気が付けばカルデアに (K.)
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突然見知らぬ場所に居るのは不安で仕方が無い。
我輩はセイバーである。名前は分からない。
某小説を引用した冗談はいいとして、名前が分からないのは本当だ。
次の日に備えて眠り、目が覚めるとカルデア――人理継続保障機関という怪しい組織の廊下に立ち尽くしていた。
清潔感溢れる場所であっただろうその場所は無残にも破壊された痕跡がちらほらと見受けられたのを覚えている。
そもそもこの服装は何なのだろうかとも思った。黒を基調として、少しばかり火を思わせる赤の意匠が見られる洋装。風にはためくコートと口元を隠すように巻かれているマフラーが印象的だ。
ただ呆然と立ち尽くす俺に気まずそうに声をかけた少年――藤丸立香とその相棒、マシュ・キリエライトによる説明のお陰で、何となくどういう事態であるのかは把握できたし、自分が今どういう状態になっているのかも理解できた。
剣術どころか剣道ですら修めていない俺が剣を取り、戦う。左手で腰に携えられた、太刀とまではいかないがそれでも少しばかり長い刀。それに触れた時、命のやり取りを行うという事に恐怖を覚えたものだ。
あまり気は進まないものの、彼らが勝利しなければ人類に未来はない。仕方なく彼らと共に人類の未来を取り戻す為に戦う事になり、改めて自己紹介といった所でそれは起きたのだ。
――名前が、思い出せない。
いいや、名前だけではない。少し前までの事は詳細に覚えているが、今まで重ねてきた思い出や経験が全く思い出せなかった。
冷や汗を流す俺に彼らは盛大に戸惑っていたが、名前が思い出せない事を伝えると次第に表情を硬くして考え込んでいた。
数分か、それとも十数分か。どちらにせよ、暫くの間考え込んでいた彼らが出した答えは、無銘と呼ぶ事だった。
クラスがセイバーであると判明していたため、そちらで呼ぶ事も考えたそうだが、これからも英雄達が増えていくだろうというロマニ・アーキマンからのアドバイスで無銘――つまりは名無しと呼ぶ事に決まったのだった。
名無しとかそのままではないか、と文句の一つも出そうかと思ったが、実際名も分からず、そもそも戦力になるかどうかも分からない戦闘素人の身で彼らに迷惑を掛けているので口は閉じていた。
と、回想をしていたところで全身を赤い服装で固めた男の姿を発見した。
「おや、君か。どうした、こんな場所で。もう直ぐ昼時だが」
「ああ、エミヤか。……俺が此処へ来たときの事を思い返していただけだ」
「ああ、あれか。あの時は驚いたものだ」
エミヤは俺が此処へ来る少し前に召喚されたらしい。
彼が俺の顔を見たとき、まるで知り合いにでも会ったかのような反応をしていたが、あれは一体どういうことなのだろう。一度はぐらかされて以来、しつこく聞くのも不味いと思って聞いてはいないのだが、大いに気になるというものだ。
まあ、聞かないが。どうせ持ち前の皮肉と口の上手さでのらりくらりと逃げられるのは目に見えている。
「昼時といっても、サーヴァントは食事を必要としないんだろう? なら、此処のスタッフ達に回したほうがいいだろうに」
「それはそうだが、食事というものは娯楽でもある。精神面でのリフレッシュにもなるから食事は摂っておいた方がいい。それに、君はサーヴァントとはいっても、マシュと同じデミ・サーヴァントと似たようなものだろう」
彼の言う通り、俺はデミ・サーヴァントという、英霊と人との融合体のようなものに非常に近い存在だそうだ。
マシュは身体能力や宝具の面で言えばサーヴァントと呼ぶに相応しいが、身体の機能で言えば人だ。腹は減るし、眠くもなる。カルデアに召喚された英霊は霊基を登録してある為に、例え倒されても再召喚できるが、彼女は違う。死んでしまえば一度きりだ。
俺は腹は減らないし、眠くもならないが死ねばそこで終わりだ。何でも、俺の霊基を登録するとエラーが出るのだそう。マシュが現代に生きる人間であり、彼女の振るう力は彼女の力ではなく、あくまで力を貸してくれている英霊のものであるということから、俺もおそらくは彼女と似たような状態で、かつ完全に英霊と同化してしまっているのではないか、というのがスタッフ達の推測だ。
話は少しズレたが、彼は新人サーヴァントである俺を気遣ってくれているのだろう。無愛想で口を開けば皮肉が飛び出るような性格だが、かなりの世話焼きであるのがよく分かる。
「良いのかねえ」
「良いも何も、そもそもマスターが我々を誘っている上、事実上の司令塔であるレオナルド女史とドクターロマンが許可を出しているのだから問題はない」
「メンタルがしっかりしているというか、暢気というか……」
「全くだ。だが、悪くない。私も腕がなるというものだ」
「なあ、エミヤ。お前何か張り切ってないか?」
僅かに表情を緩ませたエミヤに顔を引きつらせる。
表情の変化があまり無い彼だが、何故か料理に関わる事になると気合が入るようだ。それでいいのか。
「では、私は仕込があるので失礼する」
「あ、おい。……行っちゃったか」
指摘が図星だったのか、素早く話を切り上げて彼は食堂へと歩いていった。歩いていっただけなので追いかければいいのだが、問い詰めてくれるなという彼の雰囲気がひしひしと伝わってきたために足を止める結果となった。別に料理が好きだからといってからかったりはしないのだが。
エミヤが消えていった方向を見ながら溜息を吐く。彼は仕込があると言っていたから、きっともう少し時間はあるはずだ。ならば、自室で適当に時間を潰すとしよう。
そう結論付けて自室へと足を運ぶ。こつこつと鳴り響くブーツの音が、お前は独りなのだという寂しさを強調させるように感じられるのは、きっと気のせいではないのだろう。
ふと、大きな窓から覗く空を見上げた。
まるでこれからに対する俺の心境を表すかのように、薄暗い雲に覆われていた。
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いつもの模擬戦とは何かが違っていたに違いない。
目の前に立つ、目に見えぬ聖剣を正眼に構えて此方を鋭く睨みつける少女。
見た目こそ華奢で可憐な容姿をしているが、英霊は見た目に騙されてはいけない。
あの細腕から放たれる一撃は此方の剣を軽くへし折り、諸共消し飛ばす程の威力はあるのだから。
それが刀であるのならば尚更だろう。刀と言う武器が極限にまで切れ味を追求した結果、衝撃に大しては脆く攻撃を受けるのには向いていないというのは刀に詳しくない俺でも分かる。故に真正面から受けるのではなく、右から切られるのであれば左に、左から切られるのであれば右にと受け流すようにして戦っていた。
それにも関わらず腕は痺れ、危うく得物を取り落とすのではないかという場面もあったほどだ。彼女の筋力のステータスもそうだが、魔力放出でかっとぶ化物というのは本当に的を得ていると思う。
「さぁ、最後の一撃と行きましょう」
「……ああ」
彼女からの問いかけに短く答えて、居合いの構えを取る。
腰を深く落として、今か今かとタイミングを計る。彼女の一挙一動に注目し、少しでも素早く動けるように身体の力を抜く。
タイミングを間違えれば待っているのは敗北だ。
と、ここで彼女の腕がピクリと動いたのを感じ取った。
此処だ、此処でやるしかない。
「――やあぁッ!」
「――ッ!」
動いたのはほぼ同時、得物は此方の方が長い。
これは勝った――!
■
「私の勝ちですね。お疲れ様でした」
知ってた。知っていたとも。
彼女はブリテンの王として戦い続けた熟練の騎士であり、此方はあくまで刀を握って数日のド素人。万が一にも勝てるわけが無かった。
因みに敗因は彼女の聖剣に纏われる風による風圧で此方の勢いを消された事にある。今まで見えていなかった聖剣が見えるようになった事で纏わせていた風を自由に扱えるのをすっかりと忘れていたのが致命的だった。
「やっぱり勝てないな。流石だ」
第一特異点の座標特定にスタッフ達が精を出している間、カルデアの戦力であるサーヴァント達は各々が自由に過ごしていた。
とはいっても、現時点で戦力として召喚されたサーヴァントはエミヤと騎士王である彼女、アルトリア・ペンドラゴンとケルトの青いランサー、クー・フーリンの三人のみだ。
エミヤは食堂を仕切るおばちゃんと化しているし、クー・フーリンに至っては種火と呼ばれる霊基を強化する素材を集めにたまにレイシフトする以外は見かけていない。マスターである藤丸とはあの衝撃の自己紹介以来あまり会っていないし、マシュは藤丸にべったりだ。
だから少しでも戦闘に慣れておこうと模擬戦に誘うのは必然的に暇を持て余していたアルトリアになる訳だ。連日連敗で黒星を重ねているが何か。
「いえ、今回は少し危なかったですよ。成長を感じられます」
「……そうか?」
今回は何故か、少年漫画よろしく"これで最後にしようぜ!"などとお互いに悪ノリしたためにいいところまでいけただけだと思うが。
まともにやっていれば開始一分、いや、三十秒もすれば完膚なきまでに叩きのめされていたのではないだろうか。
それほどまでに彼女との差はあるだろうし、実際最初の数日は三十秒も掛かっていなかった。多少刀の扱いに慣れた今なら三十秒は何とか持ちこたえられるだろうが、所詮は誤差の範囲でしかない。
「そう卑下なさらないように。あなたは飲み込みがいい。これからも共に頑張りましょう」
共に、とはこれからも模擬戦をしようということだろうか。いや、別に構いやしないのだが、何れ本気の彼女を相手取る事になると思うと少し憂鬱だ。悲惨な未来しか見えないのだけれども。
「……やはり、私との模擬戦は辛いのでしょうか」
「はい?」
悲惨な未来を想像してげんなりしている表情を見てか、彼女は少し寂しそうに笑いながら呟いた。
その言葉に思わず素っ頓狂な声が出た。彼女は一体何を言っているのだろうか。
彼女との打ち合いは確かに苛烈を極めるものだ。だが、彼女のその真っ直ぐすぎると言われるまである性格が滲み出るかのように、一切の迷いが無く、相手を侮る事をしないその太刀筋は受けている身としても気持ちが良いとすら思える。
それに、戦いを重ねれば重ねる程に、霊基の強化によるステータスの向上ではない経験の積み重ねによる強さが日に日に身に付いていくのが分かるし、何より――
「確かに辛い。辛いが、それでこそ戦いだろう? 逆にお礼を言わなきゃならない位だ。俺のような半人前にも満たない素人に真面目に付き合ってくれてさ。これ以上に嬉しい事はない」
――いつものように打ちのめされた後、戦いを振り返り微笑む君を見るとそんな疲れも吹き飛ぶ、というのは聊かクサすぎるので口に出さず、当たり障りの無い言葉を並べておく。
エミヤ辺りならこのようなクサい台詞も涼しい顔で言ってのけるのだろうが、俺にそんな度量はない。ましてや彼程の戦士であるならば兎も角、俺のような新米のペーペーが言っても寒いだけだ。
咄嗟に並べた言葉だが、別に嘘と言うわけでもない。寧ろ紛れもない本心と言える。
仮にも此方から模擬戦をしようと誘っている身だ。文句などあるはずも無い。というよりも、文句があったりやりたくないと感じたのならば連日誘っていない。
此方から誘っているという事実が頭から抜け落ちている彼女に少し微笑ましい気持ちになった。
「まあ、何だ。だからそんな寂しそうな顔をしなくてもいいと思う」
「――なっ!?」
クサい台詞を態々自重したというのにこの有様だ、と内心やってしまったと後悔した。
微笑ましい気持ちになって気が緩んだのか、何も考えず彼女の表情をそのまま口に出してしまった。騎士であり、王である彼女としては屈辱もいい所だろう。此処は誠意を込めて謝罪しなければならない。
「いや、あの。その……すみませんでしたぁっ!!」
「あ、あの……いえ。いいのです。ええ。何もありませんでしたとも。少し寂しいな、なんて思ったりしていません」
――あれ? 思っていた反応と少し違う。
やらかしてしまった此方としては何をされても文句は言えないので、一体自分はどうなってしまうのだという気持ちで一杯だったのだが、返ってきた反応がこれだ。
頬を赤く染め、此方から目線を外しそっぽを向く。何とも可愛らしい反応だが、予想外にも程があった。
これまでの彼女と会話をした経験から、王として立派な、いつも凛とした小柄な女性という印象を彼女に抱いていた為にこのような少女のような反応をされるとは思っても見なかった。
「――無銘のセイバー」
「は、はい」
「お互い、この事は忘れましょう。いいですね」
「了解デス」
彼女も此方が抱いていた印象を分かっていたのか、あくまでそうであろうとする姿に苦笑していると有無を言わさない態度で王命は下された。
忘れろ、か。――うん、無理だな。
「で、では失礼」
「あ、ああ。……また、頼むよ」
こほん、と態とらしく堰をしながら彼女は足早に去っていった。
何かスキルでも使用しているのか、その速度は歩いているというよりは走っていると言ったほうが適切であると言えたが。
「……これは気まずいな」
ボソリと独り呟く。
彼女と次顔を合わせるとき、どのような顔をすればいいのだろう。お互いに顔を合わせてしまったとして、どのように話せばいいのだろう。
考えても仕方のない事ではあるが、そのような考えが俺の頭に暫く残り続けていた。
「全く。表情に出やすい彼女も彼女だが、彼は彼で気遣いは出来るくせに変な所でボロを出す。……難儀な事だよ、本当に」
そろそろ昼食にでもしよう、と声を掛けに来たエミヤが物陰に潜み、二人を遠目に見てそう呟いたのは二人とも知らない事だ。
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静寂な夜は考え事をするのに丁度いい。
「少し、疲れたな」
ぽつりと独り、零す。
誰に言うでも無く呟いたにも関わらず、その声は大きく響き渡っているように感じられる。
静寂な夜、草原に身を投げ出して目を閉じる。少しばかり冷ややかな風が身をそよぎ、疲れた心身を癒していくようで気持ちがいい。
此処、第一特異点の舞台となったフランスで、俺は初陣を飾った。
峰打ちを使用して不殺を心がけた上で戦った一般的な兵士達や、全力を振るえる人ではないワイバーンであったとはいえ精神的にかなり堪えた。
それにしても、キリエライトはとても強い心の持ち主だ。
彼女は本当に強い。俺と同じような境遇にも関わらず、不安に押し潰される事なく己がマスターの為に懸命に戦っていた。
本当は不安で仕方が無いはずだ。恐怖もあっただろう。俺がカルデアへやってくる以前に一度、戦闘経験を積んだらしいが、それでもそう変わりはしないはずだ。
本当に、強い。
目を開いて、目の前に掌を広げる。汚れていないはずなのに、何故か赤黒く汚れているように見えるのは、俺の心が弱い所為なのか。
彼女の武器は盾だ。守りを主体として、誰も死人を出さないという気概を感じるような、大きな盾。
ああ、彼女らしい。その力は英霊から借り受けたものとは言えど、その守りたいという意思の具現があの大盾なのだろう。
それに比べ、俺は。
きっと、俺も、この身に宿っているであろう英霊も悪くないんだろう。偶然、得物が刀であっただけなのだから。
そうだとしても。あの刀を振り抜いた瞬間の兵士達のあの怯えの表情がどうにも忘れられない。それが俺に向けられた表情でなかったのだとしても。
それからというものの、いつか来るだろう、この手を血で汚すその日の事を考えていた。その覚悟は既に出来てはいるのだ。それが今の俺に出来る事であり――いいや、それだけが、俺に出来ることなのだから。
だけど、何れ斬る事に慣れきってしまうのだろうと思うと、それが怖くて仕方が無い。
甘えた事を言っているのは分かっている。凄まじい人生を歩んできただろう英雄達に聞かれでもしたら笑い飛ばされる事は間違いない。
それでも、俺は――
「あ……セイバーじゃないですか。こんな所でどうしたのですか?」
「……あぁ、ジャンヌ・ダルクか」
――と、どうやら考え事に夢中になりすぎたらしい。
背後から近寄ってきた彼女に全く気付かなかった。
「……何だか堅苦しいので"ジャンヌ"と呼んでください」
何故そうなった。
堅苦しい呼ばれ方など聖女と呼ばれた彼女なら慣れていそうなものだが。
彼女はどうも初めて会った気がしない。いや、そんな事はあり得ないのだが、霊基が彼女を覚えているような、そんな感覚がするのだ。
「他の方々は余り気にならないのですが、あなたにそう距離を置かれると何だか寂しい? と言いますか。うーん……何と言えばいいのでしょう、この気持ちは」
まぁ、彼女がそれでいいのならそう呼ぶ事にするとしよう。
なんだか、彼女が話しかけてきたからか、悩みが何処かへといってしまったように感じる。それはきっと一時的なものであり、先延ばしにしてしまうのはよくない事であるのだろうけれど。今の俺にとっては何よりもありがたいものだった。
「ところで、あなたは此処で何を?」
そういえば、彼女が来ているにも関わらず寝転がったままだった。彼女が気にしていないのが幸いではあるが、次があれば気をつけるようにしよう。
そう思いつつ、不思議そうに此方を覗きこむジャンヌに何も言わず、空を見るようにと指差した。
「……わぁ」
そこに広がっているのは、遠い宇宙から煌く光を届けている満天の星空だ。
特異点には死が溢れていた。一人も生き残っては居ない街もあった。救えなかった事を嘆く者も居たし、闘志を燃やす者も居た。――様々な思いが、この特異点を渦巻いていた。
それでも、この空だけはきっと変わらない。少し目を外せばあの特大の光帯が存在してはいるが、それもこの一年以内に方が付く。光帯も消えて、元の空が戻ってくるだろう。
「綺麗ですね……」
「……ああ」
「何だか新鮮です」
不意に、そんな事をジャンヌが言った。
確かに、この星空は現代に生きていただろう俺にとっては新鮮なものだ。しかし、彼女にとってはどうだろうか。
この時代に生きた彼女にとって、この空は慣れ親しんだものであるはずだが。
「私が啓示を得てからは目を閉じて祈ってばかりで、こうして寝そべって空を眺めるなんてことはなかったので」
何より、そんな暇もありませんでしたし、と少し悲しげに笑うジャンヌに胸が痛む。
思えば、彼女は十九歳という若さでこの世を去った。それも、裏切りによって火刑に処されるという形で。
「辛くはなかったのか?」
気付けば、そんな言葉を伝えていた。
「……はい」
少し間を空けたその言葉は、少しばかりの迷いが込められていた。
辛くなかったといえば、それはきっと嘘になってしまうのだろう。
裏切られるというのはとても辛く、許しがたい事なのだから。
「でも、後悔はあまりしていません」
その言葉には、迷いはなかった。
「キミは裏切られて死んだ。その結果で良かったのか?」
あの黒いジャンヌ・ダルクと相対して、それでもこのフランスを救おうと行動する白いジャンヌにそれを聞くのもおかしいことではある。
復讐を掲げ、憎悪を振りまく黒いジャンヌと敵対し、本来の歴史を辿らせようとすること、それは即ち、彼女が歴史通りに火刑に処されて死んだ未来を善しとすることなのだから。
それでも、聞かずにはいられなかった。
「いいのです。……確かに、何で私が死ななければならないのかと思った事もあります。でも、それで未来に繋がる何かが残せたのなら。――それで、私は十分なんです」
衝撃だった。ただ、胸を打つ何かがその言葉にはあった。
何故かは分からないが、心の底から納得させられるような、何かが存在していた。
未来に繋がる何か、か。
中身の無い、空っぽな俺でもそれが残せるだろうか。
"――ここまで、だな"
そんな事を考えていると、ふと、頭に少しばかり苦しげな声が過ぎった。これでよかったのだと何かを信じた誰かが深く、静かに息を吐く。
何故だかばつが悪い気持ちになる。気を紛らわせようとして、目を星から外して見ると、一際大きく輝く月が目に入った。
――とても懐かしい。ありえないはずなのに、そんな気持ちになった。
余談だが、この後二人してそのまま眠ってしまい、目が覚めた後ありとあらゆる人間からからかわれた。ジャンヌには申し訳ないことをしてしまったと思う。
7/4 ほんの少しだけ加筆。
9/19 最後の辺りを少し改訂。
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アルカディアを越えて
フランスにおける敵、黒いジャンヌ・ダルク。
彼女には配下として幾人かのサーヴァントが存在している。
それぞれがバーサーカーのクラススキルである狂化が施されている、らしい。
狂化というスキルはランクにもよるものの、低いステータスの底上げの代償として言語能力を失うスキルだ。
バーサーカー以外のクラスであるにも関わらず、狂化が付与された英霊達はどのような気持ちで戦うのだろう。
ふと、そんな事を思った。
「邪魔をするのならば殺す。……それだけだ。ああ、だから、だから……早く立ち去ってくれ……!」
ただ、一つだけ言えるのだとしたら。
目の前で整った顔を悲痛に歪め、手を震わせながら弓を番える彼女は悔しくて仕方が無いに違いない。
敵である俺達を倒すまいと立ち去れと言う彼女は、本来はきっと善き精神の持ち主だったんだろう。
「……それは出来ないな」
人々が死んでいってしまう事に対しては、俺個人としては思う事はあっても、何も言う事はない。
戦いというものにおいて、いつも犠牲となるのは力なき者達だ。
それを防ぐ事は出来ないし、それを救う事は出来ても本来の目的を達成するまでが遠くなり、更なる犠牲を生む可能性がある。
どちらも正しく、どちらが間違っているということもない。どちらを取るのかはその人次第ではあるが――マスターである藤丸は人々を見捨てず、そして目的をも達成する……俗に言う、お人好しな人間だった。
ただ、それだけのこと。ただ、それだけだが、俺がこうして彼女を止める理由になるには十分すぎるものだった。
"頼む、セイバー! あのサーヴァントを止めてくれ!"
彼は俺の実力を良く知っている。マスターである彼にとって、俺達サーヴァントがどの程度の力量を有しているのかを知るというのも一つの役目として存在しているのだから。
俺の弱さを知っていてなお、彼は頼み込んできたのだ。申し訳なさそうに顔を歪ませながら。
普通のマスターであるなら、町の一つや二つは仕方が無いと目の前のものを無視して進むのだろう。しかし彼はそうしなかった。自分が後悔しないようにと、無理を承知で行動した。――そうだとも。後悔は行動してからすればいい。何もせずに後悔するよりは何倍もマシだ。
「ぐっ……何故だ!? 貴様からは特別強者の気配もしない。命を懸けるだけ無駄だ!」
「そうかい」
そんなものは知ったことかと彼女の言葉を聞き流す。
他のサーヴァント達はワイバーンに襲われている住民の救助に向かっている。よりにもよって一番弱い俺が一人で彼女に立ち向かわなければならない訳だ。
アーチャーである彼女にはステータスの底上げが成されている。まともに戦えば此方が負けてしまうのだろう。
それでも、と彼女の前に立つ。俺はセイバー、マスターである藤丸立香の剣なのだから。
サポートは任せるぞという意味を込めて目線を後ろにいる藤丸に合わせる。彼は爽やかな笑みを湛え、頷いた。
「サポートは任せて、セイバー」
「必ず勝ってみせよう、マスター」
しっかりと伝わっていたようで何よりだ。
彼の言葉を背に言葉を返し、改めて彼女を見据える。
「此度の現界であなたが苦しんでいるのなら。俺はあなたを打ち砕こう。――対峙する理由はそれだけで十分だろう、アーチャー」
――その言葉を最後に、彼女へと踏み込んだ。
■
「ふふ……まさか、本当に敗れるとは」
「……手を抜いておいてよく言う」
確かに勝利はした。此方もかなり消耗したが、それでも何とか勝利を収めたのだ。
彼女はロマニ曰く、ギリシャにおいて名高い純潔の狩人――その名もアタランテというらしい。成る程、道理で素早い訳だ。手を抜いていてなお、あの速度とは。喰らいつくのが精一杯とは恐れ入る。
「汝のような英霊にはまだまだ負けんさ」
「いや、まぁそうなんだけども。結構酷くないか?」
「砕けた態度と取って欲しい」
「砕けすぎだろ」
幾ら座に還るからといってそれはあんまりでは、と思う。
一応俺にだってプライドというものはある。人理を救う戦いにおいてはどうでもいいことであるし、無いに等しいも同然だが。確かにそれは存在するのだ。
さて。彼女の霊核は確かに砕いた。直に彼女の退去が始まるだろう。
「まぁ、なんだ。……ありがとう」
「……ふっ」
「ちょっと待て。何故笑う」
英霊が消えるあの光――英霊の残滓をその身から放出しながら、彼女は照れくさそうに笑った。
それが何だかおかしくて、思わず笑ってしまう。
「礼を言われる事なんてしてない。街を襲っていた英霊を討ち取った、ただそれだけだろう?」
「……違いない、のか?」
戦いはあっという間に終わった。
だというのに、彼女の表情は始まる前と終わった後とで随分と変わった。
苦しげに余裕のなさげな表情から、柔らかく余裕のある笑みへ。
それはいいことだ。最期には笑って消えていく――英霊にとって、それはとても難しいものだ。
だからきっと、今回の彼女は素晴らしい最期を迎えられたのだろう。終わりよければ全て良し、という言葉が適切だろうか。
「そろそろ消えるとしよう。――次があれば、汝らと共に戦いたいものだ」
「あなたの願いが何であるのかに左右されるとは思うが……まぁ、俺のマスターならきっと召喚してくれるさ」
「楽しみにしておこう」
そうして純潔の狩人は消えていった。
後に残るものは何も無い。英霊の死というものは、そういうものだ。
でも、残ったものはある。それは目には見えないものであるけれど、確かに存在している。
「――セイバー!」
「ああ、マスター。いい支援だった」
後ろから聞こえる声にしっかりと返事をする。声色からして、どうやら心配していたようだから。
彼はもっと自信を持つべきだと思う。彼の支援なくして俺の勝利はなかったし、彼女との語らいもなかったのだから。
「お疲れ様。……彼女となんか話してたみたいだけど、何かあったの?」
「次は此方側で戦いたいだと」
「それはまた、こう……俺への責任というか、なんというか」
「ま、マスターなら大丈夫だろう。どうせいつかは召喚される」
「何その言い方は……」
残ったもの――今回は、彼女と紡がれた縁。きっと、このような縁はこれからも増えていく。それは人が生きていく中で経験する、多くの出会いと別れのような、大切で得難いもの。
藤丸と他愛のない話をしながら、俺はそれを確かに感じとるのであった。
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正面突破
邪竜ファヴニールに狂化の施されたサーヴァント達、それに雑兵と呼ぶには少し強力なワイバーン。それらが黒い聖女――ジャンヌ・オルタの居城へと進もうとする俺達を阻んでいる。
いよいよフランスにおける旅も最終局面に来た、と言った所か。
此方の戦力にはかつてあの邪竜を打ち倒した大英雄、ジークフリートも居るし、これまでの旅の中で仲間になった者達も居る。
オルタの勢力はフランスを制圧しつつあるものの、実質的な戦力――サーヴァントはじわりじわりと数を減らしつつある。戦力的にも、精神的な意味でも、今が最大で最後の好機だ。攻めるのであれば今しかない。
とはいえ、仲間達は増えるだけではなく、旅半ばで還って行った者だって居た。
フランスを愛し、フランスに愛された彼女は俺達を逃がすために散っていったのだ。――アマデウスとの別れの挨拶代わりに、生前に叶う事の無かった約束を交わして。
彼女の為にも、フランスへの蹂躙を一刻も早く止め、正常な歴史に修正しなければならない。
俺達の中で、そのような思いが強まるのは自然な事だった。
「それじゃ……行こうか」
そんな中、存外に落ち着いた様子の藤丸が静かにそう言った
気が抜けている訳でもなく、また気を張りすぎている訳でもない。藤丸立香はいつも通りに前を向いていた。
「はい。コレがフランスにおける最終決戦。負けるわけには行きません」
それはキリエライトも同じだった。
決して肝が据わっている訳ではない。ただ、特異点を修復し、フランスを救うという思いが彼らをそのようにさせていた。
「俺も敵の大将のところまで乗り込みたかったんだが……まあ、今回は足止め役で我慢してやるとするかね!」
自慢の朱槍を手に獰猛な笑みを浮かべ、クー・フーリンは此方を一瞥した。その視線は"今回はアンタに譲ってやる"とでも言いたげだ。
「今回は私達の命どころか人類の未来が懸かっているからな。適材適所という奴だ。……ところでマスター」
「どうしたの?」
「――足止めするのは良いが、別にアレらを倒してしまっても構わんのだろう?」
エミヤは不適に笑い、自信ありげにそう告げた。何故かは分からないが死亡する気がしてならない。所謂死亡フラグというモノが今、彼に盛大に立っている気がした。
「……盛り上がっている所だが、すまない。どうやら奴らはもう臨戦態勢のようだ。……空気が読めなくて本当にすまない」
「ジークフリート……」
悲しきかな、彼はこんな状況でも腰がとても低かった。一体彼の何がそうさせるのだろう。
かの邪竜はジークフリートにしか倒せない幻想種だ。要はこの作戦における最重要な人物とも言える。そんな彼が宝具を放つまでを護衛し、かつオルタ陣営の本拠地に乗り込む本隊である俺達の道を切り開く。
少しでも賢く見せようとすればこのような作戦となる訳だが、実際の所はただの正面突破、サーヴァントという至高の戦力による力のごり押しだ。
この局面においてはこれが最善策であるというのは紛れもない事実だが、策も何も関係のないこの作戦に、改めてサーヴァントという存在の力の強さをつくづく実感させられる。
「では、私達は敵を引き付けますので、その間にファヴニールをお願いします」
「任せてくれ」
アルトリアが短く言葉をかけて、眼前を悠然と飛び回っているワイバーンへと飛びかかっていく。
「よっしゃあッ! 戦いの始まりだ!」
「
クー・フーリンが槍を、エミヤが弓を手にそれぞれ戦場へとその身を投じていく。
「この戦いはあくまで前哨戦に過ぎない。……が、此処が正念場だな」
「ああ。それに俺は数多の敗北の中から一欠片の勝利を手繰り寄せたに過ぎない」
此処を突破できれば、あるいは直ぐに方が付く。ファヴニールさえ何とかしてしまえば、後に控えているのはサーヴァントだけなのだから。
そういった考えの元、呟いた言葉に、ジークフリートが反応した。
それはつまり、かつて倒したからといって今回も倒せるかは分からない、ということだった。
不安に駆られるような言葉を零した彼に、何か不安でもあるのかと思いその顔を見やれば、考えとは裏腹にその表情に曇りは無かった。
「だが、今回はマスター達のような頼れる仲間が居る。――この剣に懸けて、二度だろうと三度だろうと奴を倒して見せよう」
いつに無く力強く言い切った彼は、少し前までの腰の低い英雄らしからぬ人間といった彼のイメージを払拭させる。言うなれば、正しく大英雄だろうか。
邪竜ファヴニールを倒したジークフリートという英雄が正に此処に立っていると意識せざるを得ない程の雰囲気を彼は身に纏っていた。
――これが、英雄か。
普段から英雄達と過ごしてはいるが、彼らはこれほどの覚悟と信念を表に出す事は未だに無かった。それを今、目の前にし、思わずごくりと喉を鳴らす。前へと進んでいく彼の背中を見て、ただただ圧倒された。
「マスター」
「うん?」
「英雄ってのは、凄いな」
「……うん。そうだね」
半ば無意識に会話をしたところで、ふと我に返る。
俺の仕事は、藤丸を守りつつ、切り開いた道を先導する事。心此処に在らずといった状態ではいけない。ある意味で一番重要といってもいい仕事なのだ、気合を入れなければ。
「――走ってください、セイバーさん!」
「ああ、任された。後ろは任せる」
「はい!」
ジークフリートの準備が整ったのか、キリエライトが叫ぶ。それと共に駆け出す。
何も心配する必要は無い。俺達は藤丸への被害を抑えつつ、ただ前へと突き進むだけでいい。
進んでいく間に襲い掛かられるものの、それは心強い仲間達が抑えてくれるのだから。
「二度目だな、ファヴニール」
前方へと進んでいたジークフリートは静かに言葉を紡ぐ。
戦闘や絶叫による騒音の中であるにも関わらずそれは少し離れた此方にも聞こえる。
「正直な話、俺が此処に居る時点でお前が居るのだろうとは思っていた」
かつて自分を倒した人物を目の前にしたファヴニールはあらん限りの咆哮をあげる。それは他の者には目もくれず、ただ一人の己が宿敵へと向けられていた。
それを彼は一瞥して、剣を構えた。ジークフリートが魔力を高め、彼にとっての至高の一撃を放つ、そのために。
「今回も墜とさせてもらうぞ。……邪悪なる竜は失墜し、世界は今落陽に至る。撃ち落とす――
彼が宝具を解き放ち、その剣戟がファヴニールへと迫るのを俺達は追いかけるようにして彼を追い抜いた。
かつてあの邪竜を打ち倒したあの一撃が、此度もあの邪竜を屠ったのだと信じて。
■
白と黒。
対となる者達が今、目の前で対峙している。
白は黒い自分の犯した過ちを正し、フランスを救う為に。
黒は白い自分の愚かさを嘆き、裏切りへの復讐を成す為に
「ファヴニールも、配下のサーヴァント達もやられましたか。……ま、良く此処まで来た、と褒めてあげましょうか」
「随分と余裕な態度ですね、
「其方に居るのは
キリエライトも俺も、未だに戦闘に慣れきっていないひよっこであるのは自覚している。その為に彼女の言葉に思う事は特に無い。聖杯からのバックアップを受けているだろう彼女にとって、俺達は砂塵に等しい存在だ。
それよりも、オルタの背後に目の飛び出た怪しげな魔術師らしき男が見えるが、彼は一体何者なのだろうか。気配からしてサーヴァントであるのは間違いないが。
「……旅の中で考えて。それから面と向かってみて、改めて思いました。本当にあなたは私なのですか?」
「はぁ? 何を今更」
ジャンヌの物言いに、背後の男がピクリと反応した。
「あなたが私の側面であるというのなら、フランスの民達は襲わない。共に戦った彼らを憎むだなんてありえません」
確かに、言われてみればそうだ。
オルタ――
つまり、オルタの行動はおかしいのだ。復讐者として召喚されたのであれば、自らを裏切り、殺した祭司達への復讐心だけが彼女を渦巻くはずなのだ。そこに共に戦い、辛さも、喜びも分かち合ったフランス国民達を巻き込むような事はしてはならないし、まずそうはならないはずなのだ。
そんな彼女の行動にジャンヌは違和感を覚えていたのだ。本当に彼女は自分の側面であるのか、と。
「だから――あなたは、私ではない」
「う、るさい……! 何度言えば分かる!? 貴様は私の搾りカスのようなものだと、何度言えば!!」
オルタの叫びは、まるで小さな子供が混乱し、喚いているように見えた。
「もう、いい。問答も全て無意味です。全て消え去ってしまえ……!
彼女が、宝具を放つ。かつて自らを焼いた、あの火刑を思わせるような、そんな宝具を。
ただ、憎しみしか込められていないその炎。それを見ていると、何故だか無性に悲しくなった。
「……終わらせましょう、この特異点を。私が彼女の宝具を抑えます」
ジャンヌがその身の魔力を高めていく。宝具を使うであろう彼女の瞳は、少しばかり悲しみを帯びていた。
「主の御業を此処に! 我が旗よ、我が同胞を守りたまえ――
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記憶の欠片と非情(?)な現実
結果的に言えば、勝利をその手に収めたのは白いジャンヌ・ダルクだった。
戦い始めは互角、お互いに譲らない戦いを繰り広げていた。見る限りでは均衡状態が長引くだろうと全員が予測した。しかしそれとは裏腹に、次第にジャンヌがオルタを追い詰め始めたのだ。
同じ裁定者のサーヴァントであり、尚且つジャンヌは本来よりも弱体化している。それにも関わらず彼女が勝利を収めたのだから出来うる限りの賞賛を贈る他ない。
しかし、何故あのオルタに勝利できたのか。
白いジャンヌが言うには、彼女には経験が足りなさすぎるとのことだ。
オルタが本当にジャンヌ・ダルクの別側面であったのなら、勝利をもぎ取る事も難しかったと彼女は言っていた。
ジャンヌ・ダルクが戦って、戦って、戦って。そして悲惨な最期を迎えるその瞬間までの経験。
ジャンヌ・ダルクの側面としてはあり得ない存在の彼女は、ありとあらゆる経験が足りなかった。当てはめるのだとしたら、まだ成長途中でしかない子供のようなものか。
『消えたくない……消えてたまるものですか……!』
ふと、ジャンヌに負けて消え去るその際にオルタが零した言葉が頭に過ぎり、心にずっしりと圧し掛かる。
歴史に名を残すような人物には、何かしらの大きな執着のようなものがあったと俺は考えている。それは地位や名誉、恋人、復讐、強さ。他にも様々なものがある。それこそ、挙げていけばキリがない。人によって執着するものには違いがある。
今回敵対することになったオルタは、復讐か。
……あれほどまでに、全てを懸けてまで執着するものが俺にはあっただろうか。
「……さて。そろそろ現実逃避もやめておかないとな」
彼女は消えていった。もうジャンヌ・ダルク・オルタは存在しないのだ。
あぁ、冷酷で無慈悲ではあった。この目で彼女が引き起こした悲劇を、蹂躙を目の当たりにした。それでも何故かそこまで悪い存在でもないと思えてしまうのは、構築元がジャンヌ・ダルクであるからなのだろうか。
……いや、この話はもう止めにしよう。この世界が気まぐれに奇跡でも起こしてカルデアに召喚されれば別ではあるが、それは希望的観測が過ぎるというものだ。
思考に一旦区切りをつけて、周囲を見渡す。自分の息遣いと、布擦れの音以外は聞こえない自分だけが存在する空間。
空間は限りなく何処までも続いているようにも見え、薄暗い。
地面は存在するのかと足元を見れば、幾何学的なエフェクトが水面を揺らしているかのように蠢いている。
「一体何なんだ、ここは」
少なくとも現実世界ではないのだろう。あってないような知識の中にある地面は決してこのようなバーチャルな空間には存在していない。
「……うん?」
少し離れた場所に何かがあるのが見えた。相も変わらず回りは電子的な空間のままで、先程までは何も存在していなかったはずの、その場所に。
――あれは……剣、なのか。
距離があるために少しばかり見難い。しかし、その剣には形容しがたい、興味を引く何かがあった。
気が付けばその剣に向かって歩みを進める自分に、特に武器を集めたりする趣味は無いが、と内心苦笑する。
「……綺麗な剣だな」
どこからか当たっている光を反射し、真紅に輝いているようにも見える剣に思わずそう呟く。
曲線の多いシルエットに、リーチの長く見た目扱い難そうな、見る者に薔薇を想起させるような真紅の剣。
それ見て頭に過ぎったものはと言えば、"俺のものではないもの""何故これがここに""彼女がここに居たのか"というものだった。
不思議な感覚だ。記憶が存在していない故に、俺はこの剣を初めて見た。しかし、"オレ"はこの剣をよく目にしていて、尚且つその所有者と面識がある。
とても、不思議な感覚だ。
少し手に取ってみようか。
そう思って、まるでガラス細工でも扱うかの様にそっと柄に触れ――
■
「あ、れ……?」
「……何をしてんだ、おまえさんは」
瞬きをした瞬間、カルデアの一室に風景ががらりと入れ替わっていた。
……本当に訳が分からないな。
「……何でもない。逆に聞くが、アンタは何で此処にいるんだよ?」
俺が立ち尽くしているカルデアの一室は、私物が殆ど存在していない殺風景で生活感の無い部屋。つまりは俺の自室だった。
クー・フーリンとは今まで殆ど交友が無かったため、俺が呼び出さない限りは彼が此処に訪れる理由は無い筈だが。
「あ? 初めての実戦で精神的に疲れでもしたのか? 帰ってきて直ぐにマスターがサーヴァントを召喚するって言って聞かなかったろ」
「は? ……あー。そういえばそんな事もあったな」
ややおぼろげになった記憶を探れば、確かに藤丸がそう言っていたのを思い出す。
やけに張り切っていたが、一体何をやらかすつもりなのだろうか。彼が張り切っていてやると言っている以上、マスターの意思を尊重する名目で召喚は執り行われるのだろう。
仲間が増えるのは心強いし、此方に被害があるようなことをしなければ一向に構わないが。
……ああ、クー・フーリンが言おうとしている事は何となく分かる。分かるが、面倒なのでしらばっくれよう。別に俺が居なくても構わないだろうに。
「で、それが?」
「いや、察しろよ……」
察してはいる。
察しているからこその言動だ。アンタこそ察してくれと声を大にして言いたい。言わないが。
「考えてみろ、面倒なサーヴァントが召喚されたらどうするんだ。俺はカルデアでまで命を懸けて鬼ごっこをするつもりはないぞ」
「……ああ。そうだな」
思い当たる節があるのか、クー・フーリンは真っ白な天上を仰いで死んだ表情をしていた。一体彼に何があったのだろうか。彼程のサーヴァントであれば、大抵はどうとでもなると思うのだが。
「特にあの清姫とエリザベート。酷いことになりそうだ」
フランスで出会ったあの二人のサーヴァントを思い返す。
片割れは少しでも嘘を吐けば焼かれるし、片割れはアマデウスが素で字に記すのも憚れる罵倒をする程に酷い音痴だ。
実害で言えばエリザベートの方が上ではあるが、清姫も侮れない。別にやましい事などないが、それでもうっかり嘘など吐いてしまえば大変な事になるに違いない。
「おう、そんなセイバーに朗報だ。……その清姫なんだが、既にカルデアに居るぜ?」
「……は?」
空気が凍ったとはこの事を言うのだろう。互いに視線を交わした後、大きく溜息を吐いて天上を見上げた。眩しい。
いや、しかしまさかあの少女が安珍――もとい、それに見えている藤丸を追って自力でカルデアにやってくるとは思ってもいなかった。カルデアのセキュリティがザルすぎやしないだろうか。
……是非とも彼には強く生きて欲しいものである。
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Break time?
「はぁ」
最近、というよりも、サーヴァントモドキとなってから回数が増えたような、そんな気がしないでもない溜息を、目の前の人物に隠す事も無く大きく吐く。
こうしてゆったりと過ごすのは別に嫌いではない。寧ろこういった穏やかな時間は好きな部類ですらある。
だからといって素振り中に突然割り込んできたかと思えば、得物を目にも留まらぬ速さで取り上げてからのお茶会というのはあんまりだと思うのだけど、そこのところどうなのだろう。あと、消滅したと思っていた第一特異点にレイシフトしてきているわけだけど、行く理由がお茶会でいいのだろうか。心底心配になってきた。
「お話も聞きたいけれど、先ずは……そうね、紅茶でもいかが?」
「……頂くよ」
ついこの間召喚された、目の前で特に楽しい話をしているわけでもないのにはしゃぎ気味な彼女、マリー・アントワネットを見てそう思う。
――本当に、どうしてこうなった。
本来なら身体を慣らした後、キリエライトと合同で鍛錬をする予定だった。元は現代に生きる人であるという共通点――とはいっても、俺に限っては本当に純粋な人だったのかすら分からない――がある俺達は、時折二人で鍛錬に励むのが通例となりつつある。持ちかけてきたのはキリエライトで、アルトリアとの模擬戦の噂を聞きつけて自分も負けていられないと奮起したらしい。健気なことで微笑ましいが、彼女は元は純粋な人なのだからあまり無理はしないで欲しいものだ。
しかし、これではその予定も潰れそうだ。寧ろキリエライトを巻き込むまである。すまん、キリエライト。俺にはフランス王妃は止められそうにない。
もう直ぐやってくるであろうキリエライトに軽く謝罪をしながら、マリーから受け取ったマグカップに鮮やかに揺らめく紅茶を口にする。
「……うまい。茶葉の良し悪しなんてものは分からないけど、落ち着く味だ」
「それは良かった。エミヤにはお礼を言わなくちゃ!」
なるほど、彼が淹れたのか。つくづく料理関係には強い男だな。実はクラスがコックだったりするのかもしれない。……まあ、そんなクラスは聞いた事もないし、存在しないだろうが。
「本当はわたしが淹れようとしたのだけれど、折角だから彼にお願いしてみたの。どうやら正解だったみたい」
「料理関係の事に関しては凄いからな、エミヤは」
「あの情熱は素晴らしいわ。……ん、いい香りね」
いやしかし、やはり王妃というだけあって、その振る舞いは上品なものだ。マグカップを口に運ぶ動作から置く動作まで、常人とは違う何かがある。様になっている、というのが一番適切と言えるか。
とはいっても、優雅で上品な振る舞いで、常人には話しかける事すら難しく、野に咲く一輪の花――所謂高嶺の花の様に、他人からは一歩引いた場所から接せられる……とはならないのが、彼女が彼女たらしめるものであり、彼女の美点だ。
……美点、つまり良い所ではあるのだが、俺にとっては少しばかり遠慮させて頂きたい所でもある。
彼女の性格上、相手との距離は常人のそれと比べてかなり近い部類になる。つまる所、俺は彼女の近すぎるといってもいいその距離感が少し苦手だ。
別に嫌いだとか、そういう感情があるわけでもない。ただ、カルデアに来てからというものの、彼女程近い距離感で接してくる人間は居なかったために戸惑いを隠せずに居るだけのことだ。
まあ、俺が慣れてしまえばそれで済む事だと言われてしまえばそれまでなのだが。
「また考え事?」
「へっ?」
気の外からの問いかけに思わず間抜けな声で返事を返す。そういえば、最近このように考え込む事が増えた気がする。……これは直さなければならないな。
「……まぁな」
「フランスの時からそうだったわね。何があなたをそこまで思いつめさせるのかしら?」
「それが俺にもよくわかってないんだよ」
どうやってカルデアにやってきたのか。
幾何学的な、電子的な空間を思わせるあの夢。
そも、俺はどういった存在だったのか。
全ては俺の過去へと収束する悩みではあるが、日を過ごしていく内に悩み事は増えていき、その度に様々な思考を張り巡らせる。
英霊として此処に居る俺と、ただの人間であったかもしれない俺。
ふらふら、ゆらゆら。自分を知らない俺は、未だ彷徨い続けている。
本当の"俺"は一体何なのだろう。そんな悩みが解決する気配は一向になく、寧ろ日に日にその存在感は大きくなっていくようで。不安を覚えられずにはいられないのだ。
「――わたしはなんだか不安だわ」
不意に、マグカップを空にしたマリーがぼそりと呟いた。
唐突に真剣な表情をした彼女に驚きつつも、目を合わせて続きを促す。
「あなたを見ていると、どこか遠い場所へ消えてしまうような気がする。……そんな感じかしら」
ドキリ、と心臓が大きく脈打った。
特に心当たりがあるわけでもないはずなのに、その言葉は何故か胸に突き刺さる。
「英霊なんだ。一年程の旅が終われば、結果がどうあれ俺達は消えるだろ」
それを誤魔化すかのように、当たり前のことを苦し紛れに吐き捨てた。
どうにもあの夢が脳裏にちらついている。どうしようもない不安に身体がぶるりと震えた。
「結果が全てだというならそうだけれど」
でも、と彼女が続ける。
「悲しいお別れなんて寂しいじゃない?」
どうせ別れることが決まっているのなら、せめて楽しい思い出を。彼女はきっと、そう言いたいのだろう。
それはそうだろう。誰が好き好んで悲しい別れを望むというのか。
最後には笑っていられるのが一番の結末なのだから、誰だってそれを望んでいるはずだ。
「だから――」
コトリ、とマグカップを置き、彼女は俺の手を取った。
「今此処でわたしとお茶をしているあなたはあなただけ。それだけじゃダメかしら?」
「……」
成る程、彼女は最初から俺の悩みなんてお見通しだったわけだ。
柔らかく微笑みながらそういう彼女から目を逸らす。
例えどのような人間であれ、柔らかく包み込んでしまうようなその優しさ。史実から英雄とは言えない彼女が、こうして英霊として現界している理由が何となく分かった気がした。
「そうかもな」
真実が明らかになるまでは、この不安が消えることはきっとない。
けれど、不思議とそう納得できる気がした。
――俺は俺、か。
自分でも柄じゃないとは思うが、自然と口角が少しつりあがって、笑みを浮かべた。
いつか、彼女のように柔らかく笑えるだろうか、何て思いながら。
「――うん! 笑ってるほうがいいわね。じゃあ、暗いおはなしはこれで終わりにして明るいおはなしをしましょうか!」
そうすればもっと笑顔になれるわ、と彼女ははにかんだ。
取られていた手をそのままに、彼女は席を立つ。どこか散歩にでもいくつもりだろうか。
今度は思考を読んだわけではないのだろうけれど、全てを見透かされている気がしてなんだかとても複雑な気持ちになった。
「……やっぱり、俺はあなたが苦手だよ」
少し前とは違う意味で、と内心で付け加えつつ苦笑いを浮かべ、若干遅れて立ち上がる。
呟くは彼女に聞こえることなく、上機嫌で歩き始めた彼女に歩幅を合わせて歩き始めた。
心が少し軽くなった所為か、足取りも軽やかに感じられたのは、きっと気のせいではない。
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