柱なんてさっさとやめたい。 (いろはにぼうし)
しおりを挟む
十二支 兎はさっさと柱をやめたい。
大正○○年。 ×月■日。
オレの名前は、十二支 兎(じゅうにし うさぎ)。よく変な名前とからかわれます。
年は今年で21歳になりました。
仕事は鬼殺隊士と言う、まぁいうなら死にたがりしかしないような阿呆な仕事をしています。
悪い鬼を、剣を使って、うおりゃー、とやっつける仕事です。
鬼はキブツジだかキツツキだかよくわからんとっても強い鬼から血を受けることで数が増えていきます。
人を食べます。傷を受けてもすぐ直ります。中には血鬼術といって、とんでもない技を繰り出してくる鬼もいます。この間は岩の中に埋められそうになりました。とっさに新技を思いついていなければ死んでいました。この事を同僚かつ同期の宇随君に愚痴ったら、
「派手に生き残れて羨ましいな! 派手に羨ましい!」
なんて言われました。
バカ野郎、死ぬとこだったんぞこっちは。
と、まぁここまで言えばわかると思います。
鬼、超怖いんです。
だから、だからどうかお館様。
この辞表を受け取ってくれませんか。
若輩ですが妻もいるんです。オレはもう戦いたくありません。
大丈夫大丈夫。後輩の冨岡君とか胡蝶ちゃんとか、優秀な柱ならいるじゃないですか。
家を支えるのに柱は10本もいらないですって。ね?
大正○○年。 ×月▼日。
つっかえされた。ついでに不死川の奴にめちゃめちゃ怒られた。辛い。
曰く、「強いくせに何を言っている!」 とか、「勝ち逃げは許さん!!」とか意味わかんないことメチャ言われた。
強いくせに? 違うわい。たまたま弱い鬼しかオレの所に来なかったんだい。気が付いたら倒した数が50を超えてて、杏寿朗に強引に柱に推薦されて、なんかよくわからない内に柱になってたんだい。
勝ち逃げ? オマエがあんまり下の隊士に乱暴するからすこし叩きのめしただけじゃないか。不意を打たなきゃきっと勝てないんだから、お前の勝ちでいいよ、もう。
不機嫌なまま、家に帰ると、妻が好物の沢庵をたくさんこしらえてくれていた。
愛してる。
妻に免じて許してやるぞ、不死川。
大正○○年 ×月○日
今日も鬼狩りに出かけることになった。鴉がかぁかぁとやかましい。
畜生、わかってんのか。お前がそうやって伝令を持ってくるたびに、桜花は寂しそうにするんだぞ。屋敷をぱたぱた動き回って、お弁当を作ってくれるんだぞ。いつも好物の沢庵を忘れないんだぞ。出かけるときには替えの草鞋もちゃんと用意してくれるし、いざ家を出ようとしたら両手で握りコブシをむん、と握って
「我が家の留守はちゃんと桜花が守りますからね! 妻ですから、ね!」
なんていってくれるんだぞ。
畜生、ほんと可愛いなうちの嫁。
しっかりお勤めをしようじゃないか。案内をしたまえ、鴉くん。
なんて威勢よく飛び出した俺でした。そんな俺をぶった斬りたい今の俺。
ここはなんと船の上。オレはこれから海を渡ってある島に向かいます。なんでも本土から少し離れた島に漁師の皆さんの漁場があったらしいんだけど、最近その漁師さんたちがだれも戻ってこないらしい。しかも、嵐でもなんでもない、海が穏やかな日に。
これは鬼が噛んでるでしょう? 鬼だけに噛んでるでしょう? などと鴉がのたまっていた。桜花、帰りは遅くなるよ。でも安心してくれ。お前の好きなねぎま焼き鳥の材料を持って帰る。
大正○○年 ×月▽日
ひどい目にあった。結論を言うと、島は完全に鬼に乗っ取られていた。島について最初に口を開けて、空気を思い切り吸い込んだ。オレはもともと味にうるさいから、空気の中に鬼の味がすればすぐわかる。胡蝶ちゃんにこの話をすると、いつも微妙な顔をされる。辛い。それはそれとして、独特な味を口に含んだ瞬間、すぐにわかった。一匹二匹じゃない。この島には、少なくとも三十の雑魚鬼と、一匹の覚醒鬼がいる。そうと決まればさっさと終わらせる。そう考えたオレは三十の雑魚鬼を急いで片付けた。でもこの島、砂利だらけですごく走りにくい。これじゃ『牛』『午』は使えなさそうだったので、仕方なくどんな場所でも役に立つ『子』と『虎』の呼吸で頑張った。お蔭で雑魚鬼を始末するのに三分もかかってしまった。
でもまぁ、ここまではいい。問題はそのあとだ。
異能鬼。通常の鬼と違い、特別な能力を持つ鬼を指す。その能力は千差万別。
で、今回の鬼は水を操る事に長けていた。周りが海であることをいいことに、海水を槍みたいな水柱にしてオレを狙い打ってきた。舐め腐ったのか、随分遅かった。
で、当たらないことですこしイラついたのか、奴は標的を変えた。
なんと、オレが乗って来た船を狙い撃ちにして大破させやがった。
奴はやってはいけないことをした。あの船には・・あの船には。
桜花の弁当が入ってたんだぞぉぉおおおおおおお!!
そして今。対象の鬼を沈黙させ、鴉に連絡を取ってもらって隠の皆さまの救援待ち。すまない桜花。でも弁当は素潜りしてちゃんと食べたからな。美味しかったよ。ありがとう。
事は、兎の日記を離れ、現実へ。
鬼舞辻が気まぐれに作った鬼の養殖場。通称『鬼が島』の管理を任された異能鬼、海鼠は恐怖していた。配下の鬼は30いた。強い、とまではいかないまでも、それなりの数の人間を食っているからそうやすやすと葬られるはずがないのだ。それがおおよそ、3分と経たない内に全滅させられた。
海鼠は何人かの鬼殺隊士とまみえたことがあった。しかし、兎の動きはそのどの隊士とも違う。
まず速さが桁違いだった。島の端から端まで一瞬で移動する上に、島のどこからでも、正確に鬼が隠れている場所に現れては、あの『爪』のような斬撃で仕留めていった。
すばやく、そして力強い。虎の体をもった鼠を相手にしているような厄介さだった。
(クソッ! クソッ! こんなはずでは、こんなはずではない!!)
海鼠は死に物狂いで海を操り、水柱を叩きつけた。人間はいつもこれで粉微塵になったが、それも兎には一発も当たらない。というより、不思議そうな顔をしながらもあっさり避けるその様は、まるで「どうして手を抜いてるの? なんで?」とでも言わんばかりの物で、海鼠をイラつかせた。
(オマエもか。オマエも、私を嗤うのか!?)
海鼠は鬼になる前、腕のいい漁師だった。ある日、大物を取るため相棒と沖に漕ぎ出した海鼠は、そこで海の洗礼に会う。
二人の船を叩き壊したのは、大きなクジラだった。
相棒は死に、何とか生き残った海鼠も両手を失った。海鼠はその危険なクジラについて村に伝え回ったが、誰も信じようとはしなかった。
それどころか、次の日から両手を失った海鼠を誰も彼もが避けるようになった。
気を配った者達がその行動を歪めたのか、あるいは。
海鼠には、それが耐えられなかった。
真実を伝えることは叶わず、生きていることを喜ばれもしない。
そんな障害だらけの生涯を、誰もが嗤う。
許せない。
許せない。
だから鬼になった。
だから強くなったのに。
(許さん!! 許さん!! 許さんぞ!!)
そして、海鼠は兎の乗って来た船に目をとめた。
「私はもう弱くない! 私は、私は!! クジラになったのだ!!」
水柱を一本操り、彼が乗って来た船を破壊した。
次の瞬間、海鼠の首は、地面を転がった。
絶命の瞬間、海鼠は男の声を聴いた気がした。
『辰』の呼吸。 昇竜失墜。
大正コソコソ噂話(偽)
十二支 兎くんの日輪刀は白いんだよ。
髪の毛も白いんだよ。
でも目だけは赤いんだ。ウサギみたいだよね。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
十二支 兎は 隠し事が出来ない。
大正○○年 △月 ○日
今日はオレの屋敷に後輩の冨岡君が遊びに来た。
冨岡君は水の呼吸の使い手で、齢19歳で柱の地位に着いた、言うなら天才剣士なのだ。
いつも仏頂面なうえに言葉足らずな所があるからほかの柱のみんな(特に不死川と伊黒)と上手くいってないけど、お館様にも期待される期待の星である。
冨岡君が遊びに来たときは、必ず桜花に鮭大根を用意させる。普段は不機嫌そうな冨岡君だけども、これが出てくれば、すぐに上機嫌になる。胡蝶ちゃん曰く、違いは全く分からないらしいけども。彼が癸だった時代から剣の相手をしてあげていたオレからすれば、違いは一目瞭然だ。
ほら、目じりが少し下がってる。
ちなみに前遊びに来てくれた時に冨岡君の前で桜花にそのことを教えてあげようとしたら、彼の指が日輪刀にかかっていたのですぐに口を閉じた思い出がある。いやぁ、懐かしい。
とまぁ、冨岡君の紹介はさておき。彼の口からちょっと面白い話を聞いた。
なんでも、キグルミの痕跡を追ってとある山村に向かった際に、人間を庇う鬼を見たと言う。
うんうん、としたり顔で頷いていると、冨岡君がなんともいえない微妙な表情になり、桜花がクスクスと笑いながら
「キブツジですよ。兎さん」
と、訂正してくれた。口に手をあてて上品に笑う桜花はものすごくかわいかった。頭を撫でたい衝動に駆られたが、冨岡君が見てる前ではさすがにまずい。えらいぞ、オレの理性。あとで桜花を思い切り抱きしめような。
話をもどそう。冨岡君の話だが、鬼の中には人間の頃の記憶をもっている者もいるから庇うこと自体は別段珍しいことでもない。着目すべきは、その鬼がどうやら相当な飢餓状態だったらしいこと。それでもその鬼は、人間を庇った。
なんだか、カナエちゃんが聞いたら喜びそうな話だなぁ、と思った。こんど墓前で聞かせてあげよう。
続いて冨岡君が語るには、その庇われた人間の少年。察するに、その鬼とは兄妹らしいのだが、鬼殺隊の才覚があるらしい。なんでも、冨岡君の育手と同じで嗅覚がとても鋭いんだとか。冨岡君はそんな彼の事をだいぶ買っているようで、あの元・水柱の鱗滝さんの所に送ったらしい。
冨岡君と鱗滝さん。
新旧の水柱に見いだされた少年。きっとつよい隊士になるだろう。
こんなに喜ばしいことはない。
くじけるな少年。
諦めるな少年。
強くなれ少年。
柱になれ少年。
替わってくれ少年。
なんてことを思っていたのがばれたのかな。
冨岡君。日輪刀から手を離せ。
大正○○年 △月△日。
今日はすこし落ち込むことがあった。
胡蝶ちゃんが冷たい。もう冷たいなんてもんじゃない。凍える。
カナエちゃんが亡くなる前はこんなんじゃなかったんだけどな。
胡蝶しのぶちゃん。16歳。蟲柱になって間もない女の子。
鬼の首を切ることが出来ないけれど、鬼を藤の花の毒で毒殺することに成功した、もう全然鬼より怖い女の子。
姉のカナエちゃんとオレは親交があった。優秀な鬼殺隊士であったと同時に、彼女は人間として眩しい人だった。
鬼と人間はわかりあえる。友達になれる。
そんな理想をかけらも疑っていなかった。あの優しい冨岡君でさえ、それは無理だと切って捨てた理想を、彼女は捨てることをしなかった。
そんな彼女が昨年、鬼にだまし討ちされて死んだ。
友達になりたい、人間を理解したい。
そういって近づいてきた鬼を、彼女はすこしも疑わずに抱きしめたそうだ。
オレがカナエちゃんの鴉からそれを聞いた時には、悔しくて、悲しくて。一緒に任務にあたっていた桜花と大泣きした。
ただの友人だったオレ達がそうだったのだから、しのぶちゃんはもっとつらかっただろう。
おっと。今はこう呼んだらもっと怒るんだった。胡蝶ちゃん、胡蝶ちゃん。
まぁ、ともかく、そんな胡蝶ちゃんだが、カナエちゃんが死んでから、笑ったふりをずっとするようになった。まるで、カナエちゃんの理想を引き継いだかのように。
でも、本人も解っている筈だ。それは夢物語だと。
所詮は無為な理想なんだと。
それに、きっと胡蝶ちゃんは許せないだろう。
姉を殺した鬼を。
それを生み出す元凶を。
きっと胡蝶ちゃんは許せない。
そんなことを考えているのがばれたのだろうか。
オレの前で、あの子は笑わない。
きっと、オレでは彼女を救えないだろう。
彼女を救えるのは・・・きっと、もっと強い人なのだ。
解っている。解っているつもりだ。
でも同僚に嫌われるって辛いの!
桜花ぁ、頭撫でてー!
大正○○年 △月□日
今日は桜花と町に出て、甘味処に入った。やべぇ、うきうきが止まらないよ。
やめたいってのになかなかやめさせてもらえないから、桜花と二人で過ごせる時間はいつも少なくなってしまう。もしオレに育手がいたら、必ず毎日剣を握れ、とか、女に現を抜かすな、なんて言われるんだろうか。
うるせぇやい。剣なんかより桜花の手の方がすべすべしてあったかくて、どきどきするんだい。このどきどきは剣持ってるときのそれとは全然違うモンだからね。
剣持ってるときのドキドキ、『死にたくない』。
桜花の手のひらを握ったどきどき、『死んでもいい』。
これ、試験に出るよ新人諸君。
なんて冗談を口にしたら、桜花は桜色の綺麗な髪と同じぐらい顔を桃色に染めて一言。
「もう・・。兎さんはまたそんなことを往来で。桜花は、桜花は・・困ってしまいます」
うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおアアアアアアアアアアアアアアアアああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!
綺麗な文を書こうじゃないか。うん。
ちなみに好物の吹雪饅頭を頬張る桜花に夢中だったせいで一切気付かなかったが、同じ甘味処には蜜璃がいた。
甘露寺蜜璃。恋に恋する恋柱。こんな地獄のような職場で結婚相手を探しているという。
もしかして最強の柱はコイツなんじゃないだろうか。実際強いし。
桜花との時間を邪魔されるのは正直いやなので、無視しようとしたら、ばっちり目が合ってしまった。
そうなるともうね、寄って来るの。
胡蝶ちゃんみたいに嫌われるのも辛いけど、蜜璃や杏寿朗みたいにめちゃめちゃなつかれるのも、それはそれで辛い。
蜜璃。結婚についての相談ならまた聞いてやるから、今日は二人で過ごさせてくれよ。なぁ。
すると、桜花が一言。
「まぁ、良いではありませんか。桜花も蜜璃さんとお話したいです」
店主に頼んで桜餅と吹雪饅頭をしこたま注文した。
桜花、たくさん蜜璃さんとお話していいからね。
蜜璃、ありがたく食えよ。
しかし、桜花と蜜璃が甘味を食べる姿は、なんというかとても絵になった。
美女が二人並んで、甘いものを食べる。蜜璃が夫婦円満の秘訣を聞き出そうと身を乗り出し、桜花がそれをふふ、と笑っていなす。
ってか蜜璃。そんなに身を乗り出すな、こぼれるぞ。何がとはいわないけど。
そんな視線を送っていたことに気が付いていたのか、蜜璃と別れた帰り道。
桜花はすこしご機嫌ななめだった。
どうしたのか、と聞いてみると
「む。どうせ桜花のは蜜璃さんほど大きくありませんよーだ」
ああ、やっぱばれてた。
でもそれはしょうがないじゃん、男だもの。
ふくれっ面の桜花もかわいいけれど、やっぱり笑った顔の方が好きだ。笑ってもらおう。
どうせ隠し事をしてもばれるのだ。なら、正直に思いの丈を話そう。
桜花。オレはたとえ桜花がどんな姿で生まれてきていたとしても、必ず桜花を好きになるよ。
そこからの帰り道、しばらく桜花は顔をあげなかった。
え? 怒った? 嫌いになった?
桜花がオレのこと嫌いになったら、それだけでオレ心臓止まるよ?
そんなことを考えていたら、屋敷の手前で桜花がオレの隊服の裾をきゅ、と掴んで、とてもか細い声でこう言った。
「・・・・桜花も、必ず兎さんの妻になります」
その夜。オレは眠れなかったし、眠りたくなかった。
大正コソコソ噂話(偽)
桜花ちゃんは甘露寺さんととっても仲良しなんだ。
髪の毛も同じ桃色なんだよ。
でも決して桜餅の食べ過ぎじゃないんだよ。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
十二支 兎と山の王
十二支 兎 :桜花と沢庵。あと桜花の笑顔。
十二支 桜花:兎さんと吹雪饅頭です。あと、兎さんが鬼を斬らなくてもいい世界になればいいなぁ、と思います。
大正○○年 ※月○日
雪が溶けて、ようやく暖かくなってきた。そろそろつくしが芽を出す季節。
気温が上がると、本当に布団から出たくなくなるよね。
働きたくない。
ずっと布団の中にいたい。
ましてや鬼退治なんてもってのほか。
こんな平和な時間が何時までも続けばいいのになぁ。
なんてまどろみながら横をみると、そこにはすやすやと寝息を立てる最愛の妻。
おや、こんな時間まで寝ているなんて珍しい。
桜花は基本的にオレよりも早起きだ。早起きして布団をたたみ、服を着替えて、朝食の用意をし、髪も整えず食卓に現れるオレの世話をやいてくれる。
改めて桜花の顔をまじまじと見る。陶器のように美しい肌に、ふっくらとした唇。表情を見れば、驚くなかれ。寝ているときまで優しい顔だ。
綺麗な顔してるだろ? 嫁さんなんだぜ。オレの。
さて、桜花もきっと疲れていたんだろう。ぐっすり眠っている。しめしめ、今のうちに思い切り驚いてもらうための準備をしておくかな。
一時間後。うん。まだ寝てるな。
驚いてもらう準備は完璧だ。あとは可愛い可愛い桜花が起きるのをまつばかり。
それからしばらくして、隣で桜花の寝息が止まる音。
布団の中でもぞもぞ動く音。
それから外を見て、息を呑む音。
慌てたようにパタパタと布団を出て調理場に向かう音。
そしてしばらくしてオレの所に戻ってくる音。
狸寝入り狸寝入り。
そして、優しく布団がめくられた。
「兎さん、起きてください。朝ですよ」
うぅん。と、今起きたようなふりをする。
それを見て桜花はクスクスと笑った。
「ねぇ、兎さん。今日桜花はすこし寝過ごしてしまいました。ごめんなさい。でも、すっごくふしぎなの。台所に行ったら、窯にはご飯が炊いてありました。お鍋にはお味噌汁が作ってあって、沢庵も切ってありました。卓には吹雪饅頭も置いてありました。昨日干した洗濯物も取り込んでありましたし、綺麗にたたんでもありました。ねぇ、桜花は寝過ごしちゃったのに、すっごく不思議でしょう?」
きっと答えは解っているのだろう。
でも、なんだかおもしろいからすっとぼけることにした。
きっと桜花が何時も頑張ってるから、仏さまからの贈り物さ。
そう伝えると、桜花ははにかみながらこう言った。
「そうかしら。じゃあお礼を言わないと。 ありがとう、白い髪の仏様。桜花はあなたのおかげで、とっても幸せです」
ああ。幸せだ。こんな時間を、大切にしていきたいなぁ。
「うむ! 兎殿は本当に家族思いで結構!! 良い事だ良い事だ!!」
なぜいる、煉獄 杏寿郎!?
布団から出てまず杏寿郎に殴りかかり、そのまま二人で転がって玄関まで連れて行った。
「いやすまない!! 玄関で声をかけたのだが、誰も出なかった!!! こちらも急ぎの用だった故、ずかずかと家の中に入り込んでしまった!! 申し訳ない!!」
最悪の気分だよ。杏寿郎。ホントに何しに来た。
思えば、桜花もオレも互いに夢中だったのだろう。こんな声のデカい男に気が付かないなんて。ここが戦場だったら確実に死んでる。
桜花もさすがに恥ずかしいのか、ずっと顔を伏せていた。よく見ると真っ赤な顔で震えている。この後どういうことが起こるのか、何となく察しているのだろう。
ああ、杏寿郎が口を開く。
頼む、頼むお願いだやめてとめて
「しかし桜花殿!! 朝食を用意し、家事をこなしたのは恐らく兎殿だろう!! 仏様ではないと思うぞ!! それに、仏様の髪は恐らく白くない!! うむ!!なに、間違いは誰にでもある、お気になされるな!!」
『子』の呼吸!! 分身ぼこぼこの刑ィィィ!!
オレが使える12の呼吸の一番目、『子』の呼吸。これは呼吸によって脚力を極限まで高め、オレの体を高速の域で飛ばす技。応用すれば、ネズミが増殖するかのごとく、分身を作り出すこともできる。前に島で使った時はこれで30の鬼を索敵し、切り裂いた。
弱い俺の、みみっちい技ではあるのだが、それでもニコニコ笑っている杏寿郎はやはり只者ではない。さすが炎柱。
さて、そんな杏寿郎だが、一体何の用件なのだと聞いてみれば、案の定。
鬼の討伐の仕事だった。そんなもの、鴉にでも伝えさせればいいものを、わざわざ非番の杏寿郎を使うあたりお館様も人が悪い。
つまりは、今回は逃がさないぞと。
そう言う事か。
確かに、柱の中でも指折りの実力者である杏寿郎から逃げ切るのは至難の業だ。
行くしかないのだろう。
行くしかないんだよね。
行くしかないんだろうなァ。
桜花、顔からいまだ湯気が出てるとこ申し訳ないけれど、行ってきます。
大正○○年 ※月□日
落ち着いてこれを読んでほしい。
いまから本当に変なことを書くから。
鬼退治のために山に入ったら、鬼よりヤバい奴がいた。
「アハハハハハハ!! 猪突猛進! 猪突猛進!!」
ね? こんなこといってたの。やばいよね。
捕捉しておくと、山に登った時、隠が目撃したと言う十二鬼月(鬼の中でも超強い12匹の鬼のこと。メチャ怖い)はすでに山を去ったあとだった。
あー良かった、戦わずに済んだ、なんて思ったのもつかの間。
木々をなぎ倒しながらそいつは現れた。
イノシシの皮をあたまに被ったそいつは、けれども完全に人間の体をしていた。空気の味を確かめると、イノシシのほかに鹿とか、熊の味を感じた。ちょっとした鬼より怖い格好してた。
思わず悲鳴をあげそうになるところを、何とかこらえて、オレはまず会話を試みた。コイツが人なら通じる筈だ。
もし、あなたは近くの村の方ですか?
「オレは山の王だ!!」
そうですか。山の王はお名前をなんというのでしょう?
「はしびら いのすけだ!!」
良いお名前ですね。ボクは十二支 兎といいます。
「兎は旨い!!」
僕は沢庵が好きです。
「たく・・・なんだそりゃ! おまえさっきから何言ってる!? ぶっ殺すぞ!!」
やめてください、死んでしまいます。
「そんなわけあるか!! 確かにオレは強い! だがおまえも強い! 感じるぞ!!」
家では妻が僕を待っているんです。ご勘弁を。
「つま? なんだそれ。うまいのか? 持って来い! 食ってやる!!」
おいコラテメェこのクソガキが今なんつった。
そして、気が付けばオレは端正な顔立ちの少年をぼこぼこにのしていた。
いや、メチャ強かったよ?
どこから攻撃してくるかスゴイわかりにくいし、山の地の利を利用してくるし、さらにまるで本物のイノシシを相手にしているかのような、打点の低い攻撃をしてくる。
うっかり日輪刀を抜きそうになったが、人を斬れば桜花に嫌われる。そこはぐっと我慢。
とりあえず、アイツは山の木に縄でぐるぐる巻きにしてつるしておいた。すこしは反省しろ。えーっと・・・山の王。はしびら いのすけ。
・・・・。どんな字を書くのだろう。それは聞きそびれた。
「畜生!! 畜生!! あいつめ!! あいつめ!!」
山の王、嘴平伊之助は木にぶら下がったまま激昂していた。山に入った縄張り破りを倒してやろうと生き生きと出かけ、見つけたのは今まであったどの生き物より強い男。
細身に見えた。
弱そうにも見えた。
けれども伊乃助の感覚は全力で警鐘を鳴らしていた。
結果として、その感覚は正しかったと言える。伊之助が出会った兎は、イノシシなど軽くいなしてしまう、鬼さえ食う兎だったのだ。
「覚えたぞ! たにし うさぎ!! 次会ったらオレが勝つ!!」
名字は間違って覚えていたものの、後に『獣』の呼吸を極める少年は、新たに出会った強者に向かって吠えたてた。
月に向かって叫んだ声。それを聞いたのは、兎が山に入る前に2秒で斬った、鬼の魂だけだったのかもしれない。
大正コソコソ噂話(偽)
山に入っていった十二鬼月は兎が近くにきたって知らせを受けて思わず逃げちゃったよ。
あとですごく怒られるだろうね!
平成コソコソ噂話(偽)
作者のいろはにぼうしは感想やUA、評価を見てみんな鬼滅の刃が好きなんだなぁ、と思ってすごくうれしかったそうだよ!
でも、仕事中に腰をやっちゃって今すごく震えてるよ!
バカだね!!
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
十二支 兎は 戦いたくないけど守りたい。
十二支 兎 :笑った顔でしょ。料理が上手いところに、家事をしっかりやってくれるところ。弱い俺を信じてくれること。髪の毛の色。瞳の色。長い睫。お茶目なところ。案外やきもち焼きなところも来るものあるよね。それから・・・
十二支 桜花:ひゃああああああああっ! わかりました! わかりましたから!! だ、駄目です!! これ以上は駄目!! 断固!!
大正○○年 ☆月○日
雨が強い季節になった。
館の雨漏りが心配になる季節でもある。
蝸牛と朝顔をみて、桜花と笑いあえる季節でもある。
良い季節だ、いい時分だ。
だから、こんな日ぐらい現れてくれるなよ。
今日も鬼を倒す指令が下った。かぁかぁと、オレの鴉は相も変わらずやかましい。
十二鬼月。
それが、オレが斬るべき鬼の名称。
探せ、探せ、と鴉がわめく。
うるさいぞ。近所迷惑だろうが。ご近所いないけど。
それを見て、桜花はまた寂しそうな顔をして。
オレに弁当と替えの草履を持たせてくれる。
今日は傘も持たせてくれた。
「帰りは雨が酷くなるかもしれませんから、今日は傘も持って行ってください。身体を冷やしてはいけませんよ。五体満足。桜花は、兎さんが無事に戻ってくれればそれで良いですから」
健気だなぁ、と思う。
大好きだ、と思う。
愛してる、とそう言いたい。
そして、すまない、とも思う。
オレはさっさと柱をやめたい。
もっと本音をぶちまけるなら、鬼殺隊だってやめたい。
だって戦うのは怖いし。
鬼だって怖いし。
十二鬼月なんてもう、認めないからね。そんな恐怖の権化。
そんな怖い化け物たちに、オレはなぜ刀1本、身1つで向かって行かなくちゃならないんだろう。
怖いなぁ。すげぇ怖い。
でも、桜花はきっともっと怖い。
だって、見送る夫が無事に帰ってくる保証なんてどこにもない。
五体満足なんて確約されない。
今日が、今生の別れになるかもしれない。
それでも、何時も笑って強気に送り出してくれる。
帰ってきたら、何が食べたいですか?
こんど近くで神楽があるそうですよ。
これから暑くなるでしょうから、甚平を出しておきますね。
留守は任せてくださいね。
桜花、気付いてるかな?
君はいつも、『オレが帰ってくる前提』の事しか、任務の前には言わないんだ。
怖いだろう、不安だろう。
一人の屋敷は広いだろう。
それでも君は、そんなことを絶対に口に出さない。
オレは
気が付けば玄関先で、オレは桜花を抱きしめていた。
あっ、と胸元で声がした。
二人の傘が、地面に落ちた。
「う、兎さん。苦しいですよ?」
ごめん。でも今は弱めたくない。
「兎さん、濡れてしまいます・・」
それでいいんだ。
「兎さん。兎さん・・・」
桜花の声に嗚咽が混ざり始めた。
いいんだ、それでいいんだ桜花。
オレは耳元でささやいた。
今日は雨が強いな、桜花。身体もどんどん冷えてきた。
これじゃ身体も震えるだろうし、顔もたくさん濡れるだろう。
でも仕方ない。今日は雨だ。仕方ない。
雨のせいだろうな。桜花の顔は、今日はとっても濡れていた。
必ず帰るよ。桜花。
「あの・・・出発前にお館様よりお渡しするものがありまして・・・そのう」
何時からそこに!? 隠の方よ!!
大正○○年。 ☆月□日
いい加減にしろよ。
いい加減にしろよな。
そんな気持ちを、オレが今抱えているのには理由がある。
だって、またいないんだもん。
十二鬼月。
いや、わかるよ。矛盾しているのはさすがに解ってる。
オレは戦いたくない。
十二鬼月になんて出会いたくもない。
会わずに済むならそれでいい。
でも、5回目だ。今月だけで5回目。
まるでオレが来たのを察したかのように、十二鬼月は逃げ回る。
奴が根城にしていた場所に足を運んでみれば、風に乗って流れてくるいつもの味。
こうも毎回毎回逃げ回られると、さすがにイライラしてくる。
だって毎回桜花は怖い思いしながらオレを見送ってんだよ?
オレも弱いのに戦わされるもんだから、毎回決死の覚悟な訳だよ。
いや、桜花と約束したから厳密には決死でもないけど。
それが、毎回空振り。
いい加減にしとけ。
食い散らかされた人たちの亡骸をみれば、その思いもまた募る。
逃げるくらいなら、出てくるな。
逃げるくらいなら、食うな。
決死の覚悟じゃないんだよ。
この人たちの一日は、当たり前に過ぎていくものなんだ。
だれも死ぬことなんて覚悟してない。
だれも。だれも。
大正○○年 ☆月△日
雨が降り続いたが、ようやく太陽が顔を出し始める。
ようやく外で洗濯物が干せます、と桜花は袖をまくって意気揚々。かわいい。
嬉しそうだね、と声をかけると、桜花はこう返した。
「いつもいつも隊服では兎さんも息が詰まるでしょうから。兎さんにさっぱりとした服を着てもらえることが、桜花は嬉しいんです」
おもわず抱きしめたオレに罪はない。
たとえ伊黒の奴にねちねち文句を言われたとしても。
また富岡君と胡蝶ちゃんに微妙な顔をされたとしても。
桜花が困ったようにオレを見上げてほほえんだ。
犠牲になる人たちがいる。
無念を抱える者達がいる。
望まずして鬼になった者たちもいる。
それを救うために、オレたち柱がいることも、解っているつもりだ。
でも、それでもオレは柱をやめたい。
哀しみが生まれるのは嫌いだ。
ひどい味がする。
でも。
桜花の隣に居られらないということは、オレにとっては何よりも。
だから桜花、約束だ。
この間の約束は、未来永劫の約束にしよう。
大正コソコソ噂話(偽)
兎君から逃げ回ってる鬼はいつも同じ奴だよ。
他の柱が来てもにげるけど、兎君の時は特にはやいんだって。
※お知らせ
主人公、兎の日輪刀の色が時透君と被っているというご指摘がありました。
もうしわけありません。
兎君の日輪刀の色はどうしても白で行きたいので、誠に勝手ではありますが本作中において兎の日輪等は純白の白、時透君の日輪刀の色は灰寄りの白、つまり本来の『霞』色とさせていただきます。
ご了承いただけましたら、誠に幸いです。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
十二支 兎は○○なんて行きたくない。
十二支 桜花:・・・・・。
十二支 兎:・・・。え? 桜花? 嘘でしょ? 無いの? 一個もないの? 唯の1つも?
十二支 桜花:・・・皆さまが見てる前では。そのう。恥ずかしいので・・、また・・今度・・・二人きりの時に・・。
十二支 兎:あ、手ぬぐいは結構です。鼻血なんてすぐ止まるので。
大正○○年 ●月φ日。
だいぶ暑い季節になった。
強い日差しが肌を顔を焼き、冷奴や素麺が美味しい季節。
つまり、時分は夏である。
夏になると、なぜか元気になる奴が2人。
「兎殿!! 暑いな!! 実に暑い!! こんな日こそ鍛錬などどうだろうか!!」
「おーう。地味派手兎。すこし涼ませろ。茶もよこせ。祭りの神に献上しろ」
帰ってくんない?
杏寿郎、宇随君。
煉獄 杏寿郎。
炎の呼吸を使う炎柱。柱の中でも指折りの実力者だ。
もともと、オレとも交流が深い奴でもある。その件については基本無学で12の呼吸を完成させたオレが、一度だけ教えを請うた人物と深い関係があるのだが・・・それについては、またの機会に記すとしよう。
あと、何故かは知らないがいつもいつもオレを鍛錬に誘う。柱って忙しいはずなんだが。
いや、誘うのは別にかまわないんだよ杏寿郎。
でもこんな暑い日にはお前と居たくないんだ杏寿郎。
暑苦しいもん杏寿郎。融通効かないもん杏寿郎。
そんな杏寿郎はオレの心境を察したのか、一言。
「うむ! オレには兎殿の考えていることがわかるぞ!! 長い付き合いだ!!」
おお。
「今日は汗を流したいと思っているだろう!! 天気もいい!! これは素晴らしいな!一手指南を願いたい!!」
二度とオレの考えていることがわかるなんて言うなよ?
そう釘を刺すと、元気よく「わかった!」と返事が来た。たぶんわかってない。
視線を宇随君に移す。
宇随 天元。忍ぶことをどこかにおいてきたような、元忍の派手派手音柱。
まず恰好が派手。
言動も派手。
なんでか日輪刀も派手。ってか、それホントに日輪刀?
二本差しだし、変な装飾ついてるし、でかいし。
昔、宇随君はオレに自分の日輪刀を見せながらこう言った。
「驚けよ地味兎。オレの日輪刀は派手に特別製だ。振りぬけば切った場所が爆発する!」
おおう。
あの時おれはきっと、生まれて初めて「おおう」なんて情けない声を出した。
爆発て。あのね宇随君。これだけは言わせてもらっていいかな?
「刀」なんだよ宇随君。日輪「刀」!
日輪兵器じゃなくて、日輪刀!! 刀は刀のままでいさせてあげようよ。
「いや、それはお前だから言えることだっつーの」
どういう意味さ。そもそも宇随君なら普通に鬼の首斬れるでしょ。
オレは超頑張って鬼にばれないように斬ったりする。
胡蝶ちゃんは首を斬るだけの力がないから、毒で殺す。
宇随君はさすがに元忍びというだけあって足も速いし、力も強い。
この間柱の皆でやった腕相撲大会で、二位の成績だったからね。
ちなみに一位は岩柱の悲鳴嶼さん。あの人怖い、苦手。
ちなみに補足だが、オレはその腕相撲大会に参加していない。桜花が嫌がったのだ。
理由を聞いても教えてくれなかったが、後でこう言っていた。
「蜜璃さんとしのぶちゃんが不参加の日でしたら、やってもいいですよ、腕相撲」
すこし顔がにやけた。
そんなことを思い出していたら、また顔がニヤついてしまったのかもしれない。
きもちわりぃぞ、と宇随君に言われた。
傷ついた。
ふかく傷ついた。
・・・というか、宇随君。君本当は何しに来たの?
杏寿郎が襲撃・・じゃない、家に遊びに来るのは、まぁ実はよくある話。
でも宇随君が三人のお嫁さんを放ってわざわざオレの所にくるわけがない。
三人の嫁さん。耳を疑う単語だ。
でも実際宇随君は三人の女性と結婚している。
いつも落ち着いた雛鶴さん。
いつも勝気なまきをさん。
いつもおっちょこちょいな須磨さん。
須磨さんとは、茶飲み友達。
みんな魅力的な女性だ。宇随君にとっては、1人1人が俺にとっての桜花なのだろう。
ん? 三人がそれぞれ、俺にとっての桜花・・・。
三人、桜花・・。
桜花が・・・三人・・・。
「兎さん、お帰りなさい。お夕飯の支度が出来ていますよ、ささ、どうぞこちらへ」
「兎さん、お帰り! さすが桜花の旦那様だ。ははっ! な、なんだよ! こ、怖くなんかなかったさ!! 寂しくなんて、なかったさ!!」
「うええええええええん!! 兎さん、桜花は、桜花は心配でぇえええ!!うわぁあああああああん!! 兎さんがああああああ!!」
楽園か、ここは。
いかんいかん。話が脱線してしまった。宇随君の話にもどろう。
宇随君の話は、鬼殺隊としては喜ばしい状況なのだろうが、オレ個人としてはあまり聞きたくない話だった。
すなわち、十二鬼月。それも上弦の鬼の情報だった。
上弦の鬼。キリギリス直属の鬼、十二鬼月の中でも・・・
「兎殿!! 鬼舞辻だ!!」
失礼。ありがとう杏寿郎。
キナガシ直属の鬼、十二鬼月の中でも最強と謳われる鬼たち。ここ100年、鬼殺隊が彼らに勝利したとの記録はない。彼らについて開示されている資料をあさると、必ず行きつく記録がある。
歴代の柱。彼らの殉職の記録である。
怖いよ、超怖い。
あれ、死因まで事細かに書いてあるの。昔軽はずみに読んで後悔したわ。
そんな上弦の鬼が現在、遊郭に潜伏している可能性がある、という情報が入ったらしい。
それが真実なら、これほど厄介なことはないだろう。
夜になれば、役人たちがはめを外しに遊郭に足を運ぶ。
花街は夜に命をともす街。
鬼からすれば格好のエサ場だ。
すぐに報告して、強い柱に行ってもらおう。
杏寿郎、どうよ?
「うむ!! お館様の命とあればすぐにでも向かおう!!」
良い心がけだ杏寿郎。ただし、ばれないようにするんだぞ。ばれたら周りにどんな被害が出るかわからない。
「もちろん承知の上だ!! ところで兎殿、宇随殿、一つ聞きたいのだが」
そう言って杏寿郎は真っ直ぐにこっちを見つめてきた。
オレはお前を信じている。
お前は必ず生きて帰ってくるだろう。
そのお前が、そんな目を・・。
任務遂行にあたり、何がそんなに気になると言うんだ、煉獄 杏寿郎!?
「遊郭とは、何をする場所なのだろうか!?」
オレと宇随君は、おもいきりずっこけた。
「おい、煉獄!? 本気か!? 派手に本気で言ってんのか!?」
「うむ!! オレは柱として、常に全力で在りたい!!」
「心意気じゃねぇよ馬鹿!! 心じゃなくて頭だ! 頭の中の事を言ってんだよ!!」
杏寿郎・・・。初めてお前が眩しく見えたよ。宇随君、オレ達はいつからこんなに汚れてしまったんだろうか・・。
「うるせぇ!! ってかお前何しれっと自分は関係ないみたいな空気感出してんだ!!」
お前こそ黙れェ!! 上弦の鬼なんて冗談じゃねーぞ! いかない!! オレは行かないぞ!!
「・・・そうか。煉獄はこの有様だ。とても同行できそうにねぇ」
「宇随殿! 俺は全身健康だとも!!」
「今回の潜入で鬼が派手に尻尾を出した場合、即戦力が必要だ。オレはお前は適任だと思ってる」
いやおかしいだろ。
弱くて、既婚者。
ほら、上弦の鬼がでる遊郭に行く理由がどこにもあらしまへん。
「そういえば、まきをが今度お前の嫁に会いたいと言っていた」
え? ああ、うん。仲いいもんね。あの二人。
ねぇ、宇随君。なんでそんなに悪い顔してんの、ねぇってば。
「派手にどうなるだろうなぁ? まきをが一言、お前が任務と偽って遊郭に行った、なんて言っちまったら・・・」
祭りの神よ!!
どうか、どうかあなたと共に悪鬼羅刹を打ち取るべく、ここに私も旅路に加えて頂きたい!!
こうして、俺は宇随君と遊郭に向かう事になりましたとさ。とほほ。
「兎殿!! それで結局遊郭とは一体・・・」
杏寿郎。お前は留守番だ。
大正コソコソ噂話(偽)
兎君は女遊びも博打も全然やらないよ。
お金がもったいないから、って言ってるけど、
ホントは桜花ちゃんに怒られるのが怖いんだ!!
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
番外其ノ壱 十二支 桜花は 帰りを待つ
だけど次の春には同じ場所で、また咲き誇る。
まるで、春が自分たちの所に帰って来るのを待っているかのようだ。
昔、あの人がそう言って。
私は自分の名が好きになった。
大正○○年 ●月 ■日
私の名前は、十二支 桜花(じゅうにし おうか)。
鬼殺隊の柱が1人、十二支 兎さんの妻です。
兎さんにならって、今日は桜花も日記をつけてみることにしました。いろいろと忙しい身なので、兎さんほどマメには書けませんが、頑張ってみましょう。
そう、何事も挑戦が大事です。
苦手だったお料理も、兎さんに隠れてこっそり練習して、恥ずかしくない腕前になりました。やってみよう、喜んでもらおうと言う気持ちが大事なのです。
それを言われれば、この日記は誰に喜んでもらおうとしているのか、はて。
日記、といっても桜花の一日はいつも取り留めのないものです。
朝起きると支度をして兎さんの朝餉を作る。
お洗濯ものを取り込んで、たたむ。
兎さんを起こす。この時間が一番好きです。
その後、任務に向かう兎さんをお見送りします。
近くに藤の家があるとも限りませんから、お弁当も用意して渡しておきます。
今まで、寂しさや不安が兎さんに伝わらないように努めて努力してきたつもりでした。
でも、梅雨のある日。桜花は堪えきれなくなってしまって。
いえ、止めておきましょう。
さすがにあんな恥ずかしい話、兎さんも日記には書いていないでしょうから。
さて、兎さんがお出かけされた後ですが、家の掃除、庭のお手入れなどやることはたくさんあります。兎さんの事ですから、それこそ上弦の鬼でも出てこない限り、なんだかんだと早く帰ってきます。失敗したことは、今の所一度もありません。
ただ、このところ。空振りで終わってしまうことが増えたそうです。
「アイツが現れたって報告が上がったから来てみれば、いつも同じ空気の味だけ残して消えてるんだ。そりゃ、戦うのは怖いし、嫌だよ。でもさっさとしないと犠牲者が増えていく一方だ」
やめたい。そう常日頃口にしている人とは思えない言葉ではあります。
「やめたいよ。そりゃあやめたい。・・・でもなぁ」
食われた人の遺族に会うたびに、心がざわざわするんだ。
親を失った子を見るたびに、心が熱くなるんだ。
前に、しのぶちゃんが桜花に語ってくれました。兎さん以外の柱はみんな鬼に対して、心の奥の憎悪を消すことが出来ない。だからどんなに取り繕ったところで、皆鬼と相対すると、自分を抑えることが出来ない。
「でも、あの人は違う。あの人は姉さんが死んだ後も。鬼を斬りに行きたくないと言う。任務に行っても、適当なことばかり。あんなにも強いのに。自分は弱いと言い訳してばかり」
しのぶちゃんは、兎さんの事を嫌っています。それには少なからずカナエの事が関わっているんだと思います。
胡蝶カナエ。私の親友であり、そして。
いいえ、この話は置いておきましょう。
内緒にするって約束ですもんね、カナエ。
話を戻します。しのぶちゃんはそう言って、いつも申し訳なさそうに桜花を見ます。
そのたびに、いいんですよ、と、一言。
確かに兎さんの在り方をよく思わない方が多いのも事実です。
絶対強者。歴代で唯一、上弦を圧倒できると言われた柱。
業柱(わざばしら)、十二支 兎。
兎さんの通り名だけは、呼吸法の名前ではありません。
12の呼吸を同時に『極めて』しまった、兎さんにだけ許された名前。
兎さんが柱になった時、お館様は大層喜ばれておりました。
運命が変わる。時流が変わると。
その刀は、何時か鬼舞辻に届きうるとも言われました。
でも、肝心の本人は鬼狩りに積極的ではありません。
怖い、行きたくない。
いつもそんなことを口にします。
そのたびにいつもいつも桜花に恥ずかしい言葉を・・いえ、なんでも。
ともかく、一見すれば消極的なその姿勢は、才を捨てているようにも映るのでしょう。
でも、桜花はそんな兎さんを誇らしく思います。
兎さんは才能に恵まれた?
それがなんですか。
兎さんは歴代最強の柱?
あなた達がそう決めたんでしょう。
兎さんは鬼と戦わなくてはならない?
ふざけないで。
あの人がどれだけ恐ろしい思いをして。
あの人がどれだけの重圧を背負って。
あの人がどれだけ震えながら。
それでも必死に日輪刀を握る様をみて、どうして認めないなんてことができるでしょう。
兎さんは眠るとき、必ず桜花と手を繋ぎます。
その手はいつも震えています。
背中を撫でてあげると、ようやく落ち着いたように眠ります。
兎さんは、人間を越えた強さを持った剣士かもしれません。
でも、人間なんです。
自分と同じ位置にいる剣士が存在しないから、自分の強さを実感できないだけ。
本当に心の底から、自分の事を弱いと思っているのでしょう。
だからこそ、桜花は兎さんの帰る場所になることを選んだのです。
兎さん、あなたは否応なしに戦う事を求められる。
あなたは捨て置けないから。
親友との記憶を。
骸からの怨嗟を。
でも、桜花の前でだけはどうか。
優しくて、怖がりで、沢庵が大好きで、仲間との時間がなんだかんだと好きで。
そして、血に濡れた桜花を、妻と呼んでくれた。
ただの、ただの兎さんでいてくださいね。
桜花はいつでも、この屋敷で待っていますから。
失敗してもいいですから、無事に戻って来て下さい。
大丈夫、二人でいれば、大丈夫ですよ。
兎さん。
桜花は、兎さんの妻だから。桜花は、兎さんが大好きだから。
大正コソコソ噂話(偽)
兎君は桜花ちゃんが料理をこっそり練習してたのを知ってるよ。
兎君はこっそり洗濯を練習してたんだって。
桜花ちゃんは、その事を知ってるよ。
平成コソコソ噂話
作者は止まらないUAと評価に驚いているよ。
みんな、本当にありがとう、だって。
皆がこれをきっかけに、もっと鬼滅の刃を好きになってくれたら嬉しいな。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
十二支 兎は 我慢が出来ない
十二支 兎 :え、子供!? あ、あはははは、ど、どう思う桜花。オレは桜花似の可愛い女の子が欲しいなぁ・・なんて。あ、あははははは!
十二支 桜花:・・・・。
十二支 兎 :そ、そうだよな! まだ早いよね! うん!! おいおい頼むよもっとちゃんとした質問を・・桜花?
十二支 桜花:・・・きゅう。
十二支 兎 :ちょ!? 桜花ぁ!? と、富岡君!! 胡蝶ちゃん呼んできて!! 桜花が恥ずか死しそう!!
大正○○年 ●月※日。
帰りたい。ああ帰りたい。帰りたい。 十二支 兎。
そんな辞世の句を詠みながら、宇随君とオレは花街にたどり着いた。
時刻は夜。
花街に灯が燈り、男が夢に、女が嘘に溺れる時間。
鬼の時間。
宇随君、ほんとにここに上弦の鬼がいるのかね。
私は暇じゃあないんだよ宇随君。
欠片でも可能性なしと判断したらすぐに帰るからね宇随君。
「地味にぐちゃぐちゃ言ってんじゃねぇ。本心を言ってみろ」
これは誘拐だぞ宇随君!! さっさとオレを解放しろ!!
「まきをに鴉を送る。オマエの嫁にかける言葉も併せて指示する」
さぁ宇随君、一刻も早く鬼を見つけ出そうじゃないか!
圧政とは、きっとこういう事を言う。
ああ、桜花。オレがこんな場所に来ていることを桜花が知ったらどう思うんだろう。
「兎さん・・・」
ああ、桜花、そんな目でオレを見ないで。
「最低。二度と話しかけないでください」
うぅううううううぅずううううういぃぃいいいいいいい!!
居るんだな!? ここに鬼! ホントに居るんだな!?
「わかったから静かにしろ! 地味に掴み掛んな!! 何のために地味に変装までしてここに来たと思ってんだ!!」
黙れェ!! こちとら一歩間違えば大切なものをすべて失うんだよ!!
今回の件が空振りだったら、俺たちただ遊びに来ただけじゃん!
不倫をしに来ただけじゃん!!
嫁を裏切っただけじゃん!!
「ほんとうるせぇな!! いるいるいるよ、上弦の鬼も普通の鬼も鬼舞辻も!! みぃんなここに居るだろうよ!!・・・・たぶん」
たぶんっつったか貴様ァ!!
花街から少し離れた位置で、お互いの連携を高める為こっそり本気で殴り合ったオレ達は、改めて花街に潜入した。
重ねて殴りたいことではあるが、今回この花街に鬼がいる確証はまだないとのこと。
が、いることが証明できないと同時に、居ないことも証明できないのだと言う。
宇随君は言った。
花街、遊郭は鬼にとって理想の環境がそろいすぎている。
夜になれば餌が集まり。
多くの人間が身分、生い立ちを隠し。
女であれば、問われるのは美しさのみ。
宇随君は以前からこの遊郭に目を付けていたんだとか。
やだなあ。ホントにヤダな。
元忍の宇随君が怪しいと感じている。
それなのに、痕跡1つ見つけられない。
それはつまり。
ここに鬼がいるなら、確実に強い、と言う事だ。
潜入捜査。
もちろんオレ達が鬼殺隊であると言う事は隠さなければならない。
宇随君もいつもの派手な装飾、化粧を落として普通の客として隣に立っている。
普通の客・・普通の・・。
宇随君。もう普段から君その顔でいたら?
「バカだな。オレは祭りの神にして元忍の宇随天元。派手に生きなきゃ人生じゃねぇ」
持っている人ほど、その価値には気付かないもんなのかもしれない。
宇随君、化粧を落とせば超男前なのである。
ほら、さっきから遊女たちがチラチラ、いいや。がっつり宇随君の方を見ている。
オレには桜花がいるから、同僚の彼が男前だろうがなんだろうが特に感じるものはないが、きっと女性にモテたことが無くて、普段から女難に逢っている男が彼の顔をみれば、二度と宇随君とは口も利きたくなくなるだろうな。
ところで宇随君。オレの変装、変じゃないかな?
藤の家で用意してもらった着流しは、紺色を基調とした地味目の物だ。オレの場合、どうしても髪の色と瞳の色で目立ってしまう。だから衣服ぐらいは目立たない物を選んだつもり。
「ん、ああ・・そうだな。地味だ。地味すぎて泣ける」
うるせぇ、放っとけ。
「だが、やっぱりその髪と目は何とかした方がいいな。よし、こっちにこい」
そういって宇随君はオレを花街の路地裏に引っ張り込んだ。
え? 何する気? 髪を切るとかならオレ嫌だよ。
桜花がせっかく綺麗な色って言ってくれてるんだから。
結果どうしたかと言うと。
宇随君はオレの顔とあたまを包帯でぐるぐる巻きにした。
ねぇ、酷くない?
これ潜入捜査だよね。目立っちゃいけないんだよね。
なんで男前と重症患者が一緒に歩いてんだよ。
先行きに不安を感じながら、オレ達は店に向かった。
花街の遊女にも、オレ達鬼殺隊と同じように階級がある。
その中で最高位の遊女を花魁と言う。昔は太夫ともいったそうだ。
美貌(桜花には劣る)、教養(桜花はすこし抜けてるところが可愛い)、芸事(一生懸命頑張る君が好き)。全てにおいて一流。まさに男を遊ばせることにおいて右に出る者がいない存在を指す言葉だろう。
当然花魁と一夜を過ごすことはそう簡単ではない。
なんどもなんども店に通いつめ、大枚をはたき、店の遊女たちからも好まれる。
そんな男たちの中から、さらに上客として一握りの男たちだけが花魁に触れることを許される。
つまるところ、店側としても花魁は基本『魅せて』稼ぐものであり、そう簡単に触れさせるようなものではないのだ。
そう。そう簡単に触れさせるものではない。
「旦那様、少々お待ちくださいませ。まもなく『鯉夏花魁』が参りますから」
なんでこうなった!?
話は少し前にさかのぼる。桜花への罪悪感にまみれながら二、三軒の店を回ったオレ達。
すると宇随君が、効率を上げるために別行動をしようと言い出した。
オレとしてもこの陣形、『男前ご膳、包帯ぐるぐるお化けを添えて。夏の彩と共に』はさっさと解散したかったので二つ返事で了承した。
宇随君は隠や藤の家の人脈を使って、より深くまで探りを入れられるように手配をしておいた、と言ってくれた。
その時オレは宇随君なりに気を使ってくれたんだな、と思った。
きっと桜花への罪の意識で潰されそうなオレの為に、遊女と遊ばなくても店の丁稚のような形で潜入できるよう手配してくれたのだろう、と。
互いに別れ際、激励の言葉まで送ったと言うのに。
次の店、『ときと屋』に出向いてみれば。
あれよあれよと座敷に通され。
みんなめちゃめちゃ低姿勢で。
もうすぐ花魁が来るって言われた。
宇随君、君一体なにしたの!?
ややあって、オレは鯉夏花魁の部屋に通された。
やべぇ、もういろんな意味でヤバい状況だよ。
鯉夏花魁。番付一番。つまり、この花街でもっとも美しい花魁。
こちらに振り返り、ほほえむこの女性が。
この花街の女王。
いや、女王と言うのは少し違うか。
彼女もまた、ここに捕えられていることに変わりはないのだから。
「旦那さん、どうして黙っているんで・・?」
鯉夏花魁がオレに声をかけてきた。
喋ってもいいのか。
もうしわけありません。鯉夏花魁。お、わたしは本日が初会ですので。本日はお食事だけで。
偏っているかもしれないが、急造で覚えた花街のしきたりに従おうとするオレに、鯉夏花魁はまたほほえんだ。
「ではそれで構いませぬ。今夜はそれで。食事に致しんす」
なんとか場を収めることに成功。
内心で、ほっと息を吐く。あとはなぁなぁで終わらせてしまおう。
そう考えていた。
鯉夏花魁の次の言葉を聞くまでは。
「では、今宵はわっちを『妻』と思って、お気軽に」
なんだと?
鯉夏花魁から、怯えた味がした。
次の瞬間、オレは叫んでいた。
オレの妻はこの世で『桜花』ただ一人!!たとえその場しのぎだろうがなんだろうが、桜花以外を妻とは呼ばない!!
やべぇ。やっちゃった。
大正コソコソ噂話(偽)
兎君は実は筍が少し苦手なんだ。
桜花ちゃんが作らないと筍料理は食べないんだよ。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
十二支 兎は 放っておけない。
十二支 兎 :筍。あと強い鬼とそれと無理やり戦わせようとする鴉。
十二支 桜花:椎茸でしょうか。あとは昔の・・・。いえ、なんでもありません。 ふふ、大丈夫ですよ兎さん。桜花はもう、あなたに救われています。
大正○○年 ●月※日
ヤバい。やってしまった。
鬼の情報を得るために花街まで来て。
成り行きとはいえ、町一番の花魁と接触できたのに。
思い切り怒鳴ってしまった。我が嫁可愛さに。
この街で花魁を敵に回すとどうなるのだろうか?
生き埋め?
投獄?
溺死?
やばい。すごく逃げたい。
鯉夏花魁はしばらく固まっていたが、ややあって口を開いた。
「貴方は、その桜花と言う女性を本当に愛しているのですね?」
味が変わった。
なんだろうか。
さっきまでと『違う』。そう感じた。
今までオレの前に居たのは、鯉夏花魁。
今、オレと話しているのは、鯉夏さん。
そんな感じだった。
そして、上手いなぁ、と思った。
オレが絶対に嘘を付けない質問じゃないか。
そんな当たり前のことを、聞かないでください。
宇随君、ごめん。
でもこの人は鬼じゃない。空気の味でわかるんだ。
「そうですか。・・・その桜花と言う方は幸せね」
鯉夏花魁は微笑んだ。
言葉に偽りなく、この人はオレと桜花の関係に対してそう言ってくれているのが伝わった。
でも、なんだろうか。
遊女だから当たり前と思っていたけど。
「羨ましいわ。私は誰かを愛したことがないから。愛する事なんて許されないから」
味がどんどん濃くなる。
嘘の味だ。
「今日はなにか訳ありでいらしたのね。でも、あなたみたいな人はここにきてはいけないわ。その桜花さんという女性を大切にしてあげてください。私の事は、今日だけの幻と思って、ね」
思わずオレは口をだしてしまった。
今日はなんだか、口が軽い。
もし。あなたはもしかして、誰かを・・・。
「それ以上は、言わないで」
鯉夏花魁はそういって、オレの口に指を当てて黙らせた。
包帯越しに、彼女の指の温かみが伝わってきた。
「ここでは嘘しか形を持たない。あなたがそれを言葉に出せば、私の想いは嘘になってしまうから」
ああ、なんだか納得できてしまった。
この人はやはりこの花街の王なのだろう。
何もかもを捨ててここにきて。
何もかもを取り上げられて、飾り物の椅子に座らされた。
嘘の幸福。
嘘の恋。
嘘の微笑。
嘘の真実。
きっと、この人もオレには救えない。
救う資格なんてない。
オレはもうすでに桜花を愛してしまっているから。
でも、一言言葉を掛けたかった。
背を向けた鯉夏花魁に、オレは言葉を掛けたかった。
すこし、昔のことを思い出してしまったから。
可愛いけど、すぐに嘘をついていた、ある女の事を。
『鬼を斬ること? 別に辛くありません。私たちは鬼殺隊ですよ?鬼を斬れなければ、この命に意味はありません』
自分の幸福を、あきらめちゃだめだ。
鯉夏花魁が驚いたようにこちらを振り返る。
オレは言葉を重ねた。
あなたの人生は、あなただけのものだ。今が真っ暗でも、なにも見えなくても、明日。明日死ぬことを怖いと思えるんなら、あきらめちゃだめだ。
あなたの想いは、決して嘘なんかじゃない。
その人の事を夢に見るなら、その恋はきっと本物だ。
あなたはまだ、日の元に出られるんだから。
そんな、鬼のような、日に当たれない哀しい怪物のような。
日陰にこもるようなことをしないで欲しい。
あなたは、光の似合う、『人』なんだから。
鯉夏花魁は、しばらく呆けたようにオレを見つめていた。
その後、オレは宇随君と合流し、情報を交換した。
ついでにオレの心の痛みも交換してやりたかった。
宇随君、何してくれてんの?
すっごい気まずかったぞ。
あの後鯉夏花魁は一切口をきいてくれず(いやしきたり的にはそれでいいんだけど)、食事を終えたオレはそそくさと店を出た。それはもう大急ぎで。
店の皆さまの不思議そうな顔が目に浮かぶ。
え? もう帰るの? 鯉夏花魁とお話しできたのに? みたいな。
阿呆を見る目で見られたよ。
アイツ等みんな桜花の美しさに当てられて火傷すればいいのに。
「そうか、地味に収穫なしか。・・・こっちもだ、鬼の手がかりどころか、噂話1つ聞き出せねぇ」
オレの文句を地味に、地味に無視した宇随君はそう言って、また策を考える、悪かった、と言いながらオレを連れ立って花街を出た。
その最中、オレはずっと拗ねつづけていた。
宇随君曰く、遊女たちは外に対して口が堅いが、内に対しては口が軽いらしい。なんとか内側に入り込む方法を探すと言っていた。
宇随君、まさかこんどは女装しろ、なんて言わないだろうね。
それを聞いて宇随君は、はっ、と鼻で笑いながら
「俺がそんな馬鹿な作戦を実行するとしたら、相当追いつめられてるか焦ってるときだろうよ」
と言った。
確かに、身なりは派手だが冷静な判断力と機転をもつ宇随君がそんな馬鹿丸出しの作戦を決行するとも思えない。宇随君がそんな作戦を言い出したら、横っ面を日輪刀で斬りつけてやることにしよう。
東の空が白み始めている。
夜が、徐々に明けていく。
ところで宇随君。君、妙に花街に詳しいね。
あと思ったんだけど、君、散々オレの事脅してくれたけど。
今回の件、須磨さんあたりにばれたらまずいんじゃないの。
帰りに寄ったうどん屋さんで、宇随君はオレに自分の分の沢庵をくれた。
ありがとう宇随君。
さぁ、油揚げと天ぷらもよこしな。
夜が、徐々に明けていく。
朱色の格子から外を見ながら、鯉夏は今日の客について思いを馳せていた。
急遽店に重鎮として現れた青年。
聞けば、もともと大層な役人を父に持つ青年だったが、顔にひどいやけどを負ってしまった。
多くの部下がそれによって彼の元から離れてしまい、手元に残ったのは莫大な財のみ。恵まれない人生の中で意気消沈した彼を励ますため、ここに通い詰めていた常連が彼の事を店に紹介し
「なんて。 それも嘘ね」
あの人はやけどなどしていない。あの人は大層な生まれではない。
あの人は、自分の人生に対して消沈などしていない。
鯉夏花魁は、二人の人間を思い返す。
一人は、今日であった奇妙な青年。
顔に包帯を巻きつけていたから、顔は解らない。
だが、彼に愛されている、『おうか』という女性は幸福だと思った。
それこそ、羨ましいほどに。
もう1人は最近足しげくここに通ってくれている人。
決して身分が高いわけではない。
決して裕福な訳ではない。
けれど、毎日毎日、外から鯉夏花魁を見つめ続けた人。
やっと目通り叶えば、こんどは緊張したのかたどたどしい言葉しか出てこなかった。
けれども彼は、しきたりが完璧な男などより、よほど誠実だった。
自分の仕事の話をしてくれた。
鯉夏花魁の話を聞いてくれた。
身体に触ろうともしなかった。
今日もご飯が美味しいですね、なんて話をした。
それらすべてに沸き起こる気持ちを、鯉夏は嘘なのだろうと切って捨てた。
ここは遊郭。
真実を見つけることの出来ない花街。
何かを信じ、掴もうとした女が何人も足抜けしようとしたのを、鯉夏は知っている。
彼女たちが無体に捨てられて戻ってくる様を、鯉夏は知っている。
ここでは、恋をしてはいけないのだ。
ましてや自分は花魁。誰かの物になってはならない。
『あきらめちゃだめだ』
なぜか、重症患者(仮)の言葉が、鯉夏の耳に残っていた。
夜が徐々に明けていく。
場所は変わり、花街でも大手の店、『京極屋』にて。
当たり前の話だが、遊女が仕事をするのは夜。休むのは朝だ。
だからこそ、彼女たちに与えられる部屋は夜間、無人であることが多い。
だがしかし、その日だけ。
一晩中部屋から出ようとしなかった花魁がいた。
店の北側、まったく『日の当たらない』部屋に住むその花魁、名を『蕨姫花魁(わらびひめ おいらん)』と言った。
美しいが、他者に対して非常に攻撃的。
兎は鯉夏花魁を花街の女王と称したが、女王と言うなら彼女の方が近いだろう。
絶対の恐怖。
人ならざる瞳の圧力。
店の者は皆彼女に怯えていた。
その彼女が今、部屋の片隅で童子のように震えているなど、誰が思うだろうか。
「なによこれ!? なんなのよこれ!?」
鬼の感覚は人間のそれよりも非常に優れている。
それはこの蕨姫花魁の正体、上弦の陸、『堕姫』についても同様であった。
人間を越えた超感覚は、鬼殺の隊士と戦うとき、彼女たちの優位性を確固たるものにすることがほとんどだ。
だが、今回に限ってはそれが完全に裏目に出た。
身体の震えが止まらない。
その気配を感じたのはたった一瞬だったのに。
堕姫は知る由もない事だが、その『一瞬』。すこし離れた店で業柱、十二支 兎が鯉夏花魁に凄んで見せた瞬間である。
あの一瞬、ほんの数刻彼から発せられた気配の刃が、堕姫の喉元を貫いていた。
堕姫は、恐怖していたのだ。
まるで複数の獣に取り囲まれるようなあの気配に。
震えが止まらない。
自分の実力を思い返す。
震えは止まらない。
自らの主に認められていることを思い出す。
震えは止まらない。
今まで柱を喰ってきたことを思い出す。
震えは止まらない。
強い兄の事を思い出す。
震えは止まらない。
両腕で体を抱く。
震えは止まらない。
震えは止まらない。
震えは止まらない。
震えは止まらない。
震えは、止まらない。
「・・・・怖い、怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い!? お兄ちゃああああああああああああああんんんん!!」
鬼の悲鳴が、京極屋に響いた。
大正○○年 ●月☆日
正しく、それは地獄だった。
こんなことは今までなかった。
身体の震えが止まらない。
あっていいはずがないんだ。
こんな事、あっていいはずない。
なぁ、これは夢か。ならさっさと覚めてくれ。
鯉夏花魁に、カッコつけてあんなことを言ったばかりだと言うのに。
オレは今、日輪刀で自分の首を斬りたいです。
なんでかって。あははははは。
桜花が、家に入れてくれません。
大正コソコソ噂話(偽)
宇随君は兎君がごね続けるからしぶしぶおかずをあげたらしいよ。
素うどんだと地味すぎるから、唐辛子をたくさん入れて食べて、
帰った時には須磨さんに唇お化けって言われたんだって。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
十二支 桜花は 信じたくない。
紅色の桜に紅色の刀。
お似合いの刑罰だと思っていた。
刀はあの人のおかげで白く染まった。
では、私は何色の心に染まったのだろう。
大正○○年 ●月※日
日記をつけるのは今日で二日目。
十二支 桜花です。
性急な文になっていることをお許しください。
ですがそれも仕方がない事ではあります。
桜花は今、とても怒っています。
ではどうして怒っているのか。
後々『あの人』をとっちめる為にも、まずはそれをここに書き込んでおきます。
先日、ねぎまちゃん(鴉の事です)が指令を叫んでもいないのに兎さんが任務に向かうと言いだしました。
桜花はすこし驚きました。兎さんが鬼狩りの仕事に自分から積極的になるのは、柱になってから初めての事です。
なにかあったのですか? と聞くと。
「い、いやなんでしょうね。宇随君がね、えっとね、えーっと。そう、人手が足りないって。すこし場所も遠いし、っていうか場所が悪いし、じゃなかった。だ、大丈夫!
桜花は何も心配しなくていいから!!」
と、しどろもどろの極致のような表情と態度で教えてくれました。
思えばその段階で何かを隠していたことを察するべきでしたが、愚かな桜花は特に疑問にも思わずに、お弁当を作って兎さんに渡し、出立を見送りました。
お弁当を渡した時の、兎さんの泣きそうな顔が印象的でした。
いえ。死に対する恐怖の表情とはまた違って。
なんでしょう。悲壮と言いますか、なんといいますか。
すごく。
なんだかすごく申し訳なさそうでした。
それはもうものすごく申し訳なさそうでした。
兎さんが出立した後、お味噌を切らしていたことに気付いた桜花は、屋敷を出て町に向かいました。
桜花たちが暮らしている屋敷は、とある竹林の中にあります。
柱の屋敷が襲撃されれば、鬼殺隊にとって大変な損害になりえる為、この竹林もただの竹林ではありません。
いたるところに罠が設置してある上に、道中の正しい石の形を覚えて進まないとぐるぐる同じところを回らされてしまいます。
この屋敷に越してすぐのころは、兎さん自身も罠を回避しきれずにズタボロにされていました。
「嫌がらせだよ。巧妙な嫌がらせだ」
とは、当時の兎さん談。
竹林から出て少し歩くと、大量の藤の花が咲き誇る場所に出ます。この藤の花は鬼殺隊によって植えられ、竹林を取り囲むように円形に配置されています。これにより、鬼たちは竹林に入ってこられないと言う訳です。ご存知だとは思いますけれど、人食い鬼は藤の花が苦手です。ここに着目して鬼にも効く毒を藤の花から作成したのが、蟲柱の胡蝶しのぶちゃん。すごい。
藤の花畑の出口には、いつも常駐してくれている隊士さんがいます。その人たちにお願いして、町まで護衛してもらいます。
桜花が柱の妻であると言う事は基本的に鬼にはばれていないはずですが、それでも念のため、と言って兎さんが柱の権力を最大限利用して手配してくれました。
最初はこの措置、兎さんの柱辞職を三月遅らせるという交換条件だったはずですが、それから全くやめさせていただける気配がない以上、お館様の方が兎さんより上手く立ち回ったのでしょう。血涙を流しかねない勢いで悔しがっていた兎さんが印象的でした。
「論破された!! なんか耳触りのいい言葉と他の柱から圧かけられてあっという間に論破された!!」
もう知らない。もう寝る。などといってふて寝しようとする兎さんでした。
可愛い、すごく可愛かったです。
あっ。
いけない、今は怒っているのでした。
兎さん、これを読んでにやにやなんてしてませんよね!?
怒ってるんですよ!? 桜花は、怒ってるんですからね!!
ともかく、その隊士さんと一緒に町に向かいました。
ちなみにですが、隊士さんはときどき交代していますが、なぜかいつも女性の方です。
なんでも兎さんの強い希望なんだとか。
なんでしょう。あまり男の人と歩いて欲しくないのでしょうか。
そうだとしたら、うれし
ああ、また書いてしまいました。
ダメです、桜花。
ここで甘やかしたら駄目。
ともかく、桜花は町に向かい、味噌を買いに向かいました。
ちなみに、味噌をすり鉢で無心にこする時間。
桜花は結構好きです。
醤油屋さんにたどり着く途中、知っている顔に出逢いました。
茶屋の椅子に座る彼に声をかけます。
おや、こんにちは。冨岡さん。
「・・・・・・」
冨岡さん。気持ちはわかりますが、桜花をみて疲れたような顔をするのはやめてください。さすがに傷つきます。
今日は任務ですか? いつもお疲れ様です。
「いや。今日は鍛錬に付き合わされている」
鍛錬、ですか? 一体誰と?
「・・・言わなくても解るだろう」
桜花が小首をかしげると同時、その答えが店の奥から現れました。
「うまい!!」
こんにちは。煉獄さん。
「うまい!! うまい!! おや! 桜花殿!! こんにちは!!」
煉獄さんは片腕には収まりきらない程のおにぎりを食べていました。
ああ、なつかしい。
以前、屋敷に遊びにきた煉獄さんに、桜花は夕餉を勧めたことがありました。
兎さんが必死に桜花を止めていましたが、その時は兄弟分と食事する事を照れているのでしょうか、ぐらいにしか思わなかったのです。
結果、屋敷の米とおかずは目の前の炎柱に食べつくされてしまいました。
その夜、意味もなくひもじい思いをしたのを覚えています。
烈火のごとく怒った兎さんが煉獄さんを引き連れて竹林を飛び出し、一番近くの森までいって動物を狩って来てくれたのは良い思い出です。
そんな事件があったにもかかわらず、煉獄さんの事を話す兎さんが楽しそうなのは、ひとえに彼の裏表の無さが大きいのでしょう。
規律を重んじ、何時でも思ったことを大きな声ではっきりと言う。
芯がある人だと思います。
ただ、真面目すぎて周りを引っ張りまわしてしまうことが玉に傷。
今回の犠牲者・・いえ、鍛錬の相手は冨岡さんだったのですね。
そういえば心なしかぐったりしているように思います。
煉獄さん、冨岡さんとどんな鍛錬を?
「うむ! お互いにどこまで成長しているか確かめたかったからな!!」
「俺はそんなこと言ってない」
「互いの呼吸と型をぶつけ合う事にしたのだ。いや、実に心が躍る!!」
「俺は踊らない」
「だがさすがに日輪刀で斬り合う訳にもいかないからな!!富岡殿には悪いが、木刀で我慢してもらった!!」
「さっきからどこ見て話してる」
なんというか。冨岡さんの言葉尻の低さ。なんとなく任務前の兎さんに似ているような。
ああ、逆ですね。
冨岡さんが、兎さんに似たのかも。
まぁ、でも煉獄さんの鍛錬相手はいつも兎さんでしたもんね。
たまには気分が変わっていいのかも。
「うむ! なにせ兎殿は宇随殿と遊郭に行ってしまったからな!! 残念至極!!」
今、なんて言いました。煉獄 杏寿郎さん。
「む? ああ、兎殿は宇随殿と遊郭に行ったと言った!! ところで桜花殿、遊郭とは何をする場所で・・・・桜花殿?」
「・・・すまない。あの日であった少年。俺にも逃げたいときがある」
へー。
ほー。
っはーん。
そうですかそうですか。
どうにも変だとおもったんですよねぇ。
兎さんが自分から任務に行こうとするなんて。
兎さんがお弁当もらってあんな顔するなんて。
行先を教えてくれないなんて。
そうですか、そうですか。遊郭。へー。
気が付けば、桜花は「どうしよう、これはホントにどうしよう」と大慌てする柱ふたりを置いて、とぼとぼと竹林を歩いていました。
護衛の隊士さんも途中まで
「なにか理由があったんですよ」
とか、
「業柱様に限って、そんな。浮気なんてする訳ないじゃないですか」
とか、声のような何かを掛けてくれていましたけれど、桜花は『浮気』という単語が脳に焼き付いてしまって。
それはもう。うわごとのように繰り返しました。
浮気。浮気。浮気。浮気。浮気。浮気。浮気。浮気。
浮気。浮気。浮気。浮気。浮気。浮気。浮気。浮気。
浮気。浮気。浮気。浮気。浮気。浮気。浮気。浮気。
浮気。浮気。浮気。浮気。浮気。浮気。浮気。浮気。
80回を超えたあたりで、護衛さんは何も言わずに虚空を見つめ始めました。
手元を見ます。なにもありません。
兎さんの馬鹿。お味噌、買えなかったじゃないですか。
桜花の手にはなにも残ってないんです。
あなたが言ったんじゃないですか。
あなたが桜花に言ってくれたんじゃないですか。
『桜花!! オレは、オレは鬼が斬れるから君を好きになったんじゃない!!君が、君が鬼を-―――』
馬鹿。馬鹿。兎さんの馬鹿。
約束してくれたじゃないですか。
他の女性なんて見ないでくださいよ。
馬鹿。馬鹿。馬鹿。
ごめんなさい。もうこれ以上。書いていられません。
兎さんがもうすぐ帰ってきます。
でも知りません。
もう桜花は兎さんなんて知りませんからね。
ばか。
大正コソコソ噂話(偽)
よく桜花ちゃんの護衛を任されている女性は霙(みぞれ)さんって言う名前だよ。
彼氏募集中なんだって。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
番外其ノ弐 下弦の肆は 恐怖する。
※注意
今回は原作にない独自設定多め(下弦の肆の名前含む)。オリキャラも一人出ます。
苦手な方はご注意ください。
十二鬼月、という鬼たちがいる。
長い年月をかけ、人間に溶け込み、人食い鬼を増やし続けた鬼舞辻 無惨が、特に強いと認め、多くの血を分け与えた十二体の鬼。
その彼らは皆強大な力を有しており、並の鬼殺隊士など相手にならない。
幾年にもわたる戦いで鬼殺隊を支えてきたのが柱ならば。
人知れず鬼の世を形成する魔の時代を支えていたのは十二鬼月だった。
しかし、それも『上弦』であればの話。
上弦の月。十二体の最強の内から選ばれる、更なる六の頂点。
彼らは皆、鬼舞辻から大量の血を与えられ、それに見合う働きをしていた。
すなわち、柱の捕食。
鬼殺隊最強の剣士、柱を殺すこと。それが上弦の『最低』条件だった。
下弦の月の鬼たちに、それだけの力はない。
すこし腕に覚えのある鬼殺隊士程度なら容易に食えるが、柱が現れれば手におえない。
食う事どころか、傷をつけることさえできるかどうかわからない。
そしてその事を理解できない馬鹿から死んでいく。
下弦の肆、恐骨は絶対に柱と戦わない。
戦えば負けることがわかっているからだ。
しかし、それ以外とは必ず戦う。
何もしない臆病者を、主が生かす理由は無いからだ。
恐骨は臆病な鬼だった。
柱も怖ければ、主も怖い。
明日生きられるかどうかが怖い。
明日殺されてしまうかもしれないと思うと怖い。
その怖さから逃れるように人を喰らい続けた。
恐骨は、彼女にひれ伏しながら思い出す。
自らがこんなにも怯えているのはなぜだったか。
自らを追い詰めたあの剣士は、どんな男だったか。
数か月前。
恐骨は自らの住み処である洞窟にこもり、餌を待っていた。
人間とは簡単な生き物だと思う。
愛してる、愛してる、と簡単に呟いて。
それと同じくらい簡単に子を捨てる。
「ほ、ほら! 持ってきた! 持ってきました!!」
目の前のみすぼらしい男が恐骨に包みを差し出した。ほどいてみると、中から小さな手。
人間の赤子だった。
目の前の男が愛したはずのものだった。
今はもう、愛していないものだった。
「童様、童様・・・。我が子でございます。我が子でございます。どうか、どうか村の安寧を、安寧を」
恐骨は、安定した餌場を求めて、ある人間の村に目を付けた。
一気に村の全員を喰らい尽くすのも良い、それが主の望みなら。
しかし、ふと。
恐骨は思いとどまった。
たしかにここの人間を喰らい尽くせば、鬼としての力も強化されるだろう。一時的にだが、腹も膨れるだろう。
だが、その後は?
次に人間を喰うのはいつになる。
その間に柱に見つかってしまったら?
恐骨は臆病だ。臆病者は、先の見えぬ道をこそ恐れる。
そこで、恐骨は一計を案じた。
手始めに、近場に居た知能の低い鬼を村まで誘導し、暴れさせた。
何人かの村人が死んだ。
村人たちが恐怖におののいた様を見届けた後、人間に擬態した恐骨が村に入り、その鬼を惨殺した。
そも、擬態は得意な訳ではなかったが、恐骨は童女のような外見をしていたためか、最初の鬼ほど彼らに怯えられることも無かった。
村人たちの様子を見た恐骨は憐れむようにこう言った。
「哀れです。恐ろしい事です。この村は人食い鬼に狙われています。しかし安心なさい、罪なき者達よ。私は童。あなた達を守るため遣わされた者です。私があなた達を守りましょう」
その言葉に村人たちは歓喜した。一度恐怖の底に落とされた彼らには恐骨が本物の神に見えたのだろう。
恐骨は臆病な鬼だった。 恐怖というものをよく理解していた。
ただし、と恐骨は言葉をつづけた。
「一月に一人、私の言う条件を満たす者を私の住む西の洞窟に連れてきなさい。その者は涅槃に旅立ちますが、引き換えに村の全員を守りましょう」
村人の反応は様々だった。
恐ろしい物をみる顔。
どこか他人事のようにとらえる顔。
さまざまな顔があったけれど、結局彼らは童に飼われる道を選んだ。
さまざまな思いがあったのかもしれないけれど、人間たちは鬼になる道を選んだ。
そして今日、恐骨が要求したのは生まれたての赤子だった。
肉付きは良くないが、なんとなく赤子が食べたい気分だった。
「よく決心しましたね。これで村の安全は保障されましょう」
恐骨は内心でせせら笑いながら、されど慈愛に満ちた表情でそう言った。
男の表情が安堵に染まった。目からは涙があふれた。口から、かすれた息が漏れていた。
「随分狡いことする鬼がいるんだな。いや、気持ちはわからんでもないけど」
次の瞬間、恐骨は擬態を解除し、鬼の姿を現した。
村人が悲鳴をあげるが構っている暇はない。
本能による警告。
主の血が、怯えているような錯覚さえ覚える。
目の前に立っているのは鬼殺隊の剣士だった。なんども食い破ってきた隊服だからすぐにわかる。
暗い洞窟にあってもきらめいているかのような短髪の白髪に、真っ赤に染まった目。しかし、表情はどこか不安げだった。なんというか、ちぐはぐな剣士だった。
刀を抜いて、なんだかやる気がなさそうだった。
戦闘態勢であって、なんだかとても怯えていた。
一見弱そうなのに、あり得ないほどの殺気を放っていた。
剣士は、目の前でうずくまる村人に言葉をかけ始めた。
「ねぇ、おじさん。ねえってば」
「おじさんはさ、その子をこの自称神の使いに預けることに、なんの迷いもなかったのか?」
「知ってるかい、おじさん。目の前にいるあのちびっこ。あれ、鬼って言う怪物なんだぜ」
「人を食べるんだ。オレ達みたいな特別な剣士じゃないと、どんな傷を与えてもすぐに治しちまう。こわいよね。いやほんと」
「ところで、質問なんだけどおじさん」
「オレが今から斬らなきゃいけない『鬼』は、おじさんとあのちびっこ。どっちだと思う?」
村人は悲鳴をあげてながら、洞窟から出て行った。
「あーあ。いいなぁ。オレも逃げたい」
剣士はそんな言葉をつぶやいた。
恐骨は隙をうかがいながら、言葉をかけた
「そう思うなら、逃げてもいいですよ、お兄さん」
「え?ホントに?」
・・・・まさか、本当に逃げたいと思っているのか?
こんな殺気を放つ剣士が?
馬鹿な。
「それはありがたいな、のどから手が出るありがたさ。じゃあ、逃げるわ。うん、即刻お別れだ」
そういって、剣士は背を向けた。
『血鬼術・岩穿殺(がんくうさつ)』
「あははは、馬鹿じゃないですか!? 逃がすわけない、逃がすわけないでしょう!!」
目の前の強者が見せた隙。これを逃す恐骨ではなかった。
恐骨は臆病な鬼だった。だから、生き残るために必要なことがわかっている。
血鬼術・岩穿殺。恐骨は自らの血をしみこませた岩を自由に操れる。
恐骨は臆病な鬼だった。
だから洞窟に籠った、訳ではない。
洞窟はもはや、恐骨の体の一部ともいえるほど自由に操れる。
岩穿殺は岩を槍に変え、相手の体に突き立てる。
何十、何百。
そのすべてが恐骨の血で強化された岩でできている。
この岩は、刀より硬い。
「仕留めた! 仕留めました!! あのお方に喜んでいただける、もっと血を頂ける!!」
「こういうの、ホントに止めて。心臓に悪いよ」
全集中・『巳』の呼吸。
『僻蛇・笛呼びの巳』。
重ねて、一刻。
『午』の呼吸。
『掛馬』
『それ』をぎりぎりで視認できたのは、下弦の肆であるがゆえの不幸だったのかもしれない。
岩の槍は、間違いなく剣士に迫るように発射されていた。
それに対して剣士は刀を、振らない。
まっすぐ槍に向かって進む。
そして。
わずかな槍の隙間を、『通って』こちらにやってくる。
人間の視覚では視認できない程の速度でせまるそれを、剣士は躱して進んでくる。まるで、笛に導かれる蛇のように。前しか見ない、馬のように。
恐骨は知る由も無かったことだが、目の前の剣士が使っているのは『十二の呼吸』という、鬼殺の呼吸法の中でも特殊な呼吸。
五の攻撃系統、五の補助系統、そして二の禁じ手からなる呼吸法。
型は存在しない。
あるのは、人を人ならざる者に変える、外法の呼吸だけである。
もし、人体の限界を超えることを要求されるこの呼吸を極める者がいるとしたら。
鍛錬の前提として。
産まれた時からの全集中の呼吸・常中を求められるこの呼吸を極める者が現れるとしたら。
きっと、その人間は孤独な戦いを運命づけられるだろう。
暴れるでもない、叩き落とすでもない。
ただ、通ってやってくるその赤目の剣士に、恐骨は気が付けば絶叫していた。
恐骨は臆病な鬼だったが、本当の恐怖をしらなかった。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!」
追いつめられた恐骨のとった手段は。
洞窟を諸共崩落させるという強硬策だった。
「えっ? ちょ、ウソでしょ!? 嘘だろ嘘で在れよ嘘だと言え!! ぎゃあああああッ!?」
そんな恐らく生きているであろう剣士の言葉が、耳に残っていた。
そして、今。
恐骨は、震えていた。
よく逃げられたものだと思う。
よく逃げ続けられているものだと思う。
無様に地に這い出て、日の光を恐れ、主を恐れ、剣士を恐れ、死を恐れ。
しかし、そんな日々ももう終わりなのかもしれない。
恐骨はそんな風にぼんやりと考えていた。
目の前に、その『鬼』が現れてしまったから。
「うふふふふふふ、ねぇ、どうしたのかしらぁ? ええ? 下弦の肆ぃ?」
その鬼は、美しい姿をしていた。
鬼としては珍しい、輝く銀色の長い髪。黒色の着物をまとい、しかしその腰には大量の目玉。全てが、鬼から『没収』したもの。
閉じられた瞳は哀愁に満ちているようで、何処かこちらをあざ笑っているようだった。
その鬼は、恐骨の顎に、やさしく、それでいて捕えるように撫でながら口を開く。
「うふふふふ、ねぇ、聞いてるのよぉ? 下弦の肆ぃ。こたえなさぁいよぉ? きかれたぁことにぃはぁ? こたえなさいよぉ? さぁみぃしぃじゃない」
「も、もうしわけありません。過愚夜(かぐや)様」
「うふふふふふ」
不気味に笑うその鬼は、恐骨の一挙手一投足を楽しんでいるように見えた。
「ねーえ? いつまで鬼狩りから逃げ回る気ぃ? あのお方も、そろそろ結果をお望みよぉ?」
「は、はい、すぐにでも鬼狩りを、柱を」
「嘘をつくな、臆病者」
恐骨は、自らの首をつかんだ。
繋がっている。
今、『絶対に首が離れたと思ったのに』
「ねーえぇ? 知ってるのよぉ? あぁなぁたぁ・・アタシの可愛い可愛いうさぎちゃんにあったでしょう?」
恐骨は、なんのことかわからなかった。
「・・あぁ? 名前をしらなぁいのかしらぁ? 十二支 兎ぃ。素敵な素敵なぁ、白い髪の剣士ぃ」
件の剣士だ。
恐骨は、首を縦に振ることで肯定の意を示した。
「ふふふふ、ねぇえ? 挽回のきかぁい、欲しいぃ? 上手にできたらぁ、『没収』は待ってあげるぅ」
そう言って、鬼の女、過愚夜は目を見開いて囁いた。
右目には文字。『上弦』。二文字の証明。
左目には、数字。強さの位。
「あのじゃあまぁなおんなぁをしまぁつしなさぁいいい。
十二支 桜花の首を持って来い」
刻まれた数字は、『零(0)』。
大正コソコソ噂話(偽)
兎君は元々白髪だったわけじゃないんだよ。
兎君の髪は、雪に埋まり過ぎて白くなったんだって。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
十二支 兎は 不本意ながら形を示す。
十二支 兎 :桜花の願いをかなえてあげたい。
十二支 桜花:兎さんが、震えなくてもよくしてあげたいです。
大正○○年 ●月☆日
状況を説明する。
任務から戻ったら、温かく迎えてくれるはずの妻の桜花が、氷のように冷たい態度で屋敷からオレを締め出した。
死にたくなった。
なんでこうなったんだろう。
なにがまずかったんだろう。
さっぱりわからなかった。桜花の事なら何でも分かる筈なのに。
とりあえず扉の前で平謝りしてみた。
扉の奥から桜花の声
「理由も解らないのに、謝らないでください。引っぱたきますよ」
ダメだった。
今度は一度町に行って吹雪饅頭を買って来た。
桜花、吹雪饅頭だよ、桜花や。
扉の奥から桜花の声。
「吹雪饅頭をよく見せてください」
扉が少し開いた。
これ幸いと吹雪饅頭を差し出す。
ひゅ、っと音がした。
扉が閉まった。
饅頭だけ掠め取られた。ダメだった。
男のオレに話したくない、ないし話せない悩みがあるのかも。
女性の事は、女性に聞こう。
常駐隊士、丙の霙さんに話を聞こう。
「浮気。浮気。浮気。浮気。浮気。浮気。浮気。浮気。浮気。浮気。浮気」
霙さんがなんか恐ろしいことになってた。
目に光がない。
ずっとうわき、うわき、とか言ってる。
やだ、怖い。
み、霙さん。どうしたの。彼氏に浮気でもされた?
その一言を聞くと、霙さんは水色の髪を振り上げ、つまり顔をこちらに向けて叫んだ。
「彼氏なんていないわよ!! 笑いなさいよ!! 笑え!! この年で男を知らない私を笑え!! とってもモテモテな業柱様にはわかんないでしょうけどね!! ええ! わかるもんですか!!」
そのまま、大の大人がうわーん! と泣き出した。
なんかもう、いろいろダメだった。
その後もありとあらゆる手を尽くしたが、オレは家に入れずにいた。
なんで、怒ってんの!? なんで扉開けてくんないの!?
桜花、桜花、桜花、桜花ァ!?
物言わぬ我が家の前でじたばたと暴れている大人がいた。
十二支 兎、つまりオレである。
すると、ガラガラ、と音を立てて入口がすこし開いた。
奥から、光る綺麗な瞳が見えた。
超絶可愛いオレの嫁が、なんだか超絶怒っていた。
「・・・しりません、この浮気者」
桜花はそれだけ言って、ぴしゃりと扉を閉めた。
よし、死ぬことにしよう。
日輪刀を抜く。
少し、いやだいぶ長いが何とかなるだろう。
今こそこの純白の刀身を深紅に戻す時だ。
そうだ、辞世の句を詠まなくては。
いつもふざけて詠んでいるが、まさかこんな大真面目に辞世の句を考える日が来るとは。
人生とは、わからないものである。
ごめんなさい 本当すみません ごめんなさい(字余り)
うむ、中々の出来だ。
さぁ、これで準備は完了だ。
あとはこの日輪刀を腹に突き立てて思い切りぶった斬るだけ。
嫌だなァ、痛いだろうなァ。
でも、桜花に嫌われるくらいなら。
そうだよな。
腹を斬ると、たぶんすごく痛い。
血がきっとたくさん出る。
でも。
桜花に嫌われることの方が何倍も辛いから。
何倍も何倍も何倍も。
その事実が痛いから。
だから、ごめんな、桜花。
そしてオレの日輪刀が腹を・・・。
「何を・・・何をしてるんですかッ!!」
斬らなかった。
いままで閉ざされていた屋敷の扉が開かれて。
桜花が、涙目になってオレの手を押さえていた。
いや、桜花が怒ってるから死のうと思って。
「ふざけないでください! どうしてそう一直線に誤答に向かって突き進むんですか!!」
間違ってないよ。
優しい桜花が理由もなく、そんなに怒る訳もないし。
きっと、オレが何かしちゃったんだよね。
ごめんね。
「っ!? あ、あなたと言う人は、本当に、ホントに・・・もう!!」
桜花は困惑した様子を見せたが、ややあって溜息をついてオレにこう言った。
「・・・わかりました。わかりましたよ、まったくもう。中に入ってください。桜花は、話を聞きますから」
そう言って桜花はオレを家に招き入れた。
今にして思えば、桜花は始めからオレを本気で締め出す気などなかったのではないだろうか。
なんのつかえもしていない扉を見ながら、オレはそんな希望的な考えに浸るのだった。
「それでは、説明してもらいましょうか」
居間でお互いに座布団に座って話をする体制に入る。
桜花は正座、いつもの姿勢。
オレも正座、強制姿勢。
えっと・・・吹雪饅頭、一個じゃ足りなかった?
「わかりました。やっぱり今日はお外で寝てください」
あ、違ったらしい。
しかし、本当にわからない・・・なんてことを言うつもりはない。
思い返せば心当たりがいくつかあった。
1つ。
任務に行くとき、さすがに後ろめたすぎて中途半端にぼかして桜花に説明してしまったこと。
2つ。
弁当を受け取った時、申し訳なさ過ぎて泣きそうになってしまったこと。
3つ。
これが一番大事。桜花がオレの事を『浮気者』と呼んだこと。
桜花、オレが遊郭に遊びに行ったと思ってる?
「・・・・知りません!」
ぷいっ、っと桜花が顔を背けた。正解だったらしい。可愛い。
しかし、これは面倒な誤解を招いてしまったらしい。
桜花、聞いて。ねぇってば。
「知りません! 死のうとしたからちゃんとお話を聞こうと思ったのに、なんですか吹雪饅頭とは!? 誤魔化そうとしたってそうはいきません。やっぱりなにか後ろめたいことがあるんですね!!」
後ろめたい事なんてない、唯の潜入任務だ!
と、言おうとした。
鯉夏花魁と密室で二人きりだったことを思い出した。
言葉が口の中で溶けた気がした。
「あー! 何も言わないんですね!? やっぱり遊んできたんだ!! 桜花のことなんてもうどうでもいいんですね!?」
ふざけんな、桜花が一番大事だ。
「えっ、いや、そんな真っ直ぐな目で、っ!! ご、誤魔化されません!! そんな言葉信用できません!!」
え、信用できないの? それなりに衝撃なんだけど!
「当たり前です!! 宇随さんにも話を聞きますからね! そもそも、遊郭に行ったって証言があるのに、兎さんからはなんの証拠も取れないじゃないですか!! 証拠、証明、証言!! どれでもいいので持ってきてください! じゃないと有罪です! ゆーざい!ゆーざい!」
なんだろう、怒られてるはずなんだけど。
めちゃめちゃにやけそうなんだけど。
しかし、証拠、証拠かぁ。
桜花、ほんとに証拠出しちゃっていいの?
気が進まないんだけど。
「今更誤魔化す気ですか!? 出してください出しなさい! 証拠を出しなさい!!」
はぁ。
わかりましたよ、桜花裁判長。
じゃあ、出すな、証拠。
「ええ、出してください兎被告!」
気乗りはしないが、仕方ない。
オレは立ち上がって桜花に近づいて行く。
「なんですか! 何を出すんですか! 何を出しても誤魔化されませんからね!?」
桜花の目の前まで来た。膝をたたんで、桜花の顔に目線を合わせる。
「謝罪ですか? 謝罪なんて無駄です! 無駄ですからね・・・あ、あの兎さん。なんだか、距離がどんどん近づいてませんか?」
当たり前だ。 近づけてるんだから。
「か、顔がぶつかります・・・」
ぶつかるな。うん。
「ちょ・・だめ・・・!」
ただし、ぶつけるのは一か所だけ。
そして、二人の距離が零になった。
ほんの一瞬が、とても長い時間に感じた。
唇を離す。目に涙を溜めた桜花に、ゆっくりと話しかける。
桜花、これは、君を愛している証拠になるかな?
桜花の顔が、みるみる紅く染まって行く。
うるんだ瞳も、上気した頬も、たまらなくいとおしい。
「ずるいです・・こんなの」
オレの理性は鋼か、紙か。
それは俺達だけの秘密だ。
その後、誤解のとけた桜花は平謝りしながら、なぜ誤解したのかを教えてくれた。
いやぁ、次の柱合会議が楽しみだねェ。
宇随君、杏寿朗。
大正コソコソ噂話(偽)
霙さんはその後桜花がおにぎりを持ってお詫びに来たので回復したよ。
霙さん、よく残念な美人って言われて振られちゃうんだって。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
十二支 兎は 嫌われている。
十二支 兎 :趣味と言っていいかわからないけど、そうだなあ。うん、日記を書くことだな。
十二支 桜花:時間が空いた時には、そうですねぇ。縁側でお茶と吹雪饅頭を食べるのが楽しみです。
大正○○年 ▲月 ●日。
柱合会議。
それは半年に一度、10人いる柱が一同に介し、鬼を討つための情報を共有、ならびに対策、方針を決定づける会議。
全ての柱がお館様のもとに集い、悪鬼滅殺に向けて準備を行う場、とでも言おうか。
当然、業柱であるこのオレ、十二支 兎も召集の対象である。
かぁかぁうるさいぞ、ねぎま。わかってる、今回のオレは一味違う。
愛する妻の為、今日こそ勝利をもぎ取ってやる。
産屋敷。我らがお館様の住まう屋敷。すべての鬼殺を産みだした一族の住む屋敷。
足を運ぶのは何度目だろうか。
初めて来たときにはさすがに緊張を覚えたものだ。悲壮感さえあったようにも思う。
今あるのは憤りだけだけど。
門を開け、中に入る。
目指すのは中庭。
柱だからと言って、お館様と俺達では立場に天と地ほどの開きがある。
つまり、オレ達は中庭に立ってお館様を見上げながら会議をする訳だ。
座布団くらいくれよ。
そんな一言を言って不死川にぶん殴れたのは良い思い出だ。
あんな傷だらけのなりして忠義者だよね。
尊敬してるよ、いやホント。
中庭にたどり着くと先客が数名いた。
まぁ、遅刻したわけでもないし、許してくれるだろう。
すでに集まっている面々を見る。
岩柱・悲鳴嶼 行冥。
この人に関して言う事は2つだ。
でかい、怖い。
阿弥陀経をいつも唱え、両目からはいつも涙を流す。
じゃりじゃり、と数珠をすり合わす様がまた不気味。
オレ初対面でこの人のこと鬼だと思ったからね。
もう全力で逃げたからね、わき目もふらず。
アレは、うん。
オレが悪かったな。
「ああ、業柱が来た・・。まだ妄言を信じているのだろうか、可哀想に、可哀想に」
訂正、オレは悪くない。
いやこわいよ、これでビビるなってほうが無理でしょ。
水柱・冨岡 義勇。
友達の少ない子。
癸時代にオレがすこし鍛えてあげました。
知らぬ仲ではないし、一緒にすこしでも強くなろうとした間柄だ。
加えて、この間は馬鹿のせいでひどく迷惑をかけた。
一言、挨拶ぐらいはして然るべきだろう。
やぁ、冨岡君。元気?
「・・・・・・」
冨岡君は何も言わない。体調でも悪いのか、苦虫をかみつぶしたような顔をしている。
大丈夫か? しっかり食べてる? そうだ。こんどまた家に鮭大根食べにおいでよ。
なんだろうか。
葛藤している表情になった冨岡君であった。
「なんだ、十二支。冨岡は食事に招待しておいて、俺には挨拶もなしか? 大層偉くなったものだな」
む、このねちっこい感じ、略してねちかんを放ってくるのは。
中庭の松の木を見上げると、そこには一匹の蛇を連れた男。
蛇柱・伊黒 小芭内。
性格が大層ねちっこいお方。力は弱いが、実力は折り紙つき。
そしていつも松の木の上が指定席。おい、それお館様の木だぞ。
降りてこいよ、怪我しても知らんぞ。
「ふん。俺がこの程度で負傷すると? 気遣いはありがたいが、善良性の主張は鬼に足元をすくわれる原因だぞ。たいそうな余裕をみせてくれるじゃないか。それほど頂点の椅子は心地がいいか?」
心配してやってんだよ。ほんとに。信用無いなぁ。
「お前とくらべれば狐のほうがまだ信用できるさ。それよりもだ、十二支。俺が言ったことを覚えているか?」
え? なんか言ってたっけ?
「貴様のその間抜けぶりにはほとほと愛想が尽きる。そも、愛想など持ち合わせていないが。忘れたとは言わせない。忘れることなど許さない。貴様の呼吸についての話だ」
呼吸? ・・・ああ、『巳』の話か。
「そうだ。『巳』の呼吸とは許しがたい。俺の『蛇』と被っているじゃないか。いますぐにその名を捨てろ」
そうさなぁ。でもさ、蛇と巳じゃ、意味は同じだけど形が全然違うぜ?
仕組みも効果も違う訳だし。
「そう言う事を言っているんじゃない、ここにヘビが2匹いることが問題なのだ」
そういうもんなの?
伊黒はこうなると大層ねちっこい。
会話もそこそこにオレは他の面々に目を向けた。
他に到着しているのはっと・・・。
恋柱・甘露寺蜜璃。
あっちこっちに目を向けて真っ赤になって照れている。
まぁ、アイツは大層惚れっぽいので伊黒に富岡に、そのほかいろいろと気移りして数刻に一度恋に落ちているのだろう。
かかわるとろくなことがない。
それにオレは今女性関係に関しては繊細になっているんだ。
悪く思うな、蜜璃。
風柱・不死川 実弥。
顔中傷だらけ・・というか、現在進行形で傷が増え続ける男。
恐らく、柱の中で最も鬼狩りに積極的。
いや、オレ以外の柱はみんな真剣に鬼を斬っている訳だけど。
不死川のそれはなんというか、うん。
強い憎悪と後悔の味がする。
一々人の過去に詮索を入れたりはしないが、不死川にはきっと、『なにか』あるのだろう。
それこそ、死んでも死にきれないほどに。
霞柱・時透 無一郎。
最年少の柱。オレと日輪刀の色がそっくり。
気が合うかな、と思って前に話しかけてみたら、あら不思議。
目が合いません。会話が成り立ちません。
それでも必死に構ってもらおうと目の前で手をバタバタさせたときに彼から出た言葉がこちら。
「ねぇ、いい大人が恥ずかしくないの?」
以降。俺は彼に対しての過干渉を止めました。
そして、いま来ている柱の中では最後の1人。
なぜ彼女の事を一番最後にしたのか。
答えは単純だ。
「あらあら、業柱の十二支さんじゃないですか。無理に来なくても良かったのに」
蟲柱・胡蝶しのぶ。
オレは彼女に嫌われている。
ねぇ、胡蝶ちゃん・・。久々に会ったんだし、もっとちゃんと話を・・。
「まぁ! 残念です! 私はあなたに話なんてないし顔だって見たくないので。むしろ私に当たり前のような顔してそんな質問してくるなんてどういう神経してるんですか?」
寂寥感に耐えられない。
冨岡君の左手を掴もう。
ね、ねぇねぇ冨岡君。お、オレ何かしたかな?
「ねぇ、冨岡さん。そんな人は放っておいてこっちでお話しませんか? ねぇ、冨岡さん。ねぇ」
胡蝶ちゃんが冨岡君の反対側の裾を掴んだ。
ねぇってば冨岡君。しの、胡蝶ちゃんずっと怒ってるよね、心当たりない?
「まぁ。本当に腹立たしいことを言いますね。ねぇ冨岡さん。無神経だと思いません?ねぇ。ねぇ」
ねぇ、返事してよ冨岡君。冨岡君はオレの味方だよね、ね?
「いいえ。冨岡さん。ここは私に味方してくれますよね? ね?」
冨岡君。
「冨岡さん」
義勇君。
「義勇さん」
とみっち。
「ぎっちゃん」
冨岡大明神。
「冨岡観音菩薩」
とみとみ。
「ぎゆぎゆ」
次の瞬間。
オレと胡蝶ちゃんは冨岡君に思い切り投げられて産屋敷の柵に激突した。
痛い、背中うった、涙が出る。
でも泣かない、男の子だから、いい大人だから!!
「・・・・・・・」
わかってます。冨岡君、いらついたんですね。
日輪刀から手を離してください。
「ほら、あなたのせいで冨岡さんが乱暴者扱いされてしまいます。ますます冨岡さん、嫌われてしまうじゃないですか」
「俺は嫌われてない」
そうだぞ! 冨岡君は嫌われてない!!ちょっと人づきあいが苦手な、可哀想な子なんだぞ!! いまはぐずぐずの人間関係だったとしても、みんなきっとわかってくれるよ!
なあ、冨岡君!!
なんだろうか。
冨岡君の目がなぜかどんどん死んでいくような。
おい蜜璃、何爆笑しそうになってんだよ。冨岡君に失礼でしょう!
ぶった斬るぞ、てめー。
「む! なんだ!! 俺達が一番最後なのか!!本当に申し訳ない!!」
「こいつは派手に失策だったな。やはり地味にいつもの道じゃなく、派手派手な近道を使うべきだった」
喜べ蜜璃。
標 的 変 更 だ。
大正コソコソ昔話(偽)
兎君と胡蝶さんは仲が悪く見えるけど、他の皆は裏で兄妹みたいだってからかってるよ。
それを聞かれた癸の剣士は今、蝶屋敷につるされてるよ。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
十二支 兎は 許さない。
十二支 兎 :欲しいもの、欲しいものかぁ・・。うん。アレだね。桜花、ちょっとこっちに来て。
十二支 桜花:? なんですか、兎さん・・ひゃあっ!?
十二支 兎 :ああ、これこれ、疲れた時には膝枕ぁ。
十二支 桜花:ちょ、兎さん! 皆さん見てるんですからそういうのは・・・蜜璃さん!きゅんきゅんしてないで助けてくださいってばぁ!!
大正○○年 ▲月 ●日
「やぁ、お早う。みんな、召集に応じてくれてありがとう。顔ぶれが変わることなく、今回も柱合会議を行えることを嬉しく思う」
「てめぇらあぁあああああ!! ぶっころしてやるぅぅううううう!!」
「止めねーかァ! 落ち着け十二支ィ!!」
「止めるな不死川ァァ!! 男には退けない時がある!! つまり今だぁあああ!!」
「うむ!! 元気でいいな兎殿!! 感心だ!!」
「きぃいいさあああまぁあああああああ!?どの口がそんなこと言ってんだ!!」
「お館様の話を遮っちゃだめだよ」
「だまってろドチビ!!」
「きみ、斬るね」
「無一郎君、あんな喧嘩に飛び込んでいくのね。男らしいわ素敵だわ!」
「ねぇ、冨岡さん。やっぱりあの人馬鹿だと思いませんか? ねぇ?」
「否定できない」
「おい!? なんでオレまで派手に狙われなきゃならねぇんだ地味派手兎!?」
「黙りやがれくそ忍者が!! そもそもお前があんなこといいださなきゃあなぁ!?」
「やかましいぞうるさいぞ。お館様の前だ。礼儀さえもしらんのか?」
「伊黒殿! ではそこから降りてはどうだろうか!」
「ふざけるなよ煉獄。お前たちが起こした騒動で怪我をすることほど馬鹿らしいことはない。かすり傷でも俺に負わせてみろ。俺はお前たちを許さない」
「哀れなことだ。くだらぬ怒りに囚われて。可哀想に、可哀想に」
「桜花のどこがくだらねぇんだああん!? 斬っちゃうよ? 俺斬っちゃうからね!」
「随分と騒がしいけれど、今何が起きているのかな?」
「業柱が抜刀して炎柱と音柱に斬りかかり、それを風柱と霞柱が抑えています。炎柱は楽しそうにそれを見ています。音柱は業柱の射程から逃げようとしています。他の柱たちですが、恋柱・水柱・蛇柱・蟲柱は状況を俯瞰しています。岩柱は余計なひと言の所為でたった今標的に加わりました」
「お前の報告はいつも正確で助かるよ。さぁ、私の剣士たちには・・・というか兎にはそろそろ落ち着いて貰わないとね」
十二支 兎です。 はい、落ち着いています。落ち着きましたとも。
いやぁ。我ながら取り乱しました。お館様、もうしわけありません。
「・・・・・・・・」
みんなが凄い目で見てくる。やめて、そんな目で見ないで。
「兎。桜花の事をとても大切に思うのは、君の長所であり短所だよ。大切な人を想う心は、人を何処までも強くする。だけど大切な人を想う心は、どこまでも人を向う見ずにしてしまう」
お館様の言葉は、いつもなんだか心地よい。
しっとりと。
それでいて力強く耳に残る。
まぁ、それと鬼と戦いたくないと言うオレの気持ちは全く関係ないわけだけれど。
「さぁ、兎も落ち着いたところで柱合会議の続きを」
その前にお館様。恐れながら進言させていただきたいことがございます。
「何かな? 兎」
炎柱・煉獄 杏寿朗と音柱・宇随 天元。
両名の顔を思い切り殴らせていただいてもよろしいでしょうか?
「・・・・杏寿朗。天元。一度兎に謝った方がいいね」
二人が謝罪してきました。
許さない。
二人が頭を下げました。
宇随君、まだ頭が高いぞ。
二人が謝罪を形にしたいと言い出した。
桜花に吹雪饅頭と高級玉露持って謝りに行け。
純情な兎さんを浮気者扱いして申し訳ありませんでしたと言って詫びろ。
それで4分の3許してやる。
「兎。桜花をここに呼んで叱ってもらった方がいいかな?」
友よ! これからも仲良くやって行こうじゃないか!!
いざ! 悪鬼滅殺!!
「悪鬼滅殺!!」
「俺は時々お前が派手な病気なんじゃないかと思う」
わかりあったオレと杏寿朗を見て宇随君がそんなことを言っていた。
「さて、それでは本題に移ろう」
親方様のきりだした話は、明るい話とは言い難かった。
鬼殺隊の剣士の死亡数がどんどん増えてきている事。
中には異能を持たない鬼に食われてしまったり、狡猾な鬼にだまし討ちされたり。
慢心。油断。恐怖。
そういった感情が隊士たちの士気を下げ、死期を近づけてしまう。
「選別をもっと厳しくするべきかと。正しく強い者だけを、鬼殺の剣士として認めるのです」
不死川がそう発言した。
それに異を唱えたのは冨岡君だ。
「それでは選別の際に多くの人間が死ぬ。現状の解決にはつながらない」
「うむ! 現在の最終戦別でも多くの若者が散っている! これ以上は無理だ!!」
杏寿朗がそれに同調する。
うーん、もっと根本的な解決方法は無いだろうか・・。
鬼にお願いしてみます? 新人は狙わないように、って。
「ふざけるのなら帰ってください、業柱」
胡蝶ちゃんに叱られた。怖い。
続けて、胡蝶ちゃんは親方様に進言した。
「私には継子がおります。他の柱の皆さまも継子を育ててみてはいかがでしょう?」
継子とは、俺達柱が特別に育てる隊士のことだ。柱の技術、戦い方を俺達が直接叩き込む。
つまるところ、継子は柱の『予備』と言う訳だ。
「そうだね。本当は柱全員に継子を与えたいところなんだが」
そこまで言ってお館様は口をつぐんだ。
確かに、そこから先の言葉は言い辛いだろう。
そしてそういう言い辛いことをはっきりと口に出すのは、いつも決まって伊黒だった。
「お館様。無礼を承知でもうしあげるが、継子にするには、今の隊士たちはあまりに弱い。おそらく、いや確実に俺達からの修練を物には出来ないだろう」
「小芭内の言う通りだね。現状、君たちの継子になりうるような剣士は最終選抜を通過できていない。こればかりは才覚も関わってくる問題だからね」
継子、継子かぁ・・・。
そうだよなぁ、継子がいればオレもさっさとやめられるもんなぁ。
オレの一言に、全員が静まり返った。
お館様にいたっては溜息すらついている。
あ、あれ? オレ何かまずいこと言った?
愚痴だよ! ただの愚痴じゃん!
「もういいです。だまってください」
胡蝶ちゃんが怒っている。もの凄く怒っている。
喉の奥が焼けるような味だ。
もうこれは、憎悪の味と言ってもいいかもしれない。
「兎。その話は追々またしよう。そうだね、まずは育手に鴉を送って状況を知らせてもらおう。現状の剣士候補たちの成長を確認しておく必要があるからね」
お館様がそう言って締めくくった。
しかしわからない。
なぜそんなにもみんな怒っているのだろうか?
オレが抜けた穴ぐらいすぐに埋められるだろうに。
あ、ところでお館様。先日お出しした辞表なのですが・・・
「ああ。あれなら返すよ。兎、これからも業柱として励んでくれ」
ちくしょう。
「毎回毎回。一体どういうつもりだ、貴様」
夜まで続いた柱合会議の後、オレに声をかけたのは伊黒だった。
なんの話?
「とぼけるな。いつまで柱をやめたいなどと妄言を吐き散らすつもりだ。先の会議でも言っていただろう。俺達は今、鬼に対して圧倒的に戦力不足。ここ数年で何人柱が死んだ?鬼舞辻にはたどり着いてすらいないのに。上弦を一匹も減らすことさえできぬまま。鬼を討つには刀が必要だ。お前たちと言う刀がな」
・・・そうだな。何人も仲間が死んだ。食われて、死んだ。
だからこそ、オレはさっさと柱なんてやめたいんだよ。
わかるだろ? 死ぬの、怖いじゃん。
「・・・・お前にはほとほと失望させられるな。本当にくだらない感情で動く。頭痛がしそうだ」
結構結構。同僚に嫌われるのは辛いけど、命には代えられないからさ。
それに。
鬼を斬るために刀を握ったら、オレ達だって悪鬼と同じだよ。
伊黒、一生懸命なのはいいけどさ。
そもそも何のために鬼を斬るのか、ちゃんと考えてるか?
「ふん・・・。まて、何処に行く、話はまだ終わっていないぞ。何処に行こうとしている? 逃がしはしない」
なんだよ、ねちっこいやつだな。
「失礼なことをいうな。先の戦力不足の話だ。お前は解決策を知っているだろう?」
知らんよ。若輩が育つのを待つしかない。
胡蝶ちゃんところのカナヲちゃんなんかは有望株だろ。
「とぼけるな。解っているだろう? 俺が何を言いたいか。 わからないなどとは言わせないぞ」
わからないよ。伊黒。
皆目見当もつかない。
だから、それ以上言うな。
「『仇散華(あだちりばな)』はいつ戦線に戻せる。さっさとあの女に日輪刀を持たせて鬼を斬らせ・・・・」
なぁ。伊黒。
オレは黙れと言った。確かに言ったぞ、それ以上言うなと。
それでも口を開いたお前が悪いと思う。うん。
日輪刀がこすれる音がする。
オレの純白の刃を止めたのは、赤い刃だった。
なぁ、どけよ杏寿朗。
オレはそこの蛇野郎を斬る。
「ダメだ! 兎殿!! 落ち着いてはくれないだろうか!! 隊士同士の斬り合いはご法度だ!」
なおさら退け。オレと斬り合うか?
「困った! オレは兎殿から一本取ったことが無いからな!! きっとあっという間にやられてしまう!! だが!! ともに研鑽を重ねた仲間が人斬りに堕ちる様は見たくないからな!!」
鬼を斬ってる段階でオレ達は人斬りも同義だ。
これ以上は堕ちない。安心しろよ。
さぁ、そこを退け!!
「そうまであの機械剣士が大事か、十二支」
「伊黒殿!! 今は口を開かない方がいい!!」
もういい。邪魔し続けるならお前ごと・・・・
そのとき、空からねぎまの声が響いた。
「カァー!! カァー!! 敵襲!! 敵襲!!『業屋敷』ニ襲撃者アリ!! 丙隊士、氷柱 霙(つらら みぞれ)交戦中! 業屋敷内状況、現在不明!! 繰リ返ス!『業屋敷』ニ・・・」
オレはすぐに産屋敷を飛び出した。
後ろから杏寿朗や蜜璃の叫ぶ声が聞こえたような気がしたけれど。
その時のオレには、聞こえていなかった。
大正コソコソ噂話(偽)
冨岡君は兎君が継子が欲しいって言った時、その継子に本気で同情したんだって。
鬼を連れた少年とか気に入ってそうで嫌だなぁ、って思ったんだって。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
恐鬼伝染
お前が二度とあんなことしなくても済むようにするから。
だから、もう泣くなよ。
辛くても、悔しくても。
笑おう、桜花。
※今回日記形式は冒頭部分だけです。
大正○○年 ▲月 ●日
走る。走る。走る。
全力で来た道を戻る。
産屋敷と業屋敷は、すこし距離が離れている。
他の柱たちの屋敷、たとえば胡蝶ちゃんの蝶屋敷は傷ついた隊士たちの療養所を兼ねている事もあって比較的産屋敷に近い距離にあるが、業屋敷はオレが頼んで鬼殺隊の本拠地から離れた位置に作らせた。
藤の花を植えさせた。
罠だらけの竹林で屋敷を囲った。
すべて桜花の為。
桜花を戦いに巻き込まない為に。
なのに、どうして。
どうやって、襲撃してきた!
考えるのはあとにしろ。
今は早く、桜花、桜花、桜花!
桜花の所に早く!!
十二支 兎が全力で野道を走っている頃。
はるか遠方の森から彼を見る異形があった。
常人であれば、さらには下級の鬼であれば今の兎の気配を感じただけで気を失いかねない。
それを平然と見つめる鬼が一匹。
「うふ、うふふふふふふふふふふふぅ! 素敵・・・・、素敵素敵素敵素敵ぃ!! 必死なのぉ? 必死なのねぇ、う・さ・ぎ・ちゃん・・!」
銀髪に黒い着物。上弦の零、過愚夜である。
「間に合うかしらぁ? 間に合うかしらぁ?早いけどぉ? 早いけどぉ? さ・て・さ・て、下弦の肆はちゃんとやってるかしらぁ。うふふふ、残念ねェ兎ちゃん、あなたはぎりぎり間に合わないわぁ・・」
そう言って過愚夜は森から姿を消した。
過愚夜の予測は間違っていない。
下弦の肆、恐骨に対抗できるだけの隊士は、柱を除けばそうはいない。
それこそ柱の一つ下の階級、甲の隊士でさえ、出来の悪い者、また一瞬の油断をつかれれば下弦相手に命を落とす。
事実業屋敷の警護する隊士は一人を除いて全滅していた。残ったのは丙の氷柱 霙のみ。
すぐに片が付く、と考えるのは自然なことだ。
だが、恐骨はいまだ目的の十二支 桜花にたどり着けないでいた。
目標は目の前屋敷にいる。自由はすぐそこにある。
過愚夜の血鬼術の影響で、下弦の肆は一時的に藤の花を無効化できていた。
突き進んで首を取ることなど、造作もない。
だが、目の前の鬼殺隊士が、想像以上に恐骨をてこずらせていた。
「はぁー、はぁー・・・。どうしたのよ、お嬢ちゃん、かかって、来ないのかしら?」
相手は息を切らしている。水色の髪は乱れ、長かったそれは恐骨の攻撃で一部がちぎれ飛んでいた。額からは血が流れ、あばら骨も何本か折ってやった。
立っているだけで苦しいだろう。今は呼吸で誤魔化しているのだろうが、それも長くは続かない。
「・・・かなり粘った事は称賛に値します。しかし、あなたはもう戦えない。これ以上は死期を早めるだけよ」
「違うわ、アンタが私に斬られるのが早まって行くのよ、私が諦めなければね」
「理解できない。あなたは今そこに立っている事さえ怖くてたまらないはずだ。何をそんなに死に急ぐ?」
「アンタにはわからない理由よ。少なくとも今のアンタには」
そういって氷柱 霙は鮮やかな水色に染まった日輪刀を構えた。
「愚かですね。さっさと死ねば恐怖から解放されるのに」
恐骨の周囲に大量の岩槍が形成され始める。
一本一本が必殺の血鬼術。
「人間は恐怖から逃げられない。どうしてかわかりますか?」
その必殺の槍が一本、また一本と霙の五体を狙い始める。
「群れるからです。人は孤独に耐えられない。だから隣に誰かを置きたがる。けれど同時に裏切りを容認できない。隣にいる同族を信じられない。捨てられる、後ろから刺される。人間は槍を持った手で握手しようとする。私はそんな恐怖しか感じない生物から解脱したのです」
「へぇ、じゃあ、アンタは何もこわくないっての?」
狙うは、四肢、頭、心臓。
「いいえ、恐いものはありますよ。しかし、それから永劫逃げられる。それが強き生物、鬼の特権です」
「ふーん、そうなの」
どこからか、水の凍るような音がする。
霙の肺から吐き出される呼吸の音だった。
「アンタに見せてやりたいわね、愛し合う事の出来る人間たちの姿って奴を」
日輪刀をしっかりと握る。
決着の時だ。
あるいは、悪あがきの終わり。
「人間の一側面だけみて、全ての尊さから逃げ出した臆病者め。その腐った根性ごと斬ってやる!!」
「砕けた五体でも、同じセリフが吐けますか!? 死ね、人間!!」
『血鬼術・岩穿殺』
岩の槍が霙に殺到した。
「(一つ、二つ、三つ・・いいや! 数えるな!! そんな暇はない!! とにかく、総べて叩き落とせ!! 奥様の所にはいかせない!! 私はその為の刀だ、氷柱 霙!!)」
全集中・『氷』の呼吸
肆の型・『氷塊微塵』
氷塊微塵(ひょうかいみじん)は、本来巨大な鬼に相対したときに使う型である。全身を使ったその連撃は、巨大な体のどこに急所、つまり首を隠していたとしても斬撃がとどくようになっている。
「(槍の群れを一体の鬼と思え、私は今、巨大な鬼と戦っている!!)」
岩の槍は一本一本の強度が高い。練度をあげた霙の剣戟でようやく斬れている。
何本弾いた、何本切った?
そんなことを考える余裕など霙には無かった。
そして次第に、刀を振る余裕も無くなって行く。
顔の横で、チッ、と音がした。
すぐ横を、槍が通過していく。
霙は自分に言い聞かせ続ける。
集中しろ、集中しろ、集中しろ、集中しろ。
刀が弾かれる音がした。
槍が、肉を貫く音がした。
肩が砕けている。
足が折れている。
両掌を、巨大な槍が貫いている。
ああ、ダメだ。もう死ぬ。
血がこんなに出ている。
もう死ぬのか、私。
ああ、彼氏が欲しい人生だったなぁ。
奥様、ごめんなさい。
でも、だいぶ前に鴉を飛ばしたから、もうお逃げになっているだろう。
業柱さまにも鴉を飛ばした。
倒れていく仲間を見ないようにして、必死に飛ばした鴉。
きっともう業柱様はこちらに向かっているだろう。
ならきっと、大丈夫。
あの人が負けるところなんて想像できない。
あとは奥様がどこまでにげられたか。
この鬼は強い。
竹林を抜けるのにも、そう時間はかからないだろう。
だから、せめて遠くに、奥様。
「霙さん、ごめんなさい。すこし動かしますよ」
ふわ、と体が浮くような感触があった。
ああ、そんな。
逃げてと言ったのに。
どうしてあなたがここに。
「すみません、それと・・・。日輪刀、借りますね」
氷柱 霙はそのまま気を失った。
恐骨は臆病な鬼だった。
だからこそ、危機察知能力が下弦の鬼の中でもとびぬけて早い。
悪く言えば勝てる勝負を逃してしまう傾向にあるが、よく言えば必ず生き残る。
『桜』の呼吸 壱の型
『終春』。
そんなにも恐怖する鬼が、自分の首が落ちたことに気付かなかったのは、
彼女が異常だったのか。
それとも、目の前の桜色の剣士が異常だったのか。
確かめる術は、もう彼女には残っていない。
「痛いッ・・・!」
十二支 桜花は手首に走った激痛に、刀を握っていた手を離す。
本来二度と振ってはならないと言われていたものだった。
手が震える。
取り落した刀が地面に落ちている。
水色の刀が落ちている。
「霙さんらしい、綺麗な色ですね。ああ、振ってしまった・・。兎さんに怒られる」
はぁ、と消沈した。
この間すごく怒ってしまったから、仕返しに同じように怒られるかもしれない。
あの時はあんな方法で黙らされるとは思わなかったが。
もし、兎が怒るようであれば。
「今度は私から・・・ッ!? い、いやいやいやいや!! 何言ってんです!! 何言ってんですか私!?」
「ホント、何言ってんのかしらねぇ、私の可愛い兎ちゃんを誑かした雌がぁ・・」
桜花の真後ろで、黒く輝く鬼の声がした。
大正コソコソ昔話(偽)
霙さんと冨岡さんの日輪刀は微妙に色が違うよ。
霙さんの方が鮮やかな水色なんだって。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
番外其ノ参 童と呼ばれた少女は 想い出す。
彼女の歳は解らない。
彼女の顔は解らない。
すべては風に乗る塵になって。
(斬られた!? 斬られたのか!? 頸を、頸を斬られた!!)
下弦の肆は自分の頭が地面に向かって落ちていくのを感じながら、漠然と自分が敗れたことを理解した。
痛みは感じなかった。
(嫌だ、嫌だ!! 死にたくない!! 死にたくないです!! 無惨様!!)
代わりに襲ってくるのは死の恐怖。
涙があふれる。
怖くて怖くてたまらない。
自分を斬ったであろう女の背を見る。
自身の手を見ているようだ。
刀は、地面に落としている。
背を向けている。
死にゆく自分を見ていない。
『大丈夫、恐くない、恐くない』
なんだろう。
随分昔、ああやって背を向けられた気がする。
手を伸ばして。
手を伸ばして。
声を枯らして。
声を枯らして。
怖くて。
恐くて。
そういえば私は、何がそんなに怖かったのだろう。
下弦の肆、恐骨はかつて名家に生まれた娘だった。
もともと男子に恵まれない家系、いや、そも彼女の両親は愛し合って子供を作るような人間ではなかった。
父は名誉にしか興味がない。 女は跡取りを作るための手段。
母は金にしか興味がない。 男は自分を着飾るための手段。
恐骨はそんな家の長女だった。もちろん、そのころは恐骨などという物騒な名前ではなかった。もっと、かわいらしくて、偽物だけれど、愛を感じる名前だった。
(もう、思い出せないなぁ。そんなこと)
はっきり覚えているのは、恐骨が鬼になるまでの間の記憶。
両親の分家にあたる家がある日、火事で全焼し。
その家に住んでいた少年が1人、養子として引き取られた。
もちろん、家族を失ったことを悲しんでいたけれど、
それを差し引いてもその男の子は優秀で。
次第に恐骨は必要とされなくなっていった。
やがて、両親が自分の事を童と呼ぶようになった。
童。
名前を付けたことを無かったことにされた。
彼女はただの童になった。
唯の童になった彼女は、ある日、山奥の廃寺に連れてこられた。
何をするのかと母に聞くと
『今からかくれんぼをしましょう。母が鬼をしますから、童は隠れてちょうだい』
久々に母と遊べることが嬉しくて、童はうんと難しい場所に隠れた。
ボロボロのつづらの中に隠れた童は、母が見つけてくれるのを待った。
しばらく時間がたっても、母は童を見つけなかった。
すこし難しすぎたかもしれない。
童は反省した。
この勝負は引き分けにして二回戦。
次は私が鬼をやろう。
そうおもって、ばぁ!、と童はつづらを飛び出した。
廃寺には、もう誰もいなくなっていた。
童は寺を駆けまわった。
それこそ、忘れられた座敷童のように。
寺を4周回ったところで、母は探しに来ないこと、自分が捨てられたことを知った。
童は恐ろしかった。
死んでいくことが怖かったわけではなかった。
一人で死んでいくことが、なんだかとても怖かった。
お腹が空いた、と思ったのは何時までだったか。
寒いと思ったのは何時までだったか。
だんだん何も感じなくなってきた。
それなのに、恐怖だけが膨らんでいく。
死にたくないな。
死にたくないよ。
一人でなんて、死にたくないよ。
お父さん。
お母さん。
死にたくないよ。
「かわいそうに。哀れな子供だ。お前には機会をやろう。恐怖など感じぬ生き物にしてやろう」
そんな声と共に、首筋に何かが刺さった。
悲鳴が聞こえる。
母の悲鳴だ。
恐骨は話しかけた。
お母さん、逃げてはいけません。これはかくれんぼなんだから。
父が慟哭した。この鬼め、と。
恐骨は首を横に振ってそれを否定した。
ちがいます、お父さん。先に鬼になるといったのは、お母さんですよ?
お母さん、鬼なんだからちゃんと私を見つけてくれないと。
見つけてくれないから、私も鬼になってしまいました。お揃いです。
お母さん、泣かないでください。怖いです。
お父さん、私を殺そうとしないで。怖いです。
お父さん、お母さん。どうしてそんな血のつながらない子を守るんですか。
お父さん、お母さん、私。寂しいよ。1人にしないでよ。こっちに来てよ。
怖いよ、怖いよ。
怖いよ。
(ああ、そうか)
身体が崩れていく。
今から地獄に行くのだ。
鬼となって、下弦の肆となってどのくらいだっただろう。
主を恐れ。
柱を恐れ。
零を恐れ。
かつての自分を見つけることを恐れた。
(ああ、本当に怖いなぁ。でも)
すこし不思議な気持ちで最期に恐骨は自分と戦った女を見た。
(わからないことが残ってしまった)
たしか霙と呼ばれていただろうか、あの水色の鬼狩りは。
(あなたは、私が怖くなかったのか? 死にそうになっていたのに。なんで)
その答えは解らない。
消えゆく恐骨に、答え合わせの機会は訪れない。
(鬼になっても怖いままだったなぁ)
(なんだ、人は、強くなれるんだなぁ)
(なんだ、もったいないことした、かなぁ)
鬼に亡骸は残らない。
ゆえに、忘れてはならない。
彼女と言う、怖がりな少女がいたことを。
それを怪物に変えた、三匹の鬼の事を。
大正コソコソ噂話(偽)
兎君はこうしてる間も全力疾走だよ。
ねぎまは完全において行かれたから仕方なく、仕方なく恋柱に抱きしめられてるよ。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
十二支 桜花は 信じてる。
冨岡 義勇:世話にはなっている。 オレを強くしてくれた。だが、善意が一周回って拷問になるときがある。十二支と名のつく二人は絶対に怒らせるなと後世に語り継ぐ。
胡蝶 しのぶ:奥様の桜花さんには昔からよくしてもらっています。十二支 兎ですか? ごめんなさい。私は嫌いな人の事は覚えない主義なので。
大正○○年 ▲月 ●日
あの日ほど恐ろしい思いをした日はないでしょう。
それでも、桜花には情報を伝え、残す義務があります。
これは私の夫、業柱 十二支 兎と。
上弦の零、過愚夜と名乗った鬼の
長い因縁の始まりです。
震える手で、桜花が鬼から霙さんを救出した直後。
背後から声が聞こえていきました。
「ホント、何言ってんのかしらねぇ、私の可愛い兎ちゃんを誑かした雌がぁ・・」
あの時の感覚を、桜花は一生忘れません。
恐怖ではないのです。
絶望ではないのです。
振り返る前から気付いたその存在に対して私が抱いたのは、驚愕。
ああ、そんなことがありえるの。
そんな生物がこの世にいるなんて。
「アンタ、さっさとこっち向きなさいよォ? あの人はどんな女が好みなのか解らないじゃないのォ、さぁ、顔をよく見せなさいよぉ」
互角だ。
後ろにいる鬼は、兎さんと戦って接戦が出来る。
私は、ゆっくりと立ち上がり振り向きました。
目の前の鬼は、美しい顔をしていました。
月の光が反射して、銀色の髪が美しくたなびいていました。
整った顔は、獰猛な光を宿していたけれど。
妖しい色香を感じさせる顔でした。
瞳には階級を示す文字が記されていました。
左目に上弦、右目には、零。
そんな。
上弦、下弦の数字は壱から陸のはず。
陸が一番弱くて、壱が一番強い。
零なんて聞いたこともない。
「へぇぇ、驚いた顔してるぅ。顔立ちはまぁまぁねぇ。ふぅうん、なるほどぉ、なるほどぉ。顔面の得点はそんなに重視しないタイプなのねェ。表情が豊かな女がこのみぃ?」
貴方は、何者です? さっきからなにを
次の瞬間、桜花は地面に叩きつけられていました。
激痛と、肺の中から空気が全て吐き出されるような感覚。
桜花は激しくせき込みました。
「口を開くな、泥棒猫」
「お前はここで死ぬ。ここで私が殺す。そうすれば、あの人は私の物、過愚夜は正しく元の場所に帰れる」
「私の可愛い兎ちゃん。うふ、うふふふふふふ」
うふ、うふ、うふふふふうふ。
楽しそうに笑う彼女を見て、すこし恐ろしかったです。
あっさりと殺されてしまうことがわかってしまったから。
でも、それで何もしないかと言われれば、そうではなくて。
桜花は妻だから。
最強の柱の妻ではなく。
十二支 兎の妻だから。
馬鹿に、しないで
あの人への侮辱は許さない。
「あ?」
カラカラと笑っていた悪鬼が私を見つめます。
侮蔑と怒りと、殺気。
それでも、私の口は止まりませんでした。
あなたと兎さんに何があったかは知りません。
私の知りえない、深い関係だったのかもしれない。
でも
あの人を物扱いする人に、私の夫の事は語らせない。
兎さんは モノじゃありません。人です。
侮辱、しないで。
私の夫を、馬鹿にするな。
「・・・・不愉快ねぇ。不愉快だわぁ。頭にきすぎて脳みそとけちゃいそう」
いや、溶けないと思います。
「真面目に返すんじゃないわよぉ。状況わかってんのぉ?」
がん、と衝撃がきて頭を地面に踏みつけにされました。
痛い、痛い。
頭蓋からみしみしと音がする。
手はいまだに震えている。日輪刀は振れません。
鴉は全て飛ばしてしまっています。伝令も出来ない。
そんな状況下。
死がせまっていました。
なぜでしょう、全く怖くありませんでした。
桜花は口を開きます。
兎さんは、あなたの思い通りになんてなりませんよ。
「なんだと?」
それに、桜花は泥棒猫なんかじゃありませんし、こんな所で死んだりしません。
「好きなだけほざいてなさいよぉ、このアマァ!!」
鬼の手刀が迫る。
細腕にやどる剛力はいともたやすく桜花の首を刈り取る。
ああ、なんだろう。
死ぬのでしょうね。 死んでしまうのでしょう。
ああ、嫌だなぁ、と思うのに。
怖くない。
それはきっと、あなたを信じていたから。
ああ、安心しました。
本当に肝心な時に遅れちゃうんですから。
初めて茶屋に行ったときは桜花よりも何時間もはやく来ていたくせに。
こういう時にだけ、本当に遅れてくる。
解ってる。
目の前に現れて、手刀を日輪刀で受け止めたあなたを見れば、すぐにわかる。
足が血だらけ。
一生懸命走ってくれたんですね。
隊服が汚れている。白い髪もすすけている。
人の道では間に合わないと、けもの道を使いましたね。
息が乱れている。
呼吸を駆使してまで、急いでくれたんですね。
本当に。
真っ先に助けに来てくれると思っていました。
ごめんなさい。
勝手に刀を振ってごめんなさい。
桜花は、ダメな妻ですね。
ねぇ、あなた。
「おい、答えろよ」
ばちばち、と鬼の手と白い日輪刀がつばぜり合いを起こしています。
ああ、怒ってる、ものすごく怒ってる。
でもなんだか鬼の方が喜色満面になって行くのは気のせいでしょうか。
「あっはぁ・・!! うさぎちゃん、うさぎちゃん、まっしろ兎ちゃんぅ!!」
「お前、人の女に何してんだゴラァ!!」
兎さんの斬撃が一本の刀から、『四本』放たれました。
あれはきっと、『虎』の呼吸。
近距離の戦いに適した、抉る斬撃。
全ての呼吸による効果を倍速にする、つまり速さをあげる『午』の呼吸は使っていないようですが、それでも早い。
柱以下の隊士では何が起きたか理解も出来ないでしょう。
が、相手の鬼もやはり只者ではありませんでした。
「うふふふふふっ!! すごい!!すごいすごいすごいぃぃいいいいいいいい!! やっぱりあなただけ、あなたが欲しい! あなたが欲しいぃいい!!」
鬼の体が変色しています。
血鬼術なのでしょうか。陶器のように白かった肌が一瞬にして黒く染まって行きます。
「あなたの目玉、あなたの髪の毛、あなたの皮膚。兎ちゃん兎ちゃん私の私の私の私の、愛してる、愛してる!!」
半狂乱になって叫びちらす鬼に、白い刀を構える夫。
それでも一瞬こちらを気にして声をかけてくれます。
「桜花、怪我は!!? してるね!! ごめん!!」
大丈夫です、と答えます。
そして、早くここを去らなくては、とも。
兎さんは桜花と霙さんを気にして全力を出せていません。
なんとか霙さんを連れてここを離れないと。
そしてなにより。
「お前だな。お前が桜花にあんなことしやがったんだよな、間違いないな。じゃあ死ねよ。死ね。すぐに死ね今すぐ死ね」
「うふふふぅ、怒っちゃってぇ、かわぁいい。あぁあ、いい匂いがするぅ」
練り上げられた闘気。
二人の間に走る殺気。
この空気だけで、桜花たちは死んでしまうかもしれないから。
だから、今は背を向けないと。
「桜花」
顔をこちらに向けることもせず、兎さんは私に声を掛けました。
「いくつか言っとくことがある」
「まずは霙さんに。あなたがそんなになるまで戦ってくれたおかげで、間に合った。ありがとう、と伝えてくれ」
「もうすぐしの、胡蝶ちゃんがやってくる。二人はそこで手当てを。宇随君と杏寿朗に応援要請もしてあるから、オレの事は心配ない」
「それと」
「明日の朝飯は、沢庵とてんぷらが食べたい」
なんでもないように言って兎さんは過愚夜に向かって行きました。
霙さんを担いだ桜花はその戦いの余波に吹き飛ばされるような形で撤退しながら、声を掛けました。
信じてます。信じていますとも。
茄子の天ぷらが良いですかね。
沢庵もたくさん用意します。
だから、かならず帰ってきて。
あなた。
大正コソコソ噂話(偽)
一方其の頃。
「もー、兎君、早いんだから! 全然追いつけないわ、どきどきしちゃう!!」
「諦めるな! 甘露寺殿!! これも鍛錬の形かもしれない!!」
「地味に喋ってる暇があるならさっさと走れ!! 何のために合わせてやってると思ってんだ!!」
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
十二支 兎は 月を砕く。
煉獄 杏寿朗:うむ!! 兎殿は強く、桜花殿も強い!! オレは心を燃やして生きることと、かならず生きて帰らなくてはならないことを教わった!!
甘露寺 蜜璃:兎くんと桜花ちゃんね! 理想の夫婦だわ! 見てるだけで胸がたかなっちゃう! 桜花ちゃんなんて、二人で遊ぶときにはいっつも兎くんの話ばっかり(どこからか飛んできた桜餅で、蜜璃さんのお口はふさがりました)
大正○○年 ▲月●日
霙さんを抱えて桜花が走って行った。
それを背後に感じながら、改めて目の前の鬼を見る。
「兎ちゃあああぁあああん、あーそーびーましょー?」
そう言って黒く染まった体を扇情的に捻って見せる鬼。
階級は上弦。序列は零。
正直な話、冗談じゃねぇ、と言いたい。
だって、零て。
鬼の階級は、壱から陸。
いまから何代か前の柱が命がけで持ち帰った情報だ。
零なんて聞いたこともない。
壱より強いかはわからない。陸より弱いのかもわからない。
でも、この鬼は俺より強いだろう。
戦えばオレもただでは済まない。
顔中傷だらけになっていた。
着物に踏みつけにされた跡があった。
両手が震えていた。
『大丈夫です』
大丈夫なものか。
また刀を振らせて。
それのどこが大丈夫だ。
腹が立つ。腹が立つ。
目の前の鬼に腹が立つ。
守れなかった自分に腹が立つ。
桜花に嘘をつかせた自分を、殺してやりたい。
おい、鬼。
「あぁん、いけずぅ。そんな呼び方は嫌よォ、過愚夜って呼んでぇ」
どうでもいいし、お前の事なんてオレは知らん。先に断わっとくぞ。
今のオレは、お前が怖くないから。死にたくなければ死ぬ気で避けろ。
『子』 の呼吸。
『鼠惨死鬼(ねずみざんしき)』
高速の足さばき。
オレの姿は鬼から見て二人分。
同様に繰り返す。
二人は四人に。
四人は八人に。
八人は一六人に。
子の呼吸だけ使うなら、あと二回分は増やせる。
けど、初手から出し惜しみをするような相手じゃない。
今すぐ殺す。
重ねて二刻。
『虎』の呼吸。
『肆虎・肆填(しこ・しでん)』
オレは、否。オレ達は同時に斬撃を叩き込む。
その数、一人につき四本。
虎の呼吸は斬撃を増やし、一本の刀で瞬時に四回相手を斬る。
これを補助呼吸の『子』と合わせて使うと、分身したままで各自が斬撃を放てるので、一六かけることの四で、鬼に叩き込まれる斬撃は――六四本。
この技で手傷の1つでも負ってくれれば、そのまま追撃で頸を狙えるかもしれない。
六四本の斬撃が鬼を狙う。
対して鬼は何もしない。
確実に叩き込むために、オレはさらに接近する。
頸だ、頸を狙え。
それが無理なら両腕か、両足か。
攻撃の手段を少しでも削がなければ。
近づく。
近づく。
近づく。
鬼の表情が見えた。
嗤っている。
鬼の口元が、かすかに動いた。
血鬼術 『御石の鉢・大嘘』
その瞬間、鬼に振り下ろした刃が思い切り弾かれる。
痛い、痛い。
手がしびれる。まるで鋼に斬りかかった時のように。
鬼を見ると、楽しそうに、本当にたのしそうにこちらを見て嗤っている。
「兎ちゃぁん、だめよぉ、様子見なんてぇ。それにぃ、酷いぃ。私を知らないなんて嘘までついてェ」
嘘じゃねぇよ! 本当にどちら様ですかッ!?
「だからぁ、過愚夜だってばぁ」
なお、知らん!! これ以上女難を持ち込もうとするな!!
話しながらも、何とか後ろに飛んで距離を離す。
あのまま、弾かれた刀と一緒に両腕を挙げていては、恐らく急所にまともに貰っていた。
とりあえず、なんとか射程から離れないと。
「射程から、離れよう。なんてぇ考えたァ?」
血鬼術 『子安貝・絶望』
次の瞬間、オレの立っていた地面がばっくりと裂けた。
信じられない。目の前の鬼が、『地面を割っている』。
ひび割れた地面の根元は鬼の拳。
オレの体は意思に反し、重力に従い、落下を開始する。
やばいやばいやばいやばい。
こわいこわいこわいこわい。
穴の底が見えない。何処まで落とすつもりかもわからない。
だからこそ、このまま落ち続けるのは絶対に不味い。
とっさにオレは日輪刀を岸壁に突き刺した。
宇随君が聞いたら喜びそうな派手な音を立てて日輪刀が岸壁を削り始める。
それに伴ってオレの落下速度が低下し始めた。
だが、やはり刀。
こんな使い方をしては、刃が耐えられない。
止まるが先か。
折れるが先か。
結論を言うなら、オレはそのどちらの結末も待つ必要が無かった。
「あははははははぁ!! まってまってまってよぉ、兎ちゃぁああああんんん!!」
倒すべき鬼が、わざわざ飛び込んできたからだ。
いや、何してんだテメェ!?
「うふふ、うふふふ、ひらめいたのよォ。叩き落とした後ぉ、ひらめいたのォ!ここは日の光なんて届かない、その内月光も絶えて真っ暗になる!あは、ここならずっと一緒に居られるわァ!」
ヤバいよ、本格的にやばい鬼だよ。
ごめんなさい!! お前は好みではありません!!
「はずかしがってぇ、もぉ」
頭痛がしてくる。
しかし、状況は悪くなる一方だ。
刻一刻とオレは地上から遠ざかって行く。
日輪刀を抜いて応戦すれば、当然落下速度が上がる。
そもそも、どこまで深くこの鬼が地面を割ったのかはわからない。
速度が上がった瞬間岩盤に大激突、ぎゃあ、なんて展開も十二分にあり得る。
ん? 岩盤に激突?
ああ、嫌だな。
すごく嫌な作戦思いついた。
たぶんものすごく痛い。
嫌だな、ホントやりたくない。
『だから、必ず帰ってきて』
そうだよな。
嫁さんが天ぷらと沢庵作って待ってる。
これで帰らなかったら、嘘だ。
覚悟は決まった。
あとは実行するだけ。
「あははははは、次の見てェ、兎ちゃん、私はこんな事も出来るのよォ!!」
ああ、そうだよな。
そんな簡単に実行させてくれるわけがない。
めきめき、と鬼の背中から音がする。
べごん、と音を立て、生えてきたのは、真っ赤に染められた、羽衣のような形をした皮膚だった。
血鬼術 『天羽・忘失』
その羽衣が、ぐんと加速し、槍となってオレの左肩を貫いた。
口から叫びが漏れる。
鬼がそれを見て、笑いと涎を口からこぼした。
「ああ、やっぱり綺麗! なんて美しい赤!! 舐める!! 飲む!! 私はあなたの血が欲しい!!」
くそ、この変態鬼め。と、毒づいた。
日輪刀を引き抜いて、構える。
今、オレと鬼はつながった状態。まずはこれを斬って
「もっともっと見せて!!」
ぐん、とオレの体が持ち上げられた。
うそだろ。
俺達今落ちてんだぞ、どんな力で引っ張ってんだ。
「もっともっと、もっぉぉぉぉぉぉとぉ、みせてぇええええ!!」
そのまま、円の動きでオレを振り回した鬼は。
岩盤にオレを叩きつけた。
めっちゃ痛い。
体中から血が噴き出た。
「愛してる!! 愛してる!! 愛してる!!」
狂ったように鬼が叫ぶ。
否。
鬼は、鬼になった瞬間から狂いだすのだ。
記憶を失い、身内を喰らい。
果ては塵となって消える。
血だらけの身体でオレは考えた。
ああ、岩盤に叩きつけられた。
砕けた岩が、俺たちと落下し始めた。
どうせやるなら、自分で機会を計りたかった。
なぁ、鬼。
「あらぁ、なぁに。遺言?」
まさか。
ただの、『礼』だよ。
『足場』をくれてありがとう。
『未』の呼吸。
『羊数歌(ひつじかぞえうた)』
きぃん、きぃん、きぃん、と音がする。
この呼吸は、オレを強化しない。
ただ、オレの心臓を一定の拍で動かして、オレの体がそれに合わせて刀を鳴らすだけ。
あと必要なのは、言葉。
羊が一匹。 羊が二匹。 羊が三匹。
「? なぁに・・そ・・れ・・・」
羊が四匹。羊が五匹。羊が六匹。
「だ・・からぁ・・・さ・・っき・・・か・・ッ!?」
鬼は何かに気付いたように耳を塞ぐ。
しかして残念。
もう、遅い。
未の呼吸は、鬼の細胞を眠らせる。
「力が・・ぬ・・け・・・・」
肉羽衣の拘束が緩んだ。
好機だ。
オレは思い切り羽衣を肩から引き抜いた。
どばっ! と血が出た。
痛い痛い、マジで痛い!
耐えろオレ! 耐えろオレ!!
可愛い桜花を思い出せ。
明日も可愛い桜花に会う為に!!
今は頑張れ、十二支 兎!!
落下してくる岩の破片を足場に、一気に鬼との距離を詰める。
まだ奴はまどろんでいる。
最後の一歩で、思い切り呼吸をする。
そしてそのまま、日輪刀を上に突き上げる形で鬼の頸に突き立てた。
「ぐぎっ!!」
鬼から苦痛の声が漏れた。
だけど、まだだ。
この呼吸なら、上がれる。
上に、上に!
もっと上に!!
足場にした岩を、思い切り踏み抜く。
瞬間、オレに出せる最高速の速度で、俺たちの体が真上に飛んでいく。
口の奥から叫びが漏れる。
オレは日輪刀を握りしめる。みしみしと、嫌な音がした。
かまうな。今は構っている暇はない。
「うざぎぢゃん・・は、はなじで・・!」
意識が戻りつつあるようだ。
オレは今までさんざんやってくれた意趣返しも込めて、返事をした。
嫌だね。月まで付き合え。
そして俺達は地上に飛び出した。
月がだいぶ西の空に傾いている。
夜明けは近い。
地上からさらに上空に向け上昇した。
沈みゆく月が背後に見える位置に来て、ようやく勢いが止まる。
「っ!? ッ!!」
鬼が何やら焦っている。
さすがに聡い。
そう、オレ達はいま空に居る。
じゃあこの後、日輪刀が突き刺さった状態のお前ごと、オレはどうすると思う?
答えが現象となって現れる。
勢いが死んだ俺達の身体は、重力に引っ張られて、上昇したときよりもはやい速度で落下を始める。
オレは思い切り力を込めて日輪刀を下に向けた。
今から堕ちる地上に、目の前の鬼を縫い付けるように。
「う、うさぎちゃんぅ!! は、離して離して、離してぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
うるせぇ!! このまま地面に叩きつけて終いだ!
よく覚えとけよ!!
これが、これが!!
桜花の受けた痛みだと思えこの野郎!!
全集中・『卯』の呼吸!
『月砕(つきくだき)』!!
そして、オレ達は地面に激突した。
大正コソコソ噂話(偽)
今回の激闘を他所に、剣士候補のみんなは修行に励んでいるよ。
特に元水柱の鱗滝さんの所には、『2人』剣士候補が修行をつけてもらってるんだって!!
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
十二支 兎は 声を聴く。
十二支 桜花:お恥ずかしい話、私、泳げないんです。
十二支 兎 :桜花と一緒に居られないこと。
十二支 桜花:兎さん、嘘はいけませんよ?
十二支 兎 :ほ、ホントだよ、桜花。
十二支 桜花:あっ!! あんなところに幽霊が!
十二支 兎 :ぎぃいいいいいいいいやぁあああああああああああああッ!? ど、どこッ!? 何処にいるのぉ!? いやいなくて結構ですけど!!
十二支 桜花:よしよし、怖くない。怖くない。
土煙が晴れていく。
自分が衝撃の中心に居ることを自覚しながら、肩から全身から大量に失血していくのを感じながら、刀の先を見る。
確実に捉えた。捕えてもいた。
手ごたえもあった。
確実に地面に叩きつけたはずだ。頸も無事では済まないだろう。
ではなぜだろうか。
オレの日輪刀の先に、地面しかないのは。
「あはははははははっはっ!! すごいすごいすごいぃ!!」
おいおい。
嘘だろう?嘘だと言ってよ。
鬼は、オレの刀身から逃れていた。
振り返れば、一糸まとわぬ姿で後ろに立っている。
どうやって抜けた。そう簡単な技じゃないんだけど。
「ううん、抜けてないわァ。このままじゃ死んじゃいそうだったからぁ、一度体を捨てることにしたのぉ」
その言葉を聞いて、刀身を見る。
純白の刃に、転々と残る灰色。
身体を・・灰にしたってのか。
「すごいでしょぉ? 『火鼠皮衣・未練』って言う血鬼術よぉ、うふ、うふふふふふぅ!!」
鬼と言うのは、これだから嫌だ。
生物が越えられない、越えてはならない『死』の境界を、遊び半分で踏み越える。
ヤバい。
身体中が痛い。
日輪刀って、こんなに重かったか?
「あははぁ。どうするの? どうするのぉ? 兎ちゃぁああん? 次はどんなのみせてくれるのぉ?」
簡単に言いやがる。
人の技を曲芸みたいに。
身体が動かない。
死ぬかもしれない。
そんな時にうってつけの呼吸がある。
曰く、『死ぬまで戦い、死後、刀となる呼吸』
それは呼吸と言えるのだろうか。
かつてオレはそんな風に思ったものだ。
そして、あの呼吸はオレの使える呼吸の中でも最も危険で最も強い。
故に、禁手の十二番。
これだから嫌なんだ。
これだから、柱なんてさっさとやめたいんだ。
痛いし、怖いし、辛いし。
『兎殿!! 見てくれ!! 炎の呼吸に、玖ノ型を作ってみたのだが!!』
『すまない。十二支・・さん。あんな無茶苦茶を稽古と呼ぶのはやめてくれないか』
『十二支ィ! テメェ、サボってないでさっさと鬼を殺しにいけェ!!』
『あの・・姉さんの事、どう思ってるんですか? い、いえ!! なんでも!!』
『おい見てみろ地味派手兎!! 俺のネズミの装飾を! 派手派手だろ!!』
『業柱様、奥様とはどういったなれ初めで? いえ、私も女ですから、気になってしまうんですよ』
『兎君!! ねェ聞いて聞いて酷いのよ!! 私はお茶に誘っただけなのに! 結婚を前提にしたかっただけなのに!! ぜん、って言い掛けたところで逃げられたの!!』
『兎さん。見てください。月がきれいですよ。はい、お団子』
『来年も、その次の年も。一緒に月を見ましょうね』
なにより、守らなきゃならない物が多すぎる。
「なになになになになにぃ? 次は何を見せてくれるのォ?」
そんなに見たいか。
じゃあ、見せてやる。
桜花にあんなことしやがって。
怒りは人を動かす原動力。
昔、冨岡君にそう教えたなァ。
行くぞ。
後悔したって、もう遅い。
全集中・『亥』の呼吸。
『だめよ』
『私ね、兎がすっごく怖がりだけど、誰かのためにすっごく頑張れること、知ってるよ。寂しがりなのも知ってるし・・・あの子の事が本気で好きなのも、知ってるよ』
『それに、時々すっごく無茶をしちゃうのも知ってる』
『でも、それはだめ』
『帰るって約束したんでしょ? じゃあ、ちゃんと天ぷらと沢庵食べに帰らなきゃ。私の親友との約束、破ったら許さないから』
『私は、兎と桜花が笑ってる姿を見るの、好きだなぁ』
誰かの声がする。
いや、覚えている。
この、声は。
『それに、もう無茶する必要なんてないじゃない』
『あなたは、独りじゃないんだから』
炎の呼吸・伍ノ型 『炎虎』!
音の呼吸・伍ノ型 『鳴弦奏々』!
恋の呼吸・壱ノ型 『初恋のわななき』!
突如、三様の攻撃が鬼を襲った。
灼熱の炎獣が。
騒がしい斬撃が。
しなるような連撃が。
一斉に鬼に襲い掛かる。
「・・・なぁに? アンタ達」
そして、それをすべて体で受け、なお平然と立つ鬼の瞳に一瞬で冷徹な光が宿る。
「炎柱! 煉獄 杏寿朗だ!!そしてこちらがオレの愉快な仲間たち!!」
「あ、名乗っちゃうのね煉獄さん。場違いだわでもそこが素敵だわ!」
「地味派手兎!! 死ぬんじゃねぇぞ!! コイツラの保護者だろ!! さっさとこの立ち位置俺様と変われ! お願いだから!!」
ああ、もう休んでてもよさそうだ。
オレよりよほど強い柱が、三人も来てくれた。
ってか蜜璃。お前もきたの?
「・・・ちっ」
鬼が東の空を見て舌打ちをする。
見ると、空が白み始めていた。夜明けが近い。
「ここまでかしらァ。全く、ゴミ共の所為で楽しい時間を無駄にしちゃった」
そう言って、鬼はこちらを振り返る。
一瞬で、三人の横をすり抜けて、俺の目の前に。
「っ! 兎君、逃げてぇ!!」
解ってる、解ってるよ蜜璃!!
でもオレの出血量考えて! 呼吸で止めてこれなの、限界なの!
「最後にぃぃいぃ、あははははっ!!」
まずい!! 血鬼術が来る!! 回避が間に合わないっ!!
そして焦るオレの顔を見て、鬼は嗤いながら。
頬に、ちゅ、と音がして、冷たく、柔らかい物が当てられた。
・・・・・ゑ?
「もういちどぉ、覚えてねぇ、兎ちゃんぅう。わぁたぁしぃ、過・愚・夜。またぁ、会いに来るからねぇぇ?」
・・・あ、はい。
そして、鬼は姿を消した。
「・・・・・・・」
宇随君と蜜璃が、すさまじく憐憫を含んだ顔でオレを見ている。
「兎殿! これは桜花殿に黙っておいた方がいいだろうか!」
ぜひ、そうしてください。
そう言って俺は、意識を手放した。
なんだか、あの声の主にも、怒られている気がした。
花は咲き、そして散る。
されど種子はその場に残し、また散るまで花を咲かせることとなる。
終らぬ絶望、潰えぬ希望。
これこそまさに、胡蝶の夢。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
十二支 兎は 入院する。
十二支 兎 :危ないときは即撤退。桜花は正義かわいいかわいい。
十二支 桜花:酒はのんでものまれるな。兎さんに心配をかけないこと。
十二支 兎は 入院する。
大正○○年 ▲月 ☆日。
結論を言うと、生きてた。
骨が何本か折れていた。
肩も砕けた。
出血量も人間としてギリギリだった。
でもまぁ、生きてた。
蝶屋敷で治療を受けながら、生きていることに感謝する。
いや、ほんと今回はダメかもしれないと思った。
あんなに強い鬼とは戦ったことがない。
いや、いままで強敵との戦いをこっそり避けていたツケが回ってきた、と言われればそれまでなのだが。
蝶屋敷。
胡蝶しのぶちゃんがすむ屋敷。薬学にも精通した彼女は、自らの屋敷を傷ついた隊士たちの診療所として開放している。
彼女は初めて鬼に効く毒を作った、言うなら天才。
胡蝶ちゃんからしたら、人間の治療などお茶の子さいさいなのかもしれない。
・・・なんか俺の周り才能ある奴多くない?
天才が畑になってるような状況なんだけど。
なぜこれでオレは柱をやめてはならないのか。
もういいじゃん。
上弦とはいえ、鬼にここまでやられるオレは役に立たないかと存じますお館様。
さて、このようにめでたく入院患者となったオレ、十二支 兎。
もう気分は最低、毎日地獄、なんて思われるかもしれないが。
実はそうでもない。
むしろずっとこのままで居たい。
痛い、いや居たい。
何故かと言うと。
「兎さん、痛いところは無いですか? 大丈夫ですか?」
天使が常に世話をやいてくれるからだ。
こうなった事には原因がある。
桜花は、俺たちの中で最も軽症だった。
そも、戦闘らしい戦闘をしていなかったのだが、それでも上弦の鬼に踏みつぶされていたので、オレも心配していた。
なんとかかすり傷ですみ、調べたところ踏まれた頭蓋骨にも異常なし。
良かった、本当に良かった。
って、いいわけあるか。
桜花を戦わせたこと、桜花に日輪刀を握らせたことを、オレは深く恥じ入った。
桜花に好きなだけ打ってくれ、殴ってくれと頭を下げた。
何が夫だ。情けない。
そんなオレを見た桜花は、オレの寝台の横までやって来て。
オレと同じように、深々と頭を下げた。
桜花、何してるんだ。
「兎さん。桜花は、兎さんに謝りたいんです」
「桜花を助けるために、霙さんは意識が戻らない程の重症を負いました。多くの隊士が亡くなってしまいました」
「桜花は、もっと早くに刀を取るべきだったかもしれません」
「それに、桜花はその後あの鬼・・・過愚夜に情けないほど完封されました。この両手さえ万全だったなら、全盛期だったなら、犠牲は最小限で済んだのに」
「叱ってください、兎さん。桜花は家を守れず、家族を死なせた。妻として、失格です」
頭を下げ続ける桜花を見る。
オレはゆっくりと彼女に近づき、そして。
ゆっくりと、オレの寝台に引き寄せた。
「う、兎さん!? だ、ダメです! 傷に触ります!!」
うん、めっちゃ痛い。
でもやっぱり。
桜花が痛がってる事の方が気になるからさ。
「・・・・」
桜花は何も言わない。
オレは言葉をつづけた。
オレの痛みは、桜花が誰よりも解ってくれる。
桜花の痛みは、オレが誰より解ってる。
だからさ、分け合おう。
たくさんの命が消えた。
たくさんの魂が消えた。
だから、この痛みは消さないように。
二人で分け合おう。
俺達は、夫婦なんだから、桜花。
しばらくは、オレ達の泣き声だけが、広い病室に響いていた。
その後、桜花は涙を拭き、甲斐甲斐しくオレの世話をやき始めた。
もちろん治療は胡蝶ちゃんや看護婦の子たちにやってもらっていたが、食事の支度などは率先して桜花がしてくれている。
「兎さん、痛いところは無いですか?」
まだすこし傷が痛むかな、と答える。
どうせ強がってもばれるし、この場でそれをすることに意味があるとも思えなかった。
すると桜花はオレの手を握ってこう語りかけた。
「大丈夫ですよ、よしよし。大丈夫」
ごめんなさい。
不謹慎にも、怪我して良かったと思いました。
大正○○年 ▲月 ❤日
入院していればいろいろと問題も発生する。
オレの場合思い切り肩を貫かれているので、匙が持てても左腕で椀がもてない。
桜花に椀を持ってもらおうか、でも食事の粥は熱いしなぁ。
なんて考えていると、それを察したのか、桜花は椀を右手で持った。
桜花が火傷しない内に早く食べてしまおう。
そうおもって、匙を手に取ろうとするが、見当たらない。
見ると、匙は桜花の左手に。
あ、あのさ桜花。飯食べたいんだけど。
なんでそんなに紅くなってんの?
顔を伏せていた桜花は、やがて意を決したように匙に粥をいれ、ふー、ふーと息を吹きかけた。そしてそれをオレに向け、消え入りそうな声でこう言った。
「あ、あーん・・・」
桜花、御免ね。
せっかく作ってくれたんだろうけど。
味がわかんねェ。
大正○○年 ▲月★日
今日はとても喜ばしいことがあった。
霙さんの意識が戻ったのだ。
オレも病室から出て桜花と共に彼女に会いに行った。
彼女は包帯ぐるぐる巻きでいつぞやの潜入任務を思い出した。
胡蝶ちゃん曰く結構ぎりぎりの状態だったらしく、まだあまり興奮させてはいけないとのこと。
病室に入ってまずしたことはお礼だった。
桜花も一応オレの言伝を伝えてくれていたそうだが、そのときすでに彼女に意識が無かった。だから、改めて、という形だ。
そしてそれを黙って聞いていた霙さんは。
桜花からお礼と謝罪を聞いた時、最初に。
口もとの包帯を思い切りほどいて。
「奥様!! ホントに何考えてんですかァ!!」
桜花に対して烈火のごとく怒りだした。
名前、『氷』柱 霙なのに。
杏寿朗より熱く怒りだした。
「屋敷から逃げてくださいと言ったでしょう!? 伝令の鎹鴉にもちゃんとそう伝えるよう言ったはずです!! 竹林の罠で時間は稼げるはずだったのに、なんで外側に居たのアンタァ!!」
「は、はい、ご、ごめんなさい」
「挙句鬼との戦いに割って入って!! 十二鬼月ですよ!? 下弦の肆とか言ってましたよ!? 死にたいんですか、ああん!?」
「ご、ごめんなさ」
「なぁにが、日輪刀借りますね? ですか!!馬鹿なんですか? 馬鹿ですよこの馬鹿!! ええ!?」
「ご、ごめんなさぁい・・ぐすっ」
ヤバい、泣きそう。桜花泣きそう。
ここは夫として妻を守らなければ。
霙さん、いくらなんでもいいすぎじゃあ
「煩い黙ってそこに座れェ!! 二人ともだ!!」
オレは無力だ。
そして俺達はそれから日が傾くまでずっと、年上のお姉さんの説教を聞き続けた。
「大体業柱さまは奥様を甘やかしすぎです。玄関先で抱き着くわ、悪いことをしても強く責めないわ!! そういう教育は将来お二人の御子にさえ悪影響です!! ・・・照れてんじゃないわよ!! そういう甘い空間を私の前で出すな!! ああそうさ27歳さ!! 独り身ですよ彼氏いないですよ婿欲しいですよ!! でもこの年で交際したことなし!! 言え!! 私の悪いところを言ってみろ!!あああるわいっぱいあるわ!! これは驚きね!! はははははは、笑えよ、笑ってみろよ、笑えぇぇぇ!!」
真面目に重症患者の人が、それはもう怒って泣いていた。
いろんな意味で決して笑えない光景だった。
そして長い説教と愚痴と慟哭の時間が終わり。
解放された俺達がフラフラと霙さんの部屋を出ようとすると。
「・・・・業柱様。すこし残っていただいてもよろしいですか」
若干興奮しすぎで失血した霙さんがオレに声をかけた。
桜花に先に戻ってもらい(真っ白になっていたので、生返事でふらふらと廊下に消えた)、
霙さんの傍に戻る。
「私は蟲柱様の診断を受けました・・・。結論として、剣士として復帰するのは難しいそうです」
霙さんはオレの事を真っ直ぐ見つめて言った。
自分の口で話した事実に、しかしてその瞳は少しもぶれていなかった。
「普通に暮らすことはできますが・・。足の腱がズタズタに裂かれているそうです。これでは育手になることも難しいかと。もうしわけありません」
そう言った霙さんは本当に申し訳なさそうだった。
「氷柱家はかつて、柱を輩出したこともある、代々鬼殺に生きる一族です。刀が握れなくなった以上、私の剣士としての役目は終わりました。そうなると、しなくてはならないことがあります」
私の隣の薬棚をあけてください、という霙さんに従って棚を開け、中を見る。
そこには、一本の髪飾りが置いてあった。山茶花を模したそれは、透明の硝子でできていて、素人目のオレから見てもとても美しいものだった。
「それはかつて柱になった氷柱家の人間が付けていたもの。柱になった者だけが、それを付けることを許されます」
「私には終ぞ、それを付けることは叶いませんでした」
「業柱様、もしよろしければなのですが、それを私の妹に届けてはいただけないでしょうか? 妹も鬼殺隊士になるため、どこかで育手の育成を受けている筈です」
なんだかすごい一族だ、と思った。
柱になるのに、驚くほど積極的。
あのさ、そんなにいいもんじゃないよ、柱なんて。
「長い付き合いですからね。あなたのそういう『残酷さ』にも慣れてきましたよ。それで、引きうけて頂けますか?」
もちろん。
それぐらいならお安い御用。
そう答えると、霙さんは安心したように微笑んだ。
「よかった。・・・最後までお役に立てず、申し訳ありません」
強い人だと思う。
俺なんかより、よほど柱にふさわしいと思う。
彼女の言う事は、何時も正確でオレの支えにもなった。
でも、1つだけ間違えている。
霙さん。
なんどもいうけど。
あなたがいなければオレは間に合わなかったかもしれない。
あなたが血だらけで戦ってくれたおかげで
オレはまた妻に会うことが出来た。
ありがとう。
ありがとう。
あなたがいてくれて、良かった。
それだけ言って、オレは病室を出た。
後ろで、雫が落ちる音がしたけれど、聞こえなかったことにした。
預けられた髪飾りを見る。
この山茶花の花のように、美しく強い人だよな。
そんな人の妹も、きっと清く強い子なのだろう。
会うのが楽しみだ。
そして、蝶屋敷から遠く離れた場所にて。
そこには年中通して深い霧の立ち込める山がある。
名を狭霧山。
水柱、冨岡義勇がかつて修練に励んだ山であり、元水柱、鱗滝左近次が若き剣士を育てる山でもある。
その霧深き山の中腹で、一組の少年少女が楽しげに話をしていた。
「ごめんな、白雪(しらゆき)。いつも助けてもらってばかりで」
少年の名は、竈門 炭治朗(かまど たんじろう)。約半年前のある日、家族を惨殺され、1人生き残った妹は凶暴な人食い鬼に変えられた。妹をもとに戻すため、地獄のような修練に耐える、真っ直ぐな少年。
「あははー、気にしない気にしない、ボクは炭治朗より早く刀を持ったんだから、これくらい当たり前だよー」
もう1人の少女は、『水色』の髪をしていた。姉のそれより短いそれは、深い霧の中にあってもよく映える美しい色だった。おなじく水色の瞳は面白げに目の前の少年を見つめている。上半身と下半身がわかれた着流しは、この酸素が薄く、湿度の高い山に合うのか合わないのか、彼女の腹部を全く隠していない。どこか、扇情的な服装だった。
「それでも、こうして一緒に修行してくれているのは心強いよ。1人だったらくじけていたかもしれないし、白雪の指導が無かったらこんなに早く鱗滝さんに刀の稽古をつけてもらえなかった」
「すっごい褒めるね炭治朗。いい人って言われるでしょー? でも残念、ボクを口説くには足りないなぁ」
「ああ、そんなつもりはないよ、大丈夫!」
「まっすぐそんなこと言っちゃだめだよー。ボクは気にしないケド、将来刺されちゃうかもよー」
「? そうなのか。ごめん」
「いいよいいよー。あ、炭治朗、それでお願いなんだけどー」
「? なんだ?」
「ボク何時になったら禰豆子ちゃんの手を握って添い寝して触って頭撫でてぎゅーってしていいのー?」
「ええ? そ、そうだなぁ。禰豆子はまだ起きないし・・・。でも、目が覚めたら仲良くしてやってくれないか。きっと女の子の友達がいた方が禰豆子もよろこぶだろうし」
「ほんとにー? 嬉しいなぁ、ボクも早く禰豆子ちゃんと『お友達』になりたいよ・・じゅるり」
「? 白雪、よだれが出てるぞ。そんなにお腹が減ったのなら、今日のオレのおかず一品たべていいからな?」
少女の名は、『氷柱 白雪(つらら しらゆき)』。
後に最強の柱と邂逅を果たす、いろんな意味で予想を裏切る少女である。
大正コソコソ噂話(偽)
白雪ちゃんの趣味はお裁縫。
着流しも自作なんだって。
おしゃれがしたいかららしいよ。
「だってー。オシャレしてないと女の子とお茶出来ないしー。自分が作った服を可愛い女の子が着てくれるとおもうとさー。 うふふふ」
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
番外編其ノ肆 十二支夫婦は 星に願う。
流るる帯に
君想ふ。
大正○○年 七月七日。
今日は七月七日。七夕だ。
業屋敷から見える夜空は、雲一つなく美しい。
そこには、星の海があった。
真っ黒の絵の具の上に、たくさんの白、赤。
とても高い位置にある筈なのに、温かい光に包まれている気になって、オレは柄にもなく空に向かってほほえんでいた。
桜花、来てみなよ。
「・・はい、どうかしましたか? 兎さん」
屋敷の奥からパタパタとやってきた桜花を見て、にっ、と笑って見せる。
空を指さして、そっちを見るように誘導した。
つられて顔を上にあげた桜花の瞳に、満点の星空と、天の川が写り込んだ。
「まぁ・・・!」
嬉しそうに、本当に嬉しそうに桜花が微笑む。
綺麗です、すごく。
そう言って桜花はオレの隣に座った。
短冊でも用意しておけば良かったかな。
「そうですね。こんなに綺麗な星空なら、なんでも願いが叶いそうです」
ためしに言うだけ言ってみるか、願い事。
「え? ここでですか?」
そうそう、どうせ頼むだけならタダなんだし。
「えっと。そのぉ」
なんだよ、そんなにやましい願い事でもあんのかい?
「そ、そんなんじゃありませんよ! ただ、その・・万一誰かに聞かれたりでもしたら」
恥ずかしくて、と顔を逸らす桜花。
・・・確かに、否定はできない。
大概こういう時にはいつもいつもジャマが入る。
杏寿朗とか、隠の方とか。あと杏寿朗とか杏寿朗とか。
許すまじ炎柱。
そうだ、いいことを思いついた。
桜花、ちょっとこっちに来て。
「? なんですか? 兎さ、きゃ!?」
そこまで桜花が言ったところで、オレは桜花の体を思い切り抱き寄せ、持ち上げる。
もちろん、乱暴にはしない。
足を右手で、胴を左手で支える。
これなら、安定して桜花を抱きかかえられる。
桜花は、突然の事に驚いた様子だったが、やがて恐る恐るオレの首に手をまわして、しっかりと捕まった。
じゃ、行くか。
足に力を込めて、オレは高く、跳躍した。
桜花に負担がかからないように、優しく飛ぶ。
そしてそのまま、屋敷の屋根の上に、ゆっくりと着地した。
これ、すごく難しい技術。あとで桜花にそれを教えてほめられたい。
桜花、空がさっきより近くなったぞ。
桜花が、ゆっくりと空を見る。
うん、やっぱり星は二人で見た方がきれいだな。
それを教えてくれたアイツは、もういないけど。
それでも、届けられたものはきっとある。
なぁ桜花。ここなら星とオレ以外、誰も聞いてない。
ここなら言えるだろ?
桜花の願い事。
それを聞いて桜花はすこし頬を紅に染める。
「わ、笑いませんか?」
笑う訳ないだろ。蜜璃じゃあるまいし。
「えっと、その・・」
桜花はよほど恥ずかしかったのか、誰も見ていないのにもかかわらずひっそりと、オレの耳元まで口を寄せて囁いた。
「う、兎さんと、もっと近くで、ずっと一緒に居たい・・」
思わずにやけてしまったオレは悪くないと思う。
「あ、あーッ! わ、笑いましたね!! 笑わないって言ったのにー!!」
憤慨したように腕の中で暴れる桜花。
可愛い。
どうしよう。
オレの嫁がこんなにも可愛い。
可愛いなぁ。なんだか意味わかんないくらい可愛い。
桜花、ありがとう。
オレの願いも聞いてくれるか?
すると桜花は不思議そうにオレを見つめた。
なぁ、天の川よ。
満点の星空よ。
今から言う事、誰にも言うなよな。
50年後の桜花が、オレの隣で笑ってくれていますように。
『桜花、桜花!』
『何ですか、カナエ。私は早く鬼を斬りに行きたいのですが』
『何言ってるの。今日は七夕よ、今日くらい星を見て過ごさなきゃ!』
『? しかし、星を見ても鬼の弱点は・・・』
『もー、今日はそういうのいいんだってば! あ、兎! 兎もいっしょに星をみましょう!』
『星・・。そういえば、しっかり見たことないけど。急にどうしたんだよ』
『もー、兎も桜花も浪漫ってものが足りないわ。ね、そんなんじゃいつまでたっても結婚相手も見つからないわよー?』
『『ほっといてくれ!(ください!!)』』
『わぁ、仲良しね二人とも。いいなぁ、二人が仲良くしてると絵になるわ』
『勘違いしないでください、私は十二支さんの強さに興味があるだけですから』
『う・・面と向かって言われると、堪えるもんがあるなぁ』
『大丈夫よ兎、桜花は照れてるだけだもん』
『カナエーーーーッ!!』
『そうなの? だとしたらやばいよ、ときめきとめられない』
『心臓ごと止めてください! まったく、こんなことが一体何の役に立つと・・』
『桜花、兎。見てみて。空』
『『うわぁ・・・綺麗』』
『ふふ、やっぱり息ぴったり。お似合いよ、二人とも』
『ッ!? か、からかわないでくださいカナエ!』
『そうだぞ。桜花さんほど綺麗な人なら、きっといい人が見つかるよ。オレみたいに弱い奴とそんな噂がたったら失礼じゃないか・・・痛い!!な、なにするの、桜花さん!! なんで鞘で叩いてくんの!?』
『あなたって人は、あなたって人は!! 人の気も知らないで!!』
『なんのこと・・痛い痛い!! 今年入って一番の痛みかも!!』
『ふふ、兎はいつも直球にモノ言うんだから。桜花ももっと素直になればいいのに。そうしたら、すぐにでも』
『カナエもいい加減にしなさい!!』
『えー?』
『兎、やっぱり桜花が好きなんだね。うんうん、それならこれからもカナエさんが頑張って二人を応援してあげようね。 桜花は可愛いもの、可愛い子は幸せにならなきゃ。
・・・はぁ。大分無理したかなぁ』
『大丈夫。大丈夫。 私は桜花の親友だもの。応援できるよ。うん。応援できる!
うん、うん・・・うんッ・・・なに? しのぶ。え? な、泣いてないわよ、あはは』
大正コソコソ噂話(偽)
氷柱 霙の願い事。
「彼氏彼氏彼氏、高身長、男前、剣術達者、高収入!!」
氷柱 白雪の願い事。
「可愛い女の子がボクの事を好きになってくれますように」
過愚夜の願い事
「兎ちゃんぅ、兎ちゃんぅ....うふふふふふぅ」
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
十二支 兎は 不幸に出会う。
十二支 兎 :胡蝶 カナエ。アイツには結局、何もしてやれなかったけど。
十二支 桜花:胡蝶 カナエです。幸福は兎さんにもらったけど、心はカナエにもらいました。
大正○○年 !月●日
あの戦いから三週間が経った。
肩の傷も、全身の裂傷も、折れた骨もほとんど治りつつある。
あと一週間もすれば退院できそう。
その旨を、胡蝶ちゃんが話してくれた。
舌打ちしながら。
可笑しいな、オレは治療を受けに来たはずなんだけど。
どんどん傷が増えていきます。
「何はともあれ、さっさと治して出ていってくださいね」
おい、トドメ刺そうとしないでくれ。
「ああ、それと。私はしばらくあなたの治療から離れます。もうほとんど治っていますから、あとはお出ししたお薬を欠かさず飲んでください」
あれ? 胡蝶ちゃんなんかやることでもできたの?
「私も柱ですよ。忙しいのは当たり前じゃないですか。相変わらず考えが足りませんね」
そう言って、胡蝶ちゃんはオレの病室を出て行った。
ふぅむ。
いくらオレの事が嫌いだからと言っても、胡蝶ちゃんは責任感の強い子だ。
その彼女が治りかけとはいえ、患者の治療を途中で切り上げる、というのも妙な話。
口を開いて、空気の味を確認した。
ここは療養所、さまざまな味が口に流れ込む。おえ。
血、薬、薬膳、布団、恐怖、涙、涙、薬、血、血、涙。
妙だ。
いつも口に入ってくる味よりも、血の味が濃い。
なにやらあわただしい気配もするし。
なるほど、急患がいるのか。
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
そう気付いた瞬間、屋敷の何処からか叫びが聞こえた。
びっくりした。すげぇびっくりした。
外を見ると、日がちょうど真上に昇ろうとしている。
まずいな、そろそろ桜花が来る。
こんな状況では、桜花も安心できないだろう。
もしかしたら・・・。
「ご、ごめんなさい、兎さん。なんだか忙しそうですし、今日はもう帰りますね」
よし、黙らせてやる。
「いやぁ! いやああああああああああああッ!!」
病室から出て廊下を進む。
とにかく声のする方へと進んだ。
ややあって、1つの扉の前にたどり着いた。
思い切り、立入禁止って書いてある。
時には、規律に反する事も必要だろう。
おじゃましまーす。
扉を引いて、中に入る。
ちゃんとあいさつも忘れない。これ大切。礼儀。
「! うさ、業柱。何をしているんですか。さっさと出て行ってください」
そうはいっても胡蝶ちゃん。こんなにうるさいとさぁ、ゆっくり休むこともままならないよ?
「今は治療中です。あなたのように気配の強い者がそばにいると、彼女の心に触ります」
彼女?
胡蝶ちゃんの背後を見る。そこには1人の少女が頭を抱えてうずくまっていた。
隊服を着ている。鬼殺隊士のようだった。
表情は良く見えない。
だが、ぶつぶつと何かをずっと呟いている。
「鬼、鬼が・・! 鬼が来るッ・・!」
鬼? 鬼の味なんてどこにもしないのに。
「みんなぁ、鬼、鬼ッ!?」
「大丈夫です、落ち着いて。もうここに鬼はいませんよ」
「皆が、刀、折れて、頭、先輩の頭が、飛んでッ」
「大丈夫ですよ、大丈夫」
うずくまった少女は半狂乱になりながら何かに怯え続ける。
胡蝶ちゃんの言葉も届いていないようだった。
近くにいた見習いちゃんに事情を聴く。
半狂乱になっていた彼女の名前は、アオイ。最終選別を抜け、癸の鬼殺隊士になったばかりらしい。
彼女は指令を受け、初めての鬼狩りに向かった。同伴したのは辛の剣士。癸の二つ上。彼女は他の癸隊士と共に、彼について鬼狩りに向かった。
恐らく彼女は息まいていただろう。初めての任務。選別を越え、日輪刀を与えられ。
初めて自らの力で人を救えると。
だが、待っていたのは残酷な現実だった。
現れたのは報告とは違う鬼。十二鬼月、下弦の陸。
オレが追っていた下弦の肆には劣るものの、辛、癸の隊士からすれば充分な脅威だ。
それでも彼女は諦めなかった。すぐに柱に増援要請、さらに辛の隊士にも負けない程手際よく撤退しつつ交戦を試みた。その判断は何ひとつ間違っていなかったと言えるだろう。
ただ計算違いだったのは、彼女たちは自分が認識していたほど強くはなかったと言う事。
胡蝶ちゃんが知らせを受け急行したとき、そこに居たのは下弦の陸の鬼。
そして、樹木に埋め込まれ、仲間たちが1人1人嬲られる様を見せられ続けたアオイの姿だった。
胡蝶ちゃんによって下弦の陸は倒されたものの、アオイの受けた精神的傷害は計り知れない。
もしかしたら、もう二度と前線にはたてないかもしれない。
それが、胡蝶ちゃんの見解らしかった。
結局、オレにできることなどなく、桜花の為に叫びを止めることも叶わず、オレはとぼとぼと病室に戻った。
布団を頭まで被り、考える。
アオイに起こった出来事は、決して他人事などではない。
オレも、俺達柱も死ぬときはあっけなく死ぬ。
鬼殺の剣士は鬼の天敵であると同時に、鬼に対し地の力で大きく劣る。
一度劣勢に立たされれば、そこから持ち直せなければ一気に嬲られる。
オレは弱い、弱いまま柱になった。
この先も生き残っていけるのか。
過愚夜は実質、無傷でオレとの戦いから生還した。
またアイツが襲ってきたとき、オレはアイツの頸をとれるのだろうか。
そんなことばかりが、頭に浮かぶ。
しばらくして、病室の戸が叩かれる。
失礼、といって入って来たのは桜花と、相変わらず暑苦しいアイツだった。
「おお! 兎殿!! 元気そうで何よりだ!!」
どこを見たらそんなセリフが出んの、杏寿朗。
「すまない!! オレとしても早く見舞いに来たかったのだが、何分立て続けに任務が入ってしまってな! よもやよもやだ!! すまない!!」
いいよ、気にしてないから。
「煉獄さんとはさきほど道でばったり。どうしても兎さんのお見舞いに来たいとおっしゃりまして。ここまでお連れしたんです」
そっか、ありがと。
「・・兎さん、何かあったんですか?」
・・・どうやら、相変わらずオレは隠し事が下手なようだった。
オレは先程であったアオイという少女の話を二人に話して聞かせた。二人はうぅむ、とその話を聞いてくれた。まず、口を開いたのは桜花だった。
「哀しい事ですけれど、そう言ったこと自体は決して珍しい事ではありません。恐怖と言う感情はどうしたって切り離せない、人間の特権ですから」
だから、気にしなくてもいいんですよ?
そんな言葉を、暗にかけてくれているのだと言うことを感じ取って、嬉しくなる。
桜花はオレの弱さを肯定してくれる。それは他の人間が決してしてくれないことだから、なんだかとても嬉しくなる。
次に杏寿朗が口を開いた。
「よし!! その子とオレが話をしよう!!」
なんでそうなる。
「なに! 後輩が困っているのなら助けるのが柱の役目だ!! さぁ行くぞ!! 兎殿、桜花殿!!」
そういって杏寿朗はオレの襟をつかんで布団から引っ張り出した。
ひどい、情け容赦がない。治りかけとはいえオレは重症なんだけども。
杏寿朗、痛い、すごく痛い。
離すんだ、今すぐ襟を離すんだ。
「そうか!わかった!!」
よし、それでいいんだ。
そして杏寿朗、そう言う事なら俺達よりも適任がいる。
「む! 誰だ!?」
そしてオレはアオイちゃんをオレよりばりばり重症患者の霙さんの所に連れて行った。
「・・・業柱様。事情は分かりました。が、なぜ私なのですか?」
何となく、相性よさそうだなぁ、と思って。
「そうですね、すくなくとも私たちよりは適任です。お願いします、霙さん」
「まぁ、奥様もそうおっしゃるのでしたら。それでは私はしばらく彼女とお話をしてみますので」
「俺も同席しよう!!」
良いから行くぞ、杏寿朗。
「む、しかし・・」
この問題にオレ達が介入する余地なんてないよ。
結局、アオイちゃんが乗り越えなくちゃならない問題だ。
そのための一押しをするには、オレ達じゃ力加減が利かないだろ。
霙さんが適任だ、杏寿朗。
「そうか! わかった、兎殿がいうならそうなのだろう!オレはこのまま帰る!」
やけに素直だな。どうした?
「なに! 俺にとっては兎殿がそう言った、という事実が大切なのだ!!あなたがそう言ったのなら、きっとそれは正しい事だと俺は信じている!!」
・・・あ、そう。
「兎さん、そんなに照れなくてもいいのに」
くすくす、と桜花が笑う。可愛い。
そして俺達はアオイちゃんを霙さんに任せて各々やるべきことに取り掛かった。
桜花はオレの食事を用意しに。
杏寿朗は鴉より伝令を受け次の任務に。
そしてオレはアオイちゃんを勝手に霙さんに預けたことを胡蝶ちゃんにこっぴどく叱られに。
ただ、結果的にこの選択は間違っていなかったことを、後にオレは知ることになる。
大正○○年 ↓月 ●日
やがて傷の完治したオレは、霙さんに頼まれていた妹探しを任務の間にこなすことにした。ちなみに傷の治りが速すぎる、ということで隠の皆さまが盛大に引いていらした。すげぇ引いてた。いとやるせなし。
でもって、問題が1つ。
氷柱家は代々13歳で育手の元に修行に向かう。その修行第一段階と言うのが、なんと水も食料も持たず、刀一本で育手の元にたどり着くという過酷すぎて泣けるもの。霙さん、あなた。苦労してたんだなァ。さらに、氷柱家の人間には育手についての事前情報がほとんど与えられない。つまり下手をすれば誰とも出会えずに、修行に入る前に死んでしまう。
霙さん。あなた、怒っていいと思うなァ。
つまり、妹さんがどの育手の元に向かったのかがさっぱりわからないのである。
知っている育手を片端から回るしかない。
それも任務の合間に。根気求められすぎかよ。
そんなことを考えながら、育手を探す。
安請け合いしたもんだなぁ、でもオレ達にとって恩人の頼みだしなァ。
桜花の弁当を持って、岩に座る。辺り一面草原。奥に見える崖の近くに大きな木があるだけ。時刻は昼。
まぁ、この状況なら鬼も出ないだろ。
そう思って弁当箱の蓋を開けた。
沢庵はもちろんの事、煮豆、昆布、梅干しなど、長旅に備えた献立。
いいなぁ、愛情だなぁ。
箸を動かし、弁当をにこにこ食べていると。
背後に気配を感じた。
振り返ると、草原の向こうに見えた木に向かって、1人の少年が走ってくるのが見えた。
「死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ!! 絶対死んじゃうってこれ以上は!!」
なんだかものすごい後ろ向きなこと言いながら走ってくる。黒い髪に黄色の羽織の彼は、その内せっせと木を登り始めた。
その後しばらく経って、またも草原の向こうから人影が。杖をついた老人だ。空気の味が只者ではないと告げている。熟練者だ。何の熟練者かはわからないが、もしかしたら昔お抱えの役人だったとかかなぁ。
やがて老人は木の天辺に昇った少年と口論を始めた。孫を叱っているのだろうか。
だがまぁ、これ以上桜花のお弁当を味わう楽しみを失う訳にはいかない。
そう思って、次々おかずに手を付ける。
最後に残るのは特製の沢庵。ああ、至福だ。至福のひと時。
せっかくだから全身で喜びを表現してみるかな。
あっはっは、万歳!!
そうやって馬鹿な俺が馬鹿な行為に浸っていた瞬間だった。
ピカッ!! ドォン!!
轟音が辺りに響いた。直後、後ろから叫び声と暴風、箸からこぼれる沢庵を空中で口の中に入れながら、地面を転がるオレ。
痛い、一体何が!?
そう思って音がした方を振り返ると、さっきまで生き生きとしていた木が黒焦げになっていた。
さっきの音と加味して考えると、雷がおちた、と考えるのが妥当か。
恐ろしい話だ。こんなに快晴なのに。
この辺りに一本だけ生えた木に落雷が落ちるなんて・・・。
ちょっと待って。
あの木、さっき少年が1人登ってなかった?
「善逸―――――――――――――ッ!?」
名も知らぬ少年―――――――――――ッ!?
余りにも不幸なその最期に、オレも思わず叫んでいた。
大正コソコソ噂話(偽)
炭治朗
「そういえば白雪はここに来る前何をしてたんだ?」
白雪
「んー? ボクはねー。ネズミを食べたり、田んぼの水を飲んだりしながら過ごしてたよー。ここまでくるのもたいへんでさー」
炭治朗
「そうか・・そうか・・・(ホロリ)」
白雪
「? 炭治朗ー? どうしたの? なんで泣いてるのー?」
炭治朗
「今日のおかずのタラの芽。白雪にあげるよ」
白雪
「ほんとー? 炭治朗だいすきー、男の子の中ではだけどー」
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
十二支 兎と 強靭な刃
十二支 兎 :いっぱいいるけどそうだなぁ。一番何考えてるのか解んないのは悲鳴嶼さんかなぁ。あの人、怖いし。
十二支 桜花:伊黒 小芭内さんです。時々私の方をじっと見つめてくるのですが・・何の御用なんでしょうか? すこし怖いです。
十二支 兎 :よし、アイツぶっ殺す。
大正○○年 !月●日。
落雷が直撃すると言う空前絶後の不運に見舞われた少年、我妻善逸(あがつま ぜんいつ)は、かろうじて生きていた。落雷の影響で、なぜか髪が黄色になっていたけれど。
そういえば蜜璃の奴は桜餅を食べすぎた所為で髪が桃色になったと教えてくれた。改めて、人間と言う生き物の仕組みを不思議に思う。
善逸君の保護者だと思っていた老人は、なんと彼の育手だった。善逸君を担いで老人の家に入り善逸くんを布団に寝かせた後、こちらの事情を話したうえで元柱だという彼から事の仔細を聞く。
なんでもこの隊士候補の善逸君。悪女に金を貢がされ、借金で首が回らなくなったところを老人に救われ、その引き換えに剣士としての修業を始めた。
だが、才能は確かなのだがいかんせん臆病で、稽古がきつくなるとすぐに死ぬといって泣きわめき、すこし目を離せばあっという間に逃げ出してしまうらしい。
「善逸は強い。間違いなく100年に1人の逸材だ。だがなぁ、こうも臆病では。毎回引き回す儂の身にもなれい」
本人がいやだって言ってるんですから、止めさせてあげればいいのに。
そういうと、老人は厳しげな顔立ちからは想像もできないほど柔和にほほえんだ。
「こやつはな、底抜けに馬鹿な男でな。儂が助けた時も、騙した女に文句の1つもいわん。修行にしてもそうだ。逃げ出した、泣きわめいた。だが、いちども誰かの所為にはしなかった。夜、皆が寝静まった後に必死に刀を振っているのを見たことがある。こやつはこやつなりに、弱い自分とずっと切り結んでいる。そんな真っ直ぐなこやつを見ているとなぁ。教えるのが楽しくなってくるのよ」
だから、これは儂のわがままだ。邪魔はさせんぞ、若造め。
そういって笑う老人を見て、オレもおかしくなって笑ってしまった。
その内もぞもぞと音がして、布団から善逸君が顔を出した。
「おお、善逸。気が付いたか、どうだ。気分は」
そして老人が声をかけた直後、善逸君は。
「あ゛―――――――――――ッ!? じじじじじじじじじじいちゃんんん!! オレ打たれたよ!! なんかすっごい痛い体中が痛いよ!! しんだしんだしんだ!! 絶対死んだよオレ!!うああああああ、こんなことならやっぱり修行なんてするんじゃなかった!! 俺なんかが頑張ったって意味ないよ!!死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ!! 黒焦げになって死ぬよ!! 黒焦げに・・・ぎゃああああああああッ!? 髪が、髪が黄色になってるぅぅ!? 病気だ!! 未知の病原菌だよきっとコレ!!」
すっごい汚い高音を発しながら泣きわめ始めた。
うるさい。赤子よりうるさいんだけど。
「落ち着け善逸!! お前は無事だ、なんとも」
「気休めはよしてくれじいちゃん!! 死んだんだよオレは死んだ!!もうおしまいだよ! オレじいちゃんの期待に応えたかったのに!」
ご老人、嬉しそうにしている場合じゃないと思うよ。
「・・・・あ゛ッ」
善逸くんがオレを見て固まった。普段見慣れない男の存在にここがこの世であると認識したか。
「あ゛――――――――ッ!? し、死神だァァ!! 不吉だもの!! 白い髪に赤い目って完全に死神だよ!! 最悪だよなんで男なんだよどうせなら可愛い女の子に看取られたかったよー!!」
初対面で失礼だね君は。オレは人間、十二支 兎。一応柱やってる。よろしく。
「嘘だー!! そうやってオレの魂を涅槃に持っていく気だろ! うわああああん!!」
ついに泣き出した。
なぁ少年、ちょっと落ち着けよ。ねえってば。
その後、なんとか善逸くんをなだめすかす。
飴をあげてみる。
震えながら受け取った彼を見ながら、オレは老人に改めて聞いてみた。
ご老人、ここに氷柱、という名字の女の子が来なかった?
「いや、ここには来ておらんよ。来ておったら善逸ももうすこし真面目に修練に励んでいただろう」
「酷いやじいちゃん」
「師範と呼べ。ここからだとそうさな・・。狭霧山が近い。元水柱の鱗滝がいる筈だ。そちらに向かってみてはどうか」
鱗滝。たしか冨岡くんの師範。そういえば約半年と少し前、冨岡君が1人の少年と人を庇った鬼を彼の元に送ったと言っていたような。
よし、ついでにその子の顔も拝んでくるか。そう思い、オレは礼を言って老人の家を出ようとした。
「少し待て、若き柱よ」
しようとした、ところで呼び止められた。なにさ? 飴ならもうないよ。善逸君にあげたのが最後。
「いや、折角来たんだ。1つ、儂の頼みを聞いてくれんか?」
最近頼みごとされてばっかだな、と思いつつ。オレは話だけでも聞いてみることにした。
そしてその頼みの内容を聞いた時。
善逸君の悲鳴が響き渡った。
そして、しばらくしてからのこと。
広い修練場に木刀を構えるオレの姿があった。
さぁ、いつでもどーぞ。
オレの向かい側には真剣を持つ少年、我妻善逸。
「無理だよ無理絶対無理。すげー強そうな音するもん、なんだよこれバケモンかよ」
老人に頼まれたのは、早い話が彼の愛弟子への剣術指南だった。
元柱の指導を受けられる隊士は稀有だが、現柱に剣術を見てもらえる機会に恵まれる剣士はもっと珍しい、とのことで、どうか少し見てやってくれないか、と頼まれたのだ。
まぁ、別段難しい事でもないし、本当の殺し合いという訳でもないのだ。オレは了承することにした。
困ったのは善逸君である。師範から聞いていた柱の強さに完全に委縮した彼は再び脱走を試みた。
それを3秒で捕縛すると、絶望の表情でオレを見上げてきた。複雑。
オレは柱の中で一番弱いからそんなに心配いらないよ?
優しく言葉をかけてみるが、もはや言葉を話すのも難しそうだった。
すると老人が善逸君を7、8発杖で殴り、そのまま縄でひきづって修練場に連れて行ってしまった。いくらなんでも殴り過ぎじゃない? 善逸君が逃げたくなるのも解る気がするわ。
そして、先ほどの状況にいたるのである。
まずは斬り込んできてご覧。大丈夫、怪我したりしないから。
その言葉に善逸君は震えながらも刀を構える。
なるほど、持ち方はしっかりとしているが、目が泳ぎ過ぎている。
自分に自信がない者の典型的なパターンだ。
「いいいいいいい、いくぞおおおお!!」
もはや焼け石に水。そんな鬼気迫る表情で、善逸君は大地を蹴った!!
ずるっと音がして、善逸君がひっくりかえった。
こけたのだ。
・・・・・・・・。
「・・・・」
老人は何も言わない。
いや、何か言ってください。
どうすればいいですか。善逸君動きませんよ。気を失ってますよ?
「何をしている」
そうそう。修練を付けるにも、まず善逸君を起こさないと。
「構えろ、柱の若造。『来るぞ』」
へ? 『来る』? 何が?
と、老人に問おうとした瞬間だった。
シイィィィィ・・・。
ドン!
何かが爆発したかのような音と共に、目の前が黄色に染まった。
おっと。
対応できない速さではない。
オレは即座にその物体を回避し、状況を確認する。
といっても、オレの相手は今善逸君しかいないのだから、突っ込んできたのは十中八九彼になる。しかし驚いた。これだけの実力があるなら、あんなにも怯える必要はないだろうに。いまだなんらかの呼吸法で刀を構える彼を見る。
・・・・あれ?
なんか、様子が変じゃないか?
そうこうしていると、善逸君がまたも居合の体勢に入る。
また飛び込んでくる気なのだろう。そう考えたオレは、手にもつ木刀を構えた。
呼吸を使えば、恐らく木刀の方が耐えられないので、普通に一発入れて確認してみるか。
そして、善逸君が足を力いっぱい踏み込んだ。
今度は、こけない。正しく力が入れられている。
『雷』の呼吸・壱ノ型 『霹靂一閃』
ドン! という、まるで彼の髪色を変えた落雷のような音と共に、善逸君が突っ込んでくる。
オレは身体を捻って、それを躱す。
刀の振り方には無駄がない。
震えなど微塵もない。
何より驚くべきは、彼がいまだ気絶したままだと言う事。
身体に染みついた鍛錬と、強い想いが、彼の意識を超えて体を動かしている。
彼が刀を振り切った、その隙。
木刀を彼の懐に叩き込みながら、オレは届くはずの無い言葉をかけていた。
善逸君。君は凄い。
はやく柱になってくれ。
オレは待っている。
もっと君は君を信じるべきだ。
大丈夫。
君の努力は、きっと無駄じゃない。
我妻善逸は、混濁する意識の中で考えていた。
かろうじて覚えているのは、あの死神のような姿をしながら、強く、何かを恐れるような音を立てている1人の男。十二支 兎と名乗っていただろうか。彼に無理やり修行を付けてもらうことになった事。いやだといったのに聞き入れてもらえなくて、本気で自分の師を恨んだこと。
緊張のあまり足を滑らせて、頭を思い切り打ちつけたこと。
そして気が付けば自分は修練場に倒れていて、あの兎と名乗った男は居なくなっていた。
一撃でやられるとは修行が足りん!
そういって鬼より鬼な師範に殴られながら、善逸は涙を流していた。
その涙が、いつものそれより静かなことに気付いた師範が、どうした、と善逸に尋ねた。
わかんないよ。
と彼は答えて。
そしてそのままこう続けた。
でも、なんだかずっと欲しかった言葉を、誰かに言ってもらえた気がする。
大正コソコソ噂話(偽)
十二支 兎の手紙
「お館様。将来有望な逸材を見つけました。我妻善逸という少年です。確かな才能を感じました。どうでしょう、ここはひとつ私と彼の立場を交換すると言うのは」
産屋敷 耀哉
「兎、まだ諦めて無かったのかい?」
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
十二支 兎は 誤解され絶望する。
氷柱 霙 :え? 白雪についてですか? そうですね。才能に溢れています。品行方正、才色兼備。まさに自慢の妹です。
十二支 兎:霙さん、なんか強めに洗脳でもされてんの?
大正○○年 !月 ■日
あの老人の家を後にしたオレは、そのまま真っ直ぐ教えられた狭霧山に向かった。
この山に住む育手の名前は、『鱗滝 左近次』。 元水柱。
鬼殺隊の柱にはかならず水柱が居るが、その中でも群を抜いて強かったという。
なんでもかつては相当修練を積んでいたのだとか。
…ほんの少し、彼の弟子になった剣士候補に同情する。どれだけ厳しい訓練をさせられていることやら。
そんなことを考えていると、山の麓に一軒の小屋が見えてきた。鱗滝さんの家だろうか。
というか、狭霧山。怖い。
ものすごく霧が深い上に、あれだけの標高になると、恐らく空気も薄い。
よくもまぁ、こんな山の近くに住めるものだ。
家の扉を数回たたく。
すいませーん、業柱ですけどもー!
普段はやめたいと思うが、業柱という立場はこういう時には便利である。
藤の家とか、育手の家とか。
いろいと説明する手間が省けるしね。
しかし、オレの問いかけに返事は帰ってこない。
どうやら留守だったようだ。
仕方ない、家の前で待たせてもらおうかな。
そう思い、地べたに座り込んだ。
何気に今回は長旅だ。さすがに疲れてきた。
ああ、桜花に逢いたい。
今頃何をしているんだろうか?
オレに会えなくて寂しくて、泣いてしまったりしていないだろうか?
なぁ、ねぎま。お前ひとっ走り桜花の所まで飛んで様子見てきてくれない?
「カァー!! 経費ノ無駄!! 体力ノ無駄!! ソンナ用件タチマチ御免!!」
焼き鳥にしてあぶるぞ、てめぇ。塩だ、なんと塩で焼いてやるぞ。
静かになったねぎまを見て、はぁ、と溜息をついた。
口の中に鬼の味が広がった。
オレは素早く立ち上がり、日輪刀を持つ。
近い。相当近い位置に鬼が居る。
なぜ今まで気付かなかったのか、職務怠慢だぞ、一応業柱。
そう自分を叱責してみたが、理由はすぐに分かった。
この味を発してる鬼からは、血の味がほとんどしない。
信じられないことだが、全くと言っていいほど人を喰っていないような。
そんな味だ。
いや、そんな馬鹿な。
鬼は人を喰わずにはいられないはずなのに。
もう一度、空気を吸い込んで味の発生源を探す。
…この、家の中。
最悪の状況を想定すべきかもしれない。
災厄による最悪の状況。
中に居る鬼に、鱗滝さんもその弟子も殺されている可能性だ。
家の引き戸を掴む。
頭の中で、突入する段取りを組む。
一、二、三で行こう。
一、二の・・・
まって。
どうしよう。この中の鬼が過愚夜並に強かったらどうしよう。
応援とか呼んだ方がいいかな。
うん、1人でなんでもできるなんて、おごっちゃあいけない。
よし、そうと決まればねぎま、ちょいと近くの柱の誰かと。
え? 一番近いの悲鳴嶼さん?
わかりました。行くよ。行けばいいんでしょ。
一、二の。
三――――。
オレは思い切り引き戸を開いて中に飛び込んだ。
日輪刀を構え辺りを警戒する。
人の気配はない。
荒らされた形跡もない。どうやらここで鬼が暴れた訳はなさそうだった。
が、鬼の味は一層濃くなっている。
素早く索敵し、ふと、囲炉裏のすぐそばに布団が敷いてあるのに気が付いた。
危ないなぁ。火事になるぞ。
と、その布団の枕部分に視線を持っていけば。
居た。
少女の鬼が、おもいきり爆睡している。
ゑ?
鬼って寝るの?
柱になって二年と少し。
新たな発見をしてしまった。
恐る恐る、鬼の顔を覗き込んでみる。
なんとも可愛らしい顔立ちだ。
すこし田舎娘臭いが、成長すれば美しくなるだろう。桜花には劣るけど。
桜花には劣るけども、うん、可愛い。
しかし、鬼は鬼だ。
いつ人を襲いだすとも限らない。ここで頸を斬っておくべきだろう。
無抵抗の鬼を斬るのは初めてかもしれない。なんとも嫌な初体験だ。
白い刃の切先を頸に向ける。
悪く思うなよ。お前の牙が桜花に向かう可能性も否定できない。
出会わなければ、無視できたのにな。
オレは憐憫にも似た感情を抱きながら、刃を首に振り下ろした。
「やめろ―――ッ!!」
ぐきぃ!!と音がして。
刃が首に届く寸前、オレの体は何か固いものにぶつかって吹き飛んだ。
痛ァ!? 腰に直撃したァ!!
そのまま俺は家の水がめに突っ込んだ。粉々になった瓶からはい出し、相手の姿を確認する。
少年だった。赤みがかった髪と、瞳。こういう特徴をなんというのだったか。たしか・・赫灼だったか。顔の左上にはやけどの跡がある。表情は敵意むき出し。怖い。
なんだろう、オレ何かしたかな。
ねぇ、火傷の少年。オレ何かしたかい? ねぇってば。
「白々しい!! オレの妹を斬る気だっただろう! 物盗りめ!!」
誤解だよ。オレはただ鬼を退治しようと・・・妹?
さっき鬼が寝ていた布団をみる。
さきほどの鬼は健在だ。そして気が付かなかったが、いつの間にかもう1人人間が入って来ている。
「うんうんー。こわかったねぇ、禰豆子ちゃん。大丈夫だよー、今日はボクが手と足と胸と顔とお尻を撫でながら一緒に寝てあげるからねー。よしよしー」
爆睡中の鬼に話しかけているのは、水色の髪の少女だった。なんだか寒そうな着流しを着ている。少女よ、背中とへそが丸出しだが、恥ずかしくないのかい。
っていうか、さっきからあの子表情がヤバいよ。
涎出てるよ、目が怪しく光ってるよ。
って言うかあの顔。あの髪色。まさかな。
火傷少年、あの娘先に止めた方が良くない?
「すまない白雪! オレは今この物盗り退治に忙しいからそのまま禰豆子を守っていてくれないか!!」
「了解ー。じゃあもっと近くで守らないとー・・・・・ぐへ、ぐへへへへへ」
おーい、火傷少年。
アイツ布団に入って行ったぞ。
守る気ないよ、だって常識すら守れてなさそうだもの。
「物盗りがオレの友達を馬鹿にするな!! 白雪は良い奴だ! 今だってああやって妹を守ってくれている! あなたも見習ってまじめに働いたらどうなんだ!」
本気? ねぇ。本気で言ってる? ねぇってば。
「大体恥ずかしくないのか! 眠っているだけの女の子を斬りつけにするなんて!」
・・・ねぇ、もしかしてさ。気付いてない?
君はここの家の主を知ってるかい?
「鱗滝さんがどうかしたのか?」
なるほど。じゃあ、鬼だって知ってるだろう?
少年、残酷なこと言うようだけれど。
君の妹は、もう人間じゃない。
人食い鬼だ。だから、オレはそれを退治しようと
「禰豆子は人を襲ったりしない!!」
・・・は?
「妹が鬼になったのは知ってる! もう半年も前の話だ! その間、誰も襲ってない!!」
・・・、半年前。
鬼になった妹。
鱗滝さんの知り合いの少年。
思い出すのは、半年前に鮭大根を家でご馳走したときの記憶。
『あの兄妹は、他とは違う。何となくだが、そう感じた。だから兄を、鱗滝さんのところへ・・・』
少年、冨岡義勇を知っているか?
その質問に少年は戸惑いながらも答えた。
「・・・半年前に、俺と妹をここに紹介してくれた人だ。あなたは・・冨岡さんの知り合いなのか?」
なるほど、なるほど。
どうすんだ冨岡君。これ、ばれたら真面目に不味いぞ。
とりあえず、目の前の少年の誤解を解かなくては。
火傷少年。悪かったね。
オレは冨岡義勇の同僚で、十二支 兎と言う。
すまないが、鱗滝さんを呼んできてくれないか。
話を聞きたいんだ。
信用できないなら、この刀は君に預ける。
どうかな。
そう言って、オレは日輪刀を鞘にしまい、少年に向かって投げ渡した。
少年はわたわたとそれを受け取った。
「そう言う事だったら。わかりました、鱗滝さんを呼んできます」
とまぁ、なんとも素直な少年はそう言って家を出て行った。
さて、あと1つ確かめたいことがある。
これはただの勘だ。髪色と顔から判断した、唯の勘。
お願いします、外れていますように。
おい、布団の中の変態少女。
「ハァ、ハァ。ハァー・・・んー? ボクのことー?」
おい。お前何息荒げてんの?
やばいよ? ほんとやばいよ?
布団の中で何してたの? 何触ってたの? その子ならびに兄の許可ちゃんととってるの?
「煩いおじさんだなー。もー」
おじッ・・!?
軽い衝撃を受けながらも、オレは意を決して問うた。
君の名字と、名前。あと姉がいるならその人の名前も教えろ。
「んー? ボクは氷柱 白雪。姉様の名前は氷柱 霙。姉様も可愛いんだー。あいたーい」
オレはその日、久しぶりに膝から崩れ落ちた。
遺伝子よ、仕事をしてくれよ。
大正コソコソ噂話(偽)
胡蝶 しのぶ
「ねぇねぇ、冨岡さん。私に何か隠してる事ありません? ねぇねぇ」
冨岡 義勇
「ない」
胡蝶 しのぶ
「ほんとですかぁ? じゃあなにか隠し事がばれたら私の言う事なんでもきいてくださいねぇ」
冨岡 義勇
「・・・・・」
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
十二支 兎は 語り聞かせる。
十二支 兎 :はっ!? えっ!? ちょ!? なっ!?
十二支 桜花:・・・・。
十二支 兎 :て、テメェなんてこというんだ!! とんでもねぇぞ!!
十二支 桜花:っ、あ、あの、兎さん!!
十二支 兎 :はい、黙らせるよ桜花! この質問かいた奴黙らせる!!
十二支 桜花:あ、あの…今晩、準備して待ってますから・・。早く帰ってきて、くださぃ、ね。
十二支 兎 :ごめんなさい。この質問、明日もう一回してください。
しばらく経って、火傷少年が男を一人連れて戻ってきた。
天狗だ。天狗がいる。
どういう事だよ、とお思いになるかもしれないが、鱗滝と名乗るその男。顔に常に天狗の面を付けているらしいのだ。そういえば、桜花の刀を打った刀鍛冶もなんだか奇妙な面を被った女だったと聞いている。
熟練者は面を被る習わしでもあるのだろうか。知らなかった。
桜花も実は昔お面被ってたりしたのかな。
たとえば…、猫の面とか。
「兎さん、おかえりなさい、にゃあ!」
うごふっ!?
「う、鱗滝さん! 大変です!! 十二支さんが鼻から血を吹きだして倒れました!!」
「放っておけ。手の施しようがない。そんな気がする」
「おじさーん。しっかりー。傷は深いよー?」
鱗滝さんに手ぬぐいを借りる。鼻の血を押えながら、ようやく話をする体制に入れた。
…しかしあのにゃんにゃん桜花は危険だ。脳内に封印しておこう。
さて、鱗滝さん。まずは自己紹介だ。
オレは十二支 兎。鬼殺隊の一員で、階級は柱。一応業柱って呼ばれてる。あなたの弟子、冨岡義勇くんとも面識がある。好きなものは妻と沢庵。
「業柱。そうか、お前が噂の」
どんな噂かとても気になるところではあるけれど。触れないぞ、触れてたまるか。
「鱗滝さん、柱ってなんですか?」
横から火傷の少年が口を挟んだ。鱗滝さんが、それに応える。
「鬼殺隊の隊士にはそれぞれ強さに応じた階級がある。下から、癸(みずのと)、壬(みずのえ)、辛(かのと)、庚(かのえ)、己(つちのと)、戊(つちのえ)、丁(ひのと)、丙(ひのえ)、乙(きのと)、甲(きのえ)。さらに甲隊士が鬼を五十匹狩る、もしくは十二鬼月という格段強い鬼を狩ることで、階級は最上の柱に上がる。目の前の男はその一人だ、炭治朗。馬鹿に見えるが、馬鹿でも柱だ」
どうも、馬鹿の柱です。でも嫁は可愛いよ。
「ぜひボクに紹介して」
ひっこんでろ変態。
「むー」
「俺の友達の悪口を言わないでください!」
…、火傷少年。悪い事は言わないから、あの娘はやめとけ。ねえ?
「やめない!」
「すまんが炭治朗、白雪。話が進まん。まずはこの男が何をしに来たのか確認しなければ」
「口を挟むのはやめます! ごめんなさい!」
火傷少年、炭治朗というのか。いい名前だね。
「ありがとうございます」
あ、そこは礼を言うんだ。良い子め。
さて、本題に入ろう。
鱗滝さん。オレはある人物に頼まれて、任務の合間にここに来た。でも、用があるのはあなたにではない。
「そうか。では誰に何の用だ」
…まことに遺憾ながら。そこの変態に大切な話がある。
「えー? ボク?」
氷柱 霙から預かりものだ。
「・・・・・」
白雪ちゃんはなにも言わなくなった。表情は変わらない。それでも、最悪の可能性を考えているのかもしれない。
自分の嘘を隠すことさえ出来ないオレに、彼女の本音が読み取れるはずなど無いのだろうけど。
「儂は席をはずそう」
そう言って鱗滝さんは家から出て行った。立ち入るべき話ではないと判断したのだろう。
残るは、炭治朗くんと眠ったままの鬼の少女。たしか、禰豆子ちゃんと言っただろうか。
ややあって、炭治朗くんが口を開いた。
「白雪」
「うん」
「大事な話なんだな」
「たぶんねー」
「だいじょうぶなのか?」
「…たぶんねー」
「そうか」
炭治朗くんが立ち上がる。そのまま出口に向かって歩き、そして戸に手を掛けながら白雪ちゃんに言葉を投げた。
「鱗滝さんと外で待ってる。全部終わったら、声をかけてくれ」
「わかったー」
「俺は、白雪が話したくないことは聞きたくないし、話したいことは全部聞いてあげたい。どっちに転んだとしても、俺と白雪は友達だからな」
「…うん」
「禰豆子も友達だ」
「そうだねー」
アレは友達同士のじゃれあいかい?という言葉は呑みこんだ。邪魔はしたくない。
「だから、待ってるよ、白雪」
「あははー、ありがとう、炭治朗」
そういって、炭治朗くんは家から出ていった。
良い友達だな、白雪ちゃん。
「あはは、そうだねー。いい奴過ぎていろいろ心配だけどー」
そうかい? しっかりした子じゃないか。
「心配だよー。すぐ人を信じるし、簡単な嘘にもひっかかるし、世間知らずだし、禰豆子ちゃんの事になるとすごく向う見ずになるし、身体をこわす勢いで修業するしー」
「だから、ボクがちゃんと見ててあげないとねー。その内炭治朗のこと好きになる可愛い女の子が泣いてるの、ボク見たくないしー」
…変態だなんだと言って、悪かったな。
さぁ、話そうか。覚悟はいいかい?
「・・・うん」
そしてオレは全てを話した。
霙さんが桜花を助けるために命を張った事。
鬼との戦いで、致命傷を負ったこと。
なんとか一命を取り留めたものの、二度と剣士としては立てないと言う事。
そして彼女が、自身の妹に一族の願いを託したと言う事。
そっ、と彼女の前に山茶花の髪飾りを差し出す。
白雪ちゃんはそれを手に取り、黙ってじっと見つめていた。
「ねぇ、十二支さーん。聞いてもいいー?」
何かな?
「お姉ちゃんは、ボクに何か言ってたー?」
具体的な言葉にはしなかったよ。
でもきっとかけたい言葉はあったんだと思う。
「そっかー」
オレはあくまで物を預かっただけだからね。
本当に聞きたいことは、生き残って聞きに行きなよ。
「あはは、それもそっかー」
そう言って彼女は髪飾りを懐にしまった。
泣きはしない。
けれどアレは笑ったふりにも見える。
俺にはわからない。
『お願いですッ・・! お願いですから、今、あなたの口から姉さんの名前を出さないでくださいっ!』
女の子の笑ったふりを止めさせる方法がわからない。
話は終わった。
あの髪飾りをどうするか、ここから先どう生きるか、どう強くなるか。
それは彼女次第。
やがて来る最終選別。必死に修行を積んだ剣士候補。それぞれが決意を胸に刀を持って藤襲山(ふじかさねやま)に集まる。
家族の為に。仲間の為に。名誉の為に。自分の為に。
そんな決意を持った候補たちの、その大半が命を落とす場所。
それが最終選別。
それが鬼殺隊。
そこで生き残れるかは、彼女次第。いや、彼女たち次第だ。
やがて、夜が来た。
鱗滝さんの家には寝息が三つ。
きっちりと布団に入って眠る炭治朗くん。
今朝方オレが斬りかかった時から微動だにしていない鬼の禰豆子ちゃん。
ちゃっかり禰豆子ちゃんに抱き着いて眠る白雪ちゃん。なんて怖いもの知らずな。
そういえば先程炭治朗くんと何か話していたようだが、何の話をしていたのだろうか。
まぁ、それはそれとして、だ。
今起きているのは二人。囲炉裏を挟んで向かい合う。
さぁ、鱗滝さん。
あそこで眠る『鬼』について。
オレを納得させてみろ。
大正コソコソ噂話(偽)
家から出てきたボクに、炭治朗は微笑むだけで詳しい事は何も聞かなかった。
ただ一言
「だいじょうぶか?」
と、さっきと同じ質問をしてきただけ。
「ちょっときついなー」
なんてすこし本音を出してしまえば、炭治朗はボクに近づいて、水色の髪を優しく撫でてくれた。
「あはは、ボクに気があるのかいー?」
なんて茶化すと、炭治朗は
「ああ、ごめん。オレの妹に花子ってのがいたんだけど…。甘えん坊の癖に強がりでさ。なかなかわがままを言ってくれないんだ。そういう時、こうやって頭を撫でてやると、嬉しそうに笑ってたんだ。…なんだか、白雪が欲しい物を我慢してるときの花子に見えてしまって。変だな、ごめんな」
といって、寂しそうに笑った。
ボクたちは我慢してばっかりだな。と、思ったけれど。それを言えば炭治朗は壊れてしまう気がしたから。
口には出さない。だけど、我慢できないものもある。
ごめんね、炭治朗。ボクはこれでも女の子だからさ。
すこし、弱くなっちゃうときもある。
とすっ、と顔を炭治朗の胸にうずめた。
「し、白雪!? どうした! お腹が痛いのか!?」
そんな訳ないだろ。馬鹿だなぁ。
お姉ちゃん、頑張ったんだねぇ。痛かったよね。
もう、刀が振るえないなんて。人を鬼から救えないなんて。
悔しいね。
「炭治朗、服がさー、焦げ臭いよー。目が痛いなぁ、涙がでそうだ」
炭治朗は何も言わない。嘘の臭いも、炭治朗にはわかるのかな。
「ほんとは可愛い女の子の胸元に飛び込みたいけどさー。今日は炭治朗で我慢だねー」
「そうか、ごめんな。禰豆子が起きたら、思い切り一緒にあそんでいいからな」
「あはは、その言葉、忘れるなよー、炭治朗」
そして僕たちは互いに、どちらともなく、ぽつりとつぶやいた。
「「強くなろう、一緒に」」
そして遠く離れた蝶屋敷にて。
「いや、私死んでませんからね!?」
「ど、どうしたんですか、霙姉さん」
「え? あ、ああ、ごめんなさいアオイ。なんだかいろんな勘違いを与えそうな会話をされているような、とても先を行かれたような・・そんな気がして」
「?」
炭治朗くんと白雪ちゃんはとっても仲良しだよ!
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
十二支 兎は 理由を聞く。
十二支 兎 :桜色だよ。蜜璃、お前の色じゃねぇ。
十二支 桜花:白色です。純白、とも言えますね。…蜜璃さん、なにをにやにやしてるんですか?
大正○○年 !月■日
オレは鱗滝さんの家で、囲炉裏を挟んで彼と向かい合う。
問いかける、言葉で相手に斬りかかる。
鱗滝左近次さん。元水柱。
かつてあなたに救われた命が大勢ある。
かつてあなたに斬られた鬼もごまんといる。
そんなあなたが、なぜ鬼をかくまっている?
鱗滝さんは答えない。天狗の面をしているせいで表情も解らない。
考えも解らない。理由も解らない。
教えてくれよ、どうしてあの鬼が特別なんだ。
ややあって、彼は口を開いた。開く口も見えないけれど。
「特別だと判断したのは儂ではない。義勇だ」
冨岡君が、特別と判断した。それだけで、この人は?
「鬼を誰よりも憎んでいる筈の義勇が、初めて鬼を生かすと言った。儂は、それを尊重し炭治朗を試した。まぁ、女を1人連れていたのには驚いたが」
白雪ちゃんか。初めから一緒だったのかな。
「詳しい事は知らん。だが、義勇と別れた後訪れた山で出会ったそうだ。白雪は斬りかかったあと一緒に食事をしたと言っていた」
どんな関係? 新しい形の友情? いや新しすぎるよ。
「義勇がどうしてあの子たちを儂の所に送ったのか。その理由の全てを、儂はまだ知らん。だが二人とも妹、友達という理由で鬼を庇い、鬼という理由で妹を排斥しようとはしなかった。炭治朗だけならともかく、白雪も当たり前のように受け入れている」
氷柱家は代々鬼殺の一族。鬼は斬るもの、殺すもの。
彼女にもきっとその教えは息づいているだろう。
その彼女が、出会って数か月の彼ら兄妹を受け入れている訳か。
「試してみれば、炭治朗にはあきらめない真っ直ぐな気持ちが、白雪には確かな才がある。それに伴う根性もな」
…鱗滝さん、あなた親ばかって言われたことない?
「そんなことあるものか。儂は死なせた。自分の子供たちを、もう何人も」
鱗滝さんは囲炉裏の火を見つめている。相変わらず表情は解らない。
もう黙ってしまいそうな雰囲気だ。
でも、まだ聞いてないぞ。
肝心なことを聞いてない。
鱗滝さん。教えてくれ。鬼を生かした理由を。冨岡くんがどうとか、そう言う理由じゃなく。
あなたが生かすに足ると判断した理由が、オレは聞きたい。
あなたの選んだ、あなたの理由が聞きたい。
「儂は、見たくないだけだ。もう、亡骸になって帰ってくる子供を見たくないだけだ。もし、お前が妹の頸を狩ることを容認したとしたら、炭治朗は死んでしまう。妹が死ねば、炭治朗は生き残ったとしても死ぬ。儂は、それが嫌なだけだ」
布団で眠る炭治朗くんをみる。
修練や、オレとの騒動で疲れていたのだろう。完全に爆睡している。
っていうか今更だけど祝言もまだの男女が隣り合って眠るんじゃないよ。
炭治朗くんか。
冨岡くんに鱗滝さん、白雪ちゃん。皆が君の話をするとき、言葉に優しい味を含ませる。
みんなが君を巻き込んで、巻き込まれて、一日一日影響を受けていく。
君が輝けば皆が笑い、君が陰れば皆が泣く。
日輪のようだね、君は。
仕方がない、弟分が生かした君だ。
オレも君に巻き込まれてみようか。
鱗滝さん。
「なんだ?」
冨岡君は元気にやってます。次来るときは、彼も引っ張ってきますから。
「妹の頸を斬らないのか?」
オレは鬼の頸を斬りたいわけじゃないんですよ。
ただ、毎日無事に過ごせるならそれでいいんです。
それに、彼女の頸を斬ったらオレ、みんなに嫌われちゃいそうで。
特に、亡くなった友達に。
そういってオレは席を立つ。
どうせすぐにねぎまが騒ぎ出す。そもそも髪飾りを白雪ちゃんに渡した段階でオレの仕事は終わってるんだ。長居するのも申し訳ない。
戸を開けて出ていこうとするオレに後ろから声がかかった。
「すまない、ありがとう」
今だ夜は深い。
けれど必ず、また朝は来る。
大正○○年 !月△日。
とまぁそんな諸々を終わらせ、鬼狩りの仕事も6件ほど片付けたオレは久々に業屋敷に戻ってきた。そろそろ『例の計画』を動かさなければ。お館様の返事もいただけたことだし。
というのは、今どうでもいい。どうでもいいったらどうでもいい!
桜花ぁ、ただいまぁ!!
「はい、お帰りなさい。兎さん」
料理をしていたらしい割烹着姿の桜花がぱたぱたと現れた。
あぁー、これ! これだよこれ!!
ここんとこやれ任務だの頼まれごとだの多すぎて全然ゆっくりできなかったからなぁ。
もうしらんぞ、オレはこれ以上知らん。
あと数日は桜花と二人で過ごすんだ。
今日からここは聖域だ、誰も入ってくんじゃねぇ!!
桜花、俺疲れたよ桜花。
「よしよし、よく頑張りましたね、兎さん。今日は美味しいお野菜が手に入りましたから、煮物を作りましたよ」
やべぇ、もうなんか。やべぇ。
食卓に座って食事をする。
里芋と蓮根の煮物。濃い味噌だれの味付けが実にオレ好み。
任務の間、桜花の弁当を食べ終わってしまえば、都合よく藤の家に寄れでもしない限り中々美味しい食事にはありつけない。だからこそ、帰って来たとき桜花の料理は本当に美味しく感じる。これは元々美味しいものがさらにおいしくなると言う意味だ。
「兎さん、どうですか? 美味しいですか?」
桜花がすこし心配そうに聞いて来る。
馬鹿だな、俺が桜花の料理を不味いなんて言う訳ないのに。
美味しいよ、桜花。
「そうですか。えへへ、良かったです」
はにかんで笑う桜花。知ってるかみんな。鼻血は気合で隠せる。
ところで桜花、留守中変わったことはあったかい?
「変わった事ですか…。うーん、そうですねぇ。…あ、そういえば冨岡さんが来ましたよ。なんでも育手の皆さんを訪ね歩いてるって聞いて慌てて来たみたいです。そうそう、もし途中で帰ってきたら鱗滝さんの所へは行かないで欲しい、と」
そうか。残念だったな冨岡。君の不正事実はすでに暴いているのだ。
「? そういえば兎さん。どうして育手の皆さんを訪ねて回っていたのですか?」
…まぁ、今の桜花になら話しても問題ないか。
オレは一部始終を桜花に語って聞かせた。
霙さんからの頼み。
善逸くん、炭治朗くん、白雪ちゃんとの出会い。
そして、鬼になった炭治朗くんの妹、禰豆子ちゃんのこと。
「冨岡さんが、鬼をかくまっていた、と言う事になるのでしょうか」
まぁ、結果的にはそうなるね。
そんでもって、現状オレも同罪になる。
なぁ、桜花。オレは間違っていたかな。
桜花はオレを真っ直ぐ見つめたまま答えない。
オレは言葉をつづけた。
冨岡くんの言葉を信じるなら、禰豆子ちゃんは飢餓状態にあっても人を喰わなかった。
でも、これからもそうであると言う保証はどこにもない。
明日にでも目覚めて、炭治朗くんや白雪ちゃんに襲い掛かるかもしれない。
そうなったら、彼らを殺したのはオレだ。
考え込むオレを見つめていた桜花が、やがてゆっくりと立ち上がった。
オレの方にまっすぐ歩いて来て、そして。
自分の腕の中に、オレの顔を抱き寄せた。
桜花?
温もりを感じながら、声を掛ける。
やべぇ、桜花の心臓の音が聞こえる。とくん、とくん。
「兎さんは、明日炭治朗くんたちが喰われてしまうと思いますか?」
そんなことはない、と思う。
オレはそう、あいまいに答えた。
「じゃあ、桜花は大丈夫だと思いますよ?」
桜花はそう、はっきりと答えた。
「兎さんが大丈夫と信じたのなら、桜花も信じます。私は十二支 桜花。あなたの妻ですから」
そういって、ぎゅ、とまた抱きしめられる。
とくん、とくん、とくん。
さっきより、音が大きい。
でも、これがばれたらオレ、どうなるか解らないよ。お館様のことだから悪いようにはならないとおもうけど。
それでも不死川辺りがなんて言ってくるか。
「そうなったら、やっと柱、辞められますね。大丈夫、兎さんに文句を言う人がいたら、桜花が引っぱたいてあげますよ」
ははは、それは怖いね。
ありがとう、桜花。
「いえ、桜花は妻ですからね」
そういって笑う桜花。
ああ、これ言うべきなんだろうな。
恥ずかしがるかも。引っぱたかれることも覚悟しなきゃだけども。
あの、さ。桜花。
「? はい、なんですか?」
その、さ。抱きしめてくれるのは天にも昇れそうなほど嬉しいんだけどさ。
「昇ってはいけませんよ?」
いや、その。幸せなんだけども。
その、桜花。この抱きしめ方だと、さ。
あ、当たってるんだけど。顔に、柔らかい‥その。あれが。
とくん、とくん。とくん、とくん。
音が、さっきよりも大きくなった。
頭上で、小さな声がした。
「…わざとです、なんて言ったら。兎さん、どうします?」
その日の夜、結局オレは例の計画、『業屋敷引っ越し大作戦』についてきりだせなかった。
大正コソコソ噂話(偽)
「まだだろうか! 引っ越しはまだだろうか!!」
「なんで柱の俺達が地味な引っ越しの手伝いなんて」
「二人の安全のためだ! 重要な任務だぞ!! ? 冨岡殿、震えてどうした?」
「…行きたくない」
「テメェだけ地味に逃げようたってそうはいかねぇ!一緒にこい!」
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
過愚夜は 嗤う。
過愚夜:うふふふぅ、白い髪でぇ、赤い瞳のぉ、可愛い可愛い私の白兎ぃぃ、ああん、あなたの血が、手が、足が、目玉がぁほしいぃのぉ…。
べん、べん、べん。
いつも主によばれるときに決まって響く琵琶の音が聞こえる。
ああ、お説教かしらぁ?
歪んだ空間。下が上で上が下。階段はくだる事も昇る事も出来ない。
力を振るう事は許されず、逃げることは死を意味する。
迷宮のようでいて、進める道は一本道。
主が理不尽を通し、道理を一蹴する空間。
かつて十二支 兎と死闘を演じた、上弦の零。
過愚夜はそんなよくわからない場所に立っていた。
「私が何故お前をここに呼びつけたか。意味はわかるか?答えろ」
頭上から声が聞こえる。
上を見上げてはならない。今日はどんなお姿なのか気にはなるところではあるが、それはいまだ許可されていない。
「下弦の肆を勝手に動かしたことですかぁ? 柱を仕留め損ねたことですかぁ?それともぉ、本来の仕事をさぼった事ですかぁ?」
べん。
また琵琶の音がして、目の前に幼い少女が現れた。
黒い髪をお下げにした彼女は質の良い着物を着ていた。
「すべてだ」
可憐な口から、地の底から響くような怒りの声が聞こえる。
「なぜ私の許可なく鬼を動かした? 言ってみろ」
「ふふふぅ、そんなの決まってますわぁ無惨様ぁ。あの臆病な下弦の肆はいつもいつも逃げてばかり、私は零としてぇ、けじめをつけさせただけの事ぉ」
しかして、過愚夜はすこしも怯えていなかった。
殺されない確信があったわけではない。生き残る作戦を持っている訳でもない。
殺されるなら殺されるで、別にいい。
そう考えていた。
「なぜ鬼のお前が人間の鬼殺隊士を仕留めそこなう? 言ってみろ」
「兎ちゃんはもっと泳がせた方がぁ、必ずあなた様の為になりますよぉ。ふふふぅ」
主は怒っている。怒髪天だ。
しかし、不思議と恐怖はない。
そんなもの、鬼になってからほとんど感じない。
感じたのは、やはり兎と戦い、地面に叩きつけられたあの瞬間。
邪魔が入らなければもっと遊べたのに。
ああ、腹が立つな。特にあの雌共。
1人は水色の髪。血だらけでうずくまっていたが、あの女がいた所為で下弦の肆が手間取った。
1人は緑交じりの桃色の髪。恐らくは柱の1人。最後の時間を邪魔された。あの子の事をなれなれしくも兎くん、などと呼んでいた。
そして、桜色の髪をしたあの女。私の兎ちゃんをどんどん腐らせる悪女。
アイツだけは私が殺さなくては。そうしなければ、あの子は自分が何者なのか思い出せない。
「お前の本来の役割はなんだ。言ってみろ」
「貴方様にたてつく愚かな鬼の躾、役立たずの排除ぉ、存じていますともぉ」
「ならなぜそうしない。なぜお前の行動をお前が決めている?」
「うふふふぅ、私の一挙手一投足は全てあなた様のため。必ずあなた様の利になるとお約束しますわぁ」
「それを決めるのは私だ」
「うふふふふぅ」
過愚夜は笑う。『愛しい主』を思って、ただ笑う。
偽物の愛しさ。
笑いが止まらない。
「お前は上弦の零だ。今、お前をやすやすと失う訳にはいかない」
「ありがたき幸せですわぁ」
「だが、次は無い。勝手な動きは禁ずる」
「うふふふふふっ」
「過愚夜。お前は特別だ。私も数多くの鬼を作ってきたが、お前ほどの傑作は見たことがない。私の為に、あの忌々しい柱共を始末し、聞き分けのない塵芥をすべて処分しろ」
「仰せの通りにぃ、無惨様ぁ」
べん、とまた音がして。
過愚夜は自分の愛用している隠れ家の中に戻って来ていた。
うふふふぅ、便利な血鬼術よねぇ。
彼女は月を見上げた。
今宵の月は、紅い。
「さぁ、仕事の続きをしましょうかぁぁ。あっちかなぁぁ? 鬼をやめようとしてる、お馬鹿さぁん?」
そうつぶやいて過愚夜は跳躍する。
紅い月の光を、その背に受けながら。
鬼舞辻 無惨は命じた。
勝手な真似は許さない。言われたことだけをしろ。
しかし、原初の鬼たる無惨は二つ、完全に見落としていた。
1つは、密かに無惨がはめた枷を、過愚夜がとっくに外し、彼の命令など気にも留めていないと言う事。
もう1つは、呼びつけたところで、彼女は二度と無惨の元には現れないと言う事。
彼女に恐怖心は無い。あるのは享楽だけ。
あれを壊したら楽しいかな。
あんなことを言いつけたら、アイツはどんな顔をするかな。
楽しいな。楽しいな。楽しいな。
彼女ほど自由で、かつ力を持った鬼は存在しないだろう。
枷を外し、唯人を喰らう。
そんな力を指して、人間は彼女を暴力と呼ぶ。
「ねぇぇ?なぁにぃをしてるのぉ?」
森から飛び出た過愚夜は、一軒の廃屋に足を踏み入れた。
生活感のある空間だったが、不釣り合いな臭いが立ち込めている。
血の臭い。
こぼれて腐った、肉の臭い。
「だめだ、食わぬ。拙僧は喰わぬ。人など喰わぬ。決して喰わぬ!」
過愚夜の目の前には上半身の袈裟を破り、筋骨隆々な体をむき出しにした男が1人。
両足には巨大な鉄球。巨木の幹のように太いその腕は、しかし片腕しか存在しなかった。
失われた片腕を、その剛僧は引きちぎっては口に運んでいたからだ。
「む、娘! 貴様、拙僧と同じ! 人食いの鬼だな!!…その瞳、貴様が例の始末屋か!」
「あらぁん? わたしぃ、有名人ねぇ? 握手でもしましょうかぁ?」
「ほざけ! 貴様が現れたのならば、やることは1つだ!!」
男はそう言って素早く横に転がる。巨大な鉄球など、意にも介さぬような動きだった。
「我、悪鬼を討つ!」
転がった先には、これもまた太く、六尺はあろうかという長さの錫杖だった。りん、と鈴のような音がするそれを。
「故に、我有り!!」
思い切り過愚夜に向かって振り下ろした。轟音と共に、せまる剛力。
しかし、剛なる力では、暴れる力には届かない。
ぴたっ、と錫杖は過愚夜の頭上で止まっていた。
「ごめぇん。聞こえなかったから、もう一度言ってみろ」
錫杖は、止められていた。
彼女が頭上に掲げた、小指一本で。
「んぐっ!? 馬鹿な、馬鹿なァ!!」
男はぐっ、と力を込める。それだけで大気が震える。ぴしり、ぴしりと大気が震える音がする。
が、それでも意に介すような段階ではない。
「弱いわ。お前、引くほど弱い」
彼女が、小指をぱちん、と弾いて錫杖に触れる。
それだけで、錫杖を持つ男の腕がぐわん、とたたき上げられた。
「ぬおっ!?」
懐ががら空きになった。過愚夜はそこに踏み込みながら右腕を振りかぶる。
弱く、弱く、力を込めすぎないように。
「んぅ。でもぉ、アンタぐらいがちょうどいいわねぇ?」
ずどん、とまるで爆弾が爆発したような音がして。
男は、廃屋の奥へと吹き飛ばされた。
「ぬぅはぁ!?」
熊のような巨体が吹き飛ばされて、壁を突き破る。
身体が反り返った男は、吹き飛びながら紅い月を見た。
満月だ。
妖しく光る、紅の光。
「ばぁ」
その光が、鬼女の姿でかき消された。
いまだ吹き飛び、勢いを殺すことも叶わず宙に浮く男の頸を、彼女は掴み。
そのまま地面に叩きつけた。
「がぁあああああああああああああああっ!?」
男の巨体に、逃げることも叶わなかった衝撃が襲い掛かった。
男は、鬼である。
多少の傷なら回復するし、痛覚にたいする耐性も、人間のそれより高い。
しかし、押さえつけられた男はその痛みに、叫び声を上げるよりほかどうしようも無かった。
頸をつかんだまま、過愚夜は言葉を繋いだ。
「んんー? なぁんだったかしらねぇ? あなたのお名前ぇ、なんて言ったかしらねぇ?」
「ああ、そうそう、思い出したわぁ。懺戒(ざんかい)、そんな名前よねェ?」
「まぁ、どうでもいいけどぉ。ねぇ懺戒ぃ? アンタまだ人を喰わない気ぃ? それがいつまでも通じるとおもってるのぉ?」
ぎりぎりぎり。
喉を占める音がする。
過愚夜の手のひらよりも、男、懺戒の頸の方が太い。
必然的に懺戒の頸に過愚夜の手のひらが乗る形になる。
乗せている、と言った方が近いか。
たったそれだけのことで、懺戒はもう動けない。
「せ、拙僧は…、喰わぬ、人など喰わぬ。意地でも喰わぬ!」
「そぉう? そぉんな出来損ないはねぇ?」
過愚夜が懺戒を抑えたまま、もう片方の手で拳を握る。
その手を振り下ろすだけで、懺戒の腐った命の灯は消えるだろう。
「あのお方には必要ないのよぉ? ねぇえ?」
「ねぇ、懺戒ぃ? 一度だけぇ、機会をあげましょうかぁ?」
数字を与えれぬ、出来損ないの鬼、懺戒。
彼の頭上で、紅い月に照らされた悪鬼が、にたり、と笑っていた。
大正コソコソ噂話(偽)
壱尺は、現代で換算すると、約30cm。
六尺とは、180cm。
懺戒はいつも錫杖を片付けるのに苦労するんだって。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
十二支 兎は 思い出す。
十二支 兎 :そうさなぁ。綺麗な庭園が見たいなぁ。
十二支 桜花:綺麗な花が咲く場所が良いですね。
大正○○年 ●月 ●日
若々しく未熟な緑色から、老骨を思わせる鮮やかな橙色に。
季節は秋。
年の暮にはまだ時間があるけれど、オレたちは業屋敷の大掃除、ないし大片付けに着手していた。引っ越しの準備である。
今年の晩夏。オレ達の住む業柱は十二鬼月二体の襲撃を受けた。これを辛くも撃退したオレ達だったが、やはり鬼殺隊の柱の住み処が鬼側にばれてしまったというのは結構な大問題な訳で。
なにより、桜花の安全が保障されないのが大問題な訳で。
オレは何度もお館様に嘆願書を提出した。
新居、ならびにさらなる安全の確保の提唱である。
もう、たくさん送りつけた。
一日に三冊送った。ねぎまが過労死しかけた。
あいつ、他の鎹鴉と手を組んで反乱を企てていたらしい。
事態を重く見たお館様は隠に命じて全力でオレ達の新居を建築。
もう、墨俣一夜城並の速度、かの豊臣秀吉もびっくりな速度で建築。
しかし、屋敷が完成した後確実な安全性を確保するのに手間取ってしまったらしい。
なにせ前回、下弦の肆は藤の花の結界をものともせずに霙さんを追い込んで見せた。彼女が特殊だったのか、それとも鬼が藤の花に対する耐性を得たのか。
ただ、隠の報告によれば相変わらず藤の花を避ける鬼が多い事から、前者の可能性が高い、というのは希望的観測だろうか。
ともかく、この屋敷はもう相手に割れている以上、使えない。
必要なものだけまとめて、引っ越しをするのだ。
そのための応援も呼んである。
「兎殿!! 俺は何をすればいいだろうか!!」
杏寿朗、お前は家の外で待機。いざというときにはオレ達を守って頂戴。
「わかった! 任せてくれ!!」
あいつに任せたらいろいろ壊される。
「おい、地味派手兎。この箪笥は隠に渡せばいいのか?」
宇随君、そうだね。その箪笥は隠の皆さんに渡して。運んでくれるそうだから。
で、そっちの部屋に移動させたものが要らない物。宇随君の屋敷に必要なものがあったら持って行っていいよ。
「そうか、悪いな」
いいよ、嫁さんが三人もいたらいろいろと入用だろ。
「兎くーん!! 聞いて聞いて酷いのよ!!」
安心しろ。たぶんひどくない。
「聞いて聞いて聞いてよ!私もお片付け手伝おうとしたら隠の皆が結構です、って口揃えて言うのよ!! ひどいと思わない、私柱なのに!!」
そうか、ちなみにどこの片づけ手伝おうとしたんだ?
「台所! お野菜重そうだから手伝おうと思って」
隠の皆さん、英断です。引き続き蜜璃には食べ物を触らせないように。
「委細承知です、業柱様!」
「おい、はやく運び出せ! オレ達の弁当まで食われたら洒落にならん!」
「なんでー!?」
…。
ねぇ、お前等なんでいるの? オレ手伝いは隠の皆さんにお願いしたし、護衛は冨岡くんに頼んだと思うんだけど。
「ん? なんだ聞いてねえのか。オレと煉獄はお館様から手伝うように言われてんだよ。仮にあの鬼女が攻めてきたら、お前ひとりだと手を焼くかもしれないとおっしゃってな」
「私は冨岡さんに頼まれたの。なんでもどうしても外せない任務が入ったからいけないって。本気で残念そうな顔してたわ、可愛かったの」
冨岡あの野郎。
炭治朗くんたちのこと追及されるのが嫌で逃げたな。
見てろよ、その内ぎりぎりと締め上げて
「皆さん、お手伝いありがとうございます。兎さんもちゃんとお礼を言わないとだめですよ」
ありがとうみんな! 大好きだみんな!!
「地味派手兎、やっぱりお前は病気だ」
そうとも! これは恋の病!
「すばらしいわ! 素敵だわ!!」
「雛鶴、まきを、須磨。俺はもう帰りたい」
そんなこんなでみんなに手伝ってもらいながら引っ越しを進めていく。
もともとオレも桜花も物に執着する質ではないので、これだけ頭数がいると次々に片付いていく。
さぁ、オレも自分の物くらいは片付けないとな。
自慢じゃないが、オレは自室の片づけが苦手だ。
一度使った物を、元の場所に戻すという手間を惜しみがちで、床に物が散乱してしまう。
そういった時、桜花はオレの事を怒りながらも片づけを手伝ってくれる。
今日だって、例外じゃない。
「まったくもう、兎さんは、もう。桜花がいないと何もできないんですから、もう」
そう言いつつも、口元をほころばせながら手伝ってくれる女神。通称、桜花。
床の紙束を纏めて縛る。
内容はすべてお館様への嘆願書である。1つとして許可が降りていない。
柱辞めていいですか?
もうすこし頑張ろう。
柱の世代交代も必要です。
君はまだ若い。
交換条件で。上弦を斬ったらやめていいですか? 陸とか陸とか、あと陸とか。
審議不可、さしあたり継続。
こんな感じのやり取りが、もうすぐ百回に上る。心の折れる音がして、折れた破片が砕ける音を聞いた気がした。聞く耳を何処に落としたんです、親方様?
紙束を集め、それを一か所に集める。努力の成果だが、おそらくもう役に立たない。
ふと、紙束が消えむき出しになった畳を見る。
久々に自分の部屋の畳を見た。
「だいぶ片付いてきましたね、兎さん」
そうだね、桜花。
それにしても思い出すねぇ。こうしてこの部屋の畳を見てると。
見てご覧、そこに開いてる、小さな穴。
あの穴のこと、覚えてる?
「そ、それについてはもう、いいじゃないですか」
両手を振って話を逸らそうとする桜花。
昔の話をするのは恥ずかしいのだろう。
でも、俺ははっきり覚えている。
この、日輪刀が突き刺さった跡の事を。
さかのぼる事、三年前。
俺は紆余曲折あって、業柱になった。柱になるつもりなんて欠片も無かったのだが、何時の間にやら50もの鬼を狩ったことになっていたらしい。
そして柱になった事の祝い、という形で、俺はお館様から大きな屋敷を賜った。
俺は恨んだ。
独り身に屋敷与えてどうすんだ、と。
寂寥感で死んだらどうすんの、と。
「うさぎー! 柱就任おめでとー!」
「見事だ、兎! うむ! 実にめでたいな!」
屋敷に行ってみると、そこには幼馴染の胡蝶 カナエと兄貴分の煉獄 杏寿朗が立っていた。オレを驚かせようとしたらしい。
二人とも、何してんだよ。仕事は?
「なに、大事な兄妹弟子の祝いだ。何を放っても駆けつけるとも!」
…ありがとう、杏寿朗さん。カナエも、ありがとな。
「ううん! 気にしないで。兎の新しいお家、私も見てみたいもの」
オレの新しい家を? なんでまた?
「え? え、えーっとね?」
「ああ! 胡蝶は先程独り言でどうせならここでお前と共に暮らしたいと」
「えー!? あはは、言ってない言ってない! 煉獄さん。それは聞き間違いよ」
「む? そうなのか? 失礼」
二人のやり取りを聞き流しながら、新しい家、業屋敷に入る。
広いなぁ。
朝も、昼も、夜も。ここに帰って来たとして。
オレは帰って来たと思えるのだろうか。
そんなことを漠然と考えていた時だった。
自分の背後に、強い殺気を感じた。
トン、と首筋に当てられた刃物。
紅色の刃だった。
「あなたは鬼ですか? それとも人ですか?」
可憐な、少女のような。それでいて確かな殺意の込められた声だった。
「振り返らないで」
「鬼なら殺します。鬼は殺します。鬼を殺します。人であるなら、今すぐここから出ていって」
「桜花!!」
どたどたどた、と音がして。
引き戸を開け放って、カナエが部屋の中に突撃してきた。
背後の気配の主が、一瞬気を取られる。
怖いし、今のうちになんとかしちまおう。
俺は腰の日輪刀を取り、身体を捻る。
上半身を下に振り、遠心の力を利用して、オレの刀で相手の刀をはじく。
キィン、と音がして。
紅色の刀が飛び、床の畳に突き刺さった。
相手の姿をよく見る。
女性だ。桜色の髪、黒い鬼殺隊服。羽織は、元は白い羽織だったのだろうが、帰り血だらけで異臭がする。
彼女は、飛んで行った自らの日輪刀を見つめている。
「弾かれた? 私の刀が…?」
「桜花、なにやってるの」
「胡蝶カナエ。この男は誰です?」
「もう、何回も説明したでしょ? 今日からこの屋敷に住む新しい柱の十二支 兎くん!
もー、桜花ってばこの屋敷の最終安全確認と情報の隠匿が任務でしょ! なんでこんな所に居るの?」
「最終安全確認なんて必要ありません。弱い鬼殺隊士なんて必要ない。どれほどのものか見に来たのです。ですが」
そういって相手の少女はオレの顔をまじまじと見た。
均整の取れた顔、長い睫と、おれより薄い朱色の瞳。
その彼女が、オレの顔をまじまじとみつめている。
「まぁ、役には立つのでしょう。鬼を殺しなさい。鬼を殺すのです。さもなければ・・、いえ、なんでも」
そういって彼女は刀を拾い、部屋から出て行った。
「…ごめんね、兎。あなたが来るちょっと前に居なくなってたから煉獄さんに探してもらってたんだけど。悪い子じゃないのよ、可愛いし」
…。ねぇカナエ。
あの人の名前、なんていうの?
「?『仇散華 桜花』だけど? どうしたの?」
仇散華 桜花。後の、十二支 桜花。
この穴は、俺と彼女の出会いの始まり。
そこから彼女が今の桜花になるまで、それはそれは長い話があるんだけども。
それはまた、別のお話。
大正コソコソ噂話(偽)
現在
「うむ、周辺を回って安全を確かめればよいのだな!!」
三年前
「では、仇散華を探しに行くぞ。周辺を回ってみるか!」
いつの時代も家に入れない煉獄さん。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
十二支 兎は 海を渡る。
十二支 兎 :桜花の寝顔をかならず眺めてから眠っています。次の日の活力になります。
十二支 桜花:ねっ!? う、兎さん! そんなことしてたんですか!?
十二支 兎 :可愛いのよ、すげー可愛い。天使かと思ったら天使だったわ。
十二支 桜花:知りません知りません! なんでそんな恥ずかしい事…!
十二支 兎 :この間なんて『兎さん、桜花の手をぎゅーってしてください』なんていう寝言を…
十二支 桜花:全集中! 『桜』の呼吸、参ノ型。
大正○○年 ●月●日。
新しい屋敷への引っ越しが完了した。
こんどの屋敷はお館様の屋敷よりすこし距離がある。
前の屋敷は藤の花、ならびに竹林に守られていたが、今回はそれに加えて、複数の偽屋敷が作られている。
その数、本物を入れれば屋敷が五邸。そのうちどれか一か所に異変があれば、すぐに鎹鴉が俺たちと鬼殺の本部に飛ぶようになっている。
手伝ってくれた仲間たちと別れ、桜花と一緒に屋敷を見て回る。
「さぁ、兎さん。折角綺麗なお屋敷を貰えたんですからあまり散らかさないようにしてくださいね」
わかってる、わかってるよ。散らかさない。
「解ってくれたならいいですよ。さぁ、台所を確認しないと!」
るん、るんと鼻歌を歌いながら新しい台所を見る桜花。知ってるか?台所には器量の良い子が良く似合うんだ。
そうだ、桜花にもう一つ伝えることがあったんだ。
なぁ、桜花、こっち見てみ。
「? なんですか? 兎さん。早くお屋敷見て回りましょうよ」
うずうずしている。心なしかめがくりくりしている。
あれかな、ご飯を待つ飼い猫的な?
だめだ、ニャンニャン桜花は危険だ! 脳内にしまえ、十二支 兎!!
「? 兎さん?」
ああ、なんでもないよ桜花。すこし尊かっただけ。
実はな、このお屋敷以外にもらったものがあるんだよね。
「なんですか? もうすぐ冬だから、蜜柑とかです?」
ううん、ちょっと休み貰ったの。
「え!? お休みとれたんですか!? 柱なのに!?」
まぁ、ちょっとした裏技兼お仕置き的な方法でね。
「? お仕置き?」
桜花はこてん、と首をかしげる。
よくわからない、といった表情だ。
まぁ、ばれれば絶対に怒られるからな。黙っていよう。黙っていれば、沈黙こそが真実だ。
同時刻、遠く離れた山間にて。
「カァー! 次! 次! 池ニ少年ガ引キヅリ込マレテイル!!」
「…今日は多いな」
「業柱ノ仕事ガ一月オマエニマワル!! カァー!!」
「・・・・」
水柱、冨岡義勇がややこけてしまった口から、白い息を吐いた。
と、まぁお休みがいただけたわけだ。桜花。
「まぁ、なんにしても桜花は嬉しいです! 兎さん、久々のお休み、鬼の事は忘れてゆっくり休んでください。桜花、なんでもしますからね!」
なんでも、という部分をしっかり記憶しておくことにして。
すまないが、桜花。もう予定が決まってるんだ。
「あ、そうなんですか…」
なんだか少しさみしそうだ。
オレが1人でどこかに行くとでも思っているのだろうか。
まさかまさか。そんなまさか。
だから、オレはどこかに行くならお弁当を作りますよ、と言った桜花に向かって言い放った。
そうだな。この『旅行』の初日に食べよう。
必要なのは、オレの分と桜花の分、二人分だ。
大正○○年 ●月■日
日本に訪れた異国人は、明治の世に比べれば随分と減った。日本が清と戦争をし、そのまま露西亜ともめまくり、さらにそのまま世界を巻き込む大戦へと踏み出したからである。
だが、美しい記憶と言うものは何時までも残る。かつて異国の人々は日本の寺院、景色を見て美しいと言った。そしてその気持ちに、国籍は存在しなかった。
だってオレもそう思うから。この景色を見て、美しいと思うから。
海に浮かぶ無数の島々。そこに沈む、茜色の夕日。牡蠣を取るため海に出る漁師たちが歌っている。日本で一番狭い海なのに、なぜだか果て無く見えてくる。
桜花、見てご覧。瀬戸海の夕日だよ。
汽船に共に乗り込んだ妻を見る。
外套を羽織った彼女は、ただ黙って海を見ている。
「ねぇ、兎さん‥」
桜花がオレの方を見る。身長差の所為で、彼女は自然とオレを見栄げる形になった。
手が震えている。瞳がうるんでいる。
ごくり、と生唾を飲んだ。
「ねぇ…」
柔らかい唇から言葉が漏れる。なんだか、いけないことをしている気分だ。
桜花。
「兎さん…」
すとん、とオレの胸元に桜花が飛び込んできた。
軽い、羽根のように軽い体だった。
「兎さん…」
「この船、沈みませんよね!? 大丈夫ですよね!! 信じられない! 水に浮かぶなんて!!」
そこに恋愛物語の形は無く。
彼女にあったのは恐怖のみ。
大丈夫、大丈夫だって。
「ホントに!? 本当に大丈夫!? 嘘だったら許しません! ええ許しませんとも!! 百年経とうが千年経とうが今日と言う日を許しません!!」
小舟じゃないんだ、汽船だよ?
そう簡単に沈まなないって。
「そ、そうですよね。沈まない、沈まない、沈んだりしない…ひゃあ! いま、揺れた!!揺れましたよね!!」
桜花、君今すっごく可愛いんだけど、すごく見られてるから。汽船の乗客に見られまくってるから。落ち着いて。
「転覆!? 転覆の兆しですかこれは!?うわーぁん!!」
まずい、とうとう泣き出した。
仕方がない。これ以上は近隣の方にご迷惑だ。
落ち着いてもらおう。
オレはそっと桜色の頭に優しく、手のひらを置いた。
よしよし、大丈夫。大丈夫だ桜花。
頭を撫でる。
頭を撫でる。
そうしていると、桜花はだんだん静かになった。
落ち着いてきたらしい。オレは手を止めた。
「あの、兎さん・・」
胸元で声がした。どうした桜花?
「・・・、もっと、してください」
大丈夫、鼻血は天然の物のはずだ。瀬戸海に還る。
オレに手ぬぐいを与えようとする船員と何故か攻防を繰り広げようとするオレの叫びが海に木霊する中、汽船は一路、俺たちの旅行先。
四国へと、向かっていた。
十二支 兎が向かった島国、四国。
山間の中にある一見の山寺に、1人の剛僧が立っていた。
「喰わぬ・・・喰わぬ・・・拙僧は人など喰わぬ・・!」
力と力の、ぶつかりあいが始まろうとしていた。
大正コソコソ噂話(偽)
船員
「だんなぁ! その血をふかせてくだせぇ! そのままじゃあんた失血死しますぜ!!」
兎
「大丈夫だ。愛だから、これでも一応愛だから!!」
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
十二支 兎は 湯に浸かる。
十二支 桜花:兎さん。忙しいのは解りますし、お疲れなのも理解しています。でも、お部屋の片づけくらいはちゃんとしてくださいね。
十二支 兎 :桜花。昔の事を気に病むのは、もうやめにしよう。
大正○○年 ●月■日
のどかなとこだなぁ、と思う。
鬼殺と言う生々しい仕事を忘れるには、こういう場所に足を運ぶのが一番だ。
オレは桜花と二人、四国での旅行を楽しんでいた。
「兎さん、お饂飩です! お饂飩を戴きましょう!!」
舟の上で半狂乱になっていた桜花は嬉しそうに、ぴょんぴょん、とはねてオレを呼んでいる。どっちが『うさぎ』なんだか。
大丈夫だよ、桜花。饂飩さんは逃げたりしないさ。
「む。甘いですよ兎さん。欲しいものは気が付くと他の欲しがりさんにもっていかれてしまうモノなのです」
そうか、そういうものなのか。
「そうですとも」
それじゃあまぁ、急ぐかな。ほら。
「? えっと?」
差し出された手を、不思議そうに見つめる桜花。
こういう時、君は鈍い。
知ってるけど。
手を握り、頬を少し染めた桜花と共に、オレは四国の街へと踏み出した。
名産の饂飩と豆を出店にて口に運ぶ。
どちらも濃い味付けでオレ好み。饂飩屋にはいって一口麺をすすった桜花が、雷に打たれたような顔で「た、唯者じゃない・・」と言っていたのが気になった。
桜花の飯の方が美味いのに。
「こんな味、わたしにはとても出せません。一体どんな秘密が…。お出汁? 麺を打つ力加減? 一体…」
昔に比べて桜花は料理に積極的になった。
結婚した後しばらくはこっそり練習してたんだよなぁ。
本人の名誉のために黙ってるけど。
「兎さん、これは捨て置けません!すぐにお店の人に聞いてみます!」
あれ? 気のせいか? 桜花の瞳に炎が灯ってるんだけど。
桜花、どうしたの? ねぇってば。
「すみません、店主さんはどこですか!?」
「む、店主は私だが!」
うわぁ、いまどきザンギリ頭の大男が出て来たよ。
「お饂飩ごちそうさまです! とても美味しかったです!」
「そうかい、ありがとう!」
「今まで食べたお饂飩の中で一番おいしかったです!」
「褒め言葉を止めないでください! やる気が上がります!!」
「天才、すごいです、偉いです!」
「ありがとう!」
「つきましては調理法を伝授してもらいたく!」
「ダメだ!!」
まぁ、相手は職人だもん。そりゃそうなるわな。
桜花、桜花が作る料理はいつもうまいからさ。あんまり店の人を困らせないようにね。
「‥‥むぅ、まぁ、兎さんがそう言うのでしたら」
目が全く諦めてないよ、桜花。
「しかし、美味しい方が兎さんに喜んでいただけますし、兎さんが喜んでいると桜花も嬉しくなるんです!!」
あ、ぐっときた。ぐっと来たよ、桜花。
抱きしめていいかな? いいよね?
「だ、ダメです! 店主さん、どうしても教えて頂けませんか?あとしょうゆ豆お土産に包んでください」
「ダメだっつてんだろ! しょうゆ豆は何袋必要だい?いってみな!」
「二百袋お願いします」
「にひゃ・・!? ある訳ねぇだろそんなもん! 誰がそんなに食うってんだ!!」
すいませんね、俺の同僚、たぶん本気出せば五百は固いんで。
「はい、これでも気を使ったつもりだったんですが」
「…すまないけどね。百で勘弁してくれねぇか」
「…蜜璃さん、暴れないといいんですが」
大丈夫だろ。最悪水と饂飩粉流し込んどけば。
店から出て街を歩く。やはりこの辺り、香川県には大層うどん屋の出店が多かった。事前にねぎまに飛んでもらって情報を集め、美味しいと評判の店に目星をつけておいたのは正解だったかもしれない。
桜花と一緒にあそぶとき(といっても柱を止めさせてくれないからいつもいつも時間がとれないんだけどね)には、オレはこうやって必ずいろいろなことを調べてから動く。その方が桜花に楽しんでもらえるし、いろんなところに驚きを仕込むことが出来る。
例えば、宿なんかを取ってもそうだ。
「兎さん兎さん! 見てください! 温泉ですよ、温泉!!」
ともすれば忘れがちだけれど、俺たち鬼殺隊、それも柱となれば高給取りである。そも、この旅行は桜花にも内緒だったわけで。
だからこそ、泳いで回れそうなほどの温泉がついている部屋を取ることが出来るわけだ。
仕事の合間にねぎまをとばし、隠の皆さまに土下座をし、手に入れた高級宿での宿泊。
決して安い労力ではなかったのだが。
「ふふ、兎さん。こんなにたくさん準備してくれたんですね。ふふ」
嬉しそうに笑う桜花を見ていると、すべての労力が苦ではなくなるのだから、不思議な話だよね。
「さぁ、さっそく楽しみましょうか。兎さん、先に入ってください」
ん?
「? 何を不思議そうな顔をしているんですか?兎さんが出た後、桜花も入りますから」
ははは、何を言ってんだい桜花。
「? なにがですか?」
この温泉は俺たちがとった部屋専用だ。誰も入ってこないんだよ?
「・・・兎さん、なんだか目がぎらついているような気がするんですが」
さぁ、桜花。夫婦の時間を楽しもうじゃないか。
装飾の鹿脅しが、水を受けきれずにかこん、と鳴った。
何気に、こんな経験は今までなかった。
桜花と一緒に風呂。うん、一度やってみたかった。
「何をしみじみと呟いてるんですか、もう。…こっち、見ないでくださいね」
ぴったりと背中を合わせた状態の桜花が、俺の後ろから声を飛ばす。
そう。背中がぴったりとあたっている。
やばい、出来心で提案してみたけどヤバいなこれ。
俺の理性って日輪刀より固いんじゃなかろうか。
ちら、と桜花のほうをみる。ばれないように。
なにこれ桜花。温泉で見るとホントに。君肌白すぎじゃない?
綺麗な桜色の髪を括っているから、綺麗な首筋もはっきり見えるし。
「兎さん、こっち。見てるでしょう?」
か細い声が聞こえてオレはとっさに前を向いた。
見てない! 見てないでございますとも!!
「もう、あなたが言い出したんじゃないですか」
そう言ってクスクスと笑う桜花。
なぁ、桜花。
「はい、なんですか?」
いつもありがとう。ホントに感謝してる。
「…いいえ、こちらこそ」
いつも君にはなにもしてあげられてないから。今回の旅行を楽しんでくれてるならうれしいんだけど。
「そんなこと、ありませんよ」
背後で、ちゃぷ、と音がした。桜花が手のひらに湯を救っていた。中央に、枯葉が一枚ぷかぷかと浮かんでいた。
「兎さんはいつもちゃんと帰って来てくれるじゃないですか。桜花にとってはそれが一番大切なことなんです。兎さんがちゃんと帰ってきて、次の日桜花のご飯を食べてくれる。それだけで、桜花は救われます。明日を楽しみにできます」
「だから、何もしてあげられない、なんて言わないで。本当に、本当にたくさんの物を貰っていますよ。あなた」
気が付けばオレは振り返って、桜花の背中を抱きしめていた。
「ひゃ!? う、兎さん!?」
大丈夫だ桜花。目を瞑ってるから。
そのまま聞いてくれ。
桜花、オレもだよ。
オレも君にいろんなものを貰った。
君はオレからたくさんの物を貰ったと言うけれど。
オレは貰った物の分以上に君に笑ってもらおうとしてるだけで。
重ねて言うと、笑っている君のとなりに居たいだけなんだ。
だから、このままいつまでもオレのわがままに付き合ってくれるか、桜花?
「‥‥、いいえ、なんていう訳ないでしょう? 兎さん」
それもそうか。
かこん、と鹿脅しが音を立てた。
2人の心音が大きすぎて、良く聞こえなかった気がした。
大正コソコソ噂話(偽)
業柱専属の隠隊ならびにねぎま。
現在この旅行準備の疲労をいやすためちゃっかり別部屋で入浴中。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
十二支 兎は 追跡する。
大正○○年 ●月■日。
おかしい。絶対に可笑しい。
さっきまで桜花と温泉入ってゆっくり疲れを取ってたわけじゃん。
さっきまでご飯なんだろな、なんでしょうね、なんて話をしてたわけじゃん。
疲れをいやす旅なんだよ? ねぇってば。
なんでオレ疲れながら深夜の街を全力疾走してんの!?
話を戻そう。
温泉から出て、俺たちは部屋に戻って浴衣を着て料理が来るのを待っていた。
鯛がいいな。鯛が食べたい。
吹雪饅頭もついているといいですね。
筍はいらない。
なんて話をしていたわけだ。
すると、ややあって天井からがたがたと音がしたと思ったら。
上からなにかが降って来た。
とっさにオレは桜花を庇い、部屋の中で押し倒す事態に。
これは数えるなよ、そういう展開に数えてはならない。
落ちてきた物を振り返ると、そこには子供が立っていた。
小さな小さな袈裟を来た丸坊主の少年だった。
少年は俺たちの姿を見て、さらに部屋を見回して、そして俺たちの荷物を見つけて。
にやり、と笑って手を思い切り地面に振り下ろした。
瞬間、ぼんっ! という音と共に部屋に煙が充満した。
「この臭い…っ! 兎さん! 口を閉じて!!」
そう言って桜花がオレの鼻と口を綺麗な白い小さな手でふさぐ。
花の香りがした。思い切り吸った。
瞬間、舌に激痛が走った。
いだあぁああああああああっ!?
と叫びながらオレは理解した。
この煙、唐辛子が混ぜ込んである!
オレは舌が敏感だから、それだけ強烈に痛みを感じてしまう訳だ。
畜生! 魅惑の香りだったのに!!
「兎さん! せっかく抑えたのに何で吸っちゃうんですか!?」
しょうがないだろ、香しかったんだもの!
ってか桜花浴衣似合うなほんと!来てよかった! 口の中焼けそう!!
「わ、わかりましたから! 口を閉じてて!!」
ややあって桜花がなんとか部屋の戸を開け(その間オレは苦しみ続けた、無様だ)煙が晴れたころには少年は消えていた。
俺たちの荷物と一緒に。
そんなわけでオレは宿を飛び出しあの少年、否。糞餓鬼を追っている訳である。
ちくしょぉぉおぉおお! 逃げられると思うなよォ!!
あの餓鬼の使った唐辛子煙幕は強烈な味だった。
あんなもんを持っていたとなれば、当然本人にも残り香ならぬ残り味が付く。
あとを追う事は、そう難しい事じゃない。
夜の街をひたすら走る。涙が出そうな味を追いながら。
「兎さん、大丈夫ですか!?」
浴衣姿の桜花もいっしょに走る。さすがに宿においてくるわけにもいかなかったし、隠とねぎまも唐辛子にやられていた。
桜花、すこし速度を落とそう。君の鎖骨が見え隠れして追跡どころじゃない!
「鎖骨より追跡です、今この瞬間はそれに集中して!」
おう、わかった!
あ、お前桜花の鎖骨ちょっと見たな饅頭屋のおじさん! ぶっ飛ばしてやる!!
「兎さんっ!!」
味を辿り、たどり着いたのは町はずれの小さな廃寺だった。
ひどくボロボロな状態で、人がいなくなってから何年も経っているように見える。
いたるところに蜘蛛の巣が張っていて、生活感がまるでない。
まるでお化けがもののけか、そう言った類の怪物が現れそうな雰囲気だ。
桜花。こわかったら手を繋いでもいいからね。
「大丈夫ですよ、兎さん。行きましょうか」
ホントに大丈夫? 怖かったら言っていいんだよ?
「平気ですよ? さぁ。あの子を探して叱ってあげましょう」
無理すんなよ、桜花。大丈夫だ。君の夫はこの程度で君に幻滅したりはしないよ?
「…兎さん。手を繋いであげましょうか? お化け、苦手でしたよね」
すみません。お願いします。
ぎしり、ぎしりと本堂への階段を昇り。
その一音一音に驚きながらも、オレと桜花は引き戸の前に立った。
「じゃあ、開けてみましょうか兎さん」
え、まじ?
ちょっと待って桜花。いや怖くないけど。
少し様子を見ようよ、いや怖くないけど!
「兎さん、怖いのもわかりますけど、ここに逃げ込まれたのは間違いないんですから。取り戻さないと、荷物」
わ、わかった。ただまって数刻まって。
心臓の準備が出来ていないんだ。万が一には停止してしまうかもしれない!!
「開けますよ、せーのッ!!」
わぁあああああっ!! 桜花ぁああ!! まってぇぇ! オレ実は古いお寺に入ると死んでしまう病で・・!
言い終わる前に、桜花は容赦なく(本当に容赦なく)引き戸を開け放った。
真っ暗なお堂の中央。
所々穴が開いたその中に、しかして例の子供は居た。
しかし、状況は俺たちの予想とは少し違っていた。
「兄ちゃん、どう? お薬あった?」
「畜生、何処にもありやしねぇ!おい、菊! お前も探せ!!」
「う、うん! 鈴兄ちゃんのためだもんね!」
先ほどの少年と継だらけの着物を着た少女が俺たちの荷物を床にぶちまけている。
鬼気迫る表情で風呂敷をなんども確認している。
少女、菊と呼ばれた彼女は、泣きそうな顔でオレの水筒を逆さに振っている。
必死に何かを探している様子だった。
「兎さん、あの子たちは…」
桜花がオレに話しかける。
その声でようやく、子供たちはオレに気付いた。
よほど必死に何かを探していたのだろう。
「あ、アンタ達! なんでオレの逃げた先がわかったんだ!?」
大したことないよ。味を覚えただけだ。
「意味わかんねぇよ!? 畜生!! こっちも尻に火が点いてんだ! アンタ達に荷物帰すわけにはいかねェ!! 菊、下がってろ!!」
「に、兄ちゃん! やめようよ、あの人刀持ってるよ!? 殺されちゃうよ!」
「いいから、行け!!」
「に、にいちゃぁーん!!」
…、ねぇ、オレ達荷物盗られてんだよね? 桜花。
「そうですね…、しかし、この状況では・・・えー」
だよね。
完全に俺達が悪役になってるよね。
すこし、この子たちから話でも聞いてみようか。
「ええ、とりあえずは聞いてみましょう」
なぁ、少年少女。俺たち、なにもお前らを斬って捨てようってわけじゃ・・
「うるさいっ! 良いから帰れよ!!」
そういって少年が構えているのは、小さな錫杖だった。
袈裟と言い、なんでこうも坊主みたいな恰好してんだろうか。
「ねぇ、ぼくたち。お姉さんたち、荷物を返してほしいだけなんです。それを返してくれたらすぐに出ていくから」
桜花が膝をたたんで目線を合わせた説得を試みる。
子供と話すときは目線を合わすのが効果的って昔本に書いてあったな。
さすが桜花。
「うるさい、ぺったんこ!!」
「なっ‥!」
ぺったんこ、ぺったんこ。
何処の事かは、まぁ桜花の名誉のために言わないでおこう。
そして少年よ、馬鹿だな。
小さいからいい、って考え方だってあるんだぞ。
「兎さんっ!! この子捕まえましょう!! お尻を叩きます!!」
すまん少年。助けられる自信は無いぞ。
すまん逃げた少女。お前の兄は助からないかもしれない。
「さぁ捕まえましたよ、悪い子です!!」
「はーなーせーっ!! はーなーせーよーッ!!」
そしてさすが桜花。もう捕まえたらしい。
「さぁ、お仕置きです! 人の物を盗るような悪い子は!」
「ぎゃああ! 離せよばばあ!!」
「ばっ・・!」
おい少年、それ以上はオレも黙ってないぞこの野郎。
オレがいたって正当な理由で日輪刀に手を掛けた時だった。
轟音と共に、上から何かが降ってきた。
オレは素早く桜花の所に跳びこみ、彼女と少年を抱えて回避する。
二人を抱えたまま、オレは轟音の原因を探る。
そこには、巨大な僧が立っていた。
袈裟を下半身にひっかけ、上半身は裸。丸太のような腕には巨大な錫杖が握られている。
身の丈は俺の倍以上。見上げれば、鬼の形相が目に入る。
「菊に呼ばれて来てみれば…」
男が錫杖を上段に振り上げる。
…まずい!!
「貴様ら、拙僧の子らに何をするかぁあああああああああ!!」
轟音と共に、錫杖が俺たちに向かって振り下ろされた。
大正コソコソ噂話(偽)
最強の兎の傍に居た所為で油断し、唐辛子爆弾を思い切りすった隠たちとねぎま。
長期療養決定。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
十二支 兎は 刃を止めない。
氷柱 白雪:えー? そうだねぇ。ボクはやっぱり服を縫う事かなぁ。女の子たちが可愛い服を着てボクにお礼を言ってそのまま…じゅるる。
大正○○年 ●月■日
突然降ってきた僧。
筋骨隆々な体は、背後の小さな盗人を守るようにそびえたつ。
巨大な錫杖が振り下ろされた場所には大穴があき、どれだけの力が叩きつけられたのかを証明している。
あんなものが叩きつけられたらただじゃすまないな。
桜花、怪我はないかい?
「大丈夫です、兎さんがすぐに抱えて飛んでくれたから」
腕の中で桜花がオレに話しかける。
怪我はしていない。良かった。
「むぅ、避けたか盗人め!」
破戒僧がこちらに目を向ける。
空気の味を確認する。
なんてこった。旅行先でもこんな目に合うとは。
桜花、下がっててくれ。
アイツ、鬼だ。
「わかりました…。あっ!? そういえば、あの子は!?」
言われて気付く。さっきまで桜花の手の中で暴れていたちび僧侶がいない。
「お師匠様!! あいつらだ!! あいつらが鈴兄ちゃんの薬買うのを邪魔すんだ!!」
あ、あの餓鬼!!
ちゃっかり破戒僧の後ろに隠れ、しかもちゃっかり虚偽申請まで済ませる餓鬼を睨みつける。
おい、お前適当なことを言うんじゃねぇよ! オレ達のどこが盗人に見えるってんだ!!
「ではその刀はなんだ! 拙僧の子をそれで斬ろうとしていたろう!!」
「ご、誤解です! 桜花たちはとられた物を返してもらおうと」
「問答無用! すべては仏の示すままに! さぁ、刀を抜け盗人よ! 貴様の性根を叩きなおしてやる!」
どうやら話を聞く気はないらしい。
それにしても、と思う。
妙な味がずっとする。
いや、鬼の味には違いないんだ。違いない。
この味、どこかで感じたことがあるような。
「抜かぬか。ならこちらから行くぞォ!!」
ぶぉぉぉん、と音を立て錫杖が奴の手の上で回転する。
まずい、集中しないと。
オレは日輪刀に手を掛け思案する。
どうする、どの呼吸が有効だ。
一番いいのは未の呼吸。
あれで眠らせてしまうのが手っ取り早い。
だがあの呼吸は相手によって効果に差が出る。
俺自身にもどういう事かはわからないが、多くの人間を喰っているほど未の呼吸は効果が大きいのだ。目の前の鬼からは血の味がほとんどしない。
未の呼吸は使ったところで効果が薄い。
できればこの鬼とは殺さずに話がしたい。
人間をなぜ、『子』と呼ぶのか。
なぜお前からは血の味がしないのか。
鬼を人間に戻したいと願ったあの少年の助けになりたいから。
可愛い後輩の判断が、間違っていないのだと思いたいから。
「ふぅんっ!!」
錫杖が叩きつけられる。
オレは左に飛んで避ける。
強い衝撃が堂に走った。桜花を見る。
良かった、怪我はしてなさそうだ。
しかし、あの錫杖がなんども振り下ろされれば、桜花にも危害が及ぶかもしれない。
早急に勝負を決めなければ。
あ、そうだ。いい手がある。これで行くか。
オレは破戒僧の側面から刀を抜いて斬りかかる。
「っ、ぬぅう!!」
当然、破戒僧もそう簡単に斬らせてくれるわけはなく。
錫杖を構えて防御する。
そう、側面を守る。そう来るよね。
『子』 の呼吸。
『鼠惨死鬼・退散ノ鳴動』
「な、なにッ!? なぜだ、なぜそこに居る!?」
子の呼吸応用編。普通に使えば分身を使い続けるだけだが。この応用編『退散ノ鳴動』を使うと、分身たちにちょっとした機能を付けられる。
巨漢の破戒僧は、オレが狙っている側面から錫杖をはなし、正面に構える。
『オレは今まさに側面を斬ろうとしているのに』
『もうオレに見向きもしない』
それもそのはずだ。
破戒僧の目の前には、俺の分身が立っている。
基本的には子の呼吸で生み出したオレの分身は、オレと同じ動きしかできない。
分身、と聞こえよく言ったところで、所詮原理は『高速移動』。
訓練を積めば誰にだってできる、まぁ簡単な技だから。
そこにあまり高度さを求めるのは酷というモノ。
ただし、退散ノ鳴動は少し違う。
この技を使うとき、オレの分身は極度の『存在感』を放つ。
分身の数が一体だけに限定されてしまうが、この分身は本物のオレと違う動きをし、相手をひきつけてくれるのだ。
実際、この時分身は刀を横になごうとしているオレとは逆に刀を正面に構え、『さぁかかってこい』と言うような感じで破壊僧を睨んでいる。
そして、それに意識を食われている今なら、オレは簡単にこの破戒僧に剣戟を叩き込める。
悪いね、腕を一本落とすよ。
鬼の回復速度ならそのくらいはすぐに回復するだろう。
まずは話を聞いてもらうために抵抗できないようにしなくては。
重ねて二刻。
『虎』の呼吸。
『肆虎・肆填(しこ・しでん)』
四本の斬撃が破戒僧の腕に向かい、そして。
「うぐッ!? ぐおおおおッ!!」
ずぶり、と刃が肉に食い込んでいく。
切り落とす、このまま!
ビタァ、と、刃が止まった。
「むぅううううん!」
びき、びきと血管の浮く音がする。
刃が、肉に挟まれて止まっている。
って、ウソォ!?
「なるほど、幻の類か。拙僧の目の前にあるのは幻で、貴様が本物か。うぅうむ小賢しい」
錫杖が振りかぶられる。
アレを喰らえば、オレの骨は粉になるまで粉砕されるだろう。
ひとたまりもない。
だからこそ安心した。
うまく引っ掛かってくれて助かった。
ザンッ!と破戒僧の『正面』に向かって斬撃が飛んだ。
油断していたのか、胸筋は斬れ血が流れ落ちる。
叫びをあげて巨漢が崩れ落ちる。ギリギリ意識はあるが、人間なら致命傷の傷だ。
…うん。少しやり過ぎたかもしれない。
だが、まぁ彼は鬼だ。
傷の治りは早い。証拠に、もう斬り込んだ傷がふさがり始めている。
オレは溜め息をついて、刀を力の抜けた彼の腕から引き抜いた。
しかし、まさか筋肉だけで刀を止めるとは。
過愚夜とはまた違った意味でぞっとするなぁ。
そんな彼の誤算は分身を『幻覚』と誤認識してしまったこと。
実体のない虚像と思ってしまったこと。
子の呼吸で生み出した分身は、基本的に難しい事は出来ないけれど、逆に言えば簡単なことなら実行できる。
例えば、相手の周りを飛び回るとか。
例えば、相手をひきつけるとか、
例えば、相手に斬撃を喰らわせるとか。
「ぐぬぅうう、倒れぬ、拙僧は倒れぬぞ!」
おお、元気になって来た。今なら話も通じるだろうか。
「構えよ、盗人。次こそ叩き潰してくれる!!」
いやいや、オレの攻撃はもうおしまいだ。
アンタと話がしたい。構わないかな。
「ふざけるなよ盗人。お前は拙僧の子らに斬りかかった。子は斬れても拙僧は斬れぬというか!?」
「…では、桜花の話なら聞いてくださいますか?」
すっ、とオレ達の間に立ったのは桜花だった。
って桜花、あぶねぇ!
「大丈夫です。任せてください」
さらに前に進み出る桜花。破戒僧の目に、わずかながら迷いが見え始める。
「すみません、その武器を収めてはいただけませんか?」
桜花が、破戒僧にむかって言葉を掛け始めた。
「むぅ…、貴女は。この盗人の仲間か」
「いいえ、妻です。十二支 桜花と申します」
「十二支…」
破戒僧が、何かに気が付いたようにオレと桜花の顔を見る。
「こちらは十二支 兎。桜花の夫です。見てわかるとおり、桜花は今丸腰です。そんな相手に錫杖を振り下ろすことを、あなたが信じる神仏はお許しになるのですか?」
「むぅ」
「ここはひとつ、話を聞いていただきたいのです。戦うのはそれからでも遅くはないでしょう?」
桜花の言葉を、破戒僧は何かを噛みしめるような顔で聞いていた。
信用するか、否か。
こちらとしても、これ以上怖い思いはしたくな・・・無用な争いは避けたいのだが。
「…いいだろう。話してみるがいい、御婦人。拙僧の知らぬことをな」
桜花のおかげで、どうやら話がまとまりそうだ。
「ご、御婦人…わ、悪くない響きですね、えへへ」
桜花、頬に手を当てて恥ずかしがってる場合じゃないけれど可愛いなぁオイ!!許す!!
大正コソコソ噂話(偽)
胡蝶 しのぶ
「ねぇねぇ、冨岡さん。急に俯いてどうしたんですか。ねぇ」
冨岡 義勇
「髪を引っ張るな。申し訳なくなっているだけだ」
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
番外其ノ伍 かつての兎と華の蝶
中でも最も重いものが、姉を親友などと呼んだことだ。
『なぁ、カナエ』
『なにかな、兎?』
『オレって弱いじゃん?』
『そうかな』
『そうだよ』
『そうかもね』
『今こうして甲まで上がったんだけどさ。正直これ以上階級が上がると死ぬよ、オレ死ぬ』
『それはこまるなぁ。わたしは兎が生きててくれないと寂しいもの』
『ねぇ、カナエ、ねぇってば。鬼にあっても死なずに済む方法考えてよ』
『しょうがないなぁ、兎は』
『簡単よ。鬼とも仲良くすればいいの』
『えー…』
『あ、なぁにその顔。馬鹿にしてるの?』
『いやぁ、なんというか。カナエらしいな、と思っただけ』
『そうなの?』
『そうだとも。長い付き合いのオレが言うんだから間違いない』
『そうね。長い付き合いだものね』
『お前みたいなのを幼馴染って言うんだろうな』
『幼馴染…か』
『? どうかした?』
『ううん。あ、そうだ兎。美味しい沢庵を出す蕎麦屋さん見つけたのよ、一緒に行きましょう?』
『いいねぇ』
『ねぇ、兎。どうしたの? ここの所ずっと上の空だけど。やっぱり柱の仕事は怖い?』
『うん、めっちゃ怖い。鬼狩りの頻度めっちゃ増えたんだけど』
『よしよし』
『やめろよ、子ども扱いするな』
『あはは、いいじゃないの。あ、よいではないかー、よいではないかー』
『唐突に面白いと思ったこと試すのはやめてくれ』
『あはは、ごめんごめん。それで、何を悩んでるの?』
『よく悩んでるってわかるな』
『わかるよ、兎の事だもの』
『? そっか。…そうだな、こういうのは女性のお前に聞いた方がいいかもしれないな』
『うんうん? 何かしら。好きな人でもできたの?』
『…』
『・・・・え? 嘘? ホントに?』
『…うん』
『・・・え。嘘。だって、誰?』
『だ、誰にも言うなよ? いいかい?』
『う、うん』
『…あ、仇散華さん‥』
『…っ』
『いや、わかるよ。わかる。そりゃ弟分みたいなオレが親友の事を好きになったなんて、場合によっちゃいやな話だよね』
『‥そんなことない!』
『うおっ!? びっくりした!』
『素敵じゃない、とってもいい事よ! 桜花は凄く可愛いしすごく強いもの、好きになるのも当然よね、可愛い事は正義! 私、あなたの『親友』としてあなたを応援するわ!』
『ッ、ありがとうカナエ! やっぱ持つべきものは『親友』だな!』
『任せて兎! めざせ夫婦柱!』
『おおー!』
『じゃあ、カナエ。また来るよ。相談に乗ってくれてありがとう』
『どういたしまして。桜花に振られるようなことがあったら私の所にいらっしゃい』
『縁起でもないこと言うな! 人類がしてはならないことの1つ、それは心臓に悪い発言だ!!』
『あはは、兎は面白いわね』
『ったく。ま、あんがとね』
『…そっか。桜花が好きなんだ。そっか。あはは』
『ねぇ姉さん。伍番の薬が見当たらないんだけど…、姉さん!? どうしたの!? うずくまって、何があったの!?』
『ごめんね、しのぶ。ごめんね。何も聞いちゃダメ、お願い』
『何言ってるの!? 伏せってないで顔をよく見せて』
『お願い、見ないで…。今、姉さんの顔を見ないで、しのぶ』
『ごめんね兎。応援するよ、もちろんよ。あんなに『恋』をしている顔、初めて見るもの。応援してあげなくちゃ。そうでしょ、兎。親友だもんね』
『なんで…、どうして…。どうして私じゃないの、兎…』
この文書は、業柱の強さを示す記録にはならない。
されど、誰かの記憶に焼きついた、涙の味の記憶である。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
十二支 兎は 流される。
「据え膳食わぬは男の恥って言葉があるでしょ? でもさ、据え膳用意されてる時点でオレとしちゃまだまだだと思うんだ。男なら素材のままだったとしても、美味しいって言って食べないとね」
十二支 桜花
「兎さん、ことわざの意味取り違えてませんか?」
大正○○年 ●月△日。
あの日の白刃を覚えている。
泣いて止める少年の顔を覚えている。
穏やかな彼の顔を覚えている。
月下、芒が揺らめく丘で。
鬼は、どちらだったか。
教えてくれよ、懺戒。
オレとオマエ、鬼はどちらだったのか。
大正○○年 ●月■日
「ぶぁああああかぁあああああものぉおおおおおお!!」
どうも、十二支 兎です。突然ですけど、オレ。
腕がちぎれそうです。
桜花の決死の訴えでオレ達の疑いは晴れた。無罪放免。未来は快晴。
よかった。よかった。
が、この後が問題だった。
「つまりはなにか? お前たち。鈴の病気を治すため旅人の荷を盗んだと?」
「お師匠様、ちげぇよ! あいつらが嘘ついてんだって!!」
「問答無用!! このご婦人の話は拙僧が聞く限り筋が通っている!!」
「えへへ、御婦人…。兎さん、なんだか照れくさいですね?」
「いや通ってねぇ!! みろ、あの筋というか表情筋の緩みきった顔を!!」
馬鹿だな少年。これが可愛いんだよ。みてろ、頭撫でたらもっと可愛くなるから。
「う、兎さん! ダメですよ! 桜花は妻なんですから、公衆の面前でゆるんだりは・・」
よしよし。
「ふぁぁあ」
「怪しいよぉお師匠!どう考えてもあっちの方が!!」
少年が必死の潔白を訴える。
が、ムダ。
「『数珠坊』! 菊!! 盗みをするなとあれほど言っただろう!! 拙僧は、拙僧は哀しみと呆れと怒りの頂点だ!! そこに直れ!!」
「ひッ!?」
そして破戒僧は錫杖で少年、数珠坊をぶん殴ろうとし、オレはそれを持てる腕力の全てで止めようとしている、と言う訳だ。
ってかこの破戒僧、日輪刀を筋肉で挟み込むだけあって、とんでもない力だ。鬼であると言う事を差し引いてもすさまじい。
「ええい、離さぬか! 拙僧は子を叱りたいのだ!」
まぁまぁ。まぁまぁまぁ。
まぁまぁまぁまぁ、と十二回程言った後、オレ達は荷を返してもらった。
盗られた物はなく、怪我もほとんどない。上々と言っていい出来だ。
「すまなかったな、拙僧の子らが」
破戒僧はそういって俺達に詫びた。彼は自らを、懺戒と名乗った。
「大丈夫ですよ。ねぇ、兎さん」
ああ、荷物も帰って来たしね。
「かたじけない」
懺戒はその巨体を曲げ、頭を下げた。襲い掛かってくるそぶりも見せない。
鬼の味がするのに、鬼の姿がどこにもなかった。
「あの‥、鈴、という方は、どんな病に…」
桜花が恐る恐る、といったように話しかける。
「鈴か。鈴はこの先の本堂に住む、数珠坊と菊の兄替わりだ。一月ほど前から病に伏せっている」
そうなのか。
懺戒はその、何時からあの子たちと?
「鈴が倒れてすぐだな。旅の途中で立ち寄ると、数珠坊にえらくなつかれてしまってな」
懺戒、数珠坊は何時になったら引き抜いてあげるの?
アンタが拳骨するから、ずぼっと地面に埋まってるけれども。
「彼奴が物盗りをしたのはこれで五度目だ。いい加減反省させねばな」
そこまで話したところで、穴だらけの引き戸が開いて、継だらけの着物を着た菊ちゃんが顔を出した。
「お師匠様。お客さまへの、茶と菓子を持ってきました」
「ああ、お出ししなさい。ちゃんとお前からも謝るのだぞ」
菊ちゃんはそう言って盆に菓子を乗せて持ってきた。乗っている菓子は‥。
あ、すごく見覚えがある。
「吹雪饅頭!!」
ぱぁあ、と桜花の顔が明るくなった。女神が降臨為されたぞ、ひれ伏さなくちゃ!
「…何をしておるのだ?」
ひれ伏してる。
ほむほむ、と饅頭を食べる桜花と、それを眺めるオレ。
懺戒も満足そうに、だけれどすこし申し訳なさそうにオレ達を眺めている。
ややあって、オレの分の吹雪饅頭を菊ちゃんが持ってきた。
せっかく持ってきてくれたことだし、頂こうか。
そう思ってオレも吹雪饅頭を口の近くまで持っていき。
ぴたり、と食べるのをやめた。
吹雪饅頭を口に近づけてわかった。
この饅頭は普通じゃない。
この味は、と言うかもうこの香りは。
桜花、ダメだ! その吹雪饅頭を食べちゃ、この中には…
「ヒックッ!」
恐らく酒が‥遅かったか。
桜花は決して酒を飲まない。
飲めばどうなるか解っているからだ。
「ありぇぇ? うしゃぎしゃぁあん? どぉうしたんですかぁ? あははぁ」
お、桜花? 大丈夫かい?
「うしゃぎしゃんこしょぉ、だいじょうぶでしゅ? なんれぶんれつしてるんれすかぁ?」
ふっぐ! 効果は抜群だ!可愛い、酔いどれ桜花可愛いぃぃ!
「ご、御婦人? どうなされた?」
「むぅ。うるしゃいでしゅ。きんにくさんはお部屋からでてくだしゃい!」
「し、しかしだな?」
「いいからいけよ」
懺戒はそっと部屋から出て行った。
おい未熟者! 戻ってこい!!
「えへへへ、うしゃぎしゃん、ふたりきりでしゅねー?」
えへへ、と言いながら桜花は顔をオレの着物に当てて、すりすり、と頬ずりをした。
あゝ、善きかな。
このまま時が止まればいいのに。
「むむ、うしゃぎしゃんが桜花をみてましぇんねぇ、ゆゆしき事態!しょんなときはちゅーしましょう、ちゅー!」
迫る桜花の唇を見つめて考える。
あまい味を思い出しながら考える。
いいか。流されちゃっても。
大正コソコソ噂話(偽)
菊ちゃん特製吹雪饅頭。
餡子に金陵というお酒が混ざっています。
子供が食べても平気な濃度に薄めてあるよ!
「菊の自信作です、皆さまでどうぞ」
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
十二支 兎は 刃を抜けない。
鬼殺隊士ハ何時如何ナル状況下ニオイテモ、日輪刀ヲ用イタ人間ヘノ傷害行為ヲ禁ズル。
ぼさぼさの白髪を掻き毟りながら、オレは隣で眠る桜花を見る。
すっかり酔いつぶれてしまった。吹雪饅頭で。
吹雪饅頭で酔いつぶれる女、十二支桜花。
可愛い彼女は、可愛いオレの妻なわけだが。
髪を撫でてやると、ん、とくすぐったそうに体を揺らす彼女の顔を見て、オレはつい微笑んでしまった。
微笑んで。
笑って。
そんな浮かれた顔を張って、意思を固める。
本音の笑顔を引っ込めたまま、オレは日輪刀を手に持ち部屋を出た。
「ご婦人は落ち着いたか?」
目当ての男は、堂から出て少し先の芒だらけの丘に居た。
筋骨隆々なその男が風に揺れる芒原に立っているのは、蜜璃が絶食する事と同じくらい奇怪な光景だったけれど、まるで十年来の宿敵と決闘をするのでは、というほどの凄味を出す彼の前に、何もかも、風も冷たさもうけとめて揺れる芒以外の植物が死に絶えてしまった、と解釈すれば自然な光景なのかもしれない。
否。
十年来ではないけれど。
宿敵ではないれど。
オレたちは決闘をするのかもしれないのだから。
やっぱりこれは違和感のない光景だったのだろう。
ああ、おかげさまで。それはそれとしてよくも一人で出ていってくれたな。
「うむ…触らぬ神になんとやらだ」
そりゃぜひともそうして欲しいとこだけどさ。
だって鬼じゃん。
鬼が神に触れたら鬼神じゃん、あるいは奇人じゃん。
…、あの子たちは?
「もう眠っている。子守も楽しいものだが、寝かしつけるのだけは中々慣れぬものだよ」
そっか。じゃあ邪魔は入らないな。
「応とも。邪魔は入らない」
こんな問答に意味があるのかと問われれば、きっと意味はない。
それでもオレは確かめなければならない。
炭治朗くんの時とはわけが違う。
オレは懺戒の事を、誰の口からも擁護されていない。
懺戒自身を見て、決めるしかないんだ。
すなわち、戦うか、見逃すか。
なぁ、懺戒?
「うむ?」
お前は、最後に米を食った時のことを覚えてるか?
「覚えておらぬよ。 なにせ、拙僧は鬼であるが故」
やはり、そうか。
懺戒、お前は凄い奴だな。
「凄い奴? 拙僧はそんな物ではない。拙僧は負けたのだ。死の恐怖から逃れようとして、死ぬよりひどい有様になってしまった」
それでも、オレは彼を称賛せずにはいられなかった。
鬼を称賛したのは初めての事だった。
思えば、彼の味は、他の鬼とは決定的に違っていた。
血の味がほとんどしない。
禰豆子ちゃんと同じ、もしくは近い状態だった。
これが意味するところは、つまり。
懺戒、お前は、人を食ったことがないんだな?
「…それがなんだと言うのだ」
懺戒は笑った。彼は笑い方が下手なのだと、オレは役に立たないが意味のある発見をした。
「拙僧は人を食わぬ、断じて食わぬ。だが…そんなことは拙僧がかつて当たり前にできていたはずの事なのだ」
「拙僧は人を食わぬ、断じて食わぬ。…どうしても耐えられぬ時は、自らに噛みついた」
「だが、本来、人はそんなことはしないはずなのだ。本当に美しい、拙僧が愛した人間は」
懺戒は知っている。自分が、もう戻れないところまで来てしまっていることを。
だが、それでもオレは彼を称賛する。尊敬する。
懺戒、お前は鬼なんかじゃ…
「やめろ、十二支 兎」
懺戒はそう言って拳を構えた。そういえば、あの錫杖を持っていない。
「拙僧は鬼である。貴様は鬼狩りである。拙僧は貴様の頭を握りつぶすことをためらわないし、貴様は拙僧の頸を断つことをためらうな。互いに、そうあるべきなのだから」
さぁ、刀を抜け。
目の前の男はそう言った。
確かにそうするべきだ。
このままオレがためらいつづければ、懺戒は強硬策に出るだろう。
強引に殴りかかる。
錫杖を使う。
町の人間を、隠を狙う。
桜花を、傷付けるかもしれない。
すべきことなんて決まっている。
やりたくないことなんて、いままで散々やってきた。そもそも、この仕事だってやりたくてやってる訳じゃない。
でも、人が死ぬから。
オレがやらなきゃ人が死ぬから。
死の味が、オレはどうしても嫌いだったから。
涙の味は、オレの舌に残るから。
だから怖いけど、人を死なせないために。
死にたくないから、死なせないために。
だから、鬼がもともと人間であることなんて、解っていたとしても。
オレは刀を振り続けた。
弱いなりにがむしゃらに。
周りや運に助けられながら。
だから、だからこそ。
懺戒、お前の要求を聞くわけにはいかないんだ。
オレがそんな思考をしていた時の事だった。
俺達が出てきた廃寺から、鬼の味が噴き出した。
大正コソコソ噂話(偽)
鬼殺隊には規則があるよ。
実は兎さん、違反して斬首されるのが怖すぎて、全部暗記しちゃったんだって!
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
十二支 桜花は 誘われる
「覚えてるかなー」
竈門 炭治朗
「どうだろう…」
氷柱 白雪
「ボク達の出番・・いつかなー」
竈門 炭治朗
「いつだろうな…」
これは兎さんが破戒僧 懺戒と芒原で対話を試みていたころの話。
私、十二支 桜花はゆっくりと目を覚ましました。
ゆっくり、という表現をしたのは、桜花が目を覚ます時ゆっくりと目を開ける、なんて優雅な特徴があるんですよ、なんてことを強調するためではありません。
最初に感じたのは頭痛でした。
頭の奥を締め付けるような痛み。
喉奥が焼けるようです。
菊ちゃんが持ってきてくれた吹雪饅頭を食べたところまでは覚えているのですが、そこから先は不透明。何も覚えていません。
全く。何も。
ふと自分の服を見ます。
ゆかたがすこしはだけてしまっています。だらしない、と兎さんは言うでしょうか。
妻として、みっともない姿を見せるわけにはまいりません。
桜花はすぐに浴衣を直しました。うん、さらさらとして気持ちがいい。
あれ、さっきまでもなんだかホワホワして気持ち良かったような。あれれ。
とにかく、覚えていないことは覚える意味もないようなこと、と前向きな思考に切り替えて、桜花は部屋を見渡します。
部屋の様子はさほど変わったように思えません。桜花たちの荷物も部屋の隅にまとめられています。こんどは、盗られなかったようですね。
そういえば、昔、兎さんは物盗りにあったことがあるとこぼしていましたね。
その時の下手人は今回のような子供ではなく、身なりの悪い男だったそうですが、なんでもその男との出会いが、その男の死が、その男から託された沢山の物が、兎さんが鬼殺隊の門をたたくきっかけになったそうですが、桜花は仔細を知りません。
なんだか恥ずかしがって話してくれないのです。
その時のことを聞くと、兎さんは決まってこう答えます。
「あー、うん。ちょっとね、込み入った上に恥じ入るような話だから、うん」
その時の目の逸らしようと言ったら、まぁ。
まぁ、桜花と出会う前の話ですし、兎さんはいつか必ず話してくれるでしょうから桜花は黙ってその時を待ちましょう。
そう考えると、桜花は意外と兎さんの昔を知りません。
いつ、どこで十二の呼吸を身に着けたのか。
どこで鬼を知ったのか。
そもそも、どこの生まれなのかさえも知りません。
そういえば、兎さんのご両親って、どんな方達だったのでしょう。
兎さんご自身も知らない、と言ってましたけど。
なにか覚えてることはないんですか? と、昔一度だけ聞きました。
「そうだねぇ。父さんについては、うん。まったく。母さんについても全く…と言いたいんだけど、うーん。母さんについては何と言うか、おぼろげながら記憶があるんだ」
「オレと違って黒い髪だったよ。あと、すごく温かかったような気がするんだけど、時々すごく冷たかったような…、あー、結局よくわかんないって事になるのかな」
要するに、よくわからないようでした。
結局、桜花が兎さんについて知っている事と言うのは、意外なことに少ないものなのです。
例えば、好みの食べ物とか。
例えば、好きな色とか。
例えば、あの日輪刀の事とか。
本来兎さんの色ではないあの純白の日輪刀。あの日輪刀を渡した時の事はよく覚えています。
あの夜の事を奇跡と呼ばず何と呼ぶのか。
桜花はあの日の事を忘れないでしょう。
そしてふと、気が付いてしまいました。
荷物の中からたった一つだけ。
日輪刀だけが無くなっていることに。
ぎしぎし、と音がなる廊下を浴衣姿で進む女。
いつものように髪を括ったその女。
はい、十二支桜花でございます。
私はとりあえず、兎さんと日輪刀を探しに部屋を出ることにしました。
月明かりのおかげで足を滑らせることはありませんが、廃寺と言う事もあってか光が当たっていることが逆に不気味です。なるほど、兎さんでなくても少し怖い。
ぎし。ぎし。ぎし。
ぎし。ぎし。ぎし。
廊下を歩き続けていると、ふと、先に蝋燭の灯りを見つけました。
動いています。誰かが蝋燭を持って歩いているようです。
桜花はその光を追いました。我ながら虫のようです。
ぎし。ぎし。ぎし。
またすこし歩くと、蝋燭を持っている子供たちが見えました。
菊ちゃんと確か…、数珠坊くんと言ったでしょうか。
二人が扉の前で何かしています。
「兄ちゃん、兄ちゃん。大丈夫か? 痛くないか?」
「お兄ちゃん、お薬は見つからなかったけど、『お話相手』連れて来たよ。あとすこししたら会わせてあげるからね」
数珠坊くんと菊ちゃんがなにやら扉に話しかけています。察するに扉の向こうに病床の鈴、と言う名の方がいらっしゃるのでしょうか。
しかし、うっすらとしか聞こえませんでしたが、『話し相手』?
桜花たちの事でしょうか。
はて? お兄さんとお話をするお約束などしていたでしょうか?
と、ぎぃいい、と扉が少し開いて、中から声が聞こえてきました。
余談ですけれども、こういう怪しい扉が開くときって、なんで部屋から煙が出てくる気がするんでしょう。いや、今回は出てませんけどね。
ともかく、開いた扉からは声が聞こえました。
低い声でした。
懺戒さんも相当低い声でしたが、部屋から響く声は、部屋の先には地獄があるのか、というほどに低い声でした。
すなわち、まるで人ではないような。
「数珠坊、菊。ありがとう。ありがとう。全く嬉しくて涙が止まらないよよよ」
「話し相手を連れてきてくれて兄ちゃんは嬉しいぞぞぞ」
「おう、兄ちゃん! 俺達に任せとけって! 薬も見つかればまた昔みたいに『日の下を歩ける』ようになるよな!!」
「うん、お兄ちゃん、その眼も元に戻るからね」
「ああ、ありがとう、うれしいななな」
「そちらの美しいお嬢さんが俺の話し相手かななな」
・・・ああ、そういうことですか。
桜花はゆっくりと、驚く数珠坊くんと菊ちゃんが桜花の姿を、蝋燭の灯りで照らせる距離まで近づきました。
「ああ。綺麗な方だななな。うれしいよよよ」
「あ、ぺったんばばぁ! いつの間に!?」
…。
数珠坊くん、こっちに来なさい。
「へ、へんだ! 誰が行くもんかよ!!」
菊ちゃん、貴女もです。早くこっちに来てください。
「え…?」
「お嬢さんんん。二人が無礼をはたたたらいてててもうしわけありませんんん」
だまりなさい。
もう人の言葉を話さないで。
「お前、鈴兄ちゃんになんてこというんだ!!謝れよ!!」
数珠坊くん、菊ちゃん、早く・・。
早くこっちに来てください!!
その『鬼』はもう重度の飢餓状態です!
『気付いて』しまう前に早く・・・
「・・・あれれれれ? 菊、お前ってこんなにいい匂いだったかななな?」
血が飛び散って、蝋燭の灯りが酷く揺らいだような気がしました。
飢えて、飢えて。
飢えて、飢えて。
いつしか舌も回らなくなってしまったよ。
次は思考も回らなくなる。
最後は、回っていたことを忘れてしまうんだ。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
十二支 桜花は走り出す。
ようやっと続きが書ける環境になってきました。
作者はこの約一年の間、雷に打たれるわ、谷に落とされるわ、罠だらけの山に閉じ込められるわと散々な目にあったので、文章力が落ち切っていると思いますが、暖かな目でご覧ください。
大正○○年●月■日
廃寺から噴き出したのは、鬼の味。
懺戒と同じで、全く血の味はしないのに、こちらはなんだかものすごく嫌な感じのする味だった。
なぜ今まで気付かなかったのか、自分でも不自然に思うほどに。
「この気配…そうか。やはり、そうだったのだな」
懺戒が寺を見て何かつぶやく。
はっきりなにか喋っていたはずなのに、何を言っていたのか、ほとんど耳に入らなかったのは、オレの思考が一瞬で固まってしまったからなのだろう。
オレはあの寺に、桜花を残してきた。
懺戒と戦っている場合じゃない。
今すぐ寺に戻らねぇと!
そう思い、足に力をこめる。
筋肉の繊維。血管の1本1本まで意識を張り巡らせる。
誰にでもできる簡単な技術だけれど、これは全集中の呼吸における重要な工程の1つだ。
呼吸により発生する力はオレの左足に集約され、自分でも怖いほどの加速を産む。
まってろ桜花! 今すぐ行く!
そう自分に喝を入れ、一歩目を踏み出そうとして。
「だぁあああめぇえ。うさぎちゃんの相手はぁ、何時だってぇ、わぁ、たぁ、しぃ」
空から堕ちてきた銀髪の鬼に、頭を思い切り踏みつけにされた。
大正○○年●月■日
とっさに走って胸元に菊ちゃんを抱きしめた自分の行動を客観的に見て、桜花はまだ本当の意味での全集中を使えないほどにはなまっていないことを理解しました。
しかし一方で、やはり最前線から離れていた事は、確実に桜花を弱くしてしまったようです。
鬼の爪が、桜花の浴衣の裾を切り裂きました。
わずかに爪が皮膚を裂き、そこからぽたぽたと血が流れます。
痛い。
でも、腰を抜かして震える数珠坊くんと、桜花の腕の中でまだなにが起こったのか解っていない様子で呆ける菊ちゃんを見て、悲鳴を挙げる暇もないことを桜花は理解しました。
「おおお、おおおおお」
扉を開けた先に居た鬼、二人には、『鈴』と呼ばれていたでしょうか。
煤だらけの床に落ちた桜花の血と、その血がながれた腕を見て、目を見開き、よだれを垂らして喘いでいます。
「なんだぁ、甘い匂いだなな。だ、だれか、香でも焚いたのかかか」
鬼は、まだ自分がどうなっているのかはっきりと理解していないようでした。
鬼になってから、二月、あるいは、一月。
そう時間も経っていない。
数珠坊君と菊ちゃんが今日まで五体無事に済んでいることが何よりの証拠です。
「す、鈴兄ちゃん…?」
腰を抜かしたまま数珠坊君が恐る恐る声をかけている。
目の前の現実が信じられない。そんな顔でした。
「ど、どうしたんだよ? なんだよ、その・・・顔‥」
血管の浮き出た表皮。
唾液に濡れた牙。
するどく伸びる爪。
もう人としての姿をしていない。
おそらく彼も兎さんからきいた少女と同じく、いままで強い精神力で鬼としての本能を押さえつけ、ギリギリのところで人間として踏ん張っていたのでしょう。
そうでもなければ、二人があの状態の彼を、『病気』だなんて思う訳もない。
彼は私たちがやってきたこの日、あまりにも哀しい覚醒をしてしまった。
それはきっと、無関係ではないのでしょう。
だって。
だって、桜花の血には―――。
『いいかぃ、仇散華。あたいはアンタに刀を打ってやってるけどね、勘違いしちゃいけないよ』
『アンタは傷を負えば負うほど不利になる。それがたとえかすり傷でもだ』
『アンタに負傷は許されない。その白い刀身を自分の血で濡らすことがあってはならない』
『他の隊士共には負けるくらいなら腹を斬れ、せめてアタイの傑作たちの切れ味を証明してから死ね、なんていうぐらいなんだけどねェ』
『なぁ、アンタ。鬼殺をやめるつもりはないのかい? 険しい道だよ。他の隊士よりずっと』
『…そうかい。じゃあ、肝に銘じておくんだね』
『アンタはこの世に1人いるかいないかの希少な稀血。アンタの負傷は、仲間の死につながるよ』
「甘い香りだァ。甘い香りだだだだだっだ!」
瞬間、鬼は床に這いつくばって桜花が落とした血痕を
ぺろり、ぺろりと舐め始めました。
最初は菊ちゃんを狙っていました。恐らくは桜花ほどではありませんが、この子もきっと。
「お、お兄ちゃん…」
「そんな、やめて。やめてくれよ、鈴兄ちゃん!?」
ようやく現状の異常性に気が付いたのか、子どもふたりが騒ぎ始めました。
しかし、今は好機。
鬼が桜花の血に気をとられている内に。
桜花は腕の中で震える菊ちゃんに、そっと耳打ちしました。
いいですか、菊ちゃん。
合図をしたら数珠坊君をおこして、それで―――
「・・え?」
大丈夫。言うとおりにしてください。
それが、お兄さんを治す方法なんですよ。
桜花は子供に嘘をついたことがありませんでした。
昔はなんでも正直に話したものです。
あなたの両親は鬼に喰われて死んでいた。
あなたの親は鬼になっていたから私が『処分』した。
なんでも正直に。
本当の事だけを話してきました。
桜花はやはり、戦場からはなれて変わってしまったみたいです、兎さん。
昔は子供に睨まれたって平気だったのに。
今は子供の、菊ちゃんのすがるような目が、今はこんなに痛いなんて。
「本当、ですか‥?」
ええ、言われたとおりにしてくださいね、菊ちゃん。
鬼はいまだ、夢中で床を舐めています。
桜花は、その鬼の顔に向かって。
怪我をした腕を思い切り振り払いました。
怪我をした腕を振れば、当然傷口から血の飛沫が飛びます。
それらは鬼の顔にかかって―――。
菊ちゃん! 今のうちに言われたとおりに!!
走って、部屋の中に隠れて! 桜花とは『反対方向』に逃げるんです!
菊ちゃんは涙を流しながら、数珠坊君をゆすって立たせています。二人ともまだ顔は恐怖一色ですが、菊ちゃんに引っ張られて二人は鬼が住んでいた部屋の中へ。
反対に鬼はぬっと顔をあげ、顔にかかった血の水滴を、一粒口の中にいれて。
「おまぇ。あまままままま」
「もっとだ! もっと」
「お前の血をよこせぇええええええ!」
二人と入れ替わるように、桜花の方向へ駆け出しました。
さぁ、ここからが本当に桜花がなまっているかどうかが試されます。
実践するのは初歩の初歩。
柱と甲を分ける、呼吸の技術。
身体の筋肉の筋。
その一本一本に至るまで。
意識を集中させて、その勢いのままに、
踏み込む!
身体を走らせて桜花は鬼の爪を振り切って、走ります。
二人から鬼を遠ざけながら、鬼が桜花を見失わないように。
兎さん、あの子たちは桜花が守ります。
だから兎さんも。
無事で、いてくださいね。
大正コソコソ噂話(偽)
鈴さんはとっても器量の良い人でしたが、寝ているところを鬼にされてしまいました。
無意識下での変化が何をおこすか、という無惨の気まぐれな実験です。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
番外編其ノ陸 氷炭相愛 狭霧山
竈門 炭治郎
「タラの芽です!」
氷柱 白雪
「女の子だよー」
竈門 炭治郎
「白雪。この質問はきっと食べ物について聞いてるんだよ」
氷柱 白雪
「? じゃあ間違ってないよねー?」
竈門 炭治郎
「・・・え?」
大正○○年●月■日
炭治郎はこの半年間ずっと日記をつけている。
鱗滝さんから教えてもらった技術や極意、修行の内容とそのおかげで死にそうになっていることなど、事細かに。
人の日記を見ることはさすがにボクも気が引けたんだけど、たまたま布団に隠してあったのを見つけてしまった。
とはいっても、詳しい内容までは読んでいない。
そもそも男の子の書いた日記にそんなに興味がある訳でもなかったし、炭治郎は友達だから、ボクは日記に書いてある禰豆子ちゃんとの思い出や、禰豆子ちゃんのかわいらしさ、もうとにかく禰豆子ちゃんのことが書かれた部分だけ暗記して、そっと日記をもとの位置に戻したのだ。
ボク、氷柱 白雪は本当に友達思いの人格者だと思う。
さて、鱗滝さんの所で修業を始めて早くも八か月近く、例の柱のおじさんがやって来てボクと禰豆子ちゃんの甘い時間を邪魔してから早くも二ヶ月ちょっとが経ったわけだけれど。
毎度のことながら、炭治郎は鱗滝さんにしごかれていた。
今日は呼吸法の訓練だ。
一回やるごとに炭治郎はお腹をばんばん叩かれる。
あれは痛い。
正直な所、子供の頃から氷柱家で鬼狩りの修業をしていたボクからすれば、炭治郎は要領が悪いと思う。
ボクが一か月で出来るようになる事でも、炭治郎なら三か月かかるだろう。
ほとんどの事で、ボクは炭治朗の上を行っているだろう。
決して、彼を馬鹿にしている訳じゃない。
ボクはずっと、刀を握って、握らされて生きてきた。
炭治郎はずっと、家族と一緒に炭を焼いて生きてきた。
経験の量が違うんだから、差が出るのなんて当たり前だ。
だから、ボクが炭治郎を手助けするのは当たり前なんだ。
そう思って炭治郎が刀を持たせてもらった頃、ボクは一つ提案をした。
ねぇ炭治郎、せっかく二人いるんだし、鱗滝さんに教わったことを夜に練習してみようよー。
炭治郎は大層喜んだ。
ばんざーい、とその場で両手を上げて喜んだ。
それは炭治郎の焦りの発露なのかもしれない。
禰豆子ちゃんは今も眠ったままなんだから。
そして今日も稽古の後、ボクと炭治郎は刀を持って外に出た。
あまり鱗滝さんの家から離れると危ないし、ほんの少し離れるだけ。
いいー炭治郎? 刀はこうやって握るんだよー?
「こ、こうか?」
刀をもった炭治郎は、柄に力を込める。
うーん。握り方はあってるけど、力入れ過ぎ。
炭治郎ー? もっと肩の力抜いてー? 深呼吸だよー。
「そ、そうか。すーっ! はーッ!」
こりゃあすごいや。深呼吸にまで力が入ってる。
これは落ち着かせるのが先かもしれないなぁ。
しかし、女の子については知らないことはないこの白雪ちゃんだけども。
男の子とはほとんど話したことないんだよね。
どうやったら落ち着くんだろ。
そうだ、この間やってもらったアレをすれば炭治郎も落ち着くかもしれない。
そうだそうだ、それがいい。
炭治郎ー、ちょっとこっちに来てー?
「なんだ白雪? 手招きなんかして」
山の土を踏みしめて、炭治郎が歩いてくる。一歩一歩、こちらに向かって。
そしてボクの手が届くところまで炭治郎が歩いてきたところで。
ボクは手のひらを、炭治郎の頭にのせた。
「えっ? し、白雪?」
そのまま、ボクは炭治郎の髪を撫でる。
赤みがかった、綺麗な色だ。
ボクの水色の髪とは正反対で、すこし羨ましい。
「白雪、どうして‥?」
炭治郎だって前にやってくれたでしょー? あの時すっごくほわほわして落ち着いたからさー。
炭治郎も落ち着こうよー、焦るより、できることを1つずつでも増やそう?
炭治郎はうつむいたまま、なにも言わなくなってしまった。
まずいことをしたかな、と焦ったところで、ボクは思い出した。
炭治郎はあの時言っていたじゃないか。
ボクの髪を撫でたのは、『妹の花子を落ち着かせるのによくやった事だったから』って。
『花子』。
炭治郎の、二番目の妹。
あった事なんてある筈もない。顔だって知らない。
ボクが知っているのは、その子はもうこの世に居ないと言う事だけ。
ボクがやったことは、炭治郎の心の傷を踏みつけにする行為だ。
謝らなくちゃ。炭治郎に。
ボクが口を開こうとすると、炭治郎は急にがばっ! と頭を起こした。
驚いてボクは手を引っ込める。
炭治郎は、目を閉じていた。目を閉じたまま、黙っている。
わからない。いつもは簡単に言葉が出てくるのに。
なんて言葉をかけたらよいのだろう?
女の子のことなら一目見ただけで、なんでもわかるのに。
こんなとき、お姉ちゃんならなんて言うんだろう。
「すぅー・・・はぁー・・」
息を吸う音がする。はっ、と意識を炭治郎に向けると、彼は深呼吸をしていた。
すぅ、と吸って、はぁ、と吐く。
それを繰り返して、炭治郎はゆっくりと目を開けた。
「できることを、1つずつ増やす、か」
そう言って、炭治郎はボクに向かって笑いかけた。
「ありがとう、白雪。君がいてくれて良かった。一人だと、どうしても力が入ってしまってたから」
お日様のような笑顔だった。
逆にボクはこの時、どんな顔をしていたのだろう。
きっと炭治郎も知らない。この時のボクの表情を。
なんだか見せられない顔になっているような気がして、顔を背けてしまったから。
「白雪? どうしたんだ?」
どうしたんだ、じゃないだろ。
「…ま、まさかなにか気に障るようなことでも言ったか!? すまない!」
気に障るようなことを言ったのは、ボクだろ。
お人よしめ。
ううん、なんでもない。
そういって、ボクは取り繕って顔を上げた。
ボクの表情を見て、炭治郎はすん、と鼻を鳴らしたけれど、やがて表情を引き締めて、刀を構えた。
もう、余計な力は入ってない。
うんうん、その調子だよー、炭治郎。
じゃあ一緒に素振りしようかー。悪いところがあったら、言っていくからねー。
「ああ!」
そういって炭治郎は刀を振り始めた。一回、二回、三回・・・。
何回かに一回振り方がぶれて、ボクはそれを指摘し続けた。
炭治郎は要領が悪いけれど、努力の才はある。
いつかはボクより強くなる。
ボクのよく当たる『勘』はそう言っていた。
…ねぇー、炭治郎ー?
「なん、だっ、しら、ゆきッ!」
素振りしながらも、律儀に答える炭治郎。
ボクは炭治郎の友達だからねー、ずっと。
「もち、ろん、だっ!」
本当に律儀に答えるなぁ、炭治郎。
ボクは女の子が好きだ。
手を繋ぎたい、可愛い着物を着てほしい、抱きしめたい、一緒に寝たい。
可愛い子ならもっと好きになる。
でも男の子とはあんまり話したことがない。
だから、正直ずっと苦手だった。
ただ、炭の香りがする男の子は、友達としてなら最高点かもしれないなぁ。
らしくないことを考えて、ボクは少し炭治郎をからかってやることにした。
炭治郎ー、ボクがいかに親切だからって、ボクに惚れるなよー。
「? ああ、そんな、ことは、しないぞ! 安心、してくれ!」
だから、几帳面にそんなこと言うなよ。
柄にもなく、すこしチクっとしたじゃないか。
大正コソコソ噂話(偽)
炭治朗くんは白雪ちゃんの臭いをあまり嗅ぎません。
そういうの、無神経だと思うし、禰豆子ちゃんもお兄ちゃんがそんな真似してたら嫌がると思うよー?
白雪ちゃんのこの一言が決定打になりました。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
十二支 兎は 声を出す。
届かなかったとしても、報われなかったとしても。
ただひたすらに前を向け。
死したときのみ、刀を離すことを許す。
大正○○年 ●月 ■日
ぎりぎりと頭を押さえつけられる。
芒が何本か口に入って気持ちが悪い。
オレの頭を押さえつけている鬼の醜悪な味に比べればマシだけど。
くそ。嫌な再会もあったもんだな! 過愚夜!
「もぉおう、て、れ、や、さんねぇ。うさぎちゃぁああん」
オレを押さえつける上弦の零、過愚夜は黒い着物にぶら下げた目玉を左手で弄びながら、オレの頭から足をどけようとしない。
くそ、離せよ! 桜花の所に行くんだ!
「その必要はないわぁ。ねぇぇ? ざぁんかぁい?」
過愚夜は背後の鬼――、懺戒に声をかける。
懺戒は目を伏せたまま口を開かない。その味は、何かを迷っているようにも、決断しているようにも、怒っているようにも――諦めているようにも感じた。
「私とのお約束。忘れてないわよねぇ?」
「…。うむ」
懺戒は錫杖を手に持ち、ゆっくりと歩きだす。
やがてオレと過愚夜の横を通り過ぎる。
一歩一歩。 一歩一歩くたびに、諦めの味が強くなる。その先にあるのは、廃寺。
中に居るであろう鬼の味がきつい刺激臭に変わる。飢えた鬼の味だ。
懺戒は、そこに向かって歩いて行く。
懺戒!
呼びかけても、彼は答えてくれない。
聞こえていないのではなく、届いていない。
過愚夜との約束ってなんだ。
お前はどうしてコイツの事を知ってるんだ。
オレの前に現れたのは、偶然じゃなかったのか。
裏切られた訳じゃない。オレ達は家族でもなければ、友達でもない。
それどころか、彼とは今夜出会ったばかりだ。
交流だってほとんどない上に、それはきっと互いに打算に満ちた交流だった。
オレはまともに話ができる鬼と出会って、いろいろなことを聞きたかった。
冨岡君の行動の正しさを、正しくない衝動の正しさを証明したかったから。
懺戒は、オレを過愚夜に差し出したかった。
きっと、何かを欲していたから。
オレ達は互いに互いを利用していた。
いや、それ以前に寺から鬼の味がしなければ、オレ達は互いに斬り結んでいたのだろう。
だから、懺戒がオレに背を向けて寺に向かうことは何も不思議なことじゃない。
オレのすべきことは弱いなりに全力で抗って桜花の元を守る事。
ただそれだけだ。
諦めるな!
どうして、そんな言葉が口をついて出たのだろう。
オレは気が付けば懺戒の小さくなった背に向かってそう叫んでいた。
懺戒の歩みが、ぴたりと止まった。
「? んぅ?」
オレの頭上で過愚夜が訝しげな声を上げる。
それでも足はあげてくれないようだった。
懺戒は、ほんの少し、ほんの少しの間だけその場に立ち止まっていた。
しかしややあって、懺戒は芒の丘を降りていく。
「うふふふっ、いったわねぇ、懺戒。 さぁうさぎちゃん、これで私たちぃ、二人きりぃ」
過愚夜はそういって押さえつけていた足を退ける。オレはとっさに身をひねって悪鬼から距離をとった。全力で走っても逃げられないのは解っている。
ゆっくりと立ち上がって、腰の日輪刀に手を伸ばす。ちり、という音が腰から聞こえた。
オレの手の震えが、刀に伝わっている。
なぁ、今すぐ帰ってくんない、ねぇってば。
今お前の相手なんかしてられねぇんだよ。
「んふふふふっ、うさぎちゃあぁん、震えてるぅ…かわいそうねぇ‥」
喜色満面。顔中に喜びを張り付けながら過愚夜はすっ、と弄んでいた目玉を自分の口元にあてた。
「わたしねぇ、ずぅううっとかんがえてたのよぉ?」
ぺろり、と手に持った眼球を舐める。眼球がてらてらと、月明かりに当たって光った。
「どうすれば、兎ちゃんと一緒に居られるかなぁ? どうしたら邪魔な糞雌共を始末できるかなぁ?考えたのよォ」
次の瞬間、過愚夜はあーん、と声に出しながら、眼球を口の中に放り込んだ。
桜花のあーんの五万倍悍ましい。
ごりゅ、ごりゅ、ごりゅと音を立てて、過愚夜は口の中の眼球を噛み砕く。
彼女はそれを、ごくりと呑みこんだ。
「うさぎちゃぁん、私と一緒になりましょうよぉおお、この中で」
そう言って過愚夜は自分の腹を指さして、怪しげに笑った。
冗談じゃない。
オレはそう言って彼女の要求を突っぱねる。
手に力を込めて、日輪刀を引き抜く。白い刃が、月の光を浴びて光った。
悪いけど、死ぬなら桜花の膝の上だ。
お前なんかお呼びじゃない。
帰った方がいい、帰って。
「桜花、桜花、桜花…」
「おうか、おうか、おうか」
「ダメよォ、うさぎちゃぁん?」
「私以外を見る余裕なんて、もぉうないわぁ」
過愚夜の体が黒く染まる。あの夜と同じだ。奴が来ている着物よりも、どす黒く、一点の白色さえ存在できない程の『黒』。
銀色の髪が映えて、月明かりの元に立つ様は、悔しいが1つの芸術品のようだった。
「今夜はだぁれも来ないわよぉ。間違いなく二人っきり」
「さぁ、おいでぇ。喰ってあげるぅ」
血鬼術 『天羽・忘失』
真っ赤に染まった羽衣のような肉が背中から飛び出した。
その数、六。
うわぁ…。蜘蛛みたいな奴。
「蜘蛛は八本よぉ、うさぎちゃぁん、あと二本足りないわぁ」
過愚夜がケラケラと笑った。
生き汚いオレは、そんな見え見えの好機は逃さない。
足に力を込めて一気に接近し、シィィィ、と息を吐く。
日輪刀に力を込める。
集中しろ。相手が手数で攻めてくるなら、こっちも手数で勝負する。
『虎』の呼吸!
『肆虎・肆填』!
あの夜と同じ展開。四本の斬撃を過愚夜に向けて叩き込む。
あの時、過愚夜は血鬼術を使ってこの技を防御した。防御すると言う事は、まともに入れば効果があると言う事。
防いだ瞬間に、『あの呼吸』に切り替えて――
スパンっ、と間の抜けた音がした。
四本の斬撃が斬り落としたのは――、芒。
「遅いわ、兎ちゃん」
背後から声がした。
悪寒、殺気の味。
とっさにその場から飛びのいて、刀を構える。
飛びのいている間にも思考ができるだけ、大したものだとオレは自分をほめて伸ばしながら、次の作戦を考える。
あいつの言う通り、今のままの『虎』じゃ遅いんだ。
落ち着け。なら次はこうだ。
重ねて、四刻。
『午』の呼吸、『掛馬――
廃寺から鬼の味がさらに強くなった。
それに混じって、舌先にちりちりと刺激が走る。
それは今一番感じたくなかった味だった。
そんな。
嘘だ。
この味。この鬼の味に混ざってくるのは。
嫌だ。『この血』の味は。
「だぁからぁ? 遅いのよぉ、うさぎちゃあぁん」
耳元から、ぶぅん、と音がして。
オレは肉の羽衣に薙ぎ払われた。
大正コソコソ噂話(偽)
懺戒さんは現在こそ絶食していますが、人間だったころはそばが好物でした。
それも一般的なかけそばばかりを好んでいたそうです。
蕎麦屋が間違えて揚げを乗せた時にはついお椀を握りつぶしたそうです。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
十二支 兎は 怒る。
かつて十二の剣士が完成させた、究極の呼吸。
型は無く、ただ人を非人に変える、外道の呼吸。
十二人はそれぞれ怪物であったが。
そのなかでたった一人だけ、自ら命を絶った剣士がいた。
彼女が使用した呼吸の名は『酉』。
彼女はこういった。
「哀しいの。私の戦いを見た剣士たちは、皆死んでしまうの」
大正〇○年 ●月■日
鳩尾に入った。
過愚夜が放った肉の羽衣は(あんな強度の肉塊を『羽衣』なんて呼んでいいものかどうか)、オレのアバラを砕き、身体を打ち据える。
肺に取り込んでいた空気が全て吐き出される。口の中に、鉄の味が広がった。
これは、オレの血の味。
くっそ不味い。
でもさっき寺から漂った血の味はもっと不味い。
あの血の味は、間違いなく。
「うさぎちゃぁあん、よそ見なんてだぁめよぉ?」
血鬼術『御石の鉢・大嘘』
吹き飛んだオレとの間に生まれた距離を、過愚夜が一瞬で詰める。
御石の鉢、という血鬼術は前に会った時も使っていた。
全身、あるいは局地的に肉体を硬化させる技。
強度は日輪刀をたやすく上回り、虎の呼吸でさえも弾いてしまう。
その鋼の拳が、今オレの目の前に放たれようとしている。
回避しなければ、こんどはアバラでは済まない。
顔面が潰れる!
全集中! 『午』の呼吸!
『掛馬』!
午の呼吸。掛馬。
呼吸を全身にめぐらせるだけではなく、その一連の動作、反復をすべて二倍の速度で行う技。
移動速度、回避速度、攻撃速度。
全ての速さは、この呼吸を続けている間だけ二倍になる。
しかし、それでもなお過愚夜の拳は早い。
高速で回避したはずのオレの頬をちりっ、と掠り、地面に叩きつけられた。
べごん、と音がして芒畑に大穴があく。
おまっ、えっ!? おまっ!
動揺のあまり変な声が出た。恥ずかしい。
あんな拳で殴られればひとたまりもない。
ゆらり、と銀髪を揺らす鬼を見て、改めて上弦の強さを思い知る。
次元が違う。
いままで出会ったどの鬼とも。
「ふふ、必死なのねぇ、兎ちゃぁん。そんなぁに私を見てくれるのォ?」
陥没した地面の中心から、奴がオレに声をかける。
あろうことか、奴はほんのりと頬を染めていた。
まるで恋する乙女の様に。
まるで、これが当たり前の日々の様に。
ふざけるな。
オレは刀を正眼に構え直して吐き捨てる。
アバラが軋んで激痛が走るが、構っていられない。
オレは桜花の所に行く。邪魔をするな。
「桜花。まぁあた、桜花!」
過愚夜の味が変化した。怒りの味。
顔は憤怒の形相に固められ、瞳がせわしなく揺れる。
やべぇ、めっちゃ怖い。
「兎ちゃんはいっつもそう! 口を開けば桜花桜花桜花桜花桜花!!」
「意味が解らないわァ!あの女より私の方が兎ちゃんを想ってる! 貴方
とずっと一緒に居てあげられる!あの女があと何年貴方と一緒に居られるのかしら!?私は貴方を鬼にして連れて帰るの! 今度こそ一緒に過ごすのよ!永遠にっ、永遠にッ!」
まずい。よくわからないが怒りで錯乱状態になっているようだった。
普段の不気味な語り口も、強者の余裕も吹き飛んで、過愚夜は妄言を吐き散らす。
今度こそってなんだよ、この間の戦いが初対面だろ。
いや、気をとられるな十二支 兎。
寺に居る桜花を救うためには、冷静に、目の前の一手一手に集中するんだ。
過愚夜が何を言ったとしても、軽はずみな挑発には乗らずに。
「あああああああッ、あの売女! ろくでもない泥棒猫! あの女は駄目! 弱すぎる!兎ちゃんとは一緒に居る価値もないような糞女―――」
頭の中で、何かがはじけた。
空気がびりびりとしびれる。
叫び続けていた過愚夜は、半狂乱になって、十二支 桜花に対して呪詛を投げ続ける。
それは嫉妬心だった。
本当なら、十二支 兎の手を取るのは自分のはずだった。
彼を鬼にして、ずっと一緒に暮らすはずだった。
鬼になってからずっと、最愛の彼の事を忘れたことは一日だってなかった。
彼を抱きしめたい。
彼の頭を撫でたい。
彼と。彼と彼と。彼と彼と彼と。
やりたいことが沢山あった。話したいことも山ほどあった。
それが何の運命の悪戯か、彼は結婚し、その相手は自分よりも弱い桜花という女。
到底認められるはずがない。
兎の横に立つ女が、兎より弱いなんてことがあっていいはずがない。
本人に自覚は無いのだとしても、最強の彼に並び立つのなら、必要なのはそれを超える強さだ。彼を守るため、その為には最強より強くなくてはならない。
あの日、あの花畑で桜花を踏みつけにしたとき、過愚夜は確信した。
ああ、駄目だ。
この女は駄目だ。
兎ちゃんには相応しくない。
弱い。弱すぎる。
桜色の髪も気にいらない。
華奢な体も気にいらない。
愛してもらえると、本気で信じていることが何より気に入らない。
だから、殺してしまおう。
兎ちゃんの目の前で、辱め、引き裂いて、ズタズタにして、雑魚鬼どものエサにでもしてやろう。
すべては、『私の兎ちゃん』のため。
だが、これはどういう事だ。
何をしても、どうやっても。
兎ちゃんの口からは桜花桜花桜花。
あの女の名前ばかり。
私の事をちっとも見てくれない。
撫でてくれない。
愛してくれない。
どうして?
私はこんなにもあなたを愛しているのに。
過愚夜は怒りに呑みこまれていた。
兎にではなく、ここまで強く兎を『洗脳』し、誑かしているあの女。
十二支 桜花に怒りをぶつける。
口からは、数多の罵詈雑言が飛び出した。
彼女は確かに十二支 兎を愛している。
しかし愛しているばかりで、理解していなかった。
十二支 桜花を貶すということが、妻の尊厳を汚されるということが、十二支 兎にとって、どんな意味を持つのかを。
空気が変わる。
最強の鬼殺隊士、業柱の赤い目が見開かれ深紅に染まる。白い髪の毛が逆立ち、びりびりと、あたりに殺気が飛び散った。
「―――、十二の呼吸、禁式」
呟くような声だった。唸るような声だった。
普段の彼なら絶対に出さないような声だった。
「『酉』 刻限――四」
次の瞬間、兎は大地を蹴って過愚夜に接近した。
「なぁに!? やっぱり私を選ぶ気になったのかしらァ!?」
対して過愚夜は御石の鉢を発動させて身を固める。
この状態の過愚夜を斬る事は、いかに兎といえども不可能だ。
そう思っていた。
しかし、次の瞬間、過愚夜はその油断に足を掬われることになる。
「『風の呼吸 壱ノ型 塵旋風・削ぎ』」
突如、兎の日輪刀から暴風が噴き出した。
暴風は刀を受け止めようと腕を構えた過愚夜を呑みこみ、諸共に吹き飛ばす。
「がっ!?」
吹き飛ばされながら、過愚夜は自分の腕を見る。
信じられない。肉が一部削がれている。
吹き飛ばしても、兎の追撃は止まらない。空中に舞う過愚夜を見ながら次の構えに移る。
「『雷の呼吸 壱ノ型 霹靂一閃』」
雷が落ちるような音が轟いて、兎の体が宙に向かってはねた。
真っ直ぐ過愚夜に向かって飛んだ彼は神速の居合術をもって斬りかかる。
「ちょ、ダメダメダメッ!」
血鬼術。 『羽衣・忘失、四ノ月』
とっさに肉の羽衣をとがらせ、鋭い槍として兎に向かって突き出す。
四本の槍が彼の喉元を狙ったが、内三本が切断された。
しかし、残りの一本が兎を襲う。
狙うのは、頭蓋骨。
「『水の呼吸 弐ノ型 水車』」
兎の体が突如、縦に回転した。
まるで水車の様な軌道を描いた斬撃が残りの槍を斬り落とす。
「そんな、一体どうなって――」
その言葉を最後まで彼女が紡ぐことはできなかった。
「『水の呼吸 漆ノ型 雫波紋突き』」
彼女の喉元に、波紋の中心を突くかの如き一撃が放たれた。
鋭い突きは、彼女の喉元に深く突き刺さる。
図らずも空中で両者は、初めて出会ったときと同じ状況下に置かれた。
「う、うふふふっ、兎ちゃん。またあの技をするのぉ?」
喉を刺されながらも、過愚夜は可笑しそうに問いかける。
兎の十二の呼吸における、空中戦想定の呼吸、『卯』。
その中でも兎が完成させた奥義『月砕』は、絶大な威力を発揮した。
しかし、その技は過愚夜には通じない。
過愚夜は血鬼術で体を灰に変えることが出来る。
いかに兎と言えど、灰を斬る事は出来ない。
「いいわぁ、やってぇ。兎ちゃんのあの技ァ、最高に気持ちがいいのォ」
恍惚とした笑みを浮かべ、過愚夜は語りかける。
胸が高鳴っていた。
対して兎は何も言わない。
ただ、深紅の瞳で過愚夜を見つめている。
過愚夜はさらに胸が高鳴るのを感じた。
やがて二人の体が、落下を始めた。
地面に向かって、まっすぐに。
過愚夜が違和感に気付いたのは、その直後だった。
落下を続けているのに、兎が一向に月砕の構えをとらない。
これでは落ちているだけだ。
このままいけば兎は地面に衝突して死ぬ。
「お前を逃がしてから、ずっと考えていた」
やがて、兎がぽつりと口を開いた。
「お前のあの反則技みたいな血鬼術を破るには、どうしたらいいかって」
兎が、ここにきて日輪刀に力を込めた。
「考えて考えて考えた。 飯を食いながら」
「お前のあの技は確かに無敵だ。発動されたら絶対に逃げられちまう」
「だからこそ、考えた」
「そして、気が付いた。この技『自体』には攻略の糸口がないって事に」
そこまで聞いて、過愚夜は彼の考えを理解した。
「う、兎ちゃん! ま、まってェ!」
「またない。お前は、オレの一番大事なものを侮辱した」
兎が刀に込める力を、いっそう強くした。
過愚夜の知らない構え方。
「永遠に悔いろ。灰ごと呑みこむ、土の中で」
十二の呼吸。『卯』の呼吸、応用版。
『月砕 落陽』!
地面に叩きつけられた過愚夜を衝撃が襲う。
今回は着地してすぐ、兎が日輪刀を抜いて体を転がす。
が、過愚夜に与えられた衝撃は、刀を抜いても止まらない。
「がっ!、ぐッ、ぐぅぅううう!?」
衝撃が何十にもなって襲ってくる。刀に細かな振動を渾身の力で与えることで、なんどもなんども。月砕を連続で受けるかのような衝撃が彼女を襲い続ける。
体を灰にしたとしても、身体がどんどん地面にめり込み、埋まって行く。
ここで灰になってしまったら最後、過愚夜は二度と元に戻れない。
地面の中には、灰が移動できる隙間などないからだ。
「う、さ、ぎ、ちゃ、うさ」
やがて体がうまり、顔も埋まり始める。
それでも衝撃が終わらない。
「うぅぅうぅううう」
「うぅぅうぅぅうさああああああああああああああああぎぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっっ!!」
彼女が必死に伸ばした手は届かず、やがて意識は土の中に消えた。
十二支 兎は静かにそれを見届けた。
芒の丘に静寂が訪れる。
優しい風が芒をゆらし、揺れる芒に合せるように。
十二支 兎は口から血を吹いて倒れた。
十二の呼吸『酉』
十二の呼吸、二つの禁じ手の1つ。
これを習得した剣士は特殊な『目』を持つことになる。
この呼吸を体得すれば、鬼殺の呼吸、型であれば見ただけで完全に模倣することが出来るようになる。
その模倣は、酉の呼吸に耐えられる肉体を持つものが使う事でさらに昇華され、原点を超えることさえも可能。
ただし、この呼吸は禁じ手である。
行き過ぎた才能は、努力を怠らぬ鬼殺隊士たちの心を殺してしまうことになるからだ。
故に必ず、この呼吸の詳細は秘匿とする事。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
番外編其ノ漆 十二支兎と伊黒小芭内が甘露寺蜜璃の見合いを破談させようとする話。
「嫌いな人? 伊黒 小芭内」
伊黒 小芭内は言った。
「気に入らない奴? そんなことを聞いてどうするつもりだ? まぁいい。十二支 兎だ」
甘露寺 蜜璃は言った。
「みんないい人ばっかりで困っちゃう!」
「おい、手を貸せ」
業屋敷にやってきて早々、同僚にこんなことを言われたら、皆はどうする?
オレ、十二支 兎だったらこうだ。
ぴしゃり、と引き戸を締める。
するとすぐに、どんどん、と戸を叩く音がした。
「なぜ同じことを二度も言わせる? それが時間の無駄だと言う事も解らないのか?」
はぁ、と溜息をついて。オレは引き戸を開けた。
何の用だよ、伊黒。
目の前で絶賛不機嫌全開の蛇柱、伊黒 小芭内に向かって、オレは問いかけた。
心底面倒くさそうに。というか、実際面倒くさい。
「ふん。くだらない用事で俺がここに来るとでも? よりにもよってお前に頭を下げなくてはならない俺の気持ちがお前にわかるか?」
よし帰れ。
そう言ってオレは引き戸を閉めようとした。閉めようとしたら、するりと玄関に伊黒が入って来た。悔しい。
「…、あの女はいないのか?」
ん? ああ、桜花なら今留守だけど…。
おい、桜花になんか用か?
「そう警戒するな。今日はお前に話がある。仇散華には用はない。俺の言う事を信用しないなら、話は別だが」
あっそ。じゃあ言えよ。ここでさっさと。
「茶ぐらい出せないのか。気の利かない奴だ」
遠慮ぐらい出来ないのか? 大人げない奴だ。
「・・・・・」
・・・・・・。
お互いに火花を散らしながら、オレ達は居間に移動した。
ちなみに茶は出した。とろろ昆布は絶対渡さない。コイツの喜ぶ顔が見たくないからだ。
見たことないけど。
はぁ!? 蜜璃の縁談をぶち壊して来いぃ!?
「なんども言わせる気か? 理解力に乏しいなお前は」
涼しげな顔をして伊黒は我が家に居間に寝そべっている。
すっげぇくつろいでるよこの野郎。
しかも茶飲まないのかよ。
いや、そんなことより。
は? 縁談? あいつまたそんなことやってんの?
「奴は恋柱とまで呼ばれる女だぞ。諦めたとでも思っているのか? だとしたら俺の方がお前より甘露寺を理解している」
おい。なにちょっと嬉しそうにしてんだよ。
やめろその顔、腹立つ。
「ふん、まぁ『甘露寺の事を何もわかっていない』お前のために説明してやることは、俺としてもやぶさかではない。お前はただでさえ理解力が乏しいんだ。しっかり聞いて覚えるんだな」
伊黒はわざわざ蜜璃のことをわかっていない、という部分を強調してオレに説明を始めた。
やっぱりコイツはあの日斬って捨てるべきだった。
伊黒の説明を纏めると、こうなる。
恋柱、甘露寺 蜜璃は恋に生き、恋と結婚する女である。
『理想の男性と結婚するため』に鬼殺隊に入隊するほどには、恋に狂っている。
しかし一方で、初対面で彼女を見たとき、なぜ結婚できないのか、と考える人も多いだろう。
彼女の容姿は、傍からみても非常に整っている。
町を歩けば町人は皆、彼女に目を奪われる。天真爛漫な性格も、男心をくすぐるのだろう。
俺には桜花がいるから全く何も感じないけど。
っていうかどんだけ可愛くても妹分だから。桜花が一番美しいって事実は蜜璃じゃひっくり返しようがないから。
伊黒に睨まれながらも説明を聞く。
だが蜜璃は現在結婚できていないどころか交際相手もいない。
彼女の桃色の髪(一部若草色。桜餅の配色を思い浮かべて頂ければわかりやすい)や、柱の中でも随一の筋力、さらにはあの大飯ぐらい。杏寿郎をも凌駕するその食欲がトドメとなって、彼女から男が逃げてしまうのだ。
時にはなかなかに酷い事を言われて帰ってくる彼女を、何度慰めたことやら。
で、今回の話。
蜜璃の新たな縁談の話。
いや、縁談自体はなにも珍しくない。っていうか、最初に話を聞いた時オレは思った。
またか、と。
結婚をあきらめきれない(というか諦める気なんて全くない)蜜璃は、たびたび縁談を組んでもらっている。自分から率先して。
珍しいのは、今回、男の方から縁談を申し込んできたと言うところだ。
相手はとある醤油蔵の息子。結構な金持ち。顔立ちも整っていると来た。
当然、甘露寺 蜜璃 有頂天。
大喜びで、その話を同僚にして回った。
そしてそれを運の悪いことに目の前の蛇男が聞いた。聞いてしまった。
なぜか異様な焦燥と怒りの味をにじませて、善き相談役伊黒 小芭内は我が家の門をたたいたのである。
そして彼は自らの考えをオレに打ち明けた。
この縁談ぶっ壊そう。と。
うん。やっぱり帰れ。
次の日。オレと伊黒は揃って見合い場となる屋敷に忍び込んでいた。
宇随君に助言をもらって、オレ達は屋根裏に潜むことに。
日輪刀で小さく穴を開け、真下の部屋の様子を見ることにした。真下の部屋で、蜜璃は縁談をすることになっている。
これも宇随君の助言。
訳を話した時の彼の憐憫に満ちた瞳は静かに語っていた。
『助言はしてやるからオレを巻き込むな』と。
どうやらこっそり連れて行こうとしたのがばれていたようである。
侮れぬ。さすが元忍。
「いいか、失敗は許されん」
大真面目な顔で伊黒が話しかけてきた。なんかこの伊黒、嫌だ。
「作戦を確認する。奴に斬りかかるところまでは暗記できたか?」
そもそもオレが暗殺に反対していることを忘れたか?
俺達は火花を散らしあう。永劫分かり合えないと思っているが、それを差し引いても今回オレは悪くないと思う。
今回のオレの仕事はコイツが妙なことをしようとしたら押さえつけることなのだ。
とまぁそれはさておき。
しばらくすると、するするとふすまが開いて男が入って来た。事前に渡されていた人相と一致する。どうやら彼が件の男のようだった。身形もきっちりしているし、見ている分には特に問題ない人物に見えた。
さらにはまだ蜜璃が到着していないことに渋い顔をする使用人をたしなめたりしている。
金持ちには珍しい、好青年だった。
ただ、これはオレから見た人物像であって。
目の前の蛇柱にとってはそうではない。
「どうしてくれようかどうしてくれようかどうしてくれようかどうしてくれようか」
わぁ、ねちっこさが何時もよりもすげーや。
オレやっぱりコイツキライ。
オレ達が必死に屋根裏で日輪刀の取り合いをしていると、反対側のふすまがするすると開いて、桃色の着物を着た蜜璃が部屋に入って来た。
おそらく一目で男の容姿にときめいたのだろう。いつもの「きゅん」の表情である。
うん、まぁ確かに可愛い。
桜花には劣るが。
そして蜜璃が現れてから伊黒は何も言わなくなった。まさに固唾を呑むと言った感じである。
そして、見合いが始まった。
結果的に言えば、蜜璃にとっては良い方向に、伊黒にとっては悪い方向に話が進んでいった。
相手の男は見るからに気遣いができる。
蜜璃の大食いを見ても、髪の色を見ても何も言わない。
それどころか終始ニコニコと笑って蜜璃を見つめ、たくさんご飯を食べる蜜璃を見ても、「たくさん食べる女性は好きです」なんて言葉をかける。
男の一挙手一投足に蜜璃がきゅんきゅんするものだから、オレは必死に伊黒を押えなくてはならなかった。
そして二人は食事を終えて、中庭に向かって行った。どうやら二人で散歩をするらしい。
もうここからでは見張れないようだった。
そっ、と伊黒を見ればトントントントンと指をならし、時にその指が日輪刀に伸びていた。危険人物である。
な、なぁ伊黒。もう帰ろう? これ以上オレ達がすることなんてないぜ?
「ふざけるなよ十二支。奴の首を落とすまでオレは帰らんぞ」
お前も見ただろ? 蜜璃のあの顔。幸せそうだったじゃないか。
「‥‥」
伊黒が押し黙る。どうやら彼にも思うところはあったようだった。
オレは言葉を重ねる。
そりゃあ、お前が仲間の中でも蜜璃を可愛がっているのは知ってるよ。
でも、この縁談、ぶち壊すことが果たしてアイツの為になるのかな。
いいじゃんか、本人が幸せなら。
伊黒は黙っていた。諦めてひっそりと屋敷から抜け出して帰路に着くまで、何も言わなかった。
二人の柱が天井裏に張り付いていることなどいざ知らず、甘露寺 蜜璃は有頂天になっていた。
(やったわ! ついに、ついに! 私の事わかってくれる人が現れたのよ、高鳴っちゃう!)
蜜璃は一直線な少女である。目の前の男の人間性一つ一つにときめいて、もう自分の心臓じゃないみたいだった。一緒に庭を歩きながら蜜璃は彼と一緒になる未来に夢を馳せていた。
そしてししおどしがかこん、と5回音を立てた頃。男がきりだした。
「甘露寺さん。僕は貴方を好いております」
「共に、来てはいただけませんか」
「今の危ない仕事はもうやめにして」
「私と一緒に」
蜜璃は嬉しかった。そう言ってもらえることは、本当に珍しい事だったから。
今すぐにでも「はい」と返事をしたい。
そうだ。ここでそう答えることに何の抵抗がある?
なにも間違っていない。
ここで、はいと言うべきだ。
「ごめんなさい」
その日、甘露寺 蜜璃ははっきりとそう答えた。
「ええ? どうして断っちゃったんです?」
翌週。十二支 桜花は団子屋で隣に座る甘露寺 蜜璃にそう尋ねた。
「悪い人ではなかったんでしょう?」
「うん、すっごく素敵な人だったの。だからね、今になって哀しくなってきちゃったわどうしよう」
「それならお受けすれば良かったのに」
うーん、でもね、桜花ちゃん。と蜜璃は言葉を続けた。
「上手くいえないんだけどね、あの人が見てたのは甘露寺 蜜璃だけど、あくまでそれは町娘 甘露寺 蜜璃なの」
「はぁ・・」
「そうやって見てくれる人もホントに少ないし、ホントにいい人だった。でも」
「私は、私の全部を見てくれる人と一緒になりたいの。町娘も恋柱も、どっちも好きになってくれる人」
難しい道なの、困っちゃう。
そう言って蜜璃はがっくり肩を落とした。桜花は、その背をよしよし、と撫で続けた。
可愛い妹分が人を好きになると言う事の意味を自分よりもしっかり理解しているような気がして、少し悔しかったけれど。
「…ところで」
「なに?」
「あの二人はさっきから何をしているんでしょう?」
「ほぅら。いっただろう十二支。俺の方が甘露寺の事をよくわかっている。なのにお前はあの時幸せがどうこうと言って俺を丸め込もうとしたな? どう落とし前をつけてやろうか?」
「へーへーすんませんでしたー」
「ん? なんだ? 今のは謝罪か?誠意が足りないな。もっと地面に向かって深く頭を下げろ。それで許してやろう」
「へーへー。ごめんなさーいねー」
桜花が指さした先には、何故か超ご機嫌な伊黒 小芭内と、げんなりした様子の十二支 兎がいた。
二人が話している様子を蜜璃はしばらくぽかんと見つめていたが、やがて嬉しさで顔をほころばせて、二人の元に駆け寄った。桜花も彼女の後ろに続く。
そして蜜璃は伊黒に。
桜花は兎に話しかけた。
「伊黒さん!」
「ん? なんだ甘露寺」
「兎さん」
「うん、なんだい桜花」
「「二人とも、何時の間にそんなに仲良くなったの(んです)?」」
「「だれがこんな奴と!」」
互いに指さしあう二人を見て、桜花と蜜璃は顔を見合わせてくすくすと笑った。
兎と蛇は互いの顔を見て、不機嫌そうに視線を逸らすのだった。
大正コソコソ噂話(偽)
伊黒さんが兎君を頼ったのは、他の柱に頼めるほど普段から交流を持っていないからです。
あと、兎さんなら桜花さんネタでちょっとゆすれば簡単に動くと考えたからです。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
十二支 桜花は 叫ぶ。
彼女は生まれつき『稀血』と呼ばれる特殊な血の持ち主。『稀血』は鬼にとってごちそうであり、一人食べれば通常の人間五十人、あるいは百人分の栄養を得ることが出来る。
また、その血が珍しければ珍しいほど、鬼にとっては効果が高い。
桜花の体を流れる血は『稀血』の中でも一等珍しく、一滴でも舐めた鬼は彼女の血に対して強い依存性を持つことになる。
さらに性格もより凶暴になる。
仮に強い自我を持つにいたった十二鬼月であったとしても、桜花の血の魅力には勝てないだろう。
『仇散華』の血は、『狂戦士』を産む蜜である。
大正○○年 ●月 ■日
桜花はひたすらに走ります。
この廃寺が入り組んだ作りになっていたことは、不幸中の幸いでした。
曲がって曲がって、そしてぎりぎりあの鬼の視界に入り続ける。
少しでも、数珠坊君と菊ちゃんから遠ざけるために。
「まぁあああああてぇえええ!」
鬼は涎を垂らして追ってくる。
両足で走りながら、時に転び、四つん這いで追ってくるその姿からは、もはや人間だったころの尊厳など欠片もありません。
やっぱり、桜花の血は鬼を狂わせる。
兎さんに出逢うまでずっと、この体質を呪ってきました。
けれど今だけはこの体質に産まれたことに感謝しましょう。
おかげで刀を握ることが出来なくても、人を守れる。
しかし、ずっと逃げてばかりという訳にもいきません。
相手は鬼。桜花は人間。
持久戦になれば、鬼に軍配が挙がります。日の出まで逃げる、と言うのも手ではありますが、鬼がそれを嫌って寺の奥に引っ込めばあの子たちと鉢合わせしてしまうかもしれない。
やはり、やるしかありません。桜花がこの鬼を倒すしか。
しかし、相手は十把一絡げの雑魚鬼といえども、日輪刀が無ければ完全に倒すにはいたりません。
日輪刀は今、兎さんが持っています。その兎さんがどこに行ってしまったのか桜花は知りません。
一体どうすれば。
そこまで考えた時、ぐおん、と大きな音が寺に響きました。
聞いたことのある、まるで虎の唸り声のような音。
兎さんの『虎』の呼吸。
兎さんが、近くで誰かと戦っている!
桜花はこの時、一瞬迷いました。
兎さんの所に行くべきか、否か。
兎さんの所に行けば、兎さんを危険に巻き込むことになる。でも現状、鬼を倒すためには兎さんに頼るしかない。今ここに居る、日輪刀を持った鬼殺の隊士は兎さんだけなのだから。
その一瞬の油断を見逃さない程度には、鬼は酩酊しておらず。
その事実に頭が回らない程度には、桜花は愚かでした。
「血だ、血だァ!! お前の血だだだだっ!」
追ってきた鬼の手が、桜花の首筋を狙っていました。
早い、さっきまであれだけ距離を保っていたのに。
桜花の血で、鬼が強化されている!
けれどまだ間に合う。一気に背後に跳んで、また距離をとればいい。
全集中の呼吸を――――――――――
じゃき、と音がして、鬼の爪が桜花に向かって飛び出しました。
それは血鬼術にも満たない、鬼としては当たり前のような再生力の応用。
指にある五本の爪を瞬時に伸ばして、相手を貫く。
狙うのは桜花の体の中心、心臓―――
とっさに体をひねって躱そうとしました。
でも。
ズグリ、と鋭利な爪が桜花の左肩を貫きました。
う、ぐッと口から声が出ます。
爪は深々と刺さっていて、簡単には抜けてくれそうにありません。
「うひ、うひひほほほほほ、血、血、血」
鬼が感極まった表情で、嬉しそうに笑っています。
ニタニタ。ニタニタ。
「どうだぁ痛いよなななァ」
痛い。
「鬼ごっこはお終いだァ、オマエは俺が喰うんだ、旨そうなんだァ、オマエの血ィ」
喰われる。
鬼は嗤って、するすると爪をしまいながらこちらに迫ります。
このまま近づいて桜花を食べるつもりなのでしょう。
桜花の血を飲んだ鬼は強化状態。
日輪刀は手元にない。
血が、止まらない。
ああ、このまま食べられてお終い?
鬼殺隊最恐とまで言われた桜花が?
ここで、お終い?
鬼の顔が眼前に迫る。
今にも牙を突き立てて、桜花の首筋に喰らいつく。
どうしよう。
悔いがいっぱいある。
桜花はたくさん、たくさんの人達に謝らないといけないのに。
心無い事を言って傷付けた人達。
迷惑ばかりかけたお館様。
こんなダメな妻を、ずっと愛してくれた兎さん。
兎さん。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
桜花は、桜花は最後まで。
『桜花』
誰? 桜花を呼んでいるのは、誰?
『呼んで無いわ。呼んであげるもんですか』
『桜花がここに来るのはお婆さんになってから。兎と一緒にたくさんたくさん幸せになった後』
『それは絶対、今じゃないわよね?』
…ああ、幻聴ですね。いよいよ最後です。
『失礼ねぇ、もう』
『兎も桜花も、強いのに簡単に諦めちゃうんだから。やっぱり私がお姉さんしてあげないとダメかしら』
嘘。そんな。
だって、だってこの声。
『…前を見て。十二支 桜花。今、貴女がしなくてはならないことは何?』
忘れる筈ない。
桜花に、私に心をくれた、花のように可憐なこの声。
親友の、声。
『頑張れ、桜花。モタモタしてたら、私が兎、貰っちゃうよ?』
「アアアアアアアアアアアアッ!!」
目の前に迫った鬼の顔。
私はきっ、と顔をあげ。
その憎たらしい顔にむかって、思い切り握り拳を叩き込んだ。
「うぎあッ!?」
予想もしていなかった反撃に、鬼の体は仰け反り、私の肩を貫いていた爪も抜け落ちる。
どくっ、と肩から血が流れ落ちるけれど、もう気にしてなんていられない。
「て、てめえええっ!」
鬼がのた打ち回っている。正確に顔面を、しかも目の部分を思い切り殴りぬいてやったので、それなりに痛いのかもしれない。
「ふざけるなふざけるなふざけるなよ! 諦めてオレにくわれりゃいいんだだだだだ!」
諦める? そっちこそふざけないで!
気が付けば私は、半ば八つ当たりのように叫んでいた。
私は諦めたりなんかしない!
まだやりたいことが沢山あるのよ!
冨岡さんに鮭大根作ってあげたい!
しのぶちゃんがちゃんと昔みたいに笑えるようにしてあげたい!
蜜璃さんともっと恋のお話したい!
霙さんが全快するまでちゃんとお見舞いに行きたい!
煉獄さんに、宇随さんに、兎さんといつも遊んでくれてありがとうって言いたい!
みんなに、みんなにもっと言いたいことがあるのよ!
兎さんにだって、カナエにだって!
だから、だから絶対諦めたりなんかしません!!
「なんだなんだ、何言ってんだァ? 意味がわかんねぇなぁ!!」
鬼はそう言ってふらふらと立ち上がります。
こうなったら、殴れるだけ殴ってやります!
普段の私なら絶対言わないようなことを思いながら、私は腹を決めました。
「いいから黙ってェ、血を寄越せぇぇええ!!」
鋭い爪を振りかぶりながら、鬼は桜花に向かって飛びかかりました。
「ふむ、御婦人。あなたの勇には感服せざるを得ないが、拙僧から1つだけ助言をしてしんぜよう」
鬼の背後の暗闇から聞こえた声、そして、発射された丸太のような拳と風切音。
鬼の頭蓋が砕ける音。
「殴るときは、もっと力いっぱいするべきだな。相手がこういう手合いなら、特に」
ぎぇ、と一声あげる暇もなく、桜花の横を殴られた鬼が飛んでいきました。それはもう、ものすごい勢いで。
つい、きゃ、と声が出てしまいました。恥ずかしい。
暗闇から現れたのは、一匹の鬼。けれど今相対していた鬼とは違い、その瞳には優しさと、理性的な光が宿っていました。
「しかし、『諦めない』、か。貴方たちは揃って同じことを言うのだな」
「そうだな。…拙僧も、諦めるには早いか」
僧の鬼、懺戒さんはそう言って、慈しむような目を桜花に向けていました。
場所は変わって、芒の丘。
血を吹きだして倒れた十二支 兎は、這って寺に向かっていた。
残った僅かな力で日輪刀を握りしめながら、それでもなお、愛する妻の為。
「途中で、流れてきた、血の、味‥。まちがい、ねぇ・・」
十二支 兎は戦いの途中で寺から流れ出る人間の血の味を感じ取っていた。
人並み外れた味覚を持つ十二支 兎は、流れる風を舌先に充てることで、周囲の状況を『味』によって知ることが出来る。
「桜花、桜花・・・・」
十二支 兎は大量に失血している。
アバラが折れた状態で、さらに禁じ手の『酉』の呼吸を乱発。
その状態で空から落ちて地面を転がった。
普通の人間なら三回死んでいた。
立ち上がれるはずがない。動けるはずがない。
それでも十二支 兎は 諦めない。
きっと桜花だって、諦めていないのだから。
「桜花、お、うか・・」
「たまたま近くにいたから、あなたの鎹鴉の知らせを受けてきたんだけど」
十二支 兎の頭上で声がした。
顔をあげる体力はない。
それでもその声は、兎が聞いたことがある声だった。
それは、あまり思い出したくない思い出。
『ねぇ、いい大人が恥ずかしくないの?』
長い黒髪の先端は薄い若草色。穏やかなその表情は整っているが、一切の感情を感じさせない。
彼は黒い鬼殺隊服と日輪刀を持って、兎を無感動に見下ろしていた。
「たくさん血が出てるね。もう死ぬかな」
霞柱『時透 無一郎』は、少しも悲しくなさそうにそう言った。
大正コソコソ噂話(偽)
香川でうどんも食べず、ふろふき大根を食べる時透君。
決死の飛行で助けを求めたねぎまにより呼び出され、若干不機嫌。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
『鈴』
仕事はできたし、稼ぎもあったけれど、些細なことで親父ともめて勘当された。
気晴らしに、何時も昇っている山へ入って。
そして、二人に出会った。
大正〇○年 ●月■日
「たくさん血が出てるね。もう死ぬかな」
人は死が近づくと、走馬灯と言うものを見るらしい。
過去の温かい思い出や記憶、そういった物を瞬時に追体験できるんだとか。
それは言うなら、死の間際、人間の善行に対する仏様のおぼしめし?
だったら今日からオレは無神論者だ。
走馬灯ぐらいちゃんと桜花に設定しといてよ。
なんでこの子?
「ねぇ、何時まで寝てるの? 起きなよ」
「ぎえええっ!!」
そういってぶっ倒れた俺の背中に日輪刀の鞘をぐりぐりと押し当てる霞柱、時透君であった。アバラが折れてる、オレの背中に、それはもうぐりぐりぐりぐり。
って時透君!?
やめて痛いすっげー痛い!!
「ひゅ、と、とき、とう」
「ちゃんと喋りなよ」
無茶を仰る!?
重症の先輩をしこたま殴る後輩を殴りつけたいけれど、立つことさえもままならない。
「早く立って。まだ終わってないんだろ」
だからなんつー無茶を言うかねこの糞餓鬼―――
「早くやりなよ。見張っててあげるから。お館様が言ってたよ。『傷を治す呼吸』があるんでしょ?」
・・・。あ。
「なに? まさか忘れてたの?」
本当にオレは桜花の事が絡むと気が動転してしまうようだった。
さぁ、あの呼吸は『ものすごく痛い』けど、桜花の為だ。やってやる。
全集中・『牛』の呼吸。
『丑三牛刀殺(うしみつのぎゅうとうさつ)』
呼吸を全身にめぐらせる。ただしこれは、一般的な全集中の呼吸ではない。
全集中の呼吸が体全体の細胞、運動機能を活性化させるが、『牛』の呼吸はその上で俺の細胞を高速で『殺していく』。
そうすることで負傷した傷を細胞単位で捨てていき、新しい細胞を次々に無理やり誕生させる。これである程度の傷は回復できる。
ちなみにこの事を昔、しのぶちゃんに話したらすごい顔でドン引きされた。
『いやいや、兎兄さん!? 人の身体ってそう言う事じゃ、そう言う事じゃないですよね!?』
『でも実際治るよ?ねぇってば』
『えー…?』
ただ、この呼吸も完璧ではない。
裂傷、刺突程度の傷は治せても、さすがに折れた骨を完全に治癒することは難しいし、そもそも即死していたら何の意味もない。
さらに他の呼吸より集中する必要もあるため、これをやっている間、オレはこの場から一歩も動けないし、どの呼吸も使えない。日輪刀だって触れない。
鬼、オレをかじり放題。
そして何より問題なのはこの呼吸、オレの自然治癒力を超えて傷を治療するので、使用中はとにかく。
「あんぎゃああああああああああああッ!! 痛い痛い痛い痛い!? やめていいかな時透君!? やめていいよねぇ痛い痛い痛い痛いうわぁぁぁあああああッ!?」
「もうちょっと治した方がいいよ」
「うわぁぁぁん!! もうやだやめる辞めてやる! 牛の呼吸も柱も辞めてやるぅ!!痛い痛い痛い!」
「それだけ叫べるなら、まだ頑張れるよね、大人だもの」
「うぐううう、お、大人は痛いの嫌いなの! 思い出すたびに涙が出そうな思い出が多いから!」
君との出会いもその1つだよ! と叫びながら、オレは治療に専念するのであった。
「しばしそこで待っていてくれ。貴方の夫も併せて医者に診てもらおう」
桜花を柱にもたれさせながら、僧の鬼――懺戒さんは優しく声をかけてくれました。
浴衣の足部分を裂いて簡単な帯を作り、止血はしていますが、ずきずきと痛む左肩。
「そうしてもらえると、助かります」
「うむ。しかしいままでおとなしかった鈴がこのような…」
懺戒さんは吹き飛ばされ、いまだにぴくぴくと痙攣している鬼、鈴さんのなれの果てを見て呟きます。
というか、鬼には強靭な再生力があるはずなのですが。
どれだけの威力で殴られれば気絶なんてことになるんでしょうか。
「…貴女の血か? 稀血だな」
懺戒さんの言葉に思わず身をすくめます。懺戒さんだって鬼。桜花の血の影響をこの距離で受けない筈はないのだから。
「懺戒さん、ひょっとして…」
最悪の可能性も考えなくてはなりません。
「ふむ。まぁ貴女の心配も最もである。しかし安心されよ。確かに少し酩酊している気はするが、拙僧にその血はあまり効果がないようだ。効果があるならとっくに貴女を喰っているだろう」
なんというか、何もかもが規格外の鬼です。
十二鬼月さえ狂うとされる桜花の血をこんな至近距離で見て平常としているなんて。
飢餓の状態になっているようにも見えませんし、やはり何か特別な鬼なのでしょうか。
「…拙僧はなにも特別ではないぞ」
桜花の心を読んだかのように、懺戒さんはそう言いました。
「…拙僧は悪鬼である。それは変えようのない理だ」
「お、お師匠!」
ふと、声がして。
振り返れば、そこには数珠坊君の姿がありました。後ろには隠れるように菊ちゃんの姿もあります。
隠れてなさいと言ったのに。
それでも、兄替わりが突然あのような姿に変わってしまったことに不安を覚えていたのでしょう。震えながらでも、必死に様子を見に来た。
「っ、ぺったんババァ! 怪我したのか!?」
君を怪我させたいですね。
「こんなの、大したことではありませんよ。むしろ貴方が桜花をその呼び名で呼び続けることに一番傷ついています」
「・・・ごめん」
それは何に対する謝罪なのか。桜花は追及しないことにしました。後ろに隠れている菊ちゃんも、慌てたように、けれどしっかりと頭を下げました。
「なぁ、ぺったん」
心外! やっぱり追求した方がいいでしょうか!?
「それさ、やっぱり…」
「お兄ちゃんが、やったの?」
菊ちゃんが、消え入るような声で言いました。その瞳には、うっすらと涙が浮かんでいます。
「…菊」
懺戒さんが、優しく声をかけました。
「ちがうの。違うんです、お師匠様」
菊ちゃんが震えながら、声を絞り出します。
「あたしたち、頑張ったんです。突然お日様の下にでなくなったお兄ちゃんに、元気になってほしかったんです」
菊ちゃんはしゃくりあげながら話してくれました。
菊ちゃん、数珠坊、そして鈴という青年の三人はみんながみんな孤児でした。
それぞれがそれぞれの理由で親に捨てられ、同じ山で出会った。
最年長だった鈴という青年は震える二人にこう言ったそうです。
『俺たちは同じ山に捨てられた、いうなら兄妹だ!』
『前を向いて生きよう。なぁに、たかだか親に捨てられただけさ! 仏様に見捨てられた訳じゃない!』
そういって鈴は二人を引き連れ、苦労の末に下山して日雇いで働きながら旅を続けたそうです。
彼は手先が器用で、いつも茶屋の店先で芸をしてお金を稼いだり、良いものではないけれど布を買ってきて二人の服を仕立てたりしてくれました。
数珠坊君の袈裟も、菊ちゃんの継接ぎの着物も、鈴が作ったもの。
二人は彼を兄のように、親のように慕っていました。
けれどこの廃寺を寝床に構えた夜を境に、状況が一変します。
その日、鈴は無理がたたって病に伏せっていました。医者に見せれば、たちの悪い風邪と診断され、しばらく安静にしていれば治るとも言われたそうです。
『ごめんな、二人とも。兄ちゃん頑張って治すからな』
そう言って鈴はあの部屋にこもりました。
風邪をうつしては悪いと思ったのでしょう。
そして、恐らくはその夜に。
鈴は太陽の下にでなくなった、いいえ。きっと、出られない体にされた。
鈴は扉越しに唸るようになりました。
かろうじて口が聞けても、もう呂律がまわらない状態。
もしこの時鬼になっていたのだとしたら、これは驚嘆に値する事実です。
鬼になってしまえば、よほど力がない限りは自我を失いますし、強い飢餓状態に陥ります。
ですが、桜花と出会った時の状態、飢餓の進行状態から見て、彼は一人として人間を食べていない。
それも、近くに稀血の菊ちゃんがいたのにも関わらず。
唯一の働き手だった鈴がいなくなったことで、お金が入らなくなりました。
この時、数珠坊君が言いました。
『きっとあんな安い医者の薬じゃだめなんだ。もっと金持ちが持ってる薬じゃないと』
『菊。今度はオレ達が鈴兄ちゃんを助けよう』
こうして数珠坊君たちは盗みに手を染めることになり、最初は身なりの良い高僧から荷物を盗むことにしたそうです。
夜中、芒の丘に現れた1人の僧。彼は廃寺を見つけると、安心したようにそこで眠りにつきました。
その男が寝静まった時を見計らって、数珠坊君は荷物に手を伸ばし、そして。
『少年。それをやったら、拙僧はお主を殴らなくてはならなくなるぞ』
僧、つまり懺戒さんに捕まりました。
暴れる数珠坊君を、懺戒さんは容赦なく殴って簀巻きにし、天井からつるして事情を聞きました。
「なんて大人げない」
「それはその、すまぬ」
桜花がじと、と目を向けると懺戒さんはばつが悪そうに目を逸らしました。
「お師匠様は鈴兄ちゃんの代わりに、私たちを守ってくれるって言ってくれました。自分も同じ病気だったからって。でも、でもお兄ちゃんどんどんおかしくなって」
菊ちゃんの目からぽろぽろと涙がこぼれます。
「白髪のお兄さんの荷物を盗んでも、何も入ってなくて。それでお師匠様に叱られて」
「せめてお話相手になってもらったら、って思ったんです」
菊ちゃんは涙を流してうずくまりました。
懺戒さんも、桜花も、彼女を責めることなどできませんでした。
だって、鈴さんがおかしくなってしまった原因は、桜花だったから。
おそらくぎりぎりだった鈴の理性を壊したのは、桜花の血だったから。
「なぁ、お師匠様」
ここで、いままで黙っていた数珠坊君が口を開きました。
「俺が盗みなんてやったから?」
彼も、よく見ればひどく震えていました。
「罰が当たったのか? 俺たち、仏様にも捨てられたの?」
「馬鹿を言うな。二人とも」
懺戒さんは歩み寄って二人を抱きしめました。
あの剛腕には似つかわしくないような、優しい抱き方でした。
「たとえ、親が見捨てても、たとえ仏が見捨てようとも」
「鈴はお前たちを見捨てなかったのだろう?」
「そんな鈴が、このご婦人を襲う訳がないだろう?」
「でも、さっき鈴兄ちゃんが」
数珠坊君は、ぴくぴくと痙攣を続ける鬼を指さして言いました。
もう、二人の知る『鈴』が戻ることはありません。
「あれは偽物だ」
懺戒さんは言いました。桜花はそれを黙って聞きます。
「偽物‥?」
「そうだとも。あれは『鬼』という怪物だ。鈴に成りすましてお前たちを騙したのだ。故に、拙僧と御婦人が退治した」
懺戒さんは二人の頭をくしゃくしゃと撫でました。
「鈴がどうなってしまったのかは、すまぬが拙僧にもわからぬ。だがきっとどこかで生きていよう」
「ホントに・・?」
「ああ。拙僧は嘘は言わぬよ。鈴も・・嘘は言わなかったのだろう?」
「大丈夫。もう誰も、お前たちを見捨てはしない」
しばらくの間、寺には泣きじゃくる子供の声が響きました。
大正コソコソ噂話(偽)
数珠坊、菊と言う名前は鈴が付けました。
数珠坊は少年が持っていた親の形見から。
菊は鈴が一番好きな花の名前です。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
十二支 兎は 人を守る。
陽の光が年中差しつづける山、『陽光山(ようこうざん)』で採れる特殊な砂鉄と鉱石を使用して作られる。
『猩々緋砂鉄(しょうじょうひさてつ)』。
『猩々緋鉱石(しょうじょうひこうせき)』。
陽の光を吸収する鉄。これを特殊な刀鍛冶が打つことで、この世で唯一鬼の頸を斬れる刀が完成する。
日輪刀は鬼を斬る刀。
鬼殺隊員はその意味を忘れてはならない。
大正○○年 ●月■日
懺戒さんは数珠坊君と菊ちゃんが泣きやむまで、ずっと二人を抱きしめていました。
巨躯の懺戒さんが抱きしめていると、ただでさえ小さな子供二人がもはや小人のようです。
「どうだ、落ち着いたか? 二人とも」
懺戒さんのその質問に、二人はうんうんと頷いて返答しました。
「良し。良い子だ」
そう言って、懺戒さんはすっと立ち上がりました。
「ではご婦人。医者を呼んでくる故、しばらくそこで待っていてくれ。もうすぐ貴女の夫も戻るだろう」
「兎さん…」
桜花は心配でした。鬼になった鈴さんから逃げている時も、兎さんが戦っている音を耳にしていたからです。
怪我だけは、していてほしくありません。
「…安心召されよ。拙僧も長く生きているが、あんなに強い男は見たことがない」
「…、それでも、心配なものは心配ですよ」
「そういうものなのか?」
「ええ。どんなに強くたって、誰も彼もが大丈夫と言ったって、桜花だけは、兎さんを心配しますよ。あの人、ああ見えて怖がりなんですから」
昔、しのぶちゃんの趣味である怪談話を聞かされた時。
兎さんは屋敷の天井近くまで飛び上がって絶叫。
安全な場所を求めて掛け軸の後ろに隠れていました。
『十二支さん、何をしているのです』
『桜花さん、隠れて! 来るよお化けが! きっと来るよ!』
『普段鬼と相対している人が何を言っているんですか。馬鹿なんですか』
『…ホントに大丈夫かな。大丈夫なら俺と約束して。大丈夫って』
『…可愛い』
『え? なんか言った?』
『いいえ、何も言ってませんし、約束なんてしません』
「ふふっ」
思わず思い出し笑いをしてしまった桜花を、懺戒さんは不思議そうに見ています。
恥ずかしい。
「まぁ、ともかく」
懺戒さんはいまだ痙攣して失神している鬼の首根っこを掴み、ひょいっと肩に担ぎました。怪力。
「拙僧は医者を呼んでくる。数珠坊、菊。ご婦人の傍に付いていてあげなさい」
「はい! わかりました!」
菊ちゃんがそう言ってトコトコと走り寄ってきました。
そして桜花の裾をぎゅ、と掴みました。
「…あの? 菊ちゃん?」
「はい! なんでしょうお姉さん!」
思う存分泣きじゃくったからか、あの『嘘』のおかげか。
なんだか元気な菊ちゃん。
「どうして桜花の浴衣を掴んでるんです?」
「私言われました! お師匠様に付いていてあげなさいって言われました!」
「え? あ、はい。言われてましたね」
「そばに付いてます!!」
にっこー、と笑いながら彼女は言いました。
なんでしょう、この可愛らしい存在は。
抱きしめたいです。ものすごく。
「えー、いいじゃんお師匠様。ぺったんならそう簡単に死なないって」
こっちは全く可愛くありませんね。
「数珠坊、次その名でご婦人を呼べば、もっと深くに埋めるぞ」
「あー、えー、おー」
すごい勢いで数珠坊君の目が泳いでます。
ああ、やっぱり痛いんですね、アレ。
「な、なんて呼べばいいですか・・」
すごく不本意な表情で数珠坊君は桜花に聞きました。
なんだか可笑しくて、桜花は笑いながら言いました。
「桜花。私の名前は、十二支 桜花です」
「ん。わかった」
数珠坊君は桜花の隣にぺたん、と腰を降ろしました。どうやら彼も付いてくれるようです。
「なぁ桜花」
「『さん』をつけよ、数珠坊」
「…さん」
「なんですか、数珠坊君」
「…ほんと、ごめんな」
最後の一言は、消え入りそうな声でした。
「数珠坊、悔いるなら反省を形で示すのだな」
「形ってなんだよ、お師匠様」
「もう二度と、盗みなどするな」
懺戒さんは今までと違う、優しくも厳しい口調で言いました。
「盗人は『得ている人間』ではない。罪状を重ねれば重ねただけ、『失っている人間』なのだ」
「盗みなどやめろ。その内、何も得られなくなるぞ」
「何も‥」
「そうだ。何も、だ」
きっと数珠坊君にとっては難しすぎる話です。それでも彼は今、自分なりに精いっぱいその言葉をのみこんでいるのでしょう。
俯いた彼の表情はわかりませんでした。
懺戒さんはその後鬼を担いだまま、寺を出ていきました。
桜花の隣では、子ども二人がうとうと、と船をこぎ出します。
この子たちにとっても、今日は大変な一日でした。
やさしく菊ちゃんの髪を梳いてあげれば、彼女はすやすやと眠り始めました。
そうだ、彼女は稀血でした。
あとでねぎまちゃんに藤の花の香り袋を出してもらわないと。
というか、ねぎまちゃん、呼べば来てくれたりするんじゃないでしょうか。
宿までは一緒に居た訳ですし。
「ねぎまちゃーん…?」
虚空に向かって呼んでみます。
が、うんともすんともかぁとも聞こえてきません。今、近くにはいないようです。何をしているのでしょうか。
「ホホホホッ! 前カラ馬鹿ナ鴉ダトオモッテタケドアンタ、『ねぎま』ッテ!随分イイ名前ジャナイノ!」
「ゴメンナサイ」
「シカモアンタ、唐辛子デ今鳴クコトモ出来ナイナンテ! 無様! 無様ァ!」
「ゴメンナサイ、堪忍シテ」
死ぬかもしれない傷から回復するために死ぬかもしれないような痛みに耐え抜いた俺は、何とか日輪刀を手に立ちあがった。アバラは依然折れたままだが、それ以外の傷はなんとか修復できた。
俺がのた打ち回っている間に、オレの鎹烏『ねぎま』が時透君の鎹鴉から『攻撃』ならぬ『口撃』を受けていた。
「初めて知ったよ。お前苛められっ子だったんだな」
「誤解、誤解」
嘴を振って否定しているけれど、全然説得力がなかった。恐ろしく弱弱しい。
「立ったね。じゃあ行こうか」
時透君は全く意に介さず話を勧めようとする。
なんというか、独特な子だ。
「上弦の零がいたんだろ。倒したの?」
「何とかな。でも土を掘り返す気にはなれないよ」
「土?」
「生き埋めにしたから」
「頸は?」
「斬ってない。でも『月砕 落陽』を受けてるからそう簡単には戻れないと思うけど」
「頸を斬ってないなら何したって同じだよ。馬鹿だなぁ」
「おい、オレ先輩だぞ」
「? だから?」
本気で意味が解らない、という顔で時透君はオレを見ている。
首をかしげるな。
「まぁいいや。僕も言われてきただけだから。それにあっちを先に片付けるべきだね」
「あっち?」
オレが振り返って、歩いてくる人影を見つけるのと、時透君が大地を蹴って駆けたのはほとんど同時だった。
時任君が、刀を抜いている。オレの持つ日輪刀とそっくりな白刃、霞色の刀。
『霞の呼吸 肆ノ型 移流斬り』
『午の呼吸 掛馬』
刀と刀がぶつかる音がした。
「…ねぇ、何してるの?」
「君こそ、性急に過ぎない?今の若い子って、みんなこんな感じなの? ねぇってば」
オレは時透君の刀を人影の前に立って受け止めていた。
とっさに掛馬を使ったことでなんとか間に合ったが、もし間に合っていなければ時透君の刀は間違いなく目の前の人影―――懺戒の頸をとっていただろう。
「ねぇ、退いてよ。鬼だろ」
「ごめん、退けないな、時透君。まだ彼から聞きたいことがあるんだ」
そう言って、何とか時透君をなだめる。
そうだ、まだ懺戒から聞きたいことがあるんだ。
冨岡君の為、鱗滝さんの為、炭治郎君の為、白雪ちゃんの為、禰豆子ちゃんの為。
懺戒から、話を聞かないと。
しかし問題は詳しい事情を話さずに時透君を納得させられるかどうか。
「邪魔しないでよ」
「ごめんって。訳はちゃんと話すからさ」
「今話しなよ」
「明日にしない?」
「駄目。鬼を庇うなんて隊律違反だよ」
「…違反してるのは君だろ」
「は?」
そう。今この場で鬼殺隊の法に、お館様の意思に背いているのは君なんだよ。
「日輪刀は『鬼』を斬る刀だよ。『人』を斬る殺し包丁じゃない」
「十二支、兎…」
後ろで懺戒が息を呑む声がした。
懺戒は過愚夜とつながっていた。つながっていたけれど、感じる味は全然別のモノだった。
わかってる。『鬼』はどうやったって救われない。
仲良くなれるなんてのは、夢物語なんだよ。
それでもその夢を果てるまで追った友達がいた。
憎しみも後悔も蓋をして、決断した後輩がいた。
今この瞬間、死にそうなほど辛いはずなのに、戦っている子たちがいた。
ここでオレが諦めるなんて、カッコ悪いじゃないか。
「何言ってるの。時間の無駄だよ、退いて」
それでも時透君は止まらない。
しぃい、と呼吸音が聞こえる。時透君が、次の攻撃の準備をしている。
「っ、やめてくれ時透君! 君を斬りたくない!」
「負けるとは思ってないんだ? 腹が立つなぁ」
どうしよう。どうしよう。
こうなったら、みねうちでもして止めるしかない。
時透君は強い、オレなんかが一発で止められるとは思わないけど。
それでも、もうやるしかない。
『霞の呼吸 弐ノ型―――』
『申』の呼吸――
「もう良い。もう良いのだ。十二支 兎」
瞬間、オレの体は宙を舞った。
あまりに高く飛んだので、オレは自分が間違えて『卯』の呼吸を使ってしまったのかと思った。
そして、回転する視界の中で、下手くそに笑う懺戒の顔を見て、オレは自分が彼に投げ飛ばされたのだと知った。
懺戒、お前何してんだよ。
お前がオレを投げ飛ばしたりなんかしたらさ。
誰も、誰も時透君を止めないんだぞ。
斬られちまうんだぞ。
何、やってんだよ。
なんで笑ってんだよ。
「拙僧を人と呼んでくれて、ありがとう」
「っ! ざんかっ」
『―――八重霞』
首が二つ、宙を舞った。彼は最期まで、笑顔だった。
大正コソコソ噂話(偽)
疲れているし、失血もしているけれど、稀血であることを心配して眠れない桜花。
律儀に医者を待つ。
「…まだでしょうか」
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
『懺戒』
でも人の手のひらって小さいからあんまり詰められない。
鬼の手のひらには、穴が開いてるんだって。
医者を呼んでくるなど、体の良い方便だった。
一刻も早く、貴女の傍を離れたかっただけなのだ。
すまぬ、桜花殿。
拙僧はそうでもしなければ、貴女の血の臭いに耐えられそうもなかったのだ。
貴方は拙僧をなにか特別なものを見るような目で見ておられたが、何のことはない。
拙僧は飢えていた。それを隠して誤魔化して、子どもたちには嘘を重ねた。
拙僧は、悪鬼だ。
拙僧が初めて人を殺したのは、鬼になる前だった。
山間の小さな村に住んでいた拙僧は、生まれついて両親がいなかった。
二人とも体が弱く、母は出産のときに、父は物心つく前に病気で死んだ。
唯一の肉親である祖父が拙僧を引き取った。
祖父は村にある寺で住職をしていて、お伽草紙や絵物語の代わりに、拙僧によく経典を詠んで聞かせた。
意味はさっぱり解らなかった。意味が解らないのにすごく長いから、さながら拷問のようだった。さらには途中で本人の思い出語が始まれば、自分は何の咎でこんな目に合っているのだろうかとさえ思った。心の中でこの一連の行事を拙僧は、『お経の刑』と呼んでいた。途中で寝ると、後頭部を叩かれた。
信心深い祖父だった。
旅人が村によれば進んで食べ物を分け与えた。人に対して思いやりにあふれていたし、御仏の前での祈りも、一日だって欠かしたことが無かった。
雨の日も風の日も、いつだって。
お堂の中央には祖父の小さな背中があった。
なんの突然変異か、両親や祖父と違って体格に恵まれた拙僧が隣に座れば、祖父は周りからいっそう小さく見えただろう。
祖父を見下ろすと、祖父は必ず「なまいきな」と言って拙僧を力強く叩いた。
少しも痛くなかった。
痛くなかったけれど、心地が良かった。
相も変わらず仏の教えはいまいちわからなかったけれど、それでも祖父の隣で経を読んで生きていこうと、そう思った。
だから祖父が物盗りとして捕まった時には、きっと何かの間違いなのだと、そう思った。
祖父を捕えに来たのは、かつて食べ物を分け与えられていた旅人達だった。
町でかつて騒がれていた盗人と祖父の人相が一致すると主張し、官吏を引き連れやってきた。
拙僧はなんども祖父の無実を主張したが、寺の地下からかつての盗品類が大量に発見されて、祖父の有罪は決定的になってしまった。
それでも拙僧は信じられなかった。信じたくなかった。
村中駆け回って助けを求めたが、祖父を擁護する声は皆無だった。
皆、あれほど祖父の世話になっていたのに、罪人であると官吏が村に触れ回ってからは酷く冷たくなった。
拙僧はもうなにも出来なかった。
罪というものは、積み上げて来た大切なものを、いとも簡単に奪い取る。
いつしか何も残らなくなって、何も得られない。
祖父は獄中で死に、拙僧は天涯孤独となった。
祖父の死を悲しむ者は、村には誰もいなかった。
その事実に言いようもなく腹が立った。
わかっていたはずだ。悪いのは祖父だ。盗みを働いたのも、その罪から逃げるために仏門に入ったのも。
だから何一つ正しくなかったのだ。
祖父の悪口を言っていた村の若衆を拙僧がなぐり殺してしまったことを正当化する理由など、何処にもない。
若衆を殺したとき、自分から何かが欠け落ちていくのを感じた。
人間は生まれるとき、裸で生まれてくる。
そこから与えられて、与えられて、両手の中一杯に幸福を得ていく。
でも、一度でも罪を犯したら、両手からぽろぽろと何かが落ちていく。
経を読んでいた拙僧の手は、何時しか空っぽになっていた。
ふらふらと村を出て、山の中に逃げ込んだ。
人が来て、捕まるのが怖かった。
祖父のように、まるで初めからなにも持っていない者にされてしまうのが怖かった。
拙僧は体格こそ良くても、山の中で生き抜く術など知らなかった。
水もなく、食料もない。
試しに食べた茸は口の中がしびれた。
ふらふらと歩いて、そのまま山中で行き倒れた。
ああ、自分はこのまま死ぬのだと、そう思った。
そしてそれを心の底から望んでいた。
そんな時だった。唐突に、声をかけられたのは。
『すばらしい。何の修業もなく、これだけの力を持つ人間がいるとは』
『なぁ、お前。鬼にならないか? そうすればもっと強くなれるぞ』
生きたかったわけではなかった。
死ぬのが怖いわけではなかった。
ただ、その紅梅色の鬼の誘いに乗り、言葉の通りに強くなれば、取り戻せるのではないかと。
失った物を、罪によってこぼれ落ちた物を、再びこの両腕に。
拙僧は、彼の者の血を受け入れた。そして鬼となったのだ。
そこから先は地獄のような毎日だった。
拙僧は取り戻すために鬼になった。
人を喰い、罪を重ねることは本意ではない。
飢えて、飢えて、飢えて。
そんな時は必死になって意味も解らない経典を唱えた。
どうしても我慢が効かないときは、自分の腕をちぎって食べた。
ほんの少しだけだが、それで飢えは誤魔化せる。
拙僧を鬼にした十二鬼月は、拙僧にその気がないと知ると、見限って拙僧から離れた。
そんな生活が七十年ほど続き、拙僧は芒の丘近くの廃屋で自らの腕を喰っていた。
衝動に駆られるときはいつも足を何かで縛る。
この廃屋には罪人用の足かせがあったので、それを使わせてもらう。
どうやらこの小屋にはかつて、流刑にあった罪人が暮らしていたようだった。
今の拙僧にはふさわしい場所である、と感じていた時だった。
あの女、上弦の零に襲われた。
『上弦の零』。
存在だけは、拙僧も十二鬼月に聞いて知っていた。
零というのは、鬼からも人間からも全てを取り上げる存在。
主な仕事は、原初の鬼の意思に添わぬ者、裏切り者を始末するための鬼。
鬼と鬼の戦いで、決着がつくことはない。
鬼は陽光と鬼狩りの刀、どちらかでしか死なないからだ。戦ったところで、お互い疲れるだけだ。
だが、零は違う。
零だけは、鬼舞辻無惨から特殊な改造を施されているが故、『鬼を殺す』ことが出来る。
零は、鬼を処刑する鬼。
そう聞いていた。
故にあの赤い月の夜、廃屋から吹き飛ばされた拙僧は思ったのだ。
このまま拙僧はこぼれ落ちた物が何かもわからないまま、殺されるのだと。
『ねぇ、懺戒ぃ? 一度だけぇ、機会をあげましょうかぁ?』
『もし私の言う通りにしてくれたらぁ、そうねぇ?』
『アンタのジジィの秘密を教えてあげるってのはぁ、どうぅ?』
拙僧は耳を疑った。祖父の秘密など、なぜこの悪鬼が知っているのか。
口から出まかせに決まっている。なんの確証もない。
でももし、祖父に、拙僧の知らない真実があるのだとしたら。
憎まれながら死んだ祖父を、もう一度拙僧が信じることが出来る理由があるのなら。
気が付けば、拙僧は頷いていた。
『そうそぉう、いい子ねェ』
『あと一月もすればここに鬼殺隊の柱がやってくるのぉ。十二支 兎っていうすごぉおく強くてぇかっこいい人とぉ、十二支 桜花っていう糞雌ぅ。探し出して見つけ出してぇ、十二支桜花をアンタが始末しなさぁい。その間にわたしぃはぁ、兎ちゃんにぃ・・』
ふふ、ふふふふ。
そう言って笑う悪鬼の誘いに乗ってしまったこと。
これもまた罪なのだと、拙僧は気付くべきだった。
そして拙僧は十二支 兎なる人物を探して四国を歩いた。
あと一月で現れる。なぜそんなことが奴にわかるのか不思議ではあったが、それでも拙僧はその柱を探した。
そしてある夜、芒の丘近くの廃寺に身を置いた。
目を瞑り、今後の動きを考えていると、拙僧の荷物を狙って動くコソ泥の姿を捕えた。
殴って縛り、天井からつるして反省させる。まだ、子どもだった。
『うわぁああ、離せよ入道坊主! 山へ帰れ妖怪!!』
…そこそこ的を射ていた。
子どもは善悪の分別も無ければ未来への確固たる意志もない。
かつての拙僧がそうだったように、一時の感情で何もかも失う。
そう思った。
だが彼らは、数珠坊と菊は兄替わりの男を助ける為、拙僧から薬をくすねるつもりだったらしい。
訳を知り、鈴と言う男が住む部屋に向かってみると、中からは同族の気配がした。
二人はそれに気が付いていないようだった。
ああ。駄目だ。
無理なんだ。その男はもう助からないんだよ。
そう言ってしまうのは簡単だった。簡単だったはずなのに。
『兄ちゃん、ごめんな。次はちゃんと薬見つけてくるからな』
『大丈夫だよ。私たちが何とかしてあげるからね』
拙僧は気が付けば嘘をつき、彼らと共に廃寺に住みついていた。
そして何かに導かれるように。
十二支 兎はここへきて。零は目論見通りの展開にほくそ笑んだ。
祖父の秘密を知るために、彼の妻には犠牲になってもらう。
その約束だった。
芒の丘におびき寄せて、零が柱を殺し、そしてその間に拙僧が女を――
『諦めるな!!』
どうしてだ。
どうして彼の言葉が耳に焼き付いたのだろう。
事情など何も知らないはず。彼の目には、拙僧は憎むべき鬼としてしか映らなかったはずだ。
あれほどまでに妻を愛した男が、なぜ拙僧にそんな事を言う。
いや。拙僧は知っている。
十二支 兎。
あの男の持つ、あの瞳こそが。
子供たちが兄に向けたあの瞳こそが。
拙僧の手放した物だったのだ。
真実などさして重要ではなかった。
拙僧は、あの時、祖父を信じるべきだったのだ。
たとえ山ほどの盗品が出て来たとしても。たとえ皆が祖父を指さし責め立てても。
拙僧だけは揺らがずに信じるべきだった。最後まで信ずることをあきらめず。
芒の丘を降りるとき、もう迷いはなかった。
拙僧は、悪鬼だ。こぼしたのではなく、捨てたのだ。
ならばせめて、明日あるものたちを守るため、この呪われた命を使おう。
寺に入ると、御婦人が戦っていた。血を流している。恐ろしいほど甘い香りのする血だった。拙僧の口から涎がこぼれる。
正気を失いかけた拙僧の理性を揺り戻したのは、彼女の叫びだった。
『私は諦めたりなんか、しない!!』
諦めない。
本当によく似た夫婦だった。
拙僧は思い切り鈴を殴りつけ、気絶させた。
自分の命が、初めて役に立った気がした。
子供たちには嘘をついて寺を離れた。
真実は何時か、彼女が時期を見て話してくれるだろう。
もう、悔いはない。悪鬼として、今夜拙僧は地獄に堕ちる。
丘に登れば、見たことのない少年がいた。随分若い。十二支 兎と対等に話しているところを見ると、彼も柱なのだろう。
彼は拙僧と言う鬼を見つけると、刀を抜いてこちらに突進してきた。
抵抗する気はなかった。
ここで死ぬ気だったのだ。拙僧は自らの過ちに気が付いた。
もう、悔いはなかった。
なかった、のに。
拙僧と少年の間には、十二支 兎が立っていた。
刀を抜いて、少年とつばぜり合いをしている。
なぜだ、なぜなのだ。
拙僧とお前は友人ではない。
それどころか、鬼殺隊の柱と鬼だ。
もう、お前が戦う理由などどこにもないのに。
なぜ。
貴方の妻は負傷しているが無事だ。はやくそっちに行ってやれ。
そう言葉をかけようとした時、彼は――。
日輪刀は『鬼』を斬る刀だよ。『人』を斬る殺し包丁じゃない。
拙僧は、息をのんだ。言葉が詰まる。胸がいっぱいになる。
あの日、祖父が捕まったあの時、お前がいてくれたら。
お前は何と、言ったのだろうな。
少年が構えに入る。兎も、それを迎撃する構えを取る。
その景色だけで、もう十分だった。
兎を投げ、少年の刃を受け入れる。
拙僧は、強い鬼ではない。あっさりと首は斬れる。
最後に見たのは、十二支 兎の表情だった。
もういい。もういいのだ。
十二支 兎。そんな顔をするな。お前はお前の守らなくてはならない物を守れ。
それは妻だ。家族だ。無辜の人々だ。
彼らの手から信頼が、幸福がこぼれぬように守るのだ。
ありがとう。貴方に会えて、本当に良かった。
気が付くと拙僧は、真っ白な空間に居た。
ここはどこだ。前も後ろも、右も左も全く見えない。
「なんじゃ、『国綱』。神妙な顔をして」
振り返ると、そこには祖父が立っていた。
自らの恰好を見ると、もう鬼の姿ではなくなっていた。
「…じいちゃん、僕、僕は・・・」
「なにもいわんでええ。すまんかったな。さぁ、こっちじゃ」
祖父の小さな背中が、光の道に向かう。僕はそれを追いかけた。
「じいちゃん、ごめん! 僕、最後までじいちゃんのこと信じてあげられなくて」
「大丈夫。大丈夫。さぁ、そんなことより聞かせておくれ。経はちゃんと覚えておるかの?」
「うん、覚えてる・・。覚えてるよ」
小さな背中を見下ろす。するとじいちゃんは昔のように僕を叩いた。
なんだかすこしも、痛くなかった。
大正コソコソ噂話(偽)
懺戒の祖父はたしかにかつては有名な盗人でした。
しかし盗んだ金品は全て貧しい人々に分け与えていたため、証拠は一切残っていませんでした。
懺戒の祖父の寺から発見された物は通報した旅人の盗品であり、官吏も抱き込まれた仲間でした。つまり懺戒の祖父は騙されて投獄されたことになります。
懺戒は最後まで信じてあげることが出来ませんでした。
ちなみに懺戒の人間だった時の名前は『国綱(くにつな)』と言います。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
十二支 兎は 涙を流す。
だからこそ、本当に大切なことは必ず実行しなくてはならない。
即ち、生きること、報いることである。
大正○○年 ●月■日。
オレは空から、塵になって行く懺戒を見た。
懺戒のほかに、彼が担いでいた鬼。寺の中から感じた味の主だった。
その鬼もまた、散りゆく間際に穏やかな顔をしていた。
鬼としての死を迎えた懺戒は言った。
『人と呼んでくれて、ありがとう』と。
やめてくれ、と思った。
オレは、心底お前を想って庇った訳じゃない。心の底にはお前では無くて、冨岡君のことがあったんだ。
いろんな気持ちに、いろんな後悔に蓋をして決断をした彼の正しさを証明したかっただけなんだ。冨岡君を助けたかったんだ。
やめてくれ、そんな顔を向けないでくれ。
オレはお前に、そんな顔を向けられるような男じゃない。
オレは弱いんだ。弱いんだよ。
だからいつも守れない。いつもいつも、守れない。
『嘘です、よね。十二支さん。こんなの、嘘ですよね?』
『桜花さん…』
『か、カナエは強いんですよ。柱なんですよ。私に及ばないまでも、ずっと強いんですよ…』
『桜花さん! しっかりしてくれ!』
『何しに来たんですか』
『い、いや。カナエに献花を』
『帰って』
『し、しのぶちゃん、待ってくれ、違うんだ』
『何が違うのよ!あなたが、あなたがあんなことしなかったら姉さんは死ななかった!!』
『信じてたのに、信じてたのに!』
『お願いだしのぶちゃん、せめて、せめてもう一度だけカナエに会わせて』
『お願いです、お願いですから、今、貴方の口から姉さんの名前を出さないでっ!』
オレは地面を転がった。体を打ち付け、痛みが走る。受け身をとる気にもなれなかった。
日輪刀を持ったままの手で、顔を隠す。辛かった。十年来の友達と別れた訳でもないのに、なんだか本当に辛かった。
「なにやってるの。ちゃんと着地しなよ」
時透君が、近くまでやって来てオレを見下ろした。
そこに表情は、なかった。
気が付けばオレは、時透君の胸倉をつかんでいた。
突然の事に驚いたのか、すこし目を見開いた時透君だったがすぐにいつもの無表情な彼に戻って行く。
「いきなり何? 意味が解らないよ」
「時透ッ! お前は、お前はッ…」
握り拳が震える。頭の中で、溶岩が煮立っているようだった。
それでも、オレは時透君から手を放していた。
「…時透君。君は、間違ってない」
「そうだね」
「鬼を滅殺する。それが、俺たちの仕事だ」
「そうだよ、その為に僕らがいるんだから。鬼は殺すべきだよ。一刻も早く、一匹でも多く」
「はは」
はは、なんだよそれ。
それじゃあ、まるで。
「それじゃあ、俺たちは鬼と変わらないじゃないか」
「? 何言ってるの。時間の無駄だよ」
時透君は、オレに背を向けて歩き出した。やはりその表情にには何も浮かんでいなかった。
オレは彼の背に向かって叫んだ。
「時透君! 君は正しい! 正しいよ!」
「でも、駄目なんだよ!正しいだけじゃ、強いだけじゃ、駄目なんだ!!」
「オレは間違ってた! 今夜だけは、間違えていたかったんだ!!」
時透君は振り返る事もせず歩いて行った。
オレはしばらくその背を見つめていた。
一歩一歩、芒の丘を降りて廃寺を目指す。
桜花に会いたい。途中で感じた味は、間違いなく桜花の血の味だった。
嫌だ、嫌だ嫌だ。
桜花、無事でいてくれ。お願いだ。君にまで居なくなられたら、オレは。
ようやっと、寺にたどり着いた。ふらふらと中に進む。夜明けが近い。
古ぼけた廃寺に明るい日差しが差し込んでいく。
もうこの寺に、鬼はいない。
疲れからか、身体が重い。自分でも無茶をやったと思う。
酉も牛も、強力だが著しく体力を消費する呼吸だ。
傷がふさがっても、失った体力までは戻らない。いつ倒れてもおかしくないと、身体が警鐘を鳴らしている。
もう一回過愚夜と戦えなんて言われたら死ねる。
もうアイツと戦う事はないだろうけど。
いや、もう戦わなくても不味いかもしれない。
ここまで必死に歩いてきたけど。もう意識が飛びそうだ。
桜花、桜花・・。
「兎さん?」
声が聞こえて、オレは顔を上げた。
目の前には、桜花がいた。
その姿を見て、オレは気が付いた。気が付いてしまった。
「兎さん! ご無事でしたか!? どこも痛いところはありませんか!?」
違う。違うだろ。桜花。
「桜花、桜花‥怪我してる」
桜花の左肩には、大きな血の染みが出来ていた。
「桜花の事は良いんです! それよりも兎さん、大丈夫ですか!? どこかやられたんですか!?」
なんでだよ。
懺戒も、桜花も。カナエも。
オレなんかの心配なんていらないんだよ。
オレなんかに期待したってしょうがないんだよ。
オレは弱いんだ。何も守れないんだ。
「うあ、うああ」
気が付けば、オレは泣いていた。
餓鬼のように、泣きじゃくっていた。
「兎さん…」
桜花は、オレが泣いていることに気が付くと、座ってオレを抱き寄せた。
血の味がする。桜花の方が、ずっと傷が深い。
「ごめん、ごめん、桜花、ごめん、懺戒は、懺戒は・・・」
「・・・そうですか」
「頑張ったんだ、一生懸命やったんだよぉ」
「ええ」
「でも、やっぱりオレじゃだめなんだ。オレは弱いんだよ、柱になんかいちゃいけないんだ」
涙が止まらなかった。悔しかった。どうしようもなく、たまらなく悔しかった。
「兎さん…」
慈しむような声に、心の決壊が止まらない。打算だらけのこのオレに、まるで尊敬の念を抱いているかのような視線を送った彼のことが、頭から離れない。
「…救えない、守れない! オレはまた守れなかった!」
「兎さん」
「何が柱だ、なにが業柱だ! オレなんていらないんだよ!!桜花も守れない、懺戒も救えない、カナエだってオレの所為で死んだ!」
「兎さん!それは違います!」
「違わねぇよ!!」
口から叫びが飛び出した。悲鳴に近い声が出た。
「違わない! なにも違わないんだ!! オレの所為だ、オレの所為だオレの所為なんだ!! アイツはオレの所為で死んだんだ!! オレがあの日あんなこと言わなければ、カナエはきっと上弦を倒してた!!」
「兎さん、違う、それは違う‥」
「懺戒だって救えなかった! アイツは人だった、人だったのに! オレがちゃんと時透を止めてれば、説明できてれば、アイツは死なずに済んだ!」
「兎さん、懺戒さんだってきっと」
桜花が何か言っている。でももう、止まらなかった。
「桜花にだって怪我をさせた! オレが一緒に行こうなんて言ったから! オレのわがままに付き合わせて、怪我させた! オレの、オレの所為で…」
「兎さん、違います、そんなの違う」
「オレは何も守れない、何も救えない! こんなことなら――」
「兎さん、だめ、待って――」
「死んじまえばよかったんだ!! オレみたいな奴は!!」
オレは、普段のオレなら絶対に言わないようなことを叫んでいた。
悔しかったから。悲しかったから。
生き残った癖に、死者に報いる方法を知らなかったから。
「兎ッ!!」
オレの頬を衝撃が走った。
じんじんと痛む左頬をオレはゆっくりと触った。
頬を張った人物に目を向ける。
桜花が、怒っていた。もの凄く怒っていた。
「ふざけないで・・・」
桜花が言葉を漏らした。彼女もまた、何かを決壊させたかのように言葉を吐き出していく。
「ふざけないで! 懺戒さんも、私も、カナエも! 貴方にそんな言葉を言わせるために一緒に居たんじゃない! 託したんじゃない!!」
「みんな貴方を助けたかった! みんな貴方を信じた! そこに強いも弱いも関係ない! 貴方がみんなを救ってくれたから、変えてくれたから、だからみんな貴方を信じたのよ!」
「弱音なんて好きなだけ吐きなさい! 辛かったら泣きなさい! でも『死んでしまえばよかった』なんて二度と言わないで!!」
「懺戒さんもカナエも、貴方に託したことに後悔なんてない!私の傷が何? 貴方が今日まで守ってくれなかったら私はとっくに死んでいた。貴方が私を愛してくれたから、私は人間になれた! どれだけ救われたと思ってるの! 貴方と言う命が私の中でそんなに軽いとでも思ってるの!?」
「だから!だから…」
桜花の声が途切れ始めた。彼女の頬に、つぅ、と雫がこぼれた。
「お願いよ、兎・・・。そんな哀しいこと、言わないで」
「桜花…」
痛みが消えた訳じゃない。
自分が役に立つとも、まだ思えない。
自分なんかより、という思いは、きっと消えることはないだろう。
それでもダメだ、と思った。
たとえ今の自分がどれだけ惨めで恥ずかしくても。
それでも、彼女だけは。
彼女にだけは、こんな顔をさせてはいけない。
「桜花…ごめん」
「‥兎さん」
オレは桜花を抱きしめた。傷に響かないように、優しく。
桜花も、右手だけでぎこちなくオレを抱きしめた。
「ただ、いま」
「おかえり、なさい」
オレ達はそのまま、涙を流しながら抱きしめあっていた。
大正コソコソ噂話(偽)
桜花さんは普段物腰柔らかですが、怒ったり興奮したりすると言葉がきつくなります。
こちらが元々の素の口調で、丁寧な言葉遣いは任務帰りに目撃した女学校の生徒を参考に真似しています。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
『堕落七鬼』
彼らは嫉妬深く傲慢で、欲にまみれている。
彼らは怠惰で人間を貪り食う事を喜び、さらには鬼でさえ忌避する領分に簡単に踏み込んでいく。
そして彼らはいつも、何かに対して怒り狂っている。
彼らに与えられた、その名は――
大正○○年 ●月★日
夫婦旅行で重症になってしまったオレたちはねぎまに頼んで救助の要請を行った。
今回はオレよりも桜花の方がはるかに重症である。
肩からの失血が酷い。呼吸で止血を行っていたため、命に別状はないが、稀血である桜花の血の臭いが辺りにまき散らされてしまった。この事をオレと桜花は重くとらえて、厳戒態勢を敷いて欲しいとお願いしたのである。
すなわち、四国への『柱』の派遣だ。
オレも柱ではあるけれど、今回の戦いで体力を消耗しているため、万全とは言えない。
『牛』の呼吸は、傷を塞ぎ、回復してくれるものの、失った体力までは補填してくれない。たとえば、想像もしたくないことではあるけれど、上弦の鬼が今襲い掛かってきたらひとたまりもない。
そこで、現在近くに派遣されていた柱を招集、桜花の護衛を行う、という訳である。
桜花の為なら当然の措置ではあるけれど、鬼殺隊の最高戦力たる柱。そう簡単に皆を呼べるわけじゃない。
鎹鴉からは、護衛に付ける柱は一人だけ、と告げられた。
現在近くにいる柱は二名。この内どちらかを護衛として連れ立って、オレ達は鬼殺隊本部に戻る。
一人目は、霞柱。時透 無一郎。名前を見た瞬間、嫌だと言った。
今、彼に会うのはいろいろといたたまれない。
そしてもう一人―――
「オレってホントついてないよな」
誰にも聞こえない程の小さな呟きが、空に溶けた。
「あら、あらあら。お久しぶりですねぇ、桜花さん」
「あ、あはは。はい、お久しぶりです、しのぶちゃん」
やってきた護衛、『蟲柱 胡蝶しのぶ』はニコニコと笑いながら桜花に駆け寄った。
「大丈夫ですか? 怪我をされたと聞いたので心配してたんですよ?」
「大丈夫ですよ。こんなの。へっちゃらです」
そう言ってぐっ、と握り拳を作ってふんす、と息を吐いて見せる桜花。
超かわいい。
「あら、あらあら。桜花さんが怪我をしたのにあなたは呼吸で傷を一人だけ治したんですか? 空気読んでくださいよ。貴方の怪我の方が殺りがいがあるのに」
「…ごめんなさい」
超怖い。
そう。近くに任務でやって来ていた柱は、よりにもよって胡蝶カナエの妹、胡蝶しのぶちゃんだった。
この時、オレは本気で呪われているんじゃないだろうか、と思った。
実は過愚夜が生きていて、オレに呪いをかけているとか。
考えすぎか。
「さぁ、桜花さん。まずは怪我の様子を見せてくださいな。場合によっては、持ってきたお薬だけでは対処できないかもしれませんから」
「はい。ごめんなさいね、しのぶちゃん」
「いいんですよ、気にしないでください。あ、そこの木偶は診なくていいですよね? どうせ大した傷じゃないんですから。唾でもつけてなさい」
「ごめんなさい。生きててスイマセン」
「し、しのぶちゃん! う、兎さんはいまその、いろいろと参ってるので!やめてあげて!」
あんなに泣いたのに、オレはもう泣きそうだった。
当のしのぶちゃんはそんなオレの様子を見て、つまらなさそうに、懺戒の子供たちの所に向かった。
そういえば、彼らの身の振り方も決めなくてはならなかった。
蟲柱、胡蝶しのぶ。
柱の中で現状唯一、『鬼の頸を斬れない』剣士。
彼女は力が弱く、日輪刀を用いても鬼の頸が斬れない。では、弱いのか?と問われると、もちろん、そんなことはない。
彼女の戦術の核を担うのは、藤の花から抽出した『毒』である。
通常、人間に効力のある毒は、鬼に対しては全く意味がない。詳しい事は解らないけれど、どうやら人間とは毒物に対する免疫力、分解力が違う為、服毒した直後に解毒してしまうらしい。
しかし、彼女の作り上げた毒だけは例外だ。
日輪刀の一刺しで打ち込まれた毒は瞬時に鬼の全身を巡り、ぐずぐずに溶かして死に至らしめる。
得意げにその事を説明した彼女に対してオレは一言。
『いや怖すぎ!!』
当時のしのぶちゃんは、こんなふうに笑う子ではなかったが、それでもやる気に満ちた可愛らしい顔と戦法の落差が凄くてオレは震えあがったものだった。
さて、そんなしのぶちゃんとオレとの関係だが。
最悪と言っていいだろう。なにせオレは彼女にとって『姉の死の原因となった男』なのだから。
思い出すだけで、後悔に押しつぶされそうだ。
今までずっと目を逸らしてきたことだ。いつか過去は追いついて、オレ達を地獄に落とす。
そんな気がして、オレは過去を葬ろうとしていた。
しのぶちゃんを、胡蝶ちゃんと呼ぶようになった。距離をつめたくなかったから。
何に怒っているか、知らない振りをした。向き合う決心が、できなかったから。
今にして思えば、この四国脱出任務となった夫婦旅行の最後に胡蝶しのぶが現れたのは、もしかしたら『運命』という奴だったのかもしれない。
オレ、十二支 兎と胡蝶しのぶ。
ここから先は、オレと彼女の呪われた過去と向き合う為の数日間なのだから。
―――同時刻。無限城にて。
「不愉快だ」
男の声が響いた。その声は苛立ちに満ち、平伏する鬼はあまりの恐ろしさに震えあがる。
「お前たちは人間よりも強い。傷を負わず、喰えば喰うほどに強くなる」
「それなのに。それなのにだ」
「零でさえ、柱に劣る。過愚夜はあの忌々しい柱にまた負けた」
「これはどういう事だ。言ってみろ、『半天狗』」
半天狗、と呼ばれた鬼は「ヒィィィ」と叫んだうえで続ける。
「無惨様、無惨様!お許しくださいませ、どうかどうか!」
「あの女を最初に見つけたのは雪の日だった。思い出したぞ」
男、鬼舞辻無惨は音もなく移動する。一瞬で、半天狗の背後にまわり、猫のような紅梅色の瞳で怯える半天狗をねめつける。
「面白い女だった。世迷言ばかりをまき散らし、捨てれば済むものを捨てず、私の血を進んで受け入れた。あの時私は、妙な感覚を味わったのだ」
「ひ、ひぃいいいい!!」
「わかるか?半天狗。私は『興奮』していた。奴を鬼にすれば、あるいは『青い彼岸花』など必要なくなるかもしれない、とさえ思ったのだ」
青い彼岸花。それは平安時代、ある医者が作成を行っていたとされる妙薬。
この薬をもってすれば、無惨は唯一の弱点、陽の光を克服した体になれる。
しかし、彼はこの薬の作り方を知らなかった。
殺してしまったからだ。彼の体を治そうと、必死になって治療に当たっていた医師を。
『なぜ治せないのか』。その現実に苛立ったと言う、救いのない動機に基づいて殺してしまったからだ。
現在も上弦を使い情報を集めさせているが、何年、何十年、何百年を費やしても見つからない。
無惨にとって、これは耐えがたいほどの屈辱と怒りだった。
しかし、陽の光を克服する方法は1つではない、と無惨は考えていた。
すなわち、陽の光を克服した鬼を作り、それを喰らう事。
その体質を取り込むことが出来れば、無惨は日の下を歩けるようになる。そう考えて、彼は大量に鬼を作り続けたのだ。
過愚夜には、素質があった。現に彼女は藤の花を無効化し、なおかつその特性を他の鬼に与えることが出来た。
同時にかけられるのは一体まで、という制約はついたものの、無惨は特異体質の鬼が生まれたことに歓喜したのだ。
「だが、結果はどうだ」
「過愚夜は一人の柱に手こずり続け、挙句に敗北した。それも一方的に」
「強さだけなら『黒死牟』と並ぶ過愚夜が、一方的に」
「だからこそ鳴女に偵察を命じたのだ、半天狗よ」
この無限城で琵琶を鳴らす鬼、『鳴女』。彼女は索敵、探索に優れた鬼だ。
無惨が何時如何なる場所においても確固たる情報を得られるのは、彼女の功績によるところが多い。
「するとどうだ? 奴について随分と不愉快な情報が手に入った」
「奴は戦いの中でこう言ったそうだ。良く聞け、半天狗」
「『十二の呼吸』だと! 奴はそう言った!!」
無惨は次の瞬間半天狗の頭蓋に指を突き刺した。
「ひぎぃいいいッ!?」
「『十二の呼吸』! なぜだ、なぜそれが現在も使われている!? 『あの十二人の裏切り者共』は始末したと、お前は二百年前嬉々として私に語ったな!」
「お許しを! お許しを無惨様!! これはきっと何かの間違いにございます!」
「間違い? 間違いだと? 嘘をついたな半天狗。お前はそういう鬼であると、私は理解しているつもりだった。だがまさか、私さえ騙そうとしていたとはな」
「ひぃいいいい! そんな、そんな! 儂は確かに、確かにこの手で奴らを!」
「もういい。お前の二枚舌には反吐が出る」
「滅びよ、半天狗。お前はもう必要ない」
瞬間、半天狗の身体の細胞と言う細胞が悲鳴をあげた。全身が破壊されていく。上弦の肆としての強さと生き汚さが、音を立てて崩れていく。
彼の断末魔の叫びが、無限城に響きわたった。
消え去った半天狗。無惨はもはや散った鬼のことになど目を向けない。目もくれず、彼は虚空に向かって指を鳴らした。
べん、と音がして無惨の前に一匹の鬼が現れ、ひざまづいた。
女の鬼だった。翠色の着物を身に纏い、顎には鋭い二本角が皮膚と同化する形で付いている。両目は薄緑色に血走り、両手には白と黒の『提灯』を持っている。
「『枯橋楽(こきょうらく)』よ。忌々しい事だが、十二の裏切り者共が血を残していた」
「ああ、無惨様…」
「柱が本当に奴らの子孫なのだとしたら、十二鬼月では相性が悪い。どうやら二百年ぶりにお前たちを動かす時が来た」
「ああ、嬉しゅうございます。無惨様。我々が十二鬼月よりも優れているとお考えなのですか?」
「ああ。やってくれるな? 私に尽くしてくれるな? 枯橋楽」
「嬉しゅうございます、私にお任せを。他の誰でもない、私が貴方様の望みを叶えましょう」
「お前を含めた『堕落七鬼(だらくしちき)』に命じる。あの忌々しい裏切り者の血を根絶やしにしろ。一族郎党、皆殺しだ」
『堕落七鬼』。それはかつて『十二の剣士』と戦った、歴史に残らない、十二鬼月に匹敵する脅威。
二百年間研がれた牙が、ゆっくりと鬼殺隊に向けられようとしていた。
大正コソコソ噂話(偽)
今作の半天狗はかつて無惨に命じられ、ある剣士たちを殺しに向かいました。
相性の良さも手伝って、半天狗は十人の剣士を殺すことに成功します。
二人を取り逃がしてしまったこと、それを隠したことが破滅につながりました。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
十二支 兎は思い悩む
かつて鬼狩りに命を救われた恩のある一族は、藤の花を家紋として掲げている。
この家紋のある家は、政府非公認組織である鬼殺隊に対して、無償で手助けをしてくれる。
人のためにしたことは、巡り巡って自分の為に。
「なぁ、聞き分けてくれねぇかな? 頼むよ」
「嫌!」
「菊ちゃん。私たちと一緒に行ったら危ないんですよ?」
「嫌です!!」
護衛の蟲柱、胡蝶しのぶと合流したオレ達は懺戒の子供たちと話をしていた。
数珠坊と、菊。二人には、懺戒は鈴を探しに行くと言って旅に出たと告げた。
危険な道中になるから二人は連れていけない。そう言っていて、オレの仕事場、すなわち鬼殺隊に二人を預ける、と言い残したと嘘をついた。
二人は悲しげに目を伏せたが、必ず帰ると言っていた、とさらに嘘を重ねた。
兄代わり、親代わりを同時に失った。
その事実にきっと幼い二人は耐えられないから。
桜花も、オレがそう説明するのを黙って聞いていた。しのぶちゃんも、何も言わなかった。
オレは四国にある藤の家の皆さまに道中話を付け、二人を預かってはくれないかと頼み込んだ。
二人の血縁者はもういない。いや、生きてはいるのかもしれないが、子を捨てた親が再び親になれる日は来ないだろう。生まれた時から両親のいないオレには正直よくわからない話だが、なんとなく、そんな気がした。
しかしそこで、菊の猛反発を受けたのである。
どうやら寺に居る間に桜花に非常になついてしまったようで、桜花の着物の裾を掴んで離さない。
「菊はお師匠様にお願いされました! だから桜花さんから離れません!!」
「菊ちゃん‥」
ぎゅ、と掴んで離れない菊に、桜花もどうしていいかわからずおろおろとしている。
助けを求める目をオレに向けてくる。そこでオレも説得にあたるが、全く耳を貸さない。
オレはしのぶちゃんに助けを求めた。
「しの、胡蝶ちゃん! 助け」
「嫌です」
「そんなこと言わずに、ねぇってば」
「自分の子ぐらい自分でどうにかなさったらどうですか?」
「いや、うちの子じゃないし!」
「うちのこじゃ、ない」
「う、兎さん! 言葉を選んでください!」
「ええオレ!? オレが悪いの!? ねぇってば!?」
泣きそうになる菊ちゃんを見て、桜花がとっさに彼女を抱きしめた。
うんまぁ確かに親子に見えないこともないけど!
「菊、もういい加減にしろよ」
すると、いままで黙っていた数珠坊が口をひらいた。
「困ってんだろ、ぺったんさんが」
「数珠坊君、『さん』だけ付けても意味ないんですよ?」
静かに怒りながら桜花が数珠坊を睨むが、数珠坊の方は一切気にしてないようだった。
「だってあっちの姉ちゃんの方が『ある』し」
数珠坊君がしのぶちゃんを指さしながら言った。
拳骨の落ちる音が響いた。
「とにかく、菊。桜花さんも困ってるから。もう行こうぜ」
「お兄ちゃん…」
しこたまたんこぶを作った兄にそう言われ、菊ちゃんはそっと手を放した。目には涙が溜まっているが、泣かないように必死にこらえている、といった感じだ。
「二人の事は、責任もってお預かりしますので」
藤の家の主である男性はそう言ってくれた。
よろしくお願いします、ときっちり頭を下げてオレ達は家を後にした。
「兎さん、ホントに大丈夫でしょうか。やっぱりもう少しついていてあげた方が良かったでしょうか。あんなに小さいのに。ああ、駄目です、やっぱりもう少しだけそばに」
「桜花さん。先を急ぎますから、もう行きましょう?」
道中何度か引き返しそうになる桜花を、しのぶちゃんは若干青筋を立てながら引っ張って行った。
「港に、船を手配しています」
大きな荷物は隠の皆さまに持ってもらい、荷車まで使って移動するオレ達。
しのぶちゃんは道中オレ達にそう言った。
「乗っているのは我々のほかには全員、民間人に偽装した一般隊士と隠の皆さんです。鬼はもちろんの事、外部の人間はほとんど乗っていません」
「なるほど、そうすれば鬼もそう簡単には忍び込めないってわけだね」
「黙りなさい。今私が説明しているのがわかりませんか? 意味のない会話をしている時間はないんです」
「…ごめんなさい」
もう一言口を利くだけで罵倒され続ける。口を開かない方が、お互いの為にいいかもしれない。
「しのぶちゃん。ほとんど、というのは?」
「いい質問ですね、桜花さん。さすがに操船ができる人材は鬼殺隊にはおりませんので、船員の人達だけは一般の方々です。とはいっても藤の家の血縁者、もしくは彼らの太鼓判をもらった船乗りだけで構成されておりますが」
とにかく、厳戒態勢を。
そう頼んだオレの願いを、お館様は聞き届けてくれたらしい。珍しいこともあったもんだ。精いっぱいの嫌味である。
「…ああ、勘違いのないようにいっておきますが」
次の瞬間、しのぶちゃんの指がオレの目玉の手前に突き付けられた。避けられる速度にしてくれてるけれど、別に避ける気はないのでオレは動かない。
「これらの措置は全て『桜花さんの為』です。断じてあなたの為にやっている訳ではありませんので」
「うん、わかってる」
桜花が心配そうにオレを見ている。
大丈夫だよ、桜花。
しのぶちゃんが許せないと言うなら、オレは許してもらうつもりなんてない。
「あなたがどこでどう死のうと私には関係ありません。どうぞ好きな場所で死んでください」
「・・・ごめんね」
「ごめん? 何に謝っているんです? 意味の解らないことはしないでください」
「そうだね」
指を引っ込めて、しのぶちゃんは先頭に立って歩き始めた。
ごめんね。
死ぬことはできないんだ。
桜花の前で、もう二度とそれは口にできないんだ。
でも、オレが死ななかったから、なんだというんだ。
オレは弱くて、何も守れなくて。
そんなオレがここに居る理由。
それはいったい、なんなのだろう。
『貴方がみんなを救ってくれたから、変えてくれたから、だからみんな貴方を信じたのよ!』
救った? 変えた? オレが? 誰を?
桜花の言う通り、辛いから、哀しいからって自分が死ねばいいなんていうのは絶対に間違っていたと思う。
そんな言葉に意味はない。逃げただけだ。
でも、実際オレは誰を救えた? こんなに弱いオレに、何を救えと言うんだろう。
わからない、オレはどうすればよかったんだ。
「兎さん、またよくないことを考えてるでしょう?」
そんなことを考えて歩けば、たちまち桜花に看破される。本当に、敵わない。
「そんなに難しい事ではないんですよ? 兎さん」
「え?」
「だっていつも、ちゃんと帰って来てくれるじゃないですか」
桜花はそう言って、オレと腕を組んだ。身長差の関係で、桜花はオレを見上げる形になる。澄んだ桜色の瞳が、オレを見つめている。
「桜花にとってはそれが一番大切なことです」
「桜花…」
ほんと、オレにはもったいないよね。
「桜花」
「はい?」
「…あんなこと言って、ごめん。頑張るよ」
「ええ。頑張りすぎないように、頑張ってくださいね。桜花は何時でも、兎さんの味方です」
「あの。さっさと進みましょうか。色々と行き場がありませんので」
また青筋を立てたしのぶちゃんに急かされて、オレ達は慌てて彼女を追った。
オレ達は半日ほど歩いて、港へとたどり着いた。人は少なく、歩けばすぐに目的の汽船にたどり着いた。
でかい。想像の三倍はでかい。
かつて江戸の世では黒塗りの軍艦が突如として来航したと聞いたことがあったけれど、この汽船もそれと同じくらい大きいのではないだろうか。
厳重にとは言ったけれど、これほどとは。
ん、でも待てよ。
船と言う事は、つまり。
オレは心配になって隣の桜花を見る。
「大丈夫大丈夫、あんなに大きな船なんです、沈んだりしません絶対に沈むもんですか沈んでみなさい許しませんから」
やっぱり。
この四国に渡るときにも同じことがあったが、桜花は船に乗ったり海に出ることをとにかく嫌がる。
理由は簡単。彼女はカナヅチ、つまり全く泳げないのである。
なんでも昔中々ひどい溺れ方をしたとか。オレと出会う前の子供の頃の話だそうだ。
「桜花、大丈夫だよ。沈んだりしないって」
「そ、そそそ、そそうですよね! だって行きも大丈夫でしたもん! 平気だったもん!」
「そうだね」
決して平気でなかったような気がするが、可愛いから良しとしよう。可愛いから!!
「さぁ、隠の皆さん。もうひと踏ん張りです。荷物を船に積み込んじゃってくださいな」
「はっ・・」
隠の皆さま、随分とお疲れである。
無理もないか。ここまでオレ達の荷物をすべて運んでいただいたのだ。お礼ぐらいは言わないとな。
「すまない、皆。こんなに運んでもらって」
「いえ、業柱様。これも我らの仕事にございますので」
「それに1つを除いてほとんど軽いものばかりでございますから」
「ん? なにか重たいものでもあった?言ってくれれば手伝ったのに」
「滅相もございません!柱にそのようなことはさせられません!」
「何言ってんだい。オレ達はみんな同じ人だろ。言ってくれ、どれを持てばいい?」
「そ、そんな業柱様! お怪我もされているのに!」
「良いって良いって。元々オレ達のもんだし」
とりあえず、あの包みから持って入るか。
・・・、オレ達、こんなに荷物持ってたっけ? 特にあの木箱。やたら大きいけどあんなのあったっけなぁ?
「ねぇ。あの箱」
「ああ、あれは藤の家の皆さまからのご餞別です。お野菜だそうですよ。それより業柱様。この大量のしょうゆ豆は」
「それについては、ほら、お土産だよ。その…恋柱への」
「・・・ああ」
隠の隊長格らしき男性(名を白石さんと言うらしい)は遠くを見つめながら納得した。
すると、がたん、と音がした。
気になって振り返るも、荷物が置いてあるだけ。
「…気のせいか?」
鬼の味はしない。どうやらすこし過敏になっているようだ。
「なんか業柱様って、聞いてた話とだいぶ印象ちがうよな」
「そうそう。オレも思った。柱ってみんな怖いけど、業柱様はなんていうかこう、らしくないんだよな」
「鬼も引くほど強いって聞いてたから、粗相をしたら斬りかかってくるかと思ってたぜ」
「私は前から知ってたわ、いい人だって。ねぇ、文通とかしてくれないかしら」
「やめとけ既婚者だ!」
「それがいいのよ!」
「おい誰だこの変態連れてきたの!?」
「縛り上げろ!それもすぐにだ!」
桜花は荷物運びを手伝う兎さんを見つめていました。
隠の皆さんが慌てて止めようとしていますが、兎さんはいいからいいから、と取り合いません。
移動中も兎さんはずっと「悪いなぁ、申し訳ないなぁ」と口に出していました。元々自信家ではない性格も手伝って、申し訳なく思っていたのでしょう。
兎さんは笑いながら隠の白石さんとお話しています。楽しそう。
「…桜花さん」
ふと、隣にいたしのぶちゃんが声をかけてきました。
「傷は痛みますか?」
「いいえ。今はあまり。しのぶちゃんのお薬のおかげですね。ありがとうございます」
「それは良かったです」
それきり、しのぶちゃんは口を閉ざしてしまいました。
しのぶちゃんと兎さんは、ずっと関係にひびが入っています。
昔は実の兄妹のように仲が良かったのに。
「ねぇ、しのぶちゃ」
「桜花さん」
声をかけようとして、しのぶちゃんに遮られました。
「桜花さんは、あの人のどこが好きなんですか?」
「…えっ!?」
突然の質問に、桜花はすこし面くらいました。
しのぶちゃんが兎さんの話を自分から振ってくるのは本当に久しぶりです。
「どうなんです? 何処が好きなんですか?」
「ええ? 急に聞かれても困りますけれど、優しくて、カッコよくて、いつも桜花の傍に居てくれて、怖がりなのに精一杯頑張ってるところとかも好きですし、たまに見せる捨てられた子犬みたいな表情もとっても可愛くて」
「あ、ごめんなさい、もう結構です」
え? まだ全体の十分の一も話してないのに…。残念です。
「いいですね。選ばれた人は。姉さんは…」
「え? なにかいいました? しのぶちゃん」
しのぶちゃんの最後の一言を、桜花は聞き逃してしまいました。
「いいえ、なんでもないですよ。さぁ、私たちも乗りましょうか」
そう言って、しのぶちゃんは船に向かって歩き出しました。
なんだかその背中に、桜花はとても嫌なものを感じていました。
場所と時は移ろい、その日の夜。
ある隠の部隊が芒の丘を訪れていた。
目的は業柱と上弦の零の戦闘の痕跡の後始末である。
「すげぇなおい。これ柱がやったのかよ。どっちも鬼じゃねぇの」
隠は過愚夜が叩き込まれた穴を見て震えあがった。穴はどこまでも深く、地の底まで続いていそうだった。
「おっと、震えている場合じゃなかった。仕事仕事」
まずは土を持ってきてこの穴を埋めてしまおう。隠はそう思い、備品を持ってこようと穴に背を向けた。
「ああぁ、とりあえずはアンタ達でがまぁんねぇ」
突然聞こえた声に振り返る暇もなく、隠は穴に引きづり込まれた。
ごり、ごり、ばき、と骨の砕ける音が辺りに響いた。
「うさぁぎぃちゃあああん、もっぉおおっと、もっとよぉ・・・」
大正コソコソ噂話(偽)
隠の白石さん。
本名は白石 権像(しらいし ごんぞう)。
好きなものは牛鍋で、革靴を磨くのが趣味。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
『枯橋楽』
鬼殺隊最強の称号。
甲まで上り詰めた鬼殺隊士がさらに五十の鬼を討伐するか十二鬼月を独力で退治した場合のみ与えられる称号。
給金は望むままに与えられ、鬼殺隊内でも最大限の発言力があるが、当然命の危険を伴う任務が多い。
さらにここ百年余り顔ぶれの変わらなかった上弦の鬼に対して柱は頻繁に入れ替わっており、殉職者も多い。
汽船の蒸気音が木霊する。
広く青い海に向かって、大きな音が響いている。
人間が海に出る前は、海はもっと静かだったのだろうか。
生殺与奪は海の世界でも、ずっと起こりつづけていたのだろうか。
なんてらしくないことを考えてみる。
「ねぇ、桜花はその辺どう思う?」
そういってオレは優しく微笑んで見せた。
「無理無理無理、無理ですッ! こんな大きな塊が水の上に浮くわけないんですから! 浮くわけないんですから! ああ、そうか! ここは涅槃なんですね!そうなんでしょうっ!? あれ、でも兎さんがいるって事はっ、ああ、そんなぁぁ、兎さん! 兎さんが死んじゃったぁぁ!!」
やっぱり駄目だった。
「桜花、落ち着きなよ、ねぇってば!」
「死なないでって言ったばっかりなのにぃぃ!」
そう言って桜花はポカポカとオレの胸板を叩いた。普段なら、こんなものは痛くもかゆくもない。
そう、普段なら。
オレはあばらが折れているのだ。
「痛い痛い、痛いよ、桜花」
「うわぁああん」
「痛い痛い痛いよ、ねえってば、いやほんと、ほんと痛い! 桜花!」
「落ち着いた?」
「…ごめんなさい」
最近謝罪をよく聞くなぁ。
あの後なんとか桜花をなだめすかして落ち着かせる。
さすがに二度目と言う事もあってか、前回のように抱きしめなくても落ち着いてはくれた。いや、夜になったら思いっきり抱きしめはするけど。
「もうすぐ、四国も見えなくなりますね」
「そうだね」
「いろいろ、ありましたね」
「‥‥そうだね」
いろいろな意味で濃密な時間だったと思う。初めは唯の夫婦旅行だった。
桜花に喜んでもらおうと思っただけ。それ以外の理由なんてなかった。
でも、数珠坊、菊、鈴、懺戒。いろいろな『人』との出会いの中で、オレは再認識させられた。
やっぱりオレは、弱い。
十二の呼吸。唯一どの呼吸から派生したのか解らない呼吸。
オレに指南書をくれた『あの人』とはあれきり会っていないけれど、やって行くうちに自分の呼吸が他の皆と違う事に気が付いた。
極めることが出来れば、誰より強くなれる外法の呼吸。
でもオレには才能がないから、何もかもが中途半端だ。
ほとんどの呼吸を、オレは『指南書の通りにできていない』。
「やっぱり、柱なんて向いてないよな…」
海を見ながら、ぽつりとそうつぶやいた。
「そうですね」
そのつぶやきが聞こえていたようだ。
桜花はすんなりとそう言った。
「本当に、兎さんみたいな方には向いてない仕事だと思いますよ」
「そっか」
「だから、兎さんが突然今日辞めると言ったって、桜花はとめません。ずっと一緒です」
そう言って桜花はオレの髪を梳いた。すこし照れくさい。
「そうだな、よぉし! ねぎまぁ!」
カァ、と声が聞こえて、ねぎまが降りてくる。鎹鴉たちは皆船の上を飛んで有事に備えている。
…鷹とかに襲われたりしないよね?
「カァー、ナニカ用カナハナイチモンメ!」
「もっかい辞表を書くからお館様に届けてくれよ、なぁ」
「カァー! 通算肆千トンデ伍百壱拾弐回目!何枚ダシャアキガスムノ!?」
「辞められるまでだ!」
「ジャアオワンネーヨ!!」
「うるさいぞ苛められっこ!!」
「カァー!」
苛められっこをいじると言う非常に質の悪いことをした後、オレは桜花に声をかける。
「桜花も行こう? うまい文章考えてよ」
「ふふ。ごめんなさい。もうすこし海を見ていたいので、桜花はまだここに居ます」
「そっか」
残念だけど仕方がない。
オレは筆と紙を取りに行くべく、船室へと向かった。
兎さんはねぎまちゃんと話しながら船室に向かって行きました。
柱を辞めたい。
今日までずっと、兎さんが言い続けたこと。
それはきっと間違いなく彼の本音なのでしょう。
辞めたい、その一言にはいろいろな思いが混ざっています。
怖い、死にたくない。
守れないと言う事実を直視したくない。
そんな、想いが。
時々、兎さんが残酷な人間に生まれていたら、と思うときがあります。
そうしたらきっと彼はこんなに苦しまなくて済んだのに。
怨嗟の声も、助けを呼ぶ声も、無視できるほどに残酷な人だったなら。
そうしたら、きっと―――。
「なんて、無理ですよね、きっと」
兎さんは捨て置けない。
誰かの叫びを、悲鳴を。
守れない痛みを、知っているから。失ってしまう辛さを、知っているから。
なんて、不器用な人――。
「兎さん…」
離れていく四国の地。
桜花は、じっとその島々を眺めていました。
「警護は夜間も通して行われます。指揮は私がとりますので、癸、壬の皆さまは交代で船内を監視してください。何が来ても対応できるように」
胡蝶しのぶは船内の鬼殺隊士に向けて指示を出す。指示を出された隊士たちは日輪刀を持ち、船内の持ち場に付き始めた。
と、言っても現在警備の任に当たっている鬼殺隊士は船内の三分の一程度の人員である。
残りの三分の二は現在仮眠室で休息を取っている。彼らは皆、階級丙以上の隊士たちだ。
現在、時刻は昼。
太陽の光はさんさんと甲板を照らしている。
荷物はすべて忍自身が検閲済み。船内では各所で藤の花の香炉を焚き、鬼の襲撃に備えている。
どうあっても船内への侵入は不可能だ。
が、こうした万全の状態であるからこそ、警戒の度合いを高めるべきである。
夜になれば奴らの時間。
こと、上弦ともなれば何をしてくるかわからない。
十二支 兎は上弦の零を二度にわたって撃退、撃破した。
上弦の鬼が死ぬ、という報告は過去百年余りにわたり記録されていない。
(つまり鬼舞辻も、もう十二支 兎を放っては置かない)
しのぶはそう考えていた。
もし業屋敷に到着するまでに彼を始末するつもりなのだとしたら、もう半端な戦力は送り込んでこない。
くるなら必ず、上弦の鬼だ。
そして、兎を狙ってくる。
「さぁ…、医者の不養生という言葉もありますし、私もそろそろすこし休みましょうか」
本番は夜。そのときに万全の状態で事に当たれなければ意味がない。
そう考えて、しのぶは船室内の簡易ベッドに身を投げた。
「しかしまぁ、あの人を守る必要があるのかどうか…甚だ疑問ではありますけれどね」
十二支 兎。最強の柱、『業柱』。
歴史上存在しない十二の呼吸を扱い、しのぶの姉、胡蝶カナエと共に最終選別を通過した男。
過去最強とも謳われ、その実力をお館様に買われて短期間で柱になった。
最初は十二柱と呼ばれそうになったけど、彼はそれを承服せず、なぜか『業柱』という肩書きにこだわった。
親交があったころ、しのぶは彼に問うたことがあった。
『どうして?』
『ん?』
『他の柱の皆さまは皆呼吸の名前で柱になるんですよ、伝統的に。『炎柱』とか、『風柱』とか。姉さんだってそうでしたよ』
『そうだね』
『なのになんで兎兄さんは『業柱』なんですか?』
『あー、単純な話、オレの場合どれも中途半端だけど、呼吸を十二種類使ってる訳だよね。そうなった時、どうするべきか教えてくれる人が居なくってさ』
『そりゃまぁ、そうでしょうね…』
『? まぁ、ともかく。 それならお館様が好きな名前にしなさいって言ってくれてさ。そんで今の形に』
『なるほど、でもどうして『業柱』なんですか?』
『…それはね―――』
「・・・あれ?」
思い出せない。あの時彼はなんと言っていたのか。
「…まぁ、どうでもいいですよね。あんな奴との思い出なんて」
十二支 兎。
鬼殺隊最強の男。
かつては兄と慕った男。
けれどあの男は最後の最後で臆病風に吹かれた。
あの日の惨劇を、しのぶは一生忘れないだろう。
十二支 兎が胡蝶 カナエを見捨てて逃げたあの日の事を。
そして、海を夜が包んだ。
碧かった海が漆黒の闇に沈みだす頃。
汽船の中の、小さな貨物室の中。
その中を、二人の鬼殺隊士が巡回していた。
「ここも、問題ないな」
「ああ、しかしこの大量のしょうゆ豆…」
「これ全部柱が食うらしいぜ」
「まじか…」
隊士二人は遠い目になった。
「きっとごりごりのオッサンが食べるんだぜ。柱だもんな」
「そうだよな。あーあ、柱の中に可愛い女の子でもいれば、やる気も上がるのになぁ」
「蟲柱様がいるだろ?」
「いやぁ、あの人こえぇよ。笑ってるけど目が笑ってねぇもん」
雑談をしながら、彼らは次の巡回位置に回るため貨物室を後にした。
「おい、行ったか?」
「行ったね」
ややあって、部屋の中にある木箱から、がたがた、と音がした。
そろー、っと蓋が退かされて、中から小さな目玉が二対外をうかがっていた。
「ほらな、今の所上手くいってるだろ」
「うん! すごいねお兄ちゃん」
「正面切ってついて行きたいなんて言って、連れてってくれるわけないからな。こういう時は、勝手について行きゃいいんだよ」
「ふふ、桜花さん達、びっくりするよね!」
「ふふふ、見てろよぺったんばばぁ。オレ達は付いて行くと言ったら付いて行くぜ」
木箱の蓋は、そーっと再び閉じられた。
さらに、場所は移って。
ある森の奥に、当主を失った廃城がある。
かつてはある大名が城主として存在した城だった。
並み居る戦国大名の中でも強者と噂された城主であったが、彼が歴史に名を残すことはついになかった。
城主も、近隣に住む人々も、一夜にして皆姿を消したためである。
なぜ突然彼らが居なくなったのか。それは誰も知らない。
『居なくなったこと』さえも、歴史の中に消えてしまったからである。
廃城は天守閣が無惨にも破壊され、月光が降り注いでいた。
「この天守閣も、月光を浴びる分にはとても都合が良いけれど」
その天守閣を我が物顔で使用する鬼が一体。
南蛮渡来の肘掛椅子に座って、月を眺めている。
下あごには鋭い角。目は薄緑色に血走り、瞳の色と合わせるかのように着物も翠色だ。
『堕落七鬼』の一角である彼女の名は、『望郷ノ枯橋楽(ぼうきょうのこきょうらく)』といった。
「昼間になると日光が差し込んできて嫌になる。ねぇ、これは人間と私たち『鬼』の関係に似ているわ」
「人間と言う最悪の時間を乗り越えて、私たちは鬼――、美しく気高い夜の時間を手に入れた。私たちは永劫に夜の時間を過ごせるの。でも、現実はそうじゃない」
「忌々しい太陽は毎日毎日毎日現れて、私たちの居場所を奪って行く。その度にあのお方はお隠れになることを余儀なくされる」
ばきり、と音がして、肘掛椅子の腕置きが握りつぶされた。
彼女は渾身の力でそれを握りつぶしたが、破片は一片として、彼女の陶磁器のような手を傷付けていない。
「胸が張り裂けそうよ、あのお方のお気持ちを考えると。こんなにも苦しい事はきっとないわ」
「ねぇ、あなたもそう思うでしょう?『停滞ノ唾葬怠(ていたいの だそうたい)』」
枯橋楽はそう言って背後に立つ鬼に声をかけた。
その鬼は男の姿をしていた。下半身に紺色の袴をはき、裸足で胡坐をかいている。ボサボサの頭髪は先端が紺色だが、それ以外の部分は鮮やかな空色に染まっていた。
そして上半身は衣類を身に着けていない。それは彼の背中から三本の巨大な角が飛び出しているからだった。
唾葬怠はふわぁ、とあくびをして答えた。
「もうしわけありません、枯橋楽様。驚くほど話が退屈だったので全く聞いてなかったっすわ」
枯橋楽は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに彼に向かってほほえんで見せた。
「大事な話なのよ。心して聞きなさい」
「ふぁあ?」
枯橋楽にしこたま殴られた唾葬怠はなおもあくびをしながら話を聞く。
「十二の呼吸の使い手を我ら『堕落七鬼』が仕留めれば、あのお方は大層お喜びになるわ。これは好機よ、唾葬怠。我らが十二鬼月よりもあのお方の役に立てることを証明するの」
「はぁ、そっすね」
「真面目に聞きなさいってば。二百年前はあの忌々しい上弦の肆に寝首をかかれたけれど、今度はそうはいかないわ。確実にその柱を始末し、首を持ち帰る。そうすれば」
唾葬怠は胡坐をとき、床に寝転がり始めた。本格的に興味を失ったらしい。
「そうすれば、そうすれば!」
「あのお方は堕落七鬼、そしてひいてはそれを率いる私に向かって御寵愛を下さるに違いないわ!!」
「あー、あのお方そんな感じの方でしたっけねー?」
「馬鹿ね唾葬怠! 状況は刻一刻と変化するのよ! いいえ、たとえ寵愛の言葉がなくとも、殺されたとしても、私はあのお方にお言葉をかけて頂けるわ。想像して御覧なさい唾葬怠! 夢想するのよ唾葬怠! 貴方ならきっとできるわ唾葬怠!」
「はいはーい」
「あのお方は私を見つめながらこういうのよ、『今回の働きは堕落七鬼、ひいてはお前の活躍だ、枯橋楽。できて当然だがな』って! きゃー!!」
枯橋楽は椅子から飛び降りてぐるぐると天守閣を転がり始めた。途中なんどか唾葬怠の身体にぶつかるが、二人とも全く意に介していない。
「そんな台詞をいうお方ではなかったようにおもいますが」
「諦めては駄目よ唾葬怠! ここが踏ん張りどころと覚えなさい唾葬怠!」
「はいはーい」
ひとしきり息を荒げた枯享楽は頬を赤らめ、傍から見れば『危ない表情』をしながら嬉々として計画を語る。
「それでね、唾葬怠。聡明な私は早速手を打ったのよ」
「へー」
「琵琶女の情報によれば、奴らは今船に乗って移動しているわ。奴らの本部に逃げ込まれれば残念だけど特定は困難。だからこそ、速攻で勝負をかける必要があるのよ」
「すっごいすねー。えらいっすねー」
「そうでしょうそうでしょう。もっと褒めてもいいのよ唾葬怠。それでね、私はね、あの子に行ってもらうことにしたのよ」
「あの子?」
「そう。『殻怒童子(がらどどうじ)』にね」
それを聞いた唾葬怠は、彼にしては珍しく顔をしかめた。
「うっわー。えぐいことしますねぇ」
「当然よ。奴らは洋上。汽船には大量の人間。おそらく鬼殺隊の雑魚どもね。ふふふ」
彼女の顔が月光に照らされる。彼女は嗤っていた。その表情は妖艶な女性にも、玩具を与えられた少女のようにも見えたが。
どちらと呼ぶにも、あまりに悦を隠しきれない表情だった。
「あの子の血鬼術なら確実に皆殺しにできるわ。そうでしょう?」
「・・・こえーこえー」
月下の廃城に嗤い声が響いた。
大正コソコソ噂話(偽)
枯橋楽は鬼舞辻無惨をいっそ病的レベルで敬愛しています。
部屋には彼/彼女の似顔絵が所狭しと並んでいます。
ちなみに絵は堕落七鬼の内一人が書いています。
大量のミミズを用意すると描いてくれます。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
十二支 兎は囲まれる。
そんなのは今する事じゃない。
「さぁ、ねぎま。一丁頼むよ」
「カァー! チクショー!」
オレからお館様宛の文を携えて、ねぎまは夜の海に消えて行った。
こんな潮風の強い場所でも飛べるのだから、鎹鴉ってのは本当に優秀である。
夜の海は暗く、どこから空でどこから海なのかわからない。水平線が、全く見えない。
「…、あ、そういえば晩飯まだだったな」
腹の虫が若干騒いでいる。桜花を誘って食事にしよう。
オレは甲板から階段を下りて船室に向かった。
船室に戻ると、行き違いになったのか桜花が戻って来ていた。
「おかえりなさい、兎さん。ねぎまちゃんはちゃんと飛びましたか?」
「うん。風も強いのに大したものだよね」
簡易ベッドに腰掛ける桜花の隣に腰を降ろす。いつも来ている羽織を脱いで、船室に備え付けの棚に放り投げた。
「あっ、兎さん! そうやって投げないでって何時も言ってるのに」
むぅ、と言いながら桜花が羽織をきちんとたたんでくれる。
やっべ、つい。
1人で生きてきた時間が長いから、つい昔みたいに人の目を気にせずやってしまう。
「ちゃんとこうやってたたむんですよ。ほら、綺麗になった」
きっちりたたまれた羽織を見せて桜花は微笑んだ。美しい。
「ああ。ごめんね桜花、うっかりしてた」
「わかってくれたなら良いんですよ」
にっこりと笑っている。可愛い。すっげー可愛い。
「あとどのくらいで着くのかなぁ?」
「あと…二日ぐらいじゃないですかね…」
桜花の目が死んだ。たしかに桜花にとっては拷問だよな、船の上にあと二日って。
「大丈夫だよ桜花、沈んだりしないって」
「ああああ、当たり前です! 沈んでたまるもんですか!!」
重症だ。このままでは絶対に二日ももたない。
「よしよし、桜花、大丈夫だからな。さぁ、ご飯でも食べに行こう」
「・・・ぐす、はい」
オレは桜花の手を取ってベッドから起き上がろうとした。
すると、突然トントン、と音がした。
誰かがオレ達の船室の扉をノックしている。
「業柱様、至急お伝えしたいことがございます。扉を開けてください」
「隊士の方でしょうか? なんでしょう、緊急って」
桜花が不安そうに扉を見つめている。よし、ちょっと確かめてみよう。
「ここを開ける前に確認させてくれないか。合言葉を言ってくれ」
「合言葉」
「そう。なに、オレの簡単な質問に答えるだけだよ」
そういってオレは頭を働かせ、隊士なら必ず応えられる質問を出してみることにした。
「原初の鬼、オレ達の仇敵。そいつの名前は?」
全ての鬼には、鬼舞辻の呪いがかかっている。鬼舞辻の名前、特徴、力、居場所。どれを喋っても何を話しても、呪いは発動し鬼を細胞ごと破壊する。
この声の主が仮に鬼だったとしたら、この質問には答えられない。
「鬼舞辻 無惨です」
答えた。
どうやら鬼ではなさそうだ。そう思って、オレは桜花に目くばせした。
桜花もオレの意を察したようで、部屋の隅へと移動する。
オレはすっと扉を開けた。
目の前に居たのは、やはり鬼殺隊士だった。
見たことがない顔だ。この船に護衛として乗り込んだ一人だろう。
茶髪の髪をした男で。
「そうそう、さっきの合言葉なんだけどさ」
―――日輪刀を抜いている。
「ウォオオオオッ! 柱ァァァ!!」
彼はその言葉と共に刀を振り上げる、が準備していた分こちらの方がはやい。
「あんなの口から出まかせなんだよ。ごめんね」
オレは鞘に入ったままの日輪刀で、思い切り腹を叩いた。
「うげッ」
「ごめんね、嘘の味がしたからさ」
彼はそのまま壁に叩きつけられた。
「兎さん、大丈夫ですかッ!?」
桜花が心配そうにオレに駆け寄った。大丈夫だよ、と伝えて叩きつけられた彼を見る。
鬼じゃない。それは間違いない。
でも彼は今オレに殺意を向けて斬りかかって来た。怒りの味がものすごく濃い。何か彼を怒らせるようなことをしてしまっただろうか。
「兎さん、この人と知り合いですか?」
「いいや。全く覚えがないよ。桜花は?」
「‥すみません。私も存じ上げません」
つまり全く初対面でオレは斬りつけられたことになる。傷つく。
「オレって嫌われてんのかな…」
「そ、そんなわけありませんよ! 少なくとも、桜花は大好きです!」
しょんぼり、と頭を垂れるオレを桜花が慰めてくれた。嬉しい。
「というより、どう考えてもおかしいですよ。隊士が柱に斬りかかるなんて。かなうはずもないのに」
「ぐす、そうだな。なんか変だ。ちょっと調べてみようか」
そう言ってオレが彼の身体に触れようとした時だった。
【オオオィオイオイオイオイオイオイオイオイィ!! なぁにやってくれてんだァ、ああん!?】
船内に突然大声が響いた。男の怒号だ。
「う、兎さん! 連絡用のパイプからです!」
汽船には全ての部屋、通路に連絡用のパイプが付いている。パイプは各所につながっていて、互いにパイプに向かってしゃべる事で連絡を取り合うのだ。
オレはパイプに近づいて声を聞き取る。
【お前だよお前! 今そこでパイプに耳近づけてる白髪の隊士だゴラァ!!】
つまり、恐らくはオレの事である。
【見てたぞぉ、テメェ今仲間を刀でぶん殴ってたなぁ。なんでそんな残酷なことできんだァ! 可愛そうとは思わねぇのかァ!?それが心通った生き物のやる事かァ!?】
パイプからいまだに怒号が響いてくる。
なにやらさっきオレが隊士を殴ったことを責め立てているらしい。
…あんまり、関わりたくないタイプだ。うん。
勘だけども。
【…無視してんじゃあ、ねーぞぉ!ゴラァ!!】
余計に怒らせてしまったようだ。返事しなきゃ、駄目かなぁ。
仕方なしに、オレはパイプに向かって話かける。
「…もしもし」
【喋れるんじゃねーかァ!! くそ、くそ、糞糞糞! 馬鹿にしくさりやがってよォ!!謝れ!!】
「え、あ、うん、ごめんなさい」
【男が簡単に謝ってんじゃねーぞゴラァ!!】
どうすりゃいいのよ。
【…あぁ、テメェよく見たら柱だなぁ!姫の言ってた特徴と同じじゃねぇかくそッ! あれだ、あーっと、じゅ、じゅじゅ…えーっとぉ・・】
なにやら悩んでいるような声だ。ああでもないこうでもないとパイプの向こうで唸っている。
【畜生! 思い出せねぇ!!お前の所為だ! 全部全部なにもかも森羅万象お前の所為!!】
どうやらかなり理不尽な相手であることはわかった。しかし、今掴んでいる情報はそれだけ。あんまり頭のよさそうな相手でもないし、もう少し話してみるか。
「ねぇ君。君は何者だい?」
【あぁ!? 俺様は『堕落七鬼』の一角、『欺瞞ノ殻怒童子(ぎまんの がらどどうじ)』様だ!! まさか俺様を知らねぇのかド畜生が!!】
『堕落七鬼』? 殻怒童子? 全く知らない単語がどんどん出てくる。
桜花をふりかえれば、彼女も青い顔で首を振っている。桜花も聞いたことがないらしい。
ここはもうすこし情報を引き出さなければ。
「堕落七鬼? その口ぶりだと、鬼なんだね。十二鬼月とは違うの?」
【俺たちとあいつ等を並べんじゃねェェェ!!】
突然、怒鳴り声が四割増しで大きくなった。あまりの轟音に、オレは思わずパイプから飛びのいた。
なおも怒声は響き渡る。
【ゆるさねぇ、許さねぇぞ柱! よりにもよって、よりにもよってあいつ等とォォ! 殺すッ! テメェは必ずぶっ殺すッ!!】
鬼気迫る勢いだった。本当に触れてはいけない物に触れた。虎の尾を踏んだ。そんな錯覚さえ覚える。
とたん、がたがたと音がしてそこら中からかけてくる足音が聞こえる。
人間の味だ、鬼じゃない。
だけど―――、なんだこれは。
【今から謝ってももうおせぇからなぁ!!ふざけやがってェェ!! こっちはとっくに攻撃完了してんだからなぁ!!】
怒りの味、激怒している。いま、こちらに向かってくる人間全員が。
「桜花、部屋に戻って! 早く!」
桜花が一瞬ためらった後に部屋に入ると、まるでそれを待っていたかのように、階段を下りて大量の鬼殺隊士たちがオレに殺到した。
皆、手に抜刀した刀を持っている。
【そらそらそらぁ!! 斬れるもんなら斬って構わないんだぜェ?そいつらみーんな皆殺しにしてもいいならなァ!!】
「おまえ、皆をッ」
【おおっとぉ、誤解すんなよムカつく奴だァ!!操ってなんかないんだよォ! そいつらはみんな自分の意思でそこにいんだよ!! 俺様はちょーっと思う存分怒りをぶちまける手伝いをしてやってるだけさ!! さぁ、お前等!】
【お前らを見捨てて逃げようとしてる柱だぞ!! 囲んでぶっ殺しちまいなァ!!】
オオオオォオオッ、と叫び声が船内に木霊した。
皆が皆、刀を抜いてオレに斬りかかってくる。
オレは日輪刀を鞘から抜かず、納刀したまま構えた。
全集中・『子』の呼吸!
『鼠惨死鬼』!
オレの分身が大量に発生する。オレたちは一斉に鞘で隊士たちをぶっ叩いた。
あちこちでうめき声が上がる。心が痛い。
けれど、こうやって気絶させてしまえば。
【おいおいおい、今なんつったァ? 『子』の呼吸ゥ?】
パイプから訝しげな声が響いた。
「だったらなんだ!」
こいつはもう敵で間違いない。その決意を込めて、オレはきつく言い返した。
【…ああぁ、なるほどなァ。お前、アイツらの子孫かァ?】
「は?」
【とぼけんなよな腹が立つ! しらばっくれんじゃねぇぜ!だとしたら手加減はいらねぇ!! お前等ァ!!】
がたん、と音がする。
オレの目の前には信じられない光景が広がっている。
思い切り気絶させたはずの隊士たちが、もう立ち上がっている。
【怒ってる奴ってのはよぉ、強いんだぜ! 哀しんでる奴より正義漢よりなお強い!】
『怒りは人を動かす原動力になる』。
オレが昔、したり顔で冨岡君に語った事だ。
その本当の意味を、オレは理解していなかったのかもしれない。
大正コソコソ噂話(偽)
暗闇の海に送り出されたねぎま。
案の定今、迷子になってます。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
『怒りの火種』
鬼の弱点の1つ。
鬼は何故か藤の花に触れることを極端に嫌がる。
藤の花の香を焚くだけで鬼は寄ってこれない為、鬼の伝承が強く残る地域では香を焚く習慣があるほど。
現状、藤の花を克服した鬼は過愚夜のみである。
オレは日輪刀を持った隊士たちに取り囲まれている。
もう何回目だ? 子の呼吸で気絶させる事数回。一人一人の力がさすがにオレより劣るとは言っても、こう何人も立て続けに相手をさせられると気が滅入る。
しかも倒しても倒しても、彼らは起き上がった。
くそ、キリがない。
【オウオウオウ、柱ってのは案外大したことねぇなぁ。なんでだよもっと強いんだろォ!?本気出せェ!! 斬れェ!】
「うるさい黙ってろ!」
船内のどこかからちょっかいを出す鬼―――殻怒童子に怒鳴りながら考える。
どうするか考えろ。ここから隙をついて逃げること自体は簡単だ。数えてざっと40人程度。この数なら抜けられる。
ただ、それはオレの背後にある部屋に隠れている桜花を見捨てた場合の計算だ。そんなことはありえない。
最悪の場合、全員斬るしかない――。
一瞬頭をよぎった考えを、頭を振って追い出す。
懺戒の最後の顔を思い出す。
オレは、彼に恥じない生き方を選びたい。
桜花の言うように皆がオレに託してくれたと言うなら、オレはその託された物に背を向けてはならない。
例え弱くても、恐ろしくても。
今この瞬間を逃げることだけは、駄目だ。
「柱ァァ! 腹が立つ! 腹が立つ!」
隊士の1人がオレに斬りかかってくる。刀を鞘で受け止め、勢いをつけ押し戻す。
よろけたところに、オレは鞘での殴打を叩き込んだ。
同じようなチャンバラを繰り返して、何人も倒れさせる。それでも彼らは立ち上がることを辞めない。
幸いなことに彼らもこの状態だと太刀筋が鈍るのか、まだ一太刀としてオレには届いていない。体が心に振り回されている感じだ。
【オイオイオイオイィ! なんだぁテメェら! すさまじく弱いじゃねぇかァ!!もう引くわこの弱さ!! そんなもんでオレ達と戦う気だったのかよォ!!】
殻怒童子がわめいている。オレが何時までも傷を負わないのが不服なようだ。
「殻怒童子。悪いけどオレは何時までだってこれを続けるぞ。そうすれば、朝が来てお前の負けだ」
ここは洋上。周りに陸はない。
朝日が昇れば、この船に潜んでいるであろう殻怒童子は塵になって消える。
奴はずっとパイプを使ってオレと話している。パイプは船内のあらゆる場所につながっているが、逆に言えば船外にパイプのつながる場所なんてない。
舟の中に居る以上、必ず見つけ出して引きずり出す。
「お前を必ず日の下に連れて行く」
【強気じゃねぇか、ムカつくな! 俺様を見つけ出そうって腹か、不愉快だァ!畜生畜生畜生!! んじゃあ『こう』するしかねぇよなぁ!! お前の所為だよなァ!!】
ぴたり、と今までオレに向かっていた隊士たちが動きを止めた。
依然として怒りの味は消えないけれど、斬りかかってくる様子がない。
両手をぶらんと下げ、視線をゆっくりと彼らは、オレではないお互いに向けた。
次の瞬間。
「テメェ! 前からムカつくんだよォ!!」
「死に晒せェ! 何の才能もねぇ癖に!」
「消えて消えて消えてよォ!」
隊士同士が、互いに斬り合いを始めた。
「なッ・・」
【アッハハハハハハ!! 良いかァ柱? 怒りってのはさぁ。別に1つの方向に向かってる訳じゃあないんだぜ? どんな親しい間柄だろうが、人生の内にいっぺんは『死んでほしい』、『ぶっ殺したい』って思うもんさ畜生!オレの血鬼術はそんな『怒りの火種』を増幅、暴走させる!腹立たしい事だけどよォ、遠い存在のお前より身近な隊士同士の方が火種はでかいかもなぁ?】
互いに隊士たちが斬り合っている。互いが怒りにまかせて防御を考えていないから、全ての斬撃が急所に当たっている。
それでも彼らはやめない。激痛に涙を流していたとしても、植えつけられた怒りが消えないから。
【ほぉらほらほらぁ、どうする柱? 俺様としちゃどっちでもいいんだぜェ?鬼殺隊が減れば減るほど、姫への土産話が増えるってもんだ! クソッタレ!!】
日輪刀を握りしめる。あまりに強く握りしめたから、柄から血が流れた。
オレは覚悟を決めて、刃を抜いた。
全集中・『子』の呼吸! 『鼠惨死鬼』!!
重ねて六刻!
全集中・『午』の呼吸! 『掛馬』!!
高速で分身を飛ばして、全ての隊士を止めにかかる。全員みねうちで意識を飛ばす。それでもなお彼らはすぐに意識を戻して同じことを繰り返すだろう。
だからオレは、彼らの持つ日輪刀をすべて叩き折った。
そんなに難しい事じゃない。刀と言うのは、横からの力にひどく弱い。
だからオレは全員の日輪刀を側面から叩いた。
掛馬で速度が二倍になっている事もあって、振り切ってしまえば簡単に折れる。
【ああ!? なんだそりゃテメェ!! やっていい事と悪い事の区別もつかねェのかァ!?】
「黙れ」
ぎゃんぎゃんわめく殻怒童子。
そんな言葉、もうほとんど耳に入らなかった。
「お前は今何処に居る? 答えろよ」
【はぁ!? んなもん簡単に教えるわけねぇだろうが――】
「お前が来い!!」
たまらずにオレは叫んでいた。
「卑怯者め!隠れてこそこそする事しかできないのか!? オレの首が欲しいのなら相手になってやる! お前が、お前自身が、戦え!!」
【おいおいおいぃ! 馬鹿なこと言ってんなァ!! 俺様もお前も相対せば生きるか死ぬかだ!! オレは確実に勝てる方法をとってるだけなんだよ、ばぁかぁ!!】
「…もういい」
オレは日輪刀を固く握りしめた。コイツとはもう、議論するにも値しない。
「…くだらない奴なんだろうな」
【あ?】
「お前らだよ。堕落七鬼、だっけ? 十二鬼月と比べるなとかどうとか言ってたけど、そりゃそうだよね。自信が無さ過ぎて比較されたくないんだ。過愚夜は少なくともこんなこそこそ隠れる臆病者じゃなかった」
【ああ!? テメェ今なんつ―――】
「何度でも言ってやる。お前らなんて大した存在じゃない」
「お前がちょいちょい口に出してる『姫』って奴だって、どうせ小物だろ」
【そいつを今すぐぶち殺せェェェェェェェェェ!!】
気絶していた一般隊士が一斉に起き上がる。刀は持っていないが、皆拳を握りしめて向かってくる。折れた刀を片手に向かってくる者もいた。
負けない。
すぅ、と呼吸を整えながら強く思う。
こんな奴に。こんな奴に、託されたオレが負けていいはずがないんだ。
オレは絶対に、諦めない!
「やい白髪兎! 息止めろ!!」
瞬間、ボン、と音がして辺りに赤い煙が広がった。
・・・・って辛ッ!!
口の中に微量入った唐辛子にオレはむせこみそうになるが頑張って耐える。
せき込んでみろ、オレはそのままあの世行きだ!!
【うおっ!? なんだこれっ! ちくしょおおおお、いてぇええ!!】
というよりこの手口、すごく覚えがある!
「桜花さん! 桜花さん、出てきて! 逃げよう!!」
口を押えたもごもご声ではあるが、聞き覚えのある少女の声が聞こえた。
「えっ? その声・・・」
「白髪兎、アンタもだって! 立って逃げるんだよ!!」
オレの近くでもごもごと少年の声がする。
同時に扉が開いて桜花も出てきた。
オレと桜花が声の主の姿を捉えるのは同時で、声を上げたのも同時だった。
「数珠坊!?」
「菊ちゃん!?」
あり得ない! 二人は安全な藤の家に置いてきたはずなのに!
って辛い! しまった! びっくりしてまた少し入った!!
「貴方たち、なんでここに!?」
「説明は後だぺったんばばぁ! こっちだ、早く!!」
数珠坊はオレの、菊ちゃんは桜花の手を引いて走り出し、今だ辛さで悶える隊士たちを置いて駆け出した。
「あいつらふざけんなァ!! 絶対見つけてぶっ殺してやるからなァ!!」
隠れ場所に身をひそめる殻怒童子は怒り狂っていた。
策は破られ、仲間を貶され、姫を馬鹿にされ。
あげくに謎の乱入者どもの所為で折角追いつめた柱を取り逃がした。
「くそ、くそくそくそくそくそくそォ!!許さねぇ! 許さねぇ!!姫への侮辱は許さねぇぞド畜生がァァァァ!!」
殻怒童子は怒り狂い、同時に確信していた。
あの柱に小細工は通用しない。人海戦術もありだが、もっと強い駒をぶつけなければならない。
「使ってやる、使ってやるよクソ!! ムカつくが出し惜しみ無しだ!!あの『最高の火種』を使ってやる!!」
さきほどのオレ達の船室からさらに潜った貨物室。そこにオレ達は逃げ込んでいた。
鬼や鬼の傀儡になった人たちから、ひと時は逃げ切れている。
しかし、しかしだ。
オレの目の前のこの怒れる鬼はどうしようか。
「…助けてくれたことには感謝しています。数珠坊君、菊ちゃん」
でも、と桜花は正座させた二人に向かってにこにことほほ笑んでいる。
目が全然笑ってない。
「でも不思議ですねぇ? 桜花の記憶が正しければ、お二人とは藤の家で一度お別れしたはずなのですが?」
「お、おう」
「はい・・」
「答えなさい! なんでこんな所に居るの!!」
桜花が怒鳴った。すっごい怖い。子供二人も震えあがった。
「危ないから一緒にはいけないと言ったでしょう!! どうやって乗り込んだの!? それにさっきはあんなに危ないことして! 斬られてたらどうするんですか!! 遊び場じゃないんですよ!!」
「そ、そんなことわかって」
「わかってない!!」
数珠坊の反論を桜花が黙らせた。言葉につまった数珠坊は俯く。
すると今度は恐る恐る菊ちゃんが口を開いた。
「わ、私たちお師匠様と約束したから…」
「懺戒さんが二人にこんなこと望むと思いますか!?」
「でも・・」
「でもじゃない!! 本当にどうして――」
「だって私たちにはもう誰もいないんだもん!!」
菊ちゃんの叫びに、桜花が黙った。
「鈴兄ちゃんも、お師匠様も、お父さんもお母さんも、桜花さんも兎さんも、どうして皆私たちの事おいて行こうとするの!? 私たちがいると邪魔なの!? お父さんもお母さんも言ってた、私がいると邪魔なんだって!!」
「菊ちゃん、それは」
「桜花さん、傷だらけになっても私とお兄ちゃんを守ってくれた! お師匠様も、ずっと一緒に居てくれた! 私たち、知らない人たちと暮らすなんて嫌! どんなに幸せでも、そんなの嫌だよ!!・・・嫌、だよう・・」
菊ちゃんは泣きながらうずくまって泣き出した。
この子たちは、この子たちで本気だった。
捨てられた恐怖と、おいて行かれた孤独感。
それが本当に苦しくて、つらくて。
そこから逃げ出そうと、本気であがいてオレ達の所に来た。
桜花は涙する菊ちゃんをしばらくそっと見つめていたが、ややあって屈んで彼女と目線を合わせた。
「…菊ちゃん」
穏やかな声だった。慈しむような声だ。
「うう、うえ、おう、かさん。ごめ、ごめんなさ」
「いいえ」
桜花はやさしく、菊ちゃんの頭を撫でた。
「謝るのは桜花です。あの時、もっとあなた達の気持ちを考えてあげるべきでした」
「ごめんなさい、ごめんな、さ」
「ごめんなさい、菊。…ごめんね」
桜花はそう言ったあと、両手を広げて見せた。
「ほら、おいで?」
「うう…ぐす、うわあああああんっ!」
菊ちゃんはそのまま、桜花に抱きしめられた。その背を桜花はやさしくさすっている。
思わずオレがほろり、と泣きそうになっていると、数珠坊が歩いてオレの方に向かってきた。
「…混ざらなくていいの?」
「混ざるか!!」
オレの冗談に、数珠坊が食いつく。そしてすぐ、そうじゃなくて、と数珠坊が続けた。
「菊の所為じゃないんだ。俺が、ついて行こうって言いだして」
「それにしたって、いったいどうやって」
「あの家の人たち、餞別用に箱一杯に野菜詰めてたろ。すごくでかい箱だったからその中に忍び込んでさ」
なるほど。あの時聞いた物音は二人が箱の中で動いた音だったわけだ。
よくもまぁ、あの長距離を箱に隠れて移動したもんだね。
「俺たちも船に乗る前に出ていってびっくりさせるつもりだったんだ。けどよ」
そう言って数珠坊は桜花と菊を見た。
いまだに二人は抱き合っている。こうしてみると、やはり親子のようだった。
「ぺった‥桜花さん、俺たちを預けた後、すごく心配してくれてただろ。菊がそれ聞いて泣き出してさ。どうしても離れたくないって。だから俺がこのまま船に乗っちまえば全部うまくいくって」
そういうことか。
桜花が当たり前に発したあの言葉に、菊は救われていたんだ。
「‥ごめんよ」
なおも謝る数珠坊。彼を見ていて、オレの心はすこしほわほわした。
「まぁ。言いたいことは桜花が言ってくれたよ」
オレは数珠坊の頭をぐりぐりと撫でる。
「次からは妹が無茶言ってもちゃんと止めるんだぞ、兄ちゃん」
「いた、イテェよ兎!!」
「兎さんね、大人になったらそういうの大事」
【オウオウオウオウオウ見つけたぞこんちくしょうが!!】
貨物室のパイプから聞きたくない声を聴いてオレはとっさに身構える。
桜花も菊ちゃんをより一層強く抱きしめた。
数珠坊は後ずさりして桜花の傍へ。
いいぞ、そのまま二人を守るんだ。
「殻怒童子!!」
【名前覚えてんじゃねよ気持ち悪い奴だなテメェはよぉ!】
「桜花以外の名前はどうでもいいからすぐ忘れる!」
「ど、どうでもいい・・・?」
「兎さん!!」
「訂正! 桜花と数珠坊と菊! これ以外忘れるからお前の名前なんか絶対覚えないからな!! だから泣かないで菊ちゃん! そんな顔でオレを見ないで!!」
【テメェらの家族ごっこなんてどうでもいんだよォ!! どんだけ寸劇してりゃ気が済むんだよォ!!畜生! あとちょっとで泣きそうになったじゃねぇか嘘だけど!!】
殻怒童子は相変わらず怒り狂っている。
いい加減不愉快になって来た。
「さっきも言ったけど、自分が強いと思うならお前が出てこい!!」
【はっ! 冗談じゃねぇ!! 確実に勝つ方法があるのになんでわざわざ出て行かなきゃならねぇ!こっちには『とっておき』があるんだよクソ!!】
とっておき。なんだそれ?
オレが鬼にその質問をする余裕はなかった。
何者かが貨物室の扉を蹴破って、高速で突進してきた。
速い。一般隊士に出せる速度じゃない。
「っ、やばっ!!」
反射的にオレは日輪刀を抜き襲撃者の刃を受け止める。
その刃は、奇妙な形をしていた。
刃は先端にしかついておらず、通常刃のある部分は、抉れたように峰しか存在しない。
それは鬼の頸が斬れない『彼女』の為に作られた、突くための刀。
刺した相手に毒を流し込み、壊死させるための刀。
オレはこの日輪刀を、よく知っている。
「そんな・・・」
オレの背後で桜花が息を呑む。
オレも信じたくない。彼女が、術にかかるなんてそんな。
けれど、現実と言うものはいつも厳しくて。
本当に残酷だ。
「どうしてぇ、どうしてよぉぉ! 十二支 兎ィィィィ!!」
怒りに支配され、般若と化した『胡蝶 しのぶ』がそこには立っていた。
大正コソコソ噂話(偽)
桜花さんは肩を怪我しているので、菊ちゃんを抱きしめた時それなりに痛かったそうです。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
『蝶が死んだ夜』
でも世界はそんなときだけ時間をくれない。
彼女の刃を、自らの刃で受け止める。
目の前にいるのは間違いなく『胡蝶 しのぶ』だった。
「そんな、しのぶちゃんまで…」
背後で桜花が息を呑む。
信じられない。彼女ほどの実力者が殻怒童子の術中にはまるなんて。
しのぶちゃんの斬撃は力がないが軽い分早い。
受け止めた、と思った次の瞬間には別の方向から攻撃が来る。
右、左、下段、突き。
高速で攻撃が切り替わる。
「十二支、兎! 十二支 兎!!」
叫びながら、怒り狂いながら突っ込んでくる。
身をひねり、時に刃で受け流す。
【アハハハッ! 調子が良くて腹が立つぜ! そうかそうかぁ、その女も柱かぁ。コイツはいい! お前を殺した後そいつには自殺してもらうとするかなァ?】
「もういい黙ってろ! 話せば話すほどお前が嫌いになる!」
【あん? なんだお前、『怒って』んのか!? 意味わかんねェな!? お前らてっきり敵同士だと思ってたけどよォ!?】
「はぁ!?」
【その女のお前に対する火種は相当なもんだったぜェ? 殺したくて殺したくてうずうずしてるみたいだなァ!】
「ッ」
わかっていた、事だ。
しのぶちゃんがオレを恨んでいないわけがない。
「お前が殺した! お前が見捨てた! 私から、みんなから姉さんを奪った!」
しのぶちゃんがオレの刀の刃を弾く。
そのまま彼女は後ろ手に跳んで距離をとった。
そのまま彼女は刀を上段に構える。
足に力をこめ、こちらに突進してくるつもりだ。
どうすればいい。どうすれば。
しのぶちゃんを斬るなんてありえない。
でもこのまま戦いつづければオレが彼女に殺される。
どちらもしのぶちゃんにとって最悪の結末になる。
「殺してやる・・・・」
『蟲の呼吸 蜂牙ノ舞』
「殺してやるッ!!十二支 兎!!」
神速の突きがオレの喉元に向かって放たれる。
「兎さんッ!!」
桜花の叫びが聞こえる。
オレは――――。
胡蝶しのぶは、あの日の事をよく覚えている。
その日、しのぶは蝶屋敷の布団の中で朝を迎えた。季節は晩秋だった。
のそりと布団から起き上がり、目をこする。
それから鏡台の前に立って、長い髪を夜会巻きにして、寝間着から黒い鬼殺隊服に着替える。
ふすまを開けて、蝶屋敷の廊下を歩く。
途中、世話をしてる看護婦見習いの子供たちや、傷ついた隊士たちとすれ違い、それぞれに声をかける。
大概は、他愛のない世間話だった。
「あら、しのぶ。おはよう!」
七人程隊士と顔を合わせて話した後、しのぶは声をかけられた。
長髪の左右を蝶の髪飾で止めた、美しい顔立ちの少女。
「いい天気ね、きっと今日は良い事があるわ!」
姉、胡蝶カナエは朗らかに笑った。
「こんな日は良い散歩日和だわ、しのぶも一緒にどう?」
「行かないわ。今日も調合しておきたい薬があるの」
「もぅ、そんなに働いてたら体壊すわよ? 今日の見回りは夜なんだし、それまで羽根を伸ばしてもいいじゃない」
任務により各地区へ派遣される甲以下の隊士と異なり、カナエのような『柱』階級の隊士にはそれぞれ担当の地区が割り振られる。
柱は特殊な指令がない限りはその決められた地区内を巡回し、鬼の出現に備えるのである。
もちろん、カナエも例外ではない。今日も担当地区の見回りを行う予定だ。
それには、しのぶも同行する予定だった。もちろん四六時中一緒にという意味ではないが。
「姉さんこそ、休んで無くてもいいの?」
「私? 私は大丈夫よ。それに今日は約束があるから」
そういってカナエは顔をほころばせた。いつもの笑顔とは違う、すこし緊張したような笑顔だった。
ああ、またか。
しのぶは頭を抱えた。カナエにこんな顔をさせる相手を、しのぶは一人しか知らない。
「ああ、なるほど。兎兄さんが来るのね?」
「えっ? なんでわかったのしのぶ? 超能力者?」
恐らくは十に満たない子供でも気付くほどわかりやすいことを、姉に説明するべきか。
しのぶは本気で考えた。
「姉さん、やっぱり兎兄さんにちゃんと伝えた方がいいわ」
「…いいの」
「でも姉さん」
「いいのよ」
その時の姉の表情を表現する言葉を、しのぶは知らない。それでも、今カナエに何を言っても、首を縦に振らないことがわかってしまった。
「カナエ様! 業柱様がお見えです!」
「じゃ、行ってくるわね! しのぶ!」
姉はそう言って嬉しそうに屋敷を出て行った。
元気な姉の姿を見たのは、これが最後だった。
しばらくして、蝶屋敷にもう1人来客があった。
「しのぶ様! 『桜柱』様がお見えです」
柱って、案外暇なんだろうか。
やってきた桜色の髪の剣士を前に、しのぶは無礼にもそう考えた。
「…不躾に、すみません」
「いいえ、仇散華様。どのようなご用件でしょうか?」
しのぶは目の前に立つ柱、仇散華 桜花――後の十二支 桜花である――に頭を下げた。
「頭を上げてください。報も無しに勝手に来たのは私です」
ぎこちなく笑う彼女を見て、随分印象が変わった、と思う。
以前の桜柱なら、こんなふうに人に対して笑い掛けようとすることはなかったし、そもそも他の隊士とまともに口を利くこと自体が稀だった。
以前の彼女は、まるで鬼のようだった。
鬼を殺す、鬼を殺す、鬼を殺す。ひたすらにそれだけに追従する絡繰のようだった。
「お気遣い感謝いたします」
「いいえ。今日はカナエに話があって参りました」
「すみません、姉は今しがた屋敷を出たところでして。明日の朝には戻りますが、なにか言伝が?」
それを聞いた桜花はしばらくふむ、と考え込み。
「わかりました。それでは、『この間の夜の話について、私なりの答えを伝えたい』とお伝えください」
「はぁ…」
よくわからない伝言だと、しのぶは思った。
「ああ、そ、それと」
「はい?」
続けて彼女は問があるようだった。しかし、こんどは中々口を開かない。ずっと桜色の髪を指でいじりながら、照れた様に―――彼女でもそんな仕草をすることがある事に少なからず驚いたが――俯いている。
「今日ここに、業柱は来ましたか?」
「? うさ、業柱様でしたらお見えになっておりませんが」
「…そうですか。今日はカナエと合同の任務だと聞いておりましたので」
すこし残念そうにそう言って、彼女は去って行った。
「…合同任務か。それで姉さん上機嫌だったのね」
柱同士の合同任務というのも珍しいが、最近、十二鬼月らしき情報も多発していると聞く。それが原因で、この地区も警備が強化されているのかもしれない。
「まぁ、でも」
兎兄さんが一緒なら。きっとなにがあっても大丈夫。
しのぶは考えて、安心していた。
歴代最強と目される柱、業柱 十二支 兎。
本人は認めたがらないけれど、あの人より強い剣士を、しのぶは見たことがない。
だから、安心した。
『ねぇ、兎兄さん』
『なにかな、しのぶちゃん』
『姉さんが、兎さんと出会ってからはよく笑うようになりました。ありがとうございます』
『? そうなのかな? カナエはずっとあんな感じな気もするよ?』
『…ねえ、兄さん』
『うん?』
『姉さんの事、よろしくお願いしますね?』
『? なにをよろしくするのかはわかんないけど』
『大丈夫だよ。オレにカナエや皆が付いてるように、カナエにもオレや皆が付いてるから』
心の底から、安心していた。
けれど、そんなものは全部嘘だった。
鎹鴉の叫びでしのぶが現場に到着したのは、姉と鬼の戦いが決着した後の話。日が昇り始め、鬼はすでに去った跡で。
倒れる瀕死のカナエの姿だけが、そこにはあった。
折れた日輪刀。口から血を吐く姉。肺胞が壊死し、内臓が引き裂かれていた。
駄目、駄目駄目駄目。
必死に血を止めようと頑張った。声の限りに叫び続けた。けれど、血は止まらなくて。
カナエの命がどんどん小さくなっていくのが、わかってしまって。
「しのぶ…。もういい。もう…いいの」
「姉さん!」
消え入りそうな声だった。いつも元気な彼女からは想像もできないほど、弱弱しい声だった。
「しのぶ‥鬼殺隊を、辞めなさい」
カナエはゆっくりとしのぶの頬に手を添える。氷にでも触れているかのように冷たくて、しのぶの瞳からは涙があふれた。
「あなたは、頑張っているけれど。本当に頑張っているけれど、多分しのぶは…」
そこでカナエは、なにか言いにくいことがるように言葉を切った。口から流れる血は、まだ止まらない。
「普通の女の子の幸せを手に入れて、お婆さんになるまで生きてほしいのよ。もう、十分だから‥」
「嫌だ!!」
気が付けば、しのぶは叫んでいた。気持ちがあふれて止まらなかった。
「絶対辞めない!姉さんの仇は必ずとる!」
「しのぶ…」
「言って! どんな鬼なの、どいつにやられたの!!」
カナエの目からは涙があふれた。ひどく悲しそうな顔だった。
「カナエ姉さん言ってよ!! お願い!!こんな事されて私普通になんて生きていけない!!」
カナエは目を伏せ、弱弱しくぽつり、ぽつりと話し始めた。
「頭から、血をかぶったような鬼だった…。にこにこと、屈託なく笑って…。穏やかに…、優しく、喋っていたの…。仲良くなりたい、そう言って、いた。その鬼の使う武器は…、鋭い、対の扇…」
一言一言、姉の言葉をしのぶは脳に刻み込んだ。いつか、相対したとき、その鬼を憎しみのまま殺せるように。
「ありがとう、姉さん…」
「しのぶ…、お願い。もういいのよ」
「いいわけっ・・・」
叫びかかったその瞬間に、しのぶは気が付いた。
ここに居る筈の、もう一人の姿がない。
「っ、姉さん! 兎兄さんは!? 兎兄さんはどこ!? 合同任務だったんでしょ!?」
「…しのぶ」
「…まさか、負けたの? 兎兄さんが?」
信じられない。あの人が負けることなんてある筈ない。
「…ううん、兎なら、きっと無事よ‥」
「じゃあ、一体どこに。日は昇ってるんだから、鬼はもう逃げたんでしょう!?」
「しのぶ‥」
「っ、姉さん!?」
カナエは力なく笑って、しのぶに語りかけた。もうほとんど、声が聞き取れなかったけれど、それでも姉の言葉はしのぶの耳に届いた。
「私ね…、ふられちゃった・・・」
「姉さん、それってどういう‥」
「でも、いいの…。これで、いいの・・」
「いい訳ないよ、こんなのってないよ」
「蝶屋敷の皆も‥カナヲも…しのぶも…皆に、ありがとうって…」
「姉さんもうやめて! やめてよ!!」
「それから・・兎に・・・ちゃんと・・・」
がくん、とカナエの身体から力が抜けた。
「・・姉さん?」
しのぶは薬学を学んでいた。
たくさんの隊士が、彼女の薬や医療に救われていた。
みんな、涙を流して感謝してくれた。
だからわかってしまった。
姉が笑う事は、二度とないのだと。
「…ふら、れた」
今際の際に、カナエはそう言っていた。
「…逃げたの?」
それしか説明がつかない。
合同、という命令を無視して、姉をひとりここに取り残して。
十二支 兎は、逃げ出したのだ。
「どうして・・」
信じていた。
信頼していた。
尊敬していた。
兄と慕っていた。
信じてた。
信じてた。
信じてた。
信じて、いたのに――――――――――――――――。
なにもかも裏切って、あの男は逃げ出した!!
それからしのぶは、姉を殺した鬼と、姉を見捨てた男を憎んで生きてきた。
毎日毎日。
姉の最後を忘れた日など一日だってない。
そして、しのぶは船内で食事をしたとき、あの声を聴いたのだ。
【お前の怒りは、正しい】
【お前はあの男を憎んでいる。殺したいと思っている】
【お前は被害者だ。何をためらう事がある?】
【俺様が力を貸そう。大丈夫。お前の、魂の奥底の気持ちを信じろ】
【お前の怒りは、すべて正しい】
忘れたことなどあるものか。
突進しながら、しのぶの頭はその気持ちに支配されていた。
お前の事を、お前の裏切りを忘れたことなどあるものか!
許さない。
許さない!
「殺してやるッ!! 十二支 兎!!」
そして、彼女の刃が、彼の身体を貫いた。
大正コソコソ噂話(偽)
カナエさんと兎さんの合同任務に行くまで、二人はうどん屋にいったり髪飾りを見たりしていました。
その時何か贈っておけばよかったと兎さんは思っています。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
『頭に来てる』
蝶屋敷で療養したのち柱稽古に参加させられていたもので。
伊之助が割った窓を直しながら投稿します。
しのぶちゃんの刃がオレの心臓に迫る。
狙いは正確で、このまま回避行動をとらなければオレは死ぬ。
避けられないことはない。『午』か、あるいは『戌』の呼吸を使って回避すればいい。
ただ、それだけの事。
私情を挟むな。
オレは今、救わなくてはならない。
操られた隊士たちも、後ろにいる妻も、託された子供たちも。
目の前の、この子だって。
殻怒童子の居場所は、大体だが見当がついている。オレたちの行方を、アイツは正確に追ってきた。この船の中でそれを可能にする方法は限られている。
それに、なにより『あの時』。殻怒童子はオレの前で隙を見せた。
だから、まずはしのぶちゃんを無力化する。それが最優先だ。
「殺してやるッ! 十二支 兎!!」
『兎。なぁに、大事な相談って?』
『なに恥ずかしがってるの? なんでも私に話してみて?』
また、逃げるのか?
この人を、おきざりにして?
オレは迎撃の構えを解いた。
「っ!? 兎さんッ!!」
後ろで、愛する人の声がする。
ごめんよ、今は振り返れないんだ。
「ごめん。桜花」
前を向いたままオレは、そう言って。
しのぶちゃんの刃を、その身に受け止めた。
刺さった刃が、そのまま背中から飛び出した。
「嘘…」
「…」
桜花が背後で息を呑む。しのぶちゃんは、何も言わない。
目の前に、しのぶちゃんの顔がある。怒ってるなぁ。ものすごく。
「しのぶ・・・ちゃん‥」
声を絞り出す。彼女の刃は、オレの胴を貫いていた。
血が、ぽたぽたと貨物室に流れ落ちた。
痛くて痛くて、意識が飛びそうだった。
でも、それがなんだというんだ。
この程度の痛み。目の前の彼女の傷に比べれば、なんだと言うんだ。
オレはずっと逃げてきた。
ずっと、ずっと。
ずっとずっとずっと。
だから、ちゃんと今、向き合わなくてはならない。
言わなくてはならない。
「しのぶ…ちゃん…」
声を絞り出し、気力を奮い立たせて。
オレは、彼女の日輪刀を体に刺したまま、彼女をそっと抱きしめた。
「君は‥本当に…やさ、しい、ね」
「っ、なにをッ! 何を言っている!!」
何も不思議なことじゃない。
彼女は蟲柱。彼女の高速の突きは、一部の狂いもなく鬼の頸を断ってきた。
そんな彼女が、外すわけがない。
この近距離で構えを解いた相手の心臓を、狙い損ねる筈がない。
「ねぇ、しのぶちゃん…」
「離せ、離せ離せ離せッ!!」
抱きしめられたしのぶちゃんはオレの手の中で暴れている。その度に、彼女の日輪刀がオレの身体をかき回す。
ごふっ、と血を吐きながら、オレは言葉を続ける。
「オレが許せないなら…、それでも…、いい、よ」
「オレは君を、カナエを、裏切った、救えな、かった」
「だから、君には、権利が、あるん、だ…。オレを、殺す、権利が‥」
「でも、しのぶちゃん、1つだけ、いいか、な…」
「オレは、君を――――」
その一言だけ言ってオレは、しのぶちゃんに支えられる形で倒れ込んだ。。
「あは、アハハハッ!! やったやったぞ悔しいなぁオイ!! あのくそったれな柱を始末した!」
刀を抜いて白い柱の身体を捨て置く女の柱を『隠れ場所』からのぞき見ながら、殻怒童子は憤怒しながらも歓喜した。
「あいつが死ねば正気なのはあの女と邪魔なガキどもだけだ! くそったれ信じられねェぞ!! 頭に来るなァオイ! 完璧な報告が姫様にできるじゃねぇか!!」
どんな褒美がもらえるか、殻怒童子は期待に怒りながら、蟲柱に指令を出す。
「さぁ女! 残りの連中も全員始末しな! 今すぐだこん畜生!!」
「兎さん…?」
しのぶちゃんの日輪刀が兎さんの身体から引き抜かれる。
重力に従って、彼の身体は糸の切れた人形のように倒れ込んだ。
嘘。そんな。
激情に駆られるしのぶちゃんは、刀を一度鞘に納めます。
キリキリ、バチン、と不思議な音がしました。
あの音―――。
「さぁ…次は貴女です。十二支 桜花」
ゆらり、と近づいてい来る蟲柱を前にして、桜花は隣で震える数珠坊君と、抱きかかえた菊ちゃんに耳打ちしました。
「二人とも。桜花から離れてください。しのぶちゃんは今操られていますが、それでも『狙いを絞る程度』には理性が残っているみたいです」
「え?」
菊ちゃんが不安げに桜花を見ます。
「彼女の狙いは桜花。だから桜花から離れれば、二人は大丈夫」
「な、何言ってんだよぺったん! アイツ、アイツ兎を」
「ええ、そうですね。兎さんは、彼女に刺されました」
桜花は拳を握って立ち上がります。
どんな理由があったとしても。そんな事情があったとしても。
彼女の過去が、簡単には乗り越えられない程辛いものだったとしても。
だからと言って、目の前のこれを容認できるほど、私は優しくない。
「お願い、二人とも。…離れて」
「桜花さん…」
ゆっくりと、息を殺すように部屋の隅へ逃げた二人。その二人の表情で、私は理解した。
私はきっと、恐ろしい顔をしていたのだと思う。
般若のような、獣のような。
あるいは昔の自分のような。
鬼を斬ることを、『楽しい』と感じていたかつての自分のような。
「ああ、その顔。腹が立つ。姉さんの方がずっと魅力的だった」
「そうね。私もそう思う」
相手には日輪刀。こちらは素手。
相手は現役の柱。私は故障者。
勝敗は、火を見るより明らかだ。
「どうして、どうして。どうして貴方が。姉さんの方がずっと」
「そうね。カナエは私に比べてずっと優秀だった。私がカナエに勝てるものなんて数えるほどもない」
ゆっくりと、彼女は私に近づいてくる。
刀を抜いて、彼女はそれを私に向かって構えた。
狙いは、私の心臓。
「カナエは私にない物をたくさん持っていたわ。心、愛。それに正しく刀を振るという意味を知っていた」
しのぶちゃんがぐっ、と体制を落とす。神速の突きの構えだ。
「たくさんたくさん持っていた。いつも、私は彼女が羨ましかった」
そして。
ダンッ、と音がして、しのぶちゃんの突きが放たれた。
肉を裂く音が、船室に響いた。
「中でも一番羨ましかったのはね、しのぶちゃん」
「私には、貴女のように優秀で、信じられる妹がいなかったことですよ」
「…そうですか。嬉しいことを言ってくださいますね、桜花さん」
彼女の刃は、桜花の背後にある『ある物体』をつきたてていました。
【ギッ】
【ギィイイイイアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!】
その物体――『船内通話用のパイプ』から絶叫が響きました。
パイプから聞こえているのではなく。
パイプそのものが悲鳴をあげています。
船室の隅で、ひっ、と子供たちが声をあげます。
【テ、テェメエエラァアアア!! なんで、なんでわかったんだくそったれあばずれどもがァァァ!!】
「いえいえ。癪に障りますが…見抜いたのは私ではありません」
そう言って。
完全に正気を取り戻した蟲柱の少女は、そう言って冷たく微笑みました。
彼女は冷めた目で、一点を見つめています。
転げまわりながら、徐々に姿を現しつつある、『パイプだった』鬼、殻怒童子。
その、さらに奥。
倉庫の床に倒れ込んだままの兎さんを。
そして、その体が、ぴくり、と動いたと思うと。
「いってぇえええええええええええええええっ!!、そして治ったァ!!」
がばっ、と『牛』の呼吸で傷を塞いだ兎さんが起き上がりました。
桜花はそんな兎さんを見て、ほっ、と息をつき、そして。
「治ったァ! じゃありません!! この大馬鹿兎!!」
しのぶちゃんの横を駆け抜け、のた打ち回る殻怒童子を飛び越えて、思い切り兎さんに平手打ちをしました。
倒れながら殻怒童子の位置をしのぶちゃんに教えた後、オレは失血と激痛のあまり倒れ込んだ。
痛い、すっごく痛いよ、ねえってば。
けれど、いまだ終わりではない。
今、オレにできることはしのぶちゃんが時間を稼いでくれている間に『牛』の呼吸で回復に努めることだ。
殻怒童子がまだ何をしてくるかわからない。弱くても、傷を治して少しでも役に立たなくては。
そしてオレは黙して激痛に耐え続けた。
考えてみればこの呼吸は酷く理不尽だよなぁ。
痛みを消すために治療をしているのに、痛みを伴うなんて。
でも負けない。ここで踏ん張って、桜花によしよしと頭を撫でてもらうその時までは!
そんな固い決意のもと、オレは回復に専念し続ける。
途中、殻怒童子の絶叫が聞こえた。
アイツの正確な位置の手がかりになったのは、意外なことに数珠坊の唐辛子爆弾だ。
最初、オレは殻怒童子が安全な部屋に居て、船のどこかから隊士たちを操っているのだとばかり思っていた。
けれど、それだとどうしても説明がつかない部分がある。
唐辛子爆弾が炸裂したとき、殻怒童子はこう言った。
【うおっ!? なんだこれっ! ちくしょおおおお、いてぇええ!!】
奴は、唐辛子爆弾を吸いこんでいた。
吸い込める位置に居たのだ。
オレはその時、必死で鬼の味を追った。近くに奴がいると思ったからだ。
せき込んでしまえば、オレが奴を味で感知しているのがわかってしまうと思ったから、必死に口を押えていたが、その時確信した。
味はずっと、パイプからしていたんだ。パイプの『先』でも、パイプの『中』でもなく。
パイプ『そのもの』から。
過愚夜みたいな規格外の鬼がいたんだ。
訳ない話だ。
『物体に化ける鬼』が居たところで、不思議でもなんでもない。
位置を確信したオレだったが、本格的な戦闘に移るのは数珠坊と菊を逃がしてから。
そう考えていた矢先、しのぶちゃんが飛び込んできたのだ。
彼女を掻い潜って殻怒童子を斬るのは最弱のオレにとっては不可能に近い。
どうしようか、と考え、ふとオレは思った。
もし、オレとしのぶちゃんの立場が完全に逆だったら、彼女のあの速度なら。
けれど、それをするにはまずしのぶちゃんを正気に戻す必要があった。
必要があったけれど、手段がなかった。
その時思いついたのが、先ほどの捨身だった。
オレを殺せず怒りが収まらないのなら、オレを殺したと思えば、もしかして――。
けれど、しのぶちゃんがそれで正気に戻らなければそれまでだ。
オレだけでなく後ろの三人も。
どうしたら、どうしたらいい。
そう思った。
『ねぇ、兎! 私、私ね、貴方の事――』
逃げるな、信じろ。
胡蝶 しのぶはオレのように弱い人間なんかじゃない。
カナエがオレを信じてくれたように。
『兎兄さん。私は兄さんを―――』
かつて君がそうしてくれたように。
オレは突き刺されながら、彼女を抱きしめた。
心臓を外している。外すわけがないのに。
本当に、本当に君は、優しい。
殺したくてたまらないはずなのに。
彼女の身体は小刻みに震えていた。
オレはどこか安心して呟いた。
『オレは君を、信じてる――。鬼は、桜花の後ろにある通話用パイプに、化けている』
そしてオレは、地面に倒れ込み、そして必死の回復に努めた、と言う訳で。
「ね、ねぇ桜花! だから今回は仕方なかったんだ! 仕方なかったんだよ死ぬ気なんかなかったんだって!?」
「馬鹿! 馬鹿馬鹿馬鹿!! ばかぁ・・・!しのぶちゃんが外してくれなかったら、どうなってたんですか!!」
「し、しのぶちゃん、助け」
「刺した私が言うのもあれですが、業柱。今回は、いえ今回も擁護できませんね。一歩間違えば死んでいました。残念な結果です」
「残念!? 残念って言った!?」
「兎! まだ話は終わってないですよ!」
「ごめんなさい! やめて叩かないでねぇってばぁぁ!!」
「え? 兎の奴刺されてたよな・・え?」
「兎さん、すごーい・・」
「てめぇえええらぁああ!! 俺様を無視してんじゃねぇぞゴラァァ!!」
しのぶちゃんが、ひゅんひゅん、と音を立てて日輪刀を握りなおす。
「桜花、子どもたちと下がって!」
「後でまた引っぱたきますからね! 許しませんからね!」
「哀しい!」
そしてそんな格好いい元妹分に比べ、全く閉まらない形でオレも日輪刀を構えた。
殻怒童子は、パイプから徐々に体を変異させていた。
大きく逆立った毛髪が頭から伸び、真っ赤に染まっている。
顔中、いや、ボロボロの『腰みの』しか纏っていないから、身体中に血管が浮き出て、なおかつところどころ破れて血が噴き出している。両手にはそれぞれ三本ずつするどい角のようなものがねじれ曲がりながら生えている。長さは一本につき約二尺。計六本。獰猛な表情の両目には一文字ずつ文字が刻まれ、一つの言葉になっていた。
『欺瞞』。
奴の名は、堕落七鬼『欺瞞ノ殻怒童子』。
「頭に来るぞ頭に来るぞ頭に来るなこの糞塵芥共がァ!! もう構わねェ、ばれちまったらしょうがねェじゃあねぇか畜生!! 殺してやる、殺してるぞ鬼狩り風情が!! お前ら弱いくせに俺様にこんな、こんなァ! 頭に来るんだよォォォォォォォォ!!」
「そうかよ、そいつは」
「なによりですね」
オレとしのぶちゃんは並んで殻怒童子に相対した。
すっ、と殻怒童子に日輪刀の切先を向ける。
「オレも結構」
「私もかなり」
狙うは、目の前の悪鬼の頸、ただ一つ。
「「頭に来てるんでな(ので)」」
来い、殻怒童子。
お前の身勝手な怒りを終わらせてやる。
大正コソコソ噂話(偽)
殻怒童子はとても厳めしい顔をしていますが、身の丈は五尺(150cm程度。諸説あり)程しかありません。堕落七鬼の中では三番目に小さいです。
「ちびって言うんじゃねぇ腹が立つ」
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
『やっぱり嫌いです』
その原初の呼吸は『日』の呼吸であるとされているが、詳細は不明である。
最初の鬼殺剣士の呼吸を後追う形で、多くの剣士が呼吸法を編み出していくことになるが。
長い歴史の中で、十二もの呼吸法を同時に実戦に取り入れることに成功した剣士は、十二支 兎ただ一人である。
「頭に来てるだぁ? てめぇらみてぇなちんけな生き物、何匹居たって同じなんだよ糞雑魚がァ!!」
殻怒童子が左拳を振り上げる。
オレとしのぶちゃんは目くばせした後、それぞれ左右に跳んで攻撃をいなす。
拳が叩きつけられ、倉庫が揺れた。
びりびり、と振動が足元に伝わって来る。けれど、その衝撃は弱い。
過愚夜にはもちろん、懺戒にも及ばない。もしかしたら過去に戦った下弦よりも弱い可能性もある。
そもそも、殻怒童子はオレと直接戦うことを嫌がっていた。肉弾戦は苦手なのかも。
「ちゃんと狙ってくださいよ? 全然当たってないですよ?」
しのぶちゃんが煽る。
「ああ!? 言いやがったな糞チビ!!ムカつくんだよ!!」
床に刺さった角を抜きながら、殻怒童子はしのぶちゃんに意識を向けた。直情型で短気な鬼だ。
「さっきから腹が立つとかムカつくとか、そんなことしか言えないんですか? 今のうちにもっと広い視点を持って、仲良くお話しましょうよ」
「てんめぇえええええッ!!」
氷のような微笑で、しのぶちゃんは殻怒童子に挑発を続ける。
彼女が一瞬、ちらりとこちらを見た。
オレはすぐに頷いて見せる。
これは作戦だ。彼女が奴の注意を自分に向けてくれている間に、オレは奴の動きをつぶさに観察する。
もうすぐ、もうすぐ『効いてくる』はずだ。
しのぶちゃんの日輪刀は、鬼に藤の毒を打ち込むことが出来る。一度の斬撃で打ち込める量は、50ミリ。
通常の鬼ならこれで十二分に死に至る。
だが、殻怒童子に毒が回る様子が全く見られない。
最初の一撃は確実に入っていたはずなのに。
落ち着け、冷静になれ。
奇しくも、過愚夜という規格外の鬼と戦った経験がオレの常識の枷を外した。
強い力を持つ鬼は、どんな反則技を持っていたって可笑しくない。
一方のしのぶちゃんは、挑発を続けながらも毒が効かないことに少なからず動揺している様子だった。
「ふぅ。おかしいですねぇ。もうそろそろだと思うのですが」
「ああ!? なにがだこんちくしょう! ちょこまかちょこまか逃げ回りやがって!!」
右へ、左へ。上空へ、足先へ。
四方八方に動き回るしのぶちゃんに対して殻怒童子は角の生えた両腕を振り回して応戦している。
背後が、がら空き―――!
オレは呼吸を整え、日輪刀を構える。
そして、しのぶちゃんに気をとられているその背中に向かって。
全集中『虎』の呼吸! 『肆虎・肆填(しこ・しでん)』!
虎の咆哮と共に四本の斬撃が殻怒童子を切り刻む。まっすぐ放たれた攻撃は、殻怒童子のがら空きの背中に直撃した。
「ガァ!?」
殻怒童子は叫んだ。奴の身体がくの字に折れ曲がる。
好機だ! このまま頸を!
オレは日輪刀の刃を奴の頸に向けて振りおろした。
「だぁからテメェらは馬鹿なんだ」
突如、斬りつけた奴の背中が、ぼこりと膨らみ、はじけた。
オレの目の前を、赤い液体が包み込む。
「ッ、やばッ!」
いままで殻怒童子の身体のどこに蓄えられていたのか。
赤い洪水はたちまちオレを包み込んだ。
「えいや」
と、体全体が呑みこまれる直前、横から強い衝撃がオレを襲った。
「うごふッ!?」
回復したての身体は倉庫をはずみ、オレを蹴り飛ばした犯人と共に着地した。
「し、しのぶちゃん!? なんで蹴るんだ!!」
「あらあら。助けてあげたのに随分なことをおっしゃるんですね」
「あったよね!? 絶対他にも方法あったよね!? ねぇってば!!」
「あるにはありましたが、安全な方法だと貴方が痛い思いをしないじゃありませんか」
「涙が出る!」
しかし、おかげで直撃は免れた。が、直撃しなかっただけで、顔には奴の体液がべっとり。味を見るに、血ではないようだけど。
「うえぇ。気持ちわる」
「貴方の顔がですか?」
「ちげぇよ! 血じゃないみたいだけど、味が違うから! それでも嫌なモンは嫌だろ!!」
逐一空気の読めない発言をするしのぶちゃんにすこし、かちんと来る。
「おうおう、なんだなんだ、顔に浴びちまったのか不快だなァ」
「お前の所為だろ!!ふざけんな!!」
鬼だ。鬼が何か不快なことを呟いて、酷く気に障る。
「‥‥業柱。急にそんなに怒鳴り散らして、どうしたんです?」
「ああ!?」
うるさい、うるさいうるさい。さっきから避けるばかりで何もしてくれないじゃないか。
女はオレは訝しむような目で見ている。
なんだその眼は。ふざけるな。
いつもいつも作り笑いして。本当は泣き出したいくせに。
なんだ、なんでオレはこんなに腹を立ててるんだ?
なんだ、何をしてるんだ。
どうして日輪刀を持ってる?
そうだ、斬れ。
ムカつくものを、オレを苛立たせるものを、全部。
まずは目の前の女からだ。
「うぐぅうッ・・・・」
獣のような声が漏れた。
「十二の、呼吸!」
「っ、まさか貴方も――」
女が日輪刀をオレに向けかまえる。それがどうした。そんな楊枝みたいな刀、へし折ってやる。
「ギャハハハハハッ!! 選手交代、選手交代のお知らせだぜ!! さぁ、今度はお前が怒る番だぜこのこんこんちきのくそったれ!!」
ああ、癪に障るけどアイツの言う通り、この女をいますぐ―――。
「兎さん!!」
後ろで声がした。
振り返ると、そこには一人の女性がいた。
桜色の髪の毛を揺らし、おなじ色をした瞳に涙を溜めている。
細腕は心細そうに胸の前で握られ、その様が一種儚くも見えるが、その芯がとても強い女性だと言うことを、オレは誰より知っていた。
「…桜花?」
「っ、はい! あなたの桜花です! 兎さん、桜花の事、わかりますか!?」
あなたの桜花です。
あなたの桜花です。
あなたの桜花です。
あなたの、桜花です。
「はあああああああああああああ可愛い可愛い可愛い可愛い可愛すぎるぅぅぅ!!」
やべぇよ!あなたの、だって! 『あなたの』、だってよ!!
いやそりゃ結婚してる訳だし何も問題ないし事実だし真実だよ?
でも改めて言われるとなんかこう、きちゃうよね!!
ぐっ、ときちゃうのやべぇときめきが止めらないほんとこんな事してる場合じゃないよね、ねぇってば、ねぇってば!!
いますぐお洒落な茶屋に行かなくちゃ!! ねぇ桜花!?
「あ、あぅ。う、兎さん!!しゅ、集中しましょう!! 目の前の事に集中!全集中!ねっ? ねっ!?」
「はぁああ、真っ赤になってる桜花も可愛いなぁ! 大好き!!」
「う、兎さん!み、みんな聞いてますから、聞いてますからぁ! もうやめてくださいよぉ…。恥ずかしいぃ・・・」
「うぁぁああああ、尊いよ! 桜花、尊い!」
「どういう意味なんですかぁ!集中してくださいってばぁ!!」
集中? 何言ってるんだ! 桜花以外に集中すべきことなんて―――
「て、てめぇぇえええ!? どうやってオレの血鬼術から抜けやがった!? ムカつきすぎてもう逆にムカつかねぇよ!!」
「…あ、殻怒童子」
「なんだその『あ、いたんだ。ふーん』みたいな反応はァァァァァ!?」
殻怒童子が頭をかかえて地団駄を踏んだ。
そ、そうだ!
今は戦闘中だった!
あれ? てかオレさっきまで何してたんだっけ?
奴の体液を浴びたところまでは覚えてるんだけど。あれー?
「‥‥」
横をみるとしのぶちゃんがニコニコと笑っている。
そうだ、しのぶちゃんとしっかり連携をとらないと!
「しのぶちゃん、アイツは人を怒らせて操る! 絶対に油断しないで、隙をみせないようにしよ――」
次の瞬間、オレの顔はにこにこ笑うしのぶちゃんに拳骨で殴られた。
「痛いっ!! なにすんのしのぶちゃん!?」
「ハッキリわかりました、業柱。私は貴方が嫌いです」
「やめてこんな時に!? 心が悲鳴をあげた!!たちの悪い冗談だ!」
「冗談? 私は冗談なんて言いませんよ?」
「いやいやそんな…。あれ? 嘘。嘘だよね。ねぇってば」
「‥‥」
「何か言ってよせめて! お願い!!この際罵倒でも恨み節でもいいから!!」
「随分ひどい趣味ですね。ますます嫌いになりました」
「あんまりだ! あんまりだぁ!!」
「テメェらぁああ!! いい加減にしろやァアアアア!!」
殻怒童子の六本の角が振り上げられた。その拳は、するどい突きとなって、オレとしのぶちゃんに迫る。
オレとしのぶちゃんは、日輪刀を構えなおした。
『蟲の呼吸』 蝶ノ舞―――
『十二の呼吸』『申』の呼吸―――
オレ達は同時に踏み込んだ。呼吸により発生した力を足に一点集中、相手がオレ達を認識するよりも早く、翔ける。
『戯れ』
『猿利口』
そしてしのぶちゃんの美しい毒刀は殻怒童子の全身を、オレの天邪鬼な刃は両腕を斬り落とした。
「ギィイアアアアアア!!」
同じ轍は踏まない。
今度はあの液体が少しも罹らないようにオレ達は距離をとった。
ばしゃ、と液体がばらまかれる。きれた両手がぼとりと落ちる。部屋の反対側から、菊ちゃんの「ひっ」という悲鳴が聞こえた。
「この、この、こなくそこんちくしょうど阿呆クソ野郎ォォォォ!!オレの腕、ドチクショウがァァ!!」
「喚くなよ、殻怒童子。お前に叫ぶ権利はない」
「あなたとも仲良くはなれそうにありませんね。まぁ、期待なんてしていませんでしたけれど」
「うぐぅうおお」
油断できない。鬼はすぐに欠損部位を回復する。
「アアアア、そうだ、これだ‥。この強さ。まちがいねぇ・・・『あいつら』だ。あいつらと戦った時だぁ。ムカつくぜ」
殻怒童子が一人で話している。『あいつら』?一体何の話だ?
「不思議そうな顔してんなァ? そうかそうか。最初に会ったときにからそんな気はしてたぜオレ様はよォ。『申』。いやぁ、もっと使ってたよなァ糞野郎。『子』。『午』。そんでさっきのは、『寅』か?けど全部中途半端だなァ?嫌な思い出ばっかし思い出させやがってよォ!」
「だけどおかしいなぁ? あいつらはもぉぉぉっと、強かったぜぇ?」
さっきから、一体、何を言ってる?
いや。
なんでだ。
なんでコイツは、オレの技がほとんどすべて未完成だってことを知ってるんだ?
「相も変わらず不思議そうな顔してやがるなぁ? ギャハハハ! おいおい、まさかお前よォ?」
「自分が『普通の人間』だなんて思ってねぇよなぁ?」
鼓動が早まる。
手が震える。汗が止まらない。
なんだ、いやだ。
なんだ。なんだ。なんだ!?
コイツ、何を知ってるんだ?
十二の呼吸の、何を―――。
「本当の事が知りたいかァ? いいんだぜ、教えてやってもよぉ」
「業柱、耳を貸さなくて結構です。苦し紛れのでっちあげですよ」
しのぶちゃんがオレの前に立った。
「そう思うか? 柱のちび女」
「貴方にちび呼ばわりされるのは心外ですが、ええ。嘘はいけませんよ?」
「お前も柱なんだろ? え? 一緒に居ればこいつのこと、異常だと思ったことだってあんだろーが?ええ?」
「黙りなさい!!」
後ろから声が響いた。桜花の声だった。
「貴方みたいな卑怯者が、兎さんのこと訳知り顔で語らないで!!あなたに兎さんの何がわかるって言うの!!」
激しい怒りの、けれど彼女自身の怒りの表情が殻怒童子を睨む。
けれど殻怒童子はそんなこと全く意にも介さないように笑った。
「ギャハハハ、何を知ってる? 何を知ってるかだってよォ?」
「教えてやろうか? 教えてやるよ。オレが知ってる全てをなぁ」
そう言って殻怒童子はゆっくりと、その口を開いた。
「こいつら全員殺して来たらなァ!! この三流のクソ雑魚がぁ!!」
ドンッ!! と扉が蹴破られ。
何十人もの鬼殺の剣士が怒りの形相でなだれ込んできた――――。
大正コソコソ噂話(偽)
堕落七鬼の強さは『角』の数で判断でき、これがそのまま彼らの中での地位を表します。
殻怒童子は下から二番目。枯橋楽は上から二番目で、唾葬怠は上から三番目の中間管理職です。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
『お前の頸はオレが斬る』
その中の一人、『申』の剣士はよく嘘をついた。
『戌』の剣士が注意しに来れば、決まって彼はこう言ったと言う。
「信じたいことを信じられねェ奴は、結局自分に嘘をついてんのさ」
「柱ァ!殺す、殺すゥ!!」
「逃げるのか、俺たちを置いて!」
「なんで母さんを、母さんを守ってくれなかったんだァ!!」
どかどかと、狭い扉から大量の鬼殺隊士がなだれ込んでくる。ざっと数えて、二十五人は居るだろうか。
全員が日輪刀を抜き、殺意を滾らせ、オレとしのぶちゃん、そして桜花を睨みつける。
「桜花!」
「っ、はい!」
桜花が子供たちと一緒に、急いでオレたちの後ろに下がった。
危なかった。完全に彼らが陣形を完成させてしまえば、桜花と子供たちが取り囲まれてしまうところだった。
「ギャハハハッ! さぁさぁ、第二幕だぜ!! オレから話を聞きたきゃ、そいつらを全員殺して見せるこったなァ!そしたらぜぇんぶ、教えてやってもいいんだぜェ?」
「殻怒童子! お前――」
「おうおう、怒るか?いいねぇ。そうでねぇとなぁ、この糞味噌野郎が!!」
「お言葉ですけれど」
そう言って、しのぶちゃんが口を挟んだ。
「こちらは柱が二人。対して彼らは総じて階級が高いとはいえ、一般隊士です。時間稼ぎにもならないと思いますよ?」
「ああん? ああぁ…、そうだなぁ」
しのぶちゃんの言葉に、殻怒童子はにたりと笑った。
背中に氷を流し込まれたような、嫌な予感がする。
「そうなのかァ? ああ? なおお前ら、弱いのかァ?」
隊士たちは殻怒童子の問いには答えない。相変わらず、じりじりと俺たちに向けて距離を詰める。
「弱いかァ。そいつは困ったなァムカつくぜ」
「よし、じゃあこんなのはどうだァ?」
「ウォォオオオオォオオ!!」
殻怒童子に操られた女性隊士の一人がオレに斬りかかる。太刀筋は鋭いが、見切れる程度の速度だ。オレは日輪刀で彼の刃を受け止める。
「おいおい、どうしたァ?」
「まだ曲がるよなァ!?」
「!?」
殻怒童子が叫んだ瞬間。
「がっ!?」
めきめきめき、と目の前の隊士から嫌な音が響いた。
瞬間、彼女の刀が異様な動き方をした。手首が異常な方向に曲がり、ぐりん、と腕が捻られて、回るような形でオレの首元を刀が狙う。
「兎兄さんッ!!」
瞬間、動いたのはしのぶちゃんだった。素早く飛んで操られた彼女を蹴り飛ばす。刀は、オレの頬をかすった。
「ッ、君!?」
吹き飛ばされた彼女を見る。その腕は、紫色に腫れ上がっていた。
桜花が信じられないと様子で口元を抑えた。
「しのぶちゃん、あの人は・・」
「…見ての通りです」
しのぶちゃんは、感情を感じさせない、冷たい声で告げた。
「関節を、強引に筋肉で外されています。あの様子では骨も複雑に‥」
「体を無理やり、内側から壊されています‥」
「うぐあ…」
しのぶちゃんに蹴り飛ばされた女性は、それでもなお立ち上がろうとしている。怒りのあまり目は充血し、その瞳からは涙がこぼれていた。
「おい」
気が付けば、オレは殻怒童子に向けて刀を構えていた。
「お前は、いままでもこうやって来たのか?」
「ああ?」
「自分では何もせず、傍観者を決め込んで。安全な場所で勝手に怒って。痛い事や苦しい事は全部人任せか」
「おうおうそれがなんだってんだ―――」
「彼らはお前の玩具じゃない」
「アアアアアっ!」
瞬間、隊士たちが一斉にオレに向かって斬りかかってくる。
憤怒の形相で。
涙を流しながら。
オレは口を少し開け、彼らの味を感じ取る。
怒り、憎しみ。そして――
【違う、違うんだ!】
【柱になんてかなう訳ない、でも、でも心が止まらない!!】
【やめて、あんなふうになりたくない!!】
はっきりと感じた、怯えの味。
多色の斬撃がオレに向かってくる。
けれど、オレは不思議と怖くなかった。
彼らは仲間だ。何を怯えることがあるんだ。
「ねぇ」
そして、オレは呟いた。
「退いてくれ」
信じられない光景だった。
殻怒童子は、目の前の光景に、目を疑った。
なにもかも上手くいっていた。食料に擬態し船の調理場に忍び込んだ。食事に体液を混入させた。鬼狩りたちに自らの体液が混入した食事を採らせ柱の女でさえ自らの術中に収めた。
船内全ての戦力が自らの元に集まっていたようなものだ。
敵は柱とはいえたったの一人、だったのに。
なにが起こった? 理解できない。
なぜだ。なぜ。
なぜ術中にある筈の鬼狩り達が、皆全く動かない?
「どうしたァ!? さっさと殺せェ!」
叫んでも、術で強引に動かそうとしても、全く微動だにしない。
なぜだ。なぜ動かない!?
「‥‥生物には、『生存本能』と言うものがあります」
ぽつり、と柱の女が呟いた。
「どんなに怒りに囚われていても、どんな力が働いていたとしても。それを超える恐怖がそこにあるなら。人は立ち止まってしまうのではないですか?」
「殻怒童子…」
びくっ、と体が震えた。目の前の男の殺気を肌でびりびりと感じる。
この感覚は二百年前に『奴ら』と対峙したときよりも。
仲間たちが、動かなくなった。
どうしてかはわからない。けれども、彼らは今、アイツの血鬼術と必死に戦っているんだ。
「しのぶちゃん」
オレは振り返ることなく、しのぶちゃんに声をかけた。
「桜花を、数珠坊を、菊を、みんなを。頼む」
「…一人で戦うおつもりですか?確かにいまだ私の毒は効力を発揮していませんが」
「あれだけ体液を外に出せるんだ。毒の排出くらい、きっと訳ないんだと思うよ。君とアイツじゃ相性が悪い」
「…じゃあ、一つ貸しですね」
「うん」
「・・・ねぇ、業柱」
「・・・なにかな?」
「・・・いいえ。なんでも」
「そっか」
オレは目の前の敵を見つめる。両腕は、わずかずつだが再生し始め、しのぶちゃんに付けられた傷も回復しつつある。術が効かないことに驚いているのか、血走った眼は見開かれている。
堕落七鬼。欺瞞ノ殻怒童子。
お前は、悪鬼だ。
「…は、お前一人で俺様を相手取るってかァ!! 自殺志願者の柱が居るなんて聞いたことねぇよ雑魚が!!」
「死ぬ気はないよ。それに、誰も死なせない」
「はっ! ほえてろよ雑魚が、こいつらが駄目なら他から引っ張って来て」
まだ言うのか。
他人を利用して、自分はずっと後ろから。
オレは、力いっぱい、奴に向かって踏み込んだ。
「お前の頸は、オレが斬る!」
殻怒童子は、それを左手で受け止めた。
ちぎれたはずの左腕は、性質を変化させ、鋭い刃となっていた。
「そうかいそうかい!! できると良いなぁ化け物!!」
オレ達は衝突の勢いに身を任せ、倉庫から飛び出した。
倉庫を離れ、船内の廊下、その突き当りに奴の身体を叩きつける。
「ギャハハハ、なんだお前、怒ってんのかァ?」
「お前こそ、なんだか怯えた味がするよ? どうした」
「ああ!?」
怒り任せに、殻怒童子は変質させた左腕を横に薙いだ。
オレは身をかがめ、構えた。
十二の呼吸―――
「させると思ってんのかよ!? ああ!?」
《血鬼術》――――《怒張液》
殻怒童子が真下のオレに向かって口から大量に液体を吐き出した。
退くことはできない。
オレはもう上体を踏み込んでいる。
なら―――――
『十二の呼吸』――――『虎』の呼吸。
『肆虎・肆填』
重ねて、三刻。
『午』の呼吸。
『掛馬』。
四本の斬撃が、高速で放たれた。流れた刃の軌跡が体液を打ち払う。
バシャ、と音がして液体が辺りに飛び散った。
通常の虎なら、きっとそれだけにとどまるが、午で加速させたぶん、勢いも付いている。
そのまま奴の上体、首を狙う―――
「おおっとォ!」
ひらり、と飛んで殻怒童子は身をかわした。
受け身を取りながら、オレと距離をとる。
「おいおいおい。随分と舐めたまねすんじゃねぇか、ああ!?」
「今度は何に怒ってる。悪いけど、お前の癇癪に付き合う気はないぞ」
「は。十二の呼吸がこんなに弱いもんかよ。俺達、堕落七鬼は二百年間ずっとこの戦いを待ってたんだぜ? それがよぉ」
一瞬で、奴の姿が消える。
いや、風で流れる味で奴の位置は解る。
「こんなに弱くちゃ拍子抜けじゃねーかァ!」
真後ろだ!
すぐに加速し、距離をとる。背後でズドン、と何かが刺さる音がした。
振り返ると、奴は床に足をつきたてていた。
「逃げ足だけは良いなァ、腹立たしいけどよォォォォ!!」
足を引き抜き、すぐに次の攻撃が来る。
奴は跳躍し、足をこちらに向けた。
足が、金属の槍に変質している。
「串刺しにしてやる! このクソ雑魚が!!」
「…語彙力無いなぁ、お前」
落ち着け。奴とオレとの間にはまだ距離がある。
奴の落下点を見極めて対処すれば―――
殻怒童子が、ニヤリと嗤った。
瞬間、床にばらまかれた液体から、同じように槍が飛び出した。
四方八方から、オレに向かって。
殻怒童子は姿を変異させる鬼。
飛び散ったその液体も、奴の身体の一部、ってことか。
「ギャハハハッ! さぁおい次はどこに逃げる!?」
奴は大笑いしながら、オレにそう聞いた。
「そうだね、じゃあお前の後ろまで行こうか」
オレは思い切り踏み込んで、前に出た。
その際、何本かの液状槍がオレの身体をかすめるが、気にして立ち止まる方がよほど危険だ。
奴の真下まで来て、跳躍。
やっぱりだ。こいつは過愚夜よりずっと弱い。
だから簡単に背後をとれる。
「っ!? テメェ!!」
殻怒童子は空中で体をねじると、ほぼ再生した腕を頸の前で交差させた。硬化させ、首だけは守ることにしたのか。
ふざけるな。お前に守れるものなんて、もうないんだ。
この技の前では、一方向の防御なんて意味がない。
『十二の呼吸』―――――『申』の呼吸。
そしてオレは防御した奴の腕に向かって刀を振った。
『猿利口』
「‥‥は?」
殻怒童子の呆けた声が聞こえる。
そうだろうな、理解できないだろうな。
正面から刀を振られたのに、後ろから頸が斬られるなんて。
『申』の呼吸は、一種の騙し技だ。
この呼吸で強化されるのはオレの存在感。
一瞬だけ、相手は数刻前のオレの姿しか見えなくなる。
だから途中まで刀を振って申の呼吸を使えば、相手はその方向に攻撃が来ると思う。
実際のオレはその隙をついて、逆方向から攻撃を仕掛ける。
常に、斬られた方向とは逆方向が斬られる呼吸法。
それが『申』―――『猿利口』だ。
「な、あ、はあああああああッ!?」
殻怒童子の絶叫が、船内に響いた。
「・・・おや?」
襲い掛かってくる隊士を気絶させていく中で、胡蝶しのぶは気が付いた。
体を覆っていた嫌なけだるさが抜けていく。
周りを見れば、固まっていた隊士たちも、まるで糸が切れた様に倒れ込み始めた。
「…どうやら、終わったようですね」
そう言ってくるくる、と日輪刀を回した後、鞘にしまう。ここからは治療で彼らと向き合う必要がある。
「終わった、みたいですね」
後ろから、桜花がしのぶに声をかける。彼女はしのぶが隊士の相手をする間、子どもたちを庇いながら倉庫の隅に身を寄せていた。
安堵の表情を浮かべる彼女に、『かつて』の面影はない。
(ずいぶんと、丸くなったものですね)
もっとも、あの頃の彼女―――仇散華 桜花に会いたいなどとは思わないが。
「…彼らの治療を始めます。桜花さん、怪我をしているところ、申し訳ないのですが手伝っていただけませんか。そちらの二人も」
そう言ってしのぶは二人の子供たちにも声をかけた。
菊はすぐに、「はい!」と手をあげ返事をし、数珠坊も妹に続く形で手をあげた。
なんだかひどく不承不承と言った感じだ。
「? 数珠坊君?」
桜花も気になったのか、呼びかける。数珠坊はしばらくむくれていたが、ややあって口を開いた。
「…蝶々のねーちゃんってさ、兎と喧嘩してんの?」
「はい?」
「だって、兎にずっと怒ってるんだろ?さっきあの鬼が言ってた」
しのぶはその言葉に押し黙る。
『ずっと怒ってる』。
ああ、怒っているとも。あの男の所為で、姉さんは―――
「…まぁ、そうですね。でもそれは君とは―――」
「兎、悪い奴じゃねーよ」
少年が、まっすぐに言い放つ。
「…どうして、そう思うんです?」
どうして。自分よりもずっと付き合いの短いこの子が。
「どうしてって、そりゃ」
「誰かを必死で守ってくれてる奴が、悪い奴な訳ねーもん」
だから、さっさと仲直りした方がいいよ。
数珠坊はそう言って締めくくった。
しのぶはうつむいた。そのまま、顔をあげられない。
やがて、口を開いたのはしのぶでも数珠坊でもなく、桜花だった。
「しのぶちゃん。一つ、お願いを聞いてもらってもいいですか」
何か、意を決したような声だった。
「…なんでしょうか?」
「この任務が終わって、無事に戻れたら。一緒に業屋敷に来てくれませんか?」
「貴女たちの屋敷へ…?」
「そこで、あなたに渡すべきものがあります」
なんですか、と問う前に、彼女は言葉を続けた。
「私がカナエから預かった、しのぶちゃんへの手紙です」
「そして、その時にお話しします。カナエが死んだ日、本当は何があったのか」
大正コソコソ噂話(偽)
中高一貫!! キメツ学園物語
殻怒童子(16)
:高校一年。制服を改造し髪をワックスで固めた不良。校内で威張り散らしているが、実は一度も喧嘩をしたことさえない。同じクラスで剣道部の美人先輩が好きだが、出会うたびに「正義執行!」と叫ばれ竹刀でぼこぼこにされる。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
『堕落の姫君』
角の数が多いほど下の階級で、最上の階級の鬼には特殊な一本角が生えていると言う。
彼らは鬼としてあらゆる面で例外的だが。
際たるものは七体の鬼で一つの群れを形成している、という事。
そして、最上の存在を、他の六体の鬼は『姫』と呼んで崇拝していると言う。
殻怒童子の頸が、驚愕の表情のまま落ちていく。
切り離された体は崩壊が始まり、奴がもうこの世に留まれないことを示していた。
「馬鹿な、馬鹿な馬鹿な馬鹿なァ!? ありえねぇ、ちげぇ!こんなの『申』じゃねぇぇ!!」
首だけになり床に転がった殻怒童子がわめいている。
そうだ、あの時はオレも頭に血が昇って流してしまったが、こいつは十二の呼吸について知っているそぶりを見せていた。
そして、オレ自身についても何か知っている。
もしかして、関係あるのか。
オレに十二の呼吸を教えてくれた『あの人』と。
「おい、殻怒童子! こっちは約束通りお前に勝ったんだ!知ってる事、全部教えろ!!」
「うるせぇうるせぇうるせぇ!!オレは鬼狩りを斬ったら教えてやるって言ったんだよ! 一人も殺さず勝ちやがって! 教えねぇ!! 教えてたまるかこの化け物!!」
殻怒童子がわめいたが、知った事じゃない。
堕落七鬼、が一体何なのかも聞き出していないんだ。コイツが消えてしまう前になんとか―――
「くそったれ教えねぇぞ!! 教えたところでテメェは死ぬんだ!! オレを殺して『姫』が黙ってる訳ねぇんだからな!!ギャハハハハハッ!!」
「姫‥」
「そうだ姫さ。姫は最優、最大、最強、最高!! あのお方がお作りになられた鬼の中で、あれほどの鬼はそういない!十二鬼月なんて姫にかかれば一捻りだ!! ギャハ、そう、お前は姫に殺される! 精々その日まで震えてな!! 地獄で待っててやるからよォォ!! ギャアッハハハハハハァ!!」
そう高笑いしながら、殻怒童子は塵となって消えた。
オレはしばらく、彼が消えた場所を見つめていた。
堕落七鬼に、姫、か。
どうやら脅威はしばらく去りそうにない。
・・・やっぱり、もっと強い人が柱になった方が皆の為じゃないかな・・・。
それから数刻後。場所は大きく離れ、領主のいない廃城にて。
堕落七鬼の一角、『望郷ノ枯橋楽(ぼうきょうのこきょうらく)』は城の最奥にある、ある一室の前に立っていた。
下あごから突き出た二本の角をすこし触って気分を落ち着かせる。
先程、偵察用に放った蟲から報告があった。
殻怒童子が柱を仕留め損ねたことを、この部屋の中におわす『姫』にご報告しなければならない。
「すぅ・・はぁ…」
意を決して、ふすまを開けようと手をかけた時だった。
「…枯橋楽じゃな?」
ふすまの中から声がした。
どこか弱弱しい声だった。
「ッ…、はい、枯橋楽でございます。姫様、お休み中の所申し訳ございません。火急、お耳に入れて頂きたく…」
「構わぬよ。入って来ておくれ…」
「し、失礼いたします!」
すべて言い切る前に、中の姫から声がかかった。慌てて、部屋の中に入り跪く。
部屋の中は酷く殺風景だった。調度品もなければ、鏡すらない。
部屋は蝋燭のみで照らされ薄暗く、当然光も差し込まない。
とても大きな部屋なのに、あるのは几帳で覆われた寝台のみ。
蝋燭の光に照らされて、几帳の中が透けて見えた。
そこには影が映っている。枯橋楽よりも一回り大きなその姿は、人間であれば成体した女性の姿に見えた。
すすす、と中の影は寝台から起き上がりながら枯橋楽に話しかける。
「枯橋楽…」
頭がふわふわとする、不思議な高揚感を感じる声。
その感覚に頭がしびれそうになりながらも、枯橋楽は必死に言葉をつなごうとした。
(言え、言うのよ。正直にお話するの。たとえそれで姫様がどんな思いをされたとしても、この命令は。我々の二百年越しの悲願なのだから!)
「ひ、姫様…!」
跪いたまま、枯橋楽は口を開いた。
「実は…例の柱の、十二の呼吸の継承者の討伐を」
「殻怒童子が死んだのじゃな?」
びくっ、と枯橋楽は自分の身体が震えるのを感じた。嫌な汗が頬を伝う。
「も、もう報告を・・?」
「いいや。確証はなかった。じゃが、妾は耳がよいのでの」
す、と衣擦れの音がした。
「あの子の大きな、大きな声は、いつも妾の耳に届いておった」
枯橋楽は堕落七鬼の主たる姫の、その悲しみを感じ取った。
「そうか。もう叶わぬのか。殻怒童子…。あの子の怒鳴り声も、妾の耳には心地よかったのじゃが。もう、聞くこと叶わぬか…」
「…寂しいのう、枯橋楽。妾は今、二百年の歳月の中で、一等、寂しい」
枯橋楽はたまらなくなって、頭を床に叩きつけた。
「姫様! 殻怒童子を奴に差し向け、みすみす死なせたのは私でございます!!鬼狩りの柱の実力を見誤りました。 どうか、どうかなんなりと罰を! 姫様の悲しみがすこしでも晴れるのであれば、この望郷ノ枯橋楽、命さえ惜しくはございません!」
「枯橋楽」
凛とした、悲しみを帯びながらも耳によく通る声がした。
「近う寄れ」
「は、はい!」
慌てて寝台の近くに寄る。枯橋楽が傍に来ると、すっ、と几帳の隙間から美しい手が現れた。黄金色の爪は鋭いが、それを差し引いても、鬼とは思えない、美しい女性の手だった。
その手が枯橋楽に向けられる。罰を覚悟し、枯橋楽は目を伏せた。
しかし、与えられたのは痛みではなかった。
与えられたのはさらさらと、枯橋楽の翠と黒の髪をなでる優しい感触だった。
驚いて目を開ける。
姫と呼ばれるその鬼は、不安におびえる忠臣の髪を、まるでわが子を愛おしむように撫でていた。
「ひ、姫様…?」
「枯橋楽。ああ、妾の愛しい枯橋楽。お前はあのお方から直接のお言葉を賜り、それが嬉しくてたまらなかったのであろう? 妾も力を取り戻しておったなら、すぐにでもはせ参じたであろうよ」
「期待に応えようと懸命に頑張るお主を誰が責めると言うのじゃ? 誰が罰すると言うのじゃ?」
「お主も殻怒童子も最善を尽くした。尽くした結果がこの現実であるなら、妾はそれを受け入れよう」
「姫様…」
「じゃが、それではお主の気が済まぬのであろう?枯橋楽。お主はとても忠節に溢れたよい子じゃな。そんなお主がどうしても罰を望むと言うのなら」
「今しばらく、このままで居させておくれ…妾の可愛い枯橋楽」
枯橋楽はしばらくの間、姫にされるがままにされた。
どれほどの時だったか。
半刻程度だったかもしれないし、もしかしたらもっと長かったかもしれない。
姫は枯橋楽の頭を撫でながら話しかけた。
「…殻怒童子には、墓を建てておやり。あの子にふさわしい墓を」
「・・・はっ」
「それと、残った堕落七鬼全員に命じる。今後、妾の許し無くあの憎き柱に挑むことを禁ずる。どうやら二百年前とは幾分相手が異なるようじゃからの。常に奴の近辺を探り、情報を集めるのじゃ」
その言葉に対して、枯橋楽から返事は無かった。不満げな表情をしている。
それが姫にも伝わったのか、どこかおかしそうに尋ねた。
「不満かえ?」
「い、いいえ、滅相もございません! 確かにあのお方の望みを早く達成したいという思いはありますが」
「もしもあのお方に言及されたなら、妾の指示だとしっかりお伝え。それと、不満はそれだけではないの。全員、といっても恐らく一人言う事を聞かぬじゃろうからなぁ」
「そうです!!」
姫の言葉をうけ、枯橋楽は急に真っ赤になって怒り始めた。
「そうですとも姫様! この度のあのお方のお言葉、姫のお言葉と共に各地に眠っていた仲間全員に蟲を送ったのにも関わらず!あの怠け者の唾葬怠でさえ召集に応じたと言うのに!!そうですともあいつですとも!あの女、『私には関係ない事だ。お前たちで勝手にやれ』とのたまいました! 姫様、あいつに罰を与える許可を!」
「まぁそう怒るでない枯橋楽。可愛い顔が台無しじゃぞ。ほれほれ」
姫はそう言って膨れる枯橋楽の頬を爪でつついた。ますます、枯橋楽の頬は膨れた。
「まぁあの子は妾が言っても止まらぬじゃろう。むしろ二百年、よく辛抱しておとなしくしておいてくれたと言うべきか。良い良い、あの子は好きにさせよ」
「姫様! 姫様はあいつに甘すぎます!」
「そうかえ? では今からお主をたくさん甘やかしてやらねばのう。やきもち焼きめ」
「ち、違います! わ、私は堕落七鬼の取り纏め役として、そう、規律の乱れを心配して申し上げているのです!」
必死に訴える枯橋楽に、ついに堕落七鬼の姫は折れた。
「わかった、わかった。では一度、蟲を使いあの子をこちらに呼んでおくれ。二百年ぶりじゃ。妾も一目顔が見たい」
「はい、かしこまりました! それはもう、うんと厳しい罰をお願いします!」
失礼いたします! と叫んで、枯橋楽は部屋から出ていった。
「…はて。罰を与える気など、ないのじゃがのう・・・」
誰もいなくなった部屋で、姫は一人そう呟いた。
殻怒童子の襲撃から二日後。
重症の隊士への応急処置も終わり、なんとかオレ達は本島に戻ってくることが出来た。
ここから隠しの皆さまが手配した列車で、鬼殺隊の本部へ向かう。
ただし、重症である桜花と一般隊士数名、及びその治療にあたるしのぶちゃん、そして子供たちは一度、蝶屋敷に向かうことになった。列車でしばらくは一緒だが、オレは報告の必要があることが多すぎる為、少しの間桜花と離れることになる。
この旅の間はずっと一緒だっただけに、離れるとわかるとものすごく寂しい。
四人掛けの電車の席にオレと桜花、数珠坊と菊が向かい合うように座る。
安全を期して、外の車両には警護が立っているものの、この車両はオレたちの貸切状態だった。
子供たちは、外の風景を見たいとのことで窓際に座らせた。オレの隣では数珠坊が窓から身を乗り出そうとするので、その都度引き戻さなければならない。
菊も基本はおとなしく座っているものの、初めて乗る列車に興味津々のようだった。
「桜花さん、桜花さん! 見て見て、こんなに早い!」
後方にふっとんでいく木々をみながら、菊はきゃっきゃと可愛らしく笑っている。
「たく、こんなのではしゃぐなんてまだまだ子供だなぁ、菊は」
「数珠坊、乗り出して外見ながら言っても説得力ないよ。ねぇってば」
「菊ちゃんも。危ないですから、良い子で待ってましょうね?」
二人をいさめながら、列車は揺れていく。
やがて夜になり、あたりが暗くなった頃。
列車の中で、子どもたちは寝息を立てている。
四国に戻すことも考えたが、この子たちのあの様子だとまた密航だのなんだのしそうである。
うーん、どうしたもんか。
「兎さん、眠れませんか?」
と、向かいの桜花に声をかけられた。
「この子たちなら桜花が見てますから。お疲れでしょう? ゆっくり休んでください」
「いやいや、桜花だってけが人なんだから、ゆっくりしてなよ」
「あらあら、しのぶちゃんにわざと刺されるような人が何言ってるんですか」
「ごめんなさい」
一瞬で微笑が絶対零度化した桜花に、即答で謝罪する。
殻怒童子を倒して船室に戻った後、ひどくその事を怒られた。
「全くもう…本当に、心配したんですからね」
そう言って桜花は向かいに座るオレの手を取った。
「兎さん…」
「桜花…」
桜花の顔がどんどん近づいてくる。
美しい。この世のどんなことよりも。
車両は貸切、誰もオレ達を咎めない。
桜花の腰に、手を回す。
「うさ、ぎ・・・」
「桜花」
そして、二人の距離が―――
「うぅうん」
零になろうかという瞬間。突如聞こえた数珠坊の寝言に二人一緒に跳び上がった。
「・・・はれ? 兎たち、立ち上がってなにしてんの・・」
「な、なぁにも! なぁにもしてませんねぇ桜花さん!」
「そ、そうそう! そうです!し、強いて言うなら、そう、そう準備運動ですよね兎さん!」
桜花、それだとなんだかすごく隠された意図を感じる。
「ふぅん・・・そっかぁ・・」
そのまま数珠坊は二度寝の体制に入り、すぐに寝息を立て始めた。
ほっ、とオレ達は息を吐き出した。
「兎さん…」
「ん?」
しばらくして、落ち着いた様子の桜花から声をかけられる。
「…話そうと思うんです。しのぶちゃんに、あの日の事」
「…」
オレは、すぐに答えられなかった。
なんだか、言葉に詰まってしまったのだ。
「兎さんは、やっぱり嫌ですか?」
「…オレは」
わからない。
しのぶちゃんには、全てを知る権利がある、と思う一方で。
今のまま、オレが恨まれていれば、しのぶちゃんは無理をしないんじゃないのか、とも思う。
今のまま、オレを仇と思ってくれていて、それで彼女が幸せになれるなら。
それでいいんじゃないか、と。
結局その日、オレは桜花に答えることが出来なかった。
列車は揺れ続ける。
行先ははっきりしている筈なのに、なぜだかこの列車はどこにも止まらないのではないか。
そんな気がした。
大正コソコソ噂話(偽)
堕落七鬼 枯橋楽は無惨を崇拝していますが、尊敬しているのは姫になります。
例えるなら彼女の中で無惨は神であり、姫は絶対の君主になります。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
『報告』
羅刹と共に北方を守り、人々の営みを守る一方で。
人食いの鬼神とも呼ばれる。
鴉・烏とは。
とある国では神聖視され、神の鳥などと謳われる一方で。
血肉を生きたまま喰らい、なおかつそのもっとも効率的な方法を知る、狡猾な鳥である。
桜花としのぶちゃん、そして子供たちを蝶屋敷に送り届け、オレはそのまま鬼殺隊本部、お館様の屋敷に向かう事になった。
桜花の傷が心配だと言って残ろうとした。
しのぶちゃんに
「邪魔ですからさっさと行ってください。そんなことも解らないんですか?」
と、言われた。
心に深い傷を負った。
桜花に助けを求めようとしたら
「あの、兎さん。気持ちは嬉しいですけど…早く他の柱の方々と合流した方が‥」
そんなこんなで、涙こらえてオレはお館様の屋敷の門を叩いたのであった。
こちらです、とお館様のご息女、ひなき様に連れられて、オレは屋敷の奥に通された。
柱合会議は中庭で開かれることもあれば、このように屋敷の中で行われることもある。
ちなみに昔は中庭で開かれることが主流だったが、とある柱が雪の降ろうかという季節に
「寒いから中入れてくださいよ」
と文句を言ったことが起源とされる。
ちなみに言ったのはオレである。
そのあと悲鳴嶼さんに簀巻きにされたのもオレである。
不死川はめちゃくちゃ怒って、カナエはクスクス笑っていた。
しかし結果としてあれから屋内での会議は増えた気がする。
言ってみるもんだ。
「皆さまは先に中でお待ちです」
「オレが最後ですか? やだなぁ。伊黒が文句言ってきそう」
「いいえ。まだ水柱の冨岡義勇様が到着されておりません」
中で今しばらくお待ちください、そういってひなき様はオレに一礼して去って行く。
まだ幼いのに、とてもしっかりした方だよなぁ、と思う。
お館様もお内儀様も、厳しく教育してるって話だもんなぁ。
オレも子供ができたら厳しく…無理だな。娘ならなお無理。嫌われたくないもん父上。
あらぬ未来を考えながら、オレはふすまを開いて、部屋に入った。
「あァ? なんだ、今回呼びだしたご本人様が随分遅れてご登場じゃねぇかァ」
最初に口を開いたのは一番手前にいた風柱・不死川 実弥だった。
いきなり文句を言われて傷ついたので、一応理由を説明しておくことにする。
「ごめんね。桜花が怪我してるから、ぎりぎりまでついていてあげたくて」
「はっ、そうかいィ。ご苦労なこったなァ」
「うむ! 兎殿!桜花殿の具合はどうか!」
大声で会話に割って入ったのは炎柱・煉獄 杏寿郎だ。
「重症…ではあるけど、しのぶちゃんが言うにはきちんと治療すれば問題ないってさ」
「そうか! それはなによりだ!!これが終わったらオレも見舞いに行くとしよう!!」
「そうか。ありがとう杏寿郎」
そう言いながら、オレは適当な場所に腰を降ろす。
「おい、地味派手兎」
すると、隣の音柱・宇随天元が声をかけてきた。
「どういう風の吹き回しだ? お前が柱合会議を嘆願するなんてよ。俺は派手に世界が終わるのかと思ったぞ」
「報告・連絡・相談。どんな時でもそれは大事だよ。今回オレじゃどうしようもなさそうな話だから、みんなに何とかしてもらおうと思って」
「よく言うぜ、ったく」
そういって宇随君はオレの背中を派手に叩いた。派手に痛いんだけどこの遊郭野郎。
痛む背中をさすっていると、恋柱・甘露寺 蜜璃が何か聞きたそうにこちらを見ている事に気が付いた。
「? どうした蜜璃?」
「えっ? あ、えっとね。こんな大変な時に聞いちゃいけないと思ったんだけど、兎君と桜花ちゃん、ご旅行はどうだったのかなって」
「旅行か…」
いろいろあり過ぎて、一言ではとても言い表せない。ただ、やはりどうしても懺戒のことが頭に過る。
ちら、と隅に座る少年を見やる。
霞柱・時透 無一郎。遠くをぼんやりと見つめ、こちらには一瞥もくれない。
…やっぱりあの子ちょっと苦手だ。
いろいろ話したい思い出話もあるが、いまここで話すことではないだろう。
「楽しかったよ蜜璃。土産もあるから期待しててくれ」
「えー、本当!?」
一気に上機嫌になる蜜璃。歌いだしそうな勢いで体を振っている。
蛇柱・伊黒小芭内がすっげーこっちを睨んでくる。怖い。
「業柱」
じゃりじゃり、と音がする。
岩柱・悲鳴嶼 行冥さんが視線を落としたまま、声を出した。
「鴉からの伝令にあった‥『堕落七鬼』なる鬼についての報告か」
一瞬、場の空気が強張るのを感じた。
「『堕落七鬼』ィ? なんだそりゃ」
どうやら宇随君の所にはまだその情報は来ていなかったらしい。
「それをお館様に報告しようと思って集まってもらったんだよ。みんなにも聞いてもらった方がいいと思ったんだけど…さぁ」
オレは辺りをきょろきょろ見回し、舌を出して味も確かめてみる。
「うーん…冨岡君来ないな。どうしたんだろ」
「お前がこき使うから死んだのではないか」
「縁起でもないこと言うな伊黒」
オレは心配しながらも、お館様の到着を待った。
「お館様のおなりです」
ひなき様より声がかかり、オレ達は居住まいを正した。
オレ達からみて奥の座敷に、お館様、産屋敷 耀哉様がお座りになった。
「お早う。私の剣士たち。今日は急な召集に関わらず集まってくれてありがとう」
柱たちが一斉に平伏した。
みんながあいさつしたがっているのが味で伝わって来る。
うん、ここは不死川にでも。
なんて思っていたら宇随君に軽く小突かれた。
お前が呼びだしたんだからお前が言え。
という事なんだろうか。仕方ない。
「お館様。この度は私の身勝手を聞いて下さり、恐悦至極に存じます。…えっと、こっから先なんて言えばいいかな皆?」
「もういい黙れぶち殺すぞォ」
不死川に怒られた。
悲鳴嶼さんが呆れたような声を出す。
「十二支‥」
「いやみんな知ってるでしょ! オレこういうの苦手なんだって、ねぇってば! それなのに宇随君が無理やり」
「大人の言う事じゃねぇな地味派手兎」
「あ、きったね!!忍きたねぇ!!」
思わず殴り合いの喧嘩をするところだったが、お館様に無言でいさめられて矛を収める。
「兎。今日皆を集めたのは、報告したいことがあるからだね?すでに簡単な内容は聞いているけれど。君の口から詳細を聞かせてもらえるかな」
ようやく話が本題に入る。
しかし、その前にだ。冨岡君がまだ来ていない。
「お館様、冨岡君が」
「義勇には私から直接、ある任務を頼んでいるんだ。しのぶも桜花たちの治療で離れられないだろう。これが終わればすぐに鴉で伝達するから、今はここに居る柱に情報の共有を」
ちょっと引っ掛かるけれど、そういうことなら。
オレは、四国での事件と船中の襲撃について報告を始めた。
「『堕落七鬼』。『欺瞞ノ殻怒童子』。そして、『姫』。さらには『二百年前』。その鬼はたしかにその情報を口にしていたんだね」
「はい。重ねて言うなら、自分達と十二鬼月を同一視するな、とも」
「おいおい、上弦だけでも手一杯なのにこれ以上地味に幹部の鬼を増やしやがったのか、無惨の野郎」
宇随君が毒づく。
「わからない。その堕落七鬼ってのが、どんな鬼を指しているのか。あまりにも情報がない」
「兎。実際戦ってみてその殻怒童子という鬼についてどう思った?」
お館様に問われ、オレは少し考える。
強さだけで言うなら、下弦たちよりは上だが、過愚夜に比べると圧倒的に下だった。
ただ、堕落七鬼の中で殻怒童子がどのような立ち位置に居たのかがわからない。
殻怒童子は一番弱いのかもしれないし、もしくは一番強いのかもしれない。
十二鬼月なら、数字で判断がつくんだけどな。
「…正直な所、不透明な点が多いですが。確実なことは、彼らは十二鬼月を鬼の幹部とする今の体制を気に入っていないこと。殻怒童子よりも上の階級に、『姫』と呼ばれている鬼が居ること。彼らは二百年前にも存在していたと言う事です」
「うん。そうだね。現段階で彼らについて考えても、わかることは少ないだろうね」
「兎殿! その鬼は他に何か言っていなかったか!?」
杏寿郎に聞かれ、オレはすこし考える。
他に…。他にか。
あ、そういえば。
「オレが普通の人間じゃない、とか言ってたな」
「知ってる」
「え!? なんか知ってたの宇随君!」
「いやたぶん意味合いは違うだろうけどよ。そりゃどう考えても普通じゃねーよお前」
疲れた様に言う宇随君。
そうなの!? オレ人間じゃないの? じゃあオレ何?
「うーん。オレのご先祖様がなんか関係あんのかなぁ」
「あァ? テメェの先祖ォ?」
「あ、うん。殻怒童子がオレの呼吸を見て、『あいつ等の子孫か』って言ってたから」
自分の先祖か。考えたことなかったな。オレ親いないし。
ただ、あの時。殻怒童子に先祖の事を口に出された時。
ひどく感じた感情があった。
手の震えが止まらず、汗が流れ落ちた。
聞いただけで、眉根を寄せたくなるような不快感。
嫌悪感。
あれは一体なんだったんだろう。
「…兎」
ふと、お館様に声をかけられる。
なんだか、味が少し変わったような。
これは・・・焦り?
「君の先祖の事を、鬼が口に出したのは何時かな?」
「え? えーっと…」
どのあたりだったか・・。確か。
「ああ。そうだそうだ。子の呼吸で隊士たちを気絶させたあたりです。子の呼吸を使ったのか、と聞かれましたけれど」
「…そうか。ありがとう、兎」
「?」
お館様の味がころころ変化する。表立っては現れないけれど、なんだかひどく動揺しているようだった。
そのあとも会議は進み、柱たちは今後十二鬼月の対する警戒のみならず、堕落七鬼に対する情報を集めることも重要な任務として設定された。
情報収集には白石さんをはじめとする隠の皆さんにとっても急務の任務とされ、鴉を用いて各隊に伝達された。
そして結局その日冨岡君からの報告は会議が終わるまで無く、オレの辞表も却下された。
ちきしょう。
その日の夜。
柱たちが去った後の産屋敷邸にて、鬼殺隊当主、産屋敷 耀哉は徐々に見えなくなりつつある目で、ある書物に目を通していた。
やがてこの両目は見えなくなるだろう。
皮膚は腐り、立つこともままならくなるだろう。剣士たちとも、あと何年言葉を交わせるかわからない。
だから、『彼』にも、きちんと真実を伝えなくてはならない。
彼は味覚に優れている。
食物の味はもちろんの事、空気の味を舌先で拾えば感情の機微さえわかってしまう。
(あの子に隠し事をするのは、大変だね)
産屋敷は読んでいた書物に目を落とす。
それは、今から数えて約二百年前の書物だった。
背表紙はやけてボロボロだが、かろうじてまだ体裁を保っている。
内容は、柱と鬼との戦闘記録。
しかし、重要なのはそこではなく、後から墨で書き殴られたかのような一文だ。
この一文の存在が発見されたことで、この書は鬼殺隊の歴史から抹消され、代々産屋敷家当主が管理することになっている。
そして、二百年前の真実も伝聞で伝えられ続けている。
産屋敷は殴り書きされた一文を見るたび、背筋が凍るような寒気を覚える。
これを書いた人物が、産屋敷が伝えられた通りの人物なら、この一文にどれだけの想いがあったのだろうか。
そう思うと、産屋敷は震えずにはいられなかった。
それは、本当に短い、一言の。
『うそをつくな』
恨み言だった。
場所は移り、堕落七鬼の居城にて。
この城の仮初の城主たる『姫』と『望郷ノ枯橋楽』は、姫の寝室にてある鬼を待っていた。
姫は相変わらず几帳から姿を見せないが、枯橋楽はそれについて何も言わない。
姫がそうしたいのなら、それが彼女にとっては絶対だ。
几帳の中で、姫が口を開いた。
「ふぅむ。しかしの、枯橋楽。頼んでおいて言うのもなんじゃが、あの子はここに来るのかのう」
「来ますとも姫様。来させます」
「じゃがのう。あまり無理に連れてくるのも可哀想ではないかのぅ」
「お言葉ですが姫様!」
枯橋楽は毅然とした声で言った。
「姫様がそうやって甘やかすからあの女はどんどんつけあがるのです!今回の呼びだしにしても殻怒童子の件を出してようやく首を縦に振るような女です。ここは姫様も心を鬼にしてしかりつけて頂きたく存じます!」
「妾もう鬼なんじゃが」
「言葉の綾です!」
そうこう言っていると、ぶぅん、と羽音がして一匹の蟲が部屋の中に入って来た。油虫のような外見だが、油虫にしては高く飛び、なにより異様なのはその腹から人間の口と耳が一つずつ生えている事。さらにその背には『肆』と書かれていた。
これは『書簡油虫(しょかんあぶらむし)』という、枯橋楽の血鬼術で生まれた蟲である。
戦闘能力は一切ない蟲だが、雄雌で番になっており、雄の口に向かって話せば雌の腹の耳から相手の声が聞こえる。雌に同じことをすれば番の雄から同じように声が聞こえると言う仕組みになっている。
枯橋楽はそれで鬼狩りの目を二百年晦ましていた堕落七鬼全員に連絡を取っていた。
枯橋楽は『肆』の蟲を手のひらに乗せ、話しかけた。
「こちら、枯橋楽。『慟哭ノ夜叉烏(どうこくのやしゃがらす)』。返事をしなさい」
すると、蟲の腹から女の声が帰ってきた。低く、腹に響くようでいて、それでいて重さを感じさせない、清廉な声だった。
『ふむ。枯橋楽か。連絡が遅れてしまったことをわびよう。そして一つ頼みがあるのだが』
「誠意が感じられないのだけど。他の堕落七鬼は皆姫に謁見したのよ。さぼるような不心得者はお前だけだわ、夜叉烏。そんなお前の頼みを、私に聞けと?」
『なんだ枯橋楽。怒っているのか? なぜそんなにも苛立っている。私で良ければ相談に乗るが』
「お・ま・え・の・所為!!」
蟲に向かって思い切り怒鳴る。大声に驚いて、蟲は「キキキ…」と一言鳴いて足をばたつかせる。
几帳の中から姫が声をかけた。
「まぁ、落ち着くのじゃ枯橋楽。夜叉烏が悪意なく言っておる事は解っておろう?」
「はぁー、はぁー…。も、申し訳ございません姫様。取り乱しました」
『今の声は姫様ですね。枯橋楽、姫様の仰る通りだ。すこし落ち着け。我らのまとめ役たるお前がそんなことでどうするのだ』
「お前本当にいつか殺してやるからな」
殻怒童子もこんな気持ちだったのだろうか。そんな風に思いながら枯橋楽はなんとか怒りを鎮める。
だめだめ。ここで怒っていては何時までも話が進まない。
『それで枯橋楽。頼みなんだがな』
「…何よ」
『恐らく近くの森まで来ているのだと思うが、通りがかった猫と戯れている内に道に迷ってしまったようだ。ここに日が差したら私は死んでしまうので、助けに来てはくれないだろうか』
枯橋楽は怒りのあまり書簡油虫を思い切り壁に叩きつけた。
やがて枯橋楽の放った蟲に導かれ、その鬼は姫の前までやってきた。
純白の軍服に身を包み、顔には烏を象った面が取り付けられている。その所為で彼女の顔は口もとしか見ることが叶わないが、姫と、そして不本意ながら枯橋楽もその面の下の素顔が美しいことを知っていた。肩にかからぬ程度に切りそろえらえた柿色の髪が、室内にわずかに入るそよ風で優しく揺れた、が、木の葉が付いているあたり、どうやら森で相当はしゃいだらしい。
姫は跪く彼女の前に置かれた、彼女の武器を見てほほえんだ。
自らの家族の在り方が、二百年前と変わりないことは、存外うれしいものらしい。
やがて彼女が口を開いた。
「遅ればせながら姫様。堕落七鬼・『慟哭ノ夜叉烏』、帰投してございます」
「ふむ。久しいのう、夜叉烏。ここまでご苦労であったの」
「は。姫様も二百年前と変わらぬお美しさで。この夜叉烏、再び貴方様、そしてあのお方のご命令で刃を振るえること、嬉しく思います」
「なんじゃお主。几帳の内側におる妾が美しいと何故思う? もうそなたの方がよほど美しいかもしれぬぞ」
「姫様が美しくないときなど、ひと時もございません」
「ふふふ、そうかの」
「そうですとも」
褒められて少し上機嫌になる姫。それを後ろに控え面白くなさそうに見ていた枯橋楽は、つい口を挟んだ。
「夜叉烏。お前は私の召集命令を無視し、応じなかったわね」
「無視はしていないぞ。ちゃんと行かないと伝えた」
「二百年越しの一大事に、行かないなんて許される訳ないでしょ!」
「そうなのか?」
「当たり前でしょう!!さぁ、姫様に釈明なさい! したところで罰をあたえることにはなるでしょうけどね!」
「ふむ…」
夜叉烏は顔をあげると、姫に向かって言った。
「もうしわけありません姫様。全てが言い訳になるかもしれませぬが、一度釈明を聞いていただいてもよろしいでしょうか」
「構わぬとも。理由によっては怒ったりもせぬ。話して御覧」
「ありがたき幸せ」
そして、夜叉烏は口を開いた。
「実はあの日。召集に応じると言ってしまえば、私は城までの道で必ず迷子になると考えまして。時間通りに行ける者達は参加できるでしょうが、私にそれは難しい。ならば決まった事には反対などしないから、皆で好きに決めてくれと。そう枯橋楽に伝えたつもりだったのですが」
「もう殺しましょう姫様!! こいつをぶっ殺す許可を頂きたく存じます!」
ずだん、と立ち上がった枯橋楽。それを見て、夜叉烏は一言。
「枯橋楽。姫様の前で大声を出すなどお前らしくないぞ。どうした? やはり何か悩みがあるのではないか。力になるぞ」
「あああああああああああッ!!」
「枯橋楽、落ち着け。話が先に進まぬ。夜叉烏も、すこし言葉を考えての」
「…? はぁ」
全く分かってなさそうな配下に、姫は几帳の中で苦笑いだった。
「なるほど。十二の呼吸の使い手が、殻怒童子を」
「そうじゃ。そういえばお主とあ奴は仲が良かったの。気をしっかりな」
「仲良くはありません。ただ、不思議と殻怒童子が私に突っかかって来たのです。私はあ奴に嫌われていたのでしょう。彼を不快な思いのまま逝かせなかったことだけが、この私の善行でしょうか…」
「いや、恐らく殻怒童子は‥、いやなんでもない。以前 枯橋楽にも話したが十二の呼吸を使う柱は妾たちが思っておるよりはるかに難敵じゃ。お主も、情報が集まるまでは仕掛けるでないぞ。良いな」
姫は言い聞かせるように、夜叉烏に語りかけた。
「お断りいたします」
それに対する返答は、姫の予想通りだった。
「夜叉烏! お前」
「私を咎めるか、枯橋楽。だが無駄だぞ。こればかりは聞けない」
「お前、姫の命令に背く気!?」
「もちろん、罰ならいくらでも受ける。だが、同胞を殺されただ黙って待つことなど、それは私の『正義』に反する行動だ」
姫はその言葉に目を細めた。
変わらない。
夜叉烏は、昔からこんな『鬼らしくない鬼』だった。
「姫様。改めまして、十二の呼吸を操る鬼狩りとの血戦を所望いたします」
「ならぬ」
姫はそう口にする。
その変わらなさは嬉しくもあるが、こればかりは容認できない。
「姫様!」
立ち上がりなおも食い下がる夜叉烏。
「夜叉烏よ」
「妾の命令が聞けぬのか?」
瞬間、空気が震えあがった。
無惨が鬼たちにとって恐怖が姿をとった存在なら。
目の前の鬼は力と神秘が形をとった鬼。
枯橋楽と夜叉烏は、その圧倒的な存在感の前に、半ば叩きつけれるように平伏した。
「ひ、姫様」
口を開いたのは枯橋楽だ。
「すでに、これほどまで」
「まだ、全盛期ほどではないぞ枯橋楽。知っておろう?」
「はっ」
「さて、夜叉烏。妾の愛しい夜叉烏よ」
彼女はゆっくりと夜叉烏に語りかける。まるで、子どもに言い聞かせるように。
「はっ…」
「妾は何も、戦うなと言っておる訳ではないのじゃ。ただ、妾たちは相手の事を知らな過ぎる。まずは情報を集めるのじゃ。その為に枯橋楽には蟲を各地に飛ばさせておる」
「殻怒童子の仇を討つは、それからでも遅くはない。その時は、お主にも働いてもらうとも」
「…しょ、承知いたしました。申し訳ございません」
「よいよい。妾はお主のそういうところが大好きじゃぞ。怖がらせてすまなかったの。ほれ、近う寄れ」
夜叉烏は今度は命令通りに寝所に近寄った。その際、彼女の武器も共に持ってきた。
「…変わらぬのう。その二振り、いまだ健在か」
「…はっ。私の、『正義』を執行するための武器にございますれば」
「ふむ」
夜叉烏の武器は二振りの刀だった。彼女が普段左手に構える白い鞘に黒い柄と四角く、黒い鍔。
人間を殺すための妖刀。銘を『黒鳥・啄(こくちょう・ついばみ)』。
そしてもう一本は、本来鬼が絶対に持ちえないもの。右手に構える、黒い鞘に白い柄。鍔は丸く、そして白い。
鬼を殺す日輪刀。銘を『夜叉・白夜葬(やしゃ・びゃくやそう)』。
「…夜叉烏よ。お主、力は衰えておらぬか?」
「勿論にございます」
「ふむ。二百年の空白で、鬼殺隊の力がどの程度になっておるか、知る必要もあるか」
姫は少し思案し、枯橋楽に声をかけた。
「枯橋楽よ。各地に散らせた蟲で、鬼狩りの‥そうじゃのう。柱を見つけることはできるか。無論、十二の呼吸以外で、じゃが」
「はっ。それならば一人発見してございます。男の鬼狩りで、おそらくは柱。妙な半分模様の羽織を着ております。奴以外の柱は発見できておりませんが。探索用の蟲は、あまり私からは離れられませんので」
「よいよい。一人見つければ、充分じゃからの」
「では夜叉烏よ。お主に命じよう。危険なら即撤退することが条件じゃが」
「…は、何なりと」
「その柱と戦い、敵の実力を測るのじゃ。今の鬼殺隊の強さを計るためにの」
「…もし、私の相手にならぬほど、弱ければ?」
「殺して構わぬよ」
「弱ければそれまでのこと。徹底的に痛めつけ、嬲り」
「妾に首を献上せよ」
「堕落七鬼と戦うと言う事がどういう事か、おしえてやるが良い!!」
「ご随意に。我らが姫よ」
そして夜叉烏は刀を手に持ち、部屋を出て行った。
枯橋楽は、蟲から送られてきた情報を、再度確認する。
彼女の蟲が視覚に捉える、水柱『冨岡義勇』の情報を。
大正コソコソ噂話(偽)
勢いよく出て行った夜叉烏。
しかしすぐに戻ってきた。
「すまない枯橋楽。それで、何処に向かえばよいのだ?」
「お前ホントしまらないわね!」
「ほんとう、変わらず愛い子じゃのう。よしよし」
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
『桜は蝶の夢を見る 壱』
十二支桜花は、夢を見る。
薬品の臭いと、傷にうめく人間の声。
自分の傷は深く、治療には長い時間が必要。
それを体がわかっているのか、桜花は何度も微睡に誘われる。
最後に見たのは蝶の髪飾。
自分のよく知るものとは、違う色の髪飾。
十二支桜花は、夢を見る。
薬品の臭いが鼻についてうっすらと目を開ける。
見えたのは、彼女の顔だった。
「あっ! 桜花!! 目が覚めたのね、良かったわ」
「カナエ…?」
自らの友人、胡蝶カナエは柔らかな微笑みで自分、仇散華 桜花を見つめてくる。
そうだ。私は確か。
「ここは蝶屋敷‥ですか」
「そうよ。あなた縁側で寄り掛かって寝ちゃってたのよ? どうしたの? 疲れた? ここの所任務ばっかりだったものね」
「…疲れてなどいません」
「疲れてるから寝ちゃってるんでしょう?もう」
全くこの子は、と妹を案じる姉のような表情で私を見つめてくる。いつもいつも、カナエは周りに対して過保護だった。
その性格を昔は鬱陶しく思った物だが、最近はあまり気にならなくなってきた。
というよりも、なんだか心がほわほわとしてくると言うか。
不思議な温かささえ感じる。
けれど、この温かさに甘える暇などない。
「カナエ、なんどでも言いますが、私は疲れてなどいません。次の鬼の所に向かいます」
「まだ指令も来てないのに?」
「私の担当地区に、いえ、この世に一匹でも鬼がいるなら殺します。一匹とてあんな化け物は居ない方がいい」
そう。
鬼は人を喰ってまで生きながらえようとする醜い化け物。
一匹でも多く殺してやらなくてはならない。
私はその為に生きているのだから。
「へー、そう。どうしてもいっちゃうの? ふーん」
「? なんですか?」
なんだろうか。カナエの笑い方が変わったような。
「そっかそっか。残念ねぇ。今日は兎が来るって鴉から伝令があったから、いっしょにお茶しようと思ったのだけど」
「…なんですか。まさか私もいると言ったんじゃないでしょうね?」
「兎、すぐに来るって。どうする?」
十二支 兎。
私より後に柱になり、いつも鬼が怖いと文句を言いながら任務に向かう。
いつもいつも風柱や他の柱に怒鳴られ、説教され、簀巻きにされ。
不承不承と言った形で任務に行けば。
いつも手傷の一つも負わずに戻ってくる。
彼のその強さに、私は興味がある。
「…仕方ありませんね。カナエ、部屋を借ります」
「部屋?」
「こんな血濡れの羽織では、町に出られないでしょう」
私は自分の着ている、鬼の返り血で深紅に染まった羽織を指さしながら言った。
これで町を歩けば、町民は恐れて近寄ってこないだろう。
「…まぁ!」
「? なんです?」
「桜花ったら変わったわね、昔はわざわざ着替えたりなんかしてなかったのに」
…言われてみれば、確かに。
昔はこの羽織を着たまま町に出ていた。鬼を斬るのに、服なんて関係ないと思ったから。
では、なぜ今着替えるなどと言ったのだろう。
ただ、彼が来るのであれば。漠然とそう思った。
自分で自分の行動をいぶかしみつつ、着替えるためにその場を後にした。
「あっ、カナエ! 桜花さん!! おーい!」
蝶屋敷からそう遠くない町中で、大声をあげながら彼は手を振っていた。
私とは対照的に隊服に白い羽織を着てきている。
いつもの格好だ。さすがに帯刀してはいないが。
対して私は目を輝かせたカナエに無理やり着せられた桜色の着物。桜の花の模様があしらっている。
髪飾も付けようとしてきたが、さすがにそれは拒否した。
そこまで浮かれている、とも思われたくなかったのだ。
しかしまさか普段の恰好で現れるとは思わなかった。
冗談じゃない。
彼がいつもと変わらない格好をしているせいで、まるで私の方が気合を入れて準備したかのようだ。
「こんにちは兎。随分遅かったのね?」
「ごめんなカナエ、桜花さん。ちょっと向こうで菓子屋のお婆さんがさ」
カナエと彼が楽しそうに話している。選別時代から共にいるそうで、二人の信頼関係は厚い。
カナエが女の私から見ても美人だからか、彼はあきれるほどにこやかに話している。
・・・・・。
チクチクと胸が痛む。不愉快だ。
こんな状態で業柱を放っておいたら今後の任務に支障が出る可能性もある。
注意しておこう。
「そんなことより」
彼が笑った顔のまま、こちらを見て固まる。
「業柱。私は鬼を殺す時間を割いてここに来ています。そこに遅れてきておいて、何も言う事はないのですか?」
「桜花さん…」
彼がまっすぐにこちらを見つめている。
「綺麗だ…」
「はい?」
「いやすっごくいい、その着物! どうしたのそれ!?」
「すごいでしょ兎。やっぱり女の子は可愛くしないとね」
「カナエ! カナエが選んだのこれ!」
「そうよ。ふふ、兎、私にいうことがあるでしょう?」
「ありがとうございます!!」
「よろしい」
綺麗だ。
まさかそんなことを言われるとは。
「桜花、良かったわねぇ。頑張って選んだ甲斐があったわ。ね?」
「…、まぁ、褒め言葉として受け取っておきましょう。さぁ、行きますよ。ただでさえ時間は限られているのですから」
そういって私は二人に背を向け歩き出す。
まったく。この間にも鬼は存在しているのだから、無駄な時間はとらせないでほしい。
ややあって二人も私に付いて歩き出した。
後ろから彼の視線を感じる。やめてほしい。とてもむず痒い。
たたっ、と早足にかける音がして隣にカナエがやってきた。
「桜花、桜花。ねぇってば」
「なんですか、カナエ。茶屋に行くのでしょう。それとも道を間違えていますか?」
ニコニコと笑いながら
「耳、真っ赤だよ?」
それを聞いて、私は耳を押え、手のひらを確認する。
良かった。血は漏れていない。
「…気が付きませんでした。血鬼術でしょうか。相手の体温と心拍数を上げる?一体何のために‥」
「いやいやいや」
あたりに鬼がいることを警戒して、私はカナエにささやいたが、カナエは「えー…」と口に出しながら呆れている。
心外。
これが血鬼術でなくてなんだと言うのか。
顔が熱い。
心拍も、どきどきと脈打って、明らかに異常だ。
しまった。日輪刀を置いて来てしまった。
「あはは、桜花? ちょっと落ち着きましょう? ね。鬼なんていないから。なにより今は昼間よ。いたとしても出てこれないわ」
「…まぁ、そうですね。一応念のために、隠にこの町を見張ってもらいましょうか」
「えーっと…」
その後、私はカナエに説得される形で茶屋に押し込まれた。
念には念を入れておいた方が良いと、何度も言っているのに。
「あっと、その、桜花さん!」
「はい、なんですか」
左隣に座った彼が話しかけてくる。
目を合わせられないのは・・・ただの癖。
「きょ、今日の着物、素敵だよ。すごく似合ってる」
「普段の隊服は似合っていませんか?」
「え? いやいやいやいや!そんなことはないよ。いつだって綺麗だけど、今日はとびきり、ってこと!」
すこし焦った口調で彼が付け加える。
いつも綺麗。本当に美辞麗句を好む人だ。
ただそれは鬼とは関係ない。
だから私がそれに返答する義務も一応は、ない。
別に嬉しくも、ない話だ。
ちらりと隣の彼を見ると、なにやら口をパクパクさせて私の右隣のカナエを見ている。
なにやら口の形で何かを伝えているようだった。
(カ・ナ・エ・た・す・け・て・ど・う・し・よ・う)
(お・か・し・の・は・な・し・で・ご・ま・か・し・て)
「あーっと、そうだ桜花さん。この茶屋には来たことあるの?」
「いいえ。ありません」
「この茶屋、吹雪饅頭がすっごく美味しいんだよ! 桜花さんも好きだよね、吹雪饅頭」
「? 好きですが、なぜそれを?」
「え? 会ったばかりの頃、好きなものはなんですか、って聞いたら言ってたよね。吹雪饅頭って」
もうずいぶん前の問答のような気がする。
そんな昔のことまで覚えているとは、細かい人だ。
どうしてそこまで私との会話を覚えているのか。
…また、顔が熱い。
「そうですか」
私は顔を伏せた。
血鬼術によるものでないのなら、わざわざ見せる必要もない。
(カナエ! やっちゃったかな!? オレまたやっちゃった!?)
(大丈夫よ兎! むしろよくできました!)
「しかし、なぜここの吹雪饅頭が美味しいことを知っているのですか?」
まさかわざわざ調べたのだろうか。だとしたらうれ…、時間を無駄にしている。
「う、うん。実はこの間ここにカナエと二人で来てぐぇぇ!!」
彼の声に突然悲鳴が混じる。驚いて左を向くと、何時の間にやらカナエが彼の首を締め上げている。
「? カナエ? 何をしているのですか?」
「あら、桜花知らないの? 最近こうやって首のこりを取ってあげる治療法が確立されたのよ、ねぇ兎?」
「ばい…がくりづざれまじだ・・・」
それは知らなかった。
「ねぇ桜花。少し待っててくれる? すこし兎とお話があるから」
「? なんですか。鬼についての事なら私も」
「いいのいいの。えーっと、そう、義勇くんとしのぶの事についてだから!お姉ちゃんとしては義勇くんがどんな子かしっかり知っておきたいのよね?」
ねー兎? と言いながらカナエは彼を茶屋の裏まで連れて行った。
…義勇という人物についてはそんなに詳しくないが、なぜカナエの妹の話で彼が必要になるのだろうか。
「兎! さっきのは駄目よ、落第点!」
「ええ!? 何がいけなかったの!?」
「基本三原則を思い出してよ。
一つ、女の子の些細な変化は必ず見抜いて褒めること!特に髪と服!
一つ、女の子とお話しするときは相手の興味のある話題を出して、聞き上手になる事!
そして、最後!
一つ、好きな子と話す時は他の女の子の話はしないこと!
もう、なんども練習したでしょう?」
「でもカナエはオレや桜花さんにとっても特別な人だし…、いいかなぁって」
「た、たとえそうだとしても。やっぱり気持ちの良いものじゃないわよ。例えば兎。桜花が他の男の子、そうねぇ、不死川君と一緒に歩いていたらどう思う?」
「オレもうアイツと口きかない」
「たとえ話よ、もう。桜花だってきっと同じ気持ちになるわ」
「そうかなぁ、なって、くれるかなぁ…」
「なるわよきっと。好きな人が他の人を好きになってるかもしれない。そういう現実って、辛くて辛くて仕方ないものなのよ」
「…そっか。ごめんカナエ、気を付けるよ」
「いいのよ、私は兎と桜花を応援するわ!」
長い。
いつまで待たせるのだろうか。
二人とも裏手に消えて行ったきり戻らない。
「全く、二人とも。こうしている時間がもったいないではありませんか。そもそも、店の裏手で二人でなにを…」
まさか。
二人は相愛の関係なのだろうか。
珍しい話ではない。
鬼殺隊内で、そういった男女の関係に至ったという話は聞いたことがある。
その多くが、大粒の涙を流しながら、恋慕した相手が喰われたという叫びだが。
大切なものが出来た人間は、弱い。
いつもいつも、誰かを想う人間は、鬼に勝てずに死んでいく。
大切な人を守れず死んでいく。
大切な人を残して死んでいく。
だから、鬼に勝とうと思うなら。
人は、鬼になるしかない。
『両親が妹に喰われた』あの日から、自分に守るべきものは何も残っていない。
何も残っていないのだから、何も失わない。
だから、自分が鬼を絶滅させる。
殺して殺して殺して殺す。
それを一生、身体がちぎれるまで続ける。
それで自分の人生は終わる。
そう考えていた。
だが、カナエと、彼に出会ってから妙に調子が狂っているように感じる。
まず、任務以外で外に出ることが増えた。
大概カナエに連れ出される。
柱合会議で勝手に連れ出される事実を告発しても、お館様は優しく微笑むだけだった。
そしてそのお節介な花柱を相手にしていると、その内もう1人増えた。
十二支 兎。階級、業柱。
新入りの柱で、入ったのは風柱の少し後。
いつも怯えているけれど、比類なく最強と言って差し付けない実力。
なんというか、心と実力の帳尻が合っていないような印象を受ける。
ある任務で一緒に戦って以降、なつかれたのか付いて回られるようになった。
あの二人が現れてから、何かおかしい。
まず、気持ちがほわほわと暖まることが増えた。
些細な会話をずっと繰り返していくうちに、当たり前のように会話に入る自分がいることに気が付いた。
逆に、心が痛いときもある。
例えば、今。
今もなぜか、心が痛い。
彼と彼女が裏で何をしているか考えるだけで、チクチクと胸が痛んだ。
最初は血鬼術を疑った。
しかし、カナエは違うという。
では、この気持ちは、何なのだろうか…。
この気持ちの正体を知るのは、それから一月ほどたった夜の事である。
大正コソコソ噂話(偽)
兎はカナエと一緒にデートの練習をしていました。
発案したのはカナエですが、練習中、兎が何度も告白の練習をしたので
恥ずかしいやら哀しいやらで大変だったそうです。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
『桜は蝶の夢を見る 弐』
いまから、もう何年前の事だろう。
私、仇散華 桜花には家族がいた。
父と母と、妹の琳(りん)。
かつて物心ついた時にはすでに母の腹は大きく、私は妹が生まれてくるのを今か今かと楽しみに待った。
実際琳が生まれた時には出産で血だらけになった母と赤子を見てしまい、大泣きしてしまったけれど。
やがて琳が生まれて、私は姉になった。
私は嬉しくて嬉しくて、ずっと妹の傍を離れなかった。
食事も、入浴も、山を降り町に出かけるのもいっしょ。
握られる小さな手の感触に心がほわほわとあたたくなるのを感じながら、私は手を握り返した。
にこにこと笑う黒い髪の妹が、私は心の底から愛おしかった。
「琳、何時までもいっしょだよ。
お前が苦しいとき、辛いとき、お姉ちゃんはすぐ助けに行くからね。」
それを聞いた幼い琳はにぱー、と笑った。
「じゃあ、桜花姉ちゃんが辛いときはね、琳がおてて握ってあげる!」
つられて私も笑った。
先に約束を破ったのは私だった。
ある日琳が高熱を出した。私たちが住んでいる山や近くの街で流行っている流行病だった。治療するためには、麓で薬を買うしかない。
私は琳の手を握りしめ、そしてわずかばかりのお金を握りしめて家を飛び出した。父と母の止める声が響いたけれど、私の耳には届かなかった。
父は琳が病気になる少し前、山で熊に襲われて足を怪我していた。
母は健康であったが視力が弱く、まだ私の方が早く薬を持って戻れると思ったのだ。
子供ながらに浅はかだったと思う。けれど、その時私は幸運だった。
山を下ってすぐの所にある村で、たまたまよく効く薬を売っている商人にであったのだ。
商人は顔にしわが刻まれた老人で、不思議な童謡を歌って子供たちを楽しませていた。
もう日が暮れていると言うのに、商人の周りには童謡を口ずさむ子供たちが集まっていた。
「ぽっくり、ぽっくり。一房落ちて、二房実る。ぽっくり、ぽっくり…」
子どもたちはそんな歌詞の歌を歌っていた。
私は商人に事情を話した。
自分は山の上に住んでいる猟師の娘。
年の離れた妹が、流行病で苦しんでいる。
貴方の薬が一番よく効く、と聞いた。
そう伝えると、商人は憐れむような顔で小さな薬を渡してきた。
「かわいそうに、お嬢ちゃん。そのお薬を持ってお家に帰りなさい。きっと病気がよくなるからね。かわいそうに、ぽっくり、ぽっくり…」
私は薬を抱えて山道を登る。日がとうに暮れてしまっていたが、それでも手に握りしめた袋の薬で、妹は治るのだと。
また、手を繋いで外を歩けるようになると、私は信じて歩き続けた。
そして、月が天上に昇るころ。
私が家に帰ると、父と母が死んでいた。
「お姉ちゃん、ごめんなさい、ごめんなさい」
私の妹は、もう人間ではなくなっていた。
両手と口から血を流し、一心不乱に親の臓腑を口に運びながら琳は泣きじゃくっていた。
ぽろぽろ、ぽろぽろ、と涙を流しながら、それでも死肉をあさる手を止めない。
瞳からあふれる透明な雫と口からこぼれる赤色の雫が、地面に落ちて混ざり合う。
「琳…?」
絶望した私から出た言葉はそれだけだった。
ここでなにがあったのか?
一体誰にやられたのか?
なぜ貴女は母の髪を口に運ぶのか?
なぜ貴女は父の着物を踏みつけにしているのか?
聞きたいことは山ほどあったけれど、私はそれしか言葉にできず。
私が薬袋を地面に落とすのと、妹が涎を垂らして私の喉元めがけて飛びかかったのと、
駆け付けた鬼殺の剣士が、私の目の前で妹の首を刎ねたのは、ほとんど同時だった。
ごろり、と転がった妹の首は、ボロボロ崩れて消えて行った。
こうして、私の家族は信じられない程あっけなく、皆死んでしまった。
「桜花? 桜花ってば」
ふわり、と花の香りがして、目を開ける。そこには天上近くに昇った月が見えた。
どうやらまたしても、全く同じ場所にて、つまり蝶屋敷の縁側にて眠りこけてしまったらしい。
「大丈夫? ひどい汗よ?」
ほら、と彼女、胡蝶カナエが心配した様子で手ぬぐいを渡してくる。
確かに、隊服の中はびっしょりと汗をかいていた。
「…ありがとう」
素直に礼を言って、手ぬぐいを受け取った。
「ふふ、どういたしまして」
どこか安心したように、カナエは微笑んだ。
そのまま私の隣に腰かける。
「どうかしたの? 怖い夢でも見た?」
「まあ、そんなところです」
「そっか」
カナエは、詮索してこなかった。彼女もきっと、その『怖い夢』に心当たりがあるのだろう。
いや、私の見た物は夢じゃない。
現実。
今夜もどこかで起こりうる、現実だ。
「ただの、悪い夢なら良かったのに」
「桜花?」
ぽつりと、言葉がこぼれた。
「鬼も、鬼狩りも、無惨も、鬼殺隊も…」
「琳も…私も。ただの、悪い夢ならよかったのに」
全部全部、悪い夢。
目が覚めれば、仇散華 桜花という女なんてどこにもいない。
現実が、せめてそうであればよかったのに。
「ほんとに、そう思う? 桜花」
その言葉に、隣のカナエに目を向けた。
とても、悲しそうな顔だった。
「死んだ人は帰ってこない。失った命は、もうもどらない。それはとっても悲しい事よ」
「けどね、桜花。だから、私は思うの。いま、ここで生きてる事はとっても意味のある事なんだって」
「意味?」
そうよ。
そう言って、カナエは目を伏せた。
「私の両親は、私としのぶの目の前で、鬼に殺された。最初は何が何だかわからなくて、悲鳴嶼さんが助けてくれるまで、ずっと震えてた。いまでも、その時の事は夢に見るし、あんな出来事、無くなっちゃえばいいのに、って思うときもあるの」
「でもね。きっとそれじゃ駄目なのよ。目を背けちゃダメ。死んだ人たちの事を覚えていられるのは今、この毎日を生きてる私たちだけだもの」
「ねぇ、桜花。貴方にとって妹ちゃんは…忘れてしまいたいものなの?記憶から、消してしまいたいようなもの?」
「…そんなわけないでしょう」
でも、思い出すだけで胸がいっぱいになる。
辛くて悲しくて、立ち上がれなくなりそうで。
「だったら、ね」
そこまで言って、カナエはくすくす、と笑いだした。
「? カナエ、笑うような話では」
「あ、ごめんね桜花。怒った? そうじゃなくて。昔の事、思い出しちゃって」
「昔?」
「うん。実はね、私も桜花みたいに、辛くて辛くて立てなくなった時があってね」
カナエはくるくる、と自らの髪を触り始めた。ほんのりと、頬が桃色に染まっている。
「そのとき、ここに座ってたらね…」
「…兎が、言ってくれたんだ…」
『じゃあ、カナエが立ち上がれるようになるまでは、オレがカナエのご両親の事を想うよ』
『え…?』
『死んでしまったら命はそれまでだ。でも、きっと気持ちは繋いでいけるから。カナエがその重さに耐えられないなら、ほんの少しだけ、オレが持つ』
『そんなの、無理よ‥。兎は父さんと母さんの事なんて』
『うん。知らない。だからさ、カナエがご両親とオレを繋ぐんだ。オレがそれを誰かに繋いで、その誰かが、また誰かに繋ぐ…、無理な事なんかじゃないよ、きっとさ』
『だってカナエは一人じゃないんだ。オレ達が一緒に居る限り、カナエの家族は消えたりしない』
「ずるいよね、あんな台詞」
期待するなって方が無理だよ。
カナエはそう言って締めくくった。
手が震える、心が震える。
きっとあの男の事だ。発した言葉に、深い意味はない。言ったことを、当たり前に真実だと思っている。
昔の私なら、きっと耳に届かなかった言葉だった。
でも今、彼の言葉を切り捨てようとすると、この間茶屋で別れた時の彼の表情と言葉が頭の中で反響してしまう。
彼は別れ際、こう言ったのだ。
『じゃあね桜花さん、また今度ね!』
いつ死んでもおかしくない私に向かって、ほほえんで、子どものように、また今度。
彼は言ってくれるだろうか。
目の前の清廉な彼女にかけたような言葉を、憎しみに染まった私にも。
言って欲しい。
私の隣で、私の想いを繋いでほしい。
彼にも。そして、隣に座る彼女にも。
「…ねぇ、桜花」
カナエが口を開いた。優しく、そして真っ直ぐとした瞳。
私は、彼女のそんな顔が好きだったのだ。
「今からするのは、内緒の話」
「私ね、兎のこと、好きだよ」
『桜花さん』
彼のほほえむ姿が、目に浮かんだ。
「桜花は、兎のこと、好き?」
私は、こくん、と頷いた。
私は彼のそんな顔もまた、好きだったのだ。
かくて思いは繋がれる。
けれどこれは過去の話、現在の私、『十二支 桜花』の見る夢だ。
夢想の中の秒針は、一刻、また一刻と時を刻んでいく。
「うーん、如何したものか」
「最近この辺りを歩いていると言う鬼狩りの女の子、どうすればきちんと食べてあげられるだろうか。なかなか見つからないんだよなぁ。俺は探知が不得意だし‥。つらくて長くこの世で生きながらえさせるなんて、かわいそうだよねぇ。早く食べて、終わりにしてあげないと」
「俺は優しいから、ほうっておけないぜ」
胡蝶カナエとの、別れの時まで。
秒針は休むことなく、刻み続ける。
大正コソコソ噂話(偽)
桜花を救った剣士は花の呼吸の剣士です。カナエとは別人。
紆余曲折あり、彼女の紹介で桜花は水の呼吸の育手の元に向かいそこから
「桜」の呼吸を身に付けました。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
『桜は蝶の夢を見る 参』
月夜の告白から、数か月が経過した。
私、仇散華 桜花と胡蝶カナエ、そして十二支 兎はそれぞれの任務で鬼狩りに向かう日々だった。
当然、顔も合わせられない。
それでも、互いの鎹鴉に手紙を持たせて、私たちは連絡を取り合っていた。
カナエからは、救った人たちからお握りを頂いちゃったことや、かわいらしい女の子からわらべ歌を教えてもらったこと、あとはもっぱら妹のしのぶと十二支 兎の事がつづられている。仕事の話はいつも追伸のような形で纏められていた。一番報告しなければならないのは、その部分ではないだろうか。
対して十二支 兎の手紙はいつも日記のような形で事細かい。何日の出来事なのかを最初に記して、そのうえでその日起きたことを自分の心情も踏まえて報告してくる。ただ感情のままにつづっているせいか、文章が散らかっているようにも見える。そういえば、片付けるのが苦手、と言っていたような気もする。
そして、私の手紙はどうかと言うと。
今だ、白紙のままで何も書けていない。
わかっている。さっさと返事を出さなければ余計な誤解を与えてしまうということぐらい。
しかし何度筆をとっても、筆先が紙に触れたところで考えがまとまらず、結局白紙のままにして仕事に出てしまう。
いや、実の所カナエへの手紙はすぐにかけてしまうのだが、これが十二支宛になると一向に筆が進まない。
自分の想いを知った今、何を書けばよいのか、何を書いてはいけないのかが分からないのだ。
下手なことを書いてしまえば、幻滅されてしまうかもしれない。
きっとカナエは自分に届いた手紙と同じような内容の手紙を十二支宛に出しているのだろう。それを読んでニコニコと笑っている十二支も想像できる。
それはなんというか、面白くない。
大変、先を行かれている。
大丈夫、大丈夫だ。
手紙を出すだけ、手紙を出すだけだ。
鬼の頸を斬る事に比べれば児戯に等しい事だ。
問題なし、ええ、問題なし!
そして今日も、白紙の紙が私の屋敷に散らばった。
その日の討伐は、町に潜む鬼の討伐だった。
夜な夜な町に現れては、栄養価の高い女の人間を狙って食い殺す。賢しいのは、その場では殺さずに、一人になったところを狙って付け狙い、誘拐して人目のないところで手をかける慎重さを併せ持つことだ。
しかし、鬼殺隊を長年支えてきた隠達からは逃れることが出来ず、階級、壬の隊士である女性剣士が派遣された。
だが、彼女と連絡が取れなくなった。隠の報告によると、鬼と接触したとき、ふっと鬼と隊士の姿が消えてしまったのだと言う。
煙に巻かれしまったかのように、ふっ、と。
鬼は、異能の鬼だったのだ。
賢しく、狡猾な鬼は、自らの異能を隠し続け、鬼殺隊の目を欺いた。
「この町で、間違いありませんね?」
「は、はい! 桜柱様!」
私は、その鬼の潜む町にやってきた。彼女が消えたその町は、私の担当地区の中にあったのだ。
隠に案内され、彼女と鬼が最後の戦った場所までたどり着く。
大きく争った形跡もなければ、血痕も見当たらない。
これは骨が折れるかもしれない。
私がそう感じている時だった。
「ちょ、駄目だって! もう柱が現着してるんだから、あの方に任せて」
「何言ってるの! モタモタしてたら橙子(とうこ)が、あの子が危ないじゃない! 私にもやらせて! 退いて!」
「癸じゃ話にならない! 大体これは貴女の任務じゃないから…」
なんだか隠達が騒がしい。普段往来で目立たないようにするはずの彼らが、こんなにも大声で騒ぐのは珍しい事だった。
気にかかり、声をかける。
「何事です、騒々しい」
「ひっ! 桜柱様! もうしわけございません! すぐに説得いたしますので、どうか、どうか命だけは…」
「あなた私をなんだと思っているのです。それより、何を騒いでいるのか、と聞いているんですよ、私は。報告を」
「は、はい! じ、実は消えた壬隊士と同門だと名乗る癸の隊士が押しかけてきておりまして‥」
「癸?」
最下級の剣士だ。命令もなく、なぜこんな所に。
「あ、こらっ!」
そう思った矢先、件の剣士が抑え込んでいた数名の隠を乗り越えて、私の前に躍り出た。
現れたのは、短髪で水色の髪の女性だった。隊服と日輪刀以外は携帯していないようだった。着の身着のまま、飛び出してきた、といった出で立ちだ。
彼女は私を見て柱だと気付いたのか、動転しながらも地面に膝をつき、頭を下げた。水色の髪が、風に揺れた。
「お、お初に、お目にかかります。さ、桜柱、仇散華様」
「そうですね。初めまして。何用ですか?」
「じ、実は、私と行方不明の隊士…橙子とは、同門でして‥」
「それが?」
「か、彼女を探して鬼を討つというなら、私も、私も連れて行っていただけませんか!?お願いします!!」
「帰りなさい」
私はそう言って彼女に背を向けた。
「な、なんで」
「貴女には貴女のすべきことがある。自分の任務を優先しなさい」
「でも」
「癸なんてこの任務においては邪魔です。お館様が何のために私を寄越したと思っているんですか? 柱でなければ、対処できないからです」
少なくとも、その方が確実だ、と考えているのだろう。
「わ、私だって剣士です!」
「でも私より弱い」
「っ、そ、そんなの関係ありません!私だって」
その言葉を聞いた瞬間、私は彼女の胸倉をつかみあげた。
反応できなかった癸の剣士は、ひゅ、と口から息をもらし、私の目の前に驚き顔を晒し私を凝視している。
「今、私の動きが見えましたか?」
「っ、あっ」
「こんなに簡単なんですよ? 貴女を殺すことなんて。わかりますか?私が鬼なら、貴女はとっくに死んでいた」
「・・・」
「失せなさい、癸。貴女のすべきことをするのです。貴女に狩れる鬼なんてここには」
さっさと追い返すべきだ。私の鬼狩りの邪魔になるし、連れて行っても無駄死にするだけだろう。そうすれば狩れる鬼の数が減る。
そう思って二の句を継ごうとした時だった。
「うっるさぁい!!」
その時私は思っていなかった。まさか目の前の下級隊士に、怒鳴り返されるとは。
「何よアンタ、黙って聞いてればえらっそうに! 私が行くって言ってんだから行くのよ!」
「お、お前! 柱になんて口をっ」
「うるさい黙れ、この根性なし共!なによ、みんなでビクビクしちゃってさ。私より年下の、まだこんなに胸もぺったんこな女の子に怯えて、へつらって。仲間を怖がってどうすんのよ! 私たちの敵は鬼! そうでしょ!」
「…随分余計な言葉が聞こえましたが。貴女がいても足手まといだと、そう言ってるんですよ」
「いいえ! 私が貴女の役に立つ方法をたった今思いついたわ。私が貴女より弱いのなんて百も承知よ! だったらこう言うわ!」
「私を使って! 桜柱様!」
それから数刻後、日が落ちるのを隠しと共に私は町の中にある藤の家で待っていた。
「あの…桜柱様。本当に良かったのですか?」
「…言っても引きませんでしたからね。あんな頑固な人は初めて見ました」
「しかし…」
「しつこいですよ。彼女の作戦は、まぁ確かに合理的です。これなら確かに、鬼を追跡しやすい」
「しかし、まさか囮を買って出るとは…」
彼女の考えた作戦はこうだ。
まず、癸の彼女は隊服から、藤の家で借り受けた着物に着替え、町娘の振りをする。
あえて一人で動き回り、飢えた鬼を釣り上げる。
慎重な鬼を誘い出すため、わざわざ血のにおいをしみこませた手ぬぐいまで懐に仕込んでいる。用意周到だ。
そして、そんな彼女が確認できるギリギリの上空を、彼女の鎹鴉が旋回する。彼女の姿が消えた瞬間、鎹鴉は私に連絡する手はずになっている。
無茶な作戦だ。
町娘に成りすます都合上、彼女は隊服も着られなければ、日輪刀も携帯できない。
鬼がその場で彼女を殺そうとすれば、あっという間に彼女は物言わぬ骸と化す。
作戦決行前、私は彼女に話しかけた。
『これが最終確認です、良いですか』
『端的に言うと、あなたは死ぬ可能性が高い。よしんば私が間に合ったとしても、重傷を負うかもしれません』
『そうですね』
幾分か落ち着いたのか、彼女は丁寧な言葉遣いに戻っていた。
『引き返すなら今の内です。止めたりはしません。正直な所、多少効率が上がるだけの話なのです』
『・・・・』
『やめたければさっさとやめなさい。本来なら、これは貴女の任務では』
『桜柱様って、不器用な方ですね』
『・・・は?』
唐突にそんなことを言われ、反応に困った。
『はぁー、なぁんだ。桜柱はものすごく怖い、なんて聞いてたから身構えてましたけど、なんてことないですね』
『…それは貴女が、私を知らないからです』
『そうかしら? 私には優しい人に見えましたよ』
『何を馬鹿な』
『だって必死になって私を死地から遠ざけようとしてくれたじゃないですか』
何を言っているのだろう、この人は。
私は、本当に邪魔に思っただけだ。
鬼を殺す時に、周りをうろちょろされては気が散るから、どこかに追いやってしまいたかっただけ。
ただ、それだけだ。
『でも、そうはいきませんよ。橙子は友達です。かならず助けます』
『…なぜ、そこまで』
その質問に、彼女はにこっ、と笑って答えた。
とても、美しい表情だった。
『だって何もしないでいたら、後悔するに決まってるじゃないですか』
「動キアリ! 動キアリ!囮ノ隊士ガ消エタ! 急行、急行ォ!」
鎹鴉が言い終わらない内に、私は藤の家の二階から飛び降り、駆け出した。
鴉に案内され現場に到着するも、誰も居ない。
報告通り、彼女はその場から姿を消していた。
(隠れる時間もそうないし、そう遠くには行っていないはず―――)
そこまで考えて、私は日輪刀に手をかけて居合の体制をとった。
居る。絶対に近くにいる。
鬼の気配と殺気を感じながら、チャキ、と紅色の刀身を鞘からのぞかせる。
わかる。
私にはわかるぞ、鬼。
他のどんな恐怖から逃れたとしても。
私はお前たちを逃さない。
知れ、そして詫びろ。
いままで奪ったその命。
この私の紅色の刀身が。
お前たちの所為で流れた無辜の血であると知れ。
「桜柱様、やって!!」
背後から、声がした。
体を捻りながら、後ろに飛ぶ。
血鬼術で自らと力ずくで抑え込む彼女の体の色を背景と同化させた鬼が驚愕に目を見開くのを見て。
私は、嗤った。
「そ こ に い た か」
桜の呼吸 参ノ型。
『死垂桜(しだれざくら)』
両断された鬼の頸が、悲鳴と共に宙に舞った。
断面から、雨のように、鬼の血が降り注いだ。
結論からいうと、彼女の友人は、正直な所驚いたが無事だった。
周到な鬼で、奴は自らのねぐらに殺した人間を食料として『備蓄』していたらしい。反吐が出るような話だ。
橙子もあわや足を折られる寸前だったようだが、鬼は誘拐した相手が鬼殺の隊士であったことを知り、自分が目を付けられていることに気が付いた。
そこで彼女を殺す前に、情報を得ようとしていたらしい。加減しても死んでしまう事を恐れて、手を出せなかったようだ。
下種な鬼だが、肉を喰い続けて強くなっていけば狡猾で厄介な相手になったかもしれない。
「本当に、ありがとうございました」
別れ際、彼女は私に声をかけてきた。
本当に、嬉しそうに微笑んでいた。
そういえば、と思う。
結果的に彼女の作戦が上手くいったから良いようなものの。
彼女は柱である私に随分なことを言っていたような。
まだ胸がどうこう、とか。
すこし、意地悪を言いたくなった。
「…そう言えば、貴女は柱である私に随分と暴言を吐いてくれましたね」
「うっ!」
「我々鬼殺隊にとって、階級は重い意味を持ちます。それは理解していますか?」
「は、はい…」
今になって自分のしでかしたことに気が付いたのか、彼女の顔から血の気が引いてきた。
「…あなたには然るべき罰を与えます」
「…はい」
顔を伏せる年上の彼女に。
経験豊富であろう彼女に、私は罰を言い渡した。
「…こ」
「…こ?」
なんだか顔が熱い。
非情にならなくては。これは彼女への罰なんだから。
「…こいぶ」
「…こいぶ?」
「こいぶ、みの、恋文の書き方を、わ、私に、教えて…ください…」
最後の方は言葉がだんだんと尻すぼみになって行った。
当の彼女は、というと、ぽかん、とした顔をしていたが。
やがてクスリ、とほほ笑んだ。
「そういえばきちんとお名前をお伺いしていませんでしたね、桜柱様」
「…桜花。仇散華 桜花といいます」
それを聞いた彼女は、姿勢をただし、私に向かって笑い掛けながら言った。
「そうですか。私は鬼殺隊、階級『癸』! 『氷柱 霙(つらら みぞれ)』と申します!
此度は大変無礼仕りました! 桜柱様よりの罰、その恋が実るまで、甘んじて受け入れさせていただきます!」
「カァー、カァー! 手紙ィ、手紙ィ!」
後日、鎹鴉より、ある柱の元に手紙が送られた。
その手紙の送り主の名を見た、白髪で人懐っこい表情の青年は、頬を真っ赤に染め上げたと言う。
大正コソコソ噂話(偽)
氷柱 霙。
後の業屋敷警備となる隊士ですが、恋愛戦績に関しては過去のこの段階で敗戦回数が四十を超えていました。
理想が高すぎることと、いけると判断するとぐいぐい距離を詰め過ぎる性分が当時の男性の趣味と合わなかったからです。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
『桜は蝶の夢を見る 肆』
毎日歩き出すことが、難しいのだ。
「いいですか、桜花様。男性と言うのは腹が立つほど女性の変化には疎いものなのです」
消える鬼の討伐任務から、数週間後。
私、仇散華 桜花の屋敷には壬隊士の氷柱 霙がやって来ていた。
あの一件で手紙の書き方を教えてもらって以来、彼女はちょくちょく屋敷にやってくるようになった。数週間で出世した彼女は意気揚々とそれを私に報告しにやってきた。
どうやらひどく懐かれてしまったようだった。
そもそも、どうやって私の屋敷の場所を知ったのか、と聞くと、事の顛末を私の手紙で知ったカナエが鴉で彼女に手紙を出して屋敷の位置を教えてしまったらしい。
後に、『お館様には内緒』から始まる手紙が私の所に届いた。
『年上のお姉さんが力になってくれるって言ってくれるなんて、すごく幸運じゃない!
兎を落とす方法を教えてもらえるかもしれないわよ! もし、いい方法が見つかったら私にも教えてね』
そんな内容が書かれていて、私は随分とむず痒い気持ちになった。
どうして彼女は、自分が好いている男を好く女に対して、こんな風に助言を送ることが出来るのだろう。
最初は帰れ、と声をかけた。手紙の書き方ならもう教えてもらったし、罰はとうに済んでいるのだと。
「しかし、私はこう言いましたよね。『その恋が実るまで』罰を受け入れると」
「屁理屈です」
「そうですか? 私、これでも恋愛の達人なんですよ? きっともうすぐ結婚相手が見つかる予定なのです」
「じゃあ見つかってないんですね」
「前向きに生きさせてよ!? アンタと違ってね、私には時間ないのよ!適齢期ってことば、知ってる!?」
「頼りになりません、帰りなさい」
「…あんな手紙しか書けなかった人が、よくいえますね」
びしり、と私の身体が固まった。
この女、痛いところを。
「最初は目を疑いましたよ。まずは男性に伝えたいことを書いてください、自分の事でも結構ですよ。私そう言いましたよね」
「・・・」
「で、なんですか。あなたは自分の鬼の討伐数を書いたんでしたっけ? しかもどんなふうに首を刎ねた、とか、どんな被害状況だった、とか。あれは恋文ではありません。『報告書』です」
「だ、だからちゃんとあなたに指導を」
「三日かかりましたけどね」
彼女はこんな風に、物事をばっさり切る。非常にさばさばした性格の人だ。
「…まぁ、とりあえず上がってください」
これ以上傷口を抉られてはたまらないと、私は彼女を屋敷に招き入れた。
そして冒頭の話に戻る。
彼女は屋敷でお茶を飲むなり、唐突にそんなことを言い出した。
「はぁ…」
「些細な変化を気に留めてくれる男と言うのは少数派です。さらにその少数派の中の大半が『褒めれば怒られないから、好感度が上がるから』という、まぁ一種の下心をもって言葉を繋いでいることも多々あります」
「相手がそういう下心をもった人間なのかどうか、それを見極めるのも大切なことなのです。もちろん、桜花様ご自身の好みもあるのでしょうが」
「霙さん、あなた何か嫌な思い出でもあるんですか?」
「開けちゃいけない記憶もあります」
段々と目が据わっていく彼女は、そう返した。
据わったままの目で、霙さんは続けた。
「何が言いたいかと言うとですね、桜花様。変化を褒めてくれる男性は確かに素敵ですが、現実そこに期待をし過ぎると何も始まらないまま終わってしまう事だってあると言う事です。攻めです。とにかく、攻めるのです」
しゅっ、しゅっと空を殴る動作をしながら彼女は言う。
「変化を付けるなら大胆に。好意を伝えるならはっきりと。これが必勝法です。私はこの戦法を駆使し、今迄様々な戦いを潜り抜けてまいりました」
いまいち説得力がないのは、どうしてだろうか。
しかし、私はこういった話には疎く、霙さんにくらべれば経験も浅い。実際、手紙も彼女の適格な助言がなければ惨憺たる有様だった。
一見なんの説得力もなくとも、彼女の言を信じるべきなのだろうか。
「そして、それを実践するための第一歩としましてですね」
彼女の据わった目が、きらり、と輝いた。
「桜花様、その男性にもう一度手紙を出してください。『二人きりで会いたい』と」
私の手から湯呑が落ちた。
「えへへ、えへへへへへへ」
それから数日後、蝶屋敷にて。
顔から全ての表情筋が抜け落ちて、ぐでー、っと机に顔を乗せる男がいた。
久々登場、十二支 兎である。
十二種もの呼吸法から成り立つ異能の呼吸法、『十二の呼吸』を使いこなす最強の柱、『業柱』。この日は、入院中で任務の補佐に当たった隊士の見舞いに来ていたのだが、途中で鎹鴉から何らかの手紙を受け取ってから、顔中の筋肉がどこかに飛んで行ってしまったようだった。
さらにはさっきから幸福感に満ちた笑い声―――本人はそう思っている―――を発し続けるので蝶屋敷の誰もが、気味が悪いと彼を遠巻きに眺めるのみ。
しかし、あまりにも不審な状態に耐えきれなくなったのか。
ついに一人の少女が彼の隣にすわって口火を切った。
「えーっと…。兎兄さん?」
恐る恐る、といった様子で少女、『胡蝶しのぶ』が声をかける。
「んー? なぁにー、しのぶちゃーん、うふふ」
「兎兄さん、その、何かあったんですか?なんというか、顔がだらしないというか、顔が溶けてますけど…」
「えー、そっかなー?全然いつも通りだよー、ねぇってばー」
絶対何かあった。
胡蝶しのぶは確信した。さっき鎹鴉から受け取ったと言う手紙。あれが原因で自らの尊敬する男はこんなにも面白くなってしまったのだと。
本来なら、彼がおかしくなってしまった時に支えるのは自らの姉たるカナエの役目だ。
しかし、姉は今日柱としての任務で席を外している。
ここはしっかり、自らが姉の代わりにならなくては。
「兎兄さん、さっき手紙貰ってましたよね。あれ、見せてもらってもいいですか?」
「んー、手紙ぃ? うふふふ。そうだ、しのぶちゃんも相談に乗ってよー」
そう言って兎はごそごそと懐をまさぐり手紙を取り出した。しのぶはそれを受けとり、恐る恐る目を通す。
『十二支 兎様へ』
『暑い日が続いておりますが、いかがお過ごしでしょうか。私、仇散華 桜花は今、柱の任務を一通り終わらせて、藤の家で小休止を取っております。すこし、気持ちが緩んでいるのかも。気の緩みは桜柱の名を預かる者として褒められたことではありませんが、貴方の前だと、私は唯の仇散華 桜花になってしまいます。
思えば何時もそうでした。
貴方は私を『桜柱』としてではなく、『桜花』として見てくれましたね。
私は今更ながら、貴方にきちんと『お礼』をしていなかった事に気が付きました。
勝手な女とお思いかもしれませんが、私はもう、この気持ちを抑えることが出来そうにありません。
一月後、どこかで会えませんか?
貴方と二人で『お話』したいです』
『仇散華 桜花より』
『追伸:来られるときは必ずおひとりでお願いします』
しのぶは思わず手紙を取り落した。
兎はとろけきって半分液体のような表情だが、喜色満面なのが伝わって来る。
「えへへ、嬉しいなぁ。桜花さんが会いたいだって。しのぶちゃん、なにかお土産持って行った方がいいよねぇ?」
呑気にそんなことを言う兄替わりだが、しかししのぶはこの手紙の真意に気が付いてしまった。
この丁寧なようでいて、所々弱さを匂わせる文面。
文章の内容。
そして追伸の『一人で来て欲しい』という文章。
これはとどのつまり。
(は、果たし状っ!?)
間違いない。
『桜柱』は女でありながら、柱の中でももっとも容赦がない事で有名だ。それは鬼だけでなく、人間に対しても同様だと。
彼女に迂闊に近づけば、鬼諸共斬り殺される、などという噂まである。
姉のカナエだけは例外で彼女と仲良く出来ているようだったが、その後兎も仲良くなっていったのには、正直驚いていた。
だが何のことはない。
仇散華 桜花は兎のその態度が気に入らなかったのだ。
一向に自分を柱の先達として尊敬しなかったことに、徐々に徐々に不満を募らせていったのだろう。
そして、遂にそれが爆発した。
彼女は誰にも邪魔されず、十二支 兎を始末する気だ。
もちろん、隊員同士、しかも柱同士の殺し合いなどご法度もご法度。
どちらが勝っても誰も幸せにならない。
「さってとー、オレとしては何時でもいんだけどなぁー。うふふ、早く返事しないと」
「だ、駄目よ! 兎兄さん! 行っちゃだめ!」
「へ?」
大慌てで止めようとするしのぶに、兎はぽかんと口を開ける。
「へ? だめなの? ねぇってば。なんで?」
「な、なんでって、それは」
兎は桜花の事になると途端に馬鹿になる。
しのぶは兎の気持ちが桜花に向いているのは知っている。その所為で、カナエが辛い思いをかみ殺しているのを。
けれども、桜花が彼をどう思っているかはわからない。わからないが、この手紙を見る限り、好感を持っていないのは明らかだった。
でも、行くなと言うのか?
想い人から手紙が来て、こんなにも有頂天な兎に?
十二支 兎は胡蝶しのぶにとって特別な人だ。
そこに男女の想いは無いけれど、それでも姉を同期としてずっと支えてくれて、悪夢にうなされる自分の手を取ってくれた彼はもう、しのぶにとって兄のようなものだった。
そのうち彼には『冨岡 義勇』という無口な弟分ができてしまい、なんだか横取りされたようでしのぶは随分とやきもきしたものだ。しかも冨岡は自分よりも先に柱になって姉たちと肩を並べている。
そのくせ冨岡は全く嬉しそうにしないものだから、ついついしのぶも突っかかってしまう。困ったように二人を諌める兎は、まさしく兄のようで…。
その兄が、このままでは仲間の凶刃に倒れてしまうかもしれない。
でも行くななんて行ったら、この手紙の真相を知れば、兎はきっと傷つく。
それにいくら傷つけたくないからとはいえ、姉の思い人を別の女性のところに行かせるなんて…。
ああ…ああ!
駄目だ、決断できない。決断…。
ぷるぷると震えるしのぶに兎は「なんで? ねぇってば、なんで?」と問い掛けつづけた。
手紙を出してから、一月後。
私、仇散華 桜花は町にかかる大きな橋の上で、十二支 兎を待っていた。
今日はあでやかな桃色の着物に加え、さらに霙監修のもと、『男性受けする化粧』を顔にうすく施された。
こういったことを今までほとんどしたことが無かったので、私は酷く落ち着かない気持ちになった。先ほどから、ちらちらと見られているような気もする。不自然なのだろうか。
ちらり、と左に視線をを向けると、そこには川沿いに生えた松の木の影に隠れる霙の姿があった。付いてこなくていい、といったのに。
『あくまで護衛としてですから』
そういった彼女の顔は、完全に野次馬根性に憑りつかれていた。
霙が松の木からちらり、と意味ありげな視線を送ってくる。
そろそろ『確認』の時間と言う事か。
はぁ、と溜息をついて懐から手鏡を取り出した。定期的に化粧が崩れていないか確認するように言われている。
(そろそろ、約束の刻限ですね‥)
鏡をしまいながら、そう思った時だった。
「お、桜花さぁーん!!」
大声が聞こえ、走ってくる人影。白い髪に、白色の羽織。そしてあの赤色の瞳。間違いない。十二支 兎だ。間違えようはずもない。
しかし、声を聴くだけで鼓動が早まってしまうとは。自覚するだけで、こうも違うものなのだろうか。
十二支 兎は、息をきらしながら私の前まで駆け寄ってくる。
「…業柱。なにもそんなに急ぐことはないでしょう?」
しまった、すこしそっけない言い方になってしまった。
「えっと、ごめんね。桜花さんの姿が見えたから、早く会いたくてさ」
気が急いちゃった。そう語る彼の困ったような笑顔に、心臓を鷲掴みにされる。
「ま、まったく。子供じゃないんですから‥。それで、今日あなただけをお呼びしたのはですね‥」
二人きり、ということをまずは意識させる。これも霙の助言だった。
そうすれば相手は少なからず異性を意識しやすくなるとも。
「えーっと、その‥桜花さん。その事なんだけど実は…」
「あっ! もう、いきなり走らないでって言ったでしょう!?」
十二支 兎の後ろから声がした。
その声の主に目を向けると、向こうから橋を渡って来る一人の少女。
眉間にしわを寄せ、怒ったような顔をしているが、女の私から見てもかなりの美人だ。
薄紫の髪色に、蝶の髪飾は、恋敵で友人である彼女を彷彿とさせた。
彼女は「ごめんごめん」と謝る十二支 兎の隣で立ち止まる。
距離が近い。
少女はきっ、と私を見て言った。
「申しおくれました! 私は『胡蝶 しのぶ』!こちらの十二支 兎様の『護衛』として、『護衛』として!! 本日同行させていただきます!」
「よろしくお願いします!」 という彼女の言葉を聞いて、私の思考は固まってしまったのだった。
これが、私、仇散華 桜花と胡蝶しのぶ。
初めての出会いだった。
大正コソコソ噂話(偽)
最初にかかれた桜花から兎への手紙(霙さん検閲前)。
『業柱へ。お疲れ様です。
今日は鬼を五体討伐しました。
首が簡単に斬れたこともあり、人的被害は最小に留まっています。
なお、現在上弦に関する情報は無し。
以上』
「これを恋文として出すつもりだったんですか、桜花様」
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
『桜は蝶の夢を見る 伍』
オレの、悪い癖だよね。
そういって彼は昔を思い出しながら笑った。
私、仇散華 桜花は、めったにない事だが、困惑していた。
ふたりきりで想い人たる十二支 兎に会おうとしたら、何をどう間違ったのか、恋敵であり友人の胡蝶カナエの妹、胡蝶しのぶが十二支 兎について現れたのだ。
フンス、とやけに気合の入った顔で私を睨みつけている。
「…業柱、これはどういう」
「え、いや違うんだ桜花さん。実は」
「私が自ら志願しました!」
十二支 兎の声を遮って、胡蝶しのぶが声を張り上げた。
「最近は物騒ですからね。いつ何時なにが起こるかわかりませんので!私が志願して付いてきたのです!」
カナエの妹が鬼殺隊の隊士であることは知っていた。
往来であることを考え、言葉を選んでいるようだが。
「業柱、私は二人で会いたいとお願いしたのですが」
「ちなみに!」
かぶせるように、またもしのぶが声をあげた。
懐から手紙を取出し、私の前に付きつける。
「お館様からのお許しもいただいております!」
「えっ!?」
「なっ」
驚きの声をあげる私と十二支 兎。どうやら彼もそこまでは知らなかったようだ。
手紙をみれば、確かにお館様の名で今回の護衛の許可が降りている。
もはや、断れる理由は無くなってしまった。
「し、しのぶちゃん。桜花さんだって事情があってオレを呼んだんだろうからさ」
「必要なお話がおありでしたら、私の前でお願いします」
「いや、でもさぁ」
十二支 兎が説得に当たっているが、全く引く様子がない。恐らく道中も同じように説得を試みていたのだろう。
なら、これ以上言っても無駄か。
「…いいですよ。貴女もいっしょに行きましょうか」
「えっ」
「えっ」
何故二人とも驚いているのだろうか。
「? 何か問題でも?」
「え、だってオレと二人きりがいいって」
「こうなってしまっては、もう無理でしょう」
「な、なにか特別な話がオレにあるんじゃ」
「…ありましたけれど、まぁ急ぎではありませんし」
なんだろうか。あからさまにがっかりして。
そんな表情をしないでほしい。
貴方も同じ気持ちなのかなどという都合のいい妄想をしてしまう。
「さぁ、あっちに茶屋があったはずです。話はそこでしましょう」
私は二人の前に立って歩き出す。顔に落胆の色が出ていないか、こっそり鏡で確認しながら。
胡蝶 しのぶは驚いていた。
彼女、仇散華 桜花は意外なほどあっさりと護衛を承諾した。
兎を暗殺するつもりなら、自分は邪魔でしかない筈なのに。
(私なんて歯牙にもかけていない。そう言う事かしら)
だとしたら悔しいことこの上ない。確かに柱と並の隊士の間には絶対的な壁が存在する。仮にしのぶが10人束になって桜柱に勝負を挑んだとしても、一本も入れられずに蹴散らされるだろう。そのぐらいの差がある。
実力差は解っている。だがそれでも、ここで引き下がるわけにはいかなかった。
兎の為に、カナエの為に。
(大丈夫よ、しのぶ。昔とは違うわ。もう二度と、家族を失ったりなんかしない)
決意を新たに、しのぶは拳を握りしめた。
氷柱 霙は驚いていた。というか、引いていた。
(なにあの男、なにあの男!? 女との逢引に別の女連れて来たわ!)
しかも桜花と比べて随分と幼いように見える。もしや『そっち』の趣味が…。
(いやでもまさか。桜花様が不器用ながらあんなに真っ直ぐ恋する殿方がそんな不埒な糞野郎な訳…)
あり得る、と霙は冷や汗をかきながら松の木の影から桜花を見守る。
『恋文』と言う名の『報告書』を書く女、仇散華 桜花。
自分と違って恋愛経験値ゼロの彼女が、悪い男に引っ掛かってしまっているのだとしたら――。
甘い言葉でまどわされほいほいとついて行けば金の無心をされ。
男の苦悩した顔にほだされて「大丈夫、私がなんとかしてあげる」などと安請け合いし。
用意したお金を持ち男は逃亡して。
その後全く身に覚えのない借金の督促が我が家に届き。
とぼとぼ町を歩けば男が別の女と手を組んで歩き私のお金で豪遊していて。
そしてそしてそしてそして。
「ウワーーーっ!!」
開きかけた過去につながる地獄の門を閉じようと、霙は絶叫しながら松の木に連続で頭突きをかまし始める。
通りかかった通行人が、「ぎょっ」として距離を取り、母親に手を引かれた少女が「母上、あのお姉さんなんで松の木とお相撲してるの?」と母親に問い掛け「ああはなっちゃだめよ?」なんて言われて大人になっていく。
しかし、霙はそんなこと気にしない。気にしている場合ではない。
「あ、甘かった…」
額にこぶを作りながら、霙はおのれの浅はかさを悔いた。
そうだ、男など碌な生き物ではない。妹にも口をすっぱくして言ってきたではないか。
桜花にも同じことを言ってあげるべきだった。
彼女はまだ何も知らないのだ。
男性に恋い焦がれた時の炎のような胸の熱さも、それが裏切られた時の、氷のような絶望も。
「桜花様…。待っててください。私があの愚図男の化けの皮をはがしてやりますからね!」
完全にずれた決意を抱き、橋の上のしのぶ同様、霙も拳を握りしめた。
私の案内で町の茶屋に入った十二支 兎と少女、胡蝶しのぶ。
茶屋に座り、みたらし団子と吹雪饅頭を注文する。みたらし団子はカナエと彼、三人で茶屋に行くとき、いつも十二支 兎が注文していたのを覚えていたので、好物なのだろうと気を利かせて注文しておいた。
ちらりと、彼を伺えば嬉しそうな顔で団子が来るのを待っているので、判断は間違っていなかったようだと確信できた。ほっ、と息をつき、それから彼女に目を向ける。
「あなたは? 何か食べますか?」
するとしのぶは驚いたように目を見開き、それから、「いえ」と短く返事をした。
「護衛任務中ですので、お二人でどうぞ」
「しのぶちゃん、遠慮しなくてもいいよ? ほら、金平糖もあるってさ」
「う、兎兄さん! 私子供じゃないのよ!?」
彼女の言葉に、兄さん? と不思議に思う。
「業柱。貴方以前家族は居ないと言っていませんでしたか?彼女はカナエの妹でしょう?」
「え?あーそれはうん。そうなんだけどさ、義理の兄みたいなもので」
義理の兄‥。
義理の兄。
カナエの妹が、十二支 兎の義理の妹。
「お、桜花さん! どうしたの!? なんかお茶を持つ手が凄く振動してるけど! 器割れそうだけど、ねぇってば!?」
爆弾情報に動揺する私に、慌てたように十二支 兎が声をかけた。
心臓に悪い情報だった。
てっきり私が一人で舞い上がっていただけで、二人はとっくに夫婦の関係なのかとまで思ってしまった。
どうやら同期隊士であるカナエと兎は常に共に戦ってきた相棒のようなものらしく、そこから転じて兎は彼女の妹とも親しくなったのだと言う。
油断はできないが、完全敗北したわけではなさそうで安心した。油断はできないが。
「そ、それで桜花さん。話って何?」
運ばれてきたみたらし団子を口にしながら兎が発した何気ない一言に体がはねた。
必死に霙さんから叩き込まれた台本を頭の中で読み返す。
「え、ええ。手紙に書きましたが、実はあなたに」
お礼がしたくて――そう言って懐に手を入れた時だった。
「危ないっ!」
「へっ? おわあっ!?」
とつぜん、しのぶが兎の身体に覆いかぶさるようにとびかかった。
あまりの急展開に反応が遅れたのか、力が上のはずの兎が押し倒されたような形になる。
どんがらがっちゃん、と茶屋の椅子がひっくり返り、店主が悲鳴をあげた。
私に人生に於いて貴重なことだが、唖然としてしまった。
そんな心境、知ってか知らずか。
胡蝶 しのぶは兎を体で隠しつつ、私に向かって叫んだ。
「ようやく尻尾を出したわね!この悪女! 兄さんに近づかないで!」
「・・・・はい?」
状況がまったく飲み込めず、しばし呆然としていると。
「あっ―――――!?」
今度は背後から聞きなれた声がした。
振り返ると、そこには荒い息をしながら水色の髪を揺らす女性―――氷柱 霙が立っていた。
私がなにか声をかける前に、彼女は十二支 兎を指さしながら叫んだ。
「やっぱりボロを出したわね! この女の敵! 桜花様から離れなさい!」
「・・・え?」
今度は十二支 兎が呆然とする番だった。
向こうでやれ! という茶屋の店主の悲鳴を無視し、胡蝶しのぶが立ち上がる。
視線は私とさらに、後ろにいる霙さんに向けられている。
「な、兎兄さんのどこが女の敵なのよ! すごく優しくて仲間思いで、私の自慢の兄さんよ!たしかに優柔不断で姉さんをいっつも困らせてるときには『ああ、駄目だな。この人駄目だなぁ』って思うときもあるけど!」
「し、しのぶちゃん? いま庇ってくれてんの? 攻撃してんの? ねぇってば」
困惑、というか普通に傷ついている兎としのぶに向かって、今度は霙さんが言い返す。
「そっちこそ、桜花様のどこが悪女よ! たしかに女子力ゼロのかわいそうなお人だけど、磨けば必ず光るお人だわ! そんな純真無垢な人を騙して、あまつさえ他の女と抱き合うなんて! 私の壱拾(10)番目、弐拾参(23)番目の恋人とやり口が同じだわ!」
「霙さん、今何と? 男女交際に於いて中々でない桁の数字が聞こえた気がしたのですが」
やはり助言を受ける相手を間違っていたかもしれない。
二人の言い合いは当人たちと泣きわめく店主を置き去りにして加熱していく。
「そいつは兎兄さんを懐の暗器で殺そうとしたのよ! 守ろうとして何が悪いの!」
「桜花様がそんなことする訳ないでしょ! そもそもそんな愚図殺す価値もないわ!桜花様にやらせるくらいなら私がやってやる!」
「やっぱりあなたも仲間なのね、この人でなし!」
「白昼堂々その歳でそんな男と不埒なことしようとする人に言われたくないわ! こんなちんちくりんに一体どんな需要があるのやら!」
「ちっ‥!? 言ったわね!!」
「言ったわよ!!」
「なにを、この年増!」
「やるの、この餓鬼!」
「向こうでやれ!!」
終いには町を通る人々も私たちを見ながらひそひそと囁き始めた。
「なにかしら、喧嘩?」
「なんか男の取り合いみたいだぞ?」
「そうなのか、そんなに色男って感じでもないけど」
「でも女の方は三人とも美人だぞ。あの水色の人なんかこう…違うが」
「でも顔は良いな、三人とも」
「とりあえず白髪は死ね!」
「そうだ、一人だけいい思いしやがって、ゆるせねえ!」
随分ないわれよう。
終いには男衆たちが菓子の器や椀を兎に向かって投げつけ始めた。店主が泣き崩れた。
「いやいやいやいや!なにこれどういうこと!? オレか?オレが悪いの!? ねぇってばぁぁ!!」
うわぁあ、とさけびながらも飛んでくるものをすべて掴み取ったり避けたりしてかすり傷一つおっていないのは、さすがに最強の業柱といったところか。もちろん、投げつけている彼らをも本気で当てるつもりはないのだろうが。
ともかく、はやく誤解を解かなくては。
しのぶが言っていた、暗器とはなんのことだろうか。
懐をまさぐると、指先に手鏡が触れた。まさか、これを暗器と勘違いしたのだろうか。
確かに日光があたれば光るし、小型の刃物と見間違う可能性もあるにはあるけれど。
今だ言い争う二人に近づこうとした時だった。
「この紫頭…っ!? 桜花様、危ない!!」
霙さんの叫び声が聞こえた。 反射的に振り返ると、目の前に湯呑が飛んできていた。兎を狙ったものが、方向を誤って飛んできたものらしい。投げたらしき男も、慌てた様子で私の方を見ている。
湯呑は目前まで迫ってきてはいたが、私も柱。こんなものは簡単に避けられる、そう思った。
「えっ?」
目の前に、彼が割って入るまでは。
がんっ、と音がして、飛んできた湯呑が
間に入って私を庇うように抱きかかえた十二支 兎の頭にぶつかった。
ころころと湯呑が転がり、あたりが静寂に包まれる。
あれだけ騒いでいた野次も、店主も、霙さんもしのぶも何も言わない。
私は抱きしめられながら困惑していた。
なぜ、どうして。
簡単に避けられた。
貴方だって避けられたはずだ。
なのに、どうしてわざわざ。
ぎゅ、と抱きしめる力が強くなった。
「桜花さん」
見上げると、十二支 兎は心配そうな顔で私を見つめる。
綺麗な、紅い瞳と目があった。
「大丈夫? 怪我、してない?」
「だ、だいじょうぶ、です…」
私はそんな言葉をしぼりだすので精いっぱいだった。
十二支 兎は「そっか」と言って笑うと、私を離した。
心臓が、ばくばくとけたたましく音を鳴らす。
湯呑を拾い、店主の前に置き、彼は頭を下げた。
「お騒がせいたしました。壊したものや商品のお金は、オレがかならず立て替えます」
やや呆然とする店主は「あ、ああ」と声を絞り出した。
次に、兎はしのぶに向かって声をかけた。
「しのぶちゃん、君もいっしょに、皆に謝るんだ。とくに桜花さんに」
「で、でも兎兄さん」
「桜花さんはオレを傷付けたりしないよ。間違いない」
その言葉を受けて、彼女はなおもやや迷ったが、私の前まで来て、しっかりと頭を下げたのだった。
それを見て霙さんも、大人げなかったと思ったのか、店主と私に頭を下げた。
その後、壊したものや散らかしたものは、しのぶや霙さん、それに勢い余って物をなげていた町衆たちで片づけることになり、私は今十二支 兎と一緒に町の出口に向かって歩いている。街を出たところで、隠が迎えに来てくれる手はずになっているのだが
「たくさん迷惑かけたし、オレが送って行くよ」
と兎が言い出して今に至る。誰も、彼を止めようとはしなかった。
(でも、やっと二人きり)
私は柄にもなくそう思った。
隣を歩く彼は、どこか消沈した様子だった。
聞いてもいいですか?
二人きりで歩く道が、帰り道だと言う事を寂しく感じているのは私だけですか、って。
そうこうしていると町の出口についた。
もう少し待てば、隠が迎えに来るだろう。
「…じゃあ桜花さん。オレはしのぶちゃん達の所に戻るよ。片づけも手伝わないとね」
「…わかりました。あの、業柱。今日は、その」
「桜花さん」
私が言いかけた言葉を、彼が遮った。
みると、すこし悪戯っぽく笑う彼が居た。
「こんどこそ、二人きりでお話ししようか」
「っ、は、はい。き、機会があれば、ぜひゅ」
・・・・。
思い切り噛んだ。
恥ずかしい、穴があったら入りたい。
兎をみれば顔を背けている。その顔は赤く染まり、口元は僅かに笑っていた。
自分の顔に、かぁっ、と熱が昇るのがわかった。
「わ、笑ってますか!?」
「わ、笑ってないよ!」
慌てたように彼は取り繕った。
「じゃあ、もう行くね」
「は、はい。また、今度」
そういって兎は背を向けた。
すこしだけ歩いて、「あ、そういえば」と呟いた。
「ねぇ、桜花さん」
「な、なんですか」
「今日のお化粧、とってもか、可愛いよ。素敵だ」
それだけ言って、そ、それじゃあ! と慌てて背を向けて去ろうとする兎。
気が付けば私は彼に走り寄って後ろから抱きしめていた。
「お、おうかしゃんっ!?」
おおきな背中から声がする。
貴方だって噛んでるじゃないですか、なんてからかう余裕はなかった。
必死に、言葉を絞り出す。
「あ、あなたも、今日は、か、か、かっこよかったで、す…」
「あ、ありがとう。・・・・・『兎さん』」
この日、私は彼を初めて名前で呼んだ。
この後どうやって屋敷まで帰ったのかは、まったく覚えていなかった。
大正コソコソ噂話(偽)
冨岡 義勇
「…胡蝶」
胡蝶 しのぶ
「おや、なんでしょう冨岡さん。あなたから声をかけてくださるなんて、めずらしいですねぇ」
冨岡 義勇
「…桜花、さんに悪女と言ったことがあると言うのは本当か」
胡蝶 しのぶ
「…あらあら。誰から聞いたのですか、そんな与太話」
冨岡 義勇
「(自分にはそんな勇気はないけれど)どうしてそんなことを言った?
(怖い相手にもしっかり自分の気持ちを表現できるようになりたいからよければ)教えてくれ」
胡蝶 しのぶ
「おやおや、あなた、どうしてそんなことを知りたいのでしょうか?」
冨岡 義勇
「(昔のお前のように)笑いたいからだ」
その日、冨岡 義勇は帰らなかった。
後日、蝶屋敷の一室でひたすら「オレは嫌われてない」と繰り返す彼の姿が発見されたと言う。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
『桜は蝶の夢を見る 陸』
止められなかった。
誰にも聞かれたくなかったし、君に聞いて欲しかった。
あの日以来、私は任務の時以外はカナエや兎さんと共に過ごすようになった。
今まで、鬼を狩らず休息をとろうなどとは考えたことも無かったが、今はむしろ、生きてその時間を迎えたいと願うようにもなった。
怪我をしたわけでもないけれど蝶屋敷に足を運び、任務の合間には二人と手紙のやり取りをした。
たわいもない話で笑い、任務を共にして。
いつの間にか私は、鬼狩りから人間になっていた。
共に天の川をみた。
秋には紅葉を眺めて、冬には共に子供たちの作った雪うさぎを眺めた。
春になっても、私は彼女と笑い、彼の背中を目で追った。
だから私は、私たちは忘れていたのかもしれない。
幸せが壊れるときには、涙と血の味がする。
ある夜の事だった。
私と兎さんは、蝶屋敷で一晩泊めてもらっていた。
しのぶちゃんと、霙さんも一緒に食事を囲んで大騒ぎ。
とくにしのぶちゃんと霙さんは例の茶屋横転事件から何か月もたつと言うのにいまだに言い争いをする。
しのぶちゃんが兎さんを褒めると、負けじとばかりに霙さんが私を褒める。互いに熱が上がって、
終いには大乱闘に発展したりもする。
カナエはそれを見て、心底楽しそうに笑っていた。
そして、皆が寝静まった夜。私は与えられた寝台から、ゆっくりと起き上がった。
「…眠れない」
月の光が眩しいからだろうか。なんだか私は眼が冴えて眠れなかった。
「…台所で、お水をいただきましょうか」
誰に聞こえるわけでもないのに、口に出して私は借り受けた部屋を出た。
部屋を出てしばらく歩くと蝶屋敷の縁側にたどり着いた。
台所に行くには、私の部屋からはここを通るしかない。
歩きながら、自分の想いに気が付いた夜の事を想いだす。
自分と同じように真っ赤になりながら、自分と同じ思いを語った彼女の事を。
「カナエ‥」
「呼んだ?」
「ひゃあ!?」
突然耳元で声をかけられ、私は普段出さないような声を出して飛び上がった。
うふふ、と笑うカナエを私は恨みがましく睨みつける。
「…声をかけるなら、合図くらいしてくれませんか?」
「ごめんごめん、つい、ね」
悪戯っぽく笑う彼女の笑顔に、毒気を抜かれてしまう。
「でも、桜花は変わったわねぇ。昔なら反応もしてくれなかったのに」
カナエはそう言って嬉しそうに笑った。
「覚えてる? 貴女が柱になった時、私になんて言ったか」
「‥‥えっと」
「ふふ、自己紹介したのに、なぁんにも返事してくれなかったのよ?」
そうだっただろうか。
いや、そうだったのだろう。あの時私は、1つの事しか考えていなかった。
鬼なら殺す。鬼を殺す。
それだけだ。琳が死んでからの私の人生の理由は、それだけだった。
「…ねぇ桜花、今、ちょっとだけ時間貰えるかしら?」
そう言って彼女は縁側に腰掛けた。
誘われるままに、私も隣に座った。
「月が綺麗ね」
輝く満月を見上げながら、カナエが呟いた。私は何も言わず、月を見る。
私たちの心を見透かすように、月光は輝いていた。
「ね、桜花。最近兎、また可愛くなったと思わない?」
「あの人が可愛いのは変わってませんよ。カッコよくなろうとはしてますけど、なんと言いますか、子犬が頑張って吠えてる感がありますからね」
「ああ、わかるわぁ。子犬だわ、兎だけど」
「力は猟犬並ですが」
「そうねぇ」
十二支 兎は『最強』である。
どんな鬼が現れても、どんな困難が目の前に立ちはだかったとしても。
怯えながら、叫びながら。
それでも、最後に必ず勝つ。
そういう人だ。
きっと周りはそう思うのだろう。
「まぁ、そんなこと、関係ないんでしょうけどね」
「そうよね。強いとか弱いとか、そんなの全然関係ないわよね」
そうだ、関係ない。
強かろうが弱かろうが、そんなのは関係ない。
私が、私たちが彼を好きになったのは、もっと別の部分なのだから。
十二支 兎は一度だけ私に怒鳴ったことがある。
ある鬼が現れた山付近では、通りかかった人々が何人も惨殺され、鬼狩りに向かった隊士たちが何人も犠牲となった。
鬼が下弦の弐であることが特定され、山には私と兎さんが送り込まれた。
結果は私が鬼の頸を斬って、討伐に成功した。
だが、その下弦はしぶとくも中々消滅しなかった。
体が崩壊しなかったわけではない。
ゆっくりとだが確実に、鬼は風に還ろうとしていた。
それでも叫びながら必死に崩壊に抗っていた。
私は、それがたまらなく憎らしかった。
琳が、むりやり鬼にされて家族を泣きながら殺した琳が、私となにも話ができなかったのに。
1つも救われなかったのに。
何人もの人間を殺した、この悪鬼が卑しくも偽物の命にしがみつく。
お前たちに、生きる資格なんてない。
私はさっさと消してしまうと、刀を振り上げた。
『やめろ! 桜花さん!』
私の刃は、彼の刃に受け止められた。
私は怒りのあまり叫んだ。
何故邪魔をする、私は鬼を殺すと。
『駄目だ! それは駄目だ! それだけは駄目なんだ!!』
結局、鬼は生にしがみつきながらも、消滅して消えた。
けれど私の溜飲は下がらずに、彼の胸倉をつかんで、木の幹に叩きつけた。
私が殺す、鬼を殺す。そう叫んだ。怒りで目の前が真っ赤になっていた。
『桜花さん』
木に叩きつけられたまま、彼は言った。
『鬼は、人を喰う。何の罪もない人たちの人生を奪って、壊して、めちゃくちゃにする。
それを嗤う鬼がいる。それを愉しむ鬼がいる。オレはそれが許せない』
『けど、オレは思うんだよ、桜花さん』
『その鬼たちにだって、元は家族がいたのかもしれない。普通に飯を食って、普通に恋をして、普通に赤子を抱いて。母親だったかもしれない。父親だったかもしれない』
『返り血が何時もオレに言うんだ。お前が殺した、お前は人殺しだって』
『わかってる、わかってるよ。嫌で嫌でしょうがないよ。でもやらなきゃ。弱くても怖くてもオレがやらなきゃ。じゃないともっとたくさんの人が死ぬ』
『でも、それでも』
『人でありたいんだ。オレは人でありたいし』
『仲間の誰にも、鬼になってほしくない』
その時は、言葉の意味が解らなかった。
ただ、怒りで頭がいっぱいで。
けれど彼と時を重ねるうちに、わかってきた。
十二支 兎は、人の強さにも、鬼の弱さにも寄り添える、それだけの力と才を、望まぬまま持ってしまった人なのだと。
震える手で、震える足で。
それでも、屍に背を向けられなかったのだと。
前は気持ちに、後ろは才能にふさがれた。
この人に、報われて欲しいと思った。
「ねぇ、桜花」
カナエが声をかけてきた。今まで一番、真剣な声色だった。
「なんですか、カナエ」
「兎の事、好き?」
前と同じ質問だった。
私は首を縦に振って、以前は答えた。
「愛しています。 心から」
でも、今ははっきり言えた。
私のこの気持ちは、恋なのだと。
「そっか」
カナエはそれを聞いて笑って目を伏せた。
「私もよ。愛してる、心から」
「はい…」
「兎は、どうなのかなぁ」
「なかなか、怖くて聞けませんね」
拒絶されたらどうしよう、とか。
今の関係が壊れたら、とか。
そんな簡単な話じゃない。
私たちは、明日生きている保証なんてないのだから。
「ねぇ、桜花」
「なんですか?」
「1つだけ、約束してくれない?」
「約束、ですか?」
そう、約束。
そう言って、カナエは私にその約束の内容を語った。
「兎がどちらを選んでも」
「どちらも選ばなかったとしても」
「私たちの誰かが、未来でかけたとしても」
「絶対に、幸せになる事を諦めないって」
私は答えられなかった。
私を見つめるカナエが、あまりに美しかったからだ。
可憐で、淑やかで。自分なんかとは全然違って。
風が吹けば散ってしまう『花』のようで。
気が付けば私は、手を伸ばして彼女の手を握っていた。
「…桜花?」
不思議そうに、彼女はこちらを見た。
すこしだけ、驚いているようだった。
それでも私が心配しているのが震える手から伝わったのか、ややあってにっこりとほほ笑んだ。
「なんですか、その約束」
「桜花」
「答えられません、そんなの・・」
「やぁね、桜花ったら。唯の約束、『もしも』の話なんだから。心配してくれてるの?」
嘘だ。
今彼女を止めないと、どこか遠くに行ってしまいそうだった。
「桜花?」
手を離しては駄目。
あの日私が家に残っていれば鬼は警戒して入ってこなかったかもしれない。
あの日私が勝手に家から出なければ父か母は助かったかもしれない。
あの日、私が琳の手を離さなかったら。
「桜花」
ふわりと、花の香りがした。
カナエの綺麗な手が、握った手とは反対の方向から私の頬の添えられた。
「桜花は優しいわね」
唐突に、そんなことを言われた。
「もし、すぐに答えられないなら、いつか、答えを聞かせてね?」
その時までは、とりあえず大丈夫って事ね!やった!
空気を変えるようにカナエはそう言ってニコニコと笑った。
余りの雰囲気の落差に、おもわず気が抜けてしまう。
するり、と彼女の手が、私の手を離れていることに、私は気が付かなかった。
私はまた、手を離してしまった。
胡蝶カナエは、桜花と話した後、蝶屋敷を歩いていた。
ちょっと残酷なことを言ったかもしれない、と思った。
出会ったころの桜花は、自らが保護した少女とよく似ていた。
幸せになりたくない訳じゃない。
幸せが何かわかっていないから、明日の自分を想像できないから。
だから、自分の為に自分の事を考えられない。
でも、彼女は変わった。彼のおかげで。
そして、彼もまた彼女に救われた。
それは彼に甘えるだけだった自分には、できないことだった。
カナエはその夜、家族一人一人の部屋を回った。
妹のしのぶは自らの部屋の調合用の小机に、身体を預けるようにして眠っていた。
(もう、また遅くまで)
頑張りすぎる妹に、毛布を掛けた。
もう一人の妹、カナヲは部屋の布団でぐっすりと眠っている。枕元には硬貨が置かれていた。
自分が彼女に贈ったものだった。
(カナヲ、大丈夫。あなたにだって心がある。今は少し、つかれているだけ。
大丈夫よ、貴女は可愛いから)
患者たちは、薬のおかげで痛みを忘れて眠っている。
(みんな、頑張ってね。私も頑張るから)
なほ、すみ、きよ。
彼女たちは一緒に部屋で、仲良く眠っていた。
(みんな、ありがとう。貴方達が助けた命が沢山あるの。誇らしいわ、とっても)
氷柱 霙は客間を借りて寝ていた。
大の字で眠るその姿に、思わず笑ってしまう。
(あなたみたいに一生懸命な人なら、きっと桜花を守ってくれますよね)
そして、最後の部屋にたどり着いた。
そこは何の変哲もない客間。
襖をあけると、そこには彼が眠っていた。
布団に入って、すやすやと寝息を立てている。
兎の毛並みのような白髪が、すきま風でさらさらと揺れた。
(…兎)
最終選別の時、心が折れそうな時支えてくれた。
『大丈夫だよ。オレと君で互いに守りあってる間は大丈夫』
自分の夢を聞いた時、正直に答えてくれたし、笑わなかった。
『うーん、かなり難しい事だよね。カナエは凄いなぁ。難しい夢でも、諦めずに前を向けるんだね。え?笑う? なんでだよ、すごく優しい目標なのに。最高だよな、鬼と人間が仲良くできる世界』
しのぶの怪談話。本気で怖がってたっけ。
『アア――ッ!! やめてぇよしてぇ!? 来るんだよォ、壺から妖怪が来るんだよォ! やめてぇオレを掛け軸の裏から出さないでぇ! オレは神様です、掛け軸の神様ですゥ!!』
他の隊士が自分の夢を笑った時、代わりに怒ってくれた。
『今言った奴、前に出て。…何笑ってんだよ。何馬鹿にしてんだよ。カナエがどれだけ勇気を出してその夢を追いかけてると思ってるんだよ。馬鹿にするなよ、オレの友達を馬鹿にするな』
気が付くとカナエの顔は、眠っている彼の顔の目の前にあった。
(え…?)
自分で自分の行動に困惑する。
彼の吐息が顔にかかるほど近い。
もう少しで、唇が触れ合えるほどに、近い。
(駄目よ、駄目。やめて、止まって)
顔がどんどん近づいて行く。唇が、どんどん近づいて行く。
止めなければならない。
こんなのおかしい。
必死に自分に言い聞かせて、それでも身体が止まらない。
(駄目、駄目だってば! 止まって、私の身体でしょう!?)
(こんなの裏切りよ、桜花を裏切ってる)
(兎だって、こんなの絶対望んで無い!)
(応援するって決めたじゃない! 二人の幸せを見届けるって決めたじゃない!)
もう、ほとんど触れているような距離まで来た。
心臓が早鐘のように脈打つ。呼吸を酷使しても、こんなふうになったことはない。
(ああ、駄目、駄目、駄目駄目駄目駄目、もう―――)
そして、二人の唇が―――――。
カナエは呆然自失としたまま自分の部屋に戻った。
部屋の真ん中までいくと、そこにぺたりと腰をついて座り込む。
近くに敷かれた布団から、枕を手にとり、それに顔をうずめた。
こうすれば声は聞こえない。
今、流れるこの涙の味も、きっと兎までは届かない。
カナエは枕に口を付けたまま、決壊した心のままに言葉を繋いだ。
「ごめん、ごめんなさい、ごめんなさい!」
「悪いのは私なの、私が一番悪かったの!」
「痛いの! 痛い! 胸が痛くて痛くてたまらないの!」
「痛いよ兎。すごく痛い。痛いの…」
「ずっと一緒に居てよ、私の隣に来てよ、私泣いてるのよ、貴方を想ってこんなに泣いてるの。なんで私じゃだめなの?なんで? なんで・・・。私、あなたの隣に行きたいよ…」
「桜花、ごめんね、こんなの友達じゃないわよね、ごめんね…」
「桜花がもっと嫌な子だったらよかったのに、私、貴女の事も大好き。信じてもらえないかもしれないけど、そんな資格も私にはないけど‥」
「兎、ごめんね。私は兎にあんなにたくさんのもの貰ったのに。私は‥何もあげられないわ。だから…兎がホントに好きになった人なら、応援しようって、諦めようって、そう、そう決めたのに…」
「兎、ごめんなさい…。大好き」
カナエの声は、彼女の望み通り、あるいは望まぬ通り。
その夜、誰にも届かなかった。
そして数日後。
運命の、夜が来る。
令和コソコソ噂話
僭越ながら言わせてください。
私はこの話を書きながら泣きました。
気持ちを落ち着かせようと思って、今週のジャンプを開きました。
炭治郎たちがいません。泣きました。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
『桜と蝶、兎と花…そして、閻魔』
それなのに。
その日のことは、よく覚えている。
私、仇散華 桜花は単独の指令にあたっていた。
任務の内容自体は、そう複雑なものじゃない。
夜な夜な、村の近くに流れる川からうめき声がする。
様子を見に行った村人も帰らない。
別の指令の帰り道、その村の近くにいた私が派遣される運びとなった。
夜、件の川に行ってみれば、そこには河童のような姿の鬼がいた。
水の中を主戦場とするその鬼は、川から子供のようなうめき声を出して村の大人を誘い出し、川に引き摺りこんで食べる。
狙いは母親だった。子供を心配する母親は、悲鳴をあげながら子供の名前を呼ぶから面白い。
そう言った鬼の頸を私は斬りおとす。
それ以上の言葉を聞くのが、ひどく不快だった。
チン、と刀身をしまうとふぅ、と息をつく。
すると、私の鎹鴉が私の近くに降り立った。
カァ、カァと口を開く。
私たち柱は様々な任務を与えられる。それぞれが担当する地区も広い。極めて多忙な立場にある。
だから、この鴉の言葉も、次の任務についての伝令だろう。
この時、私は、本気でそう思っていた。
「カァ―! 胡蝶カナエ、花柱、胡蝶カナエ、死亡! 上弦ノ弐トノ戦闘後、死亡ォ!!」
息が苦しい。
視界がかすむ。
任務先からここまで、少しの休みもなく全力で走って来た。
何かの間違いだ。鎹鴉の伝達のミスだ。
そうに違いない、確かめるんだ。
蝶屋敷へ戻ればきっと居る。
襖をあけて、病室に入れば、すこし怪我をしているかもしれないけれど、きっと彼女はそこに居る。
驚き顔で目を丸くする私に向かって、「なぁに桜花? そんなに慌てて」なんて言葉を投げかける。
そこには兎さんもいる。
しのぶちゃんもいる。
兎さんは安心したように笑いながら、しのぶちゃんは心配したんだから、と怒りながら病床のカナエを叱っているに違いない。
雨が降ってきた。
隊服が濡れ、血濡れの羽織が濡れる。
それでも前に、前に足を動かし続けた。
蝶屋敷へ、一刻も早く蝶屋敷へ!
私が屋敷にたどり着いたのは、訃報から約一日経った後だった。
雨はまだ降り続いていたが、ここまで濡れ鼠になりながら走って来たのだ。そんなことは気にならない。
蝶屋敷の入り口にたどり着くと、そこに人影が見えた。
白い髪に、白い羽織。
業柱、十二支 兎が立っていた。
蝶屋敷の前で、呆然と、魂が抜け落ちてしまったかのように立ち尽くしている。
雨に体中が濡れているけれど、そんなこと少しも意に介していないようだった。
というよりは。
何もかもが、空っぽになっているようだった。
「兎さん・・?」
「・・・あ、桜花さん」
声をかけると、兎さんはちらりとこちらを見た。
瞳に生気がまるでない。
こんな彼を見るのは初めてだった。
「兎さん・・・その、鎹鴉の報告」
「うん」
「な、なにかの間違いですよね? そうでしょう?」
「桜花さん」
「だって、だって。カナエは強いんですよ?」
「桜花さん、落ち着いて」
「わ、私なんかよりずっとずっと」
「桜花さん!」
兎さんが、唐突に大声を出した。あまりに悲痛な叫び声に、私はびくッ、と彼を見つめる。
雨のせいで気が付かなかった。
それなのに、そんな質問をした自分は、なんて愚かなんだろう。
泣いていた。
十二支 兎はその日、初めて私の前で泣いていた。
彼の赤い瞳から、透明な雫がこぼれ落ちている。
私は、理解した。
彼女はもう、この世に居ない。
行ってしまったのだと。
瞳が熱くなる。
心がクシャクシャの紙になったように握りつぶされる。
こんなのずるい。
まだ、返事してないですよ。
約束しようと思ったのに。
ちゃんと約束して安心させようと思っていたのに。
もっとたくさん、話したいことがあったのに。
ちゃんと、ありがとうって言いたかったのに。
「う、あ」
口から嗚咽が漏れた。
こんなふうに泣くことがあるなんて、思ってもみなかった。
琳が死んだときから、泣いたことなどなかったのに。
『私、胡蝶カナエ。あなたは?』
『むぅ、無視するなんてひどいわ。せっかく桜の精みたいにきれいなのに、そんなにむすっとしてたらもったいないわよ』
『ほら桜花、笑って!』
カナエからもらった心で、私は泣いている。
「ああ、あああああッ」
「うわぁあああああああああああああッ!!」
私たちの涙は、雨にながれて消えて行った。
死んだ命は回帰しない。
失われた物は戻らない。
行ってしまった者に、会うことなど二度とない。
それでも、想いはきっとこの世に残る。
私たちが誰かからそうしてもらったように。
「ん…」
うっすらと目を開ける。そこには、よく知った蝶屋敷の天井が見えました。
「おや、気が付かれましたか、桜花さん」
声のした方を見るために、上体をゆっくりと起こす。寺で鬼に襲われた傷がまだすこし痛みますが、彼女、胡蝶しのぶちゃんの治療のおかげで最初に比べれば随分と痛みが引いてきました。
「さすがに元『柱』ですね。傷の治りが、非常に速い」
それでもまだ安静にしておいてくださいね。と桜花の寝台の横に座る彼女は心配そうに、
相変わらずの『笑顔』で言いました。
医者の言葉は絶対。彼女の言葉に従い、姿勢を戻します。
ふと隣の寝台に目を向けると、数珠坊君と菊ちゃんが毛布にくるまって眠っていました。
「あの子たち…」
「離れないと言ってきかないんですよ。ずいぶんと懐かれましたね、桜花さん」
すやすやと眠る二人を見て、ほっと息をつく。
「夢を、見ました」
「夢、ですか? どんな?」
「…カナエの夢です」
しのぶちゃんから、表情が消えます。
「たわいない話の事から、大事な話をしたことまで」
「…そうですか」
「ねぇ、しのぶちゃん」
「はい、なんですか、桜花さん」
しのぶちゃんはためらいがちになりながらも、返事を返す。
今、話すべきなのだろうか。
屋敷に来てもらって、あの夜、手を離してしまったあの夜にカナエから渡された、手紙と一緒に話すつもりだった真実を。
いえ、きっと。
今話してほしいって事なんですよね、カナエ。
兎さんは私に全てを話した時に、しのぶちゃんには言わないでほしいと、そう言っていたけれど。
今彼女がそれを知っても辛いだけだからと、オレを恨むのなら、それでもいいと。
けれど。
今、夢の中にあなたが出て来たと言う事は。
そう言う事なんですね、カナエ。
「今。ここで話してもいいですか?私が聞いた、あの日の事」
「…お体に障りますよ?」
「今、聞いて欲しいんです。我がまま言って、ごめんなさい」
しのぶちゃんはしばらく黙っていました。
決心がつかないのでしょう。
彼女は、ちらり、と後ろを振り向きました。
視線の先には、数珠坊。
『兎、悪い奴じゃねーよ』
『誰かを必死で守ってくれてる奴が、悪い奴なわけねーもん』
しのぶちゃんは、桜花に向かって向き直りました。
「…続けてください」
「‥ありがとう、しのぶちゃん」
そして、桜花は口を開きました。
「あの日、兎さんとカナエは確かに合同任務にあたっていました」
「はい、それであの人は姉さんを見捨てて」
ぎり、と歯をならし、手を握りしめるしのぶちゃんに、桜花は首を横に振ってこたえました。
「違います、そうじゃないんです」
「兎さんは、カナエに頼まれて、その場を離れたんです」
その日の事を、十二支 兎はよく覚えている。
その日は兎とカナエの合同任務の日だった。
任務の内容は、昨今不自然な人間の出入りがこの町で起きている、とのこと。
極楽の在り方を謳ったり、妙な勧誘を行ったりする人間が、ちらほら町中に現れ始めたと言う。
ただそれだけでは鬼殺隊の任務と言うには不十分だが、偵察・調査を行っていた隠や下位の隊士がこぞって行方不明になったとあればただ事ではない。
そこで柱二人が派遣される運びとなった。過剰戦力、という意見もあったけれど、警戒しすぎてしすぎることはない。
任務は、鬼が動き出す夜から。
昼の間の調査はまだ鬼が活発でないこともあり、隠の皆さんが行っている。
「やっぱり、鬼の仕業なのかしら」
調査を続け、夕刻。町を歩きながら。隣のカナエがそう呟いた。
「…わからないけど、隠や隊士が居なくなっているんだとしたら、可能性は高いよなぁ」
やだなぁ、もう。とつぶやくと、カナエがすっ、とオレの手を握った。
「大丈夫よ、兎。私が一緒だもの。二人なら何があっても大丈夫」
「カナエ」
「ほら、怖くない、怖くない」
にぎにぎと手を握るカナエ。
手のひらだけでなく、心も共にあたたくなる。
昔から、怖いときには必ず隣に居てくれる人だった。
だから、どんな相談も気軽にできて、オレはカナエに甘えていたのだろうと、今は思う。
だから気付けなかった。
彼女の気持ちを、すこしも考えていなかった。
「なぁ、カナエ」
「ん? なぁに? 兎」
「相談があるんだ」
「? なんでも言って、私は兎の味方だから」
「桜花さんに、櫛を送ろうと思うんだ。どんなものがいいか、任務の後、一緒に考えてくれないかな?」
「…うん」
「わかった、私は兎の味方だから、ね」
だから、見落とした。
いつだってそうだ。
オレは何時だって、人の苦しみを見落として生きている。
その夜。
オレ達は町を歩きながら、鬼の捜索をしていた。
オレは舌が敏感だから、空気に舌をさらすと鬼の味がよくわかる。
鬼の味は、生き物としてどこか歪で、血の味が濃い。
その日感じた味は、いままで感じたどの味よりも味が濃かった。
「っ!? カナエ! 構えて、近くにとんでもない鬼がいる、多分、上弦だ!!」
「っ、ええ!」
それぞれ互いの日輪刀を抜く。
幸い夜も深いからか、人の往来は少ない。
味を辿ってオレ達は、町の裏路地まで入り込んだ。
ここは言うならあまり金を持たない人たちが暮らす区域で、とても失礼な話ではあるけれど、表町の町並みに比べたら簡素な家が多い。
だから、道の真ん中でニコニコと笑うその男の姿が、より異様に見えた。
「おや、おやおやおや」
男は屈託なくニコニコと笑っていた。頭には血を被ったような模様が付いていて、おもしろそうに両手に持った扇をバチン、とならした。瞳にはそれぞれ文字が刻まれていた。
上弦の、弐。
「思ったより、早く来ちゃったね。ああ、そっか、そっちの彼。俺たちの居場所が味でわかるんだっけ? 聞いてるよ、あの子から」
「そうすると、隣の子があの子の言ってた女の子だね。綺麗な子だなぁ。オレは童磨。名前を教えてくれるかな?」
けらけらと笑いながら、語りかけるその鬼と相対して、オレはかつてないほど恐怖した。
鬼の味が濃いからじゃない。
目の前のコイツからは、鬼の味以外、何の味も感じない。
通常、鬼であろうが人間だろうが、少なからず気持ちの味を感じ取れる。
喜びだったり、楽しみだったり、悲しみだったり、憎しみだったり。
けれどこいつにはそれが無い。無味だ。
心が、無い。
「う、げぇええっ!」
「兎っ!?」
思わず手で口を覆う。
気持ち悪い。気持ち悪い。
こんな生き物が居るのか、居ていいのか?
こんなにも、こんなにも哀しい生き物がいていいのか!?
「ど、どうしたの彼。急に吐いたりして。心配だなぁ…。男はあんまり好きじゃないんだけど、特別に君も救ってあげようか?・・あ、駄目だ。君には手を出さないってのがあの子との約束だったんだ。ごめんよ、君は食べてあげられないよ」
「うる、さい」
息も絶え絶えに返すと、鬼はすこしむっ、とした表情をわざわざ作って言い返してくる。
「疑うのも無理ないけど、俺は本気で君を心配したんだぜ。あの子に気に入られてるってだけで心配だけど、人間はどうせ何を頑張ったって限界ってものがあるんだ。無理して何かにしがみつく必要はないんだよ、俺が皆食べて幸せにしてあげるから」
「だまれっ・・」
「つれないなぁ。お互い立場があるから難しいのかもしれないけど、俺は本気だよ。君となかよくしたいんだ。そうだ、あの子には後で謝ってあげるから、やっぱり君も隣の彼女と一緒にオレの中で一つに」
「黙れって言ってんだろうがァァァ!」
『十二の呼吸』
『子』 の呼吸、『鼠惨死鬼』
「兎っ!?」
制止するカナエの声も無視して、発生した分身が一斉に目の前の鬼に斬りこんでいく。
「へぇ、すごい! いままで沢山鬼狩りも柱も見て来たけど、こんなことが出来る奴はいなかったよ!」
ケタケタ嗤う鬼は余裕を崩さない。
気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い。
この状況でも、まったく空気の味が揺るがない。
なんだ、なんだ、目の前にいるコイツはなんだ!?
「でも、人間が増えるわけはないからね。どんなに頑張ったって、君は一人きりなんだ。その点、俺は違うよ?」
そう言って鬼は鉄扇を開いて呟いた。
血鬼術――【散り蓮華】
ブワッ、と蓮の花びらを象った何かが辺りに散布された。酷く冷たいそれを見た時、オレの本能は警鐘を鳴らした。
まずい、近づくのは不味い!
『午』の呼吸 『掛馬』!
体の速度を倍にして、とっさに距離をとる。凍てつく花弁は、一瞬でオレの本体がさっきまで居た場所ごと、あたりを凍りつかせた。
「おや?」
鬼はまた、面白そうにオレの方を見て言った。
「さっきと全然速さが違ったね。すごいなぁ、君、一体どういう使い手なんだい?気のせいか、さっきと呼吸の音が違ったように聞こえたけど。増えたり跳んだり、けど刀自体の型って感じじゃない。めずらしいなぁ、それじゃまるで『呼吸』というより【血鬼術】だね」
「随分と、喋る奴だな。疲れないのかよ?」
「疲れるよ。鬼だって気疲れぐらいするよ、たぶんね」
「じゃあ、すこし休ませてあげるわ」
『花』の呼吸 肆ノ型
『紅花衣』
今度は踏み込んだカナエがオレに目を向けていた鬼に斬り込んだ。大きく円を描くかのような、美しい剣戟。
カナエだって柱だ。その速度は並の隊士の比じゃない。
「おっと」
それを、鬼はたやすく躱して見せる。
「すごいすごい、頑張れ頑張れ、次は当たるかもしれないよ?」
「くっ…」
危険だと判断したカナエが、オレと同じように飛んで距離をとった。隣に並び立つ形になる。
「そっちの子も柱なのかな。隣の彼程じゃないけど強いんだね」
「あなたは…十二鬼月、上弦の弐ですね」
「うん? そうだよ? 驚いた?」
「まぁそうね。こんなに喋る方とは思わなかったわ」
「あはは、そうかな。俺からすればみんなの口数が少ないんだよ。会話ってのは大事だよ。何度も何度も言葉を重ねることで仲良くなっていくものさ」
君たちだってそうだろ? と鬼は鉄扇でオレたちを示した。
「オレは仲良くなりたいんだ、人間だろうと、鬼だろうとね」
鬼は屈託なく笑いながら言った。
「言うな、それ以上言うな」
オレは日輪刀を構えなおして言った。
カナエの夢を、侮辱された気分だった。
「お前からは、感情の味がしない」
「ん?」
「喜んだことも、悲しんだこともない。言葉を重ねて仲良くなるだって? 誰かを自分の友人だと思ったことがあるのか? 本当の意味で、慈しんだことがあるのか?」
「・・・」
「感情の味が全然しないのに、血の味だけ誰よりも濃い。お前今迄、何人食ってきたんだ?」
「そうだなぁ。すぐには出てこないけど、時間をくれれば教えてあげるよ。救った人間の事は出来るだけ覚えておくようにしてるんだ」
「…やっぱり」
『十二の呼吸』
『午』の呼吸『掛馬』。
オレは思い切り地面を踏みこみながら呟いた。
「お前とは、仲良く出来ない」
「そう? 俺は君が結構好きだけどな」
直後、刀と鉄扇が空中でぶつかった。
なんどもなんども、鉄と鉄がぶつかる音が聞こえる。
その中に、空気の凍てつく音や、虎の咆哮のような音さえ混ざる。
とある町の片隅で、二人の超越者が死闘を繰り広げていた。
(すごい。早すぎて、割って入れない‥)
胡蝶カナエは剣戟をなんとか目で追いながら、二人の戦いをみていた。
無論、気を抜いている訳ではない。
なんとか兎の援護に回りたいが、下手に割って入ってしまえば邪魔になる。
けれど、このままでは。
「すごいねぇ、君。ここまでついてこられた柱は君が初めてだよ」
「口を、閉じてろって、言ってんだよ、ねぇってば!」
(互角に見えるけど、兎の方が徐々に押されていってる・・!)
体力が無限に続く鬼、そして広範囲にわたる氷の血鬼術。
鬼殺の隊士にとって最悪と言える相性。
それはいかに十二支 兎だとしても例外ではない。
「くっ!?」
『申』の呼吸 『猿利口』
キィィ、という呼吸音の後、鬼の左腕が吹き飛んだ。
「あれ? いま正面から受けたと思ったのに、反対側から。不思議な技だなぁ」
ずるり、と鬼の左腕が再生した。
「くそっ」
再び兎が距離を取りカナエの元に戻る。
「うーん…ちょっと時間がかかり過ぎてるな」
鬼はこまったように笑いながら言った。
「あ、そうだ。あとはこの子に任せようかな。ごめんね、君ともっと遊びたいんだけど」
そう言って鬼は対の扇を重ねあわせた。
「俺も目的があってここに居るからね」
血鬼術――【結晶ノ御子】
扇の間から、現れたのは氷の人形。主である鬼の姿を象ったそれは、地面に降りるとしゃらん、と音を立てた。
「そんなもの出して、何を‥」
カナエが呟いた時だった。
血鬼術――【散り蓮華】
その人形から、本体と同じ技が放たれた。
「きゃっ!?」
「嘘だろっ!?」
カナエと兎は、互いに技を出し、氷の花弁を弾き飛ばした。
「なにこれ、さっきとほとんど同じ…」
「驚いた?」
ニコニコと笑いながら、鬼は言った。
「この子、俺と同じくらいの威力の技を出せるんだよ。すごいでしょ」
はーい、それじゃあきみ。
そう言って鬼は言葉を繋いだ。
「町に向かって、適当に殺しておいで」
「なっ!?」
「そんなっ!?」
主の言葉を受けた氷人形走り出した。一目散に、町に向かってかけていく。
「お前、なんてことを!?」
怒りのあまり兎が怒号をあげる。それにも鬼はけらけらと笑うだけ。
「どうするの? このまま俺と君で遊ぶのもたのしそうだけど。このままじゃ大勢死ぬよ?」
「てめぇっ・・」
「あ、でも心配しないでおくれ。御子はちゃんと殺した後死体を持ってくるから、俺がきちんと皆救済してあげるから」
鬼の煽るような言葉を聞きながら、隣の兎の怒号を聞きながら、カナエは考えていた。
本体と同等か、それ以下の強さを持つ人形が町に向かってしまった。
鬼はいまだ健在。
それどころか、十二支 兎をしてやっと対応できるほどの強敵。
カナエの心はもう、決まっていた。
「行って、兎。この鬼は私が相手をします」
「カナエ!?」
「私では町の人を守りながらあの氷人形の相手は無理よ。人々の安全も保障できない。でもあなたなら」
「だ、駄目に決まってるだろ! 相手は上弦だぞ、それをカナエ一人でなんて」
「…兎」
カナエは優しく微笑みながら、兎に言った。
「お願いよ、兎。皆を、守ってあげて」
「皆今は眠ってるけど、明日になれば家族と一緒につつがなく、幸せな毎日を送るの」
「子供を育てて、兄妹で笑って、両親の美味しいご飯を食べて」
「そんな当たり前の幸せが、奪われていいわけないのよ」
「今それを守れるのは、あなただけなのよ、兎」
それでも、十二支 兎は迷っていた。
おいていけない、君は大切な人だから。
そう思った。
けれど、それを口にする前に、カナエは言った。
「兎、私ね、あなたの事―――」
そこまで言って、少しカナエは口をつぐんだ。
彼女もまた、なにか言葉を紡ごうとして、迷っているようだった。
「オレの事・・・?」
「――信じてるから」
カナエは静かにそう言った。
「私は、貴方を信じます。だから」
「だから行きなさい! 業柱、十二支 兎!!」
兎は、目を見開いて、それでもまだ迷った。
迷ったけれど。
やがて日輪刀を握りしめ、氷人形が走って行った方向に足を向けた。
「カナエ、必ず戻る」
「うん、信じてる」
そしてカナエは最後に、兎に向かって聞こえないように呟いた。
「…桜花をちゃんと幸せにしてね、兎」
『掛馬』。
そして、十二支 兎はその場から消えた。
二人の、今生の別れだった。
「あーあ」
その場から消えた兎の方向を見て、鬼――童磨はさも哀しげな声を作って呟いた。
「だめじゃないか、あんなこと言っちゃあ」
「人間には、みんな限界ってものがあるんだよ。確かに彼は強いけど、御子から人を守りながら戦うなんて、しかもその後ここに戻って君を守るなんてできっこないよ」
「どんなに強くたって、なるようにしかならないんだよ。哀しいけど」
そう語る童磨に向かって、カナエは言った。
「―――可哀相に」
「え?」
圧倒的な強者を前にして、それでも最後まで伝えられなかった少女は言い放つ。
本当に言いたかったことは、『信じてる』ではなかった。
けれど、それを口にしたら優しい彼は苦しむだろうから。
もう大切な人に苦しんでほしくなかったから。
「残念だけど、きっとあなたには一生わからないのね」
「? なにがかな?」
「人を好きになるって、本当に素晴らしい事なのに。きっとあなたにはそれが死ぬまでわからないんだろうな、って思って」
「急に何の話かな?」
カナエは日輪刀を構えながら言った。
「さぁ、私にもわからないわ。口づけもまだしたことない小娘だからかしら」
「なんだって。それは可哀相に」
童磨も、バチっ、と扇を開いて言葉を返した。
「やっぱり君も、俺が救ってあげないとね!」
「貴方に救えるものなんて、何もない!」
目の前に迫る鉄扇と押し寄せる氷の血鬼術。
まぶたにそれを焼きつけながら、カナエは心の中で呟いた。
兎、桜花、しのぶ、みんな。
ごめんなさい、大好きよ。
そして、鮮血は花弁のように飛び散った。
大正コソコソ噂話(偽)
今回 童磨はまったく本気を出していません。
今回彼はある鬼に頼まれてカナエだけを殺しに来ていたからです。
友達思いの彼は、その上弦の零の願いをあっさり聞き入れたのです。
目次 感想へのリンク しおりを挟む
しおりを挟む
『兎と蝶』
もう一度だけ、立ち止まるオレを許してほしい。
※この話の最後にある地名が登場しますが、実際の当時・ならびに現代の地名とは一切関係のない架空の地名になります。
ご了承ください。
あの日以来、考えないことはない。
あの時、俺ではなくカナエが氷人形を追っていれば、カナエは死なずに済んだのではないか。
あの時、俺がもっと早く氷人形を砕いていれば、カナエは死なずに済んだのではないか。
あの時、そもそも『必ず戻る』なんて言わずに、一緒に逃げていれば。
あの時、あの時、あの時。
全部、仮定の話。
現実は違う。
オレの所為で、カナエが死んだ。
現実はそれだけだ。
もう、変えられない過去だ。
しのぶちゃんを、桜花を、蝶屋敷に住む皆を悲しませた。
それでもオレは、いまだ柱を名乗っている。
どうしてだ、俺は弱い、弱いんだよ。
弱いから、俺は彼女を守れなかったんだろう?
「君の所為じゃない、と言っても。君は自分の所為だと思うのだろうね、兎」
お館様は、俺にそう言った。
「今君が打ちのめされ、無力感にさいなまれている事は、刀を持てない私でもわかる」
「でも、だからこそ君は柱でいるべきなんだ」
わかりません、全然わからない。そう言ってうずくまるオレにお館様は続けた。
「君は柱になるとき、自分の『業柱』という呼び名について私にこう言ったね。『業』とは、技術や技の事を指しているのではない。この呼び名は、『業(ごう)』を指している、と。鬼を斬ることを、そんな風に解釈した剣士は君が初めてだった」
「最初聞いた時、私は戸惑ったよ。君の言葉には復讐心も、憎しみも感じなかった。そこにあったのは罪悪感だけだ。誰かを救うために鬼を斬る。君は、その事さえ苦しく感じていたんだね」
「でもだからこそ、君は鬼殺隊に必要なんだ」
「兎、怖いなら、私や皆が君の手を取ろう。それでもやめたいなら、なんどでも言ってくれて構わない。けれど、君が自らの業の果てに見る景色を知るまで、簡単には受け取れないよ」
「その方がきっと、君にも、カナエにとってもいいはずだから」
宇随君が、昔オレに言ったことがある。
お館様は、自分を肯定してくれた。生き方を変えてくれた。
だけど、そんなお館様の言葉の意味を、オレはいまだに理解できていない。
やめてください。
オレにそんな言葉をかけないでください。
怖いだけです、オレは弱いんです。
オレが柱でいたら、救える命が減るんです。
柱合会議から数日。
オレは蝶屋敷にて療養中の桜花の見舞いにやって来ていた。
桜花の傷は肩の刺し傷を始め深かったが、しのぶちゃんの治療の甲斐あって大事には至らなかった。
ただ、それでも心配なものは心配なので。
オレはいま付きっきりの看病をしていると言う訳だ。
「はい、桜花。あーんして」
「う、兎さん。桜花は自分で食べられますから、大丈夫ですから」
「ダメだって、傷に響いたらどうするんだよ。はい、あーん」
「‥あ、あーん」
恥ずかしがりながら目を背け、小さな口を開ける桜花。
やっべぇ、超かわいい!
「美味しい?」
「…味が、わかりません」
「兎さんに食べさせてもらってるから…、ドキドキしちゃって。味が、わかりません」
ああああああああああああっ!!女神だものォォォォ!!
オレの嫁が女神すぎるんだけどぉぉ!!わっしょぉいー!
「菊。あんな大人になるなよ」
床で悶絶しまくるオレを冷めた目で見ながら数珠坊が呟く。
となりではいまいち状況のわかってなさそうな菊が不思議そうな、ともすれば珍しい生き物を見つけたような顔でオレを見ている。
「なんてこというんだ数珠坊。桜花の可愛さを知れば、お前だってきっとこうなるよ。まぁ桜花はオレのもんだから、お前が桜花の魅力を完全に理解する日は来ないだろうけど、うふふ」
「馬鹿言うなよ兎、オレはもっと胸のでっかい姉ちゃんが好きなんだよ」
「数珠坊君。それは桜花に対する宣戦布告ですね?ふふ、これでも桜花は元柱なんです、すごかったんです。そうですかそうですか・・・へー」
「・・・って、兎がこないだ言ってた!」
「はぁああ!? 言う訳ないだろ言う訳ないだろ! ふざけんなよこの糞餓鬼!」
「う、兎さん…ご、ごめんなさい。桜花、そんなになくて‥頑張ってるんです、頑張ってるんですけど」
「あああああ言ってない、言ってないよ桜花! 好き! オレ、今のままの桜花がなにより大好き!!」
「兎さん、ホントですか・・。幻滅しませんか?」
「…オレが桜花に対して幻滅したことなんてあったかな?何時だって最高の奥さんだったじゃないか」
「兎さん‥」
「桜花‥」
「だから、そういう大人をみたくねーって言ってんだよこっちは!」
もう我慢ならん、と師匠譲りの体術を自分の恩人に向かって披露しようとする数珠坊。
一方菊ちゃんは寝台に乗ったまま、地面につかない足をプラプラと揺らしている。
視線が、時折診療室の窓に向かっているのは気のせいだろうか。
「? 菊ちゃん、どうかしましたか?」
桜花も気になったようで声をかけてみる。
「桜花さん。えっとね、今日はこないなーっと思って見てたんです」
「来ない? 誰が?」
「お友達です」
すごいな子供は。ここに来てそんなに経っていないのに、もう友達を作るとは。
「すごいですねぇ菊ちゃん。もうお友達が出来たんですか?今度桜花にも紹介してくださいね」
「はい! いい人なんですよ。菊が作ったおはぎが大好きみたいで、『また食べに来る』って言ってくれたんです」
おはぎが好き、か。すみちゃんやなほちゃん、きよちゃんの内の誰かだろうか。
今度、本人たちにお礼を言っておこう。そう思った。
その日の夜。
蝶屋敷の縁側にてオレは一人座っていた。
昼間あれだけ騒いだ疲れか、子どもたちはぐっすりと眠っている。
桜花も気疲れからかすやすやと寝息を立てていた。
寝る前に、話がしたいとオレにあることを伝えて。
『しのぶちゃんに、全部話しました』
『勝手なことをしてごめんなさい』
『でも、夢にカナエが出てきて』
『兎さんを、しのぶちゃんを助けてあげてほしいって、誤解を解いて欲しいって、言われてる気がして』
(それは違うよ、桜花)
オレは月を見ながら思った。
何も誤解じゃない。
しのぶちゃんが認識していた事実で正しいんだ。
オレが、カナエを殺した。
事実はそれだけなんだから。
「…ここでしたか、業柱」
だから、君はオレを恨むべきなんだよ、しのぶちゃん。
「桜花さんから、話は聞きました」
「そっか」
しのぶちゃんはオレの隣に座って月を見る。藤の花の味が広がった。
「? しのぶちゃん、香油でもつけてるの?」
「‥ええ、まぁ。藤の香りを少し」
そっか。とオレは視線を月に戻した。
二人とも、何も言わない。月明かりだけがオレ達を照らしている。
やがて先に口を開いたのは、しのぶちゃんだった。
「…持ってるんじゃないですか? 手紙」
どうやらお見通しのようだった。オレは懐から一通の手紙を取り出した。
『胡蝶 しのぶ様へ』
表にはカナエの字でそう書いてある。
「…桜花が話をしたって聞いて、ねぎまに取りに行ってもらったんだ」
「姉さんからの、手紙」
「うん。本当はもっと早くに渡すべきだったんだけどね」
けれど、勇気が出なかった。カナエの真似をして必死に笑う君にこれを渡せば、君がどうなってしまうかわからなかったから。
「業柱、私は…」
「しのぶちゃん」
何かを言おうとしたしのぶちゃんの言葉を、オレは遮る。
そのまま、言葉を紡いでいく。
「ごめん」
「桜花から聞いて、わかったよね。オレは、カナエを見捨てて逃げた」
「‥‥」
「どんなに謝ったって許されることじゃない。オレは君に」
「殺されたって、文句は言えない」
すべてを聞いたしのぶちゃんは、黙ってオレを見つめているのがわかったけれど。
オレは月から目を離さなかった。
怖かった。事ここまでに及んでも、オレはまだ。
やがて、隣からごそごそと懐をあさる音が聞こえた。
「…兄さん。これ、受け取って」
隣を見ると、そこには真っ直ぐこちらを見つめるしのぶちゃん。
笑顔を張り付けていない彼女の手の中には、一通の手紙。
可笑しい、しのぶちゃん宛の手紙は、まだオレの手にある。
じゃあ、この手紙は?
そう思い、彼女から手紙を受けとり、宛名を確認した。
『十二支 兎様へ』
そこには、懐かしい筆跡でそう書かれていた。
『十二支 兎様へ』
『この手紙は、私に万一のことがあった時に渡してほしいと、私がしのぶにお願いしたものです。これをあなたが読んでいると言う事は、私はもう、あなたの傍にいないのね。
とても、寂しく。哀しいことです。
1人で逝ってしまってごめんなさい。身勝手な女と、罵ってください。
…なんて、あなたはそんなこと言わないわよね。わかってる。でももし、貴方が私の死を自分の所為だと思っていたりしたら。そう思うと、とても心配になりました。
私は自分の意思でこの道を選んで、正しい決断のもと、この世を去ることになったのだと信じています。
だから兎。お願いだから、自分を責めないでね。
ねぇ、兎。
初めて出会った、最終選別の時の事を覚えていますか?
あの頃、私はとても弱くて、七日間を生き残ることなんてとても無理だと、どこかで諦めていました。鬼に殺されそうになった私を、貴方は庇いながら必死に戦ってくれましたね。
最初は、なんて強い人だろうと思いました。
でも、刀を握る手がぶるぶるとずっと震えていて。ああ、この子も怖いんだなと、私は何故かひどく安心したのです。
それからずっと、あなたは私がくじけそうなとき、折れそうなとき、手を引いて一緒に進んでくれました。私の弱さを受け入れて、寄り添ってくれました。
知らないでしょう?
私が貴方の言葉にどれだけ救われていたか。
貴方にとってはとるに足らない言葉の一つ一つが、私やしのぶ、それにたくさんの人達を救っています。
あなたは周りが思っているほど強い人間じゃないのかもしれないけれど。
でも決して、弱い人じゃない。
それをどうか、忘れないで。
私はそんな貴方が、大好きだったから。
兎。私は今、蝶屋敷の縁側から月を見ながら、この手紙を書いています。
ここから見る月は、本当に綺麗。
月にはうさぎが住んでいるなんて言うけど、もしかしてあなたも月から来たのかしら。
だとしたら、嫌だな。
貴方は何時か月に帰ってしまうのでしょうか。
私は、ずっとあなたと一緒に居たかったのに。
あなたも同じ気持ちだったなら、こんなに嬉しい事はありません。
ごめんね、兎。
きっとたくさん辛い思いをさせたわよね?
きっとたくさん背負いこんでいるわよね?
でも、もういいの。もういいから。
私の事は、もう忘れていいから。
今、となりを歩いている人と、一緒に前に進んで。
貴方を必要としている人がいる。
貴方にしか守れないものがある。
私は何時だって、貴方を信じているから。』
オレは手紙から顔を上げる。
そこには、美しい月がある。
きっと彼女もここで見た、美しい月。
後ろを振り向けば、小机に向かって筆を執りながら月を眺める彼女が、そこにいるかのような気さえしてくる。
隣では、自分あての手紙を見たしのぶちゃんが震えている。
知っている。
オレもしのぶちゃんも知っているんだ。
もう、彼女は帰ってこない。
ああ、でも駄目だ。
耐えられない。
月がぼやけてきた。
オレの瞳からこぼれそうになっているんだ。
ふざけるな、そんな資格があるものか。
守れなかった俺が、奪われた彼女の前で零していい訳ないだろう。
オレは手紙を持ったまま、その場を立ち去ろうとした。
もう、本当に耐えられそうにない。
そんなオレの羽織の端が、小さな手でつかまれた。
「…ここに居て、ください」
カナエによく似た少女は、そう言った。
「だめだ、駄目だよ。しのぶちゃん」
「お願いです。お願い、ですから」
「オレに、そんな資格はない!」
「っ、兄さん!!」
とっ、と背中から抱き着かれた。
あまりにも小さく、鬼と戦うには足りない体。
それでも今日まで、記憶の中の『カナエ』を必死に守ろうとしてきた少女。
「ごめんなさい、ごめんなさい!」
その彼女が泣きじゃくりながら、俺の背中に抱き着いていた。
「兄さん、ごめんなさい! 私、全然認められなくて、なにもかも兄さんの所為にして酷い事ばっかり!」
「やめてくれよ、俺の所為なんだ」
「違う! 違うわ! 兄さんは何も悪くない!悪いのは鬼よ! それに…ちゃんと向き合わなかった私が悪いの!」
「俺が守れなかったんだよ、俺が弱いから…だからカナエは死んだ!」
「兄さん…」
しのぶちゃんは離れない。
それどころかより強い力で俺を抱きしめる。
「兄さん…泣いてるの?」
「っ!?」
オレは慌てて裾で目元を拭う。それでも、雫が止まらない。
やめろ、出るな。
いまさらお前が、どの面さげて彼女の前で泣くんだよ。
「兄さん」
「泣いて。泣いてよ。あの日、一緒に泣けなかった分」
「今日、私と一緒に泣いてよ…」
気が付けば、オレはしのぶちゃんを正面から抱きしめていた。
彼女の顔が、初めてよく見えた。
綺麗な薄紫色の瞳からぽろぽろと、涙がこぼれ落ちる。
そこには、しっかりと、『胡蝶しのぶ』が居た。
もう、そこからは止まらなかった。
涙が、次から次へとこぼれ落ちた。
「ごめんっ! ごめんっ! しのぶちゃん! ごめんなぁ!!」
「うん、うん…」
「守れなくてごめんなぁ!カナエに、約束したのに、必ず戻るって!」
「うん‥」
「君に、姉さんを守るって約束したのにっ!!」
「うん…」
「くそっ、なんでだよ! なんでカナエが、なんでカナエが死ななくちゃならないんだよォ!」
「うん、悔しい…悔しいよぉ、兄さん・・」
「ああ、悔しいな。悔しいなぁ…しのぶちゃん」
それから半刻後。オレたちは泣きはらした目を互いに見られないように、すこしそっぽを向きながら座りなおした。
「…なんというか、子どものように泣いてしまいましたね。兄さん」
「…ああ。そうだね」
「お、お互いもう子どもじゃないんですけれど、ね」
二人とも、少し顔が赤い。
感極まって泣いた。オレはもういい大人だった。
まだ若いしのぶちゃんは泣いていても許されるだろうが、その泣いている女の子にくみついて大泣きしたオレは一体なんなんだろうか。
「…ねぇ、兄さん」
「な、なに、しのぶちゃん」
思わず声が上擦るオレ。かっこわる。
「…また、昔みたいにこうやって。こ、これからも、に、兄さんとお呼びしてもいいですか?」
照れながら語りかけてくる様子に、心の奥が締め付けられる。
いいのか? もう一度、君を妹とよんでも。
いいのか、カナエ。前に、進んでも。
オレは近づいて、しのぶちゃんの頭に手を乗せて優しく撫でた。
昔と変わらず、サラサラとした手触りの美しい薄紫色の髪だった。
「君が、オレをまだそう呼んでくれるなら。勿論だよ。しのぶちゃん」
「…もう、子どもじゃないって言ってるのに」
そう言いながらも、彼女は嬉しそうに微笑んでいた。
そしてその日の夜更け。
胡蝶しのぶは自室で机の上にあるものを用意していた。
そこにあるのは、小皿に盛られた藤色の液体。
もうずっと、繰り返してきたことだ。
迷いはない。
仇を討つため、上弦の弐を下すため。
それでも、自分がやっていることを、やろうとしていることを。
あの人は良しとするだろうか。
きっと、怒りながら止めてくれる。確信があった。
けれど、しのぶにも覚悟があった。
引き下がれない。姉と同じだ。
自分で決めた、道だから。
「―――――ごめんなさい、兄さん」
そして彼女は、今日も藤を食む。
翌朝。
桜花の寝台横で、オレは昨夜の顛末を語った。
桜花はなんども頷きながら、話を聞いてくれた。カナエの手紙を見せた時、彼女もまた頬を濡らして泣いていた。
「そうですか…兎さん。きっと、これで良かったんですよね」
「…でも、俺にはまだわからないよ、桜花」
カナエは言ってくれた。オレは決して弱くないと。
けれど。
オレに一体、何を守れたと言うのだろう。
わからない。
オレが柱の名前を背負いつづけなくてはならない、理由が。
「兎さん」
桜花が、俺の頬に触れながら言った。
とても、優しい表情だった。
「一人で、背負わないでくださいね」
「しのぶちゃんも、煉獄さんも、冨岡さんも。他にもたくさん、貴方と一緒に立ってくれる仲間がいます。あなたは一人で戦っている訳ではないのですから」
「もし、それでも不安なら」
桜花が、俺の額に、自分の額をおしあてた。
熱はないと思うけど、どんどん体温が上がって行く。
桜花も同じだ。どんどん額が熱くなる。
「桜花が、貴方を隣で支えます。ね、私の大好きな兎さん‥」
桜花の桜色の瞳を見つめる。
はにかみながら笑う笑顔もあって、1つの芸術品のようだった。
「ありがとう、桜花」
「いえいえ、なんて言ったって。私は兎さんの妻、ですからね!」
ふんす! と元気いっぱいの顔を見せる桜花。ころころ変わるその表情も、たまらなく愛おしかった。
「カァーッ! 緊急伝令! 緊急伝令!急ガバ回ラズ直グ聞ケェー!!」
そんな叫びが突然、病室に響き渡る。
オレと桜花が驚いて声の方向を見ると、室内をねぎまが騒ぎながら飛び回っていた。
「うおッ! なんだアレ!?」
「カラスさんがしゃべってるー!!」
鎹鴉が喋るのをはじめてみた数珠坊と菊が驚いてねぎまを見つめている。
「ねぎま! どうした!?」
オレが声をかけると、ねぎまは桜花の寝台の上に乗る。
きゃ、と桜花が声を出した。
ふざけんなねぎまそこをすぐに替われと言いそうになったところで、ねぎまはオレに新たな指令を伝えた。
「緊急伝令! 緊急伝令! オ館様ヨリ、緊急伝令!!」
「任務先ニテ『水柱』消息不明!!生死確認取レズ!!」
「繰リ返ス、『水柱』冨岡義勇、任務先ニテ消息ヲ絶ツ!」
「ヨッテ以下ノ者ニ指令ヲ下ス!!」
「『業柱』、十二支 兎!!」
「『風柱』、不死川 実弥!!」
「至急合流シ、『水柱』ノ任務先ニ向カイ、状況ヲ確認セヨ!【十二鬼月・上弦】、【堕落七鬼】、イズレカ、アルイハ両者トノ交戦ノ可能性アリ!!」
「カァー、ムカエ、ムカエ! 行先ハ流刑地、【紅蓮島(ぐれんとう)】! 罪人ガカツテ流サレタ、処刑場デアル!!」
胡蝶しのぶとオレの物語は、一端幕を下ろす。
そしてここからは、俺たち鬼殺隊と堕落七鬼【慟哭ノ夜叉烏】。
お互いの罪と罰を巡る奇譚が、始まる。
大正コソコソ噂話(偽)
菊ちゃんは実はものすごく器用です。
和菓子作りもそうですが、彼女にできない家事はありません。
ちなみにおはぎ大好きな友達は蝶屋敷三人娘ではありません。
目次 感想へのリンク しおりを挟む