刀使ノ巫女 -ただの柳瀬家の執事- (ソード.)
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番外編
番外編① バレンタイン・バースデー 前編


本編がゴタゴタしてますが、以前からやろうと思っていた話をやります! 前後編で構成してますので、明日の後編もぜひご覧ください。

時系列としては本編の一話より前の二月の話です。


「舞衣ちゃん、今帰りー?」

 

「あ、可奈美ちゃん」

 

中学一年生の冬。寒さのピークとも言える二月のことだった。舞衣は放課後に真っ直ぐ美濃関学院の女子寮の自室へと戻ってきていた。自室の前まで来たところで偶然居合わせた可奈美と出くわした。

 

「もう出発するの?」

 

「うん。早くしないと向こうに着くの遅くなっちゃうから。可奈美ちゃんこそ大丈夫? 私、明日は丸一日いなくなっちゃうよ」

 

時刻は夕方の五時くらい。舞衣はこれから実家に帰省する予定になっている。進級までいくらか期間があるにも関わらず、こんなことをするのにはある理由があった。

 

「心配しなくても大丈夫だって。舞衣ちゃんこそ、誕生日なんだから家族で過ごしてきてよ」

 

そう。二月十四日は舞衣の誕生日だ。しかも、今年は十四日が土曜日なので本日十三日の金曜日の夜に実家に到着すれば土曜日を丸々使えるのだ。

そのため、実家の妹たちから帰ってきてはどうかと提案をされ、舞衣はそれに乗ることとなった。

 

「それに、明良さんには初めて誕生日祝ってもらうんでしょ?」

 

「え? あ……うん……って、何だか言い方が変だよ、可奈美ちゃん」

 

「そうかなぁ? だって、舞衣ちゃんだって楽しみにしてるんじゃないの?」

 

「それは……そう、だけど」

 

舞衣は可奈美に言われたせいで否応にも脳裏にとある青年の姿を思い浮かべてしまう。

黒木明良。去年の四月、ちょうど舞衣が美濃関に通い始めた頃に執事に就いた青年。既に家に執事はいたが、先輩である執事は主に舞衣の両親の仕事の補佐を行っており、自宅にはそこまで関わっていない。言うなれば、明良は柳瀬家の自宅の使用人と言ったところか。

 

「明良くんのこと、ちょっと心配だよ」

 

「何で? 前に会ったときも、何でも完璧にこなしててビックリしたくらいだよ」

 

「何でも、っていうことが心配なの」

 

舞衣は困ったような悩ましいような複雑な表情にならざるを得なくなる。彼の今までの行動からはそんな片鱗が何度も表出しているのだ。

 

「明良くんって、私に対しては特に神経質というか、過保護なところがあって」

 

「あー……」

 

可奈美も得心いった顔になる。明良は舞衣に対してどう考えても並大抵の主従関係とは思えないほどの感情を抱いている。食事、更衣、睡眠などの健康管理は勿論、身辺警護や防犯などの面でも常に舞衣をサポートしている。中世の高貴な姫君でもこんな世話をされているか怪しいくらいだ。

こんな扱いを受けることなど、年頃の人間なら男女問わず恥ずかしいことには違いない。だが、舞衣はもはや恥ずかしいを通り越して彼のことが心配になってくるレベルに達してしまっていた。

 

「何か変なことでもしてないか、って思っちゃうんだよね……」

 

「だ、大丈夫だよ舞衣ちゃん。きっと今ごろは……舞衣ちゃんが帰ってくるの楽しみに待ってると思うよ」

 

「う、うん……そうだよね」

 

何故だろう。舞衣には確かな胸騒ぎがあった。そう、これからとんでもない誕生日を迎えることになるのでは、という不安や疑心が胸中で渦巻いていた。

 

 

※※※※※

 

 

「ただいまお迎えに上がりました。お久し振りです、舞衣様」

 

日もすっかり暮れ、屋外は夜に包まれた頃に舞衣はようやく実家近くの駅に到着した。バスや電車の発車の待ち時間の分だけ時間を無駄にしてしまったが、何とかそこまで遅くならずに済んだ。

というのも、あまりにも遅いと目の前の青年――明良は尋常ではないくらい心配してくるからだ。

 

「うん、久し振りだね。迎えに来てくれてありがとう。明良くん」

 

明良の背後には黒塗りの普通車。明良が舞衣や彼女の妹たちの送迎に使う車だ。

 

「いえ、舞衣様のためですから」

 

明良は穏やかで人当たりの良い笑みを浮かべて答える。こんな顔をしているが、先程舞衣がメッセージアプリを使って『少し遅れそう』と連絡を入れると、明良から『事故ですか? そちらへ直接お迎えに上がりましょうか?』とか『緊急時に備えてGPSをONにしておいてください。いざとなったら救助に向かいます』とか返信があったのだ。しかも、既読されてから返信までが二秒くらいしかなかった。常に確認していたのだろうか。

 

――ぐ、偶然だよね。うん

 

そんな過剰な心配の込められたやりとりがあったのがつい三十分ほど前だ。それでもここまで笑顔で振る舞えるのは、彼のスイッチの切り替えが上手いのか、或いは彼にとっては過剰でもなんでもないのか。

考えを巡らせていると、明良はスッと両手を舞衣に差し出してきた。

 

「お荷物はこちらでお受け取りします。舞衣様はお先に後ろの席へどうぞ。外は冷えますから、お早く」

 

「うん、ありがとう」

 

舞衣は大きめのキャリーバッグを明良に手渡す。休日ということで今は御刀は持っていない。

明良がキャリーバッグをトランクに入れている間に舞衣は後部座席のドアを開け、シートに座ってシートベルトを締めた。車内は暖房が効いており快適な温度に整えられている。公共の交通機関ばかりで中々身体が休まらなかったせいか、思わず一息ついてしまう。

戻ってきた明良は運転席に座り、シートベルトを締める。舞衣も締めたことを確認した明良は「出発します」と一声かけてゆっくりと車を発進させた。

 

「ねえ、ちょっといい?」

 

車が発進してから数分後、舞衣は明良に声をかけた。まだそこまで運転手の経験がない彼に不用意に話しかけていいのかを確認したのだ。

 

「はい、何でしょう?」

 

流石に振り返りはしなかったが、明良は何の気なしに返事をしてきた。

 

「今日と明日って家には誰がいるの?」

 

「確か……舞衣様、美結様、詩織様の三名となります」

 

「あれ? お父様たちは?」

 

「旦那様と奥様はどうしても外すことのできない仕事らしいので、しばらくは戻れないそうです。柴田さんも同行しているので、執事は私のみですね」

 

舞衣の両親は仕事で家を空けていることが多い。それでもなるべく家族の誕生日や年末年始などは時間を作っているのだが、今回はそれが上手くいかなかったようだ。

 

「ですが、ご安心ください。旦那様と奥様からはプレゼントとメッセージを受け取っております。当然、私も全力でおもてなしいたしますので」

 

「うん……楽しみにしてるね。でも、無理はしなくていいからね」

 

「ご遠慮なさらないでください。年の一度の大切な日ですから、思い出深いものにしたいんです」

 

こちらから明良の表情は見えないが、きっと生き生きとした顔をしているのだろう。舞衣にはそう思えた。

 

 

※※※※※

 

 

「ごちそうさま」

 

「はい、お粗末様でした」

 

帰宅後、美結と詩織と簡単に挨拶を済ませた。すぐに妹二人が自室へと帰った後、舞衣はリビングで夕食を摂った。オムライスにコーンスープ、サラダが明良の手によって調理されており、移動続きで空腹だった舞衣はすぐに平らげてしまった。

 

「明良くん、また料理上手になったんじゃない? 美味しかったよ」

 

「恐れ入ります。お口に合って何よりです」

 

去年彼が執事として雇われてすぐの頃よりも明らかに味のレベルが上がっている。彼は簡素に言うが、裏でかなりの練習を積んでいるのだろう。

 

「では、お皿を下げますね」

 

「あ、いいよ、それくらい。私がするから」

 

「え? 舞衣様――」

 

明良が食器を持ち上げようとするが、舞衣は先に自分でそれを持ち、流し台に移動した。そしてたった今使った食器を洗おうと常備されているスポンジに手を伸ばす。だが、それと同時に横から手が伸びてきて同じようにスポンジを掴んだ。

 

「舞衣様、いけません。家事は執事である私の仕事です。舞衣様はくつろいでいただいて構いませんので」

 

「いいよ。私にもこれくらいやらせて」

 

「ですが、貴女にこのようなことは――」

 

二人が互いに食い下がろうとしないせいで、少々話が面倒な方向へと進んでいく。舞衣は話をさっさと終わらせようとこちらを向いている明良の方へ首を回し――

 

「……っ!!」

 

回したところで固まってしまった。元々肩が触れ合うか合わないかくらいの距離で立っていたため、その位置で互いに向き合えば自ずと至近距離で向かい合うことになる。向かい合った舞衣と明良の顔の間には僅か数センチ程度の空白しかない。それこそ、少し身を乗り出せば唇が触れてしまう程度しか。

舞衣はいきなり視界に飛び込んできた明良の顔を長い間直視できず、慌てて後ずさりして距離をとった。実際に見つめあったのは二秒ほどなのだが、舞衣には数十分ほどに感じられるほどの疲労感があった。

 

――び、び、びっくり……した……!!

 

頬に当てた手からじんわりと熱が伝わってくる。恐らく、今の舞衣の顔はまともに人に見せられないほど動揺と羞恥で染められている。

 

「ご、ごめん、明良くん」

 

「………いえ」

 

明良から目を背けつつ確認するが、明良が返した声は意外にも平坦なものだった。疑問に思った舞衣は聞いてみることにした。

 

「びっくり……しなかった? いきなりあんなことになって」

 

しっかりとある程度の距離をとりつつ、明良の方に向き直る。明良は微笑んで答えた。

 

「驚かなかったと言えば嘘になりますが、お気になさらなくて結構ですよ。今のは明らかに不可抗力ですから」

 

「そ、そう……だよね」

 

まだ自分の顔は熱いというのに、明良は普段と変わらず崩れていない。異性との個人的な交流の少ない舞衣にとっては先程のようなことは未知の経験だ。しかし、明良の様子を見るに彼にとっては些事なのだろう。

 

――何だか、ちょっと悔しいなあ……

 

明日十三歳の誕生日を迎える舞衣だが、それでも明良は舞衣より六つも歳上なのだ。容姿が優れているだけでなく、気遣いもでき、家事の腕も高い。そんな彼ならば今まで恋人がいたこともあるのだろう。世の女性が放っておくはずがない。

しかし、舞衣にはそれが嬉しく思えなかった。自分がまだ中学生だから仕方ないのかもしれないが、彼から異性として意識されていないと感じてしまうことも。彼が他の女性と極端に親密な関係になっているのを想像することも。

 

「……舞衣様、何かご用でしょうか?」

 

ここで、自分があまりにも明良のことを見続けていたことに気づいた。明良が首をかしげて聞いてきたので、あわてて首を左右に振る。

 

「ううん、何でもないよ。そ、それより私お風呂に入ってくるから」

 

「畏まりました。お洋服とタオルは洗濯籠にお入れください」

 

明良が食器洗いを始める姿を横目に舞衣はリビングを後にした。

 

「……何だろう、この気持ち」

 

気づけば彼のことを目で追ってしまい、動揺や歓喜、羞恥の感情が表出してしまう。一緒の空間にいるだけで幸福感が湧いてくる。

未知の感覚に戸惑いながら、舞衣は風呂場に歩いていった。

 

 

※※※※※

 

 

カチャッ……

 

微かな金属の摩擦音が耳に届くが、既に上の階で就寝中の少女たちに気づかれることはないだろう、と明良は行動を続けた。

時刻は深夜零時。美結、詩織は勿論、舞衣ももう眠っている時間だ。明良は念には念を入れて就寝直後ではなくある程度時間をおいてから作戦を実行に移したのだ。

場所は柳瀬家の洗面所。その引き戸を開け、そこからさらに歩く。

 

――ここはスルーしましょう。

 

風呂場に行く途中に洗濯籠に放り込まれた舞衣の肌着や下着が目に入るが、それには手をつけずに通り過ぎた。凡百の男ならこれらの衣類を嗅いだり吸ったり食べたりするのだろうが、そんな変態のような真似はしない。自分は舞衣の執事なのだ。変態になってどうする。

 

――本命は……よし。

 

風呂場へと足を踏み入れ、浴槽の蓋を開ける。その中には数億円相当(明良にとっては)の残り湯(財宝)が蓄えられていた。

 

「ミッション1、達成……と」

 

思わず口に出してしまうくらい嬉しくなった。こんなことで声を出してしまうようではまだまだだと思ったが、これは仕方ない。

今日は当然美結と詩織も入浴はしたのだが、その時間は舞衣よりも前だ。ゆえに明良は、美結と詩織が入浴を済ませた後、風呂場を丹念に掃除し、湯を張り直しておいたのだ。これによって、純度の高い舞衣の成分を残り湯に抽出できる。

 

「さて……」

 

明良は水筒を取り出し、その中を水でしっかりと洗ってから残り湯の上澄み、そして下層部分の液体を水筒に入れた。

 

――計画通り。

 

誤解しないでほしいが、これは変態行為ではない。舞衣の身体の状態を知るためには彼女が入浴の際に何をしているのかを知る必要があるのだ。

もしかすると十分に身体の汚れを取り除けていない可能性もあるのだ。明良は舞衣が多少ちゃんとした入浴ができていないからといって、それを嫌うつもりなど毛頭ない。だが、舞衣も年頃の女子だ。気にしないことはないだろう。

そもそも、異性の残り湯を持ち去ったからといって警察も法律も動くことなどない。ゆえにセーフだ。

 

「………」

 

とはいえ、こんなことが誰かに知られれば解雇されることは目に見えている。それくらいはわかる。己の正義は決して万人にとっての正義とは限らないのだ。いくら明良が自分の正当性を主張しても周囲は理解してくれないことはわかっている。

 

「猶予は……三分」

 

明良は名残惜しい気持ちを必死に振り切って浴槽の栓を抜き、残り湯を流す。そして風呂場の水垢や(かび)を徹底的に除去し、先程通った洗面所の床に静穏性の掃除機をかける。これで足跡などはわからない。洗面所や風呂場の戸に触れてはしまったが、手袋を常に着けているので指紋は着いていないはずだ。

 

――よし、これで十分。

 

目的を達成し、証拠も隠滅した。舞衣たちが起きた気配もない。ほぼ完璧だ。

明良は満足感を胸に携えながら柳瀬家から去っていった。




まあ、私はバレンタインデーなんか興味ないですしー。べ、別にチョコ貰えなくても? 気にしませんしー(血涙)

P.S.
みにとじの5話で舞衣がヤンデレ化していて、歓喜やら恐怖やら様々な感情が引き出されて大変なことになった。アニメはどうしちまったんだ(もっとやってくださいお願いします)。そして私もどこへ行ってしまうんだ。

質問、感想はお気軽に!(*´∀`)つ


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番外編② バレンタイン・バースデー 後編

書いてて思った。こいつら早く付き合え、と。


「おはようございます」

 

二月十四日。舞衣がその日に初めて会った人物が彼だった。今日は美結、詩織、そして明良の三人のために早起きして朝食を作ろうと意気込み朝の五時半に起きたのだ。そう、明良が出勤してくるよりも早く。

だが、それが計算違い、いや思い違いだったことに今更気づかされた。早起きした舞衣は自室から廊下に出た――出ようとしたところで彼に会ったのだ。部屋の前に正座している明良に。明良は晴れやかに顔を綻ばせながら朝の挨拶をしてきた。

 

「お……おは、よう」

 

普段なら笑顔で応対できるはずなのだが、彼のこんな突拍子もない奇行には流石の舞衣も動揺せざるを得ない。

 

「早いんだね……まだ五時半なのに」

 

「はい。万が一に備えて深夜の二時からお部屋の前で待機しておりましたので」

 

――ええ……

 

心の中で、動揺を通り越して軽く恐怖を憶える。もし舞衣が深夜に部屋から出ていれば、暗闇の中に正座している彼と出くわしていたことになる。想像しただけでも怖い。

 

「……えっと、ちゃんと寝てる?」

 

「はい。勿論です。それに、この場所で不眠不休で舞衣様のお目覚めを待つことは決して苦ではありませんので。むしろ至福です」

 

「そ、そうなんだ」

 

もはやツッコんだら負けだと舞衣は悟った。もういいや、と舞衣は明良と一緒に一階のリビングへと降りていく。

 

「あ、そうだ。明良くん、美結と詩織はもう起きてる?」

 

「いえ、まだお二人とも眠っておられるようです」

 

「じゃあ、私ご飯作らないと……」

 

「それでしたら、私が作っておきました。和食と洋食どちらになさいますか?」

 

リビングに着くと、食卓には既に食事が用意されていた。焼き魚、出汁巻き卵、ほうれん草のおひたし、スクランブルエッグ、ソーセージ、ハムエッグ、サラダ等々、取り分けはされておらず、食卓の真ん中に置かれたそれらを各々が皿にとる様式になっている。

 

「スープ類はお味噌汁とコーンスープ、お飲物は麦茶、牛乳、アップルジュース、コーヒー、紅茶となっています。ご用の際はお申し付けください」

 

明良はそう言ってキッチンの奥へと歩いていく。

 

「舞衣様は今すぐお召し上がりになりますか?」

 

明良がキッチンで味噌汁の鍋をかき混ぜながら尋ねてくる。

いざ朝食を作ろう、と意気込んでいただけに肩透かしを食らった気分だが、彼の方が早くいたのなら作っていないはずがなかったのだ。

まだ朝食には早いが、もうこのまま頂いてしまおう。

 

「それなら、いただこうかな」

 

「畏まりました。ですが、良いのですか? まだ時間は早いですし、もう少しお休みいただいても構いませんが」

 

「いいよ。だって、明良くんと二人で食べたかったから」

 

美濃関に通っている以上、明良と毎日会っているわけではない。些細なことかもしれないが、こうして一緒の空間で過ごすのは純粋に嬉しいし、大切にしたいのだ。

 

「………」

 

「………」

 

明良が口を開けたまま呆けた顔でこちらを見ていることに気づいた。それと同時に、今し方自分が言った台詞を脳内で反芻し、もう一つのことにも気づいた。

 

「あ、いや、違う――わけじゃないけど……」

 

「ええと……舞衣様……」

 

明良は苦笑いを浮かべつつ優しく諭すように言う。

 

「あまりそういう台詞を仰られると、大抵の方は勘違いをされますから……失礼ながら、控えた方がよろしいかと」

 

顔が熱くなった。こういう言い方をしてくるということは、明良から見ても恥ずかしい台詞だったということだ。

何より、そんな台詞を会話の流れで臆面もなく言ってしまった自分が恥ずかしい。

 

「ですけれど」

 

明良が一度言葉を区切り、続ける。舞衣は顔を熱くしながらもそれに耳を傾けた。

 

「照れていらっしゃる舞衣様も大変可愛らしいですよ」

 

「………しらない」

 

微笑ましく、幸せそうな顔でクスクス笑う明良。舞衣はそれから朝食を食べ終えて妹二人が起きてくるまでの間、その生優しい視線にさらされたまま過ごすこととなった。

 

 

※※※※※

 

 

「「ハッピーバースデー!」」

 

二発のクラッカーが鳴らされ、パンッという軽快な音と紙テープが空中に舞う。

舞衣は妹の美結、詩織の二人から盛大な誕生祝いを受けていた。

 

「誕生日おめでとう、舞衣姉」

 

「おめでとー」

 

「うん、ありがとう。美結、詩織」

 

クラッカー斉射を浴びた舞衣は満面の笑みで応えた。

柳瀬家の食卓では、夕食後の誕生日パーティーが開かれていた。生クリームでコーティングされた円筒状のケーキ、その上面の外縁に沿う形で等間隔でイチゴが配置されている。その隙間を埋めるように十三本の小さくカラフルな蝋燭に灯された火。舞衣は唇をすぼめ、フーッと息を蝋燭の火に吹きかけ、消した。

 

「はーい。じゃあこれ、あたしたちからのプレゼント!」

 

吹き消したことを確認した美結は、自分の椅子の下に隠していた紙袋をテーブルに置き、舞衣に差し出した。

 

「これね、私と、美結お姉ちゃんとお父さんとお母さんで選んだの」

 

横から詩織がキラキラした笑顔で言う。両親は仕事で今回は不在だが、せめてプレゼント選びくらいは、と考えてくれたのだろう。

 

「……何だろう」

 

舞衣は紙袋の中から包装紙とリボンでラッピングされた箱を取り出す。丁寧にそれを解き、中身を確認する。

 

「ええっと……手袋と耳当て?」

 

中には山吹色の毛糸の手袋と同色の耳当てが入っていた。材質や繊維の緻密さからかなりの値段のものだと舞衣は一目で理解する。

 

「うん、寒さがひどくなるから、ちゃんと暖かくしないといけないって」

 

「ねえねえ、それ着けてみて」

 

詩織に促され、舞衣は両手と両耳にそれらを装着する。外気のほとんどが遮断され、じんわりと熱気が内側に籠ってくる感覚がある。これはかなり良い。デザインも実用性も申し分ないくらいだ。

 

「おおー、似合ってる」

 

「お姉ちゃん、可愛い……気に入ってくれた?」

 

「うん。大切に使うね。……って、あれ?」

 

舞衣はそこで、プレゼントの箱にまだ何か入っていることに気づいた。手のひらサイズの長方形の厚紙だ。そういえば、と舞衣は昨夜の明良との会話を思い出す。

 

『ですが、ご安心ください。旦那様と奥様からはプレゼントとメッセージを受け取っております』

 

確か彼はこんなことを言っていた。ということは、これは両親からのメッセージカードだろう。一応、舞衣は二人に尋ねてみる。

 

「ねえ、これって……」

 

「それ、お父さんとお母さんからって。何て書いてあるの? 私も詩織も初めて見るからさー」

 

「わかった、じゃあ読むね……」

 

舞衣は紙面に目を走らせ、少しずつカードに書かれた文章を朗読する。

 

「『舞衣、誕生日おめでとう。中学生になって初めての誕生日だから祝いに行きたかったけれど、どうしても仕事が外せなくてすまない。代わりに父さんと母さんの伝言を書いておく』」

 

この口調からして、書いているのは父のようだ。舞衣はそのまま読み進めていく。

 

「『刀使の仕事で怪我をしたり大変な目に遭わないだろうかと、父さんも母さんも心配している。くれぐれも体調に気をつけて、怪我をしないように過ごしてほしい。それを守ってくれれば言うことはない』」

 

それで文章は終わっていた。舞衣は胸が暖かくなるのを感じた。いつも無表情というか、家庭をあまり省みていないように感じてしまう父から真摯なメッセージを貰ったことに。

続けて、もう一枚。母のカードを手に取り、目を通す。

 

「ええと……」

 

母のメッセージはそこまで長くはなかった。文章の始めが『お母さんの言いたいことはお父さんが書いてくれたから、お母さんは一言で済ませますからね』だったからだ。舞衣はそれに続く文章を読み上げる。

 

「『舞衣ももうすぐ中学二年生なんだし、彼氏をお母さんたちに紹介――』……って、ええっ!?」

 

舞衣はカードを落としてしまいそうなほど動揺し、目が泳いでしまう。因みに、残りの文章は『――してね。何なら、結婚の挨拶に来てもらってもいいから』だった。流石に舞衣に残りを読むだけの勇気はなかった。

 

「え? 舞衣姉、彼氏いんの?」

 

「す……すっごい……お姉ちゃん、オトナだぁー」

 

「ちちちっ、違うから! 私はまだ明良くんとは――」

 

「誰も明良さんと、とは言ってないけど……」

 

「じゃなくて! 彼氏とかはいないよ。これは『出来たときに』ってこと!」

 

何故か無意識の内に彼氏という単語から明良が連想されてしまったが、慌てて掻き消した。

 

「というか、そういえば……」

 

ここで気づく。今し方舞衣が口にした人物、明良がいないのだ。先程リビングで夕食の後片付けをしていたが、それが終わるとすぐに『少し外しますね』と別室へと移動したのだ。

そうして彼がいなくなってもう一時間半は経つ。彼の場合、一時間以上も開ける際に『少し』とは言わない。せいぜい五分か十分くらいかと思っていたが、少々間が長い気がした。

 

「明良くん、今何してるんだろう」

 

「明良さんなら、もう戻って……いや、舞衣姉の方から行ってあげたら? 多分休憩してるときの部屋にいるから」

 

「え? 美結、知ってるの?」

 

「うん。あたしと詩織は知ってるよ。だからほら、舞衣姉も早く」

 

舞衣はよくわからないまま席を立ち、件の部屋に向かうことにした。そうしてリビングから出ようとしたところで、詩織に呼び止められる。

 

「お姉ちゃん、これ、忘れ物」

 

詩織の左手には舞衣の学生用鞄。詩織は小さな手でその中を漁り、直方体の箱を取り出して舞衣に手渡す。誕生日プレゼントと同様に包装紙とリボンが使われているが、プレゼントの箱よりいくらか小さい。

 

「ありがとう、詩織。ちゃんと渡してくるね」

 

「うん!」

 

舞衣は二人の妹に見送られ、部屋から出ていった。

そして、部屋に静寂が訪れる。それを即座に破ったのは美結の大きなため息だった。

 

「あー、大丈夫かなー。舞衣姉も明良さんも」

 

「だ、大丈夫だよ。明良さん、もうちょっとで出来るって言ってたから」

 

「……ならいいけど」

 

美結は椅子に座ったまま机に顔を突っ伏して、椅子の下にあるもう一つの紙袋をテーブルの上に置く。そこから、二つの箱を取り出す。舞衣が持っていったものとほぼ同じ大きさと、同系統の細工が施された箱だ。美結はそれを自分と詩織の前に置いた。

 

「あたしたちも作ったけど、まあ、最初は舞衣姉に譲らないとねー」

 

「うん。あの二人、すっごくお似合いだもんね」

 

「だよねー」

 

 

※※※※※

 

 

舞衣はリビングから廊下一つ挟んだ部屋、使用人用の休憩室の扉をノックする。

 

「明良くん、いる?」

 

中からは『……はい、何か御用でしょうか?』と返事が返ってくる。

 

「ちょっと入っていいかな?」

 

舞衣が話を切り出すと扉は即座に開かれた。当然、舞衣の正面には明良が立っている。

 

「お入りください。丁度、私も舞衣様にお話と、それからお渡ししたいものがありまして」

 

「うん。じゃあ入るね」

 

休憩室は簡素な作りの部屋だった。部屋の真ん中に備え付けられたテーブルと取り囲むように置かれた六つの椅子。部屋の隅にはウォーターサーバーと小型冷蔵庫。その対角線上には仮眠用の簡易ベッドがある。

舞衣は明良に言われた位置に腰掛けると、その対面の椅子に明良が腰掛ける。

 

「明良くんの話が先でいいよ。何?」

 

「では、私から話させていただきますね」

 

明良は一度咳払いをして声を整えると、礼儀正しい所作で話し始めた。

 

「まずは、舞衣様。お誕生日おめでとうございます。今年で十三歳になられましたね」

 

舞衣は美結と詩織にしたように「ありがとう」と返す。

 

「それでですね……ご家族の方々からはもうプレゼントをいただいたと思うのですが……」

 

「うん、貰ったよ」

 

「私からもプレゼントがございます。こちらをどうぞ」

 

明良は部屋の端の机に置かれている箱を持ち、対面側から舞衣のいる方へと移動し、手渡してきた。

 

「開けてもいい?」

 

「はい、勿論」

 

箱を開けると、中には鮮やかな赤い色の塊が敷き詰められていた。中から引っ張り出してみると、それは帯状の長い編み物だとわかる。

 

「これ……マフラー」

 

「はい。以前の舞衣様のものを見たとき、かなり傷んでほつれていたようでしたので……新しいものを」

 

舞衣は珍しそうにそのマフラーを眺めていると、視界に何やら見慣れないものが入った。明良の座っていた席――その横の席の椅子が少し出ていて、その椅子の上に毛糸玉と手編み用の棒が置かれている。

 

「……これってもしかして、明良くんの手作り?」

 

「……え?」

 

明良が珍しくドキッとした顔をする。

 

「そ、その……何か問題があったのでしょうか?」

 

「そうじゃなくて、ほら、あそこに毛糸玉とかがあるから……」

 

「あ……不覚です」

 

明良は舞衣の指差した方向を向いた瞬間、苦笑いして顔を伏せた。

 

「はい……それは私の手作りのものです。申し訳ありません、隠すつもりはなかったのですが」

 

「いいよ。別に怒ってるとかじゃないから。むしろ、手作りでここまで出来るのってすごいと思うよ」

 

これは純粋にそう思えた。正直、あれらの物証がなければこれを既製品と信じて疑わなかっただろう。それくらい出来が良い。

 

「あんなところに置いてるってことは、晩ご飯の後も作ってたの?」

 

「最後の工程をどうしても終わらせておきたかったので……」

 

「頑張ったんだね、嬉しいなあ……」

 

「その……無理をして使っていただかなくても結構ですよ。お気持ちだけでも私は十分すぎるくらいですので」

 

明良は恥ずかしそうに口元に手を当てて言う。舞衣は首を左右に振ってそれに答えた。

 

「そんなことないよ。ちゃんと使うから。それに、無理なんかしてないよ」

 

「……ありがとうございます」

 

舞衣は明良からのプレゼントの話が一区切りついたところで、今度は自分の話に移る。

 

「じゃあ、今度は私の番」

 

舞衣は立ち上がり、明良に向き合いながら手に持っている箱を明良に差し出す。明良は不思議そうな顔で箱と舞衣を交互に見ていた。

 

「舞衣様、これは……何でしょうか?」

 

「何って……今日はバレンタインデーでもあるんだよ? だからこれ、明良くんに」

 

そう。本日二月十四日は舞衣の誕生日だが、世間一般ではバレンタインデーと呼ばれる日だ。

日本では女性が意中の男性にチョコレートを渡す日。尤も、義理チョコと言って、渡す相手は恋愛関係にある間柄でなくとも、お世話になっている人や友達、家族などでも構わない。

 

「バレンタイン……デー……?」

 

「えっと……知らない? バレンタインだよ?」

 

「ああ、確か……はい。そうですね。二月十四日ですから……確かに。すっかり忘れていました」

 

明良は古い記憶の引き出しの奥からメモを引っ張り出したような仕草で言う。

 

「申し訳ありません。ここ最近は舞衣様のお誕生日のことで頭が一杯だったものですから、すっかり十四日の別の意味を忘れていました」

 

「そ、そうなんだ……」

 

彼の頭にはそれだけ舞衣の誕生日に対する情熱や刷り込みがあったのだろうか。考えるのが少し怖いくらいだ。

 

「とにかく、これ。明良くんへのバレンタインチョコだよ」

 

「私に……ですか……」

 

「うん。普段から私たち、お世話になってるから。そのお礼もかねて、ね」

 

舞衣は再度両手でしっかりと箱を握り、明良に差し出す。明良はそれを両手で受け取る――と思いきや、突然膝から崩れ落ちた。

 

「あ、明良くん!? どうしたの?」

 

「……う……うう……」

 

悶えるような、絞り出すような声。何かあったのか。突然気分でも悪くなったのかと思い彼の顔を覗きこむ。すると……

 

「……嬉しい、です」

 

歓喜に打ち震えた目と声色。口元は両手で覆われて見えないが、想像せずともその下は自然とわかった。

 

「そ、そんなに……?」

 

「はい……何分、生まれてから一度も、誰からもバレンタインチョコを貰ったことがなかったので……」

 

「え? そうなの?」

 

かなり意外だった。彼のような男性なら、放っておいても女性の方から渡してきそうなものだと思っていたからだ。そうでなくとも、義理チョコを女性の友達や家族から貰うことくらいは大抵の男性に経験がありそうなものだが。

 

「あ、その……家の方針で、そういった関わりは控えるように言われていまして。それで……」

 

明良は喜びつつも自嘲した顔で説明する。家の方針とは言っても、バレンタインチョコを断つというのは少々やり過ぎだと舞衣には思えた。

憐憫ではないが、せめてバレンタインデーを楽しむことくらいは彼に与えられてしかるべき権利だろう。舞衣はそういう意思を込めて明良にチョコの入った箱を渡す。明良は立ち上がって今度こそそれを受け取った。

 

「本当にありがとうございます。人生初のバレンタインチョコを舞衣様からいただけるだなんて、光栄です」

 

「もう……大袈裟だなあ」

 

明良は首を左右に振ってチョコの入った箱を胸に抱く。

 

「これは大切に保存しておきますね。劣化しないように管理を徹底します。それから、神棚に置いて毎朝お祈りも――」

 

「いや……勿体ないから食べて」

 

そこから先、どうするつもりなのか聞こうか一瞬迷ったが、聞かないことにした。聞いたら本気で詳しい説明をしそうだったからだ。

 

「良かったら、今食べて感想を聞かせてくれないかな?」

 

「……わかりました。では」

 

明良は丁寧にラッピングを解き、中を開ける。中身はチョコチップやチョコブラウニーを混ぜ込んだクッキーだ。

明良はその一枚を取り、口元に運ぶ。

 

「いただきます」

 

一口かじり、二口、三口と入れて一枚のクッキーが明良の口の中へと消える。明良はそれを何度か咀嚼し、飲み込んだ。

 

「どうかな……?」

 

「美味しいです、とても」

 

満面の笑みだ。普段の達観したものではなく、無邪気で飾り気のない純粋な笑み。間違いなく美味しいと思ってくれている。

 

「ほんと? よかったぁ……」

 

舞衣は安堵し、胸を撫で下ろす。

 

「良かったら、バレンタインデーとかじゃなくてもこっちに帰ってきたときに作るよ?」

 

「いえ、それは……遠慮しておきます」

 

「えっ……」

 

舞衣は何気なく提案したのだが、明良は困ったように逡巡してしまった。何故だろうか。やはり口に合わなかったのか。そんな一抹の不安がよぎるが、それはただの杞憂だと次の瞬間にわかった。

 

「あ、勘違いをなさらないでください。決して舞衣様のクッキーが嫌いではないのです。ただ……」

 

「ただ?」

 

「あまり食べてしまうと、幸せすぎておかしくなりそうで……今でも、どうにかなりそうなくらい嬉しいんです、私」

 

珍しく顔を赤くして弁明している明良を見ると、つられてこちらまで羞恥に呑まれてしまう。

まさかバレンタインチョコを渡したくらいでここまで波及するとは思わなかった。

 

「確か来月の……三月十四日がホワイトデー、というものらしいですね。バレンタインデーのお返しをするのだとか。私、このお返しは全身全霊を以て取り組む所存です。お楽しみに待っていてください」

 

「あはは……ほどほどにね」

 

喜んではくれたものの、こうしてすぐに舞衣へのお返しに思いを馳せるところはいつもの明良らしい。また来月に暴走しないか少し心配になってきた。

 

――来年も……

 

こうして日常を過ごしていれば、また次の二月十四日がやってくる。十四歳になった舞衣は、またこうして彼から誕生日プレゼントを受け取り、彼にバレンタインチョコを手渡すのだろうか。それがこれから何年も続いていく、と。

 

――来年は、本命のチョコを渡したりするのかなぁ……

 

ポツリと浮かんだそんな想い。何故そんな感情が前触れもなく浮上してきたのか。それにまだこのときの舞衣は気づくことはなかった。




さてさて、こっから本編はどうなっていくのか。ぶっちゃけこの後の本編の前にできて良かったです。

P.S.
明良の変態のくだり、いる? と思った方は今年のバレンタインチョコを誰から貰ったのか自己申告よろ。無論、リアルチョコです。
あのくだりは必要なんです(鋼の意思)

質問、感想はお気軽に!(*´∀`)つ


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番外編③ アトラクティヴ・ホワイトデー 前編

後編もすぐ投稿します。一応、番外編の①と②を読んでなくても大丈夫にはなってます。


三月十四日。

美濃関学院終業式を控えた時期。柳瀬舞衣はこの日、美濃関学院の校門前に立つ見慣れた人影に目を丸くしていた。

 

「あれ? 舞衣ちゃん、あそこにいるのって……」

 

「も、もしかして……」

 

もはや言うまでもない。柳瀬家に勤めている執事、黒木明良だ。

時刻は放課後。舞衣は可奈美と二人で学院の女子寮へと向かう途中で彼を見つけたのだ。

 

「……な、何で学校に?」

 

学院の生徒とは服装が違う上に容姿に優れている彼はじっとしていても人目を引いた。さっきから女子生徒に声をかけられている。

 

「お兄さん、どこの人なんですか?」

 

「あ、もしかして誰かの彼氏さん?」

 

「いえ、私はそういうわけでは」

 

女子生徒から質問責めにされ、それと同時に道行く男子生徒からは嫉妬と憎悪に満ちた視線を向けられている。

 

「私たち、これからカラオケ行くんですけど、よかったら一緒にどうですか?」

 

「ちょーど男の人が欲しくって!」

 

三人組の女子グループがとうとう遊びの誘いすらしてきた。しかも、三人ともそう外見は悪くない。その辺りの男子なら喜んでついていきそうに思える。

 

「………っ」

 

――何か、嫌だ……

 

舞衣の胸中に鋭く不快な感覚が走り、広がる。明良が女子に遊びに誘われているという光景が見ていられなくて、今すぐに割って入って断らせたくなった。

 

「うわわ、舞衣ちゃん、あれ不味いんじゃあ……」

 

隣を歩く可奈美もその様子に慌てて舞衣の肩を叩く。舞衣は自分で思ったよりも冷静に、それでいてモヤモヤした気持ちで答える。

 

「……うん、わかってる」

 

歩くペースを早め、目の前のやり取りを止めに向かう。だが、当の明良は一瞬だけ舞衣たちの方へ視線を移し、女子グループに返事をする。

 

「申し訳ありません。お誘いは嬉しいのですが、約束している方が来られたので私は失礼します」

 

ハッキリと拒絶するでもなく、中途半端に乗るわけでもない。手本のような方法で柔軟に断りを入れる明良。

女子グループが何か反論をする前に先手を切り、明良は舞衣の元へと駆け付ける。

 

「舞衣様、可奈美さん、お久しぶりです。本日の学業務め、お疲れのほどと存じます」

 

「うん、一ヶ月ぶりだね。明良くん」

 

「私も! 久しぶりですね、明良さん」

 

丁寧にお辞儀をする明良。その洗練された立ち振舞いに周囲からは小さく感嘆の声が上がる。

 

「でも、明良くん、どうしてここに?」

 

それよりも、舞衣には疑問に思うことがあった。普段は実家にいる彼が何故この場に来ているのか。

今まで来ることがなかったわけではないが、それはせいぜい入寮の際の手続きや荷物運び、緊急の用件などの場合だ。

 

「どうして、とは? 事前にお知らせしたはずなのですが……」

 

「え? いや、私は何も聞いてないけど。もしかして、急な用事とか?」

 

「いえ、そういうわけではなく、一ヶ月前のことは覚えていませんか?」

 

「一ヶ月前って……私の誕生日のこと?」

 

「はい。丁度バレンタインデーも重なっていましたよね?」

 

一ヶ月前に実家で妹二人と彼の四人で舞衣の誕生日を祝ったことだ。同日にバレンタインデーだったこともあり、舞衣は普段の感謝の意を込めて彼に手作りのチョコを渡したのである。

 

「舞衣ちゃん、明良さんにチョコ渡してたんだ。やっぱり」

 

横で聞いていた可奈美がうんうんと首を上下に振っている。

 

「や、やっぱりって……何でわかるの?」

 

「だって、舞衣ちゃんって明良さんのこふぉっ!?」

 

「可奈美ちゃん、それ以上はダメ!」

 

舞衣は慌てて可奈美の口を手で塞ぐ。危なかった。このまま可奈美の口の自由を許していたら、どんな言葉が弾き出されるかわかったものではない。

特に今のは危険だった。

 

「えー、その、続けても?」

 

明良はそんな二人のやりとりを見ながら尋ねてくる。舞衣は可奈美の口から手を離し、続けるよう促した。

 

「その、舞衣様からチョコを受け取った際にホワイトデーのお返しには全身全霊を持って取り組む、と約束したので今回はその件で」

 

「ホワイトデー……それで来たの?」

 

「はい……ご迷惑、だったでしょうか?」

 

「ううん、そんなことないよ」

 

迷惑だとは一片たりとも思っていない。突然来て驚いただけで、嫌な感覚に見舞われたわけでないのだ。

 

「あはは……でも、ホワイトデーのお返しで学校に自分の足で来るのは明良さんらしいね」

 

「舞衣様へのお返しでしたら、地球の裏側であろうと期日通りに向かいますよ」

 

可奈美の言葉に笑顔で答える明良。この『地球の裏側であろうと』というくだりは冗談でも誇張でもないのだろう。

 

「それで、明良くんは何をお返しに持って来たの? クッキーとか、マシュマロとか?」

 

「それはですね……」

 

明良は自分の胸に手を当てて舞衣の目をしっかりと見据えて言った。

 

「舞衣様の仰ることを何でも叶えて差し上げます」

 

 

※※※※※

 

 

「…………これって一体、どういうこと?」

 

舞衣は部屋の床にへたりこみ、正座でぐるぐると蠢く思考を必死に落ち着けようとしていた。

場所は美濃関学院女子寮、舞衣の居室だ。普段と変わらず居間にはベッドやテーブル、テレビが設置されており、キッチンには食器と調理器具。帰ってきたのは三十分も前だが、まだ舞衣は制服のままだ。

というのも、別に服を着替えるのが億劫だからではない。普段から舞衣は帰ったら制服をハンガーにかけて私服に着替えているのだ。にも関わらずこうして膠着状態に陥っているのは――

 

「明良くんが、泊まるだなんて……」

 

一時間ほど前、明良からバレンタインのお返しとして申し出があった。

 

『明日の朝まで、私が舞衣様のお側で特別なご奉仕を致します』

 

そう言い放った彼は「部屋で待っていてくれ」とだけ告げて夕食の食材を買いに向かった。

そうして、今。彼の真意はどうあれ、舞衣と二人で夜を明かそうとしているのは明白。よもやまだ十三歳の舞衣に手を出すとは驚いたが、沸き上がってきたのは嫌悪ではなく羞恥だった。彼に「そういうこと」をされるのは嫌ではないが、せめてマナーの意も込めて身体を清めておかなければ。

 

「と、とりあえず……お風呂、済ませておこうかな」

 

 

※※※※※

 

 

舞衣と別れて数十分後、明良は舞衣の部屋を訪れていた。

 

「ただいま戻りました」

 

返事がない。玄関から居間を覗くと舞衣の姿がないことに気づいた。トイレのドアに嵌められた磨りガラスから電灯の光が見えないため、風呂場に居るのだろう。

 

「……失礼しますね」

 

玄関を通り、左手に持っている買い物袋を台所に一旦置く。それから冷蔵庫の隙間に食材を詰め、保存していく。

 

「後は……制服の方を」

 

風呂に入っているということは制服は脱いでいるはずだ。なら、舞衣が風呂から上がる前に制服にアイロンをかけておこう。

そう思ったのだが、部屋には制服はない。ハンガーにかけられているどころか、脱ぎ捨てられてもいない。

 

「……仕方ありませんね」

 

明良は多少申し訳ない気持ちはあったが、本人の許可を取れば問題ないだろう。

明良は脱衣所の扉の前に立ち、三度ノックをする。

 

「舞衣様、黒木です。いらっしゃいますか?」

 

十秒ほど待ったが返事はない。少なくとも脱衣所にはいないようだ。まだ入浴中なのだろう。勝手に入ることには気が引けたが、別に邪なことを企んでいるわけではないのだ。

 

「失礼します、入りま――」

 

入りますよ、と続けようとして、やめた。脱衣所へと足を踏み入れた彼の視界に飛び込んできたのは『白』だった。

 

「な……え……」

 

舞衣――彼が主と仰ぐ少女がその場に立っていた……全裸で。

 

「あ、明良くん!?」

 

幸い、と言うべきか風呂上がりと思われる彼女の身体はバスタオルや下ろした長髪によって局部が隠れている。

だが、水着や下着よりも肌の露出面積が大きいことには変わりない。そのせいで、舞衣の足首から腰にかけての艶やかな曲線、僅かに覗く鼠径部、しっとりと濡れた黒髪、腹部から肩の間に存在する起伏の激しい胸部の膨らみ――普段は服の下に隠している魅惑的な肉体が晒け出されている。

その姿を前に、明良は呆然と立ち尽くしてしまう。舞衣は動揺と羞恥で何も言えなくなっているのか、目が激しく泳ぎ、唇がワナワナと震えている。

 

「……申し訳ありません、ノックはしたのですがお気づきになられなかったようですね」

 

明良は酷く平坦な声色で謝罪し、頭を下げる。

 

「お上がりになられるまで待っていますね。では、失礼します」

 

「え? ちょっと待ってよ、明良くん!?」

 

我に返って引き止めようとしてきた舞衣を振り切り、脱衣所を後にした。

 

「………」

 

脱衣所の扉を背に居間へと歩く明良。その顔は……無表情だった。

 

「……最低ですね、私は」

 

 

※※※※※

 

 

「先程のことは大変申し訳なく思っています」

 

「その……私こそごめん。考え事してて、ノックを聞いてなかったみたいで」

 

舞衣が私服に着替え、髪を乾かした後、明良は床に頭をつけて土下座していた。

 

「私の処分は如何様にもなさってください。必ず従います」

 

「そこまでしなくていいってば。謝ってくれただけで十分だよ。頭を上げて」

 

「ですが……本来なら死罪になってもおかしくないことでは……」

 

「もう、あまり引っ張らないでよ。もうそんなに気にしてないって。それよりも、早く忘れてくれた方が……」

 

舞衣は恥ずかしそうに顔を伏せる。先程のやり取りを思い出しているのだ。確かに、今更謝罪されるよりさっさとなかったことにされた方がマシなのだろう。

 

「……はい。私も速やかに記憶から抹消致します」

 

「う、うん」

 

恥ずかしさに悶える舞衣とは対照的に、明良の表情は暗く沈んでいた。




ちなみに、明良は舞衣の裸を見てしっかり興奮してます。ただ、理性で表情やら感情やらを抑えてるだけです。

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番外編④ アトラクティヴ・ホワイトデー 後編

加筆しました(15日 AM 3:00)


「それで……今日はどうするの?」

 

明良の手作りの夕食を食べ終えた後、舞衣は床に置かれたクッションに腰掛けたまま彼に聞いた。

明良は使い終えた食器を洗う手を休めずに答える。

 

「少々お待ちください。今終わります」

 

丁度最後の皿を洗い終え、明良は濡れた手をしっかりと拭きながらこちらに歩み寄ってくる。

 

「舞衣様からのバレンタインのお返しについてのこと、ですよね?」

 

「うん。その……何でも叶える、とか言ってたよね?」

 

舞衣は頭の中にはまだ妙な感覚が残っている。邪推と言えばそれまでかもしれないが、ハッキリと否定できるわけでもないのだ。

何か暗喩が含まれているのではないか、と考えてしまうのは仕方ない。

 

「それはですね……こちらになります」

 

明良は懐から二つ折りにされた一枚のメモ用紙を取り出し、舞衣に手渡す。

舞衣は折り目を戻し、メモに記された内容を確認した。そこには箇条書きでいくつもの言葉が連ねられている。

 

「えっと……これって………」

 

箇条書きにされているのは、『一晩中子守唄を枕元で歌う』『日常の不満を好きなだけ聞く』『一ヶ月間毎日の送り迎え』『毎食の用意から後片付け』等々……叶えられる願い事を書き込んだものだ。

 

「その紙に書いてある内容でしたら、どれでも、好きな数だけ私にご命令ください。必ず叶えます。それ以外のものであっても、お申し付けください」

 

「………」

 

逆に冷静になってしまった。

さっきまで多少なりとも思春期的な思考に走っていた自分がいたが、彼にそんなつもりはなかったようだ。

そもそも、彼が女性に関心があるかどうかすら怪しいと思える。彼は女性に言い寄られても笑顔でかわしてしまう上に、先程の舞衣との脱衣所での一件の際も聖職者のごとき冷静な態度を貫いていたのだ。

 

「………!?」

 

いや、今はそんな場合ではない。目の前の彼の満面の笑みと突き出された願い事の項目にどう立ち向かうかが大切だ。

 

「本来でしたら、ホワイトデーでなくとも舞衣様には無限にご奉仕をしたいのですが……如何せん、そう簡単には学院を訪れることはできないので、申し訳ありません」

 

「いいよ、そんな……それに、こんなに沢山あったら明良くん一人じゃできないよ?」

 

「問題ありません、不眠不休でこなします」

 

――本当にやりそうだなぁ……

 

彼の場合、舞衣に対しての行為に限れば冗談という概念がない。不眠不休と言えば本当に二十四時間働き、銃弾と爆炎の行き交う戦場でも助けに来るような男だ。

冗談でもおかしな願いはしない方がいいだろう。

 

「それなら」

 

「はい?」

 

「膝枕で耳かき……とか?」

 

――あれ? 何でこんなこと言って……

 

無意識とも言っていいほど自然と口から出ていた言葉。どういうわけか、不意に彼からそうしてほしいと思ってしまい、紡いでしまったのだ。

 

「ええと、それは……」

 

「ああ、ごめん。変なこと言っちゃったね。忘れてくれていいよ、このメモにも書かれてないし」

 

舞衣は苦笑い混じりに訂正するが――

 

「いえ、確かに書いてはいませんが、私は構いません。舞衣様さえよろしければ、膝枕で耳かきをさせていただきます」

 

明良は部屋の隅に置かれた彼の鞄を漁り、中から小さなポーチを取り出す。

 

「念のため、こうして耳かきセットを持参しておいて正解でした。それで、舞衣様……」

 

「何?」

 

「こちら、座ってもよろしいでしょうか?」

 

明良は舞衣のベッドを指差す。舞衣が頷くのを確認した明良は、ベッドに腰掛けて横にポーチを置く。

 

「では、こちらにいらしてください」

 

「うん。じゃあ……失礼します」

 

おそるおそる、舞衣はベッドに横たわり、頭を明良の太腿に預ける。後頭部が明良の腹部に当たる形で顔を横に向け、左耳を明良に晒す。

 

――こ、これ……想像してたよりずっとすごい……

 

幼稚園や小学校に通っていた頃に両親にこうして膝枕をしてもらったことがあるが、それとはまるで感覚が違う。物理的な距離が近いだけでなく、頭と接触している足からじんわりと体温が伝わってくる。しかも、この体勢のせいで否が応でもされるがままという状態が出来上がってしまっている。

 

「心地はどうですか? あまり安心できるような感触ではないと思うのですが……」

 

「ううん、そんなこと……ないよ。全然嫌じゃない」

 

「そうですか。良かったです」

 

明良の表情は伺い知れないが、声色は明るい。彼も嫌々やっているわけではないようだ。それがわかって嬉しく感じてしまう。

 

「では、耳掃除を始めますね。問題があれば遠慮なく仰ってください」

 

明良がポーチの口を開け、中身を広げていくのが横目で見えた。中身は耳かき棒だけかと思ったが、それ以外にもいくつかの道具がある。

何なのだろう、と目を凝らして見ようとしたが、突如として耳に走った触感に意識を奪われた。

 

「ひうっ……」

 

必然、口から妙な声が漏れた。耳かきをされるはずが、これは竹製の棒の感覚などではない。明らかに人間の指の感触だ。

 

「な、何してるの?」

 

舞衣は思わず明良に問う。

 

「驚かせてしまいましたね。これは、耳かき棒を使う前に先に耳のマッサージをしているんです」

 

「マッサージ……?」

 

「はい。いきなり耳かき棒を入れるより、先に指で揉みほぐしておいた方が刺激に慣れる上に血行も良くなるんです。それに、マッサージ自体もある程度気持ち良いですし」

 

「あ……確かにちょっと気持ちいいかも」

 

緊張や不安を取り除くような優しい手つきで指が耳たぶや耳裏を這う。慣れてくれば、確かにこれは落ち着く気がする。

明良は一分ほど耳のマッサージを続けた後、右手に耳かき棒を持つ。そのまま入れるのかと思ったが、明良は片手でウェットティッシュを取り、耳かき棒の先端を拭く。

 

「それ、何してるの?」

 

「耳かき棒を使い回すと衛生面上良くないので、こうして除菌ウェットティッシュを使うようにしているんです」

 

そう言って明良は舞衣の耳の穴を食い入るように見つめる。舞衣は少し恥ずかしくなり、何をしているのか聞くことにした。

 

「どうしたの?」

 

「どれくらい耳垢が溜まっているかを見ています。あまり溜まっていないようでしたら軽く掃除をするだけにしようと思いましたが、これは念入りにした方がいいですね」

 

「そ、そんなに?」

 

確かに自分で耳掃除をしたのは少し前だが、そこまで不潔にしていたとは思えない。女子としては結構ショックだが、明良は「お気になさらないでください」と優しく諭す。

 

「誰でも耳垢は溜まるものですよ。それに、念入りにと言っても普通の人と同じくらいの量ですから」

 

「そう、なんだ……」

 

「まずは、耳かき棒を耳の穴に入れますね」

 

細い竹製の棒が耳の中に挿入され、耳の穴の内壁の垢が取り除かれていく。それと共にゾワゾワと快感が身体に走る。

引き抜かれた耳かき棒の先端に付着した耳垢がティッシュの上に置かれた。

 

「結構……ゆっくりするんだね」

 

「はい。手前から少しずつ取らないと、耳垢を奥に押し込んでしまう危険性があるので」

 

何分間か耳垢を取り除いた後、今度は耳の縁を耳かき棒が這う。

 

「意外と忘れられがちなのですが、ここの縁にも耳垢は溜まりやすいんです。ここも丹念に掃除しますね」

 

耳の縁を掃除し終えると、明良は透明な円筒形のケースを取り出した。蓋を開けると、中には何十、何百という数の綿棒が詰められている。

 

「仕上げに、綿棒を使って耳かき棒では取り切れなかった細かい耳垢を取りますね」

 

「あれ? でも綿棒を使うと耳垢を押し込んじゃうから駄目だって聞いたよ?」

 

「確かに、特に自分で耳掃除をする際などに多いのですが、無造作に綿棒を入れるのは良くないです。ですが、他の人にしてもらう場合でしたら注意しながらすれば効果的なんです」

 

明良はケースから白く細い綿棒を取り出す。

 

「それに、この綿棒は特注の物でして、先端が細くて少し曲がっているんです。これなら耳の穴の中の掃除もしやすいんですよ」

 

明良が持つ綿棒は先端が二、三十度ほど曲がっており、一般的な綿棒のような先端の膨らみはない。

明良は先程耳かき棒を使った耳の穴や縁に綿棒を入れていく。

 

「耳かき棒だけで済ませてしまっても良いのですが、仕上がりを綺麗にするのでしたら綿棒で丁寧に残りを取るようにしていますね」

 

テキパキと仕上げを済ませる明良。開始からここまで十分程度で片耳の掃除は終わった。

舞衣は続けて右耳の掃除をしてもらおうと身体を反転させる。そうして今度は右耳を掃除している最中に気になっていたことを明良に聞いてみた。

 

「何というか、すごくこだわってるんだね。耳かき、好きなの?」

 

「いえいえ、舞衣様やお家の方々ののとを考えればこの程度は当然ですよ」

 

「家の?」

 

「ええ。美結様も詩織様も大変喜んでいらっしゃいましたよ?」

 

――え?

 

「明良くん、もしかして美結と詩織にも耳かきしてあげてるの?」

 

「はい、そうですが……」

 

「そう……そうなんだ」

 

またモヤモヤした気持ちが胸に広がる。何だろう。彼が膝枕をしながら耳かきをしているのは自分だけだと無意識の内に思っていたが、彼は舞衣の妹たちにも同じことをしていたのか。

特別だ、という感覚が薄れたからか? 違う。特別でなくともこの行為自体は嬉しい。

やっているのが妹たちだからか? それも違う。例えば彼が可奈美に同じことをするとしたら、それも嫌だと感じることが容易に想像できるからだ。

だったら、一体何が舞衣にそこまで思わせているのだ? 浅ましくも彼を独占したいと思ってしまう理由は――

 

「喜んでた? 二人とも中々膝枕とかしてもらえないよね?」

 

口から出たのは哀しげな声だった。二人の姉として、大した理由もなく彼や妹たちに意見するわけにはいかない。妹たちが喜んでいるなら良いではないか。何を残念に思う必要がある?

 

「……?」

 

明良は舞衣の問いかけに不思議そうな声を漏らす。回答に困っているというより、単純に問いの内容に疑問を抱いたような感じだ。

やがて、「もしかして……」と何か得心いったような様子で話し始めた。

 

「舞衣様、私がお二人の耳掃除の際に膝枕をしているとお思いなのですか?」

 

「え? 違うの?」

 

「流石に私もそこまで大胆な真似はしませんよ。お二人の場合は、横に座って耳掃除をしています」

 

それを聞いて安心した。そういえば彼は耳掃除をしたとは言ったが、膝枕がどうとは言っていない。

舞衣は静かに胸を撫で下ろし、安堵する。それによって思わず心の声が言葉となって表出してしまう。

 

「よかったぁ……」

 

「舞衣様?」

 

「あっ……ううん、何でもないよ。今のは何にも関係ないから」

 

口が裂けても「明良が他の女の子と必要以上に仲良くしていなくて安心した」などとは言えない。

それではまるで………いや、考えるのはよそう。

 

「本当に、関係ありませんか?」

 

「うひゃっ……!」

 

突然、何の前触れもなく耳元に明良の唇が近づけられ、囁かれた。すると当然、耳に息を吹きかけられる形になる。別種の耳への刺激のせいでまたもや声が出てしまった。

 

「どういう意味……なの?」

 

「私の思い違いかもしれませんが……舞衣様が何やらご機嫌を悪くされてしまったようでしたので。どのような理由でそうなってしまったのか、具体的に教えていただきたい――そう思ってしまったんです」

 

「わ、悪くしてなんか」

 

「ですが、先程までは安心なさっていらしたのに、美結様と詩織様のお話になったところで声の大きさや高さが変わっていられましたよ? 普段は滅多にお怒りになることはない貴女がそんな風になられた……私が粗相をしてしまったと不安になってしまうのは当然ではありませんか?」

 

見抜かれていた。もしかすると、舞衣の胸の鼓動や顔色すら彼には筒抜けになっているのかもしれない。

 

「明良くんが何かしたとかじゃなくて……」

 

「では、何なのですか?」

 

「えっと……だから……」

 

何も思い浮かばない。良い案があるかないかという以前に思考がまとまらない。そんな思考の空回りを続けていると――

 

「少々意地悪が過ぎましたね。ご無礼をお許しください」

 

やり過ぎたと思ったのか、最初からこれくらいで済ませようと思っていたのかは定かではないが、明良は恭しく謝罪する。

 

「………うん」

 

舞衣は胸中に渦巻く感情を整理できないまま、静かにうなずくことしかできなかった。

 

 

※※※※※

 

 

耳掃除が終了したところで、明日に備えて早く寝ようという話になった。だが、ここでも更なる問題が発生することになる。

 

――明良くん、何処で寝るんだろう……!?

 

そう。ここは美濃関学院の女子寮の一室。当然、ここにある寝具は舞衣が普段から使っているベッドだけだ。となれば、彼が一晩を明かす場所は一つしかない。

舞衣のベッド。つまりは同衾だ。

 

「流石に、それは……でも……」

 

考えすぎなのかはわからないが、少なくとも舞衣にとっては恋人、夫婦、家族のいずれかではない男女が寝床を共にするというのは不純なものに思えた。

 

「明良くんとなら、私は――」

 

明良となら、という思いが舞衣にはあった。舞衣とて年頃の少女だ。どんな男であっても共に寝るとこを拒まない、などというつもりはない。

しかし、それが不純なものと感じていてもなお、舞衣は明良との同衾に対して嫌悪感はなかった。

 

「よし……!」

 

舞衣は明良に見えない位置で握り拳を作り、覚悟を決める。

 

「明良くん!」

 

「はい、何でしょう」

 

「私はベッドで寝るから……」

 

「……? はい」

 

「だから、ええと……」

 

やはり口にするのは憚られる。言葉としては何らおかしくはないのだが、やはり一緒に寝るという言葉から連想される意味に舞衣自身、羞恥せざるをえない。

 

「では、私は外しますね。ごゆっくりお休みください」

 

「………え?」

 

「………? もうご就寝されるのでしょう? いくらなんでも私が同じ部屋にいるわけにはいかないので。それに、深夜零時までには寮を出るようにと学長の方から言われていまして」

 

「そう、そう、だよね。うん、うん……」

 

またか。また自分だけ舞い上がっていたようだ。彼は涼しい顔で言う。

舞衣は火が吹き出そうなくらい顔を真っ赤にして悶える。

 

「どうされたんですか? そんなにお顔を真っ赤にされて……何を想像していらっしゃったのですか?」

 

「違うよ、何も想像なんかしてないから!」

 

勝手に不埒な妄想をしていました、など言えるわけがない。そんな人物だと知れれば何と言われるかわかったものではないからだ。

 

「そうですか。では、舞衣様はお休みになられてください」

 

舞衣は明良に促されるままベッドに横になり、布団を身体にかける。その途端に睡魔が押し寄せてきた。

うつらうつらと眠気に身を任せていると、ベッドの横に明良が近寄り、正座した。

 

「舞衣様がご就寝なさるまで子守唄でも歌いましょうか?」

 

「もう、子供扱いしないでよ」

 

「それは失礼いたしました。それで、いかがですか?」

 

「ううん、子守唄はいいよ。そのかわり、これ……」

 

舞衣は布団から右手を明良に向けて差し出す。その手を明良の右手の上に置く。

 

「私が寝るまで、こうしててほしいな」

 

「………はい、舞衣様がお望みのままに」

 

体温は感じるが、明良の右手のそれはやや低かった。三月の夜にこの温度はあまり温かいとは言えなかったが、舞衣には丁度良い温度だった。手を触れ合わせているだけで、僅かな心の繋がりのようなものが感じられたからだ。

 

「………」

 

瞼が重くなり、周囲の雑音が小さくなっていく。眠りに落ちていくのがわかった。

 

「舞衣様――」

 

眠りの直前、狭間の中で耳に届く声。

 

「舞衣様はご立派な方ですね」

 

子供に絵本を読み聞かせるような声音。睡眠を阻害せず、むしろ安眠へと向かって手を引くようなものだ。

 

「学業も、刀使としての職務も両立させて、貴女は多くの人々の支えになられています」

 

声が遠退いていく。もう少し聞いていたい、という気持ちが芽生えた。

 

「ですが、誰かに甘えてはいけない、というわけではないのですよ? 私でよろしければ、思う存分甘えてください」

 

普段の舞衣ならば赤面して激しく狼狽していたであろう台詞。眠りの前の最後の言葉はそういう類いのものだった。

 

「私は貴女をずっと支えていますから」

 

今年のホワイトデーは今までの人生で確実に異常で、それでいて精神力を使わせられるものだった。

だが、それを差し引いても魅力的なものであったことは間違いない。

来年のホワイトデーはどうなるのか。きっと、こんな風に彼と過ごすことになるのだろうか。

 

――また、来年も二人きりで……




途中の耳かきのくだりは私の持論みたいなものです。別に誰かに教えを乞うたわけではないので間違いがあるかもしれません。


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番外編⑤ 誕生日と彼の本心

去年と同じく舞衣の誕生日にちなんだ回です。

まあ、何というか、シリアスですね。てか、明良が自問自答してるのがメインです。バレンタインには……ちょっと関係しますね。

時系列的には、前回のバレンタインの一年前です。


「……何でしょうか、あれ」

 

ある日の商店街。道行く人々の視線の先、その行方を追って見つけたのは洋菓子店の店先の品だ。

黒木明良は怪訝な目つきで人々と件の品を交互に見比べ、思わず呟いてしまった。

 

「バレンタイン……フェア?」

 

本日は二月十日。このバレンタインフェアなるものは十四日まで続くらしい。

だが、明良にはバレンタインという単語に全く耳馴染みがなかった。

 

「チョコレートを売っているのはわかりますが……なぜこの時期に?」

 

横文字が使われていることから、海外の祭事を元にしているのだろうか。

 

「………」

 

考えていても答えは出ない。明良は道の端に寄って、懐からスマートフォンを取り出して、インターネットを開く。『バレンタイン』と検索してみた。

何でも、ローマの聖ウァレンティヌスに由来する記念日であり、女性が意中の男性にチョコレートを送るのだとか。

 

「……おめでたいことですね」

 

明良はスーツのネクタイを締め直しながら言う。勿論、この台詞は賛辞や感嘆などではない。ただの嘲笑だ。

一年前に海から地上に投げ出され、人間社会に溶け込んで半年。明良は日本有数の企業、柳瀬グループの使用人となっていた。いや、正確には使用人見習いといったところだ。現在の明良は使用人としての研修期間中で、本格的な採用には至っていない。

ゆくゆくは、自分に虐待の限りを尽くしてきた折神夫妻に復讐する。そのたの金策としてこの食を選んだに過ぎない。

 

「早く戻らなくては」

 

無駄なものに足を止め、無駄なものののとを調べて損をした。バレンタインだのクリスマスだの、この国には恋愛にまつわる記念日が多すぎる。

明良に恋人など必要ないし、作るつもりもない。

誰かを好きになるなど、ありえない。あってはならない。

 

「恋だの愛だの、そんなものがあるから、私は……」

 

――私は産まれてしまったんじゃないですか。

 

 

 

※※※※※

 

 

 

「旦那様、ご夕食の準備が整いました」

 

「ああ、ご苦労」

 

明良は夕食を乗せたカートを部屋の前に停め、ドアをノックする。部屋の中から男性の声が返ってくる。明良はドアを開け、一礼しカートを室内に入れ、ダイニングテーブルに夕食を並べる。

その横の仕事机に座る男性は柳瀬グループの代表、柳瀬孝則。明良の雇い主であり、恩人でもある人物だ。

 

「黒木くん」

 

「はい、何でしょう」

 

「柴田から聞いたよ。君はとても呑み込みが早く、もうほとんど自分と自分と同等だ、と」

 

「……恐れ入ります」

 

急にどうしたのだろう。あくまでも研修生の立場にある自分にここまで話し掛けるとは。

 

「こうなると、あと数ヶ月で本邸に入れるだろう。この調子で頑張ってくれ」

 

「畏まりました。粗相のないよう、訓練に励みます」

 

「……そのこと、なんだが」

 

「?」

 

急に孝則の声色がぎこちないものになる。話しにくいことか。

 

「君は少々、というか、かなり無理をしていないか?」

 

「………はい?」

 

思わず素頓狂な声色で返事をしてしまう。彼の質問があまりにも普通すぎるからだ。

 

「ろくに休憩もとらず、睡眠時間は一時間もない。さらに、休日も一日も取っていない。これでは体を壊してしまうだろう」

 

「ご心配には及びません。私は人よりも頑丈ですので」

 

「いや、正直に話してくれ。そんなに無理な訓練を続けていれば、必ず近い内に仕事に支障が出てしまうぞ」

 

――鬱陶しい。

 

孝則は何も悪意の元にこんな事を言っているのではない。それはわかる。

だが、明良にとって『休み』とは『怠け』と同義だ。荒金人となった自分には睡眠も食事も必要ない。一ヶ月程度なら二十四時間活動していても問題ないほどなのだ。

わざわざ目の前の雇い主のために怠ける道理など、今の明良にはありはしない。

 

「……そう、ですね。申し訳ありません。時間のある内に休息をとっておくことにいたします」

 

「ああ、無理は禁物だからな」

 

だが、しつこく食い下がるのも不自然だ。ここは適当に了承の意思を示すのが無難だろう。

 

「………」

 

「旦那様?」

 

ふと、孝則が机上の写真立てを黙って見つめ続けるのが目に入る。明良からは中身の写真が見えないため、孝則に尋ねてみた。

 

「あ、ああ、以前家族で撮ったものでね、つい」

 

「確か、お嬢様方もご一緒だったものですか」

 

孝則の左後ろに立ち、写真を覗き見る。写真に写るのは、孝則とその妻、そして三人の娘だ。

皆、笑顔を浮かべており、ありふれた家族写真という風だ。

 

「実は、もうすぐ一番上の娘の誕生日でね」

 

「一番上の……舞衣様の、ですか?」

 

「そうだ。もう残り四日しかない」

 

残り四日。つまり、二月十四日が誕生日ということだ。

話題に上がっている舞衣とは、柳瀬家の長女だ。今年美濃関学院の初等部を卒業し、四月からは中等部の一年生になる。明良は遠目から二、三回見た程度で、プロフィール以上の情報は知らない。誕生日も下調べの段階で既に知っていたのだが、話を膨らませられると困るのでとぼけておいた。

 

「楽しみにされているのですね、旦那様?」

 

「当然だ。仕事で家を空けている以上、こういう日は家族と過ごさなければな」

 

孝則が真剣そうな顔で考えを述べている最中、明良は別のことに思考を割いていた。

 

――舞衣様……柳瀬舞衣……ですか。

 

写真に写る舞衣、そして自分がかつて遠目から眺めたことのある舞衣。それらから、明良の胸中には複雑な思いが渦巻いていた。

 

――私とは、まるで違う。

 

舞衣は両親や姉妹とも仲が良く、友人関係も豊富。学業の成績は優秀、刀使としての実力も期待されている。周囲の人々を支え、また自身も周囲の人々から慕われている、そんな少女だ。

その整った容姿と包容力のある笑顔も拍車をかけている。

 

――住む世界が違う、いや、産まれてきた世界が違う、と言うべきですか。

 

「私も何かお誕生日のお手伝いをいたしましょうか?」

 

「ありがとう。その気持ちだけで十分だ。君は自分の仕事に専念してくれ」

 

――当然です。元々乗り気ではないんですから。

 

孝則がただの使用人見習いを娘の誕生日のために使うはずがない。それも織り込み済みでこんなことを言ったのだ。

こんなものは孝則の心証を良くするために言った社交辞令に過ぎない。

まあ、本当に手伝うことになってもそれはそれで娘との関係性を作る機会になるため、そこまで悪い結果ではない。

 

「それでは旦那様、ご夕食をお楽しみください」

 

孝則との話が終わると同時にテーブルのセッティングも終わる。

明良は席に座る孝則の背後に立ち、彼が食事をする後ろ姿を眺めていた。

 

「………」

 

明良は孝則の目を盗んで先程の写真を眺める。正確にはそこに写る舞衣を。

 

――何故……

 

彼女が妬ましい。羨ましい。憎らしいと思えるほどに。

それなのに、何故か目で追ってしまう。嫌いというほどではないが、少なくとも好意的感情は抱いていない。

 

――馬鹿馬鹿しい。

 

こんな一時の感情が何だ。

 

――この人もどうせ、私を……私が何なのかを知れば、きっと……

 

そこまで考えて思考を切り替えた。そうしなければ、普段の自分でいられなくなる。そんな気がしてしまったからだ。

 

 

 

※※※※※

 

 

 

「……まあ、これくらいは」

 

二月十四日。明良は紙袋を持ったまま柳瀬グループ本社の孝則のオフィスへと向かっていた。

袋の中身は今朝作ったチョコレートマフィンだ。調べたところによるとバレンタインデーというのは感謝の印として恩人や友人にチョコレートを渡すという風習もあるらしい。ならば、明良が孝則とその家族に渡す、というのも別に問題ないだろう。多少変に思われるかもしれないが、心証が悪くなることはなさそうだ。

ちなみに、マフィンの味見などは一切していない。食べても味がわからないからだ。だが、分量や調理手順はレシピに忠実にして作ったので、とてつもなく不味くはないはずだ。

 

「今の時間は、丁度空いているはずですし……」

 

そう呟いて、フロントの横を通りすぎようとしたところで明良は視界の右側の人物を目に留める。

学生服を着た小柄な少女だ。明良には一目でわかった。孝則の娘の舞衣だ。

 

「あっ……」

 

舞衣もこちらに気づいたのか、小さく声を上げる。単に目が合っただけかと思ったが、彼女はこちらに歩いてくる。

もしや、と思い明良は毎晩よりも先に深々と頭を下げる。

 

「これはこれは。お初にお目にかかります。私、執事見習いの黒木と申します」

 

恭しい態度、そして微笑みを浮かべて舞衣に挨拶をする。

 

「えっと……はい、やっぱり黒木さん、ですよね」

 

「私のことをご存じなのですか?」

 

「はい、以前に何度かお父様と一緒にいるところを見たことがあって。それで……」

 

意外だった。こういう家のお嬢様となれば、庶民の存在など歯牙にもかけないのかと思っていたからだ。

 

「ありがとうございます。ところで、舞衣様はどういったご用でここにいらっしゃったのですか?」

 

「実は、今日は本邸に家族で集まる用事があって……それでお父様を迎えに来たんです」

 

「舞衣様がご自分で、ですか?」

 

「はい。その方がお父様も仕事を切り上げやすいだろうから、って」

 

きっと母親にでも入れ知恵されたのだろう。確かに自分の娘が直接足を運んだとなれば、孝則も折れると思う。

それにしても、そのために自分が行動する、というのは素直に感心できるところだ。

 

「ですが、わざわざ舞衣様の貴重な時間を割くわけにはいきません。伝言が必要でしたら、私の方から旦那様にお伝えしておきますので」

 

「で、でも……」

 

明良は気を利かせて言ったのだが、舞衣は返答に渋っている。明良に任せてもいい、やはり自分がやるべき、その二つで葛藤しているのだ。明良にとっては別にどちらでも良かったが、舞衣がこれ以上迷っている姿を見ているのは何だが後ろめたさを感じてしまう。

 

「……仕方ありません」

 

明良は手に持っていた紙袋を舞衣に差し出す。

 

「舞衣様にこれを差し上げます。よろしければ受け取ってください」

 

舞衣は面喰らっているが、恐る恐る紙袋を受け取り、中身を見て目を丸くする。

 

「あの、これって」

 

「本日は舞衣様のお誕生日だと存じております。ですから、これは私からの誕生日プレゼントです」

 

――……何をしている?

 

自分で自分の行動に疑問を持った。何故孝則の心証のために作ったものを舞衣に渡している?

舞衣に媚びたところで大きな得はないはずだ。何故、自分は今彼女にこれを渡したくなった?

 

「わあ……ありがとうございます!」

 

舞衣は袋の中のマフィンを見て目を輝かせる。

 

――……嬉しい。

 

まただ。だから何なんですか、これは。

 

「これ、黒木さんが作ったんですか?」

 

「え……はい、そうです」

 

「すごいです! 皆で食べますね」

 

「はい。お気に召していただけたようでよかったです」

 

――誉めてもらえた……

 

こんなのは社交辞令だ。腹の中では何を考えているかわからないでしょう?

 

「あれ、でもこれって……」

 

「いかがなさいましたか?」

 

「チョコレートってことは……」

 

どうやら別の考えに至ったようだ。

 

「バレンタイン……なん、ですか?」

 

「………」

 

――そう受け取っていただいていいですよ。

 

いや、何故そうなるのですか。

 

明良は頭に浮かんだ妄言を塗り潰し、普段と同じ仕事での笑みを浮かべて返事をした。

 

「ご冗談が得意なのですね。私のような者がそのような烏滸がましい真似を致すことはありません。ご安心ください」

 

「あ……そ、そうなんですね」

 

――これでいい、ですよね?

 

そう。これでいいんです。

 

そういった意味(、、、、、、、)でのチョコレートは、将来の大切な方のためにとっておいてください」

 

「……はい」

 

――痛い。

 

………そうですか。

 

「では舞衣様、伝言を私にお教えいただけませんか?」

 

――私はこれからも、嘘を吐き続けるのですか?

 

そうですよ。そうしなければ、失敗する。

 

――彼女にも?

 

彼女が受け入れるわけがありません。誰も、受け入れてくれるわけがない。私の苦悩も、怨嗟も。何もかも。

 

――そうですね。今は、それでいいかもしれません。

 

本心と、それに反する恐怖。明良は心の中で自身の願望と、それを否定するための悲願をぶつけ続ける。

彼女に――舞衣に絆されるな。隙を見せれば、本心を見せれば裏切られる。信じるな。

 

――私は、私の目的のために生きればいい。

 

最後にはそう結論づけてしまった。




明良はもうこの頃から舞衣を意識しとるんやなあ(しみじみ)

でも、このときの舞衣ってまだ小学六年生で……あっ(察し)

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胎動編
第1話 御前試合の朝


刀使ノ巫女の14話を見て思い付いた話です。
あらすじを見ての通り、舞衣推しです。

あと、執事とかの詳しいことは知らないただの庶民ですので妄想が入ります。


寒い。寒気がする。

 

実際に今自分がいる空間も、自分の精神状態も、そういう感覚なのだろう。

 

この感覚はもはや味わいすぎて過食気味だが、一向に慣れる気配はない。

 

生まれてから十数年、太陽の光を浴びたのは片手の指で足りるほどだ。太陽光と部屋の光の何が違うのだと最初は思ったが、最近は何となく違いがわかるようになってきた。

無論、何となくではなく医学的にも問題があるらしいが。

 

青白色の蛍光灯の光に照らされた教本。それに記されている文字と添えられた図を基に内容を理解し、反芻して、定着させる。

こんな作業を何年しているだろうか。暇さえあれば体力が落ちないよう鍛練するか、このように本から知識を吸収するかのどちらかが日課になっている。

 

逆に言えば、それくらいしかすることがないのだ。私ほどの歳の少年なら、普通同年代の友人と仲睦まじく談笑したり、遊戯に興じて過ごすのが一般的なのだとか。部屋に置かれた蔵書の中の小説や手記にそんな文面があった。

 

しかし、私が最後に誰かと話したのは何時だっただろうか。一日に二回食事と清掃にやってくる係りの人たちは全員顔を隠して、一言も話さない。だとしたら、最後に話したのはもっと前だ。

そう、両親が私に姉妹を紹介したときだ。両親の正義感に満ちた表情と姉妹たちの気まずそうな表情がやけに新鮮で、印象に残ったのを覚えている。

理由はわかっている。自分の立場と、両親、姉妹との関係性を考えればあの構図になった理屈はわかる。

 

あくまで、理屈がわかるだけだが。

 

そういえば、あと一週間でこの地下室を離れることになっている。となれば、久し振りに家族と会うのだろうか。

両親とはなかなか反りが合わないが、姉妹とは未だ険悪な仲ではない。険悪な関係になる前に兄弟姉妹の関係というのを経験しておけば、今後何かの役に立つだろうか。

 

ある特殊な職に就いている彼女たち――刀使(とじ)、だったか。

 

 

※※※※※

 

 

換気扇のスイッチを入れ、軽く空気の入れ換えを行う。

鍋をゆっくりとかき混ぜる銀髪の青年――黒木(くろき)明良(あきら)は目の前の鍋の味噌汁から発せられる蒸気の逃げ道を確保したところで、戸棚から汁物用の椀を取る。

他の朝食の厚焼き玉子と鮭の塩焼きは先程作り、用意してある。明良は既に朝食を手早く済ませているので、今作っているのはこの家の他の住人のものだ。

時刻は午前六時半。そろそろ件の人物が食卓に降りてくる時間だ。失礼があってはいけないと、念のためネクタイを締め直し、髪型を軽く整える。

 

「おはよう、明良くん。今日も早いね」

 

「おはようございます、舞衣様」

 

食卓とリビングの併設された部屋のドアが開かれ、一人の美しい少女が顔を見せた。ゆったりとした寝間着に身を包み、長い黒髪を先の辺りで纏めている。

柳瀬(やなせ)舞衣(まい)。ここ、柳瀬家の長女であり、美濃関学院中等部に通う二年生。

 

「あれ? もしかして……朝ごはん作ってくれたの?」

 

舞衣は料理の匂いに気づき、尋ねてくる。明良はそれに爽やかな笑顔で返答した。

 

「ええ。昨晩同様、当家での食事の用意は私の仕事ですから」

 

「もう、ちょっとくらい私がしてもいいのに」

 

「ですが、それでは私が勤めさせていただいている意味がありません。私は柳瀬家の執事ですよ?」

 

執事。それが明良と柳瀬家の関係だ。大企業である柳瀬グループの令嬢である舞衣と彼女の妹二人、当然両親も明良にとっては仕えるべき人間だ。とは言っても、明良はまだ正式には執事見習い。以前から柳瀬家の執事を勤めている先輩から教わることは多い。

 

「ちなみに聞くけど、昨日私が帰ってくるまでの間のご飯は誰が作ってたの?」

 

「全て私が」

 

「洗濯は?」

 

「私が」

 

「……掃除は?」

 

「私が」

 

途中から舞衣は少し頭を抱えていた。やがてゆっくりと口を開いた。

 

「いい、明良くん」

 

「はい、何でしょう」

 

舞衣は明良の方にやや早い足取りで近づき、鼻先に人差し指を向ける。

 

「ちょっとはあの二人にも家事をさせていいから。明良くんが全部やっちゃったら美結(みゆ)詩織(しおり)もいつまでも独り立ちできなくなるよ?」

 

「それでしたら心配されることはありません。これから一生私が家事をする所存ですので」

 

舞衣からのご指導にも笑顔でさらりと受け流す。が、舞衣も食い下がる。

 

「もし明良くんが怪我とか病気になっちゃったらどうするの?」

 

「ふむ、そうですね……」

 

明良は数秒考え、

 

「怪我や病気になろうとお手伝いします」

 

根性論を導き出した。

 

「ええ……」

 

さしもの舞衣も呆れている。

 

「熱が五十度出ようと全身が粉砕骨折になろうと、必ず」

 

「それ、下手すると……いや、下手しなくても大重体だから」

 

「大重体であろうと、です。舞衣様は刀使(とじ)として御身を危険にさらしながら日々ご活躍なさっているのですから、この程度の苦難から私が逃げるわけにはいかないのです」

 

まあ、そうだけど、と舞衣は少し口ごもってしまう。

中学生になると同時に彼女は『刀使』と呼ばれる職に就いている。刀使とは御刀(おかたな)という特殊な日本刀を用いて、異形の生物、荒魂(あらだま)を祓う神薙ぎの巫女のことである。当然、荒魂との戦闘を前提とした職業であるため、危険が伴うものであることは確かだ。

 

「確かに私は刀使だけど、今は荒魂の出現数も刀使の怪我の割合もかなり低いんだから。明良くんだって知ってるでしょ?」

 

「それでも、私にとっては決して無視できない問題です。万が一にも舞衣様に何かあったらと思うと……夜も眠れず」

 

「私のことはいいから、ちゃんと寝て。そうじゃないとこっちが心配になるから……」

 

適当に話が続いたところで少々時間が押していることに気づいた。

 

「その……舞衣様、申し訳ないのですが美結様と詩織様にご挨拶に向かいたいのですが」

 

「え? ああ、そうだね。もうこんな時間……じゃあ、私は朝ごはんの用意するから行ってきて」

 

舞衣の二人の妹を起こすべく、二階へと向かった。舞衣よりも少し寝起きが良くない妹たちを起こすのは、もはや恒例行事のようになっている。

 

いつも通り十分ほどかけて美結、詩織を食卓まで連れてくると、そこには既に赤のミニスカートと赤と白のブレザーの制服に着替え、髪を結わえた舞衣が朝食の配膳をしていた。

 

「舞衣姉、おはよー」

 

「おはよー」

 

「うん、おはよう」

 

中学生の妹の美結は気だるそうに、小学生の妹の詩織は朗らかな顔で朝の挨拶をしながらドアをくぐる。後ろに明良も続いて入ってきた。

 

「舞衣様、ご用意ありがとうございます」

 

「いいよ、むしろこれぐらいはさせてほしいから」

 

テーブルには明良が作っておいた朝食が三人分綺麗に並べられている。

 

「また明良さんはご飯食べないの?」

 

「はい、もう済ませておりますので」

 

美結から呆れたような顔で尋ねられ、そしていつものごとく返す。基本的に明良は柳瀬家の人間と共に卓につくことはない。執事、ひいては家の手伝いをする者は往々にしてそういうものだと考えているからだ。

 

「舞衣様、本日は岐阜羽島駅まで私がお送りいたしますので、先に準備の方を済ませておきます。御用の際はお申し付けください」

 

「あ、うん、ありがとう。私も早く済ませるから」

 

「無理をなさらななくて結構ですよ。まだ時間に余裕はありますから」

 

舞衣が妹たちと朝食を摂る間に明良は庭の車の点検と荷物の運び込みを済ませた。暫くすると舞衣が玄関から出てきた。

 

「お待たせ、明良くん。荷物も積んでくれたんだよね? ありがとう」

 

「いえいえ、私はそのためにおりますので」

 

舞衣の申し訳なさの混じった感謝に会釈して返事をする。きっと舞衣は自分である程度の準備をしたいのだろうが、それは執事である明良にとって主任せにしてしまうことになる。当然いただけない。譲れないのだ。

 

「じゃあ舞衣姉、いってらっしゃーい」

 

「いってらっしゃーい、がんばってねー」

 

「うん、行ってきます」

 

「はい、行って参ります。美結様、詩織様」

 

妹二人に見送られ、舞衣は後部座席、明良は運転席に座る。慣れた手つきで車を走らせ、公道へ出る。走り始めてすぐに後部座席の舞衣が話しかけてきた。

 

「それにしても、昨日久しぶりに帰ってきたと思ったら家があんなになってたなんて……」

 

「? あんなに、とは?」

 

言葉の意味がよく理解できず、明良は聞き返す。

 

「明良くんが料理とか洗濯とか、家事を全部してて……本当に執事になったんだなあって」

 

「ええ。二年前に拾っていただいてから、私は貴女方に尽くすことだけが望みでしたから」

 

運転中なので視線を後ろに向けるような馬鹿な真似はしない。ただ、後部からでもわかるように感情表現する。

 

「ですから実のところ、昨日舞衣様がご自宅にいらっしゃると聞いた際にはかなり緊張していたのですよ? 失敗でもしようものなら爪を剥がす覚悟で」

 

「そんな覚悟しなくていいから! というか、そのつもりで料理とかしてたの!?」

 

「はい。舞衣様のお口に合ったようで何よりです」

 

明良には振り向かずとも舞衣の驚いている様子が感じ取れた。それには思わず笑みがこぼれてしまう。

 

「それに、こうして車の運転をすることが出来れば送迎や荷物のお届けも可能ですし。何より、車内でお話をさせていただけるのですから、こういった最低限の技能を身に着けておいてよかったです」

 

「……えっと、そんなに楽しい? 私と話すの」

 

「勿論です。こうしているだけで三日は休まず過ごせてしまいそうです」

 

そんな他愛もないありふれた話(少なくとも明良にとっては)をしているうちに、目的地の岐阜羽島駅に到着する。車を駅の近くの駐車スペースに停め、舞衣が降車している間にトランクから荷物を取り出す。

 

「わわっ、何だか多くない? これが全部私の?」

 

明良が取り出した荷物は、大きめのキャリーバッグとリュクサック一つずつ、それにキャリーバッグが二つと明らかに一人が一泊二日するような量ではない。全部合わせれば三、四人分はあるだろう。

 

「いえ、舞衣様のお荷物はこちらのキャリーバッグのみです。残りは私のものでして」

 

「え? 明良くんも来るの?」

 

「はい。旦那様と奥様から『舞衣様の護衛』を仰せつかっておりますので。因みに、車の方は柴田さんが回収するので大丈夫ですよ」

 

柴田というのは明良の先輩執事のことだ。主に舞衣の両親の手伝いを務めているが、今回は明良の代わりに自宅の手伝いに回ってくれる手筈になっている。

 

「護衛って…試合しに行くだけだから。そんな危険なことじゃないのに」

 

「初めての大移動ですから。旅先で舞衣様がどんな目に遭うともわかりません」

 

「……ねえ、子供扱いしてる? もう私はそんな歳じゃないよ?」

 

拗ねたような、彼女にしては珍しい表情で聞いてくる。

 

「まさか」

 

そんな表情も可愛らしいと言わんばかりに明良は微笑んでみせた。

 

「私ごとき下賤(げせん)(やから)が舞衣様のような高貴な方を見下し、諭す権利などありませんよ」

 

妖しげな明良の雰囲気に驚いたのか、舞衣は口をポカンと開けている。

 

「単純に、ご両親から命令されたからというのが主な理由ではありますが」

 

言いながら明良は片膝を地面に突き、舞衣を見上げるような形になりながら彼女の左手を指先を優しく引くように自分の右手で握る。泡も潰せないのではないかと思えるほどの優しく繊細な力加減で。

 

「それと同じくらい、私が貴女の傍に立ち、何から何までお手伝いしたいと思っているからというのもあるのですよ? それこそ四六時中、不眠不休で」

 

明良の一片の曇りもない忠節心と奉仕の意思を感じた舞衣。彼の表情、仕草、声色に舞衣は頬を赤く染める。

 

「う、うん。私も別に嫌じゃないから……明良くんがいいなら、いいよ?」

 

「そうですか、ありがとうございます」

 

――ああ、この方には本当に……




前書きではああ言ったのですが、明良は普通の執事ではないですね。主に性格が( ̄▽ ̄;)

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第2話 二羽の鳥

伏線はとりあえず序盤に張りまくる。


「あ、舞衣ちゃーん! おっはよー!」

 

「おはよう、可奈美ちゃん」

 

二人のやりとりから数分後、舞衣と同じ美濃関学院の制服を着た少女たちが大勢やって来る。その先頭に立つ茶髪の活発そうな少女――衛藤(えとう)可奈美(かなみ)が舞衣に駆け寄ってくる。

彼女は舞衣のクラスメイトであり、親友。今回の御前試合出場者選抜大会の優勝者でもある。舞衣は準優勝で、決勝では大変な激闘を繰り広げたのだとか。

 

「明良さんも、ひさしぶり!」

 

「はい。お久し振りです、可奈美さん。以前よりもお綺麗になられましたね」

 

「そう? あはは、なんか照れちゃうね」

 

誉められたのが意外だったのか、はにかみながら頭を掻く可奈美。実際、美少女の部類に入るのだからその仕草も可愛らしい。

 

「ねぇ、可奈美。この人は?」

 

「二人の知り合い?」

 

後ろにいた美濃関の生徒が明良に視線を向けながら可奈美に尋ねる。明良も改めて自己紹介をするために姿勢を正してお辞儀をした。

 

「初めまして、ご学友の皆様。私は柳瀬家の執事をさせていただいております、黒木明良と申します。以後、お見知り置きを」

 

明良の丁寧な挨拶に友人たちは一斉に黄色い歓声を上げた。

 

「すっごい! 執事だよ執事!!」

 

「本物初めて見たよ!」

 

「しかもイケメンッ!!」

 

明良は少し照れ臭そうに頬を指でなぞり、「恐れ入ります」とだけ返した。

その様を端から見ている舞衣としては、身内がキャーキャー言われている姿が恥ずかしくなったのか、頬を赤く染めながら明良の手を引いた。

 

「ほ、ほらもう行くよ! 新幹線に乗り遅れちゃうから!」

 

「わかりました。では、参りましょうか」

 

舞衣と可奈美は駅員に生徒手帳を開いて見せ、確認をしてもらう。

これは、刀使である彼女たちが学院の公用で帯刀しているからだ。御刀は荒魂を祓うための道具だが、一般人から見れば日本刀との区別が難しい。そのため、彼女たちが刀使だと証明する必要があるのだ。

駅員は二人の生徒手帳の本人と御刀の情報の項目を数秒眺め、「どうぞ」と許可を出した。

 

「ところで、明良さん」

 

「何でしょう?」

 

可奈美が駅のホームで新幹線を待っている最中に手持無沙汰そうに聞いてきた。

 

「鞄、やけに多いけどどうしたの? 男の人ってそんなに必要になるものなの?」

 

「いえ。私に必要な分はこの一つだけです。他の二つは舞衣様のためのものでして」

 

「私の?」

 

自分の名前を引き合いに出され、舞衣が明良の方を向く。

 

「はい。こちらには替えの制服と肌着の方を。もう一方には安眠グッズや救急セットなどを」

 

「明良さん、相変わらず過保護~」

 

「旦那様と奥様から最大限の努力をするようにと仰せつかっておりますので」

 

「それ、努力の方向性を間違えてる気がする……」

 

可奈美には微笑ましそうに見られ、舞衣には呆れられた。正直、明良にとってはその反応でも十分すぎるほど嬉しい。

 

「このままだと私、ダメ人間になりかねないよ」

 

「大丈夫だよ。舞衣ちゃん、女子力高いし!」

 

「そうですね。そうなれば、私が献身的に介護させていただきます」

 

「それはそれで心配……」

 

 

※※※※※

 

 

どこだ?

 

こんな感覚は経験したことがない。上下左右も、地に足をつけている感覚もない。

それに、冷たい。体温が一気に奪われていくが、さっきから死に瀕していくような様子はない。人間ならこんな長時間低温の空間にいれば命を落とすはずなのに。

 

何をしていてこんなことになった? 輸送用の巨大なタンカーに乗船していて……そうだ。そこで初めて『海』という場所を目で見て、その匂いを鼻で嗅いだ。

となれば、今はその温度を肌で感じているのか。

 

冷たくて、寒いが、悪くない。百聞は一見にしかずというのはこういうことか。知識と経験は違う。

 

こういう貴重な経験を味わいながら、命に呑まれれば……

 

 

いや、待て。何で私はこの状況で死なない? 息もできず、体温も危険な域に入っているというのに。

 

ヒトなら、とっくに死んでいる……

 

 

※※※※※

 

 

「ん?」

 

左手側の窓の景色がどんどん流れていく。そういえば新幹線に乗って、鎌倉へと向かっているのだった。

明良は頭の中を整理しながら、眠気を振り払う。左手首に嵌めた腕時計は数分進んだ程度だ。どうやら、気が緩んでうたた寝をしていたらしい。

 

――舞衣様に見られていなくてよかった。

 

この新幹線は御前試合に向かう刀使専用の電車だ。隣の車両には舞衣と可奈美がいるはずだが、明良が今いる車両には彼一人しかいない。友人と一緒の席に随伴するのは野暮だと考え、車両を別にしてもらったのだ。

結果的に、数分とはいえうたた寝をしていた場面を見られずに済んだ。

 

「まさか、今頃になってあんな夢を見るだなんて――」

 

自分の中では夢と結論付けたが、あれはただの記憶だ。消し去りたいほど忌まわしい記憶だ。

柳瀬家の執事になってからは見たことがなかったのに、このタイミングであそこまで鮮明に思い出した。

 

――鎌倉に行くからと、知らないうちに気にしていたのでしょうか。

 

今はこんなことよりも舞衣の護衛という任がある。さっさと忘れてしまおう。

 

「そろそろ、迎えに上がりますか」

 

そろそろ鎌倉に到着する時間だ。二人を呼びに行くために明良は荷物を持って席を立ち、隣の車両へと向かった。

 

 

※※※※※

 

 

「ひゃあ、おっきぃ~!」

 

大きな門が構えられた屋敷の前に三人は立っていた。絢爛豪華ではないものの、由緒正しき日本の武家屋敷という造りのものだ。

 

「ここが折神家……御刀の管理を国から一任されてるお家だよね」

 

「舞衣様、折神家にいらっしゃるのは初めてなのですか?」

 

三人が横並びになった状態で、舞衣の左隣に立つ明良は首を少しだけ彼女の方に向け、尋ねる。

 

「うん、それどころか御当主の折神紫様を見るのも初めてで……」

 

「あ、私も初めて! 確かすっごく強いんでしょ?」

 

可奈美は星のように目をキラキラと輝かせながら言う。彼女の好戦的と言うか、剣術にご執心なところはいつものことだ。

 

「ええ。確か二十年前の大荒魂討伐の英雄で、未だその実力は健在。最強の刀使の座を守り続けているのだとか」

 

「最強……最強かぁ……」

 

可奈美は『最強』という言葉を何度も反芻し、考え込んでいる。舞衣と明良にはその考えが手に取れた。

 

「可奈美ちゃん、御当主様と戦いたがってる?」

 

「いやいやまさかー、今の私じゃあ敵わないって」

 

「戦いたいとは思っているのですね、可奈美さん……」

 

真っ直ぐというか、こういう話題になったときの彼女は本気でぶっ飛んだことを言う。それに、スタンスがぶれない。

舞衣と明良はそんな彼女に苦笑いしながらも、今日の泊まる宿へと向かうために歩き出そうとする。

 

「?」

 

三人が視線を屋敷から道の方へと向けた瞬間、一人の少女が少し離れた位置に立っていることに気づいた。

 

「あの制服は確か、平城学館の……」

 

舞衣が彼女の制服を見ながら呟く。

確かに、黒を基調とした丈がやや長い制服はその学校のものだ。

平城学館(へいじょうがっかん)。奈良県に所在する刀使の訓練学校で、今回の御前試合の出場校の一つだ。彼女も可奈美や舞衣と同様に御刀を帯刀している。ということは、明日の御前試合の出場者なのだろう。

 

「………」

 

腰まで下ろした烏の濡れ羽色とも呼ぶべき黒い髪に、端正な顔立ちと感情を現していない表情。冷静で理知的な雰囲気の少女だ。

少女は無言で三人の顔を順番に眺め、こちらに向かって歩いてきた。

 

「ね、ねぇ! あなたも明日の試合に出るの!?」

 

すれ違い様に可奈美が声をかける。

 

「………」

 

聞こえてはいるのだろうが、少女はペースを緩めることもなく去ろうとする。

この場面だけを切り取れば素っ気ない少女との一方的なやり取りにしか見えない。が、明良は一種の違和感、いや、妙な感覚を聴覚とも触覚とも呼べない部分で感じ取っていた。

 

 

キィィィィ――――

 

 

甲高い笛の音ような、耳障りでよく響く音が脳を反応させた。その場にいた舞衣を除く三人はそれを感じた。

 

「……!」

 

平城学館の少女は直ぐ様振り向き、御刀の柄を右手で握り、鍔に左手の親指をかける。抜刀の構えをとったのだ。それに一瞬遅れて可奈美も少女と同じように振り向き、抜刀しようとする。

明良はそんな二人を黙って見ていたが、一向に動く気配はない。

 

「「………」」

 

二人の行動は反射的なものだった上に、それ以上のおかしな出来事もなかったからだろう。平城学館の少女は軽く可奈美と明良を一瞥し、構えを解く。そして、何事もなかったかのように踵を返して去っていった。

 

「どうしたの? 可奈美ちゃんも明良くんも」

 

舞衣は何も感じなかったのか、疑問符を頭に浮かべたような顔をして聞いてくる。

 

「う、ううん。何でもない」

 

「ええ、どうやら気のせいだったようです」

 

適当に誤魔化し、三人は再び宿へと歩を進める。

何でもない風を装ってはいたが、可奈美は僅かな疑問を、明良は不安を抱えながら歩き始めた。

 

――確か、可奈美さんの御刀は千鳥。となれば、先程の方は……いや、まさか……




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第3話 熱と記憶

タグの「腹黒」の意味が違って聞こえそう……聞こえないよね?


「ふぅ……」

 

宿での食事と入浴を済ませた明良は、客間で一息ついていた。舞衣と可奈美は同じ部屋で寝泊まりすることになるが、明良は新幹線のときと同じ理由で別室で待機していた。

流石に風呂上がりでスーツにネクタイというのは苦しかったので、ジャージに着替えている。

 

――それにしても、あれは一体……

 

新幹線での移動中に見た夢と、昼間に会った平城の少女と可奈美の御刀が共鳴のような反応をしたこと。

この二つが偶然だと片付けるのはあまりにも愚かだ。必然性を考えるとすると――

 

「千鳥と、小烏丸(こがらすまる)……」

 

可奈美の御刀が千鳥だというのは確かだ。だが、あの平城の少女の御刀はわからない。だが、あの御刀が『小烏丸』だとすればあの現象にも説明がつく。

 

「……いけませんね」

 

軽く頭痛がする。あの共鳴を至近距離で感じたからか。

御刀に触れなくともこんなことになるのか(、、、、、、、、、、、、、、、、、、、)

いや、それとも御刀の種類の問題だろうか。

 

「何事もなく終われば幸いですが……」

 

他の人はともかく、舞衣に知られては不味い。隠し通すことにも力を入れなければ。

考えを巡らせていると、無機質な振動音が耳に入った。明良の携帯端末に電話がかかっているのだ。

 

「?」

 

画面に表示されている名前を見て、明良は一瞬止まった。発信者が舞衣だからである。

電話をしてくることに関しては問題ないが、現在の時刻は二十三時近くだ。明日の試合のことを考えるともう就寝しておくべき時間だというのに。

だが、大切な主からの電話だ。出ない理由はない。明良は通話のアイコンを押して携帯端末を耳に当てた。

 

「はい、黒木です。舞衣様、如何なさいましたか?」

 

『よかった、起きてたんだね明良くん。夜遅くにごめんね。ちょっと話があって。今、明良くんの部屋に行ってもいい?』

 

「私の部屋ですか? はい、構いませんが……」

 

『わかった。じゃあ、今から行くね』

 

それだけ言って通話を終える。明良は携帯端末をテーブルに置くと、慌ててハンガーに掛けておいたスーツに着替え、ネクタイを締める。さっきまで着ていたジャージは鞄に詰め、舞衣の目の届かないようにしておいた。これで招く準備はできた。それに合わせるように丁度部屋の戸がノックされた。

 

「し、失礼します。入る……よ?」

 

「ええ、どうぞ」

 

明良はいつも通りの服装、表情で舞衣を出迎えた。だが、舞衣からは意外そうな顔をされた。

 

「明良くん、お風呂入ったんじゃないの? まだ、スーツ着てるけど」

 

「入浴は済ませています。舞衣様をお出迎えするとなれば身なりを整えるのは当然ですよ」

 

「そこまで気を使わなくていいから。お風呂上がりにその格好だと暑いでしょ?」

 

「……舞衣様こそ、そのような格好で男性の部屋にいらっしゃるのは不適切かと」

 

「え? そんな格好って……」

 

舞衣は視線を下に向け、今の自分の服装を確認する。舞衣が今身に付けているのはこの旅館の浴衣だ。浴衣自体はおかしくはないが、中学二年生にそくわぬ舞衣の成熟した身体の曲線をこの薄布では隠しきれない。大和撫子然とした彼女と相まって非常に蠱惑(こわく)的な魅力を感じさせている。

 

「そ、そんな変な格好じゃないよ! これは……ただの浴衣だし」

 

「変ではないから、ですよ。私だからよかったものの、他の男性でしたら問答無用で襲われているはずです。ご自身の安全のためにも、お気をつけください」

 

「あ、ありがとう……」

 

舞衣は恥ずかしがりながら礼の言葉を述べる。そして、咳払いをしてから「ところで」と切り出した。

 

「聞かせてもらえないかな? 今日のことで気になることがあって」

 

「どうぞ。座ってお話ししましょうか」

 

舞衣と向かい合う形で座り、二人分の緑茶を用意する。少し流し込み、口の滑りをよくする。

 

「ありがとう」

 

「どういたしまして。ところで、話というのは?」

 

「昼間の、平城学館の人のこと」

 

――勘づかれていましたか。

 

いや、そう考えるのは早計だろう。まずは話の続きを聞くべきだと明良は黙って頷く。

 

「あのとき、可奈美ちゃんと明良くんと、あとあの平城の人も突然様子がおかしくなったでしょ? 何かあったのかなって思って」

 

「ああ、そのことですか」

 

明良は舞衣の口振りに少し安堵した。何てことはないと、いつもの笑顔で返事をした。

 

「明日の試合のことを意識するあまり、彼女たちも気を張り詰めすぎていたのでしょうね。

私も、あのような剣呑な雰囲気に驚いてしまいまして。お恥ずかしいです」

 

「そ、そう? うーん……」

 

完全に納得させるのは難しい。が、筋は通っている。これ以上の追求はないだろう。

 

「あ、でも何だか明良くん、顔色が悪いみたいだけど……」

 

別の問題があったようだ。舞衣は少し淀んでいる明良の顔に違和感を覚えたらしい。これは誤魔化せそうにない。

 

「そうですね。正直に申し上げますと、久々の大移動と慣れない土地での行動に少々疲れているようでして。ですが、問題ありません。少し休めば完治します」

 

『疲れている』という単語に反応し、舞衣が心配そうな表情で正面から隣に移動してきた。

 

「大丈夫? どこか痛い? 頭、それとも胸?」

 

「ま、舞衣様!?」

 

これは予想外だ。舞衣は慌てながら明良の両肩に手を置き、聞いてくる。

 

「え、えっと……頭、ですね。少々頭痛が……本当に少々なのですが」

 

「頭……うん、わかった」

 

「舞衣様……何がわかって――」

 

何かの決心を固めた舞衣は、膝立ちになって、正座で座っている明良の頭をそっと両手で包む。この体勢だと、舞衣の方が頭の位置が高くなり、自然な形で明良の頭に手が届いた。

そして舞衣は左手を添えたまま、右手で明良の頭を優しく撫で始めた。

 

「……………!?」

 

声にならない声。何かを叫びそうになるが、語彙力が焼失したせいで何も口から音が出ないのだ。

今何をされているのだろうか。仕えるべき主の手で、癒しを施されている。

 

「な、にを……」

 

ようやく口から捻り出した言葉はひどく平凡で、ありきたりなものだった。動揺が全く抜けていないのだ。だが、舞衣はむしろ穏やかな声で答えた。

 

「疲れてるんでしょ? だからこうしてるんだよ。どう? 安心する?」

 

「は、はい。それは……勿論」

 

「よかった。嫌じゃないみたいで」

 

嫌なわけがない。風呂上がりの心地よい香り、慈しむような力加減、包み込まれてしまうほど温かく、やわらかい手の平の感触。酔いしれて、溺れてしまいそうだ。

 

「明良くんはいつも頑張ってるから、たまには休んで、こうやって甘えていいからね? ほら……」

 

少し力が増した。だが、嫌な圧迫感はない。

 

「申し訳ありません、ですが、そんなにご心配をなさらなくても……」

 

「するよ。心配する。だって――」

 

舞衣は上から明良の顔を覗き込み、慈愛に満ちた笑顔で言う。

 

「大切だから」

 

くすぐったかった。

 

生まれて初めての気分だった。自分より六つも年下の少女にこんなことをされて、まるで子供のように喜んでいるだなんて。

 

――今なら、たとえ死んでも後悔はありません。

 

頭を撫でられながら、薄く笑みを浮かべていた。

 

 

※※※※※

 

 

「うわぁ~……すっごい!」

 

昨日の折神邸の前のときのように可奈美は感嘆の声を上げる。尤も、昨日ほどこの場は静かではない。多くの人々が集まり、歓声や応援の声が飛び交っているからだ。

場所は御前試合会場。中央は正八角形の吹き抜けのようになっており、二階の観客席には各校の応援団、下の階の大きな壇上は試合のスペースになっている。

 

「あれが試合する人たちかぁ……うん、やっぱり強そう」

 

舞衣、可奈美、明良は試合のスペースの周りの五つの休憩席に陣取っている他の四校の生徒たちに一人ずつ視線を移していく。

 

京都府の綾小路武芸学舎(あやのこうじぶげいがくしゃ)。全体的に灰色で、スカートの丈の長い制服だ。代表は茶髪、黒髪の生徒の二人組。見たところ仲が良さそうだ。

 

神奈川県の鎌府女学院(れんぷじょがくいん)。白のブレザーに青色の襟、同じく青色のスカートという制服だ。代表は長い黒髪を纏めた生徒と色素の薄い、白髪に近い生徒。どういうわけか、黒髪の生徒は一方的に白髪の生徒を睨んでいる。

 

岡山県の長船女学園(おさふねじょがくえん)。胴の部分には山吹色、袖と胸元には白い布地が使われている制服だ。代表は桃色のツインテールの小柄な生徒と金髪ロングの生徒だ。桃色の髪の生徒は気だるそうに、金髪の生徒は対称的に陽気な素振りを披露している。

 

そして……

 

「あの平城の方、やはり試合の出場者だったようですね」

 

明良は二人の後ろに立ち、昨日の昼間に出くわした平城学館の黒髪の少女を見つめる。その隣には同じ平城学館の生徒がいる。黒髪の少女とは違い、人懐っこい雰囲気の人だ。

一方、黒髪の少女の方は無関心と言わんばかりに目を伏せて動かない。あるいは、試合前に精神統一でもしているのか。

 

「さて、ではお二人とも頑張ってください。私は上の階でご学友の方と一緒に応援いたします」

 

「うん、じゃあね明良くん」

 

「応援よろしくねー!」

 

下の階は試合の出場者か審判くらいしか出入りできない。入口で別れる必要がある。

明良は軽く手を振り、出入口からUターンして二階へと向かう。

 

「あ、そういえば……」

 

明良は二階へと向かう途中で足を止めた。手に持っている荷物の中に救急キットがない。受付に預けたもうひとつの鞄の中に入れてしまったのだろう。

少し遅れるが、試合開始までには十分間に合う。受付に戻ることにした。

 

そうしていくらか角を曲がったところで、奥の廊下から明良の方に向かって誰かが歩いてきていることに気づく。

 

「!」

 

ただならぬ雰囲気を纏った女性だった。まず目についたのは服装だ。白い上下の軍服、上の前止めは黒く染められている。身長は明良より10センチほど低いが、それでも女性にしては背が高い。170センチ近くある。

目元を覆い隠す前髪、腰を通り越して膝にまで届きそうなほど長い後髪。何より、腰に差した二振りの刀――御刀だ。となれば、刀使。この特徴、そして漂わせている雰囲気。

 

この人物は――折神家当主、折神(おりがみ)(ゆかり)

 

「………」

 

一瞬驚いたが、よく考えればここは折神家の所有する場所だ。いたとしてもおかしくはない。偶然このようにすれ違うこともあるにはあるのだろう。

それに、折神紫がいるからといって特に何か用があるわけでもない。気にするほどのことではない。

 

「……待て」

 

凛とした声に呼び止められる。素通りさせてはくれなかったようだ。

明良は不思議そうな顔で「何でしょう?」と尋ねる。

 

「……ええと」

 

紫はツカツカと靴音を鳴らしながら明良に詰め寄る。明良は困ったように苦笑いしながら改めて尋ねることに。

 

「その格好……確か折神家の御当主の方とお見受けしますが、一体何のご用でしょうか。生憎私急いでおりまして、なるべく手短に済ませたいのですが……」

 

「……? お前は……」

 

紫は怪訝そうに明良をジロジロ見る。数秒眺めた後、ゆっくりと口を開いた。

 

「以前、私と何処かで会った覚えはないか?」

 

「会った覚え……ですか」

 

――ない。

 

「いえ。申し訳ありませんが、今回が初対面かと。貴女のように格式の高い方でしたら忘れるとは思えません」

 

「……そうか」

 

紫はそれだけ言い残すと元々向かっていた方向へと歩いていく。その背中を明良は無言で見つめていた。目を細めながら。

 

――気に入りませんね。




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第4話 一つの太刀

ほぼ第一話の最後らへんです。


紫との一悶着の後、荷物を無事に受け取った明良は先程の試合会場の二階に足を運んでいた。

今まさに試合が始まろうという瞬間だった。司会進行の担当者が第一試合の出場者の名前を呼ぶ。

 

「第一回戦を始めます。平城学館、十条(じゅうじょう)姫和(ひより)。綾小路武芸学舎――」

 

司会進行の声と共に例の平城学館の黒髪の生徒――十条姫和と呼ばれた少女が壇上に上がる。

 

「あの……ちょっとよろしいですか?」

 

「? はい」

 

壇上に立つ十条姫和に目を凝らしていると、背後から声をかけられた。そういえば、今明良が立っているのは二階の出入口。人の出入りがあるのだ。

 

「通していただけませんか? 私、試合を観戦しておく必要がありますから」

 

声の主は大人びた雰囲気の少女だった。ワインレッドの髪に緩くウェーブがかかっている。立ち振舞い、口調、声のトーンはやけに気品があり、貴族の令嬢と言った風だ。腰には試合の出場者と同じく御刀を帯びている。

そして、彼女の服。刀使の訓練施設である伍箇伝(ごかでん)のどの制服とも違う。全体が赤い、これは折神紫の部下――折神紫親衛隊の制服だ。

 

「申し訳ございません。通行の邪魔になっていたようで。どうぞ、お通りください」

 

「わかっていただければ構いませんわ。では、失礼」

 

親衛隊の少女は明良の隣を通り、応援席のある人物の隣まで移動する。

 

「あれは確か……」

 

移動した隣にいるのは、同じく親衛隊の者だ。ただ、先程の少女が貴族の令嬢のようであったのに対し、隣の少女は褐色の短髪に中性的な顔立ちと凛凛しい表情から、騎士とでも形容すべきか。

 

二人には見覚えがあった。折神紫ほどではないが、彼女に仕える親衛隊の第一席と第二席として多くの刀使の人気を集めている。

 

騎士風の少女が第一席の獅童(しどう)真希(まき)

令嬢風の少女が第二席の此花(このはな)寿々花(すずか)

 

「いえ、それよりも今はこちらですね」

 

視線を二人から姫和へと変える。腰に差した御刀を鞘から抜き、正眼に構えた。

 

「やはり……」

 

刀身の半ばあたりから峰側にも刃がある。あの形状は、鋒両刃造(きっさきもろはづくり)、または

 

「……小烏丸造(こがらすまるづくり)

 

ほぼ確信していたことだが、より強固なものになった。十条姫和が所持しているのは小烏丸だ。

 

(ウツ)シ」

 

審判の掛け声に応じて向かい合う姫和と綾小路の生徒の身体が淡い色の光を纏う。

刀使の戦闘における防御術『写シ』。御刀を媒介とし、自らの肉体を霊体へと変化させる術だ。写シを張った状態ならば受けた傷は現実の肉体には及ばず、少々の痛み程度で済む。

 

「……始め!」

 

試合開始の合図。最初の数秒はお互いの出方を探る。と思いきや、姫和が御刀を刺突の構えに変えた瞬間、彼女の身体が刹那の間に消え失せ、綾小路の生徒の懐へと移動した。

そのまま大きく一閃。綾小路の生徒の胴体を真っ二つに切り裂き、写シを剥がした。

 

「勝者――平城学館、十条姫和」

 

――確か、迅移(じんい)でしたか。

 

写シが防御術ならば、迅移は攻撃術。通常の時間から逸することで肉体を加速させ、高速戦闘を可能にする術だ。

勝利した姫和は御刀を納め、一礼してから降壇する。

 

圧倒的、華麗とも言える試合だった。それにも思うところがあったが、何より姫和の表情に違和感を感じた。御前試合出場者の集まりならば、あの綾小路の生徒も十分な実力者のはず。なのに、姫和は全く表情を崩すことなく試合を終えたのだ。元々彼女が冷静なタイプの人間だとは思っていたが、あれは感情が表に出にくいのとは違う。

あれは、そもそも対戦者を相手にしていない。試合に勝つことよりも、別の目的のために戦っていたような

 

「余裕……それとも無関心でしょうか」

 

何にせよ、長年適合者が不明だった小烏丸の使い手がこうして現れたのだ。ただの偶然だと思いたいが、直感的に感じ取っていた。このまま穏便に試合が終わるとは思えないと。

明良は一抹の不安を抱えながら美濃関の生徒たちの元に移動した。

 

――(ひいらぎ)の娘……一体何が目的ですか。

 

 

※※※※※

 

 

「おいしい~、これならいくらでも食べられるよ」

 

「もう、可奈美ちゃん。急いで食べると喉に詰まっちゃうよ」

 

「可奈美さん、お茶です」

 

御前試合準決勝終了後、昼休憩に入り、可奈美と舞衣は支給された弁当を休憩スペースのテーブルで食べていた。明良はそんな二人の近くに立ち、弁当にがっつく可奈美に水筒から注いだ麦茶を手渡した。

 

「はひはほー、んくっ、んくっ、ぷはっ」

 

これまたすごい勢いで飲み干した。

 

「けど、ほんと凄かったよね。準決勝の時の舞衣ちゃん」

 

「ええ、確かあれは『居合い』や『抜刀術』というものでしたか」

 

話題は先程の準決勝の話に移る。順調に試合を勝ち進んでいった可奈美と舞衣は結果、準決勝でかち合うことに。全員が固唾を飲む中、試合開始直後に舞衣は正座し、納刀してある刀を抜き放つという技を見せた。

剣術の奥義の一つ、居合いだ。鞘に納められた刀を抜刀し、斬撃に繋げる技であり、速度と威力は決して侮れない。

 

「私になりに考えたんだけどね……やっぱりすごいよ、可奈美ちゃんは」

 

そんな舞衣の一撃を可奈美は制したのだ。抜刀する舞衣の右手を可奈美は左手で受け止めて、無防備になった彼女に一太刀浴びせることで勝利した。

舞衣が敗北したことに落胆はしたが、二人の試合の流れと動作には感嘆した。

 

「でも、ここまで来て、しかも可奈美ちゃんと戦えたんだから私は満足だよ。決勝戦、がんばってね」

 

「ありがと、舞衣ちゃん! いっぱい楽しんでくるから!」

 

可奈美は午後の決勝戦に思いを馳せながら胸元で両の拳を握る。決勝戦の対戦相手はあの小烏丸の使い手、十条姫和だ。今までの試合を見ていた限りでは彼女の実力は現在の可奈美に匹敵するほど。可奈美が期待しているのも当然だろう。

 

「そうですね、我々も全力で応援いたします。ご健闘を祈っています」

 

なぜ、このときはここまで油断していたのだろうか。可奈美と舞衣の微笑ましいやりとりを見ていたからか、自分の考えをただの杞憂だと無意識に決めつけていたからか。

これはただの刀使たちの試合、各校の生徒同士の研鑽だと思っていた。馬鹿馬鹿しい。

 

――今の折神紫と、千鳥、小烏丸の使い手たちが巡り会えばただで済むはずがないと、それを私は知っているはずでしょうに(、、、、、、、、、、、、、、、、、)

 

 

※※※※※

 

 

「これより、折神家御前試合、決勝戦を行います」

 

庭に描かれた大きな長方形の中に可奈美と姫和は相対する。場所は昨日三人で訪れた折神邸の中――昨日は門の外だけだったが、今はその庭に全員が集まっている。

最後の試合開始まで残り数分となっており、周囲には緊張感が漂っている。だがそれはある人物の登場によって一時的に破られた。

 

「見て、あれって確か……」

 

「御当主の紫様よ! 私初めて見た!」

 

観客席の刀使たちの視線が一気に試合会場横の寝殿造の建物の方へと注がれる。折神家当主、折神紫だ。今回は決勝戦の場にのみ立ち会うらしい。

四人の親衛隊と共に現れた彼女は、多くの刀使にとっての憧れの対象であるためか、観客席からは羨望や歓喜の声がひしめいている。

一方、明良は舞衣の隣に座り同じく紫を見つめていたが、その目は他の刀使とは違い、興味深そうにしている。

 

「あれが御当主の方ですか……」

 

「うん? 明良くんも気になるの?」

 

「ええ、まあ人並みには」

 

明良にとっては現時点で紫に対してどうこう思うことはない。ただ、本来は刀使は十代の少女と相場が決まっているのに対し、二十年前から未だに御刀を使い続けられている彼女を不思議に思ったのだ。

皆は名門折神家の天才だからということで納得しているが、明良にとってはあまり解せない。

しかし、やはり……特にどうこう思うことはない。今はもっと優先することがある。

 

「双方備え……写シ!」

 

可奈美と姫和が抜刀、正眼の構え、そして写シと流れるような動作で試合の準備をする。

 

「始め!」

 

試合開始。可奈美はいつものごとく相手の出方を探っている。姫和も可奈美の実力を知ってか、いきなり迅移を使うのではなく隙を狙っている

 

 

――ように見えますが、あれは……

 

 

違う。明良は一瞬で状況を察知し、目を見開く。可奈美は間違いなく姫和の姿を見据えているが、姫和は構えこそしているがその目は可奈美を捉えていない。彼女の瞳は彼女から見て右側に向けられ、固定されている。

 

「まさか……」

 

「? 明良くん、どうし――」

 

思わず漏れ出た明良の声に隣の舞衣が反応した、その瞬間だった。

 

 

――!?

 

 

稲妻が走ったかのような音圧と衝撃と同時に姫和の姿が消える。可奈美が呆気に取られるのも束の間、姫和の身体が視線の先にいる人物――折神紫の眼前に出現した。

 

「それが――」

 

姫和の鋭い眼差しと共に放たれた小烏丸の刺突。その刀身が紫の身体を刺し貫く――

 

「お前の、『一つの太刀』か?」

 

寸前に姫和を嘲笑うかのように、紫の両手に握られた二本の御刀が攻撃を弾く。

 

「……!? くっ……」

 

その場にいた紫以外の多くの者がその行動に言葉を失い、硬直する。中には動揺と恐怖で悲鳴を上げる者もいた。

当然、最も驚いたのは絶好の一撃を難なく弾かれた姫和だろう。彼女も困惑していたようだが、瞬く間に構えを直し、紫に切りかかろうとした。

 

「がっ……!」

 

しかし、今度は紫ではなく背後から御刀に胸元を貫かれ、攻撃を妨げられた。傍にいた親衛隊の真希が止めに入ったのだ。ほんの数秒でも相手に時間を与えれば親衛隊の介入によって二撃目はない。御刀に貫かれたことで姫和の写シが剥がれ、その場に膝をついてしまう。

真希は引き抜いた御刀で地面にへたりこむ姫和に、写シなしの生身の身体へと上段からの斬撃を浴びせようと振りかぶる。

 

「はあっ!」

 

真希の斬撃は、別の乱入者によって阻まれた。先程まで姫和の正面に立っていた可奈美だ。

 

「迅移!」

 

可奈美は真希の斬撃を受け止めたまま、背後の姫和に向かって叫ぶ。姫和は可奈美の乱入に困惑こそしたものの、一旦引くべきだと判断したのか、再び迅移を発動させ門の出口へと駆ける。可奈美もそれに続いて出口へと向かう。

 

「可奈美ちゃん!!」

 

舞衣は可奈美を呼び止めるが、一度走り出した彼女は姫和の手を握り、門を飛び越えて屋敷の外へと逃亡した。

 

「紫様にお怪我はないか!?」

 

「すぐにあの二人を手配しろ! 追跡の準備だ!」

 

会場の警備の刀使や刀剣類管理局の局員が大慌てで事態の収拾に取り掛かる。無論、会場にいた各校の生徒たちはただただ混乱している。尤も、舞衣と明良の胸中には不安と疑問が渦巻いている。

 

「何で、可奈美ちゃん……」

 

「舞衣様……」

 

明良は暗く沈んでいく舞衣に何も声をかけることができなかった。




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第5話 逃避行

ひたすら原作に肉付けしている感じです。伏線張る作業が大変だあ(゜∀゜)


「それで、衛藤可奈美、十条姫和の両名の犯行の動機はわからないと?」

 

「はい」

 

可奈美と姫和の逃亡の後、会場の喧騒は折神紫と親衛隊によって鎮められ、生徒たちは宿舎で待機となった。が、明良は別室に設けられた椅子に向かい合って座った状態で、親衛隊の一人である寿々花から取り調べを受けていた。

理由は明白。舞衣は可奈美と同じく今大会の出場者であり、親友でもある。舞衣は当然、彼女の執事でもある明良も関係者だと考えるものだろう。

 

「では、あの二人が紫様に恨みを抱いていたということは?」

 

「存じ上げませんね。そもそも、衛藤さんはともかく十条さんとはほぼ初対面です。知る由もありません」

 

明良の知らぬ存ぜぬの姿勢にほんの少し苛立ったのか、寿々花の手元の調書に走らせているペンの筆圧が強まる。

 

「……ですが、あの二人の連携。あれはどう説明しますの? 我々から逃げおおせたほどの手際のよさ、初対面とは思えませんわ」

 

「お二人が示し合わせていたとでも?」

 

「そう考えるのが自然でしょう?」

 

「そうですね……」

 

二人の関係については本当に知らない。明良は姫和とは初対面だし、舞衣の親友だからといって可奈美の交遊関係を綿密に把握しているわけでもない。裏で二人が繋がっていたというのも完全に否定できないが、不正確なことを言うわけにもいかない。

 

「仮にそうだとしても、私にはそれを立証できるだけの情報はありません」

 

寿々花は目を細めて明良を睨む。明良の態度が胡散臭いのか、ここまで何も知らないことを訝しく思っているのか。

 

「私からもいくつか質問をしても構いませんか?」

 

明良は寿々花が無言になったところで、取り調べ中に生じた疑問について尋ねることにした。

 

「何ですの?」

 

「舞衣様……美濃関学院の柳瀬舞衣様にも、このような取り調べが行われているのですか?」

 

「ええ、今は真希さんが彼女からも情報提供をしていただいている最中で――」

 

そこで明良は寿々花の言葉を遮り、最も明らかにしたい問題について問い詰める。

 

「それはつまり、舞衣様を本件の協力者として疑っているということですか?」

 

「………」

 

押し黙られた。呆れられるでもなく、鼻で笑われるでもない。

 

――正解ですか、張り合いのない……

 

「舞衣様を疑われる理屈はわかります。が、不確かな状況にも関わらずあの方に尋問をしているのでしたら黙っているわけにはいきませんので」

 

「……なぜそう思うんですの?」

 

「ただの情報提供ならば、貴女のような方が行う必要はない。専門の職員の方を手配すればいいだけのことです。私と舞衣様の取り調べを親衛隊の方々が行っているのは、暴力を振るわれた際に対応できるからではないですか?」

 

「考えすぎですわね」

 

寿々花はウェーブのかかった髪を人差し指で弄ぶ。隠そうとしているが、動揺が漏れ出ている。

 

「加えて、扉の外の刀使の方々。お引き取りいただいた方がよろしいのではないですか? 私も舞衣様も危害を加えることなどありませんよ」

 

「……どうやら、隠せそうにないですわね」

 

寿々花は観念したのか、携帯端末で誰かと連絡を取る。二、三言話したところで通話を終え、直後に締め切られた扉の向こう側から複数の気配が消える。

 

「いつから気づいたんですの? それなりの手練れの刀使を用意しておいたのですけれど」

 

「取り調べを始めたところからですよ。表情の変化から見られる緊張、そして何度か私の手元や奥の扉に視線が泳いでいましたから。私を警戒するあまり、無意識に視線が注視すべき部分に誘われていたのでしょう?」

 

寿々花は悔しそうな顔で肯定する。刀使としても、要人警護の人間としても十分だが、それでも明良とは経験で劣っている。

 

「ですが、ここまで見抜くだなんて。何者ですの?」

 

だが、まだ噛みつく牙はあったらしい。別の疑念を植えつけてしまったか。

 

「職業柄、観察力に優れているだけですよ。間違っても、今回の件に私達が加担しているなどということはありません」

 

「ただの執事、その一言で済むと思って?」

 

「思いませんよ。私は……」

 

そこで一拍おき、寿々花と目を合わせてはっきりと警告する(、、、、)

 

「あの方を命に換えても御守りしなければなりません。ですから、舞衣様に手荒な真似をしないでいただきたいのです。お互いの安全のためにも」

 

「……手荒な真似をするかどうか、それを判断するのは我々ですわよ」

 

「私が本当に協力者で、情報を持っているならばこんな場面で出し惜しみすると思いますか?」

 

「それは……」

 

ない。絶対に。

明良は舞衣が容疑者として疑われ、尋問を受けているのならば自分が罪を被ることなど厭わない。そんなカードを持っているならば、舞衣の解放と引き替えに情報を提供している。

 

「それに、舞衣様は(さと)い方です。あの方が協力者ならば自分が疑われ、情報漏洩や犯人の特定に繋がるような状況をみすみす作るはずはありません。容疑者から外れる方法をいくつも考えると、私は思います」

 

「……わかりましたわ、もう結構です」

 

寿々花は調書を閉じて、呆れ顔で話を切り上げた。

 

「少なくとも貴方については、関係なしとしておきますわ。柳瀬さんについても、私から真希さんに話を通して――」

 

ここで、寿々花の携帯端末が震える。寿々花は「失礼」と一言挟んで電話に応答する。

 

「ええ、ええ……わかりましたわ。こちらも収穫なし、ですわね。黒木明良もシロのようです。はい、ではまた後で」

 

寿々花は通話を終え、再び明良に向き直る。

 

「今、真希さんの方も終わったようですわ。柳瀬さんは今回の件には無関係と、結論が出たようでして」

 

「そうですか」

 

――よかった。

 

明良は無表情を貫いていたが、心の中では安堵していた。舞衣が一人で怯えながら質問に答えていたなどと聞かされては、明良としては居ても立ってもいられない。一秒でも早く向かいたいところだ。

 

「とりあえず今日のところはお二人に宿泊用の部屋を用意いたしますから、そこで休んでください。何かあれば、またお話を聞かせていただきますわ」

 

「わかりました。では、失礼します」

 

明良は椅子から立ち上がり、扉に手をかけ、開ける。そのまま退室しようとしたが、一歩踏み出して止まった。

 

「そういえば、此花さんと言いましたか。最後に一言お聞きしたいことが」

 

「はい、何ですの?」

 

不意に声をかけられキョトンとした顔で返事をした寿々花に、明良は尋ねる。

 

「貴女と獅童さんの近くにいて感じたのですが、妙にお二人から独特の香りがしまして。同じ香水でもお使いになられているのですか?」

 

「あら、女性の香水の香りが気になりますの? 殿方ならば仕方ありませんが、積極的に聞くのはあまり感心しませんわね」

 

「不快に感じられたのならば謝罪しましょう。ですが、少々疑問でして。失礼かもしれませんが、獅童さんは香水を嗜まれる方なのですか? それも貴女と同じものを」

 

「ええ、真希さんに頼まれまして。彼女、男勝りに見えて意外と年相応の女の子ですのよ?」

 

不自然な会話ではない。しかし、お互いに相手の腹づもりに僅かに気づいている。

 

「そうですか。不躾な質問にお答えいただき、ありがとうございます。では、改めて失礼しますね」

 

明良は丁寧に一礼してから両手でゆっくりと扉を閉め、舞衣の元へ向かった。

 

――あの鼻につく妙な匂い……折神紫といい、親衛隊といい、どうなっているのですか。

 

このとき、廊下には誰もいなかった。もし誰かがいて、彼とすれ違ったならば驚愕していただろう。一瞬だけ苛立ちに顔を歪ませた彼の姿に。

 

 

※※※※※

 

 

「どうだった、寿々花?」

 

取り調べを終え、先程まで明良と一緒にいた部屋には今度は真希と二人っきりになっている。

寿々花は静かに首を左右に振った。

 

「駄目ですわね。あの黒木という方、とてもあの二人の協力者とは思えませんわ」

 

「何故だ?」

 

「彼は常に知らぬ存ぜぬの一点張り。協力者なら、私達の操作を撹乱するために偽の情報を話す可能性が高いはずですのに、わざわざ疑いが強まる方を選ぶとは思えません」

 

「なるほど……柳瀬舞衣も同じだ。衛藤可奈美と十条姫和に関する情報はないと言っていたし、あの様子だと演技とは思えない」

 

「今し方あった連絡によると、平城の岩倉(いわくら)早苗(さなえ)も無関係らしいですわ。振り出し、ですわね」

 

寿々花は腕を組んで壁に寄りかかる。軽く息を吸い込んで、真希に本題を切り出す。

 

「ところで、話は変わりますが」

 

「?」

 

「黒木さんのこと、どう思います?」

 

寿々花からの突拍子もない問いに真希は首をかしげながら聞き返した。

 

「どう、というのは?」

 

「実は先程、私達が二人を協力者として疑っていることを見抜かれましたの」

 

「何?」

 

「幸い、彼は事を荒立てるつもりはなかったようなので穏便に済んだのですが……正直、あの目敏さは驚きましたわ」

 

「それで、僕に聞いてるのか。だが、僕はあの男は遠目に見た程度で……あまり詳しいことはわからないな」

 

真希は考えながら唸っていたが、不意に「そういえば……」と何かに気づく。

 

「何か気づきまして?」

 

「ああ、その遠目に見たときなんだが……どこかで見たことがあるような気がしたんだ。昔会った誰かか……」

 

「あら、ロマンチックなこと。初恋の相手でも思い出しまして?」

 

「か、からかうな! そうじゃなくて……何というか、顔立ちに覚えがあったというだけだ! 寿々花こそ、何か他にはないのか!?」

 

珍しく赤面しながら否定する真希に寿々花はクスクスと笑いがこぼれてしまう。

 

「私は……確か、あの方が妙なことを言っていましたわね。私と真希さんから同じような独特の香りがする、と」

 

「!」

 

真希の目が見開かれる。

 

「まさか……」

 

「ええ、薄々感づいているようでしたわ。私達の秘密に」

 

「だとしたら厄介だな……どうする?」

 

「今のところは証拠もないのですし、大きな問題ではありません。しかし、監視くらいはしておくべきかもしれませんわね」

 

真剣な表情で窓から覗く夕日を眺める寿々花。彼女の青いはずの瞳は、そのときだけは紅色に発光していた。

 

 

※※※※※

 

 

「舞衣様!」

 

「あ……明良くん」

 

迷惑にならない程度の早足で明良は舞衣の元へ辿り着く。舞衣の表情は酷く沈んでいた。

 

「私は、大丈夫だったよ。明良くんは?」

 

「私も。今回の件には無関係だと」

 

「そう……よかった」

 

よかったと、本気で思っているわけがない。恐らく明良でなくとも今の舞衣を見ればそれを見抜けると思う。彼女の無理に作った笑顔と渇いた声は明らかに無理をしている。まだ気持ちの整理がついていないのだろう。

当然だ。折神紫への襲撃というだけでも驚くべきことなのに、その犯人の逃走を親友が手助けしたのだ。舞衣からすれば意味不明だろう。

 

「どうか、気を落とさないでください。可奈美さんにも何か事情があってのことと思います」

 

明良は舞衣を元気づけようと彼女の左手を両手で優しく包み込む。

 

「私が事態を収拾させます。貴女のためにも」

 

「……うん、そうだよね。ありがとう、でも私も頑張るから」

 

曇っていた舞衣の顔に僅かだが光が差す。

 

――この人を、絶対に悲しませてはいけない。なら、私の切れる手札は全て使う。

 

「……もう夕暮れですね。今日はお部屋でお休みになられて、明日から捜索に加わりましょう」

 

「じゃあ……行こっか」

 

時間を空ける必要があると踏んだ明良は、舞衣に先行して折神家の敷地内に設けられた宿舎へと向かう。その途中だった。

 

「舞衣様、お電話が……」

 

「え? うん、誰だろ――」

 

刀剣類管理局から支給された舞衣の携帯端末がポケットの中から電話の呼び出し音を鳴らす。舞衣は少し上の空だったのか、明良に言われて数秒遅れて携帯端末を取り出し、画面の発信者を確認する。

 

「これって……」

 

舞衣の携帯端末に表示されている名前は『公衆電話』。発信者が誰なのか明らかではないが、二人の頭には共通の人物が浮かんだ。

 

「舞衣様、まさか……」

 

「可奈美ちゃん……かな」

 

可奈美の性格から考えて、親友である舞衣に何の連絡もなしというのは考えにくい。かといって、逃走の際に可奈美は荷物を宿舎に預けていた。その荷物には彼女の携帯端末もある。となれば、潜伏している場所から公衆電話で一報入れるというのが妥当だ。

 

「舞衣様、近くには誰もいません。スピーカーを」

 

明良は周囲の人影と気配を探る。盗み聞きされるような位置には誰もいない。音量に気をつければ大丈夫だろう。

舞衣は頷いて応答の後にスピーカーのアイコンもタップする。

 

「もしもし……?」

 

『舞衣ちゃん? 私。可奈美だよ』

 

――来た。

 

電話口から聞こえてきたのは間違いなく可奈美の声だった。

 

「可奈美ちゃん、今どこ?」

 

『どこって……えっと、どこなんだろ……ここ』

 

困ったような声。計画的に移動しているわけではないらしい。

 

『舞衣ちゃん、その……どうしても言っておきたかったんだ。迷惑かけてごめんって。それから、私は大丈夫だから』

 

「………」

 

いつもの可奈美だ。間違っても、彼女が舞衣たちを騙していたなどということはなかった。その事実に明良は吐息を抑えながら安堵する。

そして、同時に冷静に可奈美の声に混ざって聞こえてくる電話口の向こう側の音を拾い、分析していた。

 

――僅かな人の喧騒、車の通る音……屋外のそれなりに人が通る場所……人の目と逃走資金、休息のことを考えれば、小規模のホテルでしょうか。

 

『あっ、ごめん! 小銭ないからもう切れちゃう』

 

可奈美が慌てて電話を切ろうとするが、彼女とは違う声が混じって聞こえてきた。

 

『こちらは防災台東です。子供たちの見守りを第一に……』

 

「「!」」

 

遠くまで響く拡声器越しの声。これは可奈美の近くの人の声ではない。放送の声だ。

 

――今の放送は台東区近く。その中から絞りこめば……

 

『それじゃあね、舞衣ちゃん!』

 

「ちょっ……可奈美ちゃん!」

 

舞衣が呼びかけるが、一方的に通話が切れる。可奈美が切ったのか、小銭を追加で入れなかったのかはわからないが、それは関係ない。

今の電話だけで明良には十分だった。

 

「……舞衣様。申し訳ありませんが、お一人で宿舎へと向かえますか?」

 

「行けるけど……どうしたの?」

 

「可奈美さんの大体の居場所がわかりました。恐らく十条さんも一緒でしょう。今から向かいます」

 

明良は両手にはめた白手袋を外し、ポケットに突っ込む。手首を軽く振るが特に異常はない。

明良が本気で言っているとわかり、舞衣は彼を引き止める。

 

「待って、それなら私も行く!」

 

「舞衣様は宿舎でお休みになってください。御前試合と取り調べでお疲れになっているのでしょう?」

 

「そう、だけど……」

 

舞衣は俯いて押し黙る。だが、まだ引き下がる様子はない。

 

「私は貴女を命に換えても御守りすると、旦那様と奥様に誓っているのです。このような危険に関わらせるわけにはいきません」

 

「………」

 

「ご安心ください。私が何とかします。舞衣様は、可奈美さんをお迎えする準備を整えておいてください」

 

「わかったよ……お願い」

 

明良の懇願にようやく折れた舞衣は一言述べて宿舎の方へと向かった。明良はその背中が見えなくなるまで眺め、踵を返して歩き出す。

管理局の施設を後にしたところで、ポケットから携帯端末を取り出し、とある人物に電話を掛ける。

 

『私だ』

 

「旦那様、黒木です」

 

電話口から聞こえてくるのは年配の男性の声。舞衣の父親にして柳瀬グループの代表、柳瀬孝則(たかのり)。明良にとっては雇い主に当たる人物だ。

 

『そっちはどうなっているんだ? 折神家で騒動があったのは知っているが……』

 

「容疑者は未だ逃走中です。その容疑者の一人が舞衣様のご学友の方でしたので、舞衣様と私にも嫌疑がかけられました」

 

『それで、どうなったんだ?』

 

「無関係と断定されました。嫌疑といっても、形式的なものだったようなので」

 

『そうか……』

 

孝則が静かに胸を撫で下ろす声が聞こえる。無理もない。自分の娘に何かあったとあれば、心配するものだろう。

 

――舞衣様を本当に心配されているのですね。

 

『すまないが、私は表立って事を起こすわけには行かない。その分、最大限サポートはする。必要なものがあれば言ってくれ』

 

「申し訳ありませんが、お気持ちだけもらっておきます。旦那様のお手を煩わせるわけにはいきませんから」

 

『だが……』

 

「私にお任せください。全力を以て鎮圧させますので(、、、、、、、、、、、、、)

 

『全力』という言葉に孝則は意図を汲んだようで、「わかった」とだけ返した。

 

「では、失礼します」

 

通話を終了させ、GPSを切る。明良の携帯端末は刀剣類管理局のものではないが、万が一にも居場所を特定されるわけにはいかない。

そうして、目的の場所へと足を進めた。

 

――よりにもよってあの二人とは……何の因果ですか。




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第6話 拘束の魔手

やっと主人公の戦闘シーンが書けた。やりたかったことの一つですよハハハ( ´∀`)


台東区の近辺。小規模な宿泊施設に狙いを定めて地図の検索にかける。

 

「……かかった」

 

商店街の中に備えられた格安のホテル、条件に一致するのはその一つだけだった。決勝戦の時間から可奈美の電話までの時間から考えれば車であっても、移動できる距離はある程度短くなる。制服や御刀を隠すための偽装のことも考えるとさらに短いだろう。深夜に出歩いて警察の世話になるような危険を犯すとも思えない。

 

明良は適当にレンタルしておいた車に乗り、位置情報を見ながら発車する。数十分ほど走らせると、目的地の数十メートル近くのところに到着した。接近を察知されてはならないと、見えにくい位置に駐車し、ホテルまで徒歩で移動する。

 

「ただの徒労に終わらなければいいんですがね……」

 

このホテルが全くの的外れという可能性もある。だが、さっき電話で放送の声が聞こえてきたということはあの時台東区近くにいたことは確かだ。可奈美が舞衣を騙すために偽装工作を行ったという線は否定していい。

ホテルに入ると、フロントに座っている四、五十代の女性に声をかけた。

 

「失礼します、少しお尋ねしたいことが」

 

「は、はい」

 

明良の冷たい雰囲気に少々の怯えを見せている女性。だが、そんなことは些細な問題だ。早く聞きたいことを聞かなければ。

 

「こちらに、この写真に写っている中学生くらいの少女二人が宿泊していませんか?」

 

「えっ? ええと……」

 

明良は操作資料にあった可奈美と姫和の顔写真を見せながら尋ねる。

女性は慣れない質問に答えあぐねていたが、すぐに表情を切り替えてマニュアル通りの返答をする。

 

「失礼ですが、どちら様ですか? お客様の個人情報はお教えできないんですが……」

 

やはり無理だ。そもそも、見ず知らずの人間に客のことを簡単に話す方が非常識か。

明良は懐に隠していた一枚の紙を突きつける。

 

「美濃関学院の刑事部代理の者です。改めて、先程の事――こちらの容疑者二名についてお伺いします」

 

刀剣類管理局に足を運んでいた美濃関学院の学長に事情を説明し、捜索許可を貰っておいたのだ。

女性は厄介事絡みと理解したのか、あっさりと口を割ってくれた。ここに宿泊していると。

 

受け取ったマスターキーで二人の宿泊しているという部屋を解錠した。大きな音をたてないようゆっくりとドアを開け、部屋に踏み入る。

 

 

※※※※※

 

 

結果だけ言えば、もぬけの殻だった。

ホテルへの踏み込みから一夜開けた朝、明良は公園のベンチで次の計画を練っていた。あの部屋にあったのは、使用済みで片付けられていない布団が二組に、ゴミ箱に捨てられたコンビニ弁当二つ。

追っ手を警戒していて慌てて逃げたのか、それとも最初から長居するつもりはなかったのか。だが、少し前まであの部屋にいたことは確かなのだ。

 

「紛れるとすれば、夜の闇か……人混みか」

 

昨日明良がホテルを訪れた時間から考えると、睡眠時間は三時間もない。十分な休息をとるためにも別の宿を探すはずだ。そして、日中での移動ならば紛れるのは人混みの方だ。

 

「あとは、この人物像」

 

昨日のホテルのフロントの女性から聞いた二人の服装と持ち物から、住民に聞き込みをするのも居場所の特定に繋がる。かなりアナログな方法だが、今はこれが近道だろう。

 

「……!?」

 

鼻を刺され、曲げられるような匂い。例えるなら塩素と硫化水素が混ざったような匂いだ。『あれ』が近くに出てきた証拠だ。

 

「小さい……が、近い」

 

何度も嗅いでいて嫌悪感を覚えるが、今回は都合がいい。

 

――利用させてもらいますよ、荒魂さん。

 

 

※※※※※

 

 

「特別祭祀機動隊です! 早く避難してください!」

 

蠅のような羽と体躯、全長3メートルはあろう荒魂が町の神社の境内に出現していた。

可奈美と姫和は羽織っていた黒いパーカーを脱ぎ捨て、御刀を仕舞っていたギターケースを放り出し、抜刀、写シを張る。

昨晩、宿を特定された二人は人の多い原宿まで移動し、時間を潰しながら今後の作戦を立てていた。そんな折、姫和のスペクトラム計がこの荒魂を感知したのだ。

 

「可奈美は奴を牽制しろ。私が止めを刺す!」

 

「わかった! てぇぇやぁっ!!」

 

可奈美は荒魂に突進し、御刀で斬りかかる。荒魂はその動きを察知し、羽を振動させて空中に舞い上がる。

 

「はぁっ!」

 

その隙に荒魂の背後に回っていた姫和が胴体に刃を突き立て、その身を引き裂く。

荒魂の身体に一筋の切れ目が入り、姫和は両足から綺麗に地面に着地した。

 

「やったの!?」

 

「いや、浅い」

 

傷こそ負わせたが、薄皮一枚切った程度だ。まだ荒魂は空中から攻撃の隙をうかがっている。普段ならこの程度の荒魂は一太刀で祓えるというのに、折神紫に放った『一つの太刀』のせいで体力も精神力も消耗している。十分な力を発揮できない。

 

「まずいよ、逃げられ――」

 

可奈美が自分たちに背を向けて飛び去ろうとする荒魂を追いかけようとするが、ある違和感に気づいた。

 

「な……誰、だ?」

 

隣の姫和も唖然としている。荒魂に対してではない。

 

荒魂の上に乗っている黒いスーツを着た銀髪の青年に、だ。

 

「ご苦労様でした」

 

青年は曇りのない労いの言葉と同時に荒魂の背中に左手を叩きつける。鈍い音と甲高い断末魔が周囲に響き渡り、荒魂の身体は飛行能力を失って落下。

上に乗ったいた青年は落下の衝撃を少なからず受けたにも関わらず、そんなことは歯牙にもかけていない。痛みなど微塵も感じさせないほど涼しい顔で二人の前に立ち塞がった。

 

「いらっしゃいませ、お二方」

 

荒魂を突き落とした青年――明良は左手をハンカチで拭う。さっきの攻撃で手に付着した汚れを取っていただけなのだが、目の前の可奈美と姫和はそんな動作さえ不気味そうに見ている。

 

「あ、明良さん……? 何でここに?」

 

ようやく可奈美が口を開き、乱入してきた人物の名前を呟く。姫和もその言葉に反応し、弛緩していた身体が解けたようだ。

 

「知り合いか、可奈美」

 

「う、うん。私の親友の家の執事さんなんだけど……何でここがわかったの?」

 

「荒魂がここに現れたのを嗅ぎつけまして。お二人なら、ここに荒魂を倒しに来ると思ったのですが……狙いが外れていなかったようで安心しました」

 

明良の爽やかな笑顔も可奈美と姫和には『怪しさ』が顔を出しているように見えた。

 

「初めまして、十条姫和さん。黒木明良と申します。以後お見知りおきを」

 

明良はいつも通り、礼儀正しく挨拶する。だが、姫和の剣呑な視線は一層強まった。

 

「親友の執事……ということは、お前は美濃関の追っ手か? いらっしゃいませ、とは随分な皮肉だな」

 

「訂正が二つあります。第一に、これは美濃関学院ではなく私のご主人様のご意向です。第二に、我々はこの荒魂に初対面の招かれた客人同士。ぜひともご親睦を深めさせて頂きたいのです」

 

姫和はいつの間にか下ろしていた御刀の剣尖を上げ、正眼に構える。敵と認識した証だ。

 

「私を斬る前に聞かせて頂けませんか? 昨日の貴女の行動の理由と、その目的について」

 

「……答える義理があるのか」

 

「義理はありません。しかし、知ってほしいのではないですか? 貴女が斬ろうとしたのが何なのか」

 

「……!? お前が、なぜ……どこまで知っている!?」

 

「それこそ答える義理はありません。今の私の目的は貴女の目的を知り、可奈美さんの減刑に尽くすことです。お二人とも、投降して頂けませんか?」

 

姫和は御刀を強く握り締め、刺突の構えに移る。完全に攻撃の体勢に入っている。

 

「なぜ私たちがここに来ると知っていた? 私たちが逃走中だということくらい知っているだろう」

 

「逃走中だろうと、ですよ。十条さんが御当主を狙った理由から考えれば、荒魂をみすみす逃すはずがないとわかります。あくまで私の推測ですが」

 

姫和の手が僅かにぶれる。明良の言葉が姫和の真意をほとんど見透かした上でのものだと、彼女自身察しているからだ。だが、そうだとしても明良が敵対していることは事実だ。

 

「悪いが、無駄話に付き合っている暇はない。痛い目に遭いたくないならそこをどけ。私とて、人間を斬りたくはない」

 

「お断りします」

 

「待って、姫和ちゃんも明良さんも!」

 

可奈美が二人の間に散る火花を感じ取り、割って入る。

 

「来るな、可奈美!」

 

「っ! 姫和……ちゃん」

 

大声で制止させられ、可奈美は一瞬たじろぐ。姫和は改めて御刀を鋭く構え直した。

 

「この男のさっきの動き、どう考えてもただの人間じゃない。可奈美、お前は知らないのか?」

 

「ううん、知らないけど……明良さん、さっきのって」

 

「申し訳ありませんが、お答えできません。このことは舞衣様にも秘密にしていますから」

 

明良は人差し指を口の前で垂直に立てて、返答を拒否する。姫和からの視線にさらなる敵意が乗せられた。

 

「私からも質問だ」

 

「何でしょう?」

 

「お前は何者だ? なぜ荒魂を倒すことができた? お前も……刀使なのか?」

 

明良は姫和からの質問に何度か瞬きをして黙ったままだったが、やがて小さくため息をついた。

 

「刀使? いいえ、違います」

 

明良は先程使った左手――荒魂を一撃のもとに沈めた手を姫和に向けて伸ばし、掌を見せる。

そして、今までとは一転。少なくとも外見は爽やかで清潔感のあった笑顔は、妖しく、強かなものへと変わっていた。

 

「まさか、荒魂を倒すことが出来るのが刀使だけだとでも?」

 

「……!!」

 

一陣の風が吹いた。姫和が彼への敵意を爆発させたのだ。

逃走のためというのもあるが、何よりも本能が告げていた。『この男は危険だ』と。

今できる最高速の迅移で突進する。刀身ではなく、柄頭の部分での突き。刀使でも荒魂でもないただの人間ならばこれで沈む。そのはずだった。

 

「なん……だと……!?」

 

姫和の御刀の柄は、明良の鳩尾に届く寸前で完全に停止していた。明良はまるで悪戯をあしらうかのような所作で姫和の手を左手で掴み、攻撃を受け止めていたのだ。

 

「これが痛い目、ですか。お優しいんですね」

 

「っ!!」

 

姫和は力ずくで明良の手を振りほどき、後方に跳んで体勢を建て直そうとする。だが、すぐにその行動が悪手だと気づかされた。

明良は左手を背中側に引き絞り、姫和に向けて突き出した。それだけならば問題ない。すでに明良と姫和の間には三メートル以上の距離が開いている。既に彼の手が届くような距離ではない。普通の人間の腕ならば、だが。

 

「捕らえろ」

 

低く呟く明良。それに呼応して、彼の左の掌から赤黒い粘液が流れ出る。粘液は彼の肘までを籠手のように覆い、指を鉤爪状に変形させる。

それに伴って左腕の肘から先はみるみる肥大化し、姫和の胴体を腕ごと掴んで拘束した。

 

「がっ……!!」

 

「どうやら、あのときの一撃で相当消耗しているようですね。以前より遅い」

 

目の前の青年の力はどう考えても人間のものではない。荒魂を一撃で屠る筋力、鉤爪状の巨大な腕。怪異や妖怪の類、まるで――

 

「さあ、手短に済ませましょう。舞衣様に知られる前に」




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第7話 目的

姫和は何度も身をよじらせるが、明良の赤黒い手はビクともしない。どころか、姫和の動きを制するように少し力が増した。

 

「動かないでください。写シを張っているとはいえ、無用な戦いはしたくありませんから」

 

姫和は力ずくの抵抗が無駄だと理解し、動きを止めた。御刀を握る腕ごと掴んでいるのだ。攻撃の手段はない。

 

「可奈美さん、十条さんと一緒に戻りましょう。舞衣様がお待ちしています」

 

「明良さん……私は……」

 

立ち尽くしていた可奈美に呼び掛ける。可奈美は明良と戦う理由は特にない。よほどのことがない限り、生身の明良に斬りかかることなどないだろう。

 

「ごめん。私はまだ帰れない」

 

「……何故です? 理由を教えていただけますか」

 

可奈美は首を左右に振る。明良は静かに可奈美の目的を探ることにした。

 

「私たち、御当主様をどうにかしなきゃいけないの。だから……その……」

 

可奈美の口から出た言葉に明良は引っ掛かりを感じた。さらに深く掘り下げる。

 

「それは……御当主が何かしらの脅威に成り得るから、敵対する必要があるということですか?」

 

「うん、そう! だから……」

 

話が通じたことが嬉しかったのか、可奈美の顔が綻ぶ。が、すぐに疑いのものへと変わる。

 

「何で、明良さんも知ってるの? 見えたの? あの『よくないもの』が」

 

「………」

 

答えられない。しかし、これで可奈美と姫和の目的に察しはついた。

適当に誤魔化して舞衣の元に帰ることにした。

 

「それも、お答えできませ――」

 

明良はその瞬間、冷静さを完全に失った。顔は驚愕の色に染まり、全身が硬直した。

最も居合わせてほしくない人物(、、、、、、、、、、、、、、)の気配を察知したからだ。彼女がこの場に来るならば、絶対にこれ以上の戦闘は続けられない。

 

「くっ!!」

 

明良は姫和の拘束を解き、変身させていた左腕を元に戻す。困惑している可奈美と姫和を横目に見ながら、明良は両手にいつも着けている白手袋を嵌めた。

 

「可奈美ちゃん!」

 

短い間隔で地面を靴が擦る音。誰かがここに向かって走ってきている。そして、この声は明良と可奈美にとっては幾度も耳にしたものだ。

 

「舞衣ちゃん……」

 

「………」

 

携帯端末に備えられているスペクトラムファインダーを使って、この場所に荒魂が出現したことを知ったのだろうか。しかし、他の刀使よりも早く到着したということは偶然近くにいたのか。舞衣はこの場所を突き止めて、可奈美の存在を確認したようだ。息を切らせて走ってくる。

 

「舞衣様、どうして……」

 

「昨日の可奈美ちゃんとの電話、その音声データを柴田さんに解析してもらったの。そして、スペクトラムファインダーでここに荒魂がいるのがわかったから」

 

――柴田さん、余計なことをしないでください……

 

明良は心の中で先輩執事に軽い悪態をついた。舞衣にこの場を見られてしまう危険性と、舞衣を巻き込むことは明良にとって本意ではないからだ。

 

「可奈美ちゃん、聞いて。私、羽島学長と約束したの。今戻れば罪が少しでも軽くなるように計らってくれるって。だから――」

 

舞衣は説得を試みるが、可奈美は先程と同様に首を左右に振る。

 

「舞衣ちゃん、私見たの。あのとき……姫和ちゃんが御当主様に斬りかかったとき。何もないところから二本の御刀を取り出して……そのときに、御当主様の背後に……荒魂の目が!」

 

「え……」

 

舞衣はその『荒魂』という単語に疑問と、驚愕、そして半信半疑といった風の表情に染められる。

裏腹に、明良と姫和は得心いったという様子で「やはり」と呟く。

 

「お前には見えていたんだな」

 

「可奈美さん……」

 

三人の話に舞衣はついていけない。無理もない。あの英雄、折神紫が荒魂だといきなり信じられるほど舞衣は愚かではない。

 

「何を……言ってるの? 御当主様が荒魂だなんて……あの人は大荒魂討伐の大英雄で――」

 

「違う!」

 

姫和が困惑する舞衣の言葉を遮って叫ぶ。

 

「奴は二十年前の、その討伐されたはずの大荒魂だ!」

 

姫和は憤りと悔しさが綯交(ないま)ぜになったような表情で訴えかける。可奈美も真剣な表情でそれに同意する。

 

「じゃあ……刀剣類管理局も、伍箇伝も……」

 

「ああ、荒魂に支配されている状態だ」

 

舞衣は未だ半信半疑の状態は解けていない。しかし、自分の中で筋が通ってしまったのだ。姫和が全身全霊で紫を討とうとした理由も、可奈美がここまで必死になって姫和と一緒に逃げている理由も、折神紫の強さの理由も。

 

「明良くんは……知ってたの? このこと……」

 

舞衣は助けを求めるかのように明良に尋ねる。明良は数秒黙っていたが、やがて口を開いた。

 

「ええ。とは言っても、御当主には何かあると、薄々勘づいていた程度ですが」

 

御前試合の会場で紫とすれ違った際、妙な匂いがした。親衛隊の面々とは比べ物にならないほど、極めて強烈な、鼻が取れるのではないかと思うほどの悪臭が。間違いなく、荒魂の匂いだった。正直、そのせいで怪しまれないかとヒヤヒヤしていたのだ。

 

なにせ、以前の彼女(、、、、、)からはそんな匂いは一切していなかったのだから。本気で一瞬他人の空似かと勘違いしてしまうほどに。

 

「私も、彼女たちの話を聞くまでは確信を持ってはいなかったのですが……今の証言は本物と考えるべきかと。

彼女たちが私たちを謀ろうとしているのでしたら、もっと信憑性の高い理由を話すはずです。私たちならば信じると考えた上で、可奈美さんは話してくれたのでしょう」

 

「えっと……そこまでは考えてなかったんだけど……うん、そんな感じ!」

 

明良の推測に対し、可奈美はオロオロと慌てて肯定した。この反応に、舞衣も明良も納得させられてしまう。いつもの彼女だ、と。

 

「そっか……本気なんだね。わかった、行って。後のことは私がなんとかするから」

 

「うん。ありがと、舞衣ちゃん!」

 

舞衣を諌めたところで、遠くからサイレンの音が響いてくる。刀使とノロの回収班がこの場に近づいているのだ。ならば、可奈美と姫和が今この場にいるのは危険すぎる。

 

「舞衣様、じきに折神家に勘づかれます」

 

「う、うん。可奈美ちゃん、これ。持っていって」

 

舞衣はポケットからクッキーの入った袋を取り出し、可奈美に手渡す。

 

「これ、舞衣ちゃんのクッキー!? ありがと、後で姫和ちゃんと食べるね!」

 

お気に入りの舞衣の手作りクッキーにはしゃいでいる可奈美。それに対して、姫和は放り捨てていたパーカーやギターケースを拾い、逃走の準備をしていた。

 

「早く行くぞ。長居はまずい」

 

「待って、十条さん」

 

立ち去ろうとする姫和を舞衣は呼び止める。姫和は渋々といった様子で振り向いた。

 

「可奈美ちゃんのこと、よろしくお願いします」

 

「………」

 

姫和は何も答えず、ただ頭を下げる舞衣を見つめていたが、続けて明良の方へ視線を移す。

 

「お前は、知ってるのか。その男――黒木とやらのことを」

 

「え? それって……どういうこと、明良くん?」

 

舞衣は質問の意味をわかりかねて、明良の方を向く。だが、明良は何のことだかわからないという風に首をかしげた。

 

「どういうこと、と仰られましても……十条さんの質問は漠然としているので何とも。十条さん、もう少し具体的に聞いていただけますか?」

 

「聞いてもいいのか? さっきのことについて」

 

「聞いて、私が簡単に答えると思っているのならどうぞ」

 

「そうか……」

 

姫和も察したようだ。さっきの姫和に対するあの行動、いや、あの力(、、、)が何を意味しているのか。そして、今そのことについての話をさせれば明良がどういう反応をするか。姫和は追求を止め、口をつぐんだ。

 

「私からも構いませんか、十条さん」

 

「何だ?」

 

「貴女のおおよその目的は理解しました。しかし、それを志した理由を今一度考えてみてください」

 

「……今の私は、目的を果たすことが最優先だ」

 

明良からの忠告を姫和は冷静に突っぱねる。が、少しだけ表情を緩め

 

「だが、一応覚えておく」

 

「ええ、それで十分です」

 

そうして、可奈美と姫和は二人で宵闇の向こう側へと消えていった。

 

残された舞衣と明良の間には言い知れぬ気まずい雰囲気があった。折神紫が荒魂だと聞いたから、だけではない。姫和が去り際に放った質問から生じた疑問が舞衣の心中に留まっているのだ。

 

「明良くん、さっきの……」

 

「十条さんのことですか?」

 

舞衣からの問いを読んでいた明良は、用意しておいた(、、、、、、、)返答を口から出す。

 

「私が御当主の正体に気づいていたことについてでしょう? 先程も申し上げた通り、単なる推測ですよ。何の根拠もありません」

 

「そう……」

 

舞衣はある程度納得してくれたようだ。一応、明良の考えが推測だったことは確かだ。

とは言っても、姫和の聞きたかったことはこの話題についてではないし、明良の推測には明確な根拠があるのだが。

 

「それよりも、舞衣様」

 

「何?」

 

「何故ここに来たのですか。私は折神邸で待機していてほしいとお願いしたはずなのですが」

 

僅かだが、責めるような声色で舞衣に問い詰める。明良としては本当に来てほしくなかった。

『あの力』を見られる心配があったことと、何よりも彼女の心身を案じてのことだ。

 

「約束を破ったのは、ごめん。でもやっぱり、私が可奈美ちゃんを助けないといけないって……そう思ったから!」

 

「ですが、それでは下手をすれば折神家から舞衣様に対する余計な疑いの目がかかる可能性があります。仮に十条さんが攻撃的で危険な人物だったとしたら、貴女が怪我を負うこともあり得ました」

 

明良にとっては、舞衣が戦いの場に赴くという時点で反対の姿勢を貫くことは決定している。本来、刀使の仕事についても戦闘を生業としているという部分においては賛成しかねているのだ。

 

「……申し訳ありません、言葉が過ぎました。私はただ、貴女を失いたくないのです。そんなことになれば、私は……」

 

明良は拳を握り、掻き毟るように自分の胸元に指を立てた。

 

「罪悪感と自責の念に駆られて命を断つに違いない、と。そう思っているんです」

 

自分の意思が本物だと、舞衣に言い聞かせるように告げた。彼女もそれを理解できたのか、静かに頷いた。

 

「でも……私、どうしたらいいんだろう……可奈美ちゃんを引き止めることもできなくて、十条さんに任せることになっちゃったから……」

 

「舞衣様……」

 

「何かしてあげたいのに、私の力じゃ何も……」

 

沈んだ表情の舞衣。可奈美を助けるために自ら剣を握ったにも関わらず、結果的には逃亡を許してしまったのだ。二人が逃げ切れない可能性も決して低くないことはわかっているはずなのに。

明良は穏やかにその哀しみを包み込んだ。

 

「それを考えるために私がいます。ですから、お任せください」

 

「明良くん……」

 

「貴女の悩みも、憂いも、哀しみも、私が全て取り払い、お守りします。私は身も心も、骨肉の一片ですら貴女の所有物ですよ?」

 

――全て私がやればいい。舞衣様も、彼女たちの願いも全て。

 

「ご安心ください。私が既に手を打っています」

 

――可奈美さんと十条さんが逃走している内に、こちらでできるだけのことをしておきましょうか。




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第8話 笑顔

タイトルから明るい話だと思った?
残念、色々ぶっ飛んだ回です。


昔から嘘をつくのは得意だった。自然と、気がついたときには出来ていた。

 

両親と名乗る男女から頬を叩かれ、足で顔を踏まれ、拳で腹を殴られていた。

 

大体三日に一回程度の間隔で、多いときには一日に二回来るときもあった。

わざわざ地下室まで足を運び、他に何をするでもなくただ私をいたぶりにやって来る。

 

世間一般の夫婦は自分たちの息子に対して『こういうこと』をするのが普通なのだろうか。そう疑問に思った私は暴行をしている最中に尋ねてみた。答えはすぐに返ってきた。

家族のため、正義のためにやっていると答えられた。やけに嬉しそうで、目を輝かせていたのは今でも印象に残っている。

 

部屋に入ってきたときは苛立ちと憎しみに満ちていた彼らの表情も、終わって帰るときは結構穏やかになっている。それもこれも、私が演技をしていることが手助けとなっているのだろう。

 

彼らに優越感を味あわせるため、自分が正しく、上に立つ存在であると思わせるためには、自分が弱者であることを相手にアピールすればいい。

 

孤独で、無力な、怯えている少年になった。そうすれば、比較的早く暴行は終わる上に相手の満足度も大きい。私も勉強と鍛練の時間を削られずに済む。

温度や地形に適応するために生物の形状や性質が変化するようなものだ。この環境に適応するために、私が身につけた技術の一つ。

 

――そうだ。私に必要な感情は一つでいい。それ以外の感情は勝手に操れるようにしておこう。

 

私も今年で十三歳。あと四、五年しかないのだ。もっと体力と技術を磨かなくては。

余計な感情にも、希望にも、早く見切りをつけてしまおう。

 

 

※※※※※

 

 

「先程渋谷区に出現した荒魂を、衛藤可奈美、十条姫和の両名と共に討伐。しかし、あと一歩のところで取り逃がしました。報告は以上です」

 

「……時間の無駄でしたわね」

 

可奈美と姫和を見送ったあと、舞衣と明良は刀剣類管理局の捜査本部に戻り、今回の件の報告をしていた。

無論、本当のことを話すわけにはいかない。荒魂の討伐に向かい、確保しようとしたが逃げられたという筋書きにしておいた。報告を受けた親衛隊の此花寿々花は残念そうにため息をつく。

 

「居場所を特定できただけでも十分よ。二人とも休んでいて」

 

同じく、捜査本部のモニター席に座っていた美濃関の羽島学長からは労いの言葉を貰ったが、親衛隊の二人、真希と寿々花の顔は苦々しい。ようやく掴んだ二人の手がかりが、またなくなったのだ。手で叩いて殺したと思ったはずの蚊にまんまと逃げおおせられたような気分だろう。

 

「では、私たちは失礼します」

 

明良と舞衣は一礼して部屋を後にしようとする。が、向かおうとした出口のドアがノックもなしに乱暴に開けられ、思わず足が止まる。

 

「何をやっている、親衛隊!!」

 

一人の女性が声を荒げながら入室する。黒髪に赤いスーツ、ヒールを履いているせいか結構な長身に見える。年齢は三十代半ばといったところか。

そして、何よりその高圧的な態度と口調だ。部屋中のほとんどの人間の表情が一気に嫌悪感を含んだものに変わる。

 

「高津学長、いらしていたんですか」

 

真希がその女性の名前を呼ぶ。高津学長という名前から推察するに、彼女は鎌府女学院の高津(たかつ)雪那(ゆきな)だと明良にはわかった。

 

――この態度と学長という立場……本部の協力は鎌府、彼女が現場指揮官ですか。

 

高津学長は舞衣を一瞥すると、早足で詰め寄り問い質す。

 

「貴様が報告にあった刀使だな!? なぜすぐに応援の要請をしなかった!」

 

舞衣は責めるような高津学長に気圧されてしまうが、咄嗟にそれらしい理由を述べた。

 

「それは……ノロの回収を優先すべきだと判断したので」

 

「ノロなど放置しろ!」

 

「………」

 

明良は横でそれを聞いていたが、流石に黙って聞いているわけではない。

 

「あろうことか、荒魂の鎮圧に協力するなど……まさか、逃亡を幇助(ほうじょ)したのではあるまいな!?」

 

「いえ……そんなことは……」

 

高津学長は舞衣の眼前でギラギラした目つきと罵声で彼女を威圧する。舞衣もまだ中学生の少女だ。大人から暴力的な姿勢で怒鳴られれば萎縮してしまう。

 

――いい加減にこの女をどうにかしましょうか。

 

明良は二人の間に立ち、話を中断させた。

 

「高津学長……と仰いましたか。その辺りで、抑えていただけませんか?」

 

「何だ、貴様は?」

 

高津学長は突然の乱入者に驚き、明良にも睨みを利かせる。だが、そんなもの明良にとっては些事でしかない。逆に明るく微笑んだ。

 

「柳瀬家の執事の黒木明良と申します。この度は、逃亡者二名の捜索に舞衣様と協力して取りかからせておりまして」

 

「……ふん。それで、何か言い訳でもするつもりか? 逆賊をみすみす逃した貴様の主とやらの」

 

一瞬、明良の場違いな笑顔に顔を歪めるが、高津学長はすぐに尊大な態度に戻る。

 

――プライドだけは一丁前ですか、小心者さん。

 

「あまり舞衣様を責めないでください。舞衣様は市民の方々の安全と荒魂の再出現の危険性を踏まえた上での行動を取られたまでです。刀使としては正しい行動では?」

 

「正しいだと? 刀使として本当に正しい行動というのはな、紫様のために動くことだ! 貴様たちの今回の失態は明らかだろう!」

 

「ですから、それは私一人の責任なのですよ」

 

「……! 明良くん!?」

 

隣の舞衣が割って入ろうとするが、明良は優しくそれを制し、話を続ける。

 

「舞衣様がノロの回収班の要請をしている間、私が両名を捕まえる手筈だったのですが。相手は私に増援を呼ぶ暇を与えなかったので」

 

「それでも、隙をついて連絡する程度は――」

 

「それも、不可能でしたよ? 私は所詮ただの執事、人間です。刀使二人を相手に一瞬でも隙を見せれば命の危険すらありました。なにしろ、彼女たちは親衛隊のお歴々を退け、逃げおおせるほどの手練れですからね」

 

チラッと真希と寿々花の方に視線を向ける。二人とも素知らぬ顔をしているが、僅かに眉間に皺が寄る。

 

「嫌味のつもりか? 黒木明良」

 

「まさか。ですが、そう聞こえてしまったのでしたら、謝罪いたします」

 

真希が低い声色で聞いてくるが、すかさず受け流す。改めて、高津学長に向き直り、詰め寄り、彼女の瞳を笑顔で覗き込む。

 

「高津学長、私が申し上げることではないと思いますが、今すべきことは御当主のために逃亡者の行方を突き止めることではないですか? 何でしたら、舞衣様の分の叱責も私が全て受け止める所存ですが……いかがなさいます?」

 

「……! も、もういい、貴様たち二人は宿舎で待機していろ! 話は終わりだ!」

 

高津学長は明良と距離を離すように急いで後ずさり、出口を指差す。

 

「そうですか、ご親切に感謝いたします」

 

明良は笑顔で一礼。何やら高津学長の顔がひきつって小刻みに震えている。冷え性か何かだろうか。

 

「では舞衣様、参りましょうか」

 

「う、うん……」

 

明良の誠意を持った説明によって、事なきを得た二人は退室し、宿舎へと向かった。その途中、舞衣が話しかけてきた。

 

「ねぇ、明良くん」

 

「何でしょう?」

 

「さっきのこと……何であんな風に高津学長に反抗してたの? 私は別に……」

 

申し訳なさそうに舞衣は口ごもる。

 

「高津学長に(なじ)られていればよかった、ですか? それは執事として容認しかねます」

 

明良は努めて冷静に、きっぱりと告げる。

 

「貴女が謂れのない暴言に晒されている光景など、私には耐えられません。それに――」

 

そこまで言って、明良は言葉を止めた。そして、危うく口にしてしまいそうになった言葉を喉に流し込む。

 

「それに、何?」

 

「いえ、何でもありません。それよりも、お疲れでしょう? お部屋までお送りします」

 

そうして、やや早足で移動していく二人。明良が珍しくほんの少しだが動揺している姿があった。

 

――重なって見えたから、だなんて……言えるはずがないでしょう。

 

 

※※※※※

 

 

「……ん」

 

昨日、一昨日と可奈美と姫和のために奔走していたせいで、かなり疲労が溜まっていたようだ。舞衣は何の夢を見ることもなく、深い眠りから覚めた。部屋の壁掛け時計の示す時刻は午前八時。

 

「可奈美ちゃん……」

 

鎌倉を訪れた最初の夜は、隣の布団に可奈美が横たわり、朝は彼女の寝顔を眺めていたのに。今となっては折神家から用意された個室で一人夜を明かしたのだ。

舞衣にはまだ、多少の後悔が残っていた。理由があったとはいえ、親友を重罪人として逃亡させたこと。

 

「明良くん……私、心配だよ」

 

寝返りを打ちながら、隣の部屋の執事に届くはずのない声を漏らす。心配ない、何とかすると自分を励ましてくれた彼に弱音を吐いてしまっている。

普段ならば誰かに表立って頼ることはない舞衣だが、独り言で勝手にそういう気持ちを抱くことは許されるだろう。明良の耳に届きでもしたら、余計な心配で彼の手を煩わせることは間違いない。

 

「よしっ!」

 

もう悲しんではいられない。姫和に可奈美を任せると決め、恩田累の住所の書かれたメモを渡したのだ。もう、後戻りはできない。今やるべきことは皆で無事に帰ることだ。そのために出来ることをやろう。

決意を胸に、舞衣は勢いよく状態を起こして飛び起きる。

 

「……ん?」

 

そのはずだったのだが、飛び起きた彼女の視界の右側に映った物体が十秒ほど思考力を失わせた。

 

「おはようございます、舞衣様。朝食の準備ができていますよ」

 

「……!?」

 

何かの見間違いかと思った。寝惚けているのか、幻覚でも見ているのか、あまりの寂しさからエア明良でも出現させてしまったのか。何故かはわからないが、これは現実だ。

いつもの黒スーツと黒ネクタイ姿の明良が鍵のかかった舞衣の部屋の、寝床の隣に正座して待ち構えていたのだ。しかも、満面の笑みで。怖い。

 

「あ………あ……きら、くん!? 何で、何でここに!?」

 

「舞衣様が危険に晒されているのではないかと気が気でなくて、合鍵をご用意させていただきました」

 

明良はポケットからキャンディでも出すかのように、しれっとこの部屋の鍵の複製品を取り出す。本当にいつの間にやったのかと疑問だったが、それよりもやるべきことがある。

 

「てぇい!!」

 

「あっ……」

 

舞衣は忍者のような素早さで明良の手に握られた合鍵を奪う。明良は残念そうに舞衣に取られた鍵を見つめる。

 

「舞衣様……そんな……」

 

「そんな、じゃありません!」

 

舞衣は顔を赤くしながら鍵を胸元に掻き抱く。明良のおもちゃを取られた子供のような表情に若干の罪悪感を抱かないでもなかったが、それでも返すわけにはいかない。

 

「お、女の子の部屋に忍び込んで寝顔を覗くなんて変態さんみたいだよ、もう!」

 

「とんでもない……私が変態だなんて。私はただ、いついかなる場合であろうと、舞衣様のお側で危険からお守りしようとしているだけです!」

 

「今のところ一番の危険は明良くんだよね!?」

 

今まで彼からは『こういう』片鱗が見えていたが、今回のことで浮き彫りになったような気がする。

 

「それに、私が真に寝顔を拝見させていただきたいと思っているのは舞衣様だけです。普段とは違う、無防備で無邪気な舞衣様の就寝中のお顔に心を奪われ、そして、心の栄養として脳内に保存することが咎められることなのでしょうか!」

 

「それ開き直ってるよね!? 論点が何だか違う!」

 

埒が明かない。というか、何故朝から自分の執事――もとい、変態に片足を踏み込みかけている人物とこんな争いを繰り広げているのだろう。

一旦終わりにして制服を着よう。そう思ってハンガーに掛けておいた制服を探す。

 

「制服でしたら、昨日の内に洗濯、乾燥、アイロンまで済ませております。どうぞ、こちらに」

 

察した明良が側に置いていた彼の鞄から舞衣の制服を取り出す。

 

「お召し物はこちらでお預かりいたしますので。では舞衣様、私がお着替えを手伝わせていただき――」

 

力ずくで追い出した。




イケメンでも許されないことってあるんですね(断言)
十三歳の女の子の部屋に忍び込む男、という犯罪の臭いしかしない内容ですよ、ヤベー( ´∀`)

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第9話 口にできない

アニメ三話を見て、ドラマCDを聞いて、ひよよんって女子力高いなーと思った私。胸が全て家事スキルに吸収されてしまったのではないゴフェアッ(斬殺)

とまあ小話はともかく、オリジナルの考えやら何やらが出てきます。おかしいとこもあるかもしれませんが多少はご容赦を。明らかに矛盾してるとこあったら指摘してくださってもOKです!


「あれ? 姫和ちゃん、何か鳴ってない?」

 

「そういえば……」

 

舞衣と明良の二人と一悶着あった後、可奈美と姫和は元美濃関学院出身の女性、恩田(おんだ)(るい)の住んでいるアパートに転がり込んでいた。

というのも、可奈美が舞衣から受け取ったクッキーの包み袋の中に入っていたメモが原因だ。そのメモに記されていた電話番号に連絡したところ、その累という女性に繋がり、匿ってもらえることになったのだ。

それから一夜明け、仕事に向かった累の代わりに二人で部屋の掃除をしようということになった。その最中に部屋に響いた電子音に一旦手を止めた。

 

「! これは……」

 

音の出所は姫和のポケット。そして電子音と共に感じる振動。ここまでくればわかる。携帯電話だ。

 

「姫和ちゃんの?」

 

「いや、違う。私のものは破棄したし、見たことのない機種だ」

 

黒いハードカバーの付けられたやや小さい携帯端末。刀剣類管理局から支給されている携帯端末は足がつくと考えて破棄しておいたのだ。当然、可奈美も持っていない。

 

「えっ、明良さん……!?」

 

可奈美が携帯端末の画面を覗き込み、電話の発信者の名前を目にして動揺する。発信者には『黒木明良』という表示。姫和にとってはどちらかと言えば敵に近い相手だが、今更彼が敵対してくるとは思えない。むしろ、無視すれば何をしてくるかわからない相手だ。何より、何故こんなことをしてくるのか詳しい話を聞きたい。

警戒しながら姫和は応答のアイコンをタップし、携帯端末を耳に当てる。

 

『こんにちは、壮健そうで何よりです』

 

爽やかな、軽やかな風のような声。しかし、昨日のやりとりを考えるとその中に得体の知れない感情が混在しているような気がしてならない。

 

『電話に出る余裕があるということは、恩田累さんとは接触できたようですね。良かったです』

 

「お前……これはどういうことだ? そもそも、一体いつこの携帯を渡した?」

 

『昨日、貴女の身体を掴んでしまったでしょう? その際に服に忍ばせておきました』

 

姫和が明良の赤黒い異形の腕に掴まれて身動きがとれなくなっていたときだ。あの時は彼の異様な姿ばかりに注意を割いていたせいで自分の懐の中など気にしていなかった。

 

『目的があったとはいえ、女性の服をまさぐってしまったことについては謝罪しましょう。後日改めて、ですが』

 

「そんなことはどうでもいい。何のためにこんなことをしている?」

 

圧を込めて電話口の向こうにいる青年に問い質す。事と次第によっては彼が未だに二人を追っている可能性も低くないのだ。

 

『ご安心ください。私はもう貴女方を捕らえるつもりはありません。むしろその逆です』

 

「逆……?」

 

『とりあえず、その話をする前に、聞いておかなければならないことがあります。その場に誰かいますか?』

 

隣には可奈美。累は仕事で留守にしている。当然、他には誰もいない。一応ベランダや玄関の外も確認したが人の気配はない。

 

「可奈美だけだ、周りには他に誰もいない」

 

『そうですか。ではスピーカーにしてください。可奈美さんとも話がしたいので』

 

一旦耳から携帯端末を離し、スピーカーを入れる。これで隣の可奈美とも話せるようになった。

 

『切り替わりましたか?』

 

「替わってるよ。それで明良さん、どうしたの?」

 

『はい、実は貴女方に協力しようと考えているのです』

 

思いもよらぬ提案に姫和は怪訝そうな表情で返答する。

 

「どういうつもりだ」

 

『ですから、私が貴女方の逃亡の手助けをするということです』

 

「それって、明良さんと合流するってこと?」

 

続けて可奈美も聞いてくる。電話口から帰ってきたのはどこか残念そうな雰囲気を含んだ声だった。

 

『いえ、残念ですが合流はできません。今はあまり長い間舞衣様の近くを離れるわけにはいけないので。代わりに、情報を送ります』

 

「情報だと?」

 

『はい。刀剣類管理局の捜査の進行状況――追っ手の規模、貴女方の居場所の掴み具合、協力機関に至るまで可能な限り』

 

「本当に!? ありがと、明良さん!」

 

可奈美はやけに喜んでいるが、姫和は逆に明良に対する不信感が強まっただけだ。彼の提案の聞こえが良いからこそ、尚更に。

 

「納得できないな。何故私たちに協力する? お前は昨日の私たちの話を鵜呑みにしたのか? 嘘をついているわけではないが、簡単に信じられるような内容じゃない」

 

彼は昨日、自分の主人の命令だったとはいえ姫和に攻撃をしてきた。つまり、あの時点では二人を捕らえるために動いていたはずなのだ。

それなのに、昨日の今日で『折神紫が大荒魂である』という話を信じたというのか。この話には現時点では物証などない。主人の親友である可奈美の言葉だから信じたと考えられなくもないが、あの冷静沈着な男がその程度でこんな行動に出るというのは違和感が拭えない。

 

『信じていますよ。なぜなら、折神紫が荒魂であることは私も確認しましたから』

 

「なっ……!?」

 

「え……」

 

可奈美も姫和も激しく狼狽した。何と言ったんだ彼は。

まるで冷蔵庫の残り物を確認する程度の声色で言ったのだ。ハッタリや冗談か何かかと思ったが、続けられた説明はそんな懸念を払い去った。

 

『ご存知とは思いますが、私は少々人並外れた力を使えます。その力の一つとして、私は荒魂の匂いを察知することができます』

 

「荒魂の……匂いだと?」

 

聞いたこともない。ノロの引き合う性質を利用したスペクトラム計や、それをデジダル化させたスペクトラムファインダーとも違う。人間が荒魂を自力で察知することなど出来ないはずだ。

 

『尤も、ノロの分子が空気中に漂っているわけではありません。実際の現象で言えば共振のようなものですね。折神紫からは非常に強力な匂いを感じました。それこそ、ただの荒魂の比ではありません』

 

「やっぱり、荒魂……なんだよね? 御当主様は」

 

『でしょうね。付け加えておくならば、親衛隊の面々もクロです。彼女たちからも荒魂の匂いがしました』

 

「親衛隊も……!?」

 

それは初耳だった。倒すべき敵は折神紫だけかと思っていたが、親衛隊は彼女の駒というよりも協力者に近い位置にいるのか。

 

『とは言っても、荒魂の匂いは折神紫よりも弱い……ノロを人体に混入させているのでしょうね。彼女たちは折神紫の正体を知っている上で戦いを挑んでくるはずです。説得はしない方がいいでしょう』

 

「そうか……わかった」

 

一先ず、彼なりの根拠は理解できた。だが、肝心の疑問が解消できていない。

 

「それで、一体どういう理由だ。お前がそうまでする理由は?」

 

『理由……ですか』

 

軽いため息の音。彼が少々言い淀んだのが感じ取れる。

 

『理由は三つです。まず一つは、貴女方が今捕まると大変なことになる可能性が高いからです』

 

「大変って……そりゃあ捕まったら大変なのはわかるけど……」

 

可奈美がよくわからないと唸っている。明良は『順番に言います』と挟んでから説明を始める。

 

『今回の件、刀剣類管理局は警察はおろか政府からの介入も全て拒否しています。おかしいとは思いませんか?』

 

「確かに妙だな。私たちをすぐにでも捕まえるつもりなら協力を要請するのが自然のはずだ」

 

『そうです。今回十条さんが起こした一件は第三者から見れば殺人未遂。それも刀剣類管理局局長となれば警察機構や政府要人にも顔が利く立場です。協力を要請する理由としては十分のはず。それをしないのは何故か……』

 

「刀使が大きな問題を起こしたらイメージが悪いから、とかかな?」

 

可奈美が言っているのも間違いではないだろうが、二の次の理由だろう。もっと重要な理由がある。

 

『もしも協力を要請すれば、警察としては犯行の動機――怨恨などの線も視野に入れて捜査するはずです。ましてや、あの衆人環視の中で殺害に走る動機となれば並大抵のものではないと普通は考えます。

仮に、折神紫や親衛隊に関する調査が警察によって行われれば彼女らの正体が露見する恐れがある。それを警戒しているのでしょう』

 

思えばおかしかった。テレビや新聞などのメディアを確認しても二人の顔も名前も発表されない。どころか、世間的には折神紫の暗殺未遂そのものがなかったかのように扱われている。

 

「それが私たちの危険とどう繋がってくる?」

 

『これが確かならば、折神紫は貴女方を捕らえた後、何としてでもその口を塞ぎにかかるでしょうね』

 

「その、明良さん……塞ぎにかかるって……どういう風に?」

 

恐る恐る可奈美が聞いてくる。答えは大体出ているのだろうが確認せずにはいられないようだ。

 

『最低でも記憶を失わせる程度のことはしてくるでしょうね。悪ければ拷問や終身刑、最悪の場合は殺処分されるかと。そうなれば真相は闇の中となり、荒魂に世界が支配されることになる』

 

「そんな……」

 

『一昨日、十条さんが親衛隊の獅堂さんに斬り伏せられて写シを剥がされた際、彼女は続けて生身の十条さんを斬り殺そうとしていました。写シの有無に関わらず彼女たちは攻撃してくるでしょうね』

 

二人には何となく理解できていた。あんな事件を起こし、逃避行をしている時点で相手が手加減などしてくるわけがない。斬られることを覚悟はしていたが、言葉にされることは別の恐怖を産み出すことになる。

 

「……わかった。それで、次は?」

 

『二つ目の理由は単純に、舞衣様のためということです』

 

確かに、今度はあまりにも簡潔でなおかつ彼らしい理由だった。

 

『貴女方にもしものことがあれば、あの方は酷く悲しみます。あの方の身を守ることができても、気持ちを蔑ろにするのは本意ではありません』

 

「そうだよね……舞衣ちゃん、心配してる……よね」

 

可奈美が離ればなれになった親友に申し訳なさそうに呟く。覚悟を決めて姫和と同行していても、舞衣のことを見捨てたわけでは決してない。明良はもちろん、可奈美にとっても舞衣は大切な人だ。

 

「貴女方、とは何だ。私は柳瀬舞衣とは別段親密なわけじゃないだろう」

 

『あの方は優しい』

 

姫和の何処か突っぱねるような感じの言葉を明良は一蹴する。

 

『表に出していないだけで、人に弱い面を見せないようにしているだけで、内側に押し込んで気持ちの整理がつくのを待っている――あの方はそういう性格なのです。御姉妹の長女として、柳瀬グループの重役候補として生きている弊害か、あの方は表立って人に助けを求めない』

 

妄想や願望ではない。彼にとって舞衣を守ることが最大にして最重要の目的なのだ。その性格を熟知している。

 

『貴女に可奈美さんを任せている以上、多かれ少なかれあの方は貴女の心配もしています。間違っても、敵とは認識していません』

 

「そうか……」

 

姫和にとっては実感はないに等しいが、理屈はわからなくもない。それに、事実がどうであれ明良が動く理由としては十分だろう。

 

「それで、三つ目は?」

 

『……』

 

黙られた。実際には数秒ほどだったのだろうが、彼が悩み、苦しんでいるような雰囲気が微かな呻き声から感じられた。

 

『本来なら、私個人の感情など含むべきではないのですが……貴女方には言っておかなければなりませんね』

 

決心がついたのか、滔々と理由を述べる。

 

『私は貴女方に対して償わなければならないのです』

 

「償う……? それって何を……」

 

『私は……貴女方の大切な人を手にかけた……罪人です』

 

「手にかけた……だと!?」

 

最後の最後で聞き捨てならない台詞を口にした明良。

 

――大切な人を……一体誰が……

 

そこで合点がいった。結論に辿り着いた。

 

「お前……知っているのか……二十年前のことを。詳しく話せ」

 

『……申し訳ありません。今はまだ私の口から話すことはできません。その権限を持っていませんから』

 

「おい……!」

 

低い声で威圧しようとするが、すぐに『ですが』という声に遮られる。

 

『知っているかどうか、という点では答えられます――知っていますよ』

 

「……!」

 

電話で話していることをこんなにも悔しく思ったことはない。実際に会って、面と向かって話をしていたら胸ぐらを掴んででも聞き出すところだ。

 

「今は口にできないとはどういうことだ!? あの時の話を知っているのなら――」

 

『それも、まだ口にできません。ただ、一つ言えることは……』

 

一拍置いて、心中を吐露する。本来話すべきではない――可奈美と姫和にだけ話すべきだと判断した彼の気持ちを。

 

『……私が貴女方のお母様にしたことは、悪かったと思っています』

 

静寂が場を支配した。彼の罪が何なのか、どういう類いのものなのか、正確にはわかりかねた。明良はそのまま無言で通話を切った。

 

一方、姫和の胸にはいつまでも疑念しか残らなかった。あの冷静沈着で、悲壮さを併せ持つ青年が何者で、何を知っているのか、次に会ったときには根掘り葉掘り問い詰めてやると。そう心に決めた。




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第10話 想うだけ

この話が何で出来ていると思います?

5パーセントのシリアス、15パーセントの伏線、30パーセントのキャラ紹介、残りの50パーセントはおふざけですよ(^◇^)


「舞衣様……なぜ……どうしてこのようなことになってしまったのですか」

 

「ごめん、明良くん」

 

明良は心底嘆き悲しみながら正面の舞衣に問い掛ける。舞衣も、申し訳なさそうに悲痛な声を返した。

 

「私の存在意義が、お傍に置いていただいている意味が……ありません。私、全身が引き裂かれるような思いです」

 

「それでも、だよ」

 

この世の終わり、人生の目的の消失。生きていることが無価値で、今の状況と比べれば地獄の釜の湯がぬるま湯に思えてしまうほどだ。

自分の申し出を舞衣に拒絶され、考えうる限りの最悪の事態を招いた。完全に自分の失態が引き起こした結果だ。明良はホロリと溢れてしまいそうな涙を無理矢理にでも押し戻す。

 

「私は……もうこの世にいる意味を失ってしまいます……」

 

「うん……うん。明良くん、確かに申し訳ないと思ってるよ。でもね――」

 

舞衣は諭すように告げる。明良への、今自分がかけるべき言葉を。

 

 

「朝ご飯くらいは自分でたべられるからー!!」

 

 

舞衣は悲痛な表情から一転、明良に強く反論した。というか、ここまで大仰にしている彼に呆れてしまっただけだが。

 

「ですが、ここ最近は舞衣様はお疲れのご様子。先程もお着替えはご自分でなされていたようですし、せめてこれくらいはと」

 

何があったのかというと、宿舎に備え付けられている食堂に朝食を摂りに向かったことから明良の『ご奉仕』なるものが始まったのだ。

注文から配膳、食べやすいように魚の骨を取り除く、挙げ句には「あーん」と舞衣に口を開けさせて食べさせるという行為にまでなった。

 

「大体、私そんなに子供じゃないから! それに、あーんとか恥ずかしいし……」

 

「恥ずかしがらなくても結構ですよ。舞衣様はお手を使うことなく優雅にお食事を楽しんでいただければ」

 

これはもはや、過保護というより介護の域ではなかろうか。中学二年生にもなった舞衣にとってここまでされるのはちょっといただけない。

 

「しかし、私が貴女の所有物だと申し上げた際、舞衣様は了承してくださいましたよね?」

 

こちらも一転。明良は黒い雰囲気(オーラ)を纏った笑顔で聞いてくる。

 

「そ、そうだけど……」

 

「私は舞衣様の手足や食器と同じ。つまり、舞衣様は今ご自分で普通に食事をなさっているのと同義です。さあ、ではどうぞ」

 

「どうぞ、じゃなくて!」

 

――一体どういう理屈なんだろう……

 

悪意は……多分あると思うが基本的には善意での行動だろう。とは言ってもここで受け入れれば完全に明良のペースに持っていかれるのは必至。もはやどっちが主従関係なのか。

 

「そんなことしなくても食べられるから、ほら」

 

明良の手から箸を奪おうとするが、ひらりひらりと空中の木の葉のように舞衣の手をかわしてくる。そこまで渡したくないらしい。

舞衣は仕方ないと伸ばしていた手を引っ込める。

 

「……ひとくち」

 

「!」

 

「一口だけなら、いいから」

 

「本当ですか……嬉しいです!」

 

キラッキラしてる。目の中にダイヤモンドでも入ってるのだろうかと疑ってしてまうほどに。

 

――そんなに、嬉しいんだ……

 

明良は時々、年齢にそぐわないほど子供のようになることがある。口調や知能ではなく、表情が。歳は舞衣よりいくらか年上のはずなのに、こういうときは弟のように見えなくもない。

 

「けど、それだけだから。二口目からは私が自分で食べる。いい?」

 

「かしこまりました。では。はい、あーん」

 

明良はだし巻き玉子を箸で一口大に割り、舞衣の口元へ運ぶ。待ち構えていた口に入れられ、何度か咀嚼する。

おいしい、と思う。舞衣としては明良が作ってくれたものの方が好みだが。

 

「……!?」

 

尤も、それ以上味を楽しんでいる余裕などなかった。周囲にちらほら座っている他校の生徒からは多種多様な目で見られているからだ。

嫉妬、羨望、微笑み、などなど。総じて言えるのは『すごい見られてる』ということだ。

舞衣は羞恥で顔を真っ赤に染め、視線を隣の明良へと移す。

 

「舞衣様、よろしければ二口目もどうぞ。はい、あーん」

 

箸は奪った。このときの舞衣の手の動きは音を置き去りにしていた、と明良は後に語っている。

 

 

※※※※※

 

 

食堂での『音を置き去り事件』の後、舞衣と明良は刀剣類管理局のバス用駐車場まで足を運んでいた。

 

「皆、それぞれの学校に帰っちゃうんだね……」

 

「皆さんの容疑は晴れたようですし、拘束されている理由はありませんからね」

 

荷物を抱えてバスに向かっていく刀使たちを遠目からぼんやりと舞衣は見ていたが、明良はそれとは別の視点で観察していた。

 

――綾小路は全員、長船は代表二人以外、平城、美濃関も長船と同様に、ですか。

 

冷静にバスに乗る各校の刀使たちの顔を確認していた。見たところ鎌府の者は一人もいない。刀剣類管理局としては折神紫の警護に当たっている親衛隊の代わりに鎌府女学院の刀使に捜索をさせている。というか、鎌府の高津学長が出しゃばったと言った方が正しい。

 

「あれ、あの子……」

 

ふと、舞衣が左のスペースに駐車してある白塗りの車の方へ目を向ける。正確には、その車に乗り込んでいる少女に。

 

「鎌府の……」

 

糸見(いとみ)沙耶香(さやか)さん、だったかと」

 

色素の薄い、白に近い髪に表情のない顔。しかし、整った顔立ちと華奢な体格はさながら人形のようでもあった。

確か彼女は御前試合の出場者だ。つまり、鎌府女学院の刀使の中でも上位に位置する実力の持ち主。そんな彼女が一人だけ別行動をする意味とは――

 

「ヘイ、レディ柳瀬!」

 

背後から声をかけられた。明るい少女のそれだ。振り返ると、二人の少女が目に入った。一人は長身で長い金髪の少女。目鼻立ちや髪の色からすると外国人の混血だろう、話しかけてきたのは彼女のようだ。もう一方は対称的に背丈の低い、小学生と言って差し支えないほど小柄な少女だ。

二人の顔には見覚えがあった。長船の代表二人だ。バスに乗る姿が見えなかったが、ここにいたのか。

 

「あなたたちは確か、長船の……」

 

古波蔵(こはぐら)エレンデース!」

 

益子(ましこ)(かおる)だ」

 

長身の少女はエレン、小柄な少女は薫というらしい。どういうわけか、二人とも御刀を差しておらず、どころか着ているものは制服ではない。つばの広い帽子、薄手の半袖シャツ、円輪状の浮輪など、まるでこれから海かプールにでも向かうような格好だ。

 

「ワタシの両親とアナタのパパは仕事のパートナーなんデスよ」

 

「えっ……? 父と、ですか?」

 

驚いた様子の舞衣だが、明良は既に知っている。古波蔵という苗字から察するに両親というのは古波蔵公威(きみたけ)とジャクリーン夫妻のことだ。その二人は特別希少金属研究開発機構に勤めている科学者であり、舞衣の父親はそこの出資者にあたるらしい。

 

「お友達のことで大変でしょうけど、落ち込まないでクダサイね!」

 

「おーい、エレン。そろそろ行こうぜ」

 

舞衣の手を取っているエレンを横目に、薫は後方の車を親指で差す。

 

「お二人はこれから休暇ですか?」

 

「イエス! 真夏のバケーションデース!」

 

「絶好の海日和だからな」

 

明良が尋ねると、得意気に返された。しかし、次の瞬間に意外な介入があった。

 

「ねねー!」

 

「?」

 

「え……」

 

薫の頭部の影に隠れていた何かが姿を現した。大きさは子犬程度、茶色い体毛と鉄色の尻尾、大きく生えた耳は兎のようだ。

舞衣も明良も直感的に感じた。これは――

 

「それ、荒魂じゃ……!」

 

「………」

 

警戒する二人に対して、エレンと薫は慣れた様子で説明してきた。

 

「こいつはオレのペットだ。安心しろ、荒魂だが襲ったりしない」

 

「そうデスよ、ねねは友達みたいなものデスから」

 

――確かに、穢れが感じられない。何でしょうか、この匂い。

 

明良にとっては不思議でならなかったが、荒魂が大人しく人間の身体に隠れて行動を共にするなど考えられない。それに、こんな近距離で明良の嗅覚に引っ掛からないとなれば、仮に荒魂であっても本来持っているはずの『穢れ』という特性がなくなっていることの証明になる。

 

「舞衣様、ご安心ください。こちらへの敵意は感じられません」

 

「……そう?」

 

改めてねねの方を見て、そこで気づいた。その生物の――彼か彼女かは不明だが、とにかく『奴』の視線の先に存在するものを。

 

「……!!」

 

まだ女性陣は気づいていないが、明良にはわかった。以前からもそうだが、ここに来てからは特に舞衣の動向や彼女に向けられている視線には敏感になっている。

 

ねねが目を輝かせながら釘付けになっているもの、それは――舞衣の胸だ。

 

中学二年生にしては大きい、いや、大人でもこのサイズは中々いないだろうと思えるほど豊かな胸。男ならば誰もが弄ぶ妄想をしたことがあるだろう。同級生の女子からも羨ましがられるらしく、本人は剣術の邪魔になるからと良く思っていないと聞く。

そんな恥じらいと清純さと背徳感を併せ持つ、この世全ての神秘の象徴に目を奪われることは仕方がない。だが、しかし。ねねはそれを踏み越えた。

 

「ねねーっ!」

 

薫の頭部から跳躍し、ねねは視線の先、舞衣の胸目掛けて空中で手を伸ばしてしがみつこうとする。舞衣と薫はそれを察知してねねを止めようとするが、遅い。刹那の遅れがねねの侵略を許してしまう。

 

「ねーっ!」

 

朗らかな鳴き声を発しながら無邪気、無垢ともいえる荒魂は舞衣の白い布地に包まれた双丘へと辿り着く。

 

「ねっ!?」

 

いや、辿り着いたのはその手前に突如として出現した別の白い物体――明良の手袋。つまりは明良の手に阻まれたのだ。

 

「ふふふ」

 

ねねの頭を掴み、穏やかな笑みを口元に浮かべる明良。尤も、笑っているのは口元だけで目は野獣の如き眼光を放っていたが。

 

「ねねさん、と言いましたか。いけませんねぇ、偶然にも転げ落ちてしまうなんて。危ないですよ」

 

「いや、思いっきり飛び込もうとしてマシタよね?」

 

エレンの言葉は明良の耳には届いていない。鼓膜に届いても心には届いていないのだ。

前言を撤回しよう。これには穢れがある。ケダモノのごとき穢れが。

 

「あ、明良くん、放してあげないと……」

 

「そーだぞ、ねね。ほら」

 

頭部からメリメリと音がしそうなほどに掴まれているねねを心配したのか、舞衣と薫が止めに入った。明良も大人しく手を放し、ねねは薫に尻尾を引っ張られて回収された。

 

「ったく、ねね。巨乳と見るなり飛び付くのはやめろって言ったろ」

 

「ねね……」

 

回収したねねに説教をしている薫。

 

「あと、流石に彼氏持ちはマズい。一番話がややこしくなる」

 

「ねっ!」

 

ピシッと敬礼するねね。了承したのだろう。

それはそれとして、舞衣は薫の発言によって顔を赤くしていた。

 

「か、彼氏……って」

 

「違うのデスか?」

 

「ち、違います!」

 

明良の方を横目でチラチラ見ながら否定する舞衣。対して明良は表情をいつもの会釈に戻して応対する。

 

「私はそのような立場の者ではありませんよ。私は黒木明良、柳瀬家の執事を勤めさせていただいております」

 

「ワーオ、執事さんデスか」

 

「はい。ですので、舞衣様の恋人など私のような者には畏れ多いことです」

 

――勘違いされたことが嬉しくないと言えば嘘ですがね。

 

「でもな、そんなにベッタリだったら勘違いするぞ。男連れだーって」

 

薫が両手の人差し指と親指で四角を作り舞衣と明良を視界の中で切り取る。カメラのフレームに入れているような動作だ。

 

「ベッタリですか。そこまで多くの方々に見られてしまっているのですね」

 

「明良くん、何でそんなに嬉しそうなの……?」

 

「いえいえ、しっかり舞衣様にご奉仕できているのだと実感できまして」

 

明良にとっては四六時中傍にいたいくらいなのだ。傍にいることが周囲にとっても当たり前でいてくれれば嬉しい。舞衣も照れたような顔で俯きがちになっている。

 

――嬉しいんでしょうね、ふふ。

 

「おっと、話しこんじまったな。じゃあな」

 

「シィーユー、マイマイ、アキラリン!」

 

薫とエレンは手を振りながら車に向かい、去っていった。エレンが去り際に放った呼び名に若干の疑問は浮かんだが。

 

「舞衣様、そろそろ戻りましょう。お部屋まで同行します」

 

「う、うん。ありがとう」

 

見送りは終わったので、二人で宿舎に帰ることにした。明良も可奈美と姫和に連絡を入れなければならない。時間の隙間を見つけて二人のサポートをしなければ。

 

「私たち……やっぱりそういう風に見えるのかなぁ……」

 

斜め前を歩く舞衣が小声で呟く。本人でさえ聞こえたかどうかわからないほどの声量だが、明良の耳ははっきりとその言葉を捉えていた。

 

「………」

 

何も言えない。聞こえていないふりをした。

舞衣の隣に恋人として立つという想像が頭に浮かびはしたが、即座にその光景を黒く塗り潰した。ありえない、あってはならない。

だが、頭の中で――(こいねが)うのではなく、空想や可能性の一つとしての存在を考えるだけならば許されるような気がした。

なぜなら――

 

――想うだけ(、、)ならば、罪ではないでしょう?




次回はシリアス回です。90パーセントはシリアスです、フンスッ

質問、感想はお気軽に!(*´∀`)つ

それから、お気に入りが三桁に到達しまして、誠にありがとうございます(*- -)(*_ _)ペコリ


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第11話 私を呼ぶな

ちょい間が空きましたね。ゴメンナサイ。
今回はほぼ進まないです。明日には次の話を上げますんで、どうかよろしく(^_^ゞ




舞衣を部屋まで送り届けた後、明良は一人で管理局の庭に足を運んでいた。手頃なベンチに腰掛け、電話を発信する。相手は姫和だ。

 

「十条さん、黒木です。今は近くに誰がいますか?」

 

周囲に気を配り、万が一見られても怪しまれない風に話を続けた。

 

『可奈美と累さんだけだ。何の用だ?』

 

「鎌府女学院の糸見さんがそちらに向かいました。迎撃か逃走の準備をお願いします」

 

簡潔に用件を述べる。今のところ差し向けられた刺客は沙耶香だけだが、十分な脅威たりえる人物だ。伝えておくべきことだろう。

姫和は動揺しながら聞いてくる。

 

『刀剣類管理局に掴まれたのか?』

 

「ええ。詳しく言うと、貴女方の潜伏先と恩田さんの素性も割れていますのでご注意を」

 

『どういうことだ。何故ここが……』

 

どこから情報が漏れたのか疑問に思っているようだが、明良はその理由を知っている。無論、推理などではなく確かな筋からの情報だ。

 

「敵の目も節穴ではありません。貴女方の変装やマンションの駐車場の映像、それから昨日の荒魂の出現位置から割り出されていました」

 

『……わかった。糸見はこっちで何とかする。引き続き情報を頼む』

 

「かしこまりました」

 

悔しげな姫和の声が届くが、やがて理解して話を切り上げようとする。だが、中々彼女の方から通話を終了させる気配がない。

 

「……切りますよ」

 

『ま、待て!』

 

「? 何ですか?」

 

引き止める姫和の声に、通話終了のアイコンに伸びた親指がその動きを妨げられた。

 

『……いや、何でもない』

 

聞くのを恐れたのか、他に理由があったのかは定かではないが、明良にはほぼ確信できていた。

 

「今朝の電話の――最後の会話のことですか?」

 

『ああ……』

 

哀しさと悔しさを込めて答える姫和。無理もない。彼女にとっては喉笛を掴んででも聞き出したい情報を目の前でちらつかされているのだ。明良にとっては計算通りだが、心苦しさは感じている。

 

――『……私が貴女方のお母様にしたことは、悪かったと思っています』

 

可奈美と姫和、彼女たちの母親を明良は知っている。かつて若かりし頃の二人と相見え、死に追いやったのだ。姫和だけではない、可奈美にとっても見逃せない話だ。

だが、姫和からすれば今朝の段階まで自分の仇は折神紫、ひいてはそれの姿をした大荒魂だという前提で戦っていたのだ。そこに突然、自分こそが真の黒幕であるかのように名乗る人物が現れれば混乱するのが当然と言える。

 

『一応確認しておくが、あれは何かの冗談か? それとも私を口車に乗せるための嘘か?』

 

「どちらも違いますよ。私は冗談は苦手ですし、嘘をつくことなどありません」

 

嘘だ。明良は目的のためならば嘘も冗談も、計略も厭わない。そうでなければ明良は今生きていない。

だが、彼女たちの母親の件については嘘などではない。相手を操るには真実を話すことも重要なのだ。少なくとも、この件については犯した罪も、胸に抱いている罪悪感も嘘偽りはない。

 

「とは言っても、今貴女にこの件について詳しく話す意味はありません。話すのならば追っ手を逃れた後にしましょう」

 

『わかった。なら、お前もそれまでは死んでくれるなよ。必ず生きて、私と可奈美の前に来い。その時には真実を話してもらうからな』

 

「……ええ、では失礼します」

 

簡素な別れの言葉を述べて今度こそ通話を終える。

 

――私と可奈美の前に、ですか。

 

一匹狼と言っても良かった彼女の口から出た言葉に自然と笑みがこぼれた。彼女自身、理由があるとはいえ多少なりとも可奈美を仲間と認識しているようだ。

 

「……帰りますか」

 

さっき聞いた(、、、、、、)高津学長の話から、向かったのは沙耶香一人。それだけならば可奈美と姫和の二人で十分対処できる。無理にでも潜伏先に向かって加勢に入る必要はないだろう。

そう結論づけ、ベンチから重い腰を上げた。そこへ声をかける人物がいた。

 

「そこのお前、待て」

 

「……はい?」

 

女性の声。凛とした、重く響く声だ。確認するまでもなかったが、振り向いた先にその人物は立っていた。

目元を覆い隠す前髪、腰を通り越して膝にまで届きそうなほど長い後髪、腰に差した二振りの刀。折神紫だ。

 

「これはどうも、こんばんは。私に何か御用でしょうか? というより、先日の一件があったのですからこんな夜中にお部屋を離れるのは危険なのでは?」

 

「問題ない。そもそも、私には護衛など必要ないのだ」

 

はったりではない。姫和の超高速の刺突を簡単に防いだ彼女ならば、親衛隊などおらずとも大概の敵は歯牙にもかけずに返り討ちにするだろう。

 

「少し話がある」

 

「お話ですか、場所を移した方がよろしいですか?」

 

「いや、ここでいい。そこまで長い話にはならないからな」

 

近くに人の気配はない。盗聴器の類いはこの辺りにはないし、監視カメラもこの角度では明良の背中しか映さないため唇の動きで会話を読まれる心配もない。

そこまで考えた上で明良は了承した。

 

「わかりました。それで、話というのは?」

 

「昨日の事件のことだ」

 

昨日の事件、となれば十中八九姫和に暗殺されかけたことについてだろう。だが、何故今更そんなことを聞く?

 

「まさかとは思いますが、私があの二人と共謀して今回の件を引き起こしたと、まだ疑っているのですか?」

 

鼻で笑うように、クスリと笑い声を混じらせる。本気で受け取っていないという意思表示だ。しかし、紫はその雰囲気を一蹴する。

 

「違う」

 

「……何が違うんです?」

 

一応聞いておく。何が聞きたいんだこの人は。ここまで思わせ振りな態度で話しているのだからそれなりに重要な話なのは間違いないのだろうが。

 

「お前は何か疑問に思ったことはないのか? 衛藤可奈美、十条姫和、そしてお前が私の前に現れたこと、十条姫和が私を討とうとしたこと、偶然だとでも思うのか?」

 

「……さっきから何を仰っているのかよくわかりませんね」

 

――見抜いているぞ、とでも言いたいのでしょうね。

 

「親衛隊の方にすでにお話ししましたが、私の知る限り衛藤さんと十条さんが旧知の仲であった覚えはありませんし、私は今回の件については全く予期していませんでした。私と彼女たち……いえ、貴女も含めた私たち四人に何か特別な関係性があるという意味ですか?」

 

「……あくまで白を切り通すのか」

 

「いえいえ、白も何も、私のような一介の執事が関係するような件ではありませんよ、これは」

 

沈黙。これ以上は何も吐かないと踏んで紫の方からは何も追求してこない。

数秒見つめ合っていたが、不意に紫がまた口を開く。

 

「匂い」

 

「……?」

 

「隠しきれていないぞ」

 

「……何のことでしょうか?」

 

――貴女もでしょうが。

 

「その様子ならば、気づいているのだろう? 我々の素性も」

 

「気づいていると言ったらどうなさいます?」

 

挑発の意味を込めて問い掛けると、紫は射殺さんばかりの眼光で睨みつけてきた。

 

「……あの女、柳瀬舞衣と言ったか」

 

「………」

 

「お前の正体について話せばどうなると思う?」

 

心が少しだけ揺さぶられたことは認めよう。

だが、それだけだ。一片ほどの動揺が表情に出たが冷静さを欠いたわけではない。

 

「どうぞご自由に話してくださって結構ですよ。あの方はそんな話を鵜呑みにされるほど愚かではありません。冗談だと笑って流すに決まっています」

 

「……願望だな」

 

「貴女こそ、気を付けた方がよろしいかと」

 

睨んでくる彼女の目に向けて、同じだけの力を込めて睨み返す。

 

「昨日のように、恨みを買った何者かに暗殺されるかもしれませんからね。誰なのかは存じ上げませんが」

 

左手の白手袋は外している。紫も今の明良の言葉の真意を掴めないほど馬鹿ではない。

お互いに睨みを利かせるのは止め、明良は踵を返して宿舎へと歩を進める。

 

「失礼します。舞衣様をあまり御一人にしておくわけにはいかないので」

 

無駄な時間を食ったと心の中で歯噛みしながら中庭を後にしようとする。

 

その背中に、ポツリとぼやく声が飛び、触れた。

 

 

「……変わったな、(しゅう)

 

 

――何と言った? 私のことを、今何と呼んだ?

 

明良は思わず足を止めていた。気のせいではない。はっきりと、雑音の少ないこの場に、明良の耳はその声の振動を寸分違わず関知した。『修』という名前を。その名前――

 

――その名前で、私を呼ぶな。

 

「……申し訳ありません、修とは誰のことでしょうか? お知り合いの方と間違えていらっしゃいませんか?」

 

極めて穏便に、笑顔で対応した。聞こえなかったことにして無視しても良かったが、明良にとっては聞き捨てならない会話だったのだ。

 

「独り言だ。お前のことではない」

 

「そうでしたか、申し訳ありません」

 

紫も話を引っ張るつもりはないらしい。適当にはぐらかされた。

 

「……お前は本当に、柳瀬舞衣に尽くすのだな」

 

「……? 何ですか、突然」

 

紫が全く別の話題を話し始めた。急に何のつもりだ。

 

「ここまでの会話だけでなく、お前は常にあの女の安全のために行動している。それこそ従僕か奴隷のようにな。だからそうやって隠し通しているのだろう?」

 

「従僕に、奴隷ですか。そう考えてくださっても結構ですよ。私はあの方にならば、人権も生殺与奪権も喜んで差し上げる所存ですので」

 

当たり前の会話だ。明良にとっては現実的に考えてもそれくらいの相手なのだ、柳瀬舞衣は。彼女に尽くすことに何故わざわざ確認をされることがあるのだろう。

 

「理解できんな、そこまであの女が大切か? あの女はお前の何だ?」

 

紫は心底疑問に感じた様子で尋ねてくる。愚問過ぎた。こんな質問、一桁の足し算より簡単だ。

 

「大切、などという言葉では言い表せませんよ。あの方は私の敬愛する主であり、命の恩人です」

 

舞衣がいなければ明良は生きていない。彼女には一生を何度繰り返しても返しきれないほどの恩があるのだ。残りの人生など、喜んで捧げられる。

 

その思いを胸の中で反芻させ、今度こそ明良は中庭を後にした。




・余談
→昨日、とじともで何回かガチャを引いたら制服と巫女服の舞衣が一枚ずつ(☆3の)が出ました。その瞬間に勢い良くガッツポーズ。で、頭をドアの柵の部分で打ちましたよorz


質問、感想はお気軽に!(*´∀`)つ


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第12話 後継者

私は舞衣が大好きですが、沙耶香も大好きです。あと、百合も大好きです、反省はしていません。


翌日。朝。明良は管理局のエントランスを訪れていた。今は壁に寄りかかりながら携帯端末で通話している。

 

「はい……はい、では失礼します」

 

通話を終えた。電話の相手は当然姫和だ。今はヒッチハイクを利用してトラックで移動中らしい。昨夜の件については、沙耶香を退けた後、途中までは累の車で移動、検問で別れ、その後にトラックに乗せてもらったらしい。因みに、沙耶香は途中で車から下ろして所轄に保護してもらったのだとか。とにかく、無事で良かったと思う。

 

「舞衣様……」

 

今は御手洗いに行っている舞衣を待っている状態だ。入口近くまで同行しようかとも思ったが、それは流石にデリカシーが欠けていると自分を諫めた。

 

――それにしても、これからどうするべきか……

 

これからどうやって事態を解決に導いていくかを考えなければならない。姫和の目的から考えて、このまま逃げ続ける選択肢などない。必ずもう一度折神紫を討ちに来るだろう。

それは正しい。このまま永遠に刀剣類管理局から逃げ続けられるわけがないし、折神紫の大荒魂を放っておけば災厄が振り撒かれることは間違いない。しかし、一度失敗した以上、警備はより強固なものになっている。暗殺を成功させるどころか折神紫に近づくことすら困難だ。

いざとなったら……

 

「……覚悟はしておいた方が良さそうですね」

 

両手を見つめ、固く握る。紫には気づかれているが、今は敵の懐に潜り込んでいるも同然なのだ。この手で彼女を殺すことも視野に入れて作戦を練ろう。

 

「……!」

 

人の気配がした。舞衣かと思ったが、違う。歩き方や息遣いが別人のものだ。

 

「……ああ」

 

エントランスの自動ドアが開き、一人の少女が踏み入ってくる。白い髪に華奢な体躯、身を包んでいる鎌府女学院の制服と腰に差した刀。

件の追手として話題に上がっていた刀使――糸見沙耶香だ。

 

「……」

 

沙耶香は明良を横目で一瞥したが、そのまま何も言わずに去っていく。

 

「……あの、ちょっといいですか?」

 

しまった、と思ったときには遅かった。沙耶香の姿、彼女から漂う雰囲気を感じ取った明良は引き止めざるを得なかった。理由はわからない。どういうわけか、引き止めたくなったのだ。そうしないと後悔すると感じたのだ。

 

「……なに?」

 

「ええと……」

 

足を止めて此方を向いてくれたが、何を話すべきだろうか。自己紹介からでいいか。

 

「初めまして。美濃関学院の柳瀬舞衣様に仕える執事、黒木明良と申します」

 

「……? 糸見、沙耶香」

 

沙耶香は突然何だろう、と目を丸くしながらも自分の名前を名乗っていた。いきなり知らない男に声をかけられれば彼女でなくともこのような反応はするのだろうが。

 

「お疲れのようですが、何かあったのですか? 見たところ、外出していたようですが」

 

「どうしてわかるの?」

 

沙耶香は不思議そうに首をかしげる。表情がほとんど変化していないのは違和感があった。

 

「目元に少々隈ができていますし、身体の重心もずれています。それに、制服の皺も寄っている。昨晩はあまり寝ておらず、ずっと制服を着ていたのではないですか?」

 

「……」

 

沙耶香は何も言わず、静かに首を縦に振った。今の言葉は推理というより、確証があってのものだ。単純に彼女から情報を引き出すための手段に過ぎない。

 

「……例の逃亡犯の二人を捕まえに行ってた」

 

「……その様子ですと、結果は芳しくなかったようですね」

 

また頷いた。

 

「私、失敗できないのに……」

 

「失敗できない、とは?」

 

沙耶香の呟きに引っ掛かりを感じた明良は掘り下げて聞いてみた。

 

「どんな任務でも遂行する……しなきゃいけない、から」

 

「……高津学長に言われたのですか?」

 

頷く。どうやら彼女は肯定と否定については言葉を使わないらしい。

答え方も、考え方も明良にとっては気がかりだった。余計なお節介をするつもりはないが、見ていられないものから目をそらすつもりもない。

 

「高津学長は貴女のことを何と言っているのですか?」

 

「……? 何でそんなこと聞くの?」

 

「単なる興味です」

 

沙耶香は記憶の糸を辿るように数秒顔を伏せ、答えた。

 

「……私の後継者で、最強の刀使だって」

 

――後継者……後継者……

 

頭の中でその単語が木霊する。そうか、と納得もした。明良が彼女を引き止めた理由がわかった。

似ていると思ったからだ。烏滸がましくも同情したのだ。

 

――何様のつもりですか、私は。

 

「………そう、ですか」

 

数瞬遅れた生返事は空気へと霧散していく。沙耶香には一応聞こえているのだろうが、明良の脳内には別の台詞が何度も何度も叫びを上げていた。

 

 

 

『これは私たちからの愛の鞭なの。わかる? あなたを後継者として認めていて、立派に育ってほしいからやってるのよ!』

 

左目を強く握った拳で殴られ、視界の左半分が消える。鈍い痛みと平衡感覚の弛緩が感じられた。

 

『私だってしたくてしてるわけじゃない! 我慢してやってあげてるんだから、あなたも我慢して痛みに耐えるのよ、いい!?』

 

口角の吊り上がった、ギラギラした目の女性の顔が残った右半分の視界を占領する。やがて痛みは額や鼻、両の手足まで及んでいく。

嬉しそう、幸せそうだ。人の幸せは共有して心を穏やかにするものらしいが、何故だろう。

 

――この人の笑顔は、私にはよくわからない。

 

 

 

「……!?」

 

飛びかけていた意識が戻ってきた。いつの間にか額から汗が噴き出しており、身体も熱い。頭を抱えたくなった。何でいちいちこんな光景を思い返さなければならない。

 

「……えっと……どうし、たの?」

 

「い、いえ。何でもありません」

 

油断していたところに沙耶香が顔を覗きこんできて、慌てて顔を左右に振る。

こんなことでどうする。どうでもいい過去に足を掬われそうになりでもしたら、明良は舞衣に顔向けできない。

と、明良が頭を切り替えようとしている最中にその場を一変させる大声が飛び込んでくる。

 

「沙耶香!!」

 

怒鳴り声がエントランスに響く。ツカツカとヒールで床を鳴らしながら近づいてくる足音と、先程の声で誰なのか判別できた。

 

「……高津学長」

 

エントランス上の階段から降りてくる高津学長の姿がそこにあった。わざわざここまで出向いてくる辺り、沙耶香とは彼女の通う学院の学長とその生徒、などという関係ではあるまい。何より、先程の沙耶香との会話から普通の関係ではないことくらい察しはつく。

 

「所轄に保護されるとはどういうことだ!? 任務に失敗して、よくもおめおめと戻ってこれたな!」

 

「……申し訳、ありません」

 

詰め寄り、顔の近くで強烈な剣幕で怒鳴る高津学長に沙耶香はすっかり萎縮している。

 

「高津学長、少々言い過ぎではありませんか?」

 

「何……? 貴様、一昨日の……何故貴様がここにいる?」

 

「偶然ですよ」

 

高津学長は予期せぬ介入に苛立ち、視線を明良の方へ向ける。そこでもう一度怒りが上塗りされた。明良は淡々と、静かに言葉を述べる。

 

「手練れの刀使二人を相手に無傷で帰還できたのです。まずは、それを喜ぶべきではないですか?」

 

「喜ぶだと!? 寝言は寝て言え、愚か者が! 私の言い渡した任務は達成できて当然。失敗した者を叱責して何が悪い!!」

 

「たった一人に成功する見込みの少ない任務を与えた、貴女にも落ち度があるのではないですか?」

 

「貴様……!」

 

歯軋りして威圧しながら距離を詰めてくる高津学長。普通の人ならば多少なりとも恐れ慄いてしまうだろうが、明良の心にあるのは嫌悪感だけだった。

 

――自分の失敗も、他人の安否も認められない。何なんでしょう、この人は……

 

「貴女は局長に媚を売りたいだけでしょう?」

 

「何だと?」

 

「尊敬する人に貢ぎ物をしたい、それが自分の功績であると認めてもらいたい。だから糸見さん一人に任せたのではないですか?」

 

「……黙れ」

 

高津学長は唇を引き結びながら反論するが、明良は淀みなく言葉を連ねていく。

 

「自分のために戦ってくれた糸見さんを、引いては彼女を育てた自分を称賛してほしい、局長の側近の座を手に入れるための点数稼ぎに糸見さんを利用した。違いますか?」

 

「黙れ……黙れ、黙れッ!!」

 

「……!」

 

高津学長に右手で胸ぐらを掴まれた。元刀使のせいか、女性にしては中々腕力がある。

隣の沙耶香は息を呑んで固まっているが、明良は眉一つ動かさずにその右手首を左手で掴み返す。

 

「もはや反論もできませんか?」

 

明良はギリギリと音を立てそうなほど手首を圧迫する。高津学長は一瞬だけ痛みで顔を歪ませるが、何とか持ち直して怒りの表情を作る。

 

「違うなら違うと言えばいいでしょう。『私は紫様のためではなく伍箇伝の学長の一人としてこの件に携わっている』と、普段の尊大な口調で仰ればよろしいではありませんか?」

 

少し力を強めた。高津学長もこれ以上やればこちらが負けると踏んで、自ら手を離した。懸命な判断と言えよう。

 

「ぐっ……い、行くぞ、沙耶香」

 

「……はい」

 

高津学長は悔しそうに目を細め、エントランスの出口へと向かう。沙耶香は軽く頷き、その後を追ってゆっくり歩いていく。が、二、三歩のところで明良の方に振り返った。

 

「ねえ」

 

「何でしょう?」

 

「何で……あんなこと言ったの? 学長に」

 

「気分を害してしまいましたか?」

 

沙耶香と高津学長は曲がりなりにも直属の部下とその上司のようなものだ。自分の上司に突っ掛かった明良に対して憤りを覚えているのかもしれない。その可能性を危惧したが、沙耶香は首を左右に振る。

 

「ううん……よくわからないけど、嫌な気分じゃなかった」

 

「そうですか」

 

――ならよかった。

 

「私が言いたいのは……えっと……」

 

中々言い出せない。いや、言葉にしづらいのだろう。何度も試行錯誤して口にしようか迷っているのが目に見えてわかった。

 

「ゆっくりでいいですよ、落ち着いて」

 

優しく、ちゃんと聞いていることを伝えた。急かして言葉にさせるよりも、整理がつくまで待ってあげることの方が大切だ。

 

「……何で学長を敵に回すようなこと、言ったの? あの人、嫌い?」

 

「……嫌いですね」

 

この距離でこの声量なら高津学長には聞きとれないはずだ。聞き取られたところで特に問題があるわけではないが。

 

「彼女、私の嫌いな人に似ているんです。まあ、人からの体面を気にしない辺り高津学長の方がまだ好感が持てますがね」

 

――そうだ。あの人(、、、)は結局……最後まで大義に縋りついていましたね。

 

感傷に浸る明良とは裏腹に沙耶香は胸元を掻き抱きながら、こちらと目を合わせてくる。

 

「えっと……くろき、さん?」

 

「はい」

 

沙耶香は恥ずかしそうに、ぽつぽつと言葉を紡いでいく。精一杯の努力を振り絞っている。

 

「さっきの……ありがとう」

 

「そんな、私は――」

 

――ただ、気に入らなかったから。感情を発散させたようなものなのに……

 

沙耶香を庇いたいという気持ちもあった。だが、所詮は傲慢な人間に気持ちをぶつけたかっただけではないのか、という考えもある。自分が真に彼女のために戦ったとでも言えるのか?

忠義を尽くす相手ではない、言ってしまえば単なる他人同士の喧騒を好き勝手に荒らしただけだろう。

 

「……?」

 

「いえ、その……気にしないでください。見過ごせなかったもので」

 

結局、曖昧な返事しかできなかった。どういたしまして、とでも言えば良かったのだろうか。

いや、違う。自分の欲望を善意にすり替えてはいけない。それは明良が最も嫌う行為の一つだ。

 

「私はこれで失礼します」

 

「……うん」

 

一礼した沙耶香はトテトテと高津学長の方へ早足で歩いていった。




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第13話 喜び

一昨日、とじともを起動➡紫様と姫和の水着姿のツーショットを確認➡私「胸囲の格差って残酷やなあ」(正直な感想)

私「まさか、荒魂を抑える力は胸の大きさに比例する可能性が微レ存……」

???「しょうちしたきさまはきる」

気付いたら病院のベッドの上にいました。背中に大きな刀傷がありましたが、どこのエターナルさんにやられたのか皆目見当がつきません。


それはともかく、少し間が開いたこともあって今回は長めです。


「舞衣様、これから如何なさるおつもりですか?」

 

沙耶香と別れた後、舞衣と合流。日はとうに沈み、時刻は七時を過ぎている。今度は作戦本部へと足を運んでいた。

 

「確か鎌府の人が可奈美ちゃんたちと会ったって言ってたでしょ? だから、話を聞きに行こうと思って」

 

沙耶香が捕縛任務から帰還し、先程高津学長に連れていかれたことは既に舞衣に話してある。

 

「確か、糸見さんは取調室で待機しているそうです」

 

「場所、知ってるの? よくわかったね」

 

「ええ。つい先程、親切な方に教えていただきまして」

 

高津学長と沙耶香の会話を盗み聞きしていた明良は、沙耶香の軟禁場所も当然知っている。次の指示があるまでは部屋で待機させられているはずだ。

 

「見張りをしている刀使の方もいますから、どうにか話をつけないといけませんね」

 

「えっと……あの部屋、かな?」

 

鎌府の刀使が一人、部屋の前に立っている。ここの見張りを任されているということは沙耶香ほどではないにしろ、それなりに高津学長に信頼されている部下のはずだ。簡単に面会させてもらえるとは思えない。

 

「舞衣様、ここでお待ちください。交渉してきます」

 

部屋から十歩ほど離れた位置で舞衣を止めておき、明良は見張りの刀使に歩み寄る。

 

「何ですか?」

 

明良の存在に気づき、見張りの刀使は訝しそうに尋ねてくる。明良は舞衣と見張りの刀使の間に立ち、舞衣に対して背を向ける形をとる。これならば唇の動きで会話を読み取ることはできないし、舞衣とは距離があるため声を聞かれる心配もない。

 

「実は此方に鎌府女学院の糸見沙耶香さんがいらっしゃるとお聞きしまして、少々お話しさせていただくことはできませんか?」

 

「その話の内容とは何でしょうか? 然るべき理由もなしに面会は許可できません」

 

きっぱりと突き放された。マニュアル通りの台詞で拍子抜けだが、あの高津学長が交渉術の訓練などさせているわけがない。当然と言えば当然か。

 

「逃亡中の衛藤可奈美、十条姫和の両名がこれから向かう場所についての有力な情報が得られまして。そのことについての情報提供です」

 

「それならば、作戦本部に向かわれてはどうです?」

 

呆れた様子で言う彼女に、困ったような苦笑いを貼り付けて答えた。

 

「私もそうしたいのは山々なのですが、高津学長は私の証言を聞き入れてくださらないので」

 

「だからといって……」

 

一瞬、目の前の少女が納得しかける。彼女自身、高津学長の横柄な態度は理解しているのだろう。これならばある程度普通に話ができる。

 

「これでどうですか?」

 

「……! な、何のつもりですか?」

 

明良は上着の内ポケットから財布を取り出し、一万円札を五枚抜き取って少女の前でちらつかせる。

 

「見てわかるでしょう? 三分でいいので、通していただけませんか?」

 

「買収する気ですか?」

 

「それ以外にありますか?」

 

こんな年端も行かない――中高生の少女に汚い真似をすることは少々気が引けるが、暴力や恫喝をするよりは幾らかマシだろう。

 

「貴女、もう何時間も立ちっぱなしではないですか?」

 

「え?」

 

ドキッ、と少女は動揺の色を見せる。彼女の性格は知らないが、少なくとも見当外れのことを言われたときの反応ではない。

 

「私がエントランスで糸見さんと話したのが午前八時半頃。糸見さんが高津学長にこの部屋に押し込められたのが午前九時頃。それから十時間ほど、ここで見張りをしているのではないですか?」

 

「何故、そんなことが……」

 

口にしてはいないが、ほとんど認めている。後は畳み掛ければ落ちる。

 

「立ち姿、顔色。食事や休憩もせずにここから動いていないのでしょう?」

 

「……はい」

 

苦々しそうに少女はうなずく。実際に足はわずかに震えているし、顔色からは疲労が窺える。高津学長がこの部屋に見張りを立てたとして、律儀に交代させることなど考えにくい。使える人員は全て可奈美と姫和の捜索に使っている。彼女がわざわざ沙耶香の見張りに何人も使うわけがない。

 

「ならば、大変な任に就いている対価として、多少のお零れを受け取っても罰は当たりませんよ?」

 

親しみやすい笑みを浮かべ、少女の手に金を握らせる。少女は罪悪感を拭いきれなかったようだが、高津学長に対する反骨精神や金銭欲が勝ったのか、部屋の鍵を開けてくれた。

 

「……三分だけ、ですから」

 

「ありがとうございます」

 

上手くいった。自分のポケットマネーで舞衣の目的が果たせるのなら、明良は簡単に金をドブに捨てるのだ。

 

「舞衣様、許可をいただいたので入りましょう」

 

後ろで待っていた舞衣と一緒に部屋に入る。舞衣の表情から、さっきの買収の現場は明良の背中で上手く隠せていたらしい。

 

「失礼します」

 

部屋の中は酷く簡素なものだった。ぼんやりとした蛍光灯が天井に一つと、灰色のリノリウムの床と壁。ろくに掃除をしていないのか、塵や埃が幾らか積もっている。窓はカーテンで隠れており、外の様子は伺い知れない。唯一の出入口であるドアも窓はないため、完全に締め切られている。

そんな部屋の中央に位置する四角い机と、二つの向かい合う椅子の片方に座っている少女に視線が引き寄せられた。

 

「……? どうし、たの?」

 

沙耶香は突然の訪問者に困惑しているようだ。表情や声色に普段より少しだけ引っ掛かりが生じている。

 

「お久しぶりです……と言っても、今朝別れたばかりですが。お時間よろしいですか、糸見さん」

 

「うん……」

 

沙耶香は静かにうなずき、視線を明良から目の前の椅子に戻した。

明良に続いて舞衣も入室してくる。舞衣は沙耶香の正面の椅子に腰掛け、明良はその後ろに立つ。沙耶香は最初は舞衣の存在に気づいていなかったようだが、舞衣が腰掛けたところで不思議そうな顔で舞衣、明良の順に視線を泳がせた。

 

「……この人は?」

 

「初めまして、私は柳瀬舞衣。美濃関学院の代表で……」

 

「今朝お話しした、私の主にあたる方です」

 

沙耶香は「そう……」とだけ呟き、顔を俯かせる。舞衣が美濃関学院の人間だと知って、何のために来訪したのかを警戒しているのだろう。沙耶香は可奈美を捕縛しようとした人物だ。普通に考えれば舞衣に良い印象は抱かれない。

 

「可奈美ちゃんたちと会ったんだよね? どうだったの?」

 

「二人とも……逃がした。全然敵わなかった、から」

 

淡々と語る沙耶香。単なる事後報告のようで、感情の揺れ動きが見られない。。

 

「よかったぁ。可奈美ちゃんたち、無事なんだね!」

 

「……」

 

「あ……その、ごめん。沙耶香ちゃんの前でこんなこと言っちゃ駄目だよね」

 

沙耶香が無言でコクリと頷く姿を見て、舞衣は慌てて自分の発言を訂正する。

 

「別にいい。事実だから」

 

「……えっと、沙耶香ちゃんって鎌府の人だよね? 自分のお部屋に帰らないの?」

 

舞衣は沙耶香の雰囲気に違和感を感じつつ、話題をそらす。沙耶香は変わらず感情の見られない態度で返事をした。

 

「ここで待機するように、と言われたから」

 

「それって、高津学長に?」

 

「……」

 

またもや頷く沙耶香。舞衣も、話題の広がりが見られない状況に戸惑っている。

ふと、舞衣の後ろで傍観していた明良が沙耶香におかしな部分があることに気づいた。

 

「舞衣様、私からも糸見さんに一つお話をさせていただいてもよろしいでしょうか?」

 

「いいよ、どうしたの?」

 

主人の話の最中に無断で割り込むわけにはいかない。舞衣から許可を貰い、沙耶香に話しかける。

 

「糸見さん、その左頬の傷はどうしたのですか?」

 

「えっ……」

 

沙耶香は思わず左頬に触れ、気づいた。彼女の白い肌が僅かに裂け、左頬に赤い線が走っている。

 

「今朝会った際にはそのような傷はなかったはずですが……誰かにつけられたのですか?」

 

数センチ程度の裂傷だが、明らかに転んだり御刀の振り方を誤ったようなものではない。正面や左側面から刀を横凪ぎに振らなければこんな位置に傷は出来ない。

 

「これは………」

 

沙耶香は答えない。今朝に明良に会っていなければ任務中の怪我とでも言い張れるだろうが、この状況では嘘だと見抜かれてしまう。

答えあぐねている沙耶香を見て、明良は殆ど確信していた。

 

――高津学長以外には考えられませんね。

 

明良と別れてからすぐに高津学長は沙耶香をこの部屋に軟禁したのだ。その間に部屋に出入りした人間は一人もいない。

唯一出入りできたのは見張りの刀使くらいだが、彼女が沙耶香を傷つける理由はない。高津学長に贔屓にされている沙耶香に逆恨みして、という線もあるが後に高津学長に知られてしまうリスクを考えると可能性は低い。

その点、プライドの高い高津学長ならば、任務に失敗して自分の評価を下げることとなった沙耶香に躾と称して暴行を加えてもおかしくない。

 

明良がそこまで推理したところで見かねた舞衣がポケットを漁り、絆創膏を取り出す。

 

「とにかく、そのままにしてたら駄目だよ。ちょっと待ってて」

 

「……ん」

 

沙耶香の傷が花柄の可愛らしい絆創膏で覆い隠される。小さな傷ではあるが、舞衣の性分からすれば同年代の、それも年下の子の怪我を放っておくことなどありえない。それに外気に触れなくて済む分、こちらの方が痛みが和らぐ。

 

「これでよし……と。こんな子供っぽいのでごめんね。上の妹がこういうのが好きだから」

 

「別にいい……気にしない」

 

やや驚いた沙耶香に、舞衣は慈愛に満ちた表情で彼女の頬を撫でた。傷に触れないよう、優しい手つきで。

端から見ている明良には二人が姉妹のように見えてしまう。実に微笑ましい空間だ。

 

「そうだ。沙耶香ちゃんは甘いものって、好き?」

 

「……? うん」

 

「じゃあ、はい。手、出して」

 

唐突に投げ掛けられた質問に沙耶香は困惑する。肯定した沙耶香の手に舞衣はビニール製の小さな袋を手渡す。

 

「これ……クッキー?」

 

袋の口の部分を広げると、中に何枚かのクッキーが入っているのが見える。

 

「うん、落ち着こうとしてたら作りすぎちゃって……良かったら食べて」

 

沙耶香は物珍しそうにクッキーを眺めて、呆然としている。だが、嫌悪感は全く見られない。

 

そこで、ガチャッという異音が部屋に届いてくる。いきなり開かれたドアの方向に三人とも視線が行った。

 

「面会終了の時間です」

 

入ってきたのは先程の見張りの刀使だ。見れば、腕時計の針はちょうど入室から三分の時刻を指し示している。

 

「あ、わかりました。ちょっと待っててください」

 

舞衣は席を立つ前に沙耶香に向けて自分の携帯端末を取り出す。

 

「……?」

 

沙耶香は意図が読み取れないのか、首をかしげて舞衣を見つめている。

 

「電話番号とアドレス、交換しよう」

 

「……うん」

 

沙耶香も携帯端末をポケットから取り出し、二人で番号を交換する。

終わったところで舞衣は席を立ち、明良もそれに続く。部屋のドアまで来たところで舞衣は沙耶香の方を振り返る。

 

「可奈美ちゃんのこと、教えてくれてありがとう! また勝負してあげて、喜ぶと思うから」

 

「……」

 

沙耶香は返事をするでも頷くでもなく、無言で微動だにしなかった。それでも、舞衣は笑顔を全く崩すことなく部屋を後にする。

 

「……糸見さん」

 

「………」

 

「いえ、やはり何でもありません。失礼します」

 

後ろに続いていた明良は何か言おうと思ったが、必要ないと判断してそのまま退室する。なぜならば、

 

――ああいう表情も、されるのですね。

 

笑っていたのだ。極々少し、本人さえ気づいていないだろうが、口角が上がっていた。喜びの感情が見え隠れしていたのだ。

 

 

※※※※※

 

 

「ねーねー、ちょっといい?」

 

「ん?」

 

沙耶香と別れ、部屋を出た少し歩いたところで声をかけられた。聞き慣れない、幼い少女の声だ。

 

「こっちこっちー」

 

声の主は廊下の壁に背中を寄りかからせて立っている。

歳は舞衣や可奈美よりも下だろうか、沙耶香と同じくらいだとすると中等部一年生といったところか。薄桃色の長髪に小柄な体躯。身長は沙耶香より僅かに低い程度。何よりも目を引いたのは腰に差した御刀と赤色の制服。

 

「……! 親衛隊の……」

 

隣の舞衣が目を見開く。一目で正体に気づいたからだ。

 

「まだ挨拶してないよねー。私は――」

 

「親衛隊第四席、(つばくろ)結芽(ゆめ)さんですね」

 

先んじて名前を呼ばれた少女は、キョトンと目を丸くして、すぐにそれは挑発的な笑みへと変わる。

 

「なーに、おにーさん。私のファンなの? もしかしてロリコン?」

 

「いえいえ。こう見えても職業柄、情報通ですので。耳にしたことがあるだけですよ」

 

燕結芽。史上最年少で親衛隊入りを果たした刀使であり、現在第一席の獅童真希をも上回るほどの実力者という触れ込みの少女だ。

そして、明良にとっては折神紫の次に手強い相手である。あと、明良は別にロリコンではない。断じてない。

 

「ふーん……」

 

親衛隊の少女――結芽は興味深そうに明良をジロジロ見つめる。不躾な視線ではない。無邪気、無垢とも言える純粋な好奇心や観察欲だ。

 

「あの……私たちに何か用があるんですか?」

 

「ああ、そうそう」

 

舞衣はおそるおそる結芽に尋ねる。結芽はようやく思い出したと言わんばかりに右手の握り拳を左手の平にポンと置く。

 

「犯人の二人を見つけて、逃げられちゃったって聞いたけど、それホント?」

 

「衛藤可奈美と十条姫和のことですか?」

 

「うんうん」

 

相変わらず笑みを浮かべている。だが、今度は試すような、品定めをしているような雰囲気が感じ取れた。

 

「それに関しては言い逃れのしようがありませんね。私の実力不足としか言えません」

 

「ふーん、そーなんだー」

 

結芽は一瞬だけ相対している明良から視線を別の方向へずらす。明良の左後ろに立つ舞衣の方向へと。

 

「……!!」

 

『それ』をいち早く察知した明良は思考速度を最大限まで高め、行動に出ていた。革靴で床を蹴り、一足飛びに舞衣の正面へ移動。結芽との間に入る。

それと同時に結芽も迅移を使って明良の正面に移動。御刀の柄を右手で握り締め、左手の親指で鯉口を切る。抜刀の勢いに任せて斬撃へと繋げる――抜刀術だ。

 

「……っ!!」

 

明良が割って入った時点で刀は抜かれ、彼の身体に降りかかろうとしている。狙いは彼の首だ。

可奈美が舞衣にやったように刀を握る右手を掴んで止めることができるかと思ったが、結芽に遅れをとっている以上、もう間に合わない。ならば、とるべき行動は一つ。

無理矢理にでも止める。

 

「へぇ……」

 

「あ、きら……くん?」

 

結芽の御刀は明良の首から十五センチほど離れた位置で止まっている。いや、明良が止めたのだ。無論、結芽の手を掴んで止めたのではない。

彼女の抜き放たれた御刀の刀身の鍔元(、、)を左手で掴み、抜刀する方向とは逆向きに押して勢いを殺したのだ。明良の手の平の皮膚が裂け、血が床に滴り落ちる。鍔元は刀身の中で最も切れ味が悪い。横から掴んだだけならば傷は骨にまでは至らない。

 

結芽は呆気にとられていたが、明良が手を離すと御刀に付着した明良の血脂を布で拭い取り、鞘に納めた。

 

「すっごいねー、おにーさん。寸止めしようとは思ってたけど、こんなことされたの初めてだよ」

 

「それはどうも、光栄ですね」

 

「でもさ、そんなことして痛くないの? 手、切れちゃったんじゃない?」

 

結芽はクスクス笑いながら明良の手を見るが、煽っているのだろうが明良にとっては微笑みながら返すくらいの余裕は十分すぎるほどある。

 

「問題ありませんよ。ご心配してくださるだなんて、燕さんは親切な方でいらっしゃいますね」

 

「……変なおにーさん」

 

気味悪がられた。結芽が見たかったのは強く反論したり、怯えたりといったものだったようだが、当てが外れて面白くなさそうだ。まあ、自分が傷をつけた相手にこんな台詞を言われて喜ぶような人間はよほどの狂人の類いだろう。

それはともかく、明良にはもっと心配なことがあった。明良は後ろに庇っていた舞衣に向き直り、その姿を改めて確認する。

 

「舞衣様、お怪我はありませんか? 血が飛ばないように注意はしましたが、念のため確認を……」

 

「私のことはいいよ! 明良くん、手を見せて、早く!」

 

舞衣は動揺しながら明良の左手首を掴んで自分の方へと引き寄せる。ちゃんと患部に触れないようにしている辺り、彼女の優しさが窺える。

明良の掌には大きな裂傷が一本の線となって引かれており、そこから鮮血が溢れ出ている。

 

「酷い怪我……早く医務室に行かないと。でも、その前に何か巻いて……」

 

舞衣はポケットから白いハンカチを取り出し、掌に巻き付けていく。

 

「いけません、舞衣様、ハンカチが汚れてしまいます」

 

「静かにしてて」

 

ぴしゃりと舞衣に言われ、睨まれる。明良は萎縮しながらも言われるがまま応急処置を受ける。白かったハンカチは明良の血が滲み、赤く変色していく。きつく縛ったおかげで出血は抑えられたが、明良の胸には罪悪感が湧いてしまう。

 

「申し訳ありません。しっかりと洗っておきますので」

 

「別にいいよ、そんなの。ハンカチなんかより、明良くんの方がずっと大切だから……」

 

舞衣は悲しげな表情で明良の手を優しく包み込んでいる。

舞衣の持ち物を汚してしまったこと、彼女の気分を害したことに罪悪感はあるが、自分のことを少しでも大切に思ってくれているという言葉に思わず胸が暖かくなるのを感じた。

 

「終わったの、おにーさん?」

 

「ええ」

 

横で見ていた結芽がニヤニヤしながら此方に声をかけてきた。

 

「今のでわかったよ、おにーさんが全然本気じゃなかったってこと」

 

「何のことですか? 私は舞衣様をお守りすることには常に全力で取り組んでおりますが」

 

「そーじゃなくて……おにーさん、あの二人に手加減したんでしょ?」

 

「……え?」

 

横にいる舞衣はどういうことかわからないのか、視線が結芽、明良と交互に移動する。

明良は笑顔を貼り付けて知らぬ存ぜぬを貫くことにした。

 

「まさか。私は単なる一般人ですよ? それこそ、衛藤さんにも十条さんにも全く歯が立たないほどの。そう報告していたと思いますが」

 

「一般人? 私の攻撃を止めてたのにそれはないんじゃないかなー? ホントはすっごく強いんじゃないの?」

 

「運が良かったのでしょうね。燕さんが手心を加えていなければ危なかったところです」

 

無論、明良は一般人とは程遠い存在であることなど自覚しているし、不意を突かれなければ結芽の攻撃にもっと適切な対応ができたとは思っている。

 

「とはいえ、舞衣様の護衛の任にも就いている身ですから、さらに鍛練を積むべきだとは実感しましたね」

 

「……はぁ、もういいや」

 

結芽はつまらなさそうに唇を尖らせ、その場から立ち去ろうとする。

 

「ところで、燕さん」

 

「なーに?」

 

「先程はありがとうございました」

 

「? 私、何か感謝されるようなことしたっけ?」

 

「ええ。してくださいましたよ」

 

明良はそう言ってハンカチの巻かれた自分の左手を見せる。

 

「手心を加えてくださらなかったら、もっと大変な事態になっていましたので」

 

「それで感謝しちゃうの? ほんと、変なおにーさん」

 

「何を仰っているのですか?」

 

舞衣には見えないよう、明良は口角を吊り上げたまま目元に明確な敵意を宿らせる。笑っているのに、目は全く笑っていない、という表情だ。

 

「貴女が舞衣様に傷一つでもつけていれば、私が貴女を無傷で帰すことなど絶対にありません。

ですから、そのような大変な事態にならずに済むように計らってくださってありがとうございます」

 

ぞわり、と結芽は身体を震わせ息を呑む。明良にとっては舞衣が無傷でいたことが何よりもの幸いだった。もしも何者かが彼女の綺麗な肌に一筋でも傷を作ろうものなら、何十倍にでもして返す。それが彼女と敵対する者ならば、尚更に、徹底的に行う。

威圧感に屈してしまうかと思ったが、逆に嬉しそうに顔をほころばせる。

 

「やっぱり……思った通りだね、おにーさんは」

 

結芽は明良の顔を下から覗きこむ。明良も笑顔でそれを見下ろす。

 

「いつか一緒に遊ぼうよ、二人っきりでさ」

 

「はい、お断りしますね」

 

それからは結芽も特に何か言うこともなく、その場から去っていった。

舞衣は思い詰めた表情で明良に聞いてきた。

 

「明良くん、さっきの……」

 

「先程の言葉でしたら、気になさらないでください。当然のことを申し上げたまでですから」

 

そう、当然のことだ。普通に言わなければならないことを言っただけなのだ。明良にとって舞衣の身の安全を守ることなど特別なことでも何でもない、普通の、常識のようなものだ。

 

「うん、明良くんが私のことになるとあんな風になっちゃうのは知ってるよ。でも……あんまり、怪我しないでほしいな、って」

 

「舞衣様……」

 

――私にとっては、この表情の方がよほど痛みを感じますよ。

 

舞衣の心配している表情。自分ごときが舞衣の気を煩わせていることが苦しくて、痛い。掌の傷よりも遥かに痛い、胸の疼きが確かにあった。

 

「その……医務室に行ってきますね。それから、ハンカチの方も洗っておきます」

 

「あ、うん、そうだね。場所はわかる?」

 

「はい」

 

明良は舞衣と別れて医務室の方へと足を進める。ここから宿舎までは近い。特に危険もないはずだ。それに、明良は今からすることがあるのだ。

 

「……よし」

 

廊下を曲がり、誰もいないことを確認して左手のハンカチの結び目を解く。赤く染まっていたハンカチの下、先程負った傷は綺麗に完治していた(、、、、、、、、、)。皮膚も、血管も、失った血も補充されている。

 

――舞衣様に見られなくてよかった。

 

ハンカチに染み込んだ血の汚れを早く落としてしまおう、と明良は目的の前に寄り道をすることにした。




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第14話 秘匿

とじともの水着ガチャで舞衣が出ない……これが無課金の限界だというのか(絶望)


規則正しい足音が左から右へと流れていく。物陰に隠れた明良の傍を建物内を巡回している警備員が通り抜けていったのだ。

 

「……」

 

――ここの区画もなし、と。

 

明良は左手に握っている建物の見取図の通路の一つにペンで×印を入れ、その通路に面した部屋にも同じように書いていく。見取図は金を握らせた職員から受け取ったものだ。

結芽と対峙した後、明良は舞衣と別れてある場所に潜入していた。

場所は刀剣類管理局内の研究施設。表向きは御刀の管理やノロの無害化など。しかし、施設の一部では決して公にはできない研究が行われている、と明良は確信していた。その実態を確認するために潜入したのだ。

 

――あと、警備が行き届いていないところは……

 

明良が考える、その隠匿された研究とは間違いなく『ノロの軍事利用』だ。御前試合や取り調べの際に、親衛隊がノロを投与された刀使だというのはわかっている。問題はどうやって投与したのか、だ。まさかコップに注がれたノロを飲んだなどということはあるまい。それでは危険すぎる。人体投与を前提とした処理を施していると考えた方が妥当だろう。

つまり、折神家の管轄下にある研究施設内でその実験が今も行われている。あるいは、実験データやサンプルが残されているはずだ。

 

――警備員の人数は十四人。ということは、これで完成しますね。

 

警備員の巡回ルートを確認しているのは、目的の場所を突き止めるためだ。秘匿されている研究が行われている部屋ならば、一般の警備員を近づけることなどありえない。一部屋ずつ点検するようなことがあれば研究内容が知られてしまう恐れがあるからだ。警備員に部屋の鍵を渡さずに、立ち入らないよう言っておくという手もあるが、それでは怪しまれる可能性もある。

それならば、そもそも警備員が立ち寄らないようにすればいい。『人体に有害な物質が充満していて、今は閉鎖中にしている。長い間使われていないから巡回する必要はない』とでも言って一つの区画を立ち入り禁止にすればいい。

 

――まあ、しかし、高津学長があんな性格でなければここまで簡単にはいかなかったでしょうが。

 

明良が『聞いてきた情報』によると高津学長だけでなく、綾小路武芸学舎の相楽学長もこの研究に関わっている。その上、研究施設の一部を巡回ルートから外すよう指示していることもわかった。しかし、その『一部』というのが具体的にどこの区画を指しているのかがわからなかったのだ。そのため、明良は聞くだけでは限界があると考え、自分の足で情報を集めに来たのだ。

 

――さて

 

最後の仕上げにかかろう、と明良は残りの警備員の元へと向かった。

巡回ルート部分を削り、残った一区画。研究施設の隅の方の空白があった。明良の推理が正しければ、ここが目的地となる。

 

数分後、地図に残った空白の場所に向かい、その通路が一つの扉で仕切られていることに気づいた。一見すると防火扉のようだ。重厚な金属製で、機関銃の弾丸程度は容易に防ぐだろう。念のため、明良は右手の手袋を外し、その扉に触れる。

 

――やはり、珠鋼製……当たりですね。

 

普通ならばただの鋼鉄かと思うところだが、明良は触れさえすれば珠鋼製のものかどうかは判別できる。どう考えても立ち入り禁止区域どころか、御刀の製造以外に珠鋼を使うことなどありえない。これは万が一誰かが破ろうとしても絶対に破壊できないようにするためだ。先程は機関銃を防ぐと推測したが、珠鋼製ならばミサイルでも防ぐだろう。

 

――鍵穴は一つ。それに恐らく、警報装置も……

 

鍵穴に鍵を差し込んで開錠しなければ警報か特定の場所への連絡がいくように細工されている可能性が高い。ピッキングはできない。とはいえ、鍵は高津学長と相楽学長、あとは直属の研究者が持っている程度だろう。

 

――ここまでわかれば上々ですね。引き上げるとしましょう。

 

 

※※※※※

 

 

「さて」

 

研究所を出た明良は自分にあてがわれた宿舎の部屋で、ある人物に電話を掛けていた。何度かコールし、通話状態に入る。部屋に盗聴機や監視カメラがないことは確認済みだ。明良は部屋の外の気配に注意しながら話し始めた。

 

「こんばんは、十条さん」

 

『ああ、こんな時間に電話するとは珍しいな』

 

これで電話するのはこの数日で何度目だろうか。相変わらず姫和は警戒心を含んだ声色で話してくる。

 

「夜分遅くに申し訳ありません。今は近くにどなたかいらっしゃいますか?」

 

『ああ、実は――』

 

姫和が答えようとした瞬間、彼女とは違う声が耳に届いた。

 

『お、何だ? 彼氏から電話か?』

 

『お、おい! 勝手に話すな馬鹿者!』

 

「?」

 

聞き覚えのある声だった。しかもつい最近。舞衣や可奈美の友人のものではない。誰だったか。

 

『あっ、駄目だよ薫ちゃん。今姫和ちゃんが秘密の電話の最中だから』

 

『秘密? それって誰とデスか、カナミン』

 

『え、えーと……それは……』

 

――いや、誰ですか?

 

新たに二つの声が混じってきた。一つは可奈美のものだ。これはわかる。だが、もう一つの声は正直わからない。聞き覚えがあることは違いないが。

 

「……十条さん、その」

 

『ああ、言いたいことはわかる……可奈美と、あと二人いるんだ。二人は紹介しておいた方がいいな』

 

可奈美と姫和の二人と行動を共にしているということは、敵ではない。二人に協力者がいたとは初耳だが、一体誰だろうか。

 

「でしたら、テレビモードにしてもらっても構いませんか? 画面の左上にアイコンがあります」

 

『ああ、わかった』

 

「あと、出来ればその場にいらっしゃる方々がフレーム内に映るようにしていただけますか? 此方としても正確に状況を把握しておきたいので」

 

『わかった。それもやってみる』

 

十数秒ほどして、明良の通話画面にテレビモードへの変更を許可するかどうかのメッセージが表示される。『許可する』を押すと、画面の九割以上が相手の携帯端末のカメラからの映像に切り替わる。

 

『切り替えたぞ、見えているか?』

 

「ええ、ちゃんと見えています」

 

画面右側の姫和がカメラに顔を覗かせながら聞いてくる。その左隣には右足に包帯を巻いた可奈美が座っている。そして、さらにその左隣。

 

「貴女方でしたか、古波蔵さん、益子さん」

 

『ハァーイ』

 

『おう』

 

映像で見てようやく思い出した。長船女学園の代表、古波蔵エレンと益子薫だ。エレンは上着を脱いでシャツのボタンを外し、胸元の怪我の上に包帯を巻いている。

彼女たちとは刀剣類管理局の駐車場で会って以来だ。何故二人と一緒にいるのだろう。

 

「また会いましたね、お二人とも」

 

『あ? 何でオレらのこと知ってんだ?』

 

『薫、忘れたんデスか? アキラリンデスよ、前に一回会いマシタよ?』

 

『あー、あんときの』

 

エレンは大体覚えていたようだが、薫の方は忘れていたらしい。まあ普通はそこまで覚えていることは少ないか。

 

『お前らどういう関係なんだ? そこのエターナルホライズンの知り合いとかか?』

 

『……!』

 

ピクッ、と姫和が反応する。その顔は怒気と羞恥で真っ赤に染まっていた。明良は直感的に悟る。これは女子のデリケートな部分に触れた、と。

 

『貴様、今私のことを指差して何と言った? 何だ、エターナルホライズンとは?』

 

凄む姫和だが、薫はあっけらかんとした表情で返した。

 

『今のお前の胸は地平線のごとくペッタンコ、そしてねねが懐かないということは将来の可能性もない。つまりはエターナルなんだ』

 

『ゆ、許さんぞ貴様!』

 

激昂し、薫を睨む姫和。

 

「……?」

 

何のことを言っているのだろうか。だが、よく見ると画面上のエレンに抱き抱えられているねねが姫和の胸元を凝視しながら憐れむような視線を向けているのがわかった。

 

『ああ、アキラリンは知ってると思いますケド、ねねはビッグなバストが大好きなんデスよ』

 

「……そうでしたね」

 

『あと、将来的にバストが成長する子にも懐くんデス!』

 

「……はあ、なるほど」

 

思い返せば、ねねは初対面で舞衣の胸元に飛び込もうとしていた。巨乳好きの色情魔的な荒魂かと思ったが、もっと根元的な――母性本能のようなものに飢えているのだろうか。まあ、こんなことを真面目に考察する意味などないに決まっているが。

 

『ま、まあ落ち着いてよ姫和ちゃん』

 

『そうデスよ、ヒヨヨン』

 

可奈美とエレンが二人の争いの火種を消そうと宥め始める。姫和と薫は、まず可奈美の胸元を見る。

 

『『………』』

 

そこには年相応に膨らんだ胸が制服のシャツを押し上げている光景がある。大きすぎず、小さすぎず、手のひらに収まるサイズだろう。二人は僅かに顔を曇らせ、そして次にエレンの胸元に視線を移動させる。

 

『『………っ!?』』

 

胸元を覆い隠しているものがぐるぐる巻きにされた包帯だけということもあって、エレンの巨大な胸の存在感が一層強く現れている。舞衣も年齢にそぐわないほど大きいが、エレンは二つ年上という点を考慮してもさらに大きい。包帯が千切れてしまうのではないだろうかと心配になるほどに。深い谷間を形成し、少し身じろぎするだけで揺れ、その質量を感じさせる。少なくとも、姫和や薫には縁のない現象だろう。

ささやかな物の持ち主たち(貧乳の二人)は、恨めしそうにエレンの胸元に眼光を飛ばす。

 

「………」

 

このままでは話が進まない。しかも、明良としてもかなりいたたまれない状況だ。フォローを入れて場を納めよう。

 

「気を落とさないでください、十条さん」

 

『……なに?』

 

姫和がバッと明良の方を向く。明良は穏やかな笑みと一緒に言葉を続けていく。

 

「女性の価値は胸の大きさによって決まるわけではありません。たとえ胸が慎ましやかであっても、十条さんは十分すぎるほどの魅力を持っていらっしゃいますから。自信を持ってください」

 

『……! そうか、そうだな!』

 

姫和の表情が綻び、暗雲に希望の光条が差し込む。よかった、ようやく本題に入ることができる、と明良も安堵した。

 

『でも、お前の主人って巨乳じゃなかったか?』

 

だが、しかし。差し込んだ光は刹那の間に積み重なる黒い雲に塗り潰され、遮られてしまう。薫の一言によって事態がよりややこしいことに。

 

『なん……だと……?』

 

謀反を働かれた武士のような形相で姫和に目を向けられる。舞衣が巨乳であること、その舞衣に明良が献身的に仕えていることが姫和と薫の脳内で一つの解を導きださせたのだろう。

 

『え……明良さん、そういう目で舞衣ちゃんのこと見てたの?』

 

可奈美からは引かれ、

 

『アキラリンも男の子なんデスね~』

 

エレンからはニヤニヤとからかわれ、

 

『なんだ……ムネか、ムネなのか……やっぱお前も巨乳派か?』

 

薫からは悔しそうに睨まれ、

 

『私は諦めんぞ。運命に抗ってやるからな……!』

 

姫和は何故かワナワナと拳を握りしめて、決意を胸に仕舞っていた。

 

「一応、誤解がないようにしておきたいのですが……」

 

これから明良は『巨乳にこだわっているわけではない』という主張を三十分ほどかけて四人に言い聞かせていくのだった。

 

 

※※※※※

 

 

とりあえず、明良と可奈美、姫和との関係性を説明した。流石に協力している理由の辺りは一部伏せて話したが。

 

「と、いうわけでして。私は可奈美さんと十条さん、引いては舞草(もくさ)の方々とも協力していきたいと考えています」

 

『なるほど、わかった』

 

『薫、本当にわかったんデスか?』

 

『ああ、大体なんとなく』

 

――そこまでわかってないことはわかりました。

 

口にしそうになったが、伏せておいた。

話題に上がった『舞草』というのは、ファインマンという人物を端に発した反折神家の組織である。エレンと薫はそのメンバーであり、目的を同じとする可奈美と姫和を勧誘し、行動を共にしているとのことだ。

 

「獅童さんと此花さん、あとは皐月さんと交戦されたと思いますが……その様子ですと上手く退けたようですね」

 

『うん、明良さんが知らせてくれたお陰!』

 

可奈美が答える。昨晩は結芽を除く親衛隊三人が可奈美たちの元へ向かい、そこで戦いになった。ノロを投与された刀使との戦闘は生半可なものではないと思われたが、何とかなったらしい。

 

『それに関しては感謝しているがな』

 

姫和が口を開く。その表情はどこか複雑そうに見えた。

 

『いつまでも情報提供を続ける訳じゃないだろう。いつになったら私たちと合流するつもりだ?』

 

「………ああ、なるほど。そのことですか」

 

丁度よかった。その話をしようと考えていたところだったのだ。

 

『言っただろう。まだ口にできない、と。それはつまりいずれ話すつもりがあるということだろう?』

 

「……ええ、そうですね」

 

エレンと薫は静観しているが、可奈美は我慢できずに口を挟んできた。

 

『明良さん、私も』

 

「……可奈美さん」

 

『話してほしいんだ、私も……気になるから』

 

無理もない。姫和が表に出していたというだけで、可奈美も明良の言葉には疑念を抱いていたのだ。

 

「明後日の朝、舞衣様が美濃関学院にお帰りになります。その後、私は貴女方と合流したいと考えています」

 

『……そっか、舞衣ちゃん、帰っちゃうんだ』

 

可奈美が寂しそうに呟く。自分の意思で姫和についていくことを選んだとはいえ、親友である舞衣に対して申し訳なく思う気持ちがあるのだ。

姫和は冷静に明良に理由を聞いてきた。

 

『お前が刀剣類管理局に残り続けていたのはそれが理由か?』

 

「元々、貴女方とは合流するつもりでしたよ。ただ、舞衣様を敵の本拠地に一人残して、ということはできませんから。あの方を危険に晒すことになります」

 

『明良さん、舞衣ちゃんは大丈夫なの?』

 

「大丈夫です。美濃関学院で羽島学長が匿ってくださる手筈になっています。折神家も、ほぼ無関係の刀使一人に人員を割くこともないでしょう」

 

折神紫でなくとも、目の前の百万円の札束を無視してまで遠くの百円玉を拾いに行くような馬鹿はいない。

舞衣の安全は保障されていると言っていい。

 

『でも、どうやって合流する気デスか?』

 

「明日の夕方までに舞草の拠点へのルートのデータをこの携帯に送っていただけますか? 勿論、人目につかないルートをお願いします」

 

『わかりマシタ、グランパに頼んでおきマスね!』

 

舞草の場所についてはエレンに頼んでおく。普通ならば教えてくれないのだろうが、可奈美と姫和の口添えがあれば問題ないだろう。

 

「では、失礼しますね」

 

『待て』

 

明良が電話を切ろうとすると、姫和は怪訝そうな顔つきで尋ねてきた。

 

「何でしょうか? 例の質問のことでしたら――」

 

『そうじゃない。いや、気にはなっているが……別の話だ』

 

別の話とは何だろうか。姫和と明良との間に何か別の話題があったとは思えないが。

 

『お前は私たちの味方か?』

 

「……失礼ながら、今更聞かれるとは思いませんでした。私は舞衣様とそのご友人の味方をすると申し上げましたよ?」

 

『そういう答えじゃない』

 

「……では、どういう類の答えをお望みなのですか?」

 

要領を得ない。彼女の表情から察するに大体の意味はわかるが、わざわざそれを伝える必要はないと考え、気づかないふりをしておいた。

 

『お前個人としてはどうなんだ? 場合によっては私たちとの関係性が変わることはないのか?』

 

「………」

 

答えない。姫和はこう言いたいのだろう。『舞衣に仕える執事として一時的に仕方なく協力しているだけで、本当は敵に近い位置にいる者ではないのか』と。

実際に明良と戦ってあの力(、、、)を受けた姫和だからこそ疑っているのだ。理屈はわかる、というか明良も同じ立場ならここまでの正面攻撃ではないものの探りくらい入れる。

 

『それに、あのときのお前の力は恐らく――』

 

「味方ですよ」

 

姫和が余計なことを口走る前に大きめの声で遮る。ここで余計な疑念を残りの三人に抱かせるわけにはいかない。

 

「それに、私は折神家の敵ですから」

 

『は?』

 

四人とも呆気に取られる。いきなりの新情報に頭が追い付いていないのだろう。

 

「ですから、別行動はあっても、敵対はありえません。私にはメリットがないどころか、デメリットしかありません」

 

何か言う前に強引に通話を終えた。今の明良には合流する前にしなければならないことが多い。

明日は忙しくなる、と明良は椅子に腰掛けて眠りについた。




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第15話 左腕

話を進めようと思っているのに、地の文が結構かかるせいか中々進まない(´Д`|||)

次回は、次回こそはアニメ本編の話をするんで!


自由が欲しい、幸せが欲しいと渇望するようになったのは確か四歳か五歳の頃だった。それ以前は何となく苦い感情が纏わりついていただけで、寂しいとか物足りないなどとは感じなかったのだ。

 

(かび)臭い書斎に押し込められ、読み書きを自分で覚え、暇潰しに本を読み始めた辺りで世界の広さを知った。同年代の男女と学校に通い、教養や人格を形成させていくことも、放課後や休日にスポーツや娯楽に興じることも、周囲の人々と意見をぶつけ合って成長していくことも、私にとっては紙面上の出来事だった。

 

その文章がとても新鮮に思えた私は、書斎に私を殴りに来た両親に頼んでみたのだ。学校に行ってみたい、と。今振り返ってみると、あまりにも愚かな懇願をしたものだと思う。両親は考える間もなく一蹴した。彼らにとってこの時の私の願いは『背中に翼を生やして空を飛びたい』と頼まれたようなものだろう。答えは決まっている。

 

もし神とやらが存在するのなら、何故、私を人間としてこの世に生んでしまったのだろう。無機物にでもしてくれればよかったのに。あるいはいっそ、どうにかして生まれることを阻止してほしかった。

そうすれば、人並みの自由や幸せの可能性に期待することなどなかった。目の前に巨大な壁を作るから、向こう側が見えなくなるのだ。何とかして向こう側に辿り着きたい、辿り着けば自由と幸せがある、と期待してしまう。最初から存在しないことがわかっているよりも、存在するかどうかもわからない、確認する術もないという方が残酷だ。

 

感情が、欲望があるから飢餓感がある。本の中にあるような世界が外には広がっていると知ってしまったから、自分が余計に惨めで不幸な存在に見えてしまう。

こんなものが自分の人生か? 死ぬまでこんな狭くて殺風景な世界に留まり続けるのか?

何とかしてやる、ここから出てやる、と。そう決意した。

外から助けが来ることなど全く期待できない。そんな余地を両親が残しているわけがない。私が自分の力で変えてやる。知識も、力も、技術も、狡猾さも手に入れる。

 

そして――

 

 

※※※※※

 

 

「――全て、清算する」

 

目が覚めた。明良は携帯端末の画面から時間を確認するが、時間は就寝してから二時間ほどしか経っていない。椅子に座ったまま眠っていたため、眠りは浅く、十分に休息が取れたとは言い難い。とはいえ、今から舞衣を起こしに行くことを考えると絶対に寝過ごすわけにはいかないのだ。

 

「はぁ……」

 

舞衣の前では絶対に見せられないほど憔悴した顔で溜め息をつく。起床する直前に寝言を言っていたのだ。舞衣に聞かれでもしたら追求されるかもしれない。

最近は昔の夢を何度も見る。順番も光景もバラバラ、少しずつ記憶を明良に思い出させているのだろう。記憶の引き出しの中に押し込んだ物を一つずつ物色されて、詰問されている気分だ。触れてほしくない、時間とともにどうでもよくなるまで放置しておいてほしいのに。まるで、無意識のうちに自分に言い聞かせているようで嫌気が刺してくる。

 

「はは……」

 

馬鹿らしい、と笑って自分を誤魔化そうとしたが、実際に口から出たのは見苦しい乾いた笑いだった。

これからのことを考えると、今が人生の分岐点だと思う。予定通り舞衣を見送って舞草と合流するか。それとも、可奈美たちとの関係を断って舞衣と一緒に帰るか。

唐突に頭に浮かんだ後者の選択肢。悪魔の囁きのような、怠惰で甘美な選択肢だ。

 

――そんな最低最悪のルート、誰が選びますか。

 

二つの選択肢が、二つのルートへと続く分岐点に明良は立たされている。だが、どう考えても自分が選ぶべきは前者だ。

可奈美と姫和には話さなければならないことがある。決して目をそらしていいことじゃない。それに何より、舞衣は親友を失って苦しむことになる。彼女をそんな目に遭わせるために明良は彼女に仕えているのではない。

 

 

※※※※※

 

 

その日の夜。舞草へのルートの書かれたメールを受け取った明良は、再び昨日の研究施設に潜入していた。念のため、ジャケット、帽子、眼鏡で変装はしているため少し姿を目撃されてもさほど心配はない。

警備の目を掻い潜り、例の立ち入り禁止区域――珠鋼製の扉の前に辿り着く。

 

――さて、始めますか。

 

明良は左手の手袋を外し、ペタリと扉に左手で直に触れた。触れた箇所に小さな一つの風穴が空き、粘土細工のように同心円状に穴の直径が大きくなっていく。空白になった分の珠鋼は穴の円周部分から隆起し、歪な形となって押し退けられていく。やがて重厚な金属扉に人一人分ほどの穴が完成すると、明良は悠々とそれを通って侵入した。

 

――珠鋼を使ったのが間違いでしたね。

 

明良は穴を通り抜けた後、今度は扉の反対側に手を触れる。変形し、円周部分に固められていた珠鋼は再び粘土細工のような動きで穴を塞いだ。外した手袋は嵌め直しておく。

警報装置は作動していない。大きな音が鳴ったわけでもないため、警備員が集まってくる様子もない。完璧だ。

 

――まあ、それでも監視カメラくらいはありますか。

 

電気の少ない暗い道が続いているが、廊下にはいくつかの監視カメラが設置されている。変装はしておいたが、見つからないに越したことはない。監視カメラの死角を潜りながら移動していく。

 

「……!」

 

そうやって進んでいると、一つの部屋が目に留まった。一見すると別段他の研究室と変わったところはないが、明良はその異質な匂いを感じ取っていた。ここ最近はこれと同じ類の匂いに朝から夜まで付き合わされているのだ。いい加減探知できるようになってきた。

 

――とはいえ、ここも厳重ですね。

 

研究室のドアに焦点を当てるように監視カメラが設置されている。どのようにしても監視カメラに映らずに研究室に入るのは不可能だ。かといって、この区画は他の研究施設と隔絶されているため、廊下やそれぞれの部屋には窓がない。

 

――仕方ありません、あとは時間との勝負ですかね。

 

明良は左手の手袋を外し、静かに息を吸う。

左の掌から赤黒い粘液が流出し、肘から指先までが覆われる。さらに流出される粘液は明良の左手の倍以上の大きさにまで肥大化させる。粘液は強靭な筋肉のように固まり、鉤爪状に変形した。以前、姫和と戦った際に使った『左腕』だ。

明良は監視カメラの死角から息を潜めて機会を窺い、一気に走り出す。

まずは部屋の前の監視カメラに『左腕』の先から粘液を発射する。粘液はカメラのレンズに接着剤のように付着し、その視界を奪う。そして、素早く研究室の扉に『左腕』の鉤爪を突き立て、それを蝶番や錠ごと千切り取った。左手に掴んだ扉を廊下に放り投げ、室内に転がり込んだ。

 

――音と警報装置のせいで気づかれはしたでしょうが、これで時間は稼げましたね。

 

この区画について知る者が少ないということは、緊急事態の対処もその限られた人物たちで解決しなければならない。となれば、警備員が異変に気づいたとしてもここには行かないようにストップがかかっているはずだ。その間に必要な物を物色して退却するとしよう。

 

「……何ですか、これは」

 

思わず声が出ていた。部屋は清潔感のある白い物で揃えられていた。壁や床は勿論、研究機材に至るまで。

だが、それを汚すような色が――明良の『左腕』と同じ赤黒い色が蔓延る空間があった。

 

――やはり、ありましたか。ノロのアンプル。

 

試験管大の大きさのケースが詰められた棚が部屋の七割を占めており、圧倒的な存在感を主張している。一つ一つのケースの中身は赤黒い粘液で満たされており、個数は軽く百を越えている。明良は『左腕』を解き、生身の左手で棚に詰められたアンプルの一つを手に取る。

ただのノロではない。通常、こんな大量のノロを一ヶ所に集めれば瞬く間に結合し、荒魂に変貌してしまう。そうなっていないということは、このケースか中のノロのどちらかに細工をしてあるのだろう。ともかく、これを舞草に持ち帰って解析してもらえば何かわかるかもしれない。もしかすると、折神紫はともかく親衛隊が人体実験の被験者であるという証明に繋がるかもしれない。

明良は五個のアンプルを手袋をした右手で懐に仕舞い、部屋から出る。

 

出た瞬間に横から伸びてきた刀が右頬を切り裂いた。

 

「……!?」

 

明良が部屋から出るタイミングを見計らって、廊下にいた誰かが横から斬りかかってきたのだ。何とか身体をひねって回避したが、右目から顎の辺りまで一筋の刀傷が刻まれており、鮮血が滴っている。

 

「……」

 

斬りかかってきた相手はゆらり、と部屋に足を踏み入れてきた。明良は不敵に笑って相手を一瞥する。

 

「貴女でしたか、皐月さん」

 

「……どちら様ですか?」

 

根元から白く、先端近くだけ黒い髪。それを肩の辺りで綺麗に切り揃えている少女。人を殺そうとしたというのに、その顔は袖口の汚れを払ったかのように無表情。紗耶香のように感情を表に出すのが苦手な人とは違う、自己表現という概念が死滅したような雰囲気だ。身を包むのは、親衛隊の制服だ。先日、可奈美たちと刃を交えたせいか所々に包帯を巻いている。こんな形とは思わなかったが、ようやく顔を合わせることとなった親衛隊最後の一人――

 

「名乗るつもりはありませんよ、親衛隊第三席、皐月(さつき)夜見(よみ)さん」

 

皐月夜見。御前試合で上位の成績を修めた真希や寿々花、至上最年少で抜擢された結芽と違い、彼女に関しては目立った話題はない。ゆえに、余計に警戒せざるを得なかった。少なくとも、舞衣が傍にいる間に未知数の力を持つ相手と戦うのは好ましくないからだ。

 

「何者ですか? どうやってここに侵入したのです?」

 

「セキュリティに不備でもあったのではないですか?」

 

冗談で流して見せるが、明良は内心で疑問に思っていた。何故夜見の接近に気づかなかったのだろうか。荒魂は勿論、ノロを投与された親衛隊の匂いなど簡単にわかりそうなものだが。

 

――そうか、ノロのアンプルが大量にあるから……

 

合点がいった。このアンプルの中身のノロが親衛隊に投与されたものと同じならば、すぐ近くの強力な匂いに感知能力が削がれ、別の僅かな匂いが霞んでしまう。大量のノロのアンプルから発せられる匂いが明良の力を狂わせていたのか。

 

「……笑えませんね」

 

「ええ、確かに笑えるとは言い難いです。拡声器が防犯ブザーでも持ってくればよかった」

 

夜見は右手に握った御刀の切先を明良に向ける。よく見る、敵意を示す動作だ。

 

「……! 傷が」

 

「……ああ」

 

明良の右頬に刻まれた刀傷が、タイルの隙間にパテを塗り込むように修復していく。断裂した血管は再結合され、失った血液も補充された。

夜見はその一部始終を目にし、ほんの少しだけ警戒の雰囲気を漂わせる。

 

「どうやら、他にも聞かなければならないことがあるようですね」

 

「……暴力に訴えるつもりですか? 残念ながら、私は痛めつけられて喜ぶ趣味はないのですが」

 

「……腕の一本程度は覚悟してくださいね」

 

明良の冗談も夜見は気にも留めず、御刀を後方に構え突進。袈裟斬りにしようと御刀を振りかぶる。

 

「はぁ……仕方ありませんね」

 

明良は小さく溜め息をつき、左手に意識を集中させた。温かい血で僅かに濡れた、それでいて冷ややかな刀身が鋭く明良の骨と肉を断ち切る

 

「!?」

 

「なるべく人に使いたくはないのですが……」

 

麺棒を掴むような様子で、瞬時に形成された明良の赤黒い『左腕』が夜見の御刀の刀身を掴み、斬撃を受け止めていた。

結芽のときのように素手ではない。皮膚が裂けることもなければ、当然血が流れることもない。

 

「知られたからには実力行使もやむなし、ですねっ!」

 

「がっ……!」

 

明良の右足による蹴りが夜見の鳩尾に叩き込まれ、それと同時に明良が『左腕』の力を緩めたせいで夜見の身体は前方に飛び、地面を激しく滑走する。

 

「皐月さん、貴女の口を封じておく必要がありそうです」

 

「叶わないことですね」

 

夜見は痛みに顔を歪めることもなく、むくりと起き上がり、再び御刀を構える。だが、その刃は明良に向けられることはない。夜見は捲り上げた左の前腕部に刃を立てた。

 

「? 何を………!」

 

夜見の左腕に御刀による傷が刻まれ、赤い線が走る。その赤い線から血が溢れ出した。最初は、そういう風に見えた。

だが違う。溢れているのは血ではない。明良が今纏っている『左腕』と同じ赤黒い色。黄色い眼と四つに別れた羽。一見すると蝶々に見える物体が無数に傷口から流出し、部屋を半分以上埋め尽くす。間違いない、これは荒魂だ。

 

「……やはり」

 

「驚かないのですね」

 

「貴女方がこういう研究をされていることは大体の察しがついていましたから」

 

他の三人がノロの力を身体能力の方に回しているのに対し、夜見は体内に取り込んだノロを無数の荒魂に作り替えて戦闘に利用するというスタイルを取るようだ。彼女の名声が表に出ていないのも納得だ。公の場でこんな力を見せれば完全に親衛隊の信頼は失墜する。

 

「口を封じておく必要があるのはこちらも同じです。この研究を知った人物を帰すわけにはいきません」

 

「……そうですか」

 

「恨みはありませんが、消えてもらいます」

 

夜見の傷口から出てきた荒魂は彼女の周囲を飛び交い、一斉に明良に狙いを定めて飛来してくる。先程のような正面からの単体攻撃ではなく、逃げ場のない波状攻撃。写シを貼った刀使でも、一分もかからずに写シを剥がされて蹂躙されてしまう物量差。

無数の荒魂は明良の全身に噛みつき、その身体を圧し、千切り、砕こうとする。そして、明良の全身を荒魂が覆った。

 

「……終わりましたか」

 

明良の身体はピクリとも動かない。どう足掻いても死んでいるに決まっている。夜見は達成感を滲ませた声で呟いた。

 

「甘く見られたものですね」

 

しばしの静寂。だが、嫌悪の感情を込めた低音が部屋の中を通る。

直後、明良に纏わりついていた荒魂たちは暴風に煽られるように剥がれ落ちていく。

 

「ただの荒魂が私を倒すことなどできませんよ」

 

落下した荒魂は明良の『左腕』の掌に引き寄せられ、呑み込むように吸収されていく。夜見が体内で飼い慣らしていた荒魂()が更なる力を持つ怪物に支配された。より強い主に頭を下げるというより、支配という暴力で無理矢理屈服させられたのだ。

 

「まあ、貴女たちのような『不完全な個体』ではこれが限界でしょうね」

 

余裕を込めた明良の言葉や仕草に夜見は理解が追いつかない。

 

「貴方は……一体……」

 

危険を察知した夜見は写シを貼り、御刀で応戦しようとする。

 

「お答えする義理はありません」

 

困惑する夜見の言葉を一蹴し、今度は明良が床を蹴り、相手に接近。『左腕』で夜見の頭を掴み、勢いに任せて地面に倒す。貼られていた写シは頭部への強い衝撃で剥がされ、生身が晒される。夜見は未だに右手に握った御刀で反撃しようとしたが、明良の方が速い。

 

「さようなら」

 

慈しむような声色で囁く明良。『左腕』に触れる寸前の夜見の御刀は、彼女の意識の消失とともに右手から滑り落ちた。

 

 

※※※※※

 

 

「状況はどうなってる?」

 

研究施設の立入禁止区域に何者かが侵入した、という旨の連絡が入り、現場に駆けつけた真希。既に現場に到着していた寿々花は真希の存在に気付くと、少々落ち込んだ様子で返答をした。

 

「芳しくはありませんわね……真希さん、夜見さんの容態はどうですの?」

 

真希は「ああ……」とバツが悪そうに報告した。

 

「さっき医務室に行ってきた。外傷は少なかったが、どういうわけか意識が戻らない。医師の診断によると、数日間はこのままになるそうだ」

 

寿々花が駆けつけた際には既に犯人の姿はなく、床に仰向けで伏した夜見の姿だけだった。急いで事情を聞きたかったが、真希からの話を聞いて悔しそうに歯噛みする。

 

「そうですか……残念ですわね」

 

寿々花は現場の壁にもたれ掛かりながら、部屋の惨状をざっと確認する。

部屋の床や壁には無数の傷が刻まれており、機材はもはや使い物にならなくなっている。ノロのアンプルが詰められた棚は強化ガラスで守られていたため、内側に被害はないが、棒で小突けば粉々になりそうなほどガラスには亀裂が走っている。

 

「夜見の左腕の傷からして、荒魂を使ったのは間違いない。部屋の傷はそのせいだろうが……妙だな」

 

「ええ。その夜見さんを一体誰が退けたのか、ですわね」

 

夜見は単純な剣術ならば親衛隊の中でも技量は低い。だが、荒魂の力を利用した上での戦闘ならば伍箇伝の代表たちをも凌ぐ。

 

「ここに侵入した上に、夜見を倒すほどの手練れ……衛藤と十条か?」

 

「それはありえないでしょう。あの二人は恐らく舞草と合流したはず。禁止区域ならともかく、局の出入口は二十四時間の警備がありますから。ここまで察知されずに、というのは無理がありますわ」

 

「となれば……内部の犯行か?」

 

「そう考えた方が妥当ですわね」

 

念のため、指紋や靴跡も調べさせたが犯人は手袋をしていたようで指紋はなく、靴跡は微かにあったがその靴も処分されているだろう。犯人の特定に繋がるような証拠はない。

 

「ともかく、ここの警備を強くしておいた方がよさそうですわね。珠鋼製の扉をすり抜ける(、、、、、)だなんて、そんな芸当ができる相手にどこまで通用するかはわかりませんけれど」

 

真希と寿々花の最大の疑問はそれだ。特殊な処理を施さなければ変形しない珠鋼。それで作られた扉ならば、力ずくで突破することなど不可能なはずだ。だが、扉は壊された形跡はなく、鍵は全て管理局側の人間が持っていた。幽霊のようにすり抜けて侵入したとしか思えない。破壊するならともかく、すり抜けて。驚きを通り越して不気味ですらあった。

 

「もしかすると、僕たちが知らないところで舞草とは別の組織が絡んでいる可能性があるかもしれないな。こんなことを個人がやってのけるとは思えないし……」

 

「そうだとすれば、まずいことになりますわ。我々が舞草を下した後、疲弊しているところをその勢力に叩かれれば危ないかもしれません」

 

「その可能性も線に入れて、捜査していこう。一先ずは舞草、平行してこの件についても調査を進めることにする」

 

真希と寿々花は不安と疑念を抱きつつ、自分たちの目的のために決意を新たにし、作戦本部へと歩を進めていった。




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第16話 意思

今回は……ヒスおばファンの方は閲覧注意……カナー
いや、こういうのも含めてヒスおばファンなのか……わかんねえ(困惑)


寒く、暗い部屋に二人の人物がいた。一人の少女は寝台に横たわり、視線を天井に向けたまま動かない。もう一人の女性はその傍らに立ち、鋭い眼光で少女を睨む。

 

「沙耶香」

 

「はい」

 

傍らに立つ女性――高津学長は自分の直属の部下であり、生徒でもある少女――沙耶香に諭すように語りかける。

 

「お前は我が妙法村正を受け継ぎ、そして私が見出だした最強の刀使。親衛隊のような欠陥品とは一線を画する力を持つ、私の最高傑作よ」

 

「……はい」

 

沙耶香は目元に逡巡と憂いを乗せた表情で了承の意を示す。

高津学長は近くのテーブルに置かれたケースの中から一つの注射器を取り出す。中は赤黒い液体で満たされており、沙耶香は一目にそれがノロだと理解した。

 

「これは紫様が直々に鎌府――いや、私が賜った研究の成果。これを受け入れれば、お前は名実ともに何者をも上回る最強の刀使へと生まれ変わる」

 

「………」

 

沙耶香は何も声を発さない。胡乱な瞳で高津学長の持つ注射器を見つめている。

 

「紫様のためだけに動く、私の下僕になることができる。喜ぶといいわ」

 

「……は、い」

 

思考が回らない頭で、渇いた口で言葉を紡いだ。

 

「……? 何だ、これは」

 

「……あ」

 

高津学長は沙耶香の左頬を、正確にはそこに貼られた絆創膏に目をつける。高津学長は、昨日自分がにつけた傷を外気から遮断するために貼られたそれに苛立ちを覚え、乱暴な手つきで剥ぎ取った。

 

「邪魔だっ」

 

「いっ……」

 

勢いよく頬から剥がされたせいで傷口にピリッと痛みが走る。沙耶香にとっては大した痛みではなかったが、物理的な痛みとは別の感覚が彼女の胸に波紋のように広がる。

 

――舞衣の、絆創膏……

 

ほぼ初対面の自分に姉のように接してくれた少女。舞衣の穏やかな顔が脳裏に浮かぶ。高津学長に可愛がられ、贔屓にされてきたためか、学院における居場所は少なかった。沙耶香が刀使になり、妙法村正を手にしてからはそれが顕著になっていた。

事情を知らなかったとはいえ、何の打算も偏見もなく優しくしてくれた初めての相手。楽しそうに話してくれたときも、傷を絆創膏の上から優しく撫でてくれたときも、胸の奥が温かくなるのを感じた。

 

「沙耶香、お前は少々勝手になり始めているわ」

 

「……え」

 

「あの黒木とかいう男に会って以来、妙に調子が狂ってるのよ。どういうつもり?」

 

「そ、れは……」

 

沙耶香の頭にもう一人の顔が浮かぶ。いつも舞衣の後ろに立っている銀髪の青年、明良の顔だ。

可奈美と姫和の捕縛に失敗し、高津学長に注意された際には正面から高津学長に食ってかかり、庇ってくれた。舞衣とは違い、純粋な善意とは言い難かったが決してその行為は嫌ではなかった。

 

「まあいい。それもこれも、どうでもよくなることなのだから」

 

「………」

 

高津学長は有無を言わせず沙耶香の左の首筋に注射針を近づける。体内に差し込んだ針の先からノロを注入するつもりだ。

 

「………う」

 

よくわからない、声にならない声が口から漏れる。どうにかしたい。今、目の前の人物の言う通り、これを受け入れることを考えると胸がズキッとする。

言葉にできない、嫌なのかどうか表現しづらい。ただ確実なのは、これが入ってくれば自分が自分ではなくなるということ――

 

「……っ!」

 

バチンッ

 

乾いた音が暗い部屋に響く。直前まで首筋に迫っていた注射針は注射器ごと床に転がっている。

 

「沙耶香……なにを」

 

「………」

 

沙耶香は自分の伸びきった左手と高津学長の顔を見て、ようやく状況を理解した。注射器を自分の左手で払いのけたのだ。

今まで高津学長の言動、行動に対して常に同意してきた沙耶香のことを考えると、高津学長は勿論、沙耶香本人にとっても意味不明な出来事だった。

 

「沙耶香……お前、何のつもりだ?」

 

「これは………」

 

高津学長が困惑と怒りを含んだ表情で問い詰めてくる。

説明できない。何故こんな行動に走ったのか、納得できるような理由を話すことができない。

直感か、反射か、モヤモヤした感覚が渦巻いている。

 

 

「それが糸見さんの意思ですよ、高津学長」

 

 

二人だけの空間に全く別の声が割って入る。高津学長は弾かれたように部屋の出入口の方へと身体を向けた。

 

「だ、誰だっ!?」

 

出入口の横の壁に寄り掛かる一人の青年が目に入ってきた。暗がりのせいで顔はよく見えないが、一歩ずつ歩み寄ってくるたびに顔の輪郭や髪の色が露わになっていく。

 

「大きな声を出さないでください……と申し上げても無駄なのでしょうね。貴女は大声を出していないときの方が珍しいようですし」

 

薄暗い部屋の照明の光を目映く反射する銀髪、黒いスーツとネクタイ、その端正な顔に浮かべているのは諦めや憐憫とも取れる表情。

何かと沙耶香に関わってくる二人の人物のうちの一人――

 

「夜分遅くに申し訳ありません。今回は舞衣様の執事として、あの方のご友人に協力させていただくために馳せ参じいたしました」

 

黒木明良が、そこにいた。

 

 

※※※※※

 

 

「………」

 

その場にいた誰もが沈黙していた。沙耶香と高津学長の視線は、一度空気を一変させた明良の方へと注がれており、当の明良も部屋中を見渡しながら一言も発さない。一通り見渡した後、床に転がった注射器で目の動きが止まった。

 

「少し、寄り道をしてきました」

 

「?」

 

呟かれた明良の声に高津学長が反応する。

 

「貴女たちが進めている研究の内容は確信していましたから、貴女が身の危険を察知すれば行動に出ることくらいは簡単に予測できます」

 

「何を言って……」

 

「ご理解いただけないならば構いません。とはいえ……」

 

明良はツカツカと高津学長と沙耶香の横を通り過ぎ、床に落ちた注射器に手を伸ばす。

 

「貴様……待て!! それは――」

 

「お断りします」

 

高津学長が慌てて止めようと掴みかかってくるが、明良は左手で逆に彼女の手を掴んで空いた右手で注射器を拾い上げた。

 

「……とはいえ、貴女は本当に動きが掴みやすい。感謝したいほどですよ」

 

「ぐ……き、さまぁ!!」

 

「ノロの新しい被験者にするつもりだったのでしょう? いえ、以前のものより改良してあるのでしょうか……」

 

「は……なせっ!!」

 

高津学長は歯噛みしながら明良の手を振りほどき、距離をとる。

 

「何故……」

 

「はい?」

 

「何故お前はここまで沙耶香に固執する!? 何故ことあるごとに私に横槍を入れてくるんだ!?」

 

「………」

 

激昂された。明良は意外にも何の感慨も抱かなかった。彼女の剣幕が大したものではない、というわけではない。あまりにも単純で、理屈を予測しやすい相手であるせいで興醒めしたからだ。

 

「私がお前の主人に怒鳴ったからか!?」

 

「…」

 

「沙耶香に入れ込んでいるからか!?」

 

「……」

 

「それとも、私に何か恨みでもあったか!? 答えろ! さっきから黙っているだけか!!」

 

「………」

 

明良の心情など露知らず、高津学長はどんどん声を荒げる。明良は肩を竦めて重たい口を開いた。

 

「違います……とは完全には言えませんね。当たらずとも遠からず、です」

 

「……何?」

 

舞衣に暴言を吐いたから、沙耶香の立場に思うところがあったから、高津学長の人格や行動に物申したいことがあったから、どれも間違いではない。だが、これだけの理由でこんな大それたことはしない。

明良が動く最大の理由は常に一つ。

 

「私の行動理由は、舞衣様とその大切な方々を助けることです」

 

可奈美と姫和の捜索に向かったのも、高津学長の言動に反抗したのも、舞草との協力を決めたのも、管理局の研究施設に潜入したのも。全ての動機はこれに繋がっている。

疑問も違和感も生じることはない。いつも明良の行動理由は一つの軸となって折れることはない。

 

「……ふん、だからと言って沙耶香を助けていい理由になるか? この子は私の学校の生徒だ。友人だか何だか知らんが、部外者にどうこう言われる筋合いはないな!」

 

高津学長の顔に余裕が戻る。突破口を見つけたとでも思っているのだろう。

 

「ええ、確かに私にどうこう言う筋合いはありませんね」

 

「そうだろう! だったら――」

 

「ですが、それは糸見さんが『自分の意思で貴女に付き従っている』場合です」

 

高津学長の顔が固まる。やがてゆっくりと、潤滑油の切れた機械人形の如く首を沙耶香の方へと回す。

 

「彼女がご自身の意思で貴女の指示に従っているのならば私は干渉するつもりはございません。しかし、彼女の反対を無視して、あるいは意思の確認をしていないのならば……私は『舞衣様のご友人に対する不当な扱い』に何らかの対処をする所存です」

 

「……れ」

 

「?」

 

「黙れ、黙れ黙れ黙れ黙れ! 黙れッ!!」

 

高津学長の声がこれでもかと張り、隣で横たわったまま上体を起こしている沙耶香がビクッと震える。

無表情だった明良も眉をひそめる。

 

「私は紫様をお守りする使命がある! 全ての刀使と伍箇伝はあの方のために存在しているのだ! ならば私の生徒である沙耶香を戦わせることの何が悪い!?」

 

「糸見さんは刀使である前に一人の人間です。いくら折神紫のためとはいえ、本人の意思の確認をしなくても良い理由にはならないでしょう?」

 

明良が返すと、高津学長は鼻で笑うように嘲る。

 

「意思の確認だと? 貴様がそれを言うか?」

 

「……? どういう意味です?」

 

「貴様の主だとか言うあの生徒! 柳瀬だったか? 貴様も仕事で従っているだけだろう!」

 

「…………は?」

 

思ったよりも低い、怒りの込められた声が口から出た。会話の内容と高津学長の意図を正しく理解できてしまったから、余計に感情が先行してしまった結果だろう。

高津学長は明良の声がよく聞こえていなかったのか、止まらず捲し立てる。

 

「あんな半人前の小娘に従えるわけがないだろう? 刀使としての腕も、状況判断の能力もない! ロクに逃亡者を捕らえられなかったのだからな!」

 

「……あの」

 

「大方、あの小娘の家の金目当てだろう!? 意思に反しているのはお前も同じではないか!」

 

「……ですから」

 

「そんな貴様が何様のつもりでここにいる!? 恥を知れ、俗物が!!」

 

「……はぁ」

 

溜め息を漏らしてしまったのは、呆れたからだろう。こんな人が学長の一人、いや、そもそもこんな大人が存在することにほとほと呆れてしまったからだ。

だからこそ、何とか理性が効いたのだろう。溜め息の後の一瞬で明良が高津学長の首を左手で掴んで持ち上げただけ(、、)で済んだのは。

 

「口を慎んでいただけますか……下衆が」

 

「あ……ぐっ……ご………」

 

目を細め、静かに、冷徹な顔で高津学長と目を合わせる。高津学長の身体は足が地面から浮き、明良の掴んだ首により強い負荷がかかる。

 

「さ……やか、はやく……たすけ……ろ」

 

絞り出すように高津学長は沙耶香に助けを請う。隣の沙耶香は驚いて口を開けたままだったが、流石に見過ごせなくなったのか寝台から降りて止めに入ろうとする。

 

「糸見さん、少々お待ちください。ご心配には及びませんよ、命に関わるようなことは致しませんので」

 

「………」

 

沙耶香は黙ったまま、元の体勢に戻って静かに二人の様子を傍観し始めた。

明良はそれを確認しながら話を戻す。

 

「さて、撤回してもらいますよ、先程の言葉」

 

首の骨を折らないよう、力を調整する。流石に殺すつもりはない。苦しんでもらうのは決定だが。

 

「私に対してはいくらでも、どのようなことを言ってくださっても構いません。金目当て、点数稼ぎとでも言ってくださって結構です。慣れていますから。ですが――」

 

明良は普段ならば絶対に見せないような憎しみに満ちた表情になっていると、自分でもわかった。

高津学長は今、明良に向かって堂々と禁句を言ったのだ。こんなことをされて笑っているような精神は持ち合わせていない。

 

「舞衣様とそのご友人の方々に対する誹謗中傷を見逃すつもりは決してありません。たとえ伍箇伝の学長であろうとも、です」

 

「……く、くそ……」

 

高津学長は自分の首と明良の手の間に指を入れて、拘束を解こうとするが、力が違いすぎて全く敵わない。明良は歯牙にもかけず話を続ける。

 

「舞衣様はご自身の大切なご家族やご友人、市民の方々をお守りするために日々鍛練を積み、荒魂と戦っておられます。そして、人の思いを包み、正しく導く力を持っていらっしゃる。とても優しく、努力家で、思いやりのある御方です」

 

明良は連ねる。自身の経験、周囲から抱かれているであろう印象。自分が忠義を尽くすと誓った主の魅力を懸命に目の前の相手に言い聞かせる。

 

「貴女が舞衣様の何を知っていらっしゃるのですか? あの方のことを欠片程度しか知らない、理解しようともしていないのに勝手なことを言わないでいただきたい。私は自分の意思であの方に仕えています。誰に言われたからでもない。この程度ならばご理解いただけますね?」

 

「……は………はっ………」

 

高津学長の呼吸が怪しくなってきた。そろそろ話してあげないと、死にはしないが意識が危うい。

 

「撤回していただけますか? さもないと……」

 

明良は空いた右手の人差し指と親指で、高津学長の左手の人差し指の爪の先を摘まむ。爪を剥がすぞ、という意味だ。察したのか、高津学長は必死に抵抗して両足を明良の胴体に叩きつけるようにして蹴りを入れる。だが、元は刀使とはいえ呼吸困難の状態で全力など出せるわけがない。高津学長の蹴りは弱々しく、枕を投げられた程度の衝撃しかない。

 

「さて、まずは一枚……」

 

「わ……わか……た」

 

微かに聞き取れた。だが、はっきり聞くためにほんの少しだけ首を掴む力を緩めて気道を広げさせる。

 

「聞こえませんが」

 

「わかっ……た……てっかい……する……から……」

 

「……わかりました」

 

少々不本意たが、今は優先するべきことではない。目的は沙耶香だ。明良は爪を摘まむのをやめ、首を掴む手の指を一気に広げ、拘束を解く。支えを失った高津学長の身体は重力に従って自由落下し、膝から床に激突する。だが、膝の痛みよりも呼吸困難だったことの方が大変なのだろう。必死に咳き込んで気道を確保し、十分な量の空気を体内に取り込んでいる。

明良はそんな高津学長を見下ろしながら告げる。

 

「高津学長、私の要求はただ一つです」

 

「ごほっ……げほぁ……あ……ああ?」

 

高津学長は咳き込みながら上方の声の向きを見上げる。

 

「糸見さんがご自身の意思で貴女に付き従っているか否か、その確認。そして、従わされているだけならば、私は貴女を糸見さんから引き剥がすつもりです」

 

「馬鹿が……ふざけるな……」

 

「別にふざけていませんよ、私も貴女も。ゆえに、こうして足を運んだのですから」

 

明良は改めて沙耶香に向き直る。

聞きたいのだ。彼女の意思を、本音を、本心を。高津学長の傀儡でも、伍箇伝の刀使でもない、糸見沙耶香という一人の少女の思いを。

 

「糸見さん、私は何も強制は致しません。どのような言葉であっても私は不満を申し上げるつもりはありませんので」

 

「………黒木さん」

 

「ですが、ご自身の心に嘘はつかないでください。本心からの言葉でしか、人は前に進むことはできません」

 

「わたし、は……」

 

沙耶香は困惑し、頭を抱えて押し黙る。高津学長の顔に笑みか戻りかけるが、明良は全く慌てずに沙耶香の言葉を待った。

 

「ここに、いたくない」

 

「なっ……」

 

高津学長の顔が一変。一気に余裕がなくなる。沙耶香は制服の胸元に手を当てながら滔々と呟き続ける。

 

「舞衣や、黒木さんと一緒の方が……あったかくて、全然嫌な感じしない、から」

 

沙耶香は今度こそ寝台から降り、正面を見据えながら言う。目をそらさない、自分の胸に抱いた感覚を吐露する。

 

「私は、そっちの方がいい」

 

「……そうですか」

 

明良は穏やかに微笑むと、近くに立て掛けてあった沙耶香の御刀を取り、彼女に渡す。

 

「貴女は自由です。拙くとも、自分の言葉で人に伝えられたのですから、意思のない人形ではありません」

 

「……うん」

 

「ここは私が何とかしておきますので、貴女は早くここから離れてください」

 

今、この状況で沙耶香と高津学長を同じ空間に置くのは不味い。沙耶香を一旦別の場所に移動させておかねば。

 

「………」

 

沙耶香は高津学長を一瞥するも、特に何か言うこともなく部屋の窓から外へと飛び出した。

高津学長は恨めしげな視線を明良に向けながら立ち上がる。

 

「……何か仰りたいことでも?」

 

「あるに決まっている! 貴様ァ、沙耶香に何をした!!」

 

高津学長が明良を鋭く指差して怒鳴る。もはやこの人は怒鳴っていないときを探す方が難しそうだ。

 

「言ったでしょう? 彼女の意思だ、と。糸見さんはご自身で判断して言葉を発し、行動に移した。貴女が刷り込んだ『道具』としての彼女ではなく、意思を持った個人としてのものです。他人が無下にしていいものではない」

 

「うるさい! 元はと言えば貴様が――」

 

高津学長はポケットから折り畳み式のナイフを取り出し、構える。そしてそのまま突進し、明良の胸目掛けて刃を突き立てようとしてきた。

 

「――貴様が全て仕組んだせいだろうがぁぁ!!」

 

薄暗い照明を反射する白刃が明良のシャツを切り裂き、肉を断つ寸前。高津学長のナイフを握る右手が手首の部分で捻り上げられる。

 

「危ないですね」

 

明良は捻る角度を大きくして、高津学長の右手の力を奪う。案の定、握る力の弱まったナイフは彼女の手から滑り落ちる。明良は床に落下したそれを足で遠くに弾き飛ばす。

 

「服に血が付いたら汚れるでしよう」

 

「ぐっ……ああ……」

 

「そうだ、丁度良いですね」

 

明良は思い出したように高津学長の上着の右袖の裾の内側に手を伸ばす。

 

「回収しようと思っていたんですよ、これ」

 

裾の内側から極小のシール上の物体を剥がし取る。

 

「隙だらけで助かりましたよ、お陰で情報が筒抜けになってくれましたからね」

 

衣服に貼り付けるタイプの盗聴器。しかも、質量は非常に小さく、薄いシール状であるため存在に気付かれることはほとんどない。

明良は掴んだ腕ごと高津学長を突き飛ばし、手を離した。

 

「この盗聴器、隠密性能は高いんですが、使用できる距離が短いのが難点でして。流石に何キロメートルも離れた位置では機能しなくなってしまうんですよ。ですから、いい機会ですし回収しておきますね」

 

「いつの間に……!」

 

「初めて会った際に、すれ違い様に貼らせていただきました。生憎とこういう工作には慣れていまして」

 

舞衣と一緒に作戦本部へと報告に向かった際に、こっそりと高津学長の上着に仕込んでおいたのだ。可奈美たちへと情報提供の吸収源も、沙耶香の軟禁場所の特定も、ノロの研究施設についても、大部分は高津学長の会話の盗聴によるものだ。

 

「貴様……こんなことをしてタダで済むとでも――」

 

「思っていませんよ。貴女が告げ口をすれば私はお尋ね者扱いになるでしょうね。ですが、私にはこれがあります」

 

明良は掌のシール型盗聴器を見せながら言う。

 

「盗聴器の音声は全て録音済みです。貴女が何を言おうと、この音声データがあればお互いに破滅です」

 

「くそ……!」

 

「貴女が今取れる最善の策は、何もしないことです。爆弾の起爆スイッチを押さなければ何も起きないのと同じですよ。貴女は事の終わりまで傍観していればいい」

 

高津学長は地面に両手をついて項垂れる。部下であり、自分の人形だと思っていた沙耶香が離れ、力でも捩じ伏せられた。落ち込むのは普通だろう。

かといって、明良は全く同情するつもりはないが。

 

「では、失礼致します、高津学長。ご苦労様でした」

 

部屋の扉を閉める重苦しい音が高津学長の耳に届いたが、彼女の視線は暫く床から離れなかった。




アニメではものの数分で終わったやり取りをここまで引き延ばしてしまうとは自分でも思わなかったですよ、トホホ(´ω`)

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第17話 本気

今回は結構長めなんですが物語的には全然進まないです。もっとポンポン進みたいんですが、あんまり長くしたくないので……どうしようヽ(д`ヽ)


「………」

 

焦燥と罪悪感、困惑が糸見沙耶香の胸中に渦巻いていた。

高津学長に発した言葉は決して嘘ではない。高津学長の元から逃げ出したことも後悔していない。だが、そう簡単に割り切れるものでもない。

 

「どうしたら……」

 

商業地区の路地裏に身を潜め、地面に座り込んで頭を膝の間に埋める。高津学長の下にいたことは、空虚な自分に与えられた居場所のようなものだった。老朽化した家を捨てたようなものだ。朽ちて住めなくなった家に居続けることと、住む家を失うこと、どちらが正しい判断なのだろうか。家を建て直せばよいのだろうが、高津学長という人間が簡単に考えを改めてくれるとは思えない。

 

「寒い……」

 

まだ5月だ。夜風は肌に染みる。だがそれ以上に、今の沙耶香の心情が寒気を増長させている。

 

――やっぱり、なんか、変……

 

自分でも不思議と自然に手が動いていた。携帯端末を取り出し、電話の画面を表示させる。発信履歴の特別祭祀機動隊や高津学長の文字には目もくれず、電話帳から『柳瀬舞衣』の文字に触れ、電話を掛けた。

 

 

※※※※※

 

 

「……はぁ」

 

明良は高津学長のいた部屋を離れ、管理局の廊下を歩いていた。高津学長が裏で行っている研究の証拠を掴み、沙耶香を解放させたのはいいが、一つの問題が明良を悩ませていた。舞衣のことだ。

 

――明日の計画に支障が出てしまった……

 

本来ならば舞衣は明日の朝に美濃関に帰る予定だった。しかし、先程の研究施設への潜入と高津学長とのやり取りのせいで舞衣を無事に返すことができるのかが不確かとなってしまった。

研究施設の件はともかく、沙耶香の件は高津学長に顔が割れている。夜見にしたように暫く意識を失わせておけばよかったが、彼女に使った手はただの人間には負担が大きすぎる。当然、高津学長の生死を慮るつもりなど砂粒ほどもない。だが、動きの読みやすい相手が今後も指揮をしてくれる方が助かるということと、単純に死人が出れば警戒が強まると思った、というだけのこと。

 

「……仕方がありませんね」

 

明良は携帯端末で舞衣に電話を掛ける。既に深夜の十二時を過ぎているため寝入っている可能性が高いが、少しでも早く連絡できるに越したことはない。主の睡眠を害してしまうのでは、という罪悪感を感じながらも明良は電話の呼び出し音を鳴らし続ける。

そして、意外にも早く呼び出し音が途切れ、通話状態に移行した。

 

『はい、もしもし?』

 

「……! 舞衣様、黒木です。夜分遅くに申し訳ありません」

 

『ううん、大丈夫だよ。私も寝れなかったから』

 

電話口から聞こえてくる声からして、無理に起きて電話に出たわけではないことがわかる。少し安堵しつつ、要件を話すことにした。

 

「舞衣様、突然の事で申し訳ないのですが、実はご報告しなければならないことがございまして」

 

『報告……? 何を?』

 

「先程、管理局の一角で事件が発生しました。死者が出るような事態ではありませんが、高津学長や親衛隊の皐月さんが被害を受けています」

 

あたかも他人事のように言ってのける。まあ、他人事と周囲に認知させなくてはならないのだが。

明良の作戦はこうだ。

『管理局で事件が発生したため、管理局全体が警戒体制に入っている。余計な疑いをかけられ、長期間拘束されることになるので今すぐに美濃関に帰ってほしい』と提案する。

今は盗聴器のデータがあることで高津学長を抑えることができているが、共倒れを狙って真実を暴露することも考えられる。研究施設への潜入も時間が経って調査が進めば捜査線上に明良が現れるかもしれない。明日の朝に美濃関に帰るとはいえ、不安の種は取り除いておかねばならない。たとえ地面に埋まっている極小の種であっても、掘り起こして、潰す。そうしなければ舞衣を守れないかもしれないからだ。

 

「ですから、舞衣様には一刻も早く美濃関にもどってもらわねばなりません」

 

『う、うん……』

 

舞衣の落ち着きのない声。無理もない。可奈美たちの件がようやく落ち着いたというのに、さらなる事態に陥ったのだ。

だが次の瞬間、明良は舞衣の声色が別の理由によるものだと理解した。

 

『明良くん、実はね……』

 

「はい、何でしょう?」

 

『さっき、沙耶香ちゃんから電話があったの。これって、明良くんが言ってることと関係あるの?』

 

「え?」

 

予想外の言葉が返ってきた。明良の提案について何か反論でもされるのかと思っていたのに、舞衣の口から聞こえてきたのは先程逃がした沙耶香についての情報。

 

「糸見さんは……何と?」

 

『特には何も言ってなかったよ。でも、何処か落ち込んでるみたいで……普通じゃなかったと思う』

 

「そう、ですか……他には?」

 

『そうだね……あ、確か電話の向こう側からコンビニの店員さんの声と自動ドアの音がしてたよ』

 

思わぬところで一つ収穫があった。元より沙耶香とはすぐに合流するつもりだったのだ。舞衣の証言からして、沙耶香の位置はここからそう遠くないコンビニの近く。このまま舞衣の説得と同時に済ませてしまおう。そこまで考えを纏めた明良の耳に不安げな舞衣の声が届く。

 

『……ねえ、明良くん』

 

「はい」

 

『沙耶香ちゃん、何かあったのかな……私、気になってて』

 

「舞衣様はお部屋で待機していてください。糸見さんは私が何とか致します」

 

ここで舞衣が不用意に動けば何があるかわからない。沙耶香を一端何処かに匿わせて、その後で舞衣の元へ向かえば問題ない。

舞衣とて、今の状況で沙耶香の件に首を突っ込むことのリスクは理解しているはずだ。自ら沙耶香の元へ駆けつけるようなことはない。

そう、考えていた。

 

『明良くん、私、沙耶香ちゃんのところに行ってくる』

 

「な……え?」

 

今度の舞衣の声は決意の秘められたものだった。リスクを承知の上で……いや、リスクのことよりも沙耶香の心身を案じての行動を優先すると言っているのだ。

 

『沙耶香ちゃんが困ってるのに助けに行かないなんて、私には考えられないの。だから――』

 

「待ってください、舞衣様。今は糸見さんと接触することは危険です」

 

『ごめん、明良くん。わかってるけど、放っておけないから』

 

「……」

 

我儘を通したがっている子供でも、自分の立場を理解できていない愚か者でもない。舞衣は今の状況を正しく理解できている。刀剣類管理局に難癖をつけられるかもしれない、高津学長の目の敵にされるかもしれない、そういう可能性を知った上で言っているのだ。

だからこそ、明良は何も言い返せない。反対か賛成か、どちらが最良なのか決めあぐねてしまっている。

 

『今着替えて沙耶香ちゃんを捜しに行くから。明良くんは部屋に戻ってて。それじゃあ』

 

「待ってください、私は――」

 

強引に切られた。明良の反論を許さない、という意思表示でもあるのだろう。

怒らせてしまったかもしれない。だが、舞衣に『貴女が糸見さんを捜しに行ってください』などと言えるわけもない。どうすればよかったのだろうか。

 

「……ん?」

 

思案しながら歩いていると、明良から見て廊下の右側の扉から高津学長が出てきた。

 

「くそっ! 親衛隊の出来損ないどもが……!」

 

不機嫌そうに顔をしかめている。高津学長は明良の存在には気付かず、廊下の奥へと消えていった。確かこの部屋は作戦本部だ。大方、親衛隊や本部にいる刀使に沙耶香の捜索の命令を出したのだろうが、無下にされてしまったのだろう。

当然だ。今の管理局は可奈美たち、引いては舞草の捜索が最優先であって鎌府の内輪揉めに手を貸す権利も義務もないのだ。

 

「はえー、高津のおばちゃんおっかないねー」

 

「……! 燕さん」

 

高津学長が去ったところで廊下の影から一人の少女がひょこっと現れる。気の抜けた陽気な声、水色の髪の親衛隊の少女、燕結芽。

 

「高津学長は随分とご機嫌が優れないようでしたが、何かあったのですか?」

 

「知らないの? 高津のおばちゃんのとこの沙耶香ちゃんがいなくなっちゃったんだってさー。で、おばちゃんがカンカンになってるんだよ」

 

「そんなことが……大変ですね」

 

当たり障りのないコメントをしておく。というか、あそこまでされて親衛隊に威張り散らすだけの度胸があることには正直驚いた。

 

――いえ、単純に駒がなくなって怒っているだけですね。

 

「ね、おにーさん」

 

「何ですか?」

 

「おにーさんってどうやったら本気になるの?」

 

「……唐突にどうしたんですか?」

 

いきなり変なことを聞かれた。そういえば結芽は戦闘狂に分類される人種だ。昨日の明良とのやりとりで何かしらの興味を持たれたのか。

 

「燕さんは争い事がお好きなのですか?」

 

「うん、好き! だって、強い人に勝ったら色んな人にすっごいとこ見せられるんだよ? すごいとこを見てもらえるのって嬉しくない?」

 

何か彼女の琴線に触れたようだ。年相応に無邪気な顔で饒舌に話してくる。

 

「おにーさんだって、あの美濃関のおねーさんにいいとこ見せたいでしょ? だったらさ、本気で戦ったら見せてあげられるよ?」

 

「そうですね……」

 

否定はしない。別に舞衣に自分をアピールするために傍にいるわけではないが、そういうところを見てもらえるのは純粋に嬉しい。だが……

 

「それでも私は、不必要に戦うつもりはありませんね。まずは戦いを回避し、あの方の安全を確保することが最も重要ですから」

 

「なんか、つまんなーい」

 

「……それに関しては申し訳ありません」

 

というか、そもそも結芽と私闘を繰り広げることなど明良にはデメリットしかない。こんな話を真剣に続ける意味もない。

 

「それでも、強いて言うならば……」

 

明良は結芽とすれ違い様に小声で呟いた。

 

「守らなければならない方のためならば、私は本気で戦います」

 

 

※※※※※

 

 

ほどなくして沙耶香は見つかった。コンビニの近くという情報だけでの捜索は少々骨が折れたが、人目につかない路地や建造物のあるコンビニに絞って探せば、さほど時間はかからなかった。

案の定、沙耶香は数百メートルほど離れたコンビニの横の路地に座り込んでいた。

 

「糸見さん」

 

「あ……」

 

沙耶香は身構えて腰の御刀に手を伸ばす。しかし、相手が明良だと気づいて手を引っ込めた。

 

「……どうしたの? 何で……ここに?」

 

「頭が切れないと執事は務まりませんので」

 

適当に誤魔化し、明良は沙耶香の元へ歩み寄る。

 

「隣、いいですか?」

 

「……うん」

 

明良は路地に入り込み、沙耶香の隣に立つ。沙耶香は焦点の合わない目で明良に尋ねてきた。

 

「何で」

 

「?」

 

「何で、助けてくれたの? さっきも、この前も。私、何もしてないのに……」

 

恐らく、何となく気になったことを聞いただけだろう。沙耶香は困惑している自分を保とうとしているように見えた。

 

「先程申し上げた通りです。貴女は舞衣様のご友人ですから。お力添えするのは当然ですよ」

 

「そう……」

 

消え入るような声で相づちを打つ沙耶香。納得はしていないようだ。明良はさっきと同じことしか言っていないのだから当然か。

 

――それだけではない、と言ってもいいのでしょうか。

 

明良は少し迷いながら、もう一つの理由を口にした。今ここで沙耶香に知られたところで明良にデメリットはないからだ。

 

「実は、別の理由があります」

 

「え?」

 

「貴女に、少しだけ自分を重ねていたんです」

 

沙耶香の顔が上がり、明良を見上げる形になる。明良は視線を一瞬だけ沙耶香に移し、すぐにそらした。

 

「貴女が高津学長の言いなりにされているところを見て、見ていられなかったんです。昔の自分を見ているような気分になってしまって……」

 

「黒木さんも、同じようなことがあったの?」

 

「ええ」

 

脳裏に垢のようにこびりついているのは、一組の男女の表情。嫌悪と侮蔑に満ちた両親に当たる二人の表情。嫌というほど観察してきたから覚えている。いつしか、それが日課になっているほどだったくらいだ。

 

「ですから、私は貴女に同情し、憐れんでいたのかもしれません。つまり、舞衣様のご友人の方を利用して、自分の憂さ晴らしのようなことを……」

 

沙耶香を救うことで自己満足に浸っていたのかもしれない。くだらない。そんなことをしたところで、失った自分の時間が戻るわけでも、何かが変えられるわけでもないのに。自分でも珍しく感情的になっていたようだ。

そう考えると、心に靄がかかったような感覚に襲われた。

 

「……別に怒ってない。優しくしてもらって、嬉しかった」

 

ゆっくりと沙耶香は言う。哀しみや苦々しさはない。微かに笑みも感じられる表情で。

 

「それでも、申し訳ないと思っています。糸見さん」

 

「……沙耶香」

 

「はい?」

 

「沙耶香で……いい、から。『さん』はいい」

 

「……沙耶香、さん」

 

流石に『さん』は外せなかった。敬語も敬称も明良にとっては癖になっている、簡単には外せない。

 

「でしたら、私のことは呼び捨てにしてください。私の方も『黒木さん』というのはあまり慣れていなくて」

 

「じゃあ……明良?」

 

「ええ、それでお願いします」

 

少し距離が縮まった。明良が下の名前で呼ぶ人物となると柳瀬家の人間以外では可奈美くらいだ。まさかこんな短期間に二人目ができるとは。

 

「では、沙耶香さん。ここにいては危険ですから、移動しましょう」

 

「どこに?」

 

「私の部屋です。数時間ほど身を隠すことができれば問題ありませんから。ただ、出入りは窓からになります。人目につくわけにはいきませんからね」

 

「……数時間?」

 

「ああ、それにつきましては――」

 

明良の計画では沙耶香を一端明良の部屋に匿い、舞衣を美濃関に送り届けた後、沙耶香と供に舞草へと向かう手筈になっている。これならば舞衣の安全を確保しつつ沙耶香を救い、明良の当初の目的も果たせる。

そう説明しようとしたところで、二人の目の前にとある人物が駆け付けてきた。

 

「いたっ! 沙耶香ちゃん……明良くんも!」

 

「舞衣様……」

 

「舞衣……」

 

舞衣は息を切らせて路地に佇む二人の前に顔を出した。美濃関の制服に着替え、腰には御刀を差している。額に汗をかき、頬も少し赤くなっている。沙耶香を必死に捜して走り回っていた証拠だ。

 

「舞衣様…どうして」

 

「言ったでしょ、沙耶香ちゃんを放っておけないって」

 

「ですが――」

 

「ですが、じゃないよ」

 

舞衣は明良の目の前に立ち、上目遣いになりながら明良の言葉を一蹴する。説教などさせない、という無言の圧力がひしひしと伝わってきた。

 

「……わかりました。ですが、私の部屋まで移動しながらにしましょう。この場に留まっていては危険ですので」

 

「ありがとう、明良くん」

 

「……はい」

 

ちょっと怖い。舞衣のような、普段から人当たりがよく優しい人物であるほど怒ったときは怖いのだ。精神的、かつ直感的に思うのだ。怒らせるとタダでは済まされない、と。

三人は路地から徒歩で移動し、宿舎を目指すことにした。舞衣と沙耶香は横並びに、明良は二人の後ろを歩く形となる。徒歩から二分ほど経ち、舞衣が沙耶香に話を切り出す。

 

「私ね、沙耶香ちゃんと同い年の妹がいるの。前に言った、上の妹なんだけど」

 

「うん……覚えてる」

 

舞衣には現在中学一年生の妹、美結がいる。舞衣が実家に帰った折には彼女に頻繁に注意されている姿があり、明良がフォローを入れるのが日常的だ。

 

「普段はすっごくワガママで自分勝手なんだけど、本当に大変なときに限って助けてって言わないの。私はお見通しなのに、変だよね?」

 

「お見通し……何でわかるの?」

 

「だって、私はお姉ちゃんだから」

 

舞衣は沙耶香の白い髪をすくように優しく撫でる。沙耶香はくすぐったそうにしながらもそれを受け入れていた。さっきまで陰っていた顔も僅かに笑みが覗いている。

 

「………」

 

後ろでその光景を見ていた明良も自然と頬が緩んでいた。微笑ましい、愛おしいとでも表現すべきか。舞衣とその友人が笑顔で接している様を見て、数分前まで荒んでいた心が洗われるような気がした。

 

 

「沙耶香ちゃん、みーっけ!」

 

 

「!?」

 

何処からともなく、陽気な声が響いた。一瞬前までの穏やかな気分が一変。明良の脳は反射的に警戒心を強め、感覚を研ぎ澄ませる。

 

「こっちこっちー!」

 

月明かりに照らされ、頭上に揺らめく少女の姿がそこにあった。左に見える高層ビルの屋上に彼女がいた。そう、燕結芽だ。

 

「やっと見つけたー、捜したんだよっと!」

 

結芽は屋上の手すりに足を乗せ、跳躍。明良たちの目の前に華麗に降り立った。

 

「二度ならず三度まで、貴女はどうやら隠れた位置から挨拶するのがお好きなようですね」

 

「そーだねー、だって、何かそっちの方が格好良いじゃん」

 

「……そうですか」

 

結芽は不敵に笑っているが、明良は対称的に細目で睨み付けている。警戒を怠らないよう、結芽の一挙手一投足に注意を配る。

 

「んじゃ、帰ろっか沙耶香ちゃん。高津のおばちゃんが待ってるよ?」

 

「……う」

 

沙耶香はたじろぎ、後ずさりする。それを見た結芽は不思議そうに目を丸くした。

 

「あれ? 帰りたくないの? うーん、でもこのままっていうのもなぁー」

 

「……沙耶香ちゃん」

 

舞衣は横目で沙耶香を見つめる。沙耶香の目にはまだ迷いが見える。自分一人ならともかく、舞衣と明良を巻き込むことを考慮すると踏ん切りがつかないのかもしれない。

 

「わ、私は……」

 

「沙耶香ちゃん」

 

舞衣は沙耶香の両肩に手を乗せ、正面から向き合う形で問う。

 

「沙耶香ちゃんはどうしたいの? 私たちのこととかは抜きにして、教えてほしいの。本当の沙耶香ちゃんの気持ちを」

 

「舞衣……」

 

沙耶香の目線が明良へと移動する。明良にも確認したいのだろう。簡単なことだ。今更拒んだりなどしない。

 

「私には許可を得る必要はありませんよ。沙耶香さんの思いを貫いてください」

 

「……うん」

 

舞衣はゆっくりと手を戻し、沙耶香は結芽に向き直る。つまらなさそうに聞いていた結芽だったが、沙耶香の決意の込められた表情に引き寄せられる。

 

「私は……帰らない。舞衣や、明良と……一緒がいい、から。だから……嫌」

 

「……うん、わかった!」

 

舞衣は沙耶香の手を握り、同じく決意を固める。一方、沙耶香の口から出た言葉に結芽は面白そうに口を歪めていた。

 

「へー、そういうこと言っちゃうんだー」

 

醜悪な笑みを浮かべた後、結芽は何かを思いついたように人差し指を立てる。

 

「じゃあこうしよっか! 今から十数えるから、その間に私から逃げ切れたらここでのこと、見なかったことにしてあげるよ」

 

結芽は腰の御刀を抜き、正眼に構えた。口で足りぬなら実力行使というわけだ。舞衣と沙耶香の表情が強張り抜刀しようとするが、明良が二人の前に立ち、結芽との間に割って入った。

 

「お二人は目的の場所……いえ、この場所まで逃げてください。逃走用の車を置いています」

 

明良は懐から地図の記された紙片を取り出し、舞衣に手渡す。

 

「そんな……明良くんは!?」

 

「私は燕さんを食い止めます」

 

「無茶だよ! 一人でなんて……私も一緒に――」

 

「なりません」

 

今度は明良が一蹴する。いくら舞衣の頼みとはいえ、こんなことを許容するわけにはいかない。

 

「ご安心ください。適当な所で切り上げて合流します」

 

「でも……」

 

「早く、してください……!」

 

明良は必死に懇願する。舞衣も切迫した状況と結芽の脅威を理解し、渋々と首を縦に振る。

 

「……死なないで、絶対に」

 

「……はい」

 

舞衣は沙耶香の手を取り、迅移の高速移動を駆使して姿をくらました。

意外にも、結芽はぼんやりとその行動を見ていただけで引き止めることも、後を追うこともない。

 

「追わないのですか?」

 

「いーよ、別に。確かに沙耶香ちゃんが天才って言われてるのにも興味があったけど……おにーさんも気になってたから」

 

「それは結構。お二人の逃走の時間稼ぎになります」

 

互いに不敵な笑みを浮かべながら対峙する。姫和や夜見との戦いでは、相手が本調子ではなかったというのもあり、さほど問題なく片がついたが、今回はそうはいかない。

親衛隊最強の刀使と本気の真剣勝負。一筋縄ではいかなさそうだ。

 

「……燕さん、確か貴女、仰っていましたよね? どういう場合に私が本気になるのか、と」

 

「言ったよ? それがどーかした?」

 

「いい機会だと思いましてね」

 

明良は両方(、、)の手袋を外す。赤黒い粘液が明良の両の掌から流れ、前腕に絡みついていく。

 

「私は、今なら少し本気になれそうです」




最近の話題

・刀使ノ巫女の7話の感想まとめサイトを見ていたら舞衣が沙耶香を見つけるシーンで『レズは鋭い』『レズ特有のサーチ能力』『電話の背景音から居場所を特定する女』とか呼ばれていて吹いた。


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第18話 右腕

やっと7話分のやつが終わった!

次回からは遂に明良の正体が……(わかるとは言ってない)


明良の左手から流れ出る粘液は鉤爪状の手に変化し、『左腕』が形成される。その一連の様子を見た結芽は写シを貼りつつ、興味深そうに『左腕』に視線を注ぐ。

 

「おにーさんのそれ、どーなってるの? 手品とかじゃないよね?」

 

「ふふ……どうでしょうね?」

 

薄ら笑いを作りながら明良は『左腕』を結芽へと向ける。

 

「何か変なの。そんなの作れるんだったら、わざわざあのとき素手で受けなくてもよかったじゃん」

 

結芽が舞衣に斬りかかり、明良がそれを防いだときのことを言っているのだろう。確かに『左腕』ならば結芽の斬撃を受け止めることもできたかもしれないが、これはそんな万能の代物ではない。

 

「あのときは咄嗟でしたからね。作る暇などありませんよ。それに、舞衣様の前ですから」

 

「またあのおねーさん? おにーさんって、口開けたらそれしか言ってない気がするけど?」

 

「それだけ、あの方について第一に考え、行動しているということですよ。あの方に害を為す者――今の貴女を処理することのように……」

 

明良は右足で強く地面を蹴り、結芽に突進する。狙うは急所ではなく右腕。御刀を扱う利き手さえ使い物にならなくすれば無力化できる。

突進と同時に突き出された『左腕』が結芽の細腕を握ろうとする。

 

「にひっ」

 

「……!」

 

結芽は口角を吊り上げ、笑い声を漏らす。それが何を意味しているのかわからない明良ではなかった。彼女の性格ゆえの狂気の笑み――ではない。もっと単純な、ありふれた感情。余裕だ。

 

「ぐっ……」

 

結芽は一瞬で明良の視界から消え、『左腕』が空を切ったところで明良の右肩に強烈な鋭い痛みが走る。右肩の服が斬り裂かれ、筋肉、骨に至るまで離断し、深い刀傷ができている。

 

「あれ? 意外とあっけない? おにーさん、今の見えなかったの?」

 

「……はは」

 

渇いた笑いがいつの間にか明良の口から漏れ、空気に混じる。明良の背後に移動した結芽は、御刀の刀身に付着した血脂と明良の傷を交互に見比べて首を傾げている。

 

「普段から裏方仕事ばかりしているせいですかね……まさか私より速いとは」

 

「私はまだ全然本気出してないのにこんななの? それとも、おにーさんの方が手加減してる?」

 

「残念ながらこの後で車での送迎が控えていましてね……それゆえに、体力を温存しているだけですよ」

 

明良の軽口に結芽はクスクス笑いながら御刀の峰を掌で弄ぶ。

 

「車かー、じゃあいいよおにーさん、本気出しても。私に負けても乗れるんだから。車って言っても、救急車だけど!」

 

「お気遣いありがとうございます。ですが、必要ありませんよ。貴女は私に倒されていただきますから」

 

「あは、そーこなくっちゃ、ね!」

 

結芽は迅移で加速し、目にも止まらぬ速さで明良に斬撃を浴びせ、攻撃と離脱を繰り返す。わざと致命傷には当てず、ジワジワと体力を削っていくつもりだ。

 

「チィッ!!」

 

「おおっと!」

 

横凪ぎに振るわれる明良の『左腕』。まともに喰らえば写シを剥ぎ取り数メートルは弾き飛ばす威力だが、それも当たれば(、、、、)の話だ。結芽は難なく反応し、身を屈めて回避する。

 

「そうれっ!」

 

がら空きになった明良の胴体に右切上が入る。傷口から鮮血が吹き出し、喉からも血がせり上がり、口の端から溢れる。

 

「………」

 

結芽は一端距離を離し、明良は口元の血を右手で拭う。数秒ほど自分の血がべったりと付いた手を見つめていると、結芽が怪訝そうな表情でこちらを見ていることに気付いた。

 

「……何ですか」

 

「おにーさん、よくわかんない」

 

「……何がですか?」

 

「その左手、おにーさんってただの人間じゃないでしょ?」

 

結芽は明良の赤黒い鉤爪状の手を指差し、目を細める。

 

「でも、男の人で御刀も持ってないから刀使じゃないし……何なんだろ」

 

「……それはご想像にお任せしますが」

 

「ま、おにーさんたちを捕まえれば全部わかっちゃうことだから……別にいいけど」

 

「そうですね……捕まえれば、ですが」

 

明良は右手で右肩の傷口に触れる。べちゃっとした嫌な感触と鋭い痛みが伝わるが、そんなものは大して気にならない。

 

一瞬の内に右手で触れた部分の傷口が塞がり、新しく血が生成され、流れ出た血が蒸発していく。

 

「え……何それ……」

 

「………」

 

明良は次に右切上の入った傷口を右手でなぞる。右肩の傷と同じように、触れた箇所から順に傷が修復されていく。まるで動画の巻き戻しのように、傷も血も消える。

 

「全く……やはり再生能力があるとはいえ、傷は負わないに越したことはないですね」

 

最後に口元を拭い、今度こそ全ての傷がなくなる。負傷前と違うのは傷口のあった部分の服がボロボロに破れていることくらいか。

 

「ただでさえ御刀で出来た傷は治りが遅くなりますからね。それに、服が破れるのはどうしようもありませんし」

 

「びっくりした……おにーさん、本当に人間?」

 

「一般人かという意味でしたら、答えはノーです」

 

明良は右手を前に構え、意識を右手に集中させる。右の掌から流れ出る赤黒い粘液が指先から肘までを覆う。だが、『左腕』のような腕の形ではない。棒状の金属質の腕、例えるなら刀だろう。しかし、御刀のような日本刀の形ではない。幅広の片刃剣、カットラスに近い。とはいっても、現実のカットラスよりも刀身が長く分厚い。

 

「私は腑抜けていたようですね。捕縛用の『左腕』だけで十分、などと……」

 

明良は形成された刀を素振りし、無形の居に構える。

 

「私が『右腕』を使用する以上、絶対に写シは外さないでください。死ぬかもしれませんので」

 

「いいよ、これでようやくおにーさんの本気と戦えるんだからさぁ!!」

 

結芽が再び迅移を発動させ、速度で撹乱しながら攻撃の機会をうかがう。先程より速い。防げはしないだろう。『左腕』だけならば。

 

「ついてこれてる? おにーさん!」

 

振るわれる刃が先程よりも速く、鋭く明良の肉体に突き立てられる――ことはなかった。神速の斬撃は『右腕』の刃と鍔競り合いとなり、火花を散らしながらすれ違う。無論、明良の体は無傷だ。

 

「うはっ!」

 

「見えていますよ、今回は」

 

二度、三度。四度、五度と互いの刃が交わり、その重さと速さが腕に伝わる。人間は当然として、熟練の刀使でもこんな剣戟を繰り広げることは少ない。

速度では拮抗しているが明良の方が手数が一つ多い。結芽の斬撃の間に生まれた隙に『左腕』が伸び、今度こそ右手首を掴む。

 

「甘いよ」

 

結芽の顔には動揺ではなく歓喜の色があった。右手に握られていた御刀は『左腕』が右手首を掴む直前に左手に持ち替えられていたのだ。

左手の御刀は明良の左上腕を切り落とした。

 

「……読んでいましたか」

 

「ばればれ」

 

「……情けない」

 

切り落とされた『左腕』は重厚な音を立てて地面に落ち、綺麗に切断された左上腕からボタボタと血が滴り落ちる。

 

「……!」

 

『右腕』を一端解除して切断された『左腕』を拾い上げて接着すれば即座に回復する。だが、結芽もその程度のことは百も承知。隙など与えないよう追撃を繰り出す。

 

「ほらほらほらほらっ!!」

 

「……ちっ」

 

左腕がなくなったことで身体の左右のバランスが悪い。『右腕』で上手く結芽の攻撃を防げなくなっている。その上、無力化するための『左腕』がないせいで決め手が欠けてしまった。

 

――分が悪いですね……

 

「まだまだ全然足りないよ、おにーさんっ!!」

 

「そうですか……」

 

再び攻撃がヒットし始める。小さい傷が身体の所々に生まれ、明良が顔を歪ませた。

明良は右足を強く踏み込んでバックステップ。地面を滑るように移動する。結芽は息切れの一つも起こしておらず、涼しい顔で明良に剣尖を向けた。

 

「まあまあ楽しかったかな。でも、おにーさんのそんなのじゃ私には勝てないよ?」

 

「でしょうね。今の私では貴女に正面から挑んでも勝ち目は薄い。それは理解していますよ」

 

「なーんかまた変な言い方してる。言っとくけど、おにーさんを倒したら沙耶香ちゃんたちも私がやっつけちゃうよ?」

 

挑発のつもりか。他愛ない、と明良は消沈する。実に子供らしい性格だとも思えた。

 

「意図的に言っているのですよ。正面以外ならば勝ち目がある、とね」

 

「え?」

 

結芽が呆けた次の瞬間、彼女の小さな体躯に巨大な何かが飛びついてきた。丸太のような太い根本部分とそこから五つに別れた末端部分。五つの末端が結芽の身体を絡めとるように腕ごと締めつけ、拘束している。

 

「な……なん、で?」

 

「ばればれ、ですか」

 

ふと、明良が先程結芽が放った言葉を繰り返し言う。結芽は事態が呑み込めないままその言葉に耳を傾けた。

 

「私が最初に貴女の利き手を狙えば、私の目的が戦闘ではなく無力化であると貴女は判断する。そして、貴女と互角に渡り合う状況となれば、攻撃の隙間を突いて再び狙いに来る――」

 

結芽はようやく気づいたようだ。今自分を拘束しているのは、先程切り落とした(、、、、、、、、)明良の『左腕』だと。

 

「私はそう考えていた、と貴女は考えたのでしょう?」

 

「……ぐ、このっ!」

 

「無駄ですよ。腕力ならばこちらが上です」

 

もがいて抜け出そうとする結芽だが、完全に力負けしており、拘束されているせいで得意の剣術も使えない。

 

「私が『左腕』を切断され、劣勢になれば貴女は間髪入れずに仕留めに来るはずです。再生能力があると知っていれば尚更に」

 

明良はジリジリと結芽に歩み寄り、言葉を続ける。

 

「後は、『左腕』が貴女の死角にありつつ瞬時に捉えられる位置になるよう誘導するだけ。遠隔操作は久々で、集中力が必要でしたから攻撃をかわし切れなかったのは問題ですが」

 

「ぜんぶ……計算で……?」

 

「ええ。得意なので」

 

あっけらかんと言う明良。先程までの苦戦していた表情も嘘ではないのだが、あれも全てこの結果が見えていたからこそだ。だから、この計算も当然と思える。

 

「戦いは技術だけがものを言うわけではありません。相手の思考や戦術を読む力も重要な要素です。私はそうやって生きてきましたから」

 

「どういう……こと……?」

 

「知る必要はありませんよ」

 

『左腕』の握力が強まり、結芽の写シが少しずつ剥がされていく。明良は脆くなった写シを『右腕』の横凪ぎで完全に剥がし、続けて結芽の左肩に『右腕』の(きっさき)を突き刺す。

 

「いぐっ……ああっ!!」

 

「そこまで深くは刺しませんよ。ご安心ください」

 

明良はやや乱暴に『右腕』を抜く。結芽の左肩の傷口から血が流れるが、傷自体はそこまで深くない。ガラスの破片が刺さった程度の深さだ。

結芽はわけがわからないと言った風に明良に問う。

 

「……何? 手加減のつもり? 降参しろってやつ?」

 

「いいえ、これで私の勝ちですよ」

 

「わけわかんない、これが――」

 

結芽の言葉は続かなかった。顔が真っ赤に染まり、息切れを起こし始めた。

 

「あ……つい……」

 

高熱にうなされるように結芽が吐息混じりの声で言う。額から首にかけて玉のような汗をかき、目の焦点が合っていない。きっと頬に触れれば火のように熱いだろう。

 

「なに……したの……おにーさん」

 

「私の血を注入しました」

 

「……え?」

 

明良は『左腕』の拘束を解く。自由になった結芽はうつ伏せで地面に倒れるが、起き上がる気配はない。当然だ。今の結芽は野生の象ですら一歩も動けないほどの高熱を出している。

 

「ノロというのは生物にとっては極めて有害な物質。それは御刀を持ち、正の神力を使役する刀使であっても例外ではありません」

 

「のろ……」

 

「まあ、一般人が私の血を注入されれば死亡しますが、刀使の方であれば高温の発熱と頭痛程度で済むでしょう。暫く寝ていてもらいます」

 

明良は倒れ伏したまま指一本も動かせずに喘ぐ結芽を横目に、解除した右手で『左腕』を持ち、切断面と繋ぎ合わせ修復する。当然、身体中についていた小さな傷も既に完治している。

 

「ずるい……な、こんなの……」

 

「狡い?」

 

結芽は苦しそうに言葉を紡ぐ。傷の消えた明良は不思議そうに反応した。

 

「だって、まともじゃ……ない……し……」

 

「まともなわけがありませんよ」

 

明良は結芽に背を向けて歩き出す。振り向き、彼女を斜め上から見下ろしながら諭すように言った。

 

「まともな戦い方しか知らないようでは、あの方の執事は務まりません」

 

恥もプライドも外聞も罪悪感も、柳瀬舞衣という一人の少女のためならまとめてかなぐり捨ててしまうことができる。明良はその覚悟でこの職に就き、責務を担っているのだ。

 

「私は舞衣様のためならば、いかなる手段であろうと実行します」

 

 

※※※※※

 

 

「明良くん、無事っ!?」

 

「明良……」

 

結芽を退けた後、明良は二人が逃走した方角に向けて走り、合流することに成功した。場所は海岸辺りにひっそりと立つ駐車場。

 

「って、ボロボロになってるよ! 燕さんにやられたの!?」

 

「いえ、これは――」

 

「明良……死んだりしない? 早く病院に行かないと……」

 

「ですから、大丈夫です」

 

心配そうに舞衣と沙耶香が明良に駆け寄り、服の傷から被害の凄惨さに狼狽する。心配しすぎだと明良は思ったが、目の前にダメージ加工も真っ青な傷だらけの服を着た人物が現れたら心配するのが普通だ。とりあえず適当に誤魔化しておこう

 

「何とか燕さんは撒いてきました。これは服を切られただけで傷を負ったわけではないのです。ご心配には及びません」

 

明良は袖を捲ってボロボロの服の下の肌を見せる。そこにはミミズ腫れの一つも出来ていない。

 

「あ……ほんとだ、よかったぁ……」

 

「……よかった」

 

何とか言いくるめ、その場の動揺は抑えられた。ともかく、早く移動しよう。明良は黒塗りの乗用車のロックを開け、運転席に乗り込む。

 

「舞衣様、美濃関までお送りいたします。沙耶香さんは……当てがないのでしたら私と同行していただくことになりますが」

 

「明良くん、そのことなんだけど」

 

舞衣が運転席に座りシートベルトを締めている明良に呼び掛けた。明良は窓を開けて舞衣の声が聞こえやすくなるようにする。

 

「はい、何でしょう」

 

「私も明良くんや沙耶香ちゃんと一緒に行きたい」

 

「………それは」

 

「今更ダメだなんて言わないで。可奈美ちゃんや沙耶香ちゃん、明良くんが戦おうとしてるのに私だけ蚊帳の外だなんて嫌だから。絶対に」

 

できません、と言いたい。舞衣の思いをはね除ける行為だが、彼女の安全を考慮すればこのまま美濃関の羽島学長に任せて舞衣を安全な場所で保護してもらう方が懸命だ。だが……

 

「舞衣様、私は……」

 

「明良くん」

 

押し切ろうとする舞衣。このままでは大人しく舞衣の言葉に従ってしまいそうだ。

むしろ、そうすべきなのか? 主の意思を尊重し、友人の元へ向かわせることが彼女にとって最良の選択なのかもしれない。

 

――いえ、そんな簡単なことではありません。

 

現在の舞衣は高津学長の元から離反した沙耶香と接触した『だけ』だ。仮に結芽が高津学長や管理局に報告したところで舞衣は大きな罪には問われない。

このまま無関係の人間を貫き通せば舞衣の安全は保たれる。真に舞衣のことを慮る者ならば、彼女の意見に反対すべきか?

 

 

『沙耶香ちゃんが困ってるのに助けに行かないなんて、私には考えられないの。だから――』

 

『ごめん、明良くん。わかってるけど、放っておけないから』

 

 

「………」

 

沙耶香からの電話を受けた舞衣から聞いた言葉。大した理由がなくとも舞衣は沙耶香を助けに向かった。自分が不利な状況になることも重々承知な上で、彼女の心の支えになろうとした。

舞衣には自分の大切な人々の身を案じ、手を差し伸べる心がある。

明良は決して、我が身可愛さに安全地帯で縮こまっている彼女に誓いを立てたわけではない。

家族や友人を思いやる愛情と勇気を持つ彼女に仕えたい、傍で支えたいと思ったのだ。

ならば、答えは一つしかない。

 

「舞衣様、沙耶香さん……舞草までお送りいたします」

 

明良は後部座席のドアを開け、二人を促す。

 

「明良くん、じゃあ……」

 

「ええ。可奈美さんたちの元へ向かいましょう、我々で」

 

「……うん!」

 

「……うん」

 

舞衣は晴れやかな笑顔で、沙耶香もぎこちなくはあったが微笑みながら答える。

後部座席に仲睦まじく座る二人を微笑ましく一瞥し、明良は車を発進させた。

 

「……ふふ」

 

車を走らせ、十五分ほど経過した。明良は数百メートルのストレートを通っている途中の数秒の間、チラッと後部座席を覗く。

舞衣と沙耶香がウトウトと眠気をこらえている様がそこにあった。二人とも安心して眠れるような心境ではなかったためか、今になって睡魔が襲ってきたようだ。明良はその光景に思わず笑みをこぼしてしまう。

 

「仮眠をとっていただいて構いませんよ。まだ目的地までは時間がありますから」

 

「え……うん……ありがと」

 

「………ありがとう」

 

明良の提案を聞き入れ、二人とも睡魔に身を任せて眠りに入った。可愛らしく、手を握り合い、寄り添いながら眠っていた。

明良は車のエンジン音に混じった二人の寝息の音を聞きながら、安全運転を心掛けようと肝に命じて車を走らせ続けた。




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第19話 人違い

今回は色々雑です。特に前半が。何故かいつもより調子が悪かったんです……説明回だからだと信じたいです。

あと、まだ主人公の正体の核心部分が明かせませんでしたorz ちょっとだけ明かしたとこもありましたが。

次回くらいに日常的なギャグがしたいという私の願望です。シリアス続きは……疲れるんすよ。


「舞衣様、沙耶香さん、到着いたしました」

 

送られてきたメールに描かれていたルートを通り、昼頃には舞草の拠点に到着できた。入口を通過しようとしたときに呼び止められたが、事情を話してエレンと薫に確認をとってもらい事なきを得た。

明良は後部座席の二人を優しく起こし、外に移動させる。

 

「ん、んーっ!」

 

「ふあ……」

 

数時間眠っていたせいで舞衣も沙耶香も伸びや欠伸をして身体の調子を整えている。

そんな二人の元に猛スピードで突進してくる影があった。

 

「舞衣ちゃーん!!」

 

「え、可奈美ちゃ……わっ!」

 

興奮、というかはしゃいだ様子の可奈美が舞衣に突進し、勢いのまま抱き着いてきた。舞衣は慌てて受け止め、可奈美と向き合う。

 

「舞衣ちゃん、良かったぁー! あのね、私、舞衣ちゃんにいっぱい話したいことあるの!」

 

「私も安心したよ、可奈美ちゃんが無事で。うん、じゃあ後でいっぱいお話ししよう」

 

「あ、沙耶香ちゃんも一緒だ! 聞いた通りだ、舞衣ちゃんや明良さんと一緒に来るって!」

 

可奈美は沙耶香の手を取って上下にブンブン振る。沙耶香は動揺しているものの、嫌がっているわけではないようだ。

舞衣と沙耶香が同行してくることは運転中に連絡してある。渋られるかと思ったが、可奈美や姫和の口添えもあって許可をとることができた。

明良は運転席のサイドウィンドゥを降ろし、ドア越しに可奈美に話し掛ける。

 

「可奈美さん、お久し振りです」

 

「あ、明良さんも! こうやって普通に会うのは久し振りだよね。って、何でボロボロ?」

 

「少々危険な遊びに興じてしまいまして、お恥ずかしい限りです」

 

明良は可奈美の不用意な発言を訂正しようかと思ったが、どうやら周囲には勘づかれていないと理解し、流しておいた。

 

「ところで、十条さんたちはどちらに?」

 

「姫和ちゃんたちなら後で来るって。何か皆に話しておかないといけないことがあるらしいけど……」

 

「そうですか、では私も車を置いてから合流しますので、後ほど」

 

明良は道の脇に停車している車を走らせ、適当な駐車スペースまで移動させることにした。

 

「どこでしょうか……」

 

駐車スペースを探して彷徨っていると、横合いから一台のリムジンが砂利の敷き詰められた広場に止まる光景があった。丁度いい、と明良はリムジンに横付けして駐車する。

一応確認しておくためにサイドブレーキをかけてから車を降り、リムジン内の助手席の人物に窓ガラス越しでも聞こえるぐらいの声量で話しかけた。

 

「申し訳ありません、お伺いしたいことがあるのですが」

 

ちゃんと聞こえたようで、すぐにサイドウィンドゥが降り、助手席の人物が顔を出す。助手席に座っているのは黒髪の落ち着いた雰囲気の女性だ。年齢は二十代後半から三十代前半程度。身につけている服装やリムジンでの送迎をされる立場ということは、それなりに位の高い人物だろう。女性は穏やかな顔で明良に応じる。

 

「はい、何で――」

 

そのはずだったが、女性は明良の顔を見た途端に言葉を詰まらせた。目を丸くし、口がポカンと開いてしまっている。

 

――ああ、なるほど。

 

「失礼しました、まだ名乗っていませんでした。初めまして、黒木明良と申します。本日から柳瀬舞衣様と共にお世話になりますので、お見知り置きを」

 

「……そう、ですか」

 

「それから、駐車場はこちらでよろしいのでしょうか?」

 

「は、はい。ここで大丈夫です」

 

女性は困惑しながらも明良の質問に答えた。明良は微笑んで感謝の意を示した後、車に戻って荷物を取り出そうとする。しかし、背後から女性に呼び止められた。

 

「あ、あの!」

 

「はい」

 

「覚えて……いませんか? あなたは、私のこと……」

 

――覚えていますよ。

 

「いえ、申し訳ありませんが……ご対面した記憶はありません。初対面かと思うのですが」

 

「何でもいいんです、名前などでも……」

 

折神(おりがみ)朱音(あかね)さん、でしょう?」

 

知っていてもおかしくはない。

折神朱音。折神家現当主である紫の妹であり、姉には及ばないもののかつては凄腕の刀使として活躍していた人物。刀使に関わる者ならば顔や名前を知っている者も少なくない。

 

「折神家の方となれば有名ですから、偶然拝見したことがありまして」

 

――本当は違いますが。

 

「失礼ですが、人違いという可能性はありませんか? お知り合いの方に私と似た方がいらっしゃるのでしょう」

 

「そう……ですか。人違い……」

 

残念そうに朱音は沈んだ顔で口を閉じた。用は済んだと言わんばかりに明良は踵を返して車に戻る。

 

「早く戻らないと……」

 

これ以上朱音にあれこれ追求されては面倒だ。荷物をさっさと下ろして舞衣たちと合流しよう、と決めて車のトランクに手をかけた。

 

 

※※※※※

 

 

日が暮れ、空が闇に包まれた頃、明良、可奈美、姫和、舞衣、沙耶香、薫、エレンの7人は広間の座敷に集められていた。広間には既に朱音が正座して待っており、集まった全員に自己紹介をしていた。

 

「皆さん、初めまして。折神朱音と言います。舞草へようこそ」

 

7人とも思い思いの返答をし、話が本題に入る。

 

「早速ですが、今から二十年前の事件――相模湾岸大災厄の真実を話します」

 

相模湾岸大災厄。

二十年前、相模湾岸に大荒魂が突如出現し、それを当時の折神紫と伍箇伝の学長たち計六名による特務隊によって討伐された、という事件だ。その事件を機に折神紫は大荒魂討伐の大英雄、最強の刀使として二年後に折神家当主に就任し、伍箇伝が設立された。

刀使だけではない、一般人でも普通に知っていることだ。

朱音はここまで説明したところで『ですが』と一度言葉を区切る。

 

「このとき、大荒魂――タギツヒメの討伐に加わっていた刀使は他にもいたのです」

 

「え……」

 

「……」

 

事情を知らないであろう舞衣と沙耶香は驚愕した。明良は今更取り繕う必要もないだろう、と落ち着き払っていた。

 

「その名は(ひいらぎ)(かがり)藤原(ふじわら)美奈都(みなと)。十条さんと衛藤さんのお母様です」

 

「なっ……そうなのか!?」

 

姫和が明らかに動揺し可奈美の方を向く。可奈美は特に気にした様子もなく答えた。

 

「そうだけど……」

 

「なぜ言わなかった!」

 

「だって、聞かれなかったし。それに、お母さんは刀使だったときのこととか話さなかったから……」

 

思わぬところで入った情報に可奈美、朱音、そして明良以外の五人は戸惑ったが、すぐに話は戻った。

 

「何故お二人の名前――いえ、存在そのものが『なかったこと』にされていたのですか?」

 

明良は部屋の柱の横に姿勢よく立ち、朱音に尋ねる。朱音はやや苦々しそうな顔で話し始めた。

 

「十条さんのお母様、篝さんは大荒魂を鎮める責務を担っていました。………命と、引き換えに」

 

「鎮めの儀、ですか」

 

姫和が口にした聞き慣れない単語に何人かが首をかしげた。朱音が順序立てて説明していく。

 

「鎮めの儀とは、柊家に伝わる奥義です。皆さんは迅移を知っていますね?」

 

全員が首を縦に振る。

迅移とは刀使の戦術の一つ。御刀から神力を得て高速で移動する技だ。原理は隠世と現世の時間の違いを利用したもので、隠世の時間の流れの早い層に到達し、強大なエネルギーを得ることによって可能としている。

 

「迅移によって隠世の深い層に潜れば、より速く移動することが可能となります。ですが、それが現世と隠世との境界である五段階目の層まで到達してしまうと――」

 

「一瞬の時間が無限に引き延ばされ、隠世から戻れなくなる」

 

朱音、沙耶香が続けて言う。そこまで説明して気がついた舞衣が恐る恐る質問した。

 

「それって……荒魂ごと自分を隠世に封じ込めるための……」

 

「はい。篝さんは理論上最高速の迅移を使うことのできる唯一の刀使でした。そのため、荒魂による大災厄の際には自らの命を捧げる覚悟だったんです」

 

「心中技じゃねーか、それ」

 

薫が苦虫を噛み潰したような表情で呟く。

 

「事の真相を知ったのは、七年前……美奈都さんが逝去されたとき。私は篝さんにそれを電話で伝えました。電話の向こうで篝さんは涙ながらに訴えていました。美奈都さんが亡くなったのは自分のせいだ、と」

 

「なるほど」

 

明良が口を挟んだ。一人だけ後ろに立っている明良に全員の視線が向いた。

 

「篝さんが鎮めの儀を執り行ったとなれば、彼女のご息女である十条さんはここにいるはずがありません。篝さんが生還されたとすれば、何らかの外的要因があったはずです。それが美奈都さんというわけですか?」

 

「……はい」

 

朱音は一呼吸置いてから答えた。正座している彼女の膝に置かれた手が小刻みに震えているのが見えた。

 

「鎮めの儀を行った際に、美奈都さんがギリギリのところで篝さんの命を救ったのです。篝さんの失うはずだった命を半分肩代わりする形で……」

 

結果だけ見れば、本来は篝一人で済むはずだった犠牲を二人に増やしたようなものだ。数年の余生があったとはいえ、美奈都が何もしなければ彼女だけでも生きられたかもしれない。自分のせいだと嘆くのもわかる。

そんな考えが少しでも頭によぎったのは、自分があまりにも現実主義者だからだろう、と。明良はそう思った。

 

「そして、篝さんと美奈都さんは刀使としての力を失い、数年後には命すらも……」

 

最後辺りは消え入りそうなほど弱々しい声だった。朱音の言葉から数秒後、今度はエレンが疑問を投げ掛けた。

 

「でも、おかしいデスね。だったら何故隠世に追いやったはずのタギツヒメがここにいるんデスか?」

 

「鎮め切れていなかったんだ、母は。一時的にタギツヒメの力を削ぐことしかできなかった。そして、折神紫として生き続けた」

 

「ちょっと待って。そもそも、今の御当主様は何者なの? タギツヒメになっちゃったってこと?」

 

「正確には違います」

 

可奈美の質問に明良が答える。明良はなるべく言葉を選んで客観的に説明することにした。

 

「彼女と何度か接触する内に親衛隊とは別種の気配がすることに気が付きました。その大荒魂――タギツヒメは折神紫の精神と肉体に強く結び付き、ほぼ完全に支配している状態です。憑依されている、といった方がわかりやすいでしょうね」

 

「な、なるほど」

 

可奈美は納得しているが、嘘をついたこと(、、、、、、、)は少々心苦しかった。

 

「タギツヒメは姉に憑依しながら力を回復させ、二十年経った今、復活しようとしているのです」

 

話が終わり、静寂が訪れる。誰も口を開こうとせず、このままお開きになるかと思った瞬間、凛とした声が空間を通った。

 

「……黒木」

 

「何でしょうか、十条さん」

 

姫和は立ち上がり、複雑そうな表情で明良と向かい合う。

 

「以前、電話で言っていたな。私と可奈美に償わなければならないことがあると」

 

「……ああ」

 

少し面食らった。忘れているわけがないだろうとは思っていたが、このタイミングで言うとは。

 

「それに、こうも言っていた。お前が私と可奈美の大切な人に手をかけた、と。それは私たちの母のことか?」

 

「……はい」

 

「そのときは答えられないと言っていたが、今なら話すことができるだろう。答えてくれ」

 

――よりにもよって舞衣様の前で……

 

他の人間ならば考えたが、舞衣の目の前でこんな話をするわけにはいかない。はぐらかすしかない。

 

「明良さん、私も」

 

「……可奈美さん」

 

「私も聞こうって思ってた。明良さん、お母さんとはどういう関係だったの……」

 

姫和はこの状況を利用するつもりだろう。当事者たちの揃った場では簡単にしらばっくれることなどできない。知らぬ存ぜぬを貫こうとも思ったが、深く調べられればいずれ話してしまうことだ。ここはどうするべきか。

 

「……明良くん、どういうこと?」

 

考えを巡らせていると、横から舞衣が明良の顔を見上げていた。舞衣の顔からは怒り、疑念、心配などの感情が漂っていた。

ここで押し黙っても無駄だ。むしろ事態が悪化するのは目に見えている。

 

「電話って何……十条さんや可奈美ちゃんと連絡してたってこと……?」

 

「……はい」

 

「それなのに、私に黙ってたってこと?」

 

「………はい」

 

舞衣の一言一言が異常なまでに重い。大切な人に嘘をついていたという罪悪感とこんな台詞を言わせてしまっている自分の情けなさに潰されてしまいそうだ。

 

「………わかりました。話します」

 

「……! 本当か!?」

 

姫和に対してうなずく。

 

「ただ、あまり大それた話ではありません。客観的に言えばただの自己嫌悪です」

 

諦めのついた明良はポツポツと滴る雫のような雰囲気で事情を話す。

 

「私は生前の美奈都さんに会ったことがあります。私が子供の頃になりますが」

 

「え……」

 

「それから、柊家についても……鎮めの儀の存在も知っていました。当然その実態も」

 

明良の告げた真相の内容に朱音を除く六人は言葉を失っている。明良は一度朱音の真剣な表情を確認した後、話を続けた。

 

「私は美奈都さんに助言したのです。美奈都さんの行動は私が提案したものでして……鎮めの儀を執り行う方の命を救う方法を伝えておけば、不要な犠牲を出さずに済むと考えました」

 

「でも、何でお母さんに……」

 

「美奈都さんは当時、折神紫をも凌ぐ刀使だったと聞いたので。最も生存する可能性の高い方に託すべきものだと判断しました」

 

可奈美と姫和は合点がいったようだ。自分の不用意な発言のせいで二人の母親を死に追いやる結果を招いた、明良はそう言っているのだ。

 

「ですから、私がいなければ篝さんはともかく、美奈都さんだけでも助けることができた。ゆえに、私が殺したも同然ということです」

 

「……そうか」

 

「……明良さん」

 

可奈美、姫和は哀愁の漂う顔で呟き、それから何も言葉を発さなくなった。見かねて舞衣が止めに入る。

 

「可奈美ちゃん、十条さん、明良くんは……」

 

「わかってるよ、舞衣ちゃん」

 

必死に明良を庇おうとする舞衣を可奈美が手で制した。幸い、可奈美は怒っているようには見えない。むしろ、微かな微笑みさえ見えた。

 

「明良さんが責任なんか感じることないよ。そんなことで……少なくとも私は恨んだりしない。姫和ちゃんだってそうでしょ?」

 

同意を求められた姫和は了承するでもなく、静かに答えた。

 

「恨むも恨まないもない。私の怨敵はタギツヒメのみ。お前には本当に話を聞きたかっただけだ」

 

「姫和ちゃん……」

 

「話の内容には少し驚いたが、真実を聞いたんだ。私はどうこう言うつもりはない」

 

二人とも納得とまでは行かないが、割り切ってはくれたようだ。舞衣は事態が安全な方向へと収束したことに安堵して胸を撫で下ろす。

 

「……可奈美さん、十条さん、ありがとうございます」

 

明良は一礼すると、襖を開けて部屋の外へ踏み出した。

 

「明良くん、どうしたの?」

 

「少々夜風に当たってきます。今はあまり、舞衣様にお見せするべきではない表情になっていますから」

 

舞衣に声をかけられ、落ち込み気味の声が口から出ていることに気づいた。

 

――予想より心苦しく思っているのですね、私は……

 

「明日の朝からは皆さんの身の回りのお世話に専念しますので、よろしくお願いします」

 

事務的な連絡だけ済ませて明良はその場から離れていった。

 

 

※※※※※

 

 

「はあ……」

 

廊下に出て少し歩いたところで溜まった吐息が口から流れ出た。明良はこれからの計画と自分の身の振り方を考えながら、適当にブラブラと歩いているのだ。

 

「舞衣様……」

 

最も尊敬し、慕っている主の名を自然と口にしていた。自分の行動原理であり、生きる意味である人物。

明良は考えに行き詰まったとき、こうして舞衣のことを思い浮かべている。どうするべきか、という判断基準になるからだ。このルーティーンをしている限り最終的な判断を後悔することなどない。

 

「聞いてはいたが、本当に君は舞衣くんにご執心のようだね」

 

「?」

 

廊下の奥。暗がりに誰かが立っている。顔立ちや肌の色からして欧米か西洋の人物。角張った眼鏡をかけており、年期の入った白髪と皺の寄った肌、先程話しかけられた際の声は初老男性のそれだ。だが、背丈や立ち姿は明良と同じかそれ以上に大柄だ。

 

「久しぶりだね、君はあまり変わっていないようだが」

 

「フリードマン博士……ですか?」

 

知っている人物だ。

リチャード・フリードマン。刀使に関する技術開発施設の筆頭技術者であり、エレンの祖父でもある。現在はここ、舞草の専属科学班に所属していると聞く。

何故そんな人物が旧知の仲であるかのように明良に話しかけてくるのかは、当然わかっていた(、、、、、、、、)

 

「変わっていない、とは? 貴方とは初対面だと思うのですが」

 

「初対面? そういうことにしている(、、、、)だけだろう?」

 

笑い飛ばすフリードマン。明良は人当たりのいい顔を貼り付けて場を流すことに専念した。

 

「舞草の重鎮たる貴方に知っていただいていたことは光栄に思っていますが……人違いではないですか?」

 

「まあ、知らないというならそれでもいいが……せめて彼女たちには真実を話してやるべきだったんじゃないかい?」

 

「真実? それでしたら先程彼女たちに申し上げましたが。それとも、私の証言が虚偽のものだという根拠でも?」

 

フリードマンは首を左右に振る。明良は一瞬目を細めて警戒したが、証拠がない以上は暴かれる心配はない、と迎え撃つ手段に出た。

 

「虚偽ではない、か。確かにそうだ。だが、あれが全てというわけでもない」

 

「………何を」

 

「君がしたことはあれだけではない。君が話したのはごく一部であって、洗いざらい彼女たちに話したわけじゃないだろう?」

 

そうだ。明良は嘘をついたわけではない。明良が美奈都と話したことがあるのは事実だ。

 

――そういうことですか。本当に心苦しかったのは、私が……

 

明良の先程言ったことはほんの一部でしかない。明良は事態の混乱を避けるために最も重要な内容を隠蔽し、当たり障りのない内容だけを伝えたのだ。

反吐が出る。こんな方法をとった自分にも、それを舞衣たちのせいにしている自分にも。最低で、狂った人物だと否応にも認識させられた。

 

「……そのようなこと、認めるつもりはありませんよ」

 

フリードマンにはそう言ったが、心では全く違うことを考えていた。

 

「申し訳ありませんが、明日も早いので休ませていただきたいのです。失礼します」

 

これ以上ここにいたくない。そんな子供のような幼稚な感情がジワジワと身体を侵食していく。早くここから離れよう。

 

だが、フリードマンの放った一言が明良の足を止めた。

 

「そんなに過去を消し去りたいのかい?」

 

何ですか? そう言おうと足を止めた瞬間だった。音となって飛び込んできた。

その名前は――

 

 

 

「折神(しゅう)くん」

 

 

 

――は?

 

反射的に顔が歪む。折神紫――それに憑依したタギツヒメに下の名前を言われたときよりも更に強い。

フルネームのそれは、明良の最も触れてはいけない箇所にハンマーで殴りつけるかのような衝撃を与えていた。

 

「そうだろう? 君の本当の名前は」

 

「……知りません」

 

「……そこまで頑なに否定するのか」

 

「否定とは何のことです?」

 

折神修。

最も嫌いな名前だ。頭の中で一度足りとも反芻したくない。聞くだけで嫌悪感と吐き気がこみ上げてくる。

否定していても、表情はあまり隠せていない。悔しそうに歯噛みしているのが自分でもわかった。

 

「朱音様」

 

「はい」

 

「……!?」

 

フリードマンの呼び掛けに応じて、彼の陰に隠れていた朱音が姿を表す。二人の一連のやり取りを聞いていたのか、顔には哀しみがあった。

朱音は泣きそうなほど震えながら明良に問う。

 

「修兄様……なんですか?」

 

「………」

 

「お願いです! 本当は私や姉様のことを覚えているんでしょう? でしたら……」

 

朱音の懇願に明良は隠し通せないと踏み、諦めをつけることにした。

 

 

「………ええ、覚えていますよ。二十年ぶりですね、朱音さん、フリードマン博士」

 

 

投げやりと言っていいほど覚悟を決めた顔で明良は二人の言葉を認めた。

 

「驚きましたか? 大方、私が死んだと聞いていたのでしょう?」

 

挑発的な笑みへと変わる。開き直ったようなものだ。

 

「修兄様、私は……」

 

「朱音さん、まだ私のことを兄と思っているのですか?」

 

「え……」

 

朱音が何か言おうとしたが、明良は無理矢理それを遮って言葉を繋ぐ。

 

「折神の本家、その直系に男性はいない。貴女も理解しているでしょう? 貴女にも、紫さんにも兄弟は存在しませんよ」

 

「そんなことは、ただの家の仕来りで……」

 

そんなことは知っている。だからといって、『ただの』の一言で片付けられるようなものではない。

 

「そもそも、私はもう折神修でいるつもりはありません」

 

明良は自分の左手を胸に置き、はっきりと宣言した。後腐れのないよう、完全に。

 

「柳瀬家の執事、黒木明良が私の本名です。もう私は二十年前の『私』に戻るつもりはありませんので」

 

明良は朱音とフリードマンの脇を通り過ぎ、部屋へと移動する。去り際に明良の背中に朱音の声が飛んだ。

 

「待って、修にいさ――」

 

「はい?」

 

間違いない。今自分は最高に悪い顔をしている。笑顔で、見下して踏みつけるような笑顔で朱音に振り向き、答えていた。

 

「朱音さん、二度とその名前を口にしない方がよろしいかと。でなければ……どうなるかわかりません」

 

最後に、明良は姿勢よく歩きながら二人に向けて低く呟いた。

 

「………自分の激情を抑えられなくなるかもしれませんから」




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第20話 侵入

今回はギャグ回です。ずっとやりたかったんです(切実)

もうちょいギャグが続くかもしれないのでお付き合いください、お願いします(土下座 m(_ _)m)


深夜。辺りは闇夜に包まれ、建物の明かりも全て消えている。丑三つ時、健全な人間ならば眠りについている時間だ。舞草も例外ではない。明日の早朝の鍛練のため、多くの者たちは就寝済みだ。

明良は一人、ある部屋を目指して忍び足で移動していた。目的の部屋の前の廊下まで来たところで一旦足を止めた。件の廊下は(うぐいす)張りとなっており、歩けば音で察知される可能性がある。

だが、そんなことは既に下調べ済み。明良は両手から赤黒い粘液を出し、鞭のようにしなやかで柔軟な形状の腕に変える。粘液で作った右腕を頭上に伸ばし、先端をペタリと天井に貼り付けた。続けて、左腕を右腕の接着面の前方の天井の面に貼り付ける。右腕の先端の接着面を剥がし、左腕の前方に接着。これを繰り返し、さながら木の間を移動する猿のごとき動きで目的の部屋まで床に足をつけることなく移動した。

 

――確か、ここの鍵は……ありました。

 

明良は左腕のみを天井に貼り付け、右手の粘液を解く。右手でポケットを漁ると、キーストッカーに束ねられた幾つもの鍵があった。識別番号を読み、該当する鍵を手に取る。鍵をドアの鍵穴に差し込むと難なく開き、明良を迎え入れてくれた。

明良は天井にぶら下がりながら器用に右手でドアを開ける。身体を揺すって反動をつけ、振り子運動の状態にする。振り子がドア側に振り切ったところで左腕を解いた。支えを失ったことで明良の身体は部屋の中に放り投げられた。無論、余計な音を立てないよう着地の衝撃は最小限に抑えておいた。これで侵入成功だ。

 

――合鍵を作っておいたかいがありましたね。

 

ここに着いてすぐに全ての部屋の合鍵の型をとっておいたのだ。こんなこともあろうかと。いや、こういうことを最初からするつもりだったからだ。

 

――深夜の最も警戒の薄くなる時間帯に舞衣様の寝室へと安全の確認をしに行くために……!

 

そう、明良が忍び込んだのは舞衣が眠っている部屋だ。とはいっても、部屋にいるのは舞衣だけではない。可奈美、姫和、沙耶香、薫、エレン、彼女ら五人を含む計六人が広間に布団を敷いて眠っている。

年端も行かない女子中高生たちの寝室に忍び込むことには良心が痛んだが、舞衣の安全のためだと自分を叱咤する。そもそも、写真を撮ったり物を盗んだり、あまつさえ身体的接触を図ろうとしているわけではないのだ。敵が侵入したり、監視カメラや盗聴器の類いがないかを調べる必要がある。むしろ、彼女たちの安全を守っていることにもなるのだ、そういうことだ。

 

――眠っていますね、皆様。

 

仕事柄、明良は夜目がきく。六人とも寝相に良し悪しはあれど、深く眠っている。明良の侵入に気づいていたり、物音で目を覚ましたりしている者はいない。それが確認できたならよし。やるべきことに取り掛かろう。

 

――まずは、これですね。

 

ボイスレコーダー。これを横向きで眠っている舞衣の口元に近づけた。規則正しい可愛らしい寝息の音がボイスレコーダーに録音されていく。十分後、録音を切り、ボイスレコーダーを離した。

これは舞衣が安眠できているかどうかの確認である。睡眠時に良好な呼吸ができているか、疲労回復に繋がっているかどうかを後で何度も聞いて確かめるのだ。決してもう少し聞いていたかったとか、音から寝顔を思い出そうなどとは少ししか考えていない。

 

――次は、これですね。

 

髪留め。包装してポケットに入れていたこれを、舞衣が使っていたであろう髪留めと取り替えた。当然、色やデザインが同じものを用意しておいた。

これは舞衣が少々傷んだ髪留めを使っていたから、新しいものと交換しているのだ。回収した髪留めは保存用のビニールに入れて保管しておこうとポケットに入れた。決して後でじっくり眺めようなどとは考えていない。今はそう思っている。

 

――これも、回収しておきましょう。

 

舞衣の髪の毛。部屋にはいくらか髪の毛が落ちている。六人が布団を敷いたり着替えたりした際に落ちたのだろう。明良は舞衣の髪だけを選別し、髪留めと同じように保存用のビニールに入れていく。

これは舞衣の髪の状態を知るためだ。本人に合った洗髪用トリートメントを使わなければ頭皮や髪が傷んでしまう。しっかり綺麗な状態を保っているかの確認をするためだ。決してこれでウィッグを作ろうなどとは思っていない。かもしれない。

 

――最後に……ああ、ありました。

 

集気瓶。明良はボイスレコーダーのときのように舞衣の口元に瓶の口を近づけ、呼吸によって排出される舞衣の吐息で瓶の中身を満たしていく。十分に満たされたところで瓶を離し、素早く蓋を閉める。これで舞衣の吐息を保存できた。

これは舞衣の吐息に危険な物質が含まれていないかの確認である。どこに敵が潜んでいるかわからない。致死性の毒物や細菌を使ってくる可能性もゼロとは言えない。念のため確認しておく必要があるのだ。決して瓶の中の気体をじんわりと吸い込みたいなどとは考えていない。いや、実は考えているが。

 

六人は未だに起きていない。どこぞの変態か狂人が忍び込んでいるかもしれないと心配していたが、少なくとも今夜は杞憂に終わったようだ。よかった。

部屋に入ったときとは逆に、部屋の中から赤黒い腕を伸ばして天井にぶら下がりながらドアを閉め、鍵をかけた。これで完璧だ。ミッションコンプリート。

 

――では……帰りましょう。

 

明良はやり遂げたという達成感と明日の仕事への期待を胸に抱きながら去っていった。

 

 

※※※※※

 

 

「あー、さっぱりした」

 

「うんうん、ここの温泉すっごくおっきかったもんね」

 

薫と可奈美はだらしなく緩んだ顔で風呂場から本館の方へと歩いていた。

舞草の先輩刀使が可奈美たち六人に剣術指南してくれることになり、今朝もそれを受けてきたのだ。そして、風呂場で汗を洗い流し、朝食の待つ本館へ向かう、という流れで今に至っている。

 

「そういえば、今朝は黒木の姿を見なかったな」

 

姫和が思い出したようにぼやく。それを聞いていた一同も姫和と同じく疑問を感じた。

 

「アキラリンのことデスか? そういえば今日はまだ会ってマセンね」

 

「部屋にも……いなかった」

 

「ていうか、あいつ基本的に舞衣にベッタリだろ。いなくなったりすんのか?」

 

「舞衣ちゃんは? 知らない?」

 

明良は常に磁石のごとく舞衣の傍に存在している。今朝、部屋を出るときも廊下で待ち構えていないかと警戒したが、空振り。稽古を見に来るかと思いきや、ここでも空振り。妙だ。

この場で最も明良に詳しい人物、つまり舞衣に五人の視線が向けられた。

 

「多分なんだけど、今から会うことになる……かな?」

 

「舞衣ちゃん、それってどういう……」

 

可奈美は首をかしげながら本館の食事処の入口の戸を開ける。

そして悟った。たった今舞衣が言った言葉の意味を。

 

「おはようございます、皆様。準備万端ですよ」

 

「「「「「………え?」」」」」

 

舞衣を除く五人は口を半開きにしたまま棒立ちしている。舞衣は苦笑いしているだけだが、かける言葉が見つからない。

部屋にあるのは六人分の椅子とテーブル、その上に整然と並べられた食器、湯気を立てている完成したての料理。朝食の準備がされている。ついでに言えば、満面の笑みの明良がお辞儀をして迎え入れてくれたことか。

 

「もしかしたら、と思ったけど……明良くんがしてくれたの? これ」

 

「はい。とは言いましても、舞草の給仕係の方が『お手伝いは必要ない』と仰られましたので……せめて舞衣様たちの分の家事は私がするということで許可をいただきました」

 

「そ、そうなんだ」

 

明良は「ああ、そうでした」と厨房の横のテーブルに行き、何かを取ってくる。

 

「皆様の分のタオルです。お風呂上がりで身体も火照っているでしょうから、お使いください」

 

確かに、風呂上がりに制服は少し暑い。しばらくすれば慣れるが、それまでは乾いたタオルが欲しいところだ。

皆、タオルを受け取っていく。だが、姫和だけが受けとるかどうか躊躇しながら明良を見ていた。

 

「十条さん? お使いになられますか?」

 

「……いや、私は」

 

明良を警戒しているせいなのだが、当の彼は得心いったという風に納得した表情になる。

 

「ご安心ください。昨日の内に洗濯して、その後で十分に乾かしてありますから。私が使用済みのタオルを人に渡すような人間に見えますか?」

 

「いや、そういう心配ではなくてだな………まあいい」

 

渋々、姫和も受け取った。

 

「使い終わりましたら私が回収しておきますので、お申し付けください」

 

ビッ、と六人の視線が明良に向く。沙耶香とエレン以外の四人の目には明らかな警戒の色が見えた。

 

「え……それって」

 

「回収するだけですよ。後で洗濯の方に回します」

 

可奈美が何か言いかけたが、明良は笑顔で説明して押し切った。

 

「さ、朝食の準備は済ませておりますので、皆様はお席にどうぞ」

 

レストランの店員のような所作で六人を食卓に誘導し、座らせる。

 

―数十分後―

 

食事を終えた六人は席に座ったまま一息ついていた。明良は備え付けられた流し台で全員分の食器を洗っている。

 

「やっぱり、久しぶりに食べたけど明良さんって料理上手なんだねー」

 

「……まあ、確かに」

 

可奈美と姫和に称賛の言葉をもらって、明良は『ありがとうございます』と返す。

 

「しかも、家事全般やってくれるなんて、至れり尽くせりじゃねーか」

 

「そうデスね、アキラリンがラヴァーだったら幸せだと思いマス!」

 

薫、エレンも椅子に寄りかかりながら言う。

 

ラヴァー、恋人という意味か。明良は手慣れた対応、愛想笑いで『恐れ入ります』と返そうとしたが、予期せぬ横槍が入ってきた。

 

「だ、ダメ!!」

 

舞衣がいつになく狼狽した様子で叫ぶ。普段の彼女からは想像しにくいその行動にその場の人間の意識が集中する。

 

「マイマイ? そんなに慌ててどうしたんデスか?」

 

「あ……その、えっと今の……は……」

 

自分自身でも驚いたのか、舞衣は顔を真っ赤に染めて口を引き結んでしまう。隣に座っている沙耶香は舞衣の顔を覗き、様子をうかがう。

 

「舞衣……どうしたの?」

 

「ち、違うの。その……明良くんの気持ちとかも大事っていう意味で……全然、変な意味じゃないから!」

 

必死に弁解し、舞衣は明良の方をチラッと視線を送る。

当の明良は呆けた顔で固まっており、数秒ほどかけて我に返る。

 

「そ、そう……ですね。ありがとうございます、舞衣様」

 

どこかぎこちない、当たり障りのない言葉を選んで言っているように見えた。

 

「そ、それよりも舞衣様。タオルをお預かりいたしますね」

 

明良は戸惑いを有耶無耶にしようとするかのように舞衣から使い終わったタオルを受け取る。

そして、それをビニールに入れて厳重に密閉した。

 

「いや、待ってちょっと待って」

 

「はい?」

 

「はい? じゃなくて!」

 

舞衣は明良に渡したタオルをビニールごと奪い取る。明良は不思議そうな顔で尋ねる。

 

「まだお使いになられるのですか?」

 

「いやそうじゃなくて! 私のタオルどうする気なの?」

 

「大切に保存しておこうかと」

 

保存してどうする気だ、と誰もが思ったが質問できるほどの勇者はいなかった。

 

「とにかく、これは没収するから! もう……他の子にこんなことしたらダメなんだから……」

 

舞衣にだったらいいの? という考えも浮かんだがそれを聞く者もいなかった。

 

「他の方に、ですか? そのようなつもりはございませんよ。舞衣様は……特別ですから」

 

「何でそんな恥ずかしそうに言ってるの……」

 

「恥ずかしいことですから……」

 

「明良くんの羞恥心の基準、間違えてる気がするよ……」

 

頭を抱える舞衣と僅かに頬を染めて笑う明良。これに対して周囲の反応は……

 

「ねえ、明良さんってもしかして……」

 

「いや、もしかしなくてもだろ」

 

「ああ、変態の類だな。それも上級の」

 

「変態? 明良が? ……そうなの?」

 

「ナルホド、マイマイオンリーの変態デスね」

 

すっかり変態扱いされている明良だった。それに対して明良、いや変態の答えは

 

「ふふ、皆様ご冗談がお上手ですね」

 

六人は思った。

 

こいつは早く何とかしないといけない、と。




最近の話題
・ダンまちコラボのpvを見たとき、姫和がアイズの格好をしているのを見た私。→姫和にこんな胸があるわけないだろいい加減にしろ!

そう叫んでからの記憶がありません。私はどこのエターナルさんにやられたのだろう。

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第21話 私を殺してもいいですよ

今回注意すべきことはたった一つです。

特に何もない、ということです。


一日の鍛練を終え、可奈美たち六人は広めの寝室に集まって就寝の準備をしていた。

 

「沙耶香ちゃん、そっち引っ張って」

 

「こう……?」

 

舞衣と沙耶香は敷き布団にシーツを被せ、その上に掛け布団と枕を置いていく。

 

「よっこらせっと」

 

「あっ、薫、駄目デスよ。まだ横になっては」

 

「いーだろ、別に。ほっといても準備してくれんだから」

 

用意された寝具に大の字になる薫に、それを諌めるエレン。

 

「姫和ちゃん、枕投げしない?」

 

「馬鹿か。修学旅行じゃないんだぞ」

 

「えー、大勢で寝るんだったら定番だと思うんだけどな」

 

枕を握る可奈美の手からそれを奪う姫和。

 

「もう、二人とも早く寝ないと駄目だよ」

 

「明日も頼んでもないのに舞草の刀使が稽古つけてくれるんだからな」

 

「はーい」

 

昨日は色々なことがあったせいで全員泥のように眠っていたが、今日は良くも悪くも昨日より刺激の少ない日だったので、比較的目が冴えていた。

 

「ちょっとくらい起きてても大丈夫だよ、まだ時間あるし。何かお話でもしない?」

 

可奈美に言われ、時計を確認する五人。確かに明日の起床時間を考えるといくらか時間に余裕がある。

 

「ふっ……夜に話すことなんざお決まりだろ。恋バナだ!」

 

「何でそんなに得意気なんだ、お前は」

 

薫が布団に潜った姿勢のままやたらとドヤ顔で言う。姫和からのツッコミが飛ぶが、それも何処吹く風といった様子だ。

それはさておき、恋バナという話題に一同は自分の恋愛歴を振り返り始めた。

 

「うーん、私はあんまりそういう経験ないかなあ。興味ない訳じゃないけど、剣術のことばっかりしてたと思う」

 

「私もそうだな。元々、そういった類のことに気を回す余裕もなかったが」

 

可奈美、姫和は全くの空振り。

 

「ワタシと薫もそんな感じデスね。長船は女子校デスから出会いもほぼナッシングなんデス」

 

「おい、さりげなくオレを同じ扱いにするな」

 

「違うのデスか?」

 

「……いや、違わないけど」

 

薫、エレンも同じく。前者の二人ほど淡白ではないが、生活環境なども関係しているのだろう。

 

「……私は、よくわからない。考えたこともないから」

 

「ああ、確か沙耶香ちゃんは鎌府で、女子校だよね?」

 

「そう、だけど……」

 

沙耶香が言葉を詰まらせる。舞衣は彼女が高津学長とのことを話そうとしているのを察し、咄嗟に遮るように間に入った。

 

「私も、まだそういう経験はないかな。告白されたこともないし」

 

何の気なしに放った一言だったが、それが波紋を呼んだ。

五人の視線が舞衣に集中し、その顔には一様に疑問符を浮かべている。恋愛に対して興味の無さそうな姫和や沙耶香ですら気になっているようだ。

 

「ど、どうしたの、皆」

 

「いや、舞衣ちゃん、告白されたことないの?」

 

「? うん、そうだけど……」

 

可奈美からの問いに当然とばかりに答えるが、次に続いた問いは舞衣を大きく困惑させるものだった。

 

「明良さんにも?」

 

「………え? って、えええええっ!?」

 

明良の名前と今の話題との関連性を瞬時に理解した舞衣は、間の抜けた声が口から漏れると同時に羞恥と動揺で顔を赤く染めて絶叫した。

 

「か、可奈美ちゃん!? 何でそんな話になってるの!?」

 

「いや、何でって……」

 

「普通、マイマイとアキラリンの様子を近くで見ていればそう思うのも仕方ないと思いマスが」

 

「というか、あんだけのことやってて告白の一回や二回もしてない方が不自然じゃねーか?」

 

思い返して見れば、着替え、食事、送迎、捜索活動など、明良は非常に積極的に舞衣のためにと尽くしている。それも嫌な顔一つせずに。むしろ、そういう時の方が生き生きとしていたくらいだ。

 

「誰が見ても、明良は舞衣のことが大好き」

 

「まあ、あの様子を見るに、少なくとも並大抵の感情ではないだろうな」

 

「……うう」

 

正直、全くそんな気持ちを感じなかったわけではない。彼が舞衣のことを大切に思っているという台詞も度々聞いた。自惚れるわけではないが、明良にとって自分が特別な存在だという自覚はあった。ただ、それが正確にはどういう認識によるものかというだけで。

 

「舞衣ちゃんは? 明良さんのこと、好きなの?」

 

「え? んと……まあ、優しいし、ドキドキもする、かな」

 

舞衣は途切れ途切れに返答する。言葉を選んでいるというより、不透明な感情を整理して答える。

 

「じゃあいっそのこと、舞衣ちゃんから告白してみたら? 二つ返事でOK貰えるよ、きっと!」

 

「でも、アキラリンってそういう所は意外と真面目デスから、多分断りマスよ? 『そんなこと畏れ多いです』みたいになると思いマス」

 

「甘いな。ああいう真面目キャラの方が案外あっさり落ちるもんだろ。『舞衣様のご命令でしたら何なりと』みたいな」

 

可奈美、エレン、薫の推察が飛び交う中、姫和が神妙な面持ちで一言放った。

 

「そもそも、黒木、あいつは何者なんだ?」

 

姫和の漠然とした疑問に要領を得ない一同だったが、彼女の真意を察した可奈美は顔を曇らせた。

 

「私と可奈美が逃亡中、荒魂と交戦した際に見せたあいつの力……」

 

「姫和ちゃん、それって……」

 

「あの『左腕』だ。あれはどう考えても人間の為せる技じゃない。それこそ――」

 

荒魂を素手で屠る腕力。消耗していたとはいえ、迅移によって加速した姫和の一撃を防ぐほどの反応速度。そして、赤黒い粘液によって形成された異形の腕。

あれではまるで――

 

「荒魂のようだった」

 

可奈美と姫和以外の四人は塗り固められたかのように動かない。自分たちが使命を懸けて斬り伏せている怪物とあの物腰柔らかな青年が同質の存在であるなど、理解したくもないだろう。

 

「姫和ちゃん、何を言って……」

 

「舞衣、お前もわかっていたんじゃないのか? あいつがただの人間ではないことは」

 

姫和は畳み掛けるように舞衣に問い詰める。

 

「それにあいつはこうも言っていた。自分は折神家の敵だと」

 

姫和は知っている。凍りつくような冷えた声で告げた彼の言葉、その内に秘められた何らかの悲痛な思いを。

黒木明良と折神紫には我々の知り得ない因縁がある。

 

「あいつはまだ何か隠している。お前の執事としてだけじゃなく、一個人としての理由があるはずなんだ。荒魂に憑依された折神紫と荒魂の力を操る黒木、両者が無関係だとは思えない」

 

「でも、明良くんに荒魂の反応は……」

 

「ああ、私のスペクトラム計も、スペクトラムファインダーも、そんな反応はない」

 

そう。刀剣類管理局から支給された携帯端末のスペクトラムファインダーならともかく、ノロの引き合う性質を利用したスペクトラム計も明良に対して何の反応も示さない。

だが、それでは彼の力に説明がつかない。

 

「それでも、あのとき明良さんが使っていた力……姫和ちゃんの言う通り、荒魂だと思った。御当主様のときみたいに、直感的にだけど」

 

「可奈美ちゃんたちは……それを見たっていうこと?」

 

「……うん、間違いないよ」

 

可奈美と姫和は否応にも理解してしまったのだ。眼前の青年が人から外れた存在であることを。

 

「それに、舞衣と沙耶香から聞いた話にしてもそうだ。お前達はここに来る途中で親衛隊の燕結芽と遭遇して、黒木が殿(しんがり)を努めたと聞いたが」

 

舞衣と沙耶香が頷く。

 

「黒木は服が破れてはいたものの、身体に傷は負っていなかった。ありえると思うか? 親衛隊最強の刀使を一般人が相手にしてほぼ無傷だぞ」

 

舞衣は目をそらして黙り込んでしまう。舞衣とて考えなかったわけではない。明良が台東区に可奈美と姫和を捜しに向かった際も、彼は一人で行動していたのだ。彼が一般人ならば手練れの刀使相手に単身挑むなどという愚かな思考には至らないはずだ。

 

「私は……信じるよ。たとえ明良くんに隠し事があるとしても、何か事情があるんだって」

 

舞衣は信じたかった。二年前から未だに献身的に尽くしてくれている彼が。彼の舞衣に対する言葉や思いに嘘偽りが含まれているなど、考えたくもない。

改めて、一年も自分の傍で支えてもらっていたにも関わらず自分が明良のことをほぼ知らないことを思い知らされた。

 

 

※※※※※

 

 

「私と話したいこと、ですか?」

 

翌日、昼食をいつもの六人で摂った後、姫和は明良と直接話すために一人食堂に残った。

明良は泡まみれの手で食器や鍋を洗いながら振り向く。訝しんでいるというより、意外そうな様子だ。

 

「ああ、午後の鍛練までは時間がある。皿洗いを手伝う間の片手間でいい」

 

「でしたら、椅子に腰掛けてくつろいでいただきながらで構いませんよ? これは私の仕事ですので」

 

姫和は話し合いを続けるのも面倒そうに眉をひそめ、無理矢理明良の横に割って入り、明良が左手に持っている洗剤の付着した皿を奪う。皿を手ですすぎながら水洗いし、泡をしっかり落として水切りバットに入れる。

 

「いいから手伝わせろ。私とて、世話になっているのに何もしないわけにはいかない。皿洗いの手伝いくらいなら大して労力もかからないからな」

 

「……では、お言葉に甘えさせていただいて、水洗いをお願いします」

 

そうして、明良がスポンジで汚れ落とし、姫和が水洗いという分担で作業が始まった。最初の一分程度はお互いに一言も発さなかったが、やがて明良が口を開いた。

 

「ところで、お話というのはどういったものなのですか?」

 

「お前についてだ」

 

「私の?」

 

二人は作業する手を休めずに会話を始めた。

 

「先日、相模湾岸大災厄についての話を全員でしただろう? あのときのお前が言っていた話について聞きたいことがある」

 

明良のスポンジを持つ手が一瞬だけ止まる。偶然だが、姫和はそれを見過ごさなかった。明良は何でもなさそうに手の動きを再開させる。

 

「私の話、ということは……私が可奈美さんのお母様、美奈都さんと面識があったことですね」

 

「ああ。お前はその時の会話の内容のせいで可奈美と私の母を死に追いやったと言っていたな」

 

生前の美奈都と会ったことがある、その真偽のほどは不明だが、姫和には引っ掛かっていると思う所がある。

明良の電話口での言葉と先日告げた言葉との辻褄の合わない感覚、自分なりに彼の性格を分析した上での妥当性。納得がいなかい部分がある。

 

「本当にそれだけか?」

 

「……どういうことです?」

 

明良は家庭教師に質問する学生のような顔で首をかしげている。姫和はその横顔に怪しさを通り越して不気味さを感じていた。彼の言っていることが嘘だと思っているから、というのもあるが、それを差し引いても不気味だった。かなり深刻な話をしているにも関わらず、日常の一部かのように振る舞っている彼のことが。

 

「これは私の想像だが、二十年前に折神紫とお前の間に何らかの関係があったんじゃないのか? だから、お前は荒魂になり、その結果折神家を敵視している。違うか?」

 

「私が……荒魂……」

 

明良はまたも手を止める。それだけでなく、首を曲げて姫和と目を合わせる。

 

「私を斬るおつもりですか? タギツヒメのように」

 

「否定しないのか」

 

「肯定もしませんが……貴女と可奈美さんには私の『左腕』を見られてしまいましたからね。私が荒魂と考えても不自然ではありません」

 

含みのある物言いだ。まるで、教師に諭されているかのような。

 

「私はこういう問答は苦手なんだ。はっきり言え。荒魂ではないのか?」

 

「そうですね……」

 

明良は哀しげに笑いながら言った。何処か遠い場所を見据え、流し目のまま頬笑んでいた。

 

「私の正体が明らかになった時、それでも荒魂と認識されるのでしたら、私を殺してもいいですよ」

 

「………」

 

明良はそれだけ言うと、再び無言で食器を洗い始めた。

姫和にはわからなかった。覚悟を決めたわけでも、恐怖に怯えているわけでもない。何のために、彼はこんな台詞を残したのか。真相を知ることにほんの少しだけ抵抗を覚えてしまった。




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第22話 嘘

折神修が嫌いだった。

 

この世で最も嫌いで、憎むべき両親と同じ名字を名乗らなければならないことが。折神家に生まれたせいで人生を狂わされたことが。

ずっと、ずっと許せなかった。

 

殴られたときの痣や擦り傷、鞭打ちで皮膚が裂けて血だらけになった背中、あらぬ方向に曲げられた指、工具で抉られた肉。ほぼ毎日これらの痛みに付き合い続けていた。

痛みに慣れすぎて痛覚が鈍化した。

 

腐った肉、黴の生えたパン、濁った泥水が毎日のように部屋に届けられ、生きるために摂取し続けた。吐気、悪寒、頭痛を催した。

味覚がなくなった。

 

中身のない、感情を発散させるためだけの罵声、高圧的な説教、理不尽な罪の糾弾。殴られながら何度も聞いた。同じ内容のことを延々と繰り返し言っていた。

他人への興味がなくなった。

 

致命傷を避けようと殴られる箇所や角度、防御の方法などをコントロールする術を身に付けた。

反射神経が強化された。

 

閉じ込められている書斎にある本を片っ端から読んだ。一日に何冊も。読み書き、計算、物理学、天文学、化学、心理学、歴史、地理。著名な研究者の論文、研究資料などもあった。

執念と努力で全て理解し、記憶した。

 

目的のために身体を鍛え始めた。文献から様々な国の武術や格闘術、トレーニング方法を試し、独学で鍛練を続けた。

身体能力が人間の得られる範囲の限界にまで達した。

 

決行まであと数ヶ月……

 

その日にはこの家を出よう。もう計画は進めてある。

 

折神修()はその日に死ぬ。

私から全てを奪った連中に思い知らせてやろう。地を這う虫に喉元を掻き切られる気分を。自分たちの行いの残虐さと、それに対する相応の罰を。

 

それを遂げたとき、私は新しい私として生まれ変わる。

私は、黒木明良()だ。

 

 

※※※※※

 

 

その日、明良は舞草の拠点を離れ、長船女学園を訪れていた。事務室で事情を話すと、学長は学内の研究所にいると言われたので、そこへと向かう。

 

「失礼します」

 

研究所の扉を開けると、白衣を着た数人の研究員と一人の女性が目に入った。

 

「初めまして。黒木明良と申します。此方に真庭学長がいらっしゃるとお聞きしたのですが」

 

話を聞いた女性が明良の目の前に躍り出た。褐色の肌にくすんだ金髪、長身。明良の記憶にあるかつての彼女とは髪形や体格が変わっているが、面影はあった。

 

「私だ。朱音樣から話は聞いてるぞ。お前が黒木か」

 

「はい。本日は微力ながらご協力させていただきたいことがございまして……」

 

「まあ、立ち話もなんだ。向こうで座って話そう」

 

真庭学長は研究所の一角に設けられた休憩スペースのような場所に移動し、向かい合う椅子の一つに座るように促してきた。

 

「失礼します」

 

明良が一礼してから腰掛けると、真庭学長も目の前の椅子に腰掛けて一息つく。

 

「それで、協力するっていうのは具体的に何をするんだ?」

 

「まずは、こちらをご覧ください」

 

明良は手提げ鞄から一つの筒状のものを取り出し、テーブルの上に置いた。明良が盗んできたノロのアンプル、そのうちの一つだ。

真庭学長は一瞬だけ驚いたようだが、視線を明良の方へと移動させて目を細める。

 

「これを何処で手に入れた?」

 

「とある親切な女性に譲ってもらったんですよ」

 

「……ふざけているのか?」

 

「冗談です。刀剣類管理局の立入禁止区域から拝借しました。どうかご内密にお願いします」

 

真庭学長はアンプルを手に取り、色々な角度から観察する。ある程度観察し終えたところでアンプルをテーブルに置き、話を再開する。

 

「フリードマン博士から聞いたところ、長船女学院でノロの解析を行っているとのことでしたのでお伺いさせていただきました」

 

「つまり、これを解析に役立ててほしいと?」

 

「ええ」

 

真庭学長は多少訝しんではいるものの、自分にデメリットはないと理解し、アンプルを受け取った。

 

「ところで、話は変わりますが」

 

「何だ?」

 

「解析というのはどのようなことを行っているのですか? 差し支えなければ拝見させていただいてもよろしいでしょうか?」

 

「少しだけなら構わんが……」

 

真庭学長は渋々といった様子で明良を奥へ案内する。薬品や真新しい機器の匂いが鼻につくが、明良の視線は顕微鏡に接続された画面――その映像に釘付けになった。

 

「あの画面は……?」

 

「ああ、人工細胞とアンプルの中のノロを反応させてみたところ、あんな変化を起こしたんだ。ノロの浸食とは違う、言うなれば融合だ」

 

ノロは生物の肉体にとって極めて有害な物質だ。細胞を腐らせ、荒魂へと作り替えてしまう。

だが、画面上では人工細胞を包み込むようにノロが広がり、別種の物質へと変化しているのがわかった。

 

「人体と荒魂を融合させ、身体能力を向上させる技術ですか……」

 

――馬鹿らしい。

 

親衛隊の面々の顔が思い浮かぶが、溜め息しか出てこない。そんな方法を取ることのリスクを十分に理解できていないのだろう、と明良は推測した。

 

「……?」

 

ふと、真庭学長が手に持っているアンプルの中身が一瞬だけ蠢き、それが目に留まる。遠目なので正確には視認できないが、赤黒い液体の中にギラリと光る眼が見えたような気がした。そう、可奈美が見たというタギツヒメの眼もこれなのかもしれない。

 

「真庭学長」

 

「ん?」

 

「貴重なお時間を割いてしまい申し訳ありません。私はこれで失礼致します。本日はありがとうございました」

 

「ああ、じゃあな」

 

明良が一礼すると真庭学長は軽く会釈して先程の作業に戻っていった。

 

「さて……」

 

先程の蠢いた眼。明良は嫌な予感が現実のものになっていないことを祈りながら駐車場へと歩いていった。

 

 

※※※※※

 

 

「……これは」

 

やや急いで舞草の里へと戻ってきた明良だったが、里の中の騒がしさに少し理解が追いつかなかった。

街灯が消え、代わりに灯篭に灯された火が道を照らしている。広場に屋台が立ち並び、大勢の人々がひしめいている。

明良は駐車場に車を停め、境内の方へと向かった。明良が境内へと続く階段を上りきると同時にその場にいた見知った六つの顔がこちらを向いた。

 

「帰ってきたんだ、お帰り、明良くん」

 

「舞衣様……皆様、その格好は……」

 

六人の服装は伍箇伝の制服ではなく、青、橙、桃などの鮮やかな色の浴衣だった。今日の祭りに合わせて誂えられたものだろう。

 

「フリードマンさんが用意してくれたんだ! どうかな? 姫和ちゃんのとか凄く似合ってると思うんだけど」

 

「何で私が……ま、まあ悪くないとは思うが……」

 

「おいおい、ヒヨヨンはエターナル胸ペッタンなんだからそりゃあ似合うだろ。和服の似合う体系ってやつだな」

 

「はぁ!?」

 

可奈美に誉められた姫和は、恒例のエターナルイジリに激昂する。

 

「皆様、とてもよくお似合いですよ。可愛らしくて華やかだと思います」

 

「おー、サンクス、アキラリン!」

 

「……ありがとう、明良」

 

エレンと沙耶香は明良からの賛辞に微笑んで答える。そんな賑やかで微笑ましい空間だった。

 

「ねえ、明良くん。これから舞の奉納があるらしいんだけど、明良くんも一緒にどうかな?」

 

舞衣が境内横の四角形の壇を指差す。参拝客や儀式の主催者たちが集まっている。

 

「はい、ぜひご一緒させてください」

 

七人が観客席の最後部席に座ると、その横にフリードマンが座る。やがて席が一杯になると奥の空間で奉納の儀が執り行われ始めた。

御刀を持った刀使二名が華麗な儀式剣舞を披露し、それに合わせて奥の間の観音開きが開かれ、小さな木製の箱が表れる。

 

「あの御神体……何が入ってるんだろう」

 

ふと、可奈美が小声で呟く。

 

「ノロだよ」

 

聞こえていたのか、フリードマンが答えた。明良とフリードマン以外は大なり小なり驚いている。

 

「古来からのノロの管理方法としては、細かく分離させて日本各所の社に祀って保管する、というのが安全かつノロのためにもなると言われていますね」

 

明良が付け足すと、フリードマンは可奈美の方を向きながら質問する。

 

「可奈美くんはノロがどうやって生まれるか知っているかい?」

 

「え? えっと……」

 

「珠鋼を加工して御刀を精錬する際に分離されて発生する不純物――ですよね?」

 

答えに詰まった可奈美の後ろから舞衣が代わりに答える。

 

「その通りです、舞衣様。流石ですね」

 

「あれ? でも、ノロを放置しておくと荒魂になるから折神家が集めて管理してるんじゃ……」

 

可奈美が新たな疑問に頭を悩ませるが、フリードマンがそれを簡単に払った。

 

「うん、不正解だね」

 

「うええっ!?」

 

思わず大声を出してしまう可奈美。当然、その声は近くの席の人々にも聞こえているわけで、一斉に視線が可奈美の元へ集まる。あたふたと慌てる可奈美だが、フリードマンは優しく笑い「場所を移そうか」と七人を壇上の外へと促した。

 

「ここでいいだろう」

 

境内の真ん中では篝火が焚かれており、木や藁の焼ける匂い、パチパチと火花の散る音、夕闇を照らすオレンジ色の暖かな光が堂々とした存在感を見せている。

移動する途中、一行に気付いた朱音も話しに加わるべく八人に合流。フリードマンは話し始めた。

 

「明治の終わり頃、ノロの管理体制は変革された。ノロを日本の各地に分散させておくよりも折神家に一局集中させて管理した方が合理的かつ安全だとね」

 

「しかし、ノロが一ヶ所に大量に集まればスペクトラム化――荒魂の発生に繋がります。ですから、折神家はノロの量を厳密に調整し続けていたんです。ですが、それを崩壊させる出来事がありました」

 

「戦争……つまり、ノロの軍事利用ですね」

 

フリードマン、朱音が説明する途中で明良が口を挟んだ。

 

「刀使の方々が御刀の神性によって隠世に干渉し、様々な超自然現象を起こしていることに人々は眼をつけた。ノロについて詳しく解析し、科学兵器や人体強化の技術として利用するために。そうですね?」

 

「ああ、そうだ。そして、戦後に米軍が研究に加わりノロの収集が加速した。その結果、二十年前の災厄が起きてしまったんだ」

 

「どういうことだ?」

 

姫和が問う。フリードマンはやや俯きながら答えた。明良にはわずかだがその顔に後悔や憂いの感情が込められているように見えた。

 

「あの災厄は、ノロをアメリカ本国に送るために輸送用タンカーに満載した結果、起きたことなんだ。膨大な量のノロが結合し、彼らの眠りを覚まし、怒りの業火に薪をくべてしまったんだ」

 

フリードマンは当時そのタンカーに乗船していたらしく、タギツヒメの誕生の瞬間を目撃している。この言葉には言い知れないほどの感情が込められているはずだ。

 

「先程の舞衣くんの説明の通り、ノロは人々が御刀を手にしたことで生み出された犠牲者だ。だから、本来はこうして丁重に祀り、敬うべきだと私は思っている」

 

「犠牲者……荒魂が……だと?」

 

姫和の眉間に皺が寄る。姫和にとってタギツヒメは自分の母親を死に追いやった存在だ。その荒魂が被害を被っている側であるなど彼女に納得させるのは困難だろう。

 

「二十年前の災厄は、多くの人々の傲慢さのせいで引き起こされたものだ。だから、せめて我々の手でそれに終止符を打たねばならない」

 

「……そうでしょうか?」

 

酷く冷たい声が鋭く耳に刺さった。声の主――明良はフリードマンを静かに睨んでいる。その口元には微かな笑みがあるが、眼は氷のように冷えている。

 

「どういう意味だい?」

 

「大勢でなくとも……たとえ一人であっても、引き金を引きさえすれば悲劇は起こります。歴史はそうやって戦争を刻んでいる」

 

いつにない、普段の穏やかで人畜無害な彼の表情とはとても思えなかった。人が豹変することなど知っているはずなのに、目の当たりにしても到底信頼できない。舞衣は絡まった毛糸玉のような状態の脳内を整理しつつ、明良に歩み寄る。

 

「あ、明良……くん?」

 

「……申し訳ありませんでした。つい、戯れ言を。私はこれで失礼致します」

 

明良は事務的に謝罪と一礼を済ませ、境内から続く階段へと身体を回す。

それを呼び止める人物が一人いた。朱音だ。

 

「待ってください、修にいさ――」

 

朱音は叫んでから口を手で覆う。顔が陰り、明良の背中から眼をそらしてしまう。明良は思わず振り向きそうになったが、手前で思い留まり無言で立ち去った。

 

 

※※※※※

 

 

「……」

 

明良は広間の座敷に一人踏み入り、明かりのない畳の間を通り過ぎて縁側に足を運んだ。縁側に腰掛け、足を庭の方へと放る。

そして、煌びやかでありながら何処か空虚にも見える黒い星空を見上げる。

 

――修兄様、ですか。やはりしっくりきませんね。

 

先程朱音に呼び止められそうになった際に彼女の放った名前。彼女にとっては仕方ないと思いつつも、心中では吐き気がしそうなほど忌み嫌っているその名が明良の手足や臓腑に至るまでを浸食していた。

 

「はは……」

 

知らず知らずの内に口から乾いた笑い声がこぼれていた。過去に捨てて、破り去った名前に未練や情などないと思っていたのに。無関心、無理解でいいと思っていたのに。

今更その名を呼ぶ者が現れたせいで閉じていた蓋が開きかけているようだ。くだらない。こんなことにこだわったところで一文の得もないどころか、仕事の邪魔にしかならないことはわかっている。

 

「舞衣様……情けないですよね、こんな私は」

 

自分でも聞き取れないほど小さな声。弱い隙間風が通り抜ける程度のものだ。

だが、思わぬところでそれに呼応する声があった。

 

「情けないって、何が?」

 

「――!?」

 

背後から。何度も何度も何度も聞いた彼女の――舞衣の声だ。慌てて振り向くと縁側に座る明良を見下ろす形で舞衣が立っていた。服装は浴衣から美濃関学院の制服に着替えている。

予想以上に心理的なストレスが大きかったのだろう。部屋に誰かが入ってくる気配に全く気がつかなかった。

 

「ま、舞衣様…いえ、今のはただの独り言でして。気になさらないでください」

 

明良は立ち上がって弁明する。あの程度の声量ならば聞き間違えで済ませられる。そう踏んだが、舞衣は全く表情を崩さずに明良の顔を見上げながら言った。

 

「明良くん、もうやめて」

 

「……舞衣様?」

 

「知ってるよ。明良くんが隠し事してること。私の知らないところで色々なことしてて、沢山考えて、戦ってること」

 

舞衣の表情や声色からは明らかな確信が感じられた。冗談やハッタリとは思えない。それに、元々舞衣はこんなことで平気で嘘をつくような人間ではない。それは明良が一番よく知っていることだ。

 

「さっき、朱音様に『修兄様』って呼ばれてた。どういうことなの? 朱音様と明良くんはどういう関係なの? 何で荒魂の力が使えるの? どうして……!?」

 

「それは……」

 

不味い。舞衣は間違いなく朱音や姫和から情報を得ている。知らぬ存ぜぬを貫くのも適当な真実を捏造するのも難しい。今は言えない、というべきか。だがそれではいずれ知られることになる。口車に乗せて、それから――

 

「やめて」

 

思考を網のように張り巡らせていたはずなのに、舞衣のこの一言によって容易く断ち切られる。

 

「嘘をつくのがダメだなんて言わない。誰にだって隠したいことも知られたくないこともあるから。けど、明良くんのつこうとしている嘘は誰も幸せにしないと思う。明良くん自身も」

 

「……」

 

何か言おうと思ったが、口が縫い合わされたように開かない。ここでどんな言い訳をしても逆効果だとわかっているからだろうか。

 

「明良くんが苦しんで、辛そうにしてるのに私が何もしない、何もできないなんて嫌なの。だから――」

 

舞衣の潤んだ瞳、哀しみと決意の込められた相貌は明良に何の反論も許さない。

 

「今だけは嘘はつかないで。ちゃんと明良くんのことを知って、ちゃんと力になってあげたいから」

 

不思議と、いや、明良にとっては清々しいと思えるほど流麗に舞衣の言葉が心に納まる。そのせいか、ばつが悪そうにしかめられていた自分の顔が緩んで穏やかになるのがわかった。

 

「……ずっと、貴女にはいつか話をしなければと思っていました」

 

たどたどしいが、ゆっくりと言葉を紡いで本心を吐露していく。

 

「ですが私は、せめてあと一日、あと一日と延々と先伸ばしにしていたんです。本当は貴女に知られたくないという気持ちが何処かにあったんでしょうね」

 

「明良くん、それじゃあ……」

 

「はい。全てお話しします」

 

 

※※※※

 

 

数分後、広間には明良と舞衣、可奈美、姫和、沙耶香、薫、エレン、朱音、フリードマンの九人が集まっていた。

事前に大体の事情は教えてある。明良は全員が揃ったところで重い口を何とか開き、話をする。

 

「お忙しい中、皆様に集まっていただいたのはとある重要な話をするためです」

 

明良以外の全員が固唾を呑んで次の言葉を待つ中、当の本人は何度も唇を舌で濡らしながら声を発した。

 

「私の正体についてです」

 

「!」

 

姫和は周りにもわかるほど動揺し眼を見開く。彼女の知りたかった話をこれからするのだ。

だが、明良は思っていた。この話を聞いたところで彼女が幸せになるとは限らないことを。

 

「さっき、明良さんが朱音様に呼ばれた名前、あれも関係あるの?」

 

「『修兄様』って呼ばれてた」

 

「でも、とてもブラザーには見えませんネ」

 

可奈美、沙耶香、エレンが早速疑問を口にした。これは朱音とフリードマン以外は気になっていた所だろう。

 

「はい。それは私の……昔の名前です」

 

「昔の? 改名でもしたのか?」

 

「まあ、そのようなものですね」

 

薫の素朴な疑問に自嘲気味な笑いがこぼれる明良。

 

「私の二十年前までの名前は……折神修」

 

「折神……だと!?」

 

姫和が眼を丸くして明良と朱音を交互に見る。

そう、折神という名字と兄としての呼称から導き出される答えは――

 

 

「私は折神紫の双子の弟であり、折神朱音の兄に当たります」

 

 

呆気に取られる舞衣たち六人だが、舞衣は動揺しながらも問いを投げ掛けてきた。

 

「で、でも、明良くんはそんな年齢に見えないよ。私たちより少し上くらいじゃ……」

 

舞衣の問いは尤もだ。明良が紫の双子の弟ならば年齢は三十代後半になる。今の明良の外見は二十歳前後が精々だ。

だが、それは順当に歳を重ねている場合の話だ。明良にはそんな常識が通じない。

 

「確かに、その通りです。私の肉体年齢は十七歳で止まっていますから」

 

「……どういう、こと?」

 

舞衣は理解が追い付かずに表情が何度も転がっている。

 

「いや、待て」

 

「十条さん……何でしょうか?」

 

「折神紫の双子の弟と言ったな? 確か私の記憶では、折神家本家の直系には男子はいない。そうじゃなかったか?」

 

「そうなんですか?」

 

可奈美が朱音に問う。朱音は苦々しく、ただ頷いた。彼女の口からは詳しいことは言いたくないらしい。

 

「じゃあ、何で明良さんは……」

 

「可奈美さん、まずはそのお話から説明いたします」

 

明良は一度眼を閉じ、改めて覚悟を決める。今から話すことは黒木明良という人間が作られるまでの過程の話。十七年という時間をかけて作られた、壊れた人形の話だ。口にするのはあまりにも憚られる。だが、話さないわけにはいかない。

話して、聞いてもらわなければならないのだ。それが彼女たちに対して執るべき最善の行動であり、果たすべき義理だ。そう信じて、黒木明良は折神修(過去)を口にした。

 

「私は……折神家に産まれた非嫡出子――折神家の忌み子です」




次回は明良の過去、その正体を説明します。楽しみに待っていてくれた方がいらっしゃいましたら、長らくお待たせいたしました。次回をお楽しみにしていてください。ではでは。

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第23話 悪魔

今回はオリジナル設定や暴力描写などが多く含まれます。つまりは胸糞注意です。気をつけてください。

過去篇はまだもうちょいかかるのでお付き合いください、何卒よろしくお願いします!


明良の一言。自身を忌み子と称したそれは、その場の彼以外の人物の語彙力を数秒喪失させる程度の力はあった。

そんな重苦しい雰囲気の中、おずおずと可奈美が質問する。

 

「えっと……その、それって何なんですか? ひちゃく……し? っていうの」

 

「非嫡出子。婚姻関係を持つ人物と、その配偶者以外の人物との間に設けた子供のことです。俗に言う、愛人の子、腹違いの子などといったものです」

 

「え……それって……」

 

可奈美は深く掘り下げようとするが、途中で止めた。これ以上聞くのは本人も辛いのだろう。明良は構わず話を続けた。

 

「遥か昔、折神家は朝廷に御刀とそれを帯刀する刀使、そしてノロの管理を命じられ、代々その任を引き継いできました。なぜそうなったのか、理由はご存じですか?」

 

舞衣たち刀使の六人は真っ先に朱音の方を向くが、朱音は口をつぐんだまま何も話さない。やがて、舞衣が考えた答えを口にする。

 

「折神家は昔、大荒魂を討伐して武勲を立てたからって授業で習ったけど……」

 

「舞衣様、残念ながらそれは違います」

 

舞衣の回答は伍箇伝の生徒が授業で習う内容だ。だが、今まで真実だと思っていたことをあっさりと否定されて六人の顔が困惑で歪む。

だが、長考していた姫和が突然眼を見開き、明良と目を合わせる。

 

「まさか、刀使としての素質……か?」

 

「はい」

 

またも、簡素に答える明良。残りの五人は疑問を浮かべているため、詳しく話すことにした。

 

「刀使となるための第一条件は『女性であること』です。無論、刀使になることができない女性も多いですが、男性の刀使は皆無です。刀使を管理する家系となれば、その直系の子は優れた刀使でなければなりません」

 

刀使の起源は社に務める巫女。神の力を使役し、魔を祓う女性。

御刀には意思のようなものがあり、自分に適した主を選ぶ。巫女としての責を務められるのは若い女性だ。そのため、刀使になることができるのは十代後半以下の女性のみである。

 

「折神家には本家と分家があり、分家は男性が産まれることもありますが、十条さんのお話の通り、本家には必ず女子が産まれるようになっています」

 

姫和の言ったことが明るみになっていく。そして、折神家というシステムの実態も。

 

「本家に産まれた子が家督を継ぐ。そして、分家の男性と結婚し、また女子が産まれる。今度はその子が家督を継ぐ、といったサイクルを繰り返して折神家は『刀使の管理者』という立場を不動のものにしていたのです」

 

高い素質を持った女子が産まれ、刀使の頂点に立つ存在に作り上げられる。そういう教育をすれば折神家の力の純度と管理体制を保ち続けることができる。朝廷はそれに目をつけて、折神家を選んだのだ。

 

「でも、なら一体アキラリンは誰と誰の子なんデスか? さっき、折神紫の双子の弟と言ってマシタが」

 

「愛人の子、って言ってたよな……」

 

エレンと薫が口元に手を当てながら尋ねてくる。

 

「私は、紫さんと朱音さんの母に当たる人物と、使用人として雇われていた男性との間に産まれました」

 

「それって、先代の……当主……」

 

沙耶香の呟きを耳で拾ってしまい、母に当たる人物(、、、、、、、)の顔がよぎったが、すぐに叩き消した。

 

「彼女と、彼女の夫……紫さんたちの父親の二人から話を聞いてわかったことなのですが、当主としてのストレスと一時期とはいえ夫に相手にされなくなったことへの不満から、他の都合のいい男性に走った、と聞きました。でしょう?」

 

「……はい、私もそう聞きました」

 

明良は横目で朱音に確認をとる。朱音は沈んだ表情で答えた。

 

「その使用人の男性と関係を持った時期が丁度紫さんが産まれる歳でして、当時は非常に混乱したそうです。何せ、折神家の長女の双子が男子だったのですから」

 

「それで……どうなったんだ? 何もなかった、なんてことはないんだろう?」

 

「……察しがいいですね、十条さん」

 

躊躇なく聞いてくる姫和を見て、彼女も早く真実を知りたがっているのだろうと理解し、話を進める。

 

「私は折神家の悪魔、不幸の原因と揶揄され、地下の資料保管室に監禁されました」

 

「………っ!?」

 

舞衣は口元を手で覆い、驚愕の声を飲み込む。それくらいの理性が残っているようで、明良は心中で本の少しだけ安堵した。

 

「DNA鑑定の結果から私の出生の経緯が判明し、使用人の方は事故死として内々に処分。私も殺されると思いましたが、曲がりなりにも半分は折神家の血を引いていたことから利用価値を見出だされ、生かされることになりました。感謝したことは一度もありませんがね」

 

「それって、明良さんのお母さんは……どうしてたの?」

 

またも可奈美が聞いてくる。明良の答えの内容に恐怖でも抱いているのか、声が少し震えている。

 

「当主のことですか? 彼女でしたら誰よりも率先して私に暴行と罵声を浴びせていましたね。ほぼ毎日、休まずに。よほど他にすることがなかったのでしょう」

 

今度は誰も返答をしなかった。何と声をかければいいのか、何と言ってやるべきなのか、その場の人間には思い付かなかったのだろう。

 

「………続けますね」

 

全員の顔を一通り眺め、静かに言った。そして、滔々(とうとう)と語り始めた。折神修と黒木明良の物語を。

 

 

※※※※※

 

 

「……よし、終わりました」

 

彼――折神修は読み終えた熱力学の参考書を閉じ、一息吐いた。椅子にもたれ掛かって脳を休めたいという感覚が一瞬よぎるが、そんな暇はない。

時間は限られているのだ。少しでも多くの知識を頭の中に圧縮して押し込まなければならない。たとえ身体能力を身に付けたところで、心理的な駆け引きや状況判断能力では教養と頭の回転が物を言う。

修の目的を果たすためには頭脳と腕力が必要だ。でなければ、毎日のように企てている計画が妄想のまま埃を被ることになる。

 

「………!」

 

次の教本を手に取ろうとする修の右手が止まる。修の監禁されている地下書斎に続く一本道の床を踏む足音を耳で拾ったからだ。

最初の頃は全く気が付かなかったが、八歳となった今の時点でもはや軽く千回以上もこの足音を聞いているのだ。耳を両手で塞いでいても通り越して響いてくるほどだ。平常時に気がつかないことなどなくなってしまった。

 

「修! いるんでしょ!!」

 

「……は、はい。御当主様」

 

蝶番が外れてしまうのではないかと思うほど勢いよくドアが開かれ、一人の女性がズカズカと部屋に入ってくる。長身と黒い長髪、三十代前半の割には若々しい整った容姿。修は普段の彼女を知っているわけではないが、余所行きの顔はさぞ笑顔で美しいのだろう。

だが、今の彼女の顔には憤怒と侮蔑が塗りたくられていてとても人様に見せられるような状態ではない。高級料理に泥を混ぜたようなものだ。

彼女こそが現在の折神家当主――折神秋穂(あきほ)。修の母親だ。秋穂は修の姿を認めると、その首根っこを掴み、床に引き倒した。

 

「いっ……」

 

「ここで何してたの? 言いなさい」

 

「少々、勉強を……」

 

「読書? 何? 私が神経をすり減らせて議員の馬鹿共の相手をしている間に呑気に本を読んでたわけ?」

 

秋穂はますますその顔を歪ませ、左手で上から押さえ込んでいる修の身体目掛けて拳を降り下ろした。

 

「がっ……」

 

「いいご身分ね! 勝手に産まれてきて! 散々迷惑かけて! 親への感謝も知らずにのうのうと!」

 

一言のたびに右拳が修の頬に打ち込まれる。口の中が切れて血の味が広がる。頬に鈍痛が走り、内出血を起こしているのがわかる。

 

「ご、ごめん……なさい、反省します、から」

 

「反省して済む問題じゃないでしょ! あんたがいるだけでこの家はどんどん悪くなっていく一方なんだから。それなのに図々しくこの家に住み着いて、恥ずかしいとは思わないの!?」

 

「ごめんなさい……ごめん、なさい」

 

ひたすら謝る。勿論申し訳なさなど欠片ほどもない。今すぐ首の骨をへし折ってやりたいが、まだそのときではない。とりあえず、今は怯えた少年の演技をするのが最善だ。

 

「そうだわ。これでちょっとはその生意気な口も大人しくなるでしょ」

 

秋穂は手持ちのバッグから金属製の何かを取り出す。一見すると鋏のようだが、先端は四角くなっており、何かを挟むような形状、つまりはペンチだ。

秋穂はペンチで修の人差し指を挟み、醜悪な笑顔で力を込めている。

 

「もう読書なんてしたくなくなるように……しつけをしておかないと、ね!」

 

秋穂の手が修の人差し指を強く挟んでいるペンチ諸共ひねられて、修の指はあらぬ方向へと曲げられ、指の骨が折れた。

 

「ぐっ、ああああああっ!!」

 

「あっははははは! いいわね、よく鳴くじゃない。でもまだ一本目よ、どこまで耐えられるかしら、ね!」

 

二本目、三本目と次々に指が蠢き、縦横無尽に屈曲する。見ているのも痛々しいが、どの方向にどう曲げられたのかは知っておく必要がある。

そして、最後の一本――十本目が曲げられ、もうやることがなくなった秋穂はペンチを床に放る。

 

「ふん、こうやってちゃんと教育してもらえて感謝することね」

 

「……はい、御当主様」

 

修は床にうつ伏せで倒れた体制のまま答える。秋穂は地に伏して許しを乞う修の姿に満足したのか、ニヤニヤと笑いながら部屋を後にする。

部屋のドアが閉められ、足音が遠ざかったところで修は起き上がる。

 

「……全く、何が楽しいのか」

 

修は叫んで疲れた喉を労ろうと水差しに手を伸ばすが、その瞬間に伸ばした右手の五指がグチャグチャに折れていることを思い出す。

仕方ない、と左肘を器用に使って右手の指を一本ずつ元の形へと折り直した(、、、、、)

 

「んぐっ、んぐっ……」

 

あまり自由は利かないが、一先ず元に戻った手で水差しを引っ掴んで中の水をガブガブ飲む。当然この水も天然水などではない。水道水に泥を混ぜたものが食事と一緒に運ばれてくるのだ。汚くとも貴重な水分なのでこうして保存している。

修は喉が潤うのを確認し、口元に付着している泥水を袖で拭う。

 

「もう少し悲鳴のバリエーションを増やした方がいいかもしれませんね……」

 

先程の行為の際の悲鳴はただの演出だ。もはや、修の身体は痛覚などほとんど存在していない。物に触れている感覚はあっても、骨折や裂傷の痛みを受け取るほど脳が正常な機能を残していないのだ。しかし、何の反応も示さないのでは相手も満足しない。そのため、あたかも痛みに苦しんでいるかのような演技をしているのだ。そうすれば比較的この暴力も早く終わる。

 

「鍛練にしましょうか」

 

どうも机に座って勉強という気分が削がれた。気分転換に格闘術の指南書の技を練習してみよう。

自分の両手の指の関節、異常に歪んだそれが目に入るが、別に構わなかった。自然に治るだろう。

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

「……あの、ここは?」

 

十四歳になった日。夏の蒸し暑さの真っ最中に修は地下書斎から連れ出されていた。場所は折神家の剣術道場。開けた扉から太陽の光が燦々と降り注ぎ、蝉が鳴き声を遠くまで耳障りなほどに響かせている。

今朝、修は突然部屋にやってきた使用人二人に袋を頭に被せられて連行されたのだ。そして、今は袋を外された状態で道場の床に正座させられ、両の手足を鋼鉄製の縄で縛られている。

何故わざわざこんなところに連れてこられたのか、修は自分の目の前に仁王立ちしている眼鏡をかけた優男風の男性――折神家当主の夫、折神健吾(けんご)に尋ねた。

 

「……聞こえていないのですか?」

 

「黙ってろッ!」

 

聞こえてはいたのだろうが、意図的に無視していたようだ。健吾は苛立ちを隠そうともせずに修を怒鳴りつける。

 

「………」

 

修は大人しく周囲を見渡して状況を確認する。部屋には健吾と修の二人。

何が始まるのか思考を繰り返していたが、とある人物の登場によってその思考が一点に収束されていく。

 

「来たか」

 

「ええ、紫たちも一緒にね」

 

当主の礼服に身を包んだ秋穂と、その後ろに二人の少女の姿があった。片方は凛とした剣士、もう片方は物腰柔らかな令嬢という雰囲気の二人だ。二人とも黒を基調とした制服を着ており、それは刀使の育成学校のものだと推測できる。

 

「そちらの二人は?」

 

「ッ!!」

 

何気無くした質問だったが、何かに触れてしまったのだろう。ガッと頭を掴まれ、上から押さえつけられる。押さえつけているのは健吾だ。

 

「お前は一言も発するな。お前に発言権なんてものはないんだからな。このまま終わるまで黙ってろ、いいな」

 

「……」

 

すごい剣幕で捲し立てる健吾。下手な反論は逆効果だと判断し、修は首を縦に振る。

 

「二人と会うのは初めてね。この二人は長女の紫と次女の朱音。折神家本家の刀使にして、次期当主」

 

修は唖然とした顔で此方を眺めている二人の異父姉妹の顔を確認する。

紫の方は自分の二ヶ月前に産まれたことから存在は知っていたが、妹の名前は知らなかった。一時期から、部屋に来る秋穂の腹が膨らんでいたり、時々来なくなることもあったので妹がいることはわかっていた。とはいっても、秋穂が来なかっただけで彼女が不在の間は健吾がしっかりと休まず来ていたのだが。

 

「お母様、この人は……」

 

紫と朱音も、いきなり連れてこられたために状況を上手く呑み込めていないようだ。紫が修と秋穂を交互に見ながら問う。

 

「紫、この男は修と言ってね、折神家に産まれた悪魔。この家に災厄を振り撒く存在よ」

 

「荒魂なのですか?」

 

「それよりも遥かに邪悪な存在よ。折神家の血族としてこの家に紛れ込み、内側から崩壊に導こうとしていたの。大胆不敵にも私をそそのかして子を産ませ、お前たちの父親違いの兄弟として紛れ込むためにね」

 

――よくもここまで舌が回りますね。鬱陶しい。

 

あらかじめ何度も練習したのだろうが、はっきり言って秋穂の説明はどこか芝居がかっていて本音の色を感じられない。見ている方が恥ずかしいくらいだ。

自分が愛人を作ったことも、修が産まれたことも修の責任にしようとしている。どんな思考回路なのだろうか。

 

「明日からはお前たちも刀使の戦闘部隊に配属になるからな、今日はそのための儀式をする」

 

健吾は修の髪の毛を掴んで上に引っ張る。そして、秋穂は近くに置かれている木刀を手に取って切っ先を修に向ける。

修にはこの先の展開が予測できた。要するに、これは秋穂と健吾の気晴らしを目的として行われている茶番だ。せめて意味のあることをしてもらいたいと、内心では大きなため息をついている。

 

「お母様、お父様、何を……するのですか?」

 

朱音が怯えながら二人に聞いている。二人は嗜虐的な笑顔で朗らかに答えた。

 

「これはね、必要なことなのよ」

 

「ああ、そうだ。悪魔の力を封じなければならん。これを怠ると、こいつは周囲に不幸をもたらしかねんからな」

 

恐らく、紫も朱音もわけがわからず困惑している。それはそうだ。自分たちの父親違いの兄弟を突然紹介され、その兄弟が暴力にさらされようとしているのだ。

紫は首を左右に振って声を上げる。

 

「わかりません、その男が何をしたのですか?」

 

「何をしたのって……紫、聞いてなかったの? こいつは存在しているだけで罪深い、甘やかされるとすぐに調子づく奴なのよ。だからこうして服従させるのよ」

 

秋穂は紫からの問いにまともに答えることもなく、修の頬に思い切り木刀の左凪ぎを浴びせる。

 

「……!」

 

「……ひっ」

 

紫の顔には驚愕、朱音の顔には畏怖が生まれる。修の顔が右に弾かれ、視界が揺らいで脳の平衡感覚が一瞬失われる。だが、すぐに健吾に頭を掴まれて正面に引き戻される。

 

「まだまだっ!」

 

左肩、鳩尾、太腿と次々に木刀の斬撃や刺突が飛んでくる。逃げることも防ぐこともできないので修はそれを甘んじて受けていた。

 

「ふ、ふふ、いいわ。これで私は救われる」

 

「ああ、俺たちの救済だ……」

 

秋穂と健吾は恍惚な表情で何かをぼやいている。聞き取れはしたが、意味の共感はしかねた。

 

「もう、いい加減に……」

 

紫が止めに入ろうとしたが、その瞬間に隣に立つ朱音の精神に限界が訪れた。緊張の糸か、倫理の命綱が千切れたのか、目の前で行われている精神的に不適切な光景のせいで卒倒してしまった。紫は膝から崩れ落ちていく朱音を支える。

 

「朱音っ! 大丈夫か?」

 

「ちっ……紫、もういいわ。朱音を連れて下がりなさい。部屋に戻っておくのよ」

 

「ですが――」

 

「紫、母さんは二人のためを思って言っているんだ。大丈夫だ。この悪魔は父さんたちが鎮めておくから」

 

二人は諭すような声色で紫に言う。その間も暴力の手を休めていないのはもはや流石と言うべきか。

紫は修を見つめ、目を合わせる。修としても早く終わらせたいという気持ちがあったので、紫と朱音には外してもらいたい。修は目線で『自分は大丈夫だ』という意思を発する。それを察したのか、紫は朱音を抱えて渋々と部屋から去っていった。

紫にとっては初対面の素性の知れない兄弟よりも長年共に生きてきた妹の容態の方が大事だろう。別に非情だとは思わなかった。

 

「さて、続きをしましょうか」

 

再び木刀が振るわれる。痛みこそ感じないが、今日と明日の鍛練に支障が出ることを心配しながら、修は不快な暴力を受け続けた。




・最近の話題
→とじともでチアガールの舞衣が登場。これは引くしかねぇ! と勇んで虹珠鋼(無償)を3800×2を使用して22連。出なかった。悲しみにくれていたが、ここでプライドを捨てて封印していた必殺技(課金)を発動。再び22連! ようやくチアガールの舞衣を手に入れ、ホーム画面に設定しました。投稿が遅れたのはそのせいです(逃避)

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第24話 復讐

今回で、明良の正体や力の秘密が明らかに……

でも、まだ過去回続きます。早く終わらせないと……


十五歳になった。修は部屋の蔵書を調べ、その中から必要な文献を引っ張り出していた。

 

「……ありました」

 

ろくに整理もされておらず、バラバラに本棚に突っ込まれていたが、中身を読んで数日前に分野ごとの仕分けが完了したところだ。

修の手に取った本は御刀や荒魂に関する論文の掲載されたものだ。

 

「………」

 

パラパラとページをめくり、重要そうな部分や疑問を感じた部分は印をつけておき、後で他の資料と照らし合わせて噛み砕いていく。

大半は刀使の素質や今後の可能性、隠世に干渉する技術などオーソドックスなものばかりだが、その中に一つ、修の感情を揺さぶる論文があった。

 

「『ノロを利用した人体強化実験』……!?」

 

これは面白い。これがあれば、修の目的のための大きな躍進に繋がるかもしれない。今日はこれの解読に全ての時間を費やすことにしよう。そう決意し、読み進めていった。

 

 

※※※※※

 

 

「ノロを利用……だと? それではまるで――」

 

「親衛隊と同じ……かい?」

 

姫和が話の途中で口を挟む。フリードマンが彼女の言葉を続きを予測して割って入った。

 

「でも、二十年以上前からそんな実験があったんですか?」

 

舞衣がフリードマンに尋ねる。

 

「なかったとは言い難いね。さっき話したように、ノロは御刀と同等の神性を帯びている。御刀を使う刀使という存在がいるのなら、同様にノロを使った何らかの技術を確立させることも可能だという仮説を立てている学者も多い。実際に人間の被験者を使った実験は少なかったが、二十年以上前ならそこまで強くは規制されなかっただろうからね」

 

「皆さんもご覧になったでしょう? 燕さんはともかく、獅堂さんや此花さんは戦いの際に並外れた身体能力を見せていたはずです。皐月さんに至っては荒魂を放出し、操るほどになっていました」

 

「じゃあ、それって明良くんも親衛隊の人たちみたいに……荒魂を取り込んだってこと?」

 

不安げな舞衣の顔。ほぼ確信に辿り着いているのだろうが、一歩足りない。明良は首を左右に振った。

 

「いえ、親衛隊の方々とは違います。あれは、研究の副産物のようなものです」

 

「え……」

 

舞衣が言葉を失う。肩透かしというか、空振りになってしまった。

 

「そもそも、前提としてこの実験は刀使に適用する類のものではありません。刀使の持つ御刀と荒魂は対極の存在。つまり、刀使は荒魂に耐性を持っています。彼女たちに使用したところで、御刀の神性によって荒魂の力が弱められてしまい、十分な効果が得られません」

 

刀使は御刀に込められている正の神性を用いる。そのため、負の神性を持つノロと、それによって構成される荒魂からの肉体への侵食を防いでいるのだ。

 

「親衛隊の方々のあれは、別々の薬品を混ぜたようなものです。爆発こそしないものの、そこまで大きな化学的効果の向上がない」

 

「話はわかった」

 

姫和が目を細めて明良を睨みながら言う。

 

「お前が読んだその論文には……何が書いてあったんだ?」

 

「皆さんは『(あやかし)封じの儀』という伝承をご存じですか?」

 

明良が口にした聞き慣れない単語に一同が戸惑う、朱音を除いて。明良は視線を朱音の方へと移し、説明するように促した。

 

「遥か昔、まだ刀使という職業が広く普及していなかった頃に行われていたとされている儀式です。当時は日本に頻発する荒魂の出現に対応できなかったことから、これが生まれたと聞いています」

 

「どんな儀式なんですか?」

 

可奈美の問いに今度は明良が答える。

 

「ノロを罪人に飲ませるんです」

 

「なっ……!」

 

「………!?」

 

姫和、可奈美、と次々に六人の顔が驚愕に染まっていく。その凄惨な内容に。

 

「ノロは現代の科学技術を駆使してさえ、無力化することができない物質です。数百年前の人々なら尚更に手を焼いたはずです。刀使の対応が行き届いておらず、復活する荒魂を処理するための方法としてこの儀式は考えられました」

 

具体的な説明に入っていく。

 

「人々は罪人にノロを飲ませてから死刑に処し、その肉体を厳重に保管することで封じ込めることができると考えたのです。当然、悉く罪人は死刑を待たずして亡くなり、全く解決にならなかったことからすぐに廃止されました」

 

ここまで説明したところで明良の目つきが変わる。怜悧で真剣な雰囲気を纏っている。

 

「ですが当時の記録によると、一人だけノロを飲んでも死に至らなかった罪人がいたそうです。その罪人は人智を超えた怪物へと成り果て、殺されたと記されています。私が読んだ論文はその伝承の罪人を例として書かれていました」

 

「……お前があのとき使っていた左腕」

 

姫和が明良の説明と自身の記憶を結びつけ、口にする。

 

「あれは、荒魂の力か……」

 

「はい」

 

「教えろ。その伝承の男は? お前は何なんだ!?」

 

明良は待ち構えていたような、どこか諦めたような清々しい表情で告白する。

自分の正体を。誰にも明かしたことのない秘密を、ようやく言った。

 

 

 

「私は大荒魂――タギツヒメの半身と融合した人間、荒金人(あらがねびと)です」

 

 

 

荒金人。

ノロを細胞に取り込み、荒魂の力を操る人間の名称。刀使が御刀の力を操る者ならば、荒金人は荒魂の力を操る。

 

「古来より、人々は荒魂を戦闘に利用する研究を続けていました。しかし、あらゆる研究者が一つの壁に衝突しています」

 

訪れていた静寂を破り、明良はなおも説明を続ける。

 

「人体への、影響……?」

 

「そうです」

 

一度高津学長に実験台にされかけたことから、直感的に知っていたのだろう。明良が提示した問題に今度は沙耶香が答えた。

 

「御刀は適性のない人物には何の効果もありませんが、ノロはあらゆる生物に対して極めて有害な物質です。ノロを武器に加工しようとすればスペクトラム化が進行して荒魂となり、かといって人体に投与すれば被験者が発狂と侵食によって死に至る。人類にはノロを有益に使う手段がなかったんです」

 

「でも、明良くんは……」

 

「ええ、私は命を保ち、融合の安定化に成功しています」

 

明良は胸の真ん中、心臓のある位置に左手を置く。

 

「……私が荒金人となったのは二十年前、相模湾岸大災厄の直前でした」

 

 

※※※※※

 

 

「復讐……復讐……ふくしゅう……ふくしゅう……フクシュウ……フクシュウ……フクシュウ……フクシュウ……フクシュウフクシュウフクシュウフクシュウ……」

 

ひたすら言葉を反芻する。言い聞かせているのだ。

 

『己が身に受けた理不尽を忘れるな』

『奪われた不条理を忘れるな』

『奪い返し、苦しませて、後悔を残させたまま殺せ』

 

折神修は狂ったように繰り返す。荒金人の製造法について記された論文、その技術を利用すれば修の目的は達成できる。それだけの自信と覚悟があった。

 

――論文を見つけた当時、十五歳だった私はひたすらその改良と実用化の方法を模索した。

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

十六歳になった。修は年に一度の儀式のために折神家の剣術道場にいた。儀式とは当然、秋穂と健吾による暴力のことだ。

 

「……まだ残っていますかね」

 

既に儀式が終わり、道場には修の姿しかない。道場の床には修の血液や皮膚片、頭髪などが飛散している。その片付けを毎回任されるのだ。十四歳のときから数えて今回で三度目なのでもう慣れた。箒と塵取りで皮膚片と頭髪を回収し終えたので、今は雑巾で床の血痕を拭いている最中だ。中々落ちない自分の血に嫌気が差していたところで、道場に続く床の軋む音を拾う。

 

「………?」

 

一度目も二度目も、儀式の後の後片付け中に誰かが来ることはなかった。また秋穂たちが腹いせに暴力を振るいに来たのだろうか。

 

「あれ? 紫いないじゃん」

 

「……え?」

 

姿を見せたのは若い女性だ。藍色の髪を頭の後ろで無造作に縛っている。制服を着ていることから、まだ女学生。しかも、その制服は紫と朱音のものと同じだ。彼女たちの学友か何かだろう。

 

「ねえ。あなた、紫見なかった? ここにいるって聞いたんだけど」

 

「あっ、美奈都先輩、ここにいたんですね」

 

美奈都と呼ばれた少女の後ろから別の少女が顔を出した。またもや同じ制服の、黒髪の少女だ。美奈都を先輩と呼んでいたことから、後輩なのだろう。

 

「あの……貴女方は?」

 

修は片付けの手を止め、立ち上がって二人に尋ねる。

 

「申し遅れました。私は柊篝、折神紫様の後輩です」

 

「あたしは藤原美奈都。篝の先輩で、紫とは同学年の友達だよ」

 

「柊さんに、藤原さん、ですね。私は……」

 

自分の名前を言おうとして、躊躇った。折神修という人間は世間どころか折神家内部ですらごく一部しか知らない。言わば、『存在しない人間』だ。余計な失敗をしたことがバレると自分の計画に支障を来すかもしれない。

そう判断した修は微笑んで嘘をついた(、、、、、)

 

「私は当家の使用人でして、黒木と申します」

 

咄嗟に数日前に読んだ小説の登場人物の名前を騙った。

 

「黒木さんね、よろしく。ところで、ここに紫来てない? 守衛さんに聞いたら今日はここに来てると思うって聞いたんだけど」

 

「ああ……」

 

恐らく、その守衛は儀式のことを少し知っているのだろう。折神家本家の人間がこの道場で何かをしている、とだけ。

だが、二年前に一度目の当たりにして以来紫と朱音はここに顔を出していない。自分たちではどうにもできないと理解しているからだ。

 

「紫様はきっと離れの方の道場にいらっしゃると思います。本日はこの場所が使えないので」

 

「そうなんですか、ありがとうございます」

 

篝は軽く頭を下げて感謝の言葉を述べる。美奈都も笑顔で「ありがと」と言ってくれた。そうしてその場から篝が立ち去り、それに美奈都も続く。が、修は美奈都を引き止めた。

 

「藤原さん」

 

「ん? 何?」

 

修は迷ったが、言わねばならないことだと決心し、美奈都に告げることにした。

 

「柊さんは、刀使の家系の柊家の方ですか?」

 

「……そーだけど、うん」

 

「では、鎮めの儀についてはご存じですか?」

 

「え?」

 

修は鎮めの儀について美奈都に大まかな内容を伝えた。それを聞いていくうちに美奈都の顔が険しくなっていくのがわかった。

 

「ですから、もし柊さんがその事態に直面した際には藤原さんが御力になっていただけませんか?」

 

「それは当然するけどさ……でも、何であたしに? それに、今言うの?」

 

以前のこの儀式の日に偶然耳にした別の使用人たちの話と、今こうして彼女の立ち姿や足運び、周囲への視線の配り方。彼女は紫より強い。ほんの噂話程度にしか聞いていなかったが、実際に会えばわかる。修は自分の観察眼が間違っていないと信じて、答えた。

 

「これから、荒魂による未曾有の大災害が起こるかもしれません。その悲劇から人々と柊さんを救うことのできる力が貴女にはある、そう感じたからです」

 

「………そう、わかった」

 

美奈都も直感的に察したのだ。修が冗談や悪ふざけでこんなことを言っているのではないと。美奈都は軽く別れの言葉を言ってから篝の後を追うように去っていった。

 

「さて……」

 

これは保険だ。もしも修が失敗すれば大災厄が起こり、大勢の人々が命を落とすかもしれない。修に直接的な被害が及ぶかはわからないが、関係のない人々を巻き込むわけにはいかない。紫よりも強い刀使ならば大丈夫だろう。

 

――思わぬところでの進展を得た私は、残りの日数以内に計画を達成させるための下準備に入ることにした。

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

十七歳になった。ようやく計画を最終段階に移すことができる。

 

「出入口は即座に固められる……ならば、こうして」

 

修は書斎に紙面を広げてその隅々に目を通していく。折神家の屋敷の図面だ。儀式の日に道場に連れ出された際、三年前から今朝の分を含めて四度の来訪によって既に屋敷の全体像は把握している。当然、防犯システムや警備員、お抱えの刀使の数や位置、戦略に至るまであらゆる状況を想定している。

 

「あと、二週間……」

 

二週間後、修はまた屋敷の地上に連れ出される。儀式ではない。これは、秋穂や健吾が今まで修を殺さずにいた目的のためでもある。

そして、修の目的のために利用できる絶好のチャンスだ。

 

「本当に……本当に、騙しやすい」

 

修は思わず上がってしまった口角を左手で覆う。きっと醜悪で気味の悪い笑みを浮かべていたことだろう。

だが仕方がない。全力を尽くして力を身につけてきた修にとってはあまりにも呆気なかったのだ。

 

 

『そう、ようやく自分の存在意義に気づいたのね。出来損ないの粗悪品のくせに物分かりがいいじゃない』

 

『お前は散々俺たちに迷惑をかけてきたんだ。その償いだと思って全力で臨め。お前は俺たちに尽くすためにいるんだからな』

 

 

「はは……」

 

自分でもわかるくらい下卑た笑いが口から漏れた。秋穂と健吾が自信満々に口にした言葉と、彼らの正義感に満ちた表情を思い出すだけで嘲笑を禁じ得ないのだ。

 

「何故信じられるんでしょうね……」

 

修の提案、そして秋穂たちの目的は――

 

「分家との結婚……ですか」

 

――折神家から脱出するために私は、自分の血筋を利用することにした。




改めてアニメで篝を見た私→あれ? エターナル胸ペッタンじゃない……だと!?→なら、姫和もあと数年経てばエターナルでなくなる可能性が微レ存……あ、いや、やっぱないですね確実に。エターナルAカップですね確実に。


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第25話 脱走

お待たせしてすいません。こっからは過去話の途中過程とかの細かいとこになります。


「けっ……こん……」

 

明良が口にした衝撃的な台詞。そして、それが当時の折神家――引いては明良の両親の目的だったと。舞衣は同様を通り越して呆然とした顔で呟いた。

 

「アキラリンが生かされていた理由がそれなんデスか?」

 

「ええ」

 

「分家との結婚ってことは、答えは一つだな」

 

「お察しの通りです」

 

エレン、薫の問いに静かに答える。

 

「え? 何? どういうこと?」

 

「……?」

 

可奈美、沙耶香は何のことやらと不思議そうにしている。

 

「説明します」

 

明良は佇まいを直して説明を再開した。

 

「折神家は次期当主が高校を卒業すると同時に代替えが為されます。当時の紫さんは高校三年生。残り一年足らずで卒業でした。つまり、それは当時の当主である折神秋穂の権力の喪失を意味します」

 

今までに明良を好き勝手に出来ていたのは一重に秋穂が折神家当主であったからだ。もし、順当に紫が当主となれば明良の解放と秋穂、健吾の更迭もあり得ただろう。

 

「彼女は切り札として私を使ったのです。正確に言えば『私の血筋』ですが」

 

私の血筋。言わずとも全員が察した。折神家本家の血だ。

 

「私は父親違いとはいえ、折神家本家の直系です。分家の女性との間に子を設ければ確実に女子が産まれます。その上、紫さんや朱音さんと違って私には婚姻の拒否権がない」

 

あるはずもない。明良は戸籍上存在しない人間だ。そもそも法的な入籍も不可能であり、正式な手続きも踏む必要はない。本人の意思に関しては言わずもがなだ。

 

「私は――いえ、彼女たちの計画もそうですが『分家の女性との間に可能な限り女子を設けて、折神秋穂、折神健吾の私兵の刀使として育成する』と約束しました。

簡単に言えば、私は刀使を作るために生かされていたんです」

 

本家の女性、ましてや刀使を蔑ろに扱うことなどできない。だが、本家は勿論、社会の中にさえ立場を持たない、しかも刀使になることもできない人間は淘汰され、利用されて当然という風潮が二十年前の折神家にはあった。

 

「そうすれば、たとえ当主を引退したとしても、多大な戦力に物を言わせて自分たちの影響力を保ち続けることは可能。ましてや、要である私を手中に収めているとなれば紫さんが強く出ることもできない」

 

どこまで行っても折神修は道具でしかなかった。産まれてから死ぬまで。いや、道具でしかないとわかっていたから、折神修は死んだのだ。死んで、黒木明良として生まれ変わってやると決意して、あの日行動に出たのだ。

 

 

※※※※※

 

 

「初めまして。折神修と申します」

 

生まれて初めて袖を通す黒スーツ。いつも白いTシャツしか着ていなかったため、こんなカジュアルな服は結構窮屈ではあった。とはいっても、このスーツも所々ほつれていたり、汚れがついていたりと使い古されたものを適当に引っ張ってきたもののようだ。

それよりも、修には注意すべきことがある。修の目の前に横並びに座る女性たち。合計で二十人だ。

 

「本日はお忙しいところをこうして集まっていただき、誠にありがとうございます」

 

慇懃に両手を床につけて頭を下げる。目の前の女性たち――折神家分家の女性はそれに合わせて礼をする。

今日この場にいるのは、修との見合い兼結婚式に呼ばれた者たちだ。既に秋穂が手を回して彼女たち全員(、、)と結婚することは確定している。当然、一夫多妻制がこの国に施行されているわけがないが、この場合はそれは当てはまらない。

なぜならば、彼らは法的に入籍するわけではない。ただ、口約束の婚姻を結んで子供を作るだけだ。

 

「では、本題に入らせていただきます。まずは……」

 

それから延々と修の原稿通りの口上が続いた。聞いている彼女たちの雰囲気から嫌気が指していることはわかったが、やめるわけにもいかない。近くの部屋に監視役が何人もいるため、下手をすれば計画が失敗する可能性が高いのだ。

 

「では、明日もう一度ご対面となりますので、皆様はご準備の方へとお移りください」

 

ようやく話が終わり、女性たちが全員退室し、修一人になったところで乱暴に襖が開けられる。そこには得意気な顔で修を見下ろす秋穂の姿があった。

 

「終わったようね。悪くなかったわよ」

 

「ありがとうございます」

 

少し気が抜けていたが、修は即座に表情を笑顔に切り替えて感謝の言葉を述べた。

 

「あなたが自分からこの話を提案してきたときは驚いたけど、まあよく考えたら当たり前よね。今まで私たちの手を散々煩わせてきたんだから、ささやかな恩返しだわ」

 

「はい」

 

「むしろ、あんな器量よしの女を二十人もはべらせるなんて分不相応な幸せよ。その分、兵隊の育成には全力を注ぎなさい」

 

秋穂は修の頭を掴み、爪を立てる。頭皮に爪が食い込み、血が出るが、痛みはない。

 

「あなたは本来産まれるわけがなかったんだから。こうして生きて、私たちの庇護下にいられることを感謝しないとね」

 

「はい。ここまで育てていただき、感謝しています、御当主様」

 

正直、この頃の修は秋穂の言葉など大して聞いていなかった。激しく怒っている人物に対する対応と同じだ。聞いている素振りをすればそれでいい。内容など知ったことか。

 

――計画を最終段階に移したその日、私は深夜に行動に出た。

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

「……」

 

――一人、ですね。

 

修は自分の寝室の外に出た。部屋から続く縁側、さらに続く庭を念入りに確認し、近くの塀を見上げる。

明日の式のために屋敷には警備員が巡回している。当然、修の部屋の前にも一人いる。背の高い男性だ。腰には拳銃を携帯している。修が逃げないようにと配備されているのだ。

 

だが、一人では修を止められるはずもない。それが彼女たちにはわかっていなかった。修は昼間のうちに厨房から拝借しておいた出刃包丁を懐から取り出して、警備員の背中――心臓の背面側に突き刺さらない程度に力を加減して押し付けた。

 

「動かないでください」

 

「……!」

 

背中に押し付けられているものの感触から、何なのかを瞬時に理解する警備員。振り向こうとするが、修はそれを黙らせた。

 

「振り向いたり、大声を出そうとすれば、その瞬間に刺します。どちらが速いかはわかるでしょう? わかったら頷いてください」

 

「……」

 

冷や汗を流しながら無言で頷く警備員。それを確認した修は相手の腰のホルスターから拳銃を奪う。

そして、正面に回って眉間に銃口を突き付けたまま詰問した。

 

「関係者用出入口の鍵。警備員なら持っているでしょう? 渡してください」

 

「……」

 

口を引き結んで目をそらす警備員。苛立ちを覚え、銃口をさらに強く押し付けて引き金をカチカチと耳元で鳴らす。

 

「……う……」

 

「別に構いませんよ、言いたくないのなら言いたくなるようにさせる(、、、、、、、、、、、、)だけです」

 

「……ぐ……」

 

「こんなことで目と耳を失ってまで残りの人生を過ごしたくないでしょう? お互いのためにも」

 

「……わ、わかり……ました」

 

警備員はズボンの左側ポケットを指差す。修は銃口を向けたまま警備員のポケットに手を突っ込み、鍵を引っ張り出す。

 

「ご苦労様でした。これは頂いていきますね」

 

修は拳銃と包丁を懐にしまい、関係者用出入口へと歩いていく。

これで、ようやくここから足を洗うことができる。いや、十七年を奪われた復讐への第一歩だ。もう少しで、過去と決別できる。この窮屈で空気の淀んだ鳥籠から旅立つ日だ。

正面玄関から見て反対側。路地へと続く扉、関係者用出入口の正面まで辿り着く。鍵を差し込んで開錠する。その瞬間だった。

 

「……っ!!」

 

「ちっ!」

 

空気を薙ぐ音、月明かりによって映し出される影、そして何よりも何度も感じてきた濃密な殺気。

修は右に跳んで切り下ろしを回避する。体勢を立て直して、背後からの襲撃者の顔を確認した。案の定と言うべきか、この場所に到達することができたのかという意外性があった。

 

「来たんですね、折神秋穂」

 

煌めく鋼の刃。だが、使い手のせいで酷く曇って見えてしまうその刀を、彼女は握っていた。折神家当主、折神秋穂だ。

 

「……何のつもり?」

 

「ちょっと散歩に行くだけですよ。二度と帰りませんが」

 

「ふざけるな!」

 

接近して左凪ぎを繰り出してくる。以前なら大人しく斬られてやっていたが、もうその必要はない。後ろに跳んで紙一重でかわす。そこから突き、逆袈裟と連続して剣戟が続くが、全て見えてしまった。全く当たらない。

 

「誰がっ! ここまで! 育ててやったと、思ってるっ! クソがッ!!」

 

「貴女でしょうね、貴女のせいでこんな風になってしまったんですから」

 

「わけのわからないことをっ!」

 

元刀使だったため、剣術の腕は高い。筋力も技術もその辺りの成人男性よりも上だろう。だが、その程度では修の執念による強さには遠く及ばない。

 

「ぐぁっ……!!」

 

焦れて大振りになった刀を持つ秋穂の右手を蹴り飛ばし、刀を弾き落とす。逃げ出そうとする秋穂の手を掴み、床に引き倒す。怯えた表情の彼女の顔の前に包丁の刃先を向ける。

 

「ひっ……」

 

「どんな気分ですか? 飼い犬に……いや、奴隷に牙を抜かれて命を握られているというのは」

 

こんなことをしている場合ではないかもしれない。だが、想定外とはいえ夢にまで見た瞬間を味わっているせいか理性が弱まっているようだ。

 

「まあ、今は殺さないでおきますよ。貴女は後で思いつく限りの拷問を重ね、廃人にしてから息の根を止めてあげますから」

 

「お……まえは……」

 

「……?」

 

獲物を奪われ、組み伏せられて凶器を向けられている状態でもまだ喋れるらしい。

 

「狂ってる……頭がおかしいんだ……」

 

「……何を言うかと思えば」

 

そんなことか、と修は笑い飛ばす。

 

「私がほんの少しでも正常だと思っていたんですか?」

 

産まれてからずっと、虐待と罵声の日々。味方は一人もいない、頼れるのは自分の力だけ。限界を何度も乗り越えて、足を引き摺ってでも未来へと歩き続けてきた自分の心からは正常な思考や感覚は削ぎ落とされている。

今更、わかりきったことを言われてどうこうなることなどあるか。

 

「こうしていないと、私は命を保っていられなかった。生きるために心が死んだんです」

 

生命活動を続けていても、何かを感じたり刺激を受けたわけではない。ただひたすら勉学と鍛練の積み重ね。全ては生きて、復讐するためだ。辛いとか苦しいとか、そんなことを感じなくなったのだ。感情が、心が壊れたのと同義だ。

 

「別に貴女方が気に病む必要はありませんよ。こうなることを選んだのは私自身。大人しく貴女方に殺されたくはないと選んだ私の結果です」

 

修は秋穂の顔の横――床に包丁を突き立てて、彼女が固まっている隙を狙って扉を開けて脱出した。

 

――十七歳の春の私は、産まれて初めて屋敷の外へと踏み出した。

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

「これが……」

 

折神家から脱走して一ヶ月。折神修は黒木明良と名乗り、日々を過ごしていた。仮住まいと偽の履歴書、偽の経歴を使いながらなんとか食いつないでいたが、つい一週間前に転機があった。

探していたノロの軍事利用組織。米軍と日本政府の共同チームの末端の従業員募集。その資格をもぎ取った修は現在、ノロを大量に積載した輸送用タンカーに乗船している。

その甲板で修は黒い夜空を仰ぎ見ていた。

 

「これでようやく……」

 

あとは都合のいいタイミングでノロと接触すれば、融合の機会が巡ってくるはずだ。

今のままでは折神家お抱えの刀使には勝てないが、荒魂の力を取り込むことができれば話は別だ。以前読んだ論文の――荒金人となることができれば。

 

「あと少し……あと少しで……」

 

自然と笑みがこぼれる。笑みといっても、ニコニコとした穏やかなものではない。残虐性を秘めた醜悪なものだ。

自然と心に不安はなかった。荒魂に呑まれて死ぬかもしれない、荒金人となったところで目的を達成できないかもしれない、そんな可能性を考えはしたが、あくまでも可能性だ。失敗が恐くて挑戦せずにいられるか。修はそう考えていた。

 

「ん?」

 

未来へと思いを馳せていた修だったが、とある異変に気づいた。

 

床から何かが染み出している。赤黒い液体が。

 

「……は?」

 

見るのは初めてだが、知っている。これはノロだ。

だが、何故だ。タンカー内に保管されているはずなのに。どうやって甲板に現れるんだ。

 

「まさか……」

 

別の可能性、予期していたはずなのに誰もが考えていなかった。考えようとしなかった可能性。ノロが一ヶ所に大量に集まればどうなるか。

 

「不味い……!!」

 

――ノロを奪おうとした私は、大荒魂の出現に巻き込まれることになった。




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第26話 片想い

やっと過去話終わりです。長かった。二話位で終わるかと思っていたら、予想より長かったです。

では、どうぞ。


「………」

 

暗い、そして寒い。

 

目が覚めた私が最初に覚えた感覚はそれだった。次に感じたのは、たゆたう木の葉のような浮遊感。前後左右、上下も認識できない、宙に浮いているような感覚。試しに左右と後ろに首を回すが、モヤモヤした暗闇が何処までも続いていて、景色は変わらない。

 

何故、こんなことになった。

 

――確か、ノロの輸送用タンカーに乗船して、そこでノロを奪おうとして……

 

「……!」

 

そうだった。ノロが突然甲板に染み出してきて、それに呑まれて……意識がなくなったんだ。

となれば、ここは海の中で、自分はタンカーから投げ出されたということか?

まさかとは思ったが、あんなタイミングでノロがスペクトラム化するとは。利用していると思っていた相手を出し抜いた自分が、今度は別のものに出し抜かれたというのは客観的に見れば滑稽に思えた。

 

――こうなってしまっては、荒金人になるどころか、ノロを奪うこともできませんね。

 

今の自分に荒魂と戦う術はない。近づいただけで殺されるのは必至。このまま諦めて、海の藻屑へと消えるのか。

 

消え……るのか?

 

――何故、私は生きている?

 

船から投げ出された人間が海中で意識を取り戻すわけがない。岸に打ち上げられたのならともかく、こんな海の底では確実に溺死する。こんなのは、おかしい。

 

――ヒトなら、とっくに死んでいる……

 

「……! ……!?」

 

今の自分の状況を確認しようと、両手を手元に持ってくる。いや、実際は持ってこようとしただけだった。

 

なにせ、両手の肘から先が無くなっているからだ。

 

痛みはない。それはいい。だが、さらに信じられない出来事が自分の身に起きている。

よく見ると、両手の断面から何かが生えてきている。二色の何かだった。一つは肌色の部分。これは皮膚の色だろう。もう一つは、腐った苺のような赤黒い色だった。

 

――ああ、そう、なんですね。私は本当に……

 

人ならざる者の力を奪い、我が身へ取り込んだ者。

人に仇なす悪霊と混じり、穢れた者。

人を憎み、恨み、償わせようと決意し、狂い果てた者。

 

荒金人、黒木明良がそこにいた。

 

 

※※※※※

 

 

「……私は、大荒魂出現と同時にその中身の半分と融合。その結果、荒金人となりました」

 

「でも、本当に荒魂と人が混ざるなんて……何で明良さんは成功したんだろ」

 

「それは、私が折神家の人間だから、というのが大きな要因です」

 

可奈美からの疑問に対して苦笑いしながら説明する明良。

 

「折神家は荒魂を鎮める力を持つ家系……つまり、荒魂との親和性が高いんです。紫さんがタギツヒメに憑依され、定着に成功しているのも同じ理由でしょう」

 

今に至るまでの身の上話。明良はその締め括りを行っていた。

 

「私は長い時間をかけ……半分眠っていたようなものですが、荒魂の力をある程度制御できるようになり、陸に上がりました。それまでに十八年かかったと気づいたときは驚きましたが。その後に、舞衣様と出会ったのです」

 

明良が舞衣に視線をやる。舞衣は心ここにあらずといった様子で聞いている。

 

「特別稀少金属研究開発機構。それに関わっており、尚且つ強い影響力を持っている舞衣様のお父様と関係を持てば、荒魂の力の制御や強化に役立つと踏んで……それと、単純に生活するための職として私は柳瀬家の執事となったのです」

 

「……明良さん、それが、そんなことが……」

 

可奈美が複雑そうな表情で明良に何か言おうとするが、上手く言えないようだ。

 

「十条さん、それから可奈美さんも」

 

「えっ? な、何?」

 

「……何だ」

 

可奈美は慌てて答えているが、姫和は低くこもった声だ。明良が言わんとしていることを既に知っているからだ。

 

「どうでした? 私の話を聞いて」

 

「どうって……そりゃあ大変だったんだなあって」

 

「可奈美、もういい」

 

姫和は可奈美の肩に手を置いて行動を制し、立ち上がる。

そして――

 

「ッ!!」

 

抜刀、俊足の足運び、斬撃。その三連動作が瞬時に起こり、姫和の御刀は明良の首を切り落とす――その寸前、首の一歩手前で止められていた。

明良は何もしていない。姫和が自分の意思で止めたのだ。その場にいる明良と姫和以外の七人は唖然としたまま動かない。

 

「…………」

 

明良は何も言わず、座したまま姫和と目を合わせる。場違いにも、感心してしまった。

鋭い眼、歪められた口、カタカタと震える刀、それを握る右手。そして何よりも明良に注いでいるこの威圧感。姫和の怒りが全身に浴びせられている。

 

「本当……なんだな? お前が言っていたことは」

 

「何がですか?」

 

「とぼけるな!! お前のせいで、大荒魂が出現した! お前のせいで、二十年前の大災厄が起こった! お前のせいで……」

 

姫和は捲し立てる言葉を一旦区切り、悲痛な声で訴える。

 

「……私と、可奈美の母が死んだんだ」

 

「……そうですね。その通りです」

 

「……お前は言っていたな。全てを話した後で、それでも自分を荒魂だと思うなら殺してくれて構わないと!」

 

「はい、言いました」

 

「私にとってお前は、ただの荒魂だ。人々に災いを振り撒いている、荒魂だ」

 

「……そうですね」

 

「だから、だから、私は――」

 

姫和が御刀を振りかぶり、斬りかかろうとする。明良も甘んじてそれを受けようとした。だが、

 

「ダメっ!」

 

金属同士の衝突する、甲高い音。姫和の御刀と明良の首の音ではない。姫和の御刀は全く別のものによって明良への攻撃を妨げられていた。

 

「舞衣……」

 

「姫和ちゃん」

 

舞衣が二人の間に割り込み、抜いた御刀で姫和の攻撃を防いでいた。

 

「どけ、舞衣! そいつを……私はそいつを斬らなければならないんだ!」

 

「絶対にダメ。そんなこと、いくら姫和ちゃんでも認められない!」

 

舞衣は鍔迫り合いになっている姫和を押し返す。

 

「そいつは私と可奈美の敵だ。母を殺した元凶、わかってるだろう!? それに、そいつ自身も認めたことだ!」

 

「だからって、明良くんが悪いわけじゃない! 明良くんはずっと大変な思いをしてて、姫和ちゃんや可奈美ちゃんにも申し訳ないって思ってて。それで――」

 

「そいつに、黒木に騙されているとしてもか?」

 

「……え?」

 

舞衣の表情が、姿勢が、揺らいだ。姫和の一言によって。

 

「まだわからないのか!? そいつの目的は折神家への復讐だ、それ以外にはない。お前の側にいたのも、お前に優しくしていたのも演技だ。お前はずっと騙されていたんだぞ!」

 

「ち、違うよ。そんな……こと……」

 

舞衣がたじろぐ。振り向いて明良の方を向く舞衣の顔には動揺が溢れていた。

 

「舞衣様、私は……」

 

言おうとして。本当の気持ちを暴露しようとして、躊躇った。今までの話は事実をそのまま伝えた。必要なことだったからだ。だが、これ以上はいいのか。彼女たちが知る必要のない、知るべきではないことをわざわざ言わなければならないのか?

 

「姫和ちゃん、待って」

 

「可奈美……」

 

可奈美が立ち上がり、姫和の背後から彼女の御刀を握る手を包む。止めているのだ。

 

「可奈美、お前までもが……」

 

「姫和ちゃん、こんなことするのは……」

 

「お前は憎くないのか、こいつが。お前の母親を殺した男だぞ」

 

姫和は明良と可奈美を交互に見ながら言う。だが、可奈美はあくまでも冷静に首を左右に振った。

 

「姫和ちゃんの気持ちはわからなくもないよ。明良さんがそんなことをしなかったらって、そう思った」

 

「だったら――」

 

「でも、明良さんが悪いわけじゃないよ」

 

可奈美は姫和の訴えを穏やかに鎮める。

 

「明良さんをそんな道に走らせた人たち……明良さんを追い詰めた人たちがいたから、姫和ちゃんもわかってるんじゃないの?」

 

「それは……」

 

可奈美の言葉に姫和は押し黙る。表面に出ていなかっただけで、彼女の中には同じ考えがあったのだ。

 

「そんなことはわかっている! わかっているが、それでも――」

 

「それに、舞衣ちゃんは騙されてたわけじゃないと思うよ」

 

「……どういうことだ?」

 

可奈美の考えに対して、姫和だけでなくその場の全員が疑問を感じた。

 

「もし、明良さんが折神家に復讐しようとしてたなら、ずっと舞衣ちゃんの家にいるわけないよ。すぐにでも行動に移すと思う」

 

「……あ」

 

姫和がハッと気づいたところで可奈美は立て続けに言う。

 

「明良さんは復讐のためじゃなくて、何か別の理由があったんじゃないのかな?」

 

「……どうなんだ?」

 

その場の視線が明良に集まる。明良は自嘲気味に笑った。

 

「相変わらず、こういうことには目敏いんですね、可奈美さんは」

 

明良は大きくため息をついて、ポツポツと静かに語る。

 

「先程私が申し上げた理由は、嘘ではないんです。執事となった切っ掛けというところまでは。いずれは頃合いを見て執事を辞職するつもりだったんです」

 

そこまで言って、明良は朱音の方を見やる。

 

「十七年前、折神秋穂と折神健吾が事故死していたと知るまでは」

 

「……」

 

朱音はバツが悪そうに俯く。明良、朱音、フリードマン以外の六人は目を丸くして言葉を失っている。

 

「皆さんがお産まれになるより前の出来事ですから、ご存じでないのは仕方ありません。私は独自に調査し、彼女たちが完全に亡くなったことを知りました」

 

「復讐の相手がいなくなった……というのか? だったら、お前はどうしてわざわざ……」

 

姫和が困惑しながら明良に問うが、明良は静かに目を閉じたまま無言で立ち上がる。

舞衣――自分を庇ってくれた少女を横目で見つめながら部屋の襖に移動する。

 

「お、おい、黒木!」

 

姫和に呼ばれるが、明良は意にも介さず廊下へと続く襖に手をかける。

 

「……朱音さん」

 

「……え? な、何ですか?」

 

「先代の当主と、当主の夫。彼女たちは何と言っていましたか、私のことを」

 

朱音は哀しげな表情になりながらも、必至に言葉を選ぼうと四苦八苦している。

 

「正直に、脚色なく答えてくれませんか? お願いします」

 

明良は待った。彼女がどう答えるのかを。

 

「……憎んで……いました。ずっと、死んでせいせいした……と」

 

「……そうですか」

 

明良は不気味なほど機械的な動きで襖を開け、廊下へと歩いていった。

 

 

※※※※※

 

 

明良は無表情で廊下を歩く。今の彼は少しでも舞衣の側にいたくない、いられないという感情でいっぱいだった。舞衣の側にいれば、思わず話してしまいそうだったからだ。それはできない、してはならないとわかっているのに、自分でも制御できない唯一の感情。それを口にしてしまいそうだったからだ。

 

「待て」

 

「……何です?」

 

背後からの声、足音と気配は一人ではない。二人だ。

 

「……明良さん、私も、まだ話があるから」

 

「可奈美さんに……十条さん」

 

いるのは可奈美と姫和だけだ。明良はまた斬られるのではないかと思ったが、二人からは殺気が感じられない。どういうことだ、と違和感を感じた。本当にただ話に来ただけなのか。

 

「明良さん、復讐なんてもうどうでもいいんでしょ?」

 

「?」

 

明良は眉をひそめて返答した。

 

「何故そう思うのですか?」

 

「明良さんはずっと舞衣ちゃんのために動いてる。それこそ、やりすぎなくらい。あれって、演技とかじゃないよね?」

 

「………」

 

明良は何も答えない。さらに深く追求してくる。

 

「もしかしたら、明良さんは舞衣ちゃんのことが好きなんじゃないの? だから、ずっと舞衣ちゃんの側に居続けてる」

 

「……なるほど」

 

「明良さんの今まで行動と、先代の人たちがいなくなっても舞衣ちゃんの家の執事を続けてたこと、二つともに説明がつくことだよ。どうなの……?」

 

明良は今度は迷わなかった。この二人ならば明良の思いを知る権利くらいはあるだろう。

そう判断して、告げた。自分でも似つかわしくないと思えるほどの恥ずかしい感情を。初めて他人に伝えた。

 

 

「はい、私は……舞衣様のことが好きです」

 

 

可奈美、姫和は黙って、無表情でその言葉を嚥下し、明良の続きの言葉を待った。

 

「私は、あの日、舞衣様への思いが芽吹いたときからどうでもよくなっていたんです」

 

不思議に、スラスラと話すことができた。こんな時だからだろう。

 

「私の中の怨嗟の思いは、先代が死んだと知っても消えませんでした。むしろ、産まれてから燻っていた思いをぶつける相手がいなくなってしまったせいで、余計に火に油を注いでしまった」

 

「折神家そのものに復讐するつもりだったのか?」

 

「いえ、それは違いますよ、十条さん。誰でもよかったんです。八つ当たりをさせてくれる相手を探していたと言った方が正しいでしょう。それぐらい、二年前の私は狂い切っていた」

 

それだけで終わればまだ良い方だ。恐らく、本当に誰かに八つ当たりをすれば明良の心には破壊衝動しか残らなかっただろう。

延々と出口の見えない暗闇を無闇矢鱈に突き進む愚者。周囲の人々に害をもたらす本物の災いのように。

 

「ですが、あの方に仕えていて気がついたんです。私が本当にやりたいことが何なのか」

 

先の見えない未来。振り返りたくない過去。地下の書斎に閉じ込められていた時に芽生えた怒りと恨み。報いを受けさせてやるという渇望。

それら全てが、平凡な人間である折神修を復讐の亡霊、黒木明良へと作り変えた。

修はそういう場にいただけなのだ。本人が最後に選んだことは事実だが、その選択肢しか与えなかったのは折神家だ。

そして、明良は自分の意思で選択肢を手に入れたのだ。誰から与えられたものでもない。自分で見つけた、ありふれた選択を。

 

「ただ、光の当たる場所で、自分の好きな人と一緒に過ごす。私にとってはそんな平凡な思いが、とても幸せで、何物にも替えがたい願いなんです」

 

そう、平凡でありふれている願いだ。町を歩いている一般人でもこんな風に答える人はいるだろう。

 

「復讐が叶わなくとも、自分のしてきたことが無駄になるとしても、私は舞衣様の傍にいられればそれでいい」

 

「だったら、何故舞衣にそう言わないんだ!?」

 

今まで静かにしていた姫和が突然声を荒げる。

 

「舞衣にはお前の本当の気持ちを伝えるべきじゃないのか? そうしないと、あいつはずっと理解してくれないままだぞ」

 

「そうでしょうね。理解していただけないでしょう」

 

「それなら、どうして言わないんだ……」

 

明良は首を左右に振った。諦めのついた、物憂げな表情で否定する。

 

「言って、どうなるのですか?」

 

「どうなるって……明良さんは舞衣ちゃんのこと好きなんじゃ……」

 

「好きですよ……だからこそ、言うわけにはいかないんです」

 

悲痛な声で言う明良に姫和が訝しげに問う。

 

「どうしてだ……」

 

「……舞衣様のためです」

 

およそ予想していたのか、可奈美と姫和の表情に驚きはない。

明良は珍しく言い聞かせるように説明した。

 

「あの方に私の素性を話して、受け入れてくれるわけがありません。こんな亡霊のような者を誰が愛してくれますか?」

 

明良は自分の胸に手を当てて渇いた笑いを浮かべる。

そうだ、そうに決まっている。舞衣の傍に居続けるために明良は嘘を吐き続けた。自分を偽り、彼女の空想の愛を貪り続けていた卑しい小物だ。

過去を切り離すことも、未来を切り開くこともできない亡霊。哀れで、惨めでしょうがない。

 

「でも、それじゃあ明良さんの気持ちが……」

 

「私は、一方通行でいいんです。仮初めであっても、あの方に信頼していただければそれで十分過ぎたんです」

 

相手に愛されなくてもいい。生きるための糧をあの方から一方的に奪うことができればいい。そうしないと、飢え、干からび、渇いてしまうからだ。

 

「あの方が他の男性と結ばれたとしても、構いません。私は今まで通り、惨めに卑しく片想いを続けるだけですから」

 

明良にはもう話すことはない。さっさと切り上げようと玄関へと向かう。だが、それよりも早く大地を揺るがすほどの轟音が響いた。

 

「……来ましたか」

 

――敵が。

 

折神家に勘づかれた、そう悟った明良は大急ぎで走り出した。




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第27話 狂気

お久し振りです。本当にごめんなさい。遅れました。いくらか更新をお待ちしてくださっている方々がいらっしゃって本当に嬉しいです。( ≧∀≦)ノ

拙いかもしれませんが、どうかお気に召した方はしっかり楽しんでくれれば幸いです。

では、どうぞ!


勢いよく玄関の戸を開け、中庭から縁側に駆ける。そうやって移動した明良の姿に居間に留まっていた皆の視線が集中する。

 

「あ……きら……くん?」

 

真っ先に気づいた舞衣が明良の名を呼ぶ。その声色から感じ取れた感情に対して何か言いたくはあったが、今はそんな時間はない。

 

「……皆様、先程の音は聞こえましたよね? 恐らく、いえ、ほぼ間違いなく刀剣類管理局から襲撃を受けています」

 

やはり、と全員が立ち上がる。

 

「私は現場に向かって敵の足止めをしますので、皆様は緊急時に備えて避難の準備をなさってください」

 

「明良くん……」

 

舞衣が哀しげにこちらを見つめ、言う。だが今の明良は何も返せなかった。今更、弁明のしようなどない。

 

「だが、敵は大勢いるだろう。君一人でどうにかできるとは……」

 

フリードマンが苦言を呈するが、明良は首を左右に振る。

 

「軍勢のほとんどは恐らく機動隊です。それならば、私の敵ではありません」

 

「なぜわかるんだ?」

 

「この里には舞草の構成員以外の人々もいます。刀剣類管理局も、彼らを全て粛清はできない。それならば、刀使よりも機動隊を向かわせた方が後々の言い訳がしやすくなりますから」

 

荒魂退治を生業としている刀使が人々を捕らえれば問題だが、機動隊ならば後でどうとでも理由をつけられる。

だが、明良にとっては好都合だ。

 

「ですから、皆様は早く」

 

「わかった。我々は潜水艦で脱出する。目的地までの経路のデータを君の携帯端末に送るから、後で合流しよう」

 

「はい」

 

明良はそこで、未だに自分から目をそらしていない舞衣を一瞥。そして、一礼してからその場から走り去っていった。

 

 

※※※※※

 

 

「こちらは特別機動隊です。この一帯は特別災害予想区域に指定されました。我々の指示に従い、速やかに行動してください。繰り返します――」

 

舞草の里の出入口、その全てに脱出を阻むように機動隊の隊員が陣取っている。隊長と思われる男性がスピーカー越しに祭りに集まっていた市民たちに指示を出している。

 

「な、なんだぁ……」

 

「なんだって機動隊がこんなことに……」

 

「荒魂でも出たってのか?」

 

「馬鹿言え、だったらもっと騒ぎになってるだろ」

 

里の市民たちも突然の武装した来訪者たちに戸惑っている。明良は人の間をすり抜けながら、スピーカーを持っている隊員の近くまで移動する。

 

「ん、何だ君は」

 

指示を止め、その機動隊員が明良に質問してくる。

 

「初めまして、実はこの近くの神社に務めている者でして。皆様、一体どういった御用でいらっしゃったのでしょうか? よろしければお話ししていただけませんか?」

 

「この付近に荒魂が出現したという情報が入った。そのため、市民の方々には避難していただかねばならないんだ」

 

彼の言葉に引っ掛かるものがあった。

 

――荒魂が出現した……?

 

「荒魂……? そのようなものは見ておりませんが」

 

「普通の荒魂ではない、本部からは変異種だと聞いている。スペクトラムファインダーにも反応があった」

 

そう言って、携帯端末の画面を見せられた。そこには数十個の荒魂の反応があった。

 

「……これは、どういう」

 

一瞬思考が固まったが、すぐに合点がいった。そもそも、刀剣類管理局は折神紫や親衛隊の面々がスペクトラムファインダーに反応しないように細工をしているのだ。ならば、特定の人物以外の御刀を荒魂と誤認させることも難しくないだろう。

あとは、御刀や荒魂に対してそこまで明るくない隊員たちに『刀使が荒魂に変異した』とでも言えばいい。

 

――隠蔽工作ではなく、こういう小細工をしている。ということは、彼らは騙されているだけ……ならば。

 

「そうですか、わかりました」

 

「ようやくわかってくれたか。君も早く避難を……」

 

隊員が説明を終え、油断したその瞬間――

 

「失礼しますね」

 

明良の左手が隊員の頭に乗せられた。

 

「かっ……」

 

それと同時に隊員は糸が切れたように膝から崩れて地面に倒れ伏した。

 

「おやすみなさい」

 

周囲の人々――里の市民の方は気味悪がってその光景を見ていたが、機動隊員は違う。どういう方法かはわからないが、突然現れた男に触れられた途端に隊長が昏倒したのだ。平静でいるわけがない。

 

「そこのお前、今何をした!」

 

「両手を頭の後ろに回せ!」

 

銃をこちらに向けてはこない。明良の周囲にはまばらに人がいるため、流れ弾に当たる危険があるからだ。

だが、明良とて無関係の人々を巻き込みたくはない。相手を刺激させる前に終わらせよう。

 

「申し訳ありません。こちらの方、過労か貧血でしょうか? 突然倒れてしまって……今すぐ病院まで付き添った方がよろしいのではないですか? 私も、貴方たちを傷つけたくないので」

 

両手を上げ、半笑いで隊員を挑発する。眼前の十人の隊員の一人が明確に怒りを露わにした。その怒気を感じ取ったのか、明良の周囲にいた市民は散り散りに距離をとり、遮蔽物の向こう側へと隠れる。

明良はそれを確認してから隊員たちと距離を詰める。一番近くの隊員が明良と向き合って睨みをきかせてきた。

 

「……少し、事情を聞こうか」

 

「何の事情です?」

 

「とぼけないてもらえるか? とにかく、一緒に来てもらうぞ」

 

そう言って背後に回ろうとしてくるが、明良はそれよりも早く目の前の隊員の左足を右足で踏む。

 

「貴方にできるのでしたら、どうぞご自由に」

 

またもや隊員の体勢が崩れ、地面に倒れ伏す。

一度ならず二度。もはや確実に敵だという認識に至った残りの隊員たちは次々に小銃を構え、明良に狙いを定める。

 

「抵抗するな! さもなくば撃つ!」

 

改めて周囲を確認する。眼前には小銃の弾幕を張った機動隊員。背後には先程まで市民がいたが、もう姿はない。これなら被害はさほど考えなくていいだろう。

明良は両手を上げた体勢のまま、摺り足で近くの隊員に寄ろうとする。その足の一歩前の地面に放たれた数発の弾丸が地面を穿つ。

 

「奴を近寄らせるな! 触れさせなければさっきの技は使えない!」

 

まあ、敵も馬鹿ではない。実際、明良の技は接近戦のものばかりだ。遠距離からの一方的な攻撃に持ち込むのは得策と言えるだろう。

 

――まあ、だから何だ、という話なのですが。

 

「……操られているわけでも、我々の素性を知った上で忙殺しようとしてるわけでもない。純粋に職務を全うしている……見上げた正義感ですね」

 

「何が言いたい……」

 

照準を外さないまま隊員がにじり寄ってくるが、明良の顔にあるのは警戒でも不安でもない。

 

「その正義感に免じて……」

 

余裕の笑み、だ。

 

「この程度で済ませておきます」

 

明良の銀色の頭髪の毛先が赤黒く染まり、細胞分裂のように伸びていく。伸びた髪は根元から先端にかけて針の如く硬化し、隊員たちの脇腹や肩をかすめる。髪の針を受けた隊員は漏れなく意識を奪われ、無力化されてしまう。その一連の動作は時間にして1秒、いや、その半分以下だった。

相手が反応してから引き金を引くよりも早い。元より、銃口を向けている相手に反撃されることなどほぼないのだ。咄嗟に発砲できなくてもおかしくはない。仮に発砲できたとしても、明良は止められはしないが。

 

「先端恐怖症にならないことを祈っておきます」

 

 

※※※※※

 

 

機動隊を無力化した後、追っ手の足止めをするために残っていた刀使たちにいくらか報告を済ませ、明良は朱音たちの待っている潜水艦の停泊場所まで走っていった。

受け取ったデータの通り進むと、地下の洞窟を抜ける直前――つまり、停泊場所の手前辺りで皆が固まって立っているのが見えた。

 

「皆様、どうされましたか」

 

明良の声に刀使たちは口ごもったまま返事するのを戸惑っているが、こちらに気づいたフリードマンが声をかけてきた。

 

「! 来たのか、ちょっとまずいことになっていてね」

 

フリードマンが指差す方には先程見たのと同じ機動隊の面々の姿があった。無論、偶然であるはずがない。逃走経路を読まれ、先回りされていたのだ。

 

「撃ってきますね、確実に」

 

「やはりそう思うかね」

 

明良とフリードマンの意見が一致しているのを見て、近くにいた舞草の刀使が質問してきた。

 

「何故です? 拘束するならまだしも、いきなりそんなことは……」

 

「それは、彼らがまともな判断ができるなら、ですよ」

 

明良は懐から携帯端末を取り出す。先程の機動隊員から奪ったものだ。スペクトラムファインダーを表示し、皆に荒魂の反応を見せる。

 

「彼らのスペクトラムファインダーには細工がされています。御刀を荒魂だと誤認するように、ですね」

 

「伊豆でも同じことがありマシタね……大量の荒魂がいたのに反応してませんデシタ」

 

エレンが記憶の中にある経験談を思い出して伝えてくれた。察するに、夜見と交戦したときのことだ。

 

「この方法でしたら、刀使の拘束ではなく、突然変異した荒魂の駆除で済みます。全く、汚い真似を……」

 

明良はため息混じりに呟く。そして、両の手袋を外し、物陰から表に出ようとした。

 

「待ってください、彼らは――」

 

その後ろ姿を引き止める声。朱音が懇願するような表情で何かを訴えようとしているが、それが何なのかはわかった。

 

「………わかっています、殺しはしません」

 

冷たく言い放ち、今度こそ向かおうとするが、僅かな抵抗感を感じて背後を振り返る。明良の上着の裾を弱々しく掴む最愛の主――舞衣の姿があった。

 

「明良くん……何だか、怖いよ」

 

「……ご安心ください。私が道を切り開きます。ですから、舞衣様は速やかに避難することに専念してください」

 

「そうじゃなくて……そうじゃ、なくて……」

 

舞衣は俯いたまま消え入るような声で繰り返した。

わかっている。わかってはいても、応えてはいけないのだ。たとえどれだけ甘美な提案であっても、明良が最優先しなければならないのは――

 

「舞衣様、決して攻撃の当たらない位置にいてください」

 

明良は再び歩き出した。少しだけ強引に舞衣の手を振りほどくような形で。ズキッと胸に痛みが走るのがわかった。気のせいではない。が、この感覚もなかったことにしなければ。

 

「舞衣様に掠り傷でも負わせる輩がいたら、私はその相手を殺すだけでは済ませられないので」

 

傍で歩くただの人であれないならば、そうあるべきではないと自分で決めたのならば、それを貫き通さなければならない。

 

――もう……私は貴女を守れるならば、怪物でも、狂人でも、亡霊でも構いません。

 

「出てきたぞ!」

 

「いや、待て。刀使ではない! 撃つな!」

 

明良の出現を認めた隊員たちが口々に何か言っているが、明良にとっては相手にするだけ時間の無駄だ。先程のように騙し討ちをする必要もない。

正面から堂々と撃退すればいいだけのこと。

 

「撃ちたいのでしたら……」

 

両の掌からノロが流出し、前腕を覆っていく。剣の『右腕』と鉤爪の『左腕』。

 

「これで理由ができましたか?」

 

その外見や雰囲気から察したのだろう。隊員たちの表情が警戒から敵意のものへと塗り替えられる。

 

「あ、荒魂だ……!」

 

「総員構え! 絶対に近づけるな、撃て!」

 

生命の危機、根元的な恐怖に駆られた人間の行動は決して侮れない。敵意を持って放たれた三発の弾丸は明良の腹部、右肩、右目を射抜く。骨が砕け、血と肉が弾け飛ぶ。

 

「……っ!」

 

荒魂かどうかも定かではない相手に銃撃を浴びせるとは。いや、彼らは刀使の姿をした荒魂の退治に来たのだからそのくらいの覚悟は承知の上か。

明良は歯牙にもかけていないという風に平然とした顔で彼らに問いかけた。銃創は当然塞がっている。

 

「まだ、やりますか?」

 

「……つ、続けろ! 攻撃を緩めるな!」

 

今度は容赦ない。何十何百という銃弾の雨が明良を襲う。人間相手なら間違いなくバラバラの肉片になるであろうほどの弾幕だが、それは当然、人間ならばの話だ。

明良の思考は肉体の損傷によって阻害されているが、もはや痛みはない。

 

――昔と同じ、痛みがなくなっている。これで、いい。これで私は……戦える。

 

黒木明良となってから感じていた痛み。覚えていた鈍い痛覚が、もはやなくなっている。明良にはすぐに合点がいった。自分に不要な感覚を切り捨てたのだ、と。戦いのための道具には無駄な感覚なのだ。

 

――私には、苦痛も恐怖もない。最高だ……!

 

「……ん?」

 

気がつくと耳障りだった銃弾の音が止んでいた。相手の武器に不具合があったのではない。

 

「む、無理だ……いくら撃っても」

 

「ば、化け物だ……こんなの……どうやって……」

 

理解してしまったのだ。銃弾では明良(亡霊)は殺せない。わかりきっていることだ。

 

「それで……?」

 

明良はすっかり戦意の抜けた隊員たちに高速で接近する。

彼らの銃器、刃物、通信機、携帯端末に至るまで全てを『右腕』と『左腕』で破壊する。隊員も抵抗しようと思えば少しはできたのだろうが、それすらも無意味だと思ったのだろう。実際に無意味だ。

 

「まだ戦うのでしたら、お相手しますが……どうなさいます?」

 

恍惚か、歓喜か、はたまた達成感か。明良は清々しい顔で尋ねる。

 

「命の保証はありませんよ?」

 

いや、狂気か。




明良がどんどん壊れている気がする。元からですが、さらに壊れてる……ちゃんと治してあげて、舞衣。

質問、感想はお気軽に!(*´∀`)つ


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第28話 負けてもらいます

みにとじ、放送決定しましたね。二期来ないカナーってヒヨヨンの胸くらい薄い希望を抱いていたので感激です\(^o^)/ハカドリマスワー。


「………」

 

明良は頬や目元についた血を手で拭う。胴体も血塗れになっているが、そちらは服に血が染み込んでしまった。ベタベタして気持ち悪いが、気にしないことにした。

そんな作業を無表情でやっている様を見て、背後に控えていた舞草の刀使は青ざめた顔で立ち尽くしている。

 

「ああ……」

 

ようやく察した明良は苦笑いしつつ軽くお辞儀をした。

顔に血を拭った跡を残したまま。

 

「申し訳ありません、お見苦しいところを見せてしまいましたね。もう機動隊の方々は撤退したので、姿を出しても大丈夫ですよ?」

 

「……わ、かった」

 

舞草の刀使に先導され、他の面々も物陰から現れる。当然、その中には舞衣たちもいる。他の五人は思い思いの表情のまま言葉を失っていたが、舞衣は真っ先に明良に駆け寄って服を掴んだ。

 

「……? 舞衣様、いけません。血で汚れてしまいますから」

 

「……もう」

 

「……舞衣、様?」

 

明良は頭に疑問符を浮かべざるを得なかった。およそ、自分の常識外の事態が目の前で発生しているからだ。

 

――何故、舞衣様はこんなにも哀しそうなお顔を……?

 

敵を無力化し、一人の怪我人も出していない。およそ考え得る中でも最良の結果と言えるはずだ。何か、自分の推し量れない彼女の微細な心境の変化があったのだろうか。

 

「何でそんなに傷ついて……平気な顔なの? 痛くないの……苦しく……ないの?」

 

「痛い……苦しい、ですか? いえ、むしろ誇らしいです。皆様、お怪我はないようですので、本当に良かったです」

 

心配させないよう、ちゃんと状況を説明する。だが、それでも舞衣は首を左右に振ってしまう。

 

「そんなことない……! 明良くんがこんなになって、良かったなんて言えるわけないよ!」

 

「私はいいんですよ。こうなるのが私の役目ですから。私はいくら傷ついても治ります」

 

「明良くんは!」

 

空気を強く震わせるほどの声。舞衣の突発的な行動に明良はますます首をかしげてしまう。

 

「……明良くんは、死んじゃうのが怖くないの?」

 

こんな質問があるとは。

正直に言えば明良は驚いていた。こんな、答えのわかりきっている質問(、、、、、、、、、、、、、)を今更されるとは思わなかったからだ。

明良は一片の淀みもなく答えた。いつも胸に抱いている信念だ。今更違えるつもりなどない。

 

「怖くないですよ。貴女のために死ぬのでしたら、それが私にとって最高の幸せです」

 

「……っ!?」

 

彼女に仕える者として百点満点の答えだ。明良にはその確信があった。

今も昔も明良は舞衣の執事であり、道具であり、駒であり、都合の良い使い捨ての存在だ。

自分のために死ねと言われれば甘んじて受ける。むしろ、烏滸がましくも自分の最後をそういう形で締め括りたいとさえ思っているほどだ。

 

――と、思ったのですけれど……

 

「……違う、そんなの……」

 

舞衣は喜んでくれない。どうしてだろう、何か間違ったことを言っただろうか。

そう明良は考えて自分の言動や行動を振り返って整理するが、一向にわからない。

 

――何が『違う』んでしょうか?

 

「……!」

 

残念ながら今のこの場は明良に十分な思考の時間を与えてはくれなかった。

唯一の出入口である洞窟の穴の部分から漏れ出る……そもそも隠してすらいないであろう闘気。明良はそちらの方に注意を向けることにした。

 

「ひっさしぶりー、また会えて嬉しいよ、おにーさん」

 

「燕さん……」

 

不敵な笑みとともに現れる小柄な人影。親衛隊の制服、腰に差した御刀、薄桃色の長髪。

言わずと知れた最強の刺客――燕結芽がそこにいた。

 

「………」

 

明良は無言で舞衣たちを潜水艦へと促す。結芽に邪魔される恐れもあったが、明良が対峙すること彼女も下手な動きをすることなくその光景を傍観していた。

 

「いかがなさいましたか? 迷子になられたのでしたら、丁重に道案内を致しますよ。それとも、交番か警察署まで私が御同行しましょうか?」

 

「子供扱いしないでよ、おにーさん。それに、おにーさんは今から私が倒すんだから、道案内ができるほど元気でいられるわけないよ」

 

明良の軽口に結芽も同じように返す。

 

「親切で言っているんですよ。以前私と闘って負けたばかりでしょう?」

 

「あのときは本気じゃなかったから! 最初から全力なら私が勝つもん。おにーさんだって、卑怯なことしないと勝てないじゃん」

 

結芽がムキになって反論するが、明良は何処吹く風といった様子で笑う。

 

「卑怯だろうと姑息だろうと、勝てばいいんですよ。強いか弱いかではなく、勝つか負けるかです。ですから――」

 

明良は言葉を区切って、再び両方の『腕』を顕現させる。

 

「今回も貴女には、卑怯な手段で負けてもらいます」

 

明良の姿勢を理解した結芽も口角を吊り上げ、御刀を抜く。

 

「いーよ! おにーさんのやり方よりも私の方が上だってこと、教えてあげるから!」

 

お互いに臨戦態勢に入っている。潜水艦の入口から明良が来るのを待っている舞衣に視線を合わせた。

 

「彼女を処理した後、必ず合流します。連絡を待っていてください」

 

「明良くん、でも……」

 

「構わず行ってください。誰かが、ここで彼女を食い止めなければいけません。お願いです、早く……」

 

舞衣は酷く逡巡しているようだったが、数秒で決心し、潜水艦の中に乗り込む。やがて、ハッチが閉じられて水中に黒い金属の塊が沈んでいく。

 

「……意外ですね。追わないのですか?」

 

「追いかけたら、背中から刺してくるつもりじゃないの? わかるよ、それくらい」

 

――まあ、確かにそうですね。

 

結芽は御刀を正眼に構え、明良は迎え撃つように『右腕』を正面に突き出す。

 

「御生憎様ですが、貴女と遊んではいられないのです。今すぐ始めましょうか」

 

「とーぜんっ!」

 

全身全霊の一撃同士が衝突を起こした瞬間、大きく火花が散った。

 

 

※※※※※

 

 

狭い場所では此方が不利だ。明良は洞窟から逆戻りして里の森の外れまで結芽を誘導した。

 

「……ふぅ」

 

攻撃と離脱を交互に繰り返す。早々に片付けてしまおうと考えていたが、予想以上に結芽の実力は伸びていた。反応速度も太刀筋の鋭さも前回の戦いの一歩上を行っている。もしかすると、これが彼女の本来の実力なのかもしれない。

 

「……戦いづらいですね。特に貴女のような短期間で強さが変動するような方とは」

 

明良の身体には傷はない。再生したわけでもなく、彼女との戦いではまだ掠り傷も負っていないのだ。

これだけならば優勢のように思えるかもしれないが、この現状は防御に徹したゆえのものだ。絶え間ない斬撃、そして下手に攻勢に出れば迎撃に切り替えられる構え。今の結芽には隙が極めて少ない。

 

「あれれ? もう降参? こんなので負けだなんて言わないよね?」

 

「無論です。強さが変動するならば、力量に関係なく制圧できる方法をとれば良いだけのことです」

 

だが、それが何だ。情報など不足して当然。マニュアルなど対応されて当然。

一筋縄ではいかないことなど前提の上で戦っているのだ。この程度で明良の手札を使い切らせようなど片腹痛い。

 

「なに? また左手でガシッてするの?」

 

「ご冗談を。同じ相手に二度も同じ手を使うなど三流以下ですよ」

 

「へぇー、じゃあ文字通り綺麗さっぱり『手』をなくしちゃえばいいのかなぁ!」

 

明良は『右腕』の刃で結芽の切り下ろしを防ぐ。だが、それだけでは終わらない。瞬間的な打ち合いならともかく、御刀との鍔迫り合いはノロで構成された『腕』では相性が悪い。

御刀の刃が食い込み、『右腕』を割る。このままでは『右腕』ごと身体を真っ二つにされかねない。

 

「……言ったでしょう」

 

「……!」

 

空いている『左腕』。その掌から数十の突起が出現する。直感的に攻撃を悟る結芽だが、明良の方が速い。

突起の一つ一つが弾丸となって結芽の全身に叩き込まれる。衝撃に耐え切れなかった結芽の身体は数メートルほど弾き飛ばされる。

 

「力量に関係なく制圧できる方法をとればいい、と」

 

地面に仰向けに倒れ、写シを剥がされた結芽に言う。

 

「私が作ることのできる形状は『右腕』と『左腕』だけではないのですよ。剣士の方々からすれば、飛び道具使いは軟弱者かもしれませんが」

 

「……っ、このっ!!」

 

結芽は勢いよく起き上がり、横凪ぎに御刀を振るう。だが、怒りに任せた大振りでは明良には当然掠りもしない。

 

「退いては如何ですか? 見逃しますよ」

 

「……やだ」

 

「では、痛い思いをしていただきましょうか」

 

『左腕』を突き出し、弾丸を作る。次弾発射に移った。

だが――

 

「……!?」

 

左肘から先が無くなった。いや、切り落とされたのか(、、、、、、、、、)

 

「ハアッ!」

 

「くっ……」

 

素早く後退し、襲撃者から距離をとった。すっぱりと切り落とされた左腕の断面からは瞬時に新しい腕が生えた。

 

「……これは驚きました。まさか貴女までいらっしゃるとは」

 

褐色の短髪、長身。凛々しく、中性的な顔立ち。服装が違えば騎士か王子と思えるような容姿。

 

「お久し振りですね、獅童さん」

 

「……意外そうだね、黒木明良」

 

折神家親衛隊第一席、獅童真希。細められた眼で此方を睨む彼女がそこにいた。

 

「これは不覚でしたね。燕さんに気を取られていました」

 

普段なら真希の接近に明良が気づかないことなどない。結芽に対して全神経を尖らせすぎていたからだ。それぐらい、明良にとって結芽は油断ならない。

 

「それは結構なことだ。君の左腕はもうない。次はもう片方を貰うぞ」

 

「恐ろしいことを……しかし、私ごときに親衛隊のお歴々が躍起になるとは、余程時間を持て余しているようですね」

 

挑発混じりに言うが、真希は真剣にそれを一蹴する。

 

「残念だが、これは重要な任務だ。紫様から君を捕らえるよう命じられた」

 

「ま、待ってよ、真希おねーさん! この人は私が――」

 

結芽が真希の乱入に抗議するが、真希はそれも許さない。

 

「結芽、今はそんなことを言ってる場合じゃない。紫様からの命令だ」

 

真希は明良との距離をジリジリと詰める。

 

「以前、夜見と結芽を退けたのは君だろう?」

 

「何のことでしょうか?」

 

「とぼけても無駄だ。君が相当な使い手だとは調べがついている。だが、いくら何でも僕と結芽の二人を相手に勝てると思うのかい?」

 

「……」

 

これは真希の考えが正解だ。片方だけならともかく、親衛隊を二人同時に相手取れば敗北はほぼ確定。再生能力を持つ明良とて無敵の超人などではないのだ。

 

「そうですね、ここは大人しく――」

 

明良は新しく生えた左手とノロを解除した右手を頭の上に挙げる。

降伏と取った真希は僅かに警戒を解き、御刀の剣尖を下げる。

 

「一時撤退としましょうか」

 

明良の視線は彼女たちではない。真希の後ろの地面――切り落とした『左腕』だ。

 

「真希おねーさん! 後ろ!」

 

『左腕』が真希の身体を背後から掴もうとするが、結芽は知っている。かつて自分が敗れた際に彼が使った手口だ。

 

「……!」

 

結芽の叫びに振り返った真希は自身に迫る明良の『左腕』を御刀で払った。切り伏せられた『左腕』は生身の左前腕とノロに分離し、ノロの方は周囲に飛散する。

 

「これが奥の手かい? 随分とお粗末だね」

 

真希は吐き捨てるように明良に言うが、明良は余裕の表情を崩していない。

 

――計画通り。

 

「お粗末なのはどちらでしょうね?」

 

「何を……」

 

真希が怪訝そうな表情になるが、まだ気づいていない。

先程飛散したノロが、どうなったのか。

 

「なっ……!」

 

「ええっ?」

 

数十、数百に飛散したノロは互いを結ぶように無数の点同士を繋ぎ合わせ始める。一秒もかからずに真希と結芽の周囲に半球状のノロの網が完成した。極めて目が細かく、指が入るか入らないかくらいの隙間しかない。

 

「こんなもの!」

 

真希も結芽も網を破ろうと御刀を振るうが、傷がつくだけで切断には至らない。

 

「そう簡単には行きませんよ。そういう風に作ってありますので」

 

この網は『右腕』のように硬化させてある。さながら鎖帷子のように大抵の斬撃は弾いてしまうのだ。これで暫くは時間が稼げる。

 

「では、ごゆっくりどうぞ」

 

「くそっ! 待て、黒木!」

 

「もー、こんなのズルいよ!」

 

明良は踵を返すと全速力で駆けて行った。




次回もちゃんとバトルですんで!

質問、感想はお気軽に!(*´∀`)つ


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第29話 それでも私は

今回の真希の話のくだりは私なりの推測です。偏見やら勝手な想像も含まれてるのでご注意を。

真希ファンの方はちょい注意かもです。


「何処だ……一体……」

 

獅童真希は並び立つ木々の間を走り抜けながら周囲に目を巡らせていた。何とか網を破って脱出したはいいが、肝心の明良の姿は森の中へと消えていた。今は結芽と別れて森の中をしらみ潰しに探している。

以前ならば別の部隊と協力して人海戦術で捜索に当たっていたが、今回からはそうはいかない。彼は単身で夜見だけでなく結芽すらも退けるほどの相手だ。数に任せての作戦はいたずらに人的被害を拡大させるだけだろう。しかも、今回の任務は紫からの直々の命令。何としても親衛隊を取り仕切る立場の自分が成し遂げなければならないことだ。

 

「そうだ、失敗は許されない。あの男を逃がすわけには……」

 

「それは、此方の台詞です」

 

「……!?」

 

突然浴びせられた声に真希の足が止められる。間違いない。今のは明良の声だった。

しかし、姿は……ない。

 

「……いいか。警告しておく。今なら、大人しく出向さえすれば手荒な真似はしないでおくよ。さあ、姿を見せろ」

 

やや怒気を強めて周囲に響くように言う。声が木々の、その枝の間を潜り抜けていく。相手にも届いているはずだ。

だが、一向に現れる気配はない。

 

「……」

 

彼のことだ。また不意打ちや罠を仕掛けてくるに違いない。

真希は近くの木に寄りかかり、背中側からの攻撃を防ぎつつ、左右と正面、頭上を見渡す。

 

「……っ! おい、いい加減にしろ。早くしないと――」

 

挑発のつもりで放った言葉。それが最後まで続くことはなかった。

 

「がっ……」

 

視線の外。前後でも左右でも、そして上でもない。真希の足元――地面の中から突如として突き出てきた一本の槍が写シを貼っている真希の腹部を貫通した。

槍が引き抜かれ、写シが剥がれる。その場に膝をつきそうになるが、気合いで抑え込んだ。

 

「大したものですね」

 

声と共に槍が液状に変化する。そして、姿を現した男の右の掌の中へと吸い込まれていった。

言わずもがな、明良のことだ。

 

「普通ならば、今の一撃で戦闘不能になっていてもおかしくないんですが……少し驚きました」

 

「……黒木」

 

胸元を押さえる。写シを貼っていても痛みを感じないわけではない。痛痒が身体には残っている。

真希は敵意を込めた視線で明良を見つめるが、明良は気にする素振りすら見せずに話を続けた。

 

「まだ続けますか? 貴女では私には勝てませんよ」

 

「今のは油断しただけだ。それに、勝てる勝てないはわからないだろう? キミに恨みはないが、斬られることは覚悟しておいた方がいい」

 

「その刀――荒魂まみれの棒切れで、ですか?」

 

聞き捨てならなかった。今この男は何を言った? 真希の御刀を、数々の危難を潜り抜けてきた相棒、薄緑を荒魂まみれだと?

 

「貴様、今何と言った?」

 

「聞こえていたでしょう? 荒魂まみれ……ノロを体内に取り込み、荒魂の力を利用した影響が御刀に出ています。今の貴女のそれは魔を祓う神聖な武器ではありませんよ」

 

「何故そんなことがわかる?」

 

「わかりますよ。少なくとも、私は貴女方よりもノロや荒魂について理解しています。その力に……肩まで浸かっていますから」

 

真希は御刀を握る手、そしてその先の御刀の柄頭から鋒までを流れるように見る。見た目には全くわからないが、今の明良の言葉のせいなのか、心なしか自分の御刀にぼやけたような、くすんだような雰囲気が感じられた。

だが、そんな感覚は首を激しく左右に振って消し去った。

 

「貴女方は使いこなせもしない荒魂の力を使っておいて、その上で自分は清廉潔白な刀使であると(のたま)う。それだけでなく、刀使としての責務や使命を全うしようと戦う可奈美さんたちを逆賊として葬ろうとしている。貴女はそれがおかしいとは思いませんか?」

 

「……黙れ、そんなことはわかっている。キミが言っているのは綺麗事だろう」

 

真希は抑え切れない怒りを露にしながら一蹴する。だが、明良は気にせず捲し立てた。

 

「わかっていながら悪事に荷担しているのですか? 貴女は話の通じる方と思っていたのですが……失望しましたよ」

 

「仕方ないだろう!」

 

真希は叫んだ。目の前の男――正面からはっきりと自分の気に入らないこと、どうしようもないことに突け込んでくる男に。言い聞かせるように叫んだ。

 

「如何に大義を掲げても出来ないことがある、力が無ければ負けるんだ!」

 

「………」

 

「荒魂は今も昔も人々を苦しめている! 対抗するには、手を汚してでも力を手に入れ、世の中を変えなければならない! 違うか!?」

 

元々のダメージと叫んだ反動で息切れがしてきた。真希が息を整えている間、明良の出方を伺っていたが、意外な形となっていた。

 

「それが……」

 

明良は興味をまるで示さない、関心を失った表情で真希を見つめ、告げた。

 

「荒魂を受け入れた理由ですか?」

 

「……ああ」

 

何が言いたい? 憤りや不満をぶつけてくるつもりか?

 

「くだらないですね」

 

「……何だと?」

 

一度ならず二度までも。明良の言葉に明確な怒りを覚えた。

自分の決意を、信念を否定するのか。何故そうまでして。何が彼をそうまでさせている。

 

「力で人々を屈伏させ、自分達が正義だと主張すればそれが正義。貴女はそんな一銭の価値もない正義のために己の凶剣を振るい、罪なき人々を苦しめようとしている」

 

「だから、それが綺麗事だというのが何故わからない!? 荒魂による被害を防ぐためにはこうするしかない! ここで犠牲になる僅かな人間と、これから助けることのできる大勢の人間、どちらが大切かなんて火を見るより明らかじゃないか!」

 

人類が何度も為してきたことだ。時代が移り変わり、平和な世になるまでには世俗の影で夥しい量の血が流れている。その悲劇を潜り抜け、生き抜くことで平和が生まれるのだ。

これはその一歩。変革のために必要な対価だ。

 

「……たとえ何百という人を手にかけようと、後にそれより多くの人を助けられればそれでいいと?」

 

「……そうだ」

 

「それならば、私は貴女方の行いを絶対に看過することはできません」

 

「数の問題じゃない、全員救うとでも言うのかい?」

 

子供の言い分だ。二つを選ぶよう言われても両方欲しい。平坦で短い道を歩きたい。楽して大金を得たい。

思ったよりもこの男は理想主義なのか。

 

「言いませんよ」

 

しかし、あっさりと言い放たれた言葉は真希の推察を簡単に打ち崩した。

 

「私は神様でも、英雄でも、主人公でもありません」

 

自らを嘲るように笑いながら明良は言う。

 

「それでも私は、舞衣様に仕える執事です。執事にとって、命を賭して主をお守りすることは絶対の使命」

 

単純で、一瞬疑問符を浮かべざるを得ないような答え。だが、今の真希には自然と胸に落ちていた。

 

「貴女方を見過ごせば、舞衣様だけでなく、そのご友人やご家族、周囲の方々にも命の危険が及びます。そんな愚行を見過ごす理由など、世界中の頭脳をかき集めても思い当たりませんよ」

 

「そこまで……キミは、柳瀬舞衣が大事なのか」

 

当然浮かんだ素朴な疑問について聞いてみた。明良は「はい、当然でしょう」と間髪入れずに答える。

 

「それから、貴女は根本的な間違いを犯しています」

 

「なに……?」

 

「手を汚してでも力を手に入れ、世界を変えなければならない、と仰っていましたね?」

 

「……それがどうした」

 

「自分なら世界を変えられると、本気で思っているのですか?」

 

何のつもりだ。今度は何が言いたい。

 

「変えられませんよ」

 

「……は?」

 

「誰であろうと、どう足掻いても、どんなに策を弄しても、世界は自分の思い描いた形には変えられない」

 

哀しげに明良は告げる。

まるで、知っているかのように。

 

「世界は、個人がどうこうできるようにはなっていませんし、そうあってはならないものです」

 

惑わされるな。口車に乗せて此方の同様を誘っているだけだ。

そう頭では意識しても、身体は明良の言葉に集中してしまう。

 

「仮に貴女が我々を始末して、一人の犠牲者も出さずに荒魂を駆除できる世界を作ったとします。そうすれば、次は別の敵に刃を向けることになるでしょうね。戦争、圧政、貧困、疫病、天災。その気になれば世界を変えられると知った方々です、いくらでも周囲に被害を撒き散らし、同じことを繰り返すことでしょう。そうなっては、世界には平和や秩序など永遠に訪れない」

 

「何を……言って……」

 

「強大な力を振るって、他者を支配する。それが誰からも咎められなければ、その味を占めることになります。二回目に走らない方が不思議だとは思いませんか?」

 

「……そんなものは、キミの憶測だ」

 

弱々しく反論するが、明良に切り捨てられる。

 

「憶測ではありませんよ。十分に考えられる可能性です。現に貴女は今、道を踏み外しかけています。単純な解決方法があることに気付かず、間違った道に半身を潜らせてしまっている。そんな方の言い分を信用できるとでもお思いですか?」

 

「単純な解決方法……だと? そんなものがあるわけが――」

 

ない、と言うよりも早く明良は遮るように言葉を紡ぐ。

 

「貴女にはいないのですか?」

 

「……誰がだ」

 

「大切な人……心の拠り所と呼べる人はいないのですか?」

 

胸が痛んだ。明確な理由はわからない。が、この痛みが偶然や錯覚ではないことだけはわかった。

 

「それは……」

 

「いない、とは言いませんよね?」

 

初めて、明良は真希に微笑んだ。普段の作り物めいたものではない。恐らく、本気で笑っているのだ。

 

「貴女は荒魂を斬り、人を助けるために刀使になった。しかし今は、人を助けるために人を斬り、人類の抹殺を目論む荒魂に助力をしている」

 

「人類の抹殺……だと……」

 

わけがわからなくなった。人類の抹殺を目論む荒魂? 一体誰の話だ?

 

「貴女が今の方法でしか『刀使』で居続けられないのならば、貴女はノロを受け入れるべきではなかった。そうすれば……誰かと一緒に(、、、、、、)考えることもできたはずです」

 

明良は一度目を閉じ、軽く息を吸った後、『左腕』を形成する。

 

「獅童さん……正直、貴女と――親衛隊の方々と戦うのは精神的に疲れるんです。ですから、いい加減に終わりにしましょう」

 

「黒木……僕は……」

 

「おやすみなさい」




明良、ブーメランが刺さってるよ……書いてる途中で実感が増した。明良は自分のやってることも自覚した上で……ですからね。マシなんだか余計に悪いんだが……
次回もバトルの続きやります。とりあえずバトルはそろそろ一区切りつけたいですね。それではまた。

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第30話 破壊

またもや私なりの補完が入ってます!
もう何か世界線の違いとか何とかと考えておいてください。正直物語に影響するようなものではないので。


「むぅー」

 

燕結芽は森の中を歩き始めて数十分、その時点で精神的に億劫になり、唸り声を上げる始末となっていた。

別れて明良の捜索に当たった真希からも音沙汰はないし、肝心の明良本人も見当たらない。もしかすると逃げられた可能性もある。

 

「こんなんじゃ、私のすごいとこ……みんなに見せらんないじゃん……」

 

無意識にそうぼやいていた。衛藤可奈美、糸見沙耶香、折神紫、自分の強さを証明できそうな刀使とは刃を交えた。が、あの青年――黒木明良はそのどれとも違った。前述の三人のような天性の素質や鍛練によって培われた実力とは違う。

勝つことに特化した悪意と執念の強さ、今まで戦ったことのない種類の相手だ。勝ちたい。勝って自分の方が上だと知らしめてやりたい。

改めて胸に思いを秘めたところで結芽のポケットの携帯端末が震え、着信を知らせる。

 

「……? 電話だ、真希おねーさんかな?」

 

結芽は携帯端末の画面を確認する。電話の発信者には『獅童真希』という表示が。結芽は応答のアイコンを押し、電話に出た。

 

「もしもし、真希おねーさん?」

 

『結芽、僕だ。今、黒木と交戦中で……すぐに来てくれないか』

 

真希の少し切迫したような声が通話口から耳に届く。その内容に結芽は眼を輝かせた。

 

「え、ホントに!? どこどこ、私も行く!」

 

『僕の端末の位置情報を探ってくれ。僕がしばらく時間を稼いでおくから、なるべく早く合流しよう』

 

「わかった、すぐ行くね!」

 

結芽は即座に通話を終了させると、真希の携帯端末の位置情報を確認する。ここから南東に数十メートルの場所だ。結芽は一目散に駆け出し、目的地を目指す。

 

「みっけ!」

 

視線の先、大木にもたれ掛かって半分だけ見える真希の後ろ姿があった。結芽は抜刀しつつ写シを貼り、真希の近くへ駆け寄って声をかけた。

 

「来たよ、真希おねーさんっ!」

 

結芽は真希の背中に左手を置く。凛とした声が返ってきた。

 

「ご苦労様、結芽」

 

「……え?」

 

だが、その声は明らかに目の前の真希から発せられたものではないとわかった。真希は木にもたれ掛かった状態で気を失っているからだ。

声の飛んできた方向は――上だ。黒い影が空から迫り、結芽を狙う。

 

「くっ、このっ!」

 

結芽は突き立てられる剣を御刀で防ぎ、軌道をそらそうとした。だが、反応が遅れたせいで相手の剣の刃が左腕に触れ、そのまま大きく引き裂かれた。

結芽は身体をひねって相手を後方に追いやる。相手は地面を二転三転しながら受け身を取り、立ち上がる。

 

「どーいうことかな……何でおにーさんが」

 

「そこまで不思議ですか? これが」

 

目の前の青年は不敵に笑いながら結芽に問う。結芽にはその光景が、今のこの状態が異常でならなかった。

 

 

 

「……何でおにーさんが真希おねーさんの声で(、、、、、、、、、、)しゃべってるのかな……?」

 

 

 

「ああ……」

 

青年は――明良は、音楽機材の調整でもするかのように自分の喉を何度か指で押す。

 

「ん……ごほっ、ごほっ……これは戻すのも大変ですね。それに、複製も容易くはないようですし」

 

明良は何度か咳払いをし、声を調整する。先程まで真希の凛々しく力強い女性の声を再現していたが、やはり少々疲れるものがあったようだ。段々と元の声に近づいていった。

 

「わけわかんない……びっくり人間みたい」

 

「元々、声真似は得意な方でして。何度か声を聞くことさえできれば、ある程度のものは再現可能です。肉体の形状変化の応用ですよ。ああ、獅童さんのことはご心配なく。あと数時間もすれば意識が戻りますので」

 

「じゃあ、もしかしてさっきの電話は……」

 

「ええ、私が獅童さんの携帯から掛けていました。思いの外、簡単に引っ掛ってくれたようで安心しました」

 

喉元に左手で触れ、声を完全に元に戻した。その確認をした後、『左腕』を纏う。

 

「でもさ、それも失敗しちゃったよね? おにーさんらしくないなぁ」

 

「私らしいというのが何なのかは知りませんが、失敗とは何のことです?」

 

明良は『左腕』の人差し指を結芽に向ける。

 

「成功、していますよ?」

 

「……? 何言って……」

 

結芽は思わず頭に疑問符が浮かんでしまう。先程の不意討ちは結芽にとってせいぜい手傷がいいところだ。戦闘続行には大した支障にはならない。

それなのに、彼は何故ここまで自信ありげに指差しをしているのか。結芽に向かって。

 

「え……」

 

結芽の視界の右端を光沢のある粉末状の何かがふわりとよぎる。反射的に目を向けると、信じられない光景があった。

 

「うそ……」

 

結芽の右手に握られる御刀が、その刀身から綻びが生じ、そこから粉々に散っていく。やがて大きな亀裂が走り、御刀の真ん中を横に割っていった。

 

「現実ですよ。貴女の命綱は、もう断ち切られています」

 

結芽は悟った。明良の指の指し示した場所は結芽本人ではない。結芽の握る御刀――ニッカリ青江。

 

パキィン。

 

刀身に走った亀裂が広がり、硝子が割れるような音と共に御刀が真っ二つに折れた。

 

「……っ!」

 

御刀が折れた。にわかには信じられないことだが、それが実際に起こったのだ。

そして、刀使にとってそれがどれだけ大きな問題かなど言うまでもない。結芽の身体に貼られていた写シは御刀からの神力が消失したことで解除される。

 

「……! ぐっ……げほっ、ごふっ……」

 

だが、結芽にとってはそれだけではなかった。御刀を握る手から力が抜け、近くの木に背中を預けた。

それでも収まらずに、喉からせり上がってくる液体を耐え切れずに口から吐いてしまう。真っ赤な鮮血だ。思わず口元を押さえていた手も血に塗れ、溢れた分が地面に染み込んでいく。

 

「はぁ……はぁ……っ」

 

立っていられない。ずるずると手を引かれるように地面に身体が落ちて木を背にして座り込む。

 

「………」

 

明良は何も言わずに結芽に歩み寄り、『左腕』で身体を木ごと掴み、『右腕』で結芽の顔の右側の木の面に突き刺してきた。

 

「なんで……こんな、こと」

 

「やはり、知らないようですね」

 

明良は無表情で淡々と言う。

 

「御刀は破壊できるんですよ」

 

御刀はいくら乱暴に扱っても壊れることなどなかった。せいぜい簡単な手入れ程度で、こんな風に真っ二つに折れるなど聞いたこともない。

 

「ノロを体内に投与した刀使は、肉体だけでなく使用する御刀にもノロの影響が出ます。人体と融合させるように改良した弊害でしょうね。そして、その影響は荒魂の力を使わずとも起こり得るものです」

 

放り出してしまったニッカリ青江を見る。見た目ではなんともないが、明良の言っていることが嘘とも思えなかった。

 

「ノロの纏わりついた御刀は、言い換えれば別々の薬品を混ぜた試験管の様なものです。その非常に不安定な状態の物質に外部から刺激を加え、均衡を崩せば、たちまち自壊する」

 

「じ……かい……」

 

「とは言っても……私も無事では済みませんが」

 

明良の『右腕』の刀身がボロボロと溢れ、ノロに戻って地面に滴り落ちる。明良は気に食わなそうに元に戻った自分の右の掌を見つめる。

 

「条件が揃ってもこれほどの負担がかかるとは……一日に一回が限度でしょうね」

 

結芽は大人しく話を聞いていたが、何か口を出そうと息を吸い込む。しかし、丁度血が喉に溜まっていたせいか激しくむせてしまい、血を何度も吐き出した。

 

「ごほっ……ごほっ……あ、あぁ……」

 

頭がボーッとする。未だに明良の『左腕』に掴まれているが、その感覚も薄くなっていた。

正面を向くと明良が相変わらず無表情で聞いてきた。彼の頬にも結芽の血が飛んでいたが、気にしていないようだ。

 

「……聞いてはいましたが、予想より重いようですね。貴女の病は」

 

「しっ……てるの?」

 

「ええ、調べましたから」

 

あっけらかんとした態度で言い放つ明良。真希や寿々花からも自分達の正体について気取られているかもしれないと通達はあったが、こんなことまで知られているとは思わなかった。

 

「刀剣類管理局の極秘研究について調査していた際に、並行して親衛隊の方々の調査も進めていたんです。獅童さん、此花さん、皐月さん、そして、貴女について。ですから、私は貴女方四人の経歴や性格を知った上で対策を立てることが出来たんです」

 

これも恐らくハッタリではない。現に彼はこうして真希や結芽の手の内を読んで制圧することに成功しているし、結芽の病についても驚きなど微塵も見せなかった。最初から知っていたのだ。

 

「燕さん、貴女が荒魂を受け入れた理由もわかっています」

 

そうして、彼は語り始めた。結芽の始まりと、その歴史を。

 

「貴女は今から三年前、九歳という若さで御刀に認められた。そして僅かな期間で天然理心流を修得し、剣腕を振るった。その実力は他の追随を許さないほど卓越しており、神童と謳われるほど」

 

――なつかしい……

 

結芽は明良の言葉を心の中で繰り返し、そのときの光景を、音を、昂揚感と達成感を思い出していた。

楽しかった日々だ。周囲から認められ、期待され、これから待つ数多くの未来を謳歌できる。

 

「その話を聞きつけた相楽学長によって、綾小路武芸学舎中等部に飛び級で入学。後には御前試合優勝、親衛隊入りもほぼ確定していたとか」

 

――うん、そうだったなぁ……

 

正式に刀使の学校に通えると決まったときは本当に嬉しかった。もっと強くなってたくさんの人達に知ってもらいたい、輝かしい姿を見てもらいたい。

そう思えていた(、、、、、)のだ。

 

「しかし、その入学式の日に状況が一変した」

 

――やだ。

 

聞きたくなくなった。怪談から逃げる子供のように結芽は弱々しく首を曲げて顔をそらした。

だが、明良は構わず続ける。

 

「突然、原因不明の病に発症した貴女は入院生活を余儀なくされた。病によって内臓の機能が低下、筋肉が硬直して日常生活もままならなくなった。治療方法も見つからず、貴女はベッドの上で余命一年を宣告された」

 

――言わないで。

 

結芽は声も出さずに心の中で抵抗する。明良はそれを知ってか知らずか躊躇なく核心へと近付いていく。

 

「当然、貴女は御刀を振るうことができなくなり、それを知った周囲の人々は手の平を返すように貴女に関心を無くしていった。そして、病床で死を待つだけだった貴女の元に現れたのが、折神紫だった」

 

今でも鮮明に思い出せる。あの日からもう一度、燕結芽という少女の終わりかけていた人生に光明が見えたのだ。

折神紫に出会った、あの日から。




ちょっと長くなりそうなので一旦ここで切ります。次回は一気にバトル終了まで行きますね!

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第31話 選択肢

少し遅れてすいません。手間取った分は中身でカバー! です!


「……けほっ……けほ……」

 

寝返りを打つのも疲れるほどだった。結芽はもう何ヶ月も病院のベッドの上での生活を続けている。

両腕はまともに上がらない。両足は自分の体重を支えられない。御刀を握って振り回すなどもっての他だ。

頭は真っ白で複雑なことは考えられない。肌は触れている物の感覚を教えてくれない。意識が朦朧として寝ているのか起きているのかさえわからなくなった。

 

「パパ……ママ……たすけて」

 

うわ言のように口から漏れた救いを求める声。無情にも、切に願われたその言葉に答えるものはいなかった。

 

「……いない」

 

もう諦めたことだ。病室には結芽以外誰もいない。

強いて言えば、綾小路の相楽学長が花瓶の花を替えに来たり、定期的に看護師が医療器具や部屋の掃除などの手入れに来るくらいだ。ノックが二回鳴らされ、見飽きた顔の看護師が入室してきた。テキパキと手慣れた動作で仕事をこなしていく。

ふと、片方の看護師が病床の結芽を見ながら言った。

 

「この子……ご家族は来てないの?」

 

「ええ……入院してすぐの頃は二、三回来てたんだけど。もう全然ね」

 

その通りだ。結芽の両親は入院が決まり、結芽が病院のベッドでの生活が始まって三日目から一度も来ていない。

三日目とは、結芽の病を治療することが不可能だと医師から説明を受けた日だ。つまり、理由は明白。あの二人は結芽を見限ったのだ。

両親は結芽が綾小路武芸学舎に飛び級で入学が決まったとき、誰よりも喜んでいた。結芽よりもだ。結芽は両親の喜びように疑問を抱かなかったわけではないが、自分を祝福してくれることへの感謝で気にすることなどなかった。

今なら説明がつく。あの二人は結芽が好きだったわけではない。『天才の刀使という肩書きを持つ我が子』が好きだっただけだ。肩書きを失った今の結芽に用などあろうはずもない。

 

 

――そうだ。誰も今の私なんて必要としてない。

 

「選ぶがいい」

 

声が聞こえた。

もう数えるのも億劫になるほどの月日を同じ体勢で過ごしていたときだった。それは夢か、現か。

伏した結芽を見下ろしながら問い掛けてくる女性の姿がった。腰まで伸びる黒い長髪に鋭い眼、腰に差した二振りの刀。

一目で誰なのかは見当がついた。だが、今の結芽は声も出せない。

 

「このまま朽ち果て、誰の記憶からも消え失せるか」

 

彼女は握った左手を結芽に差し出す。ゆっくりと開かれたその掌中には赤黒い液体で満たされたアンプルがあった。直感的にわかった。

これは荒魂だ、と。

 

「刹那でも光り輝き、その煌めきをお前を見捨てた者達に焼きつけるか」

 

酷く甘美で、魅力的な、結芽の切望に対する最大限の提案だったと言えるだろう。

ここで終わりじゃない。これからを切り開いていける。たとえ一瞬であっても、自分の生きた証をこの世界に刻みつけ、誰かの記憶の中で行き続けられる。

 

――私のすごいとこ……見せられるんだ……

 

結芽は力なく笑うと、震える手で彼女の――折神紫の手に自分の手を重ねた。

 

 

※※※※※

 

 

「貴女は荒魂の力を取り込み、回復に成功した」

 

明良は一通りの説明を終える。結芽の身体を掴んでいる『左腕』の力を緩めることなく、問い質すように彼女に言う。

 

「しかし、その回復も一時的なもの。ノロとの不完全な融合では貴女の病は完治には至らず、さらに事態を悪化させてしまった」

 

結芽自身も気づいていたことだ。だが、それでも認められなかったのだ。日に日に衰えていく身体も、持続しない体力も、気のせいだと目をそらしていた。

 

「獅童さんたちのような健康な刀使ならば、ノロによる浸食の影響はある程度は無視できるかもしれません。ですが、貴女のような病弱な方の肉体への負担は計り知れない」

 

結芽はまた血を吐いた。もう息をするのさえ辛い。

 

「今の貴女はノロが無くては生きていけない。そして、そのノロが貴女を殺そうとしている」

 

――なに、それ……

 

もう何も考えられない。死刑執行人の斧が振り上げられ、今か今かと結芽の死を待望している。そんな状態でどうやって正気を保てと言うのか。

 

「仮に貴女が私と戦うことがなくとも、貴女の命は残り数日ほどしかありませんでした。そして、御刀を破壊されたことで抑えられていたノロの浸食が加速した。今の貴女に残されている時間は……一時間もないでしょう」

 

「……あ」

 

断崖絶壁。絶望的としか言えない余命宣告だ。

結芽は徹底的に戦意を奪われ、人形のように瞳から魂が抜けていく。

 

「ですから、燕さん」

 

だが、天へと浮かび上がっていくその輝きを引き止める声があった。

 

「私が貴女に新しい選択肢を与えます」

 

「………」

 

結芽は何も言葉を発することなく視線だけで応じる。彼の言う『選択肢』とやらが何なのか、縋るような気持ちで続きの言葉に耳を傾けた。

 

「私の細胞を取り込めば、ノロの穢れを無効化できます。そして、再生能力によって病を回復させ、命を繋ぎ止められる」

 

明良はそう言って右手を結芽の力なく垂れ下がった左手に置く。

 

「とは言っても、必ず成功するとは限りません。貴女の生きる意思が折れれば、ノロの浸食が全身に回って貴女の命は蝋燭の火のように吹き消される」

 

結芽はようやく開くことのできた唇でたどたどしくも言葉を紡ぐ。

 

「いき……られる?」

 

「ええ。貴女がそれを諦めなければ、ですが」

 

「な……んで?」

 

「はい?」

 

「たすけて……くれる、の?」

 

「…………ああ」

 

結芽は思考の巡らない頭に浮かび続けている疑問がどうしても腑に落ちず、思わず質問していた。

明良は思い出したように、そしてバツが悪そうに答える。

 

「獅童さんには少しだけ話しましたが……私は親衛隊の方々と戦うのは精神的に疲れるんです。まるで………」

 

明良は小さくため息を吐き、結芽を哀しげに見つめる。

 

「自分を見ているようで、嫌気が差してしまいますから」

 

よくわからなかった。結芽はモヤモヤと曇った考えを晴らしたくなり、質問を重ねる。

 

「じぶん……って……?」

 

「そのままの意味ですよ」

 

素っ気なく答える明良。

 

「自分の目的のために強さを求める獅童さんも」

 

明良の眼が細められる。

 

「慕っている方の傍に立って支えたいと願う此花さんも」

 

明良が強く歯軋りをする。

 

「自らの恩人のために忠を尽くす皐月さんも」

 

明良の唇が震える。

 

「家族や周囲の人々から切り離されて孤独と不安に苛まれていた貴女も」

 

明良が、結芽を見る。

 

「見ていたくないんですよ、私は」

 

今までは飄々と笑っていたり、淡々と相手を詰問するような態度だった彼が見せた表情。嫌悪感、悲壮感の入り交じった、はっきり言って人間らしい表情だった。

 

「親切心でも、同情でもありません。気に入らないだけです。貴女は舞衣様の敵ですから」

 

「あは、は……」

 

結芽は不覚にも苦しげに笑う。今まで幾重もの仮面に隠れていたこの青年の素顔――その一片かもしれないが、見ることができた。

 

「ですが、あの方は敵であろうと人が死ぬことを善しとはしません。今から私が言う言葉は、あの方に免じてのものです。尤も、どちらを選ぼうと貴女の意見を尊重します」

 

明良は結芽の左手に乗せている右手の力を強め、固く握る。そして、毅然とした態度で結芽に問い掛けた。

 

「選んでください」

 

それは、結芽にとっては確実に初めてのことだ。結芽はこの青年からこんな問い掛けをされた経験などない。

しかし、結芽を見つめる彼の表情や仕草、言葉遣いは何者かを彷彿とさせるものだった。

 

「不満と後悔を残したまま歩みを止め、残された人々の心に悲しみを焼きつけるか」

 

かつて地獄の淵に佇んで生贄の順番を待っていた自分の前に現れた彼女。そのお陰で死から離れ、栄光と力を取り戻した自分。

再び死に足を掴まれ、藻掻き苦しむ自分に示されたのは全く違う選択肢だった。

 

「苦しくともこれから立ち上がり、誰かと共に人生を歩んでいくか」

 

折神紫(過去の選択肢)黒木明良(現在の選択肢)と重なって見えた。

 

――紫さま……

 

違う。紫の作った道を明良は完膚なきまでに破壊し、別の道を作った。

紫が手を差し伸べたとするならば、明良は強引に手を取ってきたのだ。

有無を言わせない強引で狡猾な手口。決して優しさではない。詐欺や奸計と言っても良いほどだ。

 

――でも、嫌じゃないなぁ……

 

騙されたとしても、結芽には関係なかった。結芽は一瞬の煌めきでも、後世に残る輝かしい栄光でもない。

 

 

「私……生きたい……」

 

 

結芽は微笑んで明良の右手を握り返した。

 

――これなら、私のすごいとこ……もっと見せられるじゃん……




やっぱり、結芽には死んでほしくない……
彼女が生きられる世界線があってもいいんじゃないでしょうか。

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第32話 死ねばいいのに

「生きたい……ですか」

 

明良は結芽の願いを反芻すると、彼女の身体を拘束していた『左腕』を解除する。

 

「こんな風に、素直になれたらよかったんでしょうか……私も」

 

どうしても自分と重ねてしまった。幸い、結芽はもう気を失っているため明良の独り言を聞かれることはなかった。

先程の真希との話でもそうだったが、どうにも親衛隊の面々は自分と良い部分も悪い部分も似ている。だからこそ、明良は結芽に生きるチャンスを提示したのだ。

今はこんな不毛な考えはやめよう。自分がやるべきことは別にある。

 

「何とか頑張ってくださいね」

 

明良は結芽の左腕の服を捲り上げ、前腕部を露出させる。そして、自分の右手の人差し指、その爪の部分にノロを集め、肉食獣のそれのように鋭利に尖らせる。尖った爪を先程露にした結芽の左腕に突き刺す。そこから少しずつ、身体が強いショックを受けないように調整しながらノロと融合した明良の細胞を注入していく。

 

「ぐっ……ごはっ……」

 

血が喉を通って汲み上げられ、口から勢いよく吐き出される。明良は苦しくなった呼吸を何とかしようと何度か咳払いをして気道を確保した。

これは予想以上に過酷だ。命が削られているとはこのことかと実感できる。自分の回復能力を他人に分け与えるのはそう簡単にはしてはいけないと悟った。

 

「あと……少し……まだ、耐えないと……」

 

額から汗が滝のように流れ、滴り落ちる。視界が何度も明滅し、意識を保っていられそうにない。気絶しないよう口の中に犬歯を刺す。大した痛みがないため、何度も何度も繰り返した。そうしている間にも細胞の投与は怠らない。

施術――と言うと、いささか雑かもしれないが、その最中の結芽の表情を見る。

 

「全く……安らかな顔を……」

 

子守唄を聞きながら眠る赤子とでも形容すべきか。施術中の結芽は安心しきった顔で眠っていた。仮にもさっきまで敵対していた人物に自分の命を握られているというのに。

 

――なら尚更、失敗は……できない、ですね。

 

「………よし」

 

結芽の左腕から爪を引き抜く。

 

「………っ! はぁ……はぁ……はぁ……」

 

施術を終え、集中力を切った瞬間に全身から吹き飛ぶように力が抜けた。さっきまで膝立ちだったが、それすらもできない。勢いよく地面に仰向けに倒れてしまう。

瞼が重く、全身が汗や血でベタベタして気持ち悪い。正直歩けるかどうかも怪しい。だが、

 

「………」

 

首を回して木にもたれかかったままの結芽の姿を確認する。もし施術に失敗していれば結芽の肉体は荒魂化、最悪の場合は死亡していてもおかしくない。

 

――これは……

 

結芽の失血と疲労で青白く染まった顔には僅かに血色が戻り、明良がつけた左腕の傷も塞がっていく。骨格や部位変形などの身体的特徴の変化は見られない。成功したのだ。

 

「何とか……施術……完了……」

 

明良は一息吐くと、全身の重さに抗い、その場から立ち上がる。

刀剣類管理局も、真希と結芽からいつまでも連絡が途絶したままでは応援くらいは寄越すだろう。今の明良には機動隊どころかただの刀使でも脅威だ。御刀で斬られることだけは避けなければ。本当に殺されるかもしれない。

 

「まだ……死ぬわけには……せめて、あと数日は……」

 

明良は動きの鈍った身体に鞭を打ち、可能な限りの全速力で駆けて行った。

 

 

※※※※※

 

 

『明良くん……』

 

声が聞こえる。振り返ると姿があった。

そうだ。敬愛する主の声。命を賭して守り抜くと誓った女性の、どこか不安と悲痛の入り交じった声。

 

「舞衣様、大丈夫です。タギツヒメは私が何とかします。今までも、これからも、私は――」

 

安心させようと、精一杯強気で話す。そうは言っても普段とはさして変わらない。舞衣を守ることに手を抜くことなどありえない。そんな明良に心配しつつも困ったような顔で舞衣は感謝してくれていた。

だから、今回も思ってしまったのだろう。安易に、間抜けに。また同じように反応してくれる、と。

 

『なんで……』

 

「え?」

 

『これからも、って……何でそんなこと言ってるの?』

 

舞衣は怒っていた。今まで叱責の中で怒ることはあったが、これは明かに種類が違うと確信できた。

嫌悪と唾棄。憎むべき相手に向ける敵意と殺意の表情だった。

 

「そ、その、私は……一生をかけて貴女をお守りする覚悟で……」

 

『私に――私や可奈美ちゃんたちに一生付き纏うつもり? 明良くんは荒魂だよね?』

 

明良は慌てて弁明しようとするが、それも舞衣の怒りの火に薪をくべる行為にしか繋がらない。

 

『明良くんは何の権利があってそんなこと言うの? 私のこと騙して、利用して……可奈美ちゃんや姫和ちゃんのお母さんたちまで殺して』

 

「そ、それは……」

 

反論できない。舞衣の言葉が正論だから、というだけではない。普段ならば明良が口論で完全に負けることなどありえない。どんな相手だろうと、少なからず相手に噛みつく程度のことはやってのける自信がある。何をどうやってもだ。

だが、舞衣の言葉の重みと衝撃は他の者のそれとは違う。何百、何千倍も増幅され、明良の心にのしかかる。

 

『クズだよ、明良くんは』

 

「……!?」

 

たった二文字。今までどれだけ蔑まれようが平気だと思っていたのに。前言撤回だ。大切な人からの侮蔑の言葉とはこれほど心を抉るものなのか。

 

『……優しい演技なんてしないで。私たちは、あなたの身勝手な正義のために戦いたくなんかないから』

 

「違うんです、舞衣様! 私はずっと貴女のことが大切で、貴女のために戦っていて……それは本当なんです! ですから――」

 

『私のため……?』

 

舞衣の眼が細められ、明良を睨む。そして、吐き捨てるように、害虫を踏み潰すように、肉親の仇に報復するように、彼女は言った。

 

『明良くんのことなんか、誰も必要としてないよ。死ねばいいのに』

 

 

※※※※※

 

 

「………」

 

嫌な汗が全身に回っていた。明良は暫く放心状態で動けなかった。時計を見るとまだ就寝してから三十分ほどだが、もはや眠気など消え失せている。

現在地は交戦していた森林から遠く離れた山荘。一応人の気配には常に注意を払っていたため、追っ手には問題ない。

 

「嫌な夢、ですね……」

 

額の汗を手の甲で拭う。二、三度拭うが、いくらやっても汗が吹き出てくるのでもう諦めた。

口も乾いて、喉が枯れている。かすれた声しか出ない。

 

「本当に……嫌な夢……」

 

――いや、夢と片付けていいわけでは……

 

さっきの夢の中の舞衣の言葉。明良はそれに反論できなかった。心には強い傷を負ったが、彼女の言葉は全て正しい。むしろ、自分の今までの行動を省みると優しい方だろう。蔑まれるだけで済むのだから。あれは、未来。あるいは彼女の胸中の言葉か。

 

――わかっては、いたんですがね……

 

そもそも、柳瀬家に執事として務めるようになってから、いや、荒金人となったときからこういう事態は予想していたのだ。荒金人――人ならざる者が人と生きていけるわけがない。ましてや、自分の正体を明かしてしまったのだ。

舞衣が明良のことを忌み嫌い、唾を吐くような行為に及んでも、それは当然の事。受けなければならない罰だ。

 

「そういえば……」

 

明良は念のために、自分の右手の爪にノロを集め、尖らせて左手に刺した。

 

――痛い、が、ほんの少し。

 

結芽の施術の際に僅かに痛覚が戻っていたことを思い出し、確認してみた。爪の立てられた左腕からはジワリジワリと痛みが走る。しかし、大したものではない。血が流れるほど深く刺しているにもかかわらず、痛みの程度は爪楊枝で軽くつつかれているくらいのものだ。

次に、自分の靴の裏の溝に右手の人差し指を走らせる。森や山の中を走り回ったため、指には茶色い泥が付着する。明良は躊躇することなく、泥のついた指を口に含み、舌で味わった。

 

――味は……しますね、苦い……

 

嫌な味だ。泥が美味しいなどと言う人は少数派なのは当然だが、明良にとっては味がすることに不安を感じた。

今までは全身に意識を張り巡らせているときは、痛覚、味覚が極めて鈍化する代わりに視覚、聴覚、嗅覚が鋭敏になっていた。

だが、それが崩れているということは、答えは一つ。

 

――精神状態の不安定……まさかさっきの……

 

細胞移植と先程の夢の内容のせいで心身ともにズタズタに壊れてしまったのか。

これでは、舞衣の役に立てない可能性が少なからずあるのではないか。そんなことはないと思いつつも、不安を払拭し切れない。

 

「それなら、せめて……」

 

やらなければならないことをしてから、何もかもの罪を償おう。そう明良は心に決めた。もうこの命は舞衣のため、彼女の安全のために使うと決めていたのだ。

その役割を全うした上で、その任を降りる。それだけだ。

明良は山荘を後にすると、懐から携帯電話を取り出し、番号を入力しながら下山していった。

 

――全ては、あの方(舞衣様)のためだ。

 

 

※※※※※

 

 

「! ……電話か」

 

舞草の里の襲撃から一晩明けた日。可奈美、姫和、舞衣、沙耶香、薫、エレン、朱音、フリードマン、累の九人は何とか逃げ延び、潜水艦内に身を潜めていた。

大部分の戦力を失い、活動拠点まで潰されてしまった以上、堂々と折神家と対峙できるはずがない。一旦は各々休息を取り、作戦を練ることとなった。

そんな折、自室のフリードマンの携帯電話に着信が入った。知らない番号からだった。

 

「……もしもし」

 

恐る恐るフリードマンは応答のアイコンを押し、電話に応えた。

 

『リチャード・フリードマンさんですね? 今は一人ですか?』

 

若い男性の声だ。酷く聞き覚えがある。だが、他人行儀な話し方に訝しさを感じながら冷静に返答をする。

 

「ああ、そうだが」

 

『でしたら、周囲に注意しながら聞いてください。黒木です』

 

「!」

 

声には出さなかったが、内心驚いてしまった。だが、明良とは電話番号の交換をしたはずなのに今は別の番号になっている。それが引っ掛かった。

 

「この番号、君のものと違うようだが」

 

『緊急時ですので、今は別の携帯を使っています。普段の携帯は盗聴の危険性があるので。私である証明でしたら、私の両親の名前でも言いましょうか?』

 

「いや、いい。そんな提案をしている時点で証明しているようなものだろう?」

 

『理解していただけて何よりです。では、本題に移っても構いませんか?』

 

「いいよ」

 

軽口を叩きながら電話の向こうの明良はテキパキと今までの経緯を説明した。獅童真希や燕結芽と交戦したこと、その結果、燕結芽の無力化に成功した、と。

当初は信じられなかったが、彼の論理立てた説明には確かな信憑性があった。

 

「では、君もすぐに我々と合流しよう。都合の良い合流地点のデータをこちらに送ってくれ」

 

『それについてですが』

 

「ん?」

 

明良が話の腰を折るように一言挟む。

 

『以前頼んでいた物、完成していますね? その潜水艦にあると思うのですが』

 

何の事を言っているのか見当がついた。

 

「……ああ。だが、どうして?」

 

『貴方が置いていくはずがない、そう考えるのは自然なことではないですか?』

 

「そうかな?」

 

『そうですよ』

 

明良はため息混じりに答える。

 

『指定する場所と時間にそれを持って来てください。置いたまま放置すると危険なので手渡しでお願いします』

 

「構わないが……合流するなら別にそんなことをしなくても――」

 

一瞬疑問に思ったが、明良の言わんとすることを察したため口をつぐんだ。

 

「いや、する必要がある、ということかい?」

 

『……ええ』

 

「……そうか」

 

少し重い空気が流れる。どちらともなく会話が途切れたままの時間が過ぎていき、フリードマンが先に締めに入った。

 

「では、後で時間と場所について連絡してくれ」

 

『ありがとうございます。よろしくお願いしますね』

 

それだけ言って通話を終えた。そして、首を後ろに回して後方へと視界を変える。

 

「………さて」

 

言うべきかどうか迷ったが、結局彼女については明良には言わなかった。その彼女にフリードマンは問う。

 

「それで、君はどうしたいんだい?」

 

彼女は、自分の着ている美濃関学院の制服の胸元に手を置き、結んだ黒髪を揺らしながら答えた。




明良、ネガティブ過ぎる……でも、彼の生い立ちを考えると仕方ないんですよね。報われてほしい……

当然、夢の中の舞衣は明良のネガティブな妄想です。こんなこと言う娘じゃないですから!

質問、感想はお気軽に!(*´∀`)つ


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第33話 お優しい方ですね

もしかしたらこれが2018年最後の投稿かもしれません。できるだけ頑張って年内に次のやつ上げたいですね。

あと、書いていて思いました。明良って面倒な性格なんだなぁ、と。良くも悪くも。


山荘近くの波止場。電話から一時間後に明良は待ち合わせ時間を設定し、その場所で数十分前から待機していた。

 

「………?」

 

待ち合わせの数分前に近づいたが、一向に人が現れる気配はない。どういうことだと思ったが、その疑念はすぐに払拭された。

波止場近くの海水の界面が蠢き、巨大な金属の塊が浮上してきた。当然、見ず知らずのものではない。舞草の生き残ったメンバーが逃走に使っている潜水艦だ。

艦のハッチが開き、中から一人の初老の男性が現れる。

 

「やあ、待ったかい?」

 

「……こういうときは潜水艦は便利ですね」

 

確認するまでもない。フリードマンだ。左手には金属製のアタッシュケースがある。

 

「それで、例の物は?」

 

「ああ、君が言っていたのはこれだろう?」

 

フリードマンは左手に持っているアタッシュケースを開け、明良に中身を見せる。

 

「合っているかい?」

 

「ええ、確かに」

 

中身は外見上何の変哲もない黒いスーツと革靴。アタッシュケースごとそれを受け取った。

替えの仕事服を持ってきてもらったわけではない。これは戦闘服だ。

 

「それは一体何なのかな?」

 

「使うべき場合があると思いまして、用意しておいたんです。見てください」

 

明良はアタッシュケースから背広を取り出す。左手で背広を持ったまま、剣状の『右腕』を形成し袖を切断した。数センチほど切り離された袖は円筒状のまま地面に落ちる。

 

「これは……!」

 

フリードマンは切り落とされた袖に目を奪われた。袖は微細な粉末に変化し、空気中に立ち昇る。一方、左手に持っている背広の袖口の切断面からは新しく袖が生え、最初の長さに戻る。

損傷した服が自己修復したのだ。

 

「私の毛髪や皮膚を混ぜて作った衣類です。ですから、こうして再生能力が使用できる。勿論、用途はそれだけには留まりませんが」

 

「……なるほど」

 

フリードマンは納得した様子で頷く。明良は背広をしまい、アタッシュケースを閉じる。

そして、「話は変わりますが」と話題を切り替える。

 

「私はこれから――出来れば明日にでも折神家を襲撃します。そして、タギツヒメを討つ」

 

フリードマンたちに動かれては困る。こちらの計画の大まかな内容を伝えなければならない。

フリードマンは明良の計画を聞いた途端、興味深そうに呟く。

 

「タギツヒメ……か」

 

「何か?」

 

「折神紫とは呼ばないんだね?」

 

「『あれ』を紫さんだと言うのは酷でしょう? 今の紫さんはタギツヒメに半分以上支配されています。タギツヒメが運転席で車のハンドルを握っているのに対して、紫さんは助手席で小言を言っている、そんなところですよ」

 

殺すのは紫ではない。世界を乱し、人を殺めようとしている荒魂だ。同一人物ではない。

 

「君らしいね。人と荒魂の狭間にいるからこその考え方だ」

 

「……そうですか」

 

特に嬉しくもない。誉められたかどうかは知らないが。

 

「先程の電話からご理解していただいているとは思いますが、私は単独で行動します。今回はその通達と、貴方へのお願いがあります」

 

「何かな?」

 

「このまま舞衣様たちと一緒に安全な場所に隠れていてください」

 

フリードマンは微かに動揺を見せるが、冷静な表情は崩さない。重苦しい雰囲気の中で口が開かれる。

 

「それは、戦いを君に任せて我々は避難しておいてくれ、ということかい?」

 

「そうです。既にご存知とは思いますが、長船と美濃関には警察による強制捜査が入り、我々も世間にテロリストだと公表されています。それに、日本各地に潜伏中だった舞草のメンバーも折神家から監視されている。伍箇伝も舞草も戦闘力はゼロに近い状態です」

 

数も立場も相手が遥かに上。ゆえに情報漏洩や人員削減には細心の注意を払わなければならなかったのに、それも既に遅い。こちらの詰め手を封じられたも同然だ。

 

「相手はタギツヒメだけじゃない。親衛隊や刀剣類管理局の警備員、折神家お抱えの刀使も大勢いる。君一人で勝てるのかい?」

 

「……勝算はあります」

 

ハッタリだ。正確に言えば、成功確率は三割が関の山だ。しかし、それくらいで泣き寝入りするほど臆病であるつもりはない。

 

「逐一外部の情報を精査し、私が事を済ませたことを確認できたら地上に戻っていただいて構いません。どうかそれまではご辛抱を」

 

「何故そんなことを? とは聞いていいのかな?」

 

「……詳しく言わずともわかるでしょう? 舞衣様とその周囲の方々の身の安全のため。以上です」

 

話は終わりだ。そう明良は自分の中で結論付け、踵を返す。

 

「最後に一つだけ、聞いていいかな?」

 

フリードマンからの声が背中に浴びせられ、明良は立ち止まる。無視しようかと思ったが、寝覚めが悪くなると考え、振り向いて話を聞くことにした。

 

「何でしょうか?」

 

「二十年前の相模湾岸大災厄のことだ」

 

「……?」

 

――何故今更そんなことを?

 

「僕は当時、大荒魂出現の際にノロの輸送タンカーに乗船していた。君もそうだろう?」

 

「……そうですね。そして、私がノロと融合したことが原因で大災厄が起こった」

 

「果たしてそうかな?」

 

「? 事実でしょう? 私が荒金人となったのはそのときです」

 

本当に、今更何を立証しようと言うのか。

 

「君は知っていたんじゃないのかい? たとえ君があの場に現れずとも、大荒魂が出現するはずだったとことを」

 

――……違う。

 

「………どういう意味ですか?」

 

動揺を悟られるな。そう自分に言い聞かせて当たり障りのない返事をする。

 

「あのタンカーに積載されていたノロの量は極めて膨大だった。当時はノロのスペクトラム化について詳しい研究が進んでいなかったからね。ましてや、『大量のノロを一ヶ所に集めるとどうなるか』なんて考えたくもない。でないと、あんな悲劇は起こらなかったはずだからね」

 

「……その点、私は荒金人となるためにノロに関する文献を読み漁り、知識を徹底的に研究し、独自の仮説に辿り着いていた。大荒魂出現を予期していてもおかしくはない。そう言いたいのですか?」

 

「僕の推測ではね」

 

――違う……違う。

 

「君があのタンカーに乗船し、ノロを奪った最大の目的は折神家への復讐だ。それは確定的だろうね。しかし、僕は君が無意識にこう考えたのではと解釈している。『大荒魂出現の際の被害を抑えるためにノロを奪いに来た』」

 

「……随分と興味深い……いえ、私情の入った推測(、、)ですね」

 

「けれど、十分現実味はある」

 

――今更何を……!!

 

「仮に」

 

「?」

 

「仮に貴方の推測が正しかったとして、それが何になるのですか?」

 

明良が善意でやったことだとして、それに何の意味があるのだろうか。あの災厄で大勢の人々が死んだ。美奈都と篝の死の原因となっただけではない。紫はタギツヒメに憑依され、今こうして新たな悲劇が切迫しているのだ。

 

「タギツヒメによって大勢の人々が殺害された。私が殺した――私のせいで生まれた彼女が殺したからです」

 

明良がどういう人物なのかなど被害者たちには関係のないことだ。実は善人だから許してください、など通るものか。

 

「事実として既に起こったことは覆らないんです。その推測は誰にとっても何の慰めにもなりませんよ」

 

「誰にとっても……か。僕はそうは思わないな」

 

「何を……」

 

「ここから先は彼女にバトンタッチだ。僕からの話は終わりだよ」

 

フリードマンは穏やかに笑うと潜水艦の出入口に向かって帰っていく。去り際に彼が放った言葉の意味はわかりかねたが、すぐに答えが出た。

フリードマンと入れ替わるように誰かが潜水艦から現れる。

 

「舞衣様……」

 

美濃関の制服に身を包み、御刀を携えた舞衣がゆっくりとした足取りでこちらに歩いてくる。

 

「………」

 

何か言おう。そう思ったが、ギリギリで押し止める。不用意に口を開けば今の自分が何を言うかわかったものではない。舞衣を相手に駆け引きをするのは胸が痛んだが、これも彼女のためだ。

 

「明良くん……その……無事、だったんだね。よかった」

 

「ええ、当然のことです。私はまだ死ぬわけにはいきませんから」

 

「『まだ』……なんだ。それって……」

 

舞衣の表情が激しく曇る。察してはいたのだろうが、口にされると動揺して当然だ。

 

「聞いたよ。これから折神家に行くって。明良くん、もしかして、そこで……」

 

舞衣の唇が震える。何度も口の中の空気を交換し、乾いた声で彼女は言う。

 

「死ぬつもり……なの?」

 

「……はい」

 

舞衣に顔を背けられた。明良も言うべきか迷ったが、言っても言わなくても結果は同じなのだ。ならば、言ってもいいだろう。

 

「何で……何で!? 何で明良くんがそんなこと……わかんないよ」

 

「全部、貴女のものだからです」

 

「……え?」

 

舞衣は困惑しながら目にうっすらと涙を浮かべている。それを止めようと明良は真摯に説明した。

 

「私の肉体も、能力も、財産も、尊厳も、時間も、命も、ずっと前から全部貴女に捧げているんです。私は貴女の安全のためならば喜んで命を差し上げますよ」

 

――貴女には私を殺す権利があります。

 

「タギツヒメの目的は人類の抹殺。今の折神家に戦いを挑み、敗北することは死に直結します。そんなことに貴女や貴女の大切な方々を巻き込むわけにはいかないのです」

 

「巻き込むだなんて……私たちは自分達で考えて……それで……」

 

「私が全ての元凶なんです。だから、私には一人でこの事態を収拾する義務があります。貴女方がそんなリスクを背負う必要はないんですよ」

 

姫和はタギツヒメ復讐するために今回の戦いに参加している。だが、それも義務ではない。本人の意思というだけだ。強制していいことじゃない。

死の危険性があるのに戦わせるなど理不尽もいいところだろう。

 

「ご安心ください。貴女方の身の安全はフリードマン博士に保障してもらっています。全てが終わった後で『よかった』と言えるように――」

 

「よくない」

 

「……? 舞衣様?」

 

絞り出すように口から吐き出される舞衣の言葉。明良はそれに引っ掛かりを感じた。

 

「明良くんが死んだら、もう『よかった』じゃないんだよ」

 

「いえ、そんなことは……」

 

「ないわけないよ。私は……ううん、私も、可奈美ちゃんも姫和ちゃんも沙耶香ちゃんも薫ちゃんもエレンちゃんも、他にもたくさんの人が明良くんのことを大切に思ってる。明良くんが死んで、それで喜んだりなんかするわけない!」

 

「………」

 

「私たちと一緒に来て。皆で協力して戦えばきっと別の方法が見つかるから。だから……!」

 

見たことがない彼女の姿だった。

涙目で必死に訴える子供のような舞衣。普段の物腰柔らかな雰囲気とは打って変わって、今は中学生相応の幼さを残したものになっている。それだけ真剣に明良を説得しようとしているのか。

 

『……優しい演技なんてしないで。私たちは、あなたの身勝手な正義のために戦いたくなんかないから』

 

脳裏に別の言葉が木霊する。

 

「………」

 

そうだ。勘違いするな。これは彼女の優しさだ。気を遣ってありもしない考えを言わされているだけ。そうでなければ、こんな化物みたいな男を誰が大切に思う? 誰がこんな奴に死んでほしくないと思う?

 

――期待しないでくださいよ。私にそんな権利などないんですから。

 

「舞衣様はお優しい方ですね。そのお気持ちは本当に嬉しいです」

 

嬉しいのは本当だ。舞衣が優しい人であることも。だからこそ、ここで舞衣に無理をさせるわけにはいかない。苦しみから解放しなければ。

 

「ですが、貴女にはご家族やご友人の方々……その優しさを向けるべき方々が大勢いらっしゃいます。本当に大切な方々を見失ってはなりません」

 

「な、何……言って……」

 

「一時の気の迷いとはいえ、私のような下劣な者に気を遣っていただいたことは本当に感謝しています。私はそれで満足ですから。もう無理をなさらなくていいのですよ」

 

笑顔で頭を下げる。角度もタイミングも完璧だ。

 

「すぐに忘れることができるはずです。貴女を騙し、大勢の人々を殺した悪党のことなど。たとえ今の段階では辛い思いをされても、いずれは納得していただけます」

 

「ち、違う。ちがうよ……そんな……わたしは……」

 

再び声が頭に木霊する。

 

『明良くんは何の権利があってそんなこと言うの? 私のこと騙して、利用して……可奈美ちゃんや姫和ちゃんのお母さんたちまで殺して』

 

その通りだ。タギツヒメという災厄を作った元凶である大罪人、黒木明良はタギツヒメと共に滅び、人類に平穏が訪れる。この上ないハッピーエンドだ。

 

「では、私はこれで失礼いたします。舞衣様……さようなら」

 

明良はアタッシュケースをしっかりと握ったまま、潜水艦とは逆の方向へと歩き出す。

背を向けた明良に舞衣は数秒ほど呆然としていたようだが、直後に鋭い抜刀の音が耳に届く。

 

「待って!」

 

「………何でしょう?」

 

「……止まって」

 

明良は首だけを回して背後を見る。舞衣が御刀を抜き、正眼に構えている。舞衣の顔には悔しさと怒りが見られた。涙を流しながらもその目からは気迫が消えていない。

 

「一緒に来て。じゃないと……」

 

「私を斬る、ですか?」

 

「……! そうだよ。だから早くこっちに来て」

 

明良は舞衣の表情だけでなく御刀の鋒から彼女の足元までを目で追って確認する。

御刀を握る手も、大地を踏み締めて体重をかける足も小刻みに震えている。彼女は刀使として荒魂と戦った経験はいくらかあるはずだ。今更御刀を握るのが怖いわけではない。荒魂を斬ることに躊躇しているはずもない。だとすれば、何故こうなっているのかは自ずとわかることだ。

 

「……舞衣様、何故怯えているのですか? 貴女は荒魂を斬ったことがないのですか?」

 

「……あるよ。でも、あなたは……」

 

黙ってしまった。そんな彼女の気遣いに思わず笑みがこぼれてしまう。

 

「まだ、私のことを人だと認識してくださっているのですね。ありがとうございます」

 

「まだ、って……」

 

「人々に危害を加える荒魂を滅することはできても、人に近い外見を持った荒魂に対しては簡単に割り切れない。貴女はそういう方です。身近な者への愛情が強く、包み込む優しさがある」

 

やはり、この人に仕えて、この人のために死ぬことができてよかった。他の誰かならこんなに嬉しくは思わなかっただろう。

明良はアタッシュケースを地面に置き、両手を上げる。

 

「斬っていただいても構いませんよ。その結末も悪くないと思います」

 

「な、何……何を言ってるの?」

 

「私が死ねば、私と結びついているタギツヒメの力も大幅に弱まります。私と彼女は分身のようなものですからね。そうすれば彼女はもはや脅威にはなりえません」

 

「でも……だからって、そんなの……」

 

「貴女に殺されるのなら本望です」

 

清々しいくらいの晴れやかな笑顔で明良は言う。そのまま、舞衣の御刀の鋒に向かって一歩進む。

 

「好きな人に最後の瞬間を奪われるだなんて、幸せなことだと思いませんか?」

 

「好き……って……」

 

「本心ですよ」

 

もしも舞衣に刺されて死ねるのなら幸せだ。最後を大好きな人に捧げられる喜びなど人類の内のどれだけの人が体験できることだろう。簡単に立てる場所ではない。

 

「貴女が私を殺したところで、それは咎められるものではありませんよ。人斬りでも、犯罪者でもない。刀使として、可奈美さんたちの友人として当然の正義です」

 

「でも、私は……」

 

「どうなさいます?」

 

どちらでもいい。舞衣に斬られて死んでも、舞衣を守って戦って死んでも、どちらにしても舞衣のためになるのだ。

 

「……ない」

 

「?」

 

「斬れないよっ!」

 

舞衣の御刀を握る手から力が抜け、御刀が地面に音を立てて落ちる。

 

「こんなの……ないよ。斬りたくなんかないのに……明良くん……」

 

舞衣はそのまま泣き崩れて地面に膝をついて両手で何度も涙を拭う。

 

「………」

 

思わず手を差し出してしまいそうになるが、慌てて戻した。そんなことをする権利はない。これ以上舞衣に手を出していいはずがないのだ。

 

「本当にお優しい……お優しい方ですね、貴女は」

 

――だから、私は貴女を好きになってしまったんですよ。

 

もう悔いはない。これでいい。これが最善で、正義だ。

 

「どうか、良きお相手と出会って、その方と幸せになってください。私は貴女を忘れはしません。貴女の優しさと、正しさを」

 

明良は地面に置いたアタッシュケースを再び拾うと、今度こそ舞衣に背を向けて歩き出した。振り向かないよう、過去を見ないように。

 

「今までありがとうございました。さようなら」

 

「……待って……待ってよ明良くん!! 私はあなたのことが――」

 

明良は逃げるように早足でその場から去っていった。

少女の悲痛な慟哭を必死に耳から追い払いながら。




これから二人はどうなるのか。

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第34話 大切な人

2018年最後の投稿です。少し短めです。

年末はずっとバニーガール姿の舞衣を手に入れるためにガチャにかじりついてましたよ。まさか11連×6も必要とは……(ヽ゚д゚)

バニーガールの舞衣を無事にゲットしましたが、改めて思った。舞衣って本当に中学二年生か……? 身長や声色やらはともかく、性格や身体つきは完全に大人の女性なんですよね……エレンや智恵に次ぐ巨乳なのにも関わらず、まだ中学二年生って。これから成長する余地があるっていう。こんなの貧乳の姫和が可哀想だよ!!(←この後で斬られました)

復活後→まだ中学二年生の女の子にバニーガールの格好をさせるだなんて破廉恥なことですね(いいぞもっとやれ)。来年も刀使ノ巫女と舞衣への愛情を持ってやっていきます!


それからどうやって戻ったのかは覚えていない。柳瀬舞衣はそんな虚ろな気持ちで潜水艦内の共同部屋にある簡易ベッドに腰掛けていた。部屋に戻った自分の雰囲気から察した可奈美たちは何も言わずに舞衣からの言葉を待っている。

 

――私……どうすれば……

 

誰も答えるはずのない問いを自分にかける。

自分がいくら彼に懇願しても彼は聞き入れてくれない。無下にされているのではない。明良は舞衣の安全を優先しすぎるし、自分の安全を優先しなさすぎる。

 

――違うのに……そんなこと、私……言ってないのに……

 

「ねえ、舞衣ちゃん」

 

「……可奈美ちゃん」

 

見かねた可奈美が舞衣の肩に手を置いて優しく話し掛けてくる。

 

「大体のことは聞いたよ。明良さんが一人で御当主様のところに行くって」

 

「………うん」

 

頷く。今でも可奈美の言う状況が鮮明に浮かび上がり、胸に鋭い痛みが走る。

 

「私、明良くんを行かせちゃいけないってわかってたはずなのに、止められなかった。そのはず……なんだけど……」

 

「心配すんな、そんなこと」

 

薫がため息混じりに言う。

 

「明良なら何がなんでも舞衣は……下手すればオレたちが戦うのも止めようとするだろうしな。舞衣に一言二言注意されたからって折れるヤツじゃねーだろ」

 

「明良……意外と頑固、だから」

 

「ねーねっ!」

 

沙耶香も同調し、静かに頷く。ねねも薫の頭の上で力強く跳ねていた。続けてエレンが舞衣に問う。

 

「アキラリンは一人でと言っていたんデスよね? 正直、簡単に勝てるとは思えマセンが」

 

「ううん、明良くんは自分の命を差し出すって言ってた。きっと、タギツヒメと刺し違えようとしてるんだと思う」

 

ここで、今まで重く口を閉ざしていた姫和が割って入った。

 

「私と可奈美への罪滅ぼしにか?」

 

「……え?」

 

舞衣は唐突な質問に戸惑ってしまうが、姫和は間髪入れずに続ける。

 

「あいつが命を捨てる理由があるとすれば、舞草の里で別れる前に話していた自分の過去に関係することだ。そしてあいつは、自分のことを罪人だと言っていた。なら、答えは一つだ」

 

正解だ。明良が死を選ぶ理由は舞衣を騙していたことだけではない。藤原美奈都と柊篝、可奈美と姫和の母の死の原因の一つでもある自分への罪悪感。贖罪の思いがそこにはある。

 

「あいつは冷徹だが、義理堅くもある。素知らぬ顔でいるわけもないだろうしな」

 

「……多分、間違いないよ。でも、姫和ちゃんはまだ明良くんのせいだって思ってるってこと?」

 

「それよりもな、舞衣。先に一つ聞きたい。お前はどうしたいんだ?」

 

あまりにも漠然とした問いだったが、舞衣は瞼を閉じたまま数秒ほど熟慮を重ね、やがて目を見開く。舞衣は立ち上がり、胸に手を当てて真摯な瞳で皆に告げた。涙が溢れ落ちないよう、必死に目元を拭いながら。

 

「私は、この戦いに参加する理由が見つけられなかった。理由がないなら、戦わない方がいいんじゃないかとも思ってた。でも、気づいたの」

 

以前、姫和から受けた提案だ。可奈美と姫和にはタギツヒメと因縁があり、薫とエレンには舞草としての目的を遂げる理由がある。だが、舞衣と沙耶香は結果的に舞草と関わりを持っただけだ。タギツヒメと強く敵対する理由はない。迷いを抱えたまま戦うくらいならいっそのこと関わらなければいいと。

 

「私には全ての人を救う力はない。でも、目の前で大切な人が傷つくのには堪えられない。だったら、目に見える範囲の人たちくらいは何とか助けたい――助けられるって思ったから。だから私は……」

 

言葉が途切れる。舞衣は一度唇を引き結び、再び開く。

 

「明良くんを助けたい。今まではあの人に支えられて、助けられてばっかりだったけど。今度は私が明良くんをちゃんと助けて、明良くんだって助けられていいんだって気づかせてあげたい」

 

明良の罪悪感、自己否定、自殺願望。それら全ての原因は彼の過去の全ての経験の集積によるものだ。今となっては過去は変えられない。

 

「明良くんが荒魂の力を持ってて、昔は危ないことをやってて、そういう人なのは事実だよ。それはわかってる。けど……私には、それが明良くんを見捨てる理由にはならないから」

 

彼は荒魂に類する者で、自分は刀使。本来なら相容れない二人だ。だが、そんなことは関係ない。世間や大衆の作った倫理に逆らうことになるだろう。それならせめて、彼が自分を少しでも認められれば光明を見出だせるかもしれない。

 

「………そうか」

 

姫和は表情を崩すことなく簡素な返答をする。

 

「舞衣ちゃん、私も協力するよ。舞衣ちゃんも明良さんも、私の大切な人だもん」

 

「私の剣……それもよかったら、使ってほしい」

 

可奈美、沙耶香も同意する。一方、薫、エレン、ねねは……

 

「明良が荒魂の力が使えても関係ねーよ。あいつは絶対に穢れなんかじゃない。あいつを否定するってのはねねを否定してるのと同じようなもんだからな。それに、元より戦いから逃げるつもりもねーんだ」

 

「ねねーっ!!」

 

「ここで色々話し合うのも大事デスが、アキラリンが向かってる以上は悠長なことは言ってられマセンね。ワタシも行きマスよ」

 

「皆……」

 

迷うことなく承諾してくれた。そうなれば、自然と全員の視線は残りの一人に収束されていく。

 

「姫和ちゃん」

 

「……何だ、可奈美」

 

可奈美が姫和の元へと歩み寄り、真剣な表情で呼び掛ける。

 

「私は明良さんが悪い人だとは思えない。昔、良くないことをしたのはわかってるけど、あの人は舞衣ちゃんや私にとっても大切な人だから、許そうって思ってるよ」

 

「………」

 

「姫和ちゃんはどうなの?」

 

姫和は神妙な面持ちで舞衣の側へと歩み寄り、真っ直ぐと舞衣を見据える。

 

「いいか、舞衣。私はあいつを許すつもりはない」

 

「えっ……」

 

「姫和ちゃん……」

 

「姫和……」

 

「おいおい……」

 

「ヒヨヨン……何でデスか」

 

「ねー……」

 

舞衣の心に陰りが生まれた。心の中でどこか楽観的になっていたのだろうか。姫和もわかってくれると高を括っていたのか。

深く考えずとも、姫和にとって明良は母親の仇も同然の相手だ。納得するどころか、割りきることすら極めて難しいことだ。全員が同意してくれるなど、そんな都合の良いことが。

だが、姫和は神妙な顔から不意に柔らかく表情を変えた。

 

「あいつはお前を悲しませて、心配させたんだ。どうやってでも連れて帰って謝らせる。そうしないと、許す気は起きないな」

 

大真面目に、それでいて穏やかに姫和は言った。照れ隠しなのか何なのか、きっと彼女なりの決意の表現なのだろう。

 

「姫和ちゃん……それって」

 

「ああ、私も行く。私たち六人でな」

 

「……うん、ありがとう、皆!」

 

もう迷わない。

 

――私は大切な人を見捨てたりなんかしない。

 

たとえ彼が悪人で、自分がそれに与する者だとしても、もう構わない。彼と二人なら乗り越えられる。彼が死ぬことが正しいことだと言うのなら、もう正しさなんていらない。

 

――明良くんが助けてほしいと思ったら、それだけで私は何度だってあの人を支えて、助けたい。

 

一時の同情でも憐憫でもない。彼を本気で想っているからだ。彼が命を捨てて自分を助けてくれても、それは命を救っているだけだ。それでは、舞衣の心が死ぬ。決して本当の幸せではない。

舞衣はただ生きていたいわけではない。大切な友達と、大切な人と添い遂げたい。

 

――だって、私は明良くんが好きだから。




2019年もよろしくお願いします。みにとじが楽しみだー(^-^)v

質問、感想はお気軽に!(*´∀`)つ


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第35話 奪い合い

ごめんなさい。2019年、初投稿です!
色々あって遅れました。こっから早いですよ!
今回は会話が多いです。バトルは……次回です、ではどうぞ。


舞衣と別れて数時間後、明良はフリードマンから受け取ったケースの中身――スーツ型の戦闘服に着替えて街道沿いの茂みの中を歩いていた。

元々着ていたスーツは所々破れて使い物にならなくなっていたので、細かく破って適当な可燃物用のゴミ箱に捨ててしまった。

普通に道を歩いていては折神家や自衛隊に見つかる可能性がある。なるべく姿を見られないように街道沿いを歩くことにした。

そして、ようやく折神家の敷地前。警備に気づかれないよう十分離れた物陰まで来ていた。

 

「さて……」

 

ここまで来れば、後は中に攻め入るのみ。かと言って、道場破りのように真正面から無策で突入するつもりは毛頭ない。ここからは作戦通りに行動しよう。

明良は携帯端末を取り出し、電話の発信用画面を表示させる。

 

「………」

 

そこで指が止まった。今からある人物へ電話をかければそこからは時間的にも体力的にも余裕はなくなる。言わば、今は最後のチャンスだと思えた。

 

「やはり……電話しておきましょうか」

 

明良は電話帳の画面に移動し、そこからある人物へと電話を掛けた。

2コールほど呼び出し音が鳴ったところで相手が応答する。

 

『もしもし?』

 

「黒木です。旦那様、お忙しいところ申し訳ありません。今はお時間はよろしいでしょうか?」

 

電話を掛けた相手は舞衣の父親にして柳瀬グループ代表、柳瀬孝則だ。定時連絡は何度かしていたが、最後にしたのは可奈美と姫和の捜索の時以来だ。

 

『構わないが……大丈夫なのか? 折神家がテロリストに対して大規模な摘発を行っていると、多くのメディアで報道されているが』

 

「大丈夫とは言い難いです。実際に我々――舞衣様やそのご学友の方々も先日襲撃に遭ってしまい、現在も逃走中です。幸い、逃走中の方々にはお怪我はありませんが」

 

『そうか……』

 

孝則は数秒考えた後、電話口から訴えるような声で明良の耳元に声を響かせる。

 

『我が社の所有している宿泊施設がある。舞衣たちを連れてそこに避難するんだ。そこなら、仮に見つかっても折神家が簡単に踏み込めないようにできるはずだ』

 

確かに、柳瀬グループは日本有数の大企業。避難したという証拠さえ掴ませなければ、企業側から強制捜査を拒否することも出来るはずだ。そこでじっくりと作戦を建て直すことも十分可能だろう。

しかし、明良は「いえ……」とそれを一蹴した。

 

「もしも、そんな行動をとったことが明るみになれば、柳瀬グループがテロリストに加担したと周囲から判断されます。そうなれば、信用問題どころか企業としての存続すら危うくなります」

 

『……かもしれん。だが、私にとっては舞衣たちの方が大事だ。君もそうだろう?』

 

孝則の搾り取るような声が聞こえてくる。彼とて、無鉄砲な思いつきでこんな提案をしたわけではなかろう。自分が大企業の代表で、多くの社員を管理する立場の人間であり、それと同時に一人の少女の父親である――それを理解した上で最善と思った策を言ったのだ。

明良は彼のことを純粋に立派だと感じたし、出来ることなら心配のないようにしたいと思った。だからこそ、彼の提案を受け入れるわけにはいかなかった。

 

「私もそう思っています。当然ですよ。ですが、旦那様、そうであれば、貴方の案では安全性という点で問題があるのです」

 

『どういうことだ?』

 

「敵はその気になればいくらでも無実の人間を殺すことができます。現に、彼らは自衛隊の携帯端末に細工を施して我々を荒魂と誤認させていました」

 

『なんだと!? それでは……』

 

「はい。極端な話、その施設の上空から爆弾やミサイルを見舞って中の人間を鏖殺したとしても、『新種の荒魂を討伐した』とでも言えば強引に世間を黙らせることができます」

 

荒魂を関知するスペクトラムファインダー。その開発や改造を一手に担っているのが折神家だ。つまり、スペクトラムファインダーの信頼性を相手が握っている以上、たとえ百万の人の目が『白』だと見ても、折神家が『黒』だと言えば『黒』になる。

荒魂かどうかなどもはや問題ではない。

 

「相手は無から証拠を創ることができます。証拠を掴ませないよう努力しても、意味がないんですよ」

 

『………くそっ』

 

電話口の向こうで孝則が唇を噛み締めている光景が見えた。

 

「旦那様、ご協力する意志を見せていただいただけで私は満足です。感謝いたします。後のことは、私にお任せください」

 

『あ、ああ……すまない。力になれなくて』

 

「……滅相もありません」

 

自然と頭を下げている自分がいた。無意識にそんな行動をしていた自分を不思議に思ってしまう。

 

「それから、旦那様。お話ししたいことがあります」

 

『何かな?』

 

「私は、本日を以て執事の任を降りさせていただきます。本日まで、大変お世話になりました」

 

『……! それは……』

 

「……辞職願いをお渡しできないこと、当日に電話でお伝えすること、どちらも……大変申し訳なく思っています」

 

胸がズキリと痛む。舞衣のときとは違う痛みだ。ひたすらに感謝している人物に対して申し訳ないという感情だ。

 

『待つんだ。それよりも……いきなり辞めるとはどういうことなんだ!?』

 

「それは……」

 

言うべきか迷ったが、言わないことにした。ここで荒金人のことなどを話せば確実に長い話になるし、話が余計にややこしくなる。

 

「今はまだ申せません。申し訳ないのですが、後日、舞衣様にご確認をしていただければ理解できるかと」

 

『舞衣は……納得しているのか?』

 

「どういうことでしょうか? 旦那様にとって重要なこととは然程思えないのですが……」

 

『いいから、答えなさい』

 

有無を言わせぬ言い方だった。彼らしくもない。余程気になることなのだろう。明良は動揺を欠片も見せずに即答した。

 

「はい。既に舞衣様にもお話を通しております」

 

『………そう、なのか』

 

「個人的な事情によってこのような結果となってしまったことは百も承知です。ご恩を返し切れないこと、私も大変残念に思っています」

 

彼だけではない。明良を執事として迎え入れることに彼の妻も舞衣の妹二人も快く賛成してくれた。二年という短い間とはいえ、浮浪者だった自分に居場所を与えてくれた恩人にこの程度のことしか出来ないのは恩知らずもいいところだ。

だが、今は時間はない。今晩で片をつけなければ最悪の結果に分岐してしまう。

 

『……黒木くん』

 

「はい」

 

『たとえ、執事でなくなるとしても、これだけは約束してくれ』

 

「……何でしょうか?」

 

やけに神妙な雰囲気を含んだ声だ。警戒と言うより、純粋な疑問として聞き返した。

 

『絶対に、舞衣を悲しませるな』

 

「………」

 

――………?

 

どういう意味なのかわかりかねた。何故自分が執事をやめることと舞衣が悲しむことに繋がりがあるのか。

喜んでくれるはずだ。邪魔物だった自分が消えて、尚且つテロリストとしての容疑も晴らすことができる。

自分のような奴が彼女の傍を離れたところで、彼女の精神に害をもたらすような状態が想像できない。

 

――ああ、なるほど。

 

自分の責務を果たせ。執事でなくなるとしても、舞衣と彼女の大切な人々を守れ。それ以外にはあり得ない。

今さら言われずとも、何度も心に誓ったことだ。

ならば、答えは決まっている。

 

「はい。私の命を賭けて、舞衣様とそのご友人を絶対にお守り致します」

 

やはり、話ができてよかった。ここまで来れば、もう不安な要素などない。より強い決意を胸に秘め、明良は「失礼します」と通話を終了させた。

 

「さあ、始めましょう」

 

もう後戻りはできない。話すべき人に別れを告げた。言うべきことを言った。後は今夜の作戦を成功させることに全力を尽くせ。

でなければ、今まで生きてきた意味も理由も失うことになる。

 

黒木明良()タギツヒメ(貴女)の奪い合いを」

 

 

※※※※※

 

 

「………」

 

此花寿々花は苛立っていた。刀剣類管理局の作戦指令本部に仁王立ちし、眉間に皺を寄せながらモニターを睨んでいる。

時刻は日を跨いで数時間といったところだ。本来隣に立っているはずの自分の同僚である獅童真希はここにはいない。別の任務に出刃っているとか、作戦開始まで待機とかそういう状態ではない。

彼女は一時的に戦闘不能にされたのだ。ある一人の男によって。

 

「許すわけにはいきませんわよ」

 

脳裏に銀髪の青年のしたり顔が浮かぶ。未だ彼の行方はわかっていない。それどころか、舞草の残党も依然として逃走を続けているのだ。寿々花にはこのまま漫然と彼らを片して我々の勝利というビジョンが想像できなかった。

 

「……!?」

 

周囲からの気遣いの視線から逃げるように頭を悩ませていると、本部の固定電話に着信が入る。発信者は非通知だ。

 

「私が出ます。皆さんは居場所の特定を」

 

テキパキと指示をすると、職員たちが逆探知用の機器の前で準備をする。

準備ができた、というサインを確認してから寿々花は電話に出る。

 

「もしもし?」

 

『夜分遅くに申し訳ありません。此花寿々花さんですね?』

 

「……ええ」

 

たった二文で悟った。この声は黒木明良だ。声もそうだが、この爽やかな好青年のような雰囲気の話し方がそう確信させる。尤も、寿々花の胸に広がったのは爽快感ではなく不快感だが。

 

「黒木さん、ですわね? 一体何のご用ですの? そもそも、どうやってこの番号を……」

 

『貴女の親愛なる同志の方が親切にも教えてくださいました』

 

「何を白々しいことを……」

 

大方、真希か結芽の携帯端末を見て番号を手に入れたのだ。いよいよ、彼が実行犯という裏も取れた。

当の明良はくすっ、と微笑みの声をちらつかせながら弁明する。

 

『勿論、冗談ですよ。恐らく、貴女方の想像している方法で正解です』

 

「………っ!」

 

相手を見下すでも嘲るでもない。離れた位置から見物するような穏やかな声色で彼は言う。

寿々花は思わず声を荒げそうになるが、逆探知をしている職員の様子を見て我に返る。ここで相手を刺激してはいけない。なるべく相手に対話の意思を失わせないように注意しつつ、会話を引き延ばさなくては。

 

『とはいえ、貴女が応対してくださるとは少し意外です。こんな夜遅くに……夜更かしは美容の大敵ですよ?』

 

「あら、心配してくださるんですの? 女性に対する気遣いがお上手ですわね」

 

『そうでもありませんよ。なにしろ、貴女方の重要な戦力であるお二方を潰してしまったのですから』

 

言うまでもない。真希と結芽のことだ。真希は目立った外傷はないものの、戦闘によるダメージで未だ意識不明。結芽は……

 

「……結芽を救ったのは、貴方ですの?」

 

『……いえ』

 

躊躇いながら尋ねたことだったが、思い通りとはいかず、否定された。寿々花は一瞬不審がるが、すぐに明良が言葉を連ねる。

 

『生きたいと願ったのは彼女の本心ですよ。私の指示ではありません。私は未来に向けて彼女の背中を押しただけです』

 

「………」

 

先程までの声色とは違う。やや低い真剣身を含んだ声だった。

報告書に上がっている通り、間違いなく彼は荒魂の力を使っている。下手をすれば我々親衛隊どころか、折神紫よりも荒魂に関する知識や技術は上かもしれない。彼の主観か、あるいは表現上の違いでしかないのかもしれないが、彼が結芽の救命に関係しているのは確実だろう。

寿々花は感謝と怨恨が綯交ぜになったまま明良に言う。

 

「結芽を救うことに一役買ってくださったことは感謝します。ですが――」

 

それとこれとは話が別だ。彼が結芽の命の恩人であったとしても、寿々花のすることは変わらない。彼は敵だ。倒すべき相手だ。ほだされるわけにはいかない。

 

「貴方を捕らえることには変わりありませんわ。そこは勘違いしないでほしいのですけれど」

 

『ご安心ください。私もそんなつもりは毛頭ございませんので』

 

また先程の穏やかな声色に戻る。

 

「逃げ切れると思わないことですわね。貴方や舞草のお仲間と、我々。戦力の差は見えているでしょう?」

 

軽いジャブのつもりで少し挑発をかける。これで相手の反応から何か何か情報を掴もうということだ。

だが、彼は一笑に付してこう続けた。

 

『あまり慣れない挑発をするものではありませんよ。いくらお二方を無力化されたとはいえ、焦りすぎです』

 

「……どういう意味ですの? 焦ってなど……」

 

『ああ、申し訳ありません。『お二方が』ではなく、『獅童さんが』ですよね?』

 

突如として一気に複数の感情が沸き上がってきた。

笑われたことに対する怒り。相手に弄ばれたという悔しさ。自分の感情を見透かされたという恥ずかしさ。

何故知っているのか、という気持ちはあったが、ここで動揺を悟られるわけにはいかない。

 

「そ、それは……何のことですの?」

 

取り繕おうとしたが、言葉に詰まり、声も震えてしまった。しまった、と思うがそれも遅い。

 

『隠さなくて良いんですよ。大切な方がいて、その方の不遇に憤るのは美しいことですから』

 

「かっ、勝手に何を……!」

 

『惚けなくても結構です。仮に我々が勝ったとしても、貴女も獅童さんも悪いようにはならないでしょうから。安心して負けてください』

 

「……!」

 

安心して、の下りで少し頭が冷えた。これは罠だ。こちらのペースを乱し、口車に乗せて戦意を失うように誘導しようというのだ。危ない。早い段階で察知できてよかった。

 

「その手には乗りませんわよ。貴方は我々が倒します」

 

『まあ、今の会話をどう捉えるかは貴女の自由ですが』

 

「つくづく食えない方ですわね……!」

 

もういい。もうすぐ逆探知が終わる。これで舞草の残党の現在位置が判明する可能性が高い。そうでなくとも、少なくとも明良の現在位置はわかるのだ。それだけでも大きな進歩だ。

 

『ああ、そういえば本題を話していませんでした。世間話に花を咲かせてしまい申し訳ありません』

 

「……それで、話とは何ですの?」

 

今更になって余裕の姿勢が崩れていない声色だが、それもここまでだ。寿々花は溢れ出る僅かな笑みと共に尋ねる。

 

 

 

『間もなくそちらを襲撃します。もう、逆探知はできたでしょう?』

 

 

 

「………!?」

 

言葉を失った。寿々花は狼狽して悲鳴を上げそうになるが、必死にこらえた。数秒ほど混乱していると、誰が言うでもなく通信が切られた。

周りの職員の顔を見渡すが、全員が大なり小なりオロオロと狼狽えている。

 

「と、とにかく準備を……」

 

こうはしていられない。現場の指揮をしなければ。寿々花は大声で職員たちの喧騒を収めようと大きく息を吸った。

そして、吐き出す――ことはできなかった。

 

ドォォォン…………!!

 

声を上げるより早く、何処からか重厚な破壊音が響いてくる。皆が言うまでもなく、間違いない。

今の彼が、本当に来たのだ。




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第36話 それが何ですか

長かったなぁ。ここまで来るのが。前回同様繋ぎの回みたいなもんです。下ごしらえができたところで、次回はようやくバトル!


『東門が破壊されました!』

 

破壊音から十秒ほど経過したころ、作戦指令本部にはこのような連絡が届いた。電話の発信者である警備員の男性が慌てているのが声から感じ取れた。

 

「それで、敵は? 黒木明良が現れましたか?」

 

寿々花はその警備員に聞き返す。

 

『いえ……何も。ただ……』

 

「何ですの?」

 

『突然、門全体が地面から出てきた赤い何かに打ち上げられて……誰の姿も見えなかったんです』

 

姿が見えなかったということは、明良は正面から大手を振って迫ってきたわけではない。遠距離から何らかの兵器を用いたのか。

いや、それよりも警備員の言っている『赤い何か』とは何だ。もしかしたら……

寿々花は適当に言葉を並べて警備員との電話を切る。そして、指令本部室内の人間に向かって指示を出す。

 

「東門に部隊を二つ、西、南、北にも一つずつ向かわせてください」

 

「了解。至急向かいます!」

 

寿々花の指示で、待機していた警護の刀使の部隊がぞろぞろと退室する。

 

「貴方の思惑通りにはいきませんわよ……」

 

寿々花の読みはこうだ。東門の破壊はただの陽動。警備員の隙を狙って行ったに違いない。普通ならば、このまま防御の薄くなった東門から攻めてくるところだが、こちらが早急に東門の守りを固めるのは当然。下手に門を破壊して襲撃を察知させるメリットはない。むしろ、自分の突入経路を明かしているようなものだ。

つまり、東門に人員を割かせ、その間に警備が手薄になった別の場所から潜入するというのが彼の作戦だろう。

 

「お手並み拝見、ですわね」

 

四方の門以外の壁の上部には赤外線の探知機がある。仮に門以外の塀をよじ登ろうが、居場所を特定されてしまう。彼が来るならば東西南北のどれかだ。

 

「指令、第二部隊から連絡が!」

 

二分後、通信員が声を張り上げる。第二部隊は南門に付いている隊だ。連絡ということは、まさか。

 

「今度こそ来ましたの?」

 

「いえ、それが……『南門が突然破壊された』と」

 

「――!?」

 

自分の耳を疑った。別の場所から攻めてくるとは思っていたが、これはおかしい。

東門と南門の距離だ。二つの門の間は軽く数キロメートルは離れている。二分間で人間が移動できる距離ではない。車やヘリコプターでも使えば可能かもしれないが、そんなものの存在に警備員や刀使たちが気づかないはずがない。

一体どうやってそんな距離を……

 

「こ、今度は……西門が!」

 

「また連絡です! 今度は中庭の倉庫が!」

 

「本堂の南側もやられました!」

 

……何が何だかわからない。

寿々花は悪い夢でも見ているのかと頭を抱えたくなった。ほぼ同時に遠く離れた場所を破壊する兵器など遠隔操作型の爆発物くらいだ。

 

――ですが、そんなものは……

 

今回の場合はそれは当てはまらない。柳瀬舞衣や糸見沙耶香が折神家から失踪した際、そして今回の舞草襲撃に備えて屋敷内部の安全確認は綿密に行った。敷地内から爆発物や生物兵器などの危険物は一切発見されていない。

明良が何かを仕掛けたところでこちらに割れているはずなのだ。だが、実際にこうして起こっている以上、それは無視できない。一体どんなカラクリを使ったのか。

 

「私が現場に向かいますわ。皆さんはここで待機していてください。くれぐれも、刀使以外は現場に近づかないように」

 

寿々花は拭えない疑念と混乱を抱えたまま、指令室から駆けていった。

 

 

※※※※※

 

 

「一、二、三、四」

 

明良は左手を親指から人差し指、中指と指折り数えながら折神邸を眺める。壊した場所、これから壊せる場所はもうわかっている。

 

「五、六……」

 

暗闇に点々と広がる夜景のごとき明り――敷地内の警備の人間が持っているライトだ。それらが明良が指を鳴らすだけで、石を投げられた小魚のように慌ただしく乱れていく。

恐怖と混乱が絶え間なく続き、広がり、消えない。

 

「さて、そろそろ……」

 

明良は草むらに掛けていた重い腰を上げる。

 

「っ!!」

 

「……貴方のお相手をしましょうか」

 

後方からの斬撃を瞬時に形成した『右腕』で防ぐ。防いだ『右腕』越しに相手の顔色を窺う。完全な不意討ちを軽口ついでに阻んだ明良に苛立ちを隠そうともしない、此花寿々花の顔色を。

 

「よくここがわかりましたね」

 

「状況から推測しただけですわ」

 

遅かれ早かれ露呈するとは思っていたが、ここまで早いとは。やはり、彼女は結芽や真希よりも騙しにくい。

 

「ほぼ同時に複数の場所を誰からも目撃されずに攻撃するのでしたら、何処か見晴らしの良い場所で監視しているはず。その条件さえわかれば、自ずと場所は絞られますわ」

 

そうして彼女は見つけ出したのだろう。明良が折神邸の敷地内ではなく、近くの森林の木々の隙間から内部の様子を覗いていたことに。

 

「なるほど。どうやら貴女は間抜けではないようですね」

 

明良は薄ら笑いを浮かべるが、内心は少し驚いていた。

だが、この程度で計画を変更する必要はない。むしろ、計画が軌道に乗ったとさえ言える。

 

「しかし、愚策ではないですか? 貴女の技量では私には敵いませんよ」

 

「そうですわね。ですが――」

 

寿々花の顔は苛立ちから一転、得意気なものへと変貌する。彼女が自分と相手の力量差を見誤っているのではない。そんな間抜けではないことは今し方わかったことだ。

だったら、何だ。

 

――一体どんな策を……

 

明良が思考を巡らせていると、途端に無数の足音が辺りに響き、同数の気配が漂ってくる。

 

「……なるほど」

 

「状況が理解できまして? 敵わないのは貴方の方ですわ」

 

彼女も理解できている。力の差は簡単に覆せないこと。そして、戦いは決して一対一とは限らないことも。

現れたのは折神家お抱えの刀使たち、優に二十人は越えている数だ。彼女たちは明良を円形に取り囲み、御刀の鋒をこちらに向けている。

 

「少し、読みが外れましたよ。貴女の性格を少々履き違えていました」

 

「それは楽観的ですこと。そもそも、貴方相手に正々堂々と真剣勝負を挑んでも無駄なことくらい知っていますわ」

 

「……よくご存じで」

 

てっきり、寿々花は敵に直接手を下すタイプだと思っていた。いや、それ自体は間違いではないのだろう。

ただ、彼女はそのために多少汚い手も使うというだけのことだ。だからこうして、大勢部下を引き連れてこちらの動きを封じてきたのだ。

 

「観念しなさい。どういう訳か知りませんが、紫様からは生きたまま連れてくるように命令されていますの」

 

「可能な限りは、でしょう? 言葉が抜けていますよ」

 

「ええ、勿論」

 

生きたまま、と条件付けている理由には見当がついている。

 

――ならば、これも計画通りですよ。

 

「……貴女は」

 

「?」

 

「貴女は間抜けではありません。が、どうやら注意力に欠けているようですね」

 

「何を今更……ハッタリが通じる状況ではないこと、理解していまして?」

 

「理解していますよ。なぜなら……ハッタリではありませんから」

 

明良は左手の親指と中指でパチンと軽快な音を鳴らす。寿々花も、周りの刀使たちも身構えるが、そんなものは無駄だ。

この音は彼女たちに向けて鳴らしたものではない。

 

「これで、七」

 

明良の立っている地面が激しく隆起し、彼の全身を包んでなお余りあるほどの大きさの円柱状の火柱が立つ。いや、火柱ではない。赤黒く、蠢くような表面の色、変幻自在の形状変化。これはノロだ。

 

「なっ……!」

 

寿々花が気づいてもそれでは既に遅い。ノロの柱は明良の身体を乗せたまま、五十メートルほどの高さまで到達した。柱の発生に寿々花や折神家の刀使たちは巻き込まれなかったが、別に構わない。いくら彼女たちが優れた刀使でも、こんな場所に一瞬で到達できるような力を持っているわけではあるまい。

 

「計画、第二段階と行きましょうか」

 

寿々花に自分の居場所を特定され、彼女たちと戦いを繰り広げる。とまでは行かなくとも、戦いの起こり得る状況になる。

そこまでが計画の内。だが、ここからは比較的確証が薄い。

 

「……まあ、気づかないわけがありませんよね」

 

柱の上面に乗った位置から見える建物、折神家の敷地内の高地に構えられた本殿。ノロの貯蔵庫だ。

明良は物憂げにその場所を眺めていたが、すぐにそれは悲しげな笑みへと変わる。

本殿から何かがこちらに向かって飛んでくるのが見えたのだ。

 

空をたゆたう煙、ではない。

群れをなして羽ばたく鳩の群れ、ではない。

 

赤黒く、巨大な、不気味な何かの塊だ。

 

「そうでなくては我々はここまで苦労はしません」

 

――紫さん、いえ、タギツヒメ。

 

「早く私が奪ってさしあげますよ」

 

明良は笑顔のままその塊に呑み込まれ、その場から消えていった。

 

 

※※※※※

 

 

ものの数秒で明良は赤黒い塊から解放された。解放された直後に視界に飛び込んできたのは薄暗い建物の中だった。

左右に続く木製の格子。そこに吊り下げられた篝火がこの空間を照らしている。そして、床に無数に転がっているのは小さな木製の箱。見覚えがある。舞草の里に祀られていたノロの保管用の御神体だ。

中身は既に空だろう。行方は間違いなく、目の前の相手の身体の中だ。

 

「こうなることを読んでいたのか」

 

右眼を覆い隠す前髪。後ろ髪は膝にまで届いている。烏の羽と同じ黒い色だ。上下に纏った軍服のような白い制服。そして、腰に差した二振りの御刀。

 

「読んでいたのは貴女でしょう? タギツヒメ」

 

折神紫。いや、今となっては大荒魂、タギツヒメと称するべきか。彼女は冷淡な雰囲気を纏った無表情でこちらを見ている。

 

「元々、貴女の目的は私を殺すことではない。それが重要な点です」

 

明良は一息ついて説明を始めた。

 

「貴女の半分を持っている私が死ねば、貴女の力は半減するも同然。ならば、私を生きたままこの場所に連行し、私の肉体もろとも吸収するしかない」

 

結芽や真希、寿々花が『明良を殺さずに捕まえて連れてこい』と命令されていたのはそのためだ。明良は敵だが、まかり間違って殺してしまえばタギツヒメにとっては不利益になる。

 

「私が此花さんや折神家の刀使の方々と争えば、少なくとも誰かが負傷することは目に見えています。私が優勢になれば彼女たちという戦力を失うことになり、逆に彼女たちが優勢になれば誰かが私を殺すかもしれない」

 

「そんな確証はないだろう」

 

「確証は、ですよ。可能性は十分にあった。実際、私もあれだけの数の刀使の方々を倒せる自信はありませんしね。どれだけ上手く立ち回っても、数の暴力に圧殺されるのは必至でした」

 

タギツヒメの作戦は言ってしまえば都合が良すぎる。確かに親衛隊や折神家の刀使が総力を尽くせば明良を倒すことは可能だ。しかし、『倒す』という言葉の中身は一意に定まらない。

 

「彼女たちは、たとえ人殺しになろうと『荒魂を殺しただけだ』と言えばいい。彼女たちは折神家と刀剣類管理局という後ろ盾に守られていますからね」

 

彼女たちが殺しに対して罪悪感や恐怖を抱いているのならばいいが、それは期待できない。

舞草の里での行動がその片鱗を物語っている。

 

「国家に仇なした罪人であり、荒魂の疑いをかけられている人物に強く情を抱くほど彼女たちは馬鹿ではない。それに――」

 

それに何より、明良には確固たる自信があった。明良はタギツヒメ――彼女を宿している紫の眼を真っ直ぐ見据えて言う。

 

「貴女はそこまで人間を信じていないでしょう?」

 

人を憎み、嫌い、滅ぼすことを目的とするタギツヒメ。自分の嫌いな相手を信じることなどできようか。たとえ信じられる状況であっても、信じたくはない。

嫌いであり続けなければならないという心が、信じることを拒んでしまうからだ。

 

「信じていない……確かにそうだな」

 

タギツヒメは明良の言葉を反芻し、ゆっくり眼を閉じる。やがて、微かな嘲笑とともに眼を開き、話し始める。

 

「それはお前も同じだろう」

 

「……何のことですか?」

 

「とぼけるな。我はお前だ」

 

――は?

 

「私と貴女は違いますよ。少なくとも、同一人物であるつもりはありません」

 

「我の力を奪い、荒魂の術技を体得した。それも復讐のためにな。何が違う?」

 

違わないとは言わない。だが、同じと言うつもりもない。明良はそんな台詞に決して納得するつもりなどない。

 

「確かに、私は復讐のために荒金人になった。そして今も、私の心には復讐の火が灯っている」

 

「そうだろう。ならば、刃を向ける相手を間違えないことだ。そうすれば我も――」

 

「それが何ですか」

 

叫んだ。これ以上彼女に好き勝手に言わせてたまるか。明良は復讐心や正義感でここに来たわけではない。この手で全て終わらせる、己の責務を全うするために来たんだ。

 

「貴女は舞衣様たちの敵です。私は復讐の亡霊としてではなく、あの方の執事として貴女を倒します」

 

タギツヒメは一瞬呆気に取られるが、直ぐ様口元に笑みが生まれる。それと同時に二振りの御刀が抜かれた。

 

「やってみるがいい。お前の肉体も魂も全て我が奪ってくれる」




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第37話 支配

久々のバトル! タギツヒメvs明良!


明良は左右両方の『腕』を形成する。左手に鉤爪、右手に刀。

タギツヒメも紫の身体を介して二振りの御刀――童子切安綱に大包平を抜く。同時に体表が薄く光輝く。刀使の基本戦術、写シだ。

 

「タギツヒメさん、私と貴女は同じノロによって力を手に入れた。それ以外は違うと思っていたのですが、一つだけ新しい共通点を見つけましたよ」

 

「面白いな。聞かせろ」

 

「それは――」

 

明良は言葉の途中で急加速する。高速の足運びで十メートルはあった互いの距離を瞬時に潰す。

そして、『右腕』の刃でタギツヒメの首を狙う。ただの人間ならこれで勝負ありだっただろうが、彼女にそんな仮定は砂粒ほども当てはまらない。タギツヒメは左手に握った御刀を『右腕』と交叉させ、刃同士を打ち合わせる。

火花と殺気が周囲に飛散した。

 

「貴女も私も世界にとって有害だ、ということですよ」

 

「くだらんな」

 

タギツヒメは左手に力を込め、明良の刃を押し返す。負けじとこちらからも押すが、腕力が拮抗していて状況は変化しない。だがそれも二、三秒のこと。タギツヒメは右手の御刀で明良の顔面目掛けて刺突を繰り出す。

 

「!」

 

即座に後退する明良、追従するように直進してくる御刀の鋒。鋒が明良の鼻先にまで迫ったところで、明良は上体を大きく背後に向けて反らす。

 

「!?」

 

御刀が空を裂き、タギツヒメに一瞬の隙が生まれる。時間にして見れば一秒にも満たないが、それだけあれば十分だ。

明良は上体を反らした体勢のまま『左腕』を地面につき、身体を支える。その動作を行うと同時に右足による横合いからの蹴足をタギツヒメの左脇腹に見舞う。

 

――ここでっ!!

 

明良は意識を集中させ、ノロを右足の膝下に集める。集められたノロは狼牙棒のように棘付きの円柱の形を成して右足に纏わりついた。

そうして形作られた『右足』の棘は正確にタギツヒメの左脇腹の服の布地を貫き、肉に突き刺さる。それだけでは止まらない。振り抜かれた『右足』によってタギツヒメの身体は明良から見て右側に弾き飛ばされた。

 

「くだらない、とはご無体なことを。私の意見がそこまで不満ですか?」

 

弾き飛ばされ、木製の格子を破壊した上にゆらゆらと粉塵が舞った。タギツヒメの姿がその中へと迷いこんでしまう。

明良は薄ら笑いを浮かべてその粉塵の奥の彼女に話しかける。

 

「違うな」

 

「……何がですが?」

 

もうもうと立ち込める粉塵が突然晴れ、その中から何かが突進してくる。その何かが神速で放ってくる刃を明良は『右腕』で受け止める。

何か――タギツヒメは放った刃とは別のもう片方、右手の御刀を横凪ぎに振るい、明良の胴体を狙う。だが、予測できていた。明良は『左腕』で御刀の刀身を掴み、横凪ぎを封じる。

 

「……っ、何がですが、と聞いているのですが」

 

「世界とは何だ? お前の言う世界とは、人間の傲慢の蔓延る空間のことか?」

 

「飛躍しすぎですよ。多くの人を無闇矢鱈に傷つけることを『有害』と言っているんです」

 

力の均衡が保たれている。タギツヒメは先程の明良の『右足』の蹴りのダメージをものともしていない。やはり手傷がいいところなのか。互いに押し切ろうとする方法はあるのだろうが、それを中々実行には移さない。

お互いに簡単に手の内を晒せば後々不利になる。下手に本気を出せないような状態ができてしまった。

 

「ならば世界は人間の所有物か? それが傲慢だと言うのだ」

 

「人間に限らず、他者を攻撃すれば淘汰される。淘汰されるような存在は世界にいるべきではありません」

 

「我を奪うのは世界のためとはな。荒魂混じりが笑わせてくれる」

 

「……世界のためではありませんよ。そんなものは二の次です」

 

膠着状態のまま続けられる会話。明良もタギツヒメも口元には笑みが貼り付いているが、眼に宿っているのは明確な殺意だ。

 

「柳瀬舞衣か」

 

「そうですよ。可笑しいですか?」

 

タギツヒメからの挑発。乗ってやる義理などない。二言で一蹴した。

 

「ああ、可笑しいな。そんなもののせいで、お前は負けるのだから」

 

「……!? ぐぁっ……」

 

突然、全身が弛緩した。何が起きたのか即座には理解できなかった。だが、原因は火を見るより明らかだ。

明良の腹部から二本の刀が生えている。

無論、これは明良の身体の一部などではない。明良の身体を貫通した刀、それも背後から(、、、、)だ。

 

「……どう、いう……こと」

 

痛みは感じない。戦闘意識を集中させていることで痛覚が鈍化しているのだ。

代わりに全身に泥を塗りたくられたような不快感と、重力が数倍に跳ね上がったかのような重圧感が襲ってきている。

 

――これは一体……何をされたんですか?

 

「こうなることは見えていた。いや、見ておいたのだ」

 

「……? それは……」

 

タギツヒメの、彼女の憑依した紫の瞳が普段の赤い色とは違う。金色に染まっている。

明良は悟った。彼女の眼、それが見通しているものが何なのかを。

 

「これは『龍眼』だ」

 

「……未来視の能力……見通す眼ですか」

 

あらゆる未来、可能性を見通し、そこから最良の一手を導く能力。彼女には相手の手の内を読む必要などない。戦いが始まった時点で相手の手の内が全て明かされてしまっているからだ。

 

「そうだ。ゆえに、お前が我の刀を受けることは知っていた。当然の帰結というものだ」

 

「随分と……悪趣味な『刀』じゃ……ない、ですか……」

 

明良の身体を刺し貫いたのは、タギツヒメの憑依した紫の両手の御刀ではない。彼女の頭髪から現出した赤黒い塊――そこから生えた両手の御刀によるものだ。大木のように太く、血管が走っている様は気味が悪く思えた。

 

「ごっ……がはっ……」

 

血が喉からせり上がって口から吐き出される。タギツヒメは自分の服に明良の吐血がかかるのも気にせずに突き刺していた刀を抜き取る。

 

「ぐっ……」

 

明良は『右腕』を真一文字に払い、タギツヒメを退かせる。刀が抜けたことで血管から血液が軽く吹き出る。だが、すぐに血管も筋肉も再生し、傷は消える。その後には戦闘服の繊維も元通りに繋がり、復元される。

 

「未来視……厄介な能力ですが、全能ではないようですね」

 

「どういう意味だ」

 

「貴女は未来を知ることができる。しかし、できるのはそれだけです」

 

『右腕』の鋒をタギツヒメに向ける。正確には彼女の髪から伸びる腕に。

 

「貴女は相手の未来を見て、それから最善の行動をとっています。それはあくまでも、可能性の範囲(、、、、、、)でしかない。自分が好きに思い描いた未来を選んでいるわけではないでしょう?」

 

「………」

 

一度に百個の可能性を見ることができても、その中に自分に都合の良いものがあるとは限らない。自分に有利な百一個目の可能性を作ることはできないのだ。見ることはできても、干渉はできない。

 

「未来を掌握できるのなら即座に私を始末すればいいだけのこと。無駄な戦いをしているのは、それができないからではないですか?」

 

「……ふむ」

 

タギツヒメは押し黙ったまま、数秒――二秒ほどではあったが確かに思考を巡らせる素振りを見せ、それから口角を上げて笑った。

 

「面白い仮説だが、一つ誤りがあるな」

 

「何でしょうか?」

 

「先程の刀はお前を屈服させるためのものではない」

 

「?」

 

タギツヒメは左手の御刀を地面に突き刺し、空いた左手の掌を明良に向ける。

 

「お前を――」

 

タギツヒメの左手の五指が曲げられ、握り拳が作られる。

 

「操るためだ」

 

ドクン――!!

 

「………!?」

 

息が止まった。比喩でも何でもない。本当に呼吸が停止した。全身の筋肉や血液が右往左往に流動し、視界が揺らぐ。立っていられずに膝を地面についた。

数秒で呼吸は戻るが、全身をミキサーにかけられて成形されていくような激痛は消えない。

 

「我がお前を支配できないとでも思ったか?」

 

タギツヒメの言葉が耳に届く。脳に直接刷り込まれるような感覚だ。

なおも身体の異常は消えず、両方の『腕』と『右足』も解除される。

 

「元々お前の中の力は我の半分。支配できない道理はない。流石に無条件で、とはまではいかないが体内の深部まで触れれば(、、、、、、、、、、、)それで十分だ」

 

「……! はっ……はぁっ……!」

 

「ただでさえお前は体内に大量のノロを取り込んでいる。普段は制御できていようと、均衡を崩してしまえば容易に自壊する」

 

脳がバラバラに砕かれているみたいだ。思考がまとまらず粗い息が漏れる。

 

「まだ声が出るとは大したものだな。いつまで続くか見物だ」

 

先程の刀は明良への攻撃ではなく、明良の肉体への干渉を可能にするための下準備だったのだ。

これは想定していなかった。干渉するにしても、ここまで強力なものだとは正しく理解できていなかった。

 

「だれ……がっ……!」

 

「?」

 

「あなた、の……いう……ことなど……っ!!」

 

まともに動かすこともままならない喉と舌で言葉を必死に紡ぐ。意思で負ければ終わりだ。何があろうと最後まで抗ってやる。簡単に好きにできると思わせてたまるか。

 

「ふっ……」

 

だが、タギツヒメはそれも余興だと言わんばかりに笑う。うまく働かない視界の中でさえ、その笑みははっきりと嫌悪感を感じさせた。

 

「柳瀬舞衣はお前に感謝などしないぞ」

 

「!?」

 

――聞くな。

 

耳を塞ぐ余裕はない。明良は心に壁を隔てるようにタギツヒメの言葉を無視する。

 

「お前の努力も忠誠も行動も全て報われることなどない。お前がどれだけのことをしようともな」

 

――それが何だ……何だと言うのですか?

 

「やがては己の人生を歩むことになる。その傍らに立つのはお前ではない」

 

――そんなことは知ってます。知った上でこうして……

 

「哀れなものだ。復讐を胸に誓い、人ならざる力を手にしたにも関わらず……その復讐すら為し遂げられず、最後は人間のために死ぬ。無知蒙昧で傲慢な者共のためにな」

 

――違う。

 

「人間を恨み、憎む心があるはずだ。計り知れない不条理に苛まれたお前は人を嫌い、疑い、憤る。決して癒えることのない己の復讐心から目を背けるな。お前を苦しめたのは人間の悪意だ」

 

――そんなこと……

 

「一片の価値もない人間に思い知らせろ。己の受けた屈辱と苦痛を。暴虐の限りを尽くし、人間を駆逐しろ」

 

――私は……私は、

 

「心を解放しろ。憎悪に染め上げろ。お前にはその力がある」

 

――………………………………………

 

「……………!!」

 

雄叫びが上がった。空を割り、人の頭を外から押し潰さんばかりの叫び声。人とも獣とも似つかない異形の外物が雷鳴のごとく叫びを空に轟かせた。

 

――クルシイ




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第38話 仮面

下準備みたいな回です。久々の本編でそれかよ! と私も思いますが、次回からなんです! お願いします! 次回はなるべく早くやりますから(必死)


「……どういうことだ」

 

十条姫和は困惑していた。タギツヒメとの決着をつけるため、可奈美、舞衣、沙耶香、薫、エレンの五人と共に折神家に突入した。ここまではいい。突入を妨害されないよう策は練ったのだ。

だが、突入後に強烈な違和感を感じた。

 

「誰もいないね……」

 

「親衛隊どころか、警備の刀使まで……」

 

可奈美、舞衣は困惑の思いを声にする。

場所は御前試合の決勝戦が行われた白州。本来なら刀使だけでなく一般の警備員も常駐しているはずのこの場所だが、今はこの六人以外の影も形もない。

 

「隠れている……わけでもないみたい」

 

「デスね。あれだけ大仰に飛んできたのデスから、気づいてないとは思えまセン」

 

「怠慢で職務放棄……んなわけねーか」

 

沙耶香、エレン、薫も口々に言うが、それに反応する敵もいない。

彼女らは上空からミサイルに搭載された状態でこの場所へ飛来してきたのだ。全身にストームアーマー――通称S装備を纏い、マスコミを利用して戦力を分散させ、考え得る最善の手段を採った。

それでも、作戦の性質上戦いは避けられないはずだったのだ。

 

「まるで、誰かが敵を片付けた後のようだな。だが、そんな奴がいるはずが……」

 

こんなタイミングで偶然第三勢力が攻め込んでくるとは思えない。

 

「まさか、黒木じゃないだろうな?」

 

明良が先行したことは知っている。明良がここの警備をしている者たちを全滅させたとでも言うのだろうか。彼の実力は未知数だが、果たしてそんなことが可能なのか。

 

「皆、何か来るよ!」

 

隣の舞衣が叫ぶ。月明かりに照らされた白州。その奥の建物の影から月明かりを背に何かが飛び、ぐんぐんと姫和たちのもとへと迫る。隕石のごとき速度で落下してきたその物体により、砂利や粉塵が舞い散る。

 

「敵か!?」

 

こんな芸当をやってのける以上、ただの人間という線はない。何者かの投擲物かとも思ったが、粉塵の奥の影はゆらりと不気味な動作で立ち上がった。間違いなく、何らかの生物だ。

 

――荒魂……まさか、タギツヒメか?

 

有り得ない話ではない。総大将たる自分が出刃るなら、事情を知らない刀使や警備員を同伴させるわけにはいかないからだ。

 

「皆、構えて! 写シ!」

 

舞衣の号令で六人が抜刀、そして写シを貼る。まずは相手の出方を見ようとその場の全員が御刀を構えたまま待機する。

やがて粉塵が晴れて奥の何か――その生物の正体が映し出されていった。

足首に届きそうな黒装束。フードで隠された頭部の端からは鈍色の髪。袖口から覗く指先は鋭利な鉤爪。恐怖を漂わせる身体から伸びる首、その先の顔は――

 

「仮面……?」

 

純白の面に眼と口を表す紅色の模様。人相と本性を隠す仮面が嵌められている。

 

「ねね、どうだ?」

 

「ねー……ねねーっ!!」

 

薫がねねに尋ねる。薫の頭に立つねねは、その人の形をした何者かに目を凝らし、威嚇するように全身の毛を逆立たせる。スペクトラムファインダーならまだしも、ねねの反応を見るにあれが荒魂なのは確かだ。

 

「これが……タギツヒメ?」

 

沙耶香が訝しそうに呟く。

 

「ああ、この禍禍しい瘴気も、風貌も……何より、こんな所にいる大荒魂など奴以外にありえない」

 

姫和は忌々しそうに舌打ちをする。小烏丸を握る両手が微かに震えているのがわかる。恐怖か、歓喜か、寒気か、えも言われぬ情動が渦巻いている。

 

――お前を斬る!!

 

「はあああっ!!」

 

迅移を用いた高速移動。そして刺突の勢いを利用した突進力と貫通力。目の前の荒魂の心臓部へと一直線に小烏丸の刀身が沈み、息の根を止める――はずだった。

 

「なん……だと……」

 

姫和の腕力と体重をかけた刺突。迅移による高速移動とそれに伴って伝わる運動エネルギー。それらを加味すれば、これはまず防げない攻撃だ。

しかし、目の前の荒魂は左手一本で小烏丸の切っ先を掴み、刺突を受け止めた。

刺突を受け流したわけでも、かわしたわけでもない。本来ならばその二つさえ困難なはずなのに、受け止めたのだ。

 

「っ! このっ!!」

 

姫和は御刀を荒魂の手から引き抜こうとするが、溶接でもされたかのように微動だにしない。

 

「ハヤイ、デスガ、オソイ」

 

低くこもった声。それでいて、無機質で無感情な雰囲気を振り撒いている。

 

「姫和ちゃん!」

 

可奈美が叫び、荒魂の右側から斬り込む。姫和と対峙している左側とは逆となれば反応が遅れるはずだ。だが、荒魂は可奈美に見向きもせず、右手の甲で彼女の刃を防ぐ。

 

「うそっ!!」

 

「可奈美、姫和、そのまま抑えてろ」

 

「油断大敵デス!」

 

薫が右斜め後方から大太刀を上段に振り上げ、エレンが左斜め後方から右切り上げ。姫和と可奈美に両手を使っている以上、もう防御の手段はない。たとえ察知されていようと関係ない。今度こそ一太刀、いや二太刀浴びせる!

 

「ツマラ、ナイ」

 

そんな確信を鼻で笑うかのように予想外の反撃が起こった。

 

「がっ!」

 

「うわあっ!」

 

荒魂の左右の肩甲骨辺りから赤黒い粘液が滲み出し、しなやかな鞭が形成される。鞭は薫とエレンの胴体と両手を拘束し、攻撃を無効化する。そうして体勢の崩れた二人を地面に仰向けに倒し、上から押し付ける。

 

「薫ちゃん、エレンちゃん!」

 

「……!」

 

舞衣が叫ぶと同時に彼女の隣に立つ沙耶香が跳躍する。狙いは荒魂の頭。前後左右からではなく、上空から刺すような突撃。

 

「ムダ」

 

吐き捨てるような台詞がまたもや仮面越しに荒魂から放たれる。その言葉通り、荒魂の右肩部から溢れた粘液が独りでに束ねられ、巨大な一本の手となる。巨大な手は沙耶香の身体を両腕ごと覆うように掴む。

 

「う……あっ……!」

 

「沙耶香ちゃん!」

 

「動け……ない」

 

沙耶香は抜け出そうともがいているが、腕力では敵わない。巨大な手は掴んだままの沙耶香を屋敷の塀の内壁に貼り付けた。

 

「そんな……」

 

舞衣は驚愕に染まった表情で立ち尽くしてしまう。タギツヒメの力がここまで圧倒的だとは思わなかったからだ。自分達六人を相手にして、姫和と可奈美の剣を防御し、薫、エレン、沙耶香の三人を無力化してしまうとは。

 

「このままじゃ……!」

 

 

※※※※※

 

 

「………」

 

彼は暗い場所にいた。光が差し込まないわけではない。目を黒い塗料で潰されたような感覚だ。目も、耳も、鼻も、舌も、肌も、あらゆる感覚神経が自分のものではなくなったように感じた。

 

――寒い

 

周囲の温度の低下など感じ取れはしない。が、彼は寂しく、暗く、満たされない思いに胸を焦がされている。

それらが集約され、全身が冷えた金属のように冷たく、寒くなってしまった。

 

――誰か、誰か……

 

こんな場所にいたくない。こんな思いを感じ続けていたくない。だが、自分ではどうしようもない。

誰かがこんな牢獄のような場所を壊してくれる。そう願うしかない。

 

――誰か、私を殺してください

 

彼の願いは口から発せられることはない。だが、誰かが彼の心を汲み取ってくれると信じ、彼は流れ込んでくる感覚に身を任せた。

 

 

※※※※※

 

 

「可奈美ちゃん、姫和ちゃん! 一旦離れて!」

 

舞衣はいまだに荒魂と膠着状態にある可奈美と姫和を呼ぶ。

 

「………!」

 

「今だ!」

 

舞衣の声に気を取られ、荒魂の左手の力が抜ける。その瞬間を狙い澄まし、姫和は御刀を引き抜く。可奈美も荒魂の右手の甲に御刀を押し込むのを止める。

二人は迅移で舞衣の両脇に移動した。可奈美も姫和も荒魂を真っ直ぐ見据えているが、二人の表情は全く違う。姫和が恨めしく睨んでいるのに対して、可奈美は真剣に何かを考え込んでいる様子だ。

舞衣はその可奈美の様子から一つの懸念について口にする。

 

「ねえ、可奈美ちゃん、姫和ちゃん……もしかしてなんだけど、あの荒魂――」

 

「うん、私も多分同じこと考えてる。やっぱり、舞衣ちゃんは気づいてるんだね」

 

「……どういうことだ」

 

舞衣、可奈美は唇を引き結んで閉ざす。姫和は荒魂を睨みながら横目で二人を見た。

 

「あの荒魂……タギツヒメじゃないかもしれない」

 

舞衣の言葉に姫和は「なっ……」と思わずこぼす。

 

「明らかに御当主様と体格が違うし、何より御刀を差してないどころか、使う素振りも見せてない」

 

「だが、奴は何もない場所から御刀を抜いているんだ。だから持っていないだけでは……」

 

「それでも、この人数相手に全く使わないのは不自然じゃない?」

 

確かにそうだ。紫に憑依しているタギツヒメは、姫和の『一つの太刀』を捌くほどの剣技を誇る。この六人を本気で制圧するつもりなら、わざわざ手加減する必要はない。倒せる倒せないはともかく、御刀を抜くことくらいはするはずだ。

それをしないのは、できないからか?

 

「だが、それならあいつは一体誰なんだ? こんなところにあんな強力な荒魂がいるわけがないだろう?」

 

「………」

 

舞衣はしばらく押し黙り、決心して目を見開く。可奈美は何かを察したのか、舞衣の背中を軽く押した。

それに呼応し、舞衣は一歩ずつゆっくりと足を進め、荒魂との距離を縮める。舞衣が歩く姿を見て、荒魂は防御や迎撃の構えを見せることすらなく、困惑したようにわずかに後退る。

 

「明良くん?」

 

「………!」

 

ほんの一瞬、確かに荒魂が仮面の下で息を呑んだのがわかった。

 

「ウ……ウア……アア……」

 

声にもならない声。苦痛か不快感か、荒魂は両耳を手で塞ぐ。そんなことでは脳裏に木霊する声を遮れはしない。

 

「アキ……ラ……? アキラ……アキラ、アキラ――」

 

繰り返し舞衣の言った名前を反芻する荒魂。

 

「アキラ……コロス、コロシタ……シンダ!」

 

悲痛で、悲哀な叫び。荒魂は両手を広げ、武器を展開した。左腕は肘から指先までを覆う鉤爪状の手。右腕は分厚い幅広の片刃剣。

 

「あれって、明良くんの……!」

 

「『左腕』に――」

 

「『右腕』か!!」

 

ほぼ間違いない。理由や経緯は不明だが、彼は人並外れた存在へと成り変わってしまった。

舞衣だけでなく、可奈美と姫和も御刀を握る手がぶれる。

 

「可奈美ちゃん、姫和ちゃん……私はあの人のこと……」

 

「わかってる、舞衣。あいつには用があるんだ」

 

「うん。明良さんを止めよう!」

 

あの外見や言動は普段の彼とはかけ離れている。自らの意思で敵対しているとは思えない。

何とかして彼を正気に戻してみせる。

 

「明良くんは両手だけじゃなく、多分その気になれば全身で攻撃と防御ができる。だけど、きっと無限にできるわけじゃない」

 

「作戦はどうする?」

 

「二人は身体から飛び出てくる触手を切り落としながら接近して。その間に私が懐に入るから」

 

舞衣は可奈美と姫和に目配せし、二人は静かに首肯する。

 

「「………!」」

 

可奈美は右、姫和は左にばらけて、同時に明良に向かって御刀を構えたまま駆ける。荒魂は『左腕』の掌を正面に向け、そこから四本の触手を生やす。触手は二人に二本ずつ迫り、拘束しようとする。

だが、二人は御刀で触手を切り飛ばす。

 

「グアッ……ガガッ……!」

 

触手を可奈美と姫和に斬られる度、荒魂は痛みに怯む。そのせいで触手の勢いも鈍った。劣勢を覆そうとさらに何本も触手を繰り出すが、それも次々に二人の斬撃の餌食となる。

 

「……シバリ……アゲロォッ!!」

 

自棄になったように叫び、姫和の身体に向かって何十もの触手が伸びる。しかも、速度は先程のものをはるかに上回っている。

 

「なっ……しまった!!」

 

姫和は触手を捌ききれず両手両足に巻きつかれ、御刀を取り落とす。

 

「姫和ちゃん!」

 

見かねた可奈美が迅移で駆け寄り、素早く姫和を縛っている触手を斬る。

 

「可奈美っ、無理だ! お前でもこの数は――」

 

「大丈夫」

 

有無を言わせず可奈美は姫和の前に立ち、御刀を正眼に構える。

 

「こんな明良さんになら、負ける方が難しいくらいだよ」

 

普段の可奈美の快活な声とは違う。冷めていて、相手を突き放すような雰囲気。

 

「………っ!」

 

可奈美は迫り来る数十本の触手を瞬きする間もなく全て切り払う。切り払いながら荒魂との距離を詰め、『左腕』の正面に届いた瞬間に大きく屈む。『左腕』の下に滑り込み、下方から切り上げる形で『左腕』の手首から先を切り落とした。

 

「ギニャァァアッ!!」

 

荒魂は激痛に叫ぶ。その行為は更なる隙を生んだ。可奈美は返す刃で荒魂の胴体を袈裟斬り、さらに右薙、左切り上――可奈美の刻む刀傷は荒魂に苦痛を与える。

そうなれば、次の反応もまた遅れる。

 

「舞衣ちゃん、今!」

 

「わかった!」

 

可奈美が後方に控えている舞衣に声を届ける。機を見計らっていた舞衣は可奈美と入れ替わるように荒魂の正面に立つ。

 

「ア………ア………ウウ……」

 

荒魂は舞衣が正面に立った途端、両腕を引っ込めて少しずつ後退る。可奈美に斬られた身体や『左腕』は再生したが、武器を向ける素振りすら見せない。

舞衣は御刀を下げ、鞘に納め、写シを解く。

 

「明良くん」

 

「………ッ!? チガ……ウ……」

 

荒魂は子供のように首を横に振りながら否定するが、舞衣はそれを優しく諭す。

 

「違わないよ。明良くんなんでしょ? お願い、声を……ううん」

 

舞衣は荒魂の左手の両方の面に手を乗せる。優しく包み、敵意も作為も一切存在しない、真っ直ぐな言葉を囁く。

 

「心を聞かせて」

 

その瞬間、舞衣の見ている景色も聞いている音も浮遊感とともに切り替わる。

彼の思いを、願いを、心を知りたい。聞きたいのだ。

 

――今から行くから……ちゃんとお話しよう、明良くん

 

舞衣はそのまま意識の変遷に身を任せた。




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第39話 どうしてそこまで頑張るんですか?

「………」

 

薄暗い部屋だ。小型の白熱電球のみが天井の中心に備え付けられているだけで、四隅には光が行き届いていない部屋だ。

四方の壁と、人が一人ギリギリ通れるくらいの間隔で配置されている本棚の列。窓はなく、外からの光は一切閉め切られ、部屋の壁や床のあちこちには埃や黴が蔓延っている。

部屋の中央には小さな円形の天板付きテーブルと木製の椅子。存在する扉は二つ。

舞衣はそんな部屋にポツンと立っていた。

 

「ここって……」

 

さっきまでいた折神邸の白州ではない。屋内の、しかも窓が存在しないことから地下室と思われる。

 

「ここが、明良くんの心の中……」

 

「正解です」

 

どこからか声が聞こえた。本棚の列の間に目を凝らすと、そこに誰かが立っていることに気づく。

ボサボサの黒髪に青い瞳、中肉中背の青年だ。身に纏っているのは所々ほつれたスーツ。歳は舞衣よりも三つ四つは上だろう。

舞衣はそれよりも、その人物の顔に確かな見覚えがあった。

 

「明良くん……!?」

 

明良と同じ顔だ。髪の色や服装は違うが、間違いない。

だが、目の前の青年は静かに首を左右に振った。

 

「違いますよ。私は彼の記憶です」

 

「記憶……?」

 

「彼が十七歳までに培った経験と育んだ人格によって形成され、残留している意識――つまり私は、折神修の心です」

 

舞衣は少々戸惑ってしまう。

以前明良から聞いた登場したかつての彼。精神と肉体に暴虐の限りを尽くされ、彼は一時とはいえ復讐の亡霊へと変貌したのだ。

目の前の彼は舞衣の知る黒木明良とは姿形が酷似していても、心の有り様は違うのだ。

 

「貴女は確か……柳瀬舞衣さんですね」

 

「知ってるの?」

 

「ええ。明良の記憶を見ましたから。貴女も、貴女の家族や友人のことも」

 

「さっきの戦いのときも見てたってこと?」

 

「見ていました。貴女たちがあまりにも必死でしたし、このまま長引かせて無用な傷を負いたくはなかったので」

 

修は舞衣と向かい合い、話を続ける。

 

「ここに呼んだのは、貴女と問答をするためではありません。貴女に理解してもらうためです」

 

「理解って、何をなの?」

 

「私が――黒木明良と折神修(わたしたち)がどういう人物なのかを、ですよ」

 

修は近くの本棚から一冊の本を取り、テーブルに置く。表紙には文字も絵もない。真っ黒なものだ。

修が本を開くと本棚がスクリーン代わりとなり、様々な映像が投影されていく。

 

「私たちはこの書斎で十七年の時を過ごしました。日の光の届かない、冷たく暗い牢獄のような世界で」

 

「うっ………」

 

舞衣は思わず口元を両手で覆う。本棚に映るのは何もかもまともな映像ではないからだ。

修が彼の両親から木刀で滅多打ちにされている映像。腐敗して蠅がたかった食事を生きるために無理矢理口にする映像。食事も睡眠もろくに取らず、人相が変わるくらい目に隈を作りながら勉強と鍛練に励む映像。

 

「人としての権利も尊厳もなかった。いえ、両親から人間扱いされなかった、の方が正しいですね」

 

舞衣は何も言えなかった。かけるべき言葉は見つからず、返すべき答えも思い当たらない。

 

「これらの日々の蓄積によって私の心に憎しみと恨みが果てしないほど募った。彼女らに己の罪科を胸に刻ませ、身も心も死に至らしめる――そうすれば私はようやく自分の人生を取り戻せる」

 

映像が途切れ、数秒ほど間をおいて別のものが映し出される。巨大なタンカーからノロが噴き出し、集結していく様があった。

 

「そのために私は、刀使に対抗する力を手に入れようと考えた。そして二十年前の災厄が起こった……」

 

修は本を閉じる。映像は完全に消え、また白熱電球のぼんやりとした光だけが部屋に広がる。

 

「ここまでの話は明良から聞いていますね。今の映像を見て、何か言いたいことはありますか?」

 

「……修くんや明良くんはまだ、復讐がしたいって思ってる?」

 

明良から話を聞いたときに疑問に思ったことだ。彼が十八年の眠りから目覚める前に両親は事故死した。結局、自分の目的を果たせなかった。彼の口からはそんな言葉は出なかったが、内心ではどう思っていたのか知りたい。

 

「舞衣さんは奇特なことを聞くのですね。まあ、教えてどうなるわけでもありませんが……私はともかく、彼は大して引き摺っていないようですね」

 

「じゃあ、修くんは?」

 

「私は眠る前の彼ですよ? 執着していないわけがない」

 

修は左手をテーブルにつき、力みながら握り拳を作る。木に爪が引っ掛りガリガリ音を立て、テーブルに五本の細長い傷ができる。

 

「だから、私は彼が嫌いです。私の目的を成し遂げずに悠長に眠っていた彼が」

 

「明良くんの方は納得してるの? 修くんと明良くんは何が違うの?」

 

修は大きくため息を吐く。

 

「……そういえば、彼は貴女には話していませんでしたね」

 

「……え?」

 

「こちらの話です。話を戻しますが、私と彼の違いは舞衣さんがいるかどうかです。私から言えるのはそれだけですよ。残りは貴女自身で考えてください」

 

含みのある言い方だが、舞衣はそれ以上追求しないことにした。

 

「荒金人は人間とは違います。人間と荒魂の共生体と言えば聞こえはいいかもしれませんが、その実態は欲に溺れた人間の傲慢の象徴。半永久的な寿命、強靭な再生能力と戦闘力。人ならざる者の力を手に入れた代償として、その者の心を確実に蝕んでいく。その結果が今の彼です。生命として無視できる存在じゃない」

 

今の彼、というのは大荒魂に近い存在へと変貌した明良のことを指しているのだろう。

だが、舞衣はそれに簡単に納得するわけにはいかない。納得したくない。

 

「あれはタギツヒメとの戦いで何かあったんじゃあ――」

 

「タギツヒメが彼を操ったとでも? 彼女は明良を追いつめはしましたが、精神を支配したわけではありません」

 

修は胸の真ん中をトントンと指先で小突く。

 

「彼は復讐を遂げられなかった無念を必死に押さえ込み、別の感情で塗り固めて誤魔化し続けていました。ゆえに、内側の感情を炙り出されれば自我が崩壊し、暴走する。暴走すれば、荒魂に成り下がる」

 

「不安定な存在だから、生きてちゃいけないって言うの? そんなのおかしいよ!」

 

声を荒げてしまう。普段は誰かにこんなことをすることはないが、明良のこととなるとどうしても平静を保てなくなる。

 

「彼は爆弾なんですよ。いつ起爆するかわからない、一度爆ぜれば盛大に周囲を巻き込んで災いを振り撒く。こんなことが許されると思いますか?」

 

きっと、今回爆弾のスイッチを押したのがタギツヒメだった、というだけのことだ。可能か不可能かはともかく、彼の心理状態の不安定さが周囲の人々の危険に直結していることは確かだ。

 

「それでも、私は明良くんに死んでほしくない。何とかする方法は私がどうやってでも見つけるから」

 

「……予想通り、しつこく食い下がる人ですね」

 

修はテーブルに置かれた本を手に取り、そのまま舞衣の正面に歩み寄る。

 

「もう、彼のことを解放してくれませんか?」

 

「……ど、どういうこと?」

 

どこか申し訳なさそうな、それでいて微かな微笑みが垣間見える表情で修は話を続ける。

 

「別に貴女が悪いわけではないですが、貴女という存在は良くも悪くも彼の行動理由となっている。今の彼は貴女と貴女の周りの人たちのために戦っています。しかしこれは、言い方を変えれば彼は貴女に縛られているのと同義」

 

「私が……明良くんを……」

 

「彼は必死です。生まれて初めて大切な人ができて、その人に対する想いは途方もなく強いものになってしまった。もはや、彼に貴女への想いを諦めろと言っても無駄でしょう。ですから、貴女から引導を渡してあげてください」

 

修は右手の指をパチンと鳴らす。それによって舞衣から見て左側の扉のノブが回り、開け放たれる。

 

「あの扉をくぐれば元の世界に戻れます。戻る頃には全ての問題は片付いているでしょう」

 

「そうしたら、明良くんはどうなるの?」

 

「死にます」

 

無表情、無感情、そんな形容詞が似合う顔だ。修は虚ろな眼で淡々と説明する。

 

「彼の心は内なる荒魂に敗北し、直ぐ様自壊する。さっきのように暴れる余力があったことの方が不自然なくらいです」

 

「だったら、そんなことできないよ! 明良くんともう一度話せばきっと――」

 

「中途半端な幻想を抱かせるくらいなら、いっそのことただの偶像のままにしておいた方がいい」

 

有無を言わせぬ声で修が遮る。

 

「貴女は彼にとっての偶像です。本気で愛していても、決して手を届かせてはいけない。どんなに尽くしても心を通わせてはいけない。彼は、自分が貴女と必要以上に近づけば、貴女が自分にとっての偶像ではなくなるとわかっていたんですよ」

 

悪人と善人、天涯孤独と家族円満、荒金人と刀使、観客とその偶像。全てにおいて黒木明良と柳瀬舞衣は違いすぎる。

 

「彼はもう疲れすぎています。限界に達して……いえ、限界なんてものはとうの昔に越えている。彼は憐れで、惨めで、そして頑張りすぎた」

 

修は恭しい所作で舞衣を開け放たれた扉へと誘う。

 

「もう、ここで終わりにしましょう。二十年前から続く悲劇も、彼の苦痛も。彼が安らかな想いを少しでも抱いている内に」

 

「………」

 

舞衣には多少なりとも迷いがあった。本当に彼を大切に思っているなら、安らかな眠りを与えることも優しさという修の意見も一理ある。

生まれてからずっと人間として生きられなかった彼。もしここで生き延びても、彼はこれからも自分を責め、生きることに喜びなど見出だせない。十七年の地獄の虐待の日々と十八年の眠りの日々。それらの年月を過ごしてようやく縋りついた手、それが舞衣だ。それなのに、すげなく手を振りほどくようなことをすればどうなる。筆舌に尽くしがたいほどの負の感情が沸き上がるはずだ。そんなことをするくらいなら、手が触れるか触れないかの距離で永遠に留まっていればいい。手を取るわけでも、振りほどくわけでもない。答えのわからない、希望を抱かせたままでいい。

 

――ううん、だけど、そうじゃない。

 

今の考えを否定はしない。だが、舞衣と明良は違う。近づいてはいけないわけでも、心を通わせてはいけないわけでもない。そんなことを誰かに命じられ、従う道理などありはしない。

 

「私は明良くんに会いたい。会って、ちゃんと話したい」

 

「………? 彼を苦しめることになるかもしれない、それがわからないわけではありませんよね?」

 

「わかってるよ。明良くんに会いたいっていうのは私のわがままで、それが明良くんにとっては迷惑かもしれないってことは」

 

「それなら――」

 

「あの人にとっての偶像じゃなくなるのはわかってる。だけど私は、明良くんとなら偶像でも幻想でもない、本当に傍にいたいって思ってる」

 

「そのせいで彼がどれだけ自分を責めると思いますか? 結ばれるべきではない間柄の二人を結ばせた、貴女の優しさに甘えることを彼は許さない」

 

明良が別れ際に語った己の心の内。舞衣に恋慕の情を抱いていることをさらされたこと。

だが、彼はそれを舞衣に伝えた上でも二人の関係を全く認めようとはしなかった。離れ離れで、自分の一方的な片想いでいいと、そう言ったのだ。

 

「甘えることがそんなに駄目なの? 明良くんが誰かに甘えたらいけないなんて、誰が決めたの?」

 

「……彼が、明良本人が思っているだけです」

 

やや悔しそうに修は答える。初めて見せる彼の表情だ。

 

「誰かに助けられることも、誰かに甘えることも、誰かと心を通わせることも駄目だなんて、そんなことする必要ないよ。少なくとも私は、明良くんが助けてほしいって少しでも思ったら、隣に立ってあの人の力になりたい」

 

「彼が人間でなくとも?」

 

「私には関係ないよ。少し人と違う力が使えて、特別な過去を持ってるだけで、明良くんは私たちと同じ」

 

彼は舞衣とその周囲の人々のために努力し、全力を以て守ろうとしてきた。仮に彼が人間でなくとも、舞衣が受けた恩も、舞衣が彼に対して抱いた感情も一片たりとも変わりはしない。

 

「私は明良くんに直接会って、ありのままの心を伝えたい。そして、明良くんからもありのままの心を聞きたいの」

 

「……」

 

修は数秒黙ったまま舞衣の瞳を、その裏まで見通さんばかりに凝視する。やがて、半開きになっていた彼の唇が言葉を紡ぐ。

 

「……どうしてそこまで頑張るんですか?」

 

漠然とした、テレビのインタビューでもやっていそうなありきたりな質問だった。

 

「彼は貴女の肉親でも、友人でもない。何が貴女をそうさせるんですか?」

 

答えは決まっている。ここで言ってしまっても構わない。だが――

 

「……いや、ああ……なるほど。やはり答えなくても構いません。これは、誰にでもわかる答えだ」

 

修は舞衣が答えるよりも早く顔を綻ばせ、クスクスと笑う。

 

「ですが、きっと明良はわからないでしょうね。むしろ、『察したとしても決して認めようとはしない』と言うべきでしょうか」

 

「……わかってるんだ」

 

顔が熱くなるのがわかる。きっと鏡でも見れば、自分の恥ずかしそうに慌てている姿が映ることだろう。

 

「やはり私は明良のことが嫌いです」

 

修は先程と同じ言葉を述べる。だが、今度は先程のような苦々しい顔ではない。穏やかで、優しい笑みの浮かんだ顔だ。

 

「こんなに優しい方に想われているだなんて、一人の人間として嫉妬してしまいますから」

 

もう、彼の突き放すような雰囲気はすっかり消え失せていた。

舞衣は感じていた。性格や所作には多少の違いはあるものの、本質的な部分は変わらないことに。目の前の彼の未来にも、こんな風に心から笑う可能性が残っているはずだ。

 

「合格です、舞衣さん。貴女にはこの扉はもう必要ありませんね」

 

修はもう一度指を鳴らす。開け放たれていた左の扉が閉じる。同時に、右の扉が開いた。

 

「こちらの扉の向こうに明良がいます。早く会いに行ってあげてください」

 

「うん!」

 

舞衣は扉に向かって走る。そこまで離れた距離ではないが、早く会いたいという気持ちがそうさせる。そこで、舞衣は扉の前で足を止めて後ろに振り返った。

 

「修くん」

 

「何でしょうか?」

 

「……ごめん」

 

「何がですか? 私は何もされていませんが」

 

頭上に疑問符でも浮かべそうなほど怪訝な顔つきになられた。舞衣は胸元に手を置き、握り締める。

 

「あなたが生まれてからずっと、助けられなくてごめん」

 

「…………」

 

修は眼を丸くして口がポカンと開きっぱなしになったまま固まる。しばらくしてその硬直が解け、彼は困ったように首をかしげる。

 

「私が荒金人になったのは貴女が生まれる以前のことです。そもそも助けられないのですから、謝る必要はないでしょう?」

 

「それでも、少しでも早く明良くんに会うことができてたら、力になれたんじゃないかなって思って」

 

現実としてはまずありえない。だけど、何らかの運命の悪戯によって彼と関わることができればよかった。彼の痛みを、孤独を、癒すことができたかもしれない。

 

「……本当に、貴女なら」

 

「?」

 

「いえ、何でもありません。それより、早く行くのではなかったのですか?」

 

「そうだね。じゃあね、修くん。扉の向こうで(、、、、、、)会おう」

 

舞衣は扉に手をかけ、くぐった。その奥に待ち構える彼に会いに、明良の心を聞きに。

 

「貴方が彼女に惹かれた理由、今なら少しだけわかる気がします」

 

扉を閉める直前、誰かの声が聞こえたような気がした。残念ながら聞き取れなかったが、穏やかな声色だったことはわかる。

 

「頑張ってください、舞衣様」




地味に修と明良の二人だと明良の方が精神的にこじらせちゃってるっていうね……なまじ片想い(本当は違いますが)をしてるからでしょうけど。愛情ってときには悪い方にも働くんですね……

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第40話 私も

やっと……


嘘を吐くのは得意だった。昔から何度も何度も何度も嘘を並べて自分を偽り、身を守ってきた。本当の自分を誰かに曝したことなど片手の指で足りる程度の回数しかない。

だから、彼女に対しても同じだった。最初は心苦しさも罪悪感もなかった。彼女も他の人たちと同じ、ただの人間。いや、刀使という職に就いているのならばむしろ敵に該当する人だ。

決して本性も出自も明かすな。明かせばこの人の傍にいられなくなる。

 

――なぜ……?

 

疑問に思った。何故彼女の傍にいられなくなることが自分の損害に値するのか。彼女に知られれば他の者にも広められるからか? 違う、彼女が一人喚いたところで彼の出自を信じる者はいない。

ならば、何故? 何故、あの穏やかで暖かい少女の傍にいたいと切望する?

 

――知っています。この感情の正体も、私の願いも。ですが……

 

それが何だ。彼女の身になってみろ。縁も所縁もない、ただの知り合い程度の認識でしかない男。それだけならまだいい。自分は最低のクズだ。ここまで酷い人物が他にいるわけがない。そんな奴に言い寄られるなど迷惑以外の何物でもない。

誰かと密接に関わってはいけない。願いを叶えられない、幸せにできない、期待に応えられない、自分はそういう奴だ。自分の手は誰かに縋りついて邪魔をするための機能しか備えてない。

一生闇の中で、光の当たる場所に立つ彼女の手助けをすればいい。それで幸せだ。

 

「この中で――この闇に溶けてしまえば……」

 

これでいい。やっと全てが終わる。自分が殺した人々の無念も少しは晴れるだろう。

最後に一目彼女と会いたい。いや、もういい。彼女に迷惑だ。最後は人知れず、何もかも諦めて終わりたい。そう、静かに、誰にも見つかることなく――

 

 

「明良くん!!」

 

 

※※※※※

 

 

「………」

 

「ねえ、私だよ。明良くん、話を聞いて」

 

舞衣が駆け込んだ部屋は、先程まで修と話していた部屋とは対称的に殺風景なものだった。真っ白な空間に同じく真っ白な椅子、それにぐったりと腰掛けている明良がいた。

 

「……なぜ来たのですか? もうお別れは済ませたはずです」

 

ボソボソと読経のような感情のない小さな声が明良の口から溢れる。

 

「まだそんなこと……」

 

「修から何を聞いたのですか? 私を助けろ、とでも言われましたか?」

 

呆れた声の彼。本当に同一人物なのか疑わしくなるくらいその雰囲気は冷めていた。

 

「言われてないよ。私はここに自分の意思で来たの。あなたとちゃんと話をしたくて」

 

「……お聞きしましょう」

 

舞衣はただ一言、呟くように明良に言う。

 

「話して、全部」

 

「………はは」

 

笑われた。喜びでも何でもない。失笑だ。観念した明良は滔々と語り出した。

 

「貴女を失いたくなかったんです」

 

俯いていた彼の顔が上がり、目の前に立つ舞衣を見上げる。

 

「今まで私は、人を信じない生き方を貫いていました。人には内なる悪意があって、表面では優しくしていてもいざとなったら平気で裏切られる。そんなことになるくらいなら人を信じるなんて無駄だ、と」

 

彼がいつもしていたことだ。彼は舞衣の周囲の怪しげな人物は当然、初めは舞衣の友人たちにも少なからず猜疑心を抱いていた。

 

「しかし、貴女と接している内に貴女は信じられるようになった。いえ、たとえ貴女に裏切られることになろうと、変わらずお慕い申し上げることができると思っていたからでしょうか」

 

舞衣は黙って聞き続けた。やがて、明良は頭を抱えて暗い表情に移り変わる。

 

「そんな貴女が好きになったから、私は以前よりも自分が嫌いになりました。身の程をわきまえずに、叶いもしない想いを未練がましく抱え続けている自分が」

 

叶いもしない想い。修が言っていたのと同じだ。明良は舞衣と自分の立場の違いを深く考えてそういう結論に至ったのだろう。

 

「愛人の子として異常な教育を受け、その復讐のために人の道を外れた。しかも、大荒魂を出現させて大勢の人々を犠牲にした上で。その中には可奈美さんと十条さんの家族も含まれていました。私が原因なんです。私がいなければこんなことにはならなかった」

 

藤原美奈都と柊篝。彼女たちは大荒魂との戦いが原因で逝去したのだ。その大荒魂出現の場には彼がいた。

 

「おかしいとは思いませんか? こんな大罪を犯した輩が、のうのうと生き延びて人並みの幸せに夢焦がれているだなんて」

 

彼の罪。古い汚れのように彼の心にこびりつく罪悪感は彼自身の幸せを許さない。

 

「私が貴女を守りたいと言ったのも、貴女の傍にいたいと言ったのも、きっとただの欲望なんです。何もせずにいたら、過去に押し潰されてしまいそうだから必死に誤魔化したかった。そのために、あろうことか貴女を利用していたんです」

 

諦めたような彼の目と顔。舞衣に嫌悪感を抱いているわけではない。ただ、罪悪感が増長しているのだ。

 

「貴女には生きて、幸せになってほしいんです。私が死ねば、もう何も起こらないはずですから。タギツヒメも荒魂も元に戻ります」

 

確かに、彼が死ねばタギツヒメの力は弱まり、逆転の目が出てくる。この戦いも一気に優位に立てる。それは間違いない。

 

「もうすぐ、自分で自分に始末をつけます。誰かの手を汚すよりも、その方が良いはずですから。それから――」

 

明良は自分の頭を押さえていた手をどけ、舞衣を見上げる。その顔はもはや、諦めや苦しみを通り越して哀しく微笑んでいた。

 

「今まで利用して、騙してしまって申し訳ありません。こんなことでは償いになりませんが、何かしてほしいことがあれば最大限叶えますよ?」

 

無理矢理、舞衣に嫌悪感を与えないように配慮した笑顔。だが、普段の彼のものではない。愛想笑い――足し算しかできない子供でも見破れそうなくらい下手な笑顔だ。

 

「叱責でも、制裁でも……泣いて詫びろと言うなら、実行します。死ねと言うなら、喜んで今すぐ命を断ちます。どうなさいますか?」

 

きっと、ここで舞衣がどんな無理難題を提示しても明良は実行する。不可能なものであっても本当に最大限叶えようとする。彼を口汚く詰っても、血が出るほど殴っても、土下座させても、自害しろと迫っても、全て涼しい顔で受け入れる。

今の彼にとって、舞衣の願いを聞くのは最後の願いなのだ。舞衣の意思で、自分と言う存在を終わらせてほしい。最後を看取ってもらいたいのだろう。だから、舞衣は――

 

「じゃあ、一つだけいい?」

 

「はい、何でもお申し付けください」

 

空気を吸い込み、一片の淀みもない声で言う。彼女の本心を。

 

 

 

「私と、これからもずっと一緒にいて」

 

 

 

誓ったばかりなのだ。彼を見捨てない。力になりたい、と。だから、ここではっきりと言う。自分の心からの願いを。

 

「…………」

 

明良は激しく瞬きを繰り返し、挙動不審に首をあちこちに向ける。出鼻がくじかれたと言わんばかりに舞衣に聞き返してきた。

 

「あの、舞衣様。申し訳ありません、何と仰いましたか? 聞き間違えたようで……」

 

「嘘だよね。今の言葉を明良くんが聞き逃したりするはずがないよ」

 

彼が舞衣の言葉を、ましてや彼女の願いを完全に聞き取れないことなど一度もなかった。

彼は認めたくないのだ。彼が考えていた願いの中で、舞衣の口から言わせてはならないと思っていた言葉であったことが。

 

「……どういう、意味なのですか?」

 

「そのままの意味だよ。家で一緒にご飯を食べて、買い物して、お話しして……二人で時間を共有していきたいの」

 

ありふれた、ちっぽけな願いかもしれない。劇的ではないかもしれない。だが、平和な時間を誰かと過ごせること以上の幸せなど舞衣には考えられなかった。

 

「なんで……そんなこと……」

 

明良はワナワナと震えて、怒りとも悲しみともとれない表情で舞衣に問い詰める。

 

「私の話も、私の過去も! 聞いていたのでしょう? 私はクズです! 人に迷惑をかけて不幸にすることしかできないのに、何の罰も受けずに生きてるような奴なんです! 私はもう、生まれなければよかったんです! あの暗い地下書斎の中で惨めに死んでいればよかった!」

 

何度も何度も、叫ぶ。冷静な面が目立つ彼とは思えない、感情に振り回された行動だ。

だが、この動揺は何かを塞ぎこんでいるがゆえのものだろう。

 

「それなら、どうして私のことが好きだなんて言ったの?」

 

「それは……」

 

明良が口ごもる。ただ感情をぶつけるだけでは無駄なのだ。彼の本心の上澄み、僅かに漏れ出た部分を見つけなければ。

 

「明良くんが本当に心から死にたいって思ってるなら、私にそんなことを話す必要はないよね? 私に突き放してほしいんだったら尚更に」

 

波止場で決別した際も、ここでの会話でも、明良は自分の舞衣への愛情を明かしている。彼が舞衣を自分から遠ざけたいのなら、自分の悪評を言えばいいだけだ。

 

「本当は、心のどこかで私に止めてほしいって思ってたんじゃないの?」

 

「………」

 

ばつが悪そうに目をそらす明良。さらに明良は畳み掛けてきた。

 

「私が荒魂となって貴女がたを攻撃したことは知っているでしょう? 私はまた暴れ出すかもしれないんですよ?」

 

「知ってるよ。だから、そのときは私たちが止める」

 

「…私がいるせいで、貴女や周りの方々が不幸になるかもしれませんよ?」

 

「それでもいいよ。私は明良くんがいなくなって幸せになるより、明良くんがいて不幸になる方が嬉しいから」

 

「……私の罪が貴女の肩に掛かるかもしれないんですよ?」

 

「そうさせてよ。私も明良くんを支えたいから」

 

「………私の………私は………」

 

言い尽くしたのか、明良は何度も逡巡を繰り返す。舞衣は三歩ほど歩き、明良との距離を詰める。

 

「明良くん……」

 

「!?」

 

舞衣は明良を正面から抱き締めるように両手を彼の後頭部に回す。明良は椅子に座っているため、自然と舞衣の胸元の大きな膨らみに明良の顔が当たる体勢になる。

舞衣は撫でるような手つきで明良の顔を自分の胸元へ誘った。抵抗はされたが、大した力ではない。本気で嫌がっているわけではないのだ。

子守唄を聞かせるように、耳元で彼に囁く。

 

「大変だったね」

 

胸の中の明良の身体がピクッと震える。

 

「辛かったよね」

 

おずおずと、明良の両手が舞衣の背中側へと回されていく。

 

「苦しかったよね」

 

舞衣の背中に回された両手が、ゆっくりとだが確実に強く彼女の身体を抱き締める。

 

「だから、もう休んで」

 

それが切っ掛けだった。

 

「うっ……うう……ぐ…………」

 

明良は強く舞衣に抱きつき、胸の中で啜り泣いた。制服が涙が濡れていくのがわかるが、不快感など微塵もない。

 

「いいよ。好きなだけ泣いていいから」

 

きっと彼は、疲れすぎていたのだ。自分の経験してきたことも、関わってきた人々も、彼の中に幸せな思い出を作ってくれなかった。全身全霊を以て目的のための努力をしてきたにも関わらず。

そんな思いの中、彼の目の前に現れた舞衣はどんな手段を使ってでも守りたい相手で、その目的のためにまた己を削って日々を過ごしていたのだ。目の前のことに必死になりすぎて、誰にも助けを乞うこともせず、一人で全力疾走を続けていた。そんなものが続くわけがない。彼の精神も肉体も削られすぎてボロボロだ。

だから、舞衣は彼を放っておけなくなったのだ。

 

「一緒に帰ろう。ね?」

 

「……はい」

 

胸の中で明良が答える。彼の声からはもう、哀しみも苦しみも感じない。

 

「……舞衣様」

 

「どうしたの?」

 

明良は何度も言い淀むが、舞衣は急かすことなく彼の言葉を待った。

明良は舞衣の背中をポンポンと叩く。解いてほしいようだ。名残惜しいが、舞衣は彼の頭を掴む両手の拘束を解いた。すると、明良は涙で赤くなった目で彼女を見上げて言葉を紡いだ。

 

「私は貴女が好きです」

 

彼からの面と向かった告白。もう何度かされているが、こうして正式にされたのは初めてだ。ゆえに、舞衣も自分の顔が赤くなってしまうのがわかる。

 

「……うん」

 

彼からの愛の告白。それならば、返す言葉は一つだ。そして、返す行動も……同じく一つ。

 

「私も好き」

 

やっと言えた。お互いに言えなかった想い。本当の心。

普通ではない。すれ違って、ぶつかりあって、気を遣われて、悲しみに暮れて、いくつもの障害があった。

だが、これからはもう離れはしない。

 

舞衣は想いを行動で示すように明良の両頬を手で包み、その唇にキスをした。




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第41話 願い

一ヶ月も空けてごめんなさいm(_ _)m

今回は短めですが、平成最後の投稿です。令和も投稿しますのでよろしくお願いします。


舞衣が明良の手に触れて数分。舞衣の両目は閉じられ、微動だにしない。明良も未だに沙耶香、薫、エレンの三人を触手で拘束してはいるものの、目立った動きは見せていない。

 

「舞衣ちゃんたち……どうしちゃったんだろ」

 

可奈美と姫和は御刀を構えたまま警戒を続けている。

 

「わからない。が、ここは舞衣に任せるしかない。あいつを救ってやれるのは舞衣しかいないからな」

 

「うん……そうだね」

 

そんな状態が続くこと、さらに数分。ついに変化が表れる。

 

「見て! 姫和ちゃん!」

 

可奈美が指さした先――舞衣の手と明良の手と離れていく。

 

「何だ……崩れて……!」

 

明良の手は指先から綻び、赤い微細な粒状に分解されていく。綻びは指先から腕、胴体、頭へと広がり、その下から明良の肌や服が覗ける。

明良の身体を覆っていたノロが全て分解された途端、彼は膝から崩れ落ちる。だが、地面に倒れ伏すことはなく、正面に立つ舞衣に抱き留められた。

 

「う……」

 

軽く呻き声を上げる明良。どうやら、命に別状はないらしい。

それを確かめた可奈美と姫和は急いで二人の元に駆け寄る。

 

「舞衣ちゃん、明良さん!」

 

「戻ってこれたんだな、二人とも」

 

「うん、私たちは大丈夫だよ。それより、皆は……」

 

舞衣は明良を支えたまま、五人の様子を確認する。可奈美と姫和に傷はないし、沙耶香、薫、エレンの三人を拘束していた触手も消滅したため、既に解放されている。

 

「こちらも問題ない。怪我人もなしだ」

 

「それより、明良さんはどうなったの!?」

 

可奈美が舞衣たちに迫ると、それまでぐったりと脱力していた明良がその瞼を重たそうに開く。

 

「ん……うう……ここは、折神家の……」

 

「明良くん! 目が覚めたんだね、よかったぁ……」

 

舞衣は彼を地面に座らせ、その顔を両手で挟んで自分の方へと向けさせる。

 

「どこか怪我とかしてない? 体調が悪いとか」

 

「えと……いえ、特には何も」

 

困った様子で答える明良。その元に沙耶香、薫、エレンの三人も合流する。

 

「明良……舞衣、よかった」

 

「ったく、世話焼かせやがって」

 

「これでオールセット、デスね!」

 

明良は全員が集まったところで、自分の顔を挟んでいる舞衣の手をペシペシと叩く。

 

「舞衣様、もう大丈夫です。自分で立てますから」

 

「ほんとに? 無理したら駄目だよ」

 

「わかっています。本当に大丈夫ですから」

 

舞衣の手が離れ、明良は右膝に両手を置いて力を入れて立ち上がる。顔色は青ざめ、動きは鈍いが、しっかりと両の足で立つことができている。

 

「さて、それじゃあ」

 

「デスね」

 

薫とエレンは目配せをして明良の前に立つ。エレンは明良と目を合わせてから、大きく左手を横に振りかぶる。嫌な予感がしたのも束の間、エレンの平手打ちが左頬に見舞われる。ビリビリと脳が揺さぶられる感覚と共に鈍い痛みが左頬に広がる。

 

「ぐっ……」

 

「薫、バトンタッチデス」

 

「おう。おらっ!」

 

今度は薫が明良の右頬に平手打ちをする。身長差のせいでまともには届かないため、ジャンプしてからだったが。

 

「お二人とも、何を……」

 

「何を、だと? お前が一人で突っ走ってたからだろーが!」

 

困惑する明良に薫は精一杯の睨みを効かせて叫ぶ。

 

「自分が荒魂だとか、過去に色々やってたとか、んなことにいちいちこだわって。そのせいで大事なもん見落としてたんじゃねーのか?」

 

「そうデスよ。むしろ、そんな理由でマイマイやワタシたちがアキラリンを見限ると思われる方が心外デス」

 

「それは……」

 

明良は反論できなかった。彼にとっては正しい行いだと確信していたが、今となっては間違いだとわかる。舞衣とのやりとりを経たことから、自分の胸に深くその感覚が刻まれている。

 

「ワタシたちからはこれだけデスよ」

 

「なら、次は私」

 

薫、エレンは下がり、沙耶香が明良の前に立つ。当然のように右頬に平手打ち。前の二人より衝撃自体は弱いが、明良の胸には鋭い痛みが走る。

沙耶香の表情には大きな変化はないが、心なしか悲しそうに見えた。

 

「明良は舞衣を泣かせたから……それは駄目」

 

「……はい、申し訳ありません」

 

「……うん、わかった」

 

沙耶香は下がり、最後は可奈美と姫和が立つ。可奈美が左頬、続けて姫和が右頬に平手打ちをしてきた。

 

「可奈美さん、十条さん……」

 

「明良さん、私たちって何のための仲間なの?」

 

「え……」

 

「明良さんを一人で戦わせて、死なせるために私たちがいるの?」

 

可奈美はいつにも増して悲痛な顔で明良を見上げる。怒り、哀しみ、それらの感情が混在した表情だ。

 

「何もかも抱え込んで苦しんでいる人がいて、その人を平気な顔で見捨てるような相手を私は仲間だなんて思わない」

 

そうだ。彼女たちは平気で人を見捨てるような人物ではない。そんな人達なら、明良がここまで命を捨ててまで守りたいと誓うことはなかったはずだ。

人を本当の意味で信じきれなかったのはタギツヒメだけではない。自分も人を嫌ってこそいなかっただけで、誰かに事を任せる気にはなれていなかった。

姫和は明良の胸ぐらを両手で強く掴み、言い聞かせるように言葉を連ねた。

 

「お前は自分一人が犠牲になって事を済ませればそれでいいと思っていたんだろうが、それは違うぞ」

 

姫和の普段の凛とした雰囲気とは少し違う。彼女の今の表情は不満と後悔に苛まれた人間のそれだ。

 

「舞衣がどれだけ自分を責めて、お前を助けたいと願ったと思う? お前は舞衣を失いたくなくて戦っていたんだろう? なら、何故舞衣も同じ思いだとわからなかった?」

 

「わからなかったわけではないんです。ただ、私が……」

 

「自分が一人で生きていると思うな。お前が死ねば、残された人たちの方がずっと辛い思いをするんだぞ。それがどれだけ耐え難いことなのか、私と可奈美は痛いほど味わったんだ」

 

「そうですね……貴女は、私が……」

 

彼女の母親、十条篝は二十年前の明良の過ちによって死んだも同然。何の罪もない自分の母の命が何者かの手によって奪われたのだ。それがどれだけ辛いかなど、言うまでもないことだ。

 

「言わなくていい。私はもうお前を斬らない。お前が死ねば、舞衣が悲しむ」

 

姫和は舞衣を一瞥した後、その場の人物を見渡してその表情を覗く。

 

「……私たちもそうだ」

 

「申しわけ……いえ、ありがとうございます、十条さん」

 

「姫和でいい、明良」

 

「姫和、さん」

 

「さん付けは……いや、もういい。舞衣、後はお前に任せる」

 

姫和と可奈美は言うべきことは終わったと、舞衣と交代する。

 

「舞衣様、私は……」

 

「明良くん、私に幸せになってって言ったけど、そんなの無理だよ。私にとっての幸せは皆と一緒にいることだから」

 

「皆様と一緒に……」

 

「その中には明良くんもいないと駄目なんだよ?」

 

「……私、私は……」

 

明良は涙が溢れそうになるのを必死に堪え、袖で目元を拭う。

 

「ごめんなさい、その……周囲の方々からこんなに心配されたのは生まれて初めてなので、つい……」

 

生まれてから十七年間、毎日罵声と暴力の日々。優しい言葉をかけてくれる、ましてや助けてくれる人物など一人もいなかった。

そのせいか、彼女たちの言葉は暖かく、明良の心には収まりきらないくらい大きすぎた。

 

「舞衣様、それから、皆様も……」

 

何度も逡巡を繰り返しながらだったが、明良は彼女たちに願いを言う。自分は一人ではない。

 

「私と一緒に戦ってください」




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第42話 罰として

急いで書いたんで普段より拙いかもしれないです。まあ、繋ぎの話なのでそこまで重要じゃないです。大事なのは次から!


明良と六人の刀使が合流し、お互いの蟠りもすっかり解けた頃。

 

「皆様、急ぎましょう。警備員や折神家の刀使の残党が今の騒ぎを聞きつけて接近しているかもしれません」

 

明良の言葉に六人は周囲の状況を確認する。

 

「確かに、何だか騒がしいかも」

 

「ああ、長居は無用だな」

 

可奈美、姫和は警戒を強めつつ祭殿の方へ目を向ける。折神紫――タギツヒメの待つ方向だ。

彼女もこちらが来ていることは百も承知。その上で決着をつけるために堂々と待ち構えているはずだ。相手に余計な時間を与える前にこちらから速攻を仕掛けることが最善のはずだ。

 

――! この匂い……

 

方針を定めたところで、明良の感知能力が敵を捕まえる。それも一つや二つではない。

その様子に気づいた舞衣が尋ねてきた。

 

「どうしたの、明良くん?」

 

「荒魂です」

 

明良の返答に対して薫、エレンは怪訝そうに眉をひそめる。

 

「荒魂だぁ? んなもんどこに……」

 

「スペクトラムファインダーには何も……タギツヒメのことではナイのデスか?」

 

「……! 見てください」

 

空を見上げる明良。六人も続いて首を頭上へと向ける。そこには奇妙な光景があった。

どす黒い血のような赤。そういう印象を先行させる色の雪が空から降り注いでいる。まだ五月で季節外れもいいところだが、その場の全員がこの雪の正体を察した。これは明らかに降水の一種などではない。

 

「荒魂かっ……! まさかこんなことが……」

 

姫和が歯噛みしながら空を睨む。降り注いできたノロは空中で結合し、荒魂としての肉体を形成していく。地面につく頃には数メートルは優に越える大きさへと成っていた。そんな現象がそこら周で同時多発的に発生する。

 

「タギツヒメが操っているのか、それとも大量のノロに引き寄せられてきたのか……原因は定かではありませんが、これは不味いですね」

 

「こんな数……キリがない」

 

「だけど、こんな数の荒魂を放っておくわけにもいかない」

 

沙耶香と舞衣は御刀を抜き、祭殿に背を向ける形で構えをとる。だが、その前に立つ二つの影があった。

 

「ったく、仕方ねぇな」

 

「ねーっ! ねねねー!」

 

「ここはお任せ、デスよ」

 

二人の前に立った薫は大太刀型の御刀を両手で構え、前方の荒魂に狙いをつける。そして、突進し、大きく跳躍。続けてエレンも薫の下に潜り込むように走る。

 

「きえー!」

 

上段からの切り下ろしが見事に決まり、目の前の荒魂の頭が真っ二つに割れる。直後にエレンの横凪ぎが胴体に入り、荒魂の肉体は崩れ、ノロへと還っていく。

 

「ここはオレに任せて先に行け」

 

薫は顔だけを後ろに向けて、左手の親指を立てながら言う。やたらと格好つけたポーズで、表情もかなり嬉しそうだ。

 

「ワタシたち、デスよ、薫」

 

「わかってるって。一回さっきの台詞言ってみたかったんだよ」

 

口調や雰囲気こそ冗談めかしているが、さっきの連携は本気そのものだ。任せても大した問題はないだろう。

 

「……わかった。でも二人とも、厳しくなったら退避に徹して。深追いはしないようにね」

 

荒魂を牽制する薫とエレンに舞衣は忠告する。二人は深く頷いた後、再び荒魂の群れへと走っていく。

 

「行きましょう。お二人の気持ちを無駄にはできません」

 

明良の呼び掛けに応じ、可奈美、姫和、舞衣、沙耶香は祭殿に向かって走る。タギツヒメの元へ向かう道中、姫和は明良に話しかけていた。

 

「ところで、親衛隊はどうしたんだ? 皐月夜見は以前倒したと聞いたが」

 

「燕さんと獅童さんは先日の里での戦いで戦闘不能にしました。まずこの二人は戦いに参加できないでしょう。皐月さんも貴女の仰るようにまだしばらく意識不明のはずです。ですが、此花さんはほぼ無傷です。彼女には警戒してください」

 

「わかった」

 

一行は途中の何畳も続く座敷の廊下を走り抜け、目的地を目指す。道中で敵に遭遇すると思いきや、人の気配はまるでしない。白州に現れた荒魂の討伐に向かったのだろう。

 

「……!」

 

――この匂い……

 

明良の感知能力が別の反応を示す。大きなノロの塊のものだ。

 

「皆様、もうすぐです。警戒を――」

 

「待って、明良くん!」

 

舞衣が明良の声を遮って大きく叫び、足を止める。三人は一瞬戸惑い、同じく足を止めるものの、明良は『舞衣が察知したもの』に対して一早く対処に移った。

 

「下がってください!」

 

明良は左の掌からノロを捻出し、肘から指先まで纏う。ノロが肥大化し、巨大な鉤爪状の指と成る。咄嗟に形成した『左腕』を廊下の左側の襖と四人の間に盾のように滑り込ませる。

次の瞬間、襖を突き破って雪崩のごとく無数の小型の荒魂が流れ込んでくる。

 

「ぐっ……このっ!」

 

『左腕』を叩く衝撃に耐えつつ、払い除けるように荒魂を受け流した。

 

「………」

 

解せない。そう思わざるを得なかった。この攻撃をしてくる相手は一人しかいない。だが、その相手はこの場に現れないはずなのだ。

こんな矛盾が起こったのは、見当違いのせいなのか。いや、彼女の忠誠心(、、、、、、)を見誤っていたからだ。

 

「皐月さん……」

 

「はい」

 

毛先だけ黒い白髪。感情の死滅した顔。左袖が捲られ、露出した左前腕には深い切り傷。

 

「驚きました。簡単には起きられないようにしたはずなのですが」

 

以前、刀剣類管理局の研究施設に潜入した際に明良は彼女と交戦した。彼女を驚異に感じた明良は脳に直接力を注いでノロを暴走させた。結果、彼女は昏倒し、暫くは意識不明の重体に追い込まれたはず……なのだが。

 

「何をしたのかは知りませんが、任務ですから。任務の際は出動します。それが私の存在意義です」

 

平気な顔――感情は読み取れないが、彼女の肉体は精神を凌駕している。どう考えても体に無理を強いているはずだ。

 

「相変わらず仕事熱心ですね……こんなときくらいは欠席すればいいものを」

 

「あなたも相変わらず、口の減らない方ですわね」

 

夜見の陰から、別の人物が姿を現す。ウェーブのかかったワインレッドの長髪に上品な言葉遣いの少女。此花寿々花だ。

 

「ですが、先程の様子からするとかなり消耗しているようですわね。普段なら、もっと早く防いでいるはずですもの」

 

「………」

 

寿々花の指摘した通り、明良は夜見の奇襲に全く反応できていなかった。舞衣の明眼と透覚がなければこの場の全員がまともに攻撃を受けていたに違いない。

タギツヒメにノロを暴走させられたのは明良も同じだ。そして、急激な変身と回復のせいで体力も気力も普段の半分以下だ。

 

「明良くん、下がってて」

 

明良を庇うように舞衣が立ち、御刀を夜見と寿々花に向ける。

 

「舞衣ちゃん!」

 

「行って、みんな! 明良くんをお願い!」

 

可奈美が反対するものの、舞衣は彼女に背を向けたまま言い放つ。有無を言わせぬその雰囲気に可奈美だけでなく、姫和も素直にそれを聞き入れた。

 

「わかった。無茶はしないでね」

 

「私たちも行くぞ、明良」

 

姫和は明良の肩に手を置き、ついて来るように促すが、明良は姫和に向かって首を左右に振る。

 

「いえ、姫和さん。私も残ります。舞衣様では、この二人の相手は少々分が悪いかと」

 

「明良くん……」

 

舞衣は不安そうな目で明良を見つめる。彼女としては今の明良を戦わせることに不安と心配を抱いているのだろう。しかし、

 

「舞衣様、一緒に戦うと誓ったばかりでしょう? たとえ半端な力でも、貴女の戦いに加わります。そして、貴女と貴女の大切な方々を傷つけさせはしません」

 

「もう、しょうがないなあ……」

 

舞衣は少し嬉しそうに溜め息を吐く。

 

「大丈夫、私が守るから」

 

「沙耶香ちゃん……!」

 

沙耶香は二人の横に立ち、可奈美と姫和を振り向き様に見る。

 

「行くぞ、可奈美」

 

「うん。行こう、姫和ちゃん!」

 

可奈美と姫和は明良たちに背を向け、タギツヒメの元へと駆ける。もうこれ以上の刺客はいないはずだ。可奈美たちの進行を妨げるものはないだろう。これで安心してこちらの戦いに専念できる。

 

「舞衣……」

 

敵と向かい合ったまま、沙耶香が舞衣に呼び掛ける。

 

「何?」

 

「怒ってる?」

 

「うん、沙耶香ちゃんも明良くんも、私の言うこと聞いてくれないから」

 

「……」

 

「……申し訳ありません」

 

沙耶香も明良も、バツが悪そうに顔を曇らせてしまう。

 

「罰として新作のクッキー、嫌って言うほど食べてもらうから」

 

「任せて!」

 

「全力を尽くします」

 

舞衣の笑顔と新作のクッキーという言葉に沙耶香と明良の士気が大幅に引き上げられる。

罰の当日はお腹を空かせておこうと決意し、明良は目の前の敵と正面から向かい合った。




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第43話 黙ってろ

今までで一番長いような気がします…
まあ、前回が短かったのでこれでいいでしょう( ^∀^)




対峙する寿々花、夜見の親衛隊勢と明良、舞衣、沙耶香の反逆者勢。しばらく膠着が続くかと思われたが、対峙して早々、戦局は変化した。

夜見の隣に立っていた寿々花は写シを肉体に貼り、迅移を用いて加速。一気に明良の懐に飛び込んできた。

 

「はあっ!」

 

「……っ!」

 

水平に真っ二つにされんばかりの左薙。容赦なく明良の腕を切り落とそうとするが、攻撃を察知していた明良は『左腕』で斬撃を受け止める。

 

「夜見さん、この方は私がお相手しますわ」

 

「ええ。では――」

 

一瞬のやり取り。その酌み交わしだけで夜見は左腕の傷口から小型の荒魂を解き放つ。その荒魂は舞衣、沙耶香の周囲を取り囲み、明良は簡単に手出しができなくなってしまう。夜見は舞衣と沙耶香、寿々花は明良、という対決の構図が出来上がった。

 

「よろしいのですか? 今の皐月さんでは舞衣様と沙耶香さんの二人は荷が重いでしょうに」

 

「あら、あなたにしては見誤りですの? それともお得意の口車に乗せようとでも?」

 

「……さあ、それはどうでしょうね」

 

正直なところ、寿々花の採った策は正しい。今の構図が逆の場合――夜見が明良、寿々花が舞衣と沙耶香を相手取っていた場合、親衛隊勢は不利だ。

いくら寿々花と言えど、舞衣と沙耶香の二人の剣をたった一人で全て捌くことはほぼ不可能のはず。長期戦に持ち込まれたら寿々花の負けは見えている。

夜見と明良にしてもそうだ。夜見の小型の荒魂による圧殺や全方位攻撃は、荒魂の力を操作できる明良には通じない。攻撃手段を封じることができれば、後は明良一人で十分に倒せる。

 

「今のあなたでは、私一人も倒せませんわよ? その腕も、形を保っているだけでやっとではなくて?」

 

「よくご存じで……」

 

そうだ。今の明良は『左腕』しか使えない。使えるノロの量は極めて微量で、左の掌に集中させて纏うだけで精一杯なのだ。

寿々花の瞳が赤く光り、全身の気迫が増す。荒魂の力を発動させたのだ。

 

「私があなたを倒せば、後は柳瀬さんと糸見さんだけ。勝負は見えていますわ」

 

「ええ。確かに見えているかもしれませんね」

 

ここで、今まで余裕もなく苦笑いしていた明良の表情が嘲笑へと変わる。

 

「貴女が勝てば、ですがね」

 

「……まだそんな世迷い言を」

 

「世迷い言かどうかは、これからわかりますよ」

 

明良のこの言葉を皮切りに寿々花は御刀を振り、明良の身体を狙う。寿々花の猛攻が続くが、明良は彼女の剣の軌道に反応し、紙一重で回避し続ける。

 

「なかなか……やりますわね!」

 

「いえ、これでも、少々、無理はしてますが――」

 

何とか回避を続けていたが、やがて寿々花の御刀が明良の肩や横腹にその刃を沈め、裂傷が生まれ始める。

 

「ぎっ……ぐっ……」

 

『左腕』で防御に徹するが、それでも彼女の太刀筋を捉えきれない。そのせいでどんどん明良の身体には傷が増えていく。

 

――この人……厄介ですね。たとえ万全の状態でもあまり相手取りたくはない……

 

真希の激烈な豪剣は強力ではあるが、彼女の性格上動きは読みやすい。夜見の荒魂を使った強襲は、荒金人である明良には全くの無駄。結芽の天賦の才による剣は比類なき強さを誇るが、己の剣に自信を持つ彼女は搦め手や騙し討ちに弱い。

明良は今までこの三人と戦い、辛くも全員撃退してきた。

 

「このままでは……」

 

勝つことは難しい。此花寿々花は他の親衛隊の三人のように抜きん出た才能や戦績は見られないが、決定的な弱点も少ない。

剣術も、性格も、頭脳も兼ね備えている。相手の弱点を狙う明良にとっては戦いづらいタイプと言える。

 

「はっ!」

 

「ぐ……あっ……!」

 

寿々花が上段から切り下ろした刀が返され、逆風を明良の左肘に見舞う。肘から先が切り飛ばされ、左腕が床に転がる。

明良の身体を離れて肉の塊と化した左腕を一瞥し、寿々花は言う。

 

「勝負あり、ですわね」

 

「そういう台詞は、相手を戦闘不能にしてから言うものですよ?」

 

「その腕が使えなければあなたの戦力はゼロになったも同然。それとも、もう片方の腕も失わないとわかりませんの?」

 

「その心配は必要ありませんよ」

 

明良は左肘の切り口を床に落ちた左前腕に向ける。左前腕は微細な粉末状に変化し、立ち昇り、左肘の切り口に集まって元の腕へと再生する。肉体だけでなく、着ていた服の袖も修復する。ノロを使用した戦闘服の機能だ。

 

「私に情けをかけてくださることは感謝しますが、そういうことは本当に勝ってからで結構ですので」

 

「無駄なことを。また切り落とされるだけですわよ?」

 

「でしたら、私はまた元通りにするだけです」

 

寿々花の御刀を構える手が再び動き出そうとした瞬間、この場に酷く不釣り合いな声が二人の動きを妨げる。

 

「さぁやかぁ~……」

 

高揚した薄気味悪い声色。女性のものだ。声の向かう先は現在夜見と交戦中の沙耶香に向けられている。

明良だけではない。舞衣も、寿々花も、夜見も、声を向けられた沙耶香もこの声の主に心当たりがあった。そして予想通り、声の主は夜見の背後の襖の陰から姿を現す。

 

「何やら騒がしいと思って、夜見を無理矢理向かわせて正解だったわね。沙耶香、あなたがいたんだから」

 

「………学長」

 

沙耶香は怯えか、驚きか、あるいは嫌気か、複雑そうに顔を歪めて呟く。

赤いスーツに結った黒髪、尊大な口調と態度。鎌府女学院学長、高津雪那だ。

 

「………」

 

沙耶香の隣に立つ舞衣は、沙耶香を庇うように彼女と高津学長の間に入る。

 

「ここに来た、ということはようやく私の元に帰ってくる準備ができたということね。早くこっちにいらっしゃい、そうすれば先日の戯言(たわごと)は水に流してあげるから」

 

すっかり沙耶香を自分の側に引き入れるつもりになっている高津学長に、舞衣は睨みを効かせながら警告する。

 

「沙耶香ちゃんはあなたに渡しはしません。大人しく――」

 

だが、高津学長はまるで舞衣の存在などありもしないかのごとく、ますます上機嫌になりながら沙耶香に捲し立てる。

 

「どうしたの沙耶香? そんな顔をして。何も恐いことなどないでしょう? あなたは私が見込んだ刀使だもの。あなたなら――」

 

高津学長は一旦言葉を区切り、夜見の背後に立つ。夜見の背中側から彼女の髪の毛を掴み、力任せに持ち上げて言った。

 

「こんな失敗作にはならない。だから安心して、私に全てを委ねるといいわ」

 

高津学長は沙耶香に見せつけるように夜見を掴んだ手を正面に掲げる。夜見は苦痛どころか嫌悪の感情すら顔に出さずに無表情のままだ。それとも、そもそもそんな感覚や感情を感じていないのか。

 

――高津学長……

 

明良は彼女の蛮行に少なからず苛立ちを覚える。夜見は敵だが、高津学長の行動そのものには嫌悪感がどうしても付き纏ってしまうからだ。

 

「夜見さん……」

 

明良が横目に寿々花を見ると、彼女の表情には明確な怒りと敵意が見えた。歯軋りをしながら高津学長を遠目に睨んでいる。わかっていたことだが、親衛隊から見ても高津学長の行動からは好印象など抱かれないようだ。

そんな周囲からの心象や視線を知ってか知らずか、高津学長の態度は尊大さを増していく。

 

「私に従っていれば、あなたは紫様に仕える最強の刀使――いえ、最高の御刀になれるわ。それがあなたにとっての使命であり、幸せなのよ、沙耶香」

 

夜見を掴んでいる手とは別の手で、沙耶香を招き入れるよう下から手を伸ばす高津学長。それに応える沙耶香の表情は変わらず複雑そうなままだ。

しかし、その複雑そうな表情でも沙耶香は自身の学長に自分の意思を告げる。

 

「もうやめて」

 

「あ?」

 

馬鹿にするような、呆けたような態度で高津学長は反応する。

 

「もうひどいことしないで。じゃないと、私は……」

 

「斬るのかぁ!? 私を、お前が?」

 

今度こそ、明確に悪意と挑発の込められた答え方をする高津学長。

 

「ひひ、はははは、あははははっ!!」

 

汚ならしい、下卑た笑いが高津学長の口から放たれる。数秒続いたその笑い声と笑顔は瞬間的に罵声と剣幕へと変貌する。

 

「出過ぎた口を聞くな!! 道具の分際であるお前に、私を斬ることなど許されないだろうが!!」

 

沙耶香も、舞衣も、高津学長に怯えはしない。だが、彼女の異常性の理解と彼女に対する敵意は固まった。

 

「御刀も、刀使も、荒魂も、刀剣類管理局も、全ては紫様に力を捧げるためにあるのよ。沙耶香、お前はそれを理解していないようね」

 

高津学長は夜見を掴む手を緩め、彼女を地面に放り出す。うつ伏せに倒れた夜見だが、普段と遜色のない無表情で地面から顔を上げる。

 

「おい、早く立て。お前の任務だろう」

 

高津学長はうつ伏せの体勢の夜見の右腕を履いているヒールで思い切り踏みつける。ヒールの踵部分の突起が右腕の肉に食い込むが、夜見は表情の変化どころかうめき声一つ上げない。

 

「全く、以前戯れに実験台として選んでやったときから変わりゃあしない。本当に不気味な奴……」

 

高津学長は顔をしかめながら夜見を踏んでいる足を退け、立つように促す。

 

「………」

 

立ち上がった夜見は何事もなかったかのように御刀を握り、眼前の舞衣と沙耶香を見据える。

 

「沙耶香以外は殺せ」

 

「了解しました」

 

冷たく言い放たれた高津学長の命令に無感情に答える夜見。再び左前腕に御刀で傷をつけ、その傷口から荒魂を放出する。

 

「沙耶香、少し頭を冷やすことね。お前にとって不要な、余計な淀みができているようだもの」

 

夜見の後ろに隠れ、偉そうに諭す口調で高津学長は沙耶香に言う。沙耶香は黙ってそれを聞いていた。

 

「………」

 

「お前は紫様の道具なのよ? あの方のために生き、あの方のために死ぬ。これ以上の幸せはないわ。お前からは感謝こそされ、恨まれる筋合いはないはずだけれど」

 

「……ちがう」

 

「いいえ、違わないわ。お前も望んでいるはずよ。そんなふざけた連中に何を吹き込まれたか知らないけど、お前の心の奥底には紫様に全てを捧げたいという思いが必ず――」

 

ヒュンッ

 

高津学長の声が不自然なところで止まった。彼女が意図的に止めたのではない。止めさせられたのだ。高津学長の右の首筋の近くを何かが通過し、切傷をつけたのだ。

 

「なっ………」

 

高津学長は思わず自分の首元の切傷に触れ、青ざめる。傷自体は大したものではないが、もしもあと数センチ深く切れていれば、頸動脈が離断して致命傷となる位置だ。しかも、高津学長本人はこの事態に全く反応も対処もできていなかった。

一体何故、誰がやったのかと高津学長は辺りを見渡すが、件の攻撃の実行者――明良は堂々と左腕を高津学長の方へと向け、攻撃体勢のまま彼女を睨みつけている。

 

「黙ってろ………黙っていてください」

 

「ひっ……」

 

恐怖で後ずさる高津学長を睨み続けながら、明良は静かに怒りをぶつける。

 

「次は頭を吹き飛ばしますよ、ヒステリック野郎」

 

明良の胸中はもう、怒りで張り裂けそうになっていた。高津学長の理不尽で自分勝手な物言いも、舞衣や舞衣の大切の人々を侮辱したことも。怒りでいっぱいだったのだ。

高津学長は怯んだ姿を誤魔化そうと寿々花を指差して大声で叫ぶ。

 

「く……お、おい、此花寿々花! 早くそいつを黙らせろ!」

 

「言われずともやりますわよ。あなたに命令されるまでもありませんわ」

 

寿々花はうざったそうに高津学長に返事をする。少し様子を取り戻したかのように彼女だったが、今度は沙耶香を庇うように立つ舞衣の声に意識を引っ張られる。

 

「高津学長こそ、もう何も喋らないで」

 

「……なんだと?」

 

「私は、沙耶香ちゃんも明良くんもあなたに傷つけさせたりしない」

 

「ふざけたことを……!」

 

高津学長はやりきれないと言わんばかりに舌打ちを吐いて後ろに下がる。少々邪魔が入ったが、これで元の体勢に戻った。

 

「高津学長はああ言っていましたが、どうですの? 個人的にはあなたを殺したくはないのですけれど」

 

「……はい?」

 

御刀を構えたまま寿々花が問い掛けてくる。その意外な内容に明良は首をかしげざるを得なかった。

 

「あなたには結芽を救っていただいた恩がありますもの。私なら適当に理由をつけて罰を軽くすることくらいはできますわ。そうすれば少なくとも死ぬことはないでしょう」

 

「それは私に言っているのですか? それとも私たちに?」

 

「勿論、あなた個人にですわ」

 

「論外です」

 

明良は右足を床に強く踏み込み、一気に加速。『左腕』を下手に構え、寿々花に接近。刈り取るように上に振り上げた。

 

「遅いっ!」

 

先手を打ち、隙を突いたと思ったが、寿々花には見切られていたようだ。後方に足を運ばれ、明良の『左腕』は空を切る。

その後も攻防は続き、寿々花の御刀と明良の『左腕』は何度も交差し、打ち合いが続いた。一見互角のように思えたが、その実は違った。

 

「はぁ……はぁ……ごほっ……」

 

「満身創痍、ですわね」

 

攻防を続けている内に明良の身体には何度も御刀が傷をつけ、血が流れていた。頬、肩、足、腕、全身に満遍なく。再生も始まってはいるが、極めて遅い。間違っても先程のような超速の再生は起こらない。

 

「速度も明らかに落ちていますし、攻撃の精度も粗い。もうまともに戦えはしませんわね」

 

寿々花の言う通りだ。足は痙攣して速度を発揮できないし、『左腕』に纏っているノロも今にも分解しそうだ。

 

「……簡単には勝てない相手であることは最初から承知の上です」

 

――ですが、

 

「貴女を倒す算段はもうついています」

 

 

※※※※※

 

 

「倒す算段……」

 

寿々花は明良が自信満々に告げた台詞を無意識に反芻していた。

 

――ハッタリ……? いえ、そう軽んじるのは早計ですわね

 

殺すまではいかなくとも、本気で斬り伏せるために御刀を振るっているのだ。自分の予想では明良はとうに地面に仰臥していなければおかしい。

つまり、既に彼は寿々花の予想を上回る動きを見せているということだ。

 

「相変わらず、あなたの考えはよくわかりませんけれど……」

 

寿々花は御刀を肩より後方に引き絞り、刺突の構えをとる。

 

「動けない身体ではその算段とやらも無意味ですわよね?」

 

突進し、刺突を明良に向けて繰り出す。苦しくも、この一撃は右によけられて不発に終わる。一点のみを狙った攻撃なら、横にずれれば回避は可能なのだ。

だが、寿々花の狙いはここから。右に避けた明良に向けて刺突から横薙ぎに御刀を振るう。

 

「………っ!」

 

「!?」

 

捉えた。と思ったが、明良の身のこなしは寿々花の斬撃の速度を上回った。彼は寿々花の間合いの外まで後退し、横薙ぎを回避。

寿々花は今度こそ驚きを隠せなかった。またもや、彼に自分の動きをいなされたのだから。

 

「これなら、どうですの?」

 

寿々花の視界から明良の姿が高速で流れていく。明良が動いたのではない。寿々花が超高速で移動しているためだ。

 

「……迅移」

 

「ええ。今のあなたに対処できまして?」

 

迅移で明良の懐に入り、一太刀浴びせて離脱。また懐に入って一太刀。ヒットアンドアウェイの戦法だ。一撃必殺は狙えないが、確実に相手の戦闘力を削いでいく。

もはや妥当というべきか、明良は寿々花の速度に反応し、斬撃を何度も防ぐ。

 

「先程より速度は増しているようですわね。ですが――」

 

刀使でもない者が迅移の速度に反応できるとは大したものだが、それにも限界はある。ましてや、彼のような負傷者ならなおのこと。

寿々花は防御の行き届いていない明良の右肩に御刀を突き刺す。

 

「がっ……」

 

まともに入った。再生が遅れている今の彼にとっては重傷だ。御刀を引き抜くと、明良は右肩を押さえながら床に膝をつく。寿々花は彼を見下ろす形で上段に御刀を振りかぶる。

 

「終わりですわね」

 

明良は顔を上げ、寿々花を見上げる。口から血を流し、息を荒げている。もう立つこともままならない。肝心の算段とやらもハッタリだったのか、あるいは失敗したのか。どちらにせよ、彼はもう反撃などできない。これで寿々花の勝ちだ。

 

「ええ、終わりですね」

 

明良は諦めたような暗い笑顔で答える。寿々花は己の確信の下、御刀を振り下ろした。

狙うは明良の左肩。両腕を封じればもう戦うことはできない。彼の挑発的な嘲笑の顔も、余裕綽々な顔もこれで消える。その思いを込めて体重を乗せた斬撃を見舞う。

 

 

 

「貴女の負けです」

 

 

 

寿々花が御刀を振り下ろすと同時に耳に届いたのは、この言葉。

決定的な一撃がただの空振り(、、、)に終わったと理解したと同時に目に飛び込んできたのは、彼の平気そうな顔だった。

明良が立ち上がり、寿々花はようやく我に返って再び御刀を振りかぶる。

 

「!? このっ!」

 

何故こんな距離で外したのかはわからない。しかし、今すぐ彼を倒さねば不味いことになるのは直感で理解できた。寿々花はやや乱雑ではあったものの、二度、三度と明良を斬り、刺し、払う。だが、当の明良本人の身体には何の外傷も生まれず、寿々花の手にも空中を切る手応えしか伝わってこない。

 

「言ったはずですよ」

 

何処からか明良の声が聞こえる。正面からではない。音量も方向もデタラメな奇怪な音で。

音の発生源を探ろうと必死に辺りを見渡すが、横手から伸びてきた赤黒い手が寿々花の胴体を掴み、壁に押しつけた。寿々花の写シは剥がれ落ち、肺の中の空気が大量に排出される。

 

「か……はっ……」

 

「倒す算段はもうついている、と」

 

寿々花を拘束したのは明良の『左腕』だ。どういうわけか、先程よりも大きくなっている。

『左腕』は寿々花を掴んだまま明良の身体を離れる。それによって左肘から先が欠損した明良の腕も再生した。

 

「一体……何をしたんですの?」

 

「それですよ」

 

明良は寿々花に近寄り、目元を指差す。一瞬何のことかわからなかったが、すぐに合点がいった。彼が操ることができるのは――

 

「荒魂……ですの?」

 

彼は荒魂の力で強化されただけの人間とは決定的に違う。荒魂の特性の支配権や操作能力は寿々花たちよりも遥かに上だ。

 

「荒魂の力による強化は筋肉だけでなく神経にも作用します。当然、脳内処理速度の加速や視覚、聴覚の鋭敏化も可能。しかしこれは、荒魂の力によって神経系に干渉できるということでもある」

 

つまり、とどめの一撃での空振りは寿々花の技量云々の問題ではない。明良によって方向感覚や距離感を狂わされていたのだ。

 

「ですが、そんな……干渉する力などどこに……」

 

明良はここに来た時点で疲労困憊だったはずだ。仮に今の芸当が可能だったとしても、そんな余力が彼に残されていたとは考えにくい。

 

「その分は貴女の身体から頂戴いたしました」

 

明良は左の掌を寿々花に見せながら種明かしを続ける。

 

「貴女との攻防を意図的に長引かせ、御刀を通じてノロを少しずつ吸収していたんです。貴女がはっきりと気づかない程度に、ほんの少しずつ」

 

「でしたら、貴女の速さが増していたのは……」

 

「ええ。私が速くなったのではありません。貴女が遅くなっていたのですよ」

 

気づいていないわけではなかった。だが、目の前の敵に対する警戒心と集中力のために無視をせざるを得なかったのだ。

それでも、無視してもよいと思わせるほど微量なノロをあの戦いの最中に奪っていたと考えると、彼の知略と技術は底知れない。

 

「貴女は私の作戦を常に警戒していた。ですから、あえて私の方から(ほの)めかすことで貴女の警戒心を煽り、焦りを生じさせたんです。貴女が私との戦いだけに集中するように」

 

「そんな、ことまで……考えるものなんですの?」

 

「そんなことまで考えるものなんですよ」

 

荒魂の力を使っていなければ負けなかったかもしれない。だが、もしそうだとしても彼には別の手段があったように思えてならない。彼に――黒木明良に戦略で勝負を挑んだこと自体が無謀だったのだ、と寿々花は思い知らされた。

 

「貴女は私を殺さない、と仰いましたね。私も貴女を殺しはしませんよ」

 

「……意外ですわね。情けのつもりですの?」

 

「……いえ、ただ」

 

明良は寿々花の頭にそっと右手を乗せ、慈しむような手つきと表情で呟く。

 

「貴女を大切に思う方々に免じて、というだけです」

 

視界が暗闇に閉ざされ、意識を失う直前の彼のその表情と声色。それは自嘲気味で、どこか微笑んでいたようにも見えた。

そのせいか、寿々花は己の敗北にも関わらず、不思議と安心していた。




とじとものレヴュースタァライトのコラボガチャ第二段で★4の舞衣が登場したときの私
→「私を本気にさせたようだな……(一万円をポケットから取り出す)」
→舞衣と姫和をゲット! 今までと比べると安い代償だぜ……財布スカスカだけど。

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第44話 私が奪う

まさか二週間以上空くとは……ごめんなさい!

もうそろそろ胎動篇終わりますから! そっから波瀾篇もやるので……やること一杯だあ……


「ふぅ……」

 

寿々花の頭から右手を離し、一息つく明良。寿々花も苦しむ様子はなく、穏やかな表情で眠っている。

 

「……ご馳走様です」

 

寿々花の身体からノロを奪い取り、体力も回復し、使用可能なノロも補充できた。

 

「後は……」

 

夜見と交戦中の舞衣と沙耶香に加勢しなくては。そう思い、彼女たちの方へと視線を向ける。

舞衣と沙耶香は迫り来る小型の荒魂の群れを御刀で次々と切り払っているが、全く減らない。夜見が減った端から補充しているからだ。淡々と作業をこなすように自らの左腕に御刀の刃を突き立てる夜見に、舞衣は目を細めて言う。

 

「そんなに血を流したら、流石に死にますよ」

 

「あなた達が果てる方が先です」

 

舞衣の忠告も聞く耳持たずで夜見はいくつも左腕に傷をつける。

 

「……」

 

明良はそのやり取りを三人の横から黙って見ていた。確かに夜見の言う通り、数の勝負では夜見には勝てない。このまま静観しているよりも、自分も参戦して早期決着を図るべきではないか。

 

――皐月さんの注意がお二人に集中している今なら……

 

「明良くん」

 

「!」

 

明良が夜見に奇襲を仕掛けようとしたまさにその瞬間、舞衣は明良を横目に見つめながら呼び止めた。

 

「明良くんは休んでて。この人は私と沙耶香ちゃんが倒すから」

 

「ですが――」

 

「大丈夫だから」

 

有無を言わせぬ堂々とした声。舞衣は今度は明良を正面から見て、言う。

 

「今の私は、誰にも負けない」

 

「………はい」

 

根拠はわからない。ただの妄執と取られてもおかしくないかもしれないが、明良は舞衣の言葉を信じることができた。

いや、この程度のことが信じられなくて、どうして彼女のパートナーなどと言えようか。

 

「おい、早く終わらせろ」

 

「仰せのままに」

 

高津学長は苛立ちを露わにしながら夜見に命令する。次の攻撃を察知した舞衣は沙耶香に告げる。

 

「沙耶香ちゃん。少しだけ荒魂を抑えてて」

 

「……舞衣?」

 

「私が……あの人を斬る」

 

「……うん」

 

沙耶香は二秒ほど瞼を閉ざし、再び開く。その瞳は普段の薄紫色とは違う、赤銅の色に変わっていた。

 

「……!」

 

沙耶香が夜見の荒魂の群れに迅移を用いて加速し、突進。御刀で荒魂を切り払う。

本来ならそのまま接近戦が続く、そのはずなのだが。

 

「あれは……」

 

沙耶香は迅移の後の斬撃から、再び迅移で加速。後方から迫る荒魂を迎撃する。それからまた迅移で加速、といった具合に絶え間なく迅移を続けている。

 

「まさか、あれが『無念無想(むねんむそう)』……」

 

迅移とは瞬間的に加速して敵に接近、あるいは離脱を行う、という刀使の能力の一つだ。

本来なら一瞬で間合いを詰めるだけのものだが、沙耶香は持続的に迅移を行うことで超高速戦闘を可能としている。その技こそが『無念無想』だ。

 

「割れる……!」

 

夜見を庇うかのように舞っていた荒魂の群れが沙耶香の御刀によって散らされ、ほんの一瞬だが人間が一人通ることのできる穴が開いた。

その一瞬を見逃す舞衣ではない。舞衣は即座にその穴に飛び込み、その先に立つ夜見に向けて上段に御刀を振りかぶる。

 

「はっ!」

 

「………」

 

だが、夜見とてそれに気づかないわけがない。正面から迫り来る舞衣の御刀を同じく上段からの斬撃で迎え撃つ。

 

――いや、あれは……

 

夜見は上段からそのまま切り下ろし。だが、舞衣の御刀を持つ両手が彼女から見て左側にずれる。

 

「舞衣様……」

 

舞衣は夜見の左手側にすれ違い、お互いに御刀を振り抜いたまま停止した。

夜見は切り下ろし。そして、舞衣は――

 

「……お見事です」

 

舞衣は右薙ぎに御刀を振るっていた。

舞衣の剣を受けた夜見は称賛の言葉を簡潔に述べ、写シが剥がれて倒れ伏した。その直後、舞衣の髪を結んでいたリボンが解けて彼女の長い黒髪が重力に従って下ろされる。

舞衣は、あの一瞬の交錯の内に夜見の斬撃を回避しつつ一太刀浴びせたのだ。夜見の言ったように、明良も純粋に見事なものだと感じられた。やはり、先程は彼女を信じて正解だった。

明良は直ぐ様舞衣の元へと駆け寄った。

 

「舞衣様、お怪我は……」

 

「大丈夫。リボンが解けただけだから」

 

「……そのようですね。沙耶香さんも、お怪我の方は――」

 

安心して沙耶香の方へと首を回して見る。だが、荒魂の群れがいた位置に沙耶香の姿はない。

代わりに、夜見の後ろに立っていた高津学長は夜見が敗れるやいなや踵を返し、早足でその場から去ろうとしていた。

 

「くそっ! 出来損ないの親衛隊どもに任せたのが間違いだったか……! 今度はこうは――」

 

立ち去る高津学長の鼻先に何者かの御刀の鋒が向けられる。沙耶香だ。彼女は高津学長の行く手を阻むように立ち、両手に握り締めた御刀を向けている。

 

「さ、沙耶香っ……!?」

 

「………」

 

沙耶香は何も言わず、ただ静かに高津学長に御刀を突きつけている。当の高津学長も自信に降りかかるであろう危害に怯え、冷や汗を垂らしている。

 

「沙耶香ちゃん!」

 

「沙耶香さん……」

 

舞衣と明良は端からその様子を見ていた。どう見ても、沙耶香は高津学長を斬ろうとしている。

 

――ここで、彼女を斬ったら……

 

果たして沙耶香は大丈夫なのか。荒魂ではない、写シを貼った刀使でもない。生身の人間を斬ることの業を沙耶香に受け止められるのか。

無論、明良は高津学長の身を案じているわけではない。彼女のような小悪党だろうと、斬れば自らが人斬りと化すことは必至。

沙耶香が受けてきた仕打ち、これから受けるかもしれなかった仕打ちを考えると止めに入ることが正解とも断言できない。そんな葛藤に苛まれていた中、沙耶香はポツリと呟いた。

 

「熱い……」

 

「?」

 

突然の沙耶香の要領を得ない言葉に高津学長は思わず困惑する。

沙耶香は辛そうに、瞼を伏せて言葉を連ねる。

 

「可奈美の剣を受けた手が熱い。舞衣に抱き締められた肩が熱い。でも、あなたに御刀を向けると……胸が苦しい」

 

沙耶香の心の内、それを少しずつさらけ出す言葉だった。

しかし、高津学長は最後の一文に活路でも見出だしたのか、尊大な態度を取り戻して沙耶香に諭すように言う。

 

「ふ、ふふ……そう、ただの人形のお前にそんな感情があったのね。いえ、芽生えたのかしら? まあどちらでもいいけれど」

 

「………」

 

高津学長の言葉に沙耶香の御刀を握る手が微かに震える。

 

「いい、沙耶香? お前が今抱いているのは罪悪感よ。お前は本当は私を斬りたくないのだから。さあ、沙耶香、私に泣いて許しを乞いなさい。そうすれば、私がお前を最強の刀使に――」

 

「ちがう」

 

静かな、しかし強い声だった。沙耶香は真っ直ぐに高津学長の目を見て続ける。

 

「私は、あなたの望む刀使にはなれない――なりたくない」

 

「なっ、何を言って……」

 

沙耶香からの拒絶に、高津学長は先程までの尊大な態度を再び崩されてしまう。

 

「明良が背中を押してくれた、舞衣が私を抱き止めてくれた。空っぽで、人形だった私に心を育ませてくれた――私はこの熱をなくしたくない」

 

沙耶香は高津学長に向けていた御刀を下ろす。高津学長は未だに目を白黒させて沙耶香の一挙手一投足に怯えている。

 

「私はあなたを斬らない。あなたは……かわいそうな人だから」

 

かわいそう、たった一言ではあるが、明良から見て高津学長にはその一言が深く突き刺さっているように思えた。

自分が使役し、支配していた相手に憐れまれている。尊敬や畏怖の対象ではなく、憐憫で見逃されたのだ。自尊心の高い高津学長にとっては屈辱でしかない。

 

「沙耶香ちゃん……」

 

舞衣は沙耶香の傍らに立ち、そっと彼女の左手の指を自分の指と絡ませる。

沙耶香もそれに応えるように指に力を入れる。

 

「……行こう」

 

「……うん」

 

沙耶香は舞衣の手を引き、高津学長に背を向けて走っていった。数秒もしない内に二人の姿は広間から消えていく。

 

「ま、待って……沙耶香」

 

高津学長は縋るように去り行く沙耶香に手を伸ばす。残っていた明良は高津学長のその手を横から叩き落とした。

 

「いい加減にしてください」

 

「おまえは……」

 

もはや恨めしく睨む気力もないのか、高津学長は呆然と明良を見つめる。

 

「沙耶香さんはもう貴女の所有物でも、道具でも、人形でもありません。彼女は一人の人間で、舞衣様のご友人です」

 

もうこれ以上、この人と沙耶香を関わらせてはならない。誰のためにもならない、最低の結末にしかならないからだ。

 

「もう私たちに関わらないでください。もし破るようなら、今度こそ貴女を殺します。どれだけ、どんな場所に逃げようと必ず殺します」

 

明良はそれだけ言って、高津学長に背を向けて舞衣と沙耶香を追った。

うわ言のように沙耶香、沙耶香と呟く彼女に憐れみを覚えながら。

 

 

※※※※※

 

 

「おかしい……」

 

明良は舞衣、沙耶香の二人と祭殿へ走っている最中にふと足を緩める。

 

「どうしたの?」

 

「おかしいって……タギツヒメに何かあったの?」

 

舞衣と沙耶香も足を止めて明良に尋ねる。

明良が感じた違和感。祭殿に近づくにつれて顕著になっていたその感覚はたった今確信に変わった。

 

「祭殿にいたはずのタギツヒメの反応が無くなっています。何処か別の場所に……」

 

「逃げられたってこと?」

 

「いえ、彼女にとっては我々を始末する絶好の機会です。逃げ出すとは思えません」

 

時間的に考えてタギツヒメは可奈美と姫和の二人と衝突したはず。戦いの最中に移動したと考えると……

 

「少し待ってください。今から『探って』みます」

 

明良は目を閉じて意識を張り巡らせる。自身を中心として球形にレーダーを広げ、荒魂を探し始めた。

 

――白州……北門……いえ、こちらはただの荒魂……もっと別の……

 

レーダーが地下の深部に至った瞬間、焼きつくような刺激が目と鼻に走る。

 

「うぐっ……」

 

突然呻いた明良に舞衣と沙耶香が駆け寄るが、左手でそれを制した。

これではっきりした。タギツヒメが何処に向かったのか。

 

「地下にあるノロの大容量貯蔵庫……そこに彼女がいます」

 

「それって……」

 

「ええ。お二人とも、早く向かいましょう。もう手遅れかもしれませんが」

 

舞衣も明良も一つの可能性に行き着いた。一刻も早く可奈美たちに加勢しなくては。

 

 

※※※※※

 

 

全速力でノロの大容量貯蔵庫まで走り、辿り着いた三人。そこには件の人物――いや、もはや人と呼べる外見ですらなくなった者が待っていた。

 

「……ようやく来たか」

 

膝まで届く長い黒髪。上下に纏った軍服のような白い制服。左右の手に握られる二振りの御刀。紛れもなく折神紫――だが、彼女の髪から伸びる物体が明らかな異常性を隠しきれていない。

 

「タギツヒメ……」

 

紫の髪は彼女の頭上に伸びて、そこに形成された赤黒い塊から四本の腕が生え、それぞれの手が御刀を握っている。紫の腕も合わせて、合計六振り。赤黒い塊には、いくつもの眼が禍禍しく貼り付いている。

これが彼女――タギツヒメ。

 

「舞衣ちゃん、沙耶香ちゃんに明良さんも!」

 

「遅いぞ、お前たち!」

 

タギツヒメと対峙しているのは可奈美と姫和。そして、タギツヒメを挟むように可奈美たちとは反対側に立っているのは薫とエレンだ。

 

「ヒーローは遅れてー、とか言うけどな、早めに来たっていいんだぞ」

 

「薫、人のコト言えまセンよ?」

 

軽口を叩いている間に舞衣たち三人もタギツヒメを取り囲むように立ち、御刀を抜く。

 

「しかし、つくづくお前たちは奇特なことだな」

 

「はい?」

 

嘲笑混じりのタギツヒメの言葉。明良だけでなくその場のタギツヒメ以外の全員が疑問を抱いた。

 

「先程の黒木明良の蛮行――お前たちを手にかけようとしたにもかかわらず、お前たちは変わらず仲間としてその男と接している」

 

明良の蛮行……明良がタギツヒメに暴走させられ、六人と戦ったことを言っているのだろう。あの事態は明良が決定的に人間とは違うという事実を知らしめるものだった。

 

「我も、その男も、人に仇なす存在であることに違いはない。お前たちにとっては等しく斬る相手であるはずだ」

 

違う、と明良は言いそうになるが、否定できなかった。否定できる材料が圧倒的に足りないからだ。それに、当事者たる彼が否定したところで説得力などない。

唇を震わせ、悔しそうにタギツヒメを睨む明良だったが、そんなものは無用だと直後に思い知らされた。

 

「そんなことはありません」

 

凛とした声で舞衣が否定する。タギツヒメと明良は思わず彼女に視線を向け、続く言葉を待った。

 

「明良くんは、私たちを手にかけようとなんかしていなかった」

 

「可笑しなことを言うな。お前たちが剣を交えたことは事実だ」

 

タギツヒメから訂正が入るが、舞衣は左右にゆっくりと首を振る。

 

「いいえ。もし明良くんが私たちと本気で戦っていたなら、全員が無事で済むはずがなかった。あれは、明良くんの意識が私たちを傷つけないように手加減をしてくれていた証です」

 

「都合の良い解釈だな」

 

「たとえそうでも、私は――私たちは明良くんを信じてる。私たちはあなたを斬って、明良くんと一緒に帰る」

 

――舞衣様……

 

明良は自身の胸がじんわりと暖かくなっていくのを感じた。自分に突きつけられた罪状への恐怖、そしてそこから救い出してくれた愛する人への感謝の念。そして何より、信じたいと願っている人から信じてもらえたことの喜びがそこにあった。

明良は大きく息を吸って最後にタギツヒメに向けて忠告する。

 

「タギツヒメ……貴女は、私が奪う」




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第45話 心

お待たせしてすいません! もう毎回隔週になりそうです……もっと早く書こうとはしてるんですが(-_-;)

今日で本作も一周年ということで、二年目も気合い入れてもっと早く書いていこうと思います!


頭上の塊から生えている四本の腕、そして紫にある左右の腕。合わせて、合計六振り。おあつらえ向きに、こちらも刀使が六人。そして、もう一人。

 

「数ではこちらが上……ですが……」

 

そう簡単に勝てる相手ではないことは百も承知。だが、ここで勝たねばこの国の人々がタギツヒメの犠牲になる。

負けるわけにはいかない。

 

「せりゃあっ!」

 

誰よりも早く、可奈美がタギツヒメの元へと駆ける。タギツヒメは微動だにせず、頭から伸びる一本の御刀で可奈美の刃を防ぐ。

 

「まだだっ!!」

 

「無駄だ」

 

可奈美の背後から姫和、エレン、沙耶香が飛び出し、複数の方向からタギツヒメを狙う。だが、タギツヒメにはまだ手が残っている。三本の御刀がまた行く手を阻んだ。

 

「無駄だと言ったはずだ」

 

「いえ、まだです」

 

タギツヒメの正面に舞衣と薫、そして背後には明良。正面の舞衣と薫の剣は受け止めるものの、最後の明良に対してはもう御刀は残っていない。『右腕』の剣をタギツヒメの背中に突き立てる。

 

「戯れ言を」

 

タギツヒメに向けられた刃は直前で横合いから伸びてきた別の御刀に弾かれた。

 

「七本目……!」

 

タギツヒメの頭上の塊からもう一本の腕が伸びて、御刀を握っている。

 

「その程度か……それが全力か?」

 

見え透いた挑発。だが、こちらの動きが読まれて、対応されたのは事実。なりふり構ってはいられない。

 

「はぁっ!」

 

「そらっ!」

 

「きえー!」

 

全員が一旦距離をとり、明良以外の六人は迅移で攻撃と離脱を繰り返す。中距離では荒魂の腕、懐に潜り込めば紫の身体の腕が握る御刀が応戦してくる。一進一退の攻防。

 

「薫ちゃん、近づきすぎないで!」

 

指揮を行う舞衣が隣で戦っている薫に叫ぶ。そうしながら刀を受けていた舞衣だが、薫の方へと一瞬だけ注意がそれてしまう。

 

「うぐっ……」

 

その一瞬の隙を突かれ、タギツヒメの荒魂の腕の御刀が舞衣の腹部を貫く。写シが剥がされ、舞衣の身体が地面に転がる。

 

「舞衣! うっ……」

 

舞衣が倒れたことで、沙耶香は思わず彼女の身を案じてしまい、動きが止まる。またもやタギツヒメの御刀が迫り、沙耶香を貫いた。

 

「きえー!」

 

舞衣、沙耶香の戦闘不能に憤るように薫が上段の構えでタギツヒメに迫る。タギツヒメはそれを嘲笑うかのごとく薫を横凪ぎに斬り払った。

 

「がっ……」

 

続けて、薫の横に立っていたエレンの身体にも御刀が深々と刺さる。御刀が引き抜かれると同時に彼女の身体に貼られていた写シが消滅する。

 

「舞衣ちゃん、沙耶香ちゃん……薫ちゃんにエレンちゃんも……」

 

可奈美は悔しそうに倒れ伏す四人を見つめる。

 

「………」

 

明良は歯噛みしつつも倒れた四人の様子を観察する。呼吸は特に異常はないように見える。苦しそうな表情はしているが、命に別状はないはずだ。

残る可奈美、姫和、明良は三人で横並びになってタギツヒメと対峙する。相手は七本、こちらは三人。手数では逆転されてしまった。はっきり言って、こっちの勝ち目は薄い。

 

「あの秘術を」

 

「?」

 

タギツヒメが不意に口を開く。三人は弱冠の動揺を露にするが、続く言葉を待った。

 

「母と同じ秘術を使うつもりか、十条姫和」

 

「………」

 

明良は横目で姫和の表情を見る。焦りや緊張感で張り詰めた――いや、一抹の不安を抱いた顔だ。本当に成功させられるか、という不安を。

 

「我は二十年前、その秘術をこの身に受けた。お前の母、柊篝の手によって」

 

「……っ」

 

姫和の顔がわずかに曇る。

 

「隠世の彼方へと消え行く寸前、我は折神紫に取引を持ちかけた」

 

「それに紫さんが乗った……ということですか」

 

明良の確信を突いた言葉にタギツヒメはゆっくりと頷く。

 

「我という自我が生まれたのは、暗く冷たい貯蔵槽の中だった。自らの半身を奪われた喪失感、取り戻さねばならないという衝動に駆られた」

 

「半身……珠鋼のことですか?」

 

「ああ。我の進化してゆく知能、それを逸らせていたのは復讐心だ。そうして、我は禍神となった」

 

話をしている最中のタギツヒメは一見すると無防備だ。一か八かで攻撃を仕掛けようと思ったが、隣の可奈美と姫和は構えたまま動かない。タギツヒメの殺気は話をしながらも、一秒たりとも潰えていないからだ。

 

「禍神となり、悟った。我はいずれ人の手により滅ぼされるとな。ゆえに、策を講じた」

 

「策だと?」

 

姫和が眉をひそめてタギツヒメに聞き返す。

 

「人々に災厄を振り撒き、我を唯一滅ぼす能力を持つ者共を仕向けさせた。そうして奴等は現れた。企て通りにな」

 

「なるほど……」

 

得心いった明良とは裏腹に可奈美と姫和は疑問符を浮かべている。明良は二人に理解させる意味も含めて自分の推理を話し始めた。

 

「二十年前、特務隊のメンバーに紫さんと篝さんがいたのは偶然ではない、ということです」

 

柊篝が鎮めの儀を行ったのも、折神紫の肉体がタギツヒメに乗っ取られたのも、そして柊篝と藤原美奈都が生還できたのも。

 

「タギツヒメ、貴女はここまで読んでいたのでしょう? 二十年前から」

 

「……ああ」

 

タギツヒメは驚きも喜びでもなく、全くの無表情で肯定する。尤も、彼女は明良たちに期待をしていたわけではないのだろうが。

 

「当時、紫さんも篝さんも最強の刀使の一角に名を連ねていました。そして、篝さんの鎮めの儀があれば史上最大の大荒魂であっても撃退することができる。そうなれば、策は自ずと決まります。貴女は元々、紫さんの肉体を乗っ取るために行動していた」

 

今にして思えば大胆不敵な離れ業としか言えない。柊家の鎮めの儀の詳細な情報など、知らない者がほとんどだ。ましてや、世間からは最強の刀使である折神紫が何とかしてくれる、という期待があった。

『凶悪な荒魂を最強の刀使が見事斬り祓った』という新聞の見出しだけで人々は満足だろう。

そして極めつけは、そんな英雄である折神紫を誰も疑わないという点だ。

まさか、あの折神紫が荒魂に乗っ取られているわけがない。たとえ真実を言葉で訴えたとしても、こんな典型的な返事を浴びせられるだけだ。

 

「紫さんは折神家の直系、つまり荒魂との肉体の相性は高いはずです。貴女にとっては絶好の物件です」

 

「そうだ。『我と同化すれば柊篝と藤原美奈都の命は助けてやる』、そう言っただけで紫の心は瞬く間に傾いた。愚かな娘だ」

 

想像できる。簡単だ。

紫――タギツヒメと同化する前の彼女とはほんの数回目を合わせた程度だが、それでもわかることくらいはある。己が身を犠牲にしようとした篝と、篝を命懸けで取り返そうとした美奈都。その二人をどちらも救う方法があるのなら、紫は迷う間もなくタギツヒメの提案に応じただろう。

 

「愚か……? 紫さんがどんな思いで貴女との取り引きに応じたのか、私にはわかりますよ」

 

明良は自分の姉に対する侮蔑の言葉に声を低め、タギツヒメを睨む。

 

「そうか。我にはわからんがな」

 

タギツヒメは明良の言葉を一蹴し、彼女の頭上の腕がうねり始める。

 

「ちぃっ!」

 

予備動作に咄嗟に反応できた明良は回避できたものの、可奈美の身体には三本、姫和の身体には一本の御刀が突き刺さる。二人は写シを剥がされ、可奈美は地面に仰向けに倒れる。姫和はダメージが比較的少なかったのか、何とか立てているようだ。

 

「可奈美っ!」

 

姫和が叫ぶが、可奈美は軽く呻く程度でほとんど動けていない。倒れた可奈美を見下すようにタギツヒメは吐き捨てる。

 

「筋はいい。が、母親には遠く及ばぬ」

 

「可奈美さん……」

 

これでこちらの戦力は姫和と明良だけ。しかも、二人とも手負いで姫和はまだ戦闘に復帰できそうではない。大して、タギツヒメはほとんど無傷。

タギツヒメは明良の方を向き、右手に握った御刀を向けてきた。

 

「どうする? 今度はお前が己が身を差し出すか? 柊篝、藤原美奈都の娘たちを救うために」

 

「………」

 

タギツヒメが嘘を言っていない証拠はない。みっともなく許しを乞う人間の姿を見ることに享楽でも見出だしているのかもしれないが、彼女がそこまで人間に興味を持っているようには思えない。

これは単純に明良の能力が目当てなのだ。こちらに不利な状況を作り、拒否できないようにした上で持ちかけている取り引き。

受け入れれば生、拒めば死。ゆえに、明良の出した結論は一つ。

 

「お断りします」

 

首を左右に振ってタギツヒメからの提案を完全に拒否する。ここで初めて、タギツヒメの表情が曇った。

 

「意外だな。紫は脈々と受け継がれてきた刀使としての責務よりも二人の生還を選んだ。紫の弟であるお前なら、同じ道を選ぶと思ったのだがな」

 

「ええ。確かに以前の私ならそうしたかもしれませんね。ですが――」

 

「今は違う、か。まあいい。己以外の命は不要と切り捨てる――心とやらの有り様の一つだ。何らおかしくはない」

 

明良のこの言葉だけなら、非情にも仲間や恩人の命を捨てたと言える。だが、これを非情だと考えていたのは間違った考えに囚われていた頃の明良だ。

 

「心……貴女も復讐心や破壊衝動だけじゃない――人の優しい心を理解できるのではないですか?」

 

「馬鹿げたことを……何のために我がそのような――」

 

「紫さんと同化する取り引きを持ちかけた時、何故篝さんと美奈都さんの命を引き合いに出したんですか?」

 

明良にはわかる。紫にとって篝も美奈都も大切な存在だったからだ。二人を救うことができるなら、荒魂にこの身を奪われようとも、何とかして全員を救う道を見つけ出してみせる。そう強く思っていたから、紫は首を縦に振ったのだ。

問題は、この取り引きを持ちかけたのがタギツヒメであるということだ。

 

「お二人を救うためなら自分の肉体を差し出してもいい、そういう紫さんのお二人を大切に思う心を知っていたから、貴女は計画を実行に移したのではないですか?」

 

タギツヒメは人々に災厄をもたらした。今更善人だとか、小悪党などと擁護するつもりはない。

だが、彼女の行動と言動には違いがある。

 

「貴女は人の暖かい心を理解できている。そのはずなのに、人は脆弱だ、愚劣だと詰り、矛先を向け続けている」

 

人が完全に悪だと考えているのならそもそもこんな計画は思いつかない。タギツヒメは人の善悪を知った上で、人を悪だと考えている。

矛盾。繋ぎ合わせられない要素だ。

 

「何が言いたい? 我の半身を奪った者共に歩み寄れとでも? 我と並び立てているなどと思い上がるな。人間ごときが」

 

「その『人間ごとき』がいなければ、貴女は今日まで生き永らえることも、より強力な存在に成り上がることもなかった。貴女は人を利用していたのではなく、単純に助けられていたのですよ。まさか、気づかなかったのですか?」

 

タギツヒメの眉がピクッと動く。彼女とて挑発の類だとは見当がついている。だが、自分の言われたくないことを言われて激昂しない者などいない。荒魂であろうと例外ではない。

 

「一人では何もできないにも関わらず、自分を助けてくれる周囲の人々の力を己の力と勘違いしている。年端のいかない子供と同程度ですよ」

 

タギツヒメの注意は完全に姫和と可奈美からそれている。明良は言葉を絶やすことなく捲し立てた。

 

「貴女はただの、意地を張って暴れる子供だ。暴れるだけ暴れ回って周囲の迷惑など考えない――愚かなのはどっちでしょうかね?」

 

「……!」

 

タギツヒメの眼が見開かれ、荒魂の腕の御刀が五本とも明良の身体を貫く。

防御する間もないほどの神速の刺突。明良は倒れこそしなかったものの、口から血を吐き、だらりと脱力してしまう。

 

「明良!」

 

「がはっ……」

 

姫和が叫び、駆け寄ろうとしてくるが、明良の表情は苦悶には染まらない。

 

「ふっ……」

 

明良は口から血を流しながらも、口角を吊り上げ、笑みを浮かべる。

 

「やはり……愚かなのは貴女ですよ」

 

「何?」

 

「貴女と私は元々一つ。ならば、こんな芸当も可能だと思わなかったのですか?」

 

明良は左手で腹に突き刺さる御刀の刀身を握り締める。握り締めたことで掌が裂け、血が――いや、血ではない。

赤黒いノロが掌から滲み出て、御刀を覆う。覆い被さったノロは接着剤のように固まり、剥がれない。タギツヒメが接着面を紫の身体に握られている御刀で切断しようとするが、それも想定済だ。

 

「行け!」

 

明良の羽織っていたジャケットが変形し、一枚の布状になってタギツヒメの元へと飛ぶ。

明良の新装備であるノロを編み込んだこの服は、再生や防御の能力だけではない。攻撃にも転用できるのだ。

 

「なっ……」

 

ジャケットは紫の身体に巻き付き、拘束具のようにその動きを封じる。これで彼女の手は文字通り全て封じた。

 

「この程度で我を縛ったつもりか。こんなもの――」

 

タギツヒメは紫の身体を縛るジャケットを力任せに引き裂く。そして、左腕に接着させていた荒魂の腕も強引に引き剥がされた。

 

「……死ね」

 

タギツヒメの御刀が明良の全身を切り刻む。全身から血が溢れ、明良はとうとう立つことすらままならなくなり、うつ伏せに倒れる。

 

「お前では相手にならん。折神紫を超える者などこの世にはいない」

 

「ええ……そう、ですね」

 

明良は倒れたまま、かろうじて言葉を紡ぐ。肉体の再生は始まっているが、普段より遅い。

 

「まだ生きているか。だが無意味だ」

 

「私は……ただの時間稼ぎですよ。私では貴女には敵いません。ですが……彼女なら?」

 

明良はタギツヒメを、いや、彼女の背後を見ながらそう言う。

 

「何だと……」

 

タギツヒメは直感的に何かを感じ取ったのか、背後を――そこに立つ人物を見た。

そこにいたのは、写シを貼り、御刀を構える可奈美。いや、彼女は――

 

「紫、久しぶり!」




次回、胎動篇完結です。それからは波瀾篇をやっていきます。

質問、感想はお気軽に!(*´∀`)つ


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第46話 忠誠

お待たせして申し訳ありません。いや、お待ちしている方がいらっしゃるかどうかもわかりませんが……

プライベートが忙しくて中々書けませんでした。間空いたのにこれくらいしか書いていませんが。

胎動編はこれにて終了です。次回からは波瀾編になります。ちょいちょい箸休め回も入れますんで! よろしくお願いします!


表情も、立ち振舞いも、声の抑揚も普段の可奈美とは違う。どこか大人びた、勝ち気な雰囲気。

そう、まるで別人になりきっているかのような――

 

「何故、お前がここにいる」

 

毅然とした態度は崩していないものの、タギツヒメは可奈美を見つめたまま固まっている。

 

「お前は……藤原美奈都は死んだ……」

 

「でも、ここにいるよ。どういうことかわからない?」

 

挑発するように可奈美は笑う。首をかしげながら尋ねる彼女は、その直後にはもう行動に移っていた。

迅移を用いての加速、そして神速の斬撃が彼女の腕から繰り出される。

 

「こんなことはありえない……!」

 

「ありえるよ」

 

一本。タギツヒメの腕が切り飛ばされ、宙を舞う。重力に従い地に落ちた腕は空気に溶けるように霧散する。

 

「こうして戦ってるのが、証拠じゃないかな?」

 

二連、三連と続けてタギツヒメの腕は減り、最後には写シの貼られた紫の身体の左腕も切り飛ばされる。

 

「はっ!」

 

だが、やられてばかりのタギツヒメではない。左腕が切られる瞬間に、すれ違い様に可奈美の胴体に一太刀浴びせ、写シを剥がす。

 

「可奈美っ!」

 

地面を転がる可奈美に姫和は慌てて駆け寄る。可奈美の身体に目立った外傷はないものの、意識を失っている。もう戦闘不能に陥ってしまっている。

 

「………」

 

タギツヒメもまた、動かない。残った紫の身体に写シを貼り直し、失っていた腕を復活させる。そうして、姫和の方へと向き直る。

 

「……明良」

 

「……何でしょう?」

 

姫和は地面に踞っている明良に横目で視線を向けながら話しかける。

 

「後のことは頼む」

 

「……何のことでしょうかね?」

 

しらばっくれる明良に姫和はこれ以上追及してこなかった。再びタギツヒメに向き直り、両手を背中側に下げた姿勢で御刀を握った。

 

「……これが」

 

姫和の姿が消える。走り出した瞬間を見逃したとかではない。文字通り、消えたとしか言えない速度で移動したのだ。御前試合の決勝でタギツヒメに奇襲をかけたときよりも速い。あの時が銃弾ほど速いとすれば、今回のものは天を翔る稲妻だ。

 

「……っ!」

 

神速を越えた速度の姫和の刺突。それはタギツヒメを刺し貫いてもなお止まらない。何もない中空に円形の穴が形作られ、二人の身体はそこに向かっていく。

 

「私の『真の一つの太刀』だ!!」

 

叫んだ姫和の身体はタギツヒメと共に空間を駆け抜ける。柊家に伝わる秘術、自らの肉体共々相手を隠世の彼方へと葬り去る奥義。

かつて彼女の母がそうしたように姫和はタギツヒメにそれを行使した。

 

「姫和さ……ぐあっ!」

 

姫和に手を伸ばすためにもがこうとした明良。彼の胸に鋭い痛みが走った。姫和とタギツヒメが突っ込んだ穴から何かが伸びて、明良の胸に突き刺さっている。赤黒い触手――タギツヒメの腕だ。

 

「往生際の……悪い……くっ」

 

現世に留まっている明良の身体に掴まって自分だけ生き延びようとしているのか。明良は触手を掴んで引き抜こうとするが、熔接されたかのように触手は明良の身体に同化したまま離れない。

 

「まずい……これでは……」

 

タギツヒメを葬れないか、あるいは自分も隠世に誘われる可能性すらある。こんなこところで自分の存在が邪魔になるとは。

力任せに引き抜こうとしてもビクともしない。少しずつ、明良の身体も穴の方へと引っ張られていく。

 

「……っ」

 

ジリジリと全身が暗闇へと追いやられていく感覚。残り数歩で自分も隠世へと呑まれてしまう。

 

「ダメっ!」

 

横合いから浴びせられる凛とした声。それと共に自分とタギツヒメを繋ぐ触手は何者かの御刀によって断ち切られる。確認するまでもなかった。息切れしながらも御刀を握り、明良を助けたのは彼の主である舞衣だ。

 

「舞衣様……!」

 

だが、なけなしの力を振り絞っての行動だったのだろう。舞衣は糸が切れたかのようにその場に崩れる。明良は何とかそれを受け止めた。

 

「ありがとうございます。本当に……」

 

腕の中で気絶している主に礼を述べつつ、姫和たちが消えた穴を見る。いずれこの空間の裂け目も消えるだろう。そうなれば、姫和と紫は永遠に――

 

「姫和ちゃん!」

 

だが、彼女は――可奈美はそんな結末を許さなかった。閉じかけていた裂け目に飛び込み、姫和の元へと走っていく。

 

「頼みましたよ、可奈美さん……」

 

――姫和さんには、貴女が必要なんですから。当然、貴女にも……

 

明良の望んだ最後の希望。全員を救うには可奈美の力が要る。可奈美なら、姫和を救える。

明良はそう確信していた。

 

「!?」

 

可奈美が飛び込んだ直後、強烈な発光と音圧により視界が真っ白に染まる。

何が起きたのか理解できなかった。ただ、意識が飛ぶ直前に見えたのは二つの人影が地面に投げ出された光景だった。

 

 

※※※※※

 

 

「ここにいましたか」

 

「……あなたは」

 

タギツヒメとの戦いの数十分後。戦いの場に倒れ伏していた七人の中で最も早く目を覚ました明良は、即座にフリードマンに連絡した。舞草の専属救護隊が直ぐ様向かうとのことだ。折神家の警備がまだ残っているが、彼らは今回の騒動の事後処理に奔走しているはずだ。救護隊はヘリコプターでこちらに向かい、七人を迅速に回収する手筈らしい。

気を失っている六人を回収ポイントまで運んだ後、屋敷内に残党が残っていないかを捜索していたところである人物に出くわした。

皐月夜見だ。

 

「此花さんと高津学長はいかがなさいましたか?」

 

「お二人は警備の方々が医務室に連れていきました。今頃は安静にされているでしょう」

 

確かに二人ともある程度疲労や負担はかかっていた。当然と言えば当然だが、明良には納得できない部分があった。

 

「貴女も治療を受けるべきではないですか? もう戦えないのでしょう?」

 

「それを判断するのはあなたではありません」

 

夜見は腰に差した御刀の柄を握る。だが、明良は左の掌を向けてそれを制する。

 

「勝てないことはわかるでしょう?」

 

「繰り返し言うようですが、それを判断するのはあなたではありません」

 

「高津学長に私を殺すように命じられたからですか?」

 

「……ええ」

 

「でしたら、引き際ぐらいは弁えるべきでは?」

 

夜見の身体はボロボロだ。明良に体機能を崩され、完治していないにも関わらず戦いに身を投じ、あまつさえ舞衣と沙耶香に敗北したことでさらに負傷している。こんな状態では余計不利なことは目に見えている。

 

「高津学長に恩があるから、だから貴女はそこまで骨身を削って戦うのですか?」

 

「あの方は私の全てです。あの方がいなければ今の私はいません。でしたら、命令は絶対のものです」

 

「彼女が間違った選択を踏んだとしても?」

 

「……奇妙なことを仰いますね。黒木さんは違うのですか?」

 

違うのですか? とはつまり、どんな命令であっても忠誠を誓う主に背かない、逆らってはならないのではないか、と言っているのだ。

明良とて、舞衣への忠誠は天地神明にかけて揺らぐことはない。彼女の言うことならば聞きたい。それは確かだ。

 

「私も、舞衣様からの命令は必ず成し遂げると心に決めています」

 

だから、あえて自分の思想を全て話すことにした。

 

「ですが、明らかに倫理や道徳から逸脱した命令には従えないと思っています」

 

「………」

 

夜見は無表情でその言葉を……いや、僅かに顔が曇ったのを明良は見逃さなかった。

 

「黒木さんは柳瀬さんに仕えているのでしょう? それでも、なのですか?」

 

「だからこそ、ですよ。お互いの信頼関係がなければ主従の関係は成り立ちません」

 

「不実だとは思わないのですか?」

 

「間違った道に進むのを助長する方が不実です」

 

ありえないことだが、舞衣が明良に対して『可奈美たちを殺せ』などと命令を下したとする。間違いなく、明良は舞衣を説得して命令を取り下げさせるはずだ。

明良にとって舞衣は唯一の主ではあるが、思考停止しながら仕えているわけではない。

 

「高津学長は今まで間違いを犯してきた。そして、恐らくこれからも間違えていく。その先駆けがこれです」

 

明良は左手の人差し指を空に向けて伸ばす。深夜の闇の色ではない。どす黒い血のような赤。この世の終わりのような色が広がり、段々と薄れていっているところだった。

 

「タギツヒメの残した災禍が世界に広がりつつあります。高津学長も間接的とはいえ、この惨状に至らしめた原因の一つです」

 

「……ええ、そうですね」

 

夜見は理解はしているのだろう。世界を混乱させてしまったことを。だが、彼女にとってはそれよりも優先すべきことがあるというだけだ。

 

「正直に言えば、黒木さんの考えも理解できなくはありません。ですが、私は私の考えを変えないつもりです」

 

「別に構いませんよ。忠誠を誓う、という言葉の定義は簡単に決まりはしません。私達はただ、自らの主に向けられた刃を看過できないだけです」

 

夜見が明良の考えに理解を示したように、明良も夜見の考えには理解できる部分があると思えた。自分の崇拝する相手とは一蓮托生、死なば諸共、というのもそこまで悪くはない。

ゆえに、これは主義主張の違いなどではない。片方が刃を向け、もう片方が向け返した。そういう単純な話なのだ。

 

「また、会うことになるのでしょうね」

 

夜見は明良の左脇を通って、その場から離れていく。明良は彼女の方を振り向くこともなく、言葉を投げ掛ける。

 

「今度は恐らく、いえ、間違いなく戦うことになるのでしょうね」

 

「ええ。あなたに私怨はありませんが、その際はお覚悟を」

 

「貴女では私に勝てませんよ」

 

「そうですね。今の私(、、、)では、確かに……」

 

「? 一体どういう……」

 

気になって振り返ったときには既に夜見の姿はなかった。

 

「……今の、私……?」

 

確かな根拠はない。だが、先程の夜見には酷く不安定で不気味な執念の雰囲気が漂っていた。

 

「きっと、まだ終わりではない……」

 

タギツヒメは隠世に追いやった。可奈美と姫和も無事に帰ってきた。舞衣たちにも大きな怪我はない。

だが、これで何もかも終わりだとは到底思えなかった。

 

「……っ!」

 

明良の胸がズキリと痛む。時間にしては一秒にも満たないものだったが、生々しく疼きが残り続ける。

 

――これからも私は、あの方々を守り続ける。そうでないと、私は……

 

一抹の不安を胸に抱えながら、明良は歩き出す。絶対に舞衣と彼女の大切な人々を守る。きっとそれが、亡霊ではなく、人として彼女と生きるということだ。そう、心から願って。




余談ですが、早速水着ガチャで舞衣を引きました。33連なので早い方ですよ( ´∀`)
着替えモードで水着にして、ヤバかったですね。素晴らしいの一言に尽きます。こんなにもガチャの結果に満足したことはないくらいに。揺れまくってましたから、何がとは言いませんがね。
あ、でもどこぞの平城学館の中等部三年生の黒髪ロングの小烏丸の使い手さんは揺れるものも揉むものもないからなー、プークスクs『ブシャアッ!』(血飛沫)

ごふっ、え、えーと……それでは、次回からもよろしくお願いします、ごはっ(満身創痍)

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波乱編
第47話 これからずっと


波乱編開始――の前の前置き+イチャイチャ回です。
次回は本編通りに数ヶ月後に飛ぶかどうかはまだ決めてないです。


折神家におけるタギツヒメとの戦いから数日後。明良たち七人は刀剣類管理局御用達の病院に入院していた。

とは言っても、肉体に直接的なダメージを受けたわけではないため、疲労回復や精密検査という目的で身を置いているだけだ。来週には全員退院できると聞いている……一人を除けば。

 

「………」

 

舞衣は午前中の検査を終え、ある病室に足を運んでいた。その部屋のベッドには安らかな顔で眠りについている青年の姿がある。

明良は舞衣たちを舞草の回収ポイントまで運び、病院へ移動途中のヘリ内部で突然糸が切れたように気を失ってしまったらしい。

極度の疲労、肉体の損傷と再生を幾度となく繰り返した回数のせいで肉体の恒常性を維持することが難しくなったのだと聞いている。

 

「あの……彼はすぐに目覚めるんですよね……?」

 

舞衣は不安げな声色を隠しきれないまま、部屋に居合わせている女性看護師に尋ねる。

 

「ええ。先生の話ですと、このまま安静にしていればすぐに意識を取り戻すそうです。不安になられるかもしれませんが、今は……」

 

「あ、大丈夫です。命に別状がないなら、それで……」

 

お互いに愛想笑いを浮かべつつのやりとり。看護師も舞衣と明良の関係性を何となく理解しているのか、励まそうとしているのがわかる。

 

「よろしければ、側にいらしてあげてください」

 

看護師が会釈しながら病室を後にすると、舞衣は明良の眠るベッドの脇に椅子を置き、それに腰掛ける。

 

「明良くん……」

 

白銀色の髪、細身で整った顔立ち。世の男性なら大抵はこういう容姿の同姓に嫉妬や羨望やらの感情を抱くのだろう。だが、彼の中身――彼の歴史を知れば羨ましいなどという考えには至らないと断言できる。

 

――普段の彼からは想像できなかった……ううん、想像させようとしなかったんだ……

 

一年と少しという期間、明良は少なからず舞衣との交流があった。にもかかわらず、心の内に潜む闇を一片たりとも気取らせなかった。

今にして思えば、彼にとって自分を偽る――仮面を被りながら日常を過ごすことなど呼吸も同然のことだったのだ。彼は十七年間、日常としてそれをこなしていたのだから。

 

「ずっと独りぼっち、だったんだよね……」

 

舞衣は左の掌を優しく明良の頭に乗せる。やや低くはあったが、じんわりと彼の体温が伝わってくる。彼がここにいる、ということをより強く感じられた。

彼は間違っても、悪魔や怪物の類いではない。一人の人間だ。感情を必死に制御して、自分よりも自分の大切な人たちのために行動しなければならないと考えてはいたが、それでも心は確実に磨り減っていた。

彼の痛みは、彼の苦しみは彼自身が心の奥底に追いやっていただけなのだ。

 

「もしも、世界がもう少しだけあなたに優しかったら……どうなってたのかな」

 

誰に問うわけでもなく、ポツリと呟く。明良に彼の過去の話を教えてもらってから、ずっと考えていたことだ。

もしも、彼が荒魂と混じり合ってしまうことがなければ。彼が地力で脱出する前に誰かに助けられていたら。そもそも、彼が家族から愛されて真っ当な人生を歩んでいたら。

きっと、彼の心にここまでの闇が生まれることはなかったはずだ。彼は折神家の長男としての生活を約束され、裕福な生活を送ることもできたはず。彼の失った十七年間を取り戻すことが……

 

――取り戻したら、私は……私たちは……

 

彼が人間としてまともな人生を送る。それはつまり、今の彼と舞衣の関係性が消えるということだ。

彼は折神家本家の長男で、舞衣の親と同世代。人間としての彼とであれば、舞衣と明良は恋人同士どころか、プライベートで交流を持つことすらほぼ不可能となってしまう。結婚など夢物語だ。

彼は幸せになれるかもしれない。だが、舞衣は幸せだとは思えない。舞衣と明良が結ばれるには、彼に苛烈かつ凄惨な十七年を過ごすことを強いることになる。

 

「最低だ、私……」

 

舞衣は右手で胸元を抑え、悲痛な面持ちで俯く。

彼が舞衣に恋い焦がれている想い、それは知っている。だが、それでも自分の幸せのために愛する人が苦しむ選択肢を選んでしまうことに、激しい自己嫌悪を覚えた。彼の不幸につけこんで、彼の可能性を奪ってしまったのではないか。

間違えたのは、自分の方ではないのか。

 

「起きてよ……明良くん」

 

 

※※※※※

 

 

「はぁ……」

 

薄暗い病室の天井が視界に飛び込んでくる。上体を起こそうとしたものの、全身が鉛のように重い。睡眠時間の削減、長時間の戦闘、荒魂との融合の不安定化。いくつもの要因によって明良の身体はボロボロだ。一介の刀使や荒魂に負けることはないだろうが、親衛隊クラスの使い手ならまず勝てないだろう。

気合いを入れて上体を起こし、寝ぼけ眼を左手で擦り、意識を覚醒させる。

 

「ええと……携帯は」

 

左手側のテーブルに置かれた携帯端末を手に取り、日付と時刻を確認する。タギツヒメとの戦いからは数日、時刻は夕方よりも少し前くらいだ。

 

「こんなに寝ていたなんて……初めてですね」

 

寝ていた、というより厳密には気を失っていたのだが。

ここまで長時間覚醒状態でなくなったのは、二十年前に荒金人となって海に投げ捨てられたから十八年間眠っていたことを除けば、一度もなかっただろう。

監禁されていた十七年間は睡眠時間は限界まで削って鍛練に費やしていたし、二年前から今までもその癖が抜け切れなかったせいか三十分眠れれば良い方だった。

 

「ん……?」

 

鼻腔をくすぐる魅惑的な香り、そして右足あたりに伝わる温もり。それらの元を視線で探ると、そこには美濃関学院の制服に身を包んだ少女――明良の主、舞衣が静かに寝息を立てながらベッドの端に突っ伏して寝ていた。

見舞いに来て、長い間待っていたせいで寝落ちしてしまったのだろうか。

 

「舞衣様……」

 

このまま眠らせておこうかとも思ったが、初夏とはいえ毛布もなしに眠らせておくのは健康上良くないかもしれないと判断して、彼女を揺すり起こすことにした。早速、舞衣の左肩に右手を乗せる。

 

――小さい。こんなにも……

 

舞衣は同年代の女子と比べてもそこまで小柄ではないが、明良には触れた彼女の肩も体も小さく感じられた。

復讐を己に誓い、荒魂混じりに成り変わってでも目的を成し遂げようとした。そんなどす黒い感情がこの少女と関わったことですっかり溶けてしまったのだ。生涯をかけて積み上げ、綿密に練った野望よりも一人の少女との生活を選んだのだ。

二年前までの自分に告げたとしても、間違いなく鼻で笑う類の話だ。

 

「舞衣様、起きてください。風邪を引いてしまいます」

 

少し強めに肩を揺する。

舞衣は跳び跳ねるように身体を起こし、自分を目覚めさせた相手を確認する。

 

「明良……くん……」

 

「? は、はい……いかがなさい――」

 

「――っ!!」

 

信じられないと言わんばかりに目を見開いた舞衣。困った様子でそんな彼女の姿を見ていると、不意に視界が真っ白に染まった。

何かの攻撃を受けたのかと思ったが、そうではない。

肌触りの良い滑らかな生地、そしてその生地に包まれているであろう物体の持つこの世のものとは思えないほどの弾力。それらが明良の顔面に襲い掛かってくる。

続いて、何者か――恐らく舞衣の両手がそれらの弾力のある物体に明良の顔を押し付けるように後頭部を押さえつけている。

先程までとは比べ物にならないほど豊潤な香り、頭全体を覆うほどの優しい温かさ。ここまでくれば結論は一つだけだ。明良は現在、舞衣自身の手によって、彼女の胸元に顔を押し付けられているのだ。

 

「むうぐっ……」

 

身体の倦怠感、不意打ちの動揺、そして何よりも女性にとってデリケートな部分にここまではっきりと接触していることの羞恥心。明良の脳内は生まれて初めてではないかと思うほど狼狽していた。

明良は慌てて舞衣の拘束を振りほどこうともがくが、舞衣から返ってきたのは抵抗ではなく穏やかな囁き声だった。

 

「動かないで」

 

「……!?」

 

まるで金縛りにあったような感覚だった。消耗しているとはいえ、明良の腕力なら舞衣の拘束を解くことはできる。

だが、舞衣の切なく希う声色は明良に抵抗の意思を完全に奪ってしまった。

 

「今、放したら……明良くん、何処かに行っちゃいそうだから。だから、このままでいて……このまま、離れないで」

 

「ふぁい……」

 

心臓が普段の比にならないほど早く脈動しているのがわかる。きっと今の自分の顔が乙女の如く紅潮しているのも、鏡を見ずともわかった。

 

「明良くんがいなくなったら、私……きっともう、心から笑えなくなっちゃうと思う。明良くんがあの日、私たちの前から消えたときにそうだって改めてわかったんだ」

 

あの日、明良が舞衣と決別した日のこと。舞衣の執事を辞任し、タギツヒメと相討つ覚悟で折神家に乗り込もうとしていたときだ。

 

「ねぇ、どうして……どうしてあなたは、そんなに自分が嫌いなの?」

 

「………」

 

自分が嫌い、確かにそうだ。明良は舞衣に対する好意を許すことはできるようになった。

だが、未だに自分自身への嫌悪は消えていない。自分なんかが、自分さえいなければ。そんな自己嫌悪はそう簡単には消えないのだ。

 

「嫌いなのが悪いわけじゃないよ。ただ、嫌いすぎだよ、明良くんは」

 

――ああ、そう、ですね。

 

荒魂の力を宿している自分が嫌い。

二十年前の大災厄を起こした自分が嫌い。

罪を犯しながらも生きている自分が嫌い。

愛する人と人生を歩んでいきたいと願っている自分が嫌い。

嫌い、嫌い、嫌い、嫌い、嫌いばかりだ。

 

「私が絶対にあなたを幸せにする。だから――」

 

舞衣はより一層強く、明良を抱き締める。息苦しさが増すが、そんなものは舞衣の柔らかさと温もりによって掻き消される。

もはや、舞衣の言葉は脳に直接作用するかのように明良の身体に染み込んでいく。

 

「もう少しだけでもいいから、自分を好きになってあげて」

 

――ああ、もう、ずるい……本当にずるいですよ、貴女は

 

この人には勝てない。多分これからもこの人の優しさにどんどんほだされていってしまうのだろう。

だが、それに期待している自分がいることが嬉しく思えた。

 

 

※※※※※

 

 

「そ、そろそろ離すね」

 

数分ほど舞衣に抱き締められ、今になって解放される。

先程まで温厚に明良を励ましていた舞衣も、我に返って自分の行動に羞恥心がこみ上げてきたのか、お互いに顔を真っ赤にした状態でそわそわと目を泳がせていた。

 

「その……ありがとうございます、舞衣様」

 

「う、うん」

 

「ですが、意外でした。私の想像以上に大胆なのですね」

 

「や、その、さっきのは……」

 

明良の一言で脳内に鮮明に浮かび上がったのだろう。舞衣は自分の胸元を掻き抱く。

 

「そういう雰囲気だったというか……明良くんにああいうことしてあげたいって思ったから……すごく」

 

舞衣は後悔しているわけではないようだ。ただ、本当に自分の大胆さに動揺と羞恥の念を抱いているだけ。

 

「嫌だった……?」

 

「そんなことはありませんよ。とても嬉しかったです。今度は私がいたしましょうか?」

 

「ええっ!? い、いいよ、私は……」

 

「ご遠慮なさならないでください。24時間365日受付中です。舞衣様がお望みとあらば、それ以外のご奉仕もいたしますよ?」

 

挑発、慈愛、どちらともとれる笑顔で舞衣に問いかける。舞衣は焦点の合わない目で自分の頬を両手で押さえた。

 

「で、でも……そういうことはもっと……もう少し段階を踏んでから……」

 

「そういうこと、とは?」

 

「えっと、それは……」

 

「これからのご奉仕のためにも、お教え願いたいのです。さあ、どうぞおっしゃってください。可能な限り具体的に」

 

「だから……私と、明良くんが……」

 

そこまで言って止まってしまう。明良には彼女が何を考えているのかは大体の察しがついたが、あえて彼女の口から言わせようとした。

仕えるべき主にこんなことをしている背徳感、普段から穏やかな雰囲気で周囲の人々に接している彼女を恥ずかしがらせているという支配感。ある意味、これも明良にとって幸せな時間の一つだ。

 

「――っ!」

 

だが、悪ふざけの時間は打ち止めのようだ。ドアの向こう側、病室の外に誰かいる。こちらに向かってくる音が二つだ。看護師や医師ではない。

何かの鍛練を積んだ人間の足音だ。敵か? たった二人とは意外だが、この二人が明良と舞衣の二人を凌ぐほどの精鋭である可能性もある。あるいは、二人は囮で後続の部隊が窓から奇襲をかけるということも……

 

――どちらにせよ、舞衣様を守らなければ

 

今の舞衣と明良は目立った外傷はないものの、病み上がりだ。万全の体調とは言い難い。それならば、怪我をしても回復できる自分が盾になるべきだ。

 

「……舞衣様」

 

今の舞衣と明良の位置は、舞衣、明良の順で出入口に近い。舞衣を庇うように自分が立つ必要がある。そのためにも、舞衣に指示を出そうと彼女の両肩に正面から両手を置く。

 

「少し、じっとしていてください」

 

「え? え? ちょっ……待って」

 

「いえ、時間がないんです。ですから……」

 

「で、でも、誰か来るかもしれないし……」

 

「はい、来てしまいますから。その前に早くこちらに」

 

「だめだよ、もっとゆっくり……」

 

? ゆっくりしていたら間に合わなくなることは舞衣も知っているはずだ。にもかかわらず、こんなに顔を赤くして硬直しているのは何故だろうか。

 

「お急ぎください。そこまで待つことはできませんので」

 

「そ、そんなに、なんだ……」

 

舞衣は明良の少々切羽詰まった雰囲気から状況を理解したのか、舞衣の身体から力が抜ける。

 

「ちょっと触れるだけだから……ね」

 

――………んん?

 

舞衣は目を閉じて小刻みに身体を震わせ始めた。何のために目を閉じた? とか、ちょっと触れるとは何? など聞きたいことはいくつかあるが、何よりも明良は今から何をすれば良いのだろう?

彼女は一体何を待っている?

 

「あの……舞衣さ――」

 

尋ねようとしたが、もうそんな余裕もないようだ。ドアの前で二つの足音が止まった。舞衣とのやりとりは止めだ。

 

ガラッ

 

「……!!」

 

明良は自分に被さっていたシーツを跳ね除け、一足跳びでドアまで移動。ノロを左の掌から分泌させ、『左腕』を形成させる。

ドアが開かれ、訪問者が姿を見せる。

 

「って、おいおい。起き抜けから物騒だな」

 

訪問者は二人の女性だ。片方は女性にしては大柄で、色黒に銀髪という男勝りな外見の女性。もう片方は、肩までに切り揃えた茶髪に柔和そうな印象の女性。どちらも二十代後半から三十代半ばほどの年齢だ。どちらも面識がある。

 

「真庭学長、羽島学長……」

 

「ええ、久しぶりね黒木さん」

 

「申し訳ありません。足音から察するに敵かと思ってしまって……」

 

「わかったならいい。今は警戒しておいて損はないからな」

 

薫とエレンの通う長船女学園の真庭学長、可奈美と舞衣の通う美濃関学院の羽島学長。伍箇伝の御偉方である二人が何故こんなところに、という疑問はあったが、この二人ならば敵ということはないだろう。

明良は警戒の必要はないと判断し、『左腕』を解除する。

 

「……あー、取り込み中、だったか?」

 

「え?」

 

真庭学長が気まずそうに明良と舞衣の二人を見つめる。明良は何のことかわかりかねたが、舞衣が未だに目を閉じたまま固まっていることは確かだ。

その状況から真庭学長が何かを感じ取ったのだろうか。

 

「舞衣様、もう大丈夫です。いらっしゃったのは真庭学長と羽島学長ですから」

 

「え……学長……え、明良くんは?」

 

「私は先程からここにおりますが」

 

「ど、どういうこと?」

 

「……申し訳ありません、私には理解できません。洞察力の欠如でしょうか」

 

ほぼ間違いなく、舞衣は何か勘違いをしている。追求しようかとも思ったが、直感的にそうするべきではないと本能が警鐘を鳴らしていた。

 

「真庭学長、羽島学長、ご用件は何でしょうか」

 

「そろそろお前が目覚める頃だと思ってな。ちょっと話をしに来たんだ」

 

「私に……ですか」

 

「病み上がりで立ち話も辛いだろう。まずは座ってくれ」

 

真庭学長にベッドに座るように明良に促す。明良がベッドの端に腰掛けると、真庭学長が話を始めた。

 

「さっきの力、話には聞いていたが、荒魂の力が使えるというのは本当のようだな」

 

「知っていたのですね。フリードマン博士にでも聞いたのですか?」

 

「ああ、大体はな」

 

別に驚くようなことではなかった。今回の事件で明良の能力を目にした人々は多い。一般人はともかく、刀剣類管理局や伍箇伝の関係者なら知らない者はほぼいないはずだ。

 

「お前は今の刀剣類管理局が世間からどう思われているのか知ってるか?」

 

「ここの看護師や医師の方々の世間話程度でしたら聞いています。先日の一件は折神家で管理していたノロが暴走し、日本各地に飛散したという形で落ち着いたらしいですね」

 

「ああ、真相は伏せておくことにしようと朱音様と決めた結果だ」

 

そう。世間にはタギツヒメの存在も、折神紫が荒魂に乗っ取られていたことも明かしていない。

そんなことが明るみに出れば、刀剣類管理局や伍箇伝の解体まで視野に入ってくるからだ。これから出現する荒魂に対処するにはこれらの組織を残しておかねばならない。

 

「つまり、今の刀剣類管理局はかなり叩かれてる。逆に言えば――」

 

「叩かれる程度で済んでいる、ということですか」

 

推察した舞衣が横から声を出す。

 

「そうだ。我々としても、これ以上疑いの種を芽吹かせるわけにはいかない。そこで、だ」

 

真庭学長は明良を指差す。

 

「お前はこれから、我々の監視下に置かせてもらう」

 

――やはり

 

真庭学長からの言葉に意外性はなかった。この判断は当然のことと言えるからだ。

刀剣類管理局への風当たりが強くなっている以上、荒魂の力を宿している明良は組織の抱える爆弾の一つだ。たとえ暴発せずとも、存在していると知られるだけで問題になる。

そういう危険な対象に監視をつけることなど当然の帰結としか言えない。

 

「無論、荒魂討伐の任務への参加は禁止、自衛以外で能力を行使することも禁止だ」

 

「ちょっと待ってください! そんなの納得できません」

 

舞衣は声を荒げて立ち上がる。痛切な表情で真庭学長に抗議をした。

 

「明良くんは私たちを助けるために命懸けで戦ってくれたんです! それなのにこんなこと……」

 

「待て、柳瀬。私達だって、何も黒木を悪人扱いしたいわけじゃない。監視と言ってもあくまで名目上でだ」

 

舞衣の剣幕に驚く真庭学長は慌てて弁明を始める。

 

「勿論、牢屋や密室に入れるわけじゃない。監視役の刀使と行動を共にしてもらい、定期的に経過報告をしてもらう。問題を起こさなければこちらからは何もしない」

 

「そこでね、柳瀬さん。あなたにその役目を任せたいと思ってここに来たのよ」

 

「え……?」

 

真庭学長、羽島学長からの提案に舞衣は面食らった。舞衣は危惧していたのだろう。

明良にとって監視という行為が何を連想させるのかを。彼にとって最大級のトラウマを再現しかねない、ということだ。

 

「これから黒木さんには美濃関学院に滞在してもらって、柳瀬さんと二人で行動してもらいます。当然、あなたがよければだけど」

 

「待ってください。私が言うのも何ですが、舞衣様と私で大丈夫なのですか? 親密な間柄の者同士では正確な監査が出来ないのでは?」

 

明良とて舞衣に監視をされることは全く問題ない。合法的に二人で行動できることが嬉しいくらいだ。

だが、私情を挟む可能性があれば話は別だ。周囲から『ロクな監視をしていないのではないか』と難癖をつけられるかもしれない。

 

「だからこそ、だよ。お前の最も危険視されてる部分は戦闘力だ。何でも、親衛隊二人を撃退したとか」

 

「……騙し討ちですがね」

 

「お前を監視する、ということは仮にお前が暴走した際には最小限の被害に留めたまま制圧できる奴じゃなきゃならない。とすれば、適任なのは柳瀬だけだ」

 

確かに、明良はタギツヒメに暴走させられたときでさえ可奈美たちに大きな怪我はさせなかった。舞衣に至ってはかすり傷すらつけなかった。

恐らく、無意識下で自分の至上命題を厳守しようとしているのだろう。

 

「それとも、あなたは柳瀬さんだと不満かしら?」

 

「そんなことはありません。私にとっては、舞衣様以上の方など世界中探してもいないでしょうから」

 

「私も、彼の監視役を他の人に任せたくありません。私にやらせてください」

 

羽島学長は安心した様子で両手をパンと合わせる。

 

「なら決まりね。退院するまでにこっちで宿泊用の施設を用意しておくから、それまでは病院で療養していて」

 

「はい……よろしくお願いします」

 

話を終えると、真庭学長と羽島学長は退室していった。

少々明良の予想とは相違があったが、むしろこちらの方がよかったと言える。刀剣類管理局と折り合いをつけ、舞衣との関係性を保つという二つの目的を両立させることができた。

 

「何というか、大変なことになりましたね」

 

「明良くんはよかったの?」

 

「大好きな人と一緒にいられることが不幸だと思いますか?」

 

「ううん、私はうれしいよ。これからも一緒なんだよね?」

 

考えるまでもない。もう、彼女も自分もちゃんと惹かれ合っていることはわかっている。

なら、これ以上二人の間柄を揺らがせるような真似をしたくはない。

 

「はい。これからずっと監視していてくださいね」




質問、感想はお気軽に!(*´∀`)つ


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第48話 落下

波乱編、本格スタートと思いきや、まだ序章も序章です。

ここで改めて、明良ってこんな奴だったなあって再認識できました。なんか最近シリアス詰めだったせいか、格好よく書こうとしていたので。久々にこっち方面の明良が書けました!

あと、全世界の執事の皆様ごめんなさいm(_ _)m
これは主人公の持論です、決して私の趣味とかではないので!


ジュワアアァァ

 

心地の良い、油の跳ねる音。その音の僅かな変化を逃さないよう、黒木明良は油を張った鍋の中に意識を集中させていた。

 

「……よし」

 

油の中に菜箸を入れ、たった今まで揚げていた食材を取り出す。一口大に切り分けられた鶏むね肉の唐揚げだ。

揚げ時間も、油の温度も完璧。色も芸術的なまでのきつね色に仕上がっている。

味付けは醤油、すりおろした玉葱、林檎、生姜。それらを昨晩から漬け込んでおいたのだ。現在は午前十一時であるため、漬け込んだのは合計で十時間ほどだ。

味付けは多少濃くしてあるが、これを食べてもらう相手は身体を動かすことが結構多い。最近はそれが頻繁なこととなっている。ならば、多少塩分が増している方が丁度良いだろう。

 

「さて、これで全部終わり――」

 

そう言いかけたところで、予期せぬ事態が発生した。

 

「――!?」

 

グオオアアッ!!

 

耳をつんざくような金切り声。よく知っている声だ。

昼夜問わず日本各地に頻出する怪物。数ヶ月前から彼らはその数と獰猛さで人々に猛威を振るっている。

 

「荒魂……」

 

明良が現在居座っているこの地にも、否応なく荒魂は出現する。それに疑問はない。驚きもしない。

だがしかし、彼は全く別の理由で胸の内から沸々と感情を沸き上がらせていた。

 

「荒魂のせいで……」

 

荒魂出現時の建物の振動。明良がいる部屋は耐震性が比較的低いため、荒魂出現の際は少し揺れるのだ。

 

「最後の一つ……が……」

 

そのせいで、菜箸で挟んでいた唐揚げが彼の元を離れ、床に落下した。

床は毎日掃除をしているため汚くはない。だが、少なくとも数分前は自分が足を踏みしめていた部分だ。これは決して許されない。こんなものを自身の主に提供するなど言語道断。

 

「チィッ……!!」

 

明良は菜箸を置き、エプロンを外す。この間0.5秒。そして、扉を勢いよく開け放って荒魂の元へと走る。

 

『緊急警報、本学付近で荒魂の出現を――』

 

明良が出発してから10秒。現場に到着する頃に学内の警報が響く。刀使の部隊が到着するよりもかなり早い。

幸い、出現地点が明良の部屋に近かったというのもある。

 

グオオッ! アアッ! ギシャアァッ!

 

出現したのは三体。いずれも高さ10メートルはあろうかという大きさだ。

一人ではまず対処できない。武装した刀使たちを待って共に対策を立てた方がいい。

本来なら、そうなのだが。

 

「もっと静かに……」

 

左の掌に意識を集中させ、そこから流動させたノロを腕に纏う。

一瞬で形成された『左腕』は相手の先手を許さなかった。

 

「現れて……」

 

手前に立つ一体の荒魂の頭に向かって巨大化した『左腕』は伸び、握り潰さんばかりに掴む。

掴まれた荒魂は悶え苦しみ、その身は『左腕』の握力に溶かされるように溶解していく。

残る二体が遅れて襲いかかるが、もはや無駄な足掻きだ。横凪ぎに『左腕』が振るわれ、二体の首と胴をお別れさせる。きっと何も理解できずに果てたに違いない。二体とも最初の一体と同様にただのノロへと分解させられた。

 

「くれませんかね」

 

明良が文句を垂れている間に事は為された。

 

『敷地内の刀使は直ちに――え?』

 

建物内に響いていたアナウンスの声が戸惑いに染まる。無理もない。荒魂が出現して十数秒で消滅したのだから。

 

『あ、荒魂の反応消失! ノロの回収班と刀使は念のため現場に急行してください』

 

「はあ………」

 

明良は盛大にため息をついた。今回の荒魂による人々への被害はなかったも同然だが、明良にとっては心に闇をもたらしたに等しい。

数分後、刀使の部隊とノロの回収班が到着し、明良は簡単な説明を済ませる。

 

「申し訳ありません、私はこれで失礼します」

 

「え、ええ。お疲れ様でした」

 

部隊の体調を務めている刀使の脇を通り、その場を後にする。

 

「私はきっと……自らの贖罪に奔走することになりますから……」

 

このやり取りを見ていた人たちは後に口を揃えて言ったという。

『あんなに哀愁の漂う背中は初めて見た』と。

 

 

※※※※※

 

 

「それで、なぜ呼び出されたのかはわかっているわよね?」

 

美濃関学院学長室。明良は荒魂を処理した後、元の部屋に戻る暇もなく学長室に呼び出されていた。

明良は現在、美濃関学院女子寮近くにある仮設住居に身を置いている。ゆえに、何かあればこうして学長室に呼び出されるのだ。

目の前には学長席に座って複雑そうな面持ちでこちらを見つめる羽島学長の姿が。

 

「……何の事でしょうか?」

 

「何の事も何も、さっきの騒動で荒魂を討伐したのはあなただと聞いたのだけれど?」

 

「はい」

 

「……あなたは荒魂の討伐任務に参加してはいけない、そう言ったはずでしょう」

 

羽島学長はますます困惑しながら明良を問い質す。

 

「確かにそう仰られました。ですがそれは、あくまで私が被害に遭わない場合に限って、という条件でです」

 

「それなら聞くけれど、あなたは何の被害にあったの?」

 

心なしか、羽島学長の頬がひきつっている。明良から見てもこれはわかる。怒る一歩手前なのだ。

 

「……私の不注意でもあったんです。ですが、あの荒魂たちがもたらした蛮行は決して許容できない。奴等は……奴等のせいで……」

 

「……」

 

羽島学長もようやく明良の真剣さに気づいたのか、固唾を呑んで話に耳を傾ける。

 

「私が舞衣様のために作った唐揚げを……奴らの叫び声のせいで床に……落としてしまったんですよ……」

 

「……………え?」

 

まるで静寂で空間が満たされたような瞬間が何秒か続いた。明良が精一杯の熱量を込めて事情を説明したのに対して、羽島学長はネットの釣り動画に引っ掛かったかのように呆然とした顔で高速の瞬きを繰り返していた。

 

「え、えーと、もしかして、それだけ?」

 

「それだけ……? それだけとはどういうことですか? 舞衣様に提供するはずの料理を少量とはいえ廃棄せざるを得ない状況に追い込んだ……これがどれだけ重大なことなのか、ご理解いただけないのですか、羽島学長!」

 

「いや、多分私じゃなくてもご理解はいただけないと思うわよ」

 

呆れるでも、怒るでもない。羽島学長の表情はまさしく『無』だった。

 

「というか、どう説明すればいいのよ。もしも今回の事情を聞かれたら」

 

「ありのままを話していただいて構いません」

 

「ありのままを話せないから言っているんだけど?」

 

羽島学長は頭を抱えて俯く。一体何がいけなかったのだろうか。明良としては純然たる事実を述べただけだというのに。

 

「……あのね、黒木さん」

 

「何でしょうか?」

 

「あなたは今、かなり不安定な立場にいるのよ」

 

羽島学長の声のトーンが変わる。さっきよりも真面目な話ということか。

 

「一応美濃関学院内の人間にはあなたの能力の概要は説明したけれど、それでもあなたの待遇を疑問視している人は少なくない。あの事件があって以来、世間だけじゃなく刀剣類管理局内でも荒魂への警戒心も強まっているから」

 

「お言葉ですが、私が向かわなければさらに被害があったのではないですか?」

 

「確かにそうね。でも、周囲の人々から信頼を得ることも大事よ。今のところ、あなたは我々の側について監視を受けているからそこまで危険視はされていないけれど。それでも、こんなことが続けばあなたを軟禁させようとする勢力だって現れてもおかしくない」

 

「……それは」

 

それは困る。非常に受け入れがたい事態だ。そんなことになれば……

 

――舞衣様にご奉仕する時間が減ってしまう……!

 

「だから、よほどの事がない限りは荒魂への対処は刀使に任せて。そうでないと、立つ瀬がないわ」

 

「……はい、以後気をつけます」

 

「わかってくれればいいわ」

 

明良とて、自分の立場が悪くなることは避けたいし、今回の行動に問題があったことは理解している。

だが、明良にとってはそれを上回る理由だったということだ。

 

「ところで、朱音さん……いえ、局長代理は」

 

思わず朱音と話すときの呼び方で言ってしまい、慌てて訂正する。羽島学長は笑ってそれを受け流した。

 

「いつもの呼び方でいいわ。あなたにとっては妹さんなんでしょう?」

 

「……わかりました」

 

正直、明良からすれば自分よりも一回り年上の女性を妹として扱うのはかなり違和感があった。実年齢はこちらが上だが、十八年眠っていた自分にとってはどう足掻いても朱音の方が年上なのだ。

 

「朱音さんは今どうしているのですか?」

 

「それなら、丁度今見れるはずよ」

 

羽島学長は手元のリモコンを操作し、学長室に置かれたテレビ画面を起動させる。

映された画面からは男性の高圧的な声と、それに答える折神朱音の姿があった。

画面下の帯には『鎌倉特別危険廃棄物漏出問題で折神朱音氏に証人喚問』とある。

 

『刀剣類管理局で何が行われているのか、当事者の折神紫氏に詳細な説明を求めます!』

 

男性の声に応じて、朱音のワンショットが画面に映し出される。

 

『局長は現在療養中です』

 

『それで国民が納得すると思っているのですか!?』

 

朱音の毅然とした返答にますます声を荒らげる男性。男性が納得行かないのも無理はないが、これは仕方ない。

タギツヒメや親衛隊の人体実験のことを話すことは致命的だからだ。紫があれからどうなったか明良は知らないが、彼女を療養中という名目で雲隠れさせておけば当面の問題は回避できるだろう。

 

「朱音さんも、損な役回りですね」

 

「ええ。局長代理は朱音様しかいないとは皆も朱音様ご本人も思っているけれど、やっぱり心苦しいのは否めないわね」

 

朱音は紫の妹であるため、当然紫が不在となれば局長の椅子は朱音が埋めるしかない。折神家であるというのはやはりいいことばかりではない。

 

「!」

 

明良は『それ』に気づいた瞬間に全身の細胞が活性化するのを悟った。

足音、香り、空気の流れ、それらを耳で、鼻で、肌で感じ取る。

たとえ数十メートル先であろうと、彼女の接近に気づかないことなどない。ドアの向こう、廊下にいる。

 

「……どうしたの?」

 

「……舞衣様です」

 

「柳瀬さん? ここにはいないけど?」

 

「いえ、そうでないのです」

 

わざわざ姿や声を確認しないと存在を認知できないなど、執事としては下の下だ。一流の執事たるもの、何時であろうと迅速に主の元へと歩み寄る能力が求められる。

 

コンコン

 

控えめに二回ノックがされる。このノックの音もまさしく舞衣のものだ。

 

「失礼します」

 

聞き慣れた声と共に学長室の扉が開かれる。そして、彼女がその姿を見せた。

 

「来週、鎌倉に出向する者の名簿を――」

 

「舞衣様!」

 

敬愛し、恋心を抱いている我が主。柳瀬舞衣の姿を両目に捉えた瞬間、明良は感極まって彼女の両手を自身の両手で包み込むように握り締めていた。

遠く離れた地に生きる二人が奇跡的に再会したような、えもいわれぬ感動が胸の内に広がっていく。

 

「ちょ、ちょっと明良くん!?」

 

「はい、そうです! 舞衣様、ご無事だったのですね! 貴女と離ればなれになって長らく身体が引き裂かれる思いでした。私、貴女の御身に何かあったらどうしようかと……ずっと心配で……」

 

見たところ、舞衣の身体に外傷はない。顔色も悪くないし、落ち込んでいる様子もない。明良がいない間、何かに巻き込まれたということはなさそうだ。

 

「えっと……明良くん。ちょっといいかな?」

 

「はい、何でしょうか? 私、貴女の命令なら何でも遂行してみせます!」

 

固い意思表示。舞衣のためならば明良は全財産投げ売ってもいい。それくらいの覚悟で彼女の命令を待った。

だが、返ってきたのは何と、舞衣からの困ったような視線混じりの言葉だった。

 

 

「私たちって、今朝別れたばっかりだよね?」

 

「はい!」

 

 

意外や意外。舞衣は当たり前のことをさも不思議そうに尋ねてきた。

 

「六時間四十七分三十五.四三秒。私と舞衣様が離ればなれになっていた時間です。これが長くないと言えましょうか」

 

「言えると思うけど……」

 

「舞衣様、懐の広いお方なのですね……! たとえどれだけの時間であろうと、私たちの関係を引き裂くことなどできない。そういうことなのですね!」

 

「うん、『どれだけの時間』っていうほどの長さじゃないからね」

 

舞衣は結構冷静だ。やはり、主たるもの狼狽えない姿勢を持つことが大切ということか。舞衣が立派な人物だというのは知っていたが、今まで以上の成長を見せてくれるとは。

だがここで、テレビから響く声がこの場にいる人物たちを現実に引き戻す。

 

『頑なに情報開示をしないのは、何か後ろ暗いことがあるからではないですか!?』

 

『そのような事実はありません。我々は全力で今回の事態に対処を――』

 

証人喚問を受けている朱音が問い詰められているところだ。それを良い機会だと悟ったのか、羽島学長は大きく咳払いをする。

 

「ゴホン、ええと……柳瀬さん、ありがとう。そこに名簿を置いてもらえるかしら」

 

「は、はい。学長」

 

名残惜しいがここまでか、と明良は舞衣の手を解放する。舞衣は近くのテーブルに名簿を置くところで、横目にテレビに映る朱音を見る。

 

「やっぱり、まだ管理局の立場は悪いままですね……」

 

「ええ、今や刀剣類管理局は格好の的。世間にとっては、我々が新たに築いた新体制がどう違うのかなんてわかりようがないからね。ノロを大量に流出させ、土地を穢した杜撰な組織……」

 

「……事実だと思います」

 

ぼやく羽島学長に舞衣は正面から自分の意見を述べる。

 

「結果として、ノロの流出の原因となっていた。それは変えようのないことですから」

 

「……そうね。でも、命懸けで戦ってくれたあなたたちや朱音様が責められているとどうもね……」

 

意外そうな顔をした羽島学長だが、不機嫌そうな様子はなかった。むしろ、少し喜んでいるようにも……

 

「ところで、明良くんはどうしてここにいるの? 何か学長に用事でも……」

 

舞衣は『そういえば』と恐れていた質問を切り出してきた。

しかるべき場で伝えようと思っていたが、まさかこんな状態で真実を告げなければならないとは。

 

「そ、それは……」

 

もはや隠し通せない。包み隠さず懺悔をするしかない。せめて、彼女の側にいたいという願いを込めて。

 

「実は――」

 

明良は滔々と語った。

昨日の深夜から下拵えをし、舞衣の昼食として提供しようと調理を施していた唐揚げの一つを床に落としてしまったことを。自らの罪を余すところなく告白した。

 

「………え?」

 

「さあ、舞衣様。いかようにもなさってください! 舞衣様が自らのお手を煩わせたくないと願うのならば、切腹して自害する覚悟はできています」

 

「……何だろう。明良くんは切腹しても死なないよねって言ってもいいのかな?」

 

確かに死にはしない。いや、もしかしたら御刀を使えば死ぬかもしれないが。

 

「とにかく、私はそんなことで怒ったりしないよ? 明良くんは変なところで心配性なんだから」

 

「……許して、くださるのですか?」

 

「私のこと鬼か何かだと思ってる?」

 

「い、いえ、舞衣様は決してそのような……」

 

鬼だなんてとんでもない。明良にとって彼女ほど優しく、包容力に溢れた人はいないのだ。

 

「だったら、もうこの話はおしまい。後で一緒にお昼ご飯に食べよう。ね?」

 

「は、はい! 喜んで!」

 

羽島学長はこの光景を後にこう語っている。

『黒木さんも大概だけれど、それについてこれてる柳瀬さんもまあまあ普通じゃないと思うの』と。

 

 

※※※※※

 

 

その日の夜。辺りが暗闇に包まれた頃、明良は舞衣と別れ、仮設住居内で明日の舞衣の朝食の準備をしていた。

 

「ん…?」

 

黙々と下拵えをしていると、明良の携帯端末に電話が入った。こんな時間に誰だろう、と発信者の名前を確認する。『益子薫』とあった。

 

「薫さん……? 一体何が」

 

とにかく電話に出よう。そうしなければわからない。明良は応答のアイコンに触れ、端末を耳に当てる。

 

「はい、黒木です」

 

『おう、明良か。久しぶりだな』

 

「薫さん、何かご用でしょうか?」

 

『ああ、お前にちょっと聞きたいことがある。手を貸してほしいんだ』

 

「……聞きましょう」

 

薫の声は普段の気怠さや、頻繁に見せるイタズラ好きな声でもない。

時折見せる、真剣な声だった。ゆえに、明良にはこう思えた。普段から面倒事を嫌う彼女がこうして改まって頼み事をしてきた。

何かよからぬことが起こったのだ。そして、遠くない内にその予感は的中することとなる。




最後の薫からの電話は察しの良い方なら何なのか気づくと思います。そうです、アレです。

質問、感想はお気軽に!(*´∀`)つ


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第49話 これだけは言っといてやる

時を少し戻して、明良への電話の数時間前。薫は真庭本部長にとある一室へと呼び出されていた。

部屋にはいくつもの椅子と机。それぞれの席にコンピュータが据え付けられており、部屋の一面の大型モニターに映し出されている。

 

「んで、何だよ本部長。わざわざオレに休暇くれるって話ならちゃんと聞くぞー」

 

「わざわざそんなことで呼ぶわけないだろ。それと、お前の休暇はしばらくナシだ」

 

前置きの時点で三行半を付けられ、一気に意気消沈してしまう薫。真庭本部長はそんなことはお構い無しに話を始める。

 

「実はここ最近、ノロの強奪が起こっている」

 

「は?」

 

薫は突然切り出された本題に目を丸くした。今何と言った? 刀使がノロを奪うなど、鼻で笑ってしまいそうな冗談だとさえ思えた。

 

「ここ一週間で四件、ノロの輸送車両が一人の刀使に襲撃され、全てのノロが奪われた。犯人も、その動機も不明だがな」

 

「おいおい、だったら護衛くらいつけたらどうなんだ?」

 

薫は呆れてやれやれと手を振る。そんなもの、管理局の不手際ではないかと言わんばかりに。

真庭本部長は間髪入れずにそれを返した。

 

「つけた。二件目以降はこちらが用意した腕利きの刀使を五名派遣し、護衛に付かせた。だが、まるで歯が立たなかったらしい」

 

「相手は一人なんだろ?」

 

「それでも、だ。相手はそれ以上の手練れらしい」

 

「……大体、ノロを奪ってどうするんだよ。旧折神紫派じゃああるまいし」

 

旧折神紫派とは、タギツヒメに憑依されていた折神紫とその親衛隊、そしてノロの人体実験を行っていた者達の呼称だ。

タギツヒメが隠世に追いやられ、旧親衛隊は解散。人体実験を行っていた研究者も更迭されたため、もはや壊滅状態のはずだ。

 

「まさか、そうだって言いたいのか?」

 

真庭本部長が否定しないことから、薫は聞き返す。しかし、真庭本部長はゆっくりと首を左右に振った。

 

「まだ断定はできない。とにかく、この映像を見てくれ。護衛の一人が撮影したものだ」

 

大型モニターに映像が表示される。そこには、横転したノロの輸送車両と倒れ伏す回収班の面々。そして、襲撃犯と思われる刀使によって護衛の刀使が斬り伏せられている光景が映っている。薫は犯人の外見を確認しようとするが、その姿は黒いフード付きのコートに覆われており、手元と口元くらいしか肌が見えない。

 

「このように、襲撃犯はフードを被っていて顔は見えない」

 

「御刀の銘は?」

 

「調べたが、未登録だ」

 

「剣術の流派は?」

 

「当てはまるものが多すぎる」

 

「つっかえねー」

 

薫は心底つまらなさそうに頭をグルグルと回す。

 

「てゆうか、可奈美に見せればいいだろ? あの剣術オタなら簡単に流派がわかりそうなもんだ」

 

「ああ、当然衛藤にも協力は依頼する。だが、お前には別でやってもらうことがある」

 

「何だよ?」

 

「黒木明良に、今回の犯人特定に協力するよう連絡を頼む」

 

「明良に……?」

 

ここで意外な名前が出た。明良は確かに大きな戦力ではあるが、御刀や剣術のことにそこまで精通している人物ではないはずだ。

 

「今回のノロの強奪の動機……まだ私たちにもわかりかねている。そこで黒木からは、ノロを利用した兵器や人体実験などについての情報を得たい。それがわかれば、捜査を進展させられるかもしれん」

 

「別に構わないが、何でオレなんだ? あんたが連絡したっていいだろ?」

 

「私よりお前の方が信頼されているからだ」

 

真庭本部長は心なしか哀しそうな表情で理由を話す。

 

「私の推測だが、黒木はまだ刀剣類管理局や伍箇伝を信用し切れていない。折神紫に憑依していたタギツヒメ、そいつに乗っ取られていた組織というのもあるだろう。だが、刀使が襲撃犯であることは少なからずあいつに疑念を抱かせるはずだ」

 

「刀剣類管理局の中にまだ裏切り者が混じっているかもしれないからか?」

 

「……そういうことだ」

 

無理もない話だ、薄ら笑いを浮かべながらもそう思った。事実、折神朱音が偶然折神紫の実情を目撃しなければタギツヒメにこの国を席巻されていたことは想像に難くない。

内部の大まかな敵勢力は潰したが、それも完全ではないと理解しているのだ。

 

「私の権限で黒木には移動の許可を与える。お前は黒木に連絡した後、美濃関学院に向かって彼と合流してここに戻ってこい」

 

「へいへーい」

 

「バックレんなよ、発信機付けてあるからな」

 

「嘘だろオイ!?」

 

真庭本部長の一言に一抹の不安を覚えながらも、薫は携帯端末の電話帳から明良の番号に電話を掛けた。

 

 

 

※※※※※

 

 

 

折神家での決戦を共にした間柄の六人と明良は交流が深い。舞衣は当然として、他の五人とも結構連絡を取り合う仲にはなっていた。

そんな中でも、今回の薫からの電話の内容はかなり奇妙な部類に入るものだった。

明良は美濃関学院にやって来た薫と共に迎えの車に乗っていた。後部座席で隣同士に座った二人は管理局での話の説明に入る。

 

「ノロを奪う刀使、ですか」

 

「ああ。何でも、刀使が荒魂を討伐して、その後にやって来る回収班が襲われてるらしい。回収班の輸送車両を襲撃して、ノロを根こそぎ盗っていくそうなんだ」

 

「………」

 

話の内容は理解できる。だが、整合性がまるで取れない。刀使は荒魂を討伐する存在だ。わざわざ強奪する意味がわからない。

 

「それは何処からの情報ですか?薫さんの独自捜査などでしょうか?」

 

「いんや、オレはあの極悪パワハラ上司から聞いたのをお前に話してるだけだ」

 

「真庭本部長ですか?」

 

「そう、そうだ」

 

何だか、真庭本部長に対して不穏な形容がなされていたのは追求しないようにするべきだろうか。

そう思ったものの、薫の怒りの炎は少しずつ燃え広がっていく。

 

「あのオバサン、オレが北海道に遠征に行って、その帰りに九州に向かわせて、そしてその帰りに東北に向かわせたりするんだぞ……しかも、挙げ句の果てには『往復で九時間もあるんだからその分休めていいな』だぞ……! クッソー!! 今度こそ有休申請してやる!!」

 

「……受理されると良いですね」

 

間違いなくされない。

 

「まあ、その話は置いておいてだな。とにかく、本部長とその件について話したんだが、襲撃犯が誰なのかわからないんだと」

 

「刀使の方でしたら、御刀や所属の流派で特定ができるのでは?」

 

刀使には御刀に対する適正というものがある。彼女たちは御刀から神力を得て様々な超自然現象を引き起こすが、逆に言えば御刀との適正が低く、神力を得られなければ力を発揮できない。ゆえに刀使にはそれぞれ自分専用の御刀が存在し、基本的にはその一振りを使っているのだ。

 

「そう思ったんだがな、御刀はデータベースに存在せず、流派も数が多すぎて不明なんだ」

 

「それで、私に犯人の動機の特定をしてほしい、ということですか」

 

「あわよくば、犯人が誰なのかも知りたいみたいだけどな」

 

ニッと笑いながら薫が横から言う。真庭本部長がらみとなると、彼女は結構感情に拍車がかかるようだ。

 

「………」

 

「………なあ」

 

数分の間が空いたところで、薫がバツが悪そうに切り出してきた。

 

「お前みたいな奴って他にいんのか?」

 

「?」

 

一瞬質問の意味がわからなかった。だが、明良は少し考えて辿り着いた答えをあえて無視してみた。

 

「確かに、舞衣様に夢中になる方は非常に多いです。しかし、私はいかなる方にも負けないよう、日々あの方のお側で愛を深めておりますので。そういった意味では私のような方はいないでしょうね」

 

「いや、そうじゃねーよ。つか、お前以上に舞衣にベッタリな奴なんざこの世にいないだろ」

 

「違うのですか?」

 

「……お前、わかってて言ってんだろ?」

 

まったく、と肩をすくめる薫。

 

「お前以外にも荒金人はいるのかって話だ」

 

「……そう、ですか」

 

薫もデリケートな話題に踏み入っていることは自覚しているのだろう。言いにくそうにしているのは横顔からも感じ取れた。

ノロの強奪と荒金人の存在の関係性は十分高いため、本件の解明のために必要なのだろう。

 

「いない、とは言い切れません」

 

「じゃあ会ったことはないんだな」

 

「ええ」

 

明良が外の世界で過ごしたのは二年と少し。その間はあまり積極的に交遊関係を広げようとしていたわけではないが、それを踏まえても知人に荒金人がいたとは思えない。

 

「そもそも、荒金人ってのはどういう理屈でできるんだ? 前に説明されたのはかなりザックリしてたろ」

 

「わかりました。ご説明いたしましょう。幸い、まだ到着までは時間がありますし」

 

明良は車窓から流れていく景色を一瞥し、話を始めた。

 

「薫さんは、ノロを投与された刀使と荒金人の違いはわかりますか?」

 

「どう違うんだ?」

 

「両方とも肉体とノロが結びついているのは同じです。しかし、刀使の肉体とノロはいわば水と油のような関係です」

 

「一緒の器に入れても混ざらないってことか?」

 

「そうです。そのため、ノロによる肉体の侵食は抑えられるものの、引き出せる力はそこまで多くはありません」

 

現に親衛隊のメンバーは身体能力や感覚神経が強化されていただけで、肉体の変形や再生の能力はなかった。

 

「私の場合はその逆です。荒魂との適正が高い純粋な人間に対してはノロは強く結びつき、肉体だけでなく心を蝕んでいく。それこそ、毎日のように飢えと乾きに喘ぎ、満たされない欲求に振り回されてしまう。その代償として、生物の常識を越えた能力を行使できる」

 

「刀使じゃあ荒金人にはなれねーってことか?」

 

「恐らくは。しかし、私見にはなりますが荒魂への適正が私以上に高い方ならば不可能ではないと思っています」

 

そもそも、荒金人に関しての研究が記された論文は極めて数少ない。それゆえに荒金人に成るための詳細な条件も不明なままなのだ。

 

「荒魂への適正の高さとは、荒魂に対する関わりの深さによります。私が知る限りでは折神家と柊家がそれにあたります」

 

「荒魂を鎮めるのが折神家……だったっけか?」

 

「ええ。荒魂を鎮める折神、荒魂を祓う柊。この二つの家系は荒魂の討伐の要であると同時に、荒魂に近い存在であるとも言われています」

 

明良と似た事例として、紫がタギツヒメの器足り得たのは彼女が折神家の人間だというのも要因の一つだろう。

 

「荒金人になるためにはそういった条件をクリアする必要があります。折神家の直系であり、限界まで肉体を鍛えていた私ですら死に瀕していたほどですから、常人がなろうとすれば確実に死にます」

 

「お前ですら半分くらい偶然だったってわけか」

 

「ですから、たとえ私以外に実在していても数人が関の山でしょうね」

 

「なるほどなー」

 

薫は両手を頭の後ろに回して座席にもたれ掛かる。

 

「今更かもしれませんが、何故このようなことを聞いたのですか?」

 

「……本部長はお前のことを危険だと見てる。いや、むしろお前の力の方をな」

 

薫の質問の意図について改めて尋ねてみた。薫は言い淀む様子こそ見せたが、ちゃんと話してくれた。

 

「大抵の荒魂を撫でるみたいにぶっ倒す力があって、どんなに怪我をしてもすぐに治っちまう、ついでに何年も飲まず食わずで生きていられる。お前はそんな性格だからそこまで危なくはねーが、もしお前くらい強い荒金人が現れて、しかも俺たちと敵対してたらどうなる?」

 

「………」

 

明良は当然自覚がないわけではない。春の折神家襲撃の際、明良の暴走は明良自身と周囲の人々に彼の危険性を大なり小なり認識させることになった。

明良はあくまで、タギツヒメの討伐に協力していたこと、舞衣と彼女の大切な人々に危害を加えない限り敵対しないという事実が知られていることで、こういう待遇に収まっているだけなのだ。

実質的に放置されているだけでなく、研究材料扱いされていないのも奇跡だ。それだけ、荒金人という存在は単体で強大な力を有している。そんな者が複数存在しているとなると……

 

「恐らく二十人、いえ十人もいれば一夜で一国を混乱に陥れることも可能でしょう」

 

荒金人としての能力云々の話だけではない。荒金人に成ることができる(、、、、、、、、)というだけで、その資格を持っているだけで十分危険な人物なのだ。

類稀なる身体能力と常人を超越した悪意の持ち主でなければ、荒金人になることなど不可能だからだ。

 

「てか、改めて考えるととんでもねー力だよな。年もとらないし、病気にもならないって」

 

「羨ましいと思いますか?」

 

「ま、そこだけ見ればな」

 

端から見れば不躾な問いだが、むしろ彼女らしいと明良には思えた。

 

「確かに、この力に助けられたことは多いです。そもそも荒金人になれなければ、私は二十年前に海の藻屑と化していたでしょうから」

 

「ほう」

 

「ですが、私には常に暴走という危険がついて回っています。あの春のときのように」

 

あの感覚は今でも忘れられない。自分という存在が世界から消え、現世を小さな窓から覗き見ることしかできない。その上、自分の肉体と意識が乖離され、好き勝手に動き回る様を見ることしかできない無力感。

正直、あんなものは二度と御免だ。

 

「お前な、あれはタギツヒメのせいだって言ったろ?」

 

「ですが、あれは私の力です。可能性がゼロではない限り、危険であることは変わりません」

 

「あーくっそー!」

 

薫は不機嫌そうに顔をしかめ、明良に詰め寄る。

 

「いいか、これだけは言っといてやる」

 

「……はい」

 

薫の様子に萎縮しながら明良は了承する。

 

「お前がこれから何度暴走したってな、オレたちが何度だって止めてやる」

 

「ですが……」

 

「オレたちは仲間だ。オレは、いざってときに身体張れない間柄の奴を仲間だなんて思わねー」

 

――仲間……仲間、ですか。

 

心の中で何度も反芻する。

 

「こんなこと二度と言わねーからな。ちゃんと覚えとけよ」

 

「はい……ありがとうございます」

 

お互いに多少気恥ずかしくなったものの、この後の二人は管理局到着までの道すがら他愛もない話に花を咲かせることができた。

 

 

 

※※※※※

 

 

 

数時間後、刀剣類管理局に到着した二人は真庭本部長と共に施設に併設されている医療施設に足を運んでいた。

 

「結局はわからずじまいか……」

 

「お役に立てず、申し訳ありません」

 

先程作戦会議室で件の映像を見せてもらったが、あのフードの刀使が誰なのか明良にはわからなかった。

 

「しかし、犯人の動機はおおよそ推測できます」

 

「何?」

 

廊下を歩きながら、真庭本部長が隣の明良の言葉に耳を傾ける。薫も興味深そうに耳を寄せた。

 

「高津学長と相楽学長、この両名が本件に関わっているのではないかと私は考えます」

 

「……何故、その二人を」

 

「ノロの強奪となれば、荒魂化するリスクを考えなければならない。そのリスクを犯してでも強奪する理由ならば、戦闘目的の利用が濃厚です」

 

実際、親衛隊のようにノロを取り込むことで戦闘に転用する技術が存在している以上、この可能性は決して低くはない。

 

「高津学長と相楽学長は春の一件以来、矢面に立たなくなったと聞いています。そして、彼女たち二人はノロを利用した人体改造の研究を指揮していた」

 

「待て、高津学長はともかく、綾小路の相楽学長まで……」

 

「確かです。後ほど私の方から捜査資料を提出しますので」

 

可奈美と姫和が逃亡中に管理局内を調査していた際、研究には相楽学長も加担していることが明らかになった。相楽学長の人となりを知っているわけでないが、高津学長と二人でそんな危険な橋を渡っていたのだから、今更離れているとは考えにくい。

 

「ノロの強奪に、両学長の行動。それだけではありません。元親衛隊の皐月夜見さんも行方不明になっています」

 

「まさか、高津学長のところに?」

 

「そうでしょうね。彼女が高津学長の側を離れるとは到底思えません。以上のことを踏まえると……主犯は高津学長、フードの刀使は皐月さんでしょうか」

 

夜見ならば多少腕が立とうと、可奈美たちと同等程度の刀使以外には負けることはないだろう。蝶型の荒魂を使わなかったのは正体を悟られないようにするためか。

 

「いや、オレは違うと思うがな」

 

真庭本部長は納得しているが、薫は首を振って否定した。

 

「薫さん、どういうことです?」

 

「それは今から会う奴に聞いてみようぜ、ほらここだ」

 

三人はとある一室で足を止める。部屋のプレートには『此花寿々花』の文字が。

 

「……此花さんはここにいらっしゃるのですね」

 

「ああ、お前は彼女と会うのは春以来だな」

 

入室すると、部屋の奥に備え付けられたベッドに一人の少女が眠っていた。髪を下ろし、病衣に身を包んだ此花寿々花だ。

 

「……ん」

 

三人の入室した音で目を覚ました寿々花は重たげな瞼を開いた。

 

「……今日はどういったご用?」

 

「ちょっと聞きたいことがあってな」

 

真庭本部長が本題に入る前に、薫は一歩前に出て寿々花に話しかけた。

 

「よう、親衛隊。いや、元か」

 

「あら、珍しいご来客ですわね。益子さんに黒木さんまで」

 

薫からの挑発を意に介すこともなく、寿々花は上体を起こして丁寧に挨拶をする。

 

「ねーっ!!」

 

突然、今まで静かだったねねが薫の頭に乗り、寿々花を睨み付けながら吠える。

 

「かなり抜けた(、、、)って聞いたんだが、まだまだみたいだな。ねねが言ってる。『まだ荒魂の匂いがする』ってな」

 

寿々花は戦いの後、舞草との取引に応じた。刀剣類管理局の新体制に協力する代わりに自分たちの側につけ、と。そのためには彼女の肉体にノロが残っていては駄目だ。

一応、数ヶ月かけて治療を行い、現在はほとんど元の状態に回復したらしいが、それでもまだ荒魂の残滓は消し切れていないらしい。

 

「荒魂とお話ができるだなんて、あなたも黒木さんと同様にこちら側ではなくて?」

 

意趣返しなのか、寿々花は挑発するように言うが、薫と明良は強気でそれを突き放した。

 

「オレは人だ。このねねも荒魂だが穢れじゃない」

 

「私も、元より貴女と意思を共にした覚えはありませんよ」

 

「そういうこった。残念だったな、お前のお仲間じゃなくて」

 

「………」

 

やや悔しそうに歯噛みする寿々花。

 

「いちいち挑発するな。今回は聞き取りに来たんだよ。これを見てくれ」

 

真庭本部長は持ってきたタブレット端末の画面を寿々花に見せる。そこには例のフードの刀使が映っていた。

 

「こいつに見覚えはあるか?」

 

「さあ、存じ上げませんわ。そもそもお顔を意図的に隠していますし」

 

「思い当たる人物は?」

 

「……特にはいませんわね」

 

別段おかしな答えではない。というか、明良もこう答えるであろうことは予測できた。

だが、薫はそんな寿々花の態度に苛立ったのか、語気を荒げて問い詰める。

 

「はっきり言ってやる、こいつは獅童真希じゃないのか?」

 

「真希さん……ですって?」

 

寿々花の顔が驚きに染まる。寿々花だけではない、明良も真庭本部長も彼女ほどではないにしても驚いている。

 

「何を根拠にそんな……」

 

「根拠ならある。こいつを見ろ」

 

薫は携帯端末を操作し、とある写真を見せる。そこには例の映像と酷似したフードの刀使が映っていた。

 

「これはさっきの……」

 

特に違う部分があるとすれば、こちらの写真の人物はフードの下の顔が半分ほど見えていることだ。しかも、その顔は真希のものでほぼ間違いないほどの精度だ。

 

「ですが薫さん、この写真は」

 

「ああ、今回の映像の一場面じゃない。こいつは別の日のもんだ」

 

薫の先程の言葉はこの写真に関することからくるものだったらしい。薫は確信めいた口調で説明を始める。

 

「ノロの強奪の三件目のとき、近くを通りかかった民間人が怪しげな人物を目撃し、撮影したらしい。最初はフードの刀使の写真の一枚として紛れちゃいたが、こいつは確かな特定材料になる。顔は勿論、こいつもな」

 

「……御刀が」

 

映像からは上手く認証できなかったようだが、この写真からは何の御刀なのかは容易にわかる。

この御刀は真希の薄緑だ。顔と御刀、これだけが揃えば確定的だ。

 

「それに、獅童は春の一件から行方不明なんだろ?」

 

「ですが、動機は? 真希さんにこんなことをする動機なんて……」

 

「そんなもん簡単だろ。ノロをもっと取り込んで、もっと強くなるために決まってる。あいつならあり得る話だ」

 

この場の誰も否定できなかった。真希の行動原理からすれば、その考えは自然だからだ。

 

「私には……信じられませんわ」

 

「ま、お前のその反応を見ればお前が無関係だってのはわかるけどな。それでも、獅童が関わってるのは確かだ」

 

「……そんなこと」

 

寿々花の先程までの強気な姿勢は見る影もなくなり、すっかり意気消沈している。無理もない。真希が悪事に加担しているなど、嬉しいはずもない。ましてや、そんなことはないと心から言いきれない自分がいることも。

 

「………」

 

――今回の件、何か匂いますね

 

明良は直感的に辿り着いていた。あの春の事件から残り続けていた不安感の行く先を。

今回の件はそれに関わっている。それならば、手を尽くさなければ。

 

「真庭本部長、薫さん、申し訳ありませんが、少し外していただけませんか」

 

「どういうことだ、黒木?」

 

「此花さんと話したいことがあります、私でなければ少々話しにくいことでして」

 

嘘ではない。これから話すのは二人の中でしか共有できないからだ。

 

「わかった。だが、後で何の話をしていたのかは聞かせてもらうからな」

 

「ありがとうございます」

 

「おーい、明良。言っとくけど、舞衣を泣かせるようなことすんなよ」

 

「ご心配には及びませんよ、天変地異が起ころうとありえません」

 

「まあ、お前に限って言えばそうだな」

 

「はい」

 

真庭本部長と薫はそそくさと退室する。明良は寿々花のベッドの隣に置かれた椅子に腰掛け、会話を切り出した。




気のせいかもしれませんが、今回舞衣以外の女の子とイチャつき(私視点では)すぎではなかろうか……
まあでも、恋愛感情がからんではないのでセーフ! です!

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第50話 折らせます

今月の始めに投稿したと思ったら、もう月末……時間が経つのが早すぎる……いや、私の投稿が遅いのか。スンマセン


「それで、何ですの?」

 

「獅童さんについてです」

 

薫と真庭本部長に外してもらったところで、明良は話し始めた。

内容は勿論、真希のことだ。

 

「貴女は先程、獅童さんが犯人ということはありえないと仰っていましたね。あれはどういう意味ですか?」

 

「質問の意味がわかりかねますわね」

 

軽くカマをかけてみたが、寿々花は動じずとぼけた表情で返してきた。もう少し詳しく聞いてみるか。

 

「……獅童さんが犯人ではない可能性は低い、という意味ですか? それとも、獅童さんが大切だから単純にそうであってほしくはないというだけですか?」

 

「た、大切って……邪推ですわ! そんなの……」

 

「?」

 

寿々花は顔を真っ赤にして視線をそらす。寿々花が真希に対して抱いている感情は以前から察していたため、別に驚きはしない。が、明良はそんなつもりで言ったわけではない。真希のこととなると、寿々花は多少冷静さが損なわれてしまうのか。

寿々花は咳払いをして気持ちを落ち着かせてから(実際に落ち着けているかはわからないが)質問に答えた。

 

「獅童さんがあなたに敗れてから行方を眩ますまでの間に、あの人と一度話をしたんですの」

 

「何の話をしていたんですか?」

 

「これからどうするのか、ですわ」

 

寿々花の言っている時期とは、舞草襲撃の際に現れた真希を明良が迎撃してすぐのことだろう。

その後に一人で行方を眩ましたことを考えると、彼女の中で何らかの変化があったことは間違いない。

 

「あなたに諭されて、自分のやるべきことをようやく見つけられたと言っていましたわ」

 

「やるべきこと……刀剣類管理局と敵対し、ノロを奪うこと……ではないのでしょうね」

 

「ええ。諭されて、と言っていた以上今までと似通った道に走ったとは思えませんわ」

 

確かに、あの夜に明良は真希の行動や思想を否定し、非難した。彼女のやっていることは間違っていると。

少なくとも、彼女の実直な性格から考えると何らかの影響を及ぼすことができた、という手応えはあった。

 

「なるほど。確かにそれならば、獅童さんの犯行というのは怪しくなりますね。しかしそうなると……」

 

「何故真希さんが犯行現場近くにいたのかわからない、そう言いたいのでしょう?」

 

そう。決め手はそこなのだ。真希が黒いフードを被って現場近くにいたことは事実。

犯人ではないのならば、その行動の説明がつかない。

 

「いえ、もしかすると……犯行現場近くだからこそということはありませんか?」

 

「どういうことですの?」

 

「獅童さんは何らかの方法で犯人を追跡していて、犯行を阻止するために現れていた。顔を隠していたのは、親衛隊がこの件に関わっていると思わせないため、というのは?」

 

「……! なるほど、それならば辻褄が合いますわね」

 

あくまで推測でしかないが、これまでの経緯や状況証拠、真希の性格から考えるとこれが最も自然な形だと思えた。

 

「では、私から真庭本部長に今の推理を伝えておきますね。貴重なご意見をありがとうございました」

 

「構いませんわ」

 

寿々花は心なしか柔らかい表情で答える。

明良はその場を去ろうとしたが、寿々花からの射貫くほどの視線に気づく。

 

「………」

 

「どうしました?」

 

「あなた、やはり真希さんに似ていますわね」

 

「私が? 獅童さんと……?」

 

そうだろうか。この口ぶりからすると寿々花は以前からそう思っていたということだろう。今はどうか知らないが、以前の真希と自分の人物像が似通っているとはあまり思えない。

 

「そうでしょうか?」

 

「そうですわよ。自分の目的のために手段を厭わず、自分の行った所業は自分で片をつける。あなたも真希さんも見ていてヒヤヒヤしますわ」

 

「……なるほど」

 

力を追い求め、時には横暴とも言える行動をとる両者。特に今の状況は春の頃の明良とよく似ている。

 

「ですから、真希さんにお会いしたら伝えてほしいのですわ。あなた一人だけが責任を感じているわけではない、と。きっとあなたの言葉なら届くと思います」

 

「……いえ、それはご遠慮させていただきます」

 

寿々花の提案は悪くないが、最善とは思えなかった。明良が考える最善はこっちだ。

 

「私が必ず獅童さんをここにお連れします。今のお言葉はご自分でお伝えください。その方が良いのでしょう? 獅童さんにとっても、貴女にとっても」

 

「なっ……」

 

すっかり落ち着きを取り戻していたはずの寿々花だが、明良の一言でたちまち心が乱されてしまう。

 

――本当にこの人、獅童さんのことが好きなんですね。

 

「ま、まあ感謝しますわ。……お気遣い、ありがとうございます」

 

「ええ、どういたしまして」

 

「……それと、いつかその能面を剥がしてさしあげますから」

 

「ふふ、楽しみにしていますね」

 

――少なくとも、そうやって恥ずかしがっている内は到底無理ですよ。

 

表情だけでなく、心の中でも微笑んでおいた。

 

 

 

※※※※※

 

 

 

同時刻、綾小路武芸学舎――地下施設。

厳重に複数の認証装置をクリアした先にその部屋はある。

相楽結月はとある人物に呼び出され、尾行に警戒しながらその場所を訪れた。

 

「………」

 

「お待ちしていましたよ」

 

相楽学長を出迎えたのはやけに得意気な表情に満ちた高津学長だった。彼女がいるということは、と部屋の奥の方を見ると此方を無表情で見つめる皐月夜見の姿があった。

 

「では、こちらへどうぞ」

 

案内されるがままに部屋の中を移動すると、複数の機材と研究機材とコンピュータ機器。その中でも一際目立っているのが、壁面に設置されている細長い保存用棚――そこ入れられているアンプルだ。

 

「これは全て完成品か?」

 

「ええ、勿論」

 

高津学長は近くの机に置かれている注射器を手に取る。中身は棚に入れられているものと同じ、赤黒い液体で満たされている。言われるまでもない、これはノロだ。

 

「夜見、来なさい」

 

「はい」

 

高津学長に顎で呼ばれ、夜見は彼女の前に立つ。向き合った夜見の首に注射針を突き刺し、中身を注入する。その途端、夜見の瞳に紅い色が灯り、身体から黒い瘴気が立ち昇る。

 

「これは人をより上位の存在へと進化させるもの。これにより、人は老い、病、肉体的損傷、才能の優劣、あらゆる苦悩から解放される」

 

「……なるほどな」

 

「これを完成させられたのもあなたの資金援助があったお陰です、相楽学長」

 

ここまでの生産量、完成度は明らかに以前の結果を上回っている。高津学長が刀剣類管理局内に秘密裏に作っていた研究施設内では、現在の半分以下が関の山だった。

数ヶ月前に高津学長に話を持ち掛けられ、学院内の施設の一角と資金の提供を行ったのだ。

 

「……参考まで聞きたい、高津学長」

 

「何でしょうか?」

 

「これを何に使うつもりなんだ?」

 

この場にいる夜見もそうだが、親衛隊がノロを肉体に投与していたことは既に知られている。

今しがたの行為から見ても、高津学長の目的が公にできる類のものではないのは確実だ。そもそも、そうでないならこんな風にひた隠しにしたまま研究はしない。

 

「崇高な目的のためですよ」

 

「……?」

 

「私の手でこの世界は救われる。一度腐った存在を世界から根こそぎ摘発し、殲滅する必要があります」

 

予感は的中していた。彼女は冗談や妄言でこんなことを言っているのではない。

本気で自分が正しいと思い込み、本気で実現可能だと信じているのだ。

 

「待て、殲滅だと?」

 

「その通り。特にあの男……黒木明良は諸悪の根元です。あなたも知っているでしょう」

 

「ああ。確か、舞草に所属している荒金人だったか」

 

明良とは直接対面したことはない。十条姫和による事件の際に管理局に留まっていた彼を遠目に目撃した程度で、彼が行使した力の内容も伝聞で知っているだけだ。荒金人という言葉も彼の報告書から知ったほどだ。

 

「たとえ他の膿を全て排除したとしても、奴がいる限りは意味がない。まあ、この力をもってすればあんな下賎な男など羽虫同然です。醜く踏み潰されるのがお似合いだ」

 

「崇高な目的とやらのためか?」

 

「ええ。そのために多くの血が流れるでしょうが、致し方ないことです」

 

――その目的のために血を流すのは、お前なのか?

 

思わずそう尋ねたくなった相楽学長だが、胸の中でしまっておいた。

もはや今の彼女に冷静な意見をぶつけたところで徒労にしかならない、そう知っているからだ。

 

 

 

※※※※※

 

 

 

寿々花との話を終え、薫と真庭本部長に報告を済ませた後。明良は施設内の別の部屋へと向かっていた。

 

「確かここの……ありました」

 

真庭本部長から聞いた部屋に辿り着いた。部屋のプレートにはよく知った少女の名が記されている。

明良はその名を確認し、控えめにノックをした。

 

「黒木です。入ってもよろしいですか?」

 

「え!? な、なんでここに!?」

 

「……何か、問題がありましたか?」

 

「いやいや、そんなことないよ! どーぞ入って」

 

「では、失礼します」

 

やたらと慌てた声が室内から聞こえたが、どうやら入っても大丈夫なようだ。

明良は一応、おそるおそる部屋の扉を開けて足を踏み入れた。

部屋に備え付けられたベッドに腰掛ける形で一人の少女が座っている。薄桃色の長髪に小柄な体躯。寿々花と同じく病衣を着ている。

最後に会ったときは痩せ細っていたが、今はかなり血色も良くなり肉付きも戻っている。

 

「お久しぶりですね。お元気そうで何よりです、燕さん」

 

「うん、もうすっかり元通りだよ、明良おにーさん!」

 

燕結芽。春の戦いの際に明良と戦い、一命をとりとめた少女だ。春から今までこの施設で治療を受けており、ようやく最近になって面会が許されるようになったのだ。

 

「病院での生活はどうですか? 何か不満などは……」

 

「あるよ、あるに決まってるじゃん。明良おにーさんとか千鳥のおねーさんとかと戦えないこと!」

 

「それはどうしようもありませんね……」

 

食事や自由時間について言われると思っていたが、どうやらかなり違ったようだ。彼女らしいと言えばそうだが、そもそも病人に激しい運動などさせられないのは当たり前だ。

 

「今は療養中なのですから、安静にしておいてください」

 

「やだ、今すぐにでも明良おにーさんに斬りかかりたいくらいだもん。御刀さえあったらなぁ……」

 

ベッドに腰掛けたまま、結芽は両手で何かを握る動作をしながら振る。本当に今ここになくて良かった。

 

「明良おにーさんのせいだからね。まだ私の御刀直ってないんだから」

 

「それに関しては申し訳ありません。確かにあれは、貴女にとっては荒療治でしたね」

 

「ま、あれのお陰で私はこうして生きていられるんだし……恨んでるわけじゃないけど。やっぱり……」

 

無理もない。結芽にとって御刀は自分の目的を達成するためには必要不可欠な道具だった。その上、生命線の役割まで兼ねていたとなればもはや半身と言ってもいいだろう。

 

「身体の調子はどうですか? 私の細胞の影響がどの程度出ているかわかりますか?」

 

「影響かあ……よくわかんないよ」

 

「まあ、本人がわからないと仰るのならば、そこまで干渉はしていないのでしょうね。安心しました」

 

延命のためにノロに汚染されていた彼女の身体は、明良の細胞を移植させることで穢れが浄化された。彼女の肉体は一旦健康な状態へと回復し、そこからさらにノロを抜くことで純粋な刀使へと戻りつつある。

 

「私が貴女に分け与えた細胞は、既に貴女自身の細胞に置き換えられています。後は残っているノロを除去するだけですね」

 

「ノロ……かあ……」

 

明良の説明を聞いたところで結芽は物憂げな表情でそう呟く。

 

「いかがなさいましたか?」

 

「何て言うかさ……ノロがなくなるのって、やっぱり寂しいのかな」

 

「どういうことですか? 確か貴女は戦いにノロの力は使っていなかったと記憶していますが」

 

親衛隊の面々は四人とも肉体にノロのアンプルを投与していた。真希、寿々花、夜見の三人は積極的にその力を戦闘に使用していたが、結芽は断固としてそれには頼らなかった。

だからこそ、明良にはわからなかった。何故そんな彼女がノロを失うことを憂いているのかが。

 

「ううん、そうじゃなくてさ。他の親衛隊の皆のこと……」

 

――……ああ、なるほど。

 

「……どうなのでしょうね、少なくとも、今の此花さんはそこまで執着しているわけではないようですが」

 

「寿々花おねーさんはそうかもしれないけど……多分、夜見おねーさんはまだノロを欲しがってる。それこそ、これでもかってくらい」

 

結芽は両腕をいっぱいに広げて空中に円を描く。

 

「皐月さん……彼女はどういう方なのですか?」

 

「ん? どうしたの急に」

 

「軽い雑談のようなものです。何しろ、私は皐月さんのことをあまり詳しく知りませんので」

 

「自分で調べなかったの? 私のこと初対面のときから知ってたじゃん」

 

結芽の言うように、明良は以前管理局内で情報収集をして親衛隊のことも調べることができた。しかし、精々簡単なプロフィールや経歴、戦闘の型くらいのものだ。一人一人の詳しい過去は知らない。

 

「あのときの明良おにーさん、何か気持ち悪かったよ。ストーカーみたいな感じしてたし」

 

「またまたご冗談を。私が執拗に追い求めているのは舞衣様だけですよ」

 

「……それは別の意味でヤバい人じゃないの?」

 

――まあ、自分が危ない人物だという自覚はありますが。

 

「夜見おねーさんのことは……詳しいことはよくわかんない。ちょっと前まで鎌府で高津のおばちゃんにこき使われてた、とかなら知ってるけど」

 

「ええ、尤も高津学長は彼女のことを都合の良い手駒としか認識していないようですが」

 

高津学長にとって自分の教え子は道具も同然。意思を持たない人形のごとく乱雑に扱い、命令を忠実に実行できなければ失敗作の烙印を押される。

沙耶香に対しては愛情を注ぎつつも、腹の内では『たかが道具』と見下していた。

夜見に対しては徹底的に彼女の存在価値を蔑ろにしていた。

二人とも高津学長の被害者ではあるが、全く大切に扱われなかった分、夜見の方が比較的辛い目にあってきたのだろうと明良には思えた。

 

「……そういえば」

 

「?」

 

「前に沙耶香ちゃんが高津のおばちゃんのとこから逃げたことあったでしょ?」

 

「ええ、私と舞衣様も一緒でしたね。貴女と初めて戦いもしました」

 

結芽が言っているのは明良が高津学長と沙耶香を決別させたときのことだろう。

あのときは舞衣が沙耶香のために奔走していたのが印象に残っている。

 

「明良おにーさんは知ってるかわかんないけど、あのとき夜見おねーさん、高津のおばちゃんに思いっきり叩かれてたんだよ」

 

「……知りませんでした。何故そんなことに?」

 

「夜見おねーさんが沙耶香ちゃん捜しに自分の力使ってください、って言ったら『お前の力だなんて勘違いするな』って言って。それで……」

 

容易に想像できた。高津学長にとって夜見はその程度でしかないのだ。

というか、あの時点ではまだ夜見は戦闘不能だったはず。大方、事態を察してベッドから飛び起きてきたのだろう。

 

「なるほど。高津学長らしいです」

 

「それで、そのあとに夜見おねーさんに聞いたんだよ。全然言い返したり怒ったりしなかったからさ」

 

「皐月さんは何と?」

 

「『あの方のお陰で今の私がいるのですから、怒るつもりは毛頭ありません』だって」

 

「……それも、言いそうですね」

 

春に最後に彼女と会ったときも、そんなことを言っていた。彼女にとっての忠義とは『そういうもの』なのだ。相手から受けた理不尽がいかなるものであっても、それは受けた恩義を上回ることはない。

たとえ殺されることになろうと、夜見にとって高津学長は恩人なのだろう。

 

「そのとき、思っちゃったんだ。あの人は明良おにーさんと同じなんだって」

 

――……同じ……そうかもしれませんが、それは……

 

「今は違ってても、二人のやってきたこととか、自分の中のすがろうとしてる人は似てる。自分の居場所を作っくれた人のために、自分の思いを消そうとしてた」

 

「私は舞衣様に、皐月さんは高津学長に、ですか」

 

そうだ。明良とて、舞衣のために命を捨てることはできなくとも、懸ける覚悟はある。友情や責任感ではない。恩を返す、誰かに尽くすという想いは二人とも同じ。

 

「何となくだけどさ、次に夜見おねーさんと会うことになったら……そのときに夜見おねーさんと戦うかもしれないって思うんだよね」

 

「恐らくそうでしょうね。高津学長が今回の件に関係しているとすれば、皐月さんも彼女の側にいるはずです。あくまで推測ですが」

 

便宜上は推測と言っているが、明良の中では確定事項だ。高津学長も夜見もいつまでも黙っているわけがない。

 

「皐月さんの――あの人の想いは間違っていません。ですが、やろうとしていることは間違っています」

 

「どうするつもりなの?」

 

不安げな表情で結芽が問う。明良がどう考えているのか、結芽も大体予測しているのだ。

明良が夜見を殺そうとしている、と。

 

「捕まえて、説得します」

 

「……できるの? 夜見おねーさんが折れたりするかな?」

 

「折ります。いえ、折らせます。たとえどれだけ強固な忠義であろうと、付け入る弱点は存在します。私もそうでしたから」

 

明良はそう言って部屋の出入り口の扉を開ける。

 

「明良おにーさんの言葉とは思えないなあ。明良おにーさん、好きって気持ちが揺らいだりするの?」

 

「奇妙なことを仰りますね」

 

廊下へ左足を踏み入れ、首だけ結芽の方へ振り向かせる。

 

「揺らぐかもしれないからこそ、想い合う努力をするんですよ」

 




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第51話 お前たちがそうさせる

>私の心の中

私「ふう、こんなもんかな(グテー)」
相棒「もう一人の私、あなた疲れてるのよ」
私「これでええねん」

こんな感じです。何を言っているのかわからねー、とお思いの方、それで正解です。気持ちや感覚が伝わっていればいいんです。
それでは、本編をどうぞ


結芽と病室で話をした後、明良はロビーで待つ薫と真庭本部長の元へと向かうべく、階段へと続く廊下を歩いていた。

 

「もうこんな時間……舞衣様に明日にでも事情を話さないと……」

 

時刻は深夜に迫ろうかという頃。

自分の監視役であり、何より主兼恋人でもある彼女には、まだこの件は話していない。美濃関に帰ったら、いなくなっていたことも含めて詳しく話しておかなければ。

 

「後は夕食の買い出しに、舞衣様のお部屋の掃除も……ふふっ……」

 

思わず頬が緩む。舞衣のために奉仕ができると思うと、これもまた仕方のないことだ。自分の作った料理を舞衣が食べ、自分の掃除した部屋で舞衣が過ごす。己の時間と労力が彼女の生きる糧となることを考えると、夢が広がるのだ。

 

「そんな風に笑うんだな、お前は」

 

「!?」

 

――誰だっ!?

 

寒気。気配でも音でもない。背後から呼び掛けてきたその存在を察知した瞬間に全身に鳥肌が立つ。

明良は咄嗟に振り返りつつ、床を蹴ってその相手と距離を取る。

 

「驚くな。挨拶をしに来ただけだ」

 

異様な格好の男だった。夕焼けのような緋色の装束を身に纏い、目深に被っている同色のフードのせいで顔は見えない。

声や大まかな体格から若い男性であることはほぼ間違いない。

 

「誰ですか、貴方は」

 

「……やはり、知らないんだな」

 

「?」

 

がっかりしたような態度で肩をすくめる彼。顔は見えないというのに、刺すような感情は伝わってきた。

 

「美濃関だと、あの娘が付きまとっていて面倒だったからな。ようやくこうして会いに来たんだ」

 

「あの娘……舞衣様のことですか」

 

「ああ、とは言っても実際に付きまとっているのはお前の方か」

 

嘲るように肩を震わせる彼。笑っているはずなのに、朗らかな雰囲気は全くない。不気味、異常だと本能が告げている。

 

「見ていて不愉快だな。あんなに媚びへつらっていて楽しいのか?」

 

「勿論、楽しいですよ。それとも、貴方に不都合でもあるのですか?」

 

「あるんだよ」

 

語気が荒くなる。静かだが、確かな怒りだ。

 

「まさか、いつまでもあんな日々が続くと思っているのか? おめでたい奴だ」

 

「どういうことですか?」

 

「それを話したら意味がないだろう? いずれわかることだ」

 

彼は左手の指を鳴らす。すると、彼の背後に黒い渦のような円形の空間の歪みが生まれる。

 

「明良、せいぜい足掻き続けろ。お前と俺にとっての願いは、お前の働きにもかかっている」

 

「勝手に願いを作らないでもらえますか?」

 

「そうだ、勝手だな。今のお前にとってはな」

 

彼は明良を正面から指差し、毅然とした態度で言う。

 

「だが、俺にとってはそうじゃない」

 

彼は踵を返し、空間の歪みへと歩いていく。

 

――まずい!

 

「逃がしません」

 

ゆるりとした動作で歩く彼の腕を掴んで引き留めようと、明良は正面へ疾駆する。

念のためにと、『右腕』を発動させ、刈り取るように振りかぶる。殺すつもりはない。だが、この男は何か危険だ。振りかぶった『右腕』を彼の無防備な身体へと届かせた。

 

「はぁ……」

 

面倒そうなため息。一瞬の交錯の中でもそれは確かに明良の耳に届いた。

嫌な予感が胸に響いた時点でもう遅かった。彼は明良の『右腕』の刀身を振り向き様に左手で受け止めた。それも、素手で。

 

「なっ……!?」

 

「物忘れの酷い奴だな。今日は挨拶しに来ただけと言ったはずだ」

 

――馬鹿な、私の攻撃を素手で受け止められる者など……

 

折神紫の身体に憑依していたとはいえ、あのタギツヒメさえ明良の攻撃には御刀で対応していたのだ。目の前のこの男は一体、どういう生物だ。

 

「貴方、人間なんですか?」

 

「当然だ。ただ、少々別のものが混ざってるだけのな」

 

「まさか……貴方も……」

 

「お前が今知る必要はない」

 

「――っ!!」

 

咄嗟に『左腕』を出し、振り払おうとする。が、

 

「遅い」

 

明良の反撃よりも速く、視界の下方から迫った蹴足が腹部にめり込み、明良の身体を後方へと弾き飛ばした。

腹部に鈍い痛みと刺すような痺れが残り、踞ってしまう。肺の空気がほとんどなくなり、数十秒は立ち上がれそうにない。

 

「意外と血の気が多いな。もう少し冷静だと思っていたんだがな」

 

「……冷静ですよ、だからこうして貴方を止めようとしている」

 

「なら、止められない場合についても考えておけばよかったな。その部分は短絡的だ」

 

踞る明良を見下ろしながら彼は笑う。苛立ちの視線を彼に向けていた明良だったが、不意に彼の立ち姿が視界から消える。

 

「だから、こうやって簡単にちょっかいも出せる」

 

気づいた瞬間に彼の姿が眼前に現れ、次には額に火花のような痛みが走った。

身体が仰け反り、仰向けに倒れる。何とか顔を彼の方へと向けると、右手の人差し指を前方へピンと張った状態で立っていた。額を弾かれたのだと、そのときにようやく理解できた。

 

――速い……全く反応できなかった。

 

速度も腕力も明良より遥かに上。正面から戦っても絶対に勝てない。

 

「もうしばらく遊んでいるのもやぶさかじゃないが、そろそろ野次馬が群がってくる頃だな」

 

「ま、待って……ください……」

 

明良の言葉を無視して、彼は再び空間の歪みに向かう。そのまま消える、と思いきや去り際に一言残していった。

 

「お前は俺の願いから逃れられない。いや、お前たちがそうさせる」

 

意味がわからない。そう言いたかったが、言えなかった。今の人物はどう考えても普通ではない。

タギツヒメではない、何か別の存在だ。力ずくでどうこうできない相手である以上、明良はただひたすらに警戒するしかなかった。

 

 

 

※※※※※

 

 

 

「………」

 

車を走らせながら明良は先日の戦いを思い返していた。本気で殺すつもりではなかったとはいえ、手も足も出ずに弄ばれたのは初めてだった。

 

「……くん」

 

あの男の発していた雰囲気。人間や荒魂のものではなかった。強さやどうとかそういう問題ではない。異質なのだ。

姿形は人間に近いが、漂う悪意や圧力はタギツヒメと同等かそれ以上。

 

「……くん、聞いてる?」

 

少なくとも味方ではないことは確定している。敵とするなら、これから衝突することもあるはずだ。そのとき、明良は彼に勝てるのか? 可能な限り卑怯な手段を使って、制圧するまではいかなくとも、相互不干渉の状態に持っていかなくては。

 

「明良くん!」

 

「……! は、はい。なんでしょうか」

 

「どうしたの? 考え事してた?」

 

「ええ、少し。申し訳ありません。運転中でしたね」

 

横から飛んできた舞衣の心配した声。普段なら後部座席に座っている彼女だが、今回は助手席に座っている。彼女いわく、後ろ姿じゃなく横顔を見ていたいからだとか。

現在二人は美濃関の近辺に出現した荒魂の討伐に向かっている。実際に任務に当たるのは舞衣で、明良はそのサポートを買って出たのだ。

 

「いいよ、そんなに気にしなくても。でも、一体何を考えてたの?」

 

「今晩の夕食を何にしようかと……」

 

「……嘘」

 

「え?」

 

舞衣は明良が咄嗟に付いた虚偽の報告を即座に見破った。動揺して横目で彼女の方を見ると、目を細めて此方を睨んでいた。

 

「何でわかったんですか、って顔してるよね?」

 

「……はい」

 

「わかるよ。恋人、なんだから……」

 

少々むくれながらも、頬を赤らめて言う舞衣。

今までは見破られたことなどなかったのだが、彼女との心理的な距離が縮まったことで無意識に隙ができていたのだろう。

もう彼女に生半可な嘘は通じない。困ったことになった、と一瞬思ってしまったが、彼女と本心で向き合えることの喜びの方が勝っていた。

 

「もしかして浮気? それともいかがわしいお店にでも行ってたの?」

 

「え? あ、いや……」

 

何かに勘づいたように目を見開いた舞衣は、突然瞳の色が暗く染まり口元に微笑を浮かぶ。笑っているように見えて笑っていない。

 

「まあ、明良くんはそんなことしちゃいけないことくらい知ってるよね、うん。そんなはずないよね。ありえないよね」

 

「……は、はい」

 

怖い、この人。この瞬間、明良の感情を埋め尽くしていたのは間違いなく畏怖だ。

 

「もし明良くんが浮気なんかしたら……どうしよう。しばらく浮気できない身体にしちゃおうかな……」

 

多分、今の舞衣はタギツヒメや緋装束の男より強い威圧感を放っている。恋をする女性は強いと聞くが、舞衣のそれは常人を超越している。

 

「浮気ではありませんよ。当然、今までもこれからもありえません」

 

「そう、よかった」

 

ようやく舞衣の瞳に光が戻った。

 

――もとにもどった、よかった。

 

何だか、安心しすぎて頭の中の知能が退行してしまった。危ない。

 

「私が考えていたのは、先日の管理局での一件についてです」

 

「確か、真庭本部長に呼ばれたときのこと?」

 

「はい、正直にお話しします」

 

明良はそれから十分ほど時間をかけて、黒フードの刀使の犯行、寿々花や結芽と会って話したこと、そして緋装束の男について説明した。

 

「そんなことがあったんだ……」

 

「フードの刀使に、緋装束の男。この二人には注意してください。特に後者は私一人では対処できない可能性が高いです」

 

「もしかして、だから嘘ついたの? 私のことを巻き込まないようにって」

 

「……はい、その通りです」

 

「まだそんなこと思ってたんだ……」

 

否定はできない。以前と同じ感情ではないものの、今回のことはもう少し時間をおいて話すべきだと判断してしまったのは事実。

 

「言ったよね。明良くんだけで抱え込もうとしないでって」

 

「……ええ、確かにそう仰られました」

 

「だったら、今度からはちゃんと話して。私が絶対に力になるから」

 

真摯にこちらを見詰める舞衣。こういうときの彼女は何者であろうと動かせない。実際、明良も彼女の言葉は正しいと思っている。素直に認めよう、自分が軽率だったと。

 

「申し訳ありません。まだ推測の段階でしたので、貴女に不要な心配を抱かせるわけにはいかないと思ったので……」

 

「それでも、だよ。そのときは私も一緒に考えるから」

 

やはり彼女には敵わない。だが、好きな人に敵わないというのは決して嫌ではない。

 

「ですが、このままですと今度のご実家への帰省の件は考え直す必要があるかと思います」

 

「そうだよね……」

 

あの緋装束の男の強さと、何より含みのある台詞。近々、舞衣と二人で彼女の実家に帰る予定だったが、その道中や彼女の家族がいる最中に襲撃を受ければ無事では済まない。

彼の目的が明かされるまでは美濃関学院や刀剣類管理局にいた方が安全だろう。

 

「私にもっと力や知恵があれば……いえ、たとえそうだとしてもご家族の方々に危害が及ぶ可能性は捨てきれません」

 

「ううん、明良くんは気にしなくていいから。また安全になったら会いに行こうよ」

 

「はい。全力で問題解決に当たります」

 

「皆で、だよ?」

 

「心得ております」

 

念押しする舞衣に明良は笑みをこぼしながら答える。

 

「ところで、話はちょっと変わるけどいいかな?」

 

「? はい、何でしょう」

 

少々暗めの雰囲気から一転。明るい顔で舞衣が尋ねてきた。少なからず期待しながら聞き返した。

 

「薫ちゃんに、此花さん、燕さん、三人の女の子と会ってどんなことしてたのか事細かに教えてもらうから」

 

「え?」

 

「覚悟、しておいてね?」

 

訂正する。明るいのは顔だけで、身に纏う雰囲気は別物だ。おまけに、瞳の色がまた闇の色に染まっている。

そんな彼女に言えることはただ一つ。

 

「……承知いたしました」

 

その後、笑顔の舞衣に一晩中尋問されたのは言うまでもない。




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第52話 現実

予想以上に長い……それに反して、進みが遅いなあ。

今回は薫視点です。


「はあ、刀使やめてえ」

 

静けさが支配する森林を駆け抜けるように、その気だるげな声が響く。益子薫はトボトボと土を踏みしめながら目の前を歩く白髪の少女――糸見沙耶香の後を歩いていた。

 

「薫……どうしたの?」

 

「なーんかオレばっか働かされてる気がするんだヨナー」

 

タギツヒメとの戦いの一件から数ヶ月。この間に日本各地での荒魂の出現率は激増した。そのため、必然的に刀使が任務に駆り出される頻度も上がったのだが、その中でも薫はかれこれ四ヶ月もの間無休でいくつもの地方を奔走している。尤も、当の本人は今まで任務を何度もバックレていたため、自業自得とも言えるのだが。

 

「な? ねねもそう思うよな」

 

「ねー?……ね、ねー!」

 

「……何か歯切れ悪いな」

 

薫の頭の上で疑問や逡巡に顔を悩ませるながらも頷くねねだったが、薫にとっては複雑なものでしかない。

 

「薫」

 

「何だよ、沙耶香」

 

「今は、任務に集中」

 

「あーもー、真面目だな」

 

前を歩く沙耶香は立ち止まり、薫の方を振り返って言う。常に冷静沈着、与えられた任務は忠実にこなす沙耶香と無気力さを体現したような薫。両者のモチベーションの差はもはや語るべくもなかった。

 

「ねねっ!」

 

そんな沙耶香から諌められたことで若干バツが悪そうになる薫だったが、彼女の頭上に乗るねねは突然足を踏み切り、沙耶香の肩に乗り移った。

 

「お、おい、ねね」

 

「ねねぇ……」

 

「? どうしたの、ねね……?」

 

ねねは、沙耶香の肩の上に乗ったまま顔を綻ばせる。これはねねが人になついているときの表情だ。

 

「はあ、ほんと、同じクール系でもエターナル・ヒヨヨン・ザ・ナイペッタンならからかったりできんのになぁ……」

 

ここにはいない姫和の存在に嘆く。彼女は、その薄い胸元についてイジり倒す度に期待通りの反応を返してくれるのだ。やはり、会話での掛け合いを楽しめる相手でなければ面白くない。

と、そんな薫にある一つの妙案が浮かんだ。

 

「そうだ。この写真を……」

 

薫はまず、沙耶香と彼女の肩に乗るねねの二人の様子を正面から携帯端末のカメラで撮影する。そして、メッセージアプリを立ち上げて姫和に対して送る文面を入力し始めた。

 

「『ねねが沙耶香になついた。つまり、沙耶香はヒヨヨンのホライズン胸より未来があるみたいだぞ⭐』……送信っと」

 

ついでに今し方撮影した画像も添付し、文章を送信した。どんな返しが来るかワクワクしていた薫に、直ぐ様姫和からの返信が届いた。

 

『しょうちしたきさまはきる』

 

漢字変換も句読点もない簡素なものだが、それゆえに彼女の怒りがひしひしと伝わってくる文章。そして、薫が送信してから返信が来るまで、その間わずか1秒程度。

 

「やっぱこうでないとなー!」

 

携帯端末越しとはいえ、やはりこのやりとりは格別だ。まあ、後日会った際に斬りかかられるかどうかは問題だが。

 

「ねねっ?」

 

薫が姫和とのやりとりにガッツポーズをかましていたところで、沙耶香の肩に乗るねねが何やら茂みの方を指差した。

 

「?」

 

どうしたのだろう、と首をかしげているとねねが示した茂みからガサッと何か動く音が聞こえた。

 

「ようやくお出ましか」

 

「……」

 

ねねの反応からして、目的の荒魂だろう。薫と沙耶香は二人とも抜刀し、茂みの奥に注意を集中させる。

やがて、茂みに潜む荒魂の姿が明らかになり……

 

「へ?」

 

なりはしたが、その姿は敵と評するにはあまりにも小さく可愛らしいものだった。

 

「……なんだこりゃ」

 

大きさはねねと同程度。外形はリスに近く、とてもではないが凶悪な荒魂には見えないし、敵意も感じられない。遅れて反応したスペクトラムファインダーの通知音も馬鹿らしく聞こえてしまった。

 

「こいつか、この辺りを騒がせてる荒魂って。スペクトラムファインダーどころか、ねねでも察知できないわけだ」

 

薫は拍子抜けすると同時に安心もした。こんな荒魂なら討伐の必要はないだろう。これ以上人里に下りてこなければ特に問題はない。

 

「さて、さっさと山奥に返して――」

 

だが、薫の横を風のように駆け抜ける一人の影があった。沙耶香だ。

 

「っ!!」

 

沙耶香は容赦なく、御刀を振り上げて荒魂に斬りかかろうとした。しかし、それに先回りして薫は荒魂を庇う形で沙耶香の斬撃を自分の御刀で防ぐ。

 

「勝手なことするんじゃねーよ」

 

自分でも意外なほど低く、それでいて冷え切った声が口から出た。沙耶香が憎いわけではない。ただ、薫にとってこの行いが容認できないだけだ。

 

「どうして? 荒魂は討たないと。それが刀使の仕事」

 

「ああ、そうだな。確かにお前は正しいよ、沙耶香」

 

沙耶香の言っていることは世間一般どころか、刀使ですら認める共通見解だ。今も昔も、刀使はそのために存在している。

それでも、薫にはそれが完全な答えだとは思えない。

 

「正しいけど、気に食わん」

 

「……え?」

 

「見ろよ、こいつを」

 

薫は沙耶香と刀を合わせながら、荒魂の方へと沙耶香の目を向けさせる。その荒魂の傍らには、すり寄り、笑顔で話すねねの姿があった。

 

「ねねはこいつに敵意を感じてない。それが何よりの証だろ」

 

「荒魂は荒魂、放置していたら人に危害を加えるかもしれない。だから、早く斬らないと」

 

「そうか、そうかもな」

 

薫は一歩引いて沙耶香から離れる。そして、自分の御刀をねねに向ける。

 

「だったら、お前はねねと明良にも同じことを言うのか?」

 

「それは……」

 

「お前たちは荒魂で、いずれ人に危害を加えるかもしれないから、問答無用で殺されて当然だって。そう言うのか?」

 

ねねは荒魂であっても、穢れではない。人を害さず、共に生きることのできる存在だ。

明良は半分荒魂の人間だが、決して人の心を失っていない。大切な人のために努力し、身体を張って戦う意志と正義感を持っている。

二人とも荒魂に類する存在であることに違いはない。だが、同時に悪でもない。この二人と目の前にいる小さな一つの荒魂と、一体何が違うというのだ。

 

「お前に二人が斬れるのか?」

 

「……」

 

沙耶香は口ごもり、御刀を持つ手を下ろす。そして、御刀を鞘に納めてゆっくりと首を左右に振った。

 

「駄目。そんなことできない……絶対に、やりたくない」

 

哀しげに、噛み締めるように沙耶香は呟く。己の価値観が正しいと思っていて、なおかつ薫の言葉に心から納得してしまったがゆえの反応だろう。

 

「ねえ、薫」

 

「何だ?」

 

「私は……間違ってたの?」

 

「いんや、間違えてねーよ」

 

そうだ。沙耶香は間違えていたわけではない。恐らく、沙耶香があのまま荒魂を斬り祓っていたとしても誰も彼女を咎めない。むしろ、任務を達成した人物として評価されていたはずだ。

 

「ただ、何で刀使が荒魂を斬るのかってとこは考えないとな。じゃないと、道を踏み外すかもしれない」

 

「……まだ、よくわからない」

 

沙耶香は哀しげな目を伏せ、再び開く。その目にはもう悲痛の色は灯っていない。

 

「だから、よく考える」

 

「おう。今はそれで十分だ」

 

薫は笑顔でそれに応える。そもそも、一朝一夕で完全に理解できる考えではない。理解しようと努力してくれるという姿勢だけで嬉しいのだ。

 

「さて、こいつはどうするか」

 

「山から出られないようにする?」

 

「どうだろうな。まあ、まずは本部長に連絡して――」

 

薫は携帯端末を取り出そうとするが、それを甲高い声が制した。

 

「ねねーっ!!」

 

ねねだ。先程とは打って変わって、荒魂を睨み、全身の毛を逆立てている。

 

「……! まさか!」

 

薫の嫌な予感は的中した。荒魂の肉体がどんどん膨張し、リスくらいだった外見の印象はもはや感じられない。野生の象ほどの体躯は凶悪な荒魂そのものだ。

 

「嘘だろ……っ!」

 

「くっ……!」

 

荒魂の振り上げられた右手は薫と沙耶香の頭上に影を作り、やがて二人めがけて降り下ろされる。察知した二人は後方へ跳んで回避する。降り下ろされた右手が地面を割り、土と砂礫が宙に舞った。

 

「何故、急に……」

 

「さあな。だが、こうなったらもう四の五の言ってられねー」

 

薫は写シを体表に貼り、両手で御刀を握って荒魂に突進する。

 

――考えて、信じて、それが駄目だったときは誰よりも先にそいつの牙を受け、剣を向ける。

 

益子の刀使はそうやって何世代にも渡って荒魂と向き合ってきた。だから、今回も――

 

「オレが、ケジメをつける」

 

跳躍し、上段に御刀を振りかぶる。そのまま己の体重と御刀の重量を乗せ、一気に降り下ろす。

 

「きえー!!」

 

 

 

※※※※※

 

 

 

「隊長、糸見さん、どうもお疲れ様でした」

 

同じ部隊の眼鏡をかけた綾小路の刀使が二人に一礼する。

荒魂を討伐した後、別働隊の刀使とノロの回収班を呼んだ。現在はノロの回収作業に入っている。

 

「後は我々で作業を済ませますので、お二人は先に戻ってお休みになられてください」

 

「お、いいのか? よーし、行くぞ沙耶香」

 

「……薫、切り替え早い」

 

「休めるからな」

 

薫はさっさとその場を退散し、下山を始めた。沙耶香と彼女の頭に乗るねねも、薫の後ろを歩く形で下山している。

 

「薫、大丈夫だったの?」

 

「ん? 何がだ?」

 

「ノロを奪う刀使がいるって……」

 

「ああ、それか。けどまあ、こんな山奥にあんな少ないノロを奪いに来ないだろ」

 

犯人の正確な狙いはまだ不明だが、あんな少量を奪うにしてはリスクが高すぎる。放っておいても問題はないだろう。

 

「そうつれないことを言わずに、戻ってやったらどうだ?」

 

そんな安心感を叩き消すかのごとく、二人の背後から不気味な声が投げ掛けられた。

 

「誰だ!」

 

薫と沙耶香は同時に振り返り、御刀に手をかける。だが、声の主はいつの間にか距離をとっており、間合いの外に立っていた。

 

「少しからかっただけでそこまで警戒するとはな」

 

「そりゃするだろ。明良に言われたんだ、緋色の装束の男(お前)に会ったら一秒たりとも警戒を緩めるなってな」

 

そう。今二人の眼前に立っているのはフードを目深に被った緋装束の男。外見だけではない、相手を嘲るような口調や仕種も、明良から伝え聞いていた人物像と合致する。

 

「明良……そうか、あいつはもう伝えているんだな。仕事熱心なようで感心したよ」

 

「……お前、さっきのは一体どういうことだ? 戻った方がいいとか何とか」

 

「もうすぐ、件の刀使がお前たちのお仲間からノロを奪いに来る。だからわざわざ忠告に来てやってるんだ」

 

「どうして、そんなことがわかるの?」

 

沙耶香は訝しげに眉をひそめ、緋装束の男に問う。男は大きく溜め息をつき、答えた。

 

「……そんな問答をしている暇はないぞ」

 

「だったら、オレたちと一緒に来てもらおうか。その後でしっかり問答をすりゃあいい」

 

「拷問の間違いだろう? それに、俺はそんなことに従う義理はない」

 

薫と沙耶香は変わらず敵意を向け続ける。そんな状態が数十秒続いたが、その静寂はねねによって破られた。

 

「! ねねっ!」

 

ねねが慌てた様子で叫ぶ。目の前の男に向かってではない。先程まで薫たちがいた場所。ノロの回収作業を行っている場所だ。

薫は御刀を抜き、緋装束の男に向けて正眼に構える。

 

「くそっ! さっさとどけ! じゃないと――」

 

「言われなくてもどいてやる。足止めしに来たわけでもないからな」

 

緋装束の男は道の端に寄り、誘導するような所作で二人に道を譲った。

 

「沙耶香、行くぞ!」

 

「……わかった」

 

今はこの男よりも仲間の安否の方が優先だ。薫と沙耶香は警戒しつつも男の脇を通り、目的地へと駆け抜ける。

 

「おい、お前ら大丈夫か!?」

 

辿り着いた先では、刀使とノロの回収班が倒れ伏していた。薫が呼び掛けるが、返事がない。さらに、先程倒した荒魂のノロは跡形もなく消えていた。

 

「薫、ノロがどこにもない」

 

「もう盗られた後ってことかよ……」

 

幸い、外傷が見られないことから気絶しているだけのようだ。

 

「薫、あれ」

 

同じように被害者に駆け寄っていた沙耶香が別の方向を指し示す。その方向には、ある人物が立っている。

 

「……」

 

「やっぱり、お前だったか」

 

かつて見たことのある服装とは違う、黒いフード付きのコートに身を包んだ少女。だが、今の彼女の顔はフードによって隠れてはいない。

間違いなく、薫が予想していた通りの人物の顔だ。

 

「……獅童真希」

 

元親衛隊第一席。かつては薫たちと敵対していた刀使であり、タギツヒメとの一件以来消息不明となっていた。

 

「明良は、お前が犯人じゃないかもしれないって言ってた。その上で聞く。これはお前がやったのか?」

 

「……」

 

真希は答えない。今すぐにでも攻撃を仕掛けなかったのは、事実確認のためだ。しかし、真希が沈黙を貫くなら彼女が潔白であるとは到底思えない。

 

「答えてもらうからな」

 

この現状から鑑みるに、彼女が犯人である可能性は高い。容赦や手加減はしない方がいいだろう。

 

「……」

 

薫、真希、双方とも臨戦態勢に入る。どちらが先に斬りかかってもおかしくない状況だが、その場に別の役者が乱入した。

 

「いちいち争ってもらっては困るな」

 

「お前、さっきの……!」

 

現れたのはつい先刻山道で会った緋装束の男だ。男は薫と向き合う形で真希と薫の間に立つ。

 

「お前、獅童の仲間か?」

 

「仲間? 可笑しなことを言うんだな」

 

「違うんならそこをどけ」

 

小馬鹿にした様子で肩をすくめる男。薫は苛立ちを募らせ、男に御刀を向ける。

 

「断る。仲間でなくとも、俺の駒であることに違いはない」

 

「駒だと?」

 

「そうだ。ここでお前たちに真実から遠ざかってもらっては困るからな」

 

「遠ざかる? オレたちが間違ってるって言うのかよ?」

 

「ああ、見当違いなことをしてる」

 

「信じられるか」

 

こんな怪しげな男が敵の勢力ではないはずがない。薫たちを混乱させるために口車に乗せているのか。

 

「さっさと行け、獅童真希。お前のここでの役目は終わりだ」

 

「………」

 

真希は何も言わず、大地を蹴って跳躍する。そのまま目視できない距離まで瞬く間に消えていった。薫と沙耶香は止めようとしたものの、緋装束の男の威圧感に当てられて不用意に動けなかった。

 

「……そこのお前」

 

真希が消えた途端、男は沙耶香の方を指差した。いや、沙耶香ではない。彼女の頭に乗っているねねをだ。

 

「ね?」

 

「荒魂が刀使と馴れ合って家族ごっことは、見ていて滑稽だな」

 

「おい、何が言いたいんだ」

 

聞き捨てならない。荒魂と刀使の関係性という点だけではない。自分の大切な存在を見下すような物言いに、薫は睨みを利かせながら問い質す。

 

「実現もしない、仮初の関係など見るに堪えない。そう言ってる」

 

「……警告してやる、今謝れば痛い目は見ずに済むぞ」

 

「気遣いは有難いが、撤回する理由もないな」

 

薫は強めに脅しの言葉をかけるが、男は全く意にも介さない。

 

「お前たちは刀使と荒魂が争う必要のない世界を夢見ているのかもしれないが、そういう『妄想』は絵本の中だけにしておけ」

 

「………」

 

この男は強い。それは知っている。だが、そんなことは理由にならない。

 

「『現実』を思い知ったときに、果たして同じ『妄想』を吐けるか?」

 

「警告はしたからな……!」

 

我慢の限界だ。薫は地を足で踏み切って、一足跳びに緋装束の男に迫る。この距離と速度、間合い。回避も防御もできない。常識的に考えて直撃しないわけがない。

 

「そうだったな」

 

しかし、常識では計り知れない事態が起きた。防がれたわけでも、避けられたわけでもない。

 

「お前の警告など、どうでもいいから忘れていた」

 

御刀で斬る瞬間、目の前にいたはずの男が自分の左に立っていた。

速いとか目で追えないとか、そういう次元じゃない。気がついたら横にいた(、、、、、、、、、、)のだ。

 

「お前っ!!」

 

瞬時に横凪ぎに切り替えるが、それも不発だ。結果はほぼ変わらず、今度は右にいた。

 

「この距離だぞ、そんなに大声で怒鳴るな」

 

確信した。薫にとっては渾身の一撃を交えた戦いであっても、この男にとっては遊び以下だ。

 

「薫!」

 

タイミングを見計らっていたのか、男の油断を狙って沙耶香が横合いから斬り込む。

それも案の定と言うべきか、当たることはない。今度は沙耶香や薫の傍ではなく、十メートルほど離れた木に寄りかかっていた。

 

「安心しろ、俺はお前たちと戦いに来たわけじゃない」

 

「だったら、何が目的なんだよ」

 

「ただの挨拶回りだ。ついでに、お前たちが『どれくらい』なのかを見ておきたくてな」

 

「何の話だ?」

 

「こっちの話だ」

 

男は薫の言葉を吐き捨てるように一蹴する。

 

「まあいい。今のところ、お前たちは合格だ」

 

男は指を鳴らす。すると、男の背後の空間が歪み、その中へと彼の身体は吸い込まれ、消えた。

 

「お、おい! 待ちやがれ!」

 

「駄目、薫」

 

薫は思わず歪みに飛び込もうとしたが、沙耶香に肩を掴まれて引き留められる。

 

「今追い掛けても、勝てない。多分、二人がかりでも」

 

「……ああ、わかってる。わかってるけどよ」

 

自分の信念を侮辱されたことへのやるせなさは拭えない。また会ったら、今度こそ勝つ。薫はそう胸に誓った。

 

「しっかし、何者だったんだあいつは」

 

「わからない。けど、ねねが反応してなかったから……荒魂じゃない……?」

 

ねねは荒魂の持つ穢れを嗅ぎ取る能力を持っている。それゆえに、スペクトラムファインダーのような機器よりも正確な認識が可能だ。逆に言えば、ねねが反応しないということは荒魂ではないか、その荒魂の穢れが消えているか。そのどちらかとなる。

 

「ねねが騒いでないなら違うんだろうが……だったら、あんなに強いのは何でだろうな。わかるか、ねね?」

 

「ねねぇ……? ねねー……」

 

ねねは何度も試行錯誤する動きを見せる。ねねなりに頭を回しているのだろう。だが、一向にねねから確かな答えは返ってこなかった。




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第53話 恐怖

ガチャで祭祀礼装の舞衣が登場
→今までにためておいた虹珠鋼が火を吹くぜ!(55連)
→くっそー、出ない! なら課金じゃあ!(五千円課金からの22連)
→出ない、だとッ……!?
→本当の暴力を教えてやる必要があるようだな……(一万円スッ)


「………」

 

「………」

 

御刀を構え、対峙する二人の少女。衛藤可奈美と十条姫和は刀剣類管理局に併設されている剣術道場にて、手合わせを行っていた。

今年の夏に姫和が平城に戻り、しばらく任務でも会わなかったため、手合わせも数ヶ月ぶりだ。

 

「ねえ、もう一本する?」

 

「……いや、もうそろそろいいだろう」

 

これでもう五回は打ち合った。今日は七人で集まる約束になっているのだ。道場に差し込む陽光が夕焼け色に染まってきた。切り上げるには丁度いい。

 

「ここにいたんデスね、カナミン、ヒヨヨン」

 

「あれ? エレンちゃん」

 

可奈美の後ろから聞き慣れた声が飛んでくる。振り返ると、道場の入口にエレンが立っていた。

 

「いつ来たの?」

 

「たった今デスよ。二人ならここかと思ってマシタから」

 

「もう、皆揃っているのか?」

 

「ノーノー、ワタシだけ早く着いただけデス。マイマイたちはもうちょっとかかると連絡がありマシタ」

 

この七人が揃うのは三ヶ月前の夏祭り以来だ。可奈美は勿論、姫和も楽しみにしている。

 

「そういえば可奈美、お前は聞いたか?」

 

「ん? 何を?」

 

「明良が会ったという男の話だ」

 

姫和は今回の顔合わせで話題に上がるであろう男について、先に二人に話し始めた。

 

「……薫とアキラリンから聞きマシタ。突然現れて好き放題言ってリターンしてるそうデス」

 

「今のところ正体は不明。しかも、三人は口を揃えてこう言ってる。『自分たちでは敵わない』と」

 

明良、薫、沙耶香は並の使い手ではない。ただの荒魂が彼らを圧倒したというのは正直、想像できない。

 

「単純に考えても、タギツヒメと同等の強さと考えるべきだな」

 

「その上、神出鬼没。いつどこに現れるかわからないらしいデスから、常に複数人で行動しまショウ」

 

「ああ、だからな可奈美。私たちも……可奈美?」

 

これから先の対策をエレンと一緒に話し合い、可奈美にも確認をとる。

姫和は可奈美の様子に違和感を覚えた。

 

「もしそうなら、その人……すごく強いんだよね?」

 

この場を和ませようとか、二人の話を笑い飛ばそうとか、そういう感じではなかった。

可奈美は自分の手合わせの相手を見定めるような顔で件の男のことを考えているようだった。

 

「全くお前は――いや、相変わらずだな、可奈美は」

 

「ネガティブシンキングよりは悪くないとは思いマスが、正直、カナミンたちでもどうなるかわかりマセン」

 

可奈美の変わらない姿勢に苦笑いしつつ、彼女を嗜める姫和とエレン。

 

「あはは、ごめんね、つい。でも、気になっちゃったからさー」

 

快活に笑う可奈美。だが、次の瞬間、その表情は真剣そのものへと変遷する。

 

「……」

 

「お、おい、今度はどうした?」

 

「姫和ちゃん、エレンちゃん、何か来るよ」

 

「何かって……何デスか?」

 

「わからないけど……何か、良くないもの(、、、、、、)が……」

 

可奈美は姫和とエレンから見て横――道場の壁際に向き、御刀を抜く。

何事かと思ったが、その疑問はすぐに氷解した。可奈美の視線の先、道場の壁近くの景色が歪み、円形の黒い穴が空中に生まれる。

 

「気づいていたとは勘が鋭いな。誉めてやる」

 

穴から姿を現したのは、一人の男だった。声と、その異様な登場からおおよその予想はついていた。

人を挑発し、嘲る口調。全身に纏った緋色の装束。

 

「だが、気づいた瞬間に逃走に徹しなかったのは不正解だ。誉めてはやれないな」

 

「………」

 

鼻で笑う緋装束の男。可奈美は彼に御刀を向けたまま対峙する。

姫和とエレンも御刀を抜き、可奈美の隣に立つ。

 

「お前に誉めてもらわなくても結構だ」

 

「それは残念。冷静に逃げていれば、今度会ったときに手加減くらいはしてやろうと思ったんだがな」

 

「今ここで手加減するのは……無理デスよね」

 

「当然だ」

 

姫和は目の前の男と向き合い、敵意を飛ばしているからわかる。この男は強い。それは他の皆から伝え聞いていた通りだ。

だが、それとは別の感覚。掴みきれない違和感が姫和の肌を刺す。

 

「お前は……荒魂、なのか。それとも……」

 

――いや、違う。こいつはもはや別の何かだ。

 

刀使でも、荒魂でもない。人間ですらない。この男は一体何だ?

 

「そうだな……」

 

男は数秒ほど逡巡し、ため息混じりに答える。

 

「俺に掠り傷でも負わせたら答えてやる。一つだけ、どんな質問でもな」

 

「……どういうつもりだ」

 

「ただの種明かしだ。俺もいい加減、自分の素性をひた隠しにして話を進めるのは面倒だからな。それに……」

 

男は言葉を区切る。そして、フードの前端を左手で軽くつまむ。

 

「お前たちが知る、知らないに関わらず、俺の願いは止められない」

 

「……その願いとやらも、お前に傷を負わせれば答えるのか」

 

「勿論、ノーだ」

 

「約束が違うぞ」

 

「それなら、今度約束をするときは相手が素面かどうか確かめてからにするんだな」

 

「……その減らず口、今すぐ塞いでやる」

 

「できるのか? いや、というより……」

 

ふと、姫和の視界の横で何かが揺らぐ。景色や建物ではない。人――制服を着た何者か。姫和は目を疑った。

 

「エレン……」

 

「エレン、ちゃん……?」

 

隣に立つ――立っていたはずのエレンが糸が切れたように倒れる。

目の前の男が何かしたのか? ありえない。姫和は一瞬たりとも男から目をそらさなかった。攻撃どころか、彼はエレンに近寄ることさえしていないはずなのに。

 

「お仲間の口の方が先に塞がってしまったぞ」

 

「貴様……」

 

「さて、次はどっちが黙る番だ?」

 

「………!!」

 

何をしたのかはわからない。だが、このまま立っていればエレンの二の舞いになることは明白。

姫和は考える間もなく身体に写シを貼り、床を蹴った。

 

――真正面から攻撃しても勝機は薄い。だったら……!

 

迅移で己の移動速度を瞬時に引き上げ、目にも止まらぬ速度で男の背後をとった。

生物にとって背中は死角だ。この男がどんな熟練の戦士であっても、目で物を見ている以上、背中の側は見えていないはず。

たとえ直感的に察知できたとしても、一瞬の反応の遅れを作ることができる。その遅れが姫和にとっては十分な隙に成り得る――!

 

「まったく……」

 

姫和の手に伝わってきたのは肉を切る感触ではない。

分厚く固いゴムにカッターを突き立てたような鈍い感触。人間の身体や衣服に刃を立ててもこんなことにならない。

 

「意外と激情家なのは知っていたが、それに加えて単純な奴だな」

 

淡々とした声色。それと同時に姫和の御刀を受け止める男の姿があった。

男は左の前腕と御刀を交差させる形で受け止めていた。

 

「背後をとったくらい(、、、)で優位に立てると思ったのか? 浅知恵にも程があるぞ」

 

「……っ! このっ!!」

 

続けて二度、三度と剣を交える。本来なら男の腕は輪切りにされていてもおかしくないはずなのに、引っ掻き傷どころか本当に刃と接触したのかどうかすら疑わしい。

 

――だったら!

 

後退し、刺突の構えに切り替える。斬撃が通じなくとも、刺突ならば可能性は高い。必ずどこかに刀の通る点がある。

 

――間接部……右肩だ!

 

「はあぁっ!!」

 

右肩を負傷すれば利き腕を封じたも同然。相手はまだ油断している。本気を出そうとしていない。弱点を狙うならば今しかない!

 

「……がっ」

 

今度は防御はされなかった。確かに命中した。だが、それだけだ。

通用しなかった。御刀の鋒は一ミリも刺さっていない。

 

「……まあ、今のは『攻撃』と認めてやる。だからこそ、しっかりと『反撃』させてもらったが」

 

御刀を握る姫和の両手に鋭い痛みが走った。見ると、姫和の指や掌の皮膚が裂けて血が流れている。

握る力が強いせいで怪我をしたわけではない。頑丈な金属を殴ったときのようなものだ。二つの物体が衝突すれば、当然強度の低い方がダメージを負う。

 

「くっ……」

 

それでも、姫和は御刀を握る手を緩めない。御刀を手放せば絶対に負けだ。

姫和は床を蹴って男から跳び退き、距離をとる。

 

「先程、エレンを倒したのはその技か」

 

「ああ」

 

「触れずに攻撃するとは……何者なんだ、魔法使いか?」

 

「何が魔法だ。こんなものは練度次第で簡単に修得できる」

 

男は教え諭すように姫和に吐き捨てる。

 

「だが、今のお前に理解できる時間はない」

 

目の前の男の姿がぶれる。姫和が瞬きをする間に横合いから腹部へ強い衝撃が見舞われる。

 

「ごはっ……」

 

肺から空気が吐き出され、視界がぐるぐると移り変わる。その時点でようやく男に蹴り飛ばされたと気づいた。

床を二転三転し、壁に激突したところで動きが止まった。写シが剥がれ、全身に疲労感が押し寄せる。

 

「ごほっ……ごほっ!! はぁ……はぁ……」

 

激しく咳き込み、必死に肺に酸素を取り込もうとするが、蹴りを入れられた腹部と床からの反力で打たれた全身が痛い。

立ち上がろうとするものの、力がまるで入らない。

 

「そこで寝ていろ」

 

踞る姫和の前にいつの間にか立っている男。姫和を見下す形で冷淡に告げた。

 

「くそっ……」

 

「心配するな。俺は……」

 

男は姫和に追撃を加えようとするでもなく、目線だけで彼の左側を見る。

 

「お前の仲間の世話で手一杯になるからな」

 

「……姫和ちゃん!!」

 

「……っ!!」

 

男の左から可奈美が写シを貼った状態で突進し、上段から斬りかかる。

だが、いち早く察知した男は可奈美の御刀の刀身を掴んで受け止める。

 

「重いな。それに、鋭い。しかし――」

 

「うっ……!」

 

男の右手から可奈美の左肩に掌底を放たれ、可奈美の身体は後方へ吹き跳ぶ。

 

「この程度か」

 

――可奈美でも無理なのか……!

 

姫和は踞りながら歯噛みする。この男がどれだけ強くとも、可奈美ならば何とか出来るという期待があったが、それすらも無謀だったと言うのか。

可奈美は吹き跳ばされながらも床に足を着けて踏み留まる。

 

「ねえ」

 

「……何だ?」

 

可奈美は踏み留まったところで、離れた位置に立つ男に話し掛ける。

 

「あなた、強いね」

 

「?」

 

「今まで会った誰よりも。多分、ううん、絶対に」

 

「そうだろうな。それが何だ?」

 

可奈美は顔を上げ、男に突進する。その表情は――満面の笑みだ。

 

「……?」

 

男は微かな疑問符を顔に浮かべつつ、可奈美の剣を手で受ける。何度も繰り出される可奈美の剣戟を防ぐ様は姫和のときと変わらない。が、男の雰囲気は違う。

 

「く……」

 

先程までの余裕に満ちた嘲笑のものではない。予想が外れたと言わんばかりの動揺と驚愕の色が見える。

 

「そろそろ……慣れてきたかな」

 

可奈美が剣戟の最中にそう呟く。勝ち目が見えずに錯乱しているわけではない。可奈美は本気で自分が勝つと信じて、本気でこの戦いを楽しんでいる。

 

「小賢しい真似を……!」

 

男は苛立たしげに呟き、その姿をくらます。次の瞬間には可奈美の身体は数度の打撃を受け、写シが剥がされその場に倒れ伏す。

 

「可奈美っ!!」

 

可奈美が伏せるのと同時に男はもう一度姿を現す。速度を上昇させて可奈美を打撃で昏倒させたのだろう。

 

「くそっ、可奈美ぃ……」

 

「いちいち五月蝿い奴だ、心配するなと言っているだろう」

 

男は可奈美を見下ろしながら姫和に言う。確かに可奈美に目立った外傷はないし、よく見ると肩が微かに上下に動いている。

 

「しかし、驚いたな。まさかこれほどとは……」

 

男は自分の両手を眺めている。可奈美の剣を受けていたその両手からに無数の細かい傷がつけられ、赤い血が滴り、傷口からは蒸気が立ち昇っている。

 

「大した障害にはならないと思っていたんだがな。認識を改めよう。衛藤可奈美、お前は俺が最も警戒すべき相手だ」

 

そう言う間に男の手の傷は元通りに修復する。姫和はこの光景に見覚えがあった。

この再生能力は明良――荒金人のものと同じだ。

 

「……待て」

 

「何だ、まだ何か用か?」

 

「聞かせろ。約束したはずだぞ」

 

「約束……? ああ、そうだったな」

 

男は今思い出したといった様子で大仰に身振りをする。姫和は踞ったまま男を見上げ、必死に声を絞り出して問い詰める。

 

「お前は……一体何なんだ?」

 

「………」

 

男は数秒無言になり、フードの下で笑う。喜びか、嘲りか、どちらにせよその雰囲気は不気味だった。

そして、その重たい口を開き、男は答える。

 

「俺はキドウマル。お前たちから全てを奪う者だ」

 

フードを目深に被り直し、その男――キドウマルは指を鳴らす。空中の景色が歪み、円形の空間の裂け目が生まれる。それに向かって歩いていった。

 

「震えろ。俺はお前たちの恐怖だ」

 

空間の裂け目に消えて行くキドウマルが去り際に捨てていった言葉は、木霊のように姫和の耳に残り続けた。




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第54話 誕生日

2020年、あけましておめでとうございます。

今年も刀使ノ巫女をよろしくおねがいしますm(_ _)m


可奈美、姫和、エレンの三人が例のフードの男から襲撃を受けたと聞いて、明良、舞衣、沙耶香、薫は管理局の医務室に大急ぎで集合していた。

本人たちはほとんど無傷に近かったため、治療自体は既に終了していた。

医師からも帰宅の許可は出ている。

強いて言えば、姫和の掌の浅い裂傷くらいだろうか。

その後、ロビーに移動した七人は今回の件について話し合いをしていた。

 

「キドウマル、と名乗っていたのですか? 彼は」

 

姫和から事情を聞いていた明良は、彼女の口にした名前に引っ掛かっていた。

 

「ああ……確かにそう言っていた。恐らく本名ではないだろうがな」

 

「そうでしょうね。タギツヒメと同じく、日本の伝承に倣って自ら称しているのでしょう。それに……」

 

キドウマル――間違いなく、日本妖怪の鬼童丸のことだ。それを名乗るということは……

 

「『鬼童丸』とは日本三大妖怪である酒呑童子が人間との間に成した半妖の子供」

 

「つまり……」

 

「ええ。彼は荒金人の可能性が高いです」

 

彼の強さや回復能力はそう考えれば説明がつく。偽名を名乗るのはを知られたくない理由があるからだろう。荒金人ならば理由などいくらでもある。

 

「けどよ。あいつは何もない場所から突然現れたりしてただろ? 荒金人ってのはそんなことまでできるのか?」

 

薫が横から明良を見上げながら尋ねてくる。薫が言っているのはキドウマルが空間の裂け目を通って場所を行き来していることについてだ。実際に明良もそれを目にしたからその異様さはわかる。

 

「いえ、少なくとも私にはできません。荒金人は自身の肉体に能力を付加するものであって、他人や外界に影響を及ぼすことはできないはずです」

 

しかし、そう考えると実際に起きた現象に説明がつかない。

 

「空間を自在に移動し、姫和さんとエレンさんに触れずにダメージを与えた……この二つは未だ謎のままですね」

 

姫和から聞いた話ではキドウマル曰く『練度次第で簡単に修得できる』らしいが、つまりそれ自体は荒金人の力ではないのか。

 

「タギツヒメがいなくなったのに、また別の敵が現れるなんて……」

 

舞衣が残念そうに俯く。舞衣だけではない。他の皆も内心では同じ思いを抱いている。

荒魂の出現率が激増し、世論が刀使の敵に回っている現在の情勢を考えると彼女たちのストレスは大きいに違いない。

 

「……雰囲気が暗くなってしまいましたね」

 

皆の様子を和ませようと、明良は穏やかに微笑んで語りかける。

 

「明良くん……」

 

「今日のイベントは、今日にしかできません。今からでも皆様でお部屋の準備をいたしませんか?」

 

 

 

※※※※※

 

 

 

「「「「「「ハッピーバースデー!」」」」」」

 

七人は沙耶香の部屋に移動し、部屋の飾りつけを行い、沙耶香をベッドという名の特等席に座らせていた。

六人が鳴らしたクラッカーの弾ける音と発射された色テープが沙耶香の頭に降り注いだ。彼女の肩には『本日の主役』と書かれた(たすき)が掛けられている。

可奈美が沙耶香の被った色テープを取り払いながら、今回の主旨を話す。

 

「今日、沙耶香ちゃんの誕生日だって聞いたから皆でパーティー開くことにしたんだ」

 

本日、11月17日は沙耶香の十三歳の誕生日。そのため、沙耶香以外の六人は少し前からサプライズのバースデーパーティーを計画していたのだ。

 

「はーい、ケーキの登場でーす」

 

舞衣がテーブル上の四角い箱を開くと、そこには『さやかちゃん おたんじょうび おめでとう』と可愛らしい字が書かれたチョコレートの板と、それを乗せているショートケーキタイプのホールケーキがあった。

 

「これ、姫和ちゃんのおすすめのお店で買ってきたんだよ」

 

「……うん」

 

微笑んで言う沙耶香に対し、当の姫和は僅かに不満げな顔だ。

 

「だが、やはり誕生日となればチョコミントケーキの方が良かったんじゃないか?」

 

「いや、これ沙耶香ちゃんの誕生日用だから……」

 

「チョコミント好きなの、お前だけだから」

 

「ねー……」

 

苦笑いする舞衣とは打って変わって、薫とねねは姫和のチョコミント案をバッサリと正面から切り捨てる。

 

「む……そんなことはないぞ」

 

「大体、誕生日に歯磨き粉食わされる身にもなれ」

 

「ねねぇ……」

 

「だから、歯磨き粉じゃないと何千回言わせる気だ!」

 

そんな姫和と薫&ねねのやりとりを尻目にエレンは沙耶香に話し掛ける。

 

「蝋燭、一気にフーッって消してクダサイ」

 

「うん、わかった」

 

沙耶香はケーキの前まで屈む。後は蝋燭の火を吹き消すだけだが……

 

「すぅー………んんっ……んー……」

 

深く息を吸うまでは良かったが、沙耶香は顔が赤くなってもなお息を吸い続ける。

見かねた薫がそれを止めに入る。

 

「待て待て! もっとかるーく吹け! ケーキ吹き飛ばす気か!?」

 

「え?」

 

気を取り直し、沙耶香は今度は撫でるように軽く息を吹き掛ける。蝋燭の火は全て消えて、それと同時に『誕生日おめでとう』という皆の声が部屋に響く。

 

「ありがとう」

 

気恥ずかしさか、嬉しさか沙耶香は頬を赤く染めながら感謝の言葉を述べた。

 

「では、早速ケーキを切り分けますね」

 

明良はナイフを取り出し、ケーキの上面に刃を立てる。だが、その切り方に違和感を覚えた可奈美が明良に尋ねる。

 

「あれ? これ六等分?」

 

「はい、そうです」

 

「明良さんの分は?」

 

「私までご相伴に預かるわけには参りませんよ。皆様でお召し上がりください」

 

「そんな遠慮しなくてもいいんだよ。そんなことしたら、明良くんだけ除け者にしてるみたいで嫌だよ」

 

舞衣が明良の手に自分の手を伸ばし、ナイフを取る。

 

「ですが、私は執事で……」

 

「今は、私たちの友達だよ? 明良くんは友達にケーキを食べさせなかったりするの?」

 

「……しません」

 

――本当は、それだけではなかったのですがね……

 

執事という立場上、遠慮していたというのは嘘ではない。だが、明良にはそれよりも致命的な問題があった。

 

「では、七等分に……」

 

頑なに断り続けるのも不自然なので、素直にケーキを七等分に切り分けた。そして、各々の皿にケーキを移して配ったところで全員がケーキを食べ始める。

 

「………」

 

明良以外の六人は既にケーキに手をつけ、美味しそうに食べている。それはいいのだが、明良は正直あまり食べる気にならない。しかし、食べないのも周りからすればおかしい。

渋々、明良はケーキにフォークを入れ、一口大に切って口に運ぶ。

 

――やはり、味がしない。

 

ケーキや生クリームの食感は感じられる。だが、甘味も塩気も無いと言っていい。

スポンジを噛んでいるような不快感しかない。

 

「………」

 

まあ、こんなことは子供の頃から飽きるほど経験済みだ。

明良は幼少期の過酷な経験のせいで常人とは感覚器官の機能が異なる。黴や泥にまみれた食事が毎日出されていたせいで、自己防衛のために味覚が消えているのだ。

柳瀬家で料理を作る際は味見はできずとも、レシピ通りに正確な調理をしているため、失敗することはない。それでも、自分で食事を楽しむなどということは生まれてこの方一度もないのだ。

 

「明良くん?」

 

落ち込み気味に黙っていた明良の横から舞衣が心配そうに話し掛けてくる。

 

「どうしたの? 甘いもの苦手だった?」

 

「そうではありませんが……申し訳ありません。最近の事件のせいか、気が滅入っているのかもしれません」

 

「大丈夫? あんまり一人で考えすぎたら駄目だよ。ほら……」

 

舞衣は自分の皿のケーキを一口大に切り、フォークで刺して隣の明良の口元へ持ってくる。

 

「私の分、一口あげるから。元気出して」

 

「…………………………え?」

 

凄まじい溜めからの困惑の声。自分でも驚くほど間抜けな声が出てしまったと思った。

これは所謂『あーん』なるものであらせられるのではなかろうか。

思わずモノローグまでおかしくなってしまったが、今は目の前の状況の方が優先だ。

 

「ま、舞衣様……これでは……」

 

「あーん、だよね。わかってるよ。それとも、間接キスかな?」

 

「私は決して嫌ではありません。ありません……が、舞衣様のフォークを汚してしまいますよ」

 

舞衣と恋人を続けていれば、いずれこんな状況が訪れることは予測していた。が、いざそれに直面するとこうも自分は動揺してしまうのか、と情けなさを痛感する。

 

「またそんなこと言って……私たち、本当のキスもしてるんだよ?」

 

「そのキスとは、少々違うのでは……」

 

「もう……早く食べてよ。思い出したら、私まで恥ずかしくなってきちゃうよ」

 

最初は悪戯っぽい笑みだった舞衣も、段々と羞恥に頬を赤く染めて目をそらす。

そして、二人ともお互いの唇に視線が吸い寄せられる。もう、ケーキがどうとか味覚がどうとかいう問題は明良の脳内から霧散していた。

 

「舞衣様……」

 

「明良くん……」

 

見つめ合う時間は十秒ほど続き、そろそろ舞衣から差し出されたケーキを食べてしまおうと明良が口を開けた、その時だった。

 

「「「「「じー………」」」」」

 

「ねー………」

 

見つめ合う二人を射貫かんばかりの五つの視線。可奈美、姫和、沙耶香、薫、エレンはケーキを食べる手を完全に止めて二人のやりとりに集中していた。ついでにねねも見ている。

 

「二人とも、ホントに熱々だよねー」

 

「それは別に構わないが、時と場所を考えた方がいいぞ……」

 

「舞衣は、明良といっぱいキスしてる……?」

 

「てか、明良がここまで慌ててるのはレアだぞ。今のうちに写真撮っとくか」

 

「マイマイもアキラリンも、ワタシたちのコトはノープロブレムデスよ?」

 

頬笑み、苛立ち、疑問、などなど傍観していた皆の反応は様々。そうだとしても、現実に引き戻された明良と舞衣は慌てて離れざるを得なかった。

 

「……はい」

 

唇を尖らせた舞衣が明良の口に無理矢理に近い形でケーキを入れてきた。

 

「むぐっ……」

 

明良は突然の口内への侵入に驚きつつも、ケーキを咀嚼する。

 

――よ、余計に味がわからなくなりました……

 

「やはり、恥ずかしいです……」

 

 

 

※※※※※

 

 

 

「真庭本部長、お話ししたいことがあります」

 

パーティーを終え、七人は管理局指令本部に足を運んでいた。指令席には朱音と真庭本部長の二人の姿が。

目的は例のフードの刀使とキドウマルについて、二人に情報をもらうためだ。

交渉事は得意だから、という理由で対応は明良が行うことになった。

 

「何だ、お前たち。騒々しいぞ」

 

「それについては申し訳ありません。ですが、早急に解決したい問題でして。お時間をいただけませんか」

 

「……わかった。話してみろ」

 

「二人のフードの刀使と、私たちの前に現れる緋装束の男、この二人について掴んでいる情報を教えていただきたいのです」

 

明良の質問に朱音たちがほんの少しだけ反応したのを明良は見逃さなかった。本人たちも気づかない程度のものだっただろうが、明良にとってはそれだけで十分だった。

 

「知っているのですね」

 

「いや、だがお前たちは……」

 

「いいでしょう」

 

真庭本部長は渋っているが、朱音は重々しく了承した。

 

「あなたたちにも伝えようと思っていたところです」

 

「最初から知っていたのですか? 局長代理(、、、、)

 

「……いえ」

 

明良はあえて朱音に対し、堅苦しい呼び方をした。これは明良なりの『怒っている』という意思表示だ。

明良からすれば『知っていた上で情報を秘匿し、自分たちを危険に晒したのか』と暗に問い詰めている。

 

「知ることができたのは昨日のことです。それは、信用してください」

 

「……そうですか」

 

父親が違うとはいえ、明良と朱音は血の繋がった兄妹であることに変わりはない。それはわかっている。

だからこそ、妹であるという先入観を考慮した上で、彼女が事実無根なことを宣っているわけではないと判断した。

 

「まず、フードの刀使については正体が判明しています。当然、二人とも」

 

「誰ですか?」

 

「一人は獅童真希。これはあなたたちの推理通り、間違いありません。しかし、犯人はもう一人の方です」

 

「獅童がオレたちの前に現れたのは偶然ってことか?」

 

薫が訝しげに朱音に問う。

 

「偶然ではありません。恐らく、彼女は独自に犯人を追っているのでしょう」

 

「その犯人というのは?」

 

「もう一人は……そもそも刀使ではありません」

 

――?

 

朱音の答えに明良だけでなく、六人も疑問符を浮かべる。犯人は刀使、という前提の元に考えていたため、この言葉は意外だった。

 

「刀使ではない……では一体誰なのですか?」

 

「タギツヒメです」

 

「……!?」

 

またもや七人の顔に動揺が走る。だが、先程の比ではない。

タギツヒメと、彼女はそう言ったのか。

 

「タギツヒメが復活したと言うのですか? こんな短期間で……」

 

「タギツヒメを隠世に追いやったのは五ヶ月前デスよ?」

 

真っ先に明良とエレンが朱音に詰め寄る。

姫和が放った『一つの太刀』は相手を隠世の彼方に葬り去る技。いずれ現世に復活してしまうものの、その時間は極めて長い。

少なくとも、数ヶ月程度で復活するなど絶対にあり得ない。

 

「原因については後日説明します。長い話になりますので」

 

「……一体、誰に憑依したんですか?」

 

姫和が青ざめた顔で朱音に尋ねる。無理もない。自分の命を賭して葬った相手があっさりと戻ってきたなど、彼女にとっては最大級の衝撃だ。

 

「誰かに憑依したわけではありません。今回のタギツヒメは荒魂自体が人の姿を成して現世に現れています」

 

「人の形を成す……ありえない、とは言い切れませんね」

 

そもそも、荒魂の外見がどのような形状になるのかなど、不明な点が多い。

大荒魂だからといって、天を衝くほどの巨体になるとは限らない。

 

「では、緋装束の男については?」

 

「残念ながら、彼についてはあなたたちが聞いた『キドウマル』という名前しか情報がありません。そもそも、彼はあなたたちの前にしか姿を見せていないようです」

 

「そうですか……ありがとうございました」

 

これで聞きたいことは聞けた。明良は踵を返して、部屋から出ようとした。

 

「待ってください、兄様!」

 

「………何、ですか?」

 

無視しようかと思ったが、明良は足を止めて返事をした。

 

「話があるんです」

 

「先程のことで、まだお話しすることが?」

 

「いえ、私からの……個人的な話です」

 

絶対にろくな話ではない。その確信があったが、聞かないというのも後々大変なことになりそうだ。

 

「申し訳ありません、真庭本部長も、衛藤さんたちも、外していただけませんか? 私たち二人で話したいのです」

 

「朱音様がそう言うのなら……」

 

「は、はい。わかりました」

 

可奈美たちだけでなく、真庭本部長にも知られたくない。つまり、折神家に関する話か。ますます嫌な予感がする。

朱音は明良以外が退出していくのを確認したところで、鞄の中から一冊の本を取り出す。明良は朱音と向かい合うように座り、話を切り出した。

 

「………何です、これは?」

 

明良は朱音に本について聞いた。何の本なのか、中身について知っているから(、、、、、、、)こそ聞いたのだ。

 

「見覚え、ありませんか?」

 

「あると思っているから呼び止めたのでしょう?」

 

傷や染みの付き具合から考えて、十年以上前のもの。大きさは懐に入れられるほどの大きさ。手帳と言った方がいい。

知っている。これは、黒木明良の所有物。いや、折神修の所有物だ。

 

「私の日記、何処で手に入れたのですか?」




明良と舞衣……イチャイチャしすぎ問題。

くそう、くそう、羨ましい(ハンカチ キーッ!)


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