切れると、意識を失ったウォルターが落ちて行く。

六課のバックアップ部隊が超速度で作り出したフローターフィールドに受け止められ、ウォルターは今度こそ完全に墜ちた事が確認された。

 

 なのは達、機動六課のメンバーの勝利であった。

 

 

 

 

 




なのはさんにSLBをくらうというテンプレ。
にしても私は遅筆だなぁ。


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7章10話

 

1.

 

 

 

「それでいいのですよ」

 

 と、ティルヴィングが言った。

白いもやがかったマーブル模様の背景に、僕とティルヴィングは浮いているようであった。

僕は何を言ったのかもう忘れてしまったけれど、兎に角ティルヴィングに向かって謝っていたのは憶えている。

自分が何を謝ったのかも憶えていない僕だったが、ぼんやりとした脳裏に浮かんできた言葉を、そのまま垂れ流しに口から発した。

 

「でも、だけどさ」

「私の人格データを礎にして、良いのです。貴方にとって、私は死んでしまったようなものかもしれません。貴方はそれをただの悲しい思い出にしたいのでしょう。私の人格死を糧にしたくないのでしょう」

「だって、それじゃあ、まるで……お前が死ぬ事が、良かった事になってしまうじゃあないか」

 

 ティルヴィングが、微笑んだような気がした。

見目には黄金の巨剣でしかないのだが、ただ、雰囲気が。

 

「それこそが、私の目的なのです。私は、機械です。効率と目的の為に全てを賭す存在なのです」

「それを酌むことが……、お前に報いる事なのか?」

「いいえ。機械に心などなく、故に報いる事など不可能です。私の行動と目的を、酌むかどうか。それは貴方が決める事で、敢えて言うならば、貴方が自分の望み通りにそれを決める事が、私に報いる事になるのでしょう」

 

 明らかにティルヴィングの言葉は矛盾していた。

自己の人格の存在を、目的の存在を、報いるべき何かの存在を肯定しつつも、己の心の存在は否定している。

けれど、そんな矛盾が無性に懐かしくて、心地よくて。

僕は、両目に涙を浮かべながら、告げるのだった。

 

「僕は――……」

 

 なんと答えたのか分からないまま。

目は、覚めた。

 

「…………ん」

 

 声が、漏れた。

2つの暖かな感覚に薄目を開くと、片方は木漏れ日で、もう片方は僕の手を握るなのはの温度であった。

ぼんやりとなのはの目に視線をやると、ぱくぱくと口を開け閉めしながら僕を見つめている。

寝ぼけた僕は、とりあえず言った。

 

「おは、よう」

「ウォルター君っ!? 戻ったの!?」

「あぁ、元通りさ」

 

 叫ぶが早いか、抱きついてくるなのは。

ぎう、と。

柔らかな肌が密着する。

仮面の無い僕は、気恥ずかしさから頬が僅かに赤く染まりそうになるのを感じながらも、それを隠していいのやら、悪いのやら、迷ううちになのはに気付かれてしまった。

あ、と告げ、なのははいたずらに微笑む。

 

「ウォルター君、照れてる?」

「ちょ……ちょっとだけさ」

「今までも、結構照れてたでしょ?」

「偶には、ね」

 

 何故か、花弁の開くような満面の笑みを作るなのは。

何がそんなに嬉しいのやらとんと見当も付かず、僕は首を傾げようとするも、なのはの両手がしっかりと首に抱きついており、動けなかった。

そのまま、あたふたとする僕はなのはに一通り弄られ、ついに完全な赤面を見せてしまう事になった辺りで、ようやくなのはが離れてくれる。

こほん、と小さく咳払いし、ニヤニヤ笑いの止まらない様子のなのはに告げた。

 

「まずは、ありがとう」

 

 六課の面々の無事は記憶の中の手応えで分かっていたので、まずはお礼からであった。

何故か、そこでほっと溜息をつくなのは。

疑問詞を表情に浮かべる僕に、微笑み、告げる。

 

「良かった、そこで”初めまして”なんて言い出してたら、びんたする所だったよ」

「そ、そうかい……」

 

 容赦ないなぁ、と思いつつも再びこほん、と咳払い。

 

「”たすけて”って、僕に言わせてくれて。そして、”たすけて”って言った僕を、助けてくれて」

「そんな、私一人の力じゃあなかったし……」

「うん、確かに皆の力だった。だから皆にも感謝するし、勿論、君にも感謝したいんだ」

 

 じっとなのはの瞳を見つめると、どうしてだろうか、なのはは頬を赤くしながら口を窄め、視線を落としてしまう。

謎の反応に首を傾げると、恥ずかしそうな、それでいて怒っているような、不思議な表情でなのはは僕を見つめた。

ふと僕は過去の表情を想起し、それがかつて鏡に見た、僕がクイントさんに向けていた表情とよく似ている事に気付く。

なのはが恋していたのは、僕の仮面相手の筈だ。

なのに仮面を外した僕に向けてなのはの恋心が向けられているような現状が、上手く理解と噛み合わず、思考が乱れる。

 

 不安、だったのだろう。

助けられて、あれだけ力強い肯定の言葉を貰って、それでも不安になるような僕の人格は真っ当とは言えず、むしろ劣悪な部類なのだろう。

それでも胸の奥の不安は押し殺せず、だから僕は、絶対になのはが肯定するだろうと分かっている、無意味な問いを口にした。

 

「ねぇ、なのは」

「ん、なぁに?」

「改めて。仮面を外した、素の僕と」

 

 深呼吸。

震える唇で、僕は告げた。

 

「……友達に、なってくれますか?」

「もっちろん!」

 

 たったそれだけの言葉が、僕の心にどれだけ強く響いた事だろうか。

胸の奥の不安は晴れ、晴れやかな青空の感覚が僕の胸をいっぱいにした。

かつて、なのはに敗北感を憶えた頃と同じ感覚。

僕は、不覚にもうっすらと涙を目尻に滲ませてしまった。

掌を握りしめて、どうにかそれをやり過ごそうとする。

 

「あ、そうだ。これは昔、フェイトちゃんにも言った事なんだけど……。友達になるには、お互いの目を見て、名前を呼び合う。それだけでいいの。だから、さ」

 

 今更ながらに手遅れの格好付けをしてみせようとする僕に、満面の笑みでなのはは告げた。

 

「なまえをよんで」

 

 シンプルで。

胸の奥の大事な部分を貫くような、力強い言葉だった。

 

「……なのは」

「うん、ウォルター君」

「なのは」

「ウォルター君」

「なのは!」

 

 僕は、こみ上げてくる涙をついにやり過ごせず、両目から零しながら、なのはの手を握った。

震える両手に、なのはの暖かな体温が伝う。

感涙、という言葉がしっくりくるのだろう。

僕は止めなく両目から涙を零し、ぽたぽたと涙滴をシーツに零した。

そんな僕を、なのはは温かな目でずっと見つめていてくれるのだ。

なのはの事を青空のようだと感じたのは、かつてから数えて何回目かだった。

そしてそれは、正しかったのだろう。

そう思えるほどの広い心、爽やかさだった。

 

 暫し僕が泣き続けて、ようやく落ち着いてきた頃。

僕が名残惜しそうに手を離すと、解放されたなのはは僕を気にしつつも、ゆっくり立ち上がる。

 

「それじゃあ、私、そろそろ皆に知らせてこないと。抜け駆けするなー、って怒られちゃいそう」

「……え?」

 

 意外な言葉に呟き、思わず僕は視線を出入り口に。

半ばまで開いたドアから、さくらんぼのように2つ連なり、片側半分だけ見えているフェイトとはやての頭蓋に目をやる。

刹那遅れ、なのはは油の切れたブリキのおもちゃのような動きで、視線を背後の出入り口へ。

唇が笑顔を作ろうとし、失敗し続けているのが僕の視界にも入った。

 

「…………」

「…………」

「…………」

 

 無言。

数秒の硬直を終え、何事も無かったかのように、フェイトとはやてが入室してきた。

 

「あ、ウォルター、起きたんだねっ!」

「めでたいわ~。あれだけ六課全員ボッコボコにしてされて、それで悪い結果にでもなろうもんなら洒落にならんからなぁ」

 

 明るい声で2人はなのはの両側に移動、流れるような動きで僕の死角から彼女の尻をつねる。

顔をひくつかせるなのはに、表情に一切見せない2人。

筋肉の張り具合や空気の動きで読める動きだったのだが、気付かないふりをしておこう。

そう思える程度には、僕は賢明だった。

 

「あぁ、2人とも、おはよう。……ありがとう、僕を助けてくれて」

「えへへ、当たり前だよ、友達だしっ」

「うへへ、えーよえーよ、ダチだもん」

 

 僕の言葉を受け、途端顔をだらしなく崩す2人。

仮面を外した僕と直接会うのは初めてなのだ、2人が自然な感情として顔を崩しているのではなく、僕に気を遣っての事なのだろう。

労られている事が仄かに嬉しく、胸の奥が暖かくなるのを感じる。

またもや涙がこみ上げてくるのを、必死の格好付けで抑え、僕は続きを口にした。

 

「そういえば、あれからどれぐらい経つんだい? スカリエッティはどうなった?」

「ウォルター君との戦いから、2日だね」

「スカリエッティについては、シャッハとヴェロッサに探ってもらっている所。六課の皆はもう全快、見つけ次第スカリエッティとの戦いを始めるつもりだよ」

「見つけんでも、スカリエッティの性格を考えるとなぁ。海の部隊が応援に駆けつけるその目前で何かやらかすのは間違いないから、そろそろアクションはありそうなんやけど」

 

 なるほど、とはやてのスカリエッティ分析に頷く僕。

海の艦隊は遠方任務についている上、逐次投入を避ける為にも集合する必要があり、ミッドチルダまでまだ辿り着いていないのだ。

クロノ達がミッドチルダに戻ってきたその目の前で絶望的な状況を作ろうというのは、いかにもスカリエッティらしい演劇調のやり方だろう。

とは言え。

 

「……全快って聞こえたけど、なのはは?」

「にゃ、にゃはは……。きゅ、99%ぐらいかなぁ」

 

 眼を細める僕。

弱っていた上に手打ちだったとは言え、僕の断空一閃を超える威力をたたき出した、ディバインバスター・ブラスター3。

そのブラスター3を超える威力のスターライトブレイカー。

他は兎も角、この2発を撃ったなのはの体が何とも無かった筈が無い。

とは言え、僕がなのはに言える事じゃあなくて。

それでも、何か言わずには居られなくて。

 

「……僕が言うのもなんだけど、それでも言うよ。なのは、どうかこれ以上無茶はしないでくれ」

「うん、分かってる。ほんと、ウォルター君に言われるのは変な気分だけどね。分かった? 目の前で無茶している人を見る気分」

「う、うん……」

 

 多分これから、僕はもう一度無茶をする事になる。

それも、これまでで最高の無茶をだ。

そんな予感もあり、僕は言葉を濁す事しかできなかった。

訝しげに、なのはが何か口にしようとした、その瞬間である。

はやてが、顔色を変えた。

念話の魔力波形。

 

「ヴェロッサ? ……当たりか! なんやて、すぐ戻るっ!」

 

 はやてが、うっすらと瞬きをした。

その一瞬で、空気が暖かな物から鋭い物へと作り替えられる。

真っ直ぐな瞳で、はやて。

 

「なのはちゃん、フェイトちゃん、スカリエッティの居場所が見つかった。アースラまで戻って、出陣するで。……ほんま、すぐ近くに停泊させといて良かったわ」

「うん、了解」

「今度こそ、最後の戦いだね」

 

 と視線を合わせた3人が、示し合わせて僕に視線を。

続け立ち上がろうとしていた僕を、視線の圧力で押しとどめる。

 

「ウォルター君は、留守番な。リニスさんと、一緒や」

 

 代表して、はやて。

反論しようとする僕が言うよりも尚早く、続きが口にされる。

 

「リニスさんとシャマルと担当医の話によると、人格制御が治ったばかりな上にリンカーコアへのダメージで、ウォルター君はまだ全快じゃあない。今動くと精神的な後遺症の危険性もある。体の方に至っては、狂戦士の鎧でしっちゃかめっちゃかになってて、よう分からんそうや」

「勿論、折角助けた人に無茶されるなんて、私、嫌だからね」

「無茶したら、なのはにもっかいスターライトブレイカーぶちこんでもらうから」

「そうそう……って、フェイトちゃん!?」

 

 と悲鳴をあげるなのはを尻目に、僕は苦い顔を隠せなかった。

握りしめる手の力を強めつつ、告げる。

 

「皆は……セカンドに、勝てるのか?」

「勝つ。ウォルター君に勝てたんや、勝てないって事は無い筈や」

「あいつは前の僕と違って、魔力ダメージに弱くは無いぞ?」

「代わりに、前のウォルター君ほどは強く無い筈やね」

「…………」

 

 僕とはやては、数秒、押し黙って視線を交わし合った。

はやての瞳には、隠されていたけれども、怯えの色はある。

セカンドに勝てるとは言い難い現状、僕を戦場に出したいという誘惑。

反して、やっと助けられた僕を失いたくないという我欲、強さを発揮できるのか分からない僕を戦場に連れて行くリスクを強く見る冷静な判断。

僕は、溜息をついて視線を外した。

 

「……負けそうになったら、すぐにでも助けに行く。まぁ、勘とか、シックスセンスでの自己判断なんだけどさ。それが妥協点だ」

「馬鹿やなぁ、言わなければ止められもせんのに」

 

 と、微笑みはやてが言うので、僕は真っ直ぐにはやてを見つめながら、正直に告げた。

 

「少なくとも助けられたばかりの今、君に嘘を告げたくないんだ」

「……え、あ、うん」

 

 何故か、戸惑うはやて。

顔を僅かに火照らせたように見えたが、すぐに回れ右してしまったので、子細は分からない。

疑問詞に首を傾げる僕を尻目に、こほんと咳払い、はやてが告げる。

 

「じゃ、じゃあ、分かった。ウォルター君、またな。なのはちゃん、フェイトちゃん、行くで!」

 

 靴裏で床板を蹴るはやて。

心配そうに僕を見つめながら、なのはとフェイトがそれについて行き、病室を後にしていった。

 

 

 

2.

 

 

 

「さて、我らが宿敵機動六課の方はどうなっているのかね」

 

 呟き、スカリエッティは椅子に深く腰掛けたまま足組してみせた。

暗い空間。

ラボから移動してきた機材の数々が見せるランプが、スカリエッティの相貌を照らす。

同じようにその両隣に経つ2人の女性、ウーノとクアットロもまたその相貌を人工の光に照らされていた。

 

「うふふ、どうでしょうねぇ。今頃、ウォルターちゃんの素の悲惨さに、自分たちがしてきた事を後悔している頃じゃないでしょうかね? それともぉ、自分たちがそんな外道だったと認めたくなくて、ウォルターちゃんに今までよくも騙してきたな、って言ってる頃かしら?」

「くく、後者のように連携が崩れているのなら、私たちの勝ち目も五分まで取り戻せるのだがね。……セカンドでは、あの人格改変後のウォルターには敵うまいよ」

 

 肩をすくめるスカリエッティに、クアットロは手で隠した口元から哄笑を漏らしてみせた。

スカリエッティ達は、一時的に機動六課に対する情報源の殆どを失っていた。

六課に仕掛けた目は襲撃時に半ば無くなり、その後徹底的に除去され一つも残っていない。

管理局全体を見ればまだスカリエッティの情報源は残っているものの、今までのように最高評議会という後ろ盾が無い以上、おおっぴらに大規模な情報を手に入られる程では無かった。

故に、スカリエッティはウォルターが敗北し元の自身へと人格回帰した事を知らない。

 

「うふふ……セカンド、あの役立たずの、硝子の成功作。急場を凌ぐためだけに作られた子ですものねぇ」

「あぁ。あれは、人格の基礎に”己が次元世界最強である”という事実を置いて作った状態に似せた故に、容易く”私の”理想の英雄の人格を宿したが……。ふん、まさかセカンドを上回る相手が、それもあのウォルターがそこまでたどり着くとは思ってもみなかったからね」

 

 溜息をつくスカリエッティ。

とは言え、セカンドでさえその強さは計り知れないほどである。

ナンバーズ全員どころか、そこにゼストやアギト、ルーテシアを足し、幾多のガジェットを加えての戦いでさえ、セカンドの完全勝利であった。

ガジェットを一時機能不全に止め、全員を倒すのに優しく倒す手加減をしながら、である。

トーレ辺りはそれに奮起し、触発されたチンク、それに引きずられ姉妹が次々にセカンドに挑むようになり、いつの間にか仲良くなっていったりもしていたが。

それは兎も角、そのセカンドを上回る改変ウォルターが敵という事は、スカリエッティの勝率が大幅に下がった事を意味する。

 

「セカンドと聖王の2人がかり以上しかあるまい、か。しかしその前に、機動六課を全滅させておく必要がある」

「セカンドちゃんでウォルターちゃんを抑えているうちに、他の六課の子を撃破。全員に復活したヴィヴィオ聖王閣下でウォルターちゃんを、こ・ろ・す。ベストプランはそれですわね」

「まぁ、こちらも一人も墜ちずに、とは行かんだろうが……、それぐらいしかないか」

 

 当然だが、限りなく勝率の低い戦いではある。

そもそも、セカンドにすら劣る聖王ヴィヴィオがウォルターとの戦いについていけるのか。

それ以前にナンバーズと聖王ヴィヴィオだけで機動六課に勝てるのか。

などなど、問題点は山積みだ。

加えて。

 

「しかも、私のクローンでの再誕は魅力的だったが、相手がウォルターでは……。敗北して逃げたとしても、一度でも直接会った事があれば、あの勘とシックスセンスを相手に逃げ切れる気はせんね」

「何せあの子、面白い程に自分の運命を引き当てる人生のようですしねぇ……」

「初恋の人に呪いをかけられ目の前で死なれ、親友だと信じる存在が蘇生した相手を斬り殺し、その親友が妄想だったと知り、宿敵たる私との戦いで親友が妄想ですらないと知り、デバイスの人格を失い、最強の名すら失う」

「そんな風に自分の宿命を引き当てる子相手に、逃げ切れるとは思えませんわね……」

 

 事実であった。

この中でスカリエッティが積極的に動いたのは最初と最後の二件だけであり、残りはウォルターが勝手に地雷原へと足を踏み入れていったのである。

これだけ自分の宿命と戦い続ける男を相手に、その宿命そのものと言えるスカリエッティが逃げおおせられるとは思えない。

故に。

 

「セカンド、少なくとも聖王から離れるのは良策では無いな。再誕の選択肢が無い以上、六課の戦力を分散させるのは無理だ。大将は大将らしく、一番守りの堅い所に居るよ」

 

 告げ、スカリエッティは唐突に両手を挙げた。

それから孔雀のように典雅な動きで、ゆっくりと両手を下ろす。

 

「……この、聖王のゆりかごにね!」

 

 薄ら笑いを浮かべたスカリエッティが告げると同時、暗闇に空間投影ディスプレイが登場。

そこに映るナンバーズの姉妹達が、次々にミッドチルダへと向けて放たれる。

ナンバーズは空戦部隊と地上部隊に別れ、最前線に位置するガジェットとの距離を保ちながら地上本部へ向け足を進めていた。

奇しくも、タイミングははやてが読んだ通り、海の艦隊が到着する寸前にゆりかごが月の衛星軌道上に達し、最強の兵器となるタイミング。

海の艦隊がやってきて希望に満ちた面々の顔色を、艦隊を焼き払い絶望の色に変えたいが為であった。

 

「ふん、六課も空戦部隊と地上部隊にしか別れないようだね」

 

 告げるスカリエッティの言う通り、機動六課もまた空戦部隊と地上部隊に別れ、互いにガジェットを排除しつつナンバーズを標的として動いているのが見て取れる。

奇妙な点としては、その中にウォルターが混じっていない点であった。

スカリエッティのように拠点防衛する意味が無いのに、あのウォルターを温存する意味はあまり無い。

つまり、奇襲か。

聖王で時間稼ぎしている間にセカンドを戻す必要がある、とスカリエッティが判断した瞬間、セカンドからの念話。

 

(おい、スカリエッティ。ウォルターの奴、病院でおねんねしてるようだぜ)

(……病院? 人格改変に完全成功した訳ではなかった、のか?)

(知るか。ただ、意識は感じる。そのうちこっちに飛んでくるだろうよ。奇襲じゃねぇだろうから、俺は戻らねぇぜ)

 

 一方的に切られる念話。

心に余裕を持っては如何かね、と内心肩をすくめつつ、スカリエッティは浮かせた腰を椅子に戻す。

 

「さて、ウォルターが居ないのでは私たちの優勢は間違い有るまいが……」

「問題は、ウォルターちゃんがどう出るか、ですわねぇ」

「ただ、そもそもセカンドに、ウォルター以外と戦う気があるのかが微妙な点もあったね。やれやれ、ウォルターが出てこない可能性は考えていなかったからね、校正はしていなかったのだが……」

「うふふ、敵を過大評価し過ぎなのではぁ?」

「くくく、言うねぇ。だが、その方が楽しいだろう?」

 

 哄笑が響き渡り、暗闇を満たした。

2人の悪魔が笑い、隣には鉄面皮が一人、置物のように佇むだけ。

そんな彼らの手をついに離れ、戦いは幕を開ける。

 

 

 

3.

 

 

 

 戦いは、六課優勢であった。

セカンドの眼下、高みの見物を決め込む彼を尻目に、ナンバーズは決死の表情で機動六課に挑むも、矢張り一歩、届かない。

リミッターを解除した隊長陣は元より、フォワード陣でさえやや劣勢と言って良い。

特に際立つのは、シグナムの剣戟と、ティアナからの透明化直射弾。

前者はあのトーレですら一対一では劣勢、後者に至ってはどういう仕組みか、射手の位置が特定できない奇妙な弾である。

セカンドでさえ口惜しい事に察知できないそれは、威力こそそれほどではないが、神がかった精度で仲間を援護し続けていた。

 

「ぐっ! くそ、こいつら……強い!」

「セカンドとの訓練で、私たちも強くなってる筈なのに……!」

 

 叫ぶ姉妹にどうしてか、セカンドは己の心が揺れ始めたのを感じる。

セカンドは、次元世界最強の英雄である。

故にウォルターの仮面がそうしていたように、特定の親しい相手というのはなるべく作らず、利害によってのみ組む相手を作る一匹狼でなければいけなかった。

ウォルターは六課と組んだが、それも六課の宿敵がスカリエッティだと直感したから。

そうでなければ、ウォルターは孤高を選んでいただろう、とセカンドは考えている。

 

 故に。

セカンドは、ナンバーズとはドライな関係でしかないつもりだった。

 

 たまたま、恩のある相手の娘というだけ。

ウォルターの仮面とスバル・ギンガとの付き合い以下だと考えればいい。

つかず離れず、関係のケリだけはつける、それだけの関係であればいい。

決して馴れ合うような、深い関係になるつもりは無かった。

 

 何故ならば、セカンドの、スカリエッティの理想の英雄にしがらみは不要だったからだ。

英雄はその地に来て去りゆく者。

問題を解決し、去って行く者。

その地に生きる者達の外側に存在する者。

その考えが深く根付くが故に、セカンドにとって身内とは存在してはならない物でもあったのだ。

 

 だから。

今、ウォルターとの戦いを前に、セカンドを温存し続ける現状を、セカンドは歓迎している筈であった。

 

「ぐぁぁっ!?」

 

 けれど、姉妹達の悲鳴がセカンドの耳朶を叩く。

するとセカンドは、胸の奥がカッと熱くなり、血が煮えたぎるような気さえするのであった。

兄様と、セカンドと、己を呼ぶナンバーズたちの声が脳裏を過ぎる。

手が胸元のダーインスレイヴへと伸びると同時、チンクが叫んだ。

 

「セカンドっ! ここはお姉ちゃんに任せて、お前はウォルターを相手に力を温存するんだっ! 私たちは大丈夫、だからっ!」

「ぐ……、あー分かってるっての!」

 

 叫び、手を引っ込めるセカンド。

しかし、その声と同時、チンクがどこからか打ち込まれた透明化直射弾に打ち抜かれた。

かは、と肺から空気を漏らすチンクに、相手をしていたフェイトが眼を細め、高速移動魔法の前兆を見せる。

瞬間、セカンドは思考の時間すら無くダーインスレイヴをセットアップ、超速度の高速移動魔法を発動。

チンクの前に立ち、フェイトの超音速の剣を受け止めていた。

 

「けほ、けほ……、せ、セカンドっ!?」

「……お前が墜ちれば、どっちみち俺が出る羽目になっていた、だろ?」

「ま、まぁ、そうだな……。あ、ありがとう」

 

 嘘では無いが、行動してから考えた言い訳であった。

それを悟ったのかどうなのか、チンクは悩ましげな声で返す。

肩をすくめて答えるセカンドを前に、六課の面々は事態に気付き、集合。

改めてナンバーズもまた集合し、互いに向かい合った。

流石に、隠密行動を是とするティアナやセインは姿を消したままではあったが。

 

「セカンド……来るか」

「昔のウォルター君を超えるかもしれない実力者……! 来るよ!」

「”かも”じゃねぇし、今のウォルターも超えている、がな!」

 

 咆哮。

セカンドが全開の魔力を解放するも、どうしてか、六課の面々は慣れた様子で顔色一つ変える様子を見せない。

ウォルターの全力を、なんらかの形で見たのか。

察すると同時、ウォルターの魔力が己と互角以上だと知り、歯軋りするセカンド。

「おぉおぉおぉっ!」

 

 怒号と共に、セカンドは空を駆けた。

音を刹那で置き去りにし、音速程度とは桁の違う速度でフェイトへと襲いかかる。

が、透明化直射弾がセカンドを捉えた。

鈍い悲鳴と共に歩みを止めるセカンドに、彼の姿を捉えたフェイトが真・ソニックフォームに。

いきなり極限の薄着になったフェイトに、思わず、と言った様相でチンク。

 

「な、ちょっと待て、それは破廉恥だぞっ!」

「なっ!? わ、私エッチじゃないもん!」

『否定。です。どー見ても恥女。です』

 

 肩の力の抜ける会話を無視、セカンドは再びの超速度でフェイトへと剣を振るう。

袈裟。

双剣を繰るフェイトの剣を片方弾き、その反発を利用しもう片方へと迫るダーインスレイヴ。

が、そこになのはの誘導弾が。

舌打ち、体を翻し避けるセカンドに、ヴィータの鉄槌が迫る。

 

「どりゃぁぁぁっ!」

「……ち」

 

 舌打ち、鍔迫り合いの最中の透明化直射弾を嫌って避けるセカンド。

しかし、直後衝撃。

セカンドの判断を読んでいた再びの透明化直射弾の命中に、セカンドは歯軋りする。

 

「くそ、ティアナの奴、どこまで……!」

 

 実はティアナの弾丸は未だ命中率は半分以下。

残る弾丸は誰にも悟られずに戦場の外へと消えるか、味方に当たる軌道なら発射前に消滅させているため、誰も気付いていないだけで、結構外れてはいた。

とは言えそれを知らぬセカンドは戦慄するも、既に時遅い。

動きを止めたセカンドをなのはの誘導弾が包囲、セカンドへと襲い来る。

 

「く、そっ!」

 

 味方に直射弾を当ててはならないセカンドに、直射弾での迎撃は百発百中を可能とする確信が無ければ使えない。

人格改変ウォルターほどの勘を持たないセカンドは、歯軋りと共に確実に当てられる誘導弾のみ処理しつつ、フェイトやヴィータの猛攻を凌ぐ。

集中を稼ぐ一瞬さえ見つければ、セカンドは斬塊無塵で形勢逆転できる。

故にその一瞬を稼ぐべく思案を始めたセカンドであったが。

 

「よっしゃ、やっぱこいつ、ウォルターより弱いっ!」

「うん、ウォルター相手ならとっくに私たちの半分は落とされていた。セカンド相手なら、行ける!」

 

 苛つく会話に、セカンドは脳の血管が数本切れるのを感じた。

もういい、消耗を抑えて倒すのには、巧遅より拙速。

そう信じ、セカンドは怒号と共に剣を振る。

 

「うぉおぉおおぉっ!」

「なにっ!?」

 

 断空一閃・フルパワー。

辛うじて耐えきるグラーフアイゼンだったが、その奥にいるヴィータを守り切れる程では無かった。

一撃で墜ちかける程のダメージを受け、意識を朦朧とさせるヴィータ。

それを地上へと蹴り捨て、直射弾をばらまき誘導弾を相殺、その間に次いでセカンドはトーレを追い詰めたシグナムへと斬りかかった。

 

「断空一閃っ!」

「紫電……一閃!」

 

 一瞬で押し負ける紫電一閃だったが、奇しくも対ウォルター戦と同じく、ティアナの一撃がそれを補助し、刹那の拮抗を生み出す。

そこにフェイトが割り込み、双剣と直剣、3本の剣がダーインスレイヴを押しとどめた。

が、それだけ。

 

「まだ、だっ!」

「きゃっ!?」

「ぐっ!?」

 

 突如、ダーインスレイヴより圧倒的魔力が吹き荒れ、シグナムとフェイトを吹き飛ばす。

距離を取るや、今度はザフィーラとスバルに負けそうになっていたノーヴェの援護に。

だが2人はあっさりとセカンドから距離をとり、その背後の光景がセカンドの顔を引きつらせた。

 

「いくで……」

『デアボリック・エミッションです!』

 

 広域殲滅魔法。

判断と同時、セカンドは最大魔力を発揮し、高速移動魔法で追いつき発生寸前の核を切り捨てる。

が、当然その動作は読まれていた。

誘導弾が迫るのに対処しようとした瞬間、透明化直射弾が命中、一瞬硬直するセカンドへと、誘導弾の嵐がたたき込まれる。

 

「セカンドっ!?」

「兄様っ!?」

 

 悲鳴をあげるナンバーズを尻目に、半呼吸遅れ黄金の砲撃魔法がセカンドを貫いた。

防御魔法を展開して耐えるセカンドに、更に半呼吸遅れ桃色の砲撃魔法が。

遅れフリードのドラゴンブレスがたたき込まれ、ついに防御魔法が決壊。

そこに、空中を駆る赤い影が。

 

「いちち……これで……」

 

 その手の鉄槌が、見る間に巨大化。

ビルが鉄釘に見えるような大きさにまでなり、セカンドへと振り下ろされる。

 

「どうだぁぁぁっ!」

『ギガント・ハンマー』

 

 しかし。

相手は、自称とは言え次元世界最強の魔導師を名乗る男であった。

 

「……断空一閃」

 

 攻撃の途切れた一刹那の溜めで、ヴィータのギガントハンマーを迎撃。

そのまま体勢を崩したヴィータへと剣をたたき込もうとして、しかしそれを許さぬ剣士が居た。

 

「紫電、一閃っ!」

「……ち」

 

 舌打ち、セカンドはシグナム渾身の一撃を弾く。

そのままその腹に蹴りを入れ、距離を取ると同時に囲んできた誘導弾を、ばらまいた直射弾で相殺してみせた。

魔力煙が薄れるのを待ち、セカンドは戦況を見る。

 

 ナンバーズは、既に多くが敗北していた。

セカンドとの戦いに参加していなかったスバル、ギンガ、エリオ、ザフィーラ、シャマルが特に活躍したらしく、驚くべき事に空戦タイプのナンバーズは殆どが堕とされ、残るはトーレのみ。

加え地上にもチンクとノーヴェの2人しか残っておらず、遠くから砲撃を撃っていたディエチも既に堕とされたようだった。

 

「…………」

 

 セカンドは、己の内側に冷たく、凍り付くような何かが生まれるのを感じた。

表情が抜け落ちて行くのが感じられ、臓腑が硬質化してゆくのが手に取るように分かる。

剣の切っ先が、僅かに下がった。

 

 高速移動魔法。

瞬く間にフェイトの目前に表れ、セカンドは彼女に切りつけた。

ギリギリで間に合った防御の上からはじき飛ばし、遅れ六課の面々がセカンドが移動した事に気付く。

そのまま返す刃でヴィータへ断空一閃、悲鳴を挙げるヴィータが墜ちたかどうかも確認せず、続けシグナムへ。

ようやく追いついた透明化直射弾を喰らい、僅かに遅いタイミングになるも、剣戟を見舞う。

その刹那のお陰でシグナムは剣を合わせる事に成功するが、それも一瞬、すぐに負けはじき飛ばされた。

追い打ちの直射弾を置き土産に、セカンドは次の目標になのはを定める。

 

「う、うそ、いきなり強く!?」

「これが、本気なの!?」

 

 なのは達の悲鳴を尻目に、セカンドはダーインスレイヴを握る力を強くする。

憎悪が、セカンドの力を増していた。

仲間達の悲鳴、己がオリジナルに届かぬ苛立ち、全ての憎悪を込め、セカンドは剣をなのはに向け振るう。

辛うじてレイジングハートの防御が間に合うなのはだったが、一合で弾かれ、切り返しの斬撃がなのはへと向かった。

 

「ぁ……」

 

 なのはの、消え入りそうな声。

それすらもセカンドの心に波一つ起こさず、故に剣戟は一定の速度で空気を切り進み。

そして。

 

「断空、一閃っ!」

 

 金属音。

はためく黒衣、黄金の巨剣、炎の意思の瞳が輝くその相貌。

ウォルター・カウンタック。

真の英雄が、ダーインスレイヴの刃を受け止めていた。

 

 

 

4.

 

 

 

「きやがったか……!」

 

 燃えさかるセカンドの声に、僕も静かに心の奥を燃やし始める。

強がって強がって強がって、今まで通りの炎。

自分なんて信じられないけれど、自分の強さを信じ、誰かにその炎が通じる事を願う炎。

加え、ほんの少しだけ、なのは達が僕を信じてくれた事による、ちょっぴりの自信。

それらをまぜこぜにして、僕は吠えた。

 

「あぁ、来たぞ。”俺”じゃあない、元の”僕”がっ! 弱虫の、UD-265だったウォルター・カウンタックがっ!」

「……なにっ!?」

 

 顔色を変えるセカンドに、僕はティルヴィングを向ける。

何故だろうか、彼を前に、不思議と僕は怯えを感じなくなっていた。

かつては僕の完全品である彼を前に、錯乱と恐怖でまともに目を見る事も出来なかったと言うのに。

今は、彼がとても小さく見える。

 

「馬鹿な、どういう事だっ!?」

「……完全な筈の改変人格は、けれど敗れた。奇跡的に、ね。それが答えだ」

 

 動揺にセカンドの剣が揺れるが、その隙を、僕は自身の攻勢に使うつもりは無かった。

代わりに、なのは達へと声をかける。

 

「皆! なのは、フェイト、はやてはスカリエッティのゆりかごとやらに行ってくれ! シグナムは、そこの飛んでる奴の相手を! 僕はここでセカンドを、陸戦部隊の皆にザフィーラとシャマルで残るナンバーズを仕留めて、それから必ず追いついてみせる!」

「……分かった、必ずだよ!」

 

 叫ぶなのはを始め、フェイト、はやてが空中へ。

ゆりかごへと飛んで行くのを、墜ちたヴィータを保護するシャマル達と共に見届ける。

その頃にはセカンドの動揺も収まったようで、震える剣の切っ先を、どうにか僕に向けていた。

視界の端では、同じようにシグナムが3人の後を追おうとするトーレに切っ先を向けている。

 

「何故だ」

 

 セカンドの声は、怒りと安堵の入り交じった、奇妙な物であった。

僕にも、気持ちはよく分かる。

殆ど同じ記憶を持っている彼だ、僕が人格改変後の僕に感じていた感情と、同じ物を感じているのだろう。

即ち。

英雄誕生への喜びと、嫉みと、自分の位置を奪われる恐怖。

 

「何故、お前は真の英雄を蹴落としたっ! 俺なら……、俺ならっ!」

「君なら、どうしたって?」

 

 言葉にならない叫びと共に、セカンドが飛び出した。

僕より僅かに早い動きだが、見えない程ではない。

怜悧な読みに体を従え、ダーインスレイヴの刃を受け流す。

交錯。

その瞬間に半回転し、互いに第二撃を放ち、それは互いの中心で激突してみせた。

パワーは僅かにセカンドの方が上だが、剣戟は拮抗。

動揺の色を見せるセカンドだが、体勢的に互いに距離が離れ、追撃の直射弾は流石に迎撃される。

――少しは消耗しているのかと思ったが、彼のタフネスは改変後の僕に比し、今の僕より。

つまり、消耗やダメージは無いに等しい。

 

「……俺なら、俺なら、自分を捨てていたっ! きっと、きっとだ! だからこそ、お前のやった事が理解できねぇっ! 何故、何故なんだ!」

 

 涙を流しながら、セカンドは哭く。

袈裟。

片手の手甲を上手く使いティルヴィングで受け流し、その隙に蹴りをたたき込む。

が、セカンドは半回転、こちらも蹴りで僕の蹴りを迎え撃った。

筋力は向こうがやや上、しかしタイミングの関係で、これもまた拮抗。

鏡合わせにデバイスを待機モードに、僕は肘打ちを、セカンドは掌底を放つ。

互いの頭蓋近くを、超音速の肉塊が通り過ぎて行った。

 

「おぉぉぉっ!」

「がぁあぁっ!」

 

 同時に、頭突き。

これもまた、互角。

互いに弾かれると同時、頭蓋を揺らしながらもデバイスを具現化し、振るう。

やはりセカンドの方がパワーは上、しかし回復が早かった僕の剣がより深くまで吸い込まれて行き、これも互角。

鍔迫り合いになる。

 

「独りじゃあ、なかったんだ」

 

 僕は、セカンドの問いに返した。

眼を細めるセカンドに、続け叫ぶ。

 

「ずっと独りだと思っていた。リニスだって、文字通り思考が通じ合えている、半分自分自身だから一緒に居られるんだと思っていた。ティルヴィングだって、機械で僕に逆らえないよう設定されているから一緒に居られるんだと思って居た」

「そうだ。俺たちは独りだ。孤高の強さ、孤高の精神の高さ、今はそうでなくとも、それを求めるが故に」

「でも、違った」

 

 バリアジャケット・パージ。

刹那遅れるセカンドと互角、舌打ちする僕。

矢張り、身体能力とデバイススペックではセカンドの方がやや上、技術と勘は僕が上、魔力は互角という所か。

人格改変から戻った影響と、精神的な変化故に、僕の勘と魔力は更なる向上を見せていた。

とは言え、今は辛うじて凌いでいるが、そのうち勝負に出ねば、タフネスで僅かに負ける僕の勝機が薄い。

隙をうかがう事を意識しつつ、僕は勘を頼りに魔力煙の中に突貫。

バリアジャケットを再生させようとし、隙だらけのセカンドへと迫る。

 

「でりゃぁぁっ!」

「な、ぐおっ!?」

 

 断空一閃を使う間も無く通常の斬撃だが、やっと一撃。

袈裟にたたき込まれた斬撃に、セカンドが胃液を漏らしながらもたたらを踏んだ。

銀閃。

首を振って避けた突きは殺傷設定、僕の頬にうっすらと血のラインが引かれる。

 

「なぁ、なのは達はね。僕を、友達だと言ってくれたんだ。救いたいと、言ってくれたんだ! そして、僕が独りで悩んでいては、永遠に辿り着けなかった答えまで、辿り着かせてくれた」

「なんだ、そりゃあっ!?」

 

 叫びセカンドは突きを縦薙ぎに変化。

僕はギリギリでティルヴィングを回転させ、防御位置にまで辿り着かせることに成功する。

刹那遅れれば、首を落とされていた斬撃に、流石に肝が冷える僕。

ダーインスレイヴの一撃を受け流し、そのままティルヴィングの一撃を袈裟に振るった。

神がかり的な速度で手首を回転させ、セカンドは剣の柄でそれを受ける。

当然弾かれるが、その勢いに乗じて距離を。

そこに隙を見つけ、僕は咆哮した。

 

「僕の今までの人生は! 間違ってなんか、いなかったって事にだ!」

『韋駄天の刃』

「ぐっ!?」

『韋駄天の刃。です』

 

 斬塊無塵同士の戦いの方が勝率が高いが、故にセカンドは絶対に僕に集中を許さない。

加え、前回斬塊無塵同士の戦いで負けた事から、今一勝利のイメージがし辛いのだ。

ならばすべきは、絶好のタイミングで次善の強さの魔法、韋駄天の刃をたたき込む事。

いくら身体能力差で放てる断空一閃の数で僕が劣るとは言え、先に攻撃を当てれば僕が勝つ。

故に。

頭蓋を覆う兜の感触を味わいながら、僕は叫んだ。

 

「セカンドぉぉおっ!」

『断空連閃・四十一閃』

「オリジナルぅぅうっ!」

『断空連閃・四十七閃』

 

 僕は金閃と、セカンドは銀閃と化した。

音速の三十倍を優に超える速度で動き出す、その瞬間。

背中に悪寒が走る。

半身になると同時、僕をかする軌道で飛ぶ紫色の斬撃が走っていた。

視界の端ではトーレだったか、ナンバーズの一人が背にシグナムの斬撃を受けながら微笑んでいた。

 

 ――しまった。

脳裏にその言葉が刻まれると同時、それでも動きを止める訳にもいかず、むしろセカンドより遅れたタイミングで僕は動き出す。

超速度で僕たちは幾度となく激突、互いの剣戟をたたき込んだ。

引き延ばされた時間感覚。

永遠にも思える程の時間が過ぎ去った後、僕は視界に捉える。

墜ちて行く、セカンドの姿を。

 

 やった、と思ったのは、束の間。

声も出ず、全身に力が入らず、あれ、と思った瞬間、気付いた。

墜ちているのは、僕の方だ。

途切れそうになる意識を必死でつなぎ合わせながら、僕は動かぬ体に動けと命令する。

それでも体は動かず、刻一刻と地面は近づいてきていて。

――視界に。

空に浮かぶ、勝ち誇ったような、泣きそうなような、不思議な表情をしたセカンドの顔が見える。

どうしてか、僕にはそれがたいそう哀れに思えて。

 

 次の瞬間。

追い打ちの直射弾が、セカンドから山のように放たれた。

視界を、白い魔力光が染めて、そして――。

 

 

 

 

 



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7章11話

 

 

 

1.

 

 

 

「はぁっ、はぁっ、はぁっ」

 

 肩で息をしながら、セカンドは眼下の光景を見渡す。

クラナガンの廃棄区画、ウォルターの記憶にとってもなじみ深いそこは、今や死の大地と化していた。

セカンドによって放たれた殺傷設定直射弾により、ウォルターが墜ちていったそこはがらんどうの建物から、破壊され尽くした廃墟へと変身を遂げていたのだ。

 

「俺は……勝った、オリジナルに。ウォルター・カウンタックに!」

 

 確かめるように口にして、それでもセカンドはその言葉に確信を持てなかった。

トーレが手を出した事もあるが、それ以上に、記憶が叫ぶからだ。

あれは、ウォルター・カウンタックだ。

真に次元世界最強の魔導師だ。

――あれはまだ、立ち向かってくる。

 

 そう確信した瞬間、セカンドは脊椎に液体窒素を流し込まれたかのような感覚を抱いた。

震え、神経という神経が凍り付き、微量の動きでさえも砕け粉々になってしまいそうな恐怖。

息をゆっくりと吐き、落ち着こうとしてみせるも、不可能であった。

 

「ぁ……あぁぁぁあっ!」

 

 叫び、セカンドは掌を上空に。

数秒で千を超える直射弾を宙に浮かべ、ウォルターの墜ちたであろう辺りへと振り下ろす。

それは、白い雨に例えるのが最も近かっただろうか。

最後の理性でナンバーズに当たるかもしれない、と非殺傷設定を選びこそしたものの、一撃一撃がSランク魔導師の砲撃魔法に匹敵する魔法が、大地を蹂躙する。

 

 しばらくして、肩で息をしながらセカンドは直射弾の雨を止める。

魔力煙が漂う中、セカンドは油断せずにダーインスレイヴを構えたままに、ゆっくりと下りて行く。

地上に足を降ろしても、ウォルターの姿は見えない。

常識的に考えて、セカンドの最大威力の剣技をたたき込んだ後、有り余るほどの追撃を打ち込んだのだ、ウォルターは既に墜ちているだろう。

シックスセンスは疲労により半ば機能を失っており、最早遠方にあればウォルターの魔力波形を捉える事すら叶わない。

だが、セカンドの霊感がその耳に囁くのだ。

 

 ――まだ、ウォルターは負けていない、と。

 

 恐怖に、セカンドは身震いした。

己の人格の基礎が、崩れ落ちて行くのを感じた。

それでも必死の虚勢で、震える両膝をどうにか立たせたままに、深呼吸をする。

このまま直射弾を乱射していた所で、勝てるとは限らない。

しかしセカンドは、ウォルターに勝たねばならない。

ならば取り得る方法は、一つしか思い浮かばなかった。

 

「セカンドっ!」

「兄様っ!」

 

 浮かんだ方法を実行しようとするより早く、チンクとノーヴェの声。

 

「全く、お前の腕前なら私たち姉妹を避ける事など朝飯前なのだろうが、肝が冷えたぞ……。あまり、姉に心配をかけさせるな」

「ったく、タイプ・ゼロもどっか行っちゃうしさ……。って、兄様?」

 

 買いかぶりの台詞だった。

セカンドはむしろ、今の台詞に姉妹に直射弾が当たっていなかった事を知り、安堵すら憶える。

するとノーヴェの疑問詞と共に、2人は心配気な表情を驚愕に変えた。

どうしたのか、と内心首を傾げるセカンドに、慌てチンク。

 

「せ、セカンド……。泣いて、いるのか?」

「え?」

 

 言われ、セカンドは手を顔にやった。

確かにその両目からは、暖かい液体が零れだしている。

それも、流量からして、今流れ出した物ではない。

つまり、これはウォルターに怯えて流れ出した、恐怖の涙。

 

 恥辱に、セカンドは震えた。

体の芯からこみ上げてくる、暴力的な衝動。

憎悪、憤怒、そういった感情に置換され、衝動はセカンドの中を暴れ回った。

歯噛み。

チンクとノーヴェに答える事すらせず、セカンドはウォルターを倒す為に飛び始める。

 

「あ、こらっ、恥ずかしいからって逃げるな!」

「いや、チンク姉、凄い顔してたし、そーゆーんじゃないんじゃ……」

 

 チンクを抱えながらウイングロードでノーヴェが追って来るのを、無視しながら。

 

 ――目指すは、ゆりかご。

ウォルターとの最終決戦の地となる場所。

 

 

 

2.

 

 

 

「う……」

 

 短い呻き声に、スバルは喜色を露わにした。

目前の男が目を瞬き、ぼんやりとした表情でスバルの顔を捉える。

感情が溢れ、思わずスバルは地面を蹴った。

 

「ウォル兄っ!」

「こら、抱きつくなっての!」

 

 が、それも隣のティアナによって阻止。

ぐぇぇ、と蛙のような声を漏らすスバルに、目を瞬くウォルター。

眠そうに頭を振ると、ゆっくりと起き上がろうとする。

 

「って、痛っ!」

「あ、ウォルターさん無理しないでっ!」

 

 叫び、ギンガがウォルターに肩を貸す。

遅れ呻いていたスバルもウォルターに寄り、そのもう片方の肩を支えた。

近くで座り込んでいたザフィーラが、固い声。

 

「ようやく起きたか」

「っていうか、何で起きられるんですか……」

 

 続くシャマルの呆れ声に、辺りを警戒していた様子のエリオとキャロが戻ってくる。

瞑目したまま瓦礫に背を預けるシグナムを含め、全員に視線を行き渡らせ、ウォルターは目を見開いた。

恐らくは、シャマルの回復魔法の光が向かう先の、傷ついたリニスを見て。

 

「って、リニス!? うぐ……!」

「ウォル兄!」

「あぁもう、無理しないでくださいっ、連れて行きますから!」

「す、すまん……」

 

 痛みに顔を引きつらせるウォルターを、スバルとギンガはリニスの前に連れて行った。

そこで膝をつかせると、痛みに顔をしかめつつも、ウォルターはゆっくりと掌をリニスの額にやる。

温度に安堵したのだろう、僅かに緩やかな溜息。

 

「……僕がセカンドに負けて、あれからどうなったんだ?」

「うん、その後セカンドが、追撃して、ウォル兄が地面に落ちちゃって……」

「私たち全員で守りに来た所に、セカンドが馬鹿みたいな量の直射弾を撃ってきたんです」

 

 ティアナの台詞に、思わずスバルは背筋を寒くする。

人格改変ウォルターに比類しうる程の、直射弾の雨。

非殺傷と見て取れる物だったが、それでもスバルは死を覚悟すらしたものであった。

 

「全員で最大の防御魔法を発動したが、それでも大して持たなくてな」

「そこに、ウォルターさんに追いついたリニスさんが……」

 

 ギンガの台詞に、スバルを含め、全員の視線がリニスへ。

ウォルターは危機感に従いリニスを置いて先行しており、リニスはタイミング良く戦闘局面に追いついた形となる。

傷つき、呼吸も細い彼女に、この場にいる全員が守られたのだ。

 

「僕たち、リニスさんに守られる事しかできなくて……」

「リニスさん、山ほどのカートリッジを使って、もの凄い防御魔法を使ってみせて。守り切ってくれたけど、代わりに、倒れちゃって……」

 

 ウォルターは、視線をシャマルに。

頷き、シャマルは柔らかな口調で告げる。

 

「大丈夫、魔力を一気に使い過ぎただけで、命に別状はないし、後遺症も残らないわ。ただ、数日は意識が戻らないでしょうね……」

「そうか……」

 

 告げ、ウォルターは再び視線をリニスへ。

スバルが羨むほどの柔らかで暖かな表情で、その額を撫でて見せた。

 

「何時も君には……、とても、とても世話になる」

 

 慈しみに溢れたその表情は、こんな時だと言うのにスバルの胸が高鳴ってしまう程で。

思わず、スバルは支えるウォルターの肉体に僅かに体を寄せた。

気付いているのかいないのか、変わらぬ顔色のウォルターへ、シグナム。

 

「で、どうするのだ? ウォルター」

「うん。シャマル、少しでいい、僕にも回復魔法をかけてくれないか? ……決着を付けなくちゃならない相手が、言わなくちゃいけない事ができた相手が居るんだ」

「……はぁ、分かりましたよ。さっきはリニスさん優先で応急処理だけはしましたが、本格的な回復をさせてもらいます。数分、じっとしていてください」

 

 視線を向けられ、スバルとギンガはウォルターをなるべく平らな場所に横たわらせた。

次いでシャマルが、その両手に緑色の魔力光を輝かせ、ウォルターの胸に置く。

シャマルの顔色が、変わった。

 

「ウォルター君、貴方……!」

「分かっている。だからこそ、さ」

 

 理解できない内容ながら、明らかに真剣な内容に、スバルは疑問詞を視線で向けた。

遅れ、ウォルターは全員に向け告げる。

 

「ちょっと、怪我の度合いが酷くてね。驚かせちゃったみたいだ。……でも、僕は……」

 

 眼を細め、見開いた。

たったそれだけで、スバルの心に炎が灯った。

その黒曜石の瞳に孕まれた熱量は、業火と呼ぶのも生ぬるい程。

見るだけで血潮が熱くなり、心臓が高鳴り、全身に根拠の無い自信と確信が満ちるぐらいだ。

 

「――必ず。セカンドに、勝ってみせる」

 

 爆発的な、炎。

臓腑の奥深くにあった暗い感情が、その燃料となり燃え尽きて行く。

心の奥にあった湿った腐りそうな部分が、乾き、晴れやかで健康的な物へと変わって行く。

今までよりも一層力強い炎であった。

 

「……シャマル、リニスを頼めるかな?」

「……えぇ」

「シグナム、ザフィーラ、ナンバーズの相手を任せていいかい? 多分、セカンドと一緒にゆりかごに戻っているだろう」

「うむ」

「分かった」

「スバル、ギンガ、情けない話だけど、僕をゆりかごまで連れて行ってくれるかい? なけなしの体力を温存したくてね。そこからはザフィーラと共に頼む」

「当然っ!」

「任せてくださいっ!」

「エリオ、キャロ、君たちは無防備に近くなる僕ら3人の護衛を頼む。我が儘ばかり言ってすまないが、頼まれてくれるかい?」

「勿論ですよ!」

「必ず、成し遂げて見せます!」

「ティアナ、援護に関して君は僕を超えた。君なら6人を指揮して、残るナンバーズ2体を倒せるだろう」

「承知……しましたっ!」

 

 頷く面々に、ウォルターもまた頷き、視線を空に。

恐ろしい程に燃えさかるその瞳を細め、告げた。

 

「それじゃあ、僕の回復が終わり次第、出発しよう」

 

 告げるウォルターに、燃えさかる内心を秘め、スバルを含めた面々が頷く。

煌めく陽光が、輝きを増したかのように思えた。

 

 

 

3.

 

 

 

「お前達なんか、ママじゃないっ!」

 

 ゆりかご最深部、王座の間にて。

怒号と共に、ヴィヴィオが掌を振り払った。

瞬間、超弩級の砲撃が放射状に発射、なのは、フェイト、はやてへと襲い来る。

咄嗟になのはが防御に、そこに隠れはやてが高速詠唱で小規模攻撃魔法を発動。

辛うじて相殺した魔力煙に紛れ、フェイトが死神の鎌を振るうも、ヴィヴィオは容易くそれを察知し防御してみせた。

 

「ぐっ、強いっ!?」

「分かっては居たけど……!」

 

 悲鳴を上げながら、フェイトは再びの高速機動で距離をとり、その残像をヴィヴィオの一撃が貫く。

冷や汗をかくなのはを尻目に、口惜しげに、はやて。

 

「一応私たち3人がかりでまともにやれば互角かやや優勢、ウォルター君ほどぶっ飛んではおらんけど……。ヴィヴィオ相手っちゅーと、やりづらくてしゃーないな」

「うん……」

 

 視線を交わし、言葉無き会話。

3人が頷くと、フェイトが前に、ユニゾンしたはやてが防御魔法で安全域を、なのはがその杖先に魔力を集め始めた。

 

(あら、エースオブエースさんの砲撃が頼みぃ? でも、この娘を倒したぐらいで、私たちの”教育”が解けると思ってるのかしらぁ?)

(くくく、私たちの”教育”は強烈だからねぇ。おや? 教育したとなると、私はヴィヴィオ君のパパとなるのかね? くくくくく……)

 

 苛つく会話に3人揃って舌打ち、視線を凍らせつつ、向ける相手はヴィヴィオのままで。

それに気付くでもなく、歯を噛みしめ魔力を練るヴィヴィオ。

 

「大丈夫や、ヴィヴィオちゃん。貴方のママ達は、世界一強いママ達やからな」

「ママと一緒に帰ろう? 機動六課に」

「ううん……帰してみせるっ!」

 

 咆哮と共に、なのはが杖先に強大な魔力を集め終えた。

それを切欠にフェイトが飛び出し空中を高速飛行し、ヴィヴィオの広範囲砲撃を避けつつ、隙を作ってみせる。

同時、なのはは杖先を壁に。

靴裏で地面を踏みしめ、表れた円形魔方陣で固定してみせた。

 

(は?)

(直線上……まさか壁抜き!?)

 

 隠匿念話の奥で叫ぶ2人を尻目に、なのはは叫ぶ。

 

「捉えた……!」

『ディバインバスター』

 

 杖先から、桜色の洪水があふれ出した。

発射された砲撃はゆりかごの壁を貫通、悲鳴をあげながら逃げようとするクアットロを貫き、そのままその奥のスカリエッティへ。

しかし隣にいたウーノが咄嗟にスカリエッティを突き飛ばし、スカリエッティに砲撃は当たらない。

舌打ち、次弾を放とうとするなのはだが、それよりも早くスカリエッティの体を円形魔方陣が包む。

しまった、となのはが歯噛みした瞬間、転送魔法が発動。

スカリエッティが消え去る。

 

「ぐっ、逃したっ!?」

「いいや、あの短時間じゃあここに来るのが限界だったさ」

 

 声は、ヴィヴィオの隣からした。

なのはが振り向くと、ヴィヴィオの隣には白衣を翻した狂気の科学者、スカリエッティが立っている。

 

「……一撃では、倒せなかったけど。ヴィヴィオの洗脳は、解いてもらうよ?」

「ヴィヴィオ一人で私たち3人相手に互角だったんだ、貴方という足手纏いアリでは相手にならないよ」

「さぁ、年貢の納め所や 、スカリエッティっ!」

 

 いきり立つ3人を尻目に、スカリエッティは口元を歪め、嘲笑を漏らした。

髪をかき上げ、見下ろす角度で告げる。

 

「さぁて、確かに私たちが不利だが……、それは2対3に限った事ではないかね?」

「何を……」

 

 瞬間、轟音。

王座の間の扉が圧壊、そこから3条の閃光が飛び込んできた。

一つは銀糸の髪を流すナンバーズ、チンク。

一つは赤銅色の髪を振るわせるナンバーズ、ノーヴェ。

そして一つは、漆黒の髪に黒曜石の瞳を宿す男――。

 

「ウォル……いや、セカンド!?」

 

 悲鳴をあげるなのはに、セカンドの剣が突きつけられた。

遅れ、チンクの刃がはやてに、ノーヴェの拳がフェイトに突きつけられる。

セカンドがこの場にいる事が示す事実に、3人は一瞬硬直、その隙を突かれたのだ。

まさか、と呟くはやて。

 

「まさか、ウォルター君が……負けた?」

「そうだ、俺が、俺が、オリジナルを……!」

「あぁ、UD-265なら今ここに向かっているよ」

 

 スカリエッティの言葉に、セカンドが顔色を憤怒のそれに変える。

遅れなのはとフェイトが安堵の溜息をつき、はやては己を恥じ入った様子であった。

それを尻目に、勝利の余裕からか、スカリエッティ。

 

「う~ん、セカンド。君は何故、このまま高町なのはを切り捨てない? 非殺傷設定で気絶させてもいいが……」

「黙れ……」

「あぁ、そうか、簡単だ! UD-265……君の言う、オリジナルウォルターに勝てないからだ! だから、人質を取ろうと言うのかね?」

「黙れ……!」

「そりゃあそうだ、さっきは人格を取り戻したUD-265に、トーレの援護が無ければ確実に負けていたのだからねぇっ!」

「黙れぇっ!」

 

 ぎらついた目で叫ぶセカンドに、くくっとスカリエッティは喉を鳴らして見せた。

慌て、残るナンバーズの2人が言う。

 

「ちょ、ドクター、なんでセカンドの事煽ってるんだよ!」

「そ、そうです。何にせよ、先ほどセカンドはウォルターに勝ったんですよ?」

「ふむ……」

 

 呟き、スカリエッティは顎に手をやり、思案顔に。

数秒、明後日にやっていた視線をセカンドに戻し、告げる。

 

「セカンド、君の感想はどうだい? 君は、ハッキリとUD-265に……ウォルターに勝てたと、そう言えるのかい?」

「お、俺は……」

 

 言葉を紡げないセカンドに、これ以上無いほどに楽しそうに、スカリエッティ。

 

「勝てたと、そう言えないとねぇ。君の心は、次元世界最強の魔導師だからこそ成り立っている人格だ。つまり、強さで負ければ、君は自動的に精神でも負ける。――勝てたと言えなければ。それは、君がオリジナルのデッドコピーに過ぎないと、その証明になるのではないかね?」

 

 セカンドが悪鬼の如き表情になり、チンクとノーヴェが何かを告げようとした、正にその瞬間であった。

靴裏が地面を叩く、複数の音。

冷静さを取り戻したセカンドが、視線を入り口へ。

やがて足音は近づき、その場に姿を現す。

 

「セカンドっ!」

 

 咆哮と共に、ウォルター達が姿を現した。

 

 

 

4.

 

 

 

 状況は切迫していた。

セカンド達3人はなのは達3人に刃と拳を突きつけており、スカリエッティは狂気の笑みを浮かべ、ヴィヴィオは無表情で僕を見ながら突っ立っているだけ。

こちらはエリオとキャロ、ザフィーラの3人でゆりかご正面で待ち構えていたルーテシアとおびただしい数のガジェットを相手にしている。

故に、最深部に足を踏み入れたのは、僕、シグナム、スバル、ギンガ、ティアナの5人のみ。

この場面で頼りになるのは、たったの一人である。

 

(ティアナ、君一人で何人まで助けられる?)

(……辛うじて、2人。確実に行くなら、1人が限界です)

 

 矢張り、か。

ティアナの神がかった透明化時間差直射弾の命中率は、実は結構外しており、外れていたのが誰にも認識されていなかっただけだと言う。

それを加味しても尋常ではない神業なのだが、この悪条件下で射撃を成功させるような奇跡は期待できないという事だ。

何せ、ティアナは既に銃口を下げた姿をセカンドらに見せている。

つまり姿勢を変えずに銃口のある位置から跳ね上げるようにして撃つ、デバイスの補助機能無しの直射弾でなければ気付かれずに撃てない。

加えセカンドらはティアナの時間差魔法にまで気付いているかは兎も角、透明化直射弾には気付いているだろう。

となれば、今最大限に警戒されているのはティアナだ。

ならば、僕のすべき事は。

 

(ティアナ、僕が隙を作って銃口をあげる時間を作る。それならどうだ?)

(隙と、時間……。この距離なら、3人とも助けてみせます!)

(よし、良い返事だっ!)

 

 内心の喜色を表に出さぬまま、得意の仮面表情で覆い隠す僕。

口を開き、告げる。

 

「やれやれ……凍り付いちゃったよ。人質? どういう風の吹き回しだい?」

「黙れ……! 俺は、お前に負けちゃあならないんだ!」

 

 血走った目で告げるセカンドに、僕は思わず眼を細めた。

目前にいるのは、かつての僕がなり得た姿であった。

かつての僕が、精神の平衡を欠く前にコピーに敗北したならば、似たような醜態をさらしていたに違い無い。

だから。

だからこそ。

 

「何故だ?」

 

 問う。

分かりきった問いを、それでも告げる。

 

「俺は! 次元世界最強の魔導師だからだ! そうでなければ、俺は生きている価値が無い! だって俺は、自分の信念を貫かねばならないんだ! 自分の信念に気付いていない奴らに気付かせていかなきゃならないんだ! お前のような紛い物とは違う、本物の信念をだ! その為には、力が、次元世界最強の力が要る!」

「……なぁ、僕が紛い物かどうかは置いておいてさ」

 

 突く。

セカンドの心の、決定的な矛盾を突く。

 

「お前のように、最強じゃなければ、信念を貫けないのなら。お前が言う自分の信念に気付いていない奴らに、自分の信念に気付かせてやったとして。どうやってそいつらは、信念を貫けるんだ?」

「…………」

 

 愕然と、セカンドは目を見開いた。

けれど僕は、言葉を止めない。

心の刃を、止めない。

 

「もし世界中で信念を貫けるのがお前だけだとしよう。ならお前は、言えるのか? 僕の記憶にある、アティアリアのプレマシー。再生の雫事件の時、両親の為に、信念の為に命を賭して敵に立ち向かって死んでいったあの子に。お前は信念を貫けていない、と」

「それ、は……」

 

 セカンドは、震え始めた。

揺れる切っ先がなのはの肌を傷つけそうになるのに怒りが沸くが、必死で抑え、続ける。

 

「そうでないのなら、君は自分の心の弱さを認められないだけの、弱虫で。弱虫じゃないと言い張るのなら、その程度の事にすら気付いていなかった事になる」

「……気付いていなかったのなら、何なんだ!」

「お前は、気付いていない」

 

 セカンドは、眉をひそめた。

構わず僕は続け、口を開く。

 

「お前の本当の信念は、その口にする通りの事なのか? 僕の仮面が口にしていた事と、同じ内容なのか? 自分の信念に気付いていない奴らに、本当の信念を気付かせる事なのか?」

「そ、そうだ……」

「なら当然、どうやって気付かせるのか、気付いた人々にどうやって信念を貫いてもらうのか、考えた筈だ。……そこまで考えて、どうして自分しか信念を貫けないような考えが浮かぶんだ?」

「それは……」

「真剣に考えていないからだ。つまり……」

 

 一息溜めて。

告げる。

 

「お前こそが、自分の信念に気付かず、目を逸らしている人間なんだ」

 

 驚愕に、セカンドは顔を歪めた。

涙をすら蓄え、叫ぶ。

 

「違う! お前のような紛い物の嘘つきに、そんな事を言われる筋合いは無いっ! 俺は、お前の記憶を持っているから分かる。お前はUD-182の遺志を継ぐと決めてから、全ては仮面の自分が決めた事だ、自分の所為じゃないと責任逃れをしながら生きてきた。選択をしながらもその責任から逃げ続けてきた、卑怯者だ! そんな奴に……そんな奴に!」

 

 言いたい事も言えたし、もう十分僕に意識を惹きつけられただろう。

確信と共に、僕はティルヴィングを構え、告げた。

 

「だろうね。少なくとも、僕は卑怯者だ。……そうだろう!?」

 

 同時、準備していた魔力でコートの前ボタンを一気に外す。

露わになるアンダーアーマーの横で僕はコートをはためかせ、マントのように翻らせた。

かつて、テレビを見ていたヴィヴィオを決めた合図。

“マント、ふわふわってさせる!”

“……俺のはコートな?”

“でねー、そうしたら、私がずがーってする!”

その通りの仕草に、ヴィヴィオが目を見開いた。

呆気にとられるセカンドの後ろ、スカリエッティの隣でずっと僕を見つめていた彼女に向かい、叫ぶ。

 

「セカンドを!」

「――うん!」

 

 直後、聖王ヴィヴィオの精密な高速砲撃魔法が、セカンドのみを打ち抜いた。

肺の中の空気を漏らしながら吹っ飛ぶ彼に、悲鳴を挙げチンクとノーヴェが視線をやる。

つまり、人質から2人の視線が外れる。

瞬間、神がかり的な精度の早撃ちが、2人の刃と腕を打ち抜いた。

突きつけた武器を無くした瞬間、ノーヴェは相対していたフェイトが、チンクは超速度で近づいていたシグナムが攻撃。

距離を空けさせ、こちらに飛んできたヴィヴィオと共に、全員でセカンド達と相対する。

 

「ば、馬鹿なっ!?」

「一瞬で……、でも、陛下はドクターが操っていたんじゃ!?」

 

 悲鳴をあげるナンバーズを尻目に、僕は肩をすくめ、余裕の笑みを浮かべたままのスカリエッティへ視線を。

 

「いいや、ヴィヴィオを操っていたのは、クアットロとかいう眼鏡だろ? スカリエッティ、あんたは制御権を持っていなかった筈だ。わざわざヴィヴィオの隣に転移してきたのも、近くじゃないと洗脳状態を維持すらできなかったからだろうさ」

「ほう? どうしてそう思ったんだい?」

「糞忌々しい事に、”家”からの付き合いのあんたの思考には慣れてきていてね。あんたが主導権を握っていれば、僕が着く前にセカンドを言葉責めにしながらヴィヴィオにも負けさせ、その上で消耗している僕を、操り人形にしたセカンドとヴィヴィオで潰す。何か小芝居の一つでも混ぜるだろうかな? それぐらいはしただろうさ」

「ふひゃはははは! 正解で困るなぁ!」

 

 奇声をあげるスカリエッティ。

事実、かなり消耗している上に精神的に動揺しているセカンドは、不意打ちを連続して喰らえばヴィヴィオにも負ける可能性が高い。

そこで僕以外への敗北、もしくはその予感で精神崩壊しかけたセカンドに暗示をかけ、元々同族嫌悪で嫌っている僕を殺させる事ぐらいは訳無いだろう。

残りはヴィヴィオとセカンドで平らげ、最後にはゆりかごで全てを支配し笑う、スカリエッティはそれぐらいはやる男だ。

分かってしまう自分が物悲しいのが泣けてくる。

 

 そんな会話の端で、なのはとフェイトが寄り添うヴィヴィオが膝を突いた。

恐らく限界なのだろう彼女に、セカンドへの警戒を解かぬまま一言。

 

「なのは、フェイト、退いてくれ。魔力でヴィヴィオの中のレリックを摘出する」

「え? でもこの凄い魔力、スターライトブレイカーとかブラスター3レベルの魔法じゃないと……」

 

 疑問詞を浮かべるなのはを尻目に、断空一閃。

多少の衝撃はあっただろうが、上手くヴィヴィオからレリックを摘出する事に成功する。

呆気にとられるなのはを尻目に、僕は肩をすくめた。

 

「シックスセンスの希少技能を持つ僕が何度か目で見ているんだ、手打ちの断空一閃であんまり痛みも無く摘出できたよ。まぁ、医者に診て貰わないとその後の経過までは分からないけど」

「あ、ありがとう、ウォルター君!」

「わ、私からも、ありがとうウォルター!」

「どーも」

 

 肩をすくめながら、僕はそれどころではなくセカンドの居る場所に視線を固定させていた。

凄絶な悪寒。

瞬間、僕は高速移動魔法を発動、セカンドの居場所へと突っ込み剣を振るっていた。

金属音、ティルヴィングとダーインスレイヴ、黄金の巨剣と白銀の巨剣とが噛み合う。

 

「おぉぉおぉっ!」

「がぁぁぁぁっ!」

 

 怒号が噛み合い、互いの圧倒的魔力が空間を軋ませた。

一合、五合、十合、瞬く間に五十合。

金閃と銀閃が絡み合い、金属音の嵐を響かせる。

 

「みんな! 僕とセカンドとの戦いには、手を出さないでくれ! この戦いだけは……一対一で決めたいんだ!」

「こっちもだ! てめぇら、手ぇ出すなよ! オリジナルは……、俺が仕留める!」

 互いの咆哮に、互いの仲間達はどうやら示し合わせたようであった。

戦力的に六課有利と見るが、戦況を把握する余裕などある筈も無く、僕はセカンドとの剣戟を続ける。

 

「何故だ!」

 

セカンドは、叫んだ。

 

「お前は、俺たちは、ずっと独りだった筈だ。独りであるべきで、独りでありたく、独りでなければならなかった。誰も信じず、仮面を被って誰もを欺き続けてきたお前も。孤高を目指すが故に、俺も! なのに何故、お前はあんなに簡単にヴィヴィオを、ティアナを信じた!」

「教えられたからだ」

 

 告げ、残る精神力の全てを賭しながらティルヴィングを振るう。

受けるダーインスレイヴ。

金剛石の如き硬さの防御であったが、辛うじて崩し、かすり傷を与える。

 

「僕は、独りじゃあない。さっきも言ったが、僕は一人じゃあ簡単な答え一つ得る事ができなかった。僕の今までの人生が、間違っていなかったんだって事を。沢山の人とこの魂を交わし合ってきたからこそ、僕はここまで辿り着けたんだ」

「馬鹿な、一体どんな奴が、お前なんかと!」

 

 黄金の剣閃は、白銀の剣閃を僅かながらに押していた。

前に進む僕に、セカンドは少しずつ後ろに下がっているのが現状である。

とは言え現状を決する程の差では無い、慎重を心がけつつ剣を振るう。

 

「なぁ、少し話は変わるが。何で僕が、君と互角以上に戦えていると思う?」

「は? ……知らねぇよ」

 

 甘い銀閃。

しかしその裏に潜む罠を見抜き、僕は半身に避け進む事を選択せず、ティルヴィングで弾く事を選択した。

緩く握った手が手刀の突きの形を取ろうとしていた事を遅れ視認、緩い握りの剣はより大きく弾かれる。

その隙に潜り込み、軽い当たりがセカンドに魔力ダメージの痕を残していった。

 

「――ティルヴィングが、こいつが命がけで時間を稼いでくれたからだ」

 

 動揺に、僅かにセカンドが目を見開く。

 

「分かるか、こいつは、ティルヴィングは、自分が致命的に主の害になっていると、そしてその解決手段が自死しかないと知るやいなや、人格データを削除した」

「それは……でも……」

「その即断が、僕に時間をくれた」

 

 当たり前だが。

ティルヴィングからのデータ提供がある限り、僕がいくら鍛えてもセカンドにフィードバックが行ってしまうため、僕は永遠にセカンドに勝てなかっただろう。

 

「その時間で、僕は沢山の事を学んだ。戦闘に関しては僕らの上を行く、人格改変時の肉体の動き。君の動きを憶え、咀嚼し、血肉にする事。自分を肯定できるようになった、精神的変化。どれも、ティルヴィングが稼いでくれた時間のお陰で、自分だけの物にする事ができたんだ」

「ば、馬鹿な、それ言えば、お前の経験を俺は持っているのに、俺の経験をお前は持っていなかったんだ。俺の経験の方が、ティルヴィングが稼いだ時間よりも、ずっと長い時間……」

「密度が違う」

 

 ばっさりと、言葉の上でも切り捨てた。

たじろぐセカンド。

 

「自分の信念にすら気付いていない君とは、一分一秒の密度が違う。君が生まれて何年、もしかしたら何ヶ月か、どれぐらいなのかは知らない。けれどどれだけあろうとも、今僕が君と戦えている事が、事実を示していると思わないかい?」

「ふざ……けるなぁっ!」

 

 怒号と共に、セカンドの剣に激しさが増す。

しかしその筋は粗雑。

冷静さを意識する僕の剣に巻き取られ、容易くセカンドは傷を増やして行った。

 

「なぁ、沢山の人の心が、僕に力をくれた。だから僕も、君に言いたい事があるんだ」

「何をだ!」

 

 踏み込み。

大上段の斬撃を、セカンドの這い上がる斬撃が迎え撃つ。

やや僕有利に、鍔迫り合いの姿勢になりながら、僕は叫んだ。

 

「お前は、独りじゃない!」

 

 セカンドは、愕然としたような表情を見せた。

力こそは緩まなかった物の、気迫が薄れ、僕の剣がセカンドの剣を押しのけ、そのまま返す刃で魔力ダメージを与える。

たたらを踏むセカンドに踏み込み、横薙ぎの一閃。

しかし今度はダーインスレイヴの防御が間に合い、防がれる。

 

「なぁ、君が僕にさっき勝ったのは、誰のお陰だ!? ナンバーズの娘のお陰だろう! 機動六課に襲撃して、人格改変時の僕と相対した時、どれだけ仲間に心配されていたんだ! 今だって、チンクとノーヴェ、2人ともどれだけ君のことを気にしている事か!」

「……う、五月蠅い、黙れ!」

 

 跳ね上がる銀閃を打ち落とし、翻った金閃がセカンドを襲う。

しかしセカンドも然る者、低い姿勢で避け、地を這うような剣戟が振るわれた。

殺傷設定のそれを避けはするも、返す刃で軽傷を負う僕。

 

「自分の信念を、自分で見つけられない時。自分の信念だった筈の物を、見失ったとき。友達は、家族は、それをもう一度探す手伝いになってくれる筈だ! もう一度、周りを見てみるんだ!」

「馬鹿な、お前の言う事なんか信じられるかよ!」

 

 叫び、強引に剣を振るうセカンドに、僕は顎近くを薄く裂かれる。

裂傷自体は小さいが、与えられた衝撃は大きく、脳が揺れた。

気合いと狂戦士の鎧でその隙は最小限に止めるも、脳の感覚が衰えるのはやむを得ない。

それでも、僕には告げなければならない言葉があった。

 

「俺は、お前から全てを奪おうとした男だぞ!? 最強の座も! 精神の平衡も! 英雄の名も! 全部、全て! なのにお前は、何で俺なんかを気にするんだ!?」

 

 それでも、泣きながら剣を振るうセカンドに、伝えなければならない事があるから。

 

「なぁ。僕と君、同じ遺伝子から出来ているだろう?」

「……あぁ」

「肉体年齢、同じだろう?」

「……あぁ」

「記憶でさえ、ある程度は共有しているじゃあないか」

「……あぁ」

 

 だから。

僕は、思うのだ。

 

「それならまるで……、僕たちは双子の兄弟じゃないか」

 

 セカンドの、唇が震えた。

 

「同じ苦しみを抱える弟を見て……、放っておけるほど、僕は器用な男じゃあない」

 

 告げ、僕はティルヴィングを大上段に構える。

精神を集中。

全身全霊を賭す構えを取り、告げた。

 

「お前の、助けになりたいんだ」

 

 

 

5.

 

 

 

 スカリエッティ達を捕縛し終えたなのは達は、既に戦いを終えていた。

意識を残すチンクとノーヴェと共に、ウォルターとセカンドの激戦を観ているのみ。

 

 とてもきれいな、戦いだった。

互いに満身創痍ながら、それでも聖王ヴィヴィオを超える戦闘能力は圧倒的。

金と銀の閃光が彩る超弩級の剣戟は、なのは達の目にすら確かには捉えられぬ程だ。

その激烈さは万人の胸を打ち、心に響き渡るかのようであった。

スカリエッティでさえも無言で見惚れていると言えば、その激しさは分かりやすいだろう。

 

 そして今、ウォルターの魂は、その生涯で最大の輝きを見せていた。

他者にその言葉を響かせる熱量は、最早炎の領域を超えてさえいる。

それはまるで、その魔力色が示すかのように、炎がその領域を超える白炎の如く。

 

 ――太陽のようだ、と誰かが言った。

なのはは、その通りだ、と思った。

 

 今、2人の超戦士達は互いの剣を大上段に構えている。

黄金の巨剣を構える、黒衣の男。

白銀の巨剣を構える、白衣の男。

対照的な色彩なのに、鏡映しの姿勢であった。

 

 蒸し暑い気温だが、刺すように鋭い空気だった。

観る者でさえ分かる程に鋭い空気だ、相対する2人の精神がどれほどに威圧し合っているのか、手に取るように理解できる。

血潮が燃えたぎる、凄まじい光景であった。

 

 音は、低く響くゆりかごの駆動音のみ。

2人の汗は奇妙な程に引いており、汗による不調は全く存在しない。

それでいて、2人はどこまでも有機的な輝きに満ちていた。

見えない呼吸、しかしその血肉は筋肉の緊張どころか心臓の鼓動音すら誤魔化しつつ、表裏の分からぬ欺き合いに徹している。

無機物には無い、活き活きとした感覚がそこにはあった。

 

 どれほど時間が経ったのか。

なのはには、数時間にも思える時間が経過した瞬間である。

 

 ――金と銀の閃光が走った。

 

 金属音は、無い。

振り抜いた姿勢で場所を入れ替えた、ウォルターとセカンド。

刹那遅れ、セカンドがデバイスを投げ出し、その場に倒れた。

 

 魔力ダメージが限界に達したのである。

どうやら意識はあるようだが、動く事もままならないほどにリンカーコアが傷つき、魔力も尽きかけのようだ。

 

 やった、と思い、なのはは視線をウォルターへ。

外傷は、無い。

――完全勝利。

その文字が過ぎるなのはを尻目に、ウォルターは中腰から立ち上がる。

振り返り、セカンドに向け、小さく口を開いた。

 

 ――ごぼ、とその口から血が溢れた。

 

 え、と誰かの口から疑問詞が零れる。

それを無視してウォルターは剣を投げ出しその場に倒れ、動かなくなった。

凍り付いたかのように、誰一人動けない。

そんな中、なのはの脳裏にはかつて盗み聞いた、ウォルターとリニスとの会話が思い起こされていた。

 

 “はは……、俺の寿命は40歳まで持たないかもしれない、か”

“そうは言っても、このままのペースで戦い、傷つき続けたらの事じゃあないですか”

“つまり、実際の寿命はもっと短いって事だろ。成長し強くなるに連れ、戦うペースは上がっていくんだからな”

 

 あれからウォルターは、どれだけの激戦と負傷、そして回復を見せてきたのか。

それを思えば、現状を指し示す言葉は、一つしか無い。

 

 ――ついに来たのだ、ウォルターの肉体の寿命が。

 

 固まるなのはの体を尻目に。

凍てついた現実は、目前にあった。

 

 

 

 

 




次回、最終回。
なるべく早く書きます……。


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7章12話(完結)

短めですが、最終回です。


 

 

1.

 

 

 

「ウォルター君!」

 

 血塊を吐き倒れ伏すウォルターに、なのはが叫んだその瞬間である。

聖王のゆりかごが、大きく揺れた。

思わずなのはがたたらを踏んだ瞬間、その身に感じていたAMFの重圧が一気に高まる。

足を踏み出すのも辛い程の圧力に、なのは達はその場に釘付けにされた。

同時、轟音。

見れば破壊されていた最深部の入り口が、新たなシャッターにより遮蔽され直している。

 

「い、一体何なんや!?」

「くく……分かるかね? これは……」

「ゆりかごの防衛機能、だね?」

 

 スカリエッティを制した言ったのは、倒れ伏したままのウォルターであった。

どうやら動けはしないようだが、視線をなのは達に向け、弱々しいながらも光ある目である。

 

「ウォルター君、無事なの!?」

「……先に、説明からしとくよ。恐らくヴィヴィオを解放した代償として、ゆりかごが使用者の聖王を見つけられなくなって、非常事態が起きたと判断したんだろう。下手人が居そうな区画を隔離した上で、AMFを限界まで濃密にして……。動力部は行きがけに潰してきたから爆発はしようが無いけど、崩壊はするか。流石に、今の高さから墜ちたらどうやっても全員死ぬね……」

「ちっ、動力部が残っていれば、クラナガンを道連れに爆発する予定だったのだがね」

「あんたなぁ……」

 

 拗ねた声で言うスカリエッティに、呆れ声でウォルターが告げる。

しかし声色とは対照的に、内容は絶望的であった。

この濃密なAMFの中、聖王ヴィヴィオとナンバーズを相手に魔力の殆どを使い果たしたなのは達では、隔壁を破壊する事は不可能に近い。

例え全員の力を合わせて1枚破壊できたとして、突入口まで破壊し続けるのは不可能と言って良いだろう。

ここまで来て。

崩れ落ちそうになる内心を抑え、続けなのは。

 

「その、それで、ウォルター君の体は……!」

「……だから、先に、脱出手段の説明だよ」

「って、あるの!?」

 

 悲鳴をあげるフェイトに、確りと頷いてみせるウォルター。

その光景に絶望が拭われていくのを感じるなのはだったが、同時に矢張りウォルターの肉体は限界なのでは、と悟らざるを得なかった。

涙が出そうになるのを必死で我慢するなのはを尻目に、ウォルターが続ける。

 

「なぁ、セカンド。起きてるんだろう? おーい」

 

 呼びかけた先に居る、こちらも地に伏したままの姿勢で、セカンド。

 

「……何だ。聞いていたが、俺にもう魔力は欠片も無い。お前相手に出し尽くしたからな。肉体こそ無事だが、魔力が無ければ……」

「あるさ。同じ質の魔力が、すぐそこに、結構余ってるよ」

 

 息をのむセカンドと面々。

それらを尻目に、ウォルターが続け言った。

 

「僕は肉体が限界だったから、全魔力をそもそも運用できない状態だったんだ。だから魔力だけなら、そうだね、普通の断空一閃が5~6発は撃てるぐらいある」

「……で? 今の今まで戦っていた俺に魔力を渡して、俺がこの場の全員を救うだなんて、そんな甘いことを考えているんじゃあないだろうな」

「あぁ、考えている訳じゃあない。今から君に、お願いするんだ」

「……は?」

 

 呆気にとられたセカンドに、真っ直ぐな目で、ウォルターは頭を下げる仕草を。

 

「お願いだ、魔力を渡すから、それを使って僕達全員を助けてくれ。……頼む」

「…………なん、で」

 

 呻くセカンドは、目の前の光景から逃げたがっているようでさえあった。

しかし重度の魔力欠乏により動けない彼は、目の前の光景から目を逸らす事すらままならず、かといって目を閉じる気にはなれないらしい。

ただただ眼を細め、泣きそうな顔を作るだけだった。

そんな彼に、続けウォルター。

 

「勿論、無料とは言わないさ。なぁ、君、前に言っていただろう? “安心しろ……お前の仮面が作った英雄は、俺が受け継ぐ。――お前の名、ウォルター・カウンタックと共に”ってさ」

「……言った、が」

「僕が英雄なのかは分からないし、例えそうだとしても受け継がせる事のできるものじゃあない。でも、僕にも一つ、君にあげられる物があるんだ」

 

 なのはの視界の端で、はやてが泣きそうな顔を作ったような、そんな気がした。

 

「なまえをあげる」

 

 こんな時だと言うのに、胸の奥が暖かい液体で満たされるような、そんな言葉だった。

巡る血潮は穏やかに全身を温め、体中に理由無く力が満ちて行くような感覚。

やはり、ウォルターの言葉には他者の心を揺さぶる才能がある。

確信を抱くなのはを尻目に、ウォルター。

 

「全部は上げられないけど、僕のカウンタックの性はあげられる。セカンド。セカンド・カウンタック。――この名前、受け取ってもらえるかな?」

 

 先ほどから泣きそうな顔だったセカンドの両目が、ついに決壊を起こした。

あふれ出す涙と共に、小さな嗚咽が漏れ出す。

暫時経った頃、セカンドの口から小さな、少しひっくり返った声が響いた。

 

「あぁ……。受け取る、さ。……貰ったからには、その分ぐらいは働いてやるとも」

「ありがとう、セカンド」

 

 言うと同時、ウォルターの体から白い魔力の塊が飛び出た。

空中を泳ぎ、間に少し体積を減らしながらも魔力塊はセカンドへと到達、彼の魔力へと形を変える。

体に一瞬白い燐光を纏った後、セカンドがゆっくりと立ち上がろうとした。

その、瞬間だった。

 

「――ウォルター君!?」

 

 なのはが悲鳴をあげるのと、殆ど同時。

ゆりかごの最深部の天井が崩れ、岩塊が墜ちてきたのだ。

幸いウォルターを押しつぶす軌道ではないが、彼を一人分断する軌道ではある。

咄嗟に数人がデバイスを手に、射撃魔法を放つが、岩塊まで到達すること無くAMFでかき消えた。

 

 ――轟音。

土煙が晴れた頃には、完全にウォルター一人が分断された形となってしまったのが見て取れる。

ようやく立ち上がる事に成功したセカンドが、唇を震わせながら、呆然とウォルターが居ただろう場所を見つめていた。

荒い呼吸を数回、押し出すような声を漏らす。

 

「あ……あに……」

「あー、死ぬかと思った」

 

 が、普通に返ってきた声に中断。

ずっこけそうになる姿を披露し、辛うじて転倒しそうな姿勢で踏み止まった。

顔を耳まで赤くしながら、照れ隠しに大きくなる声量で叫ぶ。

 

「あ、あのなぁ! すぐこの岩をぶっ壊す、AMF加工されてるが、全力全開の断空一閃ならなんとか……!」

「……待てって。君、それでどうやって帰る気だい?」

 

 あ、と小さな声が漏れた。

ウォルターの言が正しいのならば、セカンドが放てる通常の断空一閃は5~6回。

なのはがかつて聞いた換算数によると、全力の断空一閃の消費魔力は通常の4倍以上と聞く。

つまり、ウォルターを助ければ場合によってはこの最深部から脱出する事すらままならなくなるかもしれないのだ。

顔色が真っ青になる面々を代表し、セカンドが叫ぶ。

 

「ば、馬鹿言え、それじゃあウォルター、あんたは!」

「自力で別ルート、探してみる。幸い今の揺れで、壁に大きいヒビが入ってね。他の部屋に出られそうなんだ」

「でも、あんな体で、どうやって! そもそもあんたは……」

「ねぇ、セカンド」

 

 叫び続けるセカンドの言葉を押しとどめ、ウォルターが続け言った。

 

「僕はさ、実はまだリニスと仲直り、してないんだ」

「……へ? あ、あぁ」

「起き上がってからちょっとだけ話はしたけど、すぐに嫌な予感がしてここに飛んできたからさ、きちんと仲直りしたって訳じゃあない。……そんな僕が、この場で死んでそれっきり、なんて無様を晒すと思うかい?」

「そ、それは……」

「じゃ、お互いさっさと脱出しよう! 時間もそれほどは無い、ぼうっとしてると海の艦隊のアルカンシェルで分子の塵にされちゃうじゃないか!」

 

 告げるウォルターに、後ろ髪引かれる様子で目をやっていたセカンドであるが、ついに苦虫を噛み潰したような顔をし、頷いた。

視線を残る全員へ、納得しがたい顔をするなのは達に、命令形。

 

「……行くぞ、六課。当然チンクとノーヴェと、一応スカリエッティも連れて行く。移動ぐらいはできるな?」

「……そう、だけど」

「遅れるなよ」

 

 言葉少なに、セカンドは隔壁へと走りより、断空一閃の一撃で切り捨てる。

轟音を立てて砕ける隔壁に、なのは達は視線を交わし合い、叫びながら走り始めた。

 

「ウォルター君、生きて戻らなかったらグーパンだからね!?」

「ウォルター、絶対にまた会おうね! 会えなきゃ嘘だからね!」

「ウォルター君、ここで死んだらある事無いことマスコミに言いまくって、もの凄い武勇伝作ったるからな!? 嫌なら絶対生き延びるんやよ!?」

「ウォル兄、絶対に生きて、また会おう? また、お話したいから、絶対にね!」

「ウォルターさん、ここを生き延びたら、今度母さんの真似で、ポニテしてあげますから。絶対生き延びましょう!」

「ウォルターさん、その、私の訓練成果、まだきちんと見てもらってないから……。だからその、絶対生き延びて、見てください!」

「ウォルター、必ずまた、剣を交わそう!」

 

 全員が告げながら気絶したヴィヴィオに捕縛したチンクとノーヴェ、スカリエッティを連れて行く。

その中に一人、静かな表情で最後に、スカリエッティが告げた。

 

「……君は、私が生まれて始めて尊敬した人間だ。生き延びてくれると、張り合いがあって良いのだがね」

 

 肩をすくめ、バインドで捕縛されたままスカリエッティもまた六課の面々と共にその場を後にする。

靴音が遠くなり、ついに聞こえなくなった頃、岩塊の向かい側。

狭い空間、伏したまま動く事もままならない状態で、ウォルターは呟いた。

 

「さて……。正念場というか、年貢の納め時というか……、いやぁ、本当にこの身体、全然動いてくれないんだよなぁ。念のため魔力はちょっぴり残したけど、このAMFじゃあ使い道、無いし」

 

 呟きながら、ウォルターは次第に薄くなってゆく酸素に、呼吸を荒くしてゆく。

ウォルターの肉体は、最早限界であった。

ウォルターログに乗っている戦いだけでも激戦に続く激戦だったのだが、それ以外にもウォルターは幾多の戦いをくぐり抜けている。

世界を殺せる毒を名乗る一家、真竜を数体同時に、A級ロストロギアの暴走体、古代ベルカの王の遺産。

黒翼の書戦やセカンド戦のように致命傷をダース単位でもらう戦いでは無かったが、それらの戦いの傷は確実にウォルターに体に刻まれていた。

加え、ウォルターの戦闘能力の幾分かは狂戦士の鎧による不規則軌道による物。

つまり、自身に大きなダメージを与えながら敵と戦う戦法によるものである。

 

「最近、二十歳になったばかりなんだけどね……。まぁ、若いっちゃ若いけど、下を見ればどこまでも若い人死にはあるもんだし」

 

 そも、先ほど吐血して以来、既にウォルターの目には何も映っていなかった。

耳もなけなしの魔力で強化して辛うじて聞こえている程度、臓腑の幾つかは既に半ば機能を停止している。

狂戦士の鎧を使用しているとは言え、声が出るだけでも奇跡的と言って良い体調であった。

 

「まぁ……、結構好き放題生きられたし……最後に友達として認めてもらえたし、弟も、できたし」

 

 それでも、ウォルターは残る全霊を賭して、掌を天に向けた。

ゆっくりと、残る僅かな力を込め、掌を閉じながら下ろし、目前にたどり着いた所で丁度掌が握りしめられる。

幾度となくこなした、記憶の中の妄想、UD-182から受け継いだ仕草。

 

「僕は……、求める物を掴んできた。辛い事が無かったとは言えないけれど……。でも、これ以外の人生を送ろうだなんて、考えられない」

 

 天井と思われる方に、視線を。

漆黒の視界のまま、ウォルターは告げた。

 

「好い人生だった……!」

 

 十数分後。

聖王のゆりかごは、海の艦隊によるアルカンシェルにより、分子の塵と化した。

 

 

 

2.

 

 

 

 軽やかな風が駆け抜ける。

桜の花弁が舞い散り、空中を泳いでいった。

機動六課の試用期間終了前日、なのは達は最後の模擬戦と称し、隊長陣対フォワード陣での戦いを始めている。

リニスは壁に背を預けながら、模擬戦不参加のシャマルと共にそれを眺めていた。

 

「……みんな、とても成長しましたね。フォワード陣の子たちもそうですけど、なのはちゃんやフェイトちゃん、はやてちゃんも」

「えぇ。とても、とても激しい戦いがありましたから」

「ウォルター君にもこの光景、見て欲しかったですね」

 

 シャマルの言に、リニスは眼を細め、掌を胸にやった。

使い魔としてのリンカーコア。

主から魔力供給を受ける機関。

 

 あの日、アルカンシェルでゆりかごが消滅させられた日から、ウォルターは行方不明となった。

最早生存は絶望的と思われた彼なのだが。

 

「大丈夫。相変わらずどこからかは分かりませんが、ウォルターからの魔力供給は続いています。あの子は、次元世界の何処かで生きている」

 

 ——ウォルターからリニスへの魔力供給は続いていた。

量的には大した量ではなく、加え正常な魔力供給ではないため精神リンクも希薄、加え相手の位置すら分からない。

しかし確実にウォルターは、この次元世界の何処かで生きている。

彼の命の鼓動を、リニスのリンカーコアが感じ取っていた。

 

「ふふ、全くウォルター君には驚きですよ。ゆりかご突入前から既に心臓が止まっていて、狂戦士の鎧で無理矢理動かしていたのに、それでセカンドに勝っちゃうなんて」

「恥ずかしい事に、あの子は無茶苦茶が得意に育ってしまって……。と、そういえばセカンドの件の進捗はどうなりました?」

「裁判の結果は、矢張り再教育プログラムのみで済みそうです。……ウォルター君に止めを刺したような子ですけど、良いんですか?」

 

 シャマルの疑問に、リニスは薄く微笑んだ。

含む物が無いとは言えないが。

 

「——あの子は、ウォルターが認めた弟なんです。私にとっても、新しい家族の一員ですよ」

「……そう、ですか。まぁ、今回の事件での死人はセカンドによる物ではなかったですし、妥当な判決ではあったんですけどね」

 

 告げるシャマルの言う通り、今回の事件はスカリエッティが望んだとおりの無血の終焉とはならなかった。

行方不明者こそウォルター1名だが、他に死者は3名、加え身元不明の死体が3つ存在している。

生きていたと言うゼスト・グランガイツ、陸のレジアス中将、そしてナンバーズのドゥーエの3名が死者。

身元不明の死体の下手人はドゥーエと見られ、管理局の深部から脳みそが3つ散乱しているのが発見されたと言う。

とは言えどれも、セカンドが自身で手を下したとは言えない物だ。

 

「まぁ、六課も終わりまで見届けた事ですし。これから私は、管理局の手を借りながらウォルターを探してみますよ」

「えぇ。私も及ばずながら、できる限り手を貸しますよ」

 

 告げ、2人は再び模擬戦に視線を。

全員、その魂そのものが輝いているかのように、裂帛の気合いを入れた戦いを見せている。

あの日、ウォルターが意識を取り戻してから行方不明になるまでの1日間、彼を少しでも話した人々は、全員が多かれ少なかれその魂の輝きを増しているようだった。

血潮を滾らせ、他者の心にその炎を宿す術を、僅かながら知った様子でさえあった。

 

 不意に、リニスは視線を青空へと上げた。

ウォルターの魂に似た、あの太陽が輝いている。

 

「ウォルター。仲直りの一つもせずに、行方不明だなんて……、許しませんからね」

 

 告げ、リニスはウォルターがよくそうしたかのように、掌を上げた。

掌を自身側へ、ゆっくりと掴みながら視線の高さまで下ろして行く。

 

「私も、貴方の使い魔です。……求める物を掴む事を、諦めなどしませんからね」

 

 宣言。

力強い言葉を発し、リニスは太陽を遠くに見る目を、眩しげに細めた。

太陽は変わることなく輝き続けていた。

何時までも、何時までも。

 

 

 

3.

 

 

 

 ——時はさかのぼり、ゆりかご消滅の数刻後。

瓦礫の山。

未だ整理されていない破壊され尽くしたミッドチルダの廃棄区画を、一人の女性が歩いていた。

露出度の多い上半身、腰から伸びるスリットの入った長いスカート、どちらも黒衣に身を包み、手には油断無く刀を握っている。

 

「……反応があったからきたけど、なんか嫌な予感するんだよねぇ」

 

 青い髪を鬱陶しげにかき上げながら、溜息。

瓦礫の山、雨ざらしの灰色のコンクリの中ばかりで代わり映えしない風景でも、行き先が明確に分かっているのだろう、彼女の足は止まらない。

 

 やがて、彼女は眼を細めると僅かに足取りを早く、ただし刀を構える姿勢を崩さないままにする。

明らかに警戒を強くした彼女の視線の先には、ぼろ切れに身を纏った、一人の青年が倒れていた。

その顔が明らかになるに連れ、女性の顔が引きつり始める。

 

「マジか……? こいつは流石にこの場でぶっ殺した方が……、いや、万が一起きられたらサシじゃあ勝てない……けど……、どうしよう」

「……ん」

 

 迷い始めた女性を尻目に、男が小さく呻いた。

数回瞬き、瞼をゆっくりと開く。

反応、女性はすぐさま距離を取って刀を構え、臨戦状態へ。

明らかに緊張した女性を目にしながらも、男はぼうっとしたまま口を開いた。

 

「……ここ、は? ……君は、一体?」

「は? 英雄様は雑魚の顔やら名前を覚える気は無いってかしら? あのねぇ、いくらなんでも……」

「……名前? 僕の、名前?」

 

 そこで女性は男の様子がおかしい事に気付き、高めていた怒気を抑える。

それを尻目に、男は頭蓋を抑え、苦しそうに歯を噛みしめた。

 

「う……、駄目だ、頭が痛い、思い出せない? ……えぇと、こういう場合、”ここは何処? 私は誰?”って言うんだっけ……」

「いや、大体合ってるけど、あんた余裕だね……」

 

 冷や汗をかきながら、女性は刀を仕舞い、訝しげな視線を男に投げかける。

冷たいながらも戸惑いを含んだ声で、告げた。

 

「……記憶喪失、なのかい?」

「……僕もなった記憶が無いから確かじゃあないけど、これが記憶喪失なんだ、と思うよ」

「だよねぇ。一人称すら変わってら……」

 

 呆れ声で告げる女性に、首を傾げる男。

溜息、女性はぽりぽりと頭を掻き、続ける。

 

「……なら、あんたには資格がある。あたし達一家に入るその資格が、あんたのその身体には」

「……身体?」

「説明しても、記憶喪失のあんたには分かんないよ。……だから、言ってやるのは一言だけさ」

 

 告げ、女性は男へと手を差し伸べる。

 

「——一緒に来るかい?」

 

 その肩には、確かに羽根の刺青が刻まれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




これにて完結。
あとがきは活動報告にでも上げておきます。
とりあえず、この女性、一体何ケバインなんだ……。


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