バトラーと私 (プロッター)
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邂逅

 寝過ごした。

 バスの停留所の看板の前で、私は嘆息する。

 こうなってしまったのも、バスの中で自分が心地よい振動に釣られて眠ってしまった事が原因だ。

 普段なら、こういった事は絶対と言っていいほどない。電車に乗っていて眠気に襲われることもあるが、降りる駅の手前でしっかりと目が覚めるタイプだ。乗りなれている戦車の中も振動はあるが、あれはむしろ眠気を覚ましてくれる。

 戦車道も無い休日、久々の陸地で、久々に1人で出かけてみればこの有様だ。

 また、口からため息が漏れる。

 しかし、これもまた気分転換と置き換えれば、幾分か気も楽になる。この状況さえも、少しだが楽しめそうだ。

 少し気分が上向きになってきたところで、バスの時刻表を見る。次のバスの時間は30分後。今は16時半。次のバスで帰るとなると、目的地までおよそ45分。歩いて帰れない距離ではないが、ここまできて歩いて帰るという打開策は除外した。せっかくの休日なのに、歩いて疲れて寮に戻って即倒れこむというのも淑女らしくは無い。だから、バスの料金はもったいないがバスで帰ることにしよう。それでも、何とか日没までには寮に戻れそうだ。

 さて、次のバスが来るまでどうやって時間を潰そうか。

 そう思いながら、私は肩にかけていたポシェットの中に入っている、『面白いジョーク集』と書かれた小さめの本を取り出す。発売からわずか2日の、今日買ったばかりの新しい本だ。

 私は、ジャンルを問わずよく本を読む方だと思う。寮の部屋の本棚は、隙間が無いくらいには本が収められている。それでも、ダージリンの格言が誰のものかを即座に言い当てて、戦車道メンバーの中でも屈指の読書家と知られる後輩のオレンジペコには敵わないが。

 中でもお気に入りなのは、ジョーク関連の事が書かれた本だ。

 ジョークはいつだって私の事を笑わせてくれる。時には、他の人も笑顔にしてくれる。

 笑顔になれば、自然と気持ちも上向きになっていく。そのジョークの性質が、私はとても気に入っていた。

 だから、この本が発売されると知った時、私はとてもわくわくした。

 そして地元に寄港した今日、私はこの本を買い、さて帰ろうかとバスに乗ったところで寝過ごしてしまいここまで来てしまったわけだ。

 この本も、本当なら寮に帰って静かに読みたかった。

 私は、外で本を読むと言う事はあまりしない。外で本を読もうとしても、喧騒が集中を乱して来るのだ。せっかく読んだ本も内容が頭に半分ほどしか入ってこないので、損をした気分になる。

 しかし、他に30分もの時間を潰す方法が無いので、仕方なく本を読むことにした。

 また、溜息を1つつく。

 と、その時だ。

「あのー・・・」

 突如聞こえてきた声を耳にして、後ろを振り返る。

声の主であろうそこに立っていたのは、私よりも背が高い、だが成人には達していないような風格の青年だ。

「何か?」

 私が尋ねると、その青年は心配そうな顔で私の顔を見つめる。

「あ、すみません、突然声を掛けてしまって。ですが、憂鬱そうな顔で溜息をついていたもので、どうしたのかなぁ、と」

 そんな顔をしていたのか。私は自分の顔に手を当てる。

 私は声を掛けた青年に対して笑顔で答える。

「心配をしてくださってありがとう。でも、ご心配なく。ちょっとバスで寝過ごして、ここまで来てしまって途方に暮れてただけですわ」

「あ、そうだったんですか。まあ確かにこんなところに来ちゃったらなぁ・・・」

 安心したような表情で青年が周りを見回す。

 確かに、辺りを見回しても民家が数件あるだけ。喫茶店のようなお店も無い。ちょっと離れたところには、バスの転回場があるが、それだけだ。

来てしまった私が言うのもなんだが、本当に何もない。

「・・・・・・ところで、その本・・・」

 と、青年が私の持っていた本を指差す。

「この本が何か?」

「それ、僕も持ってます」

「へ?」

 意外な発言を聞いて、私は気の抜けた声を吐く。そんな私を傍らに、その青年も肩にかけていた鞄から一冊の本を取り出す。その本のタイトルは、私の今手に持っている本と同じものだ。

「これ、面白いですよね」

「ああっ、内容は言わないでください。まだ読んでないんですからっ」

「あ、そうでしたか。すみません」

 ペコリと謝って、青年は私の隣に座る。どうやら、彼もバスを待つようだ。

 さっきまで話していた人が隣に座った途端に会話が途切れる。どうも気まずい。本当に初対面の人が隣に座っていても普段は何も思わないのだが、今回は勝手が違う。さっきまで会話を交わしていたのだから。

何か話題は無いものか。そう思いながら視線を落とすと、そこにあるのは読もうと思っていたジョークの本。

 そこで私は、こんなことを聞いてみた。

「あの・・・」

「はい?」

 青年が顔を向ける。私は、恐る恐る聞いてみる。

「もしかして、ジョークとかが好きだったりするんですか?」

 青年の顔が真顔になる。いきなりこんなことを聞かれて意表を突かれたのだろう。

 私も、初対面の人に向かっていきなり何を聞いているんだ、と今さらに気付き、慌てて謝罪しようとする。

「あっ、すみません、変な事を聞いて」

「あ、いえいえ。お気になさらず。でも、ジョークは好きですよ」

 ジョークが好き。それを聞いて、私の目がキラリと輝いた。ような気がする。

「ジョークは人を楽しませてくれますからね。内容は色々ありますが、大体は人を笑顔にしてくれますから」

 私と同じ考え方だ。

 私と同じ考え方をしている人に初めて会えて、私は感動に似たなにかを覚える。

「私もジョークが好きなんです。やっぱり、笑顔になって気持ちが上向きになれるっていう性質が好きで」

「あ、分かります分かります」

 そうして私達は、バスが来るまでの間とりとめもない話をした。

 このジョークが有名だとか、あのジョークは腹を抱えるくらい笑ったとか。他愛もない話をし続けた。

 ジョークについての話で、こんなに話が盛り上がったのは初めてかもしれない。

 学校でもジョークの話をしたり、時には自作のジョークを披露したりするのだが、周りの反応はあまり芳しくない。皆、意味が分からないと言った様子で首を傾げたり、苦笑したりする。ダージリンは、私のジョークを聞くと口元を抑えて『ぷくくくく』と笑ってくれるが、オレンジペコ曰く『笑いのツボがおかしいだけです』とのことだ。それはそれで微妙な気分になる。

 だから、この青年とジョークに関する話で盛り上がることができたのは、私にとってとても嬉しかった。

 楽しい時間と言うものはどうも早く過ぎてしまうもので、あっという間に30分が過ぎ、目的のバスが到着した。

 私とその青年は、バスに乗り込んで自然と隣同士の席に座る。

「あなたはどちらまで?」

 私が聞くと、青年は顎に手を当ててこう言った。

「山下公園まで」

「そうなんですか。私も同じです」

「あ、そうだったんですか」

 やがてバスのドアが閉まり、静かに走り出す。さっきの停留所から乗ったのは私たち2人だけのようで、バスの中には私達と運転士以外誰もいない。

「でも正直意外でした」

「何がですか?」

 青年が微笑を浮かべながら私を見つめる。

「貴女みたいな人が、ジョークが好きだったなんて」

 その言葉に、私はデジャヴを覚える。

 それは、学校でも何度か聞いた言葉だ。

 ジョークを好きだと初めて言った際、後輩のルクリリからはこう言われた。

『アッサム様って、そう言うのが好きだったんですね。意外だな~』

 ルクリリは決して、悪意を持って言ったわけではないと言う事は分かっている。

 だが、その言葉を聞いて私は少し、ほんの少しだけ傷ついた。

 私は普段どう思われているのか、おおよその見当はつく。

 冷静、頭脳明晰、データ主義で抜け目がない。全て人から言われてきた事だが、否定したことは一度も無い。自分でもそうだと思うところはあるし、何よりそうだという自覚がある。

 だからこそ、ジョーク好きと言う自分の性格は、普段の自分とはかけ離れたものなのだろう。

 そのギャップに悩んでしまう事も何度かあった。

 そしてまた、そう言われてしまい少し落ち込んでしまう。

「あ、す、すみません!決して悪い意味で言ったわけではなくて・・・!」

 青年があたふたと手を振って弁解しようとする。

 そして、こんなことを言ってきた。

 

「貴女みたいな綺麗な方がジョークが好きっていうのが、ギャップで可愛いっていうか、何ていうか・・・」

 

 綺麗。

 可愛い。

 クールと言われ慣れている私にとって、この2つのワードは聞き慣れないものだ。

 そして、自分がそう言われたという事実に今更ながら気づいて、顔の温度が上がっていくのを感じる。

 おそらく、今の自分の顔は真っ赤になっているのだろう。

「って、女性にあまりこういうことは言ってはいけませんね。すみません」

「い、いえ。そんな、別に気にしていませんから・・・」

 私は顔を赤くしたまま、先の青年の謝罪を受け入れる。

 その後は、なぜか私は青年の顔を見ることができず、お互いに視線を合わせようとしないまま、バスは目的地を目指す。

 そして、バスが『山下公園』のバス停に到着すると、私と青年は並んでバスを降りる。

 空はもうすぐ日没と言う事もあって暗くなっているのだろうが、私は空を見上げることができない。目線を上げたら、隣に立つ青年と目を合わせてしまいそうで。

視線は下を向いたまま、会話は無し、お互い距離を微妙に保ったまま山下公園の中へ入る。

 やがて、噴水の前まで来ると気まずい沈黙が破られる。

「あのっ」

「あのっ」

 被った。

 私が再び沈黙したのに対し、青年はわずかに逡巡して言葉を紡ぐ。

「さっきはすみません。変なことを口走ってしまって」

「い、いえ。私も別に気にしていませんわ」

 綺麗、可愛いと言われて正直嬉しかったのは内緒だ。

「あ、えっと・・・貴女はこれから?」

「ああ、私はこれから寮に戻ります」

 そこで青年は、こう提案した。

「よければご一緒しましょうか?もう時間も時間ですし、女性を1人で歩かせるのは少々危なっかしいというか・・・」

 私の事を心配してくれるのか。この青年の心遣いに感動する。

「心配には及びませんわ。寮すぐそこですので」

「・・・そうですか、分かりました」

 青年もあまり深入りしようとせずに引き下がる。

 人との距離の取り方も、申し分ない。

 って、なんで私はこの人の事を品定めしてるような見方をしているんだ。

 私は頭をわずかに振って考えを払拭する。

「では、これで。今日は一緒に話してくださってありがとう。とても楽しかったわ」

「僕もです。ジョークについて語り合えて、とても楽しかったです」

「また機会があれば、会いましょう」

「ええ。そうですね」

 そう言って、私たちはさよならを交わし合う。そして、青年は私とは反対方向、横浜の街へと姿を消していった。

 私は、その後姿が見えなくなるまで見送り、やがて見えなくなると、私は踵を返して、寮がある聖グロリアーナ女学院の学園艦へと向かった。




数あるガルパンの恋愛作品に影響されて自分も書いてみたくなったと思った次第です。
ここまで読んでいただき、本当に感謝しています。
ご指摘、ご感想があれば、送信していただけるとありがたいです。


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給仕係として

導入編です。
クオリティが低くてすみません・・・


 (セント)グロリアーナ女学院。

 イギリス風の校風を持つそのお嬢様学校の名は、全国に知れ渡っているが、その理由は大きく分けて2つある。

 1つは、本場イギリスと提携をしており、イギリスの影響を強く受けている事だ。

 食堂のメニューは全て英国風、紅茶に対して並々ならぬこだわりがあり、毎日決まった時間にティータイムを開き、さらには生徒全員が定期的にお茶会を開く義務を有しているなど、徹底してイギリス風である。

 もう1つは、聖グロリアーナは戦車道でも強豪校と言っても差し支えない実力を持っている事だ。

 全国大会でも準優勝した実績があり、対外練習試合でも負けた事はほとんどない。“ほとんど”という表現をしているからには負けた事もあるというわけだが、それを差し引いても聖グロリアーナは強豪校として名を馳せている。

 そしてその戦車道は、乙女の嗜みとして古くから存在していた武道だ。

 そこに男の入る余地はなく、ましてや聖グロリアーナと言う正真正銘のお嬢様学校に男が立ち入る事などあるはずが無い。

 無いのだが。

(どうしてこうなった・・・)

 季節は5月。桜も散り、夏を感じさせるように暖かくなってきたこの日。

 聖グロリアーナ学院の校門前で、紺のブレザーを着る1人の青年―――水上は心の中で呟いた。

 足元には、これからおよそ3カ月生活していくための物資が入った肩掛け鞄が置かれている。

(男の俺が、あの聖グロで給仕係って、どういう事なんだ・・・?)

 

 事の発端は4月。

 何の変哲もない、平凡な高校で水上は無事に2年生から3年生に進級した。進級して少し経った後、進路相談の時間に担任の先生から『将来どうなりたいのか』と言う質問をされた。水上ももう高校3年生なので、そろそろ進路を明確にするべき時期だったのだ。

 水上はその質問に対し、『将来人に尽くす仕事がしたい』と答えた。

 『人に尽くす』と言う仕事は、世の中にごまんとある。どのようにして人に尽くすのか、という詳しいことまで考えなければ、将来は明瞭とは言えない。

 それは当然水上も分かっていたので、まずは大学に進学してその将来を明確なものにしようと考えていた。

 それを先生に伝えると、先生はどこからか封筒を持ってきて、1枚の紙を水上に見せる。

 その紙に書かれた内容を統括すると、以下のような感じだ。

 

 聖グロリアーナ女学院では戦車道での給仕係を1人募集している。

 ただし、同年代の学生であることを必須条件とする。

 男女は問わず、期間は3カ月。

 本校が優秀と認めた場合には、特別な措置を施す。

 

 今までの話からどうしてこの話題になったのか。特別な措置とは何か。

 水上が先生に尋ねると、先生は笑いながらこう答えた。

「給仕係も人に尽くす立派な仕事の1つだ。職業体験だと思って、やってこい。特別な措置については、3カ月後に告げられる」

 先生にそう言われてしまっては、素行も悪くない一介の平凡な高校生・水上も反論するすべがない。渋々と、その募集に応募してみることにした。

 このとき水上は、こう考えていた。

(あの有名な聖グロが給仕を募集しているなんて知ったら、他の学校からも応募が殺到するに違いない。生徒は無駄に多いけど、大して実績も無いウチみたいな平凡な高校から採用するはずもないだろ)

 水上の言う通り、彼の通う高校は他の高校の例にもれず学園艦という巨大な船の上に存在するが、特筆すべき箇所は何もない。スポーツで優秀な成績を修めたというわけでもないし、有名人が卒業生と言った特徴も無い。

 だから、こんな平凡な高校に通う自分が、聖グロリアーナと言う正真正銘のお嬢様学校に行く事なんてないだろう。

 そう思っていた。

 

 そんな事を10分ほどで思い出して、短い黒の短髪を掻きながら今自分が置かれている状況を確かめる。

 今自分はこうして聖グロリアーナ女学院の校門の前に立っている。そして、手の中には『採用通知書』と書かれた紙が握られている。

 結局水上は、給仕係として聖グロリアーナ女学院に採用されたのだ。

 それが決まった際、先生にどうしてなのかと聞いたが、先生はこう話した。

 

『全国屈指のお嬢様学校って事で、他の学校は委縮しちゃったらしい。自分の学校の生徒がへまをやらかしたらどうしようって尻込みした感じだ』

 結果、応募したのは水上ただ一人と言う事で、問答無用で採用されてしまった。

 まさか自分が選ばれる事になるとは思わなかった。

 その選ばれた日以来、学校の先生から、粗相のないようにと放課後は徹底的にマナーや礼儀作法、敬語についての知識を叩きこまれた。さらに、紅茶の淹れ方について、舌の肥えていることで評判の家庭科の先生から指導を繰り返し受けて、何とかその家庭科の先生をうならせるような紅茶を淹れる事には成功した。

 

 そんな調子で1カ月が経過し、今自分は聖グロの前に立っている。

 かれこれ15分は校門の前で立ち尽くしていた。

 何せ、この校門の先はあの聖グロリアーナ女学院だ。野郎の自分が入るような余地は決してない、未知なるお嬢様たちの世界だ。

 そんな世界に足を踏み入れることを躊躇うのを、誰が責められるだろうか。

 しかし、門の脇の守衛所の中にいる女性警備員が怪訝な顔をしているのに気づき、水上は縮こまりながらその警備員に声を掛ける。

「あ、あのぉすみません。ワタクシ、このたび給仕係としてこの学校に入る事になった者なんですけれどもぉ」

 緊張のあまり声が上ずり変な口調になってしまった。その話し方で余計に怪しさを増してしまったのか、警備員の眉間にしわが寄る。

 ここで門前払いなどされたらどうしよう。あるかもしれない未来を想像する。

 だが、警備員の女性は水上の心配をよそに、どこかに電話をかける。一言二言言葉を交わすと電話を切り、棚の引き出しから首に提げるタイプの名札を差し出してきた。名札には、『GUEST』の文字が。

「これを首から提げて、校長室へ行ってください。校長室は、すぐそこにある校舎の2階、階段のすぐ前にあります」

「あ、ありがとうございます」

 水上は頭を下げて、首に入校許可証を掛けると、聖グロリアーナ女学院の世界へ足を踏み入れる。

 この時点で、水上は男どもから勇者扱いをされるに違いない。

 校舎に向かう中で、水上は『聖グロへ短期入学する事になった』と友人へ告げた時の事を思い出す。

 

 その友人は小学校以来の付き合いで、お互いに気の置けない仲だった。

 今回の事を最初に伝えた時は腹を抱えて爆笑されたが、やがて水上の真剣な表情を見て真顔で『マジで・・・?』と聞き返してきた。それに頷くと、今度はにんまりといやらしい顔で顔を近づけてこう言った。

『いろんな意味で頑張ってこい』

 余計なお世話だ、と水上は言い返した。

 

(ホント、どうなる事やら)

 校舎の中に入る。今はちょうど授業中だったので、聖グロの生徒たちの目に触れることは無く校長室の前にたどり着いた。しかし、どこから目を付けられているかわかったものではないので、ポケットに手を入れて歩くなどと言う行為は決してしなかった。

 ノックを3回行うと、中から『どうぞ』と言葉が返される。

 『失礼します』と言いながら入室すると、そこは赤い絨毯が敷かれた中世ヨーロッパをモチーフとした部屋だった。

 部屋の奥の木製の執務机には、灰色の髪をした初老の女性が座っている。ここは校長室なのだから、彼女がこの学校の校長だろう。

「貴方が、給仕係としてウチに来た子ね?」

 水上の全身をくまなく眺めながら校長が尋ねる。水上は姿勢を正して挨拶をした。

「はい、潮騒高校から参りました水上進(みなかみすすむ)と申します。よろしくお願いいたします」

 自己紹介をして頭を下げる。頭を上げると、校長は机から書類を取り出して、応接スペースにあるソファにかけるように手で指示をする。

 水上はそれに従い校長と対面する形でソファに座る。

 そして、それからしばらくの間は学校について、生活について、そして給仕係の仕事の内容についての説明を受けた。

 給仕の仕事は、具体的には戦車道の運営についてのサポートと言う事らしい。

 そのサポートとは多岐にわたり、弾薬や燃料など物資の確認と注文、戦車道のスケジュール全般の管理、果ては上位メンバーの身の回りの世話なんてものまであった。

 そうして校長から指導を受けて、昼食(自前の弁当)を挟み、その後は学校の案内をされる。その時、奇跡的と言ってもいいほどに聖グロリアーナの生徒とは会わなかった。

 そして、ついに戦車道の授業の時間が始まる。

 その直前で水上は、高校の制服のブレザーから、白のシャツに灰色のベスト、そして黒いスーツに着替えさせられた。これは聖グロから支給されたものだが、曰く『給仕係であるならばまず服装から』と言う事で用意されたものだ。

 制服のブレザーとは勝手が違うので窮屈に感じたが、仕方がない。

 校長の後に続き戦車道を行う訓練場へと向かう。

 その時点で、既に戦車道履修者たちが戦車の格納庫前でワインレッドのタンクジャケットを着て整列をしていた。

 水上は脇で一度立ち止まる。校長は、生徒たちの前に歩み出て説明をした。

「えー、先日話したように、今日から給仕係として、外部から転入生が来ました」

 既に並んでいる生徒の何人かは水上の方を好奇のまなざしで見ている。正直、いたたまれない。

「今日より3カ月の間、彼には戦車道関連のサポートをしてもらいます」

 そして、校長が水上を手招きする。水上は頷き、生徒たちの前に歩み出た。

「本日より、給仕係として皆様のお世話をさせていただく、水上進と申します。どうぞ、よろしくお願いいたします」

 お辞儀をすると、並んでいた戦車道履修者たちも『よろしくお願いします』と礼を返す。

 戦車道履修者たちは礼儀正しい、と言う噂はどうやら本当のようで、男である自分に対しても不審がらずにしっかりとあいさつをしてくれる。そのことに水上は若干の感動を抱いた。

 そして、顔を上げた次の瞬間、彼は、それを見た。

 並んでいる戦車道履修者の人数は結構多い。

 そんな中で、水上は見た。

 1カ月ほど前、バス停で声を掛け、同じくジョークが好きと言う事で会話に華が咲き、横浜の公園で分かれたあの女性を。

 長い金髪に黒いリボンの、あの女性を。

 

 列の中央辺りに並んでいたアッサムも、気づいた。

 今、目の前であいさつをしている青年は、あの時の青年だと。

 辺鄙なバス停で声を掛け、ジョークについて語り合い、自分の事を初めて可愛いと言ってくれたあの青年だと。

 青年が自己紹介をしてお辞儀をする。周りにいた生徒たちも、同じように挨拶をしてお辞儀をする。

 しかし、アッサムだけはその男性から目を離すことができなかった。故に、お辞儀をし忘れた。

 それを不審に思い、隣に立つオレンジペコが不安そうに聞いてきた。

「アッサム様?どうなさったのですか?」

「え?あ、いいえ、何でもないわ」

 アッサムは、普段は偶然や運命などと言った、因果関係のはっきりしないものはあまり信じないタイプだったのだが、なるほど、偶然とは起こり得るものらしい。

 この時、アッサムの隣に立つオレンジペコは、アッサムの表情がいつもと違う事に気付いていた。

(アッサム様、どうして・・・)

 オレンジペコの瞳には、アッサムの凛々しくも、

(そんなに嬉しそうな表情をしているのでしょうか・・・)

 わずかに頬を赤く染め、小さく微笑んでいる表情が映っていた。




聖グロ勢、まさかの最後、ほんのちょっとしか登場せず。

ご指摘、ご感想があれば送信していただければ幸いです。


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聖グロリアーナの一員として

 その人の事を見つけた時、水上は心の中で『マジか!!』と叫んだし、すぐにでも声を掛けたい衝動に駆られた。

 しかし、そうもいかない。今は校長から紹介されている最中なので、そのような出過ぎた行動を起こして印象を悪くするわけにはいかなかった。

 だが、水上の意識はその女性にずっと向けられていた。

 視線はその女性には向けず、ただし意識はその女性に向けて。

 やがて校長の紹介が終わり、列の中心から1人の女子生徒が歩み出る。水上には、その特徴的な髪の編み方が何と言うのかは知らなかったが、金髪と青い瞳が綺麗な人だ。

「聖グロリアーナの戦車隊隊長・ダージリンです。よろしく」

「こちらこそ、よろしくお願いいたします」

 ダージリンと名乗った女性が右手を差し出したので、水上も右手を差し出し、優しく握手をする。

 この時、水上は心の中でこう思っていた。

(ダージリン・・・って、紅茶の茶葉の種類だよな。って事は、ニックネームみたいなものか・・・?)

 その時、水上の思考を読み取ったのか、ダージリンが意味深な笑みを浮かべる。が、水上にはその意図が分からず、頭に疑問符を浮かべた。

「ペコ、アッサム」

「「はい」」

 ダージリンから呼ばれた2人の生徒が、並ぶ生徒たちをかき分けて前に出てくる。

 その2人のうち1人は、水上よりも背が随分と低く、オレンジの髪を左右で編み上げて纏めている少女。

「オレンジペコです。1年生で、チャーチルの装填手を務めています。よろしくお願いします」

 オレンジペコと名乗った少女がぺこりと可愛らしく頭を下げる。水上もまた頭を下げる。

 そしてもう1人は、水上がずっと意識を向けていた人物だ。

「アッサムです。3年生、チャーチルの砲手を務めていますの」

「よろしくお願いします」

 水上がオレンジペコの時と同様に頭を下げようとする。が、そこでアッサムが右手を差し出してきた。

 水上は、その意味が一瞬分からなかったが、その行為が指す意味を理解すると、同じように右手を差し出して握手を交わす。

 それを見て、隣に立つオレンジペコは、驚きの表情を隠せない。ダージリンもまた、アッサムの行動を見て怪訝な顔を浮かべる。

 水上とアッサムが手を離したところで挨拶は終わり、いよいよ戦車道の授業に入るようだ。

 今日の授業内容は、新入生の鍛錬も兼ねて横帯隊形での行進というシンプルな内容だった。

 戦車と履修生たちが訓練場に移り、水上と校長は訓練場の脇で双眼鏡片手に見学をする。

 聖グロリアーナの学園艦の規模は非常に大きく、水上の通っている潮騒高校の学園艦の比ではないくらいだ。

 さらに戦車道強豪校と言う事もあって、戦車道の練習場の規模は広大である。平原、荒地はもちろん、専用の市街地まで用意されている。今回の訓練は平原で行うのだ。

 早速中央に陣取る、キューポラから体を半分乗り出したダージリンの乗るチャーチルがゆっくり前進する。それに合わせて、横に並ぶマチルダⅡやクルセイダーと言った付随する戦車がやや遅れながら前進を始める。

 余談だが、水上には戦車の知識はこれっぽっちも無かった。だが、戦車道での給仕係をする以上は、戦車の知識も取り入れておかなければならないと思ったので、この聖グロリアーナに来るまでの間に、保有する戦車の名前だけは覚えておいた。

 さて訓練の方だが、何か一台だけ挙動がおかしい戦車がいた。

 双眼鏡で覗いてみると、その戦車はクルセイダー。加速と減速を繰り返しており、隊列を乱そうとしている。

(何やってんだ、あの戦車)

 そして、そのクルセイダーは遂に隊列から大きく外れるように前進する。

「あっ」

 水上が声を上げた瞬間、クルセイダーの車体上部から白旗が上がり、スコンとクルセイダーは停止した。他の戦車たちはその擱座したクルセイダーを置いて前進を続ける。

「まったくあの子は・・・」

 声がしたので、双眼鏡から目を離して校長の方を見る。校長は、呆れたと言った具合に額を抑えていた。

「あの、あの戦車は一体・・・」

 水上が校長に尋ねると、校長は困った表情のまま水上に説明する。

「あの戦車には、今年入った1年生が乗っているの。でも、何かにつけて暴走して、隊列を乱すのなんてしょっちゅう。なのにダージリン、あの子のどこに目を付けたのか、クルセイダー部隊の隊長を任せたの」

 校長までダージリンの事を『ダージリン』と呼んでいる事に、水上はわずかに驚く。

「今回の鍛錬は、綺麗な一列横隊を組むことが目的。それを乱したあの戦車は、撃破判定になったのよ」

 そう言う事か、水上が理解する。

 確かに、この訓練は校長の言う通り、“綺麗な”一列横隊を組むことが目的なのだ。その目的から外れた戦車が失格扱いになるのも、納得がいく。

 そして、改めて双眼鏡で擱座したクルセイダーの方を見る。

 すると、キューポラから身体を出して腕をブンブン振っている赤毛の少女が見えた。どうも、なぜ自分たちが動けなくなったのか、納得できないらしい。

 水上は、心の中で『大丈夫かな、あの子』と割と本気で心配した。

 

 その後、先ほどのクルセイダーのように隊列を乱すような戦車は現れることはなく、訓練は順調に進んでいった。

 一列横隊で進んでいたかと思えば、いきなり一列縦隊に変わったりする。これは不意打ちだったのか、先頭を行くチャーチル以外の戦車は戸惑いながらも縦隊を形成した。

 さらに斜向隊形、V字隊形などにも変化していき、やがて最初に集まった格納庫の前まで戻ってきた。

 陣形が変わる様を見て、水上は拍手がしたくなったが、隣に立つ校長に言わせれば『まだまだ綺麗とは言い難い』とのことだ。

 戦車道って厳しい、水上はそう総括した。

 戦車から履修者たちが下車し、隊長のダージリンが前に立って今日の訓練の出来栄えを評価して、次の訓練についての説明をする。

 その間、列の最後部ではアッサムが、クルセイダーに乗っていた赤毛の少女にガミガミと説教をしていた。赤毛の少女は、『ぶー』といった表情でアッサムの説教を聞いている。水上はそれが、見ていて微笑ましかった。

 そしてダージリンが解散を告げると、何人かの履修者たちが足早にその場を離れてある一点へと向かう。

 水上は、それが何を意味するのか校長に聞こうとしたが、校長からは『とりあえずダージリンのそばにいなさい』と告げられた。

 仕方なく、水上はダージリンとそばにいたオレンジペコの左後ろに控える事にする。そこで、ようやく説教を終えたアッサムが合流する。説教を受けていた赤毛の少女は肩を落としながら校舎の方へと戻っていった。

そしてダージリンが、先ほど何人かの生徒たちが向かった方向と同じ方角へ向けて歩き出し、水上もあとに続く。

 そうして数分ほど歩くと、着いたのは森の中にあるイギリス風の建物だった。

 ここだけ、聖グロリアーナの校舎とも、学園艦のどことも雰囲気が違う。

 こここそが、聖グロリアーナの戦車隊の幹部クラスが集う場所であり、聖グロリアーナの生徒たちが憧れる『紅茶の園』と呼ばれる場所だ。

 ダージリンたちが『紅茶の園』の建物に入ったので、水上もそれに続く。

 やがてたどり着いたのは、赤い絨毯が敷かれ、年代物の調度品が置かれた広い部屋だ。部屋の中心には、白い布が掛けられたテーブルと、緻密な装飾が施された三脚の椅子が置かれている。テーブルの上には、色とりどりの洋菓子が置かれており、どれも水上の目にはおいしそうに映る。おそらく、先ほど足早にこちらの方へ向かった生徒たちは、このティーセットの準備をしていたのだろう。

 中には、キュウリが挟まれたサンドイッチも置かれていたが、あれもお茶菓子のつもりなのだろうか。

 そんな風にテーブルを眺めていると、ダージリン、オレンジペコ、アッサムの3人が椅子に向かい、座ろうとする。

 ここで水上は、聖グロリアーナに来るまでに習った礼儀作法の指導を思い出し、足早に3人が掛けようとする椅子へと向かう。まずはダージリンの座ろうとしていた椅子を音もたてずにスッと引き、ダージリンを座らせる。

「ありがとう、水上」

「いえ、お気になさらず」

 そしてオレンジペコ、アッサムの椅子も同様に引き、2人を座らせる。

 3人が席に着き、そこでダージリンが水上を見る。

「ここが、『紅茶の園』。私達、戦車道の上位数人だけが寛ぐことを許されている場所よ」

「存じ上げております」

 普段の砕けた口調を封印し、指導で身に着けた敬語をフルに活用して返事を返す。

 『紅茶の園』についての説明は、校長からの説明にもあったし、この学園艦に来る前にネットで聖グロリアーナの事を調べた時に頭に叩き込んでおいた。

「貴方も、給仕とはいえここに踏み入れることを許されているのだから、それ相応の態度でいるようにすること。いい?」

「かしこまりました」

 小さくお辞儀をする水上。オレンジペコはその様子をハラハラとした表情で見届けているし、アッサムも澄ました顔でその2人のやり取りを見ている。

「で、水上」

「はい、なんでしょう」

 ダージリンがおもむろに顔を上げて水上の顔を見る。そして、こういった。

「紅茶を淹れていただける?」

 はい来た、水上は心の中でそう呟く。

「かしこまりました。直ちに」

 そう言って、一度部屋を出て、すぐそばにある給湯室へと向かう。白を基調とした給湯室にはコンロが二台。どうやら電気ケトルは存在せず、普通に火で沸かすタイプのケトルしかないらしい。だが、水上は指導の際は普通にやかんで淹れていたのでその点においては問題なかった。

 しかし、流石は紅茶にうるさい聖グロリアーナ。紅茶を淹れるのに必要な道具は一通りそろっていた。ジャンピング用のポット、サーブ用のポット、砂時計、計量器などが揃えられており、それら全てに豪勢な装飾が施されていた。

 壊したら一体いくらするんだろう、何てことを考えながら紅茶の準備を進めていく。

 元居た高校で習った事を思い出しながら、あの舌の肥えた先生を唸らせた紅茶を再現するように、紅茶を淹れる。

 やがて、水上はこれまでで一番真剣に紅茶を淹れ終えると、トレーに載せて3人の待つ部屋へと戻る。

「お待たせいたしました。ダージリンティーでございます」

 すでに用意されていたティーカップに静かに紅茶を注ぐ。3人全員のカップに紅茶を注ぎ終えると、3人は示し合わせたかのように一斉に紅茶を飲んだ。

 この時点で、水上の心臓はバクバクと音を鳴らしていた。

 果たして、一介の高校生が淹れた紅茶は、この本場仕込みの生徒たちの口に合うのだろうか。

 果たして、(多分だが)過去最高の出来を誇る自分の紅茶は、この3人の口に合うのだろうか。

 そんなことを頭の中で考えて、背中にじんわりと汗が浮かんできたところで、3人がカップから口を離す。

 そして。

「ペコ」

「はい、なんでしょうか」

 ダージリンがオレンジペコの名を呼ぶ。そのダージリンの表情には、失笑とも取れる笑みが浮かんでいた。

「紅茶を淹れてくれる?」

「はい、ただいま」

 その言葉を聞いて、水上は膝から崩れ落ちそうになる。

 水上も、ダージリンの言葉を聞いてそれが何を意味するか分からないほど愚かではない。

 つまるところ、自分の淹れた紅茶はダージリンの口には合わなかったというわけだ。

 ため息をつきたくなる。自分の淹れた紅茶が否定されて、決して小さくはないショックを受ける。

 表情に現れていたのか、水上を見て、オレンジペコが気の毒そうに眉を八の字にする。

 だが水上も、このままショックに打ちひしがれているほど人間ができていないわけではない。

 今できる事は、おそらくダージリンが気に入っているのであろう、オレンジペコの紅茶の淹れ方を見学して、少しでもダージリンの口に合うような紅茶を淹れられるように努力する事だ。

 そう考えて、水上は踵を返してオレンジペコについていこうとする。

自分の淹れたこの紅茶は捨ててしまおう、そう考えていた時だ。

「水上」

 名前を呼ばれて水上が立ち止まる。部屋を出ようとしていたオレンジペコも、立ち止まって声の主を見る。

 その声の主は、静かに紅茶を飲んでいたアッサムだった。

「・・・なんでしょう、アッサム様」

 アッサムのそばへと向かい、頭を下げて用件を伺う。

 アッサムは、水上の顔を見上げて、空になったティーカップを見せて、こう言ったのだ。

 

「おかわりをいただける?」

 

 最初、水上はアッサムが何を言っているのか分からなかった。

 だが、次第にその言葉が頭の中に浸透していき、やがて脳がその意味を理解し終える頃に、もう一度アッサムがこう言った。

「おかわりをいただけるかしら?」

「・・・はい」

 目頭が熱くなり、涙が出そうになるのを必死にこらえて、水上は捨てようと思っていた紅茶を、静かに丁寧にアッサムの持つカップへと注ぐ。

「ありがとう、水上」

 アッサムが礼を言うと、静かに水上の淹れた紅茶を飲む。

「ペコ、急いで」

「あ、はい」

 ダージリンが少し強めに言うと、フリーズしていたオレンジペコは弾かれるように部屋の外の給湯室へと向かう。

 水上もそれを見て、感傷に浸るのを切り上げて足早にオレンジペコの後を追う。

 

 給湯室で、オレンジペコがお茶を淹れているのを見ながら、水上は流しに自分の淹れた紅茶を捨てる。

 その表情は、嬉しさと悔しさが入り混じったように、涙をにじませていた。

 それを見たオレンジペコは、優しい表情で水上の事を見上げる。

「良かったですね」

 水上は、その言葉を聞いて涙を流しそうになった。

 

 オレンジペコと水上が紅茶を淹れている間、ダージリンはアッサムに、1つ質問をした。

「この紅茶が気に入ったのかしら?」

 意地悪気に聞いたダージリンの質問に、アッサムはティーカップから唇を離し、いつものように凛々しい表情で答える。

「水上の淹れた紅茶は、確かにとても美味しいって言うほどのものではありません。でも、親しみやすくて、私好みの味をしていると思っただけですよ」

 そう言ってアッサムは再び紅茶に口を付ける。

 ダージリンはそれを見て、水上の淹れた、飲みかけの紅茶に口を付けた。




次回ちょっと更新が遅くなります。
ご感想・ご指摘等があればお気軽にどうぞ。



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同好の士として

ブランクがあったうえに低クオリティです。
大変申し訳ございません!


 オレンジペコが紅茶を淹れ終えて、ダージリンとアッサムのカップに紅茶を注ぐ。

 ダージリンが一口飲むと、うんとうなずき、オレンジペコに向けて微笑む。

「やっぱり、ペコの紅茶が一番ね」

「ありがとうございます」

 ダージリンの言葉に、脇に立っていた水上が小さくないダメージを受ける。

 目の前で自分の紅茶は美味しくないと言外に告げられ、その後別の者が淹れた紅茶に対して『一番』『美味しい』と評価する。

人に尽くす事を望んでいる水上にとっては、それはとてもショックだった。

「水上、こんな格言を知っている?」

「・・・はい?」

 そんな水上に向けてダージリンが話しかける。水上は、頭に疑問符を浮かべてダージリンに顔を向ける。

「険しい丘に登るためには、最初にゆっくり歩むことが必要である」

 ダージリンが得意げに格言を言うと、隣に立つオレンジペコが小さく頷いて『シェイクスピアですね』と告げる。アッサムは、またかと言わんばかりに小さく息を吐いた。どうやら、ダージリンの格言を言う習慣は今に始まった事ではないらしい。

「確かに、水上の淹れた紅茶はまだまだ改善の余地があると思うわ。でも、あなたはペコの淹れた紅茶のように美味しい紅茶を淹れようと、まずはペコの紅茶の淹れ方を見学して学ぼうとした。違う?」

 水上は呆ける。まさか、先ほどの自分の考えが読まれていたとは。

「努力の積み重ねが実を結び、いずれは成果を生む。あなたがいつか、美味しい紅茶を淹れることができるようになる日を、楽しみにしているわ」

「・・・・・・ありがとうございます。ご期待に沿える紅茶が淹れられるように、鍛錬いたします」

 水上が深々とお辞儀をする。ダージリンはそれを見て小さく微笑むと、再び紅茶に口を付けた。

 アッサムは、オレンジペコの淹れた紅茶を一口飲み、唇を湿らせてからテーブルの上に置かれているスコーンを手に取って食べる。

 それを皮切りに、ダージリンとオレンジペコも、テーブルの上に置かれている茶菓子を思い思いに手に取り食べる。

 3人が紅茶を飲み、茶菓子を食べながら会話を交わす。今日の戦車道はどうだった、授業の方は順調か、オレンジペコの才能は確かだ、他愛も無い話をした。

 その間、水上は特にする事も無かったのでダージリンの傍に立ち、静かに目を閉じで、ダージリンたちの会話を耳にしながら、命令があるまで待機することにした。

 

 ダージリン、オレンジペコと話をしていて気付かなかったが、水上は手持無沙汰と言った具合で待機していた。

 私はそれを見て、水上も会話に参加すればいいのにと思ったが、同時にそうもいかないと言う事に気付く。

 水上は、今日初めて聖グロリアーナに来たのだ。そして、私たちの会話の内容は戦車道の事や授業の事と言う風に、内部の話だ。外部から来た水上には分かるはずもない。

 私は、水上のその何とも言えない―――強いて言えば退屈そうな表情を見て、そんな表情をしてほしくない、会話に参加してほしい、となぜかそう思った。

 そこでテーブルを見る。いい感じにお菓子が無くなってきていた。ダージリンとオレンジペコも、紅茶を楽しんでいる。

 そこで、私はあることを思いついた。

「お茶のおともにこんなジョークを1つ」

 私が言うと、ダージリンが目を輝かせてこちらを見る。オレンジペコは、『?』と言った具合だ。

 そして、肝心の水上はちらと私の方を見ていた。どうやら興味を惹く事には成功したらしい。

「客が店員に言いました。『おい君、スープに蠅が入っているぞ』店員は答えます。『ご心配なく、肉代は追加いたしません』」

 一瞬の間が開いた後、ダージリンが声を押し殺し、自らの膝をパンパンと叩いて笑い出した。

 ダージリンが私のジョークを聞いて、腹を抱えるほど笑ってくれるのは、いつもの事だ。それでも、自分のジョークで笑顔にできたという事実に、私は僅かながら感動する。

 オレンジペコは、『あはは・・・』と苦笑する。おそらくこれが、普通の反応なのだろう。ちょっと寂しい。

 そして、水上の方を見ると。

 

 おそらくは、ウケているのだろう。

 水上は、口元を手で押さえて静かに『ふふふっ』と優しい表情で笑っていた。

 

 私のジョークを聞いた人の反応は様々だ。

 ダージリンのように笑う者もいるし、オレンジペコのように微妙な表情をする者もいる。

 そして、今の水上のように上品に笑う人だっている。私は何人もそういう反応をする人を見てきた。

 だが、それは私と同年代の“女”だけであって、そんな反応をする“男”は水上が初めてだ。

 私は、なぜか、その水上の優しく笑う表情から目が離せなかった。

「やっぱり、アッサムのジョークは、傑作ね…っ」

 ダージリンが笑いの渦から脱したのか、息も絶え絶えにアッサムを褒める。

「ありがとうございます、ダージリン様」

 私はダージリンに対して頭を下げる。続いてダージリンは、水上の方を見た。

「水上もそう思うでしょう?」

 水上は笑って頷く。

「ええ、とても面白いです。失礼ながら、私も笑ってしまいました」

 水上が先ほどと同じ優しい表情で私の方を見る。

 私はそれを直視できず、紅茶に目を落とす。

 けれど、先ほどに水上のあの表情が、お茶会が終わるまで私の脳裏から離れる事は無かった。

 

 時計の針が6時を指したところで、お茶会はお開きとなった。

 ダージリン、オレンジペコ、アッサムの3人が席を立ち、部屋の出口へと向かう。水上は、足早に扉へと向かって先に扉を開いておく。

 3人が扉を通り過ぎると、今度は『紅茶の園』の玄関まで早歩きで向かい、ドアを開けて待機する。水上は、3人を見送り出してからドアを閉め、これからどうしようと思って校長を探すが、いつの間にか姿が見えなかった。

 校長はどこへ行ったのか、キョロキョロ辺りを見回していると、先ほどお茶会の開かれていた部屋の隣に位置する厨房から、タンクジャケットを着た女子生徒―――茶髪のロングヘアをサイドに寄せた三つ編みの少女が、白いワゴンを押して出てくる。そして、お茶会の開かれていた部屋へと入り、テーブルの上に置かれていたティーセットやお皿を手際よくワゴンに載せていく。

 水上は、一瞬遅れて『自分も手伝わなければ』と思い至り、その女子生徒を手伝う。女子生徒は、突然現れた水上の姿を見て一瞬びくりと驚くが、すぐに作業に戻る。

 そして、ワゴンを少女が押そうとしたので、水上は先んじてワゴンを押す。少女は水上に『ありがとう』と告げたが、水上は『いえいえ』と笑い、ワゴンを厨房へと運ぶ。

 厨房へ来ると、先ほど足早に姿を消した5名の戦車道履修者たちが待機していた。そして、その内の3人がワゴンに載っていた食器類を素早く手に取り、流しで食器洗いに専念する。残りの2人とワゴンを一緒に運んだ三つ編みの女子は、お茶会の開かれていた部屋へと戻って行く

 水上は、『女の子だけに水仕事を任せて自分は棒立ちってどうなのよ』と考えて、スーツの上を脱ぎ、皿を一枚手にとって皿洗いに参加する。

 隣にいた女子はびっくりした表情を浮かべていたが、水上は『これも給仕の仕事です』と告げると、女子は皿洗いを再開する。

 お茶会で使われていた食器の数はそれほどでもなかったので、洗うのはすぐに終わると思ったが、如何せん食器がとても高級そうだったので、丁寧に扱わなければならず、割と時間がかかってしまった。

 洗剤で洗い、水ですすぎ、布巾で丁寧に拭いて食器棚へ戻す。そこで、皿洗いをしていた3人の女子は解散となるらしく、『紅茶の園』を後にした。

 それを見送り、水上はお茶会の開かれていた部屋へと戻る。そこでは、食器洗いの前に姿を消した3人の女子が、ほうきでせっせと赤い絨毯の敷かれた床の掃き掃除をしていた。

 絨毯のごみは掃除機でないと取れないと聞いた事があるが、彼女たちは掃除機と言う文明の利器を使用せずに掃除に励んでいる。

 それを見て、水上は何もしないほど冷酷ではなく。

「後は私がやります。皆さんはお先にお帰りになって結構ですよ」

 三つ編みの女子に話しかけると、女子はびっくりとした表情を浮かべる。

「え、でも一人でやるには結構広いですよ?」

 だが、水上は笑顔で首を横に振る。

「皆さんの世話するのが、給仕である私の仕事です。皆さんに負担を強いるわけにはいきません」

 水上の説得を聞き、3人の女子は申し訳なさそうにほうきを水上に預けて『紅茶の園』を後にした。

 そこで水上は、部屋を改めて見直す。

(これ、終わるのにどれくらいかかるんだろう)

 と、途方もない事を考えた。

 

 どうやら、3人の女子が使っていたほうきは、絨毯の小さいゴミも取ることができる特殊な繊維でできているらしく、割と順調に掃除を進めることができた。

 隅にゴミが集まらないように、しかし絨毯を傷つけないように慎重に掃除を進める事およそ一時間。

 水上は、先ほどまでダージリンたちが座っていた椅子の上に何かが置いてある事に気付いた。

 近づいてよく見るとそれは、スマートフォンだった。

(誰のだ?)

 手に取ってみる。ロゴや模様は入っていない、紫色の手帳型のケースに収められていたスマートフォン。

 水上は記憶を頼りに、この席に座っていたのは誰だったかを思い出そうとする。

 その時だった。

「水上」

 突然名を呼ばれてハッと顔を上げる。部屋の入口に立っていた声の主は、ワインレッドのタンクジャケットから、聖グロリアーナの制服である紺のカーディガンとプリーツスカートに着替えたアッサムだった。

「アッサム様、どうかなさいましたか?」

 水上が尋ねると、アッサムはゆっくりと部屋に入る。

「私のスマートフォンを探しているのだけれど、見てない?」

 スマートフォンと聞き、水上は今手に持っているものをアッサムに見せる。

「もしや、こちらでしょうか?」

 紫の手帳型ケースに収められたスマートフォンを見せると、アッサムは小さく笑う。

「そう、それよ。ありがとう」

「いえ、お気になさらず」

 何事もなかったかのように、水上がアッサムにスマートフォンを手渡した時。

 

 ちょん、と。

 水上の指とアッサムの指がわずかに触れ合った。

 

「「!」」

 お互いに目を見開き、アッサムはスマートフォンを素早くポケットに入れて後ろを向く。水上は、素早くほうきを手に取り掃き掃除を再開する。

「・・・失礼しました」

「・・・いいえ、気にしてないわ」

 お互いに背を向け合いながら言葉を交わす。

 意識を掃除に集中して掃き掃除を無言で進めること数分。水上もアッサムも言葉を発せず、ほうきをはく音と沈黙だけが空間を支配していたところで。

「・・・まさか、また会えるとは思わなかったわ」

 アッサムが言葉を発する。

 『また』という単語を聞いて、何のことかわからないほど、水上も馬鹿ではない。

 それは、今よりおよそ2カ月前の3月末。

 辺鄙な場所にあるバス停で水上とアッサムが出会い、お互いにジョークが好きと言う事で会話が盛り上がり、いつか再会できることを願い合ったあの日の事だ。

「ええ。あの時は、もう会う事はないだろうな、と思ってました」

 掃き掃除を続けながら、水上も言葉を紡ぐ。

「でも、こうして会うことができて嬉しかったです」

 水上の言葉を聞いて、アッサムが振り返る。

「あの時の事は、忘れた事がありません。あの出会いは、今でも私の中に大切な思い出として残っています」

「大切な思い出?」

 アッサムが聞き返す。水上は、振り返って、優しい笑顔でこう言った。

 

「貴女のような方と巡り会うことができ、同好の士として話が盛り上がった。それだけの事ですが、私にとってはとても大切な思い出です」

 

 アッサムは、水上の顔を直視することができず、顔を逸らして『そう…』と返すだけ。

 水上も言った後で、少々クサかったか、と自己評価する。

「失礼、出過ぎたことを申し上げました」

「・・・気にしなくて大丈夫よ」

 アッサムの返事を聞いて水上は安心し、掃き掃除を再開する。

 やがて、まもなく掃除も終わると言った頃合いで、水上が『そう言えば』と声を上げる。

「先ほどのあのジョーク、もしやアッサム様自らが作ったものですか?」

「へ?え、ええ。そうよ」

 突然の質問に、アッサムは動揺しながらも応える。先ほどのジョークと言うのは、『スープに蠅が入っている』のジョークの事だろう。

水上はアッサムを見て続ける。

「素晴らしいです。私もジョークが好きですが、作る事など到底できません」

「・・・別に、褒められたことではないわ」

「それでも、私にとっては素晴らしい事です」

 アッサムは顔を真っ赤にして顔を水上から逸らす。水上は、『何か変な事を言っただろうか』と自分の発言を顧みるが、別段変な事を言った覚えはない。掃除へと意識を向ける。

 そして、遂に掃除を終えると背中を伸ばす。『給仕だから』と言って見栄を張ったが、やはり骨の折れる仕事だった。

「さて、もう時間も遅いですし帰りましょう」

「・・・そうね」

 水上が提案するが、アッサムは未だ水上に目を合わせようとしない。その態度に水上は疑問を抱くが、『男と女の思考回路は別物』という友人の考えに則り、深くは考えないようにした。

 時計を見ると既に7時を回っている。

「寮までお送りします」

 水上が提案するが、アッサムは手をブンブン振ってそれを拒否する。

「だ、大丈夫よ。一人で帰れるわ」

「いえ」

 だが、水上は強い口調でアッサムの発言を突っぱねる。そして、アッサムに顔を近づける。

「いくら学園艦の上で治安が保証されているとは言え、こんな時間に女性を一人で出歩かせるわけにはいきません。少しでも安全性を高めるためにも、ここは2人で帰った方がよろしいかと」

「・・・・・・はい」

 アッサムが、頬を紅潮させて小さく返事をする。水上は安心して、アッサムから顔を離してもう一度『帰りましょう』とアッサムに話しかける。アッサムは、視線をわずかに下に向けながら水上に従い、『紅茶の園』を後にした。

 校門に向かう途中で、水上は自分の鞄が別の場所に置いたままと言う事を思い出し、

アッサムに断りを入れて鞄を回収する。

 その途中で、水上はアッサムの事を思い出していた。

(・・・顔を近づけ過ぎたか)

 それは2人で帰る事を提案した時の事だ。

 アッサムの細く整えられた眉毛、紫がかった漆黒の瞳、可愛らしい唇。

 あの時は気にならなかったが、今思うと相当際どかったんじゃなかろうか。

 水上は頭を振って邪な考えを払拭しようとする。

(いかん、俺はあくまで給仕だ。一人だけを気にかけるなど御法度だろう)

 冷静になれと水上は自分に言い聞かせて鞄を回収し、アッサムの下へと戻る。そして、2人で下校する。

 アッサムの生活している3年生の寮は、水上が滞在を許されているホテルとは全くの逆方向だったのだが、水上はそれを気にも留めない。

 アッサムの寮へと向かう道すがら、アッサムは水上にある質問をした。

「どうして、聖グロリアーナの給仕をしようと思ったの?」

 水上は、少し答えるのを躊躇ったが、やがて答える。

「・・・私、将来人に尽くす仕事がしたいと思いまして」

 アッサムが水上に視線を向ける。水上は、アッサムの視線を感じながらも続ける。

「ですが、どういう形で人に尽くすのか、と言う事はまだ漠然としていて。そこで、学校の先生から、給仕も人に尽くす立派な仕事として、この給仕の体験を紹介されたんです」

 アッサムは何も言わない。水上はさらに続ける。

「この給仕の仕事で、自分の目標とすることが見つけられれば、と思ってこの給仕をやろうと思ったんです」

 この給仕をする事になったと決まった当初、水上は嫌々だった。しかし、『これも体験』『目標が見つかるきっかけになるかも』と考えて、水上は最終的にこの給仕をやろうと決めたのだ。

 アッサムは少し考えてから、言葉を選ぶようにゆっくりと話し出した。

「・・・人に尽くしたい。それは素晴らしい夢だと思うわ」

「恐縮です」

「あなたの夢が叶うように、そしてより明確になるように、私も応援するわ」

 アッサムが水上の方を見て、穏やかに笑う。

 水上は、『ありがとうございます』とお礼をして前を向き歩く。

 寮の前に着くと、水上は持っていたアッサムの鞄を返して、お辞儀をする。

「それでは、ごゆっくりとお休みください」

「ええ。今日はありがとう。また明日ね」

「はい、では」

 水上は、深々とお辞儀をして踵を返し、ホテルへと向かう。

 アッサムは、水上の背中が見えなくなるまで、寮の前で水上の事を見送った。

 

 ホテルへと向かう間、俺はアッサムとの会話を思い出していた。

『あなたの夢が叶うように、そしてより明確になるように、私も応援するわ』

 鼻がくすぐったくなる。

 今まで俺は、自分の夢を他人に話したことは何度かある。そのたびに、『頑張れ』と言われたり『お前ならできる』と言われてきた。

 でも、今日アッサムから言われた言葉だけは、なぜか今まで言われてきたどの言葉よりも、心の奥に響くものだった。

 その理由は、大体想像がつく。

「あんな顔で言われたらなぁ」

 あの時の、アッサムの穏やかな表情。それは、とても安心感を覚えるものだった。

 それこそ、見ていて惚れ惚れとするような。

 涼やかな夜風が吹き、俺の顔を撫でて行く。その風は、アッサムの穏やかな笑顔を思い出して火照った俺の顔を冷やすには足りなかった。

 

 部屋に戻り、鞄を机の上に置いて私はベッドにぽすんと座る。

 今日だけで色々あった。

 再会する事は叶わないだろうと思っていた人とまた会う事が出来て、あの人が初めて淹れた紅茶の味が気に入って、お代りを頼んで、私のジョークを聞いて優しく笑ってくれて、僅かだけど身体が触れあって、あの時の出会いが大切な思い出だと告げられて、突然顔を近づけられて、夢を語られて。

 その一つ一つの出来事が、私の中に蓄積されていく。

 不愉快なことは何一つとして無い。むしろいい思い出ばかりだ。

 不思議と、あの人とのやり取りはどれも心地よいものだった。

 しかし、なぜそう思うのか、それは“まだ”私には分からない。




ようやく初日が終わりました。1日に3話かけるって長すぎでしょ・・・
物語の進行が遅くて申し訳ございません。

感想・ご指摘等があればお気軽にどうぞ。
投稿開始からわずか3話でお気に入りが30件を超えました。筆者としては嬉しい限りです。
この場を借りてお礼を申し上げます。
本当にありがとうございます。




余談ですが、筆者はようやく紅茶デビューを果たしました。
自分で淹れたのではなく、お店の紅茶ですが。


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友達として

pixiv辞典で、アッサムはダージリンと話す際は呼び捨てだが敬語で話すという事項がありました。
確認してみたらその通りでした。
よって、3話のあとがきを修正しました。
申し訳ございません。


 午前5時半。

 水上は、泊っているホテルのベッドの上で目を覚ました。間違いなく早起きの人生最速記録だ。

 昨日はアッサムと別れた後、ホテルに戻った水上は夕食を摂り、風呂に入って、部屋着に着替えて、校長から渡された資料を読み、眠くなってきたところでベッドに入った。

 ごく自然な流れで眠りに就いたのだが、度を越した疲労は不眠を引き起こす、と言う誰かの言葉の通り、水上はあまり眠れなかったのだ。

 疲労と言うのも、昨日の慣れない敬語や、『紅茶の園』での緊張感マックスの紅茶淹れ、戦車道履修者に代わって掃除をしたこと。それら全てが水上の中に蓄積されていたのだろう。

 まだ朝食には早すぎるので(そもそもこんな時間にホテルの食堂はやっていない)、水上は二度寝をしようと思ったが、目が完全に醒めきってしまっていたので寝る事もできない。

 そこで水上は、昨日のレポートをまだ書いていないことを思い出して、鞄からノートパソコンを引っ張り出し、机の上にセットしてレポートを書く。

 水上は、給仕として聖グロリアーナにいる間、給仕としての活動を毎日記録して、学校に報告することを義務付けられていた。

それでも、パソコンなのが水上にとって唯一の救いだ。これで手書きでの報告を命ぜられていたら、3日で投げ出してしまうだろうと自分でも思う。

 昨日やったことは、自己紹介、戦車道の練習見学、『紅茶の園』でのダージリンたちの世話、そしてお茶会の後の後片付け。それらの出来事をパソコンに打ち込み、文章とその内容がおかしくないことを再三にわたって確認してから、電子メールで学校に送信する。

 息をつき、時計を見直すと時刻はまだ6時過ぎ。パソコンで細かい作業をしていたせいで眠気は完全に失せてしまっていたので、眠る事もできない。

 ホテルの食堂も開いていないので、どうしようかと悩んでいるところで、まだ日が昇っていない事に今更気付く。

 そこで水上は、どうせなら外で日の出を迎えようと考えて、スマートフォンと財布を持ち、私服に着替えて外へと出た。

 

 どこなら日の出が綺麗に見られるか。水上は聖グロリアーナ学園艦の地図を見る。そして、学園艦の側面部に沿うように公園があることが分かり、水上はそこへと向かうことにした。

 まだ日も登っていない時間帯なので、外を出歩く人影はほとんどない。

 聖グロリアーナの学園艦はイギリスをイメージしているという事もあり、レンガ造りのアパートや一軒家が目立つ。銀行やレストランまで同じような造りになっていて、どこからか魔法が飛んできてもおかしくないような雰囲気だ。

 そんな街中を歩く事十数分。水上は、海に面した公園に到着した。空が白み始めているが、まだ日は登っていない。心地よい潮風が水上の鼻腔をくすぐり、髪を撫でていく。

「気持ちいいなぁ」

 自然と口から言葉がこぼれる。

 だが、来たのはいいが日の出まではまだ少し時間がある。

 さて、どうやって時間を潰そうか。そう考えてポケットにあるスマートフォンを取り出そうとした時だ。

「水上・・・?」

 遠くから、自分の名が呼ばれた気がする。周りを見回すと、一人の人影が近づいてくるのが見えた。

 薄暗かったが、水上はその人物が誰だかすぐにわかった。

「アッサム様・・・?」

 その人物は、普段は伸ばしているブロンドのロングヘアーをポニーテールに纏めていて、聖グロリアーナ指定の紺色のジャージを纏っていた。

「・・・やっぱり、水上ね」

 アッサムの確認するような、安堵するような声を聴き、そこで水上は気付く。

 今の自分の服装は、高校のブレザーでも、聖グロで着用するよう指示されたスーツでもない、普段着だ。

 一応水上は、この学園艦に来る前に、聖グロの雰囲気に合うような服を選んで持ってきたつもりだ。だが、今の自分の服装のセンスがどうなのかは自分には分からない。改めて自分の服装を見る。

 白のボタンダウンシャツに、紺のジーンズ。地味と思われるかもしれない。

「・・・こんな格好で失礼」

 とりあえず先手を打つことにした。

「あ、気にしないでいいわ」

「申し訳ございません」

その後、2人は成り行きで並んでレンガが敷き詰められた公園の道を歩む。

「アッサム様はジョギングですか?」

「ええ、私の日課よ。あなたは?」

「私は少々早く目が覚めてしまいまして・・・どうせなら日の出をここで見ようかと」

 自分がここにいる理由を、隠す必要も無いので素直に話す水上。水上の答えを聞いて満足したのか、アッサムは小さく笑う。

「私も、ここで日の出を見ながら走るのが好きなの」

「そうだったんですか」

 なるほど、朝日を浴びながらジョギングと言うのも気持ち良いだろう。

 そこで水上は、もしかして自分はジョギングの邪魔してしまったのだろうか、と思った。

「走ります?」

「あ、いいの。気にしないで」

 アッサムが笑顔で手を振るう。水上はぺこりと頭を下げる。

 と、そこで水上が何かに気付いて海を見つめる。

「・・・・・・わぁ」

 アッサムも、水上が何を見ているのかに気付いて、同じく海を見る。

 はるか向こうの水平線から、太陽が浮かび上がる。白んでいた空に赤みが差し、太陽を中心に空がグラデーションを彩る。

「・・・綺麗」

 アッサムが声を漏らす。水上はここで、『君の方が綺麗だよ』なんて言える度胸を持ち合わせてはいない。

 水上は、生まれてこの方一度も日の出の瞬間をじっくりと見た事が無かった。年始の初日の出も、水上の家族は眠りこけている。

「・・・私、初めて日の出の瞬間を見ました」

 水上が言葉を漏らすと、隣に立つアッサムが水上の方を見て笑みを浮かべる。

「・・・なら、しっかりと目に焼き付けておくべきね」

「はい」

 と、次の瞬間だ。

 強い潮風が、アッサムの髪を纏めていた黒いリボンを吹き飛ばす。

「あっ・・・」

 水上はすぐに駆け出して、飛ばされたリボンをキャッチする。

「大丈夫です、か・・・」

 リボンを渡そうとして、水上は見た。

 

 アッサムの解かれた艶やかなブロンドヘアーが、太陽の光を反射してキラキラと輝いているのを。

 

 多分、きっと、水上はその見た光景を一生忘れることは無いだろう。

 それほどまでに、その光景は幻想的で、美しかった。

「・・・・・・お返しします」

「ありがとう、水上」

 アッサムは、笑顔で渡されたリボンを受け取り、手早く髪を纏め直す。

 水上は、しばらくぼーっとアッサムの事を見つめていた。その目線に気付いて、アッサムが水上に尋ねる。

「どうかした?」

「あ、いえ、何でもないです」

 アッサムの純粋な瞳を直視できず、朝日に目を逸らす水上。

 その後は、二人で太陽が昇る様子を静かに眺めていた。その間、二人の間に会話は無かったが不思議と居心地の悪さは感じられなかった。

「アッサム様は、将来何になりたいのですか?」

 太陽と水平線が離れたところで、水上がアッサムに質問をする。

 その質問をしたことに当然理由はある。昨日、二人で帰っている時にアッサムが自分に聞いてきた事だ。自分の事は話したのだが、アッサムの夢は聞いてはいない。純粋に興味があったのだ。

「へ?そ、そうね・・・」

 だが、アッサムにとっては唐突で予想外の質問だったのだろう。少し狼狽した様子だ。

「あ、答えにくいのであれば答えなくて結構ですよ」

 無理に答えさせるのも忍びない。そう思って水上は付け加えるが、アッサムは『いえ、答えます』と改めて水上に向き直る。

「そう、ね・・・私は・・・」

 アッサムが自らの髪をいじくって言い淀む。顔をわずかに赤らめて、恥ずかしそうに手をもじもじと動かす。

 そこで、キリっと表情を改める。

「まず、私は戦車道履修者。だから、プロになりたいという願望はあるわ」

「プロ・・・プロリーグですか」

 プロに入るのは簡単な事ではない。戦車道に限らず、あらゆるスポーツでもそうだし、プロになるのは目に見える戦果を挙げなければならず、簡単な道程では辿り着けない、茨の道と言ってもいい。

 それを目指すとは、自分の漠然とした『人に尽くす仕事がしたい』と言う夢よりもとても明確で、輝いていた。

「・・・素晴らしい夢です。自分の『人に尽くしたい』という凡庸な夢と比べたら、とても」

「そんなことは無いわ。あなたの夢も立派よ」

 それで、とアッサムは言葉を区切り、また先ほどと同じように手をもじもじと重ね合わせ、頬を赤くする。

「それで夢がもう1つあるのだけれど・・・笑わないでくれる?」

「笑うなんてとんでもない」

 人の夢を笑うというのは、人の価値を貶める行為に等しいと、水上は思っている。だから、自分は今までで一度も、人の夢を笑ったことは無い。そして、この先笑うつもりもない。

 だから、アッサムがどんな夢を語ろうとも、水上は笑おうとはしない。

 その意思を伝えると、アッサムは安心したように息を吐き、自分の夢を告げる。

 

「・・・・・・・・・お嫁さん」

 

 顔を真っ赤にして、注意深く聞かなければわからないほど、か細い声で告げられたその夢を聞き、水上は安心感を覚える。

 聖グロリアーナの生徒に限らず、戦車道履修者は礼節ある、淑やかでつつましく、凛々しいと評されることがよくあり、実際の履修者たちもその傾向が強い。

 だから、普通の女の子のような夢を聞くことができて、水上は安心する事ができたのだ。

「・・・とても可愛らしいです」

「かわっ・・・!?」

 水上の率直な感想を聞いて、アッサムの顔がリンゴのように一層紅くなる。

「・・・さて、そろそろ私は戻りますかね」

 時間は間もなく7時。日の出を眺めて、二人で話をしている間に随分と時間が経ってしまっていたようだ。戻る頃にはホテルの食堂も開いているだろう。

 生まれて初めて日の出を見ることができて、アッサムの可愛らしい夢を聞くことができた。実りのある日の出だったと言えよう。

 水上は、リンゴのように真っ赤になったアッサムの様子に気付かず踵を返してホテルへ戻ろうとする。

 と、その時『ちょっと待って!』と強めの口調でアッサムに呼び止められる。

「な、なんでしょう」

 素でビビった水上。何か間違った事を言ってしまっただろうか。

「・・・あなたに聞きたいことがあるの」

「・・・何なりと」

 アッサムの口調が鋭い。ここで『嫌です』と答えようものなら、アッサムの切れ長の瞳で胃を射抜かれかねない。

「あなた、普段からその口調なの?」

「え?この口調ですか?」

 なぜこのタイミングで、自分の口調の事を聞かれるのだろうか。しかし、別に答えない理由も無いので素直に答える。

「いえ。この口調は、聖グロリアーナで皆様に仕える身として相応しいかと思い、意識してこの話し方をしているだけです。普段の私は、割と荒っぽい喋り方だと思います」

「ふーん・・・」

 アッサムが興味深そうにうなずく。

 そこで、水上の脳裏に、次アッサムが発するであろう言葉がよぎる。

「・・・一つ提案なのだけれど」

「何でしょう」

「私と二人きりで話すときは、その普段の口調で話してくれる?」

 やっぱり、と水上は心の中で呟いた。そんな事だろうと思った。

 だが、それに対する水上の答えは決まっていた。頭を下げて、その答えを述べる。

「・・・それは、少々無理な話です。アッサム様は、どこにいようとも聖グロリアーナの戦車道履修者。そして私は、どこにいようとも聖グロリアーナの戦車道の給仕。その私がタメ口で話すなど、とても無理です」

「今、この時は、戦車道は関係ないわよね」

 ぐっ、と水上が言葉に詰まる。

「それに、私たちはもう戦車道履修者とその給仕なんて間柄ではないわ」

「?」

 アッサムの言葉に、水上は首をかしげる。

「あの時、バス停で出会い、お互いにジョークについて語り合って。昨日と今日でお互いの夢について語り合って。それはまるで・・・」

「友達のよう、ですか?」

 アッサムの言いたいことを先読みして、水上が言葉を紡ぐ。アッサムはそれに頷き、太陽を背に優しい笑みを浮かべる。

「友達同士なのだから、敬語は要らないでしょう?」

 水上は、太陽を背に、腕を後ろに回したアッサムの姿から目を離せない。

「それに、聞けばあなたも3年生と聞くわ。友達同士以前に、同じ学年で敬語は不要なはずよ」

 この時アッサムは、ダージリンと話す際は尊敬を込めて敬語で話しているのだが、そのことは一旦頭の隅に置いておく。

 水上は、アッサムの正論に成す術もなく、『うぬぬ』とうなり、やがて観念したかのように肩を落とす。

 そして、口から出たのは。

 

「・・・分かった。元々、こんな口調な俺だけど、これからも友達として付き合ってくれると嬉しい」

 

 友達として、と言うワードにアッサムは少し胸がチクリと痛む。

 しかし、その原因が何なのか、アッサム自身にもそれはまだ分からなかった。

「・・・これからもよろしく、水上」

 アッサムが太陽を背に右手を差し出す。水上は静かに歩み寄り、同じく右手を差し出して優しく握手を交わす。

「こちらこそよろしく、アッサム」

 そして2人は、友達なのだから、と言う事でアドレスを交換して、アッサムは寮へ、水上はホテルへと戻った。

 

 ついに素の口調で話してしまった。

 この学園艦にいる間は、友人や家族との電話、独り言以外では素の口調は出ないと思っていたが、まさかわずか2日でその予想が外れてしまうとは。

 しかし、悪くない気分だと俺は思った。

 素の口調で話せるという事は、その相手に対して気を遣わないでいることができるからだ。そんな風に話せる人が、一人でもできた事に俺は感動に似た感覚を得る。

 それにしても、と俺は改めて思う。

 今日も朝から色々あった。

 偶然にもアッサムと出会い、初めて日の出を見て、幻想的な光景に目を奪われて、アッサムの可愛い夢を聞くことができて、友達と呼べる人ができた。

「今日も1日、頑張りますか」

 背伸びをして筋肉をほぐし、ホテルへと足を向ける。

今日はまだ始まったばかりだ。

 

 私は全力疾走で寮へと戻っていた。

 最早ジョギングなんてレベルではない。ランニングと言い換えるべきか。いや、そんな事はどうでもいい。

(私の夢、可愛いって・・・!)

 犬の散歩をしていたおばあさんとすれ違い、『お嬢ちゃん朝から元気ねぇ』なんて言葉をかけられるが、今の私には届かない。

 まさか、ダージリンやオレンジペコはもちろん、家族にも話した事のない『お嫁さんになる』夢を、水上に話してしまうとは。

 女の子らしい、子供っぽい夢だと自分では思っていた。だが水上は、その夢を笑おうとはせず、優しく『可愛い』と言ってくれた。

 それは何よりも嬉しかったし、同時に恥ずかしくもあった。その感情を紛らわせるために、私は今こうして寮への道を全力で駆けている。

 やがて、行きの半分の時間で寮に帰り着く。

 それでも体の火照りは引いていない。あ、全力で走ったのだから当然か。いや、それはともかくとして。

 寮の中へと戻り、同じ3年生で、既に制服に着替えて食堂へと向かっていた生徒とすれ違う。

「あ、アッサム様。おはようございます」

「おはよう」

 私は挨拶も早々に切り上げて、自分の部屋へと一目散に戻る。

 そして、ドアを閉めたところで深呼吸をし、鏡を見る。

 顔は、まだ赤い。

 そして思い出す、公園での会話。

「~~~~~~~!!」

 私は声にならない声を上げて、リボンを解き、ジャージを脱ぎ、冷静になるためにシャワーを浴びる事にする。

 まったく、何て朝だ。




感想・ご指摘等があればお気軽にどうぞ。

ちなみに、筆者が持っているガルパン書籍の中で一番好きなのは『もっとらぶらぶ作戦です!』です。


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学生として

仕事で忙しくて低クオリティです。
本当にすみません。


 聖グロリアーナ女学院の校門が開くのは朝の8時。そしてホームルームが始まるのは9時だ。

 今は8時半前。聖グロリアーナの女生徒たちに混じる形で、水上は白のシャツに灰色のベスト、そして黒のスーツと、戦車道の給仕として活動する際の恰好で登校していた。

 手に提げている鞄も、聖グロリアーナの生徒たちに支給されているものと同じであるため、必然的に他の生徒から注目を集めやすい。何せ、『男』が『聖グロリアーナの』鞄を持っているのだから。

(やめてくれ・・・俺は人に注目されるのが大の苦手なんだ)

 心の中で泣き言を漏らす水上。好奇の視線にさらされ、胃に穴が開きそうになりながら水上は聖グロリアーナの門をくぐった。

 

 水上がここに来るまでにイメージしていた聖グロリアーナの印象としては、全員が全員お嬢様言葉を話しながら扇子を片手にあははうふふと上品に笑っている、と言う感じだった。

 だが、いざ実際にクラスに入ってみるとその認識を改めされられる。別に手に扇子を持っているわけではないし、普通の話し方で普通に雑談を交わしている。しかし、素の水上のように荒っぽい話し方はせず、『昨日のドラマが泣けまして』『朝の授業は眠くて大変ですわ』と丁寧な話し方で愚痴をこぼしている。その様子を見て、水上は少しホッとした。

 さて、そんな水上の今の状況だが、完全にクラスで孤立してしまっている。

 無理もない。元々女子しかいない空間に男子が混ざっているのだ。興味深げにこちらを見てくるのは当然ともいえる流れだし、こちらを見てヒソヒソと何か言葉を交わしているのもまあ納得は行く。

 まるで腫れ物に触るようだ。

 もし友人や、学校の男子共がこのことを知ったら、水上は八つ裂きにされるだろう。だが、それは水上の心情を理解していないからできる事だ。

 今の状況を例えるのなら『変な時期に転校して来てクラスに馴染めない転校生』と言った具合だ。

 こういう時に限って“友達”のアッサムも、ダージリンもいない。この状況のまま、今日の戦車道の授業まで待つというのは、苦行にも等しい。

(早く戦車道の時間になってくれ!)

 水上は心の中で神に祈るように真剣に手を合わせる。

 

 楽しい時間はすぐに流れてしまうのとは逆に、苦痛な時間は流れるのに時間がかかる。

 と言うわけで、胃に穴が開く勢いで3時間目を迎えた。

(まだ3時間目か・・・くそう)

 生徒たちが自分に注目していたように、教師もまた珍しいものを見る目で水上の事を見ていた。

 やたらと教師に指名されて、黒板に求められた答えを書き記していく。その間は当然ながら女生徒たちの視線を集める事になり、背中に嫌な汗が浮かぶのを感じた。結果、凡ミスをやらかして教師や生徒に笑われる。凄く、いたたまれない。

 その時、教室のドアから顔をのぞかせた、4時間目の古文の中年教師からこんなことを言われた。

「おい水上」

「あ、はい」

「次の授業、参考書使うから職員室に取りに来てくれ。結構重いから誰かヘルプを呼んでもいいぞ」

「分かりました」

 水上の返事を聞くと、教師は顔を引っ込めて職員室へと戻って行った。

 一方の水上は、返事はしたものの、クラスの中に知り合いはいない。仕方なく、一人で取りに行こう。

 そう思った時だった。

「あの、水上さん」

「?」

 呼ばれて振り返ると、そこにいたのは、ウェーブがかった茶髪をした、見た事のある顔の生徒だった。

「貴女は確か・・・」

「チャーチルの操縦手です。ルフナとお呼びください」

ルフナと名乗った少女が頭を下げ、水上もお辞儀をする。

 まさか、同じクラスに戦車道履修者がいるとは思わなかった。今の今まで気づかなかったのも、水上がクラスの生徒から注目されているあまり、周りと目を合わせようとしなかったからだろう。

「ルフナ様、どうなさいましたか」

 戦車道履修者の前と言う事で、水上は自然と『紅茶の園』の時と同じ口調で話す。

 ルフナは、柔和な笑みを浮かべて水上を見つめる。

「さっき、参考書を持ってくるように言われましたよね」

「ええ。そうですが」

「私も手伝います」

 水上は、何を言われるのかと思ったが、ルフナの口から出た言葉を聞いて安堵する。

 まだ顔見知り程度の付き合いだが、戦車道履修者がいるという事で、少しだが緊張が和らぐ。

「ありがとうございます、助かります」

 と言うわけで、水上とルフナは一緒に職員室へ向かい、件の参考書を取りに行ったのだが。

「重い・・・」

「くっ・・・」

 水上とルフナは、渡された参考書を持って歩いている。

だが、その参考書は一冊がとても厚くて重く、一人では運べないほどの量だった。なので、水上とルフナは別々に持って教室へと向かっている。

「水上さん、やっぱり半分ずつにしましょう」

「いえ、大丈夫です」

 水上は全体の3分の2、ルフナは3分の1を持っている。最初は半分ずつ持とうとルフナが提案したのだが、水上はそれをやんわりと断った。

 女性に負担を強いるのは給仕としては御法度であるし、何より男としてダメだと水上が考えた結果、このような配分になったのだ。

 教室に運び終えると、水上は『ふぃー』と息を吐いた。

 水上は、それほど体を鍛えているわけではなく、同世代の男の中でもやせ型だ。今回のような重いものを持つのには慣れていなかったため、余計に疲れを感じた。

 しかし、疲れていても手伝ってくれた者に対しては礼儀を尽くす。

「手伝ってくださってありがとうございます、ルフナさん」

「いえ、これぐらい構いません・・・っ」

 と、ルフナが指先を抑える。よく見ると、皮膚が小さく切れていて血がにじみ出ていた。おそらく、本を運んでいた時に切ったのだろう。

 水上はそれを見て、懐から絆創膏を取り出し、ルフナの手を取る。

「失礼」

「あっ・・・」

 水上は、ルフナの手をガラス細工に触れるかのように優しく触り、絆創膏を丁寧に巻いていく。

 この時、水上はルフナの指先に意識を向けていたので、ルフナの顔が赤くなっている事には気づいていない。

 絆創膏を張り終えると、水上はルフナの顔を見る。

「これで、大丈夫だと思います」

「・・・ありがとうございます」

 ルフナは顔を俯かせて、水上と目を合わせようとせずに、足早に自分の席へと戻って行った。

(なにも間違った事はしていない・・・よな)

 水上は、どうしてルフナの態度がそっけなくなってしまったのか、全く分からなかった。

 

 12時。ようやく昼食の時間となった。水上は脱力する。

 生徒たちは、いくつかのグループを構成しながら食堂へと向かい、思い思いの料理を注文して席に座り昼食を摂る。

 水上は、当たり前と言えば当たり前だがどのグループにも馴染まず、一人で食堂に向かい料理を注文する。彼が選んだのは、フィッシュアンドチップスだ。

 食堂のメニューは、カレーやミートパイ、ホットクロスバンなど豊富だ。その中には“うなぎのゼリー寄せ”なるものもあったが、明らかに地雷臭がしたので、水上はそのメニューは見て見ぬフリをしてフィッシュアンドチップスを選んだのだ。

 さて、肝心の味の方は。

「・・・美味しい」

 イギリスの料理は不味いというイメージがあったので身構えていたのだが、そんな事は全くなかった。単純にここの料理人の腕が良いだけかもしれないが、ひとまず水上はホッとした。

 そうして食事を続けること数分。

「水上」

 名を呼ばれてハッと顔を上げる。そこにいたのは、ダージリン、オレンジペコ、アッサムの“ノーブルシスターズ”だ。

 ノーブルシスターズ、と言う呼称は先ほどルフナから聞いたものだ。“ノーブル”とは『気高い』や『高潔』と言う意味だったと水上は記憶している。

 3人は、戦車道以外でも注目を集めているようで、食堂にいる生徒たちはほとんどが3人の事を見ている。

 水上は慌てて席を立ち、3人に対してお辞儀をする。

「ダージリン様、アッサム様、オレンジペコ様、ごきげんよう」

「ごきげんよう、水上。相席してもいいかしら?」

「もちろんです。どうぞ」

 ダージリンの提案に水上は同意し、3人が座る椅子を引く。その様子を見て、何人かの生徒たちが『流石給仕係』なんて呟いているのが聞こえた。

 3人が椅子に座ると、水上も席に座り改めて3人目の前にある料理に目を向ける。

 目の前に座っているダージリンの前にはミートパイ。こんがり焼けた生地から覗く肉が美味しそうだ。

 そのダージリンの横に座るオレンジペコが持っているのは、カレーライス。だが、一般的に見るカレーライスとは違い、ルーの上に唐揚げのようなお肉が載っていた。

 そして、水上の隣に座るアッサムの前にあったのは、

 うなぎのゼリー寄せ。

「!!」

 その料理を認識した瞬間、水上はアッサムの顔を見る。

 アッサムは、凛々しい表情でフォークを手に取り、うなぎのゼリー寄せの一部を切り取って口に運ぶ。

 音もなく咀嚼して、呑み込み、二口目に入る。

 その一連の流れを見て、水上は口の中で『おぅ・・・・・・』と呟く。

(・・・あれだ。納豆を食べている日本人を見るアメリカ人の気分だな)

 水上は、外国人の気分を味わいながらフィッシュアンドチップスに口を付ける。

 それにしても、冷静なイメージの強いアッサムがうなぎのゼリー寄せを好んでいるとは思わなかった。いや、好んでいるわけではないのかもしれないが、進んで食べているという事は気に入っているのだろう。

 アッサムの意外な一面を垣間見た事に対して、水上は小さく頷き食事を再開する。

 この時アッサムは食事に集中しており、水上自身も気付いていなかったが、水上は終始アッサムの事を見つめていた。

 その様子が、ダージリンとオレンジペコには特異に映っていた様で、二人はじーっとアッサムと水上の事を注意深く見つめていた。

 オレンジペコは、真剣な表情で。

 ダージリンは、愉快そうに目を細めて。

 

 午後2時。

 食後で一番眠くなる時間帯にあたる5時間目を超えると、聖グロリアーナ特有の、“アフターヌーンティー”の時間になる。

 この時間は、クラス内で4人一組のグループを形成し、その中で1人が紅茶を淹れ、その紅茶とお茶菓子を片手に会話をするというものだ。

(ウチの学校で言うレクリエーションみたいなもんか)

 水上は、調理室で紅茶を淹れながらそんな印象を抱く。水上の所属する学校にも、生徒同士の交流を深めるために、そういう時間が月に一度ほど設けられている。聖グロリアーナはその頻度がほぼ毎日になり、内容がティータイムになったようなものだ。

(っと、そんな事より)

 水上は人数分のカップに紅茶を注ぐ。オレンジペコに教わった通りに淹れてみたが、果たしてどうだろうか。

 水上の所属するグループには、顔見知りのルフナがいた。最初は、ルフナが紅茶を淹れると具申したのだが、水上は『私が淹れます』と名乗りを上げた。

 周りに女性しかいない中で男の自分が待つというのは居心地が悪いし、それにオレンジペコに教わった淹れ方を実践してみたいと思ったのだ。

 と言うわけで、水上は現在ほかのグループの女子たちの視線を受けながら紅茶を手際よく、しかしオレンジペコから教わった通りに淹れていく。

 やがて、紅茶を淹れ終わり、ルフナたちの下へと持っていく。

「いただきます」

 3人にカップを運び終えて水上が席に着くと、ルフナと他の2人が水上の淹れた紅茶を一口飲む。

 そして、次の瞬間ルフナが顔をパァッと明るくする。

「美味しいです、すごく」

 他の2人も『これはなかなか・・・』とか『確かに』と珍しいものを見る目で紅茶を見つめている。

 水上は、自分の淹れた紅茶が美味しいと認められて胸をなでおろす。

「お褒めいただき恐縮です」

 そして、ほかのグループの女子たちはもちろん、教師までも、私も飲んでみたい、と言って水上の紅茶を飲む。そのほとんどが、水上の紅茶を『美味しい』と評価した。

 結局、この時間は水上の紅茶の評論会となってしまった。

 

 迎えた戦車道の時間。

 今日は平原地帯で砲撃訓練とのことだ。水上は、昨日と同じように訓練場の脇で双眼鏡を片手に訓練を見届ける。

 ダージリンの乗るチャーチルがゆっくりと前進し、前方およそ500メートル先にある的に向けて走行したまま弾を発射する。俗にいう行進間射撃だ。

 砲身から火が吹き弾丸が放たれた瞬間、轟音が水上の身体を震わせる。

 そして撃たれた弾は一直線に的へと吸い込まれ、見事的の中心に命中する。

「・・・すげぇ」

 水上の口から驚嘆の声が漏れる。

あんな大きい鉄の塊を手足のように動かして、標的に弾丸を命中させる。素人には決して真似できない所業だ。

 それを、当たり前のようにやってのける戦車道履修者たちに、水上は頭が上がらない。

 マチルダⅡやクルセイダーも同じように前進しながらの行進間射撃を行うが、撃った弾が的の中心からわずかにずれていたり、完全に的から外れてしまったりと、各戦車の出来はまちまちだった。

 昨日隊列を乱したクルセイダーも、同じように的から外してしまっていた。

 

 訓練が終わり、ダージリンが解散を告げると、昨日と同じように6人の女生徒が『紅茶の園』へと早歩きで向かう。その中にはルフナの姿もあった。水上もルフナたちについていく。

 『紅茶の園』の厨房につくと、既にお茶菓子(とキュウリのサンドイッチ)は用意されていた。どうやら、聖グロリアーナの栄養科の生徒たちが作ったものらしい。

 水上たちは食器棚から皿とティーセットを取り出し、用意されていたお茶菓子を手際よく彩り鮮やかに載せていく。そして、そのティーセットをワゴンに載せて、お茶会の開かれる部屋へと運ぶ。さらに白いテーブルクロスの掛けられたテーブルに素早く、色彩のバランスを考えて並べていく。

 それが終わると、水上は『紅茶の園』の玄関まで行き、“ノーブルシスターズ”を出迎える。

 この間僅か5分。

 昨日と同じように、先んじてドアを開いて椅子を引き、ダージリンたちを席に通す。3人が座り終えたところで、水上がこう言う。

「すぐに紅茶をお持ちします」

 昨日は、ダージリンに言われて初めて紅茶を淹れたが、あれは初日だったからだ。今日からは違う、自分から進んで淹れるべきだと水上は考えたのだ。

 水上の行動を見て、ダージリンやオレンジペコ、アッサムも満足したようにうなずく。

 紅茶を淹れるために水上が部屋を出ると、オレンジペコはダージリンに話しかける。

「水上さん、気配りが上手ですね」

「そうね。これで紅茶が美味しければ完璧と言ってもいいくらい」

 そんな事を言われているとはつゆ知らず、水上は給湯室でお湯が沸くのを待っていた。ここでようやく、水上は息を吐く。

「つ、疲れた・・・」

 訓練場で解散となってから、ここにきてティータイムの準備をし、紅茶を淹れるまでまだ5分とちょっとぐらいしか経っていない。こんなハードなスケジュールを、あのルフナたち6人の履修者たちはこなしていたというのか。

 そして、これが1週間続くとなると、身体がもつかどうかが不安になる。

 そうこうしているうちにお湯が沸き、水上は沸いたお湯でティーポットを温める。

 “アフターヌーンティー”の時と同じく、オレンジペコから教わったやり方を忠実に再現して、紅茶を淹れる。

 出来上がると、ダージリンたちの待つ部屋へと持っていき、静かに3人のティーカップに注ぐ。

 昨日と同じように、3人が示し合わせたかのように紅茶を一斉に飲む。

 水上にとっても緊張の一瞬。

 オレンジペコを見る。彼女は、信じられない物を見る目で、自らのカップに入っている紅茶を見ていた。

 アッサムを見る。彼女は、少し寂しそうな表情で、自らのカップに入っている紅茶を見ていた。

 そしてダージリンは。

「水上」

「何でしょう」

 真剣な表情で水上を見つめていた。

「まだまだ合格には至らないわ」

「・・・はい」

 ダージリンの評価を聞いて、水上はしょんぼりとする。

 でも、とダージリンが付け加える。見るとダージリンの顔には、穏やかな笑みが。

「昨日とは大違い。ペコに教わったのが功を奏したようね」

「・・・・・・オレンジペコ様から教わったおかげです」

 水上が、ダージリンとオレンジペコにお辞儀をする。オレンジペコは『いえいえ』と言った具合に手を横に振る。

「ルフナも言っていたわ。あなたの淹れた紅茶はとても美味しいって」

「ルフナ様が?」

「ええ。アフターヌーンティーの時間は随分盛り上がったようね」

 ルフナは、ダージリンたちと同じくチャーチルの搭乗員だ。自然とそういう会話も生まれるのだろう。

「絶賛してたわよ、ルフナは。あなたの紅茶を」

 自分の淹れた紅茶が、誰かに認められた。

「・・・ありがとうございます」

 その事実に水上は、心が満たされるような感覚を得た。

 と、その時、痛烈な視線を受ける。

 その視線の下を辿ると、そこにいたのはアッサムだった。

「・・・・・・」

 アッサムは何も言わずに水上を見ている。水上は、その視線を受けてどうしていいのか分からない。

「そう言えば、水上」

「あ、はい。なんでしょう」

「スケジュールと物資の管理の方法は、まだ教わっていないわよね?」

「ええ。まだ」

「そばの事務室にルクリリがいるから、それはルクリリに聞きなさい」

「かしこまりました」

 水上はお辞儀をして、部屋の外へ出る。そして、給湯室の隣にある部屋のドアをノックして入る。そこにいたのは。

「あ、水上さん。どうも」

 昨日一緒にワゴンを押し、部屋の掃除を引き継いだ、ロングヘアーをサイドで三つ編みにまとめている少女だった。

「まだ名乗ってませんでしたね、ルクリリです。昨日はどうも」

「いえ、こちらこそ」

 挨拶を交わし、ダージリンにスケジュールと物資の管理法を教わるように言われたと告げると、ルクリリは笑顔でその方法を水上に教え始めた。

 

 水上が出て行ったあと、ダージリンとオレンジペコは今日も他愛も無い話をしていた。戦車道の話、授業の話、次の休みの話と、とりとめのない内容だった。

 私も2人の会話に耳を傾けながら、手に持っている紅茶に目をやる。

 確かにダージリンの言う通り、水上の淹れた紅茶は昨日と比べると大きく変わった。

 しかし、私はなぜか、最初に水上が淹れた紅茶の方が美味しいと感じる。今日の紅茶も美味しいと言えば美味しいのだが、何か物足りない。

 それに、と私は思考に区切りをつけてさっきの話を思い出す。

 ルフナが水上の淹れた紅茶を褒めた話だ。

 その時のルフナの顔は、いつくしむかのように優しい表情だった。その表情だけで、水上の淹れた紅茶が美味しかったと物語っている。

 そしてその表情には、様々な感情が入り混じっているように見えた。

 憧れ、尊敬、安心、感謝・・・プラスの感情があふれ出ているのが分かった。

 けれどもなぜか私は、ルフナが水上の紅茶を褒めて、水上が照れていた時、なぜか私はムッとした視線を水上に向けてしまった。

 その時私は、本当に僅かだが、憤りを覚えていた。

 なぜ?

 どうして憤りを覚えてしまったのか?

 過去の自分の経験を顧みても、このようなケースは無い。初めて抱く感情だ。

 そこで私は、一つの推測を立てる。

「アッサム様」

(これは・・・嫉妬・・・?)

 仮に嫉妬だとしても、どうして?何に対して?

「アッサム様」

 そこで私は、オレンジペコに名前を呼ばれたことに気付く。

「何かしら?」

「どうかなさったのですか?難しい顔をしていましたけど・・・」

「何でもないわ。気にしないで」

 私はごまかすように紅茶を飲む。

 結局、あの時感じた憤りが何に対してなのかわからないまま、今日のお茶会はお開きとなってしまった。




ルフナさん
劇場版ノベライズに出てきたチャーチルの操縦手です。
ビジュアルについては完全に筆者のオリジナルです。
お気に召さないようでしたらすみません。

感想・ご指摘等があればお気軽にどうぞ。


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男として

今回ちょっと長めです。
ご注意ください。
女の子のファッションは分からん!


 水上が聖グロリアーナ女学院に給仕として来てから6日が経過する。

 今日は土曜日だったが、聖グロリアーナは午前中だけ授業があった。世に言う半ドンと言うやつである。水上のいた高校も土曜日は半ドンだったので、水上は土曜に通学と言う事は別に苦ではなかった。

 しかし、戦車道は無くても『紅茶の園』でのお茶会はある。

 と言うわけで水上は、今日もスーツ姿で給仕としてダージリンたちの傍に立っていた。

「ところで」

 ダージリンが、先ほどまでの他愛も無い会話の流れを、一言で変える。

「寄港するのは今夜だったわよね?」

「はい、本日23時30分に寄港する予定です」

 ダージリンの問にアッサムがどこからかノートパソコンを取り出して答える。水上は、空になったオレンジペコのカップに紅茶を注ぐ。

「明日は、戦車道の練習は無かったわね?」

「はい、明日は戦車道の予定は無く、全員休みとなっております」

 水上が、懐から戦車道の予定表を取り出してダージリンに報告する。

 ルクリリから戦車道のスケジュール管理や物資の管理の方法を教えてもらって以来、水上はダージリンから戦車道の物資・スケジュールの管理一切を任されることとなってしまった。

 初めは何という無茶振りかと思ったが、ルクリリが懇切丁寧に教えてくれたのと、管理がパソコンであったため割と何とかなっている。水上はパソコンが得意な方だったので、呑み込みは早かった。この管理が手書きだったら、水上はとうの昔に逃げ出していただろう。

「明日は休み・・・そう・・・」

 ダージリンが考え込むように顎に指をやる。

 やがて、何か名案を考え付いたかのように指を鳴らす。

「では、明日は皆でショッピングにでも行きましょうか」

 何を思いついたかと思えばそんな事か。水上は心の中でそう思った。

「ショッピングですか、いいですねっ」

 オレンジペコが嬉しそうに手を合わせる。水上は、女の子は買い物が好きと聞いた事がある。オレンジペコも例外ではないのだろう。

「ショッピングか・・・」

 アッサムもショッピングと聞いて唇をにこりと歪める。アッサムのカップの紅茶が無くなっていたのを見て、水上は紅茶を静かに注ぐ。

(さて俺はどうするかな)

 ダージリンのカップにはまだ紅茶が残っているのを確認し、水上はそこで立ち止まり思考の海に身を投げ出す。

 水上は、休日はどちらかと言うと必要以上に外に出ないタイプだ。買い物など最低限の頻度しか外出しない。気力があれば学園艦内を散策したり、連絡船で本土まで出かけたりもするが、宿題などが溜まっている場合は大人しく家で過ごす。きわめてごく一般的な生活といえよう。

(校長から貰った資料を見直すか・・・聖グロの学園艦を散策するのもいいな・・・。あ、でも数学の宿題もあったな・・・)

 なんてことを頭の中で考えていると、ダージリンがこちらに顔を向けてくる。

「あなたも来るのよ、水上」

「へっ?」

 思考の海から戻され、割と素の口調で声を上げる。オレンジペコとアッサムを見るが、2人とも曖昧な笑みを浮かべるだけで水上に助け舟を出そうとはしない。

 なるほど、ダージリンの気まぐれか。

「失礼ですが、なぜ私まで?」

「・・・・・・」

 ダージリンは黙り込んで紅茶を飲む。ここでダージリンが何も言ってこなければ水上の勝ち、明日はホテルで宿題と格闘するのが決定する。

 しかし、そう簡単には行かなかった。

「私たちは知っての通り戦車道履修者。そしてあなたはその給仕。なら、その私たちが出かけるのに、給仕のあなたが付いてこないのはおかしいんじゃなくて?」

 水上は、ダージリンの意見を聞いて心の中でフッと笑う。

 残念ながら、水上はアッサムと“友達”になる時に似たようなやり取りを交わしていたのだ。

 だから、あの時のアッサムの言い分を利用させてもらう事にする。

「差し出がましい事を言うようですが、休日の間は皆さまも戦車道履修者ではなく、1人の女子として過ごすのが年相応ではないかと存じます。皆さまは戦車道で多忙な日々を送っておりますので、せめて休日の間だけでもその縛りから解放されるべきではないか、というのが私の意見です」

 ダージリンが『ぐっ』と言葉に詰まる。

 オレンジペコは、水上とダージリンの言葉のやり取りをハラハラしながら見守っている。

 アッサムは、水上の言い分に覚えがあるのだろう、口を押えて静かに笑っている。

(どうだこの正論)

 水上が手応えを感じる。

 しかし、一介の高校生水上が、戦車道隊長として、聖グロリアーナのトップとして幾多もの修羅場を潜り抜けてきたダージリンに、舌戦で敵うはずもなかった。

「・・・私達“ノーブルシスターズ”は、常日頃から戦車道履修者として恥のない生活を送っているわ。常に凛々しく淑やかに。たとえ休日であっても、それをモットーに掲げて生きてきた。だから私たちは、休日でも戦車道履修者として振る舞っているの。その私たちに付き添うのが、給仕であるあなたの役割ではなくて?」

 ダージリンがドヤ顔で水上の顔を見上げる。

 水上にはもう手持ちのカードは無い。大人しくサレンダーすることにした。

「・・・・・・分かりました。私も同行させていただきます」

「よろしい」

 オレンジペコが『はぁ~』と息を吐く。アッサムも仕方がない、と言った具合に目を閉じた。

 そこでダージリンが水上に紅茶を要求したので、水上はカップに静かに紅茶を注ぐ。

 最近は、ダージリンから紅茶についての評価を聞く事は少なくなった。どうやら、水上の紅茶は可もなく不可もなし、と言った具合なのだろう。

 これで、ダージリンから美味しいと言われれば紅茶の道を究めたと言っても過言ではない、と水上は考えていた。

 そして、ダージリンたちが明日の予定について話し合い、待ち合わせを10時に学園艦の大エレベーター前として、今日のお茶会はお開きとなった。

 

 水上が扉を開き、ダージリンたちを通す。3人が『紅茶の園』を出たのを見送ると、水上は厨房へ行き、ワゴンを押してお茶会の開かれていた部屋へと戻る。ティーセットや食器をワゴンに手際よく載せて、厨房へと運ぶ。そこで待っていたルクリリとルフナを含む6人の内3人の戦車道履修者たちが食器を洗い、残りの3人が掃除に向かう。水上は、食器を洗うのを手伝って、全て洗い終わると今度は、掃除を引き継いで掃除をしていた女子たちを帰す。

 時間をかけて掃除を終えると、掃除用具を片付けて自分の教室へと戻り、鞄を回収して帰路につく。

 これが、この数日でパターン化された水上の行動だ。水上の負担は決して小さくはないが、これも給仕の仕事と割り切って何とか自分を保っている。そのため、ホテルに戻るとすぐに倒れこんでしまうのだが、悪くない気分だと水上は思っていた。

 『紅茶の園』で給仕として仕えている間は、ダージリンたちに尽くしているという状況になっている。それは、『人に尽くしたい』という願望がある水上にとっては願ってもいない状況だ。だから、それで疲れてしまっても、人に尽くすことができたと水上は満ち足りた感覚を覚えていた。

 

 その日の夜、水上はなかなか寝付けずにいた。

 それもそのはず、明日はまさかの同世代の3人の女性と一緒に出掛けるのだから。この世に生を受けて18年、水上には一度もそのような経験は無い。これが高校の連中に知れたら何をされるかわかったものではない。

 緊張して眠くなくなるのも当然と言えば当然だ。

 何か失礼があったらどうしよう、服装はどうしよう、などと途方もない事を悶々と考えながら夜が更けていく。

 これは明日は寝不足かな、と考えたところで水上の意識は落ちた。

 

 翌朝水上が目を覚ましたのは朝の8時。

 寝不足で早起きしてしまうだろうと思ったが、意外にもそんなことは無くぐっすり眠ることができた。

 ベッドから起き上がり、寝間着から私服に着替えて食堂へと向かう。

 朝食を食べている間、水上は今日の服装について考えていた。

(私服でいいのか?いや、給仕としてってダージリンが言っていたからスーツの方がいいのかもしれないが・・・)

 結果、出発する寸前まで悩みに悩み、結局はスーツで行く事にしようと決めた。

 

 聖グロリアーナ学園艦は、アッサムの言った通り昨日の夜に寄港したので、眼下には陸の街並みが広がっている。

 時刻は待ち合わせの10時10分前。学園艦の下部まで向かう大エレベーターの前で水上はスーツ姿のまま立って待っていた。

 スマートフォンを眺めて待っていると、パタパタとこちらに向けて駆けてくる小さい影が見えた。

 その影の主はオレンジペコ。

 白のペザントブラウスにクリーム色のヨークスカート。可憐なイメージのあるオレンジペコに合った感じだ。

「あれ、水上さんスーツで来たんですか?」

 かけてきたオレンジペコは、水上の服装を見て心底驚いた表情を浮かべている。

「はい。皆さん戦車道履修者の給仕として同行するならば、給仕としてはこの服装がベストかと思いまして」

「そうですか・・・」

 オレンジペコがしょんぼりとする。水上の私服姿を期待していたのかもしれないが、男の私服は別に見て楽しいものではないと水上は思っていた。

「オレンジペコ様の私服はとても可愛らしいですね」

「へ?あ、ありがとうございます・・・」

 社交辞令でオレンジペコの服装を褒める水上。オレンジペコは自分の服装を褒められて気を良くしたのか、頬を赤くして水上から目を逸らす。

 そうしてオレンジペコと2人で待つこと数分。ようやくダージリンとアッサムが姿を現した。

 ダージリンの服装は青を基調としたウィピール。

 アッサムは薄い紫色のオーバーシャツに、それよりもわずかに濃い紫色のインバーテッド。

 3人とも、育ちの良さがうかがえる服装だった。同時に、下手な服を選んでこなくて正解だったと水上はしみじみと思う。自分の持ってきた貧相な服など着ていたら、自分が引き立て役になる事など目に見えていたからだ。

 ダージリンは、水上のスーツ姿を見てクスリと笑った。

「まさか、本当にスーツで来るとは思わなかったわ」

「給仕として、当然の恰好かと思いまして」

 ダージリンは水上の答えを聞いて満足したのか、大エレベーターへと向かう。アッサムとオレンジペコもそれに続き、水上は最後に付随してエレベーターに乗る。

 エレベーターが艦の下層につくと、扉が開く。その先にあったのは、久々の陸地だった。

 タラップを降りて陸地に足を付けると、ダージリンはうんと背を伸ばす。

「久々の陸地ね」

「ええ、そうですね」

 アッサムが周りをの街を見回しながら返事をする。

 学園艦は規模が大きいため、寄港できる港は限られている。だから、学園艦が寄港可能な港の街は大体規模が大きい。学生向けの店が多く、ファッション系の店からアミューズメント施設、飲食店まで種類も豊富だ。

 今日のショッピングは、そう言ったお店を巡るらしい。水上は昨日のお茶会での話を思い出していた。

 最初にダージリンたちが立ち寄ったのはレディース専門の洋服店。

 この時点からすでに男の水上にとっては敷居が高かったが、給仕として付いていかないわけにはいかなかったので、仕方なく縮こまりながらダージリンたちの後に続く。

 店員は、育ちの良さそうな3人の後にスーツ姿の同世代の男が入ってきたのを見て信じられない物を見るような目で水上の事を見る。すごく居心地が悪い。

 ダージリンたちは、もうすぐ夏になるのでそれ用の服を買うらしかった。値段をちらと見ると、水上は顔を青ざめる。まさか自分が払うのだろうか。一応金は持ってきたつもりだが、これだけあれば足りるという保証はどこにもない。

 ここで水上は、中学の修学旅行での出来事を思い出す。

 自由行動中に、女子たちがおみやげを買いたいと言い出して男だけで店の外で待っていたのだが、思いのほか女子たちの買い物に時間がかかり、炎天下で一時間以上待たされたのだ。

 何が言いたいのかというと、ダージリンたちの買い物も長かった。

 どうやら女性の買い物の時間は長いというのは誰でも同じらしく、水上はしばらくの間立ちっぱなしでダージリンたちの買い物を待つ事となった。

 だがボケーっとしているわけにもいかず、たまにダージリンやアッサムが『水上はどう思う?』と意見を求めて来たりする。水上は『似合っていると思いますよ』と当たり障りのない返答をして何とかご機嫌を取る。

 果たして自分の意見が参考になったのかどうかは分からないが、ダージリンやアッサム、オレンジペコは満足した表情で買う服をレジに持って行く。幸いにも、払うのは水上ではなく自分たちで払うようなので、水上はホッとする。

 が、ダージリンたちが揃ってカードを取り出したのを見て目を見開く。

(学生の身分でクレジットカードだと・・・!?)

 平凡な高校生・水上と、お嬢様学校のダージリンたちとのギャップを垣間見た。

 

 店を出たところで時刻は11時過ぎ。一つの店に1時間以上とどまるという考えが、水上には理解できなかったが口には決して出さない。

 次に目についたのはファーストフードの出店だった。オレンジペコがその出店をじっと見ていたのをダージリンが敏く感じ取り、『少し寄りましょうか』と提案する。オレンジペコは恥ずかしそうに視線を下に逸らす。

 ダージリンとオレンジペコはたこ焼き、アッサムはアメリカンドッグを頼んだ。水上も何か頼もうかと思ったが、腹があまり空いていなかったので結局何も頼まない。アッサムがそれを見て『遠慮しなくていいのに』という表情を浮かべたが、水上は気にしなくていいとジェスチャーを送る。

 と、ダージリンが何を思ったのか、自らのたこ焼きをふーふーして冷まし、オレンジペコにあーんを仕掛けてきたのだ。

 オレンジペコは恥ずかしそうに顔を赤らめて、あーんと口を開けてたこ焼きを食べる。

「美味しい?」

「・・・はい、とても」

 ダージリンが聞くと、オレンジペコは満足そうな笑みを浮かべて答える。そのお返しと言わんばかりに、オレンジペコが同じように自分のたこ焼きをダージリンに差し出す。ダージリンもまた『あーん』と口を開けてたこ焼きをほおばる。

(何やってんだか)

 水上が心の中で呟く。と、そこで水上が気付く。

「あ、アッサム様」

「何?」

 アッサムがこちらを向いたところで、ハンカチを取り出してアッサムの頬についていたケチャップを優しく拭き取る。

「え?」

「ケチャップ、ついていましたよ」

 ポケットにハンカチをしまいながら指摘すると、アッサムは恥ずかしそうに顔を赤らめてアメリカンドッグを食べる。

 そこでアッサムは、自分が恥ずかしい思いをしてしまったのだから、水上にも恥ずかしい思いをしてもらおう、という謎の理論を思いつく。

「水上」

「はい、なんでしょう」

 アッサムが何を思ったのか、アメリカンドッグを水上に差し出す。

 そして。

「・・・あーん」

「!?」

 水上の表情が驚愕に染まる。

 ただ、アッサムも無傷ではすんでいないのだろう、水上とは目を合わせようとせず、頬を真っ赤にして明後日の方向を向いている。

 水上は改めて、アッサムの差し出したアメリカンドッグを見る。当然ながら、アッサムも食べたものだ。

「け、結構です」

 水上が勇気を振り絞ってアッサムの『あーん』を断る。

 するとアッサムは。

「そう・・・・・・」

 悲しそうな表情を浮かべる。

 ずるい、そんな顔をされたら断る事なんてできないじゃないか。

「・・・いただきます」

 意を決して、アッサムが差し出したままのアメリカンドッグにかぶりつき、急いで咀嚼して呑み込む。

「・・・美味しいです」

「・・・そう、よかった」

 正直、味なんて分からなかった。おそらく自分の顔も真っ赤になっているのだろう。アッサムの食べたものを自分も食べる。それはつまり間接キス―――

(いかんいかんいかんいかんいかん!)

 自らの頬をバシバシ叩く水上。アッサムはそんな水上を見て、今さらながら恥ずかしい事をしてしまったと思い、水上と同じように顔を真っ赤にしながら、水上の齧ったアメリカンドッグをちびちびと食べている。

 先にたこ焼きを食べ終わり、すべてを見ていたダージリンとオレンジペコは、ニコニコと2人の様子を見ていた。

 ついでに言えば、出店のおっちゃんも同じような表情で水上とアッサムの事を見ていた。

 

 大分時間をかけてアッサムがアメリカンドッグを食べ終わると、4人は再び街を散策する。

 そしてダージリンが『次はあのお店にしましょう』と指差したお店は、色とりどりの女性用下着がウィンドウからちらつくお店である。

 下着専門店だった。

(ヤバイ)

 水上の脳内で危険信号がけたたましく鳴り響く。ダージリンは水上の脳内の状況など知る由もなく店に入ろうとする。

「では私は外でお待ちしています」

 水上が告げ立ち止まるが、そこでダージリンがガシッと水上の腕をにっこり笑いながら掴む。

「あら、あなたも来るのよ?」

「いえ、私は結構です」

 ダージリンが腕にぐぐぐと力を籠める。そこで水上は察した。

 ダージリンは楽しんでいる。

「私たちの給仕なのだから、私たちについてくるのは当然ではなくて?」

「給仕である以前に、このようなお店に男性が入るのは少々敷居が高いと言いますか」

 レディース専門店でさえ、いかに給仕係とはいえ普通の男子高校生である水上には敷居が高かったのだ。それをさらに上回る下着専門店など、耐えられるものではない。

「ペコ、手伝って」

「は、はい」

 ダージリンがオレンジペコに手伝うよう促すと、オレンジペコは顔を赤くして水上の腰を押して来る。

 おそらくオレンジペコも、男が付いてくることが恥ずかしいのだろうが、敬愛するダージリンの言う事には逆らえないと考えた末の行動だった。

 オレンジペコはチャーチルで装填手を務めているため、力が高校一年生の女子のそれではない。特に体を鍛えているわけではない水上は押され気味で店に入りそうになる。

 もはやこれまでか、水上が諦めようとしたところで。

「ダージリン」

 アッサムがダージリンを呼び止める。ダージリンは、腕に力を入れるの止めてアッサムの方を見る。

「なあに、アッサム?」

「用事を思い出したので、少し水上を借りてもよろしいでしょうか」

 アッサムが少々きつめに言うと、ダージリンは肩をすくめて、唇を尖らせて明らかに拗ねてますアピールをしながらそれを了承した。

 ダージリンとオレンジペコから解放された水上は、アッサムに手を引かれて街の中へと消えてしまった。

 

 アッサムに手を引かれながら水上は街中を歩く。

 私服姿の女子がスーツ姿の男子の手を引いて歩くというのは少々特異に見えるのだろう、周りの通行人からの視線を感じるが、アッサムも水上もそんな事は気に留めない。

 ダージリンたちから十分距離を取ったところで、アッサムは水上の手を放す。

「・・・ありがとうございます、アッサム様」

 水上がぜーはーと息をしながらアッサムに礼を言う。

 だが、アッサムは水上に背を向けたまま小さくポツリと言った。

「・・・敬語」

「はい?」

 敬語、と言われて水上は思い出す。

 2人きりでいる時は、素の口調で話す事。聖グロリアーナに来た翌日の朝、公園でアッサムから提案されたことだ。

 それを水上は思い出し、改めてアッサムに礼を言った。

「ありがとうアッサム、ホントに助かった」

「・・・いいえ、大したことじゃないわ」

 正直アッサムは、ダージリンに腕を掴まれ、オレンジペコから腰を押されている水上を見てなぜか無性に腹が立っていたのだ。

 これも、嫉妬なのだろうか。

 しかし、なぜ嫉妬心などを抱いてしまうのだろうか。

 その理由は未だつかめずにいる。

「で、これからどうする?」

 水上がアッサムに尋ねる。

 『用事がある』と言ってしまった手前、すぐに戻るわけにもいかない。何か時間を潰さなければならないだろう。

 アッサムが当たりを見回すと、ちょうどそこに本屋があった。

「ちょっと寄ってもいいかしら?」

「もちろん。俺も買いたい本があったから」

 確認を取ると、水上も承諾して2人で本屋の中に入る。

 本屋の中は広く、雑誌・小説・コミック・参考書などいくつものブロックに分けられていた。そして本特有の紙の匂いも感じられる。

 水上とアッサムは、本屋の中を進み目的の本を探す。そして、本屋の一角でそれを見つけた。

「「あった」」

 2人の声がハモる。2人は顔を見合わせて、その目当ての本を指差す。その先にあるのは『新刊!』とポップアートが施されている『エスニックジョーク集』と書かれた本だった。

 なんだか可笑しくなって、2人で吹き出してしまう。

 それから2人で本屋の中をしばらく歩き、お目当ての本を探し当てるとレジへ向かう。そこで水上が1つアクションを起こした。

「アッサムの買う本はそれだけ?」

「ええ、そうよ」

 アッサムが持っているのは、先ほど手に取った『エスニックジョーク集』の本。

 水上は『ちょっとごめんね』と断りを入れてアッサムの持っていた本を手に取りレジへと向かう。

「へ?」

 そして、会計を済ませてアッサムにその本を渡した。

「はい」

 アッサムが、開いた口が塞がらないと言った感じでその本を受け取る。

「そんな、どうして・・・」

「さっき助けてもらったからな。そのお礼と思ってくれ」

「いいのに・・・」

 アッサムが財布を取り出してお金を出そうとするが、水上はそれを手で制する。

「いいから」

「でも」

「じゃあ、こう思ってくれ」

 水上がアッサムを見つめる。

「いつも戦車道で大変なアッサムへのプレゼントだ」

 アッサムはそう言われて、また顔を赤くする。そして、その本をギュッと抱きしめて小さく、

「ありがとう」

 と言った。それだけで、水上は十分だった。

 

 本屋を出たところで時計を見ると、時刻は12時半。そろそろお昼時だったし、時間もいい感じに潰せたと思ったアッサムはダージリンに携帯で連絡を取る。

 しかし、なぜか電話が通じない。

「ダージリン、電話に出ないわね・・・」

「何かあったのか?」

 そこでアッサムは、ダージリンに連絡をよこすようにメールを送り、水上と散策を再開する。

 お昼時と言う事でどこの飲食店も混んでいた。しかし、アッサムは先ほどアメリカンドッグを食べたのでそれほどお腹は空いていない。水上も同意見だったので、喫茶店かどこかで軽めに済まそうと結論付ける。

 やがて、一軒の落ち着いた雰囲気の喫茶店を見つけると入店する。席はまだ空いていたので2人はホッとした。窓際の席に案内され、メニューを手渡されて2人は何を食べるか考える。

 水上は、サンドイッチにしようかな、と考える。セットで紅茶も付いてくるらしい。何にしようか。

 アッサムも決まったのか、店員を呼び止めた。

「私はパンケーキセットを1つ。飲み物はアッサムティーで」

「僕はサンドイッチセット、飲み物はダージリン・・・」

 水上が、セットでダージリンティーを注文しようとしたところで、気づく。

 アッサムが、少し寂しそうな表情をしていたのに。

「・・・すみません、僕もアッサムティーで」

「はい、かしこまりました」

 アッサムティーに選びなおすと、アッサムは安心したように胸をなでおろした。

 この時、水上はなぜアッサムが寂しそうな表情をしていたのかは分からなかったが、衝動的にアッサムティーにした方がいいと思ったのだ。

 その寂しい表情の理由は、水上には分からない。

 その表情の理由について水上がしばらく考えていると、先に紅茶がやってきたので、水上とアッサムは一口ずつ飲んで一息つく。

「さっきはごめんなさい」

 そこでアッサムが頭を下げた。水上は、アッサムが謝る理由について心当たりはない。

「ダージリンがふざけたりして。ダージリン、ああいうところがあるから」

 ああ、そのことか。水上は安堵する。

「別にいいよ、気にしてない。アッサムが気に病む必要はないさ」

 心からの本音をアッサムに告げると、アッサムは優しく笑った。

「お待たせしました」

 そこでアッサムの注文したパンケーキと、水上の注文したサンドイッチが届く。

 2人は手を合わせて『いただきます』と告げると食事を始めた。

 喫茶店で食べる料理はなぜか美味しい、と母がよく言っていたのだが、水上は確かにその通りだと思った。このサンドイッチは普通のファミレスなどのお店で食べるのと比べてはるかに美味しい。手が、口が止まらない。

 そこでアッサムの食べているパンケーキを見る。こちらも確かに美味しそうではある。だが、はちみつやバターが用意されているとは言え味が単調ではないだろうか、と水上は思った。

 そこで水上は、先ほどのアメリカンドッグでされた時の仕返しと考えて、

「アッサム」

「何?」

「はい、あーん」

「!?」

 アッサムに『あーん』を仕掛けた。アッサムは顔が真っ赤になって差し出されたサンドイッチを見つめる。

 その反応が見れただけでも満足だったので、水上はサンドイッチを引っ込めようとする。

「なんて、冗談だよ」

 と、言おうとしたところで、アッサムが身を乗り出して水上の差し出していたサンドイッチを頬張る。

 それだけならまだよかったのだが。

 

 アッサムは恥ずかしさのあまり目を閉じていて、

 水上の指までくわえこんでいた。

 

「!!!」

 水上が、右手の指先に温かい感覚を得て顔が真っ赤になる。

 アッサムもそれに気づいて、すぐに口を離して口元を抑える。

「・・・・・・美味しい?」

 水上が手を引っ込めてアッサムに尋ねる。

 アッサムは無言でこくこくと頷く。

「・・・・・・よかった」

 そこで水上は、自分の右手を見る。

 この指先に、アッサムが―――

 水上は頭をブンブン振って変な考えを払拭して、『左手』でサンドイッチを食べ始める。

 そのあと、お互いに食事が終わるまで会話を交わすことは無かった。

 

 喫茶店を出た後で、アッサムはもう一度ダージリンに連絡を取る。だが、やはり電話には出ない。

「やっぱりダメね・・・」

「・・・じゃあ、こっちはこっちで回ろうか」

 水上の具申をアッサムは受け入れて、2人でしばらく街を散策する。

 ウィンドウショッピングを楽しみ、気になったお店は入店して2人で商品を眺め、『これどう思う?』『うーん・・・』と話したりした。

 その間だけは、水上は自分が給仕であることを忘れて、アッサムと2人で休日の街歩きを楽しんだ。

 アッサムも、楽しいのであろう屈託の無い笑みを水上に向けている。

 水上は、アッサムが気分転換ができたことを確認してホッとした。

 そしてその間、30分ごとにアッサムはダージリンに連絡を取っていたのだが、一向にダージリンが電話に出ない。マナーモードに設定していて気が付いていないのだろうか。

 太陽が傾き始めたころ合いになって、水上とアッサムは『はぁ』と息を漏らす。

「結局、ほとんど2人で回ってしまったわね」

「そうだな。ホントにあの2人はどこ行ったのやら」

 水上が辺りを見回すが、ダージリンとオレンジペコの姿は見えない。アッサムも同じように周りを見ていたのだろう、やがて一軒のお店を見つけた。

「・・・ちょっと、寄ってもいい?」

「?」

 アッサムがその店を指差すと、それはアクセサリーのお店だった。水上もアッサムについてそのお店に入る。

 店の中は白を基調とした配色がなされており、ピアスやネックレス、リボンも置いてあった。

 アッサムは、リボンが置かれている一角へと足を運ぶ。

「新しいのに変えようかな・・・」

 アッサムが、並べられたリボンを見て考え込む。

 水上も横に並んで、一緒に考える。

「アッサムはそうだなぁ・・・知的なイメージがあるから落ち着いた色がいいと思う」

「えっ、そう?」

「ああ。今の黒いリボンも似合っているけど、それだけじゃなぁ・・・」

 水上は、いくつかの色のリボンを手に取ってアッサムの髪に当てる。

「赤はなんか違うし、黄色は髪の色と被るからなぁ・・・」

 うーんと唸りながら、水上はアッサムに似合うリボンを探す。

 アッサムは、水上がアッサム自身のために一生懸命考えてくれている様を見て、なぜか心が温かくなるような感覚を覚える。

 やがて、水上は『これかな』と青いリボンを手に取ってアッサムの髪に当てる。

「うん、この色があってる」

「そう・・・じゃあ、水上の言う事を信じてこれにするわ」

 アッサムが青いリボンをレジに持って行こうとするが、水上はそのリボンをアッサムからスッと優しく取り上げてレジへと持って行く。

「あっ・・・」

 そして会計を済ますと、どうという事は無いという表情でアッサムに手渡した。

「はい」

 アッサムはしばしの間口が利けなかった。だが、やがてその状態から抜け出して、精いっぱいの笑顔でこう言った。

「ありがとう」

 そしてお店を出て少し歩いたところで、ダージリンとオレンジペコと再会する。

 アッサムが何度も電話をしたとダージリンに言ったが、ダージリンは電話に気付かなかったと言っていた。

 ふん、と水上は息を吐く。オレンジペコは『あはは・・・』と苦笑していた。

 そして4人は、沈んでいく太陽を背に聖グロリアーナ学園艦へと戻って行った。

 

 実は、ダージリンとオレンジペコは、ずっと水上とアッサムの後ろをつけていたのだ。

 下着専門店の前で水上とアッサムが姿を消したのを見て、ダージリンとオレンジペコは2人ともこう思った。

『水上とアッサムはどういう関係なのか』

 2人は握手を交わして、下着専門店で素早くさっき買った服に着替えさらにサングラスをかけて水上とアッサムの後を追う。

 まずは本屋。

「ほう、アッサムの本まで買ってあげるとは・・・」

「水上さん、やりますね・・・」

 水上の行動を見て、2人ともうんうんと頷く。

 次に喫茶店。

「見なさいペコ!水上がアッサムに『あーん』を!」

「ふわぁ・・大胆です・・・」

 出店で買ったクレープを食べながら、水上とアッサムの店内でのやり取りに一喜一憂する。

 そして散策中。

「2人とも楽しそうね」

「これで水上さんの服がスーツじゃなかったら、完全にデートですね」

 オレンジペコが、やっぱり水上の服がスーツでよかったと改めて安心する。

 最後にアクセサリーショップ。

「ここでも買ってあげるのね、水上。いい気配りよ」

「ポイント高いですよ、これは」

 ダージリンとオレンジペコが、なぜか上から目線でコメントを残す。

 2人が店から出てきたのを見て、ダージリンとオレンジペコは通りのトイレに入り急いで着替えて、水上たちと何食わぬ顔で合流したのだ。

 

 夕食を食べ終えた俺は、部屋に戻ってベッドに倒れこみ、脱力する。

 初めて同世代の女性と出かけたが、ここまで疲れるものとは思わなかった。精神的な疲労もあるし、アッサムといろいろあり過ぎた。

 あーんをされて、あーんをして、指をくわえられて、そしてプレゼントをして。

 改めて、自分の右手を見る。正確には、アッサムがくわえこんだ右手の指先を。

(だから変な事は考えるなって!)

 右手を握りしめてベッドに叩きつける。

 と、そこで携帯がヴーヴー震える。バイブレーションの回数からしてメールだろう。

 俺は携帯を手に取り画面を開く。

『新着メール:アッサム』

 画面をスライドさせて、メールを開く。

 思えば、アドレスを交換して以来電話やメールをしなかった。となれば、これが初めてのやり取りとなる。

 そんな事を考えながら、メールに目を通す。

『今日はありがとうございます。

 兄以外の男の人と出かけたのは初めてだったので、少し緊張しました』

 兄さんいたのか、俺は小さく呟く。

『本をプレゼントしてもらい、リボンも買ってもらって、

 昼食の代金も払ってもらって、あなたには感謝しきれません。

 とても嬉しかったです。

 またいつか、機会がありましたら一緒に出掛けましょう。

 それでは、おやすみなさい』

 メールを読み終えて、俺は顔を抑える。

 端的な文章だったが、俺の心を温めるには十二分だった。

 今日、俺がアッサムに本を買ったのも、リボンを買ったのも、昼食の代金を払ったのも、全てはアッサムに尽くしたいと思ったからだ。そして、アッサムはそれを拒絶する事無く受け入れてくれた。

 それが、どうしようもなく嬉しい。

 俺は急いで返信のメールを書いて送信する。

 そして、再びベッドに倒れこみ、ふと気づく。

 アッサムに尽くしたいと思うようになったのは、なぜだろうか。下着店の前でダージリンとオレンジペコに連行されそうになったのを助けられたからだろうか。

 だが、本当にそれだけか?

 もっとほかに、根本的な理由がある気がする。

 しかし、その根本的な理由を考えている間に、俺の意識は眠りへと落ちていった。

 

 水上からのメールを見た私は、自分の机の上を見る。

 そこにあるのは、水上に買ってもらった本と、青いリボンだ。

 改めて水上の事を思い出す。

彼は、プレゼントと言って私にこの2つのものを与えてくれた。それはどうしようもなく嬉しかったし、心がとても満たされた。

(ありがとう、水上・・・)

 心の奥で改めてお礼を言い、私はベッドに寝転がる。

 そして眠ろうと目を瞑る。

 だが、脳裏に水上の顔が浮かぶ。私にプレゼントと称して本をくれた時の、あの優しい顔が。

(・・・・・・)

 最近、いつもこうだ。

 目を閉じればなぜか、あの人の事ばかり考えている。

 人に尽くしたいと願い、聖グロリアーナでそれを模索し、私の恥ずかしい夢を聞いても優しく笑う、あの人の事を。

 あの人の事を思うと、胸が焦がれる思いになる。動悸が激しくなる。顔が火照ってくる。

 これは、何?

 思い当たる感情は、一つしかない。

 だが、私はまだ、その感情を認めようとはしなかった。




次回、あの学校がついに登場します。

感想・ご指摘等があればお気軽にどうぞ。
それではまた。


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強豪校として

 5月が終わり、6月。

 夏に向けて気温が順調に上がってきたが、聖グロリアーナ女学院では変わらず戦車道の授業が行われていた。

 今日の訓練内容は、7月の全国大会に向けた模擬戦で、市街地エリアで5輌×2チームでのフラッグ戦だ。

 フラッグ戦は、あらかじめ1チームで1輌フラッグ車を決めて、お互いにそのフラッグ車の撃破を狙い、先にフラッグ車を撃破したチームが勝利するルールになっている。

 高台に上がった水上が、双眼鏡で戦況を確認する。

 ダージリンの率いるAチームの残りは3輌。フラッグ車のチャーチルが1輌、マチルダⅡが2輌。

 対するは、ルクリリの率いるBチーム。残りは2輌で、フラッグ車のマチルダⅡとクルセイダーが1輌ずつ。

 その時、ダージリンの乗るチャーチルが、曲がり角からクルセイダーの側面を狙い、砲撃する。弾丸は一直線にクルセイダーの側面に直撃する。そして、シュパッとクルセイダーの上部から白旗が上がった。

「有効。Bチーム、クルセイダー走行不能」

 水上が通信用のマイクで状況を伝える。

 水上は、この模擬戦の審判を任されているのだ。ダージリンから審判をするように突然言われた時は、『自分には無理だ』と断ったのだが、ダージリンの笑顔に押されてしまい、成り行きで今こうして審判を務めている。

 手元には戦車道のルールブックがあるのだが、分厚くて読む暇がない。

(迂闊だったな・・・ここに来る前にもっと戦車道についての勉強をしとけばよかった)

 なんて事を考えている間に、また1輌戦車が撃破された。双眼鏡でその撃破された戦車を見る。

「有効。Bチームフラッグ車、マチルダⅡ走行不能。よって、Aチームの勝利」

 水上が告げる。そして、周波数を変えて今度は整備班へと連絡を入れる。

「試合が終了しました。整備班の皆さん、戦車の回収に向かってください」

『了解!』

 整備班から威勢のいい返事をもらうと、水上は無線を切って改めて市街地エリアを見渡す。

 この入り組んだ地形で戦車を巧みに動かして敵を見つけ、撃滅する。それができるようになるには何回も何回も訓練を重ねる必要があるのだろう。

 あの場所にいるには、並大抵の度胸ではいられないに違いない。何度も挫折や苦悩を経験して、そして成長して、今を形成しているのだ。

 この聖グロリアーナに来てもうすぐ2週間となるが、改めて戦車道の難しさ、厳しさを痛感していた。

 ぼうっとそんな事を考えていると、ダージリンの乗るチャーチルが、市街地エリアを抜けて格納庫へと戻ろうとしているのが見えた。

 水上は、急いで高台から降りて格納庫へと向かう。

 

「初めてにしては上出来だったわよ、水上」

「ありがとうございます」

 場所は変わって『紅茶の園』。訓練後のお茶会が行われている中で、ダージリンが審判を務めた水上の事を褒める。

「今後、模擬戦や練習試合が増えるだろうし、その時は審判をお願いする事もあるわ。その時は、よろしくね」

「かしこまりました」

 水上がお辞儀をする。ダージリンは満足そうに紅茶を飲む。

 全国大会に出場する事が決まって以来、訓練で模擬戦や砲撃訓練を行う事が増えてきた。

 これまで聖グロリアーナでは、模擬戦を行う際は履修者の中から1人を選んで、その人を審判役にしていた。しかし、それではその審判役は訓練に参加できない。

 そこで、水上が審判役となる事でその問題を解消しようという事になったのだ。履修者たちは訓練に集中することができ、水上は戦車道を学ぶことができる。一石二鳥とダージリンは言った。

 と言っても、男の水上が乙女の嗜みである戦車道を学ぶことに意味はあるのだろうか、と水上は考えたが、あまり深くは考えないことにした。

「水上さん、この紅茶とても美味しいです」

 水上の淹れた紅茶を一口飲んだオレンジペコが、顔を明るくして水上を見る。水上は、オレンジペコに向けて笑みを浮かべて優しく一礼をした。

「ありがとうございます。これも、オレンジペコ様が教えてくださったおかげです」

「いえいえ、私は別に何も・・・」

 オレンジペコは謙遜するが、水上はそうは思っていない。最初にここで紅茶を淹れたあの日、オレンジペコに紅茶の淹れ方を教わっていなければ、変わることはできなかっただろう。

 そして、今でも水上はオレンジペコに紅茶の淹れ方を教わっている。水上は、そのオレンジペコの淹れ方を忠実に再現して淹れているに過ぎなかった。

「・・・確かに、水上の紅茶は2週間前と比べると変わったわね」

 ダージリンが水上の淹れた紅茶を見て、一言呟く。

「腕を上げたわね、水上」

「・・・ありがとうございます」

 最初に淹れた時、ダージリンから『美味しくない』と言外に言われた時、水上は小さくないショックを受けた。だが、今こうしてそのダージリンに褒められたことに、水上は充実感を覚えていた。

「それに、アフターヌーンティーでもあなたの紅茶は人気らしいじゃない」

「そうでしょうか?」

 水上は言うが、ダージリンの言葉に思い当たる節が無いわけではない。

 毎日のアフターヌーンティーの時間は、同じグループ内の女子から『水上さんに淹れてほしい』とせがまれる事が多々あった。

 男としては、悪い気分ではなかったのだが、流石に毎日淹れていては少し疲れてくる。しかし、そのアフターヌーンティーの時間で紅茶淹れの技術を磨く事が出来ているのも事実だ。

「私のクラスでも、噂になっているわよ」

「噂?」

「学校唯一の男子が淹れる紅茶がとても美味しいって」

「は、はぁ」

 そんな噂が流れていたことに水上は気付かなかった。だが、自分の淹れた紅茶が評判だというのは悪い気分ではない。

 その時だった。

 カチャリ。

 ソーサーとティーカップがぶつかる音を聞いて水上が、油の切れた機械のようにぎこちなくその音のした方向を見る。

 そこにいたのは、それまで一言も言葉を発していなかったアッサムだ。

 アッサムは、どこか不機嫌な様子で水上の事を見ていた。水上には、どうしてアッサムがそのような視線をこちらに向けてくるのか、まったく理由が分からない。

(え、俺何かしたか?)

 痛い視線を受けながら、空調が利いている部屋で額から汗を流す水上。

 ダージリンはじつに愉快そうな目で水上とアッサム、2人の事を見ている。オレンジペコは、『?』と表情だ。

 と、そこで。

 リリリリン、リリリリン。

 部屋に置かれている電話が鳴った。水上は慌てて、アッサムの視線から逃げるように電話へと向かう。

 この電話、見た目はダイヤル式だが最新鋭の機能が施されており、保留、留守電、内線、ファックスなどにも対応していた。そして、このベルの鳴り方は外線だ。わざわざ『紅茶の園』に電話がかかるという事は、戦車道関係の話だろう。

「はい、聖グロリアーナ女学院、紅茶の園です」

 水上が電話を取ると、向こう側から凛々しい口調の女性の声が聞こえてくる。

『突然電話して申し訳ない。大洗女子学園、生徒会の河嶋桃と言う者だが』

 

 まただ。

 水上が、他の子に褒められて、照れているのを見ると、私の中にこういうもやもやした感情が浮かんでくる。

 この感情は、間違いなく、嫉妬だ。

 それはもう、認めざるを得ない。

 でも、どうして嫉妬心を抱くのかが分からない。

 そこで私は、自分が水上の事をどう思っているのかを分析する。

 水上とは、ジョーク好きで趣味が合う。

 水上は、人に尽くしたいという夢を抱いている。それはとても素晴らしい事だと思うし、人に尽くしたいと思っているからこそ、ここでこうして給仕の仕事を務めていられるのだろう。

 水上は、優しく気遣いのできる男だ。

 総括すると、私は水上に対して悪い感情を抱いてはいない。

 だとすれば、私はプラスの感情を水上に抱いていることになる。

 人に対するプラスの感情とは、安心、共感、崇拝、尊敬、

 あるいは愛情、恋慕。

(・・・・・・やっぱり、これは・・・)

 私は、自分の中に眠る感情の、その一端に触れそうになる。

 だが、水上の一言で私は現実に引き戻される。

「ダージリン様」

「何?」

 水上が電話機を持って、ダージリンの傍に立っていた。

「大洗女子学園の河嶋という方からお電話が」

「大洗女子学園・・・?」

「はい。戦車道の事でお願いがあるそうです」

 ダージリンがいぶかしむような顔で受話器を受け取る。

 大洗女子学園、聞いた事も無い学校だ。私の記憶にはない。私はノートパソコンを取り出して、大洗女子学園について調べる。

「もしもし」

 ダージリンが電話を替わると、私は一先ず意識をダージリンに向ける。

「まあ、戦車道を復活なさったのですか?おめでとうございます」

 ダージリンが笑みを浮かべて電話の向こう側の人物と言葉を交わす。

 そして次に。

「結構ですわ」

 その顔に微笑を携えて、こう言った。

「受けた勝負は逃げませんの」

 受話器を置く。水上は、電話機を元あった場所に戻す。そして、戻って来た水上にダージリンが指示を出した。

「水上」

「はい」

「スケジュールの調整をお願い。今度の日曜日、大洗で10時から、大洗女子学園と練習試合をする事になったわ」

「・・・かしこまりました」

 しかし、指示を受けた水上は納得がいかないと言った表情をしていた。

「どうかした?」

「・・・今の電話は試合の申し込みだったのですか?」

「そうよ。それが何か?」

「・・・私見ですが、聖グロリアーナ女学院は戦車道の強豪校として名を馳せております。その強豪校が、無名の学校からの練習試合を受けるというのが少々意外と思いまして」

 無名の学校、という水上の単語を聞いて私は、パソコンの画面に表示されている大洗女子学園のホームページを見る。

 穏やかな校風ではあるが、これと言った特徴は特になさそうだ。

 しかし、サイトの半分を埋めるほどにでかでかと『20年ぶりに戦車道復活!』と表示されているのを見て、私はフッと小さく笑みを浮かべる。

 まるで、何の取り柄もない学校が必死に目立とうとアピールをしているように見えた。

「アッサム、大洗女子学園について何かわかった?」

 ダージリンは、既に私がパソコンで大洗女子学園について調べている事に気付いていたのだろう。私に聞いてくる。

「まだ漠然としか分かりませんが、特に取り柄も無さそうな学校です。また、改めて調べてみますが」

「でも、そんな学校が急に戦車道を復活させて、その上私たちに試合を申し込んでくるなんて、相当躍起になっているんですね」

 オレンジペコが言うと、ダージリンが顎に手をやり考え込むようなポーズを取る。

「戦車道の世界を、甘く見ているようね」

 そのダージリンの言葉に、私は重みを感じる。

 ダージリンは、この聖グロリアーナに入学した1年目から戦車道を歩んできた。それから今こうして戦車隊の隊長となるまで、どれだけの苦労と努力をしてきたか、私には分かる。

 私はダージリンに誘われて戦車道の世界に足を踏み入れたが、私だって戦車道の世界の辛さに何度か辞めそうになった。

 だが、ダージリンは決して弱音を吐かず、耐え抜き、戦車道の世界を今日この日まで生き残ってきた。

 遂には彼女の才能と努力がこの学校に認められ、『ダージリン』の名を貰い、戦車隊隊長となることができた。

 私は、そのダージリンの傍で、いつからかダージリンを支える様な人物になりたいと願うようになった。

 だから私も、戦車道の世界を必死で生き抜き、今では参謀として、『アッサム』の名をいただき、この『紅茶の園』にいる。

 戦車道の世界がどれだけ厳しいものかわかっているからこそ、ダージリンの言葉は重く感じられた。

 そして私も、その言葉の重さは十分に理解している。

「・・・でしたら、なおの事受ける必要はないのでは?」

 水上が、控え気味にダージリンに尋ねる。ダージリンは、その表情から笑みを消し、真剣な目つきで水上を見る。その眼差しを受けて、水上がつばを飲み込んだ音が聞こえた。

「いかに無名の学校と言えど、受けた勝負からは逃げなどしない。これは、聖グロリアーナの鉄則・・・いえ、戦車道の世界の鉄則ともいうべきものよ」

「・・・・・・・・・」

 水上は押し黙る。

 ダージリンの口調、表情は、真剣そのものだった。

 3年間ダージリンの傍にいた私でさえ、僅かに恐怖すら感じるほどの。隣に座っているオレンジペコなど、額から汗を流していて、瞳が泣きそうなほどに揺らいでいる。

「・・・出過ぎたことを申しました。申し訳ございません」

 水上が深く頭を下げる。それを見てダージリンは、先ほどまでの真剣な顔を隠し、小さく笑みを浮かべて水上を見る。

「そう言うわけだから、試合の調整をお願いするわ。詳しい事はまた後日連絡するみたいだから、その時はよろしく。それと、船舶科にも大洗に寄港するように連絡をしてちょうだい」

「かしこまりました。直ちに取り掛かります」

 水上はお辞儀をして、足早に部屋を出た。

 まるで、ダージリンから逃げるかのように。

 私は、さっきまで感じていた緊張をほぐすかのように水上の淹れた紅茶を飲む。

 少し、冷めてしまっていた。

 

 事務室に俺は『逃げ込んだ』。

 正直言って、滅茶苦茶怖かった。

 あの時のダージリンの顔と来たら、僅かながらに怒気を孕んでいるようにも見えて、口答えすら許さないような威圧感を放っていた。

 比較的肝の小さい俺でも、あそこで泣きそうにならなかったのは、我ながらに褒められたことだと思う。

「・・・・・・はぁ」

 ため息をついて、脳のスイッチを切り替える。

 いつまでもビビッていては給仕など務まらない。

 さしあたり、まずは戦車道のスケジュールの再調整だ。俺は事務室に備え付けてあるパソコンの電源を入れて、椅子に座る。

 パソコンの画面がデスクトップに移るまで、俺はあの時のダージリンの事を考えていた。

 ダージリンは知っての通り戦車道の隊長を務めている。そうなるためには、並々ならぬ努力を積み重ねてきたのだろう。それこそ、一介の高校生の自分には想像もつかないような努力を。

 だからこそ、ぽっと出の無名校が、いきなり戦車道の強豪校に試合を挑んでくることに、あのような言葉を言ったのだ。

 戦車道の世界を甘く見ている、と。

「・・・・・・男の俺が、でしゃばるべきじゃなかったんだよなぁ」

 自嘲気味に独り言をつぶやく。見ればパソコンは既に起動済みとなっていた。俺は素早くスケジュール表の画面を開き、日程を調整する。

 言われた通り、次の日曜日の10時から大洗にて練習試合と書き込み、戦車道履修者全員に更新されたスケジュール表を配るために印刷を始める。

 スケジュール表が印刷されている間、俺は別の事を考えることにした。

 アッサムの、あの刺さるような視線だ。

 俺の記憶している限り、アッサムに失礼な事をした覚えはこれと言ってない。

 1週間前に街へ出かけた時は、本とリボンをプレゼントした。昼ごはんの代金も払った。それが何か気に食わなかったのだろうか。まさか、プレゼントの内容にがっかりしてしまったのか。

 いや、それ以前からアッサムの視線を感じる事はあった。となると、あの街へ出かけた時に原因があるとは考えにくい。

 となるともっと前か。ここで初めて紅茶を淹れた時、この聖グロリアーナに初めて来た時、いや、もっと前、あのバス停で初めて出会った時・・・。

「・・・・・・」

 そこで俺は、ふと気づく。

 最近、アッサムの事について考えることが多くなった気がする。

 あの視線の原因について考えているのもそうだが、それ以外の時間帯でもだ。授業中でも、戦車道の訓練をしている時でも、この『紅茶の園』にいる時でも。

 授業中は、アッサムはどういう気持ちで授業を受けているんだろうか、と考えて。

 戦車道の訓練中は、アッサムの砲撃に一喜一憂して。

 『紅茶の園』では、自分の紅茶はアッサムに美味しいと思ってもらえただろうか、と心配して。

 改めて、アッサムについて考える。

 アッサムは、ダージリンの陰に隠れてしまっているが美人と言えるぐらい可愛い。

 頭脳明晰でありながらもジョーク好きというギャップが、その可愛さを引き立てている。

 そして自分みたいな凡人の夢を素晴らしいと評価し、その夢が叶うように応援してくれている。

 そして、ダージリン、オレンジペコと共に街へ出かけた時。2人きりになれた時間は少なかったが、その中でアッサムは俺に対して裏表の無い笑みを向けてくれた。

 ポケットの中に入れてあるスマートフォンに触れる。

 あの街へ出かけた日以来、アッサムとメールでやり取りをする機会が増えた。

 内容は取り留めも無いものばかりだ。授業が退屈だった、戦車道はやっぱり辛いが楽しい、今日食べた夕食は味がいまいちだった、などと内容には一貫性は無い。

 だが、そこにはまぎれもなくアッサムの本音が書かれていた。その、聖グロリアーナでは決して明かさない本音を自分に語ってくれると言うのは、なんとなく嬉しい。

 自分だけが、アッサムの本当の姿を知っているみたいで。

「・・・・・・」

 自然と唇がゆがむ。

 アッサムの事を思い浮かべると、自然と気持ちが豊かになるような気がした。

 同時に、自分が抱いているこの感情が何なのか、ぼんやりとしたものが明瞭になってくる。

(まさか、これは・・・・・・)

 俺は、その感情に気付きかけたところで、

「水上」

「はい!?」

 後ろから声を掛けられた。

 あまりにも不意打ちだったので声を大きくしてしまったが、そこにいた人物を見て安堵する。

 入口に立っていたのは、アッサムだった。

「どうしたの?そんなに慌てて」

「い、いえ。何でもありません、アッサム様」

 言って、自分で気づく。敬語を無意識に使ってしまっていた。そして、アッサムがムッとした表情をしているのを見る。

「・・・・・・何でもないよ、アッサム。心配しなくていい」

「そう、ならいいけど」

 アッサムがふっと笑い、部屋の中に入ってくる。

「どうかしたのか?」

「ちょっと、重い空気に耐えられなくて」

 アッサムが肩をすくめながら言う。

 重い空気、というのに心当たりは当然ある。俺がさっきダージリンに意見した事によるものだろう。

「・・・すまん、男の俺が戦車道についてでしゃばるべきじゃなかったな」

「いいえ、仕方ない事よ」

 アッサムが笑って言う。俺も少し安心した。

 と、アッサムが何かを見つけたのか、俺が開いているパソコンの画面を見て眉を顰める。

「何?」

「・・・そこ、間違ってるわよ」

「え、どれ?」

 アッサムがパソコンを指差すが、俺にはどこが間違っているのか分からない。

 俺がパソコンをよく見るが、やっぱり分からない。

 その時だった。

「ここよ、ここ」

 アッサムが俺の横にずいっと身体を滑り込ませてきたのだ。

「!」

 アッサムの横顔が大写しになる。

 少しつり目の眼。形のいい眉毛。煌びやかなブロンドヘアー。艶やかな肌。薄いピンク色の唇。

 それらすべてが俺の脳を刺激してくる。さらに、普段自分が使っているのとは違うシャンプーの香りが鼻腔を刺激して、理性を全力で揺さぶってくる。鼓動が高鳴るのが胸に手を当てなくても分かるぐらいだった。

「これ、時間が10時じゃなくて9時になってるわよ」

 アッサムが何かを言っているが、今の俺にはその言葉が異国の言葉にしか聞こえない。

 だが、理性の鎖によって俺の意識は現実に引き戻された。

「あ、ああ。そうだった。ゴメンゴメン」

 俺が慌ててキーボードを叩き、アッサムに指摘された場所を改善する。

 そして、既に印刷が終わってしまったプリントの山を見て溜息をつく。

「しまった、これだけ無駄にしちまった・・・」

「まあ、失敗は誰にでもある事よ」

 アッサムが慰めるように、小さな手を俺の肩に手を置いてくる。それすらも、今の俺にとっては致命傷となり得るものだった。

 俺は、その手から意識を逸らすようにパソコンに向き直る。

「じゃあ、印刷し直すか」

「頑張ってね。私はもう戻るから」

「ああ。それと、さっきは本当に悪い。空気を悪くしちまって」

「気にしないで大丈夫よ。でも、オレンジペコは本気で怖がっていたから、オレンジペコには謝っておいた方がいいかもしれないわね」

「そうする。ありがとうな」

 アッサムが扉を閉める。

 俺は、スケジュール表に間違いがない事を再三にわたって確認すると、もう一度印刷ボタンを押す。そして、天井を仰ぎ見る。

 アッサムの横顔が、俺の目の前に。

 あそこまで、人の横顔にくぎ付けになったのは、恐らく人生でも初めてだろう。

 今でも、ドキドキが止まらない。

 アッサムの横顔が、頭から離れない。

 街へ出かけた時の、アッサムの笑顔が、今でも脳に焼き付いている。

 顔を真っ赤にしながら夢を語ったアッサムの顔が、忘れられない。

 初めて出会った時のアッサムとの思い出が、色褪せることなく俺の記憶の中に残っている。

「・・・・・・やっぱり、これは・・・」

 

 ドアを閉めたところで、私は壁に背中を付ける。

 さっきは意識していなかったが、私は水上のすぐ近くに顔を寄せていた。そして、身体を密着させていた。

「・・・・・・」

 今頃になって、すごく恥ずかしくなる。

 同時に、愛おしくて仕方がないと思えてくる。

 そして、水上との思い出が、奔流のように私の脳を埋め尽くす。

 その思い出は、全てが私にとって大切な思い出だった。

 プレゼントをしてくれたことも、2人で街を歩いた事も、夢を語られ語ったことも、紅茶を美味しいと感じた事も、再会できたことも、初めて出会った時の事も。

 気が付けば、私の中は、水上との思い出で埋め尽くされていた。

 そして、今私の中に渦巻く、この心地よくも切ない感情を、認める。

「・・・・・・やっぱり、これは」

 

 

「「・・・・・・恋?」」

 

 




ダージリンはネタにされやすいけど、
人並外れた努力の上で今の立場があるんだと思います。

感想・ご指摘等があればお気軽にどうぞ。


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想う人として

季節の変わり目ですので、皆さん体調管理にお気を付けください(本文より抜粋)


『季節の変わり目ですので、体調管理にお気を付けください』

 テレビの向こう側にいる、天気予報のアナウンサーがそんな事を言っていた。

 ベッドの上で俺は、その言葉を聞いて苦笑する。懐から、ピピピという電子音が鳴り、その音を発する器具を手に取る。

 手の中にあるそれは、体温計だった。

(37.9・・・風邪だな)

 朝起きた時から身体が変だった。身体が妙に熱く、身体重く、動きが鈍く感じられる。

「ごほっ、ごほっ、ごほっ」

 それに加えて咳が止まらない。典型的な風邪の症状だった。

 しかし、風邪を引いたのはこれが初めてというわけではない。俺は環境の変化・・・例えば進学による人間関係の変化や気候の変化に対応できず、体調を崩してしまう事が多々あった。今回のこれもその一つだろう。

(休もう)

 無理して学校に行って、給仕の仕事が務まるとは到底思えない。行っても迷惑になるだけと思い、俺は欠席することを決意した。

 その旨を学校の先生に伝え、了承されるととりあえず一安心した。テレビを消し、ベッドに寝転がって息を吐く。が、吐息に混じって咳まで出てしまう。呼吸するのにも注意が必要な状態だった。

 目を瞑る。そこで頭に思い浮かぶのは、給仕の仕事を休んでしまう事に対する罪悪感だ。

 さらに脳裏によぎる事があった。それは、戦車道の事でも、授業の事でもない。

(・・・・・・どうして)

 アッサムの事だ。

 聖グロリアーナに行かなければ、当然給仕の仕事をすることは無く、戦車道のメンバーと会うことも無い。つまり、アッサムと会う事も無い。

(・・・・・・どうして、アッサムの事ばかり考える)

 ダージリンやオレンジペコ、ルクリリやルフナ、他の戦車道履修者もいるというのに。どうして、アッサムの事を真っ先に考える?

(これが、恋なのか?)

 昨日事務室で、アッサムの事を考えて、アッサムとの思い出に思いを馳せ、アッサムの横顔に見惚れて、自分の中に渦巻く感情はまさか恋なのでは?と考えて以来、俺の頭の中からアッサムの顔が離れない。

 俺は、生まれてから一度も、人を好きになった事が、恋心を抱いた事が無い。だから、自分の中にあるこの感情が恋なのかは、分からない。

 だが、これほどまでに一人の女性の事を想い、愛しいと感じた事は一度も無かった。

(・・・・・・)

 俺は起き上がり、枕元で充電状態のスマートフォンを手に取り、メールを書く。

 メールを書き終えて送信した後で、俺はため息をついた。

(・・・・・・俺、何してるんだろう)

 メールの宛先は、アッサムだ。

 内容はじつにシンプルで、『風邪を引いたから休む。給仕の仕事はできない』とだけ。

 送る必要なんて、普通に考えれば無いはずだった。俺が風邪で休むという事は、同じクラスのルフナからダージリンに伝わるだろうに。

 だが、どうしてか、アッサムと繋がっていたいと思ったから、メールを送った。

 そして、心のどこかで、見舞いに来てくれたらいいな、と考えていた。

「・・・・・・自分勝手だな、俺」

 俺が呟くと、タイミングよく大きく咳き込む。

 変な事を考えるのは風邪で頭がぼーっとしているからだ。

 そう考えて俺は、布団に潜り込んで眠ることにした。

 

 そのメールが届いたのは、私が学校について、席に座り、一息ついた時だ。

 こんな時間にメールとは珍しい。そう思いながら画面を開くと、

『新着メール:水上進』

 私はすぐにメールを開く。そこには、風邪を引いたので学校は休むと書かれていた。給仕の仕事はできない、とも書いてあった。

 そう言えば、季節の変わり目で体調管理に気を付けるように、と今朝ニュースで言っていた気がする。おそらく水上は、寒暖差によって体調を崩してしまったのだろう。

(そうか・・・・・・)

 水上は、今日学校に来ない。

 それはすなわち、今日1日水上の顔を見れないという事だ。

 食堂で一緒にご飯を食べる事も、戦車道の授業を見ることも、給仕として紅茶を淹れてくれる事も、言葉を交わす事も無い。

「っ・・・・・・」

 そう思うと、胸が苦しくなる。

 たった1日でも会えなくなることが、こんなに苦しいなんて。

 水上に会いたい。水上の淹れた紅茶を飲みたい。水上と言葉を交わしたい。

 これほどまでに、誰かに会いたいなんて思ったこと、生まれて初めてだ。

(これが恋なの・・・?)

 私は、生まれてから一度も、人を好きになった事が、恋心を抱いた事が無い。だから、自分の中にあるこの感情が恋なのかは、分からない。

 だが、これほどまでに一人の男性の事を想い、愛しいと感じた事は一度も無かった。

(・・・・・・)

 時計を見る。朝のホームルームが始まるまでにはまだ時間がある。

 私は急いで席を立ち、職員室へと足を運んだ。

 私のやろうとしている事は、余計なおせっかいかもしれない。

 でも、私はそうしたいという衝動に駆られていた。

 

 戦車道の時間になり、履修生たちが格納庫の前に集合する。

 オレンジペコはダージリン、アッサムの傍に立って、集合した履修生たちの顔を見る。けれど、いつもいるはずの人がいない。

「あの、水上さんは?」

 オレンジペコがダージリンに聞くと、ダージリンは肩をすくめるだけ。

 すると、反対側に立っていたアッサムがダージリンに事務的に報告する。

「水上は、風邪を引いて今日は休むとのことです」

 風邪、と聞いてオレンジペコは真っ先に、水上の身を案じた。

 季節は春から夏になり、気温は夏に向けて順調に上がってきている。おそらく、水上は気温の変動についていけなくて、身体を壊してしまったのだろう。

 だがなぜか、ダージリンは意地悪そうな笑みを浮かべてアッサムを見る。

「アッサム、どこでその情報を?」

「・・・今朝、水上からメールが届きまして」

 ダージリンの問に、アッサムはつらそうに表情を歪める。その表情は雄弁に『面倒な事になった』と語っていた。

「いつの間に、水上とアドレスを交換する仲にまで進展していたのかしら?」

「・・・・・・今はそんなことはどうでもいいでしょう」

 アッサムが投げやりな事を言って会話を打ち切る。しかしそれでも、ダージリンはにんまりと笑みを浮かべてアッサムを見つめる。

 その間に立つオレンジペコは、どうしていいのか分からず、とりあえず視線を集合した履修生たちに向ける。すると、悲しそうな表情をしている、チャーチルの操縦手・ルフナの姿が見えた。

 なぜ、ルフナはあのような表情をしているのだろう?

 オレンジペコの疑問をよそに、ダージリンが練習の開始を宣言する。

 オレンジペコは、疑問を頭の隅に追いやってチャーチルに乗り込む。

 今日の授業内容は、明後日の大洗女子学園との戦いに向けて、改めて基本動作の見直しだ。停止しての射撃と、行進間射撃、そして躍進射撃。

「全車前進」

 ダージリンが乗り込んで、すぐさま全車両に無線で指示を出す。だが、なぜかオレンジペコたちの乗っているチャーチルが動こうとしない。

「ルフナ?どうかした?」

 ダージリンが、操縦手のルフナに声を掛けると、ルフナは慌ててチャーチルを前進させる。それから100メートルほど移動したところで、ダージリンが停車の指示を出す。

 ここでも、ルフナは停車の指示を受けてもすぐに停車しようとせず、10数メートルほど進んだところでようやくチャーチルを停めた。

(何かおかしい)

 普段ルフナは、指示に遅れて反応するというような事をしない。いつだって、ダージリンの指示が下った直後に戦車を動かし、停め、転進させる。

 でも、今日は違った。

 そして、違っていたのはルフナだけではない事に、オレンジペコは気付く。

「砲撃準備」

 ダージリンの指示を受けて、オレンジペコが砲弾を軽やかに装填する。砲の左側に座って待機していたアッサムがスコープを覗き込み、数百メートル先の的に狙いを定める。

「砲撃」

 そして、ダージリンの合図で発砲。砲弾は一直線に的に吸い込まれたかのように見えた。

 ところが。

「アッサム」

「はい」

 キューポラから身を乗り出して、他の戦車の様子を双眼鏡で見ていたダージリンが、再び車内に身を滑り込ませてアッサムの方を見る。

 そして。

「外したわね」

「・・・・・・申し訳ございません」

 ダージリンの指摘を受けて、アッサムは俯く。

 オレンジペコは慌ててチャーチルから身を乗り出し、双眼鏡で的の方を見る。すると、確かにアッサムの撃った砲弾は、的から左にずれたところに着弾していたようだった。

(・・・・・・アッサム様が外すなんて、珍しい)

 オレンジペコがチャーチルに乗ることが決まった時から、オレンジペコはアッサムの砲手としての腕前は噂で聞いていた。

 曰く、狙った的を外したことは一度も無い。

 曰く、試合では的確に敵戦車のウィークポイントを狙い、撃破する。

 曰く、精密な計算とデータの上にアッサムの的確な砲撃がある。

 実際にオレンジペコが、アッサムの傍でその砲撃の腕前を見ると、それは噂通りだという事に気付かされた。

 そのアッサムが、練習とはいえ的を外すとは。オレンジペコにとっては初めての事だった。

 そして、その後の行進間射撃、躍進射撃でも、アッサムは砲弾を的に命中させることはなく、目標から右にずれたり、左にずれたり、目標の手前に逸らしてしまったり、はるか上へと逸らしてしまったりした。

 訓練が終わった後、ダージリンはアッサムにただこう言った。

「しっかりしなさい」

 アッサムは、その言葉を受けてアッサムは悲しそうにダージリンから視線を逸らす。

(もしかして・・・)

 オレンジペコは、一つの推測を立てる。

 今日、ルフナの戦車の操縦には粗があった。

 今日、アッサムは砲撃の腕が初心者レベルにまで落ちてしまっていた。

 こんな事、オレンジペコがチャーチルに乗って以来初めての出来事だ。

 では、仮にこれが今日だけの事とすると、今日に限って発生したイレギュラーがあるという事になる。

 そのイレギュラーとは何か?オレンジペコは考えるが、その答えはすぐに見つかった。

 水上がいない事だ。

 アッサムとルフナの腕前は、水上が来る前からも、来てからも変わらなかった。だが、水上が来なかったこの日、2人の腕は落ちた。

 つまり。

(2人とも・・・水上さんがいなくて、動揺してる・・・?)

 この時オレンジペコは、アッサムとルフナの中にある感情の一端に触れていたことに気付いてはいなかった。

 

 水上が目を覚ましたのは、夜の6時半。気づけば1日中眠ってしまっていた。

 肝心の身体の方は。

(・・・・・・全然よくなってない)

 熱は引いていないし、身体が重く感じられるのも変わっていないし、咳も止まってない。

 試しに体温計で体温を測ると、何と体温は38.4。上がってしまったではないか。

(・・・・・・薬も飲んでないし、身体を冷やすような事もしていないし、当然と言えば当然か)

 ため息をつくと、空腹感が沸き上がってくる。思えば、今朝から何も口にしていなかった。

 だが、ホテル備え付けの冷蔵庫の中には何も入っておらず、冷却シートの1つも無い。あるのは電気ケトルと粉末状の緑茶の素のみ。

 緑茶は喉に優しいと聞いた事があるので、仕方なくそれで空腹感を満たそうと思い、重い身体を無理やり起こして水を汲み、電気ケトルのスイッチを入れる。

「ごほっ・・・うっ・・・」

 スイッチを入れたところで、水上はベッドに倒れこむ。

(俺、もうずっとこのままなのかな・・・)

 風邪で体が重いので外に出られない。外へ出て薬を買う事も食べ物を買う事もできない。結果風邪が治らず症状は悪化していく。見事なまでの悪循環だ。

 白い天井を仰ぎ見て考えるのは、やっぱりアッサムの事だった。

(・・・・・・もうアッサムに会う事はできないのか・・・?)

 風邪が治る気配が一向に無い。もうずっとこのままなんじゃないかという思考で頭が埋め尽くされる。それは風邪で気弱になっているせいでもあるのだが、水上はそれに気づかない。

 ずっとこのままと言う事は、アッサムに会う事はもう二度とないという事だ。

 そう思うと、胸が苦しくなる。そうなりたくないと、切に願う。

 だが、身体の方は正直でこうして考えている間も咳が止まらない。

 その時、入り口のドアがコンコンとノックされる。

(誰だ、一体・・・先生か・・・?)

 身体をゆっくりとおこし、マスクをつけ、のそのそとドアの前に立つ。そして、いつもの倍以上の時間をかけて、ゆっくりとドアを開く。

「あ、水上。大丈夫?」

 そこにいたのは、水上が会いたいと切に願い、ずっと想っていた人物だった。

 長いブロンドヘアーに、つり目の瞳。そして、長い髪を纏めているのは、この前自分がプレゼントした青いリボン。

「アッサム、様・・・?ごほっ、げほっ」

 驚きの余り、2人だけの状況でも敬語を使ってしまい、さらに咳き込んでしまう。

 だが、会えたことに対する嬉しさの前に当然の疑問が思い浮かぶ。

「どうして、ごほっ、ごほっ。ここが・・・?」

「先生に聞いたの。お見舞いに行きたいって言ったら、割とすんなり教えてくれたわ」

 どうして自分の滞在しているホテルの部屋が分かったのか。それを聞くと、アッサムはすんなりとそれを教えてくれた。

 ちなみに水上は、アッサムが顔を赤くしながら『お見舞いに行きたい』と先生に告げて、その先生から優しいものを見る目で部屋を教えてもらったその時の事を知らない。

 さらに言えば、情報処理学部第6課(通称GI6)に所属しているアッサムにとって、短期入学している水上の滞在しているホテルの部屋を特定することは造作もない事だったのだが、今回そのような方法は控えることにした。

 というのも、滞在先を特定するなどストーカーの所業に等しい事だと思ったし、それで水上に嫌われたくないと思ったからである。

「・・・・・・お見舞いはありがたいが、げほっ。俺はこの通りこんなだから、ごほっ。風邪がうつるかもしれん、ごほっ。部屋には入らない方がいい、げほげほっ」

 一言言うたびに水上の口から咳が漏れる。苦しそうな水上を案じ、アッサムは水上に視線を合わせる。

「大丈夫?薬持ってきたわよ?あとおかゆとスポーツドリンクも」

 アッサムが、手に持っていたビニール袋を掲げる。その袋からは、風邪薬のパッケージが透けて見えた。

「・・・・・・ありがとう」

 咳の合間に水上が感謝の言葉を告げると、アッサムは優しく微笑んだ。

「とにかく、失礼するわね」

 アッサムが、制止する水上の肩を優しく手で抑えると、部屋へと足を踏み入れる。

 一応、水上は部屋は綺麗にしておいたつもりだったのだが、女子の目から見てどう映るかは分からない。アッサムは、部屋を一通り見て今さら気付く。

(男の人の部屋に入ったのって、初めてかも・・・)

 アッサムには兄がいる。兄の部屋に入った事は何度もあるし、ここはあくまでホテルなのだが、アッサムは生れてはじめて男の人の部屋に入ったのだった。

 アッサムはその動揺を隠すかのように、ビニール袋から風邪薬と、レトルトのおかゆ、そしてスポーツドリンクを取り出して机の上に並べる。

「風邪薬は食後って書いてあるから、とりあえずおかゆを食べましょう?作ってあげるから」

 風邪薬のパッケージを見ながらアッサムが言う。そして、既に電気ケトルで沸いていたお湯をレトルトおかゆのパックへと注ぎこむ。

 そこで、アッサムは気付いた。

「・・・・・・」

「水上?」

 先ほどまで咳き込んでいた水上が静かになった。それを不審に思い、アッサムが水上の方を見る。

 水上の瞳から、涙が流れ出ていた。水上自身もそれに気づくと、腕で涙を乱暴にぬぐう。だが、涙は止まらず、しまいには膝をつき、声を漏らしながら泣き出した。

「どうして泣いてるの?」

 アッサムが、水上と同じように膝をついて目線を合わせる。水上は、泣きじゃくりながら言葉を切れ切れに紡ぐ。

「・・・俺、ずっと風邪ひいたままなのかなって、思って、それで、もうアッサムに会えない、って思ったところで、来てくれて、本当に嬉しくて、その上、優しくしてくれて・・・」

 涙を流しながら語る水上の頭に、アッサムは優しく手を乗せる。そして、優しくその髪を撫でた。

「・・・寂しかったのね。でも大丈夫、今は私がいてあげるから」

 聖母のような笑みを浮かべるアッサム。水上は、その笑みを見ると、また視界がぼやけていき、大粒の涙を流す。

 水上が泣き止み、落ち着いたところで、ちょうどレトルトのおかゆが完成し、アッサムがそれを水上にスプーンで食べさせる。

「はい、あーん」

「あーん・・・」

 食べさせるという事は、つまりアッサムが水上に『あーん』をしているという事になる。だが、水上は風邪で頭がぼやけていて恥ずかしさなど感じていなかったし、アッサムも恥を感じる以前に水上を助けたいと思う一心だったので全く気にしなかった。

 おかゆを食べ終わると、風邪薬を飲み、水上はベッドに横になる。おかゆを食べたおかげで空腹感も満たされ、のどの調子も良くなったところで、水上はアッサムに改めてお礼を言う。

「・・・ありがとう、アッサム」

「このくらい、どうという事は無いわ」

 水上のベッドのそばに椅子を持って来て、アッサムがそこに座る。

「・・・水上は、人に尽くしたいって夢を持っていたわよね?」

「?ああ、でもどうしてその話を今?」

 アッサムの言葉に、水上は疑問を抱く。なぜ今その話をするのだろうか。

 アッサムは、寝転んでいる水上の目を見て言った。

「あなたは、普段から給仕として私たちに尽くしてきた」

「・・・・・・」

「でも今は、私に尽くされている。その気分はどう?」

「・・・・・・心地良いよ、すごく」

 アッサムに聞かれて、水上は素直な感想を抱く。

 人に尽くしている時、水上はその自分の夢故に充実感を覚えていることが多かった。

しかし、今はその逆の立場として、アッサムに尽くされている。普段は人に尽くしていることが多いが、尽くされるというのも悪い気分ではない。想っている人に尽くされているからこそ、なおさらだ。

「夢を叶えるために、普段から人に尽くすのは大切だと思う。でも、一度だけでも尽くされる側に立って、尽くされる側の気持ちを知れば、あなたはもっと優しく人に尽くすことができると思うわ」

「・・・・・・アッサム」

「それに気づいてほしくて、私はここに来たの」

「・・・・・・」

 言葉が出ない。アッサムが、そこまで自分の事を考えてくれていたなんて。

「それに・・・」

「?」

 アッサムが、恥ずかしそうに視線を逸らして、顔を赤らめて、こう言った。

 

「大切な人が苦しんでいるのに・・・何もしないわけにはいかないから」

 

 目頭が熱くなる。涙が流れそうになるのを必死でこらえるが、風邪のせいで涙腺が緩んでいるのだろう。

 また、一筋の涙が水上の頬を伝う。

 水上は、無理やりにでも笑って、感謝の言葉をアッサムに告げた。

「・・・・・・本当に、ありがとう・・・」

 

 風邪薬が効いたのだろうか、水上は少ししてから静かに眠りに就いた。

 私はそれを見て一安心すると、席を立ち、ごみを片付けて部屋を出ようとする。

 そこで私は、もう一度水上の顔を見る。マスクをしていたので顔の半分は見えていないが、穏やかな顔で静かに寝息を立てていた。

 だが、閉じた瞳からは一筋の涙が流れていた。

 それを見て私は、どうしてか愛おしく感じてしまう。

(・・・・・・)

 今思えば、この時の私は、多分水上の熱に当てられていたのだろう。

 そうだ、きっとそうに違いない。

 そうでなければ、

 水上の顔に私の顔を近づけて、

 

 涙を舐め取ったりなどしないだろうから。

 

 舌を出して、頬を伝っている涙を静かに優しく舐めとる。

 少し、しょっぱかった。

「~~~~~~~~!!!」

 そして、今さらながらに自分のやった行動が恥ずかしくなり、自分の荷物をひったくると部屋を出る。水上は起こさないように、静かに扉を開閉したが。

 ホテルの廊下を歩く中で、改めて私は私の行動を思い返す。

 男の人の涙を舐めとるなんて、普通では考えられないような行動だ。

 そんな行動を、まさか私が取ってしまうなんて。

 でも、涙を流している水上の顔は、見たくなかった。いつか私に向けた、優しい笑顔でいてほしかった。

 そんな事を願って、涙を舐めるなんて。

「・・・・・・・・・はぁ」

 ため息をついて、ホテルの壁に寄り掛かる。

 時折、私は私がどうしてそんな行動をとったのか分からなくなることがある。今日の事だってそうだ。

「私・・・・・・」

 そして、これまでの行動と思考を冷静に、分析する。そこから導き出される答えは。

「やっぱり・・・・・・水上の事が・・・・・・」

 結論付ける。このおよそ2週間で私の中に芽生えた感情が何なのか、ようやくわかった。

 いや、分かっていたのだけれど、分からないふりをしていた。

 でも、今日で分からないふりをするのは止めよう。

 自分の気持ちに、素直になろう。

 

「好き、なんだ・・・・・・」

 

 

 翌朝、俺は目を覚ますと、右の頬に何か温かい感触を覚えた。マスクを外して、その部分に手をやると、何か湿っている。

「・・・・・・泣いてたのか」

 俺は右頬をこする。

 そして体を起こしたところで気付いた。

「・・・・・・直った?」

 昨日感じていた体のだるさも、熱っぽさも無い。肩を回してみるが、問題ない。

 体温計を取り出して熱を測ってみるも、昨日の高熱はなりを潜め、平熱に下がっていた。

「・・・・・・アッサムの薬と、おかゆのおかげだな」

 俺はベッドから起き上がり、スーツに着替える。もう学校を休む必要はないくらいに、快復していた。

 スーツに着替える最中、俺の頭の中にはアッサムの顔が浮かんでいた。

「・・・・・・」

 夢を叶えるうえで大切なことを気づかせてくれるために、アッサムは俺の事を見舞いに来てくれた。そして、俺みたいな男の事を『大切な人』と言ってくれた。

「・・・・・・俺」

 風邪で弱っている間は、ずっとアッサムの事を考えていた。そして、本当に会う事が出来た時には、感極まって泣いてしまった。

 アッサムに介抱されている間は、ずっとアッサムの顔を見ていた。

 そんな風に、たった一人の女性の事を想うとは。

「・・・・・・やっぱり、アッサムの事が・・・・・・」

 その気持ちの答えが導き出される。

 それは、わずか数日の間に俺の中に生まれた感情だった。

 でもこの感情は、認めざるを得ないほど大きくなっていた。

 

「好き、なんだな・・・」

 

 




毎度の事ですが、自分の書いた文章、表現が冗長になっている気がしてならないです。

感想・ご指摘等があればお気軽にどうぞ。


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恋する者として

今回クオリティが低いです。
予めご了承ください。


「「あっ」」

 校門の前で、水上とアッサムは出会った。

 アッサムは思い出す。昨日自分が水上にしたことを。そして、自分が水上に対して恋をしているという事を。

 水上は思い出す。昨日自分がアッサムにしてもらった事を。そして、自分がアッサムに対して恋をしているという事を。

「・・・おはよう、水上」

 アッサムは、顔をわずかに赤らめて、視線を水上から逸らしながら挨拶をする。

「・・・おはよう、ございます。アッサム様」

 水上は、気恥ずかしそうに顔を紅潮させて、視線をアッサムから逸らして挨拶をする。思わず素の口調で話そうとするが、今は周りに聖グロリアーナの生徒たちがいる。ここでタメ口で話してしまっては、面倒な事になりかねない。

 2人は、なんとなく視線をお互いから逸らしながら並んで学校の校舎へと向かう。せっかく会ったのに別々に登校するというのはおかしかったからだ。

「・・・風邪はもう大丈夫なの?」

「ええ。アッサム様が看病してくださったおかげです」

 アッサムに聞かれて、水上は改めてアッサムに感謝の言葉を述べる。

 だが、アッサムは“看病”という単語を聞いて、昨日自分のやった行動を思い出し、顔が真っ赤になってしまう。

「・・・・・・っ」

「?アッサム様?」

 水上がアッサムの顔を覗き込む。だが、アッサムは素早く水上から距離を取る。そして、『ごめんなさい』とだけ言うと一目散に昇降口へと淑女らしからぬ格好で走って行ってしまった。

「・・・・・・えぇ・・・?」

 アッサムの行動が理解できない水上は、その場に立ち尽くす事となってしまった。

 しかし、水上は内心どこかホッとしている。

(・・・・・・緊張した)

 アッサムの事を好きだと自覚したのは今朝の事だ。それからまだ時間もそんなに経っていないにもかかわらずアッサムと会ってしまい、どんな顔をすればいいのか分からなかった。

 言葉を交わすのも緊張したし、アッサムの顔を覗き込んだのだって今思えばとても恥ずかしかった。

 かといって、自分から突っぱねてしまうと嫌われかねないので、どうしていいのか分からずに悶々としていたのだ。そこで、アッサムが突如退場してしまったため、水上は安心したのだ。

(・・・・・・恋すると、人って変わるもんだなぁ)

 おそらく、自分の中にある感情が恋だと自覚しなければ、普通に会話することができただろう。それができなくなってしまうとは、恋とは恐ろしいものだ。

 

 私は全速力で昇降口をくぐり、下駄箱で靴を履き替える。

 そこで、一息ついて改めて考える。

 私は昨日、水上に対する恋心を認めた。それから一夜明けた今日、まさかもう水上と会う事になるとは思わなかった。戦車道の時間になるまで会うことは無いと思っていたのに。

 いざ実際に会うと、何を話せばいいのか分からなかった。

 水上の顔を直視することができなかった。

 水上と言葉を交わす事すらままならなかった。

(・・・・・・恋すると、人って変わるものなのね)

 おそらく、私がこの感情を恋と認めなければ、普通に会話することができたのだろう。それができなくなってしまうとは、恋とは恐ろしいものだ。

 

 水上が教室につくと、クラスにいた女子たちは物珍しそうな目でこちらを見てきた。おそらく、昨日休んでしまったから不審に思われたのだろう。

 背中に視線を感じながら水上が席に着くと、パタパタとこちらへかけてくる人物がいた。

「水上さんっ」

「?」

 水上が、その人物を見る。それはチャーチルの操縦手・ルフナだった。

「ルフナ様、どうかされましたか?」

「風邪、治ったんですね」

「ええ、ご心配をおかけしました」

 水上が頭を下げると、ルフナは瞳に涙を浮かばせて穏やかな笑みを浮かべる。

「よかった・・・本当によかったです」

 なぜルフナがそこまで安心しているのか、水上は全く持って分からない。

「・・・私はもう大丈夫ですので、ご安心ください」

 とりあえず、言葉で安心させることにした。ルフナはそれで満足したのか、軽やかな足取りで席へと戻って行った。

 一体、なぜルフナのテンションが上がっているのか、水上には皆目見当がつかない。

 しかし、その疑問は一旦置いておき、まずは目先の授業に集中する事にする。だが、ここでまた問題が発生した。

(しまった、昨日の授業内容が分からない・・・!)

 休んでしまった事の弊害が生まれ、水上は小さくため息をつく。

 だが、そこでまたルフナがやってきた。

「水上さん」

「はい?」

 そして、プリントを数枚差し出して来る。

「昨日の授業のノートを印刷してきました。よろしければ使ってください」

 水上は、それを受け取り笑顔をルフナに向ける。

「どうも、ありがとうございます」

 ところが、ルフナはなぜか顔を赤くして、自分の席へと足早に戻る。そして、顔を俯かせたまま動かなくなってしまった。

 水上は、ルフナの態度の理由が分からなかったが、貰ったプリントはクリアファイルに丁寧に入れて、まずは授業に臨むことにした。

 

 今日は土曜日だったので、授業は午前中で終わったのだが、戦車道だけは違った。明日の大洗女子学園との試合に向けて最終調整を行うらしい。

 今日の訓練は、昨日と同じく通常の砲撃訓練と、行進間射撃、躍進射撃だ。だが、水上は昨日いなかったため、昨日どんな訓練が行われていたのかを知らない。そして、ルフナとアッサムがどういう状況だったのかも、当然ながら知らない。

 しかし、今日の訓練は見る限り順調と言えた。

 アッサムの砲撃は的に見事に命中していたし、ルフナの操縦さばきも普段と変わらなかった。

「昨日とは大違いね」

 訓練が終わり、『紅茶の園』で紅茶を淹れ終えて、一口飲んだところでダージリンがそんな事を言った。

「?」

 水上が頭に疑問符を浮かべる。ダージリンは水上を見てこういった。

「昨日はひどかったのよ。ルフナは操縦がてんでダメだし、アッサムは的にちっとも当てられなかったし」

「そうだったんですか?」

 水上がアッサムとオレンジペコを見ながら聞くと、アッサムは苦しそうに目を閉じ、オレンジペコは苦笑しながらうなずいた。

「まあ、誰かさんが見ていなかったから、でしょうね」

 ダージリンが愉快そうに言うと、アッサムがぎろりとダージリンを睨みつける。ダージリンは、その視線に気づかぬふりをして優雅に紅茶を飲む。

 状況が全くつかめない水上は、頭に疑問符をいくつも浮かべるしかない。オレンジペコにどういうことか説明を求めるが、オレンジペコはなぜか首を横に振った。

「で、話は変わるけれど」

 ダージリンが、先ほどのふざけたような口調を消し、真剣な顔つきでアッサムとオレンジペコを見る。視線を向けられた2人は、自然と姿勢を正してダージリンの言葉を待つ。

「明日は大洗女子学園との試合よ。相手の実力は未知数。もしかしたら相手にならないほど弱いかもしれないし、逆に強いかもしれない。心してかかるように」

「「はい」」

 それから3人は、明日の詳細な作戦について話し合う。その間、水上はダージリンから渡された、大洗女子学園の戦車のデータを読んでいた。

 戦車道についてはほとんど素人の水上でも、大洗女子学園の戦車を見て『なんだこれ』と言いそうになった。

 聖グロリアーナと比べると戦車に統一性が無く、どの戦車も一癖も二癖もあるような戦車ばかりだった。

 Ⅳ号戦車はともかく、38(t)は足回りが弱く、M3リーは砲塔が2つあるものの車高が高い。Ⅲ号突撃砲は砲塔が回らないし、八九式は装甲と火力が貧弱。

 こんな寄せ集めともいえる戦力で強豪校・聖グロリアーナに挑もうとするなど、水上からすれば無謀と言うべきものだった。

 当然ダージリンもそれに気づいているのだろうが、ダージリンは生存性が高いチャーチルと、火力・装甲共にバランスの良いマチルダⅡを登用して試合に臨むことを決定した。

(容赦ないな)

 水上は、大洗女子学園に同情した。ダージリンは、その水上の表情を見て何を考えているのか察したのか、こんなことを言っていた。

「イギリス人は恋愛と戦争では手段を選ばないの」

 あんた日本人だろ、水上は心の中でそうツッコんだ。

 

 午後8時。

 私は、水上と日の出を共に見た、学園艦側面部の公園に足を運んでいた。

 というのも、気持ちを落ち着かせるためだ。

 明日は、大洗女子学園との試合。相手の実力は、ダージリンの言う通り未知数。緊張していないと言えば嘘になる。

 練習試合に限らず、戦車道の試合を行う前日は、いつだって緊張する。その緊張をほぐすために、私は時折こうして公園で海を眺めて気持ちを落ち着かせているのだ。

 だが、今日の私は違う。

 試合で緊張しているというのもそうだし、水上に対する気持ちを整理する目的もあってここに来たのだ。

 水上の事は、好きだ。これはもう変わらない。

 では、どうして水上を好きになってしまったのか?

 水上は気遣いのできる優しい人間で、初めて出会った時の事を大切な思い出と言ってくれて、私のような女性に対して『綺麗』や『可愛い』と言ってくれた。そして、『人に尽くしたい』という芯のある夢を抱いている。

 そして昨日、水上は風邪で弱っている中で、涙ながらに『アッサムに会いたい』と言ってくれた。

 それがどうしようもなく愛おしかった。

「・・・・・・はぁ・・・」

 私は、水上に対して悪い印象など何一つとして抱いていなかった。

 水上の全てが、輝いて見えた。

 完全に惚れてしまっていた。

「・・・・・・」

 私は欄干に顔をくっつける。こうでもしないと、火照った顔を冷やす事が出来そうにない。

 その時だった。

「アッサム?」

 声を掛けられ、私は顔をバッと上げる。そして、声のした方向を見るとそこにいたのは、私がずっと考えていた水上だった。

「・・・・・・水上」

 私は改めて海を見る。まだ顔は赤いだろう、こんな顔を見られてしまっては恥ずかしくてどうしようもない。

「・・・・・・どうして、こんな時間に?」

 私は海を見ながら水上に尋ねる。

「ちょっと、考え事をするためにね」

 私と同じだ。それが、私は少しだけだが嬉しかった。

「アッサムはどうして?」

「・・・緊張してね。それをほぐしに来たの」

 あなたの事を考えていた、とは言えない。だから、ここに来た理由の半分だけを伝える。

「・・・そうか。まあ、明日は試合だからな」

「ええ。何度も試合を繰り返しても、この試合前の緊張だけは慣れない物ね」

 水上が私の横に立つ。それだけでも、私の鼓動は高鳴っていた。

「・・・アッサムは、すごいよ」

「え?」

 その言葉に、私は顔を水上に向ける。

「戦車道の世界がどういうものか、男の俺には分からない。でも、すごく厳しくてつらい世界なんだって事は、なんとなくわかる。そんな世界で、アッサムは弱音の1つも言わないで、今こうして緊張と戦いながら、試合に挑もうとしている。それが、すごいと思ったんだ」

 水上が海を見ながら言う。

 私は欄干に手を乗せる。その手は、僅かに震えていた。水上の言葉を聞いても、私の中の緊張は消えていない。その緊張が、震えという形で体に現れているのだ。

「・・・・・・でも、私だって最初の頃は、弱音を吐いたり、何度も辞めようって思った事が何度もあった」

「それでも、だよ」

 水上が、私の手に自分の手を重ねる。私は体をびくりと震わせるが、その手を振り払おうとはしない。

 水上の温もりが、手から伝わってくる。私の鼓動が高鳴っていく。それが水上に悟られないか、場違いな不安を抱く。

「アッサムは辞めないで、ここまで戦車道を貫いてきた。それがすごいって、俺は正直に思ってる」

 震えは、無くなっていた。

 私は、水上の方を見つめる。水上も、私の方を見る。この時だけは、視線を逸らすことが許されないような、そんな気がした。

「男の俺には、アッサムを応援することしかできない。それか、給仕として紅茶を淹れて、アッサムを癒すことぐらいしかできない。だから、これだけは言わせてくれ」

 水上はスッと息を吸って、私の事を見つめる。

「頑張って、アッサム。俺は、アッサムの事を心から応援するよ」

 優しい表情で告げられて、私は呼吸を忘れそうになる。

 胸の鼓動が、収まらない。

 愛しいという気持ちが私の身体を満たしていく。

「・・・水上」

「何?」

「・・・ちょっと、あっちを向いて目を瞑っていてくれる?」

 私は海を指差す。水上は、私の言う通り海の方に顔を向けて目を瞑った。

「別にいいが、どうかしたのか?」

「・・・・・・」

 水上は私に聞いてくるが、私は何も答えない。

 私は、静かに水上に近づいて、

 僅かに背伸びをして、

 

 水上の頬に、小さく口づけをした。

 

 私が顔を離すと、水上は心底驚いたような表情で私を見る。

 私は、水上に対して小さく笑いながらこう言った。

「ありがとう。緊張はもうなくなったわ」

「・・・・・・・・・」

 水上は呆けたように口を開けたまま言葉を発しない。

「もう遅いし、私は戻るわね。それじゃ、また明日」

 その水上を放っておき、私は寮へと足早に戻ることにした。

 当然ながら、私にもダメージが無いわけがない。

 私の顔は、真っ赤になってしまっているのだろう。鏡を見なくても分かるくらい、顔が熱くなっていた。

 水上に対する気持ちが抑えきれなくて、あんなことをしてしまった。

 水上にとっては、迷惑だったかもしれない。

 でも、私の気持ちは止められなかった。

「・・・・・・」

 私は、寮に戻る途中で、電柱に身体を預ける。

「・・・・・・どうしようもないくらい、好きなんだ」

 改めて、私の中にあるこの感情の大きさを、認識した。

 

 アッサムが去った後も、俺はその場を動くことができなかった。

 アッサムは、何をした?

 目を瞑っていたら、俺の右頬に何か温かく柔らかい感覚があった。

 だが、それは指や掌の感覚ではない。となると考えられるのは一つしかない。

「・・・・・・」

 アッサムの、唇だ。

「・・・・・・」

 俺は右の頬に手をやる。さっきここに、アッサムが・・・

「・・・・・・は、はは・・・」

 俺は乾いた笑いを漏らしながら、欄干に顔をくっつける。

 元々俺がここに来たのは、アッサムに対する気持ちを整理するためだ。

 だのに、俺はアッサムと出会った。

 そして、アッサムが緊張していると知り、その緊張をほぐそうと俺は必死に言葉を紡いで、アッサムに自分の素直な気持ちを伝えた。

 そして、アッサムは俺に・・・

「・・・・・・」

 もう何度目かもわからないが、俺の脳裏にはアッサムとの思い出が奔流のように流れていた。その全てが輝いていて、夢のように思えてならない。しかし、これは紛れもない現実だった。

「・・・・・・もう、完全に惚れてるな」

 結局俺は、日付が変わるまでその場を動くことができなかった。




大洗女子学園との試合ですが、
細かく表現すると長くなりすぎてしまうので、カットさせていただきます。
ごめんなさい(土下座)。

感想・ご指摘等があればお気軽にどうぞ。


遂にお気に入りが100を超えました。
さらに評価もいただき、感謝の念に堪えません。
心から、お礼を申し上げます。


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好敵手として

大洗女子学園との試合はカットすると言ったな。
あれは嘘だ。(心の底からごめんなさい)

今回ちょっと長めです。
ご注意ください。


 聖グロリアーナ女学院の学園艦は、日曜日の午前8時半に大洗港に入港した。その隣の区画には大洗女子学園の学園艦が既に停泊していたが、カタログ上では規模は聖グロリアーナの半分ほどしかない。だから、入港した当初は隣に学園艦があるという事には気づかなかった。

 入港して錨を下すと、車を下すためのタラップが学園艦に接続される。そして、試合に参加する聖グロリアーナの戦車5輌がタラップを通って大洗の地に降り立ち、試合会場へと向かって邁進していった。

 水上はそれを見送ると、歩行者用のタラップを降りて大洗の地に足をつけ、辺りを見回す。

「・・・随分久しぶりに来たな」

 水上は小学生の頃、一度だけ、両親に連れられて大洗の水族館に来たことがある。それ以来、大洗の地に足を付けた事が無かった。ついでに言えば、大洗に学園艦が停泊できる港がある事など知らなかった。

 本当ならここで、大洗の街を観光したいところだったのだが、水上はダージリンから試合の詳細を記録するように指示を受けている。なので、今水上はノートパソコンを腕に抱えている。持ち運びができる様な軽さは無いのだが、手書きで書く労力に比べればどうという事はない。

 水上は、大洗リゾートアウトレット近くにある特設会場へと足を運んだ。

 

 試合開始まで30分を切ると、この試合のために特別に設置された大型モニターがある会場に、大勢の観戦客が集まってきた。ほとんどは地元の住民で、中には大洗女子学園の生徒もいる。聖グロリアーナの関係者らしき人物は、水上以外にはいないようだ。

 そんなほぼアウェーの中で、水上は観戦席に座っていた。

 季節は夏。天気は快晴。気温も割と暑い。そんな中でスーツをぴっちり着て、膝の上にはノートパソコン、左手には屋台で買ったあんこうの唐揚げと、まるで社会人のような出で立ちは傍から見れば奇異に映るようで、水上はちらちらと周りの人の視線を感じていた。

 それでも、水上の意識は大型モニターに向いている。

 モニターには、両校の戦車とその車長が映っており、お互いに対面している。

 聖グロリアーナ側は見慣れた戦車とタンクジャケットだったので、特にコメントすることは無い。問題は大洗女子学園の方だ。

 まず、戦車の色がおかしい。38(t)は金ぴかだし、M3リーはショッキングピンク、Ⅲ号突撃砲は形容しがたい色合いでおまけに時代劇で見る様な幟まで立っている。八九式は『バレー部復活!』なんて白く書かれていて、唯一見た目がまともなのはⅣ号戦車だ。

 これには流石に観戦客も度肝を抜かれたようで、至る所から『何あれ・・・』という声が聞こえて来て、既に酒が入ったおっさんたちはがははと笑っていた。

 次に、大洗女子学園側の車長たちは全員タンクジャケットではなく制服を着ていた。いや、1人だけ体操着の人がいるし、変なコートと帽子を身に着けている人もいる。それはともかく、タンクジャケットすらないという事は、本当に急造で戦車道のチームを作ったという事だろう。

(・・・急ごしらえのチームで強豪校の聖グロに挑もうなんて、割とマジで無謀だと思うが・・・)

 水上はそう思ったが、口には出せない。周りにいるのはほぼ全員が大洗女子学園の応援に来ているのだろうから。ここで敵意を買う言動は慎まなければならない。

 やがて、3人の女性の審判が姿を現し、両チームともに試合前の挨拶を交わす。そして、車長たちはそれぞれの戦車に乗り込み、試合開始地点へと移動する。

 いつの間にか観客席からは声が聞こえなくなり、これから始まる戦闘を前に期待と不安の入り混じった表情を観戦者たちは浮かべていた。

 水上は、そんな中でも冷静にパソコンでレポート制作用のソフトを立ち上げて、戦闘詳報を書く準備に入った。

 試合が始まるまで、あと5分。

 

 試合開始地点に移動すると、オレンジペコが紅茶の準備を始め、ダージリンは戦車の上に立って戦闘区域を眺める。

 私はというと、砲手としているべきポジションで、試合に向けて意識を集中させていた。

 練習試合でも、全国大会でも、エキシビションマッチでもそうだったが、私は試合前に緊張して身体が震えていることが多い。そして、恐れや不安が心に纏わりついて、割とあたふたしてしまう事もあった。

 けれど、今の私には恐れや不安などの負の感情は無く、身体も震えてはいない。ただあるのは、勝とうという強い意志だけ。

 昨日、あの人が、心を込めて応援してくれたのだ。それに全力で応えるのが、応援された者の使命とでもいうべきだろう。

(・・・頑張らなくちゃ)

 そして、応援から連想して、昨日の事を思い出す。震える私の手に、水上が手を重ねてくれた事を。

 私は、自分の左手に目をやって、右手で左手を優しく包み込む。

 そして思い出す。水上の頬にキスをしたことを。

 途端に恥ずかしくなって、前に勢いよく屈みこむ。隣でお茶を淹れていたオレンジペコと、操縦席で待機していたルフナがびっくりして私の方を見るが、気にしている場合か。

 今は、あの時の事を思い出して真っ赤になってしまった私の顔を、いつも通りの顔に戻さなければ。

 数分ほど俯いたところで、ようやく恥ずかしさが引いていき、私は顔を上げる。オレンジペコは心底心配しているような表情で私の方を見ているが、私は『何でもない』と手を振ってオレンジペコを安心させる。

 少々気持ちが揺らいでしまったが、今の私の中には不安や恐れはない。

 目の前の試合を、全力で戦い抜こう。

 そして、終わったら水上の淹れた紅茶を飲もう。

『試合開始!』

 スピーカーから審判員の声が聞こえる。

 ついに、戦いの火ぶたが切って落とされたのだ。

 

10:00 試合開始

大洗女子学園チームは試合開始地点より前進し、聖グロリアーナチームへと接近を試みる。

聖グロリアーナチームに動きは無し。

 

 試合開始直後に大洗側のチームが動き出したことで、観客席は一斉に歓声を上げる。

『動いたぞー!』

『頑張れー!』

 観客たちが声を上げるが、水上は冷静にパソコンに詳細を打ち込む。

大型モニターの右半分には、大洗側の映像が流されている。そして左半分には、聖グロリアーナ側の映像が映し出されている。だが、聖グロリアーナ側はすぐには動くことは無く、動き出したのは試合開始から3分ほど経った後だ。

 ダージリンが前進の指示を出すと、聖グロリアーナの戦車がゆっくりと隊列を乱す事無く動き出す。それを見て、観客席からは感嘆の声が聞こえてくる。

 水上自身も、練習で聖グロリアーナ戦車隊の綺麗な隊列を見た事は何度もあるので別に驚きはしなかったが、やはりいつ見ても綺麗なものだった。

 

10:23 岩盤地帯

崖の合間を縫って大洗女子学園チームのⅣ号戦車が逃走。聖グロリアーナチームは全車輌でこれを追撃するも、Ⅳ号戦車の操縦手は腕が良いようで、聖グロリアーナチームの攻撃を全て避けている。

 

「囮ね」

 ダージリンは、前方をジグザグに走るⅣ号戦車を見ながらそう言った。

 砲撃を続けている私も同意見だった。

 最初に向こうが攻撃を仕掛けたのは、今からおよそ5分前。荒野を進軍中に突如左前方に攻撃を受けた。ダージリンがその攻撃した戦車を確認すると、それはⅣ号戦車。大洗側の戦車の中では比較的優れた性能を誇る戦車だった。

 しかし、そのⅣ号戦車は攻撃を一度だけ行うと崖の向こう側へと移動してしまう。

 奇襲が目的ならば2発目の攻撃もできただろうに、なぜかそれをしない。さらに言えば、大洗の戦力は明らかにこちらに比べると劣っているのに、主力とも言えるⅣ号戦車を1輌だけで奇襲に使う。それが、不審でならない。

私たちの戦車はⅣ号戦車を追撃するが、Ⅳ号戦車はジグザグに走行して攻撃を華麗に避けている。中々腕の良い操縦士が乗っていると見えた。

 そして、Ⅳ号戦車は崖の合間を縫って高速で前進している。まるで、ある1点に私たちを誘い込むかのように。

 おそらくそこで、他の大洗の戦車が待ち伏せをしてこちらに攻撃を仕掛けるという算段だろう。

 この程度の事は、普段から参謀としてダージリンの傍にいて、戦況の把握を心掛けている私にとって、攻撃を続けている片手間でも考えられることだった。

「・・・・・・」

 私は、オレンジペコに淹れてもらった紅茶を左手に持ちながら、スコープで前方を見る。

 Ⅳ号戦車はジグザグに走行しているが、左右に動くそのパターンも読めてきた。ならば、私がやるべきことは、Ⅳ号戦車が動くであろう未来位置を予測して、そこを攻撃する事。

 そして、右に移動していたⅣ号戦車がふっと左に寄り始める。その瞬間、私は主砲のトリガーを引いた。

 だが、攻撃した直後、Ⅳ号戦車が右にまた動く。背中に目でもあるかのようにこちらの攻撃を避けたのだ。砲弾は、崖に直撃して小規模の岩崩を引き起こす。

 私は、淑女らしからぬことだとは思いつつも舌打ちをする。

 自分の攻撃が避けられるなんて。

 しかし、焦ったところで攻撃が当たるわけでもない。むしろ焦ると逆に命中率は下がる。そう考えて私は、紅茶を飲んで思考を落ち着かせた。

 

10:38 岩盤地帯

大洗女子学園チームのM3リー搭乗員が逃亡。これを見てマチルダⅡが攻撃し、M3リーの撃破に成功する。

大洗女子学園チーム、残り4輌。

 

「これはいかんな」

 水上は口に出して、モニターに映し出されている映像を眺めた。

 大洗女子学園チームはやはり急造で練度もまだ足りないらしく、攻撃がバラバラだった。悪く言ってしまえば、ヘタクソだ。

 やたらめったら、“下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる”と言った具合に攻撃をしている。

 戦力差が明らかに開いている相手に対して有効なのは、まず相手の動きを止める事。ダージリンが『紅茶の園』で言っていた事だ。

 それに従うならば、まず大洗側は、聖グロリアーナ側の戦車の履帯を狙って足止めをするのが得策だったのだろう。

 しかし、大洗側の攻撃はバラバラで、聖グロリアーナの戦車に掠りもしない。

 その攻撃の中で、聖グロリアーナの戦車は悠然と前進を続けて、大洗側の戦車との距離を詰める。

 そして、距離がある程度詰まってきたところで攻撃を開始する。

 その攻撃にびっくりしたのか、なんと試合中にもかかわらずM3リーの搭乗員6名が戦車を放り出して逃げてしまったのだ。

 接近していたマチルダⅡがこれ幸いとばかりにそのM3リーを攻撃する。攻撃は見事に命中し、M3リーの車体から白旗が上がった。

『大洗女子学園、M3リー、走行不能!』

 アナウンスで告げられると、観客たちは『ああ~・・・』とため息をつく。

 さらに状況は変わる。

 後退しながら攻撃していた38(t)の履帯付近に、マチルダⅡの攻撃が着弾する。その衝撃で、38(t)の履帯が外れてしまい、窪地に擱座してしまった。それでも38(t)は攻撃を続けているが、変に角度がついてしまっているため攻撃が一向に当たらない。あれもいずれは撃破されるだろう。

 水上はパソコンで状況の変化を事細かに打ち込む。

(もう時間の問題だな)

 水上は、あまりにも早く決着がついてしまう事に肩透かしを食らい、あんこうの唐揚げを1つ食べる。

 

10:59 市街地

大洗女子学園チームが市街地に移動。聖グロリアーナチームはこれを追撃するも、大洗リゾートアウトレット付近で大洗女子学園チームを見失う。

やむを得ず、分散して大洗女子学園チームの戦車を捜索する。

 

 あの岩盤地帯で勝負がついてしまうと思ったが、大洗女子学園側は市街地へと移動して局地戦に持ち込むらしい。

 大洗と聖グロリアーナの戦車が水上のいる特設会場の脇を通過すると、観客席にいる人たちが皆立ち上がって、戦車に向かって手を振る。

 水上は、パソコンを打つ手を一度止めて、通過する戦車に目をやる。

 真っ先に目に映ったのは、アッサムの乗るチャーチルだ。

(頑張って、アッサム。アッサムなら、必ず勝てる)

 水上は、自然と拳を握ってアッサムの事を心の中で応援する。

 それと同時に、昨日の出来事が頭に蘇ってきた。

 具体的には、自分の頬に、アッサムがキスをした事を。

 水上は恥ずかしさを紛らわせるために、パソコンに意識を集中してダカダカとキーボードを乱暴に叩き、左手に持っているあんこうの唐揚げをまた1つ口の中に放り込んだ。

 

11:06 商店街

大洗女子学園チームのⅢ号突撃砲の待ち伏せを受けて、マチルダⅡが1輌撃破される。

聖グロリアーナチーム、残り4輌。

 

11:10 立体駐車場

大洗女子学園チームの八九式中戦車の奇襲を受けて、マチルダⅡが1輌撃破される。

聖グロリアーナチーム、残り3輌。

 

 まず水上は、商店街でⅢ号突撃砲の待ち伏せ攻撃を受けてマチルダⅡが撃破されたのを見て『あっ』と声を上げた。観客席は『おおおおおっ!』と歓声を上げる。

 さらに、立体駐車場でタワーパーキングの前で攻撃の準備をしていたルクリリのマチルダⅡ。その後ろの可動式駐車場から八九式が姿を現したのを見て、水上は『ルクリリ後ろ!』と心の中で叫ぶ。

 だが、ルクリリがその八九式に気付いた直後に、八九式からの攻撃を受けて爆発炎上してしまった。

 観客席からは、その奇襲の方法が面白かったのか、笑い声が上がっている。

「マジかよ・・・」

 奇襲攻撃で2輌のマチルダⅡを撃破した大洗女子学園。最初は勝ち目はないだろと思っていたのだが、今こうして戦車を2輌撃破したのを目の当たりにして、もしかすると聖グロリアーナは負けてしまうのかもしれない、と考え始める。

 しかし、状況はさらに覆される。

 まず、路地を逃げ回っていたⅢ号突撃砲が、マチルダⅡの攻撃によって撃破された。

 車高が低いのを生かして路地を逃げていたのだろうが、車体の側面に立てていた幟が災いし、逆に位置を教える事となってしまったようだ。

 さらに、立体駐車場で撃破されたと思われたルクリリのマチルダⅡは、撃破されていなかった。というのも、外部燃料タンクに被弾して爆発を起こしただけで、戦闘を続行する事は可能と判断され、撃破判定には至らなかったらしい。

 それを見た八九式は慌ててもう一度攻撃するが、八九式の貧弱な主砲ではマチルダⅡの装甲を貫く事は至近距離でもできない。

 立体駐車場で逃げ場がなくなってしまった八九式を、マチルダⅡは冷静に攻撃して撃破した。

 観客席からは再び残念そうなため息交じりの声が上がる。そんな中で、水上はホッとしながら、『マチルダⅡが撃破された』という文章を書き換える。

 

11:10 立体駐車場

大洗女子学園チームの八九式中戦車の奇襲により、マチルダⅡが攻撃を受ける。

だが、燃料タンクを破壊されただけのようで撃破には至らず。

 

 大洗側の残存車輌がⅣ号戦車だけとなってしまい、聖グロリアーナは残りの4輌で一気に追撃する。

 Ⅳ号戦車は市街地の地形を生かして逃亡する。その最中、1輌のマチルダⅡが急カーブを曲がり切れずに、カーブに面して店を構えている『肴屋本店』というお店に激突する。

「ウチの店がぁ!!」

 すると、水上の後ろから突如おっちゃんの叫び声が聞こえた。どうやら、この人のお店だったらしい。水上は心の中で同情する。

 が。

「これで新築できるッ!!」

 続いて出てきた嬉しそうな言葉を聞いて思わず水上はグリンと首を後ろに向ける。

「縁起良いなぁ」

「うちにも突っ込んでくれねぇかな」

 その両脇にいたおじいさん2人も羨ましそうに『肴屋本店』のおっちゃんを見ていた。

 そう言えば、戦車道の試合中に破損した建築物は、戦車道保険という国からの保険で補償されると聞いた事がある。という事は、先ほどマチルダⅡが突っ込んだあのお店も戦車道保険で直されるのだろう。

 そう言う事か、と水上は安心してモニターを見ることにした。

 

11:29 商店街

Ⅳ号戦車を追い詰めるも、突如38(t)が路地より出現。攻撃を仕掛けるが外れ。聖グロリアーナチームは一斉砲撃によって38(t)を撃破。

しかし、それによりⅣ号戦車に逃亡のチャンスを与えてしまい、さらにマチルダⅡが1輌撃破される。

大洗女子学園チーム、残り1輌。

聖グロリアーナチーム、残り3輌。

 

11:34 市街地

回りこもうとしたマチルダⅡが、先回りしていたⅣ号戦車に撃破される。

聖グロリアーナチーム、残り2輌。

 

11:35 市街地

路地から出てきたマチルダⅡが、再び向きを変えて回り込んだⅣ号戦車に撃破される。

聖グロリアーナチーム、残り1輌。

 

11:44 市街地

Ⅳ号戦車がチャーチルに突撃を仕掛ける。しかし、激突する寸前でⅣ号戦車がドリフト気味にチャーチルの側面に回り込んで砲撃を仕掛ける。おそらくは、最初の攻撃で凹んだ箇所を狙った攻撃かと思われる。チャーチルはこれに対して砲塔を回す事によってその箇所をガードし、さらにはⅣ号戦車を攻撃し、撃破する。

 

11:45

大洗女子学園全車輌走行不能により、試合終了

 

 水上は、呆然とモニターを見ていた。

 試合開始直後はこんな戦力で勝てるのか、と思っていた大洗女子学園が、まさか残り1輌になるまで聖グロリアーナを追い詰めるとは思わなかった。

 だが、聖グロリアーナは勝つことができた。快勝ではなく、辛勝と言うべきだったが。

 けれど、今は勝利を祝福するとしよう。

 水上は、パソコンを閉じて立ち上がり、最後に残っていたあんこうの唐揚げを食べて、ダージリンに指示された場所に向かった。

 

 水上はダージリンたちと合流し、港を歩いている。大破した大洗女子学園側の戦車を積んだトレーラーがすれ違うが、ダージリンたちは気にも留めない。視線の先にいるのは、Ⅳ号戦車に乗っていた5人の搭乗員たちだ。チャーチルに撃破された衝撃で、着ていた制服には埃やすすがこびりついていたが、怪我などはしていないようだった。水上はそれを見て、ホッとする。

「あなたが隊長さん?」

 ダージリンが、栗色のショートヘアの少女に話しかける。

「あ、はい」

「あなた、お名前は?」

 ダージリンに名前を聞かれて、その少女は顔を曇らせる。

「・・・西住、みほです」

 その名前を聞いたダージリンは驚いたような顔をする。

「もしかして西住流の・・・?」

 そして、ふっと笑う。

「随分、お姉さんとは違うのね」

 みほは俯いてしまう。それを見た、ウェーブがかった明るい茶髪の少女―――武部沙織が、『あの!』と声を上げる。そして、水上を指差した。

「そこの男の人は誰ですか!聖グロは女子高って聞いたんですけど!」

 ダージリンが意表を突かれる。そのせいで、みほがホッとした表情を浮かべているのには気づいていない。

 実は沙織は、西住の家系について言及されて落ち込んでしまったみほの事を気遣って、無理にでも話題を変えようとしたのだ。そのことに気付いたのは、当事者であるみほと、その隣に立っている、背の高い長い黒髪の少女―――五十鈴華だけだった。

「ああ。給仕として、聖グロリアーナに短期入学している水上よ」

「聖グロに男子がですか!?そんな事ってあるんですねぇ~」

 癖の強いショートヘアの少女―――秋山優花里が心底驚いたようにつぶやく。

 水上は、一歩前へ出て挨拶をした。

「給仕の水上です。以後お見知りおきを」

 すると、沙織が頬に手を当てて顔を紅潮させる。

「給仕かぁ、いいなぁ~。私もこんな人にお世話されてみたいなぁ~。衣装マジックですごいイケメンに見えるし。紅茶も美味しいんでしょ?」

「沙織さん、またですか?」

 華が呆れた表情で沙織の事を見る。

「何気に結構ひどいこと言ってるぞ、沙織」

 そして、その隣にいる、同じく黒い髪を腰まで伸ばした背の低い少女―――冷泉麻子が指摘する。

 だが、水上は悪い気分ではない。元々水上は、自分の顔は決してイケメンなどではないと自負していた。そんな自分が、衣装マジックがあるとは言え、イケメンと評価されたことにに照れてしまう。

 そしてこの時、水上はアッサムの後ろにいたので気づかなかったが、アッサムはムッとした表情をしていた。

 その後水上は、大洗女子学園の生徒たちと一言二言言葉を交わすと、ダージリンたちと共にその場を去った。そして、聖グロリアーナ学園艦に戻る間に、水上はダージリンから指示を受ける。

「水上」

「はい」

「寄贈用ティーセットの準備をお願い」

「・・・かしこまりました」

 水上は、寄贈用ティーセットを用意する意味については、予め説明を受けている。聖グロリアーナは、好敵手と認めた相手に対してティーセットを贈る風習があった。

 つまり、ダージリンは大洗女子学園を好敵手と認めた、という事になる。

「どうして贈るのか、って顔をしているわね、水上」

「はっ、失礼いたしました」

「でもそうね、理由ぐらいは言っておくべきかしら」

 表情に出てしまっていたのか、水上は慌てて謝罪する。しかし、ダージリンは謝罪を受け入れると、大洗を好敵手と認めた理由を告げる。

「確かに、大洗の戦車道チームとしての実力はまだ未熟とも言えるわ。けれど、試合の再中盤から最終局面にかけては、奇襲攻撃で驚かされてばかりだった。ティーカップを割ってしまうほどにね」

 あのダージリンが動揺して、ティーカップを割ってしまった。

 その事実に水上は驚く。

「最終的に私たちが勝ったけど、今日の試合は、西住まほ・・・みほさんのお姉さんとの試合よりも、楽しかったし、面白かった」

 ダージリンが、そびえる聖グロリアーナ学園艦を見上げながら言う。

「いつかまた、戦いたい。そう思えるような相手だったわよ、彼女たちは」

「・・・なるほど」

「そう言うわけだから、ティーセットの準備をよろしくね。私たちは、少し街を歩いてから戻るわ」

「かしこまりました。お茶会の準備もしておきます」

「お願いね」

 言葉を交わして、聖グロリアーナ学園艦のタラップの前で、水上とダージリンたちノーブルシスターズは分かれた。

 

 16時過ぎに、聖グロリアーナ学園艦は大洗港を出港した。

 夕日をバックに、今日の練習試合に参加した戦車道の履修者たちは、聖グロリアーナの甲板上でお茶会に興じていた。

 普段の授業後に行われるお茶会は、『紅茶の園』のメンバーだけが参加するものだ。しかし、今回のお茶会は試合に参加した選手をねぎらう形で執り行われている。

 テーブルがいくつも並べられており、その上には色とりどりのお茶菓子が皿に盛りつけられていた。

 そんな中で水上は、給仕として全員のカップに紅茶を注いで回っている。口々にありがとうと言われるのだが、そのお礼一言一言にお辞儀を返している暇もない。

 そして、何より水上には気になる事がある。

「・・・!・・・!・・・!」

 なぜかダージリンが椅子に座って、膝小僧をパンパン叩きながら笑いをこらえている。

「あの、ダージリン様は一体・・・?」

 アッサムに尋ねると、アッサムは水上から視線を逸らしながら、遠い眼で言った。

「・・・試合の後、大洗の街で大納涼祭を見物していたんだけれど」

「はい」

「その中で、あんこう踊りなる舞台があってね」

「あんこう踊り?」

「あのⅣ号戦車の搭乗員が、あられもない格好で変な踊りを踊っているのを見て、ツボにはまったみたい」

 あられもない恰好、と聞いて水上が真っ先に思い浮かぶのは水着同然の布面積の服だ。しかし、これ以上説明を求めると色々とマズい気がしたので、深くは聞かないことにした。

 オレンジペコを見ると、オレンジペコはそのあんこう踊りの様子を思い出したのだろう、微妙な顔をしている。

 そこで、後ろから声を掛けられた。

「水上さん」

「はい?」

 その声の主はルクリリ。右手に持った紅茶のカップを掲げて、水上に笑いかけている。

「この紅茶すごく美味しいです」

「ありがとうございます。オレンジペコ様が教えてくださったおかげです」

 水上が謙遜するが、ルクリリはそれでも笑顔を水上に向けたままだ。

「でも、教えてもらった事をそのまま実行するって結構大変なんですよ?それができるなんて、水上さんは凄いです」

「それほどでもありませんよ」

 ルクリリが水上を褒めているのを見て、ルフナが近寄ってくる。

「そうですよ、水上さんの紅茶はウチのクラスではすごい人気なんですから」

「そうなんですか?」

「ええ、皆水上さんの紅茶が飲みたいって言って、本当に人気なんです」

「へぇ~・・・やるじゃん色男」

 ルクリリに小突かれる。一応、水上の方が年上のはずなのだが、ルクリリはそう言うところは気にしないらしい。水上も、自分は給仕であるため年齢は別に関係ないと思っていたので、あまり気にはしなかった。

 そこで、水上は2つの視線を感じた。

 後ろをちらっと見ると、そこにいたのはアッサムとオレンジペコ。2人ともなぜか不機嫌そうな顔をしている。アッサムから視線を感じる事は度々あったが、オレンジペコから視線を受けるのは初めてだ。

 水上は、逃げるようにその場を離れることにした。

 一方、笑いの渦から脱出したダージリンは、紅茶を持ってアッサムとオレンジペコ、2人の間に立つ。

「ペコ、どうかした?」

 オレンジペコは、頬わずかに膨らませながらダージリンの方を見る。

「いえ・・・水上さんの紅茶が褒められることは、喜ばしい事のはずなのに、なぜか・・・」

 言いながら俯くオレンジペコ。しかしダージリンは、そのオレンジペコの頭に手を優しく置いてこういった。

「それは、嫉妬よ。ペコ」

 嫉妬、という言葉を聞いてアッサムがピクッと肩を震わせる。

 ダージリンはそれに気づいて、アッサムに顔を近づける。

「アッサムのそれも、嫉妬よね?」

 アッサムはため息をつく。どうやら、ダージリンには『気づかれていた』らしい。

「・・・・・・さあ、どうでしょうかね」

 だが、アッサムははぐらかすことにした。

 ここでそうだと認めてしまえば、ダージリンにいじられることは必至だという事が明らかだから。

 ルフナやルクリリ、他の女子から口々に褒められる水上の事をじっと見ながら、アッサムは紅茶を飲む。

 少し、苦かった。

 

 その日のお茶会は、日没を過ぎても続いていた。

 テーブルの上のお茶菓子はすでに無くなっていたのだが、水上の紅茶があまりにも好評だったために、お茶会は思いのほか長引いていたのだ。

 水上は、もう何度目かもわからないが紅茶を淹れて、履修者たちのカップに注いでいく。そして口々に褒められて、愛想笑いを浮かべてお辞儀をする。

 やっと落ち着いたところで、水上はそれに気づく。

 アッサムが1人、海を見ながら紅茶を飲んでいることに。

 水上は、アッサムの傍に近づいてポットを見せる。だが、アッサムは手を振っていらないと主張した。

「・・・如何なさいましたか」

 そのアッサムの不満そうな態度を見て、水上が不安になる。アッサムは、その質問にも答えずにプイっと顔をそむけた。

「・・・・・・」

 水上はどうしたものかと思ったが、やがて一つの方法を思いつく。

「アッサム」

 水上が、アッサムをの事を呼び捨てにする。アッサムはそのことに驚いて、周りを見回す。なぜなら、素の口調で話すのは2人だけの時という約束だったからだ。今この場には、ダージリンやオレンジペコはもちろん、他の戦車道履修者だっている。

 だというのに、水上は素の口調でアッサムに話しかけたのだ。そのことに、アッサムは流石に動揺する。

「ちょっと、水上待って。ここは人が・・・」

「アッサム」

 アッサムが水上に敬語を使うように言うが、水上は聞かずにまたアッサムを呼び捨てにする。

「何かあったのか?」

「・・・・・・」

 水上がアッサムに尋ねる。アッサムは、観念したかのように小さく言葉を紡ぐ。

「試合、水上に応援されたのに、あんまり活躍できなくて」

 アッサムは嘘をついた。女の子に褒められてデレデレしている水上を見て嫉妬していたなんて言ったら、水上はどんな顔をするだろうか不安だったし、そこから自分の抱く感情に気付かれるのが怖かったからだ。

 だが、水上はそんな事か、と言った感じに言った。

「そんな事無いよ。アッサムは十分に頑張った」

「でも・・・」

 アッサムが何かを言おうとするが、水上はアッサムの手を握ってそれを制する。アッサムはドキリとするが、水上は続ける。

「アッサムは頑張った。試合を見ていた俺が断言できるよ」

「・・・・・・具体的に、どのあたりが?」

 意地悪気にアッサムが聞くが、水上は動じない。

「確かに、最初の方では砲撃が当たらないことが多かった。でも、最後はⅣ号戦車を撃破したじゃないか。それだけでも十分に頑張ったって言えるよ」

「・・・・・・・・・」

 アッサムは何も言わない。水上はさらに続ける。

「アッサム自身は、頑張ったとは思ってないんだと思う。でも、アッサムがそう思っていても、俺はそうは思わない」

「・・・・・・」

「俺はちゃんと見ていたよ。アッサムの頑張っている姿を」

 真っ直ぐな瞳で、水上がアッサムに告げる。それを受けて、アッサムがの目が見開かれる。

(どうして、この人は・・・・・・)

 アッサムは、水上に近づく。

(こんな風に・・・)

 また一歩近づいていく。

「アッサム?」

 水上が何かを言ってくるが、今のアッサムには届かない。

(・・・私の心を、温かくしてくれるのだろう)

 

 アッサムは、水上の胸に寄り掛かり、そのまま腕を背中に回して抱きしめた。

 

「ちょ、アッサム!?」

 突然のアッサムの行動に動揺を隠せない水上。そして思わず声を上げてしまい、周りからの注目を集めてしまう。

(しまった!)

 周りにいた戦車道履修者たちが、唖然とした顔で水上とアッサムの事を見ている。

 しかし、アッサムは今なお水上の事を抱きしめたままだ。

 好きな女性に抱きしめられるというのは嬉しいことこの上ないのだが、今の状況では面倒なことを起こす要因に他ならない。

(マズいぞ、この状況は嬉しいっちゃ嬉しいが、それ以上にマズい!)

「あ、アッサム様。そろそろ離していただかないと・・・」

 水上は口調を敬語に戻してアッサムに離れるように言う。そこでアッサムもようやく、今の状況に気付いたのか、弾かれるように水上から距離を取る。

「ご、ごめんなさい。ちょっと寂しい気持ちになっちゃって」

「い、いえ。まあ、そう言う時ってたまにありますよね。あ、あはは・・・」

 水上が目を逸らしながら渇いた笑みを浮かべる。そして、アッサムから距離を置くように、そして今の出来事を無かったことのようにするかのように、水上は履修者たちのカップに紅茶を注いで回った。

 だが、もう時間を巻き戻す事はできない。今までの事は全部見られてしまっていた。眼鏡をかけて、三つ編みを頭の後ろでまとめた少女―――ニルギリからは『頑張ってください』と声を掛けられたし、ルクリリはにやけ顔で『ほっほーう』と意味深にうなずいていた。ダージリンは『あらあら』と口元に手をやりながらも顔はニコニコしており、オレンジペコは何も言わずに顔を真っ赤にして俯いてしまっていた。

 そんな中で、ルフナだけが悲しそうな表情で、手の中にあるカップの紅茶を見つめていた。




ラストの構想はできているのに、そこまでの道のりが長すぎて作者本人が困っている始末。

ご感想・ご指摘等があればお気軽にどうぞ。


余談
戦車道大作戦で☆3以上のアッサムが出ません(泣き言)


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想われる人として

ブランクが開いたのもクオリティが低いのも
ぜんぶ仕事ってやつのせいなんだ(暴論)


「水上さんっ」

 大洗女子学園との練習試合から一夜明けた翌日の月曜日。周りが女子しかいないという状況に慣れてきた水上が大人しく登校し、教室に着くや否や、同じクラスのルフナから声を掛けられた。

「ルフナ様、おはようございます」

「おはようございます。ちょっと、いいですか?」

「?」

 挨拶も手短に、ルフナが本題へ移ろうとする。何か厄介ごとでも頼まれるのだろうか。

 しかし、水上の心配は杞憂に終わる。

「今日の昼食、ご一緒してもよろしいでしょうか?」

「へ?」

 何を言われるのかと思えば、水上からすればどうという事の無いものだった。もっと言えば、元居た潮騒高校でも何度か経験した出来事である。昼食のお誘いなど、別に特別なイベントでも何でもない。

「別に構いませんよ」

「本当ですか?ありがとうございますっ」

 水上がこれを承諾すると、ルフナは心底嬉しそうな表情を浮かべて自分の席へと戻って行った。そして、その先で同じクラスメイト数名と話してキャー、と小さく黄色い歓声を上げる。

(・・・・・・?)

 しかし、男である水上は、女の子の事情について全く知識がない。だから、黄色い歓声の意味も分からず、とりあえず自分の席に座ることにした。

 このとき水上は、ここは自分の通っていたごく普通の学校である潮騒高校ではなく、男が自分以外存在しないお嬢様学校であったために、女子が男子を昼食に誘う事自体がイレギュラーなのだが、そのことには気づいていなかった。

(今日も戦車道か)

 時間割を確認する。昨日は試合だったが、それでも時間割通りに戦車道の授業はあるらしい。

戦車の整備具合によっては、今日の訓練に参加できない戦車もあるだろう。となれば、今日訓練を行うのは、昨日撃破されることが無かったチャーチルと、試合に参加しなかったクルセイダーだろう。

 水上は、今日の戦車道の授業はどうなる事やら、と考えながら朝のホームルームが始まるのを待った。

 

 午前中の授業を切り抜けて、今は昼休み。

 食堂は相変わらず、聖グロリアーナの生徒でごった返していた。そんな中で、水上とルフナは向かい合って昼食を摂っている。水上は、味が気に入ったフィッシュアンドチップス、ルフナもまた同じメニューだった。

「水上さんって、どこの学校からいらしたんですか?」

 食事を始めて数分ほど経ったところで、ルフナが水上に尋ねる。いきなりの質問に水上は驚くが、聞かれた内容自体は別に何の変哲もないものだ。なので、正直に答える事にする。

「潮騒高校、って分かりますかね?一応、母港は聖グロリアーナと同じ横浜港なんですが」

「そうだったんですか。どんな学校なんですか?」

「いやぁ、別に何の変哲もない普通の学校ですよ。特に特徴も無いような」

「へぇ・・・でも、どうして水上さんはここにいらしたんですか?」

 なんだが妙にぐいぐいと突っ込んでくるルフナ。ここで、水上は聖グロリアーナに来た理由をルフナに言うべきがどうか迷ったが、これも別に隠す事ではないので正直に話す事にした。

 自分は人に尽くす仕事に将来就きたい。その為に勉強をするために、聖グロリアーナに給仕として短期入学してきた。

 そう言うと、ルフナは顔を輝かせた。

「人に尽くすのが夢ですか!凄いです・・・私なんて、まだ夢らしい夢も見つかっていないのに・・・」

「まあ、焦って無理に見つける必要はないとは思いますよ」

「ですがもう3年生ですので・・・」

 そんな風に2人で会話をしているのを、じっと見つめる視線が2つあった。

 ダージリンとオレンジペコだ。

「あら。水上とルフナ、意外と仲がいいのね」

「同じクラスみたいですし、自然と話す機会が増えたのでは?」

 ダージリンが実に面白そうにつぶやくと、オレンジペコはあまり関心が無さそうに呟く。

「これをアッサムが見たら、どう思うかしらね」

「アッサム様が?」

 ダージリンが脈絡もなくアッサムの名を出すと、オレンジペコが何を言っているのか分からない、と言った感じでダージリンを見る。

「・・・・・・オレンジペコにはまだ早いかもね」

「はい?」

 どことなく子ども扱いされたことに対して、オレンジペコが抗議の念を視線で表すが、ダージリンは気にせず近くにある椅子に座る。オレンジペコは、ダージリンの言っていることがよくわからない、という表情を浮かべながらダージリンの前の席に座った。

 

「アッサム様が風邪?」

 戦車道の授業の時間。アッサムがなかなか姿を見せなかったので、アッサムと同じクラスのダージリンに聞いたところ、ダージリンから『アッサムは今日は風邪を引いていて欠席している』と言われた。

 そのことに水上は、ショックを受ける。というのも、風邪を引いた原因の一つには間違いなく、自分があるからだ。

(俺が風邪ひいて見舞いに来てくれた時にうつったのか・・・?多分、そうなんだろうな・・・)

 アッサムはきっちりとしていて、体調管理なども抜け目がないタイプと水上は思っている。そのアッサムが体調を崩すとしたら、昨日の試合による疲労か、あるいは誰かから風邪を貰ったとしか言いようがない。もしくは、その両方が併発したのだろう。

 その上で、水上は考える。

(どうして何も言ってこないんだ・・・?)

 自分が風邪を引いてしまった日、水上はアッサムに『風邪を引いてしまった』とメールを送った。それを見てアッサムは、自分の事を心配し、見舞いに来てくれた。

 しかし、今回アッサムは水上に連絡を一切よこしてない。

 これは水上の勝手な推測だが、アッサムとはもうただの友達という関係ではなくなった、ような感じがしている。強いていうなれば、友達以上恋人未満、というやつだ。

 寄港地で一緒に街を歩いて、風邪を引いたら見舞いに来てくれて、人前で抱き付いてきて。友達の範疇を超えている気がしなくもない。

 それぐらいの関係になった相手に対して、どうして何も言ってこない?

 もしや、そのような関係になれたと思っているのは水上だけで、アッサムは別に水上の事などどうも思っていないのか?

「では、訓練を始めます」

 悶々と考えているうちにダージリンが、訓練開始を宣言する。

 今日は砲撃訓練の予定だったのだが、マチルダⅡは全車修理中で訓練に参加できない。チャーチルも、砲手のアッサムがいないために砲撃訓練に参加することができない。よって、クルセイダーだけが訓練を行う事になった。マチルダⅡの乗員と、チャーチルの乗員であるダージリン、オレンジペコ、ルフナは、普段の水上と同じように訓練場の脇で砲撃訓練を双眼鏡で見学する。

 ダージリンは無線機を持って、クルセイダー部隊に何らかの指示を送っている。オレンジペコはその横で、双眼鏡片手に訓練を見届けている。ルフナは、水上の隣に立って同じように訓練を見ており、時折水上に話しかけたりしてきた。

 だが、今水上の頭を埋め尽くしているのは、アッサムがなぜ自分に対して何も言ってこないのか、という不安混じりの疑問だった。

 ルフナの言葉など、半分聞き流していた。

 

 訓練終了後は、いつも通り『紅茶の園』でお茶会が開かれる。たとえ、アッサムがいなくても。

 せめて、ダージリンやオレンジペコには気取られないようにしよう。水上はそう考えて紅茶を淹れる。時折、普段はアッサムが座っている、今は空席となってしまった席を眺める。

 そして紅茶をダージリンとオレンジペコのカップに注ぎ、一礼して後ろへ下がる。

 ところが。

「水上」

「はい」

 紅茶を一口飲んだダージリンが、顔を上げて水上を見る。

「味が落ちたわね」

 どうやら、水上の動揺は紅茶に現れてしまったらしい。ダージリンは、オレンジペコにも意見を求める。

「ペコもそう思うわよね?」

「え?いえ、私はダージリン様ほど舌が肥えてはいないので・・・」

 そう言いつつも、オレンジペコは不満そうに水上を見ている。やっぱり、オレンジペコも不味いと感じていたのだろうか。

 水上はそう考えて、紅茶を淹れなおそうとする。

 だが、そこでダージリンが上品に笑う。

「水上、安心して」

「はい?」

「ペコの視線は、やきもちだから」

「やきもち?」

 ダージリンが言うと、オレンジペコは『ダージリン様!』と困ったように声を上げる。しかし、ダージリンの口は止まらない。

「昨日、水上の紅茶がルクリリやルフナ、他の戦車道メンバーに好評だったでしょう?」

「え?ええ・・・」

「ペコも、ここに入学した当初から『美味しい紅茶を淹れる新入生がいる』って噂になってたのよ」

「そうだったんですか」

 今さら知ったオレンジペコの秘密を聞いて、感心したように水上は息を吐く。当のオレンジペコは『あうぅ・・・』と顔を赤くして縮こまりながら、恥ずかしそうにその話を聞いていた。

「そして、その噂は聖グロリアーナ全体にわたり、ペコの名はわずか数週間で全校に知れ渡ったわ」

「なるほど」

「その後あなたがやってきて、その紅茶が美味しいと評判に。しかもあなたはここで唯一の男子として注目の的になったでしょう?ペコからすれば、あまり面白くは無いって事ね」

「・・・そう言う事でしたか。なんだか申し訳ないです」

 水上がオレンジペコに頭を下げる。だが、オレンジペコは顔を赤くして手をブンブン振って水上の謝罪を取り消そうとする。

「いえ、そんな・・・私は別に嫉妬なんて・・・」

 オレンジペコの困惑する様子を見て満足したのか、ダージリンがテーブルの上に盛り付けられていたスコーンを1つ手に取って齧る。

「ところで、このあとなんだけれど」

 ダージリンが言うと、水上とオレンジペコもダージリンに注目する。

「アッサムのお見舞いに行こうと思うの。ペコもどう?」

 オレンジペコは二つ返事でダージリンの意見に賛同する。

「私も行きます。アッサム様の事が心配ですから」

 ダージリンは、オレンジペコを見て頷く。そして、水上の方を向いた。

「水上はどうする?」

 正直に言えば、お見舞いに行きたかった。アッサムの事が心配でならないから。

 しかし、アッサムは聖グロリアーナの女子寮で生活している。原則的には男子禁制の場であるため、男の水上は立ち入ることができない。

 さらに、水上は先ほど、もしかして自分はアッサムから何とも思われていないのでは、と恐れを抱いていた。

 よって水上は、こう言うしかなかった。

「・・・私も行きたいところですが、アッサム様は暮らしているのが女子寮ですので、男の私は行くことができなくて」

「・・・・・・そう」

 ダージリンは、水上の返事を聞いて、それまで浮かべていた微笑を引っ込める。そして、オレンジペコにこういった。

「ペコ」

「はい、なんでしょう」

「10分ほど席を外してくれる?」

「へ?」

 オレンジペコは、なぜそんな事を言われるのか分からないという表情を浮かべるが、ダージリンの表情は真剣そのものだった。それこそ、戦車道の訓練や試合の最中に見せる様な。

 それを見て、オレンジペコはただ事ではないと判断し、大人しく指示に従う。席を立ち、お茶会の開かれている部屋を出て行った。

 残されたのは、ダージリンと水上のみ。水上は、どうしていいのか分からずそのまま立ったままだ。ダージリンは、紅茶を一口飲んで、水上の方を振り返る。

「水上」

「はい」

 その表情は、先ほどと同様に真剣だった。普段のように微笑を浮かべておらず、時折見せるふざけた様子が無い。

「あなたが風邪を引いた時、アッサムが見舞いに行ったでしょう?」

 この状況では嘘をついたりごまかす事は出来そうにない。水上はそう考えて、素直にうなずいた。

「・・・ご存知でしたか」

「そりゃそうよ。普段私とアッサム、ペコは3人で帰るのに、あの日だけはアッサムは1人別の方向へ向かったもの。学園艦でただ一つしかない、ホテルの方へ向かってね」

「・・・・・・」

 ダージリンの考察力に水上は脱帽する。伊達に戦車隊の隊長を務めてはいないらしい。

 だが、見舞いに来たことがバレたぐらいでは別にどうということはない。水上は、ダージリンの言葉の続きを待つ。

「そして、水上」

「はい」

「水上は、人に尽くすのが夢だそうね?」

「・・・はい」

 どこでその情報が漏れたのか。アッサムか、あるいはルフナか。しかし、これもまた人に知られて都合が悪いような話ではない。むしろ、なぜその話を今しているのか、水上には理解ができなかった。

「人に尽くすのが夢と言っているのに、友達以上の関係になったアッサムを見舞いに行かない。そもそも、水上の風邪がうつったのかもしれないのに、それでも見舞いに行かないのはどうかと思うわね」

 ダージリンの言葉に、水上は何も言い返せない。

 そうだ。水上は、アッサムとは友達以上の関係である前に、人に尽くす事が夢だった。にもかからわず、女子寮だからという理由で、アッサムにどう思われているか怖いという理由で、見舞いに行くかどうかを決めあぐねて、結果的に『NO』と答えてしまった。

 人に尽くすことを夢としている者が、つまらない理由で、そして人からどう思われているのかという答えの無いような疑惑に囚われて見舞いを拒むなんて。水上は、己の事を恥じた。

「・・・・・・仰る通りです」

「あなたは、アッサムが女子寮だからと遠慮したけれど、本当は見舞いに行きたくてしょうがない。違うかしら?」

 水上は何も言えない。責められているような口調もそうだし、自分の考えが全て読まれてしまっているという事に対しても閉口せざるを得ない。

思えば、ここに来て初めて紅茶を淹れた時も、ダージリンには考えを読まれていた。ダージリンは、人の心を読む事に長けているのだろう。

「その上で、もう一度聞くわ、水上。アッサムの見舞いに、ついてくる?」

「はい」

 即答だった。

 

 今日の『紅茶の園』の後片付けは、ルフナとルクリリ、その他に任せる事にして、水上はダージリン、オレンジペコと共に聖グロリアーナ女学院3年生寮へと向かう。水上がついてきた事に、オレンジペコは驚いていたが、ダージリンが『水上もアッサムの事が心配みたいで』と言うと、オレンジペコは納得した。

 寮へと向かう途中で、水上はコンビニ(ここもレンガ造りだった)で、アッサムが見舞いに来てくれた時と同じように風邪薬、そしてレトルトのおかゆとスポーツドリンクを買った。

 3年生の寮に入るのはオレンジペコも初めてのようで、中に入ってもきょろきょろと辺りを見回している。1年生の寮とは、違うところがあるのかもしれない。

 だが、それ以上に辺りを気にしているのは水上だ。学校の時と同様にスーツ姿であるものの、ここは本来男子禁制の女子寮。寮の管理人に事情は話してあるものの、それでも緊張するものだった。現に、すれ違った名前も知らない女生徒は水上の方を振り向いて心底驚いた表情を浮かべている。

 階段を上り、しばらく廊下を歩くと『428』とプレートが掛けられた部屋の前でダージリンが立ち止まる。

「ここが、アッサムの部屋よ」

 

 異変に気付いたのは今朝起きた時だった。身体が重く、咳も止まらず、熱を測れば平熱よりもはるかに高い。

「こほっ」

 風邪だった。

 私は学校を休もうと即決して、学校に欠席する旨を伝える。そして、ふと机の上で充電状態にあるスマートフォンに目が行く。思い浮かべるのは、水上の顔だ。

 水上が風邪を引いた時、水上は私に『風邪を引いた』とメールを送ってきた。

 メールを送れば、水上が来てくれるのだろうか。そして、看病してくれるだろうか。

 淡い希望を抱くが、私はそこで頭を振って、変な事を考えるのを止める。

 水上が来る事を望むなんて、病人の立場で少々わがままと言える。それに、また水上に風邪がうつったらどうする。いや、そもそも水上が女子寮にまで来るとは思えない。そして何より、『紅茶の園』で給仕として過ごしている水上に、さらに負担をかける事になってしまう。

 そう考えて、私は水上に連絡をするのを止めた。

 だが、これで今日一日水上に会えないことが確定し、寂しい気持ちになる。

(・・・風邪薬は・・・)

 戸棚をガサゴソと漁るが、見つかったのは風邪薬の空き箱だけ。いつの間にか切らしてしまっていた。

(・・・・・・抜けてるなぁ)

 私は仕方なく、備え付けの冷蔵庫で冷やしてあった冷却シートを額に貼る。これだけで熱を帯びた身体が冷やされた感じがする。

 同時に思うのは、あの時の水上だ。水上は、風邪薬も冷却シートも無く、外に出ることもできず、ただひたすらに布団の中で苦しんでいたのだろう。

(・・・・・・・・・)

 そう思うと、同じく風邪を引いていた水上に対して後ろめたい気分になってしまい、冷却シートをはがしてゴミ箱に捨ててしまう。

 今思えば、これがいけなかった。

 私はその後眠りに就いたのだが、起きたら症状が悪化してしまった。

「こほっ、こほっ、けほっ」

 咳の頻度が増え、体温も計ってみるとさらに上がっていて、身体が動かせない。体中にじんわりと嫌な汗が浮かんでいるのが分かる。

(・・・どうしよう)

 水上には申し訳ないけれど、冷却シートを貼るか。そう思って体を起こそうとするが、身体が重く感じられて全然動かない。

(・・・・・・バカね、私)

 自嘲気味に笑い、再び眠ろうとする。だが、随分眠ってしまったおかげで眠気はあまり感じられなかった。

 仕方ない、本でも読んで気を紛らわそう。そう思い私は、枕元に置いてあった『エスニックジョーク集』の本を手に取る。

 前に寄港した港町で水上に買ってもらった、大切な本だ。この本を手に取るだけで、あの時の思い出が蘇ってくる。

 本を買ってもらい、喫茶店であーんをされて、街を2人で歩き、リボンを買ってもらって・・・。

 好きな人との思い出は、時間が経っても色褪せないものだった。だが、今水上との思い出を思い出してしまったのはだめだった。

 なぜって、水上に会いたいという思いが増幅してしまうから。

「・・・・・・はぁ・・・けほっ」

 ため息をつくと、一緒に咳まで出てくる。そしてつい力を入れてしまい、開いていた本のページにくしゃっとしわが入る。

「あ・・・・・・」

 それを見て私の目頭が、熱くなる。

 なぜか、あの人との思い出にひびが入ってしまったような気がして。

 その時だった。

 コンコン。

 ドアがノックされる。私は反射的にドアの方を見ようとするが、ドアはベッドからの死角に位置している。

『ダージリンよ。入るわね』

 私の返事を聞く間もなく、ダージリンが入ってくる。続いて、オレンジペコも入ってきた。私は急いでマスクをつけて、風邪がうつらないようにする。

「ダージリン、オレンジペコも・・・けほっ。どうして・・・こほっ」

「どうしてって、お見舞いに来たに決まってるじゃない」

 ダージリンが当たり前のように告げると、隣に立つオレンジペコもこくこくと頷く。私は、それがどうしようもなく嬉しかった。

「・・・・・・ありがとう。けほっ」

「それに、来たのは私たちだけじゃないわよ」

「え?」

 ダージリンが、入口の方を見ながら、ニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべている。

 まさか、いや、でも、もしかしたら。

「・・・こんばんは、アッサム様」

 その人は、見慣れたスーツを着ていて、見慣れた黒い短髪で、私が頭の中でずっと会いたいと願っていた人物で、私が恋していた人物で。

「水上・・・・・・」

 その姿を見ただけで、私の目から涙があふれそうになった。

 私が体を起こそうとすると、水上は優しく手でそれを制した。

「辛いでしょうから、そのままで結構ですよ」

「・・・・・・こほっ、こほっ」

 水上の手でベッドに寝かされる私。

「お腹が空いているでしょう。すぐにおかゆをおつくりします。と言っても、レトルトのものですが」

 水上が、手に提げていたビニール袋を机に置き、その中からスポーツドリンクを取り出して私に手渡す。そして、レトルトのおかゆを取り出して、小型のキッチンへと向かい、レトルトのおかゆを準備する。

 その間私は、ベッドで仰向けになったまま涙を静かに流していた。

 なるほど、私に会いたかったと言って涙を流していた水上の気持ちもわかる。

 会いたかった人に会えて、その人から尽くしてもらう。風邪で弱った心にとても響くものがあった。

 ダージリンとオレンジペコは、私が涙を流しているのに気づいて、優しい表情で見つめている。

 オレンジペコは、ポケットからハンカチを取り出して私の頬を流れる涙を拭いてくれる。そして、私の涙が止まったところで、水上がおかゆを持ってきた。水上のホテルに行ったときは、袋のまま水上に食べさせたが、今日は部屋に置いてあったお皿におかゆが移されていた。

「すみません、お皿を使わせていただきました」

「けほっ、気にしなくていいわ・・・こほっ」

 そして、スプーンでおかゆをすくい、それを私の口元に持ってくる。

 しかし、仰向けのままでは食べづらいので、私はオレンジペコの手を借りて上半身を何とか起こす。

 その時だった。

「あっ・・・」

 水上がわずかに顔を赤くして目を逸らす。そして、私は気付く。

 私の寝間着は、黒いネグリジェ。それも、胸元と腕が大きく露出しているタイプの。普段私は、この姿で人前に出る事が全くと言っていいほどない。それに、寝る間だけ着るのだから、寝やすさを重視した結果、このネグリジェにしたのだ。

 そんな恰好を、水上に見られてしまった。私は、風邪のせいでもないだろうが顔が熱くなるのを感じる。

 そして、それと同時に恥じらいも感じて、掛布団で服を隠す。

「・・・・・・失礼しました」

「・・・いいえ。大丈夫よ」

 言葉では平然を装っているが、心の中では滅茶苦茶恥ずかしかった。ダージリンなんて、口元に手を当て面白そうに笑っている。

 気を取り直して、水上はスプーンでおかゆをすくい、息を吹いて冷ますとおかゆを差し出して来る。

 それはつまり。

「・・・あーん」

 こういう状況になるわけだった。しかし、今恥ずかしがっている状況ではない。そもそも、寄港した港町であーんをし合った仲だ。ここにきて恥ずかしがる必要がどこにある。

「あーん」

 私はおかゆを頬張る。咳で痛んだ喉が温められて、身体が芯から暖かくなる。

 だが、オレンジペコの羨ましそうな視線と、ダージリンの愉快そうな視線を受けて少し恥ずかしくなる。

 その後、無くなるまで私は水上におかゆを食べさせてもらい、全て無くなると私は風邪薬を飲んでベッドに横になる。

「思ったより元気そうで安心したわ」

「ええ。もし、おかゆも食べられないほど弱っていたらどうしようかと思いました」

 ダージリンとオレンジペコが安心したように呟く。

「じゃあ水上。後はよろしく」

「え?」

 ダージリンが、そこで部屋を出ようとすると、水上は素っ頓狂な声を上げる。が、ダージリンにもう一度。

「よろしく」

 とだけ告げられると、水上は大人しく『・・・はい』と返事をする。オレンジペコもダージリンと一緒に部屋を出て行ってしまい、残されたのはベッドに横になっている私と水上だけ。

 水上は、私の方を少し見ると、椅子を引っ張ってきて私の横に座る。

 そして、水上は。

「・・・・・・どうして」

 不安そうな声で、私に話しかけてきた。

「どうして、何も言ってこなかったんだ」

 言ってこなかった、というのは風邪を引いたという事を水上に伝えなかった事だろう。私は、水上から目を逸らして、すまなそうに言う。

「・・・私だって、水上に会いたかった。でも、わがままで水上に会いたいなんて、ずうずうしいと思ったし、水上にまた風邪がうつったら悪いし・・・水上の負担になるのが、怖くて・・・」

 本心を告げる。風邪で弱っているせいだろう、なぜか本音がすらすらと口から出てくる。だが、それを聞いて水上は、ため息をついた。

 そして、逡巡し、あることを告げる。

「・・・俺が風邪ひいた時、アッサムにメールを送ったのは覚えてるよな」

「・・・ええ」

「あの時、俺は・・・アッサムと会えないのが寂しい、アッサムと繋がっていたい、アッサムが見舞いに来てくれたらいいな、って思ってメールを送ったんだ」

「えっ・・・?」

 その水上の意外な本音を聞いて、驚きを隠せない。

「自分勝手だよな。病人のくせしてそんなこと考えていたなんて」

「・・・・・・」

「でも、アッサムは来てくれた。こんな自分勝手な俺の事を、見舞いに来てくれた。俺は、どうしようもなく嬉しかったよ。涙を流すほどに」

「・・・・・・」

「でも、そう思っていたからこそ、俺はアッサムに同じことをされたとしても、迷惑だなんて思わない。負担とも感じない。風邪をうつされたって何とも思わないよ」

「・・・・・・」

「アッサムは、そう言う事、思ったりしなかったのか?」

「そう言う事、って・・・?」

 私が聞き返すと、水上の表情が、何かに怯える様な表情に染まる。

「・・・・・・俺に会いたい、とか。いや、俺じゃなくてもいい。誰かに会いたいとか、誰かと繋がっていたい、とか」

 ああ、その答えは決まっている。

「・・・・・・思ってた」

 私は、今目の前にいるあなたに会いたいと思っていたから。

「なら、遠慮なく言ってくれていいんだよ」

「・・・・・・どうして?」

 私は、その理由を聞く。なぜ、水上はそこまで私の事を思ってくれるのだろう。

「・・・・・・俺は、アッサムの事を・・・・・・」

 そこで水上は言葉を切り、何かを言い淀む。だが、決意したかのように顔を私に向けてくる。

「大切な人だって思ってるから」

 私の体温が一気に上昇する。それは、風邪のせいではない。もっと、別の要因からだ。

「大切な人のために何かができるっていうのは、俺からすればそれだけですごい嬉しい。それに、俺は人に尽くすのが夢だって言っただろ?」

「・・・ええ」

「・・・そう言うやつが傷つくのは、誰かのために、何かができるような場で、何もできない時だ」

 水上の真剣な眼差しに、私は耐え切れずに顔を逸らしてしまう。

「・・・・・・・・・偉そうなことを言ったけど、要するに、俺はアッサムの力になれるのならなんだってやるよ。戦車道の給仕の負担なんて、風邪を引くかもなんて、そんなのはどうでもいい。アッサムの手助けができるのなら、そんな事は小さな問題だ」

 視界がぼやける。どうして、この人はこんなに力強く、そして私を惹きつけるような事が堂々と言えるんだろう。

「こういう時くらいは、頼ってくれると俺は凄く嬉しいよ」

 愛おしさがあふれてくる。

 たまらず私は起き上がる。おかゆと風邪薬のおかげかもしれないし、水上に勇気づけられたことで身体が軽くなったのだろうか。

 ともかく私は、身体を起き上がらせると、驚いた様子の水上に抱き付く。今の自分の恰好が、露出度の高いネグリジェであるという事を忘れて。自分の汗で臭わないかという事も考えず。

 そして。

「ありがとう・・・・・・ありがとう・・・」

 涙ながらに、お礼を言った。

水上は、私の背中を、頭を優しく撫でてくれた。

 

 落ち着いたところで、私は水上から離れて再びベッドに寝転がる。風邪薬のおかげかもしれないが、眠気が出てきたのだ。

「・・・・・・じゃあ、俺はそろそろ帰るよ。何かあったら、いつでも連絡してくれ」

「ありがとう・・・水上」

 と、水上が部屋を出ようとしたところで何かに気付く。その視線の先にあるのはゴミ箱。具体的には、その中にある何かだ。

「・・・冷却シート?」

 ゴミ箱の中にあるものを見つめて水上が呟く。

 私は『しまった』と言った感じに目線を逸らす事にする。

「何ではがしちゃったんだ」

「・・・・・・水上が風邪を引いた時、冷却シートもしてなかったのを思い出して。それで、なんだか後ろめたくなって・・・・・・」

 嘘をつくという選択肢もあったのだが、私はそれをしなかった。

「・・・・・・冷蔵庫、見させてもらうぞ」

 水上がキッチンに移動する。そして、冷蔵庫を開ける音が聞こえる。さらに、何かを取り出す音が聞こえて来て、私の下へと戻ってきた。その手には、もう1枚の冷却シートがある。

 それを認識した直後、水上は私の額にデコピンを仕掛けてきた。

「つっ・・・」

 地味に痛い。熱で額が熱くなっているから余計に。

「何を・・・・・・」

 流石に抗議しようかと思ったところで。

 

 水上の顔が近づいてきて。

 私の額に優しくキスをしてきた。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・」

 私の頭の中が真っ白になる。

 ただし、水上も顔を赤くしながら冷却シートのビニールをはがし、私の額にぺたりと貼った。

「・・・・・・お大事に」

 そして、顔を赤くしたまま部屋を早足で出ていってしまった。

「・・・・・・・・・」

 さっき、私は何をされた?

 水上の顔が近くなったと思ったら、額に柔らかい感触があって。

 私は改めて額に手をやるが、そこにあるのは冷却シートだけ。

 けれど、私の額は、まだ熱かったような感じがした。

 

 部屋を出たところで、ダージリン、オレンジペコと再会する。ダージリンはそのまま自分の部屋へと戻り、俺はオレンジペコを寮まで送ることにした。

 その道中、俺はさっき自分のしたことを思い出す。

 俺に対して後ろめたいと思って冷却シートをはがしたと聞き、俺はなぜかどうしようもないくらい、アッサムが愛おしく感じてしまった。

 そして、同時に何をバカなことをしたんだ、という気持ちも現れて、思わずアッサムにデコピンをしてしまった。

 さらに、アッサムの額に―――

「水上さん?」

「はい!?」

 オレンジペコに急に声を掛けられて俺は変な声を上げる。これにはオレンジペコもびっくりしたようで、少し体を震わせて俺から少し距離を取る。

「だ、大丈夫ですか?顔が赤いですけど・・・もしかして、風邪がうつったとか・・・?」

「な、何でもないです。ご安心ください」

 オレンジペコを安心させるように手を振るが、それでもオレンジペコは納得がいっていないようで。

「・・・・・・もしかして・・・!」

 何を思ったのか、オレンジペコの顔がボンッと真っ赤になる。

 この時俺は、『あ、この子絶対勘違いしてる』と直感的に感じた。

「いや、恐らくオレンジペコ様が考えているような事はしていないで―――」

「えっちなのは良くないと思います!」

 俺の言葉を最後まで聞く事無くオレンジペコが声を上げ、オレンジペコは寮へと向かって走って行ってしまった。

「・・・・・・やべーな、これ」

 これは、解くべき誤解ができてしまった。さて、明日オレンジペコにはどう説明しようか。

 そう思ったところで。

「・・・・・・俺、アッサムのおでこにキスしたんだよな」

 誤解されてもおかしくないような事を自分自身やったのを思い出し、今さらながら後悔する羽目になってしまった。




聖グロリアーナ女子寮の部屋の中は、
基本1人一部屋、家具家電つき、小規模のキッチンつきと言った感じです。

感想・ご指摘等があればお気軽にどうぞ。


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スパイとして

注意!
時間が大分飛んでます。
さらに、今回の話でアッサムと水上の仲は特に進展しません。
完全に筆者の趣味です。
最終章に出てきたあのキャラクターたちが登場します。
お気に召さないようでしたら申し訳ございません。


 戦車喫茶ルクレール。

 戦車道を嗜んでいる者たちの間では有名なお店である。お店の中には軍事用品が並べられており、店員は全員軍服姿、呼び出しブザーは戦車の砲撃音、ケーキは戦車の形と、徹底して戦車スタイルだった。

 水上はこのような店に入った事は当然ながら無い。少し前までは戦車道とは無縁の生活を送ってきたのだから。

 しかし今、水上はその戦車喫茶ルクレールでダージリン、オレンジペコ、アッサムと共に席に座っている。

 理由は、この近くの大型アリーナで、第63回戦車道全国高校生大会の抽選会が行われていたからだ。ダージリンたち聖グロリアーナ戦車隊のトップクラスの人物が行くのは当然として、それに水上が付いていった理由は至ってシンプル。

 『ダージリンたちの』給仕だからだ。

 元々、水上は『戦車道の』給仕として聖グロリアーナに来たのだが、一カ月が過ぎ、気づけば周りからの認識は『ダージリンたちノーブルシスターズの御付きの人』みたいな認識をされてしまっていた。そのことに若干の不満を抱いているのは水上だけだが。

 だが、今日は聖グロリアーナでは戦車道の授業は無い。聖グロリアーナで手持無沙汰に過ごしているのも給仕としてどうかと思ったし、そもそもダージリンから『水上も来るように、ね』と強制力を伴う口調で言われてしまったため、こうして同伴しているわけだ。

 しかし、抽選会場で2時間以上待つというのは予想外だった。抽選会場に入ることができるのは、参加する学校の女生徒のみだからである。よって、水上は会場の外で2時間暇を持て余す事となってしまった。

 やっと終わったかと思えば、ダージリンが嬉しそうに『戦車喫茶へ行きましょう』と言い出して、水上を含む聖グロリアーナの4人は今こうしてルクレールの席に着いている。

 オレンジペコは、この戦車喫茶に来るのが初めてなようで、キラキラした目であたりをキョロキョロ見回している。水上も同じく初めてなので、そこら中に置かれている軍事用品に目を向けている。

 ちなみに、席の並び順はダージリンとオレンジペコが隣同士。ダージリンの前には水上、その隣にアッサムと言った具合だ。

 4人はメニューを見て、どれにするか決めるとダージリンが戦車の形の呼び出しブザー(あとでオレンジペコに教えてもらったが、IS‐2という戦車らしい)を押す。すると『ドーン』という音が発せられ、軍服姿の店員がやってきた。

「ご注文はお決まりでしょうか」

 水上が代表して注文を述べると、店員は『承りました!』と敬礼をして店の奥へと消えていった。

「驚いた?」

 ダージリンが得意げに笑う。オレンジペコは首を縦に振る。水上も『うーん』と唸る。

「まさか、ここまで戦車チックとは思いませんでした」

 オレンジペコが感想を述べる。水上も同意見だった。

「私も来たのは3回目だけど、まだ慣れないわね」

 アッサムが店の中を見回しながら呟く。おそらくアッサムも、ダージリンも、最初に来たときは戸惑ったのだろう。だが、僅か数回来ただけでダージリンはもう慣れた、といった具合だ。

 もしや何度かお忍びで来ているのではなかろうか。

 なんて事を考えていると、テーブルの脇にある通路?のようなところから、荷台に戦車を模したケーキを乗せた、こげ茶色に塗られたドラゴンワゴンのラジコンがやってきた。

 テーブルの上でドラゴンワゴンが停止すると、水上が手際よくダージリンたちに配膳する。

 ダージリンはブルーベリーの載ったミルフィーユ、オレンジペコはイチゴのケーキ、アッサムはチーズケーキ、そして水上はザッハトルテだ。

 当初、水上は何も頼もうとはしなかったのだが、オレンジペコから『遠慮しないでください』と言われ、アッサムからも『遠慮しなくていい』と視線で訴えられたので、渋々注文することにしたのだ。

 だが、水上がチョコレートのケーキを頼んだというのは相当意外だったようで、ダージリンたちからは意外なものを見る目で見られる事になった。

 もう1台のドラゴンワゴンがやってくる。その荷台の上には、4つのティーカップが置かれていた。

 どうやら、ティーカップの柄で中身が違うらしい。赤い花の模様が入っているカップには、ダージリンティー。青い花の模様が入っているカップには、アッサムティー。オレンジペコは、紅茶の中身をわずかな色の違いで感じ取り、ダージリンティーを自分とダージリンの前に、そしてアッサムティーを水上とアッサムの前に置く。

 しかし、今度はダージリンからニヤニヤと意地の悪い笑みを向けられる。

「アッサムティーを、ねぇ」

 アッサムがびくりと肩を震わせる。しかし、水上は心の中では動揺しつつも気丈に振る舞う事にする。

「私、『アッサムティー』が好きですので」

 その言葉を聞いて、アッサムは顔を赤くしてちびちびと紅茶―――アッサムティーを呑む。水上は、アッサムの様子に全く気が付かずに戦車型のザッハトルテを小さく切り取って食べる。凄い美味しい。

 一方、オレンジペコはいちごタンクケーキを食べながら不安そうな表情を浮かべている。

「西住さん、お姉さんと何かあったのでしょうか・・・」

 この戦車喫茶ルクレールに入店した時。

 すでに入店していた大洗女子学園の、西住みほを含む5人の生徒が、ダークグレーの制服を着た2人の少女と何か言い争いをしていたのだ。

 そのダークグレーの制服を着ていたのは、戦車道の強豪校・黒森峰女学園の戦車隊隊長の西住まほと、逸見エリカ。西住まほは、苗字からも分かる通りみほとは姉妹関係にある。エリカは、みほが黒森峰から去った後副隊長になった実力者といってもいい人物だ。

 その2人が、大洗女子学園の5人と何やら険悪な雰囲気を醸し出していたのだ。正確には、エリカが何かを言って大洗女子学園の沙織と華が抗議していた。

 結果、お互いに喧嘩別れをして、黒森峰の2人は店を出る。それとすれ違う形で、水上たち聖グロリアーナのメンバーが入店したのだ。

 この時、まほはダージリンに対して目だけで挨拶をした。だが、その瞳は、普通の女子高生のそれではなく、大の大人でもビビりそうな力強さがあった。

 それに対してダージリンは優雅に会釈をして、店へと入っていった。

「・・・思えば、西住の家系に生まれたみほさんが、故郷・熊本の黒森峰ではなく、大洗にいる事自体がおかしい事よね」

 戦車道履修者の間では、西住の名は割と知られている。西住流の教えも、その師範の事も、そして自らの事を西住流と名乗る国際強化選手・西住まほの事も、当然知られていた。

 そのことを思い出して、ダージリンは紅茶を飲みながら呟く。

「アッサム、その辺の事は調べられるかしら?」

「・・・可能です。ですが・・・」

 しかし、アッサムはダージリンからの指示をなぜか快諾しない。その理由は、水上には分かっていた。

「お言葉ですが、ダージリン様」

「何かしら?」

 突如話しかけてきた水上に、ダージリンが視線を向ける。

「西住みほさんとまほさんとの関係は、我々は知るべきではないかと」

「どうしてそう思うのかしら?」

 ダージリンが真剣な表情で水上に尋ねる。水上は、その視線に耐えながらも自分の意志を述べる。

「おそらく、お2人の因縁は家族間、あるいは黒森峰で生まれたものかと思われます。我々は、西住の人間でもなければ、黒森峰の人間でもありません。ですので、この件に関して私たちは、触れるべきではないかと」

 ダージリン、オレンジペコ、アッサムの全員が黙り込む。しかし、アッサムだけは水上の言葉にうなずく。

「・・・・・・それもそうね」

 ダージリンは納得したのか、ミルフィーユを満足そうに食べる。オレンジペコもホッとして、ショートケーキを食べる。

 アッサムは、水上に小さく『ありがとう』とだけ告げる。そして、紅茶を一口飲んだ。

 アッサムも、水上と同じようにみほとまほの因縁は家族間によるもの、西住流の中でのことと思っていたので、あまり踏み込むのは気が進まなかったのだ。

 だが、ダージリンからの指示を断るというのには勇気がいる。3年間ダージリンの傍にいて、ダージリンの考えがある程度わかるようになってきたアッサムでも、それは難しいものだった。

 そこで、水上からの助け舟があり、何とかダージリンからの指示を断ることができたのだ。

 アッサムは安心して、ケーキを食べる。

 オレンジペコは内心、ハラハラしていた。心臓がバクバク高鳴るくらい緊張した。ダージリンに向かって意見した者など見た事がない。ダージリンの傍に3年間いたアッサムでさえダージリンに意見する事などほとんどない。にもかかわらず、水上はダージリンに面と向かって意見をした。

(よかった・・・・・・)

 オレンジペコは、胃に穴が開きそうなくらいに緊張していた。その緊張から解放されて、心底ほっとしている。口の中の水分が蒸発しきっていて、今飲んだ紅茶が普段水上が淹れてくれる紅茶以上に美味しいと感じる。ケーキがこの世のものとは思えないくらい味わい深い。

「ところで、1回戦はどこと当たるのですか?」

 水上が、場の空気を換えるために話題を変えることにした。選んだ話題は、全国大会の事だ。

「BC自由学園よ」

 アッサムがパソコンを取り出して、戦車道ニュースのサイトを開く。その画面には、第63回戦車道全国高校生大会のトーナメント表が表示されていた。発表されたのはわずか1時間ほど前だというのに、情報が早い。

 戦車道ニュースのサイトは、その名の通り戦車道にまつわるありとあらゆるニュースが表示される。大学戦車道、高校戦車道、プロリーグ、果ては海外の戦車道のニュースも載っている。そして、このサイトには世間でも名が知られている評論家もコメントを残す。それが、このサイトが戦車道履修者たちから愛されている所以だ。

「BC自由学園・・・どういう学校なんですか?」

 オレンジペコがダージリンに尋ねる。だが、ダージリンは苦笑するだけで答えようとはしない。なので、アッサムに目を向けると、アッサムはくいっと人差し指で店の一角を指差す。水上とオレンジペコは、その指差す方向を見る。

 そこにあるのは。

 

 回転寿司よろしくケーキの載っていた皿が山のように積み重なったテーブルだった。

 

「「・・・・・・え?」」

 水上とオレンジペコが声を揃えて疑問の声を上げる。

 そのテーブルには、薄い金色の縦ロールの少女が座っていて、その少女はモンブランを満面の笑みを浮かべて美味しそうに食べていた。

 その少女の隣には、肩まで伸ばした金髪の、青い瞳の少女が座っていて、不安そうにケーキを食べる少女に話しかける。

「マリー様、そろそろよろしいんじゃないかと・・・」

 マリー、と言われた縦ロールの少女はニッコリ笑顔でこういった。

「こんな言葉を知ってる?『スイーツは別腹』」

 金髪碧眼の少女は、マリーのお腹の事を心配したのではなく、財布の心配をしているのだ。マリーがお嬢様だというのは分かっているし、ケーキが大好きだというのも承知している。だからといって、これほどまでに食べるとは予想していなかった。現に、さっきケーキを運んできたお姉さんは顔を引きつらせている。

 すると、マリーの向かい側に座っている、浅黒い肌のジトっとした灰色の瞳の少女がふん、と鼻息をつきながら言った。

「聖グロの隊長の真似か?ちっとも似てないな」

 だが、その言い方が気に食わなかったのだろう、金髪碧眼の少女がガタっと音を立てて席を立ちあがり、浅黒い肌の少女に向かって指を突きつける。

「安藤貴様、マリー様を侮辱するつもりか!」

「侮辱してるわけじゃないぞ押田。単純に似てないと思っただけだ。というかマリー、そんなに食って大丈夫なのか?主に腹回りが」

 押田、と言われた金髪碧眼の少女がはっ、と悪者のように息を吐く。

「外部生の分際でマリー様の心配など10年早い。どうせ貴様など、太るのが怖くて一個しかケーキを食べられなかったんだろうに。あと、マリー様のお腹は柔らかい方が可愛らしいぞ」

 それが琴線に触れたのか、安藤と言われたジト目の少女が同じく音を立てて席を立ちあがる。

「今は外部生がどうとか関係ないだろ!大体そうだ、外部生だなんだといちゃもんを付けてくるのはお前たちエスカレーター組の方が先だ!後別に太るのが怖いんじゃない、食欲がなかっただけだ!そんで最後に気持ち悪いことを言うな!」

「やかましい!外部生はエスカレーター組には分からないような努力の末にBCに入学しただのなんだのと自慢しているが、要は中学から通えるほど金が無かっただけだろう、この貧乏人め!ケーキを一個しか注文しないのも金が惜しいからだな!」

「貴様言ってはならんことをこの成金が~!!」

 その場で取っ組み合いを始める押田と安藤。その中でモンブランを食べ終えて、次のケーキを注文するために戦車型のブザーを押すマリー。

 なんというか、学校名にもある通り、自由だった。オレンジペコと水上は、静かにBC自由学園組から目を逸らす。

「・・・BC自由学園は中高一貫校で、変わったお嬢様学校として戦車道界では知られているの」

「変わったお嬢様学校?」

 水上が聞くと、アッサムは頷く。

「中学から内部進学してきた“エスカレーター組”と、高校から受験して入学してきた“受験組”との間で、軋轢があるらしいの。学校でも校舎が分かれてるくらい。戦車道でもエスカレーター組と受験組が混ざっていて、たまにチーム内で喧嘩を起こす事もあるのよ」

「そんな学校があるんですか・・・」

 にわかには信じがたいが、今も押田と安藤の取っ組み合いは続いている。おそらくアッサムの話は本当なのだろう。

「で、アッサム。今回もお願いしていいかしら?」

「・・・・・・分かりました。少々疲れるものですが」

 ダージリンがやっと口を開いてアッサムに話す。アッサムは、辟易とした様子で溜息をついた。

 水上には、ダージリンとアッサムが何の話をしているのか分からない。

「ええと・・・?」

 困惑する水上を見て、アッサムが顔を水上に近づけてこう言った。それだけでちょっとドキドキするのだが、水上はその気持ちはそっと胸にしまっておくことにする。

「・・・実は、戦車道のルールにおいては、他校への偵察、潜入調査、諜報活動は認められているの」

「・・・・・・はい?」

 偵察、潜入調査、諜報活動。

 聞きなれない物騒な単語が水上の耳に矢継ぎ早に入ってきて、ちょっと脳の処理が追い付かない。

「・・・私は、これまで何度も対戦校に潜入調査をしたことがあった」

「・・・・・・まさか」

「そのまさかよ」

 アッサムが意を決したかのようにこう言った。

 

「私、BC自由学園に偵察に行ってくるから」

 

 




書いてる本人ですら、これでいいのかと思う始末のこの話。

BC自由学園の内部の仲の良し悪しは今のところ不明ですが、
当作品では『仲が悪いけど、共通の敵と戦う時は仕方なく協力する』という認識です。
といっても、BC自由学園組はあんまり出て来ませんが。

感想・ご指摘等があればお気軽にどうぞ。

遂にお気に入りが200を超え、閲覧数が1万を突破しました。
書き始めた当初は、ここまでのものとなるとは思ってもいませんでした。
本当に、ありがとうございます。
心から、感謝いたします。




余談
押田と安藤、どちらかといえば安藤派の筆者


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砲手として

こんな時間に投下して申し訳ございません。
大洗に聖地巡礼してたんです。



 アッサムがBC自由学園の偵察へと出発したのは、抽選会が行われた日から2日後の火曜日だ。

 偵察、諜報活動と聞いて水上は、黒いスーツにサングラス、懐には拳銃という古き良きスパイのイメージを抱いていた。

しかし、実際偵察に向かうアッサムはそこまで徹底したスパイの恰好はしていない。

カモフラージュとして、普段はかけないサングラスをかけて、髪はポニーテールにし、さらに髪を縛るのは赤いシュシュと、一見すればアッサムには見えないような出で立ちだった。その上、着ている服は黒いスーツではなく、白いポロシャツに青のデニムと清涼感ある服だった。そして、どんなルートで手に入れたのか分からないBC自由学園の制服を持っている。さらに偵察に必要なものを鞄に詰めて、BC自由学園艦の母港で、連絡船が出ている岡山へと発った。

 それから2日。

 水上は、アッサムがいないことに対して寂しさを感じていた。アッサムから事前に『BC自由学園に行く』と事前に告げられていたので、風邪を引いた時のように、急に『いない』と告げられた時のような漠然とした不安に飲まれることは無かった。だが、自分の好きな人の姿を見ることができないという事は、それだけで水上の中にくすぶる焦りや不安、寂しさを助長させる。

 さらに、水上は聞いた事がある。

 潜入先の学校に身分がバレた場合は、捕虜として尋問を受けるということを。

 アッサムが、暗い牢屋に鎖でつながれてBC自由学園の生徒から尋問を受けるなんて、想像しただけで反吐が出そうだった。それぐらい、水上はアッサムの事が心配で心配でたまらなかった。

 その不安が態度に現れていたのか、オレンジペコからこんなことを言われた。

「水上さん、大丈夫ですか?」

「何がですか?」

「だって、眉間にしわを寄せて、難しそうな顔をしているから・・・」

 言われて水上は、自分の眉間を指で抑える。無意識にそんな表情をしていたとは。オレンジペコに『失礼しました』と謝罪して目をぱちぱちと開閉する。

 そこへダージリンがやってきて、こんなことを言った。

「あら、愛しのアッサムに会えなくて寂しいのかしら?」

「お戯れを」

 ダージリンのからかい交じりのジョークに水上は即答する。割と真面目に、低めのトーンで返したので、隣にいたオレンジペコはその声の低さにビクッと震えていた。

 だが、水上は心の中では『バレてる!?』と滅茶苦茶焦っていた。だから、咄嗟に低いトーンで返事を返すことができたのは奇跡とも言えるくらいだった。

「では、今日も練習を始めましょう。今日は、市街地で5対5のフラッグ戦を行うわ」

 全国大会が近づいている今、訓練内容のほとんどは模擬戦だった。市街地、荒野、平原、至る所で殲滅戦だったりフラッグ戦だったりをしている。

 水上は、そのたびに試合の審判を任されている。最初の時は戸惑う事が多かったが、場数を踏んでいくうちに慣れてきてしまった。

「今日もアッサム様はいませんが、私たちはどうしましょうか」

 オレンジペコがダージリンに話しかける。

 アッサムは、チャーチルの砲手だ。そのアッサムはBC自由学園に偵察中で不在。だから、チャーチルは昨日行われた訓練―――平原地帯で行われた4対4の殲滅戦には参加していなかった。

「・・・さすがに、全国大会が近いのに、練習を2日続けてやらないというのはちょっと・・・」

 列に並んでいるルフナが小さく手を挙げて意見を述べる。ダージリンは、ふむ、と顎に手をやる。やがて水上を見て、名案を思いついたと言わんばかりに手を合わせる。

「ねえ、水上」

「なんでしょうか」

 

 時刻は午後7時前。

 BC自由学園艦と本土を結ぶ連絡船のデッキの椅子に、私は腰かけていた。2日間にわたる偵察を終えて、今は聖グロリアーナへと戻る途中だ。

「・・・はぁ・・・疲れた」

 他校への潜入調査は初めての事ではないが、いつもバレたらどうしようという不安と隣り合わせの事なので、偵察はいつだって緊張する。

 加えて、潜入先は“あの”BC自由学園だ。複雑な内部情勢に揉まれながら戦車隊の偵察を行うなど、心が疲れるにもほどがあった。

 噂には聞いていた通り、BC自由学園は内部での諍いが盛んだった。学園艦が甲板上で縦に半分になっているかのように、貧富の差が激しい。それは校舎だったり、寮だったり、様々な面で、内部進学をした“エスカレーター組”と、高校になって外部から入学してきた“受験組”との差が如実に表れていた。

 BC自由学園の“エスカレーター組”は、中等部からBC自由学園の生徒だったというお嬢様が多く、茶髪や金髪、赤毛など日本人離れした髪の色、髪型をしている。この辺りは聖グロリアーナと似ていた。私も、長いブロンドヘアーという事で、なんとか“エスカレーター組”に馴染むことができた。

 だが、そのせいで黒髪の多い“受験組”から度々突っかかれることがあり、正直とても辟易していた。ちょっとした暴力を交えての喧嘩に発展した時は、もうどうしようと泣き言を言いそうにもなった。

 その上、食堂のメニューはエスカルゴ定食、フォアグラ定食、ポトフなどフランスをイメージしたものが多く、イギリス風メニューに慣れてしまっていた私の舌にはあまり合わなかった。おまけにソウルドリンクはぶどうジュース。べつにジュースが嫌いというわけではないのだが、やっぱりいつも飲んでいる紅茶の味が恋しくなってくる。

 聖グロリアーナに帰ったら、まず水上の淹れた紅茶を飲みたかった。

「・・・・・・ふふっ」

 無意識に、『水上が』淹れた紅茶を飲みたいと思っていた。

 こう思うようになったのも、水上に恋をしたからだ。そう思うと、自然と笑みがこぼれる。

ほんの少し前までは、紅茶なら誰が淹れたものでもいいと思っていたのだが、最近は水上の紅茶が私のお気に入りだ。茶葉はダージリンでもアッサムでも、何でもいい。とにかく、水上の淹れた紅茶が飲みたかった。

(さて・・・)

 自分の手元にあるメモ帳に目を落とす。

 BC自由学園の戦力は概ね把握することができた。どんな戦術を取るのか、どのような戦車を有しているのか、隊長はどのような人物なのか、それらを2日間にわたって調べてきた。

 後は、聖グロリアーナに戻ってこれらのデータを基に作戦を立案する。パソコンと顔を突き合わせての作業は慣れっこだったが、やっぱり疲れるものだ。

 小さくため息をついて、既に陽が落ちて、月明かりに照らされている瀬戸内海を眺める。夏も間近になり、気温が順調に上がってきている今日この頃、涼やかな潮風が私の髪を撫でるように吹き、潮の香りが鼻腔をくすぐる。月明かりが海面に反射しているのが、とても幻想的だ。

 穏やかな気持ちで海を眺めていると、右の方から何やら話し声が聞こえた。

 どうやら、若い男女のカップルのようだ。2人は海を指差しながら明るく話しており、男性の方は時折女性の髪を撫でている。女性は恥ずかしそうに、だが嬉しそうに目を瞑って、男性の撫でを甘んじて受けている。

 私はそれを見て、ふとこう思った。

 私も、ああいう事をされたい、と。

 誰に?

決まっている、水上だ。

 水上に対する恋心を自覚してから、水上と2人きりになったのは、私が風邪を引いて水上が看病に来た時以来無い。あの時は風邪を引いていたのでロマンチックとは言い難かった。まあ、ネグリジェで抱き付いたり、額にキスをされたりと、行動だけ見ればロマンチックとは言えたが。

 ともかく、あれ以来私と水上の仲は特に進展していない。普通に学校で昼食をダージリンたちと共に食べ、戦車道の授業では水上は給仕に徹し、私はチャーチルの砲手として訓練に励む。『紅茶の園』でもあまり私と水上との間に会話は無い。

 もっと水上と触れ合いたかった。もっと水上と話したかった。

 贅沢を言うならば、あの寄港地に寄った時のように、2人だけで街を歩いたり、食事を楽しんだり、買い物をして、2人だけの時間を過ごしたい。

 それはつまり、

「・・・・・・・・・」

 水上とデートをしたい、という事だ。

 だが同時に、それは無理かもしれない、と消極的に思う。

 まず、水上をデートに誘うきっかけがない。面と向かって『休日私に付き合ってください』なんて言えば、水上は間違いなく困惑するだろう。そして、私に対して変な感情を抱くに違いない。そして、恐らくは『男として』ではなく『給仕として』私に付き添う事になる。

 携帯でアドレスを交換してはいるが、メールや電話で誘うという選択肢は除外する。こういうお誘いは、直接口で伝えてこそ真剣さが伝わるからだ。

「・・・・・・はぁ」

 デートに限った話ではないが、一度『あれをやってみたい』『これをしてみたい』と思うようになると、それが実現できなければ気持ちが晴れなくなる。胸の中にモヤモヤが溜まっていき、お腹の中がぐるぐると渦巻く感覚を覚える。

 その時だった。

 鞄に入れていたスマートフォンが電話の着信を告げる。画面を開くと、

『着信:水上進』

 私はバッと席を立ち上がり、船の後方まで移動して、周りに人気が無いのを確認してから電話に出る。

「もしもし」

『もしもし、アッサム?今大丈夫?』

 水上の声。最後に聞いたのは2日前の出発の日だった。たった2日しか経っていないのだが、それが随分と長く感じられた。久々に、好きな人の声が聞けるという事に、とてつもない安心感を覚える。

「・・・ええ、大丈夫よ。どうかした?」

『いや、大した用は無いんだけど・・・』

 電話口で水上が何かを言い淀んでいる。やがて、『あー』とか『えーっと』とつぶやいてから、小さく咳き込んでゆっくりと話した。

『・・・・・・アッサムと話してなくて、なんか寂しいと思ったから』

 私の顔は、今恐らく、みっともないくらいにゆるんでしまっているのだろう。

 それぐらい、今の言葉は嬉しかった。温かかった。

 だから、私も思っていたことを告げる。

「・・・私もよ。水上と話が出来なくて、少し寂しかった」

『・・・・・・そっか』

 水上が嬉しそうに呟く。

『そうだ、偵察大丈夫だった?変な事とかされてない?尋問とか、審問会とか、つるし上げとか』

 心配そうに聞いてくる水上。おそらく偵察や諜報活動という事に対していいイメージを抱いていないのだろう。そのことがおかしくて、私は思わず吹き出してしまう。

「大丈夫よ。偵察は無事に終わったわ」

『そう?よかった・・・』

 ほっと溜息をつく水上。

 水上は、真剣に私の事を心配してくれている。人に尽くす事を夢見る水上らしいと言えばらしい。

 そんな水上に対して安心感を抱いたところで、私の中にふとした疑問が浮かび上がる。

「ところで、気になったんだけれど」

『何?』

「戦車道の訓練はどうだったの?私がいなかったけど・・・」

『あー、それは・・・・・・』

 私は何気ない感じで尋ねるが、なぜか水上は気まずそうな声を出す。

『実は、な』

「?」

『・・・・・・俺、チャーチルの砲手をやらされた』

「へぇ~」

 なるほど、砲手をやったのか。大変だっただろうに。

何気ない感じで流そうとするが、私は一瞬の間を挟んだ後で、その言葉の意味が理解できずに聞き返す。

「・・・なんですって?」

『だから、チャーチルの砲手をダージリンに任されて、試合に参加させられた』

 沈黙。

 そして。

「・・・・・・えええっ!?」

 久々に、淑女らしからぬ大声を上げてしまう。割と距離を取っていたのだが、デッキの上ににいた客たちが、何事かと私の方を見る。だが、今の私はそんな事全く気にならない。

 むしろ気になるのは、水上がなぜチャーチルの砲手をやらされたのか、だ。

 

 さかのぼること数時間前、場所は聖グロリアーナ女学院の戦車格納庫前。

「ねえ、水上」

「なんでしょう」

 ダージリンが水上に語り掛ける。水上は、また審判を任されるのかな。何て事を考えていたが、ダージリンはこんなことを抜かしてきた。

「チャーチルの砲手をやってくれるかしら?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はい?」

 ダージリンの言っている意味が分からなかった。水上の隣に立つオレンジペコも、口をあんぐりと開けている。ルフナやルクリリにニルギリ、並んでいる戦車道履修生たちも表情が驚きに染まっている。

「だから、チャーチルの砲手をお願いしたいの」

 ダージリンがもう一度告げる。水上は手をブンブン振ってそれを拒絶する。

「何で私が」

「全国大会が近いのに、フラッグ車を務める私たちチャーチルが練習をしないなんておかしいじゃない。だから、あなたにはアッサムの代わりに砲手をやってほしいのよ」

「でしたら、整備班の方にお願いすればいいじゃないですか。あの方たちなら、戦車の仕組みにも詳しいでしょうし」」

「整備班はあくまで整備班よ。戦車の修理しかできない、実戦には向いていないわ」

「それを言うのなら私だってそうでしょう。男ですし、戦車道の訓練なんて双眼鏡で見ていただけです」

「見ていたなら試合での攻撃の要領は分るでしょう?」

「戦車に乗った事ありません。戦車は女性の乗り物でしょう」

「今はね。でも、昔は男が戦車に乗っていたらしいじゃない。何ら不思議ではないわ」

「それ以前に私は物を撃ったことなどありません」

「アッサムも最初はそうだったわよ。何事も最初は未経験からスタートする、普通にある事じゃない」

「いやしかし」

 何を言ってもダージリンに上手く返されてしまう水上。そこで、意外な方面からダージリンへの援護射撃があった。

「・・・やりましょう、水上さん!」

 列に並んでいたルフナだった。だが、水上はなおも食い下がる。

「ルフナ様、お言葉ですが・・・。何度も言っているように、私は男で、戦車に乗る資格などありません。砲手を務めた経験など皆無ですし」

 だが、水上の抗議の言葉をスルーし、他の履修生たちがルフナの言葉を聞いてからざわざわと話し始める。

「確かに、面白いかもしれませんね」

「ええ。男性が戦車に乗るのなんて、初めてですもの」

「どんな戦い方を見せてくれるのか、楽しみですね」

 みんななぜか肯定的な反応を現している。困り果てた様子で、水上は聖グロの常識人で最後の希望・オレンジペコを見つめる。

 ところが、オレンジペコも最初は困惑気味だったはずなのに今はキラキラした眼差しで水上の事を見つめている。

 どうやら、彼女も水上が戦車に乗るところを見てみたいそうだ。

(見るな、そんな目で見るな)

 オレンジペコへの協力を諦め、必死で目線をオレンジペコから逸らす水上。だが、その先にはニッコリ笑顔のダージリンが。

 そして、最終確認という意味で、改めて聞いてきた。

「やってくれるわよね?」

 というわけで今、水上はなし崩し的にチャーチルの砲手の席に座っていた。

(まさかこんなことになるなんて・・・)

 この学校に来た当初は、戦車道の給仕と言っても戦車に乗ることは無いだろう、とたかをくくっていた。戦車は女性の乗り物、男性が入る余地はない。そう思っていたのだが、まさか自分がその戦車に乗って、その上砲手を務める事になろうとは夢に思っていなかった。

 戦車に乗る前水上は、中は狭くて暑苦しい、というイメージがあったが、意外にも中はあまり狭くは無く、通気性もあるので別に死ぬほど暑いというわけではない。上下ぴっちりスーツを着ていた水上はとても蒸し暑かったが。

『それでは、試合開始!』

 審判係の生徒が、無線で試合開始を宣言する。それを受けて、ダージリンが自分のチームの戦車に前進の指示を出す。

 当然、水上の乗っているチャーチルも動き出す。初めて戦車に乗って、初めて戦車が動き出した。その場面に立ち会い、水上は僅かながらに感動する。だが、履帯のせいでお尻がぶるぶる震えていた。

「行きますよ、水上さん!一緒に勝利を掴みましょう!」

 なぜかテンションの高いルフナ。勝利を掴もうと言われても、水上は戦車に乗ったのも試合に参加したのも生まれて初めてだったので、何をどうすればいいのかさっぱりわからない。一応、撃ち方の説明は一度だけされたが、ちんぷんかんぷんだ。

今回の模擬戦の内容は、ダージリンからの説明にもあった通り、市街地にて、5対5のフラッグ戦。ダージリンが車長で、現在水上が砲手を務めているチャーチルがフラッグ車のAチームと、ルクリリが車長を務めるマチルダⅡがフラッグ車のBチームに分かれている。

 だが、砲撃訓練も行っていない水上が、撃ってもまともに当たるとは到底思えない。それはダージリンもオレンジペコもルフナだって十分理解しているだろうに、なぜか得意げな表情だ。

 水上は、スコープの中を覗き込む。古い建物が並ぶ街並みが見えるが、まだ戦車の姿は見えない。

 ともかく、素人の水上は、ガンガン撃って敵をやっつけよう、と考えた。

「逸る心を抑えるのよ、水上」

 ところが、その考えが読まれたのか、そばにいたダージリンに声を掛けられる。

「アッサムは、常に冷静に敵を撃滅してきたわ」

 そう言われて、気づく。水上が今座っている場所に普段いるのは、アッサムだ。

 アッサムは、どんな気持ちで試合に臨んていたのだろう。大洗の時のように、やはり緊張していたのだろうか。

「焦ると攻撃は絶対に当たらない。気持ちを落ち着かせて、敵を倒す事に集中するの」

 ダージリンの言葉は、もっともだった。焦って攻撃をやたらめったらに行っても、当たらないものは当たらない。大洗女子学園との練習試合で、それは分かっていた。

「・・・・・・」

 加えて、今自分がいる場所にはもともとアッサムがいたのだと思うと、なんだか気持ちが落ち着いてくる気がする。

 まるで、アッサムが傍にいてくれているような感じだ。

(・・・・・・へっ)

 試合中にもかかわらず、好きな人―――アッサムの事を思い出して、アッサムが傍にいる気分になると、先ほどまでの逸る心が落ち着いたのを感じた。

 そしてその直後。

「!」

 スコープの中に、一台の戦車が現れる。それは角ばった青い車体のクルセイダー。こちらに向けて砲塔を向けていた。

(落ち着け、冷静になれ)

 弾の装填はオレンジペコが済ませてある。後は照準を合わせて、トリガーを引けば砲弾が放たれる。

 水上は、照準をクルセイダーにゆっくりと合わせる。

 その時、クルセイダーからの砲撃を受けるが、チャーチルの厚い装甲は、離れた場所にいるクルセイダーの砲弾を弾いた。

「!」

 そこで、水上がトリガーを引くと、砲弾が放たれる。しかし、攻撃はクルセイダーには当たらず、その近くにある一軒家に当たった。

(まあ、そう上手くは行かないよな)

 ところが、水上の攻撃が命中した一軒家がガラガラと音を立てて倒壊し、道を塞いでしまった。

 それを確認したクルセイダーは、向きを変えて別の道へと回ることにしたようで、チャーチルの前から姿を消した。

「やるわね、水上」

「え?」

 ダージリンが水上を褒めるが、水上はなぜ自分が褒められたのか分からない。その理由を聞くために、水上はスコープから目を離してダージリンに身体を向ける。

「今の攻撃であの家を崩さなければ、クルセイダーはこちらに接近して、撃破された可能性があるわ」

「・・・・・・」

「でも、あなたの攻撃で家を崩して道を塞ぎ、クルセイダーの侵攻を阻止したのよ」

「そう、ですか」

 褒められるのは嬉しいが、今のは完全なまぐれだ。狙ったわけでもないので、微妙な気持ちになってしまう。

 そんな水上をよそに、ダージリンが次の指示を出す。

「ルフナ、あの瓦礫を乗り越えられる?」

「当然です」

 ルフナがチャーチルを前進させる。チャーチルの登坂性能があれば、瓦礫の山を乗り越えるなど容易いものだ。

 瓦礫を乗り越えるチャーチル。瓦礫の上を通る間、戦車の中は左右上下に傾き、ごつごつした感触が履帯を通して体に響く。

 そんな中でも、ダージリンは手に持ったカップに入っている紅茶を一滴もこぼさない。『どんな走りをしようとも紅茶を一滴もこぼさない』という聖グロリアーナの噂は本当だったと改めて認識させられた。

「この調子で頑張りましょう、水上さん!」

 瓦礫を超えると、ルフナが後ろを向いて水上に笑いかける。いったいなぜ、ルフナはここまで元気なのかが水上には皆目見当がつかない。だが、ルフナの言う通り、とにかく頑張るしかなかった。

 結果、このあと水上は数発ほど撃つ機会があったのだが、戦車に当たる事はおろか掠る事も無かった。だが、ダージリンは『威嚇と牽制としては十分』と評価してくれた。オレンジペコも『お疲れ様でした』と労ってくれたし、ルフナに至っては水上の手を掴んでブンブン振りながら『すごかったですよ!』と絶賛した。

 

『・・・とまあ、そんな感じで何とか終わったよ』

「へぇ・・・」

 水上は何て事の無いように話しているが、私からすれば『すごい』としか言いようがない。

 まず、男が戦車に乗るという事自体が稀だし、訓練とはいえいきなり練習も行わずに実戦投入というのもすごい。おまけに、あのダージリンから褒められるなど、通常ならばあり得ない事だ。

 私だって、最初の頃は戦車に当てる事も掠り傷を負わせることもできなかった。その時の隊長からは『まだまだ練習が必要ね』と言われて、初心者ながらに悔しいと思っていたものだ。

『でも、今回戦車に乗って分かった事があるよ』

「何が?」

 水上が話しかけてきたので、私は思考を一度中断する。

『やっぱり、アッサムは凄いって』

「・・・どうして?」

 いきなり自分が褒められたので、嬉しいと思う前に驚く。

『あんなガタガタ揺れる戦車の中で、冷静に相手を狙って攻撃して、撃破するなんて、すごい難しいことだよ。それに、紅茶をこぼしたりもしないんだってね。それを平然とやってのけるアッサムが、すごいって思った』

「・・・・・・」

 水上は、自分の事を褒めてくれている。それはとてつもなく嬉しい事だし、自分の事が誇らしく思えてくる。

 けれど、ここで水上の言葉を否定したとしても、水上は『それでも』と、私を肯定する言葉見つけて、私の事を褒めてくれるに違いない。

 だから、水上に対して告げる言葉は、一つだけだ。

「・・・ありがとう」

 そこで数秒の間が開く。このまま沈黙が続くというのも居心地が悪いので、今度は私の言葉を聞いてもらう事にしよう。

「・・・ねえ、水上」

『何?』

 今、私は精神的にも身体的にも疲労している。

「私、ね」

『うん』

 だから、少しくらい、わがままを言っても責められはしない、と思う。

 私の中にある、ちょっとした願い事を、水上に告げることにした。

「帰ったら、水上の紅茶を飲みたい」

 水上は少しの間沈黙し、やがてこう言ってくれた。

『・・・分かった。美味しい紅茶を淹れてあげるよ』

「・・・・・・うん」

 私が頷くと、水上は、優しい、穏やかな口調で告げる。

『だから、早く帰っておいで。待ってるから』

「・・・ええ」

 そして、電話が切れる。私はしばらくの間、電話が切れたスマートフォンを見つめると、ポケットにしまう。

 海の方を見る。相変わらず、海面に光が反射している月が綺麗だった。

「・・・・・・・・・」

 船が汽笛を鳴らして、岡山港に入港する。その後は新横浜まで新幹線。そして横浜港から連絡船に乗って聖グロリアーナに戻る。

 聖グロリアーナに着くのは、明日の朝だ。

 そしたら、水上の紅茶を飲みながら、作戦を立てよう。

 

 水上は、目の前の光景に圧倒されていた。

 アッサムが、一心不乱に画面を見続けながらキーボードを叩いている。ブラインドタッチというやつだ。パソコンには、水上が戦闘詳報を報告する時にも使ったレポートソフトが映し出されており、白紙の文面に猛烈な勢いで文字が入力され、戦力データを表したグラフが書き込まれる。

 かれこれ一時間はこの状態だ。アッサムの手元にあるカップの中の紅茶もとうに無くなっていたが、水上は紅茶を淹れるのを躊躇っていた。今、アッサムの集中を切れさせるような真似は、許されないと思ったから。

水上もパソコンは結構するほうだが、一時間も連続で文字を打ち込むなんてことは滅多にない。

 今、アッサムが作成しているのは対BC自由学園戦の作戦要領書だ。過去のBC自由学園の戦績と、実際にアッサムが偵察に行って入手した情報をもとに、聖グロリアーナが勝つことができる作戦を立てている。

 水上は、戦車道の給仕で砲手の経験も一度だけあるとはいえ、結局は素人だ。だから、作戦がどんな内容なのか、グラフや表のデータが何を表しているのかは全く分からない。

 だが、アッサムの驚異的な集中力を目の当たりにして、アッサムは真剣に作戦を考えている、聖グロリアーナが勝てるような作戦を考えてそれを文章に記している、というのだけが水上に伝わってきた。

 しばらくして、アッサムがエンターキーを『ターンッ』と勢いよく叩く。

「・・・できた」

 アッサムが小さく呟く。作戦要領書は完成したらしい。

 後は、これをダージリンに見せて、細かい部分の指摘を貰い、それを加味してさらに書き直して、ダージリンに了承をもらえれば完成だ。

「お疲れ様です」

 水上がねぎらいの言葉をかけて、空になったティーカップに紅茶を注ぐ。今日の紅茶はアッサムティーだ。

「ありがとう、水上」

 アッサムが紅茶を一口飲んで口の中を湿らせる。そして、『美味しい』と目を閉じて告げた。一杯目と比べるとわずかに温度が下がってしまったが、それでも十分美味しかった。

 今、この『紅茶の園』の部屋にいるのは水上とアッサムの2人だけだ。今日は金曜日で戦車道の訓練もあったのだが、ダージリンとオレンジペコは不在だった。というのも、次の土曜日に大洗女子学園とサンダース大付属高校の試合が淡路島で行われるため、2人はその観戦に行っている。

 なぜ、試合を見に行くのかを水上が聞くと、ダージリンはこう言ったのだ。

「大洗女子学園との試合は面白かったわ。そして、大洗女子学園はまだまだ強くなると思う。そして、もしかしたら、またみほさんと砲を交える事になるかもしれない。その時のために、みほさん達の戦い方を学ぶのよ」

 それにオレンジペコを連れて行ったのにも理由はある。

ダージリンは、自分が卒業した後、オレンジペコを戦車隊の隊長にしようとしているのだ。それで、他の学校―――特に大洗女子学園の戦い方も見ておくべきとダージリンは考えて、オレンジペコを連れて行ったのだ。

 水上も同行するべきかを聞いたが、ダージリンは首を横に振った。あくまで、“聖グロリアーナの生徒”として行くのではなく、“個人”としてダージリンとオレンジペコの2人だけで行くらしい。

 よって、水上は聖グロリアーナに残る事となったのだ。

 その結果、今日の戦車道の訓練はチャーチル抜きでの訓練となった。内容は、マチルダⅡとクルセイダーが2輌ずつ計4輌のチーム同士でのフラッグ戦だ。アッサムと水上、ルフナは試合の審判を務めた。

そして現在、『紅茶の園』では水上はアッサムと2人きりの状況になっている。最初、アッサムは『2人だけだから敬語は無しでいい』と言ってきたのだが、隣の厨房にはルクリリやルフナなどの戦車道履修者がいる。もし聞かれでもしたら、誤解されかねない。水上がそう言うと、アッサムは渋々敬語を承諾した。

「・・・はぁ」

 アッサムが溜息をつきながら肩をぐるぐる回す。長時間パソコンを見続けながら指を動かしていたので、肩が凝ってしまったのだろう。おまけにアッサムは、岡山から戻ってきたばかりだ。偵察と長時間の移動の疲れも溜まっているに違いない。

そう考えた水上は、アッサムに『失礼します』と一言断りを入れると、優しく肩に手を当てて、丁寧にゆっくりと揉みしだく。

「あっ・・・ありがとう・・・」

「いえ、これしきの事」

 水上は口では冷静を装っているが、内心では制服越しとは言えアッサムの身体に触れているというこの状況に胸が高鳴っている。

 普段から周りに気を遣っている水上が、疲れた様子のアッサムを見て放っておけないと即座に判断して、迅速に行動を起こしてしまったのが、かえって仇となってしまった。しかし、今さら止めるわけにもいかないので肩もみを続けることにする。

 アッサムの身体は、男の水上からすれば華奢と表現するくらいには細く、そして小さい。肩に触れた時、アッサムはビクッと身体を震わせたが、今では水上の手に身体を委ねている。

 また、肩を揉まれているアッサムも同様に、制服越しとはいえ水上に身体を触れられているという状況にドキドキしていた。

 水上の手は、アッサムからすれば大きなものだった。けれども、その手は優しく自分の肩を揉み解してくれている。正直言って、とても気持ちがいい。声が出てしまいそうだ。

 だが、お互いにそれを言葉にすることは無く、だが表情には確実に現れているので、お互いに顔を合わせずにいる。

「結構凝ってますね」

「そうね・・・んっ。長時間の移動で疲れて・・・あっ。その上、パソコンで肩が凝って・・・んんっ。正直、辛かったの・・・あんっ!」

 恐らくは凝りが解されているのが気持ち良いのだろう、肩を揉むたびに官能的な声を上げるアッサム。

それを聞いて水上は、何も感じないほどの朴念仁ではない。聖グロリアーナの給仕であろうと、人に尽くすことを夢見ていようと、心は純粋で健全な男子高校生だった。

 何が言いたいかというと、ものすごいざわざわ来る。

 だが、水上は下唇を切るほど思いっきり噛みしめて、昂る感情を隠している。

(無心、無心、無心、無心、無心)

 心の中で無心と唱え続け、耳に入ってくる音をただの空気の振動と認識し、何とかして理性を働かせる。

 やがて、全体的に肩をほぐし終えると、アッサムが手を挙げて水上を制する。

「ありがとう、水上。だいぶ楽になったわ」

「それは何よりです」

 平然を装って答える水上。アッサムの言葉を聞いて、水上は色々な意味で安心した。

(危ない、もう少しで抑えが利かなくなるところだった・・・)

 何とかこれまでのピンクがかった場の雰囲気を変えるために、水上は話題を変える事にする。

「もうすぐ全国大会ですが、その前に一度お休みになられては?」

「そうね・・・」

 水上は、話題を変えるという目的もあったし、何より疲れたアッサムを気遣ってこの話題を口にした。

「全国大会も大事ですが、アッサム様は聖グロリアーナの参謀で、チャーチルの砲手です。試合の日に倒れてしまっては、元も子もありません」

「・・・・・・・・・」

「アッサム様が倒れたりでもされたら、皆さんはとても悲しみますよ。もちろん、私も悲しみます」

 水上はあくまで低姿勢に話す。

それを聞いていたアッサムは、一つの事を考えていた。

 BC自由学園から聖グロリアーナに戻る時、連絡船の上で楽しそうに話をしていた―――おそらくはデート中だったカップルを見ていて、アッサム自身も水上とああいう関係になりたい、と思っていた。

 そして今、自分は休むべきだと告げられた。

 さらに、明後日は日曜日で、戦車道の訓練も無い休みの日だ。

「・・・ねえ、水上」

「はい、なんでしょう」

 水上と視線を合わせずに、アッサムは水上に話しかける。水上は、まだ警戒してはいない。

「・・・明後日の日曜日、何か予定はある?」

「日曜日ですか?いえ、私には特に予定はございません」

「そう」

 チャンスだ。アッサムはそう感じる。

「・・・その、水上さえよければ、なんだけど・・・」

「?」

「・・・・・・次の日曜日、私と、その・・・」

「何でしょうか?」

 最後の言葉が、恥ずかしくて出てこない。背中に感じる、水上の優しい視線が突き刺さるように痛い。

 だが、ここで一歩踏み出さなければ、チャンスをふいにしてしまう。今この場にはダージリンとオレンジペコはおらず、自分と水上しかいない。こんなことを面と向かって言うことができる機会は、恐らく二度と訪れないだろう。

 言え、たった一言だけ、それだけで済む。

 多分、言わなければ、すごい後悔してしまうから。

 アッサムは、腹を決めて口を開き、言葉を紡ぐ。

「・・・・・・一緒に、出掛けない?」

「・・・・・・・・・」

 意を決してアッサムが告げる。

 水上が黙り込む。おそらくは、アッサムの言葉の意味を理解しようとしているのだろう。

 やがて、水上がハッとしたような表情でアッサムの事を見る。

 水上の頭の回転は、ごく普通の一般レベルだ。

 休日に、女性と、一緒に、出かける。

 それが意味する事が何なのかが分からないほど、水上も鈍くはない。

「・・・それって、つまり・・・」

 水上が何かを言おうとするが、そこでアッサムが振り返って、顔を赤くしながら、水上にこう言った。

 

「私と・・・・・・デート・・・してくれる?」

 

 上目遣い、顔赤らめ、乞うような話し方。

 それを全身で受け止めた水上は、頭の中で『うぇああああ!?』と喜んでるのだか驚いてるのだか分からないような声を上げる。

「あ、ええと・・・・・・」

 どう返事をすればいいのか分からない。デートのお誘いなど、生まれてこの方初めてだった。

 もちろん内心では、飛び跳ねるくらい喜んでいた。もちろんぜひ行きたいと言いたかった。好きな女性からデートのお誘いを受けるなど、人生で経験することは無いだろうと思っていたのだから。

しかし、それを素直に表現してしまえば、アッサムからは気持ちの悪い男だと思われかねない。それだけは絶対に避けるべきだった。

 こういう時は、何と言うべきだろう?嬉しいです?はい、喜んで?あ、これは居酒屋だ。

 どう返せばいいのか困惑する水上を見て、アッサムはしゅんと落ち込んでしまう。

「・・・ごめんなさい、迷惑よね」

 アッサムの表情に陰りが生じたのを見て、水上は心が締め付けられるような感覚に陥る。

 アッサムだって、きっと勇気を振り絞って自分をデートに誘ったのだ。それに応えなくして、何が給仕だ、いや、それ以前に男としてどうなんだ。

「そんなことは、ありません」

 水上が、アッサムの肩をガシッと掴む。アッサムは、『あっ・・・』と小さく声を上げ、心底驚いたような表情で水上を見つめる。

「私のような者でよろしければ、喜んで、お付き合いさせてください」

 至近距離で、真剣なトーンで告げられて、アッサムは顔をわずかに紅潮させて戸惑う。

「あ、ありがとう・・・・・・」

 そして、顔が近すぎたと今さら気付いた水上は、肩から手を離して、一歩下がる。

 そしてまた、沈黙。

 どうしたものかとアッサムが目を泳がせると、時計はちょうど6時を指していた。

「あ、もうこんな時間・・・」

「そ、そうですね。じゃあ、今日はお開きという事で・・・」

 アッサムが立ち上がり、ノートパソコンを畳む。そして、周りに散乱していた資料を纏める。

 水上も資料を纏めるのを手伝い、アッサムの持って来ていたファイルに丁寧に挟んでいく。

 そして片づけが終わると、アッサムと水上は並んで『紅茶の園』を出る。その出口でアッサムを見送ろうとして、水上の耳元にアッサムが顔を近づけて、こう言った。

「詳しい話は・・・・・・メールで・・・ね」

「・・・はい」

 突然近づいてきたアッサムの顔に動揺しつつも、水上はかろうじてまともな返事を返す。それを聞くと、アッサムは心なしか嬉しそうに寮へと戻って行った。

 その後は、普段と同じように、何気ない表情で、皿洗いと掃除を手伝うことにした。

 だが、皿洗いをしていた履修者が帰り、さらに掃除をしていた他の履修者たちも帰し、『紅茶の園』から誰もいなくなったところで、水上は。

「~~~~~~~!!」

 声にならない声を上げて、大きくガッツポーズを取った。




深夜テンションで色々おかしなことになってしまってるかもしれません。

感想・ご指摘等があればお気軽にどうぞ。


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男性として

お気に入りが300を超えました。
こんな作品に付き合っていただいて、ありがとうございます。
今後とも、よろしくお願いいたします。

今回、変なところで話が切れますので、ご注意ください。



 日曜日の朝6時半。場所は聖グロリアーナ連絡船の搭乗口。

 そこで水上は、腕を組んでアッサムの事を今か今かと待っていた。

 朝一番の連絡船の出発時刻は午前7時。待ち合わせはその15分前の6時45分。そのさらに15分前に、水上は待ち合わせ場所に来ていた。女性の事を待たせるのは男性のポリシーではないと水上が思っていので、多少早めに待ち合わせ場所で待つことにしたのだ。

 ついでに言えば水上は、昨日の夜一睡もしていない。

 何せ、生まれて初めて、女性と2人だけで、街へ出かけるのだ。好きな女性と、デートをするのだ。緊張して、興奮して眠れなくなることを、誰が責められるだろうか。

 水上だって、少しくらい眠らないとマズいという事は十分理解していた。なので、本を読んだり、温かい緑茶を飲んだり、明日の本土でのデートコースを調べるなどして眠気を引き起こそうとしたのだが、逆効果にしかならなかった。

 さらに、アッサムの気分を損ねないような、それでいて歩いていて楽しいデートコースを考えるというのは思いのほか頭を使った。正直、学校での試験以上に知恵を絞って最適解を導き出してきた。

 一応、デートコースは考えてきたのだが、予定通りに行くとは思えないし、アッサムがこれを気に入るかどうかも分からない。

 とにかく水上は、アッサムの気を損ねないように、細心の注意を払って今回のデートに挑む事にする。

 頭の中で昨日考えたデートコースを思い出して、これから始まる生れて初めてのデートに向けて精神統一をしていると、こちらに近づいてくる人影があった。その人物に水上は目を向けて、目を見開く。

 そこにいたのは、間違いない、アッサムだ。それは分かる。長いブロンドヘアーに、それを纏める青いリボン、整った顔立ち。それは忘れようのないものだ。

 だがその顔には、注意深く見なければわからないが、わずかに化粧が施されている。

 服は、紫のサッシュ・ブラウスにスキニージーンズ、青のサンダル。夏へと近づいているので、涼し気な印象を抱かせてくれる。青と紫という色合いも、落ち着いた雰囲気だ。肩には、ポケットがいくつかついている茶色のトートバッグをかけている。

 前の休日で、ダージリンたちと出かけた時とはまた違う服装。それがとても新鮮だった。

 その服装と化粧に見惚れている間にも、アッサムは水上に近づいてくる。向こうも水上に気付き、小さく手を振ってきた。

「ごめんなさいね、待ったかしら?」

 アッサムが水上に話しかける。水上は、いやいや、と笑って手を振る。

「大丈夫、今来たところだから」

 デートの定番ともいえるセリフを言われて、アッサムは小さく笑う。水上もおかしくなって吹き出す。

「じゃあ、行こうか」

「ええ」

 水上とアッサムは、並んで連絡船に乗り込む。

 学園艦と本土を結ぶ連絡船は、一般人が乗船する場合は料金がかかる。だが、その学園艦の生徒と証明できるものがあれば、無料で乗ることができるのだ。

アッサムは生徒手帳を係員に見せ、船に乗る。水上も、聖グロリアーナの教員がもっているようなIDカードを見せると、係員から許可をもらって乗船する。

 朝一番という事と、乗船開始から間もないという事もあって、船の中に人気は無い。

 水上とアッサムは、屋内にある席に座るか、甲板上にある席に座るかで悩んだが、潮風を感じることができるという理由で、デッキの上にある席に並んで座ることにした。

 船が出発するまでの間、水上とアッサムは互いに黙りこくっている。2人きりの状況で沈黙を貫くというのはとても難しい。隣にいる人が好きな人であればなおさらだ。

 先にその沈黙に耐えられなくなったのは、アッサムの方だった。

「水上」

「ん?」

「昨日は、眠れた・・・?」

「全然」

 アッサムの問に水上は間髪入れず即答する。アッサムは、目を真ん丸に開く。

「女の子と2人で出かける・・・というか・・・デ、デートなんて初めてだから緊張して一睡もできなかった」

「・・・そう、なんだ」

 アッサムは、顔を赤らめて俯く。

 水上が、このデートの事を意識してくれていることが、嬉しくもあり、恥ずかしくもあったからだ。

「私も・・・ちょっと寝不足だから・・・」

 言ったところで、アッサムが小さく欠伸をする。口元は抑えて、上品に。

「やっぱり、緊張して?」

「ええ・・・。私も初めてだから」

「・・・・・・よかった」

 水上が安心したようにつぶやいたのを聞いて、アッサムは眉をひそめて水上の方を見る。

「何が良かったの?」

「え、ああ、いや。それはだな・・・」

 水上が『しまった』と言いたげに目を逸らすが、アッサムは水上から視線を逸らさない。その視線に耐えかねて、水上は観念したように肩をすくめてこう言った。

「アッサムは、可愛いし、頭も良いから、こういう経験は結構あるんじゃないか、って不安だったんだ」

 面と向かって可愛いと言われて、アッサムは顔を赤くして目をギュッと瞑る。

「でも、アッサムも初めてって聞いて安心した。俺が、アッサムの初めてになることができたんだと思うと、ちょっと嬉しい」

 どうしてこの人は、こうやっていつも、私が喜ぶような事ばかり言えるのだろう。私の心を、温めてくれるのだろう。

 たまらずアッサムは、隣に座る水上の手を握る。

「・・・・・・!」

 水上がびっくりした様子でアッサムを見るが、アッサムは意地でも水上と目を合わせようとはしない。

「・・・・・・」

 水上も、アッサムの手を握り返す。アッサムの手は小さいけれど、温かかった。

 そんな状況がどれだけ続いただろうか。連絡船が汽笛を鳴らして、聖グロリアーナ学園艦から離れていく。いつの間にか、出発時刻になったらしい。

 学園艦から本土までの時間は、正直なところ分からない。学園艦は常に移動を続けているので、本土からの距離も当然変わってくる。だから、学園艦と本土を結ぶ連絡船の航行時間はバラバラだ。

 だが、アッサム曰く、今聖グロリアーナがいる場所から、横浜港まではおよそ2時間ほどで着くそうだ。

 さて、その間はどうやって時間を潰そうか。

 普段ならスマートフォンでも眺めて過ごすのだろうが、それはデート中では御法度だ。それなら自然と会話でもして場を繋ぐのがセオリーだが、こういう時はどんな会話をすればいいのか、水上にはまったくもって分からない。

 そこで、アッサムが握っていた手を解いて水上に尋ねる。

「ところで水上、朝食は?」

「え?食べてないけど・・・」

 徹夜でデートコースを考えていたために、空腹という感覚を失っていた水上。ホテルを出る直前で、そう言えば朝ご飯はどうしようと思い至ったのだが、生憎その時間にはホテルの食堂は開いてはいなかった。コンビニで買って待ち合わせ場所で食べるという手もあったが、立ちながら食べるというのは聖グロリアーナの生徒としては行儀が悪いと思ったので諦めた。この時点で、水上は聖グロリアーナの校風に毒されていることに、気づいてはいない。

 仕方ないので、本土に着いたら何か買って食べよう、そう思っていたのだが。

 そこでアッサムが、おもむろに鞄から小さなバスケットを取り出すと、膝の上に載せて蓋を開く。

 そこには、イチゴジャムやゆで卵、キュウリなどが挟まれた小さなサンドイッチがいくつも入っていた。

「・・・・・・え?」

 水上が信じられない物を見る目でアッサムの方を見るが、アッサムはやはり視線を合わせようとはせず、頬を赤くして海の方を眺めている。

「・・・作って、きたの。良かったら食べて」

 食べないという選択肢は存在しない。速攻で判断し、ゆっくりとイチゴのジャムが塗られたサンドイッチに手を伸ばす。そして、一口食べて。

「・・・美味しいよ」

 裏表のない、正直な感想をアッサムに告げる。それを聞いてアッサムは、胸をなでおろした。

「よかった・・・・・・こういうことするのは初めてだったから、どうしていいのか分からなくて」

「・・・そうだったんだ」

 アッサムが、自分のために作ってくれた。そう思うと、サンドイッチを食べる手が止まらない。アッサムの分もちゃんと残しているが。

 サンドイッチのパンも、ジャムも、キュウリも、市販のものだというのは分かる。けれど、それでも水上にとっては十分だった。アッサムが、自分なんかのために時間を割いて作ってくれたものだ。それが美味しくなくて、なんだという。

 水上がパクパクとサンドイッチを食べている様子を見て、アッサムは笑みを浮かべる。そして、自分もサンドイッチを1つ手に取って食べる。

 サンドイッチを料理と呼ぶかどうかは疑わしいが、人のために料理を作るなど初めての事だったので、不安でいっぱいだった。水上は美味しいと言ってくれるだろうか、そもそも迷惑と思われないか、と不安と戦いながら作ったが、水上が美味しそうに食べてくれて、美味しいと言ってくれて、心底ほっとした。

 サンドイッチを食べ終えると、水上はBC自由学園はどうだったのかをアッサムに聞いた。アッサムは、フランス系のメニューはボリューミーで重い、内部抗争に揉まれて疲れた、などと愚痴をこぼす。こんなことは、他の聖グロリアーナの生徒には言えない事だったが、水上には自然と話すことができた。やはり、お互いにタメ口で話せて、それでいて付き合いが長いからかもしれない。

 アッサムの話を聞き終えて、水上はアッサムにこう言った。

「今日だけは、戦車道の事を忘れて、目いっぱい楽しもう。それで、来週の全国大会に向けて英気を養うんだ」

「・・・そうね」

 水上の笑顔に、アッサムも笑顔で答える。

 気が付けば、連絡船はベイブリッジの下をくぐり、横浜港に入港していた。

 

 連絡船が港に着くと、アッサムと水上は横浜の地に足を付ける。思えば、横浜に戻ってきたのは4月以来だ。

 アッサムが背伸びをする。水上はきょろきょろと辺りを見回す。

 時刻は9時。商店が開くのは大体10時すぎぐらいからなので、今街やショッピングモールへ行っても店は閉まっているだろう。

 それに、水上は最初に行く場所は既に決めていた。

「アッサム」

「何?」

 自分のプランを言おうとするが、それがアッサムに受け入れられるかどうかは分からない。だから、不安な気持ちでこれからの行動を提案する。

「・・・・・・映画、でもどうかな?」

 言っていて不安感が増していき、ついアッサムから視線をそらしてしまう。

 けれど視線をおっかなびっくりアッサムに戻すと、アッサムは嬉しそうに笑みを浮かべていた。

「・・・私も、そう思ってた」

 水上がホッと一息つく。そして2人は、並んで港から移動を始める。通りを歩いていると左手に、海沿いに伸びる公園が見えた。

 アッサムは自然と足を止める。水上も、並んで止まる。

「・・・あの時は、もう二度と会えないと思ってた」

 アッサムが感慨深そうに、公園を見ながら呟く。あの時というのは、3月末にバス停でアッサムと出会い、あの公園で分かれた時の事だ。

「・・・でも、今こうして俺とアッサムは一緒にいる」

 そう言ってアッサムの手を優しく握る水上。アッサムも、水上の手を握り返す。

「本当に、また会うことができてよかったよ」

「私も、水上と再会できてよかった」

 2人は手をつないだまま再び歩き出し、映画館のある方向へと向かう。

 心なしか、2人の間の距離は少し縮んでいた。

 

 20分ほど歩いたところで映画館に着く。

 水上が好む映画のジャンルはアクションものだった。だが、今はアッサムとのデート中。下手な映画のチョイスをしてがっかりさせるというのは論外だし、自分の趣味を押し付けるというのもどうかと思う。

 だから水上は、前日にこの映画館でやっている映画をすべてチェックして、さらにデートで見るに相応しい映画を調べ上げて、やがて今話題の恋愛映画にしようという結論にたどり着く。

 アッサムに、この映画にしようと提案すると、アッサムは頷いてくれた。

「私も、これが見たいと思ってたのよね」

 水上は涙が出そうになった。映画を見たいという意見も、この恋愛映画を見たいという意見も、一致した。アッサムと考えが同じ、という事に充実感を覚えて、水上は幸せな気分だった。

 券売機で水上は、該当する映画の2人分のチケットを買う。アッサムはそこで『えっ・・・』と声を上げるが、水上は聞こえないふりをして、チケットをアッサムに手渡す。

 アッサムはそこで財布をバッグから取り出そうとするが、水上はアッサムの腕を掴んでそれを止めさせた。

 水上に無言の笑顔を向けられて、アッサムは渋々財布を取り出すのを止める。

 続いて売店でお菓子と飲み物を2人分買い(これも水上が買った)、2人で劇場内に足を踏み入れる。

 今話題の映画という事で、客入りは上々だった。水上は、一番見やすい真ん中あたりの席を取っていた。もちろん、アッサムとは隣同士でだ。

 やがて上映が始まる。映画館で映画を見る事自体、水上もアッサムも久々だったし、水上に至っては恋愛映画を見る事など生れて初めてだった。その初めてが好きなアッサムと一緒とは、忘れられない経験になるに決まっている。

 映画の内容は、身分の違うお嬢様なヒロインと、凡人の主人公の男がふとしたきっかけで恋に落ち、様々な障害を乗り越えながらやがて結ばれるという、言ってしまえばありがちといえる内容だ。

だが結ばれた後で、ヒロインが難病を抱えていると告白し、残りの寿命は後僅かと医師から告げられて、主人公は絶望に打ちひしがれる。何とか手を尽くそうとしても、ヒロインの寿命は刻一刻と迫ってくる。もう、手は残されていないと主人公とヒロインが悟り、病床で眠るヒロインに主人公が小さく口づけをする。

 すると、奇跡的にヒロインの容態が快復し、難病が治ったのだ。主人公とヒロインはお互いに喜びを分かち合い、遂には結婚し、物語はハッピーエンドを迎えた。

 内容は王道だが、それ故に万人受けする内容であるため、人気があるのもうなずける。

 上映終了後、場内の至る所から涙を啜る声が聞こえてきた。現に、水上の隣に座っているアッサムも、目元が赤くなっていて、口元を手で抑えている。

 恋愛映画を見た事がない水上も、この作品を見て涙腺が緩みそうになった。

 そして気づけば、水上はアッサムの手を優しく包み込むように握っていた。それに気付いた水上が手を離そうとするが、アッサムはそれを拒む。

「・・・お願い」

「えっ・・・」

「もう少しだけ・・・このままでいさせて」

 他の客たちが劇場を去っていく中で、水上とアッサムは席に座ったまま、お互いに手を握っていた。そして、他の客が全て退出し、清掃員のおばちゃんが入ってきたところで、2人は席を立ち映画館を後にした。

 ちなみに、映画の中で主人公とヒロインがキスをするシーンがあったのだが、そこで水上とアッサムは、お互いに自分の唇に指をあてて顔を赤らめていた。

 なぜかと言うと、アッサムは、水上の頬にキスをしたことを、水上はアッサムの額にキスをしたことを思い出したからだ。

 そして、お互いに隣にいる者からキスをされたことを思い出して、さらに顔を赤くした。

 

 映画館を出ると、時刻は12時前。ちょうどお昼時という事で、どの飲食店も混みあっていた。おそらく、どの店も行列ができていてすぐには入れないだろう。そこで2人は、時間をずらして食事を摂る事にし、しばしの間街を散策しようという方針で行くことにした。

 ずっと暗い場所で映像をじっと見ていたので、外に出て太陽の光にさらされると水上とアッサムは目を細める。いつもより太陽の光が眩しく見える。

 2人は並んで街を歩き、やがて雰囲気の良さそうな服飾専門店を見つけ、『入る?』『ええ』の一言で入店する。

 メンズ、レディースを問わない衣服を置いているようで、種類も豊富だった。店内にはジャズが流れており、店の雰囲気を壊さず、なおかつ客の気分を盛り上げるような演奏がスピーカーから聞こえてくる。

 そこで、小規模のアッサムファッションショーが開かれた。

 具体的には、アッサムが新しく服を買いたいと言い出して、水上に意見を求めてきたのだ。だが、水上には女性の服のセンスが全く分からない。どうしたものかと迷っている間に、アッサムが試着室で服を着替えて水上の感想を待つ。着ていたのは白のワンピースだった。

 正直な話、アッサムは何を着せても似合うと言えるくらい可愛かった。しかし、ここであてずっぽうに可愛い、何て言ってしまい、アッサムに変な服を着せるという事だけは避けたい。かといって、正直にバッサリと『分からない』と言ってしまえば、アッサムは傷ついてしまうだろう。

 だから、

「・・・俺は男だから、女性の服のセンスはよくわからない。でも、似合っていると思うよ」

 最初に分からないと言った上で、正直な感想を述べる事にする。

「・・・ありがと」

それを聞いてアッサムは、満足したのか次の服へと着替える。

 青のセーターは、聖グロリアーナの制服と似ているとコメントし、紫のペプラム・トップスはモデルみたいと評価する。

 やがて一通り試着し終えて満足したのか、アッサムは水上から評価してもらった白のワンピースと、紫のペプラム・トップスを買うことにした。ここでも水上は財布を取り出そうとするが、アッサムがその前にカードで会計を済ませてしまう。

 少し負けた気分になったので、さりげなく水上は、アッサムの買った服の入っている袋を持つ。

「・・・・・・」

 アッサムはあっけにとられた表情をしていたが、水上は気にせず店を出ることにした。

 店を出たところで時刻は1時過ぎ。まだまだ飲食店は混んでいたが、それでもピークは過ぎたようで行列ができているお店はそれほど多くは無い。

 さて、どこでご飯を食べようか。辺りを見回すが、ジャンルは様々で、和食、洋食、中華、イタリアンなど色々あった。

「アッサムは何か食べたいものがある?」

 水上がアッサムに聞くと、アッサムは意外にも『蕎麦が食べたい』と言い出した。

 ここで水上は思い出す。アッサムは日本人離れした容姿をしているし、学校もイギリス風だが、実際は日本人なのだ。

 だから、食べるものはイギリス風のメニューか、洋食ばかりという先入観があったが、アッサムの食べたいものを聞いてその認識を改めさせられる。

 水上も、ちょうどそんな気分だったので近くにあった蕎麦屋に入店する。客はそれほどではないが行列できるほどには並んでいた。

仕方なく待っている間、水上はアッサムにこのあとはどうしようかと尋ねる。アッサムは、本屋に行きたいと言ったので、昼食を食べたら本屋に行こうと決める。

 やがて順番が回ってきて、席に通される。中は空調が利いていて涼しかった。広すぎず狭すぎずの店の中は客で満員となっている。スーツを着たサラリーマンや家族連れ、そしてアッサムと水上のようにカップルで入っている客もいた。

 水上は向かい合わせの二人掛けの席に着き、メニューを見る。水上は月見とろろ蕎麦(冷)、アッサムは天ざる蕎麦だ。

 料理を待っている間、水上は緑茶を飲んでいるアッサムの事をじっと見つめていた。

「・・・どうかした?」

 アッサムがその視線を受けて水上に尋ねる。水上は、アッサムの事を見ながらこう言った。

「・・・さっき着ていた服もいいけど、やっぱりアッサムはそう言う落ち着いた感じの服が似合ってるなぁ、って」

「・・・そうかしら」

 アッサムは困惑気味に目線を逸らす。もしや、自分のセンスに自信がないのだろうか?

「いや、本当にそう思ってる。アッサムは可愛いし、綺麗だから何を着せても似合うけど、やっぱり個人的には、今着ているような落ち着いた色合いの服が似合ってると思うよ」

 水上はアッサムの事を褒めたつもりなのだが、なぜか当のアッサムはお茶をちびちび飲んで水上と目を合わせようとしない。逆効果になってしまったらしい。

 この時アッサムは、水上に褒められたことが恥ずかしくて顔を俯かせているだけなのだが、水上はその反応を勘違いしてしまっていた。

「お待たせしました」

 と、そこで2人の蕎麦が運ばれてくる。月見とろろ蕎麦は、とろろの上に乗っている卵の黄身が美味しそうだ。アッサムの天ざる蕎麦も、天ぷらが揚げたてのようで湯気が立っている。

「「いただきます」」

 2人は手を合わせて割り箸を割る。水上は卵の黄身を潰してとろろと共につゆと混ぜる。アッサムは蕎麦を麺つゆにつける。そして、2人は同時に蕎麦を一口すする。

「・・・ウマっ」

 水上が思わず口に出す。冷えた蕎麦と麺つゆが、外を歩ていて少し汗ばんでいた体に染み渡る。

「・・・美味しい」

 アッサムも、幸せそうな顔を浮かべて蕎麦をかみしめて言う。水上はそれを見て、自分が作ったわけでもないのになぜか嬉しい気持ちになる。

 後は、2人は無言で蕎麦を啜り続けた。たまにアッサムが天ぷらを咀嚼する音も聞こえてくるが、水上はそのサクサクという音もBGMにしてそばを食べるのに集中する。

 気づけば、結構量があった器の中の蕎麦は無くなってしまっていた。アッサムのせいろの上に盛られていた蕎麦もとうに無くなっている。天ぷらのあった皿も、既に空だ。

 2人は、緑茶を飲んで気分を落ち着かせると、箸をおき、手を合わせる。

「「ごちそうさまでした」」

 混んでいたので長居するのは少々気が引けるので、2人は席を立って会計を済ませる。今回も水上が払うかアッサムが払うかで少し揉めたが、最終的には割り勘に落ち着いた。

 蕎麦屋を出ると、2人は店に入る前に決めた通り本屋へと向かう。本屋は2階建てで、1階は資格・勉強の参考書や重版の本などと硬いイメージのある本が置かれており、2階には小説や漫画などが所狭しと並べられていた。

 アッサムがどんな本を探しているのかは知らないが、水上も欲しい本があったので中でその本を探す。おそらく、2階にあるのだろう。

 2人は2階に上がり、小説が置かれている一角へと足を運ぶ。注意深く棚を見つめていると、目当ての本が見つかった。

「「あった」」

 見つけたのは、『続・エスニックジョーク集』と書かれている本だ。どうやら、アッサムも同じ本を探していた様で、水上とアッサムはまたも小さく笑う。

 だが、ここで問題が起きた。

 この本、残りが1冊しかない。

(どうしよう・・・)

 水上とアッサムは考える。やがて、水上が1冊手に取り、それをレジに持って行く。アッサムは残念そうに水上の後に続いていった。

 ところが、水上がレジで会計を済ませると、その本をそのままアッサムに手渡してきた。

「はい、どうぞ」

 水上は、前の寄港地と同様に、アッサムにプレゼントとして本を買ってあげたのだ。だが、アッサムはそれをただで受け取るわけにはいかない。

「そんな、水上が買ったんだから、水上が持っていて」

 しかし、水上は首を横に振る。

「戦車道の全国大会の前に、これでも読んでリラックスするといいよ」

 そう言って水上は、アッサムの鞄に本を滑り込ませる。

 ここまでされては、鞄から取り出して返すというわけにもいかない。大人しく、受け取ることにした。

 本屋を出たところで時刻は午後3時。

 2人は何となく、朝見た海沿いに伸びている公園へと足を運ぶことにした。

 公園に着くと、噴水の前でアッサムは水上に向き直る。

「ここであの日は分かれたのよね」

「ああ、そうだったな」

 水上が噴水を見上げる。アッサムも、同じ方向を見る。

 少し、こそばゆくなったので辺りを見回して、ベンチを見つける。

「ちょっと休もうか」

「そうね・・・歩き疲れちゃった」

 水上とアッサムがベンチに座る。そこで水上は、少し離れた場所で屋台が出ている事に気付いた。

「ちょっと待ってて」

 水上が立ち上がり、屋台がある方へと向かう。そして、5分ほど経ったところで水上は戻ってきた。両手にバニラソフトクリームを持って。

「暑かったからね、良かったら食べて」

 アッサムがそれを受け取って、ペロリと一口舐める。気温が少し高かったので、ちょうど冷たいものが欲しかったところだった。これぞ渡りに船だ。

 そしてしばしの間無言でソフトクリームを食べる水上とアッサム。そこで、水上は気付いた。

「アッサム、頬に付いてる」

「えっ?」

 水上はハンカチを取り出そうとして、止める。そして、代わりにある行動をとった。

 アッサムの頬に手を添えて、親指で頬についていたクリームを優しく拭き取る。

 そして、拭き取ったそれを、

「あ・・・」

 舐めた。

 水上にとっても勇気が必要な行動だった。そして、この行動がアッサムの心に火をつける事となってしまう。

 水上も恥ずかしかったので、気を紛らわせるためにソフトクリームにかぶりつく。だが、水上の口元にも同じようにソフトクリームが付いていた。

 それに気づいたアッサムが、水上に顔を近づける。

「水上、動かないで」

「えっ?」

 水上は、急にアッサムから『動くな』といわれて困惑する。

 だが、アッサムは水上の事を気にせずに、

 

 口元についていたソフトクリームを、舌を出して舐め取った。

 

「!?」

 あと少し、横にずれていれば、完全にキスになっていただろう。それぐらい、際どかった。

 アッサムが口を離すと、水上はすぐに口元に手をやる。まだ生温かい。

 アッサムを見ると、アッサムは水上とは視線を合わせようとはせず、ソフトクリームをゆっくりと食べていた。

 水上も、アッサムと目を合わせるのは気まずいので、水上もまたソフトクリームを食べる作業に戻る。

 冷たいものを食べているはずなのに、顔はとてつもなく熱かった。

 

 帰りの連絡船に乗ったのは午後5時過ぎ。あまり帰りが遅いと明日から辛いとアッサムが言ったので、日没前の船に乗ることにしたのだ。水上もアッサムと同じように、帰りが遅いと明日の朝起きにくくなると思ったので、アッサムの言う通り早めに帰ることにした。

 そして今、アッサムは水上の肩に頭を傾けて眠っていた。

「すぅ・・・・・・すぅ・・・・・・」

 BC自由学園への偵察と、日ごろの疲れが出てしまったのだろう。水上も無理に起こそうとはせず、優しくアッサムの頭を撫でた。

 そして、眠っているアッサムの唇を見る。

 さっき、自分の口元にアッサムが―――

 また変な考えが頭をもたげるので、水上は自分のこめかみを小突く。だが、同時にアッサムの事が愛おしく感じられる。

(告白は・・・いつするかな・・・・・・)

 アッサムに対する想いを知ってしまった以上、この気持ちを告白しなければ、胸が詰まる思いになってしまう。自分の想いがアッサムに受け入れられるか、拒絶されるかは、実際に告白しなければわからない。だが、告白しなければこの気持ちを一生抱え込んだままになってしまう。

 だが、すぐに告白するわけにもいかない。

 もうすぐ全国大会が始まるのだ。その前に告白などしようものなら、アッサムは間違いなく動揺するだろう。その動揺が試合に現れて勝負を左右してしまうというのは絶対に避けなければならない。

(全国大会が、終わった後だ・・・・・・な)

 自分の想いを告げる時期を決めると、水上は睡魔に襲われる。

 昨日一睡もしてなかったことで、眠気が一気に今になって現れたのだろう。

 水上は抵抗する事無く、その睡魔に身を委ねて目を閉じることにした。




ソフトクリームのコーンで口の中を切ってしまったのは自分だけでいい

感想・ご指摘等があればお気軽にどうぞ。


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女性として

お気に入りがついに400を超えました。
書き始めた当初は、この作品がこんなにも多くの方に認めてもらえるとは思いもしませんでした。
嬉しい気持ちでいっぱいです。
今後とも、よろしくお願いいたします。



 カシャッ。

 近くで聞こえた、何の変哲もないカメラのシャッター音を聞いて、水上の意識は覚醒した。

「ん・・・・・・?」

 目を開き、辺りを見回すが周りに人影は無い。では、さっきのシャッター音はどこから聞こえたのだろうか?

 そこで水上は、もう連絡船は聖グロリアーナ学園艦に横付けされていたのに気づく。

「アッサム、起きて」

 まだなお水上の肩に身体を預けて眠っているアッサムの肩を優しく揺らし、アッサムを起こす。アッサムは、『うぅん・・・』と呻いてからゆっくりと目を覚ました。

「水上・・・?」

「着いたよ」

 水上が外を指差す。指差した先には、連絡船の降り口となるタラップがあった。

「もうこんな時間?」

「ああ。俺も眠ってて気づかなかったよ」

 水上が席を立ち、床に置いてあった荷物を『よっこいせ』の一言で持ち上げる。大半はアッサムが買ったものなので、アッサムがそれを持とうとしたが、水上は大丈夫と手でアピールしてタラップへと向かう。

 アッサムは、自分のトートバッグだけ肩に提げて船を降りた。

 時刻は7時半前。陽は完全に落ちてしまったので、辺りは街灯の光を除いて真っ暗だ。そんな中で水上は、アッサムを一人で帰らせるわけにはいかないので、当然のようにアッサムを寮へと送り届ける。

 その間に、水上はアッサムに尋ねた。

「今日は、どうだった?」

「とても楽しかったわ。水上は?」

 アッサムが即答するのに、水上は安心する。これで『つまらなかった』などのネガティブな感想を伝えられたら数日はショックで寝込んでしまうだろうから。

「俺も楽しかった。でも・・・」

「?」

 水上は、今回のデートが完璧なものだったかと問われると、そうとは答えられない。

 映画も、買い物も、食事も、本を買ってあげたのも、全てがアッサムに気に入ってもらえたかは疑わしかった。アッサムの口から先ほど『楽しかった』と告げられたのも、お世辞という可能性がある。

 水上は、考え込んでしまう自分の疑り深さを恨んだ。

「・・・・・・初めてのデートだったから、何が正しくて、何が間違っているのかなんて、分からなかった」

「・・・・・・」

 アッサムは歩きながら、水上の方を見て、水上の言葉を静かに待つ。

 水上は、自分の本音を、アッサムに告げる。

「だから・・・もしもアッサムが、何か気に入らないって事があったのなら、それは謝るよ」

「・・・・・・」

 アッサムは小さく笑い、水上の手を握る。具体的には、荷物を持っていない左手を。

「・・・アッサム?」

「ありがとう、水上。そこまで考えてくれて」

 アッサムは、身体を水上に寄せる。水上は少し驚いたが、何とかして平静を保つ。

「でも、大丈夫。今日は本当に楽しかったわ。一緒に映画を見たのも、服を褒めてくれたのも、一緒に食事を食べたのも、本を買ってくれたのだって。気に入らないわけないでしょう」

「・・・・・・」

「だって・・・・・・私は・・・・・・」

 アッサムが、何かを言おうとする。水上は、その言葉を静かに待つことにする。

 これからアッサムが言おうとしている事は、なぜか、遮る事も許されないような気がしたから。

 だが。

「あれ?アッサム様に水上さん?」

 自分たちの名前を呼ばれて、水上とアッサムはビクッと飛び上がりかける。繋いでいた手を急いで離す。そして、声がした方向に視線を向けると、そこにいたのは。

「あ、やっぱり。お2人とも私服だから気付きませんでした」

 聖グロリアーナの制服を着たルクリリだった。手にはコンビニ袋を提げている。どうやら、コンビニからの帰りのようだ。

 そして、気づけば水上とアッサムは寮の前に着いていた。2人とも、話に集中していてどこを歩いているかを把握していなかったのだ。

「・・・ルクリリ、ごきげんよう」

 アッサムがさりげない風を装ってあいさつをする。水上もお辞儀をした。だが、ルクリリはにんまりと笑って口元を抑えている。

「・・・・・・もしかして、お2人はあれですか?そう言う関係だったりするんですか?」

 ルクリリが興味津々に聞いてくる。アッサムが恥ずかしそうに目を逸らしたのを見て、水上はなんとかフォローしなくてはと思った。

「いえ、ルクリリ様の考えているような関係ではございません。今日は、アッサム様が本土で買い物をなさるという事でしたので、私は給仕として付き添っていただけです」

「給仕なのにスーツじゃなくて私服?」

 水上のフォローがルクリリの一言で水泡に帰す。もう潔く全部言うしかないのか、と諦めたところでルクリリが『まあいいや』と水上との会話を切ってアッサムと話をする。

「アッサム様、夕食は?」

「え?あ、まだよ」

「でしたら、急いだほうがいいですよ。寮の食堂、あと少しで閉まってしまいますから」

「・・・そうね、じゃあそうするわ」

 ルクリリはそれまでの会話の流れを断ち切って、別の会話をアッサムと交わす。寮の食堂が閉まるのは8時だから、あと30分も無い。

 夕食も食べてくるべきだったか、弁当を買って船で食べればよかったか、と水上は考えていたが、過ぎた時の事を考えるのは無駄だ。

「ではアッサム様、また明日」

「え、ええ。水上も、今日はありがとうね。それじゃ」

「はい」

 持っていた荷物をアッサムに渡し、別れのあいさつを交わして、アッサムは寮へと戻って行く。それを見送った水上も、ホテルの方向へと足を向けて歩き出そうとするが、

「水上さん」

 ルクリリに呼び止められた。

「何でしょう」

 ルクリリは水上に近づいて、ただこう言ってきた。

「・・・頑張ってくださいね。応援してますから」

 それだけ言って、ルクリリは寮へと戻って行った。どうやら、ルクリリにはバレてしまったらしい。水上は小さくため息をついた。

「・・・頑張れ、か」

 

 夕食を食べ終えて私は、改めて机の上を見る。そこにあるのは今日手に入れた品々だ。映画のチケット、洋服店で買った2着の服に、水上がプレゼントしてくれた本。

 これらは全て、水上との思い出の品は全て、私にとっての宝といっても過言ではない。

「・・・・・・言えなかった、か」

 先ほど、寮の前で私は、胸の内にある想いを水上に告げようとした。

 あなたの事が好き、と。

 おそらく、あと数秒、ルクリリに声を掛けられるのが遅れていたら、私は想いを告げることができたのかもしれない。

 だが、今考えてみると、これでよかったのかもしれない、と思える。

 なぜなら、私の告白に対する水上の返事を聞くのが、怖かったから。

 もし、振られたりしたら私はショックでしばらく寝込んでしまうだろう。好きな人に拒絶されてしまうのは、それだけで寿命が縮んだような気がする、という意見を誰かから聞いた事がある。

 それに、もし振られたら戦車道に影響が大なり小なり出るに決まっている。

 戦車道は、個人の心身状態に左右される武芸だ。気分がハイになっていると、戦車の操縦や攻撃にそれが反映される。逆もまたしかり。

 振られでもしたら、恐らく私の腕は初心者レベルにまで落ちてしまうだろう。そうなれば、全国大会で勝利することができる確率も格段に落ちる。

 私のせいで全国大会での優勝を逃す事など、断じて許されるものではない。

 だから、まだ全国大会も終わっていないのに告白するというのは悪手だった。それを阻止することができて、私は少しホッとしている。

(・・・・・・告白は、全国大会が終わってから)

 私は決意する。

 聖グロリアーナは強豪校として全国に名が知れているのは分かっている。だが、全国大会で優勝したことは一度も無い。準優勝の経験はあるものの、私はその時在校していなかった。

 今年は、優勝して見せる。そして、水上に想いを告げる。

 返事は『YES』でも『NO』でもいい。想いを告げなければ、私は水上に対する想いを抱えたまま一生を終えてしまうだろうから。それに比べれば、返事が『NO』というのもわずかに軽いものだ。

 けれど、この想いは今伝えるべきではない。

 全てが終わってから、だ。

 

 迎えた聖グロリアーナとBC自由学園との試合の日。

 観客席には大勢の観客が集まっていた。その中で水上は、例のスーツにノートパソコンという、大洗女子学園との練習試合の時と同じ格好で観客席にいた。

 やはりというか、水上はダージリンから戦闘の詳細を記録するように指示を受けている。モニターからしか戦闘の様子を見る事はできないが、その映像は空を飛んでいる観測機や戦闘区域内を飛行しているドローンが撮影しているものだ。だから、至る所から戦闘の様子を見ることができる。それを頼りに、水上は戦闘詳報を書いていくのだ。

 水上がパソコンを立ち上げて、レポートソフトを開く。すると、水上の隣に、グレーのタンクジャケットを着た、明るい茶髪のミディアムヘアの女性が座った。肩には、戦車の砲弾を模した水色のエンブレムがプリントされている。

 どこかの高校の生徒だろうか?あるいは、どちらかの学校のOGなのかもしれない。だが、水上はそれ以上深く考えるのを止めてパソコンとモニターに意識を向ける事にする。

 試合開始まであとわずかだ。

 水上が心の中で考えている事は、もちろんアッサムの事だ。

 偵察と作戦立案で疲れていたアッサムと、気分転換と称してデートに行った。その翌日からまた戦車道の訓練が行われたが、アッサムの様子は普段と何ら変わりがなかった。

 本当に、気分転換できたのだろうか。そう不安になって水上がアッサムにメールを送ると、アッサムはこう返してきた。

『心配してくれてありがとう。でも大丈夫。今の私はとても清々しい気持ちです。疲れなんて感じません』

 そして終わりの方には。

『あなたのような方と、デートすることができたのだから』

 そのメールを見た時の水上の顔と来たら、十中八九他の人が見れば“変”というほど緩んでいた。

 とにかく、アッサムは気分転換をすることができて、いつも通りかいつも以上のコンディションで試合に臨んでいる。

 改めてモニターの方へと意識を向けると、モニターの前で聖グロリアーナとBC自由学園の隊長・副隊長が並んで挨拶をしている。

 だが、BC自由学園側の生徒―――戦車喫茶ルクレールで見たマリーという少女だけは、他の選手が頭を下げているというのに頭を下げない。その横では押田と安藤が何やら言い争いをしている。ルクレールの時とほぼ一緒の状況だ。

 審判の女性が押田と安藤の間に入って喧嘩を止めさせる。なあなあな感じで挨拶が終わり、両校の生徒たちは自分たちの戦車へと戻って行った。

 ちょっとしたアクシデントが起きたが、試合は予定通り行われる。

『あと5分で、試合開始です』

 スピーカーからアナウンスの声が聞こえてくる。そこで、先ほどまでおしゃべりをしていた観客たちも黙り込み、これから始まるであろう試合を前に沈黙する。

 水上も、パソコンのキーボードに手を置いて詳細を書く準備に入る。

 

 ダージリンが挨拶から戻ってチャーチルの中に滑り込む。

 私は、スコープに顔をくっつけて、スコープの中から外を覗き込む。当然だが、まだBC自由学園側の戦車は見えない。スコープの中に広がるのはのどかな田園地帯だ。

 砲塔を回すグリップを握る手に自然と力が入る。

 ついこの間、ここには水上が座っていた。ここで、私と同じようにチャーチルの砲手を務めたという話だ。

 水上は、観客席で試合の様子を見ているのだろう。しかし、今私は、水上の気配が近く感じられる。水上が、傍にいてくれているような感じがする。

 それは、ここに水上がいたからだろう。

(・・・・・・・・・・・・)

 水上の事を想うと、自然と力が湧いてくるような気がする。

 そう感じて、やはり恋とは本当に恐ろしいものだと改めて痛感する。

 だって、どんなことも不可能とは思えなくなるのだから。

 たとえその願いが、悲願の全国優勝と言うものであっても、だ。

(・・・・・・優勝する。そして、告白しよう)

 全国大会が終わったら、水上に告白する。

 私はそう誓って、これから始まる試合に向けて意識を集中させた。

 

 シュパッ!

 BC自由学園のフラッグ車、ルノーFTの砲塔上部から白旗が上がり、風に揺られてパタパタと揺らめく。

『聖グロリアーナ女学院の勝利!』

 アナウンスが告げると、観客席が『おおおお!』と歓声であふれかえる。観客たちが立ち上がって、拍手を送る。

 水上も、キーボードを打つ手を止めて小さく拍手を送る。だが、隣に座るグレーのタンクジャケットを着た女性は『はぁ・・・』とため息をついていた。どうやらこの人は、BC自由学園の関係者だったらしい。水上は心の中で『可哀想に』とだけ呟いた。

 やがて選手たちがモニターの前に集まって、試合終了の挨拶をすると、再び観客席から選手に向かって拍手が送られる。拍手を受けた聖グロリアーナとBC自由学園の生徒たちは、観客席に向かってお辞儀をした。

 水上は、パソコンを閉じて席を立ち、聖グロリアーナ学園艦で待機している整備班に連絡をする。

「試合が終わったので、損傷した戦車の回収をお願いします」

『了解しました!すぐに行きます!』

 整備班から威勢のいい返事をもらうと、水上は携帯を切る。

 そして、水上は聖グロリアーナ学園艦へと戻って、ティータイムの準備に取り掛かることにした。

 やがて、ティータイムが行われる甲板へ、ダージリンを先頭に聖グロリアーナの戦車道履修者たちが戻ってきた。ダージリンは相変わらず澄ましたような表情を浮かべている。まるで、勝ったのが当然だと言わんばかりに。

 オレンジペコは、勝利したことが嬉しかったのか、少し涙目になっていた。大洗との練習試合とは違い、BC自由学園との試合は全国大会という大きな枠組みの中で行われる試合だからか。

 そして、アッサムはやり遂げたと言わんばかりの表情で静かに笑っている。

「皆さま、お疲れ様でした」

 水上が、精いっぱいの誠意を込めてお辞儀をする。そして、色とりどりのお菓子が並べられたテーブルへと戦車道履修者たちを誘う。

 全員がテーブルの近くに立ったのを見て水上は、すぐに紅茶を淹れる。その間、水上は他の選手たちの様子を窺っていた。BC自由学園の戦車を1輌撃破したルクリリはドヤ顔だし、初めての公式戦参加となったクルセイダーに乗っていた赤毛の少女は、嬉しさの余り辺りを走り回っている。

 試合中でもそうだったが、あの少女が乗った戦車が止まっているのは見た事がない。いつもウロウロしているような気がするが、気のせいだろうか?

 そしてルフナは、なぜかチラチラとこちらの様子をうかがっている。何か水上に用でもあるのかもしれない。後で聞いてみる事にする、

 そうこうしている間に紅茶が出来上がり、水上はカップを持って待っていた履修者たちのカップに静かに紅茶を注いでいく。そして、履修者たちは口々に『美味しい』と言ってくれた。

 水上は男なので、給仕ではあるものの戦車道の世界と関わりが深いわけではない。この前はチャーチルに乗ったが、あれは例外だ。

 ともかく、戦車に乗っていた履修者たちがどれほどの苦労を背負っているのか、どれだけ緊張していたのかは少し想像がつかない。

 でも、だからこそ、せめて自分の淹れた紅茶で皆を癒したかった。その苦労と緊張から解放してあげたかった。

 だから、自分の淹れた紅茶を『美味しい』と言ってくれたことが嬉しくて、それで緊張が解されたことが何より喜ばしい。

 ルクリリのカップに紅茶を淹れて、ルクリリがそれを飲む。

 そしてルクリリは。

「勝利の後の一杯は美味しいね~」

 お酒を飲んだオヤジみたいなことを言ってきた。

 ルクリリは、普段からお嬢様言葉を話しているが、時折『バカ』だの『この野郎』だの『ちくしょう』だのと少し乱暴な言葉が口から出てくることがある。

 だが水上は、むしろそれがお嬢様しかいない聖グロリアーナでは新鮮に思えたし、何より親近感を持つことができた。自分の素の口調と似ているからだろう。今度、素の口調で話してみようか。

 なんて事を考えながらルフナのカップに紅茶を注ぐ。ルフナが飲んだのを見ると、頭を下げてその場を離れようとするが、そこで待ったがかかる。

「あの、水上さん」

「はい?」

「この後・・・・・・ちょっとお時間よろしいですか?」

「?」

 そしてルフナと少し話をして、水上はルフナの下を離れる。そして向かうのは、ダージリンたち“ノーブルシスターズ”のいる場所だ。

 まずはダージリンのカップに紅茶を注ぐ。ダージリンはゆっくりと紅茶を飲んで、水上の方を見て笑う。

「うん、美味しい」

「・・・ありがとうございます」

 あのダージリンから、遂に『美味しい』と言われた。最初に紅茶を淹れた時の自分に聞かせてやりたい。これまでの努力が、全て報われた気分だった。

 これまで紅茶を淹れてきて、最終目標は『ダージリンに美味しいと言ってもらう事』だった。それが達成できたことに、水上は嬉しくなる。試合に勝つことができた履修やたちと同じくらい、飛び跳ねるくらい嬉しかった。

 続いて、オレンジペコのカップに紅茶を注ぐ。オレンジペコはまだ涙目だったが、それでも紅茶を飲んで、笑顔でこう言ってきた。

「美味しいです・・・すごく・・・」

 オレンジペコは涙を流す。どうやら、勝利したことで気が緩んでしまっているのだろう。水上はオレンジペコの頭を優しく撫でてあげた。

「先ほど、ダージリン様から美味しいと言われました。オレンジペコ様が教えてくださったおかげです」

「・・・私のおかげじゃないですよ、それは」

 オレンジペコが涙をぬぐって水上を見上げる。

「全ては、水上さんが頑張ったから、努力したからですよ」

「・・・そうでしょうか」

「絶対そうです」

 オレンジペコに力強く言われたので、水上は反論するのを諦める。そして、もう一度オレンジペコにお辞儀をして感謝の言葉を述べた。

 最後に、アッサムの下へと近寄って紅茶をカップに注ぐ。その紅茶を飲んでアッサムは一言だけ。

「美味しいわよ」

「ありがとうございます」

 たったそれだけだが、水上はそれでも十分だった。

「それにしても、まさか向こうが連携攻撃を仕掛けてくるとはね」

 BC自由学園はチーム内での軋轢があるゆえに、連携攻撃はしてこないと思っていた。ところが、相手は意外にも木造橋の地点で連携攻撃を仕掛けてきたのだ。安藤率いる“受験組”はS35で橋脚を砕き、押田率いる“エスカレーター組”はARL44で橋の上で立ち往生している聖グロリアーナの戦車を攻撃してきたのだ。そして、橋ごと聖グロリアーナの戦車を川に落とそうとした。

 だが、戦闘領域内に木造橋があり、敵フラッグ車がその橋の先にいる時点で、橋を攻撃してくることは読めていた。連携攻撃をしてこようとしまいと、やるべき作戦はアッサムが決めていた。

 アッサムは、フラッグ車であるチャーチルと2輌のマチルダⅡ、クルセイダーを、川下の浅瀬から回り込ませ、残るマチルダⅡ2輌とクルセイダー3輌を囮として橋に行かせることにしたのだ。

 BC自由学園は、マチルダⅡとクルセイダーが橋を通ったところで攻撃を仕掛けてきた。フラッグ車がいない事に気付いたのは攻撃を始めた直後だが、これで橋を落とせば一気に5輌戦力を削ぐことができるとBC自由学園は判断し、攻撃を続ける。

 その間に残りのチャーチル、マチルダⅡ、クルセイダーはその戦闘が行われている箇所を大きく迂回して、敵フラッグ車がいる丘を目指したのだ。

 相手もそれぐらいは読んでいたのだろうか、フラッグ車であるルノーFTの周りにはARL44が1輌にS35が2輌護衛としてついていた。

 だが、その程度の戦力は練度の高い聖グロリアーナの前では大したことは無い。聖グロリアーナの得意とする浸透強襲戦術を持って、敵の車両を次々に撃破する。

 赤毛の少女が乗っているクルセイダーも、敵を撃破することは無かったものの、ウロチョロ動き回った事で戦線をかき乱してくれた。

 そして、接近したチャーチルの砲撃によってルノーFTは撃破され、聖グロリアーナの勝利となった。

「しかし、今回はアッサム様の作戦のおかげで勝てたと言ってもいいでしょう」

「私は作戦を立てただけ。実際に戦車に指示をしたのはダージリンよ。他の皆は、ダージリンの指示に従ったのだから」

「ですが、その指示の基となる作戦はアッサム様が立てたものですよ」

 水上の言葉を聞いて、アッサムはハッとしたように顔を水上に向ける。水上は、優しい笑みを浮かべてアッサムを見つめていた。

「お疲れ様です」

 改めてお辞儀をする。

アッサムは、これ以上言っても水上は聞かないだろう、と考えてまた紅茶を飲む。

 そして。

「・・・うん」

 とだけ頷いた。

 

 陽が沈むとティータイムが終わり、履修者たちは着替えて帰路に就く。

 私もロッカールームでタンクジャケットから制服に着替える。タンクジャケットは洗濯するために寮へと持って帰ろう。そう考えながら鞄にジャケットを詰める。そして、校門へと向かった。

 校門の前でダージリン、オレンジペコと合流して帰路に就く。が、私は作戦立案にも使っているタブレット端末を教室に忘れてしまった事を思い出した。私は2人に断りを入れて、急いで学校に戻る。

 人気も無い、明かりも全て消され、非常灯しか灯っていない学校というのは、それだけで不気味だった。今はもうすぐ夏だというのに校舎はひんやりと冷えている。昔見たホラー映画を思い出し、背筋がブルリと震えた。

 早く忘れ物を取って早く帰ろう。

 そう思っていたのだが、そこで私は話声を聞いた。

「・・・・・・ごめんなさい、呼び出してしまって」

 その声は、ルフナだ。3年間同じ戦車に乗っているのだからもう分かる。

「大丈夫です。それで、用とは何でしょうか?」

 そして、そのルフナと話しているのは水上だ。

 水上がいると言うだけで、私は心臓が飛び上がりそうになる。私はその2人が何の話をしているのかが気になって、思わず2人が話をしている教室の前の壁に背中を付けて、中の会話に意識を集中させる。

「・・・・・・水上さん」

「はい」

 ルフナが、恥ずかしそうに、だが強い意志が感じられるような声量で言葉を紡ぐ。

 ここで私の頭の中に、“嫌な予感”がよぎった。同時に私は、これからルフナが何を言おうとしているのか推測し、一つの解を導き出す。

 そして、ルフナは。

 

「私・・・水上さんの事が好きです!私と・・・付き合っていただけませんか・・・?」

 

 




作中の戦闘シーンですが、
筆者は戦闘シーンを書くのが苦手なうえ、戦車のスペック等はあまり分かっていません。
変なところがあったら申し訳ございません。

感想・ご指摘等があればお気軽にどうぞ。



ようやくこの作品も、折り返し地点もしくはその少し手前にまでやってきました。


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想われていた人として

今回は、
作者自身が『本当にこれでよかったのか』と心配でならない出来です。
お気に召さないようでしたら、申し訳ございません。


 私の目は、見開かれた。

 呼吸は、いつの間にか止まっていた。

 掌は、握りしめられていた。

 それほどまでに、今のルフナの言葉は衝撃的だった。

 ルフナは、間違いなく、水上に、告白をした。

「「「・・・・・・・・・・・・」」」

 私はもちろん、ルフナも、水上も、何も言わない。

 しばしの間、沈黙がこの空間を支配する。

「・・・・・・ルフナ様」

 その沈黙を破ったのは、告白を受けた水上だった。

「返事をする前に、一つ聞かせてください」

「・・・はい」

「・・・私のような男の、どこに惚れたのですか?」

 水上が自信なさげに尋ねる。ルフナは、そんな水上の事を見ながら、顔を赤らめて、その理由を告げる。

「・・・水上さんは、私が怪我をした時、優しく絆創膏を巻いてくれましたよね。それだけの事でしたが、私はとても嬉しかった・・・」

「・・・・・・」

「それで、水上さんが将来人に尽くしたいってことを言ってくれた時、私はとても感銘を受けました」

「・・・・・・」

「・・・いつからか私は、水上さんが誰にでも優しく接している姿を、いつも目で追いかけるようになって。それで・・・・・・誰に対しても優しく、平等に接しているあなたの事が、好きになっていました」

 ルフナが言葉を切る。水上は小さく頷いた。どうやら自分に惚れた理由について、納得がいったようだ。

「・・・ルフナ様の気持ちは、とても嬉しいです。私のような男が告白されたのなんて、初めてでしたから」

 ルフナの顔が明るくなる。

だが、それとは対照的に、私の顔は暗くなっているのが鏡を見なくても分かる。

 その理由は分かり切っていた。水上が、ルフナの告白を受け入れてしまえば、私の中の想いは、水上に告げられることなく消滅してしまうから。水上が、どこか遠い所へ行ってしまうような感じがするから。

 水上が、私の下からいなくなってしまうような気がしたから。

「・・・ですが」

 ここで水上が、逆接の接続詞を告げる。ルフナが水上の方を見る。陰から見ていた私は、水上の事をただ見つめるしかなかった。

 

「・・・ルフナ様のお気持ちには、お応えできません。本当に、ごめんなさい」

 

「・・・・・・・・・」

 空気が一瞬で凍り付く。

 水上の言葉を聞いたルフナの中にある、心が音を立てて崩れ去ったのが、感じ取れる。

 だが、私はどこか、ホッとしてしまっていた。

「・・・どうして、ですか」

 ルフナは今、どうしようもないくらい泣きたいのだろう。それを堪えているのが、声を聴けばわかる。

 ルフナは2年生から戦車道を履修し始めたのだが、それでも2年間同じチャーチルに乗ってきた仲間だ。だから、声や話し方で、ルフナがどんな気持ちを抱いているのかは分かっているつもりだ。

 今のルフナの中にあるのは絶望や悲嘆などの感情だというのが、分かる。

「・・・・・・私には・・・想い人がいます」

 想い人がいる。

 その言葉を聞いて、私の心臓が跳ね上がった気がする。

「・・・・・・今は、その人の事しか考えられません」

「・・・・・・・・・その人は、まさか・・・」

 ルフナが、水上の想っているであろう人物の名前を言おうとする。

 私は気付けば、のめりこむように2人の会話に意識を集中していた。

「ルフナ様」

 だが、ルフナがその名を言おうとしたところで水上が言葉を発する。

「それ以上の詮索は、お控えください」

 言葉自体は丁寧だが、語調にはわずかながらに敵意が含まれている。ルフナもそれを感じ取り、小さく謝る。

 水上は、謝罪を受け入れると、ふっと優しく笑う。いつも、私やダージリン、他の戦車道履修者に対して向ける笑顔だ。

「ルフナ様は、とても優しいのですね」

「・・・え?」

 突然褒められたことに、ルフナが驚く。私だって、動揺していた。この局面でなぜ、水上がルフナを褒めるのか?

「ルフナ様は、私のような男に対しても目を配り、私の凡庸な夢に対して感銘を受けた。そして、私の行動をいつも気にかけてくれていた。それが、とても優しい事だと私は思います」

「・・・・・・・・・」

 ルフナが鼻を啜る音が聞こえる。肩が小さく震えている。拳が握りしめられている。涙を必死にこらえているのが、背中越しでもわかる。

「あなたのような心優しい方であれば、もっと私よりもいい人と巡り会えるはずです」

「・・・・・・・・・」

「ですから・・・・・・気に病まないでください」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 ルフナが俯く。その瞳から涙があふれ出て、頬を伝い、床へと滴り落ちる。

 水上はそんなルフナの肩を優しく撫でた。

 数分ほど、ルフナはむせび泣いていたが、やがて涙でにじんだ瞳を袖で拭い、水上の顔を見つめる。

「・・・・・・ありがとうございます。私の気持ち、聞いてくれて」

「いえ・・・・・・私の方こそ、すみませんでした」

「・・・・・・もう、大丈夫です。それでは」

 ルフナは水上にお辞儀をして、踵を返して廊下に出ようとする。その直前で私は、死角に入るように壁に背をつけて身を隠した。

 ルフナの瞳に、まだ涙が残っているのが、陰からでも分かった。ルフナは小走りに廊下の向こう側へと姿を消す。

私は、まだ教室に残っている水上の方を見た。

「・・・・・・」

 水上は、虚空を見たまま立っている。おそらくは、感情の整理がついていないのだろう。告白されたのは初めてと言っていたから。

 という事は、女の子を振った事も初めてと言う事になる。

 今、ここで水上に話しかけるのは少々気まずい。どう言葉をかけていいのかもわからない。

 だから私は、音を立てずその場を離れようとした。

 そこで、ある音が響く。

 何かをぶつけるような、『ゴンッ!』という音が。

 

 俺は今日、生れて初めて女の子から告白された。

 そして、生れて初めて女の子を振った。

 人に想いを告げるというのには、尋常ではないほどの度胸と覚悟が必要だ。どんな結果も受け入れなければならないから。告白をしたことがない俺でも、それぐらいは分かる。

 ルフナも、俺に想いを告げるために、覚悟を決めたのだろう。度胸が必要だっただろう。

 俺は、そのルフナの覚悟と度胸を、踏みにじった。

 人に尽くす、なんて夢を語っておきながら、人の好意を、想いを台無しにしてしまうなんて。これは傑作だ。

 俺の中で、怒り、後悔、悲しみや辛さと言った負の感情がないまぜになる。

 この胸の内にある感情をどうすればいいのか、どこにぶつければいいのか、分からない。

どうしようもなくなり、俺は近くにあった机に拳を振り下ろした。

 『ゴンッ!』という音が、人気のない教室に響く。もしかしたら、廊下にも響いていたのかもしれない。けれど、そんな事は気にするものか。

 今はとにかく、この胸の中にある感情をどうにかして排出したかった。

 拳を振り下ろす。

 俺は、どうするべきだった?

 また、拳を振り下ろす。

 ルフナの告白を、受け入れるべきだったのか?

 もう一度、拳を振り下ろす。

 では、どうして自分は告白を断った?

 さらに、拳を振り下ろす。

 自分には、別に好きな人がいたから?そんな自分勝手な事で、断ったのか?

 それは、果たして許されることなのか?

 拳を振り下ろそうとする。

 その直前。俺の腕が、何者かに掴まれた。その掴んだ主を見ると、そこにいたのは。

「アッサム・・・・・・」

 よりもよって、一番見られたくなかった人物だ。つくづく間が悪い。

 本当に俺が好きな人に、こんな場面を見られたなんて。

 これまでの関係は、ここで終わってしまうのだろうか。

「落ち着いて」

 アッサムが泣きそうな顔で懇願してくる。俺は、仕方なく振り上げていた拳をだらりと下した。

「・・・・・・つっ」

 気づけば、俺の拳は赤くなってしまっていた。何度も机に叩きつけていたからだろう。アッサムがそれに気づいて俺の手を取ろうとするが、俺はそれを拒む。

「・・・・・・見ていたのか?」

 代わりに俺は、質問をした。アッサムは小さく頷く。

「・・・・・・どこから」

「・・・・・・ルフナが、告白したところから」

「・・・・・・全部見られたってわけか」

 俺は苦笑する。まさか、全て見られてしまっていたとは。これは言い逃れもできないし、ごまかしも通用しない。

 俺は仕方なく、自分の気持ちを全部言うことにした。

「・・・・・・俺、最低だよな」

「・・・・・・」

 自嘲気味に俺が呟くが、アッサムは何も言わない。

「人に尽くしたい、何て言っておきながら・・・人の想いを無下に断って、その上その子を泣かせるなんて。バカバカしい話だよ」

「・・・・・・やめて」

「ルフナだって、告白するにはものすごい覚悟が必要だったって事は分かってる。でも、俺はそれを断った。俺にも好きな人がいる、何て下らない理由で」

「やめて」

「そうさ、俺は結局のところ自分勝手だったんだよ。人に尽くしたいっていうのも自己満足で、ルフナの告白を断ったのも自分優先だった。それだけ―――」

 パンッ、と小気味いい音が教室に響く。

 そして、俺の頬が熱くなっていることに気付いたのは数秒経ってからだ。

「・・・・・・え」

 そこで、俺は認識した。

 アッサムに頬を叩かれたのだ。

 アッサムは、頬を紅潮させて、額に涙をにじませている。だが、その赤らみは、恥じらいや嬉しさによるものではない。怒りからくるものだというのが、冷静ではない今の俺にも分かる。

「・・・・・・水上は、告白されたことが無いんでしょう?」

「・・・・・・」

「・・・・・・だから、告白されて、それを断って、感情がごちゃまぜになっているのも分かるわ」

「・・・・・・」

 

「でも、だからって、自分のことまで否定するのは、間違ってる」

 

「・・・・・・」

「それと、これだけは言わせて」

 アッサムが頬をわずかに赤くして、瞳に涙をにじませながら、俺の事をじっと見つめる。

「好きな人がいるから、って理由で告白を断る事は、悪い事じゃない」

「・・・・・・どうして」

「・・・・・・」

 アッサムは僅かに黙り込む。自分の中の考えをどう言葉にしようとしているのか、考えているのだろう。

 やがて、口を開く。

「・・・・・・自分が別に好きでもない人と付き合って、添い遂げたとしても、心の中には多分しこりが大なり小なり残ると思う。そのしこりを抱えたまま一緒に暮らしても、いずれそのしこりは大きくなっていき、遂には自分の心を壊してしまう・・・」

「・・・・・・」

「そうなれば、待っているのは破滅、争いよ」

「・・・・・・」

 その通りだ、と俺は素直に思った。

 仮に、俺がアッサム以外の人と付き合ったとしたら、俺の中にはアッサムに対する未練が残ったままその人と付き合う事になるだろう。となれば、いずれはその未練が肥大化していき、その人との関係は崩壊するかもしれない。

「だから、好きな人がいるっていう理由で、告白を断ったのは、決して悪い事じゃないわ」

「・・・・・・」

「だって、その後いずれは破局してしまう事を考えれば、その分の時間を無駄にする必要は、付き合う必要はないもの」

「・・・・・・そうか」

 俺は口を開き、アッサムの意見を受容する。

 アッサムはいつも、大切なことを気づかせてくれる。風邪で看病をしてくれた時、人に尽くされる立場に一度立つことも大切だと教えてくれたのももアッサムだ。そして、今回も。

「・・・・・・ルフナには悪い事をしたと思ってる」

「・・・・・・それでも、いつも通りに接するのが、ルフナにとっても、あなたにとっても一番だと思う」

「いつも通り?」

「変によそよそしかったり遠ざけたりすると、余計にルフナを傷つけてしまうかもしれないから」

「・・・・・・」

 アッサムの言う通りだ。その言葉におかしなところは何もない。

「・・・・・・ごめん、アッサム」

「?」

「さっきは、自棄になって机を叩いたり、自分をけなしたりしてた。アッサムには、見苦しいところを見せたと思ってる。だから、ごめん」

「・・・・・・気にしないで、水上。むしろ、安心したから」

「えっ?」

 安心した、というアッサムの言葉を聞いて、俺は声を上げる。

「だって、水上は普段あまり弱音を吐いたり愚痴をこぼす事なんてないから。だから、今日みたいに弱いところを見せてくれて、少し安心してる」

「・・・俺は、聖人でも完璧超人でもない。失敗だってするし、さっきみたいに自棄になる時だってある」

「だからこそ、親近感が持てるの」

 俺がまた少し自分の事をけなすと、アッサムはそれを否定してくれる。それは、嬉しい事だ。こんな自分の事を、受け入れてくれることが、とても心地良い。

「・・・・・・ありがとう」

「・・・・・・どういたしまして」

 窓の外を見る。既に完全に陽は落ちて、辺りは民家の明かりを除いて真っ暗だ。体感時間は30分も経っていないが、実際はルフナから告白をされてからもう1時間以上経過していた。

「・・・もう遅い、帰ろう。アッサムは、明日からヨーグルト学園に偵察に行くんだろ?」

「そうね」

「じゃあ、早く帰って準備した方がいい」

「ええ」

 俺が机の上に置いてあった鞄を回収すると、アッサムも床に置いてある鞄を手に取る。

「寮まで送るよ」

「ありがとう」

 俺が先導して教室を出ようとしたところで、アッサムに呼び止められた。

「水上」

「ん?」

「・・・・・・水上には、好きな人がいるのよね」

「・・・ああ」

 それは、まぎれもない事実だ。具体的に言えば、今目の前にいるアッサムの事が好きだ。だが、それは今言うべきではない。その時が来てからだ。

「・・・その人は、どんな人なの?」

 その言葉を受けて、俺は僅かに考える。下手な事を言ってしまえば、バレてしまうかもしれない。しかし、答えないというのも男としてどうかと思う。

「・・・・・・そうだな」

 俺は、それとなくアッサムの事を考えながら言葉を紡ぐ。

 アッサムは、風邪を引いた俺の事を看病してくれた。

「・・・・・・優しくて」

 アッサムは、ジョークが好きだ。自分でジョークを作るほどに。

「・・・・・・ユーモアがあって」

 アッサムは、計算と分析が得意だ。

「・・・・・・頭が良くて」

 そして何より。

「俺の夢を、応援してくれる人だ」

「・・・・・・そう」

 アッサムは、俺の言葉を聞いて、安心したような笑みを浮かべる。どうやら、アッサムの事とは気づかれなかったらしい。

「・・・・・・変な事を聞いたわね、ごめんなさい」

「いや、気にしなくていいさ。さ、それより早く帰ろう」

「そうね」

 それだけ言うと、俺はアッサムと共に家路を急いだ。

 

 翌日、水上が教室に登校すると、真っ先にルフナと目が合った。同じクラスなのだから、当然と言えば当然だ。

「・・・・・・おはようございます」

 水上が若干気まずそうにあいさつをすると、ルフナはいつもと変わらない笑顔で挨拶を返してくれた。

「おはようございます、水上さん」

 そして、クラスメイトとのおしゃべりに興じる。

 水上が席に着き、教科書などを取り出したところで、教室の入口から古文の教師が顔を出してきた。

「おい水上」

「はい」

「1限目、参考書使うから、職員室に取りに来てくれ」

「あ、はい。分かりました」

 それだけ言うと、教師は職員室へと歩いていった。水上は早速取りに行こうとするが、そこで水上に声がかかった。

「水上さん」

 その声の主は、ルフナだった。

「はい?」

「参考書運ぶの、手伝います」

「・・・・・・ありがとうございます」

 ルフナの申し出を、断るわけにはいかない。せっかくルフナが、昨日の事を乗り越えて水上に接しようとしてくれているのだ。それを無下にするのだけは絶対に避けなければならない。

 水上とルフナは、並んで職員室へと向かい、参考書を一緒に運ぶ。

 その量は、前と同じく水上が3分の2、ルフナが残りの3分の1を運んでいる。

 たった、それだけ。特に会話らしい会話もしていない。

 けれど、その運んでいる教科書の量が、2人の関係が元に戻った事を証明していた。




ヨーグルト学園のくだりは全面カットの方向で行きます。
許せヨーグルト学園・・・


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仕える者として

「こんな言葉を知ってる?」

 戦車道の訓練が終わった後のお茶会。ダージリンが、水上の淹れた紅茶を一口飲んでからこんなことを言ってきた。

「『撃てば必中 守りは固く 進む姿は乱れ無し 鉄の掟 鋼の心』」

「西住流のモットーですね」

 オレンジペコが、ダージリンの言葉に続く。水上は、何のことだかさっぱり分からない、といった具合に顔を傾げる。

「西住流は、島田流っていう流派と双璧をなす、戦車道の名門よ」

 アッサムが補足するが、水上はそれでもまだ理解が及ばない。戦車道の事に関しては、文字通りの門外漢だ。一度砲手を務めた事があり、戦車道の給仕としてダージリンたちの傍にいた水上でも、流派がどうとかそう言う詳しい事は分からない。

「・・・要するに、統制された陣形と、圧倒的な火力をもって敵を撃滅する、強力な戦術を取るってわけよ」

「・・・なるほど」

 言わんとしている事は、なんとなくわかる。要するにガンガン攻めてバンバン撃って敵をやっつけるという事だろう。

「で、アッサム。作戦の方はどう?」

 ダージリンが尋ねるが、アッサムは苦しそうな表情をして首を横に振る。

 アッサムは膝の上にノートパソコンを乗せている。テーブルの上にはお菓子が広げられているが、アッサムの周りだけは代わりに過去の試合の資料などが並べられている。

 アッサムは、来るべき黒森峰女学園との準決勝に向けて、作戦を考えていたのだ。過去の黒森峰女学園の戦績、所有する戦車、隊長の人柄、それら全てを考慮した上で、作戦を立案する。それが、参謀であるアッサムの役割だ。

「いくつか考えましたが、どれも成功する確率は極めて低いです。良くて勝率は、40%と言ったところですかね」

 アッサムが告げる傍らで、水上は舌を巻く。この短時間でいくつもの作戦を考えた事が、素直にすごいと水上は思っていたのだ。もし自分がアッサムと同じ立場になったとしても、1時間かけて作戦を一つ考えるのが関の山だろう。

「厳しい戦いになりそうですね・・・」

 オレンジペコがそう呟いて紅茶を一口飲む。アッサムは小さく伸びをして、テーブルに置いてあるジャファケーキ―――ビスケットの上に薄いオレンジのゼリーとチョコレートがコーティングされたお菓子―――を1つつまむ。

「本当なら潜入してでも情報を手に入れるべきだったんですが・・・私の風貌は黒森峰には溶け込めないようで」

 アッサムが忌々し気に自分の金髪をいじる。

 黒森峰女学園は真面目で勤勉という校風で通っている。故に、生徒の中には髪を染めている者などおらず、金髪の生徒など皆無、ほとんどが黒か茶髪だ。副隊長の逸見エリカは銀髪だが、あれは生まれつきだろう。

 そんな中に、生来金髪のアッサムが混じればすぐにばれてしまうに違いない。

「その、良くて勝率40%の作戦とは、どんなのかしら?」

 ダージリンがアッサムに尋ねる。アッサムは、パソコンを操作して、考えた一つの作戦を提示する。

「黒森峰女学園は、ご存知の通り西住流の教えに忠実です。故に、正面から高火力の戦力で相手を殲滅する浸透突破戦術を取る傾向があります」

 アッサムの言葉にダージリンとオレンジペコが頷く。水上は、空になったオレンジペコのカップに紅茶を注ぐ。

「黒森峰のフラッグ車も、同じように前線に出て指揮を取っているのが、過去の試合の資料からも分かります。プラウダのように、フラッグ車だけを安全地帯に配置する、という戦術は取りません」

 ここでアッサムが、口を湿らせるために紅茶を一口飲む。

「ですので、こちらも同じように攻めるのが得策かと思われます」

「・・・どうして、そうなるのかしら?」

 アッサムの結論を聞いて、ダージリンが眉を顰める。アッサムは、少々説明を省いてしまったかと自省して、改めてダージリンに話す。

「相手が高火力で、ほぼ全車輌で攻めてくるとなれば、こちらが防御に徹してもいずれは突破されます。仮に、こちらがフラッグ車とその護衛に3輌を付け、戦地後方に待機したとすると、黒森峰戦車隊と衝突するこちらの車両は11輌です。11輌では、15輌で攻めてくる黒森峰戦車隊に敵うとは、とてもではないが言い切れません。であれば・・・」

「こちらも15輌でぶつかるべき、という事ですね」

 アッサムの言いたいことを先読みして、オレンジペコが言う。その言葉にアッサムは頷いて、スコーンを1つ食べる。

 咀嚼し、飲み込むと、さらにアッサムは説明を続ける。

「11対15では勝機はあまりありませんが、15対15であれば、まだ勝機はあります。ただし、向こうの戦力は大半が中戦車・重戦車です。こちらの主力であるマチルダⅡでも敵うかどうかは定かではありません」

「・・・・・・」

 ダージリンが考え込む。この作戦にするかどうかを考えているのだろう。

 水上は、何も言えない。水上は、あくまで給仕だから。作戦にどうこう口出しする事はできない。

「・・・・・・40%の勝率に、賭けてみましょう」

 ダージリンが意を決して、アッサムの案を採用する。アッサムとオレンジペコに、反論は無い。小さく頷くだけだ。

「明日からの練習は、フラッグ戦ではなく殲滅戦にしましょう。戦車同士の戦闘に慣れるためにね」

「はい」

「分かりました」

 2人が返事をしたところで、水上はダージリンとアッサムのカップに紅茶を注ぐ。

 その紅茶を2人が飲み終わったところで、時計の針が6時を指し、その日のお茶会はお開きとなった。

 

 その翌日から、ダージリンの言った通り、訓練は殲滅戦となった。

 フラッグ戦は、フラッグ車が撃破された時点で終了となる。それはつまり、最短で1輌戦車を撃破するだけで勝利することができてしまい、1回だけで戦闘が終わることもあり得る。それでは、戦車隊同士での大規模な衝突が予想される対黒森峰戦の練習にならない。

 だから、殲滅戦で相手の戦車すべてを撃破するようにして、戦闘回数を増やす事にしたのだ。

 さらに、訓練に参加する戦車も、2回戦のヨーグルト学園戦までは最大10輌だったが、今では14輌に増えている。

 当然ながら、水上はその審判に駆り出されている。

「有効。Aチーム、クルセイダー走行不能。Aチーム残り5輌」

 今日の戦闘を行う場所は荒地。高台に上がって戦闘の様子を双眼鏡で眺め、状況を無線で各車両に報告する。最初に審判を務めた時は緊張していたが、今となってはもう慣れてしまった。

「有効。Bチーム、マチルダⅡ走行不能。Bチーム残り6輌」

 殲滅戦となると、両チームすべての車両で砲を撃ち合うので、知力を尽くして戦うフラッグ戦と比べると、殲滅戦はダイナミックだと水上は感じる。

 やがて、両チームとも戦車の残りが1輌だけになり、一騎打ちとなる。

 Aチームはダージリンの乗るチャーチル。Bチームはルクリリの乗るマチルダⅡ。どちらも、チームの隊長が乗る戦車だった。

 荒地を前進するマチルダⅡとチャーチル。その時、マチルダⅡが先に発砲した。おそらく、勝負を急いでしまったのだろう。放たれた砲弾は、チャーチルの砲塔側面を掠り、地面に着弾する。

 マチルダⅡがこれを見て、慌てて次の砲弾を装填する。しかし、その間にチャーチルは照準をじっくりとマチルダⅡに合わせ、砲撃する。その砲弾は、マチルダⅡに直撃し、一瞬間が相手からマチルダⅡの車体から白旗が上がる。

「Bチーム、全車輌走行不能。よって、Aチームの勝利」

 そこで一度無線を切り、周波数を切り替えて、整備班に戦車の回収をするように告げる。それを終えると、無線機を元に戻す。

 そして、一言呟いた。

「・・・・・・お疲れ様、アッサム」

 この殲滅戦で、チャーチルは3輌の戦車を撃破した。他の戦車はせいぜい2輌しか撃破できなかったのに、だ。

 チャーチルの砲手は言うまでも無くアッサムだ。つまり、アッサムが3輌の戦車を撃破したという事になる。そのためには、操縦手であるルフナ、装填手のオレンジペコとの連携も必要なのはわかってる。

 だが、それでも水上はアッサムを褒めた。褒めたかった。

 たとえその姿が見えなくても、好きな人が活躍している姿は、とても輝かしいものだ。

 そして、チャーチルが敵戦車を撃破していく姿は、見ていてとても爽快感があり、そして恰好よかった。

 そのことに水上は感謝の念を込めて、小さく拍手を送る。

 

 迎えた黒森峰女学園との準決勝前夜。

 水上は、眠れずにいた。

 今日の訓練内容も7対7の殲滅戦。水上はいつも通り審判を務め、その後の『紅茶の園』でのお茶会でも給仕として振る舞い、さらに物資の確認をしてパソコンにデータを打ち込んで、その上皿洗いと掃除をこなして、滞在しているホテルに戻ってきた。

 疲れ切っていたが、心地よい疲れだと水上は思ってる。自分が人に尽くしたいと思っているからこそ、人に尽くして、それで疲れる。

 自分のしたい事をして疲れたのだから、不愉快だとか徒労に終わったとかそんな考えは毛頭ない。

 だが、疲れているにもかかわらず、水上は眠れなかった。

 その理由は分かってる。明日の試合に対して緊張しているからだ。

 自分は試合には参加しない。戦闘詳細を記録するだけだ。それなのに、緊張している。

 なぜ?それは簡単だ。

 今自分は、男ではあるが形式上は聖グロリアーナ女学院の生徒だ。自分の学校の、自分と深くかかわりのある人たちが試合をすると聞いて、緊張しないはずがない。

 明日の試合は、勝てるだろうか。

 相手は難攻不落の戦車隊、黒森峰女学園。昨年度までは前人未到の全国大会9連覇を成し遂げたと聞く。昨年度の大会では、ちょっとしたアクシデントによって優勝を逃し、準優勝となったが、それでも黒森峰女学園の強さは全国に知れ渡っている。

 アッサムの言葉を借りれば、統率された陣形と圧倒的な火力を持って敵を倒す、シンプルかつ強力な戦術を取ってくる。

 そんな相手に、真っ向から挑むとは。

 試合に参加しない水上でさえ、この通り緊張で眠れもしないのだから、試合に参加するダージリンやオレンジペコ、アッサムはどれほどの緊張を抱えているのだろうか。

 それは想像を絶するほどのものだろう。

 と、その時だった。

 枕もとに充電状態のまま放置されていたスマートフォンが振動したのは。

(こんな時間にメールか?)

 だが、バイブレーションが長く続いている。という事は電話だ。誰だこんな時間に、とつぶやきながらスマートフォンを見ると、画面には、

『着信:アッサム』

 水上は飛び起きて姿勢を正し、通話ボタンをタップする。

「もしもし?」

『あ、水上?ごめんなさい、こんな時間に』

「大丈夫、起きてたから」

 嘘ではない。ベッドに横になっていたが、目は覚めていたのだから。

「それで、どうかしたの?」

『ええ・・・ちょっと、ね』

 アッサムが言い淀む。水上はそれを急かす事無く、アッサムの言葉を待つ。

『緊張して、眠れなくてね・・・』

 自分と同じだった。アッサムも、明日の試合に緊張して眠れなかったのだ。

「俺と同じだ」

『水上も?』

「ああ。俺だって、緊張してる」

 アッサムが口を閉ざす。おそらくは、『どうして?』と聞きたいのだろう。その気持ちは分かる。

 水上は、試合には参加しない。観客席で試合を見て、戦闘詳細を記録する仕事を任されているが、直接試合とは関係は無い。

 しかし、それでも水上は緊張していた。それはなぜか?

「俺も一定期間とはいえ、聖グロリアーナの生徒だから。それに、俺だって聖グロリアーナの戦車道と無縁とは言えない。何せ、給仕だからな」

『・・・・・・』

「俺が仕えている聖グロリアーナの戦車隊が試合をするんだ。その上相手は、強豪校の黒森峰女学園。緊張しないはずがないさ」

『・・・・・・そう』

 アッサムが言葉を漏らす。水上の言葉を理解しようとしているのだろう。

『・・・・・・私も、大体水上と同じ理由よ。緊張しているのは』

「・・・そうか」

『それに、明日の黒森峰女学園との試合は、私の立てた作戦が実行されるんだから。失敗したらどうしよう、って思うと不安で眠れないの』

 気持ちは分かる。水上は、これまでの学校生活や私生活でも、参謀や副官と言ったポジションに着いたことは無いので作戦を立てる人がどのような気持ちでいるのかは分からない。

 だが、それでもその気持ちは、なんとなくだが、分かる。

『・・・不思議な事だけれど、言葉に出すと、少し不安が落ち着いた気がする』

 そのアッサムの言葉を聞いて、水上は何もしないというわけにはいかなかった。

「じゃあ、もっと言っていいよ。それでアッサムの緊張、不安が取り除けるなら」

『・・・・・・』

 アッサムが電話の向こう側で黙り込む。

 やがて、アッサムが口を開いた。

『私は、緊張してる。明日の試合で、勝つことができるかどうか、不安よ』

「・・・・・・」

『ダージリンもオレンジペコも、他の皆だって、私が立てた作戦に絶対の安心を置いている。だからこそ、その作戦を立てた私は、その皆から期待されているというプレッシャーに押しつぶされそう』

「・・・・・・」

『でも、今は大丈夫。水上に、話を聞いてもらって、少しだけれど、緊張は解れたわ』

「・・・それは、よかった」

 水上が安心したように小さくため息をつく。

『・・・ありがとう、水上。私の不安を聞いてくれて』

「いや、気にすることは無いよ。むしろ、俺の方が安心した」

『え?』

 水上の発言を聞いて、アッサムが疑問の声を上げる。安心した、という意味が分からないのだろう。水上は、その安心した理由を告げる。

「アッサムは、いつも冷静で、感情をあらわにすることがないようなイメージがあった。だから、さっきみたいに弱音を吐いたり、不安を口に出してくれて、安心した」

 その言葉に、アッサムは聞き覚えがあった。

 この前、水上がルフナから告白されて、それを断り自暴自棄になって自分の事を貶した時に、アッサムが掛けてくれた言葉だ。

 それを思い出して、アッサムは小さく笑う。

「それにね」

 水上がさらに付け加える。

 

「アッサムが弱音を、本音を吐き出すことができる相手に、俺がなれたことが何より嬉しいよ」

 

 

 その言葉を聞いて私は、胸の奥が温かくなるのを感じた。

「・・・そう」

 どうしてこの人は、こうも簡単に私の心を動かしてくれるのだろうか。

「・・・水上」

『なに?』

 やはり私は、この人の事が好きだ。

 だから、想いを告げずにはいられない。

「・・・全国大会が終わったら、話したいことがあるの」

 でも、その想いを告げるのは、今ではない。ちゃんとした、機会が来てからだ。

『・・・・・・分かった』

 水上がそう言った後で、さらにこう続ける。

『俺も、この大会が終わったら、アッサムに伝えたいことがある』

「・・・楽しみにしているわね」

『ああ。こっちも』

 そこで、電話が切れる。私はスマートフォンを机に置き、充電器にさして、ベッドに横になる。

 先ほどのように本音を話したのは、水上だけだ。

 同級生のダージリンは、私にはないカリスマ性を持っている。だから、話すときは常に敬語だし、弱音を話す事なんて到底できない。

 後輩のオレンジペコやルクリリも、先輩としてのプライドと言うものがわずかながらにあるし、“ノーブルシスターズ”の一角としての威厳があるために話す事はできない。他に履修者たちに対しても同様だ。

 それに、水上になら、本音を話せるような気がした。

 それは同じ学年というのもあるし、初めて出会った時やデートなどを通して、友達以上の関係になれたからだろう。

 そして何より、水上は、私に安らぎを与えてくれる。あの人の淹れる紅茶はとても美味しくて私を癒し、さっきのように愚痴や不安を話すとそれを何も言わずに聞いてくれる。

 ただそれだけの事だが、私は嬉しかった。

(・・・・・・優勝しよう、絶対に)

 この全国大会で優勝して、水上に告白をする。

 振られてしまったら、何て事は考えるだけ無駄だ。

 私は、徐々に迫ってきた睡魔に身を委ねて、眠りに就いた。




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傍にいる者として

誤字報告をしてくださった方、ありがとうございます。
この場を借りてお礼申し上げます。


 曇天が広がる空の下、聖グロリアーナ女学院と黒森峰女学園の全国大会準決勝は行われていた。

 モニターの向こう側には、戦闘が行われていた荒野が広がっており、黒煙を上げて擱座している戦車が何輌もいる。

 カメラが切り替わり、対峙していた聖グロリアーナのフラッグ車であるチャーチルと、黒森峰女学園のフラッグ車であるティーガーⅠが映し出される。

 一方の戦車は、砲塔から白い煙を上げていた。

 もう一方の戦車からは、黒煙が上がり、白旗が立っていた。

 やがて、審判が試合の結果を宣言する。

 

『試合終了、黒森峰女学園の勝利!』

 

 観客席から歓声とため息が混じった声が響く。

 キーボードを叩いていた水上も、手を止めて小さくため息をつく。

 聖グロリアーナが、負けた。

 思えば、水上が聖グロリアーナに来てから、聖グロリアーナが敗北したところは見た事がない。大洗女子学園との練習試合も、BC自由学園との試合も、ヨーグルト学園との試合も、全て聖グロリアーナが勝ってきた。

 だが今日、水上は初めて、聖グロリアーナが負けたところを目の当たりにしてしまった。

 お腹のあたりが熱くなる。

 頭がぐるぐると渦に飲まれる感覚になる。

 どうしようもなく悔しくなる。

 これが、敗北。

「・・・・・・・・・・・・くっ」

 涙が出そうになる。

 心の底から叫びたくなる。

 だが、ここで泣いても、叫んでも、結果は変わらない。

 今は、奮戦した聖グロリアーナと、勝利した黒森峰を称えよう。

 そう思って水上は、1人拍手を送る。それを見た周りの観客たちも、1人、また1人と拍手をする。やがて、観客席に座るほとんどの観客が拍手を両校の生徒へと送り、それを受けた生徒たちは、観客席に向かって深くお辞儀をした。

 その中には、黒森峰女学園の隊長・西住まほ、聖グロリアーナの隊長・ダージリンの姿も当然あった。

 そして、水上の恋するアッサムの姿も、あった。

 

 聖グロリアーナ女学院は、負けはしたものの善戦はしたと水上は思っていた。

 敵の戦車隊はティーガーⅠとティーガーⅡをベースに、ヤークトパンターやヤークトティーガー、エレファントなどの駆逐戦車と、攻撃力重視の編成で、アッサムの読み通り浸透突破戦術を仕掛けてきた。

 これに対して聖グロリアーナ戦車隊は、同じように相手の戦車に自軍の戦車をぶつける形で進撃し、敵戦車とフラッグ車の撃破を狙った。

 結果、敵戦車の6~7割を撃破する事に成功した。ルクリリが捨て身の特攻で敵の重駆逐戦車を倒したり、赤毛の少女の乗るクルセイダーが敵陣に向かって一直線に突っ込んで活路を開いたりしたが、フラッグ車まで撃破するには至らず、敗北してしまった。

 けれど、敵の戦車を半分以上撃破し、さらにあの黒森峰のフラッグ車をあと一歩のところまで追い詰めた事に関しては、他の観客たちも『すごい』と言っていたし、水上自身もそう思っていた。

 だから、何とかして聖グロリアーナの戦いは、とても見ごたえのある、素晴らしいものだったと伝えたかった。

「・・・・・・・・・・・・」

 だが、今水上は、口を閉ざしたまま何も言えない状況にある。

 現在水上は、聖グロリアーナ学園艦の甲板上で行われているお茶会に、給仕として参加していた。しかし、その雰囲気は重苦しく、大洗女子学園との練習試合の後のようなにぎやかさ、和やかさは微塵もない。

 場を支配しているのは、後悔や悲しみと言った負の感情だ。

 いつもあたりを走り回っている赤毛の少女も、今では大人しく紅茶を飲んでいる。それほどまでのショックだったのだろうか。

 ルクリリは肩を落としてスコーンを齧っている。栄養科の作ったものだから決して不味くは無いはずなのだが、あまりおいしくなさそうに食べている、気がする。

 ルフナは他の履修者たちと一緒におしゃべりをしているが、会話の内容はやはり試合の事だったし、会話をしている彼女たちの表情は晴れていない。やはり敗北したことに対するショックが大きいのだろう。

 オレンジペコを見れば、彼女は顔を赤くして、顔を涙で濡らしている。思えば、水上が聖グロリアーナに来て以来、オレンジペコが乗るチャーチルが撃破されたことは、練習試合でも公式戦でもなかった事だ。つまり、オレンジペコは今日初めて、自分の戦車が撃破された。しかも、フラッグ車であったから悔しさ、悲しさは推して知るべし、というものだろう。

 ダージリンは、いつもと同じように優雅に紅茶を飲んでいる。しかし、注意深く見なければわからなかったが、その形の良い眉は僅かに下がってしまっている。やはり、隊長であるダージリンも、ショックを受けていないはずがなかった。

 そして、水上はアッサムを見ようとする。が、そこでダージリンから声を掛けられた。

「水上」

「はい、なんでしょう」

 水上は、視線をアッサムからダージリンに向けて、ダージリンの傍に歩み寄る。

「明日からの訓練、3日ほどキャンセルしてくれるかしら?」

「・・・かしこまりました」

 訓練をキャンセルするとは、すなわち訓練が休みになるという事だ。このタイミングでそうするのは、おそらく戦車の整備もあるだろうし、何より履修者たちのメンタルを休ませる意味もあるのだろう。水上はその意見には賛成だったので、大人しく従う事にする。

「それと、私は明日プラウダ高校に行くから、戦車道の事で何かあったらその時はよろしくね」

「はい」

 プラウダ高校は、青森に所在する高校で、比較的高緯度の海域を航行している。今聖グロリアーナ学園艦は、四国のあたりを航行している。という事は、プラウダに行くとなると日帰りは難しく、2日はダージリンは戻ってこないだろう。その間に、何も起こらないことをただ祈るしかない。

「スケジュールの調整、お願いするわね」

「かしこまりました。直ちに」

 水上がそう言って踵を返し、スケジュールの調整に向かおうとする。

 その瞬間、水上は横目で、気になっていたアッサムの様子を見る。

 アッサムは、目を閉じたまま静かに紅茶を飲んでいた。その様子はいつもと変わらないように見えたが、心なしか、髪を纏めているリボンが萎れているように見えた。

 

 翌日の昼休み。食堂で、水上はオレンジペコとばったり会った。

 本当に会ったのは偶然だったのだが、そこで分かれて食事を摂るというのも妙な気分だったので、そのまま流れで2人で食事を摂ることにした。というより、水上は、オレンジペコを含むノーブルシスターズの3人と昼食を共にすることが度々あったので、別にオレンジペコと食事をすることが嫌だとかそう言うわけではない。

 水上はお気に入りのフィッシュアンドチップス、オレンジペコはホットクロスバンだ。

 だが、食事を始めた2人の間に会話は無い。口を開けば、昨日の試合の事を話してしまいそうだったからだ。そして水上は、オレンジペコが泣きじゃくっていたのを見てしまったので、試合の事を話せばまたオレンジペコが敗北したことを思い出し、泣いてしまうかもしれない、と考えたのでそのことは話せなかった。

 オレンジペコも、実は水上と、というか男性と2人きりで食事をするのが初めてであるため、何を話せばいいのか分からなかった。

 結果、2人は向かい合ったまま黙って食事をしている。

 その沈黙にオレンジペコが耐えられなくなったところで、脇から声がかかった。

「あら、随分と珍しい組み合わせね」

 声のした方向を水上とオレンジペコが見ると、そこにいたのはルクリリとルフナ。ルクリリは、カレーライスの載ったトレーを、ルフナがフィッシュアンドチップスの載ったトレーを持って立っていた。

「隣、いいかしら?」

「あ、どうぞどうぞ」

 ルクリリとルフナが座ろうとしたのを見て、水上が先んじて立ち上がり席を引く。ルクリリはそれに手でありがとうと礼をし、ルフナはお辞儀をする。

「で、何の話してたの?」

 ルクリリが早速と言わんばかりに話しかけてくる。それに答えたのはオレンジペコだ。

「いえ、私も水上さんも、何も話していません」

「そうなの?2人とも黙ったまま?」

 ルクリリが驚いたように話すが、水上は小さく頷くだけ。ルクリリは『へー』と声を漏らしてカレーライスを一口食べる。

「でも、オレンジペコ様と水上さんって、なんだか珍しい取り合わせな気がします」

 水上の隣で、ルフナがフィッシュアンドチップスを食べてから呟く。

「確かに。水上さんって、ノーブルシスターズの中じゃアッサム様と一番仲がいい感じがしたから。この前だって2人で出歩いてたし」

 ルクリリの何気ない一言に、水上は食べていたフィッシュアンドチップスを吹き出しそうになる。この前、とは水上とアッサムがデートに行った時の事だろう。

 水上は何とかしてこの話題から切り替えようとする。隣には、先日水上に告白したルフナがいる。そのルフナの前で、アッサムとどうのこうのという話をするのは気まずいにもほどがあったからだ。

 だが、ここでオレンジペコが更なる爆弾を投下する。

「そ、その時は、お2人ともこんな格好でしたか?」

 オレンジペコがスマートフォンを取り出して操作をし、画面をルクリリに向ける。それを見たルクリリは。

「・・・そう、この服だった。っていうかこんなことまでしてたんだ。へぇ~」

 ルクリリがニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべて水上を見る。オレンジペコは一体何を見せた?それが気になって仕方がない。

 水上の気持ちに気付いたのか、それともルフナにも見せようとしたのか、オレンジペコはスマートフォンを水上とルフナに向ける。

その画面に写されていたのは、お互いに顔をくっつけて眠っている、私服姿の水上とアッサムだった。

(あああっ!?)

 思い出す。あの時水上は、カメラのシャッター音を聞いて目を覚ました。あの時聞いた音は、オレンジペコのスマートフォンのカメラの音だったのだ。

「・・・なるほど」

 ルフナが何かに納得したかのようにうなずく。

「ええと、それはですね・・・・・・」

 水上が弁解しようとするが、オレンジペコ、ルクリリ、ルフナは何かを期待するような目で水上の方を見る。

「で、水上さん」

 ルクリリが聞いてくる。

「アッサム様とはどういう関係なんですか?」

 面倒な質問が来た、と水上は心の中で思った。しかし、答えないわけにもいかない。むしろ答えなければ好き勝手な妄想をされかねないからだ。

「友達ですよ」

 本当は、友達以上の関係なのだが、嘘は言ってはいない。

 しかし、ルクリリからの質問はそれだけでは終わらなかった。

「アッサム様に、気があるんですか?」

 気がある。それはすなわち、好きか、と聞かれているに等しい。

 本来ならば、ここで話題を無理にでも変えるなりごまかすなりしてお茶を濁すべきだったのだが、水上は自分に向けられる3つの視線に息を呑む。

 オレンジペコは、期待するような眼差しで。ルクリリは、全てを知っているような眼差しで。ルフナは、どんな嘘も見逃さないというような真剣な眼差しで。それぞれ、水上の事を見つめていた。

 『これは、嘘はつけないな』と水上は観念して、正直に吐いた。

「・・・・・・気が、あります」

 好きだ、とは言わなかったのは水上のせめてもの抵抗の形だ。

 しかし、それだけで満足したのかオレンジペコ、ルクリリ、ルフナの3人ははぁ、と息を吐いて背もたれに背を預ける。

「やっぱり、ですか」

 ルフナが感慨深そうに声を上げる。どうやら、ルフナは告白を断られた際にこの答えについて想像がついていたらしい。

「・・・・・・で、今日そのアッサム様の姿は見えないけど、水上さんは何か聞いていないんですか?」

 ルクリリが聞いてくる。水上も、それは気になっていた事だ。

 アッサムの姿を、今日は見ていない。普段なら、ダージリン、オレンジペコと一緒に食事をしている姿が良く目立っていたのだが、今日オレンジペコは1人だった。

 という事は、アッサムは今日学校に来ていない可能性が高い。

「いえ、何も聞いていないです」

 水上が答えると、ルフナは少し表情を曇らせる。

「アッサム様・・・・・・もしかして、自分の立てた作戦が上手くいかなかったのを気にしてるんじゃ・・・」

 言われて水上は気付く。

 昨日の黒森峰女学園との準決勝で、戦車同士でぶつかり合う戦法を取ろうと提案したのは、参謀のアッサムだ。その作戦が失敗し、聖グロリアーナは敗北した。それを気にして寝込んでしまっているという可能性も、無きにしも非ずだ。

 昨日見た限りでは、アッサムは普段とそれほど変わらない表情で紅茶を飲んでいたが、もしかしたら心の中ではとても傷ついていたのかもしれない。

「水上さん」

 オレンジペコが水上に話しかける。水上は、ゆっくりとオレンジペコに視線を合わせる。

「アッサム様は、多分弱音を吐き出せる相手がいないんだと思います。ダージリン様にはもちろん、私やルクリリ様、ルフナ様にも・・・」

 そうだ。アッサムは一昨日の夜に電話をかけて、弱音や緊張を水上に向けて吐き出した。それは、アッサムの周りに、そう言った本音を吐き出すことができる人が、いなかったからだろう。だから、アッサムは、近しい水上に電話をして、本音を告げたのだ。

「おそらく水上さんは、この聖グロリアーナに来る前から、アッサム様と面識があったんですよね?」

「・・・・・・はい。3月末に、本土で一度だけ」

 隠す必要も無い事だったので、正直にアッサムと初めて出会った時の事を3人に話す。ルクリリはその話を聞いて『ロマンチックですね~』とコメントしてきたし、ルフナは『なるほど・・・』と興味深そうに頷いていた。オレンジペコは、大きく頷いてから言葉を紡ぐ。

「水上さんとアッサム様はそれなりに付き合いが長いと言えます。今年の4月に入学した私よりも、少しだけ」

 そこで、とオレンジペコが区切って告げる。

「アッサム様の不安や悲しみ、そう言った本音を、聞いてあげてくれませんか?」

「・・・・・・・・・・・・」

「アッサム様は、私と同じノーブルシスターズの1人として、常に気高く高貴に振る舞っているきらいがあります。ですから、弱音や本音を吐き出す事がとても少なく、その相手はほとんどいない・・・。だから、アッサム様とそれなりに付き合いが長くて、同じ学年の水上さんが、アッサム様の話を聞いてあげれば、少しでもアッサム様の心の中のもやもやは少なくなると、思うんです」

「・・・・・・・・・・・・」

「ですから・・・」

「分かりました」

 オレンジペコが何かを言おうとする前に、水上は返事をする。それを聞いて、オレンジペコは目を丸く見開いて水上の事を見る。

「今夜、アッサム様に話を聞いてみます」

 そう水上が言うと、オレンジペコたちは小さく笑う。だが、ですが、と付け加える。

「私は戦車道の事に関しては門外漢です。ですので、アッサム様が戦車道の事で思い悩んでいるとしたら、恐らく私にも話してくれないかもしれません」

「でも、アッサム様は話すと思います」

 水上の言葉に間髪を入れず答えたのは、ルフナだった。

「おそらくですが、アッサム様も水上さんには心を許しているんだと思います。皆の前で抱き付いて、一緒に出掛けるくらいなんですから」

 ルフナが目を水上から逸らす。そして続ける。

「ですから、多分アッサム様は、水上さんにはすべて話すと思います」

 その言葉を聞いて、水上は、そうかもしれない、と思った。

 

 午後8時。

 水上は、スマートフォンを机の上に置き、その前にかれこれ30分は座っていた。

 スマートフォンには、メールの画面が表示されており、まだ送っていないメールが映されている。

 その内容は以下の通りだ。

『こんばんは。

 今日は学校で姿を見ませんでしたが、

 体調を崩されたのでしょうか?

 何か思い悩んでいることがあれば、

 遠慮なく言ってください』

 もしかしたら、単純に体調を崩してしまっているのかもしれない。そんな相手にいきなり電話をするというのは少々心苦しい。体調が悪い相手に長電話を強要させるというのは給仕云々というよりマナー的にアウトだ。

 だから、水上はメールでコンタクトを取ることにしたのだ。

 だが、水上はこのメールを送るかどうかに30分間悩んでいた。

 こんなメールをいきなり送っても、アッサムは迷惑と思うかもしれない。だが、アッサムは本当に何か思い悩んでいるのかもしれない。そんな相手に対して何もしないというのは、惚れてしまった男としてはだめだと思う。しかし、アッサムもデリケートになっていて、今はあまり自分に触れないでほしいのかもしれない。

 そんな答えの出ない疑問を頭の中で繰り返し考えているうちに、気づけば30分が経過していた。

 やがて水上は、意を決したように送信ボタンを押す。

 メールを送信してから数分の間は、心臓がバクバクと高鳴っているのが感じ取れた。

 迷惑と思われるかもしれない。

 デリケートな部分に触れられて嫌われるかもしれない。

 余計なお世話と思われるかもしれない。

 ネガティブな考えが頭を埋め尽くしていき、眠ってこの考えから解放されたいと思い、ベッドに足を向けたところで。

 ヴーッ、ヴーッ。

 スマートフォンが振動する。その回数からしてメールだ。

 水上は奪い取るように素早くスマートフォンを手に取ると、その画面には。

『新着メール:アッサム』

 慌ててそのメールを開く水上。焦ってしまい別の場所をタップしてしまったが、何とかメールを開く。

 そこには、こう書かれていた。

 

『今から会えませんか?

 場所は学園艦側部公園で。

 会えなければ、それでも構いません』

 

 




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あなたに尽くしたい

 俺はそのメールを見た直後、スマートフォンに指を滑らせ、『すぐに行く』と返信する。そして、寝間着から私服へと着替えて、財布とスマートフォンをポケットに突っ込み、ホテルを飛び出す。

 ここでアッサムと話をしなければ、会わなければ、アッサムがどこかへ行ってしまいそうな気がしたから。

 俺は駆け足で学園艦側部公園へと向かう。その公園は、アッサムと日の出を見て、夢を聞いて、友達であることを誓い合った思い出の場所だ。

 その公園へと向けて、俺は走る。

 気づけば、空はどす黒い雲に覆われていた。

 公園にたどり着き、辺りを見回してアッサムの姿を探す。やがて、海に面したベンチに座っている、長いブロンドヘアーを青いリボンでまとめた少女を見つける。

 アッサムだ。

 俺はアッサムにゆっくりと近寄る。夜の闇でよく見えなかったが、近づいてみるとアッサムは、紫のサッシュ・ブラウスにスキニージーンズと、初めて2人でデートした時の服と同じ服を着ていた。

 そして、俺は偶然にも、そのデートの時と同じ服を着ていた。

「アッサム・・・」

 アッサムの名を呼ぶ。アッサムは俺の言葉を聞いて顔を上げ、俺の方を見る。その表情は、普段と変わらない凛々しい表情だったが、今の俺にはそれが、無理して取り繕っているようにしか見えない。

「ごめんなさいね、こんな時間に呼び出して・・・」

「いや、大丈夫だ」

 俺はアッサムの隣に座る。

 そして、沈黙が訪れる。

 おそらくアッサムは、内に秘めた思いや感情を告げるのを躊躇っているのだろう。

 オレンジペコやルフナの言う通りだとしたら、アッサムは俺に対して心を許している。

 しかし、心を許した相手に対してでも言いにくい事というのはいくらでもある。現に、俺が心を許している相手にはアッサムの他に学校の友人や家族などがいるが、その誰が相手でも言えない事はある。

 だが、このまま黙っていても状況は進展しない。

 俺が今できる事と言えば、アッサムが本音を、感情を吐き出せるようにきっかけを作ることぐらいだ。そして、アッサムの話を聞いて、何とかアッサムを慰めるしかない。

 そう思って俺は、ある一言を告げる。

 その一言を告げるのに、大分覚悟が必要だったが、やがて俺は意を決してその言葉を、アッサムに告げた。

「・・・・・・試合、惜しかったな」

 その言葉を聞いて、アッサムがこちらを見る。

 俺はアッサムの顔を見ることができず、ただ目の前に広がる海を眺めるだけだ。アッサムも、俺から視線を逸らし、俺と同じように海を眺めながら言葉を紡ぎ出す。

「・・・勝てなかった・・・」

 アッサムが、膝の上で自らの手をギュッと握る。

「・・・・・・私は、今回の試合に向けて、黒森峰のデータを徹底的に分析した・・・」

 そのアッサムの手が小さく震える。

「・・・・・・戦車も、戦績も、陣形も、指揮系統も、その全てを・・・」

 俺は、そのアッサムの震える手を優しく握る。

「・・・・・・シミュレーションだってした。それで、私は、聖グロリアーナが勝てるような作戦をいくつも考えた・・・・・・」

 アッサムの声が震え出す。

「・・・・・・でも、できた作戦は勝率40%・・・」

 俺は、アッサムの顔を横目に見る。その瞳は、涙で潤んでいた。

「・・・・・・それでも、ダージリンは、オレンジペコは、皆は・・・私の立てた作戦を信じて、その40%に賭けてくれた」

 瞳に涙が溜まり、やがてあふれる涙が頬を伝う。

「・・・・・・私は、私の作戦に全てを託してくれた皆の期待に応えようと、全力で戦った・・・」

 でも、と告げ、アッサムは自らの頬を乱暴に服の袖で拭う。

「・・・・・・勝てなかった・・・」

 涙が止まらない。とめどなく涙があふれ出る。

「・・・・・・皆、私を、私の作戦を信じて戦ったのに、勝てなかった・・・」

 アッサムが体をかがめる。

 俺の頭に、一粒の水滴が落ちる。

「・・・・・・それが、どうしようもないくらい、悔しくて・・・・・・」

 ぽつぽつと、雨が降り出す。地面に敷き詰められたレンガに、いくつものシミができる。俺とアッサムにも、雨粒が落ちる。

 やがて、その雨の勢いは徐々に増していく。

「・・・・・・何が、間違ってたんだろう・・・」

 雨の勢いが増していき、アッサムの声が小さくなっていく。涙は流れたままだが、それでも声を押し殺して、泣くのを我慢している。

 

「・・・・・・どうして、負けたんだろう・・・・・・」

 

 俺は、戦車道の給仕を務めているとはいえ、一度だけ砲手を務めたとはいえ、所詮は男だ。乙女の嗜みである戦車道の事に関して、口出しすることはできない。

 こんな時だけ、俺は自分が男であることが恨めしかった。

 何か適当な言葉を見つけて、アッサムを慰める、何て事すらできない。

 よく頑張ったね?

 俺はアッサムが頑張っている姿を見ていたよ?

 皆一生懸命戦ったよ?

 どんな言葉をかけても、今のアッサムには薄っぺらく聞こえてしまうだろう。

 だから俺は、言葉ではなく態度で、アッサムを慰めるしかなかった。

 俺は、アッサムの肩を優しく抱き寄せた。

 アッサムの身体は震えていて、小さかった。雨のせいで冷たくなっていた。

「・・・・・・う」

 それで感情の堰が切れてしまったのか、アッサムは声を上げて、俺の胸の中で泣き出した。

 まるで、アッサムの悲しみが具現化したかのように、雨の勢いが強くなる。

 その泣き声は、雨のせいで、傍にいた俺にしか聞こえなかった。

 それでいい。

 今、アッサムの悲しみを、悔しさを受け止められるのは、俺しかいないのだから。

 俺は、泣きじゃくるアッサムの頭を撫でて、その感情を全部吐き出すよう促す。

 それに応えるかのように、アッサムはしばらくの間、俺の胸の中で泣き続けた。

 

「・・・・・・ごめんなさい。みっともない姿を見せてしまって・・・」

「いや、大丈夫だよ」

 雨が降りしきる中で、アッサムはしばらくの間泣き続けた。そして、自分の内にある悔しさや悲しさをすべて吐き出し終えると、水上の胸から顔を離し、水上へと向き直る。

「・・・いつぶりかしら・・・こんなに声を上げて泣いたのは」

「・・・でも、これでやっと安心できた」

「?」

 水上のホッとしたような表情と言葉を聞いて、アッサムは首をかしげる。

「アッサム、試合で負けた事を気に病んでいると思ったから・・・。それで、心の中にずっと蟠りを抱えているんじゃないかって、心配したんだよ」

「・・・・・・」

「でも、さっき、アッサムは泣いてくれた。それで、アッサムの中にあるモヤモヤが全部吐き出せたんじゃないかって思う」

 言われてアッサムは、自分の胸に手をやる。

 水上に本音を告げるまで、アッサムの中には確かに、胸の中に大きな蟠りがはびこっていた。その蟠りに囚われて、アッサムは今日学校を休んだ。

 しかし、水上に本音を告げた今、アッサムの胸を支配していたモヤモヤは、蟠りは、無くなってしまっていた。

「・・・・・・そうね。私も、水上に全部言えて、すっきりした」

「それは良かった」

 そこで水上は、自分たちが雨のせいでびしょ濡れであることに気付いた。急いで水を拭かなければまた風邪を引いてしまうと言って、水上は自分が泊っているホテルにアッサムを連れて行くことにした。アッサムの寮は、公園よりも少し距離が離れている。水上の泊っているホテルの方が近かったから、それが最善だと思ったのだ。

 ホテルに着き、部屋に備え付けてあるバスタオルでアッサムの髪や顔、身体を拭く。流石に服を脱がす事はしない。服の上からポンポンと叩くように拭くだけだ。

 水上も自分の髪や顔を拭き、電気ケトルでお湯を沸かす。そして、緑茶の素をカップに入れ、お湯を注ぎ、アッサムに手渡す。

「ありがとう」

 アッサムはベッドに腰かけて、それだけ言って緑茶を受け取り一口飲む。

「落ち着いた?」

「ええ、もう大丈夫」

「そうか」

 そう言って水上は、アッサムの横に座る。

 そして、再び沈黙。だが、公園の時のような気まずさは無い。あの時とは違う、心地よい沈黙だ。

 緑茶を半分ほど飲んだアッサムが、ゆっくりと呟く。

「水上」

「ん?」

「・・・・・・全国大会が終わったら、伝えたいことがあるって言ったわよね?」

「・・・ああ、そうだな」

 水上は、何かを察したかのような表情をする。アッサムはその表情を見て、小さく微笑む。

「本当は、優勝してから伝えたかったんだけど・・・ね」

「うん」

 アッサムは、言い淀む。手の中にあるカップをギュッと握る。だが、覚悟を決めて水上に言葉を告げる。

「・・・水上は、人に尽くしたいって立派な夢を持ってる」

「・・・・・・」

「・・・水上は、こんな私の事を可愛いって言ってくれた」

「・・・・・・」

「・・・水上は、いつも私の事を気にかけてくれた」

「・・・・・・」

「そして、私なんかの事を心配して、私の本音を聞いてくれた」

 水上は何も言わない。アッサムは、意を決して、自分の中にある最後の気持ちを、告白する。

 

「私は、あなたの事が好きです。よければ、私と・・・・・・付き合ってください」

 

 その言葉を聞いて、水上は顔を抑えて天井を仰ぎ見る。

「・・・先に言われちゃったか」

「・・・・・・え?」

 水上は、アッサムを見据える。そして、水上もまた言葉を紡ぎ出す。

「アッサム」

「・・・・・・」

 

「俺も、君のことが好きだ・・・愛してる」

 

 アッサムは優しい笑みを浮かべる。

 水上もまた、小さく笑う。

「俺でよければ、喜んで、お付き合いさせてください」

 水上の言葉を聞いて、アッサムの瞳から、また涙が一筋流れ出る。

「・・・・・・はい」

 そしてアッサムは、顔を水上に向けたまま瞳を閉じる。

 それが何を意味しているのか、水上は分からないほど馬鹿ではない。

 水上は、アッサムの顔に、自分の顔を近づけていく。

 2人の顔の間の距離がゼロになる直前で、水上も同じように目を閉じる。

 そして、2人の唇が重なり合った。

 

 キスより先の事なんて、できなかった。

 アッサムは今、いくらか持ち直したとはいえ精神的に不安定な状態だった。何より、“そう言う事”をするのには万が一の責任が生じる可能性がある。今はまだ、水上にはその責任を負う覚悟がなかった。

 ほんのわずかな間だけ、時間にすれば一分も満たない時間、2人は唇を重ね合わせて、やがて名残惜しそうに唇を離す。

 考えてみれば、唇を重ねるキスは初めてだ。それ以前は額や頬にキスをしていたのに、唇同士を重ねるというのは無かった。

 だが、唇を重ねるキスとは、心が自然と満たされる感覚になる。心が温まったような気がする。

 外を見れば、いつの間にか雨は止んでいた。

 水上はアッサムを寮まで送ろうと提案する。アッサムは大丈夫と最初は断ったのだが、夜はやはり危険と水上が言ったので、最終的に水上が送ることになった。

 夜の道を2人で手を繋いで歩く。雨が降った後なので、アスファルトの匂いが漂っていた。おまけに今は夏で、僅かに蒸し暑い。しかし、それすらも今の水上とアッサムにとっては心地良いと感じられた。

「・・・・・・次の日曜日、空いてる?」

「うん」

「じゃあ・・・デート、する?」

「もちろん」

 アッサムが提案し、水上はそれに乗る。ついこの間は、デートに誘うのにも勇気と度胸、覚悟が必要だったのだが、今では臆面もなく誘える。

 やはり、告白して、自分の感情が認められたからだろう。

 やがて寮の前につき、水上はアッサムの手を離す。そして、アッサムは『また明日』とだけ告げると、寮へと戻って行った。

 水上はそれを見送り、ホテルへと戻る。

 その道すがら、空を見上げると、雲の間から星空が見えた。

 そして思い出す。

 自分が給仕として聖グロリアーナにいられる期間は、3カ月の間だけ。もう1ヵ月と少しが経過してしまったので、ここにいられるのは後1ヵ月と数週間ほどしかない。

 その期間が終わってしまえば、水上は潮騒高校へと戻り、アッサムとはまた離れ離れになってしまう。

 なら、それまでにもっと思い出を作ろう。

 もっと、アッサムと過ごそう。

 明日からは、どう過ごすか。

 水上はそれを考えながら、ホテルへと続く道を歩いた。




これで、アッサムと水上の恋物語は一区切りつきました。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。

ですが、この話は水上が聖グロリアーナで給仕として3カ月を終えるまで続きます。
まだこの話は続きますので、今後ともよろしくお願いいたします。

感想・ご指摘等があればお気軽にどうぞ。

それでは、また次回の投稿でお会いしましょう。








次回作の構想は出来てはいますが・・・


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愛し合う人として

今回は少し短めです。
予めご了承ください。


 翌日の聖グロリアーナ女学院の校門前で、水上とアッサムは偶然にも遭遇した。

「おはよう、水上」

「おはようございます、アッサム様」

 アッサムも水上も、笑顔で挨拶を交わす。2人の間には、お互いに対する恋心を自覚した時のような、緊張感やぎこちなさはもう無い。

 だって、もうお互いに、相手の事が好きだと分かっているのだから。

 2人並んで昇降口に向かうアッサムと水上。それだけでもどうやら奇異に見えるらしく、周りを歩く生徒たちは2人を見てヒソヒソと話をしていた。

 だが、水上もアッサムもそんな事は気にせず、2人だけの世界に入り浸っている。

「今日も戦車道の授業は休みですが、如何なさいますか?」

「そうね・・・」

 ダージリンは一昨日、戦車道の訓練を3日間休みにした。つまり、明日まで戦車道の授業はあるにはあるが、内容は無いという事になる。その時間をどう潰すか、アッサムはまだ考えていなかった。

「水上は昨日、どうしていたの?」

「私ですか?私は昨日は、砲弾や燃料などの物資の確認をしていました」

「今日は?」

「そうですね・・・」

 アッサムに問われて、水上は今日はどうするかを考える。

「今日は・・・整備班の見学をしようかと」

「整備班?」

「ええ。まだここに来てからじっくり見た事はありませんでしたし、戦車の整備で忙しいでしょうからお茶でも淹れて差し上げようかと思います」

 なるほど、お茶を淹れるというのは人に尽くすのを夢見る水上らしい。それに、見た事がない場所を見るというのも、好奇心からくるものだろう。

「私は、そうね・・・水上と一緒にしようかな」

「・・・・・・・・・・・・」

 さらっと一緒に行動する宣言をしたアッサム。それに水上は僅かにびっくりしたが、そもそも自分とアッサムは付き合っているのだ。一緒にいる事の何がおかしいのか。

「・・・分かりました」

 水上が頷いたところで、アッサムが水上の手を握る。

 周りから聞こえてくるヒソヒソ話が増えた気がするが、水上は気にせず、アッサムの手を握り返す。

 そして2人は、手をつないだまま昇降口へと向かった。

 

 昼休み、食堂で水上はアッサム、オレンジペコ、ルクリリ、ルフナと同席して食事をしていた。ここに来た当初は、周りが女性しかいない事に緊張し、戸惑ってしまったが、今ではもう慣れてしまった。その状況に慣れてしまった事に水上は一抹の恐れを抱いたが、あまり深くは考えない事にする。

「アッサム様、昨日は大丈夫でしたか?」

 オレンジペコがホットクロスバンを食べてから聞く。アッサムは、うなぎのゼリー寄せを一口食べてから、向かい側に座るオレンジペコに優しく笑いかける。

「大丈夫よ。心配してくれてありがとうね」

 そのオレンジペコの隣で、ルクリリがカレーライスを食べながら、ニヤニヤと意味ありげな笑みを浮かべて水上の事を見つめている。

「・・・ルクリリ様、何か?」

 耐えかねて水上が、ルクリリに問いかける。ルクリリはその笑みのままで、2人の事を指差す。アッサムが『はしたないわよ』と指摘するが、ルクリリは気にしない。

「お2人とも、自然に隣同士で座ってるので、気になってたんですよ」

 今、席の並び順は、水上の隣にアッサム、アッサムの向かい側にオレンジペコ、その隣にルクリリ、さらにその隣にルフナという順番だ。

 そして、席に座る際、アッサムはごく自然な流れで、当たり前のように水上の隣に座ったのだ。

「・・・偶然ですよ。他意はありません」

 水上が目を逸らしながらフィッシュアンドチップスを齧る。

「もしかして、2人とももう付き合ってたりして」

 ルクリリが、別に何も考えていない風に呟くが、それは的中していた。水上とアッサムは、顔を赤くしてお互い視線を下に逸らす。

 その割と本気な反応を見て、真っ先に反応したのはオレンジペコだ。

「え・・・?もしかして、お2人とも、本当に・・・・・・?」

 水上とアッサムは何も言わない。それが、当たり、と表しているの気付き、オレンジペコもまた顔を赤くする。

「・・・何というか、お似合いですね」

 ルクリリが背もたれに身体を預けて、感慨深そうにつぶやく。

 そこで水上は、未だ黙ったままのルフナの方を見る。ルフナは、もの悲しそうな表情でフィッシュアンドチップスを食べていた。

 そのルフナの事を直視できず、水上は視線を自分の皿に盛りつけてあるフィッシュアンドチップスへと落とす。

(・・・・・・ちゃんと、話をしないとな)

 そう考えて、水上は自分のフィッシュアンドチップスを食べる。

 

 迎えた戦車道の時間、練習場に人の姿は無い。他の履修者たちは図書室で時間を潰したり、他の選択科目の見学をしたりしているのだろう。オレンジペコは図書室へ行くと言っていた。ダージリンの格言や名言、ことわざの予習をしておくらしい。

 普段、戦車道の授業後のお茶会で運ばれてくるお菓子は、栄養科が作っている。だが、戦車道が休みだから栄養科も休みというわけにはいかない。常日頃から栄養科は、美味しいお茶菓子を研究し、試作しているのだ。今ここにいない戦車道履修者たちの多くは、栄養科の授業を見学に行って、試食と称してお茶菓子を食べているのかもしれない。甘いお菓子に目がないのは、どの女の子も同じのようだ。

 そして水上とアッサムは、整備班が戦車の整備を行っている格納庫を訪れていた。

 今の時期、格納庫の中は蒸し暑く、熱気であふれている。ぴっちりスーツを着てきた水上も、暑さの余り思わずふらついてしまったぐらいだ。

 そんな格納庫の中で、整備班の生徒たちは、赤いつなぎをぴっちりと着て、名前も知らない工具を自在に操って戦車の整備に当たっている。

「皆さま、お疲れ様です」

 水上が声を掛けると、整備をしていた生徒たちが目を水上とアッサムに向ける。

「アイスティーを淹れて来ましたので、よろしければどうぞ」

 水上が、アイスティーの入ったポットを掲げると、整備班の生徒たちはパァッっと顔を明るくする。そして、工具を工具箱に片付けてから、水上とアッサムの下へと集まる。この環境下での冷たい飲み物は、砂漠でオアシスを見つけた時のような気分にも等しい。

 水上が紙コップにアイスティーを注ぎ、アッサムがそれを整備班の生徒たちに手渡す。手渡された生徒は一口飲み、口々に『美味しいですぅ』とか『生き返りますねぇ』と感嘆の声を漏らしていた。

「戦車の整備はどうですか?」

 水上が、アイスティーを飲んでいた整備班班長に尋ねる。

「結構きついですけど、やりがいがありますよ」

 班長がニッコリ笑顔で言う。

「それにしても、激戦でしたね」

 班長が、まだ整備途中のマチルダⅡやクルセイダーを見ながら感慨深そうにつぶやく。

「・・・私が作戦を立てたのに、負けてしまって・・・」

 アッサムが、水上の隣で表情を陰らせる。そして、整備班の班長に頭を下げた。

「ごめんなさい。私のせいで・・・」

「えっ、どうして謝るんですか?」

 だが、謝られた班長は驚いた顔をする。

「計画通りにいかない、失敗する事なんて誰にでもありますよ。今回アッサム様の立てた作戦が上手くいかなかった事も、その誰にでもある事に当てはまりますから。ですから、あまりに気に病まないでください」

 整備が増えるのは整備班としては仕事が増えて嬉しいですがね、という冗談交じりの班長の言葉を聞いて、アッサムがもう一度深く頭を下げる。

 その後、水上はスーツの上とベストを脱いで、少しだけだが整備班の手伝いをした。だが、あまり身体を鍛えていない水上に整備班の班長は力仕事を任せ、水上がつい腰を痛めてしまった話については割愛する。

 

 戦車道の授業の時間が終わる。通常ならこのあとお茶会が行われるのだが、今日はお茶会も休みだ。なので、戦車道履修者たちはそれぞれ自分の教室に戻って荷物を回収し、寮へと戻る。

 水上も、教室まで荷物を取りに行き、それからまたアッサムと合流して寮へ送ろうとしていた。

だが水上は、自分のクラスに戻った際に、ルフナと遭遇したのだ。

「・・・・・・・・・あ」

 ルフナが水上に気付き、何かを言いたそうな目で水上を見つめる。水上は、何て言えばいいのか分からなかった。

 水上は、先日ルフナに告白をされた。そして、水上はそれを断った。

 その翌日、ルフナは努めて水上と普段通りの関係を築こうとし、水上もそれに答える形で最大限いつも通りに接した。

 それ以来、周りに人がおらずルフナと2人きりになる、という状況は無かった。つまり、今この瞬間が初めてとなる。

「・・・付き合う、のですね。アッサム様と・・・」

 沈黙を破り、確認するようにルフナが言葉を投げかける。水上は、それに小さく頷いて応じる。

 そして、水上はルフナから目線を外して、小さく、だが相手に聞こえるように話す。

「・・・ごめんなさい。ルフナ様を振ってしまって・・・。その上、別の人と付き合うなど・・・」

「・・・いいえ、気にしないでください」

 ルフナが首を振り、水上の言葉をやんわりと否定する。

「・・・変な事を聞きますが・・・」

「?」

 ルフナが妙な前置きをする。そして、目を水上に合わせる。

「・・・水上さんは、今・・・アッサム様と付き合うことができて、幸せですか?」

 その問いの答えは、聞かれるまでも無い事だ。

「はい。もちろんです」

 水上が力強く答える。それを聞いたルフナは、安心したように胸に手を当てる。

「・・・それだけで、私は十分です」

「・・・・・・」

 

「水上さんが幸せであれば、私はそれで十分、幸せです。たとえ、私が振られたのだとしても」

 

 水上は、心の中で思う。

 ルフナは、何て強い子なのだろう。

 振られてもなお、その相手の幸せを願って自ら引くことができるなど、自分には到底出来そうもない。

 それを成し遂げられる、そして、言葉にすることができるルフナは、強い。

「・・・・・・ありがとう、ございます」

 その気持ちを、感謝の言葉で表現し、水上は再度頭を下げる。

 ルフナは、笑って頭を下げる水上の事を見つめていた。

 その頭を下げている間、水上は心の中で決意する。

 ルフナも幸せになれるように、応援しよう、と。

 

 その後、水上はアッサムとルフナを寮へと送った。アッサムは最初、ルフナがいる事にびっくりしたが、水上が『大丈夫だ』と目で伝えると、アッサムは安心したようにルフナと共に寮への道を歩む。

「ジョーク好きで、お2人とも意気投合したんですか」

「ええ。最初に出会った時、同じジョークの本を持っていたことで話が広がって」

「そんな事って現実であるんですね・・・私、創作の世界だけだと思ってました」

 アッサムとルフナが、水上とアッサムの馴れ初めを聞いて真剣にうなずいている。正直、水上にとっては凄く恥ずかしい事だった。

 しかし、ルフナは真剣だし、アッサムも楽しそうに話しているので止められそうもない。聞くに徹している水上は、今さらながら自分の行動を振り返って、恥ずかしくて死んでしまいそうになっていた。

「でも、まさか、また会えるとは思わなかった」

 アッサムの、心底嬉しそうな言葉を聞いて、水上は我に返る。

「・・・・・・私もです」

 そして、水上はただそれだけ返すと、アッサムは優しい笑みを水上に向けてくれた。

 ルフナは、2人の様子を温かい目で見つめていた。




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想い合う人として

更新が早い、というコメントをいただいたにもかかわらず、
仕事で更新が遅れてしまいました。
大変申し訳ございません。


 午前10時。

 水上は、聖グロリアーナ学園艦の大エレベーター前で、壁に背を預けていた。

 服は、薄い水色のYシャツに黒のチノパン。最初にアッサムとデートをした時と比べると少々シックな印象を抱く服装だ。

 やがて、その水上の下に1人の少女が駆けてきた。

 ひざ下まで伸びる純白のワンピース、長いブロンドヘアーの上には白い帽子を被っており、肩には茶色のトートバッグを提げている。

 その少女の正体は、水上が忘れるはずの無い、例え普段のイメージとは離れた服を着ていようとも、アッサムだった。

「おはよう、待った?」

「全然。今来たところだ」

 アッサムの問に、水上は気にしてない風で答える。それがおかしかったのか、アッサムはクスリと笑って、当然のごとく水上の手を取る。

「じゃあ、行きましょうか」

「ああ」

 そうして2人は、大エレベーターに乗り込み、聖グロリアーナ学園艦の下部へと下りて行った。

 

 今日は、日曜日。全国大会では大洗女子学園とプラウダ高校の準決勝が行われる日であり、水上とアッサムがデートをする日でもあった。水上にとってどちらが大事かと聞かれると、水上は迷わずアッサムとのデートだと答えられる自信があった。

 今日、聖グロリアーナ学園艦が寄港した港町には、大型のショッピングモールがある。水上とアッサムは、そこを中心に街を歩こうと考えていた。

 今回のデートは、前の横浜でのデートとは違い、お互いがお互いの事を好きだと知っている。だから、一挙手一投足にためらいが無い。

 ショッピングモールへの道を行く今だって。

「~♪」

 アッサムは鼻歌を歌いながら、水上の腕に抱き付いて、水上の肩に頭を寄せていた。

「・・・・・・アッサム」

「何?」

「ご機嫌だね」

「そう見える?」

 見える。水上がそう断言できるぐらいには、アッサムは機嫌がいい。

 何せ、あのアッサムが鼻歌を歌って自分の腕に抱き付いているのだ。普段の凛々しく淑やかなアッサムからはイメージできない所作だ。これが他の聖グロリアーナの生徒に見られたら、その人は普段のアッサムとのギャップに卒倒してしまうかもしれない。

 水上はと言うと、アッサムが密着している今の状況は喜ばしいのだが、周囲からの視線が痛い。

 すれ違うおばちゃん集団は『若いわねぇ』なんて言ってくるし、向かい側の歩道を歩く若い男たちは妬ましいものを見る目でこちらを見ている。

 そんな悲喜こもごもな視線にさらされながら、水上とアッサムはショッピングモールへとやってきた。

 このショッピングモールはかなり規模が大きく、様々なジャンルの店舗が入っている。

 まず最初に水上とアッサムは、ファッション系の服を販売している店を訪れた。ただし、レディースではなくメンズの。

 どうやら、アッサムは水上の服を見てくれるらしい。

 いまさらそのことに気付き、水上は戸惑う。

「・・・・・・いや、どうして?」

「どうしてって、この前は私の服を見てくれたでしょう?だから今日は、水上の服を見てあげるの」

「・・・・・・うん?」

 納得がいかないが、アッサムに押し切られてしまいそのまま店に入る水上。

 そこで、アッサムはじつに楽しそうに水上の服を見繕ってくれた。

「水上は身体が細いから・・・こういう服は似合うかな・・・」

 自分のために誰かが服を見繕ってくれるというのは、自分が尽くされている感覚に似ていて、とても心地良い。それが好きな人であればなおさらだ。

 アッサムは少しの間店の中を見て回り、やがて3着の服を持ってきた。

 白と黒のチェックのボタンダウンシャツ、白を基調として緑のアクセントが入っているポロシャツ、そして鳥の羽の模様が入った青いTシャツだ。

 水上は、それらの服を受け取り、順番に試着していく。

 白と黒のチェックの服は大人しめのイメージがあるとコメントされ。

 白と緑のポロシャツは一転して明るいと評され。

 青いTシャツは活発なイメージだと評価された。

 水上は、当然ながらその服を全て買う事にする。決して少なくはない出費だが、アッサムが自分のために選んでくれたものだ。無下に元の棚に戻すなど、とてもではないができない。

 アッサムがカードを取り出したが、それより先に水上が自分の財布を取り出して会計を済ませる。

 アッサムがどこか不満げな表情をするが、水上は気付かないふりをして次の店へと移動する。

 次に2人が訪れたのは文房具も販売している書店だ。正直、今まで訪れてきたどの書店よりも規模が広い、と水上とアッサムが感じるぐらいには広い。

 本屋の中を歩く水上とアッサム。そこでアッサムが先に、お目当ての本を見つけたらしく、その本を手に取った。一方、水上はしばらく本屋の中を歩くが、めぼしい本は見つからなかった。読んでいるシリーズものの小説もまだ新刊は出ておらず、文房具も別に不足しているものは無い。

 アッサムはそそくさと会計をしに行ってしまったので、仕方なく本屋の外でアッサムを待つ水上。数分ほど経ったところでアッサムが出て来て、さっき買ったであろうブックカバーがかぶせてある本をスッと水上に差し出す。

 疑問に思ったので水上がページをめくると、最初のページにその本のタイトルが書かれてあった。

 その本の名は『続・エスニックジョーク集』。

 横浜でのデートで、水上がアッサムに買ってあげた本と同じものだ。

「・・・・・・横浜で、買ってくれたでしょう?だから、これでお相子よ」

 水上はその本を大事そうに自分の持っている鞄にしまい込む。

「・・・別に、気にしなくてもいいのに」

 申し訳なさそうに水上が言うが、アッサムは首を振って水上の事を見つめる。

「あの時のまま、私だけ持っているっていうのは少し気が引けたから・・・」

 これ以上何かを言ってしまえば、アッサムは余計に気にしてしまうだろう。ならば、ここで言うべき言葉はただ1つだけだ。

「・・・ありがとう。大切にする」

 その言葉を聞いて、アッサムは笑みを浮かべた。

 

 ショッピングモール内にある時計が鐘を鳴らす。見れば、時刻はちょうど12時。朝の出発が若干遅めだったのと、最初に立ち寄った服飾専門店での試着で時間を割いてしまったからだろうが、どうも時間が経つのが早い気がする。

 それはやはり、好きな人と楽しい時を過ごしているからだろう。

「お昼は、どうしようか」

 水上が、店舗情報が載っている電子掲示板を見る。1階には様々な飲食店が軒を連ねるフードコートがあり、その他にもレストランがたくさんある。

 だが、水上の問にアッサムは、自分の鞄に手を入れて、取り出したものを水上に見せて答えを示す。

 そのアッサムが取り出したものとは、それぞれ水色の風呂敷に包まれた2つの小さめの弁当箱だ。

「・・・作ってきたの。よければ―――」

「食べよう」

 その弁当箱を見て水上の取るべき行動とは決まりきったものだ。水上は速攻で答える。

 早速、どこか食べられる場所を見つけようと掲示板を見る。1階のフードコートは少々周りの喧騒が気になるので、屋上にあるテラス席で食べることにした。

 方針を決めて、屋上へと向かうエスカレーターに乗ろうとする水上とアッサム。だが、その直前で水上が何かに気付いた。

「どうかした?」

 アッサムが尋ねると、水上は『ちょっとごめん』とだけ言ってその場を離れる。そして、手に小さなメモ帳のような紙を持って、辺りをキョロキョロと見回しているおばあさんへと歩み寄った。

「何かお困りですか?」

 と話しかける水上。おばあさんは少しびっくりした風だったが、水上の優しい笑みと物腰の低さに安心したのか、水上に話す。

「このお店を探してるんだけど、どこにあるのかしらねぇ」

 メモを見せるおばあさん。水上はそのお店の名前を見て、そのお店をおばあさんと一緒に電光掲示板で探す。

 やがて目当てのお店を探し当てて、おばあさんと一緒にその店へと向かう水上。アッサムはそれを見て、水上とおばあさんより少し距離を開けて後ろを歩く。

 エスカレーターを降り、少し通路を歩いて目当てのお店にたどり着く。そのお店は、他のお店とは違い、純和風のイメージがある呉服店だった。

「ありがとうねぇ。何せ初めて来たもんだから、どこに何があるのか分からなくて」

「いえいえ、これしきの事」

 おばあさんが頭を下げて礼をする。水上はぺこぺことお辞儀をして、柔和な笑みをおばあさんに向ける。

 そこで水上はおばあさんと別れ、アッサムと合流してエスカレーターを昇り、屋上の二人掛けのテラス席に座る。

 他のテラス席には、家族連れやカップルらしき男女が座っていた。水上とアッサムも、周りに溶け込んで席に座り、向き合う。

 そして、アッサムがバッグから弁当箱を2つ取り出してテーブルに置く。水上は、水色の風呂敷を、割れ物を取り扱うかのように慎重に解き、弁当箱の蓋を開ける。

 弁当箱の3分の1を占めるのは、黒ごまが振りかけられた白米。そして小さなハンバーグ、玉子焼き、ブロッコリーとミニトマト。

 英国風ではないな、と場違いな感想を抱く水上。

「・・・もしかして、全部手作り?」

 水上の問に、アッサムは恥ずかしそうに頷く。

「寮の厨房を借りてね」

 多分だが、アッサムが料理を作っている様というのは周りからすれば珍しく見えるだろう。その視線に晒され恥ずかしそうに弁当を作っていたのを想像すると、愛おしさがあふれて止まらない。

 水上が、箸を手に取り、まずはハンバーグを小さく切り取って口に運ぶ。

「どう?」

 アッサムが聞いてくる。その問いに対する返事は。

「・・・すごい、美味しい」

 その言葉を聞いて、アッサムは胸をなでおろす。そして、自分も弁当箱を開いて白米を食べる。

 水上は次に玉子焼きを一口。甘くて、水上好みの味だった。

「・・・・・・水上は、すごいと思う」

「?」

 食事を始めてから少しばかりの時間が経ったところで、アッサムが箸を止めて水上の事を見つめる。水上は、咀嚼していたブロッコリーを飲み込んでアッサムの言葉の意味を考える。

 一体、何のことだろう。

「さっき、道に迷ってたおばあさんに声を掛けて、一緒に店を探すって事が、ね」

 そのことか、と水上が頷く。

「別に、大したことじゃないよ」

「私はそうは思わない」

 アッサムの強めの否定に、水上はぐっと詰まる。

「・・・・・・さっきみたいに、困ってる人に迷わず声を掛けるなんて、私にはできない。多分、ダージリンにも、簡単にはできない事だと、私は思う」

「・・・・・・」

「それが普通にできる水上の事を、すごいと思ってる」

 アッサムが言いきってから、ハンバーグを食べる。

 水上は、箸を置いて腕を組み、少し考える。自分の考えを、どう説明すればいいのかを頭の中で考えているのだ。

 やがて、言葉を紡ぎ出す。

「・・・人に尽くしたい、って思ってるからこそ、ああいう困ってる人を放っておけないんだと、自分では思う」

「・・・・・・」

「でも、給仕として1カ月半過ごしていて、気づいた事もある」

 水上の、主旨とは少し外れた言葉を聞いて、アッサムが水上の目を見つめる。

「人に尽くす事と、人に優しくするのは、違うって」

 水上の言葉に、アッサムは目をぱちくりさせる。

「・・・どういう事?」

「・・・・・・ええと」

 アッサムに問われて、水上はどう説明したものかと考える。

 ゆっくりと、話し出す。

「・・・相手に対して優しくするのは、相手に対して良く思われたいと思っているから」

「・・・・・・」

「・・・でも、相手に対して尽くすのは、相手に対してどう思われたいとかは考えないで、ただ自分が尽くしたいと思うから」

 アッサムは、水上を見つめて、水上の言葉を待つ。

「俺は、これまでずっと、人に尽くしてきたつもりだった。でも、今思えば、今までの行動は全部、接していた相手に良く思われたい、良い印象を持たれたいって、無意識に思ってた」

 電車の中で席をお年寄りに譲った時。道を尋ねられた時。そして先ほどのように困っている人を見かけた時。

 水上の中には、優しく接することで『いい人だ』という印象を持たれたい、という願望が気付かないうちに存在していたのだ。

「でも、聖グロリアーナで給仕としている時は、自分がそうしたい、と思って行動してきた」

 紅茶を淹れる時。皿洗いをする時。掃除をする時。その時は、水上は見返りを求めず、ただ自分がそうしたいと思って行動を起こしていた。

「それが、本当の意味で、尽くすって事なんだと思う」

 水上は箸を取って、ミニトマトを口に含む。

 アッサムは、言葉を選んで、水上に話しかける。

「・・・やっぱり、水上はすごい」

「え?」

「まだ、私と同じ高校3年生なのに、そこまで考えることができるなんて」

「・・・そうかな」

「絶対そうよ。私が断言できる」

 アッサムがほほ笑むと、水上も釣られて笑う。

 そして2人は、昼食を再開した。

 

 昼食を食べ終わった2人は、ショッピングモール内の散策をすることにした。

 飲食店を見て、アッサムの手作り弁当を食べたばかりだというのにサンプルが並べられたウィンドウを見てお腹を鳴らしたり。宝石などを扱うジュエリーショップを見て、自然とアッサムの目が奪われてしまったり。先ほどおばあさんを連れて行った呉服店を見て、こういう服もアッサムに似合うかもしれない、とコメントしてアッサムを赤面させたり。

 一通り店舗を見たところで、2人はショッピングモールを出ることにした。

 時刻は15時過ぎ。まだ学園艦に戻るには少し早い。

 そこで水上とアッサムは、近くにある大きな公園に立ち寄ることにした。この公園はジョギングコースやサイクリングコース、子供たちが遊ぶことができる遊具エリアなどが敷設されており、そこそこ規模が大きい。

 その公園内にある舗装された道を2人で手をつなぎながら静かに歩く。会話はほとんどなかったが、自然の音を楽しむというのもまた一興だ。それに、時々アッサムがいたずらっぽく手を強くギュッと握ってくる。水上も、それに応えるかのように同じく手を握り返す。それがおかしくて、2人は笑みをこぼした。

 やがて、屋台がいくつも構えてある場所へとたどり着いた。ちょうど小腹も空いていたので、水上が先んじて屋台でたこ焼きを買い、2人は近くにあるベンチに座ってたこ焼きを食べる事にする。

 そこで水上は、迷わずある行動に出た。

「はい、あーん」

 たこ焼きに爪楊枝を刺して、息を吹いて冷まし、それをアッサムの口元へもっていく。アッサムは恥ずかしがることなく、目を閉じてたこ焼きをパクリと食べる。

「・・・美味しい」

 食べ終えると、アッサムは水上から爪楊枝を取り上げて、同じようにたこ焼きに刺して息を吹きかけ、水上の口元へと近づける。

「あーん」

 水上は自分も先ほどやったというのに、自分がされるのは少々恥ずかしかった。だが、ここで断るわけにもいかないのでたこ焼きを頬張る。

「・・・うん、美味い」

 その後はお互いにたこ焼きを食べたり食べさせ合ったりして、少しの時を過ごした。ただ、水上がごみを捨てる際、たこ焼き屋台のおっちゃんから『お熱いねぇ』と声を掛けられてしまったのは、流石に恥ずかしかった。

 水上とアッサムは、公園を出て学園艦へと戻ることにする。

 今日のデートで特筆すべき事項と言えば、アッサムが手作り弁当を作ってきたことぐらいか。それ以外の事に関しては、前の横浜でのデートでもやったような事だ。

 だが、それだけでもとても有意義な時間を過ごせたと言える。いや、アッサムと過ごす時間は全てが楽しいと水上は断言できる。たとえどんな苦難であっても、アッサムと2人でいれば乗り越えられると割と本気で思っているぐらいだ。

 だが、学園艦に戻る直前でアクシデントに見舞われた。

「・・・随分、仲がよろしいようね」

 ダージリン、オレンジペコと出くわしたのだ。

 状況を確認する。

 ダージリンとオレンジペコは、いつも通りの聖グロリアーナの制服を着ている。それに対して、水上とアッサムは、完全なる私服。片方は大人ぶった服装で、その相方は白ワンピースとこの夏最強とも言える服。

 さらにアッサムと水上の手には買い物袋。

 その上、アッサムは水上の腕に抱き付いていると来た。

 これは、誰がどう見てもデートと言える状況だった。

「「・・・・・・」」

 水上とアッサムは沈黙し、硬直する。

「やっぱり、あの話は本当だったようね」

 その2人の様子を見て、上品にダージリンが笑いながら語る。

「水上とアッサムが、付き合っているって」

「・・・どこで、その情報を」

 アッサムが硬直した状態から抜け出して、何とか言葉を絞り出す。

 その言葉を受けたダージリンは、ちらっと横を見て。

「オレンジペコから聞いたわよ」

 瞬間、水上とアッサムはオレンジペコを睨みつける。だが、オレンジペコはそっぽを向いて『ぴゅ~』と口笛を吹いていた。こんな状況下で言うのもなんだが、あまり上品とは言えない。

「横浜の時から随分と進展してるみたいね」

 ダージリンが告げた言葉を聞いて、水上はようやく腑に落ちた。

 オレンジペコは、水上とアッサムが顔をくっつけて眠っていた写真を持っていた。あの時、あの場所にいたのはオレンジペコだけではなく、ダージリンもいたのだ。

 2人は、淡路島での大洗女子学園とサンダース大付属高校の試合の帰りに連絡船に乗って、そこで眠っていた2人を見かけた。

 そして今日は、北方で行われていた大洗女子学園とプラウダ高校の試合を見届けて、そこから帰ってきたのだろう。おそらく、今学園艦がいる場所を調べて、その近くにある空港まで飛行機で飛んできて、たった今、学園艦に戻ってきたところなのだ。

 そんなタイミングで出くわしてしまうとは、間が悪いにもほどがある。

「・・・大洗女子学園と、プラウダ高校の試合は如何でしたか」

 水上が苦し紛れに場の空気を換えようと、別の質問を繰り出す。

 ダージリンはその質問に、目を閉じて答える。

「とても見ごたえのあるものだったわ。私たちの予想をはるかに超えるような激戦を繰り広げた・・・けど」

 けど、と言って言葉を切り、小さくウィンクをする。

「それ以上にもっと見ごたえのあるものが見れたわ」

 その言葉が何を意味しているのか、水上にもアッサムにも分かっていた。

 その見ごたえのあるもの、とは今の水上とアッサムの事だろう。

 それが恥ずかしくて、水上とアッサムは俯いて赤面する。

 ダージリンは楽しそうに、そして嬉しそうな足取りでオレンジペコを連れて学園艦へと戻って行った。

 水上とアッサムが、その場を離れたのはそれから数分ほど経ってからだ。




次回、時間が大分飛びますのでご注意ください。

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もてなす側として

 第63回戦車道全国高校生大会の結末は、誰もが予想し得ないものとなった。

 なんと、優勝したのは、最有力優勝候補とされていた黒森峰女学園でも、昨年優勝したプラウダ高校でもない。

 大洗女子学園だったのだ。

 大洗女子学園は、20年ぶりに戦車道を復活させ、いきなり全国大会に参加してきた。

 当初、大洗女子学園は他の学校からは特に警戒されることは無かった。ほぼ素人のメンバーに、寄せ集めとも言える戦車。そんな戦力で全国大会に出るなど、無謀とも言える。

 現に、1回戦で大洗女子学園と当たる事となったサンダース大付属高校は、抽選会で対戦が決まった際、試合は勝ったも同然と万歳三唱していた。

 しかし、その1回戦、サンダース大付属高校は大洗女子学園に敗北した。

 その試合の結果は、全国大会に参加していた他の学校を驚かせるには十分すぎるものだった。

 サンダース大付属高校は、戦車の保有数が全国一で、使用する戦車も走攻守バランスの良いシャーマンが中心。さらに長射程のファイアフライに乗る砲手の腕は全国でもトップクラス。これらの情報から、誰がどう見ても大洗女子学園に勝ち目は無いと思われていた。

 にも拘らず、大洗女子学園はその戦力差をひっくり返して、サンダース大付属高校のフラッグ車を撃破し、勝利した。

 その試合内容も、プロ・アマチュア・一般人を問わず、誰もが注目するほど白熱した内容だった。

 続く2回戦、対戦したアンツィオ高校の戦車を全て撃破してこれを下し、大洗女子学園はベスト4に進出。1回戦に勝ったのはまぐれと言っていた人もいたが、この2回戦の結果を見てその認識を改めさせられることとなる。

ネットの戦車道ニュースサイトでも、戦車道連盟が発行している新聞でも、大洗女子学園の戦績は『奇跡の快進撃!』と取り上げられ、専門家も大洗女子学園の動向には目を光らせるようになった。

準決勝ではプラウダ高校と対戦。敵の包囲戦術に嵌って一時はもうダメかと思われたが、敵の与えた3時間の猶予で戦車の整備を終えて改めて作戦を考案。敵包囲網を突破して、さらに隠れていたプラウダのフラッグ車を撃破し、勝利した。

この準決勝は、プラウダ高校にとって有利な雪原での試合、加えて大洗女子学園とプラウダ高校の戦力差は倍以上という、大洗女子学園にとって圧倒的に不利な状況下で、しかも昨年の優勝校から勝利をもぎ取った事により、全国から本格的に注目を集める事となる。

 迎えた決勝戦。相手は最有力優勝候補とも言われていた黒森峰女学園。大洗女子学園との戦車の数の差は20対8。加えて、黒森峰女学園は昨年までは前人未到の9連覇を果たしていた、誰が見ても強豪校と称される学校である。

 流石の大洗女子学園もここまでか、と誰もが思っていたが、その予想は覆される。

 様々な奇策をもってして黒森峰女学園を翻弄し、さらに史上最強と謳われる超重戦車マウスを撃破し、フラッグ車同士での一騎打ち。加えて、川で動けなくなったM3リーを救うために大洗女子学園の戦車隊隊長が戦車の上を跳んで救出に向かうなど、誰もが引き込まれる試合内容となった。

 フラッグ車同士での一騎打ちで、大洗女子学園は僅差で黒森峰女学園のフラッグ車を撃破し、勝利。

 大洗女子学園は、見事優勝を果たしたのだ。

 20年ぶりに戦車道を復活させた無名校が、いきなり全国大会に参加して、強豪校を次々と打ち破り、最終的には優勝する。

 奇跡とも、伝説とも言うべき大洗女子学園の戦績は、全国に知れ渡る事となった。

 

 と、ここまでが水上の知っている大洗女子学園の概要だった。

 水上も、大洗女子学園が全国大会で優勝したと聞いた時は、開いた口が塞がらない、という表情をした。

 何せ、練習試合では僅差ではあるが聖グロリアーナに敗北し、戦い方もそこまでとは言えなかった、あの大洗女子学園がまさか優勝するなんて思いもよらなかったからだ。

 無名校が、並み居る強豪校を次々と打ち破って優勝するなんて、夢にも思わなかった。

 水上は、そんな奇跡を起こすことができ、その上ド素人とも言えるメンバーを僅か1カ月程度で戦力化するとは、大洗女子学園には化け物と評するべき人物がいるに違いない、と思っていた。

 そして今。

「こちらへどうぞ」

 水上は、大洗女子学園からやってきた5人の生徒を『紅茶の園』へと案内していた。

 なぜここに大洗女子学園の生徒がいるのかと言うと、それはダージリンが招待したからである。

 ダージリンが、大洗女子学園が全国大会で優勝したのを祝うためだ。と言っても、流石に大洗女子学園の30人以上いる戦車道履修者全員を招待するわけにもいかなかったので、代表として5人の生徒を招いたのだ。

 その5人の生徒は、水上も見覚えがあった。大洗町で行われた、聖グロリアーナ女学園と大洗女子学園の練習試合の後で、顔合わせをしたあの5人だ。

 事前にダージリンから聞いた話によれば、この5人の少女たちが、“あんこうチーム”と言われている、大洗女子学園を奇跡の全国大会優勝へと導いた立役者らしい。

 臨機応変に対応できる冷静さ、素人の高校生集団を1カ月で戦力化した育成手腕を兼ね添えている敏腕隊長。

 敵味方の戦況を俯瞰して、味方に的確な指示を下すことができる通信手。

 敵戦車の弱点を的確に判断して撃ち抜き、撃破する砲手。

 どのような局面においても素早く砲弾を装填し、また偵察行為も難なくこなす装填手。

 あらゆる地形でも抜群の操縦能力を発揮し戦車の利点を最大限に生かす操縦手。

 そのあんこうチームのメンバーが、大洗での練習試合で最後まで生き残ったⅣ号戦車の乗員だという事は、本当にわずかではあるが見当はついていた。

 何せ、あのダージリンが好敵手と認めた相手なのだから。

 大洗では顔合わせとして最低限の自己紹介とあいさつをしただけだったので、そのあんこうチームの面々がどういう性格なのかは、水上には分からない。

 おそらくだが、皆冷徹で礼儀正しく、声もはきはきとしている、言ってしまえば『ザ・軍人』とも言うべき人だらけなのだろうか、と思っていた。

 だが。

「わっ、とと・・・」

 まず、その敏腕隊長とされている西住みほだが、おどおどしてて何というか放っておけない。現に、何度も何もない場所で躓いたりしている。

「・・・・・・」

 続けて、通信手の武部沙織。なんだか熱っぽい視線を水上に向けており、正直すごくいたたまれない。

「どんなお茶菓子が出されるのか、楽しみです」

 砲手の五十鈴華。これから開かれるお茶会で出されるであろうお茶菓子を想像して、うっとりとした表情をしている。

「聖グロリアーナの戦車、この目でじっくり見てみたいです!」

 装填手の秋山優花里。聖グロリアーナの中をキラキラした目できょろきょろと見まわしている。どうやら、聖グロリアーナの戦車に興味があるようだが、残念ながら戦車道の訓練場や格納庫まで案内する予定はないので、心の中で謝っておく。

「・・・・・・」

 操縦手の冷泉麻子。ふらふらとおぼつかない、覇気がない感じの足取りで水上たちの後に続いている。放っておくと倒れてしまいかねないほど危なっかしい。

(これが、あの伝説のあんこうチーム、かぁ・・・)

 なんだか、想像していた人物像と540度ほど違っていた。

「あ、あの」

 そこで、水上のすぐ後ろを歩いていたみほが水上に話しかける。

「はい、何でしょうか」

 水上が足を止めて振り返る。

「きょ、今日はお招きいただき、ありがとうございます」

 頭を下げるみほ。別に、招いたのは水上ではないし、というか先ほど校門で出迎えた際にも言われたことなので、気にしなくても大丈夫なのだが、その考えは胸の中にしまっておき、素直にお礼を言う。

「いえいえ。皆さんとは是非ゆっくりお話をしたいと、ダージリン様が仰っていましたので」

 柔和な笑みを浮かべてお辞儀をする水上。だが、そこでみほの後ろにいた沙織が『ほぅ』と息を漏らす。

 そのことについては触れずに『紅茶の園』へとあんこうチームを案内する水上。

 数分ほど歩いたところで、『紅茶の園』の前に到着した。

「『紅茶の園』は、聖グロリアーナでもあこがれの場所で、ここを目指して入学する生徒も多いんだとか!」

 優花里が嬉しそうに説明する。事前情報のリークは偵察が得意だからか、と水上が心の中で評価し、扉を開く。

 全員が入ったところで自分も入り、先導してお茶会が開かれる部屋へと案内する。

 その部屋の前で水上が扉をノックする。

「大洗女子学園の皆様をお連れしました」

『どうぞ』

 中からダージリンの声がする。それを聞いて水上が、扉を開き中へ入るように促す。中へ入ったみほや沙織は、『わぁ・・・』と声を漏らした。

 赤い絨毯に年代物の調度品、ここまでは水上も見慣れていた。だが、今日だけは違うものがある。

それは、テーブルだ。普段はダージリン、オレンジペコ、アッサムの3人だけでお茶会を楽しむので、テーブルもさほど大きくはない。だが、今日はその3人に加えてあんこうチームの5人も加わるため、テーブルもそれに比例して大きくなっている。さらに言えば、そのテーブルの上に乗っているお茶菓子の種類も量も、普段のお茶会よりも多い。

 後で、準備をしてくれたであろうルフナやルクリリにお礼を言おう、と水上は心の中で決めた。

「さあ、どうぞ」

 水上が椅子を引いて、みほたちに座るように促す。お礼を言って椅子に座るあんこうチームの面々。

 全員が席に着いたのを確認したところで、水上は紅茶を淹れるために部屋を出た。

「水上の淹れる紅茶は、とても美味しいのよ」

「ダージリン様がここまで言うのも、珍しい事なんです」

「そうなんですか・・・」

 部屋を出る途中でそんな会話が聞こえてきて、水上は恥ずかしくなる。特に、ダージリンが『とても美味しい』と言ってくれたのは、素直に嬉しかった。

 きっと、あんこうチームのメンバーも期待してくれているのだろう。その期待に応えるために美味しい紅茶を淹れなければ。

 人数が多いため、沸かすお湯の量も多く、それに比例してお湯を沸かす時間も長くなってしまう。だが、水上は急ぐことはせず慎重に、そして繊細な動きで紅茶を淹れる。

 やがて、紅茶が出来上がると、温めておいた人数分のカップとポットをトレーに載せてお茶会の開かれている部屋へと運ぶ。

「お待たせいたしました。ダージリンティーでございます」

 水上が、席に座る8人の少女たちの下に、1つずつカップを置き、紅茶をゆっくりと注ぐ。

 全員の下に紅茶が行き届くと、水上は一礼してダージリンの後ろに控える。

「美味しそうな香りがする」

 麻子が手元にあるカップを覗き込み、紅茶の匂いを楽しむ。隣に座っている華は既にお茶菓子に手を伸ばしており、1つ皿を空にしてしまっていた。

「いただきます・・・」

 みほが控えめに紅茶を一口飲む。だが、その紅茶を口に含んだ瞬間、顔を明るくした。

「すごく・・・美味しいです」

 笑みをみほから向けられて、水上は小さく礼をする。

 みほの言葉を聞いて、沙織や優花里も紅茶を飲む。

「すごい・・・こんな美味しい紅茶、初めて飲んだかも・・・」

「私はどちらかと言えばコーヒー派ですけど、それでもこの紅茶、美味しいって分かります!」

 麻子も紅茶を一口飲むと、うんと頷く。あまり感情を表には出さないタイプなのだろう。

 隣に座る華も紅茶を飲み、またお茶菓子を一口。華の周りだけお茶菓子の減りが早い気がするのだが気のせいだろうか。一応、お茶菓子のストックは厨房にまだあるため、言えば持ってくることは可能ではある。

「また、腕を上げたわね」

 ダージリンが紅茶を一口飲んで、水上の方を振り返る。水上は小さく礼をする。水上もダージリンも、隣に座っているオレンジペコが少しムスッとした表情をしているのには気づいていない。

「いただいたティーセットで紅茶を淹れても、中々上手く淹れられなくて・・・」

 みほがしょんぼりと告げる。いただいたティーセットと言うのは、大洗での練習試合の後で渡した、聖グロリアーナの好敵手である証の寄贈用のティーセットの事だ。

「水上、教えてあげたら?」

 ダージリンが言うと、水上は首を横に振るう。

「いえ。私の紅茶の腕は、オレンジペコ様のおかげで上がったようなものです。オレンジペコ様に教わった方がよろしいかと」

「えっ!?」

 急に話を振られてオレンジペコが困惑する。

「いえ、私なんて・・・もう水上さんには及びませんよ」

「そんな事はございません」

 オレンジペコが手をブンブン振って否定するが、水上はいえいえと手を振る。

 それを見て、沙織がうっとりとした表情を水上に向けていた。

「気遣い上手で紅茶も美味しくて、優良物件じゃない!」

「沙織さん、またですか?」

 華が呆れた様子でスコーンを食べる。そろそろ、本格的にお茶菓子の補充が必要になってきそうだ。

 麻子がショートブレッドをもそもそと食べている。目つきもそうだが、もしかして眠いのだろうか?

 みほは沙織の言葉を聞いて苦笑しており、優花里もまた渇いた笑いを漏らしている。

「水上はね、いつか人に尽くしたい仕事に就きたいと思っているの。将来性も抜群よ」

 ダージリンが余計な情報を暴露してくる。水上は顔をひくひくと震わせてダージリンの方を見るが、ダージリンは気付かないふりをしている。

 そして、ダージリンからもたらされた情報を聞いて、沙織は目を輝かせた。

「へぇ・・・将来のことまで見据えてるなんて・・・すごい!」

「でも、そうですね。私たちより一つ年上で、もう将来の事を考えているなんて」

 華がキュウリの挟まれたサンドイッチを食べて呟く。

「いいな~こういう人彼氏に欲しい~」

 直球な言葉を投げてくる沙織。それを聞いて、水上は苦笑するしかない。

「本人を目の前にしてそれはどうかと思うぞ」

 紅茶を飲んで口を湿らせて、忠告をする麻子。

 沙織の隣に座る優花里も『そうですよ』と同調して、こう言ってきた。

「というか、もう彼女がいるかもしれないじゃないですか」

 ぴしり、と空気にひびが入る音がした、ような気がする。全てを知っているダージリンは、口元を抑えて笑いをこらえている。

「・・・確かにそうかも。水上さんって、優しくて、気遣いができて、人に尽くしたいっていうすごい夢を持っていて・・・いい人だとは思います。私も、素直に付き合いたいって思います」

 みほが屈託の無い笑みを浮かべて水上の事を見つめる。

 みほは、戦車に乗っていないときは引っ込み思案で頼りないという印象を抱かれる事が多々あり、それ故に友達があまりいなかった。

 そして何より、みほは天然だ。だから、自分の意見を結構ズバッと言ってくる。先ほどのように水上を称賛したのも、みほ自身からすれば普通の事だったのだが、水上はそれがなんだか照れくさくてしょうがない。

 その上、みほは水上から見ても可愛いと言える。そんな子から面と向かって付き合いたいと言われたら、誰だって勘違いしてしまいそうだ。

 だが、この時水上は、みほの方を見ていたため、これまで沈黙を貫いていたアッサムの手がプルプルと震えていて、カップの中の紅茶が波を立てていることを知らない。

「西住殿が、『付き合いたい』ですと・・・!?」

 みほの隣に座る優花里が、この世の終わりのような表情で頭を抱えている。

 麻子はこの話題に関心がないのか、もそもそとスコーンを食べていた。

 沙織の目は点になってしまっている。先ほどの優花里の『もう彼女がいるかもしれない』という言葉がショックだったのだろう。逆に言えば、彼女がいなければ本気で告白してきたのかもしれない。

 華は既に自分の周りにある皿に載っていたお菓子を全て食べ尽くし、隣に座る麻子の皿に乗っているお菓子を見つめていた。

「水上は、そこにいるアッサムと付き合っているのよ」

 ダージリンが更なる爆弾を落とす。

 紅茶を飲んで気を紛らわせていたアッサムが、盛大に紅茶を絨毯に向けて噴き出す。水上は、ダージリンの爆弾発言に動揺するのは後にして、素早く懐からハンカチを出してアッサムの口元を拭く。絨毯に飛び散った紅茶はどうするべきか。タオルを持って来て拭かなければ。

 そう思い至り、厨房にタオルを取りに行こうとする水上。ついでにお茶菓子も補充せねば。

「この前は、実に仲良さげにデートをしていましたものね」

 オレンジペコの追い打ちを受けて、水上がこける。だが、何とかして体勢を立て直して部屋を出て、早足で厨房へと向かう。

「あれ、水上さん。どうしたんですか?」

 厨房の扉を少し乱暴に開くと、ルクリリが聞いてくる。水上は早口で用件を告げた。

「タオルを用意してください!それとお茶菓子の補充も!今すぐに!」

「あっ、はい」

 ルクリリと、その場で待機していたルフナたちは、いつもと違う取り乱した様子の水上を見てただ事ではないと判断し、急いで準備に取り掛かった。

 一方、お茶会が開かれている部屋では、沙織が色を失ってしまった。

 隣に座る優花里が『武部殿~?』と、沙織の前で手を振るが沙織は反応を示さない。

 話題の中心にいるアッサムは、顔がゆでだこのように赤くなっており、この場にいる他の人物と目を合わせようとはしない。

 ダージリンとオレンジペコを横目に睨むが、2人は素知らぬ顔で紅茶を飲むだけ。この2人、いつから共同戦線を張るようになったのか。

 続いて、アッサムはチラッとあんこうチームの5人の様子を見る。沙織を除く全員が、キラキラと期待を孕ませた眼差しでアッサムの事を見つめていた。

 どうやら、馴れ初めを聞きたいらしい。そして、それを話すまで彼女たちは目を逸らそうとはしない。こういう話題に興味があるのは、年相応と言うべきか。

 アッサムは観念して、全てを話すことにし、水上は、顔の火照りが収まるまで厨房にいることに決めた。

 

 水上が戻ると、あんこうチームの面々は思い思いの顔をして水上を出迎えてきた。

 みほは、優しそうな笑みを浮かべて。沙織は、死んだ魚のような目をして。優花里は、ニヤニヤと意味ありげな笑みを浮かべて。華は、お茶菓子が補充されて満足したのか嬉しそうな笑みを浮かべて。麻子は、その眠たげな瞳にわずかな光を灯して。

 水上のいない間に何があったのかは、項垂れているアッサムを見れば想像に難くない。

 とにかく話題を変えようと、水上は思い至った。

「・・・遅ればせながら、全国大会での優勝、おめでとうございます」

 水上が頭を下げると、みほも頭を下げる。

「ありがとうございます・・・。でも、優勝できてよかった・・・」

「負ければ私たちの学校が、無くなっちゃうところだったんですからねぇ」

 優花里の言葉を聞いて、水上は思い出す。

 アッサムが調べたところによると、大洗女子学園は、全国大会で優勝しなければ廃校になってしまうとのことだった。

 その理由は、大洗女子学園は近年生徒数も減少しており、特に目立った実績も無い。莫大な維持費のかかる学園艦の体制を見直し、学校の統廃合を決定した文部科学省が、実績の無い学校から順番に統廃合を進めることにしたのだ。そして、真っ先に槍玉に挙げられたのが大洗女子学園だったのだ。

 大洗女子学園は元々戦車道が盛んであったため、もしも戦車道の全国大会で優勝すれば、廃校を免れる可能性がある、と文部科学省から言われて、大洗女子学園は戦車道を復活させ、全国大会に参加した。

 それで、全て合点が付く。20年ぶりに急に戦車道を復活させたのも、いきなり強豪校に練習試合を挑んだのも、そして無謀にも全国大会に参加したのも、全ては廃校を撤回しようと全国大会で優勝するためだった。

「・・・聞きました。優勝しなければ大洗女子学園は廃校になってしまう、と」

「はい・・・・・・」

 みほが俯く。ダージリンは、そんなみほを見てこう言った。

「こんな格言を知ってる?」

「?」

 みほを含め、あんこうチームの全員がダージリンの方を見つめる。オレンジペコはチラッとダージリンの方を見て、アッサムはようやく顔を上げてふぅ、と息を吐く。

「『人間は真面目に生きている限り、必ず不幸や苦しみが降りかかってくるものである。しかし、それを自分の運命として受け止め、辛抱強く我慢し、さらに積極的に力強くその運命と戦えば、いつかは必ず勝利するものである』」

「ベートーヴェンですね」

 オレンジペコが補足する。対して、あんこうチームのメンバーはキョトンとした表情を浮かべていた。

「あなた達は、廃校と言う運命と戦い、勝利を勝ち取り、そしてその運命を変えた。常人にはとてもではないけれど、できない事よ」

「はぁ・・・・・・」

 みほはまだ、理解が追い付かないようだ。

 そこで水上は、先ほどの仕返しとしてこんなことを言う。

「要するにダージリン様は、『皆頑張って廃校を撤回させたのがすごい、私にはできない』と言っているんですよ」

 ダージリンがじろりと水上の方を見るが、水上は素知らぬ顔で笑みを浮かべるだけ。そして、陰でアッサムがぐっと親指を立てているのに気づいているのは水上だけである。

「ダージリンさん・・・ありがとうございます。さっきの言葉、しっかりと覚えておきます」

 みほが勢い良く頭を下げて、思わず頭をテーブルにぶつけてしまう。その様子を見て、一同は笑みを浮かべる。

 それから、他愛も無い話をして楽しいひと時を過ごす、ごく一般的なお茶会が始まった。

 

 お茶会が始まったのは1時過ぎ。そして、気づけば5時過ぎと、日没も近くなっていた。

 そのタイミングで、あんこうチームのメンバーはお暇する事となった。

 今いる場所は、連絡船の搭乗口。ダージリン、オレンジペコ、アッサム、水上の4人が、あんこうチームのメンバーを見送っている。

「今日はありがとうございました。とても楽しかったです」

「私も、楽しかったわ。またいつか、一緒にお茶会を楽しみましょう?」

 みほとダージリンが握手をする。

 やがて、手を放してみほたちは連絡船へと乗り込んでいった。

 姿が見えなくなったところで、ダージリンたちは踵を返し、学校へと戻ることにする。その道中で、ダージリンが水上の方をちらっと見てから話し出す。

「水上」

「はい」

「あなた、随分と言うようになったじゃない」

「・・・何のことでしょうか」

 水上はすっとぼけるが、本当にわからないわけではない。ダージリンの格言を要約して、ダージリンの気持ちを代弁した時の事を言っているのだろう。

「とぼけないで頂戴」

 ダージリンは当然それに気付いているので、少し強めに指摘する。あの時、自分の本音が第三者によって明かされたのは、ダージリンにとっては相当恥ずかしいものだったからだ。

 だが、水上は、微笑を浮かべてごまかそうとする。

「先ほどは、あんこうチームの皆さまがダージリン様の仰りたいことがよくわかっていないような感じがしましたので、私が分かりやすく説明させていただいたまでです」

 それに、と続ける。

「私とアッサム様が恋仲であることを暴露したことに対する報復、と受け取っていただければ」

「給仕として報復とはどうなのかしら?」

「一種のジョークですよ。ジョーク」

 ダージリンが問い詰めるが、水上はのらりくらりとその問いを躱していく。

2人の険悪とも取れるやり取りを聞いて、オレンジペコは気が気じゃない。対して、アッサムはじつに微笑ましそうに2人のやり取りを眺めている。

「・・・・・・」

 ダージリンがぷうっと頬を膨らませる。ふくれっ面もダージリンがやると絵になるのが何とも言えない。

「あなた、中々面白い性格をしていたのね」

「お褒めの言葉と、捉えさせていただきます」

 水上が笑い、ダージリンもまた笑う。

 微妙にギスギスした雰囲気を醸し出しながら、4人は聖グロリアーナ女学院へと戻って行った。




アニメ1話を見ていて思ったのですが、
みほは結構天然なところがあると同時に、自分の意見は結構ズバッと言っちゃうタイプなんだと思います。

感想・ご指摘等があればお気軽にどうぞ。


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戦車長として

遂にあの子が登場します。


 いくら戦車道の強豪校であろうとも、本場イギリスと提携していようとも、聖グロリアーナ女学院にも夏休みはある。

 その期間は、8月1日から31日までと、他と比べると少し短めだ。水上の本来通っている潮騒高校は、7月15日から8月31日までであるから、聖グロリアーナはそれよりも2週間ほど短い計算になる。

 そして当然と言えば当然だが、宿題も出される。自由研究や日記など、ごく一般的な学校にありがちなものは無いが、一般科目の宿題は普通の高校と同じくらいの量だった。

 水上は、聖グロリアーナ女学院の生徒ではあるが、短期入学と言う形式上、宿題の量は通常の半分ほどしかなかった。そのことに対して水上は、普段よりも量が少ないと歓喜した。

 だが、例え夏休みであっても戦車道の訓練は続いている。毎日ではないが、週に2、3日程度の頻度で訓練は行われている。

 今日は、全国大会が終わったという事もあり、模擬戦ではなく通常の砲撃訓練が行われた。停止射撃、躍進射撃、行進間射撃全てをこなす。

 そして訓練が終わると、またいつも通りお茶会が開かれる。夏休みでも、栄養科は活動を続けているようで、お茶菓子は通常通り提供されている。

 水上がいつものように紅茶を淹れ、ダージリン、オレンジペコ、アッサムの3人が今日の訓練の成果について語り合っているところで。

 リリリリン、リリリリン。

 部屋に置かれている電話機がベルを鳴らす。水上は素早く電話を取り、応対する。

「はい、聖グロリアーナ女学院、紅茶の園です」

 電話の向こうから聞こえてきたのは、聞き覚えのある声だ。

『大洗女子学園生徒会の、河嶋桃だ。戦車隊隊長のダージリンと話がしたい』

「かしこまりました。少々お待ちください」

 電話を保留にして受話器を置き、ダージリンの下へ電話機を持って行く。

「ダージリン様、大洗女子学園の河嶋という方からお電話です」

「分かったわ」

 ダージリンが受話器を手に取り、保留を解除する。

 そして、ダージリンは『ええ』とか『分かりましたわ』などと返事を何度かして、最後にこう締めくくった。

「こちらも、手加減は致しませんわ」

 受話器を置いて電話を切る。水上は、電話機を元あった場所まで持っていき、元の位置に戻すとダージリンの下へと歩み寄る。

「水上」

 そのタイミングを見計らって、ダージリンが水上に声を掛ける。

「はい」

「8月の24日、大洗でエキシビションマッチが開催される事になったわ」

「エキシビションマッチ・・・ですか」

 ここに電話が来たという事は、恐らくは戦車道関連のイベントなのだろう。それは分かる。だが、エキシビションマッチとは一体、なぜ大洗で行われるのだろうか?

 頭に疑問符を浮かべる水上を見て、アッサムが補足をする。

「戦車道全国大会で大洗女子学園が優勝したでしょう?全国大会で優勝した学校は、地元でエキシビションマッチという試合を行う権利が与えられるの」

「・・・はあ」

「エキシビションマッチは、準優勝校と優勝校が準決勝で試合をした相手校・・・つまり、ウチとプラウダ高校ね。それと、準優勝校が1回戦で戦った相手・・・これは知波単学園が、その試合に参戦できるの」

「・・・・・・なるほど。という事は、先ほどの電話は・・・」

「要は我々に、エキシビションマッチの試合に参加してほしい、という事ですよね?ダージリン」

 アッサムの問に、ダージリンは頷いて紅茶を飲む。

「だから、スケジュールの調整をお願いするわ」

「かしこまりました」

「それと、オレンジペコ」

 急に名を呼ばれたオレンジペコ。だが、オレンジペコは驚きもせずダージリンの方を見る。

「なんでしょう、ダージリン様」

「ローズヒップを呼んできてくれるかしら?」

「えっ・・・・・・はい、分かりました」

 どうやら、オレンジペコは乗り気ではないらしいが、ダージリンの命令とあれば従わないわけにはいかない。渋々席を立ち、部屋を出て行った。

「・・・ダージリン、どうしてローズヒップを?」

「あの子も、エキシビションマッチに参加してもらおうと思うの。それに、明日の訓練はちょっと趣向を凝らそうと思ってね」

「?」

 ダージリンの要領を得ていない言葉に、アッサムは首をかしげるだけ。アッサムに分からない事は、水上にも当然ながらわかるはずはない。

「あ。そうだ、水上」

「何でしょうか」

「ちょっと、ドアの前に立っていてくれる?」

「?分かりました」

 少し意味の分からない指示だったが、とりあえず従う水上。

言われた通り、ドアの前に立ってしばらく待つと、外から『タタタタタ』と誰かが駆けてくる音が聞こえてきた。その音は次第に大きくなっていき、やがて。

 バァン!

「ローズヒップ、参上でございますわ!」

 大きな音を立てて勢いよくドアが開かれる。そして、ワインレッドのタンクジャケットに身を包んだ癖のある赤毛の少女が飛び込んできた。

 そのドアの前に立っていた水上がどうなるのかは、言うまでもない。

「ふげっ!?」

 ドアの直撃を顔に受け、跪く水上。

 その様子を全て見ていたダージリンは膝を叩いて必死に笑いをこらえている。

「ふげっ・・・て。ふげっ、て・・・!」

「ピタゴラ・・・」

 アッサムが呆然とした様子で、水上が顔をぶつけた様子をある教育番組に例える。

 そこで、息を切らしながらオレンジペコがやってきた。

「ローズヒップさん・・・全力疾走は、淑女として、どうかと・・・」

「あら?これでもまだジョギング程度のおつもりだったんですけれど・・・」

 そこでオレンジペコは、顔を抑えて跪いている水上を見て『ひっ』と小さく悲鳴を上げる。

「だ、大丈夫ですか?水上さん・・・」

 水上は、何とか手で大丈夫とオレンジペコに告げると、顔を抑えたままダージリンの方を見る。

「ダージリン、謀ったな・・・。滅茶苦茶痛いぞチクショー・・・」

「素。素の口調が出てるわよ、水上」

 水上が騙されて被害を被った事により全く気にしていなかったが、アッサムが忠告をする。肝心のダージリンは、初めて聞いた水上の素の口調を聞き、口元を抑えて笑っていた。

 顔を抑えていた手を離すと、手のひらに血が付いていた。

「あっ、鼻血・・・・・・」

 オレンジペコが痛々しそうにつぶやくと、水上は自分の鼻の下に指をやる。すると、指にもまた血が付いてしまった。さっきドアに顔をぶつけた衝撃だろう。

 それを見て、アッサムが急いで席を立って水上の下へと駆け寄る。

「水上、大丈夫?」

「・・・どうにか」

 未だ跪いたまま鼻を抑える水上。アッサムは、ポケットからティッシュを取り出して、小さく細長く丸めて、水上の鼻血が出ている鼻にギュッと詰め込む。

 この時、2人の距離はほぼゼロに近かったのだが、2人はその程度の事でもう動揺などはしない。

 水上は顔全体が痛かったし、アッサムは水上の事が心配でならなかったから。何より、2人とも唇同士のキスを交わしたのだから。今更顔を近づける程度では動揺しない。

 ようやく水上が立ち上がり、鼻血を止めるために上を向く。

 そして、アッサムがローズヒップをきっとにらみつける。

「ローズヒップ、あなたが乱暴にドアを開けたせいで、水上は怪我してしまったのよ?」

「ご、ごめんあそばせ・・・」

 ローズヒップが頭を下げて謝ってくる。水上は、鼻を抑えながら『大丈夫ですよ』と笑顔で答える。それを見てオレンジペコは、『強い人だなぁ』と心の中で水上の事を評価した。

「それと、ダージリン?」

 アッサムがじろっとダージリンの事を見る。ダージリンは、大爆笑から抜け出して何事もなかったかのように紅茶を飲んでいた。

「悪戯とはいえこれは少々度が過ぎていると思いますよ」

「ごめんなさいね。でも、多分こうなるだろうな、って思って」

「理由になってません」

 水上は心の中で、いつか絶対仕返ししてやると心に誓った。

「ごめんなさいですわ、水上さん。まさか、ドアの前に人が立っているとは思わなくて・・・」

「いえ、私も迂闊でした」

 ローズヒップが、上を向いたままの水上に向かって、改めて礼儀正しい45度のお辞儀をする。水上は、根は優しい子なんだろうな、と心の中で思った。

 この赤毛の少女がローズヒップ。

 水上が初めて聖グロリアーナに来て、初めて戦車道の訓練を見学した時。一列横隊の訓練中に隊列を乱して撃破判定を受けたあのクルセイダーの車長であり、そして聖グロリアーナ戦車隊クルセイダー部隊の隊長だ。

 ローズヒップは、全国大会が終わるまでは紅茶の名も与えられない、無名の履修生だった。

 だが、全国大会で幾度も窮地を乗り越え、準決勝ではフラッグ車まで通じる道を拓いたとして、その功績を称えられダージリンから“ローズヒップ”の名をいただいたのだ。

 しかし普段の言動からは、他の聖グロリアーナの生徒のような淑やかさや優雅さはあまり感じられず、普段の水上とさして変わらないような雑多な雰囲気を醸し出していた。アッサム曰く、『これでも前よりはマシになった』とのことだが、この前はどうだったのかは全く想像できない。

「で、ローズヒップ」

「はい、何でございましょう」

「今度、大洗でエキシビションマッチが開催される事になったの」

「えきしびしょん・・・?かっこ良さそうな響きですわね!」

 オレンジペコが苦笑し、アッサムがため息をつく。どうやら、エキシビションとはなにかは分かっていないらしい。

 アッサムが簡単にエキシビションとは何なのかを説明する。その説明を聞いてローズヒップは、『へえ~』と生返事を返すだけ。本当にわかったのかどうかは定かではない。

「それで、そのエキシビションマッチに、あなた達クルセイダーの部隊も参加してもらうわ」

「マジですの!?」

「マジよ」

 ローズヒップが嬉しそうに顔を輝かせる。嬉しそうな様子を見てダージリンがまた紅茶を飲む。

 ローズヒップも、水上が新しく用意したカップに注がれた紅茶を飲んだ。イッキで。

「かーっ、美味い!」

 酒を飲んだおっさんのような反応をして、アッサムが頭を抱える。ダージリンはプルプルと震えて笑いをこらえている。オレンジペコは『頭が痛い』と言わんばかりにおでこを抑えていた。

 水上はと言えば、自分の淹れた紅茶が『美味い』と言われて、嬉しいと言えば嬉しいのではあるが、反応が他の聖グロリアーナ生と違うので、新鮮さも感じていた。

「ローズヒップ、もう少しゆっくりと飲みなさい」

「ですが、紅茶は熱いうちに飲めと・・・」

「確かにそうは言ったけれど、イッキで飲んでいいとは言ってないはずよ」

 アッサムがローズヒップに説教する。

 思えば、最初にここへ来た時も、アッサムはローズヒップに説教をしていた。そのような場面は、あの時以来何度も見ていたので、アッサムはローズヒップの世話役とでも言うべき存在なのだろうか。

「それで、ここからが本題なのだけれど」

 ダージリンが紅茶のカップを置いて手を組む。その至って真面目な姿勢を受けて、アッサムとオレンジペコも姿勢を正す。ローズヒップは、キョトンとした顔を浮かべるだけだ。

 ダージリンの口からどんな言葉が飛び出すのか、3人は緊張していたが。

「水上」

「?」

 この局面で突然名を呼ばれた水上。いきなりの事に少し驚いたが、ダージリンの下へと歩み寄る。

「はい」

「明日の訓練、模擬戦でしょう?」

「はい、明日は市街地エリアで、5対5のフラッグ戦を予定しております」

 明日の訓練の事を聞いてくるダージリン。なぜ今聞いてくるのだろうか?

「その明日の訓練なんだけど」

 ダージリンが、水上の方を振り返る。

 そして、ここにいる誰もが予想し得ないことを言った。

 

「あなた、私と勝負しなさい」

 

 全員が沈黙する。

 その沈黙は、驚きからくるものだ。

 アッサムも、オレンジペコも、口をぽかんと開けている。ローズヒップは顔の角度を斜め45度くらいに傾けている。どうやら、まだダージリンの言った言葉の意味が理解できていないらしい。

「・・・無礼を承知で言いますが、何を仰っているのか意味が分かりません」

 そして、勝負しろと言われた当の水上は、ダージリンに聞き返す。

「あなたがここにいられるのも、もうあと1カ月足らずでしょう?思い出作りの一環よ」

 あと1カ月足らず。

 その事実を聞いて、アッサムは顔を曇らせる。オレンジペコも、少し寂しそうな表情をしていた。

「思い出作りのために私と勝負ですか?戦車戦で?」

「ええ。なかなか面白いとは思わなくて?」

「おっもしろそうですわね!」

 ダージリンの言葉に真っ先に反応したのは、ぱちんと指を鳴らしたローズヒップ。しかし、それでもまだ当の水上は納得してはいない。

「私は男です。戦車に乗る資格がありません」

「でもこの前は砲手をやったじゃない」

「・・・・・・あれは仕方なくやったのであって」

「それに、いつもと同じように訓練を繰り返していても、いずれは皆の血肉とならなくなる。普段とは少し違う訓練をすれば、気持ちもリフレッシュされると思うの」

「どうでしょうか。私のような異物が混じったところで―――」

「でも、確かに面白そうですね。男性の方が戦車を指揮すると、どうなるのでしょう。楽しみです」

 水上がごねるのを遮ってダージリンの意見に同調したのはオレンジペコ。最近、オレンジペコはダージリンと共同戦線を張ることが多くなった気がする。アッサムと付き合い始めてから、それが顕著だ。

 こうなってしまっては、最後の希望アッサムに望みを託すしかない。アッサムが否定してくれれば、水上もまだ抵抗の余地がある。

 水上は、すがるような目線をアッサムに向けるが、アッサムは。

「・・・・・・面白そうじゃない」

 希望は、打ち砕かれた。

 

 その日の夜。学園艦側部公園にやってきた水上は、欄干に顔を乗っけて海を眺めていた。

「はぁ・・・」

 もう何度目かもわからない溜息をつく水上。

 まさか、自分が戦車に乗って指揮をして、ダージリンと戦う事になるなんて、想像したことも無かった。

 あの後、水上はダージリンから明日の模擬戦の内容を教えてもらった。

 ルールはフラッグ戦。お互いのチームの戦車は5輌。ダージリン率いるAチームはチャーチル1輌にマチルダⅡ2輌、クルセイダーが2輌。対する水上のBチームは、マチルダⅡ3輌にクルセイダーが2輌。そして水上のチームにはルクリリとローズヒップがいるが、だからと言って絶対勝つことができる、というわけでもない。

 だが、勝負をする以上は、勝ちたいと水上は思っている。

しかし相手はあのダージリン。自分のような凡人の考える作戦などお見通しだろう。

「どうしろっていうんだよ・・・」

 頭を抱え込む水上。

 お茶会が終わった後、ホテルに戻った水上はいくつか作戦を考えてみたが、どれも破られる可能性が高すぎる。

 そして、こんな状況でも水上は、アッサムの事を考えていた。

 アッサムは、いつも試合の前はこんなプレッシャーと戦いながら作戦を考えていたのだろう。そして、黒森峰戦を除けばいつも勝ってきた。

 水上も今、アッサムと同じように作戦を考えているが、勝てるのかという不安と、自分がチームリーダーであるというプレッシャーに押し潰されそうだ。

 ああ、という言葉にならない声が水上の口から洩れる。

 と、そこで。

「水上?」

 声を掛けられた。

 その声は、水上の忘れるはずもない、愛すべき人のものだった。

「アッサム・・・」

 水上が声のした方向を見ると、そこにいたのは聖グロリアーナの制服を着ているアッサムがいた。

 アッサムはゆっくりと水上に歩み寄り、傍に立つ。

「・・・・・・ここにいると思った」

 アッサムの笑いながらの言葉を聞いて、水上は首をかしげる。

「?どうして」

「・・・私も、試合前の緊張をほぐすためにここに来ることがあるの。それで、もしかしたら水上も、って思ってきてみたら、ね」

「・・・・・・なるほどな」

 確かに、水上は緊張を少しでも解すためにここへやってきた。海を見ていると少しでも心が落ち着くと思っていた。それに、アッサムと日の出を見て、アッサムの弱音を聞いたここにいれば、試合前のアッサムの気持ちが少しでも分かるんじゃないか、と思っていたのだ。

「確かに・・・緊張してるよ」

「まあ、そうよね・・・」

 はぁ、とため息をつく水上。そして恨めしそうにアッサムを見る。

「あそこでアッサムが反論してくれれば・・・こんな事にはならなかったのに」

「ごめんなさいね。でも、男の人が戦車に乗って指揮を執るって、なんだか新鮮に思えたから」

 アッサムが特に悪びれてもいない様子で水上に笑いかける。水上はその笑みを向けられて何も言えない。

「あーあ・・・ダージリンに勝つ方法なんて思いつかない・・・」

「・・・・・・無理して勝とうとしなくても、良いんじゃないかしら?」

「え」

 アッサムが言った何気ない一言で、水上はアッサムの方を向く。

「水上は、戦車に乗るのは初めてじゃないみたいだけど、実際に試合で指揮を執るのは初めてなんでしょ?」

「・・・・・・ああ」

「誰でも最初は勝つことができる、っていうのは間違いよ。現に、あのダージリンだって、2年生の時はじめて指揮を執って練習試合をしたけれど、その時は負けてしまったもの」

「・・・・・・そうだったのか」

 ダージリンの知られざる過去を知って、頷く水上。

「だから水上も、初めてだからって『絶対に勝とう』とは思わない方がいいわよ。余計にプレッシャーを感じてしまうし、勝利への重圧に押し潰されてしまうから」

 アッサムの言っている事は、もっともだと思う。勝たなければ、と思っているからこそ余計にプレッシャーを感じてしまっていたのだから。

 だが、それでも初めて指揮を執って試合をするということで、それだけでもプレッシャーは尋常ではない。

「アッサムの言う通りだ。でも、やっぱり緊張する・・・・・・」

 水上がまた欄干に顔を付ける。それを見たアッサムは、少しだけ笑い、こう言った。

「・・・・・・ね、水上」

「んー?」

 水上が欄干に顔を付けたまま生返事を返す。

「ちょっと、こっち向いてくれる?」

「・・・別にいいけど、なんで―――」

 水上の言葉は途切れた。

 なぜなら、水上がアッサムの方を向いた瞬間。

 

 アッサムが自らの唇を、水上の唇に重ねたからだ。

 

「・・・・・・」

 しばしの間、唇を重ね合わせる2人。

 やがて、アッサムが顔を離すと、唇も自然と離れる。

「・・・・・・緊張、取れた?」

「・・・・・・ああ」

 水上は、優しく笑う。アッサムは心底安心したように胸に手を置く。

「よかった」

「・・・・・・アッサム」

「何?」

 その様子を見た水上は、アッサムに真剣な眼差しを向けて、肩に手を置き、告げる。

「・・・アッサムに伝えたいことがあるんだ」

「・・・何かしら?」

「・・・・・・俺が、ここを去る日に言うよ」

「・・・・・・楽しみにしているわ」

 アッサムが、実に楽しそうな笑みを浮かべると、水上は肩から手を放す。

「じゃあ、もう遅いし帰るわね」

「送ろうか?」

「大丈夫、1人で帰れるから」

「・・・そうか」

「それじゃ、明日は頑張りましょう」

「ああ」

 アッサムは手を振って水上と別れる。水上は、アッサムの姿が見えなくなるまで見送った後、改めて海の方を見る。

(・・・・・・伝えるのは、本当に、最後だ)

 水上が、聖グロリアーナを去る日に告げる、と言った言葉は、生半可な気持ちでは言えない、尋常ではないほどの覚悟と勇気をもって言うべき言葉だ。

 今はまだ、その覚悟と勇気が水上にはない。それを、あと1カ月足らずで身につけて、その言葉をアッサムに告げよう。

 それまで、その言葉を告げるのは、禁止だ。

 

 あと、1カ月足らずで、水上はここを去ってしまう。

 その事実を思い出し、私はため息をつく。

「・・・・・・」

 分かっていたはずだった。水上がここにいられるのは3カ月だけ、というのはここに給仕係が来ると告げられた時に知った事だ。

 ならば、水上が3カ月でここからいなくなってしまうという事も、当然知っていた。

 だが、今の今まで、その事実から目を逸らしてきた。

 その理由は分かっている。

 水上と、ずっと一緒にいたい、離れたくないと思っていたからだ。

 仮にこの気持ちを誰かに素直に話したとしても、『携帯があるでしょ』と言われるに違いない。確かに、水上とはアドレスを交換しているので、いつでも連絡を取り合うことはできる。それで、繋がりを保つことができる。

 だけど、それでも、水上の顔がもう見られなくなってしまう、と思うと切なくて、胸が詰まってしまう。

 ずっと、水上と一緒にいたい。

 もっと、水上と時を過ごしたい。

 その願いを叶えることができる究極の選択肢は、残っていた。

 それは。

「・・・・・・・・・・・・けっこ」

 私はその言葉を言いそうになって頭をブンブン振る。

 それは流石に、飛躍しすぎだ。今の私にはまだ、早急すぎる。

 とにかく、水上は後1カ月足らずでここを去る。

 ならば、せめて思い出に残るような事をしよう。

 明日の模擬戦も、思い出に残る事だ。

 生まれて初めて、戦車で男と戦うのだから。




ガルパンの世界で男が戦車に乗るのは邪道と捉えられていますが、
これはあくまで創作ですのであしからず。

感想・ご指摘等があればお気軽にどうぞ。


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戦う者として

今回クオリティが低めです。
ごめんなさい。


「ではこれより、ダージリン様率いるAチーム対水上さん率いるBチームの模擬戦を行います」

 晴天の下、審判を務める戦車道履修者が宣言する。

「礼」

「「よろしくお願いします」」

 礼を告げると、対峙しているダージリンと水上、そして両チームの各車輌の車長が挨拶をする。

 この時点で水上は、既に逃げ出したい気分だった。

 本当に自分が試合をするのか。あのダージリンと、戦車で、戦うというのか。

 男の自分が戦車に乗って指揮を執るなんて、一生無いと思っていた。

 だが、実際に今自分はこうして戦車道の訓練場に立ち、挨拶を交わして、戦車に乗り込もうと歩を進めている。

 これまで何度も模擬や試合を行っていたアッサムやオレンジペコ、ルクリリは果たしてどんな心境だったのだろう。聞いておけばよかった。そうすれば、少しだけだが気持ちも和らぐと思ったが、過ぎたことを悔やんでも仕方がない。

 それに、ここまで来たらもう後戻りはできないし、『やっぱりできない』と言って逃げ出すのも男としてどうかと思う。

 けれど、作戦は一応考えて来てはいた。通用するかどうかは分からないが、全力で戦うほかない。

 水上は、フラッグ車であり自分の乗る戦車―――マチルダⅡの前に立ち、車体に手を触れてこう呟く。

「・・・・・・よろしく頼む」

 初めて自分が指揮をするのだから、自分が車長として乗るのだから、その戦車に対しても礼儀を尽くすべきだ。

 そう思って水上は、マチルダⅡに挨拶をしたのだ。

 それが見られたのだろう、後ろからくすくすと笑い声がする。その声の主の顔を見てやろうと思い、振り返った先にいたのは。

「あ、すみません」

 ルクリリだった。

「・・・・・・何かおかしなところでも?」

「いえ、別に。でも、なんだかいいなあ、って思っただけです」

 ルクリリのほんわかとした言い方に、水上は首をかしげる。なんだかいいとは一体どういう意味だ。

「大事な試合の前に、自分の乗る戦車に向かって挨拶をするなんて、漫画みたいじゃないですか。それが面白いと思ったんですよ」

 漫画みたい、と言われて水上は、確かにその通りだと思う。

 試合やコンクールの前に、スポーツ選手だったり演奏家だったりが、自分の使うスポーツ器具や楽器に向けて、『頑張ろう』とか『よろしく』と語り掛けるシーンを、水上は何度も漫画の中で見てきた。

 それを、まさか実際に自分でやるとは。確かに笑える。

「・・・・・・一つ、聞いてもいいですか?ルクリリ様」

「はい?」

 そこで水上は、試合をする上で聞きたかったことをルクリリに尋ねる。

「自分がこうして戦車で戦う時って、どんな気持ちですか?」

「・・・・・・そうですねぇ」

 ルクリリは顎に手をやって考える。そして、自分の意見がまとまったようで、水上の方を見る。

「最初は確かに、私なんかが戦うなんて、と思う事は何度もありました。勝てるのかな、負けちゃったらどうしよう、不安だなあ、って思い、悩みました。今だって、ダージリン様や他の学校と戦う前は緊張するし、試合中はハラハラしっぱなしです」

 やっぱりそうか、と水上は思う。

 誰だって、戦いに身を投じる時は緊張するし、勝てるだろうかと不安になるものだ。水上自身がそうだし、弱音を吐いたアッサムもそうだった。そして、今話を聞いたルクリリも同じ。

「・・・・・・でも、気づいたんですよ。悩むぐらいで不安が解消されるなら、いくらでも悩めばいい。けれど実際はそうはいかないって」

 水上はハッとしたようにルクリリを見る。

 確かに、悩んで未来や過去が変わるのであれば、いくらでも悩めばいいのだろう。でも、ルクリリの言う通り現実はそう上手くいくはずが無い。

「そこからは簡単でした。縮こまって悩むのはやめにして、全力で戦おう、自分のベストを尽くそうって、開き直りました」

 にぱっと笑うルクリリ。その笑みは、水上の中にある悩みや不安を打ち消すように明るかった。

「・・・・・・体のいい現実逃避ですね」

「水上さんも、もし悩んでいるのであれば、参考にしてくださいね」

 思わず皮肉っぽく言うが、ルクリリはそれを全く気にせずに笑ったまま告げる。その笑顔を見て、水上もふっと笑う。

「・・・・・・そうですよね。悩んでいても、何も変わりませんものね」

 改めて、ルクリリに向き直る水上。

「ありがとうございます、ルクリリさん。気が晴れました。これで、試合に向けて全力で取り組めます」

「それは良かった」

「今回の試合、よろしくお願いします」

 水上がお辞儀をする。だがそこで、ルクリリが何かを期待するような目を自分に向けているのに気づく。その目線を向ける理由を水上が聞くと、ルクリリがこんな事を言ってきた。

「・・・・・・指揮をする時、なんですけど・・・。敬語じゃなくて、素の喋り方で話してもらってもいいですか?」

「・・・・・・」

 水上は考える。

 確かに、指示する際に言葉が、ここで水上が使っているような丁寧語だと、指揮に真摯さが伝わらないかもしれない。

 普段のような、悪く言ってしまうと若干威圧的な話し方の方が、指示がしやすいと言えばしやすい。

 ルクリリの言い分にも一理あると思い、水上は、今この時だけは敬語は封印し、素の口調で指揮を下すことにした。

「よし、締まって行こう」

「・・・はい!」

 水上の言葉を聞き、ルクリリは笑顔で頷いた。

 

 戦車に乗り込み、市街地エリアへと移動する。そして、試合開始地点であるエリアの南端で試合開始を待つ。

『・・・・・・・・・・・・』

マチルダⅡの中で、水上はその時を待っていた。

他の操縦手、砲手、装填手は、ジッと試合が始まる瞬間を待っている。水上のようにきょろきょろと中を見回したりはしない。水上は初めて車長を務める上にマチルダⅡに乗るのも初めてなので、周りにあるものすべてが珍しいからというのもあるが。

『それでは、試合開始!』

 スピーカーから審判の声が聞こえてくる。操縦手がエンジンをふかし、前進する準備をする。

「作戦はどうしますか」

 操縦手が聞いてくる。水上は懐から地図を取り出し、そして咽頭マイクのスイッチを入れて通信を始めた。

「ジャスミン、ローズヒップはそれぞれ東西に展開して、市街地を前進。敵フラッグ車のチャーチルを探せ。敵を発見した場合でも発砲せずに後退。安全確保を最優先にするように」

『了解!』

『こちらも了解ですわ!』

 指示を出すと、無線から威勢のいい2人分の声が聞こえてくる。最初に聞こえたのはジャスミンの、後から聞こえたのはローズヒップの声だ。

 その直後、グオオオンというエンジン音が車外から聞こえ、続けて履帯が地面をこする音が聞こえてきた。

「ルクリリとディンブラは、その場で待機」

『はい』

『了解』

 

「さて、水上はどういう作戦で来るのかしら?」

 横に座るダージリンが、実に嬉しそうに呟く。

 私も、楽しみではあった。

 戦車の指揮を執ったことなどない、さらに戦車に乗ることはあり得ないはずの、男である水上が、どんな戦い方を見せてくれるのか。あまり乗り気ではなかった水上には申し訳ないが、楽しみだ。

 私がこれからの試合に胸を躍らせている間にも、私の乗るチャーチルはゆっくりと市街地を前進している。今進んでいる道の幅は、車が1台通れる程度の広さしかないため、チーム全車輌で横一列に並んで進むというわけにはいかない。チャーチルの前後を、ニルギリとバイカルのマチルダⅡで守っているという具合だ。残りのクランベリーとバニラのクルセイダーは、別方向に偵察として向かわせている。

 ダージリンが、キューポラから身体を乗り出して周りを見る。

 やがて、交差点に差し掛かったところで。

「敵戦車発見、クルセイダー1輌」

 ダージリンの言葉を聞いて、私は自然と姿勢を正し、スコープを覗き込む。スコープの中に広がっているのは、作戦を練るために何度も歩いてみて回り、何度も試合をしたことで覚えてしまった廃れた街並みだ。

「方位9時、距離180ヤード」

 ダージリンの指示した方位を目指して砲塔を回転させる。

 ところが。

「・・・退いた?」

 ダージリンが再び身体を車内に滑り込ませ、少し考える。

「妙ね」

「?」

 砲弾を装填し終えたオレンジペコが、ダージリンの方を見て、どういうことかと目で問いかける。

「あの動きからして、あのクルセイダーに乗っているのはローズヒップ・・・。でも、なぜか攻撃をせず後退した・・・」

 ダージリンほどの観察眼を持っていれば、戦車の動かし方でだれがどの戦車に乗っているのかが分かるようになる。

 ローズヒップの乗るクルセイダーの動きには、私も目を光らせているためどんな動きをするかはなんとなくつかめていた。

そのクルセイダーは、恐らく急停車・急発進ですぐに視界から消えたのだろう。

「偵察でしょうか」

「・・・・・・」

 私の意見を聞いてもなお、ダージリンは考えているままだ。

 まだ、水上の真意は見えてこない。

 

「・・・了解」

 ローズヒップから、チャーチルのいる位置と、護衛の状態に関する連絡を受けて、俺は改めて地図を見る。

 報告によれば、ダージリンの乗るフラッグ車は市街地エリアのほぼ中央を南北に突っ切っている細い道を南下中。彼我の距離はおよそ800メートルほど離れている。

「・・・・・・」

 俺は考える。この先、ダージリンはどのようなルートを通るだろうか。

 そして、どこで“作戦”を発動させるか。

 ダージリンの通る道を仮定し、“作戦”を発動させる場所を決める。

「・・・ジャスミン、今の位置は?」

『こちらジャスミン、現在C28地点にて待機中・・・近くに戦車の駆動音あり。おそらくは、敵チームのクルセイダーのものかと』

「なるべく敵戦車に見つからないように、C55地点の十字路へ急行。東側で待機せよ」

『はい!』

「ディンブラは、C55地点の十字路に向かい、西側で待機するように」

『了解』

「俺とルクリリは、C55地点に南側から向かう。ルクリリ、先鋒は任せる」

『はい』

 

 最初にローズヒップの乗るクルセイダーを見つけてから10分以上が経過する。

 チャーチルは先ほどと同じ道をゆっくりと前進し続けているが、水上のチームに動きは無い。

「・・・仕掛けてきませんね」

 オレンジペコが紅茶をカップに注いで、そのカップをダージリンに渡す。ダージリンはそれを受け取り、一口飲む。

 私も、手に持ったカップの中にある紅茶を覗き込む。

 その紅茶に映されているのは、私自身の顔だ。

 自分の顔を見続けるというのはあまりいい気分ではないので、スコープの中を覗き込む。そこに広がっているのは、何の変哲もない街並みだ。

「まさか、怖気づいたのかしら?」

 ダージリンが愉快そうに言うが、私はそれを強く否定する。

「それはありません」

「?」

 ダージリンが、私の方を見るのが分かる。だが、私は顔を合わせようとはせず、スコープの奥に広がる市街地を見つめ続ける。

「・・・クルセイダーを偵察に出したという事は、こちらの出方を見ているという事。ならば、何かしらの策があるかと思われます」

「・・・・・・」

 ダージリンが、私の言葉を受けてまた考えこむ。

 やがてチャーチルと2輌のマチルダⅡは、大きな十字路へと出てくる。

 そこで、動きがあった。

『敵発見!左右から接近―――』

 突如流れ込んできた無線。それは、今チャーチルの前を進んでいるニルギリからのものだった。だが、その通信が途中で途切れ、代わりに聞こえてくるのはノイズ。

 そして、その直後。

『有効。Aチーム、マチルダⅡ走行不能』

「なっ・・・!」

 審判からの通信が聞こえ、ダージリンが息を呑んだのが、見なくても分かる。

 私はスコープの中に広がる光景をじっと見つめる。どうやら、先を走るニルギリのマチルダⅡは、横合いから奇襲を受けて撃破されたらしい。

 待ち伏せか。

 と、その時。後ろからグオオオンというモーター音が聞こえてきた。

 その音は、まったくもって不本意ではあるが、聞き慣れてしまったものだ。

 クルセイダーのモーター音である。

 それも、これだけの音量を出すほどモーターを回しているという事は、相当な速さで突っ込んできている。となれば、そのクルセイダーの車長は分かったも同然だ。

 ローズヒップだ。

 

『ダージリン様神妙にお縄につくんですのおおおお!!』

 スピーカーから、興奮した様子のローズヒップの声が聞こえてくる。どうやらスピードを出して興奮しているあまり、マイクのスイッチを入れてしまっているのに気づいていないのだろう。

 俺を含め、マチルダⅡの乗員は全員苦笑していた。

 俺の考えた作戦はこうだ。

 十字路に誘い込み、チャーチルの前部を護るマチルダⅡを、左右からクルセイダーとマチルダⅡで挟み込み撃破。さらに後ろからクルセイダーを突っ込ませて後部を護っているマチルダⅡも討つ。そして最後に、前部のマチルダⅡを、挟み込んだクルセイダーとマチルダⅡを使って横道へ追いやり、正面からマチルダⅡで狙い撃ち撃破する。

 前後左右四方向から攻める作戦である。

 果たしてうまくいくかどうかは不安だったが、出だしは上々。何とか、チャーチルの前を行くマチルダⅡの撃破には成功した。

 次に、後ろのマチルダⅡも撃破できれば勝機は見えてくる。

『撃てッ!』

 ローズヒップの声が聞こえた直後、スピーカーから轟音が聞こえてくる。その音を聞いて、俺たちマチルダⅡの乗員は耳を塞ぐ。

『有効。Aチーム、マチルダⅡ走行不能』

 よし、と俺が声に出すと、装填手がハイタッチをしてくる。

「ディンブラ、ジャスミン。擱座した戦車を横にどかせ。ジャスミンは後退、ディンブラは前進して戦車を撤去。ルクリリ、射程内に入るまで発砲は控えるように」

『了解!』

3人の返事を聞いて、俺は胸の中に熱い思いがこみ上げてくるのを感じる。

もしかしたら、勝てるかも―――

そこで、無線が入ってきた。

『こちらディンブラ、チャーチル前進中!』

「!」

 チャーチルは、擱座したマチルダⅡを無理やり押して道を出ようとしているのだ。

 そしてその上。

『チャーチル、こちらに砲塔指向中!』

 その直後、轟音が響く。

『有効。Bチーム、マチルダⅡ走行不能』

「くっ」

 ディンブラは撃破された。

『前方、距離約50ヤード先にチャーチル及びマチルダⅡ発見』

 続けて流れてきたのは、前を行くルクリリの通信。本来ならば、チャーチルの前にいるマチルダⅡはジャスミンとディンブラで横にどかしてあるはずだったのだが、それはできなかった。となれば、前にいる沈黙したマチルダⅡが邪魔で、ルクリリのマチルダⅡではチャーチルを撃つことができない。

『こちらジャスミン、後方から狙います!』

 さらに流れ込んできたのは、ジャスミンの声。ジャスミンは、チャーチルの後ろから狙って撃破しようとしているのだろう。

 ところが。

『えっ!?』

 驚いたようなジャスミンの声。そして、次の瞬間轟音が響いた。

『有効。Bチーム、クルセイダー走行不能』

 後ろに回り込んだジャスミンのクルセイダーが撃破される。

 と、同時に俺は思い出す。向こうのチームにも、クルセイダーが2輌いることを。

 おそらく、その2輌の内1輌が後ろからジャスミンの乗るクルセイダーを撃破したのだろう。

 となると、もう1輌のクルセイダーはどこに・・・

「!」

 俺は嫌な予感がしてキューポラから身を乗り出して後ろを見る。装填手が俺の名を呼ぶが、今の俺の耳には届かない。

 後ろを見て俺は、愕然とした。

 相手チームのクルセイダーが、こちらに迫ってきていたからだ。

 

「左右と前、後ろから挟み込むなんて、やるわね」

 ダージリンが紅茶のカップを揺らしながら優雅に呟く。

 ニルギリはやられる直前で、“左右から”敵戦車が迫ってくると言っていた。

 そして、後ろからはローズヒップのクルセイダーが来た。

 ここで、私も気づく。

 水上の狙いは、私たちの前後を挟むマチルダⅡを撃破して、その上で前後のどちらかから攻めてくると。

 後ろからくる可能性は、低かった。なぜなら、後ろの道に交差点は無く、マチルダⅡが撃破されてしまえば、チャーチルとローズヒップのクルセイダーとの間には擱座したマチルダⅡが居座る事になる。その動けなくなったマチルダⅡが邪魔で、クルセイダーはチャーチルを狙えなくなるからだ。

 逆に前には、交差点がある。横道に撃破されたマチルダⅡを動かせば、前は開く。そこから狙ってくることは予想できた。

 それを感じたのはダージリンも同じ。ダージリンはそれに気づくとすぐに前進の指示を出し、横道で待ち伏せていた1輌の戦車を撃つように指示する。

 私はそれに従い、落ち着いて狙いを定めてその戦車を撃破した。

 もう1輌の待ち伏せていた戦車は、別動隊のクルセイダーが倒すだろう。

 後は、前にいるであろうマチルダⅡを、回り込ませたクルセイダーが倒せば終わりだ。

 

『Bチームフラッグ車、マチルダⅡ走行不能。よって、Aチームの勝利』

 通信機から聞こえてくる声を聞いて、俺はため息をつく。

 中にいる乗員たちも、攻撃された衝撃で灰や煤を被ってしまっている。俺自身の着ているスーツも汚れてしまった。

 キューポラから身を乗り出してみると、自分の戦車が撃破された証である白旗が、パタパタと揺らめいていた。

「・・・負けたか」

 俺の人生で、恐らく最初で最後の戦車戦は、敗北という形になった。

 中を覗き込むと、乗員たちは皆俺の事を見ていた。

 しかし、その顔には悔しさや悲しさと言った感情は無い。

 あるのは、達成感だ。

「・・・・・・行きましょう」

 水上が促すと、乗員たちは笑って頷いた。

『はい!』

 

 格納庫の前まで戻ると、両チームのメンバーは改めて挨拶をする。そして、『紅茶の園』のメンバー以外は解散となった。

 そして、『紅茶の園』でのお茶会。

 初めての戦車戦で無い知恵を振り絞って作戦を立てて、その上乗りなれていない戦車に乗って指揮を執ったので、水上は疲れ切っていたが、それでも紅茶を淹れる事について妥協はしない。

 いつものように紅茶を淹れてダージリン、オレンジペコ、アッサムの3人のカップに紅茶を注ぐ。

「今日は楽しかったわよ、水上」

「ありがとうございます」

 ダージリンが話しかけてきて、水上はお辞儀をする。

「まさか、4方向から攻めてくるとは思いませんでした」

 オレンジペコが素直な感想を水上に告げる。

「市街地戦でしたので、地形を生かした戦い方をしようかと思いまして」

「初めての試合で2両もマチルダⅡを撃破できるんだから、すごいと思うわよ」

 アッサムが称賛してくれる。それがなんだかこそばゆくて、水上は頬を掻く。

「ここを去る前に、いい思い出ができたんじゃないかしら?」

 その言葉を聞いて、ダージリン以外のその場にいるメンバーは顔をわずかに俯かせる。

 水上が、聖グロリアーナを去るまで、後11日。2週間を切ってしまっていた。

「・・・・・・寂しくなりますね」

 オレンジペコが、心底つらそうに言う。

 水上が、聖グロリアーナに来たのは5月の中旬すぎ頃。実に3カ月もの間聖グロリアーナに、『紅茶の園』にいたのだから、もはやその認識は赤の他人とも、単なるインターンシップとも言えない。

 立派に、仲間と言えるべきものだった。

 その仲間と、分かれてしまう。

 それは、家族や友人との離別ほどではないが、悲しくて、辛いものだ。

 まだ別れてもいないのに、水上たちは悲痛な表情を浮かべてしまう。

 そこでダージリンが。

「こんな格言を知ってる?」

「・・・・・・」

 全員が、ダージリンの方を見る。アッサムも、今回ばかりはため息などはつかずに、真剣にダージリンの事を見つめる。

「『始まりと呼ばれるものは、しばしば終末であり、終止符を打つという事は、新たな始まりである。終着点は、出発点である』」

「・・・T・S・エリオット、ですね」

 オレンジペコが補足をする。ダージリンは、オレンジペコにうなずいて見せて、その場にいる全員の顔を見回す。

「これで、全てが終わりなんてことは無いわ。また、新しい道が始まるのよ」

 水上は、上手く笑えたと思う。

 アッサムは、呆れたように笑っている。

 オレンジペコは、その瞳をわずかに涙で湿らせている。

 そしてダージリンは、水上の事を、いつくしむような目で見つめていた。




ディンブラ、バイカルは、名前だけのこの作品でオリジナルのキャラクターですので、
ご注意ください。

感想・ご指摘等があればお気軽にどうぞ。


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救いたいから

今回は結構蛇足です。
カットする場所を決めきれず、随分長くなってしまいました。
申し訳ございません。


「茶柱が立ったわ」

 隣に座るダージリンが、手に持つティーカップの中を見て呟く。

「イギリスのこんな言い伝えを知ってる?『茶柱が立つと、素敵な訪問者が現れる』」

 こんな状況でも余裕をかましていられるとは。

 今さらではあるが、ダージリンの胆力に脱帽する。同時に、見方によってはダージリンは、今の状況から目を逸らしているとも思えた。

「お言葉ですが、もう現れています。素敵かどうかはさておき・・・」

 オレンジペコも、私と同じような心境のようで、ダージリンの言葉に水を差す。

その直後、近くで砲弾が炸裂する音が聞こえ、乗っている戦車が揺れ動く。さらに、外から砲撃の音が立て続けに響き、ダージリンの手の中にあるカップの紅茶が波打つ。だが、それでもダージリンは紅茶をこぼしはしない。

「いくら親善試合とはいえ、油断しすぎたのでは・・・?」

 オレンジペコが不安そうに、ダージリンに話しかける。私も、この状況を抜け出すのは至難の業だと思い、オレンジペコに同調する。

「この包囲網は、スコーンを割るように簡単には砕けません」

「落ち着きなさい」

 だが、ダージリンはやんわりと私たちの言葉を受け入れて、その上で否定する。

「いかなる時も優雅・・・それが聖グロリアーナの戦車道よ」

 ダージリンが言うが、私は内心焦っていた。

 おそらくこの試合は、“あの人”が見てくれる最後の試合。

 ならば、せめて最後は勝利を飾り、あの人を喜ばせたい。

 まだ試合が始まって1時間程度しか経っていないのに、これで終わりなど認めたくなかった。

 

 8月24日。

 水上が聖グロリアーナにいられる時間も、残り1週間となってしまった。それはつまり、水上にとって、アッサムと一緒に時を過ごすことができる日も終わりが近くなっているという事を意味していた。

 そんな水上の事情を知ってか知らずか、ダージリンは水上に、おそらく最後となるであろう給仕としての重要な役割を任命された。

 それは、大洗で行われるエキシビションマッチの戦闘詳報を記録する事。

 その役割を受けて水上は、誠心誠意努力して、誰が見ても納得できるような記録を書き上げようと決意した。

 それは、最後に任された大仕事だから、という理由があるし、何より今回の報告書は聖グロリアーナだけのものではないという理由もある。

 だが、今水上は、大洗アウトレットリゾート近くに特別に設置された観客席で、膝に乗せたノートパソコンから目を離して、モニターを見ながら貧乏ゆすりをしていた。

 聖グロリアーナが追い詰められている。

 試合が始まってからまだ1時間も経っていないのに。

 周りの観客たちは『いいぞー!』『突撃しろー!』などと歓声を上げている。

 今歓声を上げている客は、大洗女子学園と、今回のエキシビションマッチで大洗女子学園のタッグとして参戦している知波単学園の応援をしている。水上の周りにいるのは、ほぼ全員大洗・知波単連合のサポーターだ。

 前に行われた練習試合の時とほぼ同じ状況。

 だが、今回は観客の数が違う。

 練習試合の倍以上かと思われるほど観戦客がいて、屋台や出店の数も多い。どうやら、何かの祭りと合わせて今回のエキシビションマッチは開催されているらしい。それに加えて、大洗女子学園は奇跡の全国大会優勝を果たした伝説とも言える学校だ。その学校が公開試合をすると聞けば、全国から戦車道ファンが押し寄せてくるのは予想できたことだった。

 だが、そんなことは水上にとっては些末な問題である。

 今問題視しているのは、ダージリンたちが窮地に立たされているという事。

 ダージリンの乗るチャーチルとマチルダⅡ3輌は、ゴルフ場のバンカーで足止めを喰らっている。

 別動隊は、ゴルフ場の脇にある土手で、大洗・知波単連合の足止めを喰らっていて、すぐには援護に向かえそうにない。

 未だどちらのチームも白旗を上げた車輌はいないが、ダージリンたちを取り囲むように大洗・知波単連合の戦車12輌が発砲を続けている。撃破されるのは時間の問題だろう。

 このままでは、聖グロリアーナが負けてしまう。

 手に汗がにじみ、拳を握る水上。

 おそらく水上が見るのは最後となるであろうこの試合で、3カ月もの間世話になった聖グロリアーナが負けるのは、見たくなかった。

 しかし、そんな水上の想いとは裏腹に、大洗・知波単連合の戦車は発砲を中止して、じわじわと包囲網を狭めていく。

 そして、距離がある程度近づいたところで再び停車し、発砲を再開する。

 最初は当たらなかったが、Ⅳ号戦車がマチルダⅡに向けて発砲すると、そのマチルダⅡが前部に被弾し、白旗を上げる。

 瞬間、観客席からは歓声が沸き上がる。

 だが、水上は対照的に、心苦しそうにキーボードを叩く。聖グロリアーナの戦車が撃破されるというのは、自分の身体が傷つくような気分だ。だが、この戦闘詳報は正式な記録として残るものである。一個人の感情で書く書かないを決めてはならないものだ。

 だから、水上は唇をへの字に曲げながらキーボードを叩く。

 そして続けざまに、知波単連合の九七式中戦車が発砲し、マチルダⅡに命中。またも白旗が上がり、水上は苦悶に満ちた表情でパソコンに文章を打ち込む。

 今ゴルフ場で12輌もの戦車の砲撃に晒されている聖グロリアーナのチャーチルとマチルダⅡ。

 勝負あったか、と思ったところで思わぬ変化が起きた。

 なんと、チャーチルとマチルダⅡを包囲していた知波単学園の九七式中戦車が、唐突に前進を始めたのだ。しかも、大洗女子学園の戦車を置いてけぼりにして。

「出たぞ!知波単名物“突撃”!」

 席に座っていた観客の1人が、知波単学園の謎の進軍を見て声を上げる。

 この知波単学園の“突撃”に何か意味があるのかは分からないが、戦車が悠然と進んでいく姿はカッコいいもので、他の観客たちも『おおー』と声を上げる。

 突撃中の九七式中戦車は、前進しながらチャーチルとマチルダⅡに向けて発砲を続けている。

 だが、その攻撃はほとんど当たっておらず、良くてチャーチルやマチルダⅡの砲塔、前面装甲を掠る程度だ。

(・・・・・・何がしたいんだろう)

 知波単学園戦車隊の意図が良く分からない水上だが、とにかく詳細を書く事にする。

 

「勝手にスコーンが割れたわね」

 大洗・知波単連合の包囲網が、知波単学園の“突撃”によって崩れたのを見て、ダージリンが得意げに微笑む。

「後は美味しくいただくだけですか」

 オレンジペコも、外の様子をペリスコープで見ながら呟く。

 私はそれを聞きながら、スコープに顔をくっつけて、照準をこちらに向けて前進してくる知波単学園の戦車に合わせる。

 砲弾は既に装填されているので、後は砲撃の指示を待つだけだ。

 データによれば、知波単学園は全車輌による一斉突撃という大胆な作戦で、全国大会ベスト4入りを果たしたこともある。だが、その時の栄光に囚われて、知波単学園は突撃を貴ぶという精神が今なお根付いている。

 今回の唐突な突撃も、その“伝統”によるものだろう。

「それに、もうすぐサンドイッチも出来上がるわ」

 飛来してくる九七式中戦車の砲弾。だが、私はその砲弾が飛んでこようがチャーチルを掠ろうが、気にしなかった。

「砲撃」

 ダージリンの指示を聞いた瞬間、私はトリガーを引く。続けて、隣にいるルクリリのマチルダⅡも発砲する。この2発の砲撃によって、まだなお突撃を続けており回避行動を一切取らない九七式中戦車2輌を撃破した。

 さらに私は、砲塔を旋回させて、黒松の林からたった1輌だけで前進してくる九七式中戦車を狙い、撃つ。その砲弾は命中して、戦車を擱座させる。

 車長と思しき、キューポラから身を乗り出していた少女は頭を抱えていた。私はそれを尻目に、砲塔を前へと正面へと向ける。

 そして、3輌撃破されたにもかかわらず突撃を止めない果敢とも無謀とも言える精神を持つ九七式中戦車2輌をルクリリと共に撃破し、後はふらふらと突撃しているような逃げているような、どっちつかずの動きをしている九七式中戦車のみ。あれを撃破すれば、大洗・知波単連合の戦力を大分削ることができる。

 と、そこで突然通信が入る。

『待たせたわね!』

 

 知波単学園の戦車が立て続けに5輌撃破されたのを見て、先ほどまでの歓声はどこへやら、水上のいる観客席は落胆ムードに包まれていた。

 だが、水上のキーボードを叩く手は、ダージリンたちが窮地に追いやられていた時と比べると格段に速くなっている。

 何せ、完全に包囲されていてもはや絶望的と思われていたチャーチルとマチルダⅡが、向かってくる知波単学園の戦車を連続で撃破してみせたのだから。

 この逆転劇を見て、喜びもしないほど水上は無感情ではない。

 それに加えて、チャーチルの砲手は、他ならぬアッサムだ。自分の恋する者だ。その人が頑張って敵を撃破している姿を見て、嬉しくないはずがない。

 と、そこでカメラが切り替わり、ゴルフ場脇にいる大洗・知波単連合の守備隊の戦車4輌が映し出される。

 ところが、そこにいた知波単学園の戦車1輌も急に前進して、土手を下る。だが、その直後に砲撃を喰らって白旗を上げる。この間、僅か5秒。

 さらに、最後に残っていた知波単学園の戦車も前進しようとするが、大洗女子学園の1輌の戦車―――確かルノーB1だったか、が向きを変えてそれを妨害する。

 そして、そこにいる大洗・知波単連合の3輌の戦車の車長が何事かを言い合い、それから3輌の戦車は向きを反対方向に向けて土手を離れる。

 その直後、解き放たれた猟犬のように、7輌のモスグリーンの戦車が土手を乗り越えてきた。

 今回のエキシビションマッチで、聖グロリアーナ女学院とタッグを組むことになった、プラウダ高校の戦車だ。

 

 プラウダ高校は、第63回戦車道全国高校生大会で、大洗女子学園と準決勝で戦った学校だ。

 プラウダ高校戦車隊の隊長と副隊長とは、このエキシビションマッチの前に行われた打ち合わせで顔は知っている。

 だが、最初に水上がその隊長の姿を見た時、『小学生かな?』と素直に思った。それぐらい、そのプラウダ高校戦車隊隊長は背が低かった。

 だが、隣に控える背の高い黒髪の女性―――ノンナと名乗ったその人は、まるで水上の考えを読んでいるかのように冷たい視線を水上に向けてきた。

 その視線は、それだけで人を殺せるんじゃないかと思うくらい鋭くて、冷たくて、怖かった。

 ダージリン曰く、その戦車隊隊長であるカチューシャ(これもニックネームのようなものだろうが水上は特に言及しなかった)は、こんなちんちくりんでも水上と同じ高校3年生であり、作戦を考える頭脳と指揮能力、カリスマ性は確からしい。

 人は見た目では分からないものだなと、水上はしみじみと思った。

 

 意識を目の前の試合に戻す。

 プラウダ高校の戦車隊がゴルフ場内に進入すると、ダージリンたちの乗るチャーチルとマチルダⅡはバンカーを乗り越えて脱出を図る。

 それを見て、チャーチルとマチルダⅡを取り囲んでいた戦車が発砲しようとするが、そこで横合いから別の戦車の砲弾が着弾する。

 大きなエンジン音と共に姿を現したのは、4輌のクルセイダーだ。ローズヒップが率いるクルセイダー部隊が合流してきたのだ。

 いったいこれまでどこで何をしていたのかという疑問はさておき、これで状況は逆転した。

 プラウダの戦車隊と、聖グロリアーナの戦車隊が大洗女子学園の戦車を挟み、フラッグ車であるⅣ号を狙う。

 だが、流石は全国優勝を成し遂げた大洗女子学園。簡単にはやられはしない。

 大洗女子学園(と、知波単学園の残り2輌)の戦車はゴルフ場を脱出し、市街地戦へ持ち込もうとするらしい。

 市街地に出ると、大洗・知波単連合の戦車は発砲による挑発や入り組んだ道を利用して聖グロリアーナ・プラウダ連合の戦車を分散させようとする。だが、ダージリンにその手は通用しない。

 ダージリンは、全国大会での大洗女子学園の試合を全て見てきた。

 だから、大洗・知波単連合の隊長であるみほが、敵の戦力を分散させて、戦車の特性を生かし各個撃破する戦術を得意としている事は当然分かっていた。だから、今回の挑発もそれが狙いだと判断し、挑発には乗らずにフラッグ車であるⅣ号戦車を狙い撃ちすることにしたのだ。

 だが、相手が作戦に乗ってこない事に気付いたみほたち大洗・知波単連合は、地形を最大限に生かした局地戦に持ち込む事にしたらしい。

 M3リーが、町営駐車場の傍にある道でノンナの乗るIS-2を待ち伏せし、撃破を狙うが、逆にM3リーは返り討ちに遭ってしまった。

 

13:18 市街地

IS-2がM3リーの待ち伏せを受けるも、これを退けて返り討ちにする。

大洗・知波単連合残り9輌。

 

 大洗町役場の前では、Ⅲ号突撃砲の待ち伏せ攻撃を受けたT-34/76が撃破され、さらに三式中戦車が同じくT-34/76を、大洗の主力とも言えるポルシェティーガーがT-34/85をそれぞれ1輌撃破する。

 

13:20 大洗町役場前

三号突撃砲が待ち伏せによってT-34/76を撃破。

聖グロリアーナ・プラウダ連合残り13輌。

 

 やがてクルセイダー部隊の4輌がⅣ号戦車を追うも、内3輌は返り討ちに遭ってしまい、残るは1輌だけ。残った1輌に乗っているのは、動きからしてローズヒップだろう。

 戦車の動きだけで、誰が乗っているのかを分かってしまうあたり、大分聖グロリアーナの戦車道に染まってしまったなぁ、と水上は心の中で呟いた。

 と、大洗・知波単連合の主力とも言える戦車、ポルシェティーガーが、プラウダ高校の戦車隊から集中攻撃を受けて撃破されてしまった。これで、大洗・知波単連合の戦力は大分低下するだろう。水上は胸を撫でおろす。

 さらに、運のいい事に大洗町役場を抜けたプラウダ高校の戦車が、逃げるⅣ号戦車を発見。そのⅣ号戦車から逃げていたローズヒップのクルセイダーが転進して、プラウダ高校の戦車の後に続く。

 さらに別方向からT-34/85が1輌やってきてⅣ号戦車を追撃する。

 その最中、商店街を逃げるⅣ号戦車を狙ってT-34/85が発砲するが、砲弾は僅かに逸れて道の端に立っている信号機に命中し、信号機をなぎ倒す。

 その倒れた信号機を踏んでしまった事と、突然の急カーブによってT-34/85はコントロールを乱し、カーブに面するように建っている『肴屋本店』の店に突っ込む。だが、家屋を破壊するまでには至らず、玄関先に収まる形で停車した。

(ほっ)

 水上はそれを見て安心する。前の練習試合では、マチルダⅡが盛大に突っ込んで店舗を破壊し、主人のおっちゃんを喜ばせたが、また壊されてはあの主人もたまったものではないだろう。

 そう思っていたのだが。

 後ろからやってくるローズヒップのクルセイダーが、倒された信号機を踏み、コントロールを失ってスピンしながらカーブを曲がり、停車していたT-34/85と激突。激突の衝撃によって火花がT-34/85の予備燃料タンクに引火して爆発。さらに肴屋本店の厨房にあるガスボンベまで誘爆し、肴屋本店は木っ端みじんに爆発四散。無数の瓦礫と化してしまった。

 これは流石にいかんだろう、と思ったのだが。

「ぃやったぁ!うっしゃああッ!!」

 狂喜乱舞と表現するに相応しい声を聞いて、心配は不要なようだ、と水上は思ってキーボードを叩く。

 

13:34 商店街

T-34/85が倒れた信号機を踏みコントロールを失い店舗に衝突。さらに後ろからクルセイダーが激突し、予備燃料タンクを破壊。その衝撃で店舗を倒壊させ、2両とも巻き添えとなり走行不能となる。

聖グロリアーナ・プラウダ連合残り6輌。

 

 と、そこで水上の後ろの方から歓声が上がった。

 立ち上がり、振り返ってみてみると、大洗・知波単連合の八九式中戦車と九五式軽戦車、そして聖グロリアーナ・プラウダ連合のルクリリの乗るマチルダⅡが、大洗リゾートアウトレットに進入してきたのだ。

 八九式中戦車の乗員は周りで見物している観客たちに手を振っているが、ルクリリは怒り心頭の様子。

「あれ、いいのかよ・・・」

 水上は悔しそうにつぶやく。

 この付近は、発砲禁止区域に指定されている。理由は単純で、一般の見物人が大勢いる中で発砲して、誤って人に当たってしまっては大惨事となってしまうからだ。

 だから、この特設観客席やモニターが設けてある大洗リゾートアウトレット付近の道路と敷地内は、発砲禁止区域となっている。

 その、大勢の一般客がいる敷地内をあえて堂々と突っ切り、マチルダⅡを無傷で振り切ろうとするとは、大洗・知波単連合は中々に腹黒いメンツも揃っていると言える。

 

 発砲禁止区域を先に抜けた八九式中戦車と九五式軽戦車は、姿を消した。

 ルクリリのマチルダⅡは街を走り2輌の行方を追うが、やがていつか見た立体駐車場にやってきた。

 タワーパーキングの警告音が鳴っているため、ルクリリのマチルダⅡはその前に陣取る。

 やがて、タワーパーキングの扉がゆっくりと開くが、その後ろの立体駐車場から八九式が姿を現す。

「バカめ2度も騙されるかっ!」

 だが、ルクリリのマチルダⅡは砲塔を真後ろに向けていた。前の練習試合で受けた八九式の待ち伏せを、ルクリリは見抜いていたのだ。

 ところが、さらにその隣にある立体駐車場の動きまでは読めなかったらしい。

「へ?」

 隣の立体駐車場から九五式軽戦車が姿を現したのを見て、ルクリリは慌てて車内に引っ込む。

 その直後、砲塔上部に砲撃を受けて、マチルダⅡの車体から白旗が上がってしまった。

 それがモニターに映されると、観客席から再び歓声が上がった。

「お疲れ様、ルクリリ・・・」

 水上は小さくルクリリをねぎらうと、パソコンのキーボードを叩く。

 

13:52 立体駐車場

八九式中戦車、九五式軽戦車の待ち伏せ連携攻撃を受けて、マチルダⅡが撃破される。

聖グロリアーナ・プラウダ連合残り4輌。

 

 試合も終盤。

 今まで姿を隠していたダージリンの乗るチャーチルが、大洗・知波単連合の全車輌から追われることとなり、大洗海岸を逃走する。

 だが、大洗ホテルの脇をチャーチルが通り過ぎると、海から1輌の巨大な戦車が姿を現したのだ。

 プラウダ高校の校章が写された、巨大な砲塔を持つその戦車は、KV-2。

 試合前のミーティングで、カチューシャがどうしても参加させたいと言っていた戦車だ。

『かーべーたんは絶対に参加させるんだから!じゃなきゃダージリンと手を組むなんてごめんよ!』

 見た目通りというか、年にそぐわずというか、何と言うか、カチューシャが駄々をこねにこねた結果、火力は中々だが速度が遅く発砲間隔も長いKV-2は今回のエキシビションマッチに投入される事になったのだ。

 水上は、カチューシャが熱く推したその戦車の実力を見てみようと、パソコンから一度目を逸らしてモニターを注視する。

 大洗・知波単連合の戦車は、海から突如現れたKV-2に怯んだようで、動きを止める。

 その戦車隊目がけて発砲するKV-2。

 確かに、カチューシャの言っていた通り、152mm砲の威力はなかなかのものだ。これが大洗ホテルに直撃して一部倒壊など起こさず戦車に当たればよかったのだが。

 KV-2は次弾装填までに時間がかかる。それを知っていたのか大洗・知波単連合の戦車は再びチャーチルを追う。

 逃げる大洗・知波単連合の戦車を狙ってKV-2が再び発砲するが、狙いは左にそれて大洗シーサイドホテルを貫通し、展望風呂で大爆発を起こした。

 さらに次弾装填を急ぎ、大洗・知波単連合の戦車を狙おうとするKV-2。だが、不安定な足場で砲塔を無理に回した結果、バランスを崩して転倒。砲身が地面に突き刺さり、KV-2は走行不能となって白旗が上がった。

「・・・・・・どう書けばいいんだろう」

 結果としてKV-2は、ホテル2軒を撃破しただけに終わり、挙句の果てには自滅した。

 記録係として、正直に書くべきか。だが、あのKV-2を強く推してきたカチューシャは何と言うだろう。ちょっとでも、活躍したと書くべきだろうか。だが、事実を曲げて書くというのは記録係として失格だし・・・。

 水上は、割と真剣にこの問題を考えることとなった。

 

14:03 アクアワールド駐車場

柵を乗り越えたⅣ号戦車がチャーチルの横にドリフトして回り込むも、IS-2の攻撃を受けて狙いが逸れる。そのすきにチャーチルはアクアワールド方面へと逃走。Ⅳ号戦車はこれを追撃する。

 

14:05 アクアワールド駐車場

擱座したと思われていたローズヒップのクルセイダーが到着。丘を飛び越えてチャーチルの援護をしようとするも、後方に待機していた大洗・知波単連合のヘッツァーの攻撃を受けて撃破される。

聖グロリアーナ・プラウダ連合残り3輌。

 

 肴屋本店の爆発に巻き込まれて行動不能となったかと思われていたローズヒップのクルセイダーが、満身創痍でアクアワールド駐車場へと入ってきた。

 後で、肴屋本店の下りの部分は書き換えよう、と水上は思った。

 そして、チャーチルの援護をするために小高い丘を飛び越えるクルセイダー。

 だが、駐車場後方に控えていた大洗・知波単連合のヘッツァーが発砲し、クルセイダーを撃ち落とした。

 あのすばしっこい、しかも跳んでいたクルセイダーに弾を命中させるとは。あのヘッツァーには、腕のいい砲手が乗っていると見える。

 

14:06 アクアワールド正面玄関前

Ⅳ号戦車が先に階段を上って正面玄関前に回り込み、階段を上がってきたチャーチルをg

 

 チャーチルとⅣ号戦車がアクアワールド目がけて駐車場をまい進する。そして、階段を上がり、正面玄関前で一騎打ちに持ち込もうとする。

 先に階段を上がったのはⅣ号戦車。階段を上がってきたチャーチル目がけて発砲する。

 だが、黒煙の中で白旗を立てていたのは、カチューシャの乗っているT-34/85だった。

 その後ろから、チャーチルがゆっくりと出て来て、Ⅳ号戦車に狙いを定める。

 だが、Ⅳ号戦車の装填手が驚異的な速度で次弾を装填し、発砲する。同時に、チャーチルも発砲。

 Ⅳ号戦車の砲弾はチャーチルの砲塔を掠め、チャーチルの砲弾は、Ⅳ号戦車に見事命中。

 

14:06 アクアワールド正面玄関

Ⅳ号戦車が先に階段を上って正面玄関に回り込み、階段を上がってきたであろうチャーチルを狙い発砲する。しかし、カチューシャの乗るT-34/85が囮となって撃破される。

聖グロリアーナ・プラウダ連合残り2輌。

 

同時刻 アクアワールド正面玄関

後から回り込んだチャーチルがⅣ号戦車に向けて発砲し、これを撃破する。

 

14:07

大洗・知波単連合フラッグ車走行不能により、聖グロリアーナ・プラウダ連合の勝利

 

『大洗・知波単フラッグ車、走行不能!よって、聖グロリアーナ・プラウダの勝利!』

 アナウンスが告げ、大型スクリーンに勝利した学校の文字が表示されると、観客席からは『ああ~・・・』と残念そうな声がそこかしこから上がる。どうやら、観戦に来たほとんどの客は大洗・知波単連合の応援に来たらしい。

 水上は、キーボードを叩く手を止めて、息を吐く。

 聖グロリアーナが、勝った。

 正しくは、プラウダ高校の力も借りたのだが、勝利したことに変わりは無い。

 だが、試合が終わってしまった事に、水上は僅かに寂しさを覚える。

 これで、聖グロリアーナで自分がやる大きな仕事は、終わった。

 後は、いつも通り給仕としてダージリンたちに尽くし、聖グロリアーナを去る日が来るのを待つだけとなる。

 それが、寂しかった。

 

 試合が終わると、両校の選手が開会式を行った場所で挨拶をする。観客席からは大きな拍手が送られた。無論、水上も拍手をする。

 今回の試合では、回収班と整備班が日本戦車道連盟から派遣される。故に、各学校の整備班の生徒が整備にあたることは無い。

 では、戦車の整備が終わるまで試合に参加した選手たちは何をするのか。

 答えは、温泉に入る、だった。

 大洗には、少し街の中心地から離れた場所に『潮騒の湯』という温浴施設がある。

 その潮騒の湯で、選手たちは今回の試合での疲れを癒すらしい。

 両校の戦車道履修者たちがいっぺんに入るとなれば、女湯だけでは狭すぎる。だから今日は、この潮騒の湯は戦車道連盟で貸し切りとなっていた。

 水上は、先に学園艦に戻ってお茶会の準備でもしようかと思ったのだが、ダージリンから『あなたも来なさい』と連絡を受けて、水上は渋々皆と一緒に潮騒の湯へと向かう事になった。

 大洗港には学園艦が停泊することができるが、同時に停泊することができるのは2隻まで。今回、大洗でエキシビションマッチを行うために、大洗女子学園、知波単学園、聖グロリアーナ女学院、プラウダ高校の学園艦4隻が鹿島灘に集結することとなった。その中で、大洗港に入港したのは、地元である大洗女子学園と、プラウダ高校の学園艦。なぜプラウダ高校の学園艦が他の2校を差し置いて入港したのか、その理由はカチューシャのわがままとだけ書いておく。

 ともあれ、聖グロリアーナ女学院の学園艦は、大洗港から少し離れた場所に停泊しているため、戻るためには船を使わなければならない。

 だが、水上一人を乗せるために船を一往復させるというのは流石に燃料が無駄ということで、水上は他の戦車道履修者及び戦車と一緒に戻る事になったのだ。

 ならば、せめてアウトレットモールで時間を潰させてくれればいいのにと水上は思わなくもなかったが、よりにもよって女子しかいない温浴施設に連れて行かれるとは。ダージリンはつくづく人をからかう事が好きらしい。

 ちなみに余談ではあるが、水上はダージリン、オレンジペコともアドレスを交換している。理由は、『アッサムと交換しているのに私たちと交換しないというのは、給仕としてどうなの?』と、理由になっているんだかいないんだか分からないような言葉からだ。

 ともあれ、水上は大洗、知波単、聖グロリアーナ、プラウダの生徒たちと共に潮騒の湯に入る。この時従業員は、一人だけ男がいる事に対してものすごくびっくりしていた。水上は、苦笑いを浮かべてごまかす事にする。

 脱衣所へ入っていく戦車道履修者たち。この先は水上が踏み込めるわけがないので大人しく待合室で座って待つことにする。従業員が時折こちらに向けて笑顔で手を振ってくるのが、正直とても辛い。

 戦闘詳報の書き直しでもするか。そう思って水上は、持っていたパソコンをテーブルに載せて電源を入れる。

 そうでもしなければ、恐らく温泉につかっているであろうアッサムたちの姿を想像して、よからぬ欲望が増幅しかねないから。

 

 女性の風呂は長い。

 そう実感したのは、戦闘詳報を書き終えて、ラックに入れてあった2冊目の雑誌を水上が読み終えた時だ。

 水上の普段の入浴時間は平均しておよそ20分ほど。温泉に出かけた時など、外の風呂に入る時は1時間ほど入る事もある。

 だが今、水上は待合室で、2時間ほど座りっぱなしで雑誌を読んでいた。

(ダージリンめ・・・)

 この場を離れようにも、いつダージリンたちが出てくるのか分からないため、迂闊に出歩く事も許されない。

 結果的に、水上は戦闘詳報を書きなおしたり、雑誌を読んだりお土産物を見たりして時間を潰すしかなかった。

 見かねた従業員が、冷えたジュースを持って来てくれたのが、とてつもなく申し訳ない。

 早く出てきてくれ、と心の中で切に願う水上。

 と、その時。

 ピンポンパンポーン。

 案内を告げる電子音が聞こえてくる。

 水上は、自然と音がした方向、スピーカーを見る。

『大洗女子学園、生徒会長の角谷杏様。大至急、学園にお戻りください。繰り返します。生徒会長の角谷杏様。大至急、学園にお戻りください』

 急に名指しで呼び出しとは、珍しい事もあるものだと水上は思った。

 数分後、風呂上がりで顔が上気している、栗毛を頭の両サイドでツインテールにした小柄な少女が出てきた。

 全国大会前の大洗での練習試合でも見かけた、大洗女子学園の生徒会長・角谷杏だ。

「よっす」

「どうも」

 杏は、手でだけ水上にあいさつをすると、早急に潮騒の湯を後にする。

 手短な挨拶だったが、逆に水上はそれもまた新鮮でいいもんだと思った。

 そして、さらにその数分後、また1人風呂から出てきた。

 その人物は。

「あれ、アッサム?」

 一応、髪は黒いリボンでまとめてあるが、いつものように髪はウェーブがかっておらず下ろしてあるアッサムだ。

 アッサムも風呂上がりで顔が上気しており、頬がやや紅潮している。

「他の皆は?」

「水上、急いで支度を」

「え、あ、分かった」

 水上が聞くが、アッサムはそれに答えず、すぐに準備をするように水上に指示をする。水上は、急いで荷物―――と言っても財布と携帯とパソコンぐらいしかないが、それを纏めるとアッサムの後に続いて潮騒の湯を後にする。

 聖グロリアーナ学園艦と、大洗を結ぶ連絡船は、大洗港から出ている。そこまでの道のりを、アッサムと水上は早歩きで歩いていた。

 その道すがら、やたらとトラックやワゴンなど、大きな荷物を運ぶことができるような車とすれ違う。

 大洗港の駐車場にも、トレーラーやトラックなどの大型車両が何台も並んでいた。

(・・・・・・なんだ?さっきはこんなにトラックなんていなかったのに)

 さっきはエキシビションマッチが行われていたので道が封鎖されているという事もあったのだが、それにしたってトラックの数が急激に増えた気がする。

「・・・アッサム、一体何が起きたの?」

 水上が聞くが、アッサムは振り返らず、歩きながら、小さく答える。

「嫌な予感がするの」

 その言葉に、水上は、納得できてしまった。

 

「大洗女子学園が廃校?」

 翌日、『紅茶の園』で水上がダージリン、オレンジペコ、アッサムのカップに紅茶を淹れ終えて、アッサムがそれを一口飲んでから、その話題を出した。

 その言葉を聞いて、ダージリンは目を丸くし、オレンジペコは信じられない、という表情をする。水上は、ショックのあまり持っていたポットを落としそうになった。

 アッサムは、情報処理学部第6課(通称GI6)に所属している。だから、他校の情報を入手することはアッサムにとっては造作もない事である。

 昨日、アッサムが先に風呂から上がって、連絡船に一足先に戻り、自分のパソコンで何かを調べていたのは、何が起きているのかを調べるためだったのだ。

 そして昨夜、何が起きているのかをアッサムは突き止め、今朝になってそれを報告することにしたのだ。

「・・・どうして」

 オレンジペコが、悔しそうに言葉を洩らす。

「大洗女子学園の廃校は、全国大会優勝と引き換えに撤回されるのでは?」

 水上が動揺を隠せずにアッサムに聞く。アッサムは、首を横に振った。

「文部科学省曰く、廃校の撤回は可能性の話であって、廃校撤回を検討しても良いという意味であり、確約ではなかったそうよ」

「そんな・・・」

 屁理屈だ。

 水上はそう思った。

「もう、大洗女子学園の学園艦で暮らしている生徒と一般人は全員退去済み・・・学園艦も、大洗を離れてしまったわ」

「・・・・・・・・・」

 言葉が出ない。

 水上は、聖グロリアーナに訪れたあんこうチームのメンバー5人の事を思い出す。

 あの時、あんこうチームのメンバーたちは、ここで開かれたお茶会で、楽しそうな笑みを浮かべていた。

 みほも、沙織も、華も、優花里も、麻子も。

 彼女たちは、優勝して廃校を撤回できたことを、とても喜んでいた。

 大洗女子学園の戦車道履修者たちも、廃校を撤回することができると信じて戦い抜いてきた。だから、優勝した時の喜びはひとしおだったのだろう。

 自分たちの居場所を、失わずに済んだと。

 自分たちの居場所を、守ることができたと。

 だというのに、彼女たちの学校は、再び廃校となってしまった。

 廃校にするというのは、言葉にするのも、文章におこすのも簡単だ。しかし、それを実行するとなると、それには多大なる犠牲が伴う。

 大洗女子学園の生徒も、先生も、学園艦に暮らす一般人も、その犠牲となる。

 それぞれの生活が、失われてしまうのだから。

 なぜ、優勝したにもかかわらず、大洗女子学園が廃校になってしまうのか。なぜ、文部科学省は廃校を強行するのか。その理由は分からない。

 だが、少なくともこれだけは言える。

 大洗女子学園の皆は、何も悪くない。大人たちの勝手な都合で、彼女たちの居場所は奪われるのだと。

 それが、どうしようもないくらい腹立たしくて、水上は無意識のうちに拳を握っていた。

「・・・・・・・・・」

 ダージリンは、何かを考えこむような仕草をしている。

 オレンジペコは、俯いてしまっており、テーブルの上のお菓子に手を伸ばそうともしない。

 アッサムは、まだ何かを調べているようで、キーボードを叩きながらパソコンとにらめっこをしている。

「・・・ダージリン様、何とかなりませんか」

 水上は、自然とそんな言葉をダージリンに向けて発していた。

「・・・水上」

「私は、あの大洗女子学園が廃校になってしまうなんて、黙って見過ごせません。何か、手は無いのでしょうか」

「・・・・・・・・・」

 ダージリンは水上を真剣な目つきで見つめる。水上はひるまず、ダージリンの目を見つめるままだ。

「・・・・・・水上は、大洗女子学園を助けたいのかしら?」

「はい」

「どうして?」

「・・・・・・大洗女子学園の皆さんは、廃校が撤回されると信じて全国大会を勝ち上がってきました。そして、彼女たちは優勝を手にして、自分たちの居場所を守ることができた。にもかかわらず、皆さんの思いが、再びの廃校という形で無残にも踏みにじられてしまうなんて、とても耐えられません。彼女たちの積み上げてきた思いが、無に帰するなど、黙っていられません」

「・・・・・・」

 オレンジペコが水上の事を見上げる。アッサムも、パソコンから目を上げて水上の事を見つめる。

 ダージリンは、意地悪気な笑みを浮かべてこう言ってきた。

「水上は、大洗に恩を売りたいから、そう言ってるの?」

「違う」

 敬語を捨てて、素の口調でダージリンに面と向かって告げる。アッサムもオレンジペコも、当のダージリンも、驚いた表情で水上の事を見た。

「俺はただ、大洗女子学園を助けたいだけだ。恩だとか、貸し借りだとか、そんな事は考えていない」

 その言葉を聞いて、ダージリンがふっと笑う。そして、今さらながら自分が声を荒げてダージリンに意見してしまった事に気付き、水上は謝罪する。

「・・・・・・失礼しました」

「・・・人に尽くしたい、実にあなたらしいわね」

 水上が、お辞儀をするが、ダージリンは気にしていない風に呟いて紅茶を一口飲む。

「・・・お言葉ですが」

 そこでアッサムが、小さく手を挙げてダージリンの視線を自分へと向けさせる。

「昨夜、サンダース大付属高校の超大型輸送機・C5Mスーパーギャラクシーが大洗女子学園に着陸したとの情報が」

「何ですって?」

「・・・それと、大洗女子学園が戦車全8輌を紛失したという届け出が文科省に出ております」

「紛失・・・?」

 その単語を聞いて、水上は首をかしげる。

 戦車のような巨大なものを、普通失くすだろうか。思い入れのある戦車であればなおさらだ。それも、8輌全部を、1度に。

 そこで、水上はある推測を立てる。だが、その推測を先に立てたのはダージリンとアッサムの方だったようだ。

「もしや、サンダースが大洗の戦車を預かって・・・?」

「そう考えるのが、無難かと」

 ダージリンが頷き、顎に手をやって考え込む。

 そして。

「・・・戦車を預ける、いいえ。隠すという事は、大洗はまだ諦めてはいないという事ね。水上」 

「はい」

「電話機を持ってきて頂戴」

 突如名前を呼ばれて、水上がハッとしたように顔を上げ、指示を受けると迅速に、壁際に置いてあった電話機をダージリンの下へと持ってくる。

 そして、ダージリンはダイヤルを回してどこかへと電話を掛ける。

「ダージリンよ」

 相手が電話に出たようで、ダージリンは自分の名前(?)を名乗り、単刀直入に用件を告げる。

「大洗女子学園が、廃校の危機にあるの」

 電話の向こう側で、誰かが何かを言っているが、水上には誰が何を言っているのかは分からない。

「・・・ええ、そうよ。そこで、一つ聞きたいのだけれど」

 そこでダージリンは言葉を切って、目を閉じ、ひと呼吸整える。

 そして、目を開き、こう告げた。

「あなた、大洗女子学園を助けたくはない?」

 

 それから数日の間は、水上はダージリンたちの指示の下東奔西走する日々を送ることとなった。

 アッサムが、戦車道連盟、大洗女子学園、文部科学省の動きを細大漏らさず収集して、水上がそれを記録し、ダージリンへと報告する。その上で、ダージリンが水上に指示を出し、水上はそれを遂行する。

 指示の中には、『大洗女子学園の制服を買い集める事』『日本戦車道連盟に“申請”を出すように』など無茶振りとも言えるものもあったが、水上は愚痴の1つもこぼさずにその指示に従った。

 その間、ダージリンは、国内の戦車道の科目がある学校に、懇願とも取れる連絡を送っていた。

 内容は実にシンプルで、『大洗女子学園を救うために、力を貸してほしい』だ。

 その呼びかけに応じたのは、黒森峰女学園、サンダース大付属高校、プラウダ高校、アンツィオ高校、知波単学園。大洗女子学園の戦車隊、ひいてはその隊長・西住みほと接点のある学校ばかりだった。

 だが継続高校はあいまいな返答をし、他の学校に至っては協力したい旨を伝えた上で断ったり、文科省に目を付けられたくないという理由で断ったりした。だが、それでもダージリンたちはめげない。

 そして、大洗女子学園の生徒会長・角谷杏が、文部科学省の学園艦の管理及び運営を統括している学園艦教育局と接触。さらには日本戦車道連盟とコンタクトを取り、その上で日本戦車道連盟理事長、高校戦車道連盟理事長、陸上自衛隊1等陸尉を連れて、再度学園艦教育局へと赴いたという情報を手に入れたダージリンとアッサムは、一つの可能性を示した。

 大洗女子学園は、何かしらの条件で廃校を撤回される、と。

 その条件とは恐らく、戦車道での試合で勝利する事。

 ここで、協力を承諾した学校に対して、ある呼びかけを行ったダージリン。それを受けて、協力すると承諾した聖グロリアーナ女学院を含む7つの学校は行動を起こし、本格的に大洗女子学園を救うために動き始めることとなる。

 そしてついに、大洗女子学園が、大学選抜チームとの試合に勝利すれば、本当に廃校が撤回される、という情報が入ってきた。

 だが、試合を行う直前になって、試合の詳細が判明する。

 ルールは殲滅戦。車両は大洗女子学園が8輌に対して大学選抜チームはその3倍以上の30輌。

 それを初めて聞いた時、水上は『馬鹿げてる』と思わず口にしてしまったぐらいだ。

 大洗はたったの8輌で、相手チーム30輌全てを相手にしなければならない。おまけに大学選抜チームは社会人チームを破った文句なしの強敵。しかも敵チームの主力戦車は、大洗の保有する戦車よりもはるかに性能が優れたパーシング重戦車。その上その隊長は天才少女とも言われ、日本戦車道における二大流派の内の1つである島田流の跡継ぎ・島田愛里寿。

 大洗が勝つことができる可能性は、限りなくゼロに近かった。

 そこで再度、他の学校に対して協力を呼び掛けるダージリン。しかし得られた回答は同じで、どの学校も自校の情勢が大変、目を付けられるのが怖い、行っても力になれない、と返ってきた。

 だが、それでも最後まで、大洗女子学園を救う事を諦める事はしない。

 大洗女子学園を、見捨てたりはしない。

 ダージリンが好敵手と認めた彼女たちの居場所を、そう簡単に奪われてたまるものか。

 

 そして、“決戦”を明日に控えた夜。

 水上とアッサムは、学園艦側部公園に来ていた。先に来ていたのはアッサムで、水上が後から来たのだ。

 アッサムは、ベンチにも座らず、柵に手をかけて立ったまま海を眺めていた。

「・・・緊張してる?」

 水上が隣に立ち、優しく話しかける。アッサムは、水上の方を見ず、海を見たまま、答える。

「していない、と言えば嘘になるわね」

「そりゃそうだ」

 アッサムが、確認するように声に出す。

「明日は、戦った事の無い、恐らくは最強とも言える大学選抜チームとの試合。30輌を相手にするなんて初めてだし、私の腕が通用するかは分からない。こうして大洗女子学園を助けるために駆け付けたわけだけど、力になれるかどうかも不安・・・。緊張しないはずがないわ」

 心の内にある緊張や不安は、声に出すだけで少しだけだが軽くなる。アッサムが前に実践したことだ。

 アッサムが、水上の手を握る。水上は、その手を優しく握り返す。

「・・・・・・どうすれば、緊張が取れる?」

 水上がアッサムに問いかける。

 アッサムはふっと笑い、繋いでいた水上の手を離し、水上の方を見て目を閉じる。

 そう言えば、自分が試合をする前日も、こうしたっけ。その時の事を思い出しながら、水上はアッサムの顔に自分の顔を近づける。

 そして、『頑張ってね』とだけ言って、アッサムと口づけを交わす。

 少しの間だけそうしてから、やがて唇を離す。

「明日は、俺も全力で応援する」

「“記録”も忘れないでよ?」

 アッサムが笑いながら忠告し、水上は頷く。

 公園でそんなやり取りが行われている間にも、聖グロリアーナ学園艦は航行を続けている。試合が行われる北海道の大演習場に最も近い、学園艦が停泊できる港、苫小牧港へと。




次回は、今回以上に蛇足になることが予測されます。
予めご了承ください。


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結束して

水上の役割上、試合内容を書く必要があった。
けれど、戦闘内容を全部書くと長くなりすぎる。
逆に全部カットすると短くなりすぎて水上のいる意味がなくなる。
結果、このような有様になってしまいました。
統括すると、
可能な限り善処したんです。ご理解ください。(土下座)

恐らく未見の人はいないと思いますが、今回も多分に劇場版のネタバレがあります。
ご注意ください。

また、今回前半と後半はオリジナル、中盤は劇場版と言った具合になっています。



 8月28日。

 水上が聖グロリアーナにいられるのが、今日を含めると後4日。本格的に、聖グロリアーナとの別れが近づいてきた。

 だが、今水上にとってそんなことは二の次。気にするべきことは、これから始まる試合の事だ。

 ここは、大洗女子学園と大学選抜チームの試合が行われる、北海道大演習場の特設観戦席。観戦席の前には、大洗のエキシビションマッチで見たような巨大なモニターが設置されており、観客席には多くの大洗女子学園、大学選抜チームの関係者、戦車道ファンなどが座っている。

 今回行われる試合は、対外的には『大学生と高校生の親睦と交流を深めるための試合』と文部科学省及び戦車道連盟は公表した。大洗女子学園の存続を賭けたもの、とすれば文部科学省と戦車道連盟には多くの問い合わせが殺到する事は明らかだ。そうなればパニックになりかねない。それを避けるために、対外的な試合目的を掲げたのである。

 今この場で、この試合が行われる本当の意味を知っているのは、水上を除けば、大洗女子学園の生徒及びその親族、そして戦車道の関係者だけだ。

 聖グロリアーナ女学院学園艦が、ここから一番近くで学園艦が入港することができる港の苫小牧港に着いたのは早朝6時過ぎ。

 そこから水上は、ダージリンたちよりも一足先にバスに乗って、この演習場にやってきた。

 そして、観客席でモニターが良く見えて、なおかつ周りに人があまりいないスペースを見繕ってそこに陣取る。

「よっこいせと」

 水上が、そんな声を出しながら、肩に提げていた大きなクーラーボックスをベンチに置き、その隣に座る。

 水上が座った席のすぐ近くには、『関係者用観戦席』とロープで区切られたスペースが設けられており、そこには2人の女性が座っていた。

 1人は、今の水上のように黒いスーツをぴっちりと着た、長い黒髪の女性。

 もう1人は、その女性とは対照的に赤い洋服を着て、日傘を差した、長く色素の薄い髪の女性。

 水上はその2人が、日本戦車道における二大流派“西住流”と“島田流”の家元であり、高校戦車道連盟理事長と大学戦車道連盟理事長でもある、西住しほと島田千代という、超が付くほどの重要人物であることを知らない。

(タフだなぁ、あの人)

 水上が、黒いスーツを着ている女性―――しほの事を見ながら心の中で思う。

 普段給仕として過ごしている際と同じ黒いスーツに灰色のベストと着こみ過ぎとも言える水上も人の事は言えないが、いくら北海道で夏でも涼しいとはいえ、少し暑苦しいんじゃいないだろうかと思う。

 そんな事を考えながら、左手に抱えていたパソコンを膝の上に置いて電源を入れ、聖グロリアーナにいる間は随分と世話になったレポート作成ソフトを立ち上げる。

 だが、まだ何も入力しない。

 やがて、今まで真っ黒だった大型スクリーンが点き、今回の試合のルールが表示される。だが、多くの観客はその表示されたルールを見て、ざわつき始める。

 ここにいる関係者を除く一般の観戦客は、たった今初めて、試合の概要を知るのだ。水上も聖グロリアーナの人間で、今回の試合の内容は知っていたが、改めてモニターに表示された試合の概要を見る。

 ルールは殲滅戦。

 大洗女子学園から参加する戦車は8輌。対して、大学選抜チームは30輌。

 試合会場は、この北海道大演習場。平原、湿地、高地、山岳、森林、廃遊園地など多くの地形を有している。

 試合会場はともかくとして、お互いのチームの編成の差は、今見てもひどいもんだと水上は思った。

 

 戦車道は武芸の1つであり、言ってしまえばスポーツの一種だ。

 スポーツにおける試合とは、お互いが平等な条件の下行われるのが常だ。だから、試合を行う際にどちらか一方が不利な場合はハンディキャップが適用されるのが一般的である。

 戦車道において、その両チーム内での戦力差を埋めるハンディキャップと呼ばれるものは、フラッグ戦というルールだ。

 フラッグ戦は、全車輌が撃破されれば試合が終わる殲滅戦とは違い、チーム内で決められた1輌―――フラッグ車が撃破されればその時点で試合は終了となる。

 全国大会でもフラッグ戦が適用されているのは、試合を行う各学校での戦力差を埋めるためである。

 大洗女子学園のように、保有する戦車の台数が少ない高校は割とある。そんな学校が、黒森峰やサンダースなど戦車保有台数が多い学校と当たって、その試合が殲滅戦ともなれば、試合の結果は見えたも同然。一方的なワンサイドゲームになる可能性が非常に高い。

 そうならないために、お互いのチームが公平に試合を行うことができるように、フラッグ戦はあるのだ。

 だが、フラッグ戦が善であり殲滅戦が悪であるとは言えない。

 フラッグ戦は、知力を尽くして戦うもの。殲滅戦は、力の限りを尽くして戦うもの。

 そのどちらも、一定以上の需要はあった。

 フラッグ戦はどのような作戦で戦力差をひっくり返すのかが楽しみでワクワクするし、殲滅戦は戦車同士の熱いぶつかり合いを楽しむことができる。

 しかし、それでも、公式試合においてよく採用されるのは、フラッグ戦であった。

 

 今回の大洗女子学園対大学選抜チームの8輌対30輌の試合も、フラッグ戦であればまだ大洗女子学園にも勝機はあった。

 だが、今から行われる試合は、紛れもなく殲滅戦。それも、今回の試合が殲滅戦と告げられたのは試合前日。

 あまりにも、残酷だった。

 やがてモニターの画面が切り替わり、試合開始の宣誓をする場所が映し出される。

 そこに立っているのは、緑の軍服を着た女性と、『JUDGE』と刻まれた銀のプレートを首から提げる、黒い制服を着た3人の女性。彼女たちは、今回の審判長と副審判だ。

 そしてもう1人、そこで立っている人物がいる。

 その人物は、一見すれば大学生にも高校生にも見えない、身長の低い少女だった。水上のすぐ近くに座っている赤い洋服の女性のように色素の薄い長い髪を、頭の左でサイドテールに纏めている。

 だが、その少女の着ている服は、紛れもなく大学選抜チームのタンクジャケットだった。

 彼女こそ、西住流と双璧をなす、日本戦車道二大流派の1つ・島田流の後継者であり、13歳という若さで飛び級で大学に在籍しており、天才少女と謳われ、今回、大洗女子学園と戦う大学選抜チームの隊長・島田愛里寿である。

 その愛里寿の立つ場所へと、大洗女子学園の戦車隊隊長・西住みほが歩いてくる。

 だが、彼女の顔は前ではなく地面を向いており、聖グロリアーナでのお茶会のような明るさも無く、歩く足取りも重い。

 口の動きからして、何かを呟いているのが分かる。おそらく、この試合での作戦を、今なお考えているのだろう。

 やがて、審判長の前にみほがたどり着く。だが、みほの表情は晴れない。

 両チームの隊長の後ろには、それぞれのチームのメンバーが全員揃っている。しかし、メンバーの差は歴然。大洗女子学園側は30人強に対し、大学選抜チームはゆうに100人を超えている。

 さらに、映し出されたみほの沈んでいる表情を見て、観戦席にいる誰もが察した。

 いかに、無名の大洗女子学園を全国大会優勝へと導いた名将・西住みほといえども、今度ばかりは勝つことができない。これから始まるのは、決して試合などという生易しいものではない、大学選抜チームによるワンサイドゲーム、一方的な蹂躙と言える戦いだ、と。

 本来ならば、そうなるはずだった。

『ではこれより、大洗女子学園対大学選抜チームの試合を開始します』

 審判長が試合開始の挨拶を始めようとする。

 そこに立つみほは今、今度ばかりは勝つことができない、と諦めかけていた。

どれだけシミュレーションを重ねても、どんなに緻密な作戦を立てても、経験も知識も有する戦車の性能も明らかに上である大学選抜チームに勝つことができるビジョンが、見えなかった。

 だが、この試合を組むために、生徒会長の角谷杏がどれだけの苦労を、努力を重ねていたのかが分からないほど、みほも愚かではない。

 これが本当に、大洗女子学園を救うことができる最後のチャンスだ。そのチャンスを、無駄にしてはならない。

 たとえそれが、勝つ可能性など全くと言っていいほど無い試合であったとしても。

 みほは、覚悟を決めた表情で前を見る。

『礼』

 審判長が告げ、みほと愛里寿が挨拶をしようとする。

 その直前で。

『待った―――――――――ッ!!』

 スピーカーを割らんばかりの大きな声が突如会場に響く。

 観客席がどよめく。挨拶をしようとしていたみほは、聞き覚えのあるその声のした方向を見る。

 撮影しているカメラも、その声が発せられた方角を映す。その先にいたのは、黒森峰女学園の校章が描かれた黄土色の4輌の戦車だった。

 突如現れた戦車は立ち尽くすみほたちの前で停車し、停車した戦車から2人の少女が下りてくる。

 その2人の少女は、黒森峰女学園のダークグレーの制服でも、黒いタンクジャケットでもなく、大洗女子学園の白と緑の制服を着ていた。

 その人物は、西住みほの実姉であり黒森峰女学園戦車隊隊長の西住まほ。そして、その副隊長である逸見エリカ。

 2人は何かの書類が挟まれたボードを審判長に見せる。その書類を見て、まほの言葉を聞いて、みほは安心したような笑みを浮かべた。

 そこでモニターが切り替わり、大洗女子学園側の戦車のリストが映し出される。そのリストに、新たに4輌の戦車が加えられた。ティーガーⅠ、ティーガーⅡ、そして2両のパンターG型。

 まるで、最初からそうなる事が分かっていたかのようにスムーズに表示された。

 何しろ、戦車道連盟はこの試合の直前で“ある申請”を受け、それを承認しているのだ。戦車道連盟が知らないはずがない。

 新たに戦車とメンバーが加わったのを見て、観客たちも嬉しそうに声を上げる。

 これで、大洗女子学園の車輌数は12輌に増えた。

 続いて、別方向から戦車の音が聞こえてくる。

 そちらにカメラを向ければ、そこにいるのはダークグリーンの3輌の戦車。黄色い稲妻がトレードマークの校章が描かれたその戦車は、サンダース大付属高校のものだ。

 M4シャーマン、M4A1シャーマン、シャーマンファイアフライが新たに大洗女子学園側に加わり、戦車の総数は15輌に。

 聞くところによれば、あのシャーマンファイアフライには、全国でもトップクラスの腕前を誇る砲手が乗っていると聞く。そんな人物が応援に来てくれるとは、とても心強かった。

 また別方向からも、戦車が接近してきていた。モスグリーンの機体に赤い校章が描かれた4輌の戦車は、大洗でのエキシビションマッチでも見たプラウダ高校の戦車だ。

 2輌のT-34/85にIS-2、そしてKV-2。KV-2を見て、水上は大洗でのあの失態を思い出すが、隊長のカチューシャはあれを見てもなおKV-2を投入してきた。よほど、あの戦車に思い入れがあるのだろう。

 大洗女子学園の戦車は、これで19輌。

 そして、新たに映し出されたのは、ここ3カ月で水上が見慣れてしまった、もはや安心感すら覚えてしまう聖グロリアーナの3輌の戦車、チャーチル、マチルダⅡ、クルセイダー。これで大洗女子学園は、22輌の戦車を有することとなった。

 それぞれの車長はダージリン、ルクリリ、ローズヒップだ。そして、あのチャーチルの中にはアッサムもいる。

 昨日は、アッサムの緊張を解きほぐすために、キスを交わした。水上はその時の事を思い出して無性に恥ずかしくなるが、頭を小さく振って、心の中で応援をする。

(頑張れ、アッサム。ダージリン、皆も)

 さらに、草原を颯爽と駆ける1輌の戦車が映し出される。その戦車は、豆戦車と言われるCV33。ピザのような校章が描かれたのはアンツィオ高校のものだ。

 アンツィオ高校には、P40という重戦車もいるのだが、全国大会で大洗女子学園との試合で致命的なダメージを受け、現在は長期修理中となっており実戦投入はできないとの情報を、アッサムは入手した。

 だからと言って、対戦車火力は皆無なCV33を持ってくるとは。何か理由があるのだろうか。

 ともあれ、これで大洗女子学園の戦車の数は23輌にまで上がった。

 そして、水上は新たに現れた1輌の戦車を見て首をかしげる。

 白い車体に『継』と書かれた校章が写されているその戦車は、水上も見た事がないし、事前に水上に渡された戦車のリストにも載ってはいない。

『こんにちは、皆さん。継続高校から転校してきましたー』

 と、その戦車から聞こえてきたふんわりとした女性の声を聞いて、水上は目を見開く。

 最初、ダージリンが呼びかけを行った際に協力的な反応を示さなかった継続高校が、まさかいきなり参戦してくるとは。一体どういう風の吹き回しだろう。

 だが、今は大洗女子学園にとって戦車は1輌でも増えてくれれば嬉しいものだ。ここは素直に喜んでおく。

 大洗女子学園の戦車リストにBT-42突撃砲と表示され、大洗女子学園の戦車は24輌になる。

 そして最後に、森を抜けてきたのは戦車の大群。特有の迷彩模様は、大洗でのエキシビションマッチで見た知波単学園のものだ。それにしては、やたらと数が多い気がする。

 知波単学園戦車隊隊長・西絹代が得意げにスピーカーで高らかに宣言する。

『お待たせしました!昨日の敵は今日の盟友!勇敢なる鉄獅子22輌推参であります!』

 まさか、22輌持ってくるとは。失笑する。

『増援は私たち全部で22輌だって言ったでしょう?あなたの所は6輌』

 ダージリンにしては珍しい、少し苛立ちが感じられる声。それを聞いて、水上は思わず笑ってしまう。

『すみません、心得違いをしておりましたー!』

 知波単学園の西は全く反省の色を示さずに謝罪して、後方にいる戦車21輌の内16輌に待機を命令する。その命令を受けた戦車は、華麗なターンを見せて試合会場を後にした。それを見て、観客たちは歓声を上げる。

 知波単学園からは、九七式中戦車チハ新砲塔が2輌、旧砲塔が3輌、九五式軽戦車が1輌。

 ついに、大洗女子学園の戦車数は、大学選抜チームと同じ30輌となった。

 

 ダージリンは、大洗女子学園がサンダース大付属高校に戦車を預かってもらうように頼んだ時から、一つの可能性を考えていた。

 大洗女子学園は、何としても廃校を撤回させる。そして、撤回させる手段に戦車が用いられる。戦車を隠したのがそれを裏付けていた。

 だが、大洗女子学園の廃校を強行する文部科学省は、例え試合を行うことを認めたとしても、何としても大洗女子学園を廃校にさせようとあらゆる手を尽くして来るだろう。

 そこで真っ先にダージリンが考え付いたのが、圧倒的な戦力で大洗に勝つ隙など与えない、徹底的に叩き潰す試合を組む、という可能性だ。

 そして、大洗女子学園と大学選抜チームの試合が組まれた直後、ダージリンは協力すると言った6つの高校に対して指示とも取れる呼びかけを行った。

 それは、大洗女子学園に短期入学する事。

 この呼びかけを行った時点では、試合がフラッグ戦なのか殲滅戦なのかは分からなかったが、大学選抜チームが30輌用意してくることは分かっていた。

 戦車道のルールでは、他のチームから戦車と人員を借用する事はルールによりできない。

 ならば、自分たちが大洗女子学園の生徒となって試合に参加すればいい。そんな結論にたどり着いた。

 今回短期入学をする事は、文部科学省にはもちろん、大洗女子学園にも気付かれてはならなかった。大洗女子学園に知られれば、試合を組むことが決定した時から大洗女子学園の動向に目を光らせている文部科学省にバレる可能性が高かったからだ。

 だから、ブラフとして最初に、大洗女子学園に『自分の学校の戦車を貸す』と連絡した。その申し出を大洗女子学園は、戦車道のルールに則り断る。

 それで、増援は来ないと大洗女子学園ひいては文部科学省に思い込ませ、その隙に短期転校の手続きと戦車の持ち込みを戦車道連盟に申請し、今回の短期入学をより隠密なものとする事に成功したのだ。

 

 大洗女子学園の戦車道メンバーも、観客たちも、今回の唐突な22輌の増援を前にして歓喜に満ちていた。試合前の意気消沈とした顔はどこにも無く、希望に満ち溢れている。

 相手チームの隊長・島田愛里寿が増援を承認したことで、大洗女子学園の車輌数が30輌で確定し、改めて試合開始の挨拶が行われる。

 観客席は、大歓声に包まれていた。

 水上も、微笑を浮かべながらパソコンのキーボードを叩き、レポートソフトに文章を打ち込んでいく。

 

戦闘詳細記録

・大洗女子学園 対 大学選抜チーム戦

 日時:8月28日(金)

 会場:北海道大演習場

 天候:晴れ

 温度:23度

 目的:①大洗女子学園の存続を決定するため

    ②高校生と大学生の親睦と交流を深めるため

 車両数:大洗女子学園・・・30輌

     大学選抜チーム・・・30輌

 

 試合開始後、ルールによって10分間の作戦タイムが大洗女子学園に与えられる。そして、その作戦タイムが終わると、大洗女子学園は試合開始地点へと移動する。

 その移動中にアッサムは、チャーチルに持ち込んだ自分のパソコンで電子メールを作成し、水上へと送信する。

 水上は、その電子メールを受け取り、内容を確認する。そこに記されていたのは、今回大洗女子学園側が立てた作戦内容と作戦名、分割された3個中隊の隊長、副隊長、所属する戦車、最後に今回の試合で大洗女子学園チームが使用する無線の周波数だ。

 アッサムから届いたその情報すべてを水上は戦闘詳報に記録していく。だが、作戦名を見て水上は苦笑した。

(『こっつん作戦』って・・・迫力無いな)

 作戦内容は合理性のあるものだったが、作戦名のせいでなんだか弱そうに感じてしまう。大隊長である西住みほが命名したのだろうか?

 この時、作戦会議で作戦名を決める段階で、ダージリンを含む各学校の隊長が好きな食べ物の名前をそのまま作戦名にしようとした、と水上が知ったら割と本気で頭を抱えていたかもしれない。

 それはともかくとして、水上は無線の周波数を再度確認してから、脇に置いておいたクーラーボックスの蓋を開く。その中に入っているのは、冷えた飲み物でも、アイスでもない。

 メーターがいくつも付いており、ダイヤルやスイッチが取り付けられている黒い機械だ。

 試合前に、情報処理学部第6課(通称GI6)に所属するアッサムから貸し与えられたその装置の名前は、通信傍受機。手っ取り早く言ってしまえば、戦車の無線を聞くことができる代物だ。

 本来、無線傍受機は試合中に使う事を禁止されてはいない。ルールブックにも、『通信傍受機を使ってはならない』というルールも無い。だが、相手の無線を聞いて作戦を盗み聞きするというのは、スポーツマンシップに反するということで、使わないことが暗黙のルールになっている。

 なぜ水上が、このような物を持たされているのか。その理由は簡単、水上がこれからの試合内容を全て記録するように言われているから。

 ならば、エキシビションマッチや全国大会のように、普通にパソコンで記録するだけでいいのではないか。そう思い聞いてみたのだが、ダージリンはその問いに対して、今まで見てきた中でも一番真剣な眼差しでこう告げた。

『この試合は、恐らく、日本の戦車道の歴史に残る戦いとなるわ』

 そう言われてしまっては、突っぱねることもできなくて。アッサムから使い方を教わって、今こうして水上の手元に通信傍受機はある。

 だが、たとえ観戦客であろうとも、通信傍受機を使っているなんてことがバレれば大ごとになりかねない。ましてや水上は、今は聖グロリアーナ女学院の1人だ。このことが学校に知られれば、聖グロリアーナ女学院は糾弾されるだろう。

 それを避けるために、クーラーボックスというカモフラージュを使ってまでここへ持ってきて、人目につかない場所に陣取ったのだ。

 ちなみにこの通信傍受機、周波数が判明している無線しか聞くことができない。大学選抜チームの無線の周波数は、当たり前だが大洗女子学園チームは知らない。だから、水上は大学選抜チームの無線を聞くことはできないのだ。

 早速ヘッドフォンを付けて、周波数を合わせる。周波数を近づけると、ノイズに混じって女性の声が聞こえて来て、周波数を一致させるとクリアな音声が聞こえてくる。

 水上は、姿勢を正し、パソコンに手を置いて、これから始まるであろう戦闘を前に気を引き締める。

(みんな・・・・・・必ず、勝ってくれ)

 

10:30 試合開始

大洗女子学園チームは3個中隊同時に北上を開始、たんぽぽ中隊のアンチョビ車(CV33)が偵察として先行。

大学選抜チームは一列横隊でまとまって、試合開始地点より南下を始める。

 

11:02 森林エリア

あさがお中隊が敵と遭遇し、応戦開始。敵戦車は恐らくM26パーシングとM24チャーフィーかと思われる。

 

『3時方向より敵襲!』

 水上の耳に、あさがお中隊の副隊長・西絹代の声が飛び込んでくる。続けて、あさがお中隊長のケイの声が慌ただしく流れ込んでくる。そして、その無線に混じって砲弾が飛び交う音が聞こえてきた。

(始まった!)

 水上は、急いで時計を確認し、キーボードを指で叩く。

 そして続けざまに、聞き慣れたダージリンの声が耳に入ってくる。

『こちらダージリン、敵戦車発見』

 ダージリンが見つけたという事は、今度はたんぽぽ中隊が敵と遭遇したという事。そして、聞こえてくるのは砲弾が着弾する音。

 それを受けてもなお、ダージリンはひるまずにたんぽぽ中隊副隊長として、各車輌に指示を出す。

『向こうはまず、たんぽぽとあさがおを潰しに来た・・・!?』

 みほの困惑したような声が聞こえてくる。それを聞きながら、水上はキーボードに指を走らせる。

 

同時刻 湿地エリア

たんぽぽ中隊が敵と遭遇し、応戦開始。あさがお中隊同様、敵戦車は恐らくM26パーシングとM24チャーフィーかと思われる。

 

 今回の試合で疑問に思った事がある。

 それは試合前に、大学選抜チームの所有する戦車が明かされなかった事だ。

 本来ならば、両チームの所有する戦車は観客には知らされる。だが、今回はそれが無かった。

 だから、水上の今書いている戦闘詳報に書いている敵の戦車も、以前行われた社会人チームとの試合で大学選抜チームが使用した戦車から推測したものである。

 社会人チームと大学選抜チームの試合は、戦車道の世界でも有名な戦いだったので、その試合で使用された大学選抜チームの車輌、M26パーシングとM24チャーフィーが今回の試合にも使われているというのは、大洗女子学園チームのメンバーの多くが予想していた。

 だが、それでもなお、水上には気がかりなことがある。

 水上は、レポートソフトをいったん閉じて、戦車道ニュースのサイトを開き、一つの記事を表示させる。その記事は、昨日更新されたものである。

(・・・・・・これを使ってくるとは思いたくないが・・・)

 そのニュースの内容は、文部科学省及び日本戦車道連盟が、ある車輌を戦車として認可し、戦車道の試合での使用を許可するという内容であった。

 だが、この車輌はそう簡単に入手できるものではない。だから今回の試合で使ってくる可能性は低いが、ゼロではない。

 杞憂に終わる事を、願うほかなかった。

 

11:13 高地エリア

大洗女子学園チームひまわり中隊が高地頂上に到達。

左右に散開してたんぽぽ中隊及びあさがお中隊の援護準備に取り掛かる。

 

11:19 森林エリア

あさがお中隊の池田車(九七式中戦車チハ旧砲塔)が敵戦車の侵攻を阻止しようと前進するも撃破される。

大洗女子学園チーム残り29輌。

 

11:20 森林エリア

同中隊の名倉車(九七式中戦車チハ新砲塔)が敵戦車の侵攻を阻止しようと前進するも撃破される。

大洗女子学園チーム残り28輌。

 

『池田車、不覚にも被弾により行動不能!』

『名倉車、善戦するも撃破されました!』

 知波単学園の撃破された池田と名倉の悲痛な声を聞いて、水上は舌打ちをしながらキーボードを叩く。

 これがフラッグ戦であれば、30輌という大所帯の中でフラッグ車でもない車輌が1輌や2輌やられたところで大きな損害は無いのだが、これは殲滅戦だ。1輌撃破されるごとに敗北が近づいていく。

 敗北へのカウントダウンが始まった事に、水上は悪寒を覚えた。

 

11:27 高地エリア

散開し、砲撃を開始しようとしたあさがお中隊の背後で謎の大爆発が発生。砲撃は中断される。

 

『撃て―――』

 ひまわり中隊副隊長のカチューシャが、砲撃指示を出しかけたところで、それは起きた。

 ドゴゴッ!!!という轟音と共に、巨大な爆発が、ひまわり中隊の背後で起きたのだ。

 観客たちも騒ぎ、『空爆!?』だの『戦艦か!?』だのとわめいている。

 ヘッドフォンからも、困惑した様子の無線がひっきりなしに聞こえてくる。今の大爆発に動揺しているようだ。この爆発で1輌も行動不能にならなかったのは、奇跡に近い。

水上自身も、何が起きたのか分からないままとにかく戦闘詳報を書いていく。

 その数分後。

 ガゴォン!という謎の音がどこかから聞こえてくる。

 それから数秒経ったところで。

 ドゴゴッ!!!という爆発が再び、ひまわり中隊の近くで起きた。だが、今回は無傷とはいかず、爆心地近くにいたパンター2輌が爆発に煽られて斜面を転がり、それぞれ白旗を揚げる。

 

11:31 高地エリア

2度目の謎の大爆発が発生。

爆心地近くにいた赤星車と直下車(両者ともにパンターG型)の2輌が巻き込まれて横転し、行動不能になる。

大洗女子学園チーム残り26輌。

 

「・・・・・・まさか」

 水上の脳に、嫌な予感がよぎる。

 “あれ”を、用意したというのか。

 ひまわり中隊長のまほは、前後を敵に挟まれたことを受けて、高地を捨ててたんぽぽ中隊と合流する事にし、全速力で前方斜面を降り始める。さながら、島津の退き口のようだった。

 そこで、ぽつぽつと雨が降り出して来る。雨具を用意していなかったらしい観客たちは、慌てて売店へと向かって雨合羽やビニール傘などの雨具を買い求める。

 水上は、パソコンのキーボードに手を置いたまま、今なお敵戦車と頭上からの謎の“砲撃”から逃げているひまわり中隊の様子をじっと見つめる。

 最後尾を走っているのは、プラウダ高校からやってきたT-34。乗っているのは恐らくカチューシャと思われる。

 その時、ヘッドフォンに女性2人の言葉が聞こえてくる。だが、それは日本語ではなく、英語でもない。何を言っているのか水上にも全く分からない。

『あなた達、だから日本語で喋りなさいって何度言ったら分かるのよ!』

 カチューシャが、2人の何語か分からない会話を聞いて怒りの声を上げる。カチューシャが注意するという事は、先ほどの会話は恐らくプラウダ高校の生徒のもの。そしてプラウダ高校は、ロシアとの交流がある。つまり、さっきの会話はロシア語か。ロシア語と分かったところで、水上には何を言っているのかさっぱりだったが。

 そこで、最後尾を走るカチューシャのT-34の前を走っていたもう1輌のT-34急停車し、車体を道に対して垂直に向ける。カチューシャの乗るT-34はそれを避けるように通り過ぎて行った。

『カチューシャ様、お先にどうぞ』

 そして、ヘッドフォンから聞こえてきたのは、先ほどロシア語で会話をしていた女性の声。今度は日本語だった。だが、外国人特有の訛りがわずかに感じ取れる。

『それではごきげんよう』

『何、その流暢な日本語!?』

『クラーラは日本語が堪能なんです』

 ロシア語で会話していた、声の低い女性がカチューシャの疑問に答える。その女性の声は、水上も聞いた事があった。プラウダ高校の副隊長・ノンナの声だ。

 しかし、クラーラという女性のT-34は来た道を逆走し、追ってくるパーシングに対して発砲を続ける。

『カチューシャ様、一緒に戦うことができて、光栄でした』

 最期の言葉とも取れるクラーラの言葉。それを聞いてカチューシャがクラーラの名を叫ぶ。

 だが、クラーラは聞かず、ロシア語で何かを叫び、パーシングへと突進する。それをみて、追っていたパーシングはその勢いに怯んだようにわずかに後退する。

 だが、そんなクラーラの思いを踏みにじるかのように、頭上からの謎の砲撃がクラーラ車に直撃し、行動不能になってしまった。

 逃走を続けるひまわり中隊。だが、しつこくパーシングが最後尾のT-34を狙って追撃してくる。

 すると、今度はカチューシャの前を走っていたKV-2が急停車し、道を塞ぐように信地旋回を始める。だが、その途中で履帯に被弾したKV-2は動きを止める。それでも、パーシング目がけて発砲するKV-2。

 それを見ていたであろう、カチューシャのT-34も停車して超信地旋回をしKV-2を助けようとする。

『カチューシャ、逃げてください』

『逃げるなんて隊長じゃないわ!』

『お願いです!』

 KV-2の前を走っていたノンナのIS-2が、カチューシャの危機を察して急ブレーキをかけ、雨で路面が滑りやすいのを生かしてドリフトし180度向きを変える。そして、 おそらくIS-2の出せる最高速度をもってカチューシャの乗るT-34とKV-2がいる地点へと急行する。

 そして、IS-2はT-34を守るように回り込んでその最中に発砲。追撃中のパーシングの1輌に直撃し、擱座させることに成功した。

 だが、その擱座した後ろからもパーシングが何輌も迫ってくる。IS-2は、迫ってきた1輌のパーシングの横っ腹に突撃して動きを止める。そのパーシングはIS-2を黙らせようと機銃を掃射。IS-2の予備燃料タンクが破壊され炎上するが、IS-2は動きを止めない。

『カチューシャ。私がいなくとも、あなたは絶対に・・・・・・勝利します』

 ノンナの言葉の直後、IS-2とその正面にいたパーシングが同時に発砲。どちらも、相対する戦車に命中して白旗が揚がる。

 IS-2に動きを止められていたパーシングは、IS-2が行動不能になったのを確認すると再び前進。止まったままのT-34を狙おうとする。

『カチューシャ何をしている!』

 まほの責めるような声が聞こえてくる。

『カヂューシャ様ぁ!』

『さっさと行くじゃあ!』

 続けて聞こえてくるのは、恐らく今なお発砲を続けているKV-2の搭乗員の声。プラウダ高校は青森県を拠点としているため、生徒も東北弁をしゃべる生徒が多い。今聞こえてきた声も、東北弁なのだろう、訛っていた。

 そして、弾かれたようにカチューシャのT-34は移動を再開し、パーシングの群れの前から姿を消した。

 だが、その引き換えにKV-2は集中砲撃を喰らい、撃破されてしまった。

『九七式中戦車1輌、同新砲塔1輌、パンター2輌、T-341輌、IS-21輌、KV-21輌行動不能』

 雨が降りしきる中、アナウンスが聞こえてくる。それを聞いて水上は、思い出したかのように先ほどまでの戦闘の流れをレポートに入力していく。

 

11:43 高地エリア

逃走するひまわり中隊のカチューシャ車(T-34/85)を逃がすために、同中隊のクラーラ車(T-34/85)が盾となって急停車。逆走してM26パーシングを攻撃するも、頭上からの砲撃を受けて行動不能になる。

大洗女子学園チーム残り25輌。

 

11:47 高地エリア

ひまわり中隊のノンナ車(IS-2)が、カチューシャ車(T-34/85)とニーナ車(KV-2)が交戦中の地点へと転進し、カチューシャ車を守る形で回り込んで発砲。追撃中のM26パーシング1輌を撃破する。

大学選抜チーム残り29輌。

 

11:49 高地エリア

ノンナ車(IS-2)がM26パーシング1輌の動きを止め、その最中にノンナ車ともう1輌のM26パーシングが同時に発砲。お互いに行動不能となり、相討ちになる。

大洗女子学園チーム残り24輌。大学選抜チーム残り28輌。

 

11:50 高地エリア

ひまわり中隊を逃すために敵戦車の進路を妨害する形で停車したニーナ車(KV-2)が、敵戦車の集中攻撃を受けて撃破される。

大洗女子学園チーム残り23輌。

 

 水上は、初めてカチューシャに会って、ダージリンからカチューシャの人となりを教えてもらった時、『こんなちんちくりんが?』と素直に思った。

 さらに、大洗でのエキシビションマッチでのKV-2の事を思い出して、今回の試合では『大丈夫かな』とも思った。

 だが、この高地エリアでの一部始終を見て水上は、カチューシャとKV-2を侮った己の事を恥じた。

 カチューシャとノンナ、クラーラの無線を聞いて、水上は、本当に涙を流しそうになった。

 カチューシャは、皆が身を挺して逃そうとするほど、慕われていた。カチューシャが皆から慕われているという事は、確かだった。

 KV-2は、カチューシャを逃がそうとして、その巨躯を生かして道を塞ぎ、パーシングの大群と必死で戦った。KV-2は、ギガントの名に恥じない十分な役割を果たした。

 プラウダ高校は、信頼・絆の力が強かったことを、この目でしかと見届けた。

 

11:56 湿地エリア

大隊長・西住みほが、ひまわり中隊の角谷車(38(t)改造ヘッツァー)、たんぽぽ中隊の磯辺車(八九式中戦車)、アンチョビ車(CV33)、ミカ車(BT-42突撃砲)で小隊を編成。これを『どんぐり小隊』と命名し、頭上からの謎の砲撃の正体を探るために偵察任務に向かわせる。

 

 ひまわり中隊は高地から脱出したが残りは5輌。

 私は、チャーチルの中で砲撃を続けながら、ひまわり中隊を襲った頭上からの砲撃の正体を考える。

 だが、答えは分かり切っていた。

 あんな規模の爆発を起こせる砲撃が可能な車輌など、“あれ”しか考えられない。

 そこで、あさがお中隊のアリサから通信が入る。

 どうやらアリサも、私と同じ答えにたどり着いたようだ。

「ダージリン。私は“あれ”の位置を計算するため、少し攻撃を中止します」

「分かったわ」

 ダージリンから許可を取り、私は脇に置いてあったノートパソコンを立ち上げ、計算ソフトを開く。

 発射音がした方角と、“あれ”の最大射程を考慮して計算し、“あれ”がいるであろう場所を予測する。

 そして、その予測位置を大隊長である西住みほに伝える。

 あさがお中隊のファイアフライの砲手、ナオミも私同様に“あれ”の位置を計算したらしい。

 大隊長は、ヘッツァー、八九式、CV33、BT-42で小隊を編成し、“あれ”の捜索、可能であれば撃破の指示を出した。

 “あれ”の砲撃は、今や私たちたんぽぽ中隊へと狙いを変えている。

 小さな川を挟んで、たんぽぽ中隊と敵戦車隊は交戦状態にある。CV33が敵をかく乱させようと川のあたりをちょこまかと走っているが、それを狙っているかのように“あれ”の砲撃が降り注がれる。

 やがて、偵察に向かうように指示されると、CV33は移動を開始した。

 そして、入れ替わるようにローズヒップのクルセイダーが先ほどまでのCV33と同じように川のあたりをちょこまかと走り回る。

 私はそれを見て、こんな状況ではあるが、命令を無視して自分勝手な行動をしたことを後で叱ろうと、心の中で決めた。

 

12:09 山岳エリア

どんぐり小隊の偵察により、頭上からの謎の砲撃の正体がカール自走臼砲によるものと判明する。

 

 その車輌がモニターに映し出された瞬間、観客席からは大学選抜チームに向けてブーイングの嵐が巻き起こった。

 その車輌は、普通の戦車よりもはるかに巨大な砲塔を乗せていて、普通の戦車よりもはるかに巨大な砲弾を装填していた。

 その車輌の名は、カール自走臼砲。

 基本スペックがモニターに表示され、それを見てさらに観客たちが怒声を上げる。

 主砲の口径は何と600mm。チャーチルの主砲は75mmだから、その8倍もの大きさだ。さらに言えば、史上最強と言われる戦艦・大和の主砲でさえ46cm(=460mm)であるから、それよりもさらに大きいという事になる。

 水上は、舌打ちをしながら、別ウィンドウで開いてあった戦車道ニュースの記事を開く。その記事のタイトルは、『カール自走臼砲、戦車として戦車道の試合参加が認められる』だ。

 記事をスクロールしていけば、カールが認可された理由、条件が記されている。

 カールは元々、砲塔角度の調整、砲弾の装填、発射を全て車外で人力で行うものである。だから、選手が戦車の外にいる、オープントップの車輌は認められない戦車道では、カールは認可されることは無かった。

 だが、今回カールは、ある条件下で戦車道に参加する事が可能になった。

 その条件とは、本来は人間が車外でやるはずだった作業を自動化し、車外に人間を出さない事、である。

 モニターに映っているカールも、確かに砲塔角度の調整、砲弾の装填がすべて自動化されており、主砲の発射はカールの車体に新たに設けられた砲手席で行われている。

 そして、カールの認可は実験的な物であり、検証結果によっては認可を取り消すともニュースには書かれていた。

 カールがこうして認可されたのは、つい昨日の事である。

 大洗女子学園との試合の直前に認可されたとなれば、文部科学省は、大洗女子学園を潰すためだけに、カールを認可した。その可能性が非常に高い。

 

『カールがいるぞ!護衛にはパーシングが3輌だ!』

 偵察に出ていたどんぐり小隊のアンチョビからの報告を受けて、私は淑女らしからぬことだと分かっていたが舌打ちをする。

 昨日の夜、水上が戦車道ニュースを見ていた際に、私も偶然だがその記事を目にした。

 カール自走臼砲が認可された、というニュースを。

 だが、カールはそう簡単には用意できるような車輌ではない。だから、今回の試合に参加する可能性は限りなく低いだろう、と私は思っていた。

 だが、今現在こうしてカールは試合会場でその猛威を振るっている。

(まさか、文科省が・・・)

 可能性としてはあり得る。カールが認可されたのと大洗女子学園の試合、加えて大学選抜チームのバックには文科省が付いているとなれば、文科省が大洗女子学園を潰すために大学選抜チームに用意したのかもしれない。

(どうして、そこまで廃校させようとするの?)

 私の中に、考えても答えの出ないような疑問が渦巻くが、その疑問は頭の片隅に追いやって、目の前の試合に集中する。

ともあれ、カールがいては、この先の戦闘にも支障が出る。ここを離脱して、廃遊園地で局地戦に持ち込もうとしても、600mm砲は建物ごと戦車を一撃で破壊してくる。

 厄介だが、何とかして倒さなければならないものだ。

 

 厄介だが、何とかして倒さなければならないものだ。

 水上がキーボードを叩く手を止めて、モニターに映されているカールを見る。

 あれがいては、戦闘もままならない。局地戦に持ち込もうとしてもあの600mm砲は脅威だ。

 どうにかして倒さなければ。

 しかし、カールの護衛にはパーシングが3輌。迂闊に手を出す事はできない。

 では、どうすればいい?

 ここで水上が考えていても意味はなかったが、それでも何とかしたいと思った。

 だが、動きがあった。

 カールが陣取っているのは、山岳エリアの干上がった湖の中州。その湖の近くにある熊笹の生い茂る林の中から、継続高校のBT-42が飛び出してきたのだ。

 BT-42は、車体後部から白い煙幕をまき散らしながら崖を飛び越え、カールのいる中州へと着地する。

 護衛についていたパーシング小隊の隊長が唖然とした表情をするが、それをよそにBT-42は着地した直後360度のドリフトをかまし、周囲に煙幕を張る。そして、ドリフトしている最中に、突然の出来事に反応できなかった護衛のパーシング1輌に向けて発砲。撃破に成功した。

 突然の出来事に、水上は驚きを隠せないが、とにかく戦闘詳報に記録していく。

 パーシング小隊長もショックから脱し、中州から逃走したBT-42を残り2輌のパーシングで追撃する。

 これで中州に残ったのはカールのみ。

 それを見計らって、林の中から八九式とヘッツァーが現れる。そして、中州に向けて架かっているが途中で崩落してしまっている、廃線となった鉄道の石のアーチ橋を渡る。

 CV33は?と水上は一瞬思ったが、よく見るとCV33は八九式の車体後部に載っていた。一体何をする気だ?

 2輌の戦車が接近してくるのに先に気づいたのはカールだ。旋回して、600mmという破格の砲塔を迫ってくる八九式+CV33、ヘッツァーに向ける。そして、容赦なく発砲してきた。

 だが、八九式とヘッツァーはひょいっと右によけてそれをやり過ごす。八九式とヘッツァーの操縦手の動体視力は大したものだと水上は心の中で称賛した。

 カールの砲弾は八九式とヘッツァーの後方の橋を破壊し崩落を起こす。その真下を逃走中のBT-42が全速力で通過するが、それを追尾していたパーシングは落下してきた橋の一部に阻まれて急停車。バックして体勢を立て直そうとしたが、さらに落下してきた橋の一部に砲身を押し潰されて行動不能となってしまった。

 これで、護衛のパーシングは残り1輌。だがこのままパーシングも簡単にはやられはしない。BT-42の進路上に無理やり入ってきて、BT-42の左側に体当たりをかます。それを受けたBT-42は横転し、両サイドの履帯が外れてしまう。そして何度も転がり溝へと落ちた。

 最後のパーシングがゆっくりと近づいてくる。

 だが、その直後BT-42は勢いよく溝から脱出して再び逃走。

 履帯無しにも拘らず、BT-42は先ほどよりもさらに速いスピードで逃走を再開。パーシング小隊長を困惑させる。

 水上自身も困惑していた。戦車は履帯が無ければ動けないというのが、素人である水上の認識だ。

 だが、実際にBT-42は履帯無しで走っている。

 そんな戦車もあるのか、と水上は心の中で感心していた。

 一方、アーチ橋の上を走っていた八九式がスピードを上げる。すると、後ろに載っているCV33の重みで、八九式の前部が上向きになる。

 そこで、八九式は急停車。後ろに載っていたCV33は慣性の法則によって前に飛ばされる。投げ飛ばされたCV33は、カールのマズルを狙って機銃を斉射し、破壊しようと試みる。

(そんな事戦車でできるの!?)

 水上は驚きを隠せないが、ほとんど本能でパソコンに文章を打ち込んでいく。

 

12:16 山岳エリア

車体後部にCV33を載せた八九式中戦車が加速し、車体前部が持ち上がる。そして急停車し、車体後部が投石器のように前に上がる。CV33はその勢いで飛翔し、カール自走臼砲のマズルを狙って発砲する。

 

 しかし、CV33の8mm機銃では、マズルはおろかカールの装甲を破壊することもできず、重力に従い上下逆さまに落下してしまった。

 そこへじりじりと迫ってくるカール。砲塔は間違いなく橋の上にいる3輌の戦車に向けられていた。

『作戦失敗だ撤退しろぉ!』

 諦めた様子の声が無線から聞こえてくる。確かに、このままではCV33はもちろん、急停車した八九式も、その後ろで止まっていたヘッツァーもカールの餌食になってしまう。

『チョビ子、履帯を回転させろ!』

 そこに飛び込んできたのは、角谷杏の声だった。

 だが、その指示は転がったCV33の車長・アンチョビは気に食わなかったようだ。

『命令するな!私を誰だと思って―――』

『干し芋パスタを作ってやるからさ~』

 だが、杏のよくわからない料理の名前を出されて、アンチョビの声が輝きを取り戻す。

『パスタ!』

『マジっすか!』

 その直後、CV33の履帯が勢いよく回転し、履帯がピンと張られる。

 どうでもいい事だが、干し芋パスタってどんな味がするんだろう。聞いただけではひどい取り合わせだなと水上はこんな状況でも考えていた。

 だが、モニターの中ではヘッツァーが、CV33の履帯が張られたのを見て前進を開始する。そして、後退を始めていた八九式を避けて速度を上げ、CV33の上を通過しようとする。そこで、回転していたCV33の履帯がカタパルトのような役割を果たして、ヘッツァーを前へと飛ばす。

 飛び出したヘッツァーは、カールとの距離がゼロに近づくまで発射を控えて狙いを定め、やがて発砲する。

 ヘッツァーの砲弾と、装填されていたカールの砲弾が、カールの砲身内で爆発を起こし、砲塔から爆炎が噴き出す。

 そして、撃破された証である白旗が、カールの天井から揚がった。

 それを見て観客たちが、まだ勝っていないにもかかわらず大歓声を上げる。タオルを放り投げたり、腕を突き上げたりして喜びを表していた。

水上も『すげー!』と声を上げる。まさか、あんな方法でカールなどというデカ物を撃破するとは。

 興奮冷めやらぬ中で水上はキーボードを叩く。

 

12:19 山岳エリア

墜落したCV33が履帯を回転させ、後方に控えていた38(t)改造ヘッツァーが前進を開始。38(t)改造ヘッツァーがCV33の上を通過するとカタパルトの要領で前へと飛び、カール自走臼砲へと向かって飛翔する。

38(t)改造ヘッツァーはカール自走臼砲との距離がゼロになる直前で、マズル目がけて発砲。カール自走臼砲の砲身内で両車輌の砲弾が爆発し、カール自走臼砲は行動不能となる。

大学選抜チーム残り25輌。

 

 一方、カールがやられたと知った最後のパーシングは、ここに残る意義を失い本隊への合流を図る。だが、BT-42はそれをしつこく追い続ける。

 そこで、パーシングは急停車してBT-42を追い越させ、その側面に向けて発砲。砲弾はBT-42の左転輪を破壊する。

今度こそ動かなくなるだろうと思ったのだが、何とBT-42は驚異的なバランスと操縦能力をもってして右転輪だけで走行し、パーシングに肉薄する。

 BT-42はパーシングとすれ違う直前で発砲。だが、パーシングの砲手も何とか冷静さを取り戻して発砲。

 BT-42の砲弾はパーシングの車体側面に、パーシングの砲弾はBT-42の右転輪にそれぞれ命中し、両車共に行動不能となってしまった。

 そこで、水上のヘッドフォンに、透き通った女性の声が聞こえてくる。

『皆さんの健闘を祈ります』

 水上は、戦闘詳報を入力する。

 

12:28 山岳エリア

BT-42突撃砲が、本隊への合流を図るM26パーシングを追撃するも、M26パーシングが急停車したことでBT-42突撃砲はこれを追い抜いてしまい、その隙に左転輪に被弾。

しかし、残った右転輪だけでバランスを取って走行を再開し、M26パーシングへと肉薄。発砲してM26パーシングを撃破するが、同時に被弾してしまい右転輪も破壊されて行動不能となる。

大洗女子学園チーム残り22輌。大学選抜チーム残り24輌。

 

 おそらく、この山岳エリアでの戦闘は、水上が今まで見てきた戦車道の試合の中で、最も濃度の高いものになったと思う。

 カールと言う強敵を前にして、BT-42が囮を引き受けてパーシング3輌を相手取り、その隙に八九式、CV33、ヘッツァーでカールを攻略。

 BT-42は履帯無しで走行し、八九式はCV33を放り投げる、墜落したCV33をカタパルトの代わりにしてヘッツァーが飛び上がってカールを撃破、BT-42は片側転輪だけで走行するという、果たして戦車で成し遂げられるのか分からないような所業をやってのけた。

 特に、パーシングを1輌で3輌も撃破した継続高校は、すごいんじゃないかと心の中で思っていた。

 

13:02 廃遊園地エリア

大洗女子学園チームは廃遊園地エリアへと移動を完了。

南正門に西住まほ車(ティーガーⅠ)と逸見車(ティーガーⅡ)、カチューシャ車(T-34/85)を配備。

西裏門に西車と細見車(両者ともに九七式中戦車チハ旧砲塔)、玉田車(九七式中戦車チハ新砲塔)、福田車(九五式軽戦車)を配備。

東通用門にダージリン車(チャーチル歩兵戦車Mk.Ⅶ)、ルクリリ車(マチルダⅡ歩兵戦車Mk.Ⅲ/Ⅳ)、ローズヒップ車(巡航戦車クルセイダーMk.Ⅲ)を配備。

残りの車輌は中央広場にて整備を開始。

 

13:14 廃遊園地・東通用門

東通用門のシャッターを破壊して敵戦車が侵入。T28重戦車と判明。さらに後方から10輌以上のM26パーシングが続き、こちらが主力と判断する。

東通用門に待機していた3輌の戦車が応戦。西裏門に向かっていたサンダース大付属高校の戦車3輌及び南正門で応戦していた大洗女子学園の戦車7輌も東通用門へと応援に向かう。

 

『なんてこった!T28重戦車がいるぞ!』

 アンチョビの通信が聞こえた直後、モニターにT28の映像が映し出され、さらにそのスペックが表示される。観客たちはどよめいた。

 最大装甲305mmと言う数字を見て、水上は驚愕する。

 カールを倒したと思ったら、まだこんな化け物が残っているとは。

 だがショックは後回しだ。みほが無線で西裏門に向かっていたサンダース大付属高校の3輌の戦車と、南正門にいた大洗女子学園の戦車7輌に東通用門へと移動するように指示を出す。

 水上はそれを戦闘詳細に記していく。

 だが、どれだけ戦車が集まっても、T28の前面装甲305mmは撃ち抜く事などできない。何せ、戦艦の砲撃にも耐えられるような厚さなのだから。

 結果として、東通用門に集結した戦車でもT28の侵攻は止められず、敵戦車の侵入を許してしまう形となってしまった。

 T28の後ろからなだれ込むように大量のパーシングが入ってきて、東通用門にいた大洗女子学園チームの戦車は後退を開始する。

 

13:23 廃遊園地・西裏門

細見車(九七式中戦車チハ旧砲塔)が囮となって注意を引き付けている間に、池に潜伏していた福田車(九五式軽戦車)がパーシング1輌の履帯を破壊。西車(九七式中戦車チハ旧砲塔)もまたパーシング1輌の履帯を破壊。

そこで玉田車(九七式中戦車チハ新砲塔)が池から飛び出し、停車中のM26パーシング1輌のターレットリング目がけて発砲、撃破に成功する。

大学選抜チーム、残り20輌。

 

 場面が変わって西裏門。4輌のパーシングが門を破壊して進入。だが、そこにいるはずの知波単学園の戦車4輌の姿が見当たらない。

 4輌のパーシングが注意しながら池に架かる通路を前進すると、先頭を走っていたパーシングの履帯が突如どこかから撃ち抜かれて破損。動きを止める。さらに別方向からも攻撃を受けて、最後尾を走っていたパーシングの履帯も壊される。

 そこで、池から勢いよく姿を現した玉田のチハ新砲塔が動きを止めていたパーシングのターレットリングを狙って発砲、撃破する事に成功する。

 まさか、極端な事を言ってしまえば、突撃するしか能の無い知波単学園がゲリラ戦法を見せてくるとは思わなかった。観客たちも歓声を上げ、水上も驚きに満ちた表情でキーボードを打つ。

 

 ところが、ある変化が起きた。

 東通用門から撤退していた聖グロリアーナ、サンダース、大洗の戦車がT28と大量のパーシングに追い込まれて逃走を開始。それだけなら別に何の変哲もないのだが、まるでどこかに誘導するかのように敵戦車の動きが変則的だ。

 加えて、最後尾を走るダージリンのチャーチルに向けて発砲される攻撃も散発的。ダージリンも無線で『妙だ』と告げていた。

 その間も、ポルシェティーガーとファイアフライがパーシングを2輌撃破するが、素直に喜べない。先ほどと比べるとやけにあっさり撃破されている、と水上は思う。

 と、ここでモニターが遊園地の俯瞰図へと切り替わり、各戦車の動きが表示される。

 それを見て、観客たちが『マズいぞ』『そっちはだめー!』と叫んでいる。

 水上も、この俯瞰図を見て気付く。

 聖グロリアーナ、サンダース、大洗の戦車は、円形のステージに半円形の観客席が配置された、すり鉢状の野外劇場に追い込まれてしまった。しかも、観客席の反対側は遊園地の外壁。

 ステージに追い込まれてしまった3つの高校の戦車。その戦車を取り囲むように、観客席からパーシングとT28がやってくる。

 そこで、知波単学園の戦車が突撃して包囲網を破ろうとするが、まるで後ろに目が付いているかのようにパーシングが横にどく。知波単学園の戦車4輌は止まることができず、他の戦車と同様に中央のステージへと追いやられてしまった。飛んで火にいる夏の虫とはまさにこのことではないか。

 

13:41 廃遊園地・野外劇場

大洗女子学園チームの戦車多数が野外劇場でM26パーシングとT28重戦車に包囲される。

 

 やがて、南正門からやってきた3輌の戦車と、大隊長みほのⅣ号戦車もやってくるが、包囲網は既に完成しており、救出する事は不可能に近い。

 こんなところで一気に十数輌も失ってしまっては、せっかく見えてきた勝機が無くなってしまう。

 水上のパソコンに置いてある手が握りしめられる。

 だが、またも変化が起きた。

 バゴォォォン!!という轟音が、どこかから聞こえてきたのだ。

 試合会場を飛行中のドローンがその音のした方向にカメラを向けると、そこに映し出されていたのは大観覧車。だが、大観覧車は軸を破壊され、大量のゴンドラを付けたフレームがずり落ちていた。

 よく見てみれば、その大観覧車の近くにM3リーが停車している。まさか、あのM3リーが破壊したというのか。

 ずり落ちた観覧車は、丘の傾斜によって転がり始め、野外劇場目がけて転がってくる。

 それを見た大学選抜チームの戦車が退避行動をとったために包囲網に穴が開いた。

『ツァーリタンクか!?』

『パンジャンドラム!?』

『Wow!』

 困惑と驚きの様子の無線が聞こえてくるが、水上はひとまずほっとする。これで、大洗女子学園チームを取り囲んでいた包囲網は崩されたのだから。

 だが、ホッとしたのもつかの間。大観覧車はその大洗女子学園チーム目がけて転がってきたのだから。

 わちゃわちゃと慌てた無線が流れ込んでくる。大洗女子学園チームは観覧車から逃げまどうように劇場内を走り回る。

 そんな中で、ローズヒップのクルセイダーが転がってきた観覧車目がけて機銃と主砲を発砲。それによってそのまま野外劇場を通り過ぎるはずだった観覧車は向きを変えて、再び野外劇場内を転がりまわる。

『あら?変ですわ?』

 間抜けな様子のローズヒップの声が聞こえてくるが、続けて聞こえてくるのは。

『変ですわじゃない!』

『余計なことすんなぁ!!』

 怒った様子の女性2人の声。まあ、当然とも言える。ローズヒップのせいで再び観覧車に追われる羽目になってしまったのだから。

 さらに知波単学園の戦車も機銃を掃射して観覧車を狙う。どうやらあれで観覧車を野外劇場の外へと追いやり、外周に待機しているパーシングを後退させるつもりのようだ。

 そして、仕上げとばかりにファイアフライが観覧車の頂点目がけて発砲。見事直撃し、観覧車は向きを変えて野外劇場の外へと転がり出る。それに続く形で包囲されていた戦車たちが逃走する。

 

13:47 廃遊園地・野外劇場

M3中戦車リーが、野外劇場付近の丘の頂上にある大観覧車の軸を破壊して、大観覧車を転がす。転がってきた大観覧車によって、野外劇場を包囲していたM26パーシングとT28重戦車は退避行動をとり、包囲網に穴が開く。

大洗女子学園チームの発砲によって、大観覧車は向きを変え、包囲していたM26パーシングを後退させ、包囲網は完全に崩壊。

シャーマンファイアフライが観覧車を狙撃して向きを変えて野外劇場の外へと追いやり、包囲されていた大洗女子学園チームの戦車はその後に続き逃走する。

 

 今度こそ、窮地を乗り越えた事で水上は息を吐く。

 周りに座る観客たちも、パチパチと拍手を送っていた。

 その後、大洗女子学園チームはいくつかのグループに分かれて移動を開始。

 CV33は変わらずジェットコースターのレール上でGPS役を継続。

 各学校の戦車が手を組み、チームワークでパーシングを立て続けに撃破していった。昔ながらの街並みを再現したなつかし横丁、ボカージュ迷路、ドイツの超兵器・ラーテを模したアミューズメントエリア、西部劇を彷彿とさせるウェスタンエリアなどで、地形と建造物を最大限に生かした戦いを繰り広げる。

 そして、遂に大学選抜チームの戦車数が9輌と、二桁を切った。

 観客席は、大洗女子学園チームの快進撃を見て歓声を上げる。

 試合前はあんなに絶望的だったのに、今はそれが嘘であるかのように大洗女子学園がリードしている。

 水上も、このまま押し切れば勝てる、と思っていた。

 しかし、またしても変化が起きた。

 これまで戦闘には参加せず、後方で指示を出しているだけであった、大学選抜チームの隊長・島田愛里寿の乗るセンチュリオンが前進を開始し、廃遊園地へと向かい始めたのだ。

 敵の大将が動き出したぞ、と観客の誰かが言う。

 だが、水上はここで、悪寒を覚えた。

 まるで、ここからが本当の戦いだ、と告げられたような。

 

14:22 廃遊園地エリア外

大学選抜チームの隊長車・巡航戦車A41センチュリオンが廃遊園地エリアに向けて移動を開始する。

 

 そのころ、ニュルンベルクの城塞を模したレンガ造りの門では、ダージリンとルクリリの乗るチャーチルとマチルダⅡが、T28と相対していた。

 だが、T28の車幅ではレンガ造りの門を通る事はできないのが見て分かる。現に、T28は門につっかえて止まってしまった。

 それが間抜けに見えて、水上は思わず吹き出してしまう。

 だが、直後T28の履帯付近で小規模な爆発がいくつも起き、外側の履帯がパージする。それを見て、水上はもちろん、ダージリンとルクリリも驚いたように声を上げた。

 T28が再び前進してきたのを見てチャーチルとマチルダⅡは後退を再開。

 なつかし横丁では先ほどまで偽装作戦を取っていた三号突撃砲が撃破されてしまった。

 GPS役でジェットコースター上にいたCV33も大学選抜チームにバレてしまい、チャーフィーに追われることとなる。

 遊園地西側ホテルでは、大洗女子学園の八九式と知波単学園の戦車が、センチュリオンに奇襲を仕掛けていた。丘から急降下して奇襲するが、センチュリオンは戦車ではあり得ないような動きを連発し、奇襲してきた5輌の戦車を無傷で退け、全ての車輌を返り討ちにしてしまった。

わずか1分程度で、一気に5輌もの戦車を行動不能にしたセンチュリオンを目の当たりにして、観客席が困惑に染まり、観客がどよめく。

 水上だって、今見たものは信じられなかった。

 あのセンチュリオンの動きは、人並外れたものだ。山岳エリアでのBT-42もそうだったが、一体、どうやってあんな動きを可能にしているのだろう。

 あのセンチュリオンに乗っているのは、果たして自分と同じ人間なのだろうか。

 

14:33 廃遊園地・西側ホテル付近

進入してきたセンチュリオン目がけて大洗女子学園チームの5輌の戦車が奇襲攻撃を仕掛ける。

だが、センチュリオンは奇襲攻撃を全て避け、驚異的な回避能力と操縦能力、射撃能力をもってして、奇襲を仕掛けた5輌の戦車全てを返り討ちにする。

大洗女子学園チーム残り16輌。

 

 さらに、水上は映された画面を見て『あっ』と声を上げる。

 ニュルンベルクの城塞付近の橋の下で、チャーチルが橋のアーチに車体を半分乗り上げる形で待機しており、橋の上に砲塔を向けていた。

『17ポンド砲さん、準備はどう?』

 聞き慣れたダージリンの声が聞こえてくる。返ってきたのは、城塞付近に待機していたファイアフライの車長であり砲手、ナオミの声だ。

『とっくにできてる』

 その砲身の先には橋をゆっくり渡るT28。

『行くぞ』

『どうぞ』

 ナオミの合図にダージリンが答え、ファイアフライの17ポンド砲が火を噴く。

 だが、狙っていたのはT28ではなく橋そのもの。そして装填されていたのは榴弾。橋の一部が崩落して穴が開くが、T28はそれを気にせず前進する。

 だが、その穴の下にはチャーチルがおり、チャーチルはT28の下部装甲に狙いを定めていた。

 こここそが、アッサムがデータによって弾き出したT28のウィークポイントであり、その装甲の厚さは僅か25mm。

 アッサムが狙いを澄ましてT28下部を攻撃する。

 T28の巨体が一瞬持ち上がって、停車する。そしてその一瞬後、T28の後部エンジンが爆発炎上し、車体から白旗が揚がった。

 観客席からは再び歓声が上がるが、水上はそれどころではない。

 橋の崩落によって、チャーチルの周りにも橋の瓦礫が積もり、チャーチルは身動きが取れなくなってしまっていた。そこへ、チャーフィーとパーシングがやってきて、挟み撃ちにしようとする。

 水上は、思わず顔に手をやる。

『みほさん頑張って』

 そんな水上の耳に流れ込んできたのは、まったく焦ってはいない、いつものように優雅なダージリンの声。

『戦いは、最後の5分間にあるのよ』

 その直後、轟音が炸裂し、ノイズが走り、ダージリンの声が聞こえなくなる。

それはつまり、チャーチルが撃破された事を意味していた。

「くそっ!」

 水上は思わず、右手でベンチを殴る。

 今回、チャーチルはフラッグ車でなければ隊長車でもない。言ってしまえば、大洗女子学園チームを構成する戦車の1つだ。

 だが、この3カ月で水上は随分とチャーチルと、ダージリンたちと向き合ってきた。無論、チャーチルに乗っているアッサムとだって。

 そのチャーチルが撃破されてしまった事が、水上は悔しくて仕方がない。

 しかし、今は記録をするのが最優先だ。

 

14:42 廃遊園地・ニュルンベルクの城塞

T28重戦車がレンガ造りのアーチ橋を通過。ナオミ車(シャーマンファイアフライ)がアーチ橋の一部を榴弾で狙撃し破壊、穴を穿つ。

その穴を通過したT28重戦車の下部装甲を狙い、橋の下からダージリン車(チャーチル歩兵戦車Mk.Ⅶ)が攻撃し、T28重戦車を撃破する。

大学選抜チーム残り8輌。

 

14:43 廃遊園地・ニュルンベルクの城塞

T28を撃破したダージリン車(チャーチル歩兵戦車Mk.Ⅶ)だが、崩落した橋の瓦礫に阻まれて脱出できず、挟み込んできたM26パーシングとM24チャーフィーの攻撃を受け、撃破される。

大洗女子学園チーム残り15輌。

 

 戦いも佳境。

 ジェットコースター上で逃げていたCV33がチャーフィーに挟まれて、これまでかと思ったところで横合いからの砲撃でチャーフィーが2輌とも撃破された。その砲撃をしたのは大洗女子学園のM3リー。

 水上は、先ほどの観覧車による包囲網破壊の時と言い、今の援護射撃と言い、随分成長したと心の中で感じていた。

 何しろ、全国大会前の大洗と聖グロリアーナの練習試合では、M3リーの搭乗員は試合中にもかかわらず戦車を放り出して逃げたのだから。

 そのM3リーが、こうして仲間の危機を何度も救っている。それが単純に、すごいと思った。

 だが、そのM3リーも後ろからセンチュリオンの砲撃を受けて撃破されてしまった。

 西洋風の街並みが広がるエリアでは、大学選抜チームのパーシング3輌が、サンダース大付属高校の3輌のシャーマンと交戦。だが、パーシングは華麗なドリフトさばきと連携攻撃でシャーマン3輌の攻撃を全て避け、逆に全てを撃破してしまった。

 聞くところによれば、あのパーシング3輌に乗っているのは、大学選抜チームはもちろん戦車道界隈でも有名なバミューダトリオと呼ばれている選手だという。その3人の生み出す連携攻撃は強力で、社会人チームの多数の戦車もあれにやられてしまったと戦車道新聞には載っていた。

 さらに、エジプト風遺跡付近ではヘッツァーとチヌがセンチュリオンにやられてしまう。

 そして、ポルシェティーガー、T-34、ティーガーⅡと合流したルクリリのマチルダⅡも、万里の長城を模した建造物の前で、バミューダトリオの一角に撃破された。

『あ、くそぉっ!』

 その時、水上のヘッドフォンにお嬢様らしからぬルクリリの罵詈雑言が聞こえてくる。

 お嬢様としてそれはどうなんだよ、と水上は思わなくもなかったが、ルクリリはそういう言葉遣いをすることが多々あると聞いたので、黙っておく。

 カメラが切り替わり、江戸を模したエリアが映し出される。そこでは、堀を挟んでローズヒップのクルセイダーとチャーフィーが走りながらの撃ち合いを繰り広げていた。

『リミッター外しちゃいますわよぉ!!』

 興奮した様子のローズヒップの声が無線に飛び込んでくる。

 そして、調速機を外したらしきクルセイダーのモーター音が聞こえてくる。

 そして、堀を飛び越えてチャーフィーの前に飛来するクルセイダー。チャーフィーはあっけにとられたように何もすることができず、クルセイダーの砲撃を受けて撃破される。だが、クルセイダーも無事では済まず、壁に激突して横転、白旗が揚がった。

 

14:51 廃遊園地・江戸ランド

堀を挟んでチャーフィーと交戦していたローズヒップ車(巡航戦車クルセイダーMk.Ⅲ)が調速機を外し急加速。堀を飛び越えてチャーフィーの前に飛び出して砲撃。チャーフィーの撃破に成功するも、自身も壁に衝突して横転、行動不能となる。

大洗女子学園チーム残り7輌。大学選抜チーム残り5輌。

 

 釣り堀付近では、ジェットコースターのレールから降りたCV33と、大洗女子学園のルノーB1が前後でパーシングを挟み撃ちにし、パーシングの撃破に成功する。

 だが、その直後にセンチュリオンからの攻撃を受けて、CV33とルノーB1は撃破されてしまった。

 そして、水上は今気づく。

 このセンチュリオン、戦闘に参加してから1発も被弾していない上に、1発も弾を外していない。

 なるほど、あれに乗っている島田愛里寿が天才と謳われるのもうなずける。だが、何よりセンチュリオンの搭乗員もすごいと水上は思った。

 こんな相手に、勝つことができるのだろうか、と水上は今更ながら心の中で不安が募っていた。

 さらに画面が切り替わって、コンコルド広場。

 ポルシェティーガー、T-34、ティーガーⅡがバミューダトリオのパーシングの撃破を狙っていた。

 ポルシェティーガーが通常ではありえないような加速力でパーシングに接近するも、モーターが焼損して行動不能に。だが、その後ろからスリップストリームでついてきたT-34とティーガーⅡが連携して、バミューダトリオで一番後ろにいたパーシングの1輌を撃破。だが、残ったパーシング2輌にT-34とティーガーⅡが撃破され、沈黙。2輌のパーシングは中央広場へと向かって行った。

 これで、大学選抜チームの残りはセンチュリオンと2輌のパーシングの計3輌。大洗女子学園の残りは、Ⅳ号戦車とティーガーⅠの2輌。奇しくも、全国大会決勝戦で戦った西住みほと西住まほの姉妹が残ることとなった。

 そして、その合計5輌の戦車で、中央広場で最後の決戦とも言える戦いが始まる。

 最初にティーガーⅠが1輌のパーシングの動きを止めて、Ⅳ号戦車が上から砲撃。1輌を撃破。

 続けてⅣ号戦車はセンチュリオンの相手をし、ティーガーⅠは最後のパーシングを撃破しようとする。

 中央広場にあった遊具を利用してパーシングの動きを止め、その隙にティーガーⅠが撃破する。

 これで、大洗女子学園の残りは2輌。大学選抜チームの残りは1輌。

 観客席にいる誰もが、声も上げず、呼吸すら控え、目の前で繰り広げられている戦いを、固唾をのんで見守っていた。

 水上も、パソコンに手を乗せたまま、モニターをじっと見つめる。

 今もなお、モニターの中では戦いが続いており、両チームの戦車は激しい撃ち合いを見せている。

 島田愛里寿のセンチュリオンは、中央広場の遊具を破壊し、さらには利用して、大洗女子学園の戦車を徹底的に追い詰める。逃げ場など、逃げる隙など与えないかのように。

 Ⅳ号戦車の装甲板―――シュルツェンが剥がされる度に心臓が止まりそうになる。

 だが、センチュリオンがメリーゴーランドを突き破ってⅣ号戦車の前に現れて激突し、Ⅳ号戦車がスピン。その晒された無防備な後部装甲向けてセンチュリオンが砲塔を向ける。

 目が見開かれる。

 水上が頭を抱える。

 観客たちが前のめりにモニターを見る。

 これまでか。

 ところが、Ⅳ号戦車とセンチュリオンの間に割って入るように、クマの遊具が横切る。

 それでセンチュリオンの動きが一瞬遅れ、その隙にⅣ号戦車は前進してセンチュリオンの射線から辛うじて逃げ出す。

 そして、富士山を模した展望台にⅣ号戦車とティーガーⅠが登り、Ⅳ号戦車の後ろにティーガーⅠがついて、展望台の階段を下りる。

 センチュリオンはその正面にある広場入り口で、静かに砲塔を、向かってくる2輌の戦車に向ける。

 Ⅳ号戦車とティーガーⅠが1列に並んでセンチュリオンへと迫る。

 だが、そこでティーガーⅠが思いもよらない行動に出たのだ。

 なんと、後ろからⅣ号戦車を撃ったのだ。

「えっ!?」

 水上が声を上げる。

 だが、Ⅳ号戦車は行動不能にはならず急加速。どうやら、ティーガーⅠが撃ったのは空砲のようだ。

 空砲の勢いで一気にセンチュリオンとの距離を詰めるⅣ号戦車。これには流石の島田愛里寿も度肝を抜かれたようだが、一瞬遅れてⅣ号戦車を撃つ。

 Ⅳ号戦車は右転輪と履帯を破壊されるが、それでも空砲による加速は止まらず、センチュリオンに正面から激突。

 ゼロ距離で砲撃するⅣ号戦車。

 センチュリオンは後ろに飛ばされ、黒煙を上げながら停車する。Ⅳ号戦車もまた、やっと速度が収まって停車する。

 そして、両車輌が停止した瞬間、白旗が揚がった。

『センチュリオン、Ⅳ号、走行不能!』

 アナウンスの声が響く。

 

15:02 廃遊園地・中央広場

巡航戦車A41センチュリオンに向けてⅣ号戦車H型(D型改)とティーガーⅠが前進。ティーガーIが後方からⅣ号戦車H型(D型改)を空砲で撃ち、Ⅳ号戦車H型(D型改)は急加速。巡航戦車A41センチュリオンへと肉薄するも、右転輪と履帯を破壊される。だが、急加速の勢いのまま巡航戦車A41センチュリオンに激突して砲撃。

両車輌ともに行動不能となる。

大洗女子学園チーム残り1輌。大学選抜チーム残り0輌。

 

15:03

大学選抜チーム全車輌走行不能により

 

『残存車輌確認中』

 試合会場の上空を飛ぶ観測機『銀河』に乗る審判が、記録された白旗のデータと、実際に撃破された車輌の確認をする。

『目視確認終了』

 モニターに、両チームの30輌の戦車のリストが表示される。上から順番に×印がついていき、中央に表示されているチームの車輌数が減っていく。

『大学選抜、残存車輌無し。大洗女子学園、残存車輌1!』

 そして、右側の大学選抜チーム側の戦車の欄全てに×印がつき、左側の大洗女子学園チーム側の戦車の欄は、ティーガーⅠを除いて全てに×がついた。

 それが意味する事は、すなわち。

 

『大洗女子学園の勝利!!』

 

 審判長が告げた瞬間、爆発を起こしたような歓声が観客席から湧き上がる。誰もが手を叩き、ガッツポーズを取り、涙を流した。中には、隣にいた者同士で抱き合ったり、ハイタッチを交わしたり、嬉しさの余りタップダンスを踊っているおばあさんもいた。

「やった――――――ッ!!!」

 水上も思わず立ち上がって、両腕を挙げて、声を上げて、喜びを露わにする。膝の上に載せていたパソコンがずり落ちてしまったが、そんな事はどうでもいいくらいに、水上は喜んでいた。

 こんなに声を上げたのは、いつぶりだろう。最後にこんな風に素直に喜びの感情を表に出したのは、いつだっただろう。

 観客席の歓声は収まる事を知らず、大洗女子学園チームのメンバーが観客席の前に戻ってくるまで続いた。

 やがて、ティーガーⅠに牽引されたⅣ号戦車が到着し、乗員が戦車から降りる。

 大隊長の西住みほが降りたところで、角谷杏がよほどうれしいのだろうみほに飛びつく。

 そこへ、ダージリンや西、ケイなどの各校の隊長が満面の笑みで勝利を称え、みほたちの下へと集まる。

 みほたち大洗女子学園の生徒がお辞儀をしたところで、人波をかき分けるかのように、クマの遊具に乗って大学選抜チームの隊長・島田愛里寿が近づいてきた。

 みほの下へやってくると遊具から降り、ポケットから何かを取り出して何かを言いながらみほに差し出す。

 みほは、同じように言葉を返して、それを受け取る。愛里寿はそれがは恥ずかしいのか、頬を赤くして目線を逸らした。

「次からは蟠りの無い試合をさせていただきたいですわね」

「まったく」

 そこで、水上のすぐ近く、関係者席に座っていた2人の女性が言葉を交わして席を立った。

 水上の後ろを通り過ぎたところで、黒いスーツの女性がチラッと水上の方を見る。具体的には、水上の足元に置かれてあったクーラーボックスの中にある、通信傍受機を。

 それに気づかず、水上は興奮冷めやらぬ中で戦闘詳報を書き続ける。

 その様子を見ていた黒いスーツの女性―――しほは、ふっと笑うとその場を後にした。

 

 閉会式が終わり、記念撮影が行われたところで、大洗女子学園チームの選手たちが会場を後にする。

 だが、その近くで待っている人を見て、みほは足を止める。

「あれっ、水上さん?」

 先頭を歩くみほが足を止めた事で、後ろに続いていた生徒たちも立ち止まる。今この場にいる大洗女子学園チームの中で水上と認識があるのは、聖グロリアーナの生徒と、大洗女子学園のあんこうチームのメンバーと、潮騒の湯で挨拶をした角谷杏、さらにエキシビションマッチ前の会談で顔合わせをしたカチューシャとノンナだけだ。それ以外の人物は『誰?』と言った具合に頭に疑問符を浮かべていた。

「おめでとうございます、西住様」

「あ、ありがとうございます・・・。でも、どうしてここに?」

 水上がお祝いの言葉を告げるとみほはぎこちなくお辞儀をする。しかし、それでも水上がどうしてここにいるのかが分からないようだ。

 そこで、ダージリンが歩み出て、水上の事を知らない人物に対して紹介をする。

「聖グロリアーナに給仕として短期入学している水上よ」

「初めまして。以後、お見知りおきを」

 紹介されて水上はお辞儀をする。続けてダージリンが説明を続ける。

「水上には、今日の試合内容すべてを記録するように、頼んであったの」

「足元のそれは?」

 みほの隣に立つ優花里が、水上の足元に置いてあるクーラーボックスを指差す。水上はしゃがんでそのクーラーボックスの蓋を開ける。

「通信傍受機です。皆さんの無線内容を聞いたうえで、記録させていただきました。ダージリン様から貸し与えられたものです」

 通信傍受機、という単語を聞いて、列の真ん中あたりに立っていた1人の少女がしゃがみ込んでしまう。

 水上には見えなかったが、その人物はサンダース大付属高校のアリサ。

 アリサは全国大会で大洗女子学園の通信を傍受したことをケイから責められた事もあり、通信傍受機にはあまりいい思い出が無かった。

 加えて、今回の試合中に、大洗女子学園のM3リーの搭乗員からタカシの事について無線で言及されたのもあったので、あの時の会話が全部聞かれたのか、と落胆しているのだ。

 隣に立つナオミは、アリサの頭をポンポンと撫でる。

「それと」

 ダージリンが水上の横に立って、肩に手を乗せる。

「大洗女子学園を救いたいと言い出したのは、水上なのよ」

 その言葉を聞いて、大洗女子学園の生徒はおろか、その場にいたほとんどの生徒が『えっ!?』と驚きの声を上げて、表情を驚愕に染める。

 驚いたのは水上もそうであって、何を言っているんだこいつは、と心の中で叫ぶ。

「水上、言っていたわよね?大洗女子学園を助けたい、って」

「・・・・・・はい」

 確かに、水上はそう言った。嘘ではないし、これだけ衆人環視の中で『言ってません』と言うのは薄情だと思ったからである。

 だが、せめてもの抵抗とダージリンに言い訳する。

「ですが、私はあくまでそう言っただけであって、実際に行動を起こしたのはダージリン様です」

「・・・・・・」

 言い返されてダージリンも黙ってしまう。

 だが、ダージリンが計画の発起人であるという事は、今回協力を承諾した各校の隊長たちは知っていたので別に驚きはしない。

 むしろ隊長たちが驚いているのは、男である水上が『助けたい』と言い出した事だ。

 みほは、たまらず水上に問いかける。

「水上さん」

「は、はい」

「・・・・・・どうして、助けたいと思ったんですか?」

 みほが不安そうな表情で顔を俯かせて尋ねる。

「どうして、と言われましても・・・」

「・・・水上さんは聖グロリアーナの人で、大洗の人じゃありません。戦車道に深く携わっているというわけでもないのに、どうして・・・私たちの学校を助けたい、何て言ったんですか?」

 水上は、考える。

 あの時、大洗女子学園が再び廃校になってしまうと知った時、水上の中に生まれた感情を、全部白状してしまうべきか。

 みほは、今なお真剣な眼差しで水上の事を見つめている。後ろに控える何十人という生徒たちも、水上の言葉を待っていた。

 水上は観念して、全てを話す事にする。

「・・・・・・大洗女子学園が廃校になると知った時、私は激しく憤りました。大洗女子学園の皆さんが、必死の思いでつかみ取った優勝、そして約束されていたはずの廃校撤回。その思いが全て、踏みにじられたと聞いた時、私は、とても腹立たしく思いました」

 水上が言葉を切る。

「・・・・・・皆さんは、自らの力で自分たちの居場所を守った。それなのに、皆さんの積み上げてきた努力と思いが無駄になってしまうのを、黙って見過ごせなかったからです」

 みほが、目を見開く。

「ですから私は、無理だと分かっていてもダージリン様に『何とかならないか』と聞きました。そして、『大洗女子学園を助けたい』、と言ったのです」

 水上の言葉を聞いて、沙織が『やだ、イケメン・・・』と言って胸に手をやる。サンダース大付属高校のケイも、『ナイスガイね!気に入ったわ!』なんて言ってきたので、水上は恥ずかしくなる。

 肝心のみほは、瞳に涙を浮かばせて、水上にお辞儀をした。

「・・・・・・ありがとう、ございます!」

 そこで、みほの傍にいた、黒いパンツァージャケットを着た西住まほが、水上の前に立つ。

「黒森峰女学園隊長の西住まほだ」

「存じ上げております、まほ様」

 水上は平静を装って挨拶をするが、内心では緊張していた。

 戦車喫茶・ルクレールですれ違った時もそうだが、まほの漂わせる風格、大の大人も怯みそうな瞳、鋭い口調は、同じ高校3年生のそれではないと、水上は思った。

「さっきの言葉は本当なのか?」

「・・・はい?」

「君が『大洗女子学園を助けたい』と言ったのは、本当なのかと聞いている」

 まほが聞いてくる。その瞳はどんな嘘も見逃さないというように鋭かった。

「・・・はい」

 水上が、恐る恐る答えると、まほはふっと表情を柔らかくし、右手を差し出す。

「私からも、お礼を言わせてほしい。ありがとう」

 水上は、差し出された右手を見て少し戸惑う。

「そんな、私はただきっかけを作ったにすぎません」

「それでも、君が言わなければ、恐らくこうはならなかった」

 まほに強く言われて、水上は大人しく差し出されたその手を握る。

 しばしの間握手を交わし、手を解くと、次に知波単学園の西が歩み出る。

「私からも、お礼を言わせてください!ありがとうございます!」

 西が手を差し出し、水上は西とも握手を交わす。

「アンツィオ高校の総帥(ドゥーチェ)アンチョビだ。よろしく」

 アンチョビもまた同じように手を差し出してきたので、水上も握手をする。

 そこでアンチョビが顔を近づけて来て、頬ずりをしてくる。どうやら、イタリア風の挨拶らしいが、結構ドキドキする。

「サンダースのケイよ!よろしく!」

 先ほど自分の事をナイスガイと言ってくれたケイが近づいてきて、握手を求める。水上はそれに応じ、握手を交わす。

 それだけならよかったのだが、何とケイは頬にキスまでしてきた。

(!?)

 そして手を挙げて水上の前から去る。その後、アリサが『男性に対してまでああいうことを平然とするのは大したものというか天然というか・・・』とぼやいていたが、水上の耳には届かない。

 何より、傍にいるアッサムの視線がものすごく痛い。というか、他の皆からの視線も突き刺さってきたので胃に穴が開きそうだった。

 そしてカチューシャが歩み出てくる。

「一応私からも、お礼をさせてもらうわよ!」

 相変わらずの物言いだな、と思いながら水上はカチューシャと握手を交わす。

 そこで、水上はあの時―――高地エリアでのプラウダ高校の戦闘の様子を思い出した。

「カチューシャ様」

「何?」

 水上は、カチューシャの目を見てから、続いてその脇に立っているノンナとクラーラ、そして後ろに立つニーナを見てこう言った。

「カチューシャ様は、とても素晴らしい仲間に恵まれているのですね」

 その言葉に、カチューシャはハッとしたような表情になるが、やがて満面の笑みを浮かべて、大きく頷いた。

 ここで水上は、継続高校のメンバーがいない事に気付いたが、ダージリンは『あの人たちは、いつの間にか、風のように去ってしまうのよ』とだけ告げた。

 

 やがて、それぞれの学校の生徒たちは、それぞれの方法で自分たちの学校へと帰ることになった。

 サンダース大付属高校は、新千歳空港に駐機しているC5Mスーパーギャラクシーで。

 黒森峰女学園は、演習場外に留めてある飛行船で。

 知波単学園は、苫小牧駅から鉄道で。

 アンツィオ高校は、トラックで。そのことには誰もが驚いたようで、フェリーで帰る大洗女子学園や、学園艦で来た聖グロリアーナが同乗を申し出たが、アンチョビはそれを断る。どうやら、帰りながら各地で名物を食べたり食材を集めたりしたいらしい。

 プラウダ高校は、苫小牧港から揚陸艦で。

 大洗女子学園も、苫小牧港からフェリー『さんふらわあ ふらの』で。

 そして、聖グロリアーナ女学院もまた、苫小牧港から学園艦で。

 苫小牧港へ向かっている最中に、今回試合に参加せず学園艦で待っていたニルギリから、『皆でお茶会を開こう』と連絡が来たが、プラウダ高校は停泊できる時間が限られている、と言って断り、大洗女子学園もフェリーの時間に間に合わないと言ってこれを断る。

 残念だ、と水上は心の中で思った。

 苫小牧港で皆と別れ、学園艦に戻る水上たち。

 そして出港する際、大洗女子学園の生徒たちは手を振って聖グロリアーナを見送ってくれた。

 水上も、手を振り返す。ダージリンたちも、小さく手を振って応えて苫小牧港を後にした。

 その後、甲板上で聖グロリアーナのメンバーだけでお茶会が開かれた。ダージリンが何か講釈を垂れているが、真剣に聞いているのはオレンジペコだけ。アッサムは呆れたような表情をしているし、ローズヒップはキョトンとした表情。ルクリリに至っては疲れているのか、立ったままこくりこくりと舟をこいでいた。

 水上はそれぞれの反応を見て、小さく笑みを浮かべた。

 

 その日の夜、水上とアッサムは、戦いの前日と同じように、学園艦側部公園に来ていた。

 別に示し合わせたわけでもないのだが、2人は偶然にも公園で遭遇し、ベンチに隣り合わせで座って、遠く離れていく北海道の陸地を見つめていた。

「・・・すごい戦いだったな」

「・・・そうね」

 水上が、今日の戦いの事を思い出して、一言で総括する。アッサムは、不愛想な声で答える。

「・・・みんな、頑張ったよ。アッサムやダージリンはもちろん、大洗も、黒森峰も、サンダースも、プラウダも、アンツィオも、継続も、知波単も」

「・・・ありがとう」

「これで、大洗女子学園は救われた。廃校は無くなったんだ。それが、すごく嬉しいよ」

 だがなお、アッサムの表情はさえない。声も少し不機嫌だ。

 流石に気になったので、水上も聞いてみる。

「・・・どうかしたの?」

「・・・・・・はぁ」

 アッサムは、小さくため息をつきやがて自分が不機嫌な理由を告げる。

「・・・・・・・・・さっき、ケイ隊長にキスされてたのが、何だか、こう・・・」

 嫉妬か。水上は気付く。

 同時に、嫉妬されているくらい自分は愛されているのだと思うと、愛おしさが込み上げてくる。

「・・・サンダースは、アメリカ気質の生徒が多いって話だから。ケイさんも、ああいう事をしたんだと思うよ」

 言い訳じみた事を水上が言うが、それでもアッサムはムスッとしたままだ。

 困ったように頬を掻く水上。そこで、ある行動に出る事にする。

「アッサム」

 アッサムの名を呼び、アッサムがこちらを向いた瞬間。

 水上は少々強引に、自分の唇をアッサムの唇に重ねる。

 アッサムは、少し驚いた様子だったが、やがて瞳を閉じて水上のキスを受け入れる。

 少しの間、唇を重ね合わせた後、水上は唇を離す。

「・・・・・・これで、許してくれるかな」

 水上が、微笑を浮かべながら聞く。

 だが、アッサムは物欲しそうな目で水上の事を見つめていた。

「・・・・・・もっと」

「え?」

 意外なアッサムの言葉に、水上もさすがに困惑する。

 そんな水上をよそに、アッサムは水上の唇を奪う。

 それも、ただのキスではなかった。

 アッサムが、水上の口の中に、自らの舌を入れてきたのだ。

 突然のアッサムの行動に驚きを隠せない水上。

 だが、水上もやられっぱなしというのは性に合わない。アッサムの舌に絡めるように、水上も自身の舌を動かす。そして今度は、アッサムの口の中に自分の舌を入れる。

 どれくらいの間、お互いに舌を絡めるキスをしただろう。

 どちらからともなく唇を離す。呼吸が荒い。あんなに激しいキスをしたのは初めてだ。

「・・・・・・どうして」

 突然のアッサムの大胆な行動に、水上は息を荒くしながら聞く。

「だって・・・」

 アッサムは、瞳に涙を浮かべていた。

「もう、あと3日で・・・水上は、いなくなっちゃうんだから・・・・・・」

 そうだ。

 今回の戦いですっかり忘れてしまったが、あと3日で水上は聖グロリアーナからいなくなってしまう。

 水上もまた、それを思い出した。

「・・・・・・そう、だった」

 水上もまた、アッサムと別れる日が近づいてきたことを改めて認識する。

 あと、3日。

 だが、明日は戦車道の練習。明後日は水上は校長に呼ばれており、明々後日にはここを去ってしまう。

 本当に、もう時間が残されてはいなかった。

「・・・・・・・・・・・・」

 水上は、顔を俯かせる。

 せめてもの思い出作りに、アッサムはさっきのような大胆な行動に出たのだろう。

「・・・・・・」

 アッサムは、水上の顔を見つめたままだ。

 水上は。

「・・・・・・ありがとう、アッサム」

 そう言って、再びアッサムと唇を重ね合わせた。

 

 その翌日、大洗女子学園の西住みほから、『学園艦が戻ってきた』と言う連絡が、お礼の言葉と共に聖グロリアーナにやってきた。

 同日、水上の書いた戦闘詳報は、今回試合に参加した継続高校を除くすべて高校に配布されることとなり、水上の名は、その学校全てに知れ渡る事になった。

 一気に有名人になったわね、とダージリンが茶化すように言うが、あまり目立つのが好きではない水上は、あいまいな笑みを浮かべるほかなかった。




恋愛要素がほとんど皆無な恋愛小説とは一体。
今回の話を書き終えて、筆者は大いに反省も後悔もしています。

感想・ご指摘等があればお気軽にどうぞ。


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そして、あなたと

前回ほどではありませんが、今回も少し長いです。
ご注意ください。


 8月30日。

 聖グロリアーナを去るのは翌日31日の朝であるから、今日が水上が聖グロリアーナで過ごす最後の日となる。

 本当なら、水上は最後の日ぐらいは恋仲であるアッサムと一緒に過ごしていたかったが、現実はそうもいかない。水上は、聖グロリアーナ女学院の校長室に呼び出され、現在応接スペースで校長と向かい合って座っていた。

 思い返してみれば、校長と言葉を交わしたり、向き合ったりしたのは、水上が聖グロリアーナに初めて来た日以来となる。こうして、校長室にいるのだってそうだ。

 そんな事はよそに、水上と校長の話はスタートした。

 初めに言葉を発したのは、当然ともいえるが、呼び出した校長の方だ。

「この度は、3カ月もの間、お疲れ様でした」

「いえ、自分も色々と学ぶことができて、とても楽しかったです」

 水上の言葉は本心からきたものだ。

 本当、ここにきて色々と学ぶことがあった。戦車道の、そして『紅茶の園』の給仕として、美味しい紅茶の淹れ方、物資・スケジュールの管理、戦車道のルール、さらに実際に戦車に乗っている人の気持ちなど、どれも実際に経験しなければ本当の血肉として学ぶことができない事ばかりだ。

 水上が、ここで過ごした3カ月の出来事は、一生忘れられないものとなるだろう。

 給仕の事も、戦車道の事も、そして、何よりアッサムとのことも。

「表情が、前と比べると変わったように見えます」

「はい?」

 校長から言われて、水上は自分の顔に手をやる。校長は僅かに笑いながら続ける。

「最初にここに来たときは、おっかなびっくり、何をやらせるにしても不安そうな表情をしていたわ」

「そう、でしたか・・・」

 校長に指摘されるが、自分ではあまり気付かない。人から見ればそんな表情をしていたのか。

「でも、今は違う。自分の行動に自信を持っていて、責任感があり、何にも怯まない、強い意志を持っていると言えるわ」

「・・・・・・ありがとうございます」

 素直に褒められて、水上は頭を下げる。

「あなたの評判は、私も聞きました」

 評判、と聞いて水上はピクッと肩を揺らす。もしや、自分のあずかり知らぬ場所で、悪い噂でも流れているのだろうか。

 だが、それは取り越し苦労だったらしく、校長は優しい笑みを浮かべたまま続ける。

「アフターヌーンティーの時間は、あなたの淹れた紅茶はとても美味しいと、クラス中・・・いいえ、学校中で話題になった」

 それについては水上も聞き覚えがある。ルフナが自分の目の前で褒めてくれたのもあるし、ダージリンがその噂を教えてくれた。

 さらに水上の紅茶は、教師も称賛してくれた。おそらく、それも学校中で話題となる原因の一端だろう。

「スケジュールの管理も、資材・物資の調達も滞りなく行ってくれました」

「あれは・・・ルクリリさんが丁寧に教えてくれたからであって」

「それでも、あなたは1人でそれをこなして見せた」

 水上が謙遜するが、校長はそれを否定し、水上1人の力によるものと、校長は評価する。

「戦車道の授業では審判を務め、時には砲手、また車長としてダージリンの相手もした」

 最初に審判をやれと言われた時は、素人の自分なんかができるのか、何て思ったが、やってみると意外と楽しくはあった。戦況を俯瞰的に見ながら試合を見学し、チームがどのような作戦で戦うのかは見ていてドキドキした。後になれば、水上は審判を難なくこなすようになっていた。

 だが、砲手、車長として実際に試合をした時は、流石に男の自分が戦車に乗るのはどうなんだと思ったし、今でも少しはそう考えている。

 だが、あの時の経験は忘れられない。戦車の中の空気、振動、砲撃の音、砲撃された時の衝撃。それら全ては水上の中に貴重な経験として蓄積されている。

「給仕としての仕事も、2日目からはそつなくこなして見せた」

「・・・皆さんが教えてくれたおかげです。自分は・・・」

「・・・そうやって謙遜する姿勢も、高く評価できるわ」

 面と向かって校長から言われて、水上は恥ずかしくなる。

「そして、公式試合、それとこの前の大洗へ“転校”した時の試合でも、記録係として立派に職務を果たしてくれた」

 水上の記録した戦闘詳報は、正式なものとして学校に保管されている。

 そして、一昨日の北海道での戦いの記録も、学校に保管されている。いや、あの戦いの記録に限っては、あの時大洗女子学園及びそこに転入した継続高校を除くすべての学校が把握していた。

「サンダースやプラウダ、知波単も、あなたの書いた記録を高く評価していたわね」

「・・・ありがとうございます」

 その話は、水上には届いていない。いずれ、ダージリンから伝えられるのかもしれないが。

「水上さん」

「はい」

 校長が改めて自分の名前を呼んだのを聞き、水上は姿勢を整える。

「あなたは、給仕として、立派に仕事をしてくれました。それこそ、私たちの期待以上の働きぶりを、あなたは見せてくれました」

「・・・・・・・・・・・・」

 真摯な眼差しで告げられて、水上は何も言えない。

 自分の行いが、認められた。

 人に尽くしたいという思いで、自分がしてきた事は、間違いではなかった。認めてもらえた。

 それが、どうしようもなく嬉しかった。

「・・・それで、最初に提示した採用条件の事を、覚えているかしら?」

「はい?」

 ここで校長が話の流れを変えた事に、水上は拍子抜けする。

「私たちが優秀と認めた場合は、特別な措置を施す、って」

「・・・・・・あ」

 そうだ、水上はそのことを今の今まで割と本気で忘れていた。

 それを最初に潮騒高校の進路指導の先生に聞いた時、水上は特別な措置とは何かと聞いたが、それは3カ月後に伝えられると言われたので、深くは考えていなかった。

 そしてあの時水上は、あの聖グロリアーナに優秀と認められるとは、相当なもの、自分なんて無理だろう、とも考えていた。だから、特別な措置については全くと言っていいほど期待していなかったし、考えてもいなかった。

 口を開けて呆けている水上をよそに、校長は脇に置いてあった白い封筒を取り出す。封筒には、聖グロリアーナ女学院と書かれていた。

「それで、水上さん」

「・・・はい」

「あなたさえよければなんだけれど・・・・・・」

 

 校長との話が終わると、水上は今なお訓練を続けているダージリンたちと合流し、戦車道の給仕として最後の日を過ごす。

 だが、3カ月もの間世話になったスーツは既に返却してしまっていたので、今の水上の服は潮騒高校の制服だ。私服で給仕を務めるという考えは水上の頭には無かった。

 潮騒高校の制服を着てみんなの前に姿を現した時、一番驚き、憧れの目で見てきたのは意外にもオレンジペコだった。大洗女子学園の制服を試着した時も顔をキラキラさせていたので、もしかしたら他の学校の制服に憧れがあるのかもしれない。

 オレンジペコ以外の履修者からも好奇の眼差しで見られたので、水上は少しこそばゆい。

 だが、それでも給仕としての最後の仕事を、手を抜くわけにはいかなかった。

 今日の訓練内容は、平原エリアでの5対5のフラッグ戦。ダージリンは、水上にまた車長をやってもらいたいと言われたが、作戦も無しにそれをするのは無茶だったので、丁重に断り、審判役に徹する事にする。

 水上が審判をする最後の試合。それだけでどうやら、履修者たちは気合が入ったらしく、今回の試合はかなり白熱したものとなった。

 フラッグ車のチャーチルも自発的に動き敵を撃破していく。操縦手のルフナが、張り切っているようだ。

 ルフナとの関係も、今では落ち着いている。告白を断った直後のような、僅かにぎこちなさが感じられるような付き合い方はもうしていない。最初の時のような、お互いに助け合う、普通のクラスメイト、友達のような関係を取り戻していた。

 ローズヒップのクルセイダーも、いつもより動きが俊敏なような気がする。

 ローズヒップと接するようになったのは、全国大会が終わりローズヒップがその名を与えられ『紅茶の園』の出入りを許された時からなので、あまり接する期間はダージリンたちと比べると短い。だが、ローズヒップの持つ人懐こさと素直さによって、水上とはすぐに打ち解けることができた。

 以前食堂で同席した際に、自分の夢を聞かれ、水上がそれに『人に尽くしたい』と答えると、ローズヒップは真っ直ぐに『素晴らしい夢ですわね。応援しますわ!』と言ってくれた。それだけだったが、水上はそれでも嬉しかった。

 ルクリリのマチルダⅡも、頑張ってダージリンのチャーチルと戦っている。

 ルクリリは、2日目に掃除を手伝った事から交流が始まり、資材とスケジュールの管理を教わった時から本格的に話すようになった。

 ルクリリの持つ庶民的な感性は、お嬢様ばかりの聖グロリアーナではとても新鮮だったし、親近感も持つことができたので、水上はルクリリと話す機会も結構多かったと振り返る。

 やがて、試合が終わり、訓練も終了となる。

 履修者たちが格納庫の前に整列する。そこで水上は、ダージリンから『何か一言』と言われ、皆の前に立たされる。

 水上は突然の事に戸惑ったが、覚悟を決めたように言葉を紡ぎ出す。

 この3カ月で、給仕としてここで過ごした日々は、皆と過ごした日々は、決して忘れない。

 嬉しい思い出も、辛い思い出もあったけれど、それでも楽しいと思える事の方が多かった。

 3カ月、本当にありがとう。

 要約するとこんな感じだったが、それだけでもみんなの心には響いたようで、涙を流す者もいた。

 3カ月という決して短くない間、共に過ごしてきたのだから、その人と別れる、もう会えなくなるなど悲しくないはずはない。

 今この場で涙を流す者をとがめる人は、誰もいなかった。

 そして、『紅茶の園』では、ダージリン、オレンジペコ、アッサムが、水上が最後に淹れる紅茶をゆっくりと味わっていた。

「・・・・・・さみしくなりますね」

 紅茶を一口飲んで、口を潤してから言葉を発したのはオレンジペコ。先ほどの挨拶でも、オレンジペコは号泣などしなかったが、それでも涙を流していた。

 今も、オレンジペコの瞳は潤み、揺れている。

 ダージリンは何も言わず、いつものように澄ました表情で紅茶を飲んでいる。そして、『美味しい』と小さく呟く。

「明日は、早いのかしら?」

「ええ。明日の朝8時の連絡船で、本土に戻ります」

 ダージリンの問いかけに、水上は嘘偽りなく答える。

「では、明日は皆で見送ろうかしら」

 ダージリンが提案すると、オレンジペコとアッサムは頷く。だが、水上はそれを手を振って断る。

「いえ、そんな・・・。とても恐れ多いです」

「でも、見送りも無しで去るなんて、あなたも寂しくはないかしら?」

 ダージリンに言われて、水上はぐっと言葉に詰まる。

 確かに、3カ月も世話になった学校の生徒が誰一人として見送ってくれないというのは、少々と言うかかなり凹む。

「そう言うわけだから、期待していなさい」

「・・・・・・はい」

 ダージリンが締めくくる。だが、隣に座るアッサムが、紅茶を飲んでから、ニヤリと悪巧みをしているかのような笑みをダージリンに向けて。

「とか言いながら、ダージリンも寂しいって言ってましたよね?」

「ん゛っ!」

 アッサムの予想外の発言を受けて、ダージリンが咽る。水上は『え?』と声を上げる。

「さっき、チャーチルの中でダージリン、ため息をつきながら『寂しくなるわね・・・』なんて言っていたのよ」

「あ、アッサムあなた・・・・・・」

 ダージリンが肩をプルプルと震わせ、カップの中の紅茶を揺らしながらアッサムの方を睨む。しかし、アッサムはドヤ顔を水上に向けていた。

 そこで、ダージリンからの反撃が出る。

「アッサムだって、寂しいんじゃないかしら?」

 アッサムが、紅茶を飲もうとした腕を止める。そして、持っていたカップをソーサーに戻す。

「・・・・・・・・・・・・寂しくないわけ、無いじゃないですか」

 アッサムが、今にも泣きそうな表情で水上の事を見上げる。

 その視線を受けて、水上もポットを持ったまま何も言えなくなる。

 ダージリンもオレンジペコも、水上とアッサムの関係は知っている。だから、ダージリンは少し意地悪が過ぎたか、と自省して『ごめんなさい』とアッサムに謝る。

 アッサムはダージリンの謝罪を受け入れて、再び紅茶を飲む。

 それから再び、お茶会は再開された。今日だけは、少しでも多くの思い出を作ろうと、水上も積極的にダージリンたちの会話に参加した。

 だが、同時に水上は、ある事を考えていた。

(今夜・・・・・・言うのは、今夜だ)

 その後、水上の参加する最後のお茶会は何事も無く終わり、水上はダージリンたちを見送ると、お茶会の開かれていた部屋に戻りテーブルを片付け、厨房でルフナたちと一緒に食器を洗う。食器洗いが済めば、今度は部屋の掃除。前までは、ここで水上は自分以外の生徒を帰していたのだが、今日だけは、全員で部屋の掃除をする事になった。

 やがて、掃除が普段の半分ほどの時間で終わり、最後に水上がお礼を言う。すると、ルフナやルクリリなど、手伝ってくれた生徒は拍手を送ってくれた。

 

 

『学園艦側部公園に、来てほしい

 アッサムに、話したいことがあるんだ』

 

 水上から来たそのメールを見た直後、私は『すぐに行きます』とだけ書いて返信し、着替えて、最低限の荷物を持って部屋を出る。

 着ている服は、白のワンピース。水上に告白をして、告白されて、お互いに相手の気持ちを知った後の最初のデートで着た服だ。

 全力疾走したい衝動に駆られたが、流石にこの格好で走るのは少し難しい。だから、早歩きで公園へと向かった。

 時刻は夜の8時半過ぎ。水上が聖グロリアーナを去るまで12時間を切っていた。

 空を見上げると、満天の星空が広がっている。忘れがちだがここは海の上で、遮蔽物は何もなく、空気も澄んでいる。だから、これほどまでにきれいな星空を見ることができるのだ。

 だが、そんな事は置いておいて。私は公園に早歩きで向かう。

 ジョギングをした時ほどではないが、割と早い時間で公園に到着する。そして、水上の姿を求めて公園の中を見回す。

 やがて、1人の男性が海に面したベンチに座っているのを見つけた。

 その男性の着ている服は、薄い水色のYシャツに黒のチノパン。間違いない。私とのデートで水上が着ていた服だった。

 私は、そこへ近寄り、少し離れた場所に建っている街灯に照らされたその顔が、忘れるはずの無い、間違いなく、水上であることを確認すると声を掛ける。

「水上」

 声を掛けられて、水上はこちらの方を向き、穏やかな笑みを浮かべて手を挙げて挨拶し、隣に座るように促して来る。

 私は、水上の隣に座る。

 水上の手元には、聖グロリアーナの校名が記されている白い封筒が置かれていた。

「・・・ごめんね、こんな時間に呼び出して」

「気にしないで大丈夫よ」

 そこで沈黙。

 水上は、近くを見回しながら、何かを言いたそうにしている。

 私は、それを急かすことなく、水上の言葉を待つ。

 数分経って、水上は私の方を向く。

「・・・話したいことがあるって言ったでしょ?」

「ええ」

「・・・・・・その話したい事っていうのは、2つあって・・・」

 そこで水上は、『1つは・・・』と言いながら、脇に置いてあった白い封筒を手に取り、中にある書類を取り出して、私に差し出す。

「読んでみて」

 水上に言われて、私は数枚の書類を受け取り、それに目を通す。

 だが、一番上の書類に書かれているタイトルを見て私は、目を見開いた。

 そこに書かれていたのは。

「『スクールカウンセラーの案内』・・・・・・」

「今日、校長から渡された」

 なぜ、水上がこんな書類を受け取ったのか。

 私は、他の書類も見る。

 新任の先生に渡される『聖グロリアーナ女学院就業規則』、教師用の『学校の案内』、そして、『給与・待遇手当一覧』。

 その全ての書類は、タイトルだけでも間違いなく、普通の生徒に、ましてや高校生に渡すようなものではないというのが分かる。

「・・・実は、給仕の仕事を引き受ける際に、聖グロリアーナから『本校が優秀と認めた場合は特別な措置を施す』、って言われてたんだ」

 水上が話し出す。私は、ゆっくりと水上の方を見る。

「それで、俺のこの3カ月での働きぶりが評価されて、特別な措置を施すに値する、って校長に言われたんだ」

「・・・・・・・・・・・・」

 私は、水上の言葉を待つ。水上は、頭を掻いて気恥ずかしそうに言う。

 

「それで、『あなたさえよければ、聖グロリアーナで働かないか』って」

 

 私の目が、さらに見開かれる。絶句する。

「スクールカウンセラーとして、そして戦車道の顧問として、採用したいって言われたんだ。俺の紅茶淹れの技術と、戦車道での資材・スケジュール管理能力、書いた戦闘詳報、戦車道の経験が、高く評価されてね」

 水上が付け加えるように言う。

 確かに、顧問として、紅茶の淹れ方を生徒に教えたり、資材・スケジュールの管理を担当するというのも、この3カ月の働きぶりを評価されたゆえだろう。その上、水上は砲手、車長を経験している。もはや、戦車道と無縁とは言えない。

 貴重な経験者に戦車道の顧問を任せたいという学校の気持ちも、分かるような気がする。

 しかし、スクールカウンセラーとはどうしたことだ。

 聖グロリアーナにもスクールカウンセラーはいる。女性が1人だけだが。

 そのことを聞くと、水上は『言っていいのかな』と迷う様子を見せたが、やがて告げる。

「実は、そのカウンセラーの先生が、近々辞めるらしくてね。後任がいなくて困っていたらしいんだ」

 どうやら水上は、もし仕事を受けるのであればその後釜として入る事になるらしい。だが、女子校に男性のカウンセラーがいるというのも奇妙な話だ。

「でも、こういうのは男女は別に関係なくて、能力があればいいらしい。そう校長は言ってた」

 ここで一つ気がかりなことがある。

「水上は、それを、引き受けるの・・・?」

 この話は全て、水上が仕事を引き受けることが前提だ。水上が『NO』と言えば、それまで。

 水上は、海の方を見て、話しだす。

「校長は、俺の夢を潮騒高校経由で知っていた。俺の夢が『人に尽くす仕事をしたい』っていうのをね」

 水上は続ける。

「スクールカウンセラーは、言ってしまえば、いじめだとか不登校だとか、悩みを抱えた生徒に寄り添って、話を聞いて、その人が更生できるように支えて、一緒に歩んでいく仕事だ」

 私も、それは聞いた事がある。

 現に、戦車道で挫折を経験した生徒がスクールカウンセラーのお世話になったという話を、何度か耳にしてはいる。

「それもまた、人に尽くす、っていう仕事の1つなんじゃないかって、俺は思ってる。聖グロリアーナは、その夢を叶えるチャンスを、俺にくれたんだ」

 人に寄り添い、不安や悩みを共有し、共に解決しようと歩む。

 立派に、人に尽くす仕事だ。

 水上の将来目指す、『人に尽くす仕事』に十分当てはまる。

「・・・だから、引き受けるよ」

 水上は私の方を見て、微笑みながら答えた。

「もちろん、すぐになれるってわけじゃない。大学に行って、色々資格や免許を取らなくちゃならないから。でも、もしその気が、聖グロリアーナで働く気があるなら、快く迎え入れるって、校長は言ってくれた」

 これまでの話を聞いて私は、すごい、という陳腐な感想しか浮かばない。

 無名の学校からやってきた、酷い言い方だがただのしがない高校生が、わずか3カ月で才能を開花させ、学校に認めてもらい、将来を約束されるなんて。

 ものすごい夢物語だ。

 今も嘘なんじゃないかと思っている私に、具体的にできる事は、限られている。

 私は無意識に水上の手を取って、真っ直ぐに水上を見つめてこう言うしかなかった。

「・・・約束する。私も、水上のその夢が叶うように、全力で応援するわ」

「・・・・・・うん、ありがとう」

 そこで手を離して、水上は書類を封筒に戻し、私たちはまた海の方を見つめる。

「・・・でも、どうしてこんな重要な事を教えてくれたの?」

 私が素朴な疑問を投げかけると、水上は『へっ!?』と驚いたように声を上げる。そして、頬を掻き、顔をわずかに赤らめる。

 その普段とは違う様子を見て、私は首をかしげるしかない。

「えっと・・・それは・・・・・・アッサムに話したいもう1つの事と関係していて・・・・・・」

 そうだ、水上は、私に話したいことが“2つ”あると言ってきた。

 1つは、将来聖グロリアーナで働く事が約束されたという事。

 もう1つは、何だろう。

 私は、期待をその目に宿らせて水上の言葉を待つ。

 水上は、『うーん』とか『えーっと』とかもごもごと口の中で呟きながら、私に何かを言うのを迷っている。多分、緊張しているのだろう。

 私は、そんな水上を見て、何とか緊張をほぐしてあげたい、と思い、そっと水上の手を優しく握る。

 水上は、それで踏ん切りがついたのか、改めて私の事を見つめる。

「・・・前に、言ったと思う。俺がここを去る日に、伝えたいことがあるって」

「ええ」

 忘れた事などない。その言葉をずっと楽しみにしていたのだから。

「でも、訂正させてくれ」

「え?」

「今、それを言うよ」

 いつもよりも3割増、いや、それ以上に真剣な水上の表情を見て、私も緊張する。一体、何を言われるのだろう。

「アッサムの夢は、2つあるんだよね?」

「・・・ええ」

 私の夢は2つある。それは、水上にも話した事だ。

 戦車道のプロ選手になるという夢と・・・・・・・・・・・・お嫁さん。

 今思い出しても恥ずかしい、顔が熱くなる。

「俺は、戦車道のプロになるっていう夢を、全力で応援する。できることは少ないかもしれないけど、ね」

「ありがとう」

 水上が私の夢を叶えるために応援してくれるのは、素直に嬉しい。だから私も、その気持ちに素直な気持ちの言葉を返す。

「・・・・・・でも、もう1つの夢は、・・・・・・・・・・・・俺が叶えてあげたい」

「・・・・・・・・・・・・え」

 水上の、言葉の意味が、一瞬だが、分からなかった。

 だが、その意味を、なんとなくだが理解して、私は、呼吸が止まりそうになる。動悸が早まる。

「アッサム」

「・・・・・・うん」

 私の名を、改めて呼ぶ水上。私はそれに頷いて答える。

「・・・将来聖グロリアーナで働くって事を言ったのは・・・・・・アッサムには、全部知ってもらいたかったから」

 私は、水上の言葉を待つ。

「初めて、あのバス停で会って、一緒に話をした時の事を、忘れたことは無い」

 今なお緊張しているのだろう、握っている水上の手は震えている。

「そして、聖グロリアーナで一緒に過ごした時間の事を、この先忘れはしない」

 水上の瞳が揺れている。

「告白して、告白されて、俺たちが恋人同士になれたのも、絶対に、永遠に、忘れない」

 私の視界が、ぼやけてくる。瞳に涙がにじんているのが、分かる。

「・・・・・・初めて会った時から、ここで3カ月を過ごしている間に、俺は・・・・・・」

 水上が手を離して、私の肩に手を乗せてくる。

「・・・・・・もっと、アッサムと一緒にいたい。ずっと、離れたくない。これからも、2人で、一緒に過ごしていたい、って思うようになった」

 私の瞳から、涙が流れ出る。水上もまた、瞳から頬に涙が伝っていた。

「だから・・・・・・」

 水上が瞳を閉じる。

「気が早いと思うけど・・・・・・」

 瞳を閉じたまま、その声に恐れを孕ませて告げる。

「こんな、俺でよければ・・・・・・・・・・・・」

 そして、瞳を開き、涙で潤んだ瞳で、真っ直ぐに私の事を見つめて、こう言った。

 

 

「結婚、してください」

 

 

 その言葉を聞いた瞬間、私の瞳から大粒の涙が流れ出たのが、触れなくても分かる。

 私が泣いているのは、嬉しいからだ。

 その言葉を、心のどこかで期待していた。

 私も、そうなりたいという願望があった。

 それを思っていたのは、水上も同じという事が、すごく嬉しくて。

 涙が止まらない。

 そんな中でも、私は返事をしなければ、という事を思い出して、泣きじゃくりながら、頷いた。

「・・・・・・うん!」

 その言葉を聞いた瞬間、水上は私の事を強く抱きしめてくれた。

 思えば、こうして正面から抱き合ったのは、あんまりないような気がする。

キスも心地良いものだったが、好きな人に抱きしめられるというのも、心が満たされたような感じになって、温かくなる。

 しばしの間、私と水上は、満天の星空の下、お互いに抱きしめ合いながら、涙を流し続けた。

 

 8月31日、朝7時50分。

 水上は、本土と聖グロリアーナを結ぶ連絡船の搭乗口に立っていた。足元には、大きな鞄。

 そして、連絡船に背を向けて立つ水上の前には、ダージリン、オレンジペコ、アッサム、ルクリリ、ローズヒップ、ルフナが、聖グロリアーナの制服を着て立っていた。

「わざわざ見送りに来てくれて、ありがとう」

 もう、水上は給仕ではない。

 だから、聖グロリアーナで給仕としている際の敬語は、もう話さない。今だけは、対等な立場で、聖グロリアーナの6人と向かい合っていた。

「当然ですよ」

 ルフナが笑いながら、しかしその瞳にわずかに涙を浮かべながら告げる。

「短い間だったけど、楽しかったです。ありがとう」

 ルクリリがにこっと柔和な笑みを浮かべながら礼をする。

「また会えたら嬉しいですわ」

 ローズヒップが満面の笑みを浮かべる。

「・・・・・・お元気で」

 オレンジペコが、泣きたいのを必死にこらえて無理やり笑いながら一言だけ、声を震わせながら告げる。おそらく、多くを語ると泣いてしまうからだろう。そう考えると、可愛らしい。

「水上」

 ダージリンが歩み出て、手に提げていた小さなバスケットを水上に渡す。

「これは?」

「開けてみて」

 促されて水上が蓋を開くと、そこにあるのは、メッセージカードと、2つの白いティーカップ。そして、同じく白いポット。

 よくよく見てみれば、これは寄贈用のティーセットではないか。

「いや、これは流石に・・・・・・」

「覚えてるかしら?車長として、私と戦った時の事を」

 忘れるはずがない。あの、人生で初めて戦車に乗って指揮を執り、あのダージリンと戦った時の事など。

「寄贈用のティーセットの持つ意味は、あなたも知っているわよね?」

 そうだ。ティーセットを贈るのは、自分が好敵手と認めた相手。また戦いたいと思う相手に対して贈るもの。

 つまり、ダージリンは、また水上と戦いたいと言っているのだ。

 それを受けて、水上は苦笑してそれを受け取らざるを得ない。

 あのダージリンから、男の自分が好敵手と認められるなんて、偉業と言っても過言ではない。

「・・・大切にするよ、ありがとう」

 だが、ここで水上は疑問に思った事がある。

「でも、どうしてカップは2つ?」

 水上の実家で使うにしても、水上は一人っ子で3人家族。カップが1つ足りない計算になるが。

「家族で、使うためよ」

 そう言いながら、ダージリンは隣に立つアッサムの事を見る。

「!」

 そして水上は、昨日の夜のプロポーズの事を思い出し、顔を赤くする。アッサムもそれは同じのようで、唇をへの字にして顔を真っ赤にし、うつむいてしまった。

 まったく、ダージリンに隠し事は通用しないらしい。

 最後にアッサムが、歩み出てくる。その顔には、寂しさや不安が入り混じっているように暗かった。

 いくら将来結ばれることを誓い合ったとしても、一度別れてしまうことに変わりは無い。やはり、長い間会えなくなってしまうのが辛く、寂しいのだろう。

「・・・・・・電話も、メールもするよ。会うことができれば、会いに来る」

 水上が、そんな不安を払拭してあげようと言葉をかけるが、アッサムの表情はまだ晴れない。

 どうしたものかと思いながら、水上は後ろに控えるダージリンたちをちらっと見る。

 ダージリンたちは、全員が全員全ての事情を知っているかのように笑みを浮かべている。ルクリリに至っては、小さく親指を立てていた。

 水上は意を決して、身体をわずかにかがめ、まだうつむいたままのアッサムの唇に、自分の唇を重ねる。

 アッサムは瞳を閉じて、水上の唇を受け入れる。

 アッサムの後ろの方から『おっ』と声が上がった。声からして、ルクリリだろう。

「お熱いですのね」

 ローズヒップの空気を読まない容赦ない一言。弾かれたように水上とアッサムは顔を離す。

「・・・・・・また、会いに来るよ」

「・・・・・・ええ」

 アッサムが、静かに涙を流す。

 そこで、後ろの連絡船が汽笛を鳴らした。出発時刻が近いのだろう。

「もう行かなくちゃ。今日まで、本当にありがとう」

 水上が、鞄を持ち上げ、踵を返して連絡船に乗り込む。

 その直前で。

「水上」

 アッサムから声を掛けられる。振り返ると、アッサムは涙を流しながらも、笑みを浮かべてこう言った。

「・・・・・・あなたと出会えて、本当によかった」

 そして。

 

「・・・あなたの事、大好きだから」

 

 朝日に照らされたアッサムの表情は、水上の記憶にしっかりと刻みこまれた。

「・・・・・・俺も、大好きだ」

 泣きたくなりそうになるのを必死にこらえて、笑みを浮かべてそう言って水上は、連絡船に乗り込む。

 やがて、連絡船と学園艦を繋ぐタラップが畳まれ、連絡船は静かに学園艦を離れる。

 まだなお、学園艦の搭乗口に立っているダージリンたちは、水上に向けて、水上の姿が見えなくなるまで手を振り続けた。

 水上もまた、ダージリンたちの姿が見えなくなるまで、デッキの上から手を振り続けた。




もう1話だけ、本当に、もう1話で終わります。
最後まで、お付き合いいただければ幸いです。

感想・ご指摘等があればお気軽にどうぞ。


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添い遂げたい

最終回なのにダイジェストっぽいとは・・・



 パタリと、俺は読んでいた本を閉じる。

 その本のタイトルは、『面白いジョーク集』。随分と久々に読んでみたが、やはり面白かった。

 ジョークは、いつだって俺の事を笑わせてくれる。気が沈んでいる時も、読んでみたり、ふと思い出してみれば、自然と笑みがこぼれる。笑顔になれば、気持ちも上向きになっていく。そんなジョークの性質が、俺は好きだ。

 そして何より、この本には思い出がたくさん詰まっている。

 この本を持っていたからこそ、あの時、あのバス停でアッサムと出会った時、会話のきっかけが生まれて、話が盛り上がった。

 俺がこの本を持っていなかったら、あそこでアッサムと話をすることは無かっただろうし、それから仲が進展して今に至る事など、あり得なかった。

 この本は、俺とアッサムを結んでくれたと言っても過言ではない。

 俺は椅子から立ち上がって、その本を本棚に戻す。本棚には小説や哲学書、雑誌などが並べられているが、一角にはさっきまで読んでいたようなジョークが書かれている本が並んでいる。

 俺はふと部屋を見渡す。

 アパートとマンションの中間くらいの広さがある部屋。暖色系のカーテンと壁紙、そしてありふれたような家具。ここが、俺の住む家だ。

 窓の外には、勤めている聖グロリアーナ女学院の校舎がわずかに見える。学校からは近いので、割と朝は余裕をもって出勤することができている。

 本棚の隣にある机に目を向ける。

 そこには、いくつもの写真が飾ってあった。

 結婚式の写真、イギリスでの新婚旅行の写真、そして高校生の時に聖グロリアーナを去る前にみんなで撮った写真。

 その中にある、結婚式の写真を手に取って、式に至るまでの日々に思いを馳せる。

 

 聖グロリアーナから潮騒高校に戻った水上は、聖グロリアーナでの出来事の余韻に浸る事無く、受験勉強に没頭することとなった。

 スクールカウンセラー及び顧問教師に必要な資格、免許を取得することができる大学を探し、担任にも相談して、その大学に受かるために必死で勉強をした。

 そして、学校からの推薦も貰い、どうにか希望する大学に進学することができた。

 勉強が人並みに苦手だった水上がそこまで頑張れたのは、将来を約束されていたというのもあるし、なにより、将来結ばれる人に、結ばれるに相応しい人になりたいと、水上が願っていたからだ。

 アッサムもまた、推薦を貰って、戦車道が強い大学へと無事進学することができた。まあ、戦車道で綿密な作戦を幾度となく立ててきた、頭脳明晰なアッサムが大学受験程度で落ちるはずはないか、と水上は思っていたが。

 アッサムは、その夢であるプロを目指すために、大学でも戦車道を嗜んだ。

 聖グロリアーナで名砲手を務めていたという事もあり、評価は上々。戦績も悪くは無く、大学選抜チームに選ばれたのは大学2年生だった。

 水上はと言えば、時間が合えば、アッサムが参加する戦車道の試合は全て見に行った。そこで水上は当然、アッサムを、そしてアッサムの所属するチームを応援した。

 水上の想いが届いたのかどうかは分からないが、水上が見に行った試合では、アッサムは必ず敵戦車を撃破し、勝っていた。

 そんなアッサムが、大学4年生の時、プロリーグ入りが決定したと告げた時は、水上は比喩表現抜きで飛び跳ねて喜んだ。そして、アッサムの手を掴んでブンブン上下に振った。

 はしゃぎすぎ、とアッサムが注意してきたが、強くは止めてこなかった。

 それから間もなく、水上はスクールカウンセラーになるために必要な資格と免許を取得することができ、その時は今度はアッサムが、水上に抱き付いて喜びを表現してくれた。

 そこで、水上とアッサムは、お互いに、相手の両親、家族に挨拶をしに行くことに決める。

 将来結ばれることを誓い合ったとしても、親と話すというのは避けては通れない道である。それは、水上が聖グロリアーナでプロポーズをした時から、アッサムがプロポーズを受け入れた時から、覚悟していた事だ。

 水上がアッサムの家族に挨拶に行った際は、警戒された。

 アッサムが聖グロリアーナに通っていた時点で分かっていたのだが、アッサムの家は率直に言ってお金持ちだった。そんな家の娘を、庶民の男が嫁に欲しいなんて言ってきたら、誰だって警戒するに決まってる。

 しかしアッサムが、水上を取り巻く環境、将来の仕事を語り、その上で『私はこの人と結婚する以外、考えられない』と力説し、アッサムの家族は水上の覚悟を聞いたうえで、了承してくれた。

 その時の水上の顔は、泣きそうになるくらい歪んでいたと、アッサムの兄は言っていた。

 水上の家族は、アッサムと結婚したいと水上が言った瞬間、腰を抜かしていた。

 一応、聖グロリアーナで彼女ができたと伝えてはいたのだが、実際に会ってアッサムの美貌に仰天してしまったらしい。

 水上の両親は、水上の結婚に対する覚悟と、将来のビジョンを改めて問うてきた。水上は、大学を受験する際にも将来の事を話したのだが、それを改めて告白し、その上で水上も、『アッサムと結婚する以外、考えられない』と告げた。水上の両親は、大きく頷いて認めてくれた。

 そしてアッサムに、『こんな息子ですが、よろしくお願いします』と深々とお辞儀をした。

 そして、アッサムが大学を卒業してプロリーグに入り、水上が聖グロリアーナに正式に勤めることが決まった後で、水上とアッサムは入籍。結婚式を挙げた。

 結婚式は地元の横浜で、イギリス風のガーデンウェディングだった。結婚式には、水上とアッサムの家族、友達、そしてさらには、聖グロリアーナの皆が祝福してくれた。

 ダージリンも、オレンジペコも、ルクリリも、ローズヒップも、ルフナも。皆が、水上とアッサムの結婚を、祝ってくれた。

 ブーケトスで、アッサムの投げたブーケを素早くキャッチしたのはローズヒップ。オレンジペコから『がっつきすぎです』と注意され、ローズヒップが『なぜか動いているものを見るとつい衝動的に・・・』と言い訳じみた言葉を聞いて、一同は笑った。

 

 俺が聖グロリアーナに勤め始めてから随分と年月が経つ。

 分かってはいたが、スクールカウンセラーと言うのはそんなに甘くはなかった。

 相談に来る生徒の相談に1つ1つ向き合って、共に解決しようとするのは、想像以上に骨が折れる。時には、『家族の期待が重くて・・・』や『彼氏が欲しい』など、俺の手に余る問題じゃないか、という悩みさえ持ち込まれる事が多々ある。そして、俺は自分で言うのもなんだが、人の感情に感化されやすい。時に一緒に泣いたり、一緒に怒ったりすることもあって、余計に気疲れをすることもまた多くあった。

 だが、それでも、俺の心が折れる事は、挫折することは無かった。

 自分の夢だった『人に尽くす仕事』に就いているのだから。

 そして何より、今の自分には、支えてくれる人がいるから。

 気が付けば、アッサムが訪ねてくる時刻が迫っていた。計算が得意なアッサムが言うのだから、事前に伝えた時間通りに来るだろう。

 今一度部屋を見渡して、目に見えるゴミが落ちていないのを確認すると、一先ずホッとする。

 聖グロリアーナに勤めている以上、俺は聖グロリアーナ学園艦から離れるわけにはいかない。

 逆に、アッサムはプロ選手であり、各地で試合を行っているため、常に移動を続けている学園艦で生活するというわけにもいかない。

 結果的に、俺とアッサムは離れ離れで生活をしていた。

 だが、毎日電話は欠かさないし、2週間に1、2日は俺かアッサムがそれぞれの家を訪れている。全くというのは嘘だが、寂しくはなかった。

 今日は、アッサムが俺の家に来る日だ。

 俺はキッチンに向かい、食器棚から、ダージリンから貰ったティーセットを取り出す。

 カップの数は、1つ増えていた。

 続いてケトルを取り出して、水を汲み、コンロに火をかけてお湯を沸かす。

 ほぼ毎日、俺は自分で紅茶を淹れて飲んでいる。聖グロリアーナの戦車道顧問で、紅茶の淹れ方を指導している手前、自分の紅茶の味を落とすわけにはいかなかったからだ。それに、紅茶を飲むと気持ちが穏やかになる感じがする。

 研鑽と、安らぎのために、俺はいつも紅茶を嗜んでいた。

 さて、茶葉はどうしよう。

 お湯が沸いたところで、玄関のチャイムが来客を告げる。

 やっぱり、時間通りだ。

 俺は玄関に小走りで向かい、玄関のドアを開けた直後、足元に小さな衝撃が伝わる。

 アッサム譲りの長い金髪に、青いリボン。だが、子供ながらに常に優しく他人と接するこの少女は、俺とアッサムの子に間違いはなかった。

「お父さん、ただいま!」

「ああ、おかえり」

 俺は足元に抱き付いてきた自分の娘の頭を優しく撫でる。

 そして、その後ろに立っている人物を見て笑みを浮かべる。

「お帰り、アッサム」

 結婚する際に、俺はアッサムの本当の名前を教えてもらった。

 だが、俺は今も妻の事を“アッサム”と呼んでいる。

 だって、この“アッサム”という名前には、たくさんの思い出が詰まっているのだから。

「ただいま、進」

 逆に、俺は婿入りしているため、姓はもう水上ではない。だから、アッサムが俺の事を名前で呼ぶのは当たり前と言えば当たり前だ。

 親以外に自分の名前を呼ばれるというのは最初は慣れなかったが、アッサムはもう立派に家族で、自分の妻だ。名前で呼ばれる事に何の遠慮がある。

 俺は、アッサムと娘を家に迎え入れる。

「ちょうど、お湯が沸いたところなんだ。紅茶でも飲む?」

 俺が振り返りながらアッサムに尋ねると、それが当然であるかのようにアッサムは。

「もちろんよ」

 そして、娘は。

「お父さんの紅茶、美味しいから大好き!」

 嬉しいことを言ってくれる。

 そんな大事な娘のために、そして日頃プロとして何かと気苦労の多い妻を癒すために、美味しい紅茶を淹れてあげよう。

 

 

 熱い、アッサムティーを。

 

 




これにて、アッサムと水上の物語は終わりです。
長い間、ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。

1話のあとがきにも書きましたが、自分は他の方が書いたガールズ&パンツァーの恋愛小説を見て感銘を受けて、自分も書きたいと思うようになり、こうしてアッサムの物語を書くに至りました。

初めての恋愛小説ということで、紆余曲折、試行錯誤、ああでもないこうでもないと悩みながらの出来栄えになりましたが、いかがでしたでしょうか。
中には『これ必要?』なんて話や表現、描写もありましたし、
読者の皆様の期待応えられたかどうかは、今でも不安でなりません。

こんな作品に、評価をしてくださった方、感想を書いてくださった方、
本当にありがとうございます。とても嬉しかったです。

次回作は、また近いうちに出すかもしれないです。
大洗や黒森峰にも主役として書きたい子はいるのですが、女子高なので今回のように期間限定の付き合いとなってしまい、似たような感じになってしまうかもしれません。
まだ、誰の話を書くかは未定ですが、その時はよろしくお願いします。

最後になりますが、読者の皆様、ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。
それでは最後に、この言葉を。
ガルパンはいいぞ。


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アッサム誕生日記念
会いたかった


アッサム、誕生日おめでとう!

という思いから書かせていただきました。
結構長めですが、ゆっくりと読んでいただければ幸いです。


お茶の間のテレビでガルパンの名前が出てびっくりしました。


 潮騒高校学園艦は、ゆったりと冬の海を航行している。学園艦の上にも雪は降っているが、豪雪とまでは言わない。しんしん降っているという表現がしっくりくる程度の量だ。

 そんな雪の降る窓の外を水上はちらっと見る。いつの間にか12月に突入していて、もう今年もあと1カ月足らずかと、雲から零れ落ちる雪を見て思う。

 

「水上ー、書けたー?」

 

 妙な感傷に浸っていると、教室のドアが開いて男子生徒が姿を現す。黒に近い茶髪のそいつは、水上の同級生にして、小学校以来の付き合いのある幼馴染の鴻野だ。

 

「もうちょっとで終わる」

「早く帰ろうぜ~。雪まで降って滅茶苦茶寒いんだぞ」

 

 水上が今書いているのは日直日誌。今日は、水上がクラスの日直を務めていたので、放課後に書かねばならなかったのだ。そして鴻野は、律儀にも水上の事を待ってくれている。この時間になって現れたという事は、図書室にでもいたのだろう。

 水上は、あまり待たせるのも悪いのでサクサクと残りの部分を書き、私見欄に自分の意見(と言っても抗議文や文句などは書かない)を書いて、ペンを置いた。

 

「よし、終わった」

「どれどれ?」

 

 鴻野が日直日誌を覗き込んでくる。書いたばかりの文章を見られるのは凄い恥ずかしいのでやめてほしいのだが、それを分かっているから鴻野は見る。それぐらい、2人は気の置けない仲だ。

 

「・・・・・・やっぱ他とは全然違うな」

「どこが」

「んー・・・色々」

「何だそれ?」

 

 鴻野は、水上の書いた総評欄を見てぼやく。他のクラスメイトが書いた日誌は、ありきたりなフレーズを使ってとりあえず適当に書いていることが多い。だが、水上は少し違い、どことなく他と比べて意見が客観的というか、何と言うかな感じだった。

 

「やっぱ聖グロで感性が変わったんかね」

「・・・・・・そんな気はしてる」

 

 鴻野に言われ、水上も乾いた笑みを浮かべる。

 さて、ここに長居していては、待たせている先生にも申し訳ない。無駄話は後にして水上は日直日誌を持って席を立ち、職員室へと向かう。鴻野もまた付いてきた。

 

 

 今年の5月中旬から8月の終わりにかけて、水上は聖グロリアーナで給仕の実習を兼ねた短期転校をしていた。その事は潮騒高校の教師を除けば、水上のクラスメイト全員と別のクラスの友人は皆知っていることだ。

 行く前には、担任からは『土産話を期待している』と言われたし、『彼女作ってこいよ』という下世話なことまで言ってくるクラスの連中もいたが、悪気が無いのは分かっていた。親友の鴻野だって、多くは言わずに『色々な意味で頑張ってこい』と言っていた。

 聖グロリアーナではかけがえのない経験をしたし、何より恋人もできてしまった。紅茶を淹れる技術だって聖グロリアーナに行く前よりも遥かに向上しているし、敬語や礼儀作法についても同年代と比べると秀でている面がある。学力についてはあまり変わらないがわずかにレベルアップした気もする。加えて、ぼんやりとしか見えていなかった将来の夢が明確なものへと変わり、そして聖グロリアーナがその夢を叶えるのに力を貸してくれると言ってくれたのが、一番の驚きだ。全体的に、聖グロリアーナで水上は成長できたと思っている。

 そんな水上が聖グロリアーナから潮騒高校に戻った初日、水上は当然と言える流れかもしれないが質問攻めにされた。

 可愛い子はいたのかとか、戦車はどうだったのかとか、給仕の仕事はどうだったのか、と容赦ない質問の雨に水上は晒された。

 そして全員が共通して聞いてきた質問がある。

 それは、『彼女はできたの?』だった。

 年頃の男子高校生がイレギュラーな形で女子校に行けば、そう言った事が起こりうる可能性だって十分に考えられる話だ。そうでなくとも、彼ら彼女らは立派で健全な高校生であり、こう言った色恋の話については興味がある年頃である。

 さて、その質問に対して水上は、こう答えた。

 

「皆の期待してるようなことはなかったから」

 

 隠した。それは、『できた』と素直に言ってクラス中のフリーの男子から裏切り者扱いされてどつかれるのが嫌だったのもあるし、何よりもアッサムとの関係は自分の中でだけ留めておきたいことだった。

 有り体に言えば、一種の独占欲が働いたのだ。

 どうやら、クラスの男女が気がかりだったのはその話だったようで、しばらくすると熱も冷めていき、こうして3カ月以上たった今では聖グロリアーナに行く前の学生生活を取り戻していた。

 

 

 

「お待たせ」

「おう、待たされたぞ」

 

 職員室の担任へ日誌を提出して、コメントを貰うと水上は職員室を出た。すぐそこで鴻野が壁に背中を預けて待ってくれていた。

 

「どうだった?」

 

 そして合流して昇降口へと向かう中で、鴻野がそう聞いてきた。どう、というのは日誌の出来栄えに対する担任のコメントの事だ。

 

「いや、べつに何にも?」

「嘘つけ。そう言う時は大体なんかあった時だ」

 

 鴻野に言われて、水上もそうかもしれないと思う。『別に何も』と言った時は大体後ろめたい事がある時だと、確かにそんな気はする。この文句はもう使えないな、と水上は内心で残念がった。

 

「で、実際どうだったの?」

「・・・・・・まあ、褒められた」

 

 先ほどの日誌の評価、担任からは『よく書けてる』とコメントを貰った。さらに、『結構客観的にいろいろ書けてるし、悪いところは無いな』とも言われた。

 何であれ、自分のものに良い評価がもらえるというのは、とても嬉しいものだ。

 そんな水上の中での特に嬉しい評価とは、聖グロリアーナに行って初めて紅茶を淹れた際に、アッサムからお代わりを頼まれた事だ。後で聞いた話だが、あの時は水上の紅茶の味が自分の好みだったからと聞いて、まさか自分の紅茶がアッサムの好みにドンピシャだったとはと驚いた。それと同時に、自分の紅茶が認められたのだと思って、少し涙ぐむぐらいには嬉しかった。

 後は、ダージリンから水上の淹れた紅茶が美味しいと評価された事だ。紅茶通で心身ともにお嬢様なダージリンから褒められたのは、とても嬉しかったと今でも覚えている。

 それはどちらも、水上が聖グロリアーナで通用するように紅茶の腕を自分で磨いていたからである。そしてその努力が実を結び褒められたことが、水上自身嬉しかった。

 やはり自分も、聖グロリアーナに行かなければ、他人から評価して褒められる事がどれだけ嬉しい事なのかが分からなかっただろう。

 そう考えると、やはり聖グロリアーナで短い時間だけでも過ごすことができたのは、貴重な経験だとつくづく実感する。いや、そもそも男の水上が聖グロリアーナに行けただけでも奇跡といっていいぐらいだ。

 

「どうかしたか?」

 

 なんてことを考えていると、鴻野に話しかけられた。考え事をしていたのがバレてしまったらしい。

 

「いや・・・・・・聖グロに行けてよかったなって」

「そうかい・・・・・・あー、俺も行きたかったなぁ」

 

 鴻野が頭の後ろで腕を組みながら、心底悔しそうにそう告げる。

 

「周りは女の子ばっかりだったんだろ?羨ましいよなぁ~」

「お前が想像するほどいいもんじゃないぞ」

 

 聖グロにいた間、水上は同じクラスにいたルフナを除けば完全に孤立している状態だった。昼食はダージリンたちと同じだったことが多く、ティータイムの時間では割と会話に花が咲いたものだったが、それ以外の時間では正真正銘の孤立無援だった。加えて、聖グロリアーナが元々女子校である故に男子である水上は好奇の視線に晒されてきた。それは例えるならば、全身を縫い針で浅く刺されるような感覚だ。それぐらい、痛かった。

 

「彼女はできなかったらしいけど、友達とかはできたんだろ?」

「友達・・・・・・まあ、うん・・・・・・うん?」

 

 友達、と聞かれて水上は返事に詰まる。アッサムはともかく、ダージリンも友達と言えるように打ち解けた感じはしなかった。何しろ自分はあくまで給仕だったので、常に一歩引いて接していたからだ。

 ルフナは友達、という枠組みではないような気がする。彼女とは色々とありすぎてしまったから。

 オレンジペコやルクリリ、ローズヒップもまた友達とは呼びにくい。親しい人、とは呼べるが友達と言うのもまた違う気がする。

 意外と、友達の距離感と言うものは難しかった。

 

「で、あの後聖グロには行ったのか?」

「行けるわけないだろ。そんな時間なかったんだから」

「まあ、そうだよな」

 

 聖グロリアーナから戻ってきてすぐに大学の受験勉強を始めたので、聖グロリアーナにはまだ行ってない。いつかは行こうと思っているのだが、如何せん学園艦と言う海の上にいる以上はなかなか簡単には行けないのだ。

 行けるとすれば、早くても春休み辺りになってしまうだろう。

 だが、それでは意味は無いのだ。

 

(約束したんだけどなぁ・・・・・・)

 

 聖グロリアーナを去る日。水上はアッサムに、『会いに行く』と言った。『電話やメールもする』と約束し、それは今でもやっている。だが、実際に会いに行くのはまだできていなかった。

 電話でアッサムの声を聞き、メールで話をするのは確かにつながっているのだと感じることができるが、やはり実際に会わないと寂しいものだ。

 今なお水上の中には、アッサムに会いたいという想いが積み重なっている。

 しかし早くしなければ、当然ではあるが3年生であるアッサムも聖グロリアーナを離れてしまう事になる。留年すればそれはないが、その可能性など万に一つもあり得ない。

 なら卒業した後で会いに行けばいいと思うだろうが、ダージリンたちの前でまた会いに来ると言った以上は聖グロリアーナで会わなければと、真面目な水上は考えてしまっている。

 何とかして会いに行きたいところだが―――

 そんな水上の思考をぶった切るような携帯の着信音が鳴り響く。

 

「おわっ!?」

 

 それに驚いたのは水上自身だ。考え事をしていて不意打ちに近かったのだから。

 

「お前、マナーモードにしとかないと風紀委員にどやされるぞ」

「ああ・・・忘れてた」

 

 鴻野が忠告するように言うが、確かに風紀委員に携帯を没収されるのは致命傷だし、教師に見つかるのも少しよろしくない。

 だが、かかってきた以上は電話に出なければならないので、画面を開いてみると。

 

「・・・・・・その風紀委員からの電話なんだが」

「は?」

 

 電話の相手は、まさかのその風紀委員だった。水上と鴻野、2人のクラスメイトの女子である鷺宮からである。

 なんでこんな時間に、という疑問を抱きながらも電話に出る。

 

「もしもし?」

『ああ、もしもし水上?今どこ?』

「学校。でも、もうすぐ帰るとこだけど」

 

 開口一番に問われたのは自分の居場所だ。

 まだ風紀委員の活動時間中だし、鷺宮は確か校門で監視のはずだったのだが、規則に厳しい風紀委員が学校の敷地内で電話とは、随分と珍しい事もあるものだ。

 それはさておき、なぜ自分の居場所を聞かれたのかをまず確かめる。

 

『ああ、学校なのね。なら丁度いいわ』

「何、なんで俺の居場所を?」

『それがね、あんたに会いに来たって人がいるんだけどね』

「誰?」

 

 会いに来た、と表現した辺り、どうやら水上たちの通う潮騒高校の人間ではないらしい。とすると、自然とこの学園艦の人間ではないという可能性も浮上してくる。

 だが、わざわざ学校まで来るとは一体どういう事だ?水上の親族であれば必ず一報が入るはずなのに、それすらも無いと言うと―――

 

『えっとね・・・・・・聖グロの人かな。コートの下に制服着てる』

 

 水上が足を止める。表情が真剣なものに変わる。鴻野が『どした?』と、水上と同じように立ち止まって振り返るが、今の水上には鴻野の姿は眼中にない。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・誰だって?」

『だから、聖グロの人。聖グロリアーナ』

 

 念のため、空耳か、聞き間違いかと思って聞き直すが、鷺宮の答えは変わらなかった。

 聖グロリアーナはイギリスと提携しているのと、戦車道の強豪校という2点があって全国に名が知れている。だから鷺宮も、聖グロリアーナの事は知っているし、恐らくは制服と校章でその“訪問者”が聖グロリアーナの人だと分かったのだろう。

 そしてそんな聖グロリアーナで水上と面識がある生徒となると、大分選択肢は限られてくる。

 けれど水上には、その訪ねてきた人物が誰なのか、その正体がなぜか1人しか思いつかなかった。

 

「・・・・・・どんな感じの人?」

 

 水上はそう問いかける。すると、電話の向こうで鷺宮はその“訪問者”の姿を今一度見直しているようで、電話口から少し離れたように聞こえる。

 そして少しして、鷺宮が告げた。

 

『長い、金髪の女の人。黒いリボンをつけてる』

 

 その鷺宮の言葉を聞いた直後、水上は『すぐ行く』と言って電話を切り、先ほどよりも歩調を速くして昇降口へと向かう。急に水上のペースが速くなったので、鴻野が若干遅れて反応して水上の後に続く。

 

「おい、何の話してたんだ?」

「俺に会いに来た人がいる」

「誰?」

 

 鴻野の質問には、最低限しか答えない。

 階段を降りて、昇降口で上履きからローファーに履き替えて、そして校門に向かう。普段は今の半分か3分の2ぐらいのペースで歩くのに、今回ばかりはそうはいかなかった。

 水上は、校門に向かう間でも、その訪れた人物の事を思い浮かべていた。

 まさか、そんな。

 いや、でも。

 バカな、どうして。

 認めたい、けれど何故だか不安だ、という相反する感情を抱きながらも、校門へ一目散に向かう。

 そして、校門が見えてきたところで、水上は目にした。

 校門の脇に立っているのは、風紀委員特有の青い腕章をつけた黒髪の鷺宮。

 その鷺宮と話をしている人物は。

 着ていたであろう紺のコートを腕にかけているが、着ている服は紺のカーディガンに青のプリーツスカート。

 そして長いブロンドヘアー。

 黒いリボン。

 聖グロの生徒でそのビジュアルの生徒は、水上の記憶している限りでは1人しかいない。

 そしてその1人とは。

 

「!!」

 

 水上は、駆け出した。早歩きではなくなった。隣に付いてきていた鴻野が『おい、どうした!?』と問いかけてくるが、聞こえない。鴻野には申し訳ないが、それどころではなくなった。

 校門へと駆ける水上。そこにいる、聖グロのある人物の下へと、一心不乱に向かう。

 そしてどうやら、向こうも水上に気付いたらしい。水上の方へと顔を向ける。その人物はやはり、水上の中に存在する心に決めた唯一の女性だった。

 

「ああ、水上。別にそんな急がなくても―――」

 

 鷺宮も水上に気付いて声をかけるが、今の水上の耳にはその言葉も入ってこない。

 走るペースを落とし、その人物の前では止まる。走ってしまったので少し息が上がっているが、すぐに呼吸を整える。

 改めて、水上の目の前にいる人物の容姿を確認する。

 けれどもやはり、その人物は水上が思っていた通りの人物だった。

 

 

「・・・・・・アッサム」

「・・・・・・ええ」

 

 

 呆けたようにその名を呼ぶと、その少女―――アッサムは微笑んでくれた。

 その傍に立つ鷺宮は『え、あっさむ?どういう事?』と頭に疑問符が無数に浮かんでいるし、やっと追いついた鴻野は『すげぇ・・・・・・美人・・・・・・』と直球なコメントを垂れる。

 鷺宮は、聖グロリアーナの戦車隊の中で選ばれた者のみが紅茶にまつわる名を名乗る慣習を知らない。だから、鷺宮の目の前の少女が『アッサム』と呼ばれた事に違和感しか覚えなかったのだろう。水上自身最初はそうだったので、気持ちは分かる。

 そして鴻野のコメントも至極尤もだと水上は思う。誰かと比較すると角が立つので多くは言えないが、アッサムは水上の出会った女性の中で一番の美人だと、胸を張って言える。聖グロリアーナには他にダージリンやルクリリ、ルフナなど綺麗な人物もいたが、アッサムを好いている水上にとっては、アッサムが一番だった。

 そして水上自身はどうなのかと言うと、今アッサムに会えたことは予想外だし、とても嬉しいと思っている。

 だがそれでも、気になる事が1つだけあった。どうしてここにいるのか、だ。

 だから、再会を喜ぶ前に、それを聞こうと思った。

 

「どうして―――」

 

 だが、その問いかけの言葉は途中で途切れてしまった。

 なぜならば。

 

「・・・・・・水上・・・・・・!」

 

 アッサムが、水上の事を突如抱き締めたからだ。

 鷺宮が『はっ、ええっ!?』と驚きを隠せない様子で声を上げ、後ろにいる鴻野は『なん・・・だと・・・?』と顔と声で驚きを表現している。

 そして抱き締められた水上本人は、突然のアッサムの行動に驚きはしたが、どうしてこんなことをしたのか、その理由だけは分かった。

 水上がアッサムに会えなかったことを寂しがり、会いたいと思っていたように、アッサムもまた水上に会えなかったことを寂しく思い、そして会いたかったのだ。

 それが分かったから、水上もアッサムを引きはがしたりはせず、周りに鷺宮と鴻野がいる事も今は忘れて、優しくアッサムの背中に腕を回し、優しく抱きしめる。

 

「・・・・・・ゴメン、会いに行けなくて」

「・・・・・・ううん、大丈夫。今こうして、会うことができたから・・・」

 

 だが、アッサムに寂しい思いをさせてしまった事については、水上も謝るべきだと思った。だから、謝罪の言葉を口にしても、アッサムは許してくれた。

 と、しばしの間再会を静かに喜んでいたところだったのだが。

 

「あのー・・・もしもし?」

 

 鷺宮の申し訳なさそうな声。

 そこで水上とアッサムは一瞬で現実に引き戻され、しかも抱き合っているところを別の人間に見られたことによる羞恥心が今更になって湧き上がってきた。

 

 

 

「・・・・・・ごめんなさい、少し先走って・・・」

「いや、まあ・・・・・・仕方ないよ。うん」

 

 水上とアッサムは、潮騒高校学園艦の街並みを歩く。雪が降っているので、水上が念のために用意していた折り畳み傘に2人で入って歩いている。相合傘だ。アッサムとの距離は限りなくゼロに近くなっているのだが、寒い今は温かいのでむしろ好都合である。

 鷺宮に指摘を受けた後で、2人はとりあえず場所を移そうという事で、水上の寮へと行くことにしていた。

 普段であれば、公衆の面前で堂々と男女が抱き合うのを厳しい風紀委員は見逃しはしないだろうが、水上が諸事情で聖グロリアーナに行っていたのは鷺宮も知っている。アッサムとも何かあったのだろうと思い、無下にする事もできなかったので、お咎めなしとなった。

 一方で鴻野は。

 

「裏切り者おおおお!!!」

 

 と叫びながら帰ってしまった。アッサムは何に対する裏切りなのかは皆目わかっていなかったが、水上は分かっていた。

 聖グロリアーナから戻った際にクラスの皆から聞かれた『彼女はできたのか』という問いに対して、水上は『皆の期待してるようなことはなかったから』と答えた。アッサムと付き合っているという事を隠したかったのと、一種の独占欲からそう答えたのだが、『彼女ができなかった』と明確には言っていないので、水上自身は悪くはない、と思っている。

 さて、潮騒高校学園艦には、チェーン系列のファミレスや、個人経営の喫茶店、あるいは図書館など、話をすることができるような場所は多くあるが、場所は水上の寮がいいと提案したのはアッサムだ。

 

「・・・多分、大丈夫だとは思うけど」

「?」

「なんで俺の部屋に・・・?」

 

 朝、部屋を出た際の記憶を掘り起こし、特に部屋は散らかっていないと思うので、一応アッサムの提案は聞き入れたが、それでもそれが気になった。

 

「それは・・・水上の部屋ってどんな感じなのかが、気になったし」

「男の部屋なんて見ても面白くはないと思うが・・・」

 

 なおも愚痴る水上だが、そこでアッサムが、水上の顔を覗き込むように歩きながら身をかがめる。そのアッサムの顔は少しジトっとした目をしていたので、水上は怯む。

 

「私の部屋には入ったのに?」

「ぐっ」

 

 水上の留学中、アッサムが風邪を引いて学校を休んだ際、水上はアッサムの部屋まで行って看病をした。本来女子寮に入ることは不可能なはずだったのだがどうにかそれはクリアできた。

 とはいえ、年頃の女の子の部屋に上がったあの日のことは、色々あったのであの時の緊張感も忘れてはいない。

 その時の事を引き合いに出されると、何も言い返せなくなる。確かに、自分だけアッサムの部屋に上がったのに、逆は駄目だというのも少し我儘に近い。

 そして特に何のアクシデントも無く、寮の水上の部屋の前に着いた。潮騒高校学園艦の寮は、男子寮と女子寮で分かれていると言うわけではなく、賃貸マンションの様な感じの寮がいくつもある。

 鍵を開け、ドアを開けてアッサムに入るように促す。

 

「どうぞー」

「お邪魔します」

 

 律儀に一度礼をしてアッサムは部屋に足を踏み入れる。水上も後に続いて部屋に入る。

 部屋は学生の一人暮らし向けなので、1Kぐらいの広さしかない。聖グロリアーナで一度だけ入った事のある女子寮の部屋よりも狭い方だろう。

 

「散らかってて狭いけど、くつろいでいていいぞ」

「・・・特に散らかってるようには見えないけど・・・?」

 

 一応定番のフレーズを言っておくが、アッサムは首をかしげる。見る限り、ごみは落ちていないし、本が床に散らばってるという事も無い。布団も整えられているし、学習机の上に教材が散乱している、なんて事も無い。全体的に散らかってるとは思えなかった。

 

「・・・水上らしい感じね」

「そうかな?」

 

 学生鞄を床に置き、手を洗いながら水上がアッサムの言葉に反応する。

 

「色々と綺麗に整えられてるところとか。留学してる時のホテルの部屋を見てても思ったけれど」

「あー・・・・・・どうも、物が散らばってるのが気に食わないって言うか、ソワソワする感じなんだよ。布団がぐちゃぐちゃだったり本が棚に収まっていないと、妙に気になると言うか」

「・・・几帳面、という事かしら?」

「神経質、とも言う」

 

 アッサムの評価に、水上が苦笑しながら返すと、お互いに小さく笑う。

 

「さてと、何か飲む?」

「そうね・・・・・・」

 

 積もる話もあるだろうから、何か飲み物の1つでも用意した方がいい。そう思い水上は聞いてみると、アッサムは少し考えてから、やがて笑って水上の方を見る。

 

「紅茶、大丈夫かしら?」

「ああ、大丈夫だよ。茶葉は・・・どうする?2、3種類ぐらいしかないけど」

「任せるわ」

「よしきた」

 

 水上は茶葉を選び、お湯を沸かそうとするが、そこでアッサムが何かに気付いた。その“何か”とは、学習机の上に置かれていた小さなバスケットだ。それはアッサムも、見覚えがある。水上が聖グロリアーナを去る日、連絡船に乗る前にダージリンが渡したものだ。

 聖グロリアーナで水上はたった一度だけだが、戦車長・小隊長としてダージリンと戦車で戦った。結局水上は負けたが、それでもダージリンはよきライバルとして、聖グロリアーナの慣習に則りティーセットを渡したのだ。

 

「これ、使ってないの?」

「ん?ああ・・・恐れ多くて使えないよ」

 

 水上の気持ちも分かる。

 このティーセットは特注品で、同じ模様のものが2つとない。そんな代物、いくらするのかは見当もつかないだろう。そんなものをうっかりと壊してしまえば悔やむに悔やみきれない。

 それともう一つ、水上がこのティーセットを使わないのには理由があった。

 

「・・・・・・ダージリンが、“家族”で使えって言っていたし」

 

 水上の、少し恥ずかし気な言葉にアッサムも、赤面する。その“家族”の意味は、2人ともよくわかっていたからだ。

 であれば、だ。

 

「・・・なら、今使っても問題ないんじゃないかしら?」

「・・・・・・」

 

 確かに、よくよく考えてみればそうかもしれない。

 水上が聖グロリアーナを去る前日に、アッサムに何を言ったのかを、水上は忘れた事は一度たりとも無い。だから長い目で見てみれば、2人は“家族”と言える、かもしれなかった。

 

「・・・・・・じゃあ、使いますか」

 

 お湯を沸かしながら、水上はアッサムからバスケットを受け取り、一度冷水でティーポットとカップを洗う。長い間保管していたので、多少埃がついていると思ったからだ。

 そしてお湯が沸くと、一度ポットとカップを湯通しし、茶葉を必要な分だけすくいストレーナーに茶葉を淹れ、そしてお湯を注いで砂時計で時間を計る。

 その迷いのない、慣れている動きにアッサムは感心した。

 

「手慣れた感じね」

「まあ、聖グロで嫌というほど淹れたし、今でも紅茶は続けてるから」

 

 確かに、戦車道の訓練がある日はほぼ毎日水上は紅茶を淹れていた。そして将来的に見れば、水上も紅茶の腕を落とすわけにはいかないから、常日頃から紅茶を淹れて技術を忘れないようにしているのだろう。

 紅茶ができるまでの間、アッサムは改めて水上の部屋を見渡す。

 先ほども言ったように、部屋は全体的に整理整頓がされており、壁や明りは暖色系の色で統一されている。

 本棚には、そこそこ名の知れている小説や漫画が多く、棚の下の方に収められている大判の本は紅茶にまつわる本がほとんどだった。聖グロリアーナに給仕として行く前に勉強していたからなのか、それとも聖グロリアーナから戻ってさらに技術を高めるためなのかは分からない。後で聞いてみよう。

 そして、棚の上の方にはよく目を凝らすと、ジョーク関係の本が多くあった。

 その中の1つの本、『面白いジョーク集』というタイトルにはアッサムも覚えがある。

 本当に最初に水上と出会った際、この『面白いジョーク集』という本をアッサムも水上も全くの偶然で所持していたことで会話に花が咲き、お互いに知り合うことができたのだ。

 そう考えると、あの本には中々に思い入れがあると言っていい。また読みたくなってきた。

 そこで、水上がソーサーとカップを先にテーブルに2つ置き、そして後からティーポットを持って来てカップに静かに注いでいく。

 そこで水上は。

 

「お待たせいたしました。アッサムティーでございます・・・・・・あ」

 

 聖グロリアーナにいた頃の癖で不意に敬語を使ってしまった。これは水上自身でもおかしかったと思っていたようだが、時すでに遅し。

 その敬語で、アッサムは聖グロリアーナに水上がいた時の事を思い出し、そして先ほどまでの水上の素の話し方とのギャップを感じて思わず吹き出してしまった。

 

「ふふっ・・・・・・久々に、水上の敬語を聞いた気がする」

 

 恥ずかしくなり、肩をすくめて気にしていない風を取り、水上はもう一つの自分のカップに紅茶を注ぐ。注ぎ終えると、アッサムに向き合って座り、それを見計らってアッサムが話しかけてくれた。

 

「いただいてもいいかしら?」

「熱いうちに、召し上がれ」

 

 水上がそう告げると、アッサムはカップを手に、静かに、優雅に紅茶を飲む。

 そのアッサムは、水上からすればおよそ3カ月ぶりに見るものなのだが、その所作の綺麗さは健在だなと、水上は思う。

 そしてアッサムは紅茶を少しだけ飲み、唇をカップから離してソーサーに置くと、水上を見て微笑んだ。

 

「懐かしい・・・この味」

 

 そう言われると、水上も少し照れる。それはアッサムが自分の淹れた紅茶の味を忘れていなかったという事だし、それだけアッサムが自分の紅茶の味を覚えるぐらい気に入ってくれていたのだと、そう思うからだ。

 

「・・・・・・水上の淹れる紅茶が、私は一番好きね」

「・・・そっか」

 

 その言葉も水上には嬉しくて仕方が無かったのだが、あえて1つ言うならば。

 

「・・・オレンジペコが聞いたら泣きそうだ」

 

 水上が聖グロリアーナに来るまでの間、紅茶の園で紅茶を淹れていたのはオレンジペコだと聞いていたので、水上が去った後もオレンジペコが紅茶を淹れているはずだ。なので水上はオレンジペコのことを言った。

 

「オレンジペコの紅茶も美味しいわよ?でも、水上の紅茶はそれ以上に美味しいし・・・・・・私の好みだから」

 

 最後の理由だけでも、水上は十分だったので、最早とやかくは言わない。素直に『ありがとう』とだけ告げて、自分も紅茶を一口飲む。ただ、とりあえずオレンジペコには心の中で謝っておいた。

 一口飲んだところで、水上が改めてアッサムの顔を見る。

 

「改めて・・・・・・よく来たね、アッサム」

「ありがとう、水上」

 

 歓迎の言葉を伝えると、アッサムは小さく頷いて微笑む。会った直後は驚きの余りこんな当たり前のセリフを告げる事もできず、驚きが引かぬままアッサムが抱き付いてきたので言う暇も無かった。

 

「・・・来てくれたのは嬉しいけど・・・事前に言ってほしかったな。そうすれば準備する事だってできたのに」

 

 部屋は普段から綺麗にしていたのでともかく、洗濯物も今日ではなかったので一安心だ。干していたら恥ずかしくて死ぬかもしれなかった。紅茶の茶葉も用意してあったので、最低限のおもてなしもできたのだが、前に言ってくれればもっとお菓子などを用意できたのだが。

 

「ごめんなさいね、ちょっと驚かせたくて」

 

 ちょっとどころではなかったのだが、なかなかにアッサムも茶目っ気のある性格をしていたようだ。また1つ、アッサムの魅力に気付けたので水上は笑みを零す。

 

「でもまあ・・・会えてよかったよ。少し寂しかったし」

「私も・・・・・・水上にずっと会いたかったから・・・」

 

 会えてよかったのは本当だ。寂しさを感じていたところでこうしてアッサムに出会えたのだから、嬉しくないはずもない。驚きはしたのだが。

 そして聞けば、アッサムはずっと学校の前で待っていたのではなく、学校が終わる辺りの時間までは近くの喫茶店で時間を潰していたとのことだ。それでも水上は日直で帰るのが遅かったので、雪の降る中でアッサムを待たせてしまった事になる。

 

「・・・ごめん、寒かったよね」

「ううん、大丈夫よ。私が自分でしたことだから」

 

 アッサムはそう言ってくれるが、少し罪悪感を抱く水上。後で何かお詫びでもしようと思った。

 

「・・・それでね、水上」

「ん?」

 

 カップの紅茶を飲んで、ソーサーに置いてアッサムが何かを言おうとする。水上は、急かさずにアッサムの言葉を待つ。

 だが、そこまで時間は空けずに次の言葉を告げた。

 

「あなたに会いに来たのは・・・ちょっとした理由があるの」

「?」

 

 理由と聞いて、何か深刻な事態でも起きたのかと思い、水上も姿勢を正す。

 だが、アッサムの表情は特に暗くはない。どころか、少し恥ずかしさを孕むように微笑んでいる。

 

「実はね・・・」

「うん」

「今日、私の誕生日だったの」

「・・・・・・え?」

 

 水上が呆けたように目を開き、口を閉ざす。だが、すぐに表情を喜びに変えた。

 

「お、おめでとう・・・!って、言っていいのか・・・」

「ええ、ありがとうね」

 

 だが、すぐに水上の表情が申し訳ないような表情に変わる。

 

「だったら、なおさら事前に言ってほしかったよ・・・。色々プレゼントとか用意できたのに・・・」

 

 もちろん、水上はそう言った類のものを用意していないし、持ち合わせてもいない。せっかくの恋人の誕生日だというのに何も用意できていなくて、無力感を味わってしまう。

 だが、アッサムは首を横に振った。

 

「いいのよ、何か特別なものなんて、必要ない」

「でも・・・・・・」

「だって・・・・・・」

 

 アッサムは、水上の事を真っ直ぐに見据えて、そして告げた。

 

「水上と一緒に過ごせるだけで・・・・・・私は十分だから」

「・・・・・・」

「今日ここに来たのは・・・今日という日にあなたに会いたかったから」

「・・・・・・」

「あなたと一緒に過ごせるって事が、私にとってのプレゼントだから」

 

 ものすごく嬉しくはあるのだが、同時に同じぐらい恥ずかしいことを言われてしまい、水上は紅茶を飲んで恥ずかしさを紛らわせようとする。だが、それだけではまだ顔の熱は引かないので、顔を抑える。

 

「・・・アッサム・・・」

「?」

「・・・・・・よく、そんな恥ずかしいセリフ言えるな・・・」

 

 少しだけ笑いながら水上が問うと、アッサムも少しはにかみながら答える。

 

「正直・・・・・・ちょっと恥ずかしい」

 

 クールなイメージのするアッサムも、流石にノーダメージでは済まされなかったようだ。なら言わなければいいのに、と思ったがそれではアッサムの真意が分からないままだったので、致し方ない事だった。

 

「・・・こうなると、ダージリンが羨ましくなるわね・・・」

「ダージリンが?」

 

 突然ダージリンの名前が出たので、水上も首をかしげる。

 

「だって、いつも日常的に格言やことわざを多用して、しかもそれを決め顔で言えるのよ?格言だって恥ずかしいのがいくつもあるのに、平然と言えるあの胆力は、すごいと思うわ」

「・・・・・・それは、たしかに」

 

 格言は、聞くと真理を突くような言葉ではあるが、同時に堂々と言う事が恥ずかしいようなものも多い。

 ダージリンはそんな言葉をよく言っていて、実際水上もその言葉を受けた事がある。そして、ダージリンは格言を言った後でも別に恥ずかしそうにはしていないし、むしろしてやったり顔をしていた方が多い。あの胆力は確かに、見上げたものだと思う。まあ、戦車隊の隊長を務めている時点で並の肝ではないのだろうけれど。

 と、そこでスマートフォンの着信音が部屋に鳴り響く。だが、水上のスマートフォンのそれではなかったので、消去法でアッサムのものだ。

 それは持ち主であるアッサム自身がいち早く気付いたので、『ごめんなさい』と断りを入れてからスマートフォンの画面を見る。

 

「・・・・・・噂をすればなんとやら、ってね」

「?」

「ダージリンからだわ」

 

 今日は偶然が重なる事が多くて怖いな、と水上は思う。アッサムと会う事を考えていたら本当にアッサムが会いに来て、ダージリンの話をしていたらそのダージリンから電話が来た。まるで非科学的な力でも働いているんじゃないかと思うぐらい、偶然が重なっている。

 そんな事を悠長に思っている水上を傍目に、アッサムは電話に出る。

 

「もしもし、ダージリン?」

『アッサム?水上には会えたかしら?』

「ええ、何とか」

『そう、それは良かったわ。で、今そこにいるのかしら?』

 

 水上の所在を聞いたところを見るに、どうやらダージリンも水上と少し話をしたいらしい。なのでその気持ちを慮り、アッサムは素直に答える。

 

「いますよ」

『じゃあ、ちょっと代わってもらえるかしら?』

「では、スピーカーフォンにしますね」

 

 アッサムは、水上に声をかけてから、スピーカーフォンにしてテーブルの中央に置く。これで、こちらの声は向こうに聞こえるはずだ。

 

『もしもし、水上?』

 

 この声も、随分と水上にとっては久々に聞こえるものだったので、少しばかり懐かしさを感じる。

 

「はい、水上です。お久しぶりです、ダージリン様」

 

 また自然に、敬語で話してしまう水上。それにアッサムは気付いたが、水上は少しだけ笑うだけだ。

 

『あら、もう給仕ではないのだし、その口調で話さなくても大丈夫よ?それに、最後の日にはあなたと素の口調で話した記憶があるのだけれど』

 

 水上が聖グロリアーナを去る最終日に、水上はダージリンと少しばかり言葉を交わした。その時だけは、水上も給仕の時に使っていた丁寧な口調ではなく普段通りの口調で話をしていたので、ダージリンはそのことを言っているのだ。

 

「いえ・・・聖グロリアーナにいる間にあなたと話す際は普段この口調でしたので、この話し方の方が私からすれば落ち着くので」

『そう・・・・・・まあ、そっちの方が私としても面白いわね』

 

 小さくころころと笑ってから、ダージリンが『さて』と一旦仕切り直す。

 

『アッサムとはもう会えたのよね?』

「はい」

『感動の再会はできたのかしら?』

 

 感動の再会、と言われて水上とアッサムは思い出す。学校の校門の前で、感極まってアッサムが抱き付いてきた時の事を。そして水上自身、アッサムを抱き返したことを。

 それが感動ではないとすれば、何だろうか。

 

「・・・ええ、できました」

 

 あくまで水上は自分の感想を述べる。そこでアッサムの表情を覗うと、穏やかな笑みを浮かべていて、アッサム自身も先ほどの再会は感動したのだと、理解できる。

 だが、水上の言葉を聞いたダージリンは。

 

『・・・キスとかしたのかしら?』

 

 それは果たして、水上とアッサムをからかうためなのか、それともダージリン自身の興味本位なのかは分からない。だが、その一言は水上とアッサムの空気を一瞬で変えるには十分な威力を持っていた。

 もちろん、ダージリンの言ったような事はしていない。聖グロリアーナにいた時は何度か交わした事だったのだが、出会い頭にするほど無節操ではないし、2人ともそう言う事をするにはちゃんとムードと場所を整えるべきだと思っていた。

 けれど水上は、思わずアッサムの方を向いてしまう。だが、アッサムは恥ずかしいのか、机に膝をついて手を組み、そこにおでこをくっつけて俯いてしまっていて、水上と視線を合わせようとはしない。援護は望めないので、水上は自分1人でどうにかしなければならなかった。

 

「・・・・・・まだ、していません」

『まだ、ね。じゃあ、する気はあるという事かしら?』

 

 言葉の綾を見事に突かれて、水上もぐっと口をつぐむ。

 一方でアッサムは、水上の先ほどの答え方が本当に間違えたからなのか、それともその気があったからのかは判別できていないが、実際そうした時の事を想像すると余計恥ずかしくなって、顔に赤みが差す。

 

『今日が何の日かは、アッサムから聞いたわよね?』

「・・・・・・はい」

『なら、こんな格言を知ってる?』

 

 ダージリンのお馴染みの言葉。それを聞いて水上も、ピクッと肩を揺らし、アッサムも顔を上げる。

 

『真面目に恋をする男は、恋人の前では困惑したり拙劣であり、愛嬌もろくにないものである』

「・・・・・・・・・」

 

 水上は、その格言を最初に聞いて、どう捉えればいいのか分からなかった。それどころか、水上はそんな格言は聞いた事が無い。アッサムの方を見ても、分からないとばかりに首を横に振っている。

 

「・・・・・・私は、オレンジペコ様のように博識ではありません。ダージリン様の格言が誰の言葉なのか、どういう意味なのかも、分かりかねます」

『あら。少しは勉強した方がいいんじゃなくて?』

 

 水上も、ダージリンのセリフが別の誰かから言われたものならカチンときたかもしれないが、実際勉強不足ではあるので反論はできない。そして、ダージリンの言葉には、なぜだか反論できないような気がした。流石戦車隊の隊長と言うだけあって弁が立つダージリンには、水上も一度も舌戦で勝てた試しがない。それも原因の一つだろう。

 

『今の言葉は、ドイツの哲学者のイマヌエル・カントの言葉よ』

 

 名前を聞いても水上には分からない。だがアッサムは分かったようで、『ああ、あの人』と言いたげに口を小さく開けている。後でちょっと調べたりアッサムに聞いてみよう。

 

『水上は、聖グロリアーナにいた時に限っての話では、真面目な男だと私は思う。だけど恋をする上では、真面目なだけでは必ずしもプラスにだけ働くと言うわけではない、と思うわね』

「・・・・・・・・・」

 

 今さらながら、ダージリンもすごい人だと水上は思う。こうしてその場に合わせた適切な格言や言葉を多く覚えている頭の引き出しもそうだし、その言葉をただ覚えるだけではなくちゃんと意味も理解し、時には独自の解釈もしている。その頭脳は恐らく、凡人な自分とは全く違うんだろうなと、水上はそう思った。

 そしてその格言の意味を聞いて、水上も流石に何が言いたいのかは分かった。要するに、時には真面目なだけではなく大胆な行動も必要だ、という事か。

 

「・・・・・・先の言葉、肝に銘じておきます」

『ええ、是非そうしなさい』

 

 これで話しも終わりかと思ったが、少し状況が変わる。

 

『ペコ、水上と話でもする?』

 

 電話越しのダージリンが、明らかに水上にもアッサムにも向けてはいない言葉を発し、“ペコ”という愛称だけでオレンジペコがダージリンの傍にいるというのが分かる。

 水上がチラッと時計を見れば、時刻は大体16時過ぎ。水上が聖グロリアーナにいた時と体勢が変わっていなければ、今は恐らく紅茶の園でお茶の時間だろう。だからダージリンは電話をかけてきたのだろうし、オレンジペコも傍にいるのだ。

 

『ペコに代わるわね』

 

 ダージリンは手短にそう告げて、電話を別の誰かに渡すような音がスピーカーから聞こえる。

 

『もしもし、水上さんですか?』

「はい。オレンジペコ様、ご無沙汰しております」

 

 心なしか、オレンジペコの声も少し嬉しそうに聞こえる。久々に電話越しとはいえ話ができるからだろうか。

 オレンジペコも水上も、互いに連絡先は聖グロリアーナで交換済みだったのだが、電話はしていないしメールは数える程度しかしていなかった。『アッサムだけと交換しているのは不公平』と随分と不可解な理由で交換させられたのだが、あまり使わないのでは意味がないのではと水上は思わなくも無かった。

 それはともかく、水上とオレンジペコが言葉を交わすのは、8月に水上が聖グロリアーナを去った時以来なので、懐かしいという感情もあるのだろう。

 

『お元気そうで何よりです』

「オレンジペコ様も、お変わりの無いようで」

『はい、私は大丈夫ですよ』

 

 水上の事を気遣うオレンジペコの言葉を、水上はありがたく受け取っておく。

 と、そこで電話を聞いていたアッサムが口を開いた。

 

「ペコ、来年から隊長になるのよね?」

『あ、アッサム様!?そ、それはまだ言わない約束で・・・』

 

 アッサムから新しい情報を提供される。オレンジペコの言い方からするに、どうやらその話はまだオフレコらしい。

 だがその話は、水上にとってはそれほど驚くような話でもなかった。水上が聖グロリアーナにいたころからそう言う話があったのはアッサムから聞いていたのだ。

 

「オレンジペコ様は立派な方ですし、当然ではないかと私は思いますけれどね」

 

 水上は既に聖グロリアーナの人間ではないので、今さら次の世代の隊長にとやかく文句をつけられる筋合いではないし、そもそも水上はオレンジペコの事は元々高く評価していた。

 ダージリンの格言が誰のものなのかを即座に把握できるぐらい博識だし、水上の紅茶の腕もオレンジペコに教わってから上達したのだ。聖グロリアーナに来る前に自分で学んではいたのだが、それでもオレンジペコに教わってからの方が上達したという自覚はある。加えて、ダージリンもオレンジペコを何度か大洗女子学園の試合に連れて行っているのだし、ちゃんと戦い方も学んでいるだろう。それらを踏まえた上でなら、次の隊長になるのもうなずける。

 

『立派って・・・・・・そんな・・・・・・』

 

 何やら電話の向こう側でオレンジペコが恥ずかしがるような声を上げる。少し直球過ぎたかなと水上は思わなくも無かったが、訂正するつもりは無かった。

 一方で、アッサムは水上の事を少しばかりジトっとした目で見ている。水上はそう言う性格をしているからこそオレンジペコの事を素直に褒めたのは、アッサム自身は分かっている。分かっているのだが、それでも嫉妬のような感情を抱かずにはいられなかった。

 その視線に気付き、水上も『ゴメン、すまん』と手と表情で伝えると、アッサムは『仕方ない』とばかりに小さく息を吐いた。

 

『ル、ルクリリさんに代わりますね!』

 

 一方で、オレンジペコは逃げるように、多少強引に電話をルクリリに代わらせてきた。若干のノイズが雑じったが、やがてクリアな音声に変わる。

 

『もしもし、水上さん?』

「お久しぶりです。ルクリリ様」

『オレンジペコに何言ったんですか?随分恥ずかしそうだったんですけど』

「大したことは、特に」

 

 オレンジペコが次の隊長になるという事はルクリリも知っているのかどうかは分からないが、とりあえず伏せておくことにしておいた。

 

『ダメですよー?アッサム様という素敵な方がいるのに、あんまり他の女の子口説いたりしたら』

「口説いてなどいませんよ。ただ率直な意見を述べさせていただいたまでです」

 

 口説く、という言葉にアッサムの肩がピクッと跳ねたのに、水上は気付いていない。

 それにしても、こうして結構ズバズバと遠慮せずに物申すのも、ルクリリの持ち味でもある。それは水上が聖グロリアーナにいた時とは変わっておらず、ましてやアッサムが聞いている前でそんな事が言えるのは相当なたまだと思う。ただ単にアッサムが聞いていることを知らないからかもしれないが。

 

「ルクリリ様は、お元気そうですね」

『まあ、いつも通りですね。水上さんはどうですか?』

「私も変わらず。いつも通りというのは元気な証拠、という事にしましょう」

『それ、いいですね』

 

 ルクリリと話すときは、ダージリンやオレンジペコと話すときのように、変に気張らなくていいように水上は感じた。それは恐らく、聖グロリアーナにいた時に見た、ルクリリの時折見せる気取らない態度や口調によるものだろう。お嬢様らしくはない勝気な口調や仕草が、一般人に過ぎない水上にとっては親近感を覚えるものだったから、接しやすかったのだ。

 

『水上さんの紅茶、また飲みたいなぁ』

「そうですね・・・そちらに伺うことができればよろしかったのですが、生憎都合が合わなくて」

『アッサム様にはもうお出ししたんですか?』

「ええ」

『アッサム様が羨ましいです』

 

 確か、前にルクリリが水上の紅茶を飲んだ時は、割と高く評価してくれたと水上は記憶している。どうやら、ルクリリはその紅茶が美味しかったことをちゃんと覚えてくれていたようだ。それだけで水上は嬉しくなる。

 そしてアッサムの名が出たのでちらっと様子をうかがうと、なぜか少しドヤ顔っぽくなっていた。ルクリリを差し置いて水上の紅茶を飲めたことが嬉しかったらしい。

 と、そこで電話の向こうから『ドバン!』という何か大きな音が聞こえた。それはさながら、扉を勢い良く開けたような―――

 

「・・・ローズヒップ様ですか?」

『お、正解です。よくわかりましたね』

「それはまあ・・・紅茶の園の扉を勢い良く開ける人など、ローズヒップ様ぐらいしか・・・」

『違いないですね』

 

 水上の前に座るアッサムが小さくため息をついて、紅茶を一口飲む。1杯目は飲み切ってしまったようで、水上はテーブルに置かれているスマートフォンにこぼさないように注意しながら、2杯目の紅茶をアッサムのカップに注ぐ。アッサムは、小さく頷いて『ありがとう』と言ってくれた。

 

『代わりましょうか?』

「ええ、そうしていただけると嬉しいです」

『分かりました。ちょっと待ってくださいね』

 

 少しだけノイズが走ったその直後。

 

『ごきげんようでございますですわ!』

 

 これが電話だと忘れているかのような大きな声。少し驚いたのか、アッサムのカップが揺れて紅茶をこぼしそうになる。だが、結局こぼしはしなかったので、日頃の戦車でバランス感覚は鍛えているようだ。

 

「お久しぶりです、ローズヒップ様。お元気そうですね」

『もちろんです事よ!このローズヒップ、今日も元気ハツラツにクルセイダーをガンガン走らせましたのよ!』

 

 ああ、この聖グロリアーナらしからぬはきはきとした声と、とんちんかんなお嬢様言葉。まさしくローズヒップだなと、水上は心の中で呆れを通り越して安心していた。その水上の前に座るアッサムは、頭が痛いとばかりに額を抑えている。

 

「ローズヒップ様は、いつも戦車道にはひたむきですね。感心です」

 

 水上の覚えている限りでは、ローズヒップは常に戦車道には全力で挑んでいた。クルセイダーで走り回る爽快感がたまらないのもあるだろうが、それだけ戦車を愛しているという事なのだろう。

 

『このローズヒップ、常に戦車道には全身全霊を籠めて挑んでるんですの。熱意なら聖グロの誰にも負けないと自負していますわ』

 

 そこまで言える自信もまたすごいと水上は思う。それはアッサムも同じく思ったようで、小さく笑っていた。

 

『ですが・・・・・・今日の訓練の事はアッサム様にバレてしまったらどうなる事やら・・・・・・』

 

 だが、そのボソッと呟いたローズヒップの一言でアッサムの表情が凍る。

 水上は即座に『ヤバイ』と思って話を打ち切ろうとしたが、アッサムが『話を伸ばせ』と言うハンドサインを送ってきた。逆らえる度胸は無いので、水上はローズヒップに心の中で謝りながらも続きを聞いてみる事にした。

 

「・・・・・・何か、あったんですか?」

『今日の訓練は、市街地エリアで隊列を組んで走行する行進訓練だったんですの』

「ほう」

『聖グロリアーナはいかなる時も優雅。ですから、綺麗な隊列を組んで前進するという目的もその通りと思い、私も最初は皆さんに合わせてゆっくり進んでいたんですわ』

「それは良い心がけです」

『ですが・・・こうしてちょろちょろ動いていては敵のいい的になると思い、私のクルセイダーはちょっと調速機を外して速度を上げましたの』

「ええ、それは良くない心がけです」

 

 アッサムの方からビシリ、という空気にひびが入る音が聞こえたのは幻聴だと信じたい。

 

『何より私は、ちまちま動いて戦うというのが誠におかったるく思うんですの。それで、調速機を外してクルセイダーを飛ばしたら・・・』

「飛ばしたら?」

『勢い余って廃屋に突っ込んでしまったんですの』

 

 見える、アッサムの背後に般若の様なものが見える。

 

『それで調速機を外してしまって、整備班の班長さんからお叱りを受けてしまいまして・・・』

「はい」

『これがアッサム様に知られたら、ただでは済まないですわね、と思いまして』

 

 ダメだ、これ以上ローズヒップを騙し続ける自信が水上には無いし、罪悪感で押し潰されそうになる。

 だから水上は。

 

「あー・・・ローズヒップ様」

『はい?なんですの?』

「この電話、実はハンズフリーになっていまして」

『はんずふりー?』

「はい、それでこの電話・・・・・・アッサム様もお聞きになっています」

『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・マジですの?』

「マジです」

『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』

 

 ローズヒップが沈黙した。

 少しの間、時間にしておよそ1分ほどの沈黙を挟んで。

 

『・・・・・・ろ、ろーずひっぷはきょーもゆーがにせんしゃどーをあゆんでおりましたのよー』

「手遅れよ、ローズヒップ」

 

 取り繕うようなローズヒップの棒読み言葉を勢いよく切り落としたアッサムの一言に、電話の向こうでローズヒップが『ぴぃっ!?』と完全に怯え切っているような声を上げた。

 このまま黙っていては誘導尋問(?)の片棒を担いだ水上としても悪い気しかしないので、フォローはしておく。

 

「・・・・・・ローズヒップ様。あなたの戦車道に真摯に打ち込む姿勢は素晴らしいですし、あなたの破天荒ぶりも聖グロリアーナには必要かもしれません」

『え、そ、そうですの?』

「破天荒なのは悪い事とは言い切れません。ですが、それで人に迷惑をかけてはいけませんよ」

 

 ローズヒップが沈黙する。だが、今度はすぐに言葉を返してきた。

 

『・・・・・・・・・・・・はい、気をつけます。アッサム様、すみませんでした』

「・・・分かればいいのよ」

 

 アッサムも、水上の言葉を聞いて、さらにローズヒップの謝罪も聞いて、少し落ち着きを取り戻したようだ。

 最後にローズヒップが『ダージリン様に代わりますわ』と言って、電話はダージリンの下に戻った。

 

『お話は楽しめたかしら?』

「ええ、久しぶりに皆さまとお話ができてよかったです」

『それは良かったわ。それにしても、あのローズヒップをすぐに諫めるなんて、なかなかやるじゃない。水上』

「聞かれてましたか」

『ええ。あなたの「破天荒なのは悪い事とは言い切れない」って言葉、結構面白かったわよ』

「左様でございますか」

 

 格言やことわざを多用するダージリンから、自分の言葉が面白いと言われると、少しばかりこそばゆく思う。

 そこで水上は、もう1人だけ話したい人がいたので聞いてみる。

 

「ルフナ様は、今そちらにいらっしゃいますか?」

 

 少し気まずい仲になってしまったとはいえ、水上が聖グロリアーナにいた時はクラスで世話になった人だったし、親しい間柄でもあったので、この機会に話しておきたかった。

 

『残念だけど・・・ルフナは今日お休みなの』

「あ、そうでしたか・・・・・・。では、よろしくとお伝えしていただけるとありがたいです」

『分かったわ、伝えておく』

 

 ところがダージリンから告げられたのは不在の返事。だが、いなければ仕方がないので、水上は休んだ理由を無暗に聞いたりはせず、挨拶だけは伝えておくことにした。

 

『じゃあ、そろそろ切るわね』

「ええ、ありがとうございました」

『アッサムにとっても大切な日なのだし、きちんとおもてなしするのよ?』

「それは、言われるまでもありませんよ」

 

 最後に軽口を言い合って、電話が切れる。アッサムは、テーブルに置かれていたスマートフォンを鞄に仕舞った。

 

「まったくローズヒップったら・・・」

「はは・・・まあ、ああいうところがローズヒップの良いところだと思うぞ、うん」

「そうだけど・・・・・・来年からが心配だわ・・・・・・」

 

 アッサムとダージリンの卒業後は、オレンジペコが隊長となり、恐らくはローズヒップとルクリリがそれを支えていくのだろう。なるほど、不安になるのも頷ける。主に、ルクリリとローズヒップが。

 

「ま、皆元気そうで何よりだ」

 

 ルフナに挨拶ができなかったのは残念だが、皆も変わらず元気そうだったので、水上としてはそれが分かっただけでも十分だ。

 

「・・・・・・」

 

 ところが、アッサムの表情が微妙に曇る。何か気に障るようなことを言ってしまっただろうか。

 

「・・・どうかした?」

「・・・・・・いえ、別に何でもないわ」

 

 アッサムに問いかけるが、何でもないように笑って紅茶を飲む。

 だがその答え方は、ついさっき鴻野に指摘されたものだ。『「何でもない」と答える時は、大体何か隠し事がある時だ』と。

 

「・・・・・・言ってみて、アッサム。何かあるんだろ?」

「・・・・・・・・・」

 

 アッサムは少しだけ考えるように黙り込むが、やがて顔を上げる。

 

「・・・少しだけ、愚痴ってもいい?」

「大丈夫だ。何か悩んでるんなら、遠慮なく話していい」

 

 それで踏ん切りがついたのか、アッサムも小さく息を吐いて話し出した。

 

「聖グロリアーナにはね、OG会っていう後援会があるのよ」

「OG・・・ホームページにも載ってた?」

「そう、あれよ」

 

 そのOG会が、アッサムに限らず聖グロリアーナの悩みの種らしいのだ。

 聖グロリアーナのOG会は文字通り聖グロリアーナの卒業生(OG)で構成されている組織であり、聖グロリアーナに資金援助や戦車道界の情報提供をしてくれている、後援組織だ。

 それだけ聞けば別に問題は無いのだが、そのOG会が悩みの種な理由は、聖グロリアーナの戦車運営にまで口を出してきているのだという。水上が去ってから来た時は、全国大会で優勝できなかったことをチクチクといびってきたそうだ。

 しかもそのOG会、聖グロリアーナの主力戦車であるマチルダ、クルセイダー、チャーチルにそれぞれ乗っていた乗員たちで構成された、それぞれの名を冠した3つの派閥に分かれていて、その3つの派閥の間でも力の上下関係があるらしい。その中で一番力があるのはマチルダ派で、一番力が弱いのはチャーチル派。だから、聖グロリアーナの戦車はマチルダが多く、チャーチルが少ないそうだ。

 そして何より腹立たしいのが、この3つの派閥が聖グロリアーナの戦車運営にあれこれと注文を付けてくるので、思うように新しい戦車を導入することができないのだ。夏の終わりに水上も観た大洗女子学園と大学選抜チームの試合で、大学選抜チームの隊長である島田愛里寿が乗っていたセンチュリオンもイギリスの戦車なのだが、その導入もOG会の介入で望めないらしい。

 

「まったくもう・・・・・・嫌になるわね」

 

 アッサムが心底うんざりとばかりに息を吐く。そして、そんなOG会の介入にはダージリンも苦言を呈しているらしい。

 今の聖グロリアーナの生徒からすれば、OG会は目の上のたん瘤のような存在なのだろう。戦車運営に介入しなくなれば、センチュリオンなども導入できて、聖グロリアーナは今よりもずっと強くなれるはずだ。それなのに聖グロリアーナが強くなれない理由がその聖グロリアーナの卒業生とは、キツイ皮肉だ。

 

「・・・結局、私たちの代じゃどうする事もできなかったから・・・。ペコたちには申し訳ないと思うわ。来年からは、あの子たちだけでやって行かなくちゃならないから・・・ちょっと不安な気もするのよ」

 

 ダージリンとアッサムは来年にはいなくなる。だから残された者たちだけで、OG会と戦わなければならない。アッサムやダージリンもどうにかしたいと思ったのだろうが、彼女たちがいる間にできる事は少なかった。

 ダージリンの前の隊長であるアールグレイと言う少女がOG会に入ればまだ少しマシになるかもしれないとのことだったが、それはまだ先だろう。

 

「・・・・・・・・・はぁ」

 

 憂鬱そうにため息をつくアッサムを見て、水上は申し訳ない事を聞いてしまったと思う。

 OG会の存在は、聖グロリアーナ女学園の公式サイトにも記載されていたので名前だけは聞いていたのだが、そんな実態だったとは。

 そのOG会にチクチクとねちっこくいびられて、アッサムも疲弊したのだろう。もしかしたら、先ほど何事も無かったかのように電話をしていたダージリンたちも、心の中では疲弊していたのかもしれない。

 そして、今目の前にいるアッサムが少し憂鬱そうな感じになってしまったのは、水上がその話題をアッサムに話させたのもある。だから、今目の前で落ち込んでいるアッサムをどうにか元気づける責任が、自分にはあると水上は思っていた。

 

『アッサムにとっても大切な日なのだし、きちんとおもてなしするのよ?』

 

 ふと脳裏に、先ほどダージリンの言っていた言葉がよぎる。

 そうだ、今日はアッサムにとっては年に一度の大切な思い入れのある日だ。そんな日にアッサムを憂鬱な気持ちにさせてどうする。

 

「・・・・・・紅茶、淹れ直すね」

「ええ、お願い」

 

 水上は立ち上がり、新しい紅茶を淹れ直そうとする。それは決して、目の前の問題から逃げるためではない。ちゃんと理由はある。

 

「ごめん。嫌なこと思い出させちゃって」

「それは水上の謝る事じゃ・・・」

 

 2度目なので、お湯は案外早く沸いた。手際よく2回目の準備を進め、蒸らす間にアッサムに話しかける。

 

「俺はまあ・・・ダージリンやアッサムみたいに頭の出来はそんなに良くないから、ああした方がいいこうした方がいいって、アドバイスはできない」

 

 ダージリンは戦車隊の隊長として優れた頭脳を備えていて、聡明なその頭脳を持ってあの大洗女子学園に2度も勝利している。

 アッサムは聖グロリアーナの参謀として、聖グロリアーナ戦車隊の作戦を過去のデータとスパイ活動で得た知識で立ててきている。スパイ活動も馬鹿ではできないし、いかにアッサムが優秀かも分かる。

 そんな2人に比べて水上など取るに足らない存在だ。だから、聖グロリアーナの皆がOG会の存在に頭を悩ませている事に対して、明確なアドバイスをする事はできない。

 できる事と言えば、紅茶を淹れて気持ちを落ち着かせることぐらいだ。素人が首を突っ込むべきではないし、その方が元給仕としては落ち着く。

 時間を計っていた砂時計の砂が全て落ち、茶殻を濾してスプーンで少しかき混ぜる。

 ポットをアッサムの下へと運び、カップに紅茶を注ぐ。

 

「けど・・・今日はアッサムにとって大切な日だ。だから、せめて紅茶を飲んでリラックスして、そんな顔はしないでほしい。話させちゃった俺が言うのもなんだけどな・・・」

 

 アッサムのカップに、静かに紅茶を注ぐ。その水上の顔は少しだけ寂しそうに、申し訳なさそうに笑っていた。

 水上も、水上なりにアッサムの中の嫌な感情を払拭しようと努めている。それに気付けるぐらいには、アッサムもまだ冷静を保てている。

 アッサムは、カップの中の紅茶を見る。明るい茶色っぽい色の紅茶には、自分の顔が映っている。随分と、辛気臭い顔だなと失笑するが、やがて笑みを浮かべて水上の方を見た。

 

「・・・・・・ありがと、水上」

 

 そして紅茶を一口飲むアッサム。先ほどよりも、少し美味しく感じられた。

 

「そう言えば水上は、大学決まったの?」

「ああ、ギリギリ推薦が通った」

「・・・・・・それは点数的な意味で?時間的な意味で?」

「時間的な意味で。そう言うアッサムは?」

「問題ないわ」

「だろうな」

 

 その後、水上とアッサムはしばしの間、他愛も無い雑談を交わした。先ほどの暗い雰囲気から脱するように。

 

 

 最初はしんしん降っていた雪は勢いを増しており、外へ出るのが難しくなってきた。陽が落ちて夕食時になっても雪は収まらなかったので、やむを得ず2人で水上の部屋で夕食という事になった。

 重ねて言うが、水上は客人を招く予定も無かったので冷蔵庫の中には最低限のものしか入っていない。誕生日が男の手作り料理というのも些か変な感じがするが、それでも作らなければ夕飯は無しになってしまう。

 仕方なく、手軽に野菜炒めで済ませる事にした。聖グロの食事とは程遠い庶民的にもほどがあるものではあったが、それでもアッサムは『美味しい』とは言ってくれた。それがお世辞なのか本心なのかは定かではないが、一応今は本心だろうとだけ思っておく。

 そして夕食を食べ終えて、今は食後のティータイムの時間だ。茶葉はアッサムではなくアールグレイに変えている。

 

「ご馳走様。でもごめんなさい、食器洗いまで任せてしまって」

「気にしなくていいさ。アッサムは客人だし、それに今日は誕生日なんだから。ゆっくりしていていいよ」

 

 水上は食器を洗いながらそう言ってくれる。聖グロにいた時のように、水上の気遣いと優しさは健在だなと、アッサムは紅茶を飲みながら思う。

 やがて、食器を洗い終えたところで、水上もアッサムに向かい合って紅茶を飲む。

 

「・・・そう言えば、アッサムはこれからどうするの?」

「これから?」

「いや、今日のこのあと。学園艦に泊まってくの?」

 

 今日と明日だけアッサムは休みだが、明日には聖グロリアーナに戻るらしい。聖グロリアーナ学園艦と今いる潮騒高校学園艦は離れた場所を航行しているため、移動するのに時間がかかってしまうのだ。

 泊まらない場合は、まだ最終の連絡船は出ていないのでそれに乗れば帰ることができる。泊まるとすれば、確かこの学園艦にも民宿が1軒か2軒ぐらいあったはずだ。そこが空いていれば泊まれるだろう。

 ただ、アッサムの鞄が少し大きめのものだから恐らくは泊まっていくのだろうなと、水上は思った。

 ところが、その水上の予想は半分当たりで、半分外れだった。

 

「・・・・・・ねえ、水上」

「?」

 

 ティーカップをソーサーに置いたアッサムが、俯きながら呟く。水上は別にそれを不審に思わず、紅茶を啜る。

 

「・・・あなたさえよければ、何だけど・・・」

「何?」

 

 水上もまた、カップをソーサーに置き、アッサムが何を言おうとしているのかを考える。泊まるのであれば民宿まで送るし、はたまた連絡船で帰るのであればそこまで送るつもりだ。そして明日の朝、去る時だってもちろん見送る。

 ところが、次のアッサムの言葉はそのどれでもなかった。

 

「・・・今日、ここに泊まってもいい?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

 水上の動きが止まる。表情が凍り付く。だがすぐ、思考は再起動した。

 

「・・・わ、笑えないジョークだなぁ。アッサムらしくない・・・」

「・・・・・・・・・」

 

 恥ずかしさと苦し紛れにそんなことを言うが、アッサムが何も言ってこない。水上の顔を、僅かに恥ずかしさを交えているように赤らめた顔で、水上の事を見ている。

 その反応で、アッサムの先の発言がジョークでないのは分かってしまった。

 

「・・・・・・・・・本気か?」

「・・・・・・ええ」

 

 アッサムは、ちらちらと水上の方を見て、恥ずかしいのか目を合わせようとしない。

 そんな恥じらう姿を見て、水上の中にある『ここに泊めない方が安心』という考えが雲散霧消してしまった。

 

「・・・・・・・・・泊まり心地は、それほどよくないけど」

 

 せめて自虐気味に返して恥ずかしさを紛らわせたのだが、それでアッサムは笑ってくれた。

 

 

 そのアッサムの少し大きめな荷物の正体は、寝間着やシャンプーの類だったので、やはりアッサムも元々は学園艦に泊まるつもりだったらしい。ハナから水上の部屋に泊まるつもりでいたのかは分からないし、聞くのも野暮な感じがしたので敢えて聞かなかった。

 さて、今現在アッサムは風呂に入っていて、水上は既に入り終えている。恐らく、このことが学校の連中、特に鴻野に知られたら面倒なことにしかならないので、このことは内密にして置く事にした。

 『面白いジョーク集』と表紙に書かれた本を開き、意識を集中する。浴室からシャワーの音が聞こえてくるのだが、その音に意識を向けると、良からぬ情景が目に浮かんでしまうので、かじりつくように本を読む。

 やがて、アッサムが風呂から出てきた。先ほどまで見た金の髪もウェーブがかってはおらず、水に濡れてストレートになっている。夏休みに大洗の潮騒の湯で見た時と同じだ。

 そしてアッサムが着ているのは紫のパジャマだ。以前アッサムが風邪を引いて看病した際はネグリジェだったと記憶しているが、もう冬なのだしあの恰好ではいくら何でも寒すぎるからだろう。それに、普通のパジャマの方が水上にとっては目に毒ではないので落ち着けるし、問題は無い。残念だ、とは“そこまでは”思っていない。

 

「いいお湯だったわよ」

「それはどうも」

 

 そしてアッサムは、ベッドに腰かけている水上の傍に自然と座った。それだけ、たったそれだけで水上の心拍数が急上昇する。何せ、温かい空気とか髪の香りだとかが伝わってくるせいで、目の前の本にすら集中することができない。

 だが、そんな水上とは反対にアッサムは、水上の読んでいる本に気付く。

 

「この本・・・・・・」

 

 どうやら、書いてある内容だけで何の本かに気付いたらしい。水上も少し別の事を考えて気を紛らわせようと思い、平然を装って本の表紙をアッサムに見せた。

 

「あの本だ」

「・・・・・・この本のおかげで、私たち、巡り会えたのよね・・・」

 

 アッサムの言う通り、初めて会った時にこの本を2人が持っていたから、お互いに話をすることができて、今に至るまでの関係を進展させることができたのだ。

 

「・・・・・・なんかもう、最初に会ったのがずいぶん昔な感じがする」

「1年も満たないのにね」

 

 3月の末あたりに出会ったのだから、アッサムの言う通り2人は知り合ってから1年も経っていない。昔のように思えて、案外そこまで昔ではないのだ。

 

「この本で、水上の好きなのってどれ?」

「え?ああ、そうだな・・・・・・」

 

 少しの間、この本でお互いの好きなジョークはどれか、という話題になった。オチはどれも笑えるが、少し想像を働かせないと理解できないものもある。けれど、2人とも根本的にジョークが好きだから、想像するのさえも楽しんでいるのだ。

 種類も様々で、人間の性格を表したものや、オチがとんちの様なものもあるし、民族性を揶揄するようなものもあった。それら全てが、2人にとっては面白く感じられる。

 水上はそこで面白いと感じただけで終わってしまうのだが、アッサムはさらに自作のジョークも持っている。それをいくつかアッサムが披露し、水上も笑うことができた。アッサムとしても、聖グロリアーナ以外で自分の作ったジョークで笑ってくれるのが新鮮だったから、とても嬉しかった。

 そして気がつけば、既に時間はいい感じに遅くなっていて、明日のためにそろそろ寝るべき時間となっていた。

 

「さて、そろそろ寝ようか」

「・・・・・・ええ、そうね」

「じゃ、アッサムはベッドでいいから。俺は夏用の布団で・・・・・・」

 

 そう言って、布団を取り出すために水上が立ち上がろうとすると、その袖をアッサムが小さく握ってきた。それに水上は気付いて、足を止める。

 

「・・・・・・どうかした?」

「ねえ・・・・・・水上」

「?」

「これが・・・・・・最後のお願い」

 

 その言葉に、水上も意識を向けざるを得なくなる。

 

「・・・・・・あなたと一緒に、眠りたい」

 

 その揺らぐ瞳を見て、断る事などできなかった。

 だから水上は『分かった』と頷いてしまった。

 

(・・・・・・眠れるはずがないよな)

 

 そして今、水上とアッサムは、2人でベッドに入っている。

 当たり前だが、水上は2人以上で寝る事など全く想定していなかったので、ベッドのサイズはシングルだ。おまけに外が雪で今の季節は冬であるからこそ、ただ布団に入っていても寒いので体を温めるために、身体をくっつける必要がある。だから今、2人の距離はほとんどゼロだった。

 こんな状況で眠れるほど、水上も図太い神経を持ち合わせてはいない。同い年の女性と同衾するなど生まれてこの方一度もなかったし、しかも1人で寝る時とは違い誰かが同じ布団に入っているという時点で違和感が否めない。そして何よりも、アッサムの身体が密着しているせいで、色々と何かが当たっているからそれが水上の脳を否が応でも覚醒させる。

 そんなわけで、水上は未だ寝付けずにいた。顔を合わせ眠っていないのは、恥ずかしさを逃すためのせめてもの抵抗だった。

 

「・・・・・・ねえ、水上」

 

 暗くなった部屋の中、眠気が全く起きない水上の耳に、アッサムの声が聞こえてくる。その声は、どこか寂しそうでもあったし、同時に嬉しそうでもあった。

 そして水上の背中に、アッサムの手が添えられる。突然の事で水上が内心びっくりするが、アッサムは続ける。

 

「・・・・・・ずっと、寂しかった」

「・・・・・・・・・」

「・・・あなたが聖グロを去ってから、ずっとあなたの事を想ってた。あなたがいた事が当たり前に思ってたから、あなたがいなくなって・・・・・・ずっと心に穴が開いたような感じがしていたの」

 

 水上の寝間着の背中が、小さく握られる。

 

「でも・・・・・・今は幸せな気持ち」

「・・・・・・・・・」

 

 また体をずらして、アッサムが水上との距離をより縮めようとする。

 

「だって、自分の誕生日っていう大切な日に、水上っていう私にとって一番大切な人と過ごせたんだから・・・・・・」

 

 その言葉を聞いて、水上の中に温かい感情が浮かび上がってきた。

 アッサムは、自分がいないことを寂しく思い、そして自分の事を求めてくれていたのだ。それが嬉しくないはずがない。

 だから、水上は少しだけ起き上がって、アッサムに向かい合うように、寝転がる。

 そして、少し困惑した様子のアッサムを、優しく抱きしめた。

 

「・・・・・・ありがとう、アッサム」

 

 いつもつけている黒いリボンは無いけれど、長い金色の美しい髪は、少し釣り目の眼は、紛れもなく、アッサムだ。

 水上だって、聖グロリアーナにいた時の事は忘れてはいないし、アッサムの事だってもちろん忘れた事など無い。だが、忘れた事が無いからこそ、いないことを寂しく思っていた。ずっと会いたいと思ってもいた。

 だから、今日最初にアッサムに会った時、困惑とは別に嬉しさも感じていたのだ。だが、その嬉しさは、まだ全部伝えきれていない。

 

「俺も、今日、またアッサムに会えて・・・・・・本当によかった。本当に、嬉しかった」

「・・・・・・・・・」

「本当に、会いたかったよ」

「・・・・・・」

「・・・大好きだ、アッサム」

 

 その言葉を聞いた直後、アッサムが身を捩るように水上の腕の中で動く。そんなアッサムを、水上は優しく、だが強く抱きしめる。

 すると、不意にアッサムが身体を離し、そして目を瞑った。

 それは、眠ろうとしているのではないと、水上は直感で察する。同時に、そう言えばまだこれはしていなかったなと、今日出会ってから今に至るまでを思い出してそう思う。

 水上は、少しずつ顔を近づけていき、頬に手を添えて、そして唇を重ねた。

 ほんの少しの間だけキスを交わして、その後は緊張感など全く感じず、いつの間にか眠りに就いていた。

 

 

 翌朝、雪は止んでいたが、学園艦は雪に覆われていた。よくテレビで見る、本土の豪雪地帯の雪の壁のようになるまでは積もらなかったが、それでもそこそこ積もっている。そのせいで歩く事もままならないのだが、学校は通常通り行われるとのことだった。生徒たちは、雪道に悪戦苦闘しながら学校へと向かう。

 そんな中で、水上は寄り道をしていた。その寄り道した場所とは、連絡船の乗り場。その理由は単純明快で、アッサムの見送りだ。

 

「・・・・・・ごめんなさいね。急に来た上に色々してもらっちゃって」

「いいって、気にしないで大丈夫。俺も会えてよかったから」

 

 連絡船へとつながるタラップの前で、アッサムと水上が向かい合って言葉を交わす。長い間会えなかったから、もっと一緒にいたいというのが本音だったが、水上もアッサムもそれぞれ学校があるのでそうもいかない。

 2人はもっと一緒にいたいという気持ちはそっと胸に仕舞って、別れの時を迎える。

 

「・・・また、近いうちに会えると良いな」

「そうね・・・・・・聖グロリアーナに来れたら、色々見て回れるけど・・・」

 

 確かに、水上もまた聖グロリアーナには行きたいと思っている。もちろん、学校の中に入る事は恐らく不可能だが、学園艦に行く事自体はできるはずなので、行けたら色々見て回りたいと思う。

 

「・・・早くても、来年ぐらいかな」

「・・・・・・そうよね」

「でも、アッサムが卒業するまでには、行けると思う。いや、行くよ」

「・・・・・・ええ」

 

 そろそろ、連絡船が出る時間になる。船が汽笛を鳴らし、その時間が近くなっているのを水上とアッサムの2人に思い出させる。

 

「・・・じゃあ、そろそろ行くわね」

「・・・・・・ああ。気をつけて」

 

 そこで、小さく触れるようにアッサムが口づけをしてきた。

 その動きが少し早かったので、水上から見れば、突然アッサムの顔が近づいてきて、気付いたらこちらに向けてウィンクをし、そして連絡船へと乗り込んでいったようにしか見えない。水上はその早業と、今さら湧いてきた恥ずかしさに、思わず笑って小さく息を吐く。

 やがてタラップが畳まれて、連絡船が離れ出す。デッキの上でアッサムが手を振ってくれたので、水上も手を振り返す。

 アッサムの姿が見えなくなるまで手を振り返して、そして時計を見たらもうすぐ学校が始まってしまうような時間になってしまっていた。水上は、急いでその場を離れて学校へと向かう。

 だが、その顔はどこか爽やかなものだった。

 

 

 

 

 

「どうかしたの?」

 

 紅茶のカップを見つめて昔の事を思い出していた俺を心配して、アッサムが声をかけてくれた。

 

「いや、ちょっと・・・・・・最初の誕生日の事を思い出して」

「最初の誕生日?」

「ああ、俺のいた学園艦にアッサムが来た時だよ」

「・・・あっ、あの時ね」

 

 アッサムも、俺の言葉でその時の事を思い出したのか、カップを置いて穏やかな笑みを浮かべる。あの時の事は、やはりアッサムの中でも大切な思い出の1つとなっていたらしい。

 

「あの時は・・・どうしてもあなたに会いたかったから」

「いや、それは俺も同じだったけどさ・・・・・・あの後大変だったんだよなぁ」

「え?」

 

 アッサムが俺のいた潮騒高校学園艦から帰った後、俺自身がどんな目に遭ったのか、そう言えばまだ話していなかったか。

 

「あの後、鴻野―――俺の友達が筆頭で、クラスの連中から尋問されたんだよ」

「尋・・・問・・・?」

 

 あまり穏やかではない単語を聞いて、アッサムも顔全体で『どういう事?』と聞いてくる。確かにこれだけ聞いたら大事と捉えるだろう。

 

「俺、聖グロから潮騒高校に戻った時、彼女ができたのかって聞かれたんだよ。それで俺は『皆が期待してるようなことは何もなかった』って言ったんだ」

「ああ、それで・・・・・・」

「で、あの後鴻野が『どういうことか説明しろー!』って。他の男子と一部の女子含めて。それで・・・・・・吐かざるを得なかった」

「そうだったのね・・・・・・ふふっ」

 

 どうやら、尋問と言うには微笑ましいその光景を想像したのか、アッサムが笑うが、俺としては勘弁してほしいと思った。聖グロから戻ってきた時以上に質問攻めにされたので、疲れることこの上なかった。

 

「でもどうして、最初に私たちが付き合ってるって事、隠してたの?」

「ああ、それは・・・・・・」

 

 アッサムの当然の疑問に俺は普通に答えようとするが、僅かに躊躇う。クサくはないかと、引かれるんじゃないかと思う。

 だが、アッサムとは今さらそんな事で遠慮したりするような関係ではないので、言わせてもらう事にした。

 

「・・・アッサムとの関係は、秘密にしておきたかった。独占欲・・・みたいな感じで」

 

 そこでちらっとアッサムの様子を伺うと、アッサムが少しだけ口を開けているが、やがて笑ってくれた。

 

「・・・それだけ、私の事を想ってくれていた、と捉えていいのかしら?」

 

 笑いながらのアッサムの問いに対する答えはもちろん決まっている。

 

「・・・ああ」

「・・・・・・ありがとう」

 

 そこで、メールの着信音が部屋に鳴り響く。俺の携帯のそれではなかったので、アッサムのものだろう。それにしても、今日はやけにこの音を聞いたような気もする。

 

「・・・・・・やっぱり、プロにもなるとお祝いのメールも結構来るんだな」

「そうね・・・。でも、悪い気はしないわよ。それだけ皆が私の事を祝ってくれているんだって思うし」

 

 メールを開いて、文章を読んでからすぐに画面を閉じる。またあとで、きちんと返信するのだろう。

 

「ダージリンたちからのメールは?」

「もちろん、貰ったわよ。プレゼントも一緒にね」

 

 そう言えば、部屋にいくつかラッピングされた小包が置いてあったが、あれがダージリンたちからのものだったのか。

 とすると。

 

「あの子からも、おめでとうってメールが来たわ。それと、少し寂しいけど何とかやってるみたい」

「そうか・・・なら、心配ないかな」

 

 学園艦で暮らし始め、アッサムの下を離れてから寮で1人暮らしとなると最初は不安だったが、寂しくても1人で大丈夫らしい。誕生日のお祝いのメールも送ってきてくれている辺り、やはり優しい子だ。

 小学生の間は、学校が陸の上にあったからアッサムが一緒に暮らしていて、俺自身は聖グロリアーナに務めている以上は別居しなければならなかった。

 だが、一人娘が学園艦の寮で暮らし始めてからは、アッサムと俺は一緒に住んでいる。アッサム自身一緒に暮らせなくて寂しいと言っていたし、俺自身も本音を言えば寂しかったので、こうして一緒に暮らすことができて、本当によかったと思う。

 

「・・・将来、聖グロに入りたいんだっけ」

「ええ。そのつもりで、あの子は勉強してる」

「で、戦車道もやってみたいと」

 

 俺の問いに、アッサムは頷く。もしそれが実現したとしたら、俺自身の教え子になってしまうのだろう。自分の子供が教え子と言うのは、いささか違和感を抱くものだ。

 そして戦車道を歩もうとしたきっかけは、やはり親であり戦車道選手でもあるアッサムだ。

 俺もアッサムも、聖グロに入れとか戦車道をやれなどと指図をしてはいない。全て、あの子が自らの意思で決めた事だ。であれば、道を外れるような事をしない限りは、俺とアッサムはその背中を押すつもりだ。

 

「やっとセンチュリオンも来た事だし・・・・・・アッサム、ありがとう」

 

 俺がお礼を告げたのは、俺と同年代のアッサムやダージリンがOG会に入り、センチュリオンなどのイギリス製の強力な戦車を導入するように口利きをしてくれたからだ。それに対して、戦車隊の顧問としては何もお礼を伝えないわけにはいかなかった。

 

「お礼はもう聞いたわ。十分すぎるぐらいにね」

「・・・お釣りとして受け取ってくれ」

 

 冗談めかしてそう言うと、アッサムは笑ってくれた。

 そこでふと時計を見ると、もうそろそろ夕飯の準備を始めてもいいぐらいの時間になっていた。

 

「そろそろ、夕飯の準備を始めるか」

「私も手伝うわ」

「いや、今日ぐらいは俺1人でやるよ」

 

 立ち上がろうとするアッサムを制止する。今日はアッサムにとっては記念日だ。そんな日ぐらいは、アッサムをゆっくり休ませたいと思い、俺1人で夕食を作る事に決めていた。

 

「・・・ありがとう」

 

 そう言ってアッサムは、微笑んでくれる。その顔が見れるだけで、俺は十分幸せだ。

 こうして一つ屋根の下で、誕生日を祝い、紅茶を共に飲み、言葉を交わしていると、やはり俺自身とアッサムは結ばれたのだなと、心底思わせられる。

 だが、これは俺もアッサムも望んだことであり、そしてそんな今に対して不満を抱いてなどいない。

 そしてこうして、自分の一番傍にアッサムがいるからこそ、俺はたとえ辛い事があっても乗り越えることができる。

 その、傍に自分が一番愛している人がいる事に対して、喜びと嬉しさを感じながら、カップに残っていた残りの紅茶を飲み干す。

 甘さと苦さが入り混じったその紅茶は、今も昔もアッサムの好みの味であり、俺だけが出せる味だった。




これにて、アッサムと水上の物語は、本当に完結となります。
長い間、ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。

物語を一度完結させた後で、アッサムの誕生日が設定されている以上は書かずにはいられないと思いましたし、
やっぱり最後は一緒に暮らせた方がいいかなと思ってこのような形で収めました。

この作品の本編では触れられなかったOG会についても少し触れ、
それが後にどうなったのかについても挑戦してみました。

重ねて書かせていただきますと、
ここまで読んでくださり本当にありがとうございました。
作品に評価をしてくださった方、感想を書いてくださった方、
本当に、ありがとうございました。

次回作は年明けに出す予定ですので、
もしよろしければそちらの方も応援していただけると、
筆者としては嬉しい限りです。


それではまた、次の作品でお会いしましょう。


最後にこの言葉で、締めさせてください。
ガルパンはいいぞ。
アッサムは綺麗だぞ。


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未来を見て

アッサムの誕生日と言うことで、一つ思いついたお話を書きました。
本編投稿から時間が経ち、書き方が多少変わっておりますが、お楽しみいただければ幸いでございます。


 高校は基本的に学園艦の上にあるが、小学校と一部の中学校、そして大学は陸の上にある。

 学園艦は当然大海原を航行する故、寄港している時を除けば陸に戻るのも一苦労だし、違う学園艦にいる友人知人と会うのもままならない。

 

「おはよう、アッサム。久しぶりだね」

「ええ、久しぶりね、水上。でも、少し早いんじゃないかしら?」

「何だか早く目が覚めてね」

 

 なので、大学に進学した水上とアッサムは、無事にデートの約束を取り付けることができた。

 しかし、陸の上でもお互いの通う大学は違うし場所も離れているうえ、生活サイクルも違うので会う機会には中々恵まれなかった。それでも、水上はこの日だけは何としてもアッサムと会う約束をつけるのだと、熱心だった。その意図をアッサムも理解していたので、彼女もまたその日に水上と会えるよう予定を調整してきた。

 

「じゃあ、早速だけど…」

「?」

 

 待ち合わせ場所である、地元の街の大きな公園の前で落ち合い、再会を喜んだところで水上が改まる。アッサムが、水上の言葉を待った。

 

「誕生日、おめでとう」

 

 優しい言葉で、優しい笑みで水上はそう告げた。

 今日は、アッサムの誕生日だ。同じ言葉はこれまでに何度も、家族や友人から言われてきた。聞き慣れたと言っていい言葉だが、同じ言葉でも水上のそれはひと際強く胸に響く。その理由は、アッサムにとって水上は大切な恋人であり、それだけ心の距離が近いからだ。

 

「…ありがとう」

 

 アッサムは、胸が温まるのを感じながら、短く答えた。その言葉と表情だけで充分だったのだろう水上は、頷いて公園の方を見る。

 

「行こうか」

「ええ」

 

 2人は並んで公園に足を踏み入れる。

 若干雲の広がる天気が気になるが、それでもデートには申し分ない天気だ。

 

 

● ○ ○ ○ ○

 

 

 水上とアッサムは、休日に賑わう公園を穏やかに歩いて楽しんだ。

 

「大学の戦車道には慣れた?」

「ええ、大分ね。聖グロと戦車が違うから、まだ少し違和感があるけれど」

 

 噴水の脇を歩きながら話をする。内容は、会わないうちに経験したお互いのことだ。

 こうして顔を合わせる機会にはあまり恵まれなかったが、それでもメールや電話でやり取りは続けていた。ただ、直に会うことができず物足りなさや寂しさを感じていたのも事実だ。だから、こうして顔を合わせて話ができるせっかくの機会を、水上はとても楽しみにしていた。電話やメールで聞いた話も、直接面と向かって聞くと印象が違って聞こえる。話をするアッサムも楽しそうだし、水上だってもちろん楽しい。

 

「アッサムの大学は、確かチャーチルもあったはずだけど…すぐには乗れないんだな」

「ええ。最初の1年はマチルダやクルセイダーに配属されて、実力を確かめるのが常になっているの」

「いくら高校で戦果を挙げてても、最初の内は大変なんだな…」

 

 水上は、アッサムがどこの大学に行っているかを知っていたし、そこで行われる戦車道がどのようなものかも把握している。

 さらに、アッサムの聖グロリアーナでの腕を、水上は以前その目で見た。しかし、大学は高校から世界が大きく変わるので、例え高校時代に優秀だったとしても戦車道で優遇はされず(入試などは別だが)、最初は誰もが平等に実力を測られるのだそうだ。戦車道の世界がそこまで甘くはないのはどこも同じらしい。

 

「でも今の隊長や先輩からの評価はそこそこ良い方だから、いずれは…ね」

「それが聞けて何よりだよ」

 

 シンビジウムやノースポールなど、冬の花が咲く花壇を楽しみつつ、アッサムは片目を瞑って見せる。

 かつて聖グロリアーナで『ノーブルシスターズ』として名を馳せた彼女の実力は、大学でも衰えていないようで、評価は順調に伸びつつあるらしい。水上もその評価は順当なものだと思った。

 しかし、水上の心配は尽きない。

 

「戦車道も大事だけど、自分のことも大切にしてほしいよ。あんまり無理はしないでな」

「もちろん、それは分かっているわ。戦車道で身体は資本だし、ちゃんと体調管理には気をつけているし」

 

 やはり心配なのは、アッサム自身の体調やメンタルのことだ。体調を崩しては元も子もないし、アスリートが怪我で引退なんて話はよく耳にする。成果を上げることは確かに大切だが、それ以上に自分自身のことも大切にしてほしい。

 アッサムは、安心させるように水上に笑いかけたが、それでも少し気掛かりだった。

 そんな水上の心配を和らげるように、アッサムは話を変えた。

 

「水上はどうかしら?大学は」

「ぼちぼちかな。バイトと講義を両立するのは大変だけど、何とかやってるよ」

 

 水上は、実家から通える距離の大学に在籍している。なので、1人暮らしの際にネックになる生活費などは困らないのだが、将来のことを見据えて自分で使う金は自分で稼ぐことにしていた。

 

「教員免許もとれるように?」

「もちろん。せっかく貰ったチャンスなんだから、自分から手放すような真似はしたくない」

 

 紆余曲折があったが、水上は聖グロリアーナでの自分の役目をきっちりと果たした。それを学園側から評価されたことで、いずれは教職員として働くチャンスも与えられている。その計らいに感謝し、水上はそれを無駄にしないよう、今できることを懸命にこなしているのだ。

 

「お互いに、やれるだけのことを頑張りましょう」

「ああ」

 

 アッサムの言葉に、水上は強く頷く。

 そんな中、船の汽笛の太い音が聞こえた。見れば、公園近くにある大きな船舶ターミナルに客船が停泊している。

 

「アッサムは、聖グロリアーナの学園艦に行った?」

「ええ、まだ片手で数える程度だれけど。オレンジペコもローズヒップも、元気にやってるみたいよ」

「それなら安心だ。俺はどうにも行きづらくてね…」

 

 如何に聖グロリアーナで頑張っていたとはいえ、どうしても名門お嬢様校の学園艦は敷居が高く感じてしまう。なので水上は、大学生になってからは聖グロリアーナに行っていなかった。オレンジペコやローズヒップとは、かつての誼でたまにメールのやり取りをしているが、電話などはほとんどしていない。

 一方のアッサムは正式なOGなので、卒業後も特に問題もなく聖グロリアーナを訪れていた。かつて共に戦ったり、あるいは面倒を見ていた後輩たちの姿を見ると、感慨深くなるのだそうだ。水上も、戦車道のニュースなどで聖グロリアーナの今は見聞きしているので、その気持ちは分かる。

 

「OG会も少しは大人しくなったみたいだし」

「へぇ?」

 

 アッサムの安堵するような言葉に、水上は興味をそそられる。それは電話やメールで話さなかったことだ。

 OG会とは、その名の通り聖グロリアーナのOGで結成された後援組織で、聖グロリアーナ戦車隊の運営をサポートしてくれるものだ。それだけ聞けば無害そうだが、そのOG会は3つの派閥に分かれており、それぞれの派閥の意見同士が干渉し合い、聖グロリアーナが導入する戦車に対してまでとやかく文句をつけてくる。おかげで聖グロリアーナは思う様に戦車が運用できず、目の上のたん瘤な存在だ。

 水上は、そんなOG会には会ったことはなく、アッサムの話でしか知らない。だが、それでも十分に面倒くさいことになっているのは分かった。

 そのOG会が、大人しくなったという。

 

「いったい何が…?」

「私も詳しいことは。ただ、オレンジペコが『話をつけた』とだけは言っていたけれど…」

「話ねぇ…」

 

 水上は、オレンジペコのことを思い出す。聖グロリアーナにいた時、彼女は水上に好くしてくれていたが、誰かに何かを強く言ったり、誰かと衝突したりするような雰囲気はなかった。OG会のような相手に対し、強気な姿勢で挑むようなイメージは、彼女には悪いが水上には思い浮かばない。

 

「オレンジペコも、隊長になってから変わったんだと思うわ。ダージリンが手塩にかけて育てていたのだから、精神面でも強く成長したのかもしれない」

「確かにそうかもな。あるいはローズヒップあたりが、OG会に対して『うっせぇでございますわ!』とか言ってたりして」

「くっふふ…」

 

 水上の真似に、アッサムは吹き出す。彼女は思いのほか、笑いのツボがやや浅めだ。

 アッサムの言うように、オレンジペコが聖グロリアーナを率いる戦車隊長となってから強くなった可能性もある。あるいは、彼女とともに聖グロリアーナを率いるローズヒップやルクリリあたりが助言してくれたのだろう。

 ローズヒップは、お嬢様校の中でもちぐはぐな言葉遣いが目立つし、アッサムの言では今もそれは直っていないらしい。だが、その歯に衣着せぬ物言いが、聖グロリアーナの因習を打ち破る新たな風となったのかもしれない。

 

「何であれ、聖グロもこれから少しずつ変わっていけるかもな」

「そうね。これからどうなるのか、私も楽しみにしてる」

 

 因習から解放された聖グロリアーナがこれからどうなるのか、とても見ものだ。

 さて、2人は近況を語らいつつも、自分たちがデートをしているという事実から目を逸らしたりはしていない。時折立ち止まって花壇の花の香りを楽しんだり、公園から見える大きな橋を眺めたりと、ありきたりでも2人だけの時間を過ごしていた。

 やがて公園の端にたどり着き、港の端に伸びる長い歩道橋を渡って、次の目的地へと向かうことにした。

 しかし、その道中でぽつぽつと至る所から音が聞こえてきた。

 

「あー、雨か…」

 

 水上が空を見上げる。気が付けば、微かだった晴れ間は遠く離れた場所に移動しており、頭上には暗めの雲が広がっていた。

 しかし、水上は今朝の天気予報で『にわか雨が降るかもしれない』と聞いていたので、事前に折り畳み傘は鞄に入れてあったので、何の問題もない。なので、すぐに鞄からそれを取り出し、広げようとした。

 

「……」

 

 ところがその時、ふと気になるアッサムの仕草が目に入った。

 彼女もまた、この雨を予測していたのか―――データ主義の彼女が抜かるはずもないが―――白い折り畳み傘を取り出していた。それだけなら特に問題はない。

 しかし、アッサムは水上に対してどこか残念そうな目を向けていた。

 会えない時間は長かったものの、水上もアッサムと付き合ってそれなりの時間が経っている。何を望んでいるのかは、その表情で分かった。

 

「…あー、この傘壊れてるの忘れてた」

「あら、残念ね」

「だからアッサム、悪いけど入れてくれないか?」

「ええ、いいわよ」

 

 大根役者もいいところだが、アッサムはそれでも嬉しいようで表情が和らぐ。水上は、申し訳なさそうな演技を貫き通して、アッサムから傘を受け取り広げる。色は白だが、デザインはシンプルに無地だった。アッサムらしいと言えばらしい。

 そして、水上が促すとアッサムは同じ傘に入る。相合傘がしたかったのだろう。水上としてもそれは嫌ではなかったし、願ってもいないことだ。

 

「…何か雨強くなってきたな」

「そうね…」

 

 だが、同じ傘に入ってホッとしたり緊張したりするのも束の間、傘を叩く雨が次第に強くなってきた。周りの景色も雨のせいでかなり霞んできている。おまけに、ただでさえ折り畳み傘は通常より小さい上、それを2人でシェアしているものだから雨に当たりやすい。

 水上は先んじて、アッサムが雨に濡れないよう、傘の下のスペースを開けて自分は雨に濡れるようにした。だが、アッサムはそれを許しはせず、2人で均等に傘の下に入れるように身体を密着させる。今はときめきよりも寒さが勝っていた。

 

「一旦どこかに避難しよう」

 

 水上が提案すると、アッサムも頷き早歩きを始める。海沿いの歩道橋のせいで雨をしのげる場所がほとんど無かったが、幸いにも近くにカフェがあった。

 2人がそこへ駆け込むと、同じように雨を逃れてきたらしき人たちがちらほらと見える。店内は主に観光客向けだからか、明るめの装飾が施されていた。ここはフードコートのように先に席に着いてから、カウンターで注文をする仕組みらしい。

 

「せっかくだし、何か飲んでいこうか」

「ええ」

 

 雨風をしのぐためだけに使うのも申し訳ないので、2人でホットチャイを頼むことにした。代金は、どっちが払うかでひと悶着起きたりなどはせず、早い段階で割り勘に落ち着く。

 窓際は寒くて冷えるので、店の内側の席に着いてチャイを静かに飲む。温かく甘い香りと味が、雨で冷えた身体を温めてくれた。

 

「どうやら通り雨みたいだし、止むのにそこまで時間はかからなさそうね」

「それなら安心だ」

 

 アッサムがスマートフォンで、天気予報を調べてくれる。水上は、もしものために持ってきていたタオルを鞄から取り出して、少しでも服や髪の雨を拭くように言いアッサムに渡す。

 

「何か、あの時のことを思い出すわね」

「…ああ、あの日か」

 

 外の雨を眺めながらアッサムが告げる。水上にも、何時のことを言っているのかはすぐ分かった。

 まだ聖グロリアーナの生徒だった時。全国大会の準決勝で負けた後、学園艦の公園でアッサムは水上に己の弱さを吐露した。あの時は、通り雨なんてものではないほどの雨だったが、あの日はお互いの想いを告げ合った日でもある。自分たちからすれば人生の分岐点のような日だ。

 アッサムは、水上に向き合い、チャイを飲む。

 

「今も、戦車道を歩む自分を見つめ直すことがあるわ。疑問を持つことがあれば、自分の未熟さを痛感することもある」

 

 揺れるチャイの水面を見つめるアッサム。

 理知的なイメージが強いが、その内面は人並みであることを水上は知っている。その弱さをかつて自分に見せたからこそ、水上にはそれを否定したり、根拠もなく励ますことはできない。

 

「それでも今、こうして戦車道を続けられているのは、やっぱりあなたの言葉や存在があってのことよ」

 

 手で包み込むように、カップを持つアッサム。その中身を見つめる表情は、どこか穏やかだ。

 

「電話やメールでは何度も言っているけれど、改めて言わせてほしい」

「……」

「本当に、ありがとう」

 

 にこっと笑うアッサム。

 これまでに交わした電話やメールで、アッサムは欠かさず『ありがとう』と言ってくれていた。それは話を聞いたことに対するお礼の言葉だと、水上は思っていたのだが、それよりももっと深い意味をアッサムは込めてくれていたのだ。

 ただ話を聞くだけでなく、恋人として自分の精神的な支えでいてくれること。それは、水上からしてみればお礼を言われるようなことではなかったが、否定するのも憚られる。

 

「…遠い場所にいると、話を聞くぐらいしかできることがないから。でも、それがアッサムの支えになっているのなら嬉しいよ」

 

 しかし、遠い場所にいる水上にできることは限られる。話を聞くこともそのできることの一つだから、それでアッサムの気持ちが支えられるのであればそれでいい。これから先もまた、自分はその心の支えとなり続ける。

 水上もチャイを飲み、アッサムに頷いて見せた。

 

 

○ ● ○ ○ ○

 

 

 通り雨は1時間ほどで止み、再び晴れ間を見せた。

 水上とアッサムは、『変な天気』と思いながらもカフェを出て、次の目的地であるショッピングモールへと向かう。

 途中、運河に架かる橋を歩きながら、周りを往く観光客やカップルに混じって、近くに聳え立つ近代的な高層ビルを写真に撮る。地元である2人からすれば、これらのビルにさほど新鮮さは抱かないが、2人でいると言うシチュエーションが特別さを持たせるので、記念に撮りたくなったのだ。

 そして、目的のモールへ到着する。休日なのと、先ほどまでの雨もあり、人の数はそれなりに多かった。かと言って、はぐれてしまいそうになるほどでもなく、程よく繁盛している。

 そこで水上は、アッサムに問いかけた。

 

「さて、アッサムは何か欲しいものがある?」

「…それは、誕生日プレゼントかしら?」

「ああ、その通り」

 

 若干の期待が滲むアッサムの問いに、水上は唇の端を上げて頷く。

 水上がアッサムを好いているのは揺るがないが、『自分とのデートがプレゼント』と思えるほどに思い上がってはいないし、気障でもない。()()()ちゃんとしたプレゼントを贈ろうと決めており、それは今日のデートで買うことにしていた。

 水上の狙いを聞いて、アッサムはモールの店舗一覧パネルに目をやる。

 

「…それじゃあ、付いてきてくれるかしら?」

 

 1分も経たずにアッサムは水上に視線を戻し、先導する。どこかは言わなかったが、水上は常識と所持金の範囲内であれば希望には応えようと思っていたので、一先ずアッサムに任せることにした。

 アッサムに連れて来られたのは、女性向けのファッション用品を販売する店だ。柔らかい色合いの店内には、女性向けの帽子や手袋などの小物から、イヤリングやネックレスなどの装飾品が並べられており、いるのは大体女性かその付き添いの男だ。正直、足を踏み入れるのに勇気が要るが、水上だってアッサムの彼氏なのだから、何を恥じることがあるのかと己を奮い立たせて店の中へ入る。

 

「丁度、手袋が欲しかったの。今まで使っていたのは大分傷んできてしまってね」

「なるほど」

 

 アッサムが注目したのは、手袋のコーナーだ。手袋一つとっても、柄は無地から民族系のものまで、色は暖色系も寒色系も一通り揃う充実ぶりで、この中からお気に入りの一双を選ぶのにはかなりの時間がかかりそうだ。

 ところがアッサムは、暖色系の手袋の前でほんの少し悩んだのち、薄橙色の手袋を2双手にした。トランプのダイヤの柄が入っている。

 

「これを、お願いできるかしら?」

「わかった」

 

 差し出されたそれを受け取り、水上はレジへ向かう。この色でいいのか、なぜ2つ買うのか、という疑問はあったものの、アッサムがこれを誕生日プレゼントに欲しいと言うのだ。水上が多くを聞くのも無粋に思えたので、詳しくは聞かなかった。

 店員が妙に温かいものを見る目で水上を見ていたのが気になったが、ほどなくして水上は会計を終え、アッサムと店を出る。

 

「それじゃ、これ。おめでとう」

「ありがとう、水上」

 

 場所を移し、休憩用のスペースに置いてあるソファに腰かけて、改めてアッサムに手袋を渡す。ラッピングなどはしていない、袋も店のそれだったが、アッサムは気を悪くした様子はない。取り出したそれを見て、アッサムは嬉しそうに微笑む。

 

「はい、水上」

 

 だが、買った手袋のうち、1双を水上に渡してきた。

 水上は面食らったが、これでアッサムが2双手袋を欲しがった理由が分かった。アッサムは、自分とお揃いのものを水上に着けてほしいのだ。

 

「…ありがとう、受け取るよ」

 

 水上は、それを受け取った。

 改めて薄橙色の手袋を見る。サイズは問題なさそうだし、色も温かみがあって、柄まで含めて水上の好みだ。

 

「…もしかして、俺とお揃いにするのを前提に?」

「ええ、勿論」

 

 アッサムは、水上の問いに顔色一つ変えずに答える。アッサムは最初から、手袋でなくとも、誕生日プレゼントは水上とお揃いのものにすると心に決めていたのだろう。

 水上が今まで使っていた手袋は、棚に仕舞うことになりそうだ。

 

 

○ ○ ● ○ ○

 

 

 雨宿りをした際にホットチャイを飲んだので、2人の昼食の時間は何となくで後にずれ込んだ。しかし、そのおかげで昼時の混雑を避けることができ、長時間待つこともなく昼食にありつくことができた。

 

「アッサムの大学って、学食はどんな感じなんだ?」

「そこまで特別じゃないわ。でも、どうして?」

 

 和食のレストランで、唐揚げ定食を食べつつ水上はアッサムに訊ねる。アッサムは、焼き鮭の骨を箸で丁寧に取り除きながら答えた。その答えを聞き、水上は一度箸を止める。

 

「いや、聖グロの学食はイギリス風に偏ってたからさ」

「むしろ、あれは聖グロが特殊と言うべきかしらね…」

「俺も最初あそこに行ったときは、すごく驚いたよ。特に、アッサムがウナギのゼリー寄せを食べてたのはな」

 

 水上が言うと、アッサムはくすくすと笑う。

 聖グロリアーナやBC自由学園艦など、海外をモチーフとした私立高校は、学食のメニューがその元となる国に寄ると言うのはよくある話だった。水上のいた高校や大学の学食はそうでもないので、余計にかつて抱いた驚きが際立つ。

 

「実際、美味しかったのか?あれ」

「慣れれば癖になる味よ。水上も一度試してみればよかったのに」

「いや、あれは…正直挑戦するにはかなりの勇気と度胸がいると思うぞ…」

 

 半透明のゼリーの中にウナギのぶつ切りが乱雑に詰まっているのを思い浮かべると、今でも鳥肌が立つ。あれほどインパクトのある見た目の料理に手を出すには、それなりの覚悟が必要だと水上は思っていた。逃げるように唐揚げを一つ食べると、気持ちが楽になる。和食もいいものだ。

 

「逆にアッサムは、何であれを食べようとしたんだ?」

「最初は純粋な興味からよ。話には聞いていたけれど、実際にどうなのかしらって」

 

 そう言って、アッサムは味噌汁を一口飲む。

 

「…アッサムは、意外と肝が据わってるんだな」

「戦車乗りは肝が据わっていなければ務まらないわ。特に砲手は」

 

 言われて水上は、大洗女子学園との練習試合のことを思い出した。試合中、M3リーの搭乗員たちが、聖グロリアーナの攻撃に慌てふためき、戦車を置いて戦場から逃げ出してしまったのだ。

 あれを見た時は、戦車に乗らず、未熟だった水上でも『駄目だろう』とは思った。しかし彼女たちは、その時の失敗を取り返すかのように、全国大会の決勝では強豪・黒森峰女学園を相手に善戦し、重戦車2輌を撃破する大戦果を挙げた。それも恐らく、そこまでの試合で胆力を鍛えられたのだろう。

 

「まぁ、私も昔からそんなに心が強かったわけではないのだけれど…」

「?」

 

 アッサムの言葉に、水上は視線を上げる。その『昔』の話は、まだ聞いたことがない。

 それについて聞こうと思ったのだが、これ以上話していると食事が冷めてしまうので、一先ず食事を再開することにした。

 

 

○ ○ ○ ● ○

 

 

 食事を終えてから、アッサムは先ほどの話の続きをした。

 その話をする前に、水上に1つ質問をする。

 

「水上から見て、私はどう見える?」

「どう…って言われてもな…いつも冷静で、頭が良くてかっこいいって言うか…」

 

 悩みながらも、水上は答えてくれた。その評価は、『ノーブルシスターズ』として名を馳せていたアッサムにとって聞き慣れたものだし、それ自体は嬉しい。

 

「確かに私は、頭の良さだけは自信があったわ。でも、今よりずっと前は冷静と言うよりも『臆病者』って言葉の方が似合ってた」

「どうして?」

 

 歩きながら、アッサムは話し始める。

 自分の家は(自分で言うのも何だが)それなりに裕福で、生活に不自由はしなかったし、家族も自分のことを大切にしてくれていた。

 けれど、アッサム本人は心が決して強くはなく、中々自分に自信が持てなかった。人から言われたことがどうにかこなせても、自分で何かを始める勇気は少ない。自分が恐れていたり、不安を抱くものに対しては自然と距離を置いて、自分から接するのを避けていたのだ。

 

「じゃあ、変われたきっかけは…?」

「それは戦車道と、ダージリンね」

 

 クリスマスを目前に控え、色とりどりの商品を飾るショーウィンドウを横目に、アッサムは続ける。

 聖グロリアーナに入学して少し経ち、アッサムはダージリンから戦車道に誘われた。彼女は、アッサムの少ない取柄だった頭脳に注目し、スカウトしたのだ。アッサムは当初心配だったものの、自らの知識、そこから編み出す戦術が当時の隊長・アールグレイにも認められ、徐々に頭角を現していった。

 そして最終的に、聖グロリアーナの参謀としての地位を確立したのだ。

 

「あの時ダージリンが私を誘ってくれたから、私は自分の頭の良さを発揮できる場に辿り着くことができた。そうして、戦車道で自分の力を使う中で、自分にも自信がついていったのが分かったわ」

 

 アッサムは水上と共に、商業施設と直結しているビルの展望台へ向かうことにした。その道中でも、アッサムは話を続ける。

 自分の立てた作戦が実際に戦車道で使われ、そして戦果を挙げていくことは、間違いなくアッサムの自信に繋がったのだ。

 

「でも、最初から全部上手くいったってことは…」

「勿論、なかったわ。ダージリンでさえ、最初は四苦八苦していたみたいだし」

 

 エレベーターに乗り、展望台へと向かう。

 アッサムだって、最初から完璧な作戦を立てられたわけではない。失敗は何度もしてきたが、その度に反省点を洗い出し、作戦を洗練されたものとしていく。3年次にアッサムの立場があれだけのものとなったのは、そこまでの積み重ねの結果だ。

 そして、かのダージリンも最初からすべて順調だったわけではない。水上がいたのは3年生の時の少しの間だけだから、彼女がどれだけ苦労してきたのかは知らないのだ。尤も水上も、聖グロリアーナに来る前に大分苦労していたようだから、それが分からないはずもないだろう。

 

「でも私は、失敗をしても挫折はしなかったし、戦車道を辞めようなんて思わなかった。だって、ダージリンやアールグレイ先輩は私のことを頼ってくれていたし、それを裏切るのは嫌だったから」

 

 エレベーターが止まり、扉が開く。丁度、天気も回復してきていたので、展望台から見える景色はとても美しかった。ビルに陽の光が当たり、海面はキラキラと輝いている。ただ、遠くの方は雲や雨の影響で少々見にくかったが。

 

「やっぱりみんな、昔は失敗とか経験しているんだな」

「最初から何でもこなせる人なんて、ほんの一握りだと思うわよ」

 

 景色を眺めながら水上が言うと、アッサムも頷く。

 

「砲手を選んだのは、自分に一番合ってると思ったから?」

「そうね…。砲手は常に計算をしたうえで戦うものだし、集中しないと務まらないから。その点を踏まえて自分に合ってると思ったのよ」

 

 自分が車長として乗員に指示を出す姿は、戦車道を始めた当初から想像できなかった。操縦手や装填手もそうだったし、通信手と砲手で悩んだ末、アッサムは砲手の道を選んだ。

 自分の腕は、サンダース大付属高校にいたナオミや、元プラウダ高校のノンナ、さらに昨年の無限軌道杯で注目を集めた継続高校のヨウコと比べればまだまだだと思っている。彼女たちは今も戦車道選手として活躍しており、アッサムもそれは同じだ。彼女たちは、大きな目標でもある。

 

「知らなかったよ、アッサムにもそんな時期があったとは」

「まぁ、進んで言うような話でもなかったし」

「じゃあ、今日はまたどうして」

「それは当然、あなたに私のことを知ってほしいから」

 

 アッサムも、こうして自分の過去をぺらぺらと喋ったことはほとんどない。それでも水上に話したのは、当然ながらこの先自分と一緒にいる上で留意してほしいことだったのだ。

 自分は、元から頭脳明晰と言うわけではない。本当は、小心者だったのだと。

 

「…ただ、前からそんな気はしてたよ。全国大会の後から、アッサムはもしかしたら本当はそうなんじゃないかって」

 

 あの雨の日の夜のこと、アッサムが感情を吐き出した日のこと。確かにあの時は、アッサムは建前も何もかなぐり捨てて、小心者である自分の不甲斐なさに打ちひしがれて素直に泣いた。それで水上には、自分の心は人並みの強さしかないと察することができたらしいが、アッサムはそれ以上に臆病者だ。

 

「だからこそ、さっきも言ったように、あまり自分で抱え込まないでほしいよ」

 

 そう言って、水上はアッサムの頭に手を優しく置いた。その目は、慈しんでいるようにも案じているようにも見える。

 アッサムははにかみ、しばらくの間水上が髪を撫でてくれるのを受け入れた。

 

 

○ ○ ○ ○ ●

 

 

 どれだけ楽しい日であっても、時間は無慈悲に過ぎてしまう。

 展望台を降り、それから少しの間買い物を楽しんだ後には、陽も傾き始めていた。

 

「随分、難しい参考書を買ったわね」

 

 モールを出たところで、アッサムが話しかける。水上の手にあるマイバッグには、ここを出る前に寄った本屋で買った参考書が入っているのだが、それらはアッサムからしても難解なものらしい。

 

「まぁ…今のままじゃいけないと思ってさ」

 

 運河に架かる橋を戻りながら、水上は話す。来た時と違い、ビルには夕日が映え、本来銀色の近代的なビルは今やノスタルジックな雰囲気がする。そんなビルを撮影するカメラマンや、一枚の絵に遺そうとする人も多い。

 

「確かにアッサムが、昔は臆病だったって言ってたけど、今のアッサムがすごく頭が良くて、戦車道の選手としても成長盛りなのは変わらないだろ?」

「まぁ、そうと言えばそう…なのかしらね」

 

 成長盛りという表現が、果たして正しいのかどうかは分からない。しかし、水上は続ける。

 

「で、俺は当然そんなアッサムをこれから先支えていきたいと思ってる。人生をかけてでも」

「…ええ」

「だけど、今のペースで成長するだけで、果たしてそれが実現できるのかって思った」

 

 お互いに将来を約束し合い、水上も自分の夢を新たに見つけ、それに向かって努力は怠っていない。しかし、夢を叶えるために必要な当り前のことをこなすだけで、自分がアッサムの隣に立ち、さらに支えるのに相応しいかどうかと考えると否だ。

 知識はつけておくに越したことはないし、人間として成長するために、今のままではなくそれ以上の強さを身につけるべきだ。

 

「それに、アッサムの親御さんが今の俺を認めてくれるかどうかも分からないし」

 

 忘れてはならないが、アッサムの実家は相当な資産家だと水上は推察している。そんな家の娘と付き合うとなれば、当然自分の教養や振る舞いも見られるだろうから、油断ができなかった。家柄はどうにもならないにせよ、自分だけなら変えることはできる。

 

「まぁ、当然挨拶に来ることになるのでしょうけれど、いつにする?」

「あまり後回しにはできないな。でも、もう少し待ってほしい。今はまだ、俺がアッサムに相応しいって、自信をもって言うことはできないからさ」

 

 お互いに将来、結婚するという約束はしたし、それを反故にするつもりはない。

 その過程で、互いの両親と話すことは避けては通れない道だ。しかし、今の中途半端なままもの自分が行っても信用を得るのは難しいだろう。だから、水上は自分に自信を持てるまで挨拶にはいかないと決めていた。

 

「アッサムには不安を掛けて悪いと思う。でも、この先アッサムのことは幸せにしたい。だから、今は頑張るしかないんだ」

 

 水上が言うと、アッサムは言葉で答える代わりに、水上の手を握ってくれた。

 

「私は、あなたのことを待ち続けるわ」

「…ありがとう」

「でも、あまり待たせすぎるのはやめてね」

「ああ」

 

 もちろん、いつまでも待たせて寂しい思いをさせたりなどはしない。アッサムの手を、水上は強く握り返した。

 成果が形として現れるまでにはそれなりの時間がかかる。だが、それまで水上は、決してアッサムに対する自分の気持ちを褪せさせはしないし、これから先の長い時間を幸せに過ごせるように、努力を怠らない。

 その時、遠くの方で鐘が鳴り響いた。アッサムとその音がした方に目を向けると、教会が見えた。ブライダル会場に建てられているそれは、教会というほど形式ばったたものではない、雰囲気作りを第一としていたものだ。

 その音を聞き、ブライダル会場を見てから、水上とアッサムは顔を見合わせる。

 そしてどちらからともなく、2人は笑った。



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