豊かなスローライフを目指して (どん兵衛)
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プロローグ

 

 二度目の人生はのんびり過ごすことに決めた。

 名族に生まれても過信せず、後々に楽ができるようにと幼い頃から勉学にも励んだ。

 私塾の同期に華琳(曹操)と麗羽(袁紹)が居るというサプライズこそあったが、なんだかんだ真名を交わし合うほど親しくもなった。

 私塾を卒業しては三人揃って郎官(役人)となり、煩わしい宮中の権力争いをスルーしつつ、やがて月日は経ち、三人揃って太守の任に就く。華琳は兗州へ。麗羽は冀州へ。そして僕は荊州へ。

 

「────麗羽。貴女とはいずれ、決着をつけることになるでしょうね」

「望むところですわ。わたくし、チンチクリンの華琳さんに負ける気など毛頭ありませんの!」

 

 馬が合わないのか華琳と麗羽は私塾からずっと、何かにつけて言い争うことが多かった。

 後の歴史が証明しているように、二人は争う宿命なのだろうか。赴任する直前に集まった際には宣戦布告のようなことを言い合っていた。

 まあ、二人が雌雄を決する官渡の戦いは二十年近く先の話だ。当面は穏やかな日々を過ごせることだろう。宣戦布告が終わった後には、僕らは互いに健闘を祈り合い、それぞれの任地へと赴く。

 

「よーし。地方へ出ればこっちのもんだ!」

 

 僕が治める任地は荊州の南郡。

 程良く都から離れ、且つ肥沃な土地である南郡はスローライフを送るには絶好の場所だ。

 そして頭で今一度、歴史の年表を思い返す。今から約三年後に黄巾の乱が起こり、その五年後に反董卓連合。そこから群雄割拠となって、そのさらに十年後に官渡の戦いが起こったはず。

 若干のズレはあるかもしれないが、大よそこんなところだろう。黄巾の乱が起こるまでに領内をしっかり纏められれば、後は流れでなんとでもなるはず。中央のゴタゴタは極力関わらない方向で進めていけばいい。僕はそう考え、末永く豊かな生活を送るために領内の内政に尽力した。

 

「────うん。ぶっちゃけ色々と心配ではあったが問題なさそうだな。順調順調」

 

 その結果、僕の治める南郡は中々に栄えた。

 武官こそ少ないが文官の層は極めて厚く、幸運なことに多くの優れた人材に恵まれた。

 華琳や麗羽といった、この時代を代表する人物の性別がなぜか反転していたりと、初っ端から歴史通りに進むか怪しい気配こそあったが、少なくとも黄巾の乱が起こるまでは平穏だった。

 だから僕はこのまま歴史通りに進むものだと信じて疑わなかった。歴史を知るアドバンテージを活かしつつ、華琳や麗羽と知己であるという最大級のコネを活かせば、激動の時代を乗り切るのも余裕。そう信じて疑っていなかったが────。

 

「────え、ちょっと待って。黄巾の乱が終わったばっかなのに、連合を結成するってマジ?」

「────え、ちょっと待って。連合戦が終わったばっかりなのに、華琳と麗羽が戦うってマジ?いやいや流石に早すぎる────って、決戦の地は官渡だって?おお、マジじゃないか…………」

 

 時代の流れは黄巾の乱勃発を機に、僕の予想を遥かに越えて急速に進んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──私と轡を並べる栄誉を与えるわ。麗羽のバカを叩くのに協力しなさい。

──小生意気な華琳さんをギャフンと言わせたいので華麗に背を討って下さいまし。

──袁術ちゃんから独立するけど静観しててね。独立後は不可侵同盟を結べたら嬉しいわ。

 

 今、僕の前には数多くの書状がある。

 上の二人からはそれぞれ援軍要請を受け、孫策からは独立の黙認と将来的な同盟要請。

 これまでの永い平穏が嘘かのように近頃はどうにもきな臭い。というか物事の進みが異常に早い。モブの小勢力はいつの間にやら軒並み倒れ、主要格でも公孫賛あたりは退場した。

 僕の予定では今頃まだ、黄巾賊の残党がいたりいなかったりという辺りだが、どうして官渡の戦いまで進んでいるのか。ここまで予定が狂うとどっちが勝つのかもわからなくなってくる。

 この時代の、いや、この世界の女性は見目麗しいが、それと比例してバーバリアン要素を含む気質の荒い女性が多い。四六時中ビシバシ戦ってばかりだ。みんな「かわいい」けど「荒い」。「話し合いで穏便に解決」なんて生温いことは断じてしない。力こそ正義を地で爆進している。

 

 まあ、それを否定する気はない。

 が、できることなら僕を誘うようなことはせず、当事者同士でやっていてほしいと切に思う。

 僕の望みは豊かなスローライフ。僕は僕の手の届く範囲が平和なら、他は割とどうでもいいと思うタイプだ。「よそはよそ」「うちはうち」という黄金の精神で過ごしたいのだが────。

 

「────要請を無視するわけにもいかないよな。うーん、朱里。なにか穏便な策はない?」

 

 そうは問屋が卸さないらしい。

 ならば穏便にやり過ごす道を模索しようと思う。争い事とかぜんぜん興味ないし。

 僕はそう思っては、我が陣営が誇るロリ軍師の朱里(諸葛亮)に声をかける。不意に声をかけられた朱里は「はわわっ」と慌ててみせた。僕は朱里の可愛い振る舞いに思わずニッコリ。

 そしてもう一人のロリ軍師である雛里(鳳統)の方を向く。雛里も恥ずかしそうに被っている帽子の鍔を握っては下を向いた。うん、可愛い。近頃の殺伐とした周囲の情勢もあって癒される。

 

「あ、あの劉表様…………いえ、大和様!」

「おっ!もしかして朱里。良い策があるの?」

「は、はい!恐れながら申し上げたい献策がありましゅ!…………あ、噛んじゃった」

「うんうん、大丈夫大丈夫。気にしないでいいよ。ゆっくりでいいから聞かせてくれないかな」

 

 ああ、癒される。ホント癒される。

 可愛いロリロリ軍師。僕としてはその肩書きだけでホントに十分ではあるのだけれど────。

 

「冀・幽・青・并と河北四州を手中に収める袁紹軍と司隸・徐州の大半と兗州を収める曹操軍の戦いは天下の行く末を決定付ける一大決戦とも言えます。が、一大決戦であるが故に両軍とも安易に軍を動かすことが叶わず、年単位で戦況が硬直するということも十二分に考えられます」

「お、おお。うん。そうだな」

「はい。そこで我々が執り行うべき道は隣接する州である益州。未だ黄巾の乱での爪痕が色濃く残る益州を、大和様の人徳を以て平定することで我らの戦力拡大を計るとともに、益州の民の安寧を望める上策であると、予てより考えており、中原が動く今がその絶好機であると具申致します」

 

 可愛いロリロリ軍師も発想が荒いんだよな。

 こういう時の朱里は、普段の「はわわ」っぷりがまるで嘘かのようにキリッとしてるし。

 どうして穏便な策っていっているのに侵略行動を取る選択肢が真っ先に出て来てしまうのだろうか。もっと平和的にいこうじゃないか。そもそも今、益州を治めてる人って確か────。

 

「────いや、朱里。益州を治めてる劉璋殿は同じ劉氏の同族なんですが、それは…………」

「はい。同族であることから軍事行動に移さずとも、外交交渉での穏便な無血開城も見込めますね。本当に素晴らしいことだと思います!」

 

 咲いた花のように無垢な笑みを浮かべる朱里。

 違う。なにかが決定的に違う。僕が思う穏便とは明らかに異なる穏便さだ。

「いや、流石にちょっと…………」と僕はもう一人のロリ軍師である雛里に助けを求める。

 

「ええっと雛里?君は何かないかな?」

「わ、私ですか?私は…………その、もっと届いた書状の内容を活かすべきかと思いましゅ!」

 

 うん。そうだよ。その通りだよ。

 華琳と麗羽をシカトして他領に侵略なんて仕掛けるものなら、後で酷い目に遭わされかねん。

 ここは謎に十年以上も先走っている華琳と麗羽の二人を「世の静謐のため」とか理由付けして制止し、和睦させるべきだろう。言うことを聞くかはさておき、それが良いんじゃないかな。

 

「うん。いいね。それがいい」

「────っ!は、はい!ありがとうございます!つきましては、まず初手として────」

 

 雛里の穏便な案に思わずニッコリ。

 そうそう、これだよ。僕が目指してるのはスローライフ。侵略は方向性が違いすぎる。

 少し不満気な朱里を宥めつつ雛里の言葉を待つ。よしよし、これで方向性も修正────。

 

「孫策軍の独立という好機を逃す手はありません。これを口実に袁術領内へ攻め込みましょう」

「…………う、うん。なんの話かな??」

「はい。まずは食糧や武器等の支援という名目で孫策軍へ協力の申し出をします。これを快諾されれば協力という言葉の解釈を即座に広げ、軍事行動へと踏み切る口実とする次第です!」

 

 修正されるどころか余計に酷くなった。

 どうして静観を求められているのに喧嘩をふっかけることになってしまうのか。

 

「いや、ちょっと意味わかんないですね…………」

「説明致します!まず第一に孫策軍の独立を、なにも広大な袁術領内で起こさせる必要はありません。私達の利が少なすぎます。これから戦役が続くことを考えますと、袁術さんの治めている南陽郡と潁川郡は是非とも抑えておきたいところです。この両拠点を足掛かりとして────」

 

 熱のこもった雛里の説明が続くも、僕が聞きたいことはそういうアレじゃないです。

 どうして戦闘を前提条件として話が進んでしまうのか。別に勝たなきゃ死んでしまうバトル・ロイヤルじゃないんだから、わざわざ無理して戦わなくてもいいじゃないかと思う。

 それに現在の大勢力である華琳も麗羽も同じ同期の桜で、仲だって良好だ。このまま事の成り行きを静観しつつ、勝者に頭を下げれば無難なところに落ちつきそうなものだけど、どうしてこんなに二人とも好戦的なのだろうか。天下への野心とか一瞬たりとも抱いたことないんだけど。

 わからん。わからんが、領内に水鏡女学院があった縁で加わったウチのロリロリ軍師は問答無用で超一流だ。二人の意見に従うのが賢い選択なのだろうが、どうしたものかと考えてしまう。

 

「まあ、この場ですぐに結論を出すことでもない。後日、主だった幕僚を集めて議論しようか」

 

 話のキリの良いところで僕はそう告げては場を離れ、「さて、どうしたものかと」考える。

 僕が「劉表」という三国志の渋キャラに転生して早二十年。華琳と麗羽と同年代であったり主要キャラの性別が反転していたりと戸惑うこともあったが、今までは中々楽しく過ごせてきた。

 だが、これからは乱世だ。すでに色々と巻き気味で進行している世の中では、現代で培ってきたこの時代における歴史知識があてになるのかは正直怪しい。戦う年代が変われば、その勝敗結果が変わるという可能性だって大いにあり得る話。不安がないかと言えば嘘になる。だが────。

 

「…………僕は決して諦めない。乱世の先にある豊かなスローライフを掴む日までは!」

 

 目標のために頑張ろうと思います。

 目指すは豊かなスローライフ。そのために誰でもいいから早く世を平和にして下さいな。

 

 



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私塾編 一話

 

 姓を劉。名を表。(あざな)を景升。真名を大和(やまと)

 これが二度目の生を受けた僕の名だ。三国時代に詳しい人なら知っていることだろう。

 付き合いの浅い人からは劉表と呼ばれ、親しい間柄の人からは真名の大和と呼ばれる。真名があることから、どうにも字の重要性が薄い世界だが、細かいことは気にしないでいいと思う。

 そして字と同じように僕の一度目の人生。現世での出来事なども、この世界で永く生きた今となっては特に重要性を感じられない。全ては過ぎ去った遠い世界の古い思い出だ。時間に追われる忙しない日々を送ったことも、不慮の事故に遭って死んでしまったことも、今は昔のことだ。

 

「しかし、過去に転生するとは驚いたもんだ」

 

 そんなわけで過ぎ去った未来の話よりも、現在進行形で歩んでいる過去のことを話そうと思う。

 僕は劉表として後漢の名族に生まれ落ちた。過去にタイムスリップした原因がどうとか、生まれる年代がおかしい等の混乱はあったが、死んでしまったことに比べれば些細な事に思えた。

 そして決意する。どうせ原因なんて解かりっこないんだから、いっそ現状を前向きに受け入れて二度目の人生を満喫しようと。劉表、大いにけっこうじゃないか。三国時代を十全に生き、荊州一帯を治めた優秀な為政者の名だ。

 

「天下を望むには足りないが、治世を生きるには釣りがくる大人物。僕の理想に近い」

 

 僕は後漢から三国時代にかけての人物や起こった出来事について、それなりに見識があった。

 だから劉表の名は知っていた。他にも主力級は勿論のこと、準主力級の人物も把握している。未来で起こる出来事や大成する人物についての知識があるというのはバカにならないはずだ。

「未来知識を活かし巧みに立ち回れば、あるいは天下も…………」と考えられなくもないが、僕はそんなものには興味がなかった。何十年も戦いに明け暮れるなんて日々なんてごめんだ。

 

「うん。勝者に頭を下げるスタンスでいいかな。そもそも僕は天下人なんて器じゃないし」

 

 僕は前世で十分に忙しい日々を送ってきた。だから二度目の人生は緩やかなものを望んだ。

 人生を楽しみ、その上で生活の質が高ければ申し分ない。言うならば「豊かなスローライフ」。

 来る乱世で望むには酷かもしれないが、僕はその大望を叶えるべく、歴史知識持ちの名族という恵まれたポジションにも過信せず、後々に楽ができるようにと幼い頃から勉学にも励んだ。

 そして己をさらに磨くべく、成人を前にして都にある私塾の門戸を叩く。都の私塾は学ぶことが多いのは勿論のこと、家柄が良い、または権力者の子息・息女が通っていることでも有名だ。

 顔を繋いで損はないし、未来の有力者がいるなら、せっせと媚びるのも悪くない。そんな打算的な思惑を胸に僕は、新たな舞台へと旅立った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「貴方、中々優秀ね。名を名乗りなさい」

「僕は劉表。字は景升。色々と至らない点も多いだろうけど、仲良くしてくれると嬉しいな」

 

 僕は幸運なことに初日から先に通っていた先輩にあたる一人の美少女に声をかけられた。

 奇特なドクロの髪飾りを付けた、巻き髪の金髪美少女。巻き髪の金髪とあって一瞬ギョッとしたが胸は小さい。事前調査で同じ私塾に通っていることを掴んでいた袁紹とは別人のようだ。

 第一印象は重要である。もし袁紹だったら滅多なことが言えない場面だが、そうじゃないなら大丈夫だ。美少女とお近づきになるチャンスを逃す手はない。僕はそう思い、明るく楽しげに話を続けることにしたのだが────。

 

「覚えておくわ。精進なさい。並大抵の努力では、私が学んだ道の後ろを歩むことになるわよ」

「おお、カッコいい台詞だね。ところで君、小さくて凄く可愛いね。名前を聞いてもいいかな?」

 

 後になって思えば、これが迂闊だった。

 

「わ、私が小さいですって…………?」

「うん。ああ、でも誤解しないでくれ。君が小さいから名前を聞いたわけじゃないからさ」

「え、ええ、そう。まあ、まあいいわ。現段階の私が小柄なことは事実。これから伸びるのは確実なんだから、この場は怒らず寛容に…………うん、そうよ。堂々と振る舞えば問題ないわ!」

 

 目の前の美少女が現世において武帝と称えられている人物であると知らぬまま────。

 

「ああ、うん。きっと伸びるよ。そのうち伸びる。僕も気がついたら伸びてたからなぁ」

「なんか雑ね。まあ、いいわ。それと私の名は曹操。字は孟徳よ。しっかり覚えておきなさい!」

 

 うっかり軽口を叩いてしまった。

 曹操という名を聞いた瞬間、全身から冷や汗が噴き出す。私塾に曹操が居るとか聞いてない。

 どうして袁紹の話はあちこちで耳にしたのに、曹操の話が聞こえてこなかったのか。もしや誰かが僕のことをハメようと工作したのか。

 いや、待て。まだ今の年代だと、超名門出身の袁紹と曹操とでは知名度の差が歴然なのかもしれない。そういうことならば納得はいく。納得はいくが、この場はどうすればいいんだ。

 

「……………………………………」

「あら?返事はどうしたのかしら?」

 

 口をつぐむ僕に曹操が挑発的な視線を向けた。

 うん、可愛い。可愛いけど不味い。面と向かって曹操の背の低さを指摘してしまった。

 これは不味い。さらに不味いことに曹操の背が低いことは確か後世に伝わっていたはずだ。それなのに僕は根拠もないまま背が伸びるだなんてことを、いい加減に口にしてしまった。

 けっこう気にしてそうな様子だったし尚のこと不味い。どうする、どうすればいい。知らん顔してスル―するか。いや、この先、曹操の背が伸びない現実を前にする度に、僕の迂闊な失言を思い出しては腹を立てるなんてことあり得る。

 それが遠因となって数十年後、戦争に巻き込まれるなんて未来は避けなければならない。

 

「返事?ああ、失言を申し訳ない…………」

「別に謝る必要はないわよ。私としてもちょっと過剰反応だったかなって思うしね」

「いや、もう一度しっかり謝らせてくれ。まず、小さいと言ってしまったことに対して心から謝罪を。そして君の背が伸びるだなんて妄言を吐いてしまったことを、この場で訂正したい!」

 

 その未来を避けるにはどうすればいいか。

 この場を言い繕ったり逃げ出して、やがて時間が洗い流してくれるのを待つのが正しいのか。

 違う。そうじゃない。僕は悪気がないにせよ、余計な一言を言ってしまったんだ。なら、まずは謝罪をするのが筋だろう。誤ったことをしてしまったら謝る。人として当然のことだと思う。

 

「はぁ!?」

「本当にすまなかった」

「すまなかった、じゃないわよ!妄言?この私の背が伸びるのが妄言だっていうの!?」

「さっきは流れで言っちゃったけど、実際もう僕らぐらいの年齢だと伸びても誤差だろうしね」

「せ、成長には個人差があるじゃない…………?」

 

 きちんと謝罪を済ませた僕の心中は、さっきまでの動揺が嘘のように晴れやかだった。

 曹操という超大物に軽口を叩いてしまったことで僕は大いに動揺してしまったが、冷静になって考えてみれば曹操はそんな小さなことをイチイチ気にするような御方じゃないはずだ。

 僕のような小心者は考え過ぎてしまいがちだが、考え過ぎは大物相手だと却って失礼にあたるかもしれない。うん、きっとそうだろう。危なく初日から大失態を喫してしまうところだった。

 

「ま、背丈の話はこのぐらいにしてさ」

「────んな!?」

「改めてよろしく頼むよ。色々と至らない点も多いだろうけど、仲良くしてくれると嬉しいな」

 

 僕は雪解けを迎えた春のような爽やかな笑みを浮かべ、そう軽快に言ってみせた。

 曹操は少しの間、両手を腰にあてては何やら考えている様子だったが、やがて小さく一つ息を吐いては微かに笑みを浮かべる。

 

「ここは私の器の大きさを示すべきね。ええ、いいでしょう。劉表、貴方のことは覚えておくわ」

 

 流石は武帝・曹操。なんと器が大きい。

 こうしてなんとか無難に初日を終えることができた。そう、無難に終えられたのだが────。

 

 

 

 

 

「────失礼。あら、劉表だったのね」

「────っと。いや、こちらこそ失礼した」

「柱だと勘違いしてぶつかってしまったわ。だって貴方、無駄にデカいから仕方ないわよね?」

「ああ、体格差を微塵も感じさせない実に重い一撃だったよ。無意識の腹にズドンとさ…………」

 

 それから曹操に絡まれるようになった。

 それも身長ネタを使った割と理不尽な内容が多いです。武帝・曹操。器が大きいかは怪しい。

 まあ、曹操とギスギスした関係にならなくてホッとした。それと今更だけど、やっぱりこの世界の英傑って女性なのね。董卓や呂布も女性なのかな。信じられない半面、見てみたい気もする。

 

 



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二話

 

 私塾へ通い始めてから半月。

 僕は学問を修めることと並行して、顔を繋いでおくべき有力者を見定めていた。

 有力者の定義は個人としての能力は勿論のこと、その個人を輩出した一族が有する影響力の強さ、または広さなどの要素を加味した上で、僕が独断と偏見と未来知識を元に調査している。

 と言っても半月程度では、まだ正しくわからないことの方が多い。今の段階で自信をもって選出するなら、後世まで名が遺っている大物ぐらいだろう。そして本来ならば、そんな大物には早々出会えるものではないはずだが────。

 

「────運が良いのか。それとも悪いのか」

 

 作り上げたマル秘資料を手に持ち呟く。

 現段階でも有力者候補はそこそこいたが、中でも突き抜けている人が二人いる。

 一人は曹操。そしてもう一人は袁紹だ。どちらも説明不要の人物ではあるが、曹操は総ての能力が傑出しており、袁紹は家柄が半端じゃない。

 未来という結果を元に語るなら曹操が勝者で袁紹は敗者であることは事実だ。だが、そんな何十年も先の話をしても仕方がないだろう。袁紹、というか袁家の影響力はこの時代でも屈指。

 本来ならこの時代、または年代は袁家の一族である袁紹に媚びとけば鉄板。まず外さない選択なのだが、ここに曹操が加わると話は難しくなる。何がそんなに難しいのかというと────。

 

「────曹操と袁紹。もう既に仲が悪そうなんだよな。いつも言い争ってるし…………」

 

 曹操と袁紹が早くも不仲であるせいだ。

 きっかけかは知らないが、性別が反転してようが曹操と袁紹は戦う宿命にあるらしい。

 戦う宿命を背負った両雄。そのどちらか一方と親しくなるということは、もう一方と敵対することを意味する────のかもしれない。

 まあ、そこまで大袈裟な話でもないかもしれないが僕は初日、うっかり地雷を踏み抜きかけたことをきっかけに曹操と、それなりに話をする間柄になっていた。一歩間違っていれば未来の処刑リストに名を連ねるハメになっていたかもしれないが、回避した今となっては良い思い出だ。

 そんなわけで割と曹操に近いため、袁紹と接触するのを躊躇っているというのが一つ。そしてもう一つは袁紹の性格にある。なんと表現したらいいのやら。ともあれ場面を私塾へと移す。

 

 

 

 

 

「おーほっほっほ!おーほっほっほっほ!!」

 

 授業中、突然高笑いを始める美少女が一人。

 静寂の室内に響き渡る声。声の主は輝く金糸の巻き髪、というか縦ロールのド派手な美少女。

 服の上からでも、はち切れんばかりの存在感を誇る胸。形も良い。間違いなく大物だ。わがままボディが高笑いとともに前後に揺れている。

 

「麗羽!うるさいわよ!」

「あーら華琳さん。授業中に大声を張り上げるだなんて、はしたないですわよ!」

 

 その美少女こそが袁紹だった。

 いかにも金持ちそうなド派手な容姿に、絵に描いた貴族を体言するかのような高笑い。

 常に自分が目立っていないと我慢ならない、自信家タイプのお嬢様。袁紹を簡単に言い表すとこの表現が相応しく思う。おっぱいでかくて可愛いけど、安易に近づくと不味い予感がする。

 早くも僕の中で定番化しつつある曹操と袁紹の言い争い。騒ぎが収まるまで他の生徒達はみんな静かに背景と同化する道を選んでいた。なるほど、都の生徒は優秀だ。僕もそれにスッと倣う。

 

「華琳さんのチンチクリン!」

「はぁ!?」

「だーって事実ではありませんこと?」

「────へぇ、そう。麗羽、貴女がそういうつもりなら、私にだって考えがあるわ!」

 

 曹操と袁紹。

 話している面子は強力だけど内容はアレだ。そして決まって袁紹が言い負かされる。

 二人は不仲、というか喧嘩友達にも見えるけど、実際はどうなんだろう。曹操に聞けば、あるいは話してくれるかもしれないが、踏み込んだ話をするには好感度が足りてないように思う。

 このように袁紹がド派手な容姿と突拍子もない行動を平気でとる、曰く形容し難いデンジャーな性格をしていたため、僕は簡単に声をかけることを自重し、安易に動かず見に徹していた。

 私塾に通い始めてから半月。まだ焦って事を急ぐ必要なんてない。そして傍から見ている分には眼福と呑気に考えていた。だが────。

 

「────こ、これは見逃せませんわ…………」

「────ん?」

 

 呑気に考えていた僕は失念していた。

 あるいは曹操と袁紹が美少女であったことから、いくらか心が緩んでいたのかもしれない。

 

「なんか近くで声が聞こえたような気がするけど誰もいないし────気のせいかな」

 

 こちらが相手を見ている時は、相手もこちらを見ているかもしてないということを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちょっと劉表さん。お話よろしくて?」

「────へっ?」

 

 それから少しばかり後のこと。

 私塾の長い廊下を歩いていた僕は不意に、袁紹に声をかけられては間の抜けた声を出した。

 

「────へっ?お話?────僕と??」

「ええ、そうですの。わたくし、貴方にどうしても言いたいことがありますのよ!!」

 

 僕は完全に失念していた。

 同じ私塾に通っておきながら、袁紹から話しかけられる可能性を考えていなかったことを。

 僕はてっきり、僕から話しかけない限りは袁紹との関係は進まず退かず、良くも悪くも不変であると勝手に思い込んでいた。

 迂闊。あまりに迂闊だ。そのせいで僕は声をかけられた驚きのあまり碌に頭が回らなかった。何を言われるのか想像がつかない。僕は僕が気づかないうちに袁紹の逆鱗に触れてしまったのか。

 

「う、うん。勿論、よろこんで」

「当然ですわね。言いたいこととは、あのクルクル頭の小生意気な小娘のことですわ!!」

「────え、クルクル頭?君のこと??」

「違いますわよ!クルクル頭の小生意気な小娘と言えば、華琳さんのことに決まってますわ!!」

 

 華琳って確か曹操の真名だよな。

 確かに曹操の髪もクルクルしてるけど、君の髪はその十倍クルクルしてるんですが。

 しかし引っ掛けであってにせよ、テンパっていたにせよ、うっかり初っ端から袁紹を刺激してしまった。これは不味い。曹操と話をした時に犯した過ちを繰り返してはいけない。とにかく冷静に対応しないと。そう冷静に、冷静に────。

 

「キィー!それともなんですの!わたくしの方が小生意気な小娘だと貴方は仰りたいの!?」

「ど、どうどう。落ちついて落ちついて」

「これが落ちついていられますか!せっかく、せっかくわたくしが同族のよしみで、貴方を助けて差し上げようと思いましたのに!!」

 

 同族のよしみってなんだそりゃ。

 なんだかよくわからないが、ともかく逆鱗に触れたわけではないことにホッと胸を撫で下ろす。

 現在進行形で袁紹は憤ってはいるが、ここは巧みな話題展開で意識を逸らすが正解か。宥めすかし、この場は気分良くお引き取り願おう。

 

「同族のよしみ?」

「あ、間違えました。名族のよしみですわ!」

「はあ、名族のよしみ。まあ、確かに僕は前漢皇族の血の流れを汲む家柄の生まれだけど、袁紹殿の袁家と比べると格落ち感が否めないなあ」

 

 なるほど、そういうことか。

 僕の血のルーツは一先ず置いておくが、少なくとも袁紹に名を知られる程度には有名らしい。

 まあ、血筋が良いからって調子にのって袁家と構えるものなら秒殺されるけどね。結局は古い血筋よりも、今現在の力が物をいう時代だ。このへんは何時の時代も変わらないのかもしれない。

 

「それほどでもありますわ!」

「いやはやホント素晴らしい────じゃ、僕はそろそろ失礼するよ!」

「ちょ、ちょっとお待ちになって!わたくしまだ話を始めてもおりませんわ!!」

 

 そそくさと立ち去ろうとするもストップをかけられてしまう。ダメだったか。

 袁紹とは色んな意味でお近づきになりたいが、色んな意味でお近づきになりたくないという、なんとも悩ましい立場にある。少なくとも僕の考えがまとまるまでは、静観しておきたかった。

 それに話ってなんだろう。曹操の名前が出ただけで嫌な予感しかしないが、逃げられないなら聞くしかない。ちょっと愚痴を聞かされるぐらいで解放してくれたら幸いだけど、どうなるかな。

 

「それで僕に話?」

「わたくし見てしまいましたの。劉表さんが華琳さんに惨い仕打ちを受けているのを!!」

「え?身に覚えがないんだけど…………」

「隠さなくてもよろしいですわ。わたくし見てしまいましたの。華琳さんが劉表さんにワザとぶつかっては理不尽なことを言っている場面を。あれは、あれは明らかに確信犯でしたわ!!」

 

 あの場面を見られてしまったのか。

 確かに傍から見れば曹操の言動は理不尽かもしれないけど、そもそもの事の発端は僕の失言にあるわけで、別に虐められてるとかどういうわけではない。むしろちょっと嬉しいぐらいだ。

 

「いや、その件なんだけど…………」

「ああ、仰らないで!わかりますわ!」

「いや、ホント僕ら別に仲が悪いとか…………」

「あの陰湿な華琳さんの仕打ちには断固として抗議すべきだと思いますわ!ええ、そうです!」

 

 違います。僕の話を聞いて下さい。

 善意で言ってくれているのはわかるけど違います。ホント貴女の勘違いです。

 そう力強く言えたらいいのだけど、どうにも袁紹は既に自分の中で結論を出した上で話を切り出しているようだ。つまり僕の話を碌に聞かない。熱心に否定してもぜんぜん聞いてくれない。

 僕はしばらく説得を試みるも、袁紹がその手のタイプであると気づいた後は「まあ、別に抗議ぐらいしてもいいかな」と思うようになった。曹操はそんなことで気を悪くするような人じゃないし、それで袁紹の気が済むのであれば、僕も善意の申し出を断るようなことはしない。

 

「うん。まあ、いいんじゃないの」

「ええ、その通りですわ。巨悪に対し毅然とした態度で挑むことも名族としての務め!!」

「そうだね。多少は言い合いになるかもだけど、終わった後は爽やかな握手をだね────」

 

 そう安易に考えたのが間違いだった。

 そして話が案外、穏やかな方法で済む流れになったことから、僕はすっかり失念していた。

 

「やはり高貴な血族は団結するものですわ」

「そうかもね」

「わたくし達で巨悪な華琳さんをギャフンと言わせては、土を舐めさせて差し上げましょう!」

 

 袁紹は可愛いだけではなく、とてもデンジャラスな性格をしていることを────。

 

 



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三話

 

 袁紹と結束して曹操と戦うハメになった。

 字面だけを見ると官渡の戦いを思わせる物々しさだが、そんな大袈裟なものではない。

 君主となる前の、勢力を築き上げる前の曹操と袁紹の小競り合いに僕が巻き込まれてしまった形だ。「どうしてこんなことに…………」と愚痴りたくもなるが、僕にも責任の一端はある。

 

「────そう、劉表を助っ人にね」

「おーほっほっほっほっ!そういうわけですので華琳さん。宣戦布告に参りましたわ!!」

 

 しかし、巻き込まれるのは正直困り物。

 それも抗議するって話のはずが、いつの間にやら宣戦布告にすり替わってるし。

 僕は袁紹の横に突っ立っては腕を組み、目の前で優雅に腰を下ろす曹操を眺めながら考える。

 袁紹の求める勝利は曹操をギャフンと言わせ、土を舐めさせること。流石に土は舐めないだろうし、舐めさせてはいけないが、勝負に勝てばギャフンとぐらいは言ってくれるかもしれない。

 

「ふーん。まあ、気が向けば相手してあげるわ。私は麗羽と違って暇じゃないしね」

「キィー!腹立たしい小娘ですこと!」

 

 ここで問題となるのはどの分野で勝つか。

 曹操は完璧超人に思えるが、勝つ隙はおそらくある。「比武を競う」だとか「叡智が問われる」王道の勝負となれば勝てないだろうが、サブカルチャー系の勝負であれば勝算は0じゃない。

 例えば歌だとか踊りだとか。曹操が苦手な分野を突けば勝算はあるはずだ。だが苦手な分野を突いたコスい戦いに勝ったからといって、曹操が素直にギャフンと言ってくれるかはわからない。

 

「劉表さんからも言ってやって下さいな!」

「────ん?ああ、うん。そうだね…………」

 

 わからないが、話が縺れて曹操に睨まれるってのも、ぶっちゃけ勘弁してほしいところ。

 まあ、ここは真剣に勝つ道を模索するよりは袁紹の下っ端役にでも興じつつ、矢面を避けて無難にやり過ごすが賢明か。そうと決まればここは一つ、典型的な下っ端役を演じるとしようかな。

 

「ゲヘヘヘ袁紹殿、コヤツめ我らの宣戦布告に怯え強がっておるようですなぁ」

「おーほっほっほ!やっぱりそうですか!」

「宣戦布告も済んだことです。この場は見逃してやると致しましょうか。グヘヘヘヘ…………」

 

 うん、こんなところかな。

 あまりの雑魚台詞に油断してるとあっさり死にかねん恐怖すら覚えてしまうぐらいだ。

 ここは曹操の怒りを買う前にさっさり引き上げて、その裏で言葉巧みに袁紹と話をつけては僕のポジションを落とすがベスト。僕はそう考え、袁紹と共に引き上げようとしたのだが────。

 

「おーほっほっほ!おーほっほっほっほ!それでは、わたくし華麗に失礼しますわ!!」

「────え?一人で行っちゃうの!?」

 

 あっさり袁紹に置いて行かれてしまった。

 踵を返し、高笑いを浮かべ優雅に立ち去る袁紹。僕は呆気にとられてはその背を見送った。

 

「…………………………」

「…………………………」

 

 僕の背から放たれる強烈なプレッシャー。

 やってしまった。振り返ることも憚られる重圧の中で僕は胃に鋭い痛みを感じていた。

 

「────怯え強がっている、ねえ」

「それは言葉の綾でして他意は…………」

「で、この私を見逃してやると。ふーん?」

「べ、弁解を。この愚か者に弁解の機会を与え賜りますように御慈悲を…………!」

 

 僕はこれでゲームオーバーなのか。

 曹操の甘美な声に篭った有無を言わせぬ圧。僕は己の発言の愚かさを心底呪った。

 背中にダラダラと汗をかきながら曹操の言葉を待つ。気分は執行の刻を待つ罪人のそれ。曹操が並の王であれば僕の目指すスローライフへの道は途絶えていたかもしれない。だが────。

 

「はい、説明」

「────へ??」

「こっちを向いてさっさと説明しなさい」

 

 真の王者はやはり格が違った。

 真の王者は哀れな愚者の行いを許す度量があった。僕は執行猶予が与えられたことに感涙する。

 僕は振り返り、そして簡潔で且つ明瞭に事態の説明をした。袁紹をディスることで許しを得ようという浅ましい考えも一瞬過ぎったが、それはちょっと違う気がしたのでやめておいた。

 

「つまり、まるまるうまうまと」

「はい。ご明察の通りであります!」

「ふーん、そう。あの麗羽が、ねえ。ホント相変わらず騒がしい子だけど────」

 

 審判の刻を前に静かに唾を飲み込む。

 そして僕はおそらく、曹操は離反か内通を命じてくるものだと身構えていたのだが────。

 

「────ま、いいんじゃないの」

「なんと!────よろしいので??」

「別に麗羽が騒がしいのはいつものことだし。あの子が満足するまで付き合ってあげるといいわ。それと変に畏まるのウザいからやめなさい」

 

 曹操は意外にもあっさりそれを認めた。

 油断というよりは余裕なのだろうか。勝者の余裕。なんにしても僕も首の皮が繋がったな。

 

「了解。そういうことなら僕も気兼ねなく、曹操殿を打倒すべくエグい謀を考えるとするよ」

「貴方も大概図太いわよねぇ」

 

 そんなこんなで話はついた。

 曹操から曹操打倒の許可が下りたので、僕はしばらく袁紹に協力して過ごすことに決めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日から曹操に挑む日々が続いた。

 といっても僕が矢面に立つことは滅多になく、ほとんど袁紹が曹操に挑む構図であった。

 袁紹は王道の真っ向勝負を好んだが、真っ向勝負で曹操に勝つ道はあまりに険しく、僕らは連日敗北を積み重ねる日々を送る。

 

「ギャフン!ですわ」

「────ま、こんなところね」

 

 果敢に比武を競おうにも怪我をしない程度に軽くいなされてしまい────。

 

「────は────じゃない?」

「────が────ではありませんこと?」

「なら────の場合──────となるけど貴女はそれでも────────」

「ええっと、そうなりますと────わたくしとしましては────?────────??」

 

 舌戦に関しては見る影もない。

 これについては袁紹がどうという話よりも曹操が強すぎて相手にならない恰好だ。

 本気で勝とうとするなら孔明クラスを引っ張ってこなければならないだろう。あるいは禰衡。

 だが禰衡を刺客に差し向けるものなら、僕も本気で死を覚悟しなければならないことは明白。連鎖して処刑されても文句がいえない。

 まあ、そこまで命懸けで挑むこともない。最初はどうなることかと思いはしたが、今となってはそれなりに楽しんでもいる。ぶっちゃけ眼福だ。この前は袁紹のパンチラが見えたりもしたし。

 

「で、まだ続けるのかしら?」

「ぐぬぬ、ぐぬぬぬぬ………………」

 

 おっと、今日も勝敗が決したようだ。

 僕は僕の役割を果たすべく曹操と袁紹の間に入っては、本日の対戦終了の合図を告げる。

 

「袁紹殿、今日はこのへんで勘弁してやろう」

「そ、そーですわね!今日は残念ながら本調子ではなかったので仕方ありませんわよね!!」

 

 僕は袁紹の本調子を見たことないけどね。

 そんなこんなで連日、曹操相手に敗北を積み重ね続けてきた僕らであったが────。

 

「袁紹殿、今日は天気が優れないしそろそろ」

「そ、そーですわね!!」

「袁紹殿、星の巡りも悪そうだしそろそろ」

「そ、そーですわね!」

「袁紹殿、お腹も空いて来たしそろそろ」

「そ、そーですわね?」

「袁紹殿、飽きてきたしもう帰ろっか」

「────ちょ、ちょっと劉表さん!だんだん雑になってきてはいませんこと!?」

 

 負けっぱなしというのも面白くない。

 敗北を積み重ねること一月。せっかくなので一度ぐらいは本気で勝ちを狙うことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 曹操に勝つ。

 そのために僕が提案した方法とは私塾の試験での点数を競うことであった。

「なにをバカげたことを…………」と思うかもしれないが、これには僕なりの根拠があった。王道の手段で曹操から勝利を収めるたいのであれば、おそらくこの方法が一番勝算が高いはずだ。

 

「────と、言うわけで明日は、明日行われる試験の結果で勝敗を決そうと思うんだ」

「え、それって大丈夫ですの?」

「大丈夫大丈夫。たまには学徒らしい対決方法も悪くないと思うんだけど二人はどうかな?」

 

 不安そうな袁紹に笑顔で返事を返す。

 袁紹はこれまでに曹操との対決の内容で試験結果をチョイスすることはなかった。

 無意識に勝てない分野と避けていたのかもしれない。が、僕はこの対決にこそ光明を見いだしていた。悪くても三割。下手すれば袁紹の方が分が良いなんてこともあり得る対決だ。

 

「わたくしは構いませんわ。劉表さんにお勉強を見てもらっている成果も気になりますし」

「そうかいそうかい。曹操殿はどう?」

 

 僕の根拠としてはこうだ。

 私塾の試験は明確に答えがある問題だけではなく、思考・思索といった要素を含む自由回答式の問題も数多く出題される。

 例をあげるなら「○○の場合における、最も相応しい行動を200文字以内で答えよ」といったタイプの問題だ。勿論、それに合った模範解答はあるが、曹操はその模範解答を選ばないはずだ。

 

「────なるほど、これが貴方の謀というわけね。既に麗羽にも手を回していると」

「僕はただ勉強を教えたに過ぎないよ」

「私が優秀と認めただけのことはあるわね。ええ、いいでしょう。この勝負しかと受けるわ!」

 

 ほう、分が悪いのを承知で受けてきたか。

 革新的な発想が主な曹操の思考と保守的な私塾の先生方の思考は相反するもの。

 つまり曹操が高得点を狙うためには保守的な先生方が好む解答をしなければならない。革新的で斬新な発想を捨て、伝統的で無難な解答をしなければならないということになる。

 試験のためとはいえ、果たしてどこまで寄せきれるのか。それに加えて袁紹は名族らしい伝統的な解答をさせれば右に出る者はいない手堅さをなぜか誇っている。これが僕の描く勝ち筋だ。そのために地味に地道に袁紹に一般的な勉強を教えたりもした。正直けっこう手応えもある。

 

「君は明日、敗北を知ることになるだろうね」

「ふふふっ言ってなさいな。私に本気を出させたことを悔いるがいいわ!」

「なんだか蚊帳の外ですが、わたくしも早く帰って、お勉強頑張りますわ!!」

 

 お膳立てはバッチリ整えたぞ。

 だから勝ってくれよ袁紹。ホント今回は曹操に勝つビッグチャンスだからマジで頼むぞ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして翌日の試験後。

 この日は先生方にお願いして一人ずつ答案用紙を返却する方法をとってもらった。

 名前が呼ばれ、そして点数が告げられる。悪い点数だった人は周囲の目に恥ずかしそうに俯く。悪いことをした気がしないでもないが点数は自己責任だ。悔しさをバネにしてほしい。

 刻一刻と近づくその瞬間を前に高まる緊張。そして遂に袁紹の名が呼ばれた────。

 

「袁紹さん92点です。頑張りましたね」

「わたくしが92点!?────劉表さん!わ、わたくし、わたくしやりましたわ!!」

 

 明らかにざわめく教室内。袁紹の普段の評価がなんとなく窺えてくるが、今はよし。

 答案用紙を手に満面の笑みを僕に向ける袁紹。可愛い。可愛いがまだ油断は禁物だ。曹操なら下手をすれば苦手分野でも超えてきかねない。そんな不安も確かに、確かにあるが────。

 

「あ~ら、これは決まりましたわねぇ」

「…………………………」

「おーほっほっほ!おーほっほっほっほっほ!────ゴ、ゴホッ…………む、むせましたわ」

 

 袁紹の挑発にも反応せず、こめかみに手をあてて瞳を閉じる曹操は自信無さそうに見える。

 これはマジで勝ったかもしれない。遂に曹操の常勝神話に終止符を打ったのか。そんな淡い期待が脳裏に過ぎるも、そこはやはり天才曹操。僕らの思惑の遥か上をいった────。

 

「曹操さん96点です。とても頑張りましたね」

「────ふ、ふぅ。まあ、当然の結果ね」

 

 結局、曹操は曹操だった。

 わずかに吐息が漏れるも表情に変化はない。勝てなかったか。良い勝負だっただけに残念だ。

 曹操はチラッと僕の方を向いては「どうよ?」とばかりに顔を上げた。はい、完敗です。袁紹も凄く頑張ったんだけどね。やっぱり役者が違うのかな。ホントに後一歩だったんだけどな。

 

「あらら?さっきまで聞こえてきた可愛い負け犬の遠吠えが聞こえてこないわね~?」

「…………………………」

 

 そして次は曹操が袁紹を挑発する順番となったが、魂が抜けた袁紹は反応を示さなかった。

 ああ、負けたか。残念に思いながら明後日の方向を向く僕は、先生に名を呼ばれていることに気づくのが数テンポ遅れてしまった。

 

「────さん。劉表さん」

「────あ、はい。すいません」

 

 気づいた時には教室中がざわめいていた。

「なんだろう?」と思いながら僕は席を立っては周囲のざわめきを尻目に教壇へと歩く。

 途中、曹操のスカイブルーの瞳が僕を見定め、快晴の空のように強い光を放っているように見えた。そして機嫌が良さそうだった。僕にはよくわからなかったが、先生の言葉を聞くと同時にその理由を知ることになる。それは────。

 

「劉表さん100点です」

「────────えっ?」

「劉表さん100点です。貴方は将来、優れた儒者となるでしょう。先生も鼻が高いですよ」

 

 僕がまさかの満点を叩きだしたせいだった。

 100点満点。「なんでだよ」と心の中で呟くも、思えば今回の試験は解答に苦戦しなかったな。そして袁紹に勉強を教えていた僕が袁紹以下の点数を取ることは確かに考え辛い。

 しかし100点満点か。僕の保守的な思考と先生方の保守的な思考が絶妙に噛み合ったのかな。なんにしても嬉しいもんだ。この完璧な結果には思わず少し、調子にのってしまいそうになる。

 

「うーん、僕もやるもんだな」

「────そうね、大したものね。お陰で私は貴方の予言通り敗北を知らされてしまったわ」

 

 余韻に浸っている僕にかかる声。

 声の主を見ると、そこにはニッコリと微笑む曹操の姿。ん、さては僕に気でもあるのかな。

 そんな冗談を口にしかけるも、曹操から放たれるプレッシャーに自重する。そして気づく。曹操より高い点数であったことに。ワンチャンスを活かしたのは袁紹じゃなくて僕の方だったのか。

 

「ええ、そういうことだったのね」

「いや、これはだね、曹操殿…………」

「貴方の真の謀とは、本気になった私を真正面から粉砕することにあったわけね…………」

 

 いや、本命は勝ちたがっていた袁紹です。

 なんか妙な流れになりそうなので嫌な予感もする。誰か彼女を止めてくれないでしょうか。

 

「貴方を低く見積もっていたつもりはないけど、これは認識を改めざるを得ないわね」

「ちょ…………!」

「ええ、いいでしょう。これからは貴方のことを今より一段階上の認識に改めるとするわ」

「曹操殿、それって良い意味だよね?」

「ええ、勿論。少なくとも私にとっては良い意味よ。貴方にとってどうかはわからないけどね」

 

 つまりどういうことなんですかね。

 曹操はそう告げると含みのある微笑み浮かべ、疑問符を浮かべる僕にこう続けた。

 

「────今日この瞬間より私の真名を預けるわ。【華琳】と呼びなさい。敬称もいらないわ」

 

 そう言い残すと曹操は──いや、華琳は僕の返事も聞かず満足そうに教室を後にした。

 今回の勝利を機に曹操の僕に対する評価がかなり上がった模様。評価が上がることが良い事なのか面倒事のリスクが高まったのかの判断がつかないが、今は素直に真名を預けてもらえたほど親しみを覚えられたことを喜ぼうと思う。

 

「────うん。やっぱり嬉しいもんだな。教室中のみんなにめちゃくちゃ見られてたけど」

 

 僕の真名は次に会う時にでも預けようか。

 そしてその後、抜けた魂が戻ってきた袁紹から自分のことのように盛大に祝福された。

 こちらも評価がかなり上がった模様。華琳のことを話すと袁紹からもすぐに真名を預けられたので僕も預けた。袁紹の真名は【麗羽】。真名を預けられると、やはり深い親しみを感じる。

 

「どうして麗羽は華琳と仲悪いのさ」

「ええ、それはですね────」

 

 その流れで華琳との不仲の理由を尋ねてみる。

 てっきり深い理由でもあるのかと思いきや、そんなこともなく普通に浅かった。

 要するに「キャラが被ってるから」互いに気に入らないそうです。「ふーん」と僕が適当に空返事をするとちょっと麗羽に怒られた。

 

 後日、袁家の当主から「娘の成績を上げてくれたことに対する感謝状」と「心許りの品物」が届き困惑するハプニングこそあったが、おおよそ僕は都での生活を楽しんでいる。

 

 




誤字報告ありがとうございます。これからも気をつけます。


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四話

 

 僕が想像していたよりもずっと、私塾で過ごす日々は穏やかなものだった。

 始まりこそ曹操、袁紹といった超大物と出会ったことで慌てたが、二人と話すようになり、対決に連れ回され、呼び名が姓名から真名の華琳、麗羽へと変わる頃には深い親しみも感じた。

 華琳や麗羽だけに限らず、私塾のみんなとも仲良くなった。僕は未来の有力者候補だけでなく、誰とでも親しく接するように心掛けた。通い始めた当初は特に意識していなかったが、同じ教室で机を並べ、切磋琢磨し互いに高め合うクラスメイト達に、僕は次第に仲間意識を覚えていた。

 

 約一年ほど、私塾で学問を修めた。

 その間に起こったイベントは色々とあるが、取り立てて語るべき事といえばなんだろう。

 華琳に関するものだと、すっかり二人に慣れた僕と麗羽が余計なことを言ってしまい起こった「華琳、巨乳撲滅宣言(春)」と半年後、同理由で起こった「華琳、巨乳撲滅宣言(秋)」か。

 

「巨乳死ぬべし、慈悲は無いわ」

「華琳様!お考え直し下さい!!」

「ハハハッ。無いのは君の胸だろ華琳!」

「ごめんなさいね春蘭。私は修羅と化す宿命なの。で、大和────遺言はそれだけかしら?」

 

 僕も無茶をしたがる年頃だったのかな。

 華琳から空間が歪むほどの殺気を当てられた時には、自らの浅はかさを魂魄から悔いたものだ。

 そして、その頃には華琳と麗羽、それぞれの側近達とも顔を合わせていた。華琳は夏侯惇と夏侯淵。麗羽は顔良に文醜。四人全員が女性であったことには、もはや驚きは感じなかった。

 彼女達の姿を見ていると、僕にもやがて部下ができるのかと考える。荊州だと誰になるんだろう。甘寧に魏延。それに黄忠が加わってくれれば相当厚みがあるな。全員とは欲張らないが、誰か一人でも加わってくれないだろうかと思う。

 

 次いで麗羽に関するものだとなんだろう。色々とあるが、やはり一番はアレかな。

 娯楽の提供にと僕が時代を1000年以上も先取りして考案した麻雀が「高い知性と閃き、そして天運が求められる雅な遊び」として私塾内で、そして都で流行ったことで起きたイベント。

 

「あら、どうしましょう?」

「ちょっと麗羽、切らないと始まらないわよ」

「まあ、麻雀って慣れるまで大変だからね。どれ僕が見てあげ────あれ?和了ってる?」

 

 そう「麗羽、炎の80連勝達成」だ。

 運が強いとかそういう次元じゃ到底語ることのできない麗羽の豪運イベントである。

 簡単に説明すると麗羽が通常、4人で行う運の要素が非常に強いテーブルゲームで、ルールも把握し切れていないスタートから80連勝を達成するという、無類の強さを誇ったイベント。

 麗羽に食い下がれたのは、ルールを瞬く間に理解しては誰よりも高い状況判断能力に長けた華琳と、麻雀の発案者であり、隙あればイカサマを行っては小遣い稼ぎしていた僕ぐらいだった。

 そんな麗羽の連勝記録を止めたのは、連敗続きで悩んでいた華琳が苦闘の末、覇王の闘牌に目覚めたことで麗羽の牙城を遂に崩すという、これまた説明が難しい覚醒イベントが起こったことも記憶に新しい。色々と僕の知る麻雀とは大きくかけ離れていたが、楽しかったし別にいいかな。

 

 緩やかに流れる時間の中で、楽しくも穏やかな日々を過ごすのは心地良いものだった。

 だが、僕達はいつまでも同じ地点に留まっているわけにはいかない。郷挙里選の時期が迫ると、僕と華琳と麗羽の三人は揃って出身の国郡より考廉に推挙されることが決定した。

 

「さて、いよいよなんだけど────」

 

 それに合わせて私塾の卒業日時も決まり、さあ本格的に役人へ、という今日のこと。

 僕は深く悩んでいた。このまま卒業を迎えてしまって、果たして本当にそれでいいのかと。

 悩みの種は華琳と麗羽の二人についてだ。親しくなれたのは嬉しいことだが、今のままで満足していて果たしていいのか。二人の友人という恵まれた地位をもっと活かすべきではないか。

 僕は思う。今のままだと、いざ乱世となった際、たとえ友人関係にあっても「悲しいけど、これ戦争なのよね」という言葉と共に攻められるかもしれない。というか普通にそうなるだろう。

 

「────うん、そうだな。体が健康であるうちにこそ、保険は正しく掛けておくべきだ」

 

 僕の目指すスローライフに平穏は必須だ。

 ならば一体どうすればいい。僕はしばらく思い悩み、やがて一つの結論に辿り着く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────と、言うわけだから華琳。この血判状に署名と血の拇印を押してはくれないか?」

「何事!?」

 

 卒業も間近に迫った、とある日の夕暮れ時。

 私塾帰りの華琳に声をかけては、人影の無い校舎裏まで連れ出し、僕は話を切り出した。

 

「こんな場所に連れ出して、一体何事よ」

「これは互いに悪くない話だと思うんだ!」

「思うんだ、じゃないわよ。大和、貴方はこの国を相手取って反乱でも起こす気?」

「まさか。僕ほど平和を愛する人も居ないよ。既に僕の署名と拇印は済ませているからさ」

 

 僕が悩み、導きだした答えとは、華琳と麗羽の二人と将来的な不可侵条約の盟を結ぶこと。

 互いの治める領土を尊重し、侵略行動の一切を禁じ、仲良くしようというもの。出来れば三人それぞれで結べればベストであるが、流石に戦う宿命にある華琳と麗羽が結ぶのは困難だろう。

 

「まったく、こんな怪しい物を用意して貴方は────って、中々質の高い紙じゃない」

「僕は準備を惜しまない性質でね」

「あら、そう。ま、なんにしてもダメ。私は書かないわよ。そんな得体の知れない物なんてね。なぜか麗羽の名前が貴方の名前の横に書かれているけど、私はなにも見なかったことにするわ」

 

 ダメ元で頼んでみたが、案の定ダメだった。

 こんな怪しい物に署名してくれるなんて麗羽ぐらいか。その麗羽ですら拇印はダメだった。

 トントン拍子で署名まで漕ぎつけたはいいが「君の血が欲しい」と言った後から妙な雰囲気になってしまった。まあ、血なんて欲しがられたら困惑するのも無理ないか。

 

「血の証明だけでも済ませてくれれば僕も譲歩する準備はある。署名は代筆でも可としよう」

「そういう話じゃないのよ」

「う、うーん。なら血ではなく朱肉による拇印でも────いや、それは流石に足りてない?」

「足りていないのは大和、貴方の倫理観だと思うのだけど、まあいいわ。とにかく、とにかく私は書かないし押さないわよ。そんな物には」

 

 やっぱりこうなってしまうのか。

 統一志向の強い華琳は難しいと思っていたが、ここまで取りつく島もないとは悲しい。

 だが、この世界でも将来的に僕ら三人の治める領土が、僕の知る未来のそれと一致していると仮定した場合、華琳の同意は必要不可欠。

 麗羽とは地理的な関係から軍事衝突に発展する可能性は非常に低いが、華琳は領土が隣接するから不味いんだよね。華琳が北の麗羽を打ち破って南下してきた時、次の狙いは僕の領地となる。

 

「つまり華琳は僕の命を所望すると」

「どうしてそんな極端な話になるのよ」

「うーん、やっぱり麗羽と組んで早い段階で華琳を仕留めるのが平和的なのかな…………」

「────へえ、それもまた面白いわね」

「うそうそ、冗談だよ。僕に軍才なんてないし。まあ、それ以前にそもそも僕は────」

 

 華琳が南下してくる時期まで生きてるかな。

 三国時代の劉表は丁度その頃、寿命か心労かまでは覚えてないが、死んでしまったはずだ。

 まあ、この世界の劉表である僕は本来の劉表より遥かに若い。正確な年齢までは把握していないが、おそらく本来の劉表と僕は、親子ほどの大きな年の差があるはずだ。

 

「麗羽もだけど、華琳とは特に争いたくないんだよね。僕じゃ敵わないだろうから」

「あら、自信ないのかしら?」

「争い事はごめんだよ。僕は将来、領主となった後は静かに穏やかに過ごすと決めてるんだ」

 

 そうなると生き残ると仮定する方が正しい。

 何かの拍子にポックリと死んでしまうのかもしれないが、そんなこと考えても仕方ないし。

 なぜか歴史上の主要人物が女性のこの世界。年齢や性別に変化があるように、先の歴史にも相応の変化が生じる可能性を考慮しては、あらゆる不測の事態にも備えておくのが賢明。

 だからこその血判状。華琳と麗羽の安全を買えれば、歴史がどう変化しようが乗りきれそうなんだよな。でも、やっぱり厳しいか。麗羽も拇印ないし、書いたことを忘れてそうな気もするし。

 

「ふーん、静かに穏やかに────ね」

「ん?」

「大和、貴方は平和を望みながらも、動乱期の到来を確信して動いているんじゃないの?」

 

 僕の知る歴史とズレが生じている世界。

 この先の世がどうなるかなんて、僕には確信をもって言い切れることは何一つない。

 だが、そんな中でも華琳は、たとえ歴史がズレようが主役を張るだろうと確信していた。

 そして同様のことが麗羽にも言える。手垢のついた表現になるが、要するに二人は大器。麗羽の場合は晩成タイプかもしれないが、完成に至れば天下を取れる資質を秘めていると見ていた。

 

「…………確信はしてないよ」

「あら、本当にそうかしらね?」

「昨今の情勢とこれまでの歴史を鑑みれば、そんな未来も十分起こり得る事ってだけの話さ」

「ええ、そうね。私も同意見だわ。言うならば乱世。古く淀み腐った時代は終焉を迎え、新たに個々の才覚が強く光を放つ世が来るのよ」

 

 だからこそ、多少強引にでも二人と血の固い契約を交わしたかったのだけど────。

 

「やっぱり貴方は先が見通せているわね」

「そうかな?」

「ええ、そうよ。私がこれまで出会った者の中で、間違いなく貴方が一番才知に富んでいるわ。だからこそ私は、貴方の提案を受けることはできないの。近い将来、きっと後悔してしまうから」

 

 華琳は僕と結ぶよりも戦いたいようだ。

 なんとも価値観が合わないように思う半面、少しだけわかるような気もする自己矛盾。

 

「後悔の無い人生なんて、きっとつまらないよ」

「そうかもしれないわね。それだったら大和、貴方が私を後悔させても構わないのよ?」

 

 陽は西に傾き、空は茜色に染まる。

 花も恥じらう美しい容姿から放たれる言葉の下では、地に伸びた影が妖しく蠢いていた。

 その影に僕は「乱世の奸雄」という言葉を思い出す。良い意味とは言い切れないが、乱世を呑みこみ、収める人物は、華琳のような大器なのだと思う。やっぱ血判状、書いて欲しかったな。

 

「はあ、面倒な世になるね」

「ワクワクしてこないかしら?」

「どうだろう。僕は君や麗羽のように親しい友人と平和的に過ごせたら、他は強く望まないよ」

「欲があるような無いような話ね。そして確かに、貴方は私が友と呼ぶに相応しいわ。この私を幾度も打倒した才覚も、誰とでも打ち解ける包容力の高さも好ましく思う。だからこそ────」

 

 沈みゆく日輪を背に華琳は微笑んだ。

 淡く朱に染まる空にあっても、華琳の髪は霞むことなく黄金に強く光り輝いていた。

 

「────友よ強く気高く在りなさい。小人のような振る舞いは貴方には相応しくないわ」

 

 そう言われればもう、返す言葉がなかった。僕は目を閉じては華琳の言葉に小さく頷く。

 僕にとっての幸運は、華琳と麗羽の二人と知り合えたことだろう。そして不運もまた、二人と知り合ってしまったことかもしれない。

 乱世。これも時代の流れなのかな。未来を知っているかといって避けられるような緩慢な流れでなければ、時代の勝者に与すれば必ず勝てるという安易な保証があるわけでもない。

 劣勢であるからこそ勝ちを拾え、優勢であっても敗れるのが世の倣いだ。僕が介入することでひっくり返る盤上もあれば、逆もまた然り。未来を知る優位性に胡坐をかくのも考えものか。

 

「そして大和。貴方が麗羽と一緒に行った私に対する数々の無礼。忘れてないから」

「僕の記憶には既にないな…………」

「ふふふっ。まあ、いいわ。私にとっても楽しい日々であったことには、違いないからね」

 

 僕の目指すスローライフへの道は険しいな。

 おそらくはこの先も、僕は華琳と麗羽の二人と深く関わっていくことになるんだろう。

 まあ、楽しい日々を送れるのなら、それもまたいいかもしれない。たとえ本格的に華琳と構えるハメになったとしても、それはまだ十年、二十年以上も先の、遠い未来のことなんだから。

 

 こうして僕らは私塾を卒業した。

 そして程なく考廉に推挙されては郎官となり、来る日に備えては英気を養う日々を送る。

 

 



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五話 女の戦い

 

 私塾を卒業し、考廉に推挙されて郎官となった劉表、曹操、袁紹の三人。

 郎官とは光禄勲に職属する。そこで次代を担う新人官僚として経験を積んだ上で転出────という小難しい話は省略し、ここでは劉表、曹操、袁紹の関係について今一度触れることにする。

 私塾時代と同様、郎官となっても三人は何かと一緒にいることが多くあった。関係は変わらず良好、と続けたいところではあったが、卒業間際に劉表が袁紹に血判状の一件で「君の血が欲しい」と言ってしまったことで、三人の関係は少なくない変化を迎えることになってしまう。

 

「わ、わたくし大和さんから熱烈な求婚を受けましたわ。ああ、どうしましょう…………」

 

 主に変わったのは袁紹。

 袁紹は劉表の言葉をプロポーズの一種であると受け止めては顔を赤らめ、戸惑いを見せる。

 袁紹にとって劉表の言葉はまさに青天の霹靂。あまりにも急な告白。袁紹は大いに戸惑い、返事を返すことも叶わぬまま私塾を卒業しては、郎官となった今日まで至った次第である。

 それでも悪い気はしていなかった。袁一族の威光を恐れ、これまで出会った多くの人々は媚び諂い、または平伏し、上辺だけの浅い付き合い方を選ぶ中、劉表は自分と真っ直ぐに向き合ってくれた。袁紹はそれが嬉しかった。劉表と同じく、袁紹も劉表に深い親しみを感じていた。

 

「し、しかし急!急な話ですわ!!」

 

 だが、袁紹は返事ができなかった。

 その理由は単純に、袁紹は劉表のことを親しい友人としか見ていなかったからである。

 異性として見る、という発想がなかった袁紹。袁紹はこの時代でも屈指の名門の出自。つまりは生粋の箱入り娘。異性と接する機会自体さえ乏しければ、求婚なんてもっての外である。

 屋敷の自室にて目をグルグルさせては戸惑う袁紹。その脇には側近の顔良(斗詩)に文醜(猪々子)の姿もある。二人は未だ戸惑う主である袁紹に対し、ニヤニヤとした視線を送っていた。

 

「ヒュー!姫、やっるー!」

「良かったですね麗羽様。私、麗羽様はあんぽんたんだから一生、行かず後家とばかり…………」

「斗詩さん!?」

 

 黒いジョークも飛び出す和やかな室内。

 戸惑う袁紹とは裏腹に、顔良と文醜の二人は凄く良い話であると思っていた。

 それもそのはず、劉表も袁紹と同じく名族の出自。この世界、袁紹と釣り合う家柄の異性となると希少。さらに同年代で当人同士が親しい間柄とあっては、その価値はさらに倍増する。

 劉表は私塾での成績も極めて良く、言葉遣いも丁寧で穏やかな人柄をしていた。史書にて「身の丈8尺、威厳ある風貌で容姿も非常に立派」と称えられた劉表に転生しただけのことはある。

 背は高く、威厳は些か足りていないかもしれないが、涼しげな風采の良い男であった。後に出会う荀彧(桂花)をもってしても、劉表の容姿を罵倒するのを躊躇ってしまうほど優れていた。

 

「なあ、斗詩。あたいですら良い話ってわかるのに、姫はどうして悩んでんだ?」

「だよね、文ちゃん。麗羽様も半分照れ隠しだと思う────って、この話も何度目だろう?」

 

 そんなわけで名族にして秀才、秀麗、性格良しと、実はハイスペックな劉表。

 しかし名族は袁紹。秀才は曹操という、この時代を代表するチート二人と常日頃から接しているせいか、劉表自身にその自覚は薄い。

 劉表は傍から見れば十二分に袁紹、曹操の二人と比肩し得る存在だった。もし袁紹が袁一族の者にポロッとこの話を洩らしていれば、即座に囲い込みに走られるほど、都での評判も高かった。

 

「む、むむ、むむむむむ…………ですわ」

 

 それでも煮え切らないのは袁紹。

 年頃の乙女心というのは難しいもの。ガラス細工のように繊細で、それでいて移ろいやすい。

 袁紹は劉表を親しい友人としてだけではなく、一人の異性として見るようになってからというもの、自らの察しの悪さを深く恥じていた。

 思い返せばそれらしいサインは何度もあった。劉表が自分と話す時、頻繁に視線が胸へと流れていたことも、悪戯な風が衣服を捲り上げた際に、満足そうに何度も頷いていたこともそうだ。

 劉表は自分のことをずっと愛していたのだと袁紹は気づかされる。そして思う。あの日、あの時、あの場所で劉表が放った言葉。「君の血が欲しい」。なんと優雅でストレートな求婚であると。それなのに、それなのに自分は────。

 

「わたくしはなんと愚かな…………。呆気に取られては茫然と立ち尽くすなど、優雅さの欠片もない所業。そして大和さんはあの日以来、この件について頑なに話そうとはしない。まさか、わたくし避けられているのでは…………?」

 

 袁紹の脳裏に不安が過ぎる。

 察しが悪く、優雅さの欠片も示さなかった自分は見限られてしまったのではないかと。

 不安が過ぎる。が、そこは底なしのポジティブ思考の袁紹。すぐに方向性を改めては、自分の都合の良い解釈をとる。それは────。

 

「────いえ、違いますわ!これは試練!試されているのですね!わたくしが優雅で華麗な答えを出す日まで、大和さんは敢えて待たれているのですね!ええ、納得ですわ!なるほど!!」

 

 袁紹はそう解釈し、いよいよ覚悟を決める。

 

「そうと知れば────斗詩さん!猪々子さん!大和さんの下へすぐ行きますわよ!!」

「なんか急展開だけど、まっいつものことかー。あらほらさっさーっ!」

「はーい。私が心労に悩む日もやっと終わるんですね。あの方なら麗羽様を御せるはずです!」

 

 こうして袁紹一行は屋敷を出発し、それから数刻後、街にいた劉表を見つけることになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「見つけましたわ大和さん!!」

「探したぜ大和!さー覚悟するんだ!」

「私の心労のためにも絶対逃がしませんよ!」

「────ん?麗羽…………と、それに斗詩に猪々子もか。相変わらず君達は賑やかだね」

 

 開口一番から物々しい三人の言葉にも劉表は動じず、慣れた様子で対応する。

 この時期にもなると曹操と袁紹の側近達とも真名を交換していた劉表。先の時代の猛将達とも友好的な交流を深め、着々とスローライフに向けての地盤固めが進んでいた。

 

「大和さん!お話がありますわ!!」

「どうしたの?」

「それは…………え、ええっと────ま、まだ考えがまとまっていないのでお待ち下さい!」

 

 特に返答を考えないまま、矢のように屋敷を飛び出してきた袁紹はたまらずタイムを宣言。

 劉表はこれを承諾。この手のやり取りも割とよくあることだった。劉表は袁紹達がやってくるまで考えていた仕事のことを一旦思考の脇に置き、目の前の三人に意識を向ける。

 優雅な返答に悩む袁紹。その様子を見た顔良と文醜の二人は目配せを交わし、袁紹の返答が決まるまで劉表が状況に混乱、または退屈しないようにと話し相手を買って出ることにする。

 

「まーまー大和さんや。姫が落ちつくまで、あたいらの話し相手になってくれよ!」

「それはいいけど、なんかあったの?」

「それはだなー大和────って、うん?これからはアニキって呼んだ方がいいのかなー?」

「え、なんで??」

 

 まずは文醜が声をかけるも狙いは外れ、さっそく混乱する劉表。

 そんな劉表の肩を文醜はパンパンと叩きながら「わかってるくせに」と陽気に笑う。

 劉表はさっぱりわからなかったので、やってきた袁紹、顔良、文醜の三人の中で唯一の常識人にして、苦労人ポジションの顔良へと視線を送り、状況の説明を求めることにした。

 

「ごめん、斗詩。説明頼める?」

「またまた大和さんったら、気づいてらっしゃるくせに!焦らすなんてニクい演出ですね!」

「え、ぜんぜん気づいてないけど、何事?」

「これからは大和様とお呼びするべきなんでしょうか。大和様。ああ、実にしっくりきますね!」

 

 頼みの顔良も不発に終わり、劉表ますます混乱。そして役目を果たさない顔良と文醜。

 文醜に続いて笑みを浮かべる顔良からも、控え目に肩をポンポンと叩かれる劉表。劉表は状況がさっぱり掴めずに混乱するも、なんとなく二人の空気から悪い話ではないことを察する。

「なら、まあいいか」劉表は思う。よくわからんが、三人の中では呼び名を変える遊びでも流行っているのかもしれないと。そして本命である袁紹を見る。袁紹はそれからも少し考え込むも、やがて意を決したように胸を張っては口を開く。

 

「大和さん!あの時のお返事ですわ!」

「あの時?────ああ、うん。頼むよ」

「わたくしずーっと悩んでましたの。ですが今日!この場で!お返事致しますわ!!」

 

 あの時、という抽象的な言葉で察する劉表。

 珍しく言葉を選ぶ袁紹。妙に馴れ馴れしい感じの顔良と文醜。そしてあの時という単語。三つのヒントから劉表は、変な雰囲気になったせいで保留気味に流れた血判状の話であると察する。

 ここで「あの時っていつの時のこと?」なんて言ってしまえば興醒めとなる場面。僅かなヒントから答えに辿り着くあたりは絶妙に察しがいいが、袁紹から放たれている桃色の空気に気づいていないあたりは絶妙に察しが悪い。

 

「君の答えを聞かせて欲しい」

「お待たせしてしまい申し訳ありませんわ。是非拝聴下さいまし。わたくしは────」

 

 袁紹の出した答えは要約するとこうだ。

 申し出はありがたく受ける。が、お互いまだ年も若く、幾分未熟な身の上であること。

 まずは互いにきちんと実績を積んだ上で、名族として相応しい地位にまで昇る。そして結ばれるのが最良の道ではないかということ。

 袁紹には「無条件で快諾してもいい」という気持ちもあったが「流石にちょっと恥ずかしい」と思う乙女心もあった。そして何より「自分の気持ちを正しく理解する」という点においては一定の時間が必要だった。要するに袁紹は、結ばれる過程においてのロマンを求めたというわけだ。

 

「スッキリしましたわ!」

「ふむ、麗羽はそういう考えか…………」

 

 袁紹が素晴らしかったのは屋敷での目論見通り、実に優雅で華麗な言葉選びが出来たこと。

 そして袁紹が不味かったのは、その優雅で華麗な言葉選びが良すぎたことであった。求婚に対する返答のつもりであった袁紹、それに顔良と文醜には正しく伝わったのだが────。

 

「なるほど(同盟を)結ぶのは時期尚早と」

「そうです(婚姻を)結ぶにはまだ少し、わたくし達には時間が必要なのではないかと」

「確かに実績もないしね。そんな中で結ぼうとしても、空手形に終わるかもしれないか…………」

 

 不可侵同盟の返答のつもりで聞いていた劉表には正しく伝わってはいなかった。

 袁紹が普段の調子で答えていれば劉表も「何かおかしいな?」と気づいていたが、珍しく真面目な口調で話すものだから、逆に劉表に勘違いされてしまうという、悲しいすれ違いっぷり。

 

「あ、あの…………わたくし、実のところ気持ちの整理が、自分でも不十分のまま話を始めていたのですが…………その、いざ話していると、心が躍っている自分自身に気づかされましたわ」

 

 照れる袁紹というレアな光景も────。

 

「僕をそこまで評価してくれて嬉しいよ」

「も、もちろんですわ!」

「しかし麗羽の言う通りだな。きちんと実績を積んでからの方が、より効果的かも…………」

「その通りですわ!周囲の者達にも祝福されてこそ、結びつきも強まるというものですわ!!」

 

 熟考に至る劉表には気づかれぬまま、何事もなく華麗にスル―されてしまい────。

 

「よし、なら頑張るか!」

「そ、そうですわね!頑張りましょう!」

「より豊かな未来を掴むためにも互いを励みとし、高みに昇るとしようか麗羽!」

「は、はい!大和さん。きっとわたくし達なら位人臣を極めることだって出来ますわ!!」

 

 結局、劉表と袁紹の思惑はすれ違ったまま、話は良い感じにまとまってしまったのである。

 それに対する袁紹の側近である二人の反応は両極端。静かに黙っていたという点では同じであったが、途中から話が難しくなりわからなくなった文醜は、最後の二人の言葉を聞き────。

 

「なーんか途中からよくわからなかったけど、とにかくあたいは今、猛烈に感動している!」

 

 と、適当に納得していた。

 一方の顔良は文醜とは違い話を最後まで理解できていた。が、それ故に結論に納得できない。

 

「あ、あのお二人様…………?」

「なに?」

「なんですの斗詩さん?」

「名族同士の結びつきに、実績なんて言う程必要あります?そこはゴリ押しで封殺してしまえばよろしくありません??どうせ反対派なんていらっしゃらないと思いますし、ね…………?」

 

 この場で決まると踏んでいた顔良にとって二人の結論は非常に困るものだった。

 下手をすれば年単位どころか十年単位でかかる話。同盟を結ぶつもりの劉表にとっては全く問題ないのだが、袁紹側にとっては長い目で見すぎている感も否めない。

 というか顔良の本音は劉表と袁紹が結ばれた上で、劉表が私生活では度々暴走気味の袁紹と文醜の手綱をガシッと握り、自分の負担を減らしつつ、四人で仲良く楽しい日々を送りたいというものだった。ある意味では顔良もスローライフを目指す同志。方向性も地味に似通っていた。

 

「そこは浪漫ですわ!」

「そうだね。別に急ぎの話でもないし」

「ちょ、ちょっと大和さん…………いえ、大和様!お願いします!お考え直し下さい!!」

「そんなマジになられても…………って、まだ様付け続いてるんだね。意外と違和感ないけど」

「今でこそ麗羽様はキリッと真面目に話されてますが、どーせ明日になったら突然また発作みたいに高笑いを始められるんですよ??それに文ちゃんも便乗して私の心労さらに倍、ですよ??」

「ハハハッ。いつものことじゃないか!」

 

 顔良の叫びも届かず、劉表と袁紹は話し合いに満足したまま、やがて解散の流れとなった。

 

 

 

 

 

 今回の話には続きがあった。

 どうにもすれ違う劉表と袁紹とは別に、全ての事態を正しく把握している人物が一人いた。

 

「はあ、耳の痛い会話が聞こえるわね…………」

 

 劉表達四人の会話を偶然耳にした曹操。

 少し離れた場所から様子を窺っていた曹操だったが、次第に話が食い違っていることに気づく。

「放っておいてもいいけど…………」と考えるも、仕方ないので間に入ってあげることにした。そしてこのまま曹操が場を正しく収めていれば、今回の話はそれで終わっていたのだが────。

 

「────ふふふっ」

 

 四人のいる場所に近寄ろうとする曹操。

 いち早く曹操に気づいた袁紹が、意味深な笑みを浮かべたことで話は縺れることになる。

 袁紹の笑みは普段の高飛車なそれとは違う種類の、余裕ある勝ち誇った女のものだった。それを狙ってやったかどうかは定かでないが、その笑みは曹操のプライドを刺激するには十分だった。

 

「────ふーん、そう。まあ、いいわ。麗羽がそのつもりなら、乗ってあげようじゃないの」

 

 人知れず曹操が静かに笑みを浮かべる。 

 こうして劉表本人が知らぬところで、劉表を巡る女の戦いの幕が開かれようとしていた。

 

 




次話で続きを書いて私塾編は終わりです。
いつになるかはわかりませんが、袁家強制ルートの閑話も派生で書ければと考えてます。


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六話 女の戦い②

 

 劉表、曹操、袁紹の三人が郎官となってから、それなりに永い月日が経った。

 気づけば郎官時代も終盤。三人にも新任領主としての内示が出される。劉表は「最初は県の令か長だろう」と常識的に考えていたが、そこは巻き進行が基本の恋姫無双の世界。

 県尉、郡丞・県丞はともかくとしても、県長・県令をすっ飛ばして三人はいきなり郡太守の任を受ける。これには劉表もビックリ。さらにビックリしたのは、その赴任先の領地であった。

 

「────荊州は南郡。南郡だって…………?」

 

 三人の赴任先は以下の通り。

 曹操は兗州陳留郡(陳留県)。袁紹は冀州渤海郡(南皮県)。劉表は荊州南郡(襄陽県)。

 曹操や袁紹も重要な地ではあるが、劉表の南郡は二人とは別の重要性を誇っていた。それは三国時代の劉表が南郡を本拠地として何十年も君臨し続け、そして死を迎えた地であるからだ。

 

「初っ端から南郡とは────なるほど、うん。そういうことか。ありがとう神様!!」

 

 劉表にとって南郡とは、まさに運命の地。

 一度赴任すれば死に至るその日まで、何十年もの年月を過ごす可能性の高い領地であった。

 つまり南郡とは劉表にとって、目指しているスローライフを始める地であり、最終到達地点でもある。その地を領主となる一発目から引き当てる。なるほど、神にも祈りたくもなるだろう。

 

「出立の日まで残された時間はあまりに短い。一日も無駄にせず、僕が成すべきことを成そう!」

 

 出立の日まで残り数ヶ月。

 数ヶ月をあまりに短いと感じてしまうほど劉表は、高い使命感と熱意に燃えていた。

 そして内示が出された日を境に劉表は、何かにつけて曹操に話しかけることが多くなった。その理由は単純に、劉表は曹操と話すことで、数多くの知識を出来るだけ吸収しようとした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「華琳!今日は僕に、優れた領主としての在り方について説いてはくれないだろうか!」

「ええ、構わないわよ。何が聞きたいの?」

「そうだな。任地へと赴いた際、領内に住む土着の豪族、名士の扱いはどうするべきだろう?」

 

 この日も劉表は、新たに領主となる際に役立ちそうな質問などを曹操へと投げかけた。

 

「大雑把ね。先に貴方の意見を述べなさい」

「ああ、そうだね。まずは僕らも生まれ育った郷土に戻れば、その地域の一豪族であるという事実を忘れてはいけないと思うんだ。つまり僕らは領主であり、豪族でもあるということだね」

 

 劉表は自分が豪族の一員である故に、豪族の面倒さというものを実感していた。

 領主として治めようにも豪族、つまりはその地域の地主層の支持が無ければ治まるものも治まらない。土着の豪族、つまりは代々その地に根付く地主というのは、領内での影響力も強い。

 豪族も基本的には国が送ってくる領主の言うことは聞くが、意に反した命令であれば反発してくることもある。複数の豪族が結束して反発してくれば、領主であっても相応の処置を迫られることになる。反発を無視し続けた結果、武力行使に訴えられでもしたら面倒なこと、この上ない。

 

「ほら、領主と豪族が派手に揉めたらさ」

「ええ、定期的に不幸な事故が起きてるわね」

「そうなんだよ。賊に襲われて死んだ、なんて嘘くさいんだよね。実際も嘘なんだろうけど」

 

 漢は国土もだだっ広く、中央政府が地方の全貌を把握しきることは難しい。

 故に中央は領主を地方へと赴任させるが、地方はその地の豪族の影響力が強い。豪族を軽く扱ってしまうと面倒なことになりかねないが、それを避けるために重宝すると別の問題も生じる。

 

「だからって中枢に組み込むのも────」

「無能な豪族なんていくらでもいるわよ。半端に権力を持たせると後々拗れて厄介」

「だよなぁ。用いるにせよ、排斥するにせよ、豪族ってヤツは面倒だ。ま、僕らも豪族だけどね」

 

 地方は中央から離れるにつれ中央の影響力が落ち、地方色が強くなる傾向にある。

 そして地方とは郡太守こそが一番の長官。上司もいない。中央ほど面倒な柵も少ない。唯一面倒なのは豪族だが、折り合いをつけて上手く付き合えれば、豪族は強い味方にもなってくれる。

 

「貴方は劉氏に名を連ねる由緒ある家柄なんだから、向こうから勝手に頭を下げにくるわよ」

「だろうね。華琳はどう?」

「私は別にどちらでもいいわ。頭を下げられようが邪魔されようが、最終的な結果は同じだし」

「ふむ。非協力的な方が排斥の名分も立つか」

 

 と、このように劉表と曹操は、豪族を巡る様々な議論に花を咲かせていたのだが────。

 

「────は────だから」

「────なら────でしょうから」

「────うん。やっぱり荘園の────監査なんて真似は──────かな」

「────まあ、ある程度の────は必要だろうけど──────やっぱり流民は────」

 

 この話は続けると長くなるので割愛する。

 こうして劉表は曹操と実りの多い話し合いを交わし合い、話の流れでこんな言葉を続けた。

 

「僕が出立する際は、私塾で気運に恵まれずに燻っている友人も誘う予定なんだ」

「そう、いいんじゃないの」

「それと中央を離れ、地方で隠遁したいという名士の先生方にも既に数名、声をかけさせてもらってるんだ。少しでも応じてくれれば、僕も先々の展望が拓けて助かるんだけど────」

「…………………………」

「ああ、勿論。いらぬ反感を買わないように根回しは済んでるよ。揉めてもいいことないしね」

 

 南郡へ赴任することが決まってから、劉表は本格的なスカウト活動に乗り出していた。

 そのガチさには、流石の曹操も思わず苦笑い。曹操、袁紹も何もしていないというわけではなかったが、既に南郡を死地と定め、楽園を築き上げようとしている劉表の熱意には及ばない。

 郎官時代の劉表は、良い意味でも悪い意味でも一直線だった。来る日に向けての準備に全力を尽くす姿勢は良い。が、そのせいで自分の周りの、自分を巡る争いにまるで気づいていなかった。

 

「大和、貴方やっぱり反乱でも起こす気でしょ」

「え、なんで??」

「正直に言いなさい。怒らないから。貴方は周到すぎるのよね。この前だって────あら?」

 

 そう言葉を続けようとした曹操は不意に、柱の陰から二人の様子を窺う袁紹の姿を捉えた。

 デカい縦ロールを豪快にはみ出しながら「まだ話は続くのかな」と言いたげな表情を浮かべる袁紹。劉表と曹操の二人が小難しい話をしていたため、気を遣って話が終わるのを待っている。

 曹操が劉表から離れればすぐ、劉表の下へと駆け寄ってきそうな袁紹。だが、曹操は引く気がなかった。前回にあった無言の一悶着から、曹操と袁紹の間には直接的でないにせよ、なにかピリピリとした空気が流れていた。「なら、丁度いいか」と曹操は呟き、そして動くことにした。

 

「────ま、いいわ大和。立ち話もなんだし、続きは食事でも摂りながら、ね?」

「ん?ああ、そうしようか」

「私の舌を唸らせる名店まで案内しなさいよ。そこで話の続きをしましょうよ、ね?」

「都の名店か。あんまり詳しくないんだよな。南郡の名店なら既に調査済みなんだけどさ」

「…………そこまで突き抜けると、いっそ清々しいわね。南郡の名店にも何れは案内しなさいよ。ああ、それと、今日この話が長続きして、夜が更けてしまったらなんだけど────」

 

 曹操は劉表の懐へ一歩踏み込み「私の屋敷に泊まってもいいわよ?」と言った。

 そして柱から豪快にはみ出るデカい縦ロールを見る。明らかに不満そうな袁紹。その様子を楽しげに眺める曹操。曹操の言葉の意味を少し考えるも、からかわれただけと食事場所を悩む劉表。

 近頃、劉表と話す機会が著しく減っていた袁紹にはそれが決定打となった。翌日、袁紹は曹操を呼び出し、曹操はそれに応じる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お呼び立てして申し訳ありませんわね」

「別にかまわないわよ。あら、麗羽。今日は取り巻きの二人はいないのね?」

「華琳さんこそ、お一人ですか。ま、そんな話はどうでもいいので、早速本題に入りますわ」

 

 翌日、袁紹は曹操を呼び出した。

 呼び出した場所は賑やかな中心地から少し離れた、緑が散乱と生い茂る場末の空き地。

 女二人が話すに相応しい場所とは言えないが、袁紹は文醜の「雰囲気がでるから」という助言を受けては場末の空き地を選んだ。

 

「本題?さて、なにかしらね」

「華琳さんにも心当たりがあるのでは?」

「さあ、見当もつかないわ。ああ、それと麗羽、話は手短にね。私、大和を待たせて来たから」

 

 文醜の助言のお蔭かは定かでないが、場はなんともピリピリした雰囲気に包まれていた。

 余裕のある表情を浮かべる曹操を、袁紹が突き刺すような目で睨んでいる。今日の袁紹には普段のような、ふわふわとした空気はない。

 

「────その話ですの」

「その話とは?」

「華琳さん、はっきりと申し上げますわ。大和さんにちょっかいを出すのは止めて下さいな!」

「ふふふっ。とんだ言い掛かりね。私はただ、大和に話しかけられたから相手をしていただけよ」

 

 と、返事をした曹操には、前回の一件から考えていた袁紹に対する仕返しプランがあった。

 あの時、袁紹が曹操に見せた勝ち誇ったような笑み。曹操は女としてのプライドをいくらか刺激された。それは間違いない。が、だからといって喧嘩するほど、曹操の器は小さくはない。

 曹操の仕返しとは、割といつも通りのものだった。劉表との仲を袁紹に見せつけ、袁紹が噛みついてきたところを論破しては返り討ちにするというもの。「婚姻関係にある」と袁紹にアピールされたら「私も同じこと言われたけど」とでも返そうと曹操は考えていた。だが────。

 

「ええ、仲が良いのは喜ばしいことです。ですが、わたくしと大和さんは既に将来を誓い合った仲。たとえ華琳さんであっても、面白おかしく邪魔立てしてくるのは決して許しませんわ!」

「────へえ、麗羽も言うじゃない」

 

 袁紹が想像していた以上に真剣な様子であったため、曹操は考えを改めることにした。

 袁紹の瞳には「譲らない」という強い決意があり、声には気高い意志が籠められていた。「ああ、これは本気なのね」と曹操は思った。

 曹操は劉表と袁紹の思惑が完全に食い違っていることを正しく認識していた。劉表は同盟を結ぶために袁紹の血を求め、袁紹はそれをプロポーズの言葉と勘違いしてしまったのだと。

 曹操はこの場でその食い違いを正しく訂正しておくべきかと考えた。勘違いしている袁紹が不憫だし、意識がすっかり外へと向いている劉表は、おそらくこのまま気づかないだろうと。

 

 だが、曹操は勘違いが噛み合っては、良い方向へと進んでいることにも気づいていた。

 勘違い事件以降の袁紹は、将来へ向けての自分磨きに励みつつ、良き領主となるべく必要な知識を身につけようと勤勉に励んでいた。

 その成果は如実に現れていた。袁紹の頑張りはそのまま成長へと繋がっていた。袁紹は悪い領主にはならないだろうと曹操は思った。少なくとも自分が考えていたよりは良い領主になると。

 そして劉表も勘違い事件以降、袁紹に懐かれ始めていることを疑問に思いながらも、暇さえあれば楽しそうに相手をしていた。そんな様子を見続けていた曹操は「この二人、互いに勘違いしたまま将来くっつくかも」という感想を抱いた。

 

「────────ふふふっ」

 

 曹操にとっても二人は数少ない友人である。

 だからこのまま、二人の未来を祝福しつつ立ち去ってもよかったのだが────。

 

「ごめんなさいね麗羽。簡単に譲るつもりはないのよ。私も彼のことを狙っているから」

「────なっ!?」

「将来を誓い合った仲とか私には関係ないから。私は欲しいモノなら強引にでも奪い取るわ」

 

 そんな選択を曹操は選びはしなかった。

 曹操にとって劉表と袁紹には、確かに友人と呼ぶべき絆があった。が、曹操にとって二人は将来、大陸の覇権を奪い合うライバルでもあった。

 曹操の夢、または覇道とは現王朝を打破し、新たな国を創り上げること。汚職が蔓延り、淀み衰退していく今の国に未来はなく、そんな国に仕えることなど曹操には我慢ならなかった。

 武力によって大陸の覇権を握り、新たな国を創り上げる。かつての秦や全盛を誇った漢王朝がそうであったように、強い国こそが優れた世を、平和を築き上げる。曹操はそう確信していた。

 

「な、なな、なんですって!?」

「あら、そんなに驚くことかしら?」

「まさか華琳さんも大和さんのことが────」

「ええ、そうね。男の中では一番好きよ。ま、私は男より女の子の方がずっと好きだけど」

「な、なら、どうして華琳さんは、わたくしと大和さんの仲に割って入ろうとしますの!?」

 

 だからこそ曹操は袁紹を祝福しなかった。

 当代でも並ぶものない地位と名声を誇る袁一族。その次期当主である袁紹。そんな袁紹は曹操の仮想敵勢力の筆頭格であった。

 覇道を往く曹操と、国の重臣たる袁紹は何れ必ずぶつかる宿命。この場はまだ油断させておくという手段も確かに有効的かもしれない。だが、それは浅ましい考えであると曹操は思った。

 

「そんなの決まってるじゃない。麗羽が狙ってるからよ。麗羽が狙うなら私も狙うわ」

「────なっ!?」

「そんなに私、変なことを言ったかしら。私達が張り合うのは、昔からよくある話よね?」

「そ、それはそうですが、今回は別ですわ!そんな理由で奪おうだなんて不誠実ですわ!!」

 

 曹操は堂々たる戦いを求めた。

 そして誇り高い戦いを求めた。不意打ちや騙し打ちなど、自分の性には到底合わない。

 また、曹操の言葉にもあるように、曹操と袁紹は私塾以前からの長い付き合い。派手好きな趣味と似通っており、お互い強気な性格とあっては普通の関係とは中々いかないもの。

 仲が良くなるか悪くなるかの二つに一つ。その結果、曹操と袁紹の二人はいがみ合う仲となった。何かにつけて張り合う間柄。形は違えど、似たようなことは過去にも何度かあった。

 

「まあ、男を奪い合うのは無かったわね」

「そ、そうですわ!ですから今回も────」

「なら今回が最初ね。大和、悪くないわね。傍に侍らすぐらいの価値は十分にあると思うわ」

 

 曹操は競う相手には強さを求めた。

 劉表を奪い合うことで袁紹により成長を促せるのなら、それもまた悪くないと考えた。

 そして曹操の言葉に嘘偽りはなかった。劉表を自らの好敵手として狙っていることも、勝利した暁には幕僚として迎え入れ、身の回りに侍らすのもいいと考えてもいた。

 

「────そんなことは許しませんわ」

「麗羽じゃ私には勝てないわよ。だって貴女は肝心なところで慢心してばかりだもの」

「ええ、そうかもしれませんね。そのせいで華琳さんに敗れてばかりでしたもの。ただ────」

 

 仮に劉表が私塾の門を叩かなかったとしても、曹操と袁紹は将来的に戦う宿命にあった。

 劉表を巡る女の戦いが起こっていなくとも、曹操と袁紹の大戦、官渡の戦いは必然と起こっていた。歴史の大きな流れというのは、人一人で変わるほど緩やかな流れではない。が────。

 

「────それも今日までの話ですわ」

 

 勝敗とは、その限りではないかもしれない。

 瞳を紅蓮に滾らせる袁紹。後に続く言葉を聞いた曹操は「そうこなくっちゃ」と口端を上げる。

 

「お邪魔虫の華琳さんを前にして、わたくしが慢心することは二度と無いでしょう!」

「ふふふっ。正直なところ麗羽にはあまり期待してなかったけど、案外そうでもないかもね」

「お覚悟なさって下さいな。そして、わたくし達の愛の偉大さを、しかと思い知りなさい!!」

 

 こうして曹操と袁紹の決別は確定的となった。

 今回のやり取りに高い満足感を示す曹操。曹操の言葉を受け、強い対抗意識を燃やす袁紹。本人の知らぬところで王冠を被せられた劉表。いや、あるいは王冠ではなく荊冠かもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 劉表、曹操、袁紹の三人は出立の直前、最後に三人だけで集まることとなった。

 主催したのは劉表。二人の争いを何も知らない劉表は「せっかくだから最後ぐらい」と宴の席を主催した。年単位で会う機会もない友人との別れとあっては、至って健全な発想なのだが。

 

「…………………………」

「…………………………」

「────うん?なんか空気重くない?もしかして二人共、別れを惜しんでるかんじ??」

 

 場の空気が異様に重たかった。

 そんなこととも露知らず、一人ゴクゴクと酒を飲み進める劉表。すっかり酔いも回っている。

 なにか少しでもあれば、すぐにでも重箱の隅を突き合うようにピリピリとした会話が繰り広げられそうな場。曹操も袁紹も、そのなにかに備えつつ静かに目を伏せていたのだが────。

 

「────ま、でもそうだね。僕も二人と別れるのは惜しいよ。なんだかんだ、本当に楽しい日々だったからね。華琳、麗羽、仲良くしてくれてありがとう。そしてこれからも健やかにね」

 

 酔った劉表が思いの丈を淡々と述べては、そんな重い空気をあっさりと振り払ってみせた。

 

「────っ!大和さん!」

「おお、麗羽。わかってくれるか」

「ええ、本当に楽しかったですわ!」

「そうか。これからも三人で仲良く────」

「再会の日を待ち侘びてますわ!そして必ずや二人で邪悪な華琳さんを打ち破りましょうね!」

「え、いや、それは────どうだろうね?」

 

 袁紹は感涙の声を上げては曹操打倒を誓う。

 劉表はそんな袁紹に戸惑いながらも、玉虫色の返事を返しつつ曹操の様子を窺う。

 曹操は「やれやれ」と一つ息をつき、そして劉表を見る。本当に色んなことがあったが、本質的には善人な男なんだろうと曹操は思う。あの袁紹が懐いているのが良い証拠でもあった。

 それでも上辺ばかりの甘い男でないことを曹操は見抜いていた。劉表は事と次第によっては、自分や袁紹と構えることさえ躊躇わない男であると。そして曹操は強く思う。そういう男であるからこそ、我が友と呼ぶに相応しいと。

 

「ふふふっ。まったくホントに────」

 

 興味が尽きない男だと曹操は思った。

 自分の目指す覇道が破られるのであれば、相手は目の前の呑気な男かもしれないとも思った。

 そんなことを思ってしまう自分に曹操は少し苦笑しながらも、最後なんだから本音で話すのも悪くないとばかりに劉表に声をかける。

 

「大和」

「なに?」

「貴方がもし、私を欲するのであれば────」

 

「この私の覇道を打ち破ってみせなさい」と曹操は厳しくも、柔らかい笑みを浮かべて言った。

 

「貴方にはその資格があるかもしれないわ」

「ハハハッ。まあ、覚えておくよ」

「最後までつれない男ね。あまりつれないようだと、私の方から出向くかもしれないわよ?」

「え、なんだって?ぜんぜん聞こえない。酒も回ってるから、明日には忘れてるかなぁ…………」

 

 やれやれ、と曹操は微笑む。

 そして自分を強く睨む袁紹に視線を向けては、不敵にこう言って続けてみせた。

 そして袁紹も曹操の言葉を受けては臆することなく、堂々と胸を張って返答を返す。

 

「────麗羽。貴女とはいずれ、決着をつけることになるでしょうね」

「望むところですわ。わたくし、チンチクリンの華琳さんに負ける気など毛頭ありませんの!」

 

 こうして三人は最後の宴を楽しむ。

 宴の結びには新たな地での互いの健闘を誓い合い、そして再会の約束を交わし合う。

 それから数日後、三人はそれぞれの任地へと旅立った。劉表は荊州は南郡へ。曹操は兗州は陳留郡へ。袁紹は冀州は渤海郡へ。三人が再会するのはそれから数年後のこととなった。

 

 




詰め込み過ぎたせいで色々と描写不足感は否めませんが、テンポ重視ということで御了承下さい。春蘭と秋蘭は完全に出し損ねました。

ここまでのおさらい。
劉表:コネ作り、人材収集、と地味に当初の予定を完遂して安住の地、南郡へ。
曹操:自ら難易度を上げる覇王モード突入。曹操の攻略方法は、覇道を打ち破ればOK。
袁紹:勘違い系お嬢様。対曹操戦では慢心無し予定。袁紹の攻略方法は、お互い無事ならOK。

領主編に出る予定のキャラは以下の通り。
【確定】
朱里(諸葛亮)雛里(鳳統)
【ほぼ確定】
焔耶(魏延)徐庶(女)
【五分五分】
蓮華(孫権)蒲公英(馬岱)法正(男)

後は出ても名前だけのモブとなる予定です。
蓮華を出してしまうと露骨に贔屓しそうなので検討中。割を食う蜀のテコ入れも考えときます。


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領主編 七話

 

 出立は春。都で過ごす日々も終わり、僕は新たに領主として荊州は南郡へと旅立った。

 都を出発し、河南の伏牛山脈を越え南陽郡へと入り、そのまま南下しては新野を抜け南郡へ。樊城を横目に漢水を渡っては襄陽城へと入る。

 南郡で居城に据えるなら襄陽か江陵かで僕は少し悩んだ。城の堅固さでは古くは春秋戦国時代、楚の王都であった江陵が相応しいだろう。それでも僕は利便性から襄陽を居城に据えた。

 やはり中央の情勢をいち早く知るためには、より中央に近い場所に構える方がいい。ゴタゴタ系には一切関与したくないが、知っておかないと不味いことも多いだろう。情報伝達の遅さから対応が遅れ、面倒事に巻き込まれるのは勘弁。

 

「しかし南郡。僕は早くも南郡を治めるのか」

 

 襄陽城へ入り、領主としての日々が始まる。

 間違いなく幸運なことであるが、他領で経験を積んでから治めたかったという思いもあった。

 これから長く本拠地となる南郡。その統治を仕損じると、僕のスローライフへの道は大きく閉ざされる。そのための準備は怠らなかったが、やはり不安がないと言えば嘘になる。

 だが、弱気なことは言ってられない。僕が目指す道は、この地から始まるのだから。人事を尽くして天命を待つ、ではダメ。掴み取る。そう、僕はこの手で豊かな未来を掴み取るんだ。

 

「────よし、気合いも入った。さあ、始めるとするか。豊かなスローライフを目指して!」

 

 弱気を打ち払い、そして気を引き締めるために両頬を叩き、僕は城内へと足を踏み入れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 南郡太守として赴任して来た新米領主の僕を、地元の豪族達は大方、歓迎してくれた。

 挨拶に来てくれた多くの豪族の中から、特に目を掛ける必要があるのは五名。蔡瑁、蒯越、蒯良、馬良、馬謖の五名だ。

 蔡瑁はこの地で最大の豪族である蔡一族の出。蒯越と蒯良は優れた文官として後世にも名が残る人物。馬良と馬謖は馬氏五常で有名な馬家の出で、馬良は白眉の故事の由来にもなった人だ。

 さらにこの五名に僕が私塾からスカウトした蒋琬と費禕が入る。この二人は政治家タイプで、下手すりゃ僕や華琳よりも政治手腕に長けているのだが、私塾時代からなぜか影が薄く、そのせいで埋もれていたのを幸いと引っ張ってきた。ちなみに二人とは麻雀仲間でもあり、関係も良好だ。

 

「はい、じゃあ七人で二人組を作ろうか!」

 

 と、この七名が僕の初期陣営となる。

 ものの見事に文官ばかり。武官で目立った人はいなかった。当てにしていた甘寧、魏延、黄忠は一体何処にいるのやら。まあ、豪族っぽくはなさそうだし、そのうちひょっこり見つかるかな。

 そんな淡い期待を抱きつつも、まずは武官探しよりも先に決めるべきことがあった。それは僕を支持しない、豪族の処分をどうするか。支持、または服従か。何時の時代にも、お山の大将でありたいと考える権力者はいるようだ。

「太守?そんなもん知るか。そっちから挨拶に来い」と言った考えなのだろう。話を聞くに、僕の前任者の太守も、同じ問題に頭を悩ませていたらしい。そこそこ規模が大きい豪族とのこと。

 

「想定していなかったわけではないが────困った話だ。みんなの意見を聞かせて欲しい」

 

 この地で最大勢力の蔡一族の人さえ出向いて来ているのに、挨拶にも来ないんだもんな。

 あまり目端が利かない豪族なのだろう。僕は中央が任命した太守であると共に、皇族の血の流れを汲む劉一族の人間であり、それに少し調べれば、袁家と近いことだってわかりそうなもの。

 自分で言うのもなんだが、僕はかなり気を遣いそうな領主だと思う。それを承知で煽ってきているなら大したものだけど、きっと知らないのだろう。「新しい領主が来た」という認識程度かな。無知は罪。いや、それは違うか。僕はこの地にやって来て、受け入れてもらう立場なのだから。

 

 

 

 

 

「見逃せとは申しませんが、仁愛と信義の心をもって向き合うべきではないでしょうか」

「悪くはありませんが手間です。利で誘った上で無道の者は誅し、残りを安撫すれば収まるかと」

 

 僕の問い掛けに蒯良と蒯越が意見を述べた。

 蒯良は「長い目で見ましょう。そして対話で解決させましょう」という温厚派。一方の蒯越は「甘い餌で呼び出してサクッと殺せば解決。どうせ非は向こうにあるんだから」という強硬派。

 どちらの意見にも一理ある。一見、蒯良の言葉が冷静で正しいように思えるが、敵対者を消すなんてこの時代、珍しい話でもない。

 現世の頃とは違い、この時代は基本的に殺しても証拠なんて残ることはなく、犯行がバレない、または黙認されることも多い。今回のケースは違うが、暗殺系はある種の常套手段でもあった。

 蒯越の言葉通りにするなら適当な理由で従わぬ豪族を呼び出し、その場で首脳陣の首を物理的に取り換えてしまえばいい。反発はあるだろうが正面から首を刎ねてやれば、それ以上に畏怖されるだろう。舐められるよりは良いし、強い太守を内外に示すというのも正しい方法である。

 

「────ふむ。なるほどね」

 

 が、それはあくまで一般的な領主の場合だ。

 僕は地域密着型の領主を志す身。遺恨は極力残したくない。荒事は最終手段まで取っておこう。

 それに別段、今すぐにどうという話でもない。まずは文のやり取りでも交わしつつ、お互いの相互理解を深めるのがいいのかな。焦ることなくゆっくりと、前へ進めていければそれでいい。

 

「ここは蒯良の進言を採ろう。手間は取るべきではないが、時には掛けておくべきだ」

 

 まだ約三年、僕には時間的な猶予がある。

 固めるべきは足元から。そして未来の歴史を知る僕は、この知識を正しく活かすべきだろう。滅びを迎える国の一領主として、変動し蠢動する時代に向け僕は十分に、その備えをしようと思う。

 

 

 

 

 

 約三年、とは黄巾の乱が起こるであろう年から今の年を引いた年数だ。

 今から約三年後、歴史の年表では黄巾の乱が勃発する。そしてその五年後に反董卓連合。そこから群雄割拠となって、そのさらに十年後ぐらいに官渡の戦いが起きると記憶している。

 つまりは黄巾の乱が起こるのが三年後。反董卓連合が八年後。官渡の戦いが約十八年後。

 若干のズレはあるかもしれないが、大よそこんなところだろう。黄巾の乱が起こるまでに領内をしっかり纏められれば、後は流れでなんとでもなるはず。なんたって僕は歴史知識があるだけでなく、華琳と麗羽とも友人なのだから。穏やかな人生が約束されてると言っても過言ではない。

 

「────さて、陳情に目を通すか」

 

 やるべきことは軍事よりまずは内政。

 基本に忠実に一つ一つ確実にこなしていく。小さなことにも積極的に目を通したいと思う。

 

「────この地域は野盗の被害が多いのか。ならば近くの県の尉を増やして見回りを────」

 

 そして無茶は極力しない方針で動く。

 未来の知識を内政に活かす、という考えも確かにあったが、残念ながら僕は第一次産業について深い見識を持ち合わせていなかった。

 例えば主食となる稲は春から秋にかけて育ち、秋に収穫してからは来春まで田は空いている。空いているのであれば「その間に違う作物を栽培すれば効率的」と二毛作を提案しそうになるが、二毛作は土への負担が大きいと聞いたこともある。が、どれぐらい大きいかはぜんぜん知らない。

 

「知らないなら無茶は控えるべきだろう」

 

 正確に知らないのであれば、下手なことはするべきではないと思う。

 勿論、チャレンジ精神は大事だと思うし、今日の失敗無くして明日の成功は成し得ないという言葉も正しいと思う。思うが、僕は別に華々しい成功を成し得たいというわけではない。

 南郡はそもそも肥沃な土地だ。無茶な博打に出なくとも地味に地道にコツコツ積み重ねたら十分成果が見込めるはずだ。僕はそれでいいんじゃないかと思う。領民達にとっても馴染みのない変革よりも、その方が受け入れやすいだろう。

 

「次は無難に田畑を広げようか。水が不足しそうな地では灌漑用水によって水路を確保…………の前に治水工事が先か。河川の氾濫とか割とマジで被害が洒落にならんだろうから────」

 

 小さなことからコツコツと積み上げる。

 それこそが信頼を得るための正しい在り方。余裕のある時にこそ余裕のある行動を取るべきだ。

 そして余裕のある今のうちから、未来への積極的な投資を怠らない。滅びを迎えるこの国。その口火を切るのは三年後、大陸全土で派手に勃発する黄巾の乱で、ほぼ間違いはないだろう。

 黄巾の乱。その主犯者は張角だが、乱が起こった原因は国内で貧困に喘ぐ民が多すぎたせいだ。飢えた民による反乱。中国はこの手の反乱が非常に多い。農民反乱の本場は伊達じゃない。

 

「だからこそ、今のうちから動くべきだ」

 

 未来を知る僕は、乱に備えることが出来る。

 早い話が、自領で飢えた民を出さないための準備を今のうちから始めようということだ。

 言うは易く、行うは難いことは百も承知。だが老子の言葉にもあるように、困難なことはそれがまだ易しいうちから始めるべきだと思う。千里への長い道も一歩目から始まるのだから。

 

「農具の貸し出しを支援する。新たに興した田畑は向こう五年、減税の対象としよう。戸籍を抜け流民となった者も、田植えの時期までに元の居住地へ帰るのであれば、今回に限り罪に問わないことを、僕の名において約束しよう。同じように働くのであれば、生まれ育った地がいいだろう」

 

 具体的な準備となると一言では難しいが、結局は領内を豊かにするのが一番の準備かな。

 多くの役所や家が焼かれ、田畑が荒らされる乱の被害を金銭に換算して100と仮定する。僕は100という被害を防ぐためになら、今のうちに50の投資を無償で施すことも許容しようと思う。

 人的被害も考えるなら同額の100でも安いぐらいだ。そのためになら実家からの支援や、私塾や郎官時代に行っていた金策等で得た支度金を全て吐き出すことにも、僕はなんら躊躇いはない。

 

「────ああ、商人を誘致するには交通路の整備もしないとな。後は将来的にも学問の奨励は外せないところだ。都から招いた名士の先生方にも手伝ってもらって、既存の私塾や寺子屋には支援という名目で食糧と書物、それと煤や筆でも送れば────うん。役立ててもらえるかな」

 

 その上で僕は贅沢をせずに節制に努める。

 自分のことより自領の民の暮らしを向上させる。これが長期的に見て豊かなスローライフへと繋がると信じ、今は雌伏の時であると考えた。

 僕の政策は大きな問題もなく順調に進められた。その要因には蒋琬と費禕を始めとした幕僚の七人が非常に協力的で、良く励んでくれたことが大きい。僕は優れた配下に恵まれた幸運な男だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 僕が南郡へ来てから半年が経った。

 天も僕の頑張りを見てくれていたのか。実りの多い季節を迎える頃には一定の成果が現れた。

 赤トンボが飛び交う秋の暮れ。城壁から外の城下を見下ろす僕の眼前には一面、小麦色の絨毯が分厚く、見せつけるように広がっている。

 そんな光景を眺めていると感慨深い気持ちに駆られる。「ああ、良かった」と心から思う。稲刈りに励む大人達の側で楽しそうに遊び回る子供達が、僕を見つけ笑顔で大きく手を振ってくれた。僕が子供達に応えて小さく手を振り返すと、僕に気づいた大人達が笑顔で深々と頭を下げてきた。

 

「────豊作か。雨が多くて心配だったけど、本当によかった。みんなも嬉しそうだな」

 

 僕はこの半年の間で、領民達にも領主として徐々に受け入れられてきたように感じていた。

 来年の今頃はもっと感じているかもしれない。そうなると再来年はそれ以上かもしれない。なら「その翌年は?」と考えた時に、黄巾の乱が起こることを思い出しては少し気が滅入る。

 僕はこの地で忙しくも平和な半年間を過ごしてきた。政務だって滞りなく順調に進んでいた。城の人達は勿論のこと、領民に対しても僕は親近感を覚えつつあった。が、この穏やかな日々が何れは壊れるという現実が、時々僕を酷く憂鬱な気持ちにさせることがあった。

 

「────このままの平和が向こう五十年続くならば、僕はなんの憂いもなく暮らせるのにな」

 

 やれやれ、と大きく一つ溜め息を零す。

 未来を知っているからこそ備えられるが、知っているからこそ憂鬱な気持ちにもなる。

 僕にしか味わえない贅沢な悩みのような気もすれば、僕にしか味わえない辛酸のようにも思える。答えのない禅問答のよう気もすれば、その答えは自分で見つけ出すことのようにも思える。

「せめて腕の立つ武官でもいれば…………」と僕は呟きながら歩みを始める。秋風は冷たく、乾いた風が時折り切なそうに音を立てるが、僕は短い秋に思いを馳せながらゆっくりと歩を進めた。

 

 



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八話

 

 南郡太守に就任してから早一年。

 内政に傾倒してきたこともあり領内は潤いを見せていたが、全てが完璧だったわけではない。

 僕の統治は基本的に内政重視。長く平穏が続いていることもあり、軍事関連が疎かになっていた。これには僕なりに理由があり、新米領主が平和な治世下において、着任早々軍備に傾倒するなど、正直どうかという思いがあったからだ。

 例えば今、隣接する郡に新たな領主がやって来て、その領主が早々に徴兵でも始めたものなら「攻めて来るの?」と身構えてしまう。まず他にするべきことがあるだろう、と思ってしまう。まあ、これはあくまでも僕の主観だ。現に陳留郡へと赴任した華琳は練兵から始めたと耳にした。

 

 考え方というのは人それぞれだと思う。

 領主としての考え方だってそうだ。十人いれば十人の方針があるはずだ。僕は自分が正しいと言い切れるほどの経験があるわけでもなければ、それを押し付けようという気も特にない。

 兵隊は居ないと困るが平和な世では金食い虫でもある。僕はそのように考えては、軍事関連を疎かにしてきた。必要とわかっていながらも「そのうち、そのうち」とズルズル引っ張っては早一年にもなる。が、明らかに不味い自領の現状を目にすれば、流石に改善に乗り出す他になかった。

 

「────いや、いやいや、これは…………」

 

 僕は目の前の光景に苦笑いを浮かべる。

 軍馬として用意されていたはずの馬が、気づけば農耕馬として田畑を耕しているではないか。

 アクビをしながらゆっくりと鋤を引く馬。馬に向かって「頑張れー」と無邪気に声をかける子供。なんとも平和だ。今にも歌でも聞こえてきそうな、牧歌的な風景が眼前に広がっている。

 平和は喜ばしいことだけど、軍馬が農耕馬にジョブチェンジしているのは流石にどうよ。僕は内政に傾倒し過ぎて軍備を疎かどころか、いつの間にやらマイナスに進めてしまっていたらしい。

 

「流石に不味いよな。なんとかしないと…………」

 

 南郡太守に就任してから一年が経つ。

 黄巾の乱まで後二年。そろそろ内政だけでなく、軍備にも目を向ける頃合いかもしれない。

 このままの内政重視では不味いだろう。さて、どうするか。まず農繁期の終わりを待っては一定の期間を設け、徴兵でも募ってみるのがいいかな。そんなことを考えながら僕は城へと戻った。

 

 

 

 

 

「なんか牛じゃなくて軍馬が鋤を引いてたんだけど、誰か理由を知らないかな?」

 

 城へと戻った僕は、さっそく幕僚の七人を呼び寄せては素朴な疑問を投げかけた。

 僕の問い掛けに七人はそれぞれ顔を見合わせては頭に疑問符を浮かべる。どうやら誰も知らないようだ。ここは咎めたいところであったが、僕もさっきまで知らなかったので強くは言えない。

 前領主の時代から城にいる兵士の訓練についてもそうだ。「誰かがやってると思ってました」とばかりに誰も訓練内容を知らなかった。そして僕も知らない。ああ、これは良くない傾向だ。

 

「まあ、農繁期だし、治安も落ち着いている今の時期ならいいっちゃいいんだけどさ…………」

 

 官僚制の悪い部分が如実に表れている。

 トップである僕が命じ、幕僚の七人がそれに応え、さらに下の者達が順次それに応じて働く。そのシステムで仕事が円滑に進んでいることが、今回の場合では弊害となっていた。

 内政中心の一年。みんな忙しい日々を送りながらも、自らに与えられた仕事をきちんとこなし、それが領内の発展という目に見えた成果となって現れる。成果が目に見えて現れれば、忙しい仕事にも遣り甲斐を感じるだろう。

 遣り甲斐を感じれば、新たに与えられた仕事に対して集中する。それによって自分以外の仕事に対する問題点や変化に関して気づかず、柔軟な対応が出来ないという問題が生じてしまう。これは由々しき事態だ。トップの僕がミスってもフォローが入らないシステムが構築されつつある。

 

「合理性を求め過ぎたことが根本の────いや、違うか。本職の武官がいないのが問題だな」

 

 いや、あるいは文官組織の性なのかな。

 みんな頭では必要だと理解してはいても、軍備に金が流れることを本能が躊躇っているとか。

 僕は正直そのタイプだ。戦争なんて面倒くさい。侵略戦争でも起こさない限り金は減る一方だ。それなら内政に活用し、長期的に見返りを得る方が遥かに有益であると考えてしまう。

 みんなも似たような考えなのかもしれない。幕僚は文官だらけだし、組織はトップの考えに染まるともいうし。まあ、どちらにしても、これからは軍備にも力を入れないといけないはずだ。

 

「やはり有事には備えておくべきだろう。ウチはそうでもないけど最近、きな臭い話もチラホラ耳にするし。遠く対岸の火事と高を括っていても、火の粉は風と共に流れてくるかもしれない」

 

 軍備は近い未来の賊に対する備えでもあれば、遠い未来の大戦へ向けての備えでもあるか。

 僕ら八人はそれぞれ意見を出し合い、今後の方針を固める。結論は「軍備止む無し」。みんな気が進まなさそうだったし僕もそうだった。気が進まない、というか率いる将がいないんです。

 

「農繁期の終わりを待っては郡内の各県に徴兵の触れを出し、一定期間の兵役に就かせよう。農閑期では厳しい訓練を課す代わりに人頭税の一部を免除。さらに優秀者は常備軍に組み込もうか」

 

 率いるだけなら誰にでも出来るけど、正しく率いるなら本職の方がいいだろうから難しい。

 幕僚の中でも蔡瑁は武将のような気がしていたけど、本人曰く「水上戦じゃないと本領が発揮できなくて…………」とのこと。魚人かな。

 そんなわけで僕は近々兵を募ることに決めた。そしてそれに並行して、文武官の上級仕官者も募ることにした。範囲は南郡の領内と口コミ。流石に他領に立て札なんて真似はダメだろう。

 民や商人の伝手を使っては口コミで広げる。田植え等の農繁期が終わってから口コミが広まるまでだから、だいたい三ヶ月後かな。「ああ、呂布が三人ぐらい来れば無敵なのにな…………」と豊かな妄想をしつつ、僕はその日が来るのを待った。そして季節は春から夏へと移ろいでいく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夏の暑い時期に徴兵なんて酷ではあるが、農繁期や冬に呼ばれるよりはマシだろうと思う。

 襄陽に城を構える僕は襄陽県の様子しかわからないが、報告を聞くに他県でも襄陽と同様、徴兵は上手く進められているらしい。集まった民はどの県も士気が高く、やってくれそうとのこと。

 

「────じゃあ僕と蔡瑁で面接官やるから、武の資質がありそうな人は奥の部屋に通してくれ。ああ、それと資質があれば素行は気にしないでいいよ。武骨者が優秀なのも、お約束だしね」

 

 僕はなぜか面接官に立候補してきた蔡瑁と共に、武官の面接に立ち会うことに決めた。

 本当なら武官の仕官者と並行して文官の仕官者も同時に募る予定であったが、文官の方は仕官者がとても多く、諸事情から中々日程が合わなくて、さらに三カ月ずらして行うこととなった。

 主に領内ではなく、口コミからの仕官者がそれに当たった。都にいる知り合いなんて「もう、こっちは宦官や無能なバカ共の専横が見てらんねーから仕事辞めてそっち行くわ。引き継ぎもあるし、三か月じゃキツいから半年後ぐらいでよろしく」と文にて堂々と脱サラ宣言をしてきた。

 中央のエリート役人を辞めて地方の役人を志望。なるほど、要するに早めのセカンドライフを目指すということだろう。元々知り合いであることは勿論、同志は暖かく迎え入れたいと思う。

 

「蔡瑁」

「はい!」

「それじゃあ、手筈の通りに行こうか」

「はい!万事あたしに、お任せ下さいっ!」

 

 そんなわけで文官は先送りとなった。

 まずは武官。武官の仕官者は試験場で簡単に腕を披露してもらった後、一定の水準に達した人が僕と蔡瑁の待つ部屋へ通される仕組みだ。

 全員面接したいところではあったが武官候補者も数が多く、少々腕に自信がある程度の人の相手をしていては日が暮れてしまう。日が暮れるのは構わないのだが、僕の集中力が落ちて人材を見逃すなんてヘマは絶対に避けるべきであった。

 だってそうだろう。未来知識のある僕は、名を聞けば将器のある人なら即見抜けるのだから。

 

 

 

 

 

 この時代、というよりはこの世界。

 優秀な人材の見抜き方というのはある傾向があり、見抜くことはそう難しくもない。

 経験談で話すなら華琳や麗羽を筆頭に、これまで出会った史に名を残す大物達は、髪の色がカラフルであったり装飾が派手であったりと、目につく容姿をしているケースが非常に多い。

 それに対し、言葉は悪いがモブな人達は黒髪に黒目、後は割と地味な服装をしている。言い換えれば世界観に合った人ほどモブで、逸脱している人ほど主力な傾向が強いと僕は捉えていた。

 これまで出会った優れた人材は女性が中心であったが、男でもおそらく同様のことが言えると分析する。背が高くて体格の良い人よりも、小柄であっても金髪モヒカンの人の方が優秀である可能性が高い。自分でも意味不明なことを言ってる気はするが、きっとそういう世界なんだろう。

 

「────はい。面接は以上です」

 

 その傾向を捉え、さらに将の名を知っている僕が面接で大物を見逃す可能性は無に等しい。

 本来ならこれを活かして人材発掘の旅に出たいところではあったが、太守が私用で何日、何十日も城を空けるようではダメだろう。

 確実に出会えるのなら旅に出るべきかもしれないが、この国は広く、優れた人材と確実に出会える保証なんてない。と、このように僕は合理的でないことを何かと避ける傾向にあった。

 

「この結果は厳正な審査の下、数日中に城下にて発表します。どうもお疲れ様でした」

 

 そんなわけで僕はこの面接に強い期待を寄せていたのだが、今のところ経過は芳しくない。

 

「劉表様、今の者は中々見所があったのでは?我々に対する深い敬意も見受けられました!」

「うーん、なんか今一つだったな…………」

 

 少し期待し過ぎていたのかな。

 どうにもモブっぽい人ばかりで肩を落とす僕とは異なり、妙に張り切っている蔡瑁。

 蔡瑁。南郡一の、いや荊州一の大豪族である蔡一族の人。彼女はどの分野においても高い能力を誇っていたが、その性格には若干の難がある。

 蔡瑁は華琳や麗羽とは違うベクトルで高飛車な性格をしていた。自分より上と認めた人に対しては非常に忠実ではあったが、自分より下と判断した人に対しては高圧的に接する節があった。

 僕は太守であることと、血筋が優れていることもあってか最初から彼女には忠義を示されていたが、他の幕僚達はそれなりに苦労させられていた。まあ、みんな能力が高い。一年も経てば流石に認めたようだけど、幕僚よりも下の人達には、未だに横柄な態度を取ることがしばしばある。

 

「劉表様、次の者は他領からの流れのようです」

「ふーん、期待薄かな…………」

「他領にまで劉表様の徳が知れ渡っているとは、実に素晴らしいことですねっ!」

 

 人の性格とは環境に左右されやすいものだ。

 大豪族の一員として生まれた蔡瑁が、高飛車な性格に育ったことは仕方ないとも思う。仕事はとても真面目だし、良く言えば蔡瑁は上下関係を重んじる性格であるとも言い表わせるだろう。

 僕は度々、幕僚の七人で二人組を作らせては、彼女に協調性の重要さに気づかせようとしているのだが、今のところ効果は見受けられない。というか、改めて考え直したら蔡瑁以外の幕僚の六人は繋がりがあるな。馬良と馬謖、蒯越と蒯良は同族。蒋琬と費禕は私塾時代からの付き合いだ。

 

「蔡瑁の孤立は必然だった…………?」

「劉表様、なにか仰いましたか?」

「いや、なんでもないよ。人の世の無情さを噛み締めていただけだ。よし、次の人を通してくれ」

 

 その中じゃ蔡瑁がハブられるのも無理ないか。

 今日こうして蔡瑁が元気良く面接官として立候補してきたのも、二人組の相方を探すためだというなら甲斐甲斐しい。いや、僕は意識していなかったが、悪いことをしていたと思う。

 だが君のことを嫌っているわけじゃないことは忘れないで欲しい。君以外の幕僚の六人も、君のことを嫌っている素振りはない。ただ麻雀だけは、活きの良いカモだと思っているけども。

 

「────ふむ。その前に蔡瑁」

「はっ!」

「その節は悪かったね。僕もまだまだ未熟な領主であったということだ。反省、反省…………」

「────へっ?いえ、お気になさらず??」

 

 自責の念に駆られたので謝っておいた。

 そんな少々不憫な蔡瑁もこの時代の主力枠で間違いないはずだ。人目を惹く容姿をしている。

 珠のような白い肌。大きな瞳は淡い紫紺色。髪は銀。眉のラインで揃えられたサラサラした前髪と、両サイドで結ばれた長いツインテール。背丈も顔も小さくて、おまけに胸も小振りだ。

 高飛車な性格を物語るような甲高い声。上質な着物の色も晴れやかなスカイブルーとあってはモブ枠ではないだろう。華琳や麗羽、その側近達と比べるのは酷だけど、蔡瑁は能力も良い感じに高く、僕の幕僚としては相応しいかもしれない。

 

「────ま、幸い人材には多く恵まれてることだ。無理してまで雇用することもないかもね」

「────────っ!?」

 

 僕はその気になれば今現在、在野にいる未来の将軍や軍師達をスカウト出来る立場にある。

 この一年、それをしなかったのは合理的じゃないということもあるが、結局のところ僕は保守的で、自領が十全に治まるだけの人材がいれば、それで満足しているということだろう。

 僕は今日このまま誰とも出会えていなければ、あるいは現状に満足したまま自領に篭る決意を強く固め、後日行われた文官の試験においても集中力を欠いていたかもしれない。だが────。

 

 

 

 

 

「えっと────この部屋でいいのか?」

 

 僕は最後の最後に大物と出会った。

 面接のトリを飾るかのように現れた彼女。待望の武将と出会ったことは、まさに天の計らいか。

 

「ワタシの名は魏延。字は文長!広く武人を求めていると聞きつけ、はるばるやって来たぞ!」

 

 天の計らい。いや、もしくは天の配剤か。

 後になって思い返せばこの日、魏延こと焔耶と出会ったことが僕の大きな分岐点であった。

 

 




次話はこの続きからになります。
冗長気味で中々予定通りに話が進みませんが、これからもご愛読頂ければ幸いです。
インスピレーションが湧いたので蔡瑁は準レギュラー化。ちょくちょくオリキャラも出ますが、大筋では原作キャラを中心に進められればと。
本編の内容が薄いので、おまけで初期陣営と各部門トップ者のステータスでも書いときます。

劉表(りゅうひょう)
統率50 武力50 知力95 政治97
蒋琬(しょうえん)
統率70 武力30 知力85 政治95
費禕(ひい)
統率67 武力34 知力83 政治94
馬良(ばりょう)
統率52 武力23 知力87 政治91
馬謖(ばしょく)
統率62 武力65 知力88 政治70
蒯越(かいえつ)
統率47 武力27 知力82 政治88
蒯良(かいりょう)
統率68 武力33 知力88 政治82
蔡瑁(さいぼう)
統率75 武力70 知力71 政治72 水軍S

曹操(そうそう)
統率100 武力86 知力96 政治95
呂布(りょふ)
統率90 武力105 知力50 政治10
諸葛亮(しょかつりょう)
統率97 武力10 知力100 政治98
荀彧(じゅんいく)
統率50 武力20 知力94 政治100


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九話

 

「えっと────この部屋でいいのか?」

 

 そう言ってズカズカと入室してきた美少女を見た際、僕の五感は完全にピンときた。

 身の丈より長く太い、見たことがない大きさの金棒を引っ提げて入室して来た美少女。もうこの時点で面接して来た他の武官候補者達とは、明らかに一線を画して別格のオーラを放っていた。

 

「────ふむ。なるほどね」

 

 そして極めつけは彼女の容姿。

 女の子にしてはボーイッシュな髪は黒を主体とし、前髪の一部から右側頭部にかけ、白いメッシュが流れるように入れられている。腕には手具足を付け、首元にはピンクのチョーカーときた。

 服装もなんだろう。時代を大きく先取りしたシャレたもの。顔もやっぱり可愛く、胸も果実のように大きい。ああ、これはもう決まりだろう。彼女の名前を聞く前から、僕は確信を深める。

 

「ちょっとアンタ!得物の持ち込みは禁止よ!」

「む、そうなのか?」

「当たり前じゃない。ここは太守様の御前よ?はい、もうアンタ帰りなさい。不合格!」

「はっ?────いや、待て待て待て!まだワタシは何一つとして話してないのだぞ!?」

「話すまでもないわよ。常識一つ理解せぬ愚か者に、時間を割く暇なんて太守様にはないの!」

 

 これは確実に合格、と思った矢先。

 蔡瑁が捲し立てるように不合格の烙印を押しては、せっかくの逸材を追い返そうとしていた。

 いや、待ってくれ蔡瑁。目の前の彼女は僕の知る、次代を彩る主力の人物像と一致している。まだ名は知らぬが、間違いなく大物だ。それを追い返すだなんてとんでもない────と、口に出せたら楽なのだが、そんなことを突然言い出しても、二人に不審に思われるのがオチだろう。

 

「まあまあ、落ち着こうか蔡瑁」

「劉表様……?」

「結論を出すのは早計だ。君も掛けてくれ。そして名前と志望動機を聞かせてもらえないかな」

 

 ここは逸らず冷静に、これまで通りの面接を行ってから彼女を採用するのが正解に違いない。

 僕は蔡瑁を宥め、入室して来た彼女を席につかせる。あくまで冷静を装う僕の内側では、鼓動が高鳴っていた。「よしよしよし!」と何度も心の中で反芻させる。待望の大物武官だ。絶対に将として登用する。だからこそ、だからこそ逸ってはダメだ。変な太守だと思われてはいけない。

 

「劉表様がそう仰るのであれば…………」

「ふむ、志望動機か。武者修行の旅の途中で南郡の評判を聞き、どんな太守が治めているか興味をもったのが理由となる────って、えっ?」

 

 僕の正面の席へと座り、志望動機を述べ始めようとした彼女。と、不意に目が合った。

 目が合った瞬間、彼女は言葉を止めてしまったので、僕は威圧的にならないようにとニッコリと微笑む。何も心配しなくてもいいよ。君はもう合格間違いないから。むしろ辞退しないでね。

 そういった意味を籠めて、僕はニッコリと微笑みかけると、彼女は瞬時に熟れたトマトのように顔を真っ赤に染めた。そして言葉もなくボーっと僕を見ている。「何事?」と僕は助けを求めて蔡瑁の方を向くと、蔡瑁は「まあ、気持ちはわかるけど、雑!」と誰に言うでもなく呟いた。

 

「え、蔡瑁。彼女はどうしたの?」

「劉表様はお気になさらず。この城に仕える女官達も度々患う、突発的な病のようなものです」

「それを聞いて気にしないのはちょっと…………」

 

 僕だけが状況を理解できていなかった。

 こういった場合、僕は状況を正しく理解したいと考えるけれど、それは時と場合によった。

 他に興味を引かれる事が起これば話は別である。今回の場合は彼女が次に発する言葉。正確には彼女の名を聞いた瞬間、僕は喜びのあまり、小さな疑問なんて即座に吹っ飛んでしまった。

 

「──────ッコイイ」

「なにか言った?」

「え?いや、その────なんでも、なんでもない!ええっと、アレ?ああ、ワタシの名前か!」

 

 僕の問いかけに彼女は真っ赤な顔を二度三度と左右に振り、なにか否定の意を示す。

 そして着席して早々に立ちあがると、一つ息を吐いては調子を整え、胸を張ってこう続けた。

 

「ワタシの名は魏延。字は文長!広く武人を求めていると聞きつけ、はるばるやって来たぞ!」

「お、おお…………魏延。魏延か!」

 

 魏延と聞いた瞬間、僕は涙が出そうになった。

 魏延。蜀漢が誇る猛将の名。確か出身地は荊州で、三国時代の序盤は劉表に仕えていたはず。

 南郡に赴任と聞いた時から僕はずっと、いや、劉表として二度目の生を受けた時からずっと渇望し続けていた将の名。ああ、ようやく出会えたのか。ホント何処に行ってたんだよ魏延。

 僕は嬉しさのあまり今すぐ魏延を抱きしめて、全身でこの喜びを伝えたい衝動に駆られるも、己の立場を考えてはギリギリで思い留まった。ただ、もう嬉しくて嬉しくて仕方がなかった。

 

「────そうか。遂にこの日が来たのか!」

 

 ほんの少し前まで「武官なんて別に…………」とスカしていたのが嘘のように心が躍る。

 僕も本当に現金なもので、史に燦然と名を刻む猛将と出会えたら、そしてその猛将を登用出来る機会に恵まれたら手の平だって返してしまう。ああ、魏延。本当に、本当によく来てくれた。

 

「よく来てくれたね魏延!僕は────」

「くぅら!アンタは敬語一つ使えんのか!」

 

 遂に僕の時代が来た、と確信する。

 そして満面の笑みを浮かべては僕からも名乗り返そうとするも、蔡瑁が声を張り上げて阻む。

 

「なっ!ワタシだって敬語ぐらい使えるぞ!」

「じゃあ使いなさいよ!立場わかってんの!?」

「わかっているが師匠が以前、人と親しくなる秘訣とは腹を割って話すことと仰っていてな」

「アンタの師匠のことなんて知るか!流れ者が偉そうな口を利くなんて真似が許されるわけないでしょ!ああ、もうダメダメね。アンタなんて不合格に決まって──────ふが、ふがふが」

 

「いや、ホント勘弁して」と僕は心中で叫ぶ。

 またしても蔡瑁が魏延に突っかかっていったので、僕はすぐさま蔡瑁の口を手で塞いだ。

 蔡瑁の言葉は何も間違っちゃいないけど、魏延ならノープロブレムだ。所詮この世は弱肉強食。というか実力主義。本来なら僕の方が魏延に敬語を使わなきゃいけない立場でもおかしくない。

 僕の奇襲に蔡瑁は左右に結ばれた、二つの長い髪を上下に動かしては動揺を示す。なんだか生き物みたいに動いていて少し面白い。僕は蔡瑁が落ち着くのを待ってから手を離し「君の気持ちは受け取った。ここは一つ、太守である僕に任せて欲しい」と言ってその肩にポンと手を置いた。

 

「劉表様……?」

「みなまで言うな。全部わかってるよ」

 

 君だって二人組の相方が欲しいんだろう。

 なら僕に任せておくといい。蔡瑁が頷いたのを見てから魏延と対峙する。よし、合格させるか。

 

「君の名は魏延なのか!」

「ああ、ワタシの名は魏延だ!」

「実に良い名前だね!将器が伝わってくるよ!はい、合格!君の仕官を心より歓迎します!!」

 

 僕は拍手を交えて魏延を祝福する。

 ここは勢い重視。変な理屈なんていらない。魏延が相手ならば必然の即決。必然の合格。

 

「本当か!?よーし、ワタシはやったぞ!」

「ちょ、劉表様!?」

 

 全身で喜びを表す魏延と困惑する蔡瑁。

 悪いな蔡瑁。他のことなら君の意見にも耳を傾けるが、魏延クラスだと合格は覆らないんだ。

 魏延の強さを見れば君もわかってくれるだろう。今は納得がいかないかもしれないが、最初ギスギスし合うというのも王道の展開だし、時間をかけて良い感じに友情を育んでくれたらいい。

 僕はそんな期待をしつつ、そろそろ今日という良き日の締めに入りたかったのだが────。

 

「劉表様!」

「どうしたの?」

「本当にこのような言葉遣いも碌に知らぬ、蛮人を登用してもよろしいのでしょうか!?」

「いや、蛮人って…………。それに言葉遣いなら、蒋琬や費禕も僕と対等の口を利いてるしね」

 

 珍しく蔡瑁が粘り腰で僕も困惑する。

 蔡瑁と魏延って相性悪いのかな。僕も二人の歴史的な関係までは残念ながら把握してないし。

 性別が反転しているから尚のことわからん。魏延は胸が大きいから、貧乳の蔡瑁が嫉妬しているとか。ありそうだ。だが、それは安易に口にしてはいけない。それを僕は華琳から学んでいた。

 

「お二人は古き御友人でもありますよね!」

「そんなに古くもないけど、そうだね」

「それならば、あたしも理解が及びます。ですがこの者は、百歩譲っても流れの新参者です!」

「君の言いたいこともわかるが、これから魏延は君と同格の同僚となるんだ。良き先達者として、色々と彼女の面倒を見て上げてほしい」

 

「まさかの幕僚待遇ですか!?」と絶句する蔡瑁。「そりゃそうよ」とばかりに頷く僕。

 これは魏延だからどうという話だけではなく、軍備に目を向け始めるからには文官だけでなく武官も必須。従って今日、面接で取った武官の一番手は、無条件で幕僚入りさせる予定だった。

 だからこそイマイチ渋い人材ばかりで困っていたが、一番手ではなく二、三番手で取る分には歓迎する。伯長(百人将)や曲長(千人将)や軍長(三千~五千人将)待遇で取るのなら問題はない。ちなみに魏延は軍長より上の、万を超える軍勢を率いる将として登用するつもりだ。

 

「これは太守である僕の決定だ。含むところがあるかもしれないが蔡瑁、君ならわかるよね?」

「…………………………」

「ああ、初対面であるワタシのことを、そんなに高く買ってくれているのか!これが真の主君を仰ぐ心地っ!一目惚れ────いや、一目見て感じた胸の高鳴りは、やはり本物だったのだな!」

 

 喜ぶ魏延と反し、蔡瑁の表情は優れない。

 不服そう。まあ、それも仕方ないか。この手のことはすぐに解決することでもない。贔屓しているように見える、というか贔屓しているんだけど、時間が解決してくれることを願おうか。

 それに贔屓ということなら、僕は蔡瑁の一族である蔡氏のことも贔屓していた。蔡氏の出身県では県令(市長)は無理だが、県丞(副市長)以下の主要ポストの人事権を蔡氏に一任していた。

 その地の県令からは「いや~キツイっす」と難色を示されたりしたが、僕は「逆に考えるんだ。楽が出来る、そう考えるんだ」と言って押し切った。結局、蔡氏から任命された人が期待を裏切らずにきちんと働いてみせたので、後に楽を覚えた県令からは正しい人事だったと感謝された。

 

「…………は、はい。勿論わかります」

「そうか、ならよかった」

「あたしは劉表様の決定には異を唱えません。ですが、あの頭が高い流れ者には別ですっ!」

 

 と、まあ結局は実力が物を言う世界。

 だから僕はこれまでと同様に、やがて時間が解決してくれる問題であると考えていた。

 が、武官は文官のそれとは違い、そう長く時間が掛かることでもないらしい。目をギラつかせ席から立ち上がる蔡瑁。蔡瑁は魏延に向かって指を差すと、挑発するように促してこう言った。

 

「流れ者!アンタに口の利き方を叩きこんであげるわ。その得物を持って付いて来なさい!」

「ふん、さっきから黙って聞いていれば偉そうなチビだな。だが、わかりやすいのは嫌いではない。それにワタシの実力を示す良い機会だ!」

 

 武官は目に見える武勇を示すことで、自らの価値をわかりやすく証明できるもの。

 テンプレのような蔡瑁と魏延のやり取りを聞きながら、僕も「怪我しないようにね」と言って立ち上がる。「加減します!」と返事を返す蔡瑁。いや、怪我に気をつけるのは君だと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 面接は魏延が最終者であったこともあり、僕ら三人は鍛錬場へとスムーズに場所を移す。

 城外にある鍛錬場は掃除が行き届いてはいたが、あまり使われているような形跡はなかった。これからは活用していかないとダメだな。

 得物の長槍を振るってはアップを始める蔡瑁。僕は他の幕僚六人を呼び、さらに手が空いていた兵士達と観戦に励む。みんな仕事はあったが、魏延のお披露目は早い方が何かといいだろう。

 

「────あの姉ちゃん、強そうだな」

「お、わかるのか?」

「いや、あんなデカい金棒を平然と握ってんだもん。あれで弱いわけないだろうさ」

「違いないね。蔡瑁だって弱いってことはないだろうけど、少し厳しい勝負になると思うな」

 

 僕は右隣にいる蒋琬。

 

「ふーん、あの子が武官の筆頭候補か」

「候補じゃなくて内定済みだ」

「なるほど、中々風格があるな。で、あの子は麻雀でカモっても大丈夫な子?」

「…………武官をカモると場外戦に発展しかねないからな。そのへんは自己責任でどうぞ」

 

 そして左隣にいる費禕の二人と談笑を交わし合いながらその時が来るのを待った。

 鍛錬場は次第に緊張感に包まれ始めたが、僕だけはのんびりと眺めていた。まあ、魏延の圧勝だろうと。もしも蔡瑁が一矢報いるのなら、それはどんな展開だろうかとも少し考えた。

 やはり勝負事だし、先手必勝になるのかな。蔡瑁が魏延から先手を取れれば、あるいは大金星もあり得るのかもしれない。僕はそんな期待もいくらか寄せていたが、開始直前に放たれた蔡瑁の言葉を聞いて、勝敗を完全に察してしまう。

 

「────流れ者!先手はくれてやるわ!」

「ほー!ならばワタシからいかせてもらうぞ!」

 

 その言葉を聞いて僕は「はい」と頷く。

 大金棒という得物から見て、いかにもフィジカル特化の魏延に先手を与えちゃダメだろうと。

 僕は蔡瑁の避けられぬ敗北を予感する。「秘策でもあるのか?」と考えるも、余裕ぶっこいている蔡瑁は、武の心得のない僕から見ても隙だらけに映る。あれで魏延の大金棒を防げるのかな。

 

 

 

 

 

「────よし!もらったっ!!」

「────────────なっ!?」

 

 そして結果も、まさにその通りだった。

 先手を得た魏延は勢いよく接近すると蔡瑁へ向かい、威勢の良い掛け声と共に大金棒を地面スレスレからすくい上げるように天へと薙ぎ払う。

 蔡瑁は魏延の大金棒を槍の桿で受けようと試みるも受けた瞬間────両足が宙に浮く。そして勢いそのまま体ごと宙へ飛ばされては二転三転と回り、後は重力に戻され地面へ落ちていった。

 

「お、おお……。もう…………」

 

 その光景はさながら交通事故の現場。

 観戦していた僕ら文官組はポカーンと口を開いては、その光景にただただ目を見張る。

 兵士達は即座に歓声を上げていたが、僕らは再起動にまで少しの時間が必要だった。想定通り魏延の圧勝に終わったわけだが、先手がどうとかそういう次元の話じゃなく、ただ凄まじかった。

 

「…………あの子をカモるのだけは止めとくわ」

 

 費禕がボソりと戒めるように呟いた。

 この場にいる誰もが、魏延の力を認めざるを得ない圧勝劇。魏延を知る僕ですら驚いた。

 思考が再起動すると、次に僕は蔡瑁の身の心配をする。吹き飛ばされては派手に落ちてたけど大丈夫なのかな。骨とか折れたりしていないだろうかと、僕はおそるおそる蔡瑁の傍に近寄る。

 

「怪我は大丈夫かい、蔡瑁」

「ふ、ふえぇぇぇ。劉表様ぁぁぁ…………」

 

 幸いにも蔡瑁は大丈夫そうだった。

 地に倒れたまま悔しそうに瞳を潤ませてこそいたが、目立った外傷は特に無さそうだ。

 頑丈というのも武将に求められる資質なのかもしれない。僕は今にも泣き出しそうな蔡瑁を慰めて立たせると、服に着いた土を払ってあげた。

 

「蔡瑁」

「劉表様…………」

「ふむ、意外と元気そうだね。もう一戦やる?」

 

「鬼ですか!?」と蔡瑁が抗議の声を上げる。

 僕の小粋なジョークで元気になった蔡瑁に「次は期待してるよ」と声をかけ、次に魏延を見る。

 魏延は大金棒を片手で肩に担いでは、兵士達の歓声を浴びながら誇らしそうに佇んでいた。僕に気づくと人懐っこい笑みを浮かべ、褒めて欲しそうに駆け足でこちらへと近づいてくる。

 

「どうだ!ワタシも中々やるだろうっ!」

「中々なんて次元じゃなかったよ。本当にビックリした。君は南郡一、いや荊州一の将だろう」

 

 僕は思ったままの感想を述べ、勝者を称える。

 魏延は照れ臭そうに、でも嬉しそうに笑みを浮かべた。いや、本当に凄まじかった。今日で僕も武将の重要性というものを再確認させられた。やっぱりこの世は、力こそ正義なのかな。

 僕だけじゃなく幕僚達も武将の、武官の重要性を認識したことだろう。これからは軍備を進めることにも反対意見は少なくなりそうだ。魏延が先頭に立って頑張ってくれることだろう。

 

「時に魏延。部隊指揮は出来る?」

「…………指揮。ふむ。指揮、か────」

 

 最後に確認をかねて魏延に訊ねてみる。

 ここで「無理!」と言われてしまえば、僕も違う手を考えていたのだろうけど────。

 

「────理論は知っている!」

「よーし、理論を知っているなら大丈夫だな!これからよろしく頼むよ魏延。君が僕の第一将だ」

 

 まあ、いくらか不安な返事だったが、きっと大丈夫だろう。なんたって彼女は魏延なんだから。

 

 

 

 

 

「はい、今日からは八人で二人組を作ろうか!」

 

 こうして僕にも待望の武官が加わった。

 将として魏延。軍長、曲長、伯長クラスにも数名ずつ加わり、軍としての形も整いつつある。

 幕僚も魏延が加わっては八人となった。文武官の比率は未だにおかしいが、そのうち内部昇格なり外部招聘なりで改善されていくことだろう。

 ともあれ僕にとっては大満足の結果だった。これは三カ月後の文官の方も期待が出来るのかな。戸惑いがちに魏延を誘う蔡瑁を眺めながら、僕は風に運ばれてくる新緑の香りに頬を緩める。

 

 




伯長、曲長、軍長の呼称は割といい加減です。
誤字報告いつもありがとうございます。一向に無くなる気配がありませんが、大変助かってます。


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十話

 

 優れた人材を登用、または雇用する方法。

 この時代、それらを一括りにスカウトと表すなら、スカウトの方法は大きく三つに分かれる。

 一つ目はスカウトする側が人材の下へ直接出向く方法。雇用主側から出向くことで、誠意の高さを伝えるというのは効果的だと思う。三国時代で有名なのは、劉備と孔明の三顧の礼かな。

 二つ目は人材側から仕官という形で出向いて来る方法。僕が現在進行形で文武官を募っているのもこの方法だし、何時の時代も変わらぬ王道の手段だ。言ってしまえば太守である僕も、出身郡の考廉に挙げられては国に仕官した形でもある。

 

 そして三つ目。

 あるいは先に挙げた二つよりもこの方法が、優れた人材を得る確率は高いかもしれない。

 それは第三者からの推薦によって人材をスカウトするという方法だ。例えば先日加入してくれた魏延が「○○って場所に黄忠と甘寧が居てさー」なんて言ってくれば三つ目の方法にあたる。

 そこまで大物じゃなくとも誰かに「農政に明るい者に心当たりがあります」と言われ、僕が「なら呼んでくれ」とスカウトすればそうだ。推薦人材の優れた点は、ハズレが少ないことかな。

 

 と言うのも推薦する人が、わざわざ下手な人材を推薦する必要なんて無いからだ。

 身内や知り合いを贔屓させたいという思惑や、推薦することによって推薦された人から見返りを得るという魂胆も考えられるが、それらは後のメリット、デメリットを考えると恩恵が薄い。

 仮の話だが、推薦した人が大惨事を引き起こしてしまったら、推薦者は無関係とはいかない。高い確率で連鎖しては責を問われることになる。「君の推薦した人材がやらかしたんだけど、どうするの?」と聞かれ「そんなもん知るか!」と答えられる勇者は中々いないし、いちゃダメだ。

 反対に、推薦された人が偉業を成し遂げたりでもしたら、こちらも推薦者は無関係とはならない。高い確率で連鎖しては功を得られることになる。功とは褒美や出世。他にも諸々あるかな。

 まあ、これはかなり極端な例だが、このように後々も関係が続いていくことを考えれば、下手な人材を推薦するよりも優秀な人材を推薦する方がメリットが大きいんじゃないかと考えられる。

 

 推薦者視点でもう一つ大きなメリットを挙げるなら、立場が良くなるということもあるかな。

 職場での立場、つまりは上からの覚えが良くなるということもあれば、自分の才を売り込もうとする人達からの印象も良くなる。印象が良くなれば多くの人が推薦者の下を訪ねて来ては、やがて人脈も広がり、以降は推薦する人材の幅が広がるという好循環へ繋がっていくことになる。

 要するに名声が上がるというわけだ。「人を見る目がある」という評価を得られれば、とにかく良いことが多い。そういうわけで第三者からの推薦はハズレが少なく、当たりの人材が多くなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 前置きが長くなったが話は本題に入る。

 僕が南郡へと赴任して来た当初の頃から、推薦の話となると頻繁に話題に挙がる人物がいた。

 

「────司馬徽。司馬徽、ねえ」

 

 それは司馬徽(しばき)という名の女性だ。

 曰く司馬徽は人の本質を見抜く才能に長けた清廉の士であり、必ずや僕の助けになるとのこと。

 年は妙齢の域に達してはいるがまだまだ働き盛りであり、在野に埋もれさせるは非常に惜しい人材らしい。今は隠士の如く山中に住んでは、そこで学問所を開いているという話であった。

 

「司馬の姓か。でも、河内郡の司馬一族とは違うのね。うーん、どっかで聞いたような…………」

 

 推薦者に「学問所の場所は何処?」と聞くと「南郡は襄陽県です」と返事が返ってくる。

 南郡って僕の治める領内じゃないか。それに僕の居城が襄陽城だから、襄陽県内だと近いかな。山中と聞いて「ああ、あそこの山岳地帯かな」という目星が付く程度には近所だった。

 司馬徽。どこかで聞いたような名だな。司馬と聞くと、後に司馬懿を排出する河内郡の司馬一族を連想してしまうが、その司馬とは無関係のようだ。だが、なんだか聞いたような名だ。司馬繋がりで引っ掛かっているだけなのかな。まあ、推薦に挙がるぐらいなんだから優秀なんだろう。

 

「ふむ、気になるなら招けば済む話か。幸い場所も近いし、話でも聞かせてもらって────」

 

 と、僕は司馬徽を招こうと考えるも「本当にそれでいいのか?」という言葉が脳裏を駆ける。

 司馬徽は話を聞くに半ば隠士。隠士とは煩わしい世間から身を離しては、静かにひっそりと暮らす人のことを指す。だいたい隠士とは優れた人が多いのだが、優れた人でもないと静かにひっそりと暮らすなんてことは叶わないからだろう。

 

 スローライフを目指す僕が、静かにひっそりと暮らしている隠士を公の場へと招く。

 果たしてそんなことが本当に許されるのだろうかと自問する。太守である僕が招くと口にすれば、城のみんなは招聘の準備に取り掛かるだろう。この地の領民である司馬徽は、この地を治める太守である僕の招きを拒むことは難しい。

 一度でも招かれれば、司馬徽を高く買う人が多いこともある。仕官の話に流れるのは必然。それを断れば反感を買い、受ければ隠士ではなくなってしまう。なんとも司馬徽には迷惑な話だ。

 僕は僕の興味本位のためだけに、司馬徽を招くなんてことが許されるのか。しばしの自問、そしてやがては自答に至る。違う、そうじゃないはずだと。僕がするべきことは招くことじゃない。僕は同志────否、師の静謐を支えるべきだと。

 

「────いや、司馬徽殿のことは以後、推薦に挙げることを禁ずる。司馬徽殿が学問所を開いているというのは、学問を奨励している僕の領地方針とも一致する。以後は食糧や物資の寄贈という形を取っては、陰ながら支援していこうか」

 

 自問自答の末に、僕は答えに辿り着いた。

 隠士とはつまり、豊かさは些か怪しいがスローライフの古代版ではないかという解釈に至る。

 僕も劉表という恵まれた立場でなければ、司馬徽殿のような隠士ルートを歩んでいた可能性が高い。というか、おそらくそうしていただろう。

 つまり司馬徽殿は僕の人生の先輩。いや、人生の師匠にあたる人物と考えて間違いはない。つまり僕は師匠の弟子だ。弟子である僕が、師匠を呼び付けるなんて所業が許されるわけもない。

 

「ふむ、まさかこんな形で師に巡り合うとは人生、何が起こるか本当にわからないな。ま、今更でもあるか。師匠────じゃなかった。司馬徽殿の学問所に支援物資を届ける際は、特に礼節を重んじるようにとの通達を出してくれ!」

 

 これがだいたい、僕が南郡へと赴任して来てから半年前後に起こった出来事だったかな。

 一方的に人生の師を得た僕は高い満足感と共に、遠き未来への活力を漲らす。いつかは師匠のお話も拝聴したいところだ。僕はそんなことを考えながら、日々の忙しい政務にも励んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 師匠との一件にはまだ続きがあった。

 あるいはここからが本題か。とある日のこと、僕の下に師匠から丁寧な文が送り届けられた。

 その文こそが僕と師匠との交流の始まりでもあった。文の内容には食糧や書物、煤や筆といった支援物資を、僕が師匠の学問所へ送り届けたことに対する感謝の言葉が長く綴られていた。

 恐れ多くも師匠から文を頂いた僕は、その文に対する返事を返す。「お気になさらず」といった旨の内容。僕はこの地を治める領主なのだから、この地に住み、僕を支えてくれている領民の方々へ支援をするのは至極当然のことであり、感謝されますと却って恐縮してしまいますと。

 

「────少し硬い?でも師匠相手に弟子が礼を逸するなんてことは、あってはならんしな」

 

 これが僕と師匠との交流の始まり。

 以降は定期的に文でのやり取りを主に交流を交し合う。師匠を招くことは難しくとも、近場だし僕の方から師匠の学問所を訪ねるという手段もあったが、これも立場が立場なだけに難しい。

 郡太守が学問所を訪ねるってのもな。悪いことではないのだろうが、師匠の静謐を妨げる遠因になりかねないと自重する。「ならばいっそ、お忍びで」とも考えたが、膝元の城下町でさえ忍んでもバレる僕が、城外で忍べる自信はなかった。きっと統治者としてのオーラが出ているのだろう。

 

「────近いようで遠い距離、か。まあ、それもいい。支援とは本来、静かに行うものだ」

 

 師匠が健やかであるのならそれでいい。

 僕はそのように考えては見返りを求めず、ただ自分が成すべきことを成そうとする。

 学問の奨励。これは師匠だからどうという話だけではなく、長期的に見れば必ずプラスになることでもあった。次代を担う人材というのは、なにも極一部の英傑だけに限った話ではない。

 その英傑の脇を支える人材や、さらにその人材を支える人が居てこそ組織は強くなる。戦争において兵士の数こそが勝敗に最も影響するように、組織においても人材の多さこそが、その組織の精強さを表すと言っても過言ではないはずだ。

 まだまだ若く、若輩者の僕が言うのは烏滸がましいことかもしれないが、統治者というのはそうあるべきだと考えていた。だからこそ僕は領内発展の一環に学問の奨励を据えた。今日明日ですぐに芽が出ることではないが、長期的に見れば必ずプラスになることであると信じていた。

 

「────まあ、領内で育った人材は必ずしも僕に仕えなくてもいいんだけどね。そうなってくれれば一番良いけど本来の一番は、その人が仕えるに足ると見込んだ主に仕えることだろうし」

 

 僕はそのように考えては、師匠との文でのやり取りにおいても度々この話を話題に出した。

 ありがたいことに師匠は僕の考えを肯定してくれた。その上で「もっと欲張ってもいいのではないか」と仰っては「優れた統治者とは、優れた臣下を求めるものです」と助言をくれた。

 師匠は僕に対してかなり好意的でいてくれた。僕の内に秘めた隠士としての資質に気づかれたのかもしれない。そして「大魚を見つけては逃さぬよう」との助言を与えてもくれた。「大魚は稚魚とは異なり、居着くためには十分な広さと、清い水が必要になるものです」とも仰ってくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 師匠との交流はその後も続いた。

 師匠との交流が深まるに連れて、僕は師匠が開く学問所の生徒達とも交流をもつようになった。

 交流と言っても直接的な面識を持ったわけではなく、学問所への支援のお礼にと感謝の文、手押し花や草の冠といった、手作りの心温まる品々が僕の下へと送り届けられたりしていた。

 

「────ふふふ、見てくれ魏延。いいだろ?」

「お、おう。そうだな!」

「こっちは学問所の生徒からもらった草の冠。それでこっちは街の子供からもらったドングリだ。食べてって言われたけど、流石に食べるのはちょっとアレだから、記念に取っておこうかな!」

 

 執務室へとやって来た魏延に自慢する。

 領民の子供からのプレゼントや、弟弟子妹弟子からのプレゼントというのは嬉しいものだ。

 厳密には僕の方が後の弟子かもしれないが、気分を味わっているだけなので知らん。僕は兄弟子として一人で勝手に楽しんでいるだけだ。

 一度うっかり師匠のことを師匠と文に書き記してしまい、師匠を困惑させてしまったがこれも仕方がない。だって師匠は師匠だからね。訊ねられたが、そこは有耶無耶にして事なきを得た。

 

「しかし、こうして見ると劉表。やっぱりお前って良い太守してんだなーって思うよ」

「まあね、それほどでもあるかな」

「ワタシの見る目も捨てたもんじゃないな。ふむ、それで草の冠と。どれどれどれ────」

 

 そう言いながら魏延は、おもむろに草の冠へと手を伸ばす。そして手に持った瞬間────。

 

「────あっ!」

「ん?」

「ごめん、壊しちゃった…………」

 

 瞬く間に冠の結び目を壊してしまった。

 なんてガサツな。これには僕も苦笑い。だけど、まあ壊れやすい物でもあるし仕方ないか。

 

「ま、まあ、結び目を繋ぎ合せれば大丈夫さ」

「そ、そーだな!よし、ここはワタシが責任を持って直すことに────って、ああっ!」

「傷口が広がってるんですが、それは…………。ああ、違う違う。僕が直すから貸してくれ!」

 

 これ以上、壊されちゃたまらんとばかりに魏延から草の冠を奪還しては、僕の手元に保護する。

 取り上げられた魏延はシュンと落ち込んでは反省の色を見せたが、別に怒ってはいない。ただ壊されたら困るだけだ。僕は魏延が壊してしまった結び目を丁寧に修繕してはホッと息をつく。

 

「────ふぅ」

「直ったのかっ!?」

「いや、間に合わなかったよ」

「そんな……。ワタシの、ワタシのせいで…………」

「冗談だよ。直った直った。反省しているようだし煩く言わないけど、触るなら大事に扱ってね」

 

「おう!」と魏延が笑顔で答える。

 これでいい。でも魏延は何しにやって来たんだろう。まさか破壊しに来たわけじゃあるまいし。

 やって来た理由を訊ねると、魏延は「そうだった!」と思い出しては本題へと入る。魏延の話は頼んでいた兵の訓練のことだった。うんうん、と僕は二度頷く。君の本職は武官だもんなあ。

 

「ワタシの訓練なんだけどな!」

「うんうん」

「真っ直ぐ行ってブッ飛ばすの基本を教えるためにさ、まずは全員ブッ飛ばしてやったぞ!」

「基本…………?」

「ああ、そうとも!ブッ飛ばされたことがない者がブッ飛ばすことなんて出来やしないからな!」

 

 ただ、本職の話は僕には難しかった。

 いや、ブッ飛ばしちゃダメでしょ。ボディーランケージにしてもハード過ぎやしないかね。

 どうも畑違いのためか僕にはピンとこないが、あるいは体験主義という考え方もあるのかな。

 僕は少し考えるも「魏延の方針なら間違いないだろう」という結論に至る。素人が横から口を挟むってのもなんか違うし、よくわからんが魏延ならきっとなんとかなるだろうと────。

 

「────ふむ、引き続き頼むよ」

「おう!それでなんだけどさ。明日の演習で外の城壁を使いたいんだけど、いいか?」

「攻城戦を想定しての訓練かな。兵の配置決めや、梯子を掛けて城壁を登らせてみたり?」

「訓練は城壁からの下りが中心だ!無論、己が磨き上げた肉体のみを駆使して下っていく!!」

 

 なんとかなる────よね。

 魏延の言葉に絶句しそうになるも、きっと深い意味があるんだと信じる。いや、信じたい。

 

「下り?登りじゃなくて?」

「ああ、下りだ!」

「下る意味…………と言うか死んじゃわない?」

「大丈夫!益州時代、師匠の下にいた頃に行っていた鍛錬を、ワタシなりに応用しただけだ!」

「益州って、そんなにヤバいのか…………」

「地形が険しいからな!それに本気で不味かったら蔡瑁が止めるから平気のはずだ。問題ない!」

 

 同じ師匠でも、えらい違いだな。

 僕はいくらか訝しんで魏延を見るも、魏延は自信アリという堂々たる態度を崩さない。

 正直ダメな応用パターンの気配がしているが、ひょっとして本当に問題ないのかな。演習を行う意図はさっぱりだけど、蔡瑁のフォローが入るならば大丈夫、なのかもしれない。流石にただ飛び降りるだなんて投身行動は取らないだろうし。

 わからん。わからんが、おそらくは深く聞いてもわからんだろう。ならば魏延を信じる他ないか。演習で怪我人が出るのは普通のことだし、怪我で済むのなら大丈夫のはずだ。蔡瑁もいるし。

 

「まあ、うん。無理はしないようにね…………」

「任せとけ!!」

 

 翌日の演習では幸い重傷者は出なかった。

 傷の軽い人達を集めては、後々に特殊部隊が結成されたので一応の成果はあったのかな。

 ただ特殊部隊の人達は、この話をする度に「魏将軍の無茶ぶりに付き合わされるのは辛かった。あの演習に意味あったのかな……」と零していたので多分、演習自体に深い意味はないはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 文官の試験日も迫る、とある夜のこと。

 僕は夢を見ていた。奥行きのない真っ白な空間の中で僕は、人懐っこい狐を抱き抱えていた。

 

「────────伏竜」

 

 と、無意識に口が開く。

 すると真っ白な空間が色を帯び、僕の眼前に現れるは池。その池の奥底には竜が潜んでいた。

 僕が竜に手を伸ばそうとすると、抱き抱えていた狐がちょんちょんと僕の首元を叩いた。僕は狐に導かれるように別方向を向くと、そこには黄金に輝く大きな卵が一つポツンと置かれていた。

 

「────────鳳雛」

 

 と、無意識に口が開く。

 すると黄金に輝く大きな卵にヒビが入り、やがて卵が割れては鳳凰の雛が孵る。

 池底に潜む竜と鳳凰の雛が僕をジッと見据えていた。静かにジッと僕が声をかける時を待っているようであった。僕は師匠の助言を思い出しては、伏竜と鳳雛に声をかけようとした────。

 

 

 ところで丁度、僕は夢から目が覚めた。

 夢心地の朝、僕はまだ目の前に竜と鳳凰の雛がいるんじゃないかという錯覚に襲われた。

 だが、そんなわけもなく、やがて目が冴えてきた僕は珍しい夢を見たことを嬉しく思いながら、夢で見た竜と鳳凰の雛に思いを馳せた。

 

 その日、師匠から文が届いた。

 内容は「門下の書生を数名、試験場へ向かわせますので、よろしくお願いします」とのこと。

 名前を教えてくれたら優遇したのにな、と僕は兄弟子ぶりながらも「大歓迎です」と返事を書き、その日が来るのを待ち遠しく思う。

 師匠の号が【水鏡】であることを知るのは、僕の下に天才軍師達が訪れた後のことだった。

 

 




オリキャラは蔡瑁。徐庶。鄧艾の三名で確定。
後は出ても名前だけの登場がほとんどになることかと。益州組も何れは出すかも知れませんが、当面は三名で進めます。次話に徐庶と、はわあわ軍師。鄧艾は兵卒からの叩き上げとして書こうと思っているので、本格的な出番は中盤以降。


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十一話 雛が巣立つ刻

 

 荊州、南郡は襄陽県。

 襄陽県の澄みきった湖から臨む、緩やかな山岳地帯の一角に司馬徽が開く学問所があった。

 その名も水鏡女学院。水鏡とは司馬徽の号。号とは現在でいうところの筆名(ペンネーム)のようなものだ。司馬徽はそこで才を問わず、意欲ある者に門戸を開いては学問を教えていた。

 司馬徽は生徒から学費を取らず、住み込みの生徒を中心に分担して自給自足の生活を送っていた。みんなで畑を耕しては山で山菜や茸、湖で魚を取るという、ゆったりとした生活を送る。

 

 司馬徽の才は広く知れ渡っていたが、司馬徽は一度たりとも仕官の誘いに応じなかった。

 俗世から離れ、静かに隠遁生活を送る。生活は必ずしも裕福ではなかったが、司馬徽は自然溢れる長閑な暮らしの中で、多くの書物と可愛い生徒達に囲まれていればそれで幸福であった。

 司馬徽の下には多くの才ある生徒が集まった。司馬徽は生徒達からは慕われたが、その排他的とも映る暮らしぶりは、必ずしも好意的に受け入れられはしなかった。司馬徽の才を求める者達からは時に揶揄の対象となることもあった。

 

「勝手に期待して、勝手に失望して…………」

「みなさん、自分達のことばかりです。誰も先生の気持ちを考えてはくれないのかな…………」

 

 水鏡女学院に通う諸葛亮と鳳統の二人は、そんな勝手な世間の者達にうんざりしていた。

 宥めすかし、甘い言葉をかけては仕官の誘い文句を述べ、断られれば一変して吐き捨てるように去っていく。人材を推挙するだけに腐心する者達にとっては、別に司馬徽である必要はなかった。

 優れた人物、または「そういう評判の人物」であればそれでよかった。司馬徽が学問所を開いているということにも特別な関心はなかった。「辞めさせればいい」と思ったのかもしれないし「場所を移せばいい」と考えていたかもしれない。どちらにしても、それだけのことであった。

 

「みんな勝手だよね。雛里ちゃん」

「そうだよね。朱里ちゃん。ホント勝手だよ」

 

 諸葛亮と鳳統の二人は、我執に囚われ師を軽んじる世間の者達を好きにはなれなかった。

 

 

 

 

 

 潮目の変化は、南郡の太守が代わってから。

 新しい太守は初めから評判が高かった。前漢皇族の血を汲む由緒正しき、劉一族の出自である新しい太守に領民は皆、高い期待を寄せていた。

 

「────新しい太守様、だってさ雛里ちゃん」

「そう、みたいだね。朱里ちゃん」

 

 そんな中でも諸葛亮と鳳統は変わらない。

 太守が誰であろうと自分達には関係ない。当初の二人はツンツンとした態度を崩さなかった。

 どうせ会うこともない、赤の他人でしかないと。自分達の師を、自分達の生活圏を阻害しないのであればどうでもいいと。二人はそんな冷やかな目で新しい太守を迎えたのだが────。

 

「でも、内政から行ったのは評価できるかな」

「内政の中でも疎かにしがちな、治安維持に率先して取り組んだのは凄いよね。朱里ちゃん」

「別に凄くないよ雛里ちゃん。当然のことだよ。評価はできるけど、凄いって程じゃないかな」

 

 まるっきり興味がないと言うわけでもない。

 学問を修める二人にとって、為政者の仕事ぶりというものは参考にしたくなるもの。

 ツンツンしていても気になるものは気になるもの。新しい太守が評判倒れじゃなさそうなことに二人は内心ホッと安堵しつつ「なら、どれぐらい出来る人なんだろう」と次第に興味も覚える。

 

「────次は治水工事だってさ雛里ちゃん」

「善く国を治める者は、必ずまず水を治める、だよね朱里ちゃん。水害や干ばつ対策かな」

「管仲の言葉だね。それに並行して灌漑も行うって聞いたけど、下手に水路を造ると水利権を巡る問題や耕作地への影響も心配になるかな…………」

「そのことなんだけどさ、太守様が都から専門家を連れて来てるから大丈夫って話も────」

 

 一度語り始めたら止まらない二人。

 いつしか二人の話の中心には、新しい太守が行う内政のことが頻繁に挙がるようになっていた。

 

「交通路の整備なんだけどね、雛里ちゃん」

「うんうん」

「意図的に伐採せず、雑に残してる森林地帯があるけどさ。太守様、敢えてそうしてるよね」

「やっぱり朱里ちゃんもそう思う?私も進軍路を限定してる気がしてたんだ。絶対そうだよ!」

「だよねだよね!益州方面から進軍して来ると仮定した場合さ、この地に森林地帯が在るか無いかで大きく変わってくるもんね!絶対にそう!」

 

 南郡の新しい太守。つまりは劉表の内政。

 まさか劉表も、諸葛亮と鳳統に自分の内政を分析されているとは思いもしていないだろう。

 手を取り合っては考えの一致を喜ぶ二人。一人は諸葛亮。字を孔明。真名を朱里。紫紺のベレー帽を被った金髪ショートの美少女。「今です!」と手に持つ羽毛扇を振れば全てが成功しそうな、そんな不思議な雰囲気も秘めている。学問を修める生徒らしく、顔や体型には些か幼さが残る。

 もう一人は鳳統。字を士元。真名を雛里。ツバの長いトンガリ帽子を被った、快晴の空のように澄んだ蒼く長い髪を両サイドで結んだ魔女っ娘美少女。その人見知りした性格を物語るかのような不安気な瞳がなんとも愛くるしい限りである。鳳統も諸葛亮と同じく、顔や体型は非常に幼い。

 

「やっぱり今の太守様ってさ────」

「うん、少し────じゃなくて、かなり凄い太守様だと思うよ。領内の評判もずっと良いし」

 

 後に劉表に仕え、天才軍師として大陸中に名を轟かすことになる諸葛亮と鳳統の二人。

 二人は軍師の卵である頃から、その卓越した才気を発揮しては劉表の統治を評価していた。

 劉表が優れた太守であること。そして領民に良く慕われていること。幕僚も粒揃いで、地元の豪族もよく従っていること。まだ劉表が南郡を治めて数カ月ではあったが、これから地盤が固まることは二人の目には明らかだった。優れた太守は二人にとっても喜ばしいと思う。だが────。

 

「────雛里ちゃん。太守様、やっぱり先生を連れて行っちゃうのかな?」

「どうなんだろうね、朱里ちゃん。今の太守様、求心力も高そうだから断ったら先生、もうこの地に住めなくなっちゃうかも。太守様が許しても、太守様の周囲の人達が許さないかも…………」

 

 司馬徽を師と仰ぐ二人には、劉表の存在は必ずしも好ましくばかりは映らなかった。

 優れた太守は時に畏怖の対象となることもある。二人は師である司馬徽のことを想い、悩む。

 やがて劉表が学問を奨励すると、水鏡女学院にも食糧や支援物資を送った。沸き立つ生徒達の中で諸葛亮と鳳統の二人は複雑な思いに駆られる。「外堀を埋められている」二人はそう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 支援物資が二度、三度と届けられた。

 そうなると学問所の生徒達も次第に、劉表に対して高い好感度を持つようになっていく。

 そんな中でも諸葛亮と鳳統は未だに変わらない。師である司馬徽が自室にて劉表へお礼の文を書く最中、そこへ二人は待ったとばかりに入って行くと、司馬徽に向かって説得を試みる。

 

「先生、待って下さい!これは先生を絡め取ろうとする太守様の工作です!」

「朱里ちゃんの言う通りです!先生をなし崩し的に引き入れようとする太守様の策略でしゅ!」

 

 司馬徽に説得を試みる二人も、自分達が苦しいことを言っているのは百も承知だった。

 乱れていた治安は大幅に改善され、秋には豊作にも恵まれた。流民達が戸籍に戻っては人口も増え、それに比例するように田畑も増加。水田も整備されては、来秋の収穫にも期待が高まる。

 南郡を治める劉表の統治は、現段階ではケチを付けるのが非常に難しいレベルであった。粗を探そうとしていた諸葛亮と鳳統もそれを諦め、言い掛かりに切り替えざるを得ない苦しさである。

 

「二人共どうしたのかしら?」

「どうもこうも、先生は狙われてるんですよ!」

「そうでしゅ!今度の太守様は強敵でしゅ!みんなで団結しないときっと負けちゃいます!」

「あらあら、それは大変ですねぇ」

 

 二人の言葉を聞いた司馬徽は柔らかい笑みを浮かべては、落ち着きのある声色を発する。

 司馬徽は愛する生徒である二人の心中をよく理解できていた。そしてその不安を取り除くことも難しくないだろうという思いもあった。

 収穫期も過ぎた秋の暮れ。もう劉表がこの地へ赴任して来てから半年が経っていた。人物鑑定家として名を馳せていた司馬徽には、太守である劉表の人となりというものが既に掴めていた。劉表が自分を無理に登用するつもりがないことも、支援物資を届ける者達の態度から気づいていた。

 自分が培ってきた人の表裏を見てきた経験と、これまでの交流を鑑みれば十分に二人を納得させられるだろうと司馬徽は思った。が、果たしてそれだけでいいのだろうかとも考えてしまう。

 

「朱里と雛里は、太守様が嫌いなの?」

「…………………………」

「…………………………」

 

 二人を納得させるだけでは根本的な解決にならないだろう、と司馬徽は思った。

 司馬徽の開く学問所には才ある若者が集まっていた。その中でも特に傑出している者は三人。諸葛亮と鳳統はその三人の内の二人であった。

 二人は傑出しているが故に、人の機微というものを常人よりも深い地点で認識していた。数多くの司馬徽を求める者達の言葉尻に籠められた、その淀んだ楽欲を敏感に感じ取ってしまっていた。

 二人にとっての幸運は人里離れた山中に住んでいたこと。そして不幸は、この山中を訪れる者達が良心的な者ばかりではなかったこと。排他的であったのは、あるいは師の司馬徽ではなく、生徒である諸葛亮や鳳統の方なのかもしれない。

 

「嫌いじゃないです。でも────」

「良い太守様だと思います。けど────」

 

 司馬徽はそのことを長く思い悩んでいたが、決定的な改善策が取れぬまま今日に至っていた。

 今回のことが意識を変えるきっかけにならないかと司馬徽は考える。普段から劉表の内政について語り合っていることもそうだ。学問所外の他者に対して二人が関心を寄せることは珍しい。

 この巡り合わせは活かすべきだろう、と司馬徽は思う。二人もいつかはこの学問所から巣立って行く。外の世界を知らずにその刻を迎えるよりは、知った上で迎える方がずっといいだろうと。

 

「────朱里、雛里。貴女達も外の世界のことを深く知る時期が来たようですね」

 

 司馬徽は二人に語りかける。

 自分を説得したいのであれば、説得に足るものを二人できちんと用意しなさいと。

 そのためには人伝で得た噂話ではなく、自らの目と耳で見聞きして知ったものにしなさいと。

 要するに司馬徽は、劉表の治下にある街を見て来なさいと命じた。劉表がどんな人物であるかを正しく知り、その上で説得してみなさいと。

 

「善く人に好かれる者は、善く人を好く者です。貴女達も多くの人を知り、人に好かれなさい」

「は、はい。わかりました!」

「街……。街ですか、どうしよう…………?」

 

 秀でた才知とは羨望や喝采の的になることもあれば、時に恐れられ淘汰されることもある。

 諸葛亮と鳳統ほどの知謀に恵まれた士を求める者は多くとも、それを受け入れられる者は極々限られた一握りであると司馬徽は考えていた。

 そして劉表は、その極々限られた一握りに相当すると司馬徽は見ていた。だからこそ二人には、その目で劉表を見定めて多くを知って欲しい。司馬徽はそう考えていたのだが────。

 

「────あ、あわわ!朱里ちゃん。街ってどうやって行けばいいのかな??」

「え、ええっと────歩いていけばいいと思うけど…………街の方向はどっちだったかな?」

 

 まず二人が街まで辿り着けるか心配だった。

 どうしたものか、と司馬徽が息を吐くも次の瞬間、待ってましたとばかりに部屋の戸が開く。

 そして勢い良く部屋の中へと飛び込んで来たのは、諸葛亮と鳳統と並び立つ水鏡女学院が誇る三傑、その最後の一人である徐庶であった。

 

 

 

 

 

「────先生!話は全部聞かせてもらったで!襄陽城までの引率、ウチが引き受けたる!」

 

 司馬徽の自室へ勢い良く入ってきた美少女。

 徐庶。字を元直。真名を紅里(あかり)。地方の方言が全面に出ている、いかにも活発そうな美少女。

 僅かに肩に掛かる長さの髪は、桜の花びらのような薄紅色に染まっている。その髪は毛先のいたるところが豪快に跳ねているが、それが一層、徐庶の活発さを強く印象付けているようにも映る。

 徐庶はいつも白と赤の巫女装束に身を包み、眠りに就く時にだけ緋袴を脱ぐ。顔や体型は年相応であったが同年代の諸葛亮や鳳統に比べると大人びているため、二人に偉ぶることもしばしば。

 

「あらあら、紅里。貴女も聞いてたの?」

「はい!面白そうな話なら逃すまいと、ずーっと襖の奥に隠れて盗み聞きしとりましたわ!」

 

 水鏡女学院が誇る三傑。

 その中でも諸葛亮や鳳統とは異なり徐庶は少し、いや、かなり毛色が違っていた。

 

「はわわ!太守様の回し者の紅里ちゃんだ!」

「あわわ!一番最初に買収された紅里ちゃん!」

「ふふふ、それは褒め言葉やな!ウチは長いものには巻かれる主義やから、しゃーないんよ!」

 

 三人の中でも徐庶は諸葛亮や鳳統の二人とは違い、劉表のことを早くから受け入れていた。

 劉表と言うよりも、統治者に従うことは当然のこととして受け入れていた。徐庶は二人の気持ちも理解していたが、おそらく今の太守なら心配しなくとも大丈夫だろうとも思っていた。

 そして司馬徽は三人の中で、徐庶が一番しっかりしていると考えていた。山中に篭っては、いくらか浮世離れした生徒達が多い中でも、徐庶は一つ筋の通った意思を持っていると考えていた。

 

「それなら紅里。朱里と雛里と一緒に襄陽城まで向かってくれるかしら?流石に城の中に入ることは叶わないだろうから、城下の街並みを見て来ることが目的になると思うけど」

「はい、先生!ウチに任せて下さい!後、みんなにお土産こうてくるんでお小遣いも下さい!」

「あらあら、紅里はちゃっかりしてるわね」

 

 徐庶はその曇りの無い、赤く大きな瞳を輝かせては司馬徽に小遣いをねだる。

 司馬徽はそれに柔らかく応じると、懐から生徒の人数分の代金を取り出しては徐庶に手渡した。

 

「雛里ちゃん。紅里ちゃん抜け目ないね」

「うんうん、これが本当の狙いなのかも?」

「ほーん、朱里と雛里は土産なんていらんと。ならそうやな、浮いた代金の使い道は────」

 

 しめしめ、とばかりに笑顔で受け取る徐庶。徐庶を見ながらひそひそと話す諸葛亮と鳳統。

 そんな二人の会話を聞いた徐庶は笑顔のままポンと手を叩くと、浮いた代金の使い道をわざとらしく考える。何か買い食いするのもいい。きっと街には美味しいものが溢れているだろうと。

 諸葛亮と鳳統の二人は師である司馬徽に「え、いいんですか」と視線を送る。司馬徽は思わせぶりに微笑むだけで、それ以上は何も告げなかったので「これは不味い」と二人は前言撤回する。

 

「うそうそ!私もお土産欲しいな!」

「紅里ちゃん、意地悪言わないでよ!」

「────ま、ええやろ。ウチは優しいからな。そんじゃ明日は三人で楽しく行くとしよか!」

 

 三人は学問所でも大の仲良しであった。

 後に劉表の三賢者と称えられる諸葛亮と鳳統と徐庶の三人は、こうして旅立つことを決めた。

 

 

 

 

 

 翌日、三人は日帰りで襄陽城へと旅立った。

 

「先生、行って参ります」

「先生、行って参りましゅ」

「先生、お土産期待しとってなー!」

 

 どことなく元気のない様子の諸葛亮と鳳統。そして普段と変わらない様子の徐庶。

 司馬徽は三人を見送りながらそう遠くない日、学問所を巣立って行くであろう三人を想った。

 何時の時代も人の世とは住みにくいもの。智に働けば角が立ち、情に掉させば流される。意地を通せば窮屈である。だが、そんな人の世をこれから三人は渡り歩いていかなければならない。

 

「────だからこそ、貴女達は真に仕えるに足る主を、その目でしっかりと見定めなさい」

 

 司馬徽は若人達の未来を想い呟く。

 秋分も疾うに過ぎた秋の暮れ。静かに吹き抜けるからっ風は、迫る冬の訪れを予感させた。

 

 




その②を次話に書いて領主編前半が終わりです。
領主編後半は加入したキャラの拠点を書きつつ、袁術や孫家の話などを書いてから黄巾の乱編に流れることになるかと思われます。


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十二話 雛が巣立つ刻②

 

 この時代の城壁は日本の城壁とは異なり、城だけではなく城下にある街まで囲っている。

 そのため長さは途方もない。四方それぞれ数百メートルは優に超える。後に袁紹の居城となる鄴の城壁を例に挙げるなら、東西六里(約2.4キロ)南北四里(約1.6キロ)ときた。

 城壁の中に街があり、何千何万、場合によっては何十万の人々が生活を送る。なんとも規模の大きい話だ。戦乱期が続く時代には城壁の外側ではなく、内側に田畑があったという話も頷ける。

 

「は、はわわわわ…………」

「あ、あわわわわ…………」

「おー!太守様の居城だけあってデカいなー!」

 

 所謂、城郭都市と呼ばれる形状である。

 流石に鄴城の城壁と比べると見劣りするが、劉表が治める襄陽城の城壁も立派なものだった。

 水鏡女学院を出発し、はるばる襄陽城までやって来た諸葛亮、鳳統、徐庶。三人は間近で見る城壁の迫力に目を見開いては「百聞は一見に如かず」の意味を、文字通り目で見て思い知った。

 

「…………………………」

「…………………………」

 

 それから少しの間、三人はその場に立ち止まっては、それぞれ異なる思考を巡らせる。

 諸葛亮は城壁の大きさに驚いた後、やがて城壁外の田畑へと意識を向ける。稲刈りも終え田起こしを行う人々に目を向け、次に水田や用水路の造りを見ては「なるほど…………」と呟いた。

 鳳統は城壁と周囲の地形を眺めながら、頭の中で攻城戦を展開していた。その結果、襄陽城は攻めるに易いが守るには不向きであると結論付ける。「同じ南郡でも防衛面なら、江陵城の方が適している」と鳳統は思った。その一方で、南郡で治所とするなら襄陽城だろうとの理解も示す。

 

「────ふふ、むふふふふ────」

 

 そんな二人とは対照的に徐庶はと言うと、まだ見ぬ街の甘味に思いを馳せていた。

 司馬徽から預かった金銭に目を向けては「ちょっとぐらい使ってもバレへんやろ…………」と悪巧みを企てようとするも、真面目な諸葛亮と鳳統がそれを見逃すとは徐庶には考え辛かった。

「ならば二人も懐柔して…………」と徐庶は二人の様子をチラッと覗き見るも、静かに集中している姿を見ては諦める。そして口ではツンツンしていても、やっぱり気になるんだろうと思った。

 三人はしばらく黙っていたが、やがて徐庶は諸葛亮と鳳統の肩に手を置き、陽気に声をかける。

 

「────ま、城壁なんてずっと見とるもんでもないことやし、そろそろ中に入るとしよか!」

「あ、うん。そうだね。紅里ちゃん!」

「先生を説得しないといけないもんね!」

 

 徐庶の声に反応して意識を起こす二人。

 三人は再び歩みを始めると城門前で穏やかな衛兵と挨拶を交わしては、門を潜って行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 城門を潜った先には別世界が広がる。

 三人が驚いたのは人の多さ。そして次に街中から競い合うかのように溢れ出る活気。

 普段、山中で暮らす三人には馴染みのない光景が広がる。その人の多さには後退りしたくなるような、それでも華やかな街並みを見ていると心が弾み、一歩前へ踏み出してみたくもなる。

 何処からともなく香ってくる食材の匂いは鼻孔をくすぐり、活気ある店先は思わず足が止まってしまう。農業は勿論のこと、南郡は河川も近く漁業が盛んであることから、襄陽城では新鮮な魚介類が所狭しと並べられている。なるほど、太守が居城に置くだけあって活気のある街だ。

 

「はわわ~話には聞いてたけど」

「あわわ~実際見てみると凄いね!」

「────朱里!雛里!あっちの商家で試食が出来るらしいで!さっそく食べに行こか!!」

 

 たちまち心奪われた三人は散策を開始する。

 目聡い徐庶に連れられ商家を訪ねては、その流れで周囲の店頭にも順番に顔を覗かせる。

 劉表が太守に就任して半年と少し。この時期の襄陽城はまだ都会的とは言い難い側面も多くあったが、それでも三人にとっては十分だった。

 興味を惹かれる物が尽きない。時間を忘れ散策に没頭する。優しい人の多い街だと三人は思った。治安が改善され、豊作にも恵まれたこの地では、住み着く人の心にゆとりが持たされた。

 

「おっちゃん!もう一声まけてーや!」

「元気なお嬢さんだね。他の客には内緒だよ!」

「もーおっちゃん大好き!────うん、わかった!内緒にするから、さらに一声ちょうだい!」

 

 活気があって良い街だと三人は思った。

 その後も商家が立ち並ぶ一角を抜けては市井を覗き、人の出入りが盛んな政庁を遠目に見ては憧憬の念を抱き、なんとも人の出入りがまばらな兵営区域を見ては首を傾げたりもする。

 時間は有限であったが、楽しい散策は続く。徐庶が値引きしてもらった土産の差額代を握り締めては、三人で甘味に舌鼓も打った。ちょっとした役得に頬を緩ませつつ、その後も散策は続く。

 

「はわわ……雛里ちゃん、この本…………」

「あわわ……裸の男の人がいっぱいだね…………」

 

 諸葛亮と鳳統は書店で艶本に目を奪われたり。

 

「────ん、麻雀?聞いたことないな。ふむふむ、太守様が考案した遊戯と。面白そうやん!」

 

 徐庶は劉表が領内で流行らせようとしていた麻雀に興味を示したりと有意義な時間を過ごす。

 

「楽しいね、雛里ちゃん!紅里ちゃん!」

「うんうん!みんなとっても親切だよね!」

「せやなー!────って、うん?二人とも普通に楽しんどるけど、それでええんやっけ?」

 

 司馬徽を説得するという当初の目的はどこへやら。すっかり街を満喫する諸葛亮と鳳統。

 それに気づいた徐庶の言葉に、二人はハッと我に返っては互いに顔を見合わせる。その姿を見た徐庶がニヤニヤしながら「アカンやん」と続けるものだから、二人も抗議の意を示そうとする。

 

「ち、違うってば紅里ちゃん!これは私達を惑わす太守様の陰謀、だよ。多分…………」

「そ、そうだよ紅里ちゃん!街の人達もグルだから親切にしてくれたんだよ。きっと…………」

 

 ────も、抗議と呼ぶには苦しい。

 既に諸葛亮と鳳統は襄陽の街が気にいっていた。というか嫌いになる理由が全くなかった。

 それでも煮え切らないのは、自分達がここに来た理由を思い出したから。このまま全てを認めてしまうのなら、何も得ることがないと二人は思う。良い街であることなんて、来る前の段階からある程度わかっていたことなのだから。

 

「…………………………」

「…………………………」

「やれやれ、ホンマに難儀なもんやな」

 

 俯き加減に肩を落とす諸葛亮と鳳統。

 二人は結局のところ、司馬徽という親元から巣立つことの出来ない雛鳥であった。

 師である司馬徽を軽んじる世間の者達を好きになれない気持ちも勿論あったが、司馬徽の下を離れた後、自分達が成すべきことが見えて来ない。だから同じ場所に留まり続けたいと思う。

 諸葛亮と鳳統は徐庶ほど割り切り良く、物事を考えられなかった。二人はただ流されるのではなく、仕えるべき主君を見つけ、その主君の下で高い志を胸に大きく羽ばたきたいと願っていた。

 二人は先の見えない焦燥感から太守である劉表に対抗意識を燃やしてみるも、今日こうして街を訪れてみては、自らの矮小さを思い知らされる。そして思う。この街にケチを付けて一体なんになるのか。無理に嫌味な言葉の一つでも吐き捨てられれば、それで自分達は本当に満足なのかと。

 

「ねえ、雛里ちゃん。私達って…………」

「うん。本当に何してるんだろうね…………」

 

 二人はそう呟くと大きな瞳を潤ませた。

 そして我執に囚われていたのは世間の者達だけでなく、自分達もそうだと気づかされる。

 二人の胸中に忸怩たる思いがこみ上げて来ては、長い沈黙が続く。一人取り残された徐庶はどう声をかけるべきかと思い悩む。「明るく楽しく!」という空気ではないが、今にも泣き出しそうな二人に対し「ま、ウチはこうなると思っとったけどな!」と追い打ちをかけるのも違う。

 優しい言葉。厳しい言葉。はたまた何も言わず、当人達が気持ちの整理をつけるまで待つ。人によって慰め方は異なるだろう。そんな中で徐庶の言葉とは単純であったが、明快なものだった。

 

「────せや、この手があったか。ええこと思いついた!朱里!雛里!ちょっと走るで!!」

 

 手を一つパンッと叩き、徐庶が声を張る。

 その声に諸葛亮と鳳統の二人が顔を起こし、それを受けた徐庶が二人の手を引いて走り出す。

 

「ちょっと紅里ちゃん!?」

「走るって突然どうしたの!?」

「ええからええから、ウチに付いて来てや!」

 

 徐庶が考えた案とは高い場所に上り、そこから景色を眺めては元気を出そうというもの。

 単純ではあるが悪い発想ではない。出来ることなら静かな場所が良い。そこで気持ちを落ちつかせられるのであれば最良なのだが、人の多い街の中で静かな高所を探すとなると困難である。

 本来なら容易に見つかるものではない。が、これも巡り合わせなのだろうか。この時期の劉表は内政に傾倒しており、そして世が平和であったことから、定められた時間内であれば城壁の上に立ち入ることを認めていた。そしてそれこそが、三人が劉表と出会うきっかけとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この時期の劉表は内政の他にも、いくつか習慣として行っていることがあった。

 一つ目は定期的に歴史年表を思い出しては、先々に起こる重要な出来事を記憶しておくこと。

 書き記すことで記録するという方法も確かにあるが、流出してしまっては大事である。それなら漢文ではなく平仮名で書くという発想も考えられるが、性別を始め色々と変化が生じているこの世界。平仮名を読める人がいたって不思議ではないと考え、記憶のみに留めておくことにした。

 

 二つ目は今の時代や次の時代を代表する、主要人物達の名前を忘れずに記憶しておくこと。

 まあ、これも一つ目の事と同様、先々に役立つだろうという考えからであったが、劉表は人物雇用をあまり積極的に行ってはおらず、この知識を正しく活かしているとは言い難かった。

 この世界にて二度目の生を受けてから早二十年。本人に自覚は薄いが、劉表はこの時代の考え方に染まっている部分が多くあった。下手をするなら曹操や袁紹よりも、転生者であるはずの劉表の方がこの時代の官僚らしい考え方をする。

 良く言い表せば環境に適応しているが、悪く言い表せば長所となる部分が薄まっている。その自覚があるのか、劉表は三つ目の習慣として、定期的に前世のことを思い出すように努めていた。

 

「────ふむ、今日は風が騒がしいな」

 

 劉表は三つ目の習慣を行う際、城壁の上から遠くの風景を眺めていることが多くあった。

 静かな場所で風に当たりながら供も連れずに独り、前世でのことを思い返す。時には感傷的になることもあったが、多くの場合それらの記憶は劉表を懐かしい気分にさせた。

 家族のこと。友達のこと。小さい頃の思い出や、学生時代の記憶。「何もかもが懐かしい」と劉表は呟く。時にはこうして過ぎ去った遠い過去を思い返してみるのも悪くないものである。

 

「────みんな向こうで元気にしてるのかな。死んだはずの僕は案外、元気にやってるよ」

 

 すっかり日も傾き始めた時刻。

 劉表は沈みゆく日輪に照らされる、城壁外の赤い大地を眺めながらそんなことを呟いた。

 悪くない気分であった。吹き抜ける秋風は心地よく、思い出す記憶は美しいものだった。そんな明日への活力も湧いてきそうな黄昏時のこと。

 不意に強い風が周囲を吹き抜ける。その風は揺らぎなく立つ劉表の下にふらふらと鍔の長いとんがり帽子を運んできた。帽子には大きなリボンが付けられていて、女性物であることがわかる。

 

「ほう、珍しい帽子だな。流石に魔女なんていないだろうから────あの子達のかな?」

 

 その帽子を拾った劉表は周囲に目をやると、この場所に自分以外の人がいることに気づく。

 そして劉表は可愛らしい三人の少女と目が合った。少女達は目が合うと「あっ」と声を揃えては少し動揺した様子を示す。帽子を拾った劉表はスッと少女達に近づくと、柔らかく声をかける。

 

「やあ、この可愛い帽子は君達の落し物?」

 

 それは秋も深まる黄昏時のこと。

 劉表が帽子を拾ったことをきっかけに諸葛亮、鳳統、徐庶の三人と邂逅することとなった。

 

 




その②で終わらなかったので③に続きます。


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十三話 雛が巣立つ刻③

 

 城壁には外側とは違い、内側には階段がある。

 従って上がるのは簡単だ。簡単だが、上がったところで出来ることなんて限られている。

 場所が場所なだけに落下する危険性がないとは言い難く、子供が遊ぶ場所には相応しくはない。だが大人だって一度か二度、そこの景色を眺めれば大抵の人は満足するような場所である。

 三人が城壁の上へと上がった際、もう時間が遅いことも相まってか、周囲は閑散としていた。少し離れた場所に若い男が一人いたが、それ以外に人影は無く、まさに誂え向きの場所と言えた。

 だから三人は徐庶の予定通り、そのまま静かに外の景色を眺めればよかったのだが────。

 

「────ふむ、今日は風が騒がしいな」

 

 すっかり日も傾き始めた時刻。

 諸葛亮と鳳統と徐庶の三人は、唯一その場にいた若い男に目が釘付けになっていた。

 男は両腕を組み、そこに立っては吹き抜ける風にあたり、沈みゆく日輪を眺めながら赤い大地を俯瞰する。その落ち着きのある所作や、揺らぎなく立つ姿からどうしても目が離せない。

 見るからに上流階級と思わせる身なり。そして整った容姿を見ていると身分差を感じずにはいられないが、男の黒く柔らかい瞳は三人に言い表せない親近感を抱かせる。そこに平伏を促すような圧迫感はなく、話せばすぐにでも打ち解けられそうな、そんな魅力を三人は男から感じ取った。

 

 声をかけてみようと思ったのは徐庶。

 悪い人ではなさそうだし、今の沈んだ空気を変えるにはこういう出会いが必要ではないかと。

 それでも徐庶は声をかけられなかった。というのも次の瞬間、男がハッとするような遠い目をして何かを呟いた際、この人は一人でいることに満ち足りているんだと徐庶は察したからだ。

 黄昏時に差し込む光は美しく、三人は赤く照らされる男をジッと見つめていた。なんとも不思議な時間が流れる。あるいは時間そのものが停まっているような、そんな謎めいた感覚に襲われる。

 重々しくない沈黙。それを破ったのは場に吹き抜ける一陣の風。三人にとって追い風が吹く。

 

「────────あっ」

 

 強い風が吹き抜けては、鳳統の声が漏れる。

 風は鳳統の被っていた鍔の長い、楕円形のとんがり帽子を乗せて空高く舞い上げた。

 そしてそのまま、舞い上がった帽子は導かれるようにふらふらと男の前に落ちる。「あっ」と三人が声を揃えると同時に男は興味深そうに帽子を拾うと周囲に目をやり、三人の存在に気づく。

 

「やあ、この可愛い帽子は君達の落し物?」

 

 帽子を拾った男は落とし主であろう三人の下へと近づくと、にこやかに声をかける────。

 

「…………………………」

「…………………………」

「…………………………」

 

 ────も、誰からも返事が返ってこない。

 男に見入っていた三人は、急な展開にお互い顔を見合わせてはコクコクと頷くのみ。

 帽子を落とした鳳統は恥ずかしさのあまり、普段の癖で帽子の鍔深くに顔を隠そうとするも、被っていないので空振りに終わっては余計に恥ずかしくなる。顔も耳もたちまち朱に染まった。

 そんな様子を見た男は「ああ、そういうことか」と場を理解する。男から見ると三人は年若く可愛らしい少女であった。なるほど、見知らぬ男から声をかけられては戸惑い緊張しているのか。男は自らの名を明かすことで少女達の緊張を和らげたいと考えるも、すぐにその考えを流す。

 

「心配することないよ。僕は怪しい者じゃないし、君達に危害を加えるつもりもないからさ」

 

 そう口にした若い男の名は劉表。この地域一帯を治める南郡の太守の名である。

 そして劉表は思う。自分が名を明かせば目の前の少女達は委縮してしまうかもしれない。今でも硬い様子の少女達。なにも帽子を落としたぐらいで余計な気を回させることもないだろうと。

 気を利かせた劉表の配慮であったが、残念ながら効果は薄い。というのも、見る人が見れば劉表の高価な着衣や、洗練された立ち居振る舞いは到底、隠し通せるようなものではなく────。

 

(こ、この人、偉い人だ!)

(絶対偉い人です。うぅぅ、恥ずかしい……)

(間違いなく、やんごとない身分の人やろなあ。なんでこないな場所に一人でおるんやろう?)

 

 ────三人にはバレバレであった。

 それでも気を遣われていることは理解する。帽子を拾ってくれたことといい、良い人だと。

 このまま感謝の言葉を述べて離れるのであれば、それであっさり終わる話であった。それでも前述の通り、徐庶は沈む空気を変える何かを求めては先程、劉表に声をかけようとしていた。

 ならばこの出会いを逃す手はないんじゃないか。そう考えた徐庶は人懐っこい笑みを浮かべると、両手を擦り合わせながら劉表の懐に一歩踏み込んでは、おどけた口調でこう続けてみせる。

 

「────またまた兄さん、かなんわぁ。怪しい人ほど怪しくないって言うもんちゃう?」

「ハハハッ。それもそうかもしれないね」

「まー兄さん、カッコいいから怪しくてもええかな。せやからウチらと、お話していかへん?」

「お話?ああ、君達が良ければ僕は構わないよ。ところでこの帽子は誰に返したらいいのかな?」

 

 徐庶の申し出を劉表は快く承諾する。

 劉表のことを偉い人だとは思っていても、まさか太守とまでは考えていない徐庶。

 その影に隠れてモジモジと照れ臭そうにしている諸葛亮と鳳統の二人も同様である。そして劉表の方も何気なく話しかけた相手が、まさか諸葛亮と鳳統と徐庶だとは露程も思っていなかった。

 

 

 

 

 

 公的な場ではなく私的な場であれば、身分を明かさない方が話しやすいこともある。

 劉表は一期一会となるかもしれない人との出会いにおいては、なるべく対等な関係で話したいと思っていた。身分を明かすことで口調や態度を改められるということは、時に窮屈でもある。

 

「────ほうほう、君達は来訪者なのか」

「せやねん。ウチら三人で観光に来てんよ!」

「ふむ、日帰りの観光とな。楽しそうでいいけど、暗くなる前には帰らないとね」

「フフッ。ウチこれでも剣には覚えがあってな。追い剥ぎが出たら剥ぎ返すから大丈夫や!」

「うーん、それは大丈夫と言っても良いのやら。まあ、いいや。それでこの街はどうだった?」

 

 だからこうして徐庶が気さくに受け答えしてくれていることは、劉表にとっても楽だった。

 だが、そんな徐庶とは異なり、諸葛亮と鳳統の二人は依然として硬いまま。相手の身分を察していて馴れ馴れしくするなんて真似は難しい。むしろ二人は、徐庶の軽口に冷や冷やしていた。

 そんな様子を見てか、徐庶は劉表の問い掛けをそのまま二人へと投げる。ジッと視線を送り、最初に目が合ったのは諸葛亮。諸葛亮は思わず「はわわっ」と動揺してみせるも、徐庶がこうなっては逃してくれないことを長年の付き合いから知っていた。諸葛亮は意を決して劉表へ口を開く。

 

「え、ええっと、良い街だと思います!」

「そうかそうか。楽しんでくれたら何よりだよ」

 

 いくらか緊張気味の諸葛亮は無難に答えるも、その面白味のない回答に徐庶は眉を曲げる。

 不満気な徐庶は「うーん……」と唸っては天を見上げると、すぐに手の平をポンッと叩いては劉表の服の袖を掴む。そしてクイクイと二度引き、それを受けて屈んだ劉表にそっと耳打ちをした。

 

「あんなあんなー兄さん…………」

「うん?どうかしたの?」

「あの子なーんか真面目ぶっとるけどさ。実はさっき、こっそり書店に入って行ってさ────」

 

 艶本買ってたんよ、と徐庶は暴露する。

 その声は耳打ちと呼ぶには大きく、すぐ傍にいた諸葛亮と鳳統の耳にも届くことになった。

 

「────ほうほう。可愛い顔して意外とませてるね。まあ、そんなお年頃なのかな?」

「ちなみに知らん顔しとる横の子もグルやで!」

 

 暴露は瞬時に鳳統へも波及する。

 諸葛亮と鳳統の二人は徐庶の暴露に顔を赤く、どころか目をグルグル回しては慌てふためく。

 

「はわわ!紅里ちゃん!?」

「あわわ!気づいてたの!?」

「そら、気づくよ。不審でしかなかったしな!」

「あ、そっか。それもそうかも────じゃなくて!どうして言っちゃうのさ!?」

「そうだよ!お兄さんに変な子だって思われちゃうじゃない!ダメだよ紅里ちゃん!」

「そんなん知らんわ!ウチを仲間外れにした朱里と雛里が悪い!ホンマ薄情もんやで!!」

「だって紅里ちゃんペラペラ喋っちゃうし!ほら、今だってそう!それにこの前も────」

 

 何時の時代も女三人寄れば姦しいもの。一度火がつけば賑やかにワイワイと話し始めた。

 その結果、身内話に入れず半ば置いてけぼりとなってしまう劉表。それでも劉表はニコニコと相槌を打ちながら話を弾ませる三人を眺める。

 その後も話は続いたが、空が次第に暗くなると、それに合わせるかのように次第に口数が少なくなっていく。諸葛亮と鳳統と徐庶の三人は、そろそろ水鏡女学院へと帰る時刻が迫っていた。

 それに気づいた劉表は、名残惜しくも今日の話の締めとばかりに口を開く。だが────。

 

「最初は少し元気がないようにも見えたけど、どうやら僕の杞憂だったかな。街を楽しんでくれたみたいでよかったよ。また何時でも遊びに来るといい。短い時間だったけど、ありがとうね」

 

 劉表が言った何気ない言葉が心に沁みては、どうしようもなく諸葛亮と鳳統を辛くさせた。

 

「────────っ!」

「────────っ!」

「はぁ、兄さんも間が悪い…………ってこともないか。悪いのはどう考えてもウチらの方や」

 

 額を抑え、ため息をつく徐庶。

 そして俯く諸葛亮と鳳統の二人は、どこか許しを請うかのように心の内を劉表に曝け出す。

 

「────私にそんな資格はありません」

「私もそうです。本当なら今日、街を楽しむ資格すらありませんでした。なのに私は…………」

 

 

 

 

 

 諸葛亮と鳳統の二人は今日ここへ来た時の心情や、それまでの経緯を劉表に吐露し始める。

 師である司馬徽の名を伏せたことを除いては、ほとんど全てを打ち明けた。打ち明けてしまえば楽だった。あまりにもスラスラと言葉が続くことに苦笑いを浮かべたくもなるほどに。

 二人は言う。先に続く道が拓けず行き場のない自分達は、今の心地好い居場所を失いたくなかった。それが恒久的に続くものではないとは知りながらも、それに執着しようとしていたと。

 

 自分達はこの街を貶めるために来た。

 それでも街に触れて行くに連れ、自分達の浅はかな考えが次第に恥ずかしくなったのだと。

 今になって思えば、全ては必然のことだった。愚かな自分達に進むべき道なんて拓くわけもない。そして話の結びに二人は、自分達はもう二度とこの街に来る資格がないとまで言った。

 

「────うん、君達の気持ちはわかったよ」

 

 話が終わるまで黙って聞いていた劉表。

 劉表は目の前の少女達が心情を打ち明けることで、叱責を受けようとしていることを察する。

 それでも自分がこの街の太守であることに気づいている様子はない。なんとも因果なものだと劉表は思った。そして自分は、この二人になんと声をかけるべきだろうかと考える。

 もう十分に反省している二人に、今更厳しい言葉をかけることはない。劉表は目の前の二人の少女を見た目通りの子供として接するべきか、それとも少女達が口にした話の内容に見合った、大人として接するべきかどうかを思い悩む。

 

 子供として接するのであれば落ち込む二人を優しく慰め、許し励ましてあげればいい。

 だが、大人として接するのであれば、今の話を聞いた自分の意見を述べることになる。それは必ずしも優しい言葉が続くとは限らない。

 悩む劉表は二人の少女に目をやった。顔を上げた二人は劉表の言葉を待ちながらも、見据える瞳には少女らしからぬ強い意志が宿っていた。それを見た劉表は「太守とまでは思っていなくとも、高い地位にいると承知の上で打ち明けたのだろう」と気づいては小さく微笑み、口を開く。

 

「環境の変化を嫌うことは間違ったことじゃない。程度に違いこそあれ多くの人が抱くこと」

「…………………………」

「…………………………」

「そして同じく程度に違いこそあれど、誰もが一度ぐらいは過ちだって犯してしまうものだろう」

 

 劉表は自分の意見を淡々と述べ始めた。

 諸葛亮と鳳統は黙ってそれを聞いていた。徐庶は一歩後ろに下がり、外から三人を静観する。

 劉表は必要とあれば、二人に対して強い言葉を言い放つことも覚悟していた。それでも結局、劉表という男は善性の強い側面があった。口から溢れ出す言葉は、やはり人としての性質が出る。

 

「どんなに優れた人であっても、時には我を忘れるものだ。過ちだって犯してしまうかもしれない。だからこそ重要なのは、その後だと僕は思う。君達は犯した過ちに気づき、それを悔いているんだろう。ならば後は改めればいい。人の真価とは苦しい時にこそ現れるものじゃないかな」

「…………………………」

「…………………………」

「愚か者を笑う人はいても、愚かな自分を変えようと努力する者を笑う人はいないよ。少なくとも僕はね。過ちは犯さないのが最もいい。その次にいいのは、犯した過ちに正しく気づくことだ」

 

 だから前を向くといい、と劉表は締め括る。

 乱世においては時に弱点となり得る劉表の性質も、今の治世下においては美点であった。

 劉表の言葉を聞いた三人の胸に温かいものがこみ上げる。それは長くかかっていた、諸葛亮と鳳統の心の霧を晴らすきっかけとなった。

 そして劉表は諸葛亮と鳳統の二人が話した言葉を思い出しては、自分の進むべき道について今一度振り返り、それが道に迷う少女達を導く手助けになればと考えては口に出す。

 

「────まあ、しかし進むべき道とは深いね。言い換えるなら夢や目標か。中々難しいな」

「兄さんにも、そういうのあったりするん?」

「ああ、ちっぽけだけど僕にもあるよ。君達の参考になるかは微妙だけど────そうだね。僕はただひたすら、僕の手の届く範囲が平和で在り続けることに尽力していくつもりだ」

 

 劉表の進むべき道とは、豊かなスローライフへと続く道に他ならない。

 そのためには劉表自身は勿論のこと、治める領内も平和である必要があった。これから世が長く乱世となるのであれば尚更のことである。

 劉表の言葉には強い決意が込められていた。そして後に続く、その理想の未来図には具体的な形があり、鮮やかな色があり、手を伸ばせば触れられそうなぐらい鮮明に描かれていた。

 三人は劉表の話に強い興味を惹かれる。それは話が具体的であるということや、自分達の話を真摯に聞いてくれたということもあるが、一番は劉表が唱える長期的な統治戦略の内容。自分だけでなく他者を重んじることこそが、末長い平和に繋がるという考えに感銘を受けたからである。

 

(ああ、そうか、この人は…………)

(先生と同じことを言われてる…………)

 

 劉表の言葉は、奇しくも二人が出立する前に司馬徽からかけられた言葉と同じであった。

 諸葛亮と鳳統は司馬徽の言葉を思い出しては劉表の言葉に深く感じ入るものを受け、その視界が潤む。その一方で徐庶はと言うと、劉表の正体にそろそろ当たりが付き始めていた。

 

(この兄さん、ひょっとすると…………?)

 

 劉表が描く未来図とは、自分が統治者であることを前提に練り上げられていた。

 一歩下がって静観していた徐庶は、諸葛亮や鳳統よりも広い視野で捉えていた。そして一度でもそうだと思えばもう、それが正しく思えてならない。徐庶は自分自身の心臓の鼓動を聞く。

 

「まあ、本当は大陸全土が平和であることに尽力、ぐらいカッコいいこと言えたらよかったんだけど、そんな器でもないしね。だからこそかな。僕は僕の手が届く平和だけは守りたいと思うよ」

 

 徐庶の変化に気づいていない劉表は、そう言っては少し苦笑いを浮かべる。

 長く沈黙を守っていた諸葛亮と鳳統の二人は、そんなことはないとばかりに口を開いた。

 

「とても立派なお考えだと思います…………」

「今の私達には眩し過ぎるほどでしゅ…………」

「ハッハッハ。そうかねそうかね。そう言ってくれると嬉しいよ。僕には昔から向上心の強い友人が多くてね。「面白味がない」とか「簡単なことでは?」なんてイチャモン付けられたもんさ」

 

 笑った劉表は、久しぶりに謝罪以外の言葉を話した二人の頭を優しく撫でてはこう続けた。

 

「後悔するのは一度で十分。そうだよね?」

「はい…………」

「はい…………」

「だから、また何時でも街へ遊びに来るといい。君達の謝罪は確かに僕が受け取ったよ」

 

 心にかかる霧が晴れると潤んだ瞳の先に道が拓ける。劉表の言葉を受け何度も頷く二人。

 そして悩める少女達が立ち直ったのを見届けると、劉表は静かにその場を離れていった。最後まで名乗らぬまま、それでも解決したことに劉表は満足そうに頷きながら踵を返していく。

 その背を見送る諸葛亮と鳳統の心の中では幸福感が止めどなく輪を広げる。強く惹きつけられる出会いであった。その始まりから結びに至るまで、鮮やかに彩られた出会いであったと思う。

 

「────私が主君を仰ぐなら、あのお兄さんみたいに優しくて温かい人がいいな」

「────うん、私も朱里ちゃんと同じこと思った。お名前、聞いておきたかったな…………」

 

 そう呟いたのは諸葛亮。

 間を置かず鳳統が同意する。そして名前を聞きそびれたことを残念に思っては潤んだ瞳を拭う。

 二人の会話を聞きながら徐庶は、天の意思というものについて考えた。言い換えるなら運命。宿命。そして思う。もし全てが天の意思なら、自分の辿り着いた答えは外れないだろうと。

 

「────なあ、朱里、雛里。ウチ、あの兄さんの正体がわかったかもしれん」

「紅里ちゃん、本当??」

「教えてよ紅里ちゃん!!」

 

 天の意思など徐庶は信じる性質ではない。

 なんなら面白がって背いてみるのもいいなと考えるぐらいだ。ただ、今回だけは自分の辿り着いた答えが正しい方がよっぽど面白いと思う。

 徐庶は自分の考察を諸葛亮と鳳統に話す。二人は「えっ?」と同時に驚いて見せるも、違うと言い切ることはなかった。むしろ色々と辻褄が合って、やけにしっくりとくるぐらいである。

 

「え、でもそうだったとしたら私達…………」

「とんでもないこと言っちゃったよ…………?」

「それも全部ひっくるめて、また遊びに来いって兄さんは言いはったんやろ。まあ、でも確かにウチの深読みかもしれへん。けどさ────」

 

 もしそうならどうする、と徐庶は続けた。

 そう訊ねられ、二人は同じ答えが浮かんだ。あらかじめ用意していたかのようにスッと答えが浮かんだことに二人は頬を緩める。そして自分達もそれを望んでいることに気づかされる。

 諸葛亮と鳳統は目を合わせ、先に鳳統が頷いた。それを受けて諸葛亮が代表して口を開く。

 

「────もし、そうなら私はあの人の役に立ちたい。私が力添えをすることで、あの人の手の届く範囲が少しでも広がるのなら────うん、それがきっと私の成すべきことなんだと思う」

 

 言ってしまうと清々しかった。

 長く二人の心に滞り続けていた霧は既に無く、見上げた空には銀色の星達が輝いている。

 

「よっしゃ!なら答え合わせといこか!」

「うんうん!そうしよう!」

「せーの、の後にみんなで言おうね!」

 

 徐庶が手の平を二度叩いてはそう切り出し、諸葛亮と鳳統がそれに応じる。

 そして小さくなった劉表の背に向かい、持てるだけの声を張り上げてはその名を叫んだ。

 

 

「「「────────太守様!!!」」」

 

 

 分が悪いとは誰も思わなかった。

 むしろ確信を持って三人は声を張り上げる。そしてその声は明るく響き渡った。

 呼ばれ慣れた名が聞こえ劉表は止まり、振り返っては小さく手を上げる。そして「聡い子達だな」と呟いては小さく微笑むと、これ以上は無粋とばかりにまた歩き出して行く。

 それで三人には十分であった。もうすっかり夜となった城壁の上。空には細かく散った銀色の星。月明かりに照らされる一本道は、まるで三人の進むべき道を照らしているかのようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それからの日々は、三人にとってこれまで過ごした日々とは異なる時間が流れる。

 特に諸葛亮と鳳統の胸には高い決意が宿っていた。明確に進むべき道が拓けた二人は、これまで以上に学問に励んでは、その極みに手を届かせようと溢れだす才知を惜しみなく発揮する。

 そんな二人を師である司馬徽は温かく見守っていた。たった一度の出会いが人をこうも変えるものかと思いそうなものだが、真に深い緑とはそういうものであることを司馬徽は知っていた。

 

「────で、全部先生の思惑通りなん?」

「そんなことありませんよ。貴女達が太守様と出会ってくるなんて思ってもみませんでした」

 

 ある日、徐庶が司馬徽にそう切り出した。

 それでも司馬徽の言葉を聞いては簡単に納得する。意図的というにはあまりに運命的だった。

 

「紅里から見て太守様はどのような方でした?」

「めっちゃカッコよかったで!」

「あらあら、それはけっこうなことですね」

「ほんで優しい人やった!太守様ウチのこと妾にでもしてくれへんかな。そしたら一生安泰や!」

「紅里は本当にちゃっかりしてるわね。それで、紅里から見て朱里と雛里は大丈夫そうですか?」

 

 徐庶が運命的であるとまで感じたのは、自分もそうだが諸葛亮と鳳統のこともある。

 二人の姉貴分を自称する徐庶は、その行く末を司馬徽と同じく案じていた。だからこそ街までの引率も引き受けたし、二人が劉表にその思いを打ち明けた際は一歩後ろに下がって見守った。

 

「朱里と雛里なら大丈夫やと思うで。艶本買ったんバレたんだけが、唯一の懸念材料やけど」

「それは何よりです」

「ホンマ何よりですなぁ」

「それで紅里、貴女はどうでした?」

 

 そんな徐庶は、劉表になら二人を任せられるだろうと思っては内心、安堵していた。

 これで「めでたしめでたし」と話が終わるのであれば、徐庶は二人の引率に過ぎない。それでも徐庶もまた、諸葛亮と鳳統の二人と同じくこれから羽ばたくべき若き才の一人であった。

 司馬徽の言葉には、そんな徐庶に対する期待も込められている。「貴女はどうでした?」と聞かれた徐庶。その言葉はなんとも照れ臭く、ついついおどけて誤魔化したくなるも、諸葛亮と鳳統の二人がこの場所にいない今、ここらで一つ正直に話すのも悪くないと徐庶はその口を開く。

 

「先生にはなんでもお見通しかぁ」

「伊達に私も貴女達の師をやってませんよ」

「────ふふ、流石は先生や。せやけどウチもほんの少し、太守様の器に触れただけやから、はっきり断言できることなんてないかもしれへん。それでも、あの日からウチも────」

 

 胸の高鳴りが止まらない、と徐庶は心のままに花笑みを浮かべては、その気持ちを表す。

 それを受け微笑む司馬徽には近い未来、学問所を巣立つ三人の姿が浮かんだ。それでいいと司馬徽は思う。出会いの数だけ別れがあるのなら、その別れは明るいものである方が好ましいと。

 やがて劉表が文武官の公募を掲げると、諸葛亮と鳳統と徐庶の三人は文官として仕官するべく準備を始める。そして春を越え、夏が過ぎれば季節は秋へと移ろぎ、三人は巣立ちの刻を迎える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「先生、行って参ります!」

「先生、行って参りましゅ!」

「先生、あっさり落ちたらすぐに帰ってくるけど、そん時はまた温かく迎えてなー!」

 

 荷物を抱え、元気よく声を張る三人。

 

「ちょ、ちょっと紅里ちゃん!?」

「考えないようにしてたこと言わないでよ!」

「ま、きっと大丈夫やろ!せやから我らが水鏡女学院、三天龍の実力を世に知らしめるで!」

 

 徐庶の軽口で和んだような混乱したような。

 大よそ普段通りのやり取りを交わしつつ、三人は試験場のある襄陽城へと歩き始める。

 師である司馬徽に大きく手を振る三人。手を振り返す司馬徽はやがて、遠く離れていく三人の背に向かい、小さく惜別の言葉を贈った。

 

「────朱里、雛里、紅里。頑張るのですよ。良き主君に仕え、何時までも仲良く元気でね」

 

 雛が巣立つ刻。親鳥はその明るい未来を願う。

 吹き抜ける初秋の新涼。暖かく射し込む日差しは、三人の出立を見守るかのように光り輝いた。

 

 



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