翅神と巫女の物語 (ミナミミツル)
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敗北の味は苦く

 ローマより旧き時代。

 ギリシャより旧き時代。

 かのアトランティスすら、ようやく双葉をつけた芽に過ぎなかった頃。

 世界には神の如き巨獣が闊歩し、<翡翠海>の百の島々に跨がり興ったレムリア共和国は彼ら神獣と覇を競っていた。

 

 

 

 流星が奔ると空が燃えた。

 光は二十キロも離れた隣の島からでも見ることができ、そのように遠く離れた場所からならば、空が焼ける光景はある種の幻想的な風情があるように思われた。

 火に近づきすぎた羽虫が音もなく焼けて落ちていくように、空に浮かぶ火の粉がパラパラと輝きを放っては落ちていく。

 

 しかし、光により近い場所にいた人間は地獄を味わっていた。

 

 

「巡洋艦マレガー、及びバンニケド轟沈!」

「戦艦グラス・ランダ中破、戦闘続行不能! 後退していきます!」

「打撃艦ドゥルーガーより打電『我、航行力ヲ喪失ス。コノ上ハ我ガ身ヲ火船トシ呉爾羅ニ最後ノ一撃ヲ加エン。レムリアニ栄光アレ』」

「先の攻撃で第一、第二航空隊が消滅! 第三航空隊も出撃できません!」

「駆逐艦の七割が既に戦闘不能です!」

「対巨大生物用燃料気化爆雷、残弾なし! 呉爾羅は依然として健在!」

「メインエンジン出力低下! 防御スクリーンの展開率が40%を切っています! 次に熱戦を受ければ、我が艦もこれ以上は持ちません!」

 

 輝いては散っていくように見えた羽虫の正体は、レムリア軍の飛翔艦の群れであり、美しく軌跡を残す流星の正体は巨獣の発した死の熱線であった。

 この日、レムリア軍は共和国にとって最大の脅威である大巨獣、呉爾羅(ゴジラ)へと戦いを挑み、暗澹たる結果を目の当たりにしていたのである。

 艦隊の中でも一際巨大な戦艦、レムリア艦隊旗艦、大海の君主(ロード・オブ・オーシャン)号は、大海原に君臨する真の王によって今や死に瀕しており、そのブリッジにはけたたましく怒号が飛び交っていた。

 

「将軍、これ以上は無理です! 退避のご決断を!」

「防御スクリーンを切れ、もはや不要だ。全エネルギーを主砲に回し、できる限り攻撃し続けろ」

 副官から上がってくる報告を無視して、艦隊司令であるヴァスキ将軍は火器管制官にそう伝えるとメインスクリーンに映る宿敵、呉爾羅(ゴジラ)を睨みつけた。

 

 呉爾羅(ゴジラ)。破壊の神。神獣の中の神獣。ヒューペルボリアの災い。そしてレムリアを滅ぼすもの。

 荒々しい岩石に似た黒い表皮は、あらゆる兵器に対して驚くべき耐久力を示し、数万トンに達する体重を支える両足は、踏みしめる度に大地を震撼させる。

 背に屹立する背びれは禍と死の前兆。それが輝く時、呉爾羅(ゴジラ)の口からは恐るべき熱線が吐き出される。

 

 その怪物は炎の只中にいた。近づくことも困難な灼熱地獄の中心で、それでもなお呉爾羅(ゴジラ)は命を保っている。

 レムリア軍は来たるべき決戦に備え艦隊を建造し、三年かけて幾重にも罠を張り巡らせた戦場を構築し、そこに呉爾羅(ゴジラ)を誘い込んで総攻撃を加えた。

 

 その結果がこのざまか。

 艦隊の半数は焼け落ち、残りも戦闘不能となりつつある。

 ……だが、まだ我々は負けていない。

 

「共和国に残っている飛翔艦を全て出せと本部に伝えろ。兵力を温存していては奴に勝てない」

 ヴァスキが思い出したように通信手にそう言うと、副官はいよいよ色めき立って声を荒げた。

「将軍、本気ですか!?」

「何が言いたい?」

 ヴァスキは顔を上げてまだ若い副官の方を向いた。

 副官の瞳の中で、自分のすっかり白くなってしまった髪が、画面に映る炎に照らされてオレンジ色に変わる。

「本国の守りを空にするつもりですか!? それに例え増援が間に合ったとしても、とても奴は倒しきれません。みすみす被害が増えるだけです!」

「倒しきれんだと? まさに今こそがこの二十年で最高の好機なのだぞ! 見ろ、傷ついているのは我らだけではない、奴も同じだ! 今ここで倒せないなら永久に倒せんわ!」

 

『退け』

 

 将軍がそう言い終えるかどうかという瞬間、不意に言葉ならぬ言葉が頭に響いた。

 

『退け!』

 

 二度目の言葉はより強く、まるでハンマーで殴られたような衝撃があった。その言葉が頭に響いたのは将軍だけでなく、戦闘に参加していた全ての人間が同じ言葉を聞いた。

 声の主はなおも続ける。

『これは評議会の決定である。全艦、戦闘領域から離脱せよ。繰り返す、これは評議会の決定である』

「……翅神の巫女か! 今更現れおって何のつもりだ!」

 頭に手を当てながらヴァスキ将軍は唸った。

 戦場にあまねく轟くテレパシーはそれ自体が一種の音波兵器に似た衝撃をもたらしていたのである。

 

 その時、レーダー管制官は高速で接近するテレパシーの発信源の姿を捉えていた。

 彼もまた頭を押さえながらヴァスキに報告する。

「翅神と思われる機影を捕捉! 映像出します!」

 

 目標であるゴジラの映像が一時縮小して、その隣に映し出されたのは、極彩色の翅を羽ばたかせる大いなる巨神だった。

「おお……」とブリッジの中が俄かにどよめく。

 翅を広げたその姿は、超ド級飛翔戦艦である大海の君主(ロード・オブ・オーシャン)号にも引けを取らない壮麗さ。

 それほど巨大でありながら、その輝くものは、鳥のように羽ばたいて飛翔していた。騒々しいエンジンの無骨さなど欠片もない。

 青き複眼でレムリアの島々を見守る神、その名は翅神(モスラ)

 

 その翅神(モスラ)の頭には、薄手の皮服を着た二人の乙女が、互いの身を支え合うように手を結んで立っていた。

 彼女たちが口を開くと、その声は音ではない思考の波となって艦隊の乗組員たちに届く。

『我らが呉爾羅(ゴジラ)の注意を引く』

『その隙に撤退して下さい。翅神(モスラ)とて長くは持ちません』

 その思念波がいきわたると同時に、二人の乙女を乗せた翅神(モスラ)は果敢に呉爾羅(ゴジラ)へと向かっていく。

 

「……!」

 ヴァスキ将軍は目をむいた。

 今更引けだと!

 それが評議会の決定だと!?

 信じられんバカどもだ!

「通信手、巫女の思念波とシステムを同調させろ! 俺が話をつける!」

 通信手の女性は将軍に言われるがままおっかなびっくり指示に従った。

 ブリッジ内に不快なハウリング音が響き、それが収まるとヴァスキ将軍は通信機に向かってがなり立てた。

「こちらはレムリア艦隊司令ヴァスキだ! 翅神(モスラ)の巫女よ、これはなんのつもりだ!」

 戸惑いがちの声が将軍の元へ届く。

『ん、ヴァスキ将軍……か?』

『私たちは共和国評議会の命を受け、艦隊の撤退を補佐する為に参りました』

「怯懦を理由に作戦の参加を見送ったお前たちが今更何を言うか!」

『我らは何も恐れてなどいない』

『もはや翅神(モスラ)に戦う力など残されていないのです。今にも翅神(モスラ)の命は尽きようとしています。将軍も早く後退させてください』

「ここまで来て逃げろだと! 今死にかけているのは我々でも翅神(モスラ)でもない! 呉爾羅(ゴジラ)の方なのだぞ!」

『私たちはゴジラの生命力も感じています。死にかけているとは言えません』

『何度も繰り返すようだが、撤退は評議会の意志だ。従わぬというなら共和国への背信となるぞ』

「……ではこの戦いは何だったというのか! 兵は何のために死んでいった! 無駄死とでも言うつもりか!?」

『そんなことは思っていません。ですがこれ以上戦うというのなら、死ぬべきでない者の死体が積み重なるでしょう』

「評議会は事態を分かっていない。このバース島は南東部の軍備の要なのだぞ! ここを放棄すれば、防衛線も下げざるお得ない我々は国土を失う!」

『貴官の心配は評議会も理解している。撤退命令と同時にバース島周辺の七島に対して住民の一時避難命令が発令された』

『一時避難? 一時避難だと!? 一時とはいつまでだ! 一度失った国土はもはや――!』

『申し開きがあるなら、貴官が直接評議会に行って直訴しろ。我々に言われても困る』

 

 その言葉を最後に通信は途絶えた。

 戦場を映すスクリーンの中では、翅神(モスラ)が闘牛士のようにひらりひらりと呉爾羅(ゴジラ)の熱線を躱し続けている。

 

「……全艦へ通達」

 ヴァスキ将軍の声は先ほどまでと打って変わって疲れ切っていた。

 老人のかすれ声が重々しく響く。

「作戦終了。戦場を離脱し、帰投せよ」

 それだけ言うと将軍は深く椅子へと沈み込んだ。

 

 ……我々は敗北した。

 

 

 艦隊が後退していく中、翅神(モスラ)とその巫女は撤退の時間を稼ぐべく果敢に呉爾羅(ゴジラ)へと向かっていく。

 吐き出される熱線が何度も空を焦がし、死の炎が肌をかすめるが、彼らは一歩も引かなかった。

 しかし、巫女の二人はそれが絶望的な戦いであることを誰よりも分かっていた。

 翅神(モスラ)の巫女はその強大な感応力を持って人々の願いを神に伝え、反対に神の神託を人々に告げる媒介者である。

 故に巨大な神の精神に触れた時、巫女は神の心を知る。

 言葉ではないいくつもの巨大な感情のうねり、そこに恐怖があることを巫女は知る。

 

 恐怖!

 これほど偉大な生き物さえもが、あの黒い破壊者には恐れを抱いている!

「行くぞ、レラ!」

「はい、姉さん!」

 巫女の姉妹は互いに励まし合いながら、翅神(モスラ)の心を奮い立たせる古の呪い歌を歌い上げる。

 翅神(モスラ)の魔力で護られているとはいえ、超音速で飛び回る者の背の上で呪い歌を歌うのは容易なことではない。まして相手はあの呉爾羅(ゴジラ)である。

 生身の人間がこれほど呉爾羅(ゴジラ)に接近してまだ生きているだけで驚くべきことだった。

 

 もうどれほど曲芸じみた飛行を続けただろうか。

 何度目かの交差の瞬間、巫女はこちらを睨みつける呉爾羅(ゴジラ)の目を見た。

「――――!」

 飽くことなき闘争心と深い憎悪を湛えた瞳に、さしもの気丈な巫女もぞっと射竦められた。

 その瞬間巫女の一人は歌うことを忘れ、呪い歌の旋律が乱れる。

「姉さん!」

「……はっ」

 呉爾羅(ゴジラ)は相手に起きた隙を見逃さなかった。

 翅神(モスラ)が僅かに失速した瞬間を正確に捉え、灼熱の炎が吐き出される。その時、呉爾羅(ゴジラ)の視線の先にいたのは翅神(モスラ)ではなく、巫女であった。

 

 翅神(モスラ)の巫女は死を覚悟した。だがとっさに翅神(モスラ)は体をひねり、自身の身を盾に頭の上に乗った巫女をかばう。

 その代償に熱線を浴びた翅神(モスラ)は痛々しい苦悶の声を上げた。

 錐もみに落ちかけたところを何とか体勢を立て直すと、巫女の一人が思わず叫ぶ。

「姉さんこれ以上は無理よ!」

「おのれ! 奴め、私を狙いおったな! この借りはいつか返すぞ!」

 

 巫女の一人が苦々しくそう言うと、傷ついた翅神(モスラ)は戦場を後にした。

 



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レムリア評議会

 島嶼国であるレムリア共和国の首府は、諸島最大の島であり国名の由来となったレムリア島に置かれていた。

 有史以来、このレムリア島が文明の中心地であったことに異論を挟むものはいないが、レムリア文明において最も重要な島はレムリア島ではなく、その隣のインファント島であった。

 

 地球の王者が人間ではなく、山のように巨大な神獣たちだった時代。

 神の如く振舞う彼らに対抗するには人類はあまりにも弱く未熟であり、ただただ蹂躙され滅ぶかと思われた。

 しかしその時、インファント島に棲まう慈悲深き翅神(モスラ)は、自身の縄張りの内に人間が住むことを許した。

 こうして人類は翅神(モスラ)の庇護の下に文明を花開かせ、今日のレムリア共和国を作り上げたのである。

 いわば人類の繁栄は翅神(モスラ)に依存していたといえよう。

 

 だが、もはや揺籃の時代は過ぎ去った。

 レムリア人の科学力は鉄の舟を空に浮かべ、電気通信のネットワークで島々を結び、用いる兵器は神獣たちを駆逐するまでに到った。

 

 我らレムリアこそ神に選ばれた民なり――。

 傲岸にもそう宣言する直前、最強最悪の神獣、呉爾羅(ゴジラ)が現れ、ヒトの伸び切った鼻をへし折った。

 

 

 

「――我が方の被害は以上です。以前と同等の戦力を取り戻すには、長い時間がかかるでしょう。次年度の予算案については評議員の皆様にそう言った点を考慮していただきたい」

 レムリア評議会の議場で先の戦いの被害を報告するヴァスキ将軍の声は、まだ四十の半ばであるというのに老人のようであった。

 

 苦々しい報告を聞いて、レムリアの諸部族から選ばれた各島の代表者たちは一様に渋面を作る。

 ヴァスキ将軍は心の内で溜息を吐いた。

 軍部は艦隊を揃えるのに長年民に負担を強いてきた。それは分かるが、評議員たちの反応はあからさまに悪い。

 これでは来年以降の予算削減はまず既定路線。

 クソが。そうなったらもうどうなっても知らんぞ。

「うむ。予算については一考しよう」

 心のない返事だけが返ってきたが、ヴァスキは反射的に一礼した。

 

「では残存兵力の再配備についてはどうだね。バース島周辺の状況は?」

「軍部としてはバース島を失った以上、南東部の防衛線は下げるしかありません。事実上、周辺七島は放棄と同義です」

「外縁部とは言え国土の放棄は見過ごせない事態だ。なんとかならないかね」

 

 ヴァスキ将軍が手をかざすと議会の中央にレムリア共和国の立体地図が映し出された。

 将軍はさらに手を動かし地図の一部が拡大していく。そこに現れたのは先の戦闘で破壊されたバース島周辺の画像であった。

「で、あれば破壊されたバース島基地の一刻も早い再建。これは絶対です。地政学的にも、艦隊を受け入れるだけの広さという面でも他に適した場所がない」

「……人口の浮島を作るメガフロートというものを聞いたことがあるが、それで基地を作れないのかね?」

 いかにも軍事に疎そうな議員がそういうと、ヴァスキ将軍は思わず冷笑を浮かべそうになり、慌てて考える振りをしながら口元を手で覆った。

 共和国において軍は国民の所有物であり、評議員はその国民に選ばれた存在なのだ。いかに愚鈍に見えてもあからさまにバカにしたら飛ばされるのはこちらだ。

「結論から申し上げると無理です。かつてメガフロートによる軍事施設建設が検討されたことは事実ですが、耐久性、工費、さらにメガフロート自体が人工物であるため維持の面でも従来の基地よりコストがかかります」

 質問した議員が押し黙ると、代わって評議会議長のチャンドラが口を開いた。

 浅黒い肌をして、その細身の体は枯れ木を思わせる老人である。

「では軍としてはあくまでもバース島基地の再建を主張するのじゃな?」

「はい」

「よかろう、その先の検討は我々の領分だ。ところで将軍、先の戦闘で貴官の責任を問う声も少なくない。何かこの場で言いたいことはあるか。申し開きがあるならば申してみよ」

 

 円形の広い議会場を囲むように座る評議員たちの視線が、一斉にヴァスキ将軍へと集まった。

 ヴァスキ将軍がぐるりとホール全体を見渡すと、腹の内に燻っていた熾火がメラメラと火力を取り戻していく。

 評議員たちの表情は自分を見下すか、哀れな敗北者を見る目だった。

 

 ……なぜそんな顔ができる?

 もう俺の解任は決まっているのか? まあそんなことはどうだっていい。

 確かに俺は敗北者だ。負けたせいで政治とかいう下らないパワーゲームで落伍したのかも知れない。

 だが今、最も重要な戦い、生存競争という戦いに脱落しかかっているのは人類そのものだ。それに比べたら俺個人の進退など取るに足りん。

 お前らはそのことを何も分かってない。

 

「半世紀前、初めて奴が姿を現した時、体長はおよそ五十メートル。推定体重は約二万トンでありました」

 怒りに唇を震わせながらも、静かにヴァスキ将軍は語り始めた。

「今の呉爾羅(ゴジラ)の体長は八十メートル、推定体重は五万トン以上……未だ成長の止まる気配はなくその戦力もまた日々増え続けている」

 ヴァスキ将軍が手元のコンソールを操作すると、議場に艦隊旗艦ロード・オブ・オーシャン号の姿が映し出された。

 最も大きく、最も美しい戦艦。その姿は幅広の大剣を思わせる。

 

「ロード・オブ・オーシャン号は呉爾羅(ゴジラ)が放つ最大出力の熱線を、正面から受け止められるはずの防御スクリーンを装備していました。想定出力は過去のデータから導き出されたものです」

 そこまで言うと議場に浮かんでいたロード・オブ・オーシャン号の姿が、痛ましい物へと変わった。

 あちこちが融解、あるいは破損し、今にも折れそうな朽ちた剣と成り果てている。

「しかし、先の戦いでは防御スクリーンを角度を付けて展開し熱線を逸らすのが精一杯。三度目の熱線を受けた時はそれすら叶わずに被弾し、たった一撃で艦は深刻なダメージを受けている」

 ヴァスキ将軍はさらに話を続けた。

「私はこの場で進言する! 可能な限り速やかに軍備を再建し、もう一度総攻撃を仕掛けるべきだ! 一刻も早く! これ以上手をこまねいていたら、手に負えなくなる! 奴は今も成長を続けているのだぞ! 呉爾羅(ゴジラ)は今が一番弱く明日はもっと強くなる!」

 

 議場にどよめきが走った。怒号のように評議員たちから反論の声が飛ぶ。

「無茶を言うな。これ以上の被害は看過できん!」

「この作戦にどれだけの資金資材そして人材をつぎ込んだのか忘れたのか!」

「そもそも過去の例からいって呉爾羅(ゴジラ)翅神(モスラ)の縄張りの奥まで侵攻するとは考えにくい」

 ヴァスキ将軍もカッとなって叫び返した。もうヤケクソである。

「だから過去のデータなど通用しないと言っている! 今は翅神(モスラ)の存在が牽制になっているとしても、これ以上成長したらレムリアは奴の狩場となるぞ!」

 

「静粛に! 静粛に!」

 チャンドラ議長の声は白熱した議会の熱気にかき消された。

 騒然として収拾が付かなくなりかけた瞬間、巨大な思念の波が轟き、議会を津波のように浚う。

 

『お 静 か に』

 

 突然冷や水を浴びせられたように、評議員たちは深と静まり返った。まるで耳元で大音量の声を叩きつけられた気分であった。

 こんなことが可能なのは、大いなる巨神と交信する巫女しかいない。

 

 その考えは正しく、進み出たのはやはり翅神(モスラ)の巫女、美しき双子の姉妹だった。

 ほどよく焼けた褐色の肌や顔には、翅神(モスラ)の羽模様を模した化粧が施されている。

 二人は瓜二つの顔立ちだが、表情筋の発達が微妙に異なっていて、少し注意すればその見分けは容易であった。

 姉のバラは眉間にしわを寄せた厳めしい顔つきで、政治家などという伏魔殿の古狸などハナから信用していない、という態度を隠さない。

 妹のレラはそれとは反対に常に柔和な笑みを浮かべていて、見る者におしとやかな印象を与えた。しかしその力は姉に劣らず強力なもので、決して侮ってはいけない。

 

 ヴァスキは長年の付き合いから、議会を黙らせたのはレラの方だな、と確信していたし、実際その通りであった。

 もしもバラの方ならもっと乱暴に押さえつけるからである。

 

「悲観的なニュースばかりではありません」

「我らから一つ朗報がある。この場を借りて報告させてもらおう」

 二人の乙女は議長の方を向いて目配せすると、チャンドラ議長は続けるよう促した。

「我らの守り神、長年にわたりレムリアの庇護者であった大いなる翅神(モスラ)の命は尽きようとしている。だがそれは悲しむことではない。一つの時代の終わりは新たな時の始まりでもある」

「時を置かず卵より次代の翅神(モスラ)が孵るでしょう。先日、私たち姉妹は翅神(モスラ)の卵から新たな命の声を聴きました」

「その声は一つではなく、二つである」

「……」

 

 翅神(モスラ)の巫女の神秘さゆえか、回りくどい言い方ゆえか、評議員たちは巫女の真意を計るように無言で聞き入っていた。

 だがレラには聴衆のその反応が今一つだと感じられた。

 彼女はもっと素直に喜んで欲しかったので、言い方を変えた。

「ああ、オカルト姉妹がまたなんか変なこと言ってるって思わないでくださいね。ちゃんと科学的に卵のエコー検査もしましたから。次の翅神(モスラ)は双子です」

 

「ふ、双子? 双子の翅神(モスラ)だと!? なんということだ」

「それでは戦力も二倍…… 呉爾羅(ゴジラ)とてそう易々とは……」

「……神は未だレムリアを見捨ててはおらなんだ」

 再び議会は騒然としたが今度は、先ほどと違って怒りではなく深い安堵が評議員たちに広がっていた。

 巫女の双子は議会から祝福の言葉を受け取り、ヴァスキ将軍ですらそれは共和国にとって非常に喜ばしいことであると認めたのである。

 最後にチャンドラ議長がヴァスキ将軍に謹慎を申し付けたとはいえ、荒れに荒れると思われた作戦の結果報告は、思いのほか静かに幕を閉じた。

 

 

『ヴァスキ将軍』

 報告会が終わり、議員たちが退席していく中、ヴァスキ将軍は巫女の声を聴いた。

 顔を上げようとすると再び届いた巫女の声がそれを遮る。

『そのままで。こちらを向くな、周りに気付かれる。何でもない振りをしろ』

『……なんのつもりだ?』

『少し顔を貸せ、お前に用がある。今日の零時、レムリア港334-12番地の倉庫で会おうぞ。難しいだろうが必ず一人で来い』

『コソコソするのは好かん。言いたいことがあるなら今堂々と言え』

『黙れ。いいから来い。待っているぞ』

 向こうが言いたいことだけ言うと思念による会話は一方的に打ち切られた。

 ヴァスキが顔を上げた時、もはや議場に巫女たちの姿はなかった。

 



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暗き夜の陰謀

 悩んだものの、もうどうにでもなれという破れかぶれの気持ちと、巫女がわざわざ自分を呼んだことへの興味に負け、ヴァスキ将軍は結局誘いに乗ることにした。

 翅神の巫女が指定した建物は、最近建てられたらしい小奇麗な船倉庫で、四、五人乗りの小さな飛翔船が何艘か収められていた。

 鍵はかかっておらず、中に入った途端に翅神の巫女の一人が将軍を出迎える。

 公の場に出る時の翅神の化粧はすっかり落としていて、まだあどけない顔つきの少女がそこにいた。

 

 ……一人?

 常に二人でいる巫女が一人?

 

「よし。ちゃんと一人で来たようだな。待っていたぞ。ここは私の所有する船小屋だ、まあこっちに来て掛けろ」

 声と表情から、ヴァスキ将軍は目の前の少女が巫女姉妹の姉、すなわちバラであることを見抜いた。

「お前一人か?」

「そう、私一人だ。片割れだけではおかしいか」

「いやそういう意味ではないが……私に何の用だ。まさか失脚した私を笑いに呼びつけたわけではないだろう」

「失脚すると決まったわけではない。評議会も一枚岩ではないからな」

 バラは冷ややかな笑みを浮かべた。

 

「確かに今の評議会には自分の息を掛かった者を新たな総司令に据える動きもあるが、弱った将軍を自派の傀儡にしようとする勢力もある」

「それがお前か? 俺は誰の操り人形にもならんぞ」

「私は将軍を操ろうなどという考えはない。今の立場に残れるよう擁護してやるつもりではあるがな。暫く大人しくしていろ、国民もまだ鋏神を倒した英雄を覚えている」

 そう語るバラの顔は、ほんの数分前とは変わって酷く大人びて見えた。とてもまだ十代の少女とは思えない。まさに魔性の女である。

 相手が老獪な獣であるかのように、ヴァスキ将軍は慎重に尋ねた。

 

「……では何の用だ」

「ふん。腹芸は私のやり方ではない、単刀直入に言おう、私と組まないか」

「組んでどうする?」

「知れたこと。呉爾羅(ゴジラ)を殺すのよ。その為には将軍と軍の力がいる」

 

 バラは真顔でそういった。ヴァスキは真意を確かめるようにその青い瞳を覗き込む。

 そして少々皮肉っぽく、親が子供に自明の理を教えるような口調で言った。

「……共和国軍と翅神(モスラ)は古より巫女を通じて協力体制にある。知らなかったのか? もっとも、先の戦いでは翅神(モスラ)は我々の攻撃作戦に参加してくれなかったがな」

「皮肉はやめろ」

 バラはピシャリと言った。

「あの程度の艦隊では呉爾羅(ゴジラ)は殺せん。それに今の翅神(モスラ)は産卵で力を使い果たした。あれでは到底相手にならん」

「では、二柱の翅神(モスラ)が育った暁には今度こそ連携して当たるという事だな、何か故あってその為の確約が欲しいと?」

「違うわ。そんな事ならわざわざ将軍を呼びつけたりせん」

「じゃあどういうことだ? 翅神(モスラ)の巫女よ」

「将軍、まさかお前も双子の翅神(モスラ)なら呉爾羅(ゴジラ)に勝てるなどと思っているのか? はっきり言うぞ、無理だ」

 

 先ほどとは逆に、今度諭すように言うのはバラの方だった。

「そもそも翅神(モスラ)は相手を倒すこと自体が稀だ。あれは縄張りから他の神獣を追い払う以上のことは望んでおらんし、実際それに特化している。殺し合いは不得手なんだよ。二柱いた所でそれは変わらん」

 バラの瞳が瞬くと、徐々にその瞳の色は深みを増していくように思われた。

「普通の相手ならそれでもよい。だが呉爾羅(ゴジラ)は桁外れだ。その力は底が知れん。将軍が評議会に言ったように、息の根を止めねばいずれ二柱の翅神(モスラ)ですら抑えきれなくなることは明白……」

 話はぐるりと回って、最初の所に戻ってきた。

 バラは今一度言った。

「その前にゴジラを殺す。その為には私と将軍が手を組まねばならんのだ」

 

「我々の兵器も奴を殺すには至らないぞ……バラ、お前はどうやって呉爾羅(ゴジラ)を倒すつもりだ? 何を考えている?」

「かつて軍の研究機関で、より強く従順な人造神獣を作る試みが行われたと聞く」

「ああ……そうだな。聞いたことがある。過去にそんな研究をしたことがあったらしい」

 ヴァスキは曖昧に答えた。

 それはヴァスキがまだ将軍職に就く前の話だったので、あまり詳しくは知らなかったのだ。

「多額の費用を掛けた割にはすぐに失敗して、その研究は打ち切られたはずだ」

「失敗したのは情報不足だったからだ……だが今度は成功する。人造神獣のベースには、最も研究が進んでいる神獣を使う。何よりも、それとコミュニケーションを取れる私がいる」

 そう言ったバラの瞳は水底に開いた穴の如く、吸い込まれそうな妖しさを醸し出していた。

 それはまるで獣のようだった。人面獣心の魔物……。

 

 バラの仄めかした言葉は、ヴァスキ将軍を凍り付かせた。

「貴様……翅神(モスラ)を使う気か!」

「しようがあるまい。普通の翅神(モスラ)では守備的過ぎる。呉爾羅(ゴジラ)を殺すには強力な攻め手が必要だ」

 翅神(モスラ)を対ゴジラ用の存在へと作り変えるのだと、バラは事も無げにそういった。

 ヴァスキは信じられないと言った調子で訊ねた。

「巫女よ、それは翅神(モスラ)の意志か?」

 バラはその質問がおかしくて思わず吹き出した。

「ふはっ! そんなわけないだろう。全て私個人の意志だ。このことは(レラ)さえ知らんよ。さあ、どうする将軍? 私と共にあの悪魔を倒す気があるか?」

 

 悪魔はどっちだ。

 腹の中でそうこぼしながら、ヴァスキ将軍の口は違う台詞を言っていた

「……何をすればいい?」

「ありがとう、将軍」

 バラの唇がゆっくりと釣り上がった。

 

 

 話し合いを終えて、バラが静かに自分の宿泊する宿に戻った。

 妹のレラはとっくに寝ているだろうと思ったが、部屋を開けた瞬間、俯いて何かを考えこんでいるような妹の姿が飛び込んできた。

 どうやらずっと自分が帰るのを待ち構えていたようだ。

「お帰りなさい。こんな夜更けにどちらへお出かけでしたの?」

「別になんでもない。今後のことについて、少し散歩しながら考えていた」

「まあ。それは将来のことという意味ですか?」

 レラはわざとらしく驚いて見せた。

 

 ……まさか自分のやろうとしていることが早くも露見したのだろうか。

 バラはレラの顔を見た。

 いつもの笑みが消え、詮議するようにこちらを見るその顔は、自分と瓜二つだった。

 

 レムリア古語において“バ”は夜と始まりを意味し、“レ”は朝と終わりの意、そして多くの神獣に用いられる“ラ”は魔力や神威を意味する言葉である。

 すなわちバラという名は夜の魔力、もしくは始まりの魔力という意味の名前であり、レラとは朝の魔力または終わりの魔力を意味する。

 名が示すように二人の巫女は表裏一体。この世で自分を止められるとしたら、それは妹である終わりの魔力(レラ)だろう。

 決して油断ならない相手だ、とバラは口を真一文字に結び、気持ちを引き締めた。 

 

「言っておきますけど、誤魔化そうったって無駄ですよ、洗いざらい話してもらいます。私は世界一キツい性格の女ではありませんけど、その妹ではあるんですからね……」

 レラはベッドに腰かけて、隣に座れとバンバンとベッドを叩く。

 バラはレラの言うまま隣に座った。

「レラ、私は……」

 座った途端レラは素早く腕をバラの首に回し、グッと抱き寄せて耳元で囁く。

逢引き(デート)してきたんでしょう。相手は誰? どんな人?」

「違うわ!」

 バラは叫びながら思わず脱力した。

 愚妹め、そう来たか。

 

「ねえ今、愚妹め……とかそう思ったでしょ」

 レラはバラの思考を正確に言い当てた。双子ならではの観察眼である。

「でもまあ許してあげますわ、姉さん。私の方もね……言い辛いんですけど、本気の本気で驚いていますわ! 言っちゃっていいですか!? まさか姉さんに先を越されると思ってなかった!」

 興奮してまくしたてるレラを見ていると、バラは頭がクラクラしてきた。

 ヴァスキ将軍と薄汚れた陰謀を企てていた方がよっぽど気が楽だ。

「相手見るのすっごい楽しみですわ。全然想像がつきませんもの! あのバラの彼氏なんて!」

「だから誤解だと……」

 言いかけてバラは思い直した。そして否定する代わりに質問を投げかけた。

 

「レラ、お前はこそ浮いた話はないのか。私と違ってお前は人好きのする性格だ。相手はいくらでもいるだろう」

「あっ……え、私? 今のところはそういったことは考えておりませんわ。もう少し落ち着いたら、ゆっくりと恋しますのでご心配なく」

「落ち着くとは具体的にいつじゃ」

「ひとまずレムリアに迫る脅威が消えたら、と言っておきましょうか」

「……今レムリアを脅かしている脅威を除けると思うか、レラ」

「その点はご安心を! 私には大いなる翅神(モスラ)と最強の姉がついていますので!」

「……」

 

 レラはそう言って無邪気に笑った。

 呉爾羅(ゴジラ)……人類にあらん限りの敵意を向ける憤怒の化身。

 その怒りの雄叫びを聞き、触れられるほど近くに寄り、そして焼き殺されそうになってからまだ一週間と経っていない。

 しかし、それでもレラは笑えるのだ。

 自分は違う、とバラは思った。

 自分が戦うのは呉爾羅(ゴジラ)が気に入らないからだ。呉爾羅(ゴジラ)が人類を気に入らない様に。

 はっきりいって他人なんてどうなってもいいが、呉爾羅(ゴジラ)が最終的な勝利を得るのだけは我慢できない。

 奴は人類を見下している。踏み潰して焼き払って滅ぼせると思っている。その中には私も含まれている!

 あいつは私を、この私を殺せると思っている!

 なんという屈辱!

 必ずや返り討ちにしてくれるわ。

 

 しかし私と違ってレラは人間の幸福を願っている。だから私を祝福し、将来のことを夢見がちに語れるのだろう。

 その為に呉爾羅(ゴジラ)に立ち向かうのだろう。

 レラを見ていると、私もあんな風に誰かの為に笑えるのだろうかと、たまに考える時がある。

 なんだか、そんな気分にさせる女なのだ。

 

 すっかり毒気を抜かれたバラは伏目がちに言った。

「……レラ」

「なんですの」

「私もお前が選んだ相手を見てみたいな」

 レラは柔らかく微笑む。

呉爾羅(ゴジラ)と戦う上で、これほど心強い言葉はありませんわ!」

 



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翅神の死

 その晩は月の顔も半面となった弦月であった。

 半身の欠いた月の光は弱々しく、人々の足元には闇がしがみ付いていたが、その晩は身分も性別も問わず、レムリア共和国の誰もが表へと出て、空を見上げながら祈りを捧げていた。

 人々が祈る相手は半身の月ではない。この晩は、それよりも輝く空へと浮かんでいた。

 光の尾を曳きながら、輝くものは悠然と夜空を駆けていく。

 今日こそは神去る日。長きにわたりレムリアを庇護していた守護神が冥府へと旅立つ日である。

 

 インファント島の聖域では、二人の巫女が篝火を前にして高らかに神送りの歌を歌いあげていた。

 

翅神(モスラ) 尊き(マハラ) 翅神よ(モスラ)

翅神(モスラ) 正しき(タアバ) 翅神よ(モスラ)

 

「そは隠れたると(いえど)も死せるものに非ず」

「時果つる永劫の後に、死をも飛び越え相見(あいまみ)えん」

 

「別れはしばしの事とはいえ」

「我らが悲しむのを許し給え」

 

翅神(モスラ) 尊き(マハラ) 翅神よ(モスラ)

翅神(モスラ) 正しき(タアバ) 翅神よ(モスラ)

 

 その歌に込められた祈りは確かに翅神(モスラ)へと届いていた。

 それでも翅神(モスラ)は一瞥だにせず、力の限り羽ばたいて、彼方へと飛び去って行く。

 虎は死して皮を留める。甲殻神(エビラ)のような神獣ならば死して資源として有用な殻を残す。

 そして、これこそ翅神(モスラ)の死であった。翅神(モスラ)は自分の痕跡を何も残さない。

 ただ伝説のみを残して、翅神(モスラ)は何処へと飛び去り消えていくのだ。

 

 翅神(モスラ)がどこまで飛んでいくのか、それは誰にも分からない。

 月をも超えて行くと言う者も、太陽の重力さえ届かない向こうへ行くという者もいた。

 しかし、どこまで行くかは伝説には語られていないし、レムリアの高度な科学力でも捉えきることはできなかった。

 ただ遠くへ、ひたすら遠い空の彼方へ翅神(モスラ)は飛んでいく。

 

 バラとレラが別れの歌を歌い終えた時、既に翅神(モスラ)の姿は消えていた。

 月をも翳らす輝きが闇の彼方に消えると、実に寂しい夜だけが残った。

 巫女のような感応力がなくても、共和国中の島々で民衆が嘆き悲しむすすり泣きが聞こえてくるかのようだった。

 

 さらに悲しんでいたのは人間だけではない。

 バラとレラの背後では、卵から孵った二柱の翅神(モスラ)の子らも、芋虫のような体をもたげて空を仰ぎ、キィキィと鳴き声を上げている。

 彼ら翅神(モスラ)の子らが親と過ごしていた時間は半年に満たなかった。

 

 歌い終えた二人の巫女はしばし空を見上げていた。

「逝ったか」

「そうですわね」

 レラはそっと流れる涙を拭いた。

「……」

 その時、バラの内心にふとある疑問が浮かんだ。

 目を閉じると、自分の心にある疑問を妹にぶつけるべきかと逡巡する。

 その疑問は全くこの場に相応しくなかったし、巫女が口に出すべきことでもなかった。

 だが結局バラは口を開いた。掟だのなんだのに縛られて自分の口をつぐむことは、バラには耐えがたい行為であった。ましてや空気を読むなど彼女の気質から最も遠い行いである。

 

「……レラ、お前は今歌ったように、翅神(モスラ)が本当にいつか帰ってくると思うか?」

「可能性という意味でならゼロではないでしょうね。ですが、易々と帰還するとは言えません。今まで一柱とて帰ってきた翅神(モスラ)はいないのですから。ただ……」

「ただ?」

「……これがただ死に往く旅であるというのは悲しすぎます。翅神(モスラ)の旅には何か意味があるのだと……いつか帰ってくるものがあると、そう私は信じたい」

 レラの言葉にバラは満足げに頷いた。

「お前はいつも私の聞きたい答えを返してくれる」

「私、何か言いましたか?」

「希望だよ。どうも近頃の私は悲観主義に囚われがちでな。時々何もかもが無意味に感じてしまうのだ。お前はそのままでいてくれよ、私のようになるな」

「ふひっ」

 まだうっすらと涙を浮かべたまま、レラの顔はほころんだ。

「私は姉さんのようにはなれませんし、別になりたいとも思っていませんよ!」

「なんだとキサマ! どういう意味だ!」

「そういう風にすぐカリカリするようにはなりたくないって意味です! さあ、風も冷たくなってきたので戻りましょうか!」

 いうだけ言うと、レラはトトトと小走りで走り去っていった。

翅神(モスラ)の子らもレラの動きに呼応して、森の奥深くへと戻っていく。

 

 バラは妹の後ろ姿を見つめながら、誰にも聞こえないよう小さな声で呟いた。

「レラ、私のようになるなよ……」

 バラは右腕をピンと伸ばすと、真っすぐ東の方角……海岸、あるいはそのさらに向こう側を指差した。

 翅神(モスラ)の子の一方は何の反応も示さなかったが、もう一方の方はその瞬間僅かに体を震わせ、バラの方を振り向いた。

 バラは精神を集中させると、思念波を使い、短いメッセージを翅神(モスラ)の子に伝える。

 

『行け』

 

 翅神(モスラ)の子は頷くような仕草を見せたが、やがて兄弟と歩みを合わせて森の中に消えていった。

 

 

 

 翅神(モスラ)が死出の旅に出てから一週間が過ぎた。

 レムリア共和国は翅神(モスラ)を失った悲しみを除けば表面上落ち着いていたが、共和国の上層部は不意に飛び込んできたニュースに揺れていた。

 二柱の翅神(モスラ)の子、その一方が聖域であるインファント島から消えたのである。

 

「俄かには信じ難い。それは確かなのか」

 評議会議長であるチャンドラ老が怪訝な目で二人の巫女を見つめた。

「……残念ながら、私たちにはあの子の気配が感じられません」

 笑顔を絶やさないレラもこの時ばかりは俯きがちに答えた。隣ではバラも無言で頷く。

「長きに渡りレムリアを守護していた翅神(モスラ)が旅立った矢先だ。国民は黒い悪魔に怯えている……このことは伏せるしかない」

 チャンドラ議長がそういうと、評議員たちも頷いた。但しこの場にいる評議員は全体のごく一部である。

 この会合自体正式なものでなく、議長であるチャンドラと評議員の中でも特に有力な五、六人の代表、巫女の二人、そして軍からはヴァスキ将軍だけが参加した、密室での秘密会合であった。

 

 それで、とチャンドラ議長が口を開いた。

「単刀直入に尋ねるが、消えたとは死んだということか? 正直に申せ。対応を間違えるとレムリアそのものが瓦解する案件だ」

「では正直に答えよう。それは分からない」

 バラの言葉に場の空気がざわざわと震えた。

 

「曖昧な答えなのは分かっているが、我々としてもそうとしか言えないのだ、議長。少なくともインファント島にはいない。但し亡骸も見つかっていない」

「ヴァスキ将軍とも話し合いましたが、インファント島周辺で翅神(モスラ)の子の脅威となる存在は皆無です。仮に近くに神獣が現れたとしたら軍が気づきます。そうでなくても翅神(モスラ)の子と別の神獣が争ったら私たちが気づきます。ずっと島に居ましたし」

「そうなのか、将軍?」

 レラの言葉を受けて議長の目はヴァスキ将軍に向けられた。

 

「はい。翅神(モスラ)の子が消えたと思われる日、インファント島周辺海域に神獣が現れた形跡はありません」

 チャンドラ議長は苦々しげに唸った。

「では本当に消えた、か。まるで死出の旅に出たかのような……。しかし生存の可能性が一片でもあるうちは諦めてはならん。巫女よ、軍と協力し周辺の海域・島々を捜索するのだ」

「元よりそのつもりだ、議長。私はしばらくインファント島を離れ、捜索に協力する」

「……お前だけか? その方ら巫女は二人で一つ。それでよいのか、バラよ」

「問題ない。島に残った方の子はレラと結びつきが強い。ただでさえ双子の兄弟が消えたのだ、レラまで島から出てしまえば、翅神(モスラ)の子も不安がるだろう……まあ私に任せておけ、必ず生きて連れ戻す」

 バラが自信たっぷりにそう宣言すると、チャンドラ議長は皺だらけの手をバラの肩において言った。

 

「では、頼んだぞバラよ。そなたの肩にレムリアの運命がかかっている。翅神(モスラ)の子は二柱でなくばあの黒い悪魔に対抗できん」

「委細承知している。吉報を待っていろ」

 バラは一礼すると、慇懃さを保ったまま部屋を後にした。

「姉さん!」

 バラが扉に手を掛けたところでレラが叫ぶ。

「どうした?」

「お気をつけて!」

「うむ。お前もな」

 バラの態度には不安さなど微塵もない。

 普通であればその様子に違和感を覚える者もいるだろうが、そもそもバラは万事この調子である。

 今更その態度に不信感を抱くものは誰一人とていなかった。

 

 

 

 約四時間のフライトを終えて、バラとヴァスキ将軍を乗せた飛翔艦が停泊したのは島全体を軍が所有する島であった。

 タラップを降りながらヴァスキ将軍は皮肉っぽく言った。

「それにしてもお前は演技派だな。よくもまぁ顔色一つ変えずにペラペラと嘘が出てくるものだ」

「嘘だと?」

 バラはムッとして眉をひそめた。

「嘘など言っていない。ただ真実を言っていないだけだ。翅神(モスラ)はまさにこれから生まれ変わる。だから今は死んでもいないし生きてもいない。それに……」

「それに?」

「私は自分こそレムリアの運命を担う者だと本気で思っているとも」

 そう語るバラの瞳は、あの夜見たよりもさらに深みを増しているように思われ、将軍はぞっとした。

 時々、バラは人でないように見える……。

 

「おお、待たせたみたいだな。奴め、私を見て早く来いと急かしておるわ」

 かつかつとタラップを降りていくバラの視線の先では、消えたはずの翅神(モスラ)の子がぐるりと首を回してバラを歓迎していた。

 



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ある研究者の証言

  以下の記録は評議会に出頭した軍部所属の研究者の語った証言の一部始終記録である。

 レッチ島で行われていた実験の詳細に関してはさらに別資料Aを参照のこと。

 

 取り調べを行ったのはレムリア内務省査問委員会の<検閲>。(以下質問者)

 証言したのはレッチ島において研究者として働いていた<検閲>。(以下回答者)

 

 

 -00:00:08

 回答者、入室。着席。酷く動揺し落ち着きがなく、しきりに室内を見渡している。

 質問者、入室。着席。

 

 00:00:00 取り調べ開始。

 質問者―まず落ち着いて欲しい。君の身の安全は査問委員会と評議会が保障する。正しき法以外の私刑・制裁など我々は決して行わないし、行わせない。

 回答者―あ、は、すみません。しかし、ヴァスキ将軍は……。

 質問者―軍にも手は出させん。それにヴァスキ将軍は評議会の意向に逆らった時点で全ての役職から解任される。何も気兼ねする必要などない……水でもどうだ?震えているぞ。

 回答者―ありがとうございます。(回答者、コップの水を半分ほど飲む)

 

 00:00:23

 質問者―君が名乗り出てくれたのは勇気ある行動だ。正直に答えてくれれば、我々もそのことは十分に考慮する。まず君の名前と所属を教えて欲しい。

 回答者―僕の名前は<検閲>。所属はレムリア軍事科学研究所、神獣生態調査室。名前の通り神獣全般の生態調査を行っていました。

 回答者―フィールドワークで分布や総数、神獣間の関係性や習性や食性を調査したり、解剖して生理的な体の機能を調べるんです。

 

 00:02:48

 質問者―君は去年の九月まではレムリア島の軍事科学研究所にいたが、翌月から異動して勤務先が変わっているね。去年の十月から今年七月までどこで働いていた?

 回答者―レッチ島の研究所です。

 質問者―どのような経緯で、君はそこに派遣されることになったんだい?

 回答者―名目上は行方不明になった翅神(モスラ)の子を捜索する為でした。

 質問者―名目上、という事は実際は違ったんだね?

 回答者―(回答者、やや答えを躊躇う様子を見せる)……はい。

 

 00:05:06

 質問者―では実際君はレッチ島で何をやっていた? 何を見たんだ?

 回答者―捜索の必要はありませんでした。翅神(モスラ)の子は最初からレッチ島にいたんです。

 質問者―最初からいた? 最初からとはいつだね?

 回答者―僕がレッチ島に赴任した時からです。

 質問者―では去年の十月から翅神(モスラ)はレッチ島にいたということだね。それではほとんど失踪直後からいたということになるが。

 回答者―そうです。翅神(モスラ)は消……消えてなんていなかったのだと思います。

 

 00:07:55

 質問者―レッチ島の研究所で何が行われていたのか教えてくれ。君はそこで何を見た?

 回答者―あそこでは、モ、翅神(モスラ)を、翅神(モスラ)が……。(回答者、考える様に天井を仰ぐ)

 質問者―落ち着いて。ゆっくりでいいんだ。

 回答者―あそこでは翅神(モスラ)を変えていた、変えていたんです。

 質問者―変えていた?

 回答者―生体改造です。より強く、より攻撃的になるように……。

 

 00:10:21

 質問者―とてもそんなことが可能とは思えない。方法は?どんな処置をしたんだね?

 回答者―投薬です。例えば経口投与……筋骨を増強させる目的で餌に<検閲>や<検閲>を混ぜたり、<検閲>などを注射しました。

 回答者―他には薬以外のものも投与しました。

 質問者―なんだね?

 回答者―(回答者、質問者から顔を背ける)……<検閲>の細胞から抽出した生理活性物質です。軍が保有していた<検閲>の細胞の大半が使われました。

 質問者―その一連の施術の効果はあったのかね?

 回答者―……(回答者、長い沈黙)。恐ろしいほどに。

 

 00:14:00

 回答者―<検閲>の細胞は投与してすぐに劇的な効果を上げました。もうアレは外見も能力も我々の知っている翅神(モスラ)と全く違う。(回答者の体が震える)

 回答者―我々は<検閲>を倒そうとして、<検閲>をもう一柱作ってしまった……あの恐ろしい姿を見れば嫌でも嫌でも……。

 質問者―この実験を指揮していたのは誰か教えて欲しい。

 回答者―ヴァスキ将軍。それと……(回答者、躊躇う)もう一人はバラです。翅神(モスラ)の巫女のバラ……。

 質問者―バラ?確かかね?

 回答者―(回答者、頷く)巫女が居なければ到底この実験はできなかった。バラがいるとアレも落ち着くんです。しかし、バラが島を離れた時は……そうじゃない。

 回答者―何度か事故が起きて、我々の中から死者も出ました。バラが、バラがいないとコントロールできないんです!翅神(モスラ)とは全然違う!

 質問者―レラはいなかったのか?

 回答者―見ていません。多分。あの、僕はどっちがどっちだかよく分かりませんけど、レラはいなかったと思います。

 

 00:17:33

 回答者―僕は怖い。二か月くらい前にレッチ島沖でアレの力を図るため別の神獣を誘い出して戦わせました。<検閲>です。(回答者の体が震える)

 質問者―二か月前?ひょっとして五月十五日から十八日の間かね?

 回答者―そう、だったと思います。確かそのくらいでした。

 質問者―その日はレッチ島沖で演習が行われたことになっている。

 回答者―表向きはそうだったのでしょう。でも実際は神獣同士の戦闘です!信じてください!

 質問者―私は君を信じるよ。それでどうなった?

 回答者―たた、戦いは一方的でした。拍子抜けするくらいすぐ終わって。確か五分かそこらだったと思います。そこであいつが<検閲>を殺しました。

 質問者―待った。<検閲>が五分で殺されたというのか?

 回答者―はい。でも問題はその後です。あいつは、倒した<検閲>を仰向けに転がすと<検閲>って、腹を、腹を食い破った……食い始めたんです。神獣を!

 回答者―(回答者、頭を抱えて俯く)口から血が滴らせたあいつの顔が忘れられない……。いつかあいつはあの力をレムリアに向ける……そう思ったから僕は逃げた。

 

 00:24:13

 回答者―最近ずっと同じ夢を見るんです……ここに来てからもずっと……。寝てる時だけじゃなくて白昼夢も。

 質問者―どんな夢だね?

 回答者―悪魔が生まれる夢。あいつが繭に包まれて……繭の中で変態する生き物は一旦ドロドロに溶けて体を再構築するんです。今でさえ酷く恐ろしいあいつが繭を作って……。

 回答者―繭の中でさらに悍ましい変化が起きる。どうしてこんなことに……。(回答者、洟をすする)あいつが出てくる。繭を破って、空飛ぶものが!空飛ぶ死が!

 質問者―落ち着きたまえ。ここは安全だ。

 回答者―安全な所なんてない!ここでも歌が聞こえる!あいつの歌だ!あいつは歌うんです!人間みたいに!そう、人間……人間にみたいだ!でも違う、全然違う!

 質問者―<検閲>君!ここはレムリア島だぞ。レッチ島じゃない。落ち着きたまえ!<検閲>君!

 

 00:27:41

 回答者―(意味不明な事を喚きだす)

 質問者―(首を振って外にこれ以上無理だと伝える)

 

 00:28:03 回答者の混乱により取り調べ中断。

 



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血の巫女

 

 共和国の中心として栄える隣島のレムリア本島とは対照的に、神域とされたインファント島は静かな島であった。

 人の往来は制限され、翅神(モスラ)の棲み処であるという理由から殆ど開発もされず、その景観は原始の趣を残している。

 そこでは巨神の棲み処であるとは思えないほど穏やかな時間が流れていた。

 ただし、問題が起きさえしなければの話だが。

 

「レラ様! レラ様!」

「んん?」

 巫女の静かな午睡は、侍女の騒々しい声に破られた。

 レラは木陰の東屋に吊るしたハンモックの中で身じろぎすると、欠伸をしながら気の抜けた返事を返す。

「あ、あい」

「レラ様! 一大事でございます!」

「あ、う……そう……ついに来たのね」

 ハンモックから飛び降りると、その瞬間レラの意識はすっかり覚醒していた。

 侍女がこれほど慌てる理由など一つしかない。あの黒い悪魔が現れたのだと、レラはそう考えた。

呉爾羅(ゴジラ)は今どこにいて、何時どこで迎撃するか知りたいですわ。ヴァスキ将軍と通信を繋いでくださいな」

 レラがそう言うと侍女は大げさな身振りを交えて首を振った。

「違います、レラ様! 呉爾羅(ゴジラ)が現れたのではありません!」

「……? じゃあ何が起きたというのです?」

「バ、バラ様が評議会への虚偽報告及び国家反逆の容疑で指名手配されました!」

 

「姉さんが国家はんぎゃく、しめいてはい……」

 侍女の言葉をなんとか呑み込もうとして、レラは阿呆のように繰り返した。あまりにも突然の事で、単語の意味が中々頭に入って来ない。

 ようやくその意味を理解すると、レラは思わず唸った。唸らずにはいられなかった。

「うううう、えええええ……ちょっと意味が……」

 

 一体、何をどうすれば国家反逆罪の容疑なんてものがかかるのだろうか。

 仮にも姉さんと私は翅神(モスラ)の巫女で、これまで何度も一緒に神獣と対峙した。

 自分で言うのもおかしいけれど、結構共和国に貢献してきたと思う。

 それが一転して国家反逆罪? どうすればそんなことになるのか、さっぱり分からない。

 分からないが――姉さんなら少しあり得る気がする……。

 

「もっと詳しい情報が知りたいですね……」

「そ、そのことですが、その件でチャンドラ評議会議長から通信が入っております……」

 おずおずとした侍女の言葉に、レラは苦虫を噛みつぶしたように顔を顰めた。

 姉が反逆罪で指名手配犯になった後では、国のトップの最高議長は一番顔を合わせたくない人物だった。

 しかしそういうわけにもいかない。

「……分かりました。すぐに繋いでください」

 

 レラが手櫛で髪を梳いている間に、侍女が東屋に置かれていた通信装置を起動させた。

 一瞬のノイズのあとチャンドラ議長のホログラムがそこに出現する。

 一礼しようとするレラだったが、議長はそれを遮った。

「角張ったことは抜きだ、レラ。お主の姉が指名手配されている」

「聞きました。しかし一体なぜ?」

「……消えた翅神(モスラ)だ。ヴァスキとバラはそれを用いて、レッチ島の研究施設で我らのあずかり知らぬ生体実験をしていたのだ」

「はっ? 実験に翅神(モスラ)を!? それはどういうことです?」

 

 レラは思わず大声を出していたが、議長はそれを咎めたりはしなかった。

「詳しいことは今送付する資料を読んで確認せよ。お前もレムリアに来るのだ。なるべく早くな」

「お、お待ちください! 指名手配という事はバラはまだ捕まっていないという事ですか?」

「そうだ。今レッチ島に憲兵隊向かっているところだ。お前がレムリアに到着する頃にはバラも捕らえられているはずだ」

「……捕まっている“はず”」

 議長が何気なく言い放った一言に、レラは猛烈に悪い予感を感じて思わず鸚鵡返ししていた。

 

 あの姉がいつまでも逃げ回っているはずがない。そういう性格ではない。

 強引に捕えようとすれば、きっと激しく抵抗するはずだ……多分傷つく者が出るほどに。

「……少し議長にはお待ちになっていただくことはできませんか。姉さんがまだ捕まっていないのなら、私が説得できると思います。評議会へは二人で行きたい」

「危険だ。ヴァスキの兵が抵抗するかもしれん」

「怒った姉さんは兵士などよりもっと危険です」

 レラは断言するように言った。

「力ずくで連れていこうとすれば、姉さんは暴れるでしょう。きっと姉さん自身か他の誰かが傷つく。でも私なら無傷で連れてこれます」

「……」

「あの黒い悪魔と戦う気なら、姉さんは絶対必要な人です」

「……」

 

 チャンドラ議長は押し黙った。長い沈黙だった。

 まるで議長のホログラムはフリーズして固まったように思えた。

 ひょっとして通信機が壊れたのかとレラが思い始めた時、ようやく議長は口を開いた。

「説得が不可能だと感じたらすぐにレッチ島を離れよ。お主まで失うわけにはいかぬ」

「ありがとうございます、議長」

 そう言ってレラは通信を終えた。

 

 頼むから、ほんの少しだけ我慢してて、姉さん。

 

 

 

 レッチ島に置かせた仮設研究所――その一角にあるバラの部屋は薄暗く、濃厚な甘い香りに満たされていた。

 香を焚いた部屋の中心に座ったバラは、自ら奉じる神へ無言の祈りを捧げている。

 ばたん、とその部屋の扉が乱暴に開いた。

 バラはドアに背を向けたまま言った。

「騒々しいな、ヴァスキ将軍」

「バラ、我々のことが評議会に漏れた。もうすぐ憲兵隊が来る!」

「そうか。ならば迎え撃って蹴散らせ。頼んだぞ」

「バカを言うな!」

 

 ヴァスキ将軍は声を張り上げて詰め寄った。しかし、バラは背を向けたまま将軍の方を向こうともしない。

「同胞とは戦えん! それに我々には自分のしたことに対して責任がある」

「ほう責任だと? 何をするつもりだ?」

「評議会に全てのことを明らかにした上で、裁きを受けるのみだ。それが共和国に仕える者の道義というものだ」

 バラは全く他人事のように、事も無げに言った。

「そうか。では達者でな、将軍」

「お前も来るんだよ!」

 将軍がそう言うとその後ろから武装した兵がゾロゾロと現れた。

 みな一様にライフル銃を構え、その銃口をバラへと向けている。

 

「やれやれ。将軍、それは心得違いというものだ。私は軍人ではなく巫女だぞ。共和国(レムリア)に仕えているわけではない」

 バラは全く焦る様子も見せずに、ゆっくりと振り返った。

 そして自分に向けられている銃を見てせせら笑った。

「ははは。これはこれは……雁首揃えて丸腰のおなご一人がそんなに怖いか?」

「黙れ。立て、妙な真似はするなよ」

「……一つ言っておこう。思念が伝わる速さに比べたら、弾丸などミミズが這うようなもの」

 

 巫女が交信する神獣は、体長なら百倍、重さなら何千倍も大きな相手である。

 その巨獣の思念を受け止め、なんとか人間に分かる言葉に翻訳する。または逆に心の声を張り上げて神に思いを伝えるのが巫女である。

 それほどの力を、全く加減せずにたった数人の人間に向けて使ったらどうなるか。

 バラは悪意を持ってそれを実行した。

 

 銃を構えた兵たちは一斉に頭が割れるような衝撃に襲われ、その内の一人は揺れる視界の中で、バラがするりと脇を通りすぎて逃げていくのを見た。

「が、ああああ! ま、待て! これを止めろ!」

 引き金が引かれ、バンッと乾いた銃声が響いた。

 しかしバラは凄まじい速さで飛びのいて銃弾を躱す。そして(ましら)の如く天井に張り付き、壁を駆け抜け、部屋中を飛び回った。

「くそっ! くそっ! くそっ!」

 バンッバンッバンッと兵は狂ったようにバラへ向けて銃を乱射した。しかし縦横無尽に駆けるバラには到底追いつけない。

 そんな馬鹿な。これほど至近距離で弾が当たらない。こんな人間がいるのか? こんな……。

 

 バンッ。

 

 それがその男の最後の思考となった。ヴァスキ将軍が額を撃ち抜き、ようやく男は狂気から解放されたのだ。 

 バラはその場から一歩たりとも動いておらず、それどころか立ち上がってさえいなかった。

 不意に強烈なイメージを叩きつけられた男は、そのイメージを現実と誤認したのである。

 そして男がバラがいると思い銃弾を浴びせた場所には……バラではない死体がゴロゴロと転がっていた。

 

「調子が良い。はっはっは。こう上手くいくことは私でも珍しい」

「貴様っ……何をした!」

「別に大したことではないぞ将軍。隠し芸みたいなものだ」

 人と人が互いに殺し合う凄惨な現場が繰り広げられたあとだというのに、不思議とバラの機嫌は良さそうだった。

 いつもしかめ面のバラの顔には笑みが浮かび、面白そうにひらひらと手を振る。

 

 その姿を見て、ようやく将軍は自分の過ちに気が付いた。

 バラに感じていた漠然と不安は正しかった。

 こいつは小さな怪物だ。

 頭痛に耐えながらヴァスキ将軍は銃をバラに向けて引き金に力を込めた。

 

 思念波を相手にぶつけ、イメージで現実の光景で塗りつぶすのはいつも上手くいくわけではない。

 相手が緊張しているとか、混乱しているとか、そういう時だけ上手くハマるのである。

 頑強な意思を持って抵抗する構えの相手には効かない。

 そして将軍はまさにそのような状態であった。

 

「……将軍、今お前が撃とうとしているのは本当に私かな?」

 バラは言葉で揺さぶった。迷えばそこに付け入る隙が生まれるからである。

 将軍はそれに答えず「立て!」と怒鳴る。

 バラにとってはそれで十分だった。

 

 一瞬、将軍の脳裏に立ち上がるバラの姿が浮かんだ。まるで本物のような圧倒的な現実感。

 しかし、立ち上がったバラはすぐに掻き消えて、代わりに見えたのは倒れた兵士の握る銃に飛びつくバラであった。

 銃口の照準がぶれる。

 撃てない。

 再びバラの方に照準を合わせようとした時「助けて下さい」という声がした。

「痛い、痛い、助けて下さい……将軍……」

 ヴァスキの視線が声のした方へと移る――だがそこには、誰もいない。

 

 ヴァスキはやられた、と思った。

 バラが欺くのは視覚ばかりではない。

 聴力もまた……。

 

「大儀であった、ヴァスキ将軍。あとのことは心配するな」

 

 バンッと乾いた音が響いた。

 

 

 血だまりの中で転げまわった為、立ち上がったバラの姿は血に塗れ、その両手からは生温い血が滴っていた。

 銃を放り捨てると、手を拭う代わりに、血塗れた両手で顔を撫でる。すると、少女の頬に幾重にも走る稲妻模様が現れた。

 そして血化粧で彩られた巫女は、導かれるように上へ上へと研究所の階段を上がっていく。

 

 ついに屋上へバラが辿り着くと、潮の匂いが混じった波風がバタバタと巫女の黒髪をなびかせた。

 その風がやってくる向こうに、自分を捕えにやって来た飛翔艦が浮かんでいた。軍艦の中ではそれほど大きい方ではない。多分あれは巡洋艦だろう。

「小舟一隻か。我らも舐められたものだな」

 バラがそう呟くと、まるでそれに答えるかのように、巨大何かが身をよじり、研究所がぐらりと揺れた。

 

 



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侵攻

 レラの足取りは重く、その心はさらに重かった。

 まるで石になってしまったような体を引きずりながら、一歩また一歩と姉の元へ向かう。

 ここに来るまで、そこかしこに死が溢れていた。

 憲兵隊を乗せていたはずの飛翔艦は地に叩き落され、折れ曲がり拉げた艦の残骸は火を吹いて無残な姿を晒していた。

 ある部屋を開けると、死体が積み重なるように血だまりに沈んでいた。まるで仲間内で争い、殺し合ったようだった。

 しかし、その場にいた一人は生き残ったようで、滴り落ちた血の道標は研究所の屋上へと続いている。

 レラはその跡を追った。

 その先に誰がいるかは知っていた。

 

 屋上の扉を開け放つと、血だらけのバラが手すりに寄りかかり景色を眺めている姿が見えた。

 レラは無言のまま近づいたが、途中でバラは妹の存在に気づいたらしく、まるでいつもと変わらない様子で、腕を上げ「ここに来い」というサインをした。

 

「遅かったな、レラ」

「これでも急いで来たんですけどね……姉さんこそ酷い恰好ですが、お怪我などなさっていませんか」

「ああ、これか」

 バラは自分の服を引っ張って血の跡を見た。

「大事ない。全部返り血よ」

「そうですか……良かった」

 レラはそう言うと、すうっと深呼吸をして、次の瞬間思い切りバラの頬を張った。

 これほど強く姉の顔をはたいたのは初めてだった。

 叩いた手に熱さと痛みを感じながらレラが叫ぶ。

 

「バラの馬鹿ッ! 本当に馬鹿ッ! いくらなんでも度を越しているわ!」

「……」

「まさか人殺しまでするなんて! いつもの癇癪じゃ済まされないよ! 何考えてるの!?」

「……他に方法がなかった」

 まくしたてるレラに、弱々しい声でバラが答える。

 その答えはレラをさらに燃え上がらせた。

「他に方法がなかったって……そんなわけないでしょうが! なんでこんなことをしたの!? 答えなさい!」

「全ては呉爾羅(ゴジラ)を倒す為。私はただその為に必要なことをしただけだ」

「人を殺した理由を呉爾羅(ゴジラ)のせいにするな! 評議会にも同じことを言うつもりですか! それじゃ誰も納得なんてしないわ!」

「いや。評議会には行かない」

 小さな、だが確かな声でバラは宣言した。

 二人の間に、さらに張り詰めた空気が流れる。

 

「このまま捕まったら私は拘束されて監禁されるだろう。それは御免被る」

「……っ!!」

 頭に血が上りすぎて、レラは目を白黒させた。まるで普段のバラのように眉間にしわを寄せて、さらに凄む。

「そんなことが許されると思いで? 次の追手はすぐに来る。泣こうが喚こうが姉さんは評議会に連れていかれるわ」

「だろうな。だからレムリア共和国と一戦交えることにした」

「はっ何言ってるの?」

「私の邪魔をするならレムリアも潰すと言っているんだよ。やられる前にやれ、さ」

 レラは肩を怒らせて呟いた。

「姉さん。それをやったら本当に姉さんは怪物よ」

「ハハハ。怪物望むところ! それくらいでなければ呉爾羅(ゴジラ)は倒せん!」

 

「姉さん」

 怒りと悲しみ声を震わせながらレラは姉に呼び掛けた。ここが最後の一線だった。

 これより先は骨肉相食む争いとなる。それだけは何としても避けたかった。

 レラにとってバラは姉妹以上の存在、一つの人格を共有する半身、もう一人の自分だった。

 多分バラにとってのレラも。それが争うなど考えられなかった。

「お願い、そんなこと言わず一緒に来て。まだ罪を償う方法はきっとあるはずよ」

 言葉と同時に、レラは思念波を送った。

 それは言葉にはできない幾つもの思いが入り混じった感情そのものだったが、あえて言葉にするなら、ただ一語。

 

『行かないで』

 

 しかし、バラは拒絶した。

「レラ、もはや私に人の法など通用しない。罪などあろうものかよ。聞け! 恐れ多くも我が声は神の声なり! 我が前に立つならばレムリア滅ぶべし!」

 

 その宣言はついにバラが巫女という役目を逸脱したことを示していた。

 巫女は神託を告げるが、それは巫女自身の言葉ではない。翅神の巫女は神に寄り添うものであって神ではない。

 もう、バラはレムリアの守り手ではない。

 その事実にレラは身を引き裂かれる様な痛みを覚えた。

「バラともあろう人が、神の力に魅入られるなんて……」

 だがそれでも、やらねばならないことがある。自分にしかできない務めがある。

 歯を食いしばるように、レラは叫んだ。

「咎人よ、レムリアに仇為すならば翅神(モスラ)とその巫女が相手になるわ! 翅神(モスラ)よ! レムリアの守護者よ! ここに畏こみ奉る、我が願いを聞き届け給え!」

 ついにレラは巫女の力を用いて神の名を呼んだ。

 

 その呼び声に翅神(モスラ)が答える。

 水しぶきを巻き上げながら海から陸に上がったそれは、鎌首をもたげて甲高い鳴き声を上げた。

 その姿は芋虫のようだった。しかし山のような大きさの芋虫だった。ただ這いまわるだけで木々を薙ぎ倒し、岩を押しのけ、あらゆる壁を粉砕する生きた破城槌であった。

 翅神(モスラ)は地響きを立てながら、バラとレラの立つ研究所に迫る。

 

 バラは翅神(モスラ)を一瞥すると微笑を浮かべた。

「そう来るだろうな。だがレラよ、一発は叩かれてやったのはお前にも相談なく事を進めた詫びだ。ここからは我らも易々と殴られてやらんぞ。来い!」

 

 バラがそう宣言すると、破壊の化身として生まれ変わったもう一柱の翅神(モスラ)が、研究所の地下より姿を表わした。

 それは土埃とつんざめく轟音を立てて巣穴から這い出すと、鎌首をもたげて屹立し、かつての兄弟を威嚇する。

 その姿はもはや同じ卵から産まれたものと思えないほど変わり果てていた。

 体表は黒くゴツゴツとひび割れた硬質の皮膚へと変化し、背には赤と黄色の縞模様が浮き上がっている。また胸脚や腹脚も鋭い刺に似た構造のものへと変わっていた。

 とりわけ顔は凶相と化し、翅神(モスラ)には存在しない牙と長い角が生えている。

 

「……っ」

 悍ましい実験の成果。話には聞いていたが、その痛ましい姿にレラは言葉を失った。

 もうこれは翅神(モスラ)ではない。そう呼ぶことはできない。

バラの神(バトラ)……」

「その通り私の神、私だけの神だ。見るがいい、呉爾羅(ゴジラ)を超える羽斗羅(バトラ)の力を!」

 バラの言葉と共に、羽斗羅(バトラ)ドォンと大地を打つと、猛烈な勢いで翅神(モスラ)に突進した。

 

 両神は双子だが、勝敗は戦う前から明らかだった。

 翅神(モスラ)がモゾモゾと体を震わせて地面を這うのに対し、筋力で遥かに勝る羽斗羅(バトラ)はまるで蛇のように全身をくねらせて動く。

 そのしなやかな動きは翅神(モスラ)とは比較にならない。

 羽斗羅(バトラ)はあっという間に翅神(モスラ)の横腹に回り込むと、翅神(モスラ)の腹の下に巨大な角を滑り込ませて、まるでカブトムシのように翅神(モスラ)の巨体を放り投げた。

 

「――!?」

 翅神(モスラ)はまさに投げ飛ばされた。それも純粋に筋肉の力だけで、である。

 一万トンを優に超える翅神(モスラ)が五十メートル……いや百メートル近い高さまで投げ出されている……この光景に巫女は思わず目を背けそうになった。

 次の瞬間必ず訪れる翅神(モスラ)の痛みを思うだけでレラは身の毛がよだつ。

 ほんの一瞬が恐ろしく長く感じられた。

 なにもできない。見るだけしか……。

 

 翅神(モスラ)が大地に叩きつけられた音は、地鳴りのような恐ろしく低く響く重低音だった。

 次いで土埃と共に衝撃が風となって吹きすさび、翅神(モスラ)の痛ましい悲鳴が響く。

「ギギギ……」

 その口からドパッと鮮血が溢れた。

 痛みに身をよじりながら翅神(モスラ)はとぐろを巻くように体を丸めていく。

 

「勝負あったな。さようなら、レラ」

 そういうとバラは身を翻して妹に背を向けた。

「ま、待ちなさい、バラ!」

 ほとんど反射的にレラはそう言って姉を引き留めたが、バラは首を振って翅神(モスラ)を指差した。

「このままでは、あいつ死ぬぞ。私の相手をしている場合か。巫女の仕事をしろ」

「……」

 

 そう言ってバラはその場を離れ、羽斗羅(バトラ)の元へと向かっていく。

 取り残されたレラは奥歯から血が出るほど歯ぎしりしたが、やがて口を開くと古から伝わる呪い歌を謳い始めた。

 

 

 

 

「クソが」

 レムリア軍第一工兵大隊を率いるナトナカル大佐は苦々しい顔で双眼鏡を覗き、不機嫌さを隠そうともせず悪態をついた。

 双眼鏡の向こうには、巨大な毒虫に似た神獣が徐々にレムリアに迫りつつある。報告によれば、あれはなんでもトチ狂った|将軍と巫女が作り上げた悪神であるらしい。

 波間から覗くその毒々しい姿に、ナトナカル大佐はもう一度悪態をついた。

「クソが。来るなら来い」

 その声には静かな闘志が燃えていた。

 レムリア軍の花形は勇壮な飛翔艦艦隊を有する空軍だが、神獣と呼ばれる超巨大生物との戦いにおいて最も重要な働きをするのは工兵である。

 空軍はその機動力と打撃力こそ無類だが、それでも時々捕捉した相手を取り逃がすことがある。

 だが工兵は違う。工兵は決して相手を逃がさない。

 彼らは罠を張り、獲物を抑え込み、もがくその首を落とす。

 先のバース島の戦いにおいても、彼らの構築した陣地は火を吹いて暴れる五万トンの怪物を一時間以上に渡って拘束し続けた。普通の神獣であれば十分に殺せていたはずの時間だ。

 その自分たちの本拠地に、今悪意を持った神が迫っている。まるで工兵隊など物ともしないとでも言うように。

 それだけで舐められているのも同然。

 全くふざけたことだった。

「地雷の敷設及び湾岸部に設置した防御スクリーンの起動準備が完了しました。いつでもいけます!」

 副官の報告にナトナカル大佐は頷くと、部下に向かって檄を飛ばす。

「兵ども! お前たちはなんだ! 答えてみろ!」

「俺たちは工兵! レムリアの工兵隊!」

 大佐はさらに首を傾げ、部下に問いかけた。

「工兵隊は空軍の二軍か?」

「違う! 空軍の使う飛行場、港は俺たちが作った! 俺たちが空軍の兄だ! そして俺たちこそレムリアの盾だ!」

「今レムリアに敵が向かっているそうだ。何故だと思う?」

「レムリアに工兵がいることを知らないからだ! 俺たちが守っていることを知らないからだ!」

「吼えたな、工兵ども。ではあいつに工兵の戦い方を教えてやれ!」

 

 

 海を越えた羽斗羅(バトラ)は砂浜からレムリア島へと上陸した。

 バラはその巨大な角に寄りかかり前方を見る。

 守備隊の姿は見えない。だが気づいていないという事はないだろう。

 そこら中に潜んでいるはずだ。

「さて、人間どもがどう出るか、お手並み拝見といこうか」

 

 羽斗羅(バトラ)は体をくねらせ侵攻を開始した。

 神の前に立ち塞がるものは何もない。

 都までこのまま一息に潰す。

 そうバラが思った瞬間、ナトナカル大佐麾下の工兵隊が動いた。

「やれ」

「はっ。防御スクリーン起動!」

 

 ブゥゥゥンという低い唸りを上げて、突如羽斗羅(バトラ)の目の前に半透明の壁が出現した。

 それは戦艦の非物質装甲として使用されるエネルギーシールドで、出力次第ではゴジラの放射熱線を防ぐことも可能とされている代物である。

 そんなものを躱しきれるわけもなく、羽斗羅(バトラ)は真正面から防御スクリーンに衝突した。

「……っ!」

 千もの岩を砕いたかのような轟音が響き、バラは身を投げ出されそうになったのを辛うじて踏みとどまる。

 羽斗羅(バトラ)は怒りの咆哮を上げた。

 

 

 神と呼ばれる生物であろうと、不意に現れた壁に全力でぶち当たって無傷とはいかない。

 しかしこれはダメージを目的としたものではなかった。

 強烈な衝撃に防御スクリーンもすでに突破されかかっているが、それでも十分。

 一番の目的は、敵の足を止めること。

 羽斗羅(バトラ)がひるんだ隙に、工兵隊は次の行動に移る。

 

「点火」

 工兵隊員が起爆スイッチを押すと、羽斗羅(バトラ)の周囲から一斉に衝撃と雷が爆ぜた。

 地面から巨大な大穴が覗き、肉食獣が獲物を食らうように、羽斗羅(バトラ)をその大口の中へと呑み込んでいく。

 落とし穴の深さは百メートルはあろうか。呉爾羅(ゴジラ)の上陸を想定し予め構築されていた工兵隊のブービートラップの一つである。

 

 間髪をおかず、罠に嵌った羽斗羅(バトラ)に、さらに容赦のない攻撃が加えられた。

 爆弾の投下である。

 この時使用されたのは俗にいう燃料気化爆弾であり、レムリアでは対巨大生物用燃料気化爆雷という名称で呼ばれているものだ。

 神獣と呼ばれる巨大生物たちは総じて耐熱と弾性に富んだ強固な皮膚装甲を持っている為、一瞬の爆風や金属破片を高速でぶつける従来の爆弾やミサイルではダメージを与えることは難しい。

 そこで考えられたアプローチが気化爆弾による攻撃である。

 空中に気化した燃料が一瞬で燃え上がり、広範囲に長く巨大な衝撃波を発生させる気化爆弾は、衝撃こそ神獣の外殻を破壊できないものの、発生する急激な気圧変化により対象の内臓にダメージを与えるのだ。

 その熱と爆風の嵐が、逃げ場のない羽斗羅(バトラ)へ向かって容赦なく降り注いだ。

「奴に頭を上げさせるな! そこを奴の墓穴にしろ!」

 ナトナカル大佐が叫び、工兵たちはそれを実行した。

 呉爾羅(ゴジラ)にぶつけられるはずの気化爆雷が、本来国の守護神であった羽斗羅(バトラ)へ向かって絶え間なく降り注ぐ。

 炎は身を焼き、空気の波は肺を破く。

 圧縮された熱と衝撃波が解放されると羽斗羅(バトラ)の落とされた壕内は煮えたぎる火炎地獄へと化した。

 

 二十を超えた数の気化爆雷が投下され終わると、観測ドローンが羽斗羅(バトラ)の映像を指揮所内のモニターへ飛ばした。

 立ち上る煙が爆撃の凄まじさを物語っている。その中で巨大な毒虫は沈黙しているようだ。

 さらに煙が晴れ映像が鮮明になっていくと、羽斗羅(バトラ)の背中がぱっくりと裂けている。

 爆弾の熱と爆風が神の背を裂いたのだろうか……?

 

「ドローンをもっと近づけろ」

 大佐の指示で羽斗羅(バトラ)の姿がさらに大きく映し出されていく。

 映像がズームされていくと羽斗羅(バトラ)の背でウゾウゾと動きがあった。

 裂け目がさらに広がり、そこから何かが這い出して来る。

「馬鹿な」

 ナトナカル大佐はハッとして驚きの声を漏らした。

「繭もなしに変態したとでもいうのか?」

 

 南国レムリアの夕暮れは短い。傾いた日があっという間に落ちる。

 羽斗羅(バトラ)の変化が始まると同時に落ち始めた夕日は、その変化に呼応するが如く、急速に地平線の向こうへと消えていく。

 陽が海の向こうに消えた時、幼体の身体を脱ぎ捨てて、羽斗羅(バトラ)はその翅を広げた。そこに刻まれた赤と黄の稲妻模様は、これから起こる禍を予告している。

 羽斗羅(バトラ)の魔力により爆撃を凌いだバラは、巨神の頭の上に座り込み静かに目を瞑った。

 目を閉じていながら、バラは羽斗羅(バトラ)の目を通して世界を眺めることができた。

 

 素晴らしい。

 これまでよりも遥かに深く、強く、自分は神と繋がっている。

 自分を捕らえようとした羽斗羅(バトラ)の怒りが分かる。この身を焼いた恨みが伝わる。

 ……いやこれは羽斗羅(バトラ)の怒りかだったか? それとも自分の怒りだったか?

 まあどうでもよい。その二つは今や同じもの。

 

 驚き戸惑う人間たちを尻目に、羽斗羅(バトラ)は力強く羽ばたいた。

 

 

 夜が来る。

 夜が来る。

 恐ろしい夜が来る。夜の魔女の刻が来る。

 赤子は泣き、男たちさえ震えあがる刻が来る。

 破滅の翅が空に舞い、レムリアに滅びの刻が来る。



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レムリア燃ゆる刻

 レムリアの都はまるで積み上げられた宝石だった。

 網の目のように街灯の輝きが走り、それを縫うようにいくつもの尖塔が立ち並んでいて、無数の塔は夜闇の中で篝火のように煌いている。

 あの光の一つ一つが誰かの営為なのだな……。

 一度そう思うと、バラにはレムリアがまるでケーキの上に灯された蝋燭のように見えた。

 ふふふ。一息に吹き飛ばせそうだ。

 

 そして実際そうした。

 羽斗羅(バトラ)は二度三度と地を舐めるように飛翔し、額から発した熱線でレムリアの都を薙ぎ払う。

 

 怪物を倒すために怪物を育てた女の心は、いつしか育てた怪物と同化していた。

 

 

 十歳の少女であるカマラは、雑踏を歩きながら消えた翅神(モスラ)が帰ってくるように祈っていた。

 その日は午後を過ぎた辺りに神獣がレムリア向かっているという悪いニュースが入り、カマラ自身も母と避難壕に向かう途中であった。

 多くの人々が同様に避難壕に向かっていて、長い列を作っていた。

 突然空が明るくなった気がして、カマラがふと上を見上げると翅神(モスラ)ではない巨大な翅の神獣が夜空に浮かんでいた。

 すると人々は叫び声を上げて浮足立ち、あっという間に周囲に混乱が広がった。

 人々は我先にと駆け出すと、カマラの母はパニックになった歩行者から娘を守れるよう、狭い路地に引っ張って、そこで身を寄せ合うことにした。

 カマラが母に抱かれて身を縮めた瞬間、凄まじい爆音と猛烈な風が吹き荒れて、頭上には砕けたガラスがばらばらと落ちてくる。

 耳鳴りが酷く、抱き合っている母の声さえ聞こえなかったが、やがて聴力が回復すると、親子は恐る恐る顔を上げ、通りへと視線を向けた。

 すると景色は一変していた。

 いくつもの尖塔が崩れ落ち、あれだけいた人々は消えていて、代わりに異様な死に方をした死体が転がっている。

 殆どはまるで飛び降り自殺をしたように地面に叩きつけられて潰れていて、壁に叩きつけられてめり込んでいる死体もあった。

 地獄のような光景に、カマラはもう一度翅神(モスラ)に助けを求めて祈っていた。

 

 

 貿易で富を為した老商人スジャタはある種の喜びをもって滅びを受け入れていた。

 スジャタは貿易商としては成功したが、商いでの成功と比例して人間というものに敵意を抱くようになっていた。

 頭脳明晰であった若き日のスジャタには他人が愚鈍に見え、老人となり思考が硬直していくと、その感覚はいよいよ耐え難いものになり、そこに現れたのが羽斗羅(バトラ)である。

 妻も子供もおらず、やがて稼いだ富に囲まれて死を待つばかりだった老人にとってある意味で救いだった。

 彼にとってレムリアの街が破壊されていく様子は爽快だったのだ。

 羽斗羅(バトラ)が地面を舐めるように低く飛ぶと、それによって引き起こされたソニックブームで街が引き裂かれた。

 風の壁は尖塔をへし折りながら、割れたガラス片と共に、地べたを這いずり回る人間を空高く投げ出した。

 まるでゴミのように人間がボタボタと落ちていく。

「フェッフェッフェッ!」

 目の前で繰り広げられる凄惨なショーを見つめながら偏屈な老人は笑った。

 もっとよく見ようと、スジャタは酒を煽って窓に近づいていく……それが失敗だった。老人の濁りきった目はもう二度と下衆な欲求を満たす光景を見ることはなかった。

 羽斗羅(バトラ)から強烈な光が発せられ、その閃光は老人から光を奪ったのだ。

 スジャタは何が起こったのかもわからぬまま、自分の住居が崩れて死ぬまで呻きを上げて床をのたうち回った。

 

 

 多くの証言があるが、結局誰も羽斗羅(バトラ)の発したその光が何色だったのかはよく分かっていなかった。

 青というものもいればピンクという者もいた。黄色だという者も白だという者もいた。

 カッシンという青年は紫色だと感じていた。

 丁度その時、カッシンは人波を掻き分けながら逆走し、若妻と老母が待つ家に向かう途中であった。

 頭上で何かが輝き、そこでカッシンの意識は一度途切れた。再び目を開けると街は炎に包まれていた。

 そこかしこで火災が起こり、家屋が破壊されたりしていて、カッシンは一時自分がどこにいるのかも分らなかった。

 今すぐここから離れねばいけないと生存本能が叫んでいたが、妻と母は無事か確かめずにいられなかったカッシンは、意を決してさらに進むことにした。

 火災の熱波がそこらじゅうで吹きつけてきているにも関わらず、そこでカッシンはぞっと背筋か凍えるような光景を見た。

 半身が焼けただれる酷い火傷を負って這う這うの体で少しでも炎から逃れようとするもの。吹き飛んだガラス片が幾つも足に突き刺さり歩く度に顔を歪ませる子供。

 水を求めて川岸に向かう亡者如き人の群れ。ある女とすれ違った時、その女はピンク色の肌をしていた。熱風が女の皮膚を焼き剥がしたのだ。

 その女を見た時、思わず身がすくみ、家族の姿が頭に過った。

 妻と母は無事だろうか? 自分は彼女たちに出会った時、それと気付くことができるだろうか? 仮に生きていたとしても変わり果てた姿で再会するかもしれない……。

 家まであと少しという所で、カッシンの往く手を炎が遮った。

 不退転の決意さえ挫く圧倒的な熱風。これ以上は絶対に進めない……仮に越えられたとしても、この先に生きている人間がいるなど考えられなかった。

「おお……」

 往生したカッシンはその場に崩れ去り嗚咽の声を上げていた。

「おおおお……」

「あなた?」

 聞き覚えのある声がしてカッシンが振り返ると、びっくりした顔の妻が立っている。

 まさか、とカッシンは目をこすったが、それはまさしく妻だった。見る限り殆ど怪我もないようだった。

「サーナ!? お前無事か、怪我はないか?」

「ええ、私は大丈夫。運が良くてちょうど義母さんを病院に連れて行ってたところだったの。そっちの方はまだ被害が少ないみたいで。あなたの方が酷い怪我してる、頭から血が出てるわ」

「こんなもん何でもねえよ。よかった、本当に……」

 失われた活力が急速に戻ってきた。希望が見えると立ち上がる力も湧いてくる。

「ここは危ない。すぐに離れよう」

「ええ、あなた」

 夫婦が肩を並べて歩みだそうとした時、二度目の光が閃き、カッシンとサーナの肩を寄せ合った姿は、そのまま影としてコンクリート壁に焼き付いた。

 

 

“タフガイ”モミールは軍に入ったばかりの頃、上官や周囲から大した存在だとは思われていなかった。真面目が取り柄の、目立たない物静かな男だとみんなそう思っていた。

 入隊から二年が過ぎた頃、周囲がモミールの内に秘めた不屈の闘志に気が付いた。

 どんな過酷な訓練でも、彼は決して弱音を吐かない。どんな状況でも命令を遂行しようと最善を尽くそうとする男だった。

 入隊から五年、これまでで最悪な状況に直面した時、今日こそ今までの訓練の成果を見せる日だと、モミールは確信していた。

 モミールの班が燃え落ちた町の中で市民たちを誘導していると、班員の一人が瓦礫の中から聞こえる奇妙な音に気が付いた。

「誰かいるのか?」

「~~~」

 返ってきた声はか細く、瓦礫越しではよく聞こえなかった。だが確かに誰かがそこにいる。

 モミールは大声で叫んだ。

「今助ける、安心しろ!」

 瓦礫が崩れぬよう慎重に、しかし手早くモミールの班は崩れた建物の残骸を取り除いていく。

 やっと人一人が通れる穴を確保すると、そこから這い出てきたのはまだ幼い子供だった。

 建物が崩れた時うまく空間ができていて、その子に大きな怪我がなかったのは不幸中の幸いと言えるだろう。

 危機から脱した子供は緊張が途切れたのか、モミールに抱かれた時それまで抑えられていた涙がワッとこぼれた。

「もう大丈夫。ようし、いい子だ。シェルターに行けば薬も食べ物もあるからな」

 そう言いながらモミールは子供の頭を撫で、担架に寝かせてやった。

「お母さんは?」

 モミールはやや答えに窮したが、淀みなく言い切った。

「お母さんも……きっとシェルターにいるよ」

 嘘ではない。生きているなら最寄りのシェルターにいる可能性が最も高いはずだ。生きているなら……。

翅神(モスラ)はまだ来ないの?」

 モミールはさらに答えに窮した。確かに守護神である翅神(モスラ)が姿を見せないのは妙だった。

「少し遅れているけど、もうすぐさ。もうすぐ翅神(モスラ)がやってきてあいつを止める。それにレムリアにはまだ空軍もいる」

 その言葉に子供は安心したように頷いた。

 

 モミールはそうやってシェルターに運ばれていく子供を励ましながら見送ると、再び炎に包まれた街の中に飛び込んでいく。

 自分は無責任な嘘をついたかもしれない、とチクリと良心が痛んだ。

 だが自分に今できることは、一人でも多くの人間を助けることだけだ。

「……だから、早く来てくれ、翅神(モスラ)……頼む」

 それは“タフガイ”モミールが初めて口にした弱音だった。

 

 

『レムリアとそこに住まう全てに者に死を――我が目はただ一人とて逃さぬ』

「ひぃっ!」

 バラとレラがいなければ翅神(モスラ)の巫女であったかもしれない少女、アイシャはシェルターの隅にうずくまり、一人ガタガタと震えていた。

 街を通り過ぎるたびに巻き起こるソニックブーム、額から発せられる熱線、どれも恐ろしい羽斗羅(バトラ)の超能力である

 しかしアイシャにとって真に最悪のものはそういった表面的なものではなく、内側から発せられる羽斗羅(バトラ)の鬱屈とした感情であった。

『燃えろ燃えろレムリアよ、その手に罪を抱いて焼け落ちるがいい』

 耳を塞いでも、アイシャには神獣の声が聞こえた。

 あれは人間を恨んでいる。自分をこんな体にした人間を、自分を軽んじた人間を決して許さない。

 ……私が心に触れたことを羽斗羅(バトラ)は知っている。そして恐らくは私の居場所までも知っている……。

 あいつは今にもシェルターをこじ開けて、私を殺すためにやってくるかもしれない……。

 アイシャは手を結び、震えながら唯一の希望へ祈った。

 翅神(モスラ)よ、大いなる翅神(モスラ)よ! どうか、どうか姿をお見せください。

 

 

 傷ついた翅神(モスラ)の子は、満身創痍の身体に包帯を巻くが如く、自身の吐き出した糸を纏いその体を癒していた。

 繭に包まり微睡む神を前にして、翅神(モスラ)の巫女レラは古より伝わる聖なる歌をうたう。

 翅神(モスラ)が力を取り戻せるように、そしてレムリアから聞こえる嘆きが神へと届くように。

 

翅神よ(モスラヤ) 翅神(モスラ)

 

 身分卑しき貴神の下僕は

 

 祈りの言葉を唱えます

 

 その大いなる体をもたげ

 

 どうかあなたの魔力をお見せ下さい

 

 翅神よ(モスラヤ) 翅神(モスラ)

 

 光輝を齎す翅持つものよ

 

 その力を以て

 

 我らに平和と繁栄を与え給え

 

 偉大なるものよ

 

 そうして

 

 どうか我らを守り給え』

 

 

 巫女がその歌をうたい終えた時、繭の中から現れたのは、見る者の心を奪う美しき翅と、そしてレムリア最後の希望だ。



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螢火なす光く神、蠅聲す荒ぶる神

 翅神(モスラ)は翅を羽ばたかせ、飛ぶというよりも泳ぐように夜空を裂いて突き進んだ。

 かつての姉の元に近づくにつれて、えも言えぬ焦燥がレラの中に芽生えていた。

 その思いは恐らく翅神(モスラ)も同様だろう。

 相手は血を分けた兄弟――それも、呉爾羅(ゴジラ)を上回るやも知れない力の持ち主とは。

 だがそれでも、夜の娘バラの始めたことを終わらせられるのは、昼の娘レラ、つまり自分だけだ。

 

 天が神獣の激突を予知したのか、俄かに暗雲が立ち込め、レムリアの空を覆っていた。

 翅神(モスラ)が雲の中に突入すると、レラはヒリヒリとバラと羽斗羅(バトラ)の気配を感じた。

 近くにいる。

 凄く近くに。

 瞬間、雲中で雷光が瞬き、翅神(モスラ)の前に恐るべき羽斗羅(バトラ)成体の姿が映し出された。

 

『懲りぬ奴!』

 バラの叫びが聞こえる様であった。

 雷光に勝るとも劣らぬスピードで羽斗羅(バトラ)翅神(モスラ)に飛び掛かり強烈な体当りを食らわせた。

 両雄が激突する衝撃で周囲の雲が吹き飛び、燃え上がる都市の人々は上空で噛み合う二柱の神の姿を目撃した。

 

 力、そして速さの差は歴然だった。

 羽斗羅(バトラ)のパワフルな動きは翅神(モスラ)を圧倒し、もう一度体当たりを食らわせた所で翅神(モスラ)は大きくバランスを崩した。

 必死になって体勢を立て直そうとしながら落下していく翅神(モスラ)に対し、さらに羽斗羅(バトラ)の無慈悲な攻撃が襲う。

 大地に叩きつけられる寸前、翅神(モスラ)は揚力を取り戻し、地面スレスレを羽ばたいて旋回するすると、そのすぐ後ろを超高熱の熱線が追った。

 空気の焦げる嫌な音を聞いた時、レラの脳裏に呉爾羅(ゴジラ)の姿が浮かんだ。

 バラとヴァスキ将軍はあの黒い悪魔の精髄を用いて羽斗羅(バトラ)を作ったと聞いていたが、まさしく羽斗羅(バトラ)は空飛ぶ呉爾羅(ゴジラ)だった。

 

 まともにぶつかっては到底勝ち目がない。

 しかしその荒っぽい動きに、レラは羽斗羅(バトラ)の弱味を見つけた気がした。

 巫女であるバラがついていながら、まるで相手は本能と感情の赴くままに動く野獣さながら。

 姉も羽斗羅(バトラ)の巨大な意思に取り込まれ、血に破壊に狂ってしまっているのか。

 ならば戦いようはある。

 レラは翅神(モスラ)の頭に立ち、静かに翅神(モスラ)の勇気を奮わせる呪い歌を歌い始めた。

 恐れることは何もない、ということを自分にも言い聞かせるように。

 レムリアの守護神、翅神(モスラ)の名に恥じぬ戦いをするのだ。

 

 背後ではまだ熱線が光を放っていたが、翅神(モスラ)は力強く羽ばたいて加速すると、羽斗羅(バトラ)から少し距離を置いた。

 破壊の力を込めた閃光が何度か翅神(モスラ)の翅先を掠めたものの、殆どは虚しく空を切る。

 羽斗羅(バトラ)が怒りの咆哮を上げた。羽斗羅(バトラ)は決して感情を抑えない。

 レラにはその苛立ちが手に取るように分かった。

 さらにその怒りを煽るように、翅神(モスラ)は腹を見せて大きく翅を広げた。翅に付いた目玉模様はまるで睨みつけるように相手を威嚇する。

 するとより一層大きく羽斗羅(バトラ)が吼えた。

 その瞬間レラの脳裏に、初めて翅神(モスラ)と共に戦いに赴いた時の記憶が蘇った――。

 

 

 その時はよく見知ったバラが隣にいた。先代の翅神(モスラ)は力強かった。

 それだけで心強い陣容だが……なお相手は強かった。

「これが蜻神(ギラス)!」

 私は思わずそう言って息を呑んだ。

 蜻神(ギラス)は尾に巨大な針を持つ古代昆虫に似た神獣であり、特筆すべきはその飛行速度。

 確認された神獣の中で最速を誇り、飛翔艦はおろか翅神(モスラ)でさえその分野では勝ち目はない。

「なんて速さ! まるで稲妻ですわ!」

 私は歌を歌うことも忘れて驚愕していた。

 蜻神(ギラス)は電光石火の速さで翅神(モスラ)の周囲を飛び回り、一瞬のスキをついて交差してはその瞬間確実にダメージを与えてくる。

 少しずつではあるがジリジリと翅神(モスラ)の体力は削られていていた。

 翅神(モスラ)の鮮やかな翅が血で染まると私は震えた。勝つ方法など見当たらないように思えた。

 しかしバラの目はじっと相手と勝利だけを見据えていた。

 その声は不安を吹き飛ばす響きがある。

「うろたえるな」

 左手に添えられたバラの右手がぎゅっと強く私の手を握る。

「ここからが面白い所だぞ」

 

 そしてそれに呼応するかのように翅神(モスラ)蜻神(ギラス)に向かって大きく翅を広げた。喰ってやると言わんばかりに。

 私たちは静かに呪い歌を唱える。

 翅神(モスラ)は翅を広げその瞬間を待つ。

 蜻神(ギラス)は苛立ち、そしてニ柱の神は再び超音速で交差した。

 両者の巨体を巻き起こす旋風がぶつかり合う瞬間、山がめくれ上がるように裂け、苦悶の声を上げる。

 巻き起こされた大気もまた、死を呼ぶバンシーの叫びのように不気味な音を立てた。

 

 触れるもの全てを引き裂く旋風と旋風が激突し――次の瞬間、流血の雨が降った。

 

 振動を伝えるべき大気が荒れ狂い、音が無意味と化した世界。

 レラは蜻神(ギラス)の鋭い尾が根元の辺りから切断され無造作に宙に放られていく光景を眺めていた。

 鋭利な刃物と化した翅神(モスラ)の翼が、すれ違いざまに蜻神(ギラス)の尾を切り裂いていたのだ。

 

 その後、最大の武器を失った蜻神(ギラス)は戦意を喪失し、何処へと逃げ去った。翅神(モスラ)とその巫女が勝利である。

「なにも全てで優る必要はない」

 逃げ去る蜻神(ギラス)の後ろ姿を眺めながらにバラはいった。

「ほんの一瞬だけ上回れば、それでよい。相手の力を利用してな」

 

 

 あの時と同じく、翅神(モスラ)は翅を広げ、その目玉で羽斗羅(バトラ)を威嚇する。

 しかし、あの時はバラがいた。今は自分一人。

 果たして同じことができるだろうか。

 自分でも呪い歌を唱える声が震えているのが分かる。

 ふうふうふう、と緊張で呼吸が荒くなり歌が途切れがちになってしまう。

 

『そう固くなるな』

「!」

 レラはハッとして思わず横を向いた。勿論誰もいないが、そこにバラがいる気がした。

 死神に等しい神と戦っている最中、幻聴を聞くのはあまりいい傾向ではない。

 しかし、声はさらに聞こえた。

『幻聴であるものか。我らは二身一体の夜と昼」

『バラはここにいませんわ。荒ぶる夜とはまさに今戦っていることろ』

『そうでもあるし、そうでないともいえる。夜は暗闇ばかりではない。昼は輝くばかりでない。夜に輝く光もあろう。昼に射す影もあろう。陽中にもまた陰あり。お前の中にもバラはいる』

『まさか』

 

 業を煮やした羽斗羅(バトラ)が急加速してこちらに向かって突っ込んでくる。

 その手で、その牙で、直接私たちを引き裂くために。

 その攻撃を翅神(モスラ)は何とか避けた。

 幻聴はさらに続ける。

 

『恐れず歌え、二神の歌を!』

 本当に隣にバラがいる気がしていた。

羽斗羅(バトラ)よ、夜に浮かぶ恐ろしき翅よ」

 いつしかレラの歌はレラ自身にも知らぬ旋律にも変わっていた。

翅神(モスラ)よ、昼にそよぐ優しき翅よ」

翅神(モスラ)羽斗羅(バトラ)双方を讃える歌である。

「同じ胎より生まれし――二神、まさに御身ら糾える縄の如し!」

 

 レラの歌を遮るように風を切り裂くような高音が響いた。

 それは羽斗羅(バトラ)の羽音と鳴き声である。

 レラの歌に反応したのだろうか。始めて見せる反応だ。焦りか、さもなくば呪い歌を嫌がっているようにも見える。

 そして空気の震えは徐々に高まり、羽音はますます強くなり、蜻神(ギラス)さえも超える速さで羽斗羅(バトラ)は疾走した。

 

 大質量の物体が音を遥かに超える速さで動いたその瞬間、大気が爆ぜ、そして羽斗羅(バトラ)は燃え立つ炎を纏っていた。

 空気との摩擦熱が羽斗羅(バトラ)の身体を燃え上がらせたのである。

 

 レラ、そして翅神(モスラ)は息を呑んだ。

 最大の死地こそ最大の勝機。動きを読み切って裏をかけば倒せる。

 だが、羽斗羅(バトラ)はどうする?

 炎の体をそのままぶつけるつもりか。それとも爪で引き裂くか。はたまた尖った牙で血を啜るか。

『違うな、私なら――』

 バラの声が聴こえた。

 

 羽斗羅(バトラ)は恐るべき速さで接近していた。

 手を伸ばせば触れられるほどに、二神の身体が近づいた刹那――燃え立つ羽斗羅(バトラ)の口部が一層輝く。

 避けられぬほどの至近距離で、黒い魔獣から受け継いだ灼熱の熱線が火を吹いた。

 

 しかし、レラはその行動を読み切っていた。

 羽斗羅(バトラ)の熱線を撃つより僅かに早く、翅神(モスラ)は邪悪を跳ね除ける聖なる鱗粉を、結界のように張り巡らせていたのだ。

 全ての破壊しつくす地獄の熱線は、発射された瞬間暴発し、羽斗羅(バトラ)自身の体を灼いた。

 

 さらに破壊のエネルギーはそれだけに留まらず、暴走する熱と閃光となって翅神(モスラ)を、そしてレムリアの空を覆い尽くした。

 



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夜明けは別離と共に

 

 まるで嵐が過ぎ去った後のように、激しい戦いの痕跡を残して瓦礫となった都は静まっていた。

 地に横たわった翅神(モスラ)の体に付いた無数の傷痕、そこから流れ出る血は爆発の熱によって焼き焦げて、じゅうじゅうと音を立てている。

 その音と肉の焼ける嫌な臭いでレラは目覚めた。

 視界に映ったのは砕かれた都市の死体。壮麗だったレムリアの都が、砕け、焼き尽くされ、栄光の残骸を晒している。

 

 死の世界で、ただ一人自分が無事なのが不思議だった。恐らく爆発の瞬間に翅神(モスラ)は自分を庇ったのだろう。

 だがその代償は大きく、満身創痍の翅神(モスラ)は弱々しく鳴いた。

 その翅を動かす度、呼吸で腹が動く度、レラには翅神(モスラ)の痛みが伝わってくるようだった。

 

 その痛みが和らぐよう、レラは翅神(モスラ)の奮戦を讃える歌を歌ったが、歌い手のレラ自身ですらその声は荒地に吹く風のように空虚なものに感じた。

 死の世界の只中では神の栄光さえ色褪せるのだろうか。

 それでも歌い終えた時は、さきほどまでよりも翅神(モスラ)は落ち着いているようだった。

 翅神(モスラ)は助かる。神はなお健在だ。そう確信すると、レラ自身もホッとした。

『ありがとう。ここで少し休んでいて。私は辺りを見てきます』

 レラは翅神(モスラ)にそう伝え、瓦礫の中に足を踏み入れた。

 

 崩れかけた道路を辿り、レラは生きている人間を探した。

 遠目には生者など見つからないように思えたが、暫く進んでいくとチラホラと生きている人間の姿が現れ始めた。

 避難壕に入るのが間に合ったのか意外なほど身綺麗な者もいて、彼らの姿を見て徐々に人心地が付いてくる。

 勿論これからの苦労もあるだろうが、死体の山よりは生きている人の方が見ていて気が楽だ。

 

 レラがさらに歩くと五、六人の人間が何かを遠巻きに眺めていた。

 道を塞ぐように巨大な何かが横たわっている。

 ……羽斗羅(バトラ)だ!

 

 翅神(モスラ)も酷い怪我を負っていたが、羽斗羅(バトラ)はもっと酷い状態であった。

 片目は爆ぜ飛び、手足の何本かも吹き飛んでいた。

 さらに口部から喉にかけて深い傷が走り、顎が千切れそうになっている。

 腹部が僅かに動いてはいるが、これでは死にかけ――。

 

 ――じゃあ姉さんはどこだ?

 ハッとしてレラは声を張り上げて呼びかけた。

「バラッ!」

 返事はない。

 もう一度呼んだ。

「バラッ! バラッ! どこにいるの!?」

 返答はない。

 

 レラは羽斗羅(バトラ)の元に駆け出していた。

 近づくにつれて肉が焦げ付くむわっとする悪臭が鼻をつく。

 その臭いを無視して、羽斗羅(バトラ)の元まで近づくと、神獣の流した血だまりの中に、小さな体の人間が倒れていた。

「バラッ!」

「……」

 近寄ってレラがさらに呼びかけると、奇跡的にバラは目を開けた。

 虚ろな目で空をしばし見つめ、何やら言葉を喋ろうとした途端、むせるように血を吐き出す。

「喋らないで下さい。傷が広がります」

『もはや助からぬことは自分でも分かる。今更傷の心配をする必要はないだろう』

 言葉の代わりにバラは心の声でレラに語り掛けた。

 

『私……私がこれをやったのだな、本当に』

 心の声を通して伝わる言葉に、レラは静かに頷いた。

「覚えていないのですか?」

 バラは顔を歪ませた。

『覚えているとも。だがずっと夢を見ていた気分だった。悪夢だったかもしれぬが、心地よい夢……。こうして覚めるまではな』

「……」

 しばらく二人は無言で佇んでいたが、バラは両手で顔を覆った。

『信じられぬだろうが、私はただ呉爾羅(ゴジラ)を倒す為にこれを始めたのだ。だが、気がつけば私の憎しみは人間へ向いた……見たこともない呉爾羅(ゴジラ)より我が身の足元で這い回る者へ』

「見たことのない? 私たちは一緒に呉爾羅(ゴジラ)戦いました。それは現実です」

『そう、だったな……すまない、もう自分がバラなのか羽斗羅(バトラ)なのかよく分からんのだ。それでもお前と話していると、少しは自分を思い出せる……そうだ、私は呉爾羅(ゴジラ)を倒そうとしていた』

「心が神に近づきすぎたんです。気をしっかり持ってください」

『いや、もうダメだ。わた、私……私たちはもはや』

 

 

 そこまで言うと死んだと思われていた羽斗羅(バトラ)が瀕死の体を持ち上げた。

 弱々しく吼えると、隻眼の眼が巫女たちを見下ろす。

 レラは驚き身構えた。あれほどの傷を負い、まだ動けるなんて!

羽斗羅(バトラ)! もう終わりよ! 動かないで!』

『まだ終わりではない。例え死すとも翅神がその身を大地に横たえることは許されん。亡骸を晒せば神は神でなくなる』

 羽斗羅(バトラ)が破れた翅を広げると、体中から血が噴き出した。

 バラもまた羽斗羅(バトラ)の血を浴びると、よろよろと身を起こす。

 

『神送りの時だ。私も行かねば』

「神送りなんて無理に決まってる! もう羽斗羅(バトラ)を止めて下さい!」

『できるさ。だが一柱で行かせるわけにはいかん。あれをあの姿にしたのは私だからな』

「やめなさい!」

『私はやめろと言われれば逆らいたくなる性分でな』

 レラが語気を強めるとバラは顔を背けた。

『離れろ、レラ……歌で送ってくれとは言わない』

「待って……」

 

 姉の体を掴もうとレラが伸ばした手は、虚しく宙を掻いた。

 レラが目を見開く。

 彼女が掴もうとしたのは思念を応用した幻だった。姉の実体は幻よりも一歩前にいて……。

 

 バグンッ。

 

 羽斗羅(バトラ)の大咢がバラを呑み込んだ。

 破れた喉から血をまき散らしながら羽斗羅(バトラ)が咆哮する。

 そして飛んだ。

 羽ばたく度に血と臓物を振りまきながらも、それでもなお神は太陽とその向こうに向かって飛んだ。

 レラの目には今にも墜ちそうな弱弱しい飛行に見えるが、見る限りそれは最後まで墜ちず彼方に飛び去った。

 

 湧き上がる激情を抑えきれず、レラは泣きながら太陽に向かって叫んだ。

「最後まで勝手な真似して! 歌なんて歌ってあげないわよ! バラの、バラの、バラの、バカァァァァァァ!」

 

 暁の空に巫女の声が響き渡る。

 荒神は去り、レラとレムリアは破滅の夜を生き延びた

 だが、神と巫女の片割れは消え、都は破壊され、そしてまだどこかに呉爾羅(ゴジラ)が残っている。

 真の脅威が。



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変わりゆく世界

 

 羽斗羅(バトラ)の現れた夜を境に、全ての人が否応なく変化を受け入れねばならなくなっていた。

 住む場所を追われ避難を余儀なくされた人。

 親を、兄弟を、子供を、友人を失った人。

 悲観もそこそこに彼らには慣れない生活が待っている。 

 壊滅した都市を前に、いつまでも呆然としてはいられない。生きている限りは立ち上がらないといけない。

 レムリアで再興計画が動きだした頃、私にも変化が訪れていた。

『いや、見ようによっては何も変わっていないのかも知れんぞ。今も私たちは一緒なのだから』

 

 レラはその声を振り払うように頭を振った。

 あの夜、羽斗羅(バトラ)に食われてバラは死んだ。自分がこの目で確かに見たことだ。

 しかし、それ以降レラは何かがある度にこう考えるようになっていた――バラならどうする? なんと言う?

 今までも姉と自分は常にべったりだったわけではない。離れていたことは何度もある。しかしこれほど意識することはなかった。

 時々本当にバラが隣にいるかのように声が聞こえるほどだ。

「……こんなこと誰かに喋ったら、私も狂ったと言われますわね」

『実際そうだろ。死者の幻聴を聞いていて、自分はまともだというつもりか?』

「……そんな言い方は嫌われますわよ」

 レラが誰となくそう呟くと、面白がるようなバラ笑い声が聞こえた。

「レラ様、お客様がお見えです」

 物憂げに今後のことを考えていると若い侍女が現れレラに来客があることを告げる。

「お通ししてください」

 侍女は頷いててそっとその場を離れると、しばらくして一人の男を連れて戻ってきた。

 

 その顔には見覚えがあった。評議会から派遣された復興担当の行政官で、何か頼みごとがあってインファント島まで足を運んだのだという。

「それでしたら通信で十分でしたのに」

「いえ、直接お会いして話し合った方がいいと思いまして……」

 男はなにやら引け目を感じているようで、まるで言葉を濁しているようだった。

 その様子を見て反射的に破壊されたレムリア光景が脳裏に浮かぶ。

 復興担当などと言っているが、評議会は私を拘束する気だろうか?

 まったくありえない話ではない。レムリアを破壊したのは実の姉なのだから。

「……私に協力できることなら、なんでも致しますよ。おっしゃって下さい」

「実は、避難民を一時インファント島で預かってもらいたいのです」

 復興担当官は言いづらそうに切り出した。

 レラは顎に手を当ててその言葉を反芻する。

 一時避難の受け入れ要請……それは予想していなかった。予想していてしかるべきだったのに。

「この島は神の棲む島です。あまり多くの人間が足を踏み入れるべきではありません」

「はい……」

「ですが、今見て見ぬふりをするわけにも参りません。翅神(モスラ)が受け入れたら、という話になりますが、どれくらいの人数でしょうか?」

 復興担当の役人はこれまでで最も言い出すのを躊躇っているようだったが、やがて意を決したように口を開いた。

「五百人ほどです」

「分かりました。そのくらいの人数でしたらできなくもないと思います」

「寛大なお言葉ありがとうございます。もちろんレラ様が不便なさらぬよう、こちらでも便宜をはかります。それと、もう一つ言っておかねばらなないことが……」

「なんでしょう?」

「受け入れていただきたいのはヤエン族です」

「なるほど」

 そういいながら、レラは少しだけ表情をこわばらせ、今一度いるはずのない姉の気配を隣に感じた。

 復興担当官の言葉に苛立ちを覚える様が目に浮かぶようだ。

 この場にバラがいたらなんと言うだろう?

 脅すような口調で「そいつらをこの島に入れる気か?」かな。それとももっと直接的に「私は反対だ」とか。

 だが私はバラではない。

「あの島の主は私ではなく翅神(モスラ)です。そして、民族の違いなど翅神(モスラ)は気にしないでしょう」

「ありがとうございます。そう言ってもらえると助かります」

 

 ヤエン族。無数の島々で構成されるレムリア共和国にあって、彼らは他とは異質な漂流の民である。

 土地を持たず、一生の大半を船――レムリア人の開発した空飛ぶ飛翔船ではなく、水の上に浮かぶ船――の上で過ごし、島から島へ渡り歩いて暮らす民族だ。

 その性質の為にしばしばヤエン族ともと居た住人たちとの間に軋轢が起きる

 普段は漁で生計を立てているが、裏では密漁、密売、違法な運び屋などを行うと考えられており、レムリアでは彼らを蔑視する者も多い。

 神域と呼ばれるインファント島に入れるなど、かつてなかったことだ。

 しかしあの夜を境に、否応なく全ては変わった。変わるべきだ。

 

「それにしても」

 目の前の男を眺めながらレラは言った。

「ヤエン族の中のさらに一集団の為にわざわざ評議会が動くとは、ずいぶん腰が軽くなりましたわね」

「いやあ、今回のことはちょっと色々ありまして」

「どういうことです?」

「実は今回受け入れてもらうヤエン族の方々は元々バース島の近くにいた集団でしてね……呉爾羅(ゴジラ)との戦いの為に立ち退かさせたんですよ。私が言うのもなんですが、かなり揉めた挙句強引に移動させたらしいです」

「バース島の近く、ですか」

「ええ、あんな巨神たちが侵入してくる最前線なんかにいるよりレムリアの方がいいだろうって説得したんですが、向こうは頑として聞かなかったんですよ。それでも絶対に安全だって大見え切って移動させたんですが、こんなことが起こってしまって。それで流石の評議会も今回はなるべく向こうの要望を聞くようにってお達しを出したんです」

「なるほど、よく分かりました。ヤエン族は故郷を持たない民だと書いていますが、住み慣れた環境を追われる辛さは我々と変わりないでしょう。それも二度目となればなおさらです」

 

 

 かくして新たな住人がインファント島に現れたが、ヤエン族が移動やら漁業権やらの手続きをして実際にやってくる前に、レラは島を離れなければならなかった。

 首府レムリアを襲った悲劇は多くの人間の心を傷つけ、科学の発展と共に忘れかけていた神への恐怖を思い起こさせた。

 そういった人々を安堵させ、再び希望の火を灯し団結を呼びかける為の慰問に行かなければならなかったのだ。

 小さな飛翔船に乗って、レラはいくつもの町を訪れた。生々しい傷痕の残るレムリア市や遠くに避難した市民の元へ。

 彼女を迎える人々の中には、レラだけでなくバラの名を叫ぶ者も少なくない。

 軍の一部ではヴァスキ将軍とバラの暴走が囁かれていたが、評議会とレムリア軍はそれを握りつぶした。

 公式には彼女と今一柱の翅神(モスラ)はレムリアに侵入した神獣を相手に戦死したことになっている。

『皆を騙すのは心が痛いな』

 いつものようにバラの声が囁くと、レラの表情が固まった。

 小さな飛翔船の外では市民たちが私に頭を下げている。

“戦いの中、姉を失ってなお勇敢に戦い続けた巫女”という虚構の私を。

 

『誰もが嘘をついている。私も、お前も、評議会も、他の人間も』

 レラは冷たい笑顔のまま、民衆の声に答え手を上げる。

 姉の幻聴が早く消えることを願ったが、無駄だった。

『私は怪しげな実験に手を染め、お前や評議会は民心が離れることを恐れ、真実をひた隠しにした。そしてそれが暴露されるという新たな恐怖に苛まれている』

 翅神(モスラ)の巫女を一目見ようと集まった観衆の中には目に涙を浮かべる者もいた。

「……」

『こやつらとて同じこと。自らの心に嘘をついている。呉爾羅(ゴジラ)という脅威から目を逸らす為にお前を崇めようとしている』

「そろそろ止めてください」

 誰にも聞こえない小さな声でレラは言った。

「姉さんが偽の名誉なんか大っ嫌いなのは知ってる。本当は皆に真実を知らせて大悪党として唾吐かれた方がマシってこともね」

『当たり前だ。あれだけやって聖女として奉られるなど真っ平だ。私のことは偽りの英雄ではなく悪人として裁け』

「そんな贅沢はさせない。あなたの死は徹底的に利用される。これ以上何か言うつもりなら、姉さんが一番嫌うことをしてあげるわ。それが嫌なら黙ってて」

『何をするつもりだ?』

「殉教者バラの銅像を建てるの、何一つ真実のない文句を刻んでね」

 どうやらこの言葉は不意打ちに近い打撃だったらしい。バラの声は少し怯んだようだった。

『……お前、性格が悪くなったな』

「私が誰の妹だか忘れたのですか?」

『ふん。いいだろう、しばらく黙っててやる。だが覚えておけ、本当の私はもういない。私の声はお前自身が思っている声だ』

 

 

 永遠に続くかと思われた被災者への慰問が終わった時、レラは消耗しきっていた。呉爾羅(ゴジラ)と戦ったってこれほど疲れるだろうか、と思ったほどだ。

 レラは慰問中、無性に叫びたくなることが何度もあった。感情が上手くコントロールできず、誰かに怒りを爆発させて当たり散らしかけたのを、寸でのところで何度も飲み込んでいた。

 思えばバラはいつもレラの分まで怒っていた。怒りを感じることが自分より半歩早いバラが隣にいれば、レラ自身は怒る必要などなく、ただ姉を宥めるのが妹の仕事だった。

 そのバランスが崩れると、抱えた怒りをどう発散していいものやらレラは混乱していた。しかもこの場合苛立ちの原因は、自分と評議会が嘘をつき続けていることだ。

 どうしようもなかった。

 そんなわけで、インファント島に帰ってきたレラは見なれた自分の部屋に入ると気絶するように眠った。

 

 

 レラは暗い海の底にいた。

 太陽の光も射さぬこの場所は常に暗黒の世界であるはずだが、レラの目は奇怪な深海魚や海底の有棘動物たちが優雅に踊る姿を見ることができた。

 植物とも動物ともつかない生き物が触手を広げプランクトンを捕食し、海面近くでは見たこともない頭足類がゆらゆらと漂っている。

 まさに地球の底ですわね、レラがそう思った時、ある事実に気付く。

 

 ……いいえ。

 ここは底じゃない。

 まだ先があるわ……。

 

 底かと思われた場所に、さらにクレバスのように裂け目が生じている。

 レラの意識は暗黒の孔の中へと進んでいく。

 何かが光っているのが見えた。見覚えのある青白い光である。

 自身の血の気が引いていくのを感じ、レラはしばらくその場へと留まることしかできなかったが、やがて意を決すると渾身の力を振り絞って光の元へ近づいていく。

 想像していたものがそこにいた。

 

 呉爾羅(ゴジラ)

 

 いることは分かっていたが、それでも圧倒的な威圧感にレラはのぞけった。

 巨大な黒い神が発する熱で、周囲の水がブクブクと沸騰している。レムリア軍の与えた傷はほぼ癒えつつあるようだ。

 今はただ身の内にエネルギーを蓄えている。今度こそ私たちを残らず焼き尽くすために。

 向こうにとって自分は塵に等しい存在であるはずなのに、呉爾羅(ゴジラ)の目ははっきりと私を見た。存在を認識し敵意に満ちた目をこちらに向け……。

 

 

 レラは目を覚ました。

 そこが海の底でなく自室であることに気が付いて、ほうっと息を吐く。

 しかし完全に安心はできない。これがただの夢だとは思えない。一瞬だけ呉爾羅(ゴジラ)の精神と繋がったのだろう。

 巨神は力を蓄えていた。時間はあまりない。急いで備えるように評議会に伝えなければ。

 

 しかしその前にレラは体を清め翅神(モスラ)の様子を見に行こうとした。

 レラは真実に飢えていた。そして翅神(モスラ)は人間のように嘘をつかない。

 そこへ侍女が現れ、レラを呼び止める。

「レラ様、お客様がお見えです」

 また仕事か、と僅かな苛立ちを覚えたが、その気持ちはおくびにも出さずレラは訊ねた。

「おや、予定にありましたっけ? 誰がいらっしゃったのですか」

「ヤエン族のエズラ様です」

「ああ、ヤエン族の……ヤエン族?」

 レラはエズラなるヤエン族の知り合いのことを思い出そうとしたが、どうしても思い浮かばなかった。そもそも彼らの中に知り合いなんかいない。

「……誰ですか?」

「エズラ様です。今、インファント島にいるヤエン族の族父殿です。レラ様にご挨拶したいと」

「ああそうですか。分かりました、ではまずそちらに顔を出しましょう」

 

 

 それから四半刻もしないうちに、レラはおよそ五百名のヤエン族を率いるエズラという若者と対面していた。

 若者……そう若者。

 レラは自分のことを棚に上げて驚いていた。

 姉と共に十歳で巫女になってから今日まで八年間、誰かに会う度ずっとその幼さを驚かれていたが、その自分と一つか二つしか違わない。

 五百人とはいえ一つの集落をまとめる男がこれほど若いとは。

「挨拶が遅れて本当にすんまへん。レラ様に世話んなっとる連中のカシラやらせてもらってる、エズラっちゅうもんですわ」

 訛りのある口調で若者は言った。

 海風に晒されて焼けた肌は一般的なレムリア人と比べてなお色が濃く、服の下には船仕事で鍛え上げられた筋肉が覗いている。

 レラは若者を見てオロボンという怪物を思い出した。それは山猫の頭を持つという奇怪な鰐である。

 海を狩場とする獰猛な怪物、それがエズラの第一印象だった。

 

 しかしこの程度で怯んでいては巫女など務まらない。レラは若者の言葉に頷く。

「楽にして下さい。災難続きでさぞ苦労したと思われますが、ここは安全です。安心して傷を癒してください」

「……レラ様のお気遣い痛み入ります」

「まだ少し硬い顔をしていますね、お茶でも如何ですか? 落ち着きますよ」

 侍女が動き出したのをレラは手を上げて制止した。

「私が淹れます」

 

「どうぞ」

 翅神の巫女が自らが淹れたお茶を差し出すと、エズラは会釈して、一気にお茶を飲み干す。

「……美味い」

「それにしても若いのに大胆なことをなさる方ですね。評議会をやり込めてここに来られるとは。誰にでもできることではありませんわ」

 レラは微笑を浮かべながらそう訊ねた。注意深くしていれば声まで笑っているわけではないことに気が付いただろう。

「一族一門の安全を守るんが、自分の役目なもんで。その為なら何でもします」

 ギラギラした、しかし嘘偽りのない言葉、レラはそう感じた。

 それだけに続くエズラの言葉に耳を疑った。

「できるだけ早う、元の場所に戻りたいですわ。それまでレラ様には何卒よろしゅうお願いします」

「元の場所? 荒神のうろつく世界の縁に?」

「ま、そう言われてもしゃあないと思いますけど、あそこはレムリアの人間が思っとるよりずっと安全なんですわ。呉爾羅(ゴジラ)はわしらなんかに目もくれへんし、それにわしらの方でもなるべく避けるようにしてますんで」

「避けるといっても……」

 とレラは口を濁した。

 神なる獣と呼ばれる巨獣はただ近くを通るだけで危険。それがレラの実感であった。

 しかし、エズラは真顔で言った。

「奴さんの(ねぐら)には近づかんようにしてはります」

 

 レラは青年の真意を確かめるよう訝し気な目を向けた。

 頭の中ではバラのけたたましいの哄笑が聞こえる。

『ハ、ハ、ハ、アーッハハハハハハハ! (ねぐら)だと? 翅神(モスラ)の巫女たる我らにも呉爾羅(ゴジラ)の居場所を捉えるのは容易ではない。我らも知らぬことをお前は知っていると申すか!』

 バラの声を聴きながら、レラは口をきつく結ぶ。

 レラだけに聞こえるバラの声は、レラの心が生んだもの。いわばレラの或る一部分の叫びだ。

 それを無視して普段通り振舞うのに、レラはありったけの意志の力を要した。

「今、呉爾羅(ゴジラ)を探すのに私やレムリア軍は血眼になっています。軽々にそんなことを言うべきではありません。」

 やんわりとレラは窘めた。しかしエズラは退かない。

「ほなら、俺は教えたりますわ。奴の居場所」

「<翡翠海>がどれほど広いか理解していないようですね……」

 この発言に、いよいよレラは苛立った。

 また嘘か。聞きたくない。

 そう考えたレラは意地の悪い提案をした。

「もしそれが嘘なら、ヤエン族はこの島から出て行ってもらいます。それでも呉爾羅(ゴジラ)の塒を知っている言いますか?」

「ええです」

 眉をひそめたレラは静かに頷いて、なるべく感情を出さぬよう、侍女に伝えた。

「外出します。乗り物を用意してください」

 

 



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ストナー計画

 まさか。まさか。まさか――。

 朝出発し、昼のあいだ移動し、日が落ちる頃、エズラの言う通りレラは呉爾羅(ゴジラ)の塒を発見していた。

 慎重に思念による知覚力の糸を伸ばすと、戦場で何度も感じた呉爾羅(ゴジラ)の波長を感じる。

 しかし今は戦略的に重要な情報を得た喜びではなく、自らを恥じる心でいっぱいだった。

 戒めていたつもりだが……人を上から見ることに慣れ過ぎていた。

 自分も一人の人間に過ぎないのにいつの間にか他人を見下ろしていた。

「あなたの言った通りでした。疑って申し訳ありません」

 とレラが頭を下げても、エズラは誇らない。逆に驚いた様子で「そんなのはええです」といい、レラ様の役に立ったならこっちも嬉しいと微笑した。

 初対面の印象ではエズラの中に怪物を見たが、それとはまるで違う少年のような笑みである。

 

 ――果たして怪物はどちらだったのだろう。

 あの時私が見たのは彼だろうか。

 それとも彼を通して自分を見たのだろうか。

 そこまで思いを巡らすとレラは思考を打ち切った。

 呉爾羅(ゴジラ)を見つけたのだ。自己嫌悪している暇も恥じ入っている暇もない。

 すぐにレムリアの首脳部に連絡を入れると、十日とたたずレラはレムリア本島に呼ばれた。

 

 

 遅々として復興の進まない都市の残骸を後にして、レラは仮の首都機能が置かれている郊外の建物に向かった。

 するとすぐに「おお、あなたがレラですね!」と子供のようにはしゃぐ男が出迎えた。

「レラ様! 一目で分かりましたよ! お姉さんにそっくりだ。初めまして、私はラザブ。神獣――特に呉爾羅(ゴジラ)の生態研究が専門の者です」

 ラザブが興奮気味レラに近づこうとすると、さらにその背後にいた大男はがっしりとラザブの肩を掴んで勢いを止めた。

「レラ様にはゆっくりと近づけ。ゆっくりとだ」

「分かってるよ」と言いラザブは肩を竦めた。

「会えて光栄です。レラ様」と居住まいを正して一礼した後、ラザブは小声で付け加えた。

「いつもこの調子だ。私は見張られててね」

 

 どういうことだろう?

 と、レラは疑問符を浮かべたが、ラザブはお喋りなタチの人間らしく、会議室までの道すがら何も言わずとも自らの置かれた状況を説明しはじめた。

「実は私はヴァスキ将軍に呼ばれてレッチ島にいた。ぶっちゃけて言うとアレを造った人間だ。いや、造った人間の一人というべきだな、うん」

「なっ!?」

 アレが何を指すかは言うまでもない。

 さらにラザブは続ける。

「あの日も研究所にいたんだが、運よく助かってね、評議会は私をどうするか迷ったみたいだが、まだ生かすことにしたらしい。もしかしたら表向きはもう死人になってるかも知れないが」

「つまりあなたには利用価値があったんですね?」

 驚きは少ない。

 今の評議会はもうなりふり構っていない。使えるものなら何でも利用する。

 姉はその死すら国威発揚の為に利用された。

 有益だと判断すれば涜神の科学者だって使うだろう。

「まあそういうことさ。貴方には負けるかもしれないが、私は科学者の中で一番呉爾羅(ゴジラ)に詳しいとされている。だから悪魔を作った大戦犯のマッドサイエンティストでも殺すのはまだ早いってね。死ぬなら呉爾羅(ゴジラ)を殺す方法を考えてから死ねと言われたよ。皮肉にも奴が私の命を繋いでいるというわけだ」

「それは……お気の毒に」

 レラは絞り出すように言った。

 最高の科学者に謙遜されると、自分より無学同然のヤエン族の方が呉爾羅(ゴジラ)を知っていた事実が棘のように心に刺さる。

 その微妙な話しぶりが同情したように見えたのだろう。ラザブは話題を変えて明るく言った。

「物事にはいい面もある。もう出世とは無縁だ! だから誰にも憚ることなく実直な意見を出せるのさ!」

 ラザブは大きなドアに手をかけると開ける前に、こちらに振り返った。

 先ほどまでと打って変わって、もう笑ってはいなかった。

「バラ様とやった研究は取り返しのつかない結果になってしまった。吊るされるのは覚悟してるがその前に少しでも有益なことをしたい。どうか一緒に戦ってくれ、翅神(モスラ)の巫女」

「勿論そのつもりですわ」

 

 

 案内された部屋にはお決まりの面々が集まっていた。

 実質的にレムリアを支配している評議会の有力者グループ。軍の高官たち。マッドサイエンティスト。神懸かりの巫女。

 ざっと室内を見渡して、悪いことを企むにはおあつらえ向きですわ、と内心自嘲する。

 挨拶もそこそこに、ラザブが口火を切った。

「さて、知っての通り呉爾羅(ゴジラ)の居場所が特定できた。ここまではいいニュースだが、無人調査艇が持ち帰った記録は、私の想定していた最悪のシナリオを裏付けている」

 評議員の一人が言った。

「どういうことかね?」

「写真を見る限り、バース島の戦いで我々が奴につけた傷はすでに治癒しています。他にも奴を刺激しないように安全圏から可能な限りのバイタルデータを集めましたが、呼吸、脈拍、放射線量どれも一定して安定している。つまり、我らが宿敵がここしばらくじっとしているのは、瀕死で寝ているわけじゃない。さらに成長し力を蓄えているからだ」

 会議室が一瞬ざわついた。

 たたき上げの武人を思わせる老将軍が重々しく口を開く。

「前回ですら奴は想定を超える強さだった。まだ上があるってか」

「はっきり言ってそういうことですね」

「ガリー将軍、軍の再編の進捗は?」

「再編自体は終わっとります。しかし総力を結集したバース島の戦いと先の首府防衛戦で往時の約半数の戦力を失っている。奴を仕留めろという命令は聞きたくないですな、議員」

「未だ二十万の将兵が健在だというのになんという弱気な言葉だ! 将軍は軍人の本分を忘れたか!?」

 へっ、とガリー将軍は一笑すると、少々訛りのあるお国言葉で答えた。

「オイラを脅しても無駄だぜ、議員先生。できねえものはできねえって言わしてもらう。バース島の戦いで突き付けられた最大の戦訓はな、オイラたちはヤツを殺せる武器を持ってないってことだ。である以上は何人兵が残ってようが、先生たちがいくら偉かろうが無理だ」

「ガリー将軍言葉が過ぎるぞ!」

「将軍は自ら軍は張子の虎だというのか! 無用の長物だと言ってるのと同義ではないか!」」

「そこまでは言ってねえさ。市民が逃げるまでの時間稼ぎくらいならやってやらぁ。ただ殺すとなると、超画期的な新兵器が要る。そんなもんを今から開発して奴が目覚める前に完成させるってのは楽観的すぎらぁな。学者の口ぶりじゃすぐにでも起きる感じなんだろ?」

 ラザブは頷いた。

「いつ目覚めてもおかしくはない、と思っていただきたい」

「ほれな。巫女さんは呉爾羅(ゴジラ)を倒せそうな手があるか?」

「ありません」

「っちゅうワケだ。現状を鑑みて先生方にはかつてない大規模な国民の集団避難の検討をして欲しい」

「ガリー将軍それは……」

 評議員は生唾を呑み込んだ。

 これまでの将軍の口ぶりでは、レムリア軍は呉爾羅(ゴジラ)に対し無力だと認めているのと同じだ。

 その上でかつてない大規模な市民の集団避難だと? それはバース島周辺域に続く国土の放棄ではないか……なんということだ。

「それは……貴官の職務を超えた具申だ」

「バカな! 首府の防衛ラインすら破壊された今、どこにも逃げ場などないぞ! 島を捨てて未開の大陸まで後退する気か!」

「しかし必要とあればそうするべきでは?」

「話にならん!」

「しかし、今の状態では」

 ガヤガヤと話し合いが混乱をし始めると、ラザブは俯いてしばし黙っていたが、やがて声を張り上げた。

「私に一つ呉爾羅(ゴジラ)を倒す計画がある」

 

 

「倒すだと? それは無理だとガリー将軍が言っているだろ」

「まあ聞いてください。ここにバース島の戦いの記録がある」

 ラザブが手元のコンソールを操作すると、皆が座っている円卓の中心に呉爾羅(ゴジラ)と戦う空中艦隊の立体映像が現れた。

「ここを見てください」

 ラザブは戦場の一角にあった一隻の飛翔艦を指す。その飛翔艦は激しい損傷を受け航行不能となったのだろう。最後にせめて一矢をと呉爾羅(ゴジラ)に対し体当たりを敢行していた。

「この艦の命がけの攻撃は呉爾羅(ゴジラ)の表皮を貫き出血させています。しかもこの後呉爾羅(ゴジラ)は当たった箇所を気にする様子を何度も見せている」

「レムリア共和国軍に相応しいあっぱれな最期だがそれがどうした? その程度のダメージを与えたことは過去に何度もあったぜ」

「いえ、将軍。成長前の呉爾羅(ゴジラ)ならいざ知らず、バース島の戦いで最も奴を傷つけたのはこの一撃だ。私の案とはこれの規模を拡大したものです」

「拡大?」

「はい。呉爾羅(ゴジラ)に体当たりしたのは打撃艦ドゥルーガー。砲撃に特化した駆逐艦の一種です。ドゥルーガーは全長86メートル、重量は4000トン少々、激突時の速度は推測で時速300キロほど。軍艦としては大きい方ではなかったし、速度も出ていなかった。これでは傷つけるのが精いっぱい……」

 ラザブは少し間を置いた。

「しかしその気ならこの条件を大きく上方修正できる……」

 艦隊の映像が消え、次に円卓の前に映し出されたのは、この場にいる誰もが知る戦艦だった。

「我々の手札の中で最も巨大な飛翔艦、レムリア艦隊旗艦、大海の君主(ロード・オブ・オーシャン)号。全長230メートル、重量はドゥルーガーのおよそ十倍、4万トン。これを呉爾羅(ゴジラ)ぶつける」

 ラザブの提案は評議員、軍人の区別なくその場にいた人間の度肝を抜いた。ガリー将軍でさえ瞠目し映像を見つめる。

「バカな! 旗艦を石ころのように使い捨てにはできん!」

「私は大真面目だ。概算だが高度8千メートルから自由落下させるだけで衝突時は音速を超える。エンジン全開で突っ込ませれば空気抵抗を差し引いても音速の3倍は下るまい。それだけの速度で4万トンの物体が衝突したら呉爾羅(ゴジラ)とて死ぬ、と私は確信してる」

 

 全員の脳裏にラザブが今言った光景が濃厚に映し出された。

 翡翠海の大剣と称される巨大戦艦が呉爾羅(ゴジラ)を大鉈のように切り裂くのだ。

 これなら呉爾羅(ゴジラ)を倒せるのでは?

 そのような期待に参加者たちはにわかに活気づいた。

「待って下さい。大海の君主(ロード・オブ・オーシャン)号はそれだけの速度を想定していません。衝突前に空中分解の恐れがあります」

「当然改修はするだろう。人を乗せて突っ込ませるわけにもいかん」

「一発勝負では不安だなあ、保険をかけておきたい。いっそのこと建造中の大海の君主(ロード・オブ・オーシャン)級2番艦も一緒に落としては?」

「いや呉爾羅(ゴジラ)を足止めするには艦隊の指揮を執る艦は絶対に必要だと考えます。そちらは新たな旗艦になってもらわないと」

「……静粛に」

 今まで発言を控えていたチャンドラ議長が口を開く。

「今日はただの懇談だ。正式な会議ではない。だが私としてはひとまず両案並行して進めておきたい。ガリー将軍、ラザブ博士」

「はい」

「早急に先の案が可能なのかどうか検討し、可能であるなら細部を詰めた計画を作っておいて欲しい」

「お任せください」

「次に近日中に大陸への集団避難、及びその支援についての法案を議会に提出したい。この法案の成立は非常な難航が予想される。今後も各議員の協力をよろしく願い申し上げる」

 室内がややざわついた。

 議長の言葉は国土のさらなる喪失の可能性が現実味を帯びてきたことを意味する。

「そうだ、レラ殿にも聞いておこう。翅神(モスラ)の様子はどうか?」

「今は落ち着いています。呉爾羅(ゴジラ)が現れれば、翅神(モスラ)も立つでしょう」

「けっこう。おそらく次の戦いが共和国の存亡を左右するだろう。願わくば神の加護を賜りたい」

 レラは頷き、レムリアの民の為に短く祈りの言葉を発した。

 

 

 それからほどなくして、投石(ストナー)計画と呼ばれるプロジェクトが動き出した。

 計画の大枠はラザブ博士が語ったものである。

 共和国軍及び翅神(モスラ)呉爾羅(ゴジラ)を足止めしている間に、予め高度8000メートル上空に配置していた大海の君主(ロード・オブ・オーシャン)号を落下させ呉爾羅(ゴジラ)へとぶつける。

 その際は垂直ではなくやや角度をつけて斜めにぶつかる方がよい、とラザブは語った。

 垂直では目標は点にすぎないが、斜めなら少しは的が大きくなるし、誘導もしやすいからである。

「さらにできるなら呉爾羅(ゴジラ)の前面……、腹側の方へぶつけたい」というのがラザブの主張だった。

 呉爾羅(ゴジラ)の背には硬質の背びれが存在し、これがダメージを軽減してしまうことを懸念したのだ。また一般に腹は背よりも柔らかく、臓器を傷つけやすい。

 しかし、ガリー将軍は難色を示した。

 もっともありえそうな失敗は落下中の大海の君主(ロード・オブ・オーシャン)号が呉爾羅(ゴジラ)に察知させ撃墜されることである。

 呉爾羅(ゴジラ)の前方から落とすのは危険だった。

「万が一にも失敗は許されない。まず当てる事を第一に考えて作戦を立てたい」

「煙幕弾か何かで呉爾羅(ゴジラ)の視界を遮ることはできるだろう? 狙うなら腹部だ」

「お偉い先生は簡単に言うね」

 とガリー将軍は皮肉を込めて言う。

「勿論煙幕は使うことになるだろうよ。だが落下開始から衝突までの間、呉爾羅(ゴジラ)の向きをコントロールするのなんて不可能だ。その場で留めておくのだって怪しい」

「近くに何か注目すべきものがあれば、呉爾羅(ゴジラ)はそちらを向くかも?」

「注目するモンだと? 例えばそりゃなんだ?」

「……翅神(モスラ)、或いは新旗艦」

「それを囮に使えって? 面白い冗談だな、青びょうたん。次言ったら殺すけどな」

「将軍、私は本気だ。全ては奴を倒すため……」

「知ってるよ、だからまだ殺さねえんだ」

 ガリー将軍はくっくっくと笑った。

「アンタのいうことも分かるが、そう簡単に人を囮にはできない。翅神(モスラ)だろうと戦艦だろうと、今の呉爾羅(ゴジラ)の正面に立つことは死ねと言ってるのと同じだ」

「……分かった。私も呉爾羅(ゴジラ)の生命力について少し悲観的になりすぎていたのかもしれない。確かに当てるのがまず第一だ。ついで決戦場所の選定だが……」

 

 

 打ち合わせは連日続いた。

 運命の日を目前にレムリア共和国には奇妙な静けさが漂っていた。

 これから起こる戦いを予見し、不安に捕らわれないものはいない。

 しかし学者は計算し、軍人は戦略を練り、政治家はどのような形にせよ国民を守る方法を模索する……つまり仕事に没頭することでその不安から逃れようとした。

 そしてその日はやってきた。



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オペレーション・ストナー

 活動を再開した呉爾羅(ゴジラ)はどこへ向かうのか? 

 その問いに対してレラはレムリア本島でしょうと答えた。(それはエズラの意見でもある)

 ラザブもまた同意し、さらにこう付け加えた。

呉爾羅(ゴジラ)を始めとする巨大な神々はとても賢い。どうすれば私たちに最大の打撃を加えられるか知っている」

 百の島々を掌握していると豪語している共和国だが、国の核たる本島がなければ今の勢力を維持するのは難しい。

 よってストナー計画が動き出したのと同時に都市の再復興は中断され、対呉爾羅(ゴジラ)の陣地構築に取って代わられた。

 まずここで宿敵を仕留めなければ未来はない、という決意がにじむ決断である

 

 そしてその予想通り待ち構える人類を叩き潰すべく呉爾羅(ゴジラ)はレムリア本島へ向けて動き出した。

 人間たちはあえてその動きを邪魔せず、じっと息を潜めて呉爾羅(ゴジラ)の動きを注視していた。

 海中を移動中も、大波を起こして上陸する際も、悠々と海岸と闊歩しても、なおレムリア軍は動かない。

 内陸深く引き込まねば、逃げられる恐れがあった。

 

 一歩歩く度に落雷のような轟音を立てて、黒い巨神は無人の大地のし歩く。

 想像できるだろうか。

 体高100メートルを超え火を吹く怪物が、怒気を宿した目で人間たちを探す姿を?

 それは動き回る火山が人間に敵意を向けているのに等しい。

 レムリア軍の名もないある一兵卒は、呉爾羅(ゴジラ)が歩く映像を見ていただけで体を震わせた。

 燃え盛るマグマを吐き出す火山を押しとどめ、さらにそれを殺すことなどできるのか?

 そんなことが人間に可能なのだろうか?

 推定6万トンに及ぶ体重を支える両の足は、どれだけの脚力を秘めている?

 それを抑え込むことなどできるのか。

 気まぐれに揺れる尾は、時折コンクリートでできた建物を灰のように払いのけている。

 本気でそれを振るった一撃ならば、戦艦さえ耐えきれないのではないか。

 将校たちは知恵を絞って鉄槌を下す作戦を立てた。

 しかし全て上手くいったとして、本当にそれが通じるのだろうか。爆薬も砲撃もものともしない相手に……。

 

 不安を感じているのはその一兵卒だけではなかった。

 むしろこの戦いに関わっている全ての者が不安を感じていたと言ってよい。

 その不穏な気配を察知したのだろうか。

 ガリー将軍は通信を開くと、今から始まる戦いに参加する全部隊、全将兵に向かって呼びかけた。

「栄えあるレムリア共和国軍の諸君――」

 ノイズ混じりに老将の声が響く。

「これより我らは神へと挑む。それは荒れ狂う自然に挑戦するようなものだ。地震を抑えつけ、津波を押し返し、ハリケーンを吹き飛ばしてやる――無謀に聞こえるかもしれない。だが俺は可能だと信じている」

 静かな口調で始まったガリー将軍の言葉は、徐々に力強いものへと変化していく。

「これまでのレムリアの民の歩みは奇跡の連続だった! 不漁凶作に始まり自然の猛威――天変地異や疫病、さらに巨大な神々に踏み潰され幾度も滅亡の危機に陥った! だが、我々は今こうしてここにいる。不可能を乗り越えたのはこれが最初ではない! また最後でもない! 今日、歴史にもう一つ奇跡を加えよう」

 ガリー将軍はそこで一呼吸置いた。

 そして吼えるように叫ぶ。

「偉大なる翅神(モスラ)よ! 共和国に祝福を! 戦士たちよ! レムリアの為に!」

「レムリアの為に!」

 己を奮い立たせながら、人間たちは呉爾羅(ゴジラ)ではない神に、自らの守護神に祈った。

 勝たせてくれ、と。

 

 

「作戦司令部へ呉爾羅(ゴジラ)、交戦領域に侵入を確認」

「了解」

投石(ストナー)を加速させろ」

「了解。ストナー加速開始」

 はるか上空で巨大な飛翔戦艦のエンジンが唸りだした。

 ただしこれがそのまま呉爾羅(ゴジラ)へ向かっていくのではない。

 現在ストナーと呼ばれるかつての艦隊旗艦、大海の君主(ロード・オブ・オーシャン)号は上空8000メートルの場所にいるが、このまま直接呉爾羅(ゴジラ)へ突っ込んだ場合は加速距離が足りず、十分な速度を得る前に地上に到達してしまう。

 それゆえにストナーは上空でぐるりと大きく旋回して加速した後、降下を開始するのだ。

 起動開始から、呉爾羅(ゴジラ)衝突まで予定時間は10分40秒。

 その間、翅神(モスラ)と共和国軍はここで呉爾羅(ゴジラ)の動きを封じるのだ。

 

 もっと進め。

 呉爾羅(ゴジラ)の映像を食い入るように見ながら、ガリー将軍はそう念じた。

「どうした、化け物。俺たちはここにいるぞ。進め。殺すんだろうが?」

 しかしレムリア軍が交戦領域と定めた地点に入ると、呉爾羅(ゴジラ)は歩みを止め、炎を宿した目で周囲を睨め付ける。

 そして前触れもなく呉爾羅(ゴジラ)の背びれが青白く発光した。

 次の瞬間、呉爾羅(ゴジラ)の口中から吐き出された放射熱線は、大地を舐めるように薙ぎ払った。

 灼熱の炎が通り過ぎると地面に巨大な壕が次々と現れた。

 工兵隊の築いた対呉爾羅(ゴジラ)の罠……それが白日の下へと晒されていく。

 神獣と呼ばれるものは決して巨大なだけの獣ではない。彼らは賢く、場合によっては人間を上回る知能を持っているとされる。

 呉爾羅(ゴジラ)にとって落とし穴による封じ込め作戦は既にバース島の戦いで経験済み。同じ手は通じなかった。

 

「野郎、こっちの動きに気づきやがったか!」

 ガリー将軍は舌を打つとすぐさま全艦隊に号令を発した。

「小細工はなしだ! 偽装解除! 全艦浮上開始、迎撃態勢を取れ!」

「了解、本艦も浮上します」

「地上部隊展開完了しました。防御スクリーンを起動させます。スクリーンによる封じ込め範囲は予定通り半径1000メートル」

 将軍のかけ声とともに一斉にレムリア軍は動き出した。

 地上部隊は戦艦の防御システムにも使用されるエネルギーの力場を形成し呉爾羅(ゴジラ)を封じ込める結界を形成。

 そして花形たる空軍の飛翔艦は小さいものも大きいものも……戦艦も、巡洋艦も、駆逐艦も、打撃艦も、およそ戦闘艦の類は全て一斉に飛び立った。

 翼を持つ船が大空を埋め尽くす。それは勇壮だが、狂気の瞬間だった。

 もはや予備戦力はない。

 この戦場にいるのが掛け値なしに空軍の全戦力である。

 すなわち貧者から貴族までこの瞬間あらゆる民間人は完全に無防備となった。

 しかし、この11分弱の時間はそれだけの価値があるとレムリア人は思っていた。

 一瞬遅れて一際大きな戦艦が空に浮かび上がる。

 先行する同型艦から受け継いだのは、刃に例えられる鋭い船体と全長230メートルの堂々たる偉容。

 レムリア艦隊の新たな旗艦。天空を支配する神の剣。

 その名も青空の女王(クイーン・オブ・ブルースカイ)号である。

 

 地上が陰らせるほどの飛翔艦の群が、たった一体の生物を包囲すると同時に、一斉に雷の雨を降らせた。

 天を引き裂くような猛攻。空気が焼け焦げ、つんざめく轟音は千里先まで響きわたる。

 これだけの力があればそれだけで勝てるのではないか?

 レムリア軍の中でも楽天的な者がそう思った瞬間、黒い巨龍は雄弁にそれを否定した。

 呉爾羅(ゴジラ)の口から放たれた青い放射熱線は、その射線上にいた飛翔艦を羽虫のように打ち落としたのだ。

 囂々と火を噴きながら次々と戦闘艦が焼け落ちていく。

 片目を瞑り眉間に皺を寄せガリー将軍はオペレーターに尋ねた。

「被害は!?」

「駆逐艦アリク――」

「戦艦だけでいい!」

「ハラー、及びハラー2、撃沈! バナースパティ中破、航行不能」

「たった一撃で戦艦3隻か……」

 歴戦の将軍も気がつけば震えていた。

 呉爾羅(ゴジラ)の一撃は戦艦を貫通して後方の戦艦にダメージを与えている。

それは最も防御を固めた艦の装甲も防御スクリーンももはや呉爾羅(ゴジラ)の前では用を為さないことを意味していた。

「……怯むなよ、攻撃し続けろ! 背を向けた瞬間食いちぎられるぞ! 殺せなくていい! 気を紛らわせるだけでいい! あとたった9分奴がストナーに気づかなかったらそれで勝ちだ!」

 その9分がどれだけ長いかを理解している老将は思わず苛立ちを守護神とその巫女にぶつけ、叫んだ。

「レラは何をしてやがる! 翅神(モスラ)はまだか!」

 

 

 ガリー将軍とレムリア軍が悪戦苦闘している頃、レラは必死で翅神(モスラ)を説得していた。

 優れた知覚力を持つ翅神(モスラ)は戦うことなく呉爾羅(ゴジラ)の力を見抜き、矛を交えることを拒否していたのだ。

 巫女が飛んでと願っても、哀れな奴隷のために戦ってくれと祈っても、神はそれを拒絶した。

 

 それも無理はない。と説得を続けるレラは思った。

 今の翅神(モスラ)はまだ子供に過ぎず無理矢理変異した兄弟と戦わせた時には一度死にかけているのだ。

 しかし、レラとしても今回ばかりは簡単に翅神(モスラ)に従うわけにはいかない。すでにレムリアは負けたら破滅するほどの賭金をテーブルの上に差し出し、その賭金は砂時計の砂が落ちるように時間とともにサラサラと溶け始めている。

 

 お願い。ほんの少しだけ力を貸して。お願い。

 レラはそれだけを願い、翅神(モスラ)を宥め勇気を奮い起こす呪歌を歌いながら、さらに深く翅神(モスラ)の精神との繋がりを求めた。

 それは神の精神に近づく危険な方法だった。

 かつて姉が同じことを行った際は神の精神に飲み込まれ、自分がバラなのか羽斗羅(バトラ)なのか、区別がつかなくなっていた。

 しかし今はそうせざる得なかった。

 一滴の滴が巨大な波に飲み込まれるように、レラの精神は翅神(モスラ)の精神に飛び込んだ。

 

 レラは目を瞬くと、目の前に自分の姿が見えた。

 それは米粒のような小さな存在だった。牙も爪も空を飛ぶための翅すらないか弱い生物が目の前で何かを語りかけている。

 とたんに感じる悪寒。

 ほんの数キロ離れた場所に巨大な力が、世界を焼き尽くす巨大な獣がいる。

 最も賢明なのはさっさとこの場から離れることだ。

 荒ぶる炎の獣の怒りも、いつか自然に消えるだろう。

 しかし目の前にいる自分(レラ)は必死になって逃げることを考え直し、炎の獣と戦うように言っている。

 次々と自分(レラ)の考えが流れ込んでくる。少し戦えば天から刃が降ってきて獣を殺すのだという。

 ――気の進まない提案だ。

 だが、そうせねばならない気もしてくる。

 いつの間にか自分(レラ)が私の体をよじ登りいつもの定位置についていた。

 ――しようがない。

 しぶしぶながら、翅神(モスラ)呉爾羅(ゴジラ)と戦うことに同意し戦場へ向かった。

 

「やっと来たか!」

 翅神(モスラ)が戦場に現れたことは、ガリー将軍はこの戦いの中で聞いた唯一の良い報告だった。

 既に半数近くの戦力がたたき落とされている。ストナーの着弾まであと6分と20秒。決して早い到着ではないが、まだ手遅れではない。

「ここが踏ん張りどころだぞ! 砲撃手ども、よく狙え!」

 呉爾羅(ゴジラ)の注意が遠方から現れた翅神(モスラ)に向いた瞬間、青空の女王(クイーン・オブ・ブルースカイ)号の全砲門が一斉に火を噴いた。

 並の神獣ならば一瞬で倒れてもおかしくない熱戦砲の雨が、呉爾羅(ゴジラ)の無防備な背中にたたき込まれる。

 着弾の瞬間巨大な爆発が起き、呉爾羅(ゴジラ)は一瞬つんのめった。

 倒れてくれればそれだけで1分は稼げる……!

 ガリー将軍は息を呑んだが、そうはならなかった。

 極太の両足はしっかりと大地を踏みしめると、巨龍は苛立たしげに視線を青空の女王(クイーン・オブ・ブルースカイ)号に向ける。

 刹那、呉爾羅(ゴジラ)の背に稲妻が走りその0.2秒後、破壊的な一撃を口中から吐き出した。

 その光は青空の女王(クイーン・オブ・ブルースカイ)号の作り出した防御スクリーンを軽々と引き裂き、何層にも重ねた装甲を飴のように溶かす。

 8つあるエンジンの半分が吹っ飛び、さらに各ブロックで連鎖的に爆発が起きると船体自体に深刻な歪みが生じる。

 船が軋む音は青空の女王が悲鳴を上げているが如くだった。

「くそ! 状況は!」

 まだ生きていることに感謝するべきだったかも知れないが、そうする代わりにガリー将軍は部下に船の状況を聞いた。

「防御スクリーン出力大幅低下、現在15%!」

「一番から四番までのエンジンが損傷、さらに第五機関室に火災が起きています!」

「出力低下により高度維持で手一杯です! 攻撃に回すエネルギーが足りません! まだ浮かんでいるのが不思議だ! クソッ」

 

 ただの一撃で、呉爾羅(ゴジラ)青空の女王(クイーン・オブ・ブルースカイ)号から戦闘能力を奪い去った。

 それだけではない。

 その一撃は元々戦いに乗り気ではなかった翅神(モスラ)の戦意まで消し飛ばしていた。

 翅神(モスラ)の発する鱗粉は他の神獣の発する炎を拡散・反射する作用がある。しかし、あれを防ぐのは無理だと感じた翅神(モスラ)は、もう呉爾羅(ゴジラ)遠巻きに眺めるのが精一杯だった。

 ストナー着弾まで残り5分。

 ガリー将軍は傷ついた船の中で無念に歯を軋ませ、翅神(モスラ)の頭上ではレラが青ざめていた。

 もう、あれを押しとどめておくなどとても無理だ。

 

「ガ、ガリー将軍……」

 沈みかけた艦を立て直そうとあらゆる努力が為される中で恐る恐る観測手の一人が報告した。

「なんだ?」

「な、なにかが物凄いスピードで近づいてきます」

「……! ストナーか!? 予定よりも早く!」

「違います。ストナーではありません!」

「はっきり言え! じゃあなんだってんだ!」

「大きさが約120メートル……これは、これは、神獣です!」

「なんだと……」

「映像来ました! サブモニターに映します!」

 

 絶望がレムリア軍を支配し、今まさに呉爾羅(ゴジラ)が勝利の雄叫びを上げんとした時、遠く天の彼方からその存在は現れた。

 それはガリー将軍が、その他の全ての人間が始めて見る神獣だった。

 オペレーターは命じられる前にデータベースに照合したが、適合するものない。

 

 翼を持ち空を飛んでいるが、翼神(ラドン)とも蜻神(ギラス)とも全く違う。

 強いて言うならそれの全体のフォルムは呉爾羅(ゴジラ)に似ていなくもなかった。特に皮膚の質感や、ハ虫類ともホ乳類ともつかない顔などは呉爾羅(ゴジラ)に似ている。

 だが、呉爾羅(ゴジラ)のものより足も腰もほっそりとしていて、とりわけ違うのは腕だ。全体に対して呉爾羅(ゴジラ)のものより長く、発達している。その点で言えばそれに最も近い形の生物は霊長類……ヒトだろうか。

 だがそれの背には呉爾羅(ゴジラ)にも霊長類にもない昆虫のような翅を持っていた。

 

 奇妙な混合種としか言えない謎の巨神

 その場にいたもの全てにとってそれは未知の存在だった。

 正体不明の怪物の出現にレムリア軍は絶句するばかり。呉爾羅(ゴジラ)さえもが怪訝な目で新たな乱入者を見た。

 すると、未知の怪物は海のような青い瞳で、呉爾羅(ゴジラ)を睨み返した。

 それはゆっくりと地上に降りると、スズムシのように翅と翅をこすり合わせて強烈な高音を発し、さらに呉爾羅(ゴジラ)を威嚇する。

 

「――まさか」

 最初にその正体に気が付いたのは翅神の巫女だった。

 レラは呉爾羅(ゴジラ)を睨むその青い瞳に見覚えがあったのだ。

 恐れおののきながらレラはその名を呟く。

「……バラ?」

 

 ストナー着弾まで残り5分。



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