実に下らない話だが、神はダイスを振るらしい (ピクト人)
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死亡、そして再誕のプロローグ

 

「というわけで、お前さんは死んでしまった。本当に申し訳ない」

 

「えぇ……」

 

 四方に広がるのは黄昏を映す輝く雲海。果てなき雲の海原の只中にポツンと鎮座する四畳半の座敷にて、私の眼前には深々と頭を下げるご老人が一人。

 卓袱台を挟んで正座する私は只々困惑するしかない。このよく分からない空間に漂う座敷とか、私が置かれている状況とか色々突っ込みたいところはあるけれど、一番不可解なのは目の前のこのご老人だ。本人曰く神なる存在だそうだが、はっきり申し上げて凄い胡散臭い。神だというのに何かそれらしい凄みやらオーラやらは全く感じられないのだが、それは私が鈍感なだけだろうか?

 

「雷を落とした先に人がいるか確認を怠った。本当に申し訳ない。落雷で死ぬ人間はそれなりにいるが、今回のケースは想定外じゃった」

 

 私の記憶が確かなら、私はトラックに吹っ飛ばされて死んだように思うのだが。確かに雨は降っていたが、雷に打たれた覚えはない。

 

 もしかしてこのご老人(自称神)、人違いをなさっている?

 

「ここは天国より更に上、神々の座す世界……そうじゃな、神界とでも言おうか。ここは本来人間が来ることはできんのじゃが、今回は特別にワシが呼んだんじゃよ。君は、えーと……ふ…ふじわら……」

 

「あ、(かおる)です。藤原薫」

 

「そうそう、藤原薫君」

 

 ご老人はそう言いながら傍らのヤカンから急須にお湯を注ぎ、湯呑にお茶を淹れて下さる。

 

「しかし、君は随分落ち着いとるのう。自分が死んだんじゃ、もっとこう慌てふためくようなもんだと思っていたが」

 

「いえ、落ち着いているというわけではないです。顔にはあまり出ていないかもしれませんが、これでもかなり困惑しておりますので……。

 ところで、これから私はどうなるのですか?死んだということは、やはり天国か地獄に?」

 

「いやいや、君はワシの落ち度で死んでしまったのじゃから、すぐに生き返らせることができる。ただのう……」

 

 何やら言い淀むご老人。何か問題があるのだろうか。

 

「うむ、実は君を元いた世界に生き返らせるわけにはいかんのじゃよ。すまんがそういうルールでな。こちらの都合で申し訳ないが。で、じゃ」

 

「はぁ」

 

「君には別の世界で蘇ってもらいたい。そこで第二の人生をスタート、というわけじゃ」

 

 ……あれ、何かここまでの会話の流れに既視感があるような。

 

 そうだ。『異世界はスマートフォンとともに。』というWeb小説と殆ど同じ展開ではないか。ということは、私もマップ兵器と化したスマートフォンを携えて異世界に行くことになるのだろうか?

 ズボンのポケットからスマホを取り出す。画面は蜘蛛の巣状に罅割れ、フレームは盛大に歪んでいた。直前まで遊んでいたゲームアプリの映像が途切れ途切れながらも辛うじて映っている。

 

 ……何故私の身体と衣服は何の損傷もないのに、スマホだけは事故直後そのままのような有り様なのか。

 

「無論、こちらの不手際である以上せめてもの罪滅ぼしはさせてもらう」

 

 そう言って、ご老人───いや、もう神様で確定か───はひょいひょいと何やら卓袱台の上に並べていく。

 私から見て右から順に、スマホ、拳銃、ダイス……だろうか。

 

「ここに三つのアイテムがあるじゃろ?この中から好きなものを一つ君にあげようではないか」

 

 いやいやいやいやいやいや。

 ちょっと待ってほしい、こんな展開は異世界スマホにはなかったはずだ。というか、この三つのアイテムがそもそもおかしい。

 

 まず一つ目、スマホ。

 これをスマートフォンと判断できたのは偏に見慣れた長方形の画面とホームボタンが配置されていたからで、その全体的なシルエットは普通のスマホとは似ても似つかない。とにかくゴツイ。分厚く重厚なダマスカス鋼のような金属のフレームに覆われており、そこからネジやら歯車やらよく分からないシリンダーのようなものやらが迫り出している。しかも時折りバチバチと紫色の電気が漏れ出ており物騒なことこの上ない。というかこんな幅を取るものを携帯したくない。絶対ポケットに入らないぞこれ。

 

 次に二つ目、拳銃。

 ドラマや映画などで見かけるリボルバー式の拳銃だ。これはスマホと異なりそれほど異質なシルエットをしているわけではないが、その材質がおかしい。何故生物のように表面が蠕動し、心臓のように鼓動を打っているのか。しかも金属特有の光沢ではなく、生肉とか臓物とかに見られる体液が濡れ光っているような光沢を放っている。ぶっちゃけキモイ。

 

 そして三つ目、ダイス。

 TRPGなどでお馴染みの十面ダイスだ。それが三つ。黒曜石のような質感で、刻まれた1~10の数字が血色の光を発して明滅している。大変禍々しく不気味なオーラを放出しているが、それ以上にダイスと接している面の卓袱台の木材が徐々に腐り落ちていっていることに物申したい。

 

 何、この……何?凄く触りたくない、というか目に入れたくもないような名状し難いアイテムたちは。もしや、本当にこの中から選べと?Pardon?

 嘘だと言ってよバーニィ、という感じの縋るような視線を向けてしまう。そんな私の切実な視線を受けた神様は、自信満々といった仕草で大きく頷いた。

 

「うむ、君の言いたいことは分かる。この素晴らしいアイテムの数々について説明が欲しいのじゃろう?」

 

 違う、そうじゃない。いや確かに説明は欲しいが、素晴らしいとは一言も言っていないしそもそもこんなゲテモノ欲しくもないのだが。

 

「順を追って説明しよう。まずはこの『スマ・ホークMk.Ⅶ』じゃな」

 

 スマホじゃないのかよ。しかも七号機なのかこれ。

 

「これは衛星兵器のリモコンのようなものでな。電源を入れて座標を打ち込み、そして画面下中央のボタンを押すことで天から神の火を降り注がせることができる。名付けて『ソドムとゴモラ大炎上アタック』じゃ!最大出力でなら大陸一つを焦土にしてしまえるぞ!」

 

 絶対要らねぇ。というか下手に撃ったら自分も巻き添えで死ぬのではなかろうか。

 

「そして次に、この『.44リボルバーマグナム・Behemoth(ベヒモス)』じゃな」

 

 一言、名前がダサいと思う。

 

「これは拳銃の形をしているが、一種の生物兵器のようなものでのう。実は生きておるのじゃ。全部で六発の銃弾()が装填されており、これは消耗しても一日に一発ずつ補充されて(生えて)いく特性がある。

 そして一番の特徴が、『デンダイン砲』という必殺技じゃ!こいつの弾頭には特殊な術式が刻まれてあってのう。着弾地点から数百キロ四方の大地を全て砂漠に変えてしまうのじゃ!無論、範囲内にいたモノも無機物有機物問わず全て砂に変えてしまうぞ!」

 

 確か拳銃の有効射程距離は長くても50メートル程度だったと記憶しているのだが、それで数百キロもの範囲を持つその「デンダイン砲」とやらを撃ったら自分も砂になってしまうと思うのだが。

 

「最後に、『能力ガチャ式ダイス~ダイスの女神への祈りを添えて~』じゃな」

 

 何だその高級料理店のコース名みたいなのは。

 

「これはダイスの出目によってランダムに選ばれた特殊能力が与えられるというものじゃ。ガチャの名の通り当たり外れもあるので、他二つのアイテムと違って有用な能力が得られる保証はない」

 

 まるで他二つのアイテムが有用であるかのような物言いはやめてもらおうか。

 

「何よりの特徴はダイスの女神の加護が付与されている点じゃ。ダイスの女神に気に入られるような数奇な運命の持ち主であればあるほど、当たりの能力が引きやすくなるという特性がある。……まあ特大の外れもまた引きやすくなるのじゃが

 

 おい、最後小声で何て言った。おい。

 

「以上の三つが、ワシから君に与えられる最大の贈り物じゃ。さあ遠慮はいらん!好きなものを選ぶのじゃ!」

 

 キラキラした眼差しで促してくる神様。凄い。何が凄いって、一切の悪意とか邪気とかが感じられないことだ。この人は純度100パーセントの善意でこれらのアイテムを私に贈ろうとしている。

 本音を言えば「ふざけんじゃねーぞバーロー!」と叫んで卓袱台をひっくり返したいところだが、ぐっと我慢する。私のこれからの運命はこの神様の胸先三寸で決まると言っても過言ではない。下手に機嫌を損ねて「やっぱり生き返らせなーい」とか言われてもそれはそれで困るのだ。かと言って、どれもこれも触ることすら憚られるゲテモノばかり。どうするべきか……。

 

「!」

 

 そうだ。一つだけ転生後に持っていく必要のないものがあるではないか。

 ずばり、「能力ガチャ式ダイス~ダイスの女神への祈りを添えて~」だ。重要なのはダイスそのものではなく、ダイスを振った上で貰える能力。つまり、この場で振って使い切ってしまえば以降は二度と触らなくて済むということだ。

 

「では、三つ目のダイスにさせていただきます」

 

「うむうむ、了解したぞ。本来は一回こっきりの使い捨てアイテムじゃが、君には特別に二回振れるようにしてあげよう」

 

 二回も触りたくないでござる。二つも特殊能力が貰えるのはありがたいが、二回も触りたくないでござる。

 

「……では、二回目は神様が振っていただけませんか?」

 

「ひょ?別に構わんが、本当に良いのかね?つまり君の運命を他人に任せるということじゃぞ」

 

「天にまします我らが神に運命を委ねる……これほど幸福なことはありますまい」

 

 嘘だ。が、嘘も方便。こうしておべんちゃらを言って二回目を防げるのならば安いものだ。それに一回は自分で振るのだから文句はあるまい。

 

「おお、末世の若者でありながら何と素晴らしい信仰心……あの世界で生きていれば大人物になれたろうに……。

 相分かった!君の運命(ダイス)はワシが責任を持って見届けさせて(振らせて)もらうぞ」

 

 計画通り。しかしニヤリと笑えるような気力はない。結局一回はこの手で触れなければならないのだから気が滅入る。

 未だに卓上を徐々に腐らせていっているダイスに手を伸ばす。これ私の手も腐ったりしないだろうな。

 

(ええい、ままよ!)

 

 一思いにガッと三つまとめて握り込む。ぬちゃり、と湿った感触が掌を襲った。

 

 ───気持ち悪い。濡れているわけでもないのに粘性のコールタールで覆われているかのような錯覚。掌を通して何か悍ましいものが流れ込んでくるような感触を覚え、全身の肌が粟立った。

 幸い手が腐っていくような感覚はないが、長々と触っていたいものでもない。女神への祈りを添えるような暇もなく投げ捨てるようにしてダイスを振った。

 

 コロコロ、と卓上を転がっていく三つのダイス。それらは適当に投げたにもかかわらず、綺麗に三列に並び卓袱台の中央で停止した。

 

 出目は───"1""6""3"。

 

「ふむふむ、なるほど。では、次は僭越ながらワシが振らせてもらおうか」

 

 私が渾身の勇気を振り絞って握った名状し難いダイスを神様は軽い所作で手に取り、何やらモゴモゴとありがたそうな言葉を唱えた後に放り投げた。

 コロコロ、と再び卓上を転がるダイス。またも図ったように卓袱台の中央に並んだ。

 

 出目は───"0""3""2"。

 

「───うむ!これにて君の来世での才は定まった。ついでじゃ、基礎能力、身体能力、その他諸々底上げしとこう。これで余程のことがなければすぐに死ぬようなことはあるまい」

 

 ……あれ、どんな能力になったのか教えてはいただけないの?

 

「一度送り出してしまうと、もうワシは干渉できん。しかし、今君が受け取った力があればどんな困難であろうと打ち破れるじゃろう。君の幸福を、遠く神界から祈っておるぞ!」

 

 ちょっと待って、と言う間もなく。朗らかに笑う神様のそんな言葉を最後に、私の意識は遠ざかっていった。

 

 

 

***

 

 

 

 ヨルビアン大陸の北方に位置する島国、ジャポン。その国のとある病院の一室にて、あまりに悲痛な女性の絶叫が響き渡った。

 

 「どうしたんだ!」と慌てふためいた男性の声が上がる。この男性と女性は夫婦であり、女性は今まさに夫である男性との間にできた新たな命を産み落とそうとしているところであった。

 直前までは順調に出産が進んでいたにもかかわらず、突然言葉もなく苦痛を訴え始めた女性に、その場に立ち会っていた助産師や医師は血相を変えて対処に当たった。そも出産とは相応の痛みを伴う行為だが、この女性の苦しみようは只事ではなかったのだ。

 

 女性は狂おしく身を捩り、限界まで目を見開いて絶えず絶叫を上げ続ける。口端からは泡を吹き出し、女の力とは思えぬほどの勢いで手足を振り回した。看護師の細腕では荷が勝ちすぎると悟った医師は女性の夫である男性の手も借りてどうにか押さえつけ、女性の腹に聴診器を押し付けた。

 数回に渡り音波などで胎内の赤子の様子は確認してきた。結果は問題なし。これといって障害のない、元気な女の子が五体満足で生まれてくるはずだったのだ。

 

 にもかかわらず───聴診器を通して聞こえてくる、この異音は何だ?

 

 うぞぞぞ、とまるで大量の蛇が這い回っているかのような擦過音。うじゅるうじゅる、と蛞蝓が這いずるような湿った水音が耳朶を打つ。

 あまりの気色悪さと悪寒に医師は顔を上げ……そして顔面を蒼白に染め上げた。

 

 女性の悲鳴に血が混じる。喉が潰れるほどの絶叫の果て、赤子を宿して大きく膨らんでいた腹がボコボコと異音を発して更に膨張していくではないか。

 そしてもはや人のものとは思えぬほどの悲痛極まる叫びが最高潮に達した次の瞬間、グチャリ、と女性の股座から何かが這い出てきた。

 

 ヒィッ、と看護師の誰かが恐怖に悲鳴を漏らす。ミチミチブチリと産道を引き裂いて現れたのは、粘液を滴らせる青黒い触手だった。

 ビチャリ、と全貌が露わになったそれがリノリウムの床に落下……否、産み落とされる。それはまるで海星(ヒトデ)、あるいは烏賊のような形状をしており、びっしりと棘とも(いぼ)ともつかぬ突起物を生やした青黒い触手をうねらせのたうち回っていた。

 

「Gyiiiii───……」

 

 ガラスを引っ掻くような耳障りな音が、それの中心にある牙を備えた口腔から発せられる。恐怖を駆り立て、正気を削る身の毛もよだつような怪物の鳴き声。それに呼応するように、もはや白目を剥いて意識を失った女性の股座から同じ怪物が這い出てくる。ぬちゃり、びちゃり、と新たに現れる……その数三体。

 計四体の名状し難き怪物たち。およそ人の世にあってはならぬ悍ましき怪異の出現に、医師は正気を保てず悲鳴を上げて逃げ出した。それを臆病と詰ることは誰にもできない。他の助産師や看護師たちはとっくに逃げ出していたのだから。

 

 唯一その場に残ったのは、その女性の夫である男性のみ。男性は顔を青褪めさせながらも、気丈に意識を保って妻の名を呼ぶ。ふらふらと覚束ない足取りながら、逃げ出さず歩み寄ろうと一歩を踏み出したのは、妻を想うこの男性の愛故であろう。

 

 しかし……ああ、しかし。これら悍ましき怪異の出現は、真の怪物の誕生の先触れに過ぎなかったのだ。

 

 怪異を吐き出し萎んでいた女性の腹が再び膨れ上がる。メリメリと何かが外に出ようと母胎を内側から圧迫し始めたのだ。

 夫である男性は目を剥く。その何かはどう見ても、産道を通らず腹を突き破って外界に出ようとしていた。これでは今し方の怪異の方がまだ行儀が良かったと言えるだろう。

 

「やめ───」

 

 やめろ、と言い切ることは叶わず。

 

 ジョギン、と。まるで肉断ち包丁が分厚い生肉を寸断したときのような音を奏で、銀色に輝く何かが腹を切り裂き現れ出でた。

 

 間欠泉の如く噴出する鮮血。内側から捲れ上がる人肉。それらを掻き分け這い出てきたのは、驚いたことに普通の赤子であった。

 おぎゃあ、おぎゃあ、と産声が上がる。可愛らしい赤子の泣き声。新たな生命の誕生。小さな手は胸の前で愛らしく丸められ───しかし、その足は別の生物のように蠢き赤子を外界に運び出していた。

 

 それは鋼。刃物の踵に棘の脚。触れるもの総てを切り裂く白銀の槍の穂先。生まれたばかりの赤子には不釣り合いなほど巨大な具足が小さな脚部を覆い、それが母胎を引き裂いたのは明白であった。

 

「Gyiiiii───」

 

  「Gyiiiii───」

 

 そして怪異もまた蠕動する。まるで赤子の誕生を寿ぐように不協和音の合唱を奏で、前に出た二体の怪異が優しく赤子を受け止めた。

 

    「Gyiiiii───」

 

  「Gyiiiii───」

 

 そして残る二体が完全に絶命した母体を引っ掴んだ。ズルズルと寝台から引きずり下ろし赤子の前まで引き立てる───まるで神に供物を捧げるかの如く恭しく。

 

 変わらず一心に産声を上げ続ける赤子。そして赤子の意思とは関係なく蠢く具足は、膝から鋭利に突き出す棘を母の亡骸に突き立てた。

 途端、母体はその輪郭を失ってぐずぐずと崩れ去る。その様はまるで粘体(スライム)の如く。毒々しいほどの青い液体と化したそれを、具足から生える棘は容赦なく吸い上げた。

 次の瞬間、ピタリと産声が止む。泣き止んだ赤子は開かぬはずの眼を薄らと見開き、茫洋とした視線を虚空に漂わせる。

 

 一連の悍ましき魔の饗宴をまざまざと見せつけられていた男性は、そこで更に驚愕と恐怖に身を震わせることになる。メリメリと赤子の総身が軋みを上げ、その体躯を徐々に大きくさせていったのだ。

 

 ───成長している。自らの母親を喰らい、コイツはまさにこの瞬間に成長しているのだ!

 

 そう理解した男性は遂に正気を手放した。愛する妻はどろどろの粘液へと変えられ、我が子(怪物)はそれをストローで吸うかのように足から啜り上げたのだ。そのあまりの悍ましさに発狂し、男性は意味不明の言葉の羅列を悲鳴と共に垂れ流し転がるように病室から逃げ出した。

 

 ───逃げ出していく父親の背中。瞬く間に十歳ほどまで肉体を成長させた赤子は、それを青色の瞳で茫洋と眺めていた。

 

「Gyiiiii───」

 

 「Gyiiiii───」

 

  「Gyiiiii───」

 

   「Gyiiiii───」

 

 青黒い触手を蠢かせる怪異たちは喜色に声を震わせ、成長した赤子を抱き上げる。自らを玉座、あるいは揺り籠のように見立てて丁寧に赤子を担ぎ上げた怪異たちは、病室の窓を破って外へと飛び出していった。

 

 

 

 

 ……その後この冒涜的で悍ましき事件は束の間世間を賑わせ、しかしハンター協会の手によって迅速に鎮静化させられ闇に葬られた。このときの室内の様子が記録された映像は厳重に秘され、電脳ネットにおけるハンター専用サイト「狩人の酒場」でのみ、それも限られたプロハンターのみが閲覧を許されるという。

 

 

 ───この事件から既に十二年、赤子は未だ見つかっていない。

 

 

 




 読者の方に感想欄で教えてもらった『異世界スマホ』という作品を(ちょっと)読み、そのプロローグに触発されて書いてみました。しかし行き先はHUNTER×HUNTERの世界という。

 ちなみに主人公が貰った能力は、Fate/Grand Order内における霊基番号からランダムで決めました。

 1.出目"1""6""3"……アルターエゴ、メルトリリス。

 2.出目"0""3""2"……キャスター、ジル・ド・レェ。

 リアルで作者自身がダイスを振り、それを元に決めました。メルトとジル元帥の悪魔合体!メルトは泣いていい。

 そしてきっと続かない。思いつきですもの。


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時は流れ十二年後。ハンター試験開幕の第一話

 
 チートとは念能力に依らない特殊能力を持っているからであり、主人公は決してHUNTER×HUNTER世界という魔境における最強の存在というわけではないのである。


 

 私は転生者である。名前はまだない。しょうがないので前世と同じ藤原薫という名前を名乗っている。この世界風に言うならカオル=フジワラだろうか。

 

 神様を名乗るアンチクショウによって転生させられた私は、気が付けば十歳ほどの幼女の姿になってゴミ山のど真ん中に座り込んでいた。そして周りにはキーキーと何やら喚きながら蠢く気色悪い化け物。しかも私の足にはゴッツイ鋼の具足が取り付いていた。悲鳴を上げなかったのは奇跡に等しい。

 

 しかし、これで早々にダイスガチャで当たった能力が判明した。まずこの青黒いヒトデだかイカだかよく分からない触手のお化けはFateシリーズに登場するキャラクターの一人、ジル・ド・レェが召喚する"海魔"なる存在だろう。案の定念じてみると手の中に『螺湮城教本(プレラーティーズ・スペルブック)』が現れた。

 人皮で装丁され、表紙には苦悶に歪んだデスマスク、背表紙には美少年の裸像を象った銀細工が施されている悪趣味極まりない魔導書だ。これは深淵の邪神に関して記述された「ルルイエ異本」の写本の写本である。謂わばコピーにコピーを重ねた劣化品だが、それでも無尽蔵の魔力炉心を有し、海魔を始めとする異界の魔物を召喚できるランクにしてA+の一級の宝具である。オリジナルともなれば如何ほどの際物か、怖くて考えたくもない。

 ぶっちゃけ嬉しくない。本は不気味だし海魔はキモくて臭いし、同じ召喚系のキャスターならニトクリスとかの方が良かったです。メジェド様とか意外と可愛いし。

 

 そして二つ目が、この刺々しい槍のような白銀の具足。これは同じくFateシリーズに登場するアルターエゴという特殊なクラスに位置するキャラクター、メルトリリスの肉体の一部にして最大の特徴である。

 彼女は「英雄複合体」と呼ばれる複数の神霊の要素を組み込まれた存在であり、元となった女神は三柱。

 一柱目はギリシアにおける純潔の処女神と知られ、月の運行と連動し、狙った者を必ず射貫くと共に疫病と死を撒き散らす女神アルテミス。

 二柱目は旧約聖書に登場するレヴィアタン、あるいはウガリット神話のリタンに由来する蛇十字の杖。

 三柱目は七福神の一柱である弁財天の源流であり、インド神話において「流れるもの」を司る女神サラスヴァティー。

 データとして見るだけでも錚々たる面子だ。実際作中においても彼女は最強クラスの英霊にも引けを取らない戦闘力を秘めていた。これに関しては当たりと言えるだろう。脱ごうと思ってもびくともせず足から外れない具足に目を瞑れば、だが。

 

 ……しかしまあ、衛星兵器(自分も巻き込む)や強制砂漠化銃(自分も巻き込む)よりはマシであると納得する他ないだろう。魔導書だって見た目と召喚される怪物に目を瞑れば暗示や遠見なんかの簡易的な魔術も扱える便利アイテムだし、この足だって「この世界」では心強い武器となる。

 

 既に転生してから十二年が経つ。これだけ歳月を経ればここがどんな世界かは私でも分かる。

 

 ───私が最初に目覚めたのは「流星街」と呼ばれる打ち捨てられたモノが流れ着く街で。

 

 ───この世界で使われているのは全国で通じる共通言語と200種以上の民族言語、そして「ハンター文字」と呼ばれる記号のような文字。

 

 ───そして「ハンター」と呼ばれる職に就く者らが脚光を浴びており、彼らハンターを統べる「ハンター協会」なるものが社会的に大きな権力を有している。

 

 そう、ここは『HUNTER×HUNTER』という漫画の世界に酷似した、あるいはそのものの世界であったのだ───

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 ドーレ港というクカンユ王国の海の窓口の一つを最寄りに有する都市、ザバン市。国内のみならず国外からも様々な交易品や人が入ってくるこの街は、有数の貿易都市として栄えていた。

 

 そんなザバン市はツバシ町の一角に、「めしどころ"ごはん"」という定食屋がある。至って普通の定食屋だ。早朝でありながらそれなりに客が入っているからには繁盛しているのだろうが、しかし特筆すべき要素は外観からは窺えない。

 そんな普通の定食屋めしどころ"ごはん"であるが、今日は少々様子が違った。ここの常連であるケリーという青年は、食後のお茶(と言っても無料で貰える安物の緑茶だが)を楽しみつつも、朝から感じていた違和感に首を傾げていた。

 

 今日は朝からガッツリいきたい気分だったケリーはステーキ定食に舌鼓を打っていたのだが、彼が食事を楽しんでいる間、次から次へと屈強な身形の男たちが入店してはメニューも見ずに注文し、奥の座敷に案内されていくのだ。しかも何故か皆が皆注文するものは同じ、「ステーキ定食、弱火でじっくり」である。

 ケリーも最初は「てやんでぃ、ステーキを弱火でじっくり焼いたら肉が固くなっちまうぜ」とミディアムレアに焼かれたジューシーなステーキを頬張りつつグルメぶって内心彼らを馬鹿にしていたのだが、代わる代わる入店してくる彼ら全員が図ったように同じものを注文していくので流石に疑問を覚えたのだ。

 ついでに言えば、ケリーが知る限りこの定食屋に奥座敷なんて存在しないはずである。少なくともケリーはテーブル席にしか座ったことはない。まあこの定食屋は席が一つも空いていないような繁盛ぶりを見せたことがないので、単純に機会がなかっただけかもしれないが。

 

 そして、再びガラガラと店の引き戸が開かれる。今日に限ってこの音は屈強な男共が入店してくる合図なので、彼女のいないケリーはうんざりした表情で惰性的に入り口に顔を向けた。

 

(───えっ)

 

 しかし、そこにいたのはケリーが予想していたようなガチムチの男ではなかった。逆光で少し見づらいが、線の細いシルエットに長い頭髪は明らかに女性のものであったのだ。

 

「いらっしゃい」

 

 決して不愛想ではないが、無口であまり喋らない店主が料理の手を止めず声を上げる。戸が閉められたことで、ケリーの目にもその女性……いや、少女の姿が露わになった。

 

 まず目についたのは、腰まで長く伸ばされた黒髪。艶やかな濡れ羽色のそれは店内の照明を照り返して煌めいている。

 少女らしい幼さを残しながらも、嫣然とした女性らしい微笑みをその整った(かんばせ)に浮かべている。海原を思わせる深いブルーの双眸もまた宝石のように美しく、長い睫毛と形の良い眉が飾っていた。

 残念ながら胸の膨らみは慎ましく控え目だが、ミニスカートから除く足はカモシカのように引き締まっており健康的な美しさを露わにしている。スカートの裾と膝下までのソックスの間から覗く、透き通るような白さの腿が大変眩しい。

 

 端的に言って、ケリーの好みどストライクの美少女であった。

 

「注文は?」

 

「ステーキ定食で。弱火でじっくり、お願いね」

 

「あいよ、奥の部屋へどうぞ」

 

 ボーっと呆けるケリーの視線に気づくことなく、少女は颯爽と奥の部屋へと去っていく。風を切って歩くに従ってその美髪が翻り、漂う花のような香りがケリーの鼻腔を擽った。

 

「湯呑が空だな。兄ちゃん、お代わりはいるかい?」

 

「……いや、お勘定を頼むよ」

 

 ややあって店主に声を掛けられたことで我に返ったケリーは、財布を手に取り席を立った。

 

「……つかぬ事を聞くが、さっきの黒髪の女の子はここによく来るのかい?」

 

「ん?いや、今日初めて来る客だな。それがどうかしたか?」

 

「そうか……いや、何でもないんだ。ご馳走様、また来るよ」

 

 あるいはあの少女はここの常連で、また会えるかもしれないと期待したのだが、残念ながら一見さんであったようだ。ケリーは少しの落胆を覚えつつも、「しかしまたここで会える可能性はゼロじゃない」と己を奮い立たせた。わざわざこんな場末の有名でもない定食屋に来るくらいだし、きっとこの近くに住んでいるのだろう、と。

 

(……そういえば、あの子もステーキ定食を頼んでいたな)

 

 それも、例によって弱火でじっくり焼いたヴェリー・ウェルダンにして。どちらかと言えばレアに近い焼き加減を好むケリーだったが、「明日はあの子と同じように弱火でじっくり焼いてみよう」と心に決め、帰路につくのだった。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 めしどころ"ごはん"という定食屋の奥に設けられた一室。中央にはそれらしいテーブルと椅子が用意されているが、ここは地下のハンター試験会場へと繋がるエレベーターの中であった。

 

 ふぅ、とため息を吐いた黒髪の少女───藤原薫ことカオル=フジワラは用意されていた椅子に足を組んで(・・・・・)腰かけた。

 カオルが転生を果たしてから十二年が経過し、現在は西暦1999年1月7日。彼女の目的は言うまでもなく本日より開催される第287期ハンター試験である。そして同時に、『HUNTER×HUNTER』という物語の始まり……ひいては主人公であるゴン=フリークス、キルア=ゾルディック、クラピカ、レオリオ=パラディナイトの四人が舞台に上がる瞬間でもあるのだ。

 

「…………」

 

 転生者であり身寄りのないカオルには戸籍がない。戸籍管理が徹底されているこの世界において、それは致命的だ。バイトすら厳しく、カオルはこの十二年間阿漕な商売で日銭を稼ぐしかなかったのだ。

 しかし、それも今日で終わる。わざわざ第287期の試験まで待ったのは、原作知識によってその試験内容を把握していたがため。ここで確実にプロハンターとなり、何よりの身分証明書となるハンターライセンスを獲得するのだ。原作主人公たちとの交流など二の次三の次である。

 

 ……まあ、将来的に優れたハンター及び念能力者になることが確定している彼らと伝手を持っておくのは悪いことではない。隙を見て顔合わせぐらいはしておいてもいいだろう。

 

 そんな下心満載の思考を巡らせ、カオルは足を組み直す───鋼の具足など見当たらない、普通の少女の足を。

 

 念能力や魔獣などあらゆる不思議が横行するこの世界であっても、少女の矮躯に不釣り合いな武骨な鋼の脚は人間社会ではあまりに目立つ。故に、カオルは早急にこの足の見た目をどうにかしなければならなかった。

 しかし、魔導書と異なり肉体そのものと化している具足は容易に着脱できるものではない。そこで、カオルはこのH×H世界の根幹をなす要素、「念能力」に活路を求めた。

 

 念能力───肉体から溢れ出す生命エネルギー、「オーラ」を自在に操る能力のことだ。念能力には基本となる"纏"、"絶"、"練"、"発"からなる、四大行と呼ばれる技がある。

 この四つの技の一つである"発"……これはオーラを駆使して、"系統"の力を発揮する技。念能力の集大成にして個別の能力、所謂特殊能力・必殺技であるこの発を以て、この問題を解決しようとしたのだ。

 幸い、カオルはそれほど時間を掛けずに精孔を開くことには成功した。よって直ちに水を湛えたコップに葉を浮かべ、水見式と呼ばれる方式の系統判断を行った。

 

 結果───葉は徐々に輪郭を失っていき、最終的に水に溶けて消失した。

 

 他に類を見ない特殊な変化……これは特質系の特徴である。故に、ここにカオルの系統が判明した。しかし問題はここからだ。己の系統に極力沿う性質の"発"を開発しなければならない。

 

 そも、"系統"とは生まれ持った念の性質であり、"強化系"、"変化系"、"放出系"、"操作系"、"具現化系"、"特質系"の六つのタイプに大別される。これには自分の系統に近いものほど会得しやすくなる性質があり、その相関関係は以下の「六性図」によって表すことができる。

 

   強

  / \

 放   変

 | 発 |

 操   具

  \ /

   特

 

 例えば放出系能力者は放出系の覚えが最も早く、隣り合う強化系・操作系も相性が良いので覚えやすい。逆に対角線上にある具現化系が最も覚えにくくなるのだ。

 カオルの場合は特質系なので、隣り合う操作系・具現化系が次点で覚えやすく、強化系が非常に覚えにくい……となる。なので特質系、そうでなくとも操作系か具現化系の発を作らなければ無駄に"容量(メモリ)"を食うばかりか、習得率の関係で大した力を発揮することもできなくなってしまう。そして幸いなことに、肉体の改造に関しては操作系で何とか都合をつけることができた。

 

 

秘密の花園(シークレット・ガーデン)

 

 ・操作系能力

 自身の足を変形させ、生身の人間の足に見せかける。材質まで変化させることはできず、あくまで外観だけである。故に触ってしまえばその質感から普通の足ではないとバレてしまう。

 

 〈制約〉

 ・この能力発動中は常に"纏"の状態でなければならず、また徐々にオーラを消耗してしまう。

 ・この能力発動中、使用者は一切のオーラ使用が禁じられる。"絶"や"練"はおろか、"円"や"凝"など戦闘時以外でも有用な能力も全て使用不可となる。

 

 〈誓約〉

 ・特になし

 

 

 以上がカオルが作成した"発"である。見た目を誤魔化せる以外に何のメリットもない、どころか明確にデメリットばかりの発であった。しかし、それでも決行せねばならないほどこれは差し迫った問題であったので、今のところカオルに不満はない。流星街内ですら気味悪がられて村八分にされては、幼い彼女は生きていくことすらままならなかったからだ。

 

 とまれ、晴れて普通の足を手に入れたカオルは第287期ハンター試験に応募し、原作知識を利用して危なげなく試験会場まで辿り着いたのだった。

 

 チン、とエレベーターが最下層への到着を告げる。表示された階層はB100……地下百階だ。一体どれだけ深いところにあるのか。

 開いた扉から一歩を踏み出し外に出ると、既に会場内には百人近い受験者たちが屯していた。いずれも腕が立ちそうな屈強な見た目の者たちであり、彼らの鋭い視線がカオルに向けられる。

 流石にハンター志望の強者らなだけあり、カオルの華奢な見た目に惑わされて侮るような視線を寄こした者は少数であった。ライバルとなり得る人間を値踏みする鋭利な眼光に晒される中、カオルは覚えのある視線と気配を察し微かに顔を顰めた。

 

番号札(ナンバープレート)をどうぞ」

 

「……ありがとう」

 

 すると、音もなく近寄ってきた小男が抱えた籠から番号が刻まれたプレートを取り出し手渡してくる。まるでそら豆のような男の風貌に一瞬面食らうも、カオルは番号札を受け取り胸の辺りに取り付けた。

 

「……本当に豆っぽいのね、ビーンズ」

 

 のっぺりとした顔に毛髪一つ見当たらない禿頭。頭の形のみならず肌の色まで鮮やかな緑色で、どこからどう見てもそら豆にしか見えないプロハンターの背を見送りながら、カオルは独り言ちた。

 それはそれとして、先ほどから不躾な視線と殺気が送られ続けている。できればこのままずっと無視していたいところだが、同じ受験会場にいる以上それは不可能だと観念したカオルは渋々視線の主の元へと歩み寄った。

 

「やあ♥久しぶりだねぇ、カオル♠」

 

「……そうね。お久しぶり、ヒソカ」

 

 足取り重く近づいてきたカオルににこやかに話しかけたのは、赤い髪を逆立たせたピエロだった。ピエロというのは比喩ではない。右目の下に星、左目の下に雫形のペイントを施した道化師のような風体の男だ。

 名前はヒソカ=モロウ。彼は原作において特に異彩を放っていたのでカオルもよく覚えていた。凄腕の念能力者で、強者と戦うことを至上の喜びとする戦闘狂。将来性のある者を見つけては敢えて殺さぬよう戦い成長を促し、強くなったところでもう一度戦う、など。とかく強者を探し出すことに余念がなく、そしてその者と戦うためには何でもし、それを自らの手で破壊することに倒錯的な快楽を覚える変人にして狂人がこのヒソカであった。

 

「いやぁ、まさかキミもこのハンター試験に来ていただなんて♦️これはもう運命なんじゃないかな♣️」

 

「生憎だけど、運命とか偶然とかは信じない主義なの」

 

 こうして第287期のハンター試験に来た以上、ヒソカがいることなど予め分かっていたことではある。が、そうと分かっていても気が滅入る。カオルはこのヒソカという男にこの上ない苦手意識を持っていた。

 

 先の会話から分かる通り、カオルがヒソカと会うのはこれが初めてではない。事は四年前、ようやく流星街を出て金が必要になったカオルは、手っ取り早く金を稼ぐために「天空闘技場」に赴いたのだ。

 天空闘技場───パドキア共和国と同じ大陸の東にある、勝者のみが上階に行ける地上251階、高さ991メートルの闘技場である。一日平均4000人の腕自慢がより高みを目指してやってくる、曰く「格闘のメッカ」、「野蛮人の聖地」。観客動員数は年間10億を超えるとも言われており、必然ファイトマネーも相応の大金が約束されている。腕に自信があるならば、金稼ぎにはもってこいの場所と言えるだろう。

 

 当然、それを知っていたカオルは真っ直ぐに(不法入国・不法渡航を繰り返しながら)天空闘技場に向かった。そのとき既に念能力の修行は一定の成果を見せており、十分通用するだろうと見越してのことであった。

 実際カオルは強かった。念能力も、ましてや鋼の脚を使うまでもなく並み居る闘士たちを鎧袖一触に薙ぎ払っていった彼女は調子に乗っていた。既に十分な金額を稼いでいたにもかかわらず、欲を出して200階以上……念能力者たちが犇めく魔窟に踏み込んだのだ。

 

 そしてカオルは215階にて出会してしまったのだ───"奇術師"ヒソカ=モロウに。

 

 カオルは頑張った。いよいよ鋼の脚も開帳しつつ応戦したが、トリッキーな動きで翻弄してくるヒソカを終始捉えられず。まともに攻撃を当てられたのは不意打ちじみた最初の一発のみで、あとは投げられ殴られ蹴られ弾き飛ばされ、散々にやられて敗走したのであった。

 別段自分が最強だと思っていたわけではないし、結局のところ戦士ではないカオルに敗北したことによるショックは殆どなかった。にもかかわらずその試合の直後転がるように闘技場を逃げ出したのは、カオルがヒソカに目をつけられたからであった。

 

 ───いいねぇ♥このまま食べちゃいたいぐらいの逸材だよ、キミ♠

 

 ねっとりと熱を孕んだ声音に、毒蛇のような視線。ヒソカに目をつけられることの恐ろしさをよくよく理解していたカオルは、顔を青褪めさせて脱兎の如く闘技場を去ったのだった。

 故に、本音を言うなら二度と会いたくなかった。しかし原作知識が活かせる唯一のハンター試験を逃すのも惜しい。第287期の試験を受けるか否か、天秤に掛けた上で実にひと月も悩んでいたカオルだったが、こうしてこの場にいることから分かる通り受験することにした。……何故なら、このハンター試験には極上の"生贄(スケープゴート)"がいるからである。

 

 ガコン、と音を立てて再びエレベーターが開く。内より現れたのは三人の男たち。カオルやヒソカを含め、多くの受験者たちの視線が彼らに向かう。

 

 一人は、エキゾチックな民族衣装を纏う中性的な容姿の金髪の青年───クラピカ。

 

 一人は、カジュアルに気崩したスーツに身を包み黒髪を短く刈り上げた男性───レオリオ=パラディナイト。

 

 そしてもう一人は───

 

(いよいよ、か)

 

 ツンツンと逆立った黒髪。闊達な笑みを満面に浮かべた、釣竿を肩に担ぎ純真さを感じさせる佇まいの少年───ゴン=フリークス。

 

 斯くして役者は出揃い、物語の幕が上がる。この場のどこかにいるであろう銀髪の少年も交え、彼ら四人にとり最初の試練が始まるのであった。

 

(来た、メイン主人公来た!これで勝つる!)

 

 それはそれとして。ヒソカの興味を一身に引き受けてくれるであろう、とある少年の来訪を心から歓迎しているどうしようもない転生者の運命もまた、ここに動き始めたのであった。

 

 




 続かないと言ったな、あれは嘘だ。

 ……というわけで、前話あまりにもHUNTER×HUNTER要素が少なかったのでメイン放ってお送りした第一話でした。
 作中主人公の"発"が一つ出てきましたが、念能力含め作者もよく分かっていない、あるいは勘違いしている設定も幾つかあるかもしれませんので、矛盾点等ありましたら教えていただけたらと。

 なお、みんな大好きトンパさんはヒソカと親しげ(?)に話す主人公を「こいつヤベー奴だ」と認定して近寄ってきませんでした。


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踵の名は魔剣ジゼル。道化と戯れる第二話

 
 短編の特権。場面を飛び飛びにして書きたいところだけ書いても許されること!……だと思う。
 正直書きたいことが増えてきたので連載扱いにしてもいいとは思うのですが、元が一発ネタだったので途中で止まりそうな気がするのですよね……悩ましいところです。



 

 第一試験官サトツによる、地下道及びヌメーレ湿原の長距離移動試験。そして第二試験官ブハラ並びにメンチによる食料調達・調理試験。これら二つの試験を乗り越えた受験者42名を乗せたハンター協会所有の飛行船の一室にて、試験官三名は諸々の雑事を終え遅めの夕食をとっていた。

 そんな中、彼らは「今年は何人ほど残るか、あるいは見込みがあるだろうか」という話題で盛り上がっていた。

 

 「今年は中々の粒揃いだと思うのよねー。一度全員落としといてなんだけどさ」と朗らかに笑うのは、美食ハンターのメンチ。細身の女性ながら次々と並べられた料理を片付けていくのは、流石美食を追い求め東奔西走するプロハンターだけあるということだろうか。

 

 「でもそれは、これからの試験内容次第じゃない?」と料理を頬張りながら言うのは、同じく美食ハンターのブハラだ。数刻前に何頭もの巨大豚の丸焼きを平らげたとは思えぬほどの衰えることなき食欲。彼はその巨体に恥じぬ健啖ぶりを現在進行形で発揮している。

 

 「ふむ、確かに。今年はルーキーがいいですね」と行儀よく食事を進めるのは、遺跡ハンターのサトツ。スラリと伸びた手足にスリムな体形。決してひ弱というわけではないが、彼は前者二人と比べれば常識的な量の食事を楽しんでいた。

 

「あたしは294番が良いと思うのよねー!」

 

「私は断然99番が良いですね」

 

 メンチが挙げたのはハンゾウと名乗る(自称)忍者の末裔たる一族の男。そしてサトツが名指ししたのはキルアという銀髪の少年であった。いずれもプロハンターとして……即ち、念能力者としての彼らの視点で将来有望と評された二人であった。

 

「ブハラは?」

 

「そうだねぇ……ルーキーじゃないけど、やっぱり44番かなぁ」

 

 メンチに水を向けられたブハラは、少し考えた後にある一人の男の番号を挙げた。

 44番───即ち、ヒソカ=モロウである。番号から瞬時に誰かを察したメンチとサトツは、あからさまに顔を顰めた。さもありなん、彼らは試験中常にヒソカから殺気を向けられ続け、サトツに至っては念で強化されたトランプを投擲されたのだ。実力はあるのだろうが、良い感情など抱けようはずもない。

 

「……そういえば」

 

 彼らの間でヒソカは要注意人物であると結論が出されたところで、サトツはふと思い出したように声を上げた。メンチとブハラが首を傾げてサトツに視線を向ける。

 

「382番。同じく既に念能力者であると思われる彼女、どうも44番と知り合いだったようですね。試験開始を待っている間、何やら言葉を交わしておりました。初対面、という様子ではありませんでしたな」

 

「えーっ!あのカワイイ子と?44番が?嘘ぉ!?」

 

 メンチがあり得ない、とばかりに目を剥く。ブハラも同じ意見であるようだ。

 彼ら二人から見て、382番───カオル=フジワラの印象はそこそこ料理ができる清楚な少女である。あの変質者そのもののピエロと知り合いとは俄かには信じられなかった。特に名前からも分かるようにジャポン出身である彼女はメンチの出した課題である「スシ」について知っていたらしいこともあり、受験者の中で唯一まともなものを提出してきたことでメンチからの印象は良かったのだ。

 

「ふむ、その様子ですとお二人は知らないようですね。実は彼女はそこそこ名の知られた人物でして」

 

「え、そうなの?実は凄い格闘家とか?」

 

「当たらずとも遠からず、でしょうか。彼女はああ見えて賞金首狩りらしくてですね」

 

 私もそう詳しいわけではありませんが……と前置きした上でサトツは語る。カオルはかなり悪名高い賞金首狩りである、と。

 

 カオルの名が知れるようになったのは、およそ四年前あたりである。ライセンスを有したプロハンターではなく、ましてやアマチュアハンターを名乗るでもない彼女の知名度は最初は非常に低かったという。その華奢な見た目も相俟って、彼女をあからさまに侮る人間も多かった。

 にもかかわらず、カオルは僅か数か月で頭角を現した。多くの依頼を達成し、しかし轟いたのは威名や勇名ではなく悪名。何故なら、彼女が狙う獲物は必ず「生死問わず」の凶悪犯ばかりであり。

 

 ───そして、常に首だけを(・・・・)抱えて戻ってくるのである。首から下、つまり胴体が見つかったことは一度としてない。

 

 首を持って帰るのは分かる。本人確認のために最も分かりやすい証拠として挙げられるのは本人の首だ。しかし胴体もあった方がいいのは当たり前であり、更に言うなら生きている方がもっと良い。いくら生死問わずとはいえ、生きて捕らえた方が依頼者が喜ぶのは当然である。

 しかしカオルは頑なに賞金首を殺し続け、必ず首だけを持って帰る。二十にも届かないであろう年齢の少女が、返り血一つ浴びず生首を抱えて戻ってくる……想像するだにホラーである。

 

 故に、ついた異名は「首狩り」。"首狩り"のカオルといえば、賞金首ハンターの間ではそれなりに有名であった。

 

「ふむ……食事中にする話ではありませんでしたかな」

 

 メンチとブハラは顔を青くしている。美食ハンターとして魔物などの猛獣と戦うことは多々ある彼らではあるが、対人戦の経験は豊富とは言い難い。彼らも一流の念能力者である以上人の血ぐらい慣れたものだが、しかしあんな人形みたいに可愛らしい少女が……となると流石にぞっとしたようだ。

 

「……やっぱり注目すべきは非念能力者のルーキーよね、うん」

 

 そう自分に言い聞かせるよう呟くメンチの言葉に、ブハラは全力で同意するのだった。

 

 

 

***

 

 

 

 当初の目論見通り、私はゴンたち主人公一行との顔繋ぎに成功した。"新人潰し"トンパに先んじて彼らの三次試験に同行し、それなりの友誼を結ぶことができたのだ。態と空気を悪化させようとする者さえいなければ、基本的に善良な四人だ。私という異分子がいても恙なくトリックタワーを攻略できた。

 

 ───だから、少々油断していたのかもしれない。

 

 ヒュン、と眼前をトランプが擦過する。咄嗟に首を傾けていなければ、間違いなく片目が潰れていただろう。

 

「フフフフフ♥流石だね♠︎完全に不意打ちだと思ったんだけど♦️」

 

「ここで来るか、ヒソカ!アナタのターゲットは私じゃないでしょうが……ッ!」

 

 ……ここはゼビル島。四次試験、受験者同士での番号札(ナンバープレート)の奪い合いが行われる閉じられた戦場。そこで早々に札を集め終えて呑気していた私の元に、突如変態ピエロが強襲を仕掛けてきたのであった。

 

 立て続けに投じられる念で強化されたトランプを避けつつ、チッと舌を打つ。一次試験以降、ヒソカはずっとゴンにご執心な様子だったので完全に油断していた。まさかゴンを捨て置いてこちらに来るなど、予想だにしていなかったのだ。

 木を盾にしてトランプの連撃を凌ぎ、フラフラと近寄ってきた好血蝶───人間の血を好んで吸うゼビル島固有の蝶───を握り潰す。虫の体液と誰かの血で手がベットリと汚れるも、構わずその血液に魔力を流し込む。

 

「Wgah’nagl fhtagn───出でよ深淵の眷属、あの変態と遊んでなさい!」

 

 掌に張りついた血液が泡立ち、名状し難い奇声と共に青黒い海魔が現れる。魔導書を実体化させなかったのでサイズは控え目だが、その分人血を触媒にしたため召喚速度はピカイチだ。

 それに海魔は見た目のインパクトが凄まじい。如何にヒソカといえども面食らって足を止めるだろう。その隙に逃げ果せてくれる……!

 

 バシッ。

 

「キー」←裏拳で吹き飛ばされた海魔の悲鳴。

 

 バチン。

 

「キー」←"伸縮自在の愛(バンジーガム)"で弾き飛ばされた海魔の悲鳴。

 

 ……はーつっかえ!足止めぐらいしっかり果たさんかいこのミニ海魔どもが!

 

 いや、これは微塵も動揺しなかったヒソカの胆力をこそ称賛すべきか。サイコパスがどうこうと言うより、一流の念能力者たるものこの程度のグロ生物で隙を晒す方が可笑しいのだろうか?

 いずれにしても私の浅はかな目論見は潰えた。制約で"纏"しかできない現状の私に逃げ切れる道理などなく、瞬時に追いついてきたヒソカの蹴りを交差させた腕で受け止める。

 

「づッ……!?」

 

 メキリ、とあまりに重い蹴撃に腕が軋む。容易く吹き飛ばされた私は一直線に森の中へと蹴り戻された。不味い、障害物の多い森の中はヒソカの独壇場だ。

 

「隙あり♣️」

 

 ギュオン、と木に粘着させた念糸の伸縮を利用したヒソカが急旋回して私の背後に回り込んでくる。これも"伸縮自在の愛(バンジーガム)"の応用だろうが、スパイダーマンか己は……!

 

「くっ、解除!」

 

 ギイィンッ、と硬質な音が木霊する。元の形を取り戻した私の足とヒソカの蹴りが衝突したのだ。

 試験中は"秘密の花園(シークレット・ガーデン)"を解きたくなかったが、事ここに至っては腹を括るしかあるまい。全てのオーラ使用を解禁された私は直ちに"纏"から"練"に移行し、戦闘態勢を整える。

 

「ククク……ようやくその気になってくれた♥やっぱり本気じゃないキミを嬲り殺しても面白くないからね♠」

 

「ふん、どの口がほざくのかしら。第一、私にアナタと戦う気なんてこれっぽっちもないのだけど?というか、アナタ自身のプレート集めはどうしたのよ!」

 

「ボク?もうとっくに集め終わったさ♦」

 

 キミと同じでね、と笑ってジャラリと番号札を取り出す。その数八枚。

 

(コイツ、私と戦うためだけに必要以上のプレート乱獲しやがった……!)

 

「だからこれは暇潰しさ♣️お互い楽しもうじゃないか♥」

 

 言うや否や、ドン、と地を蹴ってヒソカが急接近する。私はそれを避けようと身を沈め───ガクン、と突如あらぬ方向に身体が泳いだ。

 

「ッ!?」

 

 咄嗟に渾身の"凝"を目に施し己の身体を観察する。すると、私の右腕から伸びるオーラの糸が薄らと露わになった。

 間違いない、これは先ほど蹴り飛ばされたときに付着させられた"伸縮自在の愛(バンジーガム)"……!

 

(これだけ目を"凝"らしてようやっと視認できるほどの見事な"隠"!Fu〇k!実力のある変態とかどんな悪夢だ───!)

 

 しかし完全に崩れた体勢を整えるのは容易ではない。ヒソカほどの実力者相手に、それは致命的な隙となる。

 

 ───そして、念で強化されたヒソカの拳が突き刺さった。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 "伸縮自在の愛(バンジーガム)"でバランスを崩した相手を容赦なく殴りつける。これはヒソカ=モロウの基本的な戦法であり、四年前カオルは巧妙な"隠"で隠されたこれを見切れず術中に嵌まり続けていたのだ。そして今もかつての焼き増しのように殴られ吹き飛んだカオルだが、ヒソカの目に失望の色はない。むしろその不気味な笑みをより深めていく。

 

(うーん、相変わらず見事な"流"だ♠惚れ惚れしちゃうね♦)

 

 "流"……"練"や"堅"のオーラ状態から状況に合わせて攻撃部位や防御部位にオーラを移動させるオーラ攻防力移動技術。 念戦闘での攻撃、防御の基本であり奥義である。 極限まで鍛えた術者ともなれば一切相手にオーラの流れを先読みさせず、オーラの移動を穏やかかつ完璧に行うことが可能となるのだ。

 そして、カオルはこの"流"に限っては尋常ならざる技量を誇っている。"練"や"堅"などの技量は平均の域───年齢を考慮すれば十分素晴らしいものだが───を出ないものの、こと"流"の技量ではヒソカですら及ぶものではなかった。

 

 カオルはサンドバッグの如く散々殴られ続け敗北した四年前の戦いを己の完全敗北と思っているようだが、とんでもない。変化系能力者でありながら並みの強化系を凌ぐパワーを有するヒソカに殴られ続けられる(・・・・・・・・)ことがどれほどの異常であるか。

 並の念能力者ならば二、三発も受ければ致命傷となる。対して、カオルが四年前の試合でヒソカから受けた攻撃は都合五十四発。そこまで攻撃を受けておきながら、彼女は結局最後まで意識を失わなかった。敗北となったのは、場外などで多量の失点を重ねていたからに過ぎない。謂わばルール上の勝利であり、ヒソカはこれを勝利とは思っていなかった。

 カオルにこれほどのタフネスをもたらしたのは、他ならぬ非常に高い"流"の技量故である。彼女は正確で速すぎるオーラ移動で以て被攻撃箇所を確実に"硬"で受け続け、遂に一度としてクリーンヒットを受けなかったのである。ヒソカからすれば常に重厚な鋼鉄を殴りつけているような感覚であった。

 そして今も……否、手応えからして確実に四年前より"硬"による防御力が上がっていた。これはオーラの運用が巧みになったのか、それとも保有するオーラ量そのものが増えたのか。どちらにしても素晴らしいことである。ヒソカは隠すことなく歓喜を露わにした。

 

「イイ♣️実にイイよカオル♥それでこそボクが見込んだ───」

 

 そこまで言いかけ、急に真顔に戻ったヒソカは大きく上体を反らした。後に繋がる動きなど考慮しない全力の回避。果たして、ヒソカの顔面擦れ擦れを青い衝撃波が通過していった。

 次いで、周囲一帯の木々の上半分が裁断されて地に落ちていく。後一瞬避けるのが遅れていれば、ヒソカの首も同じ末路を辿っていたことだろう。ヒヤリと首筋を撫でる冷たさにヒソカは思わず勃起した。

 

「……見たことない技だ♠四年前にはなかったものだね♦」

 

「いつまでも無様に転がされ続ける私ではないと心得なさい。伊達に"首狩り"なんて不本意な渾名を頂戴してまで、四年間賞金首を狩りまくっていたわけではなくてよ?」

 

 ガツン、と鋭利な踵が地を抉る。苛立たし気に木立の間から現れたカオルの足……白銀の槍の如き鋼の具足、その刃の踵に青いオーラが宿り仄かに輝いていた。その輝きは、今まさにヒソカを掠めていった青い衝撃波と同質のものである。

 

(恐らく、今のは振り抜いた足の軌跡に沿って飛翔するオーラの刃♣️あの威力、間違いなく放出系の"発"だろう♥)

 

 しかし、もし放出系の"発"だとすると腑に落ちない点がある。何故なら、カオルはほぼ間違いなく具現化系能力者であるはずだからだ。

 カオルの系統を具現化系と判断する根拠は、彼女の最大の特徴である鋼の脚だ。どれだけ念を籠めて殴ろうが傷一つ付かない、曇りなき白銀の鎧。あれほどのものは相当具現化系と相性が良くなければ作り出せないはずである。しかし、放出系は具現化系とは対極に位置する系統。罷り間違っても具現化系の能力者に木々を何本も伐採するようなオーラの刃を飛ばすことなどできないはずなのだ。

 

(彼女は具現化系?それとも放出系?うーん、分からないや♠)

 

 そう内心でおどけつつも、しかしヒソカの中では殆ど結論は出ていた。───ずばり、カオルは具現化系の念能力者である、と。

 

 その確信に至ったのは、先ほどカオルが逃げようとした際に呼び出した青黒い触手の怪物である。あのような奇妙極まりない生物など、「念獣」と呼ばれるエネルギー生物以外では説明できない。そしてこの念獣を作り出せる系統もまた具現化系である。

 

 鋼の脚と触手の念獣。この二つを実現できるカオルは、紛れもなく具現化系能力者であろう。

 

(───素晴らしいッ♦)

 

 分からない。間違いなく具現化系でありながら、放出系でなければ実現できない威力の念刃を放てる理由が分からない。この百戦錬磨の念能力者、押しも押されもせぬ強者であるヒソカにすら分からない───!

 一体どんな秘密があるのか。気になって仕方がない。故に暴く。必ず、必ずやその秘密を解き明かし───そして完膚なきまでに破壊し尽くす。蹂躙し凌辱し尽くし、この強く美しい少女の五体を微塵に引き裂くのだ。その甘美なる妄想だけで絶頂してしまいそうである。

 

 ヒソカの脳裏にある二人の人物の影が過る。一人はある旅団を統べる、既にして完成している強者。そしてもう一人はつい最近出会った、輝かんばかりの将来性を有する未だ発展途上の少年。どちらもヒソカの食指を刺激して止まない魅力的な獲物である。そこにまた新たな少女が加わった。こちらも目移りしてしまいそうなほど美味しそうな果実で困ってしまう。

 嗚呼、素晴らしい(Oh!Majestic!)。何故、斯くも世界はヒソカを魅了する人間に溢れているのだろう。この素晴らしき世界に祝福を、と危うく歪んだ人類愛に目覚めかけたヒソカは恍惚とした笑みを満面に浮かべた。

 

 その生理的嫌悪感を催す笑顔を直視してしまったカオルは、濁った眼で変態(ヒソカ)を睥睨する。

 

「───決めたわ。アナタは今ここで殺してあげる」

 

 鋼に包まれた両足を大きく広げ、胸が地に触れるほど姿勢を低く構える。右手をそっと大地に添え、クラウチングスタートのような体勢でカオルは怨敵を見据えた。

 

「我が踵の名は魔剣ジゼル。誇り高き白鳥のエトワール。

 身も心も、生きていた痕跡さえも溶かし尽くして踏み躙ってあげる───!」

 

 オーラ・魔力全力開放。激烈なる突撃は、まさに是放たれる矢の如し。

 加虐的に、鮮やかに、敵を激流と共に溶かし尽くす。湖上の星、孤高なるプリマドンナが飛翔した。

 

 

 

***

 

 

 

 カオルは四年前の手痛い敗北を契機に、生まれて初めて本気の焦燥を覚えた。即ち、このままではこの世界を生き抜くことは不可能だと。

 

 世界中を見渡しても五指に入るであろう一流の中の一流の念能力者、ジン=フリークスは断言した。現行人類が滅んでいないのはたまたま(・・・・)である、と。

 かつて人類が暗黒大陸より持ち込んだ「五大災厄」を筆頭に、この世界には人類の想像を絶する災いで満ちている。人類を絶滅させ得る亜人型キメラアントですら、暗黒大陸全体から見ればそのほんの一欠片に過ぎないのだ。

 

 翻って、ヒソカ=モロウという紛れもない強者ではあるが只の人間に過ぎない彼に敗北し、無様に逃げ出した己はどうか?果たして、約束された繁栄など存在しない……人類の存続が不確かなこの魔境で、一体いつまで生きていられるのだろうか。

 少なくとも、このままではそう遠くない未来に死に絶えると判断した。あるいはカオルの寿命が尽きるまでの間ぐらいは人類の生存圏は平穏なのかもしれないが、しかしキメラアント編以降の原作知識を持たないカオルに楽観視は許されなかった。……というか、下手をすれば暗黒大陸からの災いの来訪を待たず、ヒソカに殺されてしまうのが先かもしれない。

 

 故に、カオルは早い内に力をつけておく必要があると考えた。可及的速やかに、手遅れにならない内に。

 

 ───そして、カオルは外法に手を染めた。

 

 カオルが有するメルトリリスの能力の一つに、「id-es(イデス)」と呼ばれるアルターエゴにのみ許された特殊能力がある。

 彼女のイデスはスキル「吸収」が進化して生まれた「メルトウイルス」。エナジードレインの最上級であり、ドレイン・コピー・スケールダウンなどを可能としている。特に吸収能力に関しては「オールドレイン」とも呼称され、メルトリリスの代名詞として作中において猛威を振るっていた。

 

 そして賞金首狩りとなったカオルは、「生死問わず」の凶悪な賞金首を見つけてはこれを容赦なく殺し、経験値として吸収していったのだ。彼女が悉く首だけしか持ち帰らなかったのは、そもそも吸収されて身体が残っていなかったからである。

 体内で生成されるウイルスを(どく)として対象に注入し、「魔力」「スキル」「容量」などの略奪する要素を抽出し溶解させる。その後それら液化した情報を吸収し自らの一部とするのだ。こうして百人近い人間を溶かし吸収し続け、膨大な経験値を獲得したカオルは四年前と比較し格段に強くなった。もはや"絶"の状態ですら並の念能力者の"纏"に相当する肉体強度を得ているのだ。

 

 ……故に、どう言い繕ってもカオルは大量殺人者である。しかしこれだけ屍を積み重ねても、そもそも最初に凶悪犯とはいえ人を殺めたときですら、彼女の内に罪悪感などは浮かばなかった。まるで、既に誰かを殺したことがあるかのように(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)、「今更である」という感慨しか浮かばなかったのだ。それが奇妙といえば奇妙であった。

 

 とまれ、こうして着々と力をつけてきたカオルの潜在オーラ量はもはや常人の比ではない。ヒソカと比べても一回り以上多いオーラ量を以てすれば、"秘密の花園(シークレット・ガーデン)"のオーラ消費も苦ではなく───加えて、新たな"発"を作ることすら容易いことであった。

 

 

 

***

 

 

 

幻想舞踏(クライムバレエ)

 

 ・操作系能力

 術者が記憶しているメルトリリスの動きを正確に再現し反映する。鋼の脚を活用した最適な戦闘法、イデスを始めとする特殊能力の全てを十全に発揮できる。

 

〈制約〉

 ・"秘密の花園(シークレット・ガーデン)"使用中は発動できない。

 

〈誓約〉

 ・"幻想舞踏(クライムバレエ)"の補助なしに自身の性能を完全に発揮できるほどマスターしたとき、この"発"は失われる。その際、この"幻想舞踏(クライムバレエ)"が占有していた"容量(メモリ)"は戻ってこず、永遠に失われる。

 

 

 普通の人間には存在しない鋼の脚。当然生身の足と同じ感覚では扱えず、前世を普通の人間として生きてきたカオルがこれを十全に扱えるようになるには相応の修練と時間を要する。しかしそれを待つことすらもどかしかったカオルは、補助輪となる"発"を作ることを思いついたのだ。オールドレインにより"容量(メモリ)"すら他者から簒奪できる彼女ならではの荒業、贅沢な"発"の使い方である。

 記憶の中では、黒衣の少女が踊るように軽快に、そして刃物のように鋭く敵を穿つ。その動きを記憶のままに己が肉体に落とし込み、寸分の狂いなく反映させる。もはや道化師の軽業に翻弄されるだけの少女はいない。今度は、道化師こそが孤高なりしプリマの舞いに翻弄される番である。

 

王子を誘う魔のオディール(Devil Odile seducing the prince)!」

 

 突如その身から発された莫大量のオーラに面食らったヒソカに、容赦なく鋼の連撃が襲い掛かる。目にも留まらぬ速さで舞い踊る踵が四方八方からヒソカの総身を引き裂いた。

 

「……ッ!」

 

「ブリゼ・エトワール!」

 

 締めの跳躍(フェッテ)、そして青い残光を引いて振るわれる爪先が"堅"で全身の防御を固めるヒソカの胸を切り裂いた。

 堪らず吹き飛ばされるヒソカ。それを追わず華麗に着地したカオルはしかし、不満も露わに舌打ちした。

 

「相変わらず器用なことね。不意を打った上に魔力も乗せて全身切り裂いてあげたのに、致命傷一つ負わないなんて」

 

 すぐさま立ち上がったヒソカは全身に裂傷を負い血を流している。軽傷とは言い難いほどの流血だが、どれも重傷には程遠い。"堅"の防御の上にゴム状に変化させたオーラを重ねることで、一時的により強靭な防御力を獲得したのだ。

 

「ビックリした♥動きが見違えるほど良くなっているし、足の鋭さも前以上だ♠」

 

「まだまだこんなものじゃないわ。私はアナタ程度で足踏みしているわけにはいかないのよ」

 

 木々を伝って跳躍し、カオルが虚空に躍り出る。その一挙手一投足悉くが視認が困難なほど素早く、ヒソカはみすみす頭上を取られてしまう。

 しかしヒソカに焦りはない。たった今連続蹴りを食らった際、"伸縮自在の愛(バンジーガム)"を付着させることに成功したのだ。

 

 だが───

 

許されぬヒラリオン(Hilarion's not allowed)!」

 

 そう叫んだ瞬間、カオルに張り付けていたオーラが根こそぎ吸収された。それだけではない。念糸で繋がっていたヒソカの顕在オーラにすら吸収の魔の手が及び、ヒソカは慌てて"伸縮自在の愛(バンジーガム)"を解除する羽目になる。

 

「お馬鹿さん!私が何度も同じ手を食らうとでも!?」

 

 四年前は同じ手を食らい続けていたわけだが、それを自覚しているからかどこかヤケクソ気味に叫ぶカオル。しかしヒソカとしては厄介なことこの上ない。まさか念糸を切断されるのではなく、オーラごと吸収されるとは思わなかった。

 

踵の名は魔剣ジゼル(The name of the heel is Magic Sword Giselle)!」

 

 空中で回転するように振り抜かれる鋼の踵。それが1(アン)2(ドゥ)。十文字を描いて飛来する断頭の蒼刃を、ヒソカは木に張り付けた念糸の伸縮を利用した高速移動で避ける。

 ズズン、と重々しい音を立てて大地に十字の断層が刻まれる。凄まじい威力だ。仮に完璧な"硬"の防御で受けたとしても致命傷は免れないだろう。

 

「凄いッ!スゴイよカオルッ♦四年前とは大違いじゃないかッ♣️」

 

「余裕ぶって!いつまでその減らず口が続けられるかしら!」

 

 着地と同時に地上を滑るように移動しヒソカを猛追する。その一連の動作に淀みはなく、まるで流水のような滑らかな加速で追い縋った。

 

「踊れ踊れアルブレヒト!芥のように砕け散りなさい!」

 

 "練"から"硬"へ、一瞬で全オーラが爪先へと集う。その流れるようなオーラ移動に遅滞なく、「流れるもの」を司る女神サラスヴァティ―の神核を有するカオルにとって、攻防力移動の極意たる"流"は最も得意とする技であった。

 ミサイルのように飛来したカオルの蹴撃を、ヒソカは肩を掠めながらも回避する。代わりに激突した大木が木っ端微塵に爆散した。

 

「残念、外れ♥」

 

「いいえ、大当たりよ」

 

 煽るように笑うヒソカに、カオルもまた嘲るように嗤う。その手にはいつの間に召喚したのか、禍々しい魔力を充填した「螺湮城教本(プレラーティーズ・スペルブック)」が握られていた。

 

 いつの間に取り出したのか。あれも念の具現化か。いや、そもそもあの自分に引けを取らない不気味なオーラは一体───一瞬の内に幾つもの思考を巡らせるヒソカに見せつけるように、カオルは高らかに魔導書を掲げた。

 

「Ph'nglui mglw'nafh───水底より揺らぎ出でよ!」

 

 足元から立ち昇る暗黒のオーラ。ハッと振り返ったヒソカの視線の先では、先刻軽々と弾き飛ばした二体の海魔が蠢いていた。

 

(これはさっきの念獣!そういえば邪魔だったから投げ捨てといただけで、完全には仕留めていなかったね♠)

 

 カオルの目的は、ようやく追いついてきた海魔のいるまさにこの場所にヒソカを追い込むこと。海魔が蠕動し、その身を食い破って更に大きな海魔が現れる。自らの血肉を生贄に、本来のサイズの海魔を召喚させたのだ。

 

「捕らえなさい!」

 

 全力の回避で体勢を崩したヒソカに打つ手はない。ミニ海魔とは比べるべくもなく強靭な触手がヒソカの四肢を縛り上げた。かなりのパワーであるが振り解こうと思えばできなくはない。が、その隙があればカオルは十度ヒソカを殺せるだろう。つまりは詰み(チェックメイト)であった。

 

「さあトドメよ!臓腑を灼く───」

 

 足を折り曲げ、突き出した膝の棘で怨敵を貫かんと加速し───

 

 

 ───ふと、目を丸くして木陰からこちらを覗くゴンと目が合った。

 

 

「!?」

 

 戦いに夢中で忘れていた。ゴンのターゲットは44番の番号札……即ちヒソカのプレートなのだから、ヒソカと戦っていればこうしてカオルとも鉢合わせてしまうのは当たり前だった。それにこれだけ派手に戦闘を繰り広げていれば、それは場所の特定も容易かろう。

 

「っ、口惜しいけど、この戦いは預けたわよ!」

 

「あらら、残念♠また遊ぼうね、カオル♦」

 

 ふざけんなブチ殺がすぞこの変態、という罵声を呑み込み、ニヤニヤと笑うヒソカを置いてカオルは"隠"で気配を消しその場を去った。これ以上この場で念による戦闘を続けるわけにはいかない。少なくとも、ゴンが念を知るのは現段階では些か以上に早すぎるのだ。

 

 ……ついでに、海魔も残しておくわけにはいかない。カオルは魔導書から繋がる魔力線(パス)を意図的に暴走させ、海魔を爆散させた。磯臭さと腐臭に満ちた血煙に包まれたヒソカの悲鳴を耳にし、カオルは「ざまぁ」と暗い笑みを零すのだった。

 

 




 さて、ヒソカのキャラはちゃんとそれっぽく描写できたでしょうか。単純なようでいて意外と複雑(というか面倒)な性格の変態、ヒソカさんとお送りした第二話でした。

 また、多くの方に感想・評価を頂きました。この場を借りて感謝申し上げます。


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蝶は羽ばたき、白鳥が吹き飛ばされる第三話

 
 自分以外の中で、一番注目しているのは?

 ───やっぱり412番かしら。あのピエロと同意見というのは癪だけど、あの子の才能は目を見張るものがあるわね。何事にも怖じることなく飛び込む挑戦心は、今期の誰よりハンターらしいと思うわ。

 では、今一番戦いたくないのは?

 ───44番。当たり前でしょう?叶うなら二度と顔を合わせたくないものね。

 では最後に。

「お前さん、自分が生まれたときのことを覚えておるかね?」

「……いいえ。生憎だけど、私は流星街の出身なの。気づいたときにはゴミ山の上だったわ」


 以上がアイザック=ネテロ会長による、382番の受験者に対して行われた個人面談の会話の記録である。



 

 ハッ、ハッ、ハッ、と浅く乱れた呼吸が反響する。打ち捨てられた工場跡を駆けるその男は、恐怖に引き攣った表情で何かから逃げていた。

 

 ずる…………ずる…………

 

 ハッ、ハッ、ハッ、と犬のようにだらしなく舌を垂らし、必死になって酸素を求める。それでも足は止めない。

 

 ずる…………ずちゅり。ずるる…………

 

 木霊する湿った水音。充満する磯の香り。耳鳴りは静かな深海の中にいるかのようで、煩いぐらいに鼓動を打つ己の心臓の音だけが、今や男が生きている実感を得られる唯一の(よすが)だった。

 

 ぐちゃり。

 

 端的に言って、生きた心地がしない。

 

「ヒッ……ひああああああああああああ!!」

 

 恐怖に耐えかね悲鳴を上げる。逃走中に声を上げるなど自分の位置を教えているようなものだが、しかしかれこれ一時間以上逃げ続けていながら振り切れないのだ。完全に姿を捉えられていると見て間違いないだろう。

 しかも、走っても走っても出口に辿り着けない。そんなに広いはずがないのに、男は同じような道をずっと走り続けている。もはや自分がどこにいるかも分からず、左右どころか、遂には上下の境すら曖昧となってきた。

 

(何故!何故!何故だ!?何故これだけ走って逃げられない!?何故俺はこんな目に遭っているんだ!?)

 

 厳つい顔を泣きそうなほどに歪め、男は何度目になるかも分からないその問いを反芻する。

 

 しかし何故こんな目に遭っているのかと問われれば、それはこの男が指名手配中の連続殺人鬼だからに他ならない。

 

 男は既に十年以上も前から快楽殺人を繰り返し、計百人以上もの一般市民を惨たらしく殺している。そしてそれだけの罪を重ねていながら一度も逮捕されていないのは、この男の尋常ならざる健脚にあった。

 男は並のプロハンターなど鼻で笑うようなタフネスを誇り、車と同等以上のスピードで三日三晩走り続けることができた。ある時など態と警察署の前で通り魔事件を起こしてやり、追い縋るパトカーを散々煽った末にまんまと逃げ果せたりしたのだから凄まじい。

 

 アマチュアの自称ハンターでは手に余る。故に、とうとう男の前に本物のプロハンターが現れたのだ。

 

『アナタが"韋駄天"とか呼ばれている連続殺人犯のカイドウね?私は賞金首ハンターのカオル。まあ新人だけど』

 

 ───足の速さが自慢なのでしょう?なら逃げ切ってご覧なさいな。

 

 そう告げる少女の酷薄な眼差しに、男は久しく忘れていた危機感を思い出した。故に本気で逃走し、より確実に撒くために工場跡に逃げ込んだりもしたのだ。

 そしてその結果が今である。男は工場跡から出ることすらできなくなり、しかも少女が嗾けたと思しき怪物に追われている。

 

「ひッ、」

 

 ガッ、と何かに躓いたのかバランスを崩して倒れる。慌てて立ち上がろうとするも、何故か足が動かない。まるでなにか縄のようなもので縛り上げられているかのような感触に、男は恐る恐る足元に目を向けた。

 

 そこにいたのは、汚らしい粘液を滴らせる触手で己の足にしがみつく青黒い怪物だった。

 

「Gyiii……Gyiiiiii───!」

 

「あああああああああああ!?」

 

 それは常識という境界の外側、悪夢からの使者という他なかった。漂う潮の匂いと腐乱した肉の悪臭は、この悍ましき怪物が海を由来とする魔物であることを如実に主張している。

 しかし、男はこんな怪物を知らない。こんな、斯くの如く人の正気を揺さぶる悪夢の如き生き物がこの世にいるのだという恐ろしい事実に、男は絶叫と共に恐怖と絶望の感情を露わにする。

 

「───Ia,Ia……うふふふふ。鬼ごっこはもう終わり、ということで良いのかしら?」

 

「ヒィッ!?」

 

 カツン、と鋼のヒールがコンクリートの床を打つ。顔面蒼白で震える男の前に、暗闇から滲み出るようにして一人の少女が現れた。

 暗黒の夜空を切り取ったような黒髪が(おどろ)に揺らめく。深海の淵を映す蒼眼が男を射貫き、白銀の月影を思わせる具足が冷たい輝きを放っていた。

 

 賞金首ハンター、カオル=フジワラ。またの名を、"首狩り"のカオル。男にとっての死神が、暗澹たる深淵の底から死を告げにきたのだ。

 

 気づけば、周囲悉くを怪物に囲まれていた。いま男を捕らえる触手の怪物もいれば、目のない蛇のような魔物が蠢いている。更に魚と人間を足して二で割り、そこに神の悪意を付け足したかのような悪魔の如き怪異が群れを成して包囲の隙間を埋めていた。

 

「あ、あ、ああああ……」

 

 細く鋭敏に尖っていた男の神経に無遠慮に爪を立てるが如く、狂気の光景が剥き出しの脳髄に突き刺さる。怖くて見たくないのに、目を逸らすことすら許されない。ガタガタと子供のように震える男に、もはや連続殺人鬼としての矜恃や威圧感など微塵も残ってはいなかった。

 

「さて、どうしてくれようかしら。殺すのは確定だけど、ただ殺すだけじゃ面白くないものねぇ?」

 

「そ、そんな!じ、自首する!だから殺すのだけは……!」

 

 それに、この状況でまともな死など望むべくもない。きっとこの名状し難き怪物たちに食い尽くされて骨も残らないに違いないのだ。

 

(い、いやだ。そんな目に遭うくらいなら、いっそ刺し違えてでも……)

 

 そう思って懐からナイフを取り出す。今まで多くの人の命を理不尽に奪ってきた刃が煌めき───

 

 ぐしゃり、と鋭利な踵がナイフを踏み砕いた。

 

「あら、冗談よ。私に加虐趣味はないわ。殺すときは一瞬で、痛みも苦しみもなく逝かせてあげる」

 

 絶対嘘だ。男は確信する。加虐趣味などないと言うが、この少女は生粋のサディストだ。でなければ、無様に狼狽える男を見てこんなにも晴れやかな笑顔を浮かべるわけがないのだから。

 

「な、何故だ!自首すると言ってるだろう!?何で頑なに殺そうとする!?」

 

「それ、命乞いのつもり?残念だけど、私はアナタの身体にしか興味がないの。首から上は要らないから、頭だけ残して依頼者に差し出すわ」

 

 更に触手が伸び、男の手足を強く縛める。ピクリとも動けなくなった男の首に、刃物のような爪先が添えられた。剃刀よりも鋭利な刃だ。軽く触れただけにもかかわらず、首の皮が裂け血が滲み出る。

 

「い、いやだ!死にたくない!死にたくないッ!」

 

「アナタに殺された人たちも同じことを考えたでしょうね。因果は巡るものよ。十年の時を経て、ようやくアナタの番が回ってきただけ」

 

 だから安心して、未練なく死になさい───

 

 その言葉を最後に断頭の刃が振るわれる。回転する視界の中、男は海の音を聞いた。

 

 

 

───Ph’nglui mglw’nafh Cthulhu R’lyeh wgah’nagl fhtagn───

 

 

 ぶくぶくと泡の音が耳朶を打つ。深海の底に沈むように、ゆっくりと男の意識は遠ざかっていった。

 

 

 

***

 

 

 

 キン、と甲高い音を奏でて床を叩く。鋭利な踵はそれだけで血を振るい落とし、元の曇りなき刃先を取り戻した。

 

「ハァ……」

 

 先程までの高圧的な態度から一転、カオルは憂鬱な表情でため息をつく。メルトウイルスによってブルーの粘液へと形を崩していく元連続殺人犯の身体を眺めつつ、思い起こすのは数ヶ月前の……ゼビル島での一幕。

 

『また遊ぼうね、カオル♦』

 

 ビキィッ、と足元のコンクリートに罅が走る。カオルの怒りに呼応し、放出されるオーラがビシビシと罅を広げていった。

 

「あんのド変態ピエロが……」

 

 地の底から響くようなドスの利いた声。返す返すも口惜しい。あのときヒソカを殺し切れなかったことを、カオルは未だに悔やんでいたのだ。

 

 カオルが思うに、あそこまで順調にヒソカを追い詰めることができたのは、あらゆる攻撃が初見だったあの時あの状況をおいて他にない。次に相対するとき、同じ技は二度通じないだろうと見て間違いなかった。

 巫山戯た言動やゴンに対する態度を見ているとつい忘れそうになるが、ヒソカという男はこの上なく狡猾で残忍で、そして尋常ならざる実力の持ち主だ。ドレインを繰り返して肉体を強化したカオルといえど、こと念の技量や戦闘経験でヒソカに勝てるとは思っていなかった。単純なカタログスペックでは測れない実力を持った変態なのだ、彼は。

 だからこそ、尚更あのとき殺し切れなかったことが悔やまれるのだが。また戦っても負けはしないだろうが、しかし容易に勝てると思えるほど楽観できなかった。

 ささくれ立った心はどんどん暗い方へと思考を傾けていく。

 

 ───海魔のいる場所へ誘導したつもりでいたが、そもそも自分の方がゴンのいる場所へと誘導されていたのではないか。ヒソカの"円"の範囲は知らないがあの陰険なピエロのことだ、十分ありえる。

 ───そもそも止めを刺すつもりでいたが、ヒソカがそう簡単にやられるタマだろうか。自分が気づかなかっただけで、実はあの状況を覆す奥の手の一つや二つ持っていたのではないか。抜け目ないあのピエロのことだ、十分ありえる。

 

「……チッ」

 

 もはや被害妄想にも等しい無駄な思考を打ち切り、カオルは完全に溶けた元連続殺人犯に鋼の脚を突き刺しあらゆる情報を経験値として吸収する。肉片一つに血の一滴、選り好みせずに総てを溶かし吸い尽くしても……残念ながら、今のカオルにとっては微々たるものでしかない。レベルを上げすぎると、街の外のスライム程度では中々成長しないのと同じ現象だった。

 

「そろそろ普通の人間相手じゃ打ち止めかしらね……」

 

 しかし、念を扱えるような危険度の高い賞金首は確実性を重視して経歴の長いプロハンターに優先して回される。ライセンスを取得したばかりのカオルが受けられるのは、精々がB級の賞金首依頼だ。

 

 世知辛いものだ。はぁ、と再びため息を零して隣を見やる。そこには、戯れに呼び出した海の神話生物たちが狂乱の宴を催している光景があった。

 硝子を引っ掻くような甲高い叫び声。ボコボコと泡が弾けるような不快な呻き声。狂喜に身を震わせ、深淵の眷属どもは今し方肉体から離れていった魂を捕食している。一つの魂を力任せに引き裂いて腑分けし、各々に分配しては正気を削る奇声を上げて食らいついた。憐れな殺人犯の魂は、さて。ただ眷属たちの腹に収まって消滅するだけなのか、はたまた深淵で微睡む異界の神の御許に送られるのか。どちらにしても碌な末路ではないだろう。犠牲者たちの魂も浮かばれるというものだ。

 

 ───いやいや、何を考えてるんだ私。そんな不謹慎な……そもそも人のことを言える立場でもないのに。

 

 忘れてはならない。どのような大義名分があろうと、カオルもまた既にして大量殺人者であるのだ。

 

 どうも先ほどからネガティブ思考から抜け出せない。悪趣味なのを承知で賞金首を追い回し、恐怖を煽る言動で憂さを晴らそうとしたが気が晴れない。というかこいつらの瘴気が原因なんじゃねぇの、とようやく気付いたカオルは魔力供給を断ち切って眷属たちを返還(リリース)した。

 

「はぁ……」

 

 三度ため息が漏れる。もうさっさと帰って自棄酒呷って寝よう、とカオルは工場跡を後にした。

 日は完全に落ち、星々を映す夜空は鮮やかなダークブルーに染まっている。吹き抜ける風は心地よく、それだけで後ろ向きだった思考が晴れていくような感覚さえする。

 

「……いえ、潮の匂いが落ちただけね」

 

 やはり酒だ、酒。ライセンスがあれば未成年でも酒が買える。というか「こう見えて成人です」というあからさまな嘘ですら信じてもらえるようになる、が正しい。

 

 ───Piririririri……

 

 ライセンスの力ってスゲー、という思いを再確認していると、カオルの携帯電話が着信を告げる。今まで連絡先を交換し合うような相手がいなかったので、相手は非常に限られる。一体誰だろうか。

 

「ゴン……は携帯を持っていなかったわね。ならキルアかクラピカかレオリオか……」

 

 つまり、三次試験で知り合ったあの三人しかいない。圧倒的な交友関係の狭さである。

 携帯を開いて画面を見る。そこに表示されていたのは、「キルア・ゾルディック」という名前だった。

 

 

 

***

 

 

 

「お願い、カオル!オレを強くしてほしいんだ!」

 

 そう言ってゴンは勢いよく頭を下げる。しかし、正直私は混乱するばかりだった。昨晩キルアに電話で会えないかどうかを聞かれたので了承したのだが、指定された待ち合わせ場所に着くやキルアと一緒に現れたゴンにこうして頭を下げられている。

 唐突すぎてよく分からない。一体どういうことだろうか。

 

「(なあ、やっぱり止めようぜゴン。コイツあのヒソカと知り合いなんだろ?絶対ヤベー奴だって!)」

 

「(でも、ヒソカをあと一歩ってところまで追い詰めていたんだ。カオルならきっと頼りになるよ!)」

 

「(なおヤベーじゃねーか!)」

 

 ……ああ、なるほど。その会話でだいたい理解した。やはりヒソカと戦っていたあの場面はバッチリ見られていたというわけだ。

 思えば、今のゴンはククルーマウンテンでキルアと再会し、打倒ヒソカを誓って力をつけようとしている時期。ならば、ゴンから見てヒソカ級の実力者だと思しき私を頼ろうとするのは不自然ではない。故に携帯を持っているキルアに頼んで連絡を寄こしたのだろう。

 

「お願い!オレ、絶対ヒソカより強くなりたいんだ!」

 

「……オレからも頼む。正直あんたは不気味だけど、力が欲しいって思ってるのはオレも同じなんだ」

 

 再びゴンが深々と頭を下げ、キルアもまた渋々ながら(少し)頭を下げて頼み込んでくる。さて、どうしたものか。

 正直、力になってやりたいとは思う。ゴンは素直ないい子で見ていて好感が持てるし、キルアも素直ではないが根は善良な少年だ。それに、キルアには最終試験で見捨てたという負い目もある。結末を知っていながら、ゾルディック家怖さに兄イルミの洗脳で苦しむ彼に対して碌に何もしてやれなかったのだ。十一歳の少年が恐怖に顔を歪める様はあまりに痛々しくて直視に耐えず、少しだけ手を出したが……そんなもの何の慰めにもなりはしない。

 

 しかし───

 

「うーん……」

 

「や、やっぱりダメ?」

 

「いえ、そうじゃないのだけど……」

 

 そういう心情に関係なく。現実的な問題として、私には「他者を教えた経験」がないのである。

 

 念能力とは繊細な技術だ。誤った指導の元に使えば最悪命を落とす危険性もある。いくら原作知識として念のいろはを諳んじることすらできるといっても、「知識がある」のと「知識と技術を伝授する」のでは全く異なるのだ。誰かに教えてもらったことのない私では少々手に余る。

 この輝かんばかりの才能を有する金の卵を育成するには、私では圧倒的に経験不足だった。

 

「……残念だけど、私には荷が勝ちすぎる話だわ。私は完全な独学で力をつけたから、誰かを教えたことがないのよ」

 

「うーん、そっか……」

 

 うっ、ゴンがしょぼんと落ち込んでいる。こんな純真な少年を落ち込ませるとか、罪悪感が半端ではないのだが。

 

「(独学でヒソカ級に強くなるとか、この女化け物かよ……)」

 

 しかし、私が役に立たないからとてこの二人の未来が閉ざされたわけではない。ここは流れに身を任せ(原作に則り)、素直に相応しき人物の元に師事させるのだ。

 

「私は力になれないけれど、二人が師事するに値する実力者に心当たりがあるわ。良ければ案内してあげましょうか?」

 

 向かうは「格闘のメッカ」、「野蛮人の聖地」───天空闘技場である。

 

 

 

***

 

 

 

 「心源流」という、極東の島国ジャポンより発祥した拳法を起源とする一つの流派がある。ジャポンそのものはそこまで知名度のある国ではないが、しかしプロハンターの中でこの心源流を知らぬ者はいない。何故ならこれは最強の呼び声も高いハンター協会会長アイザック=ネテロが創設したとされる流派で、「この世で最も多くの門下生を有する」拳法として一般にも広く膾炙しているのだ。

 

 これからゴンと共に紹介される予定のプロハンターも、この心源流を修めている師範代であるらしい。キルアは天空闘技場へと向かう飛行船の中で、まだ見ぬその人物に思いを馳せる。

 

(心源流、ねぇ……そりゃあオレだって知ってるけど、そんなに凄い流派なのかよ。このヒソカとやりあえる実力の女が言うほどのものなのか?)

 

 キルアは頬杖をつきながら、じっと向かいの席に座る少女を観察する。年は十代後半程度。腰まで届く黒髪に青い瞳。華奢な体躯は頼りなく、パッと見そんな強者であるとは思えない。少なくとも、常に気味の悪い気配を垂れ流しにしていたヒソカと比べれば一般人にしか見えないというのが正直なところであった。

 だからこそ不気味なのだ。こんな手弱女が、あの道化師と同等であると……ゾルディックの寵児であるキルアですら実力を見抜けないという事実が、暗殺者として育てられたキルアには殊の外気味悪く感じてしまう。

 

 このカオル=フジワラという少女と出会ったのは、ハンター試験の三次試験でのことだ。トリックタワーというふざけた名前の塔を降る試験にて、親友のゴン、友人のクラピカ、何かついてきたレオリオと同じ部屋に落ちた後、しばらくして加わったのがこの少女。つまりは偶然の出会いであった。

 一次・二次試験を生き残ったのだからある程度の実力はあるのだろうが、しかし最初の印象は「こいつ足手まといにならないだろうな?」だったのは記憶に新しい。それだけ普通の少女にしか見えなかったのだ。

 

 その印象が覆ったのは、無期懲役の重罪人たちと戦う試練の場でのことだ。実力を疑問視されているのだと自覚していたのか、カオルは一番槍として名乗りを上げ、リングに立ったのである。

 そして、フェミニストぶって───今にして思えば本気で心配していたのだろうが───引き留めようとするレオリオを尻目に、カオルは蹴りの一発で屈強な大男を昏倒させたのだ。顎への鋭い一閃、いとも容易く脳震盪を引き起こし、ものの数秒で自陣に凱旋したのである。

 

 その鋭い蹴りを見て、キルアは少なくない戦慄を覚えた。見えなかったのである。技の起こりを視認できず、気づいたら既に敵は倒れていた。このとき、この少女は意図して実力を隠していたのだとようやくキルアは気づけたのだ。

 未だ一流とは言い難いものの、しかしそうあれと暗殺者として訓練を受け育ってきたキルアの動体視力をして見えない。そして隠していたと見抜けない。これは異常なことだ。やもすると、ネテロ会長とのゲームでも垣間見た隔絶した「何か」を感じ取ったのかもしれない。キルアは本能に近い部分でカオルに対して苦手意識を抱いた。

 

 このとき感じていた違和感が確信に変わったのは、四次試験を終えてゴンから話を聞いたときだ。───まさか、あのヒソカを追い詰めるほどの実力者だとは思ってもみなかった。

 

(間違いない。カオルは……この女は兄貴と同類だ)

 

 即ち、底知れぬ実力を隠した逸脱者。あからさまに強そうな見た目と雰囲気であればまだいいが、こうして巧妙に力を隠して近寄ってくる者はキルアにとっては天敵だと言えた。不気味なことこの上ない。

 故にもう決してカオルには近づくまいと……そう思っていたのだ。

 

『お前に友達なんてできないよ、キルア』

 

 唐突に目の前に現れた実の兄。キルアにとっての恐怖の象徴───イルミ=ゾルディックの登場によって錯乱し、その後191番の受験者ボドロを不意打ちで殺そうとした己を止めてくれたのが、他ならぬカオルであったのだ。

 「何もできなくてごめんなさいね」と言っていたが、とんでもない。あのとき一線を越えて外道に手を出そうとした己を止めてくれなければ、きっとキルアは掛け替えのない親友を裏切ったような気になり立ち直れなかったはずだ。結局、その場は自ら試験そのものを降りることで事なきを得た。

 

 故にキルアにとって、カオルという少女は底知れぬ不気味な人間で……そして恩人である。近寄りがたく感じるのは今も変わらないが、しかしそれでも悪感情は抱いていない。だから今回もゴンの力になろうと一緒になって頭を下げたのだ。……期待していた答えは貰えなかったが。

 

(ふん、まあいいさ。こいつも「協力は惜しまない」って言っていたし、精々利用してすぐに強くなってやるさ)

 

 キルアは己より強い者を見ると、何故か異様なほど恐怖を覚えてしまう。だが、目の前の少女を怖くないと思えるほど自分が強くなれば……そのときは、面と向かって礼の一つでも言ってやるか、とキルアは考えていた。

 

 そして、キルアたち三人は天空闘技場に辿り着く。ここで鍛え実力を磨き、更なる高みへと至るのだと気合を入れ───逃れられぬ絶望と出会った。

 

 

 

「やあ♥また会ったね♠」

 

 

 

 何でこんなに早くエンカウントするんだ、と絶叫したカオルが頭を抱えて頽れた。同感である。キルアは早くもこの先の展開に不安を覚え始めていた。

 

 




 知らなかったのか?ピエロからは逃げられない。

 ※タイトル意訳:バタフライエフェクト、カオルは死ぬ。


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白鳥、必死の説得。師を求めて来たるは天空闘技場の第四話

 
「仮称・寄生生物α、推定危険度B……ですか」

『左様、ワシが面談したところただの娘っ子にしか見えんかったが。生まれたときのことも覚えておらんかったようじゃし。しかしあの映像を見てしまうとのう』

「十二年ほど前にジャポンで起きた事件。突如一般女性の腹を突き破って現れたという、海生生物のような何かと、足を金属で覆った赤子の話ですね。私も少しですが耳にしました」

『うむ。あれ以降同じような事件は聞かぬし、感染するようなものでもないのかもしれぬ。が、もし大陸から来た新たな災厄だとすると捨て置けん、という意見も当時はあってな。結局見つからなかったわけじゃが』

「それと関係がある、あるいはそれそのものと思しき少女が第287期のハンター試験に現れたというわけですか。名前はカオル=フジワラ、でしたか?」

『うむ。監視員によると、謎の海生生物と金属の足も確認できたと。まあ、ワシとしては生まれながらに"発"に目覚めていた只の鬼才の持ち主であろうとは思うのじゃがな。歴史を紐解けば、そういう例はないではない』

「杞憂であれば良いですが……ともあれ承りました。私はそのカオル嬢が本当に人間であるか否かを調べればよろしいのですね?」

『無理はせず、ちょっと探りを入れるだけで良いがの。頼めるか、ウイングよ』

「他ならぬ貴方の頼みです。喜んで承りますよ───アイザック=ネテロ会長」



「……さて、新たなルーキーの裏試験に正体不明の少女の調査ですか。愛弟子のこともありますし、少々忙しくなりそうです」




 

 天空闘技場一階のロビーが一触即発の空気に包まれる。しかし警戒感に駆られ気を立てているのはゴンとキルア、そして私だけで───突如現れた道化師の如き男、ヒソカはニヤニヤといつもの笑みを浮かべるだけだった。

 

「そう警戒しなくてもいいじゃないか♥ただ挨拶に来ただけだろう♠」

 

「どの口が言うのかしらね……顔に書いてあるわよ。先回りしていました、ってね」

 

「あら♦バレちゃった♣️」

 

 おどけるように肩を竦めるヒソカ。その仕草にイラっとするも、何とか怒りを抑える。もし挑発に乗って"纏"が乱れ、"秘密の花園(シークレット・ガーデン)"が解けてしまったら目も当てられない。

 

「ここに来るなんて誰にも言わなかったはずなのに、何でヒソカが……」

 

「覚えておくといい、電脳ページをちょっと悪用すれば個人の飛行船利用履歴ぐらい簡単に調べられるのさ♥」

 

 慄いたように声を震わせるキルアに、ヒソカはニヤニヤと嘯く。

 

 世界中に張り巡らされたネットワーク、「電脳ページ」。私の前世でいうところのGoo〇leのようなものだが、それと比較するとあからさまなまでに個人情報管理がガバガバなのが特徴だ。一方でプロハンターのみが入れる「狩人の酒場」などのサイトは情報管理がしっかりしているのだが、それ以外だと少し心得があればこうして簡単に悪用できてしまうのが実情であった。

 

 しかし、私たちの渡航履歴を調べてからここに来たのであれば先回りされるはずがない。原作でもゴンたちが闘技場攻略を始めてから数週間後にようやく現れていたはずなので、まだいないだろうと高を括ってここに来たのだが……まさか、こんな相違点が発生するとは。

 

「怖い顔して、嫌われちゃったかな♠」

 

 むしろ何故嫌われていないと思っていたのか。

 

「でも安心するといい♦今回のボクのターゲットはカオル、キミじゃない♣️」

 

 おや、と肩透かしを食らう私を押しのけ、ゴンが前に出る。その横顔には決意が滲んでいた。

 

「四次試験での借りを返しに来たぞ、ヒソカ!」

 

 ゴンは常の穏やかそうな表情をかなぐり捨て、柳眉を吊り上げ気炎を上げる。その闘志は鮮烈でありながら純粋そのもので、金剛石の如く強靭な眼光がただ真っ直ぐにヒソカを射抜いていた。

 ……ヒソカが気に入るはずだ。こういう()()()()のある獲物は奴の大好物だろう。

 

「うーんイイね♥相変わらずの純粋なオーラ♠でも……」

 

 ぞわりと身の毛のよだつ邪悪なオーラを一瞬漏らすものの、すぐに常態に戻ったヒソカはクルリとこちらに背を向けた。

 

「まだボクと戦うにはあらゆるものが不足している♦200階まで到達出来たら挑戦を考えてあげよう♣️なに、カオルがいるならすぐに強くなれるさ♥」

 

 そう告げてヒソカは去っていった。よもや本当に挨拶に来ただけだったとは……。

 

 ふと、ゴンが力強い眼差しで私を見上げている。未だ垂れ流しの状態ながら、滲み出るオーラは彼の気炎に同調して充溢し、清澄な輝きを放っていた。

 

「オレ、頑張るよ!だからカオルにも協力してほしいんだ!」

 

 見ればキルアも覚悟を固めた様子でこちらを見ている。無論、私もそのつもりだ。教えを授けるのは私ではないが、しかしできることは多々あろう。事ここに至り協力を惜しむつもりはなかった。

 

「なら、まずは200階に到達できる実力を示すことね。これは最低基準、全てはそれからよ」

 

「うん!」

 

「おう」

 

 力強く頷く二人の少年。未だ未熟な二人なれど、しかし才能の片鱗は既にして手に取るように感じられる。彼らはすぐに強くなるだろう。その一助となれるのであれば幸いだ。

 

 

 ……ヒソカと鉢合わせないよう、当初はウイングに二人を預けたらさっさと帰ろうと思っていたことは秘密である。

 

 

 

***

 

 

 

 天空闘技場にて求められるのは、リング上で発揮される純粋な腕力と戦闘技術、ただそれのみ。あらゆる過酷な状況下に対応できるような応用力が求められるハンター試験とは異なり、ここに複雑なものは何一つとしてない。

 

 苦境を切り開く奇抜な発想力など不要。小難しい仕掛けからなる罠など皆無。野生を生き抜く生存力など求められぬ。ただ眼前の敵を打ち砕く殺人技巧、鍛えた我が身一つで以て階層を踏破するのだ。

 

「クリティカルヒット&ダウン!勝者、ゴン!」

 

「クリティカルヒット&ダウン!勝者、キルア!」

 

 幼きファイターの勝利を告げる審判の声に、会場は大歓声に包まれる。ある者は純粋に勝利を称え、またある者は賭けに敗れ悲鳴を上げる。いずれにせよその熱気は凄まじく、ほぼ満員となった観客席は興奮の坩堝と化していた。

 

『素晴らしい戦いでした!どちらも一発!ただの一発で相手をノックダウン!"押し出し"のゴン!"手刀"のキルア!これからもこのファイターの活躍を見逃せません!!』

 

 (きざはし)を駆け上がれ。頂に手を掛けよ。二人が挑戦を始めてから僅か一週間、既に彼らは150階へと到達していた。

 

「……いやはや、素晴らしい才能の子たちだ。念を知らずにこの実力とは」

 

 ロビーに設置されたスクリーンに映し出されるゴンとキルアの戦闘映像を眺め、一人の青年がそう呟いた。

 年齢は三十代手前、といったところか。短く切り揃えられた黒髪に、穏やかそうに細められた目を覆うのは縁の薄い眼鏡。中肉中背の体格で、しかしズボンからはみ出したシャツの裾が全体的にだらしない印象を見る者に与えていた。

 

 誰ぞ知ろう。この人物こそ若くして免許皆伝を得、「心源流拳法」の師範代の看板を戴く一流の拳法家にして念能力者───ウイングである。

 

 ウイングは裏試験と呼ばれる、ハンター試験合格者且つ非念能力者に課せられる最後の試験の監督を請け負う者の一人であり、まさに今スクリーンに映し出されていた二人の少年に念を教授する役目を負っているのである。

 

「しかし……」

 

 うーむ、と低く唸りウイングは思い悩んでいた。果たして、彼らに念について教えてもいいものか、と。

 

 心源流には、「念の教え手として、教授する者は選ばなくてはならない」という考え方がある。念とは使い手を選ばない。多少の才能の多寡はあれど、誰にでも努力次第で修められる技術なのだ。念の根幹をなす「オーラ」とは、生きとし生けるもの総てに宿る生命の息吹なれば。

 故にこそ念は秘匿されており、悪しき者の知るところとならないように細心の注意を払い口伝で受け継がれている。ハンター試験の評価項目に「その者の人間性」が含まれているのは、つまりは篩いに掛ける意味があったのだ。

 

 では、翻ってゴンとキルアという二人の少年はどうか。

 結論を言えば文句なし。実力も申し分なく、すぐに念を教えても問題ないだろうと協会は判断していた。

 

 しかし───

 

「彼らは若い。いえ、若すぎる」

 

 十一歳という若年。普通なら親の庇護下で暮らしているべき年齢だ。そんな者らがあの過酷極まるハンター試験を突破───厳密にはキルアは違うのだが───したなど、ウイングは驚きを隠せなかったものだ。

 しかし、若いからとて念を教えてはならない理由にはならない。彼の現在の愛弟子であるズシもまた同じような年齢なのだから。

 

 真の問題は、彼ら二人が才能に溢れすぎているということにあった。

 

 ただでさえ彼らは子供であり外部からの影響を受けやすい繊細な年齢だ。そんな彼らが類稀なる才能を開花させたらどうなるか。

 このまま正しき道を歩んでくれるなら良い。しかしもし罷り間違って悪の道に踏み入ってしまえば───きっと、比類なき怪物を生み出してしまうに違いなかった。

 

 ウイングの中で葛藤が渦巻く。間違いなくあの二人は1000万人に一人という素晴らしい才能を持っている。そんな彼らの師となり成長の一助となれるのは幸運なことだ。運命の巡り合わせに感謝したいほどである。しかし自身の教えが至らず彼らが道を踏み外してしまえば、果たして将来生まれるであろう巨悪に対して一体どう責任を取れば良いのか。

 

「───どうかしら。アナタの目から見て、ゴンとキルアの二人は」

 

 カツン、と革靴が床を叩く音を耳にしウイングは我に返る。呼びかけられて振り返れば、そこには一人の少女が自信に満ちた微笑みを浮かべ佇んでいた。

 

「貴女は……」

 

「カオルよ。彼ら二人の同期で、今は賞金首ハンターを名乗っているわ」

 

 無論、知っている。何故ならウイングは、この少女についても調査するよう依頼されているからだ。

 

 カオル=フジワラ。本人の申告によると十八歳。確かに二十にも届かぬ申告通りの年齢に見えるが、しかし協会の懸念が正しければ十二歳であるはずの少女だった。

 協会の懸念。それは、十二年前にジャポンで起こった悍ましき事件───とある妊婦であった一般女性の腹を突き破り現れた、とある怪物の正体こそがこのカオルなのではないか、というものだ。

 

 事の発端は第287期のハンター試験での出来事。ヒソカという男に襲われたカオルが、鋼の具足と触手の怪物を以てこれに対抗したという報告が監視員によりなされたのだ。まさにこの鋼の脚と触手の怪物こそが、女性の腹を突き破ったものと外見的特徴が一致しているのである。

 

 特に触手の怪物がもたらす精神的な影響は大きく、記録映像として当時の事件を見たハンターが精神の不調を訴えたほどであった。念の使い手として超人となったプロハンターが、液晶越しに見たというだけなのにもかかわらずだ。

 この悍ましき生物の正体については全く情報がなく議論を呼んだが、あるハンターが「これは人間を苗床とする寄生生物ではないか」との見解を示したことで危険度が跳ね上がった。彼らは皆一様に暗黒大陸という人智及ばぬ魔境について知識だけとはいえ知っており、故にもしこれが暗黒大陸由来の危険生物であった場合、新たな災厄の一つとなり得ると恐怖したのだ。もしこんな悍ましい生物がパンデミックの如く増殖すれば、人間社会は大変な被害を受けてしまうだろう、と。

 

 しかしそんな心配は杞憂であるとばかりにこの十二年間なんの音沙汰もなく、次第に彼らはこの事件について忘れていったのだ。そんな中現れたのがこのカオルという少女である。

 

 監視員のハンターが提出した写真に映っていたのは、吐き気催す触手の怪物と白銀に輝く具足を纏って念戦闘を行うカオルの姿。直ちにその場に居合わせたネテロ会長と試験官のハンターたちとで例の事件の映像と比較したところ、寸分違わず同じものであるという結論が出されたのだ。

 人に寄生する触手の怪物と、人を溶かして養分とし急成長する魔人。もしこれが災厄となり得るのであれば捨て置けぬ。そう判断した彼らは、元々予定していた個人面談にてカオルという存在を推し量ることにしたのである。

 

『ふーむ。心音、血流の音、呼吸音、何より気配。どれも普通の人間のものにしか感じられぬのう。おそらく"纏"で身に纏っているであろうオーラは年齢にそぐわぬ密度じゃが、しかしそれだけじゃ。ワシの質問に対して嘘をついている様子は全くないし、そもそもあれは自分の出自を分かっておらんじゃろうな』

 

 それが個人面談で実際に相対し、言葉を交わしたネテロ会長が出した結論である。

 遍くハンターたちを統べるハンター協会、その長たるネテロの言葉は重い。故にその場にいたハンターたちは「危険なし」として一応の納得を見せた。カオルという少女は生まれながらにして念を操った、恐るべき鬼才を持っただけの只の人間である、と。

 

 しかし、それで本心から納得した者は少数であることを、ネテロ会長は鋭く察した。

 

『まあ、無理もないじゃろう。あれは確かに異様じゃ。映像越しですら、念で心を強く保たねば恐怖を感じてしまう……恐らく念獣の類であろうとは思うが、さて。ワシも長く生きてきたがあんな奇妙なものは初めて見るのう』

 

 その触手に捕らわれなければ実害はなく、しかし見た者に根源的な恐怖をもたらす。十二年前に「あれは暗黒大陸から来たのではないか」という証拠も何もない短絡的な結論に至ったのは、その場にいたハンターたちが少なからず恐慌を起こしていたからであろうとネテロ会長は推測していた。

 後からこの映像を見たウイングも同じく恐怖した者の一人だ。だからこそ会長の言葉であれ納得しがたいと思ったハンターたちの気持ちはよく分かった。

 故に、偶然天空闘技場にいたウイングに白羽の矢が立ったのだ。裏試験官としてゴンとキルアを見る傍ら、同行してくるらしいカオルについても探りを入れるようにと申し渡されたのだ。ネテロ会長だけでなく、師範代クラスの念能力者であるウイングもカオルを「問題なし」と判断すれば彼らの不安もある程度は払拭されるであろう、と。

 

 そして実際に相対してみて分かった。このカオルという少女は、至って善良なただの人間である。

 

「……ええ、実に。実に将来が楽しみな子たちですよ。私の愛弟子であるズシも大概ですが、しかし彼らはそれ以上の才能の塊だ」

 

「でしょう?なら、師として彼らを教えてみる気にはなったかしら」

 

 ウイングがゴンとキルアの二人を評価し褒めると、カオルは我が事のように喜び微笑みを深めた。オーラにも不自然なところはない。

 こうして他者を思いやれる少女が人ならざる怪物であるはずがない。ウイングは内心そう結論を下した。

 

 カオルに関しては今のところ大きな問題はなし。では話を戻して、ゴンとキルアに念を教授するか否かに関する問題であるが───

 

「……迷っているのでしょう?あの子たちに念を教えるのは時期尚早ではないか、と」

 

 己の思考を言い当てられ、ハッとウイングは顔を上げる。こちらを真っ直ぐに見据える、青き海原を写し取ったかのようなブルーの瞳と目が合った。

 

「アナタの懸念は尤もだわ。あの子たちは幼く、未だ善悪の境すら曖昧。キルアは年齢不相応に成熟している面もあるけど、ゴンはまるっきりお子様ね。悪を知らないわけではないけれど、でも実感としては薄いのでしょう。ヒソカのような自分を殺しに来るような者にすら本気の怒りや憎悪を覚えることはない……」

 

 ───即ち、己の価値観すら一変させ得る"絶望"を知らない。

 

 その通りだ、とウイングは得心する。二人は幼い。故に親しい者を殺されてしまうような恐怖と絶望を知らず、従ってそれに対抗する心の強さを持ち得ない。ウイングのような世界の残酷さを知る大人であれば、実感はなくとも「そういうものである」と諦観にも似た納得で己を律することもできるが、精神的に未成熟な彼らにそれは望むべくもないだろう。

 

 大人ですら、ときに復讐心や一時の怒りで我を忘れる。そして道を踏み外す。それが彼らのような子供であれば何をか言わんや。

 

「───でもね、それは彼らに対する侮辱でもあるわ」

 

「!」

 

「確かに彼らは子供。でも、一方で過酷なハンター試験を乗り越えた"ハンター"でもあるの。アナタが思っている以上に、二人は強い子よ。迷いもするし、ときに恐怖し怒りに我を忘れることもあるでしょうけど……それでも、最後にはそれを乗り越える"心の強さ"があると、私はそう思っているわ」

 

 ……そうだ、自分は何を弱気になっていたのか。ウイングは知らず弱腰になっていた己を恥じる。

 

 道を踏み外す?結構。ならば力尽くでも正道に引き戻せばよい。

 絶望に心折れる?決して折れぬ心を持った人間など存在しない。ならば、そのときは全力で力になってやればよい。

 

 そう、「教え」「導く」とはそういうものだ。それこそが責任というものであり、師が弟子に対して為すべき使命である。そも、大人が子供を信じてやらずにいてどうするのか。

 

「……彼らが道を踏み外したとき、私はどう責任を取るのか、そも責任など取れるのかと悩んでいました。何と見当違いなことで悩んでいたのか。ありがとうございます、貴女のお陰で目が覚めました」

 

「ん……面と向かってお礼を言われるとこそばゆいわね……」

 

 薄らと頬を赤らめ身を捩るカオル。やはり見れば見るほど年齢相応の人間らしい少女だ。こんなにも他者を思いやれる子が、何故あんなにも恐ろしい念獣を生み出したのか謎である。

 コホン、と咳払いをするカオル。すると彼女は一転、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。

 

「それに、こう見えて私は結構強いのよ?彼らを念の道に踏み込ませた者の責任として、もしものときは私も力を振るいましょう」

 

 ───"練"───

 

 気づけば、人で溢れていたはずのロビーには誰もおらず。

 無人となったロビーを、莫大量のオーラが颶風となって駆け抜けた。

 

「なっ……!?」

 

 ビリビリと肌を打つオーラ。その何と力強きことか。自身のそれとは比較にならぬ密度の"練"が、目の前の少女の力量を如実に表していた。

 カオルの足を覆うのは鋼の具足。魚鱗の意匠が随所に見られるそれは、硬質な輝きを放ってその存在感を示している。

 

 カツン、と鋭いヒールが敷き詰められたカーペットを貫いて床を叩く。

 

「どう?念の技量そのものはまだ要修行だけれど、潜在・顕在オーラ量には自信があるの」

 

「これは───確かに素晴らしいオーラの波動だ……!」

 

 あるいは、ゴンとキルアが念能力者として完成すればこうなるのかもしれない。まるで己の師匠を思わせるような力強いオーラだとウイングは感嘆した。

 しかしふと思う。これほどの才能があるのなら、わざわざ己を頼らずともカオル自身が教えれば良いのではないかと。

 ウイングがそう尋ねると、"練"を収めて具足の具現化を解いたカオルは難しい顔をして唸った。

 

「それができればこうしてアナタを説得したりはしないわ。私は師匠を持たずに独学で念を修めたから、人に物を教えるのには不安があるのよ」

 

「それは……」

 

 それを聞いて、ますますカオルの正体が十二年前の事件の当事者であるということと、彼女が紛れもなく人間であるということの確信が深まる。

 師匠がいないのは、先達を頼るまでもなく念に目覚めていたからで。そして独学でありながらここまでの熟練度を見せたのは、彼女が生まれながらにして念獣や具足を具現化してみせるだけの鬼才を有していたが故である。ネテロ会長の推測は正しかったということだ。

 

 何と幸先がいい。早くも問題の一つが解決してしまった。自然と上機嫌となったウイングは、少年二人の師となることを改めて快諾するのだった。

 

 

 

 

 

 ───計画通り、と。後に自室でほくそ笑む少女がいたとかいなかったとか。

 

 




 何とか二人の力になってやりたい、と悩む心優しき()カオル。彼女は原作でウイングが二人を前に思い悩んでいたことを原作知識で知っていたが故に正確にこれを指摘し、そして見事彼の不安を取り除くのであった。~Fin.~

 べ、別に自分の手に余ることを他人に押し付けたわけじゃないんだからね!


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少年と道化師、因縁の対決なる第五話

 
 鉄は熱い内に打つべし。作者のテンションが高く、インスピレーションが湧き出ている今の内にできるだけ話数を進めるのだ……。
 実際問題、新学期が始まったのでそうまとまった執筆時間が取れなくなる可能性大なのです。


 

 正面より飛来する大振りの拳を片手で打ち払い、反対の手で軽く突き飛ばす。そして間髪入れず背後より襲い掛かる手刀を身を捩って回避し、振り向き様に具足の脛部分で蹴り飛ばした。

 

「さあ、どんどん掛かってらっしゃい。休んでいる暇はなくてよ?」

 

「くそ、全然当たらないよ!」

 

「無闇に正面から行ってもダメだ!どうにかして隙を作り出すんだ!」

 

 殴り掛かっては返り討ちにされ、不意を打っても敢えなく反応されまた返り討ちに遭う。手を出しあぐねて右往左往する二人の少年を観察し、私は思わず笑みを零す。

 拳を握り、闘志を燃やし私を見据えるゴン。油断なく構え、鋭い視線で機を窺うキルア。両者ともに清澄なオーラをその身から放出しており、かつてのような無為に垂れ流しにされていたオーラとはもはや質そのものが異なっている。

 

 ───そう。二人は既に念に目覚め、拙いながらも四大行を修めつつあったのだ。

 

「行くぞ!」

 

 それは宣言。私に対するものというより、自分に対して告げることでゴンは己を奮い立たせている。

 ドン、と地を蹴って駆ける。小柄な体躯は地面すれすれを矢のように真っ直ぐに駆け抜け、下から抉るようなボディーブローをお見舞いせんと迫り来る。

 

「甘いわ」

 

 それをヒラリと跳躍することで避ける。フェッテと呼ばれるバレエ特有の軽快な動きを捉えること叶わず、ゴンの拳は空を切った。そのまま一撃くれようと爪先の照準を拳を振り切った姿勢のゴンに定め───フッ、と側面より生じたオーラの揺らぎを感知し、瞬時に標的を切り替え踵を振り抜いた。

 

「くっそ、容赦ねぇな!」

 

 悪態をついたキルアが迫る刃の如きヒールを慌てて避ける。もしまともに食らえば"練"のオーラ越しであっても肉を切り裂くそれを間一髪回避したキルアは、大粒の汗を散らして間合いを取った。

 

「惜しかったわね。でも念初心者にしては悪くない"絶"だったわ」

 

 ゴンの攻撃を隠れ蓑に接近していたキルアは"絶"によって己の気配を隠していた。しかしやはりまだ未熟故か、攻撃の意に反応してオーラが漏れ出ていたのである。そのぐらいであれば"凝"を使わずとも察知してしまえる。

 

「やっぱりカオルは凄いや。オレたちの攻撃が掠りもしない」

 

「にしたって限度があるぜ。この状況で戦うのはやっぱり辛いな……」

 

 ゴンとキルアの二人は滝のような汗を流しつつ激しく肩で息をしている。これは慣れない"練"の維持に体力を常より多く消費しているからというのも理由の一つだが、その極度の疲労の最たる原因となっているのは私である。

 

 私はこの戦いの最中ずっと全力に近い"練"でオーラを顕在させており、ゴンとキルアの二人にプレッシャーを与え続けていたのだ。

 

 念は生命エネルギーたるオーラに指向性を与えて人為的に操る技。それは使い手の込める想い、イメージの発露によってその性質を変化させる。何も意識しないニュートラルな状態であれば殆ど無色のエネルギーとして顕れるが、敵意などの攻撃的な意思と共に顕在するそれは重圧となって対象を襲うのだ。

 そして度重なる修行とドレインによって増やしてきた私のオーラは、こと量だけなら最高位の念能力者たちにも引けを取らない。その全てが波濤となって敵意と共にゴンとキルアに向けられていたのだ。二人が感じていたプレッシャーは如何ほどのものか。

 

「一応言っておくけど、ヒソカのオーラはこんなものじゃないわよ。オーラ量なら私の方が上だけど、禍々しさと不気味さではあちらに軍配が上がる。まるで本人の"発"みたいに粘着質で、私も最初に会ったときは泥濘の中で戦っているような気分になったものよ」

 

 そう、ヒソカのオーラはそこらの念能力者とは質が違う。桁違いに強力というわけではないが、しかし得体のしれない邪悪さを感じさせるオーラは相対した者に多大な精神的消耗を強いる。私がこうして無駄に多くのオーラを発しながら戦っていたのは、彼らに格上のオーラに気圧されない精神力をつけてもらうためだったのだ。

 

 最初は可哀想なぐらい顔を青褪めさせていたキルアも、流石に慣れてきたのか当初よりは動きが良くなってきている。そして直接ヒソカと戦うことになるゴンは、このプレッシャーにも素早く順応して機敏に動き回っていた。

 重圧に体力を削られつつも、普段通りのパフォーマンスを発揮するための訓練。それが私がウイングより任された「お手伝い」だった。

 

「はい、今日はここまでとしましょう。ゴン君もキルア君も、大変お疲れ様でした」

 

 ぱんぱん、と手を叩いて訓練の終了を告げるウイング。それに応じて"練"を解くと、重圧から解放されたゴンとキルアはガクリと膝を折って座り込んだ。

 

「オーラ耐久訓練、時間にして35分42秒……いやはや、凄まじいものです。まだ念に目覚めて1ヶ月程度しか経っていないなど信じられないような成果だ」

 

 ウイングが言う通り、これは普通ではあり得ない習得速度だ。30分もの間"練"を維持し続け、更に戦闘もこなす。しかも強大なオーラによるプレッシャーで精神を削られながらだ。これと同じことをこなせるようになるには、一般的な水準の念能力者であれば一年は掛かってもおかしくない。

 

 二人が天空闘技場の200階層に到達してから一ヶ月。二人は順調に、そして驚異的なペースで念を我が物にしつつあった。

 

「200階以上の試合に設けられる準備期間は90日……最長あと60日ほどですか。しかしこの調子であれば、最低限は仕上げることができるでしょう。これもカオルさんの協力あってこそです」

 

 私ではあれほどの出力でオーラを放出し続けることはできませんからね、とウイングは笑う。確かに彼の潜在オーラ量は豊富とは言い難く、今し方の訓練のような無茶なオーラ放出での長時間戦闘には耐えない。

 しかし、それはウイングの力量が劣っていることを意味しない。むしろオーラ量が豊富ではない分、彼は必要最低限のオーラのみを使用した的確なオーラの運用を得意としていた。その繊細な技量は私の及ぶところではない。一切の無駄なく繰り広げられる彼のバトルスタイルは、いっそ芸術的ですらあった。

 

 しかしまあ、褒められて悪い気はしない。こうして実際に貢献できているわけであるし、その賛辞はありがたく頂戴しておくことにする。

 

「ありがとう、そう言われると自信が持てるわ。でも、これだけ順調に進んだのはアナタの教え方が上手だったからよ」

 

 ウイングの師匠であり、あのネテロ会長の弟子でもあるビスケット=クルーガー曰く、彼は「覚えの悪い弟子」であったらしい。どうもあまり要領は良くなかったようだ。

 しかし、だからこそウイングは教え方が上手い。感覚で一足飛びに念を習得していく天才肌と違い、彼には一からコツコツと積み上げていった経験がある。故に、その経験に基づいた理論を順を追って丁寧に教授することができるのである。

 やはり変に意地を張らず彼を頼ったのは正解だった。お陰でゴンたちはメキメキと上達していったし、私自身も学ぶことが多かった。大変有意義な時間であったと言えよう。

 

 

 ───ウイングにゴンとキルアの念習得の師となることを了承してもらってから一週間、二人には引き続き階層を攻略させつつ、空いた時間で念についての学習を進めさせていた。

 

 四大行という念についての基本から、精孔を開くための瞑想など。原作では駆け足で進める羽目になったことを余裕を持って行うことができたのである。

 特に無理矢理精孔を開くような事態にならなかったのは喜ばしい。原作では二人の類稀な才覚によって事なきを得たが、あれは本来非常に危険なものなのだ。ウイングも断腸の思いでその行為に踏み切ったに違いない。

 

 とまれ、理想的な念の学習を進めていった二人は順調に力をつけ、今や"発"以外の行は全て及第点を与えられるレベルまで達している。それを察したのかヒソカによる妨害は起こらず、200階に到達してすぐにエントリーすることができたのだ。こうして与えられた準備期間を利用し、最後の仕上げに取り掛かろうとしている。今し方の対ヒソカ戦を想定した耐久訓練もその一環だ。

 

「すごいッスよゴンさん!キルアさん!自分、あんな恐ろしいオーラの中でああも動ける気がしないッス!」

 

「えへへ、まあ結局手も足も出なかったけどね」

 

「あー、しんどい……ズシも一度やってみたらどうだ?案外何とかなるかも。というかオレたちの苦労をお前も味わうべきだぜ」

 

「え、遠慮しておくッス……自分、まだ30分も"練"を維持できないので……」

 

 ウイングの愛弟子であるズシと和気藹々と談笑する二人を見て思う。彼らの念は既に初心者の域を脱していると。恐らく並の200階闘士よりも練度は上であろうと判断して問題あるまい。

 そう思ったのはウイングも同じだったのか。暫し二人を鋭い視線で観察した後、彼は備え付けの棚からグラスを取り出し、ピッチャーから水を注ぎ始めた。

 

「……いよいよ"発"の修行を始めるのね」

 

「ええ。ズシを含め、彼らは素晴らしい成長を見せてくれました。そろそろ次のステップへと進むときでしょう」

 

 なみなみとグラスに注がれた水の上にそっと葉を浮かべるウイングを尻目に、私はクルリと背を向け部屋を後にする。

 

「おや、見ていかれないので?」

 

「そうしたいのは山々だけど、少し所用がね。ついでに汗も流したいし、私はここで失礼するわ」

 

 そう告げ、ひらひらと手を振って部屋を出る。

 これから行われるのは個人の系統を判断する「水見式」だ。結果は予め分かっているとはいえ、原作でも有名なワンシーンに居合わせたいと思う気持ちはないではない……が、しかしどうやら私に用がある者がいるらしい。後ろ髪を引かれつつも、私はその場を後にした。

 

 

 

***

 

 

 

「やあ、こんなところで会うなんて奇遇だね♥」

 

「ふん、白々しい。アナタが私を呼んだんでしょうが」

 

 廊下の壁に寄り掛かって立つヒソカに険しい視線をくれる。ゴンたちの水見式を見逃してまで私が会いに来たのは、忌々しいことにこのヒソカだった。

 

「二人との模擬戦中ずっと殺気を寄こしておいてぬけぬけと……しかも私にだけ送りつけるなんて器用な真似して、何のつもりかしら?」

 

「だってしょうがないじゃないか♠あんな素敵なオーラを出されたらボクじゃなくても昂っちゃうさ……♦」

 

 お前に向かって放っていたんじゃねーよ、と内心毒づく。妙に頬が上気していると思ったらそんな理由で興奮していたのか、この変態は。

 

「───ところでどうだい、ゴンの様子は?訓練は順調かな♣️」

 

「アナタに心配される謂れはないわ。もう"発"以外は及第点レベルにまで仕上がっている……これでもまだゴンからの挑戦は受け付けないのかしら?」

 

「へえ……♥」

 

 それはそれは、と不気味な笑みを深めるヒソカ。ニヤニヤと笑う彼はピッと人差し指を立てると私に告げた。

 

「ゴンに伝えておいてくれ♠"キミの挑戦を受け付ける。日時はそちらで決めてくれて構わない"……ってね♦」

 

「あら、直接自分の目で仕上がりを確認しなくていいの?」

 

「カオルが及第点って言うんだ♣️ならそれは確かなんだろう♥」

 

 それだけ告げてヒソカは背を向けて立ち去ろうとする。どうやらそれを伝えたかっただけらしい。

 

「あ、そうだ♠」

 

 ふと思い出したように声を上げて立ち止まる。顔だけをこちらに向けてヒソカは首を傾げた。

 

「200階に到達したばかりのルーキーを狙う奴らがいただろう?本当ならゴンたちの試金石として宛がおうかなって考えていたんだけど、どうも最近姿が見えないんだ♦知らないかい?」

 

「ああ、新人ハンターのこと?」

 

 ヒソカが言っているのはサダソ、ギド、リールベルトの三人のことだろう。原作ではズシを人質に八百長の試合をゴンとキルアに吹っ掛けていた三人組。勿論ここにもいたのだが……特に私から言うことなどない。

 

 まあ強いて言うとすれば。

 

「さあ?あんな壁にすらならないような半端者たちは知らないわ。

 

 

 

 ───でもまあ、もしかしたらどこぞの路地裏で醜いスライムになって果てたかもしれないわね」

 

 

 

 一言、ご馳走様でした、とだけ。

 

 

 

***

 

 

 

『す、凄い試合だァー!展開が早すぎて、実況が追いつきません!!』

 

 実況席からヤケクソ気味の悲鳴が飛び、観客は熱狂に歓声を上げる。

 広大な闘技場の中央に鎮座するリングの上。そこではゴンとヒソカが激しい攻防を繰り広げていた。

 

 普段の試合では決して本気を出そうとはせず、パフォーマンス重視の試合展開を好むヒソカ。そんな彼だがこの試合に限り初めから肉弾戦による激しい立ち回りでゴンを翻弄し、観客を盛り上げていた。

 対するゴンもまた激しく動き回り果敢にヒソカへと挑みかかる。200階までの全ての試合を張り手一発で勝ち進んできた彼の本気の発露。その機敏な動きを観客は目で捉えること叶わず、しかし白熱したその戦いに歓声を上げている。

 

『変化系は気まぐれで嘘つき♥キミはボクを失望させないでくれよ♠』

 

 ───でないと、殺しちゃうかもしれないからね……♦

 

 その言葉に応と気炎を上げたゴンの奥の手、「石板返し」による目眩ましからの不意打ちがヒソカに直撃する。

 その一撃を以て四次試験での借りを返したゴンから因縁の番号札(ナンバープレート)を受け取ったヒソカは、狂喜に身を震わせて踊りかかった。

 

 ゴンから一撃貰うまで一歩もその場から動くことのなかったヒソカ。その彼が遂に動く。ぞわり、と悪寒を感じ取ったゴンが身を翻すや、直前まで彼がいた場所をヒソカの蹴撃が襲った。

 

『な、何という威力の蹴りだ!ヒソカ選手、蹴りの一発で石板を場外まで吹っ飛ばしましたァー!?』

 

 ズズン、と無残に砕かれた石板が落下する。ゴンが両手で持ち上げたリングの石板を、ただの蹴りの一撃で吹き飛ばす。その変化系とは思えぬ威力の攻撃を見た観客席のウイングは息を呑み、カオルは顔を顰めた。

 

「何という威力!やはり今までのヒソカは一度として本気を出してはいなかった……!」

 

 リングの上では、俊敏に動くヒソカが逃げ回るゴンに張り付いて離れない。ヒソカを振り切ることのできないゴンは次々と攻撃を食らっていく。

 カストロ戦では見ることのできなかったヒソカの本領発揮。ウイングは戦慄し、その威力の攻撃を過去に何度も受けた覚えのあるカオルはますます渋面を作った。

 

(ダメだ、逃げてばかりじゃ何もできない!)

 

 一方、最初とはスピードも一撃の威力も何もかもが様変わりしたヒソカの動きについていけないゴンは焦燥を露わにする。目では追えるが、身体が追いつかない。彼我の戦力差が、残酷なまでに両者の間に横たわっていた。

 

「フフフ……そんなに離れてちゃあ攻撃できないよ♣️さあ、こっちへ来るんだ♥」

 

 クイ、とヒソカが人差し指を動かす。その動作に嫌な予感を覚えたキルアが叫ぶ。

 

「ゴン!"凝"だ!」

 

「!」

 

 ハッとそのことを忘れていたゴンが両目にオーラを集め"凝"を施す。しかしもう遅い。いつの間にやら頬に張り付いていた念糸が伸縮し、勢い良くゴンを引き寄せ始めたのだ───大きく振りかぶった右拳を構えるヒソカに向かって。

 

「"伸縮自在の愛(バンジーガム)"って言うんだ、コレ♠」

 

 ───良く伸び、良く縮む♦付けるも剥がすもボクの意思次第さ♣️

 

 ゴッ、と激烈な右ストレートがゴンの頬に突き刺さる。あまりの威力にゴンの脳が揺れた。

 

「ガッ、ハ……!?」

 

「Stand up、ゴン♥」

 

 クイックイッ、と挑発するように"伸縮自在の愛(バンジーガム)"が伸びる人差し指を曲げるヒソカ。それにカッと気力を取り戻したゴンはすぐさま立ち上がった。

 

「ッ、ぐぅ……!」

 

『あーっと!ゴン選手、立ち上がったものの大きくよろめいている!やはりダメージは大きかったのかー!?』

 

 悔しいが実況の言う通りだ。生まれ持った強靭な肉体を以てしても、今の一撃は甚大なダメージとなってゴンの体力を蝕んでいた。

 ゴンは歯噛みする。分かっていたことだが、ヒソカはあまりに強かった。今の自分では勝てるビジョンが見えない。

 

 しかし───

 

(けど、諦めるわけにはいかない!)

 

 ゴンは知っている。ヒソカと同等の実力を持つ、自らのもう一人の師とも言うべき人物。白鳥のように華麗に舞い、刺剣(レイピア)の如き鋼の踵で鋭い一撃を見舞う少女の姿を。

 結局一度としてまともに攻撃を当てることもできず、キルアと共に転がされ続ける訓練の日々だった。しかしその戦いは確実にゴンを成長させ、格上と戦うにあたり必要不可欠となる忍耐力を彼にもたらしていたのだ。

 

 まさに不撓不屈。ゴンは気合一つで動揺から立ち直り、苛烈な闘志の光をその瞳に宿し宿敵を見据えた。

 

「ああ……♠」

 

 その強烈な意志、不死鳥の如き精神の発露を目の当たりにしたヒソカは感嘆の吐息を漏らす。

 

「逃げられないなら、向かうまでだ!」

 

 ドン、と地を蹴り距離を詰める。ヒソカ目掛け駆けるゴンの姿は、まるでその意志のように真っ直ぐだった。

 

「嗚呼、ゴン……!」

 

 ヒソカは真っ直ぐに己を見据える少年の瞳を見る。一切の邪念のない、曇りなき眼が我が身を貫いた。

 

「イイ……♦キミ、凄くイイよ♣️」

 

 その瞳、その表情、その心意気。その全てがヒソカ打倒の意志を物語っている。

 

「今すぐキミを───」

 

 ───壊したい……♥

 

 そして、遂にヒソカの本性が姿を現す。

 迸るは邪悪なるオーラ。それはまるで奈落の底に蟠る悪意の淀みのようで、道化師はその昏いオーラの波動を抑えることなく総身から放出した。

 

「……ッ!」

 

 それに一瞬気圧されるゴンだが、しかし強大なオーラの中での戦闘は散々訓練させられた。動揺は最低限に、立ち止まることなく拳を振りかぶる。

 そして、ヒソカはその拳を避けることなく受け入れた。

 

「ああ、でもダメだ……もっと、もっと、もっと……!」

 

 念で強化された拳の連撃が襲う。ここぞとばかりにラッシュをかけるゴンの拳を受け入れながら、しかし邪悪なオーラはいや増すばかり。

 

「崩すのが勿体なくなるぐらい、熟れてから……」

 

 ヒソカの脳裏に描かれるイメージは、高く積み上げられたトランプタワーだ。高々と聳えるそれは、輝かしき努力の結晶、成長の証である。

 それを自らの手で崩し、破壊する。何と甘美なことか。

 

「高く積みあがるまで、我慢……!」

 

 グッ、と引き寄せられ身体が泳ぐ。再び引き寄せられたゴンは強烈な右拳を貰うも、しかし何とか交差させた腕でガードすることに成功する。

 

(よし!"伸縮自在の愛(バンジーガム)"は厄介だけど、でも少しずつ慣れてきた……!これなら……)

 

「両者、クリティカル!プラス2ポイント!プラスダウンポイント、ヒソカ!」

 

「えっ!?」

 

「トータル、ヒソカ9ポイント!ゴン、4ポイント!」

 

「ダウンじゃないよ!すぐ起きたし、ガードしたもん!」

 

 これからだ、と意気込みを新たにしたところでの不本意なジャッジ。ゴンは思わず異議を唱えるも、しかし審判は首を振り判決を撤回しようとはしない。

 

(拙い……これだと後1ポイントでも取られたらお終いだ……!)

 

「フフフ……油断大敵だよ♦右の方を見てごらん♣️」

 

 唐突にそう言われ、素直なゴンはバッと右に顔を向けてしまい───そして、突如左側から飛来した岩が側頭部に直撃した。いつの間にか"伸縮自在の愛(バンジーガム)"の片側は、ヒソカの指から辺りに散らばっていた石材の破片に繋がっていたのだ。

 

「ああ、ごめん♥ボクから見て右の方だった♠」

 

 ぬけぬけとそう嘯くヒソカ。しかしこれは、言い訳の余地なくまんまと敵の術中に嵌ったゴンの不覚。まさに"奇術師"の面目躍如だった。

 

「ダウン&クリーンヒット!プラス2ポイント!11-4!TKOにより───勝者、ヒソカ!!」

 

 無情にも告げられる試合終了の判決。ここにヒソカの勝利と───ゴンの敗北が定まったのだ。

 

 フッ、と笑ったヒソカはゴンに背を向ける。リングから立ち去りながら、ヒソカは呆然と座り込む少年に告げた。

 

「大した成長だ♥でもまだまだ実戦不足♠あと十回くらい戦えばいい勝負ができるだろうが、しかしそれは天空闘技場の中での話……」

 

 ───だからもうキミとはここで戦わない♦️次はルールなしの真剣勝負の世界で、命を懸けて戦おうじゃないか♣️

 

 それだけ言い残し、ヒソカはリングを去った。後に残されたゴンは悔し気に唇を噛み締める。

 

 遠い……今のゴンにとって、その背はあまりに遠かった。未だ影すら踏めはしないのだと思い知らされた。

 

「けど、届かないわけじゃない……」

 

 グッと拳を握り締める。屈辱に震えながら、しかしそれ以上の決意を胸にゴンは前を向いた。

 

「もっと念を磨いて、次こそはヒソカに勝つ!勝ってみせる───!」

 

 

 

 斯くして、少年の戦いはここに幕を閉じる。しかしこの敗北を糧に、少年は新たなステージへと踏み出そうとしていた。

 




 ゴンVSヒソカ戦。結果は原作と変わらず、しかし作者の好きなシーンだったので飛ばさず最後まで描写しました。


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次なる舞台はヨークシン。胎動する者たちの第六話

 
 ヨークシン編、開幕。原作ではここから群像劇的な色が強くなってきますね。

 ……なので、今まで以上に場面や時間が飛ぶことになるかと思いますのでご了承ください。というかここから原作崩壊が加速していく、かも?


 

「……は?お金がない?」

 

 天空闘技場でゴンとキルアと別れてから数週間。私はいつも通りの日常───要するに賞金首狩りの毎日───に戻っていたのだが、ある日突然キルアから電話がかかってきたのだ。

 

 聞くところによると、彼らは天空闘技場で稼いだファイトマネーを元手に骨董品などを買い漁り、それを転売することで利益を得ようと目論んでいたらしい。が、当然上手くいかずに計画は頓挫。むしろ最初よりも所持金が減ってしまったのだという。

 ……そういえば、彼らはジン=フリークスの足跡を求めてグリードアイランドというゲームを購入しようとして失敗するのだった。ゴンとの戦いで満足したヒソカが去っていった喜びで舞い上がっていた私はそのことをすっかり忘れていたのだ。

 

『ったく、絶対上手くいくと思ってたのによー』

 

「当たり前じゃない。そんなので簡単に金儲けできたらこの世に貧乏人なんて生まれないわ。商売ってのは何の経験もない素人にできることじゃないのよ」

 

『でも、ホントに途中までは上手くいってたんだよ?』

 

 ハンズフリーで通話しているのか、キルアだけでなくゴンの声も届いてくる。その声にいつもの溌溂とした覇気はなく、やはり父親の手掛かりを掴み損ねたことに落胆しているようだった。

 

「それで、そのことを伝えてきたってことはお金を貸してほしいということかしら?確かに手当たり次第に賞金首を狩りまくってるから蓄えは腐るほどあるけど……」

 

『ばっか、誰が金の無心なんてみっともねー真似するかよ!これはただの愚痴だよ、愚痴』

 

『あと、何か知恵があったら教えてほしいなーって。カオルはオレたちより世間のことに詳しそうだし、いいお金稼ぎの方法を知ってるんじゃないかって、キルアが言ってた!』

 

 確かに私は生まれと仕事柄、それなりに裏の世界にも詳しいと自負している。詳しい、はずだ……多分。

 しかし七面倒臭い裏社会の繋がりを嫌った私は大して深入りしていないので、精々そこそこの規模のマフィアとしか関係を持っていない。その関係もちょっと顔が利くという程度のものだし、蓄えたお金もその殆どは賞金首狩りで得た報奨金だ。私に商売の経験などないに等しいのである。

 

「……というわけで、私からは『賞金首ハントでコツコツお金を貯めましょう』としか言えないわね」

 

『つかえねー』

 

『き、キルア……』

 

 何とシツレイなクソガキだろうか。一応私は師匠のような立場だったのだから相応の敬意を払っていただきたいものである。

 ……まあ、そもそも私が原作知識で知ることを一部でも伝えておけば防げた事態ではある。仕方がないので、遅ればせながら彼らには一番重要なことを教授しておくとしよう。

 

「良いことを教えてあげるわ。グリードアイランドを入手することは、現状では絶対に不可能(・・・・・・)よ」

 

『えっ?でも、ハンターサイトで入手難易度はGだって……』

 

「お金を積みさえすれば入手できる、という意味では確かに他の希少品よりは入手し易いでしょうね。総計百個という個数も世界的に見れば貴重と言えるほどではない。けど、今となってはその"お金を積む"という行為そのものが無意味になっているのよ」

 

 そう、丁度この時期は「バッテラ」という世界的にも有数の資産家が金に飽かせて見つけ次第買い占めている真っ最中なのだ。数億程度の金銭価値ならプロハンターにとってはさほどのものでもないが、しかしバッテラ氏ほどの大富豪と競りで勝負しこれを購入するのは、並みのプロハンターでは分が悪いと言わざるを得ない。

 

 ───何しろ、バッテラは最愛の恋人を救うために全てを擲つ覚悟でグリードアイランドを求めている。「恋人のためなら資産も地位も何もかも、全て失っても構わない」というこの執念とも言える彼の覚悟を上回るのは、もはやこの世界の誰にも不可能だと言っても過言ではないのだ。

 

「だから、89億程度のお金を用意するのにも手間取っているアナタたちがこのゲームを入手するのは現実的ではないわ。ならば方法はただ一つ……バッテラに正式に雇われ、その尖兵としてゲームに参加することのみ」

 

『そっか、ゴンが求めているのはジンに関する手掛かりだけだから……』

 

『バッテラさんの目的と衝突することはないんだ!』

 

 そういうことだ。ゴンの目的はジンに関する情報。対してバッテラが求めているのはグリードアイランド内でのみ入手できる「大天使の息吹」という奇跡のみだ。ゲームをクリアした上でそのカードを持ち帰ればそれでオーケー。しかも報酬金まで貰えるというおまけつきである。

 

「とはいえ、グリードアイランドは今まで多くの念能力者が挑んでいながら一度もクリアされたことがない幻のゲーム。並大抵の実力では生きて帰れるかどうかすら定かではないわ」

 

『へっ、なら今以上に強くなればいいだけだぜ』

 

『うん!なら、今度会うレオリオやクラピカとも一緒に修行したいな!カオルもヨークシンに来るんでしょ?』

 

「ええ、そういう約束ですものね」

 

 原作においては「九月一日にヨークシンで」という約束を交わしたゴン、キルア、クラピカ、レオリオの四人。光栄なことに、というべきか、この世界ではその輪の中に私も混ざっている。くじら島に向かったゴンたちとは一度別れたものの、またヨークシンで合流する予定であったのだ。

 

「それじゃ、二人とも頑張りなさい。くれぐれも無理はしないように……ええ、私はもう少し仕事を続けてから行くわ。ええ……それじゃ、切るわよ」

 

 それから二、三言葉を交わして通話を切る。携帯を懐に仕舞った私は、そこでようやく足元で転がる人物に視線を落とした。

 

「前にキルアから電話が来たときも似たような状況だったわね……さて、長々と待たせてごめんなさいね?そろそろ止めを刺すとしましょうか」

 

「ンーッ!ンーッ!!」

 

 私の左腕から伸びるオーラの腕(・・・・・・・・・・・・)に捕らわれ、身動きも取れず呻き声を上げるだけの賞金首の男。念能力を悪用する危険人物としてB級賞金首の中でも上位に位置付けられたその男(獲物)は、巨大な半透明の腕の中でメルトウイルスにその身を半ばまで溶かされ悲鳴を上げていた。

 私はオーラの腕の人差し指と中指の二本を解いて男の首から上を露出させると、そこに刃物の爪先を添えた。

 

「それじゃ、さようなら」

 

 斬、と首から上が宙を舞う。次の瞬間、残された胴体は瞬く間に溶けて消えていった。

 

 

 

***

 

 

 

 クラピカはクルタ族最後の生き残りだ。かつて幻影旅団に皆殺しにされ売り飛ばされた同胞の瞳───「緋の目」を求めて……そして何より、家族の仇である幻影旅団を倒すために力を得ようと全力を尽くしている。

 そのためにプロハンター資格を得、更に念能力をも凄まじい執念で早々に我が物とした。あとクラピカに必要なのは、緋の目や幻影旅団についての情報を効率良く入手するためのコネクション作り……故に彼は"人体蒐集家"を称するネオン=ノストラードの護衛として雇われることで、その目的を達成しようとしていた。

 

『当ててみせましょうか?アナタは今ノストラードファミリーに護衛として雇われていて、人体蒐集家のネオン=ノストラードに近づこうとしている』

 

 その言葉を電話越しに聞き、クラピカは背筋に氷柱を突き込まれたような戦慄を覚えた。

 

 それはノストラードファミリーの採用試験に合格し、護衛として守ることになるネオンとの面通しを済ませた日の夜中のことだった。

 電話をかけてきたのは、かつてハンター試験にて掛け替えのない友誼を結んだ四人の内の一人、カオルであった。着信が彼女からのものであると分かったクラピカは警戒を解き、そして直後に自分以外誰も知るはずのない現状を暴かれ息を呑んだのだ。

 

「……何故それをカオルが知っている?君やゴンたちには私の最終的な目的以外何も伝えていないはずなのに……」

 

『───はぁ……』

 

 クラピカは我知らず固くなった声音でそう詰問すると、何故か通話越しのカオルがため息を吐いた。

 

『いいこと?もし図星であったとしても、そういうときは平然と白を切るのが鉄則よ。たとえ互いの顔が見えない電話でのやり取りであったとしても、分かる人には分かってしまうのだから』

 

「む……」

 

 確かにその通りだ、と変なところで律義なクラピカはこんな状況であっても納得してしまう。それを感じ取ったのか、向こうから苦笑する声が伝わってきた。

 

『一度親しくなった者に対する情が厚いのは、プロハンターになった今でも変わらないのね。けど本当にそういう駆け引きには早い内に慣れておかないと苦労するわよ?』

 

「そうだな、君からの電話とはいえ警戒感が足りなかった……って、そうじゃない!何故カオルがそのことを知っているんだ!私がノストラードファミリーに正式に雇われたのは今日の昼だぞ!?」

 

『ハンターとしては同期だけど、その道(裏社会)に関しては私の方が先輩よ。念能力についてもね。だからそれなりの伝手が私にはあって、そこからアナタの現状について知ったのよ』

 

 そういえばそうだった、とクラピカは念の師匠であるイズナビから聞かされた話を思い出す。第287期ハンター試験において、ヒソカとイルミ、そしてカオルの三人のみが既に念能力者であったのだと。

 それに、カオル本人からも自らが賞金首狩りであるという話は聞いていた。賞金首狩りは腕っ節のみならず、獲物を的確に探し当てる情報収集能力も求められる。その中で腕の良い情報屋と知り合うことができたのかもしれない。羨ましい話である。

 

『さて、これで私が使える(・・・)ということが理解できたかしら』

 

「使える……?それはどういう……」

 

『アナタの役に立てますよ、というデモンストレーションよ。……取引をしましょう、クラピカ』

 

 耳元でそう囁く少女の声色に、底知れない妖しさが宿る。先ほどとは異なる戦慄に緊張を覚え固まるクラピカに対して、"取引"の内容が告げられた。

 

 

『九月一日、セメタリービルに幻影旅団が現れる。全員とはいかないでしょうけど、それでもそれなりの人数が現れるはず……それを私の能力で一ヵ所に集めて足止めするわ。───"蜘蛛"を滅ぼしましょう。一人残らず、ね』

 

 

 それはクラピカにとって天啓であり……そして、紛れもない悪魔の取引であったのだ。

 

 

 

***

 

 

 

 幻影旅団。彼らを象徴するエンブレムから"蜘蛛"とも称されるその集団は、十三人からなる超一流の念能力者で構成される盗賊団。A級に位置する特級の賞金首であった。

 

「───全部だ。地下競売のお宝、丸ごと掻っ攫うぞ」

 

 とある廃墟にて、黒衣の男が淡々と告げる。その声音に気負いはなく、ただ当たり前の決定事項を語るが如き冷徹さのみがあった。

 

 黒衣の男の名は、クロロ=ルシルフル。悪名高き幻影旅団を統べる"蜘蛛"の頭、遍く悪党たちの頂点に座する簒奪者の長である。

 

 その絶対者の言葉に、団長擁下の団員たちは歓喜に震える。

 団長の趣味である稀覯本?サザンピースに出品される世界一危険で高額なゲーム?否、否、否───斯様な矮小な目的のために、普段は独自に行動する全団員を集めはしない。

 

 総てだ。世界中のマフィアが集う一大オークションにありて、総てを奪うのだと!そんな大仕事、特大の悪事に胸躍らせぬ者などこの旅団にはいない。

 

 ノブナガ=ハザマが。

 フェイタン=ポートオが。

 マチ=コマチネが。

 フィンクス=マグカブが。

 シャルナーク=リュウセイが。

 フランクリン=ボルドーが。

 シズク=ムラサキが。

 パクノダが。

 ボノレノフが。

 ウボォーギンが。

 コルトピ=トノフメイルが。

 そして"蜘蛛"の外れ者、ヒソカ=モロウまでもが。

 

 皆々等しく、武者震いすらしてこれからの大偉業に思いを馳せる。

 恐怖せよ、栄華に肥え太った闇の住人。怯懦せよ、己こそが裏の覇者たらんと白痴に踊る奴輩(やつばら)共よ。

 闇の底の更に底、真なる暗闇にて彷徨せし狂人集団。

 

 

 ───"蜘蛛"が、来るぞ。

 

 

 

 

「ところでさぁ、団長」

 

「何だ、シャル」

 

 団長の号令の元、決行のときまで英気を養わんと各々が立ち去った後。未だ廃墟に佇むクロロに、シャルナークが気さくな口調で話しかけた。

 柔らかな微笑みをその童顔に浮かべる様は、一見すると爽やかな好青年にも見える。しかし彼こそが幻影旅団の頭脳担当。団長たるクロロが絶対の信頼を置く"蜘蛛"の参謀である。

 

「ヒソカについてなんだけど。団長、アイツのことどう思う?」

 

「ふむ……」

 

 問われ、クロロは暫し思考に沈む。脳裏に思い浮かべるはつい最近旅団に加わった道化師の如き男。ウボォーギンとは異なる方向性の戦闘狂であり、どこか不気味な雰囲気を醸し出す狂人だった。

 しかし如何に不気味とはいえ、一度旅団に加わればそれは仲間だ。家族と言い換えても良いかもしれない。それを団長たる自分が不用意に言及するのは憚られる……が、しかし相手は参謀たるシャルナーク。別に構うまいとクロロは本音を語ることにした。

 

「アレは"蜘蛛"を裏切るだろうな」

 

「だろ?」

 

 クロロがそう言うと、シャルナークは我が意を得たりと頷いた。これはシャルナークのみならず、ほぼ全ての団員が思っていることだった。というか、ヒソカ本人もそれを隠そうという気がないのかもしれない。それでも誰も表立って追及しようとしないのは、彼が一応は旅団の仲間であり……何より、腕が立つからであった。

 

「今更だろう。それがどうした」

 

「アイツの思惑がどうあれ、最終的に"蜘蛛"には空きができるだろ?だから欠員を埋めるための新しい人材が要る」

 

「なるほど」

 

 そこまで言われればクロロにもシャルナークの言いたいことが分かる。要するに、シャルナークは旅団の新たな団員に相応しい逸材を見つけてきたということだろう。

 

「カオル=フジワラって言うんだけど、知ってる?」

 

「ああ。とは言っても、名前ぐらいだが」

 

 "首狩り"のカオル。以前から大量の賞金首を狩り続けていることで有名だったが、最近になり正式にプロハンターとなったことで着実にその名声(というより悪名)を上げてきている新進気鋭の念能力者である。自らも賞金首であるクロロは、当然そのことを知っていた。

 シャルナークはそんな周知の情報を手短に話すと、更に最近になって判明したカオルについての新情報を語る。

 

「ソイツ、最近になって打倒幻影旅団を公言し始めたらしい」

 

「ほう?」

 

 今まで数多の高位ハンターが挑んでは敗れていったA級賞金首、幻影旅団を狩ると。それは果たして蛮勇か、はたまた何かしらの勝算があるのか。クロロは意味深な笑みを浮かべる。

 

「こうして話題に出すぐらいなのだから、実際に見てきたんだろう?どうだった」

 

「うん、あれは凄いね。遠目から見ただけだけど、オーラ量はウボォーギンと同等かそれ以上だぜ」

 

「なるほど、それは凄い」

 

 旅団随一の破壊力を持つ強化系念能力者、ウボォーギン。彼は筋肉量のみならずオーラ量もまた旅団随一であり、それと同等かそれ以上ということは即ち、現旅団の誰よりもオーラ量が多いということだ。

 念能力者の実力は何もオーラの多寡だけで決まるものではないが、一つの指標となるのは確かである。この時点でクロロは一定の評価をカオルなる少女に向けていた。

 

「実力に関しても十八歳としては破格のものだよ。B級の賞金首程度なら念能力者であっても無傷で倒してしまうらしいからね。

 それに、その気質もこちら側だ。"首狩り"の名の通り、彼女は生死不問の賞金首を必ず殺している。必ずね。恐らくは……」

 

「トロフィーハンター、か?」

 

「多分ね。そうやって賞金首狩り……いや、賞金首殺しを繰り返すこと百件以上。彼女はきっと戦うことが大好きだし、相応に金銭欲もあると見た」

 

「まあそれだけ荒稼ぎしていればな」

 

 聞けば聞くほど無法者(こちら)側の気質であるように感じられる。恐らく賞金首ハンターとなったのは、それが自らの欲望を満たすのに手っ取り早かったからだろう。

 そして、その欲望は全てこの幻影旅団にいれば満たされる。十分なほどに。

 

「シャルが言いたいことは分かった。実際に会って話す必要はあるだろうが、今のところオレから異論はない。ではいつ、どうやってコンタクトを取る?」

 

「やだなぁ団長、彼女は打倒幻影旅団を宣言しているんだ。慌てずとも待っていれば必ず来るし、それに……」

 

 シャルナークは懐から独特の形状の携帯電話を取り出す。それを見たクロロは得心がいったと無言で頷いた。

 

「将来有望な逸材とはいえ、まだ十八歳の女の子。隙を見てアンテナを刺すのは簡単だったよ」

 

「バレなかったのか?」

 

「こういうときのために作った、針より小さい超小型のアンテナさ。蚊に刺されるよりも小さい痛みだよ」

 

 手の中で携帯を弄びながら、シャルナークはニコリと人の好い爽やかな笑みを浮かべる。

 

 

「オレの"携帯する他人の運命(ブラックボイス)"はいつでも発動できる。彼女が会いに来たら、そのときは存分に話をしようじゃないか」

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 災厄に備えよ、と虚ろに響く内なる声に嗤う。自らも災厄に成り果てようとしている少女は、昏く濁った青い双眸を見開き嫣然と微笑んだ。

 

「Ia,Ia……さあ、涜神の宴を始めましょう。星辰が揃う刻は、もうすぐよ───」

 

 その腕には、人皮で装丁された冒涜的な魔導書が抱えられていた。

 




 畏れよ、定命の者ども。畏れよ、地を這う蜘蛛よ。


 ───水底の魔性が、遂にその鎌首を擡げる。


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ヨークシンを覆う影。約束の日の第七話

 
「団長。例のあの子、どうもヨークシン入りしたらしいよ。偶然かな?」

「……偶然と片付けるには些かタイミングが良すぎるな。動きを読まれていたか」

「あ?何の話してんだ、団長にシャルナーク」

「あ、ウボォーギン。いやね、"蜘蛛"に欲しいなーって目をつけてた子がヨークシンに来たらしくて」

「んだよ、新入りか?そいつは強いのか」

「正確なところは不明だけど、少なくともオーラ量はウボォーと同レベル。賞金首ハンターで、どうもオレたち"蜘蛛"をターゲットにしているらしいよ」

「へぇ、良いじゃねえか。活きのイイ奴は好きだぜ?どっちにしろヒソカの野郎よりはマシだろうさ。
 ていうか、そいつが俺たちと同時期にヨークシンに来たってぇことは……あれか、つまりは久々の挑戦者だな!?」

「ウボォー、オーラを抑えろ暑苦しい」

「まあ、十中八九そうだろうね。しかもちょっと調べれば分かってしまうぐらい自分の情報を明け透けにしている。この不自然なまでの不用心さ、これはオレたちに気づかせようとしているんだと思う」

「その若さで小賢しい知恵も回るか……悪くない」

「何でもいい!ヨークシンに集う世界中のマフィア共に、活きのイイ挑戦者!戦い甲斐のある奴ばかりで嬉しくなっちまうぜ!」



 

「お久しぶり、クラピカ!今日は絶好の旅団狩り日和ね!」

 

 ───これはヤバイ、と久しぶりに再会した友人を見たクラピカは冷や汗を流した。

 

 出会ったときから変わらぬ華奢な体躯。手足は折れてしまいそうなほど細く、しかしその身を覆うオーラは力強い。念を覚えて間もないクラピカでは覆せぬ練度の差を感じ取った。

 人形のように整った顔立ちも記憶のままだ。"東洋の神秘"とレオリオが評するのも頷ける可憐な美貌である。

 

 だが、目がイっている。蒼玉(サファイア)のように美しかった瞳は昏く濁り、瞳孔は開き切ってグルグルと絶えず動き回り視線が定まらない。

 

「あー、うん。久しぶりだな、カオル……その、何か悩みがあるなら聞くぞ?どうも今の君は正気ではないように感じられる」

 

「私が正気ではない?私がクレイジー!?何を言っているのかしら、私はまさに絶好調よ!今にも深海に飛び立ってしまいそう!」

 

「……色々言いたいことはあるが、取り敢えず"深海に飛び立つ"という表現は正しくない」

 

 眉間を揉み解しつつ、クラピカは深くため息を吐いた。

 

 今日は九月一日、かつて友と交わした約束の日だ。しかしまさに今日開催される地下競売に参加するネオン=ノストラードの警護をせねばならないクラピカは、申し訳なく思いつつも仕事を優先させようと思っていたのだ。

 しかし、まさにその地下競売に幻影旅団が現れるのであれば捨て置けない。クラピカは無理を言って護衛チームのリーダーであるダルツォルネに頼み込み一時間の自由時間を貰ってきたのだ。

 

 で、いざ待ち合わせ場所の喫茶店に向かってみれば肝心要のカオルはこの有り様である。早くもクラピカは激しく先行きが不安になってきていた。

 はぁ、と再度ため息を吐いたクラピカは右手に軽く念を込める。

 

「しっかりしろ、何のために私を呼んだんだ」

 

「きゃん!?」

 

 スパン!と小気味良い音を立てて念を込められた掌がカオルの頭を叩く。普段は凛としている彼女らしからぬ悲鳴が零れた。

 しかし、悲鳴を上げそうになったのはクラピカも同じだった。思わずカオルを叩いた手をさすり冷や汗を流す。

 

(か、硬い!なんという速さのオーラ移動!まるで動きが読めなかったぞ!?)

 

 明らかに正気ではないカオルに対する、不意打ちじみた攻撃(精神分析)。間違いなく無防備な頭に直撃したと確信したクラピカの予想に反し、彼女は一瞬で頭部にオーラを集め"硬"で受け止めたのだ。

 

(カオルの様子からして、今のオーラ移動による防御は殆ど無意識だろう。つまり、無意識でありながら私の知覚速度を超えた超速の"流"を実現するだけの実力が彼女にはある!)

 

 まるで鋼鉄、あるいは大地そのものを殴りつけたような感触。もし軽くでも念を込めていなければ、あまりの硬度に怪我をしていただろう。クラピカは目の前の少女の実力を図らずも理解させられたのだ。

 

「ん……?あれ、クラピカ?え、私いつの間にヨークシンに……」

 

「や、やっと正気に戻ったか。一体何があったのだ?」

 

 叩かれた衝撃で我に返ったのか、きょとんとして辺りを見回すカオル。深い青色の瞳には理性の色が戻っている。

 正気を取り戻したカオルにホッと安堵しつつも、クラピカとしては困惑を隠せない。いつぞやの電話では底知れないオーラを通話越しにもかかわらず感じたというのに、こうして会ってみればその張本人は錯乱していたのだから。

 やがて思考が纏まったのか、カオルは眉間に皺を寄せて忌々し気に舌打ちを零した。

 

「Sh〇t!あの駄本が、道具の分際でよくも……!」

 

 今、可憐な少女が口に出すべきではないようなスラングが聞こえた気がする。目を疑うクラピカを余所に、カオルは憤懣やるかたないといった様子で一冊の本を取り出した。

 

「────────」

 

 そして無造作にテーブルの上に置かれたその本を見て、クラピカは今日一番の驚愕に固まった。

 

 それは、見慣れぬ材質の皮で装丁された豪奢な本だった。縁に銀細工をあしらったそれは、所々がくすんで年季の入った佇まいを醸し出している。

 ……しかし、それを表紙中央に張り付けられた苦悶に歪んだデスマスクがひたすら不気味に彩っている。本そのものが発する雰囲気やオーラも禍々しく、周囲の空間が歪んで見えるほど。まさに呪いの本と称するべき際物であった。

 

「……カオル、これは……これは、何だ?」

 

「見ての通り、呪いの魔導書よ。銘は"螺湮城教本(プレラーティーズ・スペルブック)"」

 

 カオルに促され手に取る。ページを捲ってみると、どこの言葉かも分からない謎の言語で文章や図形などが書き記されていた。

 

「うっ、く……!」

 

 ずるり、と頭の中に何かが入り込んでくるような不快感を覚える。全身を得体の知れない悪寒に包まれ、クラピカは投げ捨てるようにしてその本を手放した。

 

「な、何だこれは……?内容は全く分からない……字も読めないし、図形が意味するものも分からない……なのに、何か、何かよく分からないものが頭の中に流れ込んできたんだ……!分からない、分かりたくないのに、分かってしまう……!これは、これは深海に眠る───!」

 

「はい、ストップ」

 

 スパン、と今度はカオルがクラピカの頭を叩く。顔を青褪めさせて錯乱しかけた彼を正気に立ち返らせる。

 

「思ったより感受性が高いのかしら?まさか一読しただけでそこまで影響を受けるなんてね」

 

「……カオルが正気でなかった理由は理解したよ。こんな危険なものを、君は一体いつ、どこで手に入れたんだ?」

 

「さあ?物心ついたときには既に手元にあったわ」

 

 つまり、一読しただけでクラピカが錯乱しかけたものを、この少女は幼いときからずっと所持していたのか。

 クラピカはカオルの様子を観察する。先ほどまでと違い、今の彼女は平静そのものであるように見受けられた。その瞳に狂気の影はない。初めて出会ったときと変わらない、凛然とした佇まいの少女がそこにいた。

 

(何ということだ……何年もあの本に触れ続けて、ようやくあの程度の影響しか受けないような強靭な精神力を彼女は持っている!)

 

 感服する他ない。もはや目にするのも恐ろしく感じるほどの恐怖を魔導書に抱いているクラピカでは到底及ばないような精神的超越者。目前のこの少女は念能力者としてだけでなく、あらゆる面で己の先を行っているのだ!

 

「見事だ……先ほどの君を見て先行きを不安に思っていたが、要らぬ心配だったようだな。その強靭な精神力、感服するよ」

 

「え?ああ、うん。ありがとう?……何かよく分からないことで褒められた気がするけど、まあいいか」

 

 首を捻るカオルだったが、一応の納得を得たのか気を取り直したようにテーブルの上の魔導書を指し示す。

 

「これは異界の邪神について記述された魔導書、ルルイエ異本……のフランス語訳を更に写本したもの。つまりオリジナルのデッドコピーね。まあ記述内容はどうでもよくて、この魔導書には深海に関連する水魔を召喚できる力があるの」

 

「超常の力が宿る道具……製作者の死後に強まった"死者の念"を宿した本、ということか?」

 

「その解釈で問題ないわ」

 

「深海の魔物を召喚できると言ったな。一度にどのくらいの数を出せるのだ?」

 

 そう尋ねると、カオルはニヤリと笑って手にした魔導書を掲げる。

 

「無制限。無尽蔵にオーラを発し、それを呼び水に数多の魔物を召喚する魔導書なの、これは」

 

「無制限、だと……!?」

 

 何だそれは、とクラピカは瞠目する。その水魔とやらの強さは分からないが、しかし無制限に呼び出せるともなれば一体一体の強さなど関係がない。並の念能力者であれば数で押し潰され、一流の念能力者であっても長く足止めされる……そんな情景が容易く思い浮かんだ。

 

 無尽蔵に沸き上がり、周囲一帯を埋め尽くす悍ましき魔物たち。それが波濤となって全て己に押し寄せる様を想像し、クラピカは背筋を震わせた。

 

「恐ろしい……だからこそ旅団を相手にするには有効だ」

 

 クラピカは一人で幻影旅団全てを相手取るつもりでいた。だが、相手は十三人の集団。将来は分からないが、今の自分の実力では数の差で押し潰されるかもしれないという懸念はあった。口惜しいが覚悟云々でどうにかなる問題ではないのだ。

 対旅団に特攻を発揮する"発"を作っても覆せぬ「数の差」。ならばこちらも、より悍ましき数の暴力で以て趨勢を覆す。クラピカの裡に昏い憎悪と愉悦の感情が湧き上がった。

 

「……君の秘策は分かった。こちらから協力をお願いしたいぐらいだとも。

 だが、何よりも重要な問題がある。───本当に、幻影旅団はヨークシンに現れるのか?」

 

「確信を持って言いましょう。……来るわ、必ずね」

 

「そうか……そうか……!」

 

 クラピカの瞳がカラーコンタクト越しでも分かるほど赤く染まる。

 仇を追い求め旅を始めてから数年。ライセンスを取得し、念を覚えてからは未だ一年と経っていないが……どうやら、天はクラピカに味方しているらしい。こんなにも早く出会えるとは思わなかった。

 

「アナタは仇として彼らを討ち、私は賞金首ハンターとしてその仇討ちに協力する」

 

「そして私の復讐に協力する代わり、君は奴らの首を持ち帰る……異論はない。私は奴らを殺せればそれで良く、その遺骸になど興味はない」

 

「取引は成立ね」

 

 不敵に微笑むカオルが手を差し出す。クラピカもそれに昏い笑みを返し、差し出された手を握った。

 

 ああ、自分は恵まれている。こうして早々に仇に出会え、そして共に戦ってくれる友にも巡り会えた。これで───これでようやく、クラピカは本当の意味で自分の人生を歩き出せる。同胞の仇を討ち、奪われた瞳を取り返し、それで初めて全てを始めることができるのだ。

 かつての憧憬。友と共に夢見た英雄の旅路、その輝かしき記憶に蓋をする。まだだ、まだ早い。クラピカはまだ何も為せていないのだから、今すべきこと以外に余計な思考を挟むべきではない。

 

 轟と燃え盛る嚇怒の炎。クラピカは己の裡にて揺らめく憤怒の火に、憎悪という名の薪を焚べる。

 かつての怒りを忘れてはならぬ。同胞の悲劇を忘れてはならぬ。───かつて己が抱いた、煮え滾るような憎悪を忘却すること能わず。クルタ族最後の生き残りは、その執念が風化することをこそ恐れていた。

 

 

 

***

 

 

 

 醜態を晒した。よもや私が魔導書の影響で一時的狂気に陥るとは思わなかった。

 

 『螺湮城教本(プレラーティーズ・スペルブック)』は呪いの魔導書。そこに記された邪教の知識は持ち主をも蝕み侵食する。本来の持ち主であるジル・ド・レェもまた、その影響によりインスマス面と称される異相へと変化したのだ。

 しかし元がただの人間だった元帥とは異なり、メルトリリスそのものと言えるこの身は高い対魔力を有している。たかが劣化コピーの魔導書程度の影響を受けるものではない……はずだった。ところがその実、私が意識していないところで着実に呪詛は蓄積しており、先日の実験で遂に精神に狂気をもたらしたのだ。

 

 それは対旅団を想定した実験。「この魔導書は一度にどれだけの海魔を召喚し、制御できるのか」というものだった。

 結果は、先ほどクラピカに告げた通り「無制限」。召喚者のキャパシティを超える大海魔でもない限り、普通の海魔であれば万単位で召喚しようが問題なく操れたのである。

 

 ……つまりは万の海魔を実際に召喚してみたわけである。私の記憶では「最高にハイ」だったような感覚だが、どうもその時点で一時的狂気に陥っていたらしい。不定の狂気ではなかったためクラピカの気付けで目が覚めたが、しかし彼には恥ずかしいところを見せてしまった。幸い私が持ちかけた「取引」には応じてくれるようだが、下手をすれば断られていても可笑しくはないような失態であった。

 

 しかし、「死者の念」が籠められた道具か。まさか宝具であると馬鹿正直に説明しても分かるわけがないと適当に誤魔化したが、ふと、そういうこの世界らしい不思議アイテムにお目にかかったことがないなと思い至った。

 クラピカが追い求めている「緋の目」を始めとして、この世界には不思議な魅力に溢れた希少品が多く存在する。だからこそ、そういう希少品を求めるハンターという職業への人気が高いのだろう。対して、ドレインのために賞金首ハンターとなった私はそういう「ハンターらしい」冒険をしたことがない。

 

(もしキメラアント事件が終結して平和になったら、そういう浪漫を求めて旅するのも面白いかもしれないわね)

 

 本当にキメラアント編以降平和になるかは不明だが、しかし悪くない将来設計ではなかろうか。今まで心のどこかで常に大陸からの災厄への恐怖を抱いて生きてきた私だが、そういう未来への展望に思いを馳せると心が軽くなるような心地になる。何故なら私は自由である。何ものにも縛られず、好きなように生きていけるだけの力があるのだから。

 そうだ、それがいい。賞金首を狩るのは所詮は手段であり、決して私が本心からやりたいことではない。ならば、全てが終わった暁には自由に、好きに生きてみるのも悪くないではないか。

 

 ならば、そのためにも───

 

(そのためにも、"蜘蛛"は殺す。ヒソカも殺す。蟻の王も殺して……その全てを溶かして吸収してしまえば、私は自由になれる。何を恐れることもない力が手に入る)

 

 クラピカとの取引は、そのための第一歩だ。勿論友人である彼の切実な願いを手助けしてやりたいという思いがないではないが、しかし私の最大の目的は凄腕の念能力者である旅団のメンバーをドレインすることである。全員残らず、などと贅沢は言わない。五人、欲を言えば十人は仕留めたい。

 

 とまれ無事に交渉は成立。折角だからと、残りの自由時間を使ってゴンたちに会うだけ会いに行こうとクラピカを連れ立って歩いている。流石、近々ドリームオークションが開かれるだけあって賑わっていた。

 

 で、こうしてゴンたちに会いに来たのだが。

 

「何をしているのだ、お前たちは……」

 

「あ、クラピカ」

 

 クラピカが頭痛そうに蟀谷(こめかみ)を押さえる。そこには机の上で右腕を構えるゴンと、大きな宝石が鎮座した台座を抱えるキルア。そして声高らかに客寄せに励むレオリオの姿があった。

 

「お、クラピカじゃねーか。……って、カオルもいるのかよ!」

 

 私たちに気づいたレオリオが近づいてくる。その際、襟を正しネクタイの位置を整えるのを忘れない。私───というより、女性の前で見栄を張りたがる性格は相変わらずのようだ。その様子をキルアが白けた目で眺めている。

 

「久しぶりだな、クラピカ!カオル!元気してたか?」

 

「見ての通り息災だ。お前も相変わらずのようだな、レオリオ」

 

「お久しぶり、レオリオ。お陰様で元気そのものよ」

 

 レオリオ・パラディナイト───客観的に見た気性は単純で俗物的。金・酒・女に目がなく、普段は偽悪的に振る舞うことも多い男だ。

 しかしその実義理人情や友情に厚く、大切な人のためなら本気で怒り、自らを投げ出すことも厭わない。クラピカ曰く、「態度は軽薄で頭も悪い。だが決して底が浅い男ではない」だそうだが、全く以て同感だ。今もこうして友人と再会できたことを喜び、心からの笑顔を浮かべている。

 

「で?お前たちは一体何をしているんだ」

 

「何って、見ての通り金儲けさ。ゴンと腕相撲で勝ったらこのダイヤを獲得、できなければ挑戦権の一万ジェニーを置いてハイさようなら!って寸法よ」

 

「あくどい……」

 

 「カオルに引き続きコイツらときたら……まともなのは私だけか……?」とクラピカは頭を抱える。実際あくどいのは確かだ。念能力者の……それも強化系のゴンに一般人が腕力で勝つのは殆ど不可能だろう。

 

「だって金がねーんだもん。なあ?」

 

「うん」

 

 そんなことを言ってキルアとゴンが頷き合う。確かにグリードアイランドを買う必要はなくなったが、二人合わせて1000万ジェニーというのはハンターの所持金としては少なすぎる。その程度の金額ならちょっとした情報料で軽く吹き飛んでしまうだろう。あくどくとも合法なら手っ取り早く金を稼ぎたいと思う気持ちは分からないでもなかった。

 

「しかしさっきは危なかったぜ。もう少しでゴンが負けるところだったんだ」

 

「何?ということは念能力者が挑戦に来たのか」

 

「多分ね」

 

 ……ほう、そのシーンには覚えがある。恐らくゴンが負けそうになったのは幻影旅団の一人、シズク=ムラサキだろう。

 こうして実際にその痕跡を目にして改めて思うのは、幻影旅団は一人残らず一流の念能力者であるということだ。ゴンは念を覚えてから日が浅いとはいえ強化系、それに生まれ持った強靭な肉体とオーラ量がある。にもかかわらず、彼女にとって利き手ではない右手で力比べを成立させたのだ。強化系からは離れた具現化系にとって肉体強化は苦手な分野であるだろうに、やはり地力も年季も違うということだろうか。

 

 私も以前と比べるとずっと強くなったが、やはり油断はするべきではないだろう。一層気を引き締めて掛からねばなるまい。

 

(……しかし、そうか。遂に"蜘蛛"がヨークシン入りしたのね)

 

 私は一時的狂気によって錯乱しつつも、敢えて「幻影旅団を追う賞金首ハンターであるところのカオルが、満を持してヨークシンに乗り込んだ」という情報を少し調べれば分かる程度にばら撒いたのだ。そうすれば、用意周到にして狡猾な連中のことだ。もしかしたら私を警戒してセメタリービルに来る人数を増やすのではないか、という目論見があった。

 このときのために、わざわざ少し前から「打倒幻影旅団」を標榜していたのだ。恐らく連中は私のことを知ってくれたと思うが、さて。

 

「……これで完全に眼中になかったら泣くかも」

 

「何か言った、カオル?」

 

「いえ……何でもないわ、ゴン」

 

 まあ、どちらにしろまとめて相手取るのは変わらない。原作通りの面子しか来なかったとしてもそれはそれでアリだ。

 楔は既に打たれてある(・・・・・・・・・・)。先手はこちらが確実にいただくことになるだろう。

 

 

 ───覚悟することね、幻影旅団。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

「───"背信者(ユダ)"がいるぜ、俺たちの中に」

 

 気球に乗って移動しつつ、携帯電話を耳に当てながらウボォーギンが呟く。その顔は険しく、ただでさえ厳つい顔を猛獣の如き狂相に歪めていた。

 

 オークショニアを装って地下競売に入ったフェイタンとフランクリンによって参加者は惨殺。シズクの能力によって証拠隠滅を図り、満を持して競売品を掻っ攫おうとしてみれば───金庫の中はもぬけの殻、塵一つ落ちてはいなかったのだ。

 これは何者かによって旅団襲撃の情報が洩らされており、予め景品が移動させられていたとしか思えない。その何者かが旅団内部の裏切り者であろうと語るウボォーギンに対し、通話相手であるクロロはややあってその意見を否定した。

 

『いないよ、オレたちの中には。それにオレの考えじゃ、ユダは裏切り者じゃない。ユダは銀貨三十枚で神の子(キリスト)を売ったとされているが……果たしてオレたちの中の裏切り者は、一体幾らでオレたちをマフィアに売る?』

 

 メリットを考えろ、とクロロは語る。

 金か?名誉か?地位か?否否、それで満足するような無欲な者が"蜘蛛"の中にいるものか。

 

「ああ、うん。そうだよな……流石にそんな奴はいねぇわな……」

 

 珍しく頭を捻ってみたものの、ウボォーギンの予想は外れたらしい。眉間の皺を解いたウボォーギンが気不味げに頭を掻き、その場にいたメンバーの間からも弛緩した空気が流れる。

 

『それより一つ、解せない点がある』

 

「あん?」

 

『密告者がいたとすると、あまりに対応が中途半端だ。A級首のオレたちが競売品を狙いに来るって情報が本当に入っていたら、もう少し厳重に警備していてもいいんじゃないか?客の方は何も知らされず、丸腰で集まってたんだろう?』

 

 そう言われれば、とウボォーギンは首を傾げる。もし"蜘蛛"が来ると分かっていれば、競売品だけでなく、客の方にも何かしらの保険を掛けておくべきである。

 

『結論を言うと……情報提供者はいるが、その内容は具体的ではない。にもかかわらず、その内容を信じている者がマフィアンコミュニティー上層部の中にいる、と。そんなところか』

 

「あー……分かんねぇなあ。どんな情報が、誰から誰に伝わってるのかよぉ」

 

 ウボォーギンは伸び放題の頭髪をバリバリと掻き毟る。元より彼は頭が悪いわけではないが、頭を使うのは苦手なのだ。

 

「まあいい。で、俺たちはどうすればいい?」

 

『競売品をどこに移したか、オークショニアには聞いたか?』

 

「ああ」

 

 死ぬまで知らないの一点張りだったぜ、とウボォーギンはフェイタンに目をやりながら言う。旅団随一の拷問上手が言うのだから間違いない、と。

 

「……彼が今日一番気の毒な奴だたね」

 

 そう酷薄な眼差しで嘯くフェイタン。どんな凄惨な拷問が行われたかなど論ずるまでもない。

 

『移動場所を知っている奴の情報は聞き出したんだろう?』

 

「勿論だ」

 

 地下競売を取り仕切るマフィアンコミュニティーの元締めは、六大陸十区を縄張りにしている大組織の長───通称、「十老頭」。この十人がこの時期にのみ一ヵ所に集まり、話し合いによって様々な指示を出すのである。

 そしてその指示を実際に行動に移すのは十老頭自慢の実行部隊、「陰獣」。そしてその内、"梟"を名乗る陰獣の一人がどうやってか競売品を全て持ち去っていったのだという。

 

 間違いなく、シズクと同じタイプの念能力者だろう。即ち、敵も同じく念能力者である。クロロはそう結論を出した。

 それを聞いたウボォーギンは不敵に笑う。

 

「やっちまっていいんだよな?」

 

『勿論だ。追手相手に適当に暴れてやれよ、そうすれば奴らの方から姿を現すさ』

 

 嗚呼、それは楽しみだ、と狂獣は哂う。歯茎を剥き出しにして、旅団随一の戦闘狂は猛る。

 獣の名はウボォーギン。誰よりも闘争を愛する男。彼は今日も来たる闘争の気配を言祝ぎ、手ぐすね引いて好敵手(獲物)がやってくるのを心待ちにしていた。

 

 

 

 

「……でよう、ウボォーギン。結局密告者とやらの正体は分からねぇんだろう?」

 

「ん?ああ、そうだな」

 

 そう言ってウボォーギンに話しかけたのは、頭頂部に髷を結った痩身の男、ノブナガ=ハザマだ。彼は顎に手を当てながら尋ねる。

 

「何つったか、一人俺たちに盾突こうっていう活きのいいハンターがいるんだろう?」

 

「ああ、アイツか。えー……、と?すまんシャル、何ていったか」

 

「やだなぁ、もう忘れたの?カオル=フジワラっていう賞金首ハンターだよ」

 

 ああソイツソイツ、と頷くノブナガ。それがどうしたのかと尋ねるウボォーギンとシャルナークに、ノブナガは己の考えを語る。

 

「勧誘が上手くいきゃあ俺たち"蜘蛛"の仲間だ。が、まだソイツと俺たちは敵対してるわけだろう?俺はそのカオルって嬢ちゃんが密告者じゃねえかって考えてるんだけどよ、どうだ?」

 

「おお!」

 

 なるほど、と目を輝かせるウボォーギン。対してシャルナークは思案顔だ。

 

「うーん、どうだろうね。どうも彼女、あまりマフィアとの繋がりはないらしいんだ。精々中堅どころのマフィアに一度か二度用心棒として雇われたことがあるらしいだけで」

 

「んだよ、じゃあ無理だな」

 

 がくり、と項垂れるノブナガとウボォーギン。その程度の繋がりしかないのであれば、マフィアンコミュニティーの上層部を動かすのは無理だろう。

 

「……というか、その女ホントに勧誘するか?アンテナ刺されて気づかないようなマヌケは私御免ね」

 

「俺も、どちらかと言えば反対だな」

 

 そう主張するのはフェイタンとフランクリンだ。フェイタンはカオルの実力を疑問視しており、フランクリンは単純に現状メンバーを追加する必要性があるとは思っていない故だ。

 シズクは無関心な様子でぼーっと虚空を見上げている。対してマチは興味ありげにチラチラと男たちの会話を気に掛けている。ただでさえ男所帯な幻影旅団、女性比率が上がるのは歓迎らしかった。

 

「だけど、ヒソカよりはマシじゃない?」

 

 アイツ、どうせ近い内に"蜘蛛"を抜けるだろうし……と語るシャルナーク。すると一転、彼らの間に歓迎ムードが流れ始める。

 

「……まあ、実力は追々つけていけばいいね」

 

「旅団は十三人揃って初めて"蜘蛛"足り得る。勧誘は積極的にすべきだな、うん」

 

「……賛成」

 

「あたしは最初から賛成だったさ」

 

 上からフェイタン、フランクリン、シズク、マチの発言だ。女性二人はともかく、フェイタンとフランクリンの二人に関しては清々しいまでの掌返しであった。

 

 

 

 ───時を同じくして、どこかの廃墟で一人の道化師のくしゃみが響いたという。

 




 
 期待されていた方々、申し訳ありません。旅団戦はまた次回となりました。

 ……いや、最初はとっとと始めてしまう予定だったのです。ですが、殆ど前置きなく退場させてしまうと旅団側のキャラがあまりに薄くなってしまうと危惧したので、今回は繋ぎ回ということに致しました。

 それでは、また次回お会いしましょう。次こそはバトルですよ!





















 ……あと、短編から連載に変更しました(ボソッ)


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蜘蛛を踏み躙るは蜜の女王。前哨戦の第八話

 
 私は知っている。かつて感想欄にて、「主人公は旅団みたいな外道集団とは安易に仲良くなって欲しくない」というニュアンスの感想に多くのGoodが付いていたのを……!
 旅団メンバーは作者も好きなキャラクターたち。正直ギリギリまで迷っていたが、もはやこのピクト人、容赦せんッ!

 旅団死すべし、慈悲はない!(但し前半戦)


 

 それは、まさに一方的な蹂躙であった。ヨークシンシティの郊外に広がるゴルドー砂漠の一角にて、ウボォーギンは追手のマフィア相手に暴虐の限りを尽くしていた。

 

「オオオオオオオオオオッ!!」

 

 足踏み一つで大地を揺るがし、拳の一撃、蹴りの一撃悉くが人体を破壊して余りある威力を誇る。鎧袖一触とばかりに敵を蹴散らし、それは「陰獣」相手でも変わらない。

 

 陰獣"蚯蚓(みみず)"。まるで骨など無いかのように柔軟な動きで地中を動き回るその男は、ウボォーギンの"発"、"超破壊拳(ビッグバンインパクト)"の一撃の前に潜行していた大地ごと紙屑のように吹き飛んだ。

 

 陰獣"(ひる)"。体内にマダライトヒルを始めとする無数のヒルを飼っており、それを舌の先から相手に植えつけることができる。しかし"病犬"の神経毒で首から下の動きが止まったウボォーギンにヒルを寄生させることに成功するも、直後に頭を噛み砕かれて死亡。

 

 陰獣"病犬(やまいぬ)"。念で強化した牙と爪で鋼鉄より硬いウボォーギンの皮膚を噛み千切り、牙に仕込んだ神経毒で身体の自由を奪い戦いを有利に進める。しかし、噛み砕かれた"蛭"の頭蓋の破片を弾丸のように利用したウボォーギンにより脳天に風穴を開けられ死亡。

 

 陰獣"豪猪(やまあらし)"。硬軟自在の体毛を針のようにして操作できる小柄な男だ。その特殊な体毛でウボォーギンの拳を封殺することに成功するも、桁外れの肺活量が齎す咆哮を至近距離でぶつけられ内臓の悉くが破裂し死亡。

 

 裏社会を統べる「十老頭」が誇る最高戦力であってもこの有り様。それは正しく、「誰よりも強くあること」を己に課す力の権化が齎す破壊。幻影旅団随一のパワーファイター、ウボォーギンによる蹂躙劇であったのだ。

 

「何なのだ、あれは……」

 

 現場から離れた岩陰にて、ノストラードファミリー護衛団のリーダー、ダルツォルネが戦慄に声を震わせる。それに内心同意しながらも、クラピカは双眼鏡で狂獣の様子を冷静に観察する。

 

(あれがウボォーギン……"蜘蛛"一番の怪力を有する強化系念能力者か)

 

 カオルから予め全団員の情報については聞いていたが、それでも驚愕を隠せない。あれは間違いなく、クラピカが見てきた中で最強の念能力者だ。

 これが"蜘蛛"。これが幻影旅団。まともにぶつかってはまるで勝てる気がしない。

 

(ならば、まともにぶつからなければ良いだけのこと。力比べによる正面戦闘だけが戦いではない)

 

 初めからここにいるのが幻影旅団であると理解していたクラピカは、心の準備ができていただけあって幾分冷静だ。臓腑の底で蠢く憤怒に蓋をし、努めて冷静に戦局を俯瞰する。

 

「どうするんですか、リーダー。あんな化け物、俺たちが束になって掛かってもどうしようもありませんぜ」

 

「ううむ……」

 

 ウボォーギンの戦闘力を前に完全に戦意喪失した様子のスクワラの問いに、ダルツォルネは難しい顔で唸る。功名心が強く、オークション会場襲撃の犯人を捕らえることに躍起になっていた彼といえど、あの狂獣を相手にどうにかなると考えるほど驕ってはいなかった。

 

「ぬうぅ……口惜しいが、撤退するしかあるまい。スクワラの言う通り、あれらは我々の手に負える相手ではない」

 

 妥当な判断だ。異を唱えるべくもない冷静な決断。しかし、クラピカはここで引くわけにはいかなかった。

 

「……お前たちだけで撤退してくれ。私はここに残る」

 

「な……待てクラピカ!どうする気だ!?」

 

「無論、奴を……"蜘蛛"を倒すのだ」

 

 それだけ告げるとクラピカは旅団のいる砂漠に向かって歩き出す。それに慌てたのはリーダーであるダルツォルネだ。彼はリーダーとして、部下を生きて帰す責任があるのだ。

 

「無謀だ!あの怪物を相手に一人で行くなど、自殺行為だぞ!」

 

「無謀であれ何であれ、私は行かねばならない。それに……」

 

 クラピカは手に持っていた双眼鏡を投げ渡す。慌ててそれを受け取るダルツォルネを促し、旅団が屯する場所を指差した。

 

 

 

「私は一人ではない。他力本願というのは業腹だが、強力な助っ人が一人いるのでな」

 

 

 

 その指が指し示す先では、ある異変が起こり始めていた。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

「これはマダライトヒルですね。丸一日かけて人畜の膀胱に辿り着き、卵を産むと死ぬんです」

 

「おう、それで?」

 

「卵はすぐに孵化して尿と共に排出されますが、そのときの痛みは死に値するとか」

 

「おいおいおい、冗談じゃねぇぜ……」

 

 陰獣"蛭"に植えつけられたヒルについて解説するシャルナーク。その説明を聞いてウボォーギンは顔を顰めた。対戦車バズーカの直撃を「ちょっと痛い」で済ませるウボォーギンであっても、流石に中からの痛みには参ったらしい。

 ただし、とシャルナークは続ける。このヒルが孵化するためには安定したアンモニア濃度が必要であり、濃度が低いと卵は無痛で排出されてしまうのである。

 

「つまり?」

 

「これから明日の今頃まで休まずがぶがぶビールを飲み、どんどん排出すること!」

 

「何だよ、脅かさずにそう言えぃ!」

 

 そうなればむしろご褒美である。途端に上機嫌になったウボォーギンは打ち込まれた神経毒を吸い取ってもらうべくシズクを呼ぶ。それに頷いたシズクが歩み寄ろうとした、そのとき───

 

 

 ───Look to the sky, way up on high(天を仰げ 空高く).

 ───There in the night stars are now right(今宵 星辰が戻る).

 

 

 それは歌声。鈴を転がすような美声による歌が夜の砂漠に響き渡る。

 

 

 ───Eons have passed: now then at last(目覚めよ 我が主よ).

 ───Prison walls break, Old Ones awake(封印は既に無く)!

 

 

 バッとシャルナークが懐から携帯電話を取り出す。正体不明の歌声はまさにそれから響いていたのだ。

 

「どうしたの?誰からの電話?」

 

「いや……馬鹿な、この携帯にこんな着信音は設定されていないはず───」

 

 その携帯はシャルナークの"携帯する他人の運命(ブラックボイス)"発動のための装置でもある。それから聞き慣れぬ音が聞こえてくるのだ、シャルナークは警戒感も露わに着信を告げる画面を睨みつけた。

 

「ッ!?シャル、あんた!」

 

「え?」

 

 目を見開いたマチが声を上げる。ぼたり、と携帯の画面の上に青い粘液が滴り落ちた。

 

「え、え?何だ、何か変だ。何かがオレの中に……」

 

 ぼたり、ぼたり、と絶え間なく滴り落ちる青い雫。それはシャルナークの目や鼻、口の端から次々と流れ出していた。

 

 

 ───Fear(畏れよ).

 

 

「み……皆オレから離れろッ!何かが、何かが流れ込んで、で、ででででdddddddddddddd」

 

 

 ───They will return(主は来たる).

 

 

 

 パンッ、と破裂する。内側から溢れ出した青い液体の濁流によって、シャルナークの身体は木っ端微塵に弾け飛んだのだ。

 

「な───」

 

 団員たちが突然の事態に硬直する中、毒々しいまでの深い青色をした液体は寄り集まり、一つの形を作り出す。

 

「ふふふ……」

 

 渦を巻くようにして集う液体に撹拌されるシャルナークだったものの肉片。それは徐々に溶けていき、やがて完全に青に呑み込まれ消滅した。

 

「ふふ、あはは、あっははははははははははハハハハハハハハハハ───!」

 

 哄笑が響き渡る。天上の調べも斯くやというその美声に込められたのは、ありったけの嘲り。

 水流が集う。それは人形(ひとがた)を形成し、一人の少女の姿をこの場に顕現させた。

 

 

 

「Ia,Ia……さあ、涜神の宴を始めましょう、"蜘蛛"の皆々様。不肖このカオル=フジワラが催す死と退廃の饗宴を、どうか心行くまで満喫されますよう!」

 

 

 

 今宵、彼らは知るだろう。真の恐怖を。真の冒涜を。

 

 ───そして、真なる簒奪者の姿を。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

「カオル=フジワラだと!?」

 

「それって、さっきシャルが言ってた賞金首ハンターじゃ……」

 

 突然に、それも仲間の身体を突き破って現れた少女の姿にその場の全員が気色ばむ。鋼の具足を打ち鳴らし、少女───カオルは嫣然と微笑んだ。

 

「ふふふ……ひい、ふう、みい……あら、やっぱり六人しかいないのね。折角予め挑発しておいてあげたのに、残念」

 

「お前、何をしたね。シャルナークは一体……」

 

「フェイタン、ね。何だっけ、『アンテナ刺されて気づかないようなマヌケ』だったかしら?」

 

「ッ!?」

 

 鋭い視線でカオルを睨みつけるフェイタン。しかし直後に告げられた聞き覚えのある台詞に硬直する。

 

「お間抜けさん!私は気づかなかったのではなく、気づかなかった振りをしていたのよ。この身は変幻自在の流体、何にだって染み込む蜂。私に潜入するということは、私も潜入してくるということ」

 

 操作系、具現化系、あるいは特質系。この身に干渉するもの悉くが都合の良い侵入経路であると少女は嗤う。それを聞いた団員は血相を変えた。

 

「じゃあまさか、シャルがアンテナを刺した時点で……!」

 

「ご明察、能力を発動せずとも繋がりができた時点でもう手遅れ。毒となった私はずっとあの男の中にいたわ。……さあ、答え合わせはもう十分でしょう?なら踊りましょう!主催(ホスト)は私、主賓(ゲスト)は"蜘蛛(アナタ)"!いと素晴らしき異種共同作業(コラボレーション)!さあ、共に騒々しい狂騒曲(カプリッチョ)を───」

 

「黙れ」

 

 斬、と刀が振り抜かれる。居合の術理によって高速で飛来した白刃は、過たずカオルの首を切り落とした。

 ゴトリと地面に転がる少女の首を一瞥し、居合の張本人であるノブナガはフンと鼻で笑った。

 

「敵を前にお喋りとは油断しすぎたな。それで死んでちゃあ世話ねえぜ」

 

「いいえ、これは油断ではなく余裕というのよ」

 

 転がった生首が流暢に喋り出す。ぎょっと目を剥くノブナガをせせら笑い、首だけとなったカオルはメリメリと音を立てて口端を歪める。ぎょろりと眼球を蠢かせ、耳まで裂けた口を大きく広げた。

 

「Ia,Ia……Gyiiiiiii───!」

 

 ごばぁ、と口内から青黒い触手が飛び出す。それは弾丸のような速度で伸縮し、呆然とするノブナガの首に巻き付いた。

 

「ガッ……!」

 

「ノブナガ!」

 

 咄嗟に仕込み刀を抜いたフェイタンが絡みつく触手を切り裂く。触手は簡単に切断され、断面から腐臭を発するどす黒い血が流れ出した。

 

「何なんだコイツ、気持ち悪ぃ」

 

「言ってる場合、フランクリン!?気をつけなよ、コイツきっと本体じゃない!」

 

 如何にもその通り。ここにいるのはカオル本人ではなく、メルトウイルスが生み出したコピー体。女王蜂(本体)から放たれた働き蜂(分身)だ。

 そして海魔へと変じたのは頭部だけではない。残った胴体も形を崩して内側から裂け、更に三体の海魔を生み出した。

 

『Gyiiiiiii───!』

 

 硝子を引っ掻くような奇声を上げて飛び掛かる海魔たち。それを旅団のメンバーは各々の方法で迎え撃った。ノブナガは刀で。フェイタンは唐傘と仕込み刀で。フランクリンは腕力と念弾で。マチは針と念糸で。シズクは「デメちゃん」という具現化させた掃除機でそれぞれ応戦する。

 そしてウボォーギンは───

 

「う、うおおおぉぉぉ!?」

 

「ウボォー!?」

 

 突如岩陰から飛来した鎖に雁字搦めにされ引き上げられる。ドップラー効果すら伴う勢いでフェードアウトしていくウボォーギンに慌ててフランクリンは視線を向けた。

 敵が何をしてくるか分からぬ状況で孤立するのは拙い。フランクリンは念弾を吐き出す指先の照準を鎖に合わせようとし───

 

「"臓腑を灼くセイレーン(Seiren burning organs)"……油断大敵よ、フランクリン」

 

「ガッ……ハ……!?」

 

 ずぶり、とフランクリンの胸から巨大な棘が突き出した。"絶"で気配を絶った本物のカオルが背後から迫り、膝の棘で串刺しにしたのである。

 そして変化はたちまち現れた。貫通した棘を中心に青が侵食していき、やがてそれが身体全体に及ぶやぐずぐずと輪郭が崩れて毒々しい色の粘体(スライム)と化したのだ。

 

 唖然とする団員たちには目もくれず、カオルは嬉々として鋼の脚をフランクリンだったものに突き刺した。踏み躙るようにして何度も何度もストンピングを繰り返し、やがて粘体は体積を減らしていき完全に消え去った。

 

「ああ……ご馳走様でした」

 

 吸収されたのだ、と気づいたときにはもう遅い。シャルナークに続いてフランクリンまでもが死んだのだ。人としての形すら保てず、醜い粘液になって尊厳も何もかも踏み躙られて。

 ぶちり、と血管が裂ける音が響いた。

 

「てめええええぇぇぇぇッ───!!」

 

 激発したのはノブナガだった。旅団のメンバーとは意見の食い違いからよく諍いを起こしていたノブナガだが、本質的には仲間想いである彼は"蜘蛛"の結成当時からの仲間であったフランクリンの死を目にして一気に怒りが振り切れたのだ。

 仲間たちの制止の声を無視し、斬っても斬っても自らの血から再出現し続ける海魔を振り切って駆け出した。腰の刀に手を添え、狙うは一点、憎き女の首ただ一つ。

 

「じゃ、早速使ってみましょうか」

 

 そう軽い調子で告げたカオルが両手を前に突き出し、揃えた指先をノブナガに向けて構えた。そのあまりに見覚えのある構えに目を見開くノブナガを尻目に、カオルの莫大なオーラが指先へと集う。

 

「俺……いえ、"私の両手は機関銃(ダブルマシンガン)"」

 

 ドドドドドドドドドッ!!!と凄まじい威力の念弾が連続して放たれる。それは紛れもなくたった今殺された仲間の念能力、フランクリンの"発"に違いなかった。

 

「な……馬鹿な!?」

 

 両手の五指から放たれる念弾の威力は凄まじく、着弾する度に爆炎と共に地を抉る。混乱するノブナガはそれを必死に身を捩って回避するも、精彩を欠いた動きで弾幕と化したそれを避け切ることはできない。あわや直撃するかと思われた次の瞬間、身体に絡みついた念糸がノブナガを引っ張り上げた。

 

「マチか!」

 

「馬鹿、一人で突っ込んでるんじゃないよ!」

 

 間一髪蜂の巣にならずに済んだノブナガは短く礼を告げる。大切な仲間を失ったとはいえ、しかしノブナガは死と隣り合わせの世界を生きてきた猛者。一度冷静になれば切り替えは早く、ようやく冷えた頭で怨敵に向き直った。

 

「うーん……微妙ね、コレ」

 

 一方、カオルは自身の手と弾幕による破壊痕とを見比べてそんなことを言った。

 フランクリンの"俺の両手は機関銃(ダブルマシンガン)"という能力は、「自らの指先を切り落とす」という誓約を課すことで念弾の威力を飛躍的に上昇させていた。対してカオルの指は見た通り傷一つなく健在であり、その誓約は意味を成していない。結果として本家ほどの出力は出ず、カオルの膨大なオーラ量で補いやっと同等の威力を発揮するので精一杯だったのだ。

 加えて、カオルの鋼の脚は非常に鋭く尖った足先をしている。これは常に爪先立ちをしているようなものであり、"俺の両手は機関銃(ダブルマシンガン)"の大きな反動を上手く抑え込むことができない。意表を突いたというのにノブナガを仕留め損ねたのは、偏にバランスを保つことに意識を割かざるを得ず照準に集中できなかったからであった。

 

 そういった諸々の理由を鑑みての「微妙」という評価。しかしそんなことを知る由もない団員たちは仲間の能力を馬鹿にされたことで額に青筋を浮かべた。

 

「……絶対殺すね」

 

「糞が、それがアンタの能力かよ」

 

 フェイタンの目が剣呑に細められ、ギリギリと歯を食いしばるマチが血を吐くような語調で詰問する。

 怒りに思考回路が焼け付きそうになりながらも、しかし彼らは冷静さと警戒感を失わない。何故ならこの賞金首ハンターの少女は明らかに他者の能力を奪い取っていた。自身の系統も何もかも無視して奪った他者の"発"を自在に使いこなすその様は、まるで彼らが団長と慕う男そのもののようで───

 

「そうよ、これが私の力。どろどろに溶かして殺した相手の能力を奪う絶対の吸収能力!」

 

 

 ───名付けて、"総てを簒う妖婦の顎(マリス・ヴァンプ・セイレーン)"……!

 

 

 カオルが有する三つ目の"発"。彼女のid-es「オールドレイン」で吸収した相手の情報から念能力のみを抽出し奪い取る特質系の能力である。

 相手を溶かし吸収すること自体は念能力とは何ら関係のない彼女自身のスキルなので、クロロのように複雑な手順を踏む必要はない。この"発"は、本来スキルや特殊能力といったカタチのないものを吸収できないオールドレインを強化し、念能力にのみ的を絞って抽出するだけのものだ。念能力としては比較的規模の小さいものだろう。

 故に小難しい制約も誓約もない。いつもの戦闘スタイルの延長で容易に発動でき、従って今し方のようにドレインしてすぐに使用することもできる。

 

 パラメーターはおろか、レベル、パーソナリティすら奪うオールドレイン。それに加え、ドレインでは実現できない相手の能力をも奪う"総てを簒う妖婦の顎(マリス・ヴァンプ・セイレーン)"が合わさったカオルこそまさに簒奪者の極致。オリジナルをも超越した(どく)の女王の威容である。

 

 

「理解したかしら?なら跪きなさい、そうすればせめて楽に殺してあげるわ」

 

「ハッ、もう勝った気でいるのかよ。不意打ちで二人殺ったからって良い気になってるんじゃねぇぜ」

 

「……こっちは四人。四対一」

 

 殺した相手の能力を奪い使役する能力。確かに恐ろしいが、ならば殺されなければいいのだ。

 四対一という数の差で有利を取り、袋叩きにする。もはや動揺に囚われていた最初のようにはいかぬと四人は意気込み───じゃり、と砂を踏みしめる足音が彼らの背後から聞こえてきた。

 

「───四対一?違うな、四対二だ」

 

 現れたのは金髪の青年。どこか異国情緒漂う民族衣装に身を包んだその青年はどす黒い怒りの念を全身から溢れさせており、深紅の双眸が熾火のように炯々とした光を放っていた。

 

「遅かったじゃない、クラピカ」

 

「済まない、少し手間取った。どうも最低限の解毒は終えていたらしくてな」

 

 金髪の青年───クラピカはカオルを一瞥すらせず残った旅団に怒りの籠った視線を向け続けている。

 その手に鎖が巻き付いているのを見て取ったノブナガは、その青年こそが先ほどウボォーギンを連れ去った張本人であると察した。

 

「てめえ、ウボォーギンはどうした!」

 

「殺した」

 

 ノブナガの問いにクラピカは至極淡々と答える。ジャラリ、と中指の指輪から伸びる鎖が蛇のように蠢いた。

 

「な……嘘を吐くんじゃねえ!ウボォーギンがテメエみたいなガキにやられるはずが……!」

 

「嘘ではないさ。かつてお前たちがしたように、情け容赦なく殺してやったとも」

 

 ジャラジャラと鎖が蠢く。それはクラピカの怒りに震える心を映しているかのように荒々しく、込められたオーラの密度にギシギシと軋んですらいた。

 鎖の先端に付いた鉤爪の楔がノブナガを照準する。平坦な声音に煮え滾る憎悪を乗せて、クラピカは死刑宣告を告げる。

 

「安心しろ、すぐに後を追わせてやる───全員残らずな」

 

「キッ……サ、マァ……!」

 

 フランクリンに引き続き、最も仲の良かったウボォーギンまでも失ったノブナガは激しい怒りに顔を歪める。一度は取り戻した冷静さなどかなぐり捨て、震える手で刀を握り締めた。

 

「熱くなりすぎないでノブナガ!流石に状況が悪い!ここは一度引いて……!」

 

「……怖気づいたね、マチ?」

 

「ちっげーよ!だけど三人も失ったんだ、一度団長に指示を仰ぐべきでしょう!?」

 

「あら、残念だけど逃げられないわよ?」

 

 撤退を提案するマチに、カオルは酷薄な笑みを向ける。まるで獲物を網に捕らえた女郎蜘蛛を思わせる不気味な笑みを口元に浮かべ、大仰に手を振って周囲を指し示した。

 

「さっきまでアナタたちと遊んでいた海魔。あれをざっと六千匹ぐらい召喚してここゴルドー砂漠を包囲させているわ」

 

「ろっ……!?」

 

 バッと周囲一帯の風景に目を凝らす四人。果たしてカオルの言に偽りはなく、岩場に囲まれたこの場所を中心に数えるのも億劫になるほどの名状し難い怪物たちが犇めき壁を形成していた。

 あの倒しても倒しても己の血すら糧にして復活する悍ましい魔物、それが六千匹。あまりに常軌を逸した光景にマチは眩暈を感じてよろめき、シズクは既に顔面蒼白にして佇むばかり。

 

「……まさか、そのためにフランクリンを先に殺したか?」

 

「大正解♪」

 

「……狗屎(クソが)

 

 唯一この包囲を突破できる可能性があった広範囲への破壊力を有するフランクリンは既にいない。それを辛うじて冷静さを保っているフェイタンが指摘すると、カオルはムカつくほど可憐な笑顔でそれを肯定した。フェイタンの額に青筋が浮かぶ。

 

「言ったでしょう?死と退廃の饗宴を楽しんで行って下さいな、って。途中で逃げるだなんて許さないわ」

 

「決して逃がさん……決してな」

 

 カオルが楽しそうに鋼の具足を打ち鳴らし、クラピカは変わらず能面のような無表情で殺気を放ち続ける。その二人の様子を見ていよいよ逃げ場などないと確信した四人は、苛立ちと僅かな諦念を顔に浮かべオーラを奮い立たせた。

 

「クロロ=ルシルフルがいないのは残念だが、この際贅沢は言うまい。貴様らだけでも確実に葬り去る。一族の仇だ、ここで───」

 

 

 

 

 

「───ほう?オレをご指名か、クルタ族の生き残りよ」

 

 

 

 

 突如としてこの緊迫した空間に投じられた何者かの声。その何人にも無視し難い威厳を孕んだ声音に、この場の誰もが声のした方角を振り仰ぐ。

 

 乾いた砂に半ば埋もれるようにして聳える大岩の上。そこには黒衣を纏い、額に十字架の入れ墨を刻んだ黒髪の男が佇んでいた。その背後にはジャージ姿の男と全身を包帯に包まれた男が控えている。

 その姿を見たマチは安堵の笑みを浮かべ、その男の名を呼んだ。

 

「団長!」

 

「マチ。それにノブナガとフェイタン、シズクの四人か、残ったのは。

 ……何を情けない顔をしている。オレがここにいて、お前たちもこうして生きている。ならば"蜘蛛"は未だここに健在だ」

 

 その男は感情の読めない声でそう告げ、次いでカオルに視線を向けた。

 黒々とした底知れぬ光を宿した黒瞳。そして海原を思わせる青い瞳とが交わった。

 

「やはりお前だったか。何となくそんな気はしていたよ、カオル=フジワラ」

 

「ふん、噂通り読めない男。まさか六千の海魔の群れを無視して現れるとは思わなかったわ。

 

 

 

 

 

 ───クロロ=ルシルフル……!」

 

 

 

 

 

 

 ───幻影旅団団長、クロロ=ルシルフル……参戦。

 

 




 
【総てを簒う妖婦の顎/マリス・ヴァンプ・セイレーン】

・特質系能力
 オールドレインによって吸収した情報から、念能力(発)に関する情報のみを抽出しコピーする。この能力によってできることは情報の抽出とコピーのみで、ドレインは本人のスキルとして行うしかない。故に"盗賊の極意/スキルハンター"でこれを奪ったとしてもクロロが扱うことは不可能である。良くも悪くもオールドレインを前提とした能力。

〈制約〉
・能力をコピーするためには、対象を肉片一つすら残さず全てドレインする必要がある。
・能力をコピーした場合、本来得られるはずだった経験値は能力分差し引かれる。

〈誓約〉
・特になし




 ……以上、名前すらオリジナルのオリ念能力でした。ちなみに能力名は作者が中二病を再発させることでようやく搾り出せました。やっぱり既存の能力とか設定を使う方が楽……。
 マリス:悪意、悪巧み
 ヴァンプ:妖婦、毒婦
 セイレーン:クラシックバレエ『放蕩息子』より、放蕩息子を誘惑し身包み剥いだ妖婦の名前。
 要するに「妖婦セイレーンの悪意」みたいな意味合いの名前です。

 いいかー、感想欄ではぜったいにこの能力の名前はだすなよー。ピクト人恥ずかしくて死んじまうからなー。何かしら言うときは「三つ目の"発"」もしくは「三つ目の奴」とかで頼むぞー。


 ではまた次回。次で旅団戦決着です(多分)


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緋の復讐者と蜘蛛の末路の第九話

 
 とても光栄なことに、最近頓に評価や感想が増えてきました。このような思いつきとノリで始まった拙作を応援していただき、本当にありがとうございます。
 しかしその一方で、最初の頃は苦ではなかった感想返しに時間を多く取られるようになってきました。返信は義務ではないとはいえ、せっかく送っていただいた感想に何も反応を返さないのは失礼なのでは……と思っていたところ、とある方に「無理しなくてええんやで」と言っていただきました。なのでそのお言葉に甘えまして、これからは本編執筆を優先して感想返しはぼちぼちやっていくという形にさせていただきます。
 しかしいただいた感想は一つ残らず拝見させていただいておりますので、今まで通り遠慮なく感想・ご意見等をよろしくお願い致します。

 前書きにて長々と失礼致しました。それでは本編をお楽しみ下さい。



 

「フィンクス、ボノレノフ。マチとシズクを守れ。ノブナガとフェイタンはオレと共に奴らの相手だ、手伝え」

 

 クロロが現れたことで明らかに雰囲気が変わった。這い寄る絶望に支配されつつあったノブナガ、フェイタン、マチ、シズクの四人は途端に気力を取り戻し、団長の指示に即応し陣形を変える。内心で暴れ狂う激情に無理矢理蓋をしたノブナガとフェイタンはそれぞれ刀を手に前に出る。対してマチとシズクは二人の邪魔にならないように一歩下がった。

 

「させないわ!」

 

「逃がすか!」

 

 逃走の気配を感じ取ったカオルとクラピカが動く。カオルは具足の棘を突き出して突進を敢行し、クラピカは中指の鎖を伸ばして追撃を掛けた。

 

「おっと、そうはさせねぇぜ」

 

 その間に飛び込んだジャージ姿の男、フィンクスが拳を構える。グルグルと腕を五回転させた彼の拳には既に莫大なオーラが宿っていた。

 

「"廻天(リッパー・サイクロトロン)"!」

 

 腕を回す毎にオーラと破壊力が増すフィンクスの"発"が大地を抉る。その衝撃波は接近するカオルを退け、クラピカの鎖の軌道を反らすことに成功した。

 そしてその隙に包帯で全身を覆い隠した男、ボノレノフがマチとシズクのカバーに入る。生粋の戦闘員ではない二人は、替えの利かない特殊技能を有した"蜘蛛"に欠かせぬ人材。何があっても守り切る必要があったのだ。

 

「ちっ……」

 

 フランクリンの次に優先度が高かった標的と引き離されたカオルは舌打ちを零す。遅滞なきその連携は流石、自分たちを"蜘蛛"と称するだけあって一つの生物のように有機的且つ迅速に行われた。そこに介入するだけの連携は自分たちにはない。

 

「さて」

 

 ざっ、と岩から飛び降りたクロロが砂を踏み締める。足場の状態を確認するように何度か足踏みしたクロロは口元に涼やかな笑みを浮かべてカオルを見据えた。

 

「ウボォーギンとフランクリン、シャルナークがいないな。誰がやった?」

 

「フランクリンとシャルナークは私が。ウボォーギンは彼がやったわ」

 

「シャルナークはともかく、生粋の戦闘員であるフランクリンをやったか。流石だ」

 

「殆ど不意打ちだったけどね」

 

 なるほど、と頷くクロロに動揺した様子は見られない。

 仲間をやられたにしては反応が薄い。訝しむカオルを余所にクラピカが前に出た。

 

「お前がクロロ=ルシルフルか」

 

「如何にも、クルタ族の生き残りよ。まさかウボォーギンを無傷で倒すほどの実力者とはな」

 

「……私については既に説明するまでもないようだな。ならば問おう、同胞の瞳……緋の目をどこへやった?」

 

「さて、知らんな」

 

 貴様……と気色ばむクラピカを手で制し、クロロは緋の目の在り処について語った。

 クロロは欲しいと思ったものはどんな手段を用いてでも手に入れるが、一方で所有欲というものに乏しい。そんな彼は手に入れた品を満足いくまで愛でると適当な相手に売りつけてしまうのだ。

 その相手は闇商人や金持ちの好事家、流星街の住人など多岐に渡る。そして緋の目はとある闇のブローカーに売りつけ、そこから世界中に散逸したであろうとクロロは締め括った。

 

「随分素直に話すのね」

 

「特に隠す意味もないからな」

 

 確かに隠す必要などないだろう。緋の目はもうクロロの興味の対象ではなく、しかも売り捌かれてから随分と時が経った。もはやそのブローカーを捕まえ問い詰めたとしても現在の在り処は殆ど分からないに違いない。

 結局のところ進展なし。ギリリと忌々し気に奥歯を噛み締めたクラピカはジャラリと鎖を蠢かせる。

 

「ならば今この場で私がすべきことはただ一つ……貴様を殺すことだけだ。その死を以て同胞への手向けとしよう」

 

「フッ、威勢のいいことだ。だがその前に、一つ提案がある」

 

 スッとクロロは手を差し伸べる。その視線はカオルとクラピカ、両方に向けられていた。

 

 

「オレたちと共に来る気はないか、カオル=フジワラ。そしてクルタ族の生き残りよ」

 

 

 何っ?とカオルとクラピカ、そして旅団メンバーの間からも驚愕の声が上がる。驚くべきことに、クロロはこの状況にあって敵対する二人をも仲間にしようとしていたのだ。

 

「おいおいおい、冗談だろう団長!?こいつらはオレたちの仲間を三人も殺ったんだぞ!?」

 

「だからこそ、だ。忘れたかノブナガ、オレたち"蜘蛛"は何よりも力を貴ぶ……その点、この二人は申し分ない」

 

 どの道欠員の補充はしなければならないしな、とクロロはいきり立つノブナガを宥める。そう、"蜘蛛"はそうやって続いてきた。欠員が出れば新たな戦力を補充し、そして空席がない状態で入団を希望する者が現れれば、新参は力尽くで席を奪い取ることになる。ヒソカなどは後者の方法で入団した経緯を持っていた。

 "蜘蛛"の手足は既にして血に塗れている。その上でクロロはこの二人がいいと考えていた。既に条件は満たしている。後は本人に入団の意志があるか否か、それにのみ委ねられるのだ。

 

「───ふざけるなよ……」

 

 それは地獄の底から響く亡者の怨嗟を想起させる、昏い憎悪に満ちた声。クラピカは嘗てないほど緋色の瞳を赤く染め、怒りのあまり総身を痙攣させながら眼光鋭く怨敵を睨み据えた。

 

「私は覚えているぞ……忘れるものか、あの血塗られた光景を。惨たらしく殺された同胞たちの、正視に耐えぬ末期の姿を……!

 あれほどの悪逆を為しておきながら、剰え仲間になれだと!?愚弄するにも程があるッ!」

 

 クルタ族の緋の目は、怒りや悲しみの感情によって達する緋色が最も深く鮮やかであるとされる。その特性が故、クルタ族は集落を襲った幻影旅団から凄惨な拷問を受け虐殺されたのだ。

 クラピカの脳裏を過るのは、無残を極めた忌まわしき情景だ。家族は向かい合わせに座らされ、体中を刃物で滅多刺しにされた上で最後には首を刎ねられ殺されていた。そして子供ほど傷が多いという事実に絶大な悪意を感じずにはいられない。眼球を繰り抜かれたことで空洞となった眼窩から流れる血の涙が、同胞の無念を痛いほどに伝えてきていた。

 そのとき同胞が抱いたであろう怒りを、悲しみを、無念を───クラピカは生涯忘れないだろう。

 

 限界まで振り切れた怒りにどす黒いオーラが噴出する。オーラに込められた嚇怒の念は黒き颶風となって吹き荒れ、その威圧はクロロを除く全団員の心胆をも寒からしめた。

 

「ふむ、振られてしまったか」

 

 当たり前だろう、という団員からのじとりとした視線を無視し、今度はカオルに目を向ける。

 

「お前はどうだ、カオル。特にお前はオレたちと同じ流星街の出身だ、悪くない提案だと思うが?」

 

「……そうね」

 

 確かに、カオルと幻影旅団とでは共通点が多々ある。流星街出身というのもそうだが、他者を食い物にして生きているという点で両者は同じ「悪」であると言えた。

 カオルは死にたくないという利己的な生存欲求のために。そして"蜘蛛"は満たされぬあらゆる欲求を満たすために、多くの命を啜って生きてきた。あるいは出会った時期が違えば、カオルが旅団の一員として生きる未来もあったのかもしれない。

 

 だが……所詮それはあり得たかもしれない可能性(もしも)の話。今この場において、カオルが出す答えは決まっていた。

 

「答えはNOよ、クロロ。事ここに至って、もはや和解の道はあり得ない。私は私のためにアナタたちを殺し、アナタたちはアナタたちのために私を殺す」

 

「なるほど……お前にも欲するものがあるか。ならば仕方ない」

 

 そう、これは形の違う(エゴ)(エゴ)のぶつかり合い。そこに共存の道は存在しない。それを理解したクロロは名残惜しそうにしながらも引き下がった。彼も盗賊として、欲しいもののために譲れない気持ちはよく分かっていたからだ。

 

「ならば仕方ない……仕方ないから、よし。殺すとしようか」

 

 どこか飄々としていた様子だったクロロの纏う雰囲気が変わる。奈落の底のように黒々とした瞳に凄絶な光を宿し、"蜘蛛"を統べる団長の名に恥じぬ威風と共にオーラを総身から迸らせた。

 

「決断が遅いぜ、団長」

 

「……まあ、ある意味いつものことね」

 

 欲しいと決めた獲物を前に舌なめずりするのは盗賊の常だ。やれやれと首を振ったノブナガとフェイタンが刀を手にオーラを立ち昇らせた。

 

「あちらもいよいよ本気のようね。クラピカ、気持ちは分かるけど落ち着きなさい。そう気を昂らせ続けていると無駄にオーラを消耗するわよ」

 

「ああ、分かっている……分かっているさ」

 

 キン、キン、と踵の刃を打ち鳴らしつつカオルは好戦的な笑みを浮かべる。クラピカは受けた忠告を聞いているのかいないのか、些かも衰えることのない殺意を全身から滲ませつつ鎖を手繰り寄せた。

 

「さあ……始めようか」

 

 そして───クロロが具現化させた本を手に取ったのを合図に、戦いの火蓋は切って落とされた。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 最初に仕掛けたのはカオルだ。彼女の剣のように鋭い足は柔らかい砂の上では上手く動けない。故に足元に水流を発生させ、その上を滑るようにして突撃を掛けた。

 

「ノブナガ」

 

「応」

 

 それを迎え撃つのは、鞘に収めた刀を腰だめに構えたノブナガだ。彼はクロロの呼びかけに短く応じると、目を閉じ"円"を展開した。

 

 "円"───"纏"と"練"の応用であり、 通常時は肉体の周囲にあるオーラを円状に広げる技だ。 この"円"は一種のレーダーの役割を果たし、その圏内全てが触覚として機能する。これをより広範囲で使える者は疑う余地なく実力者であると判断できるが、一方で得手不得手が顕著な技術でもあるので、"円"が小さいからとて一概に未熟と断ずることはできない。

 

 そしてノブナガが展開した"円"の範囲は半径約四メートル。これは極端に広くもないし狭くもない、至って平均的な大きさのものであると言えよう。

 しかしノブナガの"円"は他の能力者のものとは一味違う。この四メートルという限られた範囲の中において、ノブナガの感覚は絶対のものとして機能する。相手の呼吸、心拍、血流の音から筋肉の伸縮する気配まで、およそあらゆるものがこの"円"の中では詳らかとなるのだ。

 故に視覚など不要。この"円"の内にありて、敵の挙動は全て筒抜け。限定的な未来視にも匹敵する先読みを可能とするこの技こそが、ノブナガが「タイマン勝負専門」と称される所以である。

 

「動いたら斬るぜ」

 

「動かないと斬れないでしょう?」

 

 そんな軽口と共に両者の間合いが交わる。カオルが振り上げた踵を勢いよく振り下ろし、カッと目を見開いたノブナガが煌めく白刃を鞘走らせた。

 ギイィンッ!と硬質な音が響き渡る。盛大に火花を散らし、踵と刀が切り結ばれた。そのまま斬り合いに移行し、両者は高速で刃を閃かせる。

 

 それはまるで、一種の舞のようであった。踊るように振るわれる鋼の脚が白銀の軌跡を虚空に描き、白刃が負けじとそれを猛追する。予定調和の如く二つの銀が交わり、夜空に瞬く星々のように次々と火花を落としていく。

 

「ちぃっ!」

 

 ギンッ!と一際大きく刃同士をぶつかり合わせたカオルが飛び退る。もはや魔人の領域にある身体能力に物言わせて超高速の接近戦を仕掛けたものの、ノブナガの技量が想像以上で押し切れなかったのだ。

 パワー・スピードに関しては全てカオルが上を行っている。しかしその身体能力の劣勢を覆すに足るテクニックと反射神経がノブナガにはあり、当たりさえすれば一撃で相手を殺し得るカオルの攻撃を寄せ付けない。やりづらい、とカオルは内心で舌打ちする。

 

(クソ、やりづれぇ……)

 

 一方、ノブナガもカオルに対して全く同じ感想を抱いていた。一度"円"の内に相手を捉えれば無類の強さを発揮するノブナガであったが、ことカオルが相手ではその有利が上手く働かない。

 まるで変幻自在の流体のようだ、とノブナガは思った。血は流れているし、心音もする。呼吸も感じ取れるし、筋肉が伸縮する音も聞き取れる。しかし、それらをかき消すようにして内側から響く流水の音が邪魔をするのだ。不規則に流れる水音がそれら身体情報の取得を阻害するため、ノブナガは勘や持ち前の動体視力をも総動員してようやく動きに追いつくので精一杯だった。コイツ本当に人間か?とノブナガは内心で舌打ちする。

 一瞬でも集中力を切らせば負ける。そう確信したノブナガは忌々し気に歯を食いしばった。

 

 ノブナガが本調子を出せていない、と長年の付き合いから察したフェイタンが動く。クラピカを牽制することに注力していたフェイタンだったが、カオルの動きを見てその脅威を正確に理解した彼は悪手を承知でノブナガの助太刀に入った。

 あの鎖野郎よりこの女の方が厄介。残しておいて万が一ノブナガが倒れれば止められなくなるだろうと考えたフェイタンは仕込み刀を手に背後から斬りかかった。

 目の前にはノブナガ、背後にはフェイタン。二人に前後を挟まれたカオルは───

 

踵の名は魔剣ジゼル(The name of the heel is Magic Sword Giselle)!」

 

 踵の刃に充填した魔力を回転と共に解き放った。飛翔する蒼刃は真っ直ぐにノブナガとフェイタンに迫り、二人はそれを真っ向から迎え撃つ。ノブナガは"周"で覆っていた刀を更に"凝"で強化し蒼刃を切り裂いた。一方でフェイタンは───

 

「ッ、づぅ……」

 

 僅かに身体を傾けることで致命傷は免れたものの、"凝"や"硬"どころか"堅"による防御すらせず蒼刃を受けた。切り裂かれた左の肩口から鮮血が噴出する。

 

它会受伤(痛いだろうが)这个女人(このアマ)!」

 

「それはちょっと理不尽じゃないかしら?」

 

 明らかに態と攻撃を受けたにも拘らず烈火の如く怒るフェイタンに、カオルは呆れ顔だ。しかし原作知識でフェイタンの意図が分かっているカオルは、すぐさま対処のために動いた。足元に蟠る水流が荒ぶる。

 

「"許されざる者(ペインパッカー)"!」

 

 それは、自分が受けた痛みを糧に増強させたオーラを敵に放つフェイタンの"発"。激しい怒りと共に全方位へと放たれる灼熱の波動である。その発動を機敏に察知したノブナガが飛び退る。

 

「此れなるは五弦琵琶、全ての洛を飲み込む水の柱───宝具限定開放、ってところかしら?」

 

 そして、激流と共にカオルが疾走した。その鋼の脚は大海を統べる不死の魔物レヴィアタンの鱗であり、紅海を割ったモーセの杖と同根の存在であるリタンの蛇十字の杖でもある。海の象徴であるそれは弁財天の権能を後押しして発生させた水流を自在に操り、カオルは湖面を滑るようにしてフェイタンの周囲を旋回する。

 変化はすぐに現れた。フェイタンを中心に発生した熱波は立ち昇る水の渦に忽ち吸収されていき、それだけに留まらず開放したオーラすらも瞬く間に呑み込まれていったのだ。

 

 これはシャルナークを呑み込んだものと同じ現象だと理解したときにはもう遅い。水の柱に呑み込まれたフェイタンは生命エネルギーたるオーラを根こそぎ奪われ、力を全て失って大地に倒れ伏した。

 

「フェイタン!?」

 

 その非常識的な光景に目を見開くノブナガ。その目の前で、渦に乗って跳躍していたカオルが矢のように落下してきた。───倒れ伏すフェイタンの真上へと。

 ズン、と鋭い足先がフェイタンの身体に突き刺さる。そしてすぐさま青いスライムへと変じ、フェイタンは跡形もなく消滅してしまった。

 

「これで三人目……さあ、次は誰が私の経験値になってくれるのかしら?」

 

「……ッ、…………ッッ!!」

 

 もはや怒りのあまり声もなく身体を震えさせるノブナガに、残虐な笑みを満面に浮かべたカオルが襲い掛かる。絶望的な戦いが再び幕を上げた。

 

 

 

 一方、クラピカはクロロを相手に攻めあぐねていた。フェイタンがカオルの方に向かったは良いものの、クロロとマチ、シズクを中心に陣を組むフィンクスとボノレノフがクロロへ向かうことを許さない。

 

(先ほどからクロロは開いた本を手に佇むばかりで何もしようとはしてこない。一体何を企んでいる?)

 

 その場に佇みジッと戦況を観察し続けるクロロ。その表情からは何も読み取れず、ただ不気味さばかりが募っていく。予めカオルからクロロの"盗賊の極意(スキルハンター)"について聞いていたクラピカは、彼が何かしらの能力を発動しようとしていることは分かっていた。だがその能力が何なのか分からず、結果として迂闊に距離を詰められずにいたのだ。

 

(自分から向かってこないことからして、奴が発動しようとしているのは……恐らくカウンター系の能力、か?)

 

「どこを見てやがる?」

 

「テメエの相手はオレたちだ!」

 

 ぐるんと大きく腕を回したフィンクスと、包帯を取り去り鎧と槍で武装したボノレノフが飛び掛かる。

 だが、強化系を極限まで極めたウボォーギンすら手玉に取ったクラピカにとって、二人は強敵ではあるが難敵というほどの脅威ではない。中指の指輪から伸びる鎖を手繰り、勢いよく振り回すことで迫り来る攻撃を捌き切った。

 

 "束縛する中指の鎖(チェーンジェイル)"───クラピカ自身の命を誓約とすることで対幻影旅団限定で尋常ならざる強度を獲得した、五つの"発"の一つである。先端に鋭い鉤爪状の楔を持つこれで捕らえた旅団員を、強制的に"絶"の状態にしてしまうという強力無比な能力を有している。

 

 フィンクスとボノレノフを吹き飛ばした鎖が空を切り裂いて真っ直ぐに飛翔する。狙いは勿論クロロだ。しかし、それは両脇に控えたマチとシズクの二人によって阻まれる。

 

「ぐぅっ……!」

 

「……ッ!」

 

 張り巡らされた念糸を強引に引き千切り、具現化された掃除機「デメちゃん」を弾き飛ばしてなお突き進む鎖。しかしその二人の妨害によって僅かに軌道が逸れ、惜しくもクロロの頬を浅く抉るだけの結果に終わった。

 

(くっ、もう少し接近できればまだ狙いやすいものを……!)

 

 しかし、フィンクスとボノレノフ、マチ、シズクの四人からなる堅牢な防御陣形がそれを許さない。そして何より、鎖が掠めてもなお不気味な静寂を保つクロロが安易な接近を躊躇わせる。「何をしてくるか分からない」という恐怖が、クラピカを最大限に警戒させているのだ。

 

(私の"束縛する中指の鎖(チェーンジェイル)"然り、カオルの"総てを簒う妖婦の顎(マリス・ヴァンプ・セイレーン)"然り……一度でも食らえば致命的になる能力はまず真っ先に想定し、そして最大限に警戒するべきものだ。それ故に念による戦闘の原則は「敵の攻撃を受けない」こととなる。その点、クロロの"盗賊の極意(スキルハンター)"は凄まじく厄介だ)

 

 「どんな能力をどれだけ持っているか分からない」……翻って、それは「何をしてきてもおかしくない」ことを意味している。故に警戒は常に最大限を維持せざるを得ず、それが祟ってクラピカは大胆な行動を取れずにいた。

 

 それでも、対旅団員に特化したクラピカの戦闘力は圧倒的だ。元々凄まじいポテンシャルを秘めたクルタ族の身体能力に加え、「幻影旅団以外に使用すれば死ぬ」という傍から見れば馬鹿げた重さの誓約により跳ね上がった念の威力は、四人と比較してもなお隔絶している。更にそれを後押ししているのが、クルタ族特有の特殊体質「緋の目」が齎す"絶対時間(エンペラータイム)"である。

 緋の目発動時のみに使える特殊能力、"絶対時間(エンペラータイム)"。これの発動中に限りクラピカは具現化系から特質系へと変じ、且つ全ての系統の能力を100%引き出すことができるようになるのだ。

 

 具現化系でありながら、強化系並の怪力を発揮することができる……その恩恵は計り知れない。クラピカは旅団員を相手にしていることで飛躍的に威力が向上した中指の鎖を、生粋の強化系に劣らぬパワーで振り回した。

 

「オオッ!!」

 

 目まぐるしく移ろう戦局の中、何とか三回転させることができた腕を掲げ、フィンクスは"廻天(リッパー・サイクロトロン)"で鎖を迎え撃つ───が、明らかに力負けしている。鎖の軌道を逸らすことしか叶わず、フィンクスはもんどりうって吹き飛んだ。

 

(明らかに私の方が有利だ。この陣形が崩れるのも時間の問題だろうに……何故クロロは何もしない?一体何を企んでいるんだ!?)

 

「いい加減にしやがれ!」

 

 激昂したボノレノフが独特の動きと共に全身に空いた穴から音楽を奏でる。やがて立ち昇るオーラが頭上にて蟠り、球状を形成して滞空した。

 "戦闘演舞曲・木星(バト=レ・カンタービレ・ジュピター)"───木星を模した巨大なオーラの塊が、クラピカを押し潰さんと落下を開始した。

 

臓腑を灼くセイレーン(Seiren burning organs)!」

 

 だがその直後、矢のように飛来したカオルの鋼の脚が木星に突き刺さる。オーラの塊であるそれは忽ち吸収されて消滅していった。

 

「カオルか!」

 

「ごめんなさい、手間取ったわ」

 

 恐らく止めを刺す間も惜しんで駆けつけたのだろう。見れば先ほどまでカオルと戦っていたであろうノブナガは右腕を切り落とされ、身体を徐々に青に侵食されながら蹲っていた。

 クラピカにとっては目で追うのもやっとという超高速の戦闘を制したのは、この頼れる友人であったらしい。行ける、とクラピカは確信を強めた。クラピカ一人では四人の牙城を中々崩せなかったが、二人ならば───その先に佇むクロロに届き得るかもしれなかった。

 

「届く……いや、届かせてみせる!」

 

 気炎を吐いたクラピカは中指の鎖を投擲する。それはようやく体勢を立て直したフィンクスに巻き付き、強靭な戒めでその動きを完全に封じ込めた。

 

「グッ、しまった!」

 

「ようやく掛かったな……"奪う人差し指の鎖(スチールチェーン)"!」

 

 中指の鎖によって拘束されたフィンクスに向かって、今度は人差し指の鎖が突き刺さる。先端に注射器状の楔を持つそれ───"奪う人差し指の鎖(スチールチェーン)"の効果は、対象から継続的にオーラを吸い取り、同時に念能力……"発"を一つ奪うこと。そして奪った能力は"絶対時間(エンペラータイム)"発動中に限り使用可能となる"人差し指の絶対時間(ステルスドルフィン)"に装填することで、一度だけクラピカにも使用することができるのだ。

 そしてクラピカが獲得したのはフィンクスの"廻天(リッパー・サイクロトロン)"だ。クラピカはその場で右腕を大きく回転させ始め、その隙をフォローすべくすぐさまカオルが前に出た。

 

「さあ行くわよ!」

 

「ほざけ!」

 

 口元を好戦的に歪めたカオルが駆け、いきり立つボノレノフをすれ違いざまに切り裂いて蹴り飛ばす。木星に込めたオーラを全て吸収されたボノレノフは明らかに動きに精彩を欠いており、高速戦闘を得手とするカオルの連撃を避けられなかったのだ。

 そして易々とボノレノフを突破したカオルを阻むように、前に出たマチが念糸を展開する。人の皮膚程度なら容易く切断する細く強靭な念糸が蜘蛛の巣状に広がり、迫るカオルを包み込むようにして張り巡らされた。

 

 だが───

 

「な!?」

 

 カオルは構わず前進した。必然として念糸が身体に食い込んでいく。まず真っ先に接触した頭部を切り裂かんとし───しかし、ずるりと何事もなかったかのように念糸はカオルの身体を通り過ぎていった。

 

「残念。私の身体は完全流体、水の器なの。アナタの糸では細すぎて止めることはできないわ」

 

 カオルという実体のある人形(ひとがた)を形成している以上、完全に物理攻撃を無効化できるというわけでもないが……しかし、マチの念糸は一ミリもない極細の糸。その程度の面積では川の流れを堰き止めることができないように、カオルの行進を阻むこともまた不可能であった。

 

「さあ───ようやく届いたわよ、クロロ!」

 

 具現化系であるシズクは変化系のマチよりもなお脅威足り得ない。"発"であるデメちゃんがカオル相手に有効打を持たないことも既に判明している。健気にも身を挺してクロロを庇うシズクごと串刺しにせんと膝の棘を煌めかせ───

 

 

 

「───待たせたな。ようやく準備が完了したぞ」

 

 

 

 遂に、クロロが動いた。目を見開き、凄まじいまでの殺気を放出する。

 

「───ッ!」

 

 そのあまりに濃密な殺意とオーラを警戒したカオルは、迷うことなく攻撃を中断し飛び退った。

 何をしてくるか分からないクロロを警戒していたのはカオルも同じだ。それにこの殺気、確実にこちらを殺す気であるに違いないとカオルは判断した。殺す気であるということは、即ち殺せるという確信をクロロが抱いているということに他ならない故に。

 

(今まで散々見せてきた私たちの戦力を鑑みた上で、なお必殺を確信する……一体どんな能力を発動する気なの!?)

 

 何が来ても対処できるよう、カオルはオーラ・魔力を最大限にまで活性化させて構える。クラピカも回転によるオーラ充填を終えて身構えた。

 そして"盗賊の極意(スキルハンター)"を掲げたクロロが不敵に笑い、口を開いた。

 

「良し───逃げるぞ、お前たち」

 

 ────────…………

 

「は───ハァ!?」

 

 その言葉を理解するのに幾ばくかの間を要したカオルは、目を剥いて驚愕した。

 

 あれほど堅牢な防御陣形を敷いてまで耐え忍び。

 ひたすら不気味な沈黙を保ってこちらを警戒させながら。

 剰えあれほどの殺気を放っておいて───逃げる?

 

「あ……アナタ最初からそのつもりで!?」

 

「その通りだ」

 

 しれっと答えるクロロ。そう、最初からクロロに戦うつもりなどこれっぽっちもなく、徹頭徹尾"蜘蛛"を存続させることにのみ注力していたのだ。

 カオルとクラピカを一目見て"蜘蛛"を全滅させ得る脅威だとその慧眼で看破したクロロは、まず旅団に欠かせぬ替えの利かない人材であるマチとシズクの回収を最優先目標に設定した。そのためには、周囲一帯を包囲する海魔の群れを無視できる移動能力を隠し持っているクロロの存在もまた不可欠。

 故に、この場でなすべきはクロロとマチ、シズクの生存。他の団員はクロロの移動能力発動までの時間稼ぎに徹していたのだ───偏に、"蜘蛛"を存続させるために。

 

 "蜘蛛"は足の一本でも残っていれば復活する。そのためには戦闘しかできない者(替えの利く人材)は自らを犠牲にすることすら厭わない。

 それが"蜘蛛"。それが幻影旅団。ノブナガも、フェイタンも、フィンクスも、ボノレノフも───"蜘蛛"のため、そして自らが団長と慕う男のためならば、自分たちの命すら失っても構わない。そう確信していたのだ。

 

「狂っている……」

 

「狂っているさ。それがオレたちだからな」

 

 戦慄するクラピカに素っ気なく返すと、クロロは能力を発動させる。その名は、"白鳥のように飛び立て(醜いアヒルの子)"。かつてとある詩人から簒奪した、クロロが持つ唯一の長距離を瞬間的に移動できる念能力である。

 その詩人が自覚なき念能力者だった故か、発動の条件はおいそれと戦闘中に使用できるほど簡単なものではない。まず、使用者は「周囲全てを己の敵対者に囲まれている」必要がある。これは海魔の群れに囲まれていたことで期せずとも満たしていた。

 そして「能力発動から10分間、その場から動いてはならない」という致命的な制約があるのだ。団員たちは、その10分間を確保するために己の命を賭していたのである。

 

「逃がすかァッ!!」

 

 その逃走を阻止すべくクラピカが駆ける。奪った"廻天(リッパー・サイクロトロン)"を発動させ、莫大なオーラを充填させた右腕を振りかぶる。

 

「させねぇよ……!」

 

 だが、それは立ち塞がったフィンクスによって阻まれる。能力を奪われたことでオーラを練れなくなったフィンクスは、当然ながらその一撃に耐えられず即死する。

 しかし、クラピカの妨害という最大の目的は果たせた。愕然とするクラピカを尻目に、今度はカオルが距離を詰めようとする。

 

「ぉおああっ!」

 

 カオルの前に立ち塞がったのはボノレノフだ。全身から血を撒き散らしながらも、気力のみで立ち上がり掴みかからんとする。

 

「邪魔よ!」

 

 しかし、それは一秒とてカオルの足を止めさせることはできなかった。ボノレノフは踵の刃で胴を真っ二つに切り裂かれ、その死骸を掻き分け疾走を続けるカオルを霞む視界で見送った。

 

 だが───

 

「おい、待てよ……オレはまだ死んじゃいねぇぜ……!」

 

 ガバッと何者かがカオルに背後から覆い被さる。それはメルトウイルスにより半ばまで身体を溶かされたノブナガだった。

 

「な、アナタ……!?」

 

「行けェ、団長!アンタさえ生きていてくれりゃあ、オレたちは……"蜘蛛"は永遠だ!生きてくれ!どうか……生きて……くれ……ッ!」

 

 右腕を中心に侵食されつつあるノブナガの右半身は、その殆どがスライムと化している。もはや生きていることさえ信じられないような状態だ。

 しかし……残された左目に宿る凄絶な光には、一切の陰りも絶望も見られない。それは覚悟の光だ。己の全てを懸けて信じたものに殉じようとする、鮮烈なまでの覚悟の念の発露。その金剛石の如き強靭な意志は、もはや死者の念など超越したオーラをノブナガに齎し、壊れかけの身体を動かしていたのだ。

 

 何という覚悟。何という意志の力。振り解こうと思えば簡単にできるはずなのに、その底知れぬ意志に気圧されたカオルは思わず足を止めてしまう。

 

「ああ、任せろ。お前の献身を、オレは生涯忘れはしない。オレたちは……"蜘蛛"は永遠だ、ノブナガ」

 

 クロロは祈るように数瞬瞑目すると、カッと目を見開いて"盗賊の極意(スキルハンター)"を掲げた。

 

「……私たちを殺すって言っていたのに。嘘つきね、アナタ」

 

「嘘つきだとも。何せ盗賊だからな」

 

 いや、強ち嘘とも言い切れないだろう。何故なら"蜘蛛"は受けた屈辱は忘れない。いつか失った手足を取り戻して蘇った"蜘蛛"は、必ずや復讐を果たしに現れるに違いないのだから。

 

 ───"白鳥のように飛び立て(醜いアヒルの子)"……この池は、お前たちの住む場所ではない───

 

 そう告げて、涙を流すマチとシズクを伴ってクロロは消え去った。

 

「……」

 

 ドサリ、と覆い被さっていたノブナガが力を失って頽れる。きっと最後の力を振り絞っていたのだろう、既に彼は完全に絶命していた。

 徐々に形を崩していくノブナガから目を逸らし、カオルは俯くクラピカに歩み寄った。

 

「……ごめんなさいね。結局、クロロは逃がしてしまったわ」

 

「いや……良いんだ。あんな行動、誰にも予想できないさ」

 

 緋色から鳶色に戻った瞳を虚ろに彷徨わせ、クラピカは死体となったフィンクスに視線を向けた。

 

「……笑っていたんだ、アイツ。奪われた自分の能力で殺されようとしていたのに、心底安心したように……笑っていたんだ」

 

「……」

 

「狂っている……でも、確かにそれは仲間を想う気持ちの表れで……それは私にも理解できてしまうものだった」

 

 クラピカは、自分が手ずから殺した旅団員の最期の顔を思い浮かべる。ウボォーギンは笑っていた。フィンクスも笑っていた。いずれも仲間を信じて、仲間を想って笑っていたのだ。

 

 そんなもの───まるで、普通の人間のようではないか。

 幻影旅団は、"蜘蛛"は───血も涙もない大量殺戮者、狂人の集団ではなかったのか?

 

 団長は逃したものの、確かにこの手で団員を殺した。仲間も一緒に殺してくれた。多くの団員を殺して、確かに一族の仇を討てたはずなのに───クラピカの心は、一向に晴れる様子はなかった。

 

「カオル……復讐とは、虚しいものなのだな」

 

 長かった夜が明け、砂漠に朝日が差し込む。

 クラピカの頬を伝った一筋の雫が、朝日を反射して煌めいていた。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 ───そして。クロロ=ルシルフルは、この日最後の戦いに臨もうとしていた。

 

 

「やあ♥待っていたよ♠」

 

 仮のアジトである廃墟に戻ったクロロたちを待ち受けていたのは、待機を命じていたパクノダとコルトピの変わり果てた姿。

 

 ───そして、「用事がある」と言って去っていったはずの道化師の姿だった。

 

 青褪めた顔で愕然と佇むマチとシズクに見せつけるように、道化師はヒラヒラと一枚の布を指でつまんでいる。四の数字が刻印された、蜘蛛のシルエットが描かれた布を。

 ギリリ、とクロロの歯が食いしばられる。

 

「このときをずっと待っていたよ♦さあ───戦おうじゃないか、クロロ♣️」

 

「ヒソカァ────ッ!!!」

 

 クロロはベンズナイフを引き抜き、絶叫を上げて怨敵へと斬りかかる。

 裏切り者の道化師は、それを満面の笑顔で迎え撃った。

 




クラピカ「……マッチポンプ?というかグル?」
カオル「いや、真面目に覚えがないんですけど……」
ヒソカ「♥」


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硬貨が示すは欲望の島。選考会の第十話

 
 いつも感想・評価ありがとうございます。特に今回は皆様の感想から多くの着想を得ることができました。重ねて感謝致します。
 少々ショッキングなことがあったのと、暫くパソコンに触れられなかったので投稿が遅れましたがご容赦下さい。


 幻影旅団との戦いを終えて一夜が明けた。

 それからのことを話そう。幻影旅団の半数を討伐した私とクラピカは、ハンター協会から一ツ星(シングル)の称号を贈られることになった。これは特定の分野において著しい功績を残したハンターに送られる称号。約600人ほどいるプロハンターの中でも、これを有する者は一握りしか存在しないとされる一流の証である。つまり、私とクラピカは一ツ星(シングル)の賞金首ハンターになったということだ。

 また、多額の賞金も得ることができた。幻影旅団は一人につき約20億の賞金が掛けられており、そして今回私たちが倒したのは七人。つまり合計140億……と言いたいところだが、シャルナーク、フランクリン、フェイタン、ノブナガの四人は証明部位を残すことなく溶かしてしまったため、正式に討伐を認められたのは他の三人のみ。残念ながら賞金は60億となってしまった。それでも二人で分配して一人30億なのでまあまあの額だろう。惜しいとは思うが、私にとっての最優先目標は経験値の獲得だったので然程の後悔はない。

 

 そしてクラピカだが、これからはノストラードファミリーの一員として活動を続けつつ、緋の目の回収に注力していくことにしたらしい。"蜘蛛"の残党を狩らなくてよいのかと聞いたところ、「優先順位を付けただけだ。復讐を止めるつもりはないし、そもそも放っておけば向こうから来てくれるだろう。私はそれを迎え撃つだけだ」という答えが返ってきた。今回の件でその実力をまざまざと見せつけたクラピカは護衛団の副リーダーに昇進。リーダーであるダルツォルネの指導の下、様々な経験を積んでいくのだとか。どうもダルツォルネは、ゆくゆくはクラピカをリーダーに……と考えているらしい。原作知識では功名心の強い男だという印象を受けたが、何か思うところがあったのだろうか。

 

 そしてまんまと逃げ果せたクロロたちだが、勿論逃がすつもりのない私はすぐに追跡した。シャルナークに侵入させた分身から得た情報を元にアジトへ向かったのだ。

 

 ───結論から言うと、アジトには何もなかった。……否、アジトそのものがなくなっていた。

 

 何か大きな爆発でも起きたのか、ただでさえボロボロだった廃墟は完全に倒壊し跡形もなくなっていた。もしや追跡を恐れたクロロが証拠隠滅を図ったのか?とも考えたが、そんなことをしている暇があったらとっとと遠くに逃げた方が理に適っている。

 もう一つの可能性としては……誰かとここで戦っていたかだ。思い当たる点はある。それは砂漠に現れず、結局最後まで所在が不明だったヒソカのことだ。

 奴は団員の証である蜘蛛の刻印を"薄っぺらな嘘(ドッキリテクスチャー)"で誤魔化し、偽装入団してまでクロロと戦いたがっていた。恐らく勝つにしろ負けるにしろ、クロロがこのアジトに戻ってくることを見越して待ち伏せし、戦闘になったのではないか……と思う。お誂え向きに取り巻きである団員は私とクラピカの手によってその数を減らしていた。ヒソカの望むタイマン勝負には持ってこいの状況だったことだろう。

 

 腹立たしい……それ以上に、してやられた、と思う。何故ならヒソカは、私とクラピカなら他の団員を削りきれると信頼していたということであり……同時に、私たちではクロロを倒し切れないと確信していたということでもあるのだから。実際に逃げられたわけだから何も言えないが、しかし腹立たしいものは腹立たしい。

 ……本を正せば、あからさまに「ヨークシンに来ましたーこれから"蜘蛛"狩りを始めまーす」と宣言するかのように情報をばら撒いた私が悪いのだが。お陰でその情報をヒソカに利用され、こうして出し抜かれてしまったのだから嫌になる。

 

 まあ、終わってしまったものは仕方がない。ヒソカにしろクロロにしろ、待っていればいずれ私の前にやってくるだろう。そのときに改めて相手をすればいい。

 そのときにはもう、たかが一流の念能力者一人程度でどうにかなるようなレベルにはないだろうから。

 

 

 それはそれとして、これからのことだ。私はこれまで、幻影旅団を含め多くの念能力者をドレインしてきた。その数は合計で32人。流石に旅団員ほどの卓越した能力者は少数だったが、かなりの経験値を獲得できたと言えるだろう。念能力者から得られる経験値量は、非念能力者より遥かに多いのだ。

 

 しかしその一方で、私は再び成長限界に悩まされることとなった。もはやその辺の十把一絡げの念能力者程度では満足な経験値は得られない。最低でも陰獣レベル……欲を言えば旅団の純粋な戦闘員レベルの能力者があと十人は欲しい。そうすればキメラアントの護衛軍レベルの敵なら一蹴できるようになるだろう。現状では精々同等程度だ。まだ安心はできない。

 そのためには人間の能力者ではなく……キメラアント、それも念を習得した亜人型キメラアントをドレインするのが最も効率がいい。生物として人間より格上で、その生命力に恥じぬオーラ量を持っている。まさに打ってつけの餌であると言えよう。何より、幾ら狩り殺そうが罪に問われないというのが素晴らしい。

 

 殺すことで人間社会に大きく貢献できて、私の経験値的にも美味しい。大義名分付きの殺戮パーティということだ。実に素晴らしい(ディ・モールト・ベネ)

 

 よって、私の本命は原作で言うところのキメラアント編。お金も潤沢にあることだし、グリードアイランド編はスルーして好きに過ごそうかなーと考えていたのだが……。

 

「何故かゴンたちからお誘いが来たのよね……」

 

 レオリオに勧められてようやく携帯電話を購入したゴン。そんな彼から「一緒にグリードアイランドを攻略しようよ!」というお誘いの電話が来たのである。

 まあ、彼らの考えも分からないでもない。片やマフィアの一員として、片や医者の卵として忙しくしているクラピカやレオリオは誘いにくい。ならば基本的に暇な私を誘おうと考えるのは自然な流れだ。実際キルアからも「お前どうせ暇だろ?」と言われたし。相変わらず小生意気な餓鬼だ。

 

 しかしどうするべきか。正直なところ、私から見て魅力的な念能力者(ドレイン対象)はグリードアイランドには殆どいないのだ。例外はツェズゲラやゲンスルー、ゴレイヌなどの「一流の念能力者である」と原作で明言された数人のみ。しかも心置きなく殺せるのは連続殺人犯のゲンスルーぐらいなもの。レイザー辺りも悪くはないが、しかし彼は運営(ゲームマスター)側の人間だ。果たして殺してしまって良いものか……。

 

 そういうわけで、グリードアイランドは私的にあまり旨味がないのだ。唯一のメリットはゲームクリアの景品として好きなカードを現実に持ち帰れることと、ゴンたちに付いていくことで楽にNGL自治国に入れることぐらいだろうか。

 

 まあ悪くはない。景品としては、あらゆる怪我・病気を一度だけ必ず癒してくれる"大天使の息吹"というカードなどはかなり魅力的だ。しかしメルトリリスの能力を十全に発揮できる私の肉体は、文字通りメルトリリスそのもの……つまり根本的に人間とは異なるものだ。従って人間が罹るような病や毒とは無縁であり、現状では死ぬような大怪我を負う予定もない。ハッキリ言って保険以上の意味はなく、果たしてこのカードに数ヶ月もゲーム内に拘束されるだけの価値があるかは未知数だ。

 

 次にNGLへの入国についてだが……これも無理にゴンたちに付いていかずとも、密入国の方法なら幾らでもある。忍び込んでも良いし、キメラアントの騒動に乗じて正面から乗り込んでも良い。むしろ私の本命であるキメラアント編でゴンたちの行動に縛られず自由に動ける分、別行動を取った方が都合が良いかもしれない。

 この作戦の唯一の問題は密入国が犯罪であるということだが……それもキメラアントの大量撃破で帳消しにできるだろう。どうせNGLのトップはキメラアントに食われるわけだし、最終的に私を裁ける者はいなくなる。

 

 ………どうしよう、本格的にグリードアイランドに行くメリットがない。無いではないが、行かない方がメリットが大きい。とはいえ、せっかく誘ってくれたゴンたちの好意を無下にするのも何となく憚られる。

 

「───よし、コイントスで決めましょうか」

 

 "蜘蛛"の真似事ではないが、迷ったときはコイントスだ。表なら行く、裏なら行かない。握り込んだ親指の上にコインを置き、指の力で跳ね上げる。

 

 果たして、結果は───

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 遂に全てのグリードアイランドを競り落としたバッテラ氏。氏が主催するプレイヤーを募集する選考会にて、見事な"発"を披露したキルアは無事合格を言い渡される。余裕の表情のキルアは合格者控室の席の一つに腰掛けた。

 

(今のところは七人か……やっぱりプーハットのオッサンの読み通り、受かってるのは真っ先に動いた奴らと席で待ってた奴らだ。さて、ゴンは大丈夫かな……?)

 

 キルアが同行者のゴンについて考えを巡らせた、その次の瞬間。ズズン……とダンプカーが壁に衝突したかのような轟音と衝撃が響き渡る。一体何事かと周囲の合格者たちが警戒しだすのを尻目に、キルアはフッと口端を歪めて笑った。

 ややあって、合格者控室の扉を開けて入ってきたのは見慣れたツンツン頭の少年……ゴンだった。やっぱりな、と笑うキルアを見つけたゴンがパッと顔を輝かせる。

 

「あ、キルア!良かった、選ばれたんだね!」

 

「当然よ!今の音、お前か?」

 

「うん!」

 

 合格できて嬉しいのか、上機嫌に笑うゴンはキルアの隣に腰掛ける。右拳に纏わりつく練り上げられたオーラの残滓を振り払うと、ゴンは「そう言えば……」と声を上げた。

 

「カオル、結局来なかったね」

 

「ああ、そう言やそうだな……ったく、せっかく誘ってやったのによー」

 

「キルアが『暇人だー』なんて怒られるようなこと言ったからじゃないの?」

 

「だって本当のことじゃん?アイツ自身も言ってたぜ、気が向いたときに賞金首ハントするだけの気ままな毎日だってよ。まんまフリーターみたいなもん───、ッ!?」

 

 ニヤニヤと悪戯猫のように笑って知り合いの少女を揶揄するキルア。しかしその直後、突如生じた莫大量のオーラの爆発を感知してその場から機敏に飛び退った。

 まるで波濤のように押し寄せる信じられない量のオーラの圧。それを感じ取ったのはキルアだけではない。ゴンを始めとして、この場にいた全ての合格者たちも顔色を一変させ椅子を蹴倒し立ち上がった。

 

 幸いそのオーラの波はすぐに収まった。キルアは全身から冷や汗を吹き出しつつ、油断なくオーラを感知した方向───控室の扉を注視する。

 ギギィ……とゆっくりと扉が押し開けられる。果たして入ってきたのは───黒い長髪を靡かせる、見慣れた青い瞳の少女だった。ガクッと肩を落としたゴンとキルアがその場に座り込む。

 

「んだよお前かよ!脅かすんじゃねー!」

 

「この程度の圧で驚く方が悪いのよ。いい加減気づきなさいな、お馬鹿さん?」

 

 トントン、と指先で頭を叩く少女……カオルは不敵な表情で笑いかけた。

 

「カオル!来てくれたんだね!」

 

「ええ、ちょっと寝坊して遅れ……んんっ、諸事情で遅くなってね。少しギリギリで選考会に入ったのよ」

 

「いま寝坊してって言わなかったか、オイ」

 

 オホホホホ……とわざとらしく笑ったカオルは二人の近くの席に座る。安心したような表情のゴンは立ち上がると元の席に戻り、チッと舌打ちしたキルアもゴンの隣に座り直した。

 他の合格者たちもやや動揺を残しつつ席に戻る。誰もがチラチラとカオルに警戒するような視線を寄こしながら待機すること暫し、再び扉が開き、妙に挙動不審な様子のツェズゲラが入室した。

 

「あー……ゴホン。さて、取り敢えずおめでとうと言っておこう。君たち二十一人にはグリードアイランドをプレイする権利を与える。ゲームをクリアした場合の報酬は500億ジェニー……詳細は契約書に書いてあるので、夕方五時の出発までよく目を通しサインを済ませておくように」

 

 500億!と目を見開くゴン。キルアが妙にそわそわしているのは、その金額で「チョコロボくん」が幾つ買えるかを皮算用しているからか。それらを横目に、カオルは興味なさげにツェズゲラの言葉に耳を傾けるのだった。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

「それじゃ、カンパーイ!」

 

 ヨークシンの一角にあるレストランにて、そこに集まったゴン、キルア、レオリオ、カオルの四人は打ち上げを行っていた。

 

「取り敢えずは第一関門突破だな!おめでとさん、三人とも!」

 

「あ、それなんだけど。ちょっとコレ見てほしいんだ」

 

 そう言ってゴンが差し出したのは、つい先ほど受け取ったグリードアイランドの契約書だ。以前に市場で見せたレオリオの交渉スキルを信頼しているゴンは、契約書に不備や見落としがないかの確認をお願いするつもりでいるのだ。

 

「どれどれ……っと。あー、要約すると三つだな」

 

 ざっと書類に目を通し、すぐさまその内容を把握したレオリオは指を三本立てる。

 

 一つ、怪我や死亡などのゲーム内における不慮の事態は全て自己責任。

 二つ、ゲーム内から現実に持ち帰った物の所有権は全てバッテラ氏にあるものとする。

 三つ、ゲームをクリアした者には500億ジェニーの報酬を与える。

 

 立てた指を折りつつ要点を告げたレオリオは、「問題ねぇだろう」と頷いた。

 

「ありがとう、レオリオ!」

 

「じゃ、サインして終わりだな」

 

「……大事なのは二つ目だな」

 

 頬杖をついてジュースのストローを咥えていたキルアが口を開く。うん?と首を傾げるゴンとレオリオの視線を受けて、キルアは己の所感を告げた。

 

「"ゲームの中から現実に持ち帰ってくる何か"……奴が大枚叩いて求めているのは、その何かだ」

 

「何かって、何だよ」

 

「何だって渡すよ。オレが欲しいのは物じゃない……ジンに一歩でも近づきたいだけなんだから!」

 

 そう決意に満ちた表情で宣言するゴン。その視線に迷いはない。初めて出会ったときから変わらぬ決意を胸に宿し瞳を輝かせるゴンを見て、「これはオレもうかうかしてられねぇな」とレオリオは眩しそうに目を細めて笑った。

 

「……なぁ、アンタは見当がついてるんじゃねぇの?バッテラの奴が求めている何かについて」

 

 ズズッと残ったジュースを飲み干し、キルアは先ほどから無言でパフェをつついているカオルに問いかけた。

 

「ん、どうしてそう思ったのかしら」

 

「だってお前、最初にオレたちにグリードアイランドのこと教えてくれたとき、妙にバッテラの事情に詳しそうだったし。何を思ってグリードアイランドを買い占めてプレイヤーを募集しているのか……それを知ってるんだったら、奴がどんなものをゲームから持ち帰って欲しいのかが分かるんじゃねぇかなって」

 

 予めターゲットが分かるんだったら、ゲーム攻略も楽になりそうじゃん?と言うキルア。確かに……と納得したゴンが期待の籠った視線をカオルに向ける。

 その視線にたじろいだカオルだったが、一つ咳払いをすると掲げた両手を交差させた。即ちバッテン、拒否の意である。

 

「確かに知ってるわ。でも教えない」

 

「えーっ!何で!?」

 

「だってそんなの面白くないじゃない。アナタはゲームを楽にクリアしたいんじゃなくて、楽しんで攻略したいんでしょう?」

 

「それはそうだけどさー……」

 

 少しでも早くジンに会いたいという思いと、ジンが残してくれたゲームを心ゆくまで楽しみたいと思う気持ちがゴンの中で鬩ぎ合う。うんうんと唸るゴンを眺め、キルアはボソッと呟いた。

 

性悪女が……

 

「ああん?」

 

「いや何でも」

 

 常人を遥かに凌駕する聴力でその呟きを聞き逃さなかったカオルが凄み、キルアは慌ててそっぽを向いた。

 

 確かにカオルはバッテラ氏の目的を明確に知っており、今し方ゴンに話した理由も建前だ。もしゴンにバッテラの事情を教えてしまえば、善良なゴンのことだ。きっと一秒をも惜しんで遮二無二ゲームをクリアしようとするだろう。それでは困るのだ、とカオルは冷徹に考える。

 

 まず、グリードアイランドというゲームはジンがゴンを鍛える目的で製造したという背景がある。順序良くゲームを進めていくことで、念能力者として確実に成長できるよう設計されているのだ。これはあくまでゴンたちの師匠(になる予定)であるビスケット=クルーガーの予測でしかないが、しかし強ち間違ってはいないだろう。実際にゴンたちはゲーム攻略を通じて大きな成長を遂げたのだから。

 もし脇目も振らずに無謀な攻略を繰り返せば、ジンの願いも虚しく真っ当に成長しないばかりか、凶悪なプレイヤーかモンスターに襲われ実力及ばず野垂れ死んでしまう恐れがあった。原作主人公が死ぬのは云々という理由ではなく、こうして友誼を結んだ知人が死ぬのを見過ごすことは、流石にカオルと雖も憚られるものがあるのだ。

 

 そして、もしバッテラの恋人が死ぬ前にゲームがクリアされてしまえば、当初の契約通りクリア報酬として持ち帰ったカードはバッテラに回収されてしまうことになる。コイントスの結果とはいえ、参加するからには報酬はしっかり頂きたいものだ……とカオルは真っ黒な腹の底でそんなことを考えていた。

 

「あ、あとゲームは勿論一緒に攻略するつもりだけど、少しの間だけ別行動を取らせてほしいのよ」

 

「え、何で?」

 

「ちょっと個人的に用がある奴がいてね」

 

 ニッコリと微笑むカオルの言葉に首を傾げるゴンとレオリオ、そしてそれを胡散臭そうに眺めるキルア。キルアは徐々にカオルの腹黒さに気付きつつあるようだが、その目的までは分かるまい。彼女の考えは原作知識(神の視点)があって初めて理解できるのだから。

 

 

 カオルの目的───来たる蟻の襲来に備えて力を蓄えんとする捕食者は、既に一人の人物を獲物に定めていた。

 




 次回からようやくゲームの中に入ります。果たして第一犠牲者は誰になるのでしょうか(すっとぼけ)


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欲望の島にてプリマは踊る。跳梁する悪意の第十一話

 
 初期の頃の投稿速度は影も形もないが、取り敢えず次話投稿じゃ。


 

 数多の念能力者たちが挑み続け、そして未だにクリアされていない幻のゲーム、グリードアイランド。その名の通り尽きることなき欲望が渦巻くこの舞台は、いよいよ末期へと突入しようとしていた。あくまでゲームであるグリードアイランドにおいて、禁忌とされる行為に踏み込む者が現れ始めたのだ。

 

 その禁忌の名は、プレイヤー狩り。ゲームの中での死が現実での死も意味するこのデスゲームにおいて、最も忌避されるべき悪意……その最たるものであった。

 

 グリードアイランドというゲームでは、あらゆるものがカードとしてプレイヤーが所持することを許される。それは特殊なアイテムや魔法であったり、そこらの石ころのような只のモノやモンスター。果てはゲーム内の人間(NPC)ですら例外なくカード化することが可能なのである。

 そしてこのゲームをクリアするためには、0から99までのナンバーが割り振られた「指定ポケットカード」を全種類集める必要がある。

 当然ながらこの100種類のカードは別格の扱いをされる特殊なカードで、取得難易度やカードが持つ特殊効果も通常のカードとは一線を画している。加えて、カード化限度枚数もまた通常のカードより遥かに少ない。通常の呪文(スペル)カードのカード化可能枚数が数十から数百枚なのに対して、指定ポケットカードは数枚から数十枚が限度だ。

 

 ……この「カード化限度枚数」がネックなのである。グリードアイランド内のものはほぼ全てがカード化できるが、どのカードにも大なり小なり枚数の制限がついているのだ。

 例えばカード化限度枚数が三枚のカードを三人が一枚ずつ持っていたとする。このままだとカード化限度枚数が最大値なため、他の人が新たにそのアイテムを入手してもカード化することができない。しかし、その三人の内一人が死亡すれば指輪とカードデータが消えるため、新たにカード化できる可能性が生まれるのだ。

 

 これこそがプレイヤー狩りが生まれた原因。暴力で相手からカードを奪う。他プレイヤーを脅し、殴り、(バインダー)を出させてカードを奪う。幾ら痛めつけても屈せず(バインダー)を出さない者は───殺す。そしてカード化可能な枠を強引に作り出すのだ。

 

 そんなプレイヤー狩りの中でも、最も名の知れた者がいる。最も悪質で狡猾なプレイヤー狩り───その名は、爆弾魔(ボマー)

 

 爆弾魔(ボマー)はその名が示すように、まるで爆弾を使用したかのように対象を爆殺する。誰一人としてその正体を知らず、しかし確実に爆弾魔(ボマー)による被害者は増えていく。誰がそう呼び始めたかも知れぬその名は、グリードアイランドにおいて恐怖の代名詞として着実に浸透してきていた───

 

 

 

 

***

 

 

 

 

「オレは爆弾魔(ボマー)だ」

 

 グリードアイランド内のどこか。厳重に秘匿された洞窟の中に集う六十人ほどのプレイヤーたちの前で、サングラスを掛けた面長の男───ゲンスルーはそう告白した。

 

 彼らはハメ組───あくまでキルアの命名だが───と呼ばれる、グリードアイランド内でも最大規模を誇る集団。一人一人の実力は然程でもないが、その圧倒的な数の暴力でクリア間近にまで迫ったチームである。

 彼らはその日、遂に90種類133枚の指定ポケットカードを集めるに至った。これはツェズゲラが率いる少数精鋭のチームに匹敵する成果……正しく快挙であると言えるだろう。名実ともにトップランカーの仲間入りを果たした喜びと達成感に沸く彼らに水を差すようにして先の発言を口にしたゲンスルーは、今までの物腰穏やかな仮面を捨て去り、嘲笑も露わに高台から全員を見下ろしていた。

 

「君たち全員の身体に爆弾を仕掛けた」

 

 いち早く行動を起こし、裏切り者を背後から強襲せんとしたジスパーという男を"一握りの火薬(リトルフラワー)"で容易く撃退したゲンスルーは、騒めく彼らを一顧だにせず話を続ける。

 

「説明の順序が逆になってしまったが……ご覧のように、オレは手で掴んだものを爆破できる。これは皆さんに仕掛けた爆弾とはまた別の能力……威力は然程でもない。彼も一命は取り留めたようだ。だが皆さんに仕掛けた爆弾が爆発すれば、確実に死ぬと言っておこう」

 

 ハメ組の面々はたった今顔面を爆破されたジスパーを見る。手で掴まれた部分は無残に焼け焦げ、爆破の衝撃でぐちゃぐちゃに破砕されている。彼らの中でも有数の戦闘力の持ち主だったジスパーを容易く返り討ちにしたことで否応なくゲンスルーの実力を理解させられた彼らは、迂闊に動くこともできずに彼の言葉に耳を傾けた。

 

「それでは、爆弾を解除する方法を教えよう。オレの能力"命の音(カウントダウン)"は、対象者(ターゲット)の爆破させたい箇所に触れながらあるキーワードを言うことで、爆弾を取り付けることができる。……そのキーワードは『爆弾魔(ボマー)』」

 

 その言葉を聞いて、彼らはようやく気付く。ゲンスルーは度々爆弾魔(ボマー)について語り警告していた。それは親切では決してなく、ただ"命の音(カウントダウン)"発動の条件を満たすための意図でしかなかったのだと。

 親しげに肩を叩きながら「爆弾魔(ボマー)に気をつけろよ」と言葉を掛けてきたゲンスルー。彼らは青褪めた顔でゲンスルーに触れられた箇所を手で押さえた。

 

「これを解除するには、オレの身体に触れながら『爆弾魔(ボマー)捕まえた』と言わなければならない。

 但し、先ほど見てもらったようにオレにはもう一つの能力……"一握りの火薬(リトルフラワー)"がある。これを使いオレは解除を阻止する……!十分に気を付けて解除を目指してくれ」

 

 そう告げた次の瞬間、この場にいるゲンスルー以外の全員の身体の一部に爆弾が浮かび上がる。刻々とカウントを刻むそれは、間違いなくかつてゲンスルーが触れた箇所に現れていた。

 

「作動したね」

 

 それを見たゲンスルーがニヤリと笑う。いよいよ本性を隠すことを止めた彼は、ニヤニヤと笑いながら大仰な仕草で腕を広げた。

 

「何故ペラペラと自分の能力について話したか不思議だろう?それが発動条件だからだ。対象者の目の前で能力についてきちんと説明すること……それが爆弾作動の条件」

 

「……そこでカードも仲間も一斉に集合する今日この日を狙っていたわけだ」

 

「まぁね、これ以上枚数が集まると別の欲張り者が現れるとも限らないしな。

 ……さて、ここで提案する。君たちの命と指定ポケットカード90種を交換したい……ああ、オレが既に九枚持っているから81種か。そうすれば『もう一つの解除方法』で皆さん全員の爆弾を一斉解除する。皆さんで相談して決めてくれ。取引場所はバッテラ氏所有の古城……つまりゲーム機が置いてある場所だ。誰でもいいが一人だけで来ること、それが条件だ」

 

 居丈高にそう告げるゲンスルー。しかし、ここにいるのは各々が一定の実力を持った念能力者たち。自分たちが圧倒的に不利であると理解しながらも、そのプライドから簡単に頷くことなどできようはずもない。怒りに肩を震わせながらも、まだ冷静さまでは失っていないプーハットとニッケスがいの一番に前に出た。

 

「お前さん頭は確かか?オレたちがあんたを捕らえて解除ワードを言えば済むこと。取引するわけがねェだろうが!」

 

「そもそも、ここから逃げられると思うのか?無事で済むと思うなよ……!」

 

 彼らの啖呵を皮切りに、徐々に強気を取り戻したハメ組の面々はジリジリと間合いを詰めだす。総勢六十人ほどの念能力者たちとまともにぶつかれば、如何に高い実力を誇るゲンスルーと雖も只では済まないだろう。

 ……まともにぶつかれば、だが。ここで戦うつもりなど端から考えていないゲンスルーは(バインダー)を取り出すと、一枚のカードを引き抜いた。

 

 相手が(バインダー)を取り出したら自分も(バインダー)を取り出す……それがグリードアイランドでの戦いの基本だ。骨の髄まで染みついたその鉄則に則り(バインダー)を出現させた彼らは、ゲンスルーが何かする前に阻止せんと間合いを詰めようとする。

 

 だが、それはゲンスルーがバッと手を翳したことで失敗に終わる。それは紛れもなく、ジスパーを瀕死に追いやった"一握りの火薬(リトルフラワー)"発動の動作。その爆発の脅威をまざまざと見せつけられた彼らは思わず足を止めてしまう。

 彼らが怯んだのは一瞬。しかしその一瞬があれば十分だった。ゲンスルーは手に取った「離脱(リーブ)」の呪文(スペル)カードを掲げ、嘲るように笑った。

 

「ハハハハハ!それでは再会を祈る!!『離脱(リーブ)使()───」

 

 グリードアイランドを抜け、現実世界に戻るための呪文(スペル)カード、「離脱(リーブ)」。今まさにそれを発動させようとゲンスルーはカードを手にした右手を掲げ───

 

 

 

 キン、と涼やかな金属音が響き渡り。次の瞬間、ゲンスルーの右手は宙を舞っていた。

 

 

 

「───え?」

 

 右手首から噴出する鮮血。何が何だか分からずよろめいたゲンスルーは、転ばないようにバランスを取りつつよたよたと後退する。バシャリ、と水溜まりを踏みつけ水飛沫が舞った。

 

「……?」

 

 おかしい、とゲンスルーは混乱する頭の中で思考する。この洞窟の中に水溜まりなどなかったはずだ。

 

「お、おい。何だこれ……」

 

「水が……!」

 

 その異変に気付いたのはゲンスルーだけではなかった。いつの間にか(くるぶし)まで浸かるほどの水が洞窟内に侵入してきており、遅れてそれに気付いたハメ組の面々が騒ぎ出す。

 

 ───だが、もはや何もかもが遅かった。この洞窟は、既にして()()の腹の中であったのだ。

 

 水面を爆発させて何かが水中より現れる。それは蠢く極細の黒い糸。細く、しかし想像を絶するほどに強靭なそれが洞窟中に伸び広がり、この場の全員を縛り上げた。

 

「なっ……!?」

 

 ギシリ、と凄まじいパワーで拘束されたゲンスルーが呻く。この場の誰よりも厳重に縛られた彼は、それがオーラで強化された髪の毛であることを立ちどころに見抜いた。

 

「貴様……何者だ!?」

 

「ふふふ……」

 

 ゲンスルーの誰何の声に応えるように"隠"による隠形が解かれ、虚空から滲み出るようにして一人の少女が現れる。その姿とオーラに見覚えのある何人かが引き攣ったような声を上げた。

 カツン、と音を立ててゲンスルーの隣に降り立ったその少女は、ニコリと微笑んでゲンスルーを見下ろした。

 

爆弾魔(ボマー)捕まえた……なんてね。この日を待ち侘びていたわ、ゲンスルー」

 

 そう。ハメ組が一堂に会し、多くのカードが出揃うこの時を待っていたのはゲンスルーだけではない。少女───カオルもまた、この時を虎視眈々と狙っていた者の一人であったのだ。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 カツン、と再度踵を鳴らし、陰獣"豪猪(やまあらし)"の死体からドレインし改良した能力……"豪猪のジレンマ(ショーペンハウアー・ファーベル)"で伸ばした髪の毛で拘束されたゲンスルーを見下ろした。彼はかなり背の高い男だが、それでも具足分嵩増しされている私の方が目線が高くなる。

 

「お前は……」

 

「賞金首ハンター、カオルよ。最近このゲームを始めたばかりの初心者ですけどね」

 

 賞金首ハンターと聞いて目の色を変えたゲンスルーは、すぐさま全身をオーラで強化し、伸ばされた髪の毛の拘束を引き千切りにかかる。

 が、びくともしない。当然だ、そもそも込められたオーラの量が違う。そして全身の体毛を操作可能としていた本家と異なり、操作できる対象を髪の毛に絞って改良した分、その強度や操作の自由度は格段に上昇した。例えウボォーギンレベルの強化系念能力者であっても、この拘束から逃れるのは至難の業だろう。

 

「クソッ、仲間の敵討ちか……!?」

 

「初心者だ、と言ったでしょう?アナタの被害に遭った仲間なんていないわ。別に恨みがあるわけではないけれど……私の目的のために、アナタには死んでもらうわ」

 

 落ちていたゲンスルーの右手と呪文(スペル)カードを回収。カードは本に仕舞い、拾い上げた右手にメルトウイルスを流し込み溶解させた。

 ドロドロの青いスライムへと変じ、私の掌から吸収されていく自身の右手を見て唖然とするゲンスルー。それが己の末路だと悟ったのだろう。顔を真っ赤にさせて暴れ、拘束から逃れようと全身に力を籠める。

 

「まあ、無理なのだけど」

 

 途端、ガクンと力を失ったかのように頽れるゲンスルー。彼だけではない、この洞窟内にいる全員……侵入してきた水に触れた者すべてがオーラの殆どを吸収され崩れ落ちた。この水は私の宝具に由来する女神の水。完全発動しているわけではないため効果は限定的だが、顕在オーラをドレインする程度なら容易いことだ。

 

「それでは頂きます……の前に、アナタの持ってるカードを頂戴しましょうか。都合よく(バインダー)を出してくれていることですし」

 

「ッ!ブッ……」

 

 慌てて「ブック」と唱え、(バインダー)を消そうとするゲンスルーの口が強制的に閉じられる。髪の毛が瞬時に伸びてきて口を塞がれたのだ。

 ハメ組が集まった時点で有無を言わさず拘束しなかったのは、こうして全員が(バインダー)を出す瞬間を待っていたからだ。「離脱(リーブ)」を使うためにゲンスルーが(バインダー)を取り出し、それに触発されて全員が(バインダー)を出すまさにこのときを今の今まで隠れて狙っていたのである。

 

 ゲンスルーが持つ指定ポケットカード九枚やその他呪文(スペル)カード各種。そして他のプレイヤーたちの持つカードも全て余さず回収する。面倒臭い手作業だが、しかしこれだけのカードをみすみす見逃す手もない。有難く頂戴するとしよう。

 口を塞がれつつも必死になって「ブック」とモゴモゴ唱える彼らを無視して回収すること暫し、ようやく90種133枚のカード全てを回収し終えた私は額の汗を拭った。余った指定ポケットカードは破棄するしかないが、それでも一部はフリーポケットに入れて保管する。万が一のとき、あるいは交渉用の予備として確保しておくのだ。

 

「ふぅ……さて、ようやく本命ね」

 

 回収作業を終えた私は改めてゲンスルーに向き直る。生命エネルギーたるオーラの大部分を一度に失った彼は、青褪めた顔で力なく横たわっていた。

 ここまで来るのは実に大変だった。何せ彼らハメ組のアジトがどこにあるかは明確に描写されておらず、原作知識が役に立たなかったからだ。「恐らく魔法都市マサドラからそう離れてはいないだろう」という予想の下、自分の足で虱潰しに探すしかなかったのである。豊富なオーラ量に物を言わせた強行軍で昼夜問わず探し回り、ようやく見つけたときには諸手を挙げて喜んだものだ。

 そしてようやくこの日を迎え、こうして爆弾魔(ボマー)ことゲンスルーをドレインすることができる。しかも90種の指定ポケットカードと呪文カード各種のオマケつきだ。経験値を獲得しつつ、ゲームクリアにも近付ける……まさに一石二鳥である。

 

「それでは……頂きます」

 

「ンーッ!ンーッ!!」

 

 迫る踵から逃げるように身を捩り、イヤイヤと首を振るゲンスルー。それに構わず、私は容赦なく踵を突き刺しメルトウイルスを注入した。

 すぐさまドロドロに溶けていくゲンスルー。ここグリードアイランド内で死んだプレイヤーは死後一分もすれば現実世界に強制転移させられてしまうので、溶けたゲンスルーは迅速にドレインする必要がある。

 

 そして全て吸収したところで"総てを簒う妖婦の顎(マリス・ヴァンプ・セイレーン)"を発動。ゲンスルーの代名詞たる爆破の能力を簒奪する。

 能力をコピーし定着させるのは一瞬だ。奪った能力について直ちに理解した私は、両手に"凝"を施し一つ目の"発"───"一握りの火薬(リトルフラワー)"を発動させた。

 ボンッ!!と強烈な爆発が掌で発生する。その威力は先ほどジスパーの顔面を吹き飛ばしたとき以上のものだ。この能力は自分の掌を傷つけないよう、施した"凝"以上のオーラの爆発を起こすことはできない。しかし私のオーラの絶対量はゲンスルーより多いため、彼より強力な"凝"で掌を覆った上で更に強力な爆発を起こすことができるのだ。

 

 この能力はアタリだ。私の戦闘スタイルはその性質上足技が多く、従って攻撃手段も斬撃や刺突に限定されている。しかしこの能力なら触れるだけで相手を爆破することができる。無理に殴りに行く必要はないのだ。そしてその威力も満足のいくレベルである。

 惜しむらくは、サブとバラというゲンスルーの仲間がいないともう一つの能力"命の音(カウントダウン)"を十全に使いこなせないことだろうか。これは陰獣"豪猪(やまあらし)"の能力と同じように改良すべきだろう。二人の補助がなくとも即時一斉爆破できるようにするか、いっそ"命の音(カウントダウン)"は捨てて"一握りの火薬(リトルフラワー)"にリソースを回し強化するか……。

 

 あるいは、両方の良いとこ取りをして全く新しい能力に作り替えるか。

 

「……まあ、その辺は追々ね」

 

 ゲンスルーから奪った能力の考察を切り上げ、私は後ろを振り返る。そこにいるのは伸ばした髪で縛り上げられ、更にオーラまで奪われ倒れ伏すハメ組の面々だ。中には選考会のときに目にした顔も幾つかある。

 思えば彼らも散々な目に遭っている。力を合わせてなんとかクリア目前まで漕ぎ着けたかと思いきや、突然のゲンスルーの裏切りにより死に掛け。剰え私のような災害に狙われ、こうして再び生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされている。まさに踏んだり蹴ったりである。

 

 まあ、かと言って容赦する気はないのだが。私のドレイン能力を見られた以上、彼らを生かしておくのは些かリスクが高い。知られたところで何が変わるというわけでもないが、しかし目撃者は少ないに越したことはないのだから。

 

「只でさえダルツォルネたちに遠目からとは言え見られているわけだし……うん、やっぱり消しておきましょう。ゲンスルーの能力分差し引かれた経験値も取り返さないといけないしね」

 

 巻き付けた髪の毛の一部を硬く尖らせ、それぞれの身体に突き刺す。そこからメルトウイルスを注入し、この場にいる六十人ほどのプレイヤー全てを溶解させた。レベルは然して高くないとは言え、念能力者は念能力者。実に貴重な経験値である。

 続々とスライム化したプレイヤーたちを吸収しつつ思う。こうして賞金首以外の人間をドレインするのは初めてのことではなかろうかと。

 

「……ああ、そういえば天空闘技場の三人組がいたか」

 

 だが、あれは身内に手を出そうとしたのだから妥当な処置だろう。今のように私と敵対したわけでもなく、犯罪者でもない人間を殺すのは確かに初めてのことだった。

 だが、やはり罪悪感などは湧いてこなかった。命の価値が低いこの世界の基準で考えれば然程珍しくもない悲劇だが、それを元一般人の私が平然と行っているのだと考えると薄ら寒いものがある。私もこの世界に馴染んできたと考えるべきか、あるいは落ちる所まで落ちたと考えるべきか。一般的な道徳観に照らし合わせるなら、私は紛うことなき極悪人なわけだが。

 

「……まあ、今更よね」

 

 そう、今更だ。少なくともキメラアントの王をドレインするまで止まる気はない。別に暗黒大陸に行く予定があるわけではないのだから、キメラアント編さえ凌いで満足いく強さを手に入れることができれば、こんな非人道的な行為から足を洗うことだって叶うだろう。要は未来に訪れる()()()()()()脅威に私が勝手に怯えているだけなのだから、一先ずの安心感を得られればそれでいいのだ。

 

 余計な思考は不要。私はただ差し迫った脅威……キメラアントの王をどうにかすることだけを考えていれば良い。そしてキメラアント編はまだ数か月は先の話だ。今はただの猶予期間(モラトリアム)なのだから、余計な事は考えず気楽に行くべきだ。

 

「よし、それじゃあゴンたちと合流しましょうか」

 

 スタート地点のシソの木で別れて以降、彼らとはご無沙汰だ。原作通りに進んでいるなら今はビスケット=クルーガーに師事して修行に励んでいる頃だと思うが、果たして元気にやっているだろうか。私は二人の友人について思いを馳せつつ、ハメ組のアジトであった洞窟を後にする。

 

 

 

 

 

 

 

 ───そう遠くない未来に、この島で忘れかけていた因縁と再会するなどとは。このときの私は、まるで思いもしていなかったのだ。

 




 
 タイトル:跳梁する悪意

 悪意……それはハメ組でもなければボマー組でもない!このカオルだァーッ!でお送りした第十一話でした。
 皆様、「ボンバーマンが危ない」とか「某除念師が美味しそう」とか感想欄で予想されておりましたが、まさか全員残らず平らげるなどとは思いもしなかっただろうて……(暗黒微笑)
 悲しいけどこの子、SAN値ひっくいのよね。


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Don’t you know? ”Never escape from the clown”. You will understand it from this story, episode 12.

「『磁力(マグネティックフォース)使用(オン)、ゴン!」

 

 呪文(スペル)カード、「磁力(マグネティックフォース)」。指定した(ゲーム内で会ったことのある)プレイヤーのいる場所へ飛ぶ効果を持つそれを使い、私はゴンたちがいる場所へと向かう。オーラによるものと思われる光の膜が全身を包み込み、凄まじいスピードで飛翔した。

 ゲンスルーを含めたハメ組をドレインした私は、ようやくゴンたちと合流するつもりでいた。私のグリードアイランド内における最大の目標は果たした。後はゆっくりとゲームクリアを目指すのみである。

 

 グリードアイランド編の時系列についてはそう事細かく覚えているわけではないが、原作通りに進んでいるのなら今ゴンたちは魔法都市マサドラの郊外に広がる岩石地帯で修行に励んでいる頃だろう。確か"流"の修行をしている真っ最中であったように記憶している。

 しかし───目まぐるしく後方へと流れていく視界の中、私はどこか見覚えのある岩石地帯を通り過ぎていく。おやと首を傾げるも、呪文で包まれたこの身はマサドラとは違う方向へと飛翔し、最終的に森の中へと運ばれていった。

 

 ザッと下草を踏み締めて着地する。その音に反応し、ゴンとキルア、そしてビスケット=クルーガーと思しき少女が振り向いた。

 やって来たのが私だと認識するや、ゴンはパッと表情を明るくする。

 

「カオル!来てくれたんだね!」

 

「ええ、待たせたわね……、ッ!?」

 

 嬉しそうに駆け寄るゴンに笑顔を返そうとし、しかしツンと鼻を刺す刺激臭に私は勢いよく飛び退った。唐突にバックステップして離れていった私の奇行に、ゴンはキョトンとして首を傾げている。

 人の顔を見て逃げるというイジメ染みた行動。失礼だとは思うが、しかし私はそれどころではなかった。

 

「く───くっさ!?クサイ!凄い汗臭いんですけど!?」

 

「あー……」

 

 そりゃそうだわな、という納得の表情で苦笑するキルアとビスケット。ビスケットはともかく、キルアからもゴンに負けず劣らずの刺激臭が発されている。

 汗と、汗を吸った服に繁殖した雑菌の臭い。そして岩石地帯で付いたと思しき砂埃の臭い。それらが合わさってえらいことになっている。まるで高校野球部の部室の臭いを数倍に濃縮したかのようだ。

 しかし、見る限りゴンたちは然程その臭いに苦慮しているようには感じない。おそらく慣れてしまえる程度の汗臭さなのだろう……普通の人間にとっては。

 だが、私は只人とは隔絶した肉体性能を持った英霊複合体。しかもここ最近の怒涛のドレインラッシュで急激に強化されている。その恩恵(弊害?)で警察犬並かそれ以上になった私の嗅覚は、男二人から発される汗の臭いで甚大なダメージを負ってしまったのだ。あ、ちょっと涙出てきた。

 

「ごめんごめん、修行に夢中で水浴びとか全然してなかったんだよね」

 

「今からこの先にある泉に水浴びに行くところだったんだよ」

 

「うぅ……なら私が前を歩くから、アナタたちは後ろからついて来て」

 

 鼻を押さえつつ二人を追い越し先導する。この辺の地理には疎いが、しかし水の気配なら何となく分かる。ここから少し先に大きな泉があるのは確かであるようだ。

 というか、私に負けず劣らず鋭い感覚を持っているはずのゴンは何故平気なのだろう。島育ちの野生児にとって、汗と土の匂いはお友達ということだろうか……いや、流石にそこまで野生を極めてはいなかったはず。人口は少ないが、くじら島は歴とした人里なのだから。

 

「えっと、こんにちは。お久しぶり……ですよね」

 

「ええ、選考会のとき以来ね。私はカオル=フジワラよ」

 

「ビスケット=クルーガーです。ビスケと呼んで下さい」

 

 スッと自然な動作で近づいてきたビスケットが嫋やかに微笑む。本来の姿と性格を知っている私としては笑いが込み上げてくる思いだが、何とか飲み下して不自然でないように返事をする。彼女は初対面の相手には猫を被って接するのだが、それを私が知っているのはおかしい。くれぐれも予備知識があることを悟られないように接さなければならない。

 

 ビスケットは嘘つきだ。従って、相手の嘘を見破ることに長けている。加えて経験豊富な一流の念能力者でもある……僅かなオーラの乱れから相手の虚飾を見破るぐらいはやってのけるかもしれない。隠し事の多い私としては慎重にならざるを得ない相手である。

 しかし敵対者には容赦がない一方で、身内には面倒見が良い一面を見せる姉御肌な人物でもある。ゴンとキルアの第二の師匠でもあることだし、私としては是非とも仲良くなっておきたい人物だ。

 

「ビスケ、カオルにも猫を被るの?これからは一緒に行動するのに」

 

「どうせ遅かれ早かれバレるんだから、恥かかない内に被った皮は剥いどけよ」

 

「ちょ、恥ってどういう意味だわさ!?こういうのには順序ってものがあって……!」

 

 あっさりと本性を暴かれたビスケットは顔を赤くしてガーッと吼える。とは言え彼らの言う通り、以降は行動を共にするのだから猫を被る意味はない。私が後で合流する手筈になっていたのは二人から予め聞いていただろうに、それでも猫を被って接してきたのは───偏に私という人間を警戒しているからだろう。

 まあ当然と言えば当然である。基本念能力者なんぞ腹に一物抱えた曲者揃いなのだから、まず警戒が先立つのは極めて正しい対応であろう。一流の念能力者であればなおのこと簡単に気を許してはならず、まずは疑うことから始めなければならない。ビスケットにとってゴンとキルアはすでに気を許している可愛い弟子なのだろうが、だからと言って二人の友人である私を無条件に信用するべきではないと考えるのは当たり前のことである。

 

「……まあ、その辺は追々ね。今はまずお互いを知るところから始めるべきでしょうし」

 

「うっ、そ、そうね……」

 

 思えば、選考会での一件が尾を引いているのかもしれない。調子に乗って半ば本気で"練"を行ったことで過剰に警戒させてしまったのだろう。

 

 念能力者同士の共通認識として、「"練"を見せろ」とは「実力を見せろ」ということを意味する隠語である。それは"発"でもいいし、単純な肉体能力でもいい。武器や武術の習熟度を見せてもいいだろう。しかしそれは少なからず手の内を見せるということであり、飯の種でもある能力は少しでも秘匿したい私は選考会で「"練"を見せろ」と言われた際に馬鹿正直に"練"を行って見せたのである。

 たかが"練"、されど幻影旅団の半数をドレインした私の保有オーラ量は人間としてはあり得ないレベルで増大しており、練り上げ体外に放射された余剰オーラだけでツェズゲラを数メートル程度とはいえ吹き飛ばしてしまったほどである。その気配は控室にも届いてしまったらしく、それがビスケットを警戒させているのだろう。私が彼女の立場だったらそんな危険人物とは全力で関わり合いにならないようにするはずなので、その気持ちはよーく分かる。

 

 しかし私にビスケットを害する気持ちは皆無なので安心して欲しい。なのでニッコリと微笑んで見せると、凄まじく胡散臭そうなものを見る目をされた。解せぬ。

 

 それはそれとして泉である。私の勘が正しければもうすぐで到着するはず。私の霊基を成す女神が水に関わりが深い故か、結構な距離があっても水の気配を感じ取れるのだ。山で遭難しても安心である。

 

 生い茂る草木を掻き分け、やがて陽光を反射してキラキラと煌めく水面が目に入る。泉の水は驚くほど澄んでいて、水底の辺りを泳ぐ魚が容易に目視できるほどである。更に鮮やかな青の羽を持った小鳥が二羽並んで仲睦まじく飛んでおり、泉はどこか穏やかで静謐な雰囲気に包まれている。

 

 

 

 

 ───そしてそんな雰囲気をぶち壊す、全裸の男が一人佇んでいた。

 

 

 

 

 その長身を覆う筋肉は一切の無駄なく引き締められており、ボディビルダーの持つ無駄に盛り上がった、所謂見せ筋とは一線を画していることが遠目からでも一目瞭然である。それは実戦の中で鍛え上げられた、猫科の猛獣……豹を思わせるようなしなやかで強靭な筋肉の鎧であった。まるで勲章のように無数の古傷が刻まれた肌の上を水滴が滴り落ちていく。艶やかに濡れ光る赤髪も相俟って、薫るような漢の色気を醸し出していた。

 まさに完成された戦士の肉体美。極限の闘争の中で練磨されたそれは、転生してこの方異性というものを意識したことのない私であっても思わず見惚れてしまうような、荒々しい美しさが内包されていた。

 

 ああ、この肉体の持ち主が───

 

 

 ───あの変態ピエロでなければ、もう少し心穏やかに観賞できたのだが。

 

 

「嗚呼、目が腐る」

 

「ヒソカ!?」

 

「何でここに!?」

 

 突然の因縁ある相手との邂逅に狼狽するゴンとキルア。然もありなん、誰がこんなところで奴と再会するなどと予想できようか。私としても完全な不意打ちである。原作と違って除念師を探す必要があるわけでもあるまいに、何故ヒソカがグリードアイランドにいるのか。

 

「おやおや……♦これは予期せぬお客さんだ♥」

 

 こちらを振り返ったヒソカがニタリと笑む。いつものふざけたペイントを落としているのに、これでは折角の整った顔立ちも台無しだ。不気味に細められた蛇のような目が私たちを射貫く。

 

「久し振り♠」

 

 ズズズ……と邪悪なオーラが漏れ出す。反射的に飛び退ったゴンとキルアは、すぐさま"練"を行い戦闘態勢に入る。

 迅速な意識の切り替え、そして練り上げられたオーラの密度。暫く見ない間に二人は随分と成長したようだ。「男子三日会わざれば刮目して見よ」とは言うが、まさにそれを体現したような急成長ぶりである。

 それをヒソカも鋭敏に察知したのか、その不気味な笑みを益々深めていく。

 

「くくくくく、やっぱりそうだ♣️臨戦態勢になるとよく分かる……♦随分成長したんじゃないかい?いい師に巡り会えたようだね♥」

 

 グ……

 

「ボクの見込んだ通り……♣️」

 

 グググ……

 

「キミたちはどんどん美味しく実る……♥」

 

 

 ───────………。本当に目が腐る。どこがとは言わないが、ヒソカの身体の一部分が固く太く屹立していく様を見て、私は自分の目が加速度的に濁っていくのを自覚した。

 

 そして実に腹立たしいことに、それはとても雄々しいゲイ・ボルグであった。Fu〇k!

 

いあ!いあ!いぐああ いいがい がい!んがい ん・やあ しょごぐ ふたぐん!いあ いあ い・はあ!い・にやあ いい・にやあ んがあ!んんがい わふるう ふたぐん!よぐ・そとおす!よぐ・そとおす!いあ!いあ!よぐ・そとおす!

 

「うわあああカオルが壊れた!」

 

「おい、しっかりしろ!傷は浅いぞ!」

 

「ホホホ目のホヨー♪」

 

「おやおや……♠」

 

 唐突に脳裏に閃いた言葉を垂れ流し始めた私を心配してか、ゴンとキルアが鬼気迫る表情で肩を揺さぶってくる。

 しかし安心してほしい。私の視界にはもはやヒソカの禍々しい汚物など映ってはいない。ただ眼前には薔薇の香りがする大海が広がり、その先に巨大な石組みのアーチが煙るように見えるばかりである。私は馥郁(ふくいく)たる薔薇の芳香に包まれながら、満天の星空を映す波立たぬ海原を越えるべく一歩を踏み出した。

 

 大丈夫、私は海の化身。水面を歩くぐらいは容易いことである。

 

「ああ、でもどうしましょう。私、銀の鍵を持ち合わせていないわ。ピッキングで何とかなるかしら?」

 

「落ち着け!銀の鍵だか何だか知らねえけど、とにかく落ち着け!」

 

 

 

 結局私が正気に戻ったのは、それから十分後のことだった。




 ヒソカのサービスシーン、グリードアイランド編で一番盛り上がった場面ですね。……え、違う?

 取り敢えず、短いですが今回はここまで。次回はそれほど時間を置かずに投稿できると思います。


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道化師との共同戦線!胃壁を磨り減らすプリマの第十三話

 

 カオルは激怒した。必ず、彼の邪知暴虐の道化師を除かねばならぬと決意した。

 

 ───具体的には、彼奴の穢れたバベルの塔は念入りに磨り潰さねばならぬ。

 

 

「だからどいてキルア、ソイツ殺せない!」

 

「正気に戻ったかと思えばこれかよ!?落ち着いてくれ頼むから!」

 

 ギラギラと濃密な殺意に濡れた具足を打ち鳴らし、般若と化したカオルが黒髪を振り乱して吼え猛る。今にもヒソカに向かって飛び掛かりそうな彼女を引き留めようとするキルアは必死の形相だ。

 

「うーん、イイ殺気だ♠実に心地良い……♥」

 

 しかし当のヒソカはカオルから向けられるひりつくような殺気に快感を覚えているのか、恍惚とした表情で狂おしく身を捩っている。それを見たキルアはゴリゴリと正気(SAN値)が削れていくのを自覚した。

 

(というか、何でオレはヒソカのヤローを庇っているんだ?別にアイツは味方でも何でもないんだから、無理にカオルを止める必要もないのでは)

 

 一言「GO!」と言ってやれば、今のカオルは野に放たれた猟犬のように飛び出しヒソカを引き裂くだろう。もうそれで万事解決じゃね?と結論を出しかけているキルアは十分に正気を失くしている。

 

「ねぇ、どうしてヒソカがグリードアイランドにいるの?」

 

 盛大に狼狽える二人を余所に、ゴンは首を傾げてヒソカに問い掛ける。ナイスだわさゴン!とカオルの狂態にドン引きしているビスケットは冷静な様子の弟子の評価を引き上げた。

 

「このゲームを始める前に、カオルが『きっとヒソカはこのゲームに興味なんてないでしょうし、気が楽だわー』って言ってたから、オレもヒソカがいるなんて思ってもいなかったんだ」

 

「うんうん♣️流石はカオル、ボクのことを良く分かってる♦」

 

 カオルは「ふぁっきゅー」と遺言を残して頽れた。

 

「カオルが言う通り、ボクは最初こんなゲームに興味なんてなかったんだ♠ゲームのルールなんてよく分からないし、何よりプレイヤーの殆どが低レベルだって聞いていたからね♥」

 

 美味しそうなのはほんの一握りだけさ、と笑うヒソカの眼差しは酷薄だ。ジンが作ったグリードアイランドのことを「こんなゲーム」呼ばわりされてムッとしたゴンも、その冷たい視線に思わず押し黙った。いつも熱の籠もった眼差しで見られているゴンは知る由もなかったが、ヒソカは興味のない相手に対してはとことん冷酷な男だった。

 

「でも、とある噂を聞いたんだ♣️このゲームには……あらゆる傷を癒す奇跡がある、ってね♦」

 

「───ちょっと待ちなさい。アナタ、今どういう状態?」

 

 ムクリと起き上がったカオルが鋭い視線でヒソカを睨み据える。薔薇の海に旅立ったり狂化したりと忙しないカオルだったが、今の彼女は青い双眸に冷徹な光を宿し、ヒソカを凝視している。

 

 ……否、カオルの目はいま物理的に光っている。両目に集ったオーラが励起して光を放っているのだ。"凝"か!と遅れて気付いたゴンとキルアは即座に両目にオーラを集めて目を()らした。

 

 するとどうだ、今までとはまるで異なるヒソカの姿が目に飛び込んで来る。彼は身体の大部分を薄い膜状のオーラで覆っていたのだ。まるで包帯を巻いているみたいだ、とゴンが呟く。

 

「あらら、あっさりバレちゃった♠"隠"には自信があったんだけど♥」

 

 そう言うものの、"隠"によるオーラの隠蔽を見破られたヒソカは嬉しそうだ。"伸縮自在の愛(バンジーガム)"を見破るだけで四苦八苦していた未熟も未熟だった少年はもうおらず、ゴンは一廉の念能力者として実力を伸ばしてきているのだ───ヒソカは獲物の好ましい成長に舌なめずりをする。

 バレてしまっては仕方がない、とヒソカは"発"……"伸縮自在の愛(バンジーガム)"と"薄っぺらな嘘(ドッキリテクスチャー)"を解除した。

 

 ───途端、辺りに血の匂いが立ち込める。

 

 "薄っぺらな嘘(ドッキリテクスチャー)"の下から現れたヒソカの身体は凄惨なものだった。創傷だらけの身体は半分近くがケロイド状に焼け爛れ、膿んだ傷口からは黒ずんだ血が絶え間なく流れ出ている。しかも左腕は肘から先が無くなっており、どうやらゴム状に固めたオーラで喪失部分を補っていたらしい。その断面は如何なる理由か酷く腐敗が進んでおり、ジクジクと音を立てて今この瞬間も少しずつ腐り続けている。

 秀麗だった顔もまた酷いものだ。右の頬肉がごっそりと失われており、血の滲む歯茎や顎の骨が丸見えになっている。そしてそこに受けたであろう攻撃の余波によるものか、右目は傷こそ負っていないものの光を失ってただの硝子玉と化していた。

 

 まるで動く死体(ゾンビ)屍食鬼(グール)のような有り様。生きているのが不思議なほどの重傷だった。これにはカオルもビスケットも色を失くす。

 常人ならば痛みのあまり発狂しかねないような傷を負っていながら、しかしヒソカは笑っていた。剥き出しの頬を歪め、かつての激戦を思い起こすようにして恍惚と笑む。

 

「……やっぱり、クロロと戦っていたのね」

 

「クク、悪く思わないでおくれよ♣️先にクロロに目を付けていたのはボクだったんだから♦」

 

 チッと忌々しげに舌打ちするも、ここで何を言おうが負け惜しみにしかならないことが分かっているカオルは口を噤む。クロロに逃げられたのは紛れもなく油断と慢心、そして己の力不足故であったからだ。

 

 そう、ヒソカのこの有り様はクロロとの戦いの結果だった。カオルの幻影旅団への挑発を逆手に取ったヒソカはアジトで待機していたパクノダとコルトピを惨殺、そして死体を見るに堪えないオブジェの材料にしたのだ。全てはクロロを挑発するためだけに。

 仲間の変わり果てた姿を見たクロロは目論見通り激怒、一緒に帰還したシズクとマチと共にヒソカとの戦闘に縺れ込んだのである。

 

「で、ちゃんと仕留めたんでしょうね?」

 

「いやぁ、それが逃げられちゃって♠」

 

(フン)ッ!」

 

「凄く痛い!?」

 

 てへぺろ♥とクロロを取り逃がしていたことをカミングアウトしたヒソカにカオルの回し蹴りが突き刺さる。膝の棘部分ではなく、平らな脛部分で蹴られたのは偶然か温情か。ぐおぉぉぉ……と珍しく痛みを取り繕う余裕もなく蹲るヒソカを冷たく見下ろし、カオルは"秘密の花園(シークレット・ガーデン)"を張り直した。

 

「人から獲物を掻っ攫っておいて、挙句逃げられたァ?喧嘩売ってんのかしら」

 

「け、喧嘩ならいつでも売ってるけどね♥とは言え、ボクとしても不本意さ♣️確実に仕留める腹積もりでいたんだから♦実際、下半身は瓦礫を使って押し潰したんだけど……」

 

「はぁ?下半身が潰れてんなら死んでるに決まってんじゃん。いくら念能力者の生命力が強いからって、流石に重要な臓器もなしに生きてはいられないだろ」

 

 呆れたように声を上げるキルアだが、何の根拠もなく言っているのではない。暗殺一家の寵児として英才教育を受けて育ってきた彼は、人体をどれだけ破壊すれば人間が死に至るかどうかなど当たり前のように熟知している。

 無論、念能力者という超人が普通の物差しでは推し量れないような常識外の存在だとは身を以て理解しているが、それでも限度というものがある。たとえ極まった強化系念能力者であろうとも、身体の半分が破壊されて生きていられるほど人間を止めてはいないだろう。

 

「そうね、クロロの系統は特質……身体強化や自己治癒は苦手とする分野のはず。いえ、そういう能力を盗んでいるのなら話は別か……?」

 

「うーん、ボクもクロロがどれぐらい能力をストックしているのか知らないから何とも言えないけど……ボクがアイツはまだ死んでいないって判断したのは、マチがまだ生きているからさ♠」

 

「マチ……マチ・コマチネ、糸使いか」

 

 なるほど、とカオルは納得がいったと頷く。マチは極限まで細く伸ばした念糸を自在に操り、"念糸縫合"という技で切断された筋線維や神経すら元通りに繋ぎ直すことを可能にしている。実際、天空闘技場でもカストロに力任せに捩じ切られたヒソカの腕を事もなげに修復していた。生憎とカオルは"念糸縫合"を直接目にしたことはないが、神経すら繋ぎ合わせるらしい彼女の腕前を以てすれば、粉々に粉砕されたわけでもない下半身を修復することぐらいやってのけても不思議ではない。

 旅団が重宝するわけだ。可能ならばマチの能力はドレインしておきたかった、とカオルは唸った。

 

「で、シズク・ムラサキは?」

 

「そっちは殺したよ♥強化系寄りの変化系であるマチと比べて、彼女はとても非力だからね♣️能力も直接戦闘向きじゃないし♦」

 

「つまり、取り逃がしたのはクロロとマチの二人か……」

 

 なら、まだドレインする機会は失われていない───カオルは己にそう言い聞かせて気を静める。"蜘蛛"は受けた屈辱を忘れない。ならばきっと、いずれはカオルの前に姿を現すだろう。

 であれば今度こそ横取りされないよう、ヒソカは確実に仕留めておく必要がある。氷のような眼差しがヒソカに向けられた。

 

 ───手負いの今が好機か……?

 

 獲物を捕捉した雀蜂のような、無機質な捕食者の視線。瞬間的に温度を失ったカオルの凝視を受けて、ヒソカはニタリと不気味に微笑んだ。

 突如として二人の間に濃密な殺意が渦巻き、静観していたキルアとビスケットに緊張が走る。特に両者の実力を知っているキルアは、いつでも二人の戦闘範囲外に退避できるよう足に力を込めた。

 

(ビスケはともかく、今のオレの実力じゃアイツらの戦いに介入できない……悔しいが、もしそうなったら逃げるしかねえ。それに心配することはない。ヒソカは重傷だ、一度は奴を追い詰めているらしいカオルが後れを取るとは思えない)

 

 思考を加速させ、キルアはこの場で取るべき行動の最適解を算出する。以前に天空闘技場で見たヒソカの実力と、同じく天空闘技場での訓練で垣間見たカオルの力量。そして何より、選考会で感じた圧倒的なオーラ量。それらの要素を勘案した結果、カオルの勝率の方が高いとキルアは判断した。

 故に今は余計な手出しをせず下がっている方が、カオルへの何よりの援護になる。男子として情けないと思わなくもないが、しかし無理に介入して足を引っ張る方が何倍もみっともない。

 

 カオルの黒髪がざわりと蠢き、ヒソカから淀んだオーラが噴出する。爆発的に高まった両者のオーラが相克し、余波を受けた泉の水が激しく波打ち、木々が軋みを上げた。

 まさに一触即発。ズキリと頭が痛み、怯懦に後退ったキルアの視線の先で───驚くべきことに、ゴンが二人の間に割って入っていた。

 

「なっ!?」

 

 ビスケットの教えを受けて急激に成長したとは言え、ゴンもキルアもまだまだ未熟。念能力者全体で見れば、辛うじて中の中、あるいは中の上に食い込めるかどうかといったところだ。紛れもない上位の念能力者同士の戦いに介入して無事で済むとは思えない。それはゴン自身も理解しているのか、額からは冷や汗が伝っていた。

 何やってんだ!とキルアは青褪める。キルアの認識では、カオルはともかくヒソカに戦いの場に迷い込んだ憐れな闖入者に配慮するような分別があるなどとは思えなかった。むしろ獲物が増えたと喜ぶような戦闘狂(ウォーモンガー)だ。このままではゴンの身が危ない。

 

 助けに行きたい、しかしその意志に反して足が動かない……ハラハラと見守るしかないキルアを余所に、ゴンは怪物共のオーラに触れてなお怯まず声を上げた。

 

「待って、カオル!」

 

「何、ゴン?今はヒソカを確実に仕留めるチャンス……今こそハンター試験での借りを返すときなのよ!」

 

 邪魔するな、と言外に告げるカオルの氷点下の視線がゴンにも向けられる。見たことないほど剣呑な友人(カオル)が放つ鬼気に一瞬息を呑むも、ゴンは何とか言葉を搾り出した。

 

「カオルはヒソカを殺す気なんだね」

 

「当然でしょう。それともまさか、殺しは悪いことだから止めろ……なんて言う気じゃないでしょうね」

 

 まさか、とゴンは(かぶり)を振る。勿論殺人は忌避すべき行為だが、それは念能力者同士には当て嵌まらない。常識外の力を振るう彼らを裁く法は存在せず───念能力者が非念能力者を攻撃する場合は別だが───基本的に念能力者同士の私闘でどちらか一方が死亡しようと、それは「自己責任」なのだ。そのぐらいはプロハンターになって日が浅いゴンでも理解している。第一、殺人を頭から否定していてはキルアと友達になれるはずがないのだから。

 故に、今カオルを制止するのは別の理由だった。

 

「だって、今カオルがヒソカを倒しちゃったら……オレがヒソカにリベンジできなくなっちゃうよ!」

 

「あっ」

 

 そう、ヒソカに借りがあるのはカオルだけではない。ゴンもまた天空闘技場で手痛い敗北を喫して以降、ずっと打倒ヒソカを誓い研鑽を積んできたのだ。

 具体的には、「ジンの捜索」の次点にランクインする程度には優先度の高い目標であった。

 

 つい先刻、爆弾魔(ボマー)という本来ならゴンの敵になるはずだった人物を先んじて仕留めてしまったカオルは気不味げに目を逸らす。まだ出会っていない爆弾魔(ボマー)ならともかく、ヒソカというライバルまで目の前で掻っ攫ってしまうのは流石に憚られた。

 

 「ああゴン、そんなにボクと戦いたいんだね……♥」と身体をくねらせるヒソカからは努めて視線を逸らしつつ、カオルはこの場でヒソカを見逃すメリットとデメリットについて思案する。

 

(デメリットは言うまでもなく、ヒソカに逃げられてしまうこと。この期に及んで純粋な能力差で後れを取るつもりは更々ないけど、それを補って余りある「厄介さ」がヒソカと戦う際に不安材料になる)

 

 「強い」ではなく「厄介」───「面倒臭い」と言い換えても良い───なのがヒソカという男だ。"奇術師"の呼び名は伊達ではなく、それは"伸縮自在の愛(バンジーガム)"や"薄っぺらな嘘(ドッキリテクスチャー)"という、一見して攻撃性が皆無な能力を巧みに戦いに組み込み操る手腕からも明らかだ。

 しかし、今のヒソカは万全ではない。どうあがいても本来のパフォーマンスを出し切ることなど不可能だろう。恐らく、カオルが持ち得る全能力を傾ければ力押しで容易に勝利できるはずだ。

 

 逆にメリットは、完全回復した五体満足のヒソカと戦えることだ。先の考えと矛盾するが、これにはこれで利点がある。それは、ドレインすることでヒソカの"発"を奪える可能性があることだ。

 今まで散々苦汁を舐めさせられてきた伸縮自在、付けるも剥がすも自由自在の粘着性のオーラ。ヒソカという念能力者の代名詞でもある能力───"伸縮自在の愛(バンジーガム)"。戦上手なヒソカだからこそ使いこなせる能力ではあるが、これを奪い己のものにすることによる恩恵は計り知れない。たとえ本人ほどには使いこなせなくとも、欲しいと思うのが人情というものである。

 そしてこれは、今の満身創痍状態のヒソカ相手では不可能なことであった。何故なら、カオルの"総てを簒う妖婦の顎(マリス・ヴァンプ・セイレーン)"は「対象の全身を余すことなくドレインする」ことが制約となっているからだ。今のヒソカは肉体の損傷が激しく、仮に余さずドレインしたとて能力を奪えるとは思えなかった。

 

 ───実の所、"総てを簒う妖婦の顎(マリス・ヴァンプ・セイレーン)"の制約には穴がある。発動には全身を余さずドレインする必要があるわけだが、この「全身余さず」はカオル自身の認識に左右されるのだ。

 もし本当に髪の毛一本から肉片一つ、血の一滴まで余さずドレインしなければ発動しないのなら、この"発"はとんだ欠陥品である。戦闘の結果として相手に一切の怪我を負わせないなど不可能に近いのだから。実際、ウボォーギンによる音波攻撃で内臓を撹拌され、大量出血した陰獣"豪猪(やまあらし)"からの能力ドレインには成功している。流れ出た血液の大半が砂漠の砂に染み込み、ドレインできなかったにも拘わらずだ。

 つまり、カオルにとって出血によって流れ出た血液は肉体の一部としてはカウントされない。無意識領域での認識であるため意識はしていないが、カオルにとっての全身とは「体毛や爪、皮膚などの人体の表層部分、そして血液等を含む体液以外の肉体」なのである。

 要は思い込みだ。カオルにとってこれが対象の全身だと「思い込んだ」部分をドレインすればそれで発動してしまう。……ぶっちゃけ、対象が実は指を一本失っていたとしても、その程度の損傷ならカオルがそれに気付かず全身をドレインしたと「思い込んで」しまえば問題なく発動するのである。

 

 何ともアバウトでガバガバな制約だが、実はこれはそう珍しい話ではない。例えば、クラピカの"束縛する中指の鎖(チェーンジェイル)"は「幻影旅団以外に使用すると死亡する」という重い誓約があるが、相手が幻影旅団か否かの判断はクラピカの認識次第なのである。極端な話、対象に"蜘蛛"の刻印があり、その相手をクラピカ自身が「奴は間違いなく旅団の一員だ」と固く信じれば問題なく発動してしまうのだ(意外にもこれは公式設定である)。

 

 

 閑話休題。

 

 

 そういうわけで、カオルにとってもここでヒソカを見逃すことはメリットになり得るのだ。デメリットと天秤に掛けて冷静に考え直した結果、案外悪くないのではと思うに至る。……というか、ムクムクと"伸縮自在の愛(バンジーガム)"が欲しいという物欲が膨らんできた、というのが正しい。

 

 そして何より、とカオルは自分より頭一つ背の低い少年を見下ろす。具足込み(本来の姿)なら自身の腰ほどまでしかない矮躯の少年は、しかし思わずたじろいでしまうほどの強い意志を瞳に込めてカオルを見据えていた。

 ヒソカが惚れ込み、ビスケットが金剛石(ダイヤモンド)と称したゴン=フリークスをゴン=フリークス足らしめる「意志の強さ」。頑固さと言ってしまえばそれまでだが、ただ頑迷なだけではない、どこか惹きつけられるような輝きを感じさせる。

 その輝きを宿した目が、「オレだってヒソカに勝ちたい」「カオルなら分かってくれるよね」と雄弁に告げていた。断ったら泣くかもしれない。

 

 ハァ、とため息を吐きカオルはオーラを収めた。同時に、立ち昇っていたヒソカのオーラが千々に乱れるように霧散する。どうやら本当に本調子ではないらしく、いつものヒソカらしからぬ拙く荒々しいオーラ制御だった。

 

「……ホントに死に掛けじゃねーか。"発"を何とか維持するので精一杯なのか……」

 

「ククク、ボクが操作系か具現化系だったら既に死んでいたかもね♠」

 

 今のヒソカはオーラによる治癒能力の強化で何とか命を繋いでいるような状態だ。それでも無策で突っ込んで勝てるかと聞かれたら、キルアは即座に「NO」と答えるだろう。そこに一流の念能力者の底知れなさを垣間見、キルアはゴンが無事だったことに心底安堵した。

 

「でも、本当にこんな状態のヒソカを治せるようなカードがあるの?」

 

「あ、そうか。そもそもその怪我がどうにかならないとゴンのリベンジどころじゃないんだよな」

 

 そこんとこどうなんだよ、とキルアから水を向けられたヒソカは困ったように首を傾げた。

 

「それが、噂で聞いただけで確証はないんだ♥ボクもついこの間グリードアイランド(ここ)に来たばかりだから、まだ碌に情報も集めてないしね♣️」

 

「本当に一縷の望みを懸けて来たってことか……」

 

「でないと死んじゃうからね♦」

 

 なら大人しく病院行けよ、とカオルは内心で思ったが、言っても詮無いことなので口には出さなかった。どうせ退屈な入院生活が性に合わない、とかの下らない理由だろうと。

 

「……"大天使の息吹"という指定ポケットカードがあるわ。それは一度だけ、あらゆる病や怪我を癒してくれる効果がある」

 

『おお!』

 

 ゴンとヒソカが歓声を上げる。ただし、と続けてカオルはピッと指を立てた。

 

「"大天使の息吹"は普通の病気や怪我にしか効果がないわ。念によって受けた呪いの類は効果範囲外。アナタの腕は……」

 

「それなら大丈夫♠断面が腐ってるのは念じゃなくて普通の毒の所為だからね♥」

 

「なら解毒ぐらいしなさいよ……って、どうしたのよ二人共。急に"凝"なんてして」

 

 ふと見れば、ゴンとキルアは立てられたカオルの人差し指の先をじぃっと凝視していた。その"凝"への移行速度は実に素早くスムーズで、"流"の達人であるカオルから見ても及第点をあげられる程度には見事なものだった。

 

「いや、クセというか躾けられたというか……」

 

「つい条件反射的に……」

 

「……ああ、そういう……」

 

 原作で見たビスケットによる二人の修行内容を思い出し、カオルは納得した。よく見れば二人の二の腕は大分逞しくなっている。

 

「まあ良いわ。そうと決まれば───」

 

「それなら、ヒソカもオレたちと一緒に来る?」

 

 本人にそのつもりはなかったのだろうが、ゴンのその言葉はカオルの台詞を遮るようにして放たれた。

 そしてその言葉を受けたヒソカは実に嬉しそうに顔を緩ませ、カオルは実に嫌そうに顔を歪めた。

 

「まるで最高級のアモローサローズについてしまった虫を見るような目だわさ」

 

「そんなに嫌かい?ボクは嬉しいけど♣️」

 

「当たり前でしょう、誰が好き好んでいずれ殺し合う敵と一緒に行動するのよ。ゴン、アナタ正気?」

 

「うん。だって"大天使の息吹"を一刻も早く手に入れる必要があるんだから、人手は少しでも多い方がいいでしょ?」

 

 確かに正論だ。正論だが、しかしカオルにはその必要がない。カオルはちらとつい先刻集めた大量のカードが納められている指輪を見遣る。

 

「いえ、"大天使の息吹"なら私が持って───」

 

「それにヒソカと一緒にいれば、オレたちはまた強くなれるかもしれない。ビノールトさんの時みたいにさ」

 

「ああ、それは確かに」

 

 ビノールトとは、ゴンとキルアが岩石地帯で戦った賞金首(ブラックリスト)ハンターのことだろう。賞金首ハンターでありながら自身も賞金首であるという殺人鬼、22歳の女性の肉を好むという人肉嗜食者(アントロポファジー)である。二人はビノールトとの戦いを通じて大きく成長することができたのだ。

 実戦に勝る訓練はないと言うが、しかしビノールトとヒソカとでは事情が異なる。ビノールトは過去の出来事が原因で精神が捻じ曲がってしまったが、まだ更生の余地がある人物だった。実際、彼はゴンとキルアの直向きさを目にしたことでかつての少年時代の心を少なからず取り戻していた。

 しかしヒソカは違う。彼は何か已むに已まれぬ事情があったわけでもない、生まれながらの殺人鬼(シリアルキラー)にして戦闘狂(ウォーモンガー)だ。その危険性はビノールトなどより数段上である。

 

 如何に手負いとは言え、それなりの期間行動を共にするにはリスクが高い。カオルは断固として反対する構えでいた。しかし───

 

「うーん、そうね。確かに、すぐ近くに目標となる宿敵がいるのは良い刺激になるわね。ゴンとキルアというライバル同士だけでも十分と言えば十分だけど、それ以上の相乗効果が得られるなら……」

 

 Oh Shit!とカオルは天を振り仰いだ。何とビスケットまで賛成派に回ってしまったらしかった。

 しかしカオルはビスケットの目に情欲の色が過るのを見逃さなかった。ヒソカの顔と身体を目当てにしていることは明らかである。悪いことは言わないからソイツはやめておけ。

 

「決まりだね♦これからヨロシク♠」

 

「…………もう勝手にして」

 

 賛成4、反対1。圧倒的大差である。そして間の悪いことに、大勢の意見に流され易いカオルの元日本人としての悪癖がここで顔を出し、声高に反対意見を口にすることを躊躇わせてしまった。

 結局自分が折れることにしたカオルは、渋々ながらヒソカの同行を認めるのであった。

 

 

 

「……というか、いい加減服を着なさいよ。見苦しい」

 

「おっと、これは失敬♥」

 

 実はここまでの会話の間、ヒソカは下着一丁であった。カオルは台所の黒いアイツを見たときのように嫌悪に顔を歪め、何故か一向に鎮まる様子のない彼の股座から目を逸らした。

 




 最近、カオルの口が悪い気がする。そうさせているのは私なわけですが。
 まんまメルトリリスそのものではない、ということを意識して、メルトリリスなら口にしないようなことも偶に言わせるのですが……流石にスラングは控えさせた方が良いのではと思わなくもない今日この頃。


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善と悪、正道と外道。相反する友を思う第十四話

 
 またまた投稿が遅れてしまって申し訳ありません。今回は体調不良とかそういうのではなく、単なるスランプです。100字程度を書くのに数日かかるってもうね……。


 

 蒼穹に薄雲の広く煙るは天の高きを風が翔る証か。人の手の届くはずもない遠く遥かなものは、頭上に常に在る。如何に懸命に手を伸ばそうと、所詮は地を往く人の健気に過ぎない。されど人は征くのだ。人の誇りは人の世にしかあり得ないのだから……などと思いもしないことを詩に詠いつつ、私は岩の上に寝そべって空を見上げる。柄でもない哲学に思考を遊ばせるのは、偏に暇だからである。

 

 

 爆弾魔並びにハメ組から奪ったカードを獲得した私は、その一事で以てグリードアイランドのトップランカーに躍り出た。突如として「名簿(リスト)」から消え失せたハメ組と私との関連性を疑わぬ者はおらず、すぐさま街で出会ったことのある幾人かから「交信(コンタクト)」が寄せられた。それは事実確認であったり、諸々の手順を飛ばしての交換交渉だったりと先方の用件は様々だったが、私はその全てを跳ね除けた。当然である。ゲームクリアへの道順を知っているのに、何故わざわざ誰とも知れぬ者たちと手を組まなければならないのか。

 

 そうすると必然、次なる交渉は腕尽くとなる。一夜にしてハメ組という一大勢力を滅ぼした私を恐れもせぬ自称強者たちが大挙して押し寄せてきたのである。然もありなん、ハメ組は数は多いが一人一人の実力は然程のものでもない。要は舐められていたのである。厄介ではあるが実力勝負となれば如何ほどでもない、それがプレイヤー間におけるハメ組の共通認識であったのだ。

 詰まるところ、そんな数を恃みにするハメ組を殲滅した私はただの幸運者だと思われていたのである。如何なる理由か一堂に会していたハメ組を奇襲する機会に恵まれただけのラッキーガール。ならば今度は我らがその幸運な小娘を打倒し、所有するカードをせしめてくれようと───夏の羽虫が火に焚べられにやってきたのだ。死ねば消滅するはずのカードを余さず強奪し、その上で一人として逃がさず殺害した……殺害できたという、その意味を知ろうともしないで。

 

 まさに鴨が葱を背負って来たようなもの。中途半端に知恵が回り、中途半端に腕が立つ彼らはG・Iの中位プレイヤーだ。仮にも幻影旅団を相手取った私の敵ではなく、再びゴンたちと距離を置いていた私は彼らを再起不能なまでに痛めつけ追い返した。流石にこれ以上死者を増やすと問題が出るので半殺しで済ませておいた私ってば優しい!しかしカードは容赦なく供出させたので、残るレアカードは「一坪の海岸線」や「一坪の密林」ぐらいとなった。

 

 これが私の策。私自身が誘蛾灯となることでプレイヤーを誘き寄せ、そしてカードを頂戴する。「交信(コンタクト)」してきたプレイヤーたちの口振りから舐められていると悟ったことで思いついた、名付けて「"飛んで火にいる夏の虫"作戦」である。そのためには貴重な指定カードを全て私一人が持つという危険を冒さなければならなかったが、しかしそれは私に限っては危険足り得ない。何故なら、私にはオールドレインというチートがあるからだ。

 どれだけ魔法のように見せ掛けていても、G・Iの呪文(スペル)は歴とした念能力の産物である。ならば、メルトリリスたる私にドレインできない道理はない。「追跡(トレース)」も「密着(アドヒージョン)」も、「窃盗(スティール)」や「強奪(ロブ)」でさえ、効力を発揮する前にただのオーラとして吸収してしまえる私の脅威ではなかった。

 

 斯くしてただ邪魔なだけの中位プレイヤーは多くが事実上の退場となり、ツェズゲラ組などの短慮に走らぬ上位プレイヤーのみが残った(一部の上位プレイヤーものこのことやってきて退場となったのは考慮しないものとする)。ゲンスルー組がいないこと以外は概ね原作通りであると言えよう。そして私がゴン組withヒソカと手を組んでいることを知らないプレイヤーたちは、私というダークホースのみを警戒することだろう。その間にマークされていないゴンたちは特訓を続けられるという寸法だ。

 

 ……そして無論のこと、こうして再び別行動をするにあたってゴンたちに事情は説明してある。爆弾魔とハメ組からカードを奪ったことと、奪ったカードを囮に寄ってくるプレイヤーを相手取ることをだ。

 「殺して奪った」とは言っていない。直接的な発言は敢えて避けたが、しかしそれで騙されるほどゴンは馬鹿ではない。私の言葉尻から、間違いなく私が何かしらの凶行に及んだことは察したことだろう。

 意外にもビスケットはこれといった反応を示さなかった。彼女のポーカーフェイスから思考を読み取るのは至難の業である。残念ながら私では彼女の胸の内を知ることはできなかった。

 キルアはもっと反応を見せなかった。「ふーん、やるじゃん」の一言で終了である。彼にとってはハメ組の生き死になどどうでもよく、ただゲームクリアに近付いたという結果にのみ喜んでいた。流石は元暗殺者、実にドライである。

 ヒソカはただニタニタと笑っていた。コイツについては心底どうでもいいので割愛する。

 

 ゴンは何かを察したかのようにハッと顔を引き攣らせ、そして悔し気に俯いた。

 ゴンは敬愛する父が作ったG・Iで殺し合いが横行する現状を憂いていた。そんな中で私が事に及んだことにショックを受けたのかと思いきや、どうもそうではなさそうだった。悲しさと悔しさ、そして僅かな怒り。それらが綯い交ぜになった複雑な感情の矛先は私ではなく、自分自身に向けられていたのだ。

 

 その顔を覚えている。その表情は、天空闘技場でヒソカに敗北した時のそれと同じものだ。己の力不足を悔やみ、それでも諦めず前を向く男の顔。

 そしてゴンは私の顔を見上げ、「オレ、強くなるから」と言い放ったのである。

 

「……またぞろ自分を責めてでもいたのかしら。自分の力不足を他人の所為にしないのはゴンの美点だけど、そもそも何を以て力不足と感じたのかしらね」

 

 もしや、私が凶行に及んでまでカードを集めてきたのを自分の力不足とでも思ったのだろうか。自分が弱いばかりに他人の手を汚させてしまった、とか。

 だとしたら見当違いも甚だしい。私が爆弾魔やハメ組を手に掛けたのは徹頭徹尾自分のためであり、誰かのためなどという殊勝な考えは皆無である。そもそも私の狙いは初めから彼らの経験値と能力であり、カードの回収は二の次であった。場合によってはカードを諦めてでも彼らを殺しドレインしていただろう。つまり私の凶行と彼らの死は必然であり、避けられないことだったのだ。

 

 ───出会った時から分かっていたことではあるが。はっきり言って、私は主人公(ゴン)の友人として相応しくない。

 

 私は人殺しである。相手が賞金首とは言え、手に掛けてきた数が数だ。少々度が過ぎている。恐らく数だけならキルアよりも上だろう。ハンターとして罪に問われるようなことはしていないが、しかし人倫に悖る行為を繰り返してきたことに違いはない。なまじ一般人を手に掛けていないだけたちが悪いと言えるだろう。

 私は自己愛の塊である。一番大事なのは自分自身であり、他人のために己の命を懸けられるような善性とは無縁である。自分に危険が及ばない範囲でなら多少の親切はしてやれるが、それは偽善ですらない自己満足に過ぎない。

 

 人の命の健やかなるを慈しむことが人生の正道だとするならば、私は外道であった。私は人の命を切り崩し、刈り取ることを以て己の人生を生きている───楽しんでいる。他人の命を溶かし奪うことに罪悪感を覚えていたのは最初の内だけだ。ドレインを繰り返すこと数百回。今ではもう何の感慨も抱くことはない。むしろ、目に見えてオーラや能力が上昇していくことに微かな悦びすら抱いている。これを邪悪と呼ばずして何と言う。

 そんな邪悪()がゴンと肩を並べているという違和感。原作主人公というものを神聖視するわけではないが、しかし彼の純粋さを見るにつけ思うのだ。ここは私のいるべき場所ではないと。

 

 例えばクロロ=ルシルフル、そしてヒソカ=モロウ……この二人は紛うことなき悪人筆頭、今まで私が見てきた中でも最たるものだ。彼らは息をするように他者を殺め、そしてそこには些かの呵責もない。悪人である己を偽ることなどしない、一本筋の通った「悪」である。

 それに対する私の中途半端さよ。己の欲のために他者の命を食い物にし、尊厳も何もかもを情け容赦なく奪い去る。そしてその一方で、善人の皮を被り何食わぬ顔でゴンたちと接するのだ。浅ましいことこの上ない。そして何より、その振る舞いに何の抵抗も覚えないことに我ながら滑稽さすら覚える。

 

 私はキメラアントとその王の討伐を目的と定め力を蓄えているわけだが、今の私とキメラアントに如何なる違いがあろうか。左手に掴んだ人肉を貪り食らいながら、右手を差し出しゴンたちに友好関係を求める、蟻の姿をした私のイメージが脳内に浮かんだ。まるで滑稽さを前面に押し出した風刺画のような脳内イメージに苦笑する。

 別にそのことを深刻に捉え思い悩んでいるわけではない。メルトリリスの肉体を有し、ジル・ド・レェの魔導書を操る私は端から人間ではないのだから、人間としての善悪だの何だのと、そんなことにかかずらうだけ時間の無駄というものだ。そんな無駄なことを思考するのは、私に残った元一般人としての感覚の残滓がそうさせるのと、思索に耽るだけの時間が有り余っているからだ。二度目だが、要は暇なのである。

 

 よっこらせと身を起こし、強化した視力で数キロ先の景色に目を凝らす。私の視線の先では、ゴンとビスケット、そして私が譲渡した「大天使の息吹」の複製を使って完全回復したヒソカが特訓に励んでいた。

 「大天使の息吹」を使う代わりにゲームクリアと特訓の協力を条件として呑んだヒソカは、意外なほど真摯にゴンに付き合っているようだ。今は「流々舞」という組手を行っている。

 万が一にもゴンたちとの協力関係が露呈しないように距離を開けているので分かりにくいが、ゴンの攻防力移動は以前とは比ぶべくもなく丁寧でスムーズになっていることだろう。それだけ鬼気迫る勢いで修行に取り組んでいる。現在キルアはハンター試験を受けるため一時的にG・Iを去っているが、キルア不在の間にも修行のペースを落とすことはしていないらしい。

 

 暫くそうやってゴンの修行風景を眺めていると、キイイイィィィン……と甲高い音が接近してくるのに気が付く。それがここ数日の間にすっかり聞き慣れた「同行(アカンパニー)」による飛翔音だと思い至った私は、服に付いた砂埃を手で払い除けながら立ち上がった。

 ザッ!と砂塵を巻き上げながら降り立った人影は三人。その内一人は見覚えがある。つい先日「同行(アカンパニー)」で数人の仲間と共に襲撃をかけてきたプレイヤーの内の一人だ。二度と変な気を起こさないよう、両腕を圧し折って追い返したのを覚えている。

 しかし、どうも私が負わせたものではない別の傷を幾つもこさえているようで、身体中ボロボロな上に顔面を痛々しく腫らしている。両腕が折れているという特徴がなければ誰だか分からなかったであろうほど、その顔は原形を留めていない。凄惨な暴行が行われたことは明白であった。

 

「い、言われた通り連れてきてやった!もういいだろう!?俺はこの女に『次会ったら殺す』って脅されてんだぞ!」

 

「好きにしろ」

 

 両腕を骨折している男は四苦八苦しながら「再来(リターン)」のカードを取り出すと、脇目も振らずこの場から去っていった。

 残った二人の男は既に戦闘態勢であり、無言で剣呑な視線を向けてくる。私はそれぞれの額に彫られた刺青から二人の正体をおおよそ察したが、念のためにと誰何の声を投げ掛けた。

 

「一応聞いておくけど、どちら様?」

 

「……ゲンスルーを殺したのはお前か?」

 

「質問に質問で返すな、と言いたいところだけど……さて、さて。ゲンスルーねぇ、生憎だけど覚えがないわ」

 

 肩口まで伸ばされた黒髪の男の問いにすっとぼけたように返すと、赤髪を毬栗のように逆立たせた男が苛立ちも露わに唸り一歩を踏み出した。

 

「手前ェ……!」

 

「落ち着け、サブ!……質問を変えよう、ニッケス組を全滅させたのがお前だというのは本当か?カオル=フジワラ」

 

 やはり、と私は確信を深める。この二人はゲンスルー組三人の内の二人、サブとバラだろう。原作ではゲンスルーが仕掛けた"命の音(カウントダウン)"を即時爆破するための補助を担っていた念能力者だ。

 そして今、黒髪の男は赤髪の男をサブと呼んだ。ならば、比較的冷静な黒髪の男はバラで間違いあるまい。サブとバラ、この二人の目的は一目瞭然……即ち、ゲンスルーの仇討ちだろう。ゲンスルーの協力者である彼らは当然ハメ組を裏切る日取りも聞かされていただろうし、その日にハメ組諸共ゲンスルーが消息不明になったとすれば、真っ先に疑われるのはハメ組を全滅させカードを奪った私であろうことは想像に難くない。

 

 ご名答。君たちの仲間を殺したのは、紛れもなくこの私である。

 

「ええ、そうよ。あの日、洞窟に集合していたハメ組……いえ、ニッケス組を襲撃してカードを奪ったのはこの私」

 

「その中に、サングラスを掛けた男はいたか?金髪で、面長の背が高い奴だ」

 

「ああ、それならよく覚えているわ。何せ───」

 

 ───一番最初に殺したのが、その男だったのだから。そう告げた直後、憤怒の表情で殴り掛かってきたサブの拳を往なし、がら空きとなった胴を蹴り飛ばした。

 

「ガッ!」

 

「サブ!……チッ、やはりテメエがゲンスルーの仇で間違いねぇみたいだなァ!」

 

 怒りの感情を押し隠し、努めて冷静であろうとしていたバラ。しかし私が正真正銘ゲンスルーの仇であると判明した今、バラはその怒りを隠すことなくオーラと共に放出した。

 高まっていくサブとバラのオーラ。流石ゲンスルーの仲間だけあって、そのオーラ量はかなりのものだ。原作ではそれぞれキルアとビスケにあっさりと打倒されていたが、それでも強力な念能力者であることに違いはない。

 

 ()()()()()()()()()()()()()。私は舌なめずりをすると、"秘密の花園(シークレット・ガーデン)"を解いて鋼の脚を露わにさせた。

 

「丁度いいわ、爆弾魔の能力改良に手古摺っていたところだったのよ。アナタたちにはその手伝いをしてもらいましょうか!」

 

 ハメ組を躊躇なく惨殺する一方で、ゲンスルー同様とても仲間想いなサブとバラ。彼らの行ってきた所業は悪であれ、その友情はとても美しいものだ。ゲンスルーたちを只の外道と見做せぬ最大の要因である。

 さりとて、それで手を緩めるような殊勝さなど持ち合わせてはいない。彼らは外道でなくとも、私は外道なのだから。

 

 怒りに任せ飛び掛かってくるサブとバラ。その二人を私は笑みすら浮かべて迎え撃った。

 

 悪を滅ぼしたのは善ではなく、より大きな巨悪であった───これは、只それだけの話である。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

「はい、そこまで!根を詰めすぎよ、ゴン。少し休憩しなさい」

 

「お、オス!」

 

 かなりの集中力を要求される流々舞を終えたゴンは、肩で息をしながら仰向けに倒れ込んだ。

 一方、組手の相手をしてくれていたヒソカは涼しい顔だ。「大天使の息吹」で完全回復した身体の調子を確認するかのように丁寧に組手を行っていた。

 

 やっぱりレベルが違う、と僅かにかいた汗を拭うヒソカを眺めながらゴンは思う。天空闘技場での敗北からまだ半年程度しか経っていないのだから当然ではあるが、宿敵との力の差は未だ歴然としている。今はまだ、辛うじてヒソカの影を踏めるようになった程度か。その背中は依然遠い。

 

 ……たった半年でヒソカの背に追い縋りかけていることの異常性を理解しないまま悩むこと暫し。ふと日が陰ったことに気が付いたゴンが顔を上げると、今まさに一本のペットボトルが顔面目掛けてすっ飛んでくるところだった。

 

「うわっ……と!」

 

 ギュンギュンと無駄に乱回転するペットボトルを慌ててキャッチするゴン。キンキンに冷えた水が詰まったペットボトルの冷気が掌を通して伝わってくる。

 

「忘れずに水分補給!いくら頑丈な念能力者でも脱水症状によるコンディションの低下は思わぬ事故を生むから、よーく留意しておくこと!」

 

「オス!」

 

 見れば、ビスケットがカード化したペットボトルの水をゲインしている。ゴンは視線で謝意を伝えると、貪るようにして水を流し込んだ。

 疲労し火照った身体に冷たい水が心地良い。渇きを癒し一息ついたゴンの隣に、よっこらせとビスケットが座り込んだ。

 

「随分と頑張るわねぇ。アンタは最初から熱心に修行に取り組んでたけど、ここ最近は特に。鬼気迫ると言うか何と言うか……」

 

「負けられない相手がすぐ傍にいるからね!気合も入るよ」

 

 そう言うゴンの視線の先にいるのは、身体を捻って無駄にセクシーなポーズをとる───恐らく身体の調子を確かめているのだろう。多分、きっと───ヒソカの姿があった。性格とファッションセンスにさえ目を瞑れば色気溢れるイイ男であるヒソカの艶姿に視線を吸い寄せられそうになるのをグッと堪え、ビスケットは以前から気になっていた疑問をゴンに投げ掛けた。

 

「ゴン、アンタはカオルのことをどう思ってるの?」

 

「カオル?もちろん友達だよ!」

 

「あー……言い方を変えるわ。アンタは、カオルをどういう人間だと思っているの?」

 

「…………」

 

 以前からの疑問。それはゴンと並べて比較すればするほど浮き彫りになる、カオルという少女の異常性だった。

 

 ビスケットのもう一人の教え子であるキルア、彼もまた闇の住人だ。経験豊富なビスケットからすれば、身のこなしや雰囲気から裏社会の闇の気配を見出すのは容易いことだった。

 しかし、カオルのそれはまた別種のものだ。血の匂いがするという点ではキルアと同じだが、その性質が異なる。強いて言うならばヒソカが近いか。ビスケットは、正気を装う狂人の気配をカオルから感じ取っていた。

 

 加えて、選考会でも感じ取った莫大なオーラ量だ。ハッキリ言ってオーラ量だけならば、ビスケットが知る中でも最強の念能力者、アイザック=ネテロをも凌駕していると確信している。それほどの規格外だった。

 念能力者の実力を語る上で、オーラ量の多寡は数ある物差しの一つに過ぎない。しかしあれほど極まっていれば話は別だ。オーラ量という一点のみであらゆる念能力者たちを抜き去り凌駕し得る、そんな異常性をカオルという少女は秘めているのだ。

 例えば、普通の念能力者は全身の攻防力50の状態である"堅"を基本とし、状況に応じて攻撃部位の攻防力70・全体の攻防力30……というようにオーラを割り振り戦闘を行う。ところがカオルはというとオーラの総量そのものが常軌を逸しているので、極論、攻撃部位200・全体100の攻防力で戦うなどという馬鹿げた行いが可能となってしまうのだ。

 

 その異常な力……それをゴンが持っているのならまだ安心できた。しかし、その力の持ち主はカオルという───恐らくは少なくないG・Iプレイヤーを殺害したであろう精神破綻者だ。警戒するな、などと言うのはどだい無理な相談である。

 そして、そんなカオルとゴンは友人同士であるという。ゴンはともかく、カオルという少女は一体何を思ってゴンとキルアに近付いたのか。何か企みがあるのでは……と勘繰ってしまうのも無理からぬことであった。

 

「アンタは気付いていないかもしれないけど、カオルは危険な人物よ。ヒソカや以前会ったビノールトほどあからさまではないけれど、恐らくは───」

 

「……分かってるよ、ビスケ。オレだって気付いてるさ。カオルが人殺しだってことは」

 

 え、と目を見開くビスケット。ゴンは空になったペットボトルを置き、別行動中のカオルがいるであろう方向……肉眼では捉えられないほど遠方の岩場に視線を向けた。

 

「オレ、結構鼻が利くんだ。だからハンター試験中の飛行船の中でキルアがさせていたのと同じ匂い……血の匂いをカオルがさせているのを何度か感じたよ」

 

 ゴンが言うそれは、荒事に慣れた人物、人殺しの経験が多い人物が纏う剣呑な気配や雰囲気を評するのに用いる「血の匂い」ではなく……純然たる血液の匂い、饐えた鉄錆にも似た「血の匂い」であった。

 ゴンは、カオルの本性が決して善人なだけではないと気付いていた。気付いていながら、しかしゴンは変わらず主張し続ける。依然変わりなく、カオルは大切な友達であると。

 

「キルアは人殺しだけど、オレの初めての友達だよ。既に暗殺稼業から足を洗おうとしているから、じゃない。()()()()()()、キルアは大切な友達なんだ!

 カオルも人殺しだけど、同じだよ。友達になったのは試験中の偶然の出会いだったけど、あんなに強いのにまだ全然弱かったオレたちを気に掛けてくれたんだ。天空闘技場では強くなりたかったオレのために、ウイング先生と一緒にオレとキルアを鍛えてくれもした」

 

 ゴンからすれば、カオルは大切な"友達"の一人であり……そして師匠のように自分たちを先導してくれる、頼りになる"先輩"のような存在であった。

 

「キルアもカオルも同じ人殺しだけど、大切なオレの友達。でも人殺しの仕事から離れようとしているキルアと違って、カオルは今も殺人を厭わない賞金首ハンター。だから───」

 

 ───オレは強くなる。もしカオルが道を踏み外しそうになったら、それを止めてあげられるだけの力が欲しい!

 

 それは、友人を想うゴンの純粋で高潔な精神の発露だった。その宣言に籠められた熱意に、ビスケットはかつてダイヤモンドと評したゴンの魂の在り様を垣間見た。

 

「友達が間違いを犯そうとしていたら、殴ってでも正道に引き戻す……それが本当の友達、親友なんでしょ?」

 

 レオリオがそう言ってたんだ!と屈託なく笑うゴンを見て、ビスケットも思わず釣られて笑う。そして納得した。闇の住人であるキルアが、ああもゴンを慕う理由が。遍く闇を照らす光、それがゴンの持つ意志の輝きだ。

 あのカオルが己の異常性を隠してまでゴンと接するのは、あるいはキルアと同じ理由かもしれない。そう思ってしまうほど、ゴンは人を惹きつける天性の魅力を備えているようにビスケットには感じられた。

 

 良いハンターは自ずと人を惹きつける。思えば、あのネテロ会長も十二支んを筆頭に多くのハンターたちに慕われていた。あるいは、今はまだ未熟なこの少年も───

 

「───さ、休憩終了!次は"発"の修行だわさ!」

 

「おぶっ!」

 

 バシィンッ!と勢いよくビスケットがゴンの背中を叩く。踏鞴を踏んでよろけるゴンにニッコリと笑いかけ、ビスケットは更なる荒行を提示する。

 

「今から行うのは『石割り』よ!今日の目標は300個、ハイスタート!」

 

「うひゃあ、あれキツイんだよね」

 

 ゴンの系統である強化系の修行、一個の石を用いて計1000個の石を割る「石割り」。"周"と"硬"の維持、そして何より"流"による速やかな攻防力移動が求められるのだ。現在のゴンの最高記録は210個であった。

 

「フフフ、大変でもやらなきゃ強くなれない♠ゴンはカオルを倒せるようになりたいんだろう?」

 

「わ、ヒソカ聞いてたの?」

 

「バッチリとね♥」

 

 音もなくゴンの背後に忍び寄っていたヒソカ。それに驚きつつも、ゴンは口を尖らせてそれに反論する。

 

「オレは別にカオルを倒したいんじゃないよ。もしカオルが目の前で悪いことをしようとしたら、それを止められるように……」

 

「同じことさ♣️カオルはある意味ボクと同じ……絶対的な"暴力"の信奉者なのだから♦」

 

 ゴンたちプロハンターの生きる世界は、とにもかくにも"力"がなければ何も為せぬ厳しい世界だ。その"力"の種類は何でもいいが、"力"無き者はただ屍を晒すのみ……そんな無慈悲な世界に身を置いているのだという自覚を持たなければならない。

 善を謳うのにも、悪を為すのにも。正道を歩むのにも、外道に生きるのにも……何らかの"力"が要るのだと。

 

 そしてカオルは、その"力"に"暴力"を選んだ。この過酷な世界で我を通すため、そして何より生きるため……"暴力"こそが何にも勝る武器となり得るのだと確信しているのだ。

 

「"暴力"に生きる者は、"暴力"でしか制することができない……それが道理というものさ♠ボクに釈迦の有難い説法が意味を成さないのと同じようにね♥」

 

 故に予言しよう、とヒソカは哂う。ゴンが力尽くにでもカオルに正道を歩ませようとするならば───

 

「───キミとカオルは戦うことになるだろう♣️己の主義主張を通すために……"暴力"で以てね♦」

 

 始まりの女(イヴ)に誘惑を囁く(サタン)のように、不気味に目を細めて哂う道化師は少年に毒を告げた。

 その予言に、「そっか」と短く返したゴンは集めた石の一つを手に取り、石割りの修行を開始した。

 

 手にする石に施した"周"と"硬"を維持し、台に置いた石に振り下ろし続けるという強化系の修行。淡々と石を割りつつも、ゴンの耳にはヒソカの言葉が呪いのようにこびりつき、暫くの間離れることはなかった。

 

 




 本当ならとっととドッジボールさせたかったのですが、物語に厚みを持たせるため心情描写に一話を費やすことにしました(悪足掻き)。
 元々短編小説になる予定だったものだから中身が薄くて……ちょいちょい話を追加して肉付けしてやらないと、描写不足甚だしいことこの上ないのですよ。そしたら時間が掛かること掛かること。まだG・I編なのにこの有り様って、そしたらキメラアント編なんてどうなってしまうんでしょうね……。

 定期更新を続けられる他作者様方の偉大さというものを改めて実感しつつ、今回は締め括らせて頂きます。それではまた次回。


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ゴン組withヒソカ(withカオル)の暗躍。立ちはだかるは十五人の海賊の第十五話

「よく集まってくれた。礼を言う」

 

 そう言ってファーのついたボーラーハットを被った割れ顎の男───カヅスールが集まった面々をぐるりと見渡す。カヅスール組を囲むように連なる岩々の上に座っているのは、彼の招集に応じやって来たG・Iプレイヤーたちだ。

 

 アスタ組。ヤビビ組。ハンゼ組。そして個人(ソロ)のゴレイヌと、ゴン組の五チーム───カヅスール組を含めれば計六チームがこの場に集っていた。

 

「『交信(コンタクト)』で話した通り、あと少しでコンプリートしそうなプレイヤーが二組いる。一方は言わずと知れたツェズゲラ組だ。ランキングで確認したところ、現在92種。

 ……そしてもう一方はカオルというプレイヤーだ。驚くべきことにソロプレイヤーで、現在96種。この二組が最もクリアに近い存在だと言えるだろう。早急に対策を立てる必要がある」

 

 そう語るカヅスールの言葉に、集まった面々は神妙に頷く。特につい最近になって頭角を現してきたダークホース、カオルの名は深刻に受け止められていた。

 何故なら、ツェズゲラ組に匹敵する数のカードを保有していたニッケス組ことハメ組を全滅させた張本人がカオルというプレイヤーだからだ。個人の実力はともかく、頭数の多いハメ組を単身殲滅せしめたその実力もさることながら、暴力によるプレイヤー狩り(PK)を厭わない精神性が何より危険視されていた。

 

「ここに集まった君たちは、50種以上のカードを保有する優秀なプレイヤー及び念能力者だ。故に皆まで言わずとも奴の危険性は承知の上だろう。特にハンゼ組の面々は───」

 

「……ああそうさ。ソロのくせに『堅牢(プリズン)』も持ってねぇからと嘗めてかかったらこのザマだよ」

 

 吐き捨てるようにそう言ったハンゼ組の面々は、程度の差はあれ全員が怪我を負っている。彼らは無謀にもカオルに挑み、そして目ぼしいカードがないからという理由で追い返された組の一つだった。カードを奪われなかっただけ他の返り討ちに遭ったプレイヤーよりはマシかもしれないが、それで腹の虫が治まるわけではない。ハンゼ組はカオルにリベンジするため、それが叶わずとも他のプレイヤーたちに警告する目的でカヅスール組の招集に応じたのだった。

 

「ハッキリ言って格が違った……悔しいが、認めるとこは認めなきゃならねぇ。あの女はマジでヤバイぜ。俺ら三人を含めた他チーム合同の計十人で挑んだんだが、終始遊ばれて返り討ちよ」

 

「十人!それだけの人数差があっても駄目だったのか……」

 

「ああ。それにアイツ、俺らを痛めつけている間ずっと笑っていやがった!とんだサド女だぜ!」

 

 糸目の男、ハンゼが憤慨したように捲し立てる。それを眺めるキルアは、ニヤニヤと笑いつつ小声でビスケットに───正確には、ビスケットの膝の上に鎮座する人形に話しかけた。

 

「(言われてるぜ、サド女さん?)」

 

「(シャラップ。迂闊に話しかけるんじゃないわよ。何のために人形のフリしてると思ってるのかしら)」

 

 ───否、それは人形ではなかった。id-es(イデス)『オールドレイン』のスキルに含まれる能力、コピーとスケールダウンによって生み出されたカオルの分身体である。

 

 この集まりは「一坪の海岸線」を獲得するためには避けて通れないイベントだ。是が非でも参加すべき案件だが、ゴンたちとの協力関係を隠しているカオルは参加できない。そのため、ミニサイズの分身体をビスケットに持たせてコッソリついて来ていたのだった。そして、どうやらその選択は正解だったらしい。こうしてカオルを襲撃してきたプレイヤーがこの集まりに参加していたのだから。

 よくよく原作を思い返せば、確かにハンゼ組がカヅスールの招集に応じている描写はあった。しかし口さがない言い方をすれば所詮彼らは脇役であり、カオルの記憶には殆ど残ってはいなかった。二次元と三次元の違いもあり、襲撃してきた時点では彼らがハンゼ組だとは気付かなかったのである。

 

(後でゴンたちから話を聞けばいいだけなのだから無理についていく必要性は薄かったわけだけど、私を知っている奴が参加しているというのなら話は別。バレる危険性を負ってでもついて来て正解だった)

 

 まあ、容易くバレるようなヘマはしないけど……と内心呟き、カオルは人形のフリを続行する。念のために髪型はツインテールに変えており、視線でバレないように目も閉じている。万が一にもオーラで怪しまれないよう、スケールダウンで極限まで霊格をも落とす念の入れようだ。今のカオルはただの無機物、ただの人形と遜色ない存在感の薄さだった。

 

("絶"では不自然なまでに存在感が薄くなり過ぎて、万が一"凝"で見破られた際に怪しまれてしまう。それを防ぐためのスケールダウン。怪しまれたくないのなら、そもそも"凝"をされなければ良い……ただの人形に"凝"をするような奴はここにはいないでしょう)

 

 「怪しければ"凝"、怪しくなくとも"凝"」というのが念戦闘における鉄則だが、「これは人形である」という先入観が彼らの警戒感を薄れさせる。(実際の中身はともかく)人形を抱いていても不思議ではない可愛らしい少女の外見であるビスケットが持つことで、更にその印象は確固としたものになるのだ。我ながら完璧な変装ではなかろうか、とカオルは自画自賛した。

 

「そして奴の最も厄介な点は、呪文(スペル)カードが通用しないことだ」

 

「通用しない……?そりゃあどういうことだ」

 

「どういうことも何も言葉通りの意味さ。奴に呪文(スペル)カードは一切通用しない。『聖騎士の首飾り』では防げない『徴収(レヴィ)』を『堅牢(プリズン)』もなしに防いで見せたのがその証拠だ。勿論『左遷(レルゲイト)』や『初心(デパーチャー)』も効果がなかった」

 

「ハァ!?何だそのチート!」

 

「GM仕事しろよ」

 

 一方、事情を知らない他のチームはカオルのオールドレインによるスペル吸収について盛り上がっていた。これに関してはカオルもルール違反に抵触するギリギリの行為ではないかと警戒していたのだが、一向にGMからの接触はない。見逃されたのかそもそも見ていないのか、事情は分からないがカオルにとっては有り難いことだった。

 

呪文(スペル)カード無効……確かに反則的な能力だ。恐らくそのカオルって奴の念能力が関係しているんだろうが、それ故に反則じゃないのかもしれねぇな」

 

「どういうことだよ?」

 

「大前提として、このG・Iでは個々人の念能力に制限は設けられていない。念能力者のためのゲームなんだから当然と言えば当然だが、個人の能力を用いて何を為そうがそれはルール違反ではないのだろう。……最近はとんと聞かなくなったが、例の爆弾魔(ボマー)なんかがいい例だろう。奴も念能力で悪事(PK)を働いていた質だからな」

 

「だが爆弾魔と違って、カオルの場合は呪文(スペル)カードルールそのものに喧嘩を売っているようなものだぞ?」

 

「確かにな。しかし見方を変えれば、奴は念能力で『堅牢(プリズン)』やその他防御系呪文(スペル)の代用をしているだけだとも捉えられる。かなりのグレーゾーンであることは確かだが、個人の念能力行使を制限することが不可能である以上、GM側はそう判断したんだろう……所詮は推測だがな」

 

 ほう、とその推測を聞いたカオルは薄く目蓋を上げる。その深い知見になるほどと感嘆する周囲の者たちの視線を辿れば、一際高い岩の上に座る一人の男に行き着いた。

 

 ゴレイヌ。この中で唯一ソロで活動しているプレイヤーだ。野性味を強く感じさせる顔立ちで、露出した腕は筋肉質で毛深い。全体的に厳つく野性的な印象を与える人物だが、決して野卑な人物でないことをカオルは知っていた。

 無論、知っていたのはゴレイヌが原作で活躍した登場人物の一人だからである。有名どころで言えば、やはり「えげつねェな……」の発言だろうか。彼が理知的な面も持ち合わせていることを読者に深く印象付けた一幕であった。

 

 この世界が確固とした現実である以上、全ての事象が原作通りであるとは限らない。しかし、ゴレイヌに関しては今し方の考察で前評判通りの人物であることが判明した。武と知に優れたオールラウンダー、実に優秀な念能力者である。カオルは湧き上がってきた欲(ドレイン衝動)を呑み込み、何としてでも彼をドッジボール戦のメンバーに引き込むことを決意した。

 

「なるほどな……ありがとう、ゴレイヌ。ならばやはり、カオルからカードを奪うというのは現実的ではないな。実力で倒すこともまた同じく。ハンゼ組には悪いが……」

 

「チッ……いや、いい。理性では分かってんだ、奴と戦うのはリスクがデカいってな。直接対決以外に方法があるってんならそれでいい。あるんだろ?何か良い案が」

 

「勿論だ。そのために君たちに声を掛けたのだから」

 

 ゴホン、と一つ咳払いをしたカヅスールが改めて全員を見渡す。皆が話を聞く姿勢になったところで、カヅスールは指を四本立て口を開いた。

 

「現時点でツェズゲラ組を抑えトップであるカオル。奴がまだ持っていないカードは、№000、№1、№2、№75の4種だ。しかし№000は99種を集めた後で入手イベントが発生するという説が有力だから、残るカードは3種となる。

 この3枚の中のどれかを奴より先に入手・独占し、コンプリートを阻止する!……それが俺たちの考えた作戦だ」

 

 カヅスールは自信を持った声でそう告げた。そして返答を待つまでもなく、殆ど全員がその提案に納得していることは表情を見れば一目瞭然だった。

 カオルは複数の念能力者を同時に相手取っても圧倒できるだけの実力があり、正面戦闘は現実的ではない。さりとて呪文(スペル)を駆使してカードを奪おうにも、カオルはあらゆる攻撃系呪文(スペル)を無効化してくるのだ。正攻法では分が悪いことは火を見るより明らかであった。

 

「一番現実的なのはカードの独占。奴から奪うのが不可能であるなら、そもそも奴の手に渡らないようにしてやればいいという寸法さ。異存はないと思うが、どうだ」

 

 既に結論は出たようなものだが、カヅスールは念を押すように再度問い掛ける。改めて反対意見が出ないことを確認すると、パンッと一つ手を叩いて本題に切り込んだ。

 

「なければ本題だ。ここにいる全員で共同戦線を張りたい!俺たちの目から見ても十分な実力を持っている君たちならば、独占したカードをカオルやツェズゲラ組からも死守できるはずだ。仮に奴らに襲われたとして、勝てないまでも逃げきれれば目的は達成できる。奴らを勝たせないという目的がな」

 

 確信を込めた力強い宣言。カヅスールのその言葉を聞いたヒソカはフッと口端を吊り上げて笑った。しかしその笑みは、他の者たちが浮かべている不敵な笑みとは趣が異なるものであった。

 それは嘲笑。カヅスールは己や他の者たちを見て「十分な実力」と評したが、ヒソカからすればお笑い種だった。何故なら彼らは二流。ヒソカの基準からすればお粗末としか言いようのない程度の実力しか持っていないからだ。対して一流の念能力者であるカオルやツェズゲラが本気になれば、カヅスール程度の企みなど力尽くで打ち破れる。叶うとすれば時間稼ぎが精々だ。

 今はまだ弱くとも、ゴンとキルアは多大な伸びしろを残している。一流に届き得る伸びしろが。対して彼らに一流足り得る才はなく、既にして頭打ちである者が殆ど。下手をすれば一週間と経たずにゴンたちにすら追い抜かされるだろう。強者にしか興味のないヒソカの目には、己の実力を過信して強者の足元を掬えるつもりでいる彼らは酷く滑稽に映った。

 

(今この場で合格なのは……)

 

 言わずと知れたカオル(の分身体)と、ヒソカが目を掛けているゴンとキルア。そして二人の師であるビスケットの四人のみ。

 

(他は見る価値もない乱造品ばかり───と言いたいところだけど♠)

 

 唯一彼らの中で突出した実力者がいる。野性味溢れる顔立ちの男───ゴレイヌだ。

 原作知識で予めその存在を知っていたカオルと異なり、ヒソカは磨き上げてきた己の目利きを以て一目でゴレイヌの実力の程を嗅ぎ取っていたのである。

 

(6、70点……いや、80点いくか?クロロやカオルほどじゃないけど、彼も中々に美味しそうじゃあないか……♥)

 

 うっそりと微笑み、ペロリと舌なめずりをするヒソカ。その邪な視線を鋭敏に察知したゴレイヌはビクッと肩を震わせ、キョロキョロと周囲を窺う。しかしその時には既にヒソカは視線を外していたため、ゴレイヌは悪寒に震えながら首を傾げるのだった。

 

「提案には賛成よ。でもメンバーには異論があるわね」

 

 カヅスールの提案を受けた上で、しかしタンクトップ姿の短髪の女性、アスタはそう言って異を唱えた。その視線には猜疑的な色が籠められ、明らかにゴン組へと向けられていた。

 

「ちょっと待てよアスタ、アンタが『交信(コンタクト)』の時に言ってた条件は守ったぜ?カードの所有種50種以上……ここにいる六組はちゃんとクリアしている。その少年たちも含めてな」

 

「どうだか。アタシが提示した条件はもう一つ、互いに有益な関係を作れる人たち、と言ったわ。このコたちがアタシたちに有益なものを提供してくれるとはとても思えないわね」

 

 傲慢さが透けて見える視線と声だが、しかし一概に彼女に非があるとは言い難いのも事実だ。何故なら、ゴンとキルア(と一応ビスケット)はあまりに若すぎるからである。何しろ十二歳だ、むしろ幼いと言ってもいいだろう。対するアスタは歴とした成人女性。大人が子供を侮るのは両者の間にある体格差や年齢差、人生経験の差など諸々の要素を鑑みればむしろ当然であると言える。

 ……一般的な観点で言えば、という但し書きが付くが。念能力者となれば事情が違う。念能力に老いも若いも関係ない。子供であろうと強い者は強いし、大人であろうと弱い者は弱い。通常であればあり得ざる力関係の逆転が十分に起こり得る世界なのだ。アスタはそれを失念していると言えるだろう。故に強いて彼女の非を挙げるとすれば、それは彼我の実力差を正確に見切った故ではなく、外見のみでゴンたちの実力を判断し侮ったことである。

 

 とは言えそれを懇切丁寧に説明したところで理解されるとは限らないし、逆上されて話が拗れても困る。正論を説くことが最適解だとは限らないのである。

 ヒソカが前に出るという手もあるが、それでは根本的な解決にはならないし、そもそもヒソカにやる気がない。故に、ゴンたちは打ち合わせ通りの行動に出た。

 

「有益なもの、ねぇ。オレたちはカオルが持っていないカードの内一枚を持ってるぜ?」

 

「なっ……それは本当か!?」

 

「それだけじゃねえ。お前らが警戒しているカオルの能力を知っている……って言ったら、どうする?」

 

 投下された爆弾発言に色めき立つ周囲を前に、キルアはニヤニヤと猫のように笑いながら言う。その視線は露骨にアスタへと向けられており、彼女は思わず鼻白んだ。

 

 打ち合わせとは他でもない、純粋に情報提供の内容のことである。ゴンたちの実力が疑われることを予め知っていたカオルが提案したのは、ずばり己の能力だ。消えたゲンスルー組に代わって自分が警戒されているだろうことが分かっていたカオルは、己の能力の情報が千金の価値があると理解していた。確実に全員が食いつくだろう、と。

 しかし、カオルとしては最初から己の能力を開示するつもりはなかった。当初は「呪文(スペル)が無効である」ということのみ伝える予定だったのだ。その予定が狂ったのは、よりにもよってその情報を既に知っている者がこの場にいたこと。故に"豪猪のジレンマ(ショーペンハウアー・ファーベル)"で伸ばした髪の毛を糸電話代わりにしてゴンたちに繋ぎ、予定の変更に伴い自身の能力を伝えたのだった。

 

 

「カオルの能力は"総てを簒う妖婦の顎(マリス・ヴァンプ・セイレーン)"。その能力は───自身を害するあらゆる非物理攻撃を無効化すること」

 

 

 ───尤も、本当のことを教えるつもりはサラサラないのだが。

 

「何て出鱈目な能力だ……」

 

「非物理攻撃……だから呪文(スペル)が通用しなかったのか。なら、まさか俺の念弾も効かないのか……!?」

 

「いや、どうだかな。恐らく『一定以下の威力のモノのみ』とかの制約で縛っているはずだ。それでも十分反則的な能力なわけだが」

 

 しかし、そんな裏事情を知る由もない彼らはキルアから齎された情報を真に受け、侃々諤々とカオルの能力について話し合っている。企みが上手くいったことを確信したキルアはニヤリとほくそ笑んだ。

 

「(流石は変化系、嘘が上手だね♦)」

 

「(うっせ。お前も変化系だろーが)」

 

 おちょくるヒソカを肘でどつくキルア。その様子を暫く眺めていたアスタは、チッと舌打ちを零すと不貞腐れた表情で両手を上げる。

 

「……フン、悪かったわよ。アンタたちを侮った発言は撤回するわ」

 

「そうかよ」

 

「でも一つ聞かせて。アンタたちはどうやってカオルの能力を知ったの?その情報の仕入れ先によってはデマを疑わないといけないし……」

 

 元より明確な根拠などなく、年齢のみを理由にゴンたちを見下していたアスタ。しかし彼らが自分たちの足を引っ張る恐れがないと分かれば、先の己の失言を撤回することに否はなかった。アスタは自信家で口も悪いが、しかしムキになってさえいなければ己の非を認める程度の度量はあるのだ。

 しかし、ゴンたちを対等と認めることと信用することは別問題である。彼らが齎した情報は確かに有益なものだが、それが真実であるという保証はないのだ。念能力者にとって己の能力の詳細が露呈するのは最も忌むべきこと故に、アスタはそれが自身の能力を隠蔽するためにカオル本人が流したデマではないかと疑ったのである。

 

「安心しな、デマじゃねえよ。何せカオル本人がそう言っているのを見たんでね」

 

「だから、それが虚偽の情報でないという保証は───」

 

「"死人に口なし"ってヤツさ。"絶"で隠れてたのがバレなくてよかったぜ」

 

「死人に口なし……ってことは、奴のプレイヤー狩りの現場に居合わせたのか……!」

 

「まさかニッケス組以外にもPKの被害に遭っていた組があったとは。遭遇したのは災難だったが、見つからなかったことと情報を持ち帰れたことは幸運だったな、キルア」

 

 奇しくも真実を言い当てたアスタだったが、スラスラと淀みないキルアの口八丁を前には無力だった。周囲の者たちが素直に信じたこともあり、結局彼女も己の思い過ごしだったと結論し追求を止めてしまうのだった。

 

「しかし、これでハッキリしたな。カオルというプレイヤーの危険性が」

 

「ああ。まさかニッケス組以外にもPKを行っているとは……ひょっとすると、あの爆弾魔以上の危険人物かもな」

 

「奴らをぶっ潰してくれたことには感謝しないでもないが、な」

 

「ハンゼよ、お前らはむしろ幸運な方だったみたいだな?」

 

「全くだ。腹立たしいのは変わらねぇが、それ以上にホッとしてるぜ……」

 

 しかし同時に、カオルの悪評が確かなものとなってしまうのだった。まさかこの場に本人がいるなどとは知る由もない彼らの好き勝手な発言に、カオルは反応してしまわないよう必死に無表情の維持に全力を傾ける。その様子をヒソカはニヤニヤと笑って眺めていた。

 

「オーケー、アスタが納得してくれたようで何よりだ。……ついでに聞くが、カオルが持っていないカードってのはどれだ?」

 

「№75の『奇運アレキサンドライト』だよ」

 

「けど、コイツはカード化限度枚数が20もあるんで独占するには向いていないタイプだな」

 

 表向きは所持カード55種であるゴンたちだが、実際はクリア目前のカオルと組んでいる。故に貪欲にカードを求める必要性が薄いため、話を拗らせるよりはと、特に見返りを求めずあっさりと情報を投げ渡した。

 

「となると、俺たちが求めるべきは№1と№2のカードというわけだな。誰か『名簿(リスト)』で調べてくれないか」

 

 「№75を獲ったのか!?」「凄いなお前ら」「どうやって獲るんだアレ」と騒めく周囲を制止し、カヅスールは話を戻す。カヅスールの言葉に頷いた二人が「名簿(リスト)」を取り出し、(バインダー)にセットした。

 

「『名簿(リスト)使用(オン)、№1!……駄目だ、二組所有してる奴がいる」

 

「『名簿(リスト)使用(オン)、№2!……ビンゴ、0だ!いけるぜ!」

 

 その結果を受けた一人が「道標(ガイドポスト)」を使用。その結果、№2「一坪の海岸線」はソウフラビという街に存在することが判明した。

 

「ソウフラビなら俺たちが行ったことある」

 

「なら『同行(アカンパニー)』が使えるな」

 

 カオルやツェズゲラ組に先んじてカードを獲得し独占するという作戦。そのために必要となるカードの目途が立ったことで沸き立つ面々を見渡し、カヅスールは先頭に立って宣言した。

 

「よし、それではこれよりソウフラビへと向かう!目標は───『一坪の海岸線』だ!」

 

 

 

 

***

 

 

 

 

「アタシたちはもう抜けるから。本来の目的であるカオルのコンプリート阻止は達成できそうだしね」

 

「ソロである奴には"十五人の仲間を集める"って条件は不可能だろうしな」

 

「今一番有名なプレイヤー狩りであるカオルに協力する物好きはいねぇだろうよ」

 

「えーっ!?」

 

 出発前にはあった熱を完全に失い、三々五々に去っていく面々。ゴンは彼らを唖然とした表情で見送るしかなかった。

 

 

 最初は困難だと思われた「一坪の海岸線」の捜索。それは拍子抜けするほどあっさりとその情報が見つかったことで急転を迎える。

 NPCの口から語られた十五人の海賊───「レイザーと十四人の悪魔」のキーワードから、「一坪の海岸線」を得るための条件が"十五人以上で「同行(アカンパニー)」を使いソウフラビへ来る"こと、そして"海賊に勝利し彼らを追い出す"ことであると判明したのだ。

 

 しかし問題は、件の「十四人の悪魔」が彼らの予想以上に強かったことだった。

 

 幸いキルアの機転により怪我人は最低限で済んだものの、撤退せざるを得なかった同盟チームの士気は激減。そもそもの発端であるカオルが条件を満たせないという事実も後押しし、彼らから攻略の意欲は失われてしまったのである。

 

 

「アンタたちも暫くこのイベントは放っといたら?下手にカードの入手に成功したらそれを狙われて逆に危険……その方が奴には都合がいい」

 

 アスタはそう言い残し、「同行(アカンパニー)」を使ってマサドラへと去って行ってしまった。

 残されたゴンは所在なさげに佇むのみ。一方、去っていく彼らを冷めた目で眺めていたキルアは、唯一この場に残っている男───ゴレイヌへと顔を向けた。

 

「アンタはどうすんの?」

 

「お前らと同じさ、もっと強い仲間を探す。……このイベント、続ける気だろ?でなきゃあの作戦変更は意味ないからな」

 

 キルアたちがわざと海賊たちに負けたことを指して、ゴレイヌは不敵に告げた。

 

「あの連中はカン違いしている。オレたちにとってもこのカードはなるべく早く入手した方がいいんだ」

 

「少しでも仲間割れの危険を回避するため……か」

 

「その通り」

 

 カード入手イベントの発生に必要な人数が最低十五人。にも拘らず、「一坪の海岸線」のカード化限度枚数は「複製(クローン)」を使ったとしてもたったの三枚である。

 そして、今回集まったのは合計六チーム。仮に首尾よく「一坪の海岸線」を手に入れたとしても、最後にはその所有権を巡って仲間割れが生じていたことだろう。このイベントは、初めから仲間同士の争いの火種を抱えていたのである。

 

「イベント発生の条件が判明したときにアンタが言った『えげつねェな』の意味、最初は全然分かんなくて考えたからね」

 

「フッ、聞かれてたか。……そういうことだ。オレたちが全員勝つことを前提にしても、最低あと三人の手練れが要る。理想はそいつらが十人組のパーティだと最高ってことだ」

 

「なんで?」

 

「三組でたった三枚の『一坪の海岸線』を争うことなく分けれるからだぜ、ゴン。

 ……さて、ゴレイヌ。実のところ、オレたちにはその"強い仲間"に一人心当たりがある」

 

「ほう?」

 

 意味深に笑うキルアに、ゴレイヌは片眉を上げて訝しげな視線を送る。キルアの表情からは確かな自信と、何やら非常に……非常ー(ヒジョー)に嫌な予感を感じさせる悪戯染みた色が窺えたからだ。

 

「あー……一応聞くが、その心当たりとは誰だ?」

 

「既に私が『交信(コンタクト)』で連絡をつけました。もうすぐ到着すると思います」

 

「今から来る奴の正体を知った上で……ゴレイヌ。アンタはオレたちと協力してくれるか決めてくれ」

 

「一体何を───」

 

 パタン、と(バインダー)を閉じたビスケット。すると、ゴレイヌにとっても聞き慣れた「キイイイィィィン」という呪文(スペル)による移動音が聞こえてきた。

 

「ッ、これは『同行(アカンパニー)』……いや違う、『磁力(マグネティックフォース)』か!」

 

 光が夜空を切り裂き、ザッ!と下草を踏み締めて着地する。「磁力(マグネティックフォース)」によってやって来たその少女は、肩に掛かった黒髪を手で払い除けながら立ち上がった。

 

「アンタは……」

 

「一応お久しぶり……になるのかしら、ゴレイヌさん。私は───カオル=フジワラ。今一番有名なプレイヤー狩りであるらしい者ですわ」

 

 何やら妙に演出染みた登場を果たした少女───カオルは、ビスケットが抱えていた人形(分身体)を受け取り、自身の身体に吸収する。

 それによって分身体が経験した諸々が情報となって本体に統合され、カオルの記憶として定着した。

 

「なるほど……襲撃してきた奴らがいたというイレギュラーがあった以外は、概ね打ち合わせ通りに進んだみたいね」

 

「あれ、分身体と意識が繋がっていたわけじゃないんだ」

 

「ええ。分身を作れるのは便利だけど、意識の同調は残念ながらできないのよね……それが難点と言えば難点かしら。できるならリアルタイムで情報を送れる偵察役としても使えたのだけど」

 

 ゴンたちと和気藹々と会話するカオル。それを見て、我に返ったゴレイヌはじりっと後退った。

 

「アンタがカオル……まさかゴン組の一員だったとは。一緒に行動している様子がなかったから、てっきり方向性の違いで決裂していたものだと……」

 

「その様子を見ると、私とゴン組との関係は上手く隠し通せていたようね。あの選考会にはアナタもいたから、あるいはバレているかもしれないと思っていたのだけど」

 

「ああ、してやられたぜ。そしてそれを知ってしまったオレは……断れば口封じにってとこか?」

 

「まさか」

 

 カオルは敵意がないことを示すように両手を上げた。

 

「私がプレイヤー狩りであることは否定しないけど、ハメ組……ニッケス組だっけ?を襲ったのは、奴らの中に爆弾魔(ボマー)が混じっていたからよ」

 

「何?」

 

 目を見開くゴレイヌ。最近になって急に被害が途絶えてしまった爆弾魔の名がここで出てきたことに、彼は困惑したように首を傾げた。

 

「爆弾魔の名前はゲンスルー。覚えがないかしら?」

 

「ゲンスルー……!ニッケスの隣にいたあのグラサンか!アイツは他数名と並んであの組のまとめ役だった。ってーことは、爆弾魔と奴らはグルだったのか!?」

 

 そう言えばやたら爆弾魔について警告してきたのも奴だったな……と納得したように頷くゴレイヌ。別にカオルは爆弾魔とハメ組がグルだったと明言したわけではないが、特に否定はせずに意味深な微笑みで返しておいた。

 

「……まあ、アンタが理由もなくPKに及んだわけではないことは理解した。オレも奴らには一度痛い目にあわされてるんでな……正直スカッとしている」

 

「そう。なら……」

 

「実力的にはむしろ大歓迎だ。皮肉にもPKの件でアンタの実力は証明されているからな」

 

 それに……とゴレイヌはゴンを見た。この場にいる者たちの中で最も純粋そうな彼に、カオルを避けている節は見られない。ならば噂とは裏腹にそう悪い奴ではないのだろう、とゴレイヌは判断した。

 

(むしろ、一番警戒すべきはカオルではなくあのヒソカって男だな。何か目つきが怪しいんだよなアイツ……)

 

 チラ、と横目でヒソカを見る。今は不自然なほど爽やかな笑みを浮かべているが、ゴレイヌは時折り彼から向けられる熱い視線に気付いていた。無意識の内に括約筋に力が入る。

 

「どう?オレたちと協力してくれないかな、ゴレイヌさん。何か騙すようなカンジになっちゃったけど……」

 

「いや、むしろ同盟相手としては好ましい強かさだ。あの女の言葉を借りるわけじゃないが、足を引っ張られるような奴と組むより全然マシさ」

 

「! じゃあ……!」

 

「ああ、こちらから協力を申し出たいほどだ。よろしく頼むぜ、ゴン」

 

 ゴレイヌは太い笑みを浮かべ、右手を差し出す。パッと表情を明るくさせたゴンは、嬉しそうにその手を取った。

 

「うん!よろしく、ゴレイヌさん!」

 

 

 

 ───斯くしてここに六人の協力体制は成り、「一坪の海岸線」獲得への道に一歩近付いた。彼らの前に立ちはだかるは、「レイザーと十四人の悪魔」たち。

 

 残るは、あと九人。カオルは心当たりのある協力者候補へと思いを馳せ、来る決戦へと備えるのだった。

 




リアルでもゲーム(特にカードゲーム系)が苦手な作者、現在苦戦中。G・I難しい也……。


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レイザー戦、開幕。爆炎舞い散る第十六話

……唐突ですが最近、「実に下らない話だが、神はダイスを振るらしい」なんて変に気取ったタイトルではなく、「メルトリリス(モドキ)が行くHUNTER×HUNTER」とか「ダイスから始まる異世界転生」みたいな安直なタイトルの方がいいのではないかと思うようになりました。明らかに地雷臭増すけど、元々地雷要素満載の趣味小説ですし。

いやぁ、毎日毎日こうも暑いと余計なことにばかり頭が回る。こーんな下らないことを考えるくらいだったら、その分を執筆に回して投稿速度を上げた方がよっぽど建設的ですよねー。
実に下らない話だが、作者はタイトルで悩んでいるらしい……お後がよろしいようで(よろしくない)


「ちゃーらーらーらーちゃーらーらーらーちゃーらーらーらーちゃんちゃららららちゃんちゃららららちゃーーーんちゃーーーん───……ゴレイヌが なかまに くわわった!」

 

「どうしたんだ、急に」

 

「いえ、何か言わないといけないような気がして」

 

「なんじゃそりゃ」

 

 ゴレイヌが仲間入りして早数日、すっかり私の悪評が広がって誰も接触してこなくなって久しい。少し前まではひっきりなしに「交信(コンタクト)」の音が鳴り響き、「同行(アカンパニー)」や「磁力(マグネティックフォース)」で誰かしらが襲撃をかけてくる毎日だったというのに。

 

「ヒマ……いえ、平和だわ……」

 

「以前はそんなに襲撃が多かったのか……話だけならオレも風の噂で聞いていたが」

 

「それはもう」

 

 ボーっと虚空を眺めながらの私の呟きに、ゴレイヌは律義にも反応してくれる。

 以前のように襲撃をかけてくるプレイヤーがいなくなったことで、誰憚ることなくゴンたちと一緒に行動できるようになった私は、以前にヒソカと再会した森の中に場所を移していた。

 ゴレイヌは木の幹に背中を預けており、私は同じ木の枝の一つに腰掛けている。一方でゴンたちはというと、対海賊戦に向けてスポーツの訓練をしていた。

 

 ゴンとキルアはビーチバレーを。そしてビスケットは卓球の訓練をしている。

 ヒソカは……あの野郎サボってやがる。一応リフティングはしているが、"伸縮自在の愛(バンジーガム)"でくっつけたボールを機械的に蹴っているだけだ。

 

 もどかしい。原作知識を話せたならひたすらドッジボールの訓練をさせていたのに。

 

「サボりと言えばオレたちも同じだが」

 

「アナタは数合わせのメンバーの勧誘から帰ってきたばかりじゃない」

 

「アンタは?」

 

「休憩中」

 

 そう。結局残りのメンバーは、攻略を諦めて現実に帰りたがっているプレイヤーで間に合わせることにしたのだ。

 私は最初、原作と同じようにツェズゲラ組に声を掛けようとしていた。しかし、そこでキルアとゴレイヌの二人から待ったが掛かったのだ。

 

 曰く、所有種96種とクリア目前であるカオルに、ツェズゲラ組が素直に手を貸してくれるとは限らない。加えて、ツェズゲラ組の手に複製であっても「一坪の海岸線」が渡ってしまうことのリスクは無視できない……と。

 

 確かに言われてみれば、現在92種と言われていたツェズゲラ組の実際の所有種は95種だった。それも原作での話であり、私がヒソカに「複製(クローン)」で増やした「大天使の息吹」を使用したことで、彼らが所有していた「引き換え券」の一つが大天使に変わったはず。つまり、現在のツェズゲラ組は私と同数の96種を所有していることになる。

 何となく「ここからは原作通りに進めばいいか」と考えていた私としては目が覚めたような思いだ。危うく「一坪の海岸線」というアドバンテージをふいにしてしまうところだった。それなら「一坪の海岸線」の複製との交換で彼らが持つ「一坪の密林」の複製を貰う方がいい。そうすればゴンたちが持つ「奇運アレキサンドライト」を合わせて99種コンプリートになるのだから。

 

 以上の理由により、私たち六人+数合わせの他プレイヤーたちの計十五人のチームで挑む方針に決定した。そのため、ゴレイヌには数合わせのためのプレイヤーの勧誘に行ってもらっていたのである。

 

 しかし、このイベントは海賊の半数、つまり十五人中八人に勝利しなければならない。そのためには戦力があと二人足りないことになる。そこで、残りの二人分は私の分身が担う運びとなった。『オールドレイン』の能力の一つ、コピーを利用した分身能力。先日のカヅスール主催の会議において役立ってくれたこの能力を用いて私の分身体を二つ生み出し、これを戦力とするのである。

 私のこの分身は、例えばかつてカストロが披露した"分身(ダブル)"とは異なり、オーラのみで形作られたものではない。分身(コピー)と称してはいるが、その本質は分裂とも言うべきものだ。私の霊基の一部を切り離して生み出した、確固たる自意識を持ち自律したもう一つの私そのものなのである。

 その性質上、本体である私は生み出した分身の容量だけ霊基が縮小してしまう。あまり野放図に分身を増やしまくると、肝心要の本体である私が弱くなってしまうのだ。故に十分な戦力を保持した分身を生み出せる限度数は精々二~三人分といったところだろうが、今回に関してはそれだけあれば問題ない。

 

 ゴン、キルア、ビスケット、ヒソカ、ゴレイヌ、私、私(分身A)、私(分身B)。この計八人で海賊に、ひいてはレイザーのドッジボール戦に挑むことになる。ツェズゲラ組の協力は得られなかったが、決して見劣りするメンバーではあるまい。一ツ星(シングル)ハンターという点では私もツェズゲラと同じだし、むしろ個人戦力という点では私の方が遥かに勝っている。

 きっと勝てる……否、勝つ。勝負事に絶対はないが、しかし原作よりも充実した戦力で挑んで敗北するようなことはないだろう。所詮私にとってこのG・Iは本命前の余興(イベント)だが、それでもやるからには全力だ。

 

 それに秘策もある。レイザーには悪いが、余裕で勝たせてもらうとしよう。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

「ゴン=フリークス……そうか、お前がゴンか」

 

 このG・Iが仮想現実のゲームではなく、現実に存在する舞台であることを吐露してしまった海賊の一人、ボポボを処刑したレイザー。彼はゴンの正体がこのG・Iを作ったハンター、ジン=フリークスの息子であることを知るや、凄絶な殺気と共にオーラを噴出させた。

 

「お前が来たら手加減するな……と言われてるぜ。お前の親父にな」

 

「……!」

 

 先ほどまで相手取っていた海賊たちとは明らかに格が違うオーラの量と密度。"十四人の悪魔"を背後に控えさせるレイザーの姿は、ゲームマスター(GM)としてこのデスゲームを支配するに足る圧倒的な力と威厳とを纏っていた。

 常に浮かべていた人の好さげな微笑が、一転して非常に恐ろしいものと感じてしまうほどのオーラと殺意を総身から迸らせるレイザー。その戦意の矛先を向けられているゴンは、しかし冷や汗を流しながらも不敵な笑みを返してみせた。

 

 ここに探し求めていたジンの手掛かりがあるかもしれない───ゴンにとっては、それだけで強敵に挑むに足る十分な理由となる。感じた悪寒と怯懦を飲み下し、ゴンは笑みを浮かべることで己を奮い立たせたのだ。

 

「やってられねーよ!俺は死にたくねェ!」

 

「こんなおっかねー所にいられるか!俺は街に帰らせてもらう!」

 

 数合わせのために連れて来たプレイヤーたちが蜘蛛の子を散らすように逃げ出すが、それを顧みる者はいなかった。元より彼らの役割はソウフラビに来た時点で終わっていたし、その戦力にも端から期待していない。

 否、顧みる余裕がなかったと言うべきか。この場の誰一人として、レイザーから目が離せなかったのだ。偏に、彼から発されるその強大なオーラ故に。

 

(作中でレイザーが見せた圧倒的な実力の絡繰りは、発揮される場を運動場(ここ)に限定することで念を強化していたから───そう思っていたのだけど)

 

 それは間違いだった、とカオルは認識を改める。確かにGM権限で多少の強化(ブースト)は掛かっているのだろうが、間違いなくレイザー自身の実力も高い。こうして直接相対したことでハッキリと分かった。

 

 ───この男は強い。それがこの場の全員の共通認識となった。

 

「さて……先ほど言った通り、オレのテーマは八対八のドッジボールだ!それを踏まえた上で、これよりルールを説明する!」

 

 

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

 

 ・ゲームは1アウト7イン(外野一名、内野七名)で行い、内野が0になったチームの敗北とする。

 

 ・コート内の選手は敵の投げたボールに当たればアウト判定となり外野に出る。但し、開始時外野にいた選手を含め一人のみ、一度だけ「バック」宣言と共に内野に復活することができる。

 

 ・外野が一人もいない状況でボールがコート外に出た場合、強制的に相手側の内野ボールとなる。

 

 ・当たり判定のルールとして、当ゲームは「クッション制」を採用するものとする。例として、一人の選手が投げたボールが敵のA選手に当たって跳ね返り、更に敵のB選手に当たって床に落ちた場合、これはA・B共にアウト判定となる。但しA選手に当たり跳ね返ったボールをB選手がダイレクトキャッチに成功した場合、これはA・B共にセーフ判定となる。

 

 ・上記に加え、一人の選手が投げたボールが敵のA選手に当たって跳ね返り、それが味方のC選手に当たり床に落ちた場合、これはC選手のアウト判定となる。但し、そのボールをC選手がキャッチに成功した場合はA選手のアウト判定となる。

 

 ・外野の選手が敵内野の選手にボールを当てアウト判定を取ることはできるが、それで外野の選手が内野に戻ることはできない。原則として、外野から内野に戻れるのは「バック」宣言をした一人のみである。

 

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

 

 

「何か質問は?……無いようだな。それでは始めようか」

 

『審判を務めます№0です。よろしく』

 

 額に0の数字が刻印された悪魔が審判を名乗り出、全員に配置に付くよう促す。指示に従い、それぞれ指定されたコートへと足を踏み入れた。

 レイザーチームの外野は№1の悪魔を、そしてゴンチームの外野はカオルB(仮称ベータ(β)、ツインテールが特徴)を配置し、それ以外のメンバーは内野として位置に付く。

 

『スローインと同時に試合開始です!レディー…………ゴー!!』

 

 №0が合図と同時に投げ入れたボールに真っ先に駆け寄ったのは、素早さには一家言あるキルアだ。彼は猫のような機敏な動きで接近し、ボールを自陣営へと送るべく手を伸ばした。

 当然敵に先手を取られないよう、キルアは全力でボールを目指した。しかしそんな彼とは対照的に、レイザーチームの誰一人としてボールに手を伸ばそうとはしなかった。彼らはレイザーを中心に横一列に並び、完全に受けの姿勢となってボールを待ち構える。

 

「先手はくれてやるよ」

 

 レイザーは顎をしゃくって示し、ゴンたちに先手を促す。それが己の確かな実力に根差した自信から来る余裕であることは明らかであった。

 

「余裕こきやがって……」

 

 もはやレイザーの実力に関しては疑うべくもなくこの場の誰もが認めるところだ。しかしそれで舐められることを良しとするほど、彼らは己の腕を下に見てはいない。キルアが寄こしたボールを受け取ったゴレイヌは大きく腕を振り被り、挑戦的な視線をレイザーたちに向けた。

 

「挨拶代わりにかましてやるぜ!」

 

 放たれる一投。レーザーの如く真っ直ぐに進んだボールは、見事№4の悪魔に直撃する。キャッチするどころか踏ん張ることもできず、小柄な悪魔はコート端まで吹き飛んだ。

 

「おおっ、やった!」

 

「よーしまずは一匹!」

 

 幸先の良い滑り出しに、キルアとゴレイヌはガッツポーズを決める。流暢に喋る№0と異なり意思があるのかすら怪しい№4は無言で外野へと向かい、転がったボールを拾い上げた外野のベータはゴレイヌへと投げ返した。

 

「よっしゃ、もう一丁行くぜ……そらよっ!」

 

 再び投じられたボールは、今度は№5の悪魔に直撃する。ドゴン、と盛大な激突音と共に為すすべなく吹き飛ぶ悪魔。これも言い訳の余地なくアウトである。

 ギシシ、と不気味に笑う№5が外野に向かう。これで№1、4、5の悪魔が外野に出たことになる。三匹はゴンチームのコートを囲むように三方に立った。

 

 その様子を眺めていたレイザーは、浮かべる微笑を僅かに深めた。

 

「よーし、準備OK」

 

「あ?今何て言った?」

 

 レイザーの呟きを聞き咎めたゴレイヌは、再びベータから送られてきたボールを構えつつ胡乱な眼差しを向ける。レイザーは二ッと不敵な笑みを浮かべた。

 

「お前たちを倒す準備が整ったって言ったのさ」

 

「……へえ、面白れェ」

 

 一気に内野選手を五人に減らされてなお余裕の態度を崩さないレイザーを内心不審に思いながらも、ゴレイヌは不敵に笑って返した。

 

「───ならやってみろよ!」

 

 たっぷりとオーラを纏わせたボールを、強化した腕力で思い切り投げ放つ。直前の二投とは比べ物にならない威力のボールが真っ直ぐにレイザー目掛け突き進んだ。

 

 だが───

 

「な、にィ……!?」

 

 バシィッ!と大きな音を立て、レイザーの鍛え上げられた腕がゴレイヌのボールを受け止めた。その左腕は小動もしていない。

 

(や、野郎……片手で止めやがった……!!)

 

「さぁ……てと……」

 

 渾身の一投を容易く受け止められて愕然とするゴレイヌを尻目に、レイザーは手にしたボールに念を籠める。そのオーラの密度たるや、離れた位置に立つゴンたちにすら確かな悪寒を感じさせるほどだ。

 

 レイザーはゆっくりとボールを構えた右腕を振り上げる。立ち位置は変わらず、両陣営を隔てるラインより幾分後方にある。背筋を貫く悪寒に総毛立つゴレイヌが見守る中、それは放たれた。

 

 ───それは大砲。先ほどのゴレイヌの一投を迫撃砲に例えるならば、レイザーが投げ放ったそれはまさしく戦艦の大砲であった。

 

 ゴッッ!!と大気を粉砕しながら迫る大砲(ボール)。レイザーの腕が振り下ろされたと思った次の瞬間には目の前に到達していた明確な「死」を前に、ゴレイヌは己の体感時間が引き延ばされる感覚を覚えた。

 

(強……!速…避……)

 

 引き延ばされる時間の中、ゴレイヌは迫り来る脅威を前に過去最高の速度で思考を回転させる。死を回避すべく、かつてない集中力で生存を模索する。

 

(───無理!!受け止める……無事で!?出来る!?)

 

 

 ───否

 

 ───死

 

 

 ……結論として、ゴレイヌ自身の実力ではどう足掻いてもこの「死」を避けられず、また受け止められないことが判明した。己ではこの「死」に対処できないと、理性ではなく本能で理解した。

 しかし、それはあくまで「自身の身体能力では対処不可能」というだけだ。これは念能力の使用が大前提のゲーム。であれば、この状況でも取り得る手段がゴレイヌにはあった。

 

 "白の賢人(ホワイト・ゴレイヌ)"。ゴレイヌのオーラが具現化した白き体毛の念獣(ゴリラ)を召喚し、己の位置と入れ替わる能力だ。これがあれば"白の賢人(ホワイト・ゴレイヌ)"を身代わりに、レイザーの魔球を回避することができるだろう。

 

 問題は、この作戦は前提として"白の賢人(ホワイト・ゴレイヌ)"が予め具現化していなければならないという点にある。既に念獣(ゴリラ)が具現化しているのであれば、後は己の意思一つで位置を入れ替えるだけで済む。しかし、今この場に"白の賢人(ホワイト・ゴレイヌ)"はいない。

 つまりゴレイヌは、ボールが激突する前に離れた位置に"白の賢人(ホワイト・ゴレイヌ)"を具現化させ、しかる後に能力を発動させなければならない。普段ならばどうということのない挙動、己の半身たる念獣(ゴリラ)を具現化させる手間が斯くももどかしいとは!

 

 しかしやらねばならない。やらねば死ぬ。停滞した体感の中、迫る「死」に抗うべくゴレイヌは裂帛の気迫を籠めて半身の名を叫ぶ。

 

(間に合え───!)

 

「"白の(ホワイト)───」

 

 叫びながら───しかし。ゴレイヌは、どうしようもなく手遅れであることを理解せざるを得なかった。

 分かってしまう。己の実力、己の限界をハッキリと理解しているが故に───もはや間に合わないのだと。

 

()───」

 

(クソが───……)

 

 無駄な抵抗と知りながら、それでもゴレイヌは具現化を止めない。少し離れた位置に実体化しつつある己の半身の姿を視界の端で捉えながらも、ゴレイヌは迫る「死」から目を逸らすまいとボールを凝視し───

 

 

 ───"幻想左腕(イマジナリ・レフトハンド)"

 

 

 刹那、半透明の巨腕がゴレイヌとボールとを遮った。突如として現れた巨大な掌が魔球を受け止め、逃れ得ぬ「死」からゴレイヌを救ったのだ。

 

「か、カオル!?」

 

 それはかつて、カオルが天空闘技場の新人狩りの一人、サダソから奪った能力。カオルの莫大な念が籠められたことで更に巨大化したオーラの左腕が、間一髪のところでボールをキャッチした。

 

「ぐ───」

 

 ボールを受け止め、その巨大な掌で包み込んだ。しかしそれだけではボールの慣性は殺し切れず、カオルの身体が勢いのまま後方へと流される。どれだけドレインを繰り返して肉体を強化しようと、カオルの体重は53キロ(鋼の具足込み)しかないのだから。

 

「───フンッ!」

 

 ならばと、ズガンッ!とカオルが左足をコートの床に突き込む。その左足を軸に、身体ごと回転させることで受けた慣性を殺しに掛かった。

 木製のタイルの下、コンクリートの床材を己の足でドリルの如くガリガリと抉りながら一回転。粉砕したコンクリートの破片と摩擦熱による煙を噴き上げながら、カオルは何とかレイザーのボールを受けきることに成功した。

 

「! まさか受け止められるとは……!」

 

 必殺を期して放った渾身のボールが止められた。その事実を、レイザーは驚愕を以て受け止めた。

 見る限り敵側に与えられた損害は、カオルが回転した際に振り回されたオーラの巨腕にぶつかったことでゴレイヌが負った軽い打撲のみ。

 カオルが独楽の如く回転するための軸とした左足は───

 

 ガラリ、と砕けたコンクリートの破片を押し退けて引き上げられるカオルの左足。現れた左足は無傷であり、靴すら傷ついていないことから"凝"ないし"硬"で表面を防御していたことは明白であった。

 

「……見事、としか言いようがないな。まさかダメージがゼロだとは」

 

 敵ながら天晴れ。そう笑う表情とは裏腹に、レイザーの内心は舌打ちを零さんばかりだった。

 必殺を期して放った魔球。そこに籠められた念は、文字通り"必"ず"殺"すという確たる意志だ。それが無傷で受けられたということは、レイザーの「必殺」がカオルに通用しないという証明。

 

 それではいけない。念能力者の戦いとは、それ即ち精神力の戦い。もし己の精神が相手への敗北を認めてしまえば、念はその精神に影響を受け弱まってしまうのだ。その敗北のイメージはそう易々と拭いきれるものではない。

 

(───ならば、その敗北のイメージが浸透する前に捻じ伏せよう。オレはまだ"底"を見せちゃいねぇ)

 

 業腹ではあるが、()()ジン=フリークスに薫陶を受けた時期がレイザーにはあった。「G・Iのゲームマスターたる者がそう簡単に地を舐めてはならぬ」と。その矜持が、レイザーに敗北を認めさせない。ましてやゴンにではなく、あの誰とも知れぬ小娘なんぞに敗北するなど許されることではない。

 丹田に力を籠め、怒りの入り混じったオーラで「己の力が通用しないのではないか」という不安を押し流す。そう、まだゲームは始まったばかり。まだゴンの実力を見極めてすらいない。

 

「……来るなら来い、名も知らぬ少女。ゴン共々叩き潰してやろう───」

 

 

 

 

 一方、九死に一生を得たゴレイヌの状態は深刻だった。所詮は「必殺が通用しなかった」だけのレイザーと異なり、彼に与えられたのは明確な「死」の感覚。決定的なダメージこそカオルのお陰で免れたが、それでも精神に染み込んだ敗北のイメージは確実にゴレイヌの念に影響を及ぼしていた。

 

「すまねぇ……助かったぜ、カオル……」

 

「ええ……立てる?」

 

「何とかな……」

 

 カオルはゴレイヌの手を引き立ち上がらせる。何とか気丈に振る舞おうとはしているが、その顔は明らかに青褪めていた。

 

「……どうすんのよオリジナル。このままじゃ原作と変わらないわよ」

 

 近付いてきたカオルA(仮称アルファ(α)、ポニーテールが特徴)がそっとカオル(本体)に耳打ちする。確かにアルファの言う通りであり、この事態はカオルの油断が招いた結果だ。レイザーの放つ球速が予想以上だったために反応が遅れ、その遅れがゴレイヌの精神的敗北を招いた。レイザーの実力の高さは分かっていたのだから、もっと早くに対応するべきであったのだ。

 

「……よく考えたら油断ばかりじゃない?私たち」

 

「……言わないで。そんなの私たち自身が一番よく分かってることでしょう」

 

 とは言え、過ぎてしまったことは仕方がない。カオルは頬を叩いて気を取り直すと、アルファに予定の変更を告げた。

 

「仕方がないから、予定を繰り上げるわよ。アレの試運転を行いましょう」

 

「え、もう使うの?まだ碌に使ったことないのに」

 

「どっちにしろこのゲーム中で使う予定だったのだから問題ないわ。試運転を兼ねてレイザーチームに大打撃を与え、更に敵の取り得る選択肢を狭める……打ってつけでしょう?」

 

 渋々と頷いたアルファは、「短い出番だったわ……」とぼやきながらカオルに吸収される。予定と異なる展開にゴンたちは首を傾げ、アルファのことをカオルの姉妹か何かだと勘違いしていたレイザーは瞠目する。

 

「消えた……まさかオーラが具現化した分身だったのか?」

 

 驚くレイザーを尻目に分身を吸収したカオルは、目に見えて増大したオーラを手にするボールに籠め始める。そのオーラ量たるやレイザーの比ではない。ビリビリと周囲の空間を震えさせながら、カオルはボールを振り被った。

 

「意趣返しのつもりか?ならば───」

 

 №3、6、7の悪魔が融合し、№14の悪魔を生み出した。レイザーの倍近い巨体を有するこの悪魔ならば、先のレイザーの魔球であってもギリギリ受けられる。

 

「なっ、あんなのアリかよ!?」

 

『規定人数を超過しない限りはアリです』

 

「というか、あの少女も同じことをしているだろう?」

 

「ぅぐ……」

 

 反射的に異を唱えたキルアだったが、№0とレイザーに正論で返され言葉に詰まる。

 

 そして、いよいよカオルのボールが放たれた。レイザーは№14を前に据え、ボールを受け止める構えに入る。

 

(守りは盤石。さあ、どうだ……!?)

 

 固唾を呑む周囲の視線が注がれる中───カオルの手を離れ、ボールは狙い違わず№14へと突き進んだ。

 

 

 ぽすん。

 

 

 ―――放物線を描きゆっくりとした速度で放られたボールは、優しく悪魔の手の中に納まった。

 

 

 しん、と静まり返る運動場。悪魔すら困惑したように小首を傾げている。

 

「な……何やってんだよカオル!?」

 

「あんなに凄いオーラだったのに!」

 

 ゴレイヌとゴンから非難の声が飛ぶ。非難するわけではないが、レイザーとしても困惑する思いだ。カオルの意図が読めない。

 

「まさか、オーラを筋力に回さないで全部ボールに籠めたのか!?一体何のために───」

 

 

 

 ───次の瞬間、耳を劈くような爆音が響き渡った。

 

 

『!?』

 

 その轟音の発生源は№14の悪魔だ。爆風と熱を撒き散らし、悪魔は木端微塵に吹き飛んだのだ。

 至近距離にいたレイザーは咄嗟にオーラで身を守りつつ、愕然とした眼差しで爆心地を見る。既にあの巨体は見る影もなく、塵すら残さずに文字通り消滅していた。無傷のボールだけがその場に転がっている。

 

「これ、は……」

 

「───試運転は成功したようね」

 

 不敵に笑うカオルの背後から滲み出るようにして、"隠"を解かれた()()は現れた。

 

 端的に言うならば、ソレは上半身のみの骸骨であった。剥き出しの背骨と肋骨が連なり、胸骨の前で交差させた手の骨には左右それぞれに、小さな羽の付いた小悪魔の顔、燭台にも見える三叉の槍の穂先が刻印されている。

 そして、猫と人を掛け合わせたような異形の頭蓋が頚椎の上に鎮座している。眼窩には縦に割れた虹彩の黄色い眼球が嵌り、それが唯一の生身であると言えた。

 

「これが私のスタンd……じゃなくて、新たな能力!その名は"爆殺女王(キラークイーン)"!!」

 

 獣頭の髑髏がレイザーを睨み据える。突如として現れた異形が醸し出す言い知れぬ迫力に、レイザーはボールを拾うことも忘れて後退った。

 

「"爆殺女王(キラークイーン)"の能力───それは……"爆殺女王(キラークイーン)"は『触れたもの』は『どんなもの』でも……『爆弾』に変えることができる……!」

 

 ドレインしたゲンスルーの能力を核に、サブとバラの能力を組み合わせて魔改造(アレンジ)した新たな"発"。その能力は主に二種類。

 一つは、文字通り触れたものを爆弾に変え爆破する能力。

 そしてもう一つは、"爆殺女王(キラークイーン)"が()()()()()()()()()()を爆破する能力だ。今し方№14の悪魔を吹き飛ばしたのは後者の能力だ。"爆殺女王(キラークイーン)"のオーラが込められたボールに触れたことで、悪魔は爆発したのである。

 

「な、何て強力な能力だ……!」

 

「それにあの威力……以前目にした爆弾魔(ボマー)の爆発より高威力だぜ……!」

 

 カオルは敢えて目に見えるほどのオーラを発し、レイザーを警戒させた。レイザー自身が出張るならそれも良し、分身を吸収したことである程度は取り戻した自慢の莫大なオーラを込めたボールをぶつけてやる心算だった。

 そして警戒し、今のように合体して強化された悪魔で受けようとするならば───実に好都合。作りたてである"爆殺女王(キラークイーン)"の試運転がてら爆破し、レイザーチームの戦力を減らしてやろうという作戦であった。

 

「もう一度触れなければ、そのボールは爆弾に変えられない。……果たして、アナタは私にボールが渡らないようにできるかしら?」

 

「むぅ……!」

 

 足元のボールを拾い上げながら、レイザーは苦悶を漏らす。

 №14の悪魔が消滅し、内野に残る悪魔はあと一匹のみ。これ以上戦力を減らすことは避けたいが、いつまでもカオルにボールが渡らないようにできるとは思えない。カオル自身がレイザーの魔球を止められることはつい先ほど証明されてしまったし、他の誰かが取ったボールをカオルが触っても同じことだ。

 

 カオルの爆破能力を避けるためには、敵チームに一度もボールが渡らないようにしながら、敵内野を全滅させなければならない。そんなことが可能なのか、とレイザーは自問する。

 

「───否!やらねばならない。やってみせようじゃあないか……!」

 

 総身からオーラを立ち昇らせ、レイザーは敵陣を睨む。もはや四の五の言ってはいられない。

 

 ───一切の油断は捨てよ。あれなるは、全力で臨むべき敵手である。

 

「さあ、勝機は見えたわ。レイザーは強敵だけど、決して勝てない相手じゃない」

 

 カオルの発破に、ゴンとキルアはオオ!と気合いの声を返した。ビスケットは変わらぬ様子で、ヒソカは嬉しそうにニンマリと笑う。

 そして、その発破で一番奮い立ったのはゴレイヌだ。彼は心の底ではレイザーに対する敗北を認めつつも、それでも一矢報いてやろうと気炎を吐いた。

 

(オレは負けた……だが、これはチーム戦だ。最終的にチームが勝てればそれでいい。コイツに勝って「一坪の海岸線」を手に入れればゲームクリアも目前!負けるわけにはいかねぇ!)

 

 アルファが消えたことで空いた枠を使い、ゴレイヌはもう一つの半身、"黒の賢人(ブラック・ゴレイヌ)"を具現化する。

 

「やってやるさ!足手纏いなんざ死んでも御免だぜ!」

 

 

 

 斯くして、共に決死の覚悟を抱いた両陣営は視線を交わす。迸るオーラが相克し、両者の間に火花を散らした。

 

 

 

「……何かしら、この疎外感」

 

 ───その様子を、外野のベータは一人寂しそうに眺めていた。

 




※本編を読む前の注意事項

注意!第十六話において、特に理由のないジョジョの奇妙な冒険要素が本編を襲います。技だけクロスなどの地雷要素が苦手な方はブラウザバック推奨です。該当する方はクールに去りましょう。

以上の注意事項を踏まえ、どうぞ本編をお楽しみ下さい。


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激化せし死闘、対峙する者たちの第十七話

本作のゴレイヌさんには、スキル:主人公補正(偽)が掛かっています。


「宣言しよう。これより一度として君たちにボールを渡さない」

 

 ゴンたち……特にカオルを見据えてそう告げたレイザー。言うや否や、彼は高速のパスを外野の悪魔に向けて投げ放った。

 

「速い!」

 

 その投擲速度は、ただのパスでありながら先のゴレイヌの一投に匹敵する。その球速に全員が警戒感を強める中、レイザーからのパスを№4の悪魔が受け取った。

 

 そして、超高速のパスの応酬が始まった。

 

 №4から№1へ。そして№1から№5へ。更に№5から№4へと、内野を囲む三方に立つ外野の悪魔たちは、ゴンたちを翻弄するように高速且つ不規則なパス回しを繰り広げる。その間、驚くべきことにボールは一度として減速しなかった。ボールを受け取り、そして投げ放つまでの動作に一切の遅滞が存在しないのである。

 

「は、速すぎる……!あの悪魔共、パワーだけじゃなくテクニックまで優れているのか!」

 

 戦慄するように呻くゴレイヌ。彼の目には霞むような速度で飛翔するボールの残像が辛うじて映るのみだった。

 この場でしっかりとボールを目で追っているのは、超高速での戦闘を得手とするカオルと、純粋に達人級の能力を持つヒソカとビスケットのみ。ゴンとキルアですら、その優れた基礎能力を以てしてようやくギリギリと言ったところだ。

 

 総合的な能力ならばまだゴレイヌに一日の長がある。しかしこと敏捷性や反射神経等の基礎的な能力に関しては、ひたすらに基礎修行を積んできたゴンとキルアの方が上だった。

 

(そして、こういう時は弱い奴から蹴落としていくのが定石だ。今度こそ確実に仕留めてやろう)

 

 ゴレイヌのみがボールを目で追えていない。そのことを瞬時に察したレイザーは、ニヤリと笑うと悪魔に指示を送った。

 ギシィ、と歯を軋ませて指示を受諾した悪魔は、流れるようなパス回しから唐突に攻撃へと転じた。狙うは勿論、超高速のボールに翻弄され悪魔に背を向けているゴレイヌだ。

 

「ッ、ゴレイヌ!」

 

「後ろ!」

 

 咄嗟にキルアとゴンが声を上げるも、時既に遅し。ノータイムでキャッチから攻撃に転じた悪魔のボールは、一瞬で距離を潰し無防備なゴレイヌの背に襲い掛かった。

 

「───"黒の賢人(ブラック・ゴレイヌ)"」

 

 がら空きの背を急襲するボール。しかしそれに対処すべく動いたのは、常にゴレイヌの傍に寄り添っていた黒いゴリラだった。

 

 

 ───唐突だが、ここでゴリラという生物について説明しよう。

 

 ゴリラとは、霊長目ヒト科ゴリラ属に分類される草食動物である。基本的にその気性は穏やかで、更に知能も高く高度な社会性を構築することで知られている。

 しかしその穏やかで争いごとを厭う気性とは裏腹に、ゴリラはまさに是全身凶器とも言うべき獣性をその身に秘めている。

 

 まず、ゴリラの体長は平均170~180センチ。体重は平均150~180キロ。そしてこの体重の大部分を占めているのは、脂肪ではなくギッシリと詰め込まれた筋肉である。その圧倒的な筋肉量が齎すパンチ力は、驚くべきことに2トンにもなる。これは自動車の外装鉄板程度なら容易く粉砕し得るほどのパワーである。

 しかし、ゴリラという超生物を語る上で外せないのはやはり握力であろう。その握力たるや想像を絶するほどで、実に約500キロ。最大で1トンにも及ぶのだ。己の体重を指一本で支え木にぶら下がることすら可能にするゴリラの握力は、精々200キロが限界である人間の握力など到底及ぶものではない。

 

 腕の一振りで生半可な強化ガラスであれば簡単に打ち破る腕力に、細い生木程度なら容易く握り潰し圧し折る握力。そして多いもので30頭にもなる群れを構築し過不足なく運営する社会性と知能をも有する。

 

 まさに武と知を兼ね備えたスーパーファイター。個体としての性能ならば問答無用で霊長類最強に座する"森の賢人"。それこそがゴリラという生物なのである。

 

 

 ───そしてそれは、ゴレイヌの念によって生み出されたゴリラにも当て嵌まる。むしろ具現化系の性質を鑑みるに、本物に限りなく近いのは当然と言うべきか。

 そこへ更にゴレイヌからのオーラ供給を受け、並の強化系能力者を凌駕し得るパワーを発揮する。左腕を前に突き出し、大きく掌を広げる"黒の賢人(ブラック・ゴレイヌ)"。その太く強靭な五指が確とボールを鷲掴み、握り潰さんばかりのパワーで以て受け止めた。

 

「オオッ!」

 

 "黒の賢人(ブラック・ゴレイヌ)"が左腕でボールを受け止め、右腕と両足で大地を掴む。そして背中合わせに立ったゴレイヌが両足を踏ん張りそれを支える。念獣(ゴリラ)能力者(ゴリラ)が見せた抜群のコンビネーションにより、見事死角から強襲する魔球を防ぎ切ったのだった。

 

「なにッ!」

 

 驚いたのはレイザーだ。敵チームの中では最も与しやすいと踏んでいたゴレイヌの予想外の反撃に、彼は目を見開き驚愕を露わにした。

 

「侮ったなレイザー……オレとコイツら(ゴリラ)は一心同体、三位一体ッ!コイツら抜きのオレを負かしたからって、このゴレイヌの全てを見切ったと思い込んだテメェの不覚だぜ!」

 

 ゴレイヌと、彼の半身にして切り札たる"白の賢人(ホワイト・ゴレイヌ)"と"黒の賢人(ブラック・ゴレイヌ)"。この三要素が全て揃ってこそゴレイヌの真価は発揮される。レイザーが打ち負かし精神的敗北を刻ませたのは、あくまで半身を欠いたゴレイヌだ。言うなれば炭酸の抜けたコーラのようなもの。それに勝った程度で粋がって貰っては困る、とゴレイヌは啖呵を切った。

 

「すごいや、ゴレイヌさん!」

 

「ああ、予想以上だぜ」

 

 ゴンとキルアの純粋な称賛に気を良くしながらも、ゴレイヌは「いや……」と言葉を濁した。

 

「今はああ言ったが、やはり正面からあのボールを受け止めるのは堪えた。お陰で"黒の賢人(ブラック・ゴレイヌ)"の腕の骨に罅が入っちまった」

 

 言われて、ゴンとキルアはゴリラの左腕を見る。元々腕が太いのと毛深い所為で分かりにくいが、確かに右腕と比べるとやや太く見える。骨に罅が入ったために腫れあがっているのだろう。そんなところまで生身っぽく反映されるのか、とキルアは念獣というものの性質に関心を示した。

 

「レイザー本人が投げたわけじゃねぇってのにこの威力。その理由(ワケ)は……コレさ」

 

「うわっと……って、重い!」

 

 ゴリラから渡されたボールを受け取るゴン。そのボールの予想外の重量に取り落としそうになる。

 レイザーの手を離れ、悪魔に引き継がれて放たれたボール。込められたオーラは幾分か拡散していったことだろう。しかし当初の半分以下のオーラ残量であろうにも拘わらず、ゴンが感じるのはボウリングの球のような重量感。もしこれがレイザー自身の手で放たれていたら……ゴレイヌが死を覚悟してしまうのも頷ける、とゴンは戦慄した。

 

「でも、これで晴れてオレらのボールだぜ。あとはカオルの"爆殺女王(キラークイーン)"に触れてもらえば……」

 

「いや、悪いがまだオレの手番は終わってねぇんだ」

 

 キルアの言葉を遮り、ヒョイとゴンからボールを取り上げるゴレイヌ。彼はカオルに渡すのではなく、自分でボールを持って後ろに下がった。

 

「ち、ちょっと待てよ!カオルの能力で爆弾にしてもらった方が確実だろ?アンタのボールじゃレイザーに受け止められちまう!」

 

 「ボールは渡さない」と宣言したレイザー。その直後にボールを奪えたことで上機嫌だったキルアは、血迷ったとしか思えないゴレイヌの行動に慌てる。

 

「利き腕が壊れた"黒の賢人(ブラック・ゴレイヌ)"はもう万全のパフォーマンスを発揮することは出来ない。だが、コイツの持ち味はゴリラ由来のパワーだけじゃない。……借りを返すぜ、レイザー」

 

 コート端まで下がり助走距離を稼いだゴレイヌは、勢いよく駆け出しボールを振り被った。

 狙うは一点、怨敵たるレイザー……ではない。ゴレイヌから離れてライン際に佇む"黒の賢人(ブラック・ゴレイヌ)"だ。

 

「これが"黒の賢人(ブラック・ゴレイヌ)"の能力!」

 

 瞬間、"黒の賢人(ブラック・ゴレイヌ)"とレイザーの位置が入れ替わる。腰を落とし自陣で待ち受ける構えでいたレイザーは、突如として眼前に現れたボールに対処できなかった。

 ドゴン!と鈍い音を立ててレイザーの顔面に衝突するボール。それを見たゴレイヌは得意げな笑みを浮かべた。

 

「ざまぁみやがれ!外野へ引っ込みな、レイザー!」

 

 他人と位置を入れ替える───それが"黒の賢人(ブラック・ゴレイヌ)"の能力。具現化したものに特殊な能力を付与できるのが具現化系の強みであり、これはその特性を存分に活かした結果であると言えるだろう。見事その術中に嵌ったレイザーは、顔面への被弾を許してしまうのだった。

 

「よ、よし!最初は焦ったけど、これでレイザーの『バック』を早めに消費させられる」

 

 胸を撫で下ろすキルアは、レイザーに当たり跳ね返ったボールを捕球するべく前に出る。こちらへと飛んでくるボールに手を伸ばそうとし───しかし、突如として過った影がボールを攫っていった。

 

「……は?」

 

 ギシシ、と歯を軋ませ笑う№2の悪魔が宙を舞う。その手にはしっかりとボールが握られていた。

 

「あいつ、悪魔を投げ飛ばしたんだ!」

 

 ゴンが叫んだ通り、顔面に痛撃を貰ったレイザーは走り寄ってきた№2の悪魔を掴み、バウンドし宙を舞うボール目掛け投げ飛ばしたのである。

 片手で、しかも体勢を崩していながらもその投擲に狂いはない。投げ飛ばされた悪魔は、見事空中のボールをキャッチ、そのままレイザーに投げ返した。

 

「お見事、してやられたよ……だが惜しかったな」

 

 ルールに抵触しないよう、素早く自陣に戻って投げ返されたボールを受け取ろうと手を伸ばすレイザー。顔面に当たったボールが床に落ちるか敵チームの手に渡るかする前に捕球できれば、晴れて彼はセーフとなる。

 

 ───しかし、レイザーが飛んでくるボールに触れようとした次の瞬間。ボールは見えない手に引っ張られたかのようにゴン陣営へと逆戻りしていった。

 

「!?」

 

 否、見えない手ではない。髪の毛だ。数本の細い髪の毛がボールに絡みつき、レイザーの手に渡る前に引き戻したのだ。

 

 シュルル、と静かに伸縮する髪の毛が運んできたボールをキャッチするカオル。ニタリ、と円弧を描いて吊り上がった唇が邪悪な笑みを形作った。

 

「ざぁーんねん、その行動は読んでいたわ」

 

 一度目は対処が遅れて味方が余計な心傷を負う羽目になった。だが二度目はない。原作知識というアドバンテージがありながら、そう何度も手を誤るような醜態を晒す気はカオルにはなかった。

 

「……バック!」

 

 レイザーはその場でバックを宣言し内野に居座る。その顔には変わらず微笑が浮かんでいるが、額を一筋の冷や汗が流れていった。

 一度きりの「バック」は使い果たし、レイザーのアウトを防ぐために投げ飛ばした№2の悪魔はアウト判定。開始早々に後がない状態となってしまった。

 

(何より、彼女にボールが渡ってしまった。絶体絶命……ってヤツだな、これは)

 

 案の定、ズズズ……と再びカオルの背後から獣頭の異形が現れる。その骨張った手が触れ、何の変哲もないボールを球形の爆弾へと変生せしめた。

 

「この指先はどんな『物質』だろうと『爆弾』に変えられる……そして、それに触れた者は『爆破』される!さあ、まずはその腕を吹き飛ばしてあげましょうか!」

 

 今度はちゃんと投げるために自身の腕をオーラで強化する。そして勢いをつけるために左足で床を踏み締めた。

 

 これだ、とカオルは己の両足に意識を向ける。ボールをしっかりと投げるためには足を地につけて踏み込みを行わなくてはならないが、カオルの本来の足は剣槍のように鋭く尖った鋼の脚だ。それでは踏み込みができない。一々勢いをつけるために床に穴を空けているようでは無駄が多い。

 しかし、鋼の脚を普通の足に変形させる能力、"秘密の花園(シークレット・ガーデン)"は発動中に"練"以外の行を行うことができない。ましてや他の"発"を併用するなどとても出来たものではない。ならばどうするべきか。

 

 答えは簡単だ。要は"豪猪のジレンマ(ショーペンハウアー・ファーベル)"や"爆殺女王(キラークイーン)"を作るのと同じことを"秘密の花園(シークレット・ガーデン)"にも施したのである。そもそも、"秘密の花園(シークレット・ガーデン)"はカオルが念能力に目覚めて間もない未熟な時分に作り出したもの。不必要に重い制約を始めとして、あまりにも無駄が多かったこの能力を改良したのである。

 

 生まれ変わった"秘密の花園(シークレット・ガーデン)"だが、役割は変わらず着脱不能である鋼の脚を変形させることである。しかし発動中は"練"以外の行を行うことができなかった以前までと異なり、四大行やその派生に至るまで、全ての行が併用できるようになったのだ。

 

(制約は『発動中は常に一定量のオーラを消費すること』と『脚部に"隠"を掛け続けること』の二つ。やや発動難易度は上がったけど、私も念能力者として成長している。能力発動中にも他の行にオーラを割くだけの余裕ができたことの証左だ。保有するオーラ量も桁違いに上昇しているし、以前のよりずっと使い易くなった)

 

 "秘密の花園(シークレット・ガーデン)Ⅱ"とも言うべき新たな能力の出来に満足を覚えつつ、カオルはオーラを込めたボールを投げ放った。

 

 ゴゥッ!と空気を裂いて真っ直ぐに飛翔するボール。レイザーはそれを受けず、躱すことで爆破を逃れようとした。

 

(触れさえしなければ爆破は免れる……はずだ。だが、いつまでそれを続けられる!?)

 

 何しろ外野が外野だ。あの恐ろしい少女(カオル)と髪型以外全く同じ姿をした少女が飛んできたボールを受け止め、口端を歪め獰猛に笑った。

 

「オラァッ!」

 

 今の今まで蚊帳の外だった鬱憤を晴らすかのように、ベータは荒々しく吼えボールを投擲する。自分以外誰もいなくなったことで広くなったコートを存分に使い、レイザーはこれも回避した。

 

(やはり速い!)

 

 あのカオルの分身だ。決して弱くないとは思っていたが、案の定かなりの球速を叩き出した。

 前門の虎、後門の狼。前方のカオルに後方のベータ。強敵に前後を挟まれ、いよいよレイザーから余裕は失われてきた。もう後がない現状、レイザーとしては何としてもボールを奪い攻撃に転じたいところだった。

 

「だが、触れれば爆破する爆弾と化したボールがそれを許さない……このままではジリ貧だな」

 

 腹を括るしかあるまい。レイザーは避け続けていた足を止め、どっしりと迎撃の構えを取った。

 

「ようやく諦めたかしら?安心なさい、殺しはしないわ!」

 

 "爆殺女王(キラークイーン)"を背後に控えさせたカオルが大きく腕を振り被り、凶器と化したボールを投げ放った。

 

(───否、諦めてなどいない。まだ付け入る隙があるはずだ)

 

 迫るボールを前に内心そう断じたレイザーは、№14の悪魔が爆破された時のことを思い起こす。さり気ない所作ではあったが、その時カオルは確かに「ある動き」を見せていた。

 

(彼女はあの時、右手の指を握り込み、伸ばした親指で人差し指の先端を押し込んでいた。まるで遠隔操作爆弾の「スイッチ」を押すかのようにッ!)

 

 恐らくはそれが起爆のために必要な動作……"制約"なのだと見抜いたレイザーは、細い目を限界まで見開きカオルの動き全てに意識を集中させた。

 

「あの構えは!?」

 

「レシーブ、かな♠」

 

 両足を大きく広げ、組み合わせた両腕でボールを受け跳ね上げる。その際、本来ならば威力を殺すために腕を引くのが正しいレシーブのコツだ。しかしレイザーは両腕に全力で"凝"を施し、最適なタイミングよりも幾分早くボールを受け上方へと跳ね上げた。

 

「!」

 

 カオルと"爆殺女王(キラークイーン)"の動きがシンクロし、カチッと音を立てて親指が押し込まれる。その動作によって起爆し、ボールに仕掛けられた爆弾が作動した。

 そして爆発。ボールを中心に拡散した"爆殺女王(キラークイーン)"のオーラが空中で爆発し、周囲に熱と爆風を振り撒いた。

 

「……やはりな。お前の『触れた者を爆破する』能力の絡繰りは、『爆発性のオーラを対象に流し込む』こと。そして言うまでもなく、爆発性のオーラを流し込む下手人は『予めオーラを込められていた物体』そのものだ」

 

 今し方大気中に拡散し爆発したオーラこそが、本来レイザーに流し込まれるはずだった爆発性のオーラだ。このオーラを対象の身体に浸透させ、しかる後に右手のスイッチを押し込み爆破させる……爆発に至るその過程(プロセス)を見抜いたレイザーは、オーラが浸透し切る前にボールを身体から離すことで対処したのである。

 

 しかし、とレイザーは己の腕を見下ろす。スイッチが押されるよりも前にボールから手を離した上に、全力の"凝"でオーラの浸透を遅らせた。にも拘らず、ボールに接触した部分は焼け焦げ炭化していた。

 

("凝"で守っていたというのに、信じられないほどのスピードでオーラが浸透していくのを感じた……これ程の干渉力、これは互いのオーラ量に余程の開きがなければ起こり得ないはず……!彼女は一体どれ程のオーラをその身に秘めているというのだ!?)

 

 周囲に拡散した爆発の衝撃によって天井まで到達することなく落ちてきたボールをキャッチしつつ、レイザーは戦慄に背筋を震わせた。

 

 

 一方、能力の絡繰りを一発で見抜かれた上に敵を仕留め損ねたカオルはチッと舌打ちした。

 

「あのバスターゴリラ、予想以上に頭も切れる……油断は排したつもりだったけど、まだ警戒し足りなかったということかしら」

 

 レイザーが指摘した通り、"爆殺女王(キラークイーン)"による爆破は、まず対象に爆発性のオーラを流し込むことから始まる。それは直接間接問わず、対象を爆破する際には必ず行わなければならないプロセスだ。

 "一握りの火薬(リトルフラワー)"のようにオーラでガードされる恐れはないが、対象に触れてから爆破に至るまでの間に僅かなタイムラグが存在する。今回はそこを突かれた形だ。

 

 

 

 【爆殺女王(キラークイーン)

 

 ・具現化系、操作系、放出系複合能力

 オーラを具現化させた人型の(ビジョン)を出現させる。(ビジョン)の手に触れられ、オーラを流し込まれた対象はその性質を爆弾へと変える。その爆破方法は主に二種類。「触れたものを爆弾に変え爆破すること」と、「爆弾に変えた物体に触れた者を爆発させること」である。

 ちなみに、起爆スイッチは右手人差し指の先端にある。

 

 〈制約〉

 ・(ビジョン)が動ける範囲は能力者を中心とした半径二メートル圏内のみ。

 ・対象を爆弾に変えるためには、能力者のオーラ総量が対象のオーラ総量を上回っていなければならない。能力者のオーラ総量が対象を下回っていた場合、オーラ浸透率・爆発の威力共に大幅に減少する。

 ・一つのものを爆弾に変えた場合、それを解除するか爆破しない限り他のものを爆弾に変えることは出来ない。作れる爆弾は一度につき一つのみである。

 ・人差し指のスイッチを押さない限り、他の如何なる手段であっても爆弾は作動しない。

 

 〈誓約〉

 ・特になし

 

 

 

 以上が"爆殺女王(キラークイーン)"の能力の概要である。

 

 "爆殺女王(キラークイーン)"がそのモデルとなったとある殺人鬼の持つ(ビジョン)そのものの姿をしていないのは、想像力不足という単純な理由があった。オリジナルは筋骨隆々の男性の体躯をしているが、女性であるカオルにはそれが上手く想像出来なかったのだ。

 想像出来ないものを具現化することは出来ない。それは絶対の原則だ。故にカオルはオリジナルの意匠を残しつつも、その全身を骸骨に変えたのである。人体骨格ならば、生前であれば理科室の標本などで。転生後ならば実際にこの目で見慣れている。少なくとも複雑な構造をしている筋肉よりは想像し易く、また質量的に低コストであった。

 また、(ビジョン)に肉を持たせなかったためにこの"爆殺女王(キラークイーン)"に肉弾戦の能力は殆どない。込めたオーラのゴリ押しでダメージを与えることは出来るが、それは余りに非効率的である。基本的に、カオルが"爆殺女王(キラークイーン)"に拳でラッシュをさせることはないだろう。

 

 オリジナルの出典元的に"爆殺女王(キラークイーン)"のステータスを表記するなら、「破壊力‐C / スピード‐A / 射程距離‐D / 持続力‐A / 精密動作性‐B / 成長性‐E」といったところだろうか。ただのオリジナルの下位互換のように見えるかもしれないし実際にそうなのだが、しかしそれで良いのだ。「似ているだけの別物」と成り果てていようと、それでも一向に構わない。「これが作りたかった」……そう思ったこと、それこそが重要なのである。

 念能力開発において重要なのは、本人との相性、無意識から生まれるインスピレーションである。どれだけ強い能力を頭を捻って考え出そうと、それが本人にとって相性が良くなければ意味がない。それは時に、本人の適性系統よりも優先される重要な要素である。それ故に"爆殺女王(キラークイーン)"はオリジナルと比べても遜色ない強力な爆破を可能としているのである。

 

 しかし、その強力無比な爆発も当たらなければ意味がない。見る限り全くの無傷というわけではないようだが、レイザーからすればあの程度の負傷など掠り傷のようなものだろう。まさかあのような方法で爆破を逃れるなど予想だにしていなかった。

 だが掠り傷でも傷は傷、同じことを何度も繰り返せばレイザーの負傷は甚大なものとなるだろう。依然としてレイザーの不利は変わらないのだ。

 

(焦って勝負を急ぐ必要はない。このままジリジリと追い詰め、確実に戦闘不能にしてくれる)

 

 

 

 

(───などと考えているんだろう。その通り、相も変わらずオレの形勢が不利なのは同じ。いずれは追い詰められ敗北するだろう。それは時間の問題だ)

 

 特に気負うこともなく、レイザーは己の敗北を予想し受け入れる。負けるのは別に良い。そもそもこれは「一坪の海岸線」を獲得するためにプレイヤーに課せられたイベントであり、いつかはクリアされなければならないものなのだ。

 そう、本来ならここまでレイザーが本気を出してプレイヤーを殺しに掛かることなどない。毎度この調子では誰もこのG・Iをクリアできなくなってしまうだろう。それはレイザーも……そしてジンも望むところではない。いつまで経ってもクリアされないゲームほど惨めなものはないのだから。

 

 ならば、何故著しくゲームバランスを欠いてまでレイザーは躍起になっているのか。そもそもの発端、レイザーが本気を出す気になった原因とは───

 

(そう、お前だよ。ゴン=フリークス)

 

 このゲームを生み出す切っ掛けとなった者。レイザーという元犯罪者を拾い上げ、ゲームマスターの一人なんぞに据えた張本人───謎多きハンター、ジン=フリークス。その一人息子たるゴンだ。

 そもそもこのG・Iというゲームは、ゴンを一人前のハンターとして成長させるべく作られたもの。それを踏まえた上で、ジンはレイザーに対してこう言った。殺す気でやれ、と。

 

 相応の実力があり、且つ真っ当にプレイしていればこのゲームで死亡することなどそうそうない。死の危険を冒さずとも実力が付くようにプログラムされているのだ。しかし、それでは()()()()の実力者にはなれても本当の実力者にはなれない。

 

 本物に至るために足りないもの。最後の一ピースは、そう───やはりと言うべきか、死と隣り合わせの中で行われる戦闘経験である。そう結論付けたジンは、その最後の一ピースをレイザーに任せた。

 

 

『殺す気でゴンと戦え。しかし泥臭いただの戦いではいけない。あくまでゲームとしてだ』

 

 

 これは念能力者のためのゲーム、グリードアイランドなのだから───と。好き勝手注文しやがって……と思わないでもないが、しかし頼まれたからにはレイザーはこの役をやり遂げるつもりだった。

 

(だから、いつまでも後ろにいないで前に出て来いよ、ゴン……と言いたいところだが、まああの様子じゃ急かさなくともじきに出てくるだろ。今もうずうずしていやがる)

 

 チラ、とレイザーはゴンの顔を見る。ゴンは子供のように───実際に子供なのだが───無邪気に目を輝かせ、待ちきれないと言わんばかりにうずうずと身体を揺らしていた。

 これまで碌にボールに触れずにいたゴンだったが、それ故に後ろからよく見ていた。彼にとって先達にあたる者たちの高次元の戦闘を。

 

 ゴレイヌ。彼は不屈の精神と持ち前の頭の切れを活かして活路を開き、強敵レイザーに一矢報いてみせた。

 

 カオル。彼女は驚くべき能力の数々を駆使し、圧倒的な実力でレイザーを追い詰めた。

 

 そしてレイザー。一分の隙もなく鍛え上げられた肉体(フィジカル)が齎す驚異的なパワーと、それによって繰り出される恐るべき威力の魔球。しかし攻撃一辺倒ではなく、優れた観察眼と洞察力で立ちどころにカオルの能力の仕組みを暴き見事対処してみせた。

 

 いずれもゴンより格上の経験豊富な念能力者たちだ。そんな彼らの戦いを間近で見られる幸運に感謝すると共に、彼はこう思った。自分もあの領域に至りたい、と。

 そのためにはどうするべきか?……決まっている、自分も前に出て戦いに参加するのだ。後ろに下がって見学していたところで、一体何になるというのか。

 

 百聞は一見に如かず、百見は一考に如かず。そして百考は一行に如かずである。強くなりたいのなら、見ていないで虎穴に飛び込むべし。腹を決めたゴンは、いよいよ本格参戦すべくオーラを練り上げた。

 

「……いい目だ。そう来なくちゃ」

 

 ニヤリ、と笑ったレイザーは大きく腕を振り被る。この程度の負傷が何するものぞと、激痛が走り肉が裂けるのもお構いなしに遠慮なくオーラを腕に注ぎ込んだ。

 

「ッ、来る!」

 

 キルアが警戒の声を上げる。レイザーの眼光が真っ直ぐに向かう先にいるのは、いつの間にか前に出ていたゴンであった。

 

「ちょ、お馬鹿!無闇に前に出たら───」

 

「来ないで、ビスケ!レイザーの狙いはオレだ、ならオレがやる!」

 

 咄嗟に制止しようと声を上げたビスケットを遮り、ゴンは"堅"で全身を覆い守護を固めた。

 

「来い、レイザー!受けて立つ!」

 

 ビスケットだけではない。己の意志を声に出して宣言することにより、ゴンは他の全員に「手出し無用」と言外に告げたのである。

 逃げも隠れもしない。今以て感じるレイザーの恐るべきオーラの奔流を受けてなお、ゴンは微塵も臆さず前を見据えた。

 

「いい覚悟だ!だがお前にコイツが受けられるかな!?」

 

 格上を前に怖気づかないその胆力、まずは見事。だが実力が伴っていなければそれはただの蛮勇と堕す。

 

(オレがそれを見定めてやる。行くぜゴン、お前が真にジンに追いつきたいと言うのなら───)

 

 ───まずはコイツを受けて生き残ってみせろ───

 

 ゴッッ!!と大気が唸りを上げる。その一投は、まさにゴレイヌに死を覚悟させた必殺の魔球と遜色ない威力を秘めていた。

 存分に練り上げられたオーラ。鍛え上げられた筋力。そして理に適った投球のフォーム。これらが合わさり、レイザーの放つボールはその悉くが死の魔弾と化す。戦艦の大砲と喩えられたそれが、真っ直ぐにゴン目掛け飛翔した。

 

 それを待ち受けるゴンは、掛かる圧力に屈さずただ前を見る。ゴンの脳裏を過るのは、師に口を酸っぱくして何度も言い聞かせられた言葉。強化系故か猪突猛進気味な彼に向けられた忠告だ。

 

(まずは相手をよく観察すること)

 

 単純思考に陥りがちな己を叱咤し、ゴンはレイザーの全てを観察する。目を見れば相手の意思が感じ取れる。筋肉の微細な動きを見逃さなければ相手の動きを予測できる。

 

 そして収斂する殺気(オーラ)の矛先を感じ取れば、敵の狙う箇所が手に取るように分かる。

 

(レイザーの狙いは……頭だ!)

 

 そう確信するや否や、ゴンはオーラの攻防力を鍛えた"流"を駆使して振り分ける。もしビスケットとの修行がなければ、きっと間に合わず直撃を食らっていたことだろう。

 

「"硬"!!」

 

 頭部にオーラを集める。更に掌を額の前で重ねれば準備は完了だ。

 

 

 

 ───そして、ゴンの頭にレイザーの魔球が突き刺さった。

 




おかしい、本当ならこの話でドッジボールは終了していたはずなのに……。
こんなことは許されない……何者かの陰謀だ……。


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レイザー戦、決着。終幕の第十八話

「ゴン!!」

 

 ドゴッッ!!と盛大な激突音と共に魔球とゴンが鬩ぎ合う。

 拮抗は一瞬。ゴンの矮躯は衝突のエネルギーに耐え兼ね後方へ吹き飛び、"硬"で弾かれたボールは上方へとその軌道を変えた。

 

(防御は間に合った!ゴンはアウトになっちまうだろうが、そんなことはどうでもいい!ゴンは無事なのか───!?)

 

 ただのボールと人体がぶつかった音とは思えぬ轟音にキルアは青褪める。いくら"硬"で防御しようとも、アレだけの衝撃を無傷で凌ぐのは不可能であろうと。

 宙を舞うゴンの身体は内野を飛び出し、真っ直ぐに運動場の壁目掛けて吹き飛ぶ───そう思われた。

 

「!?」

 

 その現象に一番驚いたのはゴン自身だった。あわや壁に激突するかと思われた瞬間、ピタリとゴンの身体は空中で静止したのである。

 否、ゴンだけではない。天井目掛けて跳ね上がったボールすら、接触の間際でその動きを止めていた。

 

「これは……」

 

 驚愕するレイザーが凝視する先にいるのは、右手をゴンに、左手をボールへと向けて立つ一人の男。

 

 ───ヒソカであった。

 

「そうか、"伸縮自在の愛(バンジーガム)"!」

 

 いつの間に発動させていたのか。ヒソカの両手から伸びる"伸縮自在の愛(バンジーガム)"は、それぞれゴンとボールを接着し繋ぎ止めていた。

 

「"伸縮自在の愛(バンジーガム)"は、ガムとゴム両方の性質を持つ♠」

 

 ガムの性質でゴンとボールにくっつき……そしてゴムの性質で引き戻す!

 

「ボクも少しは活躍しないとね♥」

 

「いて!」

 

 引き戻されたボールはヒソカの手に収まり、ゴンはべちゃりと内野の床に転がった。

 

「大丈夫か、ゴン!」

 

 ヒソカのファインプレーに喜ぶのも束の間、キルアとビスケットは慌ててゴンの下に駆け寄った。

 

「全然ヘーキ!」

 

「じゃねーだろ!?」

 

 平気と嘯くゴンの眉間からはダラダラと血が流れ、直接ボールを受け止めた掌からも血が滲んでいた。

 

「すごいなぁ、カオルはあんなボールを無傷で取ったんだね」

 

「言ってる場合か!眉間は立派な急所だぜ、そんなとこでボールを受けるなんて……」

 

「大丈夫だよキルア」

 

 ゴンは心配するキルアに笑い掛けると、自身の無事を伝えるかのように勢いをつけて立ち上がった。

 流血は派手だが、実際は表皮を切った程度の軽傷。強化系の優れた自己治癒力もあり、普段通りのパフォーマンスを発揮するのに支障はない。

 

("硬"で手と頭をガードしちゃったから足の踏ん張りが全然利かなかった。ヒソカに助けられてなかったら危なかったな)

 

 出血の割に軽傷な頭と十分に動く手を見るに、全力の"硬"で守るのは些か過剰であったとゴンは感じた。ある程度の負傷は織り込んで少し弱めの"硬"か"凝"程度に留めておき、足にもオーラを回して踏ん張りを利かせるべきであると判断する。

 

(大丈夫、次は確実に取れる!……でもその前に)

 

「ヒソカ!」

 

「ん、何か手がありそうだね?」

 

 フッと笑ったヒソカがゴンにボールを投げ渡す。それを受け取ったゴンはキルアに身体を向けた。

 

「キルア、そこに立ってほしいんだ。そしたら腰を落として、しっかりボール持っててね」

 

「? あ、ああ……」

 

 ボールを手渡されたキルアはゴンに言われるがままの姿勢で構える。すると、右手を腰だめに構えたゴンがオーラを練り上げ始めた。

 

(! そういう魂胆か!)

 

 ゴンの狙いを察したキルアは、自身もまたオーラを練り上げ意識を集中させる。

 

「いつでも来い、ゴン!」

 

 そしてゴンは、瞼を閉ざし先刻の情景を思い起こす。爆弾と化したボールを受けるためにレイザーが取った手法……ドッジボール戦にあるまじき、バレーのレシーブという妙手を。

 

(あれで受けられたら威力の殆どを殺される。なら……)

 

 ───殺し切れないほどの威力を込めればいい!

 

 ゴゴゴゴゴ……と空間を震わせる程の圧力を伴い、ゴンの総身から莫大量のオーラが噴き上がる。少年の矮躯から放出されているとは思えない程の圧倒的なオーラに、相対するレイザーは目を剥いた。

 

「何というオーラの量……!」

 

 そして強化系であるゴンは、この圧倒的なオーラを全て身体強化に回すことができる。ギリギリと軋みを上げて握り込まれた拳に全オーラが収束していく。

 

「ジャン!ケン!」

 

 "練"で練り上げたオーラの全てを一点に集中させ、凝縮させる。"硬"を施した拳以外を完全な無防備状態にしてまで放つ捨て身の一撃。

 

 ───"ジャン拳"である。

 

「グー!!」

 

 極限まで圧縮されたオーラを纏った拳が、キルアが掲げるボールに勢い良く突き刺さる。キルアという銃身に支えられていたボールは、ゴンという火薬が炸裂したことにより爆発的な加速を得た。

 投げ飛ばされたと言うより殴り飛ばされたボールは、砲弾も斯くやという勢いでレイザーを襲う。当然ながらこれを手で、ましてや片手でなど受けられる筈もない。

 

(けどレシーブで受ければボールを高く跳ね上げることになる。天井や壁は床の延長と見做されるから、万が一にも天井にぶつからないよう奴はレシーブは使えないハズ。さりとて、あの勢いのボールを正面から受け止めれば身体がコート外に押し出されることは必至!これなら勝てるわさ!)

 

 ゴンが叩き出した球威を見たビスケットは勝利を確信する。それはボールを打った本人たちがよく理解しているだろう、ゴンとキルアは会心の笑みを浮かべていた。しかし───

 

(果たしてそう上手くいくかしら……?)

 

(そう易々とやられはせんよ)

 

 原作知識という反則によりこの後の展開を予測したカオルは眉を寄せ、ボールを迎え撃つレイザーは不敵な笑みを浮かべた。

 

 レイザーはどっしりと腰を落とし、組み合わせた両腕でボールを受ける。ここまでは先ほどカオルのボールを受けた時と同じ動作だ。

 しかしそもそも、先ほどのレシーブはカオルの虚を衝くためにタイミングを敢えてずらした不完全なものだった。一方でゴンの放ったボールは爆弾化していないため、任意の最適なタイミングで受けられる。レイザーは腕にボールが接触した瞬間、腕だけでなく身体ごと引き後方に下がることで衝撃の大部分を殺しに掛かった。

 

 ドゴン、と放たれたボールの威力に比して余りに小さな衝撃音。威力の殆どを吸収したレイザーは勢いに逆らわずその場で宙返りを決める。対して跳ね上がったボールはその球威を失い弱々しく打ち上がるのみだった。

 

(上手い……!刹那の狂いも許されないタイミング、それを完璧に捕えて受け流した!この男……本当に強い!)

 

 ビスケットは改めてレイザーという男の強さを認識する。その強さとはドッジボールプレイヤーとしてのものではなく、念能力者、戦闘者としての強さだ。自身もまた一流の武人であるビスケットは、目を細め鋭い眼差しをレイザーに送った。

 

「すっげェ……」

 

 一方、渾身の一投を見事に受け流されたゴンは、悔しがるよりも先に敵の見せた妙技に感動を覚えていた。ゴンはまだまだレイザーという男の力を見誤っていたのだと思い知らされる。

 否、今の一投は本当に己の"渾身"であったか?我が身を顧みたゴンは、己にまだ余力が残っていることに気付く。何という油断か。出来上がったばかりの必殺技に舞い上がりでもしたか。レイザーという明らかな格上を相手に余力を残して挑み掛かるなど、心のどこかに甘えを残していた証拠だ。

 

(「次がある」なんて考えちゃダメだ!「これで決める」という「覚悟」を籠めて打たないと、レイザーは倒せない!)

 

 自分には頼もしい仲間がいる。これは一人だけの戦いではない。ならばこそ、後先考えずに「全力で」挑むべき。そう考え直したゴンは、眦を決し前を見据えた。

 

 

 そして打ち上がったボールは天井に届かず滞空、一回転して着地したレイザーはボールが落ちてくるのを待ち受ける。

 

 ───その直後、やにわにベータが跳躍するのと、レイザーが駆け出すのは同時だった。

 

 突然床を蹴って飛び上がりボールに手を伸ばそうとしたベータ。しかしその巨体に見合わぬ瞬発力を見せたレイザーが機先を制し、ベータよりも先に空中のボールを掠め取った。

 

「チィッ!」

 

「さっきオレが悪魔を投げ飛ばしたのを見て参考にしたんだろうが、甘いな。ドッジボールではボールを目で追うばかりではなく、常に周囲にも注意を払っておくものなんだぜ」

 

 苦い顔で舌打ちしたベータの全身に、すかさずカオルが伸ばした髪の毛が絡みつく。ただの毛髪にあるまじき硬度と柔軟性を持つ"豪猪のジレンマ(ショーペンハウアー・ファーベル)"によって持ち上げられ、ベータはエリア内に踏み込むことなく外野へと戻された。

 

「ふむ、そのまま内野に着地してルール違反になってくれた方がオレとしては有り難かったんだが……しかし危なかった。あと一瞬遅れていたら君にボールを取られるところだったよ」

 

「………」

 

 額の汗を拭うような仕草をしつつ、「しかしよく伸びる髪の毛だ」と笑うレイザー。あと少しで手が届くというところでボールを逃したベータは、無言で不貞腐れたようにそっぽを向いた。

 

「カーッ、惜しい!」

 

「あとちょっとでアウトにできたのに!」

 

 ゴレイヌとキルアが悔し気に唸る。ベータが上手く捕球できていれば今のでレイザーの敗北が決まっていただけに、タッチの差で逃した勝利に忸怩たる思いを抱く。

 しかし、これでベータの手がゴンチームの外野だけではなくレイザーチームの内野にまで及ぶことが明らかとなった。カオルの伸縮自在の髪の毛によるフォローありきとはいえ、これはレイザーにとって無視できない要素だ。彼は今まで以上に外野に注意を払わねばならず、またレシーブにも一定の危険が付きまとう結果となった。

 

(オレの取り得る行動の幅がどんどん狭まっていく……カオルと言ったか、あの少女。爆弾化の能力といい、奴の能力はその悉くが非常に厄介だ。その実力も底が知れない。恐らくオーラ量ではオレより上だろう……あの若さで末恐ろしいことだ)

 

 ジリ貧、今のレイザーの状況はそれに尽きる。もはや敗北は覆せないと言えるだろう。

 だが一口に敗北と言っても、そこには様々な負け方がある。徹頭徹尾為すすべなく、手も足も出ずに負けるか───あるいは一人でも多くの流血を敵方に強いた上で、前のめりに華々しく散るか。

 

 そして当然、レイザーが選ぶのは後者である。№0を除く悪魔たちがその形を崩し、ただのオーラとなって霧散していく。

 

「レイザーの念獣が……消えていく!?」

 

「オーラがレイザーに向かって……まさか!」

 

 オーラへと還った悪魔たちは、その全てがレイザーへと吸収されていく。そして、レイザーから放たれるオーラが爆発的に増大した。

 

「分散していたオーラを自身に戻した♣️次が本当の全力というわけか♦」

 

 ビリビリと肌を叩く強大なオーラ。かつて感じたヒソカの邪悪なオーラの波動に勝るとも劣らぬそれを前に、ゴンが感じるのは多大な戦慄と高揚感だ。

 眼前に立ちはだかる敵手の、何と強大なることか。これを乗り越えてこそ───誰憚ることなく、大手を振ってジンに会いに行くことができる。ハードルは高ければ高いほど良い、そう確信するゴンは恐怖以上の確かな喜びを感じていた。

 

(レイザーは凄い……だからこそ勝ちたい!そのためには、まず何よりもボールを取り返さないと!)

 

「キルア!ヒソカ!」

 

 ゴンは親友と宿敵の名を呼ぶ。二人は何か考えがあるのだと察し、手招きするゴンの下に近寄った。

 不思議そうな顔をする二人の耳元に顔を寄せ、ゴンは小声で何事かを囁く。それを聞いたヒソカは愉快そうに口元を歪め、キルアは目を白黒させつつ曖昧に頷いた。

 

「……なるほど、それは面白い♠」

 

「んー、けどちょっと自信ねーな……」

 

「そお?でもボクは是非やってみたいね♥」

 

 やたらと乗り気なヒソカは、ちらと名前を呼ばれなかったカオルに意味ありげな視線を送る。視線を向けられたカオルはムッと顔を顰めた。

 

「……なによ、言いたいことがあるならハッキリ言いなさいよ気持ち悪い」

 

「いやなに、何かお楽しみを分かち合えなくて悪いなーって♥」

 

「なんだァ?てめェ……」

 

「下らないことで争ってんじゃねーよ!……ったく、オメーはいっつもとんでもないこと考えつくよな」

 

「へへへ、頼むよキルア」

 

 ガンを飛ばし合う二人にツッコミを入れたキルアは、呆れたような眼差しでゴンを見やる。ゴンは若干気不味げに頭を掻きながらも、しかし確かな信頼を籠めた瞳でキルアを見つめ返した。

 

「……さて、準備はいいかな?」

 

「あら、こっちの相談が終わるのを待っていてくれたのかしら。随分と余裕だこと」

 

「そうでもないさ―――お陰で、十分にオーラを練る時間が得られたからね」

 

 挑戦的な視線を送るビスケットに不敵に返したレイザーは、充実したオーラを手にするボールへと注ぎ込み始めた。

 

「まさかコレをこのゲームで使うことになるとはな。久々に良い感じだぜ……!」

 

 存分に練り上げられたオーラによって施された"周"は、ボールに常軌を逸した威力を内包させる。文字通りの魔弾と化したそれを、レイザーは己の頭上へと投げ上げた。

 

「ボールを上に……レシーブを使った時点で薄々感じてはいたが、やはり奴の得意スポーツはバレー!ならアレは───」

 

 一歩二歩と助走をつけ加速したレイザーは、投げ上げたボール目掛け高く跳躍する。そしてボールに込めたものと遜色ない量のオーラを自身の右腕へと注ぎ込み───

 

 

「───バレーのスパイクだ!」

 

 

 ───右の掌を勢いよくボールへと叩きつけた。

 

 炸薬弾が炸裂したかの如き爆発音を発し、魔弾(ボール)は破滅的な加速と共に大気の壁を突き破る。発した轟音の正体は球とレイザーの掌との衝突音だけではなく、球が音速を超えたが故に発生した衝撃波(ソニックブーム)でもあったのだ。

 そして魔弾が向かう先にいるのは、ゴン、キルア、ヒソカの三人。しかし三人はそれぞれがバラけるでも横一列に並ぶでもなく、一塊となってボールを待ち受けていた。

 

 その様を一言で言い表すならば、それはまさしく"合体"であった。

 まず腰を落としたゴンが先頭に立ちボールを待ち受ける。そしてゴンと背中合わせになるようにしてキルアが立ち、二人を覆うようにして両脇から腕を伸ばすヒソカが最後列で構えていた。

 

 彼らが何をしようとしているのか、その狙いをレイザーは一目で見抜いた。その思惑を理解した上で、彼は「面白い」と口元を笑みの形に歪めた。

 

「オレのスパイクとどちらが勝つか───」

 

 

 ───勝負!!

 

 

 真っ直ぐに標的目掛け突き進むボールは、狙い違わずゴンへと迫る。それをゴンは己の両手で受け入れた。

 凄まじい衝撃がゴンの両腕を襲う刹那、後ろより伸ばされたヒソカの腕から発生した粘着質且つ弾力質なオーラがゴンの腕ごとボールを覆い尽くした。

 ゴンの腕力とヒソカの"伸縮自在の愛(バンジーガム)"による二段構え。しかしそれでも恐るべき魔弾の威力は抑え切れず彼らを襲う。その抑え切れぬ衝撃を、両者の間に立つキルアが請け負った。彼は己の身を以て緩衝材とし、ゴンが立案した作戦をより完璧なものへと仕上げに掛かる。

 

『────────ッッッ!!!』

 

 声なき声が轟き、衝撃と摩擦によって発生した白煙が彼らの姿を覆い隠す。風圧から己の顔を庇いながら、カオルとビスケット、ゴレイヌの三人は白煙の向こうへと目を凝らした。

 

「どうだ……!?」

 

 レイザーもまた結果を見届けるべく敵陣を凝視する。四対の視線が一点へと向けられる中、徐々に白煙が薄れていき―――

 

「──────……」

 

「は、はは……やりやがった……!止めやがったぜ、アイツら……!」

 

 

 

 果たして、現れたのはしっかりと自身の両手でボールを受け止めるゴンの姿だった。靴底から煙を噴き上げるキルアは半ば放心しつつ座り込み、ヒソカは満足げな表情で佇んでいる。

 

 ───ゴンたちの勝利であった。

 

 

 

「脱帽……だな」

 

 肩で息をするレイザーは、疲労感を伴いつつもどこか晴れやかな心持ちでゴンたちを見やる。今の一撃はゴレイヌやカオルに向けたものとは比較にもならぬ威力を秘めた、正真正銘「必殺」の一投であった。己の全霊を籠めて打った球を受け止められながら、しかしレイザーが感じていたのは純粋な敬意であった。

 

(敵ながら天晴れ、実に見事だ!奴らのセンスは、見事オレのパワーを上回ってみせた!悔しくはあるが、しかしそれ以上に痛快な思いだ)

 

 そして彼らの"合体"によるコンビネーション、その中核をなしたのはキルアという少年であるとレイザーは見抜いた。

 

 ゴンはレイザーのボールを確実に止めるため、手にオーラの全てを集中させた。全オーラを手に注ぎ込んだということは、他の全てが無防備になっていたということだ。にも拘らず冷静に、そして臆すことなく正確にボールを捕らえた精神力と集中力は称賛に値する。

 ヒソカはインパクトの瞬間に"伸縮自在の愛(バンジーガム)"でボールを包み込み、衝撃を和らげつつゴンの取りこぼしを防いだ。素早く強力な能力発動技術がなければボールを受け止め切れず、遥か彼方へ飛んで行ってしまった筈だ。

 

 そしてキルア。彼は二人の間に挟まれ、卓越したオーラの攻防力移動で以てクッションと踏ん張りの二役をこなしたのだ。

 もしキルアの身体を覆うオーラが少なすぎればクッションの役目を果たせず、着弾の衝撃によって全員が甚大なダメージを負ったことだろう。逆に足に込められたオーラが不十分であれば踏ん張りが利かず、ボールの勢いに負けて外野に吹き飛ばされていた筈である。

 

(身体と足への攻防力を何対何で振り分けるか……恐らく誤差一%以下の精度を要求されていた筈!オーラの攻防力移動……即ち"流"は念戦闘の基本にして奥義。これほど本人の経験とセンスが要求される技術は他にあるまいが、しかし未だ年若いキルアに経験の積み重ねなどあろう筈もない。

 だが、その経験不足を補って余りある天才的なセンスによって、キルアはこの難関を見事クリアしたのだ!)

 

 無茶をするゴンを心配し右往左往するばかりの少年と思っていたが、こと技術力という点においては常軌を逸したものがある。レイザーは大幅にキルアの評価を上方修正した。

 しかし敵に感心してばかりではいられない。ボールは敵方に渡ってしまった。攻守が交代し、レイザーは再び窮地に立たされた状況に戻ってしまったのだ。

 

(出来ることなら今ので一人か二人は退場させて道連れにしたかったところだが……さて、悲観していても仕方がない。次は誰が来る?カオルの爆弾か、はたまた再びゴンか)

 

 何としてでももう一度ボールを確保し、そして次こそ誰かしらを仕留める。機は敵の攻撃の直後、再び合体したり能力を発動する隙すら与えぬ速攻である。レイザーは自身に残ったオーラ量を計算しつつ、再度腰を落とし身構えた。

 

 

 ───一方のゴンはというと、レイザーのようにオーラ残量を計算する思考など空の彼方に投げ飛ばしていた。

 

(後先なんて考えない)

 

 ゆらり、と身体から陽炎が立ち昇る。

 

(もっと……もっと、威力を───!)

 

 爆発が起こった、と相対するレイザーは認識した。そう認識せざるを得ないほど、ゴンの総身から噴き上がったオーラは暴力的であったのだ。

 火山の噴火も斯くやという勢いで立ち昇るオーラの奔流、爆発的な"練"。こんなものが一人の少年の身から溢れ出てきたものであるなど、いったい誰が信じられようか。レイザーですら「何かの間違いだ」と目の前の現実を現実と認識するのに時間を要した程だ。

 

(ジン、喜べ……こいつは間違いなく───)

 

 

 間違いなく、お前の息子だ───!

 

 

 鳶は鷹を生み、そして鷹は怪物を生んだ。目の前の小さな怪物は、継戦という概念を捨て去った乾坤一擲を放とうとしていた。

 

「キルア。全力でいくよ」

 

「ったりめーだ。エンリョしたらぶっとばすぞ」

 

 球を飛ばすための銃身となる役割を担っているキルアは、しかし球を支える自身の手をオーラでガードしていない。下手に手をオーラで覆うと、そのオーラが障壁となってゴンのパンチ力を殺してしまうからだ。

 キルアはゴンがボールを打ち出す度に手にダメージを負うことになる。故に保ってあと一、二回が限度。だが今のゴンが顕在させているオーラ量を鑑みるに、この一回でキルアの手は深刻な負傷を負ってしまうことだろう。

 

(だから、これが正真正銘最後の一撃だ。しくじるんじゃねーぞ、ゴン……!)

 

 そんなキルアの思いが伝わったのか、ゴンは一つ強く頷いた。その瞳を見たキルアは安堵する。力強い視線に籠められた決意と覚悟……こういう目をした時のゴンに迷いはない。無用な遠慮で覚悟を鈍らせ、拳を曇らせるような愚挙は犯さない筈だ、と。そしてその視線から垣間見える友への確かな信頼を、キルアは嬉しく思った。

 

「最初は……グー!」

 

 ギシギシと空間を軋ませ、溢れ出すオーラの波濤が右拳へと収束し圧縮されていく。それはさながら極小の太陽か。固く握りしめられた拳の中で繰り返されるオーラの圧縮、圧縮、圧縮───

 

(───だが、まだ甘い!)

 

 己すら超える莫大なオーラに一度は怖気づいたものの、レイザーはゴンの"ジャン拳"を見て「まだ甘い」と断じた。

 

(年齢不相応な圧倒的なオーラ量は見事!だがまだまだオーラの練りが甘い!あのオーラ量を余すことなく全て攻撃に転化するための技量が今のゴンには欠けている!)

 

 惜しいことだ。しかし敵として立つレイザーにとってはチャンスである。予想外の威力ではあるが……

 

(だが、まだ捕れる!)

 

「ジャン……ケン……!」

 

 ゴンの拳から放たれるオーラの光芒が最高潮に達し、空気を歪めビリビリと肌を叩く圧が発される。

 乾坤一擲、一拳入魂。今のゴンに出せる全力全開が籠められた渾身の"ジャン拳"が───

 

 

 

「グ──────!!!」

 

 

 

 ───今、唸りを上げて打ち放たれた。

 

 

 対峙するレイザーはやはりレシーブの構え。まともに捕球しようとすれば、たとえ捕れたとて球の威力に押されエリア外に飛ばされてしまうだろう。

 故に捕るのはなし。さりとてゴンの実力を測る目的でいる以上、逃げることは許されない。

 

「またレシーブ!」

 

「無駄な抵抗だぜ、今度こそカオルかベータの餌食だ!」

 

「……果たしてそうかな?」

 

 確かにゴレイヌの言う通り、レシーブでボールを跳ね上げれば今度こそベータに取られてしまうだろう。先ほどのようにベータに先んじて動ければいいが、しかし迫り来るボールの威力を考えればレシーブ後にすぐ動けるとは思えない。

 

「だがそれは───」

 

 レイザーの組み合わされた両腕にボールが着弾する。凄まじい衝撃。鍛え上げられた強靭なレイザーの両腕が軋みを上げた。

 しかし、レシーブでありながら後ろに下がって衝撃を吸収しようとする素振りが見られない。

 

「───レシーブの方向によるだろ!?」

 

 そう、レイザーは端から上に向かってレシーブする気など更々なかった。彼は己の両腕でボールを受け止めるや、力任せに来た方向へと球を弾き返したのである。

 

(上に放れば跳躍したベータか伸ばされたカオルの髪の毛にボールを攫われる。だが、これならどうしようもあるまい!)

 

 全員が驚愕に目を剥く中、弾き返されたボールは真っ直ぐにゴンへと突き進んでいく。これでゴンに避けられてしまえばレイザーのアウト判定となってしまうが、しかしゴンは絶対に避けないであろうとレイザーは確信していた。

 

(ゴンはオレの自滅による勝利で喜ぶような奴じゃない!それはこれまでの戦いでよく分かってる!アイツが望むのは、完膚なきまでの自分の手による完全勝利!故に絶対に避けない!)

 

 しかし、このままでは先ほどのように合体するような暇はない。さあどうする!?とレイザーは目を鋭くさせ───

 

 

 ふと、驚く様子もなく平然と佇んでいるカオルの姿が目に入った。

 

 

(……何だ?)

 

 カオルはレイザーの行動に驚愕するでもなく、ましてや一人で立ち向かわなくてはならなくなったゴンを心配する様子でもなくただ突っ立っている。まるで既に勝負は決まっているかのように───

 

 

 

 ───その時、カチッと信管が押し込まれるような音がレイザーの耳に届いた。

 

 

 

 パァン───……という小さな破裂音が響き渡る。それはとても小さな音だった。しかしその破裂音が切っ掛けに、ゴンへと向かう筈だったボールは突如としてその軌道を変更。直角に曲がって床へと落下した。

 

「な───!?」

 

 予想外も予想外の事態に大きく目を見開くレイザー。その視線の先では、見事に破裂し穴の開いたボールが今まさにその球体を萎ませていくところであった。

 

「破裂しただと!?馬鹿な、確かにボールにはオーラが込められ強化されていたはず!そう簡単に穴が開くことなど───!」

 

 そこまで言い掛け、ハッとしたレイザーは口を噤む。生じた小さな破裂音、そしてカオルの様子。それらの要素を組み立て、レイザーは一つの結論に至った。

 

「……爆発、させたというのか……!?いいや、あり得ん!オレは常に奴に注意を払っていた!奴が能力を発動させようとすればすぐにでも気付いたはず!一体いつ、奴は"爆殺女王(キラークイーン)"を発動させたというのだ……!?」

 

「……ふふふ、混乱しているようねレイザー。そんなアナタに一つアドバイスを送りましょう」

 

 口元を手で覆い愉快そうに笑うカオルは、右手の人差し指でレイザーの背後を指し示した。

 

六時方向に注意せよ(チェックシックス)……私の能力発動は警戒していても、(ベータ)の能力発動は見逃していたようね」

 

 ハッと振り返るレイザー。その視線の先では、ベータが腕を組みニヤニヤと笑っていた。

 ───その背後に獣頭の髑髏……"爆殺女王(キラークイーン)"を従えて。

 

「馬鹿な!オーラによって生み出された分身が本体の能力を行使するだと!?」

 

 それはレイザーにとって、今日一番の驚愕であった。ベータが"爆殺女王(キラークイーン)"を使う……そこにあるのは、念能力が念能力を使うという矛盾であった。

 実際のところ、ベータの正体はカオルの霊基を切り離して生み出された分裂体。生身の肉体を持ったもう一人のカオル自身でもあるのだ。しかしその絡繰りを知らないレイザーからすれば、それはカオルの念能力によって生まれたオーラの塊が念能力を行使したという驚愕の事実であったのだ。

 

「信じられん……信じられんが、しかし事実としてベータは"爆殺女王(キラークイーン)"を発動し、発生させた極小の爆発によってボールに穴が開いた。爆破の衝撃と抜ける空気の勢いによってボールはその軌道を変え、床に落下したということか……」

 

 ボールを完全に木っ端微塵にしなかったのは、ボールの消失がルール上どういう扱いになるのかが未知数だったからだろう。

 

(だが、ベータはいつ能力を発動させた?……あの時か。外野から飛び出し、ボールに手を伸ばそうとしたあの時!能力が使えるのなら本体と同じように髪を伸ばした方が確実だったのにそうしなかったのは、分身が能力を使えるという事実をギリギリまで隠蔽することと、"爆殺女王(キラークイーン)"の射程距離まで近づくことを目的としていたからか!)

 

 まさかベータが念能力を行使するなどとは予想していなかったレイザーは、みすみす彼女の能力発動の瞬間を見逃してしまった。あの時レイザーは「常に周囲にも注意を払うもの」とベータに言い放ったが、真に注意が足りなかったのはレイザーの方であったのだ!

 

「……完敗だ。してやられたぜ」

 

『レイザー選手に当たったボールが床に触れたため、レイザー選手はアウトです!よってこの試合───ゴンチームの勝利です!!』

 

 レイザーの念獣ではあるが、ルールに忠実であるようプログラムされている№0の悪魔は至って公平に判決を下す。振り上げた右腕をゴンチーム側に向け、その勝利を告げた。

 

「ぃ───ッよっしゃああああ!!」

 

「勝ったぞおおおおおお!!」

 

 大きく歓声を上げたキルアとゴレイヌは、両腕を振り上げ大の字に倒れる。ヒソカは満足げに微笑み、ビスケットは「ようやく終わったか」と言いたげにため息を吐いた。

 

「お疲れ、ゴン。最後の一撃は中々良かったわよ」

 

 最後に見せ場を貰えて上機嫌なカオルは、ゴンに歩み寄るとにこやかに肩を叩いた。

 

「……?」

 

 が、何故か反応がない。不思議に思ったカオルは、恐る恐るゴンの顔を覗き込み……そして目を見開いた。

 

「し……死んでる……!?」

 

「んなわけねーだろ!?気絶してるだけだ!」

 

 ガバリと起き上がったキルアが声を上げる。文字通り全てのオーラを絞り尽くしたゴンは、放った"ジャン拳"を最後に気を失ったのである。

 

(まったく、大した奴らだよホント……)

 

 やいのやいのと騒ぐ彼らを一瞥し、レイザーは愉快げに笑う。結局誰一人としてアウトにできなかった完全敗北であったが、その内心は不思議と晴れやかであった。

 

 

 

 

 ───斯くして、主役(ゴン)に意識がないという締まらない状況の中、レイザーとのドッジボール戦はその幕を閉じる。「一坪の海岸線」の入手イベントはクリアし、残るは№1「一坪の密林」と名称不明の№000のみ。長いようで短かったG・Iの終わりが、あと少しというところまで近づいていた。

 




※ゴンの念能力"ジャジャン拳"ですが、この名称が定まったのはキメラアント編のナックル戦以降であり、このG・I編時点では厳密には無名あるいは"ジャンケン"でした。しかしそれでは見栄えが悪いので、本作では便宜上"ジャン拳"とさせて頂きました。ご了承下さい。


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ゲームクリア、そして終末へのプロローグ

これにてG・I編終了。キメラアント編のプロローグも兼ねているので簡潔で短いですが、ご容赦を。

あと、ツェズゲラの一人称が"私"や"オレ"で安定しないのは原作準拠です。人称が安定しないのはH×Hのキャラには割とありがちですが、一応念のため。


「……それで、どうだった。何か『一坪の海岸線』に関する手掛かりは手に入ったか?」

 

「いや、残念ながらサッパリだ」

 

「こちらも同じく。渡しても構わない指定カードと引き換えに情報を尋ねて回ってみたが、誰一人として知っているプレイヤーはいなかった」

 

「あるいは、知っていながら黙秘しているのか……」

 

 G・I(グリードアイランド)のトップランカーであるツェズゲラ組は現在、とある指定ポケットカードの収集に手間取っていた。そのカードの名は№2「一坪の海岸線」である。

 そのカードが存在する場所は既に判明している。しかし誰一人として「一坪の海岸線」を獲得した者はおらず、入手イベントの発生方法すら不明なのが現状だった。

 

 ……そう、今この瞬間までは。

 

「おい、ちょっと待て!今『名簿(リスト)』を使って確認してみたが、既に『一坪の海岸線』を獲得している組がいるぞ!」

 

「何だと!?」

 

 仲間の一人が齎した情報にツェズゲラは血相を変える。G・I開始以来ただの一つとして手掛かりが得られなかったカード、「一坪の海岸線」。遂にそれを獲得したプレイヤーが現れるとは……と、ツェズゲラは他所に先んじられた悔しさよりも感慨深さを覚えた。

 

(だが感心しているばかりではいられんな。こちらも数年に渡ってプレイしてきた意地がある。最後に勝つのは我々でなくては)

 

「それで、どこの組だ?トクハロネ組かハガクシ組か……」

 

「待て待て、『名簿(リスト)』じゃどこの誰が所有しているかまでは分からないだろ?いま確認するから……」

 

 逸るツェズゲラを手で制し、仲間の男は(バインダー)にセットした「名簿(リスト)」を解除する。「名簿(リスト)」で調べられるのは、指定したカードを所有しているプレイヤーの人数と所有数のみ。それ以上の情報を入手するためにはまた別の手段を取らなければならない。

 しかしその時、俄かに色めき立つ彼らを制するようにして馴染み深い電子音が鳴り響く。その音の発生源はツェズゲラの(バインダー)であった。

 

 

『他プレイヤーがあなたに対して「交信(コンタクト)」を使いました』

 

『………』

 

 図ったかのようなタイミングで鳴り響く「交信(コンタクト)」による着信音。彼らは互いに顔を見合わせ、代表のツェズゲラは意を決して(バインダー)を開いた。

 

 

「……こちらはツェズゲラだ。そちらは誰かね」

 

『あ、繋がった。こちらはゴンです。お久しぶり、ツェズゲラさん!』

 

「! 君はあの時の……」

 

 本を通して聞こえてきた溌溂とした少年の声に、ツェズゲラは驚くと共に僅かに肩の力を抜く。ツェズゲラにとって、ゴンという少年は将来有望な念能力者の卵であり、裏表のない無垢な子供という印象であった。

 付き合いこそ短いが、ゴンは虚言を弄するような質の者でないことは分かっている。曲者(プレイヤー)たちとの駆け引きに些か精神的な疲れを覚えていたツェズゲラは、無意識に肩の力を抜き警戒を薄れさせていた。

 

「君とは選考会以来だな。友人のキルア共々、元気にやっているかね?」

 

『うん、オレもキルアも元気だよ!カード集めも順調なんだ!』

 

「そうか、それは何よりだ」

 

 ゴンの発言から、少なくともキルアが一緒にいることは断定できた。ゴンはともかく、キルアという少年は子供だてらに油断し難い印象を受けた覚えがある。

 ああいう手合いは一筋縄ではいかないものだ。ツェズゲラは緩みかけた意識を締め直した。

 

「それで、用件は何だ?こちらも暇ではないのだが」

 

『じゃあ単刀直入に言うね。オレたちの「一坪の海岸線」とツェズゲラさんたちの「一坪の密林」を交換(トレード)してほしいんだ』

 

「ほう!」

 

 まさかとは思っていたが、本当にゴンたちが「一坪の海岸線」を獲得していたとは。選考会で彼らの才能の片鱗に触れたツェズゲラとしては意外という程でもないが、しかし些か予想外だったのも事実だ。

 

(彼らがG・I入りしてから僅か半年程。我々と比べれば圧倒的に短いプレイ期間でありながら、もう「一坪の海岸線」を獲得したとは驚きだ。子供故の柔軟性が為せる技か、あるいは純粋な彼らの実力か……。

 いやいや、この際そんなことはどうでもいい。今考えるべきは、彼らの提示する交換に応じるか否かだな)

 

 顎をさすりながら思案するツェズゲラ。彼らの将来性を期待すると同時に警戒していたツェズゲラは、抜かりなくゴン組の動向もチェックしていた。チェックしていたと言っても精々所持カード枚数を時折り確認する程度ではあったが、今回はその備えが生きた。カード所有数から彼らの進捗状況を瞬時に察したツェズゲラは、その情報を元に交換の是非を判断しに掛かる。

 

(彼らの所有するカードは約60種……オレたちの97種と比べれば見劣りするが、しかし彼らの攻略ペースを考慮すればそこまでの大差とは言い難い。しかし大差でなくとも差があることは事実。むしろ、今このタイミングで交換(トレード)を持ち掛けてきてくれたのは僥倖か)

 

 もしゴン組の所有種が80種を超えていれば交換(トレード)には応じなかったかもしれない。しかし現実として彼らの所有種は現在60種程度で、今回の交換(トレード)の結果「一坪の海岸線」と「一坪の密林」を揃えたとしてもコンプリートには時間を要するだろう。それだけの時間的猶予があればツェズゲラ組は追随される前にクリアできる。

 

(オレたちとしても「一坪の海岸線」は喉から手が出るほど欲しい。交換(トレード)による追い上げのリスクも低い。やはりこの交換(トレード)は受けるべき、か)

 

 ツェズゲラはゴン組からの交換(トレード)に乗るべきと判断する。しかしツェズゲラは八人の仲間を率いる身、独断で決めるわけにもいかない。

 

「……私としてはその交換(トレード)に否やはない。が、一応仲間と相談してから結論を出したいと思う」

 

『分かった!じゃあ一時間後にまた「交信(コンタクト)」するね!』

 

「いや、それには及ばない。結論が出次第、こちらから連絡させてもらおう」

 

 また掛け直すことを告げ、一度「交信(コンタクト)」を終える。(バインダー)を閉じたツェズゲラは仲間たちに向き直った。

 

「……さて、聞いての通りだ。ゴン組の交換(トレード)に応じるか否か……オレは受けるべきだと思うが」

 

「オレも賛成だな。一定のリスクは交換(トレード)には付き物だし、一刻も早くクリアするべきだぜ」

 

 一人が賛意を告げると、我も我もと八人全員が賛成に回る。彼らの顔にはクリアに手が届く喜びと、それに比する焦りが浮かんでいた。

 

 押しも押されもせぬトップランカーである彼らが焦りを覚える原因。それは数多のプレイヤーたちのヘイトを一身に集めていた、あのハメ組を一人残らず皆殺しにしたプレイヤー狩り(PKer)……カオルの存在だった。

 ハメ組が所有していた90種以上のカードを全て簒奪したことで一躍トップ争いに乱入、更に所詮は一人と侮り襲い掛かった無謀な他プレイヤーからも奪ったことで正真正銘トップに躍り出たダークホース。最近になってツェズゲラ組が所有する引き換え券が運良く「大天使の息吹」に変わっていなければ、今も彼らはカオルの後塵を拝していたことだろう。カード所有種において現在ツェズゲラ組に並ぶ彼女の存在を、彼らは最大限に警戒していたのだ。

 

(恐らく、最も彼女の危険性を理解しているのはプレイヤーの中ではオレだけだろう。目の前で()を見せられたオレだからこそ、あの少女の恐ろしさが分かる)

 

 ツェズゲラがカオルと直接顔を合わせたのは、後にも先にも選考会の時だけだ。そしてもう二度と出くわさないことを願っている。彼女がハメ組を全滅させたと聞いた時、ツェズゲラにあったのは驚きではなく「彼女であれば容易かろう」という納得であった。

 

 ───アレは少女の皮を被った怪物だ。

 

 今でも鮮明に思い出せる。突如として眼前に現れた暴風。まるで乱気流の如くに吹き荒れるオーラの嵐が、よもや目の前の少女の矮躯から放出されたものであるなど。そして、それがただの"練"による結果でしかないなどと、とてもではないが信じられるものではなかった。

 しかしそれは妄想の産物でもなんでもなく。オーラの怪物はツェズゲラの前に厳然として存在しており、彼はオーラの圧だけで壁に減り込みながらその恐ろしい現実を認識せざるを得なかったのだ。

 

(アレが実は人間ではないと言われても、オレはきっと素直に信じるだろう。それだけ人間離れした気配だった。アレと同じ島にいて、ゲームとは言え順位争いをしているなど怖気が走る)

 

 ハンターとして。念能力者として。そして人間として、アレは同じ地平にあって争うべき存在ではない。競うことそのものが馬鹿げた行為だ。もしツェズゲラが一人であれば、早々にゲームクリアなど諦めて逃げ帰っていたことだろう。彼をG・Iに引き留めているのは、偏に意地とチームリーダーとしての責任感故であった。

 

(故に、一秒でも早くこのゲームをクリアして島を出る!それがオレにできる最善手だ)

 

 「一坪の海岸線」を獲得できれば、あとは残すところ入手法が分かっている「奇運アレキサンドライト」のみ。

 ゲームをクリアし、且つ迅速に賞金を受け取り行方を晦ませる。それがツェズゲラが思い描く最高の()()()()であった。

 

「……勝てるぞ、このゲーム」

 

「ああ、そうすれば晴れて膨大な賞金はオレたちで総取りだ!」

 

 感無量とばかりに思わず漏れ出たツェズゲラの呟きに、仲間たちが威勢よく呼応する。羨ましいものだ、とツェズゲラは仲間たちを見て思った。彼らの焦りはただ先を越される恐れから来るだけのものであり、彼らは彼女の本当の恐ろしさを知らないのだ。もし彼女が敵に回ったとしても、九人で掛かれば負けはないと勘違いしているのだ。

 その勘違いは愚かしくもあり、そして幸福なものであった。本当の恐怖を知ってしまったツェズゲラただ一人のみが、常に焦燥に駆られながらこの欲望の島に立っている。

 

 だが、碌に眠れぬ夜を過ごす日々もようやく終わりを告げる。遂にゲームクリアに手が届く所まで辿り着いたことを実感したツェズゲラは、笑みすら浮かべて「交信(コンタクト)」のカードを手に取った。

 

 

 

 

 

 ───しかし不幸なことに、ツェズゲラはカオルとゴンたちとの関係を知らなかった。カオルを恐れるあまりに、よもやあの純粋そうな子供たちと友人関係にあるなどとは考えもしなかったのである。さもありなん、ツェズゲラにとってカオルとは比類なき怪物であり、鷲獅子(グリフォン)と馬が共存するが如き事実など慮外のことだったのだから。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 ───斯くして、ツェズゲラ組との交換(トレード)で「一坪の密林」の複製(クローン)を獲得したゴンたちは、カオルの所持する指定カードと統合することで全99種をコンプリートするに至る。

 そしてゴン組が99種を集めたことで、全プレイヤーを対象としたクイズ大会が開催される。指定カードに関する全100問の問いに答え、最も正解率の高かったプレイヤーには№000「支配者の祝福」が贈呈されるというG・I最後のイベントであった。

 

 結果はゴンの優勝。100点満点中87点という結果であった。

 ……余談ではあるが、カードの大半を他者から奪うことで獲得したカオルの成績は惨憺たるものだった。「こんなところで原作知識の通用しない場面に遭遇することになるとは思わなかった」とは本人の弁である。

 

 とまれ、全100種のカードを揃えたことで「支配者からの招待」を受け取ったゴンたちは、招待状の指示通りに城下町リーメイロに存在するG・I城へと向かう。優勝者として一人G・I城に踏み入ったゴンは、そこでジンの仲間を名乗る二人の男、リストとドゥーンに出会った。

 結局ジンに関する手掛かりを得ることこそ出来なかったが、ドゥーンの口から父親の話を聞けたゴンは満足げに手土産を持って城外で待つ仲間たちの下へと戻る。その手土産とは、現実世界へとカードを持ち出すことができる特別な(バインダー)であった。

 

 その(バインダー)に収めることができるカードの枚数は三枚。そしてバッテラ氏からの依頼という形でG・Iに入ったゴンたちは、当然ながら氏の希望するカードを選んで持ち帰らなければならなかった。

 ……だが、バッテラ氏に希望するカードが何かを聞くべく一足先に現実へと戻ったゴレイヌから衝撃的な事実が告げられる。氏の願いは、事故で長らく意識不明となっている恋人を回復させる呪文と、失われた二人の時間を取り戻すための若返りの薬の入手。しかし、その恋人は既に息を引き取ってしまったのだという。

 

 そのような経緯があり、ゴンたちは図らずもカードを入手する権利を得られることになる。しかしゴレイヌは賞金のみを目当てにしていたのでこれを辞退。同じくカオルも「所詮は暇潰しだったし」という理由で辞退したことで、ゴン、キルア、ビスケットの三人でカードを選ぶことになった。

 ビスケットは長年探し求めていた希少な鉱石、「ブループラネット」を選択する。そしてゴンとキルアは───

 

 

 

 

 

 

「……行ったか」

 

 「同行(アカンパニー)」を使用してジンの下へと飛び立ったゴンたちを見送ったカオルは、手短にビスケットに別れを告げ、バッテラ氏の館を後にする。

 何故指定ポケットカードではない「同行(アカンパニー)」を持ち帰り、使用できたのか。ゴンは予め「同行(アカンパニー)」に「擬態(トランスフォーム)」を使用して「一坪の海岸線」に変身させておき、それを指定カードと偽って(バインダー)に入れたのである。あとはキルアが選択したという体で持ち出した「聖騎士の首飾り」を使って「擬態(トランスフォーム)」を解除してやれば、晴れてゴンは現実世界に「同行(アカンパニー)」を持ち出せるという寸法である。

 

 これを実行に移すためにカオルは自身のカード選択権を手放さなくてはならなかったが、元よりゴンたちに誘われていなければG・Iには行かなかった筈なので然程の未練はない。それよりも、これからカオルがすることを思えばこうしてゴンとキルアと別れる方が都合が良かった。

 

 カオルはヨークシンの街中を進み、そこそこ立派なホテルへと辿り着く。そして勝手知ったるとばかりにエレベーターに乗り込み、最上階のボタンを押し込んだ。

 チン、と軽快な音を立てて扉が開き、最上階のスイートに到達する。しかしそのフロアには人の気配が一切なかった。当然である。カオルは大金とプロハンターとしての権威を笠にフロアを丸ごと貸し切ったのだから。

 

 無駄に広い廊下を進み、カオルは一番奥の部屋の前で立ち止まる。そしてコンコンコン、と三回ノックを繰り返した。

 

『……スノーマンは何て言った?』

 

「ニンジン臭い」

 

 中から聞こえてきた声に短く返すと、ガチャリと解錠され扉が開く。果たして呆れ顔でカオルを出迎えたのは、カオルと全く同じ姿をした一人の少女だった。

 

「……今更だけど、このやりとり要る?ルームサービスも断ってるから誰も寄り付かないじゃない、このフロア」

 

「アナタだって最初は乗り気だったでしょう。それに、念には念を入れておくものよ。ある意味、これは私たちが犯す最初の犯罪なのだから」

 

「賞金首狩りは?」

 

「アレは相手も犯罪者だからノーカン」

 

 自身の分身と軽口を交わしながら、カオルは室内に踏み込む。そして寝室に入ると、ベッドのシーツを捲って中を検めた。

 

「堅気には手を出さないのが信条じゃなかったかしら」

 

「傷はつけていないでしょう?ただ誘拐しただけよ。……ええ、確かにこの子がターゲットね。二次元と三次元の違いはあるけど、ここまで特徴的なら間違いないでしょう。お手柄ね、Ω(オメガ)

 

「はいはい。どういたしまして、オリジナル」

 

 ベッドの中では、亜麻色の髪の少女がだらしない寝顔を晒していた。鼻水は垂れ、涎で口元を盛大に汚している。華の乙女にあるまじき醜態だが、その頭脳には常軌を逸する叡智が詰め込まれていることをカオルは知っていた。

 

 この少女こそ、軍儀という盤上競技で世界大会五連覇を成し遂げた傑物。現世界王者にして盤上の怪物。独裁国家東ゴルトー共和国在住の盲目少女―――コムギであった。

 

 原作において、キメラアントの王メルエムは彼女との軍儀の応酬によってその類稀なる学習能力を磨き上げ、更に自らの価値観をも一変させた。己の力を暴力による抑圧ではなく、不平等な社会を破壊し、弱者を庇護することで理不尽な格差のない世界を創造するために使うことを決意したのである。

 

 ()()()()()()()()()。そもそもからして、その思想は「摂食交配」というキメラアントの特性ありきの理想であり、人間の価値観と相容れるものではない。加えて、ネテロの"百式観音"すらも打ち破った圧倒的な学習能力こそが、メルエム攻略における最大の障害になり得るとカオルは考える。

 それを防ぐために、カオルは予め手を打った。G・Iに入る前に分身を東ゴルトーへと送り込んでおき、王の意識を変革される前にコムギを探し出し誘拐させたのである。

 

 打破すべき敵に、余計な情動など不要である。悪は悪らしく、あるがままに邪悪であってほしい。

 弱肉強食主義、大いに結構。人間を下等生物と見下したまま、油断と慢心の中で無様な最期を迎えてほしい。

 

 是なるは尋常な戦いに非ず。ただ只管に無味乾燥で、無慈悲なまでに一方的な"狩り"である。

 

 ───その果てに、私の糧となれ。蟻の王、メルエム。

 

 魔導書が行使する魔術によって覚めない眠りにつく少女を見下ろしながら、カオルは冷徹な声でそう呟いた。

 




人との歩み寄りなど蛇足である。怪物は怪物らしく、怪物のまま死ね───そう嘯き、少女/怪物は醜悪に哂った。


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晦冥天眼、蟻封に在りて燃ゆる蒼眸

投稿が遅れて申し訳ありません。お詫びにいつもより文章多めにしたので許してヒヤシンス。


……主人公全ッ然出てこないけどな!



 ミテネ連邦───東ゴルトー共和国、西ゴルトー共和国、ハス共和国、ロカリオ共和国、NGL自治国の五か国からなる連邦国家である。いずれも世界的に見れば後進国にあたる小国であるが、中でもNGL自治国は異彩を放っている。

 NGL(ネオグリーンライフ)……機械文明を捨て、完全な自然の中での生活を是とする者たちで構成された国家であり、その徹底ぶりたるや常軌を逸している。金属類や石油製品、ガラス製品を始めとして、化学繊維や金属が含まれた衣類の持ち込みすら不可能となっているのである。

 

 如意自然───自然のままに生き、自然のままに死ぬ。それこそが大いなる生態系の中に属する人間の、本来あるべき正しい姿である、と。

 

 だが、そんなものは欺瞞である。自然保護の名の下に国そのものを外部から隔離し、立ち入りを制限した上での麻薬生産が横行している───それがNGLの真の姿、裏の顔であった。

 確かに一般の国民は表向きのNGLの理念に沿った生活をしているのだろう。しかし国の上層部の姿は清貧とはかけ離れたところにあり、麻薬工場から生産されるドラッグ……(ディーディー)の密売により暴利を貪っていたのである。

 

 自然調和?人間は生態系の一部?ちゃんちゃらおかしい。人間こそが生態系の破壊者であり、自然を統べるべく生まれた霊長の王なのだ。

 

 

「動くんじゃねぇぜ。死んじまっても責任取れないからな」

 

 

 ───そう信じて疑わないある一人の男は、人ならざる異形に追われ絶体絶命の窮地に陥っていた。

 

 それは男の腰ほどまでしかない矮躯であり、糊のきいた子供用のスーツをピシリと着こなしていた。体格に比してやけに大きな足に履かれた靴は世界的に有名なブランドの高級品であり、一分の隙もなく磨き上げられている。

 

 しかして、その頭部は紛うことなきコアラであった。大きな黒い鼻とつぶらな瞳、そして大きな丸い耳。獣毛に覆われたそれは間違いなく人間のものではない。にも拘らず、その異形は瞳に知性の色を宿し、獣の口で流暢な人語を話すのである。

 

 これこそがキメラアントの成れの果て……捕食したものの特性を次代に引き継ぎ進化する怪物の姿であった。

 

 このキメラアントが人間とコアラの因子を宿しているのは明白である。もはや蟻としての名残など手足と額の単眼ぐらいにしか現れてはいないが、これがキメラアントという生物の正しい進化の姿である。……蟻らしからぬ巨大さに目を瞑れば、であるが。

 

 突然変異体である巨大キメラアントの女王が産み落とした、亜人型のキメラアント……それがこの異形の正体である。しかしそんなことなど知る由もないこの男からすれば、目の前の意味の分からない怪物(モンスター)はただひたすらに恐ろしく───そして我慢のならない存在であった。

 見下されている、と男は悟った。目は口程に物を言う。コアラの真っ黒でつぶらな目が、確かな知性を感じさせるその目が。矮躯故に男を見上げる形でありながら、その目は確かに男を見下ろしていたのだ。

 

 その目にあったのは、僅かな哀れみと───まるで路傍の小石か羽虫でも眺めるかのような、上から目線の無関心であった。

 

 そうと分かった途端、男の中で恐怖よりも怒りが勝った。無条件で人間こそが全生命体の頂点であると疑わぬ男は、その昆虫標本でも眺めているかのような無機質な視線が我慢ならなかった。

 

「ケモノの分際で、人間様に指図すんじゃねぇ……ッ!!」

 

「分際?人間様?分からないね……俺とお宅でどこが違うんだ?」

 

 怒鳴り散らす男を前に、異形は全く動じた様子がない。節足動物らしい六本の鉤爪のついた腕で掴んだ瓢箪を持ち上げ、中の水に口を付けながら素っ気なく返した。

 どこが違うのかだと?決まっている。人間であるか否か、それが両者を違える明確な差異である。そして人間こそが自然界の勝者だと信じる男からすれば、獣風情に同列と見做されることはこの上ない屈辱であった。

 

 否、同列に語られるぐらいならまだ許そう。しかしこの眼前に立つ異形は、明確に人間()を見下している。到底許せることではなかった。カッと頭に血を上らせた男は、抱えた丸太を怒りに任せて振り回した。

 

「うるせぇ────!!」

 

 人ならざる畜生の分際で、人のように喋るな。何もかもが癇に障る眼前の異形を黙らせようと、男は力任せに振り回した丸太をコアラの頭に叩きつけた。

 

 しかし───異形はびくともしない。同程度の体格の人間の子供であれば今の衝撃で吹き飛びそうなものだが、異形は強靭な足腰で容易くその場に踏ん張り、平然と己の頭で丸太を受け止めたのである。

 その硬さたるや、まるで鉱石を殴りつけたが如し。逆に丸太は圧し折れ、異形の頭には僅かにうっすらと血が滲む程度の、傷とも言えぬ負傷しか与えられなかった。まるで痛痒を感じた様子のない異形は、やれやれと呆れたように首を振った。

 

「質問にはちゃんと答えろって親に教わらなかったのか?救えねぇな、オッサン」

 

 至極どうでもよさげにそう言い放ち、異形は口に含んだ水を吹き掛けた。

 瓢箪に収められ、そして異形の口に含まれたそれはただの水だ。何の変哲もない、ただの水……されど、それがこの異形の口腔を経た途端、ただの水は凶器へと変貌する。人外の威力で放出された水は、まるで弾丸の如く飛翔し男の額を貫通せしめた。

 

「生まれ変わって出直しな」

 

 その一言が、男が聞いた最後の言葉であった。男は顔中の穴という穴から血と水を吹き散らし、呆気なく絶命したのであった。

 

「───あーあ、殺っちまった?」

 

 すると、今し方死んだ男は元より、コアラの異形のものとも異なる声が木霊する。姿は見えず、気配もしない。コアラはすんと鼻を動かし、声のした方向へと顔を向けた。

 今は絶命し倒れ伏す男が背にしていた岩壁の一部が不自然に揺らめき、徐々にその色合いを移ろわせていく。武骨な灰色から鮮やかな緑色へと変じ、声の主は姿を現した。

 

 その異形の外見を端的に表現するならば、それはパーカーを羽織った二足歩行のカメレオンであった。長い尻尾をくねらせ、大きく張り出した眼球を左右別々に動かし周囲を睥睨する様はまさしくカメレオンそのものであったが、手足の蟻の鉤爪がこの異形もまたキメラアントの一種であると明確に物語っている。

 

「殺しちまったら保存しておけねーだろ?」

 

「ふん、今日中に肉団子にして女王様に差し出せばいいだろ。……癇に障るんだよ、こういう野郎は。身の程ってものを知らねぇ」

 

 鱗に覆われた表皮を撫でながら皮肉気な口調で詰問するカメレオンに対し、コアラは憮然とした表情で返した。

 

「コソコソ逃げ回るようならまだ可愛げがあるってもんさ」

 

「けっ、昨日は泣いて逃げ回る子供を後ろから撃ったじゃねーかよ?

 オレに任せれば餌が暴れることもなくスマートに捕獲できるのによ?『動くな』ってのはオレに言ったんだよな?師団長のオレによ?え?」

 

「………」

 

 その皮肉に満ちた言い様に嫌気が差したからか、図星を突かれたからか、あるいはその両方か。コアラは無言でそっぽを向き、ペッと地面に唾を吐き捨てた。

 カメレオンはちらと物言わぬ男の骸を一瞥し、やれやれとでも言いたげに肩を竦めてみせた。

 

「あんまり調子に乗るんじゃねーぜ?心の広いオレだから大目に見てやってるんだぜ?そんなに殺しが好きなら、給餌部隊に志願したらどうだ?」

 

 最後にそう告げると、カメレオンはコアラに背を向けてその場から立ち去って行った。コアラは去り行くカメレオンの背を無言で見送り、そして自らが手を掛けた男の骸に視線を落とした。

 

「救えねぇ」

 

 それは男に向けたものか、上司たるカメレオンに向けたものか。……あるいは、己に向けて言ったものか。

 キメラアントは、通常の蟻と同じく女王蟻を頂点とした社会を構築する。女王の直下には直属護衛軍が属し、そしてその下に師団長は位置している。つまり師団長たるカメレオンは実質的なナンバースリーであり───師団長は一人ではないので厳密にはナンバースリーとも言い難いのだが───一兵隊長に過ぎないコアラにはカメレオンに意見する権利はない。本来なら彼は指示通りに人間を生け捕りにし、巣に持ち帰らねばならない。

 

 そして生け捕りになった人間の末路は悲惨なものだ。餌となった彼らは神経毒により身動きが取れない状態のまま保存され、いざ給餌の際には生きたまま肉を裂かれ団子状に丸められるのである。そこには些かの慈悲もなく、泣き喚こうが問答無用で腹を開き、引きずり出した臓腑を引き潰し骨を砕いて肉団子へと変えられ、そして女王へと捧げられるのだ。全ては、より優れた王を生むために。

 

 それを残酷だと感じてしまうコアラは、キメラアントとしては欠陥であると言わざるを得ないだろう。人間を取り込んだことで高度な思考能力を獲得したまでは良かったが、それで人間らしい感性までも引き継いでしまったのは思わぬ弊害であった。いっそ素となった人間が救いようのない悪人であったのなら、こうして懊悩することもなかっただろうに。

 

「……救えねぇ」

 

 溜め息と共にもう一度そう呟き、コアラは瓢箪の水を勢いよく呷った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………」

 

 ───その様子を、揺らめく蒼眼が寂々と見下ろしていた。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

「キャハハハ!これサイコー!」

 

 魚類の頭部に甲殻類の胴体、そして水掻きの足を持った異様な風体のキメラアントが歓声を上げる。それは人から奪ったと思しき拳銃を器用に蟻の鉤爪で両手に持ち、捕らえた人間に向けて乱射しては狂ったように笑っていた。

 その水棲類のキメラアントは気の向くままに人を殺し、部下の下級兵たちは骸と化した人間を粛々と運び出していく。その様を、崖の上から四人の男女が恐々と見下ろしていた。

 

「……大丈夫か?」

 

「……うん」

 

 幻獣ハンターにして、ゴンたちと同じく287期のハンター試験を乗り越えたプロハンターの一人、ポックルが気遣わしげに傍らの少女を見やる。冷や汗を流し顔を青褪めさせる少女、蜂使いのポンズは何とか平静を装いつつ頷いた。

 

「やばいぜ、あの生き物……」

 

「ああ、やばすぎる……!」

 

 厳つい顔立ちの黒髪の男と、不安げな表情を隠す余裕もない金髪の男が戦慄に声を震わせる。二人の所感はポックルにとっても全くの同意見だった。ただでさえ人間サイズの昆虫というだけでも厄介なのに、その凶暴性たるや常軌を逸している。幻獣ハンターとして知性を有する魔獣とは何度か遭遇したことのあるポックルであったが、彼をしてここまでの残虐性を見せる生物にはお目に掛ったことがなかった。

 

 その時、一匹の蜂が四人の下に飛んでくる。その蜂は小さく折り畳まれた紙を六本の足で抱えており、ゆっくりと減速しポンズの手の中に納まった。

 蜂使いポンズ。彼女は念能力者ではないが、多くの蜂を従え操ることができる。この蜂は彼女の支配下にある内の一匹であり、伝書鳩代わりに手紙を届ける役割を請け負っていた。しかし抱えている手紙には手が付けられた様子はなく、誰にも届けられず止むなく戻ってきたことは明白であった。

 

「……駄目ね、メッセージを受け取ってないわ。私たちと連絡を取り合っていた五組のハンターたちは全滅ってこと」

 

「そうか……」

 

 ポックルは暫し瞑目し亡くなった同僚たちに黙祷を捧げると、目を開きチームの仲間たちを見渡した。

 

「……戻ろう。アレはオレたちだけで手に負える生き物じゃない。一度NGL(ここ)を出て、全世界にこの事実を発表し正式に駆除隊を結成する!」

 

 リーダーであるポックルの言葉に、三人は異を唱えるべくもなく同意する。中でもポンズ以上に顔色の悪い金髪の男は脂汗を流しながら激しく頷いた。

 

「な、何でもいいから早くここから逃げようぜ!このままだと皆───」

 

 全滅する、と。そう言い掛けた男の背後の地面から音もなく一匹のキメラアントが現れ、強靭な前脚の一撃で頭部を吹き飛ばした。

 

『!?』

 

 そのキメラアントには螻蛄(オケラ)の因子が強く表れており、土を掘り進むことに特化したスコップ状の前脚が大きく発達しているのが分かる。対して人間の因子はあまり強く受け継がれていないのか、蟻と螻蛄の合いの子のような姿からは一見して人間らしい要素は見当たらない。精々後ろ脚で立ち上がり二足歩行をしているぐらいだろうか。

 螻蛄のキメラアントに吹き飛ばされた金髪の男の頭はゴロゴロと地面を転がり、ややあって首の切断面を下にして静止した。偶然にも上下正常な視界を得た男は、意識が途絶える最期の一瞬に自身を殺したキメラアントの姿を目撃した。

 

「で……出たああああああ!!」

 

 それが男の最期の言葉であった。その悲鳴で我に返ったポックルは、怒りと恐怖に突き動かされるままにキメラアントへと躍り掛かった。

 

「"七色弓箭(レインボウ)"───赤の弓!!」

 

 四人の中で唯一念能力者であったポックルは、オーラを練り上げ能力を発現させた。

 ポックルは弓の扱いを得意とする。念能力を習得する以前より優れた弓手であった彼は、自身の念能力もまた弓に関するものと定め完成させた。大きく上下に広げた左手の中指と親指を弓身と見立て、指先から伸びるオーラの弦に赤く輝くオーラの矢を番えた。

 

 これがポックルの念能力、"七色弓箭(レインボウ)"。弓としての長所と短所を併せ持ち、また念能力としては破壊力に欠ける。しかし発動の容易さ、状況を選ばぬ汎用性は優れたメリットであり、しかも生成する矢の種類によって様々な効果を使い分けることもできる。狩人として、いかなる状況・獲物であっても対応を可能とするポックルらしい念能力であると言えるだろう。弓も矢も要らず、オーラが尽きぬ限り無限に放てる変幻自在の弓矢である。

 

 そして今ポックルが番えたのは、赤色のオーラで形作られた"赤の弓"。彼の()を離れ飛翔したオーラの矢は狙い違わずキメラアントの頭部に命中、直後に激しく発火した。

 昆虫の外骨格を形成する組成は、主にクチクラや石灰質、そして蛋白質である。いずれも火に弱く、それはキメラアントもまた例外ではない。どれだけ他生物の因子を内包しようが、基本(ベース)となる蟻の性質からは逃れられないのだ。

 

「ギイイイイィィィ────!!」

 

 脳を射貫かれた程度では───昆虫の脳は一つではない───簡単には死なないキメラアントであろうとも、激しく燃え広がる火炎が相手では分が悪い。螻蛄のキメラアントは絶命の間際、一際甲高く耳障りな金切り声を響き渡らせた。

 

「ッ!に、逃げろォ────!!仲間が集まってくるぞ!!」

 

 警戒音だ、と気付いたポックルは血相を変える。彼は声を張り上げ、呆然と立ち竦む残り二人の仲間へと指示を出した。

 しかし、ポックルの焦りは遅きに失していた。螻蛄のキメラアントに見つかった時点で、彼らの命運は既に尽きていたのだ。

 

 ザザザザザ、と激しい擦過音を上げながら、巨大な蜘蛛のキメラアントが崖を這い上がってくる。しかしそのキメラアントには、先の螻蛄のキメラアントとは明確に異なる特徴があった。

 

「ひ……人の顔!?」

 

 そのキメラアントは、蜘蛛の胴体と人面を有する異形であった。しかも八本脚の内、後ろの四本脚は腹部から生えている。尋常な進化をした生物にはあり得ない特徴……キメラアントという種の異様さが顕著に表れた個体であると言えよう。

 

「何なのよこいつ!?」

 

「撃て!撃ってくれええええ!!」

 

 そのあまりの異形さを目の当たりにした二人の仲間が半狂乱になって叫ぶ。自身もまた動揺の中にあったポックルは、二人に請われるまま半ば反射的に矢を放っていた。撃ち放たれた矢の色は橙。先の赤の弓とは比較にならぬ速度で飛翔する矢は過たず人面目掛けて突き進み───

 

 しかし、崖から這い上がった蜘蛛のキメラアントは片手を持ち上げ、四本の指で呆気なくポックルの矢を掴み取ってしまった。

 

「な───」

 

「なーんだ、ハッキリ見えるでねーか。下級兵っこ共はこんなモンも見ることできねーんだべか」

 

 蜘蛛のキメラアントは、左腕の一本で掴んだ橙の弓を眺めながらニタリと不気味に笑んだ。その様子にポックルは戦慄する。"七色弓箭(レインボウ)"で生成できる七色の矢の中で最速を誇る橙の弓を容易く見切ったこともさることながら、念能力者でなければ見えぬ筈のオーラの矢を目視できていることそのものに驚愕を隠せない。

 

(コイツ、念能力者でもないのに……!)

 

「お前さんの身体を覆っている、生命力そのものとも言えるエネルギー……それがこの武器の源だな。女王様にとって最上級の栄養食になりそうだべ……」

 

 そう呟くや、蜘蛛のキメラアントは突如大きく身体を反らし、後ろ脚二本のみで立ち上がると腹部の先端をポックルへと向けた。

 

「!?」

 

 直感的に危機感を覚えたポックルは、その場に倒れ込むようにして腹部先端───出糸突起の射線から逃れる。そして回避したポックルの頭上を掠めるようにして、蜘蛛のキメラアントの糸疣から強靭な蜘蛛糸が射出された。

 まるで弾丸のような速度で射出された蜘蛛糸は、運悪くポックルの指示通り背を向けて逃げていた男の背中に着弾する。男は僅かたりとも踏ん張ること叶わず、凄まじい剛力で引き戻される糸と共に引き寄せられた。

 

「ひっ、ヒイイイィィ!?」

 

「バルダ!?」

 

 ポックルは叫び、慌てて手を伸ばすがもう遅い。歓喜の表情で待ち受ける蜘蛛のキメラアントの六本脚に迎え入れられた男───バルダの頭に、乱杭歯が並ぶ口腔が食らいついた。

 砕かれる頭蓋。間欠泉の如く噴出する鮮血と零れる脳漿。即死できたことはむしろ幸運か───その無惨な末路を見届けたポックルは愕然とその場に立ち竦んだ。

 

「あ……あ~~~~しまった!また反射的に喰っちまっただ!兵隊が先に手を付けたら女王様にはやれないだ!あ────あ、またザザン様に怒られちまうだな~~~~~!」

 

「………ッ!」

 

 ぐっちゃぐっちゃとご満悦にバルダの肉を咀嚼していた蜘蛛のキメラアントは、ハッと我に返るや頭を抱えた。女王に絶対の忠誠を捧げる兵隊蟻として、まさか至高の君に下賤の食い掛けを献上するわけにはいかない。以前にも同じことをやらかして上司に怒られた蜘蛛は、「やっちまった」とでも言いたげな表情で狼狽えた。

 

「き……キサマぁ────ッ!!」

 

 尤も、大事な仲間を食い殺されて「やっちまった」で済まされては堪らない。激昂したポックルは再び"七色弓箭(レインボウ)"を発動、橙の弓を番えて射かけた。

 

「おっとっと」

 

 だが、一度通用しなかったものが二度通じる道理はない。二射目の橙の弓も容易く捕らえられてしまう……が、そんなことは織り込み済みであるポックルは弓を捨て殴り掛かった。彼は狩人、獲物を狩るのに手段は問わない。弓が通用しなければ罠を用い、罠の持ち合わせがなければ徒手を用いるに躊躇いはなかった。

 

「あら」

 

 ドガッとオーラが込められた拳打が蜘蛛の人面にクリーンヒットする。堅牢なキメラアントの外殻は念能力者の攻撃であってもそう簡単には寄せ付けないが、しかしダメージが皆無というわけではない。しかし蜘蛛のキメラアントは避けることも、腕でガードすることもしなかった。

 

「ちょっとちょっとタンマ!手がふさがっちまっただよー!」

 

 八本脚の内、前脚四本は二射分の橙の弓とバルダを捕らえるのに使用済み。そして物を掴むのに適していない後ろ脚は、自身の巨体を支えるために地に付けている。ポックルの拳打を防ぐには手が足りなかった。

 行ける、とその様子を見たポックルは"七色弓箭(レインボウ)"を構えた。最速の橙の弓が通用しない故に使用は控えていたが、敵に多足を扱いきる能がないのなら好都合。このまま至近距離から射貫いてくれる───!

 

「食らえ───!」

 

 殺された仲間たちの仇だ。死んであの世で詫びろ、怪物が。

 しかし悲しいかな───繰り返しになるが、彼らの命運は螻蛄のキメラアントに捕捉された時点で尽きていたのだ。

 

 ドスッ……と鈍い音を立ててポックルの首筋に鋭い針が突き立った。目の前の仇敵に固執するあまり背後への警戒を怠っていたポックルは、終ぞ忍び寄るもう一つの敵影に気付かなかったのである。

 

「ギッ……」

 

 首筋に走る鋭い痛みと、一瞬で全身に広がっていく痺れ。麻痺毒だ、と気付いた時にはポックルは指一本動かせず地に倒れ伏していた。

 

 シュル……と首筋より引き抜かれた長大な蠍の尾が毒液を滴らせながらうねる。その蠍の尾と体色以外は完全に人間の女性そのものの外見をしたキメラアントは、倒れ伏すポックルを見下ろし嗜虐的な笑みを満面に浮かべた。

 

「ザザン様!」

 

 慌てて居住まいを正した蜘蛛のキメラアントが平伏する。この蠍のキメラアントこそが彼の直属の上司たる師団長、ザザンであった。

 

「相変わらず戦い方がお粗末ねぇ。持ってるモノを放せばいいでしょうに」

 

「あ……本当だ」

 

 ザザンの呆れたような言葉に、ハッとなった蜘蛛のキメラアントは掴んでいた橙の弓とバルダを手放す。オーラの矢は虚空に溶けるようにして消失し、バルダは壊れた人形のようにどしゃりと放り出された。大地に赤い染みが広がっていく。

 

「もう戻るよ。こいつは普通の人間(エサ)の千人分にも値する栄養がありそうね。お手柄よ、パイク」

 

「あ……」

 

 蜘蛛のキメラアント───パイクはザザンの言葉を受け、頬を朱に染め陶然とする。彼は尊敬して止まぬ美しき上司からの称賛に心の底から喜びを覚えた。

 

「あ、ありがたきお言葉!身に余る光栄でありますべ!!」

 

 喜びに身を震わせながら、パイクはポックルとバルダを乱雑に掴み上げる。女王に献上する優秀な栄養食(ポックル)は肩に担ぎ、食べ掛け(バルダ)は片手で引き摺りながら先行するザザンを追いかけた。

 

「……ッ」

 

 その一部始終を木陰から見ていたポンズは、後ろ髪を引かれつつも連れ去られる仲間を振り切って駆け出した。

 

(私じゃ助けられない!応援を呼ばなきゃ!まだ……まだ間に合う!連れて行かれても、すぐに食べられてしまうわけじゃないはず!!)

 

 キメラアントの生態についても多少の知識があるポンズは、生け捕りにされた獲物がすぐには加工されず保存されることを知っていた。大丈夫、まだ間に合うと自らに言い聞かせながら、ポンズは自身の血をインク代わりに、メモ用紙に必要最低限の情報を殴り書いた。

 

(お願い!なるべく強いオーラを纏っているハンターの下へ……!)

 

 四匹の蜂にそれぞれ情報を記したメモを持たせ、ポンズはそう願いながら解き放った。蜂たちが無事に飛び立ったのを見届けると、彼女は再び走り出す。

 

(一刻も早く国境へ戻らなきゃ……!きっとまだ仲間がいる!)

 

 自慢の蜂たちを信用していないわけではないが、この魔境と化したNGLで並のハンターが生き残っている可能性は低いだろうとポンズは考えていた。ハンター試験以降行動を共にし、その強さには全幅の信頼を置いていたポックルすらあっさりやられてしまったのだから。

 もはやNGLは人間の生きられる土地ではない。ポンズ自身がこの魔境を脱出し、国境前で待機している筈の仲間たちにこの重大事を確実に伝える必要がある。そして可及的速やかに強力なプロハンターから成る駆除隊を結成してもらい、連れ去られたポックルを救出してもらうのだ。

 

 

 ───尤も。テレパシーによる遠隔会話を可能とするキメラアントに見つかった時点で、もはや手遅れだったのだが。

 

 

 パァン、と乾いた発砲音が木霊する。螻蛄のキメラアントが死に際に発したテレパシーを聞きつけた水棲類のキメラアントが、横合いからポンズの頭目掛け発砲したのである。

 脳漿を撒き散らして吹き飛ぶポンズ。その死に様を眺めやり、水棲類のキメラアントは二イイィィッと口角を吊り上げ邪悪に笑った。

 

「キャハッ!キャハハハハ!」

 

 水棲類のキメラアントは弾を打ち尽くした拳銃を投げ捨てると、勢いよく動かなくなったポンズの腹を食い破った。乱杭歯で皮を裂き、頭を突っ込むようにして生温かい臓腑に喰らいつく。血を啜り肉を食み、蟻の鉤爪で力任せにその五体を引き裂いた。

 

「キャハハ、面白れぇーッ!」

 

 柔らかな肉を咀嚼する───面白い。

 溢れ出る鮮血を嚥下する───面白い。

 そして、強者として弱者を虐げる歓び───ああ、面白い。

 

 水棲類のキメラアントは血走った眼球を蕩けさせ、殺戮の快感に打ち震える。陶酔混じりの血生臭い吐息を吐き出した。

 強者による一方的な搾取。覆ることのない力関係。───そうか、これが「狩り」か。

 

「狩りって───面白れぇ……ッ♪」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………」

 

 ───その様子を、揺らめく蒼眼が寂々と見下ろしていた。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

「……?」

 

「ん?どうかした、カイト?」

 

「いや……何でもない。気のせいだったようだ」

 

 ふと誰かに見られているような気がしたカイトだったが、しかし周囲にそれらしき影はない。念のためにと"円"を広げてみるも、やはり約45メートル四方に自分たち以外の気配は存在しなかった。何でもない、とゴンに返し、カイトは村を観察する作業に戻る。

 

(確かに何者かからの視線を感じたように思ったんだがな……衰えたか?まだ若いと思ってたんだが)

 

 先にNGLに入り調査をしていた人物が飼いならしていたと思しき、一匹の蜂から預かったメモを頼りにNGL国内を進むカイトたち。彼らが辿り着いたのは、生活の痕跡だけ残して人々が消え失せた無人の村であった。

 カイトが視線を感じたのは、この村に入った直後だった。まるでこちらを観察するような、冷徹で無機質な視線。しかしゴンとキルアに変わった様子はなく、その視線を感じたのは自分だけであるらしい。

 

「ボクも何も感じなかったけど♠疲れてるんじゃないかい♥」

 

「………ああ、そうかもな。疲れているのは確かだ。どこかの誰かさんの所為でな……!」

 

 ぽん、と気遣わし気に肩に置かれた手を振り払い、カイトは苛立たし気に声を荒げた。

 おやおや……とぞんざいに対応されても気分を害した様子なくニマニマと笑うのは、雫と星のペイントが特徴的な赤髪の道化師───ヒソカであった。

 NGL入国の際、強制的に着ていた服を剥ぎ取られたために、普段とは全く趣きの異なる質素な服装へと着替えている。にも拘らず道化師のペイントはそのままなので、ややちぐはぐな印象を受ける。しかしヒソカ本人に気にした様子はなく、こうしている今も櫛を入れ逆立たせた燃えるような赤髪の手入れを怠っていない。

 

(全く、ゴンもキルアだけ連れてくれば良かったものを。何故こんな不審人物も連れて来たのか……)

 

 まるで子供の友好関係に苦言を呈する父親のような心境になりつつ、カイトは大きくため息を吐いた。ヒソカ曰く「情弱なボクでも知っているジンに一目会ってみたかったから」がゴンたちと同行している理由らしいが、なら自分はジンではないのだから度々熱い視線(殺気)を送ってくるのをやめて欲しい、とカイトは切に思った。お陰で普段以上に気力を消耗している有り様である。

 

(しかし、戦力として見るならゴンとキルア以上なのは確かだ。コイツからは曲者の匂いがする……こういう奴は敵に回すと何をしてくるか分からんから厄介だが、味方に付ければ頼もしい戦力になるからな)

 

 ちらとヒソカの手元に目をやれば、彼が手にしているのは何とプラスチック製の櫛である。知っての通りNGLは自然由来の素材を使わない人工物は持ち込めない。彼は国境におけるあの厳重な審査をどうにかして潜り抜けたのだろうが、抜け目のない男である。

 ジンならこういう奴でも上手く使いこなすのだろうか……とカイトが黄昏ていると、村を散策していたゴンがスンと鼻を動かし眉を顰めた。

 

「何か臭うよ。……あっちからだ」

 

 ゴンが臭いのする方を指差し、彼の並外れた嗅覚を知っているキルアとカイトはすぐにゴンの先導に従って森の中へと踏み込んだ。ヒソカも感心した様子でその後に続く。

 

 やがて、ゴン以外の三人にもハッキリと分かるほど臭いが強くなっていった。最も身近なもので例えるならば……夏場に日の当たる場所で放置した生ゴミ、あるいは牛舎や豚小屋の臭いだろうか。まるでそれらをギュッと圧縮したような異臭であるが、しかし明確にそれらとは異なる種類の臭いでもある。甘いのだ。砂糖や果物の甘さとは似ているようで異なる、暑さの中で蕩けるような、重苦しく、濃度の高い、いつまでも鼻に纏わりつくような不快な甘い臭いである。

 ゴンとキルアはこの嗅いだことのない臭いに首を傾げる。対して異臭の正体に気付いたカイトは渋面を作り、ヒソカは鼻をつまむ仕草をしながら「懐かしい臭いだね♣️」と笑った。

 

 ───そして、四人は異臭の源へと辿り着いた。

 

「……なるほどな、これが死臭……腐敗臭ってヤツか。蛋白質の腐った臭い。新鮮な死体にしかお目に掛ったことがないから分からなかったぜ」

 

 そこにあったのは、枯れ木に股下から脳天までを串刺しにされ、ゆっくりと腐敗していく最中にある牛馬の死骸であった。恐らくは無人となった村で飼育されていた家畜だったのだろう。キルアは「趣味悪ィ」と吐き捨てた。

 

「まるで早贄(はやにえ)だ……」

 

「え?」

 

(もず)の早贄……鵙って鳥の習性だな。捕らえた餌を木の枝なんかに刺して保存しておくんだ」

 

 生き物の生態に詳しいゴンが呟き、それをカイトが補足する。鵙が早贄を行う理由については諸説ありハッキリとはしていないが、一説によると早贄によって縄張りを主張しているのだという。

 

(つまりここに早贄があるってことは……)

 

「───おい」

 

 突如、四人の背後から剣呑な声が上がる。何の前触れもなく発された声と気配に、彼らは弾かれたように背後を振り返った。

 

「な……」

 

「なんだコイツ……」

 

 そこにいたのは、鵙と兎を掛け合わせたかのような人型の異形であった。鵙の羽毛に覆われた両腕に、兎の強靭な後ろ脚。人間と兎の合いの子のような顔は憤怒に歪み、頭の横から生える兎の耳と髭が細かく痙攣していた。

 

(鵙と兎、そして人間の因子を持ったキメラアント。なるほど、完全に気配を消せるか)

 

「ゴミ共……それはオレのだ」

 

 ビキビキと額の血管を浮き上がらせ、そのキメラアントは最も早贄の近くにいたゴンとキルアを睨み据えた。

 

「───近付くなッ!」

 

 ドン、と大地を蹴る。兎の脚力が齎す跳躍は瞬く間にゴンたちとの距離をゼロにし、キメラアントは動揺する二人に殴り掛かった。

 羽毛に覆われた両腕を交差させ、裏拳の要領で振り抜かれるキメラアントの拳。ゴンとキルアは咄嗟にオーラを込めた両腕でガードするも、その拳打の威力は平然と防御を越えて二人を吹き飛ばした。

 

 ギロリ、と次なる獲物を求めてキメラアントは両目を蠢かせる。人ならざる獣の眼球が映したのは、カイトとヒソカの二人だった。

 

「……!」

 

 しかし、飛び掛かろうとしたキメラアントは既のところで踏み止まった。激情に支配されていた思考が急速に冷え、冷静になった目で両者を観察する。

 

「……」

 

「おや、来ないのかい♦」

 

 ユラリ、と独特の構えをとるカイト。どこからともなく取り出したトランプを弄び、ふざけた態度で佇むヒソカ。対照的な印象を与える二人だが、キメラアントは本能で両者の強さを悟っていた。

 

(こいつらは強いな……戦うと手古摺りそうだ)

 

 勝てない、などとは露程も考えない。それでも敵の強さを認めたキメラアントは、腰を落とし油断なく身構えた。

 

 油断なく身構えた───その筈であった。一切視線を逸らさなかったにも拘らず、カイトは一瞬でキメラアントの視界から消え失せ、ゴンとキルアの背後に音もなく移動していた。

 

「!?」

 

「ゴン、キルア。あいつはお前たちだけで何とかしろ」

 

「ボクも戦いたいナー♠」

 

「お前は黙ってろ」

 

 腕を組んで完全に静観する態度になり、カイトは二人に端的に告げた。

 

「あれはキメラアントの兵隊だ。ここから先はあんな奴らがゾロゾロ湧いてくる。戦闘中は一々お前たちを助けてられん、あいつを倒せないようなら帰れ。

 

 ───邪魔だからな」

 

『!』

 

 眼光鋭く冷徹に告げるカイト。その言葉を受けたゴンとキルアは、ここに来てようやく意識が切り替わった。

 ズズズ……と二人の総身から練り上げられたオーラが立ち昇る。それを見たキメラアントは僅かに驚いたように眉を上げた。

 

「……言っただろカイト、オレたちだってプロだ」

 

 ゴンは僅かに流れていた鼻血を拭い、キルアは上着の袖を捲り上げる。視線を鋭くさせ臨戦態勢に入った二人は、オーラを身に纏わせキメラアントへと向き直った。

 

『───ガキ扱いするな!』

 

 そう啖呵を切り、二人は同時に駆け出した。二手に散開し、左右から挟み込むようにしてキメラアントへと挟撃を仕掛ける。

 

(どんなカラクリだ?急に強くなった感じがするぞ、こいつら)

 

 並の兵隊長クラスを凌駕する加速で迫る両者を視界に収めながら、キメラアントは努めて冷静に彼我の戦力を推し量ろうとする。

 キルアの飛び蹴りを左腕で受け止め、その防御の隙を衝く形で迫るゴンを羽ばたきによる風圧で押し返す。予想外の剛力で自身の蹴りが受け止められたことに動揺するキルアを殴り飛ばし、キメラアントはニヤリと笑った。

 

(パワーはあるがオレほどじゃない。スピードも対処できるレベル。何だ、警戒して損したぜ)

 

 幾分か余裕を取り戻したキメラアントは、迫るゴンの拳を受けるまでもなく軽く躱してみせた。

 一方、殴り飛ばされたもののオーラでガードしたお陰で殆ど無傷であるキルアは、むしろ攻撃を受けたことで完全にギアが入っていた。

 

(試してやる!)

 

 ドン、とキメラアントに負けず劣らずの跳躍力で飛び上がったキルアは、オーラを電撃に変化させて右手に集め始める。最初はキルアの意図が読めず首を傾げていたキメラアントも、バチバチと音を立てて威力を上げていく雷を見て目の色を変えた。

 

「"落雷(ナルカミ)"!!」

 

 キルアが腕を振り下ろすと同時、右手から放たれた電撃は落雷となってキメラアントを襲った。キメラアントは文字通りの雷速で迫り来るオーラ攻撃を避けること叶わず、回避も虚しく直撃を許してしまう。

 

「ギッ……」

 

 感電し黒煙を上げてよろめく。電撃による熱攻撃も効いたが、キメラアントを最も苦しめたのは電気による筋肉の痙攣だ。身体が麻痺し上手く動けないでいる中、余裕を持ってオーラを溜め込んでいたゴンが接近する。

 

「最初はグー!ジャン!ケン───」

 

 マズイ、とゴンの拳を見たキメラアントは直感する。未だ念を知らずともオーラは見える彼は、ゴンの右拳に内包されたオーラ量を見てその威力の程を悟ったのだ。

 避けなければ、と思うも上手く脚が動かない。せめてあと数秒あれば麻痺からも回復しただろうが、キルアの"落雷(ナルカミ)"の初動を見てすぐ"ジャンケン"の準備に入っていたゴンの攻撃タイミングは完璧であった。

 

「───グー!!」

 

 そして、限界までオーラを充填したゴンの拳がキメラアントの土手腹に叩き込まれた。その威力たるや、堅牢な蟻の外殻と強靭な筋肉の鎧をも貫通し、キメラアントの巨体を天高く打ち上げる程であった。

 それを見たキルアが思わず「ジャストミート!」と歓声を上げる程のクリーンヒット。しかし重力に従って落ちてくる定めにあったキメラアントは、突如空を飛んで現れたもう一体のキメラアントによって空中で攫われていってしまった。

 

「なっ!?」

 

 予想していなかったもう一匹のキメラアントの存在にゴンたちが絶句する中、運搬され徐々に距離を離していくキメラアントはギロリと眼球を動かしゴンとキルアを睨みつけた。

 

「ぅ───ぅうぉおおおぉあああぁぁああ────ッ!!キサマら!!必ず喰ってやるぞ!!」

 

 喀血し血液混じりの唾液を吐きながら、キメラアントは力の限りの咆哮を上げた。人ならざる異相は苦痛とそれを上回る憤怒に醜く歪み、目を血走らせ牙を剥き、恨み骨髄と言わんばかりの呪詛をゴンとキルアに対して吐き掛けた。

 

「必ず!!必ずだ!!覚えていろ────ッ!!」

 

 負け犬の遠吠えと言うにはあまりに恐ろしい獣の咆哮。背筋が凍る程の憤激が込められた絶叫を受け、二人は初めてキメラアントという種の脅威を目の当たりにした。

 

 ───攻撃が……効いていない……!?

 

 ゴンにとっての必殺技、甚大な威力を内包した"ジャンケン・グー"。これをまともに受ければ一流の念能力者であろうと昏倒は必至、にも拘らずあのキメラアントは非念能力者でありながらそれを耐え、剰え啖呵を返す程の体力を残していたのだ。驚くべき生命力であると言えよう。

 

「頭のいい奴だ。部下に戦わせこちらの手の内を探ったのか」

 

「……」

 

 キメラアントが去っていった空を見上げながらそう呟くカイト。敵を仕留めきれず、しかも取り逃がす羽目になったゴンとキルアは悔しそうに俯いた。

 

「……来るか?」

 

「え?」

 

 だからこそ、カイトに同行を促す言葉を掛けられた二人は驚いた様子で顔を上げた。てっきり力不足を指摘され追い返されるとばかり思っていただけに、カイトのその言葉は意外だったのだ。

 

「そんなに落ち込むほど悪くはなかったぞ、今の攻撃。後はどれくらい場数を踏むかだ」

 

 決して安い慰めではなく、カイトは本心からそう告げた。電撃という特異且つ有用な性質へとオーラを変化させるキルア。そして年齢不相応のオーラ量と爆発力を備えるゴン。むしろ期待以上の戦力だとカイトは判断していた。

 普通なら十一歳かそこらの子供をこの魔境に放り込むなど狂気の沙汰だろう。しかし彼らは歴としたプロハンターであり、その肩書に恥じない実力と伸びしろを持っている。

 

「一人前になりたいならここは格好の修羅場だ。但しまともな神経じゃ一歩も耐えられん。───進む先、勝っても負けても地獄だぞ。……それでも来るか?」

 

「……行くさ!」

 

 カイトの言葉は決して脅しではない。爆発的に増殖するキメラアント相手に一度の勝利など何ら意味を成さず、負ければ奴らの餌となる暗澹たる結末が待ち受けている。

 本音を言うなら、こんな生きて帰れる確率が非常に低い危険な任務に未来溢れる子供たちを連れて行きたくはない。しかしたった今彼らをプロと認めた手前、感情論で自分で吐いた言葉を曲げるわけにはいかなかった。

 

(それにどの道、こいつらなら是が非でもついてくるだろう。なら目が届く範囲にいてくれた方がこちらとしても助かる)

 

 万が一の時はコイツに託せばいいか……と内心呟き、カイトはいまいち何を考えているのか分からない道化師に視線を向けた。ゴンとどういう関係なのかは聞き出していないが、こうして行動を共にしている以上は悪いことにはならないだろう、と。

 

(正直なところ、オレ自身も無事で帰れるとは思っていないしな。……それに、何か胸騒ぎがする)

 

 カイトは再び"円"を展開し、周囲一帯を精査する。何事かとこちらを見るゴンたちを無視し、カイトは限界まで神経を尖らせ隈なく気配を探った。

 

「───クソ、やはり怪しいものは何もないな」

 

 小さく舌打ちし、ガシガシと乱暴に頭を掻き毟る。一度は気の所為かと思い込んだ何者かからの視線を、カイトは再び感じ取っていたのである。

 最初は隠れ潜んでいたキメラアントのものかと思っていたが、鵙のキメラアントを目の当たりにして「これは違う」と判断した。たった今も一瞬だけ感じ取った視線は、まるで木陰から獲物を狙う狩人のように鋭く、それでいてガラス越しにサンプルを観察する研究者のように無感情且つ無機質なものであった。あの敵意と悪意に塗れたキメラアントの視線とは根本的に異なる。

 

「考え過ぎは良くないよ?神経を使うからね♠」

 

「……ヒソカか。お前は何も感じなかったのか?」

 

「さあ?でも考えるだけ無駄さ♥相手が何であれ、ボクたちがやることは一つだけ♣️違うかい?」

 

「はぁ……まあ、確かにその通りなんだが」

 

 道化師のような男、ヒソカ=モロウ。掴みどころのない男だが、しかし彼の言葉に理があることを認めたカイトはすっぱりと思考を切り替えた。どの道カイトが持ち得る手段で視線の主を探せないのなら、確かにヒソカが言う通り考えるだけ無駄である。いつ何が来ても即応できるよう身構えておく方が余程建設的だし効率的だ。

 

「……だが、お前に正論を言われるとムカつくな」

 

「気にしない気にしない♦」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

 ───その様子を、揺らめく蒼眼が寂々と見下ろしていた。

 




主人公が全く出てこない話なんて面白くもなんともないだろうと思ったので、普段の二話分の文章量を一話に纏めてさっさと終わらせました。
今回はキメラアント編の導入であり、また原作登場人物たちの活躍の裏で、主人公は彼らに全く関与せず独自行動を取っていることを示唆する内容でした。次回からは主人公に関しても描写していく予定ですので、どうかご寛恕ください。

それでは、また次回。キメラアント編はただでさえ長いので、序盤のようにカット多めで行きますよー。


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蠢動せし貪食の魔人

風邪をひく→バイトを休む→時間が空く→執筆が捗る(今ココ)

基本的に遅筆なピクト人にあるまじき投稿速度、オレでなきゃ見逃しちゃうね……!(自画自賛)
空いた時間を何とか駆使してちょびちょび書いていた前話とは比べ物にならいぐらい捗りましたよ。熱に浮かされながら書いた第二十一話ですが、どうぞお楽しみ下さい。


 

 ───オレは王になれる。

 

 (もず)と兎のキメラアント、ラモットは己の身体に充溢するパワーを実感してそう確信した。

 

 事の始まりは数日前、黒髪の少年(ゴン)に殴られて暫く経った後のことだ。全身を襲う激痛、そして急速に流れ出ていく生命力が齎す虚脱感に悶絶していたラモットだったが、ある時を境に唐突に苦痛が鳴りを潜めたことに気付く。それだけではない。身体の奥底から溢れ出てくる圧倒的な生命エネルギーたるや今までの比ではなく、体外に漏れ出るエネルギーの光がまるで炎のように立ち昇り揺らめいていることを自覚した。

 

 その光の正体が何なのか。念を知らぬラモットには知る術がなかったが、その光がこの圧倒的なパワーの源であると本能的に理解した。そしてこれが、自分たちがレアモノと呼ぶ人間やあの忌々しいガキ共が纏っていたものと同じものである、とも。

 

 ───オレは奴らと同じ力を手に入れた。いや、同じではない。元々奴ら人間共より遥かに優れるキメラアントたるオレだからこそ、より高みへ……キメラアントすら超越した存在へと至ったのだ!

 

 ラモットは漲るパワーが齎す万能感に酔いしれる。四肢に横溢する埒外の剛力、僅かな風の流れすら読み取る犀利な五感……いずれも以前までとは比較にならない。

 そしてコルト師団長の指示によって捕らえた念能力者(レアモノ)から詳細を聞き出すべく人間の屠殺場を訪れたラモットは、そこを仕切る豚のキメラアントにはこの(オーラ)が見えないことを知る。その事実が彼の増長を後押しした。

 

(やはりオレには才能がある!天より与えられた運命!選ばれた者の力!この能力を使いこなせれば―――)

 

 ───オレが王になることすら可能……!

 

 キメラアントの中から生まれた初の念能力者、ラモット。確かに彼の増長はそう的外れなものではなく、今の彼の力は並み居る師団長すら凌ぐものだろう。

 元々人間とは比較にならない力を持ったキメラアントが、更に念能力という力を得る……正しく鬼に金棒である。しかしラモットは知らなかった。この金棒はラモットのみの専売特許ではなく、生命エネルギーを有する全ての者に等しく与えられた可能性であることを。そしてその場合、より強い鬼がより強力な金棒を得ることは明白である。

 

 ……そのことを。己がただの一兵隊長に過ぎなかったのだという事実を。ラモットは、すぐに身を以て知ることになる。

 

 

 

 

「───面白そうな話をしてるね……才能がどうとか。僕も交ぜてよ」

 

 

 

 

 ───それは、まるで死神に抱擁されたが如き悪寒であった。

 

 ゾワッッ!!と全身の獣毛と羽毛を逆立たせたラモットは、感じた悪寒のままに背後を振り返る。果たして屠殺場の入り口に背中を預けるようにして立っていたのは、一匹の小柄なキメラアントであった。

 

 生まれた時から身につけていたのか、あるいは生まれた後に人間の遺品から拝借したものか。シンプルな黒衣に身を包んだそれは、節足動物特有の関節部分を除けば一見してただの少女にも見える。それを明確に異形足らしめているのは、頭部と臀部から生える猫耳と尻尾である。

 猫のキメラアント───否、アレを本当にキメラアントと呼んで良いものか。少なくとも、ラモットにはその少女が自分と同じ種族の生き物であるとは思えなかった。

 

 格が違う。気付けば、ラモットは跪き服従を示していた。そこには常の反骨精神など欠片もなく、ただ恐竜が通り過ぎるのを怯えて待つ蟻の怯懦のみがあった。

 

 見よ、あの禍々しくも強大な(オーラ)を!死に掛けてようやく会得した己などとは異なり、この方は生まれた時より当たり前のように覚醒しておられるのだ!

 

(オレが……オレ如きが王になるだと?バカバカしい、なんと浅はかな思い上がり。短い、そして愚かな夢だった)

 

 ラモットは本能で確信する。この怪物こそが女王に、そして女王より生まれる未来の王に仕える直属護衛軍であると。まるで悪夢を見ているかのような心地であった。護衛軍ですらこの怪物ぶり……であれば、いずれ生まれる王とは如何ほどの化け物なのか。

 

(知らなかった。これが決して覆ることのない、予め決められた地位というものか)

 

 ラモットは生来反骨心が旺盛なキメラアントだ。兵隊長としては抜きん出た力を持ち、その実力は本人の獰猛さも相俟って師団長に迫るものがある。それ故か、ラモットは誰かに仕えるということが苦手であった。それは相手が女王であっても例外ではない。オレと大して変わらない実力の癖して、偉そうにするんじゃねぇ───そう常々思っていたのである。

 だからこそ、抗うことすら許されない絶対的な力の差を前にして、ラモットは遂に折れた。反発の余地すらない圧倒的強者の存在を知ったのである。

 

 ズズン……と跪いたラモットの垂れた頭に巨人の掌が置かれる。実際はこの猫のキメラアントの小さな手が置かれただけなのだが、その生命エネルギーの巨大さ故にラモットにはそう感じられたのだ。

 

「楽にしていい。あっちで話そうよ」

 

「は……はいっ」

 

 フッと押さえ付けられるような圧が消える。生存を許されたラモットは滝のように流れる脂汗を拭い、彼の性格を知る者からすれば目を疑う程の従順さで猫のキメラアントに追従した。

 

(まるで蒙を啓かれたような思いだ。今こそハッキリと理解した。オレのこの能力は、オレのために非ず!この方に……そしてこの方が仕える王に奉仕するためにあるのだ!)

 

 亜人型キメラアント故の強力な自我を有していたラモットは、いま初めて働き蟻としての奉仕本能を取り戻したのである。

 

 

「…………」

 

 その一部始終を、ポックルは積み上げられた人骨の山の中から見ていた。

 

(あり得ない!何だ、あの禍々しいオーラは……!)

 

 パイクとザザンによって捕らえられたポックルは、奥歯に仕込んでいた解毒剤によって僅かだが麻痺から回復。給餌部隊の目を盗んで人骨(ゴミ)の中に潜り込み隠れ潜んでいたのだった。しかし完全回復には未だ遠く、今暫くはここに身を隠していよう……そう思った矢先の出来事であった。

 その猫のキメラアントを見て、ポックルは恐怖に慄いた。別段"練"をしているというわけでもないだろうに、漏れ出る余剰オーラだけで常軌を逸した圧を発している。

 

 そして何より、この世のものとは思えぬオーラの禍々しさよ。まるで人間らしさを感じぬ、悪意を煮詰めて凝縮したかのような悍ましさである。世紀の極悪人ですらもっとマシなオーラをしているだろうに。"絶"で気配を絶ちながら、ポックルは一秒でも早くあの怪物がこの場からいなくなることを願った。

 

 

 

「ところでさー……。

 

 

 

 

 

 ───何で骨の下に生きた人間がいるのかな?」

 

 

 

「…………ッッ!!??」

 

 縦に割れた虹彩、獣の黄色い眼球が真っ直ぐにポックルを射貫く。猫のキメラアントは、ラモットや他のキメラアントが全く気付かなかったポックルの気配を容易く察知したのである。

 

(ああ……終わった)

 

 ゆっくりと迫る蟻の鉤爪。絶望に曇る視界で眺めながら、ポックルの脳裏を過ったのは一人の少女の横顔であった。

 

 ───そういえば、ポンズは無事に逃げられたんだろうか……?

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 ───軍団長ネフェルピトーより、全師団長・兵隊長に告ぐ!

 

 ───これより第一講堂において授与式を執り行う。そこで諸君は多少の苦痛と引き換えに莫大なパワーを得られることになる!

 

 ───その力、遺憾なく女王様のため発揮せよ!

 

 

(凡夫って大変だなぁ。こんな面倒なことしなきゃ能力を引き出せないなんて)

 

 オーラを込められたラモットの拳がキメラアントの一匹を襲う。これが授与式……オーラ攻撃によって強制的に精孔を開かせる、キメラアントの生命力がなければ不可能な儀式であった。

 その様子を退屈そうに眺めながら、猫のキメラアント───ネフェルピトーは自身が生まれながらに持つこの能力……念能力について思いを馳せる。

 

(本人の好みや願望が色濃く反映される個別能力……"発"か。はてさて、僕はどんな能力になるものか……)

 

 ズズズ……と暗黒を宿すオーラが拳に宿る。己の意思一つで自在に動かせるこのオーラとやら、これの量がどうやら他と比べて規格外であるらしいと気付いたネフェルピトーは、その力の使い道に頭を悩ませる。女王に、延いてはいずれ生まれる王のためにこの力を捧げると誓ったからには、罷り間違っても無駄な使い方をしてはならない。捕らえたレアモノの人間から強制的に聞き出した念能力の情報を吟味しつつ、ネフェルピトーは暫し思案に耽った。

 

「……!」

 

 ネフェルピトーを思考の海から引き揚げたのは、彼女の並外れた気配探知に引っ掛かったとある存在であった。ピクピクと猫耳を動かし、ネフェルピトーはその存在───一際強力なオーラを発する存在へと意識を向ける。

 

(へぇ、ラモット程度とは比べ物にならないカンジ。ちょっと距離がありすぎて詳しくは分かんないけど、中々いいオーラを持ってるっぽいヤツ発見♪)

 

 ピリ、と俄かに張り詰めた空気を察知したイワトビペンギンのキメラアント───ペギーが慌てたようにネフェルピトーへと声を掛ける。

 

「い、如何なさいましたか。ネフェルピトー様」

 

「ちょっと確かめてくる。僕がどのくらい強いのかを、ね。……後は頼んだよ、ペギー」

 

 ネフェルピトーはペギーに授与式の取り纏めを任せると、第一講堂の窓辺に足を掛けた。その視線が向かうのは、数キロ離れた地点にある森の中だ。

 

「見ーっけ♪」

 

 

 

 

 

「───……化け物だ」

 

 冷や汗を流し、カイトは喘ぐようにそう呟く。見ればヒソカも常の軽薄な笑みを消し、鋭い眼差しを遠くに見えるキメラアントの巣へと送っていた。

 突然緊張を帯びた二人の様子に首を傾げるゴンとキルア。戦闘能力という点では既に並の念能力者を凌駕している少年二人であるが、短い期間での成長故に未だ育ち切っていない面も存在する。彼らは遠くからの敵意を感知する術をまだ会得していなかった。

 

「信じられん、この短期間でここまで……ゴン、キルア、すぐに逃げろ」

 

「え?それってどういう……」

 

「いいから早く行け!ここから離れろ!!」

 

 伝わらぬもどかしさに声を荒げるカイト。身を潜めていた木陰から飛び出し、二人を庇うように前に立った。

 

「オレから───離れろ!!」

 

 

 

 

 

 どちゅっ、と。肉が潰れる湿った音が辺りに木霊した。

 

 

 

 

 

「───────」

 

 ドサリ、と千切れたカイトの右腕が下草の上に放り出される。あり得ないものを見たようにゴンの目が見開かれた。

 ヒソカは既に臨戦態勢へと移行していた。総身に極限まで張り詰めた気迫とオーラを纏い、取り出したトランプを手に身構えている。

 

「これは……少しマズイかもね♠」

 

 カイトとヒソカ、ゴンとキルアを二組に分断するように降り立ったのは、すれ違いざまにカイトの腕を引き千切ったネフェルピトーであった。驚くべきことに、彼女は遥か数キロ離れた蟻塚からここまで一度の跳躍で辿り着いたのである。

 

「……」

 

 ネフェルピトーはちらと背後を振り返り、立ち竦むゴンとキルアへと視線を向けた。その僅かな挙動だけで、溢れんばかりのオーラの一部、制御すらされていない余剰オーラが波濤のように二人へと押し寄せた。

 

『───ッ!?』

 

 視線が向けられたのは一瞬のみ。ネフェルピトーはすぐに興味を失ったように二人から視線を外し、カイトとヒソカへと向き直った。しかし、そのたった一瞬の内にゴンとキルアが味わったプレッシャーは、彼らを狂乱に陥れるには十分なものであった。

 

「うああああああああ───ッ!!」

 

 大切な人が傷つけられたことへの怒り。襲い来る恐怖に対する自己防衛本能。それらが綯い交ぜになったゴンは狂乱し、絶叫を上げ全身からオーラを放出した。

 

(馬鹿、止め───)

 

 わざわざ敵の注意を引きにいくなど、自殺行為に等しい。それがネフェルピトー程の怪物であれば尚のこと。慌てて止めさせようとしたカイトだったが、それより先にキルアが動いた。

 手加減も遠慮もなく、力一杯の一撃がゴンの延髄に叩き込まれる。全力のオーラで身を覆ったゴンの身体は戦車の装甲のようなものだが、キルアの鋭い一撃はオーラの障壁を抜けてゴンの意識を刈り取った。

 

「いい判断だ、キルア。そのままゴンを連れて逃げろ」

 

「……ッ、……!」

 

 一瞬泣きそうな表情を浮かべるも、キルアは気絶したゴンを肩に担ぎ迅速にその場から離れる。無駄に声を上げるような愚は犯さない。キルアは悔し気に唇を噛み締めながら、脇目も振らずに駆け出して行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「───そろそろか……」

 

 ───呟き、揺らめく蒼眼が静かに閉じられる。暗室は闇に包まれ、机上の水晶のみが冷え冷えとした輝きを放っていた。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

『ひゃはははは、絶体絶命の(Die)ピンチだな!いい目が出ろよー!ドゥルルルルル───"3"!!』

 

 カイトの念能力、"気狂いピエロ"が場にそぐわぬテンションで喚く。出た目の数は「3」。その姿を短杖へと変えた"気狂いピエロ"を構え、カイトは油断なくネフェルピトーと相対した。

 

「本当なら、有事の際はお前にゴンたちを任せるつもりだったんだが」

 

「人選ミスじゃない?って真っ当なツッコミは置いといて……さて、どうしたものかな♥コレ、控え目に言ってかなりヤバイ状況じゃない♣️」

 

「ああ、掛け値なしにヤバイ状況だな」

 

 軽口を交わし合いながらも、二人の視線は片時もネフェルピトーから離れることはない。一瞬の気の緩みが即、死に繋がると理解しているからだ。

 一方、ネフェルピトーは目移りするように二人の間を視線が行ったり来たりしている。彼女にとって、この襲撃の目的は自身の性能テストのようなものだ。手頃な位置に強そうなのがいたから襲ったのであって、戦えさえすれば相手がカイトだろうがヒソカだろうがどちらでも良かったのである。

 

「キミはどう見る?ボクたちに勝ち目はあるかな♦」

 

「……オレの腕が無事だったと仮定するなら、良くて五分五分だろう」

 

「五割の確率で、倒せる?」

 

「まさか。五割で程々に傷を負わせて撃退できる、だ。……奴に一時撤退を選択できる思考があれば、だが」

 

「全く以て同意見♠ボクたちって気が合うね♥」

 

「寝言は寝て言え」

 

 ……つまり、カイトが万全でない今は万に一つも勝機がないということであった。カイトは機械のように冷徹な戦略眼で、ヒソカは第六感が囁く死の予感で、それぞれ自分たちの避けられぬ敗北を予見したのである。

 

「決ーめたっ」

 

 うろうろと彷徨わせていたネフェルピトーの目が、一点を凝視して止まる。

 

「───ッ!!」

 

 身を捩る。予めいつでも動けるように身構えておき、更に全身をオーラで防御していたからこそ成し得た奇跡であった。

 

「───これで、二人ともお揃いだね」

 

 ───最初に狙われたのはヒソカであった。隆起する筋肉で両脚が膨張した……そう認識した次の瞬間にはネフェルピトーはヒソカの真横を駆け抜けており。咄嗟の回避すら無意味に堕し、オーラの防御すら無視し、ネフェルピトーの突撃はヒソカの右腕をズタズタに引き裂いたのである。

 

「ヒソカ!」

 

「うーん、掠っただけでこの威力……♣️」

 

 完全に腕が引き千切れなかったのは奇跡であろう。ヒソカは痛みに脂汗を浮かべているが、念能力者の回復力ならば修復が可能な範囲の負傷ではある。絶対安静にした上で回復に専念すれば、という仮定であるが。

 そんな時間を敵が与えてくれるとは思えない。何より左利きのカイトと違い、ヒソカの利き腕が右腕であったことも痛かった。ある意味ではカイトの右腕損失以上の大幅な戦力ダウンである。

 

(あらら、これって冗談抜きで絶体絶命?)

 

 痛みによるものとは異なる汗が額を流れる。今になってヒソカは考えなしにこの任務に帯同したことを後悔し始めていた。しかしその後悔とは、ここで死んでしまうことに対する恐怖故ではない。戦闘狂であるヒソカは死など全く恐れてはいないのだから。

 ヒソカの後悔。それは、まだ味わっていない果実を二つも残したまま死んでしまうことであった。

 

(ああ、ゴン!どうせ死ぬなら、せめて成長したキミに殺されて最期を迎えたかった!いやいや、カオルに殺される最期も捨てがたい!特に彼女は現時点で既にボクと同等かそれ以上の力をつけている!今がまさに食べ頃じゃあないか!嗚呼、口惜しや!口惜しや!)

 

 二人が聞いたら苦虫を百匹ぐらい噛み潰したような渋面を浮かべるであろう、見苦しい末期の言葉を脳内で垂れ流すヒソカ。しかし敵にそんな切なる思いを察する術も斟酌する心積もりもなく、ネフェルピトーは再び突撃する構えを見せた。

 

「じゃ、もう一回行くよー!」

 

(チッ、本格的にマズイぞ。せめてオレかヒソカ、どちらかが生き残る方法を模索しなければ!)

 

(ああ、こんな思いをするぐらいならもっと早くに食べておくべきだった!)

 

 カイトとヒソカが全く正反対の思いを抱く中、ネフェルピトーの自慢の両脚に万力が宿る。ギリギリと軋みを上げ、発条(バネ)のように撓められた剛脚は今か今かと解放の瞬間を待ち侘び───

 

 

 

 

 ───その時。ふと、彼らは視界の端に流れる黒髪を見た気がした。

 

 

 

 

 突如として、衝撃波を伴う大音響が響き渡る。まるで幾千の大砲を一斉に起爆させたが如き轟音が周囲一帯に降り注ぎ、その場にいた全員を襲ったのである。

 カイトとヒソカは、あまりの衝撃に堪らず吹き飛んだ。轟音のあまりに三半規管が機能不全を起こし、まともに受け身も取れず無様に転がる。

 

「ぅ……ぐッ……なに、が……」

 

 オーラによる身体強化の賜物か、幸いにも鼓膜が破れることは免れたカイトはよろめきながら立ち上がる。歪む視界の中、懸命に周囲の様子を探ったカイトは、その惨状に目を見開いた。

 

 それはさながら爆心地の様相を呈していた。先程まで彼らが立っていた地点は放射状に抉れ弾け飛び、草木や樹木すら軒並み焼失し、あるいは薙ぎ倒されていたのである。一部の地面などはあまりの高熱に硝子化しており、今以て白い蒸気を噴き上げている有り様だ。

 

(一体何が起こった……?いや、それよりも……奴は、あのキメラアントはどこへ消えた!?)

 

 そう、何故かネフェルピトーの姿が見えないのである。あの爆発によって消し飛んだ……などと楽観はしない。というより、同じく爆心地にいたカイトが無事なのだから、あの怪物が死んでいるなど有り得ないのだが。

 

「く、くく……ククククク……」

 

「ヒソカ、無事だったか。……どうした、気でも触れたか?」

 

 少し離れた位置に座り込むヒソカは、何故か無事な左手で顔を覆いくつくつと肩を震わせて笑っている。まさかあの怪物を前にした恐怖で狂ったのか……と訝るカイトを余所に、遂にヒソカは声を上げて笑い始めた。

 

「アッハハハハ!ここまで来ると運命的ですらあるね!まさかここにキミが来ていたとは!いやぁ、お陰で命拾いしたよ♦」

 

「なに?お前は今の爆発の原因を知っているのか?」

 

「勿論♠見えた影は一瞬だけだったけど、あの気配とオーラには見覚えがあったからね♥」

 

 それと……とヒソカは笑いながらカイトの言を訂正する。そもそもアレは爆発ではない、と。

 

 

「アレは超音速によって発生したソニックブームだよ。普通あんな至近距離で受けることなんてないから、爆発と間違えるのも無理ないけどね♣️」

 

 

 

 

***

 

 

 

 

「ガァ……ッ!ご、ぶ……!?」

 

 何者かによって超音速の突撃を受け、そのまま遥か彼方まで運ばれたネフェルピトーは隕石のような勢いで大地に叩き付けられる。落下した際の背中への衝撃と、突撃を受けた胸への衝撃によって激しく嘔吐き血反吐を吐いた。

 苦しげに咳き込みながらも、バッと身を翻し跳ね起きる。胸に空いた穴から青黒い血と真っ青な粘液を垂れ流しつつ、ネフェルピトーは周囲の様子を窺った。

 

(ぐっ、辛うじて心臓は外れてるけど……何だコレ、ちょっとマズイ感じだぞ)

 

 じくじくと胸の傷から広がり身体を侵食していく青。ゆっくりと、だが確実に肉体を蝕むそれにネフェルピトーは恐怖を覚えた。

 

「一体何なんだ……何者だ、お前は……!?」

 

 よろめき血を吐きながら、ネフェルピトーは前方で佇む人影に向けて誰何する。その人影こそが、自分たちの戦いに水を差した張本人だと確信して。

 

「……蟻如きに名乗る謂れはない」

 

 重力に逆らって棘と乱れる黒髪。影の掛かった面貌の中、蒼い双眸が炯とした眼光を放つ。

 その身から発されるオーラはネフェルピトーと同等かそれ以上の力強さ。赫奕を後光の如く従え、人影は極寒の眼差しで彼女を見下ろした。

 

 

「───死ね、キメラアント」

 

 

 血に煙る森の中、閃く銀光が一条。光差さぬ緑蔭に在りて、殺意に濡れる白銀の具足が冷たい輝きを放っていた。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 ───オレたちは自惚れていた。

 

 気を失ったゴンを横たえ、キルアは大樹の根元に蹲っていた。その胸中を埋めるのは後悔の念。みすみす死中にカイトとヒソカを置いてきたことと、彼らを置いて逃げることしか出来なかった己の力不足に。

 

(それなりに修行を積んで、"発"も形になってきて、カイトに認められて……オレは調子に乗っていたんだ。奴はカイトとヒソカしか眼中になく、オレとゴンには何の興味も抱かなかった。それが現実……!)

 

 しかもただ力及ばなかったばかりか、徒に足を引っ張る結果となった。もしあの場面で二人にもっと実力があれば、カイトは片腕を失わずに済んでいただろう。

 

(オレたちは大馬鹿だ……!自分たちの実力も弁えないで無謀に挑み、挙句に他人の足を引っ張るなんて!)

 

 あんな怪物が出現するなど誰にも予想できなかったのだから、事情を知れば殊更にキルアを責める者などいないだろう。しかし、他ならぬキルア自身が己を許せなかった。キルアにとって、これほど自分の力不足を呪ったのは生まれて初めてであった。

 

(オレたちにもっと力があれば、カイトは……ッ)

 

 募りゆく慚愧の念。そんな中、キルアの前に一台の車が停車する。扉が開き、降りてきたのは三人の人物。

 

「……!」

 

 その三人の内、先頭に立つ人物にキルアは見覚えがあった。否、ハンターであれば彼の御仁を知らぬ者などいないだろう。

 

(ネテロ会長……!)

 

 遍く全てのハンターたちを統べるハンター協会の長。心源流拳法の開祖にして、最強の誉れも高き至高の戦闘者であり念能力者。

 

 ───アイザック=ネテロが、遂に魔境NGLへと踏み入ったのである。

 

「何だ、ガキじゃねえか。物見遊山で首突っ込むから火傷すんだよ。さっさとお家に帰んな」

 

 布で包まれた巨大な棍棒のようなものを担ぐ、サングラスを掛けた大男───モラウが小馬鹿にしたようにキルアを見下ろす。その物言いにキルアはムッとするも、全く以てその通りなので言い返すことなく黙り込んだ。

 

「おやめなさいモラウさん、可哀想でしょう。相手はただの子供なのだから」

 

 眼鏡のブリッジを押し上げ、酷薄な眼差しを向けるスーツ姿の男───ノヴがそう言ってモラウを窘める。彼にとっては言葉通りの本心を告げただけなのかもしれないが、子供扱いされたキルアは更に消沈する。「オレたちもプロだ」と言い返せればどれだけ胸が空くことか。

 

「ほっほっほ、随分とヘコんでおるのー。そんなに敵は手強かったか?」

 

「……念を使える奴がいた。今まで会った誰よりも……薄気味悪いオーラだった」

 

 好々爺然とした佇まいで話し掛けてくるネテロに、キルアはNGLで出会った怪物───ネフェルピトーについて話す。返す返すも不気味なオーラの持ち主であった。イルミやヒソカなど、アレと比べれば可愛いものだ。あの邪悪なオーラを思い出す度に身震いがする。

 

「……自分で念を覚えてみて、よく分かる。アンタたちも凄く強い」

 

 ハンター試験のときには分からなかったが、今だからこそ理解できる。見た目はただの小柄な老人であるネテロから感じられるオーラの、何と力強いことか。脇に控える二人もそれに劣ることなく、キルアなどより遥かに強いオーラを無意識で放っていた。

 

 ───だがそれだけだ。彼らの清澄で力強いオーラの波動……あの邪悪を極めたようなオーラを前には数段劣る。

 

「アンタたちは強い……それでも、奴に勝てる気がしない」

 

「フ……人は得体の知れないものに出会うとそれを過大に評価するものです。キミは一種の恐慌状態に陥っているのですよ」

 

 言外にネフェルピトーよりも下だと言われたノヴだったが、彼は怒るでもなく冷静に受け止め、その上で虚言と切って捨てた。それは確かな実力に裏打ちされた、己の力に対する信頼故の言葉であった。

 

「ボウズ、念能力者同士の戦いに『勝ち目』なんて言ってる時点でお前はズレてるんだよ。相手の能力がどんなものか分からないのが普通、ほんの一瞬の弛み・怯みが致命傷になるのが常。一見したオーラの多寡なんざ気休めにもならねぇ。勝敗なんて揺蕩って当たり前だ……それが念での戦闘!

 ───だがそれでも、百パーセント勝つ気で()る!それが念能力者の気概ってもんよ」

 

 対して、モラウは相手が格上だろうが、それでも勝つのだと豪快に言い切った。相手のオーラに気圧され逃げた時点で、念能力者としては敗者以下である、と。

 

「巨大キメラアントが人を食うという信じ難い話。しかしそれが事実である以上、我らは全力で被害拡大を防がねばならぬ。……だが、中途半端な戦力は敵に吸収される恐れがある。分かるな?」

 

「……ああ」

 

 その究極系があの猫のキメラアントなのだろう。キルアはネテロの主張に全面的に同意する。徒に戦力を投入しても、それが巡り巡って次代のキメラアントを強化する羽目になるのならそれは悪手。

 

(だからこその三人……少数精鋭。ネテロ会長はオレたちにこう言っているんだ。「戦力外」だ……と)

 

 その通りだ、とキルアは自嘲する。兵隊長クラスすら満足に仕留められないような腕で、ましてや敵を前に逃走した分際で、どうして彼らに同行できようか。

 

「最寄りの街に二人、刺客を放った」

 

 ───だからこそ、続くネテロの言葉をキルアは信じられない思いで受け止めた。

 

「戦うも戦わぬも自由。じゃが、もし追ってくる気概がまだあるのなら……彼らを倒してから追っておいで。それがハンターとして生きるということじゃ」

 

 投げ渡された二つの木片を、キルアは呆然と受け取る。その木片には、それぞれ「飛」「行」と彫られていた。

 

「猫の手は要らん。必要なのは強者のみ!」

 

 

 

 

 

 

 

「宜しかったのですか?あの少年に割符を渡して」

 

「ほっほっほ、お前さんは不満かの?ノヴ」

 

「いえ……たしかに将来有望だとは思いますが」

 

 口では厳しいことを言ったノヴとモラウであったが、少年二人が身に帯びるオーラには少なからず驚いていた。更に、それが逃走であったとしても敵地から生還できたという点においては一定の評価を下していたのだ。並のハンターであればまず生きては帰れまい。

 

「新進気鋭……って言うのかねぇ。ありゃあ将来化けるぜ。だが現時点では……」

 

 現時点では明確に力不足。新進気鋭という評価は伸びしろに対しての賞賛であり、裏を返せば現状における未熟が誰の目にも明らかであるということだ。それでも勢いはあるだろうから、相手の混乱を誘えるなら戦果も期待できるが……些か以上に相手が悪すぎる。総合力に差がありすぎるのだ。将来有望な人材を徒に使い潰すような真似はしたくないし、その果てにより強力なキメラアントが生まれては本末転倒である。

 

「追いつけますか?将来性はあるのでしょうが、かと言って一朝一夕で実力がつくものでもないでしょう。時間は限られており、しかも相手はモラウさんの弟子ですからね」

 

「手塩に掛けて育てた弟子共だ。そう簡単には突破できませんぜ」

 

「ほほ、まあ確かにの。現実的に考えれば短期間での急成長など夢物語じゃ。しかし、ゼロではないとワシは見ておる」

 

「その心は?」

 

「なぁに。老い先短いジジイの、若人への期待というヤツじゃよ。それに───」

 

 

 

「───妙に胸騒ぎがする。杞憂であれば良いが……あるいは、猫の手であっても借りねばならぬ事態になるかもしれんのぉ」

 

 

 

 

***

 

 

 

 

「───Ia,Ia……Ph’nglui……mglw’nafh……」

 

 水音が響く。湿り気を帯びた魔力が充満し、魂を蝕む腐臭に満ちた空気が森を侵食する。

 

「───病める海神の眷属……穢らわしき深きものどもよ」

 

 白濁した眼球が虚ろを映す。鱗に覆われた四肢は穢れた絖りを帯びて濡れ光り、泡立つような呻き声が辺りに木霊した。

 

「───旧き支配者、深みの祭祀長……その悍ましき落とし子どもよ」

 

 粘液に塗れた触手が蠢く。硝子を引っ掻くような耳障りな金切り声が唱和し、不快な合唱を奏でた。

 

征け(殺せ)進め(殺せ)進撃(殺せ)跋渉せよ(殺せ)

 

 命令はただ一つ。貪り、喰らい、埋め尽くし───

 

「───私に贄を捧げよ」

 

 精神を犯し、魂を貶める魔性共の絶叫が響き渡る。主命は下された。魔導書を媒介に深淵より這い出ずる海魔たちは、命令のままに進軍し、手当たり次第に生命を捕食し主へとその魂を捧げるだろう。

 

 ───我ら食餌の刻だ。

 

「さあ、狩りの時だ。精々残り僅かの余生を謳歌するがいい、キメラアントども───」

 

 魔力を帯びた頁が棚引き、淀んだ魔力光に照らされた少女の顔が笑みの形に歪む。狂気を宿した蒼眼が熾火のように揺らめいた。

 



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蟻封を覆う深淵よりの影

頭の中には鮮明に情景が浮かぶのに、それを文章化できない悲しみ。


 全ての始まりは、女王の居城たる巨大な蟻塚の前に現れた影だった。

 ソレは形容し難い姿をしており、厚みはなく、ただ影法師の如き存在感のみで以て突然に出現したのである。

 

『ギ……ggg軍団長……ネフェルピトーが、告ぐ……』

 

 ノイズ塗れの、苦悶に歪んだ声。その影から発された声は、確かにネフェルピトーのものであった。最初はその影を警戒していた兵隊蟻たちも、その影が軍団長由来のものと気付くと警戒を解き、険しい表情で静聴する。只事ではないと悟ったのである。

 

『強敵だ……!キメラアントに仇なす敵性存在を確認した!総員、戦闘配備……!』

 

 声を発する度にボロボロと崩れ落ちていく影。その血を吐くような訴えに、全てのキメラアントが戦慄した。ネフェルピトーが持つ圧倒的な力は、かつてラモットがそうであったように、相対した全ての者が知るところである。

 そのネフェルピトーが。あの絶対的強者が、今にも死にそうな声で危険を訴えている。その事実が、声を聞く全ての者に重圧となって圧し掛かった。

 

『女王を……王、を……守、れ……!』

 

 その言葉を最後に、影は完全に崩壊した。つい最近になって念能力というものに触れたばかりの彼らには知る由もなかったが、この影は今わの際にネフェルピトーが抱いた「女王に迫る危険を何としても伝えなければならない」という思いが、死者の念として具現した存在であった。

 

 ───そして、絶望が訪れる。

 

 突如として押し寄せてきたソレを見て、全てのキメラアントが共通して抱いたものは恐怖であった。曰く、黒い津波───生い茂る木々を呑み込むようにして迫り来るのは、万を超える海魔の群れであったのだ。

 

 魚類と人間の合いの子のような、全身を鱗で覆った怪物。烏賊(イカ)海星(ヒトデ)のような輪郭の、汚らしい触手を蠢かせる異形。自分たちも大概歪であるという自覚のあるキメラアントたちであったが、ソレらは輪を掛けて奇形であった。

 どれだけ奇妙な生態をしていようと、種として、そして生物として真っ当な進化、正当な系統樹の果てに生まれたキメラアントと異なり、ソレらは成り立ちからして異なるように感じられたのだ。まるで全く異なる法則、異なる秩序が支配する異星から来訪したかの如く、ソレらは存在そのものが歪であった。

 

「て……敵襲────ッ!」

 

 蜂の巣をつついたような騒ぎに包まれるキメラアントの居城。圧倒的な数を有する敵勢力に抗するべく、キメラアントたちは雑兵一匹に至るまで全ての戦力を投入してこれに立ち向かわんとした。

 

 だが、間が悪かった。折しも現在は"授与式"の真っ只中。殆どのキメラアントは強制的に開かれた精孔から流出するオーラを制御できずに苦しみ悶えており、とてもではないがまともに戦える状態ではなかったのである。

 それでも、彼らは女王を守るべく立ち上がる。絶え間なく肉体を苛む苦しみを強靭な意志力で抑え込み、死体に鞭打つようにして迫る黒い津波へと挑み掛かった。

 

 蟻は自身の数十倍の重量の物を持ち上げる力を持つという。故に人間大の体躯を誇る亜人型キメラアントともなれば、大型トラック程度ならば軽々と持ち上げるだけの腕力を素で持ち合わせているということになる。オーラを制御できず、刻々と流れ出る生命エネルギーで衰弱していようと、その怪力はなお圧倒的だった。

 相手は多勢だが、一体一体は然程の強さではなかった。キメラアントのように強靭な外殻を持つでもなく、自身の数十倍の物を持ち上げるような怪力もない。およそ知性らしきものも感じられず、只々突撃してくるだけの木偶の坊。弱ったキメラアントであろうと、腕の一振りで容易く潰せる程度の弱敵でしかなかった。

 

 だがそれでも、その数量が個々の武勇を無意味に堕す。如何にキメラアントの繁殖力が図抜けていたとしても、その総数は未だ五千に満たず、戦う力を持った兵隊蟻ともなれば千を切るだろう。兵隊長級以上であれば更にそれ以下だ。

 対する海魔の数は万を超える。もはや個の力がどうこうという次元ではなかった。キメラアントが目の前の一体を殺す間に、四体の海魔が身体に取り付く。触手で絡みつき、鱗で覆われた腕で組みつき、海魔は多勢で以てキメラアントの動きを封じに掛かる。

 

 そして身動きが取れないでいるキメラアントを、生きたまま貪り食らうのである。鋸刃のような牙で鑢に掛けるようにして外殻を削り、肉を削ぎ落し、血を啜り、果てに魂を胃の腑に収める。生きながらにして身を削られるキメラアントの絶叫が方々で響き渡った。

 

「オラァッ!」

 

 だが、流石に師団長級ともなれば地力が違った。万全には程遠くとも、海魔の十や二十を屠ることなど瞬きの間にやってのける。

 獅子のキメラアント───ハギャは荒い息を吐きながらも、鋭利な爪の備わった腕を振り回し次々と海魔を切り裂いていく。腐臭を放つどす黒い血が辺りに撒き散らされた。

 

「クソが、キリがねぇぜ!」

 

 既に麻痺して久しい鼻から血と洟を垂れ流しながら、ハギャは悪態をつく。本当にキリがない。切っても、潰しても、次から次へと新しい海魔が押し寄せてくるのだ。しかもハギャの見間違いでなければ、この気味の悪い生物は明らかに()()()()()()()()()()()()()。まるで意味が分からなかった。

 

「クソッ!『フラッタ、どうだ!?』」

 

『駄目です、続々と森の奥から押し寄せてきています!一向に減る様子がありません!』

 

 偵察役を請け負った飛行能力を持つ蜻蛉(トンボ)のキメラアント───フラッタへとテレパシーを送る。案の定返ってきたのは絶望的な現状。今でさえこれだけの数がいるのに、この上まだ増えるのか……半ば無意識の内に爪を振るいながら、ハギャは暗澹たる思いを抱く。クソが!と何度目かも分からぬ悪態を叫んだ。

 

「ネフェルピトー様はもういないしよォ……新しい軍団長サマは何をやっているんだ、ええ!?」

 

 

 

 

 

(───私とて遊んでいるわけではないのですよ。偏に手が足りない……ただそれだけのこと)

 

 背中から大きな蝶の翅を生やしたキメラアント───直属護衛軍の一人、シャウアプフは聞こえてきた師団長の言葉に内心でそう返した。その不遜を咎めはしない。自分とて同じ思いだし、そもそも部下の不満一つにかかずらっているだけの余裕などありはしなかった。

 ネフェルピトーから少し遅れて誕生したシャウアプフは、部下から念能力に関する概要を聞いてすぐに海魔の襲撃を受けた。生誕から僅か数時間後のことである。ある意味、今一番不幸なキメラアントであると言えるだろう。

 

 不幸中の幸いは、生まれた時より自身に備わる念能力について予め知ることができたことだろうか。彼は軍団長として師団長以下のキメラアントたちの指揮を執りつつ、急遽開発した念能力"蠅の王(ベルゼブブ)"によって海魔の発生源を特定すべく分身を放っていたのである。

 "蠅の王(ベルゼブブ)"───自身の身体を細胞単位で分割し、様々な大きさ・数の「蠅」を作り出す能力である。この蠅は本体と意識を共有できる分身体のようなもので、分身の数に比例して本体は脆弱になっていく。元々さほど直接戦闘能力に優れているわけではない───それでも並の念能力者や師団長を凌駕する───シャウアプフは、多数の分身を放っている現状では直接海魔掃討に関与することができないのである。

 

(この汚らわしい怪生物どもは、揃って同じ方向からやってきている。ならばその方向を辿って分身を放てば、いずれ奴らの巣なり発生源なりが見つかる筈……)

 

 方向は分かっていても、その範囲が広すぎて捜索に手間取っているわけだが。津波と評したのは比喩でもなんでもない。文字通り波の如く、数キロに渡って広がった海魔が壁となって押し寄せてきているからであった。それだけの広範囲を捜索するのは簡単ではない。

 

(───!いた……!)

 

 すると、蠅の一匹が発生源の特定に成功する。その蠅と視界を共有して見てみると、そこに映っていたのは一人の少女であった。少女は禍々しいオーラを発する本を片手に、黒髪を振り乱しながら一心不乱に海魔を銀の脚で切り刻んでいる。一見するとキメラアントと同じく海魔に襲われているだけの憐れな一人の人間にも見えるが、決定的に異なるのは少女を取り囲む海魔の様子である。

 

 不動。海魔は目の前の少女に襲い掛かるような素振りは決して見せず、ただ無抵抗に切り裂かれている。それだけではない。少女の足元を中心に広がる暗黒。まるで底なし沼のようにも見える深淵から、次々と新たな海魔が這い出てくるではないか!

 

(あの人間……あれがこの怪生物どもの発生源。そして恐らくは、ネフェルピトーを殺した張本人!)

 

 シャウアプフはそう確信した。その蠅には引き続き少女を見張らせ、それ以外の蠅を続々と呼び戻し本体と統合していく。徐々に力を取り戻していく我が身を鑑みつつ、シャウアプフは更に思案する。

 

(だが、見つけたからといってどうする?地を這う兵では奴らの波を突破できず、さりとて空を飛べる兵でもあの人間に敵うとは思えない。何しろ、私と同格のネフェルピトーを倒した程の猛者……徒に戦力を磨り減らすだけ)

 

 しかし、シャウアプフが巣を離れることもまたできない。いつ海魔の群れが兵隊蟻の防御を突破して蟻塚に押し寄せるか分からない現状、最大戦力である彼が巣を離れるわけにはいかなかった。

 

(女王は既に王を身籠っており、身動きが取れない状態にある……万が一にも王を流産することがあってはならない。もしそんなことになれば───)

 

 もしそんな事態になれば、シャウアプフは自ら首を落として命を絶つだろう。想像するだに恐ろしい。王なき世界に、果たして如何ほどの価値があろうか。

 

 その時、ドン、と地上で爆発音が響き渡った。何事かと音の発生源を見れば、つい先程シャウアプフに対して悪態をついていたハギャが身体の半分近くを吹き飛ばされて倒れている様子が目に入る。ハギャは何が起こったのか分からない様子で呆然としながら、次々と押し寄せる海魔の波に飲み込まれていった。

 それを契機にそこかしこで爆発が起こり始める。その爆発はいずれも師団長を巻き込んで発生しているようであり、その結果として戦力の低下のみならず、指揮系統の混乱から次々と海魔に突破される場所が出始めている。

 

「拙い……このままでは巣への侵入を許してしまう!」

 

 キメラアントの、それも師団長級の強靭な外殻をも破壊する爆発を起こす海魔の出現。これによってますますシャウアプフは巣を離れられなくなった。それだけではない。彼自身が戦いに出ることもまたできなくなったのである。抜けた師団長の穴を埋め、全兵隊蟻を統率して戦線を維持することができるのは、"蠅の王(ベルゼブブ)"で戦場全てを監視し指示を出せるシャウアプフだけなのだから。

 

("蠅の王(ベルゼブブ)"で生み出した分身を師団ごとに配置し、適宜指示を出す……可能ではある。可能だが、そうなれば私自身の戦闘力は著しく低下し、そもそもこの場を動けなくなる。そうなればあの人間を叩くことができる戦力は完全にいなくなり、いずれは押し潰されるのを待つだけの消耗戦になってしまう……!

 圧倒的に手が足りない!あと一手、せめて動けない私の代わりにあの人間を討つだけの戦力があれば───!)

 

 

「───おー、おー。何だ、随分と手古摺ってるみたいじゃねぇか」

 

 

「……!」

 

 背後からの聞き慣れぬ声と、自身を凌ぐ巨大な存在感(オーラ)。振り返ったシャウアプフが見たのは、赤黒い肌の巨漢であった。

 その巨漢が自身と同じ直属護衛軍であると、シャウアプフは過たず直感した。それは同じ定めを負って誕生した者同士の共感だったのかもしれない。相手も同じ思いだったのか、巨漢は乱杭歯が覗く口を獰猛に歪めて恐ろし気な……しかし見る者が見れば親しみを込めたと分かる笑みを浮かべた。

 

「モントゥトゥユピーだ。オレは何をすりゃいい?」

 

「シャウアプフです。貴方には元凶を叩いて頂きたい。案内に私の蠅を付けましょう」

 

 シャウアプフをデフォルメして小さくしたような造形の蠅が一匹、モントゥトゥユピーの周囲を回った後に先導するように飛び去る。彼は身体を変化させて馬のような下半身に作り替えると、蠅を追って巣から飛び降りていった。

 

(……何と都合が良い。現状における最高の一手が、最高のタイミングで現れるとは……やはり運命は王の誕生を祝福しているに違いない)

 

 進行方向にある海魔を容赦なく轢き潰しながら進むモントゥトゥユピーを見て、シャウアプフは一先ずの安堵を得る。元凶たる人間は彼に任せ、自身は配下の指揮に集中できるからだ。

 

「王の誕生まではまだ時間が掛かる……それまでは我々直属護衛軍が女王をお守りします。そう、たとえこの命に代えてでも───」

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

「不味い」

 

 銀光が閃き、立ち並ぶ海魔が数匹まとめて両断される。それは瞬く間に溶けて青い粘液へと変じ、少女へと取り込まれていった。

 

「不味い」

 

 禍々しい魔力を発する魔導書───『螺湮城教本(プレラーティーズ・スペルブック)』が脈動し、少女の足元から広がる暗黒から次々と海魔が這い出てくる。新たな海魔は続々と列をなしてキメラアントの巣へ向けて行進を開始した。

 

「不味い……!」

 

 それと入れ替わりになるようにして次々とやって来るのは、口元を青黒い血で染めた海魔だ。青黒い血はキメラアントの身体を流れる血液だ。この海魔たちは、キメラアントを捕食して戻ってきた個体であった。

 

「不味いッ!」

 

 少女───カオルは苛立ちのままに鋼の具足を振り回し、帰還した海魔を切り裂いた。触れると同時に送り込まれたメルトウィルスが海魔ごと腹に収められたキメラアントを溶かし尽くし、自身へと経験値として還元していく。

 加速度的に増大していく魔力とオーラ。その変換効率は人間を捕食した時の比ではない。しかし彼女はそれを喜ぶでもなく、まるで狂乱したかのように黒髪を振り乱し、目元の筋肉をビクビクと激しく痙攣させた。

 

「まッ───ずいのよこの海魔どもが……!」

 

 視界に収めるだけで正気を削る、悍ましい深淵の化外ども。それを体内に取り込むなど常軌を逸した行いだ。経口摂取しているわけではないので味を感じることはない筈なのに、カオルは身を捩りたくなるような不快感に全身を襲われていた。臓腑を汚されていくかのような錯覚、魂を凌辱されているかのような嫌悪感。言語化し難いこの忌避感を、彼女は一言「不味い」としか表現することができなかった。

 確かに効率はいいだろう。海魔は魔導書が備える魔力炉心を糧として召喚されるので、カオル自身の負担は無きに等しい。実質ノーコストで無限に供給される栄養源と言えよう。無機物有機物問わず、あらゆるものを溶かし吸収してしまえるカオルならではの禁じ手である。

 

 だが、とにかく気持ち悪いのである。見た目もそうだが、実際に体内に取り込んだ際の不快感たるや想像を絶する。流星街に住んでいた時期に一度だけ試みたことがあったが、その時などはあまりの不快感に嘔吐してしまったほどだ。それ以降は一度として試していない。

 なら何故、今までひたすらに避けていた海魔のドレインに及んだのか。答えは単純、それが最も合理的だからである。

 

 カオルの最終目標はキメラアントの王───メルエムを倒しこれを吸収すること。そして、それにはまず立ちはだかる三体の直属護衛軍を倒さなければならない。理想は全ての護衛軍を吸収し、自身を極限まで強化した上でメルエムに挑むことだ。これが最も勝率が高い。

 だが、言うは易く行うは難し……護衛軍は一体一体が一流の念能力者を凌ぐ強敵であり、メルエムは更にその上を行く強さを誇るのだ。一対一と仮定した場合、ネフェルピトー、シャウアプフ、モントゥトゥユピーと、最低でも三回の連戦を強いられることになる。その上でメルエムとも戦うのだから、相対した際の体力消耗は最低限にしなければならなかった。

 

 そのためには、そこらの木端キメラアントとの戦闘による消耗すら惜しまねばならない。故にカオルは、今まで避けてきた禁じ手をここで解放することにしたのである。

 即ち、兵隊蟻は全て召喚する海魔に任せ、自身は護衛軍と王との戦いにのみ専念する。ネフェルピトーは不意打ちで初手にウィルスを打ち込めたので終始優位に立てたが、それ以外……カオルという外敵の存在を承知で控えているであろう他の護衛軍にも奇襲が通じると考えるほど楽観はできなかった。恐らくは正面からのぶつかり合いになるだろう。強敵との戦いに備え、カオルは徹底して体力を温存する構えでいた。

 

(時期的には、恐らく既にシャウアプフとモントゥトゥユピーは生まれている……ハズ。原作の時系列が曖昧だから何とも言えないけど、多分もういるでしょう……きっと。なら、プフは海魔の発生源を特定するために"蠅の王(ベルゼブブ)"を展開していると思われる。加えて蟻塚の足元まで海魔が迫っている現状、プフの性格からして奴は巣から離れない。だとすれば、消去法的に私の下に来るのは───)

 

 ズズン、と地響きが伝わる。カオルは海魔を切り刻む足を止め、乱れた髪を軽く手で整えた。

 バキバキと木々が薙ぎ倒される音、轢殺される海魔の悲鳴、巻き上がる土煙と血煙───それらを置き去りに、半人半馬の怪物が猛烈な勢いでカオル目掛けて突き進んできた。

 

「オォッ!」

 

「問答無用かよ」

 

 素早く身を翻すカオル。半人半馬の怪物───モントゥトゥユピーが腕を変化させて生やした触手が、一瞬前までカオルがいた空間を風切り音を上げて切り裂いた。

 目にも留まらぬ速度で跳躍したカオルは、立ち並ぶ木々を足場に反転。一直線にモントゥトゥユピー目掛けて蹴りを繰り出す。

 

「ぬ……」

 

 ギン、と火花を上げて刃の踵がモントゥトゥユピーの腕を滑る。亀の甲羅を模して変化した腕は、圧倒的な強度でカオルの蹴撃を弾いたのである。

 

「硬い……」

 

「そういうお前は速ぇな!」

 

 不満げに呟いたカオルへとそう返し、二足歩行に戻ったモントゥトゥユピーは牙を剥いて笑った。闘争の興奮に武者震いを起こすモントゥトゥユピーの腕甲の上を、青い雫が滑り落ちていった。

 

 高まる怪物のオーラ。禍々しく邪悪なそれに当てられ、カオルの瞳孔が開く。ざわりと黒髪が蠢き、身体から立ち昇るオーラが増大した。

 

(……落ち着け、私。無駄にオーラを漏らすな。相手がまだ突撃思考しかないユピーなのは好都合。変な工夫を覚えられる前に、最小限の消耗で速やかに仕留める……!)

 

 小さく息を吐き、呼吸を整える。常人であれば一瞬で肺を腐らせる海魔の血霧に塗れた空気も、今やカオルの集中を削ぐ要因足り得ない。必要最低限まで抑え、且つ鋭利に収斂させたオーラを身に纏いモントゥトゥユピーと相対した。

 一方、一瞬だけ漏れ出たカオルの強大なオーラを感じ取ったモントゥトゥユピーは、直前までの好戦的な様相を一変させる。魔物の因子が強く、人間の因子が薄い彼には生来個我というものに乏しい。激情はあれど、冷めるのは一瞬であった。その図体に見合わぬ冷徹さを双眸に宿し、モントゥトゥユピーは改めて目の前の敵を観察する。

 

(強いな、コイツ。プフ以上に小さいが、オーラはアイツ以上か?)

 

 強大なオーラを身に纏い、そして自身の触手を容易く躱すほど素早い。強敵である、とモントゥトゥユピーは認識した。

 だが、オーラ量に自信があるのはモントゥトゥユピーも同じだ。そしてオーラ量が拮抗する以上、互いの勝敗を分かつのは生来の肉体的強度であると確信する。従って、強靭な肉体を誇る己と比べて明らかに華奢なこの少女は、己よりは速いが脆い。即ち、一撃でも自身の攻撃を当てれば勝ちだと結論した。

 

(ヤツの攻撃は速く、鋭い。だが軽い!なら、攻撃を受けたところを耐えて殴る!)

 

 モントゥトゥユピーが出した結論は、肉を切らせて骨を断つ、であった。頭が悪いわけではないが、考えることが苦手なキメラアント、モントゥトゥユピー。彼はまだ、この時点では圧倒的に脳筋であった。

 

 ───彼はまだ、その軽い一撃に致死の猛毒が含まれていることを知らない。

 

(普段のようにオーラを潤沢に使って防御を固めることはできない……つまり、敵の攻撃を被弾することは容認できない。奴の攻撃を掻い潜り、ウィルスを流し込む必要があるわね)

 

 そこそこ速く、とても硬く、そして腕力がずば抜けている。例えるならば、高速移動する戦車だろうか。かつてない強敵だ。自身と同じスピードファイターであるネフェルピトーの方がまだ戦い易かったと言えよう。

 

(……ネフェルピトー、か。先んじて奴を仕留められたのは僥倖だった)

 

 お陰で、カオルのオーラ量は倍近く増大している。そのオーラを、必殺と定めた一撃に込める。モントゥトゥユピーの防御をも貫く一撃で以て、その身にメルトウィルスを流し込むのだ。

 

「さあ行くぜ。掛かって来い、小娘!」

 

「言われずとも───死ね、キメラアント!」

 

 モントゥトゥユピーの右腕が肥大化、左腕は無数の刃を備えた触手へと変化する。対するカオルは、自慢の具足にオーラを込める。蒼い光輝を纏った刃を閃かせた。

 

 

 剛力を備えた蟻と、猛毒を帯びた蜂───巨人と小人の戦いが幕を開けたのである。

 




キリがいいので今回はここまでです。次回は演出のために戦闘シーンが全カットされたピトーの代わりに、ユピーが激闘(互いに一撃でも当たれば終了)を演じてくれることでしょう。


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怒れる鬼神、毒血の森。招き蕩う貪食の宴

 

 モントゥトゥユピー。変幻自在の赤き巨人。彼は護衛軍三匹の中で最も遅く生まれた個体であり、また他二匹とは異なり魔獣との混成型キメラアントであった。

 人間の因子が無いのに高度な知能を有しているのは、かつてハンター試験のナビゲーターを務めていた凶狸狐(キリコ)と同じく、人間と同等の知能を有した魔獣を素体にして生まれたからだろう。それが如何なる魔獣であったのかは今や知る術がないが、モントゥトゥユピーの能力は素となった魔獣が備えていた能力の延長にあることは疑いようがない。

 

 モントゥトゥユピーの生まれ持った能力。それは細胞を変異させ、自らの肉体を任意の形に変化させることである。

 

「オォ───ッ!」

 

 刃を備えた複数の触手と化した左腕を振るい、咆哮と共に飛び回る敵影へと叩きつける。しかし触手は敵影を捉えることなく、虚しく影が足場としていた大木を爆散させた。

 

「チィッ、予想以上に速ぇ!」

 

 例外なく怪力を誇るキメラアントの中にあって、なお図抜けた剛力を持つモントゥトゥユピー。その有り余るパワーによって振るわれる触手の速度は凄まじく、刃を備えた先端部分などは優に音速を超える。

 

 だがそれでも、速度と攻撃性に特化した英雄複合体───アルターエゴ、メルトリリスの肉体が齎す超スピードには追いつけなかった。

 

「────」

 

 無言のままに機を窺う。蒼い残光を引き、木々の間を駆けるその姿は是流星の如し。音すら追い越し、カオルはモントゥトゥユピーの周囲を旋回する。彼女からすれば触手の斬撃など、欠伸交じりでも避けられる程度に過ぎなかった。

 

(とは言え、それはあくまで回避に徹した場合のこと。攻撃するにはどうしても接近する必要がある……)

 

 フェイントを織り交ぜつつ、カオルはモントゥトゥユピーの頭上へと跳躍。一瞬だけオーラを噴出させ、その加速を以て頸部目掛けて踵を振り下ろした。

 

「んがッ!」

 

「……」

 

 鉄骨すら容易く両断する斬撃も、この巨人を前にしては果物ナイフで鋼鉄を斬りつける行為に等しい。モントゥトゥユピーは首筋に刻まれた僅かな裂傷に反応し、背後目掛けて肥大化した右腕を振り被った。

 

「野郎───!」

 

 振り下ろされた剛腕が大地を抉る。クレーターが穿たれ、発生した激烈な衝撃が木々を吹き飛ばした。

 砂塵が舞う。モントゥトゥユピーは吐息一つで巻き上がった土煙を払うも、そこには既に怨敵の姿はない。威力はあれど触手より遅い攻撃に当たる筈もなく、カオルは既に安全圏へと退避していた。

 

「………」

 

 ハラリ、と千切れた黒髪が数本舞う。確かに直撃はしない。しかし甚大な威力を孕む巨人の一撃は、僅かに掠るだけでもダメージを免れなかった。

 回避に徹しさえすれば、どんな形態に変化しようがモントゥトゥユピーの攻撃に当たる道理はない。しかしカオルの攻撃手段が脚の斬撃に限られる以上接近戦は避けられず、接近すればどうしても被弾の確率が高まる。取り分け相手は暴力の権化たるモントゥトゥユピー、速いからとて容易に翻弄できるほど易い敵ではなかった。

 

(ユピーは巨体だけど、決して遅いわけじゃない……むしろ瞬発力に関しては人間の比ではなく速い。攻撃して即離脱したとしても、その瞬間だけは僅かに追いつかれる)

 

 あれ程の威力であれば、余波だけで人体を粉砕して余りあるだろう。髪の毛数本で済んでいるカオルの方がむしろ異常なのだが、今現在の彼女は僅かな玉瑕すら妥協する気はなかった。

 

「試してみるか」

 

 ざわり、と黒髪が蠢く。ようやく立ち止まったカオルの姿を捉えたモントゥトゥユピーは、歯軋りして彼女を睨み付けた。

 

「ふざけやがって……そこ動くんじゃねぇぞ!」

 

 風切り音を上げ、颶風を纏った触手の刃がカオル目掛けて振るわれる。先程までであれば、カオルは瞬時に回避行動に移っていただろう。

 

 だが、カオルは回避ではなく前進を選択した。モントゥトゥユピーが驚愕に目を剥く中、カオルはここに来て初めて能力を発動させる。

 

 ───"豪猪のジレンマ(ショーペンハウアー・ファーベル)"

 

 黒髪が蠢き寄り集まる。モントゥトゥユピーの触手と同数の髪束が形成され、それは触手を上回る速度で伸長した。そして髪束は蛇のような動きで触手に絡みつき、刃が最高速に乗る前にその勢いを封じ込めたのである。

 

「なにぃ!?」

 

 触手は拘束から逃れようともがくが、ギシギシと軋みを上げるばかりで髪の毛が千切れる様子はない。さもありなん、元は強化系最高峰の一角であったウボォーギンですら正攻法では破れなかった陰獣"豪猪"の念能力だ。モントゥトゥユピーと謂えど、そう易々と攻略できるものではなかった。

 

 ずっと逃げてばかりいたカオルが見せた予想外の行動。生まれて初めて見る念能力の集大成たる"発"。そして"発"が齎す想像を超えた「力」。

 それらを受けたモントゥトゥユピーは───カオルを自身の触手ごと振り回すなどやりようはあったろうに───動揺し、一瞬とはいえ完全に動きを止めてしまう。彼にとってこの戦いは生まれて初めての戦闘行為であり、これまでは本能が赴くままに力を振り回していたに過ぎない。戦いの経験という点では赤子も同然であり、情報過多により思考停止を引き起こしてしまったのだ。なまじ高度な思考能力を有しているが故の弊害、「考える隙」を晒してしまったのである。

 

 その隙は一瞬。されど、カオルはその一瞬をこそ待ち望んでいたのだ。蒼い双眸がギラリと光を放つ。

 

「"霊気放出・第二開放(オーラバーストII)"!」

 

 かつて天空闘技場でドレインした新人狩り三人組の一人、リールベルトの能力"爆発的推進力(オーラバースト)"。それを使い易く調整・改良した能力を発動する。オーラを後方に噴出させ爆発的な推進力を得るというだけのシンプルな能力だが、特質系故に放出系を苦手とするカオルにとっては大変重宝する能力であった。

 

 この爆発的推進力・改とも言うべき能力、"霊気放出(オーラバースト)"は三段階の出力上昇機能を備えており、最大開放ともなれば(恐らく)百式観音の掌打にも劣らぬ速度での突撃も可能となるだろう。その威力はネフェルピトーへの不意打ちにおいて遺憾なく発揮されている。

 また三段階の上昇値にはそれぞれ一定の出力が設定されており、任意でのオーラ量調節は受け付けない。その代わり発動の簡略化に重点を置いているため、第一開放の出力は頻繁に戦闘に織り交ぜ使用している。先ほどモントゥトゥユピーの頸部を斬りつけた際に使用したオーラ放出はこの第一開放であった。

 

 そしてカオルが今使用するのは、第二開放のオーラ放出だ。消費するオーラ量も加速力もそれなりではあるが、そこにカオルの素の敏捷が加わることで並のキメラアントでは認識すら不可能な速度を叩き出す。

 

 パァン、と銃声にも似た破裂音が響く。それは空気の壁を突き破った際に発生する衝撃音。モントゥトゥユピーが気付いた時には、既に自身の胸板に鋼の具足、その膝の棘が突き刺さっていた。

 

「ガッ───!?」

 

 飛散する砕け散った外殻の破片。胸部を貫く灼熱感と、遅れて全身を襲う甚大な衝撃。赤き巨体は僅かも踏ん張ること叶わず、立ち並ぶ木々を薙ぎ倒しながら後方へと吹き飛んだ。

 よし、と頷いたカオルは反撃が飛んでくる前に飛び退る。直後、ヒュンと風切り音を上げて剣閃が走り、触手に絡みついていた黒髪が切り刻まれた。

 

「く……クソがぁあああああ!!」

 

 触手を激しくのたうち回らせ、肥大化した右腕を地面に叩きつけたモントゥトゥユピーが吼える。総身を危うい程に震わせ、憤怒に歪んだ狂相を怨敵へと向けた。

 

「嘗めやがって……テメェ、手ェ抜いてやがったな……!?」

 

「……」

 

「オレの触手を躱してた時も!今の攻撃の時も!最初に一瞬だけ見せたオーラには到底及ばねぇ!それだけのオーラがありながら、テメェは戦いが始まってから一度として本気を出していない!嘗めやがって、ムカつくんだよ……ッ!

 何より、そんな手ェ抜いたテメェの攻撃で膝をついたオレ自身が、一番ムカつくんだよォクソがああああああ───ッ!!」

 

 王の盾を自認するモントゥトゥユピーにとって、敵の攻撃で膝をつくことはこの上ない屈辱である。剰え、それが手を抜かれた上での攻撃であれば尚のこと。

 モントゥトゥユピーは己の力不足を呪う。この体たらくで、何が王の盾か。何が直属護衛軍か。

 

(足りない)

 

 認めよう。己は弱く、敵は強い。その弱さを補うための何かが要る。この怨敵を打倒するための武器が必要だとモントゥトゥユピーは認識した。

 

(オレに足りないものは何だ)

 

 速さか?敵は速く、己の攻撃は掠りもしない。

 視力か?己の動体視力ではどう足掻いても敵を捉え切れない。

 力か?敵の速さも何もかも、全てを捻じ伏せる圧倒的な攻撃力こそが肝要か。

 

「───否、全部だッ!!」

 

 ボゴン、と音を立ててモントゥトゥユピーの身体が変異を開始する。太く筋肉質だった体躯は、体積はそのままに細く絞られ鋭角な輪郭を得る。流線形を描くそのシルエットは鮫か蜥蜴のものであろうか。

 そして絞られた筋肉はそのまま高密度の肉の鎧と化し、蟻の外殻に頼らぬ堅牢さを得る。更に体表面に無数に現れたのは、四方を隈なく睥睨する眼球である。神経伝達速度までは変化させられない故に動体視力ばかりは如何ともし難いが、ならば目を増やせばよいという単純ながら堅実な選択であった。

 最後に、両手は鋭い鉤爪を備えた竜を思わせる剛腕に。脚は獣を思わせる逆関節の剛脚へと変化した。取り分け、血のように赤い体躯の中にあって、真っ黒に染まった両腕が異様な存在感を放つ。これはあまりの筋肉密度に血管すら機能しなくなり、まさに岩石も同然の状態と化しているからであった。

 

「これでどうだクソッタレがああああああ!」

 

 金属音を思わせるノイズ混じりの絶叫が響き渡る。一回り小さくなったにも拘わらず、赤き巨人は圧倒的な存在感で以て新生を果たした。

 

 その変化の一部始終を、カオルは一切の温度が宿らぬ目で眺めていた。もはやモントゥトゥユピーがどんなに肉体を変化させ強化しようが手遅れである。既にメルトウイルスは打ち込まれた。接触時間は一瞬だったが、メルトウイルスは少量であろうと徐々に肉体を侵食し最終的には溶かしてしまう。

 

(お前は詰みだ、モントゥトゥユピー)

 

 もはやカオルが自ら仕掛ける必要もない。あとはひたすら回避に徹し、毒が回るのを待つばかりだ。使用したオーラ量は最小限、被弾もほぼゼロ。理想的な勝利と言えよう。

 

(オーラ量においては王に次ぐ強大さを誇るのがこのモントゥトゥユピーだ。コイツをドレインできれば、ピトーからドレインした分と合わせて莫大な量になるのは明らか。そうすればオーラの節約だの体力の温存だの、小難しいことを考えながら戦う必要もなくなるだろう。更に師団長クラスは言わずもがな、最後に残る護衛軍のシャウアプフすらも私の敵ではなくなる。これならば───)

 

 これならば、この身は王に届く───カオルはその確信を強める。その目はもはやモントゥトゥユピーなど見てはおらず、近く訪れる宿敵との戦いへと向けられていた。

 

「……ッ!」

 

 その目を見て、変身を終えたモントゥトゥユピーは歯噛みする。己が敵としてすら見られていないことを悟ったからだ。その事実は、王の盾として在る彼の自尊心を甚く傷付けた。

 どこを見ていやがる。テメェの敵はオレだろうが……そう叫びたくなる衝動を抑える。元より弱肉強食を絶対の理として定義するモントゥトゥユピーからして、カオルの態度は至って自然な振る舞いであるからだ。弱者の生死を好き勝手に玩弄し、その命の価値を自分勝手に定めるのは強者の倣いであり特権だ。そこに否やはなく、自分も同じ立場であればそういう行動を取るだろうという自覚がある故に、モントゥトゥユピーはそこに文句を言うような愚を犯さない。

 

 故に、その怒りは外ではなく内へと向けられる。敵ではなく、不甲斐ない己に。力なき弱者へと成り下がろうとしている己へと。

 

 臓腑の底から湧き上がる漆黒の感情に、モントゥトゥユピーは自らの理性が弾け飛ぶ瞬間を自覚した。行き場のない怒りが出口を求めて暴れ狂い、発散されることのないそれは澱のように沈殿し続ける。

 それ故か、その怒りは攻撃性の発露として体外へは放出されず、己の内側にて渦巻き埒外の暴力と獣性へと変換されたのである。

 

 

「■■■■■■■───ッ!!」

 

 

 瞳孔が開き虹彩は白濁する。対して眼球は血のような真紅に染まった。その瞳から自意識は既に感じられず、憤怒の感情に染まり切った獣の本能しか感じられない。また堅牢な外殻の下で、強靭な筋肉が怒りに呼応して膨張する。外殻に阻まれ肥大化することこそなかったものの、それは更なる密度を齎し頑健さに拍車を掛けた。

 赤黒い外皮からは絶えず蒸気が噴き上がり、体外へと熱を放出しようと足掻いている。しかし申し訳程度の体温調節機能など何ら意味を成してはおらず、絶えず湧き上がる怒りは際限なく体温上昇を加速させる。総身から炎のように立ち昇るのは、果たして体温によって歪んだ空気か───あるいは、天井知らずの爆発と膨張を繰り返す潜在オーラが漏れ出たものか。

 

 脚の鉤爪が大地を掴み、埒外のパワーで以てその巨体を前へと押し出す。流線形を保つそのフォルムは空気抵抗を最小限にまで低減し、その巨体からは想像もできない加速を生み出した。

 悪鬼羅刹と見紛うような異形と化したモントゥトゥユピーは、咆哮を上げながら一直線にカオルへと突き進む。血管どころか神経すら最早まともに繋がっていない巨岩の如き腕を、遠心力に任せて力の限りに振り回した。

 

 確かに移動速度は格段と速くなった……が、なけなしの理性すらも手放した所為か攻撃の軌道が酷く読み易い。真っ直ぐに突き進んで殴るだけ、これでは敵の思考を推し量るまでもない。第一、そんな付け焼刃のスピードがこの身に通用するものか───そんな白けた感情を抱きながら、カオルは横っ飛びにその攻撃を回避する。

 

 そして腕が振り抜かれる。遠心力に任せて右から左へと振るわれた腕は、弧を描くようにして前方を薙ぎ払い───()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……!」

 

 背中に熱を感じたカオルは、一転して表情を険しくし飛び退った。慌てて背後を見れば、そこには何もない。灼熱を纏う剛腕が、死を運ぶ鉤爪が……生い茂る草木も何もかも、全てを攫ってしまったのだ。葉の一枚すら残さず、後に残るのは扇状に削り取られた砂ばかりの荒れ地であった。

 

 扇状に抉られた破壊痕の半径は二十メートルにも及ぶだろうか。それだけの範囲の破壊を、腕の一振りで成し得たという事実。その予想外の攻撃力にカオルは目を見開いた。

 

(最初よりむしろ細くなった外見からは想像もできないパワー……これは正直予想外。どういう心境の変化だ?怒りを無差別に撒き散らすのではなく、内に溜め込んだ上でそれを力に変えるだなんて)

 

 原作において、モントゥトゥユピーはナックルとの戦いで激しい怒りを覚え、それを爆発という形で解き放っていた。最初は腕を叩きつけるようにしてオーラを爆発させ、最終的には大砲へと変化させた腕からオーラの爆発を撃ち放つようになったのだ。

 対して、今のモントゥトゥユピーは溜め込んだ怒りのオーラを野放図に解き放つのではなく、体内に蓄積させそれを肉体強化という形で攻撃に転化しているように見受けられた。一撃の爆発力においては前者に劣るものの、持続力という点においては後者の方が上回っているだろう。それが証拠に、これだけの破壊を為しておきながらモントゥトゥユピーは未だ総身にオーラを漲らせ、怒りが収まる様子がない。一発撃てば冷静になっていた前者のそれとは対照的であると言えよう。

 

(要するに、大砲と大口径ライフルのような違いか。一発限りの大砲と違って、銃は装填した(怒り)が尽きない限りはその威力を失わない)

 

 敵の心情を理解する気がないカオルには終ぞ察することができなかったが、この原作との差異は戦う相手の違いによるものだった。ナックルは一流のハンターであり念能力者ではあるが、モントゥトゥユピーからすれば明確に格下である。そんな格下のナックルに食い下がられ、剰え苦戦させられたことで敵に対し激しい苛立ちを覚えたのだ。

 一方、カオルはモントゥトゥユピーと同等以上のオーラを有し、モントゥトゥユピー以上のスピードを以て終始彼を翻弄し続けた。そしてカオルの"霊気放出(オーラバースト)"による明確なダメージを伴う一撃。これが一方の優勢を決定付けた。モントゥトゥユピーにとり、カオルは「対等な敵」から「格上の敵」という認識になったのである。弱肉強食の理の下に生きている彼にとって、弱者に食い下がられることは怒りの対象となるが、相手が強者であれば事情が異なる。野生においては弱いことが悪であるのと同じように、この場合に怒りを向けるべきは敵ではなく己であると認識したのだ。

 

 敵ではなく己へと向けられる、行き場のない怒り。力及ばぬ自身への失望。外へではなく内へと向かう憤怒のオーラは、敵に叩きつけたからと簡単に発散されるものではない。臓腑を蝕む毒のようにじわじわと奥底で蟠る怒りの感情は、敵を殺し、明確に自らが強者へと返り咲くまで止むことはないだろう。

 

(厄介な。素直にビームでも撃ってればいいものを)

 

 一撃は大きいが隙が多く、またクールタイムの長い大技よりも、そこそこ高威力の技を頻発してくる敵の方が厄介なのは言うまでもない。極力被弾を抑えたいカオルからすれば、今のこの状況は歓迎し難いものであった。戦術を弄するような複雑な思考回路は理性と共に消え失せたようだが、大幅にパワーとスピードが増した今のモントゥトゥユピーは純粋に強敵だ。慎重に立ち回らなければ被弾する恐れが高まり、しかも万が一にも攻撃を受ければ致命傷となりかねない。

 

 ギギギ、と金属が軋むような音を立ててモントゥトゥユピーの両脚が大きく撓む。転身したモントゥトゥユピーはカオルへと照準を定め、再び突進を繰り出そうとしているのだ。

 熱の所為か僅かに赤熱する両腕の鉤爪は、掠るだけでもカオルの肌を容赦なく焼くだろう。今や胴体から垂れ下がっているだけの腕は、遠心力に乗って破滅的な威力を発揮することはつい先ほど証明された。要するに熊と同じだ。熊の腕は胴体と骨で繋がってはおらず、筋肉のみの力で振り回される。腕力と遠心力で振り回される熊のパンチは、生木すら容易く圧し折るという。

 

「冗談じゃないわ。あんな物騒な突撃、何度も受けてられるか!」

 

 ゴッ、と颶風を巻き上げて弾丸の如く突き進むモントゥトゥユピー。それを、カオルはオーラ放出も使用し大きく距離を離すことで回避した。

 熱風が吹き荒れる。赤熱した鉤爪の軌跡は灼熱の斬撃となって木々を消滅させた。どんどん数を減らす木々(遮蔽物)を見てカオルは舌打ちする。

 

(どうする、出し惜しみしていないでもっとオーラを使うか?最終的にユピーをドレイン出来れば採算は取れるだろうし……)

 

 早々にメルトウイルスを打ち込みさえすれば、後は回避に徹するだけで安全に勝利できる。そう思っていたからこその極端なオーラの節約だった。だが、その安全が確かなものでないというのなら、むしろオーラを潤沢に使ってでもより早期に決着をつけた方が最終的な消耗は少ないかもしれない。万が一敵の攻撃を受けた場合に予想される、傷の回復に要するオーラ消費を鑑みた結果としてカオルはそう結論づけた。

 

(でも残ってるオーラは多いに越したことはないし……それにどうせプフの分身が監視しているだろうし、あまり手札を晒したくもない……ああもう、面倒臭い!頭を使って戦うのは苦手なのよクソッタレが!)

 

 精神的な疲労が積み重なって来たか、それともやはり海魔の毒血で膿んだ森の空気が集中力を削いでいるのか、どんどん思考が鈍ってきたカオルは据わった目つきでモントゥトゥユピーを睨んだ。

 

「……決めた。オーラを使って物理で殴る(スターを集めてバスターで殴る)、これが最高に頭のいい戦い方よ。そうに決まってるわ」

 

 あわよくば更にウイルスを叩き込んでくれる。そう意気込んでカオルは抑えていたオーラを解き放った。

 

「───五割。これで片を付ける」

 

 ゴオッ!とカオルを中心にオーラの暴風が吹き荒れる。五割とは言うが、それでも並の念能力者の数十倍、あるいは数百倍にも匹敵する。莫大なオーラは物理的な圧さえ伴い、暴走状態にあるモントゥトゥユピーへと叩きつけられた。

 再び突進する構えでいたモントゥトゥユピーは、その尋常ならざる重圧(プレッシャー)を受けて硬直する。理性は失えど、獣の本能が危険を察知し無謀な突撃を躊躇わせたのだ。

 

「グゥゥゥ……ォオオオオ■■■■■■■───ッ!!」

 

 だが、その危機感知もすぐに怒りの衝動に塗りつぶされた。咆哮を上げたモントゥトゥユピーは、爆発的な加速を発揮しカオルへと襲い掛かる。

 振るわれる剛爪。岩塊すら容易く切り裂き蒸発させる一撃が、少女の矮躯へと叩き込まれた。

 

「───!?」

 

 だが、灼熱の鉤爪がカオルを捉えることはなかった。モントゥトゥユピーがカオルと認識していたものは彼女が残した残像であり、虚しく空振った一撃は無為に木々を消し飛ばすに終わる。

 全身に眼球を備え、全方位へと視線を向けていたモントゥトゥユピー。にも拘わらず、カオルの影さえ認識することができなかったのだ。

 

 ふと気付けば、モントゥトゥユピーの全身には夥しい量の斬撃痕が刻まれていた。それらはいずれも外殻を僅かに削るばかりで致命傷には程遠い。

 問題は、攻撃された瞬間をモントゥトゥユピーが認識できなかったことだ。いくら暴走状態で痛覚が麻痺しているとはいえ、敵の攻撃を感知できないほど鈍いわけでもないのに。

 

「……腹が立つぐらい硬いわね。いいわ、ならもっと速度を上げましょうか」

 

 十メートル以上は離れた後方から聞こえてきた少女の声に、モントゥトゥユピーは弾かれたように振り返る。だが敵の姿は見えず、代わりにモントゥトゥユピーの右肩から左脇腹に掛けてを灼熱感が襲った。

 

「■■■■■■■───ッ!?」

 

 吹き出る青黒い鮮血。そして遅れて届く衝撃音(ソニックブーム)。今度の攻撃は外殻を切り裂き、肉へとその刃を届かせたのだ。

 

「この速度ね、覚えたわ」

 

 ガツン、と鋭利な踵が大地を抉る。着地したカオルはそう不敵に呟き、そして間髪容れずその姿を霞ませた。再び高速移動を開始した彼女は、真っ直ぐにモントゥトゥユピー目掛けて突撃する。

 特質系故に肉体の強化を不得手とするカオルは、代わりに魔力を用いて斬撃の威力を上昇させる。魔力を宿し蒼く輝く踵の刃を閃かせ、戸惑うモントゥトゥユピーの右肩へと振り下ろした。

 

 キィン、と涼やかな金属音が響く。蒼い残光を引いて再度振るわれた踵は正確に傷口へと叩き込まれ、その右腕を切り落とした。

 

「■■■■■■■───ッ!?」

 

 再び響き渡る巨人の悲鳴。超重量の剛腕は音を立てて地面に落下し、そしてそれだけの重量を突然失ったモントゥトゥユピーはバランスを崩し片膝をついた。

 

 そして、カオルの猛攻が始まった。

 

「アン、ドゥ」

 

 左右交互に振るわれる両脚の刃。X字を描くように蹲るモントゥトゥユピーへと斬撃が走る。

 

「トロワ、カトル」

 

 ステップを踏むように、モントゥトゥユピーの背中へと連続して爪先を捻り込む。砕けた外殻の破片が飛散した。

 

「オオオオッ!」

 

 呻き声を上げ、堪らず残った左腕でカオルを振り払おうとする。それを軽やかに回避したカオルは、手頃な位置に運良く残っていた───原作通りの無差別な爆発であれば既に消し飛んでいただろう───海魔を伸ばした髪の毛で掴み取り、そのままモントゥトゥユピー目掛けて投げ放った。

 その海魔は、予め"爆殺女王(キラークイーン)"によって爆弾化させていた対師団長用の一匹であった。海魔は勢いよくモントゥトゥユピーにぶつかり、盛大な爆発を起こす。兵隊長程度であれば容易く木端微塵にする爆発もモントゥトゥユピーが相手では大した威力を発揮しない。しかし、発生した爆風は邪魔な左腕を払い除けることに成功した。

 

「サンク、スィス!」

 

 がら空きとなった胸部へと叩き込まれる膝蹴り。そして跳ね上がった上体目掛けて回し蹴りが放たれ、蒼い斬撃がモントゥトゥユピーの腹を掻っ捌いた。

 

「───最初からこうしておけば良かったのよね」

 

 ズズン、と巨体が仰向けに大地へと沈む。その全身は己の血とウイルスによって真っ青に染まっていた。

 

(英霊としてのこの身に備わった魔力、それによる肉体強化。そしてこの世界で生まれた生命として宿したオーラ、それによる魔力放出代わりの加速力。この二つを組み合わせれば、こうして護衛軍最強の戦力にも通用することが証明された。これなら。これなら───)

 

「───勝てる。確実に」

 

 知らず口角が上がる。常に最強の存在としてカオルの中にあった王の(ビジョン)が、粉々に砕け散った瞬間であった。

 

「……負けたのか、オレは」

 

「あら、まだ意識があったのね」

 

 視線を向ければ、モントゥトゥユピーは薄らと目を開けてカオルを見ていた。しかし身体が動かないのか、弱々しく声は上げれど起き上がる様子はない。さもありなん、既にその身体は八割近くをウイルスに侵食されているのだから。

 

「クソが……オレは王の盾だってのに……情けねぇ」

 

「…………」

 

「こんな無様な話があるか?王の盾が、王が生まれる前にくたばっちまうなんてよ……クソッ、悔しいったらねぇぜ」

 

 もはや何も見えてはいないだろうに、モントゥトゥユピーは涙が流れる目を限界まで見開いてカオルを凝視する。

 

「頼む、王は……女王だけは助けてくれ……オレはどうなってもいい……」

 

「……何を言い出すのかと思えば。そんな虫のいい話があると思って?先に手を出したのはキメラアント(そちら)なのだから、人間(こちら)は相応の報復をするまでよ」

 

 散々人間を食料扱いしていたくせに、今更何をほざくのか。カオルは嘲笑も露わにモントゥトゥユピーの願いを切って捨てる。

 すると、モントゥトゥユピーは突然肩を震わせて笑い出した。眉を顰めたカオルは、くつくつと笑う彼へと訝し気な視線を向ける。

 

「……何よ気色悪い。気でも触れたのかしら」

 

「ククク……こちら?人間?まるでお前が人間であるかのような物言いじゃねぇか。悪い冗談だ」

 

「はぁ?何言ってるのよ、私は───」

 

 

 

「───お前、人間じゃねぇだろ?」

 

 

 

「───」

 

 その一言を最後に、モントゥトゥユピーは完全に溶けて消滅した。カオルは無言で青い粘液の水溜まりに視線を落とす。

 

 ───水溜まりに映っていたのは、能面のような無表情を晒す、あらゆる感情を欠落させた少女の顔だった。

 

「……ええ、そうね。私はカオル───そういう名前を持つ人間だったというだけの、人外だったわね」

 

 そう。この身は肉片一つ、髪の毛一本から血の一滴に至るまで、徹頭徹尾悉くが人間ではないのだ。

 英雄複合体。快楽のアルターエゴ。あるいは、メルトリリス───この身を示す正しい名称は、そのいずれかである。

 

キメラアント(人類の大敵)を殺して回っていたものだから、つい勘違いしてしまうところだったわ。私が人間だなんて……そんなの、人間に対して失礼だものね?」

 

 だから礼を言うわ、ユピー───そう呟いて、少女は青い粘液(ユピーだったモノ)に踵を振り下ろす。水面に映る少女の顔が、飛沫を上げて歪んで消えた。

 

 




あと一匹。


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Re:Birth

お待たせしました。今回は一番最初のプロローグを思い出しながら読むと面白いかもしれません。



「あり得ん……何だ、あの女は」

 

 分身の目を通してカオルとモントゥトゥユピーの戦いの一部始終を見ていたシャウアプフは、そう喘ぐように呟いた。

 

 索敵や集団指揮などの後方支援能力に優れているシャウアプフと比べ、モントゥトゥユピーは明らかに戦闘力に特化した個体だった。自らの身一つで以て王の盾となり矛となる、そういう役目を負って生まれたのであろう。その身に帯びるオーラの力強さは明確にシャウアプフを上回っていた。

 にも拘らず、結果は惨敗。力があり、硬く、そして速い。全能力が高水準で纏まっていたであろうモントゥトゥユピーですら手も足も出なかった存在が敵として在る現実に、シャウアプフは眩暈を感じ額を抑えた。

 

(敵が強すぎる……私では太刀打ちできるビジョンが見えない。第一、何だあのオーラは!あれで五割だと!?ふざけるのも大概にして頂きたいものだ!)

 

 今以て鮮明に脳裏に焼き付く、少女の矮躯から巻き上がる膨大なオーラの嵐。オーラ、そして念能力というものに触れて間もないシャウアプフであっても、アレが普通から著しく逸脱したものであることは分かる。というより、あのレベルの存在が人間の中にはゴロゴロいるなどという可能性は考えたくもなかった。

 

(そうだ、あんな化け物がそう何人もいる筈がない。アレは恐らく、キメラアントに対抗すべく人間が送り込んだ最強戦力……つまり、あの女さえ始末してしまえば王の支配は盤石なものとなる筈です)

 

 シャウアプフは分身を駆使して依然として押し寄せる海魔と戦う兵隊蟻へと指示を出しつつ、必死に頭を捻り敵についての考察を深めようとする。

 

 まずカオルについて語る上で外せないのは、あの圧倒的なスピードだろう。離れた所から眺めていたシャウアプフであっても、彼女の動きを捉えることは終ぞできなかった。第三者視点からでもそうだったのだから、実際に相対していたモントゥトゥユピーにとっては悪夢であっただろう。また、圧倒的なスピードは圧倒的な攻撃力にも繋がる。あの速度で繰り出される蹴りは脅威であり、特にモントゥトゥユピーほど頑丈ではないシャウアプフにとっては致命の一撃となるだろう。

 

(残念ながら、今の段階ではあの速度に対抗する術を見出せない。兵隊蟻を嗾けて隙を晒すのを待ち、奇襲を仕掛けるという手もありますが……いや、やはり現実的ではない。十把一絡げの雑兵などでは足止めも出来ないでしょうし、そもそも生半可な奇襲では見てから対処されてしまうでしょう)

 

 次に、倒れたモントゥトゥユピーを溶かしたあの青い毒だ。恐らく溶解液の類であろうと思われるが、強靭なキメラアントの肉体をああも容易く溶かしてしまうのは危険に過ぎる。しかも、彼女は溶けた敵を吸収し力に変えているように見受けられた。発見した時に海魔を斬りつけ溶かしていたのも、つまりは自身を強化するためだったのだろう。それならばあの馬鹿げたオーラ量も頷ける。

 

(徒に兵隊蟻を嗾けることが出来ない理由の一つだ。敵いもしない兵を突撃させても、それが却って敵を強化してしまうのなら本末転倒。ただでさえこちらの兵力は既に数少ないというのに、これ以上の個体数減少は種の存続に関わる)

 

 最後に、今現在もキメラアントに襲い掛かる海魔どもだ。彼女は万を超える数の海魔を呼び出す何らかの能力を持っており、恐らくは海魔を使ってキメラアントを持ち帰らせている。キメラアントを食らった海魔を吸収することで、間接的にキメラアントを吸収し力に変えているのだろう。

 

(つまり、この海魔は我々にとっての兵隊蟻のようなものか。海魔を使ってキメラアント()を持ち帰らせ、女王たる彼女はそれを食らい力を蓄える。皮肉なものです。人間を餌として女王に捧げていた我々が、今度はこうして餌の立場になるとは)

 

 キメラアントは人間を襲い食料とし、それを糧に次世代の強化個体を産み落とす。

 そして彼女はキメラアントを襲い食料とし、それを糧に自らを強化する。

 

 だが、彼女は彼女自身が女王であり、また王でもある。一方でキメラアントには未だ王がおらず、女王もまた身重であり戦う術を持たない。そして肝心要の女王を守護する直属護衛軍は既にシャウアプフを残すのみであり、しかし敵に勝てる見込みは薄かった。

 

「…………………………駄目だ、どう足掻いてもキメラアントは彼女に滅ぼされる」

 

 その優れた頭脳を以てしても、シャウアプフには現状を打開する妙案が思い浮かばなかった。何通りもの状況をシミュレートしても、最終的には敵の戦力に磨り潰されるのだ。

 

(敵は個の力に秀で、また物量をも兼ね備えている。一方の我々には個の力で彼女に敵う者はおらず、物量においても圧倒的大差を付けられている。せめて、せめて王がいさえすれば───)

 

 王が生まれてさえいれば打開の目もあっただろうに。そこに思考が至った次の瞬間、シャウアプフは力の限りに己の顔を殴り抜いていた。

 

「何たる不敬……王の健やかなることを守るのが直属護衛軍の役目であろうに、自らの力不足を棚に上げ未だ生まれてすらいない王に縋るなど……!何と愚かな、こんな様で王の従者足り得るものか!」

 

 考えろ、考えろシャウアプフ。何としても我らの手であの悪魔のような敵を撃退し、王の安寧を守らねばならぬ。自戒し、そう己に言い聞かせたシャウアプフは更に思考に没頭する。そんな中であっても分身による指揮は恙なく、彼の後方支援能力の高さが窺えた。

 

(私では奴には敵わず、配下の兵隊蟻もまた然り。如何に直接戦闘向きの能力を作ろうが、私ではモントゥトゥユピーに勝る戦闘力を得られよう筈もない。だが、「敵に勝利する」ことと「敵を殺す」ことは別。奴を殺すことは出来ずとも、行動不能にさせることは可能かもしれません)

 

 シャウアプフは"蠅の王(ベルゼブブ)"以外にもう一つ、"鱗粉乃愛泉(スピリチュアルメッセージ)"という能力を有している。特殊な鱗粉を撒いて相手のオーラの流れを鮮明にし、オーラから感じ取れる感情の機微を元に相手の思考を読み取ることが可能となる能力だ。

 そしてこの"鱗粉乃愛泉(スピリチュアルメッセージ)"は読心能力の他に、強力な催眠効果をも有していた。

 

(力で打倒できぬと言うのなら、力以外の要素で打ち勝てばよろしい。異なる念能力の影響下にある故か海魔どもには効果がなかったが、人間である彼女になら通用するかもしれません。

 ……懸念すべきは、敵もまた念能力者であるという点でしょうか。"鱗粉乃愛泉(スピリチュアルメッセージ)"による催眠は相手が強力なオーラの持ち主であればあるほど効きが弱くなる。(いわん)やあれほど馬鹿げたオーラを纏う彼女であれば尚のことでしょう)

 

 だがそれでも、完全には無効化されぬだろう自信がシャウアプフにはあった。広範囲に散布される目に見えぬ鱗粉であれば、高速で動き回るカオルであっても逃れる術はない。鱗粉の毒で僅かにでも動きが鈍れば万々歳だ。

 

(そして動きが鈍れば、先ほど棄却した作戦……兵隊蟻による足止めからの奇襲という戦法も通用し得る)

 

 弱兵を幾ら嗾けたところで逆に吸収されてしまい、奇襲しようにもあの超スピードを前には容易く対処されてしまうだろう。だが鱗粉によって動きが鈍ってさえいれば、一転してこれらの戦法は有効となる。

 問題は、この戦法が通用するのは一度きりであるということだ。鱗粉の毒もそう長くは持続しないだろう。二度目が通用するとは思えない。たった一度の奇襲でカオルを殺害、ないし致命傷を負わせる必要があった。

 

(大きなオーラを持って生まれた私が並の兵隊蟻より頑丈であるように、より大きなオーラを持つ彼女もまた相応に高い防御力を有している可能性が高い。故に、奇襲に用いる攻撃はその防御を超える強力な一撃でなければならない)

 

 だが、現実にそんな攻撃力を有したキメラアントが存在するのか?唯一希望があったモントゥトゥユピーは既に亡く、可能性のある師団長はその多くが爆発する海魔によってその数を減らしていた。そも師団長など、シャウアプフからすれば自身にすら及ばぬ弱兵だ。そんな弱兵の攻撃があの化け物に通用する筈もなく───

 

(───いや、待てよ。弱兵の攻撃では通用しない……ならば、弱兵を強兵にすれば。私に"蠅の王(ベルゼブブ)"があるように、兵隊蟻にも何らかの念能力を発現させてやればいいではないですか!)

 

 弱兵を強兵へと仕立て上げ、敵にも通用する牙を生み出す。これしかない、とシャウアプフは確信した。

 自身は後方に控え、"蠅の王(ベルゼブブ)"による広範囲の索敵・監視及び指揮、あるいは"鱗粉乃愛泉(スピリチュアルメッセージ)"による敵の催眠及び攪乱を行い。その傍らで、念能力を発現させる能力によって強兵を量産するのだ。直属護衛軍における頭脳役としての責を負って生まれた己の、これこそが完成形であろうという確信があった。

 

 そうと決まれば話が早い。シャウアプフは新たな"発"を組み上げるべく、自身のオーラに意識を集中させる。

 イメージするのは、シャウアプフというキメラアントの骨子たる蝶、それが羽化する様だ。繭の中で幼子は全てをドロドロに溶かし、新たな己を再構築する。そして新生した蝶は繭を割って羽化するのだ。美しい(念能力)を携えて───

 

 

『シャウアプフ様!大変です!』

 

 

 今まさに新たな念能力が形になろうとした瞬間、唐突にテレパシーで呼びかけられたことでイメージの完成が阻害される。自身の集中力が霧散したことを自覚したシャウアプフは、努めて苛立ちを押し隠しテレパシーで届けられた内容を反芻した。

 そして目を見開く。テレパシーの声の主は、大して戦闘力のない一般的な働き蟻の一匹であり……シャウアプフ自身が、有事の際には真っ先に己に連絡を寄こすよう言いつけて女王の間に配置したキメラアントだったからだ。

 

『何事です!まさか女王様の身に何か!?』

 

 慌ててテレパシーで返答する。思えば、今のシャウアプフは分身を通しての戦場指揮、敵の分析、念能力の開発と一度に多くの作業を並行して行っていた。その程度の並行作業であれば問題なくこなせると思っていたが、よくよく思い返せば数刻前の己は敵の強大さのあまりに随分と切羽詰まっていた。そんな精神状態の中での並行作業だ、よもや指揮を誤り取り零した海魔が女王の間に侵入したのではあるまいか。

 

『女王様の容態が急変し……そ、想定外のことですが───』

 

 

 

 

『───女王様が、産気づいたようです』

 

 

 

 

 王が生まれます、と。その言葉を聞いたシャウアプフは目を見開き呆け、束の間全ての分身の制御を手放した。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 ヨルビアン大陸の南方、バルサ諸島の一角に位置する島国の一つ、ミテネ連邦を構成する一国家たるNGL自治国。その領土内に広がる密林の奥深くに築かれた蟻塚の一室にて、あまりに悲痛な女の悲鳴が響き渡った。

 

 「女王様!」と叫び、周囲に侍る異形の一匹が駆け寄る。その異形は亜人型キメラアントの働き蟻であり、そして今まさに悲鳴を上げる女はキメラアントの女王に他ならなかった。

 直前まで王を生むための栄養を確保すべく食事をしていた女王の突然の急変に、周囲に侍っていた兵たちは血相を変えて対処に当たった。そもキメラアントは昆虫故に痛覚が非常に鈍く───人間の因子の影響か皆無ではない───本来であればここまで痛みに苦しむことはない。にも拘らず女王の苦しみようは只事ではなかった。

 

 女王は狂おしく身を捩り絶叫を上げ続ける。口端からは泡を吹き出し、女の力とは思えぬほどの勢いで手足を振り回した。非戦闘員の働き蟻には荷が勝ちすぎると悟った彼───女王の異変を聞き急いで舞い戻った師団長のコルトは、女王の身体を抑え必死になって呼び掛けた。

 

「女王様!女王様、お気を確かに!」

 

『あ……ああ、生まれる……!そんな、あまりにも早すぎる……!?』

 

 女王がこうも苦しむ理由。それは今にも生まれそうな王が、急激に女王の生命力を吸い上げているからであった。外に出ようと暴れるのみならず、命の源たる生命力を強引に吸い上げられては流石の女王も悲鳴を上げずにはいられなかったのだ。

 

『ま、まだ、まだ出てきてはなりません……!我が子よ、王よ、今暫く───』

 

『───黙れ』

 

 女王の悲鳴に血が混じる。喉が潰れる程の絶叫の果て、赤子を宿して大きく膨らんでいた腹が内側から強く圧迫される。メリメリと胎を押し上げ、外に出ようと強引に動き始めたのだ。

 コルトは目を剥く。胎の中の王はどう見ても、産道を通らず腹を突き破って外界に出ようとしていた。

 

「やめ───」

 

 やめろ、と言い切ることは叶わず。

 

 ぶちり、と。まるで強靭な雑草を引き千切るかのような音を響かせ、あまりにあっさりと女王の腹は突き破られた。

 

 間欠泉の如く噴出する青黒い鮮血。零れる内臓と羊水。それらを掻き分け這い出てきたのは、小柄な体躯のキメラアントだった。

 蟻の頭盾が発達したものか、兜にも見える外骨格で頭部を覆っている。その下からは人間のものによく似た顔が覗き、垂れ下がるようにして蟻の触覚が生えている。また小柄ながら発達した筋肉で全身を鎧い、更にその上に強固な外殻を纏っている。その身から立ち昇るオーラの強大さたるや比類なく、オーラの揺らぎと同調するように毒針を備えた尾がしなった。

 

「酷く空腹だ……母から搾り取った栄養だけでは到底足りぬ。早う馳走を用意せい」

 

 ───これが……王……!?

 

 居合わせた兵たちが絶句する。そのあまりの存在感に。母を母とも思わぬ、そのあまりの傍若無人さに。

 

「! い、いかん!内臓がかなり損傷しておられる!」

 

 いち早く我に返ったのは、ペンギンのキメラアントであるペギーだった。彼は意識を失い、ピクピクと弱々しく痙攣する女王に駆け寄ろうとする。

 

 そのペギーの頭を、目にも留まらぬ速さで振るわれた王の尾が叩き潰した。

 

「!?」

 

「二度言わせるな。疾く馳走を用意せい」

 

 目を見開くコルト。王は物言わぬ屍となったペギーには目もくれず、再度淡々と己の要望を口にする。

 

(どうする……一刻も早く女王様に治療を施したいが、王の言葉を無視することが出来ない……!無視すれば今し方のペギーのように───)

 

 コルトは女王を助けたい一方、拭い難い王に対する恐怖故に動けず俯く。すると、女王のすぐ傍に控えていたために最も王の近くにいたコルトへと王の視線が向けられた。

 

「おい、拭け」

 

「!」

 

 王はペギーの血が付着した自身の尾をコルトへと突き出す。端的な物言いだが、要は血で汚れたから綺麗にしろ、ということだろう。

 

(そんな場合ではなかろうが!女王様が……貴方の母が今にも死にそうなのだぞ……!?)

 

「ホッホッホ、おやおや……私め丁度ハンケチを持っておりまして───」

 

 動かぬコルトのフォローをすべく、亀のキメラアントが歩み寄る。懐からハンカチを取り出し、王の尾に手を伸ばそうとし───

 

 ぐしゃり、と。ペギーと全く同じ末路を辿るのだった。

 

「二度言わすな、お前だ。───拭け」

 

 ギロリ、と鋭い眼光がコルトを睥睨する。周囲の兵が固唾を呑んで見守る中、観念したコルトは女王から視線を外し、亀が手にしていたハンカチを拾い王の尾へと手を伸ばした。

 

「……相も変わらず外は騒がしい。それに……ああ、やはり空腹だ。耐えがたい程に」

 

 コルトに尾を拭かせながら、王は女王の傍らに山積みにされた肉団子の山へと手を伸ばす。その一つを手に取り口に運んだ。

 

「…………不味い。薄く、そして鮮度も良くない」

 

 一口齧り、しかしすぐに吐き捨てる。主義を曲げてまで自分で手に取った肉団子は王にとって薄味に過ぎたのだ。

 王が欲するのは、彼らキメラアントがレアモノと呼ぶ念能力者の人間の肉だ。だが現時点でそれは望むべくもなく、しかし早く生まれ過ぎたが故に王の身体は激しく栄養を欲していた。

 

「───ああ。そう言えば、丁度そこに餌があったな」

 

 ───そう嘯き、あろうことか王は気絶する女王へと手を伸ばした。

 

「なッ、王!?」

 

「この肉団子よりはマシであろう。つい先程までこの女から栄養を取っていたのだから、まあ口に合わぬということはあるまいて」

 

 目を剥くコルト。だが彼の制止も虚しく王は大きく口腔を開き───情け容赦なく、女王の頭を食い千切った。

 

「…………ッ!!」

 

 メキ、バリ……と女王の頭を咀嚼する音が響く。誰もが呆然とする中、噛み砕いた()を嚥下した王は「悪くない」と頷いた。

 

「うむ、悪くない……いや、むしろ良い。頭蓋を砕く歯応え、潰れた複眼の舌触り……いずれも悪くないが、やはり脳だな。脳が良い。魚の白子を思わせる柔らかな食感に、上品且つ繊細な濃厚さが際立つ味わい。うむ、生物の部位の中では脳が最も美味であったか」

 

 そんな感想を零した王は、それで満足したのか残った女王の身体を乱雑に放り捨てた。固まるコルトを一瞥し、多少は腹が膨れたことで周囲を観察する余裕を得た王はぐるりと女王の間を見渡した。

 

「ここは薄汚いな。もっと明るく広い部屋へ案内いたせ」

 

「───であれば、私がご案内致しましょう」

 

 ふわりと風が舞い込む。声のした方へと顔を向ければ、慌てて飛んで来たのか、やや息を荒げたシャウアプフが王に対し跪いていた。

 

「ふむ。その方、何という?」

 

「拝謁の栄に浴し光栄の極み。私は王に永劫変わらぬ忠義を捧げる者……名を、シャウアプフと申します。以降はこのシャウアプフめが貴方様の手足となり、唯一の直属護衛兵として王のために尽くす所存で御座います」

 

「うむ」

 

「御食事は見晴らしの良い屋上に御用意しております。王の所望する明るい部屋という御要望にも適うでしょう……」

 

「大儀である。案内せい」

 

「ハッ」

 

 立ち上がったシャウアプフは、己の腰ほどまでしかない王の姿を眩しそうに眺めると、王のために用意した部屋へと案内すべく先導する。王はシャウアプフの態度に満足そうに頷くと、その後について歩き出した。

 

 

 

 

「……………………ああ、そんな」

 

 王とシャウアプフが立ち去った女王の間にて、絶望に満ちた男の声が響く。膝から崩れ落ちたコルトは、首を失い完全に絶命した女王の亡骸に縋りついた。

 

「また……守れなかった。一度ならず二度までも……オレはまた目の前で、大切な者を失うことしか出来ないのか……!?」

 

 それは生前の記憶、その断片。もはや顔も名前も思い出せぬ、大切だった者を目の前で失ったという後悔のみがあった。キメラアントとして生まれ変わり、それでもまだ同じ悲劇を、同じ過ちを繰り返すのか───コルトは慟哭する。思慮深く規律を重んじる師団長の姿はそこにはなく、ただ大切な人を失い悲しみに暮れる哀れな男の姿があるのみだった。

 

 コルトだけでなく、この場に集う多くの兵たちが沈痛に俯いていた。幸か不幸か、海魔の襲撃によって間引きされた結果、この場にいるキメラアントは全員が女王に対して純粋な忠誠を捧げる下級兵ばかりであったのだ。

 心無い言葉を吐き、女王がいなくなったからと好き勝手に振る舞う者はいない。暫しの間、女王の間には沈黙とコルトの泣き声のみが響いていた。

 

「……ん?お、お待ち下さい!コルト師団長殿、女王様の腹の中で、何かが……」

 

「なに……?」

 

 何かが零れた女王の胎の中で動いている。それに気付いた兵の一匹が声を上げ、顔を上げたコルトは目を見開いた。

 

「これ、は……」

 

 震える手で、コルトは慎重に、壊れ物を触るように慎重な手つきで女王の胎に手を差し入れる。未だ熱を持つ生温かい内臓を掻き分け、コルトの指が何か小さく動くものに触れた。

 

「──────」

 

 果たして、コルトが掬い上げたのは未発達に過ぎる赤子だった。それはあまりに小さく、コルトの指の第一関節にも満たない。だがキメラアントの強い生命力故か、外気に触れてなお赤子は生きていた。あまりに小さく弱々しく───だが確かな生命の鼓動を発し、赤子は産声を上げたのだ。

 

「───この子は」

 

 コルトの目から大粒の涙が零れる。とめどなく流れる涙を拭うこともせず、コルトは決意に満ちた言葉を紡いだ。

 

「この子は、オレが守る……絶対に……ッ!今度こそ必ず……ッ!!」

 

 涙ながらに宣言するのは、「絶対に守る」という誓いの言葉。二度も目の前で大切な者を失ったコルトは、決してその言葉を違えることはないだろう。たとえ王が相手だとて、もはや今の彼を止めることは叶わない。文字通り命懸けで、彼はこの小さき命を守護するに違いなかった。

 コルトの言葉に異を唱える者はいない。誰もが知っていたからだ。最も真摯に女王に忠義を捧げていたのは、このコルトという男であったと。これほど女王の第二子を預けるに足る者は他にいまい。

 

 ドン、と階下からくぐもった爆発音が響く。それは散々に師団長を狩ってきた海魔の爆発だ。音の発生源は蟻塚の根元であり、即ち敵の魔の手がすぐ近くにまで迫ってきていることを示していた。

 

「兵たちの防御網を抜けてきたのか……!」

 

「恐らくシャウアプフ様が指揮を放棄したのだろう。王が生まれた以上、もはや女王様の居城を守る意味はないのだから」

 

「どうしますか、コルト殿」

 

「……」

 

 立ち上がったコルトは涙を拭い、窓辺に寄り外を見る。眼下に広がっているのは地面を覆い尽くす海魔の群れ。絨毯のように一面に広がる黒い影は既に蟻塚にまで及んでおり、つまり地上で戦っていた兵たちが全滅したことを物語っていた。

 

「……海魔の数は圧倒的だ。我々だけでは抗しようもなく、仰ぐべき女王も既に亡い。そして王は旅立たれるだろう、それがキメラアントの生態だからな」

 

 即ち、彼らにとっても今や巣を守る意義は薄い。そう結論を下したコルトは、巣を捨てることを全員に告げた。

 

「我々は敗北した。投降すべきだろう」

 

「投降?誰にだ」

 

「無論、人間だ。あの海魔を操っている人間がいるとシャウアプフ様が言っていただろう?即ち我々が敗北したのは人間であり、命乞いをする相手もまた人間しかいない」

 

 それに何より、この赤子を救うことが出来るのもまた人間だけだ。まだ生きているとはいえ、この赤子は本来ならばまだ母の胎にいるべき未熟児なのだ。この子を生き永らえさせることが出来るのは、高度な医療技術を持った人間しかいないとコルトは判断した。

 

「交渉にはオレが行く。誰か清潔な布と……白旗を持ってこい」

 

 

 

 

***

 

 

 

 

「うーむ、難しいことになっとるのぉー」

 

「あれは……念獣の類でしょうか?遠すぎて詳細は分かりませんが、とんでもない数だ」

 

 視力を強化し遠方からキメラアントの巣を窺うネテロ。そして各々持ち込んだ双眼鏡を覗き込むモラウとノヴ。彼ら三人は、本来ならば王が生まれるまでの間、敵戦力の把握とその削減に努めるつもりでいた。

 だが、予想に反してキメラアントは既に滅びかかっていた。見える範囲にいる生き残りは羽を持ち空を飛べる個体ぐらいであり、地上のキメラアントは既に全滅したと考えて間違いなかった。

 

 ───何故なら、巣の周囲を覆うようにして数え切れぬ程の海魔が蠢いているからだ。

 

 そのあまりに見覚えのある怪物たちの群れを見て、ネテロの脳裏に一人の少女の姿が過る。最後に出会ってから既に一年余りが経過している。あれ程の才を持った少女だ、今の時点でキメラアントの女王に手が届くまでに成長していても、まあそれ程おかしくはない。若者の成長とは時に目を見張るものがあるのだ。

 

(じゃが、それにしてもあの数は可笑しくないかのう?一体一体はさほど強くなくとも、あれだけ大量の念獣を具現化するには尋常ではない程のオーラを消費するはず。普通の人間にはまず不可能な芸当じゃ)

 

 モラウも煙を使って似たようなことは出来るが、オーラで形作った肉体を持つ念獣ともなると話が違ってくるし、それにしたって数の桁が違う。少なくとも、最後に会った時点ではそこまで人間を止めてはいなかった筈だ。ネテロは首を傾げる。

 

(……まあ、彼女が我々の代わりに女王を討伐してくれるのならそれはそれで構わんのじゃが)

 

 見える範囲の様子からして、彼女がキメラアント討伐に動いているのは明らか。そして実際にそれは成功しようとしている。ネテロたちが命を懸けるまでもなく、事は収束に向かおうとしている筈なのだ。

 

 その筈なのに───ならば森に入ってからずっと続く、この胸騒ぎは何だ?

 

(何か良くないことが起ころうとしている……そんな予感がするのぅ。見る限り彼女は既に王手を掛けており、キメラアントの王が生まれるまでもまだ一、二ヶ月の猶予がある。何も……そう、何も憂いはない筈なんじゃが。

 それに、丁度ここから巣を挟んだ反対側で起こっていた大掛かりな戦いも気になる。位置の関係でここからは良く見えんかったが、強大なオーラが見え隠れしていたことは───)

 

「! 会長、二匹程こちらに向かってきます!」

 

「ほ?」

 

 部下二人を放って考え耽っていたネテロは、ノヴに呼び掛けられたことで我に返る。示された方を見てみれば、確かに二匹のキメラアントが高速で飛んでくる様子が目に入った。

 

「気付かれたか?」

 

「待てノヴ、様子がおかしい。何か持っているな……あれは……白旗、か?」

 

 鳥の翼を背から生やしたそのキメラアントらは、モラウが指摘した通りに白旗を持っていた。彼らは三人が立っている岩場に降り立つと、旗を掲げて膝をついた。

 

「……オレは師団長のコルト。後ろのは部下のラウムだ。降伏の使者として来た」

 

「降伏?」

 

「そうだ、我々キメラアントは人間に対して降伏する。だが条件がある。この子を……女王の第二子を保護してほしい。この子はまだ未熟児で、このままではどうなるか分からない……!」

 

 キメラアント───コルトは手にした布の包を解き、中身をネテロたちに見せ付ける。布の中から現れたのは、辛うじて人型だと分かる程度の、あまりに小さな赤子だった。

 

「待て、待て待て待て……!」

 

 早口で捲し立てるそのコルトの言葉を遮り、頭を抱えたモラウが彼に詰め寄る。

 

「女王の……第二子だと!?既に王が生まれてるってのか!?最低でもまだ一ヶ月は猶予があったハズだぜ!?」

 

「我々にとっても……そして女王にとっても予想外だった。王は既に生まれ、第一子たる彼はあろうことか女王を食料として食らったのだ。我々が保護した第二子……この子は、死んだ女王の胎から見つけ取り出した」

 

「この小ささはそういうことでしたか……」

 

「参ったな……どうしますかい、会長」

 

「ふーむ……素直に降伏してくれるというのであればこちらに否やはない。その子のこともあるし、すぐに戻るべきじゃろう」

 

 本来であればまだ母の胎内で守られているべき未熟児が、こうして無防備に外気に晒されていながらも生き永らえていることは驚嘆に値する。だが未熟児は未熟児。免疫も満足に機能していないであろうし、一刻も早く然るべき設備の下で保護してやる必要があった。

 

「しかし、あの念獣を展開していると思しきハンターはどうしますか?キメラアントの王がいる地に置き去りにするのは些か危険では?」

 

「だなァ。誰があそこにいるのかは知らねぇが、事態の収束に貢献した立役者を見殺しにするのは流石に忍びない」

 

 ポックルやカイトらのように、協会の意向に依らず独自にキメラアント討伐に動いたハンターは少なくない。海魔を操る術者をそんなハンターの一人だと認識していたノヴが懸念を口にすると、モラウもまたそれに同調した。

 その会話を聞いていたコルトは、二人の物言いに首を傾げる。

 

「……?あの海魔を操っているのはお前たちの仲間ではないのか?」

 

「いえ、違います。ハンター協会が討伐隊第一陣として派遣したのは、協会の長たるネテロ会長、そして私とモラウさんの三人だけです」

 

「恐らくは、個人で動いたフリーのハンターの一人だろうな」

 

「そうか……直属護衛軍であるピトー様やユピー様を倒した程の猛者だから、てっきり人間側の最大戦力だとばかり……」

 

(……なんと、女王直下の護衛兵を二匹も。あの娘っ子が?あれだけの念獣を維持しつつ戦い、勝利したと?)

 

 ネテロはコルトの言葉を受けて軽く片眉を上げ、しかし内心ではかなり驚いていた。キメラアントの直属護衛軍といえば、女王から生まれた王に次ぐ力を持った最上位の兵隊蟻だ。目の前の師団長級キメラアント……コルトの実力を基準として護衛軍の力の程を想像するに、俗に一流と呼ぶに足る念能力者すら大きく凌駕した怪物であることは容易に知れる。何故なら眼前に立つコルト───念に目覚めて間もないのか、些かオーラの練りは拙いが───ですら、モラウやノヴに負けず劣らずの実力を持っているのだから。

 

(もしコルト君の言うことが本当であれば、彼女は既に衰えた今のワシでは及びもつかぬ実力を有していることになる。……であればあるいは、王が相手であっても持ち堪えるか?いやしかし、流石に相応の消耗がある筈……うーむ)

 

 ネテロは悩まし気に顎髭を扱く。彼の内では、この森のどこかにいるであろう少女の安全と、目の前の小さな命とが天秤に掛けられていた。

 理想としては手勢を二手に分け、一方がコルトを連れて病院に急行し、もう一方を少女の援護に向かわせるのが望ましい。しかし問題は、援護に行かせる戦力がモラウ一人に限定されてしまうことだ。何故なら急を要する赤子の搬送を最も迅速に遂行できるのは、長距離の転移を可能とするノヴのみであり。仮にも脅威度の高い亜人型キメラアントを人間の領域に招く以上、協会の最高権力者であるネテロの付き添いもまた必須であるからであった。

 

(モラウ君の実力を疑うわけではない。じゃがあちらの状況が未だ不鮮明である以上、モラウ君を一人で行かせるのはあまりに危険。下手をすれば徒に精鋭を一人失ってしまう羽目になりかねない)

 

 そしてたっぷり数秒に渡って悩んだ末───ネテロは、赤子の病院搬送を優先することに決めた。目の前の儚い命をみすみす見殺しにするのはあまりに忍びない。

 一方で少女は協会擁下のハンターであるが、身内であるからこそ、ネテロは協会の長として冷徹な判断を下さねばならなかった。そう、無事かも分からぬハンター一人の援護のために犠牲とするには、モラウの価値はあまりに高かった。敵として王が控えている現状では尚のこと。

 

(赤子を入院させた後、すぐにNGLへと取って返す。これが今のワシらに出来る最善じゃな)

 

「……宜しい、我々は君たちキメラアントの降伏を受け入れよう」

 

「! 本当か!?」

 

「うむ、無駄な血が流れないに越したことはない。他の仲間はどうしている?」

 

「生き残りは巣を放棄した。降伏が受け入れられた場合はこちらのラウムが伝令役として仲介し、予め決めておいた地点で合流する手筈になっている」

 

「成る程。ならばコルト君、君は我々について来て貰おうかの。すぐにその子を病院に連れて行かねばならぬ。……ノヴ君」

 

「はい」

 

 ノヴは眼鏡の蔓を押し上げると、彼の念能力"四次元マンション(ハイドアンドシーク)"を発動する。これは平たく言えば、具現化系能力者のみが創造を可能とする特殊な空間「念空間」を生み出す能力だ。だがノヴの念空間は一味違った。

 まず広さが違う。その名の通り、全二十一室四階建てのマンションを念空間として創造するのだ。物を自在に出し入れすることが出来る念空間としては破格の広さであると言えよう。

 またこの能力は物を収納するのみならず、入口と出口を設定することで、人や物の長距離の転送をも可能としていた。この能力を駆使し、本来であれば時間を掛けて移動すべき距離を短時間で踏破することが出来るのである。

 

 湖面に広がる波紋のように、彼らの足元が歪み穴が開く。これがマンションの入口であった。ネテロたち三人は慣れた様子で開いた入口へと沈んでいく。

 

「……!」

 

 その異様な光景に息を呑むコルトだったが、手の中の赤子が身動ぎしたのに気が付いた彼はすぐに気を取り直す。赤子を包んだ布を大事そうに抱きしめ、コルトは意を決しマンションへと飛び込むのだった。

 

 

 

 

 

 

 ───結局、彼らは最後まで、巣を取り囲む海魔たちに起きていた異変に気付くことはなかった。

 



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彼方より、旧き偽神の呼ぶ声ありて

お久しぶりです。前回の投稿より月を跨いでしまいましたが、日数的にはまだ一ヶ月経っていないのでセーフです(?)

今回の話において、パームの能力と海魔に関して独自解釈・独自設定を含みます。そういった要素が苦手な方はブラウザバック推奨です。「一度見てみないことにはブラバするべきか判断できない」という方は、しっかりと『覚悟』して読み進めて下さい(GIOGIO並感)



「何ともはや、醜穢(しゅうわい)なる眺めよ……」

 

 蟻塚の先端、屋上に設えられたテラス。王のためだけに作られたその空間にて、簡易の玉座に座った王は忌々しげにそう呟いた。

 地上が霞む程の高々度にありながら、王の優れた視力は地上を埋め尽くす海魔の群れ、その一匹一匹に至るまでを鮮明に捉えていた。この時ばかりはその優れた身体能力を恨む。シャウアプフより供された肉団子に口を付けていた王は、逃れようもないほど視界一杯に広がるその光景に重い溜め息をつき、手にした肉団子を放り捨てた。

 

「お口に合いませんでしたか?」

 

「端的に言って薄い。酷く薄い。味付けがどうこうといった話ではなく、単純に素材としての旨味が足りぬ。あの女の腹の中で極稀に非常に濃厚豊潤な馳走が送られてきた……あの味を知ってしまっては、こんな肉団子など綿かゴムのようなものよ」

 

「レアモノのことで御座いますね。念能力者と呼ばれる人間の肉は栄養豊富であり、女王も好んで食しておられました」

 

「うむ、それだ。あのえも言われぬ充足感……余の身体が欲しておるわ」

 

「では……」

 

「───だが如何にレアモノであろうと、このような場では食欲など湧こう筈もない」

 

 王は不快げに目を眇め、眼下に広がる蠢く影を一瞥する。

 

「何だ、あの醜悪な汚物の群れは。右を見ても左を見ても、どこを見てもあれらが目に入る。鬱陶しいことこの上ないわ」

 

「も、申し訳御座いませんッ!減らしても減らしても増え続ける奴ら相手に、儀を終えたばかりの配下ではどうしようもなく……私の指揮が至らなかったばかりに王の御目を汚すなど、許されざる失態。斯くなる上は、今からでも私が奴らを殲滅して───」

 

 慌てて平伏し謝罪をするシャウアプフ。しかし王の前に跪こうとした次の瞬間、シャウアプフの右頬に衝撃が走った。

 

「戯け、これ程の距離がありながら不快な潮の臭いがここまで漂ってくるのだぞ。そんな中に突っ込んでみよ、余は金輪際貴様を傍に近寄らせないだろう。貴様がいなくなっては誰が余の側近を務めると言うのだ」

 

「お、おお……」

 

 しゅる、と王の尾がしなる。強かにシャウアプフの頬を殴りつけた王は、悪臭を放つ者を傍に置く気はないと語る。

 一方、シャウアプフは感動のあまり震えていた。彼の中では「貴様がいなくなっては誰が余の側近を務めると言うのだ」という言葉のみが延々と繰り返されていた。

 

(おお、おおお……!王が!王が私如きの身を案じて下さった!"私以外には側近は務まらない"とッ!"私でなければ駄目なのだ"とッ!)

 

 確かに王はシャウアプフの力を認めており、替えの利かない配下だとは認識している。だが王は断じてシャウアプフの身を案じたのではなく、「側近に海魔の放つ悪臭が移るのは困る」程度にしか思ってはいなかった。

 王の言葉を「余にはお前しかいない」といった意味合い(ニュアンス)に曲解して受け取りながら、シャウアプフは暫しの恍惚に浸る。この時ばかりは、シャウアプフは不謹慎ながらネフェルピトーとモントゥトゥユピーの死を喜んだ。王の視線と寵愛(勘違い)を一身に受け独り占めしているこの状況は、シャウアプフにとりまさに我が世の春と言うべきものであった。

 

「? 何を赤面し身体をくねらせておる、気色悪い」

 

「……ハッ!いえ、何でも御座いません。失礼致しました」

 

「……まあ良い。貴様は余の足を務めよ。こんな薄汚い所に長々と居座る理由もなし、レアモノを食らいに出るとしよう」

 

「仰せのままに、我が王」

 

 王は玉座より立ち上がり、テラスの縁に足を掛ける。一礼したシャウアプフは王を運ぶために翅を広げ飛び上がり……一瞬、海魔の発生源たる術者のいる彼方に目を向けた。

 

 キメラアントの王は女王より生まれてすぐ、新天地を目指して旅立つという生態を有している。旅立った王はその地で(つがい)───その際の母体は同種族・異種族を問わない───を作り、新たなコロニーを形成するのだ。こうしてキメラアントは生息圏を広げてきた。王もまたその例に倣い、レアモノを探す傍ら別天地を目指すつもりなのだろう。好都合だ、とシャウアプフは考える。

 王は本人が言うように、些か以上に早く生まれ過ぎた。生まれながらに完成されていて然るべき王の肉体はまだ未成熟であり、無毀の玉体と言うにはやや不安を覚えるのが実情だ。生まれてすぐ母たる女王の身を食らうという暴挙に及んだのも、偏に未完成故の栄養不足からだろう。本来ならば母の胎内で摂取すべきだった約一ヶ月分の栄養を、王の身体は激しく欲しているのだ。

 

 ───五割。これで片を付ける。

 

「………」

 

 王の身体は未完成だ。しかし肉体強度・オーラ総量共に比類なく、特にオーラ量においてはシャウアプフは元より、モントゥトゥユピーのそれをも優に上回っている。まさに至高の王と称するに不足ない力を備えていると言えよう。

 だが思い出す。五割と宣言され、少女の身体より放出された埒外のオーラの奔流を。王が有するオーラ量は明確にそれを上回ってはいるが、しかし五割である。少女の言が本当のことだとすると、シャウアプフが見たオーラ量を倍したものが彼女の本来のオーラ量だということになる。───王と少女、果たしてどちらがオーラ量において勝っているものか。

 

(王の方が上だ……とは、真に遺憾ながら断言できない。明らかに同等か、それ以上のオーラを奴は有していた)

 

 今の王があの少女と対峙するのは危険だとシャウアプフは考える。勿論戦うとなれば自身が全力で王をサポートするつもりではあるが……それでも、シャウアプフは必勝を確信することが出来なかった。王の実力を実際に目にしていないからというのもあるが、それだけモントゥトゥユピーを圧倒した敵の姿が衝撃的だったのである。

 故に、レアモノを探しに巣を離れるという王の提案は渡りに船だった。王のプライドを刺激することなくごく自然に敵から離れることができ、更に王の肉体を完成に近づけることが出来るのだから。

 

 王が王として完成しさえすれば、如何にあの人間が強かろうが敵ではなくなる筈だ。シャウアプフはそう確信して憚らなかった。

 

「───む?」

 

 ふと、飛び上がったシャウアプフの足に己の尾で掴まろうとしていた王が動きを止める。訝しげな声を上げた王は、不意にシャウアプフと同じ方角へと顔を向けた。

 

 

 刹那、シャウアプフは脊髄に氷柱を突き込まれたかのような戦慄を覚えた。まるで途方もなく巨大な何かに魂の奥底を見透かされたかのような、異質な悪寒を感じ取ったのである。

 

 

「───」

 

 それは王も同じだった。何の前触れもなく正体不明の悪寒に見舞われた王は瞬時に警戒態勢に入り、油断なく眼下を睥睨した。

 

 その視線が向かう先……それは絨毯のように地表を覆い尽くしていた海魔の群れであった。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

「───流石の生命力、と言ったところでしょうか。人間であれば、あの状態で母体から放り出されて生きてはいられないでしょうから」

 

「では……!?」

 

「ええ、無事に容体は安定しました。後は点滴を与えつつ様子を見るのみです。が、この調子であれば問題なく成長するでしょう。キメラアントの頑丈さには驚かされますよ」

 

「良かった……本当に……!」

 

 集中治療室から出てきた担当医より赤子の無事を聞いたコルトは、安堵のあまり腰を抜かしてその場に座り込んだ。明らかな異形の姿でありながら人間臭い挙動を見せる彼を、医師は興味深そうに眺めている。

 

「感謝する……!何と礼を言ったらいいか……!」

 

「君が誠意を示し、理性ある行動を見せてくれたからこそじゃよ。でなければワシらは君たちを信用することは出来んかった」

 

 好々爺然とした微笑みを浮かべ、感涙に咽ぶコルトを眺めるネテロ。だがその穏やかな外面に反し、彼の内心では様々な打算が渦巻いていた。

 

 亜人型キメラアントの危険性はもはや語るまでもない。そんな彼らの降伏、更には女王の子の延命まで受け入れたのは、偏にキメラアントが滅びかけているからである。当初は数千を超える個体数を維持していた彼らも、今や海魔の襲撃により百匹以下にまでその数を減らしている。しかも残っているのは殆どが一般兵であり、その程度の兵力ならばハンター協会の戦力で容易に殲滅させることが出来る。要するに脅威ではないのだ。もし女王が残っていて、ここから更にキメラアントが増える余地があるのなら、ネテロとて容易には首を縦に振らなかったことだろう。

 しかし現実に女王は死に、残ったキメラアントたちも亡き女王を差し置いて繁殖し、勝手に勢力を築こうとするほど恥知らずではなかった。これ以上増えぬというのであれば、王ならぬ女王の子一匹程度、生きていようが然したる影響はないと踏んだのである。

 

(現金な話じゃが、人間側(こちら)の優位が確かだからこそ受け入れられた降伏じゃった。もしキメラアントが今以て勢力を拡大しつつあり、これから更に被害が増えていくのであれば和解は難しいことになっていたことじゃろう。ワシらは許容できても、大衆意識が許しはせんじゃろうからのぉ)

 

 NGL自治国という外界から隔離された地域で起きた事態だからこそ、この「亜人型キメラアント事件」は世間に知られぬよう隠蔽することが出来る。もしメディア等を通して情報が行き交う普通の国にまで被害が及べば、如何にハンター協会と(いえど)も完全な情報統制は難しくなる。亜人型キメラアントという存在を明るみに出さざるを得なくなるだろう。

 キメラアントの兵隊蟻は本来、女王を失えば統率を失って四散し、各々が王の真似事のようにコロニーを形成するという生態を持っている。もし師団長クラスのキメラアントが王として振る舞い、人間社会に進出し"国"を作ろうとすれば───きっと大変な被害が出ることだろう。無論、協会の威信に懸けて必ずやそんな不届き者は討伐するが、被害が出てしまっては和解の道は閉ざされたも同然となる。どれだけコルトのような穏健派が無害を主張しようが、被害が出てしまった以上、被害者が……そして被害者の遺族が彼らを許しはしないのだ。

 聞けば、謂わば過激派に属するようなキメラアントはその殆どが死んだという。まさしく僥倖であったと言えよう。どちらか一方が滅ぶまで続く戦争ほど不毛なものはないのだから。

 

 ネテロは深く溜め息をつく。強さを求めて幾星霜。ハンター協会の長にまで上り詰め大きな力と権力を手にしたものの、それと引き換えであるかのように、立場と責任という名の鎖がネテロの身を縛り付けている。降伏を求める敵と和解する……ただそれだけのことに、斯様な面倒臭い思考と打算を巡らせねばならないとは。

 

「年は取りたくないのぉ。しがらみが多くなっていかん」

 

「……? 何か言ったか?」

 

「いや……残る問題は王のみじゃな、と」

 

「……王に挑むのか?」

 

 ネテロの呟きに反応しコルトが顔を上げる。頷いたネテロは目を閉じ、己のオーラに意識を集中させた。

 

「コルト君、お主も念が使えるそうだが……王を間近に見た経験を踏まえて、忌憚のない意見を述べてくれ給え」

 

 ぐっ……とネテロの全身に力が満ちる。枯れた老体のどこにそんな力が眠っていたのか、一瞬で練り上げられたオーラが間欠泉の如くに溢れ出した。

 まるで刀剣のようだ、とコルトは感じた。鍛錬に鍛錬を重ねた刃金の如き錬磨の極致。肌を切り裂くかのような圧がどっと押し寄せる。そのあまりのオーラの鋭さにコルトは冷や汗を流し、恐れるようにじりりと後退った。

 

(これが老練の念能力者のオーラか!何と恐ろしく鋭利で冷たい圧力(プレッシャー)……!)

 

「どうかな?ワシと王とを比べて」

 

 ネテロの問いに、冷や汗を拭うコルトは数秒黙考する。思い起こすのは女王の間にて見えた王の姿。ただそこにいるだけで周囲を押し潰すかのような圧を自然体で放っていた、絶対者の威容を。

 

「………恐らく、王に触れることさえ出来ないだろう。その前に直属護衛軍に殺される」

 

「ほう」

 

「だが、護衛軍は既に二人が倒れた。残るシャウアプフ様は後方支援能力に特化していると伺っている。故に恐らく、前者二人よりは直接戦闘能力において劣る。付け入る隙はあるだろう。

 ……だがそれで終わりだ。仮に首尾よくシャウアプフ様を倒せたとして、貴方から感じ取れるオーラでは王に太刀打ちできるとは思えない。無為に屍を晒すだけだ……」

 

 ネテロでは王に勝てない。ネテロの極限まで磨き上げられたオーラを目の当たりにしてなお、コルトはそう断じた。

 ネテロのオーラを錬磨の果ての大業物と形容するならば、王のオーラは大山霊峰の類である。果たして、刀で山を崩せようか?

 

「ホッホッホ、嬉しいのぉ。───この年で挑戦者か。血沸く、血沸く」

 

「……!」

 

 その時、コルトは確かに恐怖した。王の精強さを知ったネテロの、浮かべられた笑みより滲み出る修羅の気配に恐れをなしたのだ。

 事ここに至り、コルトはまだ目の前の老人を見誤っていたことに気が付いた。好々爺然とした表情など偽りの顔。ネテロの本質はどこまで行っても武人であり、強敵を追い求める求道者である。その闘争心は老いてなお衰えず、ただの骨董品ではあり得ない()()を滲ませていた。

 

 コルトが彼から感じた"強さ"は、王から感じた"強さ"とは異なるものだ。生まれながらに完成された超越者であり、他種との生存競争に晒されたことのない王には存在しない"重み"をこの老人から感じる。あるいはこの差異が不確定要素となり、王の身に届く要因足り得るのか───?

 

 コルトはネテロのオーラを指して、その鋭さを刀剣の如しと形容した。そして、刀では山を崩せはしないとも。

 とんだ勘違いであった。刀剣は刀剣でもネテロのそれは妖刀魔剣の類であり、山をも崩す可能性を秘めていたのである。

 

「───流石はネテロ会長。全盛期の半分以下だの何だの言ってましたが、全然現役じゃねぇですか」

 

 聞こえてきた声に反応し、コルトは首を巡らせる。現れたのは二人の男。NGLでネテロと行動を共にしていたプロハンター、モラウとノヴの二人であった。

 

「おお、来たか二人とも。……それで、何か分かったかね?」

 

「はい。会長が仰っていたカオルというハンター……彼女がNGLに入国したという事実は認められませんでした。少なくとも、正規の手段で入国したというわけではないのでしょう」

 

 ネテロに水を向けられたノヴは、手元のメモに目を落とし淡々と告げる。NGLにて海魔の姿を目にしたネテロは、ノヴにカオルの足跡について調査するよう指示を出していたのである。

 

「ふむ、密入国でも敢行したか。まあそれは良い。どーせあそこは碌な国ではないじゃろうからの」

 

「そもそも今や国の機能自体が麻痺していますからねェ。今更密入国も何もないでしょうよ」

 

「……話を戻しますが。彼女が最後に目撃されたのは、ヨークシンにある大富豪バッテラ氏の別邸です。どうやらグリードアイランドなるゲームに参加していたようで」

 

「それはいつの話じゃ」

 

「約三ヶ月前です」

 

 ふむ、とネテロは顎髭を扱いて考えに耽る。長年クリア者が出なかったG・Iがクリアされたとのニュースが流れたことは記憶に新しい。どういう訳かバッテラ氏が頑として取材に応じなかったため情報が少なく、話題が下火に向かうのも早かったが。

 それが三ヶ月前。それから巨大キメラアントの情報を聞きつけ、NGLへと向かったというのが真相なのだろう。あの海魔の主がカオルである以上、彼女が現在NGLにいることは確かなのだから。

 

 だが、そこでネテロは僅かな引っ掛かりを覚えた。そもそも亜人型キメラアント発見の契機となったのは、漂着した巨大キメラアントの女王の脚だ。だが、それは別にニュースとなって大々的に発表されたわけではない。各地に情報員を配置し随時様々な情報を集めているネテロでさえ、キメラアント事件について知ったのはごく最近である。何しろキメラアントという種そのものは本来、人間にとって脅威でもなんでもない魔獣以下の虫に過ぎないのだから。話題になんぞなろう筈もない。

 にも拘らず、たった三ヶ月という長いようで短い期間の中でカオルは情報を入手し、敵陣深くまで攻め入った。多くのハンターが半ばで斃れる中、たった一人でだ。ネテロたちが道中で全く兵隊蟻と出くわさなかったことから、恐らくほぼ全てのキメラアントを相手取っていたのは確実だろう。よしんば一人でなかったとしても、並みならぬ速攻であることは確かである。

 

 つまるところ、ネテロはカオルの「行動の早さ」に疑問を覚えたのである。NGLに侵入し、敵本丸に攻め入るだけなら、まあ相応の実力と能力があるのなら短期間で実現できなくもないだろう。だがその前段階、「巨大キメラアント及び亜人型キメラアントの発生」という情報をどうやって知った?

 仮に幸運に恵まれ、偶然にもG・Iを出てすぐ情報を得られたとして。情報を入手し、その確度を精査し、戦力を整え、そして行動に移す。この過程(プロセス)をたった三ヶ月で、且つ事前知識なしで実行しろと言われたら、ネテロであれば早々に匙を投げるだろう。

 

(───知っていたのか?巨大キメラアントの女王が漂着したことを。予見していたのか?亜人型キメラアントが発生することを。だから迅速な初動を実現し、短期間での敵殲滅を可能とした……?)

 

 否、あり得ないことだ。それこそ予言のような念能力でもない限り、そんな荒唐無稽な事象を予見するなど出来よう筈もない。あるいはカオルが幻獣ハンターであればそういう情報に耳が早いことにも説明がつこうが、生憎と彼女は賞金首(ブラックリスト)ハンターである。門外漢もいいところであろう。

 

(分からん。分からぬが、しかし我らにとって最上の結果を引き寄せてくれたのは確か。彼女の不可解な行動に対する疑問は尽きぬが、王の討伐には何ら関係のないことじゃ)

 

 雑念は捨てよ、とネテロは己に言い聞かせる。相手は己より格上の難敵なのだから。そも、今こうしている間にも彼女は一人で王と戦っているかもしれないのだ。ぐずぐずしている暇はない。

 これより臨むは生涯最後の挑戦。悪くない気分だ、とネテロは笑む。なればこそ、まずは装いを改めねばなるまい。

 

(アレに袖を通すのも、これが最後になるやもしれぬ)

 

 「心」Tシャツ───ネテロが本気で戦う時だけ身に纏う勝負服。心源流の真髄を表した、彼にとっての戦装束だ。徒手空拳を得手とする彼は寸鉄も帯びず、ただ「心」Tシャツのみを纏って戦場に臨むのである。

 

「モラウ君、ノヴ君、準備は整っているかね?」

 

「オレはいつでも行けますぜ」

 

「右に同じく。必要な物資は既にマンション内に格納済みです。会長のお声さえあれば、いつでも」

 

「よし、では半刻後に出発とする。それまでは各々心身を研ぎ澄ませておくように。コルト君もな」

 

 応、という三者の声を受けたネテロは彼らに背を向ける。向かう先は勿論、「心」Tシャツを忍ばせた荷物のある部屋だ。彼は意気軒昂のままに目的地へと足を向け───

 

 

 

 ぞわり、と肌が粟立つ。やおら只ならぬ悪寒に見舞われたネテロは、瞬間的にオーラを練り上げ身構えていた。

 

 

 

「……ッ!」

 

 つ、と冷や汗が伝う。ネテロは窓の外───NGLのある方角へと真っ直ぐに視線を向ける。

 彼方より来りて、刹那に駆け抜けていった不吉の風。感じた悪寒は一瞬なれど、ネテロの警戒感は既に限界まで引き上げられていた。

 

「何だ、今のは……?王のオーラとも違う……」

 

「会長……い、今のは……」

 

 同じ悪寒を味わったのだろう、震える声を上げるコルトとノヴ。ネテロはそれらには答えず、ぽつりと思うところを呟いた。

 

「……視線、か……?」

 

 視線。そう、視線だ。ネテロが感じ取った異質な気配。それは何か得体の知れないモノ……人間が深層に抱く根源的な恐怖が形を取ったかのような何某かの、暴力的なまでの悪意を煮詰めて抽出したかの如き凝視であった。ネテロはそう直感したのである。

 

 これが度々感じていた"嫌な予感"の正体か───?真相は定かならずも、その邪視がNGLから向けられたことだけは過たず理解したネテロは、未だ狼狽えている三人へと活を入れた。

 

「……これ、いつまで狼狽えておるか。予定は変わらぬ、半刻の後に我らはNGLに向けて発つ。先の悪寒が何であれ、今にその正体は知れよう。それまでに調子を整えておくのじゃ」

 

「は……はい!」

 

 今度こそ背を向け、ネテロは気持ち急ぎ足で歩き出す。しかし総身より滲み出る気迫は増したものの、強敵を目前にした高揚は既に失われていた。

 NGLでいま何が起こっているのか。あるいは、何が起ころうとしているのか。ネテロの胸中にあるのは、今や得体の知れぬ焦燥感のみであった。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 ───時を同じくして、割符を賭けての戦いを繰り広げていたゴンとキルア、そしてナックルの下にもその「視線」は届いていた。

 

 

「な……」

 

「何だ、今の……?」

 

 思わず戦いの手を止め、呆然と呟くゴンとキルア。NGLから遥か距離を隔てた街の郊外にあってなお、冒涜的な悪意を乗せた邪視は彼らにも向けられたのである。

 

「あっちはNGLのある方角じゃねぇか……何が起こっていやがる」

 

 古風なリーゼントヘアー(ツッパリ)の男───ナックルは滲み出た冷や汗を拭い、未だ見えぬ敵の姿を推し量るかのように目を眇めた。外見から粗暴な印象を抱かれがちな───そういう一面があることも確かだが───ナックルであるが、彼は決して粗野でも野卑な男でもない。少し血の気が多くて粗忽なだけであり、冷徹な戦略眼と天性の勘とを持ち合わせた生粋の戦士であった。

 そんなナックルの経験と勘が告げていた。何か超級にヤバイことが起こっている、と。

 

「ナックル」

 

「シュートか。おい、感じたかよ」

 

「ああ……今のはヤバイ、かなりヤバイ」

 

「ああ、洒落にならん」

 

 唐突にナックルの傍らに現れた、着流しに身を包んだ長身痩躯の男───シュートが不安と焦りを満面に浮かべながらナックルに話し掛ける。平時であればもっと落ち着いた、理知的な言い回しをするシュートが「ヤバイ」とだけ連呼していることからして、彼の抱く不安の程は瞭然であった。

 

「何が起こっているんだ……?」

 

「ンなもんオレが聞きてぇよ……っと、電話か?」

 

 ピリリ、という電子音が鳴り、ナックルは懐から取り出した携帯電話を開く。その着信が師匠───モラウからのものであると見るや、彼は即座に通話ボタンを押し込んだ。

 

「師匠ですか?」

 

『ああ、オレだ。感じたか、ナックル』

 

「ええ、感じました。ありゃあ一体何ですかい」

 

『それはオレも知りたい……ま、これからそれを確かめに行くんだがよ。どうも先に連中と交戦していたハンターがいたらしくてな。ソイツの援護及び救出の必要もあるんで、オレたちはすぐにでもNGLに発つつもりだ』

 

「……こんなこと言いたかありませんが、ソイツはまだ生きてるんですかね?」

 

 聞きましたよ、王が生まれたんでしょう───その言葉を既のところで飲み込んだナックルは、ちらとゴンとキルアに視線を向ける。キメラアントの王が生まれたという情報は、ゴンとキルア……特にゴンにはまだ伏せられていた。直情傾向にある彼のこと、更なる危険が生じたと知ればカイト救出を逸りかねなかったからだ。

 

「あー……ンンッ!で、そのハンターはどんなヤツなんですか?」

 

『カオルという名前の賞金首ハンターだ。オレたちが偵察に行った時点ではまだ生きていたんだが───』

 

「カオル!?」

 

 唐突にゴンが声を上げる。何事かとナックルが振り返れば、彼のすぐ足元に立ち驚きを露わにする少年の姿があった。

 ゴンは五感に優れる。彼はナックルの至近にまで忍び寄り耳(そばだ)て、通話の内容を傍受していたのである。

 

『あん?そこにゴンがいるのか……丁度いい。ナックル、ソイツにも聞かせてやれ』

 

「え?は、はあ……」

 

 ナックルは言われるがままに携帯を操作し、スピーカーを切り替える。聞き耳を立てずともモラウの声が聞こえるようになったところで、彼はゴンに語り掛けた。

 

『おい坊主、お前さんはカオルって野郎を知ってんのか』

 

「野郎じゃないよ、女の子だもの……うん、知ってるよ。カオルは友達で、オレと同じ287期のハンター試験を受けた同期なんだ」

 

「ついでに言うと、つい数ヶ月前までグリードアイランドっつー念能力者用のゲームで一緒に行動してた」

 

 所在なさげにしていたキルアも会話に加わる。すると、モラウはキルアの言葉に反応し通話越しに口を開いた。

 

『マジか。ということは、あのゲームをクリアしたのはお前さんたちなのか。で、クリアした後にカオルとは別れたと……去り際に何か言ってなかったか?』

 

「何か『用事がある』って言ってたよ。本当ならカオルも誘って一緒に行動するつもりだったんだけど、断られちゃって」

 

『用事、用事ねぇ……事前にキメラアントの発生を見越していたっていう話は本当だったのか……?』

 

 何やら受話器の向こうで唸るモラウ。ゴンとキルアは不思議そうに顔を見合わせた。

 

『……まあいい、お前さんが聞きたいのはそういうことじゃねぇだろう?』

 

「あ、そうだよ!カオルがNGLにいるって話!本当なの!?」

 

『会長が言うにはそうらしい。半日ぐらい前か、オレらが偵察目的で連中の巣に近寄った時点では生きていた。生憎と事情があって遠目に見るだけで撤退したが、少なくともカイトってヤツより緊急性は高くないと判断した』

 

 何しろキメラアントを殆ど殲滅しつつあったからな、というモラウの呟きに、その場の全員が目を剥いた。

 

「キメラアントを殆ど殲滅って……それはどういうことですか」

 

『どういうことも何も言葉通りの意味さ、シュート。オレらが確認した時には地上の兵隊蟻はほぼほぼ全滅、残ってるのは空を飛べる一部の奴らだけだった。キルアが言ってた猫のキメラアント……ネフェルピトーって言ったか?ソイツも含めてもう散々に蹴散らしたらしい』

 

「アイツを……!」

 

 ざわっとゴンの全身が総毛立つ。カイトの腕を奪った憎きキメラアント。彼らに拭い難い恐怖を刻み込んだ怪物。

 猫のキメラアント───直属護衛軍、ネフェルピトー。いずれまた相見えるとばかりに思っていたキルアは、怨敵が既に死んでいるという事実に「ありえねぇ」と呻いた。

 

「あんな馬鹿げたオーラを発していた化け物だぜ……それを倒した?確かにカオルはすげー強かったけど、流石に信じられねぇ」

 

 しかもネフェルピトーを倒しただけに飽き足らず、キメラアントそのものを全滅に追いやりつつあったという。敵と直接相対した経験を持つ彼らだからこそ、俄かにはその事実を信じられずにいた。

 

『まあ信じられん気持ちも分かる。だがオレは確かにこの目で見たし、何よりこちらに投降してきたキメラアントの師団長がそう言ったんだぜ』

 

「じゃ、じゃあ!アイツが死んだってことは、カイトが生きてる可能性があるってことだよね!……ん?なら、何でカオルの救出に急いで行く必要があるの?カオルは勝ったんでしょ?」

 

『あー、それは……』

 

 口篭もるモラウ。試練を突破したわけではないゴンに王が誕生したことを伝えて良いものか。

 だが兵隊蟻を生み出す原因であった女王が死んだことで、既に試練はその意義を半ば失っている。別に構うまいと思い直したモラウはややあって口を開いた。

 

『……王が生まれたのさ。女王は死んだが、女王に倍する脅威が新たに発生したというワケだ』

 

「王って、キメラアントの!?」

 

「ってことは、アイツは今たった一人でそんな危険地帯に……」

 

 確かにカオルは強いのだろうし今更それを疑う者などいないが、護衛軍を含む多くのキメラアントと戦った後となれば流石に相応の消耗がある筈だった。

 しかし酷な話であるが、最悪カオルが死んだところで大きなデメリットは今や存在しない。ネテロたちが最も恐れていた「摂食交配による敵戦力の増加」は女王が死んだことでもはや起こり得ないのだから。王との戦いにおいて戦力として宛にできるのであれば彼女の生存にも意味はあろうが、直前の戦闘による消耗を思えばその望みも薄い。消耗したカオルの救助のために戦力を分散するぐらいであれば、いっそ彼女には死んでもらっていた方が王の討伐に注力できるという点においてメリット足り得た。

 

 だが、モラウたちは血の通わぬ戦闘機械ではない。情を持ち合わせた人間である。この「キメラアント事件」における最大の功労者であるカオルを、僅かなメリットのために見殺しにするような冷血漢など三人の内にはいなかった。彼らは本心からカオルを、そしてカイトらを助けたいと思っているのだ。

 

「モラウさん、オレたちも連れてって!カオルは大事な友達なんだ!」

 

 だからこそ、モラウはそう叫ぶゴンの言葉を無下にできなかった。元より義理人情に厚い性格であるモラウは、友を助けたいと叫ぶ少年の思いを無視できる男ではない。

 

『……いいだろう。だが、現場ではオレらの指示に従ってもらうぜ』

 

「師匠!?」

 

「ありがとう、モラウさん!」

 

 女王がまだ存命であったのなら、流石のモラウとてゴンたちの同行を許しはしなかっただろう。摂食交配による戦力吸収の恐れがなくなった今だからこそ、ゴンとキルアは十分戦力足り得るのである。

 ……最悪、消耗により戦力外であろうカオルや、仮に生きていたとしても重傷を負っているであろうカイトらを退避させる足代わりとしての役割は果たせる。少数精鋭の意義が薄れた現状では猫の手でも借りたいのが実情であり、ならば外部からの応援を待つよりは今ここにいるゴンたちを動員する方が手っ取り早く合理的であった。

 

 そういった諸々の打算があることなど知る由もないゴンは、割符の奪取を待たずして同行を許されたことを無邪気に喜んだ。ナックルは突然の決定に驚くも、素早く意識を切り替え眼光鋭くゴンとキルアを見据える。

 

「師匠の決定だからな、今更オレから言うことは何もねェ。足ィ引っ張るんじゃねぇぞ!」

 

「もちろん!」

 

「……シュートだ。よろしく頼む」

 

「キルア。まあ、よろしく」

 

 ナックルが発破を掛け、ゴンは威勢よくそれに応える。実は少年二人とは初対面であるシュートが会釈し、キルアもまたそれに応じた。

 そんな彼らのやり取りを通話越しに聞き、モラウはその意気軒昂なる様に笑みを浮かべる───ようなことはなかった。むしろその逆、モラウは電話の向こうで渋面を浮かべていたのである。

 

 実は、モラウは彼らに伝えていないことが一つあった。それはノヴの弟子であるパームの件に関してである。

 

 パーム=シベリア。彼女は一風変わった強化系念能力者であり、遠見───千里眼にも似た念能力を有している。直接的な戦闘能力ではなく、距離を無視した情報収集能力を買われてネテロ率いる討伐隊に同行したのである。

 パームは水晶玉を触媒に遠見の能力を発揮する。制約は「対象を肉眼で見ること」であり、一度でも彼女の視界に入った者はその監視から逃れることはできない。

 

 だが精度を度外視すれば、この制約はある程度無視することができた。対象の名前や現在の居場所など、情報を出来る限り多く揃えれば目視していなくとも遠見は発動するのである。実際に対象を捕捉できるかは情報量と運に左右されるのだが。

 そして、パームはノヴに頼まれこの能力を発動した。対象はカオルであり、目的は件の邪視の正体を断片的にでも探ることであった。幸いにもネテロに頼まれていた件でカオルに関する情報は揃っており、現在の居場所も判明していたため問題なく遠見は効力を発揮したのである。

 

 そして───パームは発狂した。何を見たのかは定かではない。だが水晶越しに"何か"を見、彼女は正気を失ったのである。

 「星辰が揃った」だの「蘇る」だの意味不明な言葉を悲鳴と共に叫び、パームは意識を失った。現在はビスケットが看病しているという。

 

 パームは一流のプロハンターだ。モラウやノヴからすればまだまだでも、平均値を大きく上回る強力な念能力者なのは確かである。そんな彼女が正気を失うなど尋常なことではない。つまり、それだけ尋常から逸脱した何事かがNGLで起こっているのだろう。

 理性は「戦力は一人でも多い方がいい」と言う。一方で、本能は「ゴンたちを行かせるべきではない」と忌避感を露わにする。理性と本能の二律背反がモラウを悩ませていたのである。

 

 だが賽は投げられた。結果としてモラウは理性の声に従い、ゴンとキルアの同行を許した。ネテロもノヴも否とは言うまい。それだけ状況は逼迫しているのだから。

 モラウは現地で落ち合うことをゴンたちに告げ通話を切る。それでも、彼の内では不安が渦巻いていた。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 ───死せる■■■■■、ルルイエの館にて、夢見るままに待ちいたり。

 

『Ia! Ia! Cthulhu fhtagn! Ia! Ia! Cthulhu fhtagn!』

 

 穢れた嬌声、呪詛の輪唱。粘性を帯びた泡立ちにも似た、くぐもったような深きものどもの唱和が響き渡る。

 

 ───夢見るままに待ちいたり。夢見るままに待ちいたり。

 

『Ia! Ia! Cthulhu fhtagn! Ia! Ia! Cthulhu fhtagn!』

 

 白濁した眼球、深淵の異相。全身を滑り光る鱗で覆った異形、人ならざる人形(ひとがた)。乱杭歯が並ぶ口腔から腐臭と呪詛とを撒き散らしつつ、深きものどもは呪いをこそ言祝いだ。

 声高らかに両腕を振り上げ、海神の眷属たちは叫ぶ。目覚めの時は今ぞ。

 

 ───死せる■■■■■。

 

『Ia! Ia! Cthulhu fhtagn! Ia! Ia! Cthulhu fhtagn!』

 

 ───夢見るままに、待ちいたり。

 

 呪詛であり祝詞。深きものどもの喝采を受け、深みの落とし子どもは触手を蠕動させ、互いに寄り集まり融合していく。触手同士が絡み合い、無数の落とし子が融合と膨張を繰り返す。巨大な肉塊を形成する。

 それはこの世ならざる光景、吐き気催す程に冒涜的なる景象であった。樹海を覆うように伸び広がっていた海魔の波が、ある一点を目指して収束していくのである。もはや直視するだけで精神を砕きかねない程に悍ましい汚物の集積体は、聳え立つキメラアントの蟻塚にも匹敵する巨大さにまで成長しようとしていた。

 

 その烏賊か海星の如き姿を指して海魔と呼び称される使い魔たち。その正体は"クトゥルフの落とし子"。ルルイエの館にて主と共に永劫の眠りにあると語られたそれらが、いま地上に惨劇を顕そうとしていた。

 

 海魔同士が融合しているようにも見えるが、その行為は供犠───海魔自身の血肉を触媒に新たな海魔を生み出すという代替召喚の延長にある。海魔もとい落とし子どもは、その身を以て"何か"をこの世に顕現させようとしているのだ。

 その悍ましき光景をカオルは無感動に眺めていた。左手の中の魔導書は猛り狂う魔力の渦動を滔々と垂れ流し、深淵に通じる術式を編み上げていく。

 空間を歪める程の魔力の波動に僅かに視界を阻害されつつ、カオルはカクンと右に首を倒し何事かを呟いた。すると、今まさに最高潮の昂りを見せ激しく両腕を振り上げていた深きものどもがピタリと動きを停止。直後、一斉に海魔の肉塊目掛け駆け出した。

 

 我先と肉塊へ走り寄り、その身を投げ出す深きものども。その悉くを、なおも増殖と膨張を繰り返す原形質から伸ばされた大小様々な触手が絡めとり、引きずり込んだ。深きものどもは一切の抵抗なく、むしろ嬉々としてその身を捧げ蠕動する肉塊の内へと沈んでいく。

 続々と集い、融合し巨大な原形質へと変貌していく落とし子。そして針金虫に寄生された蟷螂の如く、主に操られるがまま肉の海へと身投げを敢行する深きもの。海魔と海魔による暴食の宴。斯様な地獄めいた光景と比べれば、黒魔術師の魔宴(サバト)の方が幾分かマシというものであろう。

 

 そして変化は訪れる。遂に全ての深きものが肉の海に呑み込まれた刹那、球状にまで膨れ上がった不定なる原形質が確かな輪郭を形成し始めたのだ。

 (タコ)烏賊(イカ)の胴部、あるいは磯巾着(イソギンチャク)の口盤を思わせる巨大極まる"頭"が天を衝き、繊毛の如き細い触手の集合体とでも称するべき脈動する"胴体"が柱のように屹立する。そしてそれらを支えるかのように、二十を超える触腕が伸び広がった。一本一本が高層ビルにも匹敵する長大さを有するそれら青黒い触腕は、巨体を支える"足"であり"腕"である。轟音を立てて大地を掴み、虚空を踊る"足"あるいは"腕"は、歓喜を表すかのように細かく震えた。

 

 

 

 

『■■■■■■■■────!!!』

 

 

 

 

 どこに声帯があるのか、それは歓喜の雄叫びを上げ大気を震わせる。誕生を告げる呪詛混じりの産声は、破滅を告げる風となってNGL全域に吹き荒んだ。

 クトゥルフの落とし子の集合体として誕生したそれ。であれば、この巨大海魔を指して称するべき呼び名は一つしかない。

 

 ゾスより飛来せし侵略者。宇宙原初の混沌を祖とする、水気を統べる旧き支配者。大いなる者どもの代弁者にして大司祭。

 

 

 ───死せる■■■■■、ルルイエの館にて、夢見るままに待ちいたり。

 

 

 邪なる神々、その一柱。非ユークリッド幾何学的な外形からなる、異界の法則が支配する館にて微睡む者。星辰が揃う時、海底より浮上し世界に破滅を告げるサタンなる者。

 

 

 ───死せる■■■■■、ルルイエの館にて、夢見るままに待ちいたり。

 

 

 その名はトゥールー(Tulu)。その名はトゥートゥー(Thu Thu)。その名はクトルット(Kthulhut)。その名はクトゥルー(Kutulu)。その大いなる御名は───クトゥルフ(Cthulhu)

 

「───死せるクトゥルフ、(Ph'nglui mglw'nafh Cthulhu)ルルイエの館にて(R'lyeh)、夢見るままに待ちいたり(wgah'nagl fhtagn)

 

 パタン、と魔導書を閉じる。カオルの目の前に、今、語るも悍ましき旧支配者の似姿が顕現したのである。

 

 だが、これが本物であろう筈もない。神話(空想)に語られる大いなるクトゥルフとは、似てはいるが明確に異なる異形である。宝具『螺湮城教本(プレラーティーズ・スペルブック)』が原典たるルルイエ異本の劣化コピーであるからして、よもや本体を召喚できる筈がないのである。

 ではこれが何かと問われれば、カオルには答える術がなかった。恐らくクトゥルフの化身の一つ、あるいはクトゥルフに相似するだけの大魔獣か何かだろうと予想を立ててはいるが、真相は定かではない。

 

 唯一確かなのは、これが途方もなく巨大で強大な生命体であり、また未完成であること。そしてこの上なく飢えていることだけだ。

 これがクトゥルフとして信仰・定義されて召喚された以上、これはクトゥルフとして完成するまで止まらない。であれば、これが完成に至るための贄を求めるのは自明の理であり、深きものどもが数百体程度では贄として全く不足していた。

 

 ぼこぼこと粘液に濡れ光る青黒い肉の表面が泡立ち、大量の眼球が現れる。それは途方もない悪意と飢餓の感情を乗せて周囲を睥睨する。非ユークリッド幾何学的法則が支配する居城にあったそれにとって距離などは何ら意味を持たず、およそ地表の全てを視界に捉えた。NGLは言うに及ばず、地平線の彼方に至るまで全てがそれにとっての"視界"であったのだ。

 星そのものに遮られるでもない限り、それの視線が届く範囲に限界はない。しかし物理法則が支配する物質世界に肉を持って現界した以上、直接的な影響を及ぼせる範囲は触手の届く距離に限られる。故に、手近な位置にある獲物に真っ先に食いつくのは当然の帰結であった。

 

 脈動する汚肉の表面から、蠕動する網の如き触手が何条も躍り出る。とある世界にて最新鋭の戦闘機をも苦も無く捕獲した触手は、巨大海魔顕現の一部始終を呆然と眺めていた空飛ぶキメラアントたちに襲い掛かった。

 当然ながら、一瞬で百メートル以上の距離を伸縮する触手から逃れる機敏さを持った者などいない。ましてや"儀式"の影響で衰弱していた彼らは、悲鳴を上げる暇すらなく触手に絡めとられるしかなかった。

 

『■■■■■■■■────!!』

 

 異形は吼える。まだ足りぬと、贄が足りぬと苦悶を上げる。

 神格一歩手前程度の格を有するそれは既にカオルの支配下にはないが、それでも召喚主を襲わない程度の分別はあった。それは未だ魔導書からの魔力供給が存在維持に大いに役立っているからこそではあったが、理由はどうあれ現状においてカオルは獲物の対象外であった。

 

 で、あれば───いるではないか。召喚主に負けず劣らず美味そうな贄が、柱のような建造物の上に二匹も!

 

 蠢く原形質の表面から疣のように現れた眼球が一斉に見開かれ、蟻塚の天辺に立つ二匹の贄───王とシャウアプフへと視線を殺到させる。蛇の群れの如きにうねくる触手が、更なる贄を求めて鎌首を擡げた。



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怪物と狂乱と、そして忘却

お久しぶりです、ピクト人です。すまねぇ、とりあえず言い訳させて。

活動報告にも書きましたが、ピクト人は年末とても忙しかったです。しかしリアルの忙しさにかまけて二ヶ月近くも執筆をほったらかしにしていたのが宜しくなかった。すっかり小説の書き方を忘れてしまっていたのです。
既に結末までの構想はあるのに、それを中々文章化できない。そんなもどかしさに悩まされつつちびちびと年始あたりから書き進めていたからこのありさまです。せめて正月中には投稿したかったよ……

そしてできあがったのが今回のお話。大雑把にまとめるなら、

「待っていたぞメルエムゥ……!」フルフルニィ

といった感じの内容です。
字数は一万もない、文章が全体的に拙い、というかあんまり話が進んでない。そんな散々な仕上がりですが、しかし寛大な皆様であればきっと許してくれると信じてます。許して下さい何でもしまむら。


『■■■■■■───!!』

 

 

 咆哮と共に殺到する幾条もの触手。蟻塚に影を作る程の巨体を誇る魔性は、身の毛もよだつ殺意と飢餓の感情を撒き散らし王とシャウアプフへと襲い掛かった。

 

「チッ」

 

 突然の事態に王は舌打ちし、床を砕く程の勢いで飛び退いた。直後、天から振り落とされた長大な触腕がテラスごと蟻塚の上部を粉砕する。

 そして虚空に身を躍らせた王を猛追する大小様々な触手。王は鬱陶し気に顔を歪めると、自在に撓る尾を構え迫る触手を迎撃しようとする。

 

 だが次の瞬間、王の身に迫り来る全ての触手が切断される。目を見開く王の視界を過ったのは、まるで稲妻のように複雑な軌道を描いて空を奔る蒼い流星だった。彼方より飛来したソレは擦れ違い様に進行方向にある障害物(触手)を寸断しながら、一切速度を緩めることなく王目掛けて激烈な突撃(チャージ)を敢行した。

 

「な、グ───!?」

 

 蒼く煌めくオーラを箒星の尾の如くに棚引かせ、流星となって迫るソレを王は交差させた腕で受け止めた。堅牢を誇る腕の甲殻が砕ける程の衝撃を味わい、堪らず呻き声を上げる。

 無論のこと、空中にある王がその衝撃を受け止められる筈もない。王はなおも膨大なオーラを噴出するソレに押し出されるようにして地上へと落下していった。

 

「王!?王───!!」

 

 すぐ隣を掠めるようにして駆け抜けていった流星の余波で吹き飛ばされつつ、シャウアプフは王の名を叫び刹那の間に視界から消えていった主の残影を追うようにして手を伸ばす。だが、続々と迫り来る触手の波に彼はそちらへの対応を余儀なくされた。

 今はまだ邪神の成り損ないでしかない大海魔は、極上の獲物を横取りされた苛立ちを表すように激しく触手をうねくらせる。しかし魔力供給源を握る召喚主に逆らうことができない故に、渋々ながらも獲物をシャウアプフへと切り替えた。

 

「ええい、私は王をお助けせねばならないというのに……この化け物が!邪魔をするなァ!!」

 

 シャウアプフは端麗な顔を歪め吠え立てるが、しかし海魔にはそんな事情など関係ない。悍ましい食欲を振り撒き、ただでさえ巨大な異形を更に膨張させる。

 そして汚肉の蠕動と共に新たに生える長大な触腕が十本。計三十本となった触腕を伸長させ、海魔は抱きすくめるようにして蟻塚ごとシャウアプフを捕らえに掛かった。

 

 だが、戦闘力は低いとはいえシャウアプフは直属護衛軍、最上級の兵隊蟻だ。背の巨大な蝶の翅は高速飛行を可能としており、彼は十把一絡げの飛行型キメラアントなど比較にならぬ速度で危険域から脱出した。

 紙一重で窮地を脱したシャウアプフは、海魔に押し潰され瓦礫と化し崩れゆく蟻塚を一瞥する。しかし僅かな感傷を抱く暇もなく、悍ましい触手は更に数を増して襲い来る。全長300メートルにも達する海魔の挙動は相応に鈍重だが、全身から繊毛のように生える細い触手は怖気が走る程に素早い。シャウアプフが捕まるのも時間の問題だろう。戦闘機にはない小回りの良さで翻弄し続けるにはあまりに触手の数が膨大であった。

 

 だが、シャウアプフの武器は優れた飛行能力だけではない。触手の一つがシャウアプフに触れようとした刹那、唐突に痙攣した触手はあらぬ方向へと振るわれ空を切った。

 

「"鱗粉乃愛泉(スピリチュアルメッセージ)"──どうやら、全く効果がないというわけではないようで」

 

 空を舞うシャウアプフの周囲をキラキラと煌めく鱗粉が躍る。海魔の触手はこの特殊な催眠効果を有した鱗粉に触れ、認識を狂わされ標的を外したのである。

 完全に魔導書の支配下にあった落とし子や深きものと異なり、強固な自我を有する大海魔は魔力経路こそ繋がっているが既に魔導書の支配下にはない。この相違が"鱗粉乃愛泉(スピリチュアルメッセージ)"の付け入る隙となった。元より念を解さぬ海魔は比類ない巨大さと強大さを獲得した代わりに、操作系念能力に対する脆弱性をも得てしまったのである。

 

 動作を狂わされ制御を失った触腕が自重に任せて大地に叩き下ろされる。甚大な衝撃が大地を震撼させ、轟音を立て地盤を捲り上げた。倒壊した蟻塚の破片や粉砕された木々が巻き上げられた土砂と共に宙を舞う。

 しかしあまりに巨大な体躯を有するこの大海魔にとり、触手の一本二本など枝葉末節のようなものだ。単細胞生物の如き体構造の大海魔に脳はなく──強いて言うならば全身が脳であり手足である──従って"鱗粉乃愛泉(スピリチュアルメッセージ)"は対人間ほどの効果を発揮できず、そも300メートルを超す巨体全てを犯すにはシャウアプフの鱗粉では圧倒的に規模が不足していたのである。

 

『■■■■■■───!!』

 

 濛々と立ち込める砂塵の内より、悍ましい怪異の雄叫びが響き渡る。更に数を増していく触手、その全てがシャウアプフを照準していることを感じ取り、今やただ一人のみとなった軍団長は冷や汗を浮かべた。

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 そして、遂に両者は邂逅を果たす。

 

 大地に落とされたキメラアントの王は、眼前に立つ不逞の輩に憤怒と困惑の入り混じった視線を送る。王の玉体に傷をつけた罪は三度殺してもなお飽き足りぬ程に重いが、それはそれとして彼女から送られてくる未知の感情に彼は困惑を隠せなかった。

 それは憎悪の域にまで膨れ上がった殺意。自然界においてはあり得ざる、知性ある者のみが持ち得るどす黒い害意の発露。敵意や怒りと呼ぶにはあまりに不純で昏い感情が、眼前に立つ少女より向けられていた。

 

「ようやく……ああ、ようやくだ。些か予定は狂ったけれど……ようやく、この時が来た」

 

 万感の思いが込められたその言霊には血臭にも似た殺意が宿る。さもあらん、少女は──カオルは、この瞬間のために血塗れの戦いを繰り返してきたのだから。否、戦いと呼べるほど高尚なものではなかったか。与えられた力を振り翳し、更なる力を求めて己はどれだけの命を踏み躙ってきた?

 だが、そんな恥の上塗りを続ける日々も今日で終わる。キメラアントの王──カオルが知る限り最強の生物が、今、目の前に立っている。

 

「アナタを……お前を食らえば、私は更に強くなれる」

 

「貴様、何を……」

 

 ある男は言った。『人間は誰でも不安や恐怖を克服して安心を得るために生きる』と。全くその通りだ。カオルは安心感を得たいがために蛮行を繰り返し、そしてここまで至ったのだ。その行いに終止符を打つべく、カオルは全身のオーラを()()で駆動させる。

 

 ハンター試験の時も。

 

 幻影旅団と戦った時も。

 

 グリードアイランドにいた時も。

 

 そしてネフェルピトーやモントゥトゥユピーと戦っていた時も──一度として、カオルは本気を出してはいなかった。本気を出すまでもなかった場面もあれば、底を悟られぬために敢えて全力を出さなかった場面もあった。だが今や力を隠す意味はないし、また手を抜いて勝てるような敵でもない。

 

 

 そして──カオルは、渾身の"練"を行った。

 

 

 果たして、それはオーラの爆発であった。ネテロのように極限まで錬磨された技巧はない。ただ力の限りに持ち得るオーラを練り上げたというだけの、暴力的に過ぎる"練"。もはや"練"なのか"堅"なのかすら分からぬオーラの暴力は、この瞬間あらゆる人間の技術を置き去りにした。

 カオルを中心として、膨れ上がるオーラが嵐となって吹き荒ぶ。地割れを引き起こし、大気を震わせる天地鳴動の破壊の嵐。そしてその全てが指向性を持って王ただ一人に向けられる。

 

 これがキメラアントの王という怪物を打倒すべくカオルが出した答え。念能力者の間では「オーラ量の多寡など物差しの一つに過ぎない」と言われているが、それは比較対象が同じ人間だから言えることだ。人間などではあり得ない、比較することすら烏滸がましい程の莫大に過ぎるオーラ。どんな能力が相手だろうと強引に押し潰す圧倒的なパワー──それこそが、王を打倒するための最適解であるとカオルは確信していた。

 原作における王の死因に倣い、高熱や毒を用いる能力を獲得しそれを活用するという手も一度ならず考えた。だが毒ならば既に持っているし、得てして強力な能力には制約及び誓約(リスク)がつきものである。ましてや王に通用するレベルの能力などどんなリスクを負うことになるか分かったものではない。そんな不安定な能力を主軸に戦略を組むよりは、堅実にドレインを繰り返し王を凌駕するレベルまでオーラを高める方が確実であるとカオルは考えていた。

 

 何故王は強いのか?それは護衛軍の誰をも上回る強大なオーラを生まれつき有していたからに他ならない。地盤を砕く程の"百式観音"の連撃を受け切れたのも、肉体の強靭さの上に強力なオーラの防護があったからである。ならば、そんな王をなお上回るオーラがあればどうか。絵の中でどれだけ猛火を描写しようと現実の人間を燃やせはしないが、逆に現実の人間が絵を破壊することは容易である。極論ではあるが、それと同じ理屈で現実と絵を阻む次元の壁の如き単純な力量の差があればよい。王が有する強みを同じ領域で上回ってやればよいのだ。

 

 その結果がこれだ。カオルの凝視を受けた王は、暴風となって吹き荒れるオーラの圧を受け為す術もなく吹き飛ばされた。

 

「馬鹿な……余を上回る(オーラ)だと……!?」

 

 吹き飛ばされつつも、王は過度に動揺することも我を忘れることもなく迅速に身を翻し体勢を整えてみせる。流石、生まれながらに完成されていると評された最強のキメラアントと言うべきか。

 だが再び地に足をつけ顔を上げた時、既にカオルの姿は王の眼前にあった。

 

「ッ!?」

 

「この日のために磨き上げた、お前を殺すための刃だ。存分に味わい、死んでいけ」

 

 憎悪の域に達する殺意と暴虐を体現するオーラを嵐と従え、身動ぎの度に破壊を撒き散らしつつカオルは王に肉薄する。目と鼻の先にまで接近した濃密な殺意に濡れる(かんばせ)を直視し、王は言い様のない恐怖を覚えた。

 そのとき王の表情に過った恐怖と戦慄の色を、カオルは見逃さなかった。今以て彼女の中で恐怖そのものであるキメラアントの王が、逆に彼女の存在に恐怖している。その事実にカオルは喜悦を隠せなかった。口端に淑女にあるまじき悪辣な笑みを湛え、怪物と化した少女は牙を剥く。

 

 そうだ、恐怖しろ。かつての弱かった私が生まれてもいないお前の影に怯え恐怖していたように、お前も私という死神の刃を恐れ震えるがいい。

 人間を殺すモノ。人類に仇なすモノ。そして私を脅かすモノ。恐るべき暗黒大陸を由来とする埒外の化外ども、その首魁たる蟻の王。

 

 死ぬがいい。

 死ぬがいい、キメラアントの王。私は、私を殺し得る全てのモノを憎悪する。()()()()()()()()()()()()

 

 ──その憎き有り様に、用があるぞ。

 

「もう何ものにも私を脅かせは、しない」

 

 竜鱗の剣脚が閃く。オーラと魔力を充填した刃の如き踵が、下段より王を強襲した。

 狙うはがら空きの首。隙を晒す王の首級を上げんと、魔剣の名を冠する踵が刃を晒す。

 

 その一閃を、王は上体を後ろに反らすことで避ける。後一瞬でも反応するのが遅れていれば王の首は文字通りの泣き別れを果たしていたことだろう。

 空振りする踵の一閃。しかしカオルは空振りした脚を止めることなく、勢いのままに宙返りする。

 そして発動する"霊気放出・第一開放(オーラバーストⅠ)"。魔力放出のスキルを参考に作り上げた"発"が駆動し、ジェット噴射のようにして空中にあるカオルの身体を強引に操作する。今や彼女にとっては空中も地上も関係がない。地を蹴ることなく、激烈な加速を得た蹴撃が王の胴体を両断せんと唸りを上げた。

 

「チッ──」

 

 空中にいながら自在に姿勢を制御し攻撃を繰り出す魔人の妙技。常人にとっては目を疑うような挙動であるが、しかし王からすれば不意打ちにもなり得ない。そも生まれたばかりで戦闘らしい戦闘などしたことがない王にとっては、敵手の行動は全てが等しく未知の攻撃である。

 然るに、王にとっては達人の正拳突きも素人のテレフォンパンチも大差なく、不意打ちじみた魔人の挙動すら意外でも何でもない。等しく「そういうもの」として冷徹に受け止め処理するだけ。唯一「己を凌ぐ速度」という点のみを脅威と感じ、王は不満げに舌打ちした。

 だが、王の尋常ならざる動体視力と反射速度を以てすればカオルの速度にも対処が可能だ。敵が己よりも速く動くのなら、敵よりも()()動けばよい。王はカオルの二撃目が身に迫るのを感知した時点で既に回避行動に移っていた。王はバク転の要領で後退し、素早く空中に逃れることで横撃を回避したのだった。

 

 王は良くも悪くも型に囚われない。経験がない、という一点がこのとき王に有利に働いた。人間は性能を経験で補うが、化け物は経験を性能で補うのである。

 

 空振りした一閃が大地に大断層を刻み込む。莫大な魔力が込められた斬撃は生い茂る木々を伐採し、その威力の程を知らしめる。

 一瞬にして地形をも変容せしめる魔人の一撃。その破壊痕を着地した木の枝の上から見渡し、王は流れる冷や汗を拭った。

 

 王の肉体は頑強だ。およそ生物のものとは思えぬ程にその甲殻は堅牢であり、有り余るオーラが頑強さに拍車をかける。それは"百式観音"の攻撃を物ともしなかったことからも明らかである。

 だが、"百式観音"とカオルの蹴りとでは攻撃の性質が異なる。"百式観音"の主な攻撃手段が巨大な観音像の手による掌撃であるのに対し、カオルの攻撃は刃の如く鋭利な踵による斬撃、あるいは膝の棘による刺突である。言わば、面の攻撃に対する線、あるいは点の攻撃。威力そのものは同じでも、接触部位に掛かる力の圧が異なる。ペンの背中で押されるよりペン先で押される方が鋭く痛むのと同じように、カオルの鋭い攻撃の方が打撃よりも王の防御を破る危険性を秘めていたのである。

 

 故に、王は敵の危険度を限界まで引き上げた。あれは己の命を脅かすに足る強敵だ。少女から向けられる身に覚えのない憎悪には首を傾げるばかりだが、ここに至りそんな疑問は些事であった。

 何故なら、あれは王に刃を向けた賊である。敵意を向けるだけならいざ知らず、刃を以て明確に敵対の意思を示したとあってはもはや捨て置けぬ。

 

「……良かろう。貴様は余自ら誅を下してくれる」

 

 その不敬、万死に値する。命を以て贖うがいい──もはや敵の強大さなどは関係なく、王は自らの手で敵の命を潰えさせること以外頭になかった。

 

 絶死を告げる王の苛烈な視線と、殺意に濁るカオルの凝視が交差する。初手で王を仕留められなかったカオルは苛立ちを露わにする一方で、「やはりこうなったか」という諦観もまた感じていた。

 必勝を期してはいるが、それでも容易く勝利できるほど彼我の力の差は大きくない。その差をできるだけ大きくするべく執拗にドレインを繰り返したりコムギを攫ったりと様々な手を尽くしたわけだが……こうして現実に対面したことで、カオルは敵の強大さを再確認せざるを得なかった。想像に違わず……否、想像以上に王は強い。原作の時期より明らかに早い誕生だったので幾らか未成熟であることを期待していたのだが、やはりと言うべきか、生まれ持った基本性能が他と隔絶している。オーラ量で上回っただけでは圧倒的な差をつけるには至らなかった。

 

(仮に……大雑把に互いのオーラ量を数値化した場合、王が100とすれば恐らく私は250~300ほど。対して、私の肉体能力を100とすれば王は150~200ほどか。総合能力には然程の差はない。取り分け、耐久力に関しては歴然とした差をつけられている)

 

 元々、メルトリリスという英霊は耐久力を重視して設計(デザイン)されていない。それはむしろ姉妹機たるパッションリップの領分だろう。どれだけドレインを繰り返し性能を拡張しようが、生来の性質だけは変えようがない。そこが「改造」ではなく「拡張」しかできないメルトリリスの限界である。元々低い耐久力は、レベルを上げてもそれなりの数値にしかなり得ないのである。

 その低い耐久力は獲得した膨大なオーラで補う必要がある。しかし元より優れた耐久力を生まれ持っている王は、カオルと比べればそこまで防御にオーラを割く必要がない。攻撃能力で劣っているとは思わないが、それでも攻撃に回せるオーラの割合的に折角上回っているオーラ量というアドバンテージを活かせているとは言い難かった。恐らく、カタログスペック以上にカオルと王との間に力の差はない。

 

 無論、そもそも防御にオーラを割り振らなければ良いというだけの話ではある。元よりメルトリリスは攻撃性と敏捷性に重きを置いた英霊。「当たらなければどうということはない」の精神で特攻すれば何とかなる可能性は高い。だが、それをするにはカオルの側に戦闘経験値が足りていなかった。

 カオルはこれまで一度として本気を出したことがない──言い換えれば、それは「本気を出さなければ勝てないような格上との戦闘経験に乏しい」ことと同義であった。一応は敗北と捉えている天空闘技場におけるヒソカとの戦いでさえ、ルールを無視して全能力を殺害に傾けていれば呆気なく勝てていたことだろう。幻影旅団との戦闘時ですら余裕を──それを油断と言われれば返す言葉もないが──残していた。

 

 そんな有り様で戦闘技術が磨かれる筈もない。未だに"幻想舞踏(クライムバレエ)"が消滅していないことからもそれは明らかである。レベルドレインにかまけて命懸けの戦闘を避けてきたカオルの自業自得であった。

 

 だが仕方がない──カオルは死にたくないのだ。死にたくないのだから、命懸けの戦闘を避けるのは当たり前である。危険を冒したくないがためにカオルはドレインを続けてきたのだ。

 結果として、期待していたほど大きくないものの差はつけられた。これで良しとし、今あるもので勝利を掴み取るしかない。なに、悲観するほど絶望的な戦況でもなし、それに戦いはまだ始まったばかりである。

 

 死にたくない。死なないために、これより命懸けの戦いを始める。矛盾しているが矛盾ではない。何故なら、これが最初で最後の命懸けだから。

 

「切り札もある。だから、大丈夫。大丈夫、私は勝てる。勝って、奴を吸収して、更なる力を得て──」

 

 あれ。

 力を得て、私はどうしたいのだったか。

 

「──そう、平穏だ。誰にも脅かされない環境。命のやりとりなんてない穏やかな毎日。凪いだ海のような、代わり映えのない幸せな安住」

 

 だがあらゆる危険に満ちたこの世界では、そんなささやかな幸福の実現にさえ力が要る。前世の日本でだって事故や事件は絶えなかったのだから、況やこの世界の危険度は計り知れない。

 だから力を。私に力を下さい。どんな危険をも跳ね除けられる、そんな絶対的な力を。

 

「だから──死ね、キメラアント。私の幸福のために殺されろ。お前が死なないと、私は幸福になれない」

 

 望むのは、凪いだ海のような穏やかな毎日。ならば、私が海そのものになればいい。その程度の高望みなら神様だって目溢ししてくれるだろう。だって、本を正せばこの力は神を名乗る何某かによって与えられたものなのだから。

 故に、カオルは迷いなく目的のために力を振るう。これまでそうしてきたように。今に至るまでの道程は、全てこの日のためにあったのだ。

 

 ぶわり、と長く伸ばされた黒髪が躍る。立ち昇るオーラの渦動が天を衝き──刹那、カオルは爆発的な加速と共に再び王へと突撃した。

 

「来るか、下郎。王に盾突くことの愚かしさをその身に刻み込んでくれる」

 

 王の言葉を無視し、カオルは無言で刃を振り上げる。元より語る言葉など持ち合わせてはいない。極めて機械的に、そして義務的に殺戮を遂行する。

 これは狩りだ。獲物を囲い込み、罠にかけ、確実に仕留める。狩りの成就に必要な一手もじきに出揃うだろう。そこに獲物と語らうような余分は不要であった。

 




カオルおめぇ、G・Iでは「冒険っていいよね」みたいなこと言ってたじゃねぇか!言ってることぶれっぶれじゃねぇかいい加減にしろ!


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死線を超えて、届かせるは致命の刃

今更ですが、いつも誤字報告ありがとうございます。誤字報告機能ってホント便利。
一応投稿前と後に一通り確認しているんですけど、それでも漏れが出る。物書きにとって、誤字脱字とは残酷な友人ですね。ぶっちゃけ切れるもんならさっさと切りたい友人関係ですが。


「ぐ、がああああああ……!!」

 

 王の苦悶の声が響く。一歩で亜音速を超え、二歩で音速に至る。木々を薙ぎ倒し岩壁を砕き、地盤を掘削しながらカオルはNGLの樹海を縦横無尽に駆けていた。

 カオルは王の後頭部を鷲掴みにし大地に叩きつけ、そのまま"霊気放出(オーラバースト)"を発動、(やすり)にかけるようにして王を引きずり回したのだ。

 

「おおおおッ、いい、加減に、せんかッ!」

 

 王は両手を回して己の後頭部にあるカオルの手に掴みかかり、拘束を引き剥がそうとする。しかし白く細い五指は万力の如く王の頭を掴んで離さず、鉤爪は虚しく肌に傷をつけるだけに終わる。

 そうしている間にもカオルは一切減速せず、なおも旋回するように樹海を駆け巡る。固く根を張る巨木に叩きつけ、聳える岩壁に叩きつけ、大地に叩きつけ消えぬ轍を刻み込む。まるで親の仇と言わんばかりの執拗さで王の頭を打ち据え振り回し──しかし、甲殻が磨り減るどころか血の一滴も流れる様子はなかった。

 

「かったいわねコイツ。本当に生き物?」

 

「ぉぉおおおおお……!」

 

 拘束を剥がすことを諦め、王は地面に向かって勢いよく腕を叩きつける。真下で爆発した衝撃はカオルごと王の身体を空中へと持ち上げた。

 束の間の浮遊感。跳ね回る視界から解放された王は、ギロリと背後の怨敵を睨む。

 王がこうして空中に逃れるのはこれが初めてではない。しかしその度に真上へと噴射される"霊気放出(オーラバースト)"によって地面へと引き戻されていたのだ。だが今度ばかりはそうはさせじと王は脳震盪を起こしたかのように平衡を失う己を叱咤して身体を捻り、カオル目掛けて拳を振り上げた。

 

「"極地からの光(アフーム=ザー)"」

 

 ──だが、ようやく反撃せんとした王を出迎えたのは灰色に輝く炎だった。

 視界を埋め尽くすのはゼロ距離で放たれた巨大な火箭。不浄を思わせる青い燐光を散らす灰色の炎は、目まぐるしく形を変えながら王の身体に纏わりついた。

 

「が、あ"あ"ア"ア"ア"!?」

 

 それは炎でありながら極寒の冷気を纏っていた。幾千もの針で神経を刺されるような激痛が走り、王は堪らず絶叫を上げる。更に追い打ちをかけるように開いた口腔にまで炎は侵入し、容赦なく口内の水分を氷結させた。

 

 

 キメラアントの王を相手取る上で、カオルは強力な念能力を開発することよりも単純にオーラ量において王を上回ることが最も肝要であると結論付けた。嵌れば強い能力とは、翻って嵌らなければ何の意味もないということでもある。コルキスの魔女の大魔術が騎士王の対魔力を前に敢えなく雲散霧消してしまうのと同じように、膨大なオーラを持つ王に念能力が通じない可能性を危惧したのである。

 とは言え、オーラの増強にかまけてそれ以外の一切を切り捨ててしまうのもまた下策である。オーラを込めた物理攻撃が王の肉体強度を超えられない可能性もまた等しく存在するのだから。

 

 故に、カオルは賞金首の念能力者をドレインする中で「これは」と思った能力のみを厳選して奪い、独自に改良して第二第三の刃として隠し持っていたのである。今し方放った"極地からの光(アフーム=ザー)"もその一つ。蟻はごく一部の種を除き温暖な気候を好む昆虫であり、低温に対する耐性を持っていない。そしてNGLもまた温暖な地域の国であり、人間は言うに及ばず、そこに生息する生物のいずれもが冷気耐性を持たず──従って、摂食交配によって進化し生まれた王もまた冷気耐性を有していない可能性が高かった。

 

 

 結果は──ご覧の通り。灰色の炎が散ると、そこには白い息を吐き震えながら蹲る王の姿があった。薄く開いた目蓋から覗く眼球にはびっしりと霜が張っている。

 しかし息を吐いているということは呼吸器を凍結させるまでは至らなかったらしい。徐々に呼吸を荒くさせ、王はパキパキと凍った関節を動かして立ち上がろうともがいている。

 

(そのまま窒息死してくれれば楽だったのだけど)

 

 小さく息を吐きつつ、カオルは具足にありったけのオーラを充填させる。動きが止まっている今が好機。

 

臓腑を灼くセイレーン(Seiren burning organs)──劇毒にもがき苦しむがいい!」

 

 折り曲げた右膝から伸びる鉄杭の如き棘が蒼く輝く。"霊気放出(オーラバースト)"による加速を得たカオルは、蹲る王を串刺しにせんと疾駆する。

 狙うは心臓。一突きで仕留めてくれる──そう必殺を期して放たれた一刺はしかし、伸ばされた王の右手で受け止められた。

 

「!?」

 

 極低温で動作が鈍っているように見えたのは偽装(フェイク)。直前までのぎこちない動きが嘘のように機敏に動いた右手は、迫る棘を避け右脚の脛部分を握り潰さんばかりの力で掴み取った。

 

「間抜け」

 

 超速の突進を腕力のみで防ぎ切った王は、軽く身動ぎし全身の霜を振るい落とすや勢いよくカオルを振り回し始めた。先程までの意趣返しと言わんばかりに何度も何度も地面に叩きつけ木々を薙ぎ倒し、その度に地響きを立て大地を揺らす。

 

「……頑丈な脚だ」

 

 振り回す手は止めず、王は己の右手に目をやりぽつりと呟く。金剛石すら容易に握り潰す王の握力を以てしてもカオルが纏う具足に罅一つ入れることは叶わなかった。ギシギシと軋みを上げるのはむしろ王の腕の(外骨格)であり、白銀の脚には曇り一つない。

 

「フン」

 

 王は不満げに鼻を鳴らすと、ハンマー投げの要領でカオルを投げ飛ばした。カオルはまるで鉄砲玉のように水平に吹き飛んでいく。

 立ち並ぶ木々を粉砕し一直線に吹き飛ぶ。カオルが脳震盪から解放され我に返ったのは二キロ近く吹き飛んだ辺りだった。

 

 "豪猪のジレンマ(ショーペンハウアー・ファーベル)"──土で汚れた黒髪が重力を無視して蠢き、通り過ぎようとした木に巻き付く。そして"霊気放出(オーラバースト)"による逆噴射で制動を掛け、カオルはようやく停止することに成功した。

 ズズン、と髪を巻き付けた大木が倒壊する。身を起こすカオルは全身を苛む鈍痛に顔を顰めるが、その程度で済んだのは幸いであった。普通の人間であれば投げ飛ばされた時点で死んでいるし、そもそも振り回される際に右足が根元から千切れ飛び出血多量で死んでいる。レベルドレインによって少なからず強化された肉体強度と極まった"流"によるオーラ防御がなければ危なかっただろう。

 

「やってくれる……」

 

 ギリリと歯軋りし、カオルは脳内メモに「王に冷気攻撃は効果なし」と書き込む。ゴキブリですら低温下では活動を停止するのに、蟻んこが元気一杯とはどういう了見か。昆虫の常識を無視する敵の理不尽と、偽装を見破れなかった己の不甲斐なさに腹が立つ。

 体表面のオーラを小さく放射し土埃を払うと、思考を打ち切り接近する巨大なオーラに向き直った。吹き飛んだカオルを追って王が迫る。カオル程ではないとはいえ、数キロの距離を僅か数秒で走破するとは見上げた健脚である。

 

「"幻想左腕(イマジナリ・レフトハンド)"」

 

 左腕から膨大なオーラが噴き上がり巨大な腕を形成する。指先は鋭くまるで鉤爪のようだが、この能力の本領は攻撃にはない。

 

 構えた"幻想左腕(イマジナリ・レフトハンド)"の中心に飛来した王の拳が突き刺さる。十分な助走をつけて放たれた拳の威力は凄まじく、オーラの掌を貫通し穴を空けた。

 だがそれだけだ。オーラの腕故に拳大の穴が開いた程度では何の痛痒もなく、むしろ飛び込んできたのをこれ幸いと五指を閉じ王を捕えに掛かった。

 

「この程度……!?」

 

 王は身を捩り腕力に任せて拘束を引き剥がそうとするも、オーラの腕はびくともしない……どころか、身体が思うように動かない。まるで金縛りを受けたように身動きが取れなくなった。

 これが"幻想左腕(イマジナリ・レフトハンド)"の効果。その手に囚われた者は強制的に動作を停止させられ、口元を塞がれれば呼吸すらままならなくなる。……とは言え、あらゆる力関係を無視して問答無用に拘束できるほど強力な能力というわけではない。如何にカオル程の力があろうと、相手が王ともなればそう長くは通用しないだろう。

 

 ビシリ、と"幻想左腕(イマジナリ・レフトハンド)"に亀裂が走る。このままでは窒息すると焦った王が、()()本気を出して力を込めたのだ。そして生じた間隙に尾先の毒針が突き込まれ、更に亀裂を押し広げる。掌中に間隙が生じたことで拘束能力が緩み、その隙を衝いて王は尾を振り回した。

 尾の衝撃により中指と薬指、小指が砕け散った。これにより更に能力が減衰し、王はほぼ身体の自由を取り戻すことに成功する。

 

「フンッ」

 

 伸びきった右腕を引き戻し、上半身を縛る人差し指と親指に両手を掛ける。そのまま捻るように力を込めれば、指は呆気なく千切れ消滅した。

 指を全て失ったことで形成を維持できず"幻想左腕(イマジナリ・レフトハンド)"は雲散霧消する。腕の強度自体は大したものではないが、付随する拘束効果が厄介な能力であった。

 

 カオルのオーラ量を以てしても数秒間の拘束が限界。大した制約のない能力などそんなものだ。──とは言え数秒間の猶予が得られたのは事実。王を相手にそれは値千金の時間であった。

 

 拘束から逃れた王は身を翻し、カオルから五メートルほど離れた位置に着地する。そして着地と同時に水飛沫が上がり、王の足を濡らした。

 

「……?」

 

 王は違和感を覚え足元を見る。果たしてこんな所に水溜まりなどあっただろうかと。

 否、それは水溜まりではない。波のようにさざめくその水は、いつの間にやらカオルを中心に徐々に広がり水位を増していた。

 

 途端、王の