とある空想の能力活劇(改) (SD)
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邂逅

 随分前に投稿して以来、ネタを考えては消し、考えては消してきました。
 結論から言えば、キリがないと思ったので、投稿し始めた次第です。
 如何に文章を書くかで悪戦苦闘しております。
 匿名での投稿となりますが、どうぞご容赦ください。


 日も沈み始め、溶岩を彷彿させる、赤く粘着質な光が行き渡っていた空も群青に染まって来た頃。街のあちらこちらで電灯が都会らしい無機質な光をチカチカと発し始めた、その頃。学園都市の中でも特に学生寮の多い第十七学区でさえ、もう辺りに出歩いている学生は見られない。その為、その学区のある通りで明らかな犯罪行為が行われていたとしても、それを咎める者は居なかった。いや、もしも居たとしても恐らくは咎めはしなかっただろう。

 

 「………えーっと、学生さーん 」

 

 「もう一度言うけど、今俺たち困っててさー」

 

 「ちょーっとばかし、金貸してくれねーか? ああ、もちろんいつかは返すからな、いつかは」

 

 「だから、今言った事を取り消そう、な?」

 

  (………何せ、そんなことすれば、腕っぷしのある脳筋不良達に返り打ちに逢うに決まってるからなぁ......)

 

 今現在、全くもって不愉快な馬鹿笑いを浴びせられ、なけなしの所持金を奪われそうになっている女子高校生、上方井鶴(かみがたいつる)。紺色のジャージの上下、肩まで伸びたストレートの黒髪、そして凛とした顔つき。彼女の姿を目にした時、真っ先に強い印象を受けるのその三つだろう。年頃の女性らしからぬ洒落っ気のあまり見られないその姿からは、その表情と共に凛々しさが醸し出されている。

 格好の獲物を見つけた獣のような笑みを貼り付け、自分と後ろで立ち竦む青年を囲む小悪党達を、彼女はどこか他人事のように苦笑いしながら、事の発端に思いを巡らしていた。

 

 全ての始まりはもう夕日が半分ほど沈んできていた時間帯に遡る。 井鶴が青春の華の女子高校生になってから一ヶ月程度経った五月の初め。夏休みを期待するにはまだ早過ぎて、日が沈むのもまだまだ遅い時期のある日。高校生になったからといって、生活のスタイルが劇的に変わるわけでもなく、教育の水準が世界最高の学園都市であろうが、そこまで特別な日常は井鶴の前に存在していなかった。

 その日、ひょんなことから問題児の友人の起こした事件の巻き添えを受けていた。てんやかんやあったのち、教師からの説教を長いこと聞き、ついでに反省文を日暮れまで書くこととなり、井鶴はすっかり疲れてしまっていた。

 そんなときに限って、不良との予期せぬ遭遇は起こった。

 突然だが、簡単に説明すると、井鶴の住処から高校までは基本的に、レトロな団地を彷彿させる学生寮群を縫っていく、やや複雑な形で通学路が展開されている。学生が住む場所を集中させた地区の為、学生寮の周りは、学生寮が集中しているのであり、八百屋や精肉店、 定食屋やファストフード店は愚か、ちょっとしたドラッグストアすら無い。正直なところ、井鶴は区画整備を行った昔の学園都市の人々の正気を疑っている。そして、最後の希望であった学校付近のスーパーのタイムセールは、見事な藍色を帯び始めた空模様に鑑みれば、とっくに終わってしまっているだろうことは、容易く想像できた。

 どうしようかな、と歩きながら金欠少女である井鶴は策を練ろうとしつつも、どうやらこの晩と次の朝は割高のコンビニを利用しなければならないと悟り、とぼとぼ肩を落として歩いていた。『置き去り(チャイルドエラー)』である井鶴は、他の学生と違って仕送りという、家計における一筋の光明が存在しない。一応専用の手当が存在するとはいえ、週単位、月単位、年単位で見たときに、ほんの少しの支出も、積み重なれば明らかな損失として現れてくる。これ即ち、無駄遣いは出来ないということである。収入の足りない学生にとっては、馴染みのある事だろう。

 話を戻そう。井鶴が歩むこのルートは、学生寮ばかりでまともな店が無いという事は先ほど述べたが、一応それでは殺風景なのだと誰かが思ったのか、学生寮が密集した辺りを暫く進むと、噴水やら何やらがある広場に出る。朝はジョギングとかしたりする学生もいるが、夜はてんで人気がない。まあ、開発だのなんだのやってれば疲れるから、朝はいても夜は居ないのだろう、と言う人がいるだろうが、それは違う。

 井鶴がを抜けていこうとした時、ふと歩いていた通りの端、丁度広場と道路の境から、唐突に怒号が聞こえてきた。証明によってきらきらと輝く石畳と、鈍く光を跳ね返すアスファルトが、明瞭にその分かれ目を主張しているその上で、何人かの青年達ががなり立てている。

 反射的に頭をそちらへと向け、井鶴は目にした。

 

 「………おいおい、学生さん何でこれしか持ってないんだよ。万札どころか千円札すらロクにねーじゃねーか!」

 

 「ちょっとした慈善活動のつもりでさ、金にも能力にも恵まれない俺達の為にちゃーんと出してくれよー」

 

 「お前、ナガテンの生徒だろ! んで、そんな奴が金持ってねー訳ねーだろ!? ちょっとそこで跳んでみろよ!!」

 

 ────余りにも露骨過ぎるそのカツアゲの現場を。

 そう、この人気のない広場は、夜になるとしばしば不良達の屯する場となるのだ。まあ、人の目が極端に少なくなるから、当然のこととも言える。生憎、今日はこの集団以外にはうろついている不良達は居ないようだが。

 井鶴は歩みを止めた。不良と思わしき数人の男達に、細縁の眼鏡を掛けた、細い体躯の青年が数人の不良に囲まれているのが見えた。彼の身長は井鶴と同じ位だが、制服の襟にあるローマ数字の「III」の文字から察するに、中学三年、ないし高校三年辺りなのだろう。さっき不良の一人が言っていたナガテンという言葉から、名門の長点上機学園に通っているのかもしれない。彼らに対抗する為の能力、或いは武器を持ち合わせていないからか、彼は反抗するようなそぶりを見せず、顔を引きつらせている。

 「無能力者集団(スキルアウト)、か」

 そう井鶴は推し量った。自らの能力に対する失望や、能力の強度の低さ故の周囲からの差別、過激な競争意識による仲間との軋轢などによって、学校から逸脱した存在。そう一般的には言われているが、実際の所それなりの能力を持っている人間も中には居る。その為、完全な無能力者の集まりでないものも少なくはなく、所謂チンピラの代名詞として、学園都市の人々の間で使われている。彼らの所業の数々により、年がら年中警備員達が疲弊させられているのは、周知の事実である。

 井鶴には見逃すという選択肢はある。ぐったりしている今の状態では、助けに入った所でまともに状況が変化するとも考えられない。だが、助けない訳にはいかなかった。それが、上方井鶴の短い人生の生み出した性分を基にした、学園都市の学生がするには非合理的な判断であったとしても。

 

 「やめなよ、君たち」

 

 そして、取り敢えず井鶴はその間に割って入ったのだった。

 あん、と濁りのある声を荒げ、一斉に不良たちが井鶴の方を向く。怒気に当てられて、一瞬ひるむも、井鶴は言葉を継げる。

 

 「彼、嫌がってるみたいだけど」

 

 数人の不良のうち、一人の男は舌打ちをし、一人の男は溜息をつき、一人の男は顔を歪めた。

 

 「……舐めてんじゃねーぞこのアマ……って言いたいとこだが丁度いい。アンタ、俺らに寄付してくれねーか。この野郎、ロクに金を持ってなくてな。それ次第で考えてやるよ」

 

 井鶴の言葉に大した反応をする事もなく、不良は苦々しげに言葉を吐き捨てた。

 

 「一に、有り金全て渡して立ち去る。二に、無駄に対抗した挙句有り金を奪われていいようにされる。三に有り金全部奪われて楽しいコトをする、なんつってな」

 

 続いて少し軽い感じの不良が、ふざけた調子で言葉を発した。巻き起こる下卑た笑いに眉を僅かに潜め、ロクでもないことを言った不良を始め、井鶴には徒党を組んだ不良達が優越に浸っているのが理解できた。

 

 「………私がどう動こうが、君らは応じる気が無いって事?」

 

 少し声の調子を落として井鶴は尋ねる。

 

 「うーん、ちょっと違う。詰まる所、俺らの気に触るような事をする前ににどっかいけって事さ」

 

 一人の飄々とした感じの男は苦笑いをしながらそう言った。

 

 「つってもまあ、なんかあったら即、第二、第三の選択肢だけどさ。お前、よく見ると女にしてはまあイケる方じゃないか」

 

 また誰かがそれに乗って何かをほざいているが、聞いていても不愉快極まりないだけなので、井鶴は言葉を流しつつ、チラリと細縁眼鏡の青年の方見た。あちらの方は視線に気づいたのか、目を合わせてきて、小さく首を横に振った。それが逃げろという意味なのか、見捨てるなという意味なのかは井鶴には分からなかったが、井鶴の中でやる事は決まっていた。最初は物々しい態度に当てられて、多少の恐怖が渦巻いていた井鶴だったが、話の通じそうにない相手の対応により、単純な苛立ちが沸々と湧いてきていた。最早まともに言葉を交わす必要もなく。

 

 「………君達の言うことに従うつもりは、毛頭無いね」

 

 きっぱりと、不良達を前に井鶴は言った。

 

 そして、暫しの膠着状態を経て、今に至る。不良達は逆上しかけているようで、顔を引きつらせながら一歩、井鶴の方へ距離を詰めた。平和的に会話する程度の余裕は残っていたようで、再び井鶴に話しかけた。

 

 「………へえ、そいつはいい考えだな。で、どうするんだい」

 

 だが、そんな雰囲気も、井鶴の次の言葉で消えることとなる。

 

 「私が君達に支払うべき物なんて何一つない。そして、それはそこの彼も同じ。だから、私が彼を連れて何処に行こうが、そこに何ら問題はないね」

 

 彼らの中から漏れていた、あからさまな不遜な態度が消え、そして怒気混じりの嫌な雰囲気が、じわりと体に纏わりつくのを感じた。

 ようやく彼らの中ではっきりしたのだ、軟弱な女学生一人に、ある程度荒事に長けている自分達が、格下扱いされていると。

 

 「………ま、待ってください。この人には手を出さないで下さい。僕をサンドバッグにしようが好きにして良いですから 」

 

 井鶴と不良の間に流れて始めた張り詰めた雰囲気を破って、細縁眼鏡の青年が井鶴の前に立った。不良達からは目を逸らし、歯切れ悪くもそう言った。この場でそれをするという事に、意味は無く、寧ろ不良の怒りに触れる可能性のある、明白な自殺行為であるのにも関わらず、彼は言った。ここまで何もやってこなかった青年の思わぬ行動に井鶴は少なからず驚いた。ただの意気地なしでは無かったのか、それとも見栄を張ったのか。その彼なりに覚悟を決めているのか、不良達に向けられた力のこもった形相からは、少なくとも後者は考えられにくいと、井鶴は思った。

 不良の中でも肩幅のしっかりとした、体格の良い男が青筋を浮かべ、細縁眼鏡の青年の襟首を掴んだ。

 

 「俺達は、金が欲しいだけで、お前を殴るとかそういったことは、正直どうでもいいんだよ」

 

 そう凄味を効かせて、男は呟く。

 

 「じゃあ、こんな下らないことなんかやらずに、バイトするなり何なりして、堅実に金稼ぎしたらどうなんだよ。なんで僕と彼女みたいな部外者がこんな目に遭わなくちゃいけないんだ!」

 

 青年の叫びを聞いたが早いか、男は憤怒の念の一切を拳に蓄えたようで、無表情で右の拳をゆっくりと振りかぶり、細縁眼鏡の青年に渾身の力で殴りかかろうとした。

 不良達は、これで忌々しい茶番が終わる、とばかり思い、また青年は、すぐにも飛来する痛みを覚悟した。 男の放った拳は彼を盛大に吹っ飛ばし、一連の騒動は終わるかと思われた。

 しかし、その拳は途中で止まった。いや、止まってしまった。ピタリと、今までの勢いが嘘だったかのように、細縁眼鏡の青年の眼前で静止している。それは常識を考えれば存在し得ない現象だった。

 

 「………えっ」

 

 細い体躯の青年の口から、驚愕の響きを持った声が飛び出した。

 男の腕を静止させていたのは、紛れもなく井鶴の手だった。その太い腕の肩に近いところを、井鶴は横から掴んでいた。力を全く感じられない、ほっそりとした彼女の腕が、ガタイの良い男の腕の動きを止めたのだ。不良達の息を呑んだ音が、はっきりと聞こえたくらい、周りはしんと静まりかえっていた。得体の知れない何かに遭遇したかのように、殴りかかった男は悲鳴すら上げる事無く、目を見開いて井鶴の横顔を眺めていた。純粋な戸惑い、恐れが心を支配し、次の一撃を繰り出すという事すら、彼の頭から消し去っていた。井鶴が腕から手を離すととに、派手な尻餅をついて男は体勢を崩し、膝から地面に着いた。

 不良達は信じられなかった、まさかただの女学生、しかも喧嘩慣れしていなさそうな部類の者、に後手を取るなど。しかし、ともすれば彼らは一つの結論に至った。

 

 「テメェ………まさか………」

 

 「………気づくのが遅いよ。私の能力は大能力者(Level.4)級の『肉体強化(ビルドアップ)』だ。君達程度じゃ、勝負になるのかどうかも怪しいね」

 

 その言葉を聞き、不良たちの間で緊張が走った。大能力者。しかも、攻撃に特化した能力持ちの。それは言うまでもなく、大した能力を持たない不良たちに、井鶴は到底敵わない存在である事を意味する。

 

 「下手に出たら調子に乗って………、さぁ、どう料理してくれようか」

 

 そう言いつつ、井鶴は不良達のかたまっている方向へ、一歩、静かに踏み出した。

 

 「……全治一週間、一ヶ月、一年、それとも…………君達はどうされたいのかな」

 

 あっけらかんとした響きを持った言葉だった。その言葉は、数秒とかからず不良達の間にある二つの感情を伝染させていった。高位の能力者への畏怖を、抗う気力すら奪う恐怖を。そして一人の不良の情けない悲鳴を。また、違う不良の後ずさる足音を。その他の些細な事を皮切りに、一気に彼らの逃走本能に一気に火が放たれた。それからはまるで映画を早回しで見ていくかの様に、あっという間に全てが終わった。不良達は当初の獲物だった細縁眼鏡の青年には目もくれずに逃げていき、その場には精神的にも肉体的にも疲労した井鶴と、呆然とした顔の青年の二人だけが残された。

 

 

 

 「本っっっ当に、ありがとうございましたっ!」

 

 「うーん、まあ私も君もラッキーで助かって良かった、ってだけだからなぁ.........」

 

 その後、井鶴は細縁眼鏡の青年から何十回と頭を下げられていた。井鶴が止めるように言って、ようやく顔を上げて、恥ずかしそうに頭を掻いているその姿からは、彼が生真面目だが冴えない、一般人である事がひしひしと伝わってきた。

 不良達になぜ絡まれていたのか尋ねた所、本当に偶々通りかかって、制服であっさり所属校を悟られてしまい、便利な金蔓と見られてしまったからだという。まあ、そういった理由を抜きにしても、学園都市の進学校の生徒は特に僻まれるから、青年が特に何か考えていた訳ではなくても、不良達から勝手な嫉妬混じりの嫌がらせを受けたのだろう、と井鶴はぼんやりと曇ってきた頭の中で思った。

 井鶴が疲れてため息をついたところで、青年が口を開いた。

 

 「えっと僕、金原佐久間(かなはらさくま)っていいます。長点上機の中等部の三年です。強度は……恥ずかしながら強度はLevel.0、無能力です。今回の恩は何かで返させていただきます」

 

 「堅苦しいのはよしなよ。私は上方井鶴、パッとしない高校に通う学生だよ。俗にいう『至って普通な高校生』、だね」

 

  肩を竦めながら言うと、金原は笑いながらこう返してきた。

 

 「いやだなぁ、普通だなんて。さっきバシッと不良達の前で言ってたじゃないですか、大能力者の『肉体強化(ビルドアップ)』だって」

 

 うん、残念ながら違うんだと思いつつ、井鶴は苦笑いを抑えながら言った。

 

 「あー、それなんだけど………、ハッタリなんだ」

 

 「…………へ?」

 

 途端、状況は一転し、雰囲気が固まった。金原が金魚の様に口を開いては閉じている。

 仕方がない、上方井鶴には『肉体強化(ビルドアップ)』なんていう大層な能力は無いのだから。 代わりにあるのは、使い方に一工夫を要する精神系統の能力なのだ。

 

 「詳しくは言えないけど、私の能力は精神系統の物なんだ。だから、そのことがバレていたら、きっと彼らをごまかすことは無理だったに違いない」

 

 元より腕力の弱い女子高生が、まともな能力も無しに真っ向から不良達と戦って、勝てる見込みなど存在する筈もない。

 

 「…………じゃあ、どうやってあの動きを…………」

 

 「サッカーでいうインターセプトの様なものだよ。ボールがどの位置に来るか予測出来ればカット出来るのと同じ様なものだ」

 

 今さっきの状況で当てはめてみよう。金原が一人の不良を逆上させたことにより、金原自身が攻撃の対象となった。ここで、不良は金原の胸ぐらを掴んでいたため、実質的に不良が狙う場所は顔面だけだといえた。そして、不良の男は、大きく振りかぶって金原を殴ろうとしていたので、その長い間にどのようにして拳が繰り出されるのかは、ある程度予測はできた。あとは、あまり動かない、動きの支点となる肩をそれとなく触れ、動きを止めた後に、ぐっと周りからもよく見えるように掴めば、あたかも井鶴が腕力で彼のパンチを抑えたかのように、周りからは見える事となる。

 

 「触れた時点で、多少のラグはあっても、私は必ず止められた。あとはそれっぽい強化系の能力名を出せば良かったんだ」

 

 井鶴にとっては今更の事実だが、金原にとってはかなりの衝撃だったらしい。ポカン、と金原は口を開けた状態のまま呆然と突っ立っていた。

 

 「何だ、タネがわかってしまうと興醒めかい?」




 間隔は相当空くと考えられますが、もし読み続けるのであれば、「あっ、またコイツ投稿してやんの」って具合にゆるーく見ていって下さい。


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学校に至るまでのちょっとした出来事

 「……ああ、………むむむむ、…………うわぁ、……………久々にやってしまったぁ………………」

 

 上方井鶴の一日は、情けない青息吐息とともに始まった。

 目覚めは気楽なものだった。あくびをしながらも、井鶴は呑気に枕元の目覚まし時計を手繰り寄せた。井鶴を驚愕させる時刻表示がそこにある事も知らずに。初めは時計を傾けている見ているのかと思い、首をかしげてみたのだが、どうにもおかしい。そして、時計が絶望的な時刻を示しているのだということに、井鶴はようやく気がついた。

 頭のエンジンが急速にかかるのを感じ、眠気まなこをこすり身体のスイッチも切り替えようとする。井鶴はがばっと乱暴に布団を跳ね上げ、顔を洗うなどの諸々の行為のために、派手に床板を軋ませながら洗面所に向かう。冷水を顔に感じながら、井鶴はどうしてこうなったのかを考えられずにはいられなかった。

そう、昨晩はかなり疲弊した状態で能力を使用した。確か、多人数に寄ってたかって強請られていた人を助けたのだ。金原佐久間とかいう青年、長点上機の生徒だったか。そこからの記憶が曖昧だ。

 ─────そうだ、思い出した。

 顔に冷水を躊躇いなく叩きつけ、歯を丁寧に撫でるようにして磨きつつ、井鶴はぼんやりとした記憶を辿る。結局余りの疲労でその後、井鶴は意識する間もなく、視界が暗転したのだ。暫くまどろみの中にいた後、目を開けた時にいきなり、警備員(アンチスキル)であり、かつ先生でもある人物の顔が飛び込んできた時は、普段見慣れた顔であっても、状況的に井鶴は驚きを隠せなかった。その彼女、先生に伝えられてわかったことだが、気絶した井鶴と二人、暗い通りに残された金原は、どうしようかとオロオロと狼狽えていたらしい。

 それも当然だ。気絶した少女とそれを抱える青年。人気のない場所である事も相まって、その光景を見るどの人の頭にも、如何わしさと胡散臭さの詰まった想像が溢れただろう。それに、また他の不良達が通りかかるかもしれない可能性も、考えられなくはなかった。

 ………まあ一番考えられるのは、単純に突然の出来事に金原がパニックになっていたという事だろうか。

 巡回中、たまたま通りかかった先生が、不審に思って声をかけた所、金原はかなり安堵した様子で井鶴を託し、去っていったという。井鶴はその時に意識が落ちていたので、実際のところ、大半は先生からのざっくらばんな説明を基にした憶測にあたる。

 髪をさっと結び、井鶴はそんな彼の事を脳裏に浮かべながら、疲れが取れきってないその顔に、苦微笑を浮かべた。

 昨日がどうであれ、今日ほぼ遅刻が確定したという事実は紛れもなく迫ってきている。

 どうすべきかは、井鶴が一番理解していた。

 素早く棚から色とりどりの参考書類、数冊大判のノート、並びに能力についての読みかけの論文を、一気に積み上げて。そのままの形で、その全てが入り切るとは到底思えないような薄手の鞄の中に、一気に叩き込んだ。こんな無茶をしても壊れないのは、流石天下の学園都市仕様といった所だが、今はどうでも良いことだった。

 玄関まで走っていき、靴べらを使うことなく無造作に足を革靴へ押し込んで、

 

 「行ってきます!」

 

 誰もいない居間に向かってそう叫び、井鶴は玄関の扉を開いた。

 

 学生寮群の隙間は、走るのには至極快適だ。車通りは少なく、大量の学生を収納する為にそびえたそれらの建物が、ナンパをしつこく仕掛けてくる軽薄な青年のような、太陽の粘着質な視線を丁度いい具合に遮ってくれる。五月の朝の空気は梅雨の湿り気を帯び始めてはいるが、まだ春という季節であることを示しているかのように、辺りは暖かさと涼しさが両立したような空気が漂っている。車道のアスファルトの硬い反発を足裏に感じながら、井鶴は真っ直ぐ前を向いて走り続ける。そもそも、革靴というものは走るのには適していないのだが、今の状況で背に腹はかえられない。これが初めてなら、先生に言い訳も通じたんだろうなぁと憂鬱に思いつつ、体力のない井鶴は脇腹を押さえながら懸命に足を動かす。そもそもの話として、井鶴は高校生活が始まったばかりなのにも関わらず、相当な回数の遅刻をしていた。これが続くようならば、コロンブスの卵を筆頭とした悪夢のような補修の数々を受ける事となるのは自明の理で。

 走らずにはいられなかった。

 学生寮が何棟もそびえる辺りをしばらく走り、ようやく視界の開けた通りの方へ出た。

 

 (次の角を右に曲がって、大通りをしばらく行った角で、─────うん、良し、間に合う!)

 

 遅刻せずに済む見通しが立ったところで、心にある程度のゆとりが生まれた。それが、次の瞬間に起こることの原因となる。

 最短経路で角を掠めるようにして曲がる。このまま勢いをつけて走り抜けようと、そう井鶴が急いで思ったか否か、別の方向から駆けてきた誰かと衝突した。その拍子に、歩道と車道の段差に躓いて、両腕を投げ出すような形で井鶴は倒れた。当然、鞄も手を離れて飛んでいき、車道を撫ぜるのが目に入るのと共に、鞄の表面の削れる嫌な音が聞こえた。詰めていた物が飛び出さなかったのは、不幸中の幸いだった。

 何故か、井鶴は違和感を覚えていた。腹から落ちたのだが、硬い地面に叩きつけられたのであれば、もう少し、こう、内臓をかき回されたような気持ち悪さや悪寒が襲ってきてもおかしくはない。しかし、一向にそのような手応えは感じられない。寧ろ、人肌の残った布団の上に飛び込んだような柔らかさのような何かを感じていた。

 何となく、嫌な予感がした。

 恐る恐る、体を起こしてみたときに、井鶴は状況を把握した。

 現在進行形で、倒れている人の上に被さっていた、ということを。

 

 「─────っ、うわっ、うわっ」

 

 動揺してまともに声が出ていないことにも気付かずに、井鶴はさっと体を起こした。

 

 「だ、大丈夫ですか⁈」

 

 井鶴に押しつぶされていた人物は、うぅ、と曇った声を絞り出して、それからうつ伏せになったまま、

 

 「目覚まし時計が壊れてたせいで寝坊して、すぐに飛び出したのは良かったものの、階段を全速力で駆け下りたら足を滑らせてすっ転んで、それでも気合い入れて走って間に合わせようと思ったら、今度は曲がり角で女の子とぶつかるって、…………なんつーか、地味に不幸だ」

 

 と、どんよりとした調子で呟いていた。

 井鶴が声をかけているのには気づいていないようで、倒れている青年はブツブツと泣き言を吐露している。

 

 「あ、あの」

 

 恐る恐る、もう一度声を掛けたところ、今度は届いたようで、ガバッと立ち上がって青年はこちらの方に向かい直った。

 

 「あ、ああ、俺は大丈夫だ。ってそんなことよりそっちは怪我とかしてないか?」

 

 「言っていいかわからないんですけど、クッションになって下さったお陰で、心配するには及びません」

 

 それは良かった、とばかりに青年はホッと胸をなで下ろした。そして、辺りに目を巡らせて、

 

 「鞄は、─────────って冷静に考えてそんな都合のいい事は無いデスヨネー、ハイ」

 

 転がっていってしまっただけで済んだ井鶴とは引き換えに、青年の鞄は大口を開けて無様に鎮座しており、その四方にはプリント類が散らかっていたり、テキストが折れ曲がって落ちていたりして、酷い有様だった。

 自分の鞄を拾って表面を軽く払ったのち、井鶴はちらりと青年の方を見た。

 風に飛ばされたプリントを追いかける哀れな青年が視界に捉えられた。ここで突っ立っているのも何だし、歩き去って行くのも薄情な気がしたので、井鶴は辺りに散乱している物を拾うのを手伝うことにした。割と近くで学校の始業のチャイムが鳴り響いたような気がした。が、ぶつかった時点で間に合う望みは断たれたのだ、と諦めた井鶴には、もはや気になるようなことでもなかった。

 数分ほどして、全てのプリントが集まったらしく、井鶴が集めて手渡した紙の束をざっと確認し、青年は朝から疲れ切った笑いを浮かべ、ようやくほうっと一息ついた。そして、井鶴の方に向き直り、

 

 「その、悪かった! おまけに拾うのも手伝って貰っちゃって申し訳ない!」

 

 「大丈夫ですよ、このぐらい」

 

 手を後頭部に添えて、好青年の微笑(アルカイックスマイル)を浮かべながら、井鶴は軽い調子で言った。

 本音は言えなかったし、表情にも出せなかった。実のところ初めは、倫理と常識由来のちょっとした気まずさから手伝っているつもりだった。けれども、彼の口から次々と飛び出してきた、珍事もとい不幸な出来事の数々を聞いていくうちに、井鶴はこの青年に心の底から同情していたのだった。

 そして、その心情が悟られると、青年はより一層惨めな気分になってしまうのではないか。そう思うと、井鶴はニコニコと、若干不自然にも捉えられてしまうような笑いを保ち続けてしまうのだった。

 しばしの沈黙が、緩やかに二人の間を通り過ぎていく。

 

 「………………名前訊いてなかったな」

 

 「………上方(かみがた)です」

 

 「あのー、上方。本当に大丈夫だったのか?」

 

 「……私は大丈夫ですよ、私は。それよりも」

 

 「それよりも?」

 

 「その、時間大丈夫なんですか」

 

 すると、目の前の青年は、どこか遠い目をして、

 

 「あー、残念なコトにさっきチャイム鳴ってるの聞こえたから、諦めてます」

 

 「………私も同じです」

 

 そんな具合に会話をしていた二人だったが、まさかこのまま学校へ行かない訳にもいかないので、どんよりとしたムードを醸し出しながら歩き始めることにした。

 歩く方向が全く変わらず、同じ高校に通っているのが判明したのは数分後。世界というのは思っている以上に狭いものなのではないか、と思いながらふと、井鶴は口を開いた。

 

 「そういえば、名前、なんていうんですか」

 

 「そーいや言ってなかったな。俺は二年の上条(かみじょう)当麻(とうま)。最悪な顔合わせだったけど、よろしく頼む」

 

 「改めまして、一年の上方(かみがた)井鶴(いつる)です。何か機会があれば、また」

 

 昨日からよく非日常的なことに遭い続けているなー、とどことなく思考放棄しながら井鶴は上条から差し出された右手に応じて、握手を交わした。

 

 (まあ、こういうのも悪くはないかな)

 

 いろいろな人と縁があるのもまた人生の醍醐味だ、と思うことにすると、昨日から今日に至るまでのちょっとしたツイてない一連の流れにも、意味はあったのかな、と思うことが出来て。

 心なしか井鶴は溜まっていた疲れが和らいだような気がした。

 昇降口で別れる際、井鶴はふと、気になっていたことを質問することにした。

 

 「一つ訊きたかったんですけど」

 

 なんだなんだ、という具合に立ち止まってこちらの方に向いた上条に、井鶴はしばらく躊躇ったのち、言った。

 

 「その頭、寝癖なんですか」



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満更でもない日常

 なかなか筆が進む様子を見せないので、投稿しました。
 描きたいことはあっても、上手くいかないものですね。


 「なんだ、上方。結構遅かったじゃんよ」

 

 そろりと、物音を立てないようにして戸を引いた井鶴に、教師、黄泉川(よみかわ)愛穂(あいほ)は気さくな声を投げかけた。共に、熱心に板書をとっている者、後ろを向いて友人と話し合っていた者、つまらなさげに窓の向こう側を見ている者、と三者三様の振る舞い方をしていた同級生たちが、井鶴の方に視線を寄せた。教室の中の賑わいが、すっとなりを潜めてしまったのを感じ、井鶴は少しの気まずさを覚えた。

 

 「今日もまた寝坊かー、上方」

 

 「どうせ、今回もアレが理由だろ、アレが」

 

 「二重の意味で感心すべきなのかしら、これは」

 

 好きに能天気なことを喋る同級生達に、井鶴は感謝している。相も変わらず接してくれる人がいるのは、日常の平穏を感じられて、悪くない。そう、井鶴はしばしば思うのだ。だが、それでも一抹の、こう、なんと言えばいいのだろうか。締まりがなくてみっともないというか、そういった陰りのある感情が井鶴の心の底から湧いてくるのもまた事実で。

 小難しく悶々と考えてはいるが、詰まる所、うら若き青年、上方井鶴は恥ずかしかったのだ。だが、そんな思いはおくびにも出さず、乙に澄ました調子で井鶴は口を開く。

 

 「ご明察。本日も寝坊による遅刻です」

 

 「して、理由は?」

 

 教室のどこかから知りたがり屋の声が飛んできたが、

 

 「あー、それは先生の方で確認しているから、取り敢えず授業を再開するじゃん」

 

 その一言で、また止まっていた時が流れ出したかのように、急速に教室が喧騒に満たされた。いつまでもモタモタしていると、授業の波に取り残されてしまう事は自明の理だったので、素早く荷物を取り出して、その流れに上手いこと乗ろうと、使い慣れたノートの上に鉛筆を滑らせた。が、ものの数秒でその手は動きを止める。板書が癖のあるもので、写すのが非常に困難だったからだ。

 そこで左隣の席から、ふと声がかかった。

 

 「相も変わらず遅いな、上方」

 

 「……おはよう、勧善寺(かんぜんじ)

 

 隣人、勧善寺(かんぜんじ)(あい)は変人だ。いつも顔が能面そのものであるかのように表情が変わらない。それでいて、声の調子はモノトーン。こういったところを列挙すれば、冷血漢のように思われるかもしれないが、彼の中身までが冷え切っているわけではない。

 

 「……これを」

 

 整然と、夥しい数の文字がすらりと罫線上に並ぶ、そのノートを彼はこちらを見ずに差し出していた。

 「あの先生の板書の乱雑さは学園都市一だ」 

 ぶっきらぼうな物言いの中にも多少の気遣いが感じられような、そんな気がするのだ。

 

 「あとは今日習ったことについての復習と、少々の補足説明を入れるだけだから、俺は適当にメモをとる。好きに使ってくれ」

 

 「いつもありがとう」

 

 返事はなく、余韻すら教室の騒ぎがかき消す。

 

 「うらー、そこ! もうちっと静かにするじゃんよ」

 

 唐突に宙を舞ったのは、擦り切れた短いチョーク。飛来した石灰の礫は彼らの悲鳴と共に、眉間に吸い込まれていった。流石に音は聞こえなかったが、それでもかなり痛かったらしく頭を抱える生徒がちらほらと視界に映った。

 

 「ひでーぞ、この体罰教師!」

 

 「ちょっと酷すぎやしませんかね……」

 

 「やかましいじゃんよ! 御託を並べてる暇があったら、今さっきやった所の内容をもう一度自分の口で言ってみるじゃん」

 

 ウッと周りの息が詰まったのが分かる。

 黄泉川が教えていたのは、筋肉の成長のメカニズムについてだ。分野的には、保健科よりの体育科とでもいえる。学園都市の学生にとっては、暗記系統のことは「なんでもござれ」だ。が、しかしながら、高度な論理的思考力、計算力、発想力等のことを要求されると、途端に大半が外の学生と同程度のレベルに落ちるのだ。万人に効を奏す開発のカリキュラムが未だに作られていないのだから、学生たちが不完全であるのは自然なことだ。

 中学校の時まではやらなかったような、複雑怪奇な化学式や色とりどりのモデル、図を散りばめた学問を前に、高校に入ったばかりの生徒達は苦悶していた。

 

 「とは言っても、まー、難しいのは当然のことじゃん」

 

 頭に出席簿を当てて、しばし思案したのち。

 

 「よーしお前たち、気分を変えてマラソンでもするか」

 

 「それはない」

 

 黄泉川が極度の脳筋要素を含むその言葉を紡いだ瞬間、全生徒たちの心は一つとなった。

 ワーワーと、生き生きと、快活に騒ぐ周囲を見て、井鶴は溜息をつき、そしてふと自分が微かに笑っていることに気がついた。口を開き、ぽつりと一言漏らす。

 

 「平和だなあ」

 

 授業が全くもって進まず、宿題の割合が大きく増える事となるのを、井鶴はまだ知らない。

 が、しかし、彼女はこれはこれでその時を満喫しているのだ。だから、問題は無いはずだ。

 ………多分。

 これが、学校での上方の日常である。

 




 原作の魅力的な登場人物をもっと出して、それからどんぱち能力を使った戦いをしたいんですけど、展開が遅いのはじれったいですね。頑張りたいところです。
 オリキャラは今回までに出した三人に抑えて、次回には原作の群像劇的なところも加えられるよう努力します。
 上条や黄泉川先生の口調、設定とか、何か違和感があれば、感想の方までお願いします。


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幕間

短めですが。


 おおよそ昼過ぎの学校というものは、静かになるものだ。昼食を摂り、ひとしきり遊んだ後の学生たちは、こういう時間に眠り、教師からの顰蹙を買うことが多々ある。三大生理欲求の睡眠欲から逃げるのは不可能に近い。

 授業が始まった今、勧善寺藍の隣でスヤスヤと寝息を立てているのは、かの問題児の卵、上方井鶴である。勧善寺にとって彼女は親しき隣人であって、どちらかといえば深入りするような仲では無かった。出逢ってから一ヶ月程度で、そこまで進展する仲というものがあるのなら、是非とも参考にしたいものだと勧善寺は思う。

 こうも毎日のように眠られると、心配にならない訳はないが、かといって詳しいことを本人に、ずけずけと直接訊くのも躊躇われる。みだりに訊くのは、デリカシーが無いし、第一、積極的に関わるべきなのだろうか、というところで勧善寺の思考は立ち往生していた。

 悩みを噯にも出さず、授業はそっちのけで黙々と考え続ける。

 井鶴は正直なところ、青臭い。周りに問題があれば、猪突猛進、その後のことを何も考えずに、持論を振りかざして首を突っ込む。

おまけに、高位の能力持ち。流石に精神系統の能力ということ以外の詳細は知らないが、低能力者である勧善寺の手には負えない。

昨日だってそうだ。井鶴は彼女の友人の起こした問題(イザコザ)に、「校則で禁止されている能力の使用」を以って応じた。能力者の溢れる学園都市で、能力使用のある程度の枷となる校則は、勧善寺のような無能力者(Level.0)にとってありがたいものだが、上方井鶴はそれを守らない。ガン無視である。だから相手もそれに応じ、校則を無視して(全力で)ぶつかってくる訳だ。

 毎度勧善寺が体を張って仲裁しなかったならば、一体どうなったことやら。

 ただ、勧善寺自らは止めに入ったことを武勇伝のようにして語るつもりはない。

 勧善寺は心配なのだ。能力という「道具」を使いこなせているとは到底言えない上方の行動が。

 今の所は井鶴の元来の根の良さが、そして事故の起こっていない事が、井鶴とその周囲の人々の均衡をちょうどいい具合に保っている。

 

 (コイツが少しでもアホなことを考えているなら、話は早いんだが)

 

 動機はいたって健全。それでいて実行するための力もある。

 少しでも邪なことを考えて問題を起こすのなら、すぐに物申すことができる。

 しかし、それが善意十割によるものだったら?

 果たして勧善寺に、それを止めるように発言できるのか。

 どうすることもできないであろう井鶴の行動力を前に、勧善寺は知らず知らず溜息をついていた。

 ちらりと、上方の寝顔をもう一度見る。

 寝息を立てながら呑気な笑顔を浮かべていて、思わず頭が痛くなった。いつも報告書を書いている黄泉川先生も、同じような気持ちになるのだろうか。

 それに加えて、入学当初からずっとジャージ姿なのも、何がとは明言しないが残念である。

 自分と違って人生を上手く立ち回るための良い力を持っているのに、それを無駄に使い潰しているように見える井鶴に、勧善寺は当事者でないのに憤り、時には嫉妬することもある。が、それ以上にもっと上手く立ち回って欲しい、と僅かな日数だが、一応の交わりのある友人として思うところの方も大きい。複雑である。

 

 「あ、あのー」

 

 ふと、先生の声が聞こえ、勧善寺は前を向いた。

 

 「勧善寺ちゃん、先生の話聞いてましたかー?」

 

 小学生にしか見えない教師からの声かけに思わず驚くが、その目が少し潤んでいるように見えて、勧善寺は気まずさを覚えた。

嫌な予感がしてふと周りをみると、寝ているものは除き、皆こちらを非難するような目で見ていた。

 勧善寺に悪気はなかったのだ。

 

 「上方ちゃんに当てても、ぐっすり寝ちゃってるし、しっかり者の勧善寺ちゃんに当てようと思ったら、何回声をかけてもずっと無反応だし……」

 

 徐々に、月詠先生の声が震えてきた。周りからの野次はどうでもいいが、流石にまずいと思い、勧善寺は無理やり声と笑顔を作って話しかけた。

 

 「すみません、先生。今答えま───」

 

 言い終わる前に、先生の顔が引きつるのを見た。ついでに小さい悲鳴も、漏れなく。

 完全寺本人にはわからなかったのだが、周りは聞き、そして見た。

 ドスのきいた低い声を出し、口角を無理やり上げて引きつった笑みを作った勧善寺の姿を。

普段のぶっきらぼうな態度で周りから敬遠されていた彼であったが、この姿もなかなかだったらしく。それも、あの生徒思いの月詠先生にドン引きされるほど。

 勧善寺もなんとなく察して、悲しくなった。

 

 (つくづく思うに、不器用ってのは汚点だな)

 

 勧善寺藍の悶々とした日々はしばらく続くだろう。

 上方井鶴とのドタバタとともに。

 

 

 

 「できた」

 

 同時刻、某学生寮。

 昼過ぎなのにも関わらずカーテンを締め切り、学園都市有数の進学校の割には、かなり狭い部屋の一角で、金原佐久間は歓喜の笑みを浮かべた。

 なぜ、学校があるにも関わらず、金原が寮室にいるのかは、机の上に置かれたものが説明してくれるだろう。

 

 「これがあれば、絶対に、絶対になんとかなる」

 

 昨晩、見ず知らずの人に助けられて本当に運がよかった。

 通学用のカバンの底に仕舞ってあった、壊されたり、奪われたりしたくなかったものが、今ここにあるのは奇跡のようにも思える。

 いかにも、といった白色灯に照らされた机の上に、それはあった。

 金原は感謝しても感謝しきれない感情が、グルグルと胸の中を駆け巡るのを覚えつつ、徹夜明けの体をゆっくりと隣のベッドに沈ませた。

 意識がまどろみの底へ沈んでいくのを感じながら、金原はぽつりと呟いた。

 

「これで、──────終わらせられる」

 

 机上に有ったもの。

 それは学園都市でAランク端末と呼ばれるものだった。



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突発事態

だいぶ時間が経ったのですが、一応生存報告のために。


 一日の四分の一もの時間を費やしているというのに、それが毎日のことであるがためにか、気が付けばあっという間に放課後はやってくる。

 巷の高校生なら何人かでつるんで、他学区の繁華街をぶらついたりするのだろうが、井鶴にそんな暇は無い。月火火水木金金、とでも言えば伝わるだろうか。部活に入る事もなく、第十六学区の商業施設に一目散に駆けつけ、夜も更ける辺りまで生活資金を稼ぐ。それが井鶴の日課だ。

 本当ならば、年相応に羽を休めたりしたいところではある。が、どうしても義務教育で施設にいた時期を思い出してしまい、散財するのをためらってしまう。貧乏な幼少期だった、と改めてバイト先に向かう途中のモノレールに揺られながら、井鶴は振り返る。

 学園都市は世界最大級の、教育機関の共同体だ。先進的な技術を開発する人材を育成し、またその技術を医療、農業、軍事、そしてさらなる開発など、多方面への科学の進歩を実現させている。その功績もあってか、日本国という国の中でも限定的なものではあるが、強い自治権を持っており、それ自体が国のような形で存在している。

 しかし、華々しい成果の裏側にあるのは、教育への資金援助の少なさだ。二百三十万人ものおびただしい数の園児、児童、生徒、学生がいるため、必然的に学園都市からの支援は細分化される。加えて、()()()()()()な処置で、能力の強度によっても、その配分の優先度が更に偏る。そして、常に増え続ける研究機関の為に設ける予算の分を差し引いたら、……純然たる教育機関とはいえない、井鶴の居た「置き去り(チャイルドエラー)の施設」にどのくらいの援助金が回ってきたか、察するのは難しくはない。

 不幸中の幸いは、井鶴が施設に居た頃は井鶴の能力の強度が高かった為、補助金がかなり出たことだろう。施設の先生に何度も感謝された記憶は、井鶴の脳裏に刷り込まれている。その為だろうか、井鶴がお金にかなりの重みを置くのは。

 

 (今は先生とか、ちびっ子達、元気にしてるんだろうか)

 

 施設に居た仲間達の回想をしようとしたところで、がたん、と一際大きく列車が揺れ、井鶴の思考は中断した。

 ちらりと外の風景を見ると、依然として空は明るさを保っていた。傾き始めるも、太陽は地平線から遠く離れており、沈むのはまだ先であるように見える。

 帰りの電車に乗る頃は、ぎりぎり夕焼けが見られるのだろうか。

 

 「まもなく、第十六学区ターミナル駅、第十六学区ターミナル駅です」

 

 第十六学区は高額アルバイトの施設が建ち並ぶ、金欠学生御用達の学区だ。出稼ぎにくる学生が多く来るため、年中年柄通りも店も賑わっている。他の学生寮のある学区から、遠く、遠く離れているというのに。

 ご苦労なことだ、と井鶴は自分もその一員であるのに、少々のおかしさにクスリと心中で笑う。

 続々と周りの学生が立ち上がり、ドアの前へ夜の尻目に、井鶴は軽いのびをして、ほっと一息つき、

 

 「━━━━よし、頑張るぞ」

 

 片道三十分の長旅も、ようやく終わるのだ。

 

 

 

 「それじゃあ、上方さん」

 

 作業着のエプロンに腕を通すのに地味に苦戦しながら、井鶴は今日の仕事が始まったことを漠然と感じる。

 井鶴がアルバイト先として通っているのは、ターミナル駅から徒歩圏内にある古本屋だ。ぐるりと一望すると異様な量の書籍が、縦長の棚からはち切れんばかりに押し込められているのを、店に入った誰もが目にするだろう。学園都市の中では大型の古本屋なのにも関わらず、収めきれない量の古本が集められているという段階で、その規模の大きさに、相も変わらず冷や汗が出る。

 

 「今日も書棚の在庫確認と、それから補充と」

 

 大自然の織りなす絶景を、悠然と歩き見る冒険者というより、痺れるような圧迫感を味わいながら、戦争の最前線で匍匐前進する兵士の気分、とでもいえば、店の雰囲気が分かりやすくなるだろうか。一つ一つの本棚から一触即発の緊張感が漂う本屋、という段階で大衆受けする作りではないことには間違いない。

 しかし、そんな事実とは裏腹に、この古本屋は繁盛している。

 第一の理由としては、ここが金銭的余裕に乏しい学生(商売客)が集まる、非常に立地の良い場所にあるということだ。参考書などは、一般的にも過去の版であるなら安く手に入る。特に理系科目については版の更新が激しく、二つも前の版になればかなり安く済む。第二の理由は、研究者たちもしばしば過去の科学雑誌などを、暇つぶしと検証を兼ねて買いに来るということだ。新しい理論が発表されることは先述の通り多いが、粗もまた多く、ブラッシュアップ或いは否定の為の議論は、彼らの中で事欠かないという訳だ。第三の理由としては、一昔前の人々は、井鶴には信じられないことだが、未だに電子機器の扱いの苦手な者が多いらしく、老研究者にお使いを頼まれた若手の研究者や、中高年の教職員がしばしば立ち寄るのである。

 

 「それと万引きのチェックをよろしくお願いします……って聴いてますかー、上方さーん」

 

 ……というのは、ほとんどが目の前にいるバイトの先輩の受け売りなのだが。要は人がかなり来るので、儲けもかなり出て、その分給料にも味がついている、ということだ。

 

 「聞いてます、分かりました。あと、勤務中の立ち読みは許可されますか」

 

 「ちゃんと仕事をこなす分には、店長も私も文句は言居ませんよ」

 

 そう言って肩を竦め、ひらひらと手を振りながら、バイトの先輩は去っていった。ともすれば、いつまでも無駄口を叩く必要もない。

 職員用の部屋から出て、担当の階に行くために階段まで歩いて足をかけたところで、ふと改めて周りを見ると、いかにこの時間帯に学生が多いか分かった。紺や白、黒や灰色、深緑色にドドメ色のセーラー服、学ラン、ブレザー、ジャージ。雑誌などが置いてある一階だけでも、学生服の博覧会でも行われているように、学生が通路にひしめいているな、と感じつつ木製の温かみのある手すりにつかまりながら、活気の漂う上階へと井鶴は足を運んだ。

 二階は娯楽関連の書籍が置いてある。学生向けには漫画やライトノベル、ゲームのイラスト集や攻略本、その他サブカル系とでも総称される類の本が所狭しと陳列されているのだ。当然、学生の街である為に、年中この区画は賑わいを見せる。

 しかし、本屋に良いことばかりが起こるわけではなかった。それと同時に万引きも多発していた。おまけに面倒なのが能力者がそれをすることもある、ということだ。バイトは通常業務の他、これを防止するよう求められる。ここでの給料が高いのは、それが出来る技能を有している人材を雇っている、という側面も大きい。

 まあ、そんなことが起こると非常に面倒なので、井鶴としては平穏にバイトの時間を終えたい次第である。

 適当にぶらつきながら、立ち読みをしている人達の間を縫って進み、棚を見ては隙間が空いている所に在庫の書籍を詰めていく。単純な労働だと思われるかもしれないが、かなり腰に無理が来る。

 しゃがんで、立って、背伸びして、歩いて、またしゃがむ。

 

 (これさえなければ、いい仕事なんだけどなあ)

 

 仕事を始めてから三十分ほど経ったあたりで、はあっと息を吐きつつ、井鶴はゴム製の足台の上に腰をかける。ぱたぱたと、黒いエプロンの生地と、下に着ていた紺のジャージに付いた埃を手で払いつつ、一休みをする。

 ポケットに手を差し入れ、先程書棚整理のついでに取ってきた、「期待の新人の待望の新作! 学生界隈で話題沸騰中‼︎」と、コテコテの売り文句の目立つ、少しばかり色の褪せた帯のついた小説を取り出した。井鶴の高校でも少し前に話題になっており、少しばかりの期待を胸に、休憩がてらに読もうと、井鶴はそれを手元に寄せて開いた。

 ありきたりのプロローグに少しばかりがっかりとしながらも、物語の終盤まで一応まで目を通したところで、腕時計の表示を何気なく見ると、勤務時間も終わりが間近であった。

 能力者が万引きをすることで、とんでもない大騒ぎの起こっていた古本屋も、今ではある程度実力のある能力者がバイトに入り、余程の間抜け以外は変に色気を出すことはいなくなったという。その事は、井鶴にとっても好都合だった。大抵の場合、給金の大部分である危険手当が、苦労する事なく懐に収まるのだ。井鶴も何度かその手伝いをしたものだが、そうなると風紀委員の事情聴取、警備員からの説教、能力使用の反動からの昏睡、などの面倒ごとが待ち受けているため、厄介者が現れないよう、何だかんだで神頼みをしている。

 片手で単行本を軽く閉じて、従業員用の部屋に向かいながら、井鶴はとりとめもなく思考をふらつかせる。

 自分の身の回りに起きる問題は、全て解決したい気持ちが自分の中にあるのは認める。しかし、能力者との対峙を考えると、どうしても生活面と照らし合わせ、優先順位は付けなければならない。その気持ちはいつだってある。

 

 「それでも、目の前で何か起こって、とっさに動いてしまうのは、なんでだろう」

 

 交代も終わり、手短に着替えて外に出る。これから部屋までに最低限の復習をすれば、敷布団に一日の終わりを歓迎してもらえる。

 

 ───しかし、能力者の街が平凡で平穏な様相を、常に見せる訳はない。夏の夕べの空模様と同じく、気まぐれで人騒がせな街なのだ。

 

 「喧嘩だ、喧嘩!」

 

 「進学校の馬鹿共が、まーたやらかしてるぞ」

 

 夜の大通りを駆け抜け、猛攻を繰り広げているのは、セーラー服を着た体格の良い「火球使い」の女学生と、ブレザーを纏った小柄な「電撃使い」の男子学生。女学生は余裕綽々といった様子で、数秒おきに飛来する閃光を、軽快な足捌きで躱す。かたや、男子学生の方はブレザーの右肩部分を大きく焦げ付かせ、苦悶の表情でそれを庇いながら、矢継ぎ早に襲いかかる豪炎を、紙一重のところで上手く横っ跳びをしたりして、辛くも躱している。大通りであることに構わず、閃光と爆煙が炸裂する。騒然として逃げ回る学生達に翻弄され、駆けつけた地域の風紀委員たちは近づけていない。

 大物投手さながらの大胆なモーションで、紺色のセーラー服が荒々しく靡く。ニヤリと不敵な笑みを浮かべた女学生は、一気に腰の回転力を纏った炎の剛球を、強烈なスナップを利かせて息を飲む間も無く放つ。同時に、男子学生も受けて立つ意志を見せ口を真一文字に結び、拳銃を構えるが如く、両手を勢いよく合わせる。膝をついて安定した構えを取った途端、紫電が腕の周りを鈍く瞬き、気付けば辺りを轟かせる迅雷となって一瞬のうちに火球に噛み付いた。

 力の衝突が周囲を揺さぶり、幾つかの店のガラスが砕ける音が悲鳴に混じって聞こえる。

 結果的に、力負けしたのは男子学生だったようで、古本屋の前、それも丁度井鶴の目の前に吹っ飛ばされた。

 少年を眺めて三秒ほど思考停止したのち、火球を手で玩びながらゆっくりと女学生が闊歩して来ていることに気づく。

 

 (どうする、相手は少なく見積もっても強能力者だ。下手に手を出したらこっちが痛手を喰らう)

 

 目の前の気を失った少年の状態を見つつ、井鶴は相手を目視する。距離は十メートル程。女学生が叩きのめした少年は二、三度頰を張っても起きる気配はない。

 

 (この様子だと、風紀委員ですら手に余る力に違いない。どうする、どうする、無能力者以外に分が悪すぎる私の能力で、何が出来る?)

 

 物理的な干渉のできる高位の能力者は、正直なところ同じ人間だとは思えない。辺りに漂う熱気の所為でもあるが、それ以上に無意識のうちに出た冷や汗が背中を冷たく濡らすのを、井鶴は感じ取った。しばしの静寂の後、口を開いたのは、剣呑な雰囲気を滲ませる女学生の方だった。




近いうちに次話を投稿したいですね。


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