艦隊これくしょん 奇天烈艦隊チリヌルヲ (お暇)
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着任一日目:とある青年提督の苦労

2-4がクリアできない。

追記:ちょこっと修正しました。


 人気のトレンドというものは、時代と共に変化する。

 あるときはサッカー選手、あるときは野球選手、あるときはメイド、あるときはアイドル。

 

 そして、今時代の最先端を行くトレンドは『提督』。

 

 『提督』というのは女の子の形をした艦艇、通称『艦娘』でハーレm……ではなく自分の部隊を編成し、海を荒らす深海棲艦たちをやっつけるのが仕事である。

 今日も提督たちは己の部隊に磨きをかけ、まだ見ぬ敵に立ち向かうのだ。

 

 この物語の主人公はその提督と呼ばれる職についている、これといった特徴の無い普通の青年である。

 彼が着任したのはブイン基地。周りはどこを見ても彼と同じ新米提督で埋め尽くされている。

 

 

(よーし、周りの連中に置いてかれないように自分もがんばらないと!)

 

 

 青年はこれから始まる提督生活に心躍らせながら自分の執務室へと向かった。

 

 これが、今から約一年前の話である。

 

 

 

 

 

 そして現在、提督が板についてきた青年は新米提督たちの間で鬼門と言われている『沖ノ島海域』への出撃を開始しようとしていた。

 

 

「え、えーっと……まず始めに、今から出撃する沖ノ島海域についての注意事項なのですが……」

 

 

 青年は作戦会議室で今回の作戦を説明する。青年の話を聞く者達は皆、なにやら険しい顔つきで作戦を聞き続けていた。

 

 

「えー……以上が今回の作戦なのですが……何か質問等ありますでしょうか?」

 

 

 青年の言葉が切れると同時に、作戦会議室は異様な静寂に包まれた。誰も言葉を発することなく、ただただ、提督である青年を真顔でじっと見つめている。

 その視線に耐えられなくなったのか、青年は隣にいる相棒とも呼べる駆逐艦に声をかけた。

 

 

「む、叢雲さん。何か質問はありますか?」

「えっ、ちょっ……な、何で私がアンタに質問しなきゃいけないの!?特に無いわよ!それより、作戦を理解してなさそうな連中がそっちにいるでしょう!?そっちをどうにかしなさいよ!」

 

 

 青年の救援要請をずっぱし切り捨てた駆逐艦『叢雲』。

 相棒に見捨てられ、いよいよ後が無くなった。目の前にいる彼女たちとはできるだけ接触したくないのが彼の本音であるが、しかし作戦開始の時間までもう時間が無い。

 これ以上のロスは作戦に支障がでると判断した青年は、意を決して一番前の席についている者に声をかけた。

 

 

「あの……何か質問はあるかな?」

「ヲっ」

 

 

 再び訪れる沈黙。

 「ああ、やっぱり……」と青年は心の中で涙を流すが、これももう何度も経験したやり取りだ。もうこの程度でめげるようなタマじゃない。青年は気を取り直し、再び意思の疎通を図ろうとした。

 しかし、それとほぼ同じタイミングで「ヲっ」という言葉を発した少女の隣にいる少女が口を開く。

 

 

「ルー」

「……え?えー……あ、うん。そうだね……?」

 

 

 「ルー」という言葉を発した少女はどこか気合が入ったような顔つきで提督である青年を見るめる。

 青年はとりあえずありきたりな答えでお茶を濁し、目の前にいる少女達に対して再び作戦の説明を始める。この時点ですでに青年の心は『中破』していた。

 出来るだけ難しい言葉は使わず、身振りや手振りを多めに使ってなんとか伝えようと、青年は必死にがんばった。それが幸いしたのか――

 

 

「ヲっ」

「ルー」

「ヌゥ」

「リ!」

「チ……」

 

 

 青年の「わかった?」という言葉に対して、彼女達全員が同時に返事をした。

 しかし、ここで安心してはいけない。青年ははっきりと覚えていた。前にも同じやり取りをかわして、後から大惨事に発展した事を。青年は作戦会議室から出て行く彼女達を見送った後、まだ残っていた叢雲に指示を出した。

 

 

「叢雲、後はお前に任せる。何とか被害を最小限にとどめてくれ」

「言われなくてもわかってるわよ。はあ……何で私、あの時『あんな事』したのかしら……」

 

 

 それから数分後、叢雲率いる第一部隊は沖ノ島海域へと出撃していった。

 

 新米提督が避けては通れない最初の鬼門『沖ノ島海域』。

 

 親玉にたどり着くまでの道のりが長く、運が悪ければ親玉と遭遇することなく帰還するなんてことはざらにある。さらに道のりが長いゆえに敵との戦闘の数も多くなるため消耗が激しい。さらにさらに、親玉にはフラグシップ戦艦が一艦、残りは全てエリート艦艇という素敵仕様。

 何も知らず出撃して痛い目にあった提督は数知れず、現にブイン基地にいる提督の半分は今なお『沖ノ島海域』で足止め状態なのだ。

 「頼むから、何も起こらず無事に帰還してくれ」。青年は心の底から自分の艦隊が『何事も無く』帰ってくることを願う。しかし数時間後、その願いはいともたやすく踏みにじられた。

 

 

『提督聞こえる!?緊急事態よ!!』

「ッ!?状況を報告しろ!」

 

 

 通信を入れてきた叢雲に状況を説明するように求める青年。

 艦娘達の身に何かあったのか?奇襲を受けているのか?まさか、誰か轟沈してしまったのか?普通の提督ならば、ここで自分のかわいい艦娘の身を心配するところだが、この青年はまったく別の事を考えていた。青年は心の中でつぶやいた。「嫌な予感がする」と……。

 

 

『あのお馬鹿たち、他所の艦隊に突撃していっちゃったのよ!!』

 

 

 青年の心が大破した。

 しかし、こんなところでもたもたしている暇は無い。今こうしている間にも、彼女達は『敵』を倒すために攻撃を行っているのだ。青年は移動しながら叢雲に状況を詳しく説明するように求めた。

 

 

『沖ノ島を攻略して帰投してたら、鎮守府正面海域で他の艦隊が演習を行っていたのよ!それを『敵』と勘違いしたみたい!』

「おうふ……とりあえず、こっちは緊急回線使って演習中の提督たちに通信入れるから、そっちは間を取り持ってくれ!」

『もう!何で私がこんなことしなきゃいけないのよっ!!』

 

 

 その後、青年の逸早い連絡と叢雲の尽力もあり、幸い轟沈する艦娘はいなかった。

 しかし演習を行っていた艦隊の艦娘十二艦中、大破四艦、中破六艦、小破二艦という悲惨な状況。青年は演習を行っていた提督二人に平謝りを続け、最終的には、破損した艦娘が入渠する際に使用する資材を全負担することで話がついた。

 

 どこか誇らしげな様子で帰投した五艦と心底疲れた様な顔でその後ろを歩く叢雲。

 もうこれ以上好き勝手させるわけにはいかない。青年は五艦組に対して通じるか分からないお説教をすることを決意する。

 そんなことなど露知らず、青年の姿を発見した五艦は、我先に褒めてもらおうと青年の周りに群がった。

 

 

「ルー」

「ヌゥ」

「リ!」

「チ……」

 

 

 普段は真顔しか見せない連中が、何かを期待するようなワクワクした笑みを見せる。

 普段反応が薄い連中がそわそわしながら自分の前に頭を差し出す。そのギャップが青年の固い意志にヒビを入れた。

 しかし、ここで引き下がるわけにはいかない。今日こそは、今日こそはと、青年は自分に言い聞かせる。青年は目をあわさないように視線を下げた。

 

 

「ヲっ」

 

 

 視界に飛び込んできたのは、軍服のすそをちょこんと握った正規空母の少女が上目遣いでそわそわしている姿だった。

 

 青年の決意がわずかに崩れた。青年は頭の中で素数を数えながら深呼吸をし、視線を別な場所へと移して意識を何とかつなぎとめる。だが、そんな青年へ追い討ちをかけるように、艦娘達は青年へと擦り寄った。

 

 軽空母の少女?は青年の右手を握り自分の頭へと持っていく。どうやら、頭をなでてくれと催促しているようだ。

 重巡洋艦の少女は無邪気に青年の右足へと抱きついた。褒めてくれるまで離さないという意思を示しているようだ。

 戦艦の少女は青年の左側にしゃがみこみ、青年の左手に自分の頭をこすりつけた。セルフなでなでをしているようだ。

 重雷装巡洋艦の少女は青年の背後に回りこみ、空いている右肩に顔をのせながら自分の体を密着させる。そのバストは傍から見ても豊満であった。

 正規空母の少女はなおも健在。

 

 逃げ場を完全に失った青年が取った行動は唯一つ。

 

 

「が……がんばったね。みんな、えらいぞー」

 

 

 完全崩壊した意思はゴミ箱へ捨て、結局いつものように甘える彼女達にご褒美を与えるのであった。

 海の底より現れた謎の敵に立ち向かうために生まれた存在『艦娘』。提督は『艦娘』と共に、今日も未知の脅威に立ち向かう。

 

 これは、偶然が重なり合い『未知の脅威』を懐に抱え込むことになってしまったとある提督の物語。

 




次回・・・全てはここから始まった


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着任ニ日目:全てはここから始まった

カカオさん(仮名)の「ほぉらいげきせん、よぉい!」が最近のお気に入り

追記:ちょこっと修正しました。


 荷物整理に追われ、特に何もすることなく初日を終えた青年。

 どうせ他所の提督たちも同じ状況だろうし特に急ぐ必要は無いだろう、とそのまま眠りについた彼だったが、次の日、周りの提督たちが「俺もう南西諸島沖まで行ったんだぜ!」や「初建造で軽空母とか超ラッキーだった」といった話題で盛り上がっているのを聞いて、自分が完全に出遅れたことを悟った。

 こうしてはいれらない。青年はすぐさま旗艦である叢雲を鎮守府正面海域へ送り出す。そしてその後、司令部の開発ドックへと向かった。

 開発ドックは艦娘の装備を開発することが出来る場所だ。資材を大量に投資すれば高性能の装備が出来上がり、逆に資材をケチればそれ相応の出来となる。

 青年は叢雲が戦っている間、同時進行で装備の開発をしようと考えていた。ここで少しでもいい装備を開発できれば、出遅れた差を少しでも縮められる。青年はそう信じていた。だがしかし、彼はここでミスを犯した。

 

 

「艦娘は出撃中に出会うことがあるって聞いたし、無理に建造する必要ないよな。今は武器開発だ」

 

 

 戦力増強を運に任せ、青年は与えられた資材を全て叢雲の強化につぎ込んだ。俗に言う、「最初から飛ばし過ぎて後が苦しくなる現象」である。

 この時、このブイン基地内で青年と同じ考えを持った提督が何人いただろうか?もし青年と同じ事を考えている者が後数千人少なければ、後の惨劇が起こることは無かっただろう。

 

 青年が着任してから三日後。ブイン基地、まさかの資材枯渇。

 

 加減を知らない新米提督で溢れかえっていたブイン基地。早く戦力を増強させて先に進みたい、珍しい艦艇を作って周りからちやほやされたいと先走った提督たちがガンガン資材を使った結果、消費が供給を上回ったのだ。

 近くの泊地、もしくは鎮守府から資材の援助が来るまでの間、ブイン基地にいる提督たちに対する資材の供給は一時的に停止。しかも供給再開の日時は未定。ブイン基地の提督たちはろくに出撃することすら出来ない状況に陥ってしまった。

 青年も例外ではない。武器開発に資材を投資しまくったせいで、彼の所持する資材も残り少ない。多く見積もってあと五、六回出撃できるかどうかだ。しかも、運任せにしていた艦娘との出会いはまったく無し。それに加えて開発された武器はどれも低火力のものばかりで、叢雲の戦闘力は以前とほとんど変わっていない。

 

 結果として、資材だけが消費され戦力はまったく増強されなかったのだ。

 

 この状況に青年は頭を抱えていた。もう出遅れたとか言っている場合じゃない。何とかして今の状況を打開しないと。青年は必死に打開策を考えるが、いい案は浮かばずにただ時間だけが過ぎてゆく。

 そんな青年を遠巻きから眺めるものがいた。青年の相棒である叢雲だ。心底落ち込んだ表情でうな垂れている青年の姿を見た叢雲は、小さくため息を吐きながら青年へと近づき声をかけた。

 

 

「ちょっと、今日の出撃はまだなの?いい加減待ちくたびれたんだけど」

「えっ……あ、いや、その……しばらく出撃は……」

「ぐちぐちうるさいわね。まだ資材は残っているんでしょう?だったら一回くらいいいじゃない」

「いや、でも……」

「何?言いたいことがあるならはっきり言いなさいよ」

「…………」

 

 

 結局、押し負けた青年は叢雲に南西諸島沖へ出撃するように命令。叢雲は軽い足取りで港へと向かっていった。青年はその背中を黙って見送る。完全に姿が見えなくなった後、青年は「もっと提督を気遣ってくれる子に来てもらいたかった」と、誰もいない司令室でぼそりと愚痴をこぼした。

 

 

 

 出撃から数十時間後、月明かりの指す司令室で青年は叢雲から帰投するとの連絡を受けた。特に大きな被害を受けることなく、無事敵艦隊を撃沈できたそうだ。

 青年はほっ、と胸をなでおろす。なけなしの資材で出撃させて、何も成果なしだったらもう笑うしかない。もし轟沈したとなれば、それこそ本当に笑い事ではすまない。

 無事任務を全うした叢雲に感謝し、疲れて帰ってきた彼女を精一杯ねぎらおうと決めた青年は明日に備えて早めに就寝するのだった。

 

 翌日、連絡どおり叢雲は司令部へと戻ってきた。青年は笑顔で叢雲を迎え入れた後、あちこちに傷をつけた彼女を入渠させようとしたのだが、それに待ったをかけるものがいた。

 

 

「ちょっと待って。その前に見せたいものがあるの」

 

 

 それは叢雲自身だった。叢雲はドックの隅に山積みになっている荷物の裏手へと回り込む。青年も叢雲の後に続いて荷物の裏手へと回り込んだ。次の瞬間、自分の目を疑いたくなるような光景が青年の視界に飛び込んでくる。

 そこにあったのは、提督及び艦娘たちと敵対関係にある深海棲艦の一種『重雷装巡洋艦』、通称『チ級』。その残骸が荷物の裏手にひっそりと隠してあったのだ。

 

 

「バラせ鋼材や弾薬くらいにはなるでしょ。少しは足しになるかしら?」

 

 

 青年は叢雲の言葉を聞いて心底驚いた。艦娘や装備を解体して資材に還元することは可能だと聞いていた。深海棲艦を解体した例は聞いたことはないが『重雷装巡洋艦』と銘打つチ級を解体すれば、いくらか資材を回収できるかもしれない。

 そして、今回の出撃では前回と比べて倍以上の資材を獲得できたと報告も受けている。チ級を解体した際に発生する資材と出撃中に回収した資材。この二つが合わされば、かなりの資材増加が見込めるだろう。

 ここに来て、ようやく青年は叢雲の真意を理解した。昨日叢雲が強引に出撃を迫ってきたのは、出撃中に資材を見つけてくることが目的だったのだと。

 改めて、青年は叢雲の姿を眺める。背中から伸びる連装砲の砲身はおかしな方向へとひしゃげており、すでに武器としての意味を成していない。左手に装備された三連装魚雷発射管は大部分が破損しており、中の構造がむき出しの状態だ。

 潮風に吹かれ、さらりとなびいていた美しい長髪は爆風でぼさぼさに乱れ、服もあちこちが焦げ付いている。

 

 

「な、なによその目。別にアンタのためじゃないわよ!?私がこれからも出撃し続けるためには必要だからと思って回収しただけであって、それ以外の意味なんて無いんだから!」

 

 

 僅かに頬を赤らめた叢雲は早足でその場を去っていった。青年はその後ろ姿を笑顔で見送る。

 そうか、自分もそれなりに期待されてるのか。相棒の気遣いに心を打たれいてもたってもいられなくなった青年は、叢雲が持ち帰ったチ級を解体するために作業員を呼び出そうとした。

 

 

「……!」

 

 

 しかし、そこでタイミングよく正午を知らせるサイレンが鳴り響く。青年は一時行動を中断した。

 昼食前にわざわざ呼び出して仕事をさせるというのも何だか気が引ける。しかし、このまま放置しておけば事情を知らない者に見つかり騒ぎになる可能性もある。

 

 

「よし、自分で運ぼう」

 

 

 青年は近くにあった台車を寄せ、四肢をだらりと垂れ下げたチ級を乗せた。

 騒ぎにならないように上から真っ白なシーツをかぶせた後、青年は全身に力を入れ、ずっしりと重くなった台車を押し出す。

 こういった力仕事を提督自らが行うというのは本来ありえないことだが、青年は今、体を動かしたくて仕方が無かったのだ。

 叢雲があれだけ頑張ってくれたのだから、自分ももっと頑張らないと。やる気に満ち溢れた青年は台車の重さに四苦八苦しながらチ級を解体ドックまで運んだ。

 途中で運よく作業員と出会えれば、と内心期待していた青年ではあったが、作業員どころか誰一人として出会うことなく解体ドックに到着した。

 どこかに作業員が残っていないだろうか。青年は大きな声で呼びかけるが返答は帰ってこない。昼休み中のためか、今解体ドックに作業員はいないようだ。

 となれば、青年のとるべき行動は唯一つ。

 

 

「仕方ない。誰か帰ってくるまで待つか」

 

 

 昼休みを返上する気満々でドックに居座ることを決意した青年は、台車を移動させようと一度台車を止めておいた場所まで戻ることにした。

 しかし、そこで事件が起こった。

 

 

「……チ……」

「っ!!!?!?!?!!?」

 

 

 なんと、先ほどまでぴくりとも動かなかったチ級が、台車から降りてズルズルと地面を這い回っていたのだ。ボロボロの状態と、深海棲艦ならではのミステリアスな姿が相まって、今のチ級はさながら井戸から這い出てきた某呪いのビデオの人ようだ。

 叢雲が何事も無く持ち帰ってきたから、このチ級は完全に機能を停止している。そう思っていた青年だったが、それは大きな間違いだ。

 確かにチ級は叢雲の攻撃を受けて戦闘不能状態まで追いやられた。しかし、それは轟沈寸前の大破状態であって、完全にやられたわけではなかったのだ。通常、轟沈すればその身はすぐに海へと沈み回収不能となる。が、叢雲はチ級が海へと沈む前に回収してきた。

 逆に言えば、それはまだかろうじて艦艇としての機能を維持していたチ級が生きていた証なのだ。そして時間経過により、わずかばかり回復したチ級は再び行動を開始したのである。

 チ級はゆっくりと青年に近寄る。チ級の姿を見た青年は腰を抜かし、未だにその場から動けずにいた。何とか立ち上がろうと必死に足を動かすが、パニックに陥った青年の体は思うように動かない。某呪いのビデオの人と同等の容姿で這い寄られれて平常心を保てる人間などいるわけがない。

 すでにチ級は青年の目前まで迫っている。最悪の結末が青年の頭をよぎる。恐怖に耐え切れなくなったのか、青年はぎゅっと瞼を閉じた。

 

 

「…………?」

 

 

 しかし、青年が襲われることは無かった。

 何も起こらないことに疑問を感じた青年は、閉じていた瞼をゆっくりと開けた。そこには未だにチ級の姿がある。しかし、先ほどとは明らかに違う光景が広がっていた。

 

 

「ンゥ……モグモグ……」

 

 

 チ級がを口に含んでいた『何か』を飲み込んだ。その後、すぐに顔を地面に近づけ口から舌を出して必死に『何か』を口に含もうとしている。

 

 

「あれは……鋼材?」

 

 

 チ級の目の前に落ちていたのは、小さな鋼材だった。

 先にも述べたとおり、艦娘や装備を解体すると僅かではあるが資材が発生する。今チ級が食べているのは、いらない装備を破棄した際に発生した資材が、作業員も知らないうちに『偶然』落ちたものだった。

 僅かばかり冷静さを取り戻した青年は、ゆっくりと立ち上がり改めて状況を確認した。チ級は目の前の鋼材に夢中で青年は眼中に無い。しかし、それはあくまで『今』だけであって、あれを食べ終えた後はどうするだろう。

 もしかしたら、危害を加えてくる可能性だってある。何とかするなら今のうちだ。青年は結論を出した。

 

 

「……時間を稼ごう」

 

 

 頼みの綱である叢雲は入渠中でチ級に立ち向かう手立てが無い。ならば、入渠が終わるまで時間を稼げばいい。時間にして約二、三十分。それまでの間、チ級に行動を起こさせないようにすればいい。その手段はすでにチ級自身が披露している。

 青年は解体ドックに隣接する資材倉庫へ全速力で向かい、そして、残り僅かとなったなけなしの鋼材を軍服のポケット全てにありったけ詰め込んだ。

 再び全速力で解体ドックへと戻った青年。息を切らしながら、まだチ級がその場にいることを確認した青年は忍び足でチ級へと近づき、ポケットから鋼材を一つ掴んでチ級へと放り投げた。

 鋼材はことん、と音をたてて地面に落ちた。その音に反応したチ級は音のしたほうへと顔を向けた。

 

 

「……チ……」

 

 

 チ級はゆっくりと地面を這いずり、青年が投げた鋼材をねっとりとした舌で絡めて口に含む。そしてこり、こり、と鋼材を噛み砕き、ごくりと音をたてて飲み込んだ。

 それを見計らって、青年は再び鋼材を放り投げる。そしてチ級も再びその鋼材を口へと含み噛み砕く。

 今のやり取りが少し楽しくなってきたのか、青年は調子に乗って一歩近づいてみた。チ級は青年のほうへと顔を向けるが、それ以外は特に動きを見せない。

 

 そして、再び鋼材のやり取りが始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「まったく、提督ってばどこに行ったのかしら」

 

 

 入渠してから約二十分、修理を終えた叢雲は自身の提督である青年を探していた。

 入渠中に聞こえたサイレンからして今は食堂にいるだろうと予想した叢雲だったが、食堂に青年の姿は無かった。だとすれば司令室だろうか?叢雲は司令室へと足を向ける、たどり着いた司令室は無人。

 食堂にいなければ司令室にもいない。ならば提督はどこへ行ってしまったのだろうか。そこで叢雲の頭をよぎったのは、入渠前に見せたあの場所だった。叢雲は入渠ドックへと向かいチ級を隠しておいた場所を確認するが、そこにはチ級の姿はない。

 おそらく、提督が指示を出して作業員に引き渡したのだろう。もしかしたら、解体ドックで解体作業を見ているのかもしれない。そう考えた叢雲は身を翻し解体ドックへと向かう。

 道中、叢雲はドックにいると思われる青年のリアクションを想像した。深海棲艦からどれだけ資材が取れるかは未知数だ。もしかしたら何も取得できないかもしれない。でも、逆に大量の資材が手に入る可能性だってある。叢雲個艦(個人)としては是非後者の方であって欲しいと思っていた。そうすれば、提督の喜ぶ顔が見れるのだから。

 

 

「って、何考えてるのよ私は!別にそんなことのために獲ってきたわけじゃないでしょうが!」

 

 

 少し恥ずかしい想像をしてしまった叢雲はぶんぶんと頭を振り自身の思考をリセットした。

 そうこうしている間に解体ドックへと到着した叢雲。今度こそ青年は見つかるだろうか?少し期待しながら、叢雲は解体ドック入り口の扉を開けた。

 

 

「ほーら、今度の鋼材は大きいぞー」

「チ……」

 

 

 自分の想像の斜め上を行くおかしな光景に、叢雲の思考は停止する。 

 叢雲が見たのは自分たちの敵である深海棲艦を餌付けしている青年の姿だった。しばらくしてハッ、と我に返った叢雲は慌てて青年の元へと駆け寄った。

 

 

「ちょっとアンタ!何やってんのよ!?」

「おぉ叢雲。見ろよ、こいつ鋼材に目がないみたいだぞ」

「どうでもいいわよそんな情報!ていうか、そいつはアタシが狩ってきた奴よね!?何で生きてるのよ!」

「さあ?俺が見つけたときにはもう動いてたんだけど」

 

 

 場は混沌に包まれた。

 何故このような危険行為を行っているのかと厳しく攻め立てる叢雲。叢雲に攻め立てられ顔を真っ青にしているが、右手にはちゃっかり鋼材を握っている青年。そして、その鋼材を必死に取ろうと首を右往左往させるチ級。十人が見れば、十人が近寄りたくないと答えるであろう異様な光景だ。

 

 この異様な三すくみは、昼食を終えた作業員たちがドックに戻るまで続けられた。

 




次回・・・類は友を呼ぶ


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着任三日目:類は友を呼ぶ

麻耶様を解雇するかどうか悩む日々。

追記:少し修正しました。


 今、青年はある問題を抱えていた。

 資材の供給が停止してからというもの、資材不足に頭を悩ませていた青年だったが、つい最近になって火の車状態だった資材残量に大打撃を与える存在が現れたのだ。

 

 重雷装巡洋艦『チ級』。

 

 元々は叢雲が資材の足しにと持ち帰ったチ級の残骸が、時間経過により回復し活動を再開したのがすべての始まりだ。

 弱り果てた小さな命が、必死に生きようとするあのか弱いしぐさ。それに心を打たれてついつい手を差し伸べてしまった経験がないだろうか?

 その行動が最後まで面倒を見ることを前提としたものなら問題はないのだが、ただ「かわいそうだから」という理由だけで後先考えずに手を差し伸べてしまう者もいる。

 

 

 「チ……」

 「……これで最後だからな」

 

 

 この青年も後先考えなかった者の一人である。

 弱りきったチ級が必死に鋼材を口にする様や、不気味な姿とは裏腹に従順に言うことを聞くというギャップが青年の心を鷲づかみにした。

 そこへ帰ってきた作業員たち。最初は不気味がっていた彼らだったが、提督である青年が親身に接する姿を見て警戒を緩めてしまった。そしてすぐさま心を鷲づかみにされ、野郎総出で傷ついたチ級を猫かわいがりしてしまったのだ。

 その結果が今の現状である。いつの間にか完全回復したチ級は青年の後ろをぴったりとついてまわり、何かと餌を要求してくるようになった。もちろん、今所持している貴重な資材をこれ以上消費するわけにはいかないと青年はチ級の要望を拒否するのだが、いかんせん言葉が通じないためか意思の疎通がうまくいかない。

 

 そこへ現れたのがネゴシエイター叢雲だ。

 

 深海棲艦の言葉をわずかではあるが理解できた叢雲は、情け容赦ないチ級に現状を理解してもらおうと説得を行う。しかし、お互いの常識の相違が説得を難航させた。

 

 叢雲が「むやみに鋼材を食べてはいけない」と言えば、チ級は「ムヤミモタベル?」と返す。「いっぱい食べるな」と言えば「イッパイタベタイ」と返す。「食うな!」と言えば「オイシイ」と返す。

 

 延々と続く間の抜けたやり取り。叢雲はあまり寛容深い性格ではない。彼女のイライラが限界に達するまでに時間はかからなかった。

 口で言ってダメら手を出すのみ。叢雲はついに実力行使に出ることにした。

 

 

 「そんなに食いたけりゃ、自分で取ってきなさいよ!」

 

 

 身軽な跳躍を見せる叢雲。空中で体をぐるりとひねり、目の前にいるチ級に向かってローリングソバットをぶちかます。

 叢雲の攻撃をもろに受けたチ級の体は、まるで風にとばされた紙切れのように宙を舞う。重力に引かれて地面に落下した後も勢いは衰えることなく、チ級は舗装された地面を二転、三転し、そのまま海へと落ちていった。

 本当なら自慢の三連装魚雷もおまけでぶち込んでやりたいところだったが、後ろで見ている青年が気を悪くするかもしれないと考えた叢雲は、追撃することなくその場を後にした。

 まだ波紋が残る海面を青年は少し寂しそうな顔で眺めるが、このまま資材を食い尽くされるよりはマシだと気持ちを切り替え、青年は司令部へと消えていく叢雲の背中を追いかけた。

 

 この日、チ級が青年の司令部に戻ることは無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夢を、夢を見ていたんです。とても楽しく、穏やかで、平和な夢を。

 

 

 「HEY提督ぅ!ティータイムご一緒しませんカー?」

 「金剛か。この仕事が終わるまでちょっと待っててくれ」

 「んもぅ、早く終わらせくださいヨー!」

 「ダメですよ金剛さん。提督は今忙しいんですから」

 

 

 出鼻をくじかれてふてくされた『金剛』は執務室に置かれた上質なソファーに腰掛け、一足先に一人でティータイムを始めた。頭に手を当て「やれやれ」と小さくため息をこぼした秘書艦の『赤城』は、ティーセットを机に並べ始めた金剛に近づき注意を促すが、金剛本人は聞く耳持たずの様子。

 このやり取りを見るの何度目だろうか、と青年は筆を止めて目の前にいる二人の艦娘を眺める。

 いつも真面目でちょっとドジな所がある食いしん坊の赤城。青年の部隊に配属された初めての正規空母。書類整理で困ったときも、艦娘同士が喧嘩をしたときも、戦闘中逆境に立たされたときも、いつ何時でも青年を支え続けた有能な秘書艦。

 底抜けに明るくて諦めの悪い紅茶が大好きな金剛。情に厚く、困っている艦娘の相談によく乗っていた。そのおかげか、まだ配属されてからの時間は浅いにも関わらず周りからの信頼は厚い。

 

 

 「よーし終わった。それじゃあ休憩にしようか」

 「待ってましター!」

 「……提督は少し金剛さんに甘くありませんか?」

 

 

 金剛の誘いを受けた提督を見た赤城はわずかに顔を歪ませた。

 自分の言うことには乗り気じゃないのに対して、金剛の言葉には素直に応答する。確かに仕事の話とお茶の話ではお茶の話のほうが気は進むだろうが、それでもこれはあからさますぎではないだろうか。赤城は付き合いの長い自分の言葉よりも金剛の言葉にいい反応を示す青年を見てむくれていた。

 その様子をばっちり目撃した金剛。これはいいおもちゃを見つけたと、金剛はニヤニヤしながらむくれる赤城に向かって声をかけた。

 

 

 「あっれー?赤城サーン、どうしてそんなに怒っているのですカー?もしかして、提督を取られちゃったから拗ねてるんですカー?」

 「なっ!?べ、別に拗ねてなんかいません!」

 「だったらぁ、私がこうやって提督を独り占めしちゃっても文句はないわけですネー?」

 「こ、金剛!?」

 

 

 意地悪な笑みを見せた金剛は反対側のソファーに腰掛けた青年の左隣に移動し、青年の左腕に抱きつき頬ずりをはじめた。

 突然の行動に動揺する青年だったが、まんざらでもないのか顔を真っ赤にさせたまま止めようとするしぐさを見せない。それがさらに赤城の感情を逆撫でした。

 デレデレする提督に喝を入れようと赤城が一歩前に踏み出す。しかし、次の瞬間、そこへ新たなる刺客が乱入してきた。

 

 

 「戻ったぞ提督ー。任務は無事成功……って、何やってんだテメェら!!」

 「あらあら、天龍ちゃんってば、すごい変わり様」

 

 

 遠征に出ていた龍田、天龍率いる第三部隊が帰投したのだ。

 金剛が青年に頬ずりする様を目撃した天龍は、遠征の疲れなど感じさせない勢いで青年に掴みかかった。

 

 

 「どういうことだ!?どういうことだテメェ!何でこんなぽっと出の新入りなんかにそそのかされてんだよ!?」

 「待て待て待て待て!誤解だ!お前の考えているような関係じゃないから!」

 「そんなぁ!あれだけ激しく迫ってきておいて、他の女の前ではそんな事を言うんですカ!?」

 「っ!!……テメェ、覚悟はできてんだろうな?」

 「だから違うんだって!」

 

 

 青年の胸ぐらを掴み今にも殴りかかりそうな天龍。その様子を後ろから眺めニコニコする龍田。相変わらず青年の隣から離れようとしない金剛。青年と天龍の仲裁に入りながらも、ちゃかり青年の右腕に自分の腕を絡めている赤城。

 

 太陽の暖かな日差しが差し込む司令室に怒号と笑い声響き渡る。

 今日も青年の周りは騒がしい――――

 

 

 

 

 

 ゆさゆさ。

 

 

 (誰だろう。誰かが体をゆすっている。それに何だろう。お腹の辺りがやけに重い)

 

 

 青年は自分の見ている風景に違和感を覚えた。おかしい、体を触っているのは目の前の天龍と左隣の金剛と右側の赤城だけで、お腹は誰にも触られていない。それに、天龍に揺さぶられている割には視界がまったく揺れていない。目の前の風景とは明らかに矛盾した感触が青年の思考を加速させる。

 そして青年は気づいた。そうか、これは夢か。目の前で泣きそうな顔をしながら掴みかかっている天龍、その後ろでころころと笑う龍田、左腕に抱きつく金剛、仲裁に入ってくる赤城、全て夢なんだ。青年が全てを理解した瞬間、彼の視界は徐々に暗転していった。

 真っ暗な視界の中、胴体を覆う布団の感覚だけが青年の体に戻っていく。そりゃそうだ、まだ着任して六日目なのにあんな戦力を保持しているわけが無い。

 でもいつか、ああいう風に出会った艦娘たちと少し騒がしい日常をおくれたらいいな。青年はこれからの出会いに希望を抱きながら、重たい瞼をゆっくりと開いた。

 

 

 「チ……」

 

 

 想像して欲しい。目を覚まし瞼を開けたら、眼前二十センチメートル先に左目と口しかないのっぺらぼうの顔。この不意打ちがどれだけの破壊力を持っているかを。

 

 

 「亜qswでfrtgyふじこlp;@:」

 

 

 青年の心臓はどくん!と大きく跳ね上がった。全身から汗を噴き出しながら声にもならない絶叫を上げた青年は、突然現れた謎の恐怖から少しでも遠ざかろうと被っていた布団を跳ね除け畳の上をゴロゴロと転げ回りながら壁際まで移動した。

 はあはあ、と肩で息をする青年は壁に背中を預け、自分の眼前にいた相手が誰なのかを確認した。

 

 

「チ……」

「はあ、はあ……何だ、お前か……」

 

 

 青年を起こしていたのは、昨日叢雲に海に突き落とされたチ級だった。見覚えのある顔を確認した青年は一度大きく深呼吸し、ようやく落ち着きを取り戻す。そしてもう一度チ級に視線を向けた。……ちょっと待て。冷静さを取り戻した青年は視線の先にある光景に違和感を覚えた。

 まったく手入れをされていないぼさぼさのショートカットの髪、彼女が艦娘であることを物語る両腕に装備された巨大な魚雷発射管、怪しげに光を放つ左目。そして、他のチ級型と区別するために作業員に描かせた左肩の真っ赤な丸印。青年は、目の前にいる深海棲艦が自分になついているチ級で間違いないと認識した。

 おかしいのはここからだ。

 

 

 「ヌゥ」

 

 

 そのチ級の右隣に、見覚えの無い物体が鎮座しているのだ。

 謎の物体が突然発した声に少し動揺する青年。チ級の隣にある物は一体何なんだ。青年はかすんだ目で謎の物体を凝視する。

 規則性の見られない無差別に配置された砲台。両脇からはみ出るはがれた鉄板のような出っ張り。前面に並んだ歯のような白い模様。青年は寝ぼけた頭で自分の記憶を辿る。しかし、そのような物体を室内に配置した記憶は存在しなかった。

 

 

 「ヌゥ」

 「っ!?」

 

 

 再び驚愕する青年。声を発する謎の塊から若干青みがかった人の手が飛び出してきたのだ。しかし、それだけではない。青年が若干視線を下へ向けると、謎の塊からは人間の足のようなものまで生えている。

 

 

 「っ!!……ま、まさか……」

 

 

 ここにきてようやくまともに活動を始めた青年の脳が答えをはじき出した。

 確かに青年はチ級の隣にある手足の生えた謎の物体を室内に配置した覚えはない。しかし、その謎の物体と同じものを資料で見たことがあった。

 

 深海棲艦の一種『軽空母』、通称『ヌ級』。

 

 チ級と同様、提督たちと敵対関係にある深海棲艦がどういうわけか増えているのだ。

 

 

 「チ……」

 

 

 チ級はまだ事情を飲み込めていない青年の事などお構いなしに、左手に装備された巨大な魚雷発射管で青年の右手をゆっくりつつく。これはチ級が青年に鋼材をねだるときのサインだ。

 しかし、青年の右手をつつくと同時に、チ級は右手に装備された魚雷発射管で隣にいるヌ級をこん、こん、とつついている。右手のしぐさは初めて見る青年だったが、それが何を意味するのかを何故かはっきりと理解できた。

 

 

 (あぁ……そいつに飯をやれと……言っているのか)

 

 

 チ級がヌ級を連れて来た理由。それはとても単純なものだった。

 昨日、叢雲に海に突き落とされたチ級は、叢雲に言われたとおり自分で鋼材を探しに海を放浪していた。鋼材の取れる岩場をはしごして、ようやくお腹一杯になったところで再び青年のいる司令部へと戻ろうとしたその時、彼女の視界にあるものが飛び込んできた。

 

 

 「……ヌゥ……」

 

 

 なんと、大破した状態のヌ級が岩場に引っかかっていたのだ。

 少し前まで他の艦隊と激戦を繰り広げていたヌ級。相手の艦隊が追撃をしてこなかったため何とか一命は取り留めたものの、すでに艦艇としての能力を維持するだけで精一杯のヌ級。波に流されるがままたどり着いた岩場に『偶然』いたのが、食事にやってきたチ級だったのだ。

 事情を聞いたチ級は何とかヌ級型を助けようとするが、この海域ではヌ級の主食である『ボーキサイト』はほとんど取れない。体力の限界が近いヌ級が沈むのはもはや時間の問題だった。

 早く何とかしないと。チ級はヌ級を助ける手立てを考えた。

 

 そこでチ級の頭に浮かんだのは、自分を助けてくれた命の恩人の顔だった。

 

 チ級は両腕の魚雷発射管の上にヌ級を乗せ、一晩かけて青年のいる司令部へと向かった。『偶然』他の艦隊と出会わなかった二艦は、正面入り口から堂々と司令部内へ進入。司令部内を巡回している警備員の目を『偶然』かいくぐり、青年の自室がある執務室に無事到着。奥の自室で寝ている青年を発見し現在に至るというわけだ。

 

 つんつん、と青年の右手をつつき続けるチ級と、後ろでもじもじしているヌ級。その様子を見て、青年は思わず言葉を漏らした。

 

 

 「……こんな出会い、望んでないんだけど……」

 

 

 青年が望んだ出会った艦娘たちとの少し騒がしい日常。新たな仲間『ヌ級』と出会い、青年はその夢に一歩近づいた。いや、近づいてしまった。

 これから青年は嫌というほど経験することになる。自分の望んでいた以上に騒がしい日常を。

 




次回・・・ヲっ。


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着任四日目:ヲっ。

戦艦レシピで建造したら那珂ちゃんが出てきたので那珂ちゃんのファンやめます。

追記:一部おかしくなっていた文章を修正しました

追記2:少し修正しました。


 

 少し前から問題を抱えていた青年に、更なる問題が圧し掛かった。

 新たな仲間、軽空母『ヌ級』が加わり、青年の部隊もそれなりの戦力が整ったのだが、それは同時に消費の増加も意味する。

 「こちら」の常識を理解していない「深海棲艦」。本能の赴くままに資材をむさぼる彼女たちは加減というものを知らなかった。

 資材の供給が再開されたにも関わらず一向に減り続ける資材の残量。他の部隊が安泰ムードを見せる中、青年の部隊だけは未だに予断を許されない状況が続いていた。

 

 そこで登場したのが叢雲大先生だ。

 

 深海棲艦の言葉をわずかではあるが理解できた叢雲は、青年の懇願をしぶしぶ聞き入れチ級とヌ級の教育係に任命された。

 資材には限りがある、沢山食べたらすぐに無くなる。叢雲は司令部の仕組みを噛み砕いて二艦に説明した。

 しかし、ここで新たな問題が発生。チ級はまだ言葉が通じる分、教える側としても楽だったのだが、ヌ級の言葉はチ級以上に分かりづらく意思の疎通は困難を極めた。

 途中で我慢の限界に達した叢雲がヌ級にローリングソバットをぶちかました回数は優に十を超える。

 だがしかし、それが功を奏したのかヌ級は積極的に叢雲の言うことを聞くようになった。ヌ級は叢雲の言葉を理解しようと積極的に行動し、間違いを起こせばすぐに間違いを正そうと機敏な動きを見せた。

 叢雲は内心「自分には教育者としての才能があったのか」と思っていたが、実際は命の危機を感じたヌ級が叢雲の機嫌を損なわないよう必死になっていただけだということを、本人は知る由もない。

 こうして、丸々二日間かけて行われた叢雲の新人教育は無事成功?という形で幕を閉じた。

 司令部を押しつぶそうとしていた大きな問題を解決できたことを手放しで喜んだ青年は、功労者である叢雲と共に司令室で小さな祝勝会を上げた。

 

 

 

 

 

 ところがどっこい、まだ終わりではありません。というより、ここからが本番といっても過言ではない。

 叢雲と祝勝会を上げた翌朝、青年の司令部に一通の書状が届けられた。相手先はブイン基地総司令部。一体何事だろう、と不思議に思いながらも青年は包みから書状を取り出して内容を確認した。書状に書かれていた内容は、要約すると以下のとおりだ。

 

『お前の司令部にいる深海棲艦について話がある。ちょっとブイン基地総司令部まで来い』

 

 青年の時間が止まった。

 お偉いさんからまさかの個人指名。しかも、今まで誰にも教えることなく隠していた青年の司令部内だけの極秘事項が、どういうわけか一番偉い人たちに知られていたのだ。

 青年の頬を冷や汗が流れ落ちる。本来深海棲艦と青年たち提督は敵対している関係だ。その敵を保護していたとなれば、青年にはそれ相応の罰が科せられることになるだろう。提督の権利剥奪?謹慎?禁固刑?もしくはそれ以上……。脳内に最悪の結末が再生される。青年は深い、とても深いため息をこぼした。

 

 

(全てを知られている以上、下手に嘘をついてごまかそうとするのは逆効果だろうなあ……どうしよう。……いや、もうどうしようもないか。もういいや、開き直ってしまおう。お偉いさんが相手?そんなの知るか。権利剥奪?そんなもん知るか!もうどうにでもなれってんだ!!)

 

 

 半ばやけくそになった青年は叢雲と、連れてくるように指示されたチ級、ヌ級の二艦をつれてブイン基地総司令部へと向かった。

 道中、他の提督たちからの奇怪な視線が青年たちに突き刺さる。

 

 

「何だよあれ……アイツ深海棲艦連れてるぞ!気持ち悪ぃ!」

「うわっ、マジだ!悪趣味だなぁ。叢雲ちゃんかわいそ~」

「相当な変人だよな。近寄らないようにしようぜ……」

「敵を保護だと?提督の恥さらしめ」

 

 

 指を差され、避けられ、気味悪がられながらも、青年たちはただ黙々と歩くのみ。そんな中、青年の後ろを歩いていた叢雲が青年にだけ聞こえるような小さな声で言葉を発した。

 

 

「好き放題言われてるわね、私達」

 

 

 青年は後ろをちらりと覗いた。そこにはいつもどおり、凛とした表情の叢雲が歩いている。そうか、よくよく考えればこうして会話出来るのもこれで最後なのか。青年も同じように小さな声で叢雲に答えた。

 

 

「そうだな……悪いな、最後までこんなんで」

「別にかまわないわ。アンタが幸薄そうなのは出会ったときから感じてたし」

「そんな俺の所に配属されたお前は俺以上に幸薄い奴だよな」

「まったくその通りだわ……認めたくないけど」

 

 

 それ以降、誰一人として言葉を発することは無かった。余所見もせず、回り道もせず、青年たちは一直線に総司令部へと続く道を進み続ける。

 そして、いよいよ終わりの時がきた。ブイン基地総司令部の正面ゲートへとたどり着いた青年たち。このゲートをくぐれば終わる。相棒である叢雲との出会い、本来ありえるはずの無い二艦の艦娘との出会い、そして、始まったばかりの青年の提督としての生活、全てが終わりを迎える。

 

 

「短い間だったけどさ……本当に感謝してるよ。ありがとう、叢雲」

「ま、感謝されといてあげるわ。………………私も……ありがと…………」

 

 

 青年たちはブイン基地総司令部のゲートをくぐった。

 

 

「つーわけで、そのままそいつらの面倒見たって」

(ええええええええええええええええええええええ!!?)

 

 

 この返答を一体誰が予想できただろうか。上層部は、引き続き青年に深海棲艦を預ける決定を下した。

 今回青年を呼び出した総司令部の真意は、ブイン基地内でうろうろしている深海棲艦が、青年の司令部へ入っていくところを目撃したという報告が事実かどうかを確認するためだったのだ。ちなみに、目撃されたのは叢雲のローリングソバットで蹴り出されたヌ級である。

 報告を求められた青年は、事のあらましを包み隠さず全て話した。上層部の提督たちは皆、にわかに信じ固い話だという顔をしていたが、青年に寄り添うチ級とヌ級がおとなしくしているのを見て、青年の話が事実であることを認識した。

 深海棲艦が人間になつくなど、今まで聞いたことがない。しかし、青年の司令部にいるチ級とヌ級はどういうわけか青年になついている。

 これは今までに類のない、非常に興味深い事例だと判断した上層部は深海棲艦の生態調査および観察も兼ねて、二艦の深海棲艦を今までどおり青年に任せることを決定したのだ。

 しかし、青年に報告怠慢やその他もろもろの罪状があるのも事実だ。よって総司令部は、罰として青年を半年間減給処分とし、さらに、通常の提督としての業務に加え、深海棲艦について分かった事を逐一報告する義務を言い渡した。想像を遥かに越えた破格の軽さの罰である。

 

 

「……なんつーか、拍子抜けだな」

「ええ……ついさっきまで思いつめてた自分が馬鹿らしいわ」

 

 

 夕日を背に、司令部へと帰宅する一人と三艦。

 総司令部入りする前のあの覚悟とは一体なんだったのか。あのシリアスな空気とは何だったのか。お互い今生の別れのつもりで言葉を交わしていたせいか、青年も叢雲もお互いの顔をまともに見れずにいた。

 真面目な台詞を言った後の、あのむずがゆい恥ずかしさといったらとても言葉では表現できない。

 

 

「チ……」

「ヌゥ」

 

 

 そんな一人と一艦の気持ちなど露知らず、後ろを歩く二艦は「オナカスイタ」と青年に晩飯を催促するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 次の日、港には提督である青年と旗艦である叢雲、深海棲艦のチ級とヌ級の姿があった。

 資材の供給が開始され、深海棲艦の二艦が加減を覚えた今こそ出撃の時。叢雲単機の出撃ではない。チ級とヌ級を部隊に加えた、青年提督率いる真の「第一艦隊」がついに出撃するのだ。

 

 叢雲大先生の教えその一、働かざるもの食うべからず。

 

 食べてばっかりいないで少しは働け、と教育を受けたチ級とヌ級は今日から本格的に叢雲の指揮の下で活動することになった。

 今回の出撃内容はごく単純なものだ。いや、出撃というより遠征と言ったほうがいいかもしれない。

 叢雲と深海棲艦たちの連携を確かめるために、今回第一艦隊は鎮守府海域の南西諸島沖まで資材の採掘に出ることにした。また、補給艦の存在が確認されていない鎮守府海域で生き残った深海棲艦がどのようにして消費した燃料や弾薬を補給しているのか、それを知ることも今回の遠征の目的の一つである。

 叢雲がチ級から聞いた話では、補給艦の利用を許されるのは『エリート深海棲艦』以上のみで、それ以外の深海棲艦は海面に浮かんでいるごくわずかな廃材や、岩場で取れる天然の資材を探すのだという。深海棲艦社会の上下関係もなかなか厳しいようだ。

 準備を整えた三艦は南西諸島沖へ向けて出撃した。深海棲艦のチ級とヌ級は旗艦である叢雲の後をしっかり追いかける。進行方向を変えたり一時停止してみたりと、叢雲はわざと途中で動きを変えるが、二艦はその動きにもちゃんと反応して方向転換したり停止したりする。とりあえず簡単な陣形は組めそうだ、と叢雲は思っていた以上の成果に満足した。

 そうこうしている内に目的地点である南西諸島沖へ到着した叢雲率いる第一部隊は、青年の指示通り資材の回収を始めた。

 叢雲はチ級型とヌ級型にここら一帯で資材を集めると指示を出す。チ級とヌ級はお互い顔を見合わせ、小さくうなずきあうとキョロキョロと周囲を見渡し始めた。

 最初に動いたのはチ級だ。それに続くようにヌ級、叢雲も移動を開始する。チ級はいつも自分がはしごしてる岩場のルートを通って資材を回収することにした。

 といっても、岩場から取れる天然の資材の量もたかが知れている。結局最初の岩場で回収できたのは少しの鋼材と、ヌ級のように海流で流れ着いた残骸から取れたわずかばかりの燃料だけだった。

 

 

(たったこれだけ……)

 

 

 取得できた資材の少なさを見て叢雲は思った。まさか、今までに破損した深海棲艦たちはこれほど少ない資材で自身の修復や補給を行っていたというのだろうか。それで自身の船体を万全の状態まで回復させるのだから、深海棲艦の自己修復能力はかなりのものだろう。

 深海棲艦の底力に僅かばかりの恐怖を覚えながら、叢雲はチ級とヌ級の後に続く。

 その後も資材集めは順調に進み、チ級が知りうる資材が取れる岩場は全て回った。資材もそこそこ集まったし今日はこの辺でやめておこうと叢雲が後ろにいる二艦に帰投の指示を出そうとした、その時だった。

 

 

「……?……この音、砲撃?」

 

 

 叢雲の耳が遠くで何かが爆発する音を捉えたのだ。

 それも一回だけではない。何発も何発も、不規則な爆発音がどこからか聞こえてくる。叢雲は慌てて周囲を見渡した。しかし、目に映る所に戦闘を行っている艦隊はいない。

 ここで叢雲にある疑問が浮かんだ。おかしい、今いる南西諸島沖ではこれほど大量の砲撃を行う戦闘はまず起こらない。鎮守府海域でも『鎮守府正面海域』と、今いる『南西諸島沖』は深海棲艦の数が圧倒的に少ない。

 今回の初出撃先として南西諸島沖を選んだのもそれが理由だ。では何故、そんな海域で大量の爆発音が聞こえるのだろうか。

 

 

「……まさか、ここって防衛線じゃなでしょうね!?」

 

 

 そう、確かに『南西諸島沖』では敵の数は少ない。しかし、『南西諸島沖』から数十キロ移動した先には激戦区である『南西諸島防衛線』がある。

 そこはどういうわけか深海棲艦の出現数が爆発的に多くなる海域であり、よく深海棲艦の艦隊と艦娘の艦隊が戦闘を行っているのだ。防衛線では重巡洋艦や戦艦の存在が確認されており、それゆえに戦闘も苛烈なものとなる。

 自分たちの移動距離、絶え間なく続く爆発音、南西諸島、全ての要素が叢雲の頭で一つとなり、答えを紡ぎ出した。チ級に先導されるがまま岩場をはしごした結果、叢雲たち第一艦隊はいつの間にか『南西諸島沖』から『南西諸島防衛線』まで移動していたのだ。

 なんという平凡なミス。自分がもっとしっかりしておくべきだったと、叢雲は自身を激しく責めた。

 

 

「私としたことがっ……迂闊だったわ!第一艦隊、急いで帰投するわよ!」

 

 

 叢雲は急いで後ろの二艦に帰投の指示をだした。

 重巡洋艦や戦艦クラスが相手では、今の戦力では逆立ちしたって勝てはしない。手に入れた資材を投げ捨ててでも逃げなければと、叢雲はチ級とヌ級にそれぞれ側面と後方を警戒するように指示し、叢雲自身は前面を警戒しながら青年のいる司令部を目指した。

 しかし、このとき叢雲は気づいていなかった。彼女のミスは、実は一つではなかったのだ。一つの事に集中しすぎると、どこか必ず抜けができる。周囲の警戒に集中するあまり、自分のすぐ近くで起きた異変に叢雲は気づかなかった。

 結果を言うと、叢雲たちは無事青年の司令部へと帰投できた。『偶然』叢雲たちの北方十キロ先で砲撃戦が始まり、その音が南西諸島防衛線に百メートル程進入した叢雲たちに届いたおかげで、叢雲たちはすぐに南西諸島防衛線を離脱することが出来たのだ。

 その後は特に戦闘もなく、無事司令部に帰投。第一艦隊の初任務は無事成功という形で幕を閉じた。初任務『は』。

 

 

「…………」

「…………」

 

 

 無言で目の前の光景を眺める青年と叢雲。

 そこには、初任務大成功のお祝いをする深海棲艦たちの姿がある。青年が用意した資材を一心不乱に食するその姿はどこか可愛らしい。

 

 

「……ング……チ……」

 

 

 装備の都合上両手が不自由なチ級は長い舌で鋼材を掴み口へと放り込む。がっつきすぎて鋼材の重さに耐え切れなくなった舌が地面に押しつぶされて、びっくりすることもしばしば。

 

 

「ムグムグ……ヌゥ」

 

 

 ヌ級は人と同じような両腕を持っているため、それを駆使して資材を口へと放り込む。ボーキサイトと燃料の食べ合わせが好きなようだ。

 

 

「ヲっ。モグモグ……」

 

 

 一番人型に近いヲ級。彼女もヌ級と同様に人と同じような両腕を持っているが、ヌ級に比べて手のサイズや口のサイズが小さいため食べるスピードは一番遅い。大きなボーキサイトを両手で持ち、小さな口で必死に食べている。

 さて、ここで問題です。今、深海棲艦たちが行っているお祝いパーティーの中で、一つおかしなところがあります。それはどこでしょうか?

 

 

「……俺の司令部で深海棲艦が宴会してる時点で、すでに何かおかしいような気がするんだけど」

「……現実から目を背けるのはやめましょう。……まあ、これも完全に私のミスなんだけど……」

 

 

 青年と叢雲は深海棲艦のとある一艦を凝視する。

 容姿は普通の少女。しかし、肌の色は真っ白(比喩にあらず)で、髪の色は薄い灰色、下は黒いズボンで上は体のラインがよく分かるぴっちりとした白いレオタート?という奇怪な服装、肩には灰色のマントを羽織り、手には黒いグローブをつけ、頭にはヌ級によく似た形の被り物を被っている。

 

 深海棲艦の一種『正規空母』、通称『ヲ級』。

 

 いつの間にか第一艦隊に合流した謎の深海棲艦。叢雲が気づかなかったもう一つのミスである。

 後ろを警戒していたのだから気づいていたはず。なのに何故報告しなかったのか、と叢雲はチ級とヌ級を問いただすが、深海棲艦のズレた常識がここで炸裂。

 どうやら深海棲艦の間では「知らないうちに仲間が増える」というのは常識らしい。叢雲は軽いめまいを覚えた。

 とりあえず、何故ついてきたのかヲ級に理由を聞きたいところだが、さすがに初対面の相手に「何でついてきた?」とは聞けないので、叢雲はチ級に話を聞いてくるように命令した。

 叢雲はチ級のたどたどしい報告を頭の中で整理する。話によると、このヲ級は少し前までは自分で艦隊を率いていたらしい。しかし、艦娘の艦隊と交戦して仲間を全て失ってしまった。

 何とか生き延びることが出来たが、共に戦った仲間はもう誰もいない。一人で途方にくれていると、少し離れているところにチ級とヌ級と何か(叢雲)がいるのが見えたため、急いで後を追いかけてついていった結果、こうして司令部までたどり着いたらしい。

 

 要約すると、ヲ級は「一人で寂しかったからついてきた」と言ってるのだ。

 

 これはマズい展開だ、と青年は苦しい表情を見せた。

 ただでさえ資材はギリギリの状態なのに、これ以上消費が増えたら資材が完全の底を尽きてしまう。ヲ級は正規空母だ。おそらく他の二艦よりも資材の消費は多いだろう。何とかお引取りしていただかなければ、と青年は知恵を働かせるが、そこへ「情」が妨害をかける。

 仲間を失って一人寂しい思いをしていた相手を追い返せと言うのか?と、青年の「情」が語りかける。しかし、そうやって情けをかけたせいで給与の半分と周りの信頼を失い、さらには余計な仕事まで増やされた。今回大事にならなかったのは運が良かっただけだ。次もそうだとは限らない。

 青年の「理性」が「情」を押さえつける。

 

 

「ちょっとアンタ!さっきから何ボーっと突っ立ってるのよ!アンタからも何とか言ってやりなさい!」

「お、おう……」

 

 

 青年はヲ級を追い返そうと心に決め、いつの間にかエキサイトした叢雲の隣へと並び立つ。すまない、心苦しいが仕方の無いことなんだ。青年は自分の意思をヲ級に伝えようと大きく息を吸い上げた。

 

 

「……ヲっ?」

 

 

 ヲ級はぺたん座りをしながら両手でボーキサイトを持ち、食べかすのついた小さな口をもぐもぐさせ、上目遣いで首をちょこんとかしげた。

 

 

「保護しよう」

 

 

 青年の口から出てきた言葉は、心に決めた意志とは正反対の言葉だった。先ほどまで「情」をがっちりと押さえ込んでいた「理性」が一瞬で手のひらを返したのだ。

 これまでに出会ったチ級、ヌ級はまだ深海棲艦らしい不気味な雰囲気が漂っていたため「コイツは深海棲艦なんだ」と自覚できた青年だったが、今青年の目に映っているヲ級の容姿はどこからどう見ても普通の少女にしか見えなかった。

 肌の色から彼女は人間ではないと判断できる。しかし、その可愛らしいしぐさは男心を一瞬で虜にする程の破壊力を持っていたのだ。

 

 

「ちょっ、アンタ何言ってるの!?」

「おーい!追加、ボーキサイト追加ー!ありったけ持ってきてー!」

「こ……この馬鹿提督!少しは学習しなさいよ!」

 

 

 この後、野郎共が総出でチ級のとき以上にヲ級を猫かわいがりしたのは言うまでもない。

 




次回・・・マスター叢雲


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着任五日目:マスター叢雲

うちの艦隊に瑞鳳さんがやってきました。そしてついに開発できた紫電改二。なるほど、瑞鳳さんを使えということですね。
というわけで麻耶様。いままでご苦労様でした。あなたの活躍は決して忘れません。

追記:2-4突破記念に、感想欄のコメントに返信しました。

追記2:少し修正しました。


 

 本日は晴天なり。

 

 絶好の出撃日和となった今日、叢雲率いる第一艦隊は二回目の出撃を行う。出撃という名の遠征ではなく、本来の意味での出撃だ。

 まず手始めに、敵の少ない『鎮守府正面海域』で腕試し。その後司令部で補給を行い、前回遠征を行った南西諸島沖へすぐに出撃する。いけそうならば製油所地帯沿岸に出没する深海棲艦を迎撃する任務も行う予定だ。

 敵との交戦を目的とした出撃は今回が初めてだが、最初から飛ばしすぎではないだろうか。青年は提案者である叢雲に心配の声をかけるが、叢雲はその言葉を一蹴。私がいれば問題ない、と断言した。

 初めて自分で艦隊を率いて交戦するためか、朝からかなり気合が入っていた叢雲。青年は一言「絶対に無茶はするな」と命令し、自身の持ち場である司令室へと戻っていった。

 陣形や作戦をまとめた資料を机に並べ、いつでも叢雲たちに指示を出せるように準備を整えた青年は、来(きた)るべき交戦に備えて気を落ち着かせるのだった。

 

 が、ここに来て予想外の事態が発生。

 

 前回ブイン基地総司令部から呼び出された際に、深海棲艦について分かった事を逐一報告するよう命令された青年は命令どおりヲ級が新たに艦隊へ加わったことを報告したのだが、その返答がタイミング悪くやってきたのだ。

 総司令部から「正規空母ヲ級を見てみたからつれて来い。今すぐに」という内容の書状が届いたため、急遽出撃を中止することにした青年だったが、それに反対する者がいた。

 

 

「ふざけないで!ここまで来て中止なんで出来るわけ無いじゃない!」

 

 

 それは叢雲だった。

 出撃まで後数分というところで中止の指示。元々好戦的な上に、第一艦隊初戦闘ということでやる気満々だった叢雲にとってその指示は死刑宣告に等しいものだった。

 提督である青年の指示を頑なに拒否し、無理やりにでも出撃しようとする叢雲。今の叢雲を説得するには時間がなさすぎる。自分の腕時計を見て書状に書かれた時間が迫っているのを確認した青年は、南西諸島沖より先へ進まないことを条件に仕方なく出撃の許可を出した。

 まあ、鎮守府海域ならば強敵もいないだろうし、それに今回はチ級型とヌ級型もいるから大丈夫だろう。青年はそう自分に言い聞かせ、司令部のどこかにいるであろうヲ級を探すことにした。

 しかし、青年の足はすぐに止まる。青年の前に『ある生物』が現れたからだ。

 

 

「……?何だあれ……?」

 

 

 寸胴な体系、体の大半が黒色で、お腹の部分が白く、顔には黄色いくちばしがあり、水かきのついた足で青年の前をぺたぺたと歩く生物は、南極に生息している『あの生物』に良く似ていた。

 

 

「何で『ペンギン』がうちの司令部にいるんだ?」

 

 

 そう、ペンギンだ。鳥類ペンギン目に属する、空を飛べない代わりに海を自由自在に泳ぎ回ることができるあのペンギンが、何故か青年の前から歩いてくるのだ。

 ペンギンはそのまま直進し、青年の足元を通り過ぎた。何故ペンギンがいるのか疑問に思う青年だったが、今はヲ級を見つけることが最優先。ペンギンの一匹くらい司令部をうろつかせても問題ないだろう、そう判断した青年は再びヲ級を探し始めた。

 

 しかし、このとき青年は知らなかった。

 

 そのペンギンが、提督たちの間で語り継がれている三大都市伝説の一つ、『不幸を呼ぶペンギン』だということを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 太陽の日差しが真上から照りつける中、青年は汗だくになりながら総司令部へと続く道を歩いていた。

 その横を、手を繋がれたヲ級がとてとてと歩く。叢雲曰く「まだこちらの常識を理解していないから下手に一人歩きさせたら大変なことになる」と警告されたため、青年はこうしてヲ級の手をつないでいるのだが、これが思った以上に大変だった。

 今は気温が一番高くなるお昼時。真上から照りつける太陽の日差しを浴び続けている青年の髪はべっとりと肌に張り付き、軍服の中に着ているシャツや下着などは、まるで土砂降りの雨に打たれたかのようにずぶ濡れ状態だ。

 もう本当に時間がない。ここで遅刻しては余計に肩身が狭くなる。青年はしきりに時計を気にしながら先を急ぐのだが、その行く手を阻む障害が青年の前に立ちはだかった。

 

 

「ヲっ」

 

 

 その障害とは、今青年の隣を歩くヲ級だった。

 途中で自分の興味のあるものを見つけたのか、ヲ級は頻繁に明後日の方向へ進もうとするのだ。深海棲艦の力は人間よりも遥かに強い。ヲ級がどこかへ行こうとするたびに青年は精一杯の力で何とか引きとめ、肩で息をしながら前へと進む。

 しかし、障害はそれだけではなかった。青年の進行を妨げようとするヲ級よりも更に厄介な障害。青年の周囲に群がる「彼ら」こそ、今の青年にとって最大の難関だった。

 

 

「何だおい、また増えたのか?大変だな。ったく、しょうがねえ。俺が一艦面倒見てやるよ。とりあえず、今後ろにつれているヲ級ちゃんでいいかな?」

「やあ、元気にしてたか兄弟。今度、君の司令部へ遊びに行っていいかな?手ぶらで訪問ってのもアレだし……そうだ、資材を持っていくよ。ボーキサイトとか」

「お義父さん、ヲッキュンを僕にください」

「また貴様か、いい加減にしろ。一体どうやったらこうなるんだ?マジでやり方教えてくださいお願いします」

 

 

 右を見ても提督、左を見ても提督、提督提督提督。青年にとって最大の難関とは、ブイン基地に着任した提督たちだった。

 清清しいほどの手のひら返し。三日前は「気持ち悪い」だの「関わらないようにしよう」だの「提督の恥さらし」だの好き放題言っていた連中が、今では自分から積極的に青年に話しかけてくるのだ。

 この豹変っぷり、話しかけられる側からすればホラー以外の何者でもないのだが、理由が分かっていればそれほど恐ろしくも無い。

 

 

「……ヲっ?」

 

 

 ちらりと青年が視線を向けると、ヲ級は小首を傾げた。おそらく、いや絶対にコイツが原因だ。自分もそうだったから間違いない、と青年は心の中で確信した。

 ヲ級に馴れ馴れしく話しかる者もいれば、カメラを片手にヲ級を撮影する者もいる。わらわらと周りをうろつかれて歩きづらいことこの上ない。さらに、一部の悪質な提督がボーキサイトを片手にヲ級を誘うため進行はさらに遅くなる。

 さらにさらに、提督たちがヲ級に首ったけなせいで、ほったらかし状態になっている秘書艦たちの機嫌がとんでもないことになっている。

 提督たちの欲望丸出しのねっとりとした視線と、自分の提督を取られて不機嫌になった秘書艦たちの突き刺さるような視線の二重攻撃を受け、青年の心は大破寸前だった。

 しかし、騒動の原因であるヲ級は周りの事など一切気にせず、ひたすらマイペースを貫き通す。一人と一艦に後続する邪な感情に支配された真昼の百鬼夜行。このカオスな行列は、青年が総司令部のゲートをくぐるまで解散することは無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 同時刻。

 出撃していた叢雲率いる第一艦隊でも騒ぎが起こっていた。

 

 

「チ……」

「ヌゥ」

 

 

 出撃前はやる気に満ち溢れていた叢雲。しかし、今ではそのやる気もすっかり萎え、目の前で屯する『三艦』をただ呆然と眺めていた。

 さかのぼること数分前、叢雲たち第一艦隊は南西諸島沖で敵艦隊と戦闘を行っていた。はたして、深海棲艦同士で戦闘は可能なのか?最初は少し不安だった叢雲だが、その心配は杞憂に終わった。チ級とヌ級は『駆逐艦イ級』を容赦なく攻撃。見事、敵艦隊を壊滅させた。

 二艦を見て「教育の成果がでている……!」と内心大喜びだった叢雲。叢雲の「働かざるもの食うべからず」という教えを「勝てなければ飯を食わせない」と誤解したチ級とヌ級が必死になって戦っていることを、彼女は一生知ることは無いだろう。

 第一艦隊はその後も交戦を繰り返し、順調に勝利を重ねていった。そして数時間後、燃料と弾薬の残量が少なくなってきたところで、一度司令部へ帰投することになった。

 

 

「ふう。それじゃ、一度司令部まで……ってあれ?」

 

 

 叢雲は後ろを振り返るが、そこにチ級とヌ級の姿がなかった。慌てて周囲を確認する叢雲。すると、チ級とヌ級が明後日の方向へ勝手に進撃しているのが見えた。

 一瞬あっけに取られる叢雲だったが、すぐに冷静さを取り戻し考えをめぐらせる。何故指示を無視したのか理由は分からないが、とりあえず二艦を引き止めなければ。二艦とも燃料と弾薬をだいぶ消費している。これ以上戦闘を続けるのは危険だ。叢雲は全速力で二艦の後を追いかけた。

 

 

「っ!……なるほど、そういうことね」

 

 

 チ級とヌ級の後を追う叢雲は、二艦が勝手に移動し始めた理由を把握した。

 前方を進む二艦のさらに先、距離にして約三百メートル先の地点に低速で移動する深海棲艦がいたのだ。前方にいる深海棲艦の周りには他の艦艇の姿が見えない。敵が一艦のみなら今の残量でも大丈夫だろうと判断した叢雲は追いついた二艦と並走して目の前に迫る深海棲艦との戦闘に備えた。

 徐々に接近する第一艦隊。敵との距離はすでに百メートルをきっている。そろそろ攻撃陣形を展開しよう、叢雲は失速して並走する二艦に指示を出した。

 

 

「陣形展開!単縦陣で一気に……ってちょっと!?どこ行くのよ!」

 

 

 しかし、チ級とヌ級の二艦はまたしても叢雲の指示を無視した。失速した叢雲のことなどお構いなしに、すでに前方五十メートル先にまで迫った敵に向かってチ級とヌ級は前進する。

 訳がわからない、一体何が起こっている。突然言うことを聞かなくなった二艦を呆然と眺める叢雲。いつもの彼女ならば、言うことを聞かない二艦に対して文句を言うところだが、今は自分の言うことを聞かない二艦に対する怒りよりも、二艦の態度が急に変わったことによる動揺の方が大きかった。叢雲は頭にいくつもの疑問符を浮かべながら、とりあえず先を行く二艦の後を追うのであった。

 

 そして現在、砲撃を開始するどころか敵の前方二メートル前まで接近したチ級とヌ級は、目の前にいる敵の深海棲艦と仲良くおしゃべりをしていた。

 叢雲はチ級とヌ級がやる気を出して自分の意思で敵を倒すために動いたのだと思っていたのだが、そうではない。

 ただ、普段この辺りで見かけない奴がいたから気になったという、どうでもいい理由で動いていたのだ。

 こんなの、自分の想像していた出撃と違う。一人たそがれる叢雲を他所に、二艦と敵深海棲艦は談笑を続けた。

 

 

「チ……」

「ヌゥ」

「リ!」

 

 

 青白い肌にストラップレス水着のような格好。ポニーテールのように頭から伸び、背中へと接続されたパイプ。そして、右手に装備された巨大な連装砲と左手に装備された21インチ酸素魚雷。彼女は提督たちからこう呼ばれている。

 

 深海棲艦の一種『重巡洋艦』、通称『リ級』。

 

 本来、今第一艦隊のいる『南西諸島沖』にはいないはずのリ級だが、何故このようなところを一艦でうろうろしていたのだろうか。途方にくれながらも、事情を飲み込もうとした叢雲は談笑する三艦の後ろで聞き耳を立てた。

 カタコトな言葉遣いを必死に頭で並び替え、つなげて、整理して、おおよその事情を把握した叢雲。だがしかし、それでも最初の出撃くらいは最後まできっちりやりたかったと、再び途方にくれるのであった。

 叢雲が三艦の話から見出したリ級の事情。それはリ級と『ある深海棲艦』の衝突が原因だった。

 リ級はある艦隊に所属していたのだが、そこには以前から気の合わない『艦艇』がいた。リ級もその『艦艇』もお互い火力で押し切る攻撃を得意としていたのだが、そのせいかたびたび小競り合いが起こっていた。

 戦い方が似ているために狙う相手も被ってくる。その『艦艇』は他の深海棲艦よりプライドが高いのか、自分の得物を横取りしてくリ級の事を良く思っていなかった。そして、それはリ級も同じだった。

 お互いに不満を声に出すことはない。ただ、誤射と偽って互いを攻撃しあうだけ。そんな関係が何日も続いたが、その関係はある日突然終わりを迎えた。

 

 その『艦艇』が、ついに面と向かってリ級に攻撃を仕掛けたのだ。

 

 リ級は迷うことなく反撃した。以前から邪魔だった相手を面と向かって叩きのめす。そうすることで自分が上だということを分からせてやる。リ級は意気揚々と戦闘に望んだ。

 だが、リ級は勝負に敗れた。轟沈寸前まで破壊されたリ級はヌ級と同じように海流の流れに乗ってこの南西諸島沖まで流された。その後、長い時間をかけて体を修復し、つい最近になってようやく動けるようになったのである。

 リ級は復讐に燃えていた。やられたらやり返す。倍返しだ。あの『艦艇』が今どこにいるのか見当はつかないが、絶対に見つけ出してだしてやる。リ級はあの『艦艇』を探し出すことを心に決めた。

 そこへ丁度やってきたのがチ級とヌ級だった。と、ここまでが叢雲が解読した事のあらましである。

 チ級とヌ級はお互い顔を見合わせ、そして頷きあった。そして、一度リ級に背を向けた二艦は後ろでたそがれていた叢雲の背後へと回り込むと、叢雲をリ級の目の前へ押し出した。

 突然の事態に対処できず、成されるがままリ級の前へと立たされた叢雲。どうすればいいのか分からず「え?え?」と言葉を発する叢雲の後ろから出てきたチ級は、右手の魚雷発射管を叢雲に向けた。

 

 

「チ……」

「ちょっ、ちょっと!危ないじゃ…………って、待ちなさい!アンタ勝手に何言ってるの!?」

 

 

 いきなり魚雷発射管を向けられ驚く叢雲だったが、チ級の言葉を聞いてさらに驚いた。チ級はリ級にただ一言、こう言ったのだ。

 

 「コイツ、イバショ、シッテル」と。

 

 もちろん、叢雲がそんな事を知るはずもない。だがしかし、叢雲の教育を受けたチ級とヌ級にとって、叢雲という駆逐艦の存在は『何でも出来て、何でも知ってる強い奴』と認識されてしまっているのだ。ちなみに、青年は『ご飯をくれる何か』と認識されている。

 自分の教育の成果が遺憾なく発揮されていることなど露知らず、叢雲はただ困惑することしか出来なかった。知らないなら正直に知らないと言えばいいのだが、元々プライドが高かった叢雲はここで「知らない」という言葉を口にできない。

 しかも、自分の部下とも言える存在が目の前で見ているのだ。なおさら「知らない」とは言えない。言えるわけがない。

 

 

「し、仕方ないわね。い、いいわ、わ、わた、私についてくれば……アンタのっ、さ、探している奴を見つけて、あ、あげるわっ」

 

 

 探す相手を知らない、探す方法も分からない。それでも叢雲はチ級の発言を肯定した。精一杯の強がりで何とか自分を支えながら、叢雲率いる第一艦隊は今度こそ司令部へ帰投するのだった。

 

 もう、後戻りは出来ない。

 




次回・・・因縁の対決。リ級型対ル級型


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着任六日目:因縁の対決。リ級対ル級

ようやく2-4クリアしたと思ったらこれだよ。駆逐艦のレベル上げがつらい。

追記:島風ドロップ記念に、感想欄のコメントに返信しました。

追記2:少し修正しました。


夜、静まり返った青年の司令部の中で明かりの灯った部屋が一つあった。

 

 

「……で、結局知らないとは言えずにここまで連れて来たってわけか」

「……ええ」

 

 

 明かりの灯った執務室で、ついさっき司令部へと戻った青年と、後戻りの出来ない状況に追い込まれた叢雲は状況を報告し合っていた。青年は肉体的疲労で、叢雲は精神的疲労でぐったりしている。

 資材不足、新たな深海棲艦の加入、総司令部からの呼び出し。短期間の間に何度も窮地に立たされてきた青年と叢雲だったが、それも協力し合って何とか乗り越える事が出来た。

 その甲斐あって、最近は少しずつではあるが資材も増え始め、昨日(さくじつ)行われた初出撃は無事成功。ようやく軌道に乗り始めた艦隊の運用に、青年と叢雲はやりがいを感じ始めていた。

 そんな矢先に発生した『この事態』は、一人と一艦の心を大きく抉った。

 

 

「それで、一体いくら『持っていかれた』?」

 

 

 持っていかれた。その一言で、叢雲は問いの真意を理解した。彼は私にこう言っている。俺が司令部にいない間、お前が独断で行った『策』でどれほどの出費があったのか知りたい、と。

 言葉に詰まる叢雲だったが、命令ならば言わねばなるまい。青年の精神的ダメージを考慮して、叢雲は大雑把な数字を青年に伝えることにした。

 まるで、受験結果の合否を確認する受験生のように、不安を押し殺して一抹の希望に望みを賭ける青年。しかし、その希望は叢雲の一言によって無残にも砕け散った。

 

 

「……弾薬が……五分の一くらい……」

「……そうか。そうだよね……」

 

 

 あまりにも残酷な結果だった。五分の一。それは資材の供給が始まって以来少しずつ溜め込んできた資材が、たった数時間で消し飛んだことを意味していた。

 叢雲が連れ帰ったリ級の行動を抑制するための苦肉の『策』とはいえ、これはあまりにもひどすぎる。このペースで消費が進めば、単純に計算してあと五日で弾薬が底を尽きてしまう。再び、資材不足に悩まされる日々が始まってしまうのだ。

 そうなる前に、青年と叢雲は無理難題とも言える『問題』をどうにかして解決しなければならない。

 

 リ級の探している深海棲艦を見つけ出す。

 

 叢雲が持ち帰った『問題』はあまりにも大きすぎた。持ち込んだ叢雲自身ですら「あの時ちゃんと断っておけば……」と弱気になるほど強大だった。

 リ級ともそれなりに会話は成立する。細かく質問をして情報を集めれば案外何とかなるかもしれない。まだ事の重大さに気づいていない頃の叢雲は、リ級に話を元に青年と協力してリ級型の探す深海棲艦を見つけようと考えていた。

 しかし、その考えは安請け合いしたにしてはあまりにも安直だったと、叢雲は後から痛感することになる。

 

 その深海棲艦は自分よりデカイ。

 

 リ級から出てきた、彼女が探している深海棲艦に関する情報はそれだけだった。

 話を聞いた叢雲は唖然とした。これは何かの間違いだ、と叢雲は言葉を変えて何度も何度も同じ質問をするが、帰ってくるのは同じ答え。他に分かった事と言えば、リ級の所属していた艦隊には、その深海棲艦とリ級よりも大きな深海棲艦が存在していなかったということくらいだ。

 しかし、知らないうちに仲間が増えるということが常識となっている深海棲艦の艦隊が、いつまでも同じ編成でいるとは限らない。艦隊の編成でリ級が探している深海棲艦を見つけ出すのは難しいだろう。

 叢雲は出撃中に海上で聞いた話も踏まえて、目的の深海棲艦についての情報を頭でまとめた。

 リ級が探している深海棲艦について分かったことは重巡洋艦よりも大きく、砲撃の火力で押すタイプ、つまりリ級が探している深海棲艦は『戦艦』であるということ。その戦艦には『ル級』と『タ級』の二種類が存在するが、この辺りの海域では『タ級』の存在は確認されていない。つまり、リ級が探している深海棲艦とは『戦艦ル級』と思われる。

 しかし、戦艦ル級と言えば『南西諸島防衛線』で数多く見られる深海棲艦だ。その中からどうやってリ級と因縁のある戦艦ル級を見つけ出せばいいのか。

 叢雲は帰投してからずっと目的の深海棲艦を見つけ出す方法を考え続けていた。

 

 

「……いや、案外簡単に見つかるかも」

「え?」

 

 

 解決の糸口は意外な所で見つかった。青年の口から出てきた言葉を聞いた叢雲は一瞬呆けるが、すぐに再起動して青年に詳しく話すよう催促した。

 

 

「今日総司令部に行ったとき、上層部の人と話をしたんだけどさ、最近ちょっと変わった艦隊が目撃されてるんだって」

 

 

 曰く、その艦隊は戦艦一艦と駆逐艦五艦で形成されている。そして、その艦隊を率いる戦艦は異常な火力で他の提督たちの艦隊を次々と返り討ちにしている。さらに、その戦艦の装甲は並みの戦艦よりも遥かに頑丈で、実際に遭遇した艦隊はその戦艦を相手にかすり傷を付けるのがやっとだった。

 そういった報告がすでに総司令部に何件もあがっている、と青年は上層部で聞いた話を叢雲に聞かせた。

 

 

「多分、その戦艦は『エリート艦艇』だろうって言ってた。南西諸島防衛線で『エリート艦艇』が見つかったのは初めての事例みたいだから、近いうちに警告文が出るかもーだってさ」

 

 

 エリート艦艇とは、普通の深海棲艦よりも強い力を持つ艦艇のことだ。通常の深海棲艦が長い年月をかけて進化した姿とも言われている。

 鎮守府より遠く離れた未開の地では『エリート艦艇』や『フラグシップ艦艇』といった強い力を持つ深海棲艦はそこらじゅうにいるのだが、鎮守府周辺の海域ではまず見かけることは無い。新たに鎮守府を建設する際に、ベテラン提督たちの手によって凶悪な深海棲艦は一艦残らず駆逐されてしまうからだ。

 その後は、ベテラン提督たちに代わって新米の提督たちが鎮守府周辺の海域へ出撃を行うため、長期間生存する深海棲艦はほとんどいない。故に、今回の事例は非常に珍しいケースと言える。

 青年は暗い顔つきで自分の聞いた話を全て叢雲に伝えた。話を聞き終えた叢雲は、とりあえず当てが見つかったということで安堵の表情を浮かべたが、それからすぐに青年と同様に暗い表情へと変わった。

 

 

「……何か、都合よすぎない?」

「……やっぱそう思う?」

 

 

 そう、あまりにも都合が良すぎるのだ。叢雲がリ級と出会ったのと同じ日に、青年は南西諸島防衛線の変わった艦隊の話を聞いた。まるで示し合わせたかのようなタイミングだ。

 この短期間で色々とひどい目にあってきた一人と一艦からすれば、こうも都合が良すぎると後から何か悪いことが起こるのではないかと不安に思えてくる。

 

 

「……ま、今は目の前の問題を解決するのが先決ね」

「相手はエリート艦艇、しかも戦艦だぞ。勝ち目はあるのか?」

 

 

 明日の出撃は叢雲率いる第一艦隊がリ級を先導するが、戦艦ル級と戦うのはリ級だけだ。しかし、たとえリ級が相手との一対一を望んでいたとしても、相手がその意思を汲み取ってくれるとは限らない。同伴した叢雲たちに戦火が飛び火する可能性がある。

 そうなった場合、エリート戦艦を相手に叢雲たちはどうやって立ち向かえばいいのか。エリート戦艦の装甲を打ち抜くには、最低でも重巡洋艦クラスの火力が必要だ。第一艦隊を構成する重雷装巡洋艦のチ級、軽空母のヌ級、駆逐艦の叢雲。この面子ではいささか火力に欠ける。

 明日の戦いに不安を感じた青年は心配そうな目で叢雲を見つめた。

 

 

「フッ、私を誰だと思っているの?」

 

 

 しかし、そんな青年の不安を蹴散らすかのように鼻を鳴らして席を立った叢雲は、いつもの自信に満ち溢れた表情でこう告げた。

 

 

「魚雷を持たせたら天下無敵の叢雲様よ?エリート艦艇如きに後れを取ったりはしないわ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 水平線の彼方から、一日の始まりを告げる太陽が顔を出す。

 青年から聞いた情報どおり、叢雲率いる第一艦隊は南西諸島防衛線にてエリート戦艦が率いる艦隊を発見した。叢雲は無線で青年に当たりを引いたことを報告し、青年は叢雲たちに作戦指示を伝えた。

 基本的に、戦艦ル級とリ級の戦いに第一艦隊は関与しない。周囲の邪魔な駆逐艦イ級を速やかに殲滅し、被害の及ばないところまで退避。その後しばらく様子を見て、戦艦ル級がこちらへ攻撃を仕掛けそうなそぶりを見せたら即撤退。もしリ級が勝つようなことがあれば、その場ですぐに状況を報告すること。リ級に関しては現場の判断にまかせる。

 青年の指示を後ろにいるチ級とヌ級に伝えた叢雲。二艦とも分かったような分かっていないような反応を見せたが叢雲が「私の言ったとおりにしなさい」と言うと、とてもいい返事を返した。

 叢雲としては自分の力を存分に発揮できる夜戦を希望したいところだが、相手の艦隊には叢雲と同じ夜戦を得意とした駆逐艦が五艦もいるのだ。万が一ということもあるということで、今回の出撃で夜戦は行わないことになっている。

 リ級の視界には、これから交戦する敵の姿がはっきり見えていた。横にずらりと並んだ駆逐艦イ級の中央に佇む、他の深海棲艦とは明らかに雰囲気が違うエリート艦艇『戦艦ル級』。

 そしてそれに対峙するように、第一艦隊の中央で同じように佇むリ級。チ級とヌ級に作戦を伝え終わった叢雲は、リ級に声をかけた。

 

 

「他の奴らは私たちが引き受けるわ。だから、アンタはあのデカブツを確実に仕留めなさい」

「リ!」

 

 

 「イワレルマデモナイ」と、リ級は自信満々の返事を返した。

 叢雲は緩やかに吹く潮風を胸いっぱいに吸い込み、自分の中にある不安を吐き出すように大きく息を吐いた。

 敵は一向に攻めてくる気配を見せない。強者の余裕を見せ付けているのか、それとも、ただこちらを舐めているだけなのか。どちらにせよ、先制攻撃が出来ることに越したことは無い。

 叢雲はチ級とヌ級に単縦陣の陣形をとるように指示を出した。溢れ出る高揚感と、体を締め付けるわずかばかりの緊張感を飼いならし、自分の心を静めた叢雲はゆっくりと左腕の魚雷発射管を相手に向け、大声で開戦の合図を告げた。

 

 

「砲雷撃戦、用意!……いくわよっ!!」

 

 

 叢雲の掛け声と同時にリ級は全速力で前へと飛び出した。それにつられるように、相手の戦艦ル級も前へ出る。

 叢雲たちは手はずどおり、まずは横一列に並ぶ駆逐艦イ級の掃討にかかった。叢雲は左腕に装備された自慢の三連装魚雷を惜しげなく射出した。

 狙うは一番左端の駆逐艦イ級だ。直進する魚雷は、叢雲の狙い通り一番左の駆逐艦イ級を轟沈させた。残りは四艦。

 続いてヌ級の艦載機による上空からの攻撃。ヌ級の側面から発艦した艦載機二機が戦場を一気に飛び越え、単横陣を展開する駆逐艦イ級の上空へと到達。そして、上空から駆逐艦イ級に向かって爆撃の雨を降らせた。

 複数の爆音と共に水柱が上がる。だが、さすがに一回の爆撃で駆逐艦四艦を一気に轟沈させるのは無理だったのか、生き残った駆逐艦イ級二艦が水柱の中から顔を出した。

 

 

「今よ!やりなさい!」

「チ……」

 

 

 叢雲の合図を聞いたチ級が、重雷装巡洋艦の持ち前である遠距離からの正確な魚雷攻撃で溢れた残りの二艦を沈めた。

 全艦撃破に要した時間は約四十秒。おそらくベストといっても過言ではないくらい鮮やかな手際で、叢雲率いる第一艦隊は責務を全うした。駆逐艦イ級を全て沈めた叢雲たちは、遠く離れたところで砲撃戦を繰り広げているリ級とル級へと目を向けた。

 戦艦ル級型の16インチ三連装砲は、一撃食らえば即轟沈してもおかしくないほどの威力を誇る。その砲撃を直撃すれすれで回避しながらほぼ一直線に進むリ級は、両腕に装備された8インチ三連装砲で砲撃を行った。

 リ級の砲弾は戦艦ル級の船体を捕らえるが、エリート艦艇の装甲はその程度の攻撃ではびくともしない。戦艦ル級は何事も無かったかのように反撃を開始した。

 ル級が確実に仕留めにかかる間合いの直前で右方向へ直角に曲がったリ級は、戦艦ル級の間合いに沿うように円周移動し、右腕の8インチ三連装砲、左腕の21インチ酸素魚雷を戦艦ル級に向かって乱射した。

 戦艦ル級は回避行動に移るが、全ての砲撃を避けきることができなかった。戦艦ル級のいた場所で、いくつもの爆発音が連続で鳴り響くと同時に、ひときわ大きな水柱が吹き上がった。

 さすがに今の攻撃は堪えたのか、今まで余裕を見せていた戦艦ル級の体勢が初めて崩れた。リ級はその隙を見逃さなかった。戦艦ル級の間合いへと大きく踏み込み、最大火力の砲撃を至近距離から叩き込む。

 直後、大きな爆発音に混じって、何かが砕けたような鈍い音が爆煙の中から聞こえた。リ級の砲撃が、確実に戦艦ル級型の装甲を貫いたのだ。

 

 勝った。そうリ級は確信した。

 

 もう一丁おまけにといわんばかりに、リ級はもう三発ほど目の前の爆煙に向かって砲撃を撃ち込んだ。再び鳴り響く爆発音と、鈍い破壊音。立ち込める爆煙の中にいる戦艦ル級は完全に沈黙した。

 リ級は満足したのか、ここで両腕の砲身を下ろした。ようやく以前の雪辱を晴らすことが出来た。これでもう、奴もでかい態度は取れないだろう。リ級は目の前で大破しているであろう戦艦ル級の姿が爆煙の中から現れるのを待った。

 潮風に流され薄くなった爆煙の中にうっすらと黒い影が見える。さあ、いよいよご対面だ。ご機嫌なリ級型は余裕の表情でその時を待ちわびる。

 

 ごりっ。

 

 そのときだ。リ級の聴覚機能が妙な音を捉えた。それと同時に、リ級の視覚機能が黒な筒状の物体を認識する。その真っ黒な筒状の物体は、薄くなった爆煙の中からリ級の腹部に向かって伸びてきていた。

 

 次の瞬間、リ級の目に飛び込んできたのは朝焼けに彩られた雲が浮かぶ空だった。

 

 突然切り替わった視界に少しばかり戸惑いながら、リ級は立ち上がろうと両足に力をこめる。しかし、いくら両足に力をこめても、リ級の体は一向に立ち上がらなかった。何故立ち上がれない?疑問に思ったリ級型は自身の下半身へ目を向けた。

 

 何も無かった。

 

 丁度腹部の辺りから下が、完全になくなっていたのだ。何故?どうして?状況を理解できないリ級はもがくように両腕を動かすが、それもただむなしく水面を叩くだけだった。

 そんなリ級を横から眺める者がいた。リ級の攻撃を受け中破した戦艦ル級だ。砲撃を受けて自慢の主砲は使い物にならなくなったが、まだ彼女の背中にはリ級を大破させた副砲が残っていた。主砲に比べれば威力は格段に落ちるが、それでも轟沈寸前の艦艇を沈めるには十分の威力を持っている。

 リ級へゆっくりと近づいた戦艦ル級の影が、リ級の船体を覆う。影に気づいたリ級が顔を動かすと、リ級の眼前には朝日に照らされ鈍く輝く戦艦ル級の副砲の砲口があった。

 リ級は咄嗟に右腕の連装砲を突き出した。しかしリ級が攻撃する前に、戦艦ル級の副砲がリ級の右腕を吹き飛ばす。右がダメなら左を出すまで。リ級は左腕を動かすが、戦艦ル級はそれを許さない。戦艦ル級の副砲は、リ級の左腕を肩から抉り飛ばした。

 完全に打つ手が無くなったリ級。彼女に残された選択肢は唯一つ。静かに戦艦ル級の砲撃を待つことだけだ。リ級の全ての攻撃手段を奪った戦艦ル級は、改めて副砲の砲口をリ級型の顔へと向けた。

 

 そして、リ級と戦艦ル級のいた場所で爆撃音が鳴り響いたと同時に、大きな水柱が立ち上がった。

 

 ぐらり、と少し体勢を崩す戦艦ル級。どういうことだ、自分はまだ砲撃を行っていない。これは何の爆発だ。特に動揺することもなく、冷静に周囲を見渡した戦艦ル級。

 彼女の目が、空中を飛行する艦載機を二機捉えた。何故艦載機に攻撃されたのか理解できないが、とにかく目障りだ。戦艦ル級は右側の副砲で艦載機に向かって狙いを定める。

 

 次の瞬間、戦艦ル級の足元を強力な衝撃が襲った。

 

 大きな水柱が再び立ち上がる。視界を遮られた戦艦ル級は砲撃を中断せざるを得なかった。水柱が消え、視界が開けた戦艦ル級は再び艦載機を墜とそうと副砲の砲口を空へと向けた。しかし時間が経ち過ぎたのか、先ほどまで空中を旋回していた艦載機はすでに姿を消していた。

 副砲の砲撃を断念した戦艦ル級は、本来の目的を果たすことにした。先延ばしになっていたリ級への止めを刺すために、戦艦ル級は背後で浮かんでいるであろうリ級のほうへと向き直った。

 

 

「チ……」

 

 

 戦艦ル級の視界に飛び込んできたのは、見覚えの無い艦艇だった。その艦艇とは、最初から戦艦ル級の眼中に無かったチ級である。

 チ級は大破したリ級の上半身を右肩に担ぎ、分断された下半身を脇に挟み込んでいた。一体何をする気だ。チ級の行動に興味を持った戦艦ル級はしばらく相手の様子を見ることにした。

 戦艦ル級に背を向けたチ級は、最大戦速で戦艦ル級から遠ざかった。戦艦ル級はまだチ級型の行動を観察している。チ級は少し離れたところで待機していた叢雲、ヌ級と合流すると、三艦は戦艦ル級に背を向けて最大戦速で移動を開始した。

 

 叢雲率いる第一艦隊は、南西諸島防衛線から離脱しようとしていた。

 

 リ級と戦艦ル級の戦いを遠くから眺めていた叢雲は、リ級の戦闘能力を見て驚愕していた。重巡洋艦のスピードを生かした回避と、軽巡洋艦程度なら一撃で沈めることが出来る威力を持った砲撃を、外すことなく正確に目標へと着弾させている。傍から見れば二艦の戦いはリ級が有利だろうと錯覚してしまうほど、リ級は戦艦ル級を攻め立てていた。

 しかし、それ以上に驚愕したのは戦艦ル級のエリート艦艇としての能力だ。重巡洋艦の砲撃を受けてもびくともしない強固な装甲。そして並の戦艦を遥かに上回る主砲の火力。主砲の砲撃はリ級に当たることは無かったが、外れた砲弾が海面に着弾した瞬間に立ち上がった水柱の大きさがその威力を物語っている。

 青年の前で大口を叩いていた叢雲だったが、内心彼女は焦っていた。エリート艦艇の能力が、自分の予想の遥かに上を行っていたからだ。

 

 勝てない。

 

 叢雲がそう確信したのは、重巡洋艦であるリ級の至近距離攻撃を受けても沈まなかった戦艦ル級を見たときだった。

 リ級は戦艦ル級の前方五メートルという、リ級自身が巻き添えを食らってもおかしくはない距離まで接近して砲撃を行った。その威力は並の戦艦に匹敵する程だ。

 しかし、それでも戦艦ル級には通じなかった。それほど強固な装甲を、戦艦一艦にも劣る第一艦隊の火力で突破できるわけが無い。

 いくら好戦的な叢雲であっても、最初から勝てない戦をやるほど愚かではない。リ級の敗北を見届けた叢雲は、青年の指示通りチ級とヌ級に撤退の合図を出そうとした。

 しかし、ここで叢雲にとって予想外の展開が起こる。

 

 

「ヌゥ」

「チ……」

 

 

 チ級が突然両腕の魚雷発射管から酸素魚雷を撃ち出したのだ。それから少し遅れて、ヌ級が艦載機を発艦させた。

 二艦が「タスケル」と口にしたのをはっきりと聞いた叢雲は驚いた。深海棲艦が仲間を「かばう」など、今まで見たことも聞いたことも無い。叢雲は慌てて二艦に静止を呼びかけるが、二艦はそれを無視して行動を続ける。

 リ級に止めを刺そうとする戦艦ル級の足元で、チ級の放った酸素魚雷が炸裂した。巨大な水柱が立ち上がったと同時に、チ級は最大戦速で前へ出る。

 続いてヌ級の艦載機が爆撃を行った。爆撃後に発生した爆煙が水柱と入れ替わるように戦艦ル級型の視界を覆い、チ級の姿を隠す。

 チ級は一直線にリ級へは向かわず、戦艦ル級を敬遠しながら回り込むような形で海面に浮かぶリ級へと近づいた。しかし、チ級がリ級へ到達するよりも先に爆煙が晴れるほうが早い。このままでは、チ級が戦艦ル級の反撃を受けてしまう。潮風に吹かれ、瞬く間に薄くなってく爆煙を見た叢雲は、咄嗟に左腕の三連装魚雷発射管から魚雷をありったけ放った。

 発射された魚雷の数発が戦艦ル級に直撃し、再び上がった水柱が戦艦ル級の視界を塞いだ。そして、無事リ級型の元へと到着できたチ級は、リ級の上半身と下半身を抱えながら後退。叢雲とヌ級と共に、戦線を離脱したのである。

 戦線を離脱しながら、戦艦ル級の追撃に備え最後尾で背後を警戒する叢雲。しかし、一向に戦艦ル級が追撃を仕掛けてくる気配がない。

 追撃をするどころか、何故かその場から動かない戦艦ル級の行動を不気味に感じながら、叢雲率いる第一艦隊は青年の待つブイン基地を目指した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 太陽の光が西から差す港で、青年は無事帰投した第一艦隊を迎え入れた。

 帰投中に何度か敵と交戦を行った叢雲たちが、残りの燃料で無事帰り着くことが出来るか不安だった青年。無線で連絡を受けていたから無事なのは分かっていたが、こうして面と向かって言葉を交わすとみんな無事帰ってきたんだと実感できる。

 心の底から安堵した青年は、帰ってきた三艦(と大破した一艦)を精一杯ねぎらった。

 

 

「で、結局リ級も連れ帰ってきたの?」

「仕方ないでしょ。あそこの馬鹿二艦が助けるって飛び出していったんだから。まったく、おかげで余計な苦労をしたわ」

 

 

 大破したリ級を入渠ドックへと勝手に運び入れているチ級とヌ級を遠巻きから眺めながら、叢雲は大きなため息をついた。

 お疲れ様、と青年は叢雲の頭を優しくなでる。「……まったくよ」と心底疲れきった表情でなされるがままの叢雲だが、彼女にはもう一仕事してもらわなければなら無い。ひとしきり叢雲の頭をなでた青年は、南西諸島防衛線で見た戦艦ル級についての報告を求めた。

 通常の戦艦とは比べ物にならない火力と装甲。重巡洋艦のスピードについていく速力。エリート艦艇の性能は段違いだったと、叢雲は自分の見た光景をそのまま青年に報告した。

 

 

「笑っちゃうわよね。エリート艦艇如きに遅れは取らないとか言っておきながら、かすり傷を負わせることも出来ないまま撤退なんて。ホント、なさけない話だわ」

 

 

 叢雲は終始悔しそうな顔で報告を行った。

 たとえ今回の出撃が夜戦だったとしても、あのエリート戦艦を沈めることは出来なかっただろう。自分の無力さを思い知った叢雲のプライドは、今回の出撃でズタズタになった。報告を終え俯く叢雲の姿は、軽く触っただけで壊れてしまいそうな、少し強い風に吹かれただけで飛ばされてしまいそうな儚げな雰囲気を漂わせている。

 普段の自信家で高圧的な態度は完全に鳴りを潜め、今はただ静かに肩を震わせている叢雲。ここは青年が慰めの言葉の一つや二つかけるべきだろう。

 

 しかし、今の青年にそんな余裕は無かった。今、彼の中には大きな疑問があったのだ。

 

 叢雲は、第一艦隊は戦艦ル級を前に撤退したと言っていた。撤退したということは戦艦ル級から距離を取ったということ。戦艦ル級から遠ざかったということになる。

 ならば『アレ』は一体何だ?水面に浮かぶ『アレ』はどう説明するのだ?青年の目に映る光景には、叢雲の報告とは食い違った、明らかな矛盾が生じていた。

 

 

「……叢雲、『アレ』は何なの?」

「え?」

 

 

 青年は港の海上を指差した。それにつられて、叢雲も港の方へと目を向ける。

 潮風になびく黒い長髪。スレンダーな体系に似つかわしくない両腕の巨大な連装砲。

 袖の無い灰色のボトムスの上に茶色の袖なしジャケットを重ね着し、真っ黒なレギンスパンツを穿くその姿は人間とそう変わりない。

 しかし、背中についた副砲と、エリート艦艇の証である全身を覆う赤い輝きが、彼女が人間ではないことを物語っている。

 

 青年が指を差した先にいたのは、紛れもなくエリート艦艇の戦艦ル級だった。

 

 リ級が南西諸島防衛線で戦ったあのル級が、青年と叢雲のもうすぐそこまで迫っているのだ。

 叢雲は驚愕した。何故、いつの間に、どうやって、頭の中に次々と湧き上がる疑問が、今はそんな事はどうでもいい。叢雲は、今自分がやるべきことを即座に理解した。

 

 

「提督、逃げて!」

 

 

 叢雲は背中から伸びる連装砲をル級に向けて構えた。港から上陸し背中の副砲の照準を合わせたル級は、武器を構える叢雲へと迫る。二艦の距離、残り百メートル。

 

 

「ま、待ってろ!他の艦隊から援軍を呼んでくる!」

 

 

 青年は叢雲に背を向け走り出した。そしてそれにつられるように、戦艦ル級も陸上を全力で駆け出す。

 叢雲は戦艦ル級に向かって砲撃を開始した。連装砲の砲撃は叢雲のほぼ直線状にいる戦艦ル級へと直撃するが、戦艦ル級はまったく気にせず直進する。

 駆逐艦の火力ではエリート戦艦の装甲を貫くことは出来ない。自覚はしていたが、まさか足止めすら出来ないとは。自分の力不足を呪いながら、叢雲は必死に砲撃を続けた。

 だがやはり、戦艦ル級の勢いが衰えることは無い。ものの数秒で、百メートルあった二艦の距離は三十メートルとなった。

 

 

「止まれ止まれ止まれ止まれぇっ!!」

 

 

 叢雲は目じりに涙を浮かべながら砲撃を続ける。たとえ砲撃が通じないと分かっていても、今ここで引き下がるわけにはいかない。

 叢雲の後ろには、彼女が身を挺してでも守りたい存在がいるのだ。戦艦ル級の進行は必ずここで止める。たとえ刺し違えてでも。自分の全てを賭して戦艦ル級に挑む覚悟の叢雲だったが、現実は残酷だった。

 

 ガチンッ。

 

 とても砲撃とは思えない軽い音が叢雲の耳に届いた。そして、その音を合図に、叢雲の砲撃はぴたりと止んだ。

 司令部へ戻る間に、第一艦隊は戦艦ル級の艦隊以外の敵艦隊とも交戦を行っている。勝てない勝負はしない叢雲だが、勝てる勝負から逃げるようなこともしない。

 連戦でかなりの弾薬を消費した叢雲の連装砲は、残弾がほとんどない状態だったのだ。そして予想外の敵との交戦により、残りわずかだった連装砲の残弾が完全に尽きてしまった。

 最悪のタイミングで訪れた弾切れに一瞬気を取られてしまった叢雲。その一瞬の隙が、彼女にとって最悪の結果を招いた。

 一瞬、戦艦ル級から意識をはずしてしまった叢雲は慌てて気持ちを切り替えた。弾がなくなったのならば、自分の体をぶつけてとめればいい。青年が援軍を連れてくるまで、何としても戦艦ル級の進行を阻止しなければ。

 叢雲は両手を広げ、戦艦ル級の行く手を阻んだ。

 

 だがしかし、戦艦ル級は既に叢雲の真横を通り過ぎていた。弾切れに気を取られた一瞬が叢雲の判断を、そして行動を遅らせたのだ。

 

 瞬く間に叢雲との距離を離す戦艦ル級。叢雲は一瞬呆気に取られた。何故戦艦ル級は自分を攻撃することなく、横を通り過ぎていったのだろうか。いや、そもそも何故奴はさっきから砲撃を仕掛けてこないのだ。色々と思うところがある叢雲だったが、今はそれどころではない。

 早く奴の後を追いかけないと。身を翻した叢雲は、最大戦速で戦艦ル級を追いかけた。速度だけなら戦艦よりも駆逐艦のほうが上だ。戦艦ル級と叢雲の差は十数メートル。この距離差ならば十分に追いつける。

 ぐんぐんと戦艦ル級を追い上げる叢雲。火事場の馬鹿力が発揮されたのか、今の叢雲は最速の駆逐艦と言われた『島風』を上回るスピードで動いていた。

 叢雲の目に、戦艦ル級の前をもたもたと走る青年の後姿が見えた。絶対に、絶対に行かせない。叢雲は自身の出せる最高速度を上回る速度で戦艦ル級へと迫る。

 

 叢雲が『ベストの状態』だったら、後二秒もあれば戦艦ル級に追いつくことが出来ただろう。

 

 ガクン、と突然重くなった自分の体に叢雲は戸惑いを覚えた。叢雲は崩れた体勢を立て直すために咄嗟に右足を踏み出そうとするが、自由の利かなくなった体は思うように動かない。何故、と疑問に思う叢雲だったが、普通に考えればすぐに分かることだ。

 彼女が消費していたのは弾薬だけではない。航行する際に必ず必要になる『燃料』もまた、同じように消費していたのだ。そして、残りわずかだった燃料が、またしても最悪のタイミングで底を突いてしまった。故に、叢雲の体は活動限界を迎えたのだ。

 倒れゆく中、叢雲は必死に右手を伸ばした。敵は目の前にいるのに、手を伸ばせば届く距離にいるのに。心の中で悲痛な叫びを上げる叢雲は、戦艦ル級の背中を憎らしげ睨みつけた。

 だが、睨みつけたところで状況は変わらない。叢雲が見ている光景は、覆ることは無い現実なのだから。

 叢雲の伸ばした手は戦艦ル級型に届くことなく、硬いコンクリートの地面へと落ちた。

 倒れた後も勢いの衰えない叢雲の体はコンクリートの地面をゴロゴロと転がり、数メートル進んだところでようやく停止した。うつぶせの状態から必死に立ち上がろうと手足に力をこめるが、言うことを聞かない叢雲の体は一向に動かない。

 そんな彼女の耳に、守ると誓った青年の声が響いた。

 

 

「うわあああああああ!!」

「っ!!?」

 

 

 バッ、と顔を上げた叢雲の視界に飛び込んできたのは、凄まじい勢いで青年に飛びつく戦艦ル級の後姿だった。

 青年は地面に倒れ伏し、その上から戦艦ル級が覆いかぶさるように倒れた。青年は足をじたばたと動かし必死にもがく。その姿を、叢雲はただ眺めることしか出来なかった。

 絶対に守ると誓ったはずなのに、絶対に行かせないと決めたはずなのに。自分の無力さと後悔に体を蝕まれた叢雲の目から、大粒の涙が零れ落ちた。

 

 

「ルー」

「……ぇ?」

 

 

 燃料が尽き、徐々に意識が遠のいていく叢雲。そんな彼女の耳に戦艦ル級が発した声が届いた。

 その声は幻聴か、はたまか現実か、今の叢雲のそれを識別するだけの余裕は無かったが、聞こえた言葉は一字一句間違えずにはっきりと認識できた。

 

 

「……『お慕い申しております』って……どういうこと……よ……」

 

 

 その言葉を最後に、叢雲は意識を失った。

 




次回・・・追跡と偶然と一目惚れ


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着任七日目:追跡と偶然と一目惚れ

俺提督「オ、オレは、あと何回駆逐艦のレベルを上げればいいんだ!? 次はど・・・どの艦娘を・・・い・・・いつまで「上げれ」ばいいんだ!? オレは! オレはッ!」
3-2「うずくまっておじちゃん、オナカ痛いの?」
俺提督「オレのそばに近寄るなああーーーーーーーーーッ」

キス島撤退作戦を攻略できたら次の話書きます。

追記:少し修正しました。


 青年がル級と出会う十数時間前。まだ太陽が真上で燦々と輝いている頃、「正規空母ヲ級を実際に見てみたい」という書状に従い、青年はヲ級をつれてブイン基地総司令部を訪れていた。

 総司令部入り口で待機していた補佐官の案内に従い、総司令部の会議室へと招かれた青年。両開きの扉をくぐり、大広間のようにだだっ広い会議室へと足を踏み入れた彼の目の前に現れたのは、他を圧倒する『凄み』を放つ五人の提督たちだった。皆、中から高齢の男性だが、顔に刻まれた大きな傷跡や軍服の上からでも分かる屈強な肉体が、彼らが幾多の修羅場を潜り抜けてきた歴戦の勇士だということを物語っている。

 その歴戦の提督たちから一斉に注目され、青年の心は一瞬で大破した。視線だけで壁に穴を開けられるのではないか、と思ってしまうほど熱烈な視線を浴びせられ、思わず胃の中身を全部吐き出してしまいたくなりそうなる青年。

 しかし、お偉いさん方の前で汚物をぶちまけるわけにはいかない。精一杯気を張った青年はこみ上げて来た汚物を何とか喉元で押し返し、目の前に並ぶ歴戦の提督たちに今までの出来事を報告した。

 報告の最中に次々とやってくる質問に、青年は若干空回り気味ではあるがしっかりと答えていく。そんな中、座っていた提督の一人がこんなことを言った。

 

 

「おい、そいつは触っても大丈夫なのか?」

 

 

 かつて農作物を荒らす害獣と呼ばれたハツカネズミが今ではペットショップに並べられているように、いつも敵対している憎たらしい相手が人の手によって飼いならされペットに堕ちた。

 自分にとって都合のいいように解釈した一人の提督の発言によって、周囲の意見もそちらの方へ流れ始めた。触った感触はどうだ、体温はあるのか、言葉を理解できるのか。まるで珍獣を見るかのような目でヲ級をじろじろと眺めるお偉いさん方。

 問いかけに対して逐一返答していく青年だったが、ついに我慢出来なくなったのか、最初のきっかけとなった発言をした提督が「直接触ったほうが早い」と席を立ち、ヲ級に触り始めた。

 それをきっかけに、他の提督たちも席を立ってヲ級へと近づいていった。近づいてくるお偉いさん方の気迫に萎縮した青年の体は自然と後ろへ下がった。青年が動いたことに気づいたヲ級は、それについていこうと後ろを振り向くが、歩き出す前に近づいてきたお偉いさん方に囲まれてしまった。

 頭に乗っている巨大な被り物を思いきり揺らしてみたり、美しい銀色の長髪をぐいぐい引っ張ったり、真っ白な肌を思いっきりつねってみたりと、ヲ級をまるでおもちゃのように扱うお偉いさん方。当の本人であるヲ級はどのようなことをされても反応を示さずに、ただじっと何も無い空間を眺めていた。

 目の前で繰り広げられる非人道的なやり取りには、青年もさすがに不快感を覚えた。お偉いさん方による狂宴は衰えるどころか、勢いを増すばかり。ついには、ヲ級に向かって突きや蹴りを繰り出す者まで現れた。さすがにそれはやりすぎだ、と心の中で叫ぶ青年。

 しかし、歴戦の提督たちを相手に面と向かって意見を言えるほど、彼の心は強くはない。心の中で思うことは出来ても、それを実際に行動に移すことが出来なかった。

 小声で「すまない」と謝り続ける青年は、目の前で好き勝手に弄られるヲ級を眺めることしか出来なかった。

 お偉いさん方の狂宴が始まってから早数時間が経過した。相変わらずお偉いさん方はヲ級に夢中で、現在も飽きることなくヲ級の周りに群がっている。

 だが数時間前と比べて、今のお偉いさん方にはある決定的な違いがあった。

 

 

「よーしよし。ほら、これをお食べ」

「綺麗な髪だねえ。ずっと触っていたくなる手触りだ」

「お、食べかすがついてるじゃないか。まったく、仕方のない奴だなあ。払ってやるからじっとしてろ」

「うちの孫もお前くらいおとなしかったらのぉ……」

 

 

 ブイン基地総司令部は、ヲ級の手に落ちていた。

 ヲ級の無垢なしぐさを長時間に渡って見続けてきたお偉いさん方は徐々にヲ級を優しく扱うようになり、今ではボーキサイトを片手に猫かわいがりするまでになっていた。

 もうこの会議室には深海棲艦に興味津々のマッドな提督は存在しない。完全に心を鷲づかみにされたお偉いさん方は、ヲ級という名の孫を可愛がる『おじさん』と『おじいちゃん』の集団と化してしまっていた。

 いつまでたっても終わらないヲ級の『歓迎』に待ちくたびれた青年は、一言断りを入れて会議室を後にした。廊下に出ると、青年と同様に待ちくたびれた補佐官が数名、壁にもたれかかっていた。

 お互い苦笑いを浮かべながら、青年と補佐官たちは他愛のない世間話をする。ブイン基地もようやく資材の量が増えてきた、今日は帰れそうもない、南西諸島防衛線におかしな艦隊が現れた。

 次々と上がってくる話題に話も盛り上がり、時間を忘れて談笑にふけっていた青年と補佐官たち。しばらく談笑が続いた後、ふと腕時計で時間を確認した補佐官たちは、そろそろ様子を見に行ってくると青年を一人残して会議室へと戻っていった。

 水平線の彼方へと沈んでいく太陽を窓から眺めながら、青年はヲ級が帰ってくるのを待っていた。談笑が終わってからも、青年は何度かヲ級の様子を見に行ったが、お偉いさんたちの狂乱は一向に終わる気配を見せない。

 そろそろ口を出すべきか?太陽が完全に沈んだ瞬間を見届けた青年は、お偉いさん方にヲ級を返してもらうように言うべきかどうか悩んでいた。このまま総司令部に残っていては、業務に支障がでてしまう。何とかしてヲ級を引き離す方法を考えなければ。

 青年はぐちぐちと愚痴をこぼしながら、なるべく穏便に事を運べる手立てを考えた。

 

 

「……あるじゃん。向こうも、俺も、両方が得をするいいアイディアが」

 

 

 きっかけは、青年が「いつまで待てばいいんだ」と愚痴をこぼしたその時だった。言葉を口にした瞬間、青年の脳内にある疑問が浮かんだ。

 

 何故、俺はヲ級を待たなければならないのか?

 

 青年とヲ級の関係は提督と艦娘、上司と部下の関係だ。自分の部隊にいる艦娘の面倒は提督である青年が見なければならない。それは提督にとって常識だ。しかしその常識が、今の今まで青年の行動に制約をかけてしまっていた。一瞬の閃きが消えてしまわないうちに、青年は現状を簡単にまとめた。

 お偉いさん方はヲ級をとても気に入っている。青年は萎縮してお偉いさん方に意見を言えない状態だ。故に、青年は今まで口を出すことなく、ヲ級をただじっと待ち続けていた。

 しかし、このままではヲ級はいつ帰ってくるか分からない。青年はいつ帰ってくるか分からないヲ級を延々と待ち続けることになる。

 

 ならば、このまま総司令部にヲ級をお泊りさせてしまえばいいのではないだろうか?

 

 お偉いさん方はずっとヲ級といられる。青年はすぐに自由になれる。さらに、ヲ級がいなくなることで青年の司令部の資材一日分の出費が削減できる。そして、ヲ級はお腹一杯ボーキサイトを食べられる。うまくいえば、このままずっと総司令部がヲ級の面倒を見てくれるかもしれない。

 「提督は自分の艦隊の艦娘の面倒を見なければならない」という今まで常識となっていた考えを捨てることで、誰も損をしない、まさに理想とも言える状況が完成するのだ。

 そこからの青年の行動は早かった。すぐに会議室へと出戻った青年はゆっくりと会議室の扉を開け、室内の様子を確認した。会議室では相変わらずヲ級が『おじさん』と『おじいちゃん』に可愛がられている。青年は室内を見渡し、自分の探し人である補佐官たちが、部屋の隅で棒立ちしているのを発見。すぐさま近づいて声をかけた。

 

 

「あの……すみません。実は、その、明日はとても大事な用事がありまして、誠に申し上げにくいのですが、今日はこのままヲ級型をここに泊めさせていただけないでしょうか?」

 

 

 もちろん、大事な用事があるというのは真っ赤な嘘である。

 補佐官たちは青年の言葉を聞いてギョッとした表情を見せた。待ち呆けていたときとは打って変わってさわやかな笑顔を見せる青年。補佐官たちは青年の態度を見て、目の前にいる男は面倒事を自分たちに全部押し付ける気満々でいることをすぐに理解した。

 お前だけに楽をさせたりはしない。俺たちと同じ道を行け、と補佐官たちはこぞって青年を説得する。

 

 

「自分の艦隊の艦娘を他所に預けていては、あなたの提督としての信頼に傷がつきますよ」

「そうです。提督ならば自分の艦娘の管理はきっちりやらなければ!」

「それが提督の責務というものです」

 

 

 補佐官たちは青年を思いとどまらせようと冷静に説得を行った。しかし僅かばかり焦っていたせいか、補佐官たちは自分たちが少し大きな声を出してしまっていることに気づかなかった。

 その結果、青年と補佐官たちのやり取りはお偉いさんの耳にバッチリ届き、お偉いさん方が青年の意見を即採用。ヲ級は一晩総司令部で預かることになってしまったのだ。

 呆然とした表情の補佐官たちを尻目に、青年はあくどい笑みを浮かべながら会議室を後にするのだった。

 

 その後、司令部に戻った青年は帰投した叢雲から報告を聞き、リ級とル級の因縁をどうやって解決するか頭を悩ませた。

 そこで青年の頭に浮かんだのが、数時間前、総司令部で補佐官たちと談笑をした時の会話だ。「戦艦を旗艦とするおかしな艦隊が最近南西諸島防衛線に現れた」という話を思い出した青年は、この事を叢雲に伝える。叢雲もこれ以外に手がかりは無いし、とりあえずダメ元で行ってみようということで青年と意見が一致。

 翌日、叢雲たちはリ級をつれてル級を探しに向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 青年とエリート戦艦ル級の出会い。それは、偶然が偶然重なり偶然を呼び寄せた結果生まれた、まさに奇跡と呼べる出会いだった。

 

 もう米粒程の大きさになった第一艦隊の後姿を眺めるル級は困惑していた。

 突然現れた知らない艦艇が謎の動きを見せてから数分が経過した。相手の出方をずっと伺っていたル級だったが、相手は一向に攻撃する気配を見せない。

 奴らは一体何をするつもりなんだ。相手の行動を少しばかり警戒していたル級だったがが、相手の姿が完全に見えなくなったところで、彼女は重大な事実に気づいた。

 

 まさか、奴らは逃げたのか!?

 

 相手に戦う意思が無いことを悟ったル級は、今の自分が出せる最大戦速ですぐに相手の追跡を開始した。ル級は見えなくなった相手の姿を再び見つけ出そうと、索敵機能を最大限に働かせる。知らない艦艇が三艦程いたが、そいつらはどうでもいい。だがしかし、あのリ級だけは今日必ず始末する。自分より性能の劣るリ級に中破させられた事を許せなかったル級は、何が何でもリ級を沈めるつもりでいた。

 このとき『偶然』ル級の近くを航行する艦隊がいなかったため、必然的にル級に一番近い位置で戦闘をすることになった第一艦隊。その戦闘音を察知したル級は、音を頼りに第一艦隊の後を追いかけた。その後も『偶然』他の艦隊に発見されないまま、数十時間の追跡を経てル級は鎮守府海域へと侵入した。

 鎮守府周辺の海域では他の提督たちが演習を頻繁に行っているため、海域のあちこちから砲撃による爆撃音が鳴り響いている。音を頼りにここまでやってきたル級にとって、その爆撃音は厄介極まりないものだった。

 相変わらずル級の視界にはリ級を連れ去った相手の艦隊は見えない。手詰まりとなったル級は、ひ弱な知能を使って作戦を考えた。

 

 とりあえず、一番近くで聞こえる音の所へ行ってみよう。

 

 最悪の判断を下してしまったル級。演習を行っている提督たちに発見された時点で、ル級は数の暴力によってすぐさま轟沈させられてしまうだろう。鎮守府周辺の海域で戦艦クラス、しかもエリート艦艇がうろうろしていれば危険視されて当然だ。砲撃されないわけが無い。

 そんなことな事はまったく考えずに、ル級は一番近くで聞こえる音のほうへ向かって進んでいった。

 もちろん、ル級は演習中の艦隊にすぐさま発見され、二つの艦隊から同時に警戒される事となった。二つの艦隊はル級に照準を合わせ、提督の指示があればすぐさま砲撃を開始できるように準備をしている。

 しかし、艦隊を指揮する提督たちから砲撃開始の命令が下ることは無かった。提督たちの頭に浮かんだある人物の名前が、艦隊へ砲撃命令を取りやめさせたのだ。

 

 

『そいつってアレじゃね?あの叢雲ちゃんが連れてる艦隊の』

『あー、そういうことか。だよなあ、おかしいと思ったもん。こんなトコにエリート戦艦がいるわけないもんな』

 

 

 このブイン基地で、青年の名を知らない者はいない。青年は提督の中で始めて深海棲艦を手なずけた提督として有名になっている。

 しかし、知れ渡っているのはその程度の事くらいで、青年の所有する艦隊の構成や、青年の元にいる深海棲艦には赤い丸印がついているなど、そういった詳しい情報はあまりよく知られていなかった。

 そこへ「こんなところにエリート戦艦がいるわけない」という思い込みが加わり、結果としてル級は演習を行っていた提督たちから見逃されたのだ。

 さらに、ル級が迷子ではないのかと勘違いした提督二人が、ご丁寧に青年の司令部のある方向をル級に教えるように指示を出した。いつもなら艦娘の艦隊を見つけた時点で沈めにかかるところだが、今はリ級の事しか頭に入っていないル級。しぶしぶと提督の命令に従う旗艦の艦娘の指差した方へ、ル級は素直に進んで行った。

 それから数分後、ル級の視覚機能が陸上を歩行するチ級とヌ級に担がれたリ級の姿を視認した。上陸できそうな場所を見つけたル級は、ゆっくりと青年の司令部へ接近する。ル級の前方ではル級の存在に気づいた叢雲が臨戦態勢をとり、その後ろで青年は怯えた表情を見せた。

 上陸したル級が真っ先に視認したのは、自分に対して敵意を向ける叢雲の姿だった。自分よりも遥かに小さく、見るからに華奢で、装備している連装砲もまったく脅威を感じれら無い。完全に叢雲を格下と判断したル級は、「とりあえず邪魔だから」という理由で叢雲を片付けようとした。

 しかしそのとき、ル級の視覚機能はもう一つの存在も視認していた。叢雲の背後に見える『白い物体』。敵はもう一艦いたのか、とル級はこれから戦う相手の姿を確認するために視線を『白い物体』へと移した。

 

 このとき、ル級に電流走る――!

 

 それと同時に、ル級の奥底から『得体の知れない何か』が湧き上がった。今まで生きてきた中で感じたことの無い不思議な感覚。

 でも、以前どこかで感じたことがるような懐かしさ。正体不明の感覚に全身を支配されたル級は、叢雲の後ろにいる『白い物体』に完全に目を奪われた。

 

 

「提督、逃げて!」

「ま、待ってろ!他の艦隊から援軍を呼んでくる!」

 

 

 『白い物体』が自分から離れていく。そう思ったと同時に、ル級は全力で地を駆けていた。どうしてそんな行動にでたのか、ル級自身にも分からない。だが彼女の直感が告げているのだ。今、あの『白い物体』を見失ったら後悔する、と。

 本能の赴くままに、ル級は『白い物体』を追いかけた。途中で自分が攻撃されていることに気づいたル級だったが、今のル級にとってそれは些細なことでしかなかった。反撃する暇があったら一歩でも多く前に進む。行く手を阻もうとする叢雲の姿は、すでにル級の眼中には無かった。

 ちらりと見えた叢雲を置き去りにし、さらに速度を上げたル級は眼前に迫る『白い物体』をまじまじと観察した。

 ああ、やっぱり自分はあの『白い物体』に見覚えがある。どこで見たのかはっきりと思い出すことは出来ないが、自分はあの『白い物体』、いや、あの『後姿』を知っている。

 不意にこみ上げてきた懐かしさにいても立ってもいられなくなったル級は、抑えられない気持ちを行動で示すかのように『白い物体』へ向かって飛びついた。そして接触した瞬間、ル級の全身に再び電流が走った。

 顔全体を覆う暖か。嗅覚機能を通して伝わる優しい匂い。固さと柔らさを併せ持った癖になる感触。

 以前どこかでこれと似たようなものに触れたことがあったような気がするル級だったが、それもいつどこであった出来事なのか思い出せない。しかし、飛びついたことがきっかけで、ル級は自分の中を這いずり回る『得体の知れない何か』の正体をはっきりと思い出した。

 

 この気持ち、まさしく愛だ。

 

 長い眠りから目を覚ました感情に突き動かされたル級は、自分の内からあふれ出す思いを口にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 未知との遭遇を終えた青年を待っていたのは死刑宣告だった。

 ル級に引っ付かれながらも何とか叢雲を回収し、やっとの思いで司令部に戻った青年。ル級への抵抗を諦め、へとへとになりながら歩いていると、目の前見知った深海棲艦の姿が現れた。

 

 

「ヲっ」

「……え?」

 

 

 昨日総司令部に置いてきたヲ級である。

 ヲ級の隣には、お守りとして同伴してきた艦娘『蒼龍』がいた。ヲ級をえらく気に入ったお偉いさん方が、このままずっとヲ級の面倒を見てくれるだろうと予想していた青年。

 予想が大きく外れて少しがっかりしたが、すぐに気持ちを切り替え目の前にいる艦娘『蒼龍』へと目を向ける。蒼龍は乾いた笑みを浮かべながら、胸元から一通の書状を取り出した。

 青年は書状を手に取り、その場で開封して内容を確認した。

 

 『ヲ級は、お前が、必ず、絶対、何があろうとも、責任を持って、最後まで面倒を見ろ』

 

 あまりにも長たらしい文章だったので要約したが、どうやら総司令部はヲ級を青年へ返却することにしたようだ。しかも、今後一切ヲ級に関与しないとまで明記されている。

 一晩のうちに一体何が起こったんだ、と青年はヲ級へと目を向けるが、当の本人は何事も無かったかのように無表情のままだ。何か非礼なことをやらかしたのであれば今すぐにでも謝罪をしに行かなければならない。

 青年はヲ級の隣にいる蒼龍に事情の説明を求めた。

 

 

「いや、あの、私も詳しいことは知らなくてですね。ただ、うちの提督も含めて、提督の方々の様子がおかしかったっていうのは聞きました。皆さん自分の司令部からこぞってボーキサイトを持ち寄ったりしてたとか。一体何をやっていたんでしょうね?」

「……あっ……そ、そうですねえ。お、お祭りでもやっていたんじゃないですか?」

「お祭り……ですか。ボーキサイトの投げあいでもやっていたんでしょうかねえ」

 

 

 青年は引きつった笑みを浮かべることしか出来なかった。

 今の蒼龍の発言と、書状の中に書かれている「ヲ級の食事の管理には細心の注意を払え」という一文から、青年は総司令部で起きた惨劇の内容を大体把握した。

 お偉いさん方は今頃、自分の執務室で頭を抱えているのだろう。今の状況を作り出した原因の一端を担ってしまった青年の心は罪悪感で一杯だ。

 

 お偉いさん方もありったけのボーキサイトをヲ級に与えてしまったのだろう。そして、現在は圧倒的ボーキサイト不足に頭を抱えている。

 

 以前にまったく同じ事をやらかした青年には、お偉いさん方がヲ級を甘やかす光景が容易に想像できた。加減を知らない深海棲艦の胃袋はブラックホールだ。

 引き際を間違えればあっという間に全てを飲み込んでしまう。罪悪感に苛まれた青年は今すぐ謝罪に行こうとしたが、それは蒼龍によって止められた。曰く、「謝罪は必要ない」とのことらしい。

 

 

「自分で撒いた種は自分で刈り取るって言ってましたけど……どういう意味か分かります?」

「ええ……それはもう、痛いくらいに……」

 

 

 かつて同じ過ちを犯している青年だからこそ伝わる言葉。お偉いさん方と同じように、一時のテンションに身を任せて色々と世話を焼いた経験のある青年だからこそ、その言葉に宿った決意を感じ取れる。

 もう自分に出来ることは何もないと悟った青年は、蒼龍の隣で『最後の』ボーキサイトをかじるヲ級を引き取った。コイツは絶対に更生させてみせる、と心に誓いながら。

 

 

「というわけで叢雲大先生、教育をお願いします」

「アンタっ……、酸素魚雷を食らわせるわよ!?」

 

 

 こうして、偶然が偶然を呼び偶然集まった五艦の娘が、ついに青年の下に集結した。彼女たちが引き起こす騒ぎが一人と一艦の日常をどう変えていくのか、それは誰にも分からない。唯一ついえるのは、その騒ぎがろくなモンじゃないということだろう。

 五艦の娘に振り回される青年と叢雲が襲い来る困難の数々にどう立ち向かうのか。

 

 一人と一艦の活躍に、乞うご期待。

 




次回・・・叢雲大先生の熱血指導


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着任八日目:叢雲大先生の熱血指導

キス島撤退作戦をクリアしたら投稿すると言ったな。アレは嘘だ。
タービン欲しくて開発続けていたら資材がなくなったので続きを書くことにしました。
今更だけどバウル基地じゃなくてラバウル基地だということに気づいた。ていうか、ラバウル基地って俺提督の着任先じゃないですかー


 

 吹雪型駆逐艦五番艦『叢雲』の朝は早い。

 

 朝日が昇る前に起床し、まず始めに自身の武装のチェックを行う。整備班が整備した自身の武装を一つずつ手に取り、整備不良や汚れがないかを一時間ほどかけて丁寧に確認する。もしそういった類のものが見つかれば朝一から整備班に小一時間ほど説教をするところだが、今日は整備に不満が無かったのか、武装を装備した叢雲は満足げな表情で整備ドックを後にした。

 そしてそのまま食堂へと向かった叢雲は、水平線の彼方から昇る朝日を眺めながら朝食を取る。好きな料理は『美味い』料理、嫌いな料理は『不味い』料理と、好き嫌いに関してはかなり極端な叢雲だが、基本的には出されたものは完食する主義である。今日の朝食は『焼き魚定食』のようだ。「味付けが濃い」だの「白米がやわらかすぎる」だの、ぶつぶつと文句を言いながらもきっちりと完食した叢雲は、自分の提督である青年がいる司令室へと向かった。

 司令室の扉を開け、ちゃんと青年が机にいることを確認した叢雲。彼女と青年は毎日必ずここで今日一日のスケジュールの確認を行うのだ。

 

 

「というわけで、今日の出撃は無しだ。変わりに、今日一日を深海棲艦たちの教育にあてる」

「はあ……何か釈然としないけれど、仕方ないわね。その代わり、アンタも協力しなさいよ?あのル級を私一人の力でどうにかするのはちょっとキツいわ。……認めたくないけど」

 

 

 青年は叢雲に今日一日かけて深海棲艦たちを教育するよう命令した。例によって資材不足が続いているため、これ以上の出撃は不可能と判断したためだ。

 深海棲艦の教育に関しては叢雲の頭を悩ませていた。チ級とヌ級は素直に言うことを聞いてくれるようになったが、残りの三艦に関してはまだ教育を一度も行っていない。元々大人しめなヲ級はどうにかなりそうだが、問題は残りのリ級とル級だ。よく言えばマイペース、悪く言えば自己中心的な二艦が、素直に叢雲の言うことを聞くとは考えにくい。しかも、その二艦は火と油の関係にある。長時間一緒にいれば、いつか必ず引火するだろう。その辺をどのようにして回避していくかは、叢雲の手腕にかかっている。

 自分の威厳を見せ付けるいい機会だ、と普段の出撃よりも気合が入った叢雲は、青年と共に深海棲艦たちによって占拠された旧解体ドックへと向かった。

 

 旧解体ドックの扉を勢いよく開け、ずかずかと中へ入った叢雲は大声でドック内にいる深海棲艦たちに向かって召集の号令を掛けた。号令に反応して姿を現したのは教育済みであるチ級とヌ級だった。ヌ級は駆け足で、チ級はゆっくりとした足取りで叢雲の元へと向かい、叢雲の目の前で横一列に並んだ。次に反応を示したのはヲ級だった。彼女は叢雲の呼びかけに答えたというより、チ級とヌ級につられて動いたような形ではあったが、それでもちゃんと叢雲の目の前までやってきた。残るは問題のリ級とル級だ。

 叢雲は大きな声で何度もリ級とル級に向かって呼びかけるが、二艦は一向に姿を見せないうえに返事も返さない。旧解体ドックに叢雲の叫び声だけがむなしく響いた。自分の言うことを聞かない二艦に対して徐々に叢雲の怒りが蓄積していく。最初の威厳はどこへやら、今の叢雲の姿は物事が思い通りに行かずに拗ねる子供のようだ。

 その様子を隣で見ていた青年は小さくため息を吐いた。ある程度予想はしていたが、こうも見事に無反応とは恐れ入る。呆れを通り越して関心する青年だったが、このままでは叢雲の機嫌が悪くなる一方だ。下手をすれば、このままドック内で砲撃戦が始まってしまうかもしれない。

 しかし、こうなることをあらかじめ予期して連れてこられたのが青年だ。今この時こそ、彼の真価が発揮されるときである。予想通りの展開にため息をついた青年は、この後の展開を予想して身構えると、ドックの隅々まで響き渡る程の大きな声でこう叫んだ。

 

 

「どこだール級ー!俺が来たぞー!」

 

 

 青年の声がドックに響いた次の瞬間、廃材置き場へと続く扉が勢いよく開いた。姿を現したのはル級だ。ル級はそのまま走り出し、整列する三艦と仁王立ちする叢雲を無視して青年に飛びついた。正面から思い切り突っ込まれた衝撃で青年の腹部に鈍痛が走るが、鍛えらえた軍人の肉体は伊達ではない。痛みを何とか堪えた青年は少し咳き込みながらル級を優しく抱きとめた。

 これで残るはリ級だけとなったが、ル級が叢雲側にいるなら呼び出すのは簡単だ。

 

 

「残るはアンタだけよ!まったく、同じ相手に二回連続で負けるなんて、アンタにはプライドってモンが無いのかしら!?そんなんじゃ一生コイツに勝てないわね!」

 

 

 さっきまでの無反応が嘘のように、叢雲の言葉を聞いたリ級はすぐさま叢雲の目の前へと現れた。現れたと同時にギャーギャーと反論するリ級だったが、叢雲はそれを無視して外の港へと向かった。叢雲に文句を言い足りないリ級は叢雲の後を追いかけ、集まったチ級、ヌ級、ヲ級の三艦もその後に続き、旧解体ドックに残っているのは青年とル級のみとなった。

 青年は何とか移動しようとル級を説得するが、言葉がうまく通じていないのか、青年にへばりついたル級はその場から動こうとしない。力ずくで動かせいなこともないが、巨大な鉄の塊(主砲)を二つも装備しているル級を引きずって移動するのは骨が折れる。何とか自分の意思で動いてもらおうと、青年はあらゆる手段を使って必死に説得を続けた。

 

 十分後、待ちくたびれた叢雲たちは必死の形相でル級を引きずる青年を目撃する。

 

 

 

 ひと悶着あったが無事開始することが出来た叢雲大先生の教育指導。しかし、授業の進行は困難を極めた。

 その理由は例の二艦、リ級とル級だ。教育済みのチ級とヌ級の行動を見よう見真似で行うヲ級とは打って変わって、リ級とル級は叢雲の言うことをまったく聞かなかった。リ級は「サシズスルナ」と授業への参加を拒否し、ル級にいたっては青年に夢中になりすぎて叢雲の存在自体を忘れかけている。

 こうなることは予想済みだったためいつもより怒りを抑えることが出来た叢雲だが、それでも腹が立つものは腹が立つ。我慢の限界を超えた叢雲は、授業に参加せずに港をうろうろと歩き回るリ級に向かってローリングソバットをぶちかました。

 しかし、さすがは重巡洋艦と言ったところか。リ級はその一撃に耐えた。コンクリートで舗装された地面を滑りながら十メートルほど後ろへ下がったリ級は、好戦的な目つきで叢雲をにらみつけた。両腕の装甲を叢雲へ突き出し、装甲から主砲の砲身を展開したリ級。その照準は彼女の目の前で悠然と佇む叢雲へと合わせてある。

 

 

「ふん!たかが重巡洋艦如きが、私に勝てると本気で思っているのかしら?いいわ、かかってきなさい!」

 

 

 お忘れかもしれないが、叢雲も元々は好戦的な性格だ。そこへ怒りブーストが加わり自制の効かなくなってしまった結果、世にも珍しい艦艇による陸上での砲撃戦が開戦してしまったのだ。

 周囲の事情などお構いないに、リ級は両腕の砲身から砲弾を連続で撃ち出した。迫り来る砲弾を難なくかわし、叢雲は背中の副砲と右手の主砲でリ級へと反撃する。叢雲の放った砲弾はリ級の足を捉え、リ級は体勢をわずかに崩した。その隙を見逃さなかった叢雲は、すかさずリ級へ追撃しようとする。しかし、すぐに片付けて授業を再開しようと考えていた叢雲のわずかな焦りが、リ級に反撃の機会を与えてしまった。

 リ級は体勢を崩しながらも照準を叢雲にあわせ、主砲の砲撃を叢雲に直撃させた。リ級の砲撃を受けた叢雲の体は、はじき出されたピンポン球のようにコンクリートの地面を跳ねる。左手の魚雷発射管をコンクリートの地面に押し当て何とか勢いを殺した叢雲だったが、その間にリ級は体勢を立て直していた。

 二艦はどちらからともなく笑みを浮かべた。最初は険悪なムードで始まった戦いだったが、時が経つにつれてヒートアップした二艦はすでに最初の事など忘れてただ純粋に今の砲撃戦を楽しんでいた。

 

 

「なかなかやるじゃない!」

「リ!」

 

 

 まるでライバル同士のように互いを認め合う叢雲とリ級。醜い争いの中で、美しい友情が生まれた瞬間だった。

 

 ガムシャラな砲撃を続けるリ級と、ここが司令部であるということも忘れてひたすら砲撃を繰り返す叢雲。そこから少しはなれたところでは、ル級と青年が追いかけっこをしていた。二人の姿は、まるで一昔前によく見た砂浜を走る恋人同士のようだ。ただし、幸せそうな笑顔を浮かべているのは追いかけているル級だけで、追いかけられている青年のほうはかなり切羽詰った表情である。

 残りの三艦、チ級とヌ級とヲ級は叢雲に命令された敬礼の動作を何度も繰り返していた。チ級とヌ級がびしっと敬礼をするたびにヲ級も慌てて敬礼をし、チ級とヌ級が腕を下ろすとヲ級もアワアワしながら腕を下ろす。傍から見ればとてもほほえましい光景なのだが、降り注ぐ砲弾の雨のせいで台無しになっている感が否めない。

 開校数分で学級崩壊をおこした青空教室は瞬く間に混沌渦巻く空間へと変貌していった。この悲惨な現状は収集されないまま、ただ時間だけが過ぎていく。東の空にあった太陽はいつの間にか西へと進み、そして色を変えて水平線へと迫る頃になってようやく状況は動いた。

 

 

「はあ……はあ……。まったく……世話の……かかる……奴なんだから」

 

 

 リ級に辛くも勝利した叢雲が、大破したリ級を引きずって戻ってきたのだ。

 満身創痍の叢雲は完全に様になっている敬礼の動作を未だに続けているチ級、ヌ級、ヲ級に授業終了の号令を掛け、大破したリ級を入渠ドックへ連れて行くように指示を出した。

 四艦の後姿を見送り、しばらくその場に立ち尽くしていた叢雲は小さくため息をつくと、視線を左側へと向けた。そこには、未だに飽きることなく青年を抱き枕にしているル級がいた。抱きつかれている青年にはもう動く気力は残っていない。太陽から照りつける日差しと、日照りで熱を持った主砲の暑さのダブルパンチを受けて蒸し焼き状態となっているからだ。

 叢雲はゆっくりとした足取りで青年とル級に近づいた。目の前まで近づき一人と一艦を見下すように見つめるが、どちらも叢雲に対して反応を示さない。その態度に再び叢雲の怒りが大きく燃え上がった。叢雲は気づいているのだ。ただの屍寸前である青年とは違い、ル級が意図的に自分を無視しているということに。

 無言で副砲を構えた叢雲は、至近距離からル級の背中へ向かって砲弾を放った。青年も一緒にいるのに砲撃するのは危険ではないか、と思うかもしれないが、しかしこれくらいやらなければ今のル級から青年を引っぺがすことは出来ないのだ。それに、今の砲撃もただ何も考えずに放ったわけではない。自分の砲撃ではル級の装甲は貫けないということも踏まえて、叢雲はわざわざル級の背後から主砲よりも威力の劣る副砲で砲撃を行っているのだ。背中から撃てば青年に多少衝撃は行くが致命傷にはならないだろうと予想していた叢雲だが、その予想は見事に的中した。

 砲弾が直撃したル級の体は宙を舞う。それと同時に、衝撃の余波を受けた青年はコンクリートの地面を二、三メートル滑った。あまりの衝撃にたまらず咳き込む青年。そんな彼の元へと近寄った叢雲は、無言で青年を抱き上げた。自分よりも頭二つ分程小さい細身の少女にお姫様抱っこをされるというのは、男としては勘弁願いたいところではあるが、精神的にも肉体的にも疲れた今の青年に抵抗する気力は残っていない。自分の全体重を叢雲に預けた青年は、咳き込みながらも口を開いた。

 

 

「ゴホッ……おまっ、少しは……ゴホッ……加減しろ……」

「そう、悪かったわね」

「ったく……ケホッ……あー、咳き込むたびにアバラが痛む……」

 

 

 文句を言う元気があるなら大丈夫だろう、と顔をゆがませ咳き込む青年の顔を見た叢雲は安堵の表情を見せた。しかし、その安堵の表情はすぐに消え去る。

 

 

「……」

 

 

 数メートル先で夕日を背に佇むル級の姿が見えたからだ。

 主砲を構えてはいないが、ル級は明らかに叢雲を敵視するような目で睨み付けている。それに対し、叢雲は沈黙を返した。成人男性をお姫様抱っこする細身の少女と、長身の半機械美女のにらみ合いはしばらくの間続いた。

 どちらも一歩も動くことなく、一言もしゃべることなく、ただじっとにらみ合う。たったそれだけの行動で、二艦の間には通じ合う『何かが』確かにあった。

 

 

「……ルー」

 

 

 ル級は叢雲に背を向け、一艦で司令部へ向かって歩き出した。司令部に来て以来青年にぞっこんだったル級が、初めて自分から青年の元を去ったのだ。

 歩きながら、ル級はさっき自分が見た光景を思い出していた。自分の愛する者が、どこの誰かも分からない奴に抱きとめられている。その光景は見るに耐えない、許しがたい光景なのだろうと、今の今まで思っていたル級。しかし、そんな彼女が真っ先に抱いた感情は『絶望』だった。

 自分の愛する者がどこの誰かも分からない奴に向かって、自分には一度も見せたことのない、心の底から安堵した表情を浮かべている。そして、愛する者を抱えている奴も同じような表情を見せている。

 その光景を見て、ル級は理解してしまったのだ。あのどこの誰かも分からない奴は、自分よりも愛する者に近いところにいる。あの一人と一艦の間には、得体の知れない硬い繋がりがあるのだと。

 この日から、ル級の中で叢雲の存在は『どこの誰かも分からない奴』から『最強の障害』へと変貌を遂げた。

 

 

「『負けない』……ね。望むところだわ」

 

 

 安らかな表情で眠る青年の寝顔を見つめながら叢雲もゆっくりと司令部へ向けて歩き始めた。今まで誰にも見せたことのない、とてもご機嫌な笑顔を浮かべながら。

 

 




次回・・・結成、第二艦隊!


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番外編:妖怪猫吊るし

べ、別に武蔵とか要らないし(震え声)


 

 その日、ブイン基地に衝撃が走った。

 鉄底海峡へ向けて多数の深海棲艦が終結しているのを、鉄底海峡付近を巡視していた部隊が発見したのだ。これを受けて、各鎮守府は提督たちへ向けて警報を発令した。

 

 敵が脅威となりえる前に殲滅すべし

 

 警報は瞬く間に各鎮守府へと通達され、警報を聞いた提督たちはこぞって鉄底海峡へと向けて出撃していく。そして、それはブイン基地にいる青年の部隊も例外ではない。

 青年は珍しく気合が入っていた。資材はギリギリ、高速修復材もなく、変えの艦艇もいない。最初で最後のビッグチャンスと言っても過言ではないこの機会を逃すまいと、青年は寝る間も惜しんでありとあらゆる事態を想定した作戦を考えていた。

 青年に気合が入っているのには理由がある。それは、今回の作戦で敵を撃破したい際に手に入る報酬が目的だ。欲を言えば大量の資材が欲しい青年ではあったが、それと同等の価値がある魅力的な報酬が、海域を制圧するごとに総司令部から授与されることになっている。

 

 

「最新式の艦艇……何としても手に入れなければ……」

 

 

 そう、報酬とは艦艇である。

 しかもただの艦艇ではない。最近になって開発された最新式の艦艇だ。それを一海域制圧するごとにタダで一艦やるというのだから、総司令部がどれだけ必死なのかが良く分かる。

 そして、その餌にまんまと釣られた提督たち。一海域を制圧するなんて楽勝だ、と最初は自信に満ち溢れていた彼らだったが、後からになって総司令部が破格の報酬を用意した理由を心の底から理解した。

 運に運を重ねてようやく進行できる航行、夜戦による被害の増加、さらに最深部では深海棲艦の中でも最高クラスの装甲を誇る『鬼』艦艇、『姫』艦艇、『浮遊』要塞の存在も確認されている。

 既に幾多の提督たちがドロップアウトし、残っているのは強靭な艦隊を所持した古参の提督たちのみ。そんな中へ新米提督である青年が乗り込んで海域を制圧出来るのか疑問に思うところだが、今回の青年に抜かりはない。深海棲艦という切り札を利用し、万全の体制で挑めるように作戦を練っていた。

 

 

「ふう、今日はもう休もう。明日の出撃に備えて体力を回復させておかないと」

 

 

 ここ数日の間徹夜が多かった青年。やることはやった。後は万全の状態で挑むだけだ、と布団にもぐり込んだ青年は、明日の決戦に備えて体力を回復させるのであった。

 

 

 

 

 

 けたたましい目覚ましの音が部屋に鳴り響く。

 

 目覚ましの音で目を覚ました青年は布団から飛び起き、すぐさま身支度を整えて朝食を取ると、出撃準備万端の第一艦隊がいるであろう旧解体ドックへと向かった。気分が高揚しているせいか、青年の歩調はいつもより速い。強張った表情から今回の出撃に対する意気込みも感じられる。

 旧解体ドックの扉を開けた青年の目に飛び込んできたのは横一列に並んだ少女達の姿。第一艦隊を形成するヲ級、ル級、ヌ級、リ級、チ級、そして青年の相棒である叢雲。六艦共何もしゃべることなく、提督である青年が声を発するのをただじっと待っている。

 青年は大きく息を吸った。この一言を皮切りに、青年の全てをかけた最初で最後の戦いが始まるのだ。

 無表情のチ級、びしっと直立不動のヌ級、左右をキョロキョロと見渡すヲ級、不敵な笑みを浮かべるリ級、提督である青年をじっと見つけるル級。大戦を前にしても、深海棲艦たちはいつもの調子を崩さない。作戦に関しては既に叢雲が深海棲艦たちに説明しているのだが、それでもいつもの調子を崩さないのは自由奔放な彼女たちらしいといえばらしいのだが、やはり少しは緊張感を持ってもらいたいと思う青年。

 しかし、青年はそのことについてとやかく言うつもりは無かった。理性よりも本能で動く深海棲艦たちは少しくらい気が抜けているほうが丁度いいのだと、ここ数日で理解していたからだ。

 

 

「現時時刻、マルロクマルマルをもって第一艦隊は鉄底海峡へ向けて出撃する!」

 

 

 青年は大きな声で高らかに作戦決行を宣言した。

 宣言を聞いた六艦は元気な返事を返し、それぞれ港へ向けて歩き出す。真っ先に動いたのはル級だった。

 

 

「ルー」

「頼むぞ、お前がウチの主戦力なんだからな」

 

 

 いつものように青年に抱きつくル級に対して、青年は激励の言葉をかけた。

 みしみしと体から何かが軋む音が聞こえるが、これでル級が万全の状態で戦えるのならと笑顔を崩さずル急に抱きしめられる青年。数分後、満足したル級は青年を解放し一人で港へと向かっていった。

 鈍痛の走る背中をさすりながら、やれやれといった表情で青年は旧解体ドックを出る。すると、彼の視界の右側に何かがちらりと見えた。顔を向けると、そこには壁にもたれかかりながら腕組をする叢雲がいた。やれやれといった表情を浮かべている叢雲に苦笑いで答える青年は一息つき、目の前に向き直った叢雲に向かって言葉を発した。

 

 

「頼むぜ、相棒」

「ふん、私を誰だと思っているの?大船……いえ、戦艦に乗ったつもりでいなさい」

「そりゃ頼もしい限りだ」

 

 

 青年と叢雲は互いに拳を突き出し軽くぶつけ合った。

 余計な言葉をしゃべることなく、お互いに軽く笑いあう。やがて、どちらからともなく拳を下ろし互いに背を向けた一人と一艦は、それぞれの持ち場へと戻っていった。ふと、青年は後ろへ振り返る。見えるのは青年よりも頭二つほど小さい細身の少女の小さな背中。青年には、その後姿は堂々としているようで、どこか儚げに見えた。

 

 

「……沈むんじゃねえぞ」

 

 

 叢雲の後姿を眺めながら小さくつぶやいた青年は、自分の持ち場である司令室へと向かった。

 

 

「こんにちわ」

「えっ?」

 

 

 しかし、青年の足はすぐに止まる。突然聞き覚えのない声が青年の耳に届いたからだ。周囲を見渡し誰かいるのかと探してみると、開けっ放しになっている旧解体ドックの扉の先に一人の少女がいた。少女は手に持った猫をぶらぶらと揺らしながらニコニコ笑っている。

 青年は疑問に思った。あの少女はいつの間に旧解体ドックへと入ったのか?というより、自分の司令部に、あのような少女がいただろうか?強い違和感を感じた青年は張り付いたような笑顔を浮かべる少女に対してわずかに恐怖を感じていた。

 

 

「ごめんね?」

 

 

 少女が謝罪の言葉を口にした瞬間、青年の視界は暗転した。それと同時に体のほうも動かなくなり、聞こえていた音も徐々に遠くなっていく。突然の事態に動揺する青年は無我夢中で体を動かした。このままだと自分の体がおかしくなってしまうのでは、という恐怖に駆られて必死にもがく青年だが、既に手足は動かせずに触覚だけが残っている状態だ。視界も何とか元に戻そうと、大きく目を見開いてみたり何度も瞬きをしてみるが、それもまったく効果が見られない。

 これから全てを賭けた大戦が始まるというときに、訳の分からないまま目も見えず体も動かせなくなる。一体何だって言うんだ畜生め。理不尽な展開に心の中で批難を垂れ流しながら、完全に抵抗が出来なくなった青年は絶望に打ちひしがれていた。

 しかし、唯一残った体の触覚が、青年の頭にある可能性を生み出させた。背中にかかる圧力からして、重力は腹から背へと向かっている。つまり、地面に寝転がっている状態。そして、この全身を覆うやわらかさと暖かさと軽い圧迫感。もしや、と思い一度心を落ち着かせた青年は、今度はゆっくりと瞼を開いた。

 

 

「あー、やっぱ『夢』か」

 

 

 青年は上半身を起こし、薄暗い暗い自分の部屋を見渡した。

 目に映るのは、どれも見覚えのあるものばかり。苦しめられていた恐怖から開放された青年は心から安堵し、大きなため息をついた。ふと、枕元に置かれた時計を見ると、時計の指針がセットしておいたタイマーのすぐ近くまで迫っている。

 

 

「……起きよう」

 

 

 布団からのろりと這い出た青年は身支度を整え、食堂へと向かい朝食を取ることにした。

 朝食を取りつつ、さっきまで見ていた『夢』を思い出す青年は再びため息をつく。『夢』とはいえ、突然あんな状態に陥るのは勘弁願いたいと心底思う青年。まあ事前練習が出来たと思えばいいか、と気持ちを切り替えた青年は残っていた朝食を一気に胃へと流し込むと、第一艦隊がいる旧解体ドックへと向かった。

 旧解体ドックの扉を開けた青年の目に飛び込んできたのは横一列に並んだ少女達の姿。第一艦隊を形成するヲ級、ル級、ヌ級、リ級、チ級、そして青年の相棒である叢雲。六艦共何もしゃべることなく、提督である青年が声を発するのをただじっと待っている。

 無表情のチ級、びしっと直立不動のヌ級、左右をキョロキョロと見渡すヲ級、不敵な笑みを浮かべるリ級、提督である青年をじっと見つけるル級。ここも今日見た『夢』のとおりだな、と思わず笑いそうになるのを堪えた青年は並んだ六艦の前に立つと、戦いの幕開けを告げた。

 

 

「現時時刻、マルロクマルマルをもって第一艦隊は鉄底海峡へ向けて出撃する!」

 

 

 青年は大きな声で高らかに作戦決行を宣言した。

 宣言を聞いた六艦は元気な返事を返し、それぞれ港へ向けて歩き出す。『夢』と同じように、真っ先に動いたのはル級だった。

 

 

「ルー」

「頑張れよ、お前には期待してるんだからな」

 

 

 いつものように青年に抱きつくル級に対して、青年は『夢』と同じよう激励の言葉をかけた。

 そしてル級も青年が見た『夢』と同じように、青年へと抱きつき顔を胸板へとうずめた。こればっかりは何度やられても慣れないな、と心の中でつぶやく青年。『夢』の中で感じた痛みに匹敵する痛みを必死の思いで我慢する青年の額にはうっすらと汗が浮かび上がる。

 

 

(……そういえば、何で『夢』なのに痛かったんだ?)

 

 

 『夢』の中で感じた痛みに匹敵する痛みを、今自分は受けている?青年は今の状況を疑問に思った。

 アレが『夢』ならば、青年は痛みを感じることは無いはず。青年の本来の体は布団に包まっていて、本当にル級に抱きしめられていたわけではないのだから。ならば、何故青年は『夢』の中の出来事で痛みを感じたのだろうか。

 

 

「こんちにわ」

「っ!?」

 

 

 聞き覚えのある声が青年の耳に届いた。

 『夢』の中で聞いた声とまったく同じ声が、何故現実の世界で聞こえるのか?青年は得体の知れない悪寒に襲われていた。『夢』と同じように、謎の暗転に陥るかもしれないと思ったからだ。慌てて周囲を見渡し、『夢』の中で見た人影を探す青年。その人影はすぐに見つかった。振り向いたすぐ後ろ、青年の背後に。

 

 

「ごめんね?」

 

 

 その言葉と同時に、再び青年の視界は暗転した。『夢』とまったく同じ状況に陥りパニックになる青年。しかし、一度同じことを経験したからか、青年はすぐに冷静さを取り戻し『夢』の中の行動と同じ行動をとることにした。暴れるのをやめ、皮膚の感覚に全神経を集中させる。すると、『夢』と同様に全身を覆う暖かさを感じ取ることが出来た。そして、目を一度閉じてからゆっくりと開くと、視界に見知った天井が映し出された。

 何かがおかしい。ゆっくりと上半身を起こした青年は今の状況が普通ではないことを理解した。纏まらない思考が頭の中でぐるぐると渦巻く。何故、どうして、考えれば考えるほど、青年の思考は泥沼に陥っていく。ふと、背後に気配を感じた青年は背後へ視線を向けた。

 

 『夢』の中で『夢』を見る。それ自体はありえない話ではないが、見た夢の内容がどちらもほぼ同じというのはありえるのだろうか。そのどちらの『夢』でも痛みを感じるというのはありえるのだろうか。

 

 

「こんにちわ」

「っ!!」

 

 

 果たして、青年が見ている『夢』は本当に『夢』なのだろうか?

 

 

「一体……なんだってんだよ畜生」

 

 

 そこからは同じことの繰り返しだった。

 青年が自分の部屋で目を覚まし、朝食をとり、ドックへ向かい、出撃の号令を出す。時には朝食を取らずに直接ドックへ向かってみたりもした。しかし、到着する前に少女が現れ再び部屋へと戻される。起きると同時に部屋を出ても、あえて起きる時間を遅らせてみても、遠回りをしても、朝食を長引かせても、何をやっても進まない。

 

 鉄底海峡へ出撃できない。

 

 出口の見えない迷路をひたすらさまよい、時間がたてば再び入り口へと戻される。そのような無謀とも呼べる仕様を攻略するには、強靭な精神と何事にも屈しない強い心が必要となるだろう。幾度と無く繰り返し、すり抜け、欺き、『彼女』の眼をかいくぐったものだけが、栄光の地へとたどり着くことが出来るのだ。

 故に、青年は諦めない。繰り返される世界で必死にもがき続ける。ほんのわずかな希望を掴むために積み上げてきた物を無駄にしないために。栄光の地へ向かうために。未来を手にするために、徹底的に抗うことを青年は既に決意している。

 

 

「決意とは、己を明日へと導く道しるべ。俺の道に迷いは無い!」

 

 

 戦っている相手がどれほど強大なのかも知らずに、青年は戦い続ける。

 提督たちの間で語り継がれる三大都市伝説の一つ、『妖怪猫吊るし』。その存在は神出鬼没で、出会った者に同じ光景を何度も見せると言われている。一度目を付けられたら最後、出会った者の世界は彼女の気が済むまで繰り返されるそうだ。

 

 

「うおおおおおおお!!」

 

 

 果たして、青年はいつまで続くか分からない世界を脱出することが出来るのだろうか。

 

 青年の戦いは、まだまだこれからだ。

 

 




次回・・・着任十五日目:結成、第二艦隊!


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着任九日目:結成、第二艦隊!

資材とバケツの回復までしばらくかかりそうです。

追記:感想溜まっていたので返信しました。


「資材が足りない」

 

 

 青年は真剣な表情で机の上に並んだ資料を見ながらつぶやいた。

 机の上に並ぶのは、今青年の司令部にある資材の詳細なデータが記載されている用紙だ。現在の資材の残量、各艦娘が消費する資材の量、ここ数日の増減の推移、あらゆる情報が記載されている。だが、その内容は素人目から見ても悲惨であるということが理解できるほど落ちぶれた内容だった。

 特にひどいのが増減の推移。グラフの線が、下側斜め四十五度方向に真っ直ぐ伸びている。しかも、この情報は今から三日前、エリート戦艦のル級が加入する前の情報なのだ。ル級が加わる前でもボロボロだった資材状況が、ル級の参入によってさらにひどいことになるのはもう目に見えていた。

 そろそろ本格的に何とかしなければと考える青年。資材の供給が行われているにも関わらず、それでも資材が一向に増えない理由というのは既に分かりきっている。そして、その理由がほぼ改善不能だということも分かりきっている。ならば、青年はどうやって資材を獲得すればいいのか。

 総司令部からの供給以外で資材を手に入れる方法としては、遠征部隊を編成して報酬という形で資材を手に入れるという形が主流となっている。わざわざ遠征専用の艦娘を建造し、部隊を編成する凝り性な提督もいるのだ。もう切っても切り離せないとっていも過言ではないくらい、遠征というのは提督たちにとって非常に重要なファクターなのである。

 

 

「建造……できねえ……」

 

 

 しかし、青年の司令部には新たな艦娘を建造するだけの資材すら残っていない。彼の所持している艦隊は第一艦隊を編成する六艦のみだ。しかも、その六艦の中には正規空母、重巡洋艦、戦艦が含まれている。たとえ遠征が成功したところで、もらえる報酬はほとんど彼女たちの補給で消し飛ぶだろう。いい打開策が浮かばず、顔を机に突っ伏し黙り込んでしまった青年。

 そんな彼の様子を、執務室の少し開いた扉の向こうから眺める艦娘がいた。

 

 

「……ルー」

 

 

 それはル級だった。

 元々は抱きつくために青年の行方を捜していた彼女だったが、青年のあまりの落ち込みっぷりに部屋へ立ち入るのを躊躇してしまっていた。人間の言葉をあまり理解できない深海棲艦でさえ入るのをためらってしまうほどの鬱屈した空気を発するとは、青年もそうとう追い詰められているようだ。

 青年の様子を見たル級はその場を後にした。目的を失ったル級はそのまま深海棲艦たちが陣取っている旧解体ドックへ戻る、かと思いきや、彼女は旧解体ドックへは戻らずに、何かを探すかのように司令部内をうろうろと徘徊し始めた。

 普段深海棲艦たちが絶対に立ち寄らない場所や、出撃のときに利用する港、艦娘を建造したり装備を開発したりする工廠ドック、色々なところを見てまわるル級。その動きに変化が起こったのは、彼女が改装ドックに立ち寄った時だった。バタバタと早足で移動し始めたル級は、改装ドックで作業を行っている『ある艦娘』へと近づいた。

 

 

「何か用かしら?あなたと違って、私は忙しいのだけれど」

 

 

 ル級が探していたのは、改装ドックで装備の手入れを行っていた叢雲だった。

 執務室で見た青年のただならぬ様子を叢雲に話し、青年に何が起こっているのか教えて欲しいと言うル級。そしてその問いを聞かされた叢雲は盛大なため息を漏らした。こちらの『常識』と深海棲艦の『常識』はあまりにも違いすぎる上に、深海棲艦たちの元々の知能もあまりよろしいとはいえない。青年の苦悩を逐一説明したところで、ル級に真意が伝わることはまず無いだろう。そう判断した叢雲は、深海棲艦にも伝わる分かりやすい言葉でル級の問いに答えた。

 

 

「アンタたち、毎日食事を取りすぎなのよ。おかげでここにあった食材がほとんどなくなったわけ。だから提督も困ってるの」

「!!」

 

 

 ル級は衝撃を受けた。愛しい人は食事を一切取らずに、自分が食べる分を全て私たちに与えていたのか。

 青年の食事風景を一度も見たことが無いル級は叢雲の回答を見事に勘違いし、青年は今までずっと資材(食事)を口にせず深海棲艦たちに与えていたのだと思い込んでしまった。ル級は再び叢雲に問いかけた。一体どうすれば青年を助けることが出来るのかと。

 

 

「それくらい自分で考えなさいよ。まあ、適当なところから拾ってくればいいんじゃないかしら?」

 

 

 まともに相手をするのも面倒だ、と叢雲はル級に対して投げやりな返答を返すと作業を再開した。この軽率な発言が、後に青年をも巻き込んだ異常事態を引き起こすことになる。

 叢雲の答えを聞いたル級は返事を返さずに、いつの間にか改装ドックからいなくなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 夢を、夢を見ていたんです。平穏で、優しく、暖かい夢を。

 

 

「提督さーん。第三艦隊、ただいま帰投しましたー」

「ん、夕立か。護衛任務は無事達成できたのか?」

「もうバッチリ!夕立ってば、指揮艦の才能あるっぽい!」

 

 

 輸送船団の海上護衛任務を終え、司令部へと戻ってきた夕立は執務室のソファーに腰掛け大きく伸びをする。

 その様子を見ていた青年は笑みをこぼすと、執務を一度中断し部屋の奥からティーセットとお菓子を取り出し夕立をねぎらった。

 

 

「わーい!おっ菓子ーおっ菓子ー♪このお菓子を食べるのも何か久しぶりっぽい!」

「久しぶりって、任務に就いたのはほんの十数時間前じゃないか」

 

 

 お菓子を頬張りながら笑みを浮かべる夕立に対面するように座った青年は、ティーポットに入っている紅茶を零さないように二つのティーカップへと注ぐ。

 二つのティーカップのうち一つを夕立へ差し出し、もう一つを自分の手に持つと、そのまま口元へと運び自分の入れた紅茶の味を確かめる青年。それにつられるように、夕立も差し出されたティーカップを手に取り口をつけた。

 

 

「……んー、ちょっと味が薄くないですかー?」

「そうだな。茶葉を適当に入れたのが不味かったか」

「んもぉー。提督さんてっば、そこは適当にしちゃだめですよぉ」

「悪かったよ。今度はちゃんとしたのをご馳走する」

「そのときは、もっとおいしいお菓子も用意しておいてくださいね!」

 

 

 そう言って夕立は席を立つと、机を迂回して青年のすぐ隣へと座りなおした。肩に寄りかかるように小さな体を青年へと倒す夕立。その行動に対して青年はやれやれといった表情を浮かべながら、甘えてくる夕立の頭を優しくなでた。

 言葉を発することなく、窓から吹き込む優しい潮風に吹かれながらお互いの体温を感じあう青年と夕立。そんな中、ふと夕立が顔を上げた。お互いの吐息がかかる距離で交差する視線。心なしか、夕立の頬が赤く染まっているように見える。

 夕立の突然の行動に少しドキッとした青年は慌てて顔を離そうとするが、行動を起こす前に夕立の両腕が青年の首へとかかり青年の動きを完全に封じた。

 

 

「ねえ、提督さん。私、もっと頑張るから……。だから……」

「お、おい」

 

 

 すぐ近くにある夕立の顔が、さらに近くへと寄ってくる。

 何分(なにぶん)、今まで女性に迫られた経験が無かったせいか、今の夕立の表情は青年にとって少し刺激が強すぎた。目を細め、艶やかな唇を押し当てようとしてくる夕立の表情を直視できなくなり思わず目を閉じた青年。

 距離的にそろそろ当たるのではないか。ぎゅっと目を閉じたまま未知の感触に対して身構える青年だったが、感覚を集中させていた唇には何の感触も得られない。何故だろう、と青年は疑問に思ったが、すぐに頭の中で一つの答えが浮かび上がった。

 

 もしかして、からかわれたのか?

 

 年甲斐も無く恥ずかしがってしまったことを後悔しながら、青年は夕立の姿を見ようと瞼を開いた。

 

 

「…………」

 

 

 想像して欲しい。目を開けたら、眼前に両目を青白く光らせた真っ白な肌(比喩にあらず)の女性の顔。ホラー映画顔負けの恐怖に襲われること間違いなしだ。

 

 

「ふぉおおっ!?」

 

 

 青年は思い切り布団を突っぱね全力で畳の上を転げまわった。ゴホ、ゴホと咳き込みながら、青年は壁を背にして改めて布団のほうへ目を向ける。すると、そこには見覚えのある姿があった。

 

 

「ルー」

「……な、何……やってんだ?」

 

 

 青年の顔を覗き込んでいたのはル級だった。

 見知った顔だということを理解して徐々に落ち着きを取り戻していく青年。よくよく考えてみればウチには叢雲以外に普通の艦娘はいないじゃないか、と先ほどまで見ていた夢の内容にツッコミを入れられる程度まで回復すると、青年は勝手に部屋に入って来たル級を叱ろうとした。

 

 

「ルー」

「うおっ!何、何だ!?どこへ連れて行くつもりだ!?てか危ない!」

 

 

 しかし、ル級は青年に叱る時間を与えない。ル級は立ち上がった青年の背後に回りこむと、両腕の主砲で青年の背中をぐいぐいと押し始めた。着替えるまもなく部屋から押し出された青年は訳の分からないまま素足で司令部の廊下を歩く。まだ太陽も完全に昇りきっていない早朝の時間帯のため、薄着の青年は少し寒気を覚えた。

 そんな青年の事などお構いなしに、ル級はひたすら青年を押し続ける。その歩みはついに司令部の外へと向かった。足の裏に伝わる冷めたコンクリートの冷たさと、ひんやりとした外気と、背中の二つの鉄塊の冷たさに耐えながら歩くこと数分、青年の目にようやく目的地と思わしき場所が映った。

 ル級が目指していた目的地、それは港だ。第一艦隊が出撃や帰投に利用しているごく一般的な港。何故ル級はこんなところへ誘導したのか、とますます訳の分からなくなる青年だが、何故か彼の中では最大級の警報が鳴り響いていた。

 

 すごく、ものすごく嫌な予感がする。

 

 港に近づくに連れて、青年の耳に甲高い音が聞こえてくる。いや、音というよりも声と言ったほうがいいだろうか。まるで、人間が無理をして裏声で叫んでいるかのような金切り声。そして、その怪奇音が聞こえてくる港で、青年の見覚えのある後姿が微動だにせず佇んでいる。

 潮風になびく青みがかった銀髪。この特徴的な髪色を持つ艦娘は青年の司令部には一艦しかいない。青年の相棒である叢雲だ。何故叢雲が港にいるのか、と疑問に思う青年だが、その疑問は後ろからぐいぐい押してくるル級を何とかしてもらってから聞いてみようと考え、すぐ近くまで迫った叢雲の背中に向かって声をかけようとした。

 しかし、青年の声は喉元で詰まった。青年の思考を根こそぎぶっ飛ばす衝撃的な光景が、彼の視界に飛び込んできたからだ。青年は肌寒さの寒気とは別の寒気を覚えた。

 

 

「「「「イーッ!」」」」

「「「「イーッ!」」」」

「「「「イーッ!」」」」

「「「「イーッ!」」」」

 

 

 まさに地獄絵図。

 青年の目に飛び込んできたのは、港の海面をびっしりと埋め尽くし蠢く(うごめく)黒い物体たちの姿だった。先ほどから青年の耳に届いていた謎の音の正体はこの黒い物体たちだ。海の青色を完全に塗りつぶした黒い物体から鳴り響く金切り音がいくつも重なり、はた迷惑なオーケストラを奏でている。

 全身黒ずくめの横長ボディ、蠢く中にちらほら見える白い歯、青白く輝く瞳。青年は海面を埋め尽くす黒い物体たちに見覚えがあった。

 

 深海棲艦の一種である『駆逐艦』。現在ではイ級、ロ級、ハ級、ニ級、の四種類が確認されていが、今、港を埋め尽くしているのはその中でも一番数が多いとされているイ級だ。

 

 何故駆逐艦イ級が大量に蠢いているのかは分からないが、とりあえずやるべきことは真っ先に決まった青年。早速、早朝の大掃除をやってもらうと、青年は一旦視線を叢雲へと移し声をかけた。

 

 

「叢雲、少しやってほしいことがあるんだけど」

「無理よ、これから射撃の稽古があるの。付き合えないわ」

「今日は休め」

 

 

 恨めしそうに青年を睨みつける叢雲。そんな彼女を尻目に、青年は今回の騒動を引き起こした張本人であろうル級の元へと向かった。ル級が自分をここへ連れて来たのはこの光景を見せるためだとすれば、それには何かしらの理由があるはずだ。青年は何故ル級がこのようなことをしでかしたのか聞いてみることにした。

 

 

「ルー」

「叢雲、通訳」

「……アンタ、本当に後で覚えときなさいよ」

 

 

 叢雲はル級の言い分を青年に伝えた。ル級曰く、青年が食料(資材)で困っていると聞いたから駆逐艦イ級たちにかき集めさせた、ということらしい。駆逐艦で構成された部隊を遠出させる、という点では提督たちが第二、第三、第四艦隊を遠征に向かわせるのと同じような事なのかもしれない。嫌な笑みを浮かべた叢雲は、皮肉をこめて青年に言葉を放った。

 

 

「よかったじゃない。念願の第二艦隊結成よ、もっと喜んだらどうなの?」

「……いや、笑えねえよ」

 

 

 それもそうだろう。自分の率いる部隊に「イーッ!」という掛け声を叫ぶ部下が大量にいるというのは素直に喜べない。これでは青年が艦娘を率いる提督ではなく、世界征服を企む悪の組織の大首領になってしまう。異世界の提督たちが戦いあう『提督大戦』が始まってしまう。

 しかし、全部が全部悪い話だということは無い。港を埋め尽くす駆逐艦の数は優に二十を超えている。これほど大量の艦艇が一斉に資材を集めたとなれば、それなりの量が期待できるだろう。駆逐艦だから他の艦艇と比べて消費燃料も少ないため、多少数が多くても獲得した資材で何とかなるはずだ。

 

 

「……まあ、これで資材は増えるわけだし。これからしばらくは出撃できるんじゃないか?」

 

 

 ゆっくりと顔を出した朝日を眺めながら、青年はこれからの部隊運用についての考えを頭の中でまとめていた。滞っていた出撃の回数増加や、新しい艦娘を建造することだってできる。やりたいことが多すぎてどこから手をつけていいのか分からない、と青年は少し浮かれた気分になっていた。

 

 しかし、駆逐艦イ級たちが持ち帰るはずだった資材のほとんどを自分で食べてしまったため、増える資材の量はほんの少しだという絶望的事実が後から発覚。青年が考えた第一艦隊復興プランは全て白紙に戻ることになる。

 

 

 




次回・・・チ級とヌ級、初めてのおつかい


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着任十日目:チ級とヌ級、初めてのおつかい?

感想でアドバイスを下さった方々、どうもありがとうございました。
無事3-2をクリアすることが出来ました。


 マルハチマルマル時、深海棲艦たちに不法占拠された旧解体ドックの扉が突然開いた。扉を開けたのは叢雲だ。

 カツ、カツとリズムよく足音を立てながら旧解体ドック内を進む彼女は、ある艦娘の姿を探していた。周囲を見渡しながら歩き回ること数分、叢雲は探していた艦娘がドックの隅っこでちょこんと座っているのを見つける。叢雲はすぐさま近寄りその艦娘に声をかけた。

 

 

「ちょっとアンタ、私についてきなさい」

「ヌゥ?」

 

 

 叢雲が探していた艦娘の正体、それはヌ級だった。

 ついて来い。その一言を言い残し、叢雲はヌ級に背を向けて歩き出した。何故呼ばれたのか分からないが、叢雲の命令ならばついていかなければなるまい。ヌ級は理由を聞くこともなく、黙って叢雲の後をついていく。特に疑問を抱くことなく素直についていくあたり、ヌ級に対する叢雲の教育の成果はしっかり出ているようだ。

 旧解体ドックを出発してから五分後、叢雲の歩みが止まった。場所は司令部正面入り口付近だ。叢雲の歩みが止まり何事か、と叢雲の顔を覗き込もうとしたヌ級だったが、それよりも先に彼女の眼に映るものがあった。

 

 

「チ……」

 

 

 叢雲の正面で、チ級が佇んでいるのだ。ヌ級は視線を叢雲へと移すと、叢雲はただ笑みを浮けべているだけ。少し不安になりおろおろしだすヌ級だが、そんなヌ級の事などお構いなしに叢雲はヌ級に対して自分の正面に立つように命令、ヌ級は素直に従い叢雲の正面へと移動した。

 二艦が正面で整列したことを確認した叢雲は、ずっと閉じていた口をようやく開く。

 

 

「今から、アンタたちに特別任務を言い渡すわ」

 

 

 そう言って、叢雲は正面入り口の脇にぽつん、と置かれた大きな鞄を指差した。叢雲は続けて特別任務の内容を説明する。今叢雲が指差した鞄の中には『数枚のポスター』が入っており、チ級とヌ級の二艦は、そのポスターをブイン基地内にある公共掲示板に貼ってくる。それが特別任務の内容だ。

 チ級とヌ級は特に疑問を持つことなくそれぞれ返事を返し、返事を聞いた叢雲は小さく頷く。その後、チ級とヌ級は叢雲から地図の見方とポスターの貼り方を教わり、説明終了後、隅においてあった鞄を手に取って基地内へ向かって歩き出した。

 その後姿を、叢雲は表情を崩さずに黙って見送る。そんな彼女に向かって、一人の男が声をかけた。

 

 

「あいつらだけに任せて大丈夫か?」

 

 

 司令部の奥から姿を現した青年は少し不安そうな表情で二艦の小さくなった後姿を眺める。

 実は今回の作戦を立案したのは叢雲なのだ。元々は青年から叢雲に対しての命令だったのだが、叢雲が無理を言ってチ級とヌ級に任務を任せる形に変更したのである。

 何故叢雲は突然任務内容の変更を進言してきたのか、未だに詳しい意図を聞かせてもらえていなかった青年は叢雲に対して回答を求めた。

 

 

「いつまでも私の命令を聞かなきゃ動けないって訳にはいかないでしょ?少しは自主性を身に付けさせないと、これから使い物にならないわ」

「相変わらず、叢雲大先生はスパルタですねぇ」

 

 

 叢雲なりに深海棲艦たちの事を考えての行動だったのか、とようやく納得する青年。しかし、やはり深海棲艦『だけ』で基地内をうろつかせるというのは不安が残る。今からでも遅くは無い。やはり見張りを付けるべきではないのか、と叢雲に意見する青年だが、その意見を叢雲は自信満々の表情で一蹴した。

 

 

「あの二艦は私が直々にみっちりと教育したのよ?この程度の困難で躓(つまづ)くほどヤワじゃないわ」

 

 

 

 

 

 

 

 

「チ……」

「ヌゥ」

 

 

 チ級とヌ級が青年の司令部を出て三十分が経過。二艦は未だに基地内をさまよっていた。鞄の脇ポケットには道のりを書いた地図が不自然に顔を出しているのだが、二艦がそれを使う気配はまったく無い。

 さらに、どういうわけかチ級とヌ級は交差点やT字路に到達すると必ず右折するのだ。ブイン基地の構造上、道路は交差点やT字路が多い。故に、必ず右折という選択肢を選ぶチ級とヌ級は必然的に同じ道をグルグルと回ることになる。

 さらにさらに、チ級とヌ級は今自分たちが同じ道をグルグル回っているというこを理解していないため、同じ道を何度も通っても何も疑問に思わない。理性よりも先に本能で動く深海棲艦の習性が、悪い方向で働いてしまっているのだ。

 丁度十週目を完走し、再び同じ道を進み始めたチ級とヌ級。周囲の提督や艦娘たちも、さすがに二艦の行動がおかしいということを薄々と理解し始めたが、二艦が普段敵対している深海棲艦ということもありどう対応すればいいのか分からない。誰も何もしないまま、ただ視線だけが集中していった。

 そんな中、ある一方向から周囲とは明らかに違う視線、激しい怒りと焦燥感の篭った熱視線を二艦に浴びせる艦娘がいた。

 

 

「ちょっとちょっとちょっと!そっちじゃないわよ!左、左に行くのよ!」

 

 

 それは、チ級のヌ級に特別任務を言い渡した張本人である叢雲だった。チ級とヌ級が司令部を出発した後、心配する青年に対して自信満々の返答をした叢雲だったが、いつまでたっても青年の言葉が頭から離れず、結局チ級とヌ級の後をつけることにしたのだが、結果はごらんの有様だ。

 まだ深海棲艦だけで行動させるのは時期尚早だったか、と心の中で反省する叢雲。電柱の陰に隠れながら叢雲は何とか今の状況を打破しなければと考えるが、二艦だけで任務に当たれといった手前、叢雲自身が二艦に手を貸すわけにもいかない。

 かといって、このままほったらかしにしておくわけにもいかない。このままほったらかしにしておけば、あの二艦は延々と同じ道を歩き続けるだろう。何か、何か手は無いか。叢雲はチ級とヌ級に任務を遂行させようと必死に打開策を考える。

 プライドが高い故に、叢雲は周囲に助けを求めたくは無かった。何とか自分だけの手で今の現状を打開する策を考えるが、一艦だけで出来ることと言えば片手で数えられる程しかない。やはり自分だけでは無理だ、といよいよプライドを捨てて周囲に助けを求めようかと検討し始めた叢雲。

 そこへ、ある艦娘が偶然通りかかる。

 

 

「あれ?もしかして叢雲ちゃん?」

 

 

 突然叢雲の背後からかかる声。声を聞いた瞬間、叢雲の頭に声の主の姿が浮かび上がる。叢雲は勢いよく後ろを振り返った。

 

 

「やっぱり叢雲ちゃんだ!私だよ、私。吹雪だよ!」

 

 

 叢雲に声をかけたのは、叢雲と同型の特型駆逐艦の一番艦『吹雪』だった。

 今日が偶然非番だった吹雪。最近出た『間宮アイス』の新作を食べに行こうと基地内を歩いていたのだが、行く先で見覚えのある後姿が不振な動きを見せていたため心配して声をかけたのだ。

 ちなみに『間宮アイス』とは、補給艦である『間宮』が考案したアイスクリームの事である。普通のアイスクリームとは少し違った独特の甘みと滑らかな舌触りに病み付きとなる艦娘も多く、値段が張るにも関わらず売れ行きがまったく衰えない提督泣かせの大人気甘味なのだ。

 

 

「久しぶりっ!こうして会うのは何ヶ月ぶりかなぁ。私も今の司令部に着任してから色々とお仕事を任され……って、ここで立ち話っていうのも疲れるよね。この後暇かな?私今から新作間宮アイスを食べに行くんだけど、一緒に行かない?」

 

 

 沈黙を続ける叢雲の事などお構いなしに、吹雪は一人で再開を喜んでいる。

 普段は神の存在など信じていない叢雲だが、今だけは神の存在を信じていいと思った。笑顔で話を続ける吹雪に鬼気迫る表情で近づいた叢雲は、吹雪の両肩をガッシリと掴む。至近距離から鋭い目つきで見つめられた(睨まれたとも言う)吹雪は思わず小さな悲鳴を上げた。

 

 

「久しぶりね吹雪アンタ今暇?暇よねなら困っている同型のよしみで頼みを一つ聞いてほしいのだけれどそうありがとうじゃあ早速なんだけれど」

「え?あ、ちょっ……ちょっと待ってよ!早口すぎて何言ってるのかわからないからぁ~!」

 

 

 吹雪の叫びで僅かばかり冷静さを取り戻した叢雲は今の自分の状況を吹雪に話した。

 まず始めに、自分が今ブイン基地で有名な深海棲艦を所有する提督の下で旗艦をやっていることを説明。それを聞いた吹雪は心底驚き、そして同時に叢雲に対して賞賛の声を送った。自分が叢雲の立場ならば絶対に旗艦なんて勤まらない、と。賞賛の声に少し顔を緩ませながら、叢雲は吹雪に本題である頼みごとの内容を話す。

 なるほど、さっきまでの奇行はそういうことか、と叢雲の頼みごとを聞いた吹雪は納得した。吹雪は元々叢雲が素直じゃない性格であることを知っている。心配になって跡をつけたはいいものの、命令を出した手前手を出すことが出来ないでいるのだろうと、叢雲の心境を読み取った吹雪は叢雲の頼みを快く引き受けた。

 吹雪の返事を聞いた叢雲は笑みを浮かべると、早速吹雪に対して指示を出す。

 

 

「とりあえず、あの二艦を掲示板のほうまで誘導しましょう。吹雪、行きなさい」

「えっ、ええええ!?行きなさいって、私何すればいいの!?」

「そんなの後から考えればいいでしょ!ほら早く、あそこを左に行くように仕向けてきなさい!出来るだけ自然に!」

「そんな無茶苦茶な!」

 

 

 普段から深海棲艦たちと付き合いのある叢雲とは違い、吹雪は今まで深海棲艦たちとは敵対してきたのだ。いきなり敵対していた相手に道案内をしろと言われれば、戸惑わないわけが無い。しかし、叢雲は有無を言わさず吹雪を送り出す。協力すといった手前、後には引けなくなった吹雪は泣く泣くチ級とヌ級への接近を開始した。

 おっかなびっくり、といった様子でチ級とヌ級に近づく吹雪。何度も叢雲の方へと振り返り目で作戦の中断を催促するが、叢雲は断固としてそれを拒否。それどころか、ジェスチャーで早く接触するようにと逆に催促されてしまう始末。

 吹雪はチ級とヌ級を誘導するための案を考えながらゆっくりと近く。しかし、パニックで頭が真っ白になっている状態ではいい案などが浮かぶはずも無く、自分がどう立ち回ればいいのか分からなくなってしまった吹雪はあと三、四歩という所で立ち止まってしまった。一度止まってしまった体は、まるで石になったかのようにピクリとも動かない。

 手伝うと言っておきながら何も出来なかった。軽い自己嫌悪に陥った吹雪は叢雲に心の中で何度も謝りながら、少しずつ離れていくチ級とヌ級の背中を見送った。

 しかし、そんな吹雪の背中に突如謎の衝撃が走る。吹雪は突然の事態に対処できず、前のめりになりながら数歩ほど前へと進んだ。そして、そのままバランスの崩れた体はなすすべなく地面へと叩きつけられる、はずだったのだが、それは吹雪の前方にあった二つの遮蔽物によって阻止された。しがみつくような形で遮蔽物に引っかかった吹雪は、恐る恐る左右を見渡した。

 

 

「チ……?」

「ヌゥ?」

 

 

 絶体絶命。吹雪が真っ先に抱いた感想はそれだった。

 吹雪は首だけで振り返り、自分を突き飛ばした張本人であろう叢雲に救援の視線を送る。それに対して、叢雲は電柱の陰から催促のジェスチャーを返した。

 目標と接触してしまった吹雪にもう選択肢は一つしか残っていない。たとえ誘導の案が何も無かろうともだ。ああ、もうっ!と半ばやけくそになった吹雪は勢いよく立ち上がると、未だにボーっと佇んでいるチ級とヌ級に対して声をかけた。

 

 

「わっ、あっ、いやっ……あ、あの!掲示板はアッチですよ!?」

 

 

 吹雪は笑顔で公共掲示板のあるほうを指差した。次の瞬間、吹雪の後方で思いっきり何かがずっこけた。

 今の質問、相手が正常な思考を出来る艦娘だったならば「何故そのことを知っている」と疑問に思われることだろう。吹雪自身も、言葉を口にした後に「何を言っているんだ私は」と心の中で自分にツッコミを入れたほどだ。

 恐る恐る、後方にいる叢雲の様子を見る吹雪。しかし、叢雲という名の鬼の姿が見えた瞬間にすぐさま視線をチ級とヌ級に戻した。冷や汗をかきながら固い笑顔を作った吹雪は対面する二艦の出方を伺った。

 チ級とヌ級は互いに頷きあうと、吹雪が指差した方向へと歩き出す。どうやら、吹雪の言葉を理解したようだ。その様子を見た吹雪は大きな、とても大きなため息を漏らした。おかしな言動を深海棲艦のチ級とヌ級がどのように受け止めたのかは分からないが、とりあえずは叢雲の言うとおり誘導には成功できた。

 これで私の役目は終わった、と謎の達成感に浸る吹雪だが、そんな彼女に対して叢雲は無慈悲な言葉を放つ。

 

 

「何をしているの!早く追いかけないと見失うでしょう!?」

「えっ、私の役目ってこれで終わりじゃあ……」

「そんなわけ無いでしょ!協力するって言った以上、最後まで付き合ってもらうわよ!」

「ええっ!まだやるのぉ!?」

「当然じゃない!ほら、早く行くわよ!」

 

 

 こうして叢雲監修の下行われる事となった「深海棲艦バックアップ大作戦」。その礎としてこき使われる羽目になった吹雪の受難はしばらく続いた。

 

 チ級とヌ級が再び右折を繰り返し始めたとき。

 

 

「馬鹿っ、何でアンタたちはそうまでして右に曲がろうとするのよ!吹雪、行きなさい!」

「行く、行くからそんなに押さないで!」

 

 

 他所の艦娘が興味本位でチ級とヌ級に話しかけてきたとき。

 

 

「一体いつまでしゃべるつもりなの!?あぁもう、これじゃあ日が暮れちゃうじゃない!吹雪、行きなさい!」

「は、話くらいさせてあげても……」

 

 

 チ級とヌ級が間違って他所の司令部に入りそうになったとき。

 

 

「早く!早く行きなさい吹雪!」

「わーっ!ダメッ、ダメですよーっ!掲示板はあっちですよー!」

 

 

 ヌ級がうっかり艦載機を出撃させたとき。

 

 

「吹雪っ、ヤるわよ吹雪!早くっ!」

「ダメだよ叢雲ちゃん!基地内で砲撃はご法度だから!だからその連装砲下げてえええええ!!」

 

 

 叢雲の無理難題をこなし、襲い来る幾多の困難を跳ね除けた吹雪。その甲斐あって、チ級とヌ級は無事公共掲示板へとたどり着くことが出来た。到着したチ級とヌ級は預かった鞄を無造作に置き、叢雲から教わったとおりにポスターを掲示板へと貼り付ける。

 武装と完全に一体化した両腕を持つチ級が両腕の武装で紙を上手に押さえ、人間に近い手を持つヌ級が画鋲を手に取り一枚目のポスターを固定。同じような手順で二枚目、三枚目とポスターを貼り付けるチ級とヌ級。

 その様子を遠くから眺めていた吹雪は、ふとポスターの内容が気になった。今までチ級とヌ級のフォローに手一杯で全然気にしていなかったが、そもそも何故公共掲示板なんかにポスターを貼る必要があるのだろうか。よくよく思い返してみれば、叢雲の説明でもポスターの内容は説明されなかったと、自分がポスターの内容に関する情報を何も持っていないことに気づいた吹雪。

 自分も一目見てみたい、と吹雪は叢雲に行動の許可を得る。そろりそろり、と忍び足で作業をするチ級とヌ級の背後へ回り込んだ吹雪は、作業をする二艦の後ろからポスターを覗き込んだ。

 

『あなたの司令部に空母ヲ級がやってくる!×月×日ヒトニマルマル時より空母ヲ級一日貸し出しを開始!貸し出し料金として、下記の金額又は資材を頂戴します。完全予約制のため、ご予約はお早めに!』

 

 吹雪はポスターに書かれている内容をいまいち理解できなかった。空母ヲ級を貸し出す。言い方を変えれば、正規空母の艦娘を他所の司令部に貸し出すと、このポスターには書かれているのだ。

 いくらブイン基地が稼動し始めてから日が浅い基地だといっても、半月も経過していれば正規空母を持つ提督などそこらじゅうに溢れている。今更正規空母の艦娘を貸し出すなどと張り紙をしても、その効果は薄いのではないだろうか、と吹雪は冷静に状況を分析した。

 確かに『普通』の正規空母を貸し出すのであれば、この張り紙の効果はかなり薄いだろう。わざわざ使用料を払ってその日限りの仮初の正規空母を手に入れるよりも、苦労しながら自分で建造した方がいいに決まっている。苦労した分だけ愛着も湧くというものだ。そして愛着が湧くからこそ、ビジネスライクの関係では絶対に築けない確かな絆が生まれるのだ。

 

 しかし、世の中には必ずと言っていいほど例外が存在する。たとえ一日限りの仮初の仲間であろうとかまわない。短くてもいいから幸せな夢に溺れたいと、そう思わせる存在がこの世には存在するのだ。

 

 掲示板周辺は瞬く間に混沌へと包まれた。

 

 

「なん……だと……?」

「仕事してる場合じゃねぇ!」

「早速ヲ級ちゃんをお出迎えする準備に出かける!後に続け!」

「よし、全遠征部隊をボーキサイト収集に向かわせろ!大至急だ!」

「今の俺は島風の速さをも凌駕する!」

「やるときは、やるのです!」

「行 か ね ば 。」

 

 

 この日、ブイン基地にいる提督のほとんどが一睡もすることなく次の朝日を迎えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「はあ、ひどい目にあった」

 

 

 提督たちが巻き起こす混沌の嵐から何とか脱出した吹雪。目の前にいたチ級とヌ級も嵐の最中で見失い、やっと自由になれたと思ったら太陽は既に西へと傾いている。さらに隠れていた叢雲の姿も見当たらず、結局吹雪は一人寂しく帰路につくこととなった。

 吹雪は肩を落としながらとぼとぼと歩く。一日自由に楽しく過ごすつもりだったのに、気がつけば心身ともに満身創痍。最初は遊び疲れのため息をつきながら帰る予定だったが、まさか徒労によるため息をつきながら帰ることになろうとは思いもしなかっただろう。

 

 

「……まあ、こんな日もたまにはあるよね!よし、また明日から頑張るぞーっ!」

 

 

 元々前向きな性格である吹雪は、頭の中で渦巻く後ろ向きな思考をズバッと切り捨てる。過ぎたことを悔やんでもしょうがない。休日を満喫することは出来なかったが、代わりに困っている友達を助けることは出来た。それでいいじゃないか。

 いつもの調子を取り戻した吹雪の足取りは軽くなった。止まらなかったため息も消え、暗かった表情には笑顔が戻る。

 

 

「うん、今日一日がんばった自分へのご褒美として『間宮アイス』を買って帰ろう!今日は元々アイスを食べるために出かけたんだし」

 

 

 吹雪は早足で来た道を戻り始める。懐に入れておいた巾着の中身を漁り、小さながま口財布を開けて自身のお財布事情を確認。これだけあるなら今日は少し贅沢しようかな、と頬を緩ませた吹雪は財布と巾着を仕舞い、下がっていた視線を前方へと向けた。すると、吹雪の視界にある艦娘の姿が映った。

 

 

(あ、叢雲ちゃんだ)

 

 

 吹雪自身もよく知る艦娘であり、そして数十分前まで行動を共にしていた駆逐艦『叢雲』が、吹雪の前方から歩いてきたのだ。

 叢雲の左手には、夕日に照られてキラキラと輝く銀色の袋が握られていた。吹雪はその袋が店頭で間宮アイスを購入した際に使われる、冷気が逃げないようにするための保冷袋だということにすぐに気づいた。吹雪自身も、買ったアイスを同じ袋に包んでもらった経験がある。

 吹雪は叢雲の名を呼びながら駆け足で叢雲の下へと近づいた。叢雲は吹雪の姿を見た途端にびくっと体を強張らせる。さらに、視線があちこちに泳いだり、空いた右手で自分の髪をしきりに弄ったりと、明らかに挙動がおかしくなった。

 

 

「また会えたね、叢雲ちゃん。その袋、叢雲ちゃんもアイス買いに行ったんだ?私も今から買いに行くつもりなんだよ!」

 

 

 楽しみだなぁ、とアイスの味を思い出し思わず顔をほころばせる吹雪。

 叢雲は吹雪の言葉に反応を示さずおかしな挙動を続けていた。アイスの妄想から帰ってきた吹雪は叢雲の挙動がおかしい事にようやく気づく。叢雲の身を案じた吹雪は、叢雲に心配の声をかけた。しかし、叢雲から帰ってきたのは予想外の言葉だった。

 

 

「……やるわ」

「へ?……え?えっと……?」

 

 

 叢雲はそっぽを向きながら、左手に持っていた銀色の袋を吹雪に突き出した。吹雪は間の抜けた声を出しながらおずおずと両手で袋を受け取った。

 渡された袋をまじまじと眺め、隅の方にラベルが張ってあるのを発見した吹雪はラベルの内容を読み取る。ラベルに書いてあったのは、吹雪が叢雲に会った際に食べに行くと話していた新作間宮アイスの名前だった。

 

 

「これは……あの……アレよ。アンタは今日よく働いてくれたし、感謝してるというか……その……お礼というか……と、とにかく受け取りなさい!」

「ぅあ……あ、ありがとう?」

「それに、その……今日一日勝手を言って付き合わせたのも……わ、悪かったって思ったし……」

 

 

 今目の前にいる叢雲は、吹雪の中にある叢雲のイメージそのものだった。どんな娘が相手でも思いやる事のできる優しさを持っていて、でも自分の気持ちを素直に出せない不器用な娘。

 顔を真っ赤にした叢雲は早口で別れの挨拶を言うと、早足で吹雪の隣を通り過ぎる。ハッ、と我に返った吹雪は咄嗟に腕を伸ばし、通り過ぎた叢雲の左手を掴み引き止めた。

 ひゃっ、と小さい悲鳴を上げながら、叢雲は自分を引き止めた張本人である吹雪を横目で睨みつけた。恥ずかしさで真っ赤になった顔を見られたくない叢雲は今すぐこの場から立ち去りたい。しかし、万遍の笑みを浮かべる吹雪の顔を見てしまい、叢雲は面と向かって「離せ」とは言えなくなってしまった。

 仕方なく、叢雲は出来るだけ平静を装いながら「何か用?」という声を搾り出した。

 

 

「せっかくだから一緒に食べようよ!色々お話しながらさ!」

「っ!!」

 

 

 吹雪の言葉を聞いた瞬間、叢雲の中から恥ずかしさが消え去った。その言葉は叢雲にとって、恥ずかしさを完全に塗りつぶしてしまうほどうれしくてたまらないものだったからだ。

 うれしさで口元がつり上がりそうになるのを必死に堪えながら、叢雲は答えた。

 

 

「……ふ、ふん。しょうがないわね。つ、付き合ってあげてもいいわよ」

 

 

 未だに顔の赤みが引かない叢雲と、その隣に並んだ吹雪は一緒に歩き出す。二艦の後姿は楽しそうにじゃれ合いながら、喧騒の中へと消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その夜。

 

 

「叢雲。チ級とヌ級がまだ帰ってこないんだが何か知らないか?」

「……あ」

 

 




次回・・・決死の戯れ、青年とリ級。


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着任十一日目:決死の戯れ、青年とリ級。

金剛四姉妹、ついに集結。やったぜ。

追記:各サブタイトルの仕様を少し変更しました。

追記2:一航戦、五航戦まさかのダブル獲得。記念に感想へ返信しました。


 ついに、ついに叢雲以外の普通の艦娘が司令部にやってくる。

 青年は鼻歌を歌いながら、提督としての業務でさばく書類の数よりも圧倒的に多い顧客情報の書かれた書類を嫌な顔一つせずにさばく。今の青年はかなりご機嫌だった。出撃を催促してきた叢雲に対して二つ返事で返すほどご機嫌だった。

 青年の目論見どおり、『ヲ級レンタルサービス』は順調な滑り出しを見せた。壁に貼られたV字を描く資材量推移のグラフを眺めながら、青年はこれから始まる司令部再建に思いを馳せる。これだけあれば新しい艦娘を建造することも可能。滞っていた出撃の回数も爆発的に増える。装備も作り放題。そして何より、建造が可能となれば普通の艦娘で艦隊を結成することが出来る。

 浮かれに浮かれている青年は書類をさばきながら、夢にまで見た艦娘に囲まれた明るい未来を幻視するのだった。

 

 しかし、これから青年の『明るい未来』と『資材』は消失する。

 

 『ヲ級レンタルサービス』は、既に上層部の耳に入っていたのだ。というより、ブイン基地に着任している提督たちに知れ渡っている情報を上層部が知らないわけが無い。情報を耳にした上層部は「またアイツか……」と苦い顔をしながらも、騒ぎを沈静化するべく行動を起こす。

 青年はブイン基地総司令部に呼び出された。理由は言わずもがな、『ヲ級レンタルサービス』についてだ。一時的にとはいえ、ブイン基地の機能を麻痺させている青年の所業は目に余る。上層部は青年に対して厳重注意を施した。

 青年は素直に反省した。若干の混乱はあるだろうと承知はしていたが、まさかこれほどとは思ってもみなかった。欲に目が眩んで、周りが見えていなかったと。年寄り特有の長ったらしい説教を聞きながら、今までの自分を振り返り猛反する青年。最初に受け入れた自分がきちんと最後まで面倒を見ないでどうするんだ。心機一転、心を入れ替えた青年は自分に喝を入れ、総司令部を後にした。

 自分の司令部に戻った青年はすぐさま『ヲ級レンタルサービス』の永久凍結を宣言。受け取った資材も全て元の持ち主たちへ返却した。すっからかんになった資材倉庫を見て少し物寂しい気持ちになるが、やる気に満ち溢れた今の青年はその程度の事では止まらない。青年はすぐさま気持ちを入れ替え、これからの部隊運用について思案する。出来れば今すぐにでも叢雲に意見を仰ぎたいところだが、叢雲は昨日の昼頃からチ級、ヌ級、ヲ級を連れて『カムラン半島』へ出撃中だ。時間的に考えて、帰ってくるのは今晩となるだろう。

 

 

「ま、この話はまた今度にしよう。出撃で疲れた叢雲に意見を聞くってのも何か気が引けるし」

 

 

 急いてては事を仕損じる。冷静に先を見た青年は、まず初めに自分が目指すものを明確化しようと考えた。今まで流れに身を任せて部隊を運用してきたが、よくよく考えてみればいつも周りに振り回されてばかりで、自分はほとんど何もしていないことに気づいた青年。

 事務仕事は青年と叢雲の二人がかり、部隊の運用に関してはほとんど叢雲にまかせっきり、深海棲艦とのコミュニケーションに関しても叢雲に頼りっきり、とてもじゃないが青年の立ち回りは提督と呼べるものではない。これでは、叢雲がいなければ何も出来ない木偶の坊ではないか、と青年は自分の不甲斐なさを改めて認識した。

 しかし、心機一転した今こそが好機。今日の一件を機に、新たな一歩を踏み出そうという結論に至った青年は、自分の中で今一番の問題となっている部分から着手することにした。

 

 

「深海棲艦と、コミュニケーションをとる!」

 

 

 事務仕事や部隊の指揮に関してはどうしても叢雲に頼らざるを得ない部分が出てきてしまう。しかし、せめて深海棲艦とのコミュニケーションくらいは自分の力だけでできるようになりたい。一番最初に出会ったチ級とはわずかながらも心を通わせることが出来たのだがら、他の奴らと通じ合えることも出来るはず。そう考えた青年はすぐさま行動に出た。

 青年は意気揚々と深海棲艦たちに占拠されている旧解体ドックへと向かった。チ級、ヌ級、ヲ級は出撃中、ル級はイ級を連れて遠征中、となれば必然的にドックにいるのは一艦だけだ。一対一とは好都合。そう思いながら青年は旧解体ドックの扉を開けた。

 

 そして、それとほぼ同じタイミングで巨大な爆発音がドック内に響き渡った。

 

 扉を開けた体勢のまま、青年は呆然とドック内を眺める。ドック内には青年の予想した一艦、置いてきぼりにされたリ級がいた。しかし、そのリ級が何故か主砲を構えているのだ。そして、何故かその主砲の砲口からは今まさに砲撃を行ったかのような煙が出ているのだ。

 青年はリ級が砲口を向けている方へと目を向ける。大きな風穴の開いたドックの壁からは心地よい潮風が流れこみ、燦々と輝く太陽の暖かい光が差し込んでいた。

 ちなみに、リ級が砲撃した理由は置いてけぼりにされたことに対する憂さ晴らしである。

 

 

「あ、やっぱ無理だわ」

 

 

 青年はすぐさま前言を撤回。やはり自分には叢雲の存在が必要不可欠だということを、深く心に刻み込んだ。

 そんな青年の事などお構いなしに、リ級は二度目の砲撃を開始する。二発目は天井を破壊し、ドック内に鉄くずの雨を降らせた。続けて三発、四発と、リ級の砲撃は徐々に激しさを増していく。

 リ級と分かり合うことを放棄した青年だったが、さすがにここまでやられては黙っていられない。旧解体ドックが破壊しつくされる前に何とか止めなければ、と青年は勇気を振り絞り砲撃を続けるリ級へと近寄った。

 近づいてきた青年に気づいたリ級は一時砲撃を中断し青年に向き直る。青年は何とか砲撃をやめるように身振り手振りを使って必死に説得するが、やはり言葉が通じないせいかリ級は首を傾げてばかりだ。

 それでも青年は説得をやめない。一度はあきらめたが、もしかしたら奇跡が起こるかもしれない。そんな一縷(いちる)の望みが青年を突き動かしていた。

 しかし、現実は非常である。青年の口うるささにイライラしたリ級は、青年に主砲の砲口を向けた。軍人の勘が敵意を感じ取り、咄嗟に姿勢を低くした青年。次の瞬間、リ級の主砲から発射された一発の砲弾が青年の後方で盛大な爆撃音を奏でた。

 青年は顔を青くしながらゆっくりと顔を上げリ級を見る。そして、リ級の表情を見て確信した。脅しや冗談ではない。リ級は今、明確な殺意を持って自分を殺しにきたのだと。

 ベテラン提督ならばここで洒落た言葉を一つや二つ口にしているところだが、初めて『死』というモノに直面した青年に心の余裕などあるはずが無い。青ざめている青年を見下すリ級は面白そうなモノを見つけた、と悪意に満ちた笑みを浮かべ、主砲の砲身を再び青年へと向けた。

 そこから始まる決死の戯れ。軍人としてある程度は鍛えられた青年だが、それでも兵器にはかなわない。青年は逃げに徹さざるを得なくなった。対して遊び半分のリ級は、ニヤニヤしながら右手の主砲をゆっくりとしたペースで撃ち続ける。青年が叫び声を上げながら必死に砲弾を避ける様を見ては満足げな笑みを浮かべ、そして更なる砲弾を青年に向けて発射した。

 追い詰められた青年は無造作に積み上げられたコンテナの背後に隠れた。乱れた呼吸を整えながら、青年は息を殺してリ級の出方を伺う。リ級は青年の姿が見えなくなり興が削がれたのか、右手のみのスローペースな砲撃から両手を使った連射へと切り替え無差別に砲撃を仕掛ける。

 けたたましい爆発音と共に無差別に破壊されていくコンテナ。青年から遠く離れた場所にあるコンテナが吹き飛んだ、と思えば次の瞬間には青年のすぐ右側のコンテナが消し飛ぶ。今の状況、例えるならまさに『黒ひげ危機一髪』。リ級がハズレを引いた瞬間、青年は天高く飛んでいくことになるだろう。肉体的にも、魂的にも。

 

 

(マジでやべえ……クソッ!こうなったら一か八か、砲弾の雨をかいくぐって……ん?)

 

 

 ふと、追い詰められた青年の視界にあるものが映った。鉛色に鈍く輝く『それ』は青年の正面、壁際にバラバラと落ちていた。

 

 

(……鋼材?)

 

 

 そう、鋼材だ。深海棲艦たちの食事として運んできた資材の残り、残飯が偶然青年の正面に落ちていたのだ。それを見て青年は思い出す。初めて出会った未知の敵に対して、鋼材がすばらしい効力を発揮したことを。

 反撃の手立てが無い以上、試せるものは全て試そう。青年は藁にもすがる思いで鋼材をかき集めて手に取った。そして、コンテナの陰からリ級に向かって鋼材をバラバラと放り投げる。

 鋼材は放物線を描き、リ級の頭上へと向かう。突然現れた謎の飛来物にリ級はぴくり、と反応し、照準を反射的にコンテナから飛来物へと向けた。しかし、バラバラと舞い飛ぶ飛来物に敵意がないことを感じ取ったリ級は砲撃をせずに、主砲を構えたまま落ちてくる飛来物を眺め続けた。

 謎の飛来物がリ級に降り注ぐ。こつん、と自分の頭に当たって床に落ちた飛来物の一つを主砲の裏に隠れた右手で掴んだリ級。手の中にあるものが鋼材だと分かった瞬間、リ級は大きく口を開けて鋼材にかじりついた。ごりん、ごりんという鈍い音を立てながら、リ級は周囲に落ちた他の鋼材にも手を伸ばし一つ一つ口へと運ぶ。

 その様子を見た青年は反撃開始だ、と心の中でほくそ笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 青空が星空へと様変わりし、基地内の司令部から明かりがぽつぽつと消えていく頃、叢雲率いる第一艦隊はようやく青年の司令部へと帰投した。

 完全勝利を収め無傷で帰投した叢雲は戦果を報告するために、青年がいるであろう司令室へ向かう。しかし、司令室に青年の姿はなかった。司令室にいないのであれば執務室だろうか、と司令室を後にした叢雲は執務室へ向かうが、執務室にも青年の姿は無い。その後も、叢雲はしばらく司令部内をうろつき青年の姿を探したが青年の姿がどこにも見当たらない。一体どこへ行ったのだろうか、と周囲を見渡していると、叢雲の目が対面から近づいてくる艦艇の姿を捉える。

 先ほど別れたはずのヌ級が慌てた様子で叢雲の下へ駆け寄ってきたのだ。ヌ級の様子がおかしいことに気づいた叢雲はすぐさまヌ級に事情を話すように促す。すると、ヌ級の口から信じられない言葉が飛び出してきた。

 

 

「提督が旧解体ドックにいる!?」

 

 

 一体何故、と一瞬疑問に思った叢雲だが、すぐにリ級を司令部に残していたことを思い出す。

 最初はル級が犯人か、とも思った叢雲だが、ル級なら自分から青年の下へ向かうだろうから青年がドックにいることとつじつまが合わない。チ級、ヌ級、ヲ級は叢雲自身が連れ出していたため接触は不可能。となれば、残る可能性はただ一つ。リ級が何らかの問題を起こして青年がドックへ赴きトラブルに巻き込まれた。元々気性の荒いリ級なら、何かしらトラブルを起こしてもおかしくはない、と結論付けた叢雲ははヌ級と共に急いで旧解体ドックへと向かった。

 

 

 

 

 

 到着した叢雲の目の前では、信じられない光景が展開されていた。あの自己中心的で誰の指図も受けないリ級が、言葉の通じない青年と打ち解けているのだ。叢雲は訳の分からないまま、ただ呆然と青年とリ級のやり取りを眺め続けた。

 

 

「リ!リ!」

「三個か!三個も欲しいのか!?このいやしんぼめ!!」

 

 

 そう言って、青年は手に持った鋼材をリ級に向かって全力で投げつけた。リ級は素早く体を動かし、投げつけられた鋼材全てを口で受け止めゴリゴリと噛み砕く。青年はリ級を左腕でがっちりホールドすると、右手でリ級の頭を何度もなでた。

 

 

「よーしよしよしよし!」

 

 

 青年に頭をなでられまんざらでもないリ級。我を忘れていた叢雲はハッ、と正気を取り戻し、狂ったようにリ級の頭をなで続ける青年をリ級から無理やり引っぺがした。

 

 

「ちょっと!アンタ一体何やってんのよ!?」

「離せっ!離せぇえええ!!俺は、俺は生き残るんだ!絶対に生きて帰るんだよぉおおおお!!」

 

 

 我を忘れていたのは叢雲だけではなかった。極限の緊張状態が続き錯乱した青年は壊れたおもちゃのように笑う。このままではまずいと判断した叢雲は青年の正面に回ると、青年の頬を何度もはたいた。さすがに全力で、とまではいかなかったが、それは青年を元に戻すには十分の威力だった。

 元に戻った青年を見て一安心した叢雲は、何故こんなことになったのか説明を要求し、青年はそれに答える。ヲ級レンタルサービスを永久凍結したこと、心を入れ替えたこと、叢雲の負担を減らすために深海棲艦とコミュニケーションを取れるようになろうと思ったこと、ドックに向かったらリ級が砲撃をしていたこと、それを阻止しようとしたら変わりに自分が標的となってしまったこと、鋼材でリ級をチ級の時みたいに餌付けしようと考えたこと、青年は包み隠さず起こったありのままの出来事を叢雲に話す。叢雲は所々で驚きながらも、青年の話を最後まで聞き終えた。

 

 

「で、最終的にはアンタの目論見どおり、リ級は従順になったと……」

「重巡だけにね」

「うるさいっ!!」

 

 

 青年の言い回しに腹がたった叢雲は青年の腹部に拳を叩き込んだ。腹部を押さえながらうずくまり、小さな唸り声をあげて苦しむ青年。あまりの痛みに胃の中のものをぶちまけそうになるが、なんとか堪えて痛みの波が引いてくるのをじっと待つ。

 しかしそこへ、リ級が悪意の無い追撃を仕掛けた。青年との戯れが面白かったのか、リ級は「またやって!」と催促するように右手で青年の襟を引っ張る。腹部の痛みに加えて首を思い切り締め付けられ、青年の中で引き始めていた波が再び大きく荒れ始める。

 このまま何の抵抗も出来ないまま、青年はドックで盛大に胃の中の物をリバースする……ということにはならなかった。青年の顔色を見た叢雲が危機を察知し、青年がリバースする前にリ級を引っぺがしたからだ。その後、叢雲に長々と説得されたリ級はしぶしぶといった様子でドックの奥へと戻っていった。

 腹部をさすりながら、青年は叢雲に感謝する。当然の事をしたまで、と青年の感謝を素直に受け取ろうとした叢雲だったが、ここで叢雲の頭にある閃きが浮かんだ。心の中でニヤリと笑った叢雲は、顔をしかめながら数歩後ろへ引き下がった。

 

 

「殴った相手に対して感謝するなんて、アンタいたぶられて喜ぶ趣味でもあったわけ?そういうのは他所でやってちょうだい」

「いや違うからな!?」

 

 

 叢雲に変な誤解をされたと勘違いし慌てふためく青年。もちろん、叢雲はそんな事を本気で思っているわけではない。心配させた青年に対しての罰というやつだ。必死に弁解する青年を見て満足した叢雲は「冗談よ」と一言口にし、してやったりの表情で青年を見つめた。叢雲の言葉を聞いて安心した青年は大きなため息をつく。

 その後、一人と一艦はその場で談笑を続けた。

 

 

 

 

 

 

 

「ルー」

「お、戻ってきたか」

 

 

 誤解が解けてから数分後、叢雲と談笑をしている青年の耳に聞き覚えのある声が届いた。

 イ級を引き連れて遠征に出ていたル級が戻ってきたのだ。資材を没収された今、ル級が持ち帰ってきた資材が頼りだ。出来れば今日の補給分はあってほしい、そう願いながら青年は声の聞こえたほうへと振り返り、それに続くように叢雲も振り返った。

 

 

「!!?」

「!!?」

 

 

 視界に飛び込んできた光景に、青年と叢雲は驚愕した。

 ル級は旧解体ドックの扉をくぐった所にいた。この旧解体ドックは深海棲艦の塒(ねぐら)なのだから、ル級がここにいること事態はおかしいことではない。しかし、その周囲に明らかにおかしい部分があるのだ。それは、青年から見てル級の右側、ル級から見て左側の『空間』。青年と叢雲の視線は、その『空間』に釘付けとなった。

 

 

「ター」

 

 

 そこには、見覚えの無い艦艇の姿があった。

 

 

 




次回・・・義と愛の名の下に


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着任十ニ日目:義と愛の名の下に

俺提督の艦隊はボスゲージを削る気がないようだ。

艦載機で先制攻撃→敵駆逐艦一艦轟沈→見方戦艦が生き残った敵駆逐艦、敵重巡洋艦をこぞって攻撃→敵ミスト艦の攻撃→見方艦艇中破、大破→見方戦艦が生き残った敵空母をこぞって攻撃→敵ミスト艦の攻撃→見方艦艇中破、大破→被害甚大のため追撃できず

追記:よそ見してたら赤城轟沈してたでござる。気晴らしに感想に返信しました。しましたよ……。



 カリカリと、静かな執務室に筆音だけが鳴り響く。

 青年は自分の机に向かい書類の空欄を一つずつ埋めていた。つい先ほどまで『あるトラブル』に巻き込まれていたせいで顔に疲れが見えるが、今日中に処理しなければならない書類があるため疲れた体に鞭打って、こうして筆を動かしているのだ。

 そんな青年を他所に、叢雲は早々に今日の出撃に関する報告書を書き終え青年の目の前で優雅なティータイムを堪能していた。時たま青年から救援の声をかけられるが、自業自得だ、と叢雲は救援を拒否。恨めしそうな目で叢雲を見つめながら、一人で黙々と書類整理を続ける青年。

 書類の量はそれほど多いものではないのだが、やはり数時間前に起こった『トラブル』が尾を引いているのか、青年の筆の速度はいつもより遅い。結果、青年が書類の山をさばき終えたのは日が変わる時間ギリギリとなった。

 ようやく終わった、と背もたれに体重を掛けながら大きく背伸びをした青年。

 

 

「あー……疲れた……」

「そう。ま、お疲れ様と言っておこうかしら」

 

 

 なんだかんだで青年の仕事が終わるまで付き添っていた叢雲は手に持っていた小説を机の上におくと、おもむろに急須を手に取り茶葉を入れ替えた。そしてポットから急須にお湯を注ぐと、『あらかじめ用意してあった』青年用の湯飲みに緑茶を注ぐ。青年は叢雲から差し出されたお茶に口を付け、目を瞑りながら大きくため息をついた。

 

 

「はぁ……ただでさえリ級の絡みで疲れたって言うのに、追い討ちをかけるように『アレ』が来たからなぁ……」

「『アレ』を見た瞬間不安になったわ。いつもみたいに、すぐに艦隊に加わえるんじゃないかって」

「さすがに、な。ただでさえ資材が足りないっつーのに、ここで戦艦がもう一艦加わったら確実に破産するだろ」

 

 

 そう言って、青年は数時間前の出来事を思い出す。リ級との命懸けのコミュニケーションを終えた後に起こった、はた迷惑な遭遇劇を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その出会いは唐突だった。

 登校中に曲がり角でパンを咥えた女子高生と出会いがしらにぶつかってしまうような、家に帰ってきたら自分の部屋を漁っている泥棒と鉢合わせしてしまったような、そんな衝撃的な出会い。

 青年と叢雲は驚愕のあまり固まってしまった。ル級の声が聞こえた方へと振り返ったら、そこにはル級とは別にもう一艦、見覚えの無い深海棲艦の姿があったからだ。いや、「見覚えの無い」というのには少し語弊がある。その深海棲艦の姿格好は青年の部隊では見かけない深海棲艦というだけであって、青年自身はその深海棲艦の姿を以前に資料で見たことがあった。

 

 深海棲艦の一種『戦艦』、通称『タ級』。その戦闘能力は同じ戦艦のル級を大きく上回ると言われている。

 

 深海棲艦特有の真っ白な肌と真っ白な長髪。スクール水着の上からセーラー服の上着という何とも奇抜な格好。そして深海棲艦の象徴ともいえる不気味なオーラを放つ主砲を、袖と一体化したマントの下から覗かせている。

 微動だにせず、ただじっと青年を見つめ続けるタ級と、タ級に釘付けとなっている青年の視線がぶつかる。傍から見れば男女が運命的な出会いを果たしたかのような構図だが、青年にとってタ級の存在は厄介者以外の何者でもない。今まで青年が経験したトラブルの中心には、必ずと言っていいほど深海棲艦の姿があったからだ。リ級との決死の戯れで疲れきっているところに、新たなトラブルを持ち込まれるのは御免蒙(ごめんこうむ)りたい。

 そんな青年の心中を知らないタ級。無表情のままじっと青年を見つめ続ける彼女は自分の服の袖をぎゅっと握ると、一言こう言った。

 

 

「ター」

 

 

 当然、深海棲艦の言葉が青年に通じるわけも無く、青年はタ級の言葉に対して首をかしげる。しかし、艦娘である叢雲はタ級の言葉をしっかりと理解していた。そして同時にこう思った。あぁ、前にも同じようなことがあったな、と。

 言葉を口にしたタ級は早歩きで青年へと近寄る。無表情のまま近づいてくるタ級に対して恐怖心を抱いた青年は隣にいる叢雲に救援を要請するが、叢雲は「大丈夫よ」と言うだけで動くことはなかった。

 タ級はあっという間に青年の目の前までやってきた。至近距離に迫ったタ級の顔を見て思わずたじろいでしまった青年だが、そんな青年を逃がすまいとタ級は青年の右手を自分の左手で掴む。そして、青年の右手を掴んだ左手をそのまま自分の胸元まで持って行ったタ級は、左手の上から右手を重ね青年の手を両手で包んだ。

 

 

「ター」

 

 

 いきなり近づいてきたと思えば、相手はただ自分の手を握って見つめてくるだけ。タ級の行動にいよいよ理解が追いつかなくなってきた青年は横目で隣の叢雲を見る。叢雲はやれやれといった様子で、タ級が口にした言葉を通訳した。

 

 

「一生ついていきます。私の愛しいあなた様、ですって。よかったわね」

「……」

 

 

 叢雲の言葉を聞いた青年は反射的にル級との出会いを思い出す。

 あの時も、今と同じような状況だった。いきなり現れた深海棲艦に押し倒され、絶体絶命の時にル級から出てきた言葉が「お慕い申しております」だ。後から復活した叢雲に、自分にべったりと引っ付くル級を引っぺがしてもらったのを、青年は今でもはっきりと覚えていた。そして、今まさに目の前でそのときの再現が行われている。もしかしたらまた押し倒されるのでは、と青年は自分の身の危険を感じずに入はいられなかった。

 しかし、タ級はル級のような無茶なアプローチを仕掛けてはこなかった。ただじっと、青年の手を握ったまま青年の瞳を見つめ続けるのタ級。そんなタ級の様子を見た青年は、普段叢雲の言うことをおとなしく聞いているチ級やヌ級の姿を連想した。絶対の忠誠を体(てい)で表すかのように、黙って叢雲の言葉を待つあのニ艦の姿を。

 もしかしたら、タ級はチ級やヌ級寄りなのかもしれない。多分襲われないだろうとタカをくくった青年は自分に落ち着くように言い聞かせ、今の状況を冷静に分析する。

 タ級の言葉がル級の言っていたものと同じ意味合いだとすれば、タ級は青年の艦隊に加わりたいと言っている。確かに戦艦がもう一艦増えるというのはありがたい話だ。エリート艦艇のル級に匹敵する火力と装甲。加入すれば即戦力となること間違いなしだろう。しかし、いくら戦力が増えたところでそれを維持するだけの資材がなければ宝の持ち腐れだ。むしろ戦力増加というプラス面よりも資材の消費量が増えるというマイナス面の方が遥かに大きい。青年の司令部の資材事情は限界ギリギリだ。これ以上深海棲艦が増えれば、まず間違いなく破産するだろう。そして、それは司令部の主である青年自身が一番よく分かっている。

 情に流されること無く、冷静に状況を分析した青年はタ級に対して無慈悲な言葉を放った。

 

 

「君の好意はうれしい。しかし、今私の司令部には君を受け入れるだけの余力が無いんだ。残念ながら、君を迎え入れることは出来ない」

 

 

 青年の言葉を叢雲を通して聞いたタ級は、握った両手の力を緩めながら表情を崩した。まるでこの世の終わりを目にしたかのような驚愕と絶望の入り混じった顔をうつむかせたタ級は、力の抜けた両腕をだらりと垂らす。その様はまさに恋心を打ち砕かれた少女そのものだった。

 

 

「…………今は、ね」

「はぁ?アンタ何言って……」

 

 

 続けて出てきた青年の言葉に驚く叢雲。青年と同様に司令部の現状を知っている叢雲も、これ以上の深海棲艦の受け入れは不可能だという判断を下していた。故に、青年の口からタ級の受け入れ拒否の言葉が出てきたとき、叢雲は青年の事を評価した。以前とは違い、ちゃんと自分の現状を理解し冷静に判断を下せるようになったのだと。そう思っていた。

 しかし、後から出てきた言葉は何だ。その言い回しだと、後からタ級を受け入れると明言しているようにも取れる。叢雲は後から出てきた言葉の通訳をためらうが、青年から視線で催促されたために仕方なく青年の言葉をタ級に聞かせた。次の瞬間、大きく目を見開いたタ級が勢いよく顔を上げた。

 

 

「今は無理でも、これから先はどうなるか分からない。だから約束しよう。こちらの準備が整ったら、私は君を迎えに行く。必ずだ」

「!!」

 

 

 青年のクサい台詞を、叢雲は顔を歪ませながらタ級に伝えた。

 歴史は繰り返される、とはまさにこのこと。落ち着いた雰囲気の女性が感情をむき出しにするという破壊力抜群のギャップ攻撃をモロに食らった青年はチ級やヲ級の時と同じように情に駆られ、思わずタ級に助け舟を出してしまったのだ。

 その結果、タ級を遠まわしに追い返すはずが、遠まわしに受け入れることを約束する形となってしまった。一瞬でもコイツの事を評価した自分が馬鹿だった、と最悪の結果に頭を抱える叢雲。そんな彼女の隣を、ある艦艇が悠然と通り過ぎる。

 

 

「ルー」

 

 

 叢雲の隣を通り過ぎたある艦艇、ル級はタ級の背後で立ち止まると、右腕の主砲を突き出した。そしてル級に呼応するかのように、タ級もマントの下に隠れていた主砲をル級に向けて突き出す。

 

 

「ター」

「ルー」

 

 

 言葉を交わしながら、ニ艦はまるでハイタッチをするかのように互いの主砲の砲身をガチガチとぶつけ合った。

 絶賛後悔中の青年は、その様子を光の宿っていないうつろな目で眺め続けた。途中までは冷静に自身を制御できていた青年。もちろんタ級を追い返すつもりでいた。しかし、タ級の落ち込んだ姿を見ていたら、反射的にあの言葉を口にしてしまったのだ。まあ、仕方の無いことと言えば仕方の無いことだろう。いつ何時、どの場所においても「かわいい」は正義なのだから。

 ふと、視線を感じた青年は隣へと視線を向けた。隣では、不機嫌オーラ全開の叢雲が眉間にしわを寄せながらガンを飛ばしていた。時すでに遅し、と思いながらも、青年は何とか叢雲に機嫌を直してもらおうと声をかける。

 

 

「ア、アハハハハ……。たっ、楽しそうだなあいつらー。一体何の話してんだ?」

「さあ?さっきから『義』だとか『愛』だとか何度も言ってるみたいだけど」

「そ、そっかぁー。よっ、よぉし。俺も負けてられないな。明日からまた気合入れてがっ、がんばるぞー!」

「そうね。一日でも早く司令部を立て直して、タ級を迎え入れられるようにしましょう」

「…………そうですね」

 

 

 淡々と話す叢雲にビクビク怯えながら、青年は真っ暗な海へと消えていくタ級の後姿を見送った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「まったく、アンタってホント学習しないわね」

「し、してるだろ……いつもみたいにすぐに艦隊に加えなかったし?」

「でもいずれ加わる予定なのよね?」

「…………」

 

 

 気まずそうに目をそらした青年を見た叢雲はため息をつくと、再び椅子に座り小説を開いた。その小説は息抜き用にと、青年が自分の部屋から数冊執務室に置いたものだ。戦国時代に実在した人物を元に書かれた小説で、三人の武将が『義』と『愛』の名の下に乱世を駆ける物語である。

 小説の表紙を見た青年はル級とタ級の姿を思い出した。叢雲がル級とタ級が『義』やら『愛』やら言っている、と言っていたが、奇しくもその小説にはル級やタ級の言っていた『義』や『愛』という言葉がよく登場するのだ。青年はお茶をすすりながら叢雲に話しかけた。

 

 

「そういや、その小説にも『義』とか『愛』がよく出るよな」

「ええ。確か『直江』、『石田』、『真田』の三人だったかしら?『義』と『愛』の力で天下を取るとか……」

「そうそう。利ではなく心で動く、それが『義』だってね。その本結構気に入ってるんだ」

 

 

 その会話をかわきりに、小説の話題で盛り上がる青年と叢雲。乱世の時代背景、登場人物たちの生き様、話の展開など話題は尽きない。途中、うっかり青年がネタバレをしてしまい叢雲からお怒りを受けるなどのハプニングもあったが、それでも話が途切れることは無く、一人と一艦は互いに意見を交換し合った。

 そんな中、少しずつ小説を読み進めていた叢雲の目にある文章がとまる。別々の土地で生まれ育った三人の若者たちが、一堂に集い言葉を交わす山場のシーン。そこでのやり取りが、つい数時間前に見たル級とタ級のやり取りと実に似ていたのだ。熱く語らう若者たちにル級たちの姿を重ねる叢雲。深海棲艦が世の未来を案じる様は実にシュールで、想像した叢雲自身もあまりの不釣合いっぷりに思わず苦笑いをこぼす。

 しかし、そんな話があってもいいのかもしれないと叢雲は思った。現実に起これば目を背け逃げ出したくなるような事態ではあるが、作り話としてなら見てみたい。『義』と『愛』の名の下に集った戦国武将ならぬ、『義』と『愛』の名の下に集った正義の深海棲艦たちの姿。

 背もたれに寄りかかりながら執務室の天井を仰いだ叢雲は、わざとらしく言葉を発した。

 

 

「ル級とタ級が『義』や『愛』で動くのなら、もう一艦くらい同じような理由で動く艦艇がいてもおかしくないわね」

 

 

 この言葉は叢雲自身も特に意識して言った訳ではない、会話を盛り上げる軽い冗談のつもりだった。

 

 

「だとしたら誰がどの役をやるんだ?活発なル級は『真田』だろ。沈着ぽい雰囲気のタ級は『石田』……。あとは『直江』か」

 

 

 そして、それは青年も同じだった。

 

 

「深海棲艦にル級とタ級以外の戦艦型なんていたかしら?」

「そういや聞いたことないな。だとすれば、戦艦以外の艦艇が『直江』役をやるのか?」

「そうね、それなら……って、ただの冗談に何マジになっちゃってんのよ。馬鹿らしい」

「ちょっ、お前が話しを振ってきたんだろうが!」

 

 

 だがしかし、この何の変哲も無い些細な冗談が後に現実のものとなる。ル級ともタ級とも違う、『戦艦』の名を冠する深海棲艦が青年の下を訪れるのは、もう少し先の話だ。

 

 




あけましておめでとうございます。

 この物語を書き始めてまだ数か月ですが、予想以上の評価に正直驚いております。今更ではありますが評価してくださった皆様、本当にありがとうございました。
 基には艦隊の存在があるというのに戦闘描写やシリアスシーンがほとんど無いってのはどうなの?と思うかもしれませんが、シリアス要素は他の小説に任せて、自分はこれからも自分のペースでダラダラと書き続けていこうと思います。


この小説ではチリヌルヲ以外の深海棲艦が主役になることはありませんのであしからず。



次回・・・叢雲、小説を書く。


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着任十三日目:叢雲、小説を書く (前)

飛龍だ!俺が欲しいのは飛龍なんだ! 蒼龍でも天龍でもない!


一万文字超えていたので分割しました。


 事の発端は、ブイン基地の波止場を散歩していた叢雲と、その前方に屯していた三艦の艦娘との出会いだった。

 毎日青年の補佐や深海棲艦たちの教育などで、出撃の合間も休みなく働いていた叢雲。このままでは疲労が蓄積して体調を崩してしまう、と青年に四日の非番を言い渡され、叢雲はしぶしぶといった形で司令部を追い出された。

 命令だから仕方がない、と事前に立てていたスケジュールを全て白紙に戻した叢雲は、波止場沿いに歩きながら今日一日の予定を頭の中で組み始めた。しかし、いざ考え始めると中々考えがまとまらない。

 基地内に時間を潰せる便利な娯楽施設などほとんど無く、ぱっと思いつくものと言えば補給艦『間宮』の作る料理や甘味くらいだ。知り合いの艦娘の司令部を見学するのも一つの手だが、事前連絡もなしにいきなり訪れるというのも気が引ける。もういっそのことずっと散歩でもしていようか、と叢雲が考え始めたその時、彼女の前方に三艦の艦娘が見えた。

 全体的に白を基調としたセーラー服。地面すれすれまで伸びた真っ直ぐな長髪。毛先に向かうに連れて青から水色へと変色していく独特な髪色。叢雲は視界に映った一艦が、顔見知りである白露型駆逐艦の『五月雨』だと認識した。

 続けて、叢雲は五月雨の目の前にいるニ艦の艦娘へと視線を向ける。両艦共に黒を基調とした服装だ。片方は頭の上に黄色い輪っかを付け、もう片方は左目に眼帯と頭の側面から上に向かって伸びる角(つの)のような物を付けている。

 

 

(あれは……天龍型軽巡洋艦の『天龍』と『龍田』?五月雨ったら、一体何をしているのかしら)

 

 

 遠くから三艦の様子を伺うことにした叢雲は、ゆっくりと歩きながら三艦の動向をうかがう。天龍は腕を組みながら五月雨を見下ろし、それに対して、五月雨は肩をすぼめながらうつむく。その姿は、目の前の天龍に萎縮しているように見える。

 もしかして、五月雨は今何らかのトラブルに巻き込まれているのでは。そう考えた叢雲は、早足で五月雨の下へと向かった。

 

 

「アンタたち、一体何をしているのかしら?」

「っ!いえ、別に何も……って叢雲さん?どうしてここに……」

「あん?誰だお前」

 

 

 天龍と五月雨の間に割って入った叢雲は、目の前のニ艦を威圧しながら声を発する。

 

 

「私は叢雲。後ろにいる五月雨とは知り合いよ」

「俺の名は天龍。天龍型軽巡洋艦の一番艦だ。で、一体何の用だ?」

「別に。ただ見覚えのある後姿が見えたから、声をかけただけよ?」

「ハッ、用が無ぇならとっとと帰れ。邪魔だ」

「それはこっちの台詞だわ。久しぶりの再会が台無しになってしまうから早々に消えて頂戴。目障りよ」

 

 

 天龍と叢雲の視線が激しくぶつかり合い、周囲は瞬く間に険悪な空気へと包まれた。突然現れた叢雲に驚き、あっという間に進展した状況に慌てふためく五月雨だったが、叢雲が自分をかばうように右手を真横へ上げているのを見て一つの答えを導き出す。

 もしかしたら間違っているかもしれないが、今の険悪な空気が続くよりはよっぽどマシだ、と五月雨はにらみを利かせる叢雲の肩を掴んだ。

 

 

「か、勘違いですよ叢雲さん!私はいじめられてなんかいません!」

「……え?」

 

 

 五月雨は勘違いしていであろう叢雲のために、事のあらましを一から説明し始める。

 まず始めに、五月雨は自分と天龍と龍田は同じ司令部に着任していることを説明した。同じ艦隊で仲良くやっていることを強調しながら説明するが、それでも半信半疑な様子の叢雲。そこで、五月雨は今の現状を打破する決定的な証拠品を懐から取り出すことにした。

 それは、天龍が書いた『小説』だった。五月雨が小説を取り出した瞬間、天龍は顔を真っ赤にしながら慌てて五月雨から小説を取り上げようとするが、突然背後に現れた龍田に取り押さえられてしまう。天龍がわめき散らす中、小説は五月雨から叢雲へと渡った。

 五月雨は続けて説明する。天龍が今、小説を書くことにはまっていること。そのことを知ってるのは龍田と自分だけだということ。まだ他所に見せるのは恥ずかしいから、ここで身内だけのお披露目会を行っていたこと。羞恥心で頭が爆発しそうな天龍のことなどお構いなしに、五月雨は叢雲に全てを話した。

 すでに天龍の精神はズタボロの状態だった。もう声を発することも出来ず、目を瞑って震えることしか出来ない。もういっそのこと殺してくれ、と切に願う天龍だが、そこへ五月雨から更なる追い討ちがかかる。

 

 

「そうだ!せっかくだから叢雲さんも読んでいきません?天龍さんの小説!」

(やめろっ!もうやめてくれ!!)

 

 

 羞恥心で動かなくなった口をぎゅっとつぐみながら、天龍は心の中で何度も叫び続けた。

 

 

 

 

 

タイトル:天駆ける龍

 

 俺の名は龍天。金さえ貰えばなんでもやる、いわば何でも屋ってやつさ。周りの奴らは俺の事を『最狂』だとか『天災』だとか言っているが、そんなこと知ったこっちゃねえな。俺は金さえ貰えば何でもやる何でも屋。それ以上でもそれ以下でもねえ。

 俺は今ある秘密組織を追っている。秘密裏に法外な人体実験を繰り返し、実験体を野に放ち関係ない奴らを巻き込んでデータを取っている下種な連中さ。まあ、誰が死んだとか誰が傷ついたとか俺にとっては同でもいい話だが、金を貰った以上仕事はきっちりとこなす。それがプロだからな。っつーわけで、早速お仕事と行きますか。

 俺は目の前にある巨大な鉄製の扉を蹴破り、正面から堂々と連中の施設内へと足を踏み入れた。

 

「な、何だ貴様!ここがどこだか分かっているのか!?」

「見たことのねえ動物がうじゃうじゃいる摩訶不思議な動物園だろ?さーて、死にたくなかったら手前らの親玉の所まで案内しな?」

「……こっちだ。」

 

 白衣を着た小汚ぇオヤジの後ろを歩くこと数分、俺は秘密組織の親玉と対面した。

 

「アンタがここの親玉かい?」

「ああ。我は覇王。貴様の名は知っているぞ龍天。数日前から我々組織に付きまとっていた目障りな奴だ。」

「さっすが秘密組織!情報収集能力はぴか一だな。」

「ふん、それでお前は何をしにきた。」

「ちょっと、この組織をぶっ潰しに来た。」

 

 俺は腰に差してあった愛刀『牙龍焔神』を抜き、目の前にいる覇王へと向かって突進した。

 

 ザンッ!

 

 俺は牙龍焔神を勢いよく振りぬいた。しかし、そこに覇王の姿はなかった。刹那、背後から殺気を感じた俺は大きく跳躍しその場から大きく距離をとった。

 

「ふん、今のを避けるとは。貴様、中々やるな。」

「てめぇもなおっさん。だが次は避けられねえぜ!」

 

 俺が牙龍焔神に『龍気』をこめると、牙龍焔神の刃が真っ赤に燃え出した。俺の牙龍焔神の刃に使われている『金剛鉄』と呼ばれる特殊金属は『龍気』を溜め込む性質がある。そこへ、俺の中に眠る『天龍神』の無尽蔵の『龍気』が加わり無限の力を生み出す。

 しかも、ただ刃にまとわせるだけではなく、『龍気』の形を変化させてさまざまな武器に変形させることも出来る。大槌や鎌などの近接武器のほかにも、『龍気』を発射する銃や大砲にだって変形できる。俺がその気になれば雲どころか月まで真っ二つに出来ちまうが、それやっちまったらお月見が出来なくなっちまうからな。俺なりの配慮ってやつだ。

 

「ハァッ!」

「フン!」

 

 俺の斬撃を覇王は紙一重で避けると、俺に向かって拳を繰り出してきた。はっ、そんなのろまな拳じゃ俺は捉えられないぜ!俺は拳をかいくぐり、下段から覇王を切り上げた。

 

「甘いわ!」

「んなっ!?」

 

 だが俺の斬撃はまたしても阻まれた。覇王の丸太のような巨大な脚が、俺の牙龍焔神の柄を押さえつけたからだ。そして、それに気を取られた一瞬の隙に、覇王は俺の顔に隕石のような凄まじい拳を叩き込む。俺は激しくぶっ飛ばされ、鉄製の壁に激しく叩きつけられた。

 

「ふん、その程度の実力で我を倒そうなど百年早いわ。」

「ぐっ……仕方ねえな。手前如きに『限界開放』を使うことになるなんて思ってもいなかったが。」

「『限界開放』だと!?貴様!自身の力を百分の一に押さえ込んでいたとでも言うのか!?」

「ああ!これで百年分の強さは手に入れたぜ!さあ、こっからが本番だ!」

「ふむ、ならば我も本気をだそう。」

「何!?手前も本気じゃなかっただと!?」

「フハハハハ!見るがいい!これが、全世界を恐怖のどん底に叩き込んだ最強の力だあああああああああ!!」

 

 

 

 

 

 ぺらり。

 

 原稿用紙を半分ほど読み終えたところで、叢雲はページをめくった。叢雲の頭がこれ以上の情報の流入は避けるべきだと警報を鳴らしたため、彼女の腕が反射的にページをめくったのだ。

 しかし、物語の一部を見ただけでその物語の全てを知った風な口を利くことはしたくない叢雲。ちゃんと全てを読み解き、いい所や悪い所をしっかりと見極めてから意見を言うべきだ。妙なところでプライドの高さを発揮した叢雲はめくったページを戻し、再び黙読を再開した。そう、これはまだ一ページ目。ここから話が発展し、読者を唸らせるような展開になっていくかもしれない。わずかな希望を胸に抱きながら、一ページ目を読み終えた叢雲は次のページをめくった。

 そして数分後、叢雲の希望は見事に打ち砕かれた。読んでいる途中で薄々感づいてはいたが、それでも一応最後のページまで目を通した叢雲。ふう、と小さくため息をついた彼女は頭に溜め込んだ情報を統合し、天龍の小説に対する評価を下す。

 天龍の小説は主人公の『龍天』と、秘密結社の親玉である『覇王』との戦いを描いた物語である。ストーリーは最初から最後まで一貫性のあるもので、途中で話が脱線することも無いとてもシンプルな内容だ。

 あの口うるさい叢雲が唸るほど、天龍の小説の出来は別次元の領域に達していた。

 

 

(何で最初から最後まで戦闘しかやってないのよっ!!)

 

 

 下の下。それが叢雲の下した評価だった。

 一貫性があり、途中で話が脱線することもない。それもそのはずだ。最初の一ページ目から開始された戦闘が、一番最後のページまでひたすら続けば話が脱線することなどありえない。

 内容も主人公がパワーアップすれば敵もパワーアップという展開の繰り返しでいまいち盛り上がりに欠ける上に、文章内に散りばめられた専門用語の数々に関しては解説が一切無いため、突然の窮地や謎の逆転劇が起こる度に読み手側は何度も置いてけぼりを食らってしまう。わりと読み物が好きな叢雲だが、苦痛のあまり心の中で唸り声を上げたのは初めての経験だった。

 一体天龍は何を表現したかったのだろうか、と叢雲は眉間にしわを寄せながら目の前の天龍を見た。最初は顔を真っ赤にしたまま龍田に取り押さえたれていた天龍も、時間が経つに連れていつもの調子を取り戻し、今では得意げな顔で叢雲の感想をまだかまだかと待ち構えている。

 その自信は一体どこから湧いて来るんだ。天龍の自信に満ちた表情を見て怒りのボルテージが一気に上がった叢雲は、自分の中で渦巻く思いの丈をぶちまけようとした。しかし、突然突き刺さった鋭い視線が、叢雲の喉下まで上がってきた言葉を詰まらせる。

 視線の正体は天龍の背後にいる龍田だった。ニコニコ笑っていた龍田の目がうっすらと開き、瞳が鈍い輝きを放つ。龍田からいきなり威圧され戸惑う叢雲だが、軽巡洋艦程度の威圧でひるみはしない。叢雲は喉元で詰まっている言葉を吐き出そうと再度口を開く。

 しかし次の瞬間、さらに視線を鋭くした龍田が強烈な威圧感を放ち始めた。今度の龍田の豹変にはさすがにたじろいだ叢雲。口から出かかった言葉を飲み込み、叢雲は豹変した龍田へ視線を向けた。龍田は声を発さずに、口をパクパクと動かす。それを見た叢雲の顔は驚愕に染まった。

 

 

(ほ、褒めろですって!?)

 

 

 龍田の唇の動きから叢雲が読み取った言葉は「褒めろ」の三文字。龍田は叢雲の口から酷評が出てくることを察知し、その酷評が天龍の耳に届く前に封殺してしまおうと行動を起こしたのだ。

 龍田の放つ威圧感に圧倒された叢雲は慌てて天龍の小説のいいところを探し出す。しかし、いくらがんばって思い出しても、浮かび上がってくるのは悪い部分ばかり。かろうじて褒められる点と言えば、小説の合間で出てきたオリジナル造語くらいだ。

 このままでは龍田に何をされるか分からない。危機感を覚えた叢雲は一度頭を冷やし冷静に小説を見返す。何か、何か無いか。どこかに見落としている部分が無いか。だが冷静に見れば見るほど、褒めるべき点が見つからないという事実だけが浮き彫りになる。

 ああ、もう!何で私がこんな目に、と完全に調子を崩され苛立つ叢雲。しかし、その時だ。叢雲の中で芽生えた苛立ちが、叢雲をある真実へと導いた。

 

 

(何で私が、たかが軽巡洋艦を相手にビクビク怯えなければならないの?)

 

 

 誰が相手であろうと不敵に堂々と立ち向かう。自己保身のために自分の意思を曲げるようなことは絶対にしない。叢雲はそういう艦艇だったはずだ。

 

 

(この駄作を褒める?私が?……ありえないわ、断じてありえない!私は既にコレを駄作と決めた。その決定に変更はないわ!)

 

 

 龍田の呪縛から解き放たれ、完全に目が覚めた叢雲。もう彼女に迷いは無い。龍田の監視の目が光る中、大きく深呼吸をした叢雲ははっきりとこう言った。

 

 

「最悪ね。この話の一体何が面白いのかしら?」

「なっ、何だと!?」

 

 

 叢雲の言葉を聞き激高した天龍は叢雲に食って掛かる。それに対し、叢雲は頭の中に溜め込んだ情報を全て装填。天龍に向かって一斉『口』撃(いっせいこうげき)を仕掛けた。

 叢雲の口撃が被弾するたびに、うめき声を上げながら苦しい表情を浮かべる天龍。世界水準を軽く超えた装備も、叢雲の口撃の前では何の役にも立たない。なすすべなく口撃を受ける天龍の顔は瞬く間に真っ赤に染まり、眼帯のついていない右目の目じりにはうっすらと涙がたまり始めた。

 そして、天龍の目じりにたまった涙がぽろりとこぼれ始めたところで叢雲は正気に戻った。白熱しすぎて結構、いやかなり強い口調でダメだしを入れてしまっていたが、まさか天龍が泣き出すとは思ってもみなかった叢雲。肩を震わせながら声を押し殺し静かに泣く天龍の姿を見て罪悪感が湧いてきた叢雲は、大急ぎで小説の内容を思い出しフォローの内容を考える。静かに泣く天龍。口ごもる叢雲。唖然としている五月雨。場に嫌な沈黙が流れ始めた。

 しかしそんな中、突然一艦の艦娘がおっとりとした口調で言葉を発した。

 

 

「そうだ天龍ちゃん。せっかくだから叢雲ちゃんにお手本書いてもらいましょう」

 

 

 言葉を発したのは叢雲の口撃が始まってから一度も口を開かなかった龍田だった。

 いきなり龍田から出てきた突拍子も無い言葉は、その場にいる全ての艦娘を置き去りにした。まったく予想だにしない言葉に、叢雲はしばらく呆然とした。頭の中で龍田の言葉を反復し、ようやく言葉の意味を理解した叢雲は慌てて龍田に反論する。何故自分が小説を書かねばならないのかと。

 龍田は鈍く輝く半開きの瞳で叢雲を捉え、意味深な笑みを浮かべながら答えた。

 

 

「一度教鞭を取ったのなら、最後まで責任を持って指導をするのは当然よねぇ?未熟な生徒を導くのも、先生の立派な勤めだと思うのぉ」

「はぁ!?私がいつソイツの先生になったって言うのよ!?」

 

 

 確かに、天龍にダメだしをしている最中に文章だの心理描写だの色々と説教じみたことは言っていた。しかし、だからといっていきなり先生扱いするというのはどうなのだろうか?自分は感想を求められたから対応しただけであって、指導や教育をした覚えは無い。叢雲は龍田の理不尽な言い分に対して抗議する。

 

 

「フッ……フハハハハ!そうだ、お前も書いてみろ!俺の小説をあれだけボロクソにこき下ろした、いや、熱心に指導してくれんだ!ここは一つ、先生のお手本ってヤツを見せてくれよ!」

「ぐっ、ぐぅう~!」

 

 

 しかし、叢雲の抗議は届かない。龍田の援護を受けて再び調子に乗り出した天龍が叢雲を挑発し、挑発に乗った叢雲が言い返し、それに対して天龍が更に挑発する。もやは、売り言葉に買い言葉で泥沼と化してしまったこの状況から脱出不能となった叢雲。彼女にもう逃げ場は無い。

 そして、ついにその時は来た。度重なる天龍の挑発が、叢雲の中で切れかかっていた堪忍袋の尾を完全に切った。

 

 

「いいわ!そこまで言うのなら書いてあげる。四日後、今と同じ時間にここへ来なさい!」

 

 

 そう言って天龍、龍田、五月雨に背を向けた叢雲は、真っ新(まっさら)だった自身の予定表に新たな予定を追加するのだった。

 

 




次回・・・叢雲、小説を書く (後)


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着任十三日目:叢雲、小説を書く (後)

資材が……資材が貯まらないでござる……


 

「実体験、実体験ねぇ……」

 

 

 机に向かい、真っ白な紙を眺めながら叢雲は青年の言葉を思い出す。

 

 天龍、龍田、五月雨と別れた後、叢雲はすぐに司令部へと戻り自室に篭った。絶対に天龍よりも面白い作品を作る、と意気込んで執筆を始めたはいいものの、実際に書いてみると中々筆が進まない。小説を読むのと書くのとではここまでの違いがあるのか、と叢雲は想像以上の苦労に頭を悩ませていた。

 とりあえず参考になりそうな資料を探そうと、青年の執務室へと向かった叢雲は、執務室で休憩中の青年と出会う。丁度いい、と叢雲は参考になりそうな小説を探すついでに、青年にもし自分が小説を書くとしたらどうするか意見を聞くことにした。

 叢雲自身が小説を書く、と正直に言うのは恥ずかしいので、知り合いの艦娘が小説を書いているという体(てい)で話を進める叢雲。今の現状をぼかして説明し、青年に意見を求めた。もし短時間で完成度の高い小説を書くとしたら、青年はどうするか、と。

 

 

「短時間で完成度の高い小説を書きたいって贅沢な話だなぁ。んー、そうだな……自分の実体験とかを基にする、かな。空想の話を一から作るのは大変だけど、実体験ならある程度話もできてるでしょ?あとはそこに脚色を加えたりとか……」

 

 

 確かに、それならある程度シナリオも出来上がっているし、実体験だから話の全貌もあらかた把握できている。これなら何とかなりそうだ、と青年に礼を言った叢雲は本棚から小説を数札持ち出し自分の部屋に戻っていくのだった。

 

 そして現在、叢雲は青年のアドバイスを元に小説を書き始めていた。

 自分の実体験。叢雲がその言葉で真っ先に思い浮かべたのが、深海棲艦との出会いだ。おそらく、いや、絶対に他の艦娘では経験できないようなことを自分は経験している。この強みを生かすべきだと考えた叢雲は、主人公を自分に見立てて深海棲艦たちとの出会いを文章として書き出していった。

 主人公の自分を人間に設定し、深海棲艦たちは人類に害のある存在、参考資料として持ち出した小説に書いてあった『魔物』という存在にしよう。ある日怪我をしている魔物を見つけ、治療したらなつかれた。そして、それから引き寄せられるように魔物たちが自分の下へとやってきて……。

 一度走り出した筆は止まらない。調子付いてきた叢雲は軽快に筆を走らせ、あっという間に一ページ目を書き終えた。その後も途中でオリジナルの設定を加えてみたり、出会い方を少し変えてみたりと自分なりのアレンジを混ぜながら筆を進めていく叢雲。順調に書きあがっていく原稿を見て、叢雲は自分が思っていた以上の作品が出来上がることを期待するのだった。

 しかし、二日後。叢雲の筆はぴたりと止まった。物語は終盤に差し掛かり、いよいよクライマックスの場面といったところで、叢雲はあることに気づいたのだ。

 

 

「これ……矛盾していないかしら?」

 

 

 そう、途中でオリジナル設定に懲りすぎた結果、話の大筋とのつじつまがあわなくなったのだ。

 叢雲は大慌てで設定とシナリオを修正し、途中まで書いた原稿をゴミ箱へ捨てると、新たな紙を取り出し筆を走らせる。しかし、一つを修正すればまた別な所で矛盾が生まれ、新たに生まれた矛盾を修正すれば別な場所で矛盾が生まれる。一向に改善しない文章に、叢雲は苛立ちを感じていた。

 このままではダメだ、イライラで頭が回らなくなっている今の状態では現状を打破できない。そう悟った叢雲は一度大きく深呼吸をすると、右手に持っていた筆を机に置いた。現時刻は正午。約束の日は明日。まだ時間は十分にある。今は休むことに専念して、文章はまた後から考えよう。

 叢雲は椅子に座ったまま大きく伸びをした後、うなだれるように顔を机に伏せた。そして、そのまま左頬を下にし、叢雲は机の冷たさを感じながら山積みになった資料用の小説を眺める。今叢雲の視線は、ある一つ小説に集中していた。

 叢雲の視線の先にあったのは『恋愛小説』だった。何故こんなものが青年の部屋に、と最初は半ば興味本位で持ち出した小説だったが、一度目を通してみるとこれが中々面白く、結局最後まで読みきってしまった叢雲。その後も、小休憩や気分転換を挟むたびに読み返したりと、叢雲は執筆中にも関わらず『恋愛小説』という別の事柄に興味を持ってしまったのだ。

 そしてその結果、書いている小説がおろそかとなり、今色々と苦労する羽目になっているのだが、それを本人は知る由も無い。

 

 

「恋愛……か……」

 

 

 そうつぶやきながら、叢雲は新たに取り出した真っ白な紙に筆を走らせる。心の中で「これは気分転換だ」と言い訳をしながら、叢雲は自分の頭の中で思い描いた新たなストーリーを書き出していくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ヘッ、逃げずによく来たな。褒めてやる」

「…………」

 

 

 四日前の約束どおり天龍、龍田、五月雨の三艦と叢雲は再び対峙した。

 腕を組みながら仁王立ちする天龍は、叢雲が手に持つ紙の束を見て鼻息を鳴らすと、大きく開いた右手を叢雲に向かって突き出した。

 

 

「じゃあ、早速その紙を渡してもらおうか」

「…………」

 

 

 対する叢雲は、天龍の言葉を聞いて顔を赤くした。四日前は堂々と天龍と目を合わせていた叢雲だったが、今はどういうわけか視線を合わせようとしない。しきりに視線を泳がせどこか落ち着かない様子だった。

 叢雲の様子を見た天龍は叢雲の心境を理解していた。叢雲も自分と同じで、初めて書いた小説を他人に見せることに抵抗を感じているのだろうと。だが容赦はしない。宣言した以上、約束は守ってもらう。にやり、と嫌な笑みを浮かべた天龍は叢雲に向かって言葉を発した。

 

 

「フフフ、怖いのか?嫌なら逃げてもいいぞ?」

「っ!……ぐっ……」

「もし見せたくないのなら……そうだな、『偉そうなことを言ってすみませんでした』って頭を下げろ。そうしたら見逃してやるぞ?」

「~~~っ!だ、誰がアンタなんかに!欲しけりゃくれてやるわよこんなもの!!」

 

 

 叢雲は右手に持っていた紙の束を天龍に押し付けると、早足でその場を去っていった。叢雲の後姿を勝ち誇ったような顔で眺めた天龍は視線を手元の小説へと移し、龍田、五月雨のニ艦も交えて、その場で鑑賞会を始めるのだった。

 

 

 

 

 

タイトル:月に叢雲花に風

 

 私には夢があった。司令部の主力である第一艦隊に籍を置き、威厳ある提督の下で幾多の任務をこなし、いずれ後世に語り継がれるような戦歴を残す。もう何度想像しただろうか。寝る前に頭の中で何度も思い描いた私の未来予想図。

 司令部への着任を控える周囲の娘たちは「提督に愛を捧げる」だとか、「一目惚れしたらどうしよう」だとか言っているが、その言葉を聞いた私は「くだらない」と内心呟く。

 私たち艦娘が提督に服従するのは当然の事で、愛を捧げようが一目惚れしようが関係のないことだ。その『愛』だの『惚れる』だのが加わることで何かが変わる、そう、劇的に世界が変わるような効果が出るのであれば話は別だが、たかが気の持ちようで世界が劇的に変わるなどあり得はしない。無駄に気を張って疲れるだけだ。

 彼に出会うまで、私はそう思っていた。

 

 

「よろしく。これから一緒にがんばっていこう」

 

 

 最初は何が起こったのかまったく分からなかった。ただ彼の前にいると何故だか恥ずかしい気持ちになって、いつも以上に自分の身なりを気にしたことは覚えている。

 熱を帯びた私の顔を見て、彼は私の事を変に思っていないだろうか。瞳がうっすらと潤んでいることに気づかれていないだろうか。この騒がしい鼓動は外まで聞こえていないだろうか。私は自分の身に起きた異常事態に対処するのが精一杯で、彼の口にした言葉のほとんどを右から左へ受け流していた。

 司令室を後にした私は真っ先に自分の部屋へと向かい、部屋に入り扉に鍵をかけた。そしてそのまま扉に背を預け、自分の中で渦巻く熱を冷ますように大きなため息を漏らす。耳障りなほど高鳴る胸の鼓動を沈めようと両手で胸を押さえつけるが、その行為自体に意味は無い。ただ、私は自身の身に起きた現象を認めたくなかった。

 私の動悸がおかしくなった原因、それは既に分かっていた。彼の顔が頭をよぎる度に高鳴っている私の鼓動がいい証拠だ。異性に対して顔を赤くし、胸を高鳴らせる。知識では知っていたが、まさか自分で経験することになろうとは思ってもみなかった。

 

 私は、彼に恋をした。それも一目惚れだ。

 

 その事実がどこか恥ずかしくて、私は布団の上で体を丸める。

 私は必死に否定した。こんなことあるはずが無い。あんなぱっとしない男に恋心を抱くなんてありえない。何度も何度も、頭の中で自分に言い聞かせ平静を装う。これは何かの間違いで、私の本当の気持ちではないのだと。

 でもふと気がつけば、彼の姿を目で追っている自分がいた。彼に褒められ、思わず顔を綻ばせる自分がいた。彼の事を放っておけない自分がいた。否定すれば否定するほど、私は彼に好意を抱いているのだと自覚させられる。いつの間にか、私は自分の気持ちを否定しなくなっていた。

 最初は思った。何故、私はこんな男を好きになったのだろうと。彼が有能でないことは一目でわかった。明後日の方を向いた部隊運用。後先を考えずに資材を浪費し、報告書にいたっては誤字だらけ。唯一の取り得と言えば、相手の言うことを素直に聞いて学習するところだろうか。私の口うるさい指摘を嫌な顔一つせずに聞き、自分の誤りを訂正してくれる。私の言葉で一喜一憂する彼の表情はとても魅力的で、それだけで、何故自分がこんなヤツを、という疑問はどこかへ吹き飛んでしまった。

 今なら分かる。あの娘たちが言っていた言葉の意味が。『愛』だの『惚れる』だのがどれほど重要な要素なのかを身をもって経験したからかそ、はっきりと理解できる。認めざるを得ない。だって私の世界が、こんなにも劇的な変化を遂げたのだから。

 一日が過ぎてゆく度に変わっていく私の世界。自分の思い描いた未来予想図からどんどんかけ離れていくにも関わらず、私はこんな生活も悪くは無いと思っていた。ぼけっとした顔の彼が隣にいて、それを私が注意して、苦笑いをしながら雑務をこなす。主従と言うよりも友達に近い彼との距離感を、私は心地よく感じていた。

 

 だからこそ、私は自分の想いを口にしない。口にできない。

 

 私は彼から拒絶されることを恐れた。表面上では私の言うことを素直に聞き入れてくれてはいるが、内心では口うるさい自分の事を嫌っているのではないか?そもそも、私は彼の眼中に入っていないのではないか?真実を知るのが怖い。今の関係が崩れてしまうのが怖い。でも、彼が自分の事をどう思っているのかは知りたい。私の中で渦巻く二つの矛盾した気持ちが、私の頭を混乱させた。

 元々、自分が素直じゃない性格だというのは分かっている。彼に面と向かって「自分の事をどう思っている」とは口が裂けても聞けないし、聞きたくもない。もし、彼の口から自分を否定するような言葉が出てきたら、私はきっと立ち直れないから。でも、逆に私に好意を持っている言葉が出てくる可能性も捨てきれず、どっちつかずの私は悶々と悩み続ける。その日、私は初めて夜更かしをした。

 そして私は決意した。彼の前では優秀であり続けることを。言葉を口にしてもらわなくてもいい。少しでも自分の評価を上げ、頼られ、良く見てもらえればそれでかまわない。自分のいいところだけを見せて、自分の悪いところはひた隠しにする。過去の自分が今の私を見たら、きっと馬鹿にするだろう。何を腑抜けたことをやっているのだと。

 でも、私の世界は変わってしまったのだ。私の世界の中心には彼がいる。彼がいるから、私は戦える。『愛は沈まない』のだと、堂々と言うことが出来るだ。かつて寝る前に頭の中で思い描いていた未来予想図は、既に彼と共に過ごす幸せな日々の妄想で塗りつぶされていた。

 私と彼、艦娘と提督の関係がいつまで続くかは分からない。出会いがあれば別れもある。いずれ私たちの関係も終わる日が来る。その日が来るまで、私は彼に頼られる存在であり続けよう。

 

 でもいつか、いつか本当の自分を見せられる日が来ますように。そう願いながら、私は今日も彼の隣で歩みを進める。

 

 

 

 

 

 ぺたん。

 

 突然、天龍は原稿を半分に折りたたんだ。読み終える前に突然原稿を折りたたまれ、一緒に読んでいた五月雨や龍田からは抗議の声が上がる。

 

 

「べっ、べべべ別に今急いで読む必要はねえだろ!?と、とりあえず、俺は用事を思い出したから先に帰るぞ!」

 

 

 上ずった声でそう言い残し、その場から全速力で去っていく天龍。その場にぽつんと取り残された五月雨と龍田は顔を見合わせると、互いに苦笑いをこぼした。

 

 

「なんていうか、分かりやすいですね」

「この程度で顔を真っ赤にするなんて、天龍ちゃんったら純情なんだから」

「でも意外でした。叢雲さんのことだから、てっきり天龍さんに対抗したジャンルで挑んでくるものだとばかり思っていたんですけど……」

「何かトラブルでもあったのかしらぁ?」

 

 

 その通り。五月雨の予想も、龍田の予想も完全に的を射ていた。

 確かに、叢雲は天龍に対抗して冒険物の小説を書いていた。しかし、途中から叢雲の興味を惹いた『恋愛小説』の存在が、叢雲のスケジュールに大きな狂いを生じさせたのだ。

 息抜きのつもりがいつの間にか本気になっていた。誰しも一度は経験したことがあるこの怪現象を、叢雲は数時間前に身をもって経験した。最初は息抜きのつもりで書き始め、「適当に一時間くらいで切り上げれよう」と考えながら筆を走らせていた叢雲だったが、いつの間にか時間を忘れるほど没頭してしまい、恋愛小説を書き終えた頃には既に日付が変わってしまっていたのだ。

 予想外の時間経過に驚いた叢雲は慌てて執筆作業を再開したが、矛盾点の修正やらシナリオや設定の変更やら焦りやらで執筆は思うように進まず、結果として、叢雲は小説を書き終えることが出来ないまま朝を迎えた。

 約束の時間まで後一時間。叢雲は今からこの小説を書き終えるのは不可能だと悟る。プライドの高い叢雲に未完成品を他所に晒すような真似は出来ない。だが書くといった手前、手ぶらで待ち合わせの場所へ向かうことも出来ない。一体どうすれば。刻一刻と迫る約束の時間を前に、叢雲の焦りはピークに達していた。

 その時だ。ふと、叢雲の視界の隅にあるものが映った。そしてそれを見た瞬間、叢雲はある一つの突破口を見出した。

 

 

「……これなら!」

 

 

 叢雲の目に映ったのは、気分転換で書いた恋愛小説だった。この小説ならば最後まで完結しているし、未完成品を持っていくよりは幾分かマシだろう。すぐさま恋愛小説の原稿を手にした叢雲は、そのまま部屋を出て行こうとドアノブに手をかけた。

 

 

(だけど……これを……これを見せる……?見せていいの?)

 

 

 ドアノブに手をかけたまま、叢雲の動きはぴたりと止まった。叢雲の中にあった『ある考え』が彼女の行動に歯止めをかけたのだ。

 叢雲はこの恋愛小説が出来上がるまでの経緯をなぞる。叢雲は最初、恋愛小説をどんな風に書けばいいのか分からなかった。だから、青年に言われた「自分の実体験を基にする」というアドバイスに従って書いてみることにしたのだ。そう、叢雲がこの司令部に着任して、そして経験した初めての……。今自分が手に持っている小説が、自分の内に秘めた想いを赤裸々に語っている小説だということを思い出した叢雲は顔を真っ赤に染めた。

 二者択一。未完成品を持ち出し天龍に馬鹿にされるか、自分の内に秘めた想いを人前に晒すか、叢雲は自身から重要な選択を迫られる。

 

 

(……そうよ。これは私じゃなくて、あくまで物語の主人公の気持ち。そう、これは私の気持ちじゃない。だから……だから大丈夫)

 

 

 主人公のモデルが誰かなんて、読み手には分からないだろう。そうタカをくくった叢雲は、恋愛小説を手に約束の地へと赴き、天龍たちと対峙したのだった。

 だが、小説のタイトルが思いっきり叢雲の事を示唆するものだったため、読み手であった天龍、龍田、五月雨の三艦には主人公のモデルが誰なのかはっきりと伝わってしまったのだが、それは叢雲の知るところではない。

 

 この日、叢雲が青年の前に姿を見せることは無かった。ただ、叢雲の部屋から何やら悶絶するようなうめき声が一日中聞こえたそうだ。

 

 




次回・・・ブイン基地アイドル頂上決戦!~那珂ちゃん、暁に散る~


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着任十四日目:ブイン基地アイドル頂上決戦!

最近加賀さんが絶好調すぎてヤバイ。二代目赤城さんは……もう少し被弾しない努力をしてください。

追記:タイトル変更しました。


 その日、青年はいつも通りの一日を過ごしていた。

 いつもの時間に起き、いつもの時間に朝食を取り、いつものように雑務をこなし、そしていつものように司令部の資材難に頭を悩ませていた。駆逐艦イ級を用いた遠征部隊が加わったおかげで資材の減るスピードは減ったものの、依然として減少傾向にある資材。このままでは、そう遠くない未来に資材は枯渇してしまうだろう。何とか対策を立てなければ。静かな執務室で、青年は机に置かれた資料の数々とにらめっこを続けていた。

 しかしそこへ、どたどたと喧しい足音が近づいてくる。何かあったのだろうか、と書類から目を離した青年が執務室の扉へ顔を向けた次の瞬間。

 

 

「ちょっとコレ!コレ見なさいよ!!」

 

 

 バタン、と勢い良く扉を開けたのは、青年の秘書艦である叢雲だった。叢雲の右手には一枚の紙が握られており、紙面には鮮やかな色使いで描かれた文字が見える。青年は叢雲から紙を受け取り、紙面をまじまじと見つめた。

 

 

「『那珂ちゃん大感謝祭!』。横須賀鎮守府発の艦隊のアイドル『那珂ちゃん』がブイン基地にやってくる?」

 

 

 叢雲が持ってきた紙は、イベント告知のポスターだった。

 川内型の三番艦、軽巡洋艦の『那珂』がアイドルとしてブイン基地にやってくる。青年はそのことに対して特に疑問を持つことは無かった。何故なら、那珂がブイン基地建設以前から『艦隊のアイドル』を名乗り、既設の鎮守府でコンサートやショーを開いている事は提督たちの間でも話題になっているからだ。

 一体叢雲は何を必死になっているのだろうか。青年が眉間にしわを寄せながら紙面を眺めていると、見かねた叢雲が凄まじい勢いで青年が持つ紙の『ある部分』を指差す。次の瞬間、青年の顔が驚愕に染まった。

 

 

「な……んだと……?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 本日は晴天なり。絶好のイベント日和となった今日、予定通り『那珂ちゃん大感謝祭!』は行われることとなった。会場には沢山の艦娘たちが、トップアイドルの姿を一目見ようとひしめき合い期待に胸を膨らませている。

 そしてついにそのときは来た。ステージの左右端に設置された巨大なスピーカーから軽快な音楽が流れ出す。そしてその音楽に合わせるように、ステージ中央の入り口からニ艦の艦娘が姿を現した。彼女たちは今回のイベントの司会進行を勤める艦娘だ。

 

 

「皆さんこんにちわ。今日はお忙しい中、『那珂ちゃん大感謝祭!』にお越しいただきありがとうございます!私は司会進行を勤めさせていただきます『神通』と申します!」

「同じく、司会進行の『川内』!今日も飛びっきり最高のステージをお届けするから、最後まで見逃しちゃダメよ!」

 

 

 彼女たちの名は神通と川内。那珂ちゃんと同じ川内型の軽巡洋艦であり、アイドル那珂ちゃんのマネージャーでもある。

 ニ艦は会場にやってきた観客たちに感謝の言葉を述べた後、イベントの大まかな流れや注意事項などを説明。さすがは同型といったところか、息の合ったトークは所々で会場の笑いを誘った。

 

 

「んじゃ、固っ苦しい説明はこれで終わりと言うことで……」

「皆さんいよいよお待ちかね!このステージの主役の登場です!どうぞっ!」

 

 

 神通と川内の掛け声を合図に、ステージ中央の入り口に向かってスモークが噴出され入り口を覆い隠す。真っ白な煙幕に映し出されるのは一艦の艦娘の影。あのシルエットは、あの頭についた二つのお団子は間違いない。彼女こそ、下積みからチャンスを掴み、スターの座を駆け上がっている、艦隊のアイドル。

 

 

「やっほー☆皆元気ー?今日は那珂ちゃんのライブ、楽しんでいってねー☆」

 

 

 満を持して、那珂ちゃん登場。主役の登場により会場は凄まじい盛り上がりを見せた。憧れの存在を初めて近くで見た観客席の艦娘たちは黄色い歓声を上げ、ステージ上で手を振る那珂ちゃんを盛大に歓迎した。

 これまで幾多の経験を積んできた那珂ちゃんはその勢いを見逃さない。鉄は熱いうちに打て。勢いが冷めないうちに、一つ大きな花火を打ち上げてやろうと考えた那珂ちゃんはステージ脇に控えたスタッフに合図を出した。ステージ左右に設置されたスピーカーから明るいテクノポップ調の音楽が流れ出し、その曲調にあわせて軽やかな踊りを見せる那珂ちゃん。右手に持ったマイクを口元まで持ってきた彼女は、会場にいる観客たちに向かって元気な声で呼びかけた。

 

 

「それじゃあ早速一曲目いっちゃうよぉ!皆、しっかりついてきてね☆」

 

 

 いよいよ本格的に始まった『那珂ちゃん大感謝祭!』。那珂ちゃんの歌と踊りに魅了され、会場の観客たちはステージ上の那珂ちゃんに向かって精一杯の声援を送る。そして、イベントの主役である那珂ちゃんもその声援にこたえるように最高のパフォーマンスを披露。那珂ちゃんが持ち歌を全曲歌いきる頃には、会場の熱気は最高潮に達していた。

 会場にいる各々は思いを馳せる。今日は最高の一日だ。私は今日という日を一生忘れない。きっと明日の今頃には、今日のイベントの話題で盛り上がっているのだろう。会場にいる誰もが、今日のイベントの成功を信じてやまなかった。

 

 そう、この時までは。

 

 時間はあっという間に過ぎ、残るはメインイベントを残すのみとなった『那珂ちゃん大感謝祭!』。現在ステージ上ではメインイベントの準備が行われている最中のため、那珂ちゃんは舞台裏に戻って衣装直しを行っていた。

 

 

「え、一対一?」

「そうなんです。予選では沢山の娘たちがエントリーしてくれたんですが、何故かみなさん次々と棄権しちゃって。残ったのは一艦だけなんだそうです」

 

 

 ギリギリまで歌や踊りの練習を続けていたため、今日のステージの管理はほとんど神通と川内にまかせっきりだった那珂ちゃんは、その情報を今日初めて耳にした。神通は困惑した表情で予定表を那珂ちゃんに差し出す。予定表には、次のメインイベントに参加する艦娘の数は『一』と書かれていた。

 予定表を見た那珂ちゃんは一気にやる気を失った。次のイベントは訪れた鎮守府では毎回行っている、いわば恒例イベントと呼ばれるもので、参加者が多ければ多いほど盛り上がる目玉イベントの一つでもあったからだ。

 

その名も『アイドル頂上決戦!那珂ちゃんを倒すのは誰だ?』。

 

 訪れる予定の鎮守府に着任している艦娘たちに事前に参加を呼びかけ、予選を勝ち抜いた四艦の艦娘に那珂ちゃんを含めた総勢五艦で対決を行い、会場を訪れた観客たちに一番輝いていた娘を選出してもらうというイベントだ。

 ちなみに、那珂ちゃんを含めた川内型三艦は対戦相手の情報を一切知らない。事前に打ち合わせをしていたら『やらせ』を疑われる、と危惧した那珂ちゃんがこのメインイベントに限っては顔合わせを行わないと過去に決定したためである。

 「今日から私もアイドルに」や「那珂ちゃんと同じステージに立ちたい」など目的はさまざまだが、自分の目的を達成しようとこれまでに数多くの艦娘たちがエントリーしてきてくれた。そして、今回も同じような展開になるだろうと思っていたが、まさか一艦だけとは思ってもみなかった。張り合いのない戦いになりそうだ、とテンションだだ下がりの那珂ちゃんは大きくうな垂れた。

 

 

「こらっ!まだイベントは終わってないんだ。せっかく見に来てくれた客の前に、そんなしょぼくれた顔で出て行くつもりか?」

 

 

 ばしん、と落ち込む那珂ちゃんの背中を叩く川内。どんな状況であろうと会場を盛り上げる、それがプロってモンだろ?落ち込む那珂ちゃんをたきつけた川内は、準備が整ったステージ上に一足先に戻っていった。

 

 

「では私も行きます。那珂さん、お願いしますね」

 

 

 川内に続いて神通もまた、ステージへと歩みを進めた。

 舞台裏に残された那珂ちゃんの頭の中で、川内の叱咤が大きく反響する。そうだ、主役の自分がこんなんでどうするんだ。どんなときでも観客に最高の那珂ちゃんをお届けする。それが私のポリシーだったはずだ。那珂ちゃんは両手で自分の頬を叩き、気合を入れなおした。

 

 

「よーっし!観客の娘たちにも、チャレンジャーの娘にも、皆に楽しんでもらえるようにがんばるぞっ!」

 

 

 ステージから自分の名を呼ぶ声を聞きいた那珂ちゃんは、とびっきりの笑顔でステージ上へと舞い戻った。那珂ちゃんの姿が見えたと同時に、観客席から黄色い歓声が再び飛び交う。その歓声一つ一つに答えるようにステージの右端から左端までを手を振りながら移動した那珂ちゃん。川内の叱咤で再びやる気を取り戻した今の那珂ちゃんは、ステージ開演時となんら変わりない元気で明るい姿へと立ち戻っていた。

 しかしここで、那珂ちゃんはある異常に気づく。その疑問が浮かんだのは、那珂ちゃんが舞台の中央へと戻った時のことだった。

 

 

(あれ……お客さん増えてる?)

 

 

 午前の部では艦娘でいっぱいだった観客席。しかし、今は会場のいたるところに上下白の軍服を身に纏った『男性』の姿が見える。一体何故、と一瞬考えた那珂ちゃんだったが、仕事が忙しくて最初から参加できなかったのだろうとすぐに自己完結。これから始めるメインイベントに意識を集中することにした。

 司会進行の神通と川内がイベント概要を説明しさらに沸き立つ会場。中でも一番盛り上がったのは、那珂ちゃんに勝利した場合の報酬が発表されたときだ。

 

 

「那珂ちゃんに見事勝利した暁には……なんと!高額賞金と大量資材が進呈されます!」

「おおっ!こりゃすごい!正規空母を十艦建造してもおつりが来るぞ!」

 

 

 そう、このイベントには特別ルールとして、トップアイドルである那珂ちゃんに勝利できた場合のみ賞金と資材が発生するのだ。この賞金と資材もまた、艦娘のエントリー数を稼ぐ重要なファクターとなっている。

 数分後、イベントの説明が終わりいよいよチャレンジャー登場の時間となった。会場が静寂に包まれる中、司会進行の川内の声がかかる。

 

 

「おっし。それじゃあチャレンジャー、出てこいやっ!」

 

 

 川内の掛け声と同時にステージ中央入り口にスモークが噴出された。煙幕に映し出された影に会場の視線全てが集まり、まだ見ぬチャレンジャーの登場をまだかまだかと待ちわびている。徐々に煙が晴れてゆく中、那珂ちゃんは心の中で意気込んでいた。どんなヤツでもかかって来い。私は負けない、と。

 

 

「ヲっ」

 

 

 那珂ちゃんの時は止まった。

 おかしい。自分は今、チャレンジャーの艦娘が登場するのを待っていたはずだ。なのに何故、入り口から深海棲艦が現れるのだ?

 どんなヤツでもかかってこいとは言ったが、この対戦相手はさすがに予想できなかった那珂ちゃん。突如襲来した異次元からの刺客に、那珂ちゃんは完全に度肝を抜かれた。

 そう、今回の那珂ちゃんの対戦相手は深海棲艦の『空母ヲ級』だったのだ。出場の経緯はお察しのとおり、賞金と資材に目が眩んだ青年の仕業である。半ば強引に連れて行かれたヲ級が予選会場に到着するやいなや、会場は大パニック。噂では聞いていたが、実際に対面すると気味が悪くて仕方がない。ヲ級を気味悪がった予選出場艦たちは一艦、また一艦と姿を消し、最終的に会場から艦娘がいなくなった結果、順位繰上げでヲ級一艦だけが予選通過となったのだ。

 普段敵対している相手が敵地のど真ん中にいきなり現れたら驚かないわけがない。観客たちがパニックを起こして大混乱に発展してしまう可能性もある、と考えた神通、川内、那珂ちゃんの三艦は慌ててマイクを握り締め、会場の娘たちに落ち着くよう呼びかけることにした。

 

 

「ぴぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

「ペロペロしてやる……ハァハァ……ペロペロ……ペロペロしたいよおおおぉぉぉぉぉおおおぉぉぉぉおおおおおおお!!!」」

「がんばれヲ級!お兄ちゃんがお前の勇姿を見守っているぞ!」

「ぶひっ、ブヒィイイイイイイイ!」

 

「「「!!?」」」

 

 

 三艦の想像した甲高い悲鳴とはかけ離れた、欲望まみれの野太い叫びが会場に木霊する。

 突然現れた深海棲艦の姿を見て艦娘たちがパニックを起こすかもしれない。冷静になるように呼びかけよう。そう思って那珂ちゃんたちはマイクを握ったはずだった。しかし、蓋を開けてみるとどうだ?パニックを起こしたのは艦娘ではなく、上下共に白の軍服を見に纏った野郎共ではないか。予想の斜め上を行く事態に神通、川内、那珂ちゃんの思考は完全に停止した。

 純粋に那珂ちゃんのステージを楽しみに来た艦娘たちはあからさまに嫌そうな表情を浮かべ、咆哮する野郎共に軽蔑のまなざしを向けてる。しかし、その視線も我を失った野郎共には何の効果も持たない。口に出して非難している艦娘もいるが、それも半狂乱状態の野郎共にはまったくの無意味。口でダメなら手を出すのみ、と言いたいところだが、目の前で発狂している連中は自分たちより地位が上なため艦娘たちでは手を出すことは出来ない。

 打つ手は完全に無くなった艦娘たちは静かに悟った。自分たちの楽園は侵略者たちに犯されてしまったのだと。那珂ちゃんのステージを楽しみに来た艦娘たちは半ば諦めるように一艦、また一艦と姿を消していった。

 そして、それはステージ上にいる神通、川内、那珂ちゃんも例外ではない。彼女たちもまた、諦めの気持ちとその場から逃げ出したい気持ちで一杯だった。しかし、いくら彼らが汚らしい咆哮をあげていようと客であることには変わりない。来てもらった以上、今日は楽しんでもらわなければ。そう自分に言い聞かせ、神通、川内、那珂ちゃんは後一歩の所で何とか踏みとどまる。

 腹をくくった三艦は、引きつった笑みを浮かべながらイベントの続行を決意した。

 

 

「そ、それでは!アイドル頂上決戦、いよいよ開始です!」

「果たして勝つのはどっちだ!?種族を超えた戦いが今始まるっ!!」

 

 

 こうして、艦娘対深海棲艦の世紀のアイドル大決戦が幕をあけた。が、その進行は困難を極めた。

 

 

「それでは、自己紹介をお願いします!」

「み、みんな元気ー?私は川内型軽巡洋艦三番艦の那珂ちゃん!特技は歌と踊りで、趣味はアイドル活動だよっ☆会場の皆に楽しんでもらえるよう精一杯がんばるから、応援よろしくねー☆」

 

 

 パチパチパチ。会場からは歓迎を表す拍手が巻き起こる。先ほどとは異なる常識的な反応に少しほっとした那珂ちゃん。そうか。さっきのアレはきっと、初めてイベントで興奮しすぎてしまっただけなのかもしれない。会場を埋め尽くす野郎共の奇行に対して前向きな結論を出した那珂ちゃんは考えを改め、会場を埋め尽くす男達に笑顔を振りまく。

 

 

「続いて、チャレンジャーさん。お願いします!」

 

 

 しかし、那珂ちゃんの期待はすぐに裏切られる。

 

 

「ヲっ」

「うっひょおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」

「はふっ、はふはふっ!ヲ級をおかずにご飯がうまい!!」

「ヲ級ー!俺だぁあああー結婚してくれぇええー!!」

「ひぃっ!?」

 

 

 突如豹変する会場の反応に那珂ちゃん小さな悲鳴を上げる。そう、那珂ちゃんは考えを改める必要など無かった。那珂ちゃんの考えは百人聞いて百人全員が間違っていないと答えるほど正しいモノだった。

 

 

(もうやめちゃっていいかな……このイベント)

 

 

 既にこのイベントは、会場を埋め尽くす真っ白な野獣たちの手によって台無しにされてしまっていた。

 今は心の中に残った僅かなプロ精神が那珂ちゃんを何とかギリギリの状態に保たせてはいるが、その精神がへし折れるのも時間の問題だった。那珂ちゃんは艦娘だ。故に、ヲ級の言葉を理解できる。自己紹介で「雲がいっぱい」と言ってみたり、何の前触れもなく「おなかすいた」と言ってみたりと、ヲ級が対決とはまったく関係ない的外れな言葉をしゃべっていることを那珂ちゃんは重々承知だ。

 しかし、その意味不明な発言に対する周囲の反応はというと。

 

 

「うぴゃああああああぁぁあああぁああぁぁああああああああああああああああ!!!!!」

「かわいいよぉおぉおー!世界一かわいいよおぉぉぉおお!!!」

「ヲ級ちゃんカワイイやったー!」

「ぶっっっひぃいいいいいいいいいいいいいぃぃいいいいいいい!!」

「ヲっきゅん!ヲっきゅん!ヲっきゅん!ヲっきゅんぅぅうううわぁああああああああああああああああああああああん!!!あぁああああ…ああ…あっあっー!あぁああああああ!!!ヲっきゅんヲっきゅんヲっきゅんぅううぁわぁああああ!!!あぁクンカクンカ!クンカクンカ!スーハースーハー!スーハースーハー!いい匂いだなぁ…くんくん……んはぁっ!ヲ級たんの銀色の髪をクンカクンカしたいお!クンカクンカ!あぁあ!モフモフしたいお!モフモフ!モフモフ!髪髪モフモフ!カリカリモフモフ…きゅんきゅんきゅい!!アンソロジーのヲ級たんかわいかったよぅ!!あぁぁああ…あああ…あっあぁああああ!!ふぁぁあああんんっ!!ファ○マとコラボできて良かったねヲ級たん!あぁあああああ!かわいい!ヲ級たん!かわいい!あっああぁああ!絵もたくさん投稿されて嬉し…いやぁああああああ!!!にゃああああああああん!!ぎゃああああああああ!!ぐあああああああああああ!!!絵なんて現実じゃない!!!!あ…アンソロジーもファミ○コラボもよく考えたら…ヲ 級 ち ゃ ん は 現実 じ ゃ な い?にゃあああああああああああああん!!うぁああああああああああ!!そんなぁああああああ!!いやぁぁぁあああああああああ!!はぁああああああん!!カド○ワぁああああ!!この!ちきしょー!やめてやる!!現実なんかやめ…て…え!?見…てる?立ち絵のヲ級ちゃんが僕を見てる?立ち絵のヲ級ちゃんが僕を見てるぞ!ヲ級ちゃんが僕を見てるぞ!ヴァイスシュ○ァルツのヲ級ちゃんが僕を見てるぞ!!ゲームのヲ級ちゃんが僕に話しかけてるぞ!!!よかった…世の中まだまだ捨てたモンじゃないんだねっ!いやっほぉおおおおおおお!!!僕にはヲ級ちゃんがいる!!やったよ衣笠!!ひとりでできるもん!!!あ、アンソロジーのヲ級ちゃああああああああああああああん!!いやぁあああああああああああああああ!!!!あっあんああっああんあ麻耶様ぁあ!!イ、イムヤー!!阿武隈ぁああああああ!!!霧島ァぁあああ!!ううっうぅうう!!俺の想いよヲ級へ届け!!舞台上のヲ級へ届け!」

 

 

 この盛り上がりっぷりである。何故メインイベントが始まる前に真っ白な汚物共が突然現れたのか気になっていた那珂ちゃんだったが、この現状を見せ付けられて理解できないわけがない。那珂ちゃんははっきりと理解した。奴らは自分のステージを見に来たんじゃない。奴らは、あの獣(けだもの)共は、最初からヲ級だけを見るためにこの会場にやってきたのだ、と。

 意味不明な言動ばかりなのに賞賛されるヲ級と、何をやってもなあなあの反応を返される自分との扱いの差に、心が大破し轟沈寸前となった那珂ちゃん。彼女がこれ以上の戦闘を続行するのは不可能だった。

 

 

「ボーキ!ボーキあるよヲきゅん!!おいでおいでおいでぇえええええー!!」

「おいでおいで!こっちのボーキは甘いぞ!おいしいぞっ!!?」

「ダメだヲ級、そいつらの言葉に騙されるな!そっちは危険だ行くんじゃあないっ!ほら、早くこちらへ避難するんだ!」

「やっと見つけた。俺のヲ級だああああああー!」

 

「や、やめてくださいっ!ステージに向かってボーキサイトを投げないでくださいっ!!」

 

 

 その前に、このイベントの続行事態が不可能となりそうだ。

 観客から見向きもされずアイドルとしてのプライドをズタボロにされた那珂ちゃんはその場にうずくまり、暴徒と化した観客に立ち向かう神通はボーキサイトの投擲をやめるように呼びかけ、頭にボーキサイトをぶつけられ堪忍袋の緒が切れた川内は飛んでくるボーキサイトを手に持っては会場に向かって投げ返し、今の状況を生み出した張本人であるヲ級は我関せずの様子で床に転がるボーキサイトを頬張る。混沌が渦巻き鈍器が飛び交うアイドルイベントの会場は、もやは収集不能の状態に陥ってしまっていた。

 激しい喧騒の中、荒れ狂う暴徒に背を向けうつろな瞳でひざを抱える那珂ちゃんはそよ風にもかき消されるようなか細い声で、ぼそりとつぶやいた。

 

 

「……この鎮守府……もう来たくない……」

 

 

 この日、『那珂ちゃん大感謝祭!』は初の中止を余儀なくされた。

 

 




次回・・・夢の中のアルペジオ


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着任十五日目:夢の中のアルペジオ

キリシマ初登場時の俺提督「何このエロカッコいいお姉さん!イオナより好きかもしれん!」
7話(硫黄島ビーチ)視聴時の俺提督「キリシマ……何故こんなことに……」
最終話視聴時の俺提督「コンゴウさんマジヒロイン。キリシマなんていらんかったんや!」


 

 例によって、執務室に缶詰状態の青年は卓上の書類とにらめっこをしながら頭を悩ませていた。

 頭の中である程度方針がまとまったはいいものの、そのイメージをうまく言葉にすることが出来ない青年。このイメージが消えてしまう前に何とか言葉にしておかなければ。書いては捨て、書いては捨てを繰り返す青年の意識は卓上の一点に集中していた。そんな彼のすぐ脇に、一つの小さな影が差す。

 

 

「提督、書類の整理が終わった」

 

 

 静かな執務室に一つの声が響いた。意識の隅でぼんやりと聞いていた声が自分に対する報告であることは何とか理解できた青年。だが、今青年は頭の中にあるイメージを具現化することに手一杯。青年は報告者の方を見向きもせずにただ一言「わかった」とにわか返事を返した。

 がちゃり、とドアの開閉音が聞こえると同時に執務室から姿を消した報告者。ドアの開閉音を聞いて少し正気に戻った青年は、今の対応はまずかったかもしれない、と心の中で後悔するが後の祭りだ。とりあえず、この仕事を片付けたら一言謝りにいこうと決めた青年は報告者の声色を思い出し、その声色から報告者の姿を想像した。

 

 

「……いや、今の誰だよ!?」

 

 

 青年の耳に残っているは、感情が篭っていない無機質な声色。卓上に集中していて注意力が散漫になっていた時は特に疑問を持つことなく受け答えをした青年だが、今しがた聞いた声は司令部に着任して以来一度も聞いたことがない。

 目の前で奇妙な出来事が起こった事をようやく認識した青年は、椅子から立ち上がり慌てて執務室の扉を開けた。青年の目がかろうじて捉えたのは、声の主と思われる人物が執務室から真っ直ぐ伸びる廊下の突き当たりを左に曲がっていく姿。青年は廊下を全力で走りぬけ、突き当りを左に曲がった。

 

 

「……?提督、何か用?」

 

 

 青年の目の前には一人の少女が立っていた。服装は上下共に真っ青のセーラー服。髪は淡い青色のぱっつんロングで、特に特徴的なのは、ぱっつん切りの前髪の下から覗かせるくりっとした大きな瞳だ。

 青年は記憶にない謎の少女に対して警戒心を抱きながら、自分の中にある疑問を一つずつぶつけていく。

 

 

「お前、何者だ?」

「私は潜水艦イ四〇一。イオナ」

「ここで何をしている?」

「私はあなたの秘書艦」

「それはいつからだ?」

「……?質問の意味が分からない。私は初めからあなたの秘書艦だった」

 

 

 一体どういうことだ?自分の持つ記憶と、少女の証言がまったく合致しないことに青年は違和感を覚えた。イオナという名前に聞き覚えはないし、秘書艦に任命した覚えもない。そもそも、潜水艦などという貴重な戦力を自分の艦隊に迎え入れた記憶がない。困惑する青年は首をかしげると、イオナも無表情のまま首をかしげた。

 訳の分からないまま二人が立ち往生をしていると、タイミングよく正午を示す鐘が鳴った。記憶の錯誤は気になるが、ここで立ち往生をしていても仕方がない。もう少し詳しい事情を聞こうと考えた青年はイオナを食堂へ誘うことにした。しかし、その時だ。

 

 

「ちょっと提督、約束を破るなんてひどいじゃない!」

 

 

 記憶の整理がつかない青年を更なる違和感が襲う。

 声を荒げてやってきたのは、真っ白なワンピースを身に纏った長い青髪の少女だった。後ろで一つにくくった髪を揺らしながらズカズカと青年の目の前までやってきた少女は、腰に手を当てながら仁王立ちをすると高圧的な態度で青年をまくし立てた。

 だが、その怒りの言葉は青年の耳に届かない。更なる違和感の襲来で思考が停止してしまった青年の目には、目の前でぷんすか怒る少女の姿すら映っていなかった。

 

 

「タカオ、提督が困っている」

「だって!提督が……」

 

 

 『高雄』。青年はイオナの言葉の中にあった聞き覚えのある名前に反応を示した。高雄は高雄型一番艦で『胸部にある二つの巨大なタンク』が特徴的な重巡洋艦。髪は短い黒で、服は深い青緑色。それが青年の中にある『高雄』に関する知識だ。イオナは目の前の少女を『タカオ』と呼んだ。にもかかわらず、目の前にいる少女は『高雄』の特徴がどれも合致しない。一体どういうことだ、と困惑する青年だったが、そんな青年を他所にタカオは一人で勝手に話を進める。

 

 

「とにかく、提督は今から私と一緒に食事をするの!約束してたんだからちゃんと守りなさいよ!」

 

 

 タカオは青年の右腕を掴むと、とても少女とは思えない強い力で青年を無理やり食堂へと連行していった。食事の約束などした覚えはないが、混乱した頭を落ち着かせるには丁度良い。イオナへの事情聴取を後回しにした青年はタカオと共に食堂で食事を取ることにした。

 焼き魚定食が乗ったおぼんを手に、青年はタカオが待つ机に向かった。ぶんぶん、と大げさに手を振りながら青年を幸せの聖域へと迎え入れたタカオ。笑顔の花を咲かせるタカオは、これから始まる思い人との甘いひと時に思いを馳せた。しかし、その思いが叶うことは無かった。タカオが創造した聖域に進入する者が現れたからだ。

 

 

「奇遇だな提督。相席してもいいだろうか?」

「ハルナ!?何でここにっ……」

 

 

 一言断りをいれ、流れるように席に着いた一人の少女。こけしに手がついたような寸胴コートを見に纏い、金色の長髪をツーサイドアップにした彼女の名は『ハルナ』。何食わぬ顔で席に着いたハルナを、タカオはまるで親の敵を見るかのような恨めしい目で睨みつける。タカオの『青年と更に親密な関係になろう計画』はハルナの登場により全て台無しとなったからだ。景色の良いところでロマンチックなひと時を、と海の見える窓際の大人数席に座ったことが仇(あだ)となった。

 計画の倒壊に呆然とするタカオの事など露知らず、青年はまたしても記憶にない少女が登場し動揺する。が、さすがに三度目ともなれば動揺もそこまで大きくはない。ぴくり、と眉が動く程度の驚きはすぐに鳴りを潜め、落ち着いた青年は目の前の焼き魚定食に箸を付ける。

 

 

「特に問題はないだろう。まだ沢山席も空いているようだしな」

 

 

 箸に持った焼き魚の身をぽろり、と落とした青年の視線は、空いていた左側の席に釘付けとなった。タカオともハルナとも違う、聞き覚えのない新たな声を聞いた青年は声が聞こえてきた左側の席へちらりと視線を向けたのだが、視界に飛び込んできた声の主の姿は今までとは違った方向の驚きを青年に与えた。

 

 

「熊のぬいぐるみが飯食ってる!?」

 

 

 青年の左側に座っていた、いや、立っていたのはピンク色の熊のぬいぐるみだった。はむはむ、と豚のしょうが焼きを口に詰め込んでいたぬいぐるみは青年の言葉を聴いた途端に血相を変え向き直り、ピコピコとかわいらしい足音をたてながら抗議の声を上げる。

 

 

「熊ではないキリシマだっ!私はぬいぐるみではなく戦艦だと何度も言っているだろう!?」

 

 

 前にも言ったはずだ、と怒りをあらわにするキリシマを見て再び疑問の渦に巻き込まれる青年。前、とは一体いつの事だろうか?青年の頭には、目の前のぬいぐるみの存在は記憶されていない。神出鬼没のペンギンなら何度も見ているが、動く上にしゃべるぬいぐるみなど今まで見たことも聞いたこともないし、戦艦『霧島』が熊のぬいぐるみだったなんて聞いたこともない。

 周囲と自分の記憶に誤差がある事は既に理解している青年ではあったが、ここまで違うとさすがに不安になってくる。周囲の少女たちに一度話を聞いてもらおうと決心した青年は箸を置き、自分に記憶されている今までの出来事を一つずつ思い出していくことにした。

 

 

(……あれ?)

 

 

 しかし、青年は何も思い出すことが出来なかった。いや、何も思い出せないというのには少し語弊がある。思い出せてはいるのだが、その内容がはっきりと見えないのだ。

 まるで『霧』がかかっているかのように、記憶の輪郭がぼやけて見える。かゆいところに手が届かないような、もどかしい気持ちになった青年は何とか記憶の輪郭を探ろうと色々試みるが、記憶は依然としてぼんやりとしたままだった。

 

 

「あっ!?貴様またしても……!今度と言う今度は許さん!!」

 

 

 青年が『霧』の中から脱出したのは、キリシマが叫び声を上げるのと同時の事だった。

 内に向かっていた意識が外へと向き、めくらになっていた青年の双眼に再び風景が映り始めた。先ほどまで目の前にいたキリシマの姿はそこにはない。しかし、その代わりに席を陣取る生物の姿があった。

 

 

「ペンギンじゃねえか!」

 

 

 ようやく出会えた顔見知りに思わず声を荒げる青年。先ほどまでキリシマが座っていた席を陣取っていたのはペンギンだった。

 ペンギンは椅子の上で皿に残っていたしょうが焼きをせっせと口に詰め、椅子から蹴落とされたキリシマはそれを阻止しようと椅子をよじ登る。そして、小さなリング(椅子の上)で二匹の生物による世紀の一大決戦が幕を開けた。

 ペンギンに向かって『ぐるぐるパンチ』を仕掛けるキリシマ。短い両腕を必死にぶんぶんと振り回すその姿は、傍から見ていてとてもかわいらしい。対するペンギンは、死角になっているキリシマの足元へ足払いをかける。体勢を崩したキリシマは椅子から転げ落ち床に叩きつけられた。好機到来、といわんばかりにペンギンは追撃を仕掛ける。

 ペンギンは椅子から飛び降り、うつぶせに倒れるキリシマの背中に両足で着地した。プピッ、とおもちゃ特有のピコピコ音をたて苦しむキリシマ。自分がおもちゃ扱いされているようで恥ずかしいのか、キリシマはジタバタと必死の抵抗を示すが、無慈悲なペンギンは何度もキリシマの背中を踏みつける。

 ペンギンに負ける戦艦とはこれいかに。戦艦がペンギンに蹂躙されるという世にも奇妙な光景が繰り広げられているにも関わらず、青年を除く周囲の反応は乏しい。助けなくていいのか、と青年はうどんをすするハルナとふてくされたタカオに声をかけるが、二人の意見は放置で一致。「いつものことだ」と切り捨てた。

 

 

「騒がしいな。一体何をしている」

「あー!提督ご飯食べてる!私にもちょーだい!」

「ぐえっ!?」

 

 

 そこへ新たな少女たちが現れた。紫色のシンプルなドレスを身に纏い、短いツーサイドアップを揺らしながら歩く金髪の少女『コンゴウ』と、腹部の大きなリボンが特徴の真っ赤なゴスロリ服に、真っ赤なストールボレロを羽織る少女『マヤ』だ。

 マヤは床にはいつくばっていたキリシマをぐしゃり、と踏みつけながら提督の隣に座り、コンゴウはつぶれたカエルのような声を上げたキリシマを華麗にスルーして優雅にマヤの横へ座った。

 

 

「なるほど、いい景色だ。提督、紅茶を入れろ」

「ちょっとコンゴウ!提督に向かってその口の聞き方は何!?」

「コンゴウ、コンゴウ!私も紅茶欲しい!」

「貴様ら!さっきはよくも無視してくれたな!」

「……うるさい」

 

 

 ぼそり、と突っ込みを入れたハルナに青年は心の中で全面的同意を示した。

 どうしてこうなった、と見ず知らずの少女たちの姦しい様を眺める青年。混乱した頭を落ち着かせようと食堂に来たはずが、余計に頭を混乱させる状況が出来上がってしまった。そろそろ本当におかしくなりそうだ。青年がその場を立ち去ろうと席を立ったその時、食堂の入り口から歩いてきた少女が青年に向かって声をかけた。

 

 

「提督、司令部に向かって霧の艦隊が進行してきている」

 

 

 青年に声をかけたのは、青年が最初に出会った少女『イオナ』だった。姦しかった食堂は途端に静まり返り、席を立った少女たちは青年とイオナの周囲に集まる。『霧の艦隊』がどういった艦隊なのかは分からないが、敵がこの司令部に向かって進軍してきているという事は理解できた青年。青年はイオナに対して情報の開示を求めた。

 イオナの説明によると、敵艦隊は軽巡洋艦と駆逐艦のみで編成されており戦力はさほど強力ではないらしい。だが、厄介なのは敵艦艇の数だ。確認できた敵艦艇の数は少なくとも三十。下手な鉄砲も数撃てば当たるという言葉があるように、いくら自軍が戦力的に優位であっても数の暴力の前には為す術もなく敗れ去るという場合もある。

 どう打って出るべきか、と青年は頭を悩ませる。しかし、そんな彼を他所に少女たちは一斉に歩を進めた。まだ作戦も決まっていないのにどこへ行くつもりだ。青年は慌てて少女たちの後を追う。青年が「何をする気だ」と問いかけても、少女たちは「問題ない」と答えるだけで具体的な事は話さない。海が近づくに連れて不安が大きくなる青年の静止を振り切った少女たちは、ついに港に到着してしまった。

 青年の瞳に映るのは、船体のあちこちに発光する色線が走る不気味な艦艇の数々。初めて見る艦隊に驚きを隠せない青年の焦りは頂点に達した。

 

 

「何よ、その程度の戦力で本当に勝てると思ってるのかしら」

 

 

 だがしかし、不気味な艦隊を前にしても少女たちの強気な姿勢は変わらない。本当に大丈夫なのか、と弱気な青年に対して少女たちは「十秒で片付ける」自信満々の答えを返した。

 

 

「侵食魚雷装てん。全弾発射」

「超重力砲、エンゲージ!」

「発射準備開始」

「消しとばしてくれるわ!」

「面倒くさい」

「カーニバルだよ!」

 

 

 一体どこから現れたのか。イオナの正面に位置する海中から、敵艦隊に向かって大量の魚雷が撃ち出された。他の少女たちとぬいぐるみはその場に佇み、これから始まる一斉攻撃の準備を始める。

 不気味な色線の走った巨大な二つ球体が、潜水艦のイオナを除くそれぞれの少女たちとぬいぐるみの上空に現れた。宙に浮かぶ計十個の巨大な球体は並列に並び、それぞれ不気味な輝きを放っている。

 突然、球と球の間の空間に小さな歪みが生じた。、徐々に大きさを増してゆく歪みは不気味な光を放ち始め、光は球状に纏まり輝きをさらに増していく。その光景は、まるで小さな太陽がいくつも空に並んでいるかのようだ。

 イオナを除く少女たちとぬいぐるみの頭上に現れた五つの太陽。それはあらゆる盾をも貫く最強最悪の無差別破壊兵器。かつて人類を瞬く間に陸へと追いやったその兵器の名は『超重力砲』。

 

 

「撃てぇ!」

「発射」

「沈め!」

「消えろ」

「どーん!」

 

 

 五つの超重力砲が、敵艦隊に向かって一斉に照射された。宙を駆ける破壊の光は敵艦隊に突き刺さり、ドーム状の巨大な光となって敵艦隊を包み込む。光の膨張から少し遅れて、青年の耳に轟音が届いた。

 一分後、光の晴れた先にあったのは雲ひとつない綺麗な青空だった。つい先ほどまで水平線を埋め尽くしていた不気味な艦隊は影も形も見当たらない。超常現象顔負けのオーバーテクノロジーを目の当たりにした青年は放心状態となった。

 もうこの戦力差は、戦国時代の戦いで鉄砲を用いたとか、そういうレベルではない。刀一本で突っ込んでくる相手にフルオート射撃の重機関銃をぶっ放すかのような、あまりにも理不尽で圧倒的な戦力差だ。現状を理解するまもなく消えていった敵艦隊に対して、青年はわずかばかりの同情を覚えた。

 そんな青年の事など露知らず、少女たちとぬいぐるみは今の戦闘で誰が一番功績を挙げたかを談義していた。興味がない、と早々に談義を抜けたイオナ、ハルナ、コンゴウ、マヤが傍観する中、青年に褒めて欲しい一心で食い下がるタカオと単純に一番になりたいキリシマが火花を散らす。タカオは固く拳を握り、キリシマは両手のかわいらしい爪をキラリと光らせた。そして、ほぼ同時に駆け出した二人は腕を振り上げ、影が重なり合ったその時。

 

 

「くぉらぁああー!アンタたち、何盛大にぶちかましてんのよ!?」

 

 

 全速力で助走を付けた一人の少女がタカオ、キリシマにドロップキックを食らわせた。突然の横槍に対処できなかったタカオとキリシマは成す術なく宙を舞い、そのまま海へと落ちていった。

 もはや知らない少女が現れても驚かなくなった青年は、現れた少女を冷静に観察する。少女は毛先がもっさりしたセミロングの茶髪に、スリッドミニスカートを穿き織り目が縦に入っているセーターの上から白衣を着ている。

 少女は右目の片眼鏡(モノクル)をキラリと光らせ、佇む残りの少女たちに厳しい視線を向けた。

 

 

「ヒュウガ、どうしてここへ?」

「もちろん、あなたの勇姿を目に焼き付けるためですわイオナ姉様ぁああー!!」

 

 

 しかし、その厳しい視線もすぐに消えうせた。イオナから『ヒュウガ』と呼ばれた白衣の少女は態度を一変。イオナの疑問に体全体で答えるかのように、イオナの腹部に向かって飛びかかった。イオナは無表情のまま、飛びかかるヒュウガに前蹴りを食らわせ地面に叩き伏せる。しかし、『とある事情』によりイオナを女神と崇め奉るようになったヒュウガにとって、その足蹴もただのご褒美でしかなかない。

 

 『とある事情』については、原作コミックもしくはアニメ版の『蒼き鋼のアルペジオ』を見よう!

 

 イオナは冷めた声で再びヒュウガに問いかける。一体何をしに来たのか、と。ヒュウガは恍惚とした表情を浮かべながらその問いに答えた。

 

 

「あぁん♡今夜はラボの改装工事を行うのでぇ……ハァハァ……早めに補給をしにくるよう伝えに来たんですぅ♡」

 

 

 ヒュウガの言葉を聞き納得したのか、イオナはヒュウガの頭から足を退けた。ふぅ、と一息ついたヒュウガは白衣についたほこりを叩き、まるで憑き物が落ちたかのような悟り顔で言葉を続ける。

 

 

「つーわけで、アンタらはさっさと補給行きなさい。アンタらが補給終えないと、工事がいつまでたっても始められないんだから。あ♡イオナ姉様は別ですよぉ?ご要望があれば、一晩かけてヒュウガが特別メンテをぉ……」

「いらない。コンゴウ、行こう」

「ふん、お前に指図されるまでもない。行くぞ、マヤ」

「はーい!」

「タカオ、早くしないと置いていくぞ」

「ハァ、ハァ……ちょっと!少しくらい待ってくれてもいいんじゃない!?」

 

 

 体をくねらせ自分の世界に浸るヒュウガを放置してイオナ、コンゴウ、マヤ、ハルナ、防波堤をよじ登ってきたタカオの五人は司令部へと戻っていった。

 その場に残ったのは、まだ現実に完全復帰できていない青年と、幸せな妄想に花を咲かせるヒュウガと、綿が水を吸ったせいで体の自由が利かなくなった水面に揺れるキリシマ。その中で真っ先に現実に戻ってきたのはヒュウガだった。愛しのイオナ姉様の姿が見えないことに気づき気を落とすが、提督である青年の姿を見つけたヒュウガはもう一つの目的を果たすために青年の下へと近寄った。

 

 

「ちょっと、いつまでボケッとしてるわけ?これ、今月分の書類よ。資材関係のね」

「っ!……お、おぉ」

 

 

 青年はヒュウガが差し出してきた書類を受け取った。

 ぞくり。青年の背中を謎の悪寒が走った。得体の知れない不安に襲われ、動悸が激しくなってきた青年。一体何故だ?青年は理解できなかった。目の前の少女が殺気立っているわけでもない。青年自身が攻撃の対象になっているわけでもない。しかし、青年の直感、本能と呼べる部分が、何故か最大限の警報を鳴らし続けているのだ。

 

 

「今月は出撃回数が多かったから、『補給』だけでもかなりの資材を消費したわ」

 

 

 補給。青年がその言葉を聞いた次の瞬間、彼の『霧』の中に隠れていた記憶がちらりと姿を覗かせた。そうだ、ウチの司令部は建造を行う資材すら残っていなかったはずだ。そして、その少ない資材をやりくりしながら補給や修復を行う毎日だった。青年は自分が毎日資材不足に苦悩していることを思い出した。

 青年が悪寒の正体を掴むまであと一歩。悪寒がきっかけとなったのか、青年の記憶を包んでいた『霧』は晴れつつある。謎の悪寒と隠された記憶。その二つの歯車ががっちりとかみ合うのは、もう時間の問題だった。

 

 

「そういやさ……一回の『補給』で使う資材ってどれくらいだっけか?」

 

 

 青年はその言葉を自然と口にしていた。何故この言葉が出てきたのか、それは青年にも分からない。だが、青年はその事を聞いておかなければならないような気がしたのだ。

 

 

「それに書いてあるでしょ」

 

 

 手に持つ書類を震わせながら、恐る恐る書類に目を通す青年。書類には今月の出撃で発生した損害と、その損害を補うために使用する資材の量が示されていた。

 

 

「…………は?」

 

 

 青年は驚愕を通り越して絶望した。書類に書かれているのは桁が一つ違うのではないか、と疑いたくなるような数字の羅列。これは何かの間違いでは、と青年はヒュウガに書類を見せるが、それに対しヒュウガは「何を言ってるんだ?」という表情を返す。青年はヒュウガの言っていることが冗談ではないことを確信した。

 ここでようやく、青年は悪寒の正体に気づいた。雀の涙ほどしかない資材が、今まで必死こいて溜め込んできた資材が、これから行われる補給で完全に消し飛んでしまう。先ほどから続く悪寒は、この事を知らせていたのだと。

 青年は補給に向かった少女たちを引きとめようとするが、時すでに遅し。青年が手を伸ばした頃には、少女たちの姿はもうどこにも見当たらなかった。もう一度紙に書かれた消費資材の量を確認する青年。やっぱり何かの間違いなのでは。そう願いをこめて書類の隅から隅までに目を通すが、やはり見間違いはない。現実は非常であった。

 

 

「うわぁあああああああああああああああ!!!」

 

 

 恐怖に耐え切れなくなった青年は、たまらず恐怖の雄たけびを上げた。今まで必死に積み上げてきたものが、まるで風に吹かれた紙切れのようにあっけなく吹き飛んでしまう。避けようのない真実を目の当たりにした青年の心は一撃大破の大ダメージを負ってしまった。

 もう青年の手元に資材は残っていない。それはつまり、これ以上出撃を行うことも、補給を行うことも、新たな艦艇を建造することも、新たな装備を開発することも出来ないということだ。完全に手詰まりとなった青年にはもう次の手立ては残されていない。

 

 青年の目の前は真っ暗になった。

 

 先ほどまで自由に動いた体は脱力し、真っ暗になった視界はいつまでたっても晴れてこない。そして何故か顔から下を覆うぬくもりと僅かな圧迫感。青年はこの感覚に覚えがあった。もう何度も経験したせいか、混濁した頭でありながらも青年は今の現状を性格に把握することが出来た。

 

 

「……夢でよかった……」

 

 

 寝ぼけ眼を開いた青年は心の底から安堵した。青年の視界に映るのはいつも見ている薄暗い自室の天井。カーテンの隙間からは朝日がうっすらと差込み、窓の外からは鳥のさえずりが聞こえてくる。

 青年は壁にかけられた時計に目を向けた。針が差す時刻は朝五時半ごろ。昨日出撃した第一艦隊の帰投時間が近づいていることに気づいた青年は布団から抜け出ると、寝汗でベトベトとなった寝巻きから軍服に着替え第一艦隊の帰投を待つことにした。

 三十分後、青年の待つ港に朝日を背にする艦隊の姿が見えた。艦隊の中央にいる小さな旗艦。そして、それを取り巻く異形の艦艇たち。あぁ、間違いない。もうすっかり見慣れた奇天烈な艦隊の帰投を、青年は静かに出迎えた。

 

 

「…………」

「……何よその目!?勘違いしないでちょうだい!今回はたまたま運が悪かっただけよ!」

 

 

 静かに艦隊を出迎えた青年はそのまま一言も言葉を発することなく、ただ目の前に広がる光景に目を奪われた。

 叢雲、チ級、ヌ級、『大破』。リ級、ヲ級、『中破』。ル級、『小破』。目も当てられない悲惨な光景を目の当たりにした青年の脳裏に、昨晩見た夢の光景が浮かび上がる。まさか、夢の中で一度立たされたあの絶望の頂に、今度は現実の世界で立つことになろうとは。もういっそのこと頂から身投げでもするべきか、と青年は部隊運用を投げようと本気で考え始めていた。

 

 

「夢だけど……夢じゃなかった……」

 

 

 悲痛な声を漏らす青年は、無邪気に絡んでくる娘たちと共に司令部に向かう。その足取りは、かつてないほど重たい足取りだった。

 




次回・・・ケッコン、それは戦いの縮図。


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着任十六日目:ケッコン、それは戦いの縮図

ドイツ艦?ウチはまだ改ニも来ていないんですが(半ギレ)

追記:感想たまっていたので返信しました。


 ケッコン、それは熱き艦娘たちの戦い。ケッコン、それは人生の縮図。女の夢である。

 

 

「ル級さんは提督さんとケッコンするつもりでいるのでしょうか?」

 

 

 すべてはこの一言から始まった。

 趣味で記者をやっている重巡洋艦『青葉』の質問に対し、戦艦ル級は首をかしげた。遠征から帰投し、港から司令部への道のりを歩いている最中に突然現れた謎の艦艇。最初は敵かと思い迎撃体勢に入ったル級ではあったが、相手の艦艇から「ワレアオバ」と敵対意識の無いことを示され、ル級は相手が害のない艦艇であることを理解した。

 青葉がル級に接触した理由。それは、今ブイン基地で話題の奇天烈な艦隊に所属するル級にインタビューをするためだった。趣味で記者をやっている青葉からすれば、いい意味でも悪い意味でも注目を集めているル級たちは絶好のカモだ。ここでいいネタを仕入れることが出来れば、所属している司令部内でのみ発刊している『青葉新聞』の名も基地中に知れ渡ることになるかもしれない。

 興味六割、欲望四割といった様子の青葉は、どこからともなくマイクを取り出すと、ル級に対してインタビューを始める。

 どうでもいい質問から核心的な質問まで、色々な質問を投げかける青葉。そして、いよいよ最後の質問となったところで出てきた質問が『ケッコン』に関する質問だった。

 

 

「ルー」

「え?ル級さんはケッコンを知らないのですか?」

 

 

 ル級の青葉の問いに対する答えは首をかしげることだった。

 まあ、ル級の反応も仕方が無いといえば仕方が無いのだろう。ル級はつい最近まで海の上を自由気ままに流離う深海棲艦だったのだ。陸の常識でさえあやふやだというのに、『ケッコン』などという制度の話をされても分かるはずも無い。

 青葉はまるで極上の食材を見つけたかのように、喜々と目を光らせた。たとえ自称であろうとも、青葉が内に秘めるマスコミ魂は本物なのだ。

 

 

「フフフ、いいネタになりそ……あ、いえいえ!何でもありません。ケッコンと言うのはですね……」

 

 

 まるで火に油を注ぐように、青葉はル級にケッコンという制度の知識を植えつける。

 事前の近辺調査でル級が青年にベタ惚れなのは既に承知の青葉。そして、彼女の恋の行く手には強敵が待ち構えていることも把握済み。

 痴情の縺れというのは、いつどの時代においても群集の気を引く鉄板ネタだ。ここで一騒動起こればそれ相応の記事が出来上がる、と内面で笑いの止まらない青葉は、外面でさわやかな笑顔を作りながらル級をたきつけた。

 しかし、青葉は読み違えていた。自身が愛を知らないが故に、ル級の愛の深さを測り違えてしまった。ル級の『その部分』は、興味本位でつついていいモノではなかったのだ。

 

 

「ルー」

「……へ?」

 

 

 突如青葉の顎に、ル級の連装砲の砲口が突きつけられた。

 一体何事か、と青葉はル級に視線を向けた。ル級は先ほど変わらず無表情だ。しかし、全身からは戦闘体勢に入ったときのみ見せる赤黒いオーラが噴出している。

 

 

「ルー」

「取って来いって……ケッコン手続きに必要な書類は結構値が張るんでぅわあああ分かりました!取ってきます!取ってきますから!」

 

 

 ル級は砲口を更に強く押し付けることで青葉の口答えを封殺。逃げたらただじゃ置かない、と一言付け加え、ル級は青葉を放った。

 涙目な青葉は脱兎のごとく走り出す。藪をつついたら蛇ではなく飢えた猛獣が飛び出してくれば、逃げ出したくなるのも当然の事だった。

 しかし、さすがはマスコミ魂を持つ青葉と言うべきか。「この修羅場の先に何があるのか見てみたい」という執念に突き動かされた青葉は、逃げずにル級の元へと戻ってきたのだ。彼女の手には、ちゃんとケッコンに必要な書類が握られている。

 相変わらず戦闘体勢のル級は、両手が主砲でふさがっているため青葉にそのまま代筆を頼む。青葉もその要望に素直に答え、ついにル級は念願のケッコン書類を手に入れた。

 残るは青年の直筆のサインのみ。もうここに用は無い、とオーラを静めたル級は青葉の持つ書類を器用に口でくわえると、何事も無かったかのように颯爽と去っていった。

 

 

「こ、怖かった……でも、怖い思いをした甲斐はありました!」

 

 

 未だに涙目ではあるが、表情は達成感に満ち溢れている青葉。

 種はまいた。後は種が成長するのを見守るのみ。ごしごしと涙を拭った青葉は、使い捨てカメラとメモ帳を手にル級の後をつけるだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 恋には障害がつきものだ。

 生活環境や自身の家庭事情など種類は様々だが、一番の障害といえるのはやはり自身と同じ気持ちを抱く恋のライバルだろう。

 司令部の正面で歩みを止めたル級。彼女の目の前には今、彼女にとって最大の障害と呼べる相手がいた。

 

 

「まったく、何で私がこんなことを……」

 

 

 ぶつくさとぼやきながら、司令部の正面入り口前を箒で掃く彼女の名は叢雲。ル級と同様に、青年に対して淡い恋心を抱く駆逐艦だ。

 お互いにライバル同士であることは既に承知済み。いくら知能の低い深海棲艦のル級であっても、叢雲が自分の行動を容認してくれないことは容易に想像できた。

 故に、ル級は電撃戦を仕掛けることにした。叢雲の不意をつき、妨害が入る前に青年の下へたどり着こうと考えたのだ。

 艦艇としての性能はル級が上。不意をつけば、駆逐艦である叢雲が相手でも置き去りにすることも十分可能だ。

 ル級はゆっくりと歩を進め、叢雲との間合いをつめる。叢雲はまだル級の存在に気づいていないのか、ぼやきながら箒をせっせと動かしている。ル級は息を殺してじわり、じわりと間合いをつめた。

 そして、その時は来た。叢雲の策的範囲のギリギリまで詰め寄ったル級は最高速度で一気に地を駆けた。後は青年がいるであろう執務室へと向かうのみ。既に目標を達成した気になっていたル級の眼中に、叢雲の姿は映っていなかった。

 しかし、それがル級最大の失策。早すぎた勝利宣言が、叢雲に付け入る隙を与えしまったのだ。ル級が移動を開始してから叢雲の横を通り過ぎるまでに要した時間は約二秒。振り向く時間も考慮すれば、叢雲がル級の姿を捉える時間は一秒もない。

 しかし、その短い時間の間で叢雲はル級の行動の意図を察していた。それは偶然か、はたまた愛の為せる技なのか。ル級の口にくわえられ風になびくケッコン書類の文面を、叢雲はごく僅かな時間の間で完全に視認したのだ。

 

 

「っ!!待ちなさいっ!」

 

 

 箒を投げ捨てた叢雲はすぐにル級の後を追いかけた。

 司令部内の廊下を戦艦と駆逐艦がドタドタと走り抜ける。ル級の進行を何とかして止めたい叢雲ではあったが、この距離からでは追いつくまでには時間が足りない。砲撃で足止めをしようにも、現在位置は司令部内の廊下であるため砲撃も出来ない。

 こうなったら、青年がいるであろう執務室に転がり込んで色々騒ぎ立ててうやむやにしてしまおう。青年の前で無様な姿を晒すことになってしまうが背に腹は変えられない。

 最悪のケースを想定しながら激走する叢雲。しかし次の瞬間、叢雲の目の前に救世主とも呼べるべき存在が姿を現した。

 

 

「リ!」

 

 

 ル級と叢雲の激闘を戯れか何かと勘違いしたリ級が、「自分も混ぜろ」と参戦してきたのだ。

 突然の乱入艦に動揺を示したル級はすぐさま方向転換。目と鼻の先にあった二階へと続く階段から離れざるを得なくなったル級は僅かに顔を歪ませながら、再び一階の廊下を激走する破目になった。

 それからしばらくの間、執務室のある二階へと続く階段付近での牽制が続き、各勢力一歩も引かないまま勝負は延々と続く。

 ル級が走り抜けるたびに割れる窓ガラス、リ級が走り抜けるたびに破れる壁紙。叢雲が走り抜けるたびに砕ける床。司令部は瞬く間に悲惨な状況へと変貌していくのだった。

 

 

 

 

 

 一方その頃、知らず知らずのうちに騒動の中心となった青年はと言うと、ブイン基地の外からやってきた職人の出迎えに向かっていた。先日リ級の砲撃によって破壊された旧解体ドックの修復を職人に依頼したのだ。

 ブイン基地に初めて来るという職人のために、自ら案内役を買って出た青年。毎日毎日書類とにらめっこをするのはうんざりだ、と送迎にかこつけて仕事を休みたかったのが本音である。

 

 

「今日はよろしくお願いします。では、行きましょうか」

 

 

 職人に対しして軽い挨拶をすませつつ、青年は職人と共に司令部へ向かって歩き出した。久しぶりの休みに気分が高揚する青年の足取りは非常に軽く、顔つきもいつもより晴れやかだ。

 しかし、こうしている間にも司令部の被害はどんどん蓄積されていく。このままでは旧解体ドックどころか、司令部丸々を改装する破目になってしまうだろう。

 急げ青年。戦い続ける少女たち(内輪もめ)が、君の到着を待っているぞ。

 

 

 

 

 激走が開始されてから約十分が経過したところで事態は動いた。

 

 

「しまったっ!?」

 

 

 ついに、叢雲はル級の二階への進行を許してしまった。

 叢雲は慌てて後を追うが、既にル級の先には執務室の扉が見えている。いよいよ後が無くなった叢雲は、一度破棄した最終案を頭の中にある屑籠から再び取り出す。

 やはり、青年の前で無様に騒ぎ立てるのは恥ずかしいと感じる叢雲。しかし、既になりふり構っていられない状態まで追い詰められているのは事実だ。

 一応、青年は外出することを叢雲に伝えているのだが、そのことは既に叢雲の頭の中から抜け落ちている。今の叢雲は目の前にある書類を処分することしか考えていなかった。

 覚悟を決めた叢雲は、走りながら部屋に突入した時の第一声を考え始めた、その時だ。

 

 ガシャコン、と金属の駆動音がした次の瞬間、司令部内に爆音が響き渡った。

 

 巨大な爆発音を聞いて一気に現実に引き戻された叢雲は慌てて周囲を見渡す。爆音を放った張本人はすぐに見つかった。

 

 

「リ!」

 

 

 自信満々の表情で、煙の上がる砲身を前方に突き出すリ級。爆音の正体とは、叢雲の後ろを走っていたリ級が右手の主砲から発射した砲弾によるものだった。

 先ほどまでル級がいた場所にやってきた叢雲とリ級。そこにル級の姿は無い。もくもくと舞い上がる煙が壁の外に立ち上っていることを確認した叢雲は、近くにあった窓から外の様子を確認する。すると、煙や飛び散った壁の破片とは別に、黒々とした人型の何かがうごめいているのが見えた。

 壁の件は全てリ級のせいにしよう、と心の中で算段を立てながら、叢雲は壁にあいた横穴から地上へと飛び降りた。リ級も叢雲に続いて地上へと降り立つ。

 

 叢雲の背筋にぞくりと悪寒が走った。

 

 煙が晴れ、姿を現したル級は変貌していた。全身からは赤黒いオーラを噴出し、収納してあった両腕の主砲が全て表に出てきている。

 射殺すような目で叢雲とリ級を睨みつけるル級ではあったが、それでも口にくわえたケッコン書類を放さないのは流石と言うべきか。先ほどの砲撃を受け焼け焦げるはずだった書類が無事なのも、ル級が身を挺して書類をかばったためだった。

 主砲を構えたル級とリ級。さすがに基地内で、しかも司令部の敷地内で砲撃戦を行うのはマズいと感じた叢雲は慌てて止めに入ろうとした。

 しかしここで、叢雲に邪な考えが浮かぶ。確かにリ級とル級を止めるのは叢雲の役目である。しかし、相手はあまり知能が高くない深海棲艦だ。突発的に常識外れな行動を取ることもある。

 

 だから、どうしても一人では対処できない事態もあるのではないか?

 

 リ級とル級にこれから起こる戦闘の全ての罪を被せようと目論んだ叢雲は、喉元まで上がってきた静止の言葉を飲み込んだ。それどころか、自身も装備を持ち出しル級に挑む姿勢を見せている。

 恋は盲目とよく言うが、その人を殺せるような目つきは明らかに恋をしている乙女がしていいような目つきではない。

 愛のために戦うニ艦と、何か良くわかんないけど面白そうだからという理由で乱入してきた一艦。三艦による三つ巴の決戦は、いよいよ最終局面を迎えようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あわわわ……これは予想外です」

 

 

 煙が噴出す青年の司令部を遠巻きから眺めていた黒幕の青葉。

 ル級と叢雲が掴み合うドロドロの昼ドラを希望していた彼女だったが、まさかこうも斜め上の展開に発展しようとは思ってもみなかった。

 さすがに罪悪感を覚えた青葉は慌てて青年を探し出す。事前に情報収集をしていたこともあり、青葉は青年が職人の元へ向かっていることは把握済みだった。ちなみに、情報提供者はボーキサイトに釣られたヲ級だったり。

 ある程度経路を絞って捜索を行った結果、青葉はすぐに青年を見つけることが出来た。職人と世間話をしながらゆっくりと歩いていた青年に対し、青葉は鬼気迫る表情でこう告げる。

 

 

「大変です!提督さんの司令部で爆発が!」

 

 

 もちろん「自分のせいで」とは言わない。たとえ自称であろうとも、青葉が内に秘めるマスコミ魂は本物なのだ。

 普通、基地内で砲撃などという常識外れな事は起こりえるはずも無く、そこらの提督が聞けば「ありえない」と一蹴するだろう。しかし、リ級の旧解体ドックでの砲撃を目の当たりにしている青年にとって、青葉の報告は恐ろしいほど現実味を帯びた報告だった。

 血相を変えた青年は青葉、職人と共に走り出す。すると聞こえてくるではないか。何かが爆発するような音が何発も。空を見上げば、真っ青な大空に数本の煙が上っている。額に汗を滲ませながら、青年は全速力で自身の司令部へと向かった。

 

 

 

 自身の司令部へと戻ってきた青年の目の前には荒廃した土地が広がっていた。

 地面のあちこちは抉れ、敷地内に立っていた木々はなぎ倒され、司令部の壁には幾多の大穴があけられている。悲劇的ビフォーアフターを目の当たりにした青年は、その場でただ呆然と立ち尽くしていた。

 そこへやってきたのは、今回の悲劇的ビフォーアフターを実行した匠たち。未だに青年に気づいていないのか、三艦は青年の目の前で戦闘を続行している。

 

 

「っ!!」

 

 

 その三艦の中で真っ先に青年の存在に気づいたのはル級だった。青年が視界に映った途端、オーラを収めて青年の下へ駆け寄ろうとするル級。しかし、ここで眼前の敵から目を離したのがいけなかった。

 

 

「隙ありぃいいーっ!!」

 

 

 叢雲の左手の主砲が、ル級の口にくわえるケッコン書類を打ち抜いた。

 しまった、という表情で口から離れたケッコン書類を追いかけるル級。ど真ん中を打ち抜かれ、既に書類としての機能を失っているケッコン書類だが、そのことを知らないル級は穴が開いたケッコン書類を再び口にくわえ、青年の目の前に突きつけた。

 

 

「ゥー(ルー)」

「いやいや、それもう意味ないですって」

 

 

 名前を書いて、と言いわれても、その書類には既に名前を書く欄が存在していない。

 ル級の常識はずれな行動に思わず突っ込みを入れた青葉。つい流れで言ってしまったその一言がきっかけで、彼女はこの後地獄を見ることになる。

 ル級はぐるり、と首をひねらせ青葉を睨む。そして、そのまま早足で青葉の下までやってきたル級は口の書類をぺっ、と吐き捨て、青葉に無慈悲な一言を告げる。

 

 

「ルー」

「え?いや、あの……あれ一枚で私の所持金は既に雀の涙程度しか残っていないのですが……」

 

 

 青葉に対して再び書類の購入を要求するル級。

 嫌な予感がする、ここにいてはいけない。青葉の頭の中で警報が鳴り響いていた。青ざめた表情の青葉はゆっくりと後ずさりしながら逃亡の準備を始める。しかし、青葉が逃走することは叶わなかった。

 

 

「その話、詳しく聞かせてくれないかしら?」

 

 

 青葉の逃走経路を遮断したのは、額に青筋を浮かべる叢雲だった。

 襟首をがしり、と捕まれ身動きが取れなくなった青葉の前面からは再び赤黒いオーラを噴出し始めたル級が迫り来る。そして背後では叢雲が幻視できるほどの怒りを放つ。

 二つの恐怖の板ばさみとなった青葉。目にうっすらと涙をためながらありったけの謝罪の言葉を口にする。だが、時既に遅し。一度落ち始めたギロチンの刃は、途中で止まったりはしないのだ。

 

 晴れ渡る青空に、一艦の大きな悲鳴が響き渡った。

 

 

 

 

 

 その後、青葉を受け持つ司令部の提督から、今回の損害を賠償する旨を伝える手紙が届き、青年の司令部は無事元通りとなった。

 さすがに堪忍袋の緒が切れた青年は、叢雲、ル級、リ級に対して激怒。青年のあまりの豹変っぷりに恐怖を感じた三艦は素直に反省し、しばらくの間はおとなしく過ごしたそうだ。

 そして最後に、今回の騒ぎを引き起こした張本人である青葉はというと、なんと、懲りずにまだ新聞を発刊していたのだ。自身の提督にこってりと絞られ、周りもさすがに懲りただろうと思っていたが、そんな事は無かった。

 ル級たちの争いをバッチリと記事に仕上げた青葉はすぐさま号外を配布。見事に読者を増やすことに成功したのだ。変わりに、その情熱をもっと別なほうに向けられないのか、と周囲から呆れられたが、それでも青葉は記事を書くことをやめないだろう。

 

 たとえ自称であろうとも、青葉が内に秘めるマスコミ魂は本物なのだから。

 




次回・・・動き出す戦艦棲姫


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着任十七日目:動き出す戦艦棲姫

次回のイベントはどうなるやら……

追記:編集前の文章を掲載するという珍事発生。手直ししておきました。

追記2:感想が溜まっていたので返信しました。


 今より遠い昔、彼女は『艦娘』と呼ばれていた。

 主のために敵と戦い、勝利を仲間と共に喜び、時には敗北に涙し、ゆっくりと平穏なひと時を満喫しながら、志を共にする大切な仲間と過ごす日々。幸せで、楽しく、恵まれていた。彼女の毎日は光に包まれていた。

 しかし、始まりがあれば終わりは必ずやってくる。度重なる戦闘に耐え切れなかった彼女は、仲間たちの悲痛な叫びを聞きながら深い水底へと沈んだ。

 薄れゆく意識の中、彼女は必死に手を伸ばした。嫌だ、これで終わりなんて絶対に嫌だ。これからもずっと仲間たちと共に歩み続けたい。愛する主のぬくもりを、これからもずっと感じていたい。彼女は願う。自身の再起を。

 だが、現実は非情だった。一度起こってしまった事を無かったことには出来ない。彼女は沈んだ。それは避けようのない事実。背中にやわらかい砂の感触を感じながら、彼女は静かに目を閉じた。

 

 ふと、彼女は目を開いた。彼女の視界に映るのは満天の星空。足元には月明かりに照らされ輝く水面。頬をなでる冷たい夜風が、彼女の意識を緩やかに覚醒させてゆく。

 彼女の脳裏に浮かぶのは、必死に手を伸ばす自分の姿。誰かが必死に何かを叫んでいたような気がするが、今となってはその言葉も思い出せない。ただはっきりと覚えているのは、自分が甚大な被害を受け危険な状態だったということだけだった。

 まあ、何はともあれ無事でよかった。早く帰って無事を知らせよう。心配しているであろう仲間の下へ戻ろうと、彼女は真っ暗な海上を進み始める。

 

 

「アレ?アナタ、見ナイ顔ネ」

 

 

 そんな彼女に対して、背後から突然声がかかる。

 彼女は慌てて背後へと振り向いた。背後にいたのは全身真っ白の深海棲艦。これが、彼女と飛行場姫の初めての出会いだった。

 彼女は自身が深海棲艦として生まれ変わった事実を突きつけられた。そんな馬鹿な、と彼女は受け入れがたい事実から目を背ける。しかし、水面に映る自身の姿は紛れもない真実。見た目は深海棲艦、心は艦娘。一体自分は誰なんだ。彼女は悩み続ける日々を送った。

 そんな彼女を救ったのは、以外にも深海棲艦である飛行場姫だった。深海棲艦に抵抗を感じていた彼女に積極的に話しかけた飛行場姫。どうにか心を開いてもらおうと、飛行場姫は彼女をあちこちへ引っ張りまわした。見覚えのある海から、未開の海域まで、飛行場姫は彼女の事などお構いなしに突っ走る。

 最初は好き勝手につれまわされ嫌気が差していた彼女であったが、今まで見たことの無い幻想的な景色を目の当たりにするにつれて考えを改めていく。艦娘の時には決して見ることの出来なかった景色、艦娘の時には決して味わうことの出来なかった自由。深海棲艦には深海棲艦の生き方があるのだと、彼女は今の自分を少しずつ受け入れられるようになってゆく。

 新たな自分と、新たな仲間。もう今までの生活には戻れないのだと一度は絶望したが、これはこれで悪くない。時が経ち、すっかり自分を受け入れられるようになった彼女は、新たに手に入れたささやかな幸せを享受していた。もう二度と手放さない。そう心に誓いながら。

 

 しかし、その幸せも長くは続かなかった。

 彼女の元へ幾多の艦娘が武装して押し寄せてきた。理由は深海棲艦の掃討。深海棲艦が謎の大移動を行い、深海棲艦の戦力が一箇所に集結しつつあった現状を危険視した各鎮守府が掃討の命を下したのだ。

 だがその実体は、観光気分であちこちの海域を見て回っていた彼女たちの後ろを勝手についてきた深海棲艦が、彼女の住処がある海域へとそのままついてきてしまっただけなのだが、それを各鎮守府は知る由も無い。

 彼女は必死に抵抗した。かつて味方だった艦娘を相手に、ためらい無く自身の主砲を叩き込んだ。新しく出来た仲間を、新しく出来た居場所を守るために。しかし、壊しても壊しても、敵の数が減ることは無かった。

 そして、彼女はついに力尽きた。立て続けの戦闘で疲労が蓄積し、重い一撃を受けて再起不能。奇しくも、そのやられ様は艦娘だった頃の彼女と同じもの。ただ一つ違う点があるとすれば、それは彼女がまだ沈んではいないことだった。

 辛うじて生き延びた彼女は住処としていた洞窟の奥底へと逃げ込み、そして、幾度となく降りかかる不幸を嘆いた。

 

 

「何デコウナルノヨ……私ハ……私ハ……幸セニナリタカッタダケナノニ……」

 

 

 その嘆きは誰の耳にも届くことなく、洞窟にただ虚しく響くだけだった。

 

 

 

 

 

 そして現在。

 

 

「今ノ私ニハ、月ノ輝キサエ眩シスギル……」

 

 

 彼女はやさぐれていた。

 目からは完全に光が消えうせ、焦点の合っていない視線をまるで不審者のようにせわしなく動かしながら世界の全てに絶望し、自分は外の世界と相容れることの無い闇の存在なのだとため息をつくのが、彼女の日課となっていた。

 真夜中の海上を当ても無くフラフラと彷徨いながら、月の美しさと星々の輝きに対する呪詛のつぶやきを延々と繰り返し、太陽が昇る前に洞窟へと引きこもる。今の彼女はそんな無意味な毎日を繰り返していた。

 

 

「ター」

「……誰?」

 

 

 しかし、今日はいつもと違っていた。

 彼女の目の前を『偶然』通りかかった一艦の深海棲艦がいたのだ。「こんばんは」と話しかけられた彼女は顔をしかめる。他者との接触を拒む彼女にとって、目の前に現れた深海棲艦は邪魔者以外の何者でもなかった。だが、そんな彼女の心情などお構いなしに、現れた深海棲艦は一方的に話し出す。

 

 

(ドウセ心ノ中デハ馬鹿ニシテイルンデショ?笑イナサイヨ……)

 

 

 すっかりネガティブ思考が板についた彼女は、一方的に話す深海棲艦の言葉に耳を貸すことなく一人被害妄想に駆られていた。

 だが、言葉の端々は否が応にも聞こえてしまう。あれを見た。こんなことがあった。傍から見ればただの世間話だが、そんな世間話でさえ、今の彼女のとっては妬み僻みの対象でしかない。彼女のイライラは徐々に増していった。

 そして、ついにそのイライラが頂点に達しようとした時だ。

 

 

「ター」

「ッ!?……ツマラナイ冗談ハヤメテ」

 

 

 彼女は自身の耳を疑った。それは何かの冗談か?だとすれば笑えない。そのような夢物語が、あっていいはずなど無い。目の前の深海棲艦に不快感を覚えた彼女はすぐさまその場から立ち去ろうとする。

 

 

「ター」

「…………」

 

 

 しかし、深海棲艦は聞いてもいないのに勝手に語りだす。自分たち深海棲艦を率いる人間を見つけたこと。その人間の居場所がどこなのか。自分も仲間に加えてもらい、仲間の印を貰ったこと。

 

 そして、その人間の下で艦隊を組んでいる深海棲艦がいること。

 

 

「ッ!!!」

 

 

 無意識だった。彼女は無意識のうちに、目の前にいる深海棲艦に対して自身の主砲を放っていた。

 爆音と共に大きな水柱が上がり、被弾した深海棲艦から立ち上る爆煙が宙に直線を描く。バシャリ、と音をたてて水面に倒れ伏した深海棲艦をまるでゴミ捨て場の空き缶を見るかのような目で見た後、彼女はある方角を見据えた。

 彼女の中で、黒い感情がふつふつと湧き上がる。気に入らない。自分たちは一度闇の底へと落ちた存在。周囲から忌み嫌われ、排他されることを宿命付けられた存在。自分たちの未来は、光は、もう手の届かないところにある。自分たちの居場所は、光の届くことのない極寒の水底。いくらがんばって手を伸ばしても、その手は決して光に届くことは無い。

 

 それなのに、どうして、何故そいつらだけが!

 

 

「ダメヨ……私タチハ光ヲ手ニシテハナラナイ……皆等シク、闇ノ中デ生キテイカナケレバナラナイノヨ……!」

 

 

 彼女が最初に抱いた感情は『嫉妬』だった。自分がいくら望んでも手に入らなかったモノを持っている。心の底から欲した自分ではなく、どこの馬の骨とも分からない有象無象の奴らが、偶然光を手にした。その事実が、彼女の悪意を掻き立てる。

 彼女の光が消えていた瞳は狂気に満ちた赤い輝きに染まり、船体から溢れ出る瘴気は周囲の空気を犯し始める。

 

 

「ドコ行クノ?私モツイテイッテイイ?」

 

 

 ぶつぶつ、と壊れた人形のように同じ言葉を繰り返す彼女の背後にはいつからいたのか、彼女と同様に何とか生き延びることができた飛行場姫の姿があった。

 

 

「ネエ、私モツイテイッテイイ?」

 

 

 無邪気な笑顔を浮かべている飛行場姫は、彼女の隣に並び立つ。

 

 

「アナタハイイワネ……闇ノ世界デモ前向キデ……」

 

 

 彼女は飛行場姫と共に大海原を進み始めた。

 頭の中でまだ見ぬ深海棲艦の姿を幻視する彼女。その深海棲艦たちは周囲を艦娘に囲まれ希望に満ち溢れており、一度闇に墜ちたことなど忘れて、光の世界で新たな道を歩み始めようとしていた。

 そこへ向かって、彼女は自身の主砲を容赦なく打ち込む。全ての希望が消し飛ぶまで、眩しい光が遮られるまで、何もかもが無に帰すまで。

 

 思い出させてやろう。自分たちは闇の存在だということを。もう一度地獄に叩き落して、すべてが無駄だということを分からせてやる。

 

 怒りと嫉妬に狂った彼女の名は『戦艦棲姫』。

 艦艇の墓場、鉄底海峡(アイアンボトム・サウンド)を統べる最強の深海棲艦が、今、動き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 同時刻、とある未開の南方海域にて。

 月明かりを浴び、緩やかな潮風に吹かれながら暇をもてあましている三艦の深海棲艦がいた。

 

 

「アー、暇」

「暇ネェ……」

「暇ダネェ……」

 

 

 それぞれ赤みがかった長い白髪をツインテールにし、前髪で右目を隠すという似通った容姿の三艦。人の言葉を話し、気だるそうに突っ伏す彼女たちは、深海棲艦の中でも圧倒的な強さを誇る南海の覇者たちだ。

 だらけきった表情で船体をゆらゆらと揺らしているのは『南方棲鬼』。黒いビキニの上から黒いショート丈のレザージャケットを着て、両手にゴツいクローアームと両足の側面に巨大な連装砲を装備している。三艦の中で実力は一番下だが、普通の深海棲艦とは比べ物にならないほどの性能を誇る。

 南方棲鬼の隣で無表情を貫いているのは『南方棲戦鬼』。格好も装備も南方棲鬼とほとんど一緒だが、膝から下が巨大な深海棲艦と連結しており、その格好はさながらギリシア神話に登場する『ケンタウロス』のようだ。装甲は三艦の中で一番低いが、火力に関しては他の追随を許さない。

 そして、ビキニの下一枚以外に何も身に付けず胸部にある二つのタンクをツインテールで隠しているのが、三艦の中で一番の性能を誇る『南方棲戦姫』だ。痴女スタイルであるにも関わらず、装甲は南方棲鬼、南方棲戦鬼を軽く上回り、両腕に装備された連装砲は敵艦隊を紙くず同然のように吹き飛ばす程の火力を持っている。

 

 と、ここまで三艦が高性能であることを長々と説明したが、その性能も戦闘が無ければ宝の持ち腐れ。敵艦隊の姿も見えず、ただひたすら待ち惚けするしかない南海の覇者たち。研ぎ澄まされていた刃は時間という名のヤスリによってじわじわと研磨され、今では自分の持ち場を放棄して駄弁る事が日課となってしまうほど、だらけきった毎日を送っていた。

 

 

「刺激ガ足リナイワ……誰カ派手ニドンパチヤラナイカシラ」

「ア、アレッテハデニコワレソウジャナイ?」

「ソレジャア、砲撃シテ一番デカイ被害ヲ出シタ奴ガ優勝ネ」

「止メヌカ、阿呆共」

 

 

 そして、そんなだらけきった三艦に駄弁り場を提供、もとい、寄生されて迷惑しているのが『泊地棲姫』である。

 無造作に伸びる長い白髪。黒の超ショート丈チューブトップに黒のミニタイトスカートに黒いロンググローブという黒一色の格好。背中から前方に向かって伸びる長い砲身に加えて、艦上戦闘機、艦上爆撃機を収納した球体を腰周りに装備し、通常の砲撃戦の他にも航空戦や雷撃戦を行うことが出来るハイスペックな深海棲艦だ。

 無人と化した泊地に住み着き、そこを拠点として敵艦隊(艦娘)の掃討を行っていたのだが、南方組が無理やり押しかけてきてからはそちらに手を焼いてばかりでろくに巡視も出来ていない泊地棲姫。

 『泊地棲鬼』を巡視に向かわせてはいるが、やはり憎き艦娘共は自らの手で仕留めたい。しかし、南方三馬鹿組から目を離したら最後、その先に待っているのは収集不能の大惨事だ。既に泊地内の建物はほとんど破壊され、瓦礫が山積みとなってしまっている状態となってしまっている。

 泊地棲姫は南方組を何とか追い出せないか考えていた。力ずくで追い返そうにも、暴れたりない三馬鹿からすれば力ずくは逆に好都合だろう。きっと喜んで撃ち合いを始めるに違いない。かといって、このままのさばらせておく訳にもいかない。いつ爆発するか分からない爆弾をいつまでも手元に置いておくほど、泊地棲姫は酔狂な深海棲艦ではなかった。

 そこで今回、泊地棲姫は三馬鹿が食いつくであろうとっておきの『餌』を用意した。それは、以前巡視していたときに『ある深海棲艦』と『偶然』出会った時に聞いたものだった。

 

 

『ター』

『……何ト、ソレハ本当カ?』

 

 

 泊地棲姫は『その深海棲艦』の話を聞いて耳を疑った。自分たちが忌み嫌われる存在だということは重々理解しているが、そんな自分たちを迎え入れ部隊を編成している物好きな人間が本当に存在するのだろうか。

 泊地棲姫は『その深海棲艦』に何度も問いかける。お前の話は本当に真実なのか。もし真実なら、その人間は一体どこにいるのか。

 泊地棲姫の問いに対し、『その深海棲艦』は単調に答えた。『その深海棲艦』は右肩の赤い丸印を見せながら、この赤丸は仲間として認めたことを証明する印であると説明。そして、ある方向を指差しこう告げた。

 

 向こうに私の主がいる、と。

 

 まさか、と思いながらも、泊地棲姫は『その深海棲艦』が指差した方角から目を離すことが出来なかった。相反するモノ同士が同調など出来るわけがない。しかし、目の前にいる『その深海棲艦』の右肩には本来あるはずの無い印がしっかりと刻まれている。

 これはとても興味深い。自身の常識を覆す情報に興味を持った泊地棲姫は、何とかその物好きな提督と接触して情報の真偽を確かめようと考えていた。

 

 

「ウワ、ナニソレオモシロソウ」

「ヨシ行コウスグ行コウ今行コウ!」

「イイ退屈シノギニナリソウネ」

 

 

 だから、接触するついでにこの三馬鹿を押し付けてしまおう。既に数艦受け持っているのだから、ニ、三艦増えたところで変わりはないはずだ。

 泊地棲姫の真意にまったく気づく気配のない南方組は、泊地棲姫と巡視から帰ってきた泊地棲鬼をつれて、深海棲艦の部隊を持つという人間の下へと向かうのだった。

 

 

 

 

 

 そして数日後。

 

 

「アラ」

「オッ」

「ン?」

「ム」

「……」

 

「アレ?皆ソロッテ何シテルノ?」

「汚シテヤル……太陽ナンテ……」

 

 

 二つの『偶然』が一つとなり、ブイン基地に襲い掛かろうとしていた。

 




次回・・・進撃の深海棲艦1


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着任十八日目:旗艦 其の一

航空戦艦がマイブーム。


「アレガソウジャナイ?」

「ソウミタイネ」

 

 

 東の海から朝日が顔を出し始めた時間帯。深海棲艦一行は数十日にも及ぶ航海を経て、ようやくブイン基地を視界に納めた。

 観光気分の南方組と飛行場姫、裏に悪意を秘めた泊地組、カチコミ気分のやさぐれ深海棲艦。それぞれの目的は異なるが行く先は同じだ、と言うことで行動を共にすることになったのだが、それがどういう事態を生み出すのか彼女たちは知らなかった。

 強い力は有象無象を引きつける。出発時に七艦だった艦隊は、いつの間にか二百を超える大艦隊にまで成長してた。駆逐艦から戦艦まで、ありとあらゆる深海棲艦が周囲にうごめき艦隊を組んでいる。その光景はまるで黒い津波が押し寄せてきているかのようだ。

 

 

「結構ナ大所帯ニナッタケド、大丈夫カシラ?」

 

 

 周囲が殺伐としている中、ひたすらマイペースを貫く南方棲戦姫。深海棲艦が勝手に増えて艦隊を組むのはあたりまえ。人間側からは異常に見えるこの光景も、彼女たちにとっては特に気にすることの無い些細な日常の一片でしかない。

 故に、自分たちが周りからどういう目で見られているかなどまったく気にしないし考えない。自分よければすべてよし。南方棲戦姫を初めとする他の鬼型姫型深海棲艦は、常に自分目線最優先で行動しているのだ。

 

 

「盛大ナ歓迎ヲ期待」

「ワタシハカンゲイサレルヨリモ、カンゲイスルホウガスキナノダケレド」

 

 

 続けて言葉を発したのは南方棲戦鬼と南方棲鬼。言っていることは至極普通の事だが、その言葉をそのまま鵜呑みにしてはいけない。彼女たちの『歓迎』とは、すなわち『派手なドンパチ』だ。敵を危険視する警戒態勢も、迎え撃つ準備万端の臨戦態勢も、彼女たちの前ではたちまち『手厚いおもてなし』に早代わりとなる。

 ただ勘違いしないで欲しい。彼女たちはちょっと残念なだけで、戦闘がしたいだけの戦闘狂と言うわけではない。

 「目が合ったから」というだけで戦いを挑んでくるような理不尽な真似はしないし、日頃から「夜戦したい!夜戦したい!」と口走ることもしない。困っている相手を見かけたら手を貸すし、逆に助けられたら感謝の気持ちをこめて礼をする。

 ノブレス・オブリージュ。「高貴な振る舞いには高貴な振る舞いで返せ」を地で行くのが、彼女たち南方組である。

 

 

「アラアラ、手厚イ歓迎ジャナイ」

 

 

 しかし、彼女たちの中で不思議なことが起こった。『歓迎=派手なドンパチ』と『ノブレス・オブリージュ』が超融合してしまい『高貴な振る舞い(派手なドンパチ)には高貴な振る舞い(派手なドンパチ)で返せ』というトンデモ理論が生まれたのだ。もう一度言うが、彼女たち南方組は戦闘狂ではない。ただ、少しだけ考えがズレている残念な娘たちなのである。

 だから、鎮守府正面海域で深海棲艦組を待ち構えている殺気立った艦娘たちを見て、闘志を滾らせるのも仕方の無い事なのだ。頭上から降り注ぐ爆撃機の雨を見て、恍惚とした表情を浮かべるのも仕方の無い事なのだ。

 

 

「アァ、素敵……」

 

 

 次の瞬間、深海棲艦の大艦隊に開戦を告げる爆撃音が響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やったか!?」

 

 

 爆煙に包まれた敵艦隊を見た軽空母『龍驤』は思わず叫んだ。

 ブイン基地の目の前まで迫った深海棲艦の大艦隊。敵艦艇の数は優に二百を超え、中には強力な力を持つ鬼型や姫型の深海棲艦もいるという情報を偵察部隊から事前に聞いてはいたが、やはり話で聞くのと実際に見るのとでは迫力が明らかに違う。龍驤は額に浮かぶ汗を拭った。

 龍驤たち空母の役目は敵艦隊に対して先制攻撃を成功させ、少しでも多くの敵艦を撃沈することだ。今の攻撃がどれだけ直撃したかによって今後の戦況は大きく変化する。自身に課せられた重大な役目を全うしようと気合十分の龍驤は全身全霊をかけて攻撃を放ち、そして、聞こえたきた爆撃音に確かな手ごたえを感じた。

 会心の一撃。これまでに無いほどの最高の攻撃。龍驤は確信していた。さすがに全ての敵を撃沈は出来ていないだろうが、今の攻撃で大多数の敵を沈めることができたはずだ、と。

 

 

「何……やて……?」

 

 

 龍驤の期待は裏切られる。まるで何事も無かったかのように、敵艦隊は先制攻撃前と変わらない姿で現れた。

 ざぁざぁ、と波を切って進軍してくる敵艦隊を見た龍驤は恐怖する。今、鎮守府正面海域に展開されているのは、着任した提督たちが持ちうる全ての艦隊を投入したブイン基地の総戦力。

 ブイン基地に着任した全ての空母たちが一斉に爆撃を行い、普通の艦隊ならば一艦たりとも残らない嵐のような攻撃は敵の大艦隊に直撃した。

 

 

「敵の数……本当に減ったん?」

 

 

 しかし、敵艦隊の数が減った様子はまったく見られない。煙幕の中から現れた黒い大波は、未だに海の青を隙間無く黒で塗りつぶしていた。

 空母たちの攻撃は確かに敵の大艦隊に直撃した。その攻撃で成す術なく撃沈した深海棲艦も多数存在する。ただ、敵艦隊の数はあまりにも膨大過ぎた。深海棲艦の大艦隊は、今撃沈した数では隙間が空かないほどの数を有していたのだ。

 故に、艦娘側から見れば深海棲艦の数が減っていないように見えてしまう。自分たちの攻撃が通用していないと錯覚してしまう。

 

 

「ハハ……こりゃ、もうダメかもわからんね」

 

 

 悠然と進軍してくる敵艦隊を前に、龍驤は引きつった笑いを浮かべることしか出来なかった。龍驤だけじゃない。今の攻撃を見ていた艦娘たちの大多数は思った。タチの悪い冗談だ、夢なら覚めてくれ、と。

 しかし、いつまでも現実から目を背けているわけにもいかない。最高のハッピーエンドか、及第点なノーマルエンドか、最悪のバッドエンドか、艦娘たちの頑張り次第でブイン基地の未来は変わるのだ。既に賽は投げられた。戦わなければ生き残れない。

 

 

「……全艦、砲撃開始っ!!」

 

 

 一抹の不安を抱きながら、艦娘たちのブイン基地防衛戦は幕を開けた。

 艦娘と深海棲艦の性能はほぼ互角。中には改装して性能が強化された艦娘もいるが、深海棲艦側にもエリート艦やフラグシップ艦といった強い力を有した深海棲艦がいる。よって、艦娘と深海棲艦の性能にそれほど大きな差は無いと見ていいだろう。

 そうなると、物を言うのは数と錬度だ。数においては深海棲艦側が有利。燃料、弾薬に限りがある以上、時間が経過すればするほど艦娘側が不利になってゆくだろう。

 

 

「よし、一艦撃沈!」

「フラグシップ!?左舷、注意して!」

「ふん、その程度の攻撃。俺には通用しないぞ!」

 

 

 だが、錬度においては艦娘側が圧倒的に有利だ。これまで沢山の実戦経験を積み、苦難を乗り越えてきた艦娘たちは深海棲艦が絶対に持ちえることのないたった一つの武器を手に入れた。

 それは『絆』だ。例えば、深海棲艦の駆逐艦はただひたすら前進し、眼前の敵に向かって主砲を放つことしかしない。しかし、艦娘の駆逐艦は縦横無尽に戦場を走り、現状を見極め、仲間と協力して敵を倒す。これが深海棲艦と艦娘の違いだ。

 共に支えあい、共に戦う。互いを気遣う気持ちが紡ぎだす『心』の力。それが、艦娘たちの不利な数差を補っていたのだ。

 

 

「敵艦、撃沈!」

「流石です扶桑お姉様!」

 

 

 敵艦隊中央を食い破るニ艦の戦艦。扶桑型戦艦の『扶桑』と『山城』には、その効果が顕著に表れていた。

 出撃前、自身の艦隊が敵艦隊のど真ん中と相対する位置に配置されると知った扶桑と山城は絶望した。自分たちが不幸の星の元に生まれきたことは自覚していたが、その不幸がここまで影響しようとは。敵の集中砲火を浴びやすい場所に配置された不幸と、敵艦隊の中央を押さえ込むという役割の重圧に参った扶桑と山城は開戦前から疲労状態だった。

 しかし、開戦後はその疲労が嘘のように吹き飛んだ。扶桑が砲撃をすれば、背後の山城が扶桑を狙う敵を撃つ。山城の視界の外からの攻撃を扶桑が受け、激情した山城がお返しといわんばかりに主砲を放ち敵を沈める。まさに阿吽の呼吸。姉妹艦のため元々息は合っていたほうだが、今日のニ艦は以心伝心と言っていいほど息がぴったり合っていた。

 結果、現時点での敵撃沈数は扶桑が一位を独走。自分は不幸だと下を向いていた普段の扶桑からは想像もつかないほどの好成績だ。援護に徹している山城は扶桑ほどではないが、それでも上位に食い込むほどの敵を既に沈めている。

 

 

「いける……いけますよ!」

「扶桑さん、山城さん!私たちも援護します!」

 

 

 そして、その戦果は周囲にも影響を及ぼした。敵の大艦隊のど真ん中を突き進むニ艦の戦艦に触発され士気が高まる艦娘たち。周囲の駆逐艦、軽巡洋艦たちは扶桑の率いる艦隊に合流し、文字通り一丸となって敵の大艦隊を突き破っていった。

 

 

(フフ……ついに扶桑型戦艦の時代が来たみたいね……!)

 

 

 扶桑は心の中で密かに喜びを露にした。周囲の艦隊が自分に追従し、まるで自分を旗艦のように慕っているという事実が、扶桑を更なる高みへと押し上げる。黒い荒波が押し寄せる中、扶桑の主砲は追従する艦娘たちの進むべき道を切り開いた。

 

 

「扶桑お姉様、援護しますっ!」

 

 

 山城の絶妙な援護も未だ健在だ。敵の攻撃が激しさを増す中、扶桑と山城はひるむことなく戦い続ける。激しく降り注ぐ鋼鉄の雨をかいくぐり、荒れ狂う黒い大波を突き進むニ艦の姿はまさに英雄と呼ぶにふさわしいだろう。

 しかし、周囲の艦娘たちまでそうとはいかない。山城と扶桑が激しい戦火の中で戦えるのは、ひとえに戦艦の持つ強固な装甲と火力のおかげだ。敵の攻撃をものともしない装甲と、一撃必殺の威力を誇る主砲があったからこそ扶桑と山城は戦い続けてこれたが、周囲の軽巡、駆逐艦の艦娘たちには強固な装甲も一撃必殺の火力も無い。なかなか減らない敵を相手取り、蓄積するダメージを気にしながら戦う彼女たちが今の激しい戦火の中で戦い続けるには無理があったのだ。

 このまま攻撃を受け続ければ、遅かれ早かれ誰かが沈むだろう。徐々に疲弊していく艦娘たちを見た扶桑は思考する。戦争と割り切り周囲を無視して前進するか、仲間を守るために一度撤退するか。

 

 

「……全艦、一度撤退してください!殿(しんがり)は私と山城が勤めます!」

 

 

 自分を慕ってついてきてくれた仲間を無下に扱う事なんてできない。即決にも近い速さで扶桑は撤退を選んだ。

 申し訳なさそうな表情で撤退していく仲間たちを背に、扶桑と山城は敵艦隊を足止めする。主砲を迫り来る深海棲艦に次々と叩き込み、撤退の時間を稼ぐ扶桑と山城。その火力は敵を足止めをするどころか、その場で敵を全滅させる勢いだ。

 

 

「さあ、一気に行くわよ山城!」

 

 

 もう自分たちを止められる艦はどこにもいない。妹と一緒なら、自分は何処まででも行ける。勢いに乗る扶桑は高らかに声を上げた。

 

 

「…………」

 

 

 山城からの返事は無い。おそらく、いや、絶対返事が帰ってくると思っていた扶桑は大きな違和感を覚えた。

 姉の姿が見えなくなるとすぐに「扶桑お姉様はどこですか?」と聞いて回るほど、山城は扶桑の事を慕っている。提督という存在と姉を天秤にかけた時、問答無用で姉を選ぶ重度のシスコン。それが山城という戦艦だ。

 故に、扶桑は今の反応に対して違和感を覚えざるを得なかった。山城が扶桑の言葉を無視したことは今までに一度も無い。姉である扶桑を心の底から慕っている山城が、姉の言葉を無視することは絶対にありえない。たとえ戦場であってもだ。

 

 

「山城?」

 

 

 不安に突き動かされた扶桑は背後へと振り向いた。

 きっと敵の対応に追われて返事をする余裕がないだけなんだ。もしかしたら自分の声が砲撃音にかき消されて聞こえなかっただけかもしれない。もう少ししたらきっと返事が返ってくる。湧き上がる不安を振り払おうと、扶桑は自分に対して数々の言い訳を並べる。

 

 

「……っ!!!」

 

 

 扶桑の視界に飛び込んできた現実は、扶桑が想像していた以上に残酷だった。

 山城は全身に硝煙を纏いながら水面に倒れ伏していた。扶桑型戦艦のトレードマークとも呼べる背中の超弩級の主砲は無残に破壊され、衣服のほとんどは焼け焦げてしまっている。

 扶桑の視界の中央に映るのは轟沈寸前の妹。そして、視界の隅には山城を倒したと思わしき敵艦艇の両足が見えた。

 扶桑は徐々に視線を上へと向ける。真っ黒なニーハイブーツの下から見える白い肌。上下のビキニとショート丈のレザージャケット。凶悪な形象をした両腕の主砲。そして、赤みがかった白く長いツインテール。

 

 

「コンニチハ。カンゲイサレテアゲルワネ」

 

 

 時代の幕開けから数十分後、扶桑型戦艦の時代は早くも終わりを告げた。

 ついに各所で猛威を振るい始めた深海の悪魔たち。この時より、戦況は一気に逆転することになる。

 




次回・・・旗艦 其のニ


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着任十九日目:旗艦 其のニ

この小説ではかませ犬だった扶桑お姉様も、リアルのイベントでは大活躍。天津風ゲットだぜ!


 その日、叢雲はやる気に満ち溢れていた。

 ブイン基地総司令部から送られてきた伝令によると、深海棲艦の大艦隊がブイン基地に接近中で、その大艦隊を相手にブイン基地は総力を結集して戦いを挑むというのだ。

 敵の規模からして、今回の戦いはこれまで経験した戦いの中で一番激しいものになるだろう。元々武人気質だった叢雲はその伝令を聞いて闘志を燃え上がらせた。

 

 

(フフッ、いよいよ私の真価を見せる時が来たようね……!)

 

 

 戦場を颯爽と駆け抜け敵を倒す自身の姿を想像し思わず笑みを浮かべる叢雲。声を大にして言えることではないが、叢雲は深海棲艦の大艦隊が来るのを待ちわびていた。

 そして今日、その大艦隊はブイン基地の正面海域に姿を現した。待ちに待った大戦がついに始まる。叢雲は一週間前から自身の体調、装備、身だしなみ、全てを整えた万全の状態で待ち構えていた。

 

 

「なのに……なのに何で!私たちだけが『待機』なのよっ!!」

 

 

 しかし、叢雲が配置されたのは前線から遠く離れた後方。もっと詳しく言えば司令部の港であった。せっかく準備を整え気合も十分だった叢雲が何故このようなところに配置されたのか。それは、彼女と同じ艦隊に所属している娘たちが原因だった。

 叢雲が率いる艦隊の構成は駆逐艦(叢雲)、重雷装巡洋艦、重巡洋艦、軽空母、戦艦、正規空母の六艦だ。一見、十分な戦力がそろっているように見える艦隊だが、それは艦艇の種類で判別した場合のみの話。パッケージに書かれた絵とパッケージの中身が同じモノとは決して言い切れないのだ。

 

 

「チ……」

「リ!」

「ヌゥ」

「ルー」

「ヲっ」

 

 

 そう、叢雲が率いる艦隊は『艦娘』の艦隊ではなく『深海棲艦』の艦隊。艦娘たちと敵対し、艦娘たちと日夜衝突している『敵』なのだ。

 そして、その『敵』が今眼前に押し寄せてきているわけで。とどのつまり、何が言いたいのかと言うと。

 

 

「もうっ!何でアンタたちはそんな紛らわしい格好してるわけ!?」

 

 

 この一言に尽きる。紛らわしいのだ。何百と押し寄せてくる深海棲艦の中に叢雲の艦隊が混ざれば区別がつかなくなってしまう。一応左肩に赤い丸印をつけてはいるが、それも戦場の中に入れば無きに等しい。

 味方の艦隊の中に敵が紛れていては余計な混乱と騒ぎを引き起こす可能性があるという理由から、叢雲たちの艦隊は後方での待機を命じられたのだ。

 

 

「リ!」

「はぁ、どうしていつもこう……って、ちょっと!?アンタどこに行こうとしてるのよ!アンタたち、アイツを取り押さえなさい!」

「チ……」

「ヌゥ」

「まったく……はいそこ!無駄に資材を消費しない!」

「ヲっ」

「ダメなものはダメなのよ!」

「ルー」

「何自分は関係ないみたいな顔してるのよ!アンタも手伝いなさい!」

 

 

 結局、叢雲がやることはいつもと変わらない。あれこれ勝手な行動を取る深海棲艦たちの保護者役として、今日も彼女は苦労するのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 拮抗は崩れた。鬼型、姫型の深海棲艦たちが本格的に動き始めたことにより苦戦を強いられることとなった艦娘艦隊。攻勢だった中央の戦線も瞬く間に押し返され、艦娘艦隊の最終防衛ラインはじわりじわりと後方へ下がってゆく。

 気力だけで何とかなるほど戦いは甘くない。数差を埋めていた艦娘たちの『絆』の力も、決して万能ではないのだ。戦闘による肉体的疲労と精神的疲労、そして、敗北と轟沈に対する不安と恐怖は艦娘たちの身を少しずつ蝕んだ。

 『心』を持っているが故に起こってしまった戦闘力の低下は艦娘艦隊の士気にも大きく影響した。一度取り付いた恐怖はそう簡単に拭えはしない。瞳に涙を浮かべながら震えた手で放つ攻撃はまったく命中せず、何とか敵に接近されまいと狙いを定めぬ我武者羅な砲撃を行い無駄に弾薬を消費し、勇敢と無謀を履き違えて突撃し被弾する。元々不利だった戦況は、更に不利な方向へと進んでいった。

 そんな中、今の現状を何とか打破しようと抗う一艦の艦娘がいた。

 

 

「勝手は榛名が許しません!」

 

 

 猛威を振るう南方組の三艦と相対するのは金剛型三番艦の高速戦艦『榛名』。今の戦況を生み出した原因は鬼型、姫型の深海棲艦にあると踏んだ榛名は近くで暴れていた南方棲鬼、南方棲戦鬼、南方棲戦姫に戦いを挑んだ。

 鬼型、姫型の装甲を貫くには戦艦級の火力が必要だ。周囲の重巡洋艦、軽巡洋艦ではいささか火力に欠ける。そのため、後からその場に駆けつけた榛名の存在は戦っていた艦娘たちにとってまさに救世主と呼べる存在だった。

 周囲の期待を背に、榛名は奮闘した。この三艦を倒せるのは自分しかない。この三艦を倒せば戦況は必ず変わる。仲間たちに少しでも希望を与えようと、榛名は一心不乱に戦い続けた。

 

 

「チョロイッ!」

「甘イ」

「チョロ甘ネ」

 

 

 しかし、それでも敵には届かない。

 周囲の重巡洋艦、軽巡洋艦が榛名を援護するが、その援護も南方組の前ではまったくの無意味。反撃を受けた周囲の艦娘たちは一艦、また一艦と数を減らしていった。

 このままではいけない。何とかしないといけない。榛名は満身創痍の身に鞭打ち立ち向かう。高速戦艦特有のスピードを生かした立ち回りで敵を翻弄し、南方組の注意を自分にひきつけてから至近距離で主砲を相手に叩き込んだ。

 もう何度目か分からない敵の被弾。次こそは、今度こそは。榛名は敵の撃沈を願う。

 

 

「残念ネ」

「……っ!」

 

 

 余裕の表情を見せる南方組とは対照的に苦しげな表情を浮かべる榛名。敗北の足音は、すぐそこまで迫っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 同時刻、荒れ狂う南方組とは違い静かに、そして確実に歩みを進める深海棲艦がいた。

 

 

「マッタク、忌々シイ艦娘共メ……」

「……」

 

 

 目に付く艦娘を片っ端から攻撃する泊地棲姫と泊地棲鬼の泊地組。他を寄せ付けぬ火力で周囲を圧倒する泊地棲姫と、静かに追従する泊地棲鬼の姿は艦娘たちに深い絶望を与えた。

 艦娘が接近しようとすれば艦載機で牽制し射程外へと追いやり、手も足も出せなくなったところで一方的に砲撃する。ただ主砲をぶっ放す南方組とは違う、自身の性能と装備を十二分に発揮した攻撃で敵を封殺していく泊地棲姫。そして、それに付き従うように動く泊地棲鬼はひたすら援護に徹している。その動きは、仲間を気遣い助け合う艦娘たちの動きとよく似ていた。

 艦娘たちが戦いの中で培ってきた力を『絆』と呼ぶなら、泊地組の見せる強さは『信頼』と呼ぶべきだろう。互いに絶対の信頼を置く主従の関係が生み出す力。長い戦いの中で成長していたのは艦娘だけではなかった。

 悠然と戦場を進む泊地組。そんな泊地組の前に一組の艦娘が立ちはだかる。

 

 

「長門型一番艦、戦艦『長門』が相手だ!」

「同じく長門型のニ番艦、戦艦『陸奥』よ。よろしくね」

 

 

 他の艦娘より強い『絆』で結ばれた姉妹艦であり、かつて世界最強と謳われた七つの抑止力に名を連ねる戦艦。長門型戦艦姉妹が泊地組に戦いを挑んだ。

 戦艦の中でも最高の火力を誇る長門型の攻撃は鬼型、姫型深海棲艦にとって十分脅威となり得る。長門の攻撃を一目見た瞬間、泊地棲姫は相手が一筋縄ではいかない事を悟った。

 長門と陸奥の攻撃を警戒しつつ、艦載機でニ艦をかく乱しながら泊地棲鬼に敵を狙わせる泊地棲姫。対する長門は、持ち前の高い対空能力を生かし泊地棲姫の艦載機を確実に落とし、そして、長門に狙いを定めた泊地棲鬼を陸奥が狙い撃つ。泊地組の『信頼』と長門型姉妹の『絆』の戦いは五分五分だった。

 両軍一歩も引かない戦いは熾烈を極めた。巻き込まれた他の深海棲艦は次々と沈み、巻き込まれることを恐れた他の艦娘たちはその場から離れてゆく。その結果、泊地組と長門型姉妹の周囲には大きな空間が広がっていた。

 横槍が一切入らない一騎打ちの状況に長門は闘志を滾らせる。たとえ相手が姫型の深海棲艦だろうと、一騎打ちの殴り合いなら絶対に負けない。目の前の敵に集中し始めた長門は凄まじい勢いで泊地組を攻め立てる。

 そして、ついに長門は泊地棲姫の艦載機を全て打ち落とした。既に敵本隊は射程内、このまま一気に勝負を決めてやる。周囲を見渡し敵が泊地組だけだということを確認した長門は、すぐさま主砲の砲頭を泊地棲姫へと向けた。

 

 

「終わりだ!」

「ソレハコチラノ台詞ダ」

 

 

 長門が勝利を確信した瞬間、泊地棲姫の口元が大きく歪んだ。

次の瞬間、長門の足元で何が炸裂。体勢を崩した長門の砲撃は大きく逸れ、混戦続く戦場へと消えていった。

 一体何が起こったのかまったく理解できていない長門は慌てて体制を立て直す。長門は再び周囲を見渡すが、やはり周囲に泊地組以外の敵艦艇の姿は無い。続けて艦載機から攻撃を受けた可能性を考える長門だが、その考えはすぐに切り捨てる。泊地棲姫から艦載機で牽制を受けていた長門は艦載機の攻撃に対して細心の注意を払っていた。見落とすはずなどあり得ない。

 

 

「長門、潜水艦よ!」

 

 

 陸奥の言葉でハッ、とした長門は揺らめく水面へと視線を向けた。すると、少し離れた海中で敵潜水艦が怪しい光を放ち鎮座しているのが見えた。

 長門は己の注意不足に顔を歪ませる。今まで泊地棲姫の牽制を気にしていたばかりで水中への注意を怠っていた上に、周囲に敵の姿が無いから一騎打ちだと勝手に思い込んでいた長門の落ち度だ。

 罠にかかった長門に対し歪な笑みを浮かべる泊地棲姫は冷たく言い放った。

 

 

「イツカラ他ノ敵ハイナイト錯覚シテイタ?私ハオ前タチトマトモニ戦ウツモリナド毛頭ナイ。ドンナ手段ヲ使ッテデモ、オ前タチ艦娘ヲ倒ス」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 艦娘航空部隊の主力であるニ航戦『蒼龍』と『飛龍』は事態の対処に追われていた。

 開戦直後の先制攻撃から序盤の戦闘まで大いに活躍し、その後敵艦隊よりも先に制空権を確保することに成功した艦娘航空部隊。海上の敵艦艇はもちろん、海中に潜む敵潜水艦まで寄せ付けない圧倒的な戦力を持って戦場を支配していた。

 

 彼女が現れるまでは。

 

 

「墜チテ」

 

 

 動き出した飛行場姫が艦娘たちの確保した制空権を徐々に奪い返し始めた。

 制空権を確保しながら敵艦載機を攻撃するのは至難の業だ。深海棲艦の空母たちが所有する艦載機の性能はそこまで高くはないが、いかんせん数が多い。制空権確保を最優先とした艦娘航空部隊は海上の敵艦艇への攻撃を一時中断し、迫り来る敵艦載機を迎え撃った。

 多数の敵空母から放たれた敵艦載機の数は大量発生したイナゴの如く空を飛ぶ。その敵艦載機の中に紛れ、飛行場姫の艦載機は艦娘たちの放った艦載機を立て続けに撃ち落していった。

 

 

「ちょっとちょっとぉ!あの艦載機動きが良すぎでしょっ!」

「多分、鬼型か姫型の深海棲艦が放ったものでしょうけど……これじゃあ制空権が」

 

 

 蒼龍と飛龍は焦っていた。圧倒的な数を誇る敵艦載機を『艦載機の性能』と『絆』の力で何とか抑え込んできたが、飛行場姫の艦載機が現れたことによりその抑えが利かなくなり始めている。

 制空権が奪われることを危惧する飛龍は迫り来る敵艦載機を撃ち落しながら願った。誰でもいい、あの艦載機を放つ深海棲艦を早く倒して欲しい、と。

 

 

「ダカラ無理ナノニ……」

 

 

 飛龍の願いを踏みにじるかのように、飛行場姫は接近してきた艦娘たちを吹き飛ばした。

 もし飛行場姫が普通の空母だったのならば艦娘たちにも付け入る隙はあったのかもしれない。しかし、飛行場姫はただの空母ではない。艦載機を搭載した戦艦『航空戦艦』なのだ。名前に『飛行場』と入っているにも関わらず、その実彼女は戦艦なのだ。

 接近してきた艦娘は漏れなく砲撃の餌食となる。戦艦級の、しかも深海棲艦の中でも最上位の姫型の砲撃を受ければひとたまりもないだろう。

 艦娘たちの艦載機は刻一刻と数を減らしてゆく。艦娘側の制空権は、もう半分以上が飛行場姫の手によって奪い返されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「くっ……」

「マズいな」

「でも、やるしかないわ!」

「ほ、本当に勝てるのですか……?」

 

 

 妙高型重巡洋艦の四姉妹『妙高』『那智』『足柄』『羽黒』は窮地に陥っていた。周囲の艦娘たちが苦戦を強いられている今、自分たちの勝利が状況を打開する大きなきっかけになる。妙高四姉妹は自身に課せられた重要な役目を果たそうと、全身全霊をかけて戦いに望んでいた。

 

 

「今……私ヲ笑ッタワネ?」

 

 

 妙高四姉妹が相手を任されたのは完全に独立した砲台型の深海棲艦を従えるニ艦で一艦の深海棲艦『戦艦棲姫』だった。深海棲艦の中でも特に攻撃力の秀でた戦艦棲姫の砲撃はまさに一撃必殺。被弾すれば敗北必死の一発勝負に挑む妙高四姉妹は、奇跡的な回避によって戦艦棲姫と互角の戦いを見せていた。

 

 

「あれは……!」

「浮遊要塞だと!?」

 

 

 しかし、戦艦棲姫の上空に深海棲艦『浮遊要塞』が現れた時より状況は一変した。戦艦棲姫の砲撃にばかり警戒していると空から浮遊要塞の砲撃を受け、逆に浮遊要塞を標的にすれば戦艦棲姫に隙を見せてしまうことになる。

 一撃必殺である戦艦棲姫の砲撃だけは絶対に受けてはならない。となれば、妙高四姉妹が進むべき道は一つしかない。肉を切らせて骨を絶つ。妙高四姉妹は浮遊要塞の攻撃を受け続けながら戦艦棲姫と戦う覚悟を決めた。

 浮遊要塞の砲撃が被弾しても決して怯むことなく、臆さず、勇敢に、妙高四姉妹は戦い続けた。周囲には目もくれず、鬼気迫るまでの気迫で戦艦棲姫を倒すことだけに全力を注ぐ。その攻撃は少しずつではあるが、確実に戦艦棲姫の装甲を削っていた。

 

 

「最低ノ敗北ヲ味ワイナサイ」

 

 

 戦艦棲姫がつぶやくと同時に、妙高四姉妹の怒涛の攻撃が止まった。

 那智、足柄、羽黒は視線を空へと向けていた。三艦の顔からは鬼気迫る表情は消え、ただ呆然と空を眺めている。三艦の目に映るのは徐々に姿を消してゆく太陽と不自然に形を変えてゆく真っ白な雲。そして、赤みがかった巨大な物体。

 

 

「浮遊……要塞……」

 

 

 雲を裂きゆっくりと降下してきたニ艦の浮遊要塞。最初に現れた一艦とあわせて三艦の浮遊要塞が戦場の空を覆った。

 那智、足柄、羽黒は自軍の敗北を悟る。既に艦娘艦隊は限界ギリギリの状態だった。これまでは背水の陣による士気の向上と『絆』の力で何とか戦ってこれたが、疲労による戦闘能力の低下、鬼型姫型の台頭により一気に劣勢へと転じた艦娘艦隊に敵援軍を跳ね除けるだけの力はもう残っていない。

 自分たちは負ける。今、辛うじて繋がっていた自分たちの希望が完全に断ち切られたと、戦場にいる艦娘の誰もが思った。

 

 ただ一艦を除いては。

 

 

「敗北?いいえ、違います」

 

 

 戦艦棲姫のつぶやきに言葉を返したのは妙高四姉妹の長女『妙高』。周囲が絶望の表情を浮かべる中、彼女だけが笑みを浮かべていた。

 

 

「この戦い、我々の勝利です!」

 

 



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着任二十日目:旗艦 其の三

最近、デイリー建造(30,30,30,30)でよく夕張が出てくるんですが。

追記:細かいところをちょっと修正。過去に投稿した分も、ちょくちょく修正入れていきます。

追記2:感想に返信しました。スペシャルヒロインのタグを追加しました。


 ブイン基地総司令部。そのとある一室に、ブイン基地を束ねる五人の元帥が一堂に会していた。そして、現在ブイン基地に向かって進行中の深海棲艦の大艦隊を相手にどう対処すべきかを話し合っていた。

 敵勢力がブイン基地の総力を大きく上回っているという報告を聞き、元帥たちはこれまでの経験から答えを導き出す。おそらく、真っ向から立ち向かってもブイン基地に勝利はない。元帥たちは皆同じ結論に至った。

 敗北を免れるためにはそれ相応の策を講じる必要がある。大きな戦力差を覆す最高の一手。元帥たちの意見はまたしても一致した。

 

 

「呼ぶか、援軍」

 

 

 元帥たちは軍の通信回線を用いて各鎮守府に支援の要請を行った。

 各鎮守府も既に情報を掴んでいたのか、支援の要請はあっさり通る。最高の支援を見せてやる、という自信満々の返答にはブイン基地の元帥たちも思わず笑みをこぼした。

 そして今日、各鎮守府から集められた支援艦隊がマルゴマルマル時にブイン基地に到着した。となる予定だったのだが、ここにきて予想外の事態が発生した。

 

 

「申し上げます。支援艦隊到着予定時刻はマルナナマルマル前後との事です」

「マルナナマルマルって、遅くなってんじゃねえか!」

 

 

 何故か、支援艦隊の到着が予定よりも二時間以上も遅れているのだ。敵艦隊到着予定時刻はマルロクマルマル時前後。どう見積もっても、支援艦隊よりも先に敵艦隊が到着してしまう。

 戦闘を予定していた海域を鎮守府正面海域まで下げ限界ギリギリまで支援艦隊の到着を待ったが、マルロクマルナナ時、ついに敵艦隊が水平線の彼方から姿を現した。

 これ以上の後退は出来ない。となれば、やるべきことはただ一つ。元帥たちは交戦を決断した。そして、当初の見立てどおり艦娘艦隊は劣勢を強いられる。

 最終防衛ラインは徐々に後退。元帥たちの艦娘を鬼型姫型の抑えに向かわせたが、少数の艦娘で鬼型姫型をいつまでも押さえ込めるわけがない。抑えの誰かが敗北する前に状況が好転しなければ、ブイン基地に勝利はない。元帥たちは皆机に向かい険しい表情を浮かべていた。

 しかし、その不安は今まさに消し飛ばされた。待ちに待った一報がついに届いたのだ。

 

 

「やれやれ、何とか間に合ったか」

 

 

 そう言って、元帥たちはそれぞれ大きなため息をついた。おもむろに立ち上がった一人の元帥が、双眼鏡を手に取り部屋の窓から海上を観察。支援艦隊の様子をうかがった。

 

 

「あー……そりゃ遅くなるわけだ」

 

 

 海上を眺める元帥は支援艦隊が敵の後方より押し寄せてきているのを確認すると同時に、支援艦隊が遅れてきた理由を察知した。後方から聞こえてくる補佐官の報告を聞きながら、海上を眺める元帥は思った。

 

 

「支援艦隊、総数二百が戦線に加わるとのことです」

(『元帥』が所有する艦隊のオンパレードとか、援軍にしちゃ豪華すぎるぜ……)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぅ……うぅっ……」

「アラアラ、モウ終ワリ?」

 

 

 榛名は全力を尽くした。南方棲鬼、南方棲戦鬼、南方棲戦姫の三艦を一気に相手取り、勝利を信じて戦い続けた。

 しかし、現状が覆ることはなかった。南方組は榛名の全身全霊をかけた攻撃をまるで飛びかかってきた虫を払うかのように簡単にあしららい、そして虫をなぶり殺すかのように榛名を蹂躙した。

 少しずつ損傷していく榛名を見て満面の笑みを浮かべる南方組。彼女たちからすれば最高の『おもてなし』をしているつもりだが、艦娘から見れば彼女たち南方組の行為は極悪非道の残虐行為でしかない。徐々に弱っていく榛名。損傷もひどく、燃料と弾薬の消費も激しい。誰が見ても、榛名の敗北は明らかだった。

 しかし、それでも榛名は戦う事をやめなかった。

 

 

「マダヤルノ?」

「ぐぅっ!……っ、はぁああ!!」

「芸ガナイノネ」

「きゃっ……まだまだぁ!」

「ソロソロ飽キタナ」

「きゃああぁああーっ!!」

 

 

 服が焼け焦げ、装備がボロボロになりながらも榛名は立ち上がる。虚ろな目で南方組を睨みつけ、自分はまだ戦えると必死にアピールした。

 そんな榛名に対し、南方組は素朴な疑問を抱く。何故、彼女はそこまでして立ち向かおうとするのか。既に戦える状態ではない、満身創痍の体で何故そこまで戦えるのか。南方棲戦姫は自分の思いをそのまま口にした。

 

 

「……やる……しか……ない……です」

「ソレハ何故?」

「私は……元帥様の艦……娘……皆が……進むべき……道……切り開く……」

「チョット、聞コエナインダケド?」

「私が……やるしか……ないんです!」

「ダカラナンデ?」

 

 

 大きく息を吸った榛名は、凛とした力強い声で答えた。

 

 

「私は!ここではお姉さんなんです!この戦場にいる誰よりも先に『艦娘』として生まれたんです!姉が妹を守るのに理由はいりません!!」

 

 

 榛名はかつて自分が見ていた『姉』の背中を思い出す。多くの戦場を共に潜り抜け、艦隊の窮地を何度も救ってくれた自慢の姉。いつかあんな風になりたいと何度も思った憧れの存在。

 元いた鎮守府からブイン基地へ異動となった後、榛名はブイン基地に着任する艦娘たちと出会った。生まれたばかりで戦いを知らない娘たち。彼女たちとの触れ合いを経て、榛名はある思いを抱いた。

 このブイン基地で、自分が憧れた姉のような存在になりたい。まだ右も左も分からない彼女たちを導く存在になろう、彼女たちに頼られる立派なお姉さんになろう。いつか憧れた姉の背中に追いつくために、自分も新たな一歩を踏み出そう。

 榛名は自身に新たな誓いを立てた。

 

 

「イミワカンナイ」

「モウ十分デショ」

「ソロソロ閉幕トイキマショウ」

 

 

 皆が少しでも安心して戦えるように自分が率先して前に出よう。自分が一艦でも多く敵を倒して皆に希望を与えよう。深海棲艦の大艦隊がブイン基地に向かっていると聞いた時、榛名は密かに決意した。

 かつて自分が見ていた頼れる姉の背中を、今度は自分が見せるんだ。そう意気込んで、榛名は戦いに臨んだ。

 

 

「今、楽ニシテアゲルワ」

「う……ぅあ……」

 

 

 榛名の思いは届かなかった。敵の圧倒的な力に押しつぶされ、攻撃どころか動くことすらままらない榛名は、目の前で主砲を構える南方棲戦姫から逃げることもできない。

 榛名はぼんやりとした意識の中、遠く離れた鎮守府にいる姉妹たちの顔を思い浮かべた。そして、先逝く不幸を許して欲しいと謝罪する。心の底から尊敬していた長女、なんだかんだで世話を焼いた次女、密かに対抗意識を燃やしていた四女。

 それぞれに別れの言葉を告げた榛名は、ゆっくりと目を閉じた。

 

 

「待ちなさぁああああーい!!!」

 

 

 突如響き渡る甲高い叫び声と砲撃音。次の瞬間、榛名の近辺で爆風が巻き起こった。

 ありえない、その声がここで聞けるはずがない。その声の主はここから遠く離れた鎮守府にいるはずだ。聞き覚えのある声を耳にした榛名はすぐに目を開く。目を開いた次の瞬間、榛名の視界に衝撃的な光景が飛び込んできた。

 

 

「私の妹に、これ以上手出しはさせませんっ!」

 

 

 上下斜め四方に伸びた主砲を構え、敵に向かって吼える次女、金剛型二番艦『比叡』。

 

 

「まったく、榛名はいつも一人で頑張ろうとするんだから」

 

 

 やれやれ、といった様子で眼鏡を掛け直す四女、金剛型四番艦『霧島』。

 

 

「よく頑張ったヨ榛名!もう大丈夫ネ、後は私たちに任せて頂戴!」

 

 

 そして、榛名の横を通り過ぎ南方組との間に割って入った長女、金剛型一番艦『金剛』。

 榛名の目に映るのは、榛名が憧れた姉の心強い後姿。夢ではないかと思ってしまうほどの信じられない光景だった。そこへ二つの背中が加わり、敵対する南方組との間に立ちふさがる。

 これ以上にないほどの頼もしい援軍の登場に、榛名は思わず涙をこぼした。

 

 

「ここからは、私たち金剛シスターズが相手をするネ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 軽傷の長門は再び泊地棲姫に向かっていった。

 長門は陸奥の援護を受け泊地棲姫と一対一の殴り合いに持ち込もうとするが、それを阻止するかのように海中の潜水艦が長門を狙う。その後も何度か攻撃を試みたが、結局長門は思うように攻めることか出来ず足踏みを余儀なくされた。

 しかし、今戦っているのは長門だけではない。次の攻撃も届かなかった、と内心焦っていた長門の隣を陸奥が一気に駆け抜けた。

 敵潜水艦の攻撃タイミングを見計らって飛び出した陸奥は、敵潜水艦の攻撃をうまく回避し泊地棲姫に向かって攻撃を仕掛ける。泊地棲鬼もろとも泊地棲姫を吹き飛ばしてやろう。そう意気込んで、陸奥は主砲を放った。

 

 

「クッ……マッタク忌々シイ」

「……ッ」

 

 

 砲撃は泊地組に見事命中。装甲を削り大きなダメージを与えた。事がうまい具合に進んだ陸奥は、してやったりという笑みを浮かべる。

 敵が怯んだ今がチャンス。ここで一気に攻め落とそうと考えた陸奥はそのまま長門へと視線を向けた。姉妹艦であるが故に目と目で意図が通じ合う。陸奥の意図をすぐに理解した長門は、敵潜水艦に注意を払いつつ泊地組へと主砲を向けた。

 これから行う攻撃にタイミングも糞もない。ただありったけぶっ放して、敵に一発でも多くの砲弾を叩き込み、長門型特有の秀でた火力で圧倒する。攻撃力に絶対の自信を持っている長門型だからこそ出来る荒業だ。

 

 

「これで終わりよ!」

 

 

 陸奥も自身の主砲を掲げ、泊地組に向かって照準を合わせた。

 

 

「終ワルノハオ前タチダ」

 

 

 陸奥の照準の先には、先ほどと同様に口元を歪め笑っている泊地棲姫の顔があった。

 

 

「えっ、きゃあっ!?」

「何っ!?ぐぁああっ!!」

 

 

 砲撃の瞬間、長門と陸奥の足元で大きな爆発が起こった。最初に長門が受けた爆発よりも更に大きな爆発だ。破壊力も凄まじく、最初に攻撃を受けた長門はもちろん、小破程度のダメージしか負っていなかった陸奥までもが戦闘不能状態にまで追いやられた。

 陸奥は混乱した。海中で待機している敵潜水艦に動きはなかったはず。なのに何故攻撃を受けたのか。体勢を立て直し、再び周囲を索敵する陸奥。しかし、索敵に新たに引っかかった敵はいない。

 正体不明の攻撃にますます混乱した陸奥だったが、その攻撃の正体はすぐに明らかとなった。

 

 

「阿呆共メ。ドンナ手段ヲ使ッテデモオ前タチヲ倒スト言ッタダロウ」

「……なんですって?」

「ワザワザ敵ノ索敵範囲内デ行動スル必要モナカロウ?格上ノ敵ヲ前ニ姿ヲ晒ス必要ナドナイ。格下ニハ格下ナリノ戦イ方ガアル」

「貴様、まさか……」

「ありえないわ!索敵外からの攻撃がそう都合よく当たる訳……」

「出来ルノダヨ。コチラニハ優秀ナ補助ガイルノデナ」

「…………」

 

 

 泊地棲姫は背後の泊地棲鬼の姿を長門と陸奥に見せ付ける。

 

 

「くっ……」

「私ノトッテオキヲ使ワセタノダ。海ノ底デ存分ニ誇ルガイイ」

 

 

 基本的には自分の力で艦娘たちを沈めてゆく予定ではあるが、中には対処が面倒な艦娘もいる。そんな時に備え、泊地棲姫は初めから潜水艦を引き連れていたのだ。

 泊地棲姫自身をデコイとして利用し、敵の隙を作ったところで泊地棲鬼が潜水艦部隊に指示を伝達し、不意打ちを相手に食らわせる。それが泊地棲姫の編み出した策だった。

 今まで互角だと思っていた戦いは、全て相手の掌の上だった。その衝撃的事実が長門と陸奥の体を硬直させる。今こうしている間にも、敵潜水艦は長門たちを虎視眈々と狙っているのだ。長門と陸奥はいつ襲ってくるか分からない敵の魚雷攻撃を警戒しながら泊地組を睨みつけた。

 しかし、その睨みをまるで他人事のように受け流す泊地棲姫。既に相手は追い詰めた。これ以上無駄に時間をかける必要も無いだろう。冷静に、そして謙虚にふるまう泊地棲姫はとどめを刺そうと、自身の主砲を長門たちに向けた。

 

 

「…………!」

「……ドウシタ?」

 

 

 泊地棲姫がトドメを刺そうとした瞬間、泊地棲姫の背後にいた泊地棲鬼が奇妙な反応を示した。

 泊地棲鬼の表情を見た泊地棲姫はただならぬ異変を感じ取った。余程の事がない限り動じることのない泊地棲鬼が表情を崩した。それはつまり、泊地棲鬼が動じるほどの事態が発生したということ。泊地棲姫は事態を把握すべく泊地棲鬼に問いかけた。一体何が起きたのか、と。

 

 

「……センスイカン……イナイ」

「何ダト?」

「ミンナイナイ」

 

 

 ありえない、と泊地棲姫は泊地棲鬼の言葉を否定する。潜水艦たちは泊地棲姫の艦隊に加わり、泊地棲姫の命令を忠実に実行する手足となった。潜水艦たちが旗艦である泊地棲姫の指示を無視して勝手な行動を取るはずがない。

 潜水艦たちが近くを通り過ぎた他の艦隊に勝手についていったという可能性もあるが、四方八方に配置した潜水艦がタイミングよく同時に他の艦隊についていくような事が、果たしてあり得るだろうか。泊地棲姫に一抹の不安がよぎる。

 一応、見える位置に潜水艦が一艦残っている。アレを引き連れてすぐにこの場を離れなければ。このまま戦いを長引かせるのはマズいと直感した泊地棲姫はすぐさま長門と陸奥に止めを刺そうと砲身を掲げた。

 次の瞬間、泊地棲姫と泊地棲鬼の背後で大きな爆発が起こった。

 

 

「何ダ?」

「…………!」

 

 

 今爆発したのは泊地棲姫が引き連れていくはずだった潜水艦、長門たちが発見した潜水艦が鎮座している場所だった。

 泊地組は爆発した地点を凝視した。何かがいる。爆発によってできた大きな水柱の向こうに、脅威となり得る存在がいる。重力に引かれゆっくりと開いてく海水の幕を、泊地組はただひたすら睨み続けた。

 

 

「苦戦しているようだなビッグ7」

 

 

 泊地棲姫の不安は的中していた。

 水柱の向こうにいたのは、長門と陸奥が驚愕するほどの艦娘。小麦色の頭髪に褐色の肌、サラシにミニスカートという刺激的な格好、そして背中の超弩級連装砲。艦娘ならば誰もが知っている超大型戦艦の登場に、その場にいた全艦が息を呑んだ。

 

 

「大和型戦艦二番艦『武蔵』。これより貴君らを援護する」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 艦娘航空部隊はついに限界を迎えた。飛行場姫の手によって艦載機が次々と撃ち落され、敵の圧倒的物量を押さえ込むほどの戦力を確保できなくなった。

 深海棲艦の艦載機は艦娘航空部隊の包囲網を突破し爆弾を次々と投下。艦娘航空部隊を爆撃の雨が襲う。

 

 

「私が受けます!」

「あぶないっ!」

 

 

 しかしここで、艦娘たちの『絆』の力が発動。艦載機を破壊され戦線離脱を余儀なくされた艦娘たちが、まだ戦っている艦娘たちを『かばう』ことで損害を最小限にとどめる。

 だが、いくら被害を最小限に抑えたところで現状は変わらない。艦娘側の不利は覆らない。

 

 

「やばいって!ホントやばいって!」

「いくらなんでも数が……きゃっ!?」

 

 

 飛龍と蒼龍は悪化し続ける状況を何とか打破しようと奮闘していた。

 事態が既に手遅れだということは分かっている。正規空母ニ艦の力で覆せる領分でないことは分かっている。しかし、ここで自分たちが折れるわけにはいかない。ニ航戦の名にかけて、自分たちを旗艦として慕いついて来てくれている周囲の艦娘たちの期待を裏切るような真似はできない。飛龍と蒼龍は自分を奮い立たせ、迫り来る数多の敵艦載機を見据えた。

 次の瞬間、見据えていた敵艦載機が一気に爆散した。

 

 

「ぅええっ!?」

「何事!?」

 

 

 空中に漂う爆煙を凝視する飛龍と蒼龍。ニ艦はまだ艦載機を発艦させていない。ならば周囲の艦娘の誰かが攻撃を行ったのか、と思った飛龍と蒼龍は周囲を見渡す。しかし、周囲の艦娘たちも突然の事態についていけていないのか、飛龍たちと同じように周囲をキョロキョロと見渡していた。

 一体何が起こったのかまったく理解できない艦娘航空部隊を他所に、空中では更なる爆発が巻き起こった。そして、その爆煙を切り裂くように、右から左へと『何か』がいくつも駆け抜けた。

 

 

「嘘……あれって」

「まさか……」

 

 

 飛龍と蒼龍の目は駆け抜けた『何か』の正体をはっきりと見た。艦載機だ。艦娘の空母たちが所有する艦載機が、敵艦載機を一斉に攻撃したのだ。

 飛龍たちには心当たりがあった。開戦前、彼女たちの提督である元帥から支援艦隊がブイン基地に向かっている事は聞いていた。そして、その進行が予想よりも遥かに遅い事も聞かされていた。しかし、まさかこの部隊が援軍として駆けつけてこようとは、飛龍も蒼龍も思ってもみなかった。

 

 

「何とか間に合いましたね」

「この程度で音を上げるなんて、少したるんでいるんじゃないかしら?」

「赤城さん!加賀さん!」

 

 

 背後から聞こえてきた声に飛龍は歓喜する。飛龍たちを救ったのは支援艦隊の航空部隊。そして、その航空部隊を率いてやってきたのは正規空母の『赤城』と『加賀』だ。

 赤城と加賀を筆頭に、援軍の空母たちは一斉に艦載機を発艦させる。その戦力は先ほどまで圧倒的物量で押し寄せてきた敵艦載機の大群を一気に押し返した。そこへ再び飛行場姫の艦載機が現れ、艦娘たちの艦載機を撃ち落し始める。

 

 

「気をつけて!あの艦載機はおそらく鬼型か姫型が放ったものです!」

「はやく倒さないと!」

 

 

 援軍の放つ艦載機を相手に引けを取らない飛行場姫の艦載機。このままでは自分達の二の舞になってしまうかもしれない。飛龍と蒼龍は赤城と加賀に警戒するよう呼びかける。

 しかし、赤城はその警告に対して余裕交じりの言葉を返した。

 

 

「問題ありません。あの艦載機はもうすぐ戦場を去ります」

 

 

 赤城の言葉の意味を理解できない飛龍と蒼龍は頭に疑問符を浮かべた。

 赤城が何故このような言葉を返したのか。その理由は赤城たちの率いる部隊の構成にあった。一見、航空部隊を引き連れて飛龍たちの前に姿を現した赤城と加賀のどちらかが旗艦のように見えるが、それは間違いだ。赤城と加賀は『ある艦娘』の命令を受けて飛龍たちの援護に駆けつけたのだ。

 その『ある艦娘』の存在こそが、赤城の言葉の自信に繋がっている。

 

 

「……アナタ、誰?」

「困ったわね。いくら装甲が厚いといっても、姫クラスの砲撃を受けたらひとたまりもないわ」

 

 

 そして、『その艦娘』は今まさに飛行場姫と対面していた。

 

 

「でも、任されたからには全力でやりましょう。装甲空母『大鳳』、参ります!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 妙高が勝利を宣言した次の瞬間、戦艦棲姫の上方で大きな爆発音が三つ鳴り響いた。

 戦艦棲姫はすぐさま上空を見上げた。戦場を覆っていた影は徐々に晴れ、隠れていた太陽が姿を現す。戦艦棲姫の視界に映るのは、爆煙にまみれ一斉に海へと落ちてゆく三艦の浮遊要塞だった。

 

 

「やれやれ、ずいぶんと遅い到着だな」

「本当は私達の力だけで倒したかったんだけど」

「た、助かりました……」

 

 

 まるで見計らったかのように現れた援軍に色々と思うところはあるが、何はともあれ助かった。那智、足柄、羽黒は安堵の溜息を洩らす。

 だが、安心するのはまだ早い。眼前の強敵は未だ健在。本当に安堵するのはこいつを退けてからだ。目に光を取り戻した那智、足柄、羽黒は沈みゆく浮遊要塞を呆然と眺めている戦艦棲姫に向かって再び主砲を構えた。

 しかし、現実は甘くはない。援軍の登場で精神的には力を取り戻したが、それで中破した船体が修復されたりはしないのだ。今の妙高四姉妹がどれだけ頑張ろうと、戦艦棲姫を倒せる確率は万に一つもない。

 

 

「待ちなさい。それはもう我々の役目ではありません」

 

 

 妙高は妹たちに停止を呼びかけた。姉の口から出てきた言葉の意味を理解できない那智、足柄、羽黒。中でも一番闘志を燃え上がらせていた足柄は妙高の後ろ向きな言葉に怒りを覚えた。

 援軍が来たからとって、全てを援軍に任せていいわけない。自分たちも最後まで戦場で戦い続けるべきだ。足柄は妙高に対し抗議の声を上げようとした。

 

 

「ごめんなさい。だいぶ遅れてしまいましたね」

 

 

 足柄の口から抗議の言葉が出ることはなかった。足柄は自分の耳を疑った。今聞こえたのは妙高四姉妹の誰とも合致しない声。しかし、足柄はその声に聞き覚えがあった。

 以前着任していた鎮守府で初めて顔を合わせ、そして何度も言葉を交わした戦友とも呼べる艦娘。自身の提督と同じ『元帥』の座(ざ)に座る提督の元で旗艦を務めている最強の戦艦。

 

 

「大和!?」

 

 

 赤いミニスカートと赤い襟が特徴的なセーラー服を身に纏い、長い茶髪を後ろで一括りにした超弩級戦艦。大和型一番艦『大和』が、友の危機を救うために現れた。

 

 

「久しぶりね足柄。那智、羽黒も」

「すみません。我々の力が及ばないばかりに」

「謝るのは私のほうよ妙高。私たちがもっと早く到着していれば、あなたたちがこれほどの苦戦を強いられることもなかったはず……」

「お二方、今は一刻を争う事態だ。目の前の敵に集中してくれ」

「て、敵がこっちを見ましたよ!?」

 

 

 那智と羽黒の言葉で敵へと向き直った妙高と大和。那智の言うとおり、今は再開を喜んだり感傷に浸っている場合ではない。今彼女たちがすべきことは、目の前にいる強敵を打破することだ。ゆっくりと前へ出た大和は、静かに睨む戦艦棲姫と対面した。

 未だに忘れられない戦艦棲姫の悪夢。戦艦棲姫の幸せを根こそぎ奪っていった鉄底海峡の戦い。その戦いで、自身に致命的な一撃を与えた艦娘の姿を、戦艦棲姫ははっきりと覚えていた。

 

 

「あなたと会うのはこれで二度目ですね」

「貴様……ヤハリアノ時ノ……!」

 

 

 そして、因縁の二艦が再び相まみえた。

 彼女の復讐の炎を体現するかのように、戦艦棲姫の全身から赤黒いオーラが吹き出す。それに共鳴して戦艦棲姫に付き従う砲台型の深海棲艦もまた、赤黒いオーラと共に口から砲身をむき出しにした。

 ただならぬ気配を察知した大和は連装砲を構え、妙高四姉妹は大和を援護すべく周囲に散開した。

 

 

「笑ッタ?今私ヲ笑ッタカシラ?」

 

 

 狂気を振りまく戦艦棲姫。彼女の瞳にはもう大和の姿しか映っていない。

 私の幸福を破壊していったくせに、破壊した当の本人は未だなお幸福を享受し続けている。なんて身勝手な艦娘だ。なんて憎たらしい艦娘だ。憎悪が更なる憎悪を呼び、戦艦棲姫の怒りの炎を更に激しく燃え上がらせる。

 

 

「復讐に囚われた深海棲艦『戦艦棲姫』。あなたの憎悪、私が断ち切ります!」

 

 

 戦いは最終局面を迎えようとしていた。

 




次回・・・旗艦 其の四


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着任二十一日目:旗艦 其の四

うちの鎮守府の夕立がようやく改ニになったっぽい!

追記:たまっていた感想に返信しました。


 援護艦隊の力は圧倒的だった。傷ついた艦娘たちを救助しながら、今まで戦場の大多数を占めていた敵勢力を瞬く間に侵食。海を黒く染め上げていた深海棲艦の大艦隊は駆逐され、海は本来の青色を取り戻しつつあった。

 

 

「モウ、アキタ」

「帰ロ」

「コレデ……満足シタワ……」

「ま、待ちなさい!」

「待つネ比叡、この怪我じゃ追撃は無理ヨ。後は味方に任せて、私たちは榛名を連れて帰るネ」

「想像以上の被害ね。私の戦況分析もまだまだだわ……」

 

 

 各所で激しく燃え上がっていた戦火の炎も徐々に鎮火してゆく。

 

 

「クッ、コレ以上ノ戦闘ハ無意味カ。引クゾ」

「…………」

「やれやれ……こっぴどくやられたが、まあ、何とかなったか」

 

 

 元帥の下で日夜戦い続けてきた歴戦の艦娘たちは、培った力を惜しみなく発揮。

 

 

「仕方ナイ。マタ今度来ヨウ」

「もう来ないでくださいっ!!」

 

 

 決して無事とはいえない損傷を受けながらも、何とか鬼型姫型の深海棲艦を撃退することに成功した。

 

 

「これで、終わりです!」

「グッ、アアァアアァアッ!!」

 

 

 そして今、一艦の嫉妬から始まった戦いに終止符が打たれた。

 大和の放った砲弾の直撃を受けた戦艦棲姫は海面に叩きつけられ、浮力を失った体は徐々に海中へと引きずり込まれてゆく。

 何故自分ばかりが否定されるのか、何故自分ばかりがこんな目にあうのか。戦艦棲姫は海中に引きずり込まれぬよう必死にもがくが、もがいたところで結果は変わらない。一度沈み始めたら最後、光の届かない極寒の水底まで沈み続ける。それが艦艇の定めだ。

 

 

「……ごめんなさい」

 

 

 大和は沈みゆく戦艦棲姫を見て悲痛な表情を浮かべた。

 大和は憎悪に取り付かれた戦艦棲姫を哀れに思った。光と闇は表意一体。自分が享受していた幸せが大きければ大きいほど、それを失ったときの悲しみと憎しみも大きくなる。

 深海棲艦となって全て失った。かつて味方だった艦娘に牙を向けられ追われる日々。艦娘を自らの手で沈める苦しみ。戦艦棲姫が背負ってきた悲しみの大きさは計り知れない。もし自分に彼女の憎悪を受け止められるだけの力があれば、彼女は憎しみに捕らわれたまま沈んでいかずに済んだのかもしれない。大和は戦艦棲姫を救えなかった自分の無力を嘆いた。

 そして同時に、いつか自分もこうなってしまう日が来るかもしれないと恐怖した。敬愛する提督がこの世を去ったとき、自分が水底に沈んだとき、その事実を潔く受け入れられるのだろうか。

 大和が思考の渦に飲まれようとしていた、その時。

 

 

「くっ、砲撃!?一体どこから……」

 

 

 大和に直撃する二つの砲弾。思考に集中していた大和は一気に現実へと引き戻された。緩んでいた気を引き締めた大和は周囲を索敵する。南方より接近する謎の艦艇二艦を確認。敵艦艇との戦闘に備え、大和は再び連装砲を構えなおした。

 

 

「ヒャッハー!」

「私タチモ混ゼナサイ!」

 

 

 大和の視界に映る二艦は『装甲空母姫』と『装甲空母鬼』。姫型鬼型であるにも関わらず、南方組からも泊地組からもやさぐれ組からもハブられたかわいそうな深海棲艦である。

 しかし、彼女たちは運がよかった。偶然通りかかった『ある深海棲艦』の導きにより、こうして祭りの場所へと駆けつけることが出来たのだ。

 乗るしかないビッグウェーブに完全に乗り遅れてしまったが、今からでも十分に楽しめる。装甲空母姫と装甲空母鬼は最初から全力全開で大和を攻め立てた。

 いくら艦娘の中で最高の性能を誇る大和と言えど、さすがに姫型鬼型深海棲艦との連戦は厳しい。降り注ぐ砲弾の雨を辛うじてかいくぐる大和は劣勢を強いられる。

 

 

「っ!」

 

 

 その中で、大和は奇妙な光景を見た。それは飛来する一発の砲弾を躱したときの事。直撃寸前の砲弾を少々無理な体勢で避けた大和は一瞬敵に背を向ける形となってしまった。

 早く体勢を立て直さねば。大和は敵を見据えようと体を動かした。その時だ。大和は自分の視界に違和感を覚えた。

 

 

(……いない?)

 

 

 大和の背後には、ゆっくりと沈みゆく戦艦棲姫の姿があったはずだった。

 大和は疑問を抱く。装甲空母姫たちが現れてからもののニ、三十秒しか経過していない。戦艦棲姫の沈むスピードがかなり遅かった。じわじわと溶けてゆくように沈む戦艦棲姫の体が完全に沈むにはニ、三十秒という時間はあまりにも短すぎる。

 装甲空母姫たちの放った砲弾が直撃したのか、それとも途中から沈むスピードが速くなったのか。大和は、原因が分からないまま忽然と姿を消した戦艦棲姫の亡骸に違和感を覚えたのだ。

 

 

(ですが、今はそのような事を気にしている場合ではありません!)

 

 

 激しさを増す装甲空母姫たちの砲撃の対処に精一杯の大和は、頭の中から一切の雑念を振り払う。

 目の前の敵を撃滅するために、自分たちが生き残るために、大和は意を決して装甲空母姫たちに立ち向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(ドウシテ……)

 

 

 戦艦棲姫は己の不運を呪った。いつの間にか全てを失い、新たに手に入れた幸せも踏みにじられ、やり場のない怒りを吐き出すことさえ許されない。どうして自分だけが、何故こんなにも辛い思いをしなければならないのか。

 薄れゆく意識の中、戦艦棲姫は必死に手を伸ばした。太陽に照らされゆらゆらと煌く水面。うっすらと感じる既視感、言いようのない恐怖が戦艦棲姫の不安を煽る。嫌だ、このまま沈むのは絶対に嫌だ。彼女は願う。自身の再起を。

 

 

(嫌ダ……一人ニナルノハ……)

 

 

 かつて艦娘だった戦艦棲姫が薄暗い海中で何度も願った、決して天に届くことのなかった儚い祈り。

 

 

(絶対ニ……)

 

 

 しかし、今の彼女の願いを聞き届けるのは天ではない。暗い水底より生まれた存在『深海棲艦』。深く沈めば沈むほど、闇に堕ちれば堕ちるほど、彼女の願いはより強く深海の根源へと到達する。

 

 

(嫌ダッ!!)

 

 

 彼女の願望は、成就した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 リ級を羽交い締めにしながら戦場を眺める叢雲は、援軍の到着と撃滅されてゆく敵艦隊の姿を見届け、艦娘艦隊の勝利を喜ぶと同時に自分の出番がなかったことにひどい落ち込みを見せた。

 今日という日に備え色々と準備をしてきたが、それも全て無駄に終わってしまった。自分も前線で戦いたかった、と叢雲は一人ごちる。

 武人気質の叢雲にとって戦場で戦果を上げるのは最高の喜び。しかも今回の敵は史上類を見ない大艦隊。自分の名を上げるにはうってつけの大舞台と言っても過言ではない。それが、じゃじゃ馬たちのお世話で丸々つぶれてしまったのだ。拗ねてしまうのも無理はない。

 一つ補足しておくと、実は叢雲単体でも出撃は可能だった。だが、叢雲というストッパーを失った五艦を一人で押さえつける自信がない、という青年の強い要望により叢雲も待機となったのだが、それを叢雲は知る由もない。

 

 

「もう終わりね……はあ、本っ当に最悪な一日だったわ。どこかに撃ち漏らした敵がいないかしら?」

 

 

 せめて一艦だけでも、と叢雲は海を見渡すが、膨大な数の艦娘たちがいる中で撃ち漏らしがあるはずなどなかった。叢雲の視界にも、索敵範囲にも敵の姿は見受けられない。「やっぱりか」と小さくつぶやいた叢雲は羽交い締めしていたリ級を開放し、戦場に背を向けた。

 

 

「っ!!?」

 

 

 次の瞬間、叢雲の背筋に悪寒が走る。叢雲は反射的に迎撃体制を取り、少し離れた位置の海面を睨みつけた。

 先ほどまでそれぞれ別行動をとっていたチリヌルヲたちも同様だった。五艦も叢雲と同じように、少し離れた位置の海面へ一斉に視線を向けた。

 いないと思われていた撃ち漏らしが存在していたことに叢雲は歓喜する。大きな活躍は出来なかったが、今回はこれで満足しよう。

 目の前に潜んでいる敵でうっぷんを晴らそうと決めた叢雲は、敵が姿を現すのをじっと待った。

 

 

「アァアアアァアアアアアアァ!!」

 

 

 海面を突き破るように現れたのは満身創痍の戦艦棲姫だった。あちこちが焼け焦げ肩紐が片方切れたネグリジェのような服と、真っ白な肌にべったりと張り付た濡れた髪。まるでホラー映画に出てくるゾンビのような容姿が、言いようのない不気味さをかもし出している。

 続けて、戦艦棲姫が率いる砲台型の深海棲艦が姿を現した。装甲の大部分が剥げ落ちてはいるが、口から飛び出した巨大な主砲の砲身はまだ辛うじて残っている。戦闘自体は可能だが、長時間の戦闘を行うのは不可能だろう。

 叢雲は初めて見る深海棲艦に驚きを隠せない。得体の知れない力の影響を受け(番外編:妖怪猫吊るし参照)鉄底海峡での大戦に参加できなかった叢雲は戦艦棲姫の姿を知らなかった。故に、叢雲は気づかない。目の前にいる深海棲艦が、艦艇の墓場と呼ばれる鉄底海峡の覇者だということに。

 対する戦艦棲姫は肩で息をしながら叢雲と共にいるチリヌルヲを視界に納める。そして直感した。話で聞いた深海棲艦は、艦娘と同じ道を歩む同胞は、目の前にいる彼女たちなのだと。

 

 

「オ前達カ……!」

 

 

 湧き上がる憎しみを燃料とし、満身創痍の戦艦棲姫は叢雲たちに攻撃を仕掛ける。しかし、その攻撃に大和と戦ったときほどの破壊力はない。精度も大幅に低下しており、戦艦棲姫の砲撃は叢雲たちに命中することなくコンクリートで舗装された地面に直撃した。

 

 

「ふん、そんなボロボロの状態で私たちに勝てると思っているのかしら?」

 

 

 表面では強気の姿勢を見せている叢雲。しかし、内面では得体の知れない悪寒に震え上がっていた。

 戦艦棲姫の姿はどう見ても轟沈寸前。後一押しすれば簡単に壊れてしまいそうな全身ガラス細工状態だ。にも関わらず、叢雲の中では警報が鳴り止まない。戦艦棲姫から感じる『未知の何か』が、深い暗闇に引きずり込もうとする『呪い』のような何かが叢雲の体に纏わりついて離れない。

 戦艦棲姫はゆっくりと移動を開始した。損傷により性能が大きく低下してしまっている戦艦棲姫の移動速度は人が歩く早さと同等だ。そして叢雲たちのいる港から戦艦棲姫までの距離は約五十メートル。その距離がゼロとなる前に、叢雲たちは戦艦棲姫を倒さなければらない。

 既に歓喜はなかった。今はただ、一刻も早く目の前の敵を倒してこの場を去りたい。叢雲は迎撃体制を取る周囲の五艦に指示を出した。

 

 

「アンタたち、一気にやるわよ!」

 

 

 叢雲の指示を聞いた五艦は一斉に動き出す。

 最初に仕掛けたのはヌ級とヲ級だ。二艦は艦載機を一斉に発艦させ、ゆっくりと接近してくる戦艦棲姫に対して上空からの攻撃を行った。対空砲がまったく機能していない戦艦棲姫に艦載機を撃ち落す術はない。艦載機の攻撃は全て戦艦棲姫に直撃した。

 

 

「……ッ!」

 

 

 戦艦棲姫は食いしばった。

 ヌ級とヲ級の攻撃を何とか耐え凌いだ戦艦棲姫は、砲台型の深海棲艦と共にゆっくりと港の船着場へ歩を進める。港までの距離、あと四十メートル。

 次に攻撃を行ったのはリ級とル級の高火力コンビだった。全砲門を開いたリ級、ル級は照準を戦艦棲姫に定め一斉砲撃を開始。間髪いれずに放たれる二艦の砲弾は、けたたましい爆撃音と共に大きな煙幕を作り出した。

 

 

「……ッ!!」

 

 

 戦艦棲姫は食いしばった。

 煙幕の中から姿を現した戦艦棲姫は狂気に満ちた赤い瞳で叢雲たちを見据える。港までの距離、あと三十メートル。

 次の攻撃は叢雲とチ級による遠距離魚雷攻撃だった。ニ艦は海中に魚雷を放ち、放たれた魚雷は一直線に戦艦棲姫へと向かう。そして、着弾と同時に巨大な水柱がいくつも上がった。

 

 

「……ッ!!!」

 

 

 戦艦棲姫は食いしばった。

 空からは豪雨のように降り注ぐ爆弾。正面からは暴風のように全身を包み込む砲弾、足元からは火山のように爆発する魚雷。叢雲たちの激しさを増す攻撃に戦艦棲姫は何度も体勢を崩す。しかし、決して倒れることはない。限界ギリギリのところで踏みとどまり、ただ愚直に前へと進む。

 叢雲は戦慄した。いくら攻撃しても倒れることなく、ボロボロの体を引きずりながらも着実に距離をつめる戦艦棲姫。その姿は架空の物語に登場する『ゾンビ』そのもの。鉛球どころか炸裂弾にさえ耐える体を持っている鋼のアンデッドだ。

 埒が明かない。叢雲は砲弾の嵐の中をゆらゆらと進む戦艦棲姫を見て舌打ちした。戦艦棲姫の姿はどこからどうみても大破状態で、ふらふらとおぼつかない弱弱しい足取りだ。

 だが、どういう訳か戦艦棲姫には強敵と相対した時のに感じる圧力が、得体の知れない力が、どんな逆境をも跳ね除ける『凄み』があった。

 

 

「……上等じゃない」

 

 

 警報は鳴り止まず、悪寒もまったく収まらない。それでも叢雲は立ち向かう事を選んだ。艦隊の支柱である旗艦が弱音を吐くことは許されない。何より、周りの連中が戦っているのに自分だけが逃げるわけにはいかない。自らを奮い立たせた叢雲は一心不乱に戦艦棲姫を狙い撃った。

 戦艦棲姫が港に到着するまで残り二十メートル。叢雲たちが一方的に攻撃し、戦艦棲姫がじわじわと歩を進めるという状況についに変化が訪れた。

 

 

「リ!」

「ルー」

 

 

 業を煮やしたリ級と、確実に仕留めにかかったル級が、迫り来る戦艦棲姫に向かって飛び出した。リ級とル級の行動に思わず驚きの声を上げた叢雲は慌ててチ級、ヌ級、ヲ級に攻撃中止の合図を送る。

 叢雲はリ級とル級が何をやろうとしているのかは大体察しが着いていた。これまでの出撃で何度も見てきたリ級の十八番。かつてル級との戦いで見せた、リ級お得意の至近距離からの主砲攻撃。その威力はエリート戦艦であるル級の装甲に傷を付けるほどだ。

 そして、そのリ級の十八番に更に威力を上乗せした砲撃を行おうとしているル級。至近距離から重巡洋艦と戦艦の同時攻撃。いくら姫型の深海棲艦であろうと、この攻撃を受ければひとたまりもないだろう。

 だが、叢雲の頭に期待という言葉は浮かばなかった。何故かはわからない。ただ、叢雲はリ級とル級の攻撃が失敗に終わると直感していた。

 戦艦棲姫の懐にもぐりこんだリ級は右腕に装備された8インチ三連装砲の砲頭を、右側面に回りこんだル級は両腕の16インチ三連装砲の砲頭を戦艦棲姫へと向けた。そして、爆煙が広がると同時に大きな爆発音が響き渡った。

 装甲の破片がぱしゃり、ぱしゃりと音をたてて海中に消えてゆく。叢雲たちは、勝負の行方を固唾を呑んで見守っていた。今しがた感じた悪い予感がただの空想であって欲しい。もしかしたら、と淡い期待を込めて叢雲は爆心地を見つめる。

 

 次の瞬間、叢雲の耳に二つ激突音が届いた。

 

 コンクリートで固められた地面と、勢いよく落ちてきた金属の塊がぶつかり合ったような鈍い音。金属片などを落とした時の軽く高い金属音とは明らかに違う、まるで何十キログラムもある鉄の塊を高いところから落としたような重厚な金属音。叢雲は自身の中にあった淡い期待が溶けて消えてゆくのを感じた。

 音の聞こえた方、今いる位置より左舷後方へと叢雲は振り向いた。

 

 

「……っ!」

 

 

 叢雲の視線の先には大破したリ級とル級がいた。全身から煙を噴出しぴくりとも動かないリ級と、長い黒髪を乱し肩で息をするル級。特にル級の損害は凄まじく、左腕の連装砲は完全に形を失っている。叢雲の嫌な予感は見事的中してしまった。

 だが、いくら鋼のゾンビと言えど重巡洋艦と戦艦の攻撃を至近距離から受ければタダでは済まない筈。うっすらと残った希望を胸に、叢雲は視線を爆心地へと戻す。

 

 それと同時に、叢雲の視界が傾いた。

 

 唐突な展開にまったく反応できない叢雲。叢雲の視界の隅には辛うじてチ級の顔が映っている。そして冷たくやわらかい感触が叢雲の顔を覆い視界を完全に奪った次の瞬間、叢雲を凄まじい衝撃が襲った。

 その衝撃は叢雲とチ級の体を軽々と宙に吹き飛ばした。重力に引かれ背中から着地した叢雲はチ級と共にコンクリートの地面を滑走する。叢雲は咄嗟に残弾のない左手の魚雷発射管を地面に押し付け、滑走の勢いを殺す。勢いはものの数秒で衰えた。

 勢いを完全に殺しきった叢雲は、自分の上に覆いかぶさっていたチ級を押しのけた。地面に力なく横たわるチ級の背中には、硝煙の香りを纏う爆発跡が残っている。それを見た叢雲はチ級の行動の意図を理解した。チ級は、敵の砲撃を受けそうになった自分をかばったのだと。

 少し離れたところで鳴り響く新たな爆発音。ハッ、とした叢雲は慌てて顔を上げた。叢雲の視線の先には、ヲ級を吹き飛ばす戦艦棲姫が姿があった。

 残るは叢雲とヌ級の二艦。船着場から上陸した戦艦棲姫は、ヲ級のすぐそばにいたヌ級を今まさに撃ち壊そうとしていた。

 叢雲は急いでヌ級の下へと向かった。戦艦棲姫の注意を引こうと右手の主砲で戦艦棲姫を狙い打つが、戦艦棲姫は叢雲のことなど完全に無視して目の前のヌ級に狙いを定める。

 

 

「待ちなさいっ!」

 

 

 滑り込むように、叢雲はヌ級と戦艦棲姫の間に割って入った。

 艦隊の仲間は自分が守る。それが旗艦の責務だと考えていた叢雲。だがその考えも、現実の前では紙切れのように吹き飛んだ。リ級、ル級の手綱をうまく握れず、チ級には助けられ、ヲ級は気づけばやられていた。なんという体たらく。旗艦としてあるまじき姿。叢雲は自分の不甲斐なさを恥じていた。

 せめて、せめてヌ級だけでも守る。ヌ級は叢雲にとっての最後の希望、心の支えだった。ヌ級がいるからこそ、叢雲は得体の知れない恐怖を目の当たりにしても立ち向かうことが出来る。ヌ級がいるからこそ、叢雲は自分の旗艦としてのあり方を見失わずにいられるのだ。

 

 だが、叢雲がどう考えていようが戦艦棲姫には関係ない。

 

 叢雲の背後で大きな爆発が起こった。叢雲の背後でガシャリ、と何かが崩れ落ちる。その音を聴いた瞬間、叢雲の中で決定的な何かが切れた。

 

 

「一緒ニ地獄ニ落チマショウ」

 

 

 砲台型の深海棲艦が砲頭を叢雲へと向けた。叢雲は動かない。まるで魂が抜けたかのように、ただ呆然と目の前に突きつけられた砲頭を見ている。

 

 

「アナタモ、私ノ妹ニナリナサイ」

 

 

 戦艦棲姫が言葉を発したと同時に鳴り響く巨大な爆発音。

 砕けた装甲がコンクリートの地面にバラバラと散らばり、ぐらりと揺らいだ体がゆっくりと傾き始める。そして、そのまま重力に引かた『砲台型の深海棲艦』の巨体は轟音を立てて倒れ伏した。

 少し驚いた様子の戦艦棲姫は力なく倒れる砲台型の深海棲艦を見た。今の一撃がトドメとなったのか、砲台型の深海棲艦にはもう立ち上がる力すら残っていない。

 そして、未だ健在の叢雲の視界には信じられないモノが映りこんでいだ。それは、最後の希望を摘み取られ正気を失ってきた叢雲の意識をはっきりと覚醒させるほどの衝撃。

 大きく目を見開いた叢雲は、戦艦棲姫の後方に佇む『深海棲艦』の姿を凝視した。戦艦棲姫も背後の存在に気づいたのか、視線を倒れ伏す砲台型の深海棲艦から自身の後方へと移す。

 戦艦棲姫の背後には一艦の深海棲艦がいた。『青みがかった白い長髪』をなびかせ『袖下から伸びる砲身』を戦艦棲姫へ向けるその深海棲艦は、かつて交わした約束を果たすため現れた。

 

 

「ター」

 

 

 義と愛の名の下に。タ級、参戦。

 




次回・・・旗艦 終


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着任二十ニ日目:旗艦 終

ほげぇ……大鯨までの道のりが遠いよぉ……

巡洋艦での攻略を諦め戦艦ごり押し戦法を取った結果、資材がとんでもないことに。

追記:溜まっていた感想に返信しました。


 叢雲の絶体絶命のピンチに駆けつけたのはタ級だった。

 背後からの一撃により砲台型の深海棲艦を仕留めたタ級は戦艦棲姫と相対する。タ級の全身には焼け焦げた痕がいくつも残っており、袖の下から顔を出している連装砲にも損傷が見られる。大破とまではいかないが、一目で分かるほど大きな損傷を負っているのは間違いなかった。

 無理もない、と叢雲は思った。タ級がここまで来るには、つい先ほどまで行われていた激戦の中を潜り抜けて来なければならない。敵艦隊に混じったタ級が援護艦隊の攻撃を受ける可能性は十分にある。

 だが叢雲は知らない。援護艦隊の中にもタ級と同じ『愛の戦士』がいたことを。嵐の過ぎ去った戦場で一つの友情が芽生えていたことを。『バーニングラブ』を掲げる愛の戦士がタ級を手引きしたことを。

 

 愛の力は偉大であった。

 

 戦艦棲姫はタ級へ向かって歩を進めた。同時にタ級も砲撃を開始する。タ級は両袖の内側から伸びる連装砲の砲身を戦艦棲姫へと向け、ゆっくりと迫る戦艦棲姫を狙い撃った。

 だが、戦艦棲姫の歩みは止まらない。砲弾を受け戦艦棲姫の体は左右に揺れるが、決して倒れることはない。次なる獲物を見つけた鋼のアンデッドは、本能の赴くままに前を目指す。

 

 

「……今、私ヲ笑ッタワネ」

 

 

 戦艦棲姫が呪詛の言葉をつぶやくと同時に、新たな砲台型の深海棲艦が海面を突き破って姿を現した。

 

 

「ター」

「……笑ウナァッ!!」

 

 

 タ級と戦艦棲姫の撃ち合いが始まった。砲台型の深海棲艦が放つ砲撃は、艦娘の中でも最高の性能を誇る『戦艦大和』を苦しめるほどの威力。それ程の砲撃を中破状態で受けてしまえばどうなるか。結果は火を見るよりも明らかだ。

 叢雲はタ級に勝機が微塵もない事を確信していた。戦闘に一切参加せず、まったく消耗していない状態の叢雲率いる第一艦隊が総出で立ち向かっても勝つことが出来なかったのだ。最初から消耗しているタ級がたった一艦で戦艦棲姫を相手取ることなど出来るわけがない。

 どうせ、すぐに敵の砲撃の餌食になる。未だに立ち直れていない叢雲は不安に満ちた瞳で目の前の戦場を眺める。

 

 しかし、叢雲の想像はすぐに覆された。

 

 叢雲の耳に聞き覚えのある独特な声が届いた。声のしたほうへと視線を向けた叢雲は、海面を滑るように直進してきた黒い塊を目にする。

 黒い塊はバラバラと散らばり戦艦棲姫を取り囲み、そして、それぞれが戦艦棲姫へ向けて砲弾を発射した。

 

 

「イーッ!」

「イーッ!」

「イーッ!」

 

 

 叢雲の視界に入り込んで来たのは、ル級が率いている『イ級遠征部隊』だった。

 タ級は最初から一艦で挑んではいなかった。勝手な行動をしないよう旧解体ドックに押し込められていたイ級たちを、あらかじめ引きつれて来ていたのだ。イ級遠征部隊の存在を知らないタ級が何故イ級たちを発見することが出来たのか。明確な理由はない。しいて言うなら、『愛』の成せる技である。

 しかし、駆逐艦の火力では姫型の装甲に傷を付けることは出来ない。イ級たちの攻撃は戦艦棲姫の気を紛らわせる程度の役割しか果たしていなかった。

 だが、タ級とってはそれで十分だった。戦艦棲姫の気が紛れれば、その分だけタ級は攻撃に集中できる。タ級は一撃一撃を確実に戦艦棲姫へ叩き込んでいった。

 

 

(……どうして)

 

 

 叢雲の中で疑問が渦巻く。傷だらけの体で終わりの見えない戦いを続けるタ級と、決して勝つことのできない相手に挑み続ける同じ駆逐艦のイ級。何故、彼女たちは立ち向かうのか。何故、勝てない相手を前に臆せず戦えるのか。そして、何故自分はこんなところでボーっとしているのか。

 一度くじけてしまったが、平静さを取り戻した叢雲の心は回復の兆しを見せていた。しかし、恐怖という名の鎖に縛られた叢雲の体はぴくりとも動かない。叢雲が再起するにはあと一押しが足りなかった。

 

 だが次の瞬間、尻込む叢雲を後押しする事態が起こった。

 

 突如、叢雲の視界の隅から小さな黒い影が飛び出す。全身から煙を噴出しながらも、その黒い影は主砲を乱れ撃つ砲台型の深海棲艦へ一直線に向かっていった。

 

 

「リ!」

 

 

 黒い影の正体はリ級だった。リ級は先ほど失敗した至近距離からの砲撃を砲台型の深海棲艦に浴びせる。

 中破した砲台型の深海棲艦はぐらり、と大きく態勢を崩すが、すぐさま態勢を立て直し砲頭をリ級へと向けた。

 しかし、砲撃がリ級に直撃することはなかった。

 

 

「チ……」

 

 

 チ級の魚雷攻撃が、砲台型の深海棲艦の攻撃を阻止したのだ。足元で炸裂した魚雷の衝撃で、砲台型の深海棲艦は再び態勢を崩す。放たれた砲弾はリ級とは正反対の方へと飛んでいった。

 戦艦棲姫は敵のしぶとさに苛立つ。まったくもって鬱陶しい。我々は皆等しく闇に沈めばいい。戦艦棲姫の怒りに呼応するように砲台型の深海棲艦から赤黒い光があふれ出した。

 だが次の瞬間、戦艦棲姫の側顔をかすめた一発の砲弾が砲台型の深海棲艦に着弾。背後から強力な不意打ちを受けた砲台型の深海棲艦は思わず前のめりになる。

 

 

「ルー」

 

 

 砲台型の深海棲艦を黙らせたのはル級の砲撃だった。

 さすがはエリート戦艦の火力といったところか。ル級の一撃により、砲台型の深海棲艦から吹き出た赤黒いオーラはすぐに鳴りを潜めた。

 だが、損傷の激しい左腕の連装砲から放たれた砲弾では砲台型の深海棲艦を撃沈することは出来ない。今のル級に砲台型の深海棲艦を沈める力は残っていなかった。

 だが、忘れてはいけない。今のル級はたった一艦で戦っているわけではないということを。

 

 

「ヌゥ」

「ヲっ」

 

 

 突き出た砲台型の深海棲艦の頭に向かってヌ級とヲ級の艦載機が迫る。そして、すれ違いざまに爆弾を投下した。

 会心の一撃は砲台型の深海棲艦の主砲を砕く。前のめりから一転、砲台型の深海棲艦の体は強力なアッパーを食らったかのように大きくのけぞる。そして、悲鳴のような金切り声を上げて背中から着水した。

 

 

「……何ダ……コレハ……」

 

 

 戦艦棲姫は戸惑っていた。

 すでに戦える状態ではないチリヌルヲが再び立ち向かってきた事もだが、それ以上に戦艦棲姫が驚いていたのは五艦の行動だった。

 深海棲艦は基本的に自分の本能に従い行動する。自分の行動したいように行動し、自分の戦いたいように戦う。鬼型姫型のような例外を除く深海棲艦のほとんどは『自分だけの世界』で生きる自己中心的存在なのだ。

 しかし、チリヌルヲの行動は自己中心から大きくかけ離れていた。リ級のピンチを救ったチ級の攻撃。そこへすかさず追撃をかけたル級。さらに、三艦を援護するように艦載機を放ったヌ級とヲ級。

 幾多の深海棲艦を見てきた戦艦棲姫でも、深海棲艦が明確な意思を持って他を助けたのは初めて見る光景。旗艦でもない艦艇をわざわざ助けるなど、深海棲艦にはありえない行動だった。

 何だこれは。これで艦娘の真似事ではなく、本当に艦娘ではないか。艦娘のように戦うチリヌルヲの姿は、戦艦棲姫の鋼の執念に小さなヒビを入れた。

 

 

「ター」

「ッ!!?」

 

 

 戦艦棲姫の見せた隙をタ級は見逃さなかった。タ級の砲撃は戦艦棲姫を捉え、戦艦棲姫は爆発の衝撃で態勢を崩した。

 戦艦棲姫の隙を見逃さなかったのはタ級だけではない。タ級の砲撃と同時にリ級とル級も動き出していた。二艦は再び戦艦棲姫に接近し、至近距離からの主砲攻撃に移る。

 ル級は戦艦棲姫の背後を取り、リ級は戦艦棲姫の正面から左腕の主砲を構えた。戦艦棲姫はまだ態勢を立て直せていない。リ級とル級の攻撃をを免れるのは不可能だ。

 

 

「……コノッ!」

 

 

 免れないのであれば防ぐしかない。戦艦棲姫は咄嗟に左手を伸ばし正面にいるリ級の頭を掴む。そして、リ級の頭を掴んだまま左腕を背後へと向けた。戦艦棲姫はリ級を盾とすることでル級の放つ砲弾の直撃を防ぐと同時に、リ級の撃沈を図ったのだ。

 戦艦棲姫の背後には既に砲撃態勢に入ったル級がいる。艦種に関係なく、大破状態での被弾は一撃で轟沈に繋がる。大破状態のリ級がル級の砲撃を受けてしまえば、リ級は声を発するまもなく水面に沈むだろう。

 咄嗟の事態に対処出来ないリ級とル級。リ級はなす統べなく盾にされ、ル級は自身の砲撃を止められない。戦艦棲姫はリ級の轟沈を確信した。

 

 

「どきなさいっ!」

 

 

 しかし、戦艦棲姫の思惑は突然割り込んできた一艦の艦艇の手によって崩れ去った。

 戦艦棲姫の視界に映るのはル級を蹴り倒し、戦艦棲姫の眼前に主砲を構える駆逐艦の姿。その駆逐艦は戦艦棲姫の顔を容赦なく撃ち抜き、同時に拘束されていたリ級を開放した。

 

 

「……ッ!」

 

 

 顔に手をあて、少し離れた場所に佇む駆逐艦を睨みつける戦艦棲姫。

 その駆逐艦は周囲に深海棲艦を侍らせながら、強い光を宿した瞳で戦艦棲姫を見ていた。

 

 

「まったく、とんだ醜態を晒してしまったわ」

 

 

 その駆逐艦は大きくため息をつきながら、青みがかった銀色の長髪をかきあげた。

 

 

「まだ戦いは終わっていないのに、旗艦の私が真っ先に勝負を捨てるなんて」

 

 

 不敵な笑みを浮かべるその駆逐艦は連装砲を構える。そして、それに追従するように周囲の深海棲艦たちも戦闘態勢をとる。

 

 

「この叢雲様が『仲間』の危機を前に傍観なんて、まったくありえないわね!」

 

 

 その駆逐艦『叢雲』は再び立ち上がった。

 圧倒的力の差を前に一度はくじけてしまった叢雲。しかし、彼女はその恐怖を跳ね除け再び戦場へ戻ることを決意した。

 自分に降りかかる恐怖と仲間を失う恐怖。せめぎあう二つの恐怖のどちらを先に排除すべきか。普段の叢雲ならば仲間を助けると即答しただろう。しかし、心が弱っていた叢雲はすぐに答えを見出せなかった。

 このまま戦ったところで勝ち目はない。時には戦略的撤退も必要だ。急いで援軍を呼びに行けばいい。あの五艦なら大丈夫。元々頭痛の種だったのだ。一艦くらいいなくなっても……。

 

 いいわけがない。

 

 叢雲は自らの問いかけに対し、反射的にそう答えていた。

 命令を出すまで動かないチ級とヌ級。自分の欲求に忠実なヲ級。自分勝手で気分屋なリ級。愛にすべてを捧げるル級。艦娘の敵である深海棲艦という存在で、ドック一つを勝手に占拠して、むやみやたらに資材を食い荒らし、言うこともろくに聞かず、いつも叢雲の周囲を引っ掻き回してばかり。叢雲にとって、チリヌルヲの五艦は厄介極まりない存在だ。

 しかし、そんな彼女たちの存在は、いつの間にか叢雲の中でかけがえのないものとなっていたのだ。はた迷惑な彼女たちを支えると同時に、叢雲もまた彼女たちに支えられていたのだ。

 

 艦娘と深海棲艦、相反する二つの存在の間に確かな絆が生まれていたのだ。

 

 嫌な予感がする。戦艦棲姫に急接近するリ級とル級を見た叢雲は先の悪夢を思い出していた。

 手が届くのに手を伸ばさなかったら死ぬほど後悔する。最大船速でリ級とル級の元へと向かう叢雲は必死に手を伸ばした。一度掴み損ねてしまった手を、今度はしっかりと掴む為に。

 

 そして、その手は届いた。

 

 叢雲は周囲の六艦と共に戦艦棲姫へ向けて駆け出した。

 チ級、リ級、ル級、タ級は散開し戦艦棲姫に狙いを定める。ヌ級、ヲ級は残り少ない艦載機を全て発艦。上空から戦艦棲姫へ向けて攻撃を開始した。

 

 

「……グッ」

 

 

 鋼の執念に入った小さなヒビは徐々に大きくなってゆく。

 戦艦棲姫は新たな砲台型の深海棲艦を呼び出そうとするが、砲台型の深海棲艦は姿を現さない。

 チリヌルヲの助け合う姿を見て精神的に大きなダメージを受けた戦艦棲姫は、戦闘意欲を大幅に低下させていた。更に、満身創痍の彼女を動かす燃料であった恨みや憎しみといった負の感情が時間経過によって薄れ始めていたのだ。

 致し方ない。周囲からの砲撃を紙一重でかわしながら、戦艦棲姫は大破し海面に倒れ伏す砲台型の深海棲艦へ意識を向ける。戦艦棲姫の意思が通じた砲台型の深海棲艦は咆哮しながらゆっくりと立ち上がった。そして、戦艦棲姫に迫る叢雲たちを背後から牽制しながら猛スピードで進撃を開始した。

 

 

「こっちは私に任せて、アンタたちはソイツをやりなさい!」

 

 

 叢雲はチ級、リ級、ル級、タ級に指示を出す。四艦はその指示に何の疑問も持つことなく、砲台型の深海棲艦へと進路を変え交戦を開始した。

 叢雲は艦載機の援護を受けながら戦艦棲姫を攻め立てる。本来ならば、駆逐艦の火力で姫型の深海棲艦に傷を付けることはできない。強化どころか改装すら行っていない駆逐艦ならなおさらだ。

 にも関わらず、叢雲の攻撃は確実に戦艦棲姫を追い詰めていた。叢雲が己の壁を乗り越え新たな力に目覚めた、などというお約束現象が起こった訳ではない。元々、戦艦棲姫の体は先の大戦で激しく消耗していたのだ。彼女の燃料である負の感情が薄れたことにより、麻痺していた感覚が元に戻り始めたのである。

 叢雲が発する力は小さい。その証拠に、戦艦棲姫の眼中には叢雲の姿はほとんど映っていなかった。しかし今、戦艦棲姫はその弱者に追い詰められている。

 戦艦棲姫は焦った。何故、自分が後手に回っているのか。何故、自分は目の前の弱者に脅威を感じているのか。

 

 

「何者ダ、何者ナンダオ前ハ!?」

 

 

 無意識のうちに、戦艦棲姫は自身の中に渦巻く疑問を口にしていた。

 その問いは、戦艦棲姫の徒手空拳に必死の形相で喰らい付く叢雲の耳にしっかりと届いていた。自分は一体何者か。考えるまでもない。スローモーションのようにゆっくりと動く世界で、叢雲は自分が口にすべき言葉を瞬時に思い浮かべた。

 叢雲は戦艦棲姫の大振りのローキックをジャンプしてかわした。そのまま勢いを殺さず空中でぐるりと体を回転させた叢雲は、腰の位置まで上げた細くしなやかな右足の膝を軽く曲げた。

 ジャンプの勢いと、両腕の大振りを利用した上半身の回転運動の勢いは一つとなり、叢雲の右足へと伝達される。

 半身(はんみ)となった叢雲は視界に標的を収め、そして、右足に集中した力を一気に開放した。

 

 

「ただの……艦娘よ!」

 

 

 叢雲の『ローリングソバット』が戦艦棲姫の顔面を捉えた。

 戦艦棲姫は宙を舞う。それと同時に、叢雲の背後から飛び出すヌ級とヲ級の艦載機。意識の定まっていない戦艦棲姫は艦載機の存在に気づかない。戦艦棲姫は無防備のまま、艦載機の爆撃をもろに受けてしまった。

 爆破の衝撃は戦艦棲姫を陸地まで押し飛ばす。きりもみしながら更に大きく宙を舞った戦艦棲姫。やがて、その体は重力に引かれてゆっくりと下降。港の舗装された地面に叩きつけられた。

 戦艦棲姫は右半身で地面の固さを感じながら、斜めに映る快晴の青空をぼんやりと眺める。自分が何処にいるのか、自分がどのような状態なのかまったく分からない戦艦棲姫。だが、一つだけはっきりしていることがあった。

 

 

(……マダ、戦エル!)

 

 

 彼女の心はまだ折れてはいなかった。戦艦棲姫は横たわる体をゆっくりと起こす。うまく力の入らない腕で体を支えながら震える膝を立てて何とか立ち上がるが、その姿には先ほどまでの脅威は感じられない。

 陸に上がった叢雲は戦艦棲姫と対面する。そして、絶え絶えの息をする戦艦棲姫へ主砲を向けた。

 

 

「諦めなさい。これで終わりよ」

「マダ……終ワ……ラナ……負ケ……マダ……」

 

 

 焼け焦げた白い肌、ボロボロになった黒いネグリジェ、ぼさぼさに乱れた黒い長髪。

 叢雲と初めて対面した時とあまり変わらない格好だが、見ているだけで冷や汗が吹き出る程の狂気は完全に収まり、纏う雰囲気も見た目にそぐうものになっている。戦艦棲姫が勢いを失ったのは一目瞭然だった。

 だが、彼女の瞳に宿る強い意志はまだ消えてはいない。是が非でも戦い続ける姿勢を崩さない戦艦棲姫の姿を見た叢雲は静かに理解した。自分が何を言っても無駄だ、戦艦棲姫は死ぬまで戦いをやめないだろうと。

 やむをえない、と叢雲が主砲の引き金を引こうとした。だが、そのときだ。

 

 

「一体何の騒ぎだ?」

 

 

 突然、戦艦棲姫の耳に謎の声が届いた。

 目の前にいる叢雲とは明らかに異なる声。艦娘では決して出せない、ずしりと響く低い声。その声は戦艦棲姫の耳に残り、彼女の奥底に眠っていた過去の記憶を刺激する。

 これまで戦いにのみ集中していた戦艦棲姫が、この時初めて戦い以外のことに意識を向けた。

 戦艦棲姫は声の聞こえてきた方向、自身の背後へと振り返る。

 

 そこには白い服に身を包んだ男が立っていた。

 

 戦艦棲姫は震え上がった。まるで雷に打たれたような、頭の天辺から足のつま先までを駆け抜けた謎の衝撃。その衝撃は、彼女の奥底に眠っていた記憶の一部を呼び覚ました。

 おぼろげな記憶が戦艦棲姫の頭を駆け巡り、幸せだった輝かしい日々の光景が走馬灯のように次々と映し出される。

 暖かな光が差し込む小さな部屋で何かを話す自分と、自分の話を聞く誰か。顔はぼやけて見えないが、その幾度となく見た服装ははっきりと覚えていた。

 彼女がこの世で最も敬愛した存在。彼女の幸せの中心。そして、彼女の嫉妬の根源。五艦の深海棲艦が偶然手に入れた希望の光。

 

 

「提……督……」

 

 

 戦艦棲姫は自然とその言葉を口にしていた。

 男と戦艦棲姫が出会うのはこれが初めてだ。しかし、戦艦棲姫には関係なかった。別人でもかまわない。自分が必死に追い求めていた光がすぐ目の前に現れた。手放してしまった幸せの象徴をもう一度、目にすることが出来た。

 それだけで、戦艦棲姫の心は救われたのだ。

 

 

「提督……!!」

 

 

 膝から崩れ落ちた戦艦棲姫は目から大粒の涙をこぼしながら、心の奥底で眠っていた思いを吐き出した。

 

 

「『旗艦』がしたいです……」

 

 

 こうして、一艦の嫉妬から始まった世紀の大決戦は幕を閉じた。

 深海棲艦の猛攻を受けて大きな被害を被った艦娘艦隊であったが、今回の大戦で轟沈した艦娘は幸いにもいなかった。万が一の事を考えて、提督たちは出撃する艦娘全艦に「戦闘による致命的な被害を最小限に抑える装備」を持たせていたためだ。

 だがしかし、各鎮守府が大きな被害を受けたことには変わりない。持ちうる艦隊を全て出撃にまわし、その艦隊のほとんどが壊滅状態となってしまったのだ。ブイン基地が正常に機能するまでにはしばらく時間を要するだろう。

 

 

「……誰?」

 

 

 突然泣き崩れた戦艦棲姫を見てぽかんと間抜け面を浮かべる青年。

 彼が避けようのない無慈悲な現実を知り腰を抜かすのはこの後すぐの話である。

 

 




「旗艦がしたいです……」
↑これがやりたかった。

次回・・・ヲ級、横須賀へ行く


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着任二十三日目:ヲ級、横須賀へ行く

飛龍!お前を待っていたんだよ飛龍!!


 

「今日から俺がお前の提督になってやる!これからずっと、お前は俺たちの仲間だっ!!」

 

 

 『どんっ!!』という効果音が似合いそうな権幕でそう言い放つ青年。

 戦艦棲姫を襲った不幸の数々を聞き、例によって情に流された彼は戦艦棲姫を自身の艦隊に迎え入れた。いつか必ず迎えに行くから。青年は戦艦棲姫は固い約束を交わす。

 感謝の涙を流した戦艦棲姫はタ級と共に闇夜の海に消え、青年は二艦の背中を見送った。

 そして今日、先の大戦との関係性を疑われ朝一で総司令部まで出頭するよう命令された青年は、戦艦棲姫を弁護するべくブイン基地総司令部へと向かった。

 

 

「…………で、どうなんだ?」

「すみませんでした」

 

 

 尋問が開始して約十秒、青年の心は大破した。

 強い意志を持って尋問に望んだ青年だったが、小市民な彼に元帥たちの本気の威圧に耐えられるほどの胆力は無かった。

 

 

「はあ……さすがに今回は肝が冷えたぞ」

 

 

 未知の存在『深海棲艦』の全貌を解明すべく、青年の艦隊を利用して色々と情報を集めていた元帥たちだったが、まさか今回のような事態が起こるとは思ってもみなかった。

 一応、強襲されてもすぐさま対応できるよう準備は怠っていなかったのだが、それは敵の艦隊が複数で攻めてきたことを想定したもの。流石に海を黒く塗りつぶすほどの敵がおしよせてくるのは想定外だった。

 元帥の一人が青年に心当たりがないか問いかけるが、青年自身も何故周囲に深海棲艦が寄ってくるのか分からない様子。

 一通り意見交換を終え、これからどうすべきか元帥たちと青年は頭を悩ませた。対策を立てようにも肝心の原因が分からないのではどうにもならない。

 今後こういった事態が再発する可能性は十分にある。それらに対し、毎回後手に回っていてはいつか本当にブイン基地が壊滅してしまうかもしれない。

 

 

「……とりあえず、お前さん御祓い行ってこい」

 

 

 最後まで対策らしい対策が浮かばなかった結果、まずは出来ることをやろうということで意見が一致。手始めとして、青年は神社で御祓いをすることになった。

 何故御祓いなのか、と一瞬疑問に思う青年だったが、ものの数秒もしないうちに答えに至った。

 これまでの自分を振り返れば一目瞭然だった。ブイン基地に着任する前は何事も無く普通に生活できていた青年が、着任後は立て続けにトラブルに巻き込まれた。そこへ元帥たちの『御祓い』という言葉を組み込めば、おのずと答えは見えてくる。

 

 

「昔っから、海には魔物が住んでいるって言うしな」

「ワシも何度かお世話になったのぉ」

「俺は『悪霊』なんて信じてなかったが、お前を見ていたら本当はいるんじゃないかと思えてきたぞ」

 

 

 チリヌルヲと他三艦の加入、司令部の半壊、そして今回の大戦。

 着任してまだ一年にも満たない青年の周囲で立て続けに起こったトラブルは、もはや偶然という言葉では片付けられない。

 たとえ『本当に偶然が引き起こした産物』だったとしても、事情を知らない者たちからすれば作為的な何かを感じずにはいられなかった。

 

 

「神社は横須賀鎮守府の北側にある。横須賀の提督御用達の有名な神社だ。効果は期待できるだろう」

 

 

 元帥の一人が神社の神主と旧知の仲だったということもあり、青年はその神社で御祓いを受けることになった。

 

 

「では、今すぐ向かってもらおう。話はこちらで通しておく」

「えっ、今すぐですか……?」

「そうだ。反論は認めん。行け」

 

 

 確かに、青年は今すぐ横須賀へ向かうことが可能だった。深海棲艦という不安要素を抱えた青年が何故すぐに横須賀へ向かうことが出来るのか。理由は簡単、青年の司令部はボロボロすぎてこれ以上底が無い状態だったからだ。

 常識を持ち合わせている叢雲は無問題。リ級とル級の問題児組とヌ級は大破で行動不能。遠征に出ているチ級は叢雲の言うことには絶対従う。資材を勝手に食い漁るヲ級がいるが、資材は既に食い尽くされているため問題ない。よって、青年は心置きなく司令部を留守に出来るのである。

 横須賀行きの定期便は週一回のペースでブイン基地を訪れる。そして、現在ブイン基地に停泊中の定期便は今日の正午に出航予定だ。

 

 現在時刻、午前十一時三十分。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「くそっ!何でこんなことになるんだよちくしょーっ!」

 

 

 全力疾走で司令部の中へと入っていた青年は、航海の準備と叢雲へと言伝を素早く済ませた。

 時刻は午前十一時五十分。出航まであと十分しかない。青年の司令部から定期便の所まで、走ってギリギリ間に合うかどうかの時間だ。

 どたばたと廊下を駆ける青年。そんな彼の目の前に見知った姿が飛び込んできた。

 青年が司令部に駆け込む姿を目撃していたヲ級だ。

 

 

「悪い!今はかまってられないんだ!」

 

 

 通じているかどうか分からない謝罪を早口で述べた青年は休むまもなく司令部を後にした。首を動かし、ヲ級は青年の背中をじっと眺める。

 ヲ級は暇を持て余していた。元々スズメの涙程しか残っていなかった資材はチリヌルヲたちに一晩で食い尽くされ、入渠できなくなった叢雲は自室でふて寝。戦闘のダメージが大きかったリ級、ル級、ヌ級は旧解体ドックで休息中。ヲ級は中破で行動をすることは可能だ。しかし、燃費不足のため長時間の航行が出来ない状態。同じく中破でまだ行動可能なチ級は燃費のよさを生かし、動けないル級の代わりにイ級たちを率いて遠征に。艦隊の大半が不在の第一艦隊は出撃不能。

 結果として、手元に残ったボーキサイトの欠片をちまちまと口に運び続けることがヲ級の仕事となっていた。

 

 そこへ颯爽と現れた救世主。それが青年だった。

 

 司令部に着任して以来、いつも誰かと一緒に行動していた彼女が一人で日常を過ごすのは今日が初めてだった。ヲ級が青年の司令部を訪れた理由を覚えているだろうか。

 『寂しかった』だ。真っ青な海に一艦ぽつんと残されて心細かった。そこで偶然目に付いたチ級とヌ級の姿を追いかけ、ヲ級はこの司令部にやってきたのだ。

 

 

「ヲっ」

 

 

 ボーキサイトを片手に、ヲ級は青年の背中を追いかけた。長時間放置され、さびしんぼうオーラ全開だったヲ級がその場に留まり続けるのはもはや限界だった。

 全力疾走する青年の後ろを走るヲ級。人外の正規空母にとって、成人男性の全速力はナメクジやカタツムリのようなもの。一人と一艦の差はすぐに縮まった。

 時間ばかり気にして視野が狭くなっていたためか、青年はヲ級の存在にまったく気づかない。

 だが、今はその視野の狭くなっている状態が功を奏していた。

 

 

「アイツはっ!」

「今回の大戦、絶対に奴が関わってるぜ……」

「司令部の復興にかかった金と資材を請求してやりたい……!」

「ふん、あのような不穏分子をいつまでも放っておくからこうなったのだ」

「とっとと追い出しときゃよかったんだよ」

 

 

 青年は、道行く他の提督たちから後ろ指を差されていた。

 まるで親の敵を見るような目で青年を睨む提督たち。以前から青年の噂を聞いていた提督たちが「今回の大戦には青年が関わっていのでは」という疑問を抱くのは自明の理だった。

 基地内で暴力沙汰を起こせば罰せられてしまう。それは頭では理解している。しかし、心がそれを是としない。罰がどうした。アイツの顔を一発ぶん殴ってやらないと気がすまない。殺気立つ提督の集団が、青年の前に立ちはだかるように歩を進める。

 そのときだった。彼らの視界にあるモノが映った。正面から走ってくる青年の頭の後ろで、左右にぼてっとはみ出た黒い物体がゆらゆらと揺れている。

 提督たちはそのはみ出た物体に見覚えがあった。互いの顔を見合わせた提督たちは進路をずらし、通り際、青年の背後にあった物体の正体を覗き見た。

 

 

「あれは……」

 

 

 『はみ出た物体』もとい『ヌ級を模した帽子』を被っていたヲ級は、目が合った提督たちの前でぴたりと止まり、彼らの目をじっと見つめる。

 

 

「ヲっ」

 

 

 ヲ級は胸元で小さく手を振った後、再び青年を追いかけた。

 『手を振る』。ヲ級レンタルサービスが開始される前、青年がヲ級に仕込んだ芸の一つである。

 

 

「……頑張ったよな。俺たち」

「あぁ。俺たちが守ったんだぜ……」

「生きていれば何度でもやり直せる。そうだろ?」

「仕方が無い。今日のところは見逃してやろう」

「そうか。これが……心か」

 

 

 事態は丸く収まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 定期便出航まで残り三分。何とか間に合った青年が安堵のため息をついたのもつかの間、新たな問題の出現に頭を悩ませることになった。

 

 

「おま……ハァハァ……なんで……」

 

 

 船に乗り込もうとした青年は一人の水夫に止められた。「そちらの艦娘はどうします?」と聞かれ、何のことだと首をかしげた青年だったが、背後を指差され水夫の言葉を理解した。

 

 

「ヲっ」

 

 

 青年はここで初めてヲ級の存在に気づいた。

 水夫にヲ級の名前を追加するか尋ねられる青年。一秒でも早く休みたい青年はそのまま追加を頼もうと投げやりに考えるが、しかし、僅かに残った冷静さが青年の口を固く閉ざさせた。

 青年の事情にあまり詳しくない他所の鎮守府で、ヲ級が目に留まれば大パニック間違いなしだ。他所の鎮守府で騒ぎを起こせば、上層部からキツイお叱りを受けることになるだろう。

 ヲ級を基地の外に連れ出すのはマズいと判断した青年は、ヲ級を無視してさっさと船に乗り込もうとする。

 

 

「あれれー?おっかしなぁ、ボーキの桁が一つ減っているぞぉ?」

「やめてください!やめてくださいっ!」

「お、落ち着け。まだ慌てるような……慌てるような時間じゃあでrftgyふ」

「俺のボーキサイト、返してくれよぉ!!」

 

 

 突如、青年の脳内で響き渡る阿鼻叫喚。ブイン基地でヲ級がどういった扱いをされているか熟知している青年だからこそ、後に起こる悲劇を容易に想像できた。

 ここでヲ級を放置したら、想像が現実の物となってしまう。百八十度方向を転換した青年は早足でヲ級の前まで近づき、ヲ級の手を握って水夫に言った。

 

 

「……追加、お願いします」

 

 

 目の届く範囲に置いておくほうが安全だ。青年はヲ級の手を引いて船へと乗り込んだ。常時ヲ級を監視していた青年の努力も報われ、航海中は特に何も起こることは無かった。

 数十時間の航海を経て、一人と一艦は横須賀鎮守府内の定期便船着場へ到着した。

 

 ブイン基地上層部から情報がうまく伝わっていたのか、一人の提督が青年を笑顔で迎え入れた。

 横須賀鎮守府で騒ぎを起こしたらどうしようと悩んでいたが、これなら騒ぎが大きくなることも無い。助っ人の登場に大喜びの青年は助っ人の提督に連れられて横須賀鎮守府内を進んだ。

 しかし、いくら現地の協力者がいてもそれが異様な光景であることに変わりは無い。ヲ級は周囲からかなり注目された。

 

 

「君、ちょっといいかな?」

「おいおい、何で深海棲艦がいるんだよ」

 

 

 青年は周囲の提督たちから次々と声をかけられた。青年は冷や汗を流す。暴言を吐かれるのではとビクビクしていたのもあるが、過去にヲ級がらみの騒動を何度も経験している青年は、ここでも似たようなことがおきてしまうのではないかと危惧していた。

 しかし、流石は古参の集う横須賀鎮守府。ブイン基地とは違い、応対はとても穏やかに進んだ。

 

 

「これはまた、珍しい光景だね」

「へえ、これがヲ級かい?実物を見るのは初めてなんだ」

「想像していたよりもおとなしいな」

 

 

 青年を蔑むどころか、逆に怯える青年に対して優しい言葉をかける横須賀の提督たち。ヲ級の事も敵視はせず、青年と同じように紳士的な態度で接している。

 

 

「ヲっ」

 

 

 注目されたヲ級は、視線を向けてくる提督一人一人に対して律儀に手を振った。

 普通ならば攻撃されてもおかしくない状況であるにも関わらず、彼らは焦りも騒ぎもせずに落ち着いて現状を把握している。ベテラン提督の余裕を感じた青年は素直に賞賛の声を送った。

 自分も、誰とでも分け隔てなく接することの出来る人間になろう。そう心に誓った青年は、周囲の提督たちに別れの言葉を告げその場を後にするのだった。

 

 

「……さて、ヲ級の出現率が高い海域はどこだったか」

「資材の貯蔵は十分。火力を抑えて巡洋艦をメインで……」

「いっそのこと、独自で鹵獲装備を開発してみるか?」

「艦載機の無力化は必須だよな。まずは対空能力重視を試そう」

「オリョクルしかない」

 

 

 青年は知らない。紳士的な態度とは裏腹に、彼らが熱く静かに燃える炎を瞳の奥底に宿していたことを。

 『W-ウィルス』の被害は確実に広がっていた。

 

 その後、無事神社へと到着した青年は御祓いを受けた。道中、案内人の提督からもこの神社で執り行われる御祓いの効果は抜群だとお墨付きを得ている。これは期待できそうだ、と神に望みを託した青年だったが、その結果は芳しくなかった。

 青年の前では御祓いを執り行った神主が座っている。その顔色はあまりよくない。

 

 

「何と言うか……気の毒だね君」

 

 

 開口一番、神主は哀れむようにそう言った。不安を煽られるようなことを言われ戸惑う青年は神主に尋ねた。御祓いは成功したのか、と。

 

 

「成功というか、最初から必要なかったよ。君はハナっから呪われちゃあいない」

「えっ」

「悪霊云々の話じゃないよ。君はそういう星の元に生まれてきたんだ」

 

 

 神主は青年をなだめるように、ゆっくりと説明した。青年を一目見たときから、悪霊の類で無い事は見抜いていた。青年の周囲で頻発する騒ぎの原因は後天的なものではない。生まれ持った先天的なものだと。そして、最後にこう言って締めくくった。

 

 

「『この世界』が続く限り、君の周囲では似たような騒ぎが続くかもね」

 

 

 似たような騒ぎ。その言葉で青年が真っ先に思い浮かべたのは、司令部で好き放題やらかす五艦の姿。その騒ぎが、これからも続いていくというのだ。青年は愕然とした。

 しかし、神主の言葉はまだ終わってはいなかった。

 

 

「でもね。悪いことばかりじゃあないんだ。君には力があるんだよ。どんな逆境も自分の糧にしてしまう強い力が」

 

 

 信じられないという顔をする青年。それもそうだろう。いきなりそんな突拍子も無い話をされて信じろというのが無理な話だ。しかし、神主は念を押すように、もう一度強く青年に言い聞かせる。

 

 

「今はまだ信じられないかもしれない。でも、決して忘れないで欲しいんだ。君には不運を飼いならす力があることを」

 

 

 青年は横須賀鎮守府を後にした。

 青年の頭の中では、未だに神主の言葉が反響していた。嘘か真かは分からない、眉唾物と言っても過言ではない力の存在。その力が本物ならば、青年はこれから先の苦難を乗り越え自分の力に出来るということになる。

 苦難を乗り越え自分の力に。奇しくも、青年はその言葉に似た光景をこれまでに何度も目撃している。チ級との出会い、ヌ級とヲ級の加入、リ級とル級の因縁、イ級とタ級の訪問、そして戦艦棲姫の暴走。

 幾度となく迫り来る苦難を乗り越え、青年の周囲には深海棲艦の仲間が集まった。そして、それはこれからも続いていく。

 

 

「それってつまり……」

 

 

 首を思い切り左右に振りぞっとするような光景を振り払った青年は、隣でぺたんと座るヲ級を眺めた。銀色の髪をはためかせながら、ボーっと海を眺めるヲ級の姿はどこか愛くるしい。

 ふと、青年の視線に気づいたヲ級が視線を青年へと移した。青年はじっとヲ級を見つめ、ヲ級もまたじっと青年を見つめる。

 

 

「ヲっ」

 

 

 ヲ級は青年へ向かって小さく手を振る。ヲ級の姿を見た青年は静かに笑った。

 

 

「……ま、なるようになればいいさ」

 

 

 まだ見ぬ先の話をあれこれ考えていても仕方が無い。強張っていた肩の力を抜いた青年は、手を振るヲ級に手を振り替えした。

 これから訪れる出会いの数々が、青年に一体何をもたらすのか。

 

 

「ター」

「アラ、オモシロソウネ」

 

 

 全身黒一色のゴスロリ姿を翻した深海棲艦は笑みを浮かべる。

 

 

「ター」

「ソウ……ナンダ……?」

 

 

 分厚い胸部装甲をたゆん、と揺らした全身白一色の深海棲艦はあまり興味を示さない。

 

 

「ター」

「レー?」

 

 

 そして、あざとさ全開の格好で無邪気に首をかしげる深海棲艦。

 

 青年の受難は、まだまだ終わらない。

 




次回・・・ヌ級、しゃべる


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着任二十四日目:ヌ級、しゃべる

資材がマッハでマジヤバイ。

何で敵旗艦を攻撃しないのさ。何でわざわざHPを3残すのさ。ゲージ空になっても敵旗艦を撃沈できなきゃ意味ないんですよ。

だから装甲薄いんだってマジで。後何回撤退を繰り返しゃあいいの。


 

 新しい朝が来た。

 東の海から太陽が顔を出すと同時に自室を出た叢雲は、朝食を摂るために食堂へと向かった。叢雲は今日の予定を頭の中で確認しながら廊下を進む。出撃、整備、教育。叢雲のすべき仕事は山ほどあるが、今の彼女が最優先で処理しなければならない仕事はただ一つ。先の大戦の事後処理だ。

 と言っても、叢雲は自身に割り振られた仕事をとっくに処理し終えているため、今の彼女に与えられた使命はもっぱら泣き言を言う青年のケツをひっぱだくことである。

 そうこうしているうちに食堂の入り口が見えた。叢雲は思考を目先の朝食へと切り替えた。今日の朝食は何にしようか。食堂の扉をくぐった叢雲は壁にかけられた品書きを眺める。

 

 

「……?」

 

 

 叢雲は違和感を覚えた。いつもなら食欲をそそるいい匂いが調理場から流れてくるはずなのだが、どういうわけか今日はそのいい匂いがしないのだ。叢雲は毎朝食堂に一番乗りしているため、その違和感にすぐ気づいた。

 台所には人の姿がある。すでに食堂は稼動しているようだ。叢雲はカウンターへと向かった。

 

 

「ん、おはよう叢雲」

 

 

 カウンターの奥で料理をしていた人物は、振り向くと同時に叢雲へ声をかけた。叢雲は料理をしていた人物を見て僅かに驚く。

 

 

「アンタ、何してんのよ」

 

 

 料理をしていたのは青年だった。白い軍服の上着を脱ぎ、エプロンと三角巾を身に付けた青年は鍋の火を止め、おたまで鍋の中身をぐるぐるとかき混ぜる。

 

 

「今日はいつも以上に早起きしちゃってさ。久しぶりに料理でもやってみようかなーと」

「一体どうやったらそういう思考に至るのよ……」

「気分だよ気分。料理したい気分だったの。お前の分も作ったんだぞ」

 

 

 お前の分もある。その言葉を聞いた叢雲は思わず頬を緩めた。

 青年と一緒に食事を摂ることは何度もあった叢雲だが、青年の手作り料理を食べる機会は今まで一度も無かった。

 思い人の手料理。期待せずにはいられない。乙女フィルターのかかった叢雲の視界には、少女マンガなどによく出てくる『ぽわぽわとした謎の物体』が浮かんでいた。その中心にいるのはもちろん青年である。

 

 

「俺特製のカレーだ。味わって食べろよ!」

 

 

 盛り付けた皿の乗ったおぼんをカウンターに置き、笑顔を見せる青年。その笑顔はとても清清しいものだった。叢雲はカウンターに置かれたカレーへと目を向けた。

 

 

「…………………………………………………………………………は?」

 

 

 不可解。それが目の前に鎮座する物体に対する叢雲の感想だった。

 目の前のカレーはごく一般的な形象。浅く窪んだ皿に真っ白な米を盛り、上からカレールーをかけたものだった。そこまでは普通のカレーとなんら代わりはないのだが、青年特製のカレーには普通のカレーとは違う点が二つほどあった。

 まず一つ目は、カレールーが黒い。「黒ずんでいる」とか「色が濃い」とか、そういったレベルの話ではない。コールタールのように本当に真っ黒。そして、その黒くドロドロした液体の上に角切りの野菜がプカプカと浮いているのだ。

 二つ目は、匂いが無い。食欲をそそるカレー独特のいい匂いが一切無い。完全に無臭。いくら匂いをかいでも、湯気の熱気しか伝わってこない。

 

 

「俺独自のアレンジを加えてあるから、普通のカレーとは一味違うぞ?」

 

 

 誇らしげな表情で豪語する青年。叢雲は何も言えなかった。いくら乙女フィルターがかかっている叢雲でも、青年の「一味違う」という言葉を本来の意味で捉えることは難しかった。

 そして同時に、あまりにも違いすぎる理想と現実のギャップに打ちのめされていた。

 

 

「おっと、先に言っとくがこのアレンジはトップシークレットだからな。いくらお前でも教えられないぜ!」

 

 

 ど素人のアレンジほど恐ろしいものは無い。どの分野においても共通して言えることである。

 

 

「さあ、召し上がれ!」

 

 

 いつもの叢雲ならば、ここで辛辣なツッコミを入れるだろう。しかし、理想をぶちのめされた衝撃はあまりにも大きかった。思考停止状態に陥り、「食べない」という選択肢が頭からすっぽりと抜け落ちてしまった叢雲は言葉を詰まらせる。

 時間が経つにつれて徐々に追い詰められる叢雲。「意外とおいしいかも」という現実逃避に走った彼女は両手をゆっくりと上げ、カウンターに置かれたカレーを手に取ろうとした。

 

 

「……ゥ」

 

 

 その時だった。叢雲の背後からとある艦艇の声が聞こえてきた。勢いよく振り返った叢雲はその艦艇の姿を視界に納めた。

 

 

「ヌゥ」

 

 

 叢雲の背後にいたのはヌ級だった。少ない資材で何とか行動できるまで回復したヌ級は指示を仰ぐために叢雲を探していたのだ。そして、食堂で佇んでいる叢雲の後姿を発見し、こうして近づいていたのである。

 

 

「!!!」

 

 

 叢雲に電流走る―――!

 ヌ級の登場が、叢雲に一筋の活路を見出させた。カレー?の皿がのったおぼんを素早く手に取った叢雲は早足でヌ級へ近づいた。

 

 

「何よアンタ朝っぱらから食い意地張っちゃってシカタナイワネー。ほら、これやるからさっさと食べなさい!」

 

 

 鬼気迫る形相で皿を突きつける叢雲。これが突破口。一発逆転の可能性を秘めた活路。

 青年は深海棲艦の言葉を理解できない。故に、ヌ級が何を言っても「ヌゥ」としか聞こえない。「ヌゥ」という言葉の裏に隠れた「ナニスレバ」という副音声は青年の耳には届かない。そのため、ヌ級の言葉は叢雲のさじ加減でいくらでも捏造可能なのだ。

 

 

「おいおい、おかわりはいくらでも……」

「ほらほらほらほら!遠慮しないで食べなさいよっ!」

「ヌゥ」

 

 

 叢雲の指示ならばとヌ級は口を大きく開き、カレーに似た何かを皿ごと飲み込んだ。

 

 

「!!?!?!??!?!?!!?」

 

 

 次の瞬間、ヌ級の体が大きく跳ねた。青白い両手を口の中へと入れ、必死に中の異物を掻き出そうとするヌ級。しかし、中の異物は中々出てこない。いよいよ我慢できなくなったのか、ヌ級はドタドタと食堂の中を駆け回り始めた。

 ヌ級は叢雲でも一切聞き取れない奇声を上げながら机や椅子にぶつかる。ついにはバランスを崩し床に倒れ伏してしまった。ヌ級は両手を口に突っ込んだまま両足をバタバタさせるが、やがてその動きは弱まり、そして、ついには動かなくなった。

 

 

「ちょ、ちょっと……」

「な、何が起きたんだ?」

 

 

 慌ててヌ級のそばに駆け寄る青年と叢雲。二人はヌ級の体を揺らしてみたり呼びかけたりしてみるが、ヌ級の反応はない。

 その場しのぎの策が、まさかこのような結果になろうとは思ってもみなかった。罪悪感にかられる叢雲だが、しかし、あのままアレを食べていれば叢雲自身もどうなっていたか分からない。これは仕方の無い事。いわば、不慮の事故なのだ。

 

 

「……人間の食べ物を食わせたのがまずかったのか?」

 

 

 無自覚のうちに惨劇を引き起こした張本人は言葉を発した。

 青年の言葉はある意味的を射ている。その食べ物は、違う意味でまずかった。深海棲艦が悶絶するほど、不味かった。

 

 

「……ッ」

「!」

「!」

 

 

 ぴくり、と小さく動いたヌ級を見た青年と叢雲は安堵のため息をこぼした。

 ゆっくりと活動を再開したヌ級は両膝をつきながら両手で状態を起こす。そして、横で見守っていた青年と叢雲へと視線を向けた。

 

 

「……あの、何でしょうか?」

 

 

 不思議なことが起こった。

 これまで「ヌゥ」としか言葉を発さなかったヌ級が、鬼型姫型の深海棲艦以上に流暢な言葉で青年たちに話しかけてきたのだ。

 

 

「……しゃべった」

「え?」

「しゃべったぁああー!」

 

 

 突然の事態に動揺する青年はヌ級に掴みかかった。青年はべたべたとヌ級の全身を触る。青年の触診に驚いたヌ級は四肢を縮こませながら体を震わせた。

 

 

「んっ!……や……そんな……恥ずかしぃ……」

「あ、すみません」

 

 

 我に返った青年はヌ級から素早く離れた。

 一つ深呼吸し改めてヌ級を見る青年。ヌ級はハの字座り、所謂『女の子座り』の状態で、自分の体を隠すように両腕を体の正面でクロスさせている。小刻みに体を震わせながら「止めてください……」と幼い可愛らしい声、所謂『アニメ声』で訴えかけてくるその様は、恐怖に怯える少女そのもの。

 だが、忘れてはいけない。ヌ級は人型でないタイプの深海棲艦。大雑把に言うと、彼女は黒い半球に人間の手足が生えたような姿をしているのだ。そんなヌ級が、生娘のような仕草でアニメ声を発するとどうなるか。

 

 

(シュールだ……)

(シュールね……)

 

 

 ホラー以外の何者でもなかった。

 怯えるヌ級にどう声をかけていいのか分からない青年は叢雲に目配せした。青年の意図を察した叢雲は眉をひそめるが、警戒されている青年とヌ級がこれ以上接触しても事態は一向に進まない。むしろ場の空気が険悪な方に流れてしまうだろう。

 仕方が無い、といった様子の叢雲はヌ級の前で屈み、目線を合わせて話しかけた。

 

 

「ちょっと、少し落ち着……」

「キャアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!?」

 

 

 予想外の絶叫に思わず耳を塞いだ青年。叫び声を上げたヌ級は青年たちに背を向け、今度は頭を隠すように両手を頭の上に回した。

 自分の方が落ち着いて話が出来るだろう。そう思ってヌ級に話しかけた叢雲だったが、その考えは大きく間違っていた。

 ヌ級が叢雲の命令を素直に聞くようになった理由を思い出して欲しい。そして、その際叢雲がヌ級に対してどのようなことをしたのか。

 

 

「ごめんなさいごめんなさいっ!いい子にしますから蹴らないでくださいっ!」

 

 

 ヌ級からすれば、叢雲という名は恐怖の代名詞。唯一であり絶対。天地がひっくり返ろうとも決して逆らえない存在。それがヌ級にとっての叢雲なのだ。

 叢雲は屈んだ状態から動かない。体も、表情も。まるで時が止まったかのようにピクリとも動かない。はっきりと聞き取れた拒絶の言葉は、先ほど受けた衝撃を優に超える恐ろしい一撃となって叢雲に突き刺さっていた。

 そっとしておこう。青年は怯えるヌ級をなだめながら、叢雲が復活するのを待った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、何とか活動を再開した叢雲。傷が完全に癒えていない彼女は青年に手を引かれて食堂の椅子に着席。その隣には青年が、対面にはヌ級が座った。

 青年はまじまじとヌ級を見る。背もたれのない椅子に正座するヌ級の姿はとてつもなくシュールだ。

 

 

「あの……な、何でしょうか?」

 

 

 正面で両手をもじもじと動かしながら、体をゆさゆさと左右に揺らすヌ級。仕草自体は女の子らしくてかわいらしいのだが、その仕草をやっているのは黒い半球に人間に手足を生やした人外である。

 青年は心の声を口に出さないよう細心の注意を払いながら言葉を発した。

 

 

「おぅ……その、あれだ。ヌ級は何で急にしゃべれるようになったんだ?」

「急にしゃべる……ですか?私はいつも通りに過ごしているつもりなのですが……」

 

 

 ヌ級はいつものように「ヌゥ」と話しているつもりのようだ。

 しかし、今のヌ級が話す言葉は青年でも理解できる言語。本当に何が起こったのか理解できない青年。自分の料理に過失はないと信じきってるため、彼が自分の力で真実に到達することは無い。

 

 

「あの、私からも質問してよろしいでしょうか?」

「ああ。いいよ」

「『ぬきゅー』とは、私の名前なのですか?」

 

 

 ヌ級という名前は人間たちが勝手につけた名前だ。それを深海棲艦であるヌ級が知る由も無い。一人納得した青年はヌ級に説明を始めた。

 

 

「知りませんでした。私たちに名前が付けられていたなんて」

「まあ、普通は知らなくて当たり前なんだけどね」

「じゃあ、あそこにあるのは……」

 

 

 ヌ級との会話は青年の予想していた以上に弾んだ。あれやこれやと色々な物に興味を示すヌ級。青年も青年で、自分の回答にいちいちはしゃぐヌ級を見て気をよくしていた。

 そんなほのぼのとした空気の中で、心中穏やかではない者がいた。

 

 

(……いつまで私をのけ者にするつもりよ)

 

 

 それは叢雲だった。復活を遂げた叢雲は自然に会話に混ざる方法を模索していた。ヌ級の質問にしれっと答えるか、青年の言葉にしれっと同調するか、自分で新しい話題をしれっと提供するか。

 今叢雲が熟考している間も、青年とヌ級は楽しそうに会話を続けている。このまま空気になる事だけは避けたいと考える叢雲。自分が参加している場で、自分の存在が無視されるのは彼女のプライドが許さなかった。

 しかし、先ほどのヌ級の言葉が尾を引いているせいで中々言葉を口にできない。また、怖がられるのではないか。叢雲は最初の一歩を踏み出せずにいた。

 

 

「うーん、ちょっと分からないなぁ。叢雲、分かるか?」

「ぅえっ!?」

 

 

 チャンスはすぐやってきた。ヌ級の問いに答えられなかった青年が、叢雲に助けを求めたのだ。

 ナイスな展開じゃないか、といわんばかりにいい笑顔を見せた叢雲は「しょうがないわね」と前置きを入れ、饒舌に語り始めた。

 

 

「と、言うわけよ」

「そうなん……ですか。あ、ありがとうございます」

「……何よ。言いたいことがあるならはっきり言いなさい」

「あぅ……いえ、そのっ……何でもありません」

 

 

 叢雲、小破。先ほどまでの和気藹々とした雰囲気から一転、圧迫面接のようなギスギスした雰囲気へ。

 ヌ級の様子があからさまに違っていた。青年と会話をしていたときは自分から積極的に声を上げていたヌ級だが、叢雲が相手になった途端に口数を減らしてしまった。

 どちらかと言えばサバサバした性格である叢雲だが、そんな彼女でもヌ級の変わりようはかなり堪えた。

 

 

「……そう。それじゃあ、他に聞きたいことはないかしら?」

「………………いいえ、特には……」

 

 

 叢雲、中破。上艦(上官)は時には嫌われ役とならねばらない。そう自分に言い聞かせて何とか平静を装う叢雲。

 叢雲の歯に衣着せぬ物言いがヌ級を萎縮させているのだが、既に自分の事で手一杯の叢雲はそのことに気づかない。

 青年はヌ級の豹変が気になった。青年から見たヌ級の印象は、いつも叢雲の言うことを素直に聞き、後ろをしっかりついてまわる優等生。そんなヌ級が叢雲を前に萎縮、時折拒絶するような素振りも見せている。

 表面上では良好な関係を築きつつ、内心では忌み嫌う。人間社会でもよく耳にする話だ。

 もしや。青年はヌ級に問いかけた。

 

 

「ヌ級。お前、本当は叢雲が苦手だったのか?」

「………………」

 

 

 叢雲、大破。青年は地雷を全力で踏み抜いた。

 場に静寂が訪れた。旗艦の才能があると思い込んでいた叢雲は、現実を目の当たりにして完全沈黙。気まずい空気に呑まれたヌ級も沈黙を維持。そして、二艦の反応を見て盛大にやらかした事を悟った青年。

 青年は悪しき流れを断ち切るために策を練る。叢雲を頼ることも、ヌ級の手を借りることも出来ない今の青年に出来ること。ない知恵を絞って必死に考えた、彼にしか出来ないたった一つの冴えたやり方。それは……。

 

 

「ヌ級、俺の事を提督と呼んでくれ!!」

「ひぇっ!?」

「提督、提督だ!俺を提督と呼ぶんだ!!」

「えっ、え、あ……て、ていとく?」

「声が小さーいっ!もっと大きな声で!さん、はいっ!」

「て、提督」

「もっと大きく!」

「提督!」

「モット!モット!」

「提督っ!!」

 

 

 全力で誤魔化し、強引に流れを変えることだった。

 大声と勢いで場の空気をリセット。後から冷静になったとき、今の光景を思い出して思わず笑いが零れるような雰囲気へと持っていくことも出来る。少々分は悪いが、このまま何もしないよりはマシだ。青年は最後の賭けにでた。

 そして青年の策にツキも乗った。なんと、青年以外にも場の空気を換えようと考えていた者がもう一人、いや、もう一艦いたのだ。叢雲である。

 青年が突然騒ぎ出したことには驚いた叢雲だったが、その行動の理由はすぐに察しがついた。彼がこのまま場の空気を変えてくれれば、と叢雲は内心期待する。

 

 

「叢雲、お前もだ!ほらっ!」

「はぁっ!?何で私が……」

 

 

 しかし、叢雲には誤算があった。それは、青年が最初から叢雲を巻き込む気満々だったということだ。

 

 

「俺の役職を言ってみろぉ!」

「……ぃ……く……って、別に今言う必要なんてないじゃない!」

「聞ーこーえーまーせーん!」

「ぐっ……アンタ、調子に乗ってんじゃ……」

「命令だ!ほら早く!」

「~~~っ!分かったわよ!言えばいいんでしょ言えば!提督!提督提督提督ていとくてーとくてぇとくっ!!」

「そうだ!ヌ級、お前も続け!」

「提督っ!」

「そうだっ!俺は提督だぁっ!!」

「提督!」

「提督!提督!」

「提督!提督!提督!提督!」

 

 

 青年は賭けに勝った。

 ぴょんぴょんと跳ねながら楽しそうに叫ぶヌ級と、顔を真っ赤にしながらやけくそ気味に叫ぶ叢雲。気まずい空気はどこかへと流れて消え去った。そして、場には新たにカオスが充満した。

 彼らの大騒ぎは、寝坊した給仕が食堂に現れるまで続いた。青年は満足そうに笑う。ヌ級は楽しそうに体を揺らす。そして、叢雲はぐったりとうな垂れる。全力で叫び続け疲労困憊となった叢雲。今の彼女には「一騒ぎしたら腹が減った」と調理場に戻っていく青年を止める気力すら残っていなかった。

 未曾有のバイオテロが迫る。叢雲は死を覚悟した。

 

 

「えっ、もう全部食べちゃったんですか?」

 

 

 だが、バイオテロは一人の英雄によって食い止められた。

 騒ぎの間に、バイオ兵器は給仕の手によって速やかに処分されていたのだ。給仕は青年を適当に言いくるめ、無断で調理場へ立ち入らないことを約束させた。表向きの理由としては『衛生面の問題』という形になっているが、真の理由は言わずもがなだ。その後、給仕の中で『青年に調理器具を持たせてはならない』という取り決めが密かになされた。

 

 翌日になればヌ級も元の状態へと戻り叢雲も一安心。再び言葉が通じなくなって残念がっていた青年だったが、すかさず叢雲にケツをひっぱだかれて執務室へと連行されていった。

 一艦残されたヌ級は、徐々に小さくなってゆく一人と一艦の後姿を見つめる。

 

 

「…………テートク」

 

 

 潮風にかき消されそうなほど小さな声だったが、彼女の発した言葉は確かに司令部の主を呼ぶ声だった。

 




その日、妖精たちは思い出した.。
奴らに支配されていた恐怖を・・・。
鳥かごの中に囚われていた屈辱を・・・。


次回・・・妖精たちの反撃


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着任二十五日目:妖精たちの反撃・表

今回のイベントで手に入ったレア(?)艦娘一覧

春雨
大淀
浜風
熊野×3
阿武隈×4
おにおこ
蒼龍×2
加賀
長門
瑞鳳×2
夕雲
舞風

あと一歩だったよ時津風・・・


 

 『奴ら』は突然やってきた。

 いつものように作業をしていた妖精たちの前に現れた見覚えのない艦艇。顔の大半を白い仮面で覆い隠し部屋の隅でゆらゆらと揺れているそれの姿は、妖精たちの目には面妖に映った。

 後に彼らはその面妖な艦艇が深海棲艦であることを知る。少し不気味だが、特に邪魔というわけでもないし放っておいても問題ないだろう。妖精たちは人間の作業員たちと共に作業場へ戻っていった。

 それからほんの数日後。深海棲艦が増えた。黒い半球に人間の手足が生えたような姿をしているそれは解体ドックをうろうろと歩き回る。

 作業の邪魔をしてくるわけではないが、作業場をうろうろされるのはどうにも落ち着かない。妖精たちは説得を試みるが、結局話が通じることは無かった。

 そして更に数日後。深海棲艦がまたしても増えた。しかもニ艦だ。片方は資材に夢中で作業の邪魔はしなかったが、もう片方の艦艇はとんでもない暴れ馬だった。

 その艦艇を一言で表すとするなら『傍若無人』。特に理由も無く理不尽に虐げられ身の危険を感じた妖精と人間の作業員たちは、作業場を屋外へと移した。

 それからは野ざらしの作業場で、雨やら風やら日差しやらに悩まされる日々。彼らはめげずに試行錯誤を続けた。廃材から屋根や壁を作り、作業用の機材も組み立て直し、作業できるスペースを一から作り上げた。全員が一丸となって作り上げた新しい作業場。彼らは作業場の完成を大いに喜んだ。

 しかし、その喜びは『ある深海棲艦』の手によって無残にも砕かれる。口に紙を加えた深海棲艦は赤黒いオーラを放ちながら司令部の敷地内を駆け回り、両腕の主砲を容赦なく放つ。その砲撃は妖精と人間の作業員たちが一生懸命作り上げた作業場を跡形も無く消し飛ばした。

 司令部敷地内から避難していた一同は、焼け焦げた作業場を呆然と眺めた。一同は身を寄せ合った。人間の作業員たちはため息をつきながら「また作り直せばいいさ」と笑う。痛々しい笑顔を見た妖精たちは心を痛めた。

 妖精たちは我慢の限界だった。何故自分たちが虐げられなければならないのか。自分たちは何も間違ったことはしていない。間違っているのは『奴ら』のほうだ。

 今すぐにでも『奴ら』をぎゃふんと言わせてやりたい妖精たち。しかし、戦力的にはまだ遠く及ばないのが現実。妖精たちは仕事の合間に着々と戦力を整え、来るべき日に備えた。『奴ら』が好き勝手に暴れている間も湧き上がる感情をぐっと堪え、密かに牙を研ぎ続けた。

 

 それから数日後、機会は訪れた。どういうわけか、『奴ら』がそろって痛手を負ったのだ。

 

 妖精たちは歓喜に震えた。おそらく二度と訪れないであろう最高の好機。これまで何度も苦汁を舐めさせられてきた相手を一掃できる大チャンス。この機を逃すまいと妖精たちは反撃の準備を急いだ。

 そして今日、妖精たちは『奴ら』に牙を剥く。現在、旧解体ドックにいるのは傷が深いニ艦のみ。他の連中は朝早くに旧解体ドックを出て行った。ここ最近の行動からして、帰ってくるのは日が真上に昇る頃だろう。時間は十分ある。

 妖精たちは手負いの二艦を先に殲滅することにした。慈悲は無い。

 

 

「時は来たっ!」

 

 

 一人の妖精が高々と声を上げた。

 

 

「今日この時より、我々は戦士となる!これまで幾度となく踏みにじられ、虐げられ、奪われ続けてきた。しかし、それも今日で終わる!全てを終わらせるために、我々は準備を重ねてきた!」

 

 

 ヘルメットを被る妖精たちは直立不動のまま演説に耳を傾ける。その表情は普段ののほほんとした雰囲気が微塵も感じられないほど強張っていた。

 

 

「後は、待ち受ける戦いに全てを捧げるだけだ!後先の事は考えるな!全てを出し切れ!我々の中の誰か一人でもいい!誰か一人でもその場に立っていれば、我々の勝利だ!」

 

 

 演説をしていた妖精は手に持っていた五寸釘をダンッ、と地面に突き刺した。

 

 

「行くぞ諸君!奴らに目に物見せてやれぇええー!」

「おおおおぉおおおぉぉぉおおー!!」

 

 

 妖精たちが仕事の合間に少しずつ作り上げた二十機の艦載機が茂みの中から一斉に飛び立った。

 司令部内の廊下を通り正面の入口から突入する部隊に六機、外壁にある通気口を通り内部へ突入する部隊に八機、屋根をぶち破って内部へ突入する部隊に六機。三班に分かれ、旧解体ドックに巣食う侵略者を撃滅する作戦だ。

 最初に内部へと突入したのは通気口を通った部隊だった。部隊を構成するのは艦上爆撃機『九九式艦爆』八機だ。

 通気口のファン及び金網は妖精たちが事前に取り外していたため、九九式艦爆一機程度なら容易に通過することが出来た。

 九九式艦爆本体に一人、艦爆から垂れ下がった紐にニ~三人の妖精が掴っている。内部へ侵入した一機目の九九式艦爆はそのまま壁沿いに伸びるキャットウォークへと下降していった。

 紐にぶら下がっていた妖精たちがキャットウォークに着地し、無造作に置かれていた布切れを取り払う。布切れの下に隠してあったのは、妖精たちが仕事の合間に少しずつ作り上げた『12cm単装砲』だった。

 通気口を通り続々とドック内へ進入する九九式艦爆。そして、一機目と同じく紐に掴っていた妖精たちはキャットウォークのいたるところに隠しておいた『12cm単装砲』の元へと向かう。

 

 

「奴らめ、好き勝手荒らしやがって」

「許さねぇ……」

 

 

 ドック内の惨状を目の当たりにした妖精たちは荒れ果てた内部の様子に苛立ちを見せる。そして同時に決意を新たにする。絶対に、この場所を取り戻して見せると。

 

 

「行くぞ、攻撃開始だ!」

 

 

 合図と同時に、ドック内を旋回していたに八機の九九式艦爆が一斉に急降下。『壁にもたれかかっている敵』と『ごみ溜め場で寝ている敵』に爆撃を行った。

 『壁にもたれかかっていた敵』は地面を転がり、『ごみ溜め場で寝ていた敵』は宙を舞う。妖精たちは攻撃の手を緩めない。キャットウォークに設置された十二基の12cm単装砲が一斉射撃を開始した。

 けたたましい砲撃音と共に降り注ぐ砲弾の豪雨。敵は態勢を立て直す間もなく砲弾の直撃を受けた。妖精たちの熾烈な攻撃は衰えることは無く、敵もろとも抉られたコンクリートの地面が砂塵となり煙幕のように敵の姿を覆い隠した。

 

 

「やったか!?」

 

 

 砲撃を一時中断した妖精たちは立ち上る砂塵の中心を凝視する。一筋縄ではいかないことなど百も承知。しかし、皆心のどこかで期待していた。これほど熾烈な攻撃を浴びせたのだから、敵は跡形も無く消し飛んだのでは、と。

 しかし、その淡い期待もすぐに消え去った。南側のキャットウォークが突然爆発したのだ。

 

 

「やはりそう簡単にはやられてくれないか!」

「よくも仲間をっ……」

「ちくしょう許さねぇ!」

 

 

 敵は健在だった。南側のキャットウォークで砲撃を行っていた妖精たちは一斉に非難を開始。九九式艦爆は敵をかく乱し、残る十基の12cm単装砲が一斉射撃を再開した。

 しかし、敵は妖精たちの攻撃をものともせずに反撃を続ける。南側のキャットウォークは瞬く間に全壊。設置された12cm単装砲の数も八基となった。

 

 

「警笛を鳴らせ!第二作戦へ移行する!」

 

 

 車のクラクションのような甲高い音がドック中に響き渡る。次の瞬間、旧解体ドックの屋根が音を立てて崩れ落ちた。

 

 

「潰れちまいな!」

 

 

 警笛と同時に屋根をぶち破ってきたのは四機の艦上戦闘機『九六式艦戦』とニ機の艦上爆撃機『彗星』だった。

 九六式艦戦の攻撃で屋根を崩し、敵が下敷きになったところで九九式艦爆よりも性能の高い彗星の爆撃を浴びせる第二作戦。それが、今まさに実行された。

 九九式艦爆の爆撃を遙かに上回る彗星の爆撃が屋根の瓦礫ごと敵二艦を吹き飛ばす。妖精たちはすかさず12cm単装砲で追撃し、敵の息の根を確実に止めにかかった。

 

 

「撃て撃て撃て撃てっ!」

「弾切れ!?くそっ、早く補給を!」

「倒れろっ……倒れろぉおおー!」

「ぜってえ許さねぇ!」

 

 

 一体どれほどの時間が経過しただろうか。時間を忘れ、一心不乱に攻撃を続ける妖精たちに疲れが見え始めた。

 敵は依然として健在。妖精陣営はまだ『第三作戦』を残してはいるが、それは一か八かの作戦だ。それも失敗する確立が高い不利なモノ。妖精たちは、できることなら第二作戦で勝負を決めたかった。

 しかし、砲弾にも、爆弾にも、燃料にも限りがある。残弾があまっている12cm単装砲は四基。攻撃可能な爆撃機は彗星が二機。他の爆撃機及び戦闘機は敵の反撃を受け墜落してしまった。

 

 

「何だよこれ……敵は手負いじゃなかったのか!?」

「まだ勝負は終わっていない!敗北は己の中にあると知れ!諦めるな!」

 

 

 妖精たちは焦る。敵は手負いで数も半分以下、戦力は大幅に低下している状態のはず。なのに何故、敵は倒れないのだ。妖精たちのこれまでの努力をあざ笑うかのように、敵二艦は反撃を続ける。

 妖精たちは選択を迫られた。今の状況が続ければ敗北は間違いない。切り札の第三作戦を発動するなら今だ。しかし、その作戦は失敗する可能性が高く不発に終わるかもしれない。

 ならば、全滅する前に撤退すべきではないか。二度とチャンスが巡ってこないわけではない。撤退も立派な作戦の一つだ。今を生き延び、今回の経験を次回に生かす方法もある。

 

 

「よし、第三作戦を決行する!警笛を鳴らせ!」

 

 

 妖精たちは躊躇無く第三作戦の決行を決めた。妖精たちの中には、端から『撤退』の二文字は無かったのだ。

 二度目の警笛が鳴る。ドックの入り口が一瞬にして蜂の巣となり、その向こうから六機の艦載機が姿を現した。艦上戦闘機『零式艦戦52型』が一機、艦上戦闘機『零式艦戦21型』が二機、艦上爆撃機『彗星』が三機、計六機の艦載機が敵に向かって突撃してゆく。

 

 

「今のうちだ!各員、準備にかかれ!」

 

 

 キャットウォーク上の妖精たちはパラシュートを使い一階へと降りる。途中、流れ弾を受け倒れる妖精もいた。しかし、妖精たちは振り返らずに一点を目指す。墜落中の艦載機から脱出した妖精、敵の反撃を受け一階に落とされた妖精たちもまた、合図を聞き目的地へと急いだ。

 妖精たちが目指すのは、ドック入り口付近に不規則に並ぶ木のコンテナの一つ。一番入り口に近いコンテナだ。そのコンテナこそ第三作戦の肝。中には勝敗を分ける最後の切り札が収まっているのだ。

 妖精たちはコンテナの端に空いた小さな穴からコンテナ内部へと入る。各部のチェックを速やかに行い動作に支障が無い事を確認した妖精たちは、切り札を覆う外壁の取り外しにかかった。

 長い警笛の音が鳴り響く。三度目の警笛は切り札発動の合図。航空部隊は敵二艦の誘導を開始した。

 艦載機は敵の限界ギリギリまで接近し、敵の苛立ちを誘う。二艦のうち一艦はあっさりと釣れ、所定の位置まで誘導することに成功した。残る一艦はその場に留まり艦載機に狙いを定めている。彗星の爆撃にも耐え、零式艦戦52型の攻撃をものともしない残る一艦。戦艦だけあって装甲はかなり固い。

 切り札の存在を知られる前に、何としてでも敵を所定の位置まで誘導しなければ。航空部隊は更に攻撃の手を強める。残る一艦は僅かに動いたが、それでも所定の位置までは程遠い。

 

 

「だったら、こっちにも考えがあるぜ!」

 

 

 突如、艦載機の一機が急降下を開始した。敵の砲撃を受けながら、時には回避しながら、そのまま敵に向かって一直線に飛んでゆく艦載機。

 

 

「ぶっ飛べぇええええーっ!!」

 

 

 艦載機は残る一艦の体に直撃し大爆発を起こした。その威力は凄まじく、残る一艦の体を大きく後退させた。だがしかし、それでも所定の位置には届かない。捨て身の特攻を以(も)ってしても、敵を所定の位置まで追い込むことが出来なかった。

 

 

「もいっぱあああああつッ!!」

 

 

 だが、そこへもう一機特突っ込めば敵を所定の位置まで動かせる。

 距離が足りないと即座に悟った一人の妖精が、すかさず艦載機を突撃させたのだ。これにより条件は全てクリアされた。外の様子を監視していた妖精が四度目の警笛を鳴らし、準備完了の合図を告げる。

側面四枚の板がバタン、と音を立てて倒れる。コンテナは天井と木の骨組みを残し、中の物体が露(あらわ)となった。

 

 

「照準よし!いつでもいけるぜ!」

「こいつを食らって無事でいられるか!?」

「深海棲艦、もう絶対許さねえ!」

 

 

 妖精たちの切り札とは、戦艦の主砲である『35.6cm連装砲』だった。

 皆が寝静まった後に旧解体ドックの隅に作った秘密の入り口から部品を少しずつ運び、コンテナの中で組み立てていたのだ。

 ただし、司令部が資材不足のため部品の一部に廃材を利用している。そのため砲弾が正常に射出されるかは実際に撃ち出してみなければ分からないのだが、秘密裏に作製している以上試し撃ちはできない。実際に砲弾が放たれるかどうかは、運を天に任せるしかなかった。

 

 

「撃てぇっ!!」

 

 

 天は妖精たちに味方した。35.6cm連装砲から凄まじい砲撃音と共に撃ち出された砲弾は吸い込まれるように敵へと向かい、そして、ひときわ大きな爆発を起こすと同時に轟音を奏でた。

 妖精たちは勝利を確信した。敵もろともドックの側壁を破壊する程の爆発。いくら深海棲艦といえど、この砲撃を受けて立ち上がれるはずがない。誰もがそう思った。

 

 次の瞬間、35.6cm連装砲が爆発した。

 

 妖精たちは爆風によって床へと投げ出された。一体何が起こったのか。妖精たちは突然の事態に唖然とする。

 事態の把握に手一杯で、今の自分たちが隙だらけであることに気づかない。自分たちが敵のいい的になっていることにまったく気付かない妖精たち。

 気がついた頃にはもう時既に遅し。残る艦載機を全て撃ち落とされ、切り札を破壊された妖精たちは攻撃の手立てを完全に失っていた。

 

 

「…………!」

 

 

 妖精たちは思わず息を呑んだ。

 煙が立ち上る爆心地で二つの光がユラユラと揺れる。その光は『黒と黄が入り混じったような独特の色』をしていた。その光は見ているだけで不安になる未知の輝きを放っていた。そして、その光は敵の生存を主張する絶望の象徴となった。

 妖精たちは心をへし折られた。攻撃の手立てを失い戦意を喪失しかけていた妖精たちにとって、その光は死刑宣告以外の何者でもなかった。

 バラバラと散らばる妖精たち。小さな体で必死に逃げる彼らの背中を、敵二艦は容赦なく撃つ。

 

 

「……に、逃げろ!」

「うわああぁああ!」

「もうダメだぁ……おしまいだぁ……」

「負けてない……俺たちはまだ負けてない!」

「俺が時間を稼ぐ。お前たちはその隙に逃げるんだ!」

 

 

 爆炎の嵐が巻き起こる中、諦めていない少数の妖精たちは五寸釘を手に立ち向かった。

 まだ負けたわけじゃない。諦めなければ、きっと逆転できる。そう信じて、彼らは目の前の圧倒的な暴力に挑んだ。

 だが、現実はいつも非情だ。いくら頑張っても、いくら信じていても出来ないことはある。人間の掌に乗る程度の大きさしかない妖精が、五寸釘一本で深海棲艦に勝てるわけがなかった。

 妖精たちは成す統べなく吹き飛ばされ、抗えないまま床を転がり、絶望しながら視界を閉ざした。

 

 




次回・・・妖精たちの反撃・裏


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着任二十五日目:妖精たちの反撃・裏

秋にもイベントをやる・・・だと・・・?もう止めて!俺のライフはゼロよ!

あと、深海棲艦の数増えすぎじゃありませんかねえ・・・。


 

「ふぁ~あ……」

「私の前で堂々と欠伸なんて、いい度胸してるわね」

 

 

 早朝の執務室。よろよろと自分の椅子に座った青年に対し叢雲は眉をひそめた。

 

 

「悪い。また書類と向き合わなきゃならんのかと思うとさぁ……」

「それはこっちの台詞よ。毎日毎日遠征ばかり……いい加減うんざりだわ」

 

 

 戦艦棲姫が引き起こした先の大戦の影響は根深く、今だに戦後処理に追われている青年。そして、司令部の資材が底を尽きたことにより遠征で資材を稼ぐ毎日の叢雲。一人と一艦は同じ毎日の繰り返しにうんざりしていた。

 唯一の救いは、青年の部隊に所属する問題児であるリ級とル級が未だに動けない状態にあることだろうか。ここで二艦が好き勝手に動ける状態だったならば、青年と叢雲の心労はピークに達していただろう。

 

 

「じゃあ、私はそろそろ行くわ。帰りはお昼前になると思うから」

「おう。気をつけてな」

 

 

 叢雲は執務室を出て行った。一人残された青年は椅子の背もたれに寄りかかり木製の天井をぼーっと眺める。心の中で面倒だな、やりたくないなと愚痴をこぼし、十分ほど過ぎたところでようやく机に向かうのだった。

 そして数時間後、事は起こった。突然、執務室の扉がノックされた。青年は筆を止め扉へと視線を向ける。

 叢雲が帰ってくるには少し早い。チ級、ヌ級、ヲ級は叢雲と共に遠征へ出ている。リ級、ル級は大破して動ける状態ではない。頭の中で選択肢を一つずつ消していき、青年は最終的な答えを導き出す。

 

 

(来客?)

 

 

 事前連絡がない来客。今と同じシチュエーションを青年は何度も経験している。そして、その来客が何を言うのかも大体予想がついていた。

 

 

(緊急の呼び出しか?)

 

 

 多分ブイン基地上層部からの緊急の呼び出しだろう。そう予想した青年はいそいそと立ち上がり服装を正す。そして、自ら扉へと駆け寄り扉を開けた。

 

 

「申し訳ありません、少し立て込んでおりまし……あれ?」

 

 

 青年の予想に反して、扉の向こうに人の姿は無かった。廊下を奥まで見通しても、人影は一切見られない。

 

 

「コッチダヨー」

 

 

 人の姿は無かったが、人の形をした生き物の姿はあった。青年の足元には五人の妖精がいた。

 妖精。御伽噺の中でよく目にするその存在は、提督たちの間では身近なものとなっていた。彼らがいつから存在していたかは定かではないが、はっきりと言えるのは『艦娘たちの味方』であるということだ。

 艦娘の建造や艦娘の装備をの開発など、未知の技術を用いて提督をサポートするのが妖精の仕事である。その後、作業効率化のため人間の作業員を配備。現在は『提督と艦娘』を『妖精』がサポートし、『妖精』を『人間の作業員』がサポートするという形になっている。

 

 

「シッパイシタノ!」

「カイハツシッパイ!」

「ゴメンナサーイ」

「ユルシテクダサイ」

「ヤッチマッタナ」

 

 

 妖精たちは一斉に言葉を発した。曰く、新型装備の開発に失敗したとのことだ。

 何故この時期に新装備の開発を、と疑問に思う青年。装備を開発する場合はその都度指示を出している。妖精たちが勝手に装備を開発したという話も聞いたことがない。ならば、この新装備開発は一体誰の指示によるものなのか。

 

 

「ムラクモサン、ゴメンナサイ」

「ヒミツダッタノニ……」

 

 

 青年は妖精たちの言葉からある程度察した。どういう意図があって秘密にしたのかは分からないが、叢雲が指示を出したのならば問題はないだろう。青年は一人納得した。

 

 

「ムラクモサン、ドコ?」

「叢雲は今ここにはいないよ」

「ゴメンナサイシナイト……」

「そっか。でもなあ、アイツが帰ってくるにはまだ時間が……」

 

 

 落ち込む妖精たちを尻目に、青年は腕時計で時間を確認する。現在の時刻は午前十一時三十分。そろそろ叢雲たちが帰投する頃だ。

 

 

「よし、じゃあ一緒に謝りに行くか!」

「エ?」

「丁度休憩しようと思っていたんだ。そろそろ叢雲も帰ってくる頃だし、休憩がてら一緒に謝りに行くよ」

「イイノ?」

「任せろ。あ、そうだ!ついでに海見ていこうぜ、海!」

「ウミ!」

「今日は天気がいいからな。きっと潮風が気持ちいいぞ」

「イキタイ、ウミ!」

「ウミ、イクー!」

 

 

 青年は妖精たちを腕の中に抱えた。ぎゅうぎゅうに押し込めら苦しかったのか、妖精たちはすぐに青年の腕の中から抜け出し、青年の肩や頭など各々好きな場所を陣取った。

 純粋に謝りたいという気持ちを自分のサボりに使ってしまった。青年は心の中で謝罪しつつ、はしゃぐ妖精たちと共に港へと向かった。

 

 

(ケイカクドオリ……!)

 

 

 ワイワイ騒ぐ妖精たちがあくどい笑みを浮かべたことに、青年は気づかなかい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 青年と叢雲がいなくなり、完全無法地帯と化した司令部にこっそりと忍び込む二艦の艦艇がいた。

 

 

「ふふふ。潜入成功です」

 

 

 青年の司令部を半壊させる大惨事を引き起こした張本人、青葉である。

 

 

「アンタも懲りないよね。あれだけこっぴどく叱られたっていうのに」

 

 

 青葉の隣でため息をついたのは同型艦の衣笠だ。

 青葉がお叱りを受けて以降、青葉のお目付け役として必ず行動を共にするよう命令されていた衣笠。ある日、彼女は直感的に青葉の企みを察した。同型艦故か、その直感は見事的中。青葉が再び事を起こせば止められなかった衣笠も同罪だ。巻き添えを危惧した衣笠は青葉に自重するように言った。

 

 

「でも、衣笠だって興味あるんでしょ?」

 

 

 衣笠が青葉の考えを察したように、青葉もまた衣笠の心の内を見通していた。

 興味は大いにある。大いにあるが、提督からの言いつけを守らなくてはならない。心が揺れている自分に何度も言い聞かせ、衣笠は青葉を何度も説得する。

 チョロい。内心ほくそ笑む青葉は心揺れる衣笠に対しとどめの一言を放った。

 

 

「大丈夫だって。迷惑をかけなければ問題ないわけだし」

 

 

 自身の提督からこっぴどく叱られ青年に二度と迷惑をかけないように誓った青葉だったが、たった一度のお説教程度では彼女の内に秘めるマスコミ魂を鎮火することは出来なかった。

 『二度と迷惑をかけない』という約束を『迷惑をかけさえしなければ再接触してもよい』と都合よく解釈し、再びリ級及び他の深海棲艦との接触を図ろうとしていた。

 深海棲艦が解体ドックを占拠していることは前回のリ級へのインタビューで確認済み。ブイン基地内の司令部は構造が似たり寄ったりのため大体の位置も把握できている。青葉と衣笠の動きに迷いは無かった。

 

 

「ちょっと!これ不法侵入じゃないの!?」

「大丈夫だって。ちょーっとお話しするだけだから」

 

 

 こそこそと小声で話す二艦は、周囲を気にしながら素早く移動。そして、二艦は何事も無く解体ドック裏口へと到着した。

 再度周囲を見渡し誰もいないことを確認。青葉は扉へと手を掛け、ゆっくりと裏口の扉を開けた。

 

 扉の向こうで大きな爆発が起こった。

 

 青葉はすぐに扉を閉めた。いつまで経っても中に入らない青葉の様子が気になった衣笠は何事かと問いかける。扉を指差しながら後ろで控える衣笠に事情を説明する青葉。半信半疑の衣笠は説明の真意を確かめるべく、そっと裏口の扉を開けた。

 

 扉の向こうで深海棲艦が瓦礫の下敷きになっていた。

 

 そっと扉を閉めた衣笠は青葉に向き直る。その表情は困惑に染まっていた。

 もう二度と同じ過ちは繰り返さないと誓った青葉だったが、まさか自分のあずかり知らぬところで謎の大惨事が起きていようとは。青葉は自分の間の悪さを呪った。

 二艦はこっそりと中の様子を伺った。中ではリ級とル級が攻撃を受けている。それも複数から、相当激しい攻撃をだ。

 衣笠が仲間割れの可能性を上げるが、青葉はその考えを即座に否定。他の深海棲艦は叢雲と共に遠征に向かったため不在だと教える。

 ならば一体誰が攻撃をしているのか。青葉と衣笠は扉の隙間から注意深く内部の様子を確認した。

 次の瞬間、彼女たちは衝撃の事実を目撃する。

 

 

(よ、妖精!?)

(何で妖精が戦ってるの!?)

 

 

 青葉と衣笠は目を丸くした。ドック内のあちこちに設置された単装砲をぶっ放しているのは、彼女たちも日頃からお世話になっている妖精たちだったのだ。

 信じられない、といった様子で内部の様子を伺う二艦。いつもはニコニコと人懐っこい笑みを浮かべている妖精たちが……。

 

 

「ブッコロス!」

「ローストチキンニシテヤル!」

「ユルサン!」

 

 

 砲撃音の合間に聞こえてくる、聞くにも耐えない罵詈雑言。とても自分たちの司令部にいる妖精と同じ生き物とは思えない。青葉と衣笠は戦う妖精たちの鬼気迫る勇ましさに気圧されていた。

 

 

「青葉、何かヤバイよココ!今すぐ離れたほうがいいって!」

「……いや、でもこれはこれでおいしいネタになりそうな」

「馬鹿なこと言ってないで!ほら、早く行くよ!」

 

 

 ここにいてはいけない。直感的にそう感じ取った衣笠は青葉の袖を掴みぐいぐいと引っ張る。

 しかし、青葉はその場を頑なに動こうとはしない。衣笠と同様に直感が危険を告げてはいるが、同時に、燃え滾るマスコミ魂が特ダネを掴めと叫んでいたのだ。青葉の中で二つの意思がぶつかり合い火花を散らす。現実世界では一秒にも満たない時間の中で何度も何度も。そして数十回にも及ぶせめぎ合いの末、青葉の意思は一つに固まった。

 

 

「虎穴に入らずんば虎子を得ず……私行くよ」

「待ちなさいって!今行くのは自殺行為だから!また今度にしよう!?ねっ?」

「いやでも……」

「いいから!こっち来なさいっ!」

 

 

 壁越しでもはっきりと聞き取れる激しい轟音に怯えながら、青葉の首根っこを掴みズルズルと引きずる衣笠。

 特ダネを掴むと決めた青葉は必死に抵抗する。首根っこを掴む衣笠の右腕を叩いたりつねったりし、何とか衣笠の捕縛を逃れようとしていた。

 そんな青葉の態度に、衣笠の堪忍袋の緒が切れた。衣笠は青葉の首根っこを掴んでいた右手をいきなり離し、青葉の体を地面に落とした。

 

 

「もうっ!勝手にすれば!?私はどうなっても知らないから!」

「痛~っ!いきなり落とさないでよ!怪我したらどうするの!?」

 

 

 いきなり落とされ腹を立てた青葉は衣笠に食って掛かる。上等だ、と言わんばかりの剣幕で衣笠は青葉を睨みつけた。

 

 

「青葉は自分勝手すぎるよ!いつもいつも一人でどこかに行っちゃってさ!探すこっちの身にもなってよね!」

「別に私がどこで何しようと衣笠には関係ないでしょ!?それに、探してくれなんて頼んだ覚えもないから!」

「あ~!言っちゃうんだそんなこと!私が探しに行かなかったら出撃の時間に遅れてたって事が何度もあったくせに!」

「そ、それは今は関係ないっ!衣笠だって、私の新聞作り最初の頃から手伝ってるって周りに言ってるらしいよね!?手伝ってくれるようになったのはウケがよかった前々回の新聞以降なのにさっ!周りのウケがよくなったからって急に掌返さないでくれる!?」

「べ、別にそんな……て、手伝ってるっていうのは事実だし、ちょっと誇張しただけじゃん!」

 

 

 ギャアギャアと、内部の戦闘音に負けないくらい大きな声で罵倒しあう青葉と衣笠。

 彼女たちは気づかない。戦場は最終局面に突入し、妖精たちが最終兵器を持ち出したことに。彼女たちが罵倒しあうその場所は、その最終兵器の丁度射線上だということに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 叢雲たちを出迎えるべく港へ向かう青年と妖精たち。

 太陽の日差しと地面の照り返しが相まって外気温は高い。だが、その暑さを吹き飛ばすように潮風が強く吹き付けているためそこまで暑さは感じない。

 妖精たちは台風の日に外で遊ぶ子供のように大はしゃぎ。突風のような潮風に煽られるのを楽しんでいた。

 青年は帽子が風に飛ばされないよう手で押さえる。みゃあ、みゃあと遠くで聞こえるウミネコの鳴き声。潮風に吹かれ白波を立てる青い海。静かな海もいいが、少し荒れた海も悪くはない。青年は雑務で荒れた心が癒されるような感覚を味わっていた。

 

 ドンッ。何かが爆発する音が、青年の耳に届いた。

 

 音の聞こえたほうへと視線を向けた青年。ドン、ドドン、と何度も響き渡る砲撃音。視線の先には、正面海域で演習を行う艦隊の姿があった。

 正面海域で艦隊同士が演習を行うのは珍しいことではない。青年も例に漏れず、他の司令部から演習の誘いを受けたことがある。だが、相手方の艦娘たちが断固拒否の姿勢を崩さず演習は中止となった。理由は、青年の艦隊に深海棲艦がいるからだ。

 人間である提督たちからすれば青年の艦隊は『物珍しさ満点の曲芸軍団』なのだが、艦娘たちからすれば『違和感の塊』でしかない。青年の艦隊と演習を行うということはつまり、昼夜問わず殺し合っている宿敵にいきなり手を差し伸べられて「ルールに則(のっと)り正々堂々戦おう!」と言われるようなものなのだ。

 中には例外もいるが、今でもブイン基地の大半の艦娘たちは青年の艦隊に難色を示していた。

 

 

「……いいな」

 

 

 もし自分の艦隊が普通の艦隊だったなら、今頃自分もあそこで演習をしていたのかもしれない。青年は水平線の彼方で演習を行う艦隊に自分の『もしもの未来』を重ねていた。

 

 

「ダイジョウブ?」

「ゲンキダシテ」

 

 

 青年の暗い表情に気づいた妖精たちが、青年に心配の声をかける。内心が表情に出ていたいことに気づいた青年は慌てて表情を取り繕い、妖精たちに返事を返した。

 

 

「大丈夫大丈夫!ちょっと考え事していただけだから。あ、ほら!叢雲たちが帰ってきたよ!」

 

 

 青年が指差す先には一艦の艦娘を先頭に海を走る三艦の深海棲艦がいた。

 青年は視界に映る自分の艦隊に『もしもの未来』を重ねる。彼女たちとの奇天烈な出会いが無ければ、自分は艦娘の艦隊を持てていただろう。彼女たちとの奇天烈な出会いが無ければ、自分はもっと穏やかで平和な日々を送れていただろう。

 だが、時間は決して戻らない。たとえ彼女たちを引き入れた選択が間違いだったとしても、自分の意思で決定した以上、その選択を後悔してはいけない。

 

 

「結局、俺がしっかりすりゃいいだけの話か」

 

 

 帰ってくる叢雲たちに大きく手を振りながら、青年は決意を新たにした。

 

 

 そんな彼の決意を祝福するかのように、背後の司令部で大きな爆発が起こった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 爆発後は以前と同じ流れだった。帰投した叢雲と共に司令部へ戻った青年は旧解体ドックの有様を見て呆然とし、旧解体ドック付近で黒コゲになっていた青葉と衣笠を発見した叢雲がすぐに相手司令部へ通報。

 すっ飛んできた青葉と衣笠の提督が土下座する勢いで謝罪し、損害を賠償すると約束した。

 

 

「……で、言い訳はそれで終わりか?」

「言い訳じゃありません!本当なんです!妖精たちが深海棲艦を攻撃したんですって!」

「今回ばかりは私のせいじゃありませんよ!確かに邪な気持ちはありましたけど、でもまだ何もしてなかったです!本当ですよ!?」

 

 

 青葉と衣笠は見たままを伝えるが、青葉は前科があるため信用に欠ける。衣笠も新聞作りを手伝っている公言していた事が仇となり、自身の提督から「青葉に毒された」と言われる始末。

 更に、おとなしく人懐っこい妖精たちが重火器を片手にドンパチをやらかすなどという前例はない。誰が聞いても、彼女たちの言葉を信じることはないだろう。

 

 

「ホント、ホントなんですって!妖精たちが単装砲でズババーって!」

「艦載機をブンブン乗り回してたんですよ!」

「そんな馬鹿な話があるか。さっさと仕事にもどれ」

 

 

 こうして、妖精たちの激闘は闇に葬られた。妖精は元々不死であるため実際に葬られた者は一人もいなかったのだが、彼らの失ったモノはとても大きい。

 

 

「コロサレル……ミンナコロサレル……」

「ニゲルンダァ……カテルワケガナイョ……」

「カテッコナイ……」

「ど、どうしたの皆?大丈夫?」

 

 

 自信を根こそぎ奪われた妖精たちはしばらくの間、仕事が手につかなかった。

 

 




次回・・・ちうにびょう


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着任二十六日目:ちうにびょう 其の一

お久しぶりデース。不定期に更新していくデース。


 叢雲は昼下がりのブイン基地を歩いていた。両手で抱えるのは大きな紙袋。中には青年が使う日用品が入っていた。

 その後ろを歩くのはチ級。彼女も叢雲と同様、両腕で一つ紙袋を抱えている。

 相変わらず周囲からは奇怪な目で見られているが、何度も同じ風に扱われれば流石に慣れる。叢雲はどこ吹く風といった様子で堂々と道を歩いていた。

 そんな叢雲の前に、一人の艦娘の姿が見えた。黒を基調としたセーラー服を身に纏い、クリーム色の長髪を揺らす『その艦娘』。左右が犬耳のようにゆるく尖った前髪と、首に巻いた白いマフラーが特徴的だ。

 

 

「…………」

 

 

 『その艦娘』は俯いたまま叢雲の眼前へと迫った。お前が避けろとは言わないが、少しは避ける素振りを見せろ。少し顔をしかめた叢雲は進路をずらした。

 

 

「キャッ」

 

 

 しかし、避けるには少し遅かった。叢雲と『その艦娘』の肩がぶつかり、その衝撃で紙袋は叢雲の腕の中から零れ落ちてしまった。紙袋の中身はバラバラと地面に散らばった。

 紙袋の中身が歯ブラシ、ちり紙、スポンジなど落としても問題ないものであればよかったのだが、今回は中に割れ物が入っていた。青年の使う湯飲みである。

 仕事中に自分で割ってしまった青年が、買出しのついでに叢雲に買ってくるよう頼んだものだった。

 『青年の命令』という大義名分を手に入れた叢雲は喜々として湯飲みを選んだ。買出しの時間を円グラフにすれば湯飲み選定の時間が右半分を占める程、入念に選び抜いた一品だった。

 それが今、地面の上で粉々の破片となっている。怒りがふつふつと湧き始めた叢雲はぶつかってきた相手を射殺さんばかりの勢いで睨みつけた。

 

 

「…………」

 

 

 それに対し、相手の艦娘は予想外の行動に出た。なんと、手持ちの袋から箱に入った一つの湯飲みを取り出したのだ。

 その湯飲みは全体は青みがかっており所々に薄っすらと白色が混じっている。光沢のある側面は緩やかに波打ち、まるで湯飲み全体が大海原をあらわしているかのようだ。

 相手の艦娘は湯飲みを無言で叢雲に手渡した。予想外の展開に怒りが霧散した叢雲は要領を得ないまま流れで湯飲みを受け取った。

 湯飲みを受け渡した相手の艦娘は叢雲の横を通った。そして通り際、『その艦娘』は口を開いた。

 

 

「お前を殺す」

 

 

 叢雲に衝撃が走った。湯飲みを割られ、新しい湯飲みを渡され、去り際に「殺す」。一体彼女は何がしたいというのだ。

 最初の二項はまだ分かる。自分の不注意で相手の物を壊してしまったのだから、弁償として代わりの品を渡したという流れだろう。しかし、 その後の「お前を殺す」という言葉は何を表しているのか。非礼を詫びる相手に「殺す」などと言う言葉を投げかけることに何の意味があるというのか。

 呆然と佇む叢雲を他所に、『その艦娘』はある一点を見つめていた。それは叢雲の背後、散らばる日用品など目もくれず、「紙袋を持つ」という命令を忠実に実行中のチ級だった。

 

 

「……!『深淵の観測者(ヘルゲートデビル)』。まさか、アナタも……!」

 

 

 そう呟いた『その艦娘』は顔をこわばらせながその場を去っていった。未だに現実に帰還できない叢雲は、その背中をただ眺めることしか出来なかった。

 だがその日以降、叢雲の身におかしな事が起こり始めた。叢雲が外に出かけると、決まって『その艦娘』と遭遇するようになったのだ。

 そして理解の及ばない言葉をつらつらと述べ、最後はニヒルな笑みを浮かべて去ってゆく。叢雲が待ち伏せされていると気付いた頃には、それがお決まりのパターンとなっていた。

 

 

「……はぁ」

 

 

 今日も例に漏れず、『その艦娘』は叢雲の前に現れた。

 叢雲はいい加減うんざりしていた。周囲には人目があったため叫ぶことはしなかったが、それでも静かな声で何度も注意をした叢雲。しかし、相手はその注意に気付かず一方的に絡んでくる。

 一体コイツは何がしたいんだ。何故外出するだけでこんなにもストレスを感じなければならないのか。プライドの高さから何とか声を荒げることだけは避けてきた叢雲だったが、それももう限界だった。

 そろそろきっぱりと言ってやろう。意気込む叢雲は力強く一歩踏み出した。

 

 

「フッ、また会ったわね『冥界奏者(デモンズテイマー)』」

「……いい加減にしなさいよアンタ。これ以上付きまとうならこっちにも考えがあるわよ?」

「そう邪険にしないで。私たちは同じ『拒まれし者(リジェクター)』の力を受け継ぐ者。理から外れた超越者でしょう?」

「二度も言わせないでくれるかしら?いい加減迷惑なのよ!毎回毎回意味不明な事しゃべって、一体アンタは何がしたいっていうの!?」

「……そう、あなたはまだ自分の力に気付いていないのね」

 

 

 『その艦娘』はクリーム色の長髪をかきあげながら、悲しい表情で天を仰いだ。

 話がまったく噛み合っていないことに怒りを覚える叢雲。彼女の理性という名の堤防は決壊寸前だった。激情の荒波が幾度と無く押し寄せ、叢雲の理性を少しずつ削ってゆく。

 手を出したら負けだ。そう何度も自分に言い聞かせ、叢雲は再び口を開こうとした。その時だ。

 

 

「なるほど。最近よく出かけると思ったら、こういうことだったか」

 

 

 『その艦娘』の背後から突然声があがった。ビクッ、と大きく肩を震わせた『その艦娘』は「『邪念波動(オーガソウル)』を感じる……」と謎の言葉を言い残し、早足でその場を去っていった。

 呆然と『その艦娘』の背中を見送った叢雲は、改めて正面を見た。叢雲の正面には二艦の艦娘がいた。

 

 

「ハァ……まさか他所の艦娘に迷惑かけてたなんて……」

「悪いな。もっと早く気付けていればよかったんだが……」

 

 

 ため息をついた艦娘は『その艦娘』と同じ黒色のセーラー服を着ていた。髪の色は濃い茶色だが、よく見ると『その艦娘』と同じように前髪の左右が犬耳のようにゆるく尖っている。彼女の名前は『時雨』と言うそうだ。

 謝罪をした艦娘は白いセーラー服と茶色のマント身に纏い、右目には黒の眼帯をつけ、頭に白い製帽を被っている。彼女の名前は『木曾』と言うそうだ。二人は申し訳なさそうな表情で叢雲に事情を説明し始めた。

 『その艦娘』がおかしくなったのは最近だった。『その艦娘』の名は『夕立』と言い、時雨、木曾と同じ司令部に着任しているそうだ。三艦は最近改装を行いそろって『改ニ』となったが、それから数日後、夕立の態度に変化が現れた。

 まず初めに、夕立は同じ司令部の艦娘たちとの接触を徐々に避けるようになった。同型艦の時雨さえもだ。理由は未だに分かっていない。近づけば「私に近づくな。死にたくなければな」と突き放されてしまうそうだ。

 次に、顔を隠すようになった。常にマフラーで覆い隠される口元と、前髪がかぶさって見えない目元。これによって、夕立の感情を表情から読み取るのは不可能となった。理由を聞くと「いつ奴等に見られているか分からない以上、顔は常に隠さねばならない」と帰ってきたそうだ。

 そして最後に、謎の単語をよく口にするようになった。誰もいない場所で意味不明な独り言を言っている夕立の姿が、彼女の司令部内で何度も目撃されたそうだ。

 改装に何か問題があったのではないのかと事態を重く見た彼女たちの提督が夕立の精密検査を計画するなど騒ぎは大きくなった。そのことで周囲から「提督に心配をかけるな」と指摘され、夕立は一旦はおとなしくなった。

 木曾は夕立の異常な行動に理解を示していた。おそらく、改装されて気分が高揚していたのだろう。戦闘中、跳ね上がった性能に狂喜し味方から怖がられた経験がある木曾は、出来るだけ夕立の側に立って夕立のフォローに回っていた。

 だがその結果、木曾は流れで夕立のお守りを押し付けられてしまった。流石にそこまで面倒を見ようとは思っていなかった木曾だが、命ぜられた以上はやらねばならない。自ら手伝いを買って出た時雨と共に夕立の更正に日々尽力していたのだが、結果はごらんの有様である。

 

 

「そっか。夕立が言ってた同類って君のことだったんだね」

「勝手に同類扱いしないで欲しいわ……」

 

 

 叢雲はちゃんと夕立の手綱を握るよう二艦に文句を言った。時雨と木曾は詰まった返事を返すことしか出来なかった。

 

 

「もっと強く言ったほうがいいのかな……」

「これ以上強くって、もう罵倒以外の何者でもなくなってしまうぞ」

「じゃあ、実力行使で……」

「それは俺が試した。結果は火に油を注ぐだけだったがな。危うくアイツから仲間認定されるところだったぞ」

 

 

 頭を悩ませる時雨と木曾を見ていた叢雲は、二艦にシンパシーを感じていた。何を言っても聞かない奴を相手にする苦労は、叢雲も身に染みて分かっている。

 きっと目の前の二艦も、これまで色々な苦労をしてきたのだろう。叢雲はこれ以上文句を言う気にはなれなかった。

 冥界奏者(デモンズテイマー)叢雲は力なく頭を垂れた。最善を尽くしていた二艦も、自らの努力が報われなかった事実に気を落とす。場には沈黙が訪れた。

 

 

「……手が無いわけじゃないんだ」

 

 

 時雨がぽつりと呟いた。叢雲と木曾は時雨へと視線を向ける。

 

 

「夕立は昔からお化けとか苦手で、怖い話をした後なんかは僕の布団にもぐりこんできたりしたんだ」

「……それが何だって言うのよ?」

「なるほど。ショック療法か」

 

 

 木曾は納得がいったような表情を浮かべた。未だ要領を得ない叢雲に木曾は説明する。

 時雨は夕立の怖がりな性格を利用して、今の夕立を矯正しようと考えたのだ。夕立と言う艦娘の事をよく知らない叢雲はその作戦に疑問を抱く。果たして、その作戦で本当に夕立を矯正することが出来るのかと。

 

 

「でも、これをやると夕立の心を大きき傷つけてしまう。今後の戦闘にも支障がでるかもしれない」

「やるしかないだろ。このまま放置していたら被害は確実に増えるぞ。身内だけならまだしも、他所にまで迷惑をかけるような奴をいつまでも野放しにしておくわけにはいかない」

 

 

 二艦の決意を見守る叢雲は疑問を口に出すことをやめた。

 二艦の決意に水を差すような事をしてはならない。自分に被害が及ばなくなるのであれば何でもいいのだ。別に手段を問う必要は無いだろう。時雨と木曽の成功を祈る叢雲は、二艦に別れの挨拶を告げた。

 

 

「ちょっと待って。まだ話は終わってないよ」

「え?」

「この作戦には、君の協力が必要不可欠なんだ。叢雲さん」

 

 

 夜中に夕立の部屋へと侵入したお化けが寝起きの夕立を襲う。それが時雨の考えた作戦だった。

 しかし、他の艦娘がからかい目的で同じことを何度もやっていたためある程度耐性がついてしまった。時雨は、仮装したお化け程度では今の夕立には効果が薄いだろうと予想した。

 

 

「そこで、君の司令部にいる深海棲艦を貸してもらえないかな?」

「中身はどうあれ、見た目は迫力満点だからな」

「笑えない冗談ね。それでウチの連中が怪我したり、周りに被害が出たらどうするつもりなのかしら?」

「大丈夫だよ。武装は毎晩メンテナンスするから、夜中に武装は触れない。夕立が反撃することはないよ」

「根回しは俺がやっておく。ウチはなんだかんだでお祭り騒ぎが大好きな連中ばかりだ。むしろ喜んで参加するだろうさ」

「で、でも……」

「心配ならお前もついてくればいいだろう?それに、この作戦がうまくいけばお前も付きまとわれることはなくなるんだぜ?」

 

 

 二艦の口撃(こうげき)にぐぬぬ、と顔を歪ませる叢雲。厄介ごとに自分から首を突っ込むのはごめんだが、この作戦が後の被害を回避する可能性を秘めているのも事実だ。

 ただでさえ深海棲艦のお守りで手一杯だというのに、そこへ他所からの干渉が加わればいよいよ手が回らなくなる。以前に司令部を半壊させた要因である『青葉』がいい例だ。

 今はまだ道端で声をかけられる程度で済んでいるが、それが司令部への来訪へと変化すればどうなるか。司令部の崩壊よりも先に、青年か叢雲のどちらかが心労で倒れることになるだろう。

 だが、それらは全て可能性の話だ。もしかしたら他のやり方で夕立を矯正できるかもしれないし、思った以上に被害は甚大なものとならないかもしれない。

 

 

「……とりあえず、提督と相談したほうがよさそうね」

 

 

 今回の作戦を独断で決めるのはマズいと踏んだ叢雲は、一度司令部に帰って青年と相談することにした。時雨と木曾も自分たちの提督と相談するため司令部へと戻っていった。

 司令部に戻った叢雲は早速青年に相談した。青年は時雨の立てた作戦に否定的だった。今回の作戦の舞台が他所の司令部となる以上、何らかの被害が出た場合は青年がその損害を賠償をしなければならなくなってしまう。

 今、青年の司令部は資金も資材も風前の灯だ。青年は出来るだけ余計な出費を出したくなかった。他にもやり方はいくらでもあるはずだ、と青年は叢雲を説得した。

 最初は渋っていた叢雲だったが、青年の必死の説得に少しずつ心が妥協の方向へと傾きつつあった。五艦の深海棲艦の時もそうだった。最初はうっとおしく思っていたが、気付けばそれが普通になっていた。今回の件も、慣れてしまえば何とも思わなくなるのではないのか。叢雲の意思は固まりかけていた。

 その時だ。執務室の電話が鳴った。

 

 

「電話か。叢雲、頼む」

「……自分で出なさいよ」

 

 

 叢雲は文句を言いつつも受話器を取った。電話の相手は一時間ほど前に出会った時雨と木曽の提督だった。

 用件は例の作戦についてだった。応対を終えた叢雲は受話器を置き、青年へと向き直る。

 

 

「何か、向こうはヲ級を一晩貸すならやってもいいって言ってるけど……」

「ならいいや。全力でやってこい」

 

 

 ヲ級に釣られた相手方の提督と、言質を得て手の平を返した青年の判断により、作戦は現実の物となった。

 今から一週間後の夜、マルフタマルマル。夕立の叫び声がブイン基地中に響き渡ることになる。

 




次回・・・ちうにびょう 其のニ


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着任二十七日目:ちうにびょう 其の終

どうせ海域クリア報酬の艦娘も後から建造で作れるようになるんでしょ?じゃあ、別に今無理してクリアする必要ないでしょ?だから別に悔しくないよ?ボスゲージ空っぽに出来たし、俺は満足だよ(震え声)

まあ、遠征とかデイリーとかサボっていたツケが今になってきたってことですよね。

ふぉいやー・・・


 夕立矯正作戦決行当日の正午、相手方の司令部を訪れた青年一行はとある一室にて下準備を行っていた。

 今作戦で夕立を襲う役は、叢雲の言うことを忠実にこなすチ級とヌ級が抜擢された。好き放題やらかすリ級やル級と違い、制御が利くチ級とヌ級ならば被害も最小限に収めることが出来るからだ。

 

 

「よし、こんなもんだろう」

 

 

 青年は姿をカモフラージュするための衣装をチ級に着せていた。イメージは一昔前に流行した呪いのビデオを題材としたホラー映画の中に登場する人物である。

 チ級は元々の姿が怖いこともあって、その仮装がとてもよく似合っていた。様子を身に来た叢雲が小さな悲鳴を上げるほどだ。真夜中に出くわせば悲鳴を上げること間違い無しと、青年は自信満々の表情でチ級を送り出した。ちなみに、ヌ級はあう衣装がなかったためそのままの格好である。

 叢雲たちは別室の木曾、時雨と合流し作戦の最終確認を行った。作戦の大まかな流れはこうだ。まずは他の艦娘を事前に司令部から退避させる。これは想定外の事態が発生した場合に他の艦娘が被害を被らないようにするための措置だ。

 そして叢雲とチ級、ヌ級は作戦決行時刻マルフタマルマルまで夕立の部屋の隣で待機。外から監視している木曾たちから夕立の就寝の連絡を受けてから数十分後に、こっそりと部屋に忍び込みチ級とヌ級が驚かす手筈となっている。

 

 

「俺は分からなかった。何故これほどまでにボーキサイトを持て余しているのか、と。その意味がようやくわかった。全てはこの日のためだったんだ」

 

 

 ヲ級は執務室でこの司令部の提督である男と一晩戯れる。執務室である理由は「ヲ級を秘書艦にして仕事がしたかった」だそうだ。

 

 

「さて、俺はそろそろ帰るよ」

「そう。せいぜい頑張りなさい」

「……頑張るような事が起こらなければいいけど」

 

 

 青年の司令部にはいつ爆発するか分からない爆弾が二つ残っている。帰ったら司令部が崩壊していた、という事も十分ありえるため、誰かが見張り役として司令部に残っておかなければならない。

 チ級、ヌ級、ヲ級と意思の疎通が取れる叢雲が現場に残ることは確定している。となれば、残された選択肢は一つしかない。青年は重い足取りで司令部へと戻っていった。

 それから数時間後、夕立が帰投したという知らせを無線で受けた叢雲一行。隣の部屋から聞こえる物音に僅かな緊張感を覚えながら、更に待つこと数時間。日は沈み、司令部から艦娘たちの喧騒が消え、いよいよ作戦決行の時刻が迫る。

 しかし、ここで予想外の事態が起こった。

 

 

「寝てない?部屋の明かりは消えてるじゃない」

『うん。でも、夕立は起きてるよ。暗い部屋で窓際から星を眺めているみたい』

 

 

 夕立がいつになっても寝ようとしないのだ。

 今回の作戦の肝は夕立の『寝起き』を襲うことにある。妄想を脱ぎ捨て無防備となった状態で、夕立の素の部分を刺激し、彼女に自分の本来の姿を思い出してもらおうと考えられたのが今回の作戦である。

 夕立が寝ないことには作戦が始められない。作戦が初っ端から躓いたことに頭を悩ませる叢雲、木曾、時雨の三艦。とりあえず様子見として、三十分程夕立の様子を観察してみたが彼女の様子に変化は見られない。

 このまま待っていても埒が明かない。三艦は急遽作戦会議を開いた。

 

 

『試しに一度、チ級の姿を見せてみるか』

「大丈夫?バレたりしないかしら」

『少し見せるだけでいい。夕立の反応を見て作戦を続行するかどうかを判断する』

 

 

 結果、チ級の姿を一度見せて夕立の反応を伺うことになった。平然としているようなら作戦は練り直し。怯えるような仕草を見せれば、起きた状態のまま作戦を強行することになった。

 

 

 

 一方、自分に恐ろしいドッキリが仕掛けられている事などまったく知らない夕立はというと。

 

 

「フッ……以前は恐怖の対象だった闇も、今の私には空気に等しいわ……」

 

 

 真夜中であっても彼女は相変わらずだった。

 真っ暗闇な部屋の中で椅子に腰掛け腕を組んでいる夕立は、目の前の机においてあったグラスを手に取り、グラスの中に入っていた赤い液体を飲み干す。

 凝縮された甘みと酸味が夕立の口いっぱいに広がる。やはり、葡萄ジュースは果汁百パーセントに限る。満足げな表情の夕立はグラスを机に置き、再び窓の外を眺めた。

 今の夕立に怖いものは何も無かった。改ニとなり性能は大幅に向上。夕立は駆逐艦でありながらも、敵の戦艦を仕留めるほどの力を手に入れた。周囲からは一目を置かれるようになり、最近では第一艦隊の主力メンバーとして活躍するまでになった。

 夕立が特にうれしいと感じたのは、苦手だった夜戦で功績を納められるようになったことだった。元々暗闇が得意ではなかった夕立。夜戦のたびに攻撃を外して、周囲から何度も慰められてきた。夜戦の後は涙で枕を濡らし、自分の理想を妄想しながら眠りに着く。そんな毎日だった。

 だが、それも過去の話だ。夜戦の攻撃は百発百中。まさに敵無し。慰められる立場から一転、逆に夕立が周囲を慰める立場となった。

 この時から、夕立の心の中に慢心が蔓延り始めた。改装されて以降敗北を知らず、周囲からは頼られ続け、同じ駆逐艦からは憧れるような目で見られる。

 勝利、慢心、人望。その他色々な要素が偶然重なり、夕立の中で合成され、加工され、熟成され、出来上がったのが……。

 

 

「『鬼武姫(バーサーカー)』である私がこのブイン基地を制する日も近いわね……」

 

 

 ごらんの有様である。自分の妄想がことごとく現実となり、妄想と現実の区別がつかなくなった夕立は慢心の極地にいた。

 強い夜風が司令部へと吹き付ける。窓がカタカタとゆれ、天井はギシリと軋んだ。以前の夕立ならば肩をビクリと震わせていた所だが、今の夕立にとってはそれも些細なこと。むしろ、彼女の妄想を加速させるスパイスでしかない。

 

 

「フッ……こんな夜更けに、一体何のようかしら?『堕落髑髏(フォールスカル)』」

 

 

 夕立は架空の存在に向かって話しかける。彼女の脳内には、ワザと開けられた部屋の扉の隙間から何者かが部屋を覗いている光景が浮かんでいた。夕立はニヒルな笑みを浮かべながら扉の隙間へと視線を向けた。

 

 

「ッ!?」

 

 

 そして、夕立はすぐさま視線をそらした。

 予想外の事態に夕立の全身からは冷や汗が噴き出す。確かに、外開きの扉の隙間から何者かが覗いているという設定で言葉を発したつもりだった。そして、覗き込む相手に向かって余裕の姿勢を見せる自分の姿を想像していた。だがしかし、まさか本当に『謎の存在』が覗き込んでいるとは思ってもみなかった。

 夕立はもう一度扉の隙間へと視線を向けた。扉の隙間には先ほどの『謎の存在』の姿はない。もしかして見間違い?いや、きっと見間違いだ。夕立は心の中であれこれ理由を並べ、自分を落ち着かせようとした。

 

 

『続行。作戦は続行だ』

「本当に大丈夫なの?」

『あぁ。ここからでも十分に分かる反応だった。アイツは怖がっている』

 

 

 『謎の存在』もといチ級のアプローチに対する夕立の反応を見ていた木曾は一瞬で決断した。暗がりの中、双眼鏡から見ても分かるほどの動揺。 夕立の想像以上の反応に、考えを一から改めた木曾はすぐさま作戦の変更を告げた。

 

 

『作戦変更だ。次はそのまま部屋に突入させろ』

「はあ?アンタ、本気?それで本当にうまくいくの?」

『本気も本気さ。お前は俺の言う指示をそのままチ級とヌ級に伝えてくれ。後は俺たちが何とかする』

 

 

 叢雲は木曾から指示を受け取った。これで本当にうまくいくのか、と半信半疑だった叢雲だが、本人たちがそれで良いというのならばもう何も言うまい。叢雲はチ級とヌ級に指示を伝えた。

 

 

 

 物音に飛び跳ねた夕立は再び扉の方へと視線を向けた。扉の隙間からは、夕立が先ほど見た『謎の存在(チ級)』が部屋の様子を伺っていた。

 ビクビクと全身を強張らせる夕立。しかし、最初の不意打ち以降必死に言い訳を積み重ねてきたおかげか、彼女の心には少しばかりの余裕が出来ていた。

 そう、今の私は最強最悪の鬼武姫(バーサーカー)だ。あの程度の下賎な存在に足が竦むなど、あってはならない。夕立は妄想を加速させ、徐々にいつもの調子を取り戻してゆく。

 

 

(……そう。私の力で、コイツを従えさせてしまえばいいだけの話よ)

 

 

 おかしな結論に至った夕立は意を決して『謎の存在』に近寄る。僅かに足が竦んでいたが、歩みは確実に進んでいた。そして、夕立は扉の前までたどり着いた。

 

 

「ヂィアァァァアアアアァァァアアアアアァ!!!」

「ヒッ!?」

 

 

 突如、扉の向こうにいる『謎の存在』が叫び声を上げた。そのおぞましい声に、夕立の身の毛がよだつ。久しく忘れていた感情が、彼女の心の中で湧き上がり始めていた。『謎の存在』が叫び声を上げると同時に、夕立は扉を反射的に突き飛ばした。ゴン、と重厚な音が廊下に響く。

 息を荒げた夕立は、一度大きく深呼吸をした。今のは違う。取り乱してはいない。ちょっと不意を突かれただけだ。心の中で自分に言い訳しつつ、夕立は開け広げられた扉の向こうを覗き込んだ。

 『謎の存在』は仰向けで大の字に倒れていた。顔は長い髪に隠れて殆ど見ることが出来ないが、瞳が青白く光っていることは確認できる。足首の所まで隠れた長いスカートとひじの辺りで切れた袖の、上下が一体となった真っ白な服で身を包む『謎の存在』。

 再度心を落ち着かせた夕立は、改めて『謎の存在』との対話を試みようとした。

 

 

「っぉ……よく来たわにぇ……や、闇……闇の……ヒィッ!!?」

 

 

 夕立が説得す最中、『謎の存在』は動きだす。突然ガクン、と全身を揺らした『謎の存在』は仰向けの状態で両手両足を地に着ける、いわゆるブリッジの体勢となった。

 そしてそのまま首をぐりんと動かし、『謎の存在』の頭部は脳天が天井、顎が床を向く。『謎の存在』はブリッジをした状態で、首だけを百八十度回転させた。

 あまりにも異様な光景に、夕立は一歩後ずさる。

 

 

「ヂィアァァァアアアアァァァアアアアアァ!!!」

(やっぱり無理っぽいぃー!)

 

 

 叫び声を上げた『謎の存在』は四肢を激しく動かし夕立に急接近した。その様は『G』の名を冠する地を這う害虫のようだった。

 すぐさま身を翻した夕立は全速力で逃げ出す。みっともない悲鳴を上げることは何とか避けた夕立だったが、彼女の両手は手汗でびっしょりだった。

 夕立の頭に助けを呼ぶという選択肢が浮かぶ。だが、彼女はその選択肢をすぐに放棄した。この程度の相手、私一人で十分だ。まだ慢心状態から抜け切っていない夕立は、この困難を自力で何とかしようと考えていた。

 

 

(メンテナンス中でも、使える武装は何かしらあるはず)

 

 

 武器がなければ自分の力を十全に発揮できない。夕立は武装を取りに工廠ドックへと向かった。夕立の背後にはブリッジ体勢の『謎の存在』が凄まじい勢いで迫る。

 

 

(ここで追跡を振り切る!)

 

 

 夕立は一階へと続く階段へと飛び込んだ。夕立は階段に着地せず、左の壁を蹴った。そして目の前に迫る右の壁に着地し、再度跳躍。三角飛びで階段を一気に下った夕立は一階の廊下に着地した。工廠ドックは階段を降りた先にある。後は一直線に進むだけだ。

 夕立は背後の階段を確認した。『謎の存在』の姿は見えない。扉を開けて閉めるまでの時間は十分ある。工廠ドックの扉の前までやってきた夕立は扉のドアノブに手をかけた。

 

 

「開かない!何で!?」

 

 

 扉は開かなかった。確かに深夜は武装のメンテナンスが行われているが、鍵までかけていなかったはず。何故、どうして開かない。焦る夕立は扉を叩く。扉に体当たりをする。しかし、それでも扉は開かない。

 

 

(もう、協力ならもうちょっと早く言って欲しかったなぁ)

(でも、こういうのって何かワクワクするよね!お姉!)

 

 

 木曾たちの傍にいたとある軽空母姉妹が急遽作戦に参加し、大急ぎで工廠ドックに鍵をかけたことを夕立は知らない。

 そうこうしているうちに、夕立の背後からドタドタと大きな物音が聞こえてきた。もう立ち止まっている時間はない。夕立は右側の通路へと走り出した。その先にあるのは司令部の出入口だ。夕立が次に考えたのは、ブイン基地の入り組んだ構造を利用して相手の追跡を完全に撒くことだった。

 しかし、出入口の扉も開かない。力を入れて押しても、体当たりをしても、引いても、出入口の扉が開かれることはなかった。それもそのはず。外側の扉面に付いているコの字形の取っ手には、扉の開閉を妨げるよう鉄の棒が挿入されていたのだ。

 

 

(はあ……星空はあんなに綺麗なのに……)

(不幸だわ……どうして私がこんな事を……)

 

 

 見ず知らずの軽空母姉妹に有無を言わさず連れてこられ協力を依頼された、通りすがりのとある航空戦艦姉妹の仕業である。

 立て続けに起こる怪奇現象に焦りが募る夕立。彼女の背後からは再び激しい物音が聞こえてきていた。

 

 

「何で?何で何で何で!?」

 

 

 いよいよパニックに陥った夕立は、己の妄想を脱ぎ捨て助けを求めに走った。裏口や非常口など、他の出入口を探すことも忘れ、一心不乱に仲間のいる部屋を目指した。

 息を切らしながら目に涙を浮かべる夕立。今の彼女の姿は 『最強最悪の鬼武姫(バーサーカー)』ではなく、お化けを怖がる気弱な少女だった。

 

 

「誰か……誰かぁ……!」

 

 

 恥も外聞も投げ捨てた夕立は仲間の寝室へと転がり込んだ。しかし、部屋はもぬけの殻だった。

 時計が差す時刻は午前三時前。普通なら寝静まった艦娘の姿があるはずなのだが、部屋には艦娘の姿どころか布団すら敷かれていない。

 夕立はすぐさま隣の部屋の扉を開けた。しかし、隣の部屋もまったく同じだ。艦娘の姿はどこにもない。次の部屋も、その次の部屋も、どの部屋にも艦娘の姿がない。

 

 

「!!」

 

 

 だが、夕立はようやく出会うことが出来た。ある部屋の中に敷布団と膨らんだ掛け布団を見つけたのだ。

 小さな希望を見つけた夕立はすぐさま布団に駆け寄った。涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を拭うことも忘れ、夕立は無我夢中で布団を引き剥がした。

 

 

「…………」

 

 

 布団の中にいたのは青白い人間の手足を生やした黒い塊だった。思考が完全に停止した夕立は布団を手にしたまま動かない。

 そんな夕立の体に、青白い左手がゆっくりと伸びた。そして、夕立の脇腹をがしりと掴む。

 同時にヒヤリ、と夕立の頬に何かが触れた。無表情の夕立はおもむろに背後へと振り向いた。夕立の背後には、気持ちの悪い動きで執拗に追いかけてきた『謎の存在』が立っていた。

 頬と脇腹の手を払った夕立は転がるように逃げた。しかし、逃げた先は運悪く部屋の角。部屋の扉の前には『謎の存在』と黒い塊が立ちはだかっている。

 ゆらりゆらりと夕立に近づく『謎の存在』と黒い塊。夕立は手足を動かし逃げようとするが、背中には既に部屋の壁がついている。これ以上の後退は不可能だった。

 夕立は身を縮こませ、瞼をぎゅっと閉じる。自分の最後を覚悟したのだ。

 

 

「夕立から離れろ!」

 

 

 しかし、そこへ救世主が現れた。間に割って入ったのは、夕立がよく知る二艦の後姿。同時期に改ニとなった木曾と時雨だった。

 

 

「死にたい方から前にでな!」

「それ以上近づくなら、容赦はしないよ」

 

 

 木曾と時雨が睨みを利かせると、『謎の存在』と黒い塊は静かに去っていった。

 呆然としている夕立へと振り返る木曾と時雨。見知った二艦の顔を見た瞬間、夕立の中に溜まっていた恐怖が一気にあふれ出した。

 

 

「ふっ……ふぇえええ……」

「ごめん夕立。怖かったよね。もう大丈夫だから」

 

 

 嗚咽を漏らし大粒の涙をとめどなく流す夕立。夕立の前にしゃがみこんだ時雨は、夕立の頭を優しく抱きしめる。時雨の腕の中で泣きはらした夕立は、やがて安らかな眠りについた。

 こうして、木曾が急遽考案した『自作自演大作戦』は成功という形で幕を閉じたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 騒動から数日後、とある艦隊の面々と一緒に出撃する夕立の姿があった。

 

 

「さーて、今日もがんばっていきますかぁ!」

 

 

 騒動以降、夕立のおかしな言動は完全になりを潜めた。いや、なりを潜めたというよりは無くなったと言うべきだろうか。夕立はこれまでの己の言動を恥じるようになっていた。

 後に真相を聞かされ一時は怒りを覚えた夕立だったが、それも自分の過ちを正すためだと気付き猛反。夕立はこれまでの自分を振り返り、身の振り方を改めたのだった。

 周囲も夕立の心情を察してか、そこまで深く追求することない。まあ、たまにジョークの類として話題に上がることはあるのだが。

 

 

「ま、最強最悪の鬼武姫(バーサーカー)様がいるから楽勝でしょ」

「もっ、もぉ~!その話はいい加減にして欲しいっぽい!」

 

 

 残念ながら、この話題が忘れ去られることはないだろう。これは一種の戒めだ。この戒めは彼女を一生縛り続ける。

 しかし、その戒めがある限り夕立は二度と道を踏み外すことはない。過ちから学んだ経験は、夕立を大きく成長させた。

 

 

(私は最強なんかじゃない。皆の助けがあるから、私は戦える。皆がいるから、私はこうして笑えるんだ)

 

 

 大きな代償を払うと同時に見つけた当たり前の事実。見失っていたものに気付いた夕立は、心身ともに新たなる力を手に入れたのだった。

 

 

「いだだだだっ!もうちょっと優しく張ってくれよ……」

「軟弱者のアンタにはこれくらいが丁度いいのよ」

「お前もル級に一晩中抱きしめられてみるといいよ。そしたらこの辛さが分かるから」

 

 

 本当に大きな代償を払い、彼女は事実へとたどり着いた。

 

 

「ちょっと提督!どうして私と千代田は出撃できないの!?」

「私とお姉がいないとダメだって前に言ってたでしょ!?」

「うん……その……うん……アレだ……ボーキサイトがね……アレだから」

 

 

 支払われた代償は、とてもとても大きかった。

 




次回・・・那珂ちゃんリターンズ!


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着任二十八日目:那珂ちゃんリターンズ!?

艦これアニメ始まりましたね。


 

 始まりは、提督同士の他愛もない世間話だった。

 

「ベタかもしれないけど、やっぱり俺は金剛かな。あの提督ラブな感じがいい」

「バッカお前、一番は加賀さんだろ。あのクールな無表情から繰り出される冷徹な視線。ゾクゾクするねぇ」

「どう考えても愛宕しかありえない。あの立派な胸部装甲。男だったら誰だって食いつくはずだ」

 

 この手の話題は酒の肴としてたびたび上がってくる。艦娘の姿は少女や女性そのものだ。たとえ兵器であったとしても、彼女たちの容姿格好は男性提督の目を引くに十分だった。

 もちろん、表立って口にするような馬鹿な真似はしない。そんなことをすれば、自分の率いる艦娘全艦から白い目を向けられることになってしまう。これはあくまで酒の肴。公務の場では絶対に口にしないことが暗黙のルールだった。

 しかし、人の口に戸は立てられない。裏でひっそりと語られていたこの話題は徐々に表面化していった。

 最初は不快に思われていたこの話題。しかし、慣れとは怖いもので、その話題が深く浸透し当たり前のようになると誰も文句を言わなくなった。むしろ、その話題を前面に押し出し自分の優等っぷりをアピールする艦娘まで現れだした。

 

 その艦娘は自分の事を『アイドル』と称し、艦娘の間で大きな波紋を呼んだ。

 

 そして、対抗意識の強い一部の艦娘が新たに名乗りをあげ、それに釣られるようにして他の艦娘たちも名乗りを上げる。

 しかもこの時、軍は人材不足に頭を悩ませていた。この騒ぎに便乗し多くの人材を引き入れようと考えた軍のアイドルを容認する方針が流れを後押し。艦娘アイドルの数は爆発的に増加した。

 『海』の平和を守る艦娘であるにも関わらず、『陸』で活動することを許された特別部隊。それが『艦娘アイドル』の始まりだった。

 最初は一致団結し軍の命令どおり行動していた艦娘アイドルたち。しかし、その団結はある人物たちのよってすぐに破壊される。

 

 アイドルにとっては切っても切り離せない存在。『ファン』である。

 

 特定の艦娘を応援する者たちによる誹謗中傷、ファンの間で行われる勝手なランク付け。それが艦娘アイドル軍団の団結にひびを入れたのだ。

 その後、深海棲艦は一匹残らず駆逐され海に平和が戻るが、すでに一つのジャンルとして確立し、商業の一部として組み込まれた艦娘アイドルは消えることなく残り続けた。

 本来の目的である深海棲艦の撲滅が達成された今、もはや馴れ合う必要も無い。特殊部隊から一人、また一人と独立していく艦娘アイドル。気がつけば、世には数多の艦娘アイドルが誕生していた。

 そして、現在。

 

「な、なんだよお前ら!ジロジロ見てんじゃねえぞ!」

「落ち着いて天龍ちゃん。これもファンサービスなんだから。でも、おさわりは厳禁よぉ?」

 

 街中にて、ファンに声をかけられた軽巡洋艦姉妹がいた。

 

「毎回毎回、よく来るな……」

「あら、あらあら」

 

 とある事務所にて、ダンボールで運ばれてきた大量のファンレターを見る戦艦姉妹がいた。

 

「うふふ、この衣装なんていいんじゃない?ちょっと胸がキツイけど」

「……馬鹿めと言って差し上げますわ」

 

 鏡の前で露出度の高い派手な衣装を纏う重巡洋艦がいた。

 それぞれが来るべき決戦の日に備える。アイドルの頂点を目指す戦いの舞台はすぐそこだ。全てを魅了し、全てを手に入れた艦に送られる最強の称号をかけて、アイドルたちは自分を磨き続ける。

 

 世はまさに、アイドル戦国時代。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 艦娘ヒロインズマスター選手権。通称『艦マス』。一年に一度行われる、百近くある艦娘アイドルユニットの頂点を決めるアイドルの祭典である。

 しかも、この艦マスにはとあるジンクスがある。いうなれば、それはシンデレラの魔法。優勝したユニットは一年間不動の地位が約束されるといわれ、現にこれまで優勝してきたユニットは売れに売れまくり、今では艦娘アイドル業界の大御所にまで成長している。

 そんな大舞台に立てるのは選ばれし艦娘のみ。いくつもの審査、予選をくぐりぬけた実力艦だけが舞台に立つことを許されるのだ。

 

「今度こそ、今度こそ絶対優勝してやるんだから!」

 

 一人静かな控え室で、少女は何度も自分に言い聞かせる。煌びやかな衣装を身に纏い、鏡の前で何度も容姿をチェックする少女はこれから大舞台へと上がるのだ。

 少女の名前は『那珂』。艦娘アイドルに命を賭ける艦娘だ。特殊部隊結成時代から艦娘アイドルを続ける艦娘アイドル界の古参であり、艦マスの常連でもある彼女はいつにも増して燃え上がっていた。

 理由は二つある。まず一つ目、彼女は艦マスが始まって以来一度も優勝できていない。改装を繰り返し『改ニ』となってからも結果は同じだった。いつも惜しいところまでいくが、決勝の舞台まで上がったことは一度もなかった。

 そして二つ目、彼女が燃えている理由は主にこちらが原因である。彼女には、絶対に勝たなければならない相手がいるのだ。いや、彼女だけではない。おそらく、この艦マスに出場するどの艦娘も同じ思いだろう。

 

 艦娘アイドル界に衝撃をもたらした超新星。空母ヲ級。

 

 深海棲艦であるにも関わらず、昨年の艦マスで異例の優勝を飾った艦娘アイドル界の異端児である。

 ヲ級は一夜にしてトップアイドルの仲間入りを果たした。この一年でヲ級の名は知名度は急激に上昇。今では艦マスファンが何の疑問を持つことなく熱狂する一流アイドルとなった。

 いくら優勝しようが深海棲艦であることに代わりはない。どうせすぐに迫害されて消えていくだろうと思っていた艦娘アイドルたちは、世間が自分たちの思っていた方向とは間逆に動いたことに焦りを感じた。

 何故駆逐された深海棲艦がいるのか、何故誰も疑問を持たずに深海棲艦を受け入れているのか。艦娘たちは抗議した。深海棲艦のヲ級を今すぐ撃滅するべきだと。

 

「魅力では勝てないから力ずくで倒そうってか?艦娘アイドルってその程度なの?」

 

 業界人の挑発的な一言が、艦娘アイドルたちに火をつけた。

 おのれ深海棲艦、海だけでなく陸までも侵略するつもりか。そうはさせまいと立ち上がった艦娘アイドルは、より一層アイドルとしての活動に力を入れた。

 那珂も例外ではない。初戦でヲ級とぶつかり、訳の分からないまま初戦敗退を喫した苦い記憶。それをバネに一年間自分を磨き続けてきた。

 そして今日が、その日々の努力を余すことなく発揮する時だ。帰らぬ艦となった姉二人に吉報を届けるべく、昨年の雪辱を晴らすべく、那珂は一人舞台へと上がる。

 

「那珂さん、スタンバイお願いします」

「はい!」

 

 ついに、決戦の火蓋が気って落とされた。一回戦、那珂が対戦するのは『スズクマ』。同じ最上型である『鈴谷』と『熊野』によって構成された期待の大型新人ユニットである。

 

「ま、鈴谷にかかれば優勝なんてヨユーでしょ」

「ふふ。私(わたくし)の実力、とくとご覧遊ばせ」

 

 先攻はスズクマだ。さすがは期待の大型新人と呼ばれるだけあって、二艦の実力はとても高かった。

 キレのあるダンス、力強い歌声、どれをとっても一流のアイドルに引けをとらない。舞台の上を縦横無尽に動きながら歌を奏でる二艦の姿は、さながらヴァイオリンとチェロの二重奏。

 初出場とは思えないほどの完成度を見せ付けたスズクマは会場の観客たちから大きな拍手を受けた。

 

(確かに出来は良いね。でも残念、それだけじゃ一流のアイドルにはなれないなぁ)

 

 完成度を素直に認める反面、那珂はスズクマに足りないものを一目で見抜いていた。

 

「皆、準備はいい?それじゃあいっくよぉー!」

 

 確かに、観客に喜んでもらえるようなパフォーマンスを披露するもの大事だ。しかし、ここはアイドルのライブ会場であって、オーケストラの演奏会ではない。会場は盛り上がるだろうが、それで会場が熱狂することはない。

 会場という名の国の頂点に君臨する女王が、観客という名の民に独裁を強いてはならないのだ。独りよがりなパフォーマンスでは、会場は真の意味で盛り上がらない。アイドルと観客が一体となることで、初めて会場は熱狂の渦に包まれるのである。

 自分たちの最高のパフォーマンスを会場に見せたスズクマと、自分の最高のパフォーマンスで会場を魅せた那珂。その差が明暗を分けた。

 

「勝者、那珂!」

 

 無事、次へと駒を進めた那珂。二回戦、三回戦も難なく突破し、いよいよ準々決勝が始まる。相手は那珂の弟子でありライバルである『ワンエアロウォーズ』だ。

 

「一航戦赤城、出ます!」

「一航戦、出撃します」

 

 艦娘アイドルというジャンルが出来る前から一部で熱狂的なファンが着いていた『加賀』と、見た目からは想像もできない程の大食らいという強烈なキャラクターを持つ『赤城』。

 常に最前線で戦い続けた二艦は、深海棲艦が駆逐された後に周囲からの強い要望の声を受けてアイドルとなった。その際に、二艦にアイドルとしての心得を授けたのか那珂だったのだ。

 那珂の教えを受け継ぎ立派なアイドルとして成長したワンエアロウォーズは、今では周囲から一目を置かれるほどにまでなった。油断をしていたら一気に食われる。より一層気を引き締めた那珂は舞台に上がった。

 先攻はワンエアロウォーズ。那珂の教え子だけあって、加賀と赤城は会場の空気をすぐに掴み支配する。

 既に一流アイドルの仲間入りを果たしている加賀と赤城だ。歌と踊りと空気、すべてがかっちりと噛み合い流れに淀みがまったく見えない。会場は割れんばかりの大きな歓声に包まれた。

 

「くっ……」

 

 ワンエアロウォーズから発せられるアイドルオーラが那珂に襲い掛かる。突然の強風に晒されたかのような錯覚を受けた那珂は思わず顔を腕で覆った。

 逞しく成長した弟子たちにうれしさを覚える反面、強敵として自分の前に立ちはだかる二艦のライバルに那珂は震える。

 

(でも、私は負けないよ!)

 

 後攻、那珂は序盤からハイペースで会場を盛り上げた。先攻の出来がよければよいほど、後攻の出来の悪さは余計に目に付いてしまう。

 実力差がほぼ互角の相手を出し抜くには、多少の無理もやむをえない。ペース配分を無視した全力全開。全力百二十パーセント出力で舞台を駆け回る那珂。会場は大いに沸き立った。本来ならば決勝でしか見れない最上級のパフォーマンスが目の前で展開されているのだ。艦娘アイドルファンならば興奮しないわけがない。

 しかし、そんな那珂の行動に一抹の不安を抱く者がいた。

 

(那珂ちゃん……それはちょっと飛ばしすぎだ。それじゃあ最後までもたないぞ……!)

 

 那珂ちゃん親衛隊の長を務める『田中』三十五歳だ。長年アイドル那珂を追いかけ続けてきた彼の目は、那珂の無理を一瞬で見抜いていた。

 

(普段よりも体の伸びが若干大きい……!歩幅や回転の速度も僅かだが異なる……!手足の反りがいつもより過剰だ……!確かにそのパフォーマンスで会場を沸かせることが出来るだろう……しかし!それを見せるにはまだ早すぎる!)

 

 田中だけではない。同じステージに立っていた赤城、加賀の二艦も那珂から発せられるアイドルオーラを肌で感じ取り、那珂が無理をしていることを察した。

 

「クッ……この圧力は……!」

「那珂さん……それで私たちに勝つことが出来てもその後は……!」

 

 アイドルの師匠だった那珂が自分たちを全力で倒しにきてくれている。弟子として、これほど喜ばしいことはない。赤城たちからすれば、それは師匠に認められたようなものなのだから。

 だが、その半面で自分たちに全力を出した性で後の戦いに支障が出てしまうのではないかという不安もあった。もしそうなれば、私たちは彼女のどう申し開きをすればいいのだろうか。

 

(……答えはわかっています。あなたはきっと、私たちの謝罪など受け取らないでしょう)

(「観客に百パーセントの那珂ちゃんを届けられなかった自分のせいだ」と、自分の未熟さを恥じる。あなたはそういうアイドルでしたね)

 

 この時点で、ワンエアロウォーズは自分たちの敗北を悟っていた。アイドルとしての年季の差が、培ってきたバックボーンの太さが土壇場に来て大きな差を生んだのだ。

 結局、那珂はハイペースを維持したまま最後までやりとげた。彼女の額にはライブの終盤、クライマックスのパフォーマンスをやり遂げた後のよう大粒の汗がいくつも浮かび、汗に濡れた髪が額にいくつも張り付いている。

 

「完敗です」

「私たちも、まだまだ精進が足りないようですね」

「ふふん!まだまだ弟子に負けたりしないんだから!」

 

 両者は舞台裏で硬い握手を交わしその場で別れた。そして、ワンエアロウォーズの姿が見えなくなったのを確認した那珂はその場に崩れ落ちた。

 弟子の前では見栄を張って平気なフリをしていたが、那珂の体は既に限界寸前だったのだ。慌てて駆け寄ったスタッフたちに抱えられ、那珂は自分の控え室へと戻った。

 準決勝の前には一時間の休憩が挟まれる。全身の汗を拭き取り衣装を着替えた那珂は、十秒チャージ二時間キープの栄養ゼリーを一気に飲み干し机に突っ伏し眠りに落ちた。目が覚めれば動ける体になっている、そう自分に言い聞かせながら。

 

「会場の皆さん、お待たせいたしました!いよいよ準決勝の始まりです!」

 

 そして一時間後、ある程度回復し那珂はステージに上がった。流石に一時間では疲れが抜けきれず、那珂の動きは若干鈍い。それを田中は一目で見抜いていた。

 那珂がステージに上がった後、那珂の対戦相手もステージへと姿を現す。次の瞬間、会場からはひときわ大きな歓声が上がった。

 

「YEAH!決勝に進むのは私たちネ!」

「行きましょう、お姉様!」

「さあ、やりますよ!」

「参ります!」

 

 那珂が今回の大会で初めてぶつかる各上の相手。ヲ級が登場する以前まで、艦娘アイドル界の頂点に君臨し続けてきた姉妹戦艦ユニット『金剛シスターズ』である。

 加賀と同様、艦娘アイドル発足前から提督たちの間で絶大な人気を誇っていた『金剛』を筆頭に、姉ラブ元気キャラの『比叡』、眼鏡の『霧島』、従順妹キャラの『榛名』の計四艦で結成されたユニットだ。四艦とも那珂と同じ『改ニ』の艦娘であり、那珂の優勝を何度も阻んできた相手である。

 改ニという超高スペックの船体から繰り出されるダンスは歌に込められた喜怒哀楽を正確かつ壮大に表現し、また歌声の方も力強い歌い方から繊細な歌い方までありとあらゆるジャンルの曲を見事に歌いこなす。

 全方位死角無し。前回の艦マスでヲ級に敗北するまでは、本当に一度も敗北を味わったことがなかったレジェンド級アイドルなのだ。

 

「それジャ、今度も張り切っていっちゃうヨー!」

 

 金剛シスターズのステージが開始された。開始早々から会場は一気に沸き立つ。その盛り上がりの速度はワンエアロウォーズの比ではない。那珂ですら、これほどの速さで会場を沸かせるのは至難の業だ。

 

「ぐっ……ぅあ!?」

 

 金剛シスターズの放つ強烈なアイドルオーラが波動となって那珂を襲う。那珂の体を突き抜けたオーラの波が、那珂の腹部に強烈な打撃を受けたかのような鈍い痛みを与えた。本調子ではない彼女の体に、この鋭く重いアイドルオーラはいささか苦だった。

 さすがは歴代最強の艦娘アイドル、一筋縄では行かない。本調子ではない体で、一体どこまで戦えるのか。まだ自分の番が回ってきていないにも関わらず、那珂の額には汗が浮き出ていた。

 

「まだまだいくネ!」

 

 今度は濃厚なオーラの嵐が那珂の全身を覆いつくす。まるで強制的に深い海の底に連れてこられたかのような強い圧迫感。息も録に出来ない那珂は思わずその場で膝を突いた。

 

(これが王者の貫禄ってやつ……?上等!)

 

 自らを奮い立たせ、気力で立ち上がる那珂。

 アイドルある以上、ファンの前で足を止めるわけにはいかない。会場に来てくれたファンの皆に百二十パーセントの那珂ちゃんを届けるために。そして、去年の雪辱を晴らし深海棲艦を王座から引き摺り下ろすために。

 那珂は無理を承知でステージに挑んだ。

 

(やはりダメか……!)

 

 田中の抱いていた不安は的中した。最初と比べて、那珂のダンスから明らかにキレがなくなっている。そして歌声も二割ほど小さい。無理をしているのが一目で分かる。

 那珂の追っかけを十年続けてきた田中でも、これほどまでに苦しそうに踊る那珂を見たのは初めてだった。戦況は絶望的。会場にいる誰もが那珂の敗北を察していることだろう。

 

「頑張れー!那珂ちゃーん!」

 

 だからこそ、田中は命一杯声を張り上げる。たとえ会場にいる全員が敵に回ろうとも、那珂が踊り続ける限り彼女を応援する。彼女の歌と踊りを初めて目の当たりにしたあの日、田中はそう誓ったのだ。

 

「ヴォオオオオ!負けるなナガぢぁああああーん”!!」

 

 田中は目から零れ落ちる涙を拭うことも忘れ、ただひたすら叫び続けた。ステージで踊る彼女へのエールを。何があっても私はあなたの味方であり続けると、思いを乗せて。

 そして、ファンの期待に答えてこそ一流のアイドル。会場にいる誰か一人でも自分の姿を見てくれているなら、それだけで彼女は戦える。その声援か彼女の力となり、那珂の奥底に眠っている力を引き出すのだ。

 

「What's!?」

「そんな!?」

「私の分析では、こんなことありえない!」

「綺麗……」

 

 これこそが、艦娘アイドル那珂の最終形態。一年に一度しか使えないという制約を超えて、今、彼女の真の力が顕現した。

 

「あれは……『クリスマスフォーム』!!」

 

 再構成された真紅の衣装に身を包み、ふわりとステージに降り立った一艦の天使。その姿は見る者全てを魅了し、引き付け、虜にする。対戦相手である金剛シスターズですら、言葉を失い那珂の姿に見蕩れていた。

 突如、会場に氷の結晶が舞う。事前の打ち合わせでセットされていた小道具ではない。それは、一人のファンと一人のアイドルが生み出した本当の奇跡。

 どこからともなくかかり始めたバックミュージックと共に那珂は歌いだす。会場を突き抜ける那珂の情熱が、会場にいる四万人の観客の心に火をつけた。もう沸き立つどころではない。観客全員が一体となり、会場全体が燃え上がるような勢いで盛り上がった。

 そして、那珂の歌声が途切れると同時に会場は大きな、とても大きな歓声に包まれた。対戦相手であった金剛シスターズまでもが那珂に対して拍手を送り、那珂の勝利を心から祝福した。

 

「さあ皆さん、いよいよこの時がやってまいりました!艦娘ヒロインズマスター選手権、いよいよ決勝です!」

 

 司会の合図と共にステージの照明が落ちる。その後、ステージの中央がスポットライトで照らされた。

 プシュー、と音をたてて立ち上るスモークと、壮大な入場音楽と共に開く幕。スモークに映し出された独特のシルエットが、会場にいる観客の動揺を誘った。

 

「ヲっ」

 

 前回艦マスチャンピオン『ヲ級』、満を持して光臨。次の瞬間、会場の観客全員が一斉に叫んだ。

 

「ヲぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

「ヲぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

「ヲぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

「ヲぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 

 那珂の最終形態であるクリスマスフォームの支配を一瞬で塗り替えるほどの求心力。初出場にして金剛シスターズの不敗神話を破ったヲ級の底知れぬ力。これがチャンピオンの実力だ。那珂の頬を冷や汗が伝った。

 先攻はヲ級だった。ヲ級のパフォーマンス、それは那珂にとって悪夢の再現でもある。

 

「ヲっ」

「うぉおおおおおおおおおおおおお!!!」

「キェアアアアアアアアアアアアアア!!」

「イェアアアアアアアアアアアアア!!!」

 

 これこそがヲ級の持つ才気。たった一言で、全ての観客を虜にしてしまう。まさに鶴の一声と言っても過言ではない。これを初めて見た那珂は、何が起こったのかわからないまま実力の半分も出せずに敗北したのだ。

 しかし、今回はヲ級の戦術が事前に頭に入っている。今の那珂にとって、この展開も想定の範囲内。那珂は動揺することなくヲ級のパフォーマンスに目を向けていた。

 那珂はこの一年でヲ級の戦略を分析した。そして分かった事は、ヲ級は「ヲっ」という以外の武器を持っていないということだった。「ヲっ」とはヲ級のもつ最大の武器であると同時に、最大の弱点でもあったのだ。

 いくら一撃が重くとも、何度も使われれば威力が落ちる。時代の流行やインパクトに対する慣れ、そして繰り返しネタの宿命である相手側の飽き。この一年でヲ級の「ヲっ」と言う言葉は多く使われすぎた。それこそ流行語大賞に選ばれるほどに。

 そして、その影響は今のステージに大きく響いている。現に今、那珂はヲ級に対してまったく恐れを抱いていなかった。去年味わった理不尽なまでの実力差はもうどこにもない。クリスマスフォームを開放した今の自分ならば、ヲ級を倒すことなど造作もないことだ。内心、那珂は勝利を確信していた。

 しかし、那珂の期待はすぐに裏切られることになる。それは、突然起こった。

 

(っ!?……な、何?)

 

 那珂の全身を悪寒が走り抜けた。体を強張らせた那珂はヲ級を注視する。そして、悪寒の正体を発見した。

 

(手?)

 

 そう、ヲ級の左手がゆっくりと上がっているのだ。ヲ級の左手が上がるに連れて、那珂の感じる悪寒もひどくなってゆく。

 那珂のアイドルとしての直感が告げていた。あれを実行させてはならないと。しかし、ここはステージの上だ。ヲ級がパフォーマンスを披露している以上、横槍を入れるなど不可能。那珂は上がってゆくヲ級の左手をただ見ていることしか出来なかった。

 そして、ついにその時は来た。

 

「ヲっ」

 

 ヲ級が放ったのは、胸元で手を小さく振りながらの「ヲっ」だった。

 

「っッっっアッ!?」

 

 言葉にならないほどの衝撃が那珂を襲う。準決勝で戦った金剛シスターズのアイドルオーラなど足元にも及ばない。金剛シスターズのアイドルオーラの衝撃を球速百六十キロメートルの剛速球と例えるなら、ヲ級が今放った衝撃は隕石。頑張ればどうにかなるというレベルを遙かに超えている。まさに規格外と呼ぶべき別次元の力。

 ヲ級は攻撃の手を緩めない。ひたすら手を振りながら「ヲっ」を繰り返し、ステージ上を右往左往。その度に放たれるデタラメなアイドルオーラが那珂を襲う。衝撃を堪える那珂は徐々に精神をすり減らしていった。そして、精神の疲労はいよいよ体にまで影響を及ぼし始めた。

 那珂は呼吸を必死に保っていた。平衡感覚は定まらずその場で留まるのが精一杯で、再構成された真紅の衣装は全身から吹き出た汗で肌にぴっちりと張り付いている。

 たった数分の出来事だ。たった数分、ヲ級のパフォーマンスを見ただけでこの有様。那珂は自分の認識が甘かったことを思い知らされた。

 

「那珂ちゃん!那珂ちゃーん!!」

 

 観客席から那珂を呼ぶ声が聞こえる。会場にいる誰か一人でも自分を見ていてくれるなら、こんなところで眠るわけにはいかない。自分の最高のパフォーマンスを見せて、ファンの皆に満足して帰ってもらわないと。自分の信念を押し通そうと、那珂は閉じかかっていた瞼を開いた。

 

(あ……れ……?)

 

 しかし、那珂の体は動かない。那珂の意思に反して、彼女の体は床に向かって一直線に落ちてゆく。

 仕方のないことだった。百二十パーセントの実力をワンエアロウォーズ戦で発揮し、疲労が残った状態のまま金剛シスターズと対戦。しかも金剛シスターズ戦では、制約を無視してクリスマスフォームを発動させた。

 無茶の連続で那珂の体は限界をとっくに超えていたのだ。そんな体を鋼の精神力で何とか動かしていたが、ヲ級が発した超弩級アイドルオーラで鋼の精神までもが突き崩された。

 那珂の体は、もはや戦える状態ではなかった。

 

(な……んで……)

 

 開いた瞼が再び落ち、那珂の視界は完全に闇に閉ざされた。

 

 

 

 

「おい!」

「ッ!」

 

 その声は聞き覚えのある懐かしい声。もう二度と、聞くことが出来ないはずの姉妹の声。

 

「何やってんだ!ボケっとしてんじゃないぞ那珂!」

 

 ハッ、と目を開ける那珂。横たわる彼女の前には姉である川内の姿があった。

 

「無茶言わないでよ川内お姉ちゃん……」

「ファンの前でだらしない姿は見せたくないんでしょう?だったら、こんなところで立ち止まっている暇はないはずです」

「神通お姉ちゃん……」

 

 川内の後ろから姿を現したのは、もう一人の姉である神通。

 

「無理だよ……もう無理……」

「ステージでは絶対弱音を吐かない。私が楽しくなかったら、きっと会場の皆も楽しくならないから。いつもそう言っていたでしょう?」

「そんな馬鹿な妹がほっとけないから、私たちはアンタを支え続けたんだ」

 

 ゆっくりと体を起こした那珂は姉二艦に視線を向ける。川内と神通は優しい笑顔を浮かべていた。それは二艦が那珂をステージに送り出す時に見せていた懐かしい笑顔だった。

 

「……なによ、卑怯じゃない。こっちはかなりしんどい思いしてるのに……たまんないわよ二人共。ホント、たまんない……」

 

 

 

 

「!」

 

 会場は光に包まれた。その光に、会場にいる誰もが注目する。とても暖かく、優しい光。光は会場の狂気を浄化していった。

 光の中心にいるのは倒れたはずの那珂だった。ステージ上空にたゆたう那珂は派手さを前面に押し出したクリスマスフォームの衣装から一転、どこか神々しさを感じる緩やかなドレスを全身に纏っていた。

 何の前触れもなく歌いだす那珂。マイクも持たず、バックミュージックもなく、ただ彼女の歌声だけが会場に木霊(こだま)する。会場にいる四万人の観客も、艦マスに参加していた艦娘たちも、裏方のスタッフたちも、会場にいる全ての者が動きを止め、視線を那珂へと向ける。皆、那珂の神々しい姿に見惚れていた。那珂の清らかな歌声に聞き惚れていた。

 

(聞こえる?川内お姉ちゃん、神通お姉ちゃん……)

 

 遠くにいってしまった二艦の姉にも聞こえるように、那珂は歌った。自分を助けてくれた感謝の気持ちを込めて。裏で支え続けてくれた姉を慕う那珂の想いと、死してなお妹を想い続ける川内と神通の意思。姉妹の絆が次元を超えて、新たな奇跡を紡ぎだしたのだ。

 

「……………」

 

 歌い終わると同時に、那珂はステージへと降り立った。

 場に訪れた沈黙。それがしばらく続いた後、誰からともなく拍手が始まった。その音は徐々に加速し、最後はスタンディングオベーションとなって会場全体が喝采を送った。

 

「勝者、那珂!」

 

 こうして、那珂は艦マスに優勝し栄光を手に入れた。

 その後、艦マスのジンクスによって那珂は更なる飛躍を遂げた。仕事は例年の三倍ほどに跳ね上がり、彼女の知名度は『知る人ぞ知る』から『国民的アイドル』へと急上昇。そして、艦娘の悲願を達成したことによって艦娘アイドルたちから注目されるようになった。

 艦娘アイドルの頂点へと上り詰めた那珂。しかし、彼女が足を止めることはない。多くのファンに喜んでもらうために、今日も彼女はステージに立つ。

 那珂のアイドルとしての戦いは、まだまだこれからだ。

 

 

 

 

 

「っていうのを考えてみたんだけど、どう!?これってすっごく面白そうじゃない?」

「練習をサボって何をしているのかと思ったら……那珂ちゃん、少し頭を冷やしましょうか?」

「やりすぎるなよ神通」

 

 果たして、打倒ヲ級を実現できる日は来るのか。那珂ちゃんの苦難は続く。

 




次回・・・ご注文は潜水艦ですか?


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着任二十九日目:ご注文は潜水艦ですか?

艦これアニメ3話視聴後の俺提督「どうせみんないなくなる(絶望)」


 

 某日、ブイン基地上層部での定期報告を終えた青年。山場を乗り越え一安心と言った様子で司令部に到着した彼の前には一人の少女が佇んでいた。

 

「…………」

 

 青年の秘書官である叢雲だ。叢雲は眉間にしわを寄せ、これまでにないほどの鋭い目つきで青年を睨んでいる。司令部に到着して早々無言の睨みを受けた青年は、たじろぎながらも叢雲に声をかけた。

 

「……な、何をそんなに睨んでるんだ?」

 

 叢雲は青年の問いに答えることなく、早足で青年の目の前へとやってきた。そして、彼女は右手に持っていた資料を思い切り青年へと突き出した。

 

「これ!一体どういうことなのよ!?」

 

 突き出された資料は青年がブイン基地上層部に向かう前、叢雲に作成するよう頼んでおいたものだった。資料の名前は『月間資材消費報告資料』。青年の頭痛の種である。

 一体これがどうしたというのか。青年が叢雲に問いかけると、叢雲は鬼気迫る表情で青年を罵倒し始めた。

 

「どうしたですって!?ふざけんじゃないわよ!ダメな奴だと分かっていたけど、まさか不正を働くほど落ちぶれていたなんて思ってもみなかったわ!」

 

 いわれのない罵倒に青年は顔をしかめる。叢雲は青年が不正を働いたと言ったが、もちろん青年はそんなことをした覚えがない。そもそも、この資料を見て不正を働いたというのが分かるものなのか。要領を得ない青年は叢雲から資料を受け取り、じっくりと目を通した。

 

「……ッ!?」

 

 青年の体を驚愕が駆け抜ける。青年は一度目を擦り再度資料を見るが、やはり見間違いなどではなかった。青年は頬をつねる。頬に痛みが走る。夢ではない。青年は再度資料の表題へと目を向ける。資料の表題は『月間資材消費報告資料』となっている。

 まるで幽霊を見たかのような、恐怖と困惑が入り混じった表情を浮かべる青年。彼は今、信じられないものを目にしていた。

 

「資材が……増えてる……?」

 

 これまで右肩下がりだった資材の数値が、急激に上昇しているのだ。しかも、今月だけではない。二枚目、三枚目とめくり、少なくとも三ヶ月前から資材の増加が始まっている事が見て取れる。

 これまでにも何度か資材が増えることはあったが、その後は必ずと言っていいほど大幅な資材消費が起こっていた。たまに月締めで増えることがあっても、その量は微々たるもの。月締めの資材消費報告資料には殆どマイナス数値の数量が記されていた。

 しかし、今回はプラスの数値が連続で続いている。これは青年が司令部に着任して以来、初めての出来事。叢雲が不正と言ったのはこのことだった。本来なら運がいいと手放しで喜ぶところだが、今の青年の反応は真逆。形容しがたい恐怖に青年の手は震えていた。

 青年も叢雲の何故これほどまで取り乱すのか。理由は簡単だ。誰しも一度は経験したことがあるだろう。

 お気に入りのネットゲームやソーシャルゲームで、運営側の不備によるお詫びの品として高ランク武器やガチャチケットが突然舞い込んでくるのはラッキーと思うが、それがある日を境に大盤振る舞いされれば逆に不振に思ってしまう。何か只ならぬ事情があるのではないか、と。

 つまり、資材の減少が日常と化していた青年と叢雲は、急に上昇しだした資材に疑念を抱いたのだ。この資材は一体どこから湧いて出たものなのか、と。そして叢雲が行き着いたのが、青年が不正をしているという謎の結論だったのだ。

 

「一体どんな不正を働いたのかしら?洗いざらい吐いてもらうわよ!」

「ハァ!?俺は不正なんてしてねえぞ!お前が数え間違えたんじゃねえのか!?」

「はぁっ!?私がそんな凡ミスするわけないでしょ!?」

 

 ぎゃあぎゃあとその場で言い争うこと数分、ある程度感情を吐き出した一人と一艦は一旦落ち着くことにした。

 

「ハァ……ハァ……もうやめましょう……ここで言い争っても無意味だわ」

「そ……そうだな……。まずは……出来るところから……手を付けていこう」

 

 執務室に向かった青年と叢雲は資料の見直しから始めることにした。計算ミスがないかどうか入念にチェックしながら再度資料を作成。しかし、資材の数値は前の資料と殆ど変わらなかった。

 次に青年と叢雲が向かったのは旧解体ドック。深海棲艦たちの寝床だった。計算間違いでなければ、単純に資材の消費量が減っているのではないか。そう考えた青年と叢雲は、資材消費の一番の原因である深海棲艦たちの下へと向かったのだ。

 中でも一番資材の消費が激しいリ級、ル級、ヲ級に焦点を当て、彼女たちの食事風景を遠くから観察することにした。

 

「ル級はまだ遠征から戻ってきていないか」

 

 ル級はイ級遠征部隊を引き連れて遠征に出てたまま、まだ戻ってきていないようだ。

 次に青年が目を向けたのはヲ級だった。

 

「ヲっ」

 

 ドックの隅でちんまりと座るヲ級は、ボーキサイトの塊を両手で持ちながら少しずつ食べている。青年の指導により『ウチでは少量、他所では大量』というタカり根性が完全に染み付いてしまったヲ級は、青年の司令部では借りてきた猫のようにおとなしかった。

 最後に青年はリ級へと目を向けた。

 

「リ!」

 

 リ級は相変わらず容赦がない。自ら資材置き場に足を運び、保管されている資材に直接口をつけている。その姿は餌茶碗に顔を突っ込む犬のようだった。

 青年の姿に気付いたリ級は鋼材を抱えて青年の元へと駆け寄った。そして、青年の目の前で両腕に抱えた鋼材を放り投げる。地面に跳ね返った鋼材が足に直撃した青年はその場でもだえた。

 

「っ痛~……またやれってか。欲しがりだなホント!」

 

 青年は床に転がっていた鋼材を掴み、リ級に向かって思い切り投げつけた。

 

「イ”(リ)!」

 

 リ級は勢いよく飛んでくる鋼材を空中でガチンッ、と噛み砕いた。青年は床に転がった鋼材を何度もリ級に投げつけ、リ級はそれを一つたりとも逃さず捕食。

 

「ほら、これで最後だ!」

 

 最後の鋼材を勢いよく遠くへと放り投げる青年。リ級はその鋼材めがけて全速力でかけていった。その姿は飼い主の投げたボールを全力で取りに行く犬のようだった。

 念のためチ級、ヌ級の食事の様子も観察するが、やはり二艦の消費量にも変化はない。結果として、この場にいた深海棲艦の資材消費量に変化が無い事がわかった。

 ならば、他の原因は何だ?残された原因はル級の資材消費量とブイン基地総司令部から支給される資材の増加、後はイ級遠征部隊が持ち帰る資材の量だ。

 総司令部から支給される資材の量に変化はないため、残された原因はル級とイ級遠征部隊のどちらかということになる。ル級の資材消費が減ったのか、イ級遠征部隊の資材獲得量が増えたのか、もしくはその両方か。

 全ては、ル級が帰ってきたときに明らかとなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 港にてル級の帰投を待っていた青年と叢雲の前方に黒い集団が見えた。集団を先導するのはル級。その後方には黒い塊となったイ級の群れ。傍から見れば深海棲艦の大艦隊であるが、これは正真正銘列記とした提督である青年の持つ艦隊である。

 港に到着したル級は上陸して早々青年に抱きついた。磯の香りを全身から漂わせるながら、潮風で冷えた鋼鉄の両腕で青年を強く抱きしめるル級。全身から冷や汗が噴き出す青年はがっちりと固定された両腕で必死にル級のふとももをを叩いていた。

 その間、叢雲はイ級が口から吐き出す資材に目を向けていた。港には海中に沈められたチタン製の籠があり、イ級たちがそこに資材を落としていく仕組みになっている。

 えさに群がる鯉のように、ギチギチと籠へ密集するイ級の姿に鳥肌が立つ叢雲だが、ここでしっかりと確認しておかなければいつまで経っても原因が分からない。なるべく籠の方に視線を向けつつ、叢雲はイ級たちの様子を観察した。

 その時だった。

 

「ッ!!?」

 

 イ級たちの蠢く隙間から、海中で光る何かを見た叢雲。今以上に籠を注視し、叢雲は海中にいる何かの正体を掴もうとする。そして、彼女の瞳が決定的な瞬間を捉えた。

 

(手が……!)

 

 海中に沈む籠に向かって、『何か』を落とす青白い手が見えたのだ。それも一本ではない。何本もの青白い手が籠に捕まっては、中に『何か』を投げ入れている。

 叢雲は資材増加の原因をついに見つけた。司令部の資材増加の原因。それは、海中に潜む青白い手を持つ彼女たちがいたからなのだと。

 

「せ、潜水艦……」

 

 海中に潜んでいたのは『潜水艦カ級』と『潜水艦ヨ級』だった。

 主に鎮守府海域近辺で活動を続けているイ級遠征部隊だが、そこに何故潜水艦であるカ級とヨ級が混じっているのか。

 実は最近になって、鎮守府海域近辺に潜水艦の大部隊が潜んでいることが分かったのだ。彼女たちがいつから存在してたのか正確な時期は不明だが、彼女たちの存在が公のものとなったのはつい最近の話である。

 その情報が『偶然』にも青年の司令部に伝達されず、潜水艦の存在を知らないままいつものように鎮守府正面海域に遠征部隊を出した結果、深海棲艦の習性である『近くの艦艇に勝手に群がる』が発動し、いつの間にかイ級遠征部隊に潜水艦であるカ級、ヨ級が加わっていたのだ。

 

(でも、何で潜水艦だけなのかしら?)

 

 ふと、叢雲の頭に一つの疑問が浮かんだ。イ級遠征部隊の主な活動拠点は鎮守府海域近辺だが、そこで出現する深海棲艦の艦級は複数存在する。遠征の際に、他の深海棲艦がイ級遠征部隊に勝手にくっついてきてもおかしくはないはずだ。

 にも関わらず、ル級がこれまで引き連れていたのはイ級のみで、他の深海棲艦の姿は一切見られない。一体何故なのか。

 答えはル級の遠征中の行動にあった。なんとル級は、自分が引き連れる艦隊に近づいてきた深海棲艦を一艦残らず撃沈していたのだ。

 青年が深海棲艦の数が増える事を嫌がっていると愛の力で感じ取ったル級は、これ以上数を増やすまいと日々努力を続けていた。数の暴力で近づく敵を圧倒、たまに味方のイ級ごと敵を沈めることもあったが、それでも艦隊の数が増えないようル級なりに気を配っていたのだ。

 そんなル級が、撃沈することなく艦隊に取り入れた初めての深海棲艦がカ級とヨ級である。これまで頑なに深海棲艦を退けてきた彼女が、何故今になって新たな深海棲艦を艦隊に加えたのか。

 そのきっかけとなったのは、ル級が執務室の前まで訪れたときに聞いた青年と叢雲の会話だった。

 

「最新式の艦艇だぞ!?しかも潜水艦だ!」

「何?アンタそんなに潜水艦が欲しいわけ?」

「だってさぁ、普通の艦艇とは一味違う感じがするじゃん。ちょっと特別って言うか、真新しいって言うか」

「要は物珍しいから欲しいってだけの話ね。アンタ、まともに部隊運営するつもりあるの?」

 

 ドア越しに聞いた青年の声。それは深海棲艦であるル級には解読不能の言語。しかし、艦娘である叢雲の言葉なら理解が可能だ。ル級は叢雲の言葉を通して青年の願いを聞いた。

 

 潜水艦が欲しい。

 

 このときより、ル級は潜水艦と出会う日を待っていた。そして、出会ったら必ず仲間にしようと心に決めていた。

 全ては愛する青年を想っての行動。愛する青年に喜んでもらうために。愛する青年に褒めてもらうために。ル級の粋な計らいによって、青年の願いは実現されたのだ。青年のご注文どおり、ル級は潜水艦を連れて司令部に戻って来ることに成功したのだ。

 

「何だこれは!まるで意味がわからんぞ!」

 

 五分後、真実を知った青年は錯乱状態に陥ったのだった。

 




次回・・・強襲、離島棲鬼

最終章突入なんだぜ。


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着任三十日目:強襲、離島棲鬼

バレンタイン期間限定グラフィックですよ!限定ボイスですよ!叢雲の時代が来たわけですよ!

しかし、何で叢雲だけ中破絵がないのですかねぇ・・・。


 某日、ブイン基地総司令部に衝撃が走った。とある鎮守府へと向かっていた輸送船が深海棲艦の襲撃を受けたのだ。

 輸送船自体の損傷は軽微、乗組員で怪我をした者はいなかった。しかし、輸送船に同乗していた着任予定の提督一名が深海棲艦により連れ去られ、護衛艦隊の過半数及び提督の秘書艦が大破したというのだ。

 輸送船はブイン基地へと引き返した。ブイン基地総司令部はすぐさま連れ去られた提督の行方を探るが敵の痕跡は残っていなかった。唯一の手がかりは乗組員たちの証言で、敵が南東へ向かっていったというもののみ。

 南東の海域はまだ手が着けられていない未知の領域。何の準備もなしに突入するのは危険極まりなかった。捜索は一時打ち切られ、準備が整うまでしばらくの時間を要することとなる。

 その後、準備を整え再度連れ去られた人物の捜索が行われた。捜索範囲も広げられ手痛い被害を受けてもなお続けられた捜索だったが、捜索部隊の健闘も虚しく、その提督が見つかることはなかった。

 数日後、その提督の生存の可能性は限りなく低いと判断され、捜索は打ち切られることとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 潮風を浴びながら煌く水面を眺める青年。頭痛の種である資料とのにらめっこから開放される久々の外出であるにも関わらず、彼の表情はどこか暗い。

 それもそのはず。彼は今、とても重要な任務を請け負っているのだ。ブイン基地上層部から直々に、青年個人への勅命である。緊張しないわけがない。

 

「その司令部を長年放置していたのは我々の責任だ。だが我々は謝らない。君ならばその困難を乗り越えられると信じているからだ」

 

 青年に課せられた任務。それは、とある鎮守府の視察であった。その鎮守府は戦場の最前線に一番近い鎮守府で、有事の際に真っ先に戦場に飛び出し味方の艦隊が到着するまでの時間稼ぎを行ったり、作戦遂行前の敵の陽動を行う部隊の詰め所のようなところだった。

 以前着任していた提督は深海棲艦に直接鎮守府を襲撃された際に負傷し、そのまま軍を退役。

 後釜が見つからないまま、しばらくの間放置されていた。そこへ颯爽と登場したのが、深海棲艦を率いる青年である。

 次から次へと深海棲艦を手なずけた青年ならば敵艦隊を武力を用いることなく無力化できるのではないかという机上の理論と、毎度毎度深海棲艦が破壊するドックを修復するのにかかる費用が馬鹿にならないという現実的な問題がうまい具合に重なり、青年はその鎮守府へと向かうことになったのだ。

 ただ、長いこと放置されていたため鎮守府の状況もよくないことが予想された。そのため、着任前の視察ということで鎮守府の様子を見に行くことになったのだ。

 

「はぁ……」

 

 際限なく膨れ上がる不安が胸の中でぎゅうぎゅうに詰まっているような圧迫感。ため息と一緒に吐き出さないと破裂してしまうのではないかと思ってしまうほどの嫌な感覚。

 ただの視察であるにも関わらず、青年の胸中は死地へ赴く兵士のそれと同じであった。

 青年は上着のポケットからウイスキースキットルを取り出した。蓋を開け中身を一口飲む。

 

「何緊張してるのよ。ただ見て帰ってくるだけでしょう」

 

 丸まった青年の背中をバシンと叩いた叢雲。青年の秘書艦である彼女も今回の任務に同行していた。

 

「ていうか、まだそんなの持ってたわけ?前に似合わないって言ったじゃない」

「別にいいだろ。なんかこう……男って感じがするだろ?」

「何それ。意味わかんない」

 

 ちなみにウイスキースキットルの中身はただの麦茶である。

 喜々とした表情でウイスキースキットルに酒を流し込む青年に叢雲の雷が落ちたのは言うまでもない。

 年配の渋いベテラン提督がウイスキースキットルで酒を呷る様に感銘を受けたから真似して買った、などというふざけた理由で無駄遣いをされてはたまったものではない。

 青年の司令部は今もなお金欠が続いているのだ。

 

「でも、いずれそこに着任することになるんだろ……?最前線だぞ?鎮守府にいる提督は俺一人。仲間は到着までに時間がかかるし……」

「あぁもう!いつまでもグチグチと女々しいわね!男なら潔く腹をくくりなさいよ!」

 

 いつにも増して気合の入っている叢雲は、いつにも増して弱気な姿勢の青年を一喝する。青年はこれから一鎮守府を任される事になるのだ。こんな腑抜けた状態で部隊運用などされては、実際に出撃する側からしたらたまったものではない。叢雲は青年の事を思って、いつも以上に厳しい言葉を投げかけていた。

 ただ、全部が全部青年のためかと言えばそうではない。叢雲の言葉には彼女自身の欲が少なからず混じっている。最前線となれば必然的に戦いの数も増える。戦を好む叢雲にとって、それはうれしいことこの上ない。

 そして、鎮守府に青年一人が着任するということは、周囲に他の提督や艦娘がいないということ。つまり、周囲の目を気にする必要がない、叢雲と青年がほぼ二人きりの状態になるということ。多少お惚気、所謂デレがあったとしても、目撃されることは決してないのである。

 

「出来る……かなぁ?」

「出来る出来ないじゃなくて、やるのよ。アンタと私でね」

「そうだな……やるしかないんだよな」

 

 これからはきっと、これまで以上に慌しい日々となるだろう。でも彼女となら、彼となら何とかやっていけそうな気がする。言葉に出すことはないが、青年と叢雲は互いに同じ思いを抱いていた。一人と一艦で協力すれば困難を乗り越えられる。そう信じていた。

 そのときまでは。

 

「ッ!」

 

 遠くで聞こえた複数の砲撃音。青年は手すりから身を乗り出して海を眺めた。どうやら護衛艦隊が敵艦隊と接触したようだ。護衛艦隊の艦娘たちが海上を滑るように移動する姿が見える。

 まあ、この辺の敵はそこまで強くはないから大丈夫だろう。ほっ、と安堵のため息をついた青年は乗り出した体を戻し、帽子を被りなおした。

 

「ッぉお!?」

 

 それと同時に、船は大きく揺れた。非常事態を知らせる警報が辺り一帯に鳴り響く。壁に手をつき何とか体勢を保った青年は慌てて周囲を見渡した。

 敵艦隊が防衛線を突破したのか、と真っ先に思った青年は再び海上へと目を向ける。しかし、海上に敵の姿はない。海上にはこちらへと向かってくる護衛の艦娘艦隊がいるのみだ。

 ならば、今の衝撃は一体何だ、と青年が疑問に思った次の瞬間、海上に大きな水柱が上がった。水柱が上がった位置、そこは丁度護衛艦隊の姿が見えた場所だった。

 

「ッ!?」

 

 叢雲は急に走り出した。慌てて叢雲の後を追いかけた青年は、走りながら叢雲に対し何事かと問いかけた。

 

「敵よ!甲板に敵がいる!」

「て、敵だと!?なんで!?」

「知らないわよ!」

 

 一人と一艦の出た先は甲板だった。甲板では火の手が上がっており、大勢の水夫が集まっていた。しかし、おかしなことに誰も消火作業を行おうとしない。皆消火器を手に持ったまま、その場でぴたりと足を止めてしまっている。

 

「どきなさい!」

 

 叢雲と後に続く青年は水夫を掻き分けながら前へと進む。そして、甲板の先頭へと出た一人と一艦は信じられない光景を目の当たりにした。

 

「ミツケタ……」

「ッ!?」

「深海棲艦!?」

 

 甲板の先頭で悠然と佇んでいたのは深海棲艦だった。黒いゴシックロリータのような服で身を包む謎の深海棲艦は、青年へ向けてどこぞの貴族のように一礼をする。その容姿、その振る舞い、どこからどう見ても普通の深海棲艦ではない。

 彼女の隣には全身から砲身を突き出す大型の深海棲艦の姿も見える。人の形をした深海棲艦と、それに追従する大型の深海棲艦。青年はその組み合わせに見覚えがあった。以前、鎮守府正面海域で起こった大決戦。その首謀者の艦艇とそっくりだった。

 数歩前に出た人型の深海棲艦は、開口一番にこう言った。

 

「テイトク、イッショニキテクダサイ」

 

 常識の斜め上を行く言葉に周囲の時は停止した。

 

「……は?」

 

 辛うじて反応できた叢雲の口から間抜けな声が漏れた。奇しくも、その声はその場にいた全員の心を代弁するものであった。

 懐疑の視線が一斉に向けられる中、人型の深海棲艦は言葉を続けた。

 

「アナタハコノヨウナトコロニイテイイカタデハアリマセン。ココハ、アナタニフサワシクアリマセン」

「ハァ?アンタ、いきなり何よ?」

 

 呆けていた叢雲も、聞き捨てならない言葉に再起動。青年と人型の深海棲艦との間に割って入り、下から思い切り睨みつけた。

 しかし、人型の深海棲艦は叢雲の隣を素通りする。叢雲の言葉を無視するだけでなく、叢雲と目線すら合わせない。まるで、初めからそこに叢雲などいないかのように振舞う人型の深海棲艦。

 青年の隣まで歩を進めた人型の深海棲艦は、その場でくるりと身を翻し青年へ笑顔を見せた。

 

「アナタノコトヲ、ホントウニヒツヨウトシテイルカタガイマス。アナタニハモットフサワシイバショガアルノデス」

「ちょっと、聞いてるの!?」

「イマノマヤカシヨリモ、ズットスバラシイコウフクガアナタヲマッテイマス」

「勝手なこと言ってんじゃないわよ!」

「サア、ワタシトイッショニイキマショウ」

「アンタッ……いい加減にしなさい!」

 

 叢雲は声を荒げた。存在を無視されることにも腹が立ったし、青年にちょっかいを出すことにも腹が立った。だが、何より腹が立ったのは人型の深海棲艦の言動だった。

 ふさわしくない。まやかし。叢雲には、その深海棲艦の言葉がまるで自分の存在そのものを否定しているかのように聞こえた。何も知らないくせに、一体何の根拠があってそんなことが言えるんだ。叢雲は人型の深海棲艦の肩を掴み、自分の方へと思い切り引き寄せた。

 

「…………」

 

 感情に任せた叢雲の行動。それが人型の深海棲艦の逆鱗に触れた。一瞬だった。振り向きざまの一瞬にして人型の深海棲艦の笑顔は能面のような無表情へと変わり、小さな羽虫を見るかのような目で叢雲を見た。

 

「ダマッテロヨ、クズ」

 

 叢雲の体は真横へと吹き飛び壁へと叩きつけられた。叢雲を横から襲ったのは、人型の深海棲艦の傍に控えいていた大型の深海棲艦だった。

 突然の事態に思考が追いつかない中、全身の痛みに悶える叢雲。そんな彼女の体を大きな影が覆う。

 叢雲はゆっくりと顔を上げた。しかし、すぐに顔を下げた。いや、下げさせられたのだ。大型の深海棲艦が放つ殴打によって。そこから始まる打撃の雨。人の胴周りほどの太さがある両腕で、大型の深海棲艦は叢雲の頭部を殴りつけた。何度も、何度も、何度も。

 

「おい、何やってんだ!やめさせろ!」

 

 蹂躙される叢雲の姿を見た青年は人型の深海棲艦に詰め寄った。しかし、人型の深海棲艦は動かない。

 

「イッショニキテクダサイ」

「聞いてるのか!?おい!」

「イッショニキテクダサイ」

「止めろって言ってるだろ!」

「イッショニキテクダサイ」

 

 青年が何を言っても、帰ってくるのは同じ返事だった。その間も叢雲はひたすら大型の深海棲艦にいたぶられる。

 装備からは煙が噴き出し、顔は青あざと血で原型をとどめていない。既に気を失っているのか、叢雲は抵抗もせず相手のなすがままだ。

 叢雲が見るも無残な姿へと変わっていった。

 

「わかった!お前についていく!だから止めてくれ!」

 

 こう言わなければ叢雲は助からない。直感的にそう感じた青年は、人型の深海棲艦の両肩を掴み必死の形相で叫んだ。

 結果として、青年の直感は見事的中した。これまで同じ返事を繰り返すだけだった人型の深海棲艦が、ようやく別の返事を返した。

 

「ヨカッタ、ワカッテモラエタンデスネ」

 

 満面の笑みをこぼした人型の深海棲艦は青年の手を取った。そして、少女のような細腕で青年の体を両手でひょいと持ち上げ、いわゆる『お姫様抱っこ』の形で青年を抱きかかえた。

 叢雲への攻撃をやめた大型の深海棲艦が、人型の深海棲艦の前で身を屈める。人型の深海棲艦は大きく跳躍し、屈めた身の上へと飛び乗った。

 

「ソレデハ、イッショニイキマショウ」

 

 船から飛び降りた大型の深海棲艦は海上へと着水。猛スピードで海上を駆け出した。

 先の戦闘で消耗した護衛艦隊ではとても追いつけず、十数分後、人型の深海棲艦は護衛艦隊の索敵範囲から姿を消した。

 




次回・・・孤軍奮闘


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着任三十一日目:孤軍奮闘 其の一

>緒戦の各作戦に従事し、仲間の救援時にソロモンに没した、雲の名を持つ特型駆逐艦のさらなる改装の実装を予定しています。


やったぜ。

追記:バ、バレンタイン仕様の絵でよかったんじゃないんですかねえ・・・?まあ、かわいいからいいけど。

追記2:叢雲改ニの記念にサボっていた感想返信をしました。


 青年と離島棲鬼がたどり着いたのは、海上に佇む巨大な岩場だった。

 

「なあ……ここに誰がいるんだ?」

「アナタヲヒツヨウトスルカタデス」

 

 青年は船上で離島棲鬼の放った言葉が気がかりだった。自分を必要とする方とは誰なのか。自分のふさわしい場所とは何なのか。とにかく叢雲を助けたい一心で離島棲鬼についてきた彼は、未だに自分の状況を理解出来ずにいた。

 離島棲鬼は海上を滑りながら岩場の隙間に入った。そのまま複雑に折り重なった岩版の隙間を潜り抜けるように進んでいく。そして、ある岩版の上に降り立った離島棲鬼は、青年を抱きかかえたまま更に歩みを進めた。

 岩場の中は湿気が多く、強烈な磯の臭いが漂っている。また、日の光が届かない上に隙間風が吹くため少し肌寒く感じる。

 反響する波の音を背に、一人と一艦は奥へ奥へと進んだ。奥に進むに連れて周囲の明るさは落ちてゆき、離島棲鬼の瞳の輝きがはっきりと確認できる程の暗さにまでなった。

 

「!」

 

 青年の視界に小さな光が見えた。薄暗い空間にぽつりと浮かぶ二つの赤い輝き。離島棲鬼はその輝きの方へ向かって歩いている。この時点で青年は察した。離島棲鬼があわせたい人物があそこにいるのだと。

 輝きとの距離が徐々に縮まる。残り約十メートルのところで青年の目に薄っすらと相手の輪郭が映った。どうやら、地面に座り岩の壁にもたれかかっているようだ。更に距離が縮まる。白い四肢がはっきりと見えた。ネグリジェのような薄い服を着ている事も確認できる。

 この時点で、青年の頭には一つの予想が浮かび上がっていた。それは数ヶ月前の事。薄暗い洞窟のような場所で、一人静かに涙を流す日々を過ごしていた彼女の話を聞いた。他の幸せを妬み、荒んだ心のはけ口として艦娘を襲った深海棲艦の話を聞いた。

 相手の姿がはっきりと見える距離まで近づいた離島棲鬼は、地面に座る相手の隣に青年を下ろした。

 

「……提督」

「戦艦棲姫」

 

 岩場の奥底にいたのは戦艦棲姫だった。

 青年はふと納得した。戦艦棲姫と一度出会っていたからこそ、青年は自分がここまで連れてこられた理由が何となく予想できたのだ。

 一度は去っていった戦艦棲姫だが、やはり寂しさには勝てなかった。再び青年に会おうとしても、一度大きな騒ぎを起こしている以上司令部への再接近は難しい。そこで、自分から出向くのではなく青年をつれてくることでその問題を解消した。

 そう考えると、つじつまが合うように見える。

 

「スミマセン提督。私ガ止メラレナカッタバッカリニ……」

 

 戦艦棲姫は申し訳なさそうに言った。どうやら、戦艦棲姫は自分を意図して連れて来たわけではないようだ。今の言葉で自分の予想が外れていることを悟る青年。

 ならば、ここに連れてこられた理由は何だ?青年は、離島棲鬼に向かって答えを即す視線を送った。

 

「コレデモウダイジョウブデスネ」

 

 しかし、離島棲鬼は青年の事などまったく気にも留めずに身を翻した。離島棲鬼は暗闇の中へと消えていった。

 離島棲鬼がいなくなった今、答えを知るものはこの場に一艦しかいない。青年は横目で戦艦棲姫を見た。見た目は綺麗に整っているようだが、表情にはどこか元気がない。

 仕方のないことだった。海上に点在する岩場から取れる数少ない資材をかき集めたところで高が知れている。その数少ない資材では、戦艦棲姫の傷を完全に癒すことが出来なかった。表面上は回復しているように見えるが、内部は殆ど回復していない状態なのだ。

 一瞬会話を躊躇いそうになる青年だったが、このまま状況を理解できないままと言うのも落ち着かない。

 とりあえず、この状況だけでも説明してもらおう。青年は沈黙の気まずさを紛らわすことも兼ねて戦艦棲姫に聞いてみることにした。

 

「始マリハ私ノ安易ナ発言デシタ」

 

 青年の問いに対し、戦艦棲姫はゆっくりと答え始めた。

 敗戦後、元いた洞窟へと戻ってきた戦艦棲姫。傷を癒すべく療養を始める彼女であったが、大破した体では傷を癒すために必要な資材を集めることが難しかった。そんな時、戦艦棲姫に力を貸したのが離島棲鬼だった。

 大戦前から戦艦棲姫と行動を共にしていた離島棲鬼だったが、彼女は大戦には参加できなかった。やさぐれた戦艦棲姫に少しでも喜んで欲しくて、他の海域まで資材を求めて遠征していたのだ。

 結果、離島棲鬼はボロ雑巾のようになった戦艦棲姫と再会を果たすこととなってしまった。

 洞窟から岩場へと移り住んだ後、離島棲鬼は戦艦棲姫の傷を癒すべく資材を集めだした。朝も昼も夜も、休みなく資材を集め続けた。いくら燃料が少なくても、いくら体が疲弊していても、決して歩みを止めることはなかった。

 だが、身を粉に下甲斐はあった。全快とまではいかないが、表面的な傷はほぼ無くなった。離島棲鬼の献身的な介護によって戦艦棲姫の体は回復の兆しを見せていた。

 しかし、この頃から離島棲鬼の行動に変化が起こる。

 

『ダイジョウブデスオネエサマ、ワタシガヤリマス』

『オネエサマハソコニイテクダサイ』

『オネエサマ、ワタシニマカセテクダサイ』

 

 離島棲鬼は戦艦棲姫に対し過保護になり始めた。

 毎日必ず一定量の資材を献上する。戦艦棲姫の動きを制約し代わりに離島棲鬼が動く。他愛のない話、冗談に過剰に反応し、それを忠実に実行する。離島棲鬼の行動に一抹の不安を抱く戦艦棲姫だったが、自分の傷が治れば収まるだろうと考え口に出すことはなかった。

 だが、その考えが大きな過ちだった。戦艦棲姫は見誤っていたのだ。離島棲鬼の異常性を。今の離島棲鬼が、かつての自分と同じように一つの何かに執着した存在になっていることに気付けなかった。

 

「テイトク?ナンデスカソレハ」

「ッ!?」

 

 戦艦棲姫は離島棲鬼との会話の中で、うっかり青年の話題を出してしまった。と言っても、青年の話題は本当に少しだけ。時間にして三秒にも満たない短い言葉。しかし、離島棲鬼にはそれで十分だった。その短い時間で戦艦棲姫の内心の微弱な変化を読み取った。

 しまった、と思った時には既に遅し。顔を上げた戦艦棲姫の前には離島棲鬼の顔があった。戦艦棲姫は顔を引きつらせたまま固まった。

 

「オネエサマ、『テイトク』トハナンデスカ?」

「…………」

 

 ここで正直に青年の事を話すのはマズい。戦艦棲姫は口を固く閉ざした。戦艦棲姫が『テイトク』とは何たるかを語らない以上、離島棲鬼は行動に移ることが出来ないのだから。

 戦艦棲姫にはある予感があった。今の離島棲鬼ならば、やりかねない。ほんの僅かな情報から、自分の望む『テイトク』を導き出してしまう。そんな気がしてならなかった。

 

「……モシカシテ」

「…………」

 

 戦艦棲姫は知らなかった。離島棲鬼の中には『テイトク』という言葉が既に存在している事を。『テイトク』という存在を知っている深海棲艦が海を流離い、その情報を垂れ流していることを。

 戦艦棲姫の言葉を絶対とする離島棲鬼は、垂れ流しの情報から知った『テイトク』というのが戦艦棲姫の求めている『テイトク』で間違いないと決め付けた。

 今や星の数ほどいる『テイトク』。その中から戦艦棲姫の求める『テイトク』を、離島棲鬼はつれてこれるのだろうか。その難易度は30/30/30/30でレア駆逐艦を建造する確立よりもはるかに低い。

 しかし、偶然にも戦艦棲姫が求める『テイトク』と離島棲鬼の知る『テイトク』は同一の人物であった。

 

「ワカリマシタ。ワタシニマカセテクダサイ」

「何ヲ……」

「ナニモシンパイスルコトハアリマセン。ワタシガ、『テイトク』ヲツレテキマス」

「マ、待チナサイ!」

 

 離島棲鬼は凄まじい速さでその場を後にした。戦艦棲姫はすぐに後を追ったが、完治していない体ではとても追いつけず、外に出た頃には離島棲鬼の姿を完全に見失っていた。

 残された戦艦棲姫に出来るのは、離島棲鬼のあてが外れることを祈るのみ。これから被害を被ることになる提督には申し訳なく思う。しかし、大切な青年の命には代えられない。

 戦艦棲姫は罪悪感に苛まれながら、離島棲鬼のもたらす恐怖に怯える毎日を送った。

 

「で、結局願い叶わず俺が来てしまったと」

「エエ……」

 

 前々から深海棲艦と妙な縁があると思っていたが、まさかここまでとは。ようやく現状を把握できた青年は小さくため息をついた。毎日トラブル続きで危機感が薄れつつある青年でも、今回の件はさすがにマズいと感じていた。

 たとえ捜索部隊が結成されてもこの場所を発見することはまずないだろう。青年は自分の位置を捜索部隊に知らせる手段を持っていないし、手がかりとなる物も残していない。逆に捜索部隊の方も、青年を探知する手段を持っていない。まったくのノーヒントで、広大な海原から人一人を探し出すのがどれほど難しいか、容易に想像できるはずである。

 そして今の環境。闇を照らす明かりがない、暖かな火がない、体を潤す水がない、その他文明の利器など、普段当たり前だったものが周囲に何一つない。青年自身も手ぶらの状態である。

 中でも致命的なのは飲み水がないことだ。人の体は水のみでニ、三週間は生きることが出来るという。しかし、水も食料もない状態では四、五日程度しかもたないそうだ。

 食料に関しては、最悪戦艦棲姫を通して離島棲鬼に捕ってきてもらうことになるが、絶対に入手できないというわけではないだろう。

 だが飲み水、淡水は入手が絶望的だった。手元にある飲み水はウイスキースキットルに入った麦茶のみ。残量は半分より少し上程である。

 ここは周囲を海に囲まれた岩場の中。淡水が湧き出ている可能性は限りなくゼロに近い。

 熱した海水から淡水を生み出す手段もあるが、そもそも火がなければ海水は温められないし、火を起こすことが出来ても蒸気を受ける入れ物がない。海水を飲むという選択肢は論外だ。

 麦茶がなくなる前に救援が来るという保証はどこにもない。何とか飲み水を確保する算段を整えなければ、青年は干からびて死んでしまうだろう。

 

「…………」

 

 いや、最終手段が一つだけある。だが、それは人としてかなり抵抗のあるもので、出来ることならその手段だけは使いたくない。誰だって自分の尿の味など知りたくはないだろう。

 

「……何カ来マス」

「え?」

 

 戦艦棲姫の声で一度現実に引き戻された青年。戦艦棲姫は顔を左に向けていた。青年も同じように左を見た。

 耳を澄ますと、波の音に混じって足音のようなものが聞こえる。

 

「さっきの奴か?」

「イイエ。違ウヨウデス」

 

 この足音はさっきの奴、つまり離島棲鬼のものではない。ならば、この足音の正体は一体なんだ?青年は目を凝らし薄暗い空間を見つめた。

 薄暗い闇に小さな光が灯った。青白く輝く炎のような光だ。足音が近づくに連れて、ぼんやりと輪郭が見えてきた。人間と同じ二足歩行で、全体的に白い色が目立っている。

 青年は見覚えのある姿に思わず目を見開いた。

 

「お、お前は!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 午前零時。月明かりに照らされた薄暗い執務室に叢雲はいた。

 捜索できる場所は全て回った。未開拓の侵入禁止区域にもこっそり入った。普段は節約を心がけていた資材も湯水のように使った。何日もの間、夜通しで休むことなく捜索を行った。だが、叢雲の努力が報われることはなかった。

 離島棲鬼にさらわれた青年は見つからず捜索は打ち切られた。叢雲は他の部隊への異動が決定し、残るチリヌルヲも引き取りを希望する提督の元へと異動することになっている。青年と今まで過ごしてきた司令部には新たな提督が着任することになり、青年の荷物は着々と外へ運び出されている。

 もっと自分に力があれば、青年をさらわれることもなかったはず。後悔の念に駆られ、ひたすら自分を責める叢雲。現実はしっかりと見えている。ただの駆逐艦が、深海棲艦の中でも最高の力を誇る姫型とサシでぶつかって勝てるはずがない。言ってしまえば「仕方がない」の一言で片付いてしまう事だ。

 それでも後悔せずにはいられない。叢雲が絶対に失いたくない大切な人。自分の帰るべき場所を示してくれる灯台。隣にいることが当然だった存在。自分の一部といっても過言ではないほどの存在が消えてしまった。

 叢雲は座っているソファーから、青年の執務机に視線を向けた。青年がいつも顔をしかめて向かっていた木製の机。叢雲がソファーに座って本を読み、サボる青年に檄を飛ばす。これが一人と一艦の定位置だった。

 

「…………」

 

 視線の先には誰もいない。ただ、私物が取り除かれ綺麗に掃除された机が鎮座している。

 叢雲は自分の膝に顔をうずめた。

 

(まあ、これで忙しないな毎日ともおさらばできるわね。もうアイツの面倒を見る必要もないし、アイツ等の保護者役をする必要もない)

 

 思えば、これまで散々だった。

 三流提督である青年の間抜けな部隊運用に頭を抱た。よかれと思って持ち帰ったチ級を餌付けし、気付かないうちにヌ級までも仲間に加えていた。

 ヲ級を男手総勢で猫かわいがりしてボーキサイトが枯渇寸前になったり、勝手に住み着いたリ級は毎度毎度ドックを壊して、押しかけてきたル級にいたっては司令部の外でも騒ぎを起こす。

 碌に出撃はできないし、流れで深海棲艦を教育する羽目になった。新たに着任する艦娘は一向に現れない反面、新たな深海棲艦は次から次へと現れる。負担ばかりが増えて資材は増えない。本当に苦労する毎日だった。

 だが、もうそんな思いをする必要もない。これからは自分の思うことを好きなようにやれる。今までの窮屈な環境から開放され、自分の真価を発揮できる提督の下へいけるのだと、叢雲は自分に言い聞かせる。

 

「…………ハァ」

 

 しかし、叢雲の気分は晴れない。いくらやる気を注ぎ込んでも、注いだ傍から抜けてゆく。いくら利点を並べても、それらがその辺に転がっている小石のように思えてしまう。

 その穴はあまりにも大きかった。一体いつになったら塞がるのか分からない、途方もなく大きな穴。理屈ではどうにもならない心の穴。

 毎日激務だったおかげで、青年との思い出は数えるほどしかない。しかし、青年を思い出させるものは数え切れないくらいある。執務室、廊下、食堂、ドック、どの場所にも彼の姿が、彼の声が残っている。

 ソファーの上で身を横にした叢雲はゆっくりと目を閉じ思い出に浸り始めた。

 

「ッはぇ!?」

 

 しかし次の瞬間、叢雲は閉じた目を見開いた。執務室の入り口である木製の扉が大きな音をたてて吹き飛んだからだ。

 叢雲はすぐに身を起こし、音のしたほうへと視線を向けた。

 

「ルー」

「ちょっとアンタ何してんのよ!?もうここは私たちの司令部じゃ……」

 

 入り口の前に立っていたのはル級だった。ドアを破壊したル級を咎めようとする叢雲だったが、ル級はそれを無視して執務室の中へと入った。床にぺたんと倒れた木製のドアをバキバキを踏み砕き叢雲の前へとやってきたル級。そして、ソファーに座る叢雲に勢いよく抱きついた。

 

「ちょっ、アンタいきなり何すんのよ!?」

 

 鯖折りされるような形で抱き上げられた叢雲は両足をバタバタと動かし抵抗するが、ル級はそれを無視して歩き出した。ル級は叢雲の罵倒、暴行を受けながらも歩を進める。

 ル級の行き先は叢雲も分かっていた。ほぼ毎日通った薄汚れた廊下。厄介者たちが住まう旧解体ドックへと続く道だ。

 ル級は開けっ広げられた旧解体ドックの扉をくぐり、抱きかかえていた叢雲を開放した。

 

「こんなところまで連れて来て……一体何だって言うのよ」

 

 真っ暗なドック内を見渡す叢雲。周囲にはいつものメンバーであるチリヌルヲの姿。と、もう一艦。

 

「タ級?どうしてここに……」

 

 予想外の相手に呆然とする叢雲。タ級は他の深海棲艦の間をすり抜け叢雲の前までやってきた。そして、困惑する叢雲にある物を差し出した。

 

「ッ!」

 

 驚愕する叢雲はタ級が差し出した物を素早く奪い取った。まるで長年追い求めた幻のお宝を手にしたかのように、両手で忙しなく角度を変えそれの真偽を確かめる。そして数秒後、叢雲は確信した。

 

「間違いない……アイツのだわ」

 

 タ級が持ってきたのは一つの帽子だった。提督の白い軍服に合わせて作られた真っ白な制帽。内側の布地には青年の名前が刺繍されている。

 制帽の中央で輝く帽章の左上から斜めに入った薄く細い傷。これは以前、青年がリ級と仲良くなろうとして逆に襲われた際に出来た傷だ。叢雲は青年から製帽を受け取った際、その傷をしっかりと見ていた。

 内側の布地に残る修復跡。これは叢雲が他所の司令部で夕立矯正作戦を行った晩、青年がル級と『熱い夜』を過ごした際にできた破れで、叢雲自身が針と糸を使い修復を行った。

 他にも糸の小さな解れ、帯章の小さな傷、庇の歪みなど、叢雲の知る製帽の特徴が全て合致していた。

 叢雲はみっともないから新しいのに変えろと言っていたが、青年は「もったいない」と頑なに拒否してボロボロの製帽を被り続けていた。そしてその制帽は、青年がさらわれた当日もしっかりと彼の頭上にあった。

 

「ター」

 

 叢雲に「行こう」と告げるタ級。愛の戦士に多くの言葉などはいらない。叢雲はその一言ですべてを理解した。青年は生存していて、救助を求めていると。しかし、一つ疑問が残る。一体、タ級はどのようにしてこの製帽を受け渡されたのか。

 時は数日前まで遡る。とある海域にて、タ級は偶然にも離島棲鬼と出会っていた。

 

「アラ、アナタハアノトキノ」

「ター」

「ワカルワ。アナタ、ホカノコトスコシチガウモノ」

「ター」

「ソウイエバ、アナタニハイイタイコトガアッタノ」

 

 離島棲鬼はタ級に対し感謝の言葉を述べた。以前にタ級から話を聞いていたおかげで『テイトク』を捕らえることが出来たと。

 

「ター」

「アソコヨ。アイタイナラスキニスレバイイワ」

 

 特に難しい理由はない。ただ『テイトク』に会いたかったタ級は、離島棲鬼が指し示す巨大な岩場を訪れた。そして、その奥底でタ級は青年と再会を果たした。

 

「お、お前は!?」

「ター」

 

 二度とない絶好の機会を逃すほど、青年は間抜けではなかった。

 君には不運を飼いならす力がある。青年は横須賀で聞いた言葉を思い出していた。もしこの言葉が事実ならば、不運を飼いならせるのなら、この一手で今の状況を打開できるはず。青年は被っていた製帽をタ級に差し出した。

 タ級ならば自分の司令部までたどり着けるし叢雲との面識もある。うまくいけばそのまま叢雲たちと一緒に捜索部隊も連れて来てくれるかもしれない。そう信じて、青年はタ級を送り出したのだった。

 そして今、希望は繋がった。制帽は無事叢雲へと渡り、事はほぼ青年の予想通りに進んだ。

 周囲の深海棲艦たちが黙って叢雲を見つめる中、制帽を受け取った叢雲は黙って身を翻した。そして、叢雲に追従するように周囲の深海棲艦たちも歩き出す。答えるまでもなかった。制帽を手にした時点で、既に叢雲の心は決まっていたのだから。

 装備を整えた一行は闇夜の海へと降り立った。急ぐ叢雲たちを見かける艦隊はいくつかあったが、どの艦隊も叢雲たちを止めることはない。皆、叢雲がどれだけ必死になって青年を探してきたか知っていたからだ。

 だから今回も、これまでと同じだと勝手に思い込んでしまった。叢雲は捜索が終了した後も自分の提督を探し続ける健気な艦娘だと、勝手にそう解釈し、黙って叢雲たちの背中を見送った。

 のちに叢雲は後悔する。この時冷静になれていれば死にかけることはなかった。一度立ち止まって、周囲に支援を要請していればもっと簡単に青年を助けられたと。恋は盲目。恐ろしい言葉である。

 

 現時刻はマルフタマルマル。これより叢雲率いる第一艦隊は、孤軍で敵地へと赴く。




次回・・・孤軍奮闘 其のニ


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着任三十二日目:孤軍奮闘 其の二

なんやかんやでもうすぐ麻耶様が改二になりそう


 ブイン基地を出てから一日と数時間が経過した。叢雲率いる第一艦隊とタ級は、東から薄っすらと見える朝の光を浴びながら未開拓海域を進行していた。

 未開拓と言うことはつまり、その海域に関する情報が殆どないということだ。敵に関する情報を持たない中、敵地をいつまでもうろうろするわけにはいかない。叢雲はタ級に対し、青年の下へ最速で向かうよう指示を出していた。

 『愛』という超高性能探知機を搭載したタ級。彼女の手にかかれば、たとえ地球の裏側からでも青年の下へとたどり着くことが出来るだろう。

 だが、その指示は裏目に出ることとなる。叢雲たちの進路の先には暗雲が立ち込めていた。暗雲の下では遠目からでもはっきりと分かる大雨が降り注いでいる。

 叢雲はこのまま暗雲の下を通るのは得策ではないと判断した。元々あまり高くない索敵能力が、大雨によって更に低下してしまうからだ。敵の接近が分からなくなる状態となるのはできるだけ避けたい。

 

「迂回するわよ」

 

 一度立ち止まった叢雲は追従する深海棲艦たちにそう告げる。そして、左を向き進行を始めようとした。そのときだ。

 

「えっ、ちょ、何!?」

 

 叢雲の進行はタ級とル級の手によって阻止された。おかしい。自分は確かに進路変更の指示を出した。なのに何故、二艦はその進行を妨害するのか。叢雲は慌てた様子で左右を何度も振り向く。

 そんな叢雲を尻目にタ級とル級はこれまでの進路、暗雲へ向かって進みだした。タ級に襟元をつかまれた叢雲は引きずられるように後進。他の深海棲艦たちも、その光景に何の疑問も持つことなく追従した。

 

「違う!そっちじゃない!ていうか、離しなさいよ!苦しいでしょ!そっちも見てないで、誰か助けなさいよ!」

 

 今回の件は完全に叢雲の落ち度だ。最近チリヌルヲがやけに素直だったせいか、叢雲は自分の言葉がしっかりと通じているのだと思い込んでしまっていた。

 今の装備で大雨の中を通れば索敵能力が低下して危険。目の前の暗雲を見て、その答えに行き着くのは艦娘である叢雲だけだ。いくら風変わりといえど、チリヌルヲたちが深海棲艦であることに変わりはない。深海棲艦の知能では、大雨により発生するデメリットは「進みづらい」くらいしか思いつかない。

 そして、目的を達成するまでの過程も大事にする艦娘とは違い、深海棲艦は過程など省みず、本能に従い目的だけを優先する。もちろん彼女たちの目的は青年と会うこと。その目的を達成するためなら、過程や方法などどうでもよいのだ。

 今のチリヌルヲたちを止めたいのであれば、まずは大雨によって生じるデメリットを、深海棲艦でも理解できる程度に噛み砕いて説明する必要があるだろう。

 

「ちょっと!そっちにはいかないって言っているでしょ!?ちゃんと言うことを聞きなさいよぉおー!!」

 

 叢雲の訴えも虚しく、タ級率いる第一艦隊は大雨の中へと突入した。

 風量が少ないため海上はそこまで荒れてはいない。だが、降り注ぐ雨の量はすさまじい。そのあまりの雨量に、視界が霞んで見えるほどだ。

 もう突入してしまったのだから仕方がない。叢雲は半ば諦める形で雨の中を進むことにした。

 

(服が張り付いて気持ち悪いわ……まったく、なんでわざわざこんなところを……)

 

 心の中でぶつくさと文句を言いながらも、叢雲は背後を追従するチリヌルヲに目を向ける。仲間の安否を確認するのは旗艦の勤めだ。ふてくされていても、その役目を放棄するつもりはない。が、次の瞬間にはその勤めを放棄したくなっていた。

 第一艦隊を編成するのは叢雲を含め六艦、それにタ級が加わり全七艦となっていた。だが、今はどうだ。叢雲の右隣には道案内をするタ級、左隣にはル級、叢雲のすぐ背後にはチ級とヌ級、その少し後ろにヲ級。叢雲を含め、合計で六艦しかいない。

 残る一艦、リ級はどこへ行ったのか。叢雲は慌てて周囲を見渡すが、リ級の姿は見当たらない。非常にまずい状況だ。海上では深海棲艦があちらこちらに湧いて出る。豪雨で見通しが最悪な中、見つけたリ級が敵か味方か判別するのはいつも以上に困難となるだろう。

 

「ッ!?砲撃音!」

 

 叢雲は音の聞こえた左後方へと目を向けた。薄暗い灰色の中に、うっすらと橙色の発光が見えた。そして遅れて聞こえてくる爆発音。

 この非常事態に、よりにもよって背後から奇襲を受けるとは。叢雲は身構え目を凝らすと同時に、周囲の深海棲艦に戦闘開始の指示を出した。

 砲撃音は幾度となく続く。だが、いつまでたっても砲弾が叢雲たちのもとにやってくることはなかった。しばらく間をおいた後、疑問を抱いた叢雲はある答えにたどり着く。

 

「戦闘開始よ!全艦、私に続きなさい!」

 

 叢雲は砲撃音のほうへ向かって進みだした。戦闘と言う言葉に釣られ、他の深海棲艦たちも叢雲の後に続く。これまでの戦闘を思い返せば、すぐに分かる話だった。敵艦隊を発見した際、いつも真っ先に前へと出たのはどこの誰だったか。

 叢雲の予想は当たっていた。約一キロメートルほど進んだ先で、リ級が敵艦隊と交戦していた。

 

「んの馬鹿!何でいつもいつも勝手に飛び出すのよ!」

 

 リ級と合流した第一艦隊はすぐさま敵艦隊の掃討にかかった。幸いにも敵艦隊の戦力はそれほど高くはなく、第一艦隊は全艦傷を負うことなく敵深海棲艦を撃沈することが出来た。

 敵地に関する情報が一切ない状態だったが、これで情報が一つ手に入った。敵に関する情報があるのとないのとでは精神的負担が大きく変わってくる。

 自分たちの手に負える相手であるということが分かった事で、叢雲の気分は一気に高揚した。これまでの不安が嘘のように吹き飛んだ。もうすぐ青年に会えると本気で思った。絶対にやれる。もう停滞はない。快進撃の始まりだ。そう信じてやまなかった。

 この戦闘は快進撃の始まりではなく、苦難の始まりだということを、叢雲はまだ知らない。

 ここは深海棲艦がいたるところで蠢く未開の海域。いわば敵地のど真ん中だ。そんなところで巨大な砲撃音を鳴らせばどうなるか。

 

「新手ね……いくわよ、アンタたち!」

 

 叢雲たちは迫り来る多くの深海棲艦を相手に、未開の海域を突き進んだ。

 各方位から次々とやってくる敵を相手に奮闘した。豪雨の中、必死に被弾を避けて前に進み続けた。

 海域の深部へと進むに連れて敵が強さを増していく中、叢雲たちは勝ち続けた。互いを助け合う息の合ったコンビネーションは自力の差をひっくり返し、エリート艦艇やフラグシップ艦艇といった各上の相手にも勝利を収めた。

 

「ハア……ハア……ようやく、一休みできそうね」

 

 いつの間にか雨は止み、太陽が水平線の彼方から姿を現していた。休みなく続いた戦闘がようやく途切れ、叢雲は小さくため息をついた。

 全艦に目立った外相はない。ひどくて小破といったところだろうか。だが、いくら外傷が少なくても中身が空になれば意味はない。

 この時点で、叢雲は燃料と弾薬が半分を少し切っていた。強敵はそこまで強くなかったが、いかんせん数が多かった。

 叢雲たちが撃沈した敵の数は優に二十を超えている。そして、現れた敵の総数はその三倍以上。叢雲たちは五十を超える敵を、たった一艦隊で相手にしていた。

 だが、おかしな話だ。五十を超える敵を相手に、小破及び燃料弾薬が半分を少し切る程度。いくら駆逐艦の燃費がよくても、深海棲艦の生命力が高くても、そのような事が本当にありえるだろうか。

 普通ならありえないだろう。が、生憎この艦隊は普通ではない。世界で唯一深海棲艦が配備された奇天烈艦隊。部隊の中に深海棲艦がいたことが功を奏していたのだ。

 近くを通りかかった深海棲艦同士が勝手に艦隊を成す。その習性はこの海域でも健在だった。

 チリヌルヲとタ級が相対した半分以上の敵深海棲艦を(意図せず)味方に引き入れたおかげで、この程度の消耗で済んだのだ。もしこの海域の深海棲艦の大半が叢雲たちより各上だったならば、もれなく全艦轟沈していただろう。

 叢雲は背後に連なる深海棲艦の大軍を見て一人心の中で戦慄すると同時に、数十時間前の猪突猛進な自分を蹴り飛ばしたい衝動に駆られていた。

 

「…………」

 

 しかし、まだ終わりではなかった。叢雲たちの現在地より西方に約五キロメートル先にある小島の海漂林に隠れている者がいた。

 気温と湿度の高い中、黒々としたフリルドレスを涼しい顔で着こなすその者の名は離島棲鬼。彼女は無表情で遥か彼方を行く大艦隊を眺めていた。

 

「……アナタノシアワセハ、ワタシガマモリマス」

 

 離島棲鬼はゆっくりと右腕を上げ、掌を前方に向けた。

 

「オドレ」

 

 グッ、と右手が強く握られる。その動作一つで、戦力が、現状が、全てが覆った。

 叢雲たちの後方で列を成す深海棲艦の支配は一瞬にして塗り替えられた。思わぬ援軍として叢雲たちの背後を守っていたから彼らは、敵としての本来の姿を取り戻す。深海棲艦の大軍が、一斉に叢雲へと襲い掛かった。

 

「きゃっ!?」

 

 対処が遅れた叢雲は敵の先制攻撃を受けた。駆逐艦ハ級の体当たりをまともに受け、叢雲は艦隊から僅かに引き離されてしまった。

 だが、叢雲はすぐに体制を立て直す。至近距離から駆逐艦ハ級を撃ち抜き距離をとった叢雲は、再び艦隊に合流しようと顔を上げた。

 

「ッ!!?」

 

 叢雲の眼前には、既に鉄(くろがね)の大波が迫っていた。

 視界一面を多い尽くす深海棲艦の大群と、砲弾の雨。叢雲は咄嗟に動いた。水面を滑りながら両膝を曲げ、大破し海面に浮かぶだけの存在となった駆逐艦ハ級の懐へともぐりこんだ。

 全長二メートル程ある駆逐艦ハ級の船体は叢雲の体をすっぽりと覆い尽くす。駆逐艦ハ級の船体に背中をあてた叢雲は、両腕を広げ駆逐艦ハ級の船体を支える。叢雲が衝撃に備えると同時に、いくつもの着弾音が一斉に鳴り響いた。

 叢雲の背中に大きな衝撃が伝わった。両足で踏ん張り何とか転倒は免れた叢雲だったが、想像以上の衝撃に少し咳き込んでしまった。

 周囲には敵の砲弾が海水に着弾したことによって生じた水柱がいくつも立ち上った。外から回り込む形で叢雲に襲い掛かろうとする深海棲艦もいたが、それらは降り注ぐ砲弾の雨によってことごとく轟沈していった。

 

「ったく、どうなってんのよぉッ!!」

 

 残された燃料及び弾薬は約半分。頼れる味方とも分断され、身を守る鉄くずの盾もいつまでもつかわからない。

 絶体絶命とも呼べるこの状況で、叢雲は悲鳴に近い叫び声を上げることしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 十数分後、荒れ狂うような猛攻を仕掛けていた深海棲艦の大群は蜘蛛の子のようにわらわらと散らばり始めた。

 ついさっきまでの猛攻が嘘のように静まり、辺りには水面の揺れる音だけが静かに響いている。

 

「ハァ……ハァ……よ、ようやく……終わりかしら?」

 

 そうつぶやいたのは、体のあちこちに焦げ跡をつけた叢雲である。彼女は敵の攻撃を見事に凌ぎきっていた。

 いつまで続くか分からない敵の猛攻に、いよいよ耐え切れなくなった鉄くずの盾(駆逐艦ハ級)。いよいよ終わりか、と叢雲が覚悟を決めたそのとき、彼女の頭脳は一つの活路を見出した。

 駆逐艦ハ級の左右から回り込むようにやってきた駆逐艦ロ級を見た叢雲は、咄嗟に駆逐艦ハ級から駆逐艦ロ級の陰へと飛び移ったのだ。そして駆逐艦ハ級の時と同じように駆逐艦ロ級の船体側面に背中を預け、新たな盾とした。

 移動する際に僅かな被弾はあったが、身を守る新たな盾を入手することに成功した叢雲。彼女はこれを何度も繰り返し、敵の攻撃を凌ぎきったのだった。

 

「……どこにいるよ」

 

 敵に見つからないよう距離をとった叢雲は、遠巻きから散り散りになる深海棲艦の大群へと目を向ける。

 右肩に赤い丸印をつけた深海棲艦の姿は確認できない。距離がある上に数が多すぎる。目視による視認は困難だろう。

 

「ま、しばらくはこのままね」

 

 そこで叢雲がとった行動は、意外にも待機だった。

 燃料が残り僅かなため無闇に動くことができないというもの理由の一つだが、一番の理由はそれではない。

 これはある意味、叢雲が仲間を信頼しているからこそ出来る選択だった。叢雲はこれまでの経験からチリヌルヲたちのおおよその行動を把握していた。今回あてにするのは、その中でも非常にシンプルな行動をする深海棲艦だ。

 

「私以外の誰かが派手にドンパチやり始めたら、アイツは間違いなくそこにいる」

 

 敵を見つけたら、同じ深海棲艦だろうが問答無用で噛み付く変わり者。叢雲率いる第一艦隊の戦闘狂、リ級。

 この海域には、叢雲たちを苦しめる程の強敵が存在している。戦闘狂であるリ級なら、まず間違いなく噛み付くだろう。

 喧嘩っ早いリ級が戦闘音で居場所を教えてくれる。そう信じて、叢雲は待機を選択したのだ。

 だが、叢雲は知らない。

 

「……オネエサマ、ダイジョウブデスヨ。ワタシガマモリマス」

 

 彼女の背中を遠く、遙か遠くから眺める一艦の深海棲艦がいることに。

 

「ルー」

「ター」

「レー?」

 

 愛の戦士たちは新たな戦艦と出会う。

 

「リ!」

「来ルナト……言ッテイル……ノニ」

 

 従順な重雷装巡洋艦と重巡な戦闘狂は新たな強敵と出会う。

 

「ヌゥ」

「ヲっ」

「ゼロ!ゼロ!クレッ!」

 

 二艦の空母は小さな姫との出会いを果たす。

 

 散り散りとなった叢雲たちの前に、新たな強敵が迫っていた。

 




次回・・・孤軍奮闘 其の三


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着任三十三日目:孤軍奮闘 其の三

しかたないんだ・・・。
俺は・・・もう艦これを続けられない・・・。
だったら、仲間でもある、友でもある読者に艦これごと・・・俺を消してもらう・・・。
それで満足するしかないじゃないか・・・。



 

 深海棲艦の大波に飲まれ散り散りとなってしまったチリヌルヲとタ級。

 それぞれ近くにいたル級とタ級、ヌ級とヲ級はなんとなくペアを組み、リ級とチ級はそれぞれ単独で行動を開始する。

 だが、叢雲という楔を失った今、彼女たちを繋ぎとめるものは何もない。彼女たちは仲間と合流しようとはせず、各々別行動を開始した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 散らばった仲間を探すつもりのないタ級はル級は、独断で青年のいる岩場を目指す。

 しばらく進行を続けていると、他の深海棲艦が二艦の周囲に勝手に集まり艦隊を成し始めた。既にル級とタ級の後ろには複数の深海棲艦が追従している。

 先頭を行くタ級とル級は背後の有象無象など気にも留めない。背後の深海棲艦は反抗しない。周囲の深海棲艦は例によって勝手に艦隊へと加わる。

 二艦はまさに「我を妨げるもの無しって感じだな」という勢いで大海原を進み続けた。

 

「レー?」

「!」

「!」

 

 ル級とタ級にもはっきりと意味の伝わる声。それはつまり、声の主が深海棲艦であることを示している。二艦は首だけで声の聞こえた背後へと振り向いた。

 声の主は駆逐艦や軽巡洋艦のような角ばった姿ではなかった。

 ル級、タ級と同じ人型。白い肌の上から黒いパーカーを身に付け、白い髪をフードで覆っている。腹部の辺りまで大きくはだけさせたパーカーの中からは豊満な胸部装甲と、それを覆う黒いビキニ。首元には白黒のチェック柄のマフラーが巻かれ、背中には白いリュックのようなものが着いている。

 のちに『戦艦レ級』と名付けられるその深海棲艦は、臀部から伸びる白色の尾をふらふらと揺らしながら、再び言葉を口にした。

 

「レー?」

 

 どこにいくの?一言目と全く同じ言葉をル級とタ級に向けて放つ。

 

「ルー」

「ター」

 

 あの人の処へ。まったく同じ言葉を、まったく同じタイミングで返す二艦。

 

「レー?」

 

 そーなのかー?レ級は意味深に聞こえる言葉を適当に受け止めた。

 もともと知能の高くない深海棲艦が言葉の裏に秘められた意味を悟るなど、どだい無理な話だった。

 進行を再開したことで再び場に沈黙が訪れる。人間社会なら気まずい空気が流れる場面だが、この場にいる彼女たちはその沈黙を気にも留めない。

 本能の赴くままに、自由気ままに、自分のしたいことを好きにやる。それが深海棲艦。

 今のル級たちを突き動かしているのは鉄の意志と鋼の強さを宿した高純度の最高級燃料だ。

 進む。進む。ひたすら前へと突き進む。後退はない。あるのは前進勝利のみ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 同時刻、とある地点で開戦を告げる砲撃音が鳴り響いていた。

 

「リ!」

 

 リ級の主砲が火を噴いた。放たれた砲弾は一直線に飛び、直撃。轟音と共に爆煙が巻き起こった。

 

「……来ルナ」

 

 その敵は未だ自らの武装を展開せず、リ級に静止を呼びかける。リ級の砲撃を受けても傷一つつかないその船体は、彼女が上位の深海棲艦であることを示していた。

 白い長髪と白い肌。白のセーターワンピースを着用し、首回りから胸元を黒い鉄鋼で覆っている。

 特筆すべきは彼女の巨大な胸部装甲だ。背筋がぴんと伸びているためか、ただでさえ大きな胸部装甲がより一層激しく自己主張をしている。

 彼女こそ、後に『爆乳大要塞』もとい『港湾棲姫』と呼ばれる深海棲艦であった。

 肥大化した両腕をだらりと下げ、けだるそうな瞳をリ級に向ける港湾棲姫。

 彼女は好戦的な性格ではなかった。相手が艦娘ならしぶしぶ戦うが、今彼女が相手をしているのは自身と同じ深海棲艦。

 わざわざ同胞を手にかけるような真似はしたくなかった。

 

「リ!」

 

 だが、港湾棲姫が今相手にしているのは強ければたとえ同胞が相手でも容赦なく襲い掛かる狂犬だ。言葉でどうにかできる相手ではない。

 リ級の主砲が再度火を噴く。港湾棲姫は砲弾を回避した。敵の余裕を見せる行動に、リ級のボルテージが更に上がる。

 一発の砲撃で倒せないならば、千発の砲撃を浴びせるのみ。リ級の砲撃はさらに激しさを増していった。

 

「来ルナト……言ッテイル……ノニ」

 

 リ級の砲撃を避け続けていた港湾棲姫だったが、さすがに我慢の限界が来たようだ。

 海面を突き破って現れたのは巨大な深海棲艦。港湾棲姫の艦装である。巨大な深海棲艦は港湾棲姫の背後へとまわり、港湾棲姫は巨大な深海棲艦に優しく手を添えた。

 手始めに、港湾棲姫はリ級の足元を狙う。直撃を避けた砲撃だ。

 

「リ!」

 

 リ級は右へと動き爆発地点から遠ざかった。そのまますかさず全速前進。湾曲した航跡を描きながら、リ級は港湾棲姫の左側面へと向かう。

 港湾棲姫は緩い追撃を仕掛ける。リ級の向かう先に次々と砲弾を放ち、爆発の衝撃で水柱が立ち上った。

 リ級は押し寄せる荒波をかき分け、立ち上る水柱を突き抜け前へと進む。

 

「リ!」

 

 リ級は両腕を港湾棲姫に向け、主砲副砲を一斉射撃。無数の砲弾が港湾棲姫を襲う。

 港湾棲姫はその場に佇んだまま行動を起こさない。より正確に言うと、行動を起こす必要がないのだ。

 港湾棲姫は砲弾へ右手をかざした。すると、巨大な深海棲艦が港湾棲姫と砲弾との間に割って入った。砲弾は全て巨大な深海棲艦に直撃したが、赤黒い装甲に損傷は見られない。

 

「リ!」

 

 放つ、放つ、ぶっ放す。後先を考えずにひたすら連射。リ級は攻撃の手を緩めない。

 港湾棲姫はたちまち爆煙に包まれた。

 

「……モウ……止メロ」

 

 爆煙に映る港湾棲姫のシルエットがゆらりと動く。

 リ級はそれを見逃さなかった。すぐに来るであろう攻撃に備え身構える。

 

「ッ!」

 

 だが遅かった。リ級の間近で巨大な轟音が轟く。リ級の視界は大きく揺れ、瞬く間に天地がひっくり返った。

 海面を数回跳ねた後、なんとか体制を立て直すリ級。彼女の右腕は大きく損傷していた。港湾棲姫の砲撃が直撃したのだ。

 

「分カッタ……ダロウ」

 

 港湾棲姫はリ級に向けて言葉を投げかける。この戦いの無意味さを分かってもらうために。

 

「リ!」

 

 港湾棲姫の言葉を無視し、リ級は再び前に出た。リ級は両腕を前方に向け主砲を副砲を同時に放つ。

 リ級の砲撃を受けながら、港湾棲姫は静かに右手を前方にかざす。それを合図に、彼女の背後にいた巨大な深海棲艦が砲撃を開始した。

 リ級の砲撃はすべて命中しているが、その殆どがダメージにつながらない。港湾棲姫の砲撃はすべて外れているが、一撃でも当たれば大ダメージだ。

 港湾棲姫のダメージの蓄積が先か、リ級への直撃が先か。勝敗はいかに。

 

「……無駄ダ」

「ッ!?」

 

 撃ち合いに勝ったのは港湾棲姫だった。

 港湾棲姫の放った砲弾がリ級の腹部に直撃し、大爆発が起こる。数十メートル宙を舞った後、リ級は海上へと落ちた。

 船体に大きな損傷を受けたためか、仰向けで倒れるリ級の体は半分ほど海面より下に沈んでいた。

 港湾棲姫はゆっくりと歩き始め、やがてリ級の目の前までやってきた。

 

「……コレガ……最後ダ。モウ……止メロ」

 

 最終通告を告げる港湾棲姫。彼女の背後で巨大な深海棲艦が砲身をリ級に向ける。

 

「…………」

 

 リ級は言葉を発さない。しかし、その眼は明らかに戦意に燃えていた。それがリ級の答えだった。

 港湾棲姫は自らの右腕をリ級へと伸ばし、巨大な右手でリ級の頭を掴み持ち上げた。

 巨大な深海棲艦はリ級の胴体へと砲頭を向け、止めを刺そうとした。

 その時だ。

 

「ゼロ!ゼロ!」

「!」

 

 聞き覚えのある声が港湾棲姫の耳に届いた。

 声の聞こえた方へ視線を向ける港湾棲姫。視線の先には彼女の見知った姿があった。

 全長は人間の子供と同程度。髪は前髪の短い白い長髪。白のワンピースを着用し、手には白のミトンをつけていた。

 後に『北方棲姫』と呼ばれることになる深海棲艦はつぶらな瞳をキラキラと輝かせていた。

 

「…………?」

 

 港湾棲姫はそのまま視線を右へとずらす。

 北方棲姫の隣には他の深海棲艦が二艦程いた。どちらも空母型。よく見かける姿だが、放っている雰囲気がどこか異質だった。

 

「ヌゥ」

「ヲっ」

 

 北方棲姫の隣にいた深海棲艦。その正体はヌ級とヲ級だった。

 彼女たちの出会いは今から数十分前。叢雲率いる第一艦隊がバラバラとなってしまった後のことだった。

 偶然合流することができたヌとヲ級はしばらくその場に佇んでいた。

 叢雲に従うヌ級と、自発的に動こうとしないヲ級。どちらも自主性に欠けた性格のためか、お互いその場から動こうとしない。

 今の彼女たちは、デパートで母親とはぐれてしまった迷子だ。

 迷子のヌ級とヲ級はどっちへ行けばいいのかわからない。本物のデパートであれば、ヌ級たちに手を差し伸べてくれる親切なおばちゃんがいただろう。だが、現在彼女たちがいるのは海の上。おばちゃんが現れるはずもない。

 時たま近づいてくる深海棲艦は総じて知能が犬と同等もしくはそれ以下のため役に立たない。

 この時点で、ヌ級とヲ級が青年のいる場所へと到達するのは不可能だった。

 ヌ級は律儀に叢雲を待つ。調教、もとい厳しい訓練を受けたヌ級の忠誠心は本物だ。

 ヲ級は退屈気味だった。元々のんびりとした性格ではあるが、大所帯からいきなり孤立して内心少し不安だったりする。

 ヲ級はちらり、ちらりとヌ級に視線を向け、相手の出方を待つが、相変わらずヌ級に動きはない。

 手持ち無沙汰のヲ級は何となく艦載機を飛ばしてみた。

 青年救出に向けて叢雲に無理やり詰め込まれた『零式艦戦』を、自分の艦載機で追いかけるという鬼畜な遊びに興じるヲ級。この間、零式艦戦に乗っていた妖精は大粒の涙をこぼしていた。

 ひとしきり遊んだ後、ヌ級は艦載機を帽子の中へと帰還させた。周囲に着陸する場所がないため零式艦戦もしぶしぶヲ級の中へと戻っていた。中に乗っていた妖精は青い顔をしていた。

 

「ゼロ!ゼロダ!」

 

 そんなときだった。ヲ級は不意に左手を引っ張られた。

 ヲ級は自身の左側へと目を向けた。左側には誰もいない。だが、相変わらず左手は引っ張られたままだ。

 

「ゼロ!ヨコセ!」

 

 ヲ級は左を向いたまま視線を下へとずらした。

 ここで初めて、ヲ級たちは北方棲姫と出会った。

 

「ゼロ!オイテケ!」

 

 より強い力でヲ級の左手をぐいぐいと引っ張る北方棲姫。

 ヲ級は首をかしげた。深海棲艦同士のため言葉ははっきりと聞こえている。

 だが、北方棲姫の言う『ゼロ』が何を指しているのかが分からない。ただ何となく、北方棲姫が何かを欲しがっている。ヲ級はその事だけは理解できていた。

 もっとも、『ゼロ』という言葉で『零式艦戦』を連想するのはその筋に関係する者たちだけである。ごく普通の人間ですら理解に苦しむだろう。元々知能の低いヲ級ならばなおさらだ。

 ヲ級はとりあえず手に持っていた杖を差し出した。杖はすぐさま弾かれた。北方棲姫はさらに力を増した。

 

「ゼロ!来テ!ゼロ来テ!」

 

 北方棲姫はヲ級の手を引っ張っりながら移動を始めた。ヲ級はちらりと後ろを見る。ヌ級はいつの間にか直立不動の姿勢を崩してヲ級に目を向けていた。

 ヌ級の心は揺れていた。叢雲を待つべきか。それともヲ級を追いかけるべきか。

 叢雲によって徹底的に調教もとい教育されはしたが、ヌ級にも自分がどう動くべきか判断する能力がちゃんと備わっているのだ。

 徐々に遠のいていくヲ級の姿を見ておろおろと悩むヌ級。

 北方棲姫に手を引かれるヲ級は首だけで背後へと振り向いた。ヲ級の瞳にヌ級の姿が映る。

 戸惑っている様子のヌ級を見たヲ級は思った。

 

 ま、いいか。

 

 手を引かれるヲ級はそのまま北方棲姫についていくことにした。

 北方棲姫が先導するなら、自分はそれに従うのみ。ヲ級さんは断れない。

 一艦ぽつんと取り残されたヌ級。右を見て、左を見て、再びヲ級の背を見つめ。

 雷を落とす鬼(叢雲)がいないことを確認したヌ級は、手を繋ぐ二艦の後を追いかけた。なんだかんだで、ヌ級も不安だったのだ。

 そして現在、ヌ級とヲ級の目の前には今まさに止めを刺されそうになっているリ級の姿がある。

 

「ゼロ!ゼロ!」

 

 北方棲姫はヲ級の手をしきりに引っ張りゼロと叫ぶ。

 北方棲姫がヲ級をここまで連れてきた理由。それは、港湾棲姫にヲ級の『零式艦戦』を手に入れてもらうためだったのだ。

 零式艦戦はヲ級の頭上にある帽子の中に格納している。だが、北方棲姫の伸長ではヲ級の帽子に手が届かない。ならば、自分よりもっと背の高い者に代わりに取ってもらえばいい。

 北方棲姫の見知った顔の中でそれを実現できるのは港湾棲姫だけだったのだ。

 ヲ級を倒して手に入れるという手もあるのだが、北方棲姫はそれをしなかった。

 無意識のうちに戦闘を避けたのは、ひとえに零式艦戦に対する愛ゆえだろう。

 見た目は幼子だが、後に北方棲『姫』と名付けられる彼女の実力は深海棲艦の中での上位に位置する。

 零式艦戦欲しさにがっついて攻撃すれば、ヌ級とヲ級はあっという間に海の底へと沈んでいただろう。

 

「ゼロ!早ク!ゼロ!」

 

 北方棲姫はヲ級に「零式艦戦を早く出せ」と言う。

 対するヲ級は北方棲姫の言葉の意図を考えていた。

 「早く」と言っているのだから『何か』を急かしている事はわかる。問題はその『何か』がわからないことだった。

 

「早ク!早ク!」

 

 とりあえず、ヲ級を進行速度を速めてみた。だが、北方棲姫の「早く」コールは鳴りやまない。

 ヲ級は再度手に持っていた杖を差し出す。杖はすぐさま弾かれた。これでもない。北方棲姫は一体何を催促しているのか。謎は深まるばかりだった。

 ふと、ヲ級は死に体のリ級に目を向けた。その瞬間、ヲ級に電流走る。

 そういえば、以前に今と似たようなことがあった。満身創痍の叢雲に危機が迫っていたときだ。その時、自分は艦載機を飛ばして敵を攻撃していた。

 今も丁度敵(港湾棲姫)が止めを刺そうとしているし、状況が似ている。「早く」というのは、「早く敵(港湾棲姫)を攻撃しろ」ということなのではないか。

 ヲ級の中で線がつながった。つまり、あの敵(港湾棲姫)を早く攻撃しろと言っているのか。

 そうと分かれば話は早い。ヲ級は零式艦戦と自身の艦載機を発艦させた。

 

「ッ!」

 

 ヲ級の放った艦載機を見た港湾棲姫は、自分が標的になっていることを一瞬で悟った。

 

「……止メロ」

 

 港湾棲姫は左手を艦載機へとかざす。巨大な深海棲艦は、照準をリ級から艦載機へと移した。

 この時、港湾棲姫に大きな隙ができた。自身の勝利を確信し油断していたせいだろう。港湾棲姫は意識をリ級から艦載機へと向けてしまった。

 リ級は左腕で港湾棲姫の腕を思い切り払い、拘束から逃れた。そして着水すると同時に、港湾棲姫の腹部へ右腕の主砲の砲頭をねじ込んだ。

 

「リ!」

「ッ!!?」

 

 この距離なら防御はできないな!リ級の言葉を港湾棲姫ははっきりと耳にした。

 ゼロ距離からの連射が港湾棲姫を襲う。爆発の衝撃で体勢を崩した港湾棲姫は海面を滑るように後退した。

 

「ワァー!」

 

 一方、港湾棲姫の惨状など全く目に入っていない北方棲姫は、空を旋回する零式艦戦を見て目を輝かせていた。

 急降下を始めた零式艦戦を目で追う北方棲姫。青空の下をすさまじい速さで駆け抜ける零式艦戦の雄姿に、彼女は弾んだ歓声を上げた。

 

「ワァ~!」

 

 空の青一色だった北方棲姫の視界下方に海の青が飛び込んできた。零式艦戦が海面近くまで降下したためだ。

 他の艦載機から爆弾が投下された。先行する零式艦戦の後に続く爆弾。一体何が起こるのだろう。先の展開が気になる北方棲姫は固唾を飲んで見守った。

 そのまま徐々に海の青が北方棲姫の視界を侵食していく。そして、ちょうど北方棲姫の視界の下半分が海色(みいろ)に染まった時だった。

 北方棲姫の視界下方に赤黒い塊と白い塊が飛び込んできたのだ。

 北方棲姫は、その二つの塊が港湾棲姫と港湾棲姫の艦装である事にすぐ気が付いた。

 何故、そこに港湾棲姫がいるのだろう。自分は零式艦戦をずっと目で追いかけていただけなのに。

 数秒後、北方棲姫の疑問は解消される事になる。

 零式艦戦の機銃が唸りを上げた。高速で連射される鉛玉が、港湾棲姫の頭上へと降り注ぐ。

 

「グッ!?」

 

 体勢を立て直せていない港湾棲姫は零式艦戦の攻撃を受けてしまう。

 射撃を終えた零式艦戦が急上昇を始め、港湾棲姫から遠ざかった。そして、零式艦戦の後に続いていた無数の爆弾が無防備な港湾棲姫を襲う。

 巨大な爆発が再び巻き起こった。

 

「ワーッ!?」

 

 笑顔から一転、驚愕の表情へと変わる北方棲姫。

 零式艦戦の航空ショーを見ていたと思ったら、殺戮ショーを見ていたのだ。その驚きも当然のものといえる。

 

「……ヤッテクレタナ」

 

 爆煙の中から姿を現す港湾棲姫。腹部の損傷は激しいが、それ以外の部分については若干焦げ付いた程度。さすがは鬼型といったところか。

 だが、今の一撃が完全に港湾棲姫のスイッチを入れてしまった。自分の持つ最大の戦力を持って敵を撃滅すると決心させてしまった。

 港湾棲姫の体から赤黒いオーラが噴き出し、けだるそうに開かれていた瞳には鋭い眼光が宿っていた。

 

「リ!」

 

 最後の捨て身攻撃で大破状態となったリ級だったが、それでもなお攻撃をやめない。

 

「ヌゥ」

「ヲっ」

 

 ヲ級は再度艦載機を発艦させ、上空からの攻撃を図る。

 今まで傍観していたヌ級も、反射的に艦載機を発艦させた。

 このまま港湾棲姫を放置しておくと恐ろしい事態に発展する。そのことを、三艦は直感的に悟っていたのだ。

 リ級たちは港湾棲姫を何とか止めようと奮闘するが、本気を出した鬼型を止めることはできなかった。

 

「……行クゾ」

 

 港湾棲姫の背後で巨大な深海棲艦が雄たけびを上げた。

 

「ヤル!」

 

 いつの間にか港湾棲姫の隣へとやってきた北方棲姫は、ふんす!と鼻息を荒くしていた。

 港湾棲姫のオーラに引き寄せられたのか、彼女の周りにはいつの間にか複数の深海棲艦が群がっていた。

 

「……ヤレ」

 

 港湾棲姫は集まった深海棲艦たちに合図を送った。目の前の敵を撃滅せよと。

 そして、集まった深海棲艦たちは港湾棲姫の命令に従った。

 

「ウグッ!!?」

 

 突如として、港湾棲姫は強烈な衝撃に襲われた。

 港湾棲姫はその衝撃が砲弾の直撃であることをすぐに理解したが、その衝撃が何故背後から来たのかが理解できなかった。体勢を崩しながら、港湾棲姫は目だけで背後を見た。

 

「ッ!」

 

 港湾棲姫が見たのは、硝煙が立ち上る砲頭を自分へと向ける三艦の戦艦だった。

 

「オ前タチハ……」

 

 港湾棲姫の言葉は途中で途絶えた。言葉を言い切る前に、情け容赦ない無慈悲な砲撃が港湾棲姫を襲ったからだ。

 この砲撃は誤りでなければ、悪意でもない。港湾棲姫を背後から撃った三艦の戦艦に落ち度はない。

 彼女たちは、港湾棲姫の命令をちゃんと実行しただけに過ぎないのだ。

 

「ルー」

「ター」

「レー?」

 

 そう。彼女たちは命令通り、目の前の敵を撃滅しただけなのだから。

 




今更ですが、あけましておめでとうございます。
艦これ熱はめっきり冷めてしまいましたが、この小説は必ず完結させますので、どうか最後までお付き合いください。


次回・・・孤軍奮闘 其の四


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着任三十四日目:孤軍奮闘 其の四

前の話で青年は水を持っていないという風に書いたけど、それはちょっと無理があるかなと思って水筒を持っている描写を追加しておきました。

あと、良かれと思ってショチョーの名台詞も追加しておきました。


 はぐれてしまった仲間と手っ取り早く合流するために叢雲がとった策。

 それは、リ級が他の深海棲艦に突っかかるのを待つことだ。

 他の艦娘が存在しないこの海域で、派手な戦闘音を奏でる馬鹿はあいつしかいない。

 そう信じて待機すること十数分。叢雲の予想は見事的中した。

 ドン、と遠くで鳴り響く炸裂音。それは叢雲が待ち焦がれていた合流の合図だった。

 

「来たわね」

 

 にやりと笑みを浮かべた叢雲は音の聞こえた方へと進路を取った。

 叢雲は敵影に注意しつつ目的地を目指す。今の彼女には敵をいちいち相手にするほどの余裕も猶予もない。

 この海域と司令部までを往復できるだけの燃料、復路の戦闘を切り抜けるだけの弾薬を残しつつ、青年の命の灯が消える前に救出しなければならないのだから。

 そして、青年を助ける上で避けては通れない壁。青年を連れ去った全身黒づくめの深海棲艦。後に『離島棲鬼』と呼ばれる存在が、必ず壁となって立ちはだかる。

 離島棲鬼という巨大な壁を打ち破るためには、チリヌルヲたちとの連携が必要不可欠だった。

 上には雲一つない青空。下には穏やかな水面。吹き付ける風はとても緩やか。

 数分前までの戦闘がまるで嘘だったかのように、辺りは静まり返っていた。

 嵐の前の静けさ。そんな言葉が叢雲の頭をよぎる。

 

「……!」

 

 そして、その言葉はすぐに現実のものとなった。

 叢雲の進路を塞ぐ一つの敵影。黒いゴシックロリータのような服を纏う深海棲艦『離島棲鬼』が、叢雲の前に立ちはだかっていた。

 

「まあ、そううまくいくとは思ってなかったけど」

 

 愚痴を零した叢雲はすぐさま気を引き締める。

 青年を連れ去った事に対する怒り。再戦できる事に対する喜び。圧倒的不利な状況に対する恐怖。

 様々な感情が渦巻くが、そんなものは関係ない。

 今の叢雲には自分のやるべきことがはっきりと見えていた。

 叢雲は混沌とした感情の渦を飲み込み、離島棲鬼の前に立つ。

 

「また会ったわね」

 

 数十メートル前で立ち止まった叢雲は離島棲鬼に呼びかける。

 

「…………」

 

 離島棲鬼の返答はない。棒立ちのまま、無表情のまま、じっと叢雲を見つめている。

 

「言っても無駄だと思うけど、一応聞いておくわ。提督の居場所を吐きなさい」

「…………」

 

 叢雲の問いかけに対しても無言を貫く離島棲鬼。

 相手はこちらの話を聞く気はないのだと再認識した叢雲は主砲を構えた。

 

「答える気はないみたいね。じゃあ当初の予定通り、力ずくで吐かせてやるわ」

 

 叢雲の主砲から砲弾が一発射出された。

 この時、離島棲鬼が初めて動きを見せる。

 離島棲鬼は叢雲の砲撃と同時に右手をかざす。次の瞬間、離島棲鬼の右手に砲弾が直撃した。

 爆発が巻き起こると同時に、離島棲鬼は爆煙に包まれる。

 

「…………」

 

 叢雲は追撃することなく、着弾点をじっと見ていた。

 緩やかな風に流される爆煙。その中から現れる敵の姿を注視していた。

 爆煙が晴れ、敵の姿があらわとなる。そこには右手をかざしたまま微動だにしない離島棲鬼がいた。

 

「どうしたの?今回はやけに静かじゃない」

 

 叢雲は余裕の笑みを浮かべ、挑発じみた言葉を口にする。

 離島棲鬼は無言のまま、かざしていた右手をゆっくりと下(おろ)した。

 

「戦う気がないのなら、今すぐ消えてほしいのだけれど。アンタと違って私は暇じゃないの」

 

 左手でしっしっと払う素振りを見せる叢雲。

 まるで強者の余裕とでも言わんばかりにふんぞり返っているが、彼女の内心は戦々恐々としていた。

 ただの駆逐艦である叢雲と、深海棲艦の中でも上位の性能を誇る鬼型の離島棲鬼。

 性能の差は歴然だ。正面からぶつかろうが、奇襲しようが、奇策を使おうが、叢雲が離島棲鬼と一対一で戦って勝つ見込みはほぼゼロに等しい。

 その事実を認識しているからこそ、叢雲は味方と合流することを最優先に考えた。

 今の砲撃も策の一つ。わざと戦闘音を響かせることでリ級の気を引いているのだ。

 チリヌルヲたちと合流できれば勝率は確実に上がる。例えその上り幅が

微々たるものだとしても、勝ち目がゼロでなければ問題ない。

 彼女達は今、絶対に負けられない戦いに臨んでいるのだから。

 

「……ナノヨ」

「はぁ?何よ。小さくて聞こえない」

 

 遠くで聞こえていた戦闘音は収まっている。恐らく戦闘が終了したのだろう。

 だとすれば、リ級は次なる戦場を求める移動するはず。

 叢雲は己の存在を主張すべく、再度主砲から砲弾を放った。

 砲弾は離島棲鬼の右側の海面に着弾した。

 

「用がないなら先に行かせてもらうわ。二度と私の視界に映らないで頂戴」

 

 叢雲は前進した。口では眼中にないと言ったが勿論それははったりだ。叢雲の警戒心は未だ最高レベルを保っている。

 このまま難なく通過できるわけがない。彼女の直感がそう告げていた。

 離島棲鬼は相変わらずその場に佇んだままだ。だが、顔だけはしっかりと叢雲の方を向いている。

 

「ジャマナノヨ。ワタシノシアワセヲオビヤカスモノハスベテ」

 

 それは叢雲に対して言ったのか、ただの独り言なのかは分からない。

 ただ一つ言えるのは、その声が悪意に満ちているという事だった。

 背筋に悪寒が走るおぞましさを感じた叢雲は反射的に主砲を放った。

 砲弾は離島棲鬼へと向かうが、直撃は離島棲鬼の背後に現れた巨大な深海棲艦の手によって防がれる。

 

「アナタ、シニタインデスッテ?ノゾミドオリニシテアゲル」

 

 来る。そう直感した叢雲は急加速でその場を脱した。

 それとほぼ同時に、離島棲鬼の背後にいる巨大な深海棲艦が主砲を放つ。

 次の瞬間、叢雲がいた場に二十メートルにも及ぶ巨大な水柱が立ち上った。

 駆逐艦とは比べ物にならない高火力。まともに食らえば、たとえ戦艦だろうと大破は免れないだろう。

 回避に成功した叢雲は再び主砲を構え砲弾を放つ。砲弾は見事離島棲鬼に直撃するが、損傷を与えることはできなかった。

 お返しと言わんばかりに、巨大な深海棲艦の主砲が火を噴いた。

 叢雲は少し遅れて回避行動に移る。目を凝らし砲弾の軌道を予測。急加速で旋回しながら何とか回避に成功する。

 巨大な深海棲艦が放った砲弾は海面に着弾し、再び水柱が立ち上る。間近にいた叢雲は大量の海水を頭からかぶった。

 

「……これは使えそうね」

 

 叢雲が最優先と考えているのは仲間との合流だ。敵の攻撃を避け続け、チリヌルヲたちが現れるのを待つ。今の叢雲にとって、この大波は彼女の思惑を後押しする、まさにビッグウェーブだった。

 なら乗るしかない、このビッグウェーブに。叢雲は最大船速で走り出す。主砲は構えず、離島棲鬼に接近せず、波打つ海面を縦横無尽に駆け回る。

 これだけ大きく上下に揺れているなら敵も狙いを定められない。叢雲の目論見通り、作戦はうまくいった。巨大な深海棲艦の砲撃は最初と比べて精度を欠くようになった。

 砲弾は見当はずれなところへと着弾し水柱が立ち上る。そして再び海面が大きく波打つ。叢雲は大きな波の所へと移動する。

 この繰り返しによって、叢雲は未だ敵の砲撃を一度も受けずにいる。

 

「ッ!?」

 

 だが、敵も馬鹿ではない。離島棲鬼は次の手を打った。

 

(砲弾を四発同時に……いえ、砲弾にしては軌道が少しおかしい)

 

 巨大な深海棲艦から放たれた四つの物体。遠くから見ればそれはただの砲弾に見える。

 だが、叢雲はそれがただの砲弾とは思えなかった。その砲弾の軌道はこれまでの物とは違いどこか歪。ただの砲弾ではないというのは明らかだ。

 

「まさか……」

 

 物体の輪郭は未だおぼろげだが、その中心にはギラリと煌く赤い輝きがあった。

 判断材料としてはそれで十分だった。

 

「艦載機!」

 

 叢雲は副砲を放った。咄嗟の砲撃だったため狙いは定まってはいなかったが、運のいいことのその砲撃で艦載機を一機撃墜することが出来た。

 残る敵艦載機は三機。だが、その三機は既に叢雲の上空に到達していた。

 接近させまいと必死に副砲を放つ叢雲。だが、敵艦載機は砲撃を掻い潜り、着実に叢雲の元へと迫っている。

 

「さっさと堕ちなさい!」

 

 更に一機撃墜。残る敵艦載機は二機となった。

 このまま一気に叩き落してやる。叢雲は迫る敵艦載機に狙いを定めた。

 だが、叢雲はここでミスを犯した。

 叢雲を攻撃する敵は艦載機だけではない。高い火力を持った艦艇が、遠くから叢雲を狙う敵が、この場において最も警戒すべき相手がいる。

 時間にすればほんの数秒だが、確かに忘れてしまっていたのだ。今この瞬間、叢雲の視界からは最も警戒すべき相手の姿が完全に消えてしまっていた。

 ドン。叢雲の耳に砲撃音が届く。そしてようやく気付く。自分の失態に。

 叢雲は音の方へと視線を向ける。彼女の目の前には巨大な砲弾が迫りつつあった。

 

「ッ!」

 

 少しでも距離を取ろうと叢雲は急加速で移動を開始する。

 二十メートルほど移動したところで、砲弾が水面に直撃。直撃を避けることはできたが、叢雲の体は爆発の衝撃で吹き飛ばされた。

 叢雲の体はきりもみ回転しながら、水面を水切りするように跳ねた。

 艤装の出力だけでは勢いを殺しきれず、両手を海面に突っ込み無理やり勢いを殺したところでようやく体勢を立て直す。

 叢雲はすぐさま周囲を見渡した。離島棲鬼の位置を把握し、追撃がないことを確認する。

 次の瞬間、叢雲の周囲で爆発が起こった。

 

「きゃっ!?」

 

 思わず悲鳴を上げる叢雲だったが、すぐに意識を切り替え視線を空へと向ける。

 叢雲の目に飛び込んできたのは無数の黒点だった。空から落ちてくる小さな黒い物体。敵艦載機の放った爆弾だ。

 

「くうっ」

 

 叢雲は咄嗟に両腕で頭を守った。それとほぼ同時に無数の爆発が巻き起こる。

 敵艦載機の追撃を許すまいと、叢雲は我武者羅に副砲を放った。敵艦載機を一機でも墜とせていたら上々。墜せていなくても、回避で距離を取ったはず。

 この隙に体勢を立て直そうとする叢雲だったが、どうやらその余裕はないらしい。彼女の視界には既に黒い影が映っていた。

 

(まずはあれを!)

 

 叢雲は副砲の砲頭を前方へと向ける。確実に堕とすべく十分に引き付けてから砲撃する算段だ。

 視界のブレが収まっていく。黒い影を正確に捉え、タイミングを見計らう。

 黒い影との距離は約五十メートル。いよいよ砲撃の時が来た。叢雲は黒い影へと意識を集中する。

 

(……?)

 

 黒い影との距離は約四十メートル。叢雲は副砲を放たない。爆発の衝撃による視界のブレが収まり、黒い影へと意識を集中させたことで気付いた事があった。

 影の形が綺麗すぎる。軌道も一直線。放物線を描くようにこちらへと向かってきている。

 

(艦載機じゃない……あれは!)

 

 黒い影との距離は約三十メートル。ここにきてようやく叢雲は気づいた。

 向かってきているのは敵艦載機ではない。敵艦載機よりも遥かに強大な破壊力を持った物体が、目の前に迫っている。

 

(砲弾!)

 

 砲弾との距離は約二十メートル。

 この場において砲弾を放つ敵は一艦しかいない。離島棲鬼である。

 叢雲が艦載機の爆撃を受けたと同時に、離島棲鬼の率いる巨大な深海棲艦が主砲を放っていたのだ。

 

(回避をッ!)

 

 砲弾との距離は約十メートル。叢雲は急加速でその場を脱し衝撃に備える。

 

「ぐううぅっ」

 

 叢雲の体は再び水面を跳ねた。

 もはやどちらが空なのかすら分からない。視界をぐちゃぐちゃにしながら、叢雲は必死に体勢を立て直す。

 追撃に備えねば。周囲の状況を把握しようと、叢雲は前かがみの体を伸ばす。敵艦載機は叢雲に迫りつつあった。

 しかし次の瞬間、叢雲の体は大きく傾いた。自分の意志とは関係なしに、足から力が抜けたのだ。

 原因は巨大な深海棲艦から放たれた砲弾である。爆発の衝撃を受けた際に頭を揺さぶられ、軽い脳震盪を起こしたのだ。

 

(やばっ……)

 

 無防備な叢雲に敵艦載機二機が迫る。

 これ以上の被弾はマズい。直撃こそしなかったものの、今の至近距離の爆発で叢雲は中破してしまっている。敵艦載機の攻撃を受ければ大破は免れないだろう。ここは何としても被弾を避けなければならない。

 叢雲は咄嗟に副砲を放つ。だが、体勢を崩したため砲頭は明後日の方向を向いている。副砲の砲弾はあらぬ方へと飛んでいく。

 敵艦載機が叢雲の上空へとやってきた。そして、今まさに爆弾が投下されようとしている。

 だが次の瞬間、敵艦載機が二機同時に爆発した。どこからともなく飛んできた砲撃が、敵艦載機を撃墜したのだ。

 一体何故、と疑問に思う叢雲だったが、その疑問は一瞬にして解消される。

 

「ったく。来るのが遅いのよ」

 

 この場において、自分に味方する艦艇は彼女たち以外にありえない。

 叢雲の目に光が宿った。ついにこの時が来た。耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えて、耐えた甲斐があった。

 周囲を見渡し、見つけた。空の青と海の青。その狭間にぽつんと佇む黒い影。

 人に近しい形をした姿。遠くからでもわかる肥大化した右腕。そのような姿をする者は、艦艇は、深海棲艦はただ一種しかいない。

 

「チ……」

 

 反撃の狼煙が上がる。




次回・・・孤軍奮闘 其の五

もしくは

番外編・・・鹿島の奇妙な研修『レポート・オール・ワン』


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番外編:ドッキドキ!鹿島の司令部査察任務 前編

シリアスは一休み。

今回は普通の艦娘から見た青年の司令部のお話です。


 練習巡洋艦『鹿島』はブイン基地を訪れていた。

 目的はある司令部の査察である。

 経験豊富な提督が査察官となり、設立されて一、二年の司令部を訪れて部隊の運用状況を確かめる。

 過去に話題となったいわゆる『ブラック鎮守府』の抑制を図るために設けられた制度だ。

 そして今回、設立されて丁度二年になろうとしているブイン基地の査察が行われることとなった。

 ブイン基地はブイン基地総司令部を中心とした複数の司令部で形成されている。普通の鎮守府と違い環境が少し特殊だ。

 よって今回の査察は一週間にわたる長期的なものとなった。

 鹿島は査察官兼自身の提督である中年男性と共に司令部を見て回った。

 どの司令部も比較的高い水準の運用されていた。どういうわけかどの司令部もボーキサイトの備蓄が異様に少なかったが、特段運用に支障は出ていないようだった。

 念のため、鹿島はマニュアルに則りボーキサイトの消費が多くなる部隊運用の実例と、ボーキサイトの消費を抑える部隊運用法を解説した。

 解説を聞いた提督たちが皆揃って苦笑いを浮かべたため自分の教え方に少し不安を感じる鹿島だったが、悩むのは査察が終わってからだと気持ちを切り替える。

 今日は査察最終日。残す司令部はあと一つ。気合いを入れなおした鹿島は宿泊中のブイン基地総司令部を出た。

 今回訪れる司令部はブイン基地どころか他の鎮守府や司令部でも話題となっている所だ。

 

「本当にいるんでしょうか。深海棲艦……」

 

 この世にただ一つしかない深海棲艦の艦隊を持つ司令部。本来敵であるはずの深海棲艦が艦娘に紛れて生活しているなど想像できない話だ。

 鹿島は不安げな表情で隣の提督を見た。

 

「そんな心配するな。いざとなったら俺が守ってやるから」

「そ、そんな!て、提督さんったらこんなところで……」

 

 自身の提督から返ってきた頼もしい返事に鹿島は顔を赤らめる。

 本来なら艦娘が提督を守る側なのだが、なんだかんだで鹿島も異性との甘いふれあいを夢見る一人の女の子。男らしい気遣いは彼女の乙女心をくすぐるのである。

 今回の査察をきっかけに二人の距離は急接近。そんな妄想を膨らませながら鹿島は歩を進めた。

 提督は鹿島の隣で笑みを浮かべていた。

 

「楽しみだヲ」

 

 提督のつぶやきは、鹿島の耳に届かなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その司令部を見た瞬間、鹿島は疑問を抱いた。

 この司令部は、本当に建設されてから二年しかたっていないのだろうか?

 鹿島の疑問ももっともだった。他の司令部と比べると、その差は一目瞭然だ。

 屋根は一部崩壊し、壁は何度も補修されたのか色がちぐはぐ。正面玄関である両開きの扉は、片方が外れて近くに立てかけてある。

 建物自体から漂ってくる異様な気配、雰囲気は廃墟の『それ』と同じ物。

 なるほど。さすがは世界唯一の深海棲艦を率いる司令部。奇天烈なのは艦隊だけではないようだ。

 

「て、提督さん……」

 

 この頼もしいお方なら、きっと自分を導いてくれるはず。

 桃色ドリーム絶賛展開中の鹿島は縋るような目で自身の提督を見る。

 

「ヲ~。こんな司令部初めて見たヲ」

 

 あっけらかんと言った様子の提督を見て鹿島は安堵する。

 だが、ちょっと待て。何やら言葉遣いがおかしい気がする。言葉の端々から何やら狂気が漏れ出るような気がする。

 確認するかどうか迷う鹿島。考え抜いた結果、さりげなく確認するという結果に落ち着いた。

 

「その、提督さん。査察がんばりましょうね!」

 

 怪しまれないよう細心の注意を払いながら、鹿島はさりげなく提督に声をかけた。

 

「ヲう。がんばろヲな」

 

 提督が言葉を返す。やはりどこかおかしい。いや、また聞き違えたかもしれない。鹿島は再度言葉をかけた。

 

「……。えっと、あの司令部の提督さんってどんな方でしょうね」

「ヲ?以外と普通のヲ級じゃないかな」

「えっ」

 

 いよいよ自分をごまかすのも難しくなってきた。

 でも、もしかしたら。淡い期待を抱きながら鹿島は次の一手を考える。

 だが、その前に提督は詰みの一手を打ってきた。

 

「ヲぅ。ちゃんと言葉が通じるかなぁ。ヲっ、ヲっ、ヲっ」

 

 夢から覚めた鹿島は一歩後ずさる。

 彼女の疑問は既に確信へと変わっていた。提督の様子がいつもと違う。口調が、雰囲気が、目が違う。

 現実が見えていない。心ここにあらずと言った様子だ。彼は司令部の外観など見てはいない。ここにはない何かを見ている。

 危機感を覚えた鹿島は提督に詰め寄った。

 

「しっかりしてください!どうしたんですか提督さん!具合が悪いんですか!?今日の査察は取りやめますか!?」

 

 提督の両肩を掴み必死に揺さぶる鹿島。

 

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 

 提督の息遣いが荒くなっていく。誰か、誰か助けを。いよいよもっておかしくなった提督を何とか介抱しようと鹿島は周囲をせわしなく見渡す。

 だが、そうこうしているうちに提督は彼女の腕の中から勢いよく飛び出してしまった。

 

「ヲっきゅん……ヲっきゅんヲっきゅんヲっきゅんヲっきゅんヲっきゅんぅわあああああああああああああああああああああああああ!!!」

 

 謎の奇声を発しながら提督は眼前にある司令部の中へと駆け込んでいった。

 まったく状況を飲み込めない鹿島はぽかんとした表情を浮かべることしかできなかった。当然だ。このような狂人的行動を目の当たりにして平然としていられる方が珍しい。

 鹿島の提督は何故いきなりおかしくなったのか。その理由はこのブイン基地にのみ存在する風土病が原因だった。

 このブイン基地には提督たちを魅了する魔性の深海棲艦が存在する。

 その圧倒的人気から裏では『敵艦隊のアイドル』とまで呼ばれた深海棲艦。

 その深海棲艦が振りまくウイルスが、このブイン基地には充満しているのだ。

 この小説を読んできた読者の方々はとっくにお分かりだろう。

 そう。ブイン基地に長期滞在した結果、鹿島の提督はこの基地の風土病である『ヲ級症候群』を発症してしまったのである。

 

「えっ。えっ?て、提督さん?提督さーん!?」

 

 再起動した鹿島は慌てて提督の後を追いかけた。件の司令部の敷地に足を踏み入れきょろきょろと辺りを見渡す。

 庭は荒れ果て、地面のあちこちに大穴が開き、雑草は伸び放題で手入れさている形跡がほとんどない。そんな殺伐とした光景が、この司令部が放つ異様さを際立たせている。

 改めて鹿島は思った。

 

(この司令部には何かがある。得体のしれない何かがあるのを感じる!)

 

 提督が奇行に走ったのも、この司令部の影響に違いない。確信めいた予想を抱く鹿島は警戒心を最大に保ちつつ自身の提督を探した。

 庭に提督の姿はない。となると、彼は既に司令部の中へと入ってしまったのだろうか。

 鹿島が不安に思っていると、遠くから足音が聞こえてきた。もしかして提督さん?鹿島は足音の方へと顔を向ける。

 

「す、すみません。ちょっと準備に時間がかかってしまいまして……」

 

 その顔には見覚えがあった。丁度今朝、査察先の資料を読んだ際に見た覚えがある。

 彼女の提督よりも二回り若い男性、今日査察する司令部の提督を務める青年だった。

 

「あっ、いえ。こちらも無断で敷地に入ってしまって申し訳ありません。今回査察を行う練習巡洋艦『鹿島』です。よろしくお願いします」

「よろしくお願いします。俺は、いえ、自分は……」

 

 お互いに挨拶を済ませ、二人は司令部の中を進んだ。

 会話の途中で鹿島は自身の提督の事を聞いてみた。青年は提督の姿を目撃していないと答えた。

 提督がいなければいつまで経っても査察を始められない。鹿島は事情を話し、青年と二人で提督を探すことにした。

 正面入り口からまっすぐ進み、突き当りを左へ。その先に存在する工廠ドックと改装ドックを続けて見て回る。そこに鹿島の提督はいない。

 ドックを見た鹿島は「意外と普通だ」と感想を抱く。司令部内を深海棲艦がうろうろしている情景を想像していただけに、その物静かな光景には少し拍子抜ける鹿島であった。

 

 だが、ここからが本当の地獄だ。

 

 そのまま改装ドックの裏口から外へ出る。次に向かったのは司令部の裏手に存在する出撃などに使われる港だった。鹿島の提督がいないか探してみるがここにもいない。

 

「うーん。外にはいないのかなぁ」

 

 次はどこへ行こうか。青年が頭を悩ませていると、彼の上着の袖が不意に引っ張られた。

 袖を引っ張ったのは鹿島だった。その表情は恐怖に染まっている。

 

「あっ、あ……あれ、なんですか?」

「ん?ああ。あれは遠征部隊ですよ」

 

 鹿島は港の一角に見える光景に絶句した。

 

「イーッ!」

「イーッ!」

「イーッ!」

「イーッ!」

 

 鹿島が見たのは、生け簀の中でひしめき合う駆逐艦イ級だった。

 確かに遠征へと向かう割合が多いのは駆逐艦だ。だからイ級が遠征部隊というのもあながち間違いではないのだろう。

 だが、その光景は鹿島の想像する遠征部隊とは大きくかけ離れていた。鹿島がいつも目にする遠征部隊は、目に入れても痛くない幼さの残る少女たちが元気な声で「いってきます!」と「ただいま!」を言う微笑ましい光景だった。

 対して、イ級遠征部隊からは狂気以外に感じるものがない。目に毒となる謎の物体Xが元気な声で「イーッ!」と奇声を発するおぞましい光景だ。

 

「いやあ、困ったものですよ。アイツら遠征行くと必ず数を増やして帰ってくるんです」

「か、数が増えるんですか……。でも、もう一杯ですよね?これ以上は入れませんよ……」

「ははは。まあ最近はある程度増えたら解体してるんですけどね。ちょっとだけ資材が取れるんですよ」

「…………」

 

 青年のいう事も理解できなくはない。このまま雪だるま方式に数が増えていったら部隊を維持するための資材がとんでもない事になってしまう。そうなる前にある程度間引いて数を一定に保つ。

 理解できなくはないのだが、やっていることは一昔前にブラック鎮守府で行われていた悪行と同じなのだから困る。

 戦力として役に立たない駆逐艦を休みなく延々と遠征に向かわせ、動けなくなったら解体して資材に還元。そんな事が一昔前までは当たり前のように行われていた。

 そういった艦娘の酷使をなくすべく、今回のような査察が行われているのだ。

 さて、そこで鹿島は考える。青年が行っているイ級解体は、果たして指導の対象になるのか。

 マニュアルの基準に照らし合わせれば指導の対象になる。だが、そのマニュアルは艦娘を保護するために定められたものだ。

 今回訪れているのは深海棲艦の部隊を運用している世にも奇妙な司令部。

 深海棲艦は倒すべき敵である。その敵を大事に扱うよう指導するのはどうなのか。むしろもっとやれ、というべきところではないのか。

 いやしかし、たとえ深海棲艦であっても青年からすれば大事な部隊の一員であることに変わりはないはず。ならば、もっと仲間を大事にするよう指導するべきでは。

 短い時間の中で数十回にも及ぶ脳内議論を重ねる鹿島。そんな彼女が行きついた答えが、これだ。

 

(提督さんに相談しよう)

 

 問題を上司に全て丸投げした鹿島は青年の後に続いた。

 二人は港から司令部の裏手へと回り、そのまま裏庭へとやってきた。

 裏庭はバスケットコート程の広さがあり、地面には芝生が生い茂っている。正面入り口の殺伐とした光景とは打って変わって穏やかな光景だ。

 

「……あれ?」

 

 鹿島の目に映ったのは作業着を着た男性作業員だった。

 一部の司令部では妖精さんの作業を手伝う作業員を雇っていると聞いたことがある。きっとここもそうなのだろう。そのことについては特に疑問は抱かない。

 鹿島が疑問に思ったのは、何故作業員たちが裏庭に作業スペースを作っているのかという事だ。

 

「見てごらん妖精さん。蝶だよ」

「ワー」

 

 しかも、その作業スペースには妖精さんまでいる。通常、妖精さんや作業員たちは工廠ドックや改装ドックで作業をしているはずである。

 一体何故、と思ったところで、鹿島は「ああ」と一人納得する。ここは深海棲艦が跋扈する司令部である。いくら従順と言っても、必ずしも安全というないわけではない。

 おそらく、深海棲艦と接触しないよう作業場を外に移したのだろう。鹿島は心の中で作業員たちをねぎらった。

 

「おっ。そろそろかな」

「そろそろって、何がですか?」

 

 青年のつぶやきに反応した鹿島。青年は鹿島の問いに答えた。

 

「あそこ。珍しいものが見れますよ」

 

 青年が指さしたのは、先ほどまで鹿島が見ていた作業場だった。歩きながら作業場を注視していると、港の方から数人の作業員たちがやってきた。彼らは数人がかりで黒光りした大きな物体を抱えている。

 

「おめえら!生きのいいイ級が入ったぞぉー!」

「うおおおおおお!」

「ワレコラー!ヤンノカオラー!」

「解体じゃー!解体じゃー!」

「ウェーイ!」

 

 穏やかな空気から一転、作業場は怒号と歓声に包まれた。

 つい数秒前まで笑顔を浮かべていた者達も、まるで人が変わったかのように狂喜乱舞している。

 

「こ、これは……」

「今から弱ったイ級を解体するんです」

 

 あっけらかんと答える青年に思わずたじろぐ鹿島。

 深海棲艦の解体。確かに気にはなるが、鹿島は知ってしまった。あのイ級が今まで青年の司令部のために働いていたという事情を知ってしまったのだ。司令部のために頑張って働いて、その結果がこれなのか。

 何故だろう。関係ないはずなのに、あの光景を見ているとなんとなく罪悪感を感じてしまう。鹿島は複雑な気持ちを抱いだ。

 

「見ていきます?」

「……いいえ」

 

 見なかったことにしよう。聞こえてくる喧騒を右から左に受け流しながら、鹿島は司令部の中へと入っていった。




次回・・・ドッキドキ!鹿島の司令部査察任務 後編


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番外編:ドッキドキ!鹿島の司令部査察任務 中編

チ級とヌ級の活躍(?)を書き足したら中編が出来てしまった・・・。


「うーん……もしかしてあそこかなぁ?」

 

 青年の呟きを聞いた鹿島は問いかけた。

 

「あそこというのは?」

「ああ。深海棲艦たちが占拠、もとい住処にしている場所があって、そっちに行ったんじゃないかと」

 

 青年の推測はこうだ。

 ここは世界で唯一深海棲艦が着任している司令部。艦娘を率いる提督としては、その珍しい光景を一目見たいと思ってもなんら不思議ではない。

 鹿島に危険が及ばないようにとあえて避けていたが、探し人が最初から避けていた場所にいたとするなら、どれだけ必死こいて探しても見つかるはずがない。

 

「……ああ」

 

 あり得る。鹿島はこの司令部を訪れる直前の、様子のおかしかった提督を思い出す。

 彼の言葉の端々には気になる部分があった。そして最後の叫び声。その叫び声と似たような名前の深海棲艦がこの司令部には存在している。

 

「一応見ていきましょうか?」

「……そうですね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここが……」

「はい。アイツらの住処です」

 

 青年と鹿島は旧解体ドックの前に立っていた。

 鹿島は改めて周囲を見渡す。外の景色が見えるガラス窓。綺麗なものは一つもない。どれもガムテープで補修されているか、ガラスがそっくりそのままベニヤ板にすり替わっている。

 コンクリート製の廊下。長らく清掃されていないのか、土や油の汚れがあちこちにべっとりとこびりついている。

 入り口である両開きの扉。鉄製にもかかわらずあちこちに凸凹が見られる。

 この風景を写真に収め第三者に見せたならば確実に「廃墟?」と返事が返ってくるであろう。

 

「では、開けますね」

 

 ぎい、と軋む音を立てながら鉄製の扉が開く。

 噂の奇天烈艦隊。その全貌は一体どのようなものなのか。生唾を飲む鹿島だったが、その表情にはいくばくかの余裕があった。

 これまでに衝撃的な光景を見てきたおかげか、鹿島は今の状況に耐性をつけ始めていたのだ。

 

(もう驚いたりしませんよ。どんとこいです!)

 

 気を引き締めた鹿島は青年の後に続いた。

 案の定廃墟と化していたドックを進むと、眼前に人影が見えた。

 青みがかった銀髪と動物の耳を連想させる頭部の浮遊ユニット。青年の秘書艦『叢雲』である。

 この司令部で唯一の艦娘であり、どういうわけか深海棲艦を手なずける事に成功した艦娘であると資料に書かれていた。

 暗記した資料の内容を思い返しながら、鹿島は叢雲を見る。他の司令部でも何度か目にしたことはあるが、見かけは普通の叢雲と変わりはない。

 

「ちょっと、なんでこっち来てんのよ。集合場所は会議室のはずでしょ」

「ああ。この方の提督さんが先にうちに来たっていうからさ。一緒に探していたんだ」

(あれ?思っていたよりも普通……)

 

 この司令部で生活しているのだから、おかしくないわけがない。

 これまで見てきた光景から勝手にそう決めつけていた鹿島だったが、叢雲の常識的な対応を見て考えを改める。

 よくよく考えてみれば、彼女は自分と同じ艦娘。それ相応の良識を持ち合わせていても不思議ではない。

 ほっ、と胸をなでおろす鹿島。

 

「もしかしてコレ?」

「フゴーッ!フゴーッ!」

 

 ロープで簀巻きにされ、タオルで目と口をふさがれてはいるが、その人は間違いなく探し人。鹿島は思わず叫び声を上げた。

 

「お、お前、査察の人になんてことしてんだ……」

「ふ、不可抗力だわ!向こうから襲い掛かってきたんだから対処したまでよ!」

 

 びっちびっち、とまな板の上の鯛のごとく床を跳ねまわる中年提督。

 一体何がどうなればこういう結果に至るのか。疑問は残るがこのままというわけにもいかない。

 青年は叢雲に中年提督の拘束を解くよう命令する。叢雲は渋ったが、青年から再度命令され仕方なく拘束を解くことにした。

 叢雲は跳ねる中年提督へと近づき、初めに目隠しを取った。

 

「ヴォオオオー!」

「うぉおっ!?」

 

 目隠しがとれた瞬間、中年提督は謎の雄たけびを上げた。

 中年提督は縛られた体を蛇のようにくねらせ高速で床を這いずる。青年と鹿島は驚きながらも中年提督の行方を目で追った。

 中年提督の行く先には三艦の深海棲艦が並んでいたいた。叢雲が査察官を出迎える候補として選出し、会議室まで連れていく予定だったチ級、ヌ級、ヲ級である。

 チ級、ヌ級は直立しているが、ヲ級だけはその場にぺたん、と座り込んでいる。

 やがて中年提督は深海棲艦の列に接触し、動きを止めた。

 

「スー……フォー……スー……フォー……」

 

 中年提督は深呼吸を始めた。吸い込んだ酸素を全身に行き渡らせるかのように深く深く息を吸い込み、ゆっくりと吐く。

 口を塞がれながら無茶な動きをしたため酸欠状態となったのだろう。酸素は生きる上で必要不可欠だ。呼吸が深くなるのは仕方がない。

 だが、それをわざわざヲ級の股の間でする意味はあるのだろうか。

 

「なにしてんのよ変態!」

「ブフォッ!」

 

 助走と共に放たれた叢雲のサッカーキックが中年提督の左横腹に突き刺さる。

 ごろごろごろ。中年提督は床を数メートル転がり、動きが止まった所ですかさず目隠を取り付けられた。

 

「はあ、はあ……。やっぱり無理よ。拘束は解けないわ」

「……そうだな。これはちょっと」

 

 青年の目から見ても、中年提督が異常であることははっきりと分かった。

 こんな状態で査察なんてできるのだろうか。意見が聞きたい、という思いを込めて青年はちらりと鹿島を見た。

 

「さて、それでは査察を始めましょうか」

 

 鹿島は笑顔で査察の開始を宣言した。

 

「え?そちらの提督さんは……」

 

 青年は少し離れたところでもだえる簀巻きの中年提督を指さす。

 

「なんですか?」

「……なんでもありません」

 

 鹿島の凄みのある笑顔に気圧された青年は口を閉じた。

 

「ちょっと、アンタたちもこっち来なさい」

 

 叢雲は佇んでいたチ級、ヌ級を自身の隣へと呼び寄せる。座り込んでいたヲ級も、二艦につられて動き始めた。

 叢雲の右隣りに三艦が横一列に並んだ。

 

「では、査察を始めます。私は練習巡洋艦『鹿島』です。よろしくお願いします」

 

 仕切りなおされた開始の宣言と共に、鹿島は敬礼をした。青年と叢雲も続けて敬礼をする。

 そんな中、深海棲艦である三艦はボケッと突っ立ったままだった。

 

(前に教えたじゃない!これをやるのよ!)

 

 叢雲は焦った。失礼のないよう事前に必要最低限の動作は教え込んでいたはずなのだが、熱血指導の成果がまったく発揮されていない。

 横目で三艦を見ながら、叢雲は額の前にある右手を小刻みに動かし敬礼を促す。

 

「チ……」

 

 最初に気付いたのは叢雲のすぐ隣にいたチ級だった。

 重量感のある巨大な右腕をゆっくりと持ち上げ自身の頭にゴツン、と乗せた。

 右腕の重さに負けた首が大きく左に曲がる。

 

「ヌゥ」

 

 ゴツン、という音に気付いたヌ級が続けて敬礼を行った。

 素早く腕を動かし、ピンと伸ばした右手を上げる。

 動作については問題ないのだが、残念なことに腕の生えている位置が悪いため敬礼の形になっていない。どこぞのバカな殿様を彷彿とさせるポーズになってしまっている。

 

「ヲっ」

 

 チ級とヌ級の動作を見て、ヲ級もつられるように敬礼をした。

 二艦の動作を真似ているのか、指先をぴんと伸ばした右腕を首の前に掲げ小首をかしげている。かわいい。

 

「え、えーっと、よろしくお願いしますね」

 

 深海棲艦たちの独特な敬礼を見た鹿島は困惑しながらも笑顔で対応する。

 傍から見ればふざけているようにしか見えないが、当の本人たちは至って真面目なのだが始末に負えない。

 叢雲は恥ずかしさと悔しさで顔を真っ赤にさせながらプルプルと震えていた。

 叢雲の反応は当然のものだ。もう一度言うが、彼女は今日という日に備えて熱血指導を続けてきたのだ。

 外部からやってくる査察官に失礼のないようにと、必要最低限の動作は教え込んだ。

 毎日反復練習を繰り返した。夜遅くまで熱血指導を続けた。その努力が実を結び、事前練習ではしっかりと動けるようになったのだ。

 

「素晴らしい、深海棲艦をここまで手なずけるとは!」

「ふふん。まあ、大したことじゃないわ」

 

 こんな未来がありえるかもしれないと、内心かなり期待していた叢雲。

 だが、結果はご覧のありさまだ。何故。どうしてこうなった。叢雲はその場から逃げ出したい衝動に駆られた。

 

「……では、今回の査察の目的と今後の予定を説明させていただきます」

 

 気まずい空気を察した鹿島が強制的に話を進めた。

 鹿島は青年の方を見ながら熱心に説明する。査察の結果によって今後提供される資材の量が増減するかもしれないと聞き、青年は固くこぶしを握り締めた。

 途中、回復した叢雲から質問が出ることもあった。鹿島はよどみなく答え、それに叢雲も納得。そんなやり取りを数回繰り返したところで、ようやく査察の説明が終わった。

 

「では、早速始めましょうか。まずは資材の備蓄と用途についてですね。事前に記録用紙をお渡ししたのですが……」

「それならここに」

 

 叢雲がチ級の背中をポン、と叩く。

 チ級の左腕副砲の裏にちょこんと飛び出た左手。そこには紙束を挟んだバインダーが握られていた。

 なんと、チ級はまとめたデータを鹿島に手渡すという重要な役割を任されたのだ。

 深海棲艦が言う通りに動く様を見せつける事によって、教育がしっかりと行き届いている事を宣伝する。

 そう。これは叢雲の作戦だ。青年の司令部にいる深海棲艦が無害であることを外部へアピールしつつ、自分の有能性をさりげなく示す作戦なのだ。

 青年を相手にした練習ではしっかりとバインダーを受け渡すことができた。成功率も高かった。だから多分、間違いが起こる事はないはずだ。

 叢雲はチ級の行く末を固唾を飲んで見守った。

 チ級は上半身を左右に揺らしながらのそのそと歩を進める。右腕の主砲を引きずる音がドック内に木霊する。誰一人として言葉を発することはない。

 

(うわぁ……)

 

 チ級の醸し出す不気味な雰囲気に気圧される鹿島は思わず後ずさりそうになるが、任務を全うするという義務感が彼女をあと一歩のところで踏みとどまらせた。

 そして、ついにその時が来た。チ級は立ち止まった。目の前には鹿島の姿がある。

 チ級と鹿島の距離は約一メートル。練習通り、お互い腕を伸ばせば十分に触れ合う距離だ。

 叢雲は心の中でガッツポーズを決めた。ここまで来ればもう安心。後はその左手を前に突き出すだけだ。

 さあ、早く!叢雲はチ級に対し切実な思いを込めた念を送る。

 

「チ……」

 

 チ級は右腕の主砲を鹿島へと突きつけた。

 

「ひえぇ!?」

 

 鹿島は金剛型戦艦二番艦めいた悲鳴と共に腰を抜かした。

 人間の胴回りに匹敵する程の巨大な砲口を向けられたのだ。その反応も当然といえる。

 叢雲の行動は早かった。叢雲は即座にチ級の左側面へと回り込み、その場で見事な垂直跳びを見せる。そのまま空中で体をひねりながら右手を大きく振りかぶり、叫んだ。

 

「このおバカ!」

 

 振り下ろされた叢雲の容赦ない平手打ちがチ級の頭部に直撃した。バランスを崩したチ級はそのまま右腕の重さに引かれ、重厚な音と共に床へと倒れた。

 同時にバインダーはチ級の手を離れた。投げ出されたバインダーは床を滑り、ヌ級の前で止まった。

 練習ではちゃんとできていたのに!心の中で叫び声をあげながらも、叢雲は急いで軌道修正に乗り出した。

 二度の失敗を経て叢雲は学んだ。恐らく練習の成果が発揮されることは今後一切ない。このまま他の深海棲艦に似たような事をやらせても査察官の評価が下がるだけだろう。

 叢雲は今後の鹿島への対応は自分と青年だけで行おうと決めた。

 結論を出すのに要した時間は僅かコンマ二秒。考えがまとまったところで、叢雲は鹿島の元へと近寄った。

 

「申し訳ありません!お怪我はありませんか!?」

「は、はい。大丈夫です。ちょっとびっくりしただけですから」

「事前によく言い聞かせていたのですが……本当に申し訳ありません」

「あっ、いや!こちらこそ大げさに驚いてしまってすみません!」

 

 叢雲はともかく鹿島に『落ち度』は全くないため陽炎型駆逐艦二番艦のように堂々としていればいいのだが、元々控えめな性格の鹿島は反射的に謝罪を返す。

 叢雲と鹿島はお互いにペコペコと頭を下げあった。

 

「よいしょっと」

 

 謝罪合戦を繰り広げる二艦を尻目に、青年は床のバインダーを手に取った。

 青年は小さなため息をついた。睡眠時間を削って練習に付き合わされた身としては、作戦が残念な結果で終わってしまったことに涙を禁じ得ない。

 本音を言うならもう一度チ級にチャンスを与えてやりたい青年だったが、こちらの都合を相手(鹿島)に押し付けるわけにもいかない。

 仕方なく、そのままバインダーを鹿島の元へ届けようとする青年だったが、その時、彼の脳裏に天才的ひらめきが生まれた。

 

 このバインダーは深海棲艦に届けさせた方がいいのでは?

 

 青年の妄想は加速する。

 最初の敬礼とチ級の書類提出が連続で失敗に終わってしまい叢雲もがっかりしているだろう。

 平然としているが、心の中は悔しさでいっぱいのはずだ。

 ここらで一つ成功例を作ってやれば叢雲も最初の勢いを取り戻し、なおかつ査察官の深海棲艦に対する印象も少しは良くなるだろう。

 

「……よし」

 

 叢雲の路線変更を知らない青年は早速行動に出た。それが叢雲にとって無慈悲な追い打ちになるとも知らずに。

 青年は近くにいたヌ級の元へと近づきバインダーを手渡した。

 

「これを叢雲のとこに持ってってくれ」

「ヌゥ……」

 

 言葉は通じていないが、青年の身ぶり手振りでなんとなく理解したのだろう。ヌ級は両手でバインダーを掴みながら軽快に走り出した。

 ぺたぺたと裸足で駆ける音に気付いた叢雲は慌てて振り向いた。叢雲の視界に小走りで近づいてくるヌ級の姿が映った。

 

「まッ……」

 

 嫌な予感がする。叢雲は咄嗟に声を上げようよしたが、一歩遅かった。

 叢雲の打撃を受けたチ級が再起動した。チ級は立ち上がろうと両腕を広げる。しかし、現在チ級のそばにはヌ級がいるわけで。

 結果的に、チ級の腕がヌ級の進路を妨害する形となってしまった。

 走っている最中、足元にいきなり障害物が現れたらどうなってしまうか。結果は想像に難くない。

 

「あっ」

 

 鹿島の短い声を合図にヌ級の体が宙を舞った。

 一秒にも満たない短い滞空時間を経て、ヌ級は再び地上へと戻ってくる。

 重厚な金属音が鳴り響いた。同時に、落下のショックでバインダーから無数の紙が飛び出した。

 ヌ級の体は転倒の勢いに流されそのまま三回と半分の前転をきめた。

 もう一度言う。三回と、半分の前転だ。

 思い出してほしい。ヌ級は二頭身だ。一頭身目が楕円形の金属でできた胴体で、二頭身目が謎の軟素材でできた青白い手足。

 金属の塊である一頭身目と、軟素材の四肢が垂れ下がる二等身目。地面に引っ張られる力は強いのは当然一頭身目である。

 つまり何が言いたいのかというと。

 ヌ級の体は四肢を天井に向けた形で静止してしまったのだ。

 

「…………」

「…………」

「…………」

 

 場に沈黙が訪れた。

 叢雲は恥ずかしさ、鹿島は気まずさ、青年は切なさで声を発することができない。

 この間にチ級は無事立ち上がることに成功。チ級はひっくり返ったままピクリとも動かないヌ級の元へと歩き出す。

 

「あはっ、あはははは!この子ったらまったくもう!あはははは!!」

 

 現実へと戻って来た叢雲は大急ぎで床に散らばった書類を集め始めた。

 その様子を見てはっとした鹿島と青年は慌てて叢雲の手伝いに向かった。

 

「ハハハ……い、いつもこんな感じなんですよぉ~」

「そ、そーなんですかぁ。大変ですねぇ~」

 

 書類を集めながら青年は取り繕うように言い、場の空気を察した鹿島はそれに便乗する。

 一人と一艦はお互いに乾いた笑みを浮かべながら同時に叢雲へと目を向けた。

 叢雲は顔を真っ赤にしながらうっすらと涙を浮かべている。

 そっとしておこう。青年と鹿島は書類厚めに専念した。

 書類はすぐに集まり鹿島の手元に収まった。ヌ級もチ級の手によって起こされ、青年たちの隣に立っている。

 さて、紆余曲折あったがようやくバインダーが鹿島の手に渡った。

 いよいよ、青年たちの命運を賭けた査察が始まる。

 

「リ!」

 

 始まるはずだった。




次回・・・ドッキドキ!鹿島の司令部査察任務


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番外編:ドッキドキ!鹿島の司令部査察任務 後編

あけましておめでとうございます。

なんとかドンパチ以外の展開に持っていけないかと試行錯誤したけれど、結局いつも通りドンパチする結果となってしまいました。

非力な私を許してくれ・・・。


 鹿島の前に新たな深海棲艦が現れた。

 

「リ!」

 

 その深海棲艦は人間が『リ級』と名付けた艦艇だった。

 鹿島は特に驚く事はなかった。リ級が青年の司令部にいることは資料で事前に把握していたからだ。

 驚いたのはむしろ青年と叢雲の方だった。

 

(どういう事よ!話が違うじゃない!)

(俺に聞くな!)

 

 リ級は好戦的だ。初対面の相手を前にしたら十中八九問題(ドンパチ)を引き起こす。

 故に青年と叢雲はこの日に備えて準備をしてきた。

 ギリギリの資材を更に切り詰め、ちまちまと鋼材を備蓄した。最終的に貯まった鋼材は数値にして千前後。

 査察が始まる三十分前、青年たちはリ級を鋼材の詰め込まれた資材倉庫へと連れ込んだ。

 リ級は喜んで鋼材に飛びついた。チリヌルヲの中でもとびきり食い意地を張るリ級だ。お残しなどあり得ない。

 これだけあれば査察の間は、リ級の動きを封じる事が出来るだろう。青年たちはそう考えていた。

 だが、結果はご覧のありさまだ。

 

(ちゃんと鍵かけたんでしょうね!?)

 

 叢雲は眉を吊り上げ怒りを露わにした。

 鍵とは、もしもの場合を考えて講じた策の一つだ。

 密室状態の倉庫を出ようとした場合、リ級はまず間違いなくぶっ放す。その破壊音が合図となり、すぐさま査察官の避難を行えるのだ。

 だが、破壊音は全くなかった。

 資材倉庫は今いる旧解体ドックのすぐ隣。破壊音にはすぐ気づける。

 破壊音がしなかったということは、リ級は普通に扉を開けて出てきたという事になる。

 叢雲が青年を睨むのは、倉庫を最後に出たのは青年だと記憶してるからである。

 つまり、順当に考えれば青年が倉庫の鍵をかけ忘れたという事になる。

 これは鍵の確認を怠った叢雲のミスでもあるが、青年は毎晩遅くまで策を一緒に考えた相手。そんな凡ミスをやらかすなどあり得ないと信頼しきっていたのだ。

 

(はあ?鍵ならだいぶ前にぶっ壊れちまっただろ)

 

 予想外の言葉に目を丸くした叢雲は青年に詳細を聞いた。

 

(ル級とリ級が喧嘩した時に流れ弾が直撃したって報告したじゃん。作戦練る時だって何度も確認しただろ。本当にここでいいのかって)

 

 叢雲に電流走る……!

 記憶の糸をたどればその報告が出てきた。十数か所同時に報告された司令部の破損報告の中に確かに紛れていた。

 だが、司令部の破損は日常茶飯事であったため、叢雲自身はその事を気にも留めていなかった。

 青年は頻(しき)りに他の場所はないか、と言っていた。その時は小心者のビビりだから必要以上に心配しているんだろうと適当に流していたが、この事を言っていたのか。

 叢雲の中で全てが繋がった。

 

(おい叢雲?叢く……あっ)

 

 青年はは今回のプランに疑問を抱いていた。

 だが、叢雲があまりにも自信満々に言い切るから、彼女には何かしら秘策があるのだろうと勝手に思い込んでいたのだが、どうやら秘策はないらしい。

 青年は叢雲の呆然とした表情を見て策の失敗を悟った。

 

「リ!」

 

 リ級の視界にはいくつかの物体が見えていた。

 リ級は青年を見つけた。

 青年はいつも遊んでくれる相手。自分にとって重要な存在である。

 リ級は叢雲を見つけた。

 口うるさいが、なんだかんだで対等に渡り合えるヤツである。

 リ級はチ級、ヌ級、ヲ級を見つけた。

 なんかいつも一緒にいる。なんとなく助けないといけないヤツらである。

 リ級は見知らぬ顔を見つけた。

 ……あれは、なんだ?

 

「リ級……ですか。問題行動が多いと資料には書かれていましたが……」

 

 見知らぬ顔とはもちろん鹿島の事である。

 さて、ここでリ級は考える。あの得体のしれない物体に対して、自分はどう行動すべきか。

 無視するか、様子見か。それとも叢雲から教わった謎の動作(けいれい)をするべきか。

 珍しく考えを巡らせたリ級は、零コンマ五秒という長考を経て結論へと至る。

 

 とりあえず、ぶちのめすか。

 

 リ級は右腕を鹿島へと向けた。

 

「へ?」

 

 ひゅん。鹿島は風切り音を聞いた。ワンテンポ遅れて、鹿島の背後で爆発音が鳴り響いた。

 

「……え?」

 

 鹿島は背後へと振り向いた。背後には出入り口の扉だったものが散らばっていた。

 

「……あれ?」

 

 鹿島は再びリ級を見た。

 リ級は右腕を上げている。そして、右腕と一体化している彼女の主砲からは砲煙が上がっていた。

 

「リ!」

 

 相手の生存を確認したリ級は再び鹿島に狙いを定めた。

 理解が追い付いていない鹿島は未だ動けずにいた。

 事態を察知した叢雲はリ級を取り押さえようと一歩前に踏み出した。

 そんな二艦を差し置いて、この場で誰よりも早く動いたのが青年だった。

 

「オラァ!」

 

 青年は上着のポケットに仕込んでいた鋼材の欠片を素早く取り出し、リ級へ向かって全力で投げた。

 ギャルギャルギャル。独特の風切り音を放つ鋼材はリ級へ真っすぐ向かっていく。

 

「リ!」

 

 リ級の目は飛んでくる鋼材をはっきりと捉えていた。

 もう何百回も行われたやり取りだ。これを無視するなどあり得ない。

 砲撃体勢からすぐさま捕食体勢へと移ったリ級はタイミングを見計らい、口で鋼材を受け止めた。

 ガリガリガリ。見事捕食に成功したリ級は、口に含んだ鋼材を嚙み砕く。

 

「オラッ!オラッ!オラァ!!」

 

 青年は立て続けに鋼材を放つ。

 一見デタラメに見えるその軌道は、これまでの生死を賭けた経験によって培われた的確な投擲だ。リ級の気をそらしつつ、彼女を徐々に後方へと追いやる。

 リ級はドック内を駆け回り、最後の一投で、山積みとなったコンテナの裏へと消えていった。

 

「さあ!今のうちに避難を!」

「は、はい」

 

 青年はへたり込んだ鹿島へ手を差し伸べ、鹿島はその手を取った。

 青年に引っ張らて立ち上がる鹿島。だが腰が抜けてしまったのか、立ち上がってすぐ体勢を崩してしまった。

 

「きゃっ」

「うおぅ!」

 

 青年は慌てて鹿島を抱きかかえた。

 

「だ、大丈夫ですか?」

「あ、ありがとうございます……」

 

 温もりのある力強い肢体。

 異性の体を意識した鹿島は恥じらいながら青年へと目を向ける。

 

「ぅお」

「あっ……」

 

 彼と彼女の目が、至近距離で合った。胸元に抱き寄せたのだから、これも当然の結果だ。

 鹿島を気遣う青年。平静を保っているように見えるが、彼は鹿島から漂う女性特有の甘い香りに心臓を高鳴らせていた。

 青年の腕に縋りつく鹿島。一見、申し訳なさそうにしているが、彼女は危険な香りが漂う今のシチュエーションに少しだけときめいていた。

 一人と一艦の間に、恋の始まりを予感させる甘い空気が漂い始める。

 

「アンタたち何やってんの!ここは危険なのよ、さっさと逃げなさいよ!」

 

 そんな二人の間に割って入る叢雲。

 今は有事だ。こんな所でモタモタしている暇はない。

 無駄に声を荒げてしまったが、これは彼らに危険を知らせるためであって、それ以外の意図は決してない。

 二人の甘い空気にむかっ腹が立ったから、ちょっと強めの力で無理矢理引きはがしたとか、そんな事は決してない。断じてない。

 

「そ、そそっ、そうだな!よし、逃げるか!」

「そっ、そうですね!ここは危険ですし!」

 

 顔を真っ赤にさせながら早口で話す青年と鹿島。

 不愉快オーラ全開の叢雲を尻目に、青年は鹿島の手を引いて出入り口へ歩き出した。

 

「ッ!?」

「え?」

 

 だが、その歩みはすぐに止まった。出入り口に、行く手を阻むものがいたからだ。

 

「ルー」

 

 戦艦は、見た。

 

「なん……だと……?」

 

 青年は戦慄した。

 ル級もまた、リ級と同じで問題を引き起こすであろう事が予想されていた。

 そのためル級は早朝に遠征へと向かわせたのだ。出来るだけ沢山資材を集めてこいと命令し、長時間司令部に戻ってこないように調整していた。

 では何故ル級はこうして戻ってきたのか。理由はただ一つ。愛だ。

 「今すぐ彼の元に戻れ」と、彼女の愛(ゴースト)がそう囁いたのだ。

 

「……ヤバい」

 

 最悪な状況で鉢合わせしてしまった、と青年は青筋を浮かべる。

 青年が見ず知らずの艦娘と手をつないでいる。そんな状況をル級が目の当たりにしたらどんな行動に出るか。

 長い間ル級と生活してきた青年は、ル級の思考を簡単に予想することが出来た。そして、その予想は寸分の狂いもなく的中していた。

 

「ルー」

 

 ル級は手をつなぐ一人と一艦を見て考える。その状況に至るためにはどういったプロセスを踏む必要があるか。

 珍しく研ぎ澄まされた彼女の思考が、今に至るまでの様子を鮮明に描いた。

 

「アンタイイオトコネ。ワタシトイイコトシナイ?」

「イヤーヤメテータスケテー」

 

 守護らねば。

 ル級は光の速さで判断し、刹那の内に動き出し、瞬きする間に武装を展開した。

 完全なる不意打ち。人間の反射速度の限界に匹敵する予備動作。普通ならば抵抗どころか反応すらできずにロースト直行だろう。

 だが、ここにたった一人だけ、その動きに対応できるものがいた。

 叢雲だ。ル級と同じ思いを抱いていた叢雲だけが、ル級の動きに対応できた。

 光の速さで判断し、刹那の内に一歩を踏み出し、力強い足音が空気を伝わり、青年の耳に届く。

 声掛けも、合図も、目配せも必要ない。その足音一つで、青年と叢雲の思考は同期した。

 

「ふっ!」

「ぶふぉっ!?」

 

 叢雲はスライディングキックで床に横たわる中年提督を蹴り飛ばした。

 

「伏せろ!」

「へ?きゃっ」

 

 青年は咄嗟に鹿島の頭を押さえつけ、二人揃って地面に倒れ伏した。

 次の瞬間、リ級のとは比べ物にならない巨大な轟音が鳴り響いた。

 

「クッ、行きますよ!」

「えっ!?でも提督さんが!」

「大丈夫です。俺の予想が正しければ、ル級の狙いはあなたですから」

「わ、私ですか!?」

 

 今はまだ『切り札』を使えない。そう判断した青年は鹿島の手を引き走り出す。

 

「ルー」

 

 出入り口まで残り約十メートル。青年たちの目の前には次弾発射の準備を整えたル級が立っている。この間合いではル級が次弾を放つ方が早い。

 このままでは、鹿島もろとも爆殺されボロ雑巾と化した青年が、ル級に後生大事に抱きかかえる結末となるだろう。

 

「叢雲!」

「ええ!」

 

 青年は未来を覆すべく合図を送る。

 合図を機に、青年の背後から叢雲が勢いよく飛び出した。

 彼らの思考は既に同期済み。お互いがどう動くべきかは承知していた。

 叢雲がル級の足元へと飛び込み、ル級の体勢を崩す。それと同時に砲弾が放たれた。砲弾は明後日の方へ向かう。数秒後、ドックの天井に大穴が開いた。

 

「さあ、今のうちに!」

「ありがとうございます!」

 

 青年と鹿島は無事旧解体ドックを出た。

 後はこのまま外に出るだけ、となればよかったのだが、どうもそう簡単にはいかないらしい。

 鹿島たちの進路の先で爆発が巻き起こった。

 

「くそっ!」

「追いかけてきましたよ!?」

 

 背後を見ると、主砲を構えながら全力疾走するル級の姿があった。

 ル級は問答無用で主砲を乱発してくる。

 

「今使うべきか?いや、もっと怒りを鎮めないと……」

 

 切り札は自分だけだ。タイミングを見誤るわけにはいかない。青年は気を窺う。

 その傍らで、鹿島は総司令部にいるであろうお偉いさん方に軍法会議モノの罵倒を飛ばしていた。

 艦装があれば直ぐにでも反撃するのだが、生憎今の鹿島は艦装を所持していない。

 下手に深海棲艦たちを刺激しないようにと、事前に外すよう指示を受けていたのだ。

 元帥たちが「問題ない」というので素直に従ったが、なんだこれは。問題だらけではないか。

 

「奇天烈だとは聞いてたけど!これほどなんて!室内で!いきなり!十六インチ三連装砲を撃つなんてー!」

 

ついに処理が追い付かなくなったのか、鹿島は支離滅裂な叫びをあげた。

 

「ルー」

 

 宣戦布告だぜ。ル級の攻撃は更に熾烈さを増す。

 

「落ち着いて!ル級は両足がついている時しか砲撃しない!片足の時に着弾点を誘導してから冷静に避ければいい!大丈夫!ル級に相手の行動を先読みするような知能はないから!」

「何でそんな事知ってるんですかー!?」

「これがなければ生き残れなかった!」

 

 深海棲艦だけではない。この司令部にいる人たちは皆、どこかおかしい!

 既に査察の事など頭にはなかった。ただ、助かりたい。その一心で、鹿島は足を動かしていた。

 

(ッ!?今何か……)

 

 鹿島の視界の隅に何かが移った。

 それは窓の外にいた。窓の外で、鹿島たちと並行するように走っていた。

 極限まで研ぎ澄まされた意識が、鹿島の視界をスローモーションへと切り替える。

 鹿島は横目で外をちらりと見やる。その目ははっきりと影の動きを捉えた。

 窓枠から頭が少し飛び出ている程度の大きさだが、それで十分だった。それだけで影の全貌をはっきりと描き出す事が出来た。

 

「リ!」

 

新しい遊び(ドンパチ)が始まったと勘違いしたリ級が、砲撃体勢に入っていた。

 

「外にリ級が!」

 

 鹿島は青年に知らせるべく叫んだ。

 青年は走る。鹿島の警告を無視して前へと進む。

 

「早くこっちへ来て!このままでは貴方が!」

 

 鹿島は青年の手を引くが、彼の進路は変わらない。

 言う事を聞かない青年に対し、鹿島は怒りを覚えた。

 確かに彼は卓越した回避能力を持っている。それは認めよう。だが、こればかりは無理だ。いくら卓越した回避能力を身に着けていても、今回ばかりは避けられない。

 リ級の砲撃は間違いなく直撃する。実践の中で培われた鹿島の直観がそう告げていた。

 

「このままでいい!このまま進んで!」

 

 青年は叫んだ。

 そう。このままでいい。あのリ級は放置して問題ない。リ級の砲撃は当たらない。何故なら、砲撃は阻止されるからだ。

 爆風の嵐が吹き荒れる中、その音は青年の耳に確かに届いていた。遠くから近づいてくる彼女の足音が。

 

「邪魔よ!」

 

 叢雲の飛び蹴りがリ級の横腹に突き刺さった。

 リ級は地面に叩きつけられたが、すぐさま体勢を立て直す。リ級の砲身が、着地したばかりの叢雲へと向いた。

 

「オラァ!」

 

 青年から鋼材の欠片が放たれた。

 絶妙な力加減で投擲されたそれは、リ級の視界の隅に映りこんだ。リ級の視線が鋼材へと向く。

 その隙に叢雲は動いた。十メートルの距離を一瞬で詰め、リ級の背後へと回り込んだ叢雲は必殺のローリングソバットを叩きこんだ。

 リ級の体は廊下へ向かって飛んでいく。順当にいけばそのまま青年たちとル級の間に、いや、ル級のほぼ目の前に落下するだろう。

 ル級の砲撃は未だ衰えを見せない。そこへ真横から、しかも至近距離にリ級が飛び込めばどうなるか。

 結果、司令部の二階にまで及ぶ巨大な爆発がリ級とル級を包み込んだ。

 

「……すごい」

 

 モクモクと立ち上る黒い煙。それを目で追うと、燦々と照り付ける太陽の光と青空が映りこむ。

 今いる場所が戦場であるかのように錯覚してしまう光景だ。

 立ち止まった鹿島は、唖然とした表情で爆心地を見つめていた。

 そんな彼女を他所に、青年と叢雲は涼しい表情で情報を交換していた。

 

「査察官の避難は?」

「残った連中に任せてきたわ」

「被害はどうだ?」

「保障予算ギリギリってとこ」

「そっか。明日からまた三食お茶漬け生活だな」

「……そうね」

 

 以前味わった苦行が再び訪れる事を悟ったのか、青年たちの目から光が消えた。

 

「ハッ!こんな事してる場合じゃない」

 

 青年たちと入れ替わるように現実へ戻ってきた鹿島。

 彼女はすぐさま避難しようと駆け出すが、微動だにしない青年たちを見てすぐに足を止めた。

 黒煙の向こうでは『黒と黄が入り混じったような独特の色』がユラユラと揺れている。つまり、ル級は健在だという事。

 となれば、取るべき手段は逃げの一択。にも関わらず、青年たちはのうのうと敵前に姿を晒している。

 一体何故?鹿島は小走りで青年たちに近づいた。

 

「あの、逃げなくていいんですか?」

 

 鹿島は青年の肩を掴み軽く揺すった。

 青年は鹿島の方をちらりと見て「ああ」と気の抜けた声を漏らした。

 

「大丈夫ですよ。なんていうか、ル級を止めるには最初からこの方法しかなかったので」

 

 今こそ『切り札』を使う時。そう確信した青年は覚悟を決めた。

 作戦名『スケープゴートカミカゼアタック』。青年が自らル級の懐へと飛び込み、彼女の抱き肉枕となって怒りを鎮める捨て身戦法である。

 

「っと、その前に」

 

 青年は鹿島の方へと向き直った。

 

「……こんな経験をさせたくありませんでした」

「え?」

「貴方には査察だけしてほしかった。ここまで貴方を付き合わせてしまって……」

 

 顔立ちの整った男が見せる憂い混じりの顔。なんていうか、ちょっとイイ。思わず青年に見惚れる鹿島。

 いや待て。今はそんな事を考えている場合じゃない。

 慌てて思考を打ち切った鹿島は、取り繕おうと咄嗟に言葉を発した。

 

「ありがとうございました!」

 

 鹿島の言葉を聞いた青年はぽかんとした表情を浮かべた。

 鹿島自身も、もう自分が何を言っているのかさっぱりわからなかった。恐怖やら羞恥やらで彼女の思考はもうぐちゃぐちゃだ。

 だが、口にしてしまった以上やるしかない。鹿島は軌道修正すべく言葉を続けた。

 

「私、よかったと思っています。だって、貴方と会えましたから」

 

 誰もが見惚れるような笑顔で鹿島はそう言った。当然青年も例外ではない。

 青年の隣から尋常ではない気配が漂い始めたが、鹿島と青年はその事に気づいていない。

 鹿島はやけくそ気味に腕を突き出した。

 人差し指から小指までが折りたたまれ、親指だけがピンと上を向いている。

 それは古代ローマで、満足できる、納得できる行動をした者にだけ与えられる仕草。『サムズアップ』だった。

 呼応するように、青年もサムズアップを見せた。

 

「じゃあ、見ていてください。俺の献身(けんしん)」

「……はい」

 

 青年は鹿島に背を向け歩き出す。

 黒煙が晴れ、ル級が姿を現した。至近距離での爆発を受けたせいか、彼女の体は大きく破損している。

 今なら全力で抱き着かれても生き残れるだろう。多分。いや、きっと。青年は臆する事無く前に進む。

 

「ふう……」

 

 青年はル級の前に立った。

 普段は恐怖の対象でしかないル級。だが、今の心情は晴れ渡る青空のように穏やかだ。

 こんな気持ちで戦うなんて初めて。もう何も怖くない。

 薄っすらを笑みを浮かべた青年は口を開いた。

 

「ル級、聞いてくれ。俺は……」

「さっさと行きなさいよこのウスラトンカチ!」

 

 叢雲の容赦ない蹴りが青年の背中にぶち込んだ。

 青年は勢いよくル級の胸にダイブした。

 おかえりなさい愛しい人。ル級は条件反射で青年を抱きしめた。

 

「アバーっ!」

 

 青年の絶叫が司令部内に響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数日後、とある司令部にて。

 鹿島は姉である香取と雑務に取り組んでいた。

 

「平和っていいね。香取姉ぇ」

「どうしたの急に?」

 

 鹿島の呟きに対し、香取は手を動かしながら答えた。

 

「床があって、屋根があって、とっても静か。こんな当たり前の事が、とっても大事な事なんだって気づいたの」

「ふふっ、変な鹿島。でもそうね。当たり前になっている事の大事さに気づける。それはとても素晴らしい事よ」

 

 何があったかは知らないが、今回の査察を通じてほんの少しだけ成長したようだ。

 妹の成長を喜ぶ香取は鹿島へと目を向けた。

 

「うん。世の中には床が爆発したり天井が爆発したリする司令部だってあるんだもの。うちの司令部はとっても恵まれているんだね」

「……鹿島、あなた何を言っているの?」

 

 どことなく様子のおかしい鹿島を心配する香取。

 その時、遠くで砲撃音が鳴り響く。

 香取は壁掛け時計を見た。針は演習開始の時刻を指している。

 もうそんな時間か。そう思いながら手元の資料へと視線を戻す香取。だが、次の瞬間。

 

「ッ!?伏せて香取姉ぇ!」

「おごすっ!?」

 

 香取は床に叩きつけられた。

 

「ちょっと鹿島!あなたいきなり何をするの!?」

 

 ズレた眼鏡を掛けなおした香取は鹿島の方を見た。

 鹿島は光のない淀んだ瞳を震わせながら、目尻に涙を浮かべていた。

 

「ダメ!今は動かない方がいいわ!どこから砲撃が飛んでくるかわからないから……」

「あなた何を言っているの?砲撃音は多分外で演習をしているからその音じゃ」

「嘘!きっと外から私を狙ってるのよ!奴らが私を狙ってるの!」

「鹿島!?どうしたの?しっかりして、鹿島!」

 

 鹿島の負った心の傷は、思った以上に深かったようだ。




次回・・・孤軍奮闘 其の五


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着任三十五日目:決着 前編

お久しぶりです。

不摂生な生活が祟って体を壊してまいましたが、私は元気です。

あと二話で終わる予定です。よろしくお願いします。


 日の当たらない石造りの広間にひゅう、と強い隙間風が吹いた。

 周囲に散らばっていた包装袋や空のペットボトルが岩の床をカサカサ、カタカタと転がる。同時に、立ててあったウイスキースキットルが倒れカランカラン、と甲高い金属音を立てる。

 

「……そろそろヤバいか」

 

 囚われの姫もとい青年は、手元にあった石をつかみ壁にうっすらと傷をつける。傷の数は二十八本。これは青年が連れ去られてから経過した日数を数えたものだ。

 これまで、青年は離島棲鬼に生かされてきた。離島棲鬼の目的はあくまで戦艦棲姫の願いを叶える事。青年と共にあることを望んだ戦艦棲姫から青年を奪うような真似は決してしない。

 ただ、深海棲艦なだけあって離島棲鬼の人間に関する知識は乏しかった。

 離島棲鬼が食料として持ってくる物のほとんどが人の口にできないゴミばかり。

稀に人間の食べ物を持ってきたこともあったが、そのほとんどは腐食したり海水を吸っていたりでとても食べられるようなものではなかった。

 食料はなく、飲料水もごく僅か。そのような環境で生きられる人間はまずいない。だが、青年は生きていた。何故なら、彼にとって奇跡的な出来事があったからだ。

 海難事故で海に投げ出されたか、それとも災害で海に流されたか。海を漂流していた理由は不明だが、離島棲鬼の集めてきたゴミの中から、非常食と飲料水が詰め込まれた頑丈なバッグが見つかったのだ。

 おかげで何とか今日という日まで命をつなぐことができたが、バッグの中身も無限にあるわけではない。バッグいっぱいに詰めてあった飲食物も、今朝方底をついた。

 

「なあ、今なら行けんじゃねえか?」

 

 青年は首を動かし、岩を背に座り込む戦艦棲姫を見た。

 

「……恐ラク失敗スル。今ノ私デハ彼女ヲ振リ切レナイ」

 

 戦艦棲姫は力なく首を横に振った。

 青年を無事に生きて帰す。それが自分の成すべきことであると戦艦棲姫は思っていた。そして、青年自身の目的も生きて帰ること。「鬼の居ぬ間の洗濯」ならぬ「鬼の居ぬ間の結託」。一人と一艦が手を結ぶまでに時間はかからなかった。

 青年たちは水面下で行動を起こすようになった。

 損傷のせいでまともに動けない戦艦棲姫は離島棲鬼が献上する資材と、青年が食べられなかった食料を自分の糧とし回復に努めた。だが、それでも全快には程遠いのが現状だ。

 離島棲鬼の留守を狙い脱出を試みたとしても、今の戦艦棲姫では離島棲鬼を撒くことはできない。それほど今の戦艦棲姫は弱体化していた。 

 

「じゃあ、早いとこカラダ直してこい」

「エエ」

 

 これぞデキる女のスキマ時間活用術。戦艦棲姫は離島棲鬼がいない間、資材の拾い食いに勤しんでいた。

 今以上に回復すれば脱出作戦の成功確率も上がるだろう。半ば暴走状態にある今の離島棲鬼は何を仕出かすか分からない。勝手に逃げ出したと知れば、青年に対し何等かの危害を加えてくる可能性もゼロではない。

 脱出を成功させるためにも、バレた時に青年を守るためにも、傷を癒さなければならないのだ。

 戦艦棲姫はゆっくりと立ち上がり出口の方へと歩き出すが、その歩みはすぐに止まった。

 

「どうした?」

「何カ来ル」

「なんだよ。もう帰ってきたのか」

 

 離島棲鬼の帰還を想像した青年は露骨に落ち込んだ。

 

「イイエ、違ウ」

 

 戦艦棲姫は青年の言葉を否定した。

 純粋な深海棲艦である戦艦棲姫だけが、本能的にその違和感をキャッチできていた。

 近づいてくる気配は離島棲鬼のものではないし、そもそも、気配の数が一つではない。

 

「コレハ……」

 

 遭遇まで、あと十秒。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その鈍い輝きは、まさに嵐の中に見えた灯台の灯りだった。

 

「まったく。来るのが遅いのよ」

 

 叢雲は喜びに満ちた表情で悪態をついた。

 透き通るような白い肌。ぼさぼさに跳ね上がる短い黒髪。顔の大部分を覆う白い無地の仮面。ショート丈のタンクトップに似た装甲。砲身と一体化している両腕。肌のない機械仕掛けの歪な両足。そして、右肩に刻まれた赤い丸印。

 そのような特徴を持つ深海棲艦は、この世に一艦しか存在しない。

 

「チ……」

 

 叢雲の忠臣、チ級が主の危機に駆け付けた。

 叢雲は戦闘音を周囲に響かせ、周辺海域にいるであろうリ級を呼び寄せるつもりでいた。そのために生存優先で戦闘を長引かせていたのだが、まさか真っ先に駆け付けたのがチ級だとは。叢雲にとって、これはうれしい誤算だった。

 叢雲は離島棲鬼を警戒しながらチ級と合流した。

 

「さあ、行くわよ!」

 

 叢雲の構えに呼応してチ級も砲撃の体勢に入る。

 駆逐艦と重雷装巡洋艦。この二艦で出せる最高の火力といえば一つしかない。魚雷による水中爆撃だ。

 

「食らいなさい!」

 

 二艦から酸素魚雷が一斉に放たれた。魚雷は水中を勢いよく駆け抜け、目標である離島棲姫に迫る。

 三十メートル、二十メートル、十メートル、五メートル。魚雷は何事もなく離島棲鬼の直下までたどり着く。

 鬼型の深海棲艦であろうと、酸素魚雷の火力ならば損傷を与えられるはず。着弾を確信した叢雲は口角を吊り上げた。

 しかし、彼女の期待は直ぐに裏切られることとなる。

 

「……どういうこと?」

 

 照準は完璧だった。妨害を受けず、万全の状態で魚雷を放つことができた。途中で迎撃されることもなかった。全弾が離島棲鬼の元へ到達した。

 しかし、叢雲の放った魚雷は外れた。いや、外れたというのは少し語弊がある。より正確に言うなら素通り。狙いをつけたはずの魚雷が全て、離島棲鬼の足元を素通りしたのだ。

 そして、叢雲だけではない。叢雲より優れた雷撃性能を誇るチ級の酸素魚雷もまた、同じような状態に素通りした。

 

「アンタ、一体何をしたのよ!」

 

 叫び声と共に叢雲たちは再度、魚雷を放った。だが、結果は変わらない。魚雷は全て離島棲鬼を素通りし、彼方へと消えていった。

 

「……まさか、ね」

 

 離島棲鬼には魚雷が通じない。そんな考えが叢雲の頭をよぎる。

 原理は一切不明。何らかの条件下でのみ発動する能力なのか、それとも常時発動している能力なのか、それも分からない。

 ただ一つ言えるのは今の状況が想像以上に不利だということだけだ。しかし、だからといって、引き下がるわけにもいかない。

 魚雷が通じないのなら、別の手段で攻撃すればいいだけの話だ。

 

「突っ込むわよ!」

 

 叢雲は掛け声と共に最大船速で離島棲鬼へと向かった。チ級も臨戦態勢のまま叢雲に続く。

 

「…………ナゼ?」

 

 対する離島棲鬼。彼女の視界には叢雲たちの姿など映っておらず自身の内、思考の海に沈んでいた。

 離島棲鬼は自らの手で叢雲を葬るつもりでいた。格下の深海棲艦を統べる力を使い、叢雲を予定通り孤立させた。次は有象無象をこの海域に近づけないように操った。これも予定通り。これで離島棲鬼の望む状況を作り出せた。

 ただ一つ。予定外だったのは、叢雲と共にいたチリヌルヲが思い通りに操れなかったこと。

 面倒な奴らを遠くに散らす予定が、どういう訳か操れず、格下共の物量で押し流すことしかできなかった。

 一体何故。彼女たちが深海棲艦であるのなら、操れないはずはないのに……。

 

「マア、イイワ」

 

 離島棲鬼は思考を打ち切り、叢雲たちへと意識を向けた。両者の距離は十分に開いているが、離島棲鬼の砲撃ならば届く距離だ。

 離島棲鬼は右腕を上た。それに合わせ、彼女を乗せていた大型の深海棲艦が砲身を構える。

 次の瞬間、離島棲鬼の主砲が火を噴いた。一撃必倒の砲弾が叢雲たちに襲い掛かる。

 叢雲はすぐさま左へと舵を切り、同時に指示を出す。

 

「右!」

 

 短い言葉だったが、チ級はその意味をしっかりと理解した。

 叢雲から調教、もとい熱血指導を受けたチ級の動きに淀みはない。

 チ級は指示通り右方向へと舵を切った。数秒後、離島棲鬼の放った砲弾は左右に分かれた二艦の間を通過し、海面に着弾した。

 

「前!」

 

 叢雲は前進しながら再度チ級へ指示を出す。チ級は指示通り、叢雲と合流せず単体で前進し始めた。

 ドンッ、と離島棲鬼の主砲が砲撃音を奏でた。叢雲は目を凝らし、砲弾の軌道を注視する。狙いはチ級。直撃コースだ。

 

「左!」

 

 チ級は左方向に舵を切る。紙一重のタイミングで砲弾はチ級の横を通過し、海面に着弾。巨大な水柱が立ち上り海面が大きくうねる。

 チ級はサーフィンをするように波の斜面を滑り、回り込むような軌道を描きながら叢雲の方へと近づく。

 ドドドンッ。副砲も用いた広範囲への攻撃が、今度は叢雲の方へと放たれた。

 叢雲はちらりと右を見た。チ級は叢雲へ向かって接近中だ。着弾のタイミングは、二艦が重なるタイミングとほぼ同じ。瞬く間にマズいと判断した叢雲は急いでチ級へと近づいた。

 左へ向かうチ級と、右へ向かう叢雲。二艦の影が重なった瞬間、叢雲はチ級の肥大化した右腕を掴み、力任せに自分の方へと引き寄せた。

 

「全速!」

 

 叢雲が叫ぶ。合図を受け、チ級は不安定な体勢のまま最大船速を発揮した。

 叢雲はチ級の勢いに船体(からだ)を持っていかれないよう両足に力を入れ踏みとどまる。チ級は叢雲を軸として、高速の急旋回を決めた。そのまま二艦は危険区域を脱すべく全速前進で水面を駆けた。

 タイミングはギリギリ。外れることを祈りながら、叢雲はチ級と共に前へ進む。

 祈った直後、彼女たちの背後に砲弾の雨が降り注いだ。背後から聞こえる風切り音と、背中に当たる水しぶきが叢雲の肝を冷やす。

 紙一重ではあったが、叢雲たちはピンチを切り抜けた。

 

「このっ!」

 

 叢雲は主砲と副砲で離島棲鬼を攻撃した。砲弾は離島棲鬼に直撃するが、やはり駆逐艦の火力では鬼型の装甲に傷をつける事は出来ない。

 このままではジリ貧。それは叢雲自身がよくわかっていた。この状況を打破するためには、やはりコンスタントに火力を出せる存在が不可欠だ。

 

(もう!どこほっつき歩いてんのよ。いつになったら……)

 

 叢雲がそう思った、その時。

 

「ったく、来るのが遅い!」

 

 噂をすればなんとやら。

 離島棲鬼の背後に映る影を見て、叢雲は笑みを浮かべた。

 水平線に浮かぶ三つの艦影。人型の艦艇二艦と、楕円形の艦艇が一艦。皆、一様に右肩に赤い丸印が刻まれている。

 先頭を往くのは赤黒い光を纏う艦艇。見た目はほとんど人間そのものだが、背中から両腕の火砲に伸びる二本の管はまさに人外の証。獰猛な笑みを浮かべ、背後の二艦を置き去りにせんばかりの勢いで水面を駆けている。

 

「リ!」

 

 彼女は重巡洋艦、通称『リ級』。奇天烈艦隊屈指の問題児であり、叢雲が待ち焦がれていた貴重な戦力である。

 港湾棲姫との戦闘で船体(からだ)はあちこち損傷しているが、その闘志は未だ衰えていない。その証拠に、両腕の砲口を離島棲鬼へ向けいつでも砲撃をできる体勢をとっている。

 

「あんたたちも、さっさとぶちかましなさい!」

 

 叢雲が叫ぶ。そして、呼応するように無数の黒い球体が空にばら撒かれ、リ級の上空を通り過ぎる。

 球の正体は艦載機。深海棲艦の持つ丸形の艦載機が離島棲鬼めがけて飛び出したのだ。

 

「ヌゥ」

「ヲっ」

 

 艦載機を放ったのはリ級を追う二艦だった。

 頭部の深海棲艦を模した帽子が特徴的な深海棲艦。正規空母、通称『ヲ級』と、楕円形の胴体から人間の手足が生えたような姿をしている深海棲艦。軽空母、通称『ヌ級』である。

 ヲ級とヌ級が放った黒々と輝く艦載機は、リ級を軽々と追い越し離島棲鬼に迫る。

 

「……ココマデクルトワネ」

 

 離島棲鬼の行動は早かった。艦載機を見るや否や、腰かけていた滑走路から飛び降り、大型の深海棲艦を手のひらで軽く叩く。すると、大型の深海棲艦は滑走路から白い艦載機を吐き出した。

 黒と白の艦載機が空中で交錯する。一機の性能は離島棲鬼側の艦載機が上だが、数においてはヲ級、ヌ級側の方が上。

 結果、ヲ級、ヌ級の艦載機が数の暴力で戦線を押し切る形となった。

 だが、相手もやられっぱなしではない。大型の深海棲艦は艦載機を打ち落とすべく、背中に取り付けられた複数の副砲を同時に放った。

 副砲による攻撃を受け、黒い艦載機は数を減らしていく。その弾幕も数で押し切り、最終的に二機の艦載機が離島棲鬼の直上へとたどり着いた。

 爆撃準備、ヨシ! 艦載機から無数の爆弾が落とされた。

 

「…………」

 

 離島棲鬼は自身の右腕を頭上へと持って行く。直後、複数の破裂音と共に爆煙が巻き起こった。

 エリート艦隊相手でも通用する爆撃は離島棲鬼の装甲を確実に削った。

 

「…………ソウ」

 

 チ級に続き現れた三艦。未だに支配を働かせているにも関わらず、「知ったことか」と言わんばかりの勢いで迫りくる彼女たちを見て、離島棲鬼は理解した。叢雲に与する奴らは思い通りに動かすことはできないと。

 しかし、だからと言って警戒レベルを引き上げるつもりもない。雑魚がいくら集合したとて、この私を超えることはできないと、離島棲鬼は強者の余裕を見せつける。

 

「イイ……デショウ……」

 

 離島棲鬼が煙を払うと同時に、大型の深海棲艦が主砲の砲門をリ級たちへと向けた。

 リ級は離島棲鬼に向かって突き進む。砲門が向けられている事など意に介さず、一直線に標的を目指す。

 大型の深海棲艦はリ級へ向けて砲弾を放った。リ級は最小限の身のこなしで射線上から脱する。ヌ級とヲ級は着弾点を迂回するように進路を変えた。

 リ級の背後で水柱が立ち上った。頭からどっぷりと海水を浴びるリ級。だが、彼女はそんな事お構いなしに前へと進む。

 どんなことがあってもリ級の意志はブレない。彼女が目指すはただ一点。行く先に待つ離島棲鬼の打倒のみ。

 

「リ!」

 

 リ級の水平に掲げられた砲口から無数の砲弾が放たれる。

 まだ距離があるため狙いは正確ではない。それでも一部の砲弾は敵影を捉え、相手を破壊するべく風を切る。

 だが、着弾よりも先に大型の深海棲艦が離島棲鬼の前に立ちはだかる。離島棲鬼の意志に反応して、その身を盾にしたのだ。

 ここにきて初めて防御の姿勢を見せた離島棲鬼。彼女自身、何故リ級の砲撃を防御したのかわからなかった。ただ、感じたのだ。些細な違和感のような、今までに感じたことのない何かを。

 両者の距離はどんどん狭まり、残り六十メートルを切った。リ級の前進はなおも続く。まばらだった砲弾の雨が、徐々に離島棲鬼へと集中し始めた。

 

「メンドウネ」

 

 両者の距離、残り二十メートル。リ級の砲撃は止まらない。両者の間は既に必中の距離となり、リ級の砲撃は寸分狂わず離島棲鬼を射抜いてゆく。

 だが、どんな深海棲艦だろうと無限に攻撃できるわけではない。放熱か、残弾が底をつくか。いずれにせよ、空から降り注ぐ雨と同じように、砲弾の雨もいつか必ず止む時が来る。

 そして、その時が来た。リ級が熱を帯びた両腕を下げる。同時に、砲弾の雨が止んだ。

 離島棲鬼は防御姿勢を解き、砲口をリ級へと向けた。位置は真正面。風はほぼ無風。直撃を確信した離島棲鬼は口を開いた。

 

「コレデ……」

 

 必殺の一撃が今、放たれようとした。

 その時だった。離島棲鬼の耳が騒音を捉えた。

 

「ッ!?」

 

 離島棲鬼は顔を覆うように腕を上げた。次の瞬間、離島棲鬼の船体(からだ)は爆発に飲み込まれた。

 離島棲鬼を攻撃したのは艦載機だった。だが、それはただの艦載機ではない。妖精が操縦する、艦娘の艦載機。本来深海棲艦が持たない、持つはずがないものだ。

 

「ヌゥ」

「ヲっ」

 

 攻撃を仕掛けたのはヌ級とヲ級だった。先ほどの空中戦では使用しなかった艦娘の艦載機。それを用いた二度目の空中爆撃が、離島棲鬼に見事直撃したのだ。

 

「ジャマヨ」

 

 しかし、その程度で離島棲鬼を倒せるはずもない。一秒もしないうちに離島棲鬼は再度照準をリ級へと合わせる。

 今度こそ沈め。殺意を込めた一撃が、再び放たれようとした。しかし。

 

(……コレハ?)

 

 背後から薄らと感じる気配。これは(しもべ)のものではない。違和感を覚えた離島棲鬼は思わず振り返り、その表情を驚愕に染めた。

 離島棲鬼の視界には斜めに体勢を崩す大型の深海棲艦と、巨体に体当たりを食らわせるチ級の姿が映っていた。

 

「ッ……!?」

 

 次の瞬間、離島棲鬼は謎の衝撃に襲われた。衝撃は背後から。砲撃のような強い衝撃ではない。船体(からだ)を斜めに傾けながら、離島棲鬼は首だけで振り返る。視界の隅に映ったのは、青みがかった銀髪だった。

 離島棲鬼は迫りくるリ級に集中するあまり、見失ってしまったのだ。

 意識の集中と慢心、そして艦載機の爆撃音。これらがうまく噛み合い、離島棲鬼の索敵能力は一時的に低下した。そして、見失った。背後から近づいてくる有象無象を、敵とも思わない矮小な存在を。

 

「やりなさい!」

 

 叢雲の悪質タックルを受け、離島棲鬼の船体(からだ)は頭を突き出す体勢で、前方へと押し出される。そして、彼女は見た。眼前に迫るリ級の姿を。

 

「リ!」

 

 五十メートルあった二艦の距離は、いつの間にか零になっていた。

 突き出されるリ級の砲口。狙いは離島棲鬼の、顔面。

 ドガァン! と、ひときわ大きい爆発音が鳴り響く。衝撃により周囲の海面は激しく波打った。

 

「きゃあっ!」

 

 爆発の衝撃により、叢雲は離島棲鬼の体から強制的に引きはがされた。

 両手でバランスを取りながら、なんとか体勢を立て直した叢雲は仲間達の安否を確認すべく周囲を見渡した。

 チ級は丁度隣で体勢を立て直したところ。ヌ級、ヲ級は叢雲の後方で待機中。リ級は未だ晴れぬ爆煙の中に向かって砲弾を打ち込んでいる。

 

「敵は健在ってことね」

 

 リ級が警戒を解かないという事はつまり、そういうことなのだろう。

 油断してはいなかった。ただ、叢雲の想定よりも鬼型の深海棲艦は、離島棲鬼の力は強大だった。以前に戦った戦艦棲姫との経験も踏まえ、青年の鎮守府の総力をつぎ込んで出撃したつもりだった。だが、結果はこの有様だ。想定外に続く想定外ですでに満身創痍。

 出撃前、もっと冷静になれていれば周囲に協力を仰ぐ等、確実な手立てを講じることができたはずだ。

 

「まったく。ホントなにやってんだか」

 

 恋は盲目。その言葉の意味を、身を以て思い知った叢雲は自分に悪態をついた。

 

「がはッ!?」

 

 巨大な爆発が巻き起こり、叢雲の体が紙切れのように宙を舞った。

 叢雲の思考は完全に停止し、五感から伝わる情報を正常に処理できないまま背中から着水した。

 

「っ……ぐ、うううぅ!」

 

 海水の冷たさで思考が再起動した叢雲は四肢を海面に着け、何とか体勢を整えた。

 

(私としたことが、なんて無様!)

 

 仲間と合流できたからか、攻撃をすることに成功したからか。理由はどうあれ、叢雲は油断していた。そして、その隙を突かれ砲撃を受けた。自分の状況を即座に把握した叢雲は油断なく主砲を構えた。

 

「ッ!」

 

 叢雲は目を見開いた。

 煙の中から姿を現す離島棲鬼。揺らめく黒いドレスはボロボロ、艶やかな白い肌には焦げ跡、靡く後ろ髪はボサボサ。ダメージは確実に入っている。

 だが、その立ち振る舞いには疲労の色がまったく見えない。髪をかき上げるしぐさにも、まっすぐ伸びる背筋にも、船体(からだ)を支える両足にも、疲労感や消耗した様子が一切見られない。

 

「……少しは堪えなさいよ」

 

 悪態をつく叢雲。まだ余裕があるように見えるが、それはただのやせ我慢だった。

 リ級の砲撃は今の叢雲たちが出せる最大火力。それを受けてなお健在の離島棲鬼。その事実は叢雲の精神を大きく疲弊させた。

 これ以上の火力が必要となると、ル級やタ級といった戦艦の力を借りるしかないが、青年第一で動く彼女たちは単独で青年の元へと向かうだろう。都合よくこの場に現れる可能性は限りなく低い。

 そして、今しがた受けた砲撃による損傷はかなり大きい。どう甘く見積もったとしても大破。叢雲の艦装からは大量の煙が漏れ出していた。

 

「リ!」

「…………」

 

 離島棲鬼は砲撃を続けるリ級を無視して叢雲を睨んでいた。両の目に赤黒い光を宿しながら。

 

「イライラスルワ」

 

 離島棲鬼は二発の砲弾を続けて放った。

 

「なッ!?」

 

 目の前で攻撃を続けるリ級ではなく、叢雲の方を狙った砲撃。虚を突かれた叢雲だったがなんとか反応。その軌道が自分へと向かわない事を瞬時に悟り、次の攻撃に備えようとした。

 

(……待って)

 

 次の瞬間、叢雲の頭に一つの疑問が浮かぶ。本当に、その方角には本当に何もなかったか?

 叢雲は記憶の中の映像を巻き戻し、自分と仲間の位置状況を確認した。答えを得るまでにかかった時間は瞬く間と同程度。だが、今回はそのごく僅かな合間が明暗を分けた。

 

「避けなさい!」

 

 一手遅れたと分かっていながら叫ぶ叢雲。彼女が振り向いたと同時に、巨大な爆発が同時に二つ起こった。

 叢雲の位置より後方にいたヌ級とヲ級。今の砲撃は行動の遅い二艦を狙ったものだったのだ。

 崩れるように水面へ倒れるヌ級とヲ級。その様子を叢雲は眺めている事しかできなかった。

 ドンッ。再び鳴り響く砲撃音。

 またしても出遅れた。叢雲は瞬時に意識を切り替え、迫りくる砲弾に備えた。今回は直撃コースだ。

 直撃を避けるべく、叢雲は急速発進でその場からの離脱を試みる。だが、艦装の出力が思うように上がらない。

 これは恐らく避けきれない。悟った叢雲は苦し紛れに防御姿勢をとるが、紙一重のタイミングで一つの影が割り込んだ。

 

「チ……」

 

 影の正体はチ級だった。叢雲の近くにいたチ級が、旗艦である叢雲をかばったのだ。

 凄まじい破壊力を持った砲弾はチ級に直撃した。重大な損傷を受けたのは右半身。存在感のあるチ級の巨大な右腕は無残にも砕け散った。

 チ級が倒れゆく最中、リ級が動く。砲撃を一旦止め、再度零距離からの砲撃を行うべく離島棲鬼に接近した。

 離島棲鬼は動かない。リ級の接近などまったく気にも留めず、叢雲の方を見つめている。

 

「リ!」

 

 リ級の零距離砲撃が再度炸裂し巨大な爆発が巻き起こった。

 並みの深海棲艦なら仕留められただろうが、今戦っているのは圧倒的格上。リ級もそのことは本能で理解していた。リ級は離島棲鬼の懐を陣取り、連続で主砲を放った。ドン、ドドン、と連続した爆発の衝撃が空気を揺らす。そして。

 ガチン、ガチン、ガチン。

 ついに終わりを告げる音が鳴る。主砲は使えない。そう判断したリ級はすぐさま副砲を構えた。

 

「ウルサイ」

 

 爆煙の中から伸び出た白い細腕がリ級の頭を掴む。そして、示し合せたかのように動く大型の深海棲艦が、リ級の胴体に極大の砲口を突き付けた。

 お返しと言わんばかりに放たれる離島棲鬼の砲弾。リ級と同じ、零距離からの砲撃。

 大気が震え、海面が波打った。数十メートル離れた叢雲でさえ、まるで至近距離から砲撃を受けたと錯覚するほどの衝撃だった。

 

「…………」

 

 思わず言葉を失う叢雲。ここにきて、彼女は心の底から理解した。理解してしまった。自分がどれだけ大きく読み違えていたかを。

 ここまで叢雲が善戦できたのは離島棲鬼が本気を出していなかっただけ。その気になれば、ただの駆逐艦程度一撃で葬る事が出来たのだ。

 全身から煙を吹くリ級を投げ捨てた離島棲鬼は叢雲の方へと向かった。一歩、一歩近づくにつれて、離島棲鬼の凍りついた無表情が徐々に形を変えてゆく。口角がじわじわと吊り上り、愉悦を孕んだ笑みへと変わってゆく。

 中腰のまま佇む叢雲を離島棲鬼は見下す。

 

「モウオワリヨ。コレデオワリ」

「…………」

「アナタハ、ココデシズム。ムネンデショウ?」

「…………」

「フフッ。コレデ、ジャマモノハイナクナル」

 

 芝居がかった身振りで己の喜びを表現する離島棲鬼。

 さあ、一体どんな無様な姿を見せてくれるのか。期待に満ちた表情で、離島棲鬼は叢雲を見た。

 

「……はぁ。奥の手だけは使いたくなかったのだけれど」

 

 歓喜に染まっていた表情は瞬く間に能面のような真顔へと戻る。離島棲鬼は声の主である叢雲を注視した。

 その態度が気に入らない。

 髪はボサボサに跳ね上がり、肌は傷だらけ。度重なる戦闘で焦げ付いた服は左肩が露出し、艦装からは煙が噴き出ている。放っておいてもその辺の雑魚に屠られるであろう、一目で満身創痍とわかる状態。にも関わらず、彼女は強気の態度を崩さない。

 その目が気に入らない。

 こちらを射抜く鋭い眼光。不屈という言葉を連想させる力強い目つき。その瞳の奥に揺れる炎は、未だ衰えることなく燃え続けている。

 離島棲鬼は気に入らない。

 圧倒的に不利な状況で、満身創痍な状態で、未だ勝利を諦めない。叢雲のそんな在り方が気に入らない。

 離島棲鬼の白く細い右腕が叢雲の首を掴みあげた。

 

「シズメ」

 

 叢雲の腹部に当てられた巨大な砲口が火を噴いた。

 

「シズメ、シズメ! シズメ!!」

 

 砲撃は止まらない。二発、三発、四発。駆逐艦を沈めるには過剰すぎる砲撃が連続で叩き込まれた。

 爆発の衝撃で海面が大きく波打つ。巻き上がった煙が風になびく。空の彼方まで響いた砲撃音がフェードアウトし、やがて、場に静寂が訪れる。

 煙が晴れた。離島棲鬼は右手に掴むモノを見た。掴んでいる部分を支点に、だらりと垂れさがる胴と手足がぶらぶらと揺れている。

 もう見ていてもイライラしない。忌々しい存在は今度こそ消え去ったのだと、離島棲鬼は理解した。

 

「シズメ」

 

 その一言と同時に、離島棲鬼は右手を開いた。右手で掴んでいたモノは重力に引かれ落ちる。

 卑しく口元を歪める離島棲鬼はその行く末を見続けた。両足が水面に着いた。上体が大きく後方に仰け反った。勢いに流された左腕は無造作に伸ばされ、そして…………離島棲鬼の右腕を掴んだ。

 

「ッ!?」

 

 仰け反った上体を戻す勢いが加わった渾身の右ストレートが離島棲鬼の顔面に突き刺さる。

 油断しきっていた離島棲鬼は思わず後ずさった。彼女の目は驚きのあまり大きく見開かれ、目の前にいるモノを凝視していた。

 おかしい。再起不能となる攻撃を加えたはずだ。忌々しい存在はガラクタへと変貌したはずだ。なのになぜ、奴は今こうして立っている?

 

「……ナニ?」

 

 離島棲鬼は一つの変化に気付いた。目の前にいるモノの体を、うっすらと光が包んでいるのだ。

 光は叢雲の船体(からだ)を癒していた。完全な修復ではなく、ほんの少し、『応急的な修理』と呼べる程度の癒しを与えている。

 

「……勝手に、勝ち、誇ってんじゃ……ないわよ」

 

 いつの間にかそこにあったモノは消え失せていた。代りに現れたのは、忌々しい駆逐艦の姿。

 

「ナニヲシタノ」

 

 異変は続く。ゆらりと立ち上がったのは右腕を亡くした深海棲艦。彼女も薄い光に包まれている。

 事態を飲み込めない離島棲鬼は思わずたじろぐ。そんな彼女の背後に二つの影が迫る。目の前の光景に気を取られ、隙だらけとなっていた離島棲鬼は彼女たちの接近に気付けなかった。

 

「ウッ!?」

 

 両腕にちくりと痛みが走る。離島棲鬼は反射的に両腕を振るった。

 両腕に目配せしてみれば、またしても見覚えのある存在が目についた。どちらも頑丈そうな歯を白い柔肌に突き立てている。

 噛みついた二艦の深海棲艦は剥がれない。何度腕を振るっても剥がれようとしない。

 

「ハナレテ!」

 

 離島棲鬼の意思が伝わったのか、彼女の背後に控えていた大型の深海棲艦が突然動きだし、噛みつく深海棲艦たちを力ずくで引き剥がした。

 二艦はバシャバシャとたたらを踏むように海面を跳ねた後、四つ這いで着水した深海棲艦が睨みを利かせる。

 

「ウットウシイ!」

 

 離島棲鬼は四つ這いの深海棲艦たちに左手を向けた。その動きに合わせて、大型の深海棲艦の砲口が向けられる。

 消し飛ばしてやる。離島棲鬼がそう思った次の瞬間。

 

 べちん。

 

 離島棲鬼の頭に何かが当たった。

 ぱしゃり、と何かが着水する音を聞いた離島棲鬼は音の聞こえた方、自身の足元へと目を向けた。そこには、黒い杖のようなものがぷかぷかと浮かんでいた。視線をそのまま上げると、巨大な帽子をかぶった深海棲艦の腕を振り下ろした姿が見えた。

 どいつもこいつも満身創痍。吹けば飛ぶような形をしているくせに、何故消えない。何故まだそこにいる。

 呆然とした表情の離島棲鬼はゆっくりと周囲を見渡し、そして、忌々しい駆逐艦と視線が交わった。

 

「覚悟しなさい。私たちはもう、この戦いでは沈まない!」

 




次回・・・決着 後編


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着任三十六日目:決着 後編

次回で最終回です。

よろしくお願いします。


 離島棲鬼は得体の知れない『嫌なモノ』に苛まれていた。

 

「こんのぉ!」

「ヨラナイデ!」

 

 離島棲鬼は自分が苦戦を強いられている理由がわからなかった。

 相手は圧倒的格下。その気になれば跡形もなく消し飛ばせる脆弱な存在。だというのに、何故このような状況に陥っているのか。

 離島棲鬼が知らないのも無理はない。これまで強者として君臨し、何もかも思い通りにしてきた彼女には知る術がなかったのだから。敵が迫りくる焦りも、想定外が生み出す不安も、何をやっても敵が倒れない恐怖も、船体(からだ)の内側から溢れてくる『嫌なモノ』の正体も。強者故に、全て知らずに生きてきた。

 そう、今日までは。

 

「チ……」

「ハナシテ!」

 

 離島棲鬼は背後から覆いかぶさるチ級を振り払った。

 

「リ!」

「ジャマ!」

 

 離島棲鬼は正面からぶつかってくるリ級をつき飛ばした。

 

「ヌゥ」

「ドイテ!」

 

 離島棲鬼は右足にしがみついたヌ級を無理やり引きはがした。

 

「ヲっ」

「ドキナサイ!」

 

 離島棲鬼は大型の深海棲艦の砲身をがっちりと抑えるヲ級を蹴り飛ばした。

 

「ハナレテ! ハナシテ! ハナセ!」

「うるっさい!」

 

 それは、もはや海戦と呼べるものではなかった。掴みかかる。しがみつく。殴る。蹴る。その光景は、まるでルール無用のストリートファイト。遠距離から相手を撃つための重火器も、ただの鈍器となり果てていた。

 だが、それは叢雲たちだけの話。

 

「シズメ!」

 

 離島棲鬼の火力は未だ健在だった。大型の深海棲艦が主砲を轟かせ、近づく叢雲たちを弾き飛ばす。

 

「まだ……まだよ!」

 

 叢雲は歯をぐっと食いしばり、ふらつく船体(からだ)を両足で支えた。

 彼女たちは倒れない。どんな苛烈な砲撃を食らっても、最後は必ず立ち上がる。奪われたものを取り戻すまで彼女たちの膝は、心は、決して折れる事はない。離島棲鬼が負けない限り、この戦いが終わることはない。

 

「ナンデ……」

 

 離島棲鬼は疑問を抱いていた。

 叢雲(ヤツ)は私が倒す。離島棲鬼はそう思っていた。楯突いた罰として、望みを断つつもりだった。

 要領得ぬ。何故叢雲(ヤツ)は集中砲火を受けても、くじけずに邁進できるのか。

 何故闘志を生み出せるのか。

 何故満身創痍の船体(からだ)で凄むのか。

 

「ソレイジョウヨルナァ!」

 

 その答えはただ一つ。

 

「ヤメロォ!」

「はあッ!」

 

 投了せぬ。青年(かれ)が、世界で初めて、堅物だった叢雲(かのじょ)が、恋をした人だからだ。

 叢雲は砲弾の雨を潜り抜け、離島棲鬼へと迫る。

 

「シズメエエ!」

 

 殺気立つ離島棲鬼が叢雲の方へ手を掲げると、大型の深海棲艦も砲身を叢雲へと向け、砲撃体勢に入った。タイミングも照準もすべてバラバラ。正確性を欠いた苦し紛れの砲撃であることは相対する叢雲でもすぐに分かった。

 そして、それが理解できない程、離島棲鬼は精神的に追い込まれていた。

 

「チ……」

 

 正確性を欠いていたとしても、危険であることに変わりはない。叢雲が狙われていると知ったチ級が、離島棲鬼の砲撃を妨害すべく動く。

 チ級は離島棲鬼の視界の外から接近する。普段の離島棲鬼なら接近に気づけただろうが、今の彼女は精神的に追い込まれ周囲の警戒が疎かになっていた。

 結果、離島棲鬼はチ級の接近を許してしまった。

 チ級は離島棲鬼の右側面から全速力で突っ込んだ。そのタイミングは、奇しくも砲弾が発射される間際。

 

「グウッ!?」

 

 側面からチ級の悪質タックルを受ける離島棲鬼。くの字に折れ曲がった彼女の船体(からだ)は大型の深海棲艦が構えていた砲身に引っ掛かる。

 元々頭でっかちだった大型の深海棲艦は突然の重量に耐え切れず、太い下あごを海面についた。そして、今まさに発射されるはずだった砲弾は叢雲の方へと向かわず、離島棲鬼のすぐ傍の海面に突き刺さる。

 爆発と共に立ち上った巨大な水柱が離島棲鬼、大型の深海棲艦とチ級を飲み込んだ。

 

「クッ……ジャマヨ!」

 

 離島棲鬼は両足を使った強烈な蹴りをチ級に食らわせ引き剥がした。

 離島棲鬼は上体を起こす。しっとりと濡れた黒いドレスが船体(からだ)にぴったりと張り付き、ボリュームのあった長い黒髪も海水を吸って萎んでいる。離島棲鬼は鬱陶しそうに顔に張り付く長い黒髪を掻き揚げた。

 そのまま立ち上がろうとする離島棲鬼だったが、近くにいたヌ級がそれを許さない。

 

「ヌゥ」

「アグッ!?」

 

 ヌ級に髪を引っ張られ、離島棲鬼の首は鞭打つように反り返る。離島棲鬼は再び海面に叩きつけられた。

 そして、無防備な離島棲鬼に一つの影が差す。

 

「リ!」

 

 影の正体であるリ級は離島棲鬼の胸にドカッ、と腰を下ろした。

 マウントポジションをとったリ級は鈍器と化した左手を振り上げ、なんの躊躇もなく、離島棲鬼の顔面へと勢いよく振り下ろした。

 ガゴン! と金属の鈍い重低音が響く。今度は逆の腕を振り上げる。ガゴン! もう一度鳴り響く。もう一度、更にもう一度、続けてもう一度。オラオラオラ、と掛け声が聞こえてきそうなラッシュが離島棲鬼の顔面に叩き込まれる。

 だが、離島棲鬼もやられっぱなしではない。ラッシュ中のごく僅かな合間に目を凝らし、リ級のラッシュを完全に見切った離島棲鬼はリ級の両腕をがっちり掴んだ。

 

「ドキナサイ!!」

 

 離島棲鬼の意志に反応した大型の深海棲艦がリ級を砲撃で吹き飛ばす。

 リ級は数秒の滑空を経て着水。四肢でしっかりと受け身をとったリ級は、そのままの体勢で海面を滑る。

 勢いが収まり、離島棲鬼に尻を向ける形で停止したリ級。のしのし、と四肢を器用に動かしながら、離島棲鬼の方へ顔を向けたリ級は獣のような唸り声をあげた。

 今度こそ、と離島棲鬼は上体を起こし、立ち上がるべく片膝をついた。

 そんな彼女にまたしても一つの影が差す。不意打ちの連続となったが、今回は迫りくる気配をしっかりと把握していた離島棲鬼。迎撃すべく、彼女はすかさず振り返った。

 

「ッ!!」

 

 次の瞬間、離島棲鬼の世界はスロー再生されたように低速と化した。

 離島棲鬼が目にしたのはヲ級の姿だった。その手に持つのは杖ではない。帽子から伸びる触手のような飾りを器用に束ね、両手でがっちりと掴むという、フルスイングの体勢だった。

 

「ヲっ」

 

 勇ましい掛け声と共に、遠心力を加えた帽子の強烈な一撃が離島棲鬼の頭部を直撃。伸びきった首に引っ張られ、離島棲鬼の船体(からだ)が真横へ飛んだ。

 

「グハッ」

 

 離島棲鬼の船体(からだ)は勢いそのままに海面を三回跳ねた。

 再び水濡れとなった離島棲鬼。彼女は滴る海水を拭うこともせず、両腕で何とか船体(からだ)を起こそうとしていた。だが、今現在の彼女の視界はグラグラと揺れており、平衡感覚を保てず立つこともままならない。ヲ級の一撃はいかに強力だったかがよくわかる。

 だが、このまま海面にへばりついているわけにもいかなかった。離島棲鬼は既に敵の接近を察知していた。

 この気配、間違えるはずがない。離島棲鬼はグラつく船体(からだ)を何とか起こし、正面から敵を見据える。

 離島棲鬼の眼前には、彼女が憎む駆逐艦の姿が迫っていた。

 

(……ユルサナイ)

 

 こいつにだけは負けない。思い通りにならないこいつには、気に喰わない叢雲(こいつ)にだけは、絶対に負けたくない。

 離島棲鬼の瞳にうっすらと赤黒い光が灯る。叢雲たちが『情』を糧として動いているなら、離島棲鬼を動かす糧は『憎』。憎しみという名の薪を火室にくべて、離島棲鬼は再起した。

 離島棲鬼は迫りくる叢雲を睨み、照準を合わせようと意識を集中させた。

 

「はあああああああ!!」

「ッ!?」

 

 叢雲の雄叫びを聞いた瞬間、離島棲鬼は再び船体(からだ)の奥に『嫌なモノ』を感じた。

 コールタールのようにどろりと黒く、タングステンのように重たいソレが溢れると、船体(からだ)が思うように動かない。未だなれないその感触に、離島棲鬼の精神は大きくグラついた。

 『嫌なモノ』の正体。それは未知に対する不安。それは自信喪失による心配。誰もが持つありふれた感情の一つ。

 『恐怖』。

 恐怖心。離島棲鬼の心に恐怖心。脅威を知らず、敗北を知らず、何もかもを思い通りに進めてきた彼女は今日、初めて『恐怖』を知った。

 憎しみの炎は、恐れという名の冷水で鎮火した。恐れに濡れた離島棲鬼の思考は、船体(からだ)は、完全に停止した。

 棒立ちとなった離島棲鬼に向けて、叢雲は更に速度を上げた。

 

「これ、でも……!」

 

 叢雲は飛び跳ねた。

 そのまま勢いを殺さず空中でぐるりと体を回転させ、腰の位置まで上げた細くしなやかな右足の膝を軽く曲げた。

 ジャンプの勢いと、両腕の大振りを利用した上半身の回転運動の勢いは一つとなり、叢雲の右足へと伝達される。

 半身(はんみ)となった叢雲は離島棲鬼の頭に狙いを定め、右足に集中した力を一気に開放した。

 

「食らいなさい!!」

 

 叢雲の『ローリングソバット』が離島棲鬼の腹に突き刺さった。

 

「ヴゥッ!?」

 

 海面を滑るように後退する離島棲鬼。その様子を横目で見ながら、両足で力強く着水した叢雲はすかさず声を上げた。

 

「行きなさい!」

 

 叢雲の号令に合わせて、深海棲艦たちは一斉に離島棲鬼を目掛けて駆け出した。

 叢雲の声を聞いた離島棲鬼は急いで顔を上げた。目に飛び込んできたのは一斉に襲い掛かる深海棲艦たちの姿。全艦が敵意を剥き出しにして、離島棲鬼を仕留めるべく四方八方から迫りくる。

 

「ハッ……ハァ……ハァ……!」

 

 叢雲の与えた一撃は、離島棲鬼の『蓋』を壊すには十分な威力だった。

 湧き出る恐怖が溢れ出さないよう、無理やり押さえつけていた強固な蓋。離島棲鬼に理性を保たせていた最後の砦が今、崩壊した。

 押し込められていた恐怖は激流の如く吹き出す。恐怖は離島棲鬼の腹を満たした。恐怖は離島棲鬼の胸を突き抜けた。恐怖は離島棲鬼の喉を塞いだ。そして、恐怖は離島棲鬼の口から吐き出された。

 

「ヨラナイデェエエエエエエ!」

「ギャオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」

 

 離島棲鬼の悲鳴が(ほとばし)ると同時に、大型の深海棲艦による凶悪な一斉掃射が始まった。

 照準を合わせていない乱雑な砲撃だが弾数はすさまじい。叢雲たちは砲弾の勢いに押され、徐々に後退。両陣営の間に五十メートル程の距離が生まれた。

 ガチャガチャガチャ、と空撃ちの音を鳴らす大型の深海棲艦。それでも狂乱は終わらない。全弾を打ち尽くしてもなお、大型の深海棲艦はその場で暴れまわっていた。

 

「フゥ……フゥ……」

 

 叢雲たちとの距離が開いたことで、離島棲鬼は心の平穏を手に入れた。

 それに伴い離島棲鬼の精神も、振り切れていたメーターの針がゼロ地点に戻るように、急速に落ち着いていった。

 離島棲鬼は左手で顔を覆いながらのそりと立ち上がり、荒れた呼吸を整える。次に丸まっていた背中をまっすぐ伸ばし、そして、自分の船体(からだ)をゆっくりと見た。ドレスは滅茶苦茶に乱れ、所々解れている。スカートの端から見える長髪の毛先はボサボサに跳ね上がっている。

 

「ユルサナイ……ゼッタイニ、ユルサナイ!」

 

 平静を取り戻し、冷静にこれまでを振り返り、今の状況を把握した離島棲鬼は怒りの咆哮をあげた。

 この怒りは殴りつけてきた叢雲たちへの怒りか、それとも無様な姿を晒した自分への怒りなのか、それは離島棲鬼自身にもわからない。

 ただ一つ言えるのは、彼女はこの激情を制御するつもりはないということだけだった。

 怒りの導火線に火が付いた離島棲鬼は叢雲たちを睨みつけ、告げた。

 

「【キナサイ】」

 

 自分の手で叢雲にトドメを刺すつもりだったが、もはやそんな事はどうでもいい。目障りな奴らを確実に消し去れるなら、どんな手でも使ってやる。

 憎悪に突き動かされる離島棲鬼は何の躊躇いもなく支配の力を行使した。邪魔が入らないように他の深海棲艦を遠ざけていた、これまで展開していた力とは真逆の力を、この海域に存在する強い深海棲艦を、叢雲を確実に沈める強い深海棲艦を呼び寄せる力を行使した。

 

「フフフ。コレデ、アナタタチハオワリ。ゼッタイニシズメテアゲル」

 

 離島棲鬼は勝ち誇ったような笑みを浮かべた。

 

「ハッ。一人で意気揚々と出てきたのに、勝てないと分かった途端に仲間を呼ぶのね。雑魚らしい惨めな姿」

 

 叢雲も挑発するような笑みを浮かべた。

 

「ウルサイ!」

 

 怒りが爆発した離島棲鬼は荒れ狂う大型の深海棲艦を無視して単独で飛び出した。名は体を表すとはまさにこの事か。鬼気迫るその姿は、まさに鬼そのものだった。

 叢雲は両手を前方に掲げ、離島棲鬼を迎え撃つ。

 無造作に突き出されたのは離島棲鬼の右手。叢雲はそれを左手で捌き、懐に潜り込みながら返しの右手を突き出す。狙いは顔だ。顔への攻撃で怯むのはこれまでの戦闘で確認済み。怯んだ隙に他の艦が不意打ちを仕掛ける算段だった。……だが。

 

「ガアアアア!」

「ッ!?」

 

 顔面に直撃した攻撃を物ともせずに、離島棲鬼は叢雲を押し返す。

 不意を突かれた叢雲は離島棲鬼が突き出す左手に対応できなかった。離島棲鬼の左手は叢雲の細い首を鷲掴みにし、その船体(からだ)を軽々と持ち上げた。

 

「ガアッ!」

 

 離島棲鬼はそのまま腕を振りかぶり、叢雲を頭から海面に叩きつけた。

 

「こっ……の!」

 

 息苦しさに顔をしかめる叢雲は離島棲鬼の左腕を掴み、何とか脱しようと試みる。だが、華奢な見た目からは想像もできない力でがっちりと掴む離島棲鬼の細腕はビクともしない。

 

「ヴアァッ!」

 

 離島棲鬼は止まらない。

 離島棲鬼は叢雲の船体(からだ)を再び持ち上げ、力任せに横に振るった。

 ガン、と鈍い音が響く。振るった先にいたのはリ級だった。リ級の接近に気づいていた離島棲鬼は、掴んでいた叢雲をそのまま盾とすることでリ級を防いだのだ。

 そのまま、離島棲鬼は逆方向へ叢雲を振るう。今度は逆方向から攻めてきたチ級に叢雲をぶつけ、攻撃を阻止した。

 チ級、リ級、ヌ級、ヲ級は叢雲の事など気にも留めず攻撃を仕掛けるが、その度に離島棲鬼は叢雲(ガードベント)を使い防いでゆく。

 

「放ッ……しなさい!」

 

 叢雲は振るわれた勢いを利用し、強烈な蹴りを離島棲鬼の頭に叩き込んだ。

 離島棲鬼は少し怯んだ様子だったが、叢雲を掴む手は離さない。ぎろりと叢雲を睨み、背後から迫りくる敵に向かって叢雲をぶつけようと再び腕を振るった。

 

「ヲっ」

 

 離島棲鬼に背後から迫っていたのはヲ級。彼女は剣道でいう上段の構えで跳躍し、そのまま帽子を振り下ろそうとしていた。

 ぶつけられた時の衝撃を思い出し一瞬ためらう離島棲鬼だったが、そんなもの関係ないとそのまま力づくで叢雲を振るう。同時にヲ級も帽子を振るい、両者の攻撃が交差した。

 軍配が上がったのはヲ級だった。

 離島棲鬼の攻撃は帽子から伸びる触手に、ヲ級の帽子は叢雲を掴む離島棲鬼の腕に直撃した。帽子の衝撃で拘束が緩み、叢雲は勢いそのままに宙へ投げ出された。

 

「けほっ、けほっ」

 

 着水した叢雲はのそりと立ち上がった。

 ダメコンの効果で船体からだは壊れないが、精神こころはそうではない。蓄積した精神的疲労は着実に叢雲を蝕んでいた。

 

(まだ……まだよ。まだ、負けるわけにはいかない。一体何のためにここまで来たの? こんなトコで折れてどうするのよ)

 

 心の中で自分を鼓舞し、叢雲は離島棲鬼を力強く睨む。しかし、その時だった。

 

「ッ!?」

 

 叢雲の目に黒い影が映った。影は離島棲鬼の遥か後方。茜色に染まり始めた水平線で存在を主張するかのように輝く鈍い黒色。その輝きは叢雲にとって、離島棲鬼にとって、とてもなじみのあるものだった。

 

「……あれは」

 

 見間違えるはずもない。深海棲艦だ。離島棲鬼の後方に新たな深海棲艦が現れたのだ。

 叢雲の視線に気づいた離島棲鬼は振り返り、その光景を見て口元を歪めた。叢雲は知らないが、離島棲鬼は支配の力を行使している。そして、タイミングよく表れた深海棲艦。これはもう間違いない。増援を確信した離島棲鬼は高らかに叫んだ。

 

「ククッ……。アハハ! キタ! キタワ! コレデ、アナタタチハオワリヨ! フフ……コレデ、コレデオワリ」

 

 両腕を大きく広げて船体(からだ)全体で喜びを表現する離島棲鬼。そんな彼女を叢雲たちは黙って見ていた。焦ることもなく、ただじっと、迫りくる黒い影をじっと見つめていた。

 離島棲鬼は沈黙する叢雲を見て更に気分を良くした。高揚した気分は天井知らずの上がり具合。歓喜の嵐が吹き荒れる離島棲鬼は戦いに終止符を打つべく命令を下した。

 

「【ヤレ】」

「やってみなさいよ」

 

 命令と砲撃のタイミングはほぼ同時だった。徐々に大きくなっていく風切り音を、離島棲鬼と叢雲は互いに耳にしていた。

 離島棲鬼は動かない。迫る砲弾が直撃する瞬間をしっかりと目に焼き付けるために。叢雲は動かない。迫る砲弾の行く末を見るために。

 ドガンッ! 爆発音と共に衝撃が広がった。

 

「アガッ!?」

 

 砲弾は離島棲鬼に直撃した。

 突然の事態に思考が停止する離島棲鬼だったが、再起動するよりも先に砲弾の雨が離島棲鬼の無防備な背中に降り注ぐ。

 爆発の嵐が、歓喜の嵐を吹き飛ばした。叢雲たちの砲撃とは比べ物にならない、鬼型の装甲を確実に貫く破壊の暴力が離島棲鬼を襲った。

 

「ナ、ニ……」

 

 爆発の煙にまみれた離島棲鬼の船体(からだ)は膝から崩れ落ちた。

 離島棲鬼の姿は悲惨だった。艶のある黒髪は四方八方に乱れている。多少破れている程度だった衣服は背中の部分が完全に吹き飛び、むき出しの白い肌にくっきりと焦げ跡がついていた。

 突然の事態に理解が追い付かない離島棲鬼は何とか立ち上がろうと両足に力を入れるが、うまく立てない。離島棲鬼の両足は勝手に震えてすぐに倒れてしまう。

 

「ナンデ……ワタシガ……」

 

 離島棲鬼の背中に砲撃を当てることができるのは、彼女の背後から近づいてきていた艦艇のみ。今の状況は、背後の艦艇が裏切りでもしない限り、絶対にありえないのだ。

 徐々に大きくなる水切り音。迫る気配。荒れ狂う歓喜が吹き飛び、平静さを取り戻した離島棲鬼はここにきてようやく違和感に気づいた。

 背後から感じるこの気配。普通の深海棲艦とは少し違う。自分の目の前にいる連中と似た気配が混じっている。そう、この気配は……。

 離島棲鬼はゆっくりと振り返った。

 

「……ァ」

 

 離島棲鬼は言葉を失った。

 離島棲鬼の背後にいたのは両腕に巨大な艦装を装備した深海棲艦、白いマントを羽織った深海棲艦、白い衣服に身を包む男、そして、離島棲鬼が姉と慕う深海棲艦。

 

(ッ!!?)

 

 離島棲鬼は急速に焦りを覚えた。敵が増えたから、ではない。戦艦棲姫が現れたからだ。

 戦艦棲姫がここまでやってきた。それは離島棲鬼からすれば、指示を出した上司が進捗を見に来たのと同義であった。もちろん戦艦棲姫はそんな指示を出しておらず、全て離島棲鬼の勝手な思い込みなのだが。

 何か、何かないか。戦艦棲姫の期待に応えるべく、打開策を見出すべく、離島棲鬼はあちこちに視線を向ける。そして見つけた。

 左端にいる前開きの黒いパーカーのような服を着た深海棲艦。彼女だけは普通の気配を感じる。つまり、支配によってこの場に現れた深海棲艦であるということに他ならない。

 

(ナントカ、シナイト……)

 

 今の状況は離島棲鬼にとってかなり不利だ。不死身の叢雲たちに加えて新たに現れたル級とタ級。周囲を囲まれ、距離もつまっている。さらに、離島棲鬼自身も中破に近い損傷を負っている。加えて、戦艦棲姫を守りながら戦わなければならない(と、勝手に思い込んでいる)。

 今は雌伏の時。機会を伺うのがベターな判断だ。だが、今の離島棲鬼に冷静な判断を下せる余裕はない。何が何でも目的を達成する。すぐに達成する。彼女の頭はそのことでいっぱいだった。

 離島棲鬼は状況を打開すべく行動を起こした。

 

「【タタカエ】!」

 

 離島棲鬼はレ級に対し、ル級とタ級を攻撃するよう命令を下す。

 

「レー?」

 

 レ級の両目から青白い光が溢れた。戦闘状態のサインだ。

 離島棲鬼は思わず安堵の笑みを浮かべた。これまで予想外の出来事ばかりが続いていたが、ここにきてようやく自分の想定通りに事を運べた。その事実が離島棲鬼に僅かな希望を抱かせた。

 レ級は尻尾の先にある砲口を動かした。レ級自身の前方へ。

 

「ッ!? ナ、ナニヲ……」

 

 離島棲鬼は動揺した。レ級への命令はル級とタ級を攻撃すること。二艦はレ級の隣に並び立ってるのだから、砲口は真横へ向かなければならないはずだ。何故、砲口はこちらを向いている?

 離島棲鬼の疑問に対する答えは簡単だ。レ級は最初から操られていなかったのだ。

 この場で支配の力を使えるのは離島棲鬼だけではない。支配の力とは、通常の深海棲艦よりも上位の鬼型や、その更に上位の姫型が格下を統べる力だ。この場には離島棲鬼よりも上位の戦艦棲姫がいる。彼女が同種の力を使い邪魔をしている限り、離島棲鬼の支配は届かない。

 

「ルー」

 

 一発。

 

「ター」

 

 一発。

 

「レー?」

 

 一発。計三発。

 主砲を構えた三艦がそれぞれ至近距離から容赦のない一撃を放ち、ひときわ大きな爆発が巻き起こった。

 もはや叫び声すらない。離島棲鬼の船体(からだ)は力なく倒れ伏した。

 

「遅いのよ。ホント……」

 

 張り詰めた空気から一転。唐突な決着に、叢雲は苦笑いでため息をついた。

 本当ならすぐに一息つきたい所なのだが、そういうわけにもいかない。たとえボロボロの姿だろうと、青年(かれ)の前で背中を丸めるわけにはいかない。

 戦闘終了によりダメコンの効果も切れた。重くなった船体(からだ)を何とか両足で支えながら、背筋をぐっと伸ばした叢雲はもう一度視線をル級たちへと向けた。

 

「ルー」

 

 叢雲が視線を向けた丁度その時、ル級は戦艦棲姫が引き連れた巨大な深海棲艦に乗っている青年を降ろそうとしていた。

 ル級の両腕は何かを掴むような形をしていない。故にル級は両腕の艤装を水平にし、青年の体をせっせと押し出していた。

 あれはマズいだろう、と叢雲が不安に思っていると、案の定。青年は巨大な深海棲艦の背中からずり落ちドボン、と海に沈んだ。

 

「ちょっと!」

 

 叢雲は慌てて青年に近寄った。立っているのがやっとの叢雲は、満身創痍の体に鞭打ち、もがく青年のわきの下に腕を通し何とか体を抱き上げた。

 両腕の圧を背中に感じた青年は力の入らない両腕をゆっくりと動かし、叢雲の頭を胸の中に抱きかかえた。一拍置いて、叢雲の抱きかかえる腕に力が籠った。

 

「ごほっ、げほっ。た、助かった」

「……ったく。何やってんのよ」

 

 一艦と一人は声を掛け合う。気の抜けたような小さな声で。

 

「や……今のは、俺……悪くねぇだろ」

「うっさい。いっつもいっつも騒ぎばっか起こして……」

 

 一艦と一人は声を掛け合う。うれしさを滲ませた優しい声で。

 

「なんだよ。こっちはッ……けほっ、ごほっ」

「もう黙りなさい。さっさと帰るわよ」

 

 一艦は一人の声を遮る。心配と不安の混じる固い声で。

 

「……ただいま」

「……………………おかえり」

 

 ああ、この声。この暖かさ。夢じゃない。

 追いかけて、追いかけて、追いかけて、遂に取り戻した。この世で一番大切なものを。苦楽を共にした相棒を。これからも共にあり続けるかけがえのない存在を。

 

「戦果は……まぁ、そうね。Cってとこかしら」

「何言ってんだ。SだS。俺たちの完全勝利だ」

「浮かれすぎよバカ。まだ全部終わったわけじゃないわ」

 

 力のない声で悪態をつく叢雲。だが、言葉の端々からは嬉しさが滲んでいる。それを察した青年はうっすらと笑った。

 さあ、帰ろう。帰還するまでが戦いだ。叢雲は青年をどうやって運ぶか連想し、背負うことを選択した。誰かに任せるという選択肢はもちろんない。

 叢雲は青年を正面から背面へ移動させるべく船体(からだ)をよじった。だが、途端に青年の体が軽くなる。驚いた叢雲は即座に振り返った。

 

「ター」

 

 自由な両手で青年の肩を掴み上げたタ級。

 

「レー?」

 

 青年の背中側に潜り込み頭で支えるレ級。

 

「ルー」

 

 フリーになった両足を両肩に乗せたル級。

 仰向け状態で担ぎ上げられた青年と共に、戦艦たちは進みだす。

 

「ちょっ、待ちなさい!」

 

 叢雲は慌てて三艦を追いかけた。それにつられてチ級、ヌ級、リ級、ヲ級も進みだす。

 

「…………」

 

 そんな彼女たちの背中を、戦艦棲姫は黙って見送った。寂しい笑顔を浮かべながら。

 終戦を夢見て共に戦った仲間たち。いつも自分を労ってくれた提督(あのひと)。かつて、そこは自分の帰るべき場所だった。

 暗黒の淵へと沈み、もう二度とあの場所には戻れないのだと失意の底にいた。

 そんな時、深海棲艦と艦娘の共存という、信じたくない現実を目の当たりにした。嫉妬に駆られ、過ちを犯した。

 だが、その過ちを経て戦艦棲姫ははっきりと理解した。自分の居場所はそこにはない。今の自分の居場所はここなのだと。戦艦棲姫は離島棲鬼に目を向けた。

 

「ウッ……」

 

 意識を取り戻した離島棲鬼は慌てて上体を起こした。離島棲鬼は周囲を見渡し、叢雲たちの背中を視認する。このままではいけないと、離島棲鬼は腰を上げた。

 そんな離島棲鬼の耳にちゃぷん、と水面を打つ音が届く。同時に感じる気配。自分と同族の、そして親しみのある気配。離島棲鬼が気配の方へ視線を向ければ、そこには彼女が予想した通りの姿があった。

 

「オネエサマ。ダイジョウブ。スグニ、トリカエシ、マス……」

 

 姉の期待を裏切るわけにはいかない。その一心で離島棲鬼はボロボロの船体(からだ)に鞭を打つ。

 進もうとする離島棲鬼の前を塞ぐように近づいた戦艦棲姫はゆっくりと両手を伸ばした。

 

「アリガトウ」

 

 そう言って、戦艦棲姫の右手が離島棲鬼の頬に触れた。左手はゆっくりと頭へ向かい、艶やかな黒髪を撫でた。ゆっくり、ゆっくりと。何度も、何度も。

 

「イイノ。モウ大丈夫。私ハ大丈夫ダカラ」

「トリ、カエシ……マス」

 

 戦艦棲姫の腕をやんわりと払い、進もうとする離島棲鬼。彼女の目は戦艦棲姫を見てはいない。どこか虚空を見るような、焦点の合わない目で同じことを繰り返し呟いていた。

 戦艦棲姫は立ち去ろうとする離島棲鬼の両肩に手を置き、その場に留めさせた。

 

「オ願イ。待ッテ」

「トリ……カ、エシ……」

 

 声をかけても離島棲鬼の様子は変わらない。

 このままでは話にならないと感じた戦艦棲姫は両手で離島棲鬼の頬を力強く包み、無理やり視線を自分の方へと向けさせた。ハッした離島棲鬼は、ようやく目の前にいる戦艦棲姫へと意識を向けた。

 

「私ノ為ニ頑張ッテクレテアリガトウ。ミットモナイ嫉妬デ迷惑ヲカケテゴメンナサイ。本当ニ、本当ニモウイイノ」

 

 戦艦棲姫は優しくあやす様に語り掛ける。

 

「酷イ目ニアッタケレド、オカゲデ大切ナ事ヲ思イ出セタノ。大事ナノハ心ガ繋ガッテイル事。ドレダケ求メテモ、心ガ通ジナケレバ意味ガ無イワ。無理矢理傍ニイサセテモ、辛イダケナノ。彼モ、私モ」 

「……」

 

 それは、離島棲鬼の今までの行動をやんわりと否定する言葉だった。敬愛する姉に面と向かって言われたせいか、捨てられた子猫のように寂しげな表情を見せる離島棲鬼。

 その様子を見て、戦艦棲姫は改めて自分の弱さを悔いた。自分の意志をはっきりと告げていれば、過去と決別できていれば、この()はここまで傷つくことはなかったのに、と。

 するりと黒髪をすり抜けた戦艦棲姫の細腕が離島棲鬼の頭を包み、そのまま自身の胸元へと導く。戦艦棲姫は離島棲鬼の頭を抱きしめた。

 

「デモ、ヤッパリ誰カニ傍ニイテホシイ。心ダケジャドウシテモ寂シクナルワ。傍ニイルコトモ大事。ダカラ、アナタガ傍ニイテ」

「……オネエサマ」

 

 恐怖はもう感じない。変わりに込み上げる嬉しさが、涙に代わって離島棲鬼の頬を伝う。

 姉に喜んでほしい。その一心で行動してきた離島棲鬼の努力が報われた瞬間だった。……周囲に多大な迷惑を振りまきはしたが。

 戦艦棲姫は離島棲鬼の手を取りを、優しく引き上げた。

 

「私タチモ帰リマショウ」

 

 離島棲鬼手を取り微笑む戦艦棲姫。泣きながらも笑顔を浮かべる離島棲鬼。二艦はどちらからともなく、彼女たちの後ろ姿へ目を向けた。

 夕日に照らされた穏やかな海。その上を進むのは艦娘と深海棲艦の入り混じった奇妙な一団。

 

 人々は彼女たちを、奇天烈艦隊と呼んだ。




次回・・・鎮守府へようこそ


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着任最終日:彼と彼女の新しい日常

最終回です。

戦いを乗り越えた青年と叢雲の新しい日常が始まります。


 順風満帆に航路を行く輸送船。その甲板の上で、青年は潮風を浴びながら煌く水面を眺めていた。

 

「……………………はぁ」

 

 長い間入院していたせいで悪化した司令部の寂しい懐事情が不安だ。厄介払い(えんせい)中のチリヌルヲたちが問題を起こしていないか、それも不安ではある。だが、それ以上に不安なのは今の状況だった。輸送船の上で、あの時と同じ任務を受けているという嫌なシチュエーション。前例があるだけに、その不安はより現実味を帯びていた。

 

「なんで俺じゃないといけないんだ……」

 

 青年は上着の内ポケットからウイスキースキットルを取り出し、喉奥から溢れそうな不安をごまかすように中身を胃へと流し込んだ。中身は相変わらず麦茶である。

 病院のベッドから開放されて早半年。ようやく戦場(しれいぶ)生活の勘が戻ってきた矢先、青年の司令部に一通の書状が届いた。書状の中身は任務の依頼書。それはブイン基地上層部から直々に、青年個人への勅命であり、約一年前に見た書状を焼き増ししたかのような内容だった。

 

『その鎮守府を長年放置していたのは我々の責任だ。だが我々は謝らない。君ならばその困難を乗り越えられると信じているからだ』

 

 青年は一年前に聞いたお偉いさん方の言葉をふと思い出し深いため息をついた。

 青年に課せられた任務。それは、長年放置された鎮守府の視察であった。そこはいずれ青年が着任する予定の場所であり、今回の視察では鎮守府がどういった状況なのか、何が足りていないかを調査することになっている。本来この任務は一年前に行われるはずだったのだが、例の拉致事件があったせいで今日まで先延ばしとなっていた。

 一年も間があいたのだから代役を立ててもよかったのでは、と訝しむ青年だったが、裏では深海棲艦の実験や観察等の利己的な目的もあるのだから代役など立てられるわけもない。青年の遠まわしの拒否は見事にスルーされ現在に至るという訳だ。

 船端にもたれかかり両腕をだらりと垂れ下げた青年。そんな彼の背後に一つの影が迫った。

 

「また背中丸まってるわよ」

 

 影の正体は叢雲だった。秘書官である彼女も当然、今回の任務に同行している。叢雲は青年の背中をバシン、強くと叩いた。

 

「ていうか、まだそれ持ってたわけ?縁起悪いから捨てなさいって言ったでしょ」

「いやーだってまだ片手で数えるくらいしか使ってないし、高かったし……なんかもったいないし」

「捨てなさい!!」

 

 一喝する叢雲だったが、青年はハハハと渇いた笑みを浮かべてすぐに俯いてしまう。不安がぬぐえていないのは明らかだった。

 叢雲はむすっとした顔を見せた。確かに一度不覚を取り、その結果青年は生死の境をさまよった。その事実は覆らない。だが、あの時の二の舞にならないよう今回の視察は万全の準備を整えた。その証拠に、青年と叢雲を乗せた輸送船の周囲には護衛任務にあたる艦隊に加え索敵、哨戒を行う別動艦隊も同行している。

 この護衛艦隊は叢雲が上層部に対し青年を守るためだけに必死に頭を下げて手配したのだ。青年だって当然そのことをは知っている。なのに青年の態度はいつまで経っても怯えたまま。

 これだけ準備を整えたのだからもう少し信用してくれてもいいじゃないか。いつまでも不安な態度だと自分が信用されていないような気がしてならない、と叢雲は小さな不満を抱く。

 

「ん? あっ……」

 

 やけに静かだな、と青年は叢雲へ目を向けたが時すでに遅し。叢雲の顔は普通の表情を装った不満顔となっていた。本人は隠しているつもりだが、下がった口角が露骨に不機嫌さを表している。

 

「んな顔すんなよ」

「別に普通よ」

「信用してないわけじゃないって」

「なんとでも言えばいいじゃない」

「何拗ねてんだよ。悪かったよ。これも捨てっから」

「そう。だったら私なんかに構ってないで、さっさと捨てて来なさいよ」

 

 一度不貞腐れてしまった叢雲の機嫌を直すのは至難の業。それは青年が一番よくわかっていた。そして、こんな時にどうすればいいかも一番よくわかっていた。

 青年は叢雲の肩を掴んだ。

 

「よし行くぞー」

「なによ。ゴミくらい一人で捨ててきなさいよ」

「また攫われるかもしれねえだろ。一人じゃ不安なんだよ」

「そう。誰か安心できる奴にでも守ってもらえば?」

「ならお前だ。ほら行くぞー」

「ちょっ、やめなさい! こんなので誤魔化されないわよ!」

 

 誤魔化せました。

 

 

 

 

 

 

 

 輸送船停泊後、青年と叢雲は目的地である軍の支援支部へと向かった。

 支援支部は最前線に鎮守府を構える提督への供給や、長距離航行中の艦隊への補給や休憩といった、実働部隊を支援をするために作られた施設である。最前線の鎮守府へ着任する予定の青年は、視察をする前に最寄りの施設との打合せをしに来たのだ。

 

「……」

「……」

 

 正門に掛けられた表札を確認した後、青年と叢雲は自然な動作で門の外壁へ背中を付け、そのままゆっくりと覗き込むように敷地内を確認した。窓の割れや壁の穴など、近くに隠れられる場所はない。荷物を片手に歩く人、敷地の隅に置かれた喫煙コーナーに屯する人はいるが、こちらに狙いを澄ます者はいない。

 ひとまず大丈夫、と身を乗り出したところで青年と叢雲は思わず顔を見合わせた。果たして、ただの訪問でこんなことをする必要があったのか。

 

「なにやってんだ俺たちは」

「落ち着きましょう。ここは平和。平和よ。切り替えていきましょう」

 

 答えはすぐに出た。青年と叢雲は自分たちが毒されているのだと自覚し、小さくため息をついた。

 気を取り直した青年たちは門を通りエントランスへと向かった。だが、その間も周囲を無意識に警戒してしまう。闇夜を歩く不審者の如き怪しさだ。

 

「だから、やめようぜこれ」

「なに勝手にキレてんのよ。私は普通にしてるじゃない。あんたこそお上りさんみたいにキョロキョロするのやめたらどうなの?」

「はぁ!? お前だってチラチラ横目で見てただろうが! 傍から見りゃ十分挙動不審なんだよ!」

「そんなことしてないわよ!」

 

 入り口前でぎゃあぎゃあとみっともない言い合いが始まった。ブイン基地の面々からすれば「ああ、いつもの夫婦漫才か」で済むが、他所の人たちが見れば唐突に始まったガチ喧嘩だ。物々しい態度で周囲が仲介に入り、赤っ恥をかいた青年たちはようやくおとなしくなった。もう二度とこんな真似はしないという誓いを胸に、一人と一艦は建物の中へと入っていった。

 のだが……ガタン!!

 

「ッ!?」

「伏せろ!」

「えッ、ええ?」

 

 入って早々、背後の大きな物音に反応して即座に床へ伏せるという奇行をやらかし恥を上塗りすることとなった。

 

「き、緊張されてるんですか? もっと楽になさって結構ですよ」

「やっ、すみません! 違うんです! 本当にこれは違うんです!」

「失礼しました! 大変失礼いたしました!」

 

 受付の気遣いにひたすら低頭平身で接すること数分。応接室に通された青年たちは挨拶もそこそこに、早速鎮守府と支援施設の運用形態について説明を受けた。

 件の鎮守府はここから南東へ十キロ程。専用の小型船があり、それを使って行き来するという。

 

「この海域の深海棲艦はどれほどの強さなのでしょうか」

「それが、数年前くらいから何故かこの近辺で深海棲艦が出なくなったんですよ。なので激しい戦闘は起こらないと思います」

 

 完全に陸の孤島。色々隠れてするなら好都合だな、と青年は上層部の本気ぶりに内心ドン引きした。そして、現地職員から語られる労働事情を聴いてさらに引いた。

 

「そしたら上が『貴重な戦力を余らせとく訳にはいかん!』とか言って戦力が引き抜かれて、そしたら今度は『この規模の戦力にこんなに金は要らんだろ』と言い出して、それでどんどん予算とかが削られていって。まったく、また深海棲艦が現れたらどうやって対処したらいいんですかねえ。いや、他所も苛烈な状況だってのはわかるんですけどせめて満足に自衛できる戦力くらい……」

 

 世知辛い事情により色々なモノが減らされた結果、不自由な労働環境になってしまったそうだ。どことなく親近感を覚えた青年たちは現地職員の愚痴に付き合いつつ状況を聞き出した。

 昔は鎮守府の状況確認を年に一回実施していたのだが、予算や人員が減ったことでここ数年は全く確認できておらず、今の鎮守府の状況は完全に不明。ブラックボックス状態だという。

 常駐する艦娘は届いた物資の検収や各鎮守府から届く書類の処理等、連携を維持するための仕事で手一杯。視察も本当なら支援支部の方である程度確認をしてから青年に来てもらう予定だったのだが、時間も人手も足りないので顔合わせや事情説明も兼ねてこうして青年たちに一から視察をしてもらうことになったのだ。

 

「建物に損傷とかはあるんですか?」

「多少ありましたが奪還後に修復しています。ただ雑草は生い茂ってるでしょうね。ここ数年ずっと手を付けてませんでしたから」

 

 打ち合わせは続いた。

 

「日用品とかもこの町で買うんですよね?」

「ええ。前任者の方はよく艦娘に買い物を任せていました」

「今いる連中じゃ話にならないわ。何とか新しい艦娘を建造するしかないわね」

 

 現状でできること、できないことを洗い出し、ある程度話もまとまった所で今日の打ち合わせはお開きとなった。

 明日は朝早くから視察だし今日は店じまいして明日に備えよう。そう考えた青年は早速観光へ向かおうと踵を返した。が、やる気に満ち溢れた叢雲がそれを許さない。

 

「なに勝手に帰ろうとしてるのよ」

 

 初めの一歩を踏み出したところで、青年は叢雲に襟首をつかまれ、共に件の鎮守府の様子を見に行くことになった。

 建物の裏手にある船着き場には年季の入った小型船が数台停泊していた。青年たちが使うのはその中の一台、一番右奥にポツンとある小型船だった。

 

「あぁ、これならわかる。ちょっと待ってろ」

 

 青年は船に乗り込み設備を点検した。整備は行き届いているようで、青年は小型船を操舵し船着き場から少し離れた所で軽く旋回してみせた。

 

「意外。アンタ船の操舵ができるのね」

「提督なるために色々勉強したんだよ」

「ふーん。そんなに提督になりたかったの?」

「ああ、うん、まあ……そうだな」

 

 青年は言葉を濁した。それも仕方がない事だ。彼の知識は全てかわいい艦娘とイチャラブしたいという邪な願いを叶えるために身に着けたものなのだから。当然、叢雲に言えるはずもない。

 だが、なんとなく察したのだろう。青年を見る叢雲の視線が露骨に鋭くなった。

 

「よーし出航だぁー! 念のため叢雲は外で護衛をしてくれ!」

 

 雰囲気の変化からマズい、と悟った青年は追及される前に叢雲を船の外へと追いやった。

 それから穏やかな海を進むこと数十分。進路の先に小島が見えてきた。青年は目を凝らす。正面に見える白っぽい建物がおそらく件の鎮守府だろうとあたりをつけた青年は船の進路を小島へと向けた。

 小型船は何事もなく船着き場に到着した。船着き場へ船を止め、外門の前までやってきた青年は仁王立ちでまじまじと鎮守府の外観を眺めた。

 

「ここが入口でいいんだよな?」

「門扉の片方が倒れてるわ。修繕したんじゃなかったの?」

「多分経年劣化だろうな。ずっと放置してたっつってたけど、流石にこれはなぁ」

 

 鎮守府の荒れ具合はとてもひどかった。建物自体はよくある平屋建てでパッと見た感じでは外観に異常は見られないが、外壁の砂汚れがひどい。

 正面玄関は開け広げられたままとなっており外の汚れが入り放題だ。

 そして極めつけは青年の胸元に届くほどの雑草だ。敷地内に疎らに生い茂っているそれを全て除草するのはかなりの労力だ必要となるだろう。

 

「どこから手を付けたらいいのよ」

「いや、どうせすぐ荒れるんだからこのままでも……」

「ッ! ………………バカ言ってんじゃないわよ」

 

 かなりの間をおいて、叢雲は青年の言葉を否定した。圧倒的閃きっ……! と青年の言葉に感心したのは叢雲だけの秘密である。

 開きっぱなしの玄関をくぐると、古めかしいエントランスが出迎えた。壁の所々には大小の傷があり、床に敷かれた絨毯は中途半端にめくれており複数の汚れ跡が付いている。まるでドラマに出てくるベタな空き巣現場のような状況だった。

 

「なにこれ。いくら出入口が開きっぱなしだったからって、これはさすがに汚れすぎよ」

「大きい損傷だけ修繕したのか? 掃除してるとも言ってなかったしここは当時のままだったりしてな」

「いったいどうなってるのよ全く。後で問いただしてやりましょう」

 

 ご機嫌ななめな叢雲と呑気な青年は室内の探索を始めた。

 まずはエントランスの奥にある通路から。青年たちはそのまま奥まで進み突き当りを右に曲がる。曲がった先にあったのは入渠・補給用のドックがあった。現在の司令部にあるドックと同等の広さはある。

 

「近くに他の司令部とかないし水門開けっ広げにしておけるな。あいつらもストレスが減って暴れる回数も減るかもしれねえ」

「バカ。民間の船や軍の輸送船は近くを通るじゃない。放し飼いにしてたら騒ぎになるわ」

「それもそうか。ちっとは楽できると思ったんだけどなあ」

 

 通路を戻り、今度は突き当りを左に進むと艦娘の建造と艦装を開発する工廠があった。どちらも使われた形跡があり、綺麗に清掃されたまま放置されていた。

 

「ここは綺麗だな」

「設備が少し古いわね。動かし方分かるかしら」

「まかせろ。これは研修で触ったのと同じだ」

 

 設備も問題なく稼働することが確認できた。青年たちは一度エントランスへ戻り、今度は入口から見て左手にある通路へと進む。その先にあったのは長机が並ぶ部屋だった。どうやら食堂代わりの部屋だったようで、食器がいくつか入っている棚や年季の入った業務用冷蔵庫が置かれていた。

 

「前任者のかこれ。ずいぶんでかいなぁ」

「コンセントはここね……よし。ちゃんと使えるわ」

「おいおいこの冷蔵庫使うのかよ。新しいの買おうぜ」

「予算は限られてるのよ。使える物は再利用しないと」

 

 あーだこーだと言い合いながら再びエントランスへと戻った青年たち。まだ見ていないのは正面入口から見て右手にある部屋のみとなった。

 工廠や食堂の扉とは違う、どこか高級感を漂わせる両開きの扉。青年はその扉に見覚えがあった。

 

「あれ執務室だよな」

「恐らくそうね。ていうかあの扉半開きじゃない。締まらないわね全く」

「えッ。なんで急にオヤジギャグ(閉まらない)を」

「そういう意味で言ったんじゃないわよバカ!まったく、あの時から全然成長しないんだから」

「あの時ってなんだよ」

「私が着任した時よ。あの時も扉半開きだったじゃない」

「そういえば……」

 

 叢雲の言葉を聞いた青年は思い出した。それは着任して間もない頃。初めて手に入れた自分の城で、今後自分の定位置となるであろう高級感溢れる事務椅子に座ってはしゃいでいた。その日が秘書官着任の日だという事も忘れて。あの時も執務室の扉は半開きだった。

 

「あんたが司令官ね。ま、せいぜい頑張りなさい」

 

 出会い頭にそう言われたときは礼儀知らずの太々しい奴だと思った。

 

「扉くらいちゃんと閉めときなさい。子供じゃないんだから」

 

 去り際にそう言われた時はいちいち説教臭い奴だと不貞腐れた。正直言ってハズレだと思った。

 

「落ち着きがないのねぇ……大丈夫?」

 

 でも、付き合いが長くなるにつれてそれは間違いだと気づいた。

 

「悪くないわ」

 

 こいつは出来の悪い奴を見捨てない面倒見がいい奴なのだと。

 

「ほんっと仕方がない。今年もアンタに付き合ってあげるわ」

 

 こいつは口が悪いだけで、根はクソが付くほど真面目ないのだと。

 思いを馳せる青年は隣の叢雲へと目を向けた。彼女の見た目は出会った頃から何一つ変わっていない。青年はそれを感慨深く思うと同時に不甲斐なく思った。改造、近代化改修など強化が可能であるにも関わらず、それらを満足に実行できていないのだから。

 

「……なによ」

 

 視線に気づいた叢雲は横目で青年を見た。何とも言えない表情で「いや」と短く返す青年に対し叢雲はフン、と鼻を鳴らした。

 

「いつまでも後ろを向いてたってしょうがないでしょ。いい加減前向きなさい」

「な、なんだよ急に」

「どうぜ俺はダメ提督だーとか暗いこと考えてたんでしょ?見ればわかるんだから」

 

 青年は顔をこわばらせた。まるで心を覗かれたかのように心情をピタリと言い当てられたのだから驚くのも無理はないだろう。

 だが、叢雲からすればこの程度のことはできて当たり前。青年が叢雲を見ていたように、叢雲もまた青年のことを見ていたのだ。職場の上司として、同じ苦労を背負う運命共同体として、気になる想い人として、じっくりと青年の事を観察してきたのだ。

 心情を察し、気遣いを察する。彼らに余計な言葉は必要ない。揺らぐことのない信頼と途切れることのない想いが織りなし紡ぎあげた目に見えない確かな繋がりが、絆が彼らの間にはあるのだから。

 

「……そうだな。とりあえず明日から頑張るわ」

「今日から頑張りなさい。行くわよ」

 

 叢雲は青年の手を取り速足で執務室へと向かい、勢いよく半開きの扉を開けた。

 

「アラ」

「誰?」

「ナニ?」

 

 そこにいたのは絶世の美女たち、いや、美女のような姿をした艦艇たちがいた。

 それぞれ赤みがかった長い白髪をツインテールにし、前髪で右目を隠すという似通った容姿をしていた。

 本来提督の座るべき場所でふんぞり返っている艦艇は、黒いビキニの上から黒いショート丈のレザージャケットを着て、両手がゴツいクローアームになっている。

 壁に空いた巨大な穴の傍に鎮座している艦艇は、膝から下が巨大な深海棲艦と連結しており、ギリシア神話に登場する『ケンタウロス』を連想させる姿をしている。

 窓際のソファに寝転んでいる艦艇は、ローライズの紐パン以外に何も身に付けず胸部にある二つのタンクをツインテールで隠す痴女スタイル。

 青年は彼女たちと会ったことはない。だが、見覚えがあった。その白い肌。その黒い装甲。青年たちが日常的に見ている存在と容姿が酷似していた。

 青年が引き連れる奇天烈艦隊のメンバーたち『深海棲艦』と。

 

「……マジか?」

 

 目の前に広がるのはありえない光景。だが、彼は深海棲艦を率いる提督だ。深海棲艦絡みのハプニング処理には一日の長がある。

 これまでに見聞きしてきた情報を瞬時に分析。結果、彼の中でばらばらの情報が一斉に集まり一つの答えを形作った。

 ここ数年この海域で深海棲艦が出なくなったのは何故か。下級深海棲艦を自在に操れる上級深海棲艦なら数の増減は自由自在。鎮守府が放置されている間に彼女たちがここに居付き、気まぐれか何かでこの海域の深海棲艦の数を減らしたのだとしたら。

 正面の門が片方だけ倒れていたのは何故か。経年劣化などではなく、人間離れした怪力を持つ深海棲艦が無理やりこじ開けたのだとしたら。

 エントランスが空き巣現場だったのは何故か。人間の常識を知らない深海棲艦の彼女たちが室内を歩き回ったのだとしたら。

 

「マジで?」

 

 青年は叢雲へ目を向けた。彼女の表情も青年と同じ驚愕に染まっていた。

 

「アナタタチ、ダァレ?」

「アラ、アナタ中々素敵ジャナイ。モット顔ヲ見セテ頂戴」

「……イイ」

 

 青年たちのことなどお構いなしに、深海棲艦たちは各々好意的な態度を見せた。わらわらと群がる深海棲艦たち。

 青年は思わず自分の頬を摘む。ちゃんと痛みがあることを確認した青年は力なく腕を下ろした。

 

「マジだ」

 

 青年と叢雲の苦難はまだまだ続く。




青年と叢雲の戦いはこれからだ・・・!

ここまで見てくださった方々。感想を書いてくださった方々。本当にありがとうございました。


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