ソードアート・オンライン —Raison d’être— (天狼レイン)
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アインクラッド
1.プロローグ《アインクラッド》前篇


 


 皆さま、お久しぶりです。
 無能投稿者の天狼レインが再びSAO二次創作に足を突っ込みました。ホント毎度のことすみません。現在《ゲーマー夫婦》の方も少しずつではありますが、時間を取って進めています。まだ暫くかかりますが、矛盾など生じないように心掛けてますので、悪しからず。

 それはともかくとして、こちらの作品は見覚えのある方がいらっしゃると思いますが、あらすじ以下略です。
 ユウキ熱が再発したことで、再び書きあがったものなので、こちらも勢いがある時は勢いよく書きますが、勢いが落ちればゆっくりと投稿になるのをご了承ください。

 以上で挨拶 及び 注意を終えます。それでは。

※ダッシュ追加。加筆修正。





 

 

 

 

 

 

 西暦2022年11月6日、日曜日。

 全てはこの日から始まった。

 

 

 

 当時齢12歳だった少年は、幼少期からの付き合いだった幼馴染の少女の、奇跡的な回復を以て完治したのを記念に《ソードアート・オンライン》、略称《SAO》とそのソフトを起動させるハード《ナーヴギア》を買った。勿論、整理券だとか人数確認の問題で、長年の付き合いであった少女の担当医師を理由付けて連れて、買いに行ったのだが、二人して少女の笑顔に疲れが吹っ飛んだことは語るまでもない。

 

 完治祝いと称されたその二つのプレゼントは重度のコアゲーマー達が喉から手が出るほど欲しいものであった。細かい説明は省くに限るが、要するに《ナーヴギア》はあらゆる脳信号を遮断・回収することで現実世界から脱却し仮想世界を自由に動くことができる装置であり、《SAO》はその仮想世界をこれまでの全てのマンネリ化したゲームというタイトルを一新させる初のVR(仮想)MMO(大規模オンライン)RPG(ロールプレイングゲーム)作品の先駆けだった。

 

 そんな二つの大きな理由から、当然ハードとソフト、その二つを購入するのは至難を極めたが、そこは意志力と推測力、対応力エトセトラで何とかしたのは言うまでもない。その後仕事がある医師には少しでもいいから休んでもらうことにして、少年は少女を連れて、現在自分が住んでいる一軒家にお泊まり会のようなノリで来てもらった。

 

 最初の一時間は細かい説明とルールを簡潔に、かつ何度か確認を取って双方理解するまでに費やし、続く一時間はやりたいことをある程度固めておこうと互いに相談し合った。幸い少年が驚異的な倍率であったベータテストに当選していたお蔭か、最初にやっておくと困らないことなどが分かっていたため、最初から焦らず楽しめると思えた。

 結果として二人の会話は、スタートダッシュ云々ではなく、ある程度進めてから出来ることにばかり集中したが、それでも待ち時間を退屈させないほど、楽しい雑談であったことに違いなかった。

 

 そして、来たる正式サービスの時刻。直前にナーヴギアを被っておいた二人は、来客用に用意していた布団を敷き、その上で魔法の言葉を口にした。

 

 

 

「「リンク・スタート!」」

 

 

 

 そう、これが人生()()()となる過酷な戦いの始まり。漸く一度目を終えて、間髪入れずにやってきた理不尽な世界との戦いとなる。

 今思えば、この選択が本当に正しかったのかと、二年経った今もなお考えている。だが、きっとこれからも答えは出ないだろう。いや、恐らく出なくとも、そばで君が笑っているなら————

 

 そうして、少年———雨宮(あまみや) 蒼天(そら)は、幼馴染の少女、紺野(こんの) 木綿季(ゆうき)と共に足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

———*———*———

 

 

 

 

 

 ナーヴギアによる五感の遮断・回収を受け———視界的には虹色のリングを抜けた後、手慣れた操作でキャラクタークリエイティングを済ませた蒼天は《はじまりの街》の一角で、木綿季が合流場所に来るのを待っていた。

 

 ログインしてから数十分は経つが、木綿季は一向に現れない。恐らく慣れないキャラクリに手間取っているのか、迷子になっているのか。前者ならともかく、後者なら不安でしかないが、下手に動くのも合流しにくくするだろうと思い、大人しく待ち続ける間、何度もプレイヤーに声をかけられたのだが、当然知り合いではない。みんな顔知らぬ何処かの誰かだ。当然、待ち合わせもしているため、あっさりと断りを入れていると、漸くその時が来た。こちらに向かって来る一人のプレイヤーが目に入った。

 

 そして、蒼天の目の前で止まって、深呼吸をして息を整えると、嬉しそうに声をかけてきた。

 

「お待たせ! ごめんごめん、時間かかっちゃったんだー」

 

「平気だ。大方キャラクリに時間かかったんだ……ろ?」

 

 話しかけてきたプレイヤーの顔をゆっくりと見て固まった。まだまだ短い人生だが、初めてじゃないかというくらい驚きで固まったことは他にない。何故固まったかといえば、全くの別人になっていたから———ではなく、全く逆の、現実世界とほとんど姿()()()()()()()()木綿季の姿がそこにあったからだ。

 

「えーっと……ユウキサン? キャラクリって何かご存知です?」

 

 思わず変な敬語になるくらいぎこちなくなった蒼天は思わず本名で呼んでしまうが、よくよく見るとキャラ名すらも本名だったことに気がつき、さらにぎこちなさが加わる。その一方で訊ねられた木綿季———ユウキは、ちょっぴり恥ずかしがるように答えた。

 

「ボクも最初は自分のなりたい姿にしようかなー、って思ってキャラクリしてたんだ。でも、よく考えたらボクの分身がこの世界で過ごしたいんじゃなくて、()()()()()()()()()()()()()()()()()、って思ったら自然とそっくりになっちゃったんだ。……えーっと、ダメだった、かな……?」

 

 小動物のように小首を傾げて訊ねてくるユウキに、漸く思考回路が整った蒼天は溜息を吐きながら言いたいことをいくつか考えて言おうとするが、考えを改めて口にする。

 

「いや、うん。間違ってはないな。少なくとも楽しみ方は人それぞれだ。俺にとやかく言う筋合いは無いしな……。本当なら今後のことを考えてキャラクリをやり直させようかと思ったんだが、まぁ、しっかりとした理由もあるからな……」

 

 本当に今後のことを考えるならキャラクリをやり直させるべきだと、言った後でも思っているのだが、口からそれを強く指摘することはなかった。決してユウキの小首傾げる姿に負けた訳ではない、と自分自身にすら言い切れないまま、続くユウキの質問に答えることとなった。

 

「そういう蒼天もほとんど変わらないね。変わったのは……身長くらいかな?」

 

「俺もユウキと理由はほとんど変わらないからな……身長は別に」

 

「もしかして、ボクと身長があんまり変わらないの気にしてた?」

 

「気にしてねぇよ。身長なんざ変わってもちょっとだけだ。誤差だろ誤差」

 

 誤差程度しか変えてないのは、現実で苦労しないためだ。仮想世界で身長を高くしすぎると、ログアウト後に大きな影響が出る。いざ現実で階段を降りる時などで脳が再確認し切るまでに時間がかかり過ぎるのは問題だろう。だからこそ、身長はほんの少し高くしただけで止めているのだが、どうせならそのままでも良いだろうと思考の何処かが告げるが、ちょっとくらい見栄を張りたかった欲望が上から押し潰して黙らせる。他に目立つ特徴と言えば、黒髪の毛先だけが白くなっているだけだろうか。

 

 すると、続けてユウキが思い出したかのように訊ねる。

 

「えーっと、蒼天は———じゃなくて、《アーカー》って呼んだ方がいいのかな?」

 

「あー、うん。そうしてくれ。本名を一部でも使うと色々厄介なことになりかねないからな……って思ってたんだが」

 

「えっと、ごめんね……」

 

 理由がどうであれ、姿形だけではなく、本名まで一緒にしてしまったユウキは肩を落として落ち込む。きちんと説明されたのにやってしまった訳ではあるせいか、怒られるのではないかと思っているのかもしれない。そう思い、誤解を解くべくアーカーは告げる。

 

「まぁ、ユウキがそうしたいんだから別に構わないさ。何か起きたら俺もどうにかしてやるから気にしないでいい」

 

「うん、ありがとう、ソr———アーカー」

 

「……仕方ない、二人の時はいつも通りに呼んでくれ。正直俺もユウキにはこっち(アーカー)で呼ばれるのは違和感があるからな」

 

 とことん自分がユウキに甘いのを再確認したアーカーは、お互いが合流したこともあり、すぐさまやっておきたいことの一つであった〝フレンド登録〟を済ませる。そこから流れるように、ベータテストで知った入り組んだ裏道にあるお得な安売りの武器屋に迷わず向かう。そこにはすでに先客が二人いて品定めをしていた。

 

「早いな……俺たちもしっかりと武器選んでおこう。事前に教えたものがあるから、あとは現物をしっかりと手に取って確認してくれ」

 

「うん、分かった!」

 

 人数がこれ以上増える前にと武器屋の前に滑り込み、先客二人と共に品定めを始める二人に、先客の片割れが興味深そうにこちらを窺う。視界の端で確認すると、どうやら黒髪の好青年のようだ。尤も、現実がそうなのかは定かではないが。

 

「……ま、俺はこれが一番馴染むかな」

 

 初期武器に相応しい貧弱さが滲み出る片手直剣だったが、それでも最初に手に入る片手直剣では一番良いものを手に取ると、すぐさま会計を済ませる。開始直後に貰ったコルが底を尽き掛けるほどだったが、それでも安いと思う。次の村である《ホルンカ》で買える《ブロンズソード》は強いが脆い。あれを買うくらいなら、これの方が使い方次第では長持ちするのは分かっていた。

 

 そそくさと自分の分を買ったアーカーは、隣で悩んでいるユウキに声をかける。

 

「何で悩んでいるんだ?」

 

「ボクも片手直剣にしようと思ったんだけど、少し剣身が太いからこっちの細剣(レイピア)にするかで悩んでたんだ。でも細剣だとちょっと細すぎるかなって」

 

「なるほどな。それなら、片手直剣で良いと思うぞ。細剣は基本的に剣身の太さは変わらない。だけど、片手直剣は《鍛治》スキル持ちに頼めば、細身のものだって作ってもらえるからな」

 

「うん、それならボクも片手直剣にするよ」

 

 悩みが無くなったのか、迷わずアーカーと同じ武器を選択し、会計を済ませるユウキは、早く戦いたいという欲望がオーラのように溢れていた。まだここ街だから落ち着けと言わんばかりに落ち着かせる一方で、先程まで同じ場所にいた二人がいないことにアーカーは気がつく。どうやら片方はベータテスト経験者らしい。早く教えて早くレベリングして優位を確保したいというのがよく伝わってくる。

 

 それなら俺たちも———

 

「それじゃ、フィールド行くか。事前に身体の動かし方は教えたけど、やっぱり実際に立たないと分からないことが多いからな。再確認も踏まえて、もう一度教えてやるよ」

 

「わーい! 指導よろしくね、ソラ」

 

 

 

 

 

———*———*———

 

 

 

 

 

「やあっ!」

 

「ぷぎー!?」

 

 青イノシシ、正式名は《フレンジーボア》という名なのだが、ベータテストの頃から大体青イノシシとしか呼ばれない悲しいモンスターの断末魔が上がる。

 

「とうっ!」

 

「ぷぎー!?」

 

 また一体。

 

「ええーい!」

 

「ぷぎー!?」

 

 続けて一体。

 

「こんにゃろー!」

 

「ぷぎー!?」

 

 そして、もう一体。

 計四体があっという間に倒され、無数のポリゴンの欠片と散っていく。その動きに無駄はなく、当然被弾などしてすらいない。無邪気な子供が縦横無尽に動き回るかの如く、始めて数分の動きにしてはおかしいとすら思えるほどにユウキは成長していた。必死に抗おうと、ただではやられまいと暴れ回るイノシシの突進も、恐れることなく最低限の動きで交わし、隙だらけの首や胴に一撃を見舞う。何年も元気に動き回っていなかった彼女が、現実では()()()調()()()()()()身体に変わって手に入れたこの仮想の身体で久々に自由を手にしているのだから微笑ましいものではある。

 

 しかしながら、そうは言っても———

 

「……指導って何だっけ?」

 

 教えたのは、ログイン前とこの数分だけだ。

 しかし、どうだ? 目の前で戦うユウキの姿の何処に初心者(ニュービー)成分があるのだろうか。下手をするとすぐさま立場が逆転しそうな雰囲気さえあるなと思いながら、アーカーもまた片手直剣を握り直すと、近くにいないか探して———項垂(うなだ)れた。

 

 他のプレイヤーが戦っている辺りにはまだいたのだが、近くには残念ながら一匹たりともいやしない。全部ユウキに倒されたらしい。

 

「あー、楽しかった!」

 

 満足感に満ちた笑顔を振り撒きながら、ユウキは休憩とばかりに側に駆けつけると、褒めて褒めてと言わんばかりにアホ毛が何故か揺れる。アホ毛が動かせるぐらいナーヴギアって凄かったのか?と言う疑問の傍らで、倒す敵が近くにいなくなったことによる悲しさが心に染みるが、そっとユウキの頭を撫でて我慢する。

 急に撫でられたことに驚くユウキだったが、すぐに撫でられることに身を委ね、嬉しそうに微笑む。それからちょっとして青イノシシが湧いたところで、ユウキがそっと呟く。

 

「……あのね、ソラ」

 

「ん?」

 

「ボクを見捨てないで一緒にいてくれてありがと」

 

「お互い様だ」

 

 そう言うと、アーカーは片手直剣を握り直す。

 

「それじゃ、次は俺の番だ」

 

「うんっ。ソラの戦いっぷり、楽しみにしてるね」

 

「任せろ」

 

 それだけ返すと、アーカーは草原を駆け抜ける。

 まずは近くにいる青イノシシがこちらに気がつく前に、容赦無く片手直剣を本来の扱いとは違った様々な動きへと転化させて巧みに振るう。その振るい方は、時に本来の片手直剣の斬撃、時に細剣のような刺突、時にメイス系のような打撃へと転化し続ける。ある意味乱暴に扱っているのと変わらないように見えるが、その動きはただ乱雑なものではなく、ベータテスターらしい経験から来る磨き上げられた戦闘スタイルだった。ソードスキルを使うことなく完封し切った動きに、初心者とは思えない動きをしたユウキですら舌を巻く。普段の彼とは違う戦闘スタイルだが、それでも動きは洗練されていた。ベータテストを経験した者ならではのものなのかもしれない。

 

 「ぷぎー!?」という断末魔が耳に入った、湧いたばかりの他の青イノシシがアーカーという敵の存在に気がついて攻撃に転じ始める。

 だが、遅い。勢いよく突進してきた青イノシシに対し、アーカーはソードスキル《スラント》を発動。突進をカウンターするが如く、往なしながら迎え撃ち、大きくHPを減らした青イノシシに叩きかけるように片手用直剣を首根っこに向かって振るう。ソードスキルによって加算された速度によって、切り落とされてたまるかと抵抗する肉を掻き分ける。

 一層最初の敵であるイノシシはそこまで強くはない。戦い方一つで優勢を保てるほどであるため、急所を狙うだけで大ダメージか一撃で倒せるほどだ。その結果、敵の首はごろんと地面に落ち、続けてばっしゃーんとポリゴンの欠片と散る。見慣れた光景に、感覚がそこまで鈍っていないと分かると、他の青イノシシめがけて走っていき、湧きが止まるまで倒し続けた。

 

 次の湧きが始まるまでユウキと談笑し、湧いたらユウキが戦い、湧きが止まれば談笑し、湧いたら次はアーカーが戦う。そんなことを何度も繰り返しているうちに、あっという間に時間は過ぎていった。

 時刻は午後五時を過ぎ、もう少しで半刻すら過ぎようとしていた頃。アーカーは立ち上がり、ユウキに声をかける。

 

「そろそろ頃合いだから、一旦落ちてご飯食べるか」

 

「うん。ちなみにご飯って何かな?」

 

「完治祝いも兼ねて、ユウキの好きな食べ物の予定だ。流石に栄養バランスの問題で用意してないものもあるけどな」

 

「わーい! ボクも下拵えとか手伝うよ!」

 

「いや、完治祝いだからな? ご飯の後にまたログインする時間あるだろうから、その時にやりたいことでも考えてていいから」

 

「はーい。それじゃログアウトしよっか」

 

 次ログインしたら何をしようかと期待に胸を膨らませながら、《メインメニュー・ウィンドウ》を呼び出し、一番下にあるログアウトボタンを押す。それだけで現実世界に戻れる。本当に便利なものだと思いながら、ウィンドウを勢いよく下まで降りて———気がついた。

 

「なあ、ユウキ」

 

「うん、ボクも気がついたよ」

 

「「()()()()()()()()()()()な(ね)」」

 

 今日の午後一時、正式サービス開始時にはキチンと存在していたはずのログアウトボタンが綺麗に消滅していた。それを受け、二人で分担してウィンドウの隅から隅まで確認するが、やはり見つからない。

どうやらそれは二人だけではなく、他のプレイヤー達もそうらしく、近くで困惑の声が上がっていた。恐らく、《はじまりの街》の中では同じ混乱が起きているだろう。

 

「ユウキ、これって()()だと思うか?」

 

「ううん、思わないよ。バグにしては()()()()()から」

 

 そもそもバグとは、更新の際などに引き起こされる現象。ベータテストの頃から変更された箇所、或いは追加された際に起きることがほとんどであり、当然数々のゲームでログアウト———及び、最も肝心な部分には比較的起きにくい。それもこの《SAO》に於いては決してバグを起こしてはいけない箇所であるログアウトがないというのは洒落にならないことでもあり、同時にそんなことは()()()()()()()。偶然にしては運営は何も対応がないことから、二人は何かの意図があって起きたことだと推測し————

 

「ユウキ、俺は今すごく嫌な予感がしてるんだけどさ。この直感当たってるよな」

 

「ソラの直感はほとんど当たるからね。今回もきっと当たってるよ」

 

 当たらない方が良いんだが、という本音は飲み込む。

 さて、これからどうしようかと考えた直後、ユウキに手を引かれた。

 

「ん? どうかしたのか、ユウキ」

 

「ソラ、あれを見て。こんな時に言うのもおかしいと思うけど、すごく綺麗だよ」

 

 ユウキが指差した方向を見る。

 すると、そこに広がっていたのは、言葉を失うほどの絶景だった。遥か百メートル上空には、第二層の底部が薄紫に霞み、細く覗く空は真っ赤な夕焼けに染まっていた。差し込む夕陽が、広大な草原を黄金色に輝かせるその光景は、現実世界でも滅多に見られないほど綺麗だ。これが仮想世界の見せる美しさなんだなと心の底から思いながら、そっとアーカーはユウキの手を優しく握る。こんな異常事態であるというのに、呑気なものだと思われるだろうが、今だけは構わないと本気で思いながら————

 

 

 

 その数秒後。

 浮遊城アインクラッドはその在り方を大きく変えた。

 そして、それは人生二度目の逆境———理不尽との戦いの幕開けを告げていた。

 

 

 

 

 

 プロローグ《アインクラッド》前篇 —完—

 

 

 

 

 

 








次回 プロローグ《アインクラッド》後篇




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2.プロローグ《アインクラッド》後篇



 前回より文字数増えましたが、内容はそこまで厚くありません。
カヤーバーの台詞を原作通りにしたせいだと思います。

※ダッシュ追加。




 

 

 

 

 

 

 突然、リンゴーン、リンゴーンという、鐘のような——或いは警報音のような大ボリュームのサウンドが鳴り響いた。絶景に見惚れてた二人は思わず声を上げて飛び上がる。

 

「うぉっ!?」

 

「び、びっくりしたぁ……」

 

 同時に叫んだ二人は、自らに起きていることに気がつく。身体を包む、鮮やかなブルーの光の柱。青い膜の向こうでは、草原の景色がみるみると薄れていく。

 この現象はかつてベータテストの時に何度も体験していた。場所移動用アイテムによる《転移(テレポート)》。しかし、アーカーもユウキも、該当するアイテムを握ってもいないし、そもそもコマンドすら唱えていない。そうなると、残るは運営側の強制移動だろうが、何一つアナウンスがないままに起きるのは、やはりこれもまた不具合だろうか。

 そこまで考えた時、身体を包む光が一際強く脈打ち、アーカーの視界を奪った。青い輝きが薄れると同時に景色が再び戻ったが、そこはすでに夕暮れの草原ではなかった。

 

 広大な石畳。周囲を囲む街路樹と、瀟洒な中世の街並み。正面遠くに聳える黒光りした巨大な宮殿。間違いない。ここは《はじまりの街》の中央広場だ。ベータテストの頃何度も通った景色だったせいか、すぐに所在地が分かった。直後、《転移》の影響でユウキと離れ離れになっている可能性も考えたが、すぐそばにいたことに気がつくと咄嗟に感じた不安が消えた反動か胸を撫で下ろした。

 

 しかし、安心したのも束の間、周囲を犇めくプレイヤー達が目に入る。どうやら一斉にこの場所へと強制的転移させられたようだ。少しずつボリュームが上がってザワザワとし始める中央広場。混乱に満ちているせいか、この光景は何処か記憶の片隅にある嫌なものに近かったせいか微かにちらつく。

それはユウキも同じなのか、少し震えているようにすら見えた。その震えを止めようとその手を握り、小さく告げる。

 

「落ち着け、ユウキ。確かに嫌なものを思い出させるけど、()()()とは全く違う。それに俺もいる。だから安心しろ」

 

「……うん、そうだね。ありがと、ソラ」

 

 ユウキの震えが少しずつ収まり始めたのを確認し、アーカーもまた周囲を何度も確認する。特に変わった点はないか、異常が起きているところはないかと。

 すると、誰かが何かに気がついたのか、突然叫んだ。

 

 

「あっ……上を見ろ!!」

 

 その声を聞いて、二人は反射的に視線を上向けた。そこにあったのは異様な光景。少なくとも先程の夕焼けの影響を受けたものではないかとを理解した。

 百メートル上空、第二層の底を、真紅の市松模様が染め上げていく。先程まで薄紫に染まっていた底部は何処へやら。

 よく見ると、その市松模様は二つの英文が交互にパターン表示されたものでしかなかった。真っ赤なフォントで綴られた単語は、【Warning】、もう一つは【System Announcement】とあった。つまりこれは、運営からのアナウンスで間違いない。一斉に安堵するプレイヤー達。だが、アーカーとユウキ、その二人だけは嫌な予感が消えることはなかった。ただただ異様すぎた。安心を搔き消す何かがそこにあったのだ。

 

 それに応えるかのように、続けて起きた現象は二人の———いや、全プレイヤーの予想を大きく裏切るものだった。空を埋め尽くす真紅のパターン、その中央部分がまるで巨大な血液の雫のようにどろりと垂れ下がったのだ。高い粘度を感じさせる動きでゆっくりと滴り、だが落下し切ることなく、赤い一滴は空中でその姿を変化させた。

 出現したのは、体長二十メートルはあろうかという、真紅のフード付きローブを纏った巨大な人の姿だった。

しかし、それが人の姿だと感じたのは最初だけで、途中から不気味なものでしかないことに気がついた。フードの中には顔がなく、長い袖の中にも肉体らしきものがない。空疎な間隙があるだけだ。

 アーカーにはーー恐らくベータテスターには見覚えがあったが、それとはかけ離れたいたようにすら感じたそれは両袖をそれぞれゆっくりと掲げて————

 

 

 

『プレイヤーの諸君、私の世界へようこそ』

 

 

 

 その一言は、あまりにも場違いなものであった。現在プレイヤー達はログアウトに関する情報を求めている。漸く登場したGM(ゲームマスター)にはその説明責任があるはずなのに、出てきて告げたのは自分がGMだと言わんばかりのセリフ。あまりにも意味がわからない。それは他プレイヤー達どころか二人を困惑させるには充分だった。

 しかし、続けて放たれた言葉に、誰もが驚愕することとなる。

 

 

 

『私の名前は茅場(かやば) 晶彦(あきひこ)

今やこの世界をコントロールできる唯一の人間だ』

 

 

 

 

「茅場……晶彦!?」

 

 その名前をアーカーは知っていた。知らないはずはなかった。ナーヴギアの基礎設計者だから、SAOの開発ディレクターだから、アーガスを急成長させた天才ゲームデザイナーだから、天才量子物理学者だからという訳ではない。その名前を知っていたのは、そんな理由では決してなく————

 

「なんで……貴方が、貴方が出てくるんだ……()()()()……」

 

「……ソラの、叔父さん、なの……!?」

 

 消え入るような声で呟いたそれはユウキにだけ届く。偶然とはいえ、周りが騒がしかったお蔭か、アーカーが茅場晶彦の身内であるという情報は広まらず、事あるごとに責められる危険性は薄れたが、だが、それで終わっていい話ではない。例え身内だろうが身内でなかろうが、この状況で茅場晶彦は名乗り上げた。偶然にも———いや、これが必然だったとしても、アーカーの知る彼の性格からして、ほぼ有り得ないことだ。彼は裏方に徹してこその人物だろう。そんな彼が出てこないといけないということは、それほど事態は急を要するのか、或いはもっと洒落にならないものなのか————

 

『プレイヤー諸君は、すでにメインメニューからログアウトボタンが消滅していることに気付いていると思う。しかしゲームの不具合ではない。繰り返す。これは不具合ではなく、《ソードアート・オンライン》本来の仕様である』

 

 続けて告げた一言が、アーカーにこの現状における、ある程度の理解を及ばせた。不具合ではなく、仕様。その一言でアーカーは気がついてしまった。嘘や冗談が得意な人ではない茅場晶彦がそう宣言するということは、正しくこれが真実であることを強く認識させた。

 どよめきが走る中で、茅場晶彦はさらにアナウンスを続ける。

 

『諸君は今後、この城の頂を極めるまで、ゲームから自発的にログアウトすることはできない』

 

 この城の頂———おおよそ城と言えるものをアーカーはこの場所において知らなかったが、頂と呼べるものなら一つだけ気がついた。全百層、それがこの《ソードアート・オンライン》の世界だ。頂はその全百層の百層目を示す言葉だとすれば————

 

「……ああ、そうか。そういうことか、茅場 晶彦」

 

 かつて———彼と言葉を交わした時のことを思い出した。懐かしい思い出だ。連鎖的に引き摺り出されたそれを間違いない理由だと考えると、自然とあの男を叔父さんなどと呼ぶつもりは毛頭無くなった。

アンタのやろうとしていることが予想できたよ、やってくれたな。アーカーは言いかけた言葉を喉の奥に戻し、続く説明を待つ。こうなったら聞き損ねる訳にはいかない。この場で狂気に呑まれて狂うべきではないことを瞬時に理解し、ユウキが狂わないよう、しっかりとその手を握る。

 己が瞳が、元の色を失い、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()————

 

「ユウキ、これは紛うことなく現実だ。それを理解していてくれ」

 

「………………うん」

 

 俯いていたユウキの、もはや消え入りそうな声だ。それでも、返事を返してくれただけでも、まだユウキが狂ってしまいそうになっていない証拠だと信じて、ただ前を向く。

 

『……また、外部の人間の手による、ナーヴギアの停止あるいは解除も有り得ない。もしそれが試みられた場合———』

 

 僅かな間を以て、その言葉は冷酷に告げられた。

 

『———ナーヴギアの信号素子が発する高出力マイクロウェーブが、諸君の脳を破壊し、生命活動を停止させる』

 

 その瞬間、分かってはいたが、それでも中々に理解しがたい気持ちが脳を突き抜ける。これまで以上に強く手を握り締めるユウキの気持ちが痛いほど分かる。怯えている、きっと怖いのだろう。それはアーカーも()()()()()()()()()だったが、それでも彼は自分のことよりも彼女の心が折れてしまわないように握り返して繫ぎ止める。

 

 周囲では出来るはずがないと口々に言う者がいたが、それらは次に勘付いた者たちの意見によって駆逐されていき、絶望の色が濃くなり始めた。

 

『より具体的には、十分間の外部電源切断、二時間のネットワーク回線切断、ナーヴギア本体のロック解除または分解または破壊の試みーー以上のいずれかの条件によって脳破壊シークエンスが実行される。この条件は、すでに外部世界では当局およびマスコミを通して告知されている。ちなみに現時点で、プレイヤーの家族友人等が警告を無視してナーヴギアの強制除装を試みた例が少なからずあり、その結果』

 

 一呼吸入る、その間。茅場 晶彦が意図的に作り出した間ならば、彼は心底嫌な奴だと宣言できる。恐怖と絶望を深く掻き立てる、このちょうどいい間を知っていたのなら、余計に。

 

『———残念ながら、すでに二百十三名のプレイヤーが、アインクラッド及び現実世界からも永久退場している』

 

 何処かで細い悲鳴が上がった。その悲鳴を聞いて、さらにユウキが強く手を握り締めてくる。もはや何処の誰が怯えようが構わない。

だが、ずっと一緒にいた幼馴染がこうして怯えさせられている状況にだけは我慢ならなかった。絶望だの恐怖だの———それは今のアーカーには無くなっていた。残ったのは、怒りと憎悪。自身に対するものと、叔父である茅場 晶彦に対してのもの。その両方が強く残る。

 それはいずれ、彼と対峙した際、叔父だからという甘えは残さず、容赦なく殺しにさえ行けるほどに強まった。

 ざわつく周囲の声を遮るように、再びアナウンスは再開される。

 

『諸君が、向こう側に置いてきた肉体の心配をする必要はない。現在、あらゆるテレビ、ラジオ、ネットメディアはこの状況を、多数の死者が出ていることも含め、繰り返し報道している。諸君のナーヴギアが強引に除装される危険はすでに低くなっていると言ってもよかろう。今後、諸君の現実の体は、ナーヴギアを装着したまま二時間の回線切断猶予時間のうちに病院その他の施設へと搬送され、厳重な介護態勢のもとに置かれるはずだ。諸君には、安心して……ゲーム攻略に励んでほしい』

 

 その言葉を聞いた瞬間、さらに憎悪は強まった。なるほど、確かにこれはゲームらしい別のものだ。予想通りの展開なら、これはデスゲームと化したはずなのに、変なところはゲームだ。こんな嫌がらせのようなことも織り込んでくるのは流石と言いたい。お蔭で本気で殺したくなったよ。そんな怨嗟が喉から溢れ落ちそうになるほどに迫っていたが、辛うじて飲み込んで、次に備える。

 

『しかし、充分に留意してもらいたい。諸君にとって、《ソードアート・オンライン》は、すでにただのゲームではない。もう一つの現実とも言うべき存在だ。……今後、ゲームにおいて、あらゆる蘇生手段は機能しない。ヒットポイントがゼロになった瞬間、諸君のアバターは永久に消滅し、同時に諸君らの脳は、ナーヴギアによって破壊される』

 

 これまでを上回るほどに、ユウキの握り締める手がその強さを増す。圏内でなければ、ダメージを受けていてもおかしくないと思えるほどに強いそれは、彼女の心が辛うじてまだ保たれている証だと感じた。アーカーという、唯一残った細い寄り木に凭れかかるような、そんなものにすら感じる。

 

 

 

 だから、せめて————

 

 

 

「……ユウキ、君は俺が絶対に死なせない」

 

 

 

 ()()()()()()約束を———もう一度だけ。心の支えにしてほしいと淡い希望を抱いて、アーカーは討つべき怨敵を忘れないように目に焼き付ける。

 

『諸君がこのゲームから解放される条件は、たった一つ。先に述べた通り、アインクラッド最上部、第百層まで辿り着き、そこに待つ最終ボスを倒してゲームをクリアすればよい。その瞬間、生き残ったプレイヤー全員が安全にログアウトされることを保証しよう』

 

 第百層の最終ボス。恐らく茅場 晶彦はそこに君臨するだろう。彼の性格からして、最後の最後まで高みの見物などするはずもない。必ず何か行動する。それが途中なのか、最後なのかは分からないがしかし、最後には出張ってくることだけは確定だ。

 なら、俺がすることはなんだ? 自らに問う。

 ———簡単だ。第百層に辿り着いて、茅場 晶彦を殺す。単純な答えだ。それだけだ。それしかない。落とし前をつけるという意味でもやらなきゃいけない。使命感などではないと自分に言い聞かせた。

 

 そして、最後に茅場 晶彦は最後の嫌がらせをここに残す。

 

『それでは、最後に、諸君にとってこの世界が唯一の現実であるという証拠を見せよう。諸君のアイテムストレージに、私からのプレゼントが用意してある。確認してくれ給え』

 

 プレイヤー全員が、糸に操られた人形のように、右手の指二本を揃え真下に向けて振ってた。広場いっぱいに鳴り響く電子的な鈴の音のサウンドエフェクト。

 出現したメインメニューから、アイテム欄のタブを叩く。表示された所持品リストの一番上に、彼からのプレゼントはあった。

 

 アイテム名は———《手鏡》。

 

 皆一同にそれをタップし、浮き上がった小ウィンドウからオブジェクト化のボタンを選択。効果音と共に小さな四角い鏡が出現した。

 恐る恐る皆が手に取るが、何も起こらない。覗き込む者もいくらかいたが、同様だ。

 彼らが一同に安堵した———その瞬間、白い光が一人一人を包んでいく。それらはほんの二、三秒で消える。続けて元のままの光景が広がるはずだった。彼らが見たのは、変貌した各々の顔だった。少なくとも、自らのアバターの顔とは細かいところも含めて違っていた。それはアーカーとユウキも同様で。

 

「……ソラ、だよね。それも向こう(現実)の……」

 

「……ああ、()()()()()

 

 手鏡に映っていたのは、紛れもなく現実世界を生きてきたアーカーの———いや、雨宮 蒼天としての顔だった。何処か少し幼さが残るも、その表情には向こうで楽しそうに笑っていた時の暖かさはもうない。わざわざ顔まで同じにしてくれてご苦労さん、よくもやりやがったなテメェと言わんばかりに、ここまでの憎悪に歪んだ〝らしく〟ないものだった。

 一方のユウキはせいぜい再現していた程度だった顔が、再現ではなく同じものになった。あまり目立った変化が見られないが、それでもアーカーにはこっちの方がユウキと呼んで完全に違和感のないものだった。流石はナーヴギアの再現率だ素晴らしいさ反吐がでる。

 顔の再現は覆うように装着されたナーヴギアによる再現、僅かに縮んだ背は現実と全く変わらない辺り、何らかの事前行為から得られた情報からの計測・再現らしい。周りではキャリブレーションがどうとか聞こえるが、恐らくそれだろう。

 

 そんな推測が立っているうちに、茅場晶彦は最後を締め括るために言葉を続けた。

 

『諸君らは今、なぜ、と思っていることだろう。なぜ私は———SAO及びナーヴギア開発者の茅場 晶彦はこんなことをしたのか? これは大規模なテロなのか? あるいは身代金目的の誘拐事件なのか? と』

 

 そんなはずは断じてない。直感が、記憶が確かにそう告げた。

 

『私の目的は、そのどちらでもない。それどころか、今の私は、すでに一切の目的も、理由も持たない。なぜなら……この状況こそが、私にとっての()()()()だからだ。この世界を創り出し、鑑賞するためにのみ私はナーヴギアを、SAOを造った。そして今、全ては達成せしめられた』

 

 最終目標、その言葉を聞いて予想は確信へと変わった。先程まで抱いていた憎悪が薄れていくような心地を味わいながら、アーカーは、いや、雨宮 蒼天は漸く気がついた。金色に染まった瞳は、そこで元の色を取り戻していく。

 

 

 

 やはり、()()()()()()()()()()()のか、と。

 

 

 

『……以上で《ソードアート・オンライン》正式サービスのチュートリアルを終了する。プレイヤー諸君の———健闘を祈る』

 

 僅かな言葉が、最後を締め括った。静まり返る広場。不穏な光景や市松模様のように並んだメッセージも消滅し、ログイン時と同じ、穏やかなBGMが鳴り響く。ゲームは本来の姿を取り戻していた。幾つかの致命的なルールの変更だけを除けば、元通りだった。

 ただし、取り返しのつかないほどに戻らないものがあった。それは、この世界に存在するプレイヤー達の心情だった。

 直後、広大な広場は多重の音声と共にびりびりと震動した。

 

「嘘だろ……なんだよこれ、嘘だろ!」

 

「ふざけるなよ! 出せ! ここから出せよ!」

 

「こんなの困る! このあと約束があるのよ!」

 

「嫌ああ! 帰して! 帰してよおおお!」

 

 悲鳴。怒号。絶叫。罵声。懇願。そして———咆哮。

 ゲームプレイヤーから処刑台前の囚人へ。

 街から出れば、死がすぐそこにすら転がっている。

 これは実に現実味がある。モンスターや武器がこんなに近くになければ、それこそ現実と何ら変わらない。ここがもう一つの現実という言葉はなるほど的を射ている。実に明快だ分かりやすい。

 

 だからこそだろうか———アーカーは()()()()()()()

 かつて見た、人間の残酷さと、非情さ、冷酷さ。細かく区分すれば、幾つでもあるが、とにかく人間の嫌な部分をこれでもかと見た、あの頃のように。

 

「ユウキ、君に話がある。ちょっと来てもらえるか」

 

 ユウキの手を握ると、小さく他には聞こえないように呟く。その言葉を聞き、彼女は小さく頷く。それを合図に、二人は集団から、足早にある場所へと向かう。それは、ログイン前に伝えていた次の村《ホルンカ》がある場所へと一番近い街道だった。近くには回復ポーションを高めではあるが、買うことができる場所があり、準備するには格好の位置だ。そこに辿り着くと、アーカーはユウキに訊ねた。

 

「ユウキ、君には二つの選択肢がある。一つは、この街に残って全てが終わるのを待つか。いつかは保護も役立たなくなるかもしれないが、それでもここはそれまで安全だ。死ぬことは絶対にない」

 

「…………………」

 

 本当はこれが望ましい選択肢だ。ここにいれば、少なくともユウキは生きることができる。これ以上の理不尽に晒されて死ぬことはなくなる。いつかは保護コードが消え、安全でなくなるかもしれないが、それまでは安全だ。だから残って欲しい。生きてくれているだけで、俺には十分すぎるくらいだから。本当は言いたかった。

「君は俺が絶対に死なせない」。俺は確かにそう告げたが、本当はここに残ってほしいくらいだった。例え無責任だと言われても。

 

「そして、もう一つは、俺と一緒に来るか。下手をすれば死ぬし、安全とは掛け離れた場所だ。いくら俺でもユウキを守り切れなくなる時がいつかは必ず来る。だから———」

 

 お願いだ。こっちには来ないでくれ。表面上、問題なく装った彼の心が瓦解しそうになる。すでに一度、人間を信じられなくなって壊れた心が、漸く信じようとしていた心がまた軋む。

 それは自分に対する怒りか。あるいは、茅場晶彦に対する憎悪のせいか。それとも———責任を感じて孤独を選ぼうとしているせいか。

 答えは単純だ。三つも選択肢がなくても、はっきりしていた。怖いのだ。孤独になることが。()()()()()()()()()()。でも、()()()()()()()()

 はっきり言って矛盾している。それを分かっていて、心を軋ませながら、アーカーはユウキに選択肢を選ばせようとしている。押し付ける強さが無いからこうなった。それしか俺は知らないからと言い訳をして。顔は無表情で、しかし心では泣き続けて————

 

 

 

「———ボクは……ソラと、一緒にいくよ」

 

 

 

 その答えに、すごく心が安らいでしまった。

心を軋ませてでも、保った表情が崩れ始めた。冷めた感情が、暖かさをもう一度だけ思い出す。きっと今の俺は情けない顔をしているのだろう。そう思ってはいるが、不思議とアーカーは直す気にはなれなかった。それは離しかけた指を絡ませるように、ユウキの言葉は心に溶けたからだと信じるように。

 

 

「確かに、すごく怖いよ。()()死に直面するなんて思ってなかったから。でも———」

 

 

 覚悟を決めて、ユウキは告げる。

 

 

 

「ボクはもう、君に救わ(守ら)れるだけの弱いままでいたくない」

 

 

 

 強いと思った。恐らく俺は一生彼女に勝てないだろうと思うくらいに。勝負で勝ったとか、そういうのじゃなく。ただ自然と負けを認めていた。

 

 

「……そうか。ああ……そうかぁ……はは」

 

 

 何処か諦めがついたような声だというのに、何処かすごく嬉しそうにアーカーは掠れた笑いを溢す。何度か目元をゴシゴシと擦り、情けない顔はこれまでだと覚悟を決めて————

 

 

 

「それじゃ、行こうか。目的地は《ホルンカ》。夜になるまでには絶対に向こうに辿り着いて、レベリングをする。誰よりも強くなって、一緒に終わらせてやろうぜ、ユウキ。アイツの———茅場 晶彦の世界を!」

 

 

 

「うんっ! 一緒に帰ろ、あの世界に! ソラの背中はボクが守るから」

 

 

 

 

 

 これが彼らの物語の()()()、その始まり。

 

 

 

 

 

 プロローグ《アインクラッド》後篇 —完—

 

 

 

 

 








次回 出会いの一つ




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3.出会いの一つ




 執筆途中で公式設定との食い違いが一つ出てきたので、独自設定・独自解釈のタグで一部変更。

《森の秘薬》クエストは一人用クエスト。
→正式サービスからパーティでも受けられる。ただし後から組むのは不可。
あとタイトルが違うのはあくまでも前回の予告は予定だったから、変えただけです。






 

 

 

 

 

 

 《はじまりの街》北西ゲートを出て、広い草原をそのまま突っ切り、深い森の中の迷路じみた小径を抜けた先に《ホルンカ》という名の村がある。これはベータテスターなら誰もが知っている、最初の情報だ。特に片手剣、詳しく区分すれば、片手用直剣使いには決して外せない重要なクエストがある場所として知られている。

 小さいながらもちゃんと《圏内》で、宿屋と武器屋、道具屋があり、充分な狩りの拠点にも使えるという点から、アーカーとユウキは、真っ先にその場所へと向かっていた。道中いくらかモンスターが———と言っても大方青イノシシばかりだったが、軒並み擦れ違い様に倒し、無数のポリゴン片にして送り返してきた。

 足早に向かうにしては焦る様子もなく、むしろ心理状態も含めて安定していた二人の狩り 兼 移動は眼を見張るものがあったことだろう。

 

 しかし、彼らの動きを評価する者は二人を除いていない。未だ恐らく《はじまりの街》にいるか、その周辺へと動き出した程度だろう。アーカーも言っていたが、前線へと出ることは死に近づくことと同義だ。デスゲームと化した影響からか、ベータテストの情報が正しいとは限らないと思考の片隅でこれまでの情報を疑い始める必要さえあった。加えて、ノーコンテニュー前提の戦いなど、ベータテスターですら恐怖を掻き立てられるに違いない。すでに何人か半狂乱し、あと数時間のうちに戦死者が出始めるかもしれない。

 

 果たして、何処の誰がデスゲーム開始してから初の死者となるか。考えただけでも気分が悪くなりそうだった。

 

 何はともあれ、二人の目的は《ホルンカ》への到達もあったが、それ以上に目指していたのは、ホルンカの村を拠点としたレベリングだ。可能な限り、現状上げられるところまでレベルを上げながら、例の片手剣を手にしなくてはならなかった。動き出したプレイヤーに追い付かれる訳にはいかない訳ではないが、それでもせっかくのアドバンテージを有効活用しなければならなかった。自己満足などではなく、ユウキを守るために。

 

 

 そうして、夕陽があと数分ほどで消え去る直前に目的地《ホルンカの村》には到着できた。現実なら今頃息を切らして、何度も深呼吸をしていたことだろうが、とりあえず今はユウキを気遣いながら、周囲を見渡す。

 

 入り口から確認できたのは、民家と商店あわせて十数棟しかないというだけだった。本当に小さい村だと今更ながら思うが、《圏内》判定があるのはありがたいことだった。視界に浮かぶカラー・カーソルには全てNPCのタグがついている。プレイヤーのカーソルはユウキを除いてアーカーには見つけられなかった。脳が《隠蔽》スキルの可能性も示唆したが、わざわざ《圏内》で使う奴はいないため、除外するとユウキを連れて移動を開始した。

 

 まずは武器屋だ。チュートリアル開始前にたっぷりと狩り尽くした青イノシシ以下モンスター諸君の素材アイテムがストレージに貯まっていたので、これをどうにかしたかった。生産性のスキルはきっと取らないだろう。ユウキがどうなのか気になったが、訊ねる前に躊躇なく売り払っていたのを見て、何事もなかったようにアーカーもまた売り払った。

 

 さて、僅かばかり金貨———コルが増えた訳だが、何に使うかは決まっていた。

 

「ユウキ、ポーションに余裕まだあるか?」

 

「うん、かなり残ってるから問題ないよ。何か買うの?」

 

「ああ、これを買っておこうかなって」

 

 指差したのは、そこそこ防御力の高い茶革のハーフコート。恐ろしく地味であり、アーカーも何処か諦めの色が浮かんでいる。そんな姿を可笑しそうにユウキは小さく笑うと、ハーフコートの横に置いてあった、同じく革製の———ただし、女性用らしく茶革ではないハーフコートを指差す。

 

「ボクもこれかな。少し色は黒っぽいね」

 

「女性用は黒っぽいって……いやいや男性用は茶色ってなんだよそれ……」

 

 何故かこういう時だけ羨ましそうにした後、大人しくそれを買い、即時装備ボタンをタッチ。初期装備の白い麻シャツと灰色の厚布ベストの上に、しっかりとした質感のある革装備がオブジェクト化され、見た目的な問題はともかく、防御力が上がったことに小さな安心感を抱く。

 一方のユウキも同様に装備したのだが、やはり色合い的に羨ましかった。じーっと眺めていると、ユウキが何処か変だったりしたのかと誤解したのか、何度も自分の格好を確認し始めたので、眺めるのをやめて次に移る。

 

 次に向かったのは道具屋だった。残っている額はそこまで多くはないが、少しずつ回復するポーション類は比較的安めだ。後々手に入る結晶アイテムなどは恐ろしく高いが、即効性がある。当然ここには結晶アイテムはない上に数多く買えないので、大人しく回復ポーションと解毒ポーションをそれぞれ買えるだけ買うことにした。

 

「ねえ、ソラ」

 

「ん? どうかしたか、ユウキ」

 

「さっき武器屋に入ったけど、武器は買い換えなかったよね。どうしてなのか教えてもらってもいいかな? あそこには今の《スモールソード》より強い《ブロンズソード》があったから気になったんだよね」

 

「あー、あれかぁ……」

 

 詳しく話すと長くなる話だ。取り敢えず今は短く端的に、しかしながら、分かりやすく。すぐに頭で言葉を纏めてユウキに伝える。

 

「簡単に言うとな、《ブロンズソード》は脆い。クエストに出てくる《ペナント》系モンスター———つまり、植物系モンスターの腐蝕液には特に弱くてな。俺達は盾を持たないから余計に耐久値減らすだろうから、丈夫な方が良いと思ったんだよ」

 

「ふむふむ、なるほど。ボク一人だったら絶対に買ってたかも」

 

「あー……うん、否定はしない」

 

「むぅ……そこは否定するところだよ! ソラは相変わらずだよね、そういうとこ」

 

 急に不機嫌になったユウキに、アーカーはただ困惑する。

果たして何処か不味かっただろうか、と。何度か考えるが、検討がつかなかったので、機嫌が直るように一つ提案する。

 

「狙ってるクエストの報酬の《アニールブレード》獲得に必要な《リトルペネントの胚珠》。出たら先にユウキにあげるから……な?」

 

「…………まったく、仕方ないなぁ」

 

 何かを優先してもらえる、その条件にユウキは機嫌を直してくれたのか、アーカーの手を握る。アホ毛が素直すぎるほどに喜んでいる時と同じ動きをしているところからして機嫌は直してくれたらしい。アホ毛が何故動いているかはさておき、そこからは打って変わって、先程の不機嫌なユウキではなく、いつものユウキらしい元気さに溢れていた。果たしてこれを世間的にはチョロいというのか否かは不明だが。

 

「ところで、そのクエストっていうのは何処で受けられるの?」

 

「そこの奥の民家だ」

 

 指差した場所は確かに一軒の家が建っており、明かりが灯っていた。恐らく他のプレイヤーなら遠慮なくズカズカと入るのだろうが、気持ち的にアーカー達はノックをすると、家の中から一人のNPCが出迎えた。

 

「こんばんは、旅の剣士さん」

 

「「こんばんは」」

 

「お疲れでしょう。食事を差し上げたいけれど、今は何もないの。出せるのは、一杯のお水くらいのもの」

 

 ここで何らかのアクションを取らないと先に進めないのだが、それを知るか知らぬかは不明だが、ユウキがすかさず言う。

 

「お水二人分貰ってもいいですか?」

 

「ええ」

 

 すると、NPCは古びたカップ二つに水差しから水を注ぐと、二人の前のテーブルにことんと置いた。立ち飲みするほど無礼ではないので、二人揃って椅子に座り、その水を飲む。

 

 ほんの少し笑い、おかみさんは鍋を煮込んでいたのか、そちらに向き直る。ここで、アーカーがユウキに小さくフラグ建てをすることを伝える。それを聞いてユウキはじっと待つと、やがて隣の部屋に続くドアの向こうから、こんこん、と子供が咳き込む声がした。それを聞いておかみさんが哀しそうに肩を落とす。それから数秒後、彼女の頭上に、金色のクエスチョンマークが点灯した。それはクエスト発生の証で、そこで漸くアーカーが動く。

 

「何かお困りですか?」

 

 いくつかある、NPCクエスト受諾フレーズの一つ。恐らく、始めたばかりの初心者(ニュービー)のほとんどは知らないだろう。事実、ここで強力な片手用直剣が手に入ることは何かしらの前情報がない限り知ることができない。

 

「旅の剣士さん、実は私の娘が……」

 

 ぴこぴこと《?》マークを頭上に点滅させながら、彼女は話し始めた。曰く、市販の薬草を煎じて与えても一向に治らず治療するには、西の森に棲息する捕食植物の胚珠から取れる薬を飲ませるしかないが、とても危険で花を咲かせている個体が滅多にいないので助けてほしい。助けてくれたら先祖伝来の長剣を差し上げます、とのことだ。

 当然とても長い説明を短くしたものだが、それでも長いと感じるものには長いだろう。加えてこれは、現在ユウキとパーティを組んでいるのだから一度で済む訳だが、組んでいない者と共に受けた場合、説明は二度受けることになるのだ。

 ここでも詰まる者がいたとベータテストで聞いたことがある。

 

 そうして、説明を終えたおかみさんが口を閉じ、視界左に表示されたクエストログのタスクが更新された。これでフラグ建ては完了だ。ここから漸くクエスト開始となる。

 

「ユウキ、フラグ建て終わったぞ。向かう先は分かってるな?」

 

「西の森の捕食植物だね。花が咲いてる個体が少ないって聞いたけど、どれくらいかかるの?」

 

「二人分だから、数時間は考えた方が良いな。リアルラック高いなら話は別だけどな。まあ……この世界に幸運値なんてステータスないけど」

 

「数時間かぁ……途中で少し休憩欲しいな」

 

「そうだな。それじゃ軽く動きを覚えながら戦うか。突っ込んだりしないようにな、ユウキ」

 

「初見のモンスターに突っ込むほどバカじゃないもん!」

 

 プンプンと怒り出すユウキに、謝罪を入れて二人は西の森へと向かう。先程の民家がもう少しで見えなくなる辺りで、誰かが駆け込んだのが見えたが、恐らく他のプレイヤーだろう。動きや時間的にベータテスターであることは間違いない。彼の視界にも微かに映った可能性が高いだろうから、きっと驚いているかもしれない。自分よりも早く辿り着いている奴がいるとは、と。

 

 それから二人は村の門を潜り、不気味な夜の森に足を踏み入れていた。アインクラッド内部には空がない。あるのは頭上百メートルに広がった次層の底だけだ。そのため、太陽や月を直視できるのは朝と夕方のいっときに限られる。一応夜にでも明かりはあるが、それは逆に薄暗さを強調していた。

 

「そ、ソラ……お、オバケとか出たり……しない、よね?」

 

「この森で出るモンスターって言ったら、クエストに関係する《リトルペネント》ってモンスターと奥にしかいない《ラージペネント》だけだから安心していいぞ。オバケは後のお楽しみにな」

 

「オバケ出ないんだ……だったら、安心かな。最後の言葉はちょっと聞き逃せないから後でお話……しよっか?」

 

 すごーく怖い顔をしてこちらを睨むユウキに、流石のアーカーも気合を入れて謝罪をする。さっきからこんな調子ばっかりだなと何処かで思うも、急にあることを思い出した。

 

「そういえば、ユウキ」

 

「うん? どうかしたの?」

 

「スキルスロットの二つ目決めたのか?」

 

「あっ、そういえば、まだ決めてないね。《索敵(サーチング)》と《隠蔽(ハイディング)》、他にも何かあるけど、どっちが良いの?」

 

「今は《索敵》取っておいた方がいいな。この森だと《隠蔽》は役に立たないし、他のスキルは必要だけど、今じゃなくてもいいからな」

 

「そうなの? てっきり《隠蔽》優先で取るのかと思ってたよ。これだけ薄暗いから、効果が発揮されやすいかなって」

 

「あー、実はな。この森のモンスターの《ペネント》系は、視覚以外の五感に特化してるせいか、視覚に影響を及ぼす《隠蔽》は効果がないんだよ。まあ、見たら分かる見た目してるんだけどな……」

 

 実際あれは序盤の苦手意識の塊だろう。ここで死ぬプレイヤーはイノシシよりも多いかもしれない。イノシシも大概慣れてないと怖いらしいが、あれとは違ったグロテスク系の怖さが、この森のモンスターにはある。捕食植物らしいと言えば〝らしい〟が。

 

「取り敢えず、まずは戦ってみるか。ユウキ、サポートよろしく」

 

「うん、りょーかい!」

 

 

 

 

 

 

———*———*———

 

 

 

 

 

 それから数十分後くらいだっただろうか。かなりのハイペースでリトルペネントを狩り続けた二人の———正確には一人のストレージには驚くべきことに、件の胚珠が……

 

「わーい、やったね! これで五つ目!」

 

「…………………不平等だ」

 

 半ば泣きそうな顔をするアーカーのストレージには、件の胚珠の姿は一つもない。数ならユウキよりも狩っているのだが、一つも拝めていない。

 一方でユウキのストレージには五つ目の胚珠が押し込まれていた。本当にリアルラック依存とは恐ろしいものだと心底思う。あの難病を除いて、ユウキに〝運が悪い〟は適応されただろうか。恐らく無いなと諦めた顔でリトルペネントを狩る。しかし出ない。

 

「………………あー出ねぇなぁ……」

 

「えーっと……ねえ、ソラ? ボクこんなに胚珠いらないから一つあげるよ? クエスト達成条件も一つだけだから、充分な数手に入ってるし……」

 

「…………ホント泣きそう」

 

 幼馴染の少女に慰められるとはこれいかに。あまりの情けなさに涙が出そうになる。おかしいな、このままだと俺が先導されかねないなとアーカーが真剣に悩み始める姿に、ユウキもまたどうしたものかと考える。彼のプライドの問題なのか、それとも渡す口実が悪いのか。間違いなく前者だが、ユウキは後者だと考えたのか、もっと良い口実を考え直す。

 ———つもりだったが、何処からか現れたまた何故か花が咲いてるリトルペネントのムカつく顔が考え事をしていたユウキには癪に触ったのか、半ば八つ当たり気味に蹴散らすと、ちょうど経験値がレベルアップ必要量を超えたのか、レベルがまた一つ上がった。

 

「わーい、レベルまた上がった!」

 

「……ん? ああ、レベルアップか。おめでとう、ユウキ」

 

「ありがと、ソラ。あ、これまた出たからあげるね」

 

 ポンと手渡しされたのは件の胚珠。また出たと言う辺り、本当にリアルラックどうなってんだと思ったアーカーだったが、流石にこのままだと出ない気がしたので、大人しく貰うことにする。本当に情けないが、出ないものは出ないのだ。やはり、ドロップで信じられるのはネームドモンスターのラストアタック産だけだ。

 

「さて、今更ながら思ったんだが、その胚珠四つどうする? 今合計で六つな訳だが」

 

「うーん、全部《アニールブレード》に交換してもらって、誰かにあげるとかどうかな?」

 

「まあ、その辺りが無難だろうな。下手に何本も持ってても、ポキポキ折るような愚行はする訳にはいかないしな」

 

「うん、そうだね。取り敢えず、はい」

 

 渡されたのは胚珠二つ。先程受け取ったのも含めて合計三つ。

 

「ん?」

 

「え、だってボクが《アニールブレード》五つも持つのはおかしいかなって」

 

「あーなるほど……」

 

「たまにソラってとんでもなく頭回らなくなるね」

 

「ごめんそれユウキには言われたくない」

 

「……うん、ちょっとお話しよっか?」

 

「ナンデモアリマセンゴメンナサイ」

 

 逆鱗に触れかけたアーカーは爆発寸前のユウキに何とか落ち着いてもらい今日だけで何回目かになる謝罪をしていると、直後、遠くから剣戟が耳に届く。

 

「他のプレイヤーか。一応《索敵》スキル使って確認———ちょっと待て、まさか《実つき》の実を割ったバカがいるのか!?」

 

「《実つき》って確かソラがボクに何回も注意してた、あのリトルペネントのこと!?」

 

「ったくメンドクセェ……臭いがこっちにも届いたらマズイな」

 

 あまり巻き込まれて危険を犯したくない。そう読み取れる表情をするアーカーだが、一度思考を入れ替えて、率直にユウキへ訊ねる。

 

「……それで、ユウキ。一つ聞いておくが、()()()()()()()?」

 

「うんっ、助けに行こう! 剣戟が聞こえるってことは、まだ必死に戦ってる。だから……!」

 

「了解だ。行くぞ、ユウキ」

 

 決断、そして行動。そこからは熟練者の動きも斯くやと言うものだった。道中を阻むリトルペネントを《スラント》よりも弱点を狙いやすく高火力な《ホリゾンタル》で弱点を的確に突き、瞬く間に屠り続ける。先頭はアーカー、討ち漏らしをユウキが確実に倒し、薄暗い森の中を駆け抜けていく。

 

 僅か数分の高速移動で多少無茶があったが、何とか間に合った。そこにいたのは、女顔のような男性プレイヤー。かなり疲弊しており、相当な数を単独で屠っていたのだろう。武器である片手用直剣はすでにボロボロで耐久値も危うい。このまま行けば、武器が破壊され、死んでいた可能性すらあった。

 

「うらぁっ!」

 

 囲みを破るべく、背後からリトルペネントの包囲網を破る。突然できた突破口と援軍に、彼は固まっていたが、すぐさま気を取り直すと、再びモンスターの大群を薙ぎ倒す。三人のプレイヤーによる反撃が数分ほど繰り返され、モンスターの群れ、その全てが討伐された。

全員が疲弊した様子を見せ、誰一人として軽口を叩く元気など有りはしない————

 

「ふふっ」

 

「ははっ」

 

「「あははははっ!!」」

 

 ———はずだった。響き渡ったのは、援軍として参戦したアーカーとユウキの笑い声。もはや折れる寸前とまで弱った片手用直剣を眺めてから、満足そうに呟いた。

 

「いやー戦った戦ったぁっ! 流石に疲れたなぁー」

 

「ボクもこんなに疲れたの久しぶりだよー。あ、レベルアップしてる。ねえ、ソラ。何処に振った方がいいかな?」

 

「ん? ちょっと待ってくれ。俺もレベルアップしたから、ステ振りしないとな」

 

「やっぱり敏捷力かな? 動きに自由度ある方が楽しいから」

 

「ま、それでいいんじゃないか? 俺も似たようなもんだし」

 

「そっかあ、それじゃあボクもそうしよっと」

 

 わいわいと会話を繰り返す二人組の援軍に、助けられた男性プレイヤーは困惑の表情を浮かべたまま、首をこれでもかと傾げた。おかしいな、これでも俺はさっき《MPK(モンスター・プレイヤー・キル)》されそうになったところなんだが……と。

 そこまで考えたところで、アーカーが漸く男性プレイヤーに声をかかる。

 

「よっ、ナイスファイト。生きててなによりだ———とはいえ、助けに行こうって提案したのそっちだから、俺にお礼なんか言うなよー」

 

「お礼を言われるほどのことでもないけどね。ところで、大丈夫だった? ポーション無いならあげるよ?」

 

「えっと……その……大丈夫だ」

 

 あまりにもグイグイ押してくる二人に、未だ困惑冷めやらぬ状態の彼は、一旦深呼吸をして冷静になって考える。果たして彼らは味方なのかと。助けてくれたのは間違いないが、またコペルのように何かしらの意図を持って仕掛けてきている可能性がある。この場合なら胚珠を狙っている可能性も————

 

「さてと、それじゃ俺達は先に戻るか。流石に武器の耐久値も危ういからな。レベルの方も充分上がったから、《アニールブレード》貰って、手慣らしに奥の《ラージペネント》でも倒しにいくか?」

 

「うん、それ良いねー。あ、でも、この人このまま置いていくのも大丈夫かな……ほら、武器壊れちゃったみたいだし」

 

 たった一人で《MPK》を捌いていた彼の武器は壊れ、今は他に予備がないようだ。次の武器を握っていない辺りから、そう窺えた。ここから村まで戻れるかと言えば、少し難しいかもしれない。だが、一応本人の意思は訊ねておく。

 

「なあ、アンタ。一人で村まで戻れそうか?」

 

「……どうだろうな、また《MPK》や群れに囲まれたら逃げ切れない可能性が高い……と思ってる」

 

「うん、それじゃあ一緒に村まで戻ろ! まだボク達は辛うじて戦えるから村までなら何とかなるよ!」

 

「———と、うちのユウキが言ってるんだが、アンタはどうするんだ?」

 

「……アンタ達のこと信じていいんだな?」

 

 その目は猜疑心に満ちていた。恐らく先程の《MPK》が原因だろう。主犯格がどうなったかは知らないが、一応こちらとしても警戒しようとユウキに伝えると、自己紹介をする。

 

「俺の名はアーカー」

 

「ボクはユウキ。君は?」

 

「俺は———キリト。ソロだ」

 

 

 

 

 

 これが、のちに名を轟かせるソロプレイヤー《黒の剣士》との出会いだった。

 

 

 

 

 出会いの一つ ー完ー

 

 

 

 

 








次回 遺志を託して逝く者へ 前篇(の予定)






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4.遺志を託して逝く者へ 前篇




 最近投稿頻度が多くなりました作者です。今回は『英雄』とか『救世主』とか、そういうヒーロー系の像が微塵もない悪役をわざと演じる主人公の図がありますが、特に気にしないでください。ちょっと主人公が感情的に左右された一面があるのは言うまでもないです。
当然怒られてます。誰とは言いませんが。

※ダッシュ追加。






 

 

 

 

 

 

 デスゲームが開始されてから一ヶ月と少しが経った。

 

 現在のアインクラッドの事態は〝深刻〟の一言に尽きた。全プレイヤーが一万人だったという情報が真実なら、一ヶ月でそのうち二千人が死んだ。たった一ヶ月、それで五分の一が死んでしまった事実が、ほとんどの全プレイヤーを震撼させた。

 

 当然その事実のせいもあって、攻略自体は恐ろしく難航した。誰だって死にたくない、という事実が足を止めさせたのだ。

そんな中、一部の勇敢な者達によって、慎重だが確かな足取りで攻略は進んでいった。その攻略が例え蟻のような歩みだとしても———

 

 そうして、その努力が実を結んだ。ついにフロアボスの部屋が見つかったという情報が流れ、近々ボス攻略会議が行われることが伝えられ、その日に備えて各々は準備を重ねていった—————

 

 

 

「あのな、ユウキ。確かに俺は向こう(現実世界)だと掃除洗濯家事なら任せろって言えたけどな、こっちだとスキルスロット食われる上に、スキル値が低い間は全く役に立たないんだって」

 

「えー。でも、またソラの手料理が食べたいなぁ……」

 

 現在二人がいるのは、フロアボスがいる部屋が見つかったという情報が真っ先に届いた最寄りの街である《トールバーナ》の一角にある農家の二階だ。今ここにはいないが、《森の秘薬》クエストで出会ったキリトとはあれからも交友があり、別の農家の二階を借りていると本人の口から聞いている。ここ最近は何か探しているらしく、別行動をしているが、恐らくボス攻略では同じパーティになると思う。

 

 ———と、いうことはさておき。今二人が何をしているかというと、この世界における料理についての話だった。始まった理由はユウキがアーカーの手料理をまた食べたいと言い出したことにある。とはいえ、確かにあの日、完治祝いと称して腕に縒りをかけて作った手料理が、巻き込まれたことでオシャカになったのは言うまでもない。彼女が食べたがる理由も分かるには分かるのだが————

 

「……うん、まあ、気に入ってくれてるのは嬉しいんだけどな。でもな、今のスキルスロット数で《料理》スキル取るのは危険なんだよ。そもそも思い出してみろ。今、俺達はそこまで余裕ないからな? 一ヶ月と少し前に《片手用直剣(ワンハンドソード)》と《索敵(サーチング)》を取っただろ?」

 

「う、うん……確かに余裕ないね。あと一つ空いたら入れて欲しかったんだけど……」

 

「まあ、確かにそれも考えたんだけどな。第二層で新しいスキル獲得できる情報でも出たら困るだろ?」

 

「うっ……それは確かに……」

 

 肩を落として落ち込むユウキの姿に、胸が痛んだアーカーは慰めながら続けて説明をする。

 

「一応言っておくが、あくまで()()()()()から()()断ってるだけだから、な?」

 

「……え? それってつまり———」

 

「スキルスロットに余裕を持たせられたなら率先して《料理》スキル取って、スキル上げして美味しいもの食わせてやるって意味だy———って、うぉっ!?」

 

 突然の突進。ここが《圏内》で無ければ、後頭部をぶつけてダメージが少しはあっただろう威力が炸裂し、アーカーは床に後頭部をぶつけることになる。ダメージは無かったが、衝撃はあるためにちょっと呻くが、すぐさま突進してきた理由を知るべく、上に乗っかっているユウキを見る。

 

「やったー! ありがと、ソラ! 手料理、期待してるね!」

 

「あのなぁ……いくら《圏内》でも突進はするなよ……」

 

 反撃とばかりにユウキの額にデコピンを見舞うと、ひっくり返って床の上をゴロゴロと転がり始めた。先程の突進ほどではないが、衝撃がある。無論《犯罪防止(アンチクリミナル)コード》と呼ばれるものには引っかかりはしない。

 

「デコピンはダメだよ、ソラ! いくらレベル低くても痛いもん!」

 

「ユウキがやった突進の方が倍近く痛いからな!?」

 

 やいのやいのと言い合った後、お互いに謝罪して《料理》スキル関連の話はそこで終わる。それから喉が渇いたからと、飲み放題のミルクを飲んで、この後の予定を立てることにする。

 

「確か今日の夕方に、《第一層フロアボス攻略会議》があるんだったな。ユウキは参加するか?」

 

「うん、参加するよ。ソラも参加するんだよね?」

 

「まあな。取り敢えず、この層のボスだけは片付けておかないと後陣が続かないからな。いい加減第一層くらいクリアしないと第百層なんて夢のまた夢だ」

 

「そうだね。向こうに戻ったらやりたいこと、たくさんあるもん」

 

 恐らく今日の夕方に開かれる《第一層フロアボス攻略会議》に集まるプレイヤーは二人と同じ考えだろう。未だ先の見えぬアインクラッド攻略。それに漸く兆しが見え始めた千載一遇のチャンスを持て余す訳にはいかない。それに加え、今回の攻略は失敗を許されないとアーカーは思っている。

 

第一層フロアボス、それはつまり、最初の難関だ。これに詰まるということは、この後に控えるフロアボスにすら勝てないということになる。敗走も全滅も許されない。とんだ無茶振りだろう。当然下手に偵察隊も送るとは思えない。まだこの辺りはベータテストでも攻略されている階層だ。情報だってキチンとある……と彼らはきっと考えるんだろうなとアーカーはそこで思考を止める。

 

 思考を止めた理由はいくつかあったが、一番の原因は、ここにいるユウキだ。何処からどう見てもそわそわしている。あれは《会議》を楽しみにしている———というより、第一層フロアボスの方を楽しみにしているに違いない。楽しんで勝つ、をスタンスにしているユウキらしい光景だが、果たして楽しめるようなものになるかどうか……。

 

「さて、件の《会議》まで時間あるし、《迷宮区》でレベリングの続きするか?」

 

「うん、そうしよっか。ポーションの準備は全部済んでるよー」

 

「それじゃ行くか、《迷宮区》」

 

 農家の二階から飛び出すように外へと出て、主街区を突っ切るように《迷宮区》に突貫した二人は、数時間ごとに休憩を取りつつも、二人とは思えない速度でモンスターを狩り続け、お互いのレベルを一つずつ上げてから、楽しげに帰還したのだが、その光景を見た他のプレイヤー達は揃って、こう告げたと言う。

 

 

 あれはもはや天災の分類だ、と。

 

 

 

 

 

 

 

———*———*———

 

 

 

 

 

 そうして、時間は過ぎていき、夕方へと移ろいだ。

《第一層フロアボス攻略会議》が開かれる集合場所は、主街区《トールバーナ》の噴水広場だ。明るく談笑をしながら、二人が広場に辿り着く。それから、アーカーはすぐさま人数を数え始めた。数え始めたのには理由があった。ベータテストの頃、フロアボス攻略会議となれば、数えるのが億劫になるほど人数がいた。

 

 だが、これは一目で分かるほど少なかった。果たして何人いるだろうか———そして、その答えはあっさりと出た。二人を合わせて合計四十六人。つまり、レイド一つの上限すら満たせていない人数だ。一パーティーの最大人数は六人。それを八つに束ねることでレイドが完成する。しかし、八つに束ねるためには、あと二人足りなかったのだ。

 

 期待とは裏腹の結果に、アーカーは何処か先行きの重いものを感じた。果たして、この人数でしっかり回せるのかと。不確定要素が多いと推測される、この正式版SAO。ベータテストはあくまでベータテストであり、そのため、何かが変わっていてもおかしくはない。そう考えると、不安が残ったのだ。

 その一方で、ベータテストの時がどうだったかは知らないユウキは、たくさん人がいることに目をキラキラさせていた。それにアーカーが気がついたのは、すぐのことだったが、お蔭で喉元まで出掛かっていた言葉を押し込めることができた。

 

「さて、取り敢えず座って待つか」

 

「うん、そうだね」

 

 噴水広場の中央が見えやすい、手頃な段差に腰をかけると、二人はキョロキョロと周りを見渡した。見渡したのには理由がある。まだあの男の姿が見えなかったからだ。キリト———《森の秘薬》クエストで出会ったソロプレイヤーの彼が、この《会議》に参加しない道理はなかったからだ。フレンド登録画面を見ても異常はないため、来ないはずがないと考えた二人は、何処かに座っているのかと思っていたのだが————

 

「すまない、二人とも待たせたな」

 

 と、背後から聞き覚えのある声がかかって振り向いた。そこにいたのは、件の男であるキリトとフードを被ってはいるが、恐らく女性プレイヤー……ん?

 

「なあ、キリト」

 

「どうかしたのか、アーカー?」

 

「お前、用事があるって言って別行動してたのってまさかとは思うが、ナンパか?」

 

「違ぇよ! そんな訳ないだろ!?」

 

「だ、だよね……。キリトがナンパしに行くはずないもんね」

 

「何処か棘を感じるような気がするんですが、ユウキさん……?」

 

「キノセイダヨー」

 

「見事なまでの片言だなおい……」

 

 二人掛かりで弄られたことで疲れた様子を見せるキリトはさておき、次の目標とばかりに二人はキリトが連れてきた女性プレイヤーに声をかけた。

 

「初めましてだな。俺はアーカー。そこのキリトとは知り合いだ。よろしくな」

 

「ボクはユウキ。よろしくね」

 

 差し出される手に多少抵抗はあったが、女性プレイヤーは握り返す。それを受けて嬉しそうに笑顔を振り撒くユウキを見て、周囲のプレイヤー達も興味津々にこちらを見ていたが、当人はそれに気がつくことはなく、二人を空いている隣などに誘導して座らせた。

 

「さて、これで実質四人か。あと二人はどうしようもなさそうだな」

 

「ああ、レイドの話か。確かにデスゲームとして見れば、この人数は多いほうかもしれないな」

 

 やはりキリトも同じことを考えていたらしい。ベータテスト経験者である二人は、この状況をあまりよく思っていなかった。しかし、どのみち不確定要素が多いので、一概に良い悪いとも言えない。

そんな中、パン、パンと手を叩く音が広場に響き、続いてよく通る叫び声が流れた。

 

「はーい! それじゃ、五分遅れだけどそろそろ始めさせてもらいます! みんな、もうちょっと前に……そこ、あと三歩こっち来ようか!」

 

 堂々と喋る主は、長身の各所に金属防具を煌めかせた片手剣使い(ソードマン)だった。アーカーやユウキ、キリトも同じ分類だが、違う点は彼が盾を装備していることにあった。そんな重装備だというのに、広場中央にある噴水の縁に、助走なしでひらりと飛び乗る辺り、筋力・敏捷力は共にかなり高いと推測された。

 

「今日は、オレの呼びかけに応じてくれてありがとう! 知ってる人もいると思うけど、改めて自己紹介しとくな! オレは《ディアベル》、職業は気持ち的に《ナイト》やってます!」

 

 その自己紹介に、噴水近くの一団がどっと沸き、口笛や拍手に混じって「ほんとは《勇者》って言いてーんだろ!」などという声が飛んだ。そう茶化すのは恐らく彼の仲間だろうか。お蔭で雰囲気がよくなっていくのは予め予定していたのか偶然か。どちらにせよ、円滑に進むのなら問題はなかった。

 

「さて、こうして最前線で活動してる、言わばトッププレイヤーのみんなに集まってもらった理由は、もう言わずもがなだと思うけど……」

 

 右手を振り上げ、街並みの彼方にうっすらと聳える巨塔———第一層迷宮区を指し示しながら告げる。

 

「……今日、オレ達のパーティーが、あの塔の最上階へ続く階段を発見した。つまり、明日か、遅くとも明後日には、ついに辿り着くってのとだ。第一層の……ボス部屋に!」

 

 どよどよ、とプレイヤーがざわつく。そばではキリトが驚いているところから、自分よりも早くマッピングを済ませていた奴がいたことが気になったのだろう。実際、アーカーとユウキの二人もまた、件の階段は見つけていたが、《会議》が開かれるという情報が流れているのに水を差すのは野暮だと思って黙っていたのだ。

 

「一ヶ月。ここまで、一ヶ月もかかったけど……それでも、オレ達は、示さなきゃならない。ボスを倒し、第二層に到達して、このデスゲームそのものもいつかきっとクリアできるんだってことを、はじまりの街で待ってるみんなに伝えなきゃならない。それが、今この場所にいるオレ達トッププレイヤーの義務なんだ! そうだろ、みんな!」

 

 喝采。ディアベルの仲間達以外にも手を叩いている者が増えてきた。それほど言っていることに非の打ち所はない。意地でも探すほど捻くれた根性の者などいるはずもない。これほど纏め役に嵌った人物などそうそういないだろう。アーカーもまた、その拍手に続くべきかと手を動かした直後————

 

「ちょお待ってんか、ナイトはん」

 

 低く、制止の声が流れた。

 鳴り止まなかった歓声がぴたりと止み、人垣が二つに割れ、その人物に皆の視線が集中する。立っていたのは、小柄ながらがっちりとした体格の男だった。武装はやや大型の片手剣だろうか。サボテンのような尖ったスタイルの茶髪が目立つ特徴だった。

 

「そん前に、こいつだけは言わしてもらわんと、仲間ごっこはでけへんな」

 

「こいつっていうのは何かな? まあ何にせよ、意見は大感激さ。でも、発言するなら一応名乗ってもらいたいな」

 

「…………………フン」

 

 サボテン頭は盛大に鼻を鳴らすと、噴水の前まで進み出て振り向く。

 

「わいは《キバオウ》ってもんや」

 

 これまた堂々とキャラネームを名乗ると、何故かキリトの方を一瞥してから、鋭い視線を全員に向けた。

 

「こん中に、五人か十人、ワビぃ入れなあかん奴がおるはずや」

 

「詫び? 誰にだい?」

 

 ディアベルが、様になった仕草で両手を持ち上げる中、キバオウはそちらを振り返ることなく憎々しげに吐き捨てる。

 

「はっ、決まっとるやろ。今まで死んでった二千人に、や。奴らが何もかんも独り占めにしたから、一ヶ月で二千人も死んでしもたんや! せやろが!!」

 

 その言葉に、低くざわめいていた約四十人の聴衆が、ぴたりと押し黙る。キバオウが言わんとしていたことを全員が理解したからだろう。当然、その中にはアーカーやキリトもいた。

 なるほど。つまり、奴が言いたいのはベータテスターが情報を独り占めして、しかも手助け一つせずに黙々と進んでいったせいで二千人も死んでしまった。だから謝罪しろ、と。そう理解した途端、思わず溜息が溢れた。その溜息が存外大きかったことに気がつかなかったのは、この先ずっと後悔することになるのだが、それはいずれまた。

 

「なんや、ジブン。何か文句あるんかいな」

 

 当然それに気がつかないはずはなく、一斉に皆の視線がこちらを向く。それに当の本人が気付くまでに数秒。気がついてから自分の浅はかな行動への後悔と反省に数秒を使い、席を立つ。ユウキが心配そうにこちらを見ていたが、アイコンタクトで心配するなとだけ伝え、堂々と発言することにする。

 

「先に名乗っておく。俺は《アーカー》。ただのしがないベータテスターだ」

 

 ベータテスト。そう堂々と名乗り上げるアーカーに、さしものキバオウも驚愕の色を浮かべる。それは保身に走った周りも同じだった。議論の中心たるベータテスターがこうも堂々と出てくるとは思っていなかったのだろう。態勢が一度崩れたのを見計らい、アーカーはここぞとばかりに続ける。

 

「お前の言ってる謝罪必須な奴らっていうのは俺達《ベータテスター》のことだろ?」

 

「そ……そうや! ジブンらみたいなベータ上がりどもは、こんクソゲームが始まったその日にダッシュではじまりの街から消えよった。右も左も判らん九千何百人のビギナーを見捨てて、な」

 

「まあ確かに早々に移動しただろうな、ベータテスターなら」

 

 事実、デスゲームとなった現状を理解したベータテスターなら、そうせざるを得ない。まずは自分のことを優先するのが人間の本性で本質だ。そこはいつの時代だろうとも変わりはしない。

 その言葉が全く響いていないような様子を見せるアーカーに、キバオウはカッとなり怒気を強めて続けた。

 

「ジブンらはウマイ狩場やらボロいクエストを独り占めして、ぽんぽん強うなって、その後もずーっと知らんぷりや。ジブン以外にもちょっとはおるはずやで、ベータ上がりっちゅうことを隠して、ボス攻略の仲間に入れてもらお考えてる小狡い奴らが、

ジブンも筆頭にそいつらにも土下座さして、貯め込んだ金やアイテムをこん作戦のために軒並み吐き出してもらわな、パーティーメンバーとして命は預けられんし預かれんと、わいはそう言うとるんや! 分かったかベータテスターのジブン!」

 

 名前の通り、牙の一咬みにも似た糾弾が途切れても、やはり声を上げようとする者は————

 

「なるほどな。見捨てた結果が二千人死亡を創り上げた、と」

 

———そこにいた。

 

 アーカーは、先程と何ら変わらぬ顔色で、腕を組んでキバオウの演説の内容を短く纏めて呟いた。他の誰もが声を上げようともしなかった現状に、異様な姿を見せる彼の姿はどう映っただろうか。ロクなものではないのは違いないだろうが。

 

「二千人の死亡は確かに大きな痛手であり、うちビギナーの死はベータテスターの責任と言われても反論は()()できないな」

 

「それ見てみい! ジブンらが見捨てた結果が二千人や! その重さが痛いほど分からなあかんはずや! だったら、ジブンからまずは金やアイテムを———」

 

「オーケー、それじゃ、出す前に一つ質問しても構わないな、キバオウ。あと一つ言っておくが、お前がこの話を出したと言うことは論破される覚悟もしているんだろ? なら、お前が論破されたら金やアイテム出すのは無しだ」

 

「ぐっ……かまへんで。論破できるもんならしてみい!」

 

「そうかそうか。それじゃ訊ねるが———二千人の死亡者、その中にベータテスターが()()()()()()()()()()()()とでも?」

 

「……なんやと?」

 

 その一言に、キバオウは優勢に出ていた自分自身の言葉を一度止めるしかなかった。二千人の死亡者にベータテスターがいないと思っているのか?と訊ねられたことが、彼の優勢を一瞬で足止めした。

 

「お前は何やら勘違いしているみたいだが、二千人全員がビギナーの訳がないだろ? 当然ベータテスターも、例え情報があろうがビギナーとレベルは同じだ。当然、最前線へ自ら躍り出るということは、不確定要素に遭遇することだって当然ある。お前が知っているかは知らないが、ナーヴギアによるとてつもなく立体的で現実的なこの世界は、ただの青イノシシと遭遇し、戦うだけでも、慣れていない者や慣れていたとしてもデスゲームという現実に心が弱まった者には致命的な隙を与える。最前線へ躍り出れば、自分は強くなれるから助かる、なんて考えてるベータテスターは山ほどいただろう。そいつらがデスゲームの重圧を諸共しない化け物だとお前はそう思っているのか?」

 

 そう、アーカーが問いたかったのはまずここだ。ビギナーとベータテスターの違いは経験だけしかない。中身は同じ人間で、デスゲームの重圧に対する精神抵抗力など人それぞれだ。全員がケロッとしているはずがない。つまり———

 

「ベータテスターは、()()()()()()()()()()()()()()()()()覚えた奴らの集まりだ。時にキバオウ。お前もこのゲームをやろうとした時点で相当なコアゲーマーだと思って訊ねるが———お前、死んだらお前も死ぬよと言われてから一度も死なずにクリアできるか?」

 

 その一言は確実にキバオウの進路を阻んだ。コアゲーマーとしてのプライドから何まで。上からズカズカと自分勝手に持論を展開した程度の奴に、果たして死ぬ可能性があるゲームに、一度も死なずにクリアできますよ、と答えられるだろうか———答えられるはずがない。

 

「恐怖と絶望は思っているよりも精神的にダメージを負わせる。ただでさえチュートリアルで狂乱に満ちていたあの現場で、平常心を保っていた奴なんてそういないだろう。一目散に駆けたベータテスターは特に精神面は不安定だろうな。ただの青イノシシですら見た目以上の化け物に見える奴もいただろうな。それに、だ。例え情報があっても、俺は目の前で死んでいったベータテスターを数人見たことがある。そいつらは揃いも揃って他人を嵌めようとして死んだよ」

 

 これはキリトから聞いたコペルというベータテスターの話だ。実際に見たのは一人か二人だが、効果的に示すなら数はボヤかして伝える方が良い。

 

「他にもベータテスターならではの弱点はいくつもあるさ。少なくとも———そうだな、まずは現実的な数字を教えてやろうか。先程お前に訊ねた、二千人の死亡者の中にベータテスターがいないと思っているのか?って問いなんだが、どれくらいいたと思う?」

 

 キバオウは答えない。()()()()()()()い。恐らくコイツは《鼠》に訊ねなかったんだろう。死亡者の中にどれほどベータテスターがいたかを。だから、それを今こうして伝えてやる。

 

「答えはな———三百人だ」

 

「……はっ、たった三百人やんけ! ビギナーは千七百人も死んどるんや! 何が教えてやるや、馬鹿馬鹿し———」

 

「お前、本当にそう思ってるなら重症だな」

 

「————なんやと?」

 

 重症と貶され、キバオウの額に青筋が浮かぶ。今にも飛びかかりそうな程に怒り心頭の様子だが、それをさらに煽るように確かな声音でアーカーは現実を告げた。

 

「ベータテスター、その全体は千人だ。その千人が全員ログインできている可能性は恐らくない。仮にあの日ログインできたとしても八百人か七百人と考えるべきだ。そこから考えてみろ。三百人だぞ? 確率を計算してみろよ。答えがハッキリする」

 

 そう言われてほぼ全員がハッと気が付いた。アーカーが言わんとしていることに。

 

「ベータテスターの死亡率は約四割。それに比べてビギナーの死亡率は約二割を下回っている。これが分からないはずがないよな?」

 

 かつて見せた底冷えするような冷酷無慈悲な瞳がキバオウを貫く。あまりにも昏い目付きに、彼の内心はどうなっているのか。見れるものなら確認してやりたいが、それはさておき。

 

「つまるところ、そういうことだ。ベータテスターの殆どは情報に頼るあまり一ヶ月の間に無駄に死んだ。情報を持ったまま自殺したようなものだ。その一方で確かにビギナーも多くが死んだが、彼らは彼らなりのやり方でこうして辿り着いている。実際お前もそうだろう、キバオウ」

 

 そう言って、ストレージを開き、あるものを取り出して嗤う。

 

「これ持ってるだろ?」

 

 ひらひらと見せたのは、大体が無料配布のガイドブックだ。これに助けられた者だって多いはずだろう。

 

「なあ、キバオウ。これ作って配布したの、誰だと思う?」

 

「……まさか」

 

「———これは先々進んでいたベータテスターが残した情報だ。ビギナーよりも先に進むからこそ、ここから先に行く奴らに知っておいてほしいと残したもの。お前はお前の嫌ってるベータテスターに守られていた。屈辱だろうが事実だ」

 

「………なん……やと…………」

 

 その事実が、キバオウの持論をへし折ったのは誰が見ても一目瞭然だった。膝を地面に着き、崩れるように彼は空を見上げるだけとなった。どうやら相当響いたらしい。

 

「……さて、他にまだ言いたいことがあるなら聞いてやるが———俺を論破したいなら、もっと知恵を回しておけ」

 

 恐らく届いていないだろうが、ひらひらと手を振って席に戻り、あー疲れたと愚痴を溢す。それからアーカー自身が存外ノリノリで悪役を演じていたことを自覚するのにそう時間はかからなかった。

 

 それこそ、同じベータテスターのキリトが引き攣った苦笑いを溢し、ユウキがジト目でやりすぎと伝えてきて、フードを被った女性プレイヤーがドン引きしている様子だったことから察するまでもなかったことだろう。

 

 論破され続けたキバオウは、あのまま身動きひとつしない。ディアベルもまた苦笑いを浮かべながら、ある程度アーカーの反論の良い点を持ち上げてくれていた。ベータテスターの必要性も説きながら、場の空気をもう一度盛り上げるために尽力していた、そんな姿には何処か申し訳なさを感じることになる。

 

 

 

 それから間もなく《会議》が終わった後、こっぴどくユウキに怒られたのは言うまでもなかった。

 

 

 

 

 

 遺志を託して逝く者へ 前篇 ー完ー

 

 

 

 

 






最前線を突き進むレイド。

そして、ついにフロアボスの元へと辿り着く。

果たして、勝つのはプレイヤーか、フロアボスか。

次回 遺志を託して逝く者へ 中篇






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5.遺志を託して逝く者へ 中篇




 昨日投稿しようと書き進めていたところ、見事に文字数が一万五千を余裕で超えてしまい、削れるところを探すも無理だったので、前中後と分けることにし、昨日のうちに区切りのいいところへと持っていく作業をしていました。そのため、今回は中篇です。近いうちに後篇を出します。お楽しみに。

※文章少し追加。ダッシュを変更。





 

 

 

 

 

 

「ねえ、ソラ。アスナ、キリトに預けて大丈夫だったかな?」

 

「大丈夫だろ。そもそも、この部屋は二部屋で、両方とも俺たちが借りてて空きがない。まあ確かに俺が地べたで寝ればいい訳ではあるけどな……」

 

「ごめんなさい……」

 

 《第一層フロアボス攻略会議》の後、二人は後日行われる《攻略戦》に備え、借りた農家の二階に戻った。当然英気を養うつもりだったが、夕方のことで叱られたのは言うまでもない。

 

 そんな中、《会議》のすぐ後に、細剣使いのアスナというフードを深く被っていた女性プレイヤーが、キリトが呟いた風呂と言う言葉に過剰反応し、彼の借りている部屋にある風呂を借りに行く話になった。

その時は、何も言わず解散したのだが、怒られてしばらくした後、この部屋に泊めた方が良かったんじゃないかな?という意見が、今更ユウキの口から飛び出していた。それに対して、アーカーは問題ないだろうと言いつつ、もし今からこちらに迎え入れた場合に起きることも言い添える。

 

「あっ! それならボクのベッドで一緒に寝ればいいんだよ! それならソラは床に寝なくて済むよ!」

 

「……あのな、そうした場合、アスナに《リニアー》を連続で叩き込まれて俺のHPが終わるぞ……《圏内》だからダメージはないけどな。あと忘れてるだろうが、男性プレイヤーが女性プレイヤーに何かしらの行為を働いた場合、不可抗力だろうが《ハラスメント防止コード》が出るからな? 下手すると俺は《監獄》行きだぞ」

 

「あ、あはは……ごめん、すっかり忘れてたよ」

 

 ユウキらしいというか何というか……アーカーは溜息を吐く。今頃件のアスナは風呂に入っているだろう。キリトは果たして落ち着いているだろうか。頼むから《攻略戦》前に一人欠けることにはならないでくれ……と何処か祈るような気持ちでいると、ユウキが何かを思い出したかのように言った。

 

「ボクが先にお風呂入ってもいいかな?」

 

「……何だそんなことか。お先にどうぞ」

 

「わーい。ゆっくり浸かってくるねー」

 

 そう言うとユウキはバスルームのドアを開けて中へと消えていった。パッと見たところ、閉められたドアは安心感があるように見えるが、実際は鍵をしっかり閉めておかないと意味がない。鍵は閉める時に音がするので確認も楽だ。内だろうが外だろうが、鍵を閉めた時の音が聞こえるからだ。

 しかし———

 

「……はあ……ユウキの奴、風呂場の鍵閉めてないな。頼むから警戒心ってものを持ってくれ……俺も健全な男なんだが……」

 

 ガチャリという音が聞こえないところから、鍵が閉められてないなと気が付き、思わず溜息が出た。幼少期からの幼馴染であるため、ユウキとは長い付き合いなのだが、そのせいか警戒心が弱すぎる。正直な話、男として見られていないのではと思わずにはいられない時もない訳ではなかった。そのせいか、今一度自分の容姿を確認する。

 

 毛先だけが白く、他は黒一色の髪色。この髪色は向こうでも同じだ。髪型も平々凡々とした極々普通のショートヘアー。キリトと似たり寄ったりかもしれないが、少なくとも彼の髪型よりは少しばかり派手だろうか。顔はやはり齢13歳の少年らしい顔つきか。しかし、色々あったせいで少年らしい純粋無垢な顔はしていない。怖い顔をしてみろと言われると余裕で怖い顔が出来るレベルだ。わざと怖い顔をしてみたが、もしかすると下手な悪役より怖いかもしれない。瞳は黒っぽく、まだ多少精気のある光の灯った瞳だが、果たしてデスゲームクリアが成されるまで、保つことができるだろうか。

 

 などと、自分の顔を簡単に確認してみたが、世間一般で言うイケメンとは違うと自分自身自覚している。精々平々凡々より上だろうか。自己評価だが、中の中ほど中途半端すぎて困るものはないと心底思う。そういえば、ユウキの両親や藍子さんに、精緻で綺麗な顔をしていると言われたことがあった。即座に否定したが、否定するなと怒られた覚えがある……何故だ。

 

「キリトは……もっと童顔だったな」

 

 ここにはいないパーティーメンバー 兼 ベータテスター仲間のキリトの顔を思い出してみる。あれは女顔と言われても納得できる。本人に言ったら怒られそうだが、事実だろう。一方の俺の顔もそう見えたりするのだろうか。見えないと思っているが、果たしてどうなのだろう。こういうものほど、本人に自覚がないと言われるせいか、安心が全くできそうにないとアーカーに不安が募る。

 

「……俺の顔はどっちなんだろうなぁ……」

 

「ソラの顔がどうかしたの?」

 

「ん? あ、ユウキか。もう上がったのか———って、 ユウキ!?」

 

 部屋に備え付けられていた大きな鏡と睨めっこしていたアーカーのすぐ隣で覗き込むようにして見ていたユウキに、彼は態勢を崩して思わずひっくり返る。そんな姿にユウキは小首を傾げる。

 

「急にひっくり返ってびっくりしたよー。怪我してない?」

 

「まあな。そもそも《圏内》だから無傷だ」

 

 差し出されたユウキの手に掴まり、立ち上がる。風呂から上がったユウキは、楽な格好になっていた。髪はしっかり拭き切ってなかったのか、少し濡れているように見える。普段なら注意を促しながら、彼女の髪を拭いてやるのだが、取り敢えず今は色んなことに一息を入れるためミルクを飲もうとコップに注ぎ、一口呷る。

 

「———ところで、女顔がどうこうって言ってたけど、どうかしたの?」

 

「ゴフッ!?」

 

 忘れようとしていたことを掘り返され、ミルクが気管の方に入ったのか———この世界にそこまで忠実な再現があるかはさておき———我慢できずにアーカーは吹き出す。息苦しそう咳き込んだ後、ユウキの方を見る。

 

「……聞いてたのか」

 

「うん、バスルームからでもよく聞こえてたよ。途中で声大きくなってたんだと思うな」

 

「……別に大した話じゃないぞ。前にユウキの両親と藍子さんに、俺の顔が精緻だとか綺麗だとか言われたの思い出してただけだ。それで女顔っぽい顔してたキリトと比べてただけだよ」

 

 悪いなキリト許してくれ。心の中でそう呟きながら、ユウキに訊ねられたことに彼の名前と顔の話を置きながら説明する。

 

「確かにキリトの顔ってよく見ると可愛いよね。女顔って言われても納得しちゃうな」

 

「ダヨナー」

 

 重ね重ね彼への謝罪を心の中で告げる。もはや口から溢れる言葉は片言になり始めたが、今は早くこの話題から逃げたい一心だった。普段使わない頭の隅から隅まで使うような感覚を覚えながら、話題を片付けてしまおうと策略を巡らせる。

 

「俺の顔って良くも悪くも中の中だろ? デスゲームが始まってから、自分の顔を詳しく見てなかったから、それを再認識しておこうかなって鏡見てたんだよ。向こうと同じせいか、落ち着くには落ち着くんだけどな」

 

「うーん」

 

 何か気になることがあったのか、ユウキがアーカーの顔をじっと見る。小首を何度か傾げ、頭の中で何かと比較しているのか、普段よりも長く考えているように思う。それから数秒ほどたっぷりと使ってからユウキは結論を出した。何処か嫉妬しているような顔をしながら。

 

「ソラの顔って、ソラが自分で思ってるよりもカッコいいよ?」

 

「………………へ?」

 

「小学校の頃からだけど、物難しい顔してたりしてるせいか、同年代の男の子よりも顔付きが大人っぽいっていうのかな? ソラは知らないと思うけど、女の子にかなり人気だったんだよ?」

 

「………………はい?」

 

「その様子だと本当に知らなかったんだね……」

 

「………………恥ずか死しそう」

 

「恥ずか死!? ボク、そんなの初めて聞いたよ!?」

 

 まさかこんなところから、とんでもない援護射撃———アーカーに対しての援護ではない———が飛んでくるとは、世の中分からないことだらけである、などと思考の片隅では考えているものの、脳裏を埋め尽くしているのは珍しく褒めちぎられたことによる羞恥である。男の羞恥など微塵も価値はないだろうが、今の彼にはそちらまで考える余裕はなかった。芋虫の如く床の上をゴロゴロと転げ回っている。そんな彼を何処か拗ねたような顔をしてユウキは眺める。

 それから少しすると、アーカーは落ち着いたのか、ゆっくりと立ち上がる。

 

「———ふーん、そうか。俺、そんな風に見られてたのか。全然嬉しくないな、うん」

 

「ボクにはすごく喜んでたように見えたような……」

 

「気のせいだ」

 

 アーカーにとって、内心嬉しかったのは言うまでもない。

 しかし、嬉しさは一瞬で消えた。フラッシュバックのようなものだろうか。()()()()()()が浮かび上がり、浮かれていた自分の心を、普段の彼に戻す。もはやそれは落ち着くというものではなく、冷めたという方が正しいかもしれない変容だった。

その変容に長年そばにいたユウキが気付かないはずはない。

 

「ねえ、ソラ」

 

「ん?」

 

「…………ううん、やっぱりなんでもないや」

 

「そうか。それじゃ、さっさと寝て《攻略戦》に備えるか」

 

「うん!」

 

「あ、ちょっと待てユウキ。髪濡れたままだろ、拭いてやるからじっとしてろ」

 

 そうして、夜は明けていく。

 

 

 

 

 

———*———*———

 

 

 

 

 

「それで、昨日はどうだったんだ? キリト」

 

「……アルゴのせいで酷い目に遭った…………」

 

「オーケー、大体察した」

 

「二人で何話してるのー?」

 

「「いや、なんでもない」」

 

 お互いの気苦労を軽く話し合いながら、アーカーとキリトは話が気になって入ってこようとしたユウキを押し留める。

何故そうしたのかというと、まず聞かれるとアスナにまで伝聞される可能性が高すぎたこと。もう一つが、すでにここは迷宮区内であったということだ。

前方を見ると、ディアベル率いるA~Gまでの六人×七隊が先頭を進んでいる。H隊———討ち洩らし片付け隊であるアーカー達四人は討ち洩らしと急襲防止として後方から進んでいた。そのため、少しぐらい会話をしていても怒られはしなかった。

途中、何度かE隊のキバオウがちょっかいをかけにきたが、「リーダーが職務放棄とは、パーティーメンバーも大変だな」と言い返して戻らせている。その度に睨まれるが全く気にしない。

 

「ところで、キリト。アスナには《スイッチ》とか《POT》の話、キチンと通してるのか?」

 

「通してるよ、当たり前だろ? そういうアーカーは?」

 

「こっちも同様。本人がド忘れしてなければ……。ユウキ、《スイッチ》と《POT》の意味忘れてないよな?」

 

「む、そんな大事なこと忘れる訳ないよ。心配性だなぁ、ソラは」

 

「———ほらな?」

 

「ああ、そうみたいだな。……ところで、前から気になってたんだが、ユウキがお前のことを《ソラ》って呼んでるよな? キャラネームは《アーカー》じゃないのか?」

 

「あっ……まあ、いいや。この戦いでお互い生きてたら情報交換の形式で教えてやるよ……(あとでユウキ覚えてろよ……)

 

 ボソッと呟いた一言に、キリトは聞き取れず首を傾げたが、ユウキが当然身体をビクリと震わせ、すぐさまアスナの後ろに張り付いた。張り付かれたアスナは困惑していたが、ユウキの様子から何かあったのかと思い、聞かないことにしていた。

 

 その間にも、迷宮区のモンスターは前からも後ろからも、ある態度の数で攻めてきたのだが、背後から来た敵はアーカーの振るう一撃の前で即座に叩き潰され、無数のポリゴンの欠片を散らして消滅していた。途中、キリトは彼の強さが何処から来てるのかと気になったが、今振り向くとマズイような、そんな直感が働いて振り向くことはなかった。

 

 そうして、迷宮区に突入してから約一時間ほど。最上階を踏破することに成功した。ここまで死者はゼロ。四十六人全員が無事にボス部屋まで辿り着いていた。途中危ないシーンもあったが、ディアベルが的確な指示を出し、無事に突破していた。彼の指揮が達者で良かったとキリトと共に安堵していた。もし、土壇場で弱るようなことがあれば、足踏みしている奴らを置いて突撃していたところだ。

 

 それから、アーカーとユウキは最後列からボス部屋を閉ざす巨大な二枚扉を爪先立ちになって仰ぎ見た。灰色の石材で出来たそれは、恐ろしげな獣頭人身の怪物がレリーフされている。あれが、大まかなフロアボスの見た目を示すことがあるので、実は無視するのは危険だったりする。しかし、今回の階層はベータテストの時に突破されている。そのため、見た目は事前にわかっていた。

 

 だが、それだけで安心していいものではない。何故なら今回のボスは、亜人型(デミヒューマン)と区別される存在であり、その特徴は武器を器用に扱い、さも当然のようにソードスキルも使いこなす。ソードスキルの強さは本人のステータス依存でもあるが、クリティカルという存在がその威力をより凶暴にする。キリトから聞いた話だが、アスナはそのクリティカルを的確に狙っていたらしい。彼女が無強化の初期武器でここまで辿り着いたのが良い証明である。

 

「三人ともちょっといいか?」

 

 キリトが声をかけてきた。最終確認だろうか。そう思い、ユウキを連れて、そばによる。

 

「アーカーは分かっていると思うが、今日の戦闘で俺達が相手する《ルインコボルド・センチネル》は、ボス取り巻きの雑魚扱いだけど、充分に強敵だ。頭と胴体の大部分を金属鎧でがっちり守ってる。狙う場所は分かってるな?」

 

「解ってる。貫けるのは喉元一点だけ、でしょ」

 

「ふふん、任せてよ! ボクは刺突得意なんだよー」

 

「いや、もう、細剣(レイピア)使えよ……」

 

「ごめん、それは俺も思った。アーカー、ユウキに細剣勧めなかったのか?」

 

「俺と同じ武器が使いたいんだと……、どうせ後々細身の片手用直剣手に入るしな」

 

「ボク、斬撃も得意だからね!?」

 

「ユウキってなんだかマスコットみたいよね……」

 

「むー、アスナまで……」

 

「何はともあれ、俺とアーカーが長柄斧(ポールアックス)をソードスキルで跳ね上げさせるから、すかさずスイッチで飛び込んでくれ」

 

「りょーかい!」

 

 こくり、と頷くアスナに対して、元気よく返事するユウキ。正反対に見えるが、果たしてそうだろうか。存外気が合う仲かもしれないなと思いながら、アーカーは大扉の方を向く。

 

「———行くぞ!」

 

 短く、しかし、士気を最大限引き出す言葉を告げ、ディアベルは左手を大扉の中央に当て、思い切り押し開けた。

 

 

 

 

 

 そうして、最初のフロアボス攻略が始まった。

 だが、この時、ベータテスター全員の運命に、更なる重みが伸し掛かることを、誰も知る由はなかった—————

 

 

 

 

 

———*———*———

 

 

 

 

 

 コボルドの王———《イルファング・ザ・コボルドロード》とその衛兵対プレイヤー四十六人の戦いは、俺とキリト、二人の予想を上回る順調さで推移していた。

 ディアベル率いるC隊が一本目のHPゲージを、D隊が二本目のゲージを削り、現在はF隊G隊がメイン火力となって三本目を半減させている。ここまで、(タンク)役のA隊B隊メンバーがHPを黄色くさせた程度で、赤の危険域にまで落ちることはなかった。取り巻きの重装兵も、E隊……というより、H隊の四人があっという間に片付けるせいで、途中でG隊の援軍が全員足並み揃えてメインであるコボルドの王の方へと戻って行くのが視界に見えて、思わず苦笑したくらいだ。

 

 ことに目覚ましいのは、細剣使いのアスナと片手剣使いのユウキの奮戦だった。武器を一新させたというアスナの動きは想像以上だった。あれが非ベータテスターだというのだから恐ろしいものだ。もっとも……同じ非ベータテスターで彼女以上に大暴れしているのは、まさかの幼馴染だったのだが……

 

「そりゃー! えーい! こんにゃろー!」

 

 戦場に響く声にしては酷く場違い甚だしいはずだが、恐ろしい速度で彼女の片手剣は《センチネル》の喉元を突き破り、即死させ続けている。即死効果など、この辺りの武器に付いているはずもないのだが、あっという間だった。

 

 彼女が握っているのは、アーカーと同じ《アニールブレード》だ。しかし、強化値は何と+7だ。ハッキリ言って運気のステータスどうなっているんだと言わずにはいられない。+4を超えるあたりになるとNPCの鍛冶屋による強化は確率は恐ろしく下がる。プレイヤーに頼ることができるなら、そうするべきだが、現在腕利きのプレイヤー鍛冶屋など聞いたことがない。それなのに、ユウキは+6どころか+7を通しており、振り分けは《鋭さ+3、速さ+3、丈夫さ+1》———略称《3S(鋭さ)Q(速さ)D(丈夫さ)》というわけだ。ハッキリ言ってこの階層では———というより第二層であろうと壊れ性能だ。

 一方のアーカーは、ユウキの《アニールブレード+7》から《1D》が抜かれた+6である。決して弱い訳ではないが、何故か少し虚しい。

 

 そうこうしているうちに、ユウキが湧いている《センチネル》最後の一体の喉元を突き破り、無事に仕留めていた。これまでの戦績で言えば、湧いた総数の半数以上はユウキの成果だろうか。準じてアスナ、アーカー、キリトか。悲しいことにE隊全体の仕留めた総数はアーカーやキリトを超えはするものの、アスナには辛うじて届かず、ユウキには届くはずもなかった。

 

「ふふーん、ぶい!」

 

 ドヤ顔と言うのだろうか。自信満々にこちらにVサインを見せて喜ぶユウキに、相変わらずの強さを感じて頼もしそうにアーカーは彼女のそばによる。それから、撫でて欲しそうな顔をしていたので、そっと撫でてやる。

 

「流石だな、ユウキ。次もそろそろ湧くだろうから、この調子で頼む」

 

「うん!」

 

 尻尾でも付いていれば、ぶんぶんと振り回しそうなほど喜ぶ姿を見せるユウキに、アーカーはキリト達の方を見遣る。今頃あちらもアスナと何かしらの交流しているだろう。そう思って見遣ったが、どうやらキバオウと何やら話している。何か驚いている様子がこちらからも窺えるが、果たしてどうしたのだろうか。訊ねに行こうと思ったが、《センチネル》が近くに数体湧き始めた。ベータテストと既に違った点が、この瞬間に見つかった。本来なら《イルファング・ザ・コボルドロード》の背後の壁の穴から湧くはずの《センチネル》が、突如として湧いたのだ。壁の穴からではなく、()()()()

 嫌な予感が心を掻き乱そうとするが、その予感を押し潰し、ユウキに声をかける。

 

「行くぞ、ユウキ」

 

「りょーかい、任せて!」

 

 そうして、二人は近場に湧いた三体を即座に迎え討つために行動を開始した。三対二。不利に見えるだろう状況だが、一体目の振りかぶられた長柄斧を見事に躱し、二体目の長柄斧をソードスキルで弾く。三体目の長柄斧はユウキがソードスキルで既に弾いており、スイッチでお互いの位置へと瞬時に移動。二人して容赦なくソードスキルによる一撃で喉元を突き破り、クリティカルによる加算ダメージと引き抜く時の追加ダメージで速殺する。残こされてしまった一体も抵抗する前に長柄斧を弾かれ、ユウキに倒された。

 

 あっという間の戦闘だ。リハビリ中だったユウキに、情報を伝えるためにやっていたベータテストの時ですら、こんなに順調な戦闘はしたことがなかった。完璧に息が合っている、と言われても良い動きだったと我ながら思うほどに。

 

「流石だね、ソラ」

 

「お互いな。《センチネル》のキルレコードはユウキの単独走だ。E隊全員の仕留めた総数より圧倒的に多いだろうな」

 

「えへへ、そうかな?」

 

 褒められて嬉しそうに喜ぶユウキ。安心したような顔でアーカーは一度コボルド王の方へと視線を向ける。どうやらいつの間にか三本目のゲージは削り切っていたらしい。四本目を削っており、もう五分もしないうちに倒し切るだろう。そう思い、視線を外しかけたところで、一瞬視界に映ったキリトの顔が酷く歪んでいたことに気がつく。

 

 あれは驚愕と恐怖か?

 彼がラストアタックを狙っていたけど、無理そうだからそんな顔をしているのか?———違う。

 なら、どうして————そう思った直後、アーカーもまた気がついた。コボルド王が最後に握る武器は何だったか。確か曲刀カテゴリの《タルワール》という武器だったはずだ。事前情報もそうだった。

 

 ———だが、今あのコボルド王が握っているのは曲刀などでは断じてない。あれは正しく、刀。純粋に鍛え上げられた、日本刀のようなものだった。

 

 つまり、振るってくる攻撃は曲刀のものなどではなく————

 

 

 

【情報はSAOベータテスト時のものです。現行版では変更されている可能性があります】

 

 

 

 直後、この一文が《鼠》のアルゴが提供した攻略本に載っていたことを思い出した。その寒気は全身を貫き、危険信号が脳裏を駆け巡り、叫ぼうとするが———間に合わない。

 

 

 

「だ……だめだ、下がれ!! 全力で後ろに跳べ—————ッ!!」

 

 

 

 同じく気がついていたらしいキリトの叫び声が、コボルドの始動させたソードスキルのサウンドエフェクトに掻き消された。

 

 コボルド王の巨体が、どうっと床を揺るがせ、垂直に跳躍。空中で身体をぎりりと捻り、武器に威力を溜める。落下すると同時に放たれるのは、蓄積されたパワーが深紅の輝きに形を変えた竜巻の如き一撃。

 軌道———水平。攻撃角度———()()()()()

 カタナ専用ソードスキル、重範囲攻撃《旋車(ツムジグルマ)》。

 迸った六つのライトエフェクトは鮮やかに赤く、まるで血柱のように見えた。

 

 C隊全員がマトモにそれを食らい、HP平均ゲージが一気に五割を下回るイエローまで染まった。範囲攻撃だというのに、一撃でHPを半分以上持っていく威力は恐ろしいものだが、あのソードスキルの本質はそこまではない。床に倒れこんだ六人の頭に浮かんでいるのは、一時的行動不能状態を示す証———スタン。たった十秒と、今までのゲームならそう言えたかもしれないが、このデスゲームでは、その十秒が生死を分ける。

 

 本来なら、ここで誰かがヘイトを取りに行き、気を()らさなければならなかった。だが、たった一撃で綿密な作戦を壊された衝撃と、今の今まで続いていた楽勝ムードのぬるま湯、そして、頼るべきリーダーのディアベル本人が身動きが取れない。この現実が、近くにいた誰かが助けに行くという選択肢を奪っていた。

 

「———このまま……やらせてたまるか」

 

 アーカーの口から、小さくそれだけが溢れた。

 直後、彼はずっとそばで守っていたユウキすら置いて、床を踏み締め駆け抜ける。誰よりも速く、誰よりも先へと。助けるんだ。助けなきゃいけない。アイツを見捨ててはいけない。そんな思いが渦巻いた。

 しかし、現実は非情なものだ。駆けたと同時に、コボルド王は長い硬直を終えて、再び動き出す。

 

「ウグルオッ!!」

 

 今の今までやってくれたな貴様ら、そう言わんばかりに放たれたのは、ソードスキル《浮舟》。狙われたのは、正面にいたディアベル。全指揮を取っていたのを、モンスターが理解し、絶対に狙っていたとは言えないが、この時ばかりは明確な殺意があったとすら思えた。

 

「手を伸ばせ————ディアベルッ!」

 

 彼が手を伸ばせば、ギリギリ間に合っただろうか。距離感すら分からないほど、アーカーは焦りながらも、必死に彼の手を掴もうと手を伸ばした。それが聞こえたのか、彼もまた手を伸ばす。

 

 

 

 届け、届け、届け、届け届け届け、届け届け届け届け届け—————ッ!

 

 

 

 必死の形相。例えアーカーがベータテスターだろうと、この瞬間だけは、誰よりも必死に仲間を守ろうとした仲間思いの一人のプレイヤーに見えた。手を伸ばしたディアベルの顔が、ふっと和らぐ。弱々しく、しかし、しっかりとした口調で確かに呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「————良かった。君になら、みんなを任せられるよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 直後、アーカーの手が届くか届かないかで、薄赤い光の円弧に引っ掛けられたかのように、ディアベルの身体が高く宙へと浮いた。ブォンと振られた剣の衝撃波に吹き飛ばされたアーカーは、無様に床を転がる。ダメージはない。すぐさま起き上がり、ディアベルを探す。

 

 だが、次の瞬間にはディアベルの身体は、放たれた三連撃ソードスキル《緋扇》の前に無残にも切り裂かれ、全てクリティカルヒットという残酷な現実を叩きつけながら———二十メートル近くも離れ、レイドメンバーの頭上を飛び越えて、キリトのそばへと突き刺さるように落ちた。

 

「……あ…………」

 

 口から溢れたのは、たったそれだけ。全身を貫くような悪寒と、喉から今にも飛び出しそうな絶叫が今か今かと出番を待ち望んでいた。すぐさまキリトが彼の回復へと向かう。その手には回復ポーションが握られている。大丈夫だ、きっと彼は大丈夫だ———無理だ、助からない。酷く冷静に、心が判断を下していた。

 

 

 

 そして、心の下した判断に沿うように———ディアベルは、その身体を青いガラスの欠片へと変えて四散していった。

 

 

 

 うわああああ、というような叫び声———或いは悲鳴がボス部屋を満たした。誰もが自らの持つ武器を縋るように握り締め、恐怖に震えていた。両眼を見開き、思考回路を必死に動かそうとする。恐らく、明滅していた選択肢は二つだろう。逃げるか、戦うか。

 

 その中で、目の前で救えなかった現実を叩きつけられたアーカーの様子は、もはや、誰の目から見ても奇怪なものへと変わっていた。片手剣は床へと突き刺さり、両手で頭を掻き毟り、狂ったように絶叫する。その異変に、最初にユウキが気がついた。素早く駆け寄り、彼の肩を揺すった。

 

「ソラ! 落ち着いて! ソラ!」

 

 無茶だと分かっている。分かっているけど、彼を落ち着かせないといけない。

 平常じゃないと特攻する恐れがあるからか?———少し惜しいが違う。

 冷静な判断を下さなくなるからか?———これも違う。

 そう、ユウキが危惧したのはこの二つですらない。彼女が危惧したのは————

 

 

 

「———ああ……そうか、なるほどな」

 

 

 

 

 

 ——————カチリ。

 

 何処か遠く、しかし、何処か近くで、何かが動くような音がした。

 全てが虚無へと沈むような、酷く切ない感覚。心の底まで冷えていくような、覚えのある感覚がアーカーを包み込む。ゆっくりと、そして、確実に。

 

 ピタリと、アーカーが放っていた絶叫が止む。掻き毟る両手はだらりと床へと垂直に伸び、それから突き刺さっていた片手剣を左手に握り直し、何度か指を曲げたり伸ばしたりする。

 アーカー自身の独特な自分の落ち着かせ方だろうか。周囲から見れば、そう思うだろう。

 しかし、これは違う。それは間違いない。これと同じ現象をかつて一度だけ見たことがあったユウキは、気がついてしまった。

 

 

 

 ———危惧していた事態が訪れてしまったんだ、と。

 

 

 

「ユウキ」

 

 とても優しい声がユウキを呼んだ。呼ばれたユウキの身体が、ビクリと震える。涙に震えた訳ではない。当然、嬉しいからではない。()()()()。一番親しく、共に過ごしてきた彼に優しく呼ばれることが怖い訳ではない。むしろ嬉しいはずなのに———()()()()()だけは怖くて仕方がなかった。

 

 

 

 

 

「手を貸してもらえるか? 今からあのゴミ———殺すから」

 

 

 

 

 

 もはや、一切の感情が籠っていない、光の灯らぬ昏い瞳が、ただ真っ直ぐにコボルド王———《イルファング・ザ・コボルドロード》へと向けられた。

 

 

 

 

 

 遺志を託して逝く者へ 中篇 ー完ー

 

 

 

 

 






リーダー、ディアベルの死亡。

混乱渦巻くボス部屋。

その中で、アーカーは本人すら自覚していない本性の片鱗を見せる。

次回 遺志を託して逝く者へ 後篇





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6.遺志を託して逝く者へ 後篇



 正直な話、ディアベルを前回生かしておくかで悩みましたが、後々のために退場してもらうことにしました。
 その後々もかなり後になるのですが、気に入っていただけているのなら、そういてもらえるよう努力するつもりです。肝が座っている方々には、その時までお付き合いのほどよろしくお願いします。




 

 

 

 

 

 

 全てが凍てつくような、とても切ない感覚。何から何まで、全てが———痛みさえも鈍っていく。壊れそうなほど血脈を叩いていた心臓が、まるで何もなかったかのように静かに動いている。荒ぶった感情は、あっという間に冷め切って、心までもが痛みを忘れて、ただ静かに冷めていく。

 

 床に突き刺さった片手剣を左手に握り直す。右手の指を曲げたり伸ばしたり、感覚を確かめるように動かし、一呼吸だけゆっくりと行う。見える景色はいつもと変わらないようで、何処か虚しく、ポッカリと何かが抜け落ちたような思いがあるに関わらず、それに心は気が付かない。

 

 相対すべき敵はたった一人。

 コボルドの王———《イルファング・ザ・コボルドロード》。恐らく、途中で《ルインコボルド・センチネル》もきっと湧くだろう。

 

 ———だが、無視だ。あんな雑魚に構う必要などない。冷静に、心が、思考が、《アーカー》というこの場にいるプレイヤーではなく、雨宮(あまみや) 蒼天(そら)というただ独りの人間が判断する。

 

 しかし、当然独りであれに立ち向かうには、まだ荷が重すぎるだろう。信頼できる仲間の一人でもいなければ、満足に動くことすら叶うまい。だから、選び———彼女の名を呼ぶ。

 

「ユウキ」

 

 限りなく、とても優しい声で。いつかの日も、こんな風に呼んだっけなと思い出しながら、湧き立つはずの憎悪や怒りを、問答無用で心は感情ごと凍てつかせる。今この場にそんなくだらないものは必要ないと断じて————

 

 

 

「手を貸してもらえるか? 今からあのゴミ———殺すから」

 

 

 

 たったそれだけのお願いだけ頼んで、アーカーはコボルド王を見据えて、左手に握る片手剣の感覚を確かめる。

 

 何故か普段なら即答するかのように頷いてくれるユウキの返事が返ってこない。不思議な面持ちで、振り返ろうとする。その直後、ユウキから返事が返ってきた。何処かいつもと違う。元気良さが伝わってこない。それで気がついた。

 

 

 

 

 

 ああ、なるほど。ユウキが元気良さを失ったのも()()()()()()、と。

 

 

 

 

 

「それじゃ、行くか。幸いあのゴミは弱ってる。二人でもやれなくはない。だから———背中は任せるよ、ユウキ」

 

「……うん。任せて、ソラ」

 

 返事を聞くと同時に、アーカーの足が、地面を破裂させたかのような衝撃と共にボス部屋の床を、一縷の流星の如く駆け抜けた。その速度は、彼のステータスが引き出せる最速。ディアベルを助けに行こうと駆けつけたそれより僅かながらも速かった。

 

 途中でキリトやキバオウ、エギルの声が聞こえたような気がしたが、聞き取れなかった。恐らく注意でもしたのだろうか———悪いが、どうでもいい。

 

 瞬く間にコボルド王の前へと躍り出て、片手剣を袈裟斬りの要領で振るう。切り裂かれるコボルド王の腹。僅かにHPゲージが減る。突然攻撃されたことにより、敗走せんとするレイドメンバーに向けたヘイトは、アーカーただ一人へと向かう。追撃が来ないことに気がついた彼らが、こちらに感謝しているのかしていないのか、もはやそれすら問題ではないと一瞬だけ考えた後、その思考を廃棄。すぐさまコボルド王へと向き直り、横薙ぎに振るわれる野太刀へと集中する。

 

 やられた不意討ちに対する倍返しのつもりなのだろうか、勢いよく振るわれる横薙ぎ。それをアーカーは床に《アニールブレード》を勢いよく突き刺し、宙へと躍り出る。足場となった愛剣もまた、浮いた彼の身体に引かれるように床から抜ける。その直後に野太刀が横薙ぐ。

 

 しかし、アーカーの身体を捉えることなく、空振る。隙が僅かながらもできたコボルド王に、彼は悠々と着地し、反撃にソードスキル《ホリゾンタル》が放たれ、隙だらけの胴体に一撃を見舞う。未だ半分以上残されている四本目のゲージが総量から見れば、きっと少ないだろうが確かな減りを見せる。

 

 それを受けて、コボルド王は即座に野太刀の位置を戻し、今度は真っ直ぐに幹竹割りの要領で真下に振り下ろす。切り裂くというよりは叩き潰すと言った振り方のようだった。

 しかし、即座に横へと回避したアーカーには当たらない。刺突、刺突、斬撃。三連続の反撃を見舞われ、さらに怒りの色を浮かばせた———ように窺えた———コボルド王。

 

「なんだ、この程度で怒るのか? 王様ってものは気紛れだなぁ」

 

 明確な意思を持って、アーカーは敵を煽る。それを理解したのか、絶叫と共に野太刀を振るう豪腕に力が籠ったのか、先程よりも素早く、強い殺意を纏って振るわれる。それを往なし、躱して、反撃する。果たして、その姿は他の者にはどう見えたのだろうか。それを考えるよりも先に、コボルド王の体勢が突然崩れた。攻撃されたのだ。アーカー以外の誰かに。

 

「ナイスだ、ユウキ。ヘイトは主に俺が取るから、そういう風に不意討ち頼むよ」

 

「……りょーかい!」

 

 背後からソードスキル《ホリゾンタル》を見舞ったのは、ユウキだった。不意討ちを受け、ヘイト先が一旦彼女の方へと向かうとするが、隙だらけの脇腹に《スラント》が見舞われる。今度はアーカーだ。次々とヘイトが切り替わる。息があった動きに、少しずつ苛立ちを感じたのか、コボルド王が見覚えのある動きを始めた。

 

「ユウキ、後方へ全力回避!」

 

「うんっ!」

 

 コボルド王が発動したのは、軌道水平、攻撃角度三百六十度の重範囲攻撃ソードスキル《旋車》。少し前にディアベル達C隊を襲った強烈な剣技だった。

 だが、もはやそれは把握済み。一度遠くから見た二人は、範囲が何処までかを理解し、回避に成功する。あとは竜巻のような一撃が止むまで、距離を取っているだけで良い。その間に、アーカーはすかさず、彼らの名前を呼ぶ。

 

「キリト、アスナ! このゴミ片付けるから手伝え! キリトは俺と一緒にアイツの一撃を弾くか往なすぞ! アスナはユウキ同様、ソードスキルで一撃見舞ってやれ!」

 

「……ああ!」

 

「解った!」

 

 二人がコボルド王討伐へと参戦し、ヘイト先はより複雑となる。しかし、ヘイト先は狙われる前に何度も変えれば問題ない。放つ前に迷わせる事さえできれば、下手なタイミングで打てはしない。例外として先程の《旋車》は飛んでくるだろうが、それはキリトとアーカーがすかさず判断できる。AGI型へと傾倒し始めているユウキとアスナなら即座に回避できるだろう。いつの間にか、アスナがフードを脱ぎ捨てていた上に、美少女だったことには驚いたが。

 

 発動されたソードスキルの猛威が止み、すかさずアーカーとユウキ、キリトの三人が《ホリゾンタル》を、アスナが《リニアー》を的確に直撃させ、コボルド王が硬直から回復する前に全員が距離を取る。狙われたのは誰だ———?

 

「ウグルオオオオオッ!!!」

 

 これまで見せた絶叫の中でも特別大きな叫び声をあげて、コボルド王が狙いを定めたのは———アーカーだった。当然だろう、ディアベルを殺した時同様、一番崩さなければならないと解ったのなら、狙ってくるのは自分だと彼は分かっていた。

迫る強烈な一撃は、ソードスキルとして放たれる。くるりと半円を描いて動くソードスキル。同じモーションだというのに、上下ランダムに発動するという不意討ちの剣技———名は《幻月》。

当然それは素早く、そして的確に襲い狂う一撃だ。どれだけ見慣れていようと防げるかは五分五分。加えて、アーカーはこの剣技だけは知らなかった。彼がベータテストに参加できたのは途中まで、最終日辺りは全く参加できなかった。そのため、この剣技だけは初見だった。描かれた半円が僅かに上へと怪しげな動きを見せる。

 

 

 

(上か……? いや———違う!)

 

 

 

 これは不意討ちだ。即座にそれを発動と同時に見抜いたアーカーは、わざとらしさを僅かに感じた動きから、瞬時に下から来ると判断を下す。直後、想定通りに襲い狂う下からの一撃。

 

 

 

「笑わ———せんなぁッ!」

 

 

 

 ———システム外スキル、《超反応(リアクト)》。

 

 

 

 限界まで集中し続けた結果、ソードスキルによる不意討ちにすら、彼は対応して見せた。

迎撃とばかりに見舞った《ホリゾンタル》が、《幻月》を迎え撃ち、野太刀を真上に弾き返し、ガラ空きになった胴体に、後方から突進するように現れた新たな攻撃者。彼が振るう巨大な武器は緑色の光芒を引きながら重い一撃を見舞う。両手斧系ソードスキル《ワールウインド》。その手痛い反撃を受けて、コボルド王は後方にノックバック。そこへ他のB隊のメンバーや、キリト達三人が《旋車》が発動するかしないかギリギリの囲みで攻め立てていく。

 

 その間に、僅かに割って入った人物の顔をアーカーは見た。褐色の肌と魁偉な容貌を持つ男性———確かB隊リーダーのエギルだったか。彼は技後硬直に見舞われていたが、こちらを肩越しに見て、にやりと笑うと一言だけ告げる。

 

「あんた、気がついてないと思うが、HPが危険域ギリギリしかない。今のうちにPOT飲んで回復していてくれ。それまで、俺たちが支える。ダメージディーラーにいつまでも(タンク)やられちゃ、立場ないからな」

 

「…………本当だ。全く気がついてなかったな」

 

 アーカーは自分のHPゲージを一瞥して、漸く気がついた。無茶と紙一重な動きと、今の迎撃。そして、ディアベルを助けようとした時に負っていたと思われる損傷でHPはギリギリ危険域に達しない程度しかなかった。なるほど、一撃でも受けていたら死んでいたことだろう。

 

 参ったなと空笑いを溢し、大人しくPOTを飲むことにする。第一層で買える回復ポーションは総じて不味い。その不味さが、微かに熱を帯びていた感情を再び凍てつかせる。時間継続回復(ヒール・オーバー・タイム)。一瞬で回復するのではなく、少しずつ回復するポーション系のアイテムの最大の弱点に溜息を吐きながらも、冷静に現状を把握し続ける。いつの間にかキリトとアスナ、ユウキの三人もPOTローテをしている。

 

 恐らく、B隊全員で時間稼ぎを行うことを伝えられ、その間に少しでもHPを回復しておこうとしたのだろう。事実、B隊は恐ろしく硬い。防御力もHP量も高いが、故に壁役だ。キリトの的確な指示が彼らの硬さを最大限引き出しているのが分かった。

どうやら彼はカタナスキルに覚えがあるらしい。今度聞いておこうか、と考えかけたところで、そばにユウキが寄ってきていることに気がついた。

 

「ソラ、また無茶してたね」

 

「……まあな。なあ、ユウキ。あのゴミのHPあとどれくらいだ?」

 

「残り三割ほどかな。ボク達のソードスキル総動員すれば、確実に削り切れるはずだよ」

 

「オーケー。それならやることは簡単だな」

 

 会話を済ませているうちに、HPが六割ほどにまで回復していた。ここからコボルド王の前に躍り出る頃には七割だ。安全域入りたてぐらいだが、それでも充分な量だ。

 片手剣を握り直し、立ち上がる。ユウキも同様に立ち上がり、その奥でキリトとアスナが立ち上がったのを確認した。

 

「行くぞ、ユウキ。ラストスパートだ。あのゴミ———殺しに行くぞ」

 

「……うんっ!」

 

 アーカーの言葉遣いに、やはり何か不安を隠せないのか、ユウキの返事に元気良さはない。それでも、彼女は自分に出来ることはやろうと覚悟を決めて、アーカーと共に馳せ参じる。

 

「———エギル、その場でしゃがめ!」

 

「おう!」

 

 彼らが馳せ参じる直前、エギル達の動きを囲みと判断したのか、コボルド王は宙へと躍り出た。身体をゼンマイのようにぎりぎりと捻り、《旋車》は準備される。それを防御しようと構えていたエギルの肩に、アーカーとユウキは同時に飛び乗り、踏み台とし、即座にソードスキルを発動。発動したのは、片手剣突進技《ソニックリープ》。《レイジスパイク》よりも射程は短いが、軌道を上空へと押し上げる。

 

 二人の剣が、鮮やかな黄緑色に包まれる。行く手には、ジャンプの頂点に達したコボルド王の野太刀が深紅の輝きを生もうとしている。

 

「「させ———る(もん)かぁッ!」」

 

 失敗すれば、恐らく二人はディアベル達のようになるだろう。恐怖はあったはずだ。だけど、そんなものは————

 

 

 

(ユウキが一緒なら———)

 

 

 

(ソラが一緒なら———)

 

 

 

((恐れる必要なんて————ないッ!))

 

 

 

 限界まで伸ばされた互いの腕から、アニールブレードの切っ先が空中で長いアーチを描きながら走り、《旋車》発動直前のコボルド王の両腰を捉えた。

 

 ざしゅうっ!という重く鋭い斬撃音。クリティカルヒット特有の激しいライトエフェクトが宙を彩り、二人の強烈な一撃により、コボルド王の巨体は空中でぐらりと傾き、ソーダスキルを停止したまま、床へと叩きつけられた。

 

「ぐるうっ!」

 

 喚き、立ち上がろうと手足をばたつかせるコボルド王。人型モンスター特有のバッドステータス《転倒(タンブル)》状態———絶好のチャンスが訪れた。その上に、空中で態勢を取り戻した二人が容赦なく剣を突き刺した。

 

「全員———全力攻撃(フルアタック)ッ!! 囲んでいい!!」

 

「ソードスキルを惜しむなッ!!ここで殺し切るぞ!!」

 

 キリトとアーカーの指示により、全員がソードスキルを発動させる。すぐさまコボルド王から離れる二人。特にB隊全員は奴にガードばかりさせられ続けたせいか、鬱憤を爆発させる勢いで強烈な剣技を見舞う。その場に残っていたなら巻き添いで殺されるだろう威力だ。色とりどりの光に包まれた斧、メイス、ハンマー達が、巨体に轟然と降り注ぐ。爆発めいた光と音が炸裂し、コボルド王のHPが勢いよく削られていく。続けて起き上がるまでにもう一撃見舞おうと彼らが揃って予備動作へと入る。その一撃で果たして残量———残り一割を削り切れるか。これで自由に動ける、且つ残る攻撃チャンスを持つのは、アーカーとユウキ、キリトとアスナ。

 

「ウグルオオオオオッ!!!!」

 

 絶叫を上げ、コボルド王が立ち上がろうとする。そこへ叩きつけられる六人の武器、そのライトエフェクトの渦がボスを飲み込む。

 

 ———しかし、足りない。その光が薄れるよりも早く、コボルド王は立ち上がった。HPはほんの僅か。赤々と輝いた残量が、B隊総動員の火力が僅かに足りなかったことを実感させていく。エギル達は発動後の硬直を課せられ動けない。このままいくとディアベル達の二の舞だ。対して、立ち上がったコボルド王は、今にも垂直ジャンプのモーションへ入ろうとしている。

 

「ユウキ!」

 

「任せて!」

 

 アーカーの意図を理解したように、二人の攻撃は真っ直ぐボスの両脚へと向かい、ソードスキルを使わず、そのまま突き刺した。床にすら到達したかという感触が手に伝う。突然両脚を貫かれ、串刺しにされたことで驚愕するコボルド王。それでも無理矢理跳躍しようとする。二人がいくらレベルが高くとも、STR特化ではないため、押さえ切ることは不可能。精々少し遅らせる程度だ———そう、それで良い。トドメを刺すのは、俺達ではないのだから。

 

「やあああっ!!」

 

 アスナが放った、強烈な《リニアー》がコボルド王の左脇腹を穿つ。やや心臓に近い辺りを穿ったのか、僅かに動きが鈍る。

 

 

 

 そして————

 

 

 

「行っ……けぇぇぇぇッ!!!」

 

 キリトの大絶叫と共に放たれたのは、彼が奥の手として残しておいたソードスキル。V字の軌跡を描きながら切り裂く二連撃。《バーチカル・アーク》。それが今まさに跳躍しようとしていたコボルド王の右肩口からお腹へ、お腹から左肩口へと抜けた。途中で心臓を切り裂いたこともあり、クリティカルヒットの大音響を鳴らす。表示されたコボルド王のHPゲージは一ドット残らず食い尽くされ、ゼロになった。

 

 後方へ力なく倒れるように、その途中で天へと向かって断末魔を上げると、びしっと音を立てて無数のヒビが広がる。両手が緩み、野太刀が床へと転がった。

 そうして————

 

 

 

 

 

 アインクラッド第一層フロアボス、《イルファング・ザ・コボルドロード》は、その身体を幾千幾万のガラス片へと変えて盛大に四散させたのだった————

 

 

 

 

 

「……ああ……やった……ぞ、ディア……ベル…………。……ユウキ……流石に………ちょっと、疲れ……た……なぁ…………」

 

 

 

 激戦により刃毀れした愛剣を鞘に納めた直後、アーカーはゆっくりと後ろ向きに倒れる。目の前で救いなかった仲間と、そばで戦ってくれた幼馴染の名前を呟いて————少しの間、彼は自らの意識を昏い闇の中へと沈めた。

 

 

 

 

 

———*———*———

 

 

 

 

 

「…………ぁ……………」

 

 か細く弱々しい声。それが再び目覚めたアーカーが最初にあげた声だった。あまりにも弱々しいせいか、誰にも気がつかれることはなかったのだろうか。誰もこっちを見る様子はない。ただ一人気がついたのは———

 

「…………ぁ……………」

 

 どういうわけか、アーカーを膝枕して看病していたらしいユウキだった。今にも零れ落ちそうな程に目尻に溜め込んだ涙が、少しずつ零れ落ちていく。言葉が喉に引っかかったのか、何も言えなかったようだが、すぐさまアーカーを起こして、ぎゅっと抱き締める。

 

「………よかったぁ………ソラが……グスッ……目を覚ましてくれたぁ…………もう……目を覚まさないかと……グスッ……思ったぁ…………」

 

 泣き噦るユウキ。その姿に懐かしさを覚えながら、アーカーは彼女を落ち着かせるように優しく声をかけた。

 

「………悪い、心配かけたな…………」

 

 その言葉には、先程までの奇妙な優しさはなく、彼がユウキにだけ向ける特別な優しさだった。これまで何度も彼女を慰め、落ち着かせ、包んできた———その優しい想いが籠っていた。

 

「……ユウキ、俺どれくらい意識失ってた?」

 

「……グスッ、五分……くらいかな…………」

 

「そうか………キリト達は?」

 

 見渡してすぐに気がついていた。彼らの姿がない。一体どういうことだ、どうしてなのだろうか。疑問が湧き、それを訊ねる。

 すると、ユウキはそっと呟いた。

 

「……あの後、ディアベルさんが死んじゃったことで、キリトがカタナスキルのことを伝えてなかったから死んだんだ、なんて言い出した人がいて、ベーターテスターみんなが憎悪を向けられそうになって、キリトが———自分から《贖罪の羊(スケープゴート)》になっちゃったんだ…………」

 

「……あのバカ…………一人で無茶しやがって…………」

 

 そういうも、すぐさま胸板をポコポコと殴り始めたユウキの目元が真っ赤になっていたことで、自分も同じだということに気がついて謝罪する。確かにあれは自分自身でも無茶をしすぎたと思っている。不思議と()()()()()()()()()()せいか、今の今まで気がつかなかった。そばで見ていたユウキには不安で仕方がなかったはずだ。

 

「……ごめんな、ユウキ。また心配かけたな」

 

「……ホントだよ…………ソラはいつも無茶するから、こっちの身が持たないよ…………」

 

 優しくユウキの頭を撫で、ちゃんと生きている実感と共に彼女を慰める。男は無茶をするもの、なんてよく言うが、無茶の代償がこれなら無茶なんてしない方がいい。こんなに心配してくれているんだ。少しぐらい安心させてやるべきだったのだ。安心できるよう、ぎゅっと抱き締め返す。少しずつ落ち着いてきたのか、震えた声音はいつもの元気良さを少しずつ帯び始め、次に声を出す頃には元の元気良さが戻っていた。

 

「ねえ、ソラ」

 

「ん?」

 

「キリトがね、ソラに言い残してたことがあったんだ」

 

「なんて言ってたんだ?」

 

「えーっとね、今度またゆっくり話そうって」

 

「……オーケー、俺もあのバカに言わなきゃならないことが一つできたしな」

 

 そう言うと、ゆっくりとアーカーは立ち上がった。続けてユウキも立ち上がると、二人に駆け寄る人物がいた。

 

 まずは、見た目からして真っ先に分かりやすいエギルだった。

 

「コングラッチュレーション。あんたのお蔭で俺達は全滅しないで済んだ。だけど、無茶し過ぎな所は直しておいた方が良いな」

 

「忠告ありがたく受け取っておくよ。こちらこそ、お蔭で助かったよ。B隊のみんながいなかったら、俺達は回復する余裕すらなかったからな」

 

 そう言うと、お互い握手を交わし、これからも縁があると思い、互いにフレンド登録を済ませる。ユウキもそこに飛び込み、エギルとフレンド登録を済ませると満足げに笑った。

 

「おい、ソラ」

 

「ん? どうしたエギル?」

 

「ユウキは確実にモテるぞ。好きなら手放すなよ」

 

「オーケー、忠告すごくありがたいんだが、一発殴らせてもらってもいいか、エギル」

 

「二人ともどうかしたのー?」

 

「「いや、なんでもない」」

 

 小首傾げるユウキに、エギルは再度頑張れよとだけ呟くとその場を後にする。彼が後にした後、続けて二人に近づいたのはC隊のメンバー。ディアベル以外の全員だった。ユウキの顔が不機嫌そうになるのを見て、彼らがキリトを追い詰めた原因だと悟る。警戒し、彼らが告げてくる言葉に対してのカウンターをいくつか考えた上で待ち構える。

 

「……ディアベルさんを、最後まで助けようとしてくれてありがとう。お前もベータテスターだが、確実に他の奴らとは違うとハッキリ分かった。……言いたかったのは、それだけだ」

 

 C隊でディアベルと親交がもっともあったと思われる男が、頭を下げて礼だけを告げると、その場を静かに去っていった。てっきり責められると思っていたアーカーは、その場で固まったが、すぐさま彼らに向けて叫ぶ。

 

「俺は———彼を救えなかった。だから、礼は言わないでくれ……」

 

 苦しそうに、辛そうに、悲しそうに———アーカーはそれだけを告げると、ユウキの手を握り、その場を立ち去った。向かう先は第二層。このまま主街区に向かおうとしていた。

 

「なあ、ユウキ」

 

「……うん、言いたいこと分かってるよ」

 

「……そうか」

 

 俺は———誰かを救うことすら出来ないのかな。

 飛び出しかけたのは、そんな言葉。でも、この言葉をユウキにだけは言うべきではない。その言葉は、アーカーが救ってみせたユウキに対しても侮辱になる。救われた彼女がツライ思いをするからだ。

 

 だから、ユウキはその言葉を言わせなかった。それが、彼のためにもなると信じて———

 

「———さて、それじゃ、頑張って主街区まで行こ? キリトとアスナが先に行ってるから、今ならきっと間に合うよ」

 

「ああ、そうだな。さっさと追い付いて文句の一つでも言ってやるか!」

 

 

 

 しっかりとお互いの手を握り締めて、二人は再び歩き出す。次なる戦場はすぐそこだ。まずは一人苦しい道に進んだバカに文句でも言ってやろうと誓って—————

 

 

 

 

 

 遺志を託して逝く者へ 後篇 —完—

 

 

 

 

 





次なる舞台は第二層。

もちろん二人の敵はフロアボス——ではなく、ただの巨大な岩。

壊すまでは取れないラクガキ。果たして二人の運命はいかに———!

次回 その拳に想いを乗せて





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7.その想いを拳に乗せて




 今回は本作において重要な話の一つです。過去回とかそういう意味ではなくですが






 

 

 

 

 

 

「———らァッ!」

 

「やぁぁぁぁっ!」

 

「ブルモオオオォォォォ…………」

 

 高らかに天へ向かうかのように断末魔を吠え、超巨大雌牛は無数のポリゴン欠片となって散る。今しがた倒したのは《トレンブリング・カウ》という名前がついた、ちょっとした小ボスだ。小ボスと呼ばれるほど、中々に強く、四十分弱ほど前に第一層フロアボス《イルファング・ザ・コボルドロード》と戦った二人には中々に堪えるものがあった。普段なら気楽に倒せていたかもしれないが、そろそろ激戦に晒された《アニールブレード》の耐久値が心配だったのもあり、思っていたより時間がかかってしまった。

 

「…………ふぅ。流石に疲れたな。主街区の《ウルバス》はこの少し先か。ユウキ、HPと武器の耐久値は大丈夫か?」

 

「うん、まだ少しくらい行けるよ———って言いたかったんだけど、流石に疲れちゃった」

 

「了解。それじゃ、《ウルバス》に駆け込むか」

 

「りょーかい!」

 

 二人が揃ってクラウチングスタートの姿勢を取る。そこから、恐らく現状トップクラスの敏捷度、AGIから繰り出される蹴りが、地面に炸裂。とてつもない速度でフィールドを横断する。幸い周囲には他のプレイヤーはいなかったが、見ていたらきっと度肝を抜かれてくれたことだろう。

 

「すっごーい! 全力疾走ってこんなに速いんだねー、ソラ!」

 

「分かってると思うが、これかなり危険な状態だから、躓いた拍子に舌噛むなよ?」

 

「むー、分かってるってばー」

 

「よし、見えてきたな———って思ったらモンスター集まってないか?」

 

「確かにすごく集まってるね。どうしてだろ———って、あー!!!」

 

 全力疾走しながら会話していると、大量のモンスターの奥に見覚えるのある黒髪の少年がいた。記憶にある姿よりも、より黒尽くめになっているが、先に第二層に突入したプレイヤーはユウキが知る限り一人しかいない。

 そして、その話を聞いたアーカーも、こんな無茶を開幕仕出かす奴など一人しか覚えがない。

 

 二人は共に頷き、次に起こす行動を統一。同時にソーダスキルを発動し、一斉に突撃する選択を取る。片手剣突進技ソードスキルの一つ、《レイジスパイク》。コボルド王を床に叩きつけた《ソニックリープ》より射程が長い。

想像以上の加速と助走をつけているせいで、まともに当てられるか心配だったが、それ以上に心配だったのはブレーキだ。恐らく静止距離はかなりのものになるだろう。

それなら、衝撃を全部モンスターに叩きつけてやればいいと考えた訳だが、かなり酷い考えだと後でアスナに怒られそうな気がしなくもなかった。

 

 そうして瞬くライトエフェクトと共に、それこそ《トレンブリング・カウ》が猛突進してきたかのような衝撃を撒き散らしながら、二人はモンスターの大群へと突撃。ソードスキルも相まって、《ブルバス・バウ》よりも一回り小さい牛達が揃って宙を舞い、無数のポリゴンの欠片となって爆散していった。突然のことに、牛もそうだろうが、それらを相手していたプレイヤーも、困惑と驚愕に彩られた絶妙な表情をしたまま固まっていた。

 

「悪いな、横から大量に虐殺して」

 

「さっきぶりだねー、キリトー!」

 

 土煙の中から聞き覚えのある声と見覚えのある容姿が映り、キリトは頭を抱えながら、返事をする。

 

「何やってるんだ、二人とも……」

 

「それはお互い様だ。あの激戦の後に一人で有効化(アクティベート)なんざやる柄じゃないだろ、お前」

 

「うんうん、無茶はダメだよー、キリト。ボクにはソラの次に無茶してるように見えるよ」

 

「なんだろう、少し安心した……」

 

「おいこらキリト。何にどう安心したのか、白状してもらおうか?」

 

 軽口をいくつか叩き合う二人。それから少しして安心したように、キリトが手を差し出す。それは再会を喜ぶ握手だと判断し、素直に応じる。

 

「気絶した時はどうなるかと思ったが、無事で何よりだ」

 

「お前も、自分から《贖罪の羊(スケープゴート)》になるとはな。先に言っておくが、俺達はお前の味方だ。庇われるほど弱くないんでな」

 

「そうだろうな。《幻月》を予測して弾き返す時点で、弱いわけがないしな。初見だったんじゃないのか?」

 

「ん? まあな。ほんの少しわざとらしい動きしてたもんだから、不意討ちだって気付いただけだ、あんなの」

 

「ソラは昔からすごく細かいことにも気がつくからねー」

 

「おいこらユウキ。それだと俺が神経質な奴みたいに思われるだろうが」

 

 談笑。お互いの苦労や色々を話しながら、三人はすぐそこにあった南のゲートから《ウルバス》へと足を踏み入れる。視界に【INNER AREA】の表示が浮かび、スローテンポな街区BGMが耳に届いた。この音を鳴らす楽器はオーボエだろうか。楽器のことを詳しく知らないため、大凡の検討しかつかないが。通りを行き交うNPCの服装も微妙に意匠が変わっているところから、『新しい層に来た』という実感が強まる。門から十メートルほど進んで、周りを見渡すが、同然三人以外に他のプレイヤーが一人でもいるはずはなかった。

 

「なあ、キリト。有効化する前に、武器をメンテしておかないか?」

 

「ん? ああ、そうだな。流石にフロアボスとの戦闘の影響で耐久値が心配だったからな」

 

「有効化しないの?」

 

「有効化すると、第一層の転移門で待ち構えている奴らがいるだろ? アイツらが駆け込んで来たら、鍛冶屋でゆっくりメンテする時間取れないと思ったんだよ」

 

「なるほど、そういうことなんだ。てっきりボクは二人が有効化しないまま、黙々と狩りをするのかなって思ってたから……」

 

「いや、それかなり後で面倒なことになるからなぁ……」

 

「ああ、確実に面倒なことになるな……」

 

 かつて一度だけベータテストの頃に、先に有効化しに次層に突入したプレイヤーが一向に有効化せず、独占状態に陥った現状を二人は知っている。結論から言うと、そのプレイヤーはたっぷり干されたのだが、今ももしかするといるかもしれない。デスゲームと化した今、信頼は大事なものだ。約一名その信頼を第一層から捨てかかっている奴がいるが、恨まれすぎるのも大変だろう。そういう意味でも二人は最低限の優位性である、メンテ時間だけ取って有効化しようと考えたのだ。

 

 ベータテストの頃にお世話になった第二層のNPC鍛冶屋の元へと迷いなく向かうと、見覚えのある男性が店の奥におり、三人に気がつくと入り口までやってきた。

 

「よお。何か武器が欲しいのか?」

 

「いや、武器のメンテを頼みたいんだ」

 

 キリトを筆頭に、アーカーもユウキもそれぞれの《アニールブレード》を取り出して手渡す。それを受け取ると、鍛冶屋の男性は「ちょっと待ってな」とだけ言うと、慣れた手つきで武器を研いだり、整えたりを繰り返していく。三人分の武器がメンテし終わるまで、数分かかったが、それでも焦らずにいられるのは三人しかいないからだ。男性からそれぞれの《アニールブレード》を受け取ると、それを装備し、メンテ代金のコルを払い、気持ち的に礼を告げてその場を後にする。

 

「さて、あとは有効化だけだな」

 

「ああ。二人はそこの影で待っててくれないか?」

 

「え、どうして?」

 

「有効化するとそいつらを褒めようとするプレイヤーがいるんだが、生憎そういうのは望んでないし、俺のそばに二人がいたら、二人にも変な疑惑がかかる可能性が高い。二人は気にしないかもしれないが、俺個人の気持ち的に、さ」

 

 我儘にも聞こえるだろう?と言うキリトに、彼なりの思い遣りだと判断して、ユウキと共にその場に残る。幸いここは転移門の様子を一方的に見れる。キリトがやろうとしていることも把握できるから、彼が何処に移動したかも分かる。何か彼が見つけて姿を晦ましても大丈夫だろう。そう思い、取り敢えずユウキに理由を耳元で告げてやる。

そうすると納得してくれたのか、彼女は共に大人しく待つことにした。

 一方、キリトは転移門に歩み寄ると、ごく薄い水の膜のような透明なベールにゆっくりと右手を伸ばし触れると、すぐさま身を翻した。アーカーとユウキがいる方向ではなく、どうやら別の建物の中に飛び込んでいくが、その様子は二人がキチンと確認していたため、互いの位置は把握できていた。

 

 直後、転移門が何度も瞬き、雪崩れ込むように待ち構えていたプレイヤーが突入・出現した。どうやら拍手する準備もしていたようだが、誰も見つからないことに気がつき、首を傾げている。アーカーもその立場だったなら首を傾げていたことだろう。

 

 そろそろキリトと再合流するかと考え、彼の居場所である教会の方へと向かおうとしたところ、再び転移門が瞬く。出現したのは一人の女性プレイヤーだ。ところが、その女性プレイヤーは脚を止めることなく、猛ダッシュで西の通りへと駆け込んでいった。急ぎの用でもあったのかと思ったが、続くように出現した二人の男性プレイヤーが、女性プレイヤーの後を追いかけていくのが目に見えた。異様な光景だが、二人は女性プレイヤーの髪色に見覚えがあった。下層にいる金褐色の巻き毛と言えば、彼女しかいない。そう、《鼠のアルゴ》だ。

 

「さっきのアルゴさんだよね? どうしたんだろう?」

 

「気になるな。追っかけてみるか? どうやらアイツも気になったらしいし」

 

 直後、二人の上を一人のプレイヤーが飛び越えた。言うまでもなく、それはキリトだ。彼も追いかけるということは何かしら問題でもあったのだろう。そう思い、二人も敏捷力に物を言わせ、《ウルバス》の街を駆け回る。キリトよりもAGIが高い二人は、屋根を飛び越える彼を見失わない程度の距離で追いかけることに成功した。念のため、保険に《索敵》スキルの派生機能である《追跡》を起動し、フレンド登録をしてあるキリトを指定しておく。レベルがまだ低いせいで色々と制限があるが、これで一分前の彼の足跡が終えるはずだ。

 

「それにしてもアルゴを追い掛けられるレベルのプレイヤーが二人もいたのか。驚いたな」

 

「アルゴさん大丈夫かな……」

 

「いざとなったら、デュエル持ちかけて追い払うくらいはしてやるか———先に理由を盗み聞いてから」

 

「それ犯罪じゃないかな……」

 

「知ってるか、ユウキ。盗聴は合法なんだよ」

 

「え″」

 

 アーカーの衝撃的な一言を耳にしながら、ユウキは思考停止しそうになるも、キリトの行く先を追いかけることを優先する。

 ひたすら追いかけること数分、キリトの足取りはウルバス西平原へと向かっていた。そこは先程までと違い《圏外》だ。そこまでして逃げる理由が、アルゴにはあったのだろう。それから少しして、キリトの足取りが止まったことから、近くにいるのだと分かり、周りを見渡してみる。

 

 すると、近くに岩壁があるのを見つけ、そこに《追跡》スキルを発動すると、どうやら彼はここをよじ登ったようだ。面倒臭そうに溜息を吐きながら、アーカーはハンドサインでユウキに知らせると、ゆっくりと登っていく。途中ですごく興味を唆られる話が聞こえたような気がするが、今は集中して登ることを選ぶ。

 

「……やっぱりそこか」

 

「キリトいた?」

 

「ああ、静かにな」

 

 小声で伝えると、テラス状の狭い平面に四つん這いで進む。

 

「何やってんだお前……」

 

「アーカー!? お前なんでここに……」

 

「ボクもいるよ」

 

「……はぁ。どうやらアイツらがアルゴから情報を無理矢理聞き出そうとしているらしい。アルゴ自身は何か理由があるみたいだが」

 

 キリトから小声で詳細を簡単に聞くと、真下で行われている話に耳を傾ける。

 

「今日という今日は、絶対に引き下がらないでござる!」

 

 ………………ござる?

 突然のことにアーカーとユウキは目を丸くして首を傾げる。よくよく見れば、見た目も忍者……だと思われる何かだ。ロールプレイ———RPと呼ばれる行為をやっているのだろうと思うが、まさかデスゲームになってもしている者がいるとは思わなかった。

 さしものアーカーも、ユウキも、揃って困惑しているが、続く言葉には耳を傾けていた。

 

「あのエクストラスキルは、拙者達が完成するために絶対必要なのでござる!」

 

 ———エクストラスキル!?

 その名前を聞いた途端、アーカーは当然、ユウキも驚愕する。《エクストラスキル》とは簡単に言うと《隠しスキル》。通常では手に入らず、一定条件などを満たすことで出現するもので、基本殆どが高性能なものだと言われている。第一層フロアボスだったコボルド王の《カタナ》も恐らくその《エクストラスキル》に分類するのではないかとアーカーは考えていたが、まさかこんな早い段階にあるとは思っていなかった。

ユウキの場合は、単純にレアスキルとアーカーに教わっていたため、興味津々な様子で会話を聞いていた。盗み聞きはダメ、なんて言っていたのは何処の誰だったか。

 

「わっかんない奴らだナー! 何と言われようと()()の情報を売らないでゴザ……じゃない、売らないんダヨ!!」

 

 口調が影響されかかっていたが、アルゴは頑なに拒否する。情報なら基本なんでも売る彼女が、頑なに拒否すると言うことは、かなりの理由があるに違いない。それを分かっていないのか、あの二人はしつこく聞こうとする。正直見ていられなくなりそうだ。

 すると、キリトが飛び降りる準備を始めたため、アーカーもまたユウキと共に飛び降り、会話を断ち切る方針に入る。

 受け身を取るキリトに対し、こちらはAGIが足りているので素直に着地。二人の間に割って入る。

 

「———何者でござる!?」

 

「他藩の透波(すっぱ)か!?」

 

「アルゴの友人だ」

 

 同時に叫ぶござる男達に、アーカーは冷静に答える。その流れで彼らの格好を再確認するが、何処かで見たことがある。少なくともベータテストの時に何度か…………

 

「えーと、えーっと……あんたら確か、ふ、ふー……フード、じゃなくてフーガ、でもなくて……」

 

「フウマでござる!!」

 

「ギルド《風魔忍軍》のコタローとイスケとは拙者達のことでござる!!」

 

「そう、それ!」

 

 何やらキリトが思い出したらしい。その名前を聞いて、アーカーもまた思い出すことができたが、ロクな奴らじゃないことも思い出していた。

 

「あー、あのAGI極振りして戦場を好き放題駆け回った挙句、危なくなると、近くのパーティーにモンスターのタゲ押し付ける、タチの悪い奴らか。今も同じことしてたら、容赦なく《牢獄》送っていい奴らだからな、気をつけろよ、ユウキ」

 

「はーい」

 

「何をとんでもなく怖いことを言ってるのでござるか!?」

 

「ん? もしかして今も同じことやってるのか?」

 

「流石にやってないでござるよ!?」

 

 大慌てで弁解する忍者擬きに、溜息を吐きながらアーカーはユウキだけでなく、キリトにも合図を送る。

 

「今ここで引いてくれたら何もしない。殆どの情報を売り物にする《鼠のアルゴ》が情報を売らない、という意味が分からないほど、お前らは頭が悪い訳ないよな?」

 

 背中に吊った《アニールブレード+6》の柄に指を走らせながら、最後通牒。ユウキもキリトも同様の対応を取り、しっかりと威嚇する。そもそもAGI極振りが強いのは、差が開くことが前提だ。

しかし、まだここは第二層。先程まで第一層であったことから、レベル差は早々開きにくい。彼らがどれだけ頑張ってレベリングを熟していたかは知らないが、持っている武器からもこちらの方が優勢。加えて数でも勝っている。この状況が本当に分からない馬鹿のはずはないだろう…………と思っているが、果たして———

 

「「おのれ、貴様達伊賀者かッ!!」」

 

「「「は!?」」」

 

 あまりにもよくわからない返答に、流石のアーカーも……どころか、ユウキとキリトまで困惑する。加えて、まさか物量でも負けているのに武器を抜こうとしているのだから、本当に馬鹿なのかコイツらと思わざるを得なかった。さて、どうしたものかと考えたところで、キリトが何かに気がついたように声をあげた。その意味にアーカーも、ユウキも気がついた。

 

「なあ、あんたら後ろ」

 

「「その手は喰わないでござる!」」」

 

「えーっと……何の手でもないから、後ろ見た方がいいと思うよ?」

 

 ユウキが苦笑いをしながら丁寧に教えると、漸く疑り深い彼らも振り返ることにしたらしい。揃って顔を背後に向けて———ぴょーんと軽く飛び上がった。何故なら、眼と鼻の先に、いつの間にか新たなる闖入者———いや、闖入牛がいたからだ。

 

 ウルバスに訪れる前にアーカーとユウキが戦った《トレンブリング・カウ》の番だと思われる雄牛《トレンブリング・オックス》。肩までの高さが二メートル半に達する、巨大な牛だ。見た目からわかるタフさと攻撃力もさることながら、厄介なのはターゲットされると恐ろしく長い時間及び長い距離逃げるしかないという面倒な特徴があるからだ。戦って勝てるならターゲットは切れるだろう。ただし、他のことには集中できなくなるのはいうまでもない。

 

「ブモオォォ———————ッ!!」

 

「「ごっ……ござるううぅぅッ!!」」

 

 さしものしつこい忍者でも、どうやらさらにしつこい雄牛には逃げるしかなかったらしく、全力疾走で逃走開始。そんな彼らを雄牛は当然追いかける。恐らくここからなら、主街区に飛び込むまで続くだろうチキンレースは、確実にアルゴが彼らから逃げ切るには余りある余裕があった。これで彼女はしっかり逃げられるだろう。

 漸く安心できるなと考えた直後、キリトの身体が少しぐらついた。疲れだろうかと思ったが、背後に誰かが抱きついていることに気がついた。恐らくアルゴだろう。最初に彼女の異変に気がついたのは、アイツだ。そういう意味では感謝されて然るべきだろう。

 

 そんなことを考えていると、同じように背後から抱き締められた。アルゴが同じようにやってきたのだろうかと思って、視線だけ動かすと、すごく見覚えのあるアホ毛が映った。誰かすぐに分かった。

 

「何やってるんですかねー、ユウキさん?」

 

「久しぶりにやってみたくなったんだー」

 

「あーうんそっか。別に文句はないんだけどな? お前今それ誰の前でやってるのか、分かってる?」

 

「え、前じゃなくてソラの後ろでしょ?」

 

「違うそうじゃない。お前ここにいるのが俺達二人だけだと思ってるのかって言ってるんだが」

 

「…………あっ!」

 

「ユーちゃんはアー坊が好き、っと。にひひ、良い情報が手に入ったナ」

 

「ほらな?」

 

「え、ちょっと、ま、待って! 待ってアルゴさん! 今のはそういう訳じゃなくて! ボク、そんなつもりなくて!ホントに違うんだってば——!!」

 

 いつの間にか平常運転に戻っていたアルゴに、色々アインクラッド内を賑わせそうなネタを掴まれ慌てふためくユウキに、忠告したのになーと思いながらアーカーは、二人がキリトの周りをグルグルと回る様子をのんびり見ることにしたのだった—————

 

 

 

「……あの、俺が動けないんだが…………」

 

 

 

 約一名の自由を奪って————

 

 

 

 

 

———*———*———

 

 

 

 

 

 結論から言うと、先程のユウキの行動は無かったことになった。さっき助けた礼を情報を他言無用にするということで話がついたらしい。美味しいネタを売れなくなって、ちょっと落ち込んでいるアルゴだが、それでエクストラスキルの話がなかったことにはならない。助けたこともそうだが、第二層を解放する大きな要因になったアーカーと、ベータテスターをまるごと結果的に救ったキリト、そして個人的な美味しいネタ———どんなものかは知らない———を提供したことがあるらしいユウキに、その情報を伏せる訳にはいかなかった。本人も恨まないのなら教えると言っているのだから、三人とも素直に条件に応じることにした。

 

 応じた三人は、アルゴに連れられ、広大な二層に林立するテーブルマウンテンの岩壁をよじ登り、小さな洞窟に潜り込み、ウォータースライダーじみた地下水流を滑る。すでに体験していたアルゴはともかく、キリトとアーカーは少々速さに叫んだが、ユウキはどうやら楽しかったらしく、大歓声をあげて滑っていた。

 

そうして、道中には戦闘も三度ほどあったが、フロアボス攻略に参加した三人の実力は当然余裕で出てきたモンスターを倒せるものであったため、アルゴが戦闘に参加することはなく、流れ作業のように進んでいった。そんな移動を三十分ほど続けると、目的地に着いた。

 

 目的地の地点は、二層の東の端。ひときわ高く聳える岩山の頂点にある、周囲をぐるりと岩壁に囲まれた小空間。その泉と一本の樹、そして———小さな小屋が一つ建っていた。

 どうやらこんな辺境にあるらしい。流石に気がつく訳ないなと思いながら、先頭を進むアルゴについていく三人。

扉を開けると、そこにいたのは筋骨隆々の初老の男性。頭はつるつるのスキンヘッドで、口周りには豊かなヒゲを蓄えている。いかにも師範代と言った風貌だった。

 

「アイツが、エクストラスキル《体術》をくれるNPCダヨ。オイラの提供する情報はここまで。クエを受けるかどうかは好きに決めるんダナ」

 

「《体術》か。なるほどな、それでアイツら欲しがってたのか」

 

 一人納得するアーカーに、ユウキが小首を傾げるが、またあとで伝えることにする。今は受けるか受けないかを決めるべきだ。

 

 まずここまで来るのに時間がかかること。

 次に《体術》スキルの利点。

 最後にそれを加えた今後の戦闘スタイルの安定性。

 

 それらをよく考えた上で、アーカーは決めた。

 

「俺は受けるかな。実際前回のコボルド王の側頭部に拳の一発でも入れてやれなかったことが心底残念に思ってたからな」

 

「うん、ボクも受けようかな。片手剣なら、常に片手が空いてるから使い勝手良さそうだなーって」

 

「……まあ、二人が受けるのに俺だけ受けないってのもな。それにせっかくアルゴが教えてくれたんだ。有り難く習得させてもらうよ」

 

 各々が覚悟を決め、師範代の男性に近づく。振り返った彼は、こちらを見ると言った。

 

「入門希望者か?」

 

 三人が返事をそれぞれ返す。

 

「修行の道は長く険しいぞ?」

 

 ありきたりのセリフだが、三人は引くことなく答える。

 

 すると、クエストが開始し、師匠が三人を連れて行ったのは、小屋の外。岩壁に囲まれた庭の端にある巨大な岩が三つ並ぶ前だった。高さ二メートル、差し渡し一メートル半はあろうそれをぽんと叩くと、左手であごひげを扱きながら言った。

 

「汝らの修行はたった一つ。両の拳のみで、この岩を割るのだ。為し遂げれば、汝らに我が技の全てを授けよう。一人につき、一つ岩が用意してある。己が割るべき岩にのみ、意味がある」

 

 要するに同じ岩に三人が攻撃することを許さない、ということだろう。これは当然だから別に分かってはいたが、ここでキリトが何かに気がついたらしい。素早く巨大な岩を叩く。これは感触で硬さをある程度測る技術なのだが、彼の手に伝わったのは顔が真っ青になるレベルの事実らしい。

 

「アーカー、ユウキ。この岩、《破壊不可能(イモータル)オブジェクト一歩手前》の超絶的硬度だ…………」

 

「あーやっぱり?」

 

「ね、ねえ、ソラ。それって壊せる……よね?」

 

「一応壊せるな。軽く地獄だけど」

 

 すぐさまキリトがクエストキャンセルをしようと師匠に向き直る。すると、彼は何やら懐から左手に小型のツボ、右手に太く立派な筆を持った。

 

「この岩を割るまで、山を下りることは許さん。汝らには、その証を立ててもらうぞ」

 

 などと言いながら、全力で逃げようとしたキリトの顔に素早く何かかを書き込み、続けてユウキ———そして、アーカーと書き込んだ。ある程度予想がついていた彼は諦めを覚えてジッとしていたが、終わった後で念のため顔を擦ってみる。手には何もつかない。なるほど、超速乾性か———ふざけんじゃねぇ。

 果たしてどんな顔になったのやらと思いながら、一先ずユウキの方を振り返ると

 

「「………………」」

 

 同じことを考えていたらしいユウキと目があった。ユウキに書き込まれたラクガキは見事なまでにネコのヒゲを思わせるものであり、猫耳や尻尾でもあれば、悪戯大好きな子猫に見えるほどだった。

 一方のアーカーは、ジッとしていた分、ラクガキが少なかったのか、どことなくキツネを思わせるものに仕上がっていた。

 

「ユウキ、お前ネコみたいになってるぞ。似合ってるな」

 

「ソラはキツネみたいになってるね。似合って……るのかな?」

 

「………………ペイントは人それぞれってことか」

 

 何となく納得しながら、もう一人の被害者であるキリトの方を確認する。すでにアルゴの笑い声が聞こえてきている辺り、相当面白いものに仕上がったのだろう。そう思って二人で見てみると———

 

「「《キリえもん》だな(ね)」」

 

 口を揃えて、キリトの散々な有様を一言で言い表した後、少しずつおかしくなって笑ってしまったのは言うまでもない。

 

 

 

 

 

 その後、アーカーが岩に小さな亀裂が入っていることに勘付き、全員が執念の如き連打を加えて、何とか二日で叩き割ることに成功したのだが、その後彼らは口を揃えてこう言ったのだという。

 

 

 

 

 

 ————二度と《破壊不可能一歩手前》に挑まない、と。

 

 

 

 

 

 その拳に想いを乗せて —完—

 

 

 

 

 

 





そして、物語は加速する。

第二十五層。アインクラッド、フロアボス攻略始まって以来の最悪のフロアボス攻略。

死者を多数出した戦いの翌日、アーカーは覚悟を決め、ユウキのために傷付ける選択を取る。

次回 迷いと別れ



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8.迷いと別れ



 今回の話は流れとしては不安定極まりないものですが、必要なものとして動かしています。至る流れが中途半端なのも否めません。恐らく話がつまらないと思われる原因はここにあると思います。
 作者の未熟さ故のものですが、どうすればいいのかなど感想欄にお書きくださる方がいらっしゃれば幸いです。正直なところ、あまりこういう導入は得意ではないので手探り感が半端ではないんですよね。




 

 

 

 

 

 

 その日、第二十六層が解放された。

 漸く四分の一がクリアされたことに、事情を知らないプレイヤー達は歓喜に湧いていた。恐らく希望を持った奴もいるだろう。このまま行けば、クリアされる日もきっと訪れる。

 だから、諦めずに前を見ていよう———などと考えながら。

 

 だが、事情を知っているプレイヤー達はどうだったのか。言うまでもないが、半数近くが恐怖を再確認した。

 結論から言うと、攻略組の代表ギルドの一つであった《アインクラッド解放隊》———略称《ALS》が偽情報に踊らされ、主力の大多数が死亡。壊滅的敗北となり、再興不可能なほどの大打撃を受けた。

 率いていたキバオウは辛うじて生き残ったが、彼の側近らしき者達が最後に見受けられなかったことを、討伐後にアーカーとユウキは気がついていた。離脱できたのなら良いのだが……と、そう思わざるを得なかった。果たして現実はそう上手く行ったのか。当然二人に知る由はない。

 

 かなりの被害を出すこととなった第二十五層フロアボス攻略戦。この一大事件を以て、攻略組は二十五層ごとに危険度をこれまでよりも高く見ることを決定し、第二十五層、第五十層、第七十五層、そして———第百層のことを《クォーター・ポイント》と危険視することになった。

 

 その決定は即座に執り行われた。ショックを隠せない者や、何かしら思うことがあった者、様々な者がいたため、その後の会議は後々に行われることが決まり、一時解散となった。

 

 そうして、アーカーとユウキもまた、解放されたばかりの第二十六層で宿を取ることにし、疲れを癒すことを選んだ。お互い風呂を済ませた後は、直ちに軽装へと着替え、泥のように眠った。

 あの凄惨な出来事を忘れようとしたのかもしれないし、ただ疲れを癒すためだったのかもしれない。今となってはどの理由に当て嵌ったのか分からないが、兎に角、心の整理をつけるためだったのかもしれない。

 たくさんの人が一度に死んだ光景を、果たしてユウキは受け止められるのか。それだけが気掛かりで、アーカーはそのまま一度意識を手放した———

 

 

 

 

 

———*———*———

 

 

 

 

 

 翌日。

 いつもと同じ朝がやってきた。セットされた《強制起床アラーム》からいつもの起床メロディーが鳴り響き、寝起きが微妙に良くないアーカーは、眠気を覚まそうと首を横に振る。本当に眠気を覚ましたいなら、顔でも洗ってくれば良いのだが、そこまで動く気力が、朝っぱらだからなのか、それとも昨日の延長戦だからか湧かなかった。

 兎も角、無理やり眠気を追い払うと、隣の部屋で寝ているだろうユウキの様子を見ることにする。二部屋一緒の大きめの客室を取ったから、恐らく彼女はもう一つのベッドでキチンと寝ていることだろうと思いながら、動こうとして———左腕に何か重りがついていることに気がついた。

 

「ん———?」

 

 何処かまだ寝惚けているのを自覚しながら、半開きの瞼を擦り、重りの正体を確認する。

 それは濡れ羽色とでも言うべき艶やかなパールブラックの長いストレートの髪で、頭頂部には自己主張の激しい何故か動くアホ毛が生えていて、健康的な身体つきと少し乳白よりの肌色で、見覚えのある顔をしていて、聞き覚えのある寝言を呟いている————女の子。

 そんな容姿をしている女の子なんて、一人しか知らない。それに、まずここは宿だ。別の誰かが入ってきているはずもない。

 

「…………なんだ、ユウキか。隣の部屋に行かずとも確認できたし、二度寝でもするか」

 

 良かった、比較的いつも通りのユウキだ安心した———と考えたところで、漸く寝惚けていた意識が覚醒した。続けて反射的に飛び起きる。勢いよく飛び起きたせいで、後頭部を軽く何かにぶつける。ぶつけた部分を摩りながら、左腕を見る。そこには、飛び起きたにも関わらず、抱き枕よろしく抱き締めたままのユウキがいて、まだ眠りこけている。それはアーカーの長年の付き合いから考えるに、ちょっとやそっとじゃ起きないことを表していた。

 

「………ったく、朝食作るにも作れないな」

 

 アーカーは下層での約束通り、《料理》スキルを習得していた。漸く三分の一ほどにスキル上げが終わった辺りだが、そこらのNPCレストランよりは美味いものを作れていると自負している。お蔭で毎日微妙なご飯を食べることなく、ある程度自由が効く食事ができる生活を送れているのだが、動けないとなると話は別だ。

 

 寝ている間にユウキが移動し、抱き締めている場合———それは、大体二つの理由に分けられる。

 一つは、年相応に甘えたい時。

 もう一つは———()()()()()()時。

 間違いなく今回は後者だ。怖い夢を見たのだろう。夢見が悪かったに違いない。死にたくないと叫びながら、断末魔を上げて死んでいくプレイヤー達の夢でも見たと考えるべきだ。

 あれから、ユウキは攻略組の中でも、すぐに名前が上がる代表的な実力者になった。しかし、それでも彼女がただの女の子であることには変わりない。齢12歳で、死の恐怖を分かっている。無知ではなく、既知であることが、彼女に重みとなって振り掛かっているのだ。

 

 だからこそ、ユウキを支えて上げないといけなかった。それが寝ている状態の彼女の手を払ってでも、朝食を作るのかどうか。その程度にすら悩むほどに………

 

「………………どうしたもんかなぁ」

 

 唸りながら考える。多少の空腹は感じるが、我慢できないほどではない。ユウキが起きるまで、そのまま寝かせてやっても問題ではない。昨日の一件での影響も考えていたため、今日くらいは攻略しなくても良い。時間には余裕があった。

 しかし———

 

「一歩も動けない俺が暇なんだよな…………」

 

 このままユウキが昼まで眠り続けるとなると、流石に暇でしかない。昨日手に入ったアイテムをゆっくりと確認したとしても一時間すら暇潰しはできない。何処かの誰かが書き上げた娯楽小説など、デスゲームと化した現状のアインクラッドにあるはずもない。況してやゲームなどあるはずはない。ゲームの中でゲームをしたくなる時点で、ソイツはどうしようもない奴だと言われるのがオチだ。

 さて、本当にどうしたものか。

 

「………………あれ試すか」

 

 アーカーがユウキに対して行う数ある起こし方の中でも、なかなかの成果を挙げてきた方法を選択。これから起こすつもりなのに、起こさないように耳元に近づこうとしている時点で矛盾だらけだが、気にしないことにする。

 そして、起こさずに近づけたら、やることは一つ。耳元で囁いてあげるだけだ。

 

「………………」

 

「ふぇっ………!?———わひゃあっ!?」

 

 囁かれた言葉に、流石に目が覚めたのか、ユウキは()()()()()()()()()()飛び起きる。勢いよく飛び起きたせいか、ベッドから転げ落ち、床に腰を打ち付ける。その痛みのお蔭か、完全に意識が覚醒したようだが、やはり顔は赤い。

 

「そ、そそそっ、ソラっ!? い、いいい、今っ、今なんて………!?」

 

「ん———? 別に何にも言ってないぞー。勘違いじゃないのかー?」

 

「言ってたよね!? 確実に言ってたよね!? 今、ボクのこと———」

 

「ユウキのことを———なんだって? よく聞こえなかったなー」

 

 しばらく見なかった悪戯小僧のような表情を浮かべたアーカーが何を囁いたかをはぐらかす。それに対して、ユウキは顔を真っ赤に染めたまま、頰を含ませ、ムスッとした顔で彼の方を見る。これだけ恥ずかしがっているユウキを見たのはいつぶりだろうかと思いながら、アーカーは楽しそうに笑う。

 

「ほら、目が覚めただろ? 顔ちゃんと洗ってこいよ、朝御飯作るから。もし朝風呂入るつもりなら食べるの待っててやるから」

 

「う、うん…………」

 

 未だ頰を赤く染める熱が引かないのか、真っ赤な顔をしたままのユウキは、言われた通りに顔を洗いに行く。それは何処か冷水で熱を引かせるためでもあるようにも思えた。その原因を作った本人は、ユウキの姿が見えなくなった辺りでキッチンに立つと、先程のやり方を自己評価する。

 

「ユウキの反応が面白かったのは面白かったんだが、下手すると怒られそうだな……奥の手にしておくか」

 

 効果は抜群だが、反動がある。そんな起こし方だったなと総評しつつ、アーカーは包丁を手に取ると、オブジェクト化した野菜にそれを向け、軽く叩く。本来なら刻むという工程があるのだが、SAO内の料理は、簡略化されており、現実で料理したことがない者にも出来るようにしてあった。初心者でも楽しめて料理が作れる、というのはいいことだろうが、向こうで料理ができる者には簡略化されすぎてつまらないと感じるだろう。当然、料理ができるアーカーは後者だった。

 

 ちょっとしたサラダを手早く作り、食パンによく似たものを数枚オブジェクト化、トースターらしきものに入れ、タイマーをセット。表示された時間通りになれば、トーストができるのだが、それを見守ることなく、流れ作業で卵をオブジェクト化・タップし、即座に割り、それをフライパンの上に落とし、調理。何故か目玉焼きに関しては、不思議な話なのだが、美味しくなる時間や技術が存在する。その技術にはフライパンを上手く使ってひっくり返すことも含まれていた。

 

「ユウキー、目玉焼きは半熟か完熟、どっちが良いんだ?」

 

 洗面所の方から、「今日は半熟かなー」なんて言う声が聞こえた。よく半熟、完熟で問題になるが、二人はどっちでも好きなタイプだった。特にユウキは日によって変えたりする。以前聞かずに作って、ちょっと拗ねられたことがあったなーと思いながら、手慣れた動きで目玉焼きを空中で回転させ、フライパンでしっかりと受ける。途中で、半熟だということを忘れて、割れてしまう可能性を考慮してないことに気がついたが、何とか割らずに耐えることに成功。失敗することなく、朝御飯を完成させた。

 

「よし、こんなもんか」

 

「良い匂い。今日はトーストと目玉焼き、サラダなんだね!」

 

「ああ。飲み物はミルクとお茶がそこにあるから自由にな。あと、トーストに目玉焼き乗せてもいいし、そっちにあるバター使ってもいいからな」

 

「やったー!」

 

 バンザーイ!と両手をあげ、全身で喜びを表現しているようなユウキに、世話のかかる妹を持ったような気持ちでアーカーは、椅子に座らせると、両手を合わせる。

 

「いただきます」

 

「いただきまーす!」

 

 余程お腹が空いていたのか、なかなかの速度でかぶりつくユウキ。喉に詰まらせそうで、少しヒヤヒヤしていたが、喉に何かを詰まらせるということが起きない……と思われるアインクラッドでは、そんな心配もないかと思い、アーカーもトーストにバターを塗って食べ始める。

 

「なあ、ユウキ」

 

「ん? ろうひはの(どうしたの)ひょら(そら)?」

 

「あ、いや、なんでもない。食べ終わってからにする」

 

 口いっぱいにトーストが頬張られたユウキの、リスのような顔を見て、流石に今訊ねるのは無粋だと感じて、アーカーは言おうとしていたことを止める。ユウキは小首を傾げながらも、朝御飯をなかなかの速度で食べ進めていく。

 

 それから数分後には、綺麗に平らげられた真っ白な皿とコップが残るだけとなった。両手を合わせ、ご馳走さまと言うと、お粗末さまとアーカーが答えて、朝御飯の片付けに入る。

 

「あ、待ってソラ」

 

「ん? おかわりしたかったのか? だったらすぐに作るぞ?」

 

「ボク、そんなに食いしん坊じゃないよ!」

 

「えっ」

 

「ソラ、あとで話があるんだけどいいかな?」

 

「ゴメンナサイナンデモナイデス」

 

 身の危険を感じ、すかさず謝罪するアーカー。少し言いたいことはあったが、一度そばにおくとユウキは気になっていたことを訊ねる。

 

「ご飯食べてる時にソラが言おうとしてたのってなんだったの?」

 

「ん? ああ、それか? 今日は攻略休みにしないかって話だよ。昨日の今日だからな。お互い、考えることはあるだろうから」

 

「……あっ、そうだね……。たくさん、死んじゃったもんね……。この先も……きっと、誰かが死ぬんだよね…………」

 

 先程まで明るかった表情に影が射す。忘れていたのなら思い出させる必要はなかったかもしれない。

それでも、いつか思い出した時、何かの拍子でそれが足を引っ張ることにならないよう、アーカーは時間を用意することを選んだ。

 けれど、時には荒療治が必要だ。

 そして、例えその根がまだ浅くとも、深くなる前に対処しなければならない時だってある。

 

「…………ユウキ、今だけは君にとっても酷いことを言うから、覚悟していてもらえるか?」

 

「酷い、こと……?」

 

 今までそんなことを一度として口にしなかったアーカーが、真剣な表情で宣言する。その様子にユウキは戸惑いを覚えるが、心の準備するよりも早く彼は告げる。

 

「これからもきっと誰かが死ぬ。それが、赤の他人か、知人か。俺か、君か。そんなものはわからない。誰だって死にたくはない。それは間違いない。

 だからこそ、問うぞ。紺野 木綿季———お前は誰かが目の前で死ぬ度に立ち止まるのか?」

 

「………………」

 

 他に誰も聞いていないとはいえ、リアルの名前を持ち出すのは暗黙の了解となっているのにも関わらず、アーカーは———雨宮 蒼天は、ユウキとしての彼女ではなく、紺野 木綿季自身に訊ねた。

彼女がキリシタンなのは昔から知っている。だから、死にゆく人がいれば、その人の安息ぐらいは祈ることはあるだろう。

 だが、それをしてはいけないとは言わないが、何度も立ち止まって、祈ることを繰り返すのか? 死んだ者達を思い続けて、前を見られない。そんな有様を続けるつもりなのか? と。

 

 

 少しずつアーカーの———雨宮 蒼天の心が軋む。

 分かってはいた。俺は彼女に厳しく当たることすら、慣れていない。ずっとそばにいて、支えることしかしなかった。傷付けることをしなかった。だから、心がこれほどまでに弱い。痛い。ああ、とても痛い。苦しくて、辛くて、こんなことはもうやめたい。

 けれど、それはユウキのためにならないから————

 

 

 少しずつユウキの———紺野 木綿季の心が痛む。

 初めてだった。ソラにそんなことを言われるなんて思っていなかった。いつもそばにいて、怒られたことなんて一度もなかった。ずっと守ってくれていた。ずっと支えてくれていた。だから、今度はボクが支えようと思って———迷っていた。

これまで、何度か誰かが目の前で死ぬのを見た。けど、今回みたいなのは初めてだった。どう受け止めればいいかわからなかった。だから、本当は迷った。すぐに気付いてくれた彼の優しさが嬉しくて———また甘えようとしていた。

 

 

「過去を忘れろ、なんて言うつもりはない。過去は大事だ。教訓にも、経験にも必要だ。忘れたくないことを忘れろなんて残酷なことを要求する気はないさ。

 ———だがな、いつまでも引き摺られて前に進めない、なんてくだらない真似を続けるつもりだったら、お前は()()()()()()

 

「戦うな……って、本気で言ってるの……!?」

 

 ユウキの表情に僅かながらも怒りが浮かぶ。ここまで来ることを選択したのは、紛れもなく彼女の意思だ。当然これから先も戦うことを彼女が決めることだ。それは例え、幼馴染で一番の理解者である彼であろうとも捻じ曲げることは許されない。それなのに———

 

「ボクが戦うって決めて、ここまで来たのに、なんでソラがそんなことを言うんだ! そんなのおかしいよ!」

 

「ああ、おかしいのは重々承知だ。承知した上で言わせてもらうぞ。迷ってばかりの奴が一人いるだけで、他の奴らにも迷いは伝染する。その迷いが命を落とす切っ掛けにならないとは限らない。むしろ、そうなる可能性が高い。何処かのバカが迷ってる間に、そのバカ守ろうとして誰かが死ぬ。そして、またそのバカが迷う。繰り返しだ。犠牲を増やして、迷って、結局答えが見つからない! そんな奴がいるだけで迷惑だって意味が分からないのか!」

 

 その言葉の意味が分からないほど、ユウキはバカじゃない。彼が言いたいことは分かっている。分かっているからこそ、確かめたかった。

 

 二人の心が、限界へと少しずつ向かっていく。

 

 

 

「ソラは…………ボクが、足手纏いだって言いたいの!?」

 

 

 

「……ああ、そうだ! 今のお前は足手纏いだ! 今はそうじゃなくても、いずれそうなる! あとで邪魔になる芽は今摘まなきゃならない。それを自覚すらできないと言うのなら、俺だって考えがある。例えそれでお前と訣別しようとも………。

 だから、もう一度言わせてもらうぞ———」

 

 

 

 それは言うな。

 それは言わないで。

 

 アーカーの心が軋みながら、必死に止めようとする。

 ユウキの心が痛みながら、聞きたくないと叫ぶ。

 

 それでも———言わなければ、俺は彼女の弱さを許してしまう。

 それでも———聞かなければ、ボクは迷ったまま進めない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「———悩み続けるだけなら、お前はもう二度と戦うな! 迷い抱えたまま剣を握るな……! 前を向いて進めない奴と、俺は一緒にいるつもりはない!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ———ああ、言ってしまった。

 

 

 

 

 

 ———ああ、聞いてしまった。

 

 

 

 

 軋んだ心が限界を迎えた。抜け殻になったような感覚に襲われながら、今言い放った言葉が脳裏に繰り返されるのを感じた。冷静さを失い、ただただ理屈を押し付けた子供のようになって————

 

 

 感情の波が押し寄せる。今にも折れそうな心が折れる音が聞こえたような気すらした。抑えることも出来ず、ただただ泣き噦る子供のように弱々しく一言だけ吐いて————

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「———ソラの………ばかぁっ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 卑怯な言葉を一つだけ吐き捨てて、泣き噦るユウキはその場を後にする。部屋を飛び出し、何処かへ消えていく。

 それを受けて、アーカーは放心状態にすら近いほどの精神状態で、今の言葉の衝撃に挫ける前に、もう一押しだけ果たしておこうと動く。

 

 行ったのは、二つ。

 まず一つは、パーティーの解散。視界端に見えるユウキの名前。これがあるということは、彼女から見ても、アーカーの名前があるということだ。つまり、支えが残っている。名前だけだろうと、その効果は絶大だ。だからこそ、支えすら取っ払わなければ意味がなかった。

 躊躇う指先を無理やり動かして、解散を果たす。

 

 そして、もう一つは———フレンドからの削除。これを消すというのは余程の理由や覚悟がなければ不可能だ。それは一度繋がりを完全に断つことに違いない。何故削除するのか、理由は二つあった。

まず、《索敵》スキルの派生にある《追跡》をさせないため。スキルレベリングが進めば進むほど、追跡できる範囲も広がるからだ。

続いて、生きているか分からない状況を作り出すこと。第一層の《黒鉄宮》には生きているか死んでいるかの確認ができる場所があるが、それ以外での確かめ方はフレンド画面にあった。生きているのなら、ログイン状態。死んでしまったのなら、ログアウト状態として表示されるからだ。それすら分からない状況を作れば、頼ることができないことをはっきりと理解させることができるからだ。

 先程以上に震える指先を、必死に抑えて———フレンドから削除した。これが全て、ユウキのためになると信じて。

 

 

 

「………………」

 

 ぽっかりと穴が空いたようだった。何も感じなかった。残った温もりも全て———。とうとうやってしまう日が来たのだなと、それだけ強く後悔して。今の今までしてこなかった代償の重さに踠き苦しみながら、今にも狂いそうな自分を抑える。これは俺のせいだ。俺がこうなるように招いたんだと自身を責めた。

 借りた部屋の物は基本的に《破壊不可能(イモータル)オブジェクト》で壊れなかった。しかし、部屋はこれでもかと散らかった。まるで強盗にでも荒らされたかのように。叫びそうな心を、狂いそうな心を抑えて、気が済むまで部屋で暴れて———ガチリと。

 心に鍵をかけるようなイメージをして、感情も何もかも封殺した。

 

 

 

「———モンスター、殺しに行くか」

 

 

 

 アーカーは、たったそれだけを、今にも壊れてしまいそうな心の支えにして、その場を後にした。

 数分後、事態に気がついたユウキが急ぎ宿へと戻ってきたが、そこに彼はいなかった。パーティーは解散され、フレンド画面からも行方を眩ました。そこから、ユウキは彼を追うために彼とフレンドを登録していた、キリトやアスナ、エギル、アルゴなど数名から、現在彼がいるフロアを突き止めてもらおうとしたが、彼女がそれに気づくよりも早く、彼はフレンドを全て消していたため、それすら叶わなかった。攻略組の招集にすら応じなくなった。

 結果、誰も彼の行方を知る者はいなくなっていた。

 

 

 

 

 

 ———その二日後、最前線だった第二十六層で、真っ先に迷宮区に辿り着き、そこを起点に暴れ回るソロプレイヤーの噂がアインクラッドに流れた。

 

 

 

 その無双っぷりと、絶対的な強さ。見る者を圧倒し、畏怖させる。フロアボス攻略会議にも、攻略戦にも参加せず、しかしながら、新階層が解放された翌日には迷宮区を暴き、数日後にはマップデータと宝箱だけを残して、行方を眩ませる。

 ただひたすら、モンスターだけを大量に殺し回るプレイヤー。

 その様子から彼はこう呼ばれるようになった。

 

 

 

 

 

 絶対強者の頂。

山の頂を表す《絶巓(ぜってん)》という言葉と、その人物のキャラネームである《アーカー》がサンスクリット語で《天空》という言葉であるところから、それらを合わせて————《絶天(ゼッテン)》、と。

 

 毛先だけが白い黒髪のショートヘアーに、全身の皮装備を灰色一色に統一し、見たことがない古びた片手用直剣を振るう———それが、後に伝わる最強のソロプレイヤー、《絶天》のアーカー。彼の噂だった。

 

 

 

 

 

 迷いと別れ —完—

 

 

 

 

 

 






 ユウキのために、傷付けることを選んだアーカー。

 しかし、その代償は大きく、彼は自らを追い込み続ける。

 そんな中、彼はある男と出会う。

 それはかつて、キリトととも邂逅した〝奴〟だった。

 次回 弱く、そして脆く




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9.弱く、そして脆く



 前回の最前線が二十六層。今回の話はそこから一年ほど経ち、最前線は五十九層。日付もキチンと工夫してあります。ちなみにアニメ版ではなく、小説版の方を素体としていますので、日付や時期などはアニメとは違うのでご理解ください。例で言えば、圏内事件と二刀流習得ですね。あの二つはアニメと小説で時期が違うので。

 少しずつ壊れていく雨宮 蒼天。果たして彼を救える者はいるのか———





 

 

 

 

 

 

 西暦2024年 4月25日。

 

 

 

 ユウキと喧嘩別れ———なのだろうか、今でもわからない———をしてから、一年ほどが過ぎた。今や最前線は五十九層。あれから三十層も上のフロアに上がったのは驚異的だろう。命を大事に、なんていう昔ながらのゲームの命令通りの戦法の結果、二十五層のような死者は出ないようになったと聞く。

 

 あれから大きく変わったのは、大まかに二つほど。

 

 まず一つは攻略組の勢力バランスだ。

 かつては、キバオウ率いる《アインクラッド解放隊(ALS)》とリンド率いる《ドラゴンナイツ・ブリゲード(DKB)》が主な主戦力だったが、二十五層での甚大な被害を受けた《アインクラッド解放隊》は攻略組から脱落した結果、早急な建て直しが行われた。

 《アインクラッド解放隊》に変わって台頭したのは、これまで名も知られてなかった新興ギルドであった《血盟騎士団(KoB)》だった。団長はヒースクリフという凄腕のプレイヤーで、彼が一から声をかけて作ったという。副団長には、あのアスナが席についているらしい。現在では、攻略組で最も高名なギルドだ。

 

 続いて《ドラゴンナイツ・ブリゲード》が発展したのか、吸収合併したのかは不明だが、《聖竜連合(DDA)》というギルドが《血盟騎士団》に次ぐ攻略組の有力ギルドだ。時にはオレンジになることも辞さない強引さで、近寄りたくないと思う者も多いと聞く。恐らく、前身のリーダーであったリンドはそこに在籍しているだろうと思う。

 

 そして、これは初耳だったが、《風林火山》というギルドも攻略組の有力ギルドのようだ。規模は小さいが、それでも全員の練度が高いと聞く。詳しく知らないため、これ以上語ることはない。

 

 以上が、攻略組の勢力バランスだ。

 

 もう一つ変わったものは、これまである程度の話には持ち上がっていたレッドプレイヤー、所謂殺人行為を楽しむプレイヤー達が、あるギルドとして率いられるようになったことだ。大晦日から元旦、その間にギルド一つを壊滅させ、名乗りを上げた殺人ギルド《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》。ラフコフなどと略して呼ばれるそれは、ある男によって率いられているそうだ。その男の名前は《PoH(プー)》。以前キリトに聞いた話によると、二層での鍛冶屋ネズハが行った強化詐欺も彼が考えついたものだったらしい。

そんな奴らが、群れを成して統制されているとなれば、ゾッとしない者はなかなかいないだろう。

 

 これが、一年の間に起きた重大な出来事だ。他にも、有名な《吟唱》スキル習得者が死亡した事件や、何処かのギルドが突然壊滅した事件、クリスマス限定のボスが登場したという話が耳に入ったが、俺にはそんなことはどうでもよかった。

 

 俺がやるのは、最前線攻略だけだ。最前線の迷宮区を誰よりも早く暴き、宝箱などには目もくれず、完全なマップデータを情報屋に流し、多少の儲けが得られる程度に稼ぎ、また次の階層が解放されるのを待って、同じことを繰り返すだけ。気がつけば、ソロプレイヤーが持っていておかしい金額のコルを持っているが、別になんてことはない。ひたすら自己の強化に使うだけだった。

 

「………………暇だ」

 

 最前線である五十九層の迷宮区を完全攻略したマップデータを弄びながら、どのタイミングで渡そうものかと考えつつも、主街区内だが、かなり離れたところにある裏路地で俺は暇そうに欠伸を咬み殺す。前に熟睡したのは、いつだったか。よく眠れたなと記憶に覚えているのは、二十六層の宿だったか。なるほど、ユウキと喧嘩別れする前か。そう考えると、どうやら俺はなかなかあの日のことが響いているらしい。

 

「………………馬鹿だな、俺は」

 

 こんなに苦しい思いをするなら、あんなこと言わなければよかったのにな。ユウキのためだ、と理由をつけて言い放ったが、今更考えてみれば、言わない方が良かったと思うのは、自分のためじゃないのかと気が付いた。現にこうして後悔している辺り、ただただ度し難い。後悔先に立たず、とはよく言ったものだ。辞書いらずの経験談をこの歳で持てるのは、得なのか損なのか。

 

「………………人は喪ってからその大切さに気付く。なるほど、しっくり来る言葉が世に出てるもんだな。しっくり来るが、反面残念だ」

 

 だってそうだろう? 逆に言えば、喪うまで大切さに気が付かない、ということなのだから。こういうのをパラドクスとかなんとかというんだったかと何処かズレた思考を巡らせてから、一気に放棄する。

こんなこと考えている暇があるのなら、それこそ隠しクエストが無いから探し回ってみるのも、このデスゲーム———いや、本来のゲームとしてのアインクラッドであっても———ならではの楽しみ方だろう。真にデスゲームを満喫するならプレイヤーキル、要するにPKしてみろよ、っていうのがラフコフの考えだったか。流石に俺にはそこまで楽しむ気にはなれそうにない。どうせPKをしたところで、楽しさを感じる気持ちすら湧いてこないだろう。

 

「………………さて、また適当に迷宮区で暴れるか。マップデータはその後にでも渡せば———あ?」

 

 常に発動させている《索敵》スキルによる接近警報が、周囲に他のプレイヤーが近づいていることを知らせてきた。舌打ちをしながら、ストレージを操作。そこから、装備フィギュアの頭部に《隠蔽》効果を高めるレアアイテムのフードを被ると、スキル一覧から《隠蔽》スキルを発動させる。あれから一年もの間に《片手用直剣》スキルや《隠蔽》スキル、《体術》スキルに新しく取ったスキルなども、かなり高い値に入っていた。当然あれから使用回数が一気に増えた《隠蔽》スキルは上記三つに次ぐ練度だ。早々見破られることもないだろうと思い、その場でジッと息を潜めることにする。ここまですれば、恐らく余程練度の高い《索敵》スキルで注視されない限りは大丈夫だろう。

 

(………………妙だな、真っ直ぐここに向かってきてやがる)

 

 周囲のマップを開くと、他のプレイヤーが真っ直ぐ俺のいる裏路地に向かってきているのがわかる。それも二人組だ。これはどういうことだ? 最初から《隠蔽》スキルを習得していなかったのもあるが、それでもスキル値は相応に高く、駄目押しのフードまでつけている。ここまでしているのに真っ直ぐ向かって来るということは、合わせた《隠蔽》効果よりも高い《索敵》スキル持ちがいるということになる。攻略組から離れて一年も経った俺に、それが誰かなど検討がつくはずが————いや、まさか()()()か?

 浮かんだ答えを採点するように、二人組が姿を見せた。

 

 一人は、全身黒尽くめの皮装備で片手用直剣一本だけを吊るした男性プレイヤー。

 もう一人は、渾名と特徴となった左右対称の三本ヒゲがある金褐色の巻き毛をした女性プレイヤー。

 

 間違いない。見覚えがあった。どうやら、二人とも以前と全く変わっていないらしい。

 

「やっと見つけたぜ、アーカー」

 

「アー坊、久しぶりダナ」

 

 位置がわからないのに分かっている風に言う〝釣り〟ではなく、間違いなく分かっていると言わんばかりに、彼らは《隠蔽》スキルで隠れた俺の方をしっかり向いて声をかけた。なるほど、高い《索敵》スキル持ちと言えば、お前だろうな———キリト。

 

「………………よく俺の居場所が分かったな、キリト」

 

「ただの偶然だ。たまたま同じフロアにいて、辛うじて俺の《索敵》スキルが検知してくれただけだよ」

 

「………………お前も無茶したんだな。例えお前でも見つけるのは無理だと高を括っていた。想定よりもレベルも、スキルも高いとはな」

 

 もう必要ないなとフードを脱ぎ、素顔を露わにする。そこにあったのは、キリトやアルゴが最後に会った時とは、目付きも、雰囲気も違った顔だった。生気は殆どなく、死んだ魚のような眼をしている。ここが仮想世界だからこの程度で留まっているが、もし現実世界で同じ状況なら痩せ細っていたとしても過言ではない。

 そんな姿になっていると言うのに、アーカーは嗤う。

 

「見事な手前だ。ここの迷宮区のマッピングは済ませてあるから、何処かの情報屋に売りつけにいく前だったんだが、お前らにやるよ」

 

「いや、マップデータは良い。代わりにユウキに会ってやってくれないか?」

 

「オレっちからも頼むヨ。ユーちゃん、今にも壊れそうになってル。もう限界なんダヨ」

 

 ユウキに会ってやってくれ?

 その一言に、俺は冗談だろ?と言った顔をして聞き返す。

 心が軋む痛みを我慢しながら————

 

「おいおい、何を言うかと思えば、そんなことのために一年もずっと俺を探してたのか? せっかく無償で完全なマップデータをくれてやるって言ってるのにそのチャンスを捨てるのか? キリトもアルゴも、俺はもっと賢い判断ができると思っていたんだがな」

 

「一年も行方を眩ませたお前に比べれば、賢明な判断だよ」

 

「…………ほう、言ってくれるじゃねぇか、キリト」

 

 まさかコイツからそんな反撃を受けるとは思っていなかったせいか、感嘆の声が漏れる。しかし、声音に嬉しさなど微塵もない。冷え切ったそれは鋭く切り返す。

 

「俺を説得できると考えてるお前よりはマシだろうが」

 

 一年も行方を眩ませた時点で分かっていたはずだろう?とキリトに問いかける。

 

「今更寂しくなったから戻ってきました、一年も行方眩ませてごめんなさい———ハッ、笑わせんなよ。いつからンな寝言言わせようと思うようになったんだ?」

 

「寝言……だと? ———ふざけてるのか……ッ!」

 

 冷静に諭そうとしていたキリトの声に怒りが混じる。それは今のユウキの様子を知っている知人としての怒りか。ここにアスナがいたなら、俺は即座に《リニアー》の一つでも打ち込まれそうなものである。胸倉を掴みかかるほどの剣幕で、彼は吠える。

 

「ユウキは、今も戦っている。この世界と、この現状に! お前が離れていった理由を何度も何度も考えて———苦しんでるんだ! お前がそう簡単に納得しないのを分かっているからこそ、ずっと。それなのにお前は、一人で好きなように動いて行方を眩まし続けて! 時間を作る度にお前を必死に探してるアイツの気持ちが分からないのか!?」

 

 ああ、そうだろうな。そんな気はしていたよ。ユウキなら、きっとそうする。限界まで自分を追い込んで、それでも微かな希望に手を伸ばそうとする。そうするように、()()()()()()のは———俺だ。

 

 かつて、生きることを諦めかけたユウキに、俺は諦めることを許さず、最後まで抗い続けさせた。その結果、ユウキは()()()()によって、かの難病を完治させるに至った。その事実が、彼女の心の在り方を変えた。諦めたくない、諦めてたまるか。それが彼女の中にある心の芯なのだろう。今の俺にはそれが分かった。

 

 しかし、例え心に強い芯があっても、ユウキはまだ齢14ほどの女の子だ。未熟さが残る精神では、その強さを保ち続けるのは不可能だ。斯く言う俺も似たようなものだ。命綱のない綱渡りをしているような一年も続けている。果たして、あとどれくらい持つだろうか? あともう一押しでもあれば、態勢を崩してしまうほどの脆弱さが、俺の心を蝕んでいく。

 

「———分からねぇよ」

 

 痛み、蝕まれ、苦しく、辛く、弱い———そんな俺の心が、一年前に何とか封殺した感情を必死に抑える。もし抑え切れなくなれば、その奔流に呑まれ、もう元には戻れまい。亀裂が走り、今にも暴れ出してしまいそうな、その様子は決壊寸前のダムのようにすら見えた。

 しかし、今の俺の心情がいかがなものか。それを察する余裕すら無くなったキリトは強硬手段に入る。

 

「ああ、そうかよ———」

 

 人差し指と中指を揃え、右手を下へと振る。表示されたメインメニューの項目からフレンド画面を起動し、素早く誰かの名前をタップ———できなかった。押そうとした瞬間、キリトは派手に吹っ飛ばされ、裏路地の入り口まで後退していた。前方を見て、何が起きたかを確認する。振り抜かれた拳を構えたまま、アーカーが先程よりも前にいた。それは先程までキリトがいた場所に近い。

 つまり————

 

「呼ばせる気はないってわけか……」

 

「当たり前だ。あまり舐めたことしてくれんじゃねぇよ《黒の剣士》」

 

 もはや、名前すら呼ばない。

 渾名で呼ばれ、キリトの腹が決まった。全力で振り抜いた拳からして、もし《圏外》であったとしても、彼は同じことをしただろう。

 それならば———

 

「アーカー———いや、《絶天》。賭けをしよう。俺が勝てば、お前をユウキのところに連れて行かせてもらう」

 

「やれるものならやってみろ。俺が勝てば、今から一時間の間、絶対にユウキには連絡するな。《鼠》、お前も同様だ。約束を破ったと分かれば、俺は今後一切完全なマップデータも、情報も、宝箱さえも保証しない。独占される覚悟をしろ」

 

 我ながら、狂った悪役を演じようとしている無様な有様には苦笑せざるを得ない。これ以上負担を増やしてどうなるんだろうか。糸がプツリと切れて、あっさり死ぬのか? ———いや、この期に及んでそんな死に方は余程のことがない限りできないだろう。視界内に浮かぶ、自らのレベルを見て———目を伏せた。なるほど、俺自身気がついていなかったが、無茶なことをしていたらしい。いつかのエギルの言葉が的中していた。表示されていたレベルは———()()。最前線である五十九層の表面的な数字よりも、30以上も上回っている。これは恐らく、現在アインクラッドで最高レベルなのではないか。自負と共に無謀さからの苦笑しか残らない。

 当然、それほどまでの無謀が行われていたことを知る由もないキリトに、このレベル差を果たしてどうにかできるのか————

 

「……ルールは《初撃決着モード》。それでいいな?」

 

 無言で頷くキリト。デュエル申請を送り、向こうがルールを設定する。最初に強攻撃をヒットさせるか、或いは相手のHPを半減させれば勝ち。アインクラッドで唯一安全なルールだと言えよう———()()()()が正しくなければ。

 そうして、六十秒のカウントダウンが開始・表示される。場所が場所のため、恐らくこのデュエルを見ているのは、アルゴ一人だけだ。そうでなければ、賭けをした意味がない。

 

 命の駆け引きをする際の感覚が強まっていく。触れれば、切り裂くほどの殺気が、二人の片手剣を通して放たれる。キリトの持つ片手剣は、かの五十層でラストアタックボーナスとして入手したものに相違ないだろう。別の情報屋からその情報を買い取ったことがある。

 

 一方、俺が持つ片手剣は異質そのものだった。見た目はとても古びており、斬れ味など感じられないほどの代物だというのに、実際は恐ろしく鋭く、軽く、そして、耐久値はかなり高い。未だ具体的な効果は不明だが、この一年間コイツを振るってきて俺が分かっているのは———この片手剣は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、ということだ。

加えて、この片手剣には名前がない。正確には名前の項目があり、表示されているのだが、全て文字化けしている。そのくせ、廃棄することも譲渡することもできない。二十五層でのラストアタックボーナスではなく、勝手にストレージに入っていたのだから、余計に不気味さが増したものだ。

 

 そんなものに魅せられるかのように、俺はかつての愛剣を放って、この片手剣を握った。果たして、その選択は正しいのか否か。

 

 そして、カウントがゼロへと近づき———

 

 

 

 

 【DUEL!!】

 

 

 

 

 

 紫色の閃光が弾け、駆け引きが始まった。

 まずは先手必勝とばかりに強攻撃をヒットさせようと、キリトが接近。態勢からして突進技のようだ。それに答えるように、ジェットエンジンのような効果音が鳴る。赤く染まった光芒と突進のいう点から、出された技は《ヴォーパル・ストライク》だろう。技後の隙が大きいため、対人戦では使用されにくいソードスキルだが、この狭い裏路地と、彼の技量ならば、その後も対応も違ってくるはずだ。

少なくとも、真横に避けられてカウンターされて終わり、なんてダサいことにはなるまい。斯く言う俺もまた、横に避けるのは危険と判断していた。

 そこで俺が取った行動は簡単ながらも、高度な技術が伴われる行為だった。

 

「なに———ッ!?」

 

 俺は片手剣の頑丈さを利用し、キリトの《ヴォーパル・ストライク》に対して、剣の腹で受けた。本来なら半ばからへし折れてもおかしくない行為だが、もちろん、まともに受けたわけではない。腹で受けるには受けたが、そのあと腹で彼の剣を滑らせるように往なす。片面の刃が火花を散らして、俺の片手剣の腹を撫でていき、彼は僅かに態勢を崩す。技後硬直により、少しの間動けないキリトに対し、こちらが取れるのは三つ。

 

 一つは、強烈な《片手用直剣》の単発ソードスキルを叩き込んで終わらせること。

 もう一つは、《体術》の単発ソードスキルを撃ち込んでやること。

 そして、もう一つは———

 

 

 

「ちょうどいい。せっかくプレイヤー相手だからな。()()でも試すか」

 

 

 

 ガシッとキリトの顔を掴み、()()()()()()()()()()()。壁は《破壊不可能オブジェクト》のため破損しないが、ぶつけられた彼の顔からは赤いダメージエフェクトが飛び散る。そこから続けて、俺は彼の顔を片手で()()()()()()()、裏路地を駆ける。高いAGI値に物を言わせた猛スピードにより、押し付けられた彼の側頭部は壁に削られていく。俗に言う《紅葉下ろし》というやつだ。

 

現実世界でこんなことをやれば、凄惨なものだが、この世界ではそこまでではない。ただし、どれだけの不快感を受けるかはやられない限りわからないが、相当なものだろう。飛び散る赤いダメージエフェクトが、別のものにさえ見える。突然のことで思考が止まっていたキリトも、衝撃と不快感から思わず叫びをあげ抵抗するが、不安定な姿勢からでは、やられた後の対応が上手くできない。

 

 あっという間に三割が削られ、残り二割も削られてしまうのかとアルゴが思った直後、何とかタイミングを見定めたキリトが片手剣を振るって、俺の脇腹を切り裂き、僅かな隙を突いて脱出を果たす。すぐさま距離を取って、状況判断。アルゴの方に視線を向けるが、彼女が珍しく怯えているように見え、恐ろしいものを見たという顔をしていた。この時、彼は気がつかなかったが、顔の三分の一が欠損状態のような有様へと変わり果てていて、片目までもがその餌食となっていた。現実世界なら即死していてもおかしくない。

 

 そんな状況になっていたと知る由もないキリトは、多少片目が見にくいなと思いながら、再び剣を構える。《ヴォーパル・ストライク》はもはや意味を成さない。他の技か、或いは普通に接近しても、下手をすれば、先程の繰り返しになりかねない。あの集中力に、僅かな隙を作らなければ、反撃以外のダメージは入らないだろう。未だにあちらが優勢である以上、考えられる方法はなかった。流石に()()はコイツに使えるほど、鍛え上げられていない。

 なら———

 

「らああああッ!!」

 

 裂帛の気合と共に、再びキリトは駆け出した。その姿は、先程よりは冷静に見えるが、それでも不安しか感じさせない。先程の光景が浮かび、アルゴが何かを叫ぶが届かない。その勢いのまま、キリトは駆け出していく。

 対して、俺は先程と動きは変わらず、カウンターすることを前提としていた。反撃が当たれば、その時点で勝ちが決まる。わざわざ無理してゴリ押す意味がなかったからだ。

 そうして、キリトが接近し、片手剣を振るった———はずだった。

 

「な———!?」

 

 振るったのは、左手。そこには片手剣など握られていない。もちろん、このアインクラッドに二本も片手剣を装備するスキルなど、まだ見つかっていない。あったとすれば、それはユニークスキルも同然の性能となるだろう。それ故に無警戒だったが、あまりにも真に迫ったキリトの振り方に、殺気に敏感になっていた俺は、反射的に対応しようとして———反撃が失敗した。往なす武器もなければ、弾く武器もない。空を切った反撃の隙を突くように、今度こそ片手剣を振るう。振り抜かれたそれは、容易く俺の左肩から身体を裂いていき、心臓の辺りまで届かせ———動きを止めた。

 

「やったか………」

 

 キリトの疲弊した声が聞こえた。どうやらそれなりに向こうも疲れを浮かべていたらしい。殺気を纏った真に迫るフェイントは、それ相応に疲れを齎す。先程の紅葉下ろしを受けた彼には、今まで戦った何よりも強敵に感じたに違いない。STRの高いキリトの一撃は、心臓にまで届いたことで、クリティカル判定と共に大ダメージを与えていた。見る見るうちに減っていくHPゲージからもそれが伝わってくるだろう。勢いよく一割、二割と進み、三割を超え、四割———

 

 

 

「———嘘、だろ……」

 

 

 

 ダメージは、そこで止まった。残るHPは約六割ほど。それでは、半減には届かない。だが、そこに驚いた訳ではない。少なくとも、先程の一撃は中層プレイヤーなら危険域のレッドにすら届くほどのダメージだ。下手をすれば、殺せるほどの威力であったはずなのだ。それほどまでにキリトのレベルは高い。例え、アーカーであっても、最初の反撃の分もあり、彼の皮装備であれば、いくらレベルが高くともイエローには入るだろうと考えていたのだ。自分自身よりいくらか高いと仮定してまで振るった一撃だったというのに———

 

「惜しいな。すごく惜しかった。驚いたぞ、キリト。まさかそんな動きができるとはな。殺気に敏感になりすぎて、思わず反応しちまったよ。———だけど、悪いな。今の俺のレベルは92だ。それじゃ、()()()()()()ぜ?」

 

 感動したよ。感嘆の声を惜しみなく言わせてくれ。すごい。素晴らしい。キリト、お前みたいな奴がこれから先も強くなれる。みんなの前を歩いて、導いて、この世界を終わらせてくれるはずだ。お前に会えて良かったよ。お蔭で久しぶりに胸が踊った。楽しい、って思えた。高鳴る鼓動の音をいつもより感じるよ。

 

 

 

 

 

 ———だからといって、勝ちを譲る気は一切ないが。

 

 

 

 

 逃げられないように、片手剣ではなく、それを握る彼の手を上から握り締め、俺は素早くソードスキルを発動———《体術》スキルにある単発水平蹴り《水月》。それをシステムに抗ってでも、少しだけ角度を無理やり変えて、左下から右上に上がるように仕向けて放つ。向かった先は、キリトの側頭部。先程紅葉下ろしで抉られた反対側だ。そこに容赦なく叩き込み、彼はあまりの衝撃に武器すら手放し、壁へと激突。さらに三割半を減少させ、HPは半減。イエローには突入。条件が達成され、彼は敗北を喫した。

 

 思いっきり吹き飛ばされ、側頭部を強く打ったキリトは、そのままピクリとも動かない。恐らく気絶でもしたのだろう。焦ったアルゴがそばに駆け寄り確認し、ホッと一息をつく。その後、こちらを見る。

 

「賭けは守るヨ。でも、またアー坊を探し出してみせル。今度は、ユーちゃんと一緒にナ」

 

「そうか。なら、精々頑張ることだ。探したければ、勝手にしろ。最前線が上に上がれば上がるほど、お前達に俺を探す余裕はなくなるがな」

 

 壊れかかった鍵を必死に抑え、今にも決壊しそうなダムのような心を押さえつける。自覚するまでもなく冷静さを失い、苦しげに歪んだ表情を浮かべているのを分かっていながら、俺はその場を後にした。

 もう一度出会ってしまおうものなら、今度は耐え切れないと理解して————

 

 

 

 

 

———*———*———

 

 

 

 

 

 キリト達から逃げるように、その場を去った俺が向かったのは、三十五層にある《迷いの森》。もし、後ろをつけられていたとしても、ここなら簡単に巻くことができる。巻いた後、離脱する時に不便だから地図を片手に歩く。いつもなら、こんなことせず、出れるようになるまで、ひたすらモンスターを狩っていたが、そうはいかない。早いところマップデータを売り払い、暫く身を隠しておきたかったからだ。キリト達には情報公開の時間制限しかつけていない。非公開にしろと言えば、賭けに乗ってこないのを分かっていたからだ。その場合起きたであろうことは、キリトが妨害に走り、アルゴが連絡。ユウキが駆けつけるまで、二人で足止め———といったところだろうか。アイツらならやりかねないのを、俺は分かっていた。

 

「…………馬鹿だな、俺は」

 

 ここなら誰も聞いていないだろう。わざわざこんなところにまで来てレベリングしようと思う中層プレイヤーは、そういない。地図だって高いし、ここは以前何かがあったらしく、人気が前よりも少なくなっている。宿だと《聞き耳》スキル持ちがいると、聞かれる心配もあった。以前そんなことをされかけたせいか、宿ですら安心できた試しはない。

 大きく深呼吸をし、ゆっくりと、頑丈にかけた心の鍵を解く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「Wow……こいつはすげぇな。滅多にお目にかかれない飛びっきりの化け物じゃないか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 張りのある艶やかな美声が耳に届き、工程全てを中止。すぐさま、片手剣を抜き放つと周囲一帯に《索敵》スキルを展開。集中力を高め、不意討ちに備える。確認できたのは、たった一人。キリト以上の《索敵》スキルを持つ俺が見つけられないということは、一人か? もしかすると、《索敵》無効のレアアイテムがあるかもしれないと考え、集中力をさらに高め、周囲に気を配る。

 まずは、先程の声をあげたプレイヤーに目を向けるべきだと判断して。

 

 深い森の奥から姿を見せたのは、膝上までを包む、艶消しの黒いポンチョ。目深に伏せられたフード。だらりと垂れ下がる右手に握られるのは、まるで中華包丁のように四角く、血のように赤黒い刃を持つ肉厚の大型ダガー。武器には見覚えがなかったが、その姿には聞き覚えがあった。元旦に情報屋達から一斉に警告された危険人物、要注意と攻略組すらもが通達した存在。そのトップに君臨する、最狂最悪の殺人者(レッド)プレイヤー———《PoH(プー)》。数多くのオレンジ達を誘惑・洗脳し、狂的なPKに走らせた男が、そこにいた。

 

「……ついてねぇな、今日は」

 

 キリトとアルゴに見つかってしまうだけに留まらず、最狂最悪のレッドとご対面とは……なるほど、これはタチが悪すぎる。奴だけならどうにかなるだろうが、仮に配下の幹部達を総出で連れて来ていたら、さしもの《絶天》でも厳しいことには変わりない。そもそも、PoHがどれほど強いのかも、まだ分かっていない分こちらが不利だろう。向こうは、どうやらこちらを知っている。どれだけ強いか、把握すらしていると思ってもいい。先程のデュエル結果を見ていた訳ではないと思うが、ここは先程より場所が広く、視界が悪いせいもあり、多少のやりづらさがあるのは否めなかった。

 

「何の用だ、PoH。俺を殺しに来たか?」

 

「かの《絶天》にまで名を知られているとは光栄だ。……なに、別に今日はそういう訳じゃない」

 

 何処か機嫌が良さそうにPoHの声が森に響く。少し前に誰かを殺したから機嫌が良いのか、或いはレアモンスターみたいな扱いになっているのかもしれない俺を見つけられたからなのか。こちらにその理由がわかるはずもないが、とにかく油断は禁物だった。

 

「だったら、なんだ? 俺とお茶でもしにきたか?」

 

 挑発するように告げた一言に、少しの間しんとした冷たい雰囲気が漂うが、おかしくなったのかPoHはクツクツと小さな笑い声をあげると、楽しげに嗤う。

 

「But……お茶ってほどじゃないさ。ちょっとした提案だ。《絶天》、貴様も気に入る可能性が高い話さ」

 

「へぇ……俺が気に入るかもしれない話、か。言ってみろよ。少し気になってきたんだ」

 

 どんな話かは分からないが、この場で僅かな逃走時間を作るには絶好のチャンスだ。そう思い、この話に耳を傾ける。どうせロクでもない話だろうが、人を殺してみないか程度の話なら聞き流すことだって簡単にできる。さあ、どんな話か言ってみろよ———

 

 

 

 

 

「———《絶剣》を捕らえた。こいつを殺してみたくはないか?」

 

 

 

 

 

「………………は?」

 

 その一言に、頭が真っ白に染まった。《絶剣》? その渾名は聞き覚えがあった。現在攻略組のソロプレイヤーでありながら、《血盟騎士団》や《聖竜連合》からもスカウトが殺到する程の高位の実力者。かつては、俺と組んでいた片手用直剣使いの女性プレイヤーで、《絶剣》とは、アイツの———ユウキの二つ名だったはずだ。

 

「But……もしかして聞き取れなかったか? それは悪かったな。今度は聞こえるように、ハッキリ発音してやるよ」

 

 違う。そんなはずはない。アイツが、そんな簡単に捕まるはずがない。ユウキは強い。あれから戦い続けているのなら、キリトやアスナと同レベルの強さは持っているはずだ。無茶をし続けているなら、キリトよりも強くなっている可能性だってあった。だから信じられなかった。ユウキの強さを誰よりも知っているからこそ、俺には信じ難い言葉だったから———

 

「ちょうどさっき、《魔笛》の野郎が《絶剣》の嬢ちゃん捕まえたからよ。《絶天》———いや、アーカー。お前、自分の手で殺してみたくはないか?」

 

 直後、足元が爆ぜた。

 AGI値を最大限に発揮し、一瞬で距離を詰めて片手剣を振るう。圧倒的な速度と、圧倒的なレベル。この二つが齎した絶大なボーナスから放たれた一撃は、咄嗟にガードに走ったPoHでも大きく後退させられた。その威力に、目を見開き、驚愕し、狂喜する。

 

「Excellent!! 思ってた以上の化け物だ、こいつはッ! お前がなんで殺しをしてないのか不思議なくらいだ!」

 

「テメェ……ユウキを使って俺を脅すつもりか?」

 

「その逆、こっちに来ないかって話だ。お前には殺しの才能がある。それも飛びっきりブッ飛んだ原石だ。今からでも遅くないほどに、な?」

 

「…………馬鹿か。ンな話に俺が乗ると思ってるなら、相当頭の中お花畑じゃねぇのか、テメェ」

 

 面白いことを言ってくれるなと嗤いながら、PoHは提案を繰り返す。

 

「……別に嬢ちゃんを殺したくねぇなら、それでも構わないさ。別のプレイヤーを用意してやる。試しに一回殺してみたくはないか? お前なら気に入ってくれると思うぜ? 俺達と一緒に来るなら、お前のやりたいことがなんだって出来る。殺すも、犯すも、狂わせるも、眺めるのも、何でもだ。この極限状態(アインクラッド)なら、何だってだ! アーカー、今自分がどんな顔しているか知ってるか?」

 

 PoHが楽しげに嗤っていた原因が、この時分かった気がする。同時に、俺がどんな顔をしていたのかさえも———

 

 

 

「今にも誰かを、——————って顔してやがる」

 

 

 

「………………ああ、そうかよ———だったら、交渉は決裂だ。今すぐ失せろ。近くに増援がいようがいまいが、今の俺は全員ブチ殺す腹積もりだ」

 

「But……残念だ、気分が乗らなかったか。まあ、いい。せっかくだ、教えといてやるよ。どうせお前は取り返しに来るんだろ?」

 

 巨大な肉切り包丁を指の上で器用にくるくる回し、腰のホルスターに収めながら告げる。

 

「《笑う棺桶(俺達)》のアジトは———にある。もし、攻略組総出で来たとしても歓迎してやるよ」

 

「なんで俺に教えた。壊滅したいのか?」

 

「別に構わない。俺は全力で殺し合ってる様子が見たい。当然、お前がアイツらを殺している姿が見たくもあるな。あとは直感だ。……お前と俺はよく()()()()気がしたんでな。俺と一緒に来るかどうか、次もまた訊ねてやる。期限は三日間。過ぎた時は俺が代わりに殺してやる。良い返事を期待してるぜ、兄弟(ブロー)

 

 それだけ言うと後ろ手に振りながら、森の奥へと姿を消していく。ちょうど《迷いの森》のギミックも変化したのか、恐らくもう追うことはできない。それにそもそも、今は追う暇なんてなかった。あれは嘘じゃない。本当のことを言っている。向こうで、散々性根の腐った大人や子供の嘘を見抜いて、ユウキのために戦い続けてきたからこそ、あれが嘘ではないことがハッキリとわかった。

 

「ああ———俺は馬鹿だ。救いようのない馬鹿だな」

 

 この事態を招いたのは誰だ?

 PoHか?——違う。

 《魔笛》とかいう奴か?——違う。

 攻略組か?———断じて違う。

 招いたのは———紛うことなく、俺自身だ。

 

 俺が、ユウキを独りにしたから。

 俺が、そばにいなかったから。

 俺が、守ることをやめたから。

 俺が、俺が俺が、俺が俺が俺が、俺が俺が俺が俺が俺が———!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ———俺が、ユウキをこの世界に連れて来てしまったから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 覚悟が決まった。

 全力であのゴミ共を殺そう。

 足止めに何人か使える駒が欲しいな。何処から引き抜くか。何処から手に入れるか。そうだ、ちょうどいい奴らがいる。向こうも攻めあぐねているはずだ。交渉に持ち込んでこようが、アジトの位置が分からないなら、有利なのはこっちだ。期限は三日しかない。それも三日で見つけても間に合わない。二日以内で見つけ、攻め込む必要がある。奴らが欲しい情報は俺が握っている。

 

 そして、奴らはユウキを見捨てたりはしない———いや、できない。貴重な戦力であり、同時に危険な勢力である《笑う棺桶》を潰せるチャンスを、不意にしたりはできない。不意にしたとなれば、それは攻略組の信用に関わる。同時に、作戦が成功すれば、下層、中層のプレイヤー達からの支持を得ることができる最高のタイミングであるのも紛うことなく事実だ。戦力増強のチャンスにすらなる可能性を秘めているとなれば、余計にだ。

 

 

 

 歪みを孕んだことにすら気がつかないまま、俺は《迷いの森》を容易く踏破し、最前線である五十九層へと戻る。そこでは、ユウキがラフコフに攫われたことと、何処かの階層で攻略組一軍で構成された救出隊がラフコフに襲われ全滅したことで話が持ちきりになっていた。

 

 

 

 

 

 ユウキ殺害まで残り2日と23時間半と少し。

 

 

 

 

 

 弱く、そして脆く —完—

 

 

 

 

 

 






アーカーがキリト達と再会した頃、ユウキはある階層を訪れていた。

助けを求める人々の声。それに応えるため、結成された救出隊。

過去にも同じ出来事があったという話を耳にしながら、

ユウキ達は救出へと赴く。

次回 魔の手は忍ぶ



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10.魔の手は忍ぶ



 今回は胸糞回です。お蔭で書くのが遅れました。やっぱり、《笑う棺桶》の奴らってこんなもんですよね。ユウキにはマジで悪いことをした……多分あとはソラ君がどうにかしてくれる(他力本願)

※タグ整理をする際に、やっぱりユニークスキルを使うことに決めました。なるべく、二刀流みたいなソイツにしか使えない武器種みたいなのにはしないようにしてます。
試験的にですが、次回から投稿時間を一時間ほど早めます。ご理解ください。




 

 

 

 

 

 

 西暦2024年 4月25日。

 

 

 

 ソラと喧嘩別れをしてから、一年が過ぎた。あれから、まだ一度も会えていない。ただ彼が生きているということだけは知ることができた。最前線が変わる度に、迷宮区を暴き、探索済みの完璧なマップデータをいつの間にか流し、また行方を眩ませる。そんなことを続けていることを、アルゴさん達から知った。そんな彼が次々と足場を固めて用意していった影響か、最前線はあの頃より三十層も上の階層へと変わり、攻略組の勢力図も大きく変わった。

 

 アスナは、かの有名な《血盟騎士団》に入り、そこで副団長を務めるほどにまでなった。実力だって前とは比べようがないくらい、すごく強くなった。一層で初めて会った頃とは大違いなくらい色々なことができるようになって、みんなを率いて戦える人になった。

 

 キリトは、相変わらずのソロプレイヤーで、あの時から重荷を背負って頑張ってる。途中で手助けした後、加入することになったギルドが壊滅して、それに苦しんで、無茶なレベリングを一人で熟していた時は、苦しそうな顔をしていたソラと酷く重なった。血を吐きそうなくらい必死になって戦って、結局その努力も報われなくて。そんな彼を見ていて気が付いた。

———きっと、ソラも同じなんだ。今もきっと苦しんでる。ボクが無責任に言っちゃったあの言葉に苦しんでるはずだ、って。

 

 キリトがもう一度戦うことを選んだのを見て、ボクも、いい加減迷ってる場合じゃない、ってそう思えた。答えをちゃんと見つけた。

 

 ボクが戦う理由。

 ボクが背負う責任も。

 ボクがやらなきゃいけないことも、全部。

 

 だから、ボクはソラを探し出す。ちゃんと顔を見て、あの時のことを謝って。ボクの答えも、覚悟も、ちゃんと伝えて分かってもらうんだ。ソラが少し頑固で、分からず屋で、朴念仁なのは知ってるから。きっと、ぶつからなきゃ伝わらないこともある。諦めることなんてしない。それがボクの答えだ、って言わなきゃいけないんだ。

 

 

 そう思って———

 

 

 

「むー……見つからないよぉ…………」

 

 ここ暫くの間、働き詰めだったユウキは、漸く休暇らしい休暇を貰い、それを探す時間に充てていた。ギルドに所属していない彼女は、所属している者達と違って時間があるはずだった。

 

 しかし、実際はそんな時間がなかった。理由はいくつかあるが、働き詰めだった原因は、言わずもがなソラだ。彼が攻略組の想定している攻略速度よりも早く、迷宮区のマップデータなどを情報屋に流し、その上、他の未探索エリアの攻略や隠しクエストの情報を次々と見つけ始めるせいで、攻略組は大忙しだった。お蔭で死者は出にくくなったが、別の方面で死者が出やすくなった。彼に負けじと攻略に励んだプレイヤー達が無茶をして死亡しているとの連絡が以前入ったのだ。

 

 そのこともあり、有効化(アクティベート)を遅らせたりなどの様々な措置を取ったが、結果は変わっていない。第一、常に最前線を駆け回るソラは、恐らく攻略組のどのプレイヤーよりも強いと思われている。《血盟騎士団》の団長にして、現在唯一と思われるユニークスキル《神聖剣》の使い手であるヒースクリフは攻略組の中でも別格だが、レベルや危機対応力に関しては、常に最前線で命の駆け引きをしているソラが上だと思われているくらいなのだ。だからこそ、攻略組として是非とも戦ってほしいという考えが出ている中で———

 

「……何処にいるんだろ、ソラ」

 

 一年かけても捜索が滞っている現状に、ユウキは落ち込んでいた。その落ち込み具合は見ただけで分かるほどで、以前はあれほど元気だったアホ毛が垂れ下がるほどだ。もはや、何故アホ毛が感情表現しているかのように動くのかは触れないことにして。どよーん、とした雰囲気になる彼女の有様に、日頃励ましたりするアスナもまた、釣られて落ち込んだりすることもあるのだから、その落ち込み具合は大変なものだ。

現に、攻略などはソロで行っていることもあり、負担は大きく、側から見れば、体力的に限界が来ていると判断されてもおかしくない。そもそも、ユウキはSAOを始めた時は、難病から完治し、リハビリが終わった後だ。そこまで体力があるとは言えない———いくら、この世界がステータスに準じていたとしても。

 

「ここにもいないなぁ……」

 

 周囲に《索敵》スキルを全開でかけながら確認する。現在ユウキが訪れているのは二十七層。かつて、《月夜の黒猫団》が壊滅したトラップ多発地帯の迷宮区がある階層だった。もちろん、この話を彼女が詳しく知っているはずはない。何らかの事件があったとしか聞き及んでいないのだ。しかし、こういうところにこそ、人があまり寄り付かないため、ソラが隠れている可能性を感じたのだ。主街区にはいなかったが、迷宮区にいる可能性も無くはない、のだが…………

 

「『二十七層の迷宮区には、絶対今のアイツは立ち寄らない。面倒ごとに巻き込まれるのを避けているんだから、尚更だ』って、キリトが言ってたもんね……。ここって、誰かが引いたトラップに巻き込まれる可能性もあるから、ソラは来たくなさそうだよね……」

 

 かつて、キリト達が引いてしまったような《結晶(クリスタル)無効化空間》のようなレアケーストラップを引いても、ソラが死ぬことはない。最前線から三十近く下なのだ。いくらモンスターのレベルが高かく設定されても限度がある。その程度のトラップでどうにかできるほど、今のソラは弱くなかった。

 

加えて、そのトラップを引いた場合、助けられたと勘違いして感謝し名前を聞こうとする輩もいるだろう。そのトラップパターン以外でも、いくつもあるはずだ。巻き込まれた際に、ソラが面倒臭がって転移結晶を使えば、確実に転移門前にいる情報屋に見つかる。その情報屋を黙秘させるために口止め料を渡していたとしても、交渉上手な奴がその情報を引き出さないとは限らない。これまでもマップデータを渡す時に足がついていてもおかしくないのだ。一年経っても足跡すら残さない彼の手腕が、こんな階層でミスを仕出かすことはあり得なかった。

 

「うーん……やっぱり上の階層にいるのかな……」

 

 そういえば、キリトが最前線に行く用事があるって言ってた気がする。もしかしたら、手掛かりでも掴んでくれていたりしないかな。彼の直感は相当なものだ。信じることができる。

そう思い、フレンド画面を開くと、メッセージを書き始める。グダグダと書くよりも、単刀直入に書いた方が良いかなと悩むこと数分、書き終えると、それを送った。迷宮区にいなければ、返信はすぐ返ってくるだろう。

 

「さて、ボクも上の階層に上がって探し直さないと」

 

 もう一度だけ主街区に《索敵》スキルを使って、最終確認。すれ違う可能性もあるだろうと思っての行動だが、やはり空振りに終わる。ここにいないと踏んで動く方が、色んな階層で探せるはずだろう。少し不安ではあったが、ユウキは転移門の方に足を運び、次は何処の階層に行こうかと思考する。

 ボクがソラなら何処に行く? どんな場所で、どう動く? 何をしようと考えるのか。

 

「ソラならきっと———」

 

 迷宮区に向かうか、マップデータを情報屋に流す。

 それをするなら、何処で行うか———決まってる。

 

「最前線、五十九層だ! キリトも、もしかしたら見つけてるかもしれない!」

 

 そう思い、転移門の中で、五十九層の主街区の名前を告げる。

 

 

 

 

 

「———あ、あのっ!」

 

 

 

 

 

 ———はずだった。

 直前で声をかけられ、主街区名を言い切れなかったこともあり、転移は中止。タイミングが悪いと思いながらも、転移門から離れ、声をかけてきた人物に目を向ける。

 

 そこにいたのは、いかにも気の弱そうな女性プレイヤー。装備もこの階層に滞在できるレベル相応のもので、攻略組の一員ではないことは明らかだ。何より見覚えがなかった。カーソルはグリーン。

 しかし、ボクと年齢はそこまで変わらないように見える辺り、リアルでは同年代かもしれない。同じ年齢くらいの人なんて、年齢がハッキリと分からない以上、ソラ以外に出会ったことがなかった。

 

「どうかしたの? ボクに何か用かな?」

 

「こ、攻略組のユウキさんですよね!?」

 

「うん、そうだけど……」

 

「お、お願いがあるんです!」

 

 激しく緊張した様子か、或いは焦っているのか。ボクにはそれが判断しかねたが、ただごとではないと仮定して耳を傾ける。

 

「じ、実は……仲間が、迷宮区の奥で閉じ込められてしまって……」

 

「迷宮区の奥……トラップ多発地帯の?」

 

「はい……道中でトラップを引いてしまって……それで、助けを呼んでほしいって私だけ何とか逃してくれて、奥にある安全エリアに避難してるはずなんです。て、手を貸してくれませんか!? 助けに行かなきゃいけないんです!」

 

 懇願するように頼む女性プレイヤー。それに対して、ボクは特別断る理由もなければ、誰かを見捨てるという選択肢がなかったから、即座に返事を返す。

 

「いいよ。ボクなんかで良かったら手伝わせて!」

 

「あ、ありがとうございます……! わ、私は《ハナ》って言います」

 

 ハナという女性プレイヤーは、攻略組の中でもトップクラスに君臨するユウキの助力を得られると聞いて、泣き喜ぶ。恐らく、他にも手を貸してほしいと頼んだのだろうが、大方断られたのだろうか。偶然近くにいなかったら、今でも力を貸してくれる人を探していたかもしれない。そう思うと、ユウキは彼女の思いに応えようと、気合を入れる。大丈夫、例え一人だったとしても、この階層のモンスターなら守りながらでも戦える。いざとなったら、転移結晶を手渡して逃げることだった出来るはずと考え、彼女に連れられるまま、迷宮区方面にあるゲートまで向かう。

 

 

 いざ向かってみると、ゲート周りには、そこそこの数のプレイヤーがいた。よくみると、そこにいたのは攻略組の一軍の顔触れだ。《血盟騎士団》や《聖竜連合》、他にもいくつかのギルドが参加している。総じて、レベル差を詰めれば、すぐにでも最前線で戦える者達だった。よくこんな人数を集められたものだ。同時に、彼女の思いに呼応してくれた優しい人達なんだろうと感じた。

 そんな彼らはこちらに気がつくと、歓声をあげた。

 

「ぜ、《絶剣》さんだ! 本物だ! スゲェー!」

 

「ユウキ様も救出に参加されるのか! これは心強い!」

 

「これは救出される奴らも喜ぶぞ!」

 

 ———と、各々。

 いつの間にか有名になっていたことも知らなかったユウキは、気恥ずかしい思いをしながらも、彼らのそばに近寄る。

 

「ボクも救出隊の一員として共に戦うよ! みんな、よろしくね!」

 

 ユウキの宣言に、さらなる歓声。

 鼓舞の役割にはなったかなと恥ずかしさ反面に思いながら、救出隊の前にハナが立った。

 

「ば、場所は……迷宮区最奥付近のトラップ多発地帯です。わ、私の仲間が今も助けを待っているはずです! 皆さん、力を貸してください……!」

 

 オォー!と気合の入った返事が返され、心配そうな表情が消えた彼女が案内を始める。まずは迷宮区まで辿り着くことが前提だが、全員の士気は高い。恐らく、想定以上に早く辿り着けるはずだ。上層のプレイヤーなら《回廊結晶》を持っている可能性があったが、それを使わない辺り、上層のプレイヤーではなかったらしい。やはり、少し無茶をしてしまったパターンなのだろうか。

 そんなことを考えながら、救出隊と共にユウキは彼女の後を付いていった。

 

 

 

 

 

———*———*———

 

 

 

 

 

 二十七層 迷宮区 最上階。

 

 

 

 主街区を出て、迷宮区に辿り着くまで僅か三十分。そこからさらに三十分ほどで、彼女の仲間が閉じ込められているという最上階へと辿り着く。まさに破竹の勢いで進む彼らだが、大方の原因は一人の少女にあった。

 

「やぁっ!」

 

 ソードスキル《ホリゾンタル》を放ち、一撃でモンスターのHPを全損させるのは、パールブラックの長髪を靡かせるユウキだった。現時点でレベルが84にもなる、恐らく攻略組では一、二位を争う高レベルプレイヤーである彼女にとっては、この階層の敵など相手ではなかった。瞬く間に皆の前にて敵を倒して先導し、後方が危ないと感じたらすぐさま駆けつけ、救援に向かう。獅子奮迅たるその動きには、誰もが舌を巻いた。最前線を立つ者の強さ、その妙技。それをこんなところで見られるのは幸運なのかもしれない。

 

 とはいえ、ユウキ一人に任せ切りという訳でもない。彼らもまた、攻略組の一員。最前線の強者達に迫る一軍たる実力を発揮していた。その動きには洗練されたものがあり、レベルさえどうにかできれば、近いうちに共に戦えるだろう実力を保持していたのは、ユウキの目から見ても間違いなかった。いくら低層のモンスターであろうと、慢心することはなく、しっかりと対応し、被弾をなるべく減らしている。以前起きたと聞いた、救出隊の《吟唱》使いが死亡してしまった事件がしっかりと教訓になっているのかもしれない。

 

 途中何度か休憩を挟んだが、士気は下がることなく、今も高い。これなら、日が沈むまでには安全に救出を終え、皆で主街区に帰還できることだろう。

 マップデータを開きながら、ユウキは現在地と照合して周囲を確認する。このまま行けば、今やもぬけの殻となったフロアボスの部屋がある。

 しかし———

 

「ねえ、ハナさん。君の仲間達がいるのって何処なの? ボクの持ってるマップデータには、この先ボス部屋しか映ってないんだけど……」

 

「は、はい……実は、ボス部屋の少し手前に隠し扉があって、そこから隠し通路に入れるようになってたんです」

 

「「「「「隠し通路!?」」」」」

 

 そんなものあったんだ、と驚愕する一同に、気弱な彼女は怯えながらも、その事実を伝える。以前ここを攻略した時は全く気がつかなかったのは、攻略を優先していたからなのか、そういうスキルを持ってる人がいなかったせいなのかもしれないと思いながら、ユウキはその話を聞く。

 

「そ、そこにはたくさんの宝箱があって、レアアイテムがたくさんあったんです……それでみんな浮かれてて、その奥にあるトラップを引いちゃって……」

 

「そうだったんだ……」

 

 少なくとも、ボクでも同じように、そんなトラップを引いちゃう気がする。当たりばっかりたくさんあると、外れを見逃しちゃうからね。

 ———などと、共感しているとその隠し扉の前に来たのか、ハナが立ち止まり、壁の周りを調べ始める。すると、カチリという音がして、扉が厳かに開き始めた。中は隠し扉なだけに暗く、光が届いていない。しかし、遠くの方で光源があるのが分かった。光源までは暗いため、ストレージから松明を取り出したプレイヤーが辺りを照らしながら、先へと進んでいく。

 

「不気味だな」

 

「こんなところに閉じ込められたら精神の方が参っちまいそうだな」

 

 口々に言う救出隊のメンバー達の一言に、ボクは同じことを考えていた。暗さは時に人の心に影を差す。それが原因で他者を責めたりしてしまうことだってある。ボクにもそういう経験があった。だからこそ、早くハナさんの仲間を救いたいと思った。

 

「ハナさんが仲間の人達と別れたのは、こういう暗い場所だった?」

 

「い、いえ……光源があったので、お互いの顔がハッキリと見える場所でした。多分この先の方だと思います」

 

 遠目に見えた光源の方だろうか。暗い中でもハッキリと光っているのが見えた辺り、光度が強いと判断した方がいい。あの辺りにいると考えれば、それ相応に動きが決まる。途中細かな横道があったが、そちらはとても暗い。彼女の話通りなら、そこには宝箱があった部屋があると考えていいはずだ。

 

「宝箱があるからって脇道の部屋に入らないようにね! 下手にはぐれるとフォローできなくなるから!」

 

 全員に指示を飛ばし、統制する。宝箱がたくさんあって外れがほとんどなかった、なんて話を聞いて心が揺れる者がいてもおかしくない。しかし、今ここにいるのは何のためか———助けるためだ。欲なんてものは、一度捨て去るべきだからこそ、ユウキは気を引き締めさせた。彼女の真剣な声音に、全員が気を引き締める。

 〝閉じ込められた〟という、このキーワードが妙にユウキの頭の中で引っかかっていた。恐らく途中でトラップを引いたということは、モンスターの群れに襲われた可能性が高い。そうでなければ、ハナという女性プレイヤーだけが逃げ切れた理由にはならない。単純な閉じ込めトラップなら、彼女も閉じ込められているはずだからだ。

 

「妙だね、静かすぎる」

 

 戦闘中と思われる音が一つも聞こえない。それはつまり、戦闘が終わっている可能性が高い。それが全滅か否か、それを確認しないことには、ボク達は撤退できない。なるべく後者———誰か一人でも生き残っている可能性に賭けたかった。

 

 眩しいまでの光源が近づいている。彼女の話通りなら、きっとそこに彼女の仲間がいるはずだ。助けに来たぞーと叫ぶ救出隊のメンバーの声が通路に響く。返答が返ってきてほしいと祈りながら、次々と光源が強まっている部屋に駆け込んでいく。

 ボクも同じように駆け込む

 

 

 

「————ッ!?」

 

 

 

 ———寸前で、その一歩手前の横道にあった暗い部屋の中から、何か気味の悪いものを感じ取った。こちらの様子を窺っているような、獲物を狩ろうと蠢く何かの気配。果たして、これは一体なんだろう?

 

 警戒し、その場で足を止めようとした時、ハナさんが後ろからボクを()()()()()

 

「…………え?」

 

 驚愕するボクが見たのは、ハナさんが〝ごめんなさい〟と謝っている姿だった。二人揃って縺れ込むように部屋へと入る。

 不思議な気持ちになりながら、身体を起こして周りを見る。かなり広い部屋だ。先程の入り口も含めて、四つの出口が存在していた。隠し通路と同じ色合いのその部屋は、不気味な雰囲気に満ちていた。

 そして何より異質だったのは———

 

 

 

「おいおい……()()()()()ぞ、この部屋……」

 

 

 

 ———()()()()()()()()()()()()()()()()()姿()()()()()()()()()ことだ。

 その事実に全員が混乱し、一斉にハナの方へと振り返る。困惑から疑念、そして———

 

「まさか……全滅したのか?」

 

「だったら、俺達も早く出ようぜ……」

 

「……そ、そうね、全滅していたのは残念だけど仕方ないわ」

 

 全員がそれぞれ誰もいないという現状を飲み込むために、自分に対しての自問自答、他者へと言葉を投げかけ、部屋を出る理由を作る。そもそも、救出部隊が組織されても持たなければ意味がない。そういう意味では、今回は仕方ないことなんだと言えた。

 そうして、全員が来た道を戻ろうと動き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「———へぇ、やるじゃねぇか。人間追い詰められたら、赤の他人程度平気で売り払うゴミだもんなぁ! 最高だぜ、こいつはぁ! どいつもこいつもそれなりの手練れじゃねぇか。なぁ、ウタカタ?」

 

 

 

「そのようだね。それに加えて、想定以上の獲物がかかったようだ。よく見てみろよ、アイザック。アイツ、ヘッドがご所望だった《絶剣》だよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ———突然、鋭く冷たい殺意と共に二人分の声が響いた。

 それぞれ違った方向から聞こえる。

 いったい何処からだ?という救出隊のメンバーの疑問に答えるように、まず一人が()()()()()現れた。その男は、首元にボロボロの朽ちたマフラーのようなものを巻き、全身皮装備でコートを纏っていた。暗闇の中からでも分かるほどに紅く染まった虹彩が不気味さを強調し、明らかになった眼球は血走っている。その手に握るのは、刃がボロボロの鈍刀。カーソルはオレンジ。

 その特徴に当て嵌まる男を、その場にいる全員が知っていた。

 

 

 

「……嘘だろ、こんなことがあるのかよ…………」

 

 

 

 今にも恐怖に呑まれてしまいそうな面持ちとなった救出隊の一人が、震え怯える声でその人物が誰かを知らせた。

 

 

 

「……ら、《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》の幹部……か、《解体屋アイザック》…………」

 

 

 

「おーおー、嬉しいねぇ。俺のこと知ってんのか。さっすが、天下の攻略組。その下っ端だろうが、キチンと知ってるたぁ俺様も有名になっちまったもんだなぁおい。お蔭で自己紹介の手間省けて助かったぜ」

 

 

 

 ボロボロの鈍刀を肩にコンコンと叩きながら、嬉しそうに歪んだ笑顔を振りまく殺人鬼。血の臭いを嗅ぐことのないはずの、この世界でそれに似た臭いを嗅いでいるような幻覚に陥るほどに異質なまでの気配を放つその男は、惚れ惚れとした顔で愛刀に視線を向ける。

 

 それに続くように、対角線状の入り口からは、先程響いたもう一つの声の主が姿を見せる。現れたのは、ボロボロの怪しげなフードを被り、鼻と口許以外の顔が見えない状態の男。いかにも怪しい魔術師のような格好をし、その手に握るのは不気味なまでの笛。骸骨まるまる一つを使って作り上げられたような横笛は、見るだけで魂を喰われてしまいそうな見た目をしていた。カーソルは同じくオレンジ。

 言うまでもない。こいつも《笑う棺桶》の一人だ。

 

 

 

「か、幹部の一人……《魔笛のウタカタ》…………」

 

 

 

「おやおや、どうやら僕もご存知らしい。二人揃って有名人になったもんだよね、アイザック。自己紹介なんてやってられないから、ついつい前もすーぐ殺しちゃったよね、君は」

 

 

 

 楽しげにクツクツと嗤いながら、横笛片手に両手を広げる。マントが靡き、その中には金属質の何かが入っているのが見えた。それを見た直後から、何か恐ろしいことを仕出かすのではないかという恐怖が強まる。

 

 そんな中で、ただ一人。その二人に向かって声をかけた者がいた。

 

 

 

「わ、私の仲間を返してください! い、言われた通り、()()()()()()()()()()!」

 

 その一言に、一度空気までもが静まり返る。それから、数秒かけてゆっくりと全員が気が付いた。この事態を引き起こされた理由に。

 

「て、テメェ、俺達を嵌めやがったなぁっ!」

 

「こんのクソアマぁっ! 仲間の代わりに俺達を売りやがったのか!」

 

「さ、最悪! 最悪よ、あの女ぁっ!」

 

 メンバーがそれぞれ罵倒雑言を叫び、空気が一気に悪くなる。苛烈する勢いのまま、何人かが今にも武器でハナに斬りかかろうか真剣に悩み始めていた。

 そこへ、呑気な声が響く。

 

「はーい、全員ちゅーもーく。皆さんご存知のクソアマことハナさんはコイツでーす」

 

 響かせたのは、ウタカタという殺人者(レッド)プレイヤー。

 粘つくような嫌味な言い方をしながら、彼女の肩を抱き寄せ、みんなの前に晒しながら紹介を始める。

 

「このクソアマさんは〜、なんとなんとっ! みんなを騙して、僕らとこんな交渉してましたー。『攫われた仲間の元に連れていく代わりに、他の奴らを連れてくる』っていう交渉を、ね? ホント、クソアマだよねー。いやー、こんなにたくさん、それも攻略組の一軍さん達を連れてくるとは、最高最悪のグリーンだよね〜?」

 

 わざと煽り立てるように、堂々たる声でその交渉内容を明かし、理由と共に嘲笑う。静まり返っていた全員が、理由と内容を知って、怒りと憎悪を強めていく。善意で助けたはずなのに、それを最悪の悪意で返されたことに殺意すら湧かせて。

 思考回路がショートしそうになっているユウキも、辛うじて彼女の方を見るが、彼女は必死に目をそらす。

 

「そんな訳で、まずは彼女に成功報酬の方を渡そうと思いまーす。みんな殺したいくらい怒ってるけど仕方ないよね〜?」

 

 震え怯え恐怖する彼女に、煽り立てるようにウタカタはアイザックの前に彼女を連れて行く。彼の手に握られているのは《回廊結晶》。恐らく、それで仲間達の元へと送るつもりなのだろう。その先が例え地獄だとしても。使用時に特殊な文言があるが、それさえ告げれば、結晶は砕け散り、ゲートを創り出す。あとはそこに飛び込むだけ。

 アイザックが、その結晶を握りながら口を開けて———

 

 

 

 

 

「ほら、よっと」

 

 

 

 

 

「………………え?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ———何とも気の抜けた声を上げながら、鈍刀で彼女の両脚を真横一文字に()()()()()()

直後、何が起こったのか分からない彼女の口から困惑の声が零れ落ち、冷たい床の上に倒れこむ。その光景に誰もが沈黙し、少しずつ理解していった。約束なんて守る訳がなかったんだ、と。

 

「う、嘘をついたんですか!? わ、わたしを騙したんですか!」

 

 怒りを浮かべるハナ。それに対して、ウタカタもアイザックも面白可笑しそうに嗤った後、にへらと答えた。

 

 

 

「いやだってさ、僕らは『仲間の元に連れていく』って約束しただけで、()()()()()()()()()、なんて()()()()()()()()からね」

 

 

 

「悪りぃな、実はお前の仲間なんだけどさ、()()()()俺がバラバラにして全員殺しちまったよ。ほら、これお仲間の武器。見覚えあるだろ〜?」

 

 

 

 武器をいくつか彼女の前に投げ捨てて証明する。どれもこれも見覚えのある武器だった。間違いない。見ただけで分かるほどの耐久度の消耗具合から激しい戦いをしたのだとはっきり分からせていた。恐らく、彼女が救出に向かってくれる人を探している頃には殺していたのかもしれない。助けに行く前に一層の石碑を見に行っていれば、全員殺されていることに気がついた可能性があった。

 しかし、後悔先に立たず。今こうして、悪魔のようなひと時が始まる。

 

「い、いやぁ……た、助けてぇっ! 死にたくない! 死にたくないよぉ!」

 

 全員を罠に嵌めたくせに、殺された仲間の元に送ってやる、と言われて彼女は彼らに必死に頼む。手を伸ばし、匍匐前進するようにゆっくりと動きながら近づいてくる。

 だが、誰一人として助けに行かない。それは当たり前のことだった。だって自分達がこんな奴らに遭遇したのは———お前のせいなんだから。

 ほぼ全員から向けられた憎悪の目は、彼女自身に助けがないことを理解させた。それでも曲げずに叫ぼうとして———

 

「最高最悪の裏切り者は泣き叫べぇっ!」

 

 楽しげに嗤いながら跳躍したアイザックに、馬乗りになりながら頭部を上から串刺しにされた。グリグリと刃先を動かしながら、少しずつ減っていくHPを、彼女の目にしっかりと焼きつかせながら、ゲラゲラと笑い声を強めていく。

 

 悲鳴。絶叫。救いを求めて手を伸ばす。そして、叶わない。裏切り者の末路として相応しい最期を迎えながら、無残にハナは無数のガラス片となって爆散した。

 

「やっぱゴミはゴミだわ。俺の刀が可哀想になるなぁ?」

 

「元から鈍刀よろしくボロボロなのに、可哀想なんてよく言えるねー、アイザック」

 

「あ、バレた? いやー、この刀見た目以上に斬れるんだぜ? それが最高だのなんのって」

 

 楽しげな会話をしながら、狂いに狂った笑顔を振りまく二人。裏切り者は死んだ。ならば、次の獲物は誰だ?

 

「みんな———武器を取って」

 

 ショートしかけていた思考回路を何とか正常に戻し、ユウキは全員に声をかけた。そうだ、彼女は裏切り者だ。殺されても仕方がない。いくらボクでも彼女を助けようなんて気にはなれなかった。ここにいたのが例えソラだったとしても、助けに行かなかったことだろう。

 しかし、他のみんなはどうだ? 彼らは己が善意に従って行動した。そんな彼らの命が奪われることはあってはならない。

 ()()()()()、ボクが今できることはそれだけなんだ。

 

「相手はたった二人。みんなは、生き残ることを優先して。ボクが道を切り開くから」

 

 こんなことに巻き込まれたのは災難だ。しかし、例えそうだったとしても、ここにいることができたのは偶然じゃない。今こうして、みんなを守るために戦える。それが、この場にいる()()()()()できること。

 

「ならば———我らもご助力しましょう。背面の敵はお任せください」

 

「例えユウキさんでも、二人同時に相手するのは厳しいはずです」

 

「私達も戦うわ! 全員で、この場から脱して生き残るために!」

 

 全員が覚悟を決め、武器を取り、全員生存という勝利を求める。敵はたった二人。例えここからいくらでも増えようとも、覚悟を決めた彼らの心を折ることなんて出来はしない。志を一緒にした彼らが、半々に分かれて、敵をそれぞれ見据える。来た道に立ち塞がるアイザックはユウキ達が、反対側に立つウタカタを一軍の実力者達が、それぞれ役目を決めて、敵陣を突き破ろうと動きを固める。左右から敵が来る可能性もない訳ではない。しかし、その程度で敗れはしない。

 

「おーおー、裏切り者が消えただけでこうなんのか。やっぱスゲェわ、攻略組。一軍程度だからって舐めてたわ。特に———お前だ、《絶剣》。久しぶりにワクワクしてきやがったよ……」

 

「君を倒して、そこを通らせてもらうよ!」

 

「上等ッ! 最高だ、楽しくなってきたねぇ! いいな、その目。絶望なんてしない、っていう希望に満ち溢れた目だ。勝利しか見えてない貪欲さが伝わってくるなぁおい」

 

 鈍刀を振り回し、ボロボロの刃を舌で舐め取るように滑らせる。もちろん、血も出なければ、ダメージも負っていない。不気味さだけを残して、アイザックは目の前に立つユウキに、狂った笑顔と共に紅の眼光を輝かせる。

 

 

 

 そして———聞き覚えのない音色が鳴り響き、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ———アイザックとウタカタを除く全員が、()()()()()

 

 

 

 

 

「………………どう、いう……こと………?」

 

 共に倒れ伏したユウキが、視界に浮かぶ自身のステータスに目を向けて———気がついた。浮かんでいたのは《麻痺》のアイコン。それを見て、咄嗟に周りを見ようと視線を動かす。誰一人として、怪しい行動もしていなかった。前にいるアイザックの手に握られているのは、刀一本だけで、背後にいた仲間達も同様に倒れ伏している。裏切り者なんていなかった。可笑しな点があったとすれば、それは動き出す直前に()()()()()()()()()()()ぐらいで———

 

 直後、とてつもない悪寒と共に、答えが導き出された。あの音色は、BGMではない。BGM以外で音楽が鳴るということは、それこそプレイヤーが唯一音楽を鳴らせる《吟唱》スキルだけだったはずだ。

 しかし、あれは音楽であり、音色単体を鳴らすものでは無かった。高い音色を響かせるものなんてこの場に———あった。

そうだ。そうだった。もう一人の持っているものはなんだった? あれは———横笛。この世界には存在しないはずの、横笛だった。

 

 その答えに辿り着くと同時に、ユウキは目の前で腰を下ろしたアイザックが目に入った。

 

「その顔だと、トリックが分かったみたいだな。流石《絶剣》。初見でタネに気付くのはお前が初めてだ———とはいえ、やられる前に気付かなかったのは、残念だなぁ。お前が相手するべきは俺様じゃなかった」

 

「《魔笛》……そんなスキルが、あったんだ…………」

 

 悔しげに呟くユウキに、その悔しそうな表情をもっと見たいとばかりに顔を近づけるアイザック。その嘲笑う顔に、ユウキは一か八かと叫ぶ。

 

「転移結晶を使って! ボクが、一人抑えるから!」

 

 叫ぶや否や、決死の覚悟でアイザックに向かって頭突きを仕掛ける。突然のことにさしもの《解体屋》も躱せず、まともに食らう。高い《体術》スキルにより強化されたことにより、HPがしっかりと減少し、後方に倒れこむ。彼女の攻撃の隙に、全員が意地でも転移結晶を使おうと握り、各々で何処の層でも構わないから飛ぼうと叫んだ。

 

 

 

 

 

 しかし———誰一人として飛ぶことはなかった。

 

 

 

 

 驚愕に暮れる中、頭突きをされたアイザックは、ケラケラと腹を抱えて嗤った後、ユウキの顔に強烈な蹴りを加えた。

 

「……かはっ!?」

 

 HPが僅かに減る。どうやらレベル差があるらしい。

 しかし、そんなことよりもユウキには、何故全員と言わず一人も飛べなかったのかという事実に困惑しか残っていなかった。それに対する答えは、意外にも全員を麻痺させた男、ウタカタが答えた。

 

「ここはさ、《結晶(クリスタル)無効化空間》っていうタチの悪い場所なんだよ。つまり、転移結晶はもちろん、結晶アイテムはこの部屋だと使えない。分かるかな? その意味が」

 

 それを聞いて、納得した。

 かつてキリトが助けられなかったギルドの壊滅した話に隠されていた最後のピースが、カチリと嵌まったのを感じた。キリトのレベルと技術で、誰一人として助けられなかった理由など分からなかった。例え囲まれていたとしても、彼ならそこに飛び込んでどうにか出来ていた可能性が充分にあった。それなのに、それができなかった理由は———そこが、転移結晶どころか結晶アイテムが一つも使えない空間だったから。

 

 漸く真実に気がついたユウキ。

 しかし、彼女の前に、アイザックだけでなく、ウタカタまでやってきた。

 

「ったく、なんで不安定な姿勢からの頭突きの方が俺様の蹴りより強いんだよ可笑しくねぇか? なあ、ウタカタ」

 

「レベル差もあるんだろうね。恐らく、攻略組トップクラスのレベルだろう、《絶剣》は」

 

「今ここでぶっ殺してやりてぇくらいなんだが……」

 

「それはダメだからな、アイザック。《()()()()()()()()()()()()、って命令されただろ?」

 

 …………どういう、こと?

 困惑するボク達に、今度は答えることもなく、ウタカタは再度横笛を構える。一方のアイザックは悔しそうな顔をした後、ボクの視界から外れていく。その足音は背後の方に移動していく。まさか———あの男が何を仕出かそうとしているのかに気がつくが、一歩遅かった。

 直後に、ボクの頭の中には先程とは違う音色が響く。意識が少しずつ薄れていくのを感じる。霞む視界に映ったのは、《麻痺》ではなく、また別のアイコン。しかし、それが何かを判断することもできなかった。

 

 

 

 鳴り響く笛の音が、ゆっくりとボクから意識を狩り取っていき———

 

 

 

 ———『それじゃあ、あとはお楽しみタイムと洒落込もうぜ?』というアイザックの楽しげな声が、最後に聞こえた。

みんなを助けられなかった。その事実をボクが知るのは、これより数時間後のことだった。

 

 

 

 

 

 魔の手は迫る —完—

 

 

 

 

 

 





《絶剣》のユウキが攫われた。

その事実が、攻略組に知らされる。

ついに立ちはだかる《笑う棺桶》。

そこに、一年間も行方を眩ませたソラもまた現れる。

次回 殲滅と自覚 前篇



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11.殲滅と自覚 前篇



 本当なら昨日のうちに書きあがってもおかしくなかったのに、なかなか書けませんでした。今回は〝あの男〟相手に、ソラが立ち向かいます。最近ソラが容赦ない奴に見えてきますが、それもこれも後々の伏線になります。お楽しみに。
あと二話分(の予定)のシリアス書き終わらないと、ユウキが楽しそうにしている話がかけないと分かってるからキツイ。皆さん的にもそういう話が欲しいと思ってるんですが、合ってますかね?

ちなみに、この話で登場するソラの容姿は、一番わかりやすいイメージでいうと《血界戦線》の絶望王ですかね。あの手この手と捏ねくり回す辺りは《ノーゲーム・ノーライフ》の空 or リクですが……






 

 

 

 

 

 

「………ユウキが……攫われた!?」

 

 アーカーとの賭けデュエルに敗北し、その後意識を取り戻したキリトは、アルゴと共にアスナづてに五十五層主街区《グランザム》にある《血盟騎士団》本部に緊急召集されていた。そこでキリトとアルゴは、召集がかかる少し前に情報屋の口からユウキが攫われていた事実を知った。気絶させられ、意識を取り戻した際に、キリトはユウキからのメッセージに、〝アーカーを見つけた〟という返事をしていたのだが、それに対する反応が全く無かったことに違和感を感じていたのだ。その違和感が、こうして最悪の形となるとは思いもしなかっただろうが。

 

「私も最初は嘘だと思ったわ……でも、先程多くの情報屋から、その情報が流され始めて、その後から一度もユウキと連絡が取れなくなって…………」

 

 未だにメインメニューからメッセージを何度も送りながら、アスナは言う。どうやら嘘であってほしいと今もそう願っているのだろう。

 

「オレっちも情報屋仲間に連絡取り合ってるんだが、ユーちゃんは二十七層で迷宮区に閉じ込められたプレイヤー達を助けに行ってから行方が分からないままダ……」

 

 アルゴもまた、信じられないような気持ちで、情報を取り合い続けている。それもそうだ、ユウキは攻略組でトップクラスの実力を誇るプレイヤーの一人だ。その実力は、三人ともがよく知っている。唯一のユニークスキル使いであるヒースクリフが現れてからも、彼女は彼にも引けを取らないほどの圧倒的な強さと俊敏さを武器に、これまでのボス攻略に数々の貢献をしてきた。

 だからこそ、信じられなかったのだ———ユウキが攫われたという事実が。

 

 情報を取り合い続けていたアルゴは、最後にユウキが訪れた現場である二十七層に向かうとだけ言い残し、すぐさまその場を立ち去る。まずは動いて痕跡の一つでも探そうと思ったのだろう。彼女らしくない有様だったが、それでも、今はそれしかない。

 

「現在、攻略組に所属するギルドの重要人物、ソロプレイヤー全員に緊急召集がかけられているの……。全員が集まり次第、今回の案件に対してどう動くか、それを決めるみたい……」

 

「そうか……アスナ、あの男は?」

 

「……団長は、今回の件について重く考えてるみたい。ユウキを助けるか……()()()()かで」

 

「———ッ!?」

 

 見捨てる? ユウキを?

 その言葉に、思わずキリトは目を剥いた。冗談じゃないと言わんばかりに怒気を強めて叫ぶ。

 

「見捨てるだと!? ユウキを見捨てるっていうのか!?」

 

「……団長が言うには、ユウキを攫った相手として考えられるのは、一つしかないって……」

 

 《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》。

 デスゲームと化したアインクラッドにおいて、史上最悪の殺人者(レッド)ギルド。それまで燻っていた殺人者達の大多数が一箇所に纏められ、予想もしない角度から数多の殺人方法を生み出し、多くのプレイヤーを手にかけてきた。そのトップは、キリトが二度に渡って会ったPoHだ。先日の《圏内事件》から続けて起きた今回の案件は、攻略組全体が油断していたと言っても、強ち間違いでは無かった。

 

「私も……ユウキを見捨てたくなんかないよ………だって、ユウキは……私を…………」

 

「……ああ、俺もだ…………怒鳴ってごめん……」

 

 ユウキのお蔭で二人は救われた。

 キリトは、僅かでも《ビーター》という悪名の重さを軽くできたし、あのギルドが壊滅してから苦しんだ時も、少しでも楽にしてくれた。

 アスナは、真っ直ぐこの世界と向き合うことができた。《血盟騎士団》に入る時も、最終的に背中を押してくれたのはユウキだ。

 アーカーが居なくなって、一番苦しんでいたのは彼女だったはずなのに……。それでも、二人を助けてくれた。

 だからこそ、二人は彼女を見捨てたくなかった。共に背中を預けてきた、大切な友人として。何よりも恩人を失いたくなかった。

 

「……キリト君、もし会議でユウキを……見捨てることで可決されたら……私達だけで助けに行けないかな……」

 

「……そうだな。そうなったら、死ぬ気で戦わないといけなくなりそうだ。……相手を殺す覚悟をしないと俺達も助からないから」

 

 相手がどんな奴らか、昨日それを再確認した二人には、それがよく分かった。アイツらが自分の命を勘定に入れているはずがない。自分が死ぬのも、恐らく楽しみの一つと見ている可能性が高かった。

 

「………そろそろ会議が始まるわ、行きましょう」

 

「……ああ」

 

 無理やり仮面を被るように、《攻略の鬼》としての一面を表層に出し、感情に流されないようアスナは努める。しかし、その様子は苦しげで、気が気でないのはキリトの目から見ても明らかだった。

 アスナに連れられ、大きな扉の前に案内される。前に立つだけで分かるほどに厳かな雰囲気を漂わせているそれを、彼女はそっと押し開け、中へと入っていく。キリトもそれに続く。

 

 室内はかなり大きく、宴会でも出来そうなほど広々としていた。とはいえ、用意されているテーブルやチェアからして〝会議室〟という言葉が一番似合うものではあったが。

 左手にはソロプレイヤー達が、右手には《聖竜連合》が、手前には見覚えのある悪趣味なバンダナをつけた男性率いる《風林火山》を筆頭に、その他の攻略組に所属する著名なギルドが集まっている。その向こう側には、団長であるヒースクリフと共に《血盟騎士団》の幹部達が座っていた。どうやら準備は万端のようだ。

 アスナと別れ、キリトはソロプレイヤー達の集団へと入っていく。一方の彼女は、ヒースクリフの横に立つと、咳払いをしてから声を上げる。

 

「皆さん、突然の緊急召集に応じていただき、ありがとうございます」

 

 冷静に、いつもの姿へと取り繕っていく。落ち着いて、落ち着いてとアスナは自分に語りかけながら。

 

「今回は、急を要する事態が起きたため、皆さんをこの場にお呼びしました。まず、お呼びする理由となった話をさせていただきます」

 

 心拍数が上がる。普段とは全く心境が違っていた。怖い。僅かなミスですら、ユウキの命に関わるかもしれないと思うと恐ろしかった。

 

 

 

 

 

「攻略組所属のソロプレイヤーである《絶剣》のユウキさんが、何者かに攫われました」

 

 

 

 

 

 その一言に、周囲がざわめく。まだ知らなかった者もいたのかもしれない。知っている者も、真実だとは思いたくなかったのだろう。

 だが、これは紛れもなく事実だった。現に今もユウキからの返信は来ず、行方知れず。アーカーの時と違ってフレンドが切られている訳でもない。そして何より、オンラインと表記されているということは、まだ生きている証だった。

 

「彼女を攫うことができる勢力は、今のところたった一つしか存在しません」

 

 続くアスナの言葉で、察しがついた者達が苦い顔をする。それは少しずつ伝染していき、誰もが気がついた。アイツらしかいない、と。

 

「彼女が攫われたという事実が発覚する前、皆さんもお気付きだと思われますが、攻略組の一軍に所属するプレイヤー達十数名が死亡したことが分かりました。同時刻、彼女は彼らと共に迷宮区に閉じ込められたプレイヤー達の救出に向かっていました」

 

 そう、ユウキは一軍の者達と共に向かっていたのだ。

 そして、ユウキを残して全員が死んだ。これでは、彼女が彼らを殺したように思われるかもしれないが、ここにいる全員が分かっていた。彼女の人徳は、ここにいる全員が口を揃えて断言できるほどのものだった。人殺しなどするはずがないと確信できるほどに。

 

 事実、現在攻略組は大きく二つの勢力によって二分されているが、その架け橋となっていたのは紛れもなく無所属のユウキだった。彼女の在り方とその振る舞い方が、二つの勢力を穏便な方に繋げていた。故にこそ、彼女への信頼は厚かった。

 

「死亡した彼らは相応にレベルが高いプレイヤー達でした。そして、ユウキさんに関しては、攻略組トップクラスの実力を誇ります。その彼女達がほぼ全滅した事実から考えて、ユウキさんを攫った勢力は《笑う棺桶》だと推測されます」

 

 未知のスキルに、未知の殺害方法。攻略組が知り得ない範囲はどうしても存在するが、それを的確に突いてくるのが彼らだ。それは、キリトですら頭を悩ませた技法の数々であった。現在表沙汰に判明しているユニークスキルはヒースクリフの持つ《神聖剣》ただ一つ。

 だが、もしも彼らが何かしらのユニークスキルを保持していた場合、それはつまり、ユウキ達は実力で負けたというより、想定外の攻撃を受け、ほぼ全滅したと捉えることができる。

 そういう面も考え、可能な勢力は限りなく絞られていたのだ。

 

「攻略組の戦略減少、そして一番の問題はユウキさんが攫われた事実です。この情報は、現在全ての層に行き届いてしまっていると考えて間違いありません」

 

 このまま行けば、攻略組の信用にも関わるだろう。今更情報規制なんてしても遅い。何処からこの情報が流されたのかは不明だが、こういう手を使ってくるのは恐らく実行犯。この場合で言うならば、それは《笑う棺桶》の作戦に違いない。誰が考えそうなことかなど言うまでもないだろう。そもそも、彼らはこのデスゲームからの脱出を望んでいない。合法的に殺せる、この環境であることが大事だと考えているはずだ。

 それはつまり、攻略組の方針とは真逆であり、同時に妨害に等しい。ユウキが攫われていなかった場合、今日の夜にでも迷宮区内の完全なマッピングデータが情報屋に流され、攻略組はその会議に追われていたはずだ。この事態は、奴らが狙ってやったのと何ら変わらないのだ。

 

「そこで、皆さんには早急に判断してほしい議題があります」

 

 もはや、何を言おうとしているのか全員が分かっていた。ハッキリ言って、これは酷な内容だ。これまで通り進行を円滑に進める役目として、司会を務めなければならないアスナの心境が痛いほど分かった。この発議に、大切な友人の命がかかってしまっているのだと分かっているから———

 

「攻略を一時中止しユウキさんを助けるか、このまま攻略に専念するか。そのどちらか、ここにいる皆さん一人一人に判断していただきたいと思います」

 

「———その議題、少し待ってもらえるだろうか」

 

 右手に座る《聖竜連合》のメンバーの中から、見覚えのある男性が発言した。銀に青の差し色が入ったプレートアーマーに、背負われた主装備のランスは二メートル近くも突き出した姿は、間違いなく昨日まで《圏内事件》に巻き込まれていた被害者の一人であるシュミットだ。昨日の今日でまたアイツらの名前を聞いたのは災難だろうが、この場において彼の意見は重要なものになるはずだ。それは良い意味でも、悪い意味でも。

 

「アスナさん。まず前提として、ユウキさんの居場所———いや、この場合はこう言うべきだな……。《笑う棺桶》の根拠地は判明しているのか? 分からない以上、助けるにも助けられないと俺は思っている。奴らを知っている俺達の考え通りなら、数日かけて探す間にも彼女の命の保証はできなくなる。攻略最優先、などと俺も言いたくはないし、出来ることなら救いたいが、どうやって捜そうと言うのか。それをお聞かせ願えないだろうか?」

 

「……それは」

 

 言葉に詰まるアスナ。この場において、シュミットの主張はどちらに偏る訳でもない。全く以て正しいものだ。事実、昨日襲われたばかりの彼からすれば、奴らはもう見たくもない相手だが、彼もまたユウキに恩がある人物の一人だ。昨日の一件とは別にだが、それでも、彼は自身の震えに打ち勝ち、発言している。先程、キリトは二人で助けに行くことも考えたが、今になって考えれば、居場所が分からないのだ。これでは手の打ちようがない。第一、奴らの根拠地は元旦以来常に捜索されているが、一向に尻尾すら掴めていないのだ。

 

 一同が沈黙する。時間をかければ確実にユウキは助からない。だが、居場所が分からない。助けられるかも分からないのに、時間を無駄にしても良いのか? それなら攻略を最優先し、彼女の犠牲を無駄にしないことが大事なのでは? そんな思考が堂々巡りとして浮かんでは消えていく。

 

 そんな中———

 

「——た、たたっ、大変ですッ!」

 

 会議室の扉を勢いよく開け放ち、《血盟騎士団》に所属するプレイヤーが飛び込んできた。彼の顔は真っ青であり、その言葉からも急を要する事態であることは誰にでも理解できた。

 

「貴様、会議中だぞ!」

 

「いや、構わない———何があったのか、聞かせてくれたまえ」

 

 ヒースクリフの後方に立つ幹部が、飛び込んできた構成員を怒鳴るが、それを彼は制して理由を問う。それに対して、何度も言葉を詰まらせながらも、しっかりと答え切る。

 

「———て、敵襲です! 門番を命じられていた(タンク)戦士達が薙ぎ倒されています!」

 

「《血盟騎士団》の(タンク)戦士を……薙ぎ倒しただぁっ!?」

 

 《風林火山》の団長であるクラインが驚愕の声を上げる。同様に他の者達も騒めき出す。《血盟騎士団》の壁戦士は、堅牢であることが知られている。その硬さは、ヒースクリフほどではないが、この世界においては凄まじいものだ。その彼らが薙ぎ倒されているというのは、あまりにも信じ難い事実だった。加えてここは、《圏内》だ。殺すことも傷付けることもできない場所で、薙ぎ倒しているということは、障壁によるノックバックだろう。

 それはつまり、あの重量を薙ぎ倒せるノックバックを発生させられる強さを誇っているということだ。

 混乱の渦となろうとしていた会議室内で、ヒースクリフは冷静に問う。

 

「———敵は何人だね?」

 

「……た、たった一人です! たった一人で次々と薙ぎ倒しています!」

 

 たった一人。その言葉を聞いて、ヒースクリフは興味深そうに頰を緩める。その瞬間を見ていたキリトには、嫌なものを過ぎらせた。昨日解決された《圏内事件》。その相談をしたことがあったが、その時でさえ、そんな表情を一度もしなかった男が、興味深そうに頰を緩めたのだ。あまりにも人間味が薄いと思っていたキリトからすれば、不気味なものにすら感じたのだ。

 

 

 

 そして———

 

 

 

 

 

「———おい、邪魔だ。そこ退けよ」

 

 

 

 

 

 短く発された一言と共に、先程までヒースクリフに説明していた構成員が会議室の一番奥の壁にまで吹き飛ばされる。当然ダメージはないが、障壁によるノックバックと顔面強打により、もしかすれば気絶しているかもしれない。衝撃と共に撒き散らされた煙で姿が見えなかったが、ある程度のシルエットがハッキリし始めていた。

少年、だろうか。シルエットから読み取れたのはそれだけだった。しかし、それはだんだん煙が晴れていくことで、少しずつ正体が判明していく。

 

 まず判明したのは、全身は金属鎧ではなく、灰色に染まった皮装備。全身にピッタリ張り付くものではなく、コートを纏ったものである。身長はキリトとよりも少し低いくらいだろうか。煙を裂いて現れたのは、古びた片手用直剣。錆びついているような有様だが、異様な気配が漂っている。

続いて姿を見せたのは、その少年の髪だ。毛先だけが白く、黒いショートヘアーで、その前髪は逆立てられている。晴れていく煙の中から、黒い瞳が姿を現わす。

だが、その瞳には光が灯っておらず、何処か薄暗く虚ろなものだった。生気がなく、死んだ魚のような目に磨きがかかっている。矛盾した表現に思えるが、そう表現するのが一番相応だった。そこまで来ると、流石に全員が理解した。この少年が果たして誰なのかを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「———アーカー……なのか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 恐る恐る、キリトが掠れる声で訊ねた。

 信じられないものを見るような、そんな声で。それには理由があった。

 

 まず、ここにアーカーが現れるとは思っていなかったのだ。偶然とはいえ発見された彼は、ユウキから姿をまた隠そうとしていた。賭けデュエルに勝った時の条件も、身を隠すための時間を設けるためだった。だから、この事態だろうと姿を見せることはないと思っていたのだ。

 続いて。彼の姿が、数時間前に見た時のものとは違っていたからだ。つけている装備は変わっていない。だが、彼の目が昨日より増して虚ろで、光がもはや灯らないのではないかと思えるほどの暗さだった。加えて、やや煤痩けたような顔は、さらに生気を感じさせない。髪はさらに乱れ、逆立てられた前髪が彼そのもののイメージを大きく変えていた。少しばかり大人びた少年から、もはや何も信じていない空虚な少年へと変わったと言うべきか。

 数時間前とは大きく違った変貌ぶりに、キリトには信じられないような思いがあったのだ。

 

 その声に気がついたのか、乾いた笑いを零す。

 

「よぉ……キリト、数時間ぶりだな……。お前もここにいるってことは……ああ、なるほどな。なんだ、ちゃんと話し合ってたのか。話が早くて助かるな……」

 

「ぜ、《絶天》が……何故ここに……奴は最前線攻略にしか興味がなかったのではないのか!?」

 

 《血盟騎士団》の幹部の一人が声を上げる。

 何故ここに現れたんだ? その問いには、どうでも良さそうにアーカーは、視界に映る全員の顔を見てから、少し考えると———歩き出す。

 

「なあ、ここにヒースクリフっているよな……? 少し話があるんだが、教えてもらえるか? こっちは、用があるから立ち寄ったのに、さっきから邪魔され続けてイライラしてんだ」

 

「貴様如きが団長と謁見する許しが出るはずがないだろうがァッ!」

 

 忠誠心が強い《血盟騎士団》幹部が両手用直剣を握って飛び出す。その勢いのままソードスキルを発動し、アーカーに向かって突撃。一撃で吹き飛ばして、団長の安全を確保しようと考えたのだろう。キリトを除くソロプレイヤー達が、その姿にホッと一息つこうとするが、彼は一息などつけるはずもなく、素早く全員に叫ぶ。

 

「今すぐ全員しゃがむんだ! 早く!」

 

 その声が言い切ると同時に、大音響を撒き散らしながら、先程アーカーに向かって突撃した幹部がまんまと吹き飛ばされた。横薙ぎにソードスキルが放たれたのか、衝撃波が室内を伝う。吹き飛ばされた男は重装備を着込んでいたはずだが、少しの間空中遊泳を楽しんだ後、先程まで会議室らしさを演出していたテーブルとチェアをいくつか破壊しながら墜落する。装備していた紅白色のプレートアーマーは、粉々に破壊され、無残な姿が晒された。もちろん、HPは一切削れていないが、その有様にはほとんどの者が恐怖すら抱いた。

 

「さっきも言っただろうが……邪魔だ。……俺だって邪魔さえされなければ、ご自慢の重装備をボロ雑巾にするつもりなんざ一つもなかったんだがな」

 

 溜息を大きく吐きながら、もう一度周りを見渡す。ヒースクリフという男が噂通りの傑物ならば、この程度のことで腰が引けたりはしないだろう。堂々としている奴がきっとそうだ。そう考え、視界に映る顔触れを見ていき———発見した。そういえば、先程の男は、ヒースクリフが団長だということを真っ先に証明してくれていたなと思いながら、その男の前に立つ。

 

「……お前が、《神聖剣》のヒースクリフか?」

 

「———如何にも。初めましてかな、《絶天》のアーカー君」

 

「だろうな。俺が攻略組を離れた後、お前達が攻略組として戦ってきた。……そうだろ?」

 

「先人にそう言われると喜ばしいものがあるな。……先程の君の実力を拝見させてもらった。是非とも我がギルドに欲しい実力者だ。どうだろうか、《血盟騎士団》に来てはくれないだろうか?」

 

「……誘いは悪いが、俺はソロだ。今後も俺のやりたいようにやる。……今回ここに来たのは、交渉したいことがあったからだ」

 

 それが無ければこんな場所に来たりはしないと言いながら、アーカーは単刀直入に交渉内容を語る。

 

「———《笑う棺桶》の根拠地、その場所を知っている。攻略組から何人か、死ぬ覚悟ができている奴を貸してもらえるか?」

 

「———なっ!?」

 

 《笑う棺桶》の根拠地。先程シュミットが主張に出した中で、一番懸念されたポイントであるそれを知っている。アーカーがそう宣ったことに、ヒースクリフを除く全員が驚愕する。

 

「なるほど。場所を掴んでいたのか。流石のお手前だ、アーカー君」

 

「……数時間前にPoHと遭遇した際にな。条件付きで吐いてもらった」

 

「ほう、条件付きかね。どのような条件かな?」

 

 多少の嘘を混ぜながら、アーカーは真実を語る。

 

 

 

 

 

「———三日以内に俺が《笑う棺桶》に入ることだ」

 

 

 

 

 

 その一言に、全員が驚愕。直後、一同が忌避感からすぐさま得物をアーカーに向けるが、靡く様子もなく、淡々と続ける。

 

「……三日間はユウキの命は保証されている。もし殺されたと分かれば、俺が味方につかないのをPoH自らが判断したんだからな」

 

「ほう、では、君は向こうに着くと?」

 

「そのつもりが()()()()()無いから交渉しに来た。俺一人で突っ込んで片付けてくる選択肢もあったが、それだとユウキの命が保証できない。……だから、頭数を揃えに来た」

 

「なるほど。確かに、押さえる人数がいなければ難しいだろう。だから、ここで人数を調達しようと考えた」

 

「そういうことだ。それで、貸し出すのか貸し出さないのか。……お前はどっちを選ぶんだ?」

 

 面白いことを言うものだ、小さく微笑むとヒースクリフは指を三本立てる。交渉するのだから、こちらも何か求めたい。そういうことだろう。

 

「攻略組として君に求めるのは三つだ。

まず一つ、君には今後攻略組の一員として共に戦ってほしい。無論、行動はほとんど制限しない。フロアボス攻略の際に召集する程度だと考えてもらって構わない。

二つ、マッピングデータは最優先で提供してもらいたい。無論、報酬を払おう。君が無造作に選び流す情報屋との駆け引きをすることに疲れた部下もいるのでね。

三つ、今後のことも考え、一定期間は君に監視をつけたい。勿論、君が監視役を選んでも構わない。その者に説明責任を求めるが、よいかな?」

 

「……なるほどな、妥当な判断だ」

 

 確かにこれならお互いに利益があり、条件だって飲みやすい。少なくとも、これで文句言うことはなかなか出来ないだろう。多少文句を言おうとするなら、こちらは一度程度なのにそちらは持続することばかりだから不平等だ、くらいだろうか。流石にそこを突くのは馬鹿馬鹿しい。しかし、アーカーはその内容で飲むとは言っていない。妥当とは言ったが、それで構わないなど一言も言っていないのだ。

 

 

 

 そして、何よりこの場で優位に立っているのはお前じゃないんだよヒースクリフ———

 

 

 

「……呆れたよ、ヒースクリフ。お前、立場分かった上でンな戯言抜かしてるなら、ただのバカだよ」

 

「貴様ァッ! 団長を愚弄するか、この痴れ者めェッ!」

 

 ヒースクリフの背後で縮こまっていた幹部共が、一斉に罵倒雑言撒き散らしながら喚く。長を馬鹿にされたことを咎めるという面では〝らしい〟ことには間違いないが、この場にいる全員が未だに勘違いしていることを証明していたのは事実だ。

 呆れたまま、アーカーは、歪んだ笑顔を振り撒きながら答える。

 

「……まずさ、よく考えてみろよ。お前らが欲しいのは俺が持っている《笑う棺桶》の根拠地がある場所の情報だ。ユウキを救おうにも、これが無ければ、三日以内に探し出して救うことなんてできない。今の今まで見つけられなかったお前らじゃ、三日なんて期間で探せるはずが無いだろ?」

 

 実際元旦に結成されてから四ヶ月程だと思われるだろうが、主犯格達に関してはその以前から情報が存在する。そう考えると、これはかなりも前からの話だ。一年以上前から足取りを捉え切れていないのに、どうやって三日で探すというのか教えて欲しいものだ。

 

「加えて、俺は()()()では向こうに着く気はないと言った。お前らも聞いていただろ? ———そう、()()()では、だ」

 

「———ッ!? まさか……アーカー、お前……!」

 

 その一言に、キリトが真っ先に気が付いた。相変わらずの推測力には脱帽したいものだ。その推測が正しいかどうか、それに答えるようにアーカーは続ける。

 

「向こうは俺を仲間にしたいからユウキを捕まえた。あくまでアイツを交渉材料としか思っていない。俺が入らないと分かれば、容赦なく殺される。逆に俺が入れば、ユウキの処遇は俺が好きに出来る。……元々アイツは俺の相棒だった奴だ。別に死なせたい訳じゃないからな。こうすれば、少なくとも命は助かる。お前らの返答次第では、俺がその手を選ぶことも充分にあり得る訳だ」

 

「ふむ、なるほど。だが、それでは脅しとしては弱いと私は思うのだが、そこはどうなのかな?」

 

 ヒースクリフは今の話を聞いた上で、そう判断する。この瞬間にアーカーはすかさずこの男を厄介な敵と判断する。確かにそうだ。特別俺が敵になろうが、今後攻略組として《笑う棺桶》と戦う際に一緒に叩いて仕舞えばいいだけになる。

 だから、俺はもう一押しを加えておく。

 

「確かに弱いな。

 ———だが、俺の打てる手はそれだけじゃない。少なくとも、お前らの首を絞めて、最終的にへし折ることができる」

 

 あまりにも傲岸不遜な態度、一言に、《聖竜連合》の連中までもが怒り心頭のご様子となる。ヒートアップしていく中で、アーカーはクツクツと嗤いながら、〝その手〟を答える。

 

「そもそもだ、お前ら攻略組に入りたい奴らの理由を分かってるか?」

 

 返されたのは沈黙。誰も応えようとしない。

 そこで唯一答えたのは、アスナだった。

 

「みんなを解放したい、救いたい。憧れや羨望、名声……だと私は思うわ」

 

「……大方それで間違ってない。アイツらが攻略組に入りたいのはそういう訳だ。そして、そこを目指す奴らが見ているのは〝評判〟と〝実績〟、そして———〝信頼〟だ。

 だが、もし、ここでお前らが俺の望む通りに動かなかった場合、どうなるか分かるか?」

 

 この辺りで一斉に気が付き始める。おいおい嘘だろお前という声が聞こえた気がするが、まさにその通りだと証明するように嘲笑う。

 

 

「———簡単だ。お前らの〝信頼〟が失われる。何故なら俺が、断られた理由などを、()()捻じ曲げて()()()()()()()()()からだ」

 

 

 攻略組は大事な戦略であり同胞であるユウキを助けようとせず見捨てた! 助けるために力を貸して欲しいと頼んだが断られた! アイツらは攻略以外のことも何も考えていない! もしかすると下層や中層プレイヤーが危険な目に遭っても無視する可能性がある! ……などなど、そういう情報が流されれば、間違いなく彼らの〝信頼〟は失われる。そうなれば、今後の戦力補充は上手くいかなくなるし、それを知って一軍、二軍の者達は離反するかもしれない。職人クラス達も見限る可能性が無いとは言い切れなかった。多少羽振りが良い程度で、信頼にかける相手など商売相手にしたいだろうか? ———俺ならごめんだ。

 

 

「全階層に人気で有名で、皆に信頼されているユウキを見捨てたとあれば、攻略組の〝評判〟も〝名声〟も〝信頼〟も———何から何まで地に堕ちる。誰もお前らを〝信じない〟、〝認めない〟、〝従わない〟。そうなれば……攻略組は終わりだよな? お前らを信じられなくなった奴らは新しい勢力を創り上げ、みんながそっちに助力するかもしれないよなぁ? そんな勢力が生まれれば、仮に対抗したとしても潰される。何せ数の利が違う。短期戦でも厳しいのに、長期戦になれば、即座に敗北が決定するんだ」

 

 

 両手を物語にて登場する演者よろしく、態とらしく動かしながら、壮大に物事を語る。しかし、これは壮大ではなく、かなりの確率であり得る未来予測だ。疑心暗鬼漂うこの世界に、少しの疑惑すら許されない。払拭することも一度の汚点が邪魔をする。錦の旗が偽りに満ちていたとあれば、それはどうしようもないのだ。

 

「き、貴様ァッ! 我らを脅し切るつもりか!?」

 

「ふざけるな! 攻略組に変わる新勢力が生まれる可能性だと!?」

 

「だ、第一、そんな情報、誰が信じるんだよ! お前は攻略組ですらないんだぞ!」

 

 次々と喚き騒ぐ声。

その中に、なかなか良い反論を考えついた奴がいたことには素直に驚こう。賞賛の代わりに教えてやるとしよう。アーカーは腹を抱えて嗤いながら答える。

 

 

「そうだ。誰も信じるはずが無い。どれだけ真実だろうと信じられなければ、意味がない。それは向こう(現実世界)でも同じだ。

 ———だがな、お前らさ。()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

 俺が誰なのか、忘れたわけじゃないだろ?と言わんばかりに答えるアーカー。キリトとアスナ、ヒースクリフはもう気が付いていた。彼が何を考えているかを。

 

 

 

「俺は《絶天》のアーカー。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()《最前線狩り》のソロプレイヤーで、今もその情報は下層、中層プレイヤーが今なお強く信頼してくれている。もはや《鼠》すら相手にならないほどの、情報提供能力を持って……な? そんな俺が、この情報を流すんだ。……逆に信じない奴らの方が少ないだろ?」

 

 

 

 クツクツと嗤いながら、アーカーは次の言葉で締める。

 

 

 

 

 

「〝()()()()()()()()〟ってな。

 ヒースクリフ———この手は読めたか? 」

 

 

 

 

 

 そう、これで終わり。ここまで来れば、どちらの立場が上で、交渉するにも有利で、従うべき立場がどちらかなど、余程の馬鹿じゃない限り分かるはずだ。キリトでさえも、顔を真っ青にしてこちらを見ている。その顔には〝攻略組の、それもヒースクリフを相手に、圧倒的なまでに追い詰めてみせたのか〟という賞賛と驚愕、不気味なものが混ざり合ったものが浮かんでいた。アスナもまた然りだ。他の奴らには、もはや先程の威勢もない。あとはヒースクリフだけだが———

 

「———見事だ、アーカー君」

 

 賞賛と共に拍手を送りながら、彼は素直に認めた。何処か()()()()に、何処か()()()()に。人間味のなかった男に、人間らしいものが微かに見えた気がする。

 

「私も君を甘く見ていたようだ。有利なのは君の方だった。分かってはいたが、私の誘いに乗って妥協案を出してくるのではないかと思っていたのだよ。まさか正面切って〝従わなければ、こうするまでだ〟と言われてしまうとはね。認めよう、今回は私達の負けだ。

 ———しかし、たった一つだけ呑んでもらいたい条件がある」

 

「………言ってみろよ」

 

 

 

「———君に、ギルドを創ってもらいたい」

 

 

 その一言に、全員が驚愕する。それにはさしもの《絶天》のアーカーと言えど、多少なりとも含まれていた。てっきり向かわせる部下達の命を守って欲しいとかその辺りだと思っていたからだ。

 

「………理由は?」

 

「簡単だ。現在この攻略組は二つの大きな勢力によって成り立っている。時に勢力とは拮抗するよりも、分立した方が安定する。〝三権分立〟に近い考え方だが、僅かなズレで崩れるような均衡では安定しない。そこで、君がもう一つの勢力を創り上げることで、今よりも安定したバランスを維持したい。ソロプレイヤーの者達も集まれば、大きな勢力だが、彼らには彼らなりの信条があるだろう。できることなら半年以内に頼みたいが———可能かな?」

 

「……それぐらいならな。ただし、影に徹していいなら、やってやるよ。もちろん、ユウキを助けられなかったら、俺はお前らを見限るつもりだ。その話も自然と無いことになることを覚悟してろ」

 

 それだけ伝えると、アーカーは『二日後の早朝までに人員を用意しろ。集合は最前線の転移門前。根拠地には移動してから正面突破で殴り込む。急襲してもアイツらには無駄だからな』とだけ伝えると、ヒースクリフに背を向け、会議室の出口に足を動かす。要件は済んだ。望んだ通りの動きになった。ならば、やることは限られる。あとは救うだけ。そして終わらせる。

 

「———ああ、そうだ。キリト、あとで話がある。賭けをした場所に来い」

 

 そっと懐かしむようにキリトを呼び出すことにし、アーカーはその場を立ち去った。その後、会議室に響いたのは罵詈雑言だったようだが、気にする訳がないだろう。

 

 

 

 

 

「……ユウキ。これが、最後に俺がやってやれることだ」

 

 

 

 

 

 これで最後にしよう。

 本当に最後の手助けだと信じて、アーカーは泣き笑う。《隠蔽》スキルによって、一時的に誰にも姿が見えなくなった後、彼は静かに転移門へと入り、待ち合わせとなる最前線へと飛ぶ。

 

 

 

 

 

 ユウキ殺害まで残り2日と20時間。

 

 

 

 

 

 殲滅と自覚 前篇 —完—

 

 

 

 

 






ついに決行される《笑う棺桶》討伐作戦。

アインクラッドの地獄の底で、死が立ち込める中、

アーカーはその本質を現した。

果たして、ユウキの命は如何に———

次回 殲滅と自覚 後篇





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12.殲滅と自覚 後篇




 ツイッターで散々悩んでましたが、何とか投稿しました。ぶっちゃけた話、結構酷いですね。駄文がどうこうとかそういうのよりも先に、ストーリー暗っ!?ってなりますね、恐らく。
 想定では恐らく二話。それが終われば、漸く明るい話になると————思います、多分。
 それまでお付き合いいただければと思います。
 ちなみに階層はこちらで決めました。公式決定がなかったので。あと、日程もだいたい想定できたのですが、今後のために早めました。本来はだいたい八月から九月ですね(SAO5巻見ながら)
 そういうところが変わっていますので、どうかご理解を。





 

 

 

 

 

 

「一つ質問だ、ヒースクリフ」

 

「何かな?」

 

 静まり返った一室で、互いに背中を向けたまま、少年は問う。

 

「……モンスターの首を落とした時、普通の攻撃と違って即死判定が出る。フロアボスみたいな例外は、そもそも首を落とせないだろうから無視するとして、一つ気になったことがあった。お前はこの世界のことをかなり知っているみたいだな? キリトから聞いたよ」

 

「なるほど、彼からか。……ふむ。確かにモンスター相手の場合、首を落とせば、流石に死ぬとも。現実でも、仮想でもそこは変わらないだろう———それで、君は何が言いたいのかな?」

 

「単純明快な話さ……」

 

 狂った笑顔を張り付けて、少年は嗤いながら問う。

 

 

 

 

 

「———プレイヤーの首を斬り落とした場合、それも即死判定が出るのか?」

 

 

 

 

 

———*———*———

 

 

 

 

 

 四十四層 黒死の渓谷 最奥

 

 

 

 

「…………ぁ………れ…………」

 

 薄暗く、光がほとんど届かない陰湿な空間。天井に釣り下がる鍾乳洞から滴り落ちた雫が頰を濡らし、漸く彼女は目を覚ました。

濡れ羽色の艶やかなパールブラックの長髪に、赤いヘアバンド。健康的な身体つきに、乳白よりの肌色。かつては自己主張が激しかったアホ毛は今や垂れ下がっているが、それは彼女らしさを象徴するもの。

 

 間違いない。彼女は《絶剣》の二つ名を持つ、攻略組のトップソロプレイヤーであるユウキだった。

 

 長い眠りについていたような感覚に浸りながら、ユウキはゆっくりと周りを見渡す。光がほとんど届かないせいで、何があるのかすらよく分からない。その暗闇が、不気味さを強めていくが、彼女の意識はまだ回復し切っていないせいか、その不気味さにすら気がつかない。

 ぼやける思考を少しずつ整えていきながら、ここが何処なのかを思い出そうとする。かつて、似た景色を何処かで見たことがないか、と。

 しかし、思い出すことは叶わない。代わりに思い出せたのは、二十七層での救出作戦でのこと。

 

「……ボクは……ハナさんの仲間を……助けに行って…………それで…………」

 

 ———裏切られた。

 突然過ぎった思考が、一気に意識を回復させた。身の毛もよだつような悪寒が背筋を撫で上げ、一度全身をぶるっと震わせてから、もう一度周りを見渡す。やはり何も見えないが、先程と違い気味が悪いと素直に感じる。もっと周りをしっかりと確認しようと身体を動かすが———何故か叶わない。

 

 どうして?

 そう疑問を浮かべたユウキの視界に映ったのは、自身の両手をこの不気味な空間の壁へと繋ぐ、頑丈そうな手錠と鎖。お尻が地面に付いていると感じる辺り、両手のみ吊るされている状態なのだろう。当然、腰に差している鞘や愛剣の片手用直剣の存在を感じない。没収されたものと考えて間違いない。

 

「ボクは……捕まった…………?」

 

 この状況からして、殺された後の訳では決してない。考えられるのは捕まったということだけ。蘇生アイテムが十秒程度しか使えるタイミングがないことを知っているユウキには、どうしてもここが死んだ後には考えられなかった。頰を濡らした雫の感触もしっかりあるのが第一の証明だ。手首を縛り吊るしている手錠や鎖も同様に。

 

 そこから、導き出された〝捕まった〟という結論。それは一体何処の誰に捕まったのか、へと直結し、すぐさま答えは出ていた。最後に記憶に残った景色に映っていたのは、二人のプレイヤー。

 

 片方は、ボロボロのマフラーを巻きつけた皮装備の男。

 もう片方は、いかにも怪しい魔術師風の横笛使いの男。

 《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》の幹部達。その二人の手によって、ユウキ達は突然《麻痺》状態へと陥り、そして———

 

「みんなは……どうなったの…………?」

 

 一番最初に何かをされて意識を失ったのはユウキだった。そのせいか、仲間達がどうなったかさえ分からない。今も何人かは同じように捕まっているのか———

 

「確かめなくちゃ……」

 

 そのためにはまず、両手を縛る手錠と鎖をどうにかしなければならない。愛剣も投擲用ピックもない以上、選べる手は僅かなものだけだ。自傷覚悟になるかもしれないが、両手ごと手錠を何度も壁に打ち付けるしかない。

 

「……よし、行くよっ!」

 

 その場から立ち上がって、出来る限り鎖を伸ばしながら、勢いよく壁に向けて叩きつける。ぶつけた瞬間に衝撃によるエフェクトが飛び散り、空間に衝突音が鳴り響く。同時に微かな量だが、HPゲージが減る。とはいえ、この程度なら許容範囲と考えて、同様の行動をひたすら続ける。

 

 そこから数分ほど続けていると、とうとう手錠の耐久値が残り僅かとなった。このまま行けば、自由に動くことが出来るようになる。そうすれば、ここから逃げ出すことだって出来るはずだ。その思いがユウキの背中を押していた。あと一撃で叩き割るために、先程よりも勢いをつけて壁へと———

 

 

 

 

 

「Wow……コイツは驚いた。ただの女だと甘く見ていたが、意外と根性あるとはな……」

 

 

 

 

 

 身の毛もよだつような悪寒が背筋を撫で上げ、反射的に壁際まで後退し、出口に目を向ける。薄暗い空間の中では、遠くを見渡すことすら叶わないが、それでも、濃厚なまでの《殺気》というものを———フルダイブしている以上、曖昧なものはデジタルデータにすらならないため、現実以上に感じるはずはないのだが———感じていた。先程耳にしたのは聞き覚えがない声だったが、それでも、この状況下で現れるとすれば、だいたいの所属はハッキリする。間違い無く、この男も《笑う棺桶》のメンバーだ。

 

「………………」

 

「……悪くない殺意だ。まだまだ甘いが、少し理由を与えるだけで真価を見せてもおかしくねぇ。アイツほどじゃねぇが、()()()()()

 

 楽しげに嗤うそれは、ゆっくりと姿を現した。左手に松明を持っていたせいか、暗闇が晴れていくと共に明るさが増していくが、同時にその人物が誰なのかをハッキリと理解させていた。

膝上まで包む艶消しの黒ポンチョに、目深に伏せられたフード。右手に握られているのは、中華包丁のように四角く、血のような赤黒い刃を持つ肉厚の大型ダガーだった。

その特徴を持っている殺人者は一人しかいない。攻略組が要注意人物として真っ先に上がる、アインクラッド最悪の男———PoHだった。

 

「……よりにもよってPoHかぁ……。ボク、運が良い方だと思ってたんだけどなぁ…………」

 

「But、お前は運が良い。俺達がすぐに殺さない時点でな」

 

「……それって、どういうことかな?」

 

「簡単な話だ。お前が飛びっきりの交渉材料だからだ」

 

 肉厚のダガーの背で肩をとんとんと叩きながらPoHは告げる。その一言に疑問を浮かべながらも、何の交渉に使われるのか、誰が交渉相手なのかを考えてみる。オレンジギルドに恨みを買われている可能性がないわけではない。ソラを探す途中で見かけて《牢獄》に送ったことは確かにある。

 しかし、それは理由としては弱いと判断した。オレンジギルドの依頼を受けないわけではないが、わざわざそんな依頼をこの男が受けるとは思えなかったからだ。殺せ、という依頼は嬉々として受けると考えても、今ユウキはこうして生かされている。それが引っかかったのだ。

 

 そうなると考えられる交渉相手は一つ。

 ———攻略組だ。

 

「ボクを餌に攻略組の邪魔をするつもりなのかな? ———だったら、その程度じゃ意味がない。ボク一人いなくなっても、みんなは足を止めたりなんてしない」

 

 攻略組の最終目標は、この世界からの解放。ゲームクリアだ。そのために実力者が必要なのは事実だが、たった一人のために犠牲が増えるようなことはしないはずだ。ボクがいくら強かったとしても、二、三人、それ以上でもそれ以下でも犠牲にして欲しくない。アスナならきっとそこを汲んでくれるはずだ。キリトだって、そう考えてくれるはず。そう信じて、真っ向から告げる。

 

「Great、素晴らしい自己犠牲の精神だ反吐が出る———と、言いたいところだが、()()()()()だ。いつか本性を引き摺り出してみたいもんだな」

 

「まるでボクが人殺しをしたい人みたいな言い方しないでよ! ボクはそんなことちっとも思ってなんか———あれ……? ()()……()…………?」

 

 お前も特別だ。

 その一言が、強く引っかかった。ボク以外にもPoHにそう思われた人物がいる? その人はとても不幸だ。そう思った。しかし、同時にそれが誰なのかが気になった。

 疑問を浮かべたユウキに、PoHはクツクツと嗤いながら、先程告げた交渉相手について補足した。

 

「交渉する相手は攻略組なんかじゃねぇ。アイツらと交渉するくらいなら、お前をさっさと嬲り殺した方が楽しめるだろうよ」

 

「……攻略組じゃ………ない…………?」

 

 僅かにホッとする一方で、そうなると一体誰が交渉相手なのかという疑問が膨れ上がった。思い当たる相手はいない……はずなのに、先程よりも強く何かが引っかかっている。それが誰なのか、記憶を頼りに探そうと思考を巡らせる。

 

 キリト?———違う。

 アスナ?———違う。

 アルゴさん?———違う。

 エギルさん?———違う。

 

 ここ暫く親しい人物を思い浮かべ続け、攻略組以外の条件を当てはめながら考える。しかし、浮かべた四人も、攻略組やその関係者だ。他にも何人か覚えがあるが、この状況で関係があるとは思えなかった。そうなると、PoHが告げた交渉相手とは果たして誰なのか———

 

 

 

 

 

 ————————ユウキ

 

 

 

 

 

 ずっと会いたかった人の、懐かしい声が脳裏に響いた。記憶にある少年の一声から再現された、あくまで記憶でしかなかったが、それでも、交渉相手が誰かという、彼女の浮かべた疑問に対する答えとして確定させるには充分すぎた。

 

「———まさか………ソラが」

 

 そんなはずない。そう思いたかった。絞り出すような小さな呟きに、流石のPoHも聞き取れなかったが、ユウキの浮かべた表情から答えに辿り着いたと察して、ニヤリと口角を吊り上げると共に告げた。

 

「アイツは必ず来るぞ、お前を取り返しにな。兄弟(ブロー)としてか、敵としてか。どちらにせよ、俺には楽しみで仕方がねぇ」

 

 狂った笑顔を浮かべ、地獄の皇子は狂気と共に告げた。これから来るだろう少年が同胞としてとなりに立つにせよ。交渉決裂と共に壮絶な殺し合いに発展したにせよ。一人の少女が攫われただけで引き起こされる、アインクラッド最大の、壮大で血生臭い殺し合いに対する悦楽を想像して———楽しげに嗤った。その表情は、ユウキがPoHを視認できなくなるまで続き、暗闇の中に小さな光だけを残して消えていった。

 

 それを知ったユウキは、縋るような気持ちで祈る。もう少しで手錠を壊せることすら忘れて、ただひたすら願った。

 

 

 

 ———どうか、ボクを助けるためにソラが来ないでください、と。

みんなが助けに来て、たくさんの人が殺し合わないでください、と。

 

 

 

 最早、それしかユウキには祈ることができなかった。

 しかし、その祈りは届かない。

 直後、とてつもない衝撃が渓谷全体を揺らした。その意味が分からないほど、ユウキは馬鹿ではない。来てしまったのだ———最強のソロプレイヤー、《絶天》のアーカーが。

 この一年間を除いて、ずっとそばにいたユウキですら見たことがないほどの、憎悪に満ち満ちた姿と共に、尋常ではない殺意を纏って、《笑う棺桶》の根拠地を強襲した。

 

 

 

 

 

———*———*———

 

 

 

 

 

 四十四層 黒死の渓谷 《笑う棺桶》根拠地入り口

 

 

 

 

 

 入り口付近に転がっていた巨大な大岩が突然砕け散った。砕かれた大岩は《破壊不能オブジェクト》手前だ。こんな芸当が出来るのは、余程STRに偏った振り方をしている重戦士か、圧倒的なまでの高レベルプレイヤーしかいない。衝撃が渓谷全体を伝い揺らして、襲撃を知らせる。すぐさま臨戦態勢を取る殺人者達は一斉に、衝撃の起点へと視線を向ける。大岩が砕け散ったことで起きた煙は一度だけ振るわれた剣風に裂かれ、そこから一人のプレイヤーが姿を現わす。それは灰一色に染め上げられた皮装備の少年だった。そんな姿をしているのは、このアインクラッドで一人しかいない。

 

 小さな体躯からは想像できない、圧倒的な存在感と殺意は、さしもの殺人者達ですら畏怖させる。数日前、PoHがご機嫌で語っていた理由をここに来て理解した一同は、今だけ自分達が正常な人間であるようにすら感じていた。それほどまでに、纏った殺意は尋常ではなく、ここが仮想世界だということすら忘れさせていた。

 

「おいおい来やがったぜ、あの野郎。ウタカタ、アレは仲間になると思うかぁ?」

 

「いや、ないね。僕には全力で殺しに来たように見えるよ。いや、ホント……これは洒落にならないよ…………」

 

 最高の殺し合いが出来ると嗤うアイザックに対し、相棒であるウタカタは空笑いを浮かべた。その表情にはいつもの余裕はなく、冷や汗を掻いてすらいる。気を抜けば、手が震える。暗闇の中で猛獣に遭遇した時のような、そんな感覚にすら匹敵した。これまでどんなモンスターに遭遇しても平気な顔をして、むしろプレイヤー達には恐れられていた側である殺人者達は、今だけは恐れを感じ始めていた。

 

「………………」

 

 無言で襲撃者———アーカーは《索敵》スキルを発動させると、アイザック達の方を見た。強まる殺意。見られただけだというのに、心臓に杭を打ち付けられたような衝撃が走る。PoHを初めて見た時に感じた異質なものとは違う、別の異質さは果たしてアレが、本当に同じ人間なのかという疑問を抱かせた。

 

「いいな、いいぜ、最高だ……ゾクゾクするなぁおい! 今まで見た中でも最高に狂ってるぜ、アイツ!」

 

 殺気に当てられ、猛る本能を抑え切れず、アイザックは現在はまだ安全圏である位置から下へと飛び降りる。なかなかの高さを飛び降りたが、そのHPは全く減少しない。今日に備えてレベリングでもしたのだろうか。だが、それを気にすることなく、アーカーは静かに訊ねた。

 

「ユウキは何処だ」

 

「おいおい《絶天》さんよ。《絶剣》よりも先に白黒ハッキリさせることがあんだろ? ほら、答えろよ。お前は俺達と共に来るのか、それとも———」

 

 勢いよく納刀されていた鈍刀を抜刀。アーカーの首筋に突きつけると、同時に狂人らしい狂喜の笑みを浮かべる。血走った瞳からは、正常な判断が出来ているとは思えないが、正気に戻してやろうなどという気は全く起こらない。真に狂えるところまで狂ったというべきなのだろう様子はとてもお似合いだった。

 

 

 

「———俺達と殺し合うのか。俺としちゃあ《絶天》、アンタと殺し合いてぇなぁ……たまんねぇよ、その顔。今にも俺達の誰でもいいから殺したくて仕方がないって顔してやがる」

 

 

 

 

 

———今にも誰かを、殺してみたいって顔してやがる。

 

 以前、PoHに言われた言葉を思い出した。

 

 

 

 

「……ああ、そうだったな、忘れてたよ。答えを返せってアイツに言われてたんだった。俺の返答はなぁ———」

 

 

 

 

 

 ———テメェら全員斬り殺してやる、だ。

 

 

 

 

 

 それを言うや否や、腰に差してあった鞘から古びた片手用直剣が抜き放たれる。AGI値全開の一撃は、本能的にガードに入ったアイザックを得物ごと吹き飛ばし、後方へと後退させた。

 

 それを合図に、先程アーカーが姿を現した辺りから次々と攻略組から選出された討伐隊が雪崩れ込む。その中には、キリトやアスナ、クラインなどユウキと親しいメンバーも参加しており、各々が覚悟を決めて突撃していた。急襲してくると考えていた殺人者達は、予想に反して正面から強襲してきたことに戸惑いはあれど、殺したいという欲求に獣のように従い、次々と混乱の中に乗じて飛び込んでいく。

 

「クハッ、クハハハハッ! 最高だ! これが見たかった! ずっと! ずっと、こうしたかったんだよ俺様はァッ! やっぱりテメェは最高だ、《絶天》のアーカァァァアアア!!!」

 

 開幕吹き飛ばされたアイザックもすぐさま起き上がり、狂喜に孕んだ表情を浮かべながら、鈍刀を構えて飛び込んでいく。狙いは言うまでもないが、そこに辿り着くまでに当然邪魔者はいる。それが例え、味方であれ、今の彼には最早関係ない。相棒として戦ってきたウタカタを除く全てが敵に見えるのか、前に何かがあれば、それだけで殺していい相手と見なし始めた。擦れ違う味方も敵も、次々と切り裂いていく。

 

「邪魔だ邪魔だ邪魔だァッ! 血、血だ血ィ魅せろ魅せてくれよォッ! 理性ぶっ飛んだアイツの死に様が見てェ! 見たくて仕方がねェ! クハックハハハハハッ死ねッ死ねッ死ねェッ!」

 

 バシャーンという、アバターを構成するポリゴンが無数のガラス欠片となって爆散する音が連続して鳴り響く。手に伝う切り裂いた感触に恍惚とした表情を浮かべる。誰を切り裂いたかなど、この際どうでも良かったのだろう。味方でも、敵でも殺せるならなんでも良かった。アイザックという殺人者の心境など、その程度でも察することができたら完璧に理解したと言っても過言ではなかった。殺せるということが大事なのだ。味方意識など、これっぽっちもないまま駆け抜ける狂人に、一筋の黒い流星が立ち塞がる。

 

「お前は……ッ! 味方も容赦なく殺すのか!」

 

 姿を見せたのは《黒の剣士》キリト。その手に握られた魔剣クラスの片手用直剣《エリュシデータ》が、暴走する機関車の如きアイザックの鈍刀を正面切って押し留めていた。

 

「……あ? 《黒の剣士》かテメェ。……いい、お前でもいいな! どうだ今すぐ俺の刀の錆になってくれ! バラされて悶え苦しんで! 泣いて喚いて命乞いして! 死んで死んでハラワタ全部ぶちまけろォッ!」

 

 狂喜に歪んだ笑顔を振り撒きながら、無茶苦茶な速度で鈍刀が振り回される。そこに剣技など有ったものではない。こんなに無茶苦茶ならソードスキルなど発動しようもない。

 だが、例え無茶苦茶に振り回していたとしても、恐るべき速度で振り回されている以上、下手に隙を突こうものならダメージ覚悟で斬り殺しにくるのが目に見えていた。今の動きだけでどういうステータス振りがされているか、キリトには大方の予想がついたが、よりにもよってAGI極振りだ。

 

 つまり、それはアーカーやユウキ、アルゴと同系等であるということだ。確実にアーカーやユウキよりはレベルが低いが、彼らと違い、殺すことに躊躇いがなく、こうして理性がぶっ飛んでいるというのだから、後手に回れば不利が続く。先手を打とうにもAGI値で負けている。加えて、あの鈍刀に状態異常が付いていないと限らない。下手に一撃を受ければ、それだけで死に直結すると考えれば、被弾することすら許されない。かつてこれまでこれほどまでのクソゲーを味わっただろうか。

 

「……相性…………悪すぎ、だろ———ッ!」

 

 仲間がこれ以上やられることを防ぐために飛び込んだが、無茶なことをしたと素直に認めながら愚痴る。柄にもないことをするべきではないなと思う傍で、周囲に僅かでも目を向ける。援護の一つでも欲しいと思ったのはいつぶりだろうか。アスナならコイツをどうにかできるんじゃないか。ふとそう思うが、瞬時にその判断を取り止める。彼女は彼女なりにやらねばならないことがあるし、そもそもこういう敵と戦うことに慣れていない。下手に変わって不利に陥ったらどうしようもない。やはりここはキリトが意地でも抑えるしかなかった。

 

「くっ———そぉっ!」

 

 無理矢理にでもパリィして反撃し、四肢を捥ぐしか道はない。いくら自分が危険な状況でも、キリトには殺しても構わないという選択肢がなかなかできなかった。それは、アスナもクラインも、他の奴らだって同じはず————だった。

 

 二人の間に飛び込むように何かが落ちてきた。突然銃撃されたのかと錯覚するほどに鬼気迫っていたせいか、思わず距離を取るキリトとアイザック。この世界に銃などというものがないことを思い出したのは、距離を取ってからだ。

 

 ———それじゃあ、この落ちてきたものは一体なんだ? 恐る恐る落ちてきたものが何かを確認するべくキリトは視線を向ける。かなり無防備だった。それは間違いなかったが、どうやらアイザックも同様の行動をしていたらしい。他の殺人者達が迫って来なかった理由も、後から知ることとなる。

 

 落ちてきていたものの正体、それは———《笑う棺桶》構成員アバターの首だった。表示されたHPゲージは恐るべき速度で減っている。その減り方は先日見た《圏内事件》の偽装工作よりも早い。どちらかというと、食べ物アイテムを落としてしまった時の消滅速度に近かった。恐怖と涙に濡れたソレがこちらを見つめた後、すぐさまガラスの欠片となって爆散する。表示されていたHPゲージも消えている。あまりにも早い消滅だ。これまで見てきた死に方と何かが違っていた。

 

「どういうことだ…………」

 

 先程まで味方すら殺していたアイザックは、キリトが押さえていた。ザザやジョニー・ブラックは仲間を殺すことがあったとしても、首だけ刎ね飛ばすような技量はなかったはずだ。それも、あれほどまでに恐怖に呑まれた顔など、普通はならない。彼らは生粋の殺人者達だ。自分達が恐怖に呑まれ涙を浮かべて死ぬことなどあるはずが———

 

「……まさか———」

 

 気がついた。彼らは恐怖を感じていた。少なくとも今日だけでも。その殺気にキリト達ですら当てられた。必死に隠れていたが、思わず声が漏れそうになった奴もいたのをそばで見ていた。その原因を作ったのは誰だ?

 

 PoHか?

 アイザックか?

 ザザか?

 ジョニー・ブラックか?

 ———全員違う。

 

 誰なのか分かった。分かってしまった。勘のいいキリトには、それが誰なのか、今も行われている首切断の妙技を披露している人物が分かってしまった。嘘であって欲しいと願う傍で、彼の心は認めてしまっていた。アイツならやれる。アイツにしかできない。どんな状況下でも最速最短で仕留め切ることができるのは、間違いなくアイツだ。銃撃されたような感覚に陥ったのは、瞬間的に向けられた殺意がその錯覚を引き起こしたせいだ。殺人者すら恐怖を抱く殺意を漏らしていたのは一人しかいない。

 

 

 

 

 

「………お前、なのか……………アーカー」

 

 

 

 

 

 その呟きに答えるように、また一人の首が宙を舞った。赤いエフェクトが、切り離され残された頸部から鮮血のように飛び散り、奇妙なダンスを踊ってから床に倒れ伏した。機関銃に撃たれた際のものとは違った味気ないものだが、それでも気味が悪すぎた。

 続けてまたも首が刎ねられた。それも一つでは終わらない。次々と首だけが刎ね飛ばされ続ける。これで二桁に及んでいた。渓谷の地面が真っ赤なエフェクトに染まっていく。当然それはアバターの死という爆散で消えてしまうため長続きしないが、一瞬でも血の海に染まったことには間違いない。

 

 その血の海に、一人のプレイヤーが立っていた。最早、それが誰なのか。特徴を言わなくとも全員が理解した。

 

「…………ヒースクリフ、お前の言った通りだったよ。プレイヤーの首を刎ねた場合……()()()()H()P()()()()()()()()()()。……お蔭で楽になった。一々全損させてると手間がかかるもんな……」

 

 だらんと伸ばされた両腕に力が入っていないように見える。

 しかし、そう思って飛び込んだ奴らは総じて首を刎ねられ即死していた。つまるところ、あれは相手を油断させて殺すための擬態のようなものに過ぎない。しかし、そういうものは最初の方にしか通じない。事実、彼の周りにいた殺人者達は距離を取っている。近づけば殺されると分かったからではないのだ。今すぐにでもここから離れたい、その思いが次第に強まっているのだ。

 

 中には武器をその場に投げ捨てて、半狂乱に陥りながらも、もたつく舌で必死に「た、助けてくれ! 死にたくない! 死にたくないんだ! ば、化け物! 化け物に殺されるッ!?」と《牢獄》送りを希望する者が少しずつ姿を見せてきた。これまでお前達はそう言った奴らを殺してきたのに何を今更と思うことすら、討伐隊のメンバーが思わなくなるほどに。その希望に答えるように、討伐隊のリーダーが《回廊結晶》を取り出す。その行為に、安堵する命乞いした殺人者。急かす声に、彼が《牢獄》への入り口を作ろうとする。

 

 

 

 直後———〝死〟が、その命を掻っ攫った。

 

 

 

「ひょ…………?」

 

 何が起こったか分からないまま、命乞いした殺人者は、首から下を地に残して宙を舞う。刎ねられた首は、ぐるぐると景色が何度も変わるのを見ながら、《You are dead》の一文を最期に、ゆっくりと消えていく。果たして、彼は現実を理解することなく死ねたのだろうか。

そう思ってしまったリーダー達とは裏腹に、いつの間にか彼らの前に移動していた化け物は、古びた得物を握り直す。

 

「……参ったな。ユウキの居場所、喋らせればよかった」

 

 ガシガシと前髪を掻き上げた後、周りを見渡す。かなりの数いた《笑う棺桶》構成員は、半数以上が死亡していた。その原因は、アイザックとアーカー、その二人にある。後者の方が多いのは言うまでもないが、それでも、残っているのは僅かだ。幹部である《赤眼のザザ》と《ジョニー・ブラック》、《解体屋アイザック》と《魔笛のウタカタ》は未だ健在だということが確認できた。

 

「………ちょうどいい。さくっと喋ってもらうか」

 

 そう言うや否や———死に塗れた戦場を駆け抜けた。

 狙われたのは、《魔笛のウタカタ》だった。

 

「な———」

 

 なんで僕が!などと言い切る前に、アーカーは目と鼻と先にまで迫っていた。当然対応など満足にできるはずもない。つい今しがたまでユニークスキル《魔笛》の効果で操り、殺し合わせていた討伐隊のメンバーをぶつけることすら叶わず、ウタカタはその顔面を容赦なく鷲掴みにされた。

 

「がふっ!?」

 

「なあ、お前。幹部のウタカタだよな? ユウキの居場所、教えろ」

 

「…………人様の顔面掴みながら訊ねるセリフかい?」

 

「……聞こえなかったか? ユウキの居場所は何処だ?」

 

「…………図に乗るなよ、同類がぁっ!」

 

 顔面を掴まれたまま、ウタカタは左脚からの回し蹴りを見舞う。なかなかの速度で放たれた一撃は、確かにアーカーの腰に直撃し、HPゲージを三割ほど減らすことに成功する。これだけのダメージが出せると言うことは、《体術》スキルを習得していることに他ならない。なるほど、あれを頑張った奴も他にいたものだ。

 

 感嘆の声を漏らしそうになったが、アーカーは酷く冷静に、蹴られたことに対するお礼参りをすることを選ぶ。掴んだ右手を後ろに軽く引くと、AGI値に物を言わせた《縮地》に似た動きで、渓谷の壁際まで接近し、その勢いのまま叩きつけた。声にもならない悲鳴が上がり、HPゲージがぐんっと減る。その量は二割ほどだが、それだけで済むはずが無い。何しろ彼は今、尋問よろしく拷問をしているのだ。居場所を話すまで痛めつけるつもりでいるのに間違いなかった。

 

 続けて二度、三度と繰り返すと、ウタカタのHPゲージは半減し、残り四割を切っていた。危険域まであと一撃で辿り着く。その辺りまで来ると、アーカーはもう一度訊ねる。

 

「もう一度聞く———ユウキの居場所は何処だ?」

 

 そこに、かつての彼の姿はなかった。優しく笑い、ユウキを守ってきた。その面影など何処にも残っていなかった。一層でコボルド王を倒す際に見せた冷酷な本質が、かつての比では無い程に表出している。彼であって、彼では無い。そう表現するしか、今の彼の変貌ぶりを言い表せなかった。修羅と化した少年の浮かべた表情に、慈悲の二文字は無い。答えなければ、このまま叩きつけられて死ぬだろう。その事実が、今の今までに蓄積された恐怖心を強く煽り立て———ウタカタの口を割らせた。

 

「…………さ、最奥の……真っ暗な空間だ。そ、そこに……《絶剣》を閉じ込めた……嘘じゃない………!」

 

「……そうか。聞こえたな、ユウキを助けに行け」

 

 ウタカタが絞り出した自白が、手の空いていた討伐隊メンバー数名を動かした。すぐさま救助に向かっていくのが、アーカーの目にも見えた。そっとそれだけ返すと息を吐き、身体の力を僅かに抜いた。掴んだ右手の力も微かに弱まる。微かに緩んだ隙間から、こちらに向かって駆け込んで来る何かに気がつく。僅かに見えたボロボロのマフラーから、それがアイザックだと気がつくや否や、ニヤリと嗤い、ウタカタは反撃とばかりに回し蹴りを放とうと動き始めた。

 

「死———」

 

「———お前が死ね」

 

 直後、回し蹴りが放たれる前に、アーカーの緩んだ右手が再びウタカタの顔面を掴み直し、続いて眩しいほどのライトエフェクトに包まれる。発動したソードスキルは《崩撃》。一度拳を強く握り締め、強烈な正拳突きを好きな場所に見舞う、自由度の高い《体術》ソードスキルだ。《閃打》という初期スキルの上位互換に当たるそのソードスキルは、使い勝手が良いことから習得者から愛好される。しかし、この状況でこのソードスキルは不味かった。一度拳を強く握り締める、その一行を見て彼だけが気がついてしまっていた。このソードスキルの残酷性を。

 

 直後、発動したことで拳を強く握ろうと、アーカーの右手が、ウタカタの顔面を掴んだまま動き出す。元々の高いレベルが生んだSTR値とソードスキルによる加算により、右手は次第に拳の形を作り始めるために、どんどん掴んだものに指圧をかけていく。掴まれたウタカタの顔面———頭蓋に指が沈んでいき、メキメキという音が渓谷に鳴り響いた。声にもならない悲鳴が上がり、それに誰もが振り返る。そして、目を逸らした。ここから先は言うまでもなかった。拳を強く握り締めることができた時には、ウタカタの身体はだらんと床に伸び、足元から次第に無数のガラスの欠片となって爆散していった。

 

「アーカァァァアアア!!!」

 

 大絶叫と共に、先程までキリトと争っていたアイザックが迫る。相棒の危機にいち早く気がつき、接近していたが、やはり間に合わなかったのだ。途中にいた討伐隊を切り裂いていたのが、間に合わなくした原因なのだろうが、今の彼には狂気よりも先に憎悪が沸き立っていた。相棒を惨殺された事実が、彼を正常にしたのだろうか。

 だが、例えそうだとしても、彼らが殺人鬼である事実は変わらない。

 

「邪魔だ」

 

 アーカーは素早く得物を抜き放ち、アイザックの放った一撃を剣の腹で往なし切ると、素早く右手でソードスキルを発動させる。発動したのは、零距離技《エンブレイサー》。右手の五指を揃えて放つ手刀だ。それがアイザックの左腕の関節に吸い込まれ、容赦なく肘から下を断ち切った。その衝撃に呻きながらも鈍刀を素早く戻し、再度アイザックは斬りかかる。

 

 だが、冷静さを欠いた時点で勝ち目など無かった。鈍刀は見た目以上の鋭さと耐久値を持っていた。とはいえ、アーカーの持つ古びた片手用直剣は、PoHの《友切包丁(メイトチョッパー)》同様、一定条件を満たし続けることで性能が上がり続ける代物だった。あれと真逆であるとあうことは、当然アーカーの持つソレはプレイヤーを斬るべきものではない。その証拠に、ここに来る前は存在しなかった血糊が古びた刃に張り付き始めていた。

 

 しかし、そうであったとしても斬れ味は健在だ。無茶な扱いをしていたことや、アーカーによってガードさせられていたことで耐久値をすり減らしていた鈍刀は、反撃に見舞われた一撃によって破壊される。鈍刀として、本来あるべき終わり方が広がる。散らばった刃片は、無数のポリゴンの欠片となって散っていく。アイザックの手に握られた得物は残さず消滅すると、その場に立ち尽くした。さしもの《解体屋》も得物が無ければ何もできないだろうが、アーカーは念入りだった。動かぬ的に向けて、容赦なく得物を振るい、右手を斬り飛ばした。これで両腕は捥いだ。あとは足だけだが———

 

「………………」

 

 わざわざそこまでする必要はないと、漸く()()()働いた。身動きしなくなったアイザックから筆頭に、生き残ったメンバーが次々という《牢獄》へと送られていく。それを見て、少しずつ心にかけていた鍵が外れていく。一年間———ユウキと喧嘩別れをしてから一度として解くことがなかった、感情を封殺する鍵のイメージがゆっくりと崩壊する。理性や常識が前へと出てくるのと同時に、封殺されていた感情が強く作用し、今までの自分の行動全てを鮮明に思い出し始めた。

 

「………ぁ……れ…………?」

 

 俺は相手が人殺しの殺人鬼だからってなにをしてきた?

 キリトと賭けをして、その最中でアイツになにをした?

 

 ふと両手を見る。何も付いていな———いや、付いている。忘れようとするな、しっかりと思い出せ、目を背けるな、そこに付いているのはなんだ? なんなんだ? それが何か分かっているだろう?———血だ。俺が殺したプレイヤーの血だ。降りかかった赤いエフェクトが、この時だけは血に見えた。最早、そこには跡一つ残っていないのに、殺した時の感覚が甦り、取れない血に両手が汚れている錯覚が強まった。

 

「………ぁ…………ぁぁぁ……………」

 

 ストレージから水の入ったアイテムを取り出し、急いで手にかける。しかし、落ちない。続けて勢いよくポーションなどの液体が入ったアイテムを手に振りかける。落ちてくれ、落ちてくれ、お願いだから落ちてくれ———

 

「………落ちない………落ちない…………落ちてくれよ………っ!」

 

 両手を紅く染め上げる血は全く落ちなかった。思わずそれを見て、素早くアーカーは得物を手に取り、勢いのまま自分の右手から順に落とそうと勢いよく振り抜いた。腕を落として、その後欠損から回復すれば流石に手は元通りだと思った。元々の、血に汚れていない手に戻るはずだと、妄信的に信じて———

 

「何をしてるんだ、お前はっ!」

 

 ———右手を切り落とす直前で、得物を握っていた左手をキリトが掴んでいた。

 

「………きり………と…………」

 

「お前、大丈夫か? さっきから様子が変だぞ。突然手を洗い出したり、後退ったりして」

 

「……キリト………俺の手は…………どうなってる…………」

 

「どうにもなってない。そもそもこの世界で汚れることなんてないはずだ」

 

「………そう………だよな…………そのはずだ」

 

 ここは仮想世界だ。わざわざ汚れエフェクトまで実装できるなら、お風呂などの液体エフェクトも中途半端なはずはない。大丈夫だ、俺の手は血に汚れてなんかいない———

 

「………ぁ…………ぁぁぁ……………ぁあぁ……………」

 

 ———その手は、真っ赤に染まったままだ。さっきと何ら変わっていない。血に汚れた両手は、紛れもなく俺の手だ。俺が殺したプレイヤーの血に汚れ切ったままなんだ……!

 

「……ぉれが………殺した………ぉれが……たくさん………殺したんだ…………っ!」

 

「大丈夫か、アーカー! しっかりしろ!」

 

 魘されるように呟くアーカーの肩を、異変に気がついたキリトが揺する。しかし、その瞳に光は戻らず、苦しげに絞り出される声は止まない。ひたすら同じ文言を繰り返し、両手をじっと見つめたままだ。震えて怯える。その姿は、先程まで獅子奮迅の戦いを見せ、皆を守るために《笑う棺桶》構成員十何人も殺した少年には見えなかった。とてもじゃないが正気ではない。見る見るうちに壊れているようにすら思える。その様子の異常さに気がついたアスナやクライン、他のメンバーも駆けつけるが、一向に元に戻らない。

 

「キリト君、アーカー君はどうなってるの……!?」

 

「……わからない、もしかすると、全てが終わってからアイツらを殺した実感が強まったんじゃないかと思うんだ……」

 

「これかなり不味いんじゃないのか、キリト! どうすりゃいいんだ!」

 

 アスナ、キリト、クラインがそれぞれどうにかしようと考えるが、アーカーの異常なまでの興奮は止まらない。自責の念と、多くを殺した感触、両手を汚す血の幻覚が続いている。

 

「………ぁぁぁ………ぁぁぁあああっ…………ぁぁぁ———っ!」

 

 血、血、血、血血血、血血血血血。一面を紅く染める血。

 死、死、死、死死死、死死死死死。血に染まる上に重なる死体。

 それら全部がゆっくりとこちらを振り向く。譫言のような文言を呟きながら、伸ばされた手はアーカーの身体を手当たり次第に掴む。血の海の底へ引き摺り込もうとしている。そう感じた途端、恐怖はさらに強まった。周囲で心配してくれている奴らが全員敵のように見え始める。

 

「……くるな………ちかづ、くな…………さわ、るな………おれに………さわるなぁっ!」

 

 血に染まったように見えている両手を振り回しながら、キリト達を追い払う。突然のことに全員が驚き、一度距離を取る。しかし、それがアーカー本人には見えていない。未だに組み付かれていると錯覚して、未だに手を振り回している。その姿に、キリトが何かの幻覚を強く見ていることに気がついた。こうなった場合、どうやって落ち着かせるかではなく、一度意識を奪わなければキリがないのを知っていた。少しの間オレンジになる覚悟をすぐに決めて、錯乱する彼に向かって《体術》ソードスキルを発動する。一撃でも鳩尾に見舞えば、気絶してくれるはずだと信じて————

 

 

 

 

 

「————そこにいるの………ソラ、だよね…………?」

 

 

 

 

 

 ————直撃させる直前で、誰もが聞いたことがある声が響いた。その声の持ち主を今回全員が救おうと動いたのだから、知っていて当然ではあるが、ことこのタイミングにおいては最悪とすら言えた。ただでさえ、錯乱しているアーカーの前に、彼を探し続けていた少女が———ユウキが、姿を見せたのだ。

 仲間達に救出され、ここまでやってくることが出来たユウキが、一年ぶりに再会した幼馴染を見て、駆け付けない訳がなかった。AGI値全開で駆け抜ける彼女の姿にホッと安堵するメンバー達に、事情を知っていたキリトやアスナ達は制止の声を上げようとする。

 だが、間に合うはずがなかった。ユウキは、アーカーに続くアインクラッド最速のプレイヤー。制止する声よりも先に辿り着くのは自明の理だった。駆け付け、ユウキがアーカーを抱き締める。

 

「………ソラぁ…………ソラ、だよね…………」

 

「………ゆう…………き……………?」

 

「………うんっ、ボクだよ……………あの時はごめんなさい…………あんな無責任な言葉言ったりして……………ボク、ちゃんと答え………見つけて…………————ソラ? どうか……した、の…………?」

 

 ユウキの腕の中で、アーカーは彼女の声が聞けたことに安堵していた。少しずつ壊れていた精神が落ち着きを取り戻し———()()()()()()()()()。耳元で何かがそう囁いた。それに続くように、視界全てを今日殺した殺人者プレイヤー達の亡霊が埋め尽くした。身体中を強く引っ張られるような幻覚が再び蘇り、発作のような異常な症状が再発する。そうだ、俺は殺した。たくさん殺した。いくら相手が殺人鬼だろうと、命乞いしていた奴まで殺した! ユウキのためだなんだと言って、殺しを楽しんでいたのは誰だ! 俺だ。嗤って殺したのも、そのために攻略組の奴らを捨て駒みたいに利用したのも全部全部俺なんだ!

 ユウキの腕の中で苦しみ踠いて絶叫する。その姿に、流石のユウキも驚愕し、抱き締めた腕を離してしまう。目の前で様子を急変させた影響もあるのだろうが、今のユウキには何が原因でこうなったかが分かってしまった。

 

 

 

「………ボクが…………ボクのせいで…………こうなっちゃったの……………?」

 

 

 

 ユウキの悲痛な声すら、今の彼には届かなかった。

 怯え、狂い、叫び、壊れていく。アーカーではなく、雨宮 蒼天の精神が次第に崩壊を始めていた。一年間、いやそれよりも()()()()無茶を繰り返してきた。そのツケが、溜まりに溜まってこの症状として現したのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「………ぁぁぁ…………ぁぁぁあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛———————ッ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 放たれた尋常ではない大絶叫。耳を蓋がずにはいられないほどのソレを放ちながら、アーカーは無理矢理ストレージから引っ張り出した《転移結晶》を使い、何処の主街区かすら告げずに転移した。

 それを止めることすら叶わないまま、キリト達は救出されたユウキと共にその場に立ち尽くした。

 

 

 

 

 

 《笑う棺桶》討伐作戦、及び、ユウキ救出作戦はこれにて終わった。

 結果は討伐隊から十六名。《笑う棺桶》から二十八名の死者が出た。その中からは幹部である《魔笛のウタカタ》も含まれており、その半数以上がたった一人のソロプレイヤーによる殺害人数であった。

 敵の捕縛者は僅か五名。うち三人は幹部《赤眼のザザ》、《ジョニー・ブラック》、《解体屋アイザック》。死者・捕縛者の中に首領であるPoHの名前はなかった。最後の目撃者であり救出されたユウキ曰く、彼は意味深長な言葉だけを残して消えたという。

 

 

 

 

 そして———討伐隊の一人として参加した《絶天》のアーカーは失踪。のちに新階層が発見されても、最前線どころかどの階層にも、一度として姿を見せることはなかった。ただ一つ、生存しているという事実だけを残して————

 

 

 

 

 

 殲滅と自覚 後篇 —完—

 

 

 

 

 

 






今度こそ行方を眩ませたアーカー。

幻覚に苦しむ彼の姿を見たユウキは、自責の念に駆られながらも、

彼を救うために動き出す。

彼女は、たった一人の幼馴染を———大切な人を救えるのか。

次回 君を救うために



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13.君を救うために



 やっと、ここまで来ました。作者である私が考えたSAO二次創作の、大切な話。その最初に当たる部分です。これから先にもいくつかある大切な話が、漸く出せるというのは少々遅いような気もしますが、これからも頑張っていきたいと考えています。
 ちなみに評価や感想は気軽にどうぞ。特に悪い点や良い点などを教えてくださると今後に活かせるので助かります。




 

 

 

 

 

 

 西暦2024年 5月22日。

 

 

 

 

 

 《笑う棺桶(ラフィン・コフィン)》討伐作戦、及び、ユウキ救出作戦から一ヶ月弱が過ぎた。最前線は六十一層。《最前線狩り》として知られる《絶天》が失踪した影響か、攻略速度は一目で分かるほどに落ちていた。つい先日も迷宮区内で久しく見なかった死者が出たという。安全で安心できるマッピングデータが提供されなくなったのが原因だと攻略組内では判断されており、ヒースクリフの命を受けた別働隊が《絶天》の行方を捜しているそうだ。

 しかし、一年間も行方を眩ませ続けた彼を、そう簡単に探し出せるはずもなく、捜索は難航したままである。

 

 

 

 そんな中、《血盟騎士団》本部宛に長細い荷物が一つ届いた。

 

 

 

 

 

———*———*———

 

 

 

 

 

「うーん……ボク、何か悪いことでもしたかな……」

 

「いや、むしろ良いことしかしてないんじゃないか?」

 

 ユウキとキリトは、現在五十五層主街区《グランザム》にある《血盟騎士団》ギルド本部に召集をかけられていた。ユウキは久しぶりの召集だったが、キリトは前回召集をかけられたのが一ヶ月弱前だったことから、頻度が高いなと行きたくないと抵抗する重い足を引き摺りながら向かっている。

 とはいえ、今回は特別緊急の召集ではなく、アスナ個人からのメッセージによるものだ。前回のようなものとは違うと考えれば、少しは気が楽になる———訳もなく、アスナ個人だというのなら、是非ともエギルの店とかを合流先にしてほしいと思わざるを得ない。何処と無くヒースクリフが絡んでいるのではないかと考えてしまうキリトの思考も無理もないだろう。

 

 露骨に嫌な顔をしている彼に、ユウキはギルド本部に着いた時に嫌な顔をしないように注意する。

 

「なあ、ユウキ。アイツは———アーカーの居場所は分かったのか?」

 

「………ううん、まだ分かんない。最前線から順に探してるけど、全くと言っていいくらい手掛かりがないかな」

 

「…………そうか」

 

 救出されてからユウキは、二度に渡るソラの失踪の影響で全く攻略に手がつかなくなっていた。加えて、彼が病んでしまったのも自分の責任だと背負い込んでいる。そのため、ヒースクリフは彼女を別働隊である捜索隊に移籍させ、時間の許す限り探すことに尽力させる判断を下した。最初は戦力が落ちるということで反対の判断を下していた者達も、彼女の様子や現在の攻略状況から無理をさせると死者を増やすことになると判断し、現在に至っている。

 

 前回キリトが偶然見つけたように、何処かに隠れている可能性も考慮され、迷宮区以外のダンジョンなどにも足を運んでいるが、出てくるのはオレンジギルドばかり。流れ作業で《牢獄》送りにしながら、探しに探すが、未だに見つかっていない。

 眩ませ上手なのは相変わらずなのだろう。今もきっと———

 

「———ソラは、独りで怯えてる……そんな気がするんだ……」

 

「…………ユウキ」

 

 最後に見たソラの姿は、鮮明に覚えている。封殺し続けてきた影響で不安定になった感情と、感受性豊かだった彼の理性が、殺した殺人者達の亡霊を強く認識し過ぎている。優しいソラがどうしてそこまでのことをしてしまったのか、それはボクにも分からない。

 

 けれど、あのまま放っておくことなんてできない。ボクのせいで苦しんでるんだ。だから、どうしても助けたい。救いたい。()()()()()()()()()———大切な…………

 

「ん? ———って大丈夫か、ユウキ!?」

 

「……え、どうかしたの、キリト?」

 

「顔が真っ赤だ! 調子があまり良くないのか!?」

 

「そ、そんな訳ないよ!? ボクは至って元気だよ、ほら!」

 

 ぶんぶんと両手を上下に振り、元気だよアピールを繰り返す。やや無理矢理なアピールだったが、それを見て、無理をしているようには見えなかったキリトは安堵したのか、考え事に戻る。

 

 その一方で、顔が真っ赤と言われたボクは、自分の手を頰に当てる。確かにいつもよりも熱を帯びていた。手鏡を持ち合わせていないから分からないけど、きっとまだ少し赤いかもしれない。どうしてそんなことになったんだろう? それから、少し心臓の鼓動が煩い気がする。これと似た経験を、一年前の喧嘩別れの日の朝にしていたのを、ボクは覚えていた。どうしてあの時と同じことが起きているんだろう?

 

 先程まで考えていた『ソラが今何処にいるか』ではなく、『どうして心臓の鼓動が煩くて、顔が赤いのか』を、真剣に考え始めそうになった頃には、目的地である《血盟騎士団》ギルド本部に辿り着いていた。その時には、少し煩かった心臓の鼓動は収まっていた。門番たる(タンク)戦士達がこちらに気がついた。

 

「これはこれは、お久しぶりです。ユウキ殿………と《黒の剣士》。本日は何用ですかな?」

 

「ああ………(露骨に態度が違くないか……?)」

 

「ボク達アスナに呼ばれてきたんだけど、来たことを伝えてもらえるかな?」

 

「そうでしたか。分かりました。メッセージを送ってみますね」

 

 手早くその場でメッセージを飛ばす門番。ボクは何の用で呼ばれたんだろうと考えながら、その時間を待つ。

 少しすると、アスナからメッセージが届いたのか、門番はボクには笑顔で、キリトには冷たい目をしながら、「どうぞ、お入りください」と伝える。

 

 中に入ると、駆け付けたアスナがすぐそこで待っていた。こちらを見つけるや否や、すぐさま彼女はボクに抱き着く。

 

「ど、どうしたの、アスナ?」

 

「……ちょっと色々あってね。ユウキ分を補充しておこうかなって」

 

「「ユウキ分!?」」

 

 どうやらアスナはお疲れのようだった。普段なら飛び出さないような言葉が飛び出している辺り、それも相当。キリトも目を丸くしている。ボクは優しくアスナの頭を撫でてあげると、今回呼び出した理由を率直に訊ねることにした。

 

「アスナ、今日はどうしてボク達を呼び出したの? ボク、悪いことした覚えないよ?」

 

「俺も呼び出されるような悪事を働いた覚えが全くないんだが……」

 

「二人とも《血盟騎士団》を警察みたいに見てないかな……。実は、妙なものが送られてきたの」

 

「「妙なもの……?」」

 

 《血盟騎士団》ギルド本部に直接届けられたというソレは、形状としては長細く、お届け物のようだという。贈り主が不明だということから、下手に扱えないということもあり、考えあぐねていたというのだが、それが何故ボク達を呼び出すことに繋がるのかだけは分からなかった。

 とにかく、現物を見てもらいたいらしく、説明をしながらその場所へと足を運ぶこととなった。

 

「うちのギルドで《鑑定》スキルを持っている人が言うには、中身は片手用直剣みたいなんだけど、その中身を取り出そうにも解錠ができないみたいで、《鍵開け》スキルがあっても、パスワードみたいなのが設定されてたの」

 

「パスワードなんて仕掛けてくるってことは、渡す相手を絞ってるとしか考えられないな」

 

「ちなみに、ヒントとかはあったの?」

 

 いくらパスワードがあったとしても、渡したい人がそれを分からなければ意味がない。きっと、何かしらその人にしか分からないヒントがあるはずだと考えたボクはすかさず訊ねた。

 すると、アスナは二人を呼んだ理由がそのヒントにあると言い、書かれていたヒントの内容を告げる。

 

「『父への祈りは一度、母への祈りは十度、栄えなる光を求めて、真摯に願え。諦めることを良しとせず、命尽きるまで誠実であれ。汝が名において、不滅の勇気を求めるならば、薔薇の冠を掴め———』。

それがヒントとして書いてあったの。私、何処かですごく聞いたことがあるような気がするんだけど思い出せなくて……。こういうのに詳しいかなって思ったからキリト君を、ユウキは偶然ヒントに名前があったのと、団長がユウキのことを絶対に呼ぶようにって」

 

「なんでヒースクリフがユウキを指名したのかはともかく………悪い、俺もさっぱりだ。ヒントにしては回りくどい表現が多すぎる。ちなみにパスワードの形式は?」

 

「半角英語で七文字だったわ。実際はパスワードというより暗号文に近いかも。あとはテンキーの数字が四つしかなかったのも不思議な点だったわ」

 

 半角英語で七文字。不完全なテンキー。ヒントにしては回りくどい表現。父への祈りは一度。母への祈りは十度。栄えなる光を求めて真摯に願う。諦めることを良しとするな。命尽きるまで正しくあれ。不滅の勇気。薔薇の冠を掴む。今聞き及んだ文言を、ボクは静かに考える。所々噛み砕いた表現に変えながら、その意味を理解しようとする。周囲の音が聞こえなくなるほどに集中した意識が、一つ一つの真意が何かを考え触れていく。

 

 最初の一文は、どういう意味なのか。

 続く一文は、何を指しているのか。

 最後の一文は、誰に宛て、示したものなのか。

 

 それを起点に深く考えていく。何かが引っかかっている。あと少しで届きそうで届かない。恐らくアスナも同じ場所で引っかかってるんだと思う。絶妙なまでに分かり得ない文言は、このデスゲームに巻き込まれることになる前までリハビリ続きで勉強もしっかりできてないボクには、相当難しいものだった。知恵熱でも出ちゃいそうなくらいだ。幸いこの世界には病気もないし、体調不良と呼べるものもそうない。

 

「……うーん、何かすごく引っかかってるのに分からないなぁ……」

 

「実際誰も分かってないのよね。このヒント」

 

「これはヒースクリフにも聞いたのか?」

 

「団長は何か気がついたみたいだけど、『これは私に宛てられたものではない』としか言わなくて、意味を教えてくれなかったの」

 

「アイツ分かってるなら教えてくれてもいいだろ………」

 

「どうしても言わない理由でもあるのかもね……」

 

「贈り物に何らかの意味があるから、かな? 自分が勝手に言ってしまうのは、その意味に反してしまうから、みたいな……」

 

 ヒースクリフは分かっている。けれど、言わない。それは贈り物が自分に宛てられたものではないから。今の話を聞いて、何かが分かった気がする。聡明な彼が、敢えて言わないのは、宛てられた贈り物が自分にではない以上に、何らかのメッセージ性が備わっていたから。

 それを聞いて、二人が何か納得したような顔をする。

 

「確かにな。そもそも、贈り物は純粋な思い遣りが基本だ。贈られた意味を本人以外が言っちゃうのは無礼だからな」

 

「思い遣りの意味合いが備わってる……そう考えると誰に向けてのメッセージなんだろうね」

 

「そういえば、アスナ。どうして贈り物の贈り主が分からないの? 派生スキルの《追跡》や、《鑑定》スキルなら分かると思ったんだけど……」

 

「それがね、ユウキ。《追跡》スキルを使っても途中で転移門に向かってて追えなくなってるのと、中身がプレイヤーメイドじゃないせいか、名前も分からなかったの。加えて、届けられた瞬間を誰も見てないのよ」

 

「おいおい……《血盟騎士団》の団員が届けられたことに気がつかないってどんな技使ったらそうなるんだ……」

 

「熟練度がカンストした《隠蔽》スキル持ちで、AGI値極振りで、誰にも気付かれないように動ける人、っていうのが条件になりそうね……」

 

 高い《隠蔽》スキルを持っていて、誰にも気付かれない。AGI値が恐らくボクより高いプレイヤー。この世界———浮遊城アインクラッドは広い。未だに六千人以上が生存しているのだから、ボク達の知り得ない実力者もきっといるだろう。

 しかし、上記の条件を満たす人物を、ボク達は知っている。二人は今思い浮かべていないかもしれないが、もし、あのヒントがその人物によって書かれたものなら————ボクが気付かないといけない。

 

 思考がそこに達すると同時に、贈り物が保管された部屋に辿り着く。そこには、すでに何人かの団員達が必死に考えあぐねていた。アスナが先頭に、キリトとボクが入ると、キリト以外に会釈する団員達が、道を開ける。またも酷い扱いをされることに落ち込む彼を慰めながらアスナが、件のそれを見せた。

 

 飾り気のない長細い箱のようだった。ヒントらしき紙切れが箱に打ち付けられている以外に、特徴らしいものは特にない。しかし、鍵穴部分にはタップするとホロキーボードが展開されるようになっていて、アスナが言っていた半角英語七文字の記入枠が出現した。しかし、そのホロキーボードは何処から不完全で、テンキーとして表示されているのは、〝0〟〝5〟〝2〟〝3〟の四つだけ。ボクはその四つの数字がその配列で残されているのを見て、確信と同時に———

 

「ホロキーボードが出てくるアイテムが本当にあったんだな……」

 

「相当レアなアイテムだと思うけどね———って、ユウキ!? どうしたの!?」

 

「……え…………?」

 

 ———()()()()()

 それにボク自身が気がついたのは、アスナが声をかけてきた時だった。我知らず涙を流していたことに気がついてから、両手で必死に拭うが、その涙は止まらない。止められない。誰が贈り主で、誰に向けられた贈り物か。ボクには分かった。

 

 何度か拭って、涙が止まらないと悟ると、ボクはアスナに「大丈夫だよ」と告げて、贈り物の前に立った。

 

「ボク、分かったよ。これは誰が贈った物なのか。誰に贈られた物なのか———やっと分かったんだ」

 

 慣れないホロキーボードの操作に戸惑いながらも、ゆっくりと半角英語を打ち込んでいく。団員達が本当に分かったのかと不安がる中で、キリトとアスナはボクの様子から少しずつ確信していく。こんな真似をしてまで届けてきたのが誰なのかを。

 

「ヒントに書いてあった最初の一文。あれは、キリスト教の最も基本的な祈りの唱え方なんだ。〝父への祈り〟は〝イエス様への祈り〟、〝母への祈り〟は〝マリア様への祈り〟を置き換えたもの。回数もそのままだった。〝栄えなる光を求めて真摯に願え〟は〝栄唱〟のこと。ボクの一家がキリスト教信者だったのを、ヒントの作成者は知ってるんだ」

 

 涙を流しながら、一文目の意味を説明する。さらっと身分情報を漏らしているが、今はそんなことすら気にならない。慣れない操作ながらも、〝r〟と〝o〟、〝s〟をパスワードに打ち込む。

 

「次の一文は、〝諦めることを良しとせず、命尽きるまで誠実であれ〟。これは、ボクが昔生きることを諦めようとした時にずっとそばで()()()()()()()()()()()言葉を聖書の一文みたいに言い換えたもの。〝諦めることが正しいと思うな、最期の時まで自分らしく生きろ〟。こんなヒント作れるのは間違いなく、ソラしかいない……」

 

 ソラはいつもボクにそう言ってた。どうしてそう言ってくれていたのか、ボクにはずっと分からなかったけど、嬉しかったんだ。ボクのせいでたくさん失ったのに、それでもそばにいてくれた。この世界に来てからもずっと……ボクのために無茶をしてる。今だってきっとそうだ。

 〝á〟と〝r〟を打ち込み、溢れる涙が止まらないせいか、少しずつ前が見えなくなってくるが、それでも必死にホロキーボードを操作していく。

 

「最期の一文、〝汝が名において、不滅の勇気を求めるならば、薔薇の冠を掴め———〟は、このパスワードの答えなんだ。〝薔薇の冠〟が何を示してるのか、ボクになら分かるようにしてあったんだ……」

 

 恐らく二文目以外はヒースクリフにも分かったのだろう。しかし、二文目の真意を知ることができないことや、三文目の意味に気がついた彼は、これが自分に宛てられたものではないと理解していた。もしも答えが合っていても、それはソラの意思に反すると悟ってくれていたのだろう。絶対に呼ぶように指示したのも、これに気がついたからなのかもしれない。

 

 そして、それ以上にボクには嬉しかった。ソラは忘れてなかった。ボクの誕生日も、ボクに宛てた言葉も、何もかも。自分があんなに辛い目に遭ってるのに、今もボクのことを優先しているんだと分かったから。

 

 溢れる涙に視界を奪われながらも、ボクは〝i〟と〝o〟を打ち込むと、最後に〝Enter〟を押して、パスワードを入力し終わる。打ち込まれたパスワードは〝Rosário〟———薔薇の冠の意味を持つロザリオだった。正しいパスワードが打ち込まれたことで、開かずの箱だった贈り物は、その中身を晒す。

 

 入っていたのは、アスナが言っていた通り片手用直剣だった。しかし、その刀身は細剣のように細い。軽くタップすると、その剣の名前が表示された。名は《Mācuahuitl》だろうか。どう読むのかよく分からなかったが、横からアスナが《マクアフィテル》と読み上げる。いざ、それを手に取ると、装備要求値とステータス、強化試行回数に驚かされた。

 

「これ、装備要求値がすごく高いよ。ボクがギリギリ装備できるくらいになってる……」

 

「なあ、アスナ。この武器、間違いなく俺の《エリュシデータ》以上だ……」

 

「キリト君の片手剣以上なの……!? ……それに、私でも装備できないくらい要求値が高すぎるわ。しかも、この武器はプレイヤーメイドじゃないから……」

 

 黒曜石で出来たソレは間違いなく《魔剣》だった。フロアボスのラストアタックボーナスでもこんな性能の武器は見たことがなかった。恐らく、とてつもなく高難易度の隠しクエストでもあったに違いない。HPが全損すれば死ぬ世界で、そんなクエストに挑めるのは、間違いなくソラだけだ。それもソロで挑んで勝ち取ったと考えれば、彼の力量は真にトップクラスであると言えた。

 

「……ソラはいつも無茶するんだね…………」

 

 手に取った《マクアフィテル》を抱き締める。金属で出来ている以上ひんやりと冷たいはずの武器が、どうしてだろうか、とても暖かく感じる。その温もりが、胸の奥に渦巻いていたモヤモヤとした気持ちが晴らしていく。そのモヤモヤが何だったのかが、今なら分かる。

 

 ソラはこれをボクに贈るためにも無茶をしていた。ボクが困らないよう、誰よりも先に新階層を攻略した。攻略組の情報源になるからって言われそうだけど、きっとそれもボクのために無茶をしたことの一つなんだ。

 たくさんの人を殺したのも、それがボクを助けるためだったのなら———

 

 

 

「……キリト、アスナ。二人にお願いがあるんだ」

 

 

 

 ———ボクは、ソラを救いたい。

 

 

 

 

 

 もう一度会って、彼を助けたい。

 今度こそ、ボクの答えを伝えて、苦しむ彼を放ってなんか出来やしない。その痛みも苦しみも、ボクが一緒に背負う。キミのそばで支えてあげたい。

 

 ボクはずっと支えてもらっていた。

 ずっと守ってもらっていた。

 ずっとそばにいたから気が付かなかった。〝あの日〟からずっとモヤモヤしていたこの気持ちが何だったのか。やっと、分かったんだ。

 分かったのなら、きちんと伝えなきゃ。

 

 

 

 

 

 ———()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

「ボクに、力を貸してください。ソラを救いたいんだ」

 

 

 

 

 

 そこにあったのは、これまで悩み続けていた少女ではない。ずっと支えてくれていた少年に、厳しい言葉を向けられ、答えることも出来ず、ただただ悩みに明け暮れていただけの弱い彼女ではない。

 

 

 

 自らの答えを定め、想いに気付き、覚悟を決めた———

 

 

 

 

 

 ————絶対不滅の剣たる《絶剣》でもない、ただの恋する少女だった。

 

 

 

 

 

———*———*———

 

 

 

 

 

 二十二層。

 そこはアインクラッドでもっとも人口が少ないフロアの一つだ。低層故に面積が広いこの階層は直径で言えば、八キロメートル強ほどある。中央には巨大な湖があり、南岸には主街区にしては小さな《コラル》の村があり、北岸には迷宮区。それ以外の場所は全て常緑の針葉樹ばかりの美しい森か無数に点在する湖に占められている。

 

 フィールドにはモンスターが全くと言っていいほど出現せず、迷宮区の難易度も階層の割には低かったせいか、僅か三日で攻略されてしまい、あまりのことからプレイヤーの記憶にはほとんど残らなかった。

 

 それは結果として、一時期オレンジプレイヤーの巣窟になるのではないか?という危惧から、元旦の一件からここ半年の間に一斉調査が行われ、《笑う棺桶》の根拠地を炙り出すという名目で大捜索が行われたのだが、他の階層と違い、迷宮区以外のダンジョンが全く存在しないせいか、実際はあまり隠れるのに向かなかった。

 

 結果としては、全くそんなことはなかった、という安心安全のフロアであることが証明されていた。かといって、睡眠PKのような卑劣な技が使えないわけでもない為、結局は己で安全を確保しろというスタンスは変わらないのだが。

 

 以上のことから、湖付近には多くの《釣り》愛好者が、主街区付近でも質の良い木々があるため、木工職人(ウッドクラフト)プレイヤーがよく木材を拾いに来るそうだ。

 

 

 

 そんな二十二層の西岸ある、一際深い森の中は、不気味な雰囲気が強い———というより強すぎるせいか、全くと言っていいほどプレイヤーが近づかない場所となっていた。そうなった原因は、かつてその場所に踏み込んだ勇気ある……のかは不明だが、そういうプレイヤーがいたらしく、宣言してから足を踏み入れたそのプレイヤーは、二度と帰ってこなかったという。

 

 安心安全の二十二層ではあり得ないことだと思われたが、その後、宣言を聞いていたプレイヤー達が《生命の碑》を確認しに行ったところ、死亡原因が《転落死》となっていたことから、迷いに迷って戻れなくなり、耐え切れずに自殺したのではないかと考えたのが噂になったことから、誰も足を踏み入れなくなったという。

 

 そんな訳ありスポットの最奥には、大きな巨木が立っていた。その前には広大な土地が広がっており、一定範囲は木が生えていなかった。推測ではあるが、恐らく巨木が養分を吸い過ぎるあまり、枯れてしまったのではないかと考えられた。

 その木の根元で、一人のプレイヤーが静かに満月を眺めていた。

 

「………………」

 

 時刻は23時30分。光一つない真っ暗な森の中では、唯一の光源は空に輝く満月だけだ。しかし、その光は意外にも強いのか、薄暗いなりにも相手の顔がある程度判別できるほどであった。

 

 毛先だけが白く染まった黒髪のショートヘアーは前髪だけが逆立てられていて、黒い瞳には生気を感じられず、瞳孔は細かく震えている。一年もの間変わっていない灰一色の皮装備には、激しい損傷が重なっており、あと二度の激戦すら持ちそうにない。左手に握られた得物は、相変わらず古びていて弱々しく見えるが、その刃には拭い切れない程に鮮血が纏わり付いている。本来モンスターを殺すことでスペックが上昇する《魔剣》で十数人にも及ぶ殺人を行った結果がこれだった。

 

 この特徴に合致するのは一人しかいない。

 最強のソロプレイヤーにして、現在行方知れずとなった《絶天》のアーカーである。

 

 あれから一月弱経つが、アーカーは一度として食事をしていなかった。それは決して精神修行、などではない。気軽な遊び感覚で断食チャレンジ中などという無茶をしている訳ではないのだ。

 

「………………あと、どれくらい……続くんだろうな………」

 

 弱り切った声音で、彼以外誰もいない空間で問いかけるように呟いた。当然誰一人として答えはしない。静かに満月の光が彼を照らすのみだ。

 

 彼の目には、()()()()()。自らの身体に呪いの如く纏わり付く有象無象の亡霊達が、その手を伸ばして必死に何処とも知れぬ場所へと引き摺り込もうとしている。それに対して、最早彼は抵抗することすらしなくなっていた。身体が深く、深く……地面の中や木の中に沈み込んでいるようにすら見えているのに、泣くことも怯えることもない。

 

 恐怖を、亡霊達に悩まされることを克服したのか?———違う、彼は()()()()()()()のだ。抗うことも、怯えることも、泣くことも———生きることさえも、諦めてしまっていた。

 ただひたすら、殺されるのを待っていた。自殺することならいつでも出来た。だが、それは自分が殺した奴らがどれだけ悪辣な殺人鬼だったとしても、彼らに悪いとすら感じていた。殺したのなら、殺されて然るべきだ。それが、今の彼のうちに渦巻いていた〝答え〟だった。

 

 それならば、わざと殺人者達の前に躍り出ればいい。そういう答えも出ていた。しかし、事実それをしようとして、この一ヶ月弱はそうするために動いていた。

 

 だが、現実は違った。

 攻略組による《笑う棺桶》壊滅の知らせが全階層に流されてからというもの、決して少なくない殺人者達は姿を眩ませていた。同時に、一人のプレイヤーを酷く恐れていたのである。

 

 結論から言えば、アーカーは死ねなかった。いくら無防備であっても、その無防備が罠のようにしか感じられなかったのか、殺人者達は恐怖に呑まれて一目散に逃げてしまった。彼と出会ったことを口にしたくないとすら考える程に逃げ惑い、その場から姿を消して———アーカーは生き残ってしまっていた。

 

 殺人者達にすら殺してもらえない。

 その事実が、アーカーに一つの答えを齎した。それが、ここだ。

 静かに、最期の時を待つ。ただそれだけを願う。そのための死に場所と、殺してくれる相手を求めた。

 こんな場所に誰も来るはずがない———きっと来る。そんな確信がどうしてだろうか存在した。その理由は、きっと単純なものだ。

 

 

 

 

 

 ———明日が、5月23日だから。

 

 

 

 

 

 その日は、ユウキの誕生日だった。

 アーカーが———いや、雨宮 蒼天が人生で初めて〝羨ましい〟と思った親友の生まれた日。難病に侵され、いつ死ぬかも分からない日々を送ることになる少女に、彼は〝羨ましい〟と感じた。これだけ聞けばロクでもない奴に聞こえるだろう。

 しかし、現実はそうではない。

 

 雨宮 蒼天は()()()()()()だ。生まれつき孤児であり、雨宮家に拾われただけの養子。ただ普通の子供より利口で、達観していて、酷く冷静な———現実を冷めた目で見ていた少年だった。

 

 彼が紺野 木綿季に出会ったのは偶然だった。たまたま家が近くにあって、たまたま通う場所が一緒で、たまたま彼女を見かけただけ。そばを通り過ぎる顔だけ知ってる程度の人間だった。

 

 両親の愛を知らず、ただ虚無を感じて生きる少年は、ある日、心の底から羨ましいと思うものを目にした。

 木綿季が両親に心から愛され、元気に毎日を生きている姿。それは何処か儚く悲しいのに、とても美しかった。それを目の当たりにして、彼は〝羨ましい〟と初めて思った。現実を達観し、冷め切った考えしか持たず、いつか死ぬのを待つだけの空虚なだけの少年が、漸く自分を見つけたのだ。

 

 それから蒼天は、木綿季のことを知ろうと思うようになった。彼女が無理やり自分を抑えて、演じていたことにもすぐに気がついた。他者よりも知恵が回り、冷静な判断を下せる彼は、いつしか木綿季の唯一無二の理解者となっていた。

 例えこれから先どんなことがあろうとも、味方で在り続ける覚悟すら持つほどに———

 

 

 

 ———だから、〝あの日〟全てを捨てることができた。

 

 

 

 偽りの家族も。偽りの環境も。欺瞞に満ちた現実と家族すら。

 唯一信じられるのは、紺野 木綿季。今や彼女だけだと思うほどに。

 

 

 

 そうして、今も待っていた。

 自分を終わらせてくれるのは、彼女だけだと信じ続けて———

 

 

 

 

 

「…………待っていたよ、ユウキ。さあ、終わらせてくれ」

 

 

 

 

 

「違うよ、ソラ。ボクは———キミを救いに来たんだ」

 

 

 

 

 

 全てを〝諦めた〟少年と、全てを〝諦めない〟少女が、ついに再会する————

 

 

 

 

 

 君を救うために —完—

 

 

 

 

 

 






 全てを諦めた少年と、全てを諦めない少女。

 少年は求める———死を知る最期の瞬間を。

 少女は求める———彼と共に生きる未来を。

 〝あの日〟繋がり、〝あの日〟別れた道が、再び交差する。

 さあ、言葉はいらない。決着は己が剣で決めよう。

 次回 君を(はな)さない



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14.君を(はな)さない



 はい、やっとですよ。長引いたシリアス展開がやっと終わります。
 すごく長かった(棒読み)
 当初計画していたものより話がかなり変わりましたが、書きたいことは書けたので満足しています。
 とはいえ、良い点悪い点などは当然あるので、ご指摘くだされば助かります。評価や感想などは特に助かります。





 

 

 

 

 

 

「ソラは二十二層の何処かにいる」

 

「……どうして、そう思うの?」

 

 ボクの答えに、アスナが問う。

 

「ホロキーボードにあったテンキーは、ボクの誕生日の数字だけしか無かった。もし、この剣が誕生日プレゼントなら、明日でも良かったはずなんだ」

 

 誕生日プレゼントなら当日でも問題ないはずだ。誰にも姿を見せずにここに届けた技量からも明日であろうと同じことができてもおかしくない。それなのに、今日届けた理由はきっとある。

 

「だからと言って、前日の数字がアイツのいる場所にはならないんじゃないか? アイツは一年も姿を眩ませてきたんだ。そんな単純なことで探せる訳がないと俺は思う」

 

「……うん、そう言われるとそうなんだけどね。でも、ソラはわざとそうしたんじゃないかな」

 

「それは……どうして?」

 

 どうしてこんなものを贈ってきたのか。

 どうしてこんな単純で分かりやすくしたのか。

 その意味は、きちんとボクには伝わっていた。

 

 ボクは、確信と共に口にする。

 

 

 

 

 

「ソラは———死にたがってる」

 

 

 

 

 

———*———*———

 

 

 

 

 

「…………待っていたよ、ユウキ。さぁ、終わらせてくれ」

 

「違うよ、ソラ。ボクは———キミを救いに来たんだ」

 

 

 

 二十二層西岸の深い森の最奥で、二人は再会した。最期の一瞬を求めた少年と、彼と共に生きる未来を求める少女。二人の望みは再会してすぐに食い違った。相反する願いに、二人は予想通りの展開だと思いながら、再度言葉を交わす。

 

「…………あの剣がちゃんとお前の元に届いたんだろ? ———なら、俺がどうしてほしいか、その意味が分からないお前じゃないはずだが?」

 

「うん、分かってるよ。ソラがどうして欲しいか、ちゃんと分かった上でもう一度言うね———ボクはソラを救いたい。だから、()()()()()()()()()()

 

「…………いや、何処かでそんな気はしてたんだよ。お前ならそう言うんじゃないかって」

 

 やっぱりか、こうなる気がしてたんだと言いながら、一度口を閉じてアーカーは残念そうにしながら、背凭れにしていた木の根から立ち上がった。そこからは一層の時と同じように、まるで別の誰かになってしまったような変貌ぶりを遂げて、閉じた口を開いた。

 

「ああ、予想通りだったよクソッタレ。両手真っ白な純粋無垢な信仰者様はあくまでも救済がお望みかよ。血に染まった極悪人救って神様に向かって私はやりましたどうですかって褒めてもらいてぇのかテメェ」

 

 怒気を強め、ボクには一度も向けたことがない荒々しい口調でアーカーは、小刻みに震える瞳を真っ直ぐ向けた。左手に握られた血染めの得物は、違えた獲物を斬り殺したことで斬れ味を悪くしているが、それでも《魔剣》としての圧倒的な存在感を漂わせ、相対する敵を威圧する。

 

 対するボクは、彼の挑発に流されることなく、黒曜石の剣を構えて真剣な面持ちで真摯に答える。

 

「今は神様なんて関係ない。ボクは、ボクのせいでずっと辛い目に遭ってきたソラを助けたいんだ。弱いボクをずっと支えて、守ってきて、自分のことよりも優先してくれていたソラを、放っておけないんだ」

 

「…………へぇ、言ってくれるな。ずっと恵んでばっかりしてもらっただけの餓鬼が、今度は恵む立場になるって? おいおい笑わせんなよ。大体な、誰がテメェのために辛い目に遭ってきたって? あれは俺がそうしたいからそうしてきたんだ。断じてテメェのためなんかじゃねぇよ。その玩具()も、俺は俺自身を殺してほしいと思ったからくれてやったんだ。勘違いするんじゃねぇ。それはテメェが綺麗事並べるために用意したモンじゃねぇんだ。俺を殺しに来たんじゃねぇなら、それ置いて失せろ」

 

 卑劣で冷酷。悪辣で無慈悲な大量殺人者。放たれた殺意は冷たく、触れるだけで皮膚が張り裂けてしまいそうな程に厳しい。これが、あらゆる殺人者達を震撼させた殺気なのだと言うのなら、納得以外の言葉は見つからなかった。

 しかし、その反面、死ぬためにあらゆる手を尽くし、死を知る最期の瞬間を待ち続ける旅人というイメージが強かった。それが今のアーカー———いや、雨宮(あまみや) 蒼天(そら)の姿だった。

 

 ただ普通に聞いていれば、最早怒りを抑えることも難しくなる挑発は、〝あの日〟ボクに向けられた、〝現実〟という悪意全てに対して何から何までを捨てる覚悟をして返した彼の口調とそっくりだった。それを知っているが故に、ボクはまだ冷静でいられる。あの言葉は紛れもなく()()()()()()が、それが彼自身の()()()()()()ことを分かっているからこそ、ボクはまだ言葉を返せる。

 

「……そうだね。ボクはずっと恵まれてきた。ママやパパ、姉ちゃんやソラ、キリトやアスナ、みんなに。いつかは恩返ししたいって考えてる。ソラから見れば、それは自分勝手な思い込みかもしれない。

 ———でもね、みんなに恵まれてきたボクだから分かるんだ。ソラは〝あの日〟から変わってない。何処か()()()()()()()()()()、〝あの日〟の———ううん、それよりも前のままだって。

 最期くらい望んだことを叶えてもらいたい気持ちはボクにも分かるよ」

 

「———だったら……俺の最期の願いくらい叶えやがれこの偽善者! テメェの勝手に付き合わされる程、俺はテメェみたいな馬鹿じゃねぇんだよ! こんなつまらない、退屈で、有り触れた人生! さっさと幕引きてぇんだよ!」

 

 

 

 それは、魂の咆哮。

 

 

 

 ずっと全てを達観して見てきた少年の、純粋で率直な答え。何から何まで有り触れていると感じ、退屈で仕方がなかった。ただ一つだけ見つけたソレさえも、同じように感じ始めてしまった。

 だから———終わりにしたい。それが、今の願いだと彼は吼える。殺し殺されるだけの世界で、誰かを殺せば、もしかしたら価値観が変わるかもしれない。あの時そんなことを考えていた自分がいたのかもしれない。いずれ来る報復が、既視感を消してくれるかもしれない。そんなどうしようもない屑に堕ちたかもしれないと、心の何処かで思いながら———待ち続けた。

 けれど、現実は違った。誰も殺してくれなかった。そんな中でこれ以上、まだ待たせるのかと問う。

 

 

 

 その咆哮を聞いて、ボクは嬉しかった。変人だと思われるかもしれないけど、ボクは彼の心からの叫びを初めて聞けたことが嬉しかった。限界まで我慢し続けた彼の答えが、ずっと聞きたかった彼の答えが、そこにあったのを知ることができた。ソラはボク達家族の唯一無二の理解者だと思っていたけれど、本当はボク達がソラを理解してあげられていなかった。

 それがやっと分かったのが嬉しかったから、ボクも本気で答えたい。覚悟と共に、全てを吐き出すつもりで叫ぶ。

 

 

 

「————だからと言って、ボクは! ソラのことを〝()()()()()()〟! それが自分勝手でも構わない! ソラが殺しに来て欲しくてこの剣を渡したのは分かってた! でも、ボクはキミがくれた()()()()()()()()()()()()()〟んだ!」

 

 その言葉に、一層彼がこちらに向ける表情は厳しくなる。本気で言っているのかと言わんばかりの眼光は、間違いなくボクの覚悟を揺らがそうとしている。二十五層でたくさんの人が死んで、迷いを抱えていた頃のボクなら———いや、今日この想いに気がつく前のボクなら、間違いなく揺らいでいた。

 

 

 だけど、今のボクに迷いなんて無かった。

 紛れもない、これがボクの真意(こたえ)なんだって胸を張って言える。その真意には胸に渦巻く大切な想いもあった。でも、残念ながらこの想いを今、口にする時じゃない。

 

 

 だから、それを抜きにして告げる。がむしゃらで、矛盾だらけ。物事をよく考えるソラからすれば、無茶苦茶な理屈だと思う。

 

 

 

 

 

 ———けれど、これがボクらしい真意(こたえ)だと信じている。

 

 

 

 

 

 それに対して、彼が返したのは———小さな溜息だった。呆れ果ててしまったのだろうか。ゆっくりと目蓋を伏せて、顔に手をやる。何か覚悟を決めたのだろうか。ボクの脳裏には、ここから考えられる最悪の可能性が過った。急ぎ転移結晶でこの場から飛び、別の場所でボク以外の誰かを利用して殺されるための手順を踏むという可能性を。

 

 

 だが、意外にも彼が口にしたのは、そういうものではなかった。

 

 

「……まったく…………相変わらず無茶苦茶な理屈だな。叩けば埃が出るような、ちっぽけな答えだ…………でも、ああ、そうだな———ユウキらしいよ」

 

 

 ガシガシと頭を掻き毟る。逆立てられた前髪は垂れ下がり、以前の髪型へと戻る。右手が退けられると、そこには静かな眼光が輝いていた。先程までの震えた瞳は何処にもなく、微かながらも生気が戻っている。冷たく触れただけで張り裂けそうな殺意は少し和らいでいた。

 まるでさっきまでの問答も殺意も何もかもが、ボクを試すつもりで放たれたものなのだと言わんばかりに———

 

 

 

「………演技は…………もう、いらないか。ちゃんと答えが見つかって良かったよ、ユウキ。お蔭で安心して死ねる」

 

「うん、ちゃんと見つけたよ。でも、死なせないよ」

 

「……なんだ……死なせてくれないのかよ」

 

「だってボクは、〝ソラを救う〟って言ったからね」

 

「……そういえば、そうだな。だったらさ、俺を泣かせてみろよ。お前が聞きたい答え……俺の口から直接聞けるかもしれないぜ?」

 

「そっか。うん、それならソラを絶対に泣かせるよ」

 

 

 

 互いに得物を強く握り締める。

 この場にいるのは、アーカーというプレイヤーでも、ユウキというプレイヤーでもない。雨宮(あまみや) 蒼天(そら)紺野(こんの) 木綿季(ゆうき)、二人の人間だった。

 

 役目を果たせたような心持ちで蒼天はボクを見た。その表情は落ち着いていて、あの時見せた半狂乱に満ちたものは何処にもなかった。何処か安らいでいる。放っておくだけで消えてしまいそうなくらいだ。だからと言って、彼がそのまま消えることは彼自身も良しとしない。何事も反故にするほど、彼はロクデナシではない。

 

 蒼天はメインメニューを開き、ボクに向けてデュエル申請を行う。不思議な話だが、この場所は《圏内》に指定されていた。近くに村や街もないというのに何故なのか。それはボクにも蒼天にも分からなかった。そのため、デュエルを除いてHPを減らすことは不可能だ。

 

 デュエルは申請された側がモードを決める。その点においては、この蒼天の行動は不可解だった。死にたいのであれば、申請を受ける側となって《全損決着モード》を選べば良い。そうすれば、上手く誘導して死ぬことができた可能性があった。

 だが、彼は申請する側となった。これではモードを決めることはできない。ボクが《初撃決着モード》を選べば、それで安全が確定する。そういうことからも、ボクにはその行動の意味が分からなかった。

 

 首を傾げていると、蒼天は苦笑しながら告げた。

 

「……だってさ、お前。俺が死にたいって言ってる時点で、意地でも申請する側にならねぇように動くだろ?」

 

「あはは……バレてた?」

 

 勝負をしようと言っているのに、勝負が始まらないのでは意味がない。だから、彼は申請する側に立った。表面では苦笑しているが、本当は苦渋の決断だったかもしれない。心の底ではまだ死を望んでいると見ても間違いではないと思う。

 

 ()()()()()()()()()()()。その事実が、ボクにも決心をさせた。覚悟は決まっている。最早操作する指に躊躇はない。素早く指が走り、選択されたのは———《()()()()()()()》。

 これには流石の蒼天も驚かされた。ここで《初撃決着モード》を選べば、この場でソラは死ぬことができなくなる。そうすれば、望み通りの結果になるはずだった。それなのに、選ばなかったのはどうしてなのだ? 首を傾げた蒼天に対し、今度はボクが答える。

 

「《初撃決着モード》を選べば、確かにソラの命は守れるよ。だけど、ソラは納得しないって思った。だってキミは誰よりも頑固だからね」

 

「頑固………か。まぁ、間違ってないか………でもな。せっかく、譲ってやったのにわざわざ蹴る奴があるか馬鹿」

 

「考え無しって訳じゃないから大丈夫だよ。ボクがソラを殺さないように殺せば良いんだから」

 

「……ホント、無茶苦茶だな、お前は。どういうことか分かって言ってるのか?」

 

「今のソラにだけは言われたくないなー。

 ————でも、大丈夫だよ。ボク達は互いに譲れないからぶつかるんだ。そうしないとボクのこの気持ちも、ソラの真意(こたえ)も伝わらないからね」

 

 〝ぶつからなきゃ伝わらないこともある〟。

 初めて彼と本当の意味で分かり合えた日から、ずっとボクの信条は変わってない。〝諦めたくない〟と同等の、ボクの真意(おもい)はもう揺らいだりしない。

 

 最終確認の項目が両者に表示される。これを両者がタップすれば、《全損決着》という殺し合いが始まる。睡眠PKで悪用されてきたモードがこうして使われたのは、一年以上久しぶりのことだろう。

 細かいルールを互いに決めないと、《全損決着》でしか勝負を決められなくなる。勝ち負けを決めるのに実行する相手がいないなんて、そんなものあってはいけないだろう。

 

 だから、何処で終わりとするかを宣言する。

 

 

 

「どちらかのHPがレッドゾーンに突入すれば、終了。それで良いな?」

 

 

 

「うん、それで良いよ」

 

 

 

 両者の取り決めは終わった。

 後は願いを口にする。

 

 

 

「それじゃ、俺が勝ったら———ユウキ、お前が俺を殺してくれ」

 

 

 

「それなら、ボクが勝ったら———ソラを救わせて」

 

 

 

「……おいおい冗談キツイな。俺がお前に負けたことなんて一度でもあったか?」

 

 

 

「だったら、今日はソラが初めて負ける日だね」

 

 

 

 互いに軽口を叩き合い、笑い合い、悔いなく在れるようにと。躊躇いなく〝承認〟をタップする。カウントダウン開始。ただ静かに、満月の光に照らされた自然の闘技場の中で、意識を集中させる。

 

 もし、茅場 晶彦がこの戦いを見ていたら呆れているかもしれない。だってそうだろう? これから始まるのは殺し合いではないのだ。デスゲームだと言うことも忘れた愚かな子供が、限界まで戦いたいだけで死に近づこうと言うのだから、さしもの彼でも困惑せざるを得ないだろう。しかし、二人には仮にそう思われていても構わなかった。

 

 

 

 だってこれは———意地と意地の張り合い。己が願いを叶えるために、互いの答えを押し付け合うだけの子供同士の喧嘩なんだと分かっているから。

 

 

 

 

 

「勝つのは———俺だ」

 

 

 

 

 

「勝つのは———ボクだよ」

 

 

 

 

 

 決意を胸に。

 アインクラッド史上初の、命を賭けた喧嘩が始まる。

 カウントが0へと近づいていくのに連れて、鋭く研ぎ澄まされた感覚は、その鋭利さをさらに昇華させていく。

 

 

 3———最早、余計な音は聞こえない。

 

 

 2———見えるのは、ただ一つ。

 

 

 1———恐れるな。己が真意(こたえ)を押し付けろ。

 

 

 紫色の閃光を伴って、二人の間に【DUEL!!】の文字が弾けた。

 

 

 

「らぁッ!」

 

「やあっ!」

 

 

 裂帛とした気合と共に、《初撃決着モード》に使っていた初見殺しの如き速度の一撃が衝突する。移動距離は互いに八メートル強。それを僅か一秒ほどの速さで駆け抜けている。全力の斬撃と全力の刺突。それは二人の得物が交わったと同時に火花を散らした。衝撃により、パリィにも似た隙が出来るが、二人とも同じ硬直を課せられていたため、進展はない。

 

 続けて、右下から左上に返すような軌道で逆袈裟斬りが放たれる。それに対してボクが返すのは、一度後方にバックステップしてからの突進。鼻先すれすれで逆袈裟斬りを躱され、隙だらけの胴に一撃を見舞おうと突進から刺突を放とうとするが、蒼天の右腕がライトエフェクトを纏う。発動したのは《閃打》。最も基本たる《体術スキル》が、刺突を放とうとするボクの顔面に目掛けて放たれる。

 

 ダメージ交換としては不利だ。それを瞬時に理解し、掠める程度になるよう身体を捻ると、《閃打》は想定通り躱せたが、僅かに速度が落ちた刺突を、蒼天はいつの間にか手元に戻していた得物の腹で受け止めながら、強引にパリィ。

 

 お互い不安定な姿勢だったが、先に態勢を整えたのは蒼天。血に染まった剣先が、真っ直ぐこちらを向き、今度はこちらの番だと言わんばかりの刺突が迫る。それに対して、強引に顔をそらす。頰を掠めるように刺突が流れ、その動きはとても速い。雷光とはまさにこのことだろうか。瞬く一撃一撃は、一切の容赦なく、軌道上に目があったとしても貫くことに躊躇など無かった。

 

 右手は背中に手をやるその動き方は間違いない———西洋剣術と呼ばれる剣の技術だ。どうして蒼天が知っているのかは不明だが、その動きは洗練されていて、一層の頃「いや、もう、細剣使えよ」なんて言っていたのは誰だったっけ!と言いたくなる衝動にすら駆られた。当然そんなことを言っている余裕なんてない。高速で放たれる刺突は勢いを増し、回避と往なしに専念させられてしまう。《絶剣》などと称されていても、ボクのHPは僅かながら減らされていく。

 

 激しさを増す攻撃に、漸く終わりを見出せたのは五撃目。その辺りになると目が慣れ始めてきたのか、今までのそれよりも僅かに速度が落ちていたのを見逃さず、すかさず《マクアフィテル》の剣先で狙いをずらせた。そこから一歩踏み出し、肉薄するとこれまでのお返しとばかりにソードスキルを見舞う。ライトエフェクトに包まれて発動したのは、単発垂直斬り《バーチカル》。蒼天からすれば、想定よりも速い反撃だったのか躱し切ることが叶わず、長細い刀身の剣先が右肩へと吸い込まれ、辛うじて肩口から右腕を切断に成功。ゴトリと右腕が綺麗に削げ、地面に落ちると同時に破砕。HPゲージを三割ほど削り取った。

 

 それを受けて、一度両者距離を取って、現場を確認。蒼天のHPは七割ほど。しかし、《戦闘時回復(バトルヒーリング)》スキルを習得していたのか、HPは少しずつながら回復している。斬り落とされた右腕がそれで回復することはないが、多少動きを阻害してくれていることを願うしかなかった。

 

 一方、ボクのHPゲージは九割弱ほど。こちらも同様のスキルはあるが、蒼天のものと違い、回復量は少なく間隔が長い。現状HPだけ見れば有利だが、未だ彼は本気を出していない。これまでいくつか彼と対戦ゲームなどをしてきたが、一度として勝てていないボクには、今し方見せてきた戦い方が、彼本来のものとは違うことを理解させていた。蒼天本来の戦い方は———カウンター、強烈な一撃を放つことができる足場を固めることを重視している。時にあんな風に攻め立てるが、それは〝静〟と〝動〟の強弱をつけるためのものだ。

 

 

 つまり———これからが本番だ。

 

 

「——————」

 

 静かに呼吸を整えると、蒼天の構えが変化する。先程と違い、剣先が僅かに下がり、右腕を失ったにも関わらず、先程以上に隙が全くなくなっていた。もしかすると、腕を失うことはわざとだったのではないかとすら考えてしまう。《体術》スキルを完全習得しているだろう彼は、最早両脚までもが武器だ。下手に残る左腕の動きだけ見ていれば、絶妙な足捌きで足元を崩され、隙だらけとなった瞬間にソードスキルを叩き込まれかねない。ただカウンターをするだけの相手ならともかく、蒼天は攻めも守りも一流だ。構えを変えたところから、ただただ攻撃するだけでなく、瞬間的に防御からのカウンターも動きに混ぜ込むことを考えているのなら———間違いなく、それは最も恐ろしい相手だった。

 

 

「行くぞ—————ッ!」

 

 

 明確な宣言と共に、蒼天の足元が爆ぜた。正確には爆ぜたと表現するに値するほどの衝撃で、地面が凹んだと言うべきか。アインクラッド最高のAGI値を保有する彼の脚力は、一瞬で距離を詰め切り、こちらが動きを明確に視認するよりも速く、次の行動へと移っていた。利き腕である左手に握られた得物は、下から上へと振り上げられ、獣のような反射神経でガードに入ったボクの得物を豪快にパリィ。ガラ空きになった胴に、ライトエフェクトを纏った左脚が鳩尾に向けて放たれる。《体術》ソードスキル、中段回し蹴り技《水月》。

 

 直撃を受け、衝撃から絶妙な不快感を味わいながら、後方へとノックバック。何とか両脚で踏ん張り、転倒は防いだが、攻撃はまだ止むことを知らない。不快感をどうにか押しやりながら、次の攻撃に移る彼に対して、横一文字に得物を薙ぐ。当然それは躱される。

 

 しかし、それで終わるほど、こちらも落ちぶれていない。一歩踏み出し、左手に意識を集中させると、ライトエフェクトが拳に纏われた。発動したのは《閃打》。後方に僅かに躱したのなら、その隙を突くまでとばかりに突き出された拳は、僅かに脚が宙に浮いていた蒼天に、ガードを強要させた。剣の腹で受け止めるも片腕を失った以上は受け切ることはできない。それも空中だ。衝撃により、大きく後方へと押し込まれる。脚が地に着いていたなら、恐らく手痛いカウンターを受けていただろう。そう考えると、とても恐ろしかった。先程の回し蹴りを受けて、徐々に回復しつつあったHPは八割ほどまで減少。

 

 一方の蒼天は、被弾がなかったためにHPが八割まで元に戻っている。片腕がないというハンデがあったのにも関わらず、HPは互角となっていた。このまま行けば、押し負けるのはこちらだ。カウンターを恐れていては勝機は一向にない。

 

 

「行くよ——————ッ!」

 

 

 宣言と共に、こちらも全力で地を蹴り上げる。蒼天に準じて高いAGI値の限界速度で距離を詰める。これまで一度として誰にも見せなかった速さだが、彼の目はしっかりとこちらを捉えていた。背筋が凍りつくような悪寒を感じながらも、先程での刺突とは違う、全力を振り絞った一撃が、弩さながらの超高速で放たれる。それには、流石の蒼天も度肝抜かれたのか、これまた獣の如き反射神経が、紙一重で躱し切るも、素早く突き出した右腕を引くことで、再び装填され放たれた弩の如き速さを見せる右手から続く猛撃を回避し切れはしなかった。それは見事に頰に風穴を開け、血のような赤いエフェクトを宙へと撒いた。

 

 しかし、一度攻撃を受けたことで目が慣れたのか、蒼天も反撃とばかりに刺突を見舞う。それは、見事にこちらの放つ刺突と剣先が衝突し、僅かに狙った先を逸らし合い、お互いの左肩を貫いた。互いにHPが一割強ほど減り、そこから追撃を喰らわせようと動くも、先に蒼天が距離を取った。残る腕は左のみ、下手に動いて落とされる訳にもいかないと判断したのだろう。その隙を、ボクが見逃す訳はない。下がった一瞬の隙を突いて、放ったのは単発重攻撃技《ヴォーパル・ストライク》。ジェットエンジンにも似た効果音と共に、AGI値が加算されたソードスキルは、とてつもない速さで放たれる。下がった直後で、尚且つ右腕のない彼に受け止めることなんて出来るはずはなかった。

 

 ———だが、現実はそうもいかない。

 ニヤリと、この時を待っていたかのように口角を吊り上げた蒼天は、即座に長剣を突き出すとその刃の縁で剣先を滑らせるように身体の外側へと誘導し、隙だらけとなったボクの胴体に向けて、一歩前進。至近距離からソードスキル《バーチカル・アーク》を見舞い、真上から真下へ斬り下ろし、続いてすぐさま斬り上げる。結果、V字にも似た軌跡を残して、HPを四割弱ほど削り取った。その衝撃をまともに受けて、後方へと吹き飛ばされる。

 

「悪いな、その技は見飽きてるんだ。キリトもそれを放ったよ。遠慮なくカウンターさせてもらったけどな」

 

「流石だね、ソラ。まさか片腕だけで逸らすなんて思ってなかったな」

 

 今の直撃を受けて、HPは半分まで落ち込み、イエローへと入った。いくら戦闘時回復(バトルヒーリング)があるとは言え、これ以上直撃を貰うのは不味い。対する蒼天のHPは頰を貫いたことによる一割にも満たないダメージと肩を抉ったことによる二割ほどのダメージ。未だに半分以上を保っている。必中に思われた一撃を、まさか片腕だけで逸らすとは思っていなかったのが、大きく影響した。ここから先は、全て片腕でカウンターしてきてもおかしくないと判断するべきだとボクは覚悟する。そこまで警戒しなければ、今のようにカウンターを食らうのがオチだ。

 

 この勝負の勝ち負けを決めるのは、HPゲージ。《全損決着モード》と定めたが、賭けをした以上、勝敗を決めるのは、どちらかのHPがレッドゾーン。残り二割に達した時だ。そこに一番近いのはボクの方だった。このまま押し切られる訳にはいかない。負ければ、蒼天の命は失われる。ロクでもない賭けとはいえ、それを反故にするのはできない。そうでなければ、()()()()()()()から。勝てばいいとは言ったが、その壁は思うよりも高い。分かっていたが、本当に高い壁と言えるのは、ヒースクリフではなく、彼だった。ハンデがあっても、押し切れることができない。それが、圧倒的なまでの実力差を示していた。

 

 

 例え、そうだとしても————

 

 

「ボクは負けない」

 

 

 自分自身に暗示を掛けるように呟き、もう一度攻めの姿勢を見せる。カウンターをカウンターしてやるくらいのことをして見せないと勝てないのなら、それを成し得て見せるまでのことなんだ。

 普段の構えである、〝長剣を中断に構え、自然な半身の姿勢〟ではなく、〝今のボクが出せる限界の速度を生かすための前傾姿勢〟を取る。この意味は対峙する蒼天にも伝わっているだろう。目も慣れてきたところから、先程のようには上手くいかないとしても、これ以外に取れる選択肢は無かった。

 

「シ——————ッ!」

 

 意識を切り替えるような気合と共に、脚そのものを弩に番えた矢の如く撃ち出す。力強く地を蹴り上げ、加速を続けて蒼天へと迫った。一歩も動かなかった彼との距離は十メートル強。その距離を一秒とほんの少しという速さで駆け抜け、右腕に意識を集中。鋭く、しかし、短い刺突を見舞う。往なそうとした彼の長剣の腹に吸い込まれる直前で止まった刺突は、すぐさま引き絞られ、続く二撃目へと移る。直前で止まった刺突に、翻弄された蒼天は、悔しそうな顔をしながらも、素早く長剣を逆手に持ち替え、短剣の如く薙いだ。外側を刈る横薙ぎと、一点を貫く刺突が激突し、両者の距離を僅かに広げた。微かに浮いた脚が着地と同時にまた疾駆する。斬撃と斬撃が衝突し、鍔迫り合いへと移っていく。火花を散らしながら、互いの刀身を削り合う長剣は二度に渡る衝突を経ると、黒曜石の剣は逆袈裟斬りを放ちにかかる。対する蒼天の長剣は、袈裟斬りで返し、刀身を衝突させ合った。

 

 剣戟は過激さを増し、ついにはソードスキル同士の衝突へと移行する。全く同じタイミングで発動し放たれた《ホリゾルタル》は、衝突と同時に爆発を生み、両者のHPを微かに減らす。裏を掻こうとする一方に対して、もう一方は完璧に対処し切り、その僅かな隙を突こうとするも、短い硬直故に全力で応戦される。そこから《スラント》同士の衝突が始まり、これも微かに両者のHPを削る。その爆発が生んだ煙の中を突っ切って現れたのは———黒曜石の剣。真正面から全速力で突っ込んできたボクに対し、僅かな対応遅れを見せた蒼天の脇腹を刺突が穿ち、一割ほどを明確に奪い去った。

 

 現在両者のHPは戦闘時回復(バトルヒーリング)スキルの影響があっても半減しており、両者ともにイエロー。このまま打ち合えば、勝機はあったが、戦闘が始まってから、すでに五分ほどが過ぎていた。あっという間の五分だったが、真の実力者同士の戦いは五分も続いてしまうと、流石に両者共に疲弊が見え始める。ボクに関しては肩で呼吸をしているようなものだ。対する蒼天は、呼吸が乱れ始めているが、それでもこちらに比べて余力を残している。このままでは、不利になるのはこちらだ。二人の決定的な差は、経験とレベルだ。常にソロで最前線を誰よりも速く駆け抜け、この《マクアフィテル》が手に入る高難易度クエストまでクリアして見せた彼と、高々その後ろを追いかけ続けるだけのボクでは、経験もレベルも違っている。彼が余力を残せているのは、戦闘時における精神力の強さもそうなのだろうが、身体能力自体にも向こうに分があった。

 

 負けたくない。勝ちたい。勝って、この想いを伝えたい。

 胸の奥で渦巻く、暖かい感情。相手のことを恋慕する、弱く、しかし、ハッキリした答え。ボクはこの想いを伝えるためにここにいる。身体は悲鳴をあげている。気付いている。分かっている。限界がすぐそこまで近づいている。それでも、〝()()()()()()〟。生まれてからずっとボクは自分の身体に無茶をさせてきた。この世界に来る直前までずっとだ。

 

 

 

 ———だけど、今日この場所が、本当に全てを賭ける正念場だ。

 

 

 

 ボクがボクらしく、在れるように。今度はボクが、全てを投げ捨てる覚悟で立ち向かわなきゃいけないんだ。

限界なんて知るもんか。そんなもの、超えて行かなきゃソラには勝てない。少しでも良いから上回るんだ。今までの自分から、何もかも。弱い自分から変わって見せるんだ。

 

 

 

 ———だから、姉ちゃん、ソラ。ボクに勇気をください……!

 

 

 

 キリシタンのボクが、そんな風に願ってはいけないのかもしれない。偶像崇拝に引っかかってしまうかもしれないギリギリの祈りを他者へと願いながら、ボクはもう一度目の前に立つ蒼天を見た。誰よりも強く、誰よりも弱い———ボクの、大切な人。彼は、自分を見るボクの目を見て、嬉しそうに笑った後、戦う者としての目付きへと変えた。遅かれ早かれ、これが最後の剣戟となる。次にこうしているのは、どちらかが敗北を喫した時。蒼天が勝つか、ボクが勝つか。それだけだ。

 

 

「——————」

 

 

 深呼吸。

 直後、両者共に疾駆する。

 中央にて瞬く火花は尻目に、最早そこにいるのは二匹の獣だ。言葉にもならない叫びをあげながら、己が爪牙たる剣を、拳を、脚を振るい、互いの身を削り合う。衝突、衝突、衝突の上にまた衝突。繰り返される激突は、最早数え切れない。扱えるソードスキルを全く同じタイミングで発動し、それらが全て拮抗する。限界を告げる身体を置き去るように、意志力だけで駆け抜ける姿は酷く儚く、酷く綺麗で。恐らく現実世界では、心拍はとてつもなく上昇していることだろう。ナーヴギアが安全装置を持たない機械であるが故に緊急ログアウトなどという割り込みは存在しないが、安全装置を持つ後継機でも出れば、二度とこんな戦いは出来まい。

 

 今後の寿命すら擦り減らすような、限界を超えた戦闘は、どちらかのHPが真っ赤に染まるまで続く。獣と化した二人の残った理性は、そこにのみ置いてきた。人としてではなく、ただの獣として本能に従い始めた二人の瞳は、本来の色を失い、()()()()()()()()()。果たして、本人達がそれに気付いているだろうか———いや、恐らく気付いていない。だってそうだろう? 二人は、こんなにも()()()()()()()()()()のだから。

 

 しかし、その均衡はついに崩れた。

 両者互角とすら思えた戦いは、少しずつ崩れ、押され始めていたのだ。押され始めたのは———()()()()()()()

 ほんの僅かだが、速まった長剣に、拳に、脚に、彼は目を剥いた。最前線を潜り続けてきたはずの自らを、彼女が超え始めていたのだ。理由は分からなかった。現状を少しでも理解すべく、一度距離を取ることを選んだ。彼女は追撃してこなかった。自分自身、どうしてこうなったのか理解できていないのだろう。限界を本当に超えたから、先程までの激戦が行われていたはずだった。さらに限界を超える、なんて脳筋染みたことを成し遂げたのなら素直に脱帽しよう。

 

 

 

 だが、現実は違っていた。

 

 

 

 何が起きたのかを理解しようとする蒼天とは別に、ボクの視界には、奇妙な一文が姿を見せていた。書かれていたのは至極単純なものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

『解放条件達成。エキストラスキル《至天剣》、解放します』

 

 

 

 

 

 

 

 

 たった一行。それだけの文字の羅列が、この均衡を打ち破っていた。どういう効果なのか、それはボクにすら分からなかった。詳しいことは、スキル一覧から確認しなければ分からないことだ。そんな時間を与えてくれる訳がない以上、どういうものかは不明のままだ。

 

 

 しかし、これがボクの力になってくれるというのなら———喜んで力を借りたい。残酷なこの世界のシステムが、例え偶然だとしてもボクを選んでくれたのなら、全力で答えるんだ。

 

 

 均衡を破る、最後の一押し。

 これが最後のチャンスだ。

 ボクはソラに———勝つ!

 

 

 何処か悔しげで、何処か嬉しげに。ボクの表情を見て、何が起きたのかを察していた。最後の最後で、この世界が選んだのだ。無慈悲で残酷なシステムの神様が、彼女を愛したのだと彼は悟った。

 

 言葉はいらない。激突する長剣が、拳が、脚が、言葉の代わりを果たしてくれる。ぶつけ合え、心を、願いを、想いを。

 

 押し込みをかける蒼天の一撃は、少しずつ進化していくボクの一撃に押されていく。一撃が少しずつ重くなっていく。速度もそうだ。全速力で放たれた一撃が、確実に彼を押し込んでいる。戦闘開始時よりも正確さを増した狙いは、彼に攻めの起点を失わせていく。研ぎ澄まされた感覚が、彼の攻撃を紙一重で見切っている。直撃必至の一撃が、頰を掠める程度にまで往なされ、全力のカウンターは防がれ始めた。限界を超えた身体を酷使されていることも忘れて、勝利を求め続ける。それは両者共に変わらない。

 しかし、その勝利は少しずつ傾いていく。

 

 一か八かの大勝負。

 そう、決意し放たれたのは、《片手用直剣》ソードスキルの上位に君臨する三連撃技《サベージ・フルクラム》。これまでの《ホリゾルタル》や《スラント》、《バーチカル・アーク》など、その技とは格が違う大技は、大型モンスターにこそ真価を発揮する。そういう意味では、この技をこのタイミングでチョイスしたのは、ハッキリ言って不味かった。押し切られる、そう思った蒼天が、僅かな焦りを感じて、小さなミスを生み出したのだ。

 

 それを見、対して放ったのは、四連撃技の《ホリゾルタル・スクエア》。《バーチカル・アーク》の上位に値する《バーチカル・スクエア》と並び立つ強力なソードスキルだが、《サベージ・フルクラム》よりは威力が落ちる。こちらもチョイスミスか?———違う。今だけは、打ち勝てると思ったからだ。純粋な威力で押し負けるはずの《ホリゾルタル・スクエア》は、真正面から蒼天が放った《サベージ・フルクラム》に衝突。システムに設定された軌道に、逆らって僅かにズラしたことで、三連撃を相殺し切った。そして、()()()()()()()()()()。その一撃は、()()()()()()()()()ように瞬いた。

 

 最後の一撃は吸い込まれるように、蒼天の左肩を捉え———残る左腕を根本から斬り落とした。古びた長剣は支える腕を失ったことで、地に転がり、千切れた左腕は無数のガラスの欠片となって四散した。蒼天は両腕を失った。けれど、まだ両脚は残っている。まだ戦うことはできた。

 

 

 しかし———

 

 

 

「———そうか、俺は…………負けたんだな」

 

 

 

 視界内に表示された自身のHPゲージは真っ赤に染まっていた。《全損決着モード》であるため、敗北が知らされていないが、お互いが決め合ったルールとしては敗北だった。もう一つ存在するHPゲージは、辛うじてイエローに留まっている。軽くデコピンでもすれば、真っ赤に染まりそうなくらいだ。それでも、彼女が勝ったのは事実だ。

 

 蒼天の言葉で漸く気が付いたボクは、口をポカーンと開けたまま、その場で固まっていた。確かに視界内に映る両者のHPゲージがボクを勝者にした。僅差だったが、勝ったのは事実だ。それを何度も何度も見返して、勝ったという現実をゆっくりと認識して———

 

 

「…………俺の負けだよ、ユウキ」

 

 

 と言う蒼天の言葉でデュエルが終了したのと同時に、ボクは彼に飛び付いていた。ぎゅーっと首元を両手で抱き締め、彼の視界が届かない場所で泣き噦った。ボクの耳が彼の口のそばにあったせいか、呆れたような口振りで「俺のHP真っ赤なの忘れてないか?」というので、条件反射でハイ・ポーションを彼の口に突っ込んだ。続いて欠損回復結晶も使って、両腕を元に戻す。突っ込んだ直後で気が付いたが、デュエルが終わった以上、ここは《圏内》に戻っている。そのままでもHPは減りもしない。騙されたような気がして悔しい思いをしたが、それでも嬉しかった。初めてソラに勝った、というのもあったが、それ以上にソラを殺さずに済んだことが嬉しかった。あとはボクが彼を救う、それだけなんだ。一番難しいことだが、ここまで来たのなら恐れる必要なんて無かった。ボクらしく、ボクがやりたいことをすればいいんだから。

 

 

「———約束だよ、ソラ。ボクに救わせて」

 

 

「…………ああ。どう救ってくれるのか、期待してやるよ」

 

 

 何処と無く傲岸不遜な態度を取るソラに、ボクは「素直じゃないな〜」と言いながら、一つずつ工程を踏んでいくことにする。

 

「えへへ、まずは何から言おうかな〜」

 

「……救うって、もっと真剣なものだと思ってた俺の期待を返せ馬鹿」

 

「馬鹿馬鹿っていつもソラは失礼だなぁ〜。それしか言えないの?」

 

「お前なぁ……」

 

 軽口を叩き合う中で、まず一つ。やるべきことが決まった。本当ならすごく勇気がいるようなことなのに、どうしてだろう? 今はその勇気があるのか、簡単に言葉にできていた。

 

 

 

 

 

「ボクね———ソラのことが好きなんだ。友達としても、親友としても……大切な人としても、ソラのことが好きだよ」

 

 

 

 

 

 人生初めての告白は言いながらも、羞恥が強まってきたのか、頰は熱を帯びて赤く染まり、瞳は熱を孕む。優しげに、それであって、恥ずかしさを隠さない。ボクらしい告白とは言えないのかもしれないけど、正面切って言えたのなら、それはボクらしい告白なんだと自分に言い聞かせる。

 

 

「……自覚したのは今日なんだけどね。でも抱いたのは〝あの日〟ソラが庇ってくれた時からだと思う。あの時は庇ってくれたことで嬉しかったのもあるけど、ボクのせいで……って気持ちもあったから分からなかったのかな? ずっとそばにいたから、気が付かなかったんだ」

 

 

 でも、この世界では一年以上も離れ離れになった。それが、自覚する機会をくれたのなら、素直に感謝したい。離れ離れになった原因はボクにあるのだから、感謝する前に謝るのが先なんだけど、今は先に想いを伝えたかった。

 

 

「ソラと喧嘩して離れ離れになって、ボクが捕まって、ソラが命懸けで戦って苦しませて。酷い思いばかりさせたボクがこんなこと言える立場じゃないのは分かってるんだ。……でも、ボクはソラが好きなんだ。ずっとそばにいたい。ソラが辛い思いをした時、ボクが支えてあげたい…………こんなことになった原因を作ったのはボクなのにね…………」

 

 

 そもそもの原因は、ボクが無責任な暴言を吐いたからだ。あの時、ソラの言葉をしっかり受け止めて、答えを見つけていれば、こんなことにはならなかった。ソラがたくさん殺しちゃったのは、ボクがそうなっちゃうようにしてしまったから。そんなボクがソラに告白すること自体あってはならないはずなのに。

 

 

「……ボクが、ソラに人を殺させちゃったんだ……ごめんね……………ごめん……ね…………」

 

 

 キミを救いたい、なんて言っては見たけど、結局ボクには無理そうだ。心洗われるような言葉なんて言えはしなかったし、熱を孕んだ瞳からは、謝罪と自責の念が積もって涙が零れるだけだ。けれど、泣いたから許してもらえるものではない。泣けば許される、なんてことはあってはならない。免罪符……?ってものが昔はあったみたいだけど、涙が免罪符になるのなら、警察も何もいらない。ボクは、ソラに消えない罪を背負わせた罪人なんだ。罰されるべき罪人は、ボクの方だ。それなのに、ソラは殺してしまった人達の亡霊に苦しんだ。苦しまされるべき相手はボクのはずなのに……

 

 

「……ソラがボクと会いたくないなら、もう会わないよ…………ボクは、ソラが生きててくれたら………それでいいから…………」

 

 

 彼が望んだことをボクはまた奪った。だから、彼が〝死〟以外で何か望むのなら、叶えてあげたい。それが別離であれ、なんであれ。ソラが償いの一つになれば……と。

 

 それに対して、蒼天はしっかりと答えを出していた。

 

 

「……なあ、ユウキ。何でも望んでいいのか?」

 

 

「………うん、いいよ。ソラが死のうとすること以外なら………いくらでも……………」

 

 

「………そっか。なら、そうだな。………初めてだな、こんなに欲張ってみるのも」

 

 

 そう言うと蒼天は、ボクの頭を左手で優しく撫でた後、しっかりと流さないように抱き締めて願いを告げた。

 

 

「三つだ。俺はお前に三つ叶えてほしいことがある」

 

 

「……三つ?」

 

 

「ああ、三つだ。ずっと無欲な人生送ってきたんだから、これぐらい纏めてお願いしても罰は当たらないだろ?」

 

 

「………うん、そうだね」

 

 

 その三つの願いの中に、別離があるのだろうか。あってもおかしくない。だってそれぐらいのことをボクは彼に課せてきた。今日こそ罰が当たらないのが蒼天なら、今日こそ罰が当たるのはボクなんだ。ずっと繋がっていた縁が切れるとしても、それはきっと仕方がないことなんだと自分に言い聞かせながら、その時を待つ。

 

 

「まず一つ目。お前も知ってると思うが、俺には殺してきた奴らの亡霊が見えてる。()()()()()。殺したことを忘れる気は微塵もない。でも、流石にさ、毎日毎日見えるのもどうしようもないだろ?

 だからさ、ユウキ。アイツらがずっと見えなくなるぐらい、俺のそばにいて支えてくれよ」

 

 

「………え?」

 

 

 耳に飛び込んだ言葉に、ボクは耳を疑った。嬉しいはずなのに、嘘を付かれているような錯覚までして、もう一度同じ言葉が聞こえるかどうかを待つ———いや、本当は願っていたのかもしれない。彼が許してくれるのを願っていた自分がいるのではないか。

 

 続く言葉は、そんな許されたがりの自分にも届いた。

 

 

「ん? もしかして聞こえなかったか? ずっとお前に支えていてほしいって言ったんだぞ?」

 

 

「………ホントに言ってるの?」

 

 

「当たり前だ。大体な、考えても見ろよ。寝たくても寝たくても、わーわーわー騒がれ続けて、寝れもしないんだぞ? 人殺しなんていう罰当たりが言っちゃいけない台詞だとは思ってるけどな……」

 

 

「………そっか、ソラらしい理由だね」

 

 

「なんか馬鹿にされた気がするけどな」

 

 

「気のせいだよ、気のせい。………これじゃあ、ボクの方が救われちゃったね。ダメだなぁ、ボクは………」

 

 

 救わなきゃいけない人を前にして、先に救われちゃうなんて言語道断だ。これには流石に神様も許してはくれないだろう。キリシタンとしてはあるまじき失態だと思うけれど、今だけは気にならなかった。

 

 ボクがいつもの調子を取り戻してきたのが分かると、蒼天は続けて二つ目の願いを口にした。

 

 

「二つ目は———そうだな、ずっと我慢してたことだからさ。いざ機会が与えられると、不思議な気持ちになるな」

 

 

 小首傾げるボクに、蒼天はしっかりと口にした。

 

 

「———少しだけ、胸を借りてもいいか?」

 

 

「ボクの胸、アスナよりも大きくないよ……?」

 

 

「俺には充分すぎるよ。ちょっとだけ、今まで溜め込んだ感情(気持ち)を全部吐き出しておきたいだけだから」

 

 

 それだけ告げると、胴体の装備を解除したボクの胸に、蒼天は頭を預ける。それからボクの耳に届いたのは、一度も聞いたことがなかった彼の泣き声だった。ずっと年齢に合わない精神構造をしていた蒼天が、年相応の少年らしく泣き噦っていた。わんわんと泣き喚き、それは聞いていると、泣くことさえも初めてなのかと思わずにはいられないほど不恰好で不器用な泣き方だった。ただ感情を、溢れる涙と共に吐き出し続けるだけの、そんな泣き方。ずっと強いと思い続けていた彼の、年相応の少年らしい弱い姿を間近で見た。それをボクは、ママがしてくれていたように、子供をあやすような口調で優しく慰め続けた。全部全部吐き出してしまえるようにと。彼の泣き声が止んだのは、そこから数分後のことだった。

 

 

「………泣くってさ、意外と恥ずかしいんだな。初めて知ったよ」

 

 

「ボクは珍しいもの見れて、ちょっと得しちゃった気分だな〜」

 

 

「オーケーよく分かった頼むから忘れてくれ」

 

 

「だーめ。もう忘れてあげないよ〜」

 

 

「……ったくお前なぁ」

 

 

 先程まで泣き声が響いていた深い森の中で、笑い声が溢れた。気がつくと、蒼天の目には、先程まで見えていた亡霊が映らなくなっていた。何処かホッとしたような気持ちになるが、それでも、決して忘れないように心掛ける。忘れた頃にまたやってきそうだなと思いながら。

 

 

「よし、最後の願いだな」

 

 

「うん、そうだね! ねえ、もしかしてまた泣いちゃう?」

 

 

「泣くわけないだろ馬鹿ユウキ」

 

 

「あー! またボクのこと馬鹿って言った! ボク、これでも成績優秀だったんだよ! ソラも知ってるんじゃないかな!」

 

 

「あくまで過去形だろ。向こう戻ったら勉強会だ馬鹿」

 

 

「むー………」

 

 

 馬鹿馬鹿ってボク勉強できるんだよ? なんて言いながら、軽口を交わし合う。何処か納得しにくいものはあったけれど、このままいくと本題に移れなさそうな気がしたから、素直に言葉を待った。

 

 

「最後の願いは———そうだな、これの願いは……ずっと叶わないと思ってたんだよな。俺なんかが望んでいいのか……って」

 

 

 人生を達観し、何事にも興味を示さず、ただ虚無感に苛まれ、毎日を飽き飽きしていた俺なんかが、突然〝羨ましい〟なんて感じて。そこから急に興味を示した。ずっとつまらない人生なんて早く終わらないかなーなどと考えてたロクデナシが、求めるには過ぎたるものだと、この世界に来る前から気がついていた。実際さっきまではそうだったんだと蒼天は思う。

 でも、()()()()()()()()()()()()()()()。独り善がりの願いなんかじゃなく、相手の気持ちに沿うものでもあったんだと知ることができたから————

 

 

 

 

 

「ユウキ、俺もお前のことが好きだ。友達として、親友として。

そして何より———大切な人として。お前のそばでこれからも一緒にいたい」

 

 

 

 

 

 お前の、必死に生きようとする姿に俺は惹かれたんだ。

 恥ずかしい台詞は何とか喉元で留めておいて、蒼天は初めての告白をした。

 

 その言葉に、ボクは信じられないような気持ちになった。勿論、不快だとかそういうものなんかじゃ断じてない。すごく嬉しかったんだ。ソラが、ボクと同じ気持ちだったんだって分かったから。

 

 

「当然、これはあくまでお願いの範疇だ。拒否してくれたっていい」

 

 

「………………」

 

 

 拒否なんかしないよ……。

 すぐに言葉にできなかったけれど、そう言いたかった。

 

 

「分かってると思うが、俺は人殺しだ。どうせ今後アイツらから恨まれるだろうし、狙われるだろうな。だから、そういうことも考えて答えてくれ」

 

 

「………………」

 

 

 返答なんて、もう決まっていた。

 あとは言葉にして、伝えるんだ。

 最後の勇気を、振り絞って答えなきゃ。

 

 

「……やっぱり嫌だったか? まあなにせ俺は人殺しだ。一度でも《笑う棺桶》のゴミ共に攫われて怖い思いをしたお前には、今後のことも考えてアイツらとの縁が出来るだけ無い方がいいだろうからな」

 

 

「………がう…」

 

 

 あともう少し。

 あともう少しなんだ。

 祈るような気持ちで、ボクは声を出そうとする。何度も口にされる言葉に、ソラはただ待った。それが肯定であれ、拒否であれ。ボクの答えを待ってくれていた。

 

 もう少し。もう少し。あとほんのもう少し、勇気をください。

 願うのはそれだけ。差し出された手を握るようなものだけなんだ。必死に声を紡ぐ。こうしてみると自分で言った時とは大違いだ。答えることはもっと勇気が必要だった。

 

 そんなボクの背中を、誰かが押してくれたような気がした。

 知っている誰かの手。それは果たして誰だったのだろう。力強く、優しくて、暖かい———うん、分かったよ、姉ちゃん。

 

 

 

 ボクは、幸せを望んでもいいんだ。

 

 

 

 初めてソラに勝った時も、そうだった。

 諦めずに戦えたのも、〝諦めるな〟と教えてくれたソラと、〝導いてくれた〟姉ちゃんがいてくれたからだ。

 ボクはずっと支えられている。だから、今度はボクが支える番だ。支えてもらいながら支える、なんていう中途半端な感じは否めないけどね、と心の中で苦笑しながら、ボクは言葉を発した。

 

 

「違うよ、ソラ……。そういうソラこそ………ボクなんかで良いの?」

 

 

「……当たり前だ。お前だから、お願いしたんだよ」

 

 

「……そっかぁ」

 

 

 羞恥が増していく。恥ずかしくてたまらない。どうしてソラはこんなに堂々と言えるのか不思議だった。でも、もしかしたら、心の中では顔を真っ赤にしているかもしれない。

 そう考えたら、何処か少し可笑しくて。我慢出来ずに笑っちゃった。突然笑ったことで不思議そうにこちらを見る蒼天に、ボクは嬉し涙を流しながら————言い切った。

 

 

 

 

 

「うんっ、喜んで。ボクはずっとキミのそばにいるよ、ソラ!」

 

 

 

 

 

 誰も立ち寄らない深い森の最奥で、満月の光に照らされながら、二人は想いを告げ合い———唇を重ねた。

 それは、ちょうど日付が変わった時だった。

 

 

 

 西暦2024年 5月23日————二人の道は再び一つとなった。

 

 

 

 

 

 君を(はな)さない —完—

 

 

 

 

 






 二十二層の森の中、二人はお互いの心を預け合うため、

 一時最前線を離れた。

 静かに過ごそうかと思えば、その日はユウキの誕生日。

 当然、彼らは黙っていなかった。

 次回 混乱招く誕生日



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15.混乱招く誕生日



 昨日の今日で早速投稿です。
 五話以上続けてシリアス展開書いてた反動で、無駄に書きやすかったです、今回の話。あと作者お前何考えてんの?とか言われても仕方ないですね今回の話。悪いのは、シリアス展開とその場のノリと彼らです。ボク、ワルクナイ。






 

 

 

 

 

 

「———なるほど。良い目だ。君達は自分達の心意(こたえ)を見つけたようだ」

 

 

 五十五層主街区《グランザム》にある《血盟騎士団》本部。その一室にて、ある密談が交わされていた。中は塔の一フロアを丸ごと使った円形の部屋で、壁は全面透明のガラス張りだった。そこから差し込む灰色の光が、部屋をモノトーンに染め上げる。

 その中央には半円形の巨大な机が置かれ、その向こうに並んだ五脚の椅子がある。本来ならここに五人全員が揃って腰掛けているのだが、中央に座る人物の命を受けて、左右の四人は席を外していた。外した四人は《血盟騎士団》の有力な幹部達だ。そんな彼らに席を外すよう命を下せるのは一人しかいない。

 

 

 

 聖騎士、或いは《神聖剣》と名高い男。

 《血盟騎士団》団長にして、最強の男。生きる伝説などと称される、ヒースクリフだ。

 

 

 

 その彼が、他の四人に席を外すようにまで命を下して、密談を設けたのは、対峙する二人が名高き猛者であり、今後の攻略組において、尤も欠かすことのできない人材であったからだ。

 

 

 

 一人は、かつては《最前線狩り》の異名を戴き、現在においても《絶天》の二つ名を全階層に轟かせる最強のソロプレイヤー、アーカー。その彼が、度重なる行方不明、《笑う棺桶》討滅戦を経て、漸く、その姿を非公式ながらも見せた。

 

 

 

 もう一人は、絶対無敵の剣。絶対不滅の剣。空前絶後の剣などと称され、《絶剣》の二つ名を全階層に轟かせる、攻略組の勢力バランスを常に安定させてきたソロプレイヤー、ユウキ。最悪の殺人者ギルド《笑う棺桶》に拉致されながらも、生存したことで知られている。

 

 

 

「お蔭様でな。ギルド創立は近々してやるつもりだ。俺は相変わらず影の立ち回りをするが、文句ないだろ? それがあの時の約束だったからな。とはいえ、俺達はお互い傷心の身だ。暫く最前線を離れるが、文句あるか?」

 

「構わない。以前からユウキ君の様子を見て察していた。良い機会だ、英気を養ってくれたまえ。ギルド創立の件に関してだが、是非とも楽しみにさせてもらおう。君達二人がまたこうして並び立つ姿を見ることができただけでも、攻略組としては喜ばしきことだ———して、ギルドの名は決まっているのかね?」

 

 傲岸不遜に物申すアーカーに対し、ヒースクリフは何処か楽しげに会話を続ける。公私の〝私〟が死んでいるとすら思えたこの男でも、なかなか興味深そうだと言わんばかりの表情を見せると思っていなかったアーカーは食えない男だと思いながらも、そばでうずうずしているユウキにバトンタッチする。

 

 言ってもいいぞと言わんばかりに譲ってもらえたユウキは、興奮冷めやらぬ様子で、楽しげに告げる。当然、それに釣られるようにアホ毛は自己主張激しく屹立している。

 

 

 

「ボクとソラは、お互いに〝絶対〟の二つ名を冠したプレイヤーで、これからはずっと一緒。二つの〝絶対〟が、ずっと一緒にいるなら負けはない、ってボクは信じてるんだ。

 だから、ギルドの名前はその想いを取って———《絶対双刃》、〝アブソリュート・デュオ〟!」

 

 

 

 確実に何処かの方面に喧嘩売ったんじゃないかと心底不安げに思いながら、結局幼馴染の大暴走を止めることが叶わなかったアーカーは、どうか怒られませんようにと祈るしかなかった。

 

 

 

 

 

———*———*———

 

 

 

 

 

「………いやホントお前な、あの名前はマジで不味いと思うんだが、そこのところどう思ってんのお前」

 

「カッコいいと思ったんだけどな〜」

 

「カッコいいってお前さ、女の子だよな? それ以前に著作権って知ってる? 十年程度じゃ著作権ってまだ元気に効力発揮し続けるんだからな?」

 

「むー、それってボクが女の子っぽくないってこと? 流石に著作権は知ってるよ? でも、他に思いつかなかったんだもん。そういうソラは他に何か思いついたものあったの? ボクが納得出来るようなものがあるなら、ボクだって文句言わないよ?」

 

「……あー、うーん、ソーダナー………《クラウ=ソラス》?」

 

「………………」

 

「オーケー俺が悪かった文句言わない《絶対双刃》ってカッコいいもんな少なくとも俺が突拍子もなく言ったモンよりここでの由来しっかりしてるもんな」

 

 まさか無言で返されるとは思ってもいなかったために、必死にユウキを褒める。実際そんなに良い名前がすぐに浮かぶほどボキャブラリー豊富と言えないアーカーは、素直に認めることにする。第一、ここが何処だか二人は分かっている。

 

「二人とも、いくら団長が良しって言っても他の人に怒られるよ?」

 

「だよなー、ンな気がしてた」

 

「はーい」

 

 まだ二人が歩いている場所は《血盟騎士団》ギルド本部の中なのだ。そもそも二人がヒースクリフの元に辿り着けたのは、前で案内してくれているアスナがいるからだ。前回の作戦会議のように会議室ではない以上、普段何処にいるかなど知る由もない。ただでさえ、ギルド本部は広いのだ。迷うに決まっている。

 

 そんな二人が他人の家でワイワイ騒いで怒られないのは、ヒースクリフのお気に入りであると共に、彼らの前に副団長であるアスナがいるからだ。そうでもなければ、擦れ違う者達全員がこちらを見て、これでもかと嫌な顔をしたり、文句を言いに来ても仕方がないのだ。

 

「それにね、私はもちろん、キリト君も驚いてるんだよ? ()()()()()()()()()()()()()こと」

 

 そう言ってアスナは二人を見る。見たのは顔ではなく、手。指先の方だ。二人の指先は、互いに絡め合っていた。お互いを離しはしないという確固たる意志がそこからでも強く窺える。

 つまるところ、これからは対立する敵になりかねない相手の本拠地で、この二人は日中から堂々と〝恋人繋ぎ〟なるものをしていたのだ。現在恋愛を未だしたことがない———ただし、片想いをしているアスナからしても、そんな姿を見せられると羨ましくて仕方がない。本当なら馴れ初めの辺りなどを突いて、少しずつその反応を楽しんでみたいという小悪魔的な考えもあったのだが、それを一度としてするまでもなく、想いが成就された二人———というより、ユウキに死角からの不意討ちを受けたような心境にあった。

 

「そうかな〜。ボクも自覚したのは昨日なんだよ?」

 

「昨日の今日で付き合ってる行動力が凄まじいと思うの、私だけかな……?」

 

「いや、その感性は間違ってない。俺も正直ビックリだ。こっちは四年間抱え込んでたんだぜ? しかも、先に告白してきたのユウキからなんだよなぁ……俺の行動力弱すぎ?」

 

「ソラは何事もすぐに抱え込んじゃうもんね。ボクだって、ちゃんと相談してくれたら、真剣に考えるよ?」

 

「おいコラちょっと待てお前。好きな相手目の前にして、ソイツに恋愛相談するってどんな拷問だよ……下手したらトラウマになるぞ………」

 

「ユウキって何処か天然だよね………」

 

「あーすごく分かる。絶対何処かで爆弾発言投下するぞコイツ俺が保証する」

 

「むー、二人とも酷いな〜もう」

 

 頰を膨らませ拗ねるユウキ。やりすぎたと思いながら、アーカーとアスナはきちんと謝りながら機嫌が直るように物で釣る。美味しいお菓子や綺麗な服などはアスナが、武器や防具に関してはアーカーがそれらしいものをピックアップしながら。途中で興味を示して、話に食い付くユウキだが、上手く釣り上げられているような気がしていたが、結局誘惑には勝てずに考えるのをやめる。チョロい、などとこの時二人が考えてしまったのは言うまでもない。

 

「ところでキリトは?」

 

「キリト君は………うん、外で待ってるよ」

 

「ん? アスナ、アイツ一緒に待ってなかったか?」

 

「えーっと、それがね………」

 

 アスナは語る。

 アーカーとユウキを待っている間、あの二人が恋仲になり付き合い始めたことをネタに話が盛り上がっていたことを。

 楽しそうに会話をしていると、それを目撃した団員達が群れを成して、「あの男を追い出せー!」などと叫びながら、彼らが物量でキリトをギルド本部の外へと押し出したことを。

 その時のキリトが「俺なんか悪いことしたかー!?」と叫びながら、遠くに消えてしまったことを。

 

「………キリト、災難だね」

 

「………全くだ。アイツ、女顔のくせに意外とモテるもんな。女難の相でもあるんじゃねぇか?」

 

「キリト君、ここ最近団のみんなから露骨な嫌がらせを受けていた気がするんだよね………って、アーカー君? キリト君がモテるってどういうことかしっかり聞かせてもらってもいい?」

 

「………あーうん、別にいいんだけどさ。今の笑顔だけがすごく怖いんだけどアスナさん…………」

 

「ソラ、女の子に笑顔が怖いなんて言っちゃダメだよ!」

 

「いやお前、今のアスナの顔ちゃんと見てから、もう一度俺に同じこと言えんの?」

 

「………………ごめんアスナ、ホントは少し怖いよ」

 

「アーカー君だけでなく、ユウキまで!?」

 

 結論。アスナさん、ところどころ怖い。

 この世界で個人的にユウキに続く美少女だと思うアーカーでも、彼女は人気が高いからキリトが受けた嫌がらせも仕方がないのだろうなと思う反面、彼女が結構嫉妬深いのではないかと思ってしまう。どんなことにも恐れず全速前進たるユウキも、今し方彼女が浮かべていた笑顔には恐怖を覚えて後退。この意味が分からない彼女ではないだろうなと思いながら、現在一人寂しく外で待つキリトが彼女の想いに気がつくのか、興味が湧いていた。

 

「ま、あと四十層弱あるんだ。あの馬鹿はしぶといから、チャンスはいくらでもあるだろうよ」

 

「そうそう! アスナは自分の持ち味を生かせばいいんだよ!」

 

「アーカー君、ユウキ………」

 

 二人のフォローで自信を取り戻すアスナ。

 一方でユウキが持ち味なんて言葉を使ったものだから、素直に驚いたアーカーが失言を洩らし、ユウキに拗ねられたのは言うまでもない。

 

 そうして、漸く三人がギルド本部から出てくると、外で待たされていたキリトが「やっとか」とボヤいていた。

 

「よぉ、追い出された人。外寒かったか?」

 

「お前喧嘩売ってるのか………。まだ五月だから外は暖かいよ。それで、ヒースクリフと何を話してたんだ?」

 

「えーっとね、これから暫く休暇を取るって話と、ギルドを創るって話だよ」

 

「二人ともずっと頑張りっぱなしだったから当然ね。それにしてもギルドかぁ……どれくらいの規模にするの?」

 

「ん? ()()()()()()()()()だぞ?」

 

 その言葉に、キリトとアスナはお互いの顔を見合わせてから、続いてこちらを見て叫んだ。

 

「いやいやいや、それってコンビと何も変わらないだろ!?」

 

「ギルドっていうから、もっと人数設けるんだと思ってたよ!」

 

「いや、そもそもヒースクリフがあの時出してきた条件は、〝《血盟騎士団》と《聖竜連合》を抑えることができる勢力〟でなければならないって話だ。人数の指定なんざなかっただろ?」

 

「いくら二人でも、あの人数を抑えることができるの……!?」

 

 アスナの言うことは正しい。実際アーカーとユウキだけで《血盟騎士団》か《聖竜連合》全員を抑えるのは厳しい。

 しかし———

 

「まずな、ヒースクリフが言うにはどっちかが暴走した際に不利になるように仕向けるのが役目なんだよ。暴走した側とは逆に、俺達が加担すれば、向こうは不利になる。つまるところは、そういうことだ」

 

 どちらが暴走しても、もう片方に二人が付くことで勢力バランスは拮抗しない。確実に暴走した方は押し負ける。天秤が釣り合わなくなることをアーカーは言っているのだ。

 とはいえ、これも最悪の可能性がある。

 

「《血盟騎士団》と《聖竜連合》が手を組んで叩きに来たらどうするんだ? その場合は流石にどうしようもなくないか?」

 

「うん、その場合は流石にね。

 でも、そうなった場合って、まず()()()()()()()()()()()()()()()()()よね。勢力バランスは二つが担ってるけど、攻略組全体として見れば、ソロプレイヤーや他の中小ギルドも存在する。彼らが二大勢力の暴走を見逃すはずがない。そうなると、ソロプレイヤーのみんなや中小ギルドのみんなはボク達の側についてくれる、って寸法なんだ」

 

 それを聞いて、キリトとアスナは理解する。

 そもそも攻略もフロアボス戦も、何も《血盟騎士団》と《聖竜連合》だけのものではない。ソロプレイヤーや他の中小ギルドも参加している。その戦力は当然無下に扱えるものでもない。二大巨頭が暴走すれば、それを便乗して新たな巨頭となるため、打ち砕かんと動く者達がいるはずだ。そういうことも含めて、第三勢力の筆頭となる二人の考えは間違っていない。

 そして、これを最初に構想したのは———

 

「末恐ろしいな、アイツ」

 

「団長はそこまで考えて、あの時アーカー君にそう言ったんだね」

 

「ま、そういうことだ。あとな、これ忘れてた」

 

 そう言うとアーカーは素早くメニューを操作し、キリトとアスナに通達する。二人の前に展開されたウィンドウには、『フレンド申請』の画面が広がっていた。

 

「………その、なんて言うんだろうな。突然切って悪かったな」

 

「「………………」」

 

 少し恥ずかしいのか顔を反らして言うアーカーに、二人は可笑しそうに笑った後、すぐに〝承認〟すると、一言告げた。

 

「男のツンデレなんて需要ないぞ」

 

「これからもよろしくね」

 

「おう、アスナはこれからもよろしく。でもキリト、テメェはダメだ。全力でぶっ飛ばすから大人しくそこに直れェッ!」

 

 古びた長剣を抜くか抜かないかのところまで殺気だったせいか、門番達が駆け込んでくるという事件に発展しかけたが、アスナとユウキに全力で止められることとなる。

 原因を作ったキリトは、あとでこってり絞られたそうだが、どう絞られたのかは不明である。

 

 

 

 

 

———*———*———

 

 

 

 

 

 それから、数時間後。

 キリトとアスナとのフレンドを繋ぎ直したとなれば、当然他に切ってしまっていた縁を戻さない訳にはいかなかった。エギルやアルゴに謝罪ともう一度フレンド登録を済ませるアーカーだが、散々冷やかされたのは言うまでもなく、特にアルゴは酷かったとだけ言っておこう。これから先、果たして闇討ちされないかが非常に心配である。

 

 何はともあれ、縁を取り戻したアーカーは、漸く休めると思い、ユウキと何処かに家を買って住もうかという話になろうとした直後———

 

「そういえば、今日ってユウキの誕生日なのよね?」

 

「「「あ…………」」」

 

 ———というアスナの思い出し発言から、急遽この後ゆっくりするという予定が変更され、ユウキの誕生日パーティーが開催されることとなった。

 

 

 

 

 

「———で、テメェらは揃いも揃って、人様の新居に買って数十分で突撃とはいい度胸してやがるなぁおい」

 

「ボクは別に気にしてないから良いよ、ソラ。むしろ、こうやってみんなでワイワイ祝ってもらえるのは嬉しいもん!」

 

 場所は、賭けデュエルをした二十二層の南岸の端。そこにある二つ建てられたログハウスのうち、大きい方を買うこととなったアーカーとユウキは、ごっそりと減ったコルを眺めた後、数十分ほどは二人で過ごした。

 その後、ユウキの誕生日だと聞きつけた親友達による押しかけを受け、買ったばかりの新居は現在進行形で取り掛かられている《祝 ユウキ14歳おめでとう!パーティー》の会場として使われることとなった。一日も経たずに他人が大量に突撃してくるとは思いもしないアーカーは溜息を吐きながら、ユウキを大人しくさせるだけだった。

 

「ユウキ、お前このパーティーの主役なんだから大人しくしてろよ」

 

「えー、だって気になるんだもん。ソラもちゃんと匂い嗅いでみたら分かるよ! アスナの手料理すごく美味しいんだ〜!」

 

「ユウキ、アスナのことベタ褒めだな……」

 

「そんなに褒められると恥ずかしいな……」

 

 大きなログハウスに用意された大部屋。部屋に設置された備え付きのいくつかの机に、出来たての料理を並べていくキリトと、料理を作るアスナが擦れ違いざまに会話に入る。

 今回の誕生日パーティーの参加者は、九名。主役であるユウキと、その恋人であるアーカーを筆頭に、企画者であるキリトとアスナ、ユウキ達のフレンドであるリズベット、シリカ、エギル、クライン、アルゴが招待されていた。ちなみによく情報を洩らすアルゴには、しっかりとマイホームの場所に関する口止め料をアーカーの懐コルから支払われている。バラした場合は容赦しないつもりでいる彼の殺気に当てられたか、流石のアルゴも口止めには従うつもりのようだ。

 

 さて、言うまでもないが、アーカーはこの場に招待された者達のうち三人は全く知らない人物である。ユウキからある程度聞いたが、それまでだ。《鍛冶屋》と《ビーストテイマー》、あとは《野武士面》としか分かっていない。距離感はどうしたもんかと考えあぐねているのも事実だ。

 

「———ま、何とかなるか」

 

 ユウキに影響されたんだろうなと思いながら、自分が少しだけ単純になったことに苦笑する。これまで何事も不覚考えすぎていたせいか、今では逆に肩の力を抜き過ぎているような気もしなくはない。少し不安が残ってしまうのも仕方がないのだろう……などと考えていると、こちらを見つめる瞳に気がついた。

 

「大丈夫だよ、ソラ。ボクがそばにいるから」

 

「………そうだな」

 

 腹の底を見透かされたような気がしたが、それもコイツの特技なんだろうと思い、素直に励まされた礼として頭を優しく撫でてやる。すると、撫でられたことで「えへへ〜」とにやけた顔になるユウキにアーカーは、この世界に来る前の光景を思い出して、クスリと笑った。

 

「ぐぬぬぬ……盛大にいちゃつきおってぇ…………」

 

「もう、リズさん。お皿割らないでくださいよ」

 

 そんな二人を、遠目で見ている者が二人……と一匹がいた。以前は《竜使いシリカ》としてアイドル扱いを受けてきたダガー使いのシリカと、キリトとアスナ、ユウキがよく通っている《鍛冶屋》のリズベット。そして、シリカの相棒であるピナだ。二人と一匹は共に三人の知り合いで、彼らによく助けられた過去を持つ。今回はユウキの誕生日パーティーということで、是非とも参加させてくださいと二つ返事でやってきたのだが、準備の最中に見せつけられた二人の姿に、悶々とした思いをさせられていた。

 

「だってさぁ……いつの間にかユウキが恋人持ちなのよ?」

 

「た、確かに驚きましたよ。ユウキさんに好きな人がいて、昨日結ばれてたなんて」

 

「いやー、あたしも油断してたわ。少し前に会った時に探してる人がいるって言ってたけど、そいつが今そこでいちゃついてる相手なんてさ」

 

 リズベットは、そう言ってアーカーを指差す。全身灰一色の皮装備で、何処かキリトと似た見た目だが、ところどころ違う点がハッキリしている。キリトが何処か子供っぽさが残っているというのなら、アーカーは大人らしさのある少年というべきか。そういう少年に、子供っぽさが残るユウキが惹かれたのか、と。何処か合ってるようで、合っていない推測をしながら、二人は皿をテーブルへと運んでいく。

 

「でも、一番驚いたのはあそこよねー。キリトが勝てない相手がいるって話」

 

「あたしも驚きましたよー。キリトさんってすごく強いから、負けなしだったと思ってました」

 

 アーカーが《笑う棺桶》討滅戦以降、行方を眩ませていた頃、キリトは彼女らにも捜索を手伝ってもらっていたことがあった。その際聞かされたのは、先程の特徴と実力だ。オレンジプレイヤー達数人がかりでも圧倒的な強さを見せた姿。五十五層にいる白竜を圧倒した姿。あれほど強いキリトが、まさか負けるなど思う訳がなかったからだ。上には上がいると残念そうに呟いた彼の姿は印象に残ったが、未だに信じられない気持ちがあった。

 しかし———

 

「シリカ。あんたユウキの剣、見た?」

 

「見ましたよ、すごいですね。あの剣」

 

 今日再会してすぐ訊ねたリズベットは、自分の剣が《笑う棺桶》の奴らに奪われたことに関しては残念に思っていたが、その後彼女があの男から貰ったというあの剣の性能を見て度肝を抜かれた。以前キリトの《エリュシデータ》を見たことがあったため、あれ以上の剣を見ることなど早々ないと思っていた矢先に、《マクアフィテル》というさらに上の魔剣があることを知った。これまたそれが、プレイヤーメイドでないと来たものだから、かなり嫉妬したものだが、いざ手に入れた理由を当人に聞いて真っ青になった。

 

 クエスト名《絶対不滅の意志》。初めて聞いた名前だったが、聞いて見るとクエスト内容は、とんだド鬼畜なものだった。曰く『攻略組が壊滅しかけた五十層フロアボスと同等クラスの化け物を人数制限付きで倒せ』というもので、それをあの男は初見ソロでクリアしたという。実際、キリトの愛剣はその五十層のフロアボスのラストアタックボーナスなのだから、この話が嘘だとは断言することは不可能だった。それをキリトに「あんたなら同じこと出来る?」と聞いたリズベットもリズベットだが、さしもの《黒の剣士》も「勘弁してくれ」と溜息をついていたのだから、その強さがそれだけで窺えた。よくもまあ、そんな男をユウキは落とした———落とされたのかもしれないが———ものだと感心していた。

 

 そんな中、アルゴがひょこっとアーカーとユウキの背後から現れると、その手にはメモ帳らしきものが握られている。

 

「アー坊、ユーちゃん。二人に聞きたいことがあるんダ」

 

「絶対ロクな話じゃねぇだろお前」

 

「まあまあ。聞いてあげようよ、ソラ」

 

「ユーちゃんは天使だナ。それに比べて、アー坊は純粋さが足りないナ」

 

「ほっとけ」

 

 軽く毒を吐きながらも、大人しく話だけは聞いてやることにしたアーカーは、すでに嫌な予感を感じ始めていた。

 

 

 

 

 

「それじゃ、質問ダ———もうヤったのカ?」

 

 

 

 

 

「はぁっ!?」

 

「ふぇっ!?」

 

 突拍子も無さすぎる爆弾発言に、思わずアーカーとユウキは面食らった。当然そんな話を聞き流すようなヘマをしない奴らはたくさんいたわけで————

 

「アーカー、お前もう手を出したのか……?」

 

「ユウキってホントは私よりも大人………」

 

「ゆ、ゆゆゆ、ユウキ!? あ、あんた、そ、そこまでヤっちゃったの!?」

 

「は、はわわわ………」

 

「おいおい……若いことは良いことだが、衝動に任せすぎるのもどうかと思うぞ?」

 

「マジかよぉ……俺だって女の味知ら———」

 

 《野武士面》ことクラインが余計なことを口走りそうになったところを、キリトとアーカーが同時攻撃で排除するが、それでも事態は色々と変な方向に走っている。特にアスナを筆頭に可笑しい。エギルに関しては、実体験みたいな感じで言うから生々しさが洒落になっていない。隣にいるユウキは、あまりのことで思考回路がショートしたのか、変な声が漏れ続けたままだ。

 

「アルゴ、テメェ………」

 

「ニャハハッ、オレっちもこういう話には興味があってナ。これは個人的な趣味だからここだけの話だヨ」

 

「趣味でも洒落になってねぇよ馬鹿野郎。もしバラすつもりが少しでもあったら《牢獄》ぶち込むつもりだったぞテメェ………つーか、今ぶち込んでもいいかアァン!?」

 

 散々煽られたせいで、最早ガラの悪い奴になってきているが、アーカーはあくまでもユウキのためを思いながら発言する。この世界では、現実の顔とこちらの顔が同じなのだから、偶然すれ違っただけでも将来的にアカウントから身バレする恐れがあるのだ。そういう洒落にならない話は本気で潰してやろうと思うくらいに。

 ———などと思っていた矢先、ユウキが俯いたまま袖を引っ張った。

 

(………………いいよ…)

 

「ん? 今なんて言ったんだユウキ?」

 

(………ソラが………………いいよ………?)

 

「いや、ホント悪い。流石に小声過ぎて俺でも聞こえない」

 

 

 すると、真っ赤に顔を染めたユウキが、恥ずかしさで目尻に涙を少しばかり浮かばせながら、今度はハッキリと聞こえる声で告げた。

 

 

 

「………ソラがシたいなら…………いいよ…………? ボクも………頑張るから……………」

 

 

 

「………………へ?」

 

 

 

 腑抜けた返事がアーカーの口から漏れる中、ユウキの言葉を聞いた女達は黄色い歓声を上げる。まさかの台詞が聞けたのが嬉しかったのか、それとも恥ずかしいのが伝染しているのか。とにかく、場のテンションが総じて可笑しいことがよく分かった。床に伸びているクラインを除く男連中であるキリトやエギルも、賞賛するように口笛をピューと鳴らす。冷やかしてんのかテメェと普段なら真っ先にアーカーは言うのだが、それよりも先に言わなきゃいけないことが出来た。

 

 

 

「………おい誰だユウキにマセた知識教え込んだのはァッ!」

 

 

 

 少なくともこの世界に来る前のユウキは絶対に知らなかった知識だということは確信していた。加えて、二十五層まではずっと一緒にいたのだから、その時期も知らないはずだ。つまり、今日を含めた一年以上前の間に誰かが教えたことになる。

 その事実に真っ先に気がついたアーカーは、犯人がこの場にいると断定して探すことに躍起になった。勇気を出して言い切ったユウキは、恥ずかしさのあまりにまた思考回路をショートさせ、天井を見上げて固まったままだ。彼女から聞き出すことはできない。それでも、意地でも探してやらぁっ!とアーカー自身、普段よりもハイテンションで探そうと試み始めた。

 

「アスナぁっ! お前かお前なのかユウキにマセた知識教え込んだのはぁっ!」

 

「ち、違うよ!? さ、流石にそんなことしないよ!?」

 

「リズベットぉっ! お前かお前なのかユウキにマセた知識教え込んだのはぁっ!」

 

「ち、違うわよ!? あ、あたしじゃない!」

 

「ンじゃ、お前かシリカ………いや、違うか」

 

「な、なんでしょう……疑われなかったのに、何か悲しいです……」

 

 そこから続けてキリト、エギルを疑ったが、こいつらはその場のノリで変なことを宣うような奴らじゃないと分かっているため、軽く聞いてから除外する。残るは———

 

「《野武士面》かテメェだ、アルゴ」

 

「お、俺ぇっ!?」

 

「アー坊、ホント容赦ないナ……」

 

「クライン、悪いことは言わない。素直に自白しろ」

 

「そうだな。自白した方が罪が軽くなるかもしれんぞ」

 

「キリト、エギル。お前ら俺のこと疑ってンのか!?」

 

「「そうだが」」

 

 声を揃えて断言する二人に、クラインは見放されたことを知り、愕然とする。実際怪しいのはこの二人だ。それは仕方ない。クラインには初めて会ったアーカーも、先程の一言で「あー、コイツなら言ってそうだなぁー」とすかさずロックオンしたくらいだ。もし、また同じことが起きて、クラインがアーカーに泣きついてきたとしても最早諦めて自白しろとしか庇いようがないのを、この状況からも知らせていた。

 

「ンで、どっちが下手人だこの野郎。今自白するならデュエル《初撃決着モード》五連戦で許してやるよ」

 

「キリの字が勝てない奴相手に五連戦は死ぬだろっ!?」

 

「オレっちもものすごく遠慮したいナー………」

 

「問答無用。どっちが下手人だゴルァッ!」

 

 背負われた鞘をオブジェクト化し、今にもそこから長剣を抜き放ちそうなぐらい鬼気迫ったものがあるアーカーに、流石の二人も両手を上げて無罪を主張する。自白してもあれだけの刑罰を受けるなら、下手人が見つかった場合はそれ以上の刑罰になることは言うまでもない。どちらが下手人かはまだ分からないが、そう時間はかからないだろうとアーカーは踏んでいた。

 一歩ずつ、明確な足取りで迫っていく。それに答えるように後ろに下がる二人だが、当然壁というものが現れるのは仕方がないことだ。背中がペタンと壁に着くと同時に焦りが急激に募る。最早なんでここに壁なんかあるんだよ!と言わんばかりの表情すら窺えた。

 さあ、犯人はどっちだ?

 

 ———と思った矢先のことだった。

 いつの間にか復活していたユウキが顔を真っ赤にしたまま、近づいてくる。ちょうどいいから下手人の名前を直接聞くかと思ったアーカーは、彼女の言葉に耳を傾ける。何度か頷き、それから、「え?」と言う顔をして、最後に「アーウンソッカァー」と片言を漏らす。ユウキの言葉を全て聞き終わると、溜息を大きめについてからオブジェクト化された長剣を鞘ごとストレージに仕舞う。

 

「下手人が別で見つかった。疑って悪かったな」

 

 それだけを言うと、アーカーは二人を追い詰めるのをやめて、元の場所に戻っていく。その先にはまだ顔が赤いユウキがいて、何か呟いているように見える。ホッとしたアルゴとクラインは、そこで深呼吸を一度した後、命拾いしたような気持ちで会話する。

 

「なァ、アルゴよォ」

 

「どうかしたのカ?」

 

「アイツ怖ぇなー」

 

「全くだナー」

 

「そういえば、別に下手人見つかったって言ってやがったよな?」

 

「言ってたナー」

 

「もしかしてだと思うんだけどよォ、あれってユウ———」

 

 直後、言い切る前のクラインの顔面に、とある少女の慈悲も容赦もないドロップキックが炸裂した。《圏内》判定を受けたマイホーム内は当然ながらHPゲージは少し足りとも削らないのだが、《圏外》で受ければ下手をしなくとも即死していてもおかしくない威力を受けたクラインは、気絶したままその場に伸びていた。そんな光景をそばで見ていたアルゴは、彼を一撃で仕留めた少女に恐怖を初めて抱いた。

 

「ねぇ、アルゴ。キミは何も聞いてなかった。それでいいかな?」

 

 

 

 

 

 必死な面持ちで何度も頷くアルゴは、のちに語る。

 「一番怒らせちゃいけないのは、意外なところにいた」と。

 

 

 

 

 

———*———*———

 

 

 

 

 

 料理の準備が終わり、ユウキの誕生日パーティーが開催された。突然の知らせで、事前に準備ができていないこともあって、感謝の気持ちを込めた物を送れなかったことを悔やむ者達がいたが、こうやって祝ってくれるだけで満足している主役の言葉で、約一名を除いて全員が楽しく笑い合えていた。約一名が除かれたのは、当人が目を覚ますまでにかなりの時間を要したからである。これに関しては自業自得と言うしかない。

 

 料理を好きなだけ頬張り、全て空になった皿を片付けると、キリトから筆頭にプレゼントが渡された。彼が渡してきたのは、レア度の高い素材アイテムだった。これにはユウキも驚き、「ホントにいいの?」と聞き返した程だが、どうやら作れるものが今の彼の装備のようなものではなく、バトルドレスのような金属装甲混じりのものが出来上がりやすいとのこと。皮装備系で装備を作り上げているアーカーも、何となくキリトの気持ちが分かっていた。

 

 続いてはアスナ。彼女はユウキが絶対に喜んでくれるものが渡したいらしく、今度ユウキを連れてアシュレイというカリスマお針子のところで、誕生日プレゼントにぴったりなものを作ってもらい、それを渡すつもりらしい。その話を聞いたユウキは嬉しげに笑うと、その時を待つことにした。ユウキがオシャレに興味を持っていたことに驚いていたアーカーは、女性陣から軽い文句を言われることになった。

 

 リズベットからは何が貰えたかと言うと、タダで剣を打ってあげるという特典だそうだ。とはいえ、今の《マクアフィテル》が高性能すぎて出番があるのかと言われそうだが、二本目の刃くらい持っておきなさいと告げるリズベットに納得していた。もちろん、全身全霊をかけて、キリトに打ってあげたという《ダークリパルサー》なる剣と同等かそれ以上のものを仕上げてみせると息巻いていた。

 

 シリカからは、レアなアクセサリーを貰っていた。いわゆるシュシュというものだった。多少素朴な感じはしていたが、それでも、懐かしげな雰囲気があるシュシュを笑顔で受け取ると、ユウキはその場でそれを髪留めとして使ってみせた。すると、その姿を見たアーカーは、ユウキが懐かしそうにした理由に気がついた。なるほど、そういうことかと理解した彼は、静かにその姿を見て見守った。

 

 エギルからは、たまたま手に入ったレアアイテムだった。キリトとは違い、布系のアイテムで、なかなか生地が良い。最高級とは行かないが、今後裁縫スキルを習得した際には役に立つだろう。気まぐれで、アスナの言うアシュレイという人物が使ってくれる可能性もなくはないだろう。

 

 アルゴからは、欲しい情報を五つほど半額にするという約束だった。流石にタダにすると一つや二つに減ってしまうらしいので、ユウキは素直にそのプレゼントを喜んだ。これからも頼るのだから、これくらいの割引でも充分なものだそうだ。

 

 現在進行形で気絶しているクラインは、残念ながらこの場で渡すことは叶わず、次に出会った時に渡すこととなった。のちに何を渡されたのかをアーカーも知ることになるが、貰って嬉しいものだったらしい。具体的に何を貰ったかはユウキの口から聞けなかったので、多少なりとも気になるが。

 

 プレゼント渡しが無事に終わったということで、あとはゆっくり談笑でもしようかという話になる———はずだったが。

 

「ねぇ、アーカー。あんたプレゼント渡したの?」

 

「ん? プレゼント? いや、ほら、《マクアフィテル》は俺が昨日あげたんだから、あれはプレゼントじゃないのか?」

 

「あー、なるほどなぁ……」

 

 リズベットの指摘に、アーカーは正直に答えるが、キリトの妙に納得した声が聞こえてきた。おかしい、あれはプレゼントに入らないのか?と疑問符が頭の上で並び立つ男に対し、アスナから何か言われたのか、忙しそうに百面相を披露しながらユウキは、またも恥ずかしげな顔でこっちに来た。その後ろでは、アスナがアーカーやクラインを除く全員に何かを呟いているのが見えた。

 

「ねぇ、ソラ」

 

「ん?」

 

「《マクアフィテル》は確かにプレゼントだけど、あれってボクにソラの居場所を教えるためにくれたって意味合いもある、よね?」

 

「あー、そう言われたらそうかもなぁ……」

 

「だ、だったら、プレゼントは別で必要じゃないかな〜……って」

 

 「欲張っちゃってるかな?」と呟くユウキに、アーカーは悩みながらも納得する。確かにアレは居場所を伝え、俺を殺してもらうためにプレゼントした剣とも言える。生誕を祝う日に、そんな物騒な意味合いのものがプレゼントというのは流石にユウキに悪いと彼もそう感じたのだ。そう考えると、何か別でプレゼントが必要だなと思うわけであり、急ぎストレージを確認するが、特別プレゼントとして扱えるものが一切入ってないことに気がつく。攻略第一としか考えてこなかったツケがここで回ってきたかーと項垂れながら、どうしたもんかとプレゼントに値するものが無いかと考える。

 

 

 

 すると、ユウキが顔を赤くして、本当に今欲しいものを要求した。

 

 

 

「え、えーっとね、ソラ……その……えっと…………うん………」

 

 

 

「………………」

 

 

 

 ぷしゅーと頭から湯気が立ち上るユウキに、今し方アスナが囁いたのはそれくらい恥ずかしいことなんだろうなと思い、今度どうやって仕返してやろうかと思考が巡る。果たして何を唆されたのやら。アーカーは溜息を吐きながらも、プレゼントを要求する権利があるユウキがどんな願いであれ叶えてやろうとだけは決めた。流石にぶっ飛んだ願いはしてこないだろう。例えば………なんだろうなと、難解な自問に何度も思考が止まる。

 

 

 そんなことをしているうちに、ユウキが覚悟を決め、勇気を振り絞ると同時に、素早く耳元まで駆け寄って———告げた。それも、彼にだけしか伝わらない音量で。

 

 

 

 

 

「————————っ!」

 

 

 

 

 

 頑張って告げ切った後、ぷるぷると震えながらユウキは、真っ直ぐにこっちを向いていた。目尻に涙をほんの少し浮かべている。そんな姿が、先程の要求で多少なりとも理性を削られたアーカーには、とても愛らしくて仕方がなかった。流石に二度に渡る特大爆弾発言には耐性が無かったことを自覚しながら、下手人共を全員目視で確認する。ビクゥッ!と全身で殺気を感じたのか、次々と「あとは頑張ってねー!」や「あとは頑張れ!」などという声援をユウキに浴びせ、キリトとエギルは気絶したままのクラインを担いで、皆次々に帰っていった。

 

 

 

「あの下手人共め………」

 

 

 

「………………………ダメ、だったかな………?」

 

 

 

「……………いや、ダメなんて言わないさ。ただまぁ………お前も相当マセたなぁーって思っただけだ」

 

 

 

「………その様子だとソラは知ってたんだね」

 

 

 

「………まぁな」

 

 

 

「………そういうソラの方がマセてるんじゃないかな〜」

 

 

 

「………マジで否定できねぇ」

 

 

 

 「痛いところを突かれたな」と呻くと、ユウキはクスリと笑う。それから、顔が赤いのはそのままでアーカーに「お風呂入ってくるね」とだけ伝えていった。その場に残された彼は大きな溜息を吐くと、それからそっと呟いた。

 

 

 

 

 

「———《倫理コード解除設定》とか何考えてんだ、茅場晶彦(ムッツリ)め」

 

 

 

 

 

 届くはずもない暴言を吐くとアーカーは、今日はいつもより夜が長いんだろうなと思いながら、静かに待つことにした。

 

 

 

 

 

 混乱招く誕生日 —完—

 

 

 

 

 

 

 






 ヒースクリフから休暇を捥ぎ取り、一年以上久しぶりに

 二人きりの時間を作るアーカーとユウキ。

 色々あった後だが、いつも通りのテンションで、

 二人はただひたすら何故か料理に励む。

 次回 いつか手作りを君に



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16.いつか手作りを君に



 出来れば昨日投稿したかった———!(苦悩)
 前回に引き続き、甘々な話をお届けします。タイトルと内容が地味に変わりましたが、お気になさらず。
 今更ですが、ソラ/アーカーのイメージがしやすいよう、СVつけるならこの人かなぁーってのを探してました。鳥海浩輔先生です。ぶっちゃけると、とある作品の主人公のイメージが分かりやすいです。何処ぞの学園オペラですけどね。

 この作品のユウキは、ソラと出会い救われたことで、原作よりも〝逆境〟や〝困難〟には強くなってますし、原作よりも実力は化け物性能になります(断言) 〝諦めない〟ことが彼女の信念にすらなってますからね。
 対して〝繊細〟にもなったので、ソラに関することには耐性が低いです。そこの辺りはシリアス展開ばかりだった8、10、12くらいですね。




 

 

 

 

 

 

「…………その、なんつーか……うん……。ユウキ、身体の調子は……大丈夫か…………?」

 

 

「ふぇっ!? ……あ、うん………問題、ないよ?」

 

 

「……それなら、いいんだが…………」

 

 

 長い夜を終え、疲れ果てた二人が目覚めたのは昼前。本来なら早朝に起きて第一声が「準備して攻略だー!」だったのだが、二人は休暇を取っている。暫くの間は休みが続くということもあり、珍しく惰眠を貪る気が満々だったため、《強制起床アラーム》を切っていた影響かお昼が近づいていたのだった。

 とはいえ、睡眠時間がいつもより短いのは、それはそれで問題があるため、今日はこれで良いのだろうと自分自身を言い包める。

 

 しかしながら、二人の様子が可笑しいのはそこではない。当然、睡眠不足から来るイライラでもない。そんなものとは縁遠い感情。それが互いの胸の中で渦巻いていたからである。言ってしまえば、恥ずかしさ———〝羞恥〟というものだが、つまるところ、そういうことだ。齢14歳の子供が、互いに異性をよく知ったと言えば、分かるはずだろう。こんな話、昨日のパーティー中に自業自得で気絶していたモテない男が聞いていれば、全力で嫉妬するだろうことが言わずとも窺えそうだった。

 

 アーカーとユウキは、共にベッドの上で目を覚まし、開口一番に「おはよう」と言い合ったのだが、急に〝夜でのこと〟が過って、少々気恥ずかしい想いに駆られていた。会話も何処かぎこちない。いつものテンションに戻るまで、いくら時間がかかるのか、当人達にすら検討がつかなかった。まだ確認していないが、フレンドからのメッセージには〝おめでとう〟と言いながらも内容はとことん煽りだろうものが届いているはずだ。

 

 取り敢えず朝起きて、喉が渇いていることに気がついたアーカーが、水分補給にコップに水を入れて、ユウキにも手渡した。チビチビとお酒を飲むように飲んでいく二人の間には謎の距離感があったが、初々しさ故のものだろう。半分ほど飲み終え、喉の渇きを感じなくなった辺りで、漸くユウキが声をかけてきた。

 

 

「………ソラは」

 

 

「………ん?」

 

 

「………狼さん、だね」

 

 

「———ッ!?」

 

 

 突然〝夜でのこと〟を突かれたアーカーは飲んでいた水を綺麗に吹き出し、派手に咳き込む。気管支が果たしてこの世界で詳しく用意され存在しているのかという疑問と共に、こんなことが一層の頃にでもあった気がするんだが……という既視感を覚えながら、ジロリとユウキを睨む。

 

 

「お前なぁ、水飲んでる時にそういうこと言うのやめてくれよ……。そういうユウキも結構———」

 

 

「わー! わー! 言わなくて良いよ! 言わなくて良いから〜!」

 

 

 顔を真っ赤に染め上げながら、大慌てで大声を上げつつ、アーカーの口を直接塞ぎに行くという実力行使に出るユウキ。まさかいきなり突撃して来るとは思わなかったアーカーはベッドの上で見事に態勢を崩した。それが偶然にも、ユウキが彼を押し倒す格好となる。目と鼻の先に大切な人がいる状況となり、互いに数秒見合わせたまま、思考停止。そこから、どうしてだろうか、なんだか可笑しくなって笑いが込み上げた。

 

 

「ははっ、そういや、あの頃もこうやって二人でじゃれ合ったことあったよな。そしたら、藍子さんに怒られて、さ」

 

 

「あはは。うん、確かにあったね。姉ちゃんによく怒られちゃったな〜」

 

 

「藍子さん、ゲーム強かったよな。俺もよく負けたよ」

 

 

「ボクより姉ちゃんに勝ってて、姉ちゃんにもライバル認定されてたソラが言うとなんだか悔しいな〜」

 

 

「とか言って、俺に何度も勝負仕掛けてきたよなお前。全部勝ったの俺だったけどさ」

 

 

「あれは純粋にソラの戦い方がずるいんだよー! ボクの攻撃全部往なしたり、弾いたりしてさ〜。あんな風に戦われるとボク勝てなくなっちゃうんだよ!」

 

 

「悪いな、あれが性分だ。現にこっちの世界でもずっとそうだったからなぁ」

 

 

「そうだよね。こっちでも同じような戦い方するんだから、ボク勝てなかったこと全部思い出しちゃったよ」

 

 

「………でも、勝っただろ? 俺に」

 

 

「うんっ! 初めて勝った!」

 

 

 無数に積み上げた敗北から、ついに掴んだ初勝利。それはアーカーとユウキ、二人の未来を無事に守った。それは人の命を救った偉大さよりも、初めて勝ったことが、ユウキにはとても大事だった。そう思わないと、なんだか楽しい記憶にできない気がしたから。

 

 

「そういや、一つ思い出したことがあったんだけどさ。あの時、お前急に速くなったよな。同時に一撃が重くなった。いくら限界突破したー!って言っても理由としては通じないぞ、あれは」

 

 

「あ、それボクも忘れてたよ! 確かあの時———」

 

 

 『解放条件達成。エクストラスキル《至天剣》、解放します』

 そんな文字の羅列が表示されていたことを、今の会話からユウキは思い出した。アーカーを押し倒したままでは悪いと感じて、彼の横に寝転がるとメインメニューからスキル一覧のウィンドウを開き、そのスキルを探す。確かにその名前があるのを確認すると、アーカーにも見えるように可視モードにして示した。

 

 

「これだよ。これがあの時、解放されたんだ」

 

 

「見たことないな、こんなスキル。〝してんけん〟? 〝してんのつるぎ〟? 読み方どっちだろうな……。取り敢えず、この《至天剣》の効果見せてもらえるか?」

 

 

「うん、えーっとね……」

 

 

 本来スキル情報とはこの世界における最大の生命線であり、他人に見せるのは死活問題だ。しかし、二人は幼馴染であり、これから共に居続けるパートナーであり、元々は相棒であり、今では恋人だ。結婚システムのことを果たして本人達が知っているのかは定かではないが、親密な仲である以上、お互いのことを知り得ている方が、戦闘の幅が広がると思ったのだ。

 

 そうして、躊躇いなくスキルの効果を知るべく、タップして確認する。表示されていたのは、五項目。

 

 

 ・敵が格上であるなら、常時全ステータスが微上昇。

 ・片手用直剣だけ装備時、AGI値に一定の倍率が乗算。

 ・専用ソードスキルがない代わりに、片手用直剣ソードスキルが使用でき、発動後の硬直時間が短縮される。

 ・重量が軽い武器装備時、STR値とAGI値が上昇。

 ・使用者の意志力に効果が強く左右される。

 

 

「……なあ、ユウキ」

 

 

「えーっと……なに、かな?」

 

 

「これチートだろ」

 

 

「うん、ボクも思っちゃった」

 

 

「突然お前が速くなったり、一撃重くなった原因がこれかよ………」

 

 

「ボクも効果見て、すごく納得したよ……」

 

 

 「うがー!」という変な声を上げるアーカーと、実力で押し勝てた訳じゃないと気がついたユウキは、共に落ち込み始めた。前者後者共に考えていることは違ったが、悔しいという思いだけは一緒だった。

 それから気を取り直して、アーカーは断言しておくことにした。

 

 

「まぁ……お前に負けたのは事実だ。

 それに運も実力のうちだ。うだうだと文句言うのもダセェしな」

 

 

「ボクもいつかこれ無しでソラに勝てるようにならないと!」

 

 

「ま、取り敢えず、疑問も晴れたことだ———と言いたいんけどさ。ユウキ、こんなスキルは俺も初めて見たんだが」

 

 

「やっぱり? 実はボクも聞いたこともないんだよね」

 

 

「…………ユニークスキルかもな。お前専用スキル」

 

 

 ユニークスキル。

 それはエクストラスキルのように、条件さえ満たせば手にいれることが出来るというものではないスキルで、簡単に言えば、《ぼくだけの最強スキル》みたいなものだ。よく小説に登場する主人公やラスボス辺りだけが持ってる特殊技能のようなものと考えていい。

 

 現在このユニークスキルと呼べるものを所持しているのは、公には一人、《血盟騎士団》団長ヒースクリフだけだ。あの男につけられた二つ名の一つ《神聖剣》は、まさにそのユニークスキルの名だ。その力の全容は不明だが、現状判明しているのは〝攻防一体の安定した強さ〟を誇る、ということだ。

 事実、噂でしか聞いていなかったが、《クォーター・ポイント》である五十層のフロアボスによって、脱出者が増えすぎたせいで戦線崩壊しかけたところを援軍が到着するまでの十分間耐え抜いたそうだ。ハッキリ言って化け物だと言える強さを作り上げたユニークスキルを、まさかユウキも手にいれるとは……と考えたところで、アーカーの脳裏に何かが過った。

 

 それは以前キリトと賭けデュエルをした時のことだ。あの時、アイツはアーカーに〝無いはずのもう片方の剣を振り下ろす〟という芸当で、まるで()()()()()()()()()()()ような殺気を感じ取った彼に迎撃をさせ、見事に不意討ちを喰らわせたことがあった。

 もしあれが、本当に振り下ろすことが出来るから感じさせられた殺気だったというのなら———

 

 

「………今度揺さぶってみるか」

 

 

「ソラ、なんだかすごく悪い顔してたよ?」

 

 

「ん? いや、ちょっと面白いこと考えついてさ。今度それ実行する時に連れて行ってやろうと思ってな」

 

 

「わーい!」

 

 

 上半身を起こしてバンザーイ!と両手をあげて喜ぶユウキに、微笑ましいものを見守る気持ちで、アーカーはメインメニューを開く。そこには予想した通りフレンドである〝アイツら〟からのメッセージが数件届いていたが、今は無視して自分のスキル一覧を確認する。特に意味のない行為であるはずなのだが、どうしてだろうか。ユウキがユニークスキル持ちになったから、自分にもそんなチャンスがあったりしないかなー、っという夢を見たかったのかもしれない。一層の頃から運に恵まれない日々を過ごしている以上、そんなことがあるはぶがないとは思いつつ、何処かまだ自分が子供っぽいのだと苦笑しながら操作する指を下へと滑らせて———固まった。

 

 

「ん? どうかしたの、ソラ〜?」

 

 

「あー、うん。ちょっとお前に報告したいことができた」

 

 

「え、なになに〜。もしかして、ソラにもユニークスキルが出現したとかそういう感じかな〜?」

 

 

「おう、その通りだ」

 

 

「……………………ふぇ?」

 

 

 目を丸くして固まるユウキに、アーカーは自分が見ているウィンドウを可視モードにして示した。そこには、よく聞いたことがあるスキルなどが並ぶ中で、一つだけ本当に見覚えも聞き覚えもないスキルが混ざっていた。名前は《天駆翔》。よみは、〝てんくしょう〟だろうか。文字の通りなら、〝天を駆けて翔ぶ〟ということになるが、果たして————

 

 

 ・壁や天井は無制限、空中は十秒の間自由に駆けることができる。着地時に時間制限がリセットされる。

 ・片手用直剣だけ装備時、AGI値に一定の倍率が乗算。

 ・専用ソードスキルがない代わりに、エキストラスキルを含むスキルがこのスキルを使用中にも発動可能になる。

 ・重量が軽い武器を装備時、STR値とAGI値が上昇。

 ・使用者の意志力に効果が大きく左右される。

 

 

「アーウンヤッパリカァーシッテタ」

 

 

「ソラずっるーい! 壁や天井にスパイダーマンできるだけじゃなく翔べるんだよ! いいなーいいなー羨ましいな〜!」

 

 

「いやお前のも充分ずるいからな!? なんだよ常時全ステータス微上昇って! レベル差あったのに押し負けたんだぞこっちは!」

 

 

 やいのやいのと言い合うこと数分。互いに自分達の手に入れたユニークスキルが羨ましいだのずるいだのと言い合って気が済んだのか、二人揃って顔を見合わせると口を揃えて言った。

 

 

「「バレたら厄介だな(ね)、これ」」

 

 

 特にアルゴ辺りに漏れると洒落にならないのが目に見えた。何処からでも漏れたら大変なことになるだろうなと、バレた後の光景が目に浮かぶ。流石に家まで押しかけることはないだろう。なにせここは二十二層の最南端。森の中にひっそりと立つ隠れ家のようなものだ。アルゴを筆頭に他の奴らにも場所は秘密にしてもらえるようにしているから安心している。

 

 問題は、普通に出かけた際に困るだろうなーということだ。嫉妬深い彼らは、出現条件などを聞いてくるはずだ。こちらも条件がよく分かっていないのだから伝えようがない。ユウキの場合も、戦闘中に出てきたから条件を絞れるのではないかと思ったが、もし条件が〝仲間同士で限界ギリギリの戦いをしなくてはいけない〟などとなれば洒落にならない。

 

 そういうことから、このスキルのことは互いの秘密ということにしようと話し合いをした。二人の秘密が増えたと喜ぶユウキに釣られて、アーカーも嬉しそうに微笑む。

 

 

「ところで、今日は何しよっか? せっかくの休みなんだから、普段あんまりできないことやっておきたいからね!」

 

 

「そうだな。普段できないことか…………あっ」

 

 

 次は習得したスキルを確認する。そこには《片手用直剣》や《索敵》、《武器防御》や《隠蔽》などとあり———そこには、一年以上前に取って、喧嘩別れしてから一度も使わなかった《料理》スキルが残っていた。

 

 

「やっぱり俺は徹し切れてないなぁ……」

 

 

「《料理》スキル、残してたんだね」

 

 

「ん? まぁな。死にたいだの何だの抜かしておいて、ホントはお前との繋がりを大切に残しておきたかったんだろうな」

 

 

「………ソラってたまに歯の浮くような恥ずかしい台詞言うよね………」

 

 

「?」

 

 

 そんな台詞言ったか?と首を傾げるアーカーに、ユウキはほんのり頰を赤く染めながらボヤく。どうして彼は変なところで鈍いのだろうかと思う一方、戦いばかりだった一年を過ごしてなお、《料理》スキルを残していた彼の想いには嬉しさを感じていた。

 気を取り直し、ユウキはアーカーに甘える。

 

 

「ボクも《料理》スキル取ったんだけど、どうせならソラの手料理がまた食べたいな〜」

 

 

「お前も《料理》スキル取ってたのか……熟練度どれくらいだ?」

 

 

「うーん、四割くらいかな?」

 

 

「それじゃ、俺の方がまだ高いのか……四割強あるしな」

 

 

 この世界の料理は簡略化され過ぎている。工程や素材さえ間違えなければスキル値次第で何でも作れるのだ。とはいえ、流石に一年以上サボっていたことは変わらない。四割強では作れる範囲も限られている。習得しているほとんどのスキルが熟練度カンストに仕上げているアーカー個人のプライド的にも、《料理》スキルをカンストさせておきたいという衝動に駆られた。

 

 

「数ヶ月で《料理》スキルカンストいけるか……?」

 

 

「ソラならできるよ」

 

 

「そう言って貰えると気が楽だな」

 

 

「一日三食作ってね!」

 

 

「えっ、あー、ソーダナー」

 

 

「なんで棒読みになっちゃうのかな〜?」

 

 

「キノセイキノセイ」

 

 

 小悪魔的な笑みを浮かべて突いてくるユウキに、片言で誤魔化すアーカー。チラリと時刻を確認して、お昼が迫っているのを知ると、いい加減ベッドから離れた方がいいと判断して、立ち上がった。

 

 

「昼ご飯作るから、顔洗ってこいよ。大したモン作れねぇけどな」

 

 

「うんっ、ソラが作ってくれるものなら何でも美味しいよ! 顔洗ってくるね〜」

 

 

 やや小走り気味に洗面所へと駆けていくユウキの背中を見送った後、アーカーは頭に手をやり呟く。

 

 

「歯の浮くような恥ずかしい台詞を言うのはお前もだろ……」

 

 

 何でも美味しいよ、なんてよくも本人の前で堂々と……。

 気恥ずかしい思いをしながらも、アーカーはキッチンへと向かう。アイテムストレージの中を物色し、持っているものから作れそうなものを思考。必要なものをオブジェクト化させると、包丁を取り出して、それらを続けて軽くタップ。切り込みが入ったパンや、野菜、肉などに切り分けられ、肉はフライパンへと移動させ、中まで火が通るように設定し、一定時間ごとに知らせてくれるようアラームもセット。それまでは、暫くストレージの中を確認して待つことにした。

 

 

「……ホントこの一年、物欲微塵もねぇなおい」

 

 

 特に《笑う棺桶》討滅戦から一ヶ月弱は酷い。断食続きだった理由は、ストレージに食材アイテムが一つもなかったことにある。いくら餓死しないからと言って、三大欲求の一つである食欲を無視し続けると言うのは苦痛以外の何ものでもない。加えてあの頃は睡眠もロクに取れていなかった。三大欲求を二つも無視し続けるなんて芸当をよく出来ていたなとアーカーは我ながら思うしか無かった。

 昨日ユウキの誕生日パーティーを行なったお蔭で、こうして昼ご飯にサンドウィッチを拵えることができるが、それが無かった場合は、今頃買い出しに出かけていたことだろう。

 

 

「……無茶したモンだなぁ…………」

 

 

 アラームが鳴ると同時にフライパンの上で肉をひっくり返し、裏面を焼く。あとは焼きあがったものをパンに野菜と共に挟んで完成だ。ストレージの確認を終えて、あとは何を確認していようかと考えていると、見覚えのあるアホ毛がひょこっと壁際に現れた。

 

 

「ユウキ、隠れてても無駄だからな?」

 

 

「あれ? 見つかっちゃった? 上手く隠れられたと思ってたんだけどな〜」

 

 

「隠し切れてないアホ毛が自己主張してたぞ。『ボクはここにいます』ってな」

 

 

「むー……これ見えてたのか〜………」

 

 

 両手でアホ毛を押さえるが、離すとすぐさま自己主張を始めるアホ毛。最早寝癖よりもしっかりしているそれに、ユウキは「むむー」と唸りながら考える。トレードマークとも言えるそれの存在は仕方のないものだが、隠れるにはあまり向かないらしい。果たして《隠蔽》スキルがカンストしていても、隠し切れるのだろうか。少しばかり気になったが、アーカーは口にはしないことを選んだ。

 

 

「ま、隠れんぼはまた今度な。ほら、出来たぞ」

 

 

「わーい♪」

 

 

 出来立てのサンドウィッチが乗せられた皿を受け取り、嬉しそうに運ぶユウキ。「落とすなよー」と忠告しながら、二人はテーブルに皿を置いて、隣り合うように椅子に座る。それから、両手を合わせた。

 

 

「いただきます」

 

 

「いただきまーす!」

 

 

 真っ先に噛り付いたのはユウキ。当然出来立てだ。美味しいのは間違いないと彼女は言いそうだと思っていたが、それよりも先に火傷しそうになっていた。

 

 

「出来立てなの見えてなかったのか、お前……」

 

 

「えへへ……行けるかな〜って思っちゃった」

 

 

「ちゃんと少し冷まして食えよ? 現実だったら、せっかくの味分からなくなるぞ」

 

 

「うんっ!」

 

 

 今度はちゃんと「ふーふー」と冷ましながら噛り付くユウキ。それを隣で見守りながら、アーカーもサンドウィッチに噛り付いた。昨日アスナ達が作ってくれた料理よりは美味しくないと自分の作った料理に厳しい判決を下したが、それは逆に対抗心のようなものに火をつけた。若干マッチポンプに聞こえるが、それは間違いない。自分に厳しく、というのはある意味自分に対するマッチポンプなのだろう。次に活かす、という目標を立てやすくするための。

 

 

ろうひはの(どうしたの)ひょだ(そら)?」

 

 

「食うか喋るかどっちかにしろよ……。ん、まあ、あれだ。アスナ達に負けてるのが悔しいなぁって思っただけだ」

 

 

「へぇー、ソラも普通に悔しがることあるんだね」

 

 

「当たり前だ。正直お前に負けたのも悔しいよ。いつか十倍にして返してやる」

 

 

「一回負けただけなのに、十倍にして返すの!? ちょっと酷いよ、ソラ!?」

 

 

「連勝記録ストップされたら、誰だってそう思うだろ。ま、それはまた今度にするけどな」

 

 

「ソラってやっぱり何処か子供っぽいところあるよね」

 

 

「子供よりも子供っぽいお前が言うな」

 

 

「むむー、ボクだっていつまでも子供って訳じゃないんだよ?」

 

 

「アーウンソッカァーソーダナァー」

 

 

「また片言!? ソラはボクのこと軽く流そうとしてないかな!?」

 

 

 やいのやいのと言い合いながらも、サンドウィッチを腹に収める二人。いくつか言い終わると、両手を合わせて「ごちそうさま」と言って、皿をキッチンに置きに行く。

 

 

「ねぇ、ソラ」

 

 

「ん?」

 

 

「この世界でお菓子って作れるのかな?」

 

 

「作れると思うぞ。実際何処かの層でチーズケーキか何かあったって聞いたけど」

 

 

「ふむふむ……」

 

 

 何か考え事を始めたユウキに、何を考えているのかさっぱりなアーカーは、手早く皿を洗うことにする。と言っても、これもタップすれば終わってしまうようなものなので、すぐに片付いた。皿を棚へと戻してそれで終わり。その間にユウキは考え事を終えたのか、期待の眼差しでこちらを見た。

 

 

「マカロンって作れるかな?」

 

 

「ん? まぁ、材料とレシピさえあれば、な。つーか、何する気だよお前」

 

 

「別に〜、何でもないよ〜?」

 

 

「ほう……隠し事とはいい度胸だな」

 

 

「自分は隠し事たくさんしてたのに!?」

 

 

「問答無用!」

 

 

 室内だというのにAGI値に物を言わせて接近し、途中で壁を軽く蹴り上げ、ユウキの背後に回るアーカー。突然アクロバティックな動きをされたせいで、対応が遅れた彼女は直後に襲ったむず痒さに身をよじらせた。

 

 

「こちょこちょこちょ」

 

 

「あはっ、あはははっ、やっ、やめてっ、やめてよソラぁっ!」

 

 

「ほら、ささっと吐けばやめてやるからなー」

 

 

「ま、負けない、よ! く、くすぐりなんかにっ、ぼ、ボク、負けないもんっ」

 

 

「強情かよ……」

 

 

 強弱つけて脇腹の辺りをくすぐったが、結局何も吐かなかったため、アーカーは大人しく諦めることを選ぶ。くすぐりから解放されたユウキは、こちらを少し睨んだ。

 

 

「……女の子にこういうことはしちゃダメなんだよ!」

 

 

「うんまぁそりゃあな。とはいえ、何か隠してると分かったら知りたくなる性分で。お前も知りたくなるだろ?」

 

 

「分からなくはないけど、ソラにだけは言われたくないよ」

 

 

「………言うようになったな、ユウキ」

 

 

「ボクをこんな風にしたのはソラだよ。責任だって、これからも取ってもらわなきゃダメなんだからね」

 

 

「………………」

 

 

 突然の台詞に、アーカーの思考が停止する。キョトンとしたまま、身動き一つしない彼にユウキは小首を傾げながら、どうしたのだろうといった顔をしている。数秒かけて思考が回復した彼は、大きめの溜息を吐いた後、彼女に向けて理由を告げた。

 

 

「ユウキ、お前なぁ……自分が何言ったのか分かってるのか?」

 

 

「え? ボクが何か変なこと言ったの?」

 

 

「お前、実は〝天然ジゴロ〟とか〝唐変木〟とかそういう才能あるんじゃないのか……?」

 

 

「むぅ、それってソラの方がそうだと思うんだけどなぁ……」

 

 

「………マジかよ———じゃなくて。お前さっき俺に向かって『ボクをこんな風にしたのはソラだよ。責任だって、これからも取ってもらわなきゃダメなんだからね』って言ったんだぞ……」

 

 

「………………」

 

 

 最初は何のことか飲み込めずにパチパチと瞬きするだけだったが、少しずつ自分の言った言葉の意味を理解すると、顔を真っ赤に染め上げてユウキの口からは変な声が漏れ始めた。「やっと気付いたか」と呆れるアーカーに対し、彼の肩をガシッと掴んだ彼女は、容赦なく前後に揺らした。当然無意識にやっていることなので、揺らされている彼はどうしてこんな目に遭ったのか分からず仕舞いである。

 

 

「ゆ、揺らすな、揺らなって、落ち着けユウキィッ!」

 

 

「〜〜〜〜〜っ!」

 

 

「さ、三半規管にダイレクトに来るから! 三半規管弱くねぇけど、流石に酔う、酔うぞマジで! だから、止めろってユウキィッ!」

 

 

 顔を真っ赤に染めて羞恥に呑まれたユウキが自我を取り戻すまで五分ほど。その間ずっと強く揺らされていたアーカーは、今にも吐きそうな青い顔をして、譫言のように「ユウキを揶揄って遊ぶのはやめよう……マジで」などと呻いていた。〝自業自得〟、〝因果応報〟と言われても仕方のない行為だったが、自我を取り戻したユウキは、少しばかり責任を感じていたらしく、酔った彼をきちんと看病していた。

 

 

「ソラ、大丈夫?」

 

 

「………多少な。流石に五分間は酔うよな………何となく分かってた」

 

 

「うっ………ごめんね?」

 

 

「……お前は悪くない、煽り過ぎた俺が悪い。マジで〝因果応報〟だったわ……」

 

 

「いんがおーほー?」

 

 

「〝自業自得〟と似た意味の四字熟語だよ。現実(向こう)に戻ったら勉強会だな、やっぱ」

 

 

「お、お手柔らかに、ね……?」

 

 

「そこは要相談だな」

 

 

「それって手加減する気ないよね!?」

 

 

「一割ぐらいでいいよな?」

 

 

「ソラのバカ……」

 

 

「ンなこと言って、手加減されるの大嫌いだろお前」

 

 

「そ、それはそうだけど………うぅ…………」

 

 

 多少体調が良くなったのか、容赦無く理不尽な仕返しを始めるアーカーに、ユウキは勉強はお手柔らかに頼みたいと思いつつも、手加減はされたくないというジレンマに迷っていた。そんな彼女の頭に、ポンと手を置いて、優しく撫でながら彼は笑う。

 

 

「ま、お前は勉強熱心だしな。覚えようと思えば、飲み込みも早い。容赦と手加減はしないが、見捨てたりしねぇよ」

 

 

「……そっか」

 

 

 〝見捨てない〟、その力強く信頼できる言葉を聞いて、嬉しげに笑うユウキ。〝あの頃〟と変わらない彼女の姿に、アーカーも何処か嬉しく感じながら、何処から教えようかと思考を巡らせる。多少気が早いかもしれないが、どうせ現実世界(向こう)に帰還すれば、リハビリの毎日だ。今からでも考えて悪くないだろう。勿論、彼自身もユウキを教える立場に立つのなら、彼女よりも勉強しておかなければならないのは間違いない。どちらが苦労しやすいのかと言われれば、どっちもどっちだろう。

 

 

「———ところで、マカロンを誰かにあげるのか?」

 

 

「うんっ、ソラにあげたいなって———あっ」

 

 

「………え?」

 

 

 カマかけ成功。どうせ分からないだろうと高を括った上で仕掛けていたのに恐ろしく簡単に引っかかったことで、流石のアーカーもキョトンとしながら、チラリとユウキの顔を見る。真っ赤だ。せっかく秘密にしていたことを自分の口から簡単に洩らしてしまったのだから恥ずかしさと悔しさで一杯なのだろう。このままだとまた肩をガシッと掴まれて揺らされそうだなと思った彼は、すかさずフォロー(?)を入れる。

 

 

「……その………なんつーか…………楽しみにしてるからな」

 

 

「………うん」

 

 

 サプライズをぶち壊した罪悪感が強く込み上げたが、同時にユウキが頑張ってみようとしていたことを知ることができたアーカーは、頰を人差し指で掻きながら、隠すことなく嬉しそうにする。そんな様子をしっかりと目で見ることができたユウキは、もっと嬉しそうな顔が見てみたくなったのか、心の中で絶対に美味しいマフィンを作ろうという覚悟がさらに固まっていた。

 

 

(………俺もお返しの品ぐらい作ってやるか)

 

 

 《料理》スキルカンストを目指すのだから、全身全霊を賭けて作ってみる価値はあると自分に言い聞かせながら、初々しさ残る気持ちを多少誤魔化した。照れ臭いという思いが素直になれないのだろう。アーカーは自分がどう感じているか分かっていながらも、愚直に言えない情け無さを実感する。〝男のツンデレに需要はない〟。何処ぞの〝天然ジゴロブラッキー〟が宣った言葉だが、悔しいながらも納得していた。

 

 

 

 アーカーは、そんな自分を好きになってくれた幼馴染の頭を優しく撫でながら、その温もりを思う存分に感じていたのだった————

 

 

 

 

 

 いつか手作りを君に —完—

 

 

 

 

 

 






 アインクラッド六十五層、六十六層はホラー系フロアだ。

 そのことを知ったアスナは、理由をつけて二人の元に逃げ込んだ。

 その流れで開催されたのは、何故か女子会。

 その一方で、アーカーは〝あの男〟と奇跡的に出会っていた。

 次回 謎の夢と確信



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17.謎の夢と確信



 女子会書こうとしたら何度も手が止まって、何回かやり直しました。五千文字以上を何回もやり直したので、流石に疲れました。
 今回は、ある意味この小説における〝あの人物〟によく触れる回かと思います。原作と違うとか言われましても、そこはどうしようもないですね。オリジナル展開らしさで押し切ります(無茶)
 でもまぁ、少し〝らしい〟かもしれませんね。




 

 

 

 

 

 

 最前線を離れ、休暇を取ってから暫くが経った頃。

 日が昇ってから日が沈むまで、〝好きなことを好きなだけやって過ごす〟という生活を送りながらも、アーカーとユウキは、キリト達とメッセージで連絡を最前線がどんな風になったかを確認している。別にこの日々に飽きてしまった訳ではない。まだやりたいことは山ほどあるし、自由な時間はまだ欲しいと強欲にも思う。

 

 しかし、最前線が大変なことになっていて、それを無視するほどロクデナシではなかった。そのため、一向に進まなくなった場合や、死者が多数出てしまった場合は休暇返上と称して、最前線攻略を押し上げてやろうという思いもあり、二人の間で約束した決まり事だった。

 

 そんな中、最前線が着々と上がっていく中、キリトからふとこんなメッセージが届くようになった。

 

 

『最近アスナが迷宮区で全く見かけなくなったんだが、どうしてなのか理由とか分からないか?』

 

 

 その一行のメッセージに少々心配になったのだが、すかさずアーカーは最前線である六十六層に出現するモンスターの特徴を聞くことにした。もしかすると、そこにヒントがあるかもしれない、そう思ったからだ。結果は何となく予想できていた。

 

 

『一つ前の六十五層もそうだったんだが、ホラー系フロアだな。幽霊———アストラル系モンスターばかりが出現してる』

 

 

 「アー、ソッカァーナルホドナァー」と棒読みになったのは言うまでもない。この世界———《ソードアート・オンライン》はVR(仮想)MMO(大規模)RPG(ロールプレイングゲーム)と呼ばれる、初のVRMMOビッグタイトルだ。当然これまでとは一線を画したものである以上、これまでのプラットフォームでは扱え切れるはずもない。そのため誕生したのが、《ナーヴギア》と呼ばれるプラットフォームで、現在この世界にいるプレイヤー全員を閉じ込めた悪魔の機械でもある一方、この機械の凄まじいところはそこでもあるが、そこではない。

 

 真の性能は、五感全てにアクセスできるという点にある。かなり簡単に言えば、自分が仮想世界に飛び込めるということだ。そのため、現実世界でクマに遭遇して恐怖するのと同じように、目の前に飛び切りリアルで不気味なモンスターが出現することもある。挙句の果てには死んだら現実世界でも死亡とかいうデスゲームなのだから、未だに恐怖を抱え込んで身動きできない者もいるだろう。一層の《はじまりの街》にはそういう者達がいるはずだ。

 

 つまるところ、この仕様により、元々ある種の苦手を抱えている人には致命的な弱点を齎した。今回の場合で言えば、お化け・幽霊・妖怪が大嫌いな人は、目の前に飛び切りリアルで不気味なソレが現れるのだから出会いたくもないだろう。恐らく一度もキリトが迷宮区でアスナを見かけないのは、それが原因と見て間違いない。

 

 昔からユウキもあまり得意ではないのを知っているからか、アーカーの顔は怖がるユウキを慰めていた時と同じような保護者っぽいものになっている。ほんのちょっぴりだけ件の最前線にユウキを連れて行きたい悪魔のような気持ちが芽生えそうだったが、グッと堪えてキリトにだけは伝えておく。返信メッセージの中身に少々悪意を感じたが、気にしないでおこう。今頃アスナは、キリトに弱点を突かれていたりするかもしれないが。

 

 

 ———などと考えていた直後、まさに閃光と言える速度で森を突っ切ってきた闖入者が、ログハウスの扉をバァーンと派手に開け放った。隣でスヤスヤ寝ていたユウキがあまりの音に飛び起き、その拍子に床へと落ちて意識を覚醒させる。おでこをさすっている辺り、顔から落ちたのだろう。この場所を知っている時点で知り合いだということは確定していたが、果たして誰が来たのやら。好奇心と共にその闖入者の顔を拝む。

 

 まず目に入ったのは、すらりとした身体を包む白と赤を基調とした騎士風の戦闘服。腰に差した白革の剣帯に吊るされた優雅な白銀の細剣。すでに見覚えしかないが、一応顔も確認する。栗色の長いストレートヘアーに、大きなはしばみ色の瞳。全力疾走してきたせいか、髪は少し乱れ、呼吸を必死に整えているが、その姿を見間違えることはなかった。突然訪れた理由に検討がつかず、先程まで昼寝をしていたユウキは、目をパチパチと瞬きさせていたが、心当たりがあったアーカーは、何とも言えない顔で彼女の名前を呼んだ。

 

 

「えーっと、アスナさん……? どうかしました?」

 

 

 恐る恐る声をかけた直後、鋭い目がこちらを睨んだ。それを見て、ここに駆け付けた理由を確信したアーカーは、「あの馬鹿野郎………」とだけ毒づくと、いきなり飛来した全身全霊の《リニアー》を障壁越しに受けて、マイホームの壁に激突していた。

 

 

 

 

 

「ソラは直感も観察眼もあるけど、こういうところだけダメだよね。女の子の苦手なものを見抜いた上に簡単に教えちゃダメなんだよ?」

 

 

「………それに関しては身を以て知ったところだっての。覚えてやがれ、あの天然ジゴロブラッキーめ………」

 

 

「ほんっと! キリト君もアーカー君もデリカシーが足りないわよ!」

 

 

「キリトの奴が、『アスナを最前線の迷宮区で見かけないから理由が分かったりしないか?』なんて聞いてきやがったんだよチクショウ……真面目に考えなきゃ良かった………」

 

 

「そういう問題なのかな?」

 

 

 小首傾げるユウキと、未だ怒り冷めやらぬご様子のアスナ。真剣に解答したら酷い目に遭ったアーカーは、今すぐにでもキリトに対する報復措置の一つでも考えてやろうと思考回路をフル回転させている。

 

 

「………それでアスナ。お前が最前線攻略サボってるのホントか?」

 

 

「ギクッ」

 

 

「え、アスナが? みんなから《攻略の鬼》って言われてたりしたアスナが最前線攻略サボってるの?」

 

 

「………………はい」

 

 

 アーカーの言葉にユウキが反応し、「どうして?」といった顔で訊ねる。その訊ね方が小動物のような可愛らしいものであったこともあり、さしもの《閃光》も口籠もりつつも素直に答えた。疑問に感じると納得するまで聞きたがるユウキは、当然さらに畳み掛ける。

 

 

「もしかして、細剣(レイピア)だとダメージが入らない敵が出てきたとか、そういうのだったりするの?」

 

 

「…………違うの」

 

 

「それじゃあ、体調があんまり良くなかったとか?」

 

 

「…………ち、違うのユウキ……そうじゃなくて………」

 

 

 次々と質問責めするユウキに、アーカーは天然のドSだなぁと思いながら、楽しげにその光景を見守る。お前の方がドSじゃねぇのかと他に誰かがいたらツッコミそうだが、幸い誰もいないため、もう少しほどその光景が続けられた。

 ユウキの悪意のない質問責めに耐え切れなくなったのか、ついに観念したアスナが口を開く。

 

 

「ゆ、幽霊とかお化けとかがいっぱい出るから………」

 

 

「あー、やっぱりか……」

 

 

「…………ご、ごめんね、アスナ。そうだとは知らなくて………ごめんね?」

 

 

「………良いのよ、ユウキ。何処かの誰かさんは見抜いてたみたいだから………」

 

 

「そうだな、とある何処かの誰かさんは確証のないそれをストレートで訊ねたみたいだな。マジで覚えてやがれ、あの天然ジゴロブラッキーめ」

 

 

 何処かの誰かさん(アーカー)は、とある何処かの誰かさん(キリト)に毒づいた。直後、ジーッとこっちを睨むユウキに、両手をあげて降参の意を表明する。これ以上下手なことはしませんという意味がちゃんと通じてくれていることを祈る。幸い伝わっていたらしく、ユウキからの追撃はないまま、六十六層迷宮区の話に戻る。

 

 

「分かるよ、アスナの気持ち。ボクも幽霊とかお化けとか得意じゃないんだ……。いつもソラに守ってもらったりしてるんだよね……」

 

 

「ユウキもなの? 良いなぁ、守ってくれる人がいて。私の場合は、そうやって守ってくれる人というよりは………」

 

 

「し、親衛隊みたいなノリだもんね、アスナの周りって………」

 

 

「パーティーだと安全性が高まるのは嬉しいんだけどね。こう……なんて言うのかな……うん」

 

 

「大変だね、アスナ……」

 

 

 同じ幽霊・お化けが嫌いな者同士、普段よりも心が通じ合うのか、少しずつ表情が明るくなっているのが分かる。暫くしないうちに、何とか普段通りのアスナに戻るだろう、とアーカーも一安心したところで、どうやってキリトに報復してやろうかという嫌がらせの計画を綿密に建てようとまた思考回路をフル回転させ、隣の部屋に移動しておいた。一緒の部屋に居づらいというより邪魔をしたくなかったからだ。とはいえ、移動中だったために会話を多少なりとも盗み聞きしてしまっているが、これぐらいは許されるはずだと信じたい。

 

 

「それでね、アスナ。昔ね、ソラが部屋を暗くして驚かしてきた時があったんだよ! ちょっと前に怖い話がテレビで流れてたせいで、ボクすごく怖かったんだ〜!」

 

 

「へぇ……? それはさぞ怖かったでしょう……?」

 

 

「え?」

 

 

 突然の暴露。続く凍りつくような視線に、全身を貫かれたような悪寒が駆け巡る。壊れたブリキ人形のようにゆっくりと首を動かし、後ろの方に目を向けると、ユウキを慰めながら全力でこちらに殺気立つアスナの姿があった。それを認識した途端、思考回路がいとも容易く停止。次の瞬間には、またも強烈な一撃が懐に入ったという感覚だけを残して、またも壁に激突している自分を他人事のように感じていた。リビングとして使っている大きめの部屋の中央から、隣の部屋まで少し距離があったのだが、どうやら《閃光》の名に恥じない妙技が放たれたらしい。

 

 

「アスナ、どうかしたの?」

 

 

「ううん、なんでもないよ。ちょっとそこに無罪放免になって逃げてそうな人がいたから、有罪判決下しただけだよ」

 

 

「?」

 

 

 隣の部屋だったためか、アスナが何をしに行ったのか分からないユウキは、的を射ているようで射ていない微妙な説明に小首を傾げながら、また彼女との会話を始めることにした。隣の部屋で、自分が暴露したことでまたも手痛い一撃を障壁越しに受けた恋人がいるとは知らないまま———

 

 

「マジで容赦ねぇな、あの人………」

 

 

 痛いはずがない身体を労わりながら、アーカーは隣の部屋でゆっくり休むことを選ぶ。またユウキの口から過去の悪戯が暴露されたりしないか心配だったが、不意に眠気が強まったのか、その場にあった椅子の背凭れに寄りかかると、そのまま静かに目を瞑った。

 

 

 

 

 

———*———*———

 

 

 

 

 

 夢を、見た。

 真っ暗な場所で。

 

 

 目は、世界中の景色を見るためのものだと理解した。

 

 

 耳は、世界中の音を聞くためのものだと理解した。

 

 

 鼻は、世界中の匂いを嗅ぐためのものだと理解した。

 

 

 舌は、世界中の味を感じるためのものだと理解した。

 

 

 指先は、世界中の物を触れるためのものだと理解した。

 

 

 そして、ここは、何処なのだろう。

 ここが何処かを知りたいと願った。

 ここが何処かを知りたいと祈った。

 ここが何処かを知りたいと求めた。

 

 

 

 ———答えは返ってこない。

 

 

 

 言葉は届かず———

 

 

 光も、熱も、願いも、祈りも———届かない。

 

 

 

 ここは————何処なんだ?

 

 

 

 

 

———*———*———

 

 

 

 

 

「——————」

 

 

 誰かが呼んでいる。

 

 

「———————!」

 

 

 誰かが呼んでいる。

 

 

「—きて———ラ!」

 

 

 誰かが呼んでいる。

 

 

「—きて—、—ラ!」

 

 

 誰かが———呼んでいる。

 

 

「起きてよ、ソラ!」

 

 

 声が———聞こえた。

 

 

「………ん? ユウキか。どうしたんだ?」

 

 

「やっと起きたよ……。ソラを見かけないなって思って部屋を回ってたら、ソラが魘されてたんだ。大丈夫? 気分悪かったりしない?」

 

 

「ああ、大丈夫だ。つーか、俺が魘されてたのか? ユウキじゃなくて?」

 

 

「ソ・ラ・が! 魘されてたんだよ」

 

 

 わざわざ強調するユウキに、苦笑いをしながら頷く。

 

 

「どんな夢見てたの?」

 

 

「あのな……夢っていうのは、基本的に覚えてないようなモンだぞ? 覚えていたら是非とも内容を聞いてみたいよ」

 

 

「魘されてたから、原因があるなら一緒に解決してあげたいなって思ったんだ。覚えてないならどうしようもないかなぁ……」

 

 

 高々悪夢。それだけなのに、真剣に考えてくれる。そんな少女に、クスリと笑い、少年は求めた。

 

 

「それだったら、今日は悪夢見ないようにいつもよりそばにいてくれよ。あの時、お願いしただろ?」

 

 

 悪戯が好きそうな歳相応の少年らしい笑みを浮かべて、アーカーは願う。ユウキはそんな彼の表情を見て安心して答えた。

 

 

「うんっ、ボクで良ければ!」

 

 

 ざわついていた心が安らぐのを感じた。どんな夢を見ていたのか分からないけれど、決してロクな夢ではなかったのだろう。

 

 

「ところで、アスナはどうしたんだ?」

 

 

「一度帰ったよ」

 

 

「……茶の一つでも出せば良かったな」

 

 

「ねぇ、ソラ」

 

 

「ん? どうした?」

 

 

「この後、ここにアスナやリズ、シリカを呼んでもいいかな?」

 

 

「何かするのか?」

 

 

「うんっ。アスナがね、女性だけで集まってお茶会しようって」

 

 

「へぇ、ンじゃせっかくだ。俺は借りを倍返しにキリトのところ行ってくるかな」

 

 

「追い出すようでごめんね?」

 

 

「ん? いや、別に気にしなくていいぞ。むしろ、ユウキがちゃんと楽しめてたら、それで良いんだからさ」

 

 

 「何かあったらメッセージ送ってこいよ」とだけ告げ、ひらひらと手を振るとアーカーは家を出る。本人は良いと言ってくれたが、何処と無く悪い気がしたユウキは、《料理》スキルのレベリングを頑張ってマフィンでお返ししようと考え、彼の言葉に甘えることにした。

 

 素早くメッセージを送って、許可が降りたことと今すぐ来ることができるかを訊ねた。かなり返ってきたメッセージ三通に小さくガッツポーズを取った後、三人がここを訪れる前に粗方の準備を終わらせてしまおうと動き出す。ティーポットに水を入れて沸かす準備をし、茶葉も用意する。何処かの層にはタップするだけで色んな味の飲み物が湧き出るアイテムがあるらしいが、残念ながらユウキ達は持っていない。買い出しに行った時に買ったお菓子をいくつかオブジェクト化し、テーブルと椅子を並べた。

 

 

「こんな感じかな? あとはお湯が沸騰するまで待たなきゃ」

 

 

 「それまで何していようかな〜」と呟きながら、ユウキがアスナ達を待とうとした時、突然メッセージが届いた。アスナ達の誰かに用事が出来てキャンセルになっちゃったのかな?と思いながら、それを開いて確認してみる。そこにはこう書かれていた。

 

 

『ユウキ頼む助けてくれ! 今、五十層の自宅前でアーカーに追い掛けられt』

 

 

 メッセージは不自然に途中で途切れてはいたが、何が起こったのかを物語るには充分なものだった。多分少し前にアスナがここに駆けつけてきた理由の件だとユウキは考える。恨み節の篭った文言をひたすら彼が呟いていたのを思い出したからだ。メッセージの内容から必死さが伝わる辺り、恐ろしい勢いで追い掛けられたのだろうと容易に想像できた。アインクラッドにおいてAGI値で右に出る者がいないアーカーに、STR値寄りのキリトが逃げられるはずがなかった。その結果がこれなのだろう。今頃アーカーがキリトをどうしているのか、想像に難くないが、ユウキは何もなかったようにアスナ達を待つことにしたのだった————

 

 

 

 

———*———*———

 

 

 

 

 

 三十九層 主街区《ノルフレト》

 

 

 

 

 

 そこは旧《血盟騎士団》ギルド本部があった階層として知られ、街並みはファンタジー世界における田舎町といったものだった。穏やかでほのぼのとした、デスゲームと化したこの世界では、少しばかり場違いなようにも思えた。誰もがここを初めて訪れた時には首を傾げたことだろう。殺伐とした世界観が見当たらないのだから、それは感じて当然なのかもしれない。流石に二十二層のような穏やかすぎるものではなかったが、それでもここにギルドがある頃の《血盟騎士団》は精神的に健全だったのだろう。幹部連中達の盲信ぶりを見たことがあったアーカーは、自然とそう思ってしまっていた。

 

 五十層の主街区《アルゲード》にて、キリトを見つけて、逃げる彼を容赦なく捕獲しデュエル五連戦をするという報復措置を取ったのは良かったが、当然そんなもので時間を潰せるはずもなく、その後がどうしようもなく暇になったアーカーは、暇潰しに色々な階層に降り立った。最前線や中層、下層まで。あまり行かなかった層を中心に巡ったが、やはり暇潰しにはならなかった。

 

 さて、どうしたものかと考えた矢先、かつて〝茅場 晶彦〟と初めて出会い話した、長野県の田舎でのことを思い出した。あの時は引取先であった『雨宮家』に属する偽りの両親に連れられ、義理の妹と共に訪れたのだったなと、ほんの少しだけ振り返った。そこから、田舎町繋がりで三十九層に訪れたのはただの気まぐれだった。

 

 田舎町らしい、ほとんど人のいない主街区を眺め、あの時とよく似ているなと思いながら、時刻を確認する。そろそろ夕方だ。とはいえ、ユウキからのメッセージが届いていない辺り、話が盛り上がっているのだろう。暇潰しになればと、夕焼けが綺麗に見えそうな丘の上へと登った。

 

 

「………綺麗なモンだな」

 

 

 デスゲームが始まる前、一層でユウキと共に見た夕焼けを思い出す。あれもなかなか綺麗だったが、ここは田舎町ということもあり、雰囲気がとても良かった。デートスポットとしては渋いかもしれないが、なかなか悪くないと思えた。勿論、夕焼けを見る前提ならばの話になるが。

 

 

「不思議だな、この光景は……あの場所とよく似ている」

 

 

 〝茅場 晶彦〟と言葉を交わし、共に見た夕焼けにとても似ていた。まるで、あの男が()()()()()()()()()()()()()()かのように。そんな不思議な感じがしていた。意識して夕焼けを見比べてみるが、本当によく似ている。あの景色は確かに綺麗だったからか、鮮明に残っていた。ここは仮想世界だというのに、この景色だけは現実世界のように思えてしまった。

 

 

()()()()()()()()()

 

 

 不意に傍らから声がした。アーカーが視線を右に向けると、いつの間にかそこに男が一人立っていた。

 外見には威圧的な所のなかった。二十代半ばだろうかという、学者然とした、削いだように尖った顔立ち。秀でた額の上にら鉄灰色の前髪が流れ、長身だが痩せ気味の身体をゆったりとしたローブに包んでいた。その姿は、剣士というより魔術師のようだ。以前見た《魔笛のウタカタ》が黒魔術師なら、こちらは白魔術師のように思える。これらの特徴を満たす男をアーカーは一人しか知らない。

 

 

 

 ヒースクリフだった。

 アインクラッド最強の男と目される、攻略組の長とすら言える人物。その男が、何故か隣に立っていた。

 護衛らしき者達が一人として見当たらない。隠れているのかと思い、完全習得した《索敵》スキルを発動させるが、反応なし。本当に一人で来たようだった。

 

 

 

「隣に座っても構わないかな?」

 

 

「ああ、別に構わない」

 

 

 右横に静かに座る伝説。お調子者ならここですぐに記録結晶を取り出したりして撮影を試みるという愚行を働くだろうし、情報屋なら「ここに伝説の男ヒースクリフが来た!」という情報を流して、ここをパワースポットにでも仕立てようとするが、生憎アーカーにはそのどちらもやる気がなかった。面倒だというのもあったが、それ以上にこの男が偶然来たとは思えなかったのだ。定期的に訪れている、そんな気がした。

 

 

「護衛は……いないみたいだな」

 

 

「職務が済んだのでね、気分転換にといったところだよ」

 

 

「怒られないのか?」

 

 

「心配はされるとも。しかし、常に護衛がいなくては怖くて歩けないとあっては示しがつかないだろう」

 

 

「あの盲信者共からすれば、万に一つ無いと思っていても、お前が殺されるかもしれない危険性が僅かでもあることにビクビクしてるんだろうよ。大変だな、伝説の男ってのは」

 

 

「君も似たようなものだ。《絶天》、《最前線狩り》———君が積み上げた功績は、攻略組としても認めざるを得ないものだ。前者は君の実力を讃え、後者は君の狂気を恐れた。私としても、君の在り方には危うさはあれど、末恐ろしいものがあると感じているよ」

 

 

「それはどうも。幸い今は恋人に振り回されてるんでな。最前線で暴れ回る余裕もねぇよ」

 

 

「君が振り回されるとは、ユウキ君もなかなかお転婆なのかな?」

 

 

「違いない。アイツらしいっちゃアイツらしいが、少しだけ落ち着いてくれても良いとは思うよ———いや、落ち着いたらアイツらしくねぇか」

 

 

「私も同意見だ。彼女は自身の在り方で他者を鼓舞する。誰よりも前に立ち、誰よりも前で進もうとする。彼女に助けられた者は多いだろう」

 

 

「そうだろうな。アイツは強い。俺なんかよりずっと」

 

 

 《天駆翔》。このユニークスキルを使いこなした時には、恐らくユウキも《至天剣》を使いこなしているだろう。もう一度全力で戦ったとして、果たして勝てるだろうか。アーカーは少しだけ考えた後、答えを出した。()()()()()()()()()。ユニークスキルの効果がそもそも負けているからか? それもあるだろうが、アーカーは違うと断じた。ユウキはあんなものが無くても進化を続ける。誰よりも速く、誰よりも強く、他者の強みを吸収し、己が糧へと変えて、成長していく。その先に限界はない。〝諦めない〟という信条が、限界を作っては壊し続けるのを、彼は見抜いていた。

 

 

「ヒースクリフ。お前の伝説を破るのは、アイツかもしれないぞ」

 

 

「なるほど、それは楽しみだ。君は、破りに来ないのかな?」

 

 

「それも一度は考えたさ。でも、俺が破ったとしても意味はない。俺は誰かの上に立つには脆すぎる。常に隣に誰かがいなければ、やっていられない。《笑う棺桶》———アイツらのうち十数人を殺った後、俺は自分を見失った。〝死にたい〟と望んで、水中潜って頭押さえつけて殺してくれる奴をただ待ち望んでた自殺願望者に成り果てた。そんな奴が上に立っていいはずがない」

 

 

 すぐに命を投げ出そうとする無責任な奴が背負えるほど、世界は甘くない。アーカーはそれを我が身で思い知った。無茶を繰り返した挙句の自滅だ。あそこでユウキが現れず、行方を眩ましていたPoHでも現れれば、俺は喜んで死んでいただろう。それはキリトが来ていたとしても、アスナが来ていたとしても一緒だった。ユウキだからこそ俺は救われた。アーカーはそう思った。

 だからこそ、彼なりに上に立つ者がどんな奴か、答えは出ていた。

 

 

「本当に強い奴ってのは、自分の罪も痛みも全部背負って、誰かを導き続けられるような化け物(英雄様)だ。残念ながら俺にはそういうことは出来そうにない。ユウキはそういうことが出来る器だ。でも、俺が絶対にさせない」

 

 

 ユウキは英雄なんかじゃない。アイツは俺の幼馴染で、親友で、恋人だ。齢14を迎えて、少しばかり経った子供だ。英雄が歩むような茨の道をアーカーは一歩でも進ませたくなかった。声に出して、そう宣言する。

 

 

「君も彼女も、互いに恵まれたものだな。〝二人で一人〟というものを生まれてこの方見たことがなかったが、君達のような者なのだとよく分かった」

 

 

「素直に喜ばせて貰うよ。なあ、ヒースクリフ。お前には、そういう奴はいなかったのか?」

 

 

「そうだな。残念ながら、共に隣を歩いてくれるような者はいなかった。私だけが先に行き過ぎたのもあるだろう」

 

 

「確かにお前はそんな気がする。一人で先を歩いて、一人で答えを見つけて———ただ一人で、日々に飽いている。俺にはそう見えたよ。癪に触ったのなら謝罪する」

 

 

「いや、君の言ったことは間違っていない。むしろ、よくそこまで私の本質を見抜いたものだと思う。私自身、自分がどう言った人間なのかを理解できていない。当然のことかもしれないが、不思議とそう思ってしまうのだよ」

 

 

「俺も似たようなモンだ。人生そのものに飽いていた。目に映ったものも、耳に聞こえたものも、鼻で嗅いだものも、舌で味わったものも、指先で触ったものも———全部が退屈だった。新鮮さなんて一つだって感じなかった。既視感って言うんだろうな。ホントは楽しみにしていたはずなのに、気付けばつまらなくなっていた」

 

 

 ユウキ以外にこのことを打ち明けたのは初めてだった。現実でギリギリ身バレしない程度の内容だが、それでも、〝雨宮 蒼天〟という人間を理解する上では欠かせない情報とも言えた。人に自分を知ってほしい、なんていうのは人間誰しもが抱く本懐だ。

 

 けれど、人間誰しもが自分を晒け出せるような勇気のある奴ではない。環境が悪ければ、明かすことすら出来ず、仮面を被り続けることだってある。俺はそういう人間だった。唯一信じられる相手だ、と思っていたくせに少し前までユウキにすら話していなかったような奴だ。卑怯者であり、臆病者であり———そして、どうしようもない奴だった。そんな自分を卑下して、隠して、我慢した。痛みにも、欲望にも、何でもかんでも全て。

 

 その結果があれだというのなら、当然の報いだ。ユウキ以外の他人を疑い続け、ユウキ以外の他人を信じることをせず、全て偽りなんだとレッテルを貼り付け、自分から距離を取った。

 

 それが偶然ユウキの本当の苦しみに気がついて、()()()()()()()()から、最期の瞬間までずっと一緒にいてやると謳い、〝諦めるな〟と声をかけ続け、たまたま救えた。それが、矮小な自尊心を舞い上がらせた。

 

 憐れだと思う。

 愚かだと思う。

 馬鹿だと思う。

 そんな俺を、ユウキは認めてくれた。愛してくれた。ずっとそばで支えてくれると誓ってくれた。

 

 

「俺はその程度の奴だ。けれど、その程度の奴を認めてくれた人がいる。愛してくれた人がいる。そばで支えてくれると誓ってくれた人がいる。それでやっと俺はその程度の人間で構わないって思ったよ」

 

 

 それが、今の俺の答えだ。

 

 

「まぁ、うだうだと言ったが、人間っていうのは存外単純なんだろうな。きっと天才なんざいねぇよ。どいつもこいつもみんな馬鹿で結構だ。守りてぇモン守って生きていれば、きっとそれで満足できる。それは夢だろうときっと同じだろうなって俺は信じてみたい」

 

 

 とても理屈になっているとは思えないような稚拙な考えを述べ切って、アーカーは馬鹿馬鹿しくなって笑う。学者然としたヒースクリフには耐えられない程の苦痛な時間だったかもしれないと反省の気持ちはあれど、どうしてだろうか、とても我慢できそうになかった。ユウキみたいに〝心で物を語れ〟などという有様になっていたから。

 

 

 

「フッ———」

 

 

 

 そんな情けない有様だと笑っていたアーカーに、自分以外の誰かの、クスリと笑う声が耳に届いた。近くに誰かいたのか?と急ぎ、《索敵》スキルを起動するが、反応なし。聞き間違いかと思った直後、誰一人として聞いたことがなかった、ヒースクリフの笑い声が聞こえた。ぎこちなく不恰好で不器用な———そんな笑い方だった。不思議なものを見るような目で思わず見てしまったが、アーカーは下手な激レアアイテムよりもレアなものを聞いたのかもしれない。

 

 

「すまない。つい可笑しくて笑ってしまった。悪気はないのだが、分かってもらえるだろうか」

 

 

「どっちかというとお前が笑ったことに驚いて口が塞がらなかったんだが」

 

 

「おや、顎が外れてしまったのかね? それなら———」

 

 

「オーケー、ヒースクリフジョークはマジでやめろ。絶対お前STR高いだろ。顎どころか他のところにダメージがいくのが目に見えたわ」

 

 

「ふむ……STRが高いのも考えようか」

 

 

「悪い、俺はお前のこと堅物だと思ってたが、どうやらそうじゃないらしい。ホントは天然だなお前」

 

 

「天然か……どうやら自分の知らない自分とやらがこんなところにあったらしい」

 

 

「これ以上下手に扱うと《血盟騎士団》団員に総動員で殺されそうな気がしてきた………」

 

 

 一種の狂信者集団とも言えるアイツらが、今のヒースクリフを見たらどうなるだろうか。珍しいものが見れたと喜ぶか?———いや、無いだろう。こんな風に変えた奴を見つけ次第、ぶっ殺しにかかるだろう。全階層隈なく探し回り、見つけたら容赦しないのが目に見えた。

 そんな中、ふとヒースクリフが口を開いた。

 

 

「この景色を見られるのも、あと数回だろうと思ったのだ。()()()()()()()()()()()()()()()。これからはさらに迷宮区の難易度も上がるだろう。余裕は無くなっていく。見納め、という訳ではないが、この景色を覚えておきたかったのだ。私にとって、この景色は〝決意の原風景〟でね」

 

 

「そうか」

 

 

「君とこうしてゆっくりと会話したことは無かったが、お蔭で懐かしいものを思い出した。私も現実世界で君のような達観した少年と少し会話をしたことがある」

 

 

「へぇ。そいつクソガキだったんじゃねぇのか?」

 

 

「聡明な少年だった。私とよく似ていたよ、外見ではなく内面がね。酷く空虚だった」

 

 

「そうか……そいつ、報われてるといいな」

 

 

「フッ———心配には及ばないだろう。()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「………………え?」

 

 

 驚愕するこちらを置いて、ヒースクリフはその場から立ち上がる。

 

 

 

「また会おう、()()()。君とはどうやら並々ならぬ縁があるようだ」

 

 

 静かに立ち去っていく伝説の男。その背中を呆然と見送った後、その姿が見えなくなった頃に、アーカーは漸く我に返った。

 だが、それは同時に〝ある確信〟を間違いのないものにしていた。

 

 

 

 

 

「ヒースクリフは———叔父さん………アンタだったのか」

 

 

 

 

 

 その声は、夕焼けと共に沈んでいった————

 

 

 

 

 

 謎の夢と確信 —完—

 

 

 

 

 

 

 






 ついに最前線は、七十四層へ。

 物語はアインクラッドの終焉へと加速する。

 アーカーとユウキ、二人は最前線にて、

 ついにあのモンスターと対峙する。

 次回 時にS級食材は人間関係をも左右する



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18.時にS級食材は人間関係に左右する



 はい、何とか完成しました。
 今回はちょっとだけソラ/アーカーの過去を公開。
 いずれ明かされる彼の過去を個人的に推測していてもらえれば、と思います。感想欄に書き込んだりされると、流石にこちらとしても対応に困ってしまうので。

 それと今更ですが、お気に入りが三桁を突破したことと、UA5000突破しました。ありがとうございます。9.50評価を頂けたことが一番嬉しいです。ぶっちゃけた話、《ゲーマー夫婦》よりも達成感すごいです。向こうも何とか更新しますから石投げないでっ!
 あともう一つ。日刊ランキングの方も16位にランクインしました。本当にありがとうございます。これからも頑張りますのでよろしくお願いします!




 

 

 

 

 

 

 西暦2024年 10月17日。

 

 

 

 もう少しでデスゲーム開始から二年が経とうとしている頃、現在のアインクラッド、その最前線は七十四層へと到達した。あと二層で四分の三がクリアされようという中、攻略組はかつてない程に緊張感を高まらせていた。

 

 その原因となったのは、七十五層。《クォーター・ポイント》が迫りつつあったからだ。何度もフロアボス攻略を経験した攻略組であっても、過去に二度の《クォーター・ポイント》で地獄を見た。二十五層では多くの死者を出し、五十層では多くの緊急脱出者を出した。

 

 一際強力なフロアボスが出現するポイントであったのは事実だ。それを知って五十層では対策を考え挑み———あのザマを晒した。ヒースクリフがいなければ、戦線は崩壊し、僅かなメンバーを残して大量の死者が出ていたことは言うまでもない。転移結晶にも弱点がある。転移までの間に攻撃を受ければキャンセルされるという弱点が。

 

 過去に数度《結晶アイテム無効化空間》という罠があった。それは、罠であるが故のものであると述べた者がいたが、それがフロアボスの部屋に適応されないとは限らない。これは一年以上に及んで最前線を潜り続けた少年が、仲間達に告げた自論である。

 

 果たして、その読みが当たるか否か。真実は、システムの神のみぞ知る————

 

 

 

 

 

———*———*———

 

 

 

 

 

 場所は移り、最前線七十四層《カームデット》迷宮区内にて。

 

 

 

 そこでは、白銀色に迸る雷光と青紫色に瞬く閃光があった。その二つの輝きは、容赦なく一つの生命体を切り刻んでいた。《リザードマンロード》———プレイヤー達からは専ら〝トカゲ〟としか呼ばれない悲しきモンスター、それが切り刻まれていた正体である。レベルは82。階層の数字よりも高い時点で、その厄介さは伝わるはずだろう。これまでのRPGでは、基本的に階層とレベルの誤差はそうない。大体階層と同じレベルに達していれば、安全が一応保証されるのが常だ。

 

 しかし、これは通常のRPGではない。挙句の果てには、本来のゲームですらない。HPが全損することが、現実世界での〝死〟と直轄するデスゲームという、言わばクソゲーに入る部類である。《ソードアート・オンライン》と銘打たれたこの世界では、これまでのゲームでの常識は一切通じない。元々プラットフォームが一線を画しているのもあるが、この場合においては、モンスターに設定されたレベルの概念もかなり異なっている。階層と誤差のない程度のレベル設定……などというものはないのだ。

 

 そういう意味では、前述の通り、〝トカゲ〟は厄介極まるモンスターであったはずなのだが———

 

 

「———何処見てんだ?」

 

 

 〝トカゲ〟の背後から、〝死〟を告げる悪魔の一喝が放たれた。これまでのどのゲームよりも高性能AI学習を持つモンスターは、すぐさま背後に向けて曲刀を振るうも、そこには何もいない。直後、強烈な一撃が無防備な背中に見舞われ、大きくHPを減らす。

 

 

「ボクはここだよ!」

 

 

 背後から斬られたことで疎かになった正面から強烈な一撃が懐に一突き。心臓めがけて放たれた刺突は、急所である心臓を深々と貫いた。先程の不意討ちの非ではない程の大ダメージが入り、残り僅かなHPは全て食い尽くされ、〝トカゲ〟はその全身を突如として硬直させ、無数のポリゴン片となって爆散した。

 

 モンスターを倒したことによる経験値とアイテムなどのリザルトが、二人のプレイヤーの前に表示され、それを確認すると消去する。今し方〝トカゲ〟を倒したのは、この二人だ。表示されたHPは微塵も減っておらず、完全なワンサイドゲームであったことがよく分かる。それもそのはずだ。この二人になら、そういった戦い方が出来る。

 

 

「やったね、ソラ! やっぱりスイッチは出来るだけ早く回した方がいいのかな?」

 

 

「ンな訳あるか。あれは俺達だから打てる手であって、他の奴らは早々できねぇよ」

 

 

「キリトとアスナなら出来るかな?」

 

 

「ま、出来ると思うぞ。

 ただし、俺達みたいな高速回しは無理な。ステ振りが違うだろ」

 

 

 

 毛先だけが白い黒髪ショートに灰一色の皮装備を身につけた少年と、濡れ羽色とでもいうべき艶やかなパールブラックの紫髪ロングに黒曜石の胸部アーマーがついたバトルドレスを着こなす少女が、呑気な会話を交わしている。

 

 この世界は、現実の姿を全くの狂いなく模倣されたプレイヤー達ばかりが存在する。つまり、この二人の造形は、キャラクリなどと言われるもので作られたものではない。正しく歳相応の少年少女だ。

 

 だが、侮るなかれ。この二人には、ある定説がある。

 

 アインクラッドに、二つの〝絶対〟在り。

 一つは、《絶天》。《最前線狩り》の二つ名を馳せた絶対的強者。相対した敵を一つの例外なく討ち滅ぼす、灰色の伝説。

 一つは、《絶剣》。絶対無敵の剣、空前絶後の剣と称される絶対的強者。挑まれたデュエルは全て勝利を収めた、青紫色の伝説。

 

 休暇から復帰し、再び最前線に現れて一週間も経たないうちに着いた尾ひれがまさにその通り。二つ名に関しては以前から存在していたものだが、他の尾ひれは本人達も聞いた時に呆れたものだった。曰く前者は化け物だとか、後者はボクっ娘だとかはよく聞いた話だが、こうも定説がくっついたのには、流石に気恥ずかしいものがあった。

 

 迷宮区に潜ってから数時間が経ち、ちょうど戦闘も終わったところで、少年———アーカーは、少女———ユウキに声をかけた。

 

 

「さて———もう少し先に進んでみるか? 消化不良って顔してるように俺には見えるぞ」

 

 

「今日はこの辺りで終わりかな。ソラの言う〝もう少し〟は〝最後まで〟っていう意味なの分かってるからね? あと、ボクはソラみたいな戦闘狂じゃないよ! 消化不良は………うん、確かにそうかな〜あはは………」

 

 

「チッ、流石ユウキ、もう乗ってこなくなったか……。あと、消化不良を感じるって言ってる時点で、もはや戦闘狂のお仲間だからなお前」

 

 

「むー………」

 

 

 《絶天》の二つ名を馳せるアーカーは、同じく《絶剣》の二つ名を馳せるユウキを揶揄う。頰を膨らませて不満げにこちらを睨む彼女に、彼は「事実だろ?」と笑いかけた。二人が最前線に復帰してから、はや数ヶ月が経ち、攻略ペースは少しばかり早まった。かつてのような異常な迷宮区攻略速度は息を潜めたが、当然それは足並みを揃えるようになったからだ。言い方は悪いが、その元凶であったソラには現在首輪が付いている。物理的な首輪というより、精神的な首輪だ。弱みを握られているという訳ではなく、そばにいる恋人がちゃんとそれを我慢をさせているというべきか。

 

 最前線に復帰した日。当然ながら、復帰することを告げに行った二人は、まず最初に攻略組代表であるヒースクリフからこう言われた。曰く「攻略するのが速いのは良いことだが、速すぎるとこちらが戸惑ってしまうので、足並みを揃えてほしい」とのこと。事実、一年以上に渡ってアーカーが《最前線狩り》という二つ名をつけられた原因がそこにあった。新階層が開通して一週間もあれば、フロアボス部屋を見つける所業はハッキリ言って化け物だ。人間業ではないなどと攻略組の有力プレイヤー達に言われていたこともあり、攻略組の長のような立場にあった彼には頭痛の種だったらしい。それは結果として、アーカーは「攻略早めるのダメ」と言われてしまったのである。当然ながら本人に不満はあったのだが、そばに控えていたアスナの笑っていない笑顔を見て、不満という文字は頭から消え去った。物凄く怖かったのである。それは隣にいたユウキも同様に。

 

 相棒 兼 恋人であるユウキは、必然的に暴走気味のアーカーを抑えるストッパーの役割をヒースクリフ直々にお願いされ、今に至る。彼が彼女に「攻略続けるか?」と聞くのは、それが習慣付いた証とも言えた。戦闘狂云々や消化不良云々聞くのは、ある意味アーカーが攻略組の裏を掻いて攻略を進めようとしている前兆でもあるのだが、何度か引っかかって二人揃って怒られた影響か、ユウキはその誘いになかなか乗らなくなっていた。何度も悔しい顔をするところを、たまたま通りかかったアスナに見られて怒られるのが日常となってきている。

 

 残念ながら今日も攻略続行とならなかったため、少しばかり落ち込みながらも、アーカーは大人しく帰ることを選ぶ。復帰直後は、無駄な抵抗を試みたことがあったが、今では完全に諦めている。理由は………言うまでもないだろう。

 

 

「ンじゃ帰るか。今日の晩御飯担当はユウキだからな?」

 

 

「あ、そっか忘れてたよ。うーん、何にしようかな〜。ソラは何が良い?」

 

 

「俺か? そうだなぁ………シチューとか悪くないと思うぞ」

 

 

「うんうんなるほど、シチューか〜いいね! 腕に縒りをかけて美味しいシチュー作ってあげるから楽しみにしててよ!」

 

 

「おう、楽しみにしててやるよ。そういや、シチューって言えば、確か《ラグー・ラビット》から取れる肉で作ると絶品って聞いたな」

 

 

「《ラグー・ラビット》……一度は食べてみたいね〜ソラ」

 

 

「だなぁ……あの兎、激レアモンスターだもんな。一層の《森の秘薬》クエの胚珠より見つからねぇんだよなぁ………」

 

 

「確かにね。あれはボクが数時間で胚珠たくさん手に入れられたもんね〜」

 

 

「俺はあの時から運が無いと自覚したよホント……逆にお前が運気高すぎることを知った」

 

 

「ボクって、そんなに運良いのかな?」

 

 

「おう、だったらこの間拾ったA級食材と個数を今ここで全部言ってみろ。両手で数え切れなかったら、承知しねぇからな」

 

 

「や、やっぱり何でもないよ〜」

 

 

 晩御飯トーク(?)をしながら、二人は迷うことなく迷宮区から出た。出たと同時に眼前に広がるのは、鬱蒼と茂る暗い森だ。幸い真っ直ぐに森を貫く一本の小路があるが、これが無かったのなら、それこそ一層のペネントだらけの森や、三十五層の迷いの森と見た目は変わらない。特に後者には良い思い出が微塵も無いので行きたくない。最恐最悪の殺人者(レッド)と遭遇するとかどんな不幸だよ、と今でも毒を吐くこともしばしば。あの頃はユウキと喧嘩別れして共にいなかったこともあり、アーカーにとって、精神衛生上出来るだけ黙っておきたい過去となりつつある。たまに掘り返されて不機嫌になるが、その度にユウキに慰めなられている情けない有様を晒すこともセットだ。よく掘り返す常習犯は当然ながら例の天然ジゴロブラッキーである。

 

 その森を抜ける間も楽しげに会話は続く。その中には交友関係がまた広がったという話もあり、嬉しそうに喜ぶユウキの姿を見るのは、アーカーの密かな楽しみでもあった。たまにこの流れから、「ソラは他に友達作らないの?」と言われて胸にグサリと刺さるが、鋼のメンタルで耐えるしかない。ユウキによって、ある程度改善されたが、アーカーが持つ他人への疑心暗鬼の悪癖は()()()()()()()()こともあり、相当根深かった。

 

 そうこうしているうちに、森を抜けた先にある草原も抜けた。主街区《カームデット》まではあと少し。筋くれだった古樹が立ち並ぶ広々とした森を抜ければ、すぐそこだ。夕暮れ時もそろそろだろう。現実世界ほどシチューを作るのに手間も時間もかからないが、出来ることなら日が沈むまでには帰りたい。そんなこともあり、早々にAGI値全開で踏破してしまおうかとユウキに提案する。

 

 

「なあ、ユウキ」

 

 

「ソラ、どうかしたの?」

 

 

 「全力疾走して帰らないか?」と今にも言おうとした時、高く澄んだ草笛のような一瞬の響きにも似た獣の鳴き声が微かながらも耳に届いた。その鳴き声は、一度としてアーカーが聞いたことのないものだった。彼が気付くのと同時に、ユウキもまた気付いていた。両者共に頷き合い、無言ながらも次の行動を統一する。その一連の流れは、いくら仲が良くとも、そう簡単に真似できないものだ。視線を交わし頷く、たったそれだけの動作でお互いの動きを把握するなど、それこそ熟年夫婦や幼馴染の領域に言っても過言ではない。

 

 慎重に音源の方向を探る二人。この世界において、聞いたことがない、聞き慣れない、或いは見たことがない、見慣れないというものの出現は、大抵が初見のモンスターなどであり、八割がたは不幸を意味する。過去の例であげれば、ユウキの持つ《マクアフィテル》が手に入った一度きりの超高難易度クエストである《絶対不滅の意志》は、正しく初見だった。クエストというのは、フラグを建てて成立させることで出現するものだ。大抵はその方法が判明しているため、受けなければ危険ではない。

 

 だが、あのクエストに関しては、その前例を崩した。隠された指定エリアに近づいた途端発動し、閉じ込められ、挙句の果てには五十層フロアボス相当の化け物退治だ。あんな初見殺しクエストは二度とやりたくないとアーカーはユウキ達に語った。そういう経験からか、初めてのものに関して、彼は人一倍敏感だ。危険性があるのかないのか、それが分かるまで徹底的に探るまであった。

 

 そうして———見つけた。

 十メートルほど離れた大きな樹の枝陰に隠れた、灰緑色の毛皮と、体長以上に長く伸びた耳を持つ———ウサギ。

 そんな特徴を持つモンスターなど、二人は一つしか知らない。復帰して少しほど経ってから、偶然耳にした〝とあるモンスター〟の特徴、それと完全に合致した。あれは間違いない。希望的観測を確信にすべく、二人が注視するとそれを検知した《索敵》スキルが補助し、視界に黄色いカーソルと対象の名前が表示された。

 

 

 

 

 

 固有名《ラグー・ラビット》。

 

 

 

 

 

 フラグというものはキチンと建て、回収するものだ。

何処かの誰かが言っていた〝ような気がする〟台詞だったと思う。

 

 何度もスペルを確認し、それが間違いではないことを知る。この時点で二人はガッツポーズを取りそうになったが、落ち着いて互いの顔を見合わせる。少々気が早いのか、ユウキの口元からはヨダレが見えそうになっていたが、アーカーは黙っておくことにする。いつもなら、指摘して恥ずかしがる姿を揶揄いながらも堪能してやろうかと思うのだが、今はそうもいかない。なにせ目の前には激レアモンスター 兼 美味しいご飯が待っていたのだから。

 

 互いに投擲用ピックを抜き、手に持つ。このアインクラッドには《投剣》という剣を投げるスキルがある。何故ピックが剣と見なされるのかは不明だが、いつぞやの噂を耳にしてから、二人は一生懸命レベリングをしたことがあるため、七割ほど熟練度を上げている。そのため、元々のレベルの高さや直感もあり、当てられる自信は充分にあった。どっちが当たるか勝負だ、とでも言わんばかりに視線でバチバチと火花を散らし合う二人が、もう一度目標の方を見る。

 

 すると、そこにはもう一つ黄色いカーソルが出ていて、そのモンスターの名前は———《ラグー・ラビット》。あまりの衝撃に顎が外れるかと思ったアーカーと、最早我慢できないと言った様子でユウキの口元にあったヨダレ防波堤が決壊。辛うじて抑えられていたヨダレが滝のように流れ出した。勿論、そう見えるだけで音などが出ていないため、何も問題はないのだが、仮に効果音をつけるとしたらドバァッ!しかない。これまでになく食欲に支配され、獲物を今にも狩ろうかという狩人の目付きと化した恋人の有様を見て、アーカーは何とも言えない顔をしていた。

 

 二匹のウサギ達が、一際甲高い悲鳴をあげて肉の塊となったのは、それから数秒もかからなかった。仕留めた後、嘘ではないことを確認するべく、表示されたリザルト画面からアイテム名を確認。《ラグー・ラビットの肉》と書かれたアイテムが、それぞれに一つずつストレージに収められたことを知ると、声を上げてガッツポーズ。その流れで、目をキラキラさせ滝のようなヨダレを垂れ流すだらしのない恋人をアーカーはなんとか落ち着かせると、希少なはずの転移結晶を片手にホームタウンである二十二層に飛んだのだった。

 

 

 

 

 

———*———*———

 

 

 

 

 

 二十二層にあるマイホームに帰った二人は、まず、このアイテムの処遇を考えることにした。若干ユウキが早く調理させて!といった顔で訴えてきていたが、アーカーは何とか耐える。実際彼もすでに空腹が近づいていた。早く食べたいのは彼とて同じ。

 

 だが、ここでちょっとした問題があった。

 この世界の食材アイテム———主に肉だが、これが意外と大きい。先程のウサギのサイズよりも、アイテム化した方が少しばかり大きかったりする。つまるところ、少しばかり量が多いのだ。腹一杯食べられると考えれば、出来なくはないし、むしろ出来る。アイテムになった以上、オブジェクト化し安易に放置しなければ、相応に耐久値なども持つ。そのため、二日続けて豪勢にウサギパーティー!も出来る。

 

 しかし、ここでユウキも気付いた。

 二人だけで食べてしまっても良いのか、と。別に黙っていれば咎められない世界でもある訳だが、どうしても良心が痛むという一面もある。特にユウキに関しては友達思いだ。キリトとアスナに関しては長い付き合いでもある。日頃からよくお世話になっているし、彼らにだけでも美味しいご飯を作って上げても良いのではないか、と。流石にエギルやクライン、リズベットとシリカを呼べるほどウサギに余裕はない。せいぜいあと二人が限界だ。そうなれば、ユウキが取る選択は黙って自分達だけで食べるか、キリトとアスナだけでも呼んで楽しく食べるか、である。

 

 デスゲーム始まって以来、激しく揺らぐ心。襲い掛かる食欲の誘惑。自分にとって正しい選択は……!?などと悩むこと数分。ユウキは、真剣すぎる面持ちで、アーカーに覚悟を伝えた。

 

 

 

 

 

「今ほどアーカーとユウキが友達だったことを喜んだことはない」

 

 

「おう、そうかそうか。だったらキリト、今度対人戦研究のためにデュエル十連戦付き合ってくれ」

 

 

「お前、俺を殺す気か!?」

 

 

「おう、死なない程度に殺してやるから安心しろ」

 

 

「アーカー君! ユウキ! 本っ当に……ありがとう!」

 

 

「喜んでもらえて良かったよ、アスナ〜!」

 

 

 結果として、ユウキは日頃の感謝という意味を込めて二人を呼ぶという選択肢を選んだ。あわや食欲に支配されかかっていた精神状態でよくぞ選んだとアーカーは褒めたいところだったが、少しばかり惜しい選択をしたかもしれないと思ってしまった辺り、本当にこのウサギが食欲に凄まじい攻撃を仕掛けてくることからS級食材アイテムたる所以を実感した。二人を呼んだことで、リズベット達は残念ながら、このウサギを食べることができなくなったのだが、それは同時にキリトとアスナに〝とある誓約〟を課せたのと同義だった。それを本人達に自覚させるために、ニヤニヤと悪戯小僧のような笑みを浮かべて言い放つ。

 

 

「お二人さん、全力で喜んでるところ悪いんだが———お前ら、ある意味俺達の共犯だからな?」

 

 

「「——————」」

 

 

 「あっ……」とでも言いそうな顔をする二人。どういう意味か補足すると、食べられなかった友人達全員に対して、〝《ラグー・ラビット》を食べた〟という事実を黙秘しなければならないということだ。S級食材アイテムとは言うなれば、激レアだ。そんなものは、誰だって食べたいはずだ。当然リズベット達も同様に。

 しかし、激レア故に食べられる者は限られる。その選ばれた者から外れされるという意味が、二人に分からないはずはなかった。自分達は選ばれたが、選ばれなかった者達がこれを知ったら? もしクラインのように人間として出来ていなかったら?という心理的な問題が発生するからである。

 

 その事実に気付いた二人は、少し戸惑いを覚えたが、まずキリトが決心した。

 

 

「オーケー、共犯にだってなってやるよ。俺はソロだ。大丈夫だ、隠し通すことは得意だぜ!」

 

 

「私も! せっかく二人が選んで呼んでくれたのだもの。この機会———逃したら、《血盟騎士団》副団長としての恥だわ!」

 

 

「お、おう………」

 

 

「なんだか二人とも……ちょっとテンションおかしいのかな?」

 

 

「オーケーユウキ、少し前の自分思い出してみようか?」

 

 

 ここに共犯は成された……!

 ———などという、いかにも続きがありそうな謎のハイテンション展開はこれまで。ここからは、全員がいつものテンションとなって、落ち着いた時間となった。明らかに変なテンションなら陥っていた二人は、それぞれ別々の部屋で部屋着に着替えた後、少々恥ずかしそうな顔で出されたお茶を静かに啜っている。

 調理担当となったユウキは、いつも以上に腕に縒りをかけて作ると宣言していた。S級食材ということもあり、要求される《料理》スキルの要求値は恐ろしく高い。家庭的に見えなかったらしいキリトは、そのことを危惧していたが、案ずるなかれ。危惧した本人以外、ここにいる全員が《料理》スキル完全習得(コンプリート)勢だったのだ。何とも悲しい話ではあるが、それも詮無いことだと思いたい。

 

 

「お前らがたった数ヶ月で完全習得してるとは思ってなかった……」

 

 

「《投剣》スキルはもっと短い期間で700超えてるからな? 人間やれば、出来るんだよ」

 

 

「えーっとアーカー君………それって人間業なのかな?」

 

 

「おう、多分きっと恐らくそうだと俺は思ってるぞ間違いない」

 

 

「全く信用できないんだが………」

 

 

「ユウキー、キリトがシチュー三割減らして良いってさー」

 

 

「オイ馬鹿やめろォッ!」

 

 

「え、いいのー!? キリトの分、少なくしていいの!? ボク達の分のシチュー一割ずつ増やしておくね!」

 

 

「頼む待ってくれユウキィッ!」

 

 

 哀しき断末魔のような叫び声をあげ、ユウキがいるキッチンの方へと駆け込むキリト。大慌てで誤解を解きに行った彼の姿を見送りながら、実に悪い顔でアーカーは笑う。悪戯小僧の仕業にしては、少しばかり控えめの悪戯に思えるが、〝食べ物の恨みは恐ろしい〟ということわざ(?)があるように、彼の所業も後でツケが回ってくるのではないかと流石のアスナも〝たかが悪戯〟と援護できずにいた。

 その後、誤解がキチンと解けて疲れ果てながらも安堵した様子でキリトがこちらに戻ってくると、呪詛のように「覚えてろアーカー」と呟き始めたのは言うまでもない。

 

 僅か五分後、ユウキの手によって豪華な食卓が整えられた。アーカーとキリト、ユウキとアスナが向かい合うように座ると、テーブル中央に置かれた熱々の二つの鍋から、それぞれの大皿に熱々のブラウンシチューがたっぷりと盛り付けられた。鼻腔を刺激する芳香を伴った蒸気だけで、盛り付けの途中であるはずのユウキが、そのまま盛り付けるのをやめてしまいそうになるも、何とか盛り付けをさせきった。流石の彼女も鍋に顔を突っ込んで———なんてことはないはずだ、とやや心配そうにアーカーとアスナが思う中で、キリトとユウキは最早目の前にあるシチューにしか目が向いていなかった。照りのある濃密なソースに覆われた大ぶりな肉がごろごろと転がる様子と、クリームの白い筋が描くマーブル模様が、二人の限界を今か今かと迫らせていたのだ。

 

 このまま放っておくと無言で飛びつきそうだと判断したアーカーは、そこの二人を引き戻した。流石に「いただきます」を言わずに食わせるようなことはしない。何事にも容赦ない彼が意外と礼節を重んじるタイプの人間なのだと、キリトとアスナはこの時知った。

 そして———時は来た。四人が両手を合わせ、同じ文言を口にする。

 

 

「「「「いただきます!」」」」

 

 

 スプーン片手に、全員がそれをあんぐりと頬張った。一口目から伝わる熱と香り、柔らかい肉から溢れ出す肉汁、濃密なソースが肉の旨さを引き立てる。正しく絶品だった。S級食材の実力には流石の四人も驚愕と同時に感謝すらあった。A級食材とは一線を画す存在の大きさに、感動すら覚えていた。そこからは、誰一人として言葉を発することなく、ただ大皿にスプーンを突っ込んでは口に運ぶ作業と、鍋に残るお代わりを求めて争奪戦が繰り広げられた。

 

 

 

 

 

 やがて、綺麗に食い尽くされた皿と鍋を前に、四人は満足そうな面持ちでお茶を啜っていた。

 

 

「ああ……今まで頑張って生き残っててよかった……」

 

 

「そうだな……」

 

 

「全くだ」

 

 

「だね〜」

 

 

 アスナ、キリト、アーカー、ユウキの順に感想と同意を述べる。下手な言葉はいらなかった。食レポとでも言うべきそれをするには、現実の世界中でも細かい言語である日本語ですら、その味の感想を完全に述べ切るには言葉が足りなすぎた。それほどまでに絶品で、美味だった。それだけで充分だと全員が思う。

 

 

「不思議ね……。なんだか、この世界で生まれて今までずっと暮らしてきたみたいな、そんな気がする」

 

 

「……俺も最近、あっちの世界のことをまるで思い出さない日がある。俺だけじゃないな……この頃は、クリアだ脱出だって血眼になる奴が少なくなってきた」

 

 

「そうだね……確かにみんな焦らなくなったよね」

 

 

「攻略のペース自体落ちてるわ」

 

 

「あ、それヒースクリフに言ってくれ頼むから。マジで攻略し足りねぇんだけど……」

 

 

 一番大きな溜息を吐きながら、アーカーが愚痴る。その様子に、言ってから気が付いたアスナと事情を知っている二人が、「あーそっか〜」と言った顔で彼の方を見た。かつて《攻略の鬼》と呼ばれたアスナ以上に攻略組全体が恐れ、トラウマを抱えた相手である《最前線狩り》のアーカーが、現在進行形で「攻略し過ぎダメ絶対」という処分を下されている現状が、攻略ペースが落ちた一番の要因だった。以前のように彼が全力で攻略することが出来ていたのなら、果たして最前線は何処まで上がったのだろうか。そんな考えが僅かにでも過る中、ユウキは無茶をしそうな彼に向けて一言だけ注意する。

 

 

「ソラはそう言うけど、無茶はダメだからね。かつてのソラは無茶な上に無茶を重ねてたのと変わらなかったんだよ?」

 

 

「グッ……それを言われたら何も言えねぇな……」

 

 

「まぁ、実際、あの頃は確かに早かったけど、みんなが悲鳴あげてたからね。またそんなことになったら、攻略組自体がストライキ……って言うのも有り得なくないかも」

 

 

「ここぞとばかりに畳み掛けて来やがったなおい……まぁ、良いけどな。念のため、速度上げていいかどうか、ヒースクリフに聞いておいてもらえるか?」

 

 

「ええ、聞いておくわ」

 

 

 「この話はそこまでにして……」とアスナが話を変える。続いて投げられた話は、攻略に勤しむ理由だった。攻略組に所属する誰もが持っているそれは確かに知りたくはあったけれど、同時に聞きにくくもあったものだ。とはいえ、ここにいる四人はそれなりに聞きやすい部類ではあった。

 

 

「ボクはね、ソラとまた一緒に外の世界を見たかったんだ〜」

 

 

「「へぇ〜」」

 

 

「おう、その〝愛されてますなぁ〜?〟みたいな目マジでやめろお前ら」

 

 

 「それは幼馴染の頃から変わってないぞ」とだけ補足し、気恥ずかしそうに目を背けながらアーカーはお茶を啜った。

 

 

「私はあっちでやり残したこといっぱいあるから、かな」

 

 

「アスナらしいね!」

 

 

「確かにな」

 

 

 アスナの攻略する理由にユウキとキリトが〝らしい〟と答える。確かに彼女はそういう性格をしている。今まで接してきて彼女がそれなりの身分———というよりお家の者なのだろうというのは、アーカーの目にはそう映った。他者を注視し、どういった人間なのか。本当のことを言っているのか、嘘をついているのか。そんな感情の機微すら読み取れるようになった影響なのだろう。残念ながら、彼にとってこの特技は忌まわしいものでしかなかったが。

 

 

「俺は……正直なところ、分からないな。昔は家族の元に帰りたいって思ってたんだけどさ。今は……よく分からない」

 

 

「キリト君……」

 

 

「キリト……」

 

 

 何処か心配そうにキリトを見るアスナとユウキ。対して、アーカーは自分の理由と比べて、安心したように告げた。

 

 

「ま、理由なんざ後から見つかるモンだろ。安心しろよ、キリト。お前はまだ真っ当だ」

 

 

「……だといいな」

 

 

 少しばかり顔が晴れたキリトが、こちらに拳を突き出す。お蔭で助かったとでも言わんばかりのそれに拳を突き返し、コツンと当たる。「どうせなら口で礼を言えよ」と思ったが、彼なりの礼なのだと思って我慢する。

 そうして、アーカーの番が来た。

 

 

「言わなきゃダメか?」

 

 

「流れ的にな」

 

 

「そうね」

 

 

「うん」

 

 

「はぁ……ドン引くなよお前ら」

 

 

 ユウキまでもがそっち側なのかと溜息交じりに呟く。ここまで全員言っているし、言わないわけにもいかないムードが作られていたのだから仕方のないことだと覚悟して———告げる。

 

 

「最初は、茅場 晶彦を殺すためだった」

 

 

 その一言に空気が冷える。

 

 

「百層までクリアしろ。それはつまり、あの男が百層で待つという意味と同じだったからだ。アイツの性格的に、傍観者で居続けるのは無理があると思ったからな」

 

 

「アーカー、お前もしかして……」

 

 

「お前は聡いな。アイツは俺の叔父だよ。あくまで一族系図的に、な?」

 

 

 ユウキだけが知っていたアーカーの秘密が少しばかり紐解かれた。その言葉を聞いて、キリトは冷静に訊ねる。

 

 

「お前の姓は、〝茅場〟なのか?」

 

 

「いや、違うな。俺はあくまで養子だ。あの男が、俺を拾った母親の兄妹だっただけだ。そうだな……この際少しだけ言ってしまった方が楽か」

 

 

 お茶を啜るのをやめ、それをテーブルに置くと、アーカーは少しだけ自分のことを口にする。

 

 

「俺は自分の本当の親すら知らない、捨て子だよ。たまたま拾われて、たまたま役に立った餓鬼でしかない。ちょっとした理由で、勘当されたからな。今じゃ、天涯孤独の身だ」

 

 

 勘当。その言葉の意味をこの場にいる誰もが知っていた。キリトもアスナも、聞いてしまった本当に良かったのだろうかと思い悩むように見える。特に顕著だったのはユウキだ。勘当された理由そのものであるユウキは責任を感じ続けていた。再びそのことを思い出して、気分が落ち込んだのだろう。それを見過ごすアーカーではない。すぐさま、ぽんぽんと頭を軽く叩き、優しく撫でる。

 

 

「ま、お蔭で今はユウキと一緒に暮らしてる。多分今は同じ病室で繋がれてるかもな」

 

 

 今までの暗い雰囲気を吹き飛ばすような、少年らしい笑顔で三人に笑いかける。何処にも後悔はない、そんな姿に三人は安心を覚えた。本人なりに考えもあり、吹っ切れているのだから、こちらが暗い顔をするわけにはいかない———と思うのが普通なのだが、キリトとアスナは別のところに食いついた。

 

 

「お前さっきユウキと一緒に暮らしてるって言ってたよな?」

 

 

「ん? そうだが?」

 

 

「もしかして……同じ屋根の一つ下?」

 

 

「あー……確かにそうだな」

 

 

 瞬間、キリトはニヤニヤと悪餓鬼のような笑みを浮かべ、アスナは黄色い歓声をあげる。この流れ何処かで見覚えがあるぞと数ヶ月前の記憶を思い起こそうとしている間に、今の今まで頭を撫でられていたユウキは、アスナが聞いた理由の真意を知って顔を真っ赤に染めてあげていた。それを見たアスナが味を占めたような笑みを浮かべた。その姿はまるで獲物を狩る狩人のようだった。明日一緒に攻略行かないか?という本題を切り出すことが出来たのは、全てが終わってからだった。

 

 

 

 

 

 それから一時間もの間、アーカー達は本調子を取り戻したキリト達によって、差し障りのない辺りの話を散々掘り返され、途中アーカーがあまりのしつこさに半ギレになりながらも続いたのだった————

 

 

 

 

 

 時にS級食材は人間関係をも左右する —完—

 

 

 

 

 

 






 賑やかな食事を終え、さあ攻略だ。

 しかし、その前に面倒ごとに巻き込まれる一行。

 そこで耳にする衝撃の一言に、

 思わずアーカーは呟いてしまう。

 次回 思ったことは存外我慢できないものである



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19.思ったことは存外我慢できない



 結局クラディール云々のところで終わってしまいました。申し訳ない。山羊頭のグリームさんこんにちは、は次回となりました。
 ソラ/アーカーの性格上、どうしてもここで原作通りに主人公キリトにやらせることができなかった。ホントごめんな、主人公。
 でも安心しろ! お前にはとっておきの出番が原作とは別に用意されてるぞ! グランド・クエストとか楽しみにしておけよな!……と言い訳を言ったところで、アインクラッドがあとどれくらいかかるか未定だということをお伝えします。




 

 

 

 

 

 

「来ない……」

 

 

「来ねぇ……」

 

 

「アスナが来ないなんて、どうしたんだろ?」

 

 

 最前線である七十四層主街区《カームデット》にある転移門、その門前広場にて、キリト、アーカー、ユウキの三人は今日一緒に攻略する約束をしたアスナを待っていた。時刻は現在午前九時。約束の時間になっても、彼女の姿は何処にも見えなかった。《血盟騎士団》のアスナと言えば、攻略組なら全員が知っているだろう特徴がいくつかある。そのうちの一つに時間厳守というものがあり、今でも《攻略の鬼》の異名を持つ彼女は、自他共に時間に厳しい人物である。一層からの親友であり、彼女が本音を言える数少ない相手であるユウキからしても、彼女が約束の時間に遅れることはない。必ず五分前までには先に来ており、絶対に待ってくれていることの方が多かったという。その話を聞けば聞くほど、アスナが遅刻するというのは、何かしらの理由があるはずだ。最もその考えられる理由の中に、寝坊というものは決して存在しない。

 

 現実において、遅刻をする際の大きな理由の一つである《寝坊》。これが決してないというのは、彼女が時間厳守を絶対としているから、ではなく、この世界の仕様に起因する。アーカーやユウキも活用している《強制起床アラーム》というサポート機能は、指定した時刻に文字通り強制的に叩き起こすものであり、これに抗うことはできない。止めた後に二度寝をするという選択肢はあるが、約束事をしているアスナがその選択肢を選ぶことはあり得なかった。現に、少しばかり寝坊助なユウキもこうして起きている。

 

 

「ソラ〜、ボクまた眠たくなってきちゃった」

 

 

「そうかそうか———ここで寝たら、昼御飯抜き」

 

 

「目が覚めたよ! ほら、ちゃんとボク起きてるよ!」

 

 

「アーカーは身内にも厳しいのか……?」

 

 

「ンな訳あるか。ちゃんと加減してるぞ。身内以外なら晩御飯抜きも視野内だ」

 

 

「容赦しないのがステータスなのかお前は……」

 

 

「容赦したら負けだと思ってる」

 

 

「なあ、ユウキ。コイツって昔からこうなのか?」

 

 

「うーん……昔は、そんなに厳しくなかったよ? あ、でも、今もボクには優し———」

 

 

「———オーケーユウキさん、ちょっと静かにしていようか?」

 

 

 聞かれると恥ずかしい話を言いそうになったユウキの口に、オブジェクト化させた昼御飯のサンドウィッチの予備を放り込んで黙らせる。「もごっ!?」と変な籠り声を洩らし、そのことで不機嫌そうな顔をする彼女だったが、口に放り込まれたサンドウィッチを咀嚼すると、お気に入りの味付けだったのか満足そうにそちらに熱中する。頭頂部でいつも通りとてつもない存在感を放つアホ毛は、ブンブンと犬の尻尾よろしく振られていた。もぐもぐと美味しそうに食べる姿に、朝御飯を食べていなかったキリトはいわゆる〝飯テロ〟をされている気分になり、突然空腹に襲われ始めた。アーカーの視界の端でサンドウィッチを物欲しそうな顔をしているのが目に見えたが、残念ながらユウキの言いかけた通り彼女以外には厳しかった。容赦なく無視し、不機嫌さを僅かにでも滲ませた彼女の頭を念入りに優しく撫でている。その様子は、何処と無く小さい子を相手するように見えるが、下手に言えば、酷い目に遭う気がしたキリトは黙ることにした。

 

 

「まぁ確かに少し遅いな。なあ、ユウキ」

 

 

ほおひはにょ(どうしたの)ひょだ(ソラ)?」

 

 

「あ、ごめん。食い終わってからでいい」

 

 

 リスのように頰いっぱいにサンドウィッチを詰め込み、もぐもぐと咀嚼しているユウキの姿を見て、アーカーは訊ねるのを一度やめる。御飯の途中に他のことをするのはマナーが悪い。礼節を重んじる彼には、不思議とそれが脳裏に過っていた。彼がユウキに訊ねようとしたのは、アスナから何かしらの連絡が届いていないかを確認してもらおうと思ったからだ。基本的にアスナとのメッセージのやり取りを行なっている回数が多いため、フレンドリストの最上位に名前があると思ったアーカーは、何かしらの理由で送る余裕が無かったとしても、彼女にだけは少しでもメッセージが送られていないかと考えたのだ。

 

 口に放り込まれたサンドウィッチを食べ終わったユウキは、再度訊ねるまでもなく、フレンドリストからメッセージを確認したのか、そこに何も届いていないことを二人に伝える。以心伝心と言うべき動きに、キリトが何やらニヤついた顔をこちらに向けてきたせいか、アーカーは一発鉄拳制裁してやろうかと考えたが、辛うじて我慢する。《圏内》に存在する《犯罪防止コード》を利用した《圏内戦闘》という対人戦闘練習方法があるため、ここで彼を殴り飛ばしたとしてもHPは全く減らないため何の問題にはならないのだが、数日前にやりすぎ注意とユウキに怒られた彼は、我慢することを優先したのだった。

 

 ———と、その時。ちょうど時刻が九時十分となった。その直後、ニヤついた顔を晒していたキリトに天罰が下る。

 転移門内部に何度目かの青いテレポート光が発生。そこからどういう訳か、地上から一メートルほど離れた空中に人影が実体化。なんとその勢いのままキリトめがけて吹っ飛んでいく。完全な不意討ちに、何が起きたかさえ分からないといった顔になった彼は、吹っ飛んできたプレイヤー共々二人揃って派手に地面に転がっていった。その光景に、とてつもなく胸がスカッとしたアーカーは、腹を抱えて「ザマァ」と嘲笑う。先程我慢したお釣りが来たことを喜ぶ子供っぽい恋人の姿に、ユウキはやれやれといった顔をするしかない———のだが、よくよく見ると、キリトに衝突した結果、その上に乗っかっているプレイヤーには二人とも物凄く見覚えがあった。

 

 もしかして———と思い、声をかけようとした直後、キリトが何かしたのか、大音量の悲鳴をあげて件のプレイヤーは、《体術》スキルも無しに彼を派手に吹き飛ばした。潰れたカエルのような短い悲鳴をあげた少年はさておき、ペタリと座り込んだ女性は間違いなくアーカー達が待っていた人物であった。白地に赤の刺繍が入った騎士服と銀のレイピアなど、彼女以外に装備している人物はそういない。どういった訳か両腕を胸の前で硬く交差しているが、事情聴取も兼ねてユウキ先頭に二人は女性に駆け寄った。

 

 

「おはよー、アスナ! えーっと……大丈夫?」

 

 

「あの天然ジゴロまた変なことしたのか?」

 

 

「ふ、二人ともおはよう……。ええ、ちょっとね……」

 

 

 背後に強烈な殺気が般若の如くオーラとして浮き上がっているのを幻視した———仮想世界ではあり得ないはずだが———二人は、「ああ、これ流石にキリト助からないかな」と諦めの表情で漸く上半身を起こした少年に、哀れみの目を向ける。当人が何度か自分の右手とアスナを見比べ、彼女の様子と彼を見る二人の目から現状を理解し、「あ、これはまずい」と察したのか、顔が少しずつ真っ青になっていく。このまま行けば、確実に彼は串刺しになるだろう。《圏内》であるため、死にはしないが、軽い拷問と変わらないはずだ。

 

 さて、彼の運命は如何に———と若干期待するアーカーの思いとは裏腹に、再び転移門が青く発光。それを見たアスナが、はっと後ろを振り返ったのち、二人の手をグイッと掴んで慌てた様子でキリトの後ろに回り込んだ。半ば引き摺られた二人は、アスナが意外にSTR値が高いことを理解する。訳がわからないキリトも、何となくアスナを庇うように立つ。

 

 直後、転移門が輝きを増し、中央から新たな人影が出現した。飛び込んできたアスナと違い、キチンと両足が地面についている。光が消え去ると、そこに立っていたのはアーカーには見覚えのない顔だったが、どうやらユウキは見覚えがあったらしく、嫌そうな顔をする。それを目にした彼は、大まかにどういう人物かを悟った。仰々しい純白のマントに赤の紋章。ギルド《血盟騎士団》のユニフォームを着込み、やや装飾過多気味の金属鎧と両手用剣を装備したその男は、周りをいくらか見渡した。それから、こちらを見ると、眉間と鼻筋に刻み込まれた皺をさらに深くし、こちらにやってくる。

 

 

「ア……アスナ様、勝手なことをされては困ります……!」

 

 

 ヒステリックな調査を帯びた甲高い声をあげて、落ち窪んだ三白眼をぎらぎらと輝かせながら、その男は続けて言い募る。

 

 

「さあ、アスナ様、ギルド本部まで戻りましょう」

 

 

「嫌よ、今日は活動日じゃないわよ! ……だいたい、アンタなんで朝から家の前に張り込んでるのよ!?」

 

 

 先程のキリトの行動時よりも相当キレ気味でアスナが言い返す。彼女の一言を耳にしたアーカーは、瞬間的に理解した。「なるほど、ゲテモノストーカーか」と。勿論、内心で浮かべたことだが、正直なところ、堂々と声にしてしまった方が楽だったかもしれない。いつの間にやら背後に隠れていたユウキも、相当嫌そうな顔を強めた。基本的にどんな相手にでも気軽に話しかけて打ち解けることが多いユウキが、こんな顔をしていることと、先程のアスナからの言葉で酷く納得した。

 その一方で、この男は得意げな表情を浮かべて告げた。

 

 

「ふふ、どうせこんなこともあろうと思いまして、私一ヶ月前からずっとセルムブルグで早朝より監視の任務についておりました」

 

 

「あ、やっぱ我慢できねぇわ、マジでゲテモノストーカーかよ」

 

 

 先程は辛うじて飲み込んだ言葉が、逆流した胃酸の如き勢いで口から溢れ出る。その一言に、ユウキですら「あっ……言っちゃったよ」と続けて肯定するような声が洩れた。キリトとアスナも少々唖然としたが、その一言にアーカーらしいと思い、いつもの様子に戻った。対するゲテモノストーカーは、今の一言でどうやら無視しようとしていたのをやめたらしく、歯軋りをさせながらこちらを向いた。その目には、僅かながらも殺意の色が混じっている。

 

 

「こ、この私をストーカーだと……!? 黙っていれば、無視してやっていたものをォ……貴様、《絶天》だったか?」

 

 

「………あーうん、そうだが、テメェこそなに? 俺には現時点でお前が《血盟騎士団》の恥晒しでゲテモノのストーカーしか分からねぇんだけど」

 

 

「貴様ァ……!」

 

 

 煽られたことで、グイッと胸倉を掴むストーカー男。キリトが仲裁を、アスナがその男を止めようと口を開こうと、そして、ユウキが今にも鞘から得物を抜き出しそうになる。胸倉を掴まれたアーカーは、大きな溜息を吐いた後、静かに息を吐いてから———

 

 

「———()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

 殺気っていうのは、こういうもののことを言うんだよ。

 まるでお手本を見せるかのように、底冷えしたドスの効いた低い声と共に高濃度の鋭く突き刺さる捕食者の如き殺意を男へと向けた。向けられた奴は何かを幻視したらしく、「ヒィッ!」と怯えた様子で手を離し、後方へと距離を取る。

 

 

「おいおいどうした? こんなモン挨拶程度だぞ? 偉く情けねぇな。アスナ、お前の護衛ってこの程度か?」

 

 

「今のは……まぁ、アーカー君の殺気が……ね?」

 

 

「アーカー、お前ここ仮想世界なんだけど……」

 

 

 命の危険を感じる程だったのか、そばにいたキリトもアスナも、少しだけ距離を取っていたらしく、その後こちらに戻ってきたが、その額には冷や汗を掻いており、特にキリトは溜息を吐きながら告げている。現実ほど殺気というものを感じないはずの仮想世界で、これほどまでの明確なそれを感じるとは思わなかったのだろう。

 

 

「悪い悪い、これでも加減したつもりだったんだが……えーっと、ユウキさん? 不意討ちで見舞ったことには反省してるから、背中を殴らないで貰えますかね……?」

 

 

「ソラが向ける殺気って分かっててもすごく怖いんだよ! まったくもう……」

 

 

 若干怒り気味のユウキに、どうやって機嫌を直そうかと思考をそちらに向け始めるアーカーに、先程まで怯えていた男がどうにか立ち直り、こちらに明確な殺意の篭った目を向けた。

 

 

「き、貴様ァ………この私に恥をかかせてくれたなァッ!」

 

 

「矮小なプライドに泥塗りたくって何が悪いんだよテメェ。つーか、あれだ。良かったじゃねぇか、人間で。ただのゲテモノなだけだったら、今のでビビることさえできなかったんだぜ? ゲテモノストーカーから、ただのストーカーに成れただけ出世じゃねぇか、なあ?」

 

 

「おのれェ………ッ!」

 

 

 軽めのつもりで煽ったアーカーに対し、煽り耐性が相当ない男は、今にも両手用剣を抜き出して切り掛かりそうな勢いだ。キリトとユウキが()()()()()心配している。勿論、それは勝負事になった際に彼が負けるかもしれないというものではない。どちらかといえば、ギルド同士での問題にならないか?という点だ。アーカーは現在ユウキと共に、二人だけのギルド《絶対双刃》の副団長だ。ヒースクリフの要望に応えて作られたこのギルドは、攻略組における第三勢力の位置付けであり、たった二人だけという点を除けば、《血盟騎士団》の最高戦力をも凌駕する。ヒースクリフという別格はどうなるか試したことがないため不明だが、それでも、アスナが敵に回っても有利を取れる自信がユウキにもあった。

 

 しかしながら、全面抗争となれば話は別だ。流石に数で押し負ける可能性が高いのは事実だが、もし殺し合いになった場合、恐らく向こうの戦力は九割がた道連れにされる可能性がある。ヒースクリフが認めた二人が相手なのだから当然なのだが、そうなれば、攻略組としては大損害だ。だから全面抗争にはならないだろう。かといって、それが問題にならないとは限らない。そういう点を気にしているのだ。

 

「メンドクセェ。こういう立ち合いはキリトに放り投げたいんだが……」

 

 

「悪いがそれはお前の喧嘩だ。俺は代打なんてしないぞ」

 

 

「知ってた。なあ、アスナ。これあのストーカー止まらねぇよな? 念のためヒースクリフにも連絡かけておいて貰えるか?」

 

 

「ええ、団長にはキチンと連絡しておきます。同時に———アーカー君がクラディールにデュエルを申請しても、問題にならないように私がなんとかするわ」

 

 

「オーケー良かったなストーカー男。アスナから許可貰えたぞ。お前ぶっ転がしていいってな」

 

 

「ハッ、笑わせるなよ! 貴様のような名ばかりの雑魚プレイヤーなんぞにこの私が負けると思ったか!」

 

 

「…………はぁ、ダメだコイツ早くぶっ転がしておこう」

 

 

 最早、面倒だと感じたアーカーは、素早くメニューからデュエル申請をあの男———クラディールへと送る。向こうも申請を受信したのか、モードの設定に取り掛かった。少しして表示されたのは、《初撃決着モード》。流石に《完全決着モード》を選ぶような愚行は犯さなかったようだ。仮にそんな愚行を犯していたとしても、あの男に降参を言わせればいいだけのことだとアーカーは考えてすらいた。両者の承諾が得られたところで、デュエル開始までのカウントダウンが開始。キリト達が離れるのを見て、アーカーは溜息交じりに鞘から長剣を引き抜いた。姿を現した得物は、強者が持つには見窄らしいものだった。輝かしい金属光沢はなく、古びたそれは斬れ味すら感じさせない。それを見て、あの男は向こうで嘲笑っているが、それも無理はない。この長剣がどういうものかは、実際に戦うか詳しく見ていないと分からないのだから。

 

 

「《絶対双刃》のアーカーとKoBメンバーがデュエルだとよ!!」

 

 

 その大声に釣られたギャラリーが集まってくる。口笛を吹き鳴らし、野次を飛ばす辺り、事情を知らぬ者達なのだろう。呆れた話だが、ああいう奴がいるから変なところで問題が起きるのだと常々アーカーは思う。向こうでこちらを叩き潰してやろうと息巻いているストーカーは、名声や驕りからあんなザマを晒しているに違いない。「有名どころは大変だな」と思う一方で、脳裏にもう一度ユウキが嫌そうな顔をしていたのを思い起こした。どういうわけか、あの男は俺の恋人にも手を出したらしい。そう思った直後、額に青筋が走った。明確な殺意と怒りが内から湧き上がるのを感じる。完全な私闘であるため、大義名分なんてものを無理矢理にでも掲げるつもりはなかったが、〝ユウキの気持ち的な問題解消のため〟という名分ができたので、元から遠慮する気は無かったが、堂々と斬りにいける。

 

 剣を中段やや担ぎ目に構え、前傾姿勢で腰を落とすクラディールに対し、アーカーは長剣を中段に構え、自然な半身の態勢を取った。遠くからそれを見ていたキリトとアスナは、その構えに見覚えがあった。それはユウキが、デュエルをする際にほとんどの場合で取る構えだ。たまにAGI値全開で動くためにかなりの前傾姿勢の構えを取るが、それ以外は常にあの構えであることを知っている。まさかアーカーも同じ構えを取るとは……と思いながら、念のためにユウキの方を見てみると、かなり嬉しそうな顔でデュエルが始まるのを心待ちにしていた。同じ構えをしてくれていることが嬉しいのか、或いは彼のかっこいい姿が見れるのを楽しみにしているのか、或いは両方か。とにかく嬉しそうなユウキに、苦笑しながら二人は開始の時を待った。

 

 

 そして———カウントが、ついにゼロを迎えた。

 

 

 開始と同時にクラディールの持つ装飾過多の両手剣がオレンジ色に瞬く。発動したのは、上段ダッシュ技《アバランシュ》。生半可なガードでは、受けることに成功しても衝撃が大きすぎて優位的反撃に入らず、避けたとしても突進力によって距離ができるため使用者に立ち直る余裕を与える優秀な高レベル剣技だと最前線にいる誰もが知っている。

 

 一方でアーカーは、ソードスキルを発動させることなく、その場に佇んでいる。その行動に流石のキリトとアスナも驚いたが、ユウキは何か知っているらしく、彼と同じ不敵な笑みを浮かべていた。ギャラリー達は「勝負を捨てたのか!?」と常々口にするが、アーカーには耳にも届いていないだろう。

 

 勝利を確信したクラディールは、その顔に狂喜の笑みと歪な笑顔を浮かべる。輝く両手剣の刀身が間近に迫っていく。AGI極振りとも言えるビルドを組んでいるアーカーには、いくらレベルが高くとも直撃を受ければ、半減で済むかは分からない。それなのに全く身動きもしない。

 勝負が今にも決まる———そう、誰もが思った瞬間だった。

 

 両手剣が振り下ろされ始めた直後、急激にアーカーの古びた長剣が瞬く。ソードスキルだ。しかし、《アバランシュ》を相殺できるほどの威力があるものは、このタイミングからでは発動が間に合わない。揺らぐことのない勝利を前にクラディールが勢いよく得物を振るって———気がついた。

 

 アーカーの立ち位置が、直線上から右へとずれていることに。それに気付くと同時に、直撃するはずだった両手剣の腹を、彼の長剣が直撃し、進行方向が大きくずれた。発動したのは起動が早いソードスキルでもあった《スラント》だ。初級中の初級であるそれは、ほとんど序盤にしか使われないものである。そんなもので《アバランシュ》は防ぎようが———

 

 

「まさか、貴様……私の剣を往な———」

 

 

「おう、そのまさかだ。マヌケ」

 

 

 直後、左手に握られた長剣とは別に、右拳が瞬く。それはソードスキル発動の兆し。発動したのは《閃打》。これまた初級中の初級ソードスキルだが、圧倒的なレベルの高さとAGI値全開で放たれたその拳は擦れ違いざまにクラディールの顔面を打ち据えて、作用反作用の法則よろしく派手に男が立っていた初期位置の方へと吹き飛ばした。突然の衝撃により、握られていた両手剣から両手が離れる。広場を無様にボールのように転がった後、背中を近くの家の壁にぶつけて、漸くその勢いは止まった。

 

 

「ま、突進してくる馬鹿には、これがちょうどいいな」

 

 

 その一言と同時に、ギャラリーが湧いた。デュエルの決着自体も、両手剣を往なしただけであるため《初撃決着モード》の初撃には触れず、とてつもない威力で放たれた《閃打》による一撃がルール通りの強撃判定を生み、アーカーの勝利を伝えていた。「なんだ今の」「往なしてカウンター決めやがったのか!?」「あれが《絶天》なのか……」「《絶剣》と並ぶ実力者ってマジだったのか」と聞こえてくるが、彼は無視して離れていたユウキの方へと向かう。嬉しそうに飛び付いた彼女とは裏腹に、以前あんな風にカウンターを決められた苦い思い出があるキリトは苦々しい顔をしている。アスナも今のを見て「あんな風にやられたくないなぁ……」と、同じく突進初動の自分の戦闘スタイルから苦手な戦い方だという顔を隠さなかった。

 

 数ヶ月前にもユウキが言っていたことだが、そもそもヒースクリフやアーカーのような防御寄り、且つ反撃が的確なプレイヤーほど苦手な者はいない。特にこの世界では《初撃決着モード》によるデュエルが絶対となっているため、反撃がああも上手いプレイヤーが相手だといつも通りの戦闘スタイルを貫けなくなる可能性が高くなる。ユウキやアスナのような速度重視のビルドは勿論、先程のクラディールのような先手必勝を決めようとするなら余計にだ。

 

 

「全く……カウンターされる訳がねぇって思ってる時点で三流以下なんだよ。勝ちたいなら、もっと頭使えっての」

 

 

「ふっふーん! ボクならソラのカウンターをカウンターできるもんね!」

 

 

「あーうん、そうだな。ホントマジでカウンターをカウンターするのやめて? もう一度カウンターするの疲れるんだが」

 

 

「カウンターがゲシュタルト崩壊してるのは気のせいか?」

 

 

「それもそうなんだけど、カウンターをカウンターできる時点で、ユウキもすごいんだけど………」

 

 

 「ドヤァ!」と嬉しそうに胸を張るユウキ達に囲まれながら、アーカーは先程殴り飛ばしたクラディールの方を見る。少し前まで身動き一つしなかったが、どうやら気を失っていたらしい。まぁ無理もないとは思う一方で、もう少し寝ていて欲しかったとも思う。頭を左右に振り、意識を回復させた奴は、目の前に広がった情報から自身の敗北を知り、あり得ないものを見るような目で見た後、こちらを見つけ、全力で走ってくる。道中で両手剣を拾い、《犯罪防止コード》に阻まれることを覚悟の上で斬りかかるつもりだろう。

 

 

「貴様ァァァアアアッ!」

 

 

 予想通り両手剣を握ったクラディールが、こちらに向けて全力で襲い掛かってくる。もう一度迎撃しようとアーカーが動くよりも先に青紫色の閃光が瞬き、奴の得物を天高く弾き飛ばした。続け様にその懐に三連撃技である《シャープネイル》が炸裂し、後方へと吹き飛ばした。明確な実力差と、そばにいたはずのユウキの気配が前に移動していることに気付いたアーカーは、溜息交じりに名を呼んだ。

 

 

「その辺にしとけよ、ユウキ。《圏内戦闘》まではアスナも許可出してねぇぞ」

 

 

「………分かってるよ。でもさ、ソラ」

 

 

 珍しく怒り心頭な彼女は、遠くで転がっているクラディールに向けて、ハッキリと宣言する。

 

 

「ボクの大切な人に不意討ちするような奴は許さないよ」

 

 

「ヒィ…………ッ!」

 

 

 般若の如き形相に、クラディールどころかギャラリー達もゾッとさせられる。低い声音で告げたそれを聞いたアーカーも、何となくどんな顔をしているか分かっているため、余計なことは言わないでいる。隣でキリトが肩をポンポンと叩き、無言で頷いているのが気になるが、それはあとで聞き出すことにしようと決めた。

 

 ユウキに吹き飛ばされたクラディールの前に、アスナが立つ。その形相はこちらも同じく、いつもの彼女とは違う怒りの滲むそれだ。副団長として見たことがあるそれとは全く違う表情に、奴もまた何も言えず、そのまま彼女の言葉を待つしかない。

 

 

「クラディール、《血盟騎士団》副団長として命じます。本日を以て護衛役を解任。ならびに、《絶対双刃》副団長アーカーに対する不意討ちの件も含め、今回の問題を会議にて取り上げます。それまでの間、別命あるまでギルド本部にて待機。以上」

 

 

 凍りついた響きを持ったそれに、さらに場は静まった。目の前で凄まじい判決を下されたのを見たギャラリー達は、静かにその場を去っていく。下手に巻き込まれたくないという思いが強まったのだろう。事実、こうして《血盟騎士団》の団員が副団長に罰されたというのだから、それを見て「ザマァ」と笑い転げることができる奴は相当な勇者だろう。以前別件でアーカーがキリトを嘲笑っていたが、あれとは状況が全く違うため、当人も無言のままだ。

 命じられた奴はブツブツと何やら呪詛でも吐いているのか、不穏な気配を漂わせていたが、アーカーは一切気にすることなくユウキの頭に手を乗せて、優しく撫でた。

 

 

「守ってくれてありがとうな、ユウキ」

 

 

「……うん」

 

 

 心なしか元気無さげなユウキに、アーカーは頭から手を退けると、彼女の前に移動すると、その両頬をそれぞれ指先で抓った。

 

 

ひょりゃ(ソラ)ひゃにしゅりゅのひゃ(何するのさ)!」

 

 

 

「お前が元気無さそうにするからだろ? お前は元気が取り柄なんだから、いつも笑ってるくらいの気概出せって」

 

 

「むぅー……」

 

 

 抓られた両頬を押さえながら、ユウキは少しばかり拗ねるも、彼なりに気遣ってくれたのだと分かっているから、少しずついつもの通りに戻っていく。クラディールが転移門の中に消えたのを見て、キリトがアスナの方へと向かい、彼女を支えてやる。どうやら気を張ったせいで疲れたのか、彼に体重を預けている。一連のそれを見ていたアーカーとユウキは、お互いの顔を見合わせると、少しばかりニヤニヤとしながら、二人がこちらに戻ってくるのを大人しく待った。

 

 彼らがきちんと戻ってくるまで少しばかりかかったのだが、二人は不満ではなかった。なにせ、あの二人は最近なかなか良い距離感になりつつある。下手に邪魔するより、お互いで距離感を詰め合うのを待っていたのだ。昨日の一件もあり、激しく揶揄ってやりたい気持ちに駆られたアーカーだったが、ユウキがそれをさせまいと手を握ってきていたので、彼は大人しく手の温もりだけ感じることにしたのだった————

 

 

 

 

 

 思ったことは存外我慢できないものである —完—

 

 

 

 

 

 






 漸く迷宮区に入った四人。

 圧倒的な実力で次々と敵を倒し、ついにボス部屋に辿り着く。

 中に佇む山羊頭の巨人。その咆哮に、

 一同は一目散に駆け出した。

 次回 (今度こそ)青い悪魔



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20.青い悪魔



 前回よりは話が進んだと思います。
 やったね、原作主人公。もう少しで出番だよ! オリ主もユウキも、特別目立つようなユニークスキル持ちじゃないから大活躍できるよ!
 ———なんてことを考えていましたが、よく考えれば、あれなんですよね。空中すら自由自在に動くアーカーと、格上キラーと化したユウキなんて、それなんて化け物?ですよ。
 原作をしっかり読んでる方々なら、二人のユニークスキルがどういったもので、どういったものなのかは察しがつくと思います。





 

 

 

 

 

 

「……なあ、アスナ。AGI特化ビルドって、誰もがこんな動きが出来るのか?」

 

 

「わ、私も流石にこれはちょっと無理かなぁ……」

 

 

 目の前で繰り広げられる無双の光景。今や案山子と成り果てた骸骨モンスターが視認するよりも早くその身を斬り裂く二つの剣閃は、如何にこの二人が攻略組上位に君臨するプレイヤーであったとしても、決して真似することができないものだった。呼吸は揃い、お互いが次にどう動くかさえ把握し、その動きを阻害することなく———舞う。必死に反撃の兆しを見つけようと、骸骨は盾を構えるも、その手を動かすことすらもが間に合わず、意味を成さない。動かした時には、隙ができた部分に容赦ない剣戟が叩き込まれ、ただでさえ細い骨身の身体は削られているようにすら見える。ソードスキルなく敵を翻弄し、高性能なAI学習能力が音を上げている。みるみるうちに表示されたHPゲージは減り続け、瞬いた剣閃が交差し合った時には消滅していた。何もできぬまま骸骨はその身を硬直させ、無数のポリゴン片と散る。

 

 勝利を収め、漸く二人はその動きを止めた。お互いへと振り返り、ブイサインを見せ合って褒め合う。その後、二人は共にキリト達の元に駆け寄った。

 

 

「ま、こんなところだな。キリト、アスナ。これが今の俺達の協力プレイみたいなモンだ。参考になったか?」

 

 

「参考になるわけないだろ……」

 

 

「そもそも、同じAGI特化ビルドなのか疑わしくなってきたわ……」

 

 

「ねぇ、ソラ。これってボク達がちょっぴりおかしいのかな?」

 

 

「ンな訳ねぇと思ったんだが……おかしいな」

 

 

 首を傾げて唸るアーカーと、小首傾げて考えるユウキ。少年少女が似たポーズを取る姿にはなかなか可愛らしいものを感じるが、今のワンサイドゲームを見た後では、そんなものよりも先に恐怖すら感じた。

 

 攻略組の中でも熱心にレベリングをしているキリトでさえ、かつてアーカーと賭けデュエルをした際には大きな差がついている。あれからさらにストイックなレベリングをしてきた彼であっても、ステ振りがどうこう以前にあんな動きを続ける気力も体力もない。第一出来たとしても合わせられる相手がいるとは思えないのだ。

 

 それはアスナとて同じ考えだった。彼女はアーカー達と同様AGI特化寄りのステ振りを行なっているが、二人と大きなレベル差が例えなかったとしても、同じ動きを出来る気がしていない。パートナーがいるいないもそうだが、かつて一層の頃にキリトから「モンスターをオーバーキルしている」なんて言われてから、そういう動きよりも効率を上げたが、仮にあの頃のように戻れたとしても出来そうになかった。

 

 果たして、二人は普段どんな鍛え方をしているのか。現実世界ではこんな動きできるはずもないが、それをここで可能とする気力でも高めていたのだろうかと思わざるを得なかった。あまり褒められた行為ではないが、キリトは二人なら答えてくれるんじゃないかと期待を寄せつつ、断られれば引き下がるつもりで訊ねた。

 

 

「あのさ、二人はいつも何してるんだ? いくら仮想世界と言っても、気力の問題があると思うんだが………」

 

 

「あー………別に大したことはしてないぞ?」

 

 

「うん、セイシンシュギョーみたいなことは何もしてないよ? 気が向いたらソラと《初撃決着モード》でデュエルするくらいかな?」

 

 

「「へぇ〜」」

 

 

 キリトが訊ねた際に、あとでそれを咎めるつもりすらあったアスナですら、返ってきた答えに感嘆の声を洩らす。途中で不穏な言葉が聞こえたが、どうやらそれをしていないということなのだから、特別恐ろしいことはしていないと分かった———()()()()()。回答の頭から足まで何度も確認するうちに不審なものに気がついた。《初撃決着モード》のデュエル。それは何もおかしいことではない。自らの実力を底上げするために、そのルールでお互いの動きに磨きをかけるのは当然だ。キリトはそういうことができる相手がいないため、対人戦というよりは対モンスター戦向きの動きだ。アスナはギルドメンバー云々であるのかもしれない。

 

 だが、問題はそこではない。

 今一度思い出して欲しい。ユウキは誰とデュエルしていると言ったかを。同時に、クラディールとのデュエル後の会話のことを。ユウキは言った。「ソラとデュエルしている」と。少し前にはこうも言っていた「カウンターをカウンターできる」と。それを思い出し、ゆっくりとソラとユウキに呼ばれているアーカーに目を向けて———納得した。ああ、()()()()()()()、と。

 

 

「アーカーを見て、すごく納得がいったよ。なるほどな、ユウキを魔改造したのはお前か」

 

 

「ユウキがいつの間にか魔改造されてたなんて……私が早く知っていれば………」

 

 

「俺を悪人みたいな言い方するのやめようかテメェら。だいたい、俺を化け物みたいに言ってやがるが、思い出してみろ一層の頃は普通だったろうが」

 

 

「いや普通なら初見で《幻月》をパリィなんて出来ないからな?」

 

 

「いやいや、あれはたまたま〝発動時の動きがわざとらしいな〟って気付いたからだ、ってあの時にも説明したよな?」

 

 

「お前、いつも走馬灯でも見えてるんじゃないのか?」

 

 

「オーケーキリト、テメェぶっ転がしてやるからそこに直れ。何が走馬灯だ。そんなに見てぇならテメェにも見せてやらァッ!」

 

 

 キリトを追い掛け回すアーカーに、逃げ惑うキリト。ユウキを抱き締め涙ながらに心配するアスナに、何のことか分かっておらず小首を傾げるだけのユウキ。不思議な光景が広がった七十四層迷宮区の一角は、何の偶然か誰もやってこなかったという。異質な光景が終息したのは、それから五分後のこと。今にもキリトを斬りそうな勢いのアーカーを、アスナの抱擁から解放されたユウキが一喝して止めたことで、漸く静かになった。コホンと咳払いし、何処と無く先生っぽいことがしてみたさそうな雰囲気のユウキが、キリトとアスナにちょっとした補足をしながら、マッピングの続きをすることにした。

 

 

「えっとね、この世界で気力を鍛える方法っていくつかあるんだけど、ボクがやっているのはソラとのデュエルだけなんだ。さて、キリトくん! デュエルのモードの一つ、《初撃決着モード》の特徴って何かな?」

 

 

「最初に強攻撃をヒットさせるか、相手のHPを半減させた方が勝つっていうルールだな。デスゲームであるこの世界では、これが一番安全なデュエルのルールだ」

 

 

「うん、その通りだよ! それでね、ここで注目してほしいのは、〝最初に強攻撃をヒットさせる〟っていう部分なんだ。次は、アスナくん! ソラの戦い方ってどんなのだった?」

 

 

「えーっと……相手の攻撃を往なして勢いを活かしてカウンター、だったと思う。この世界のプレイヤーがみんな苦手そうな戦い方だよね……」

 

 

「うんうん、その通りだよ! ソラの戦い方は嫌な動きをするよね!」

 

 

「おいこらユウキテメェ」

 

 

「はい、そこ先生を呼び捨てにしない! あとでサンドウィッチ一つ没収だよ!」

 

 

「ちょまっそれは———」

 

 

 ついに先生を自称し始めた恋人に、アスナ待ちの際に食わせたサンドウィッチから昼ご飯が何なのかを特定され、挙句の果てには一つ没収まで言い渡されるアーカーはさておく勢いで、彼女は解説を続ける。ある意味この世界における生命線を平気で洩らしている行為だが、信頼と信用における二人には教えても良いかなと考えたらしい。アーカーも別に異議を唱えるつもりもない。ただ出来ることなら、自身の戦い方をさらっとディスらないでくれと願いばかりである。

 

 

「二人もその場にいたから見ていると思うんだけど、一層の時にソラが《インファング・ザ・コボルドロード》の《幻月》を初見でパリィしたの覚えてるよね。あの時みたいな超反応を、ボク達はキリトに倣ってシステム外スキルの一つとして、こう呼ぶことにしたんだ———《超反応(リアクト)》ってね」

 

 

「《超反応(リアクト)》……か。それを二人とも使えるようになったってことなのか?」

 

 

「うーん、ちょっと違うかな。ボクも()()いつでも出来る訳じゃなくて、それがある程度出来るのはソラの方だけなんだ」

 

 

「やっぱり化け物じゃねぇか、お前」

 

 

「相当な人型のボスモンスターよね、アーカー君って」

 

 

「オーケーテメェら確証得たからって人を化け物よろしくボスモンスター扱いするのやめようか?」

 

 

「……こほん。えーっとつまり、ボクがやっている気力特訓は、とんでもない速度で見切ってカウンターしてくるようなソラに負けないように頑張るって感じかな」

 

 

「うん、やっぱり化け物だろお前」

 

 

「そうね、アーカー君は攻略組が誇る人型ボスだわ」

 

 

「ホントマジでぶっ飛ばすぞテメェら」

 

 

 「俺だって一年以上も無茶し続けた弊害がこれなんだぞ」と言いつつも、自覚が無い訳ではないアーカーも流石に落ち込む。亜人型のボスモンスターにいくらか覚えがあるが、あれらと同じカテゴライズされたことに関しては気が沈みかねない。アスナも相当な無自覚毒舌だったりするのだろうかと思考がそっちに向かう中、漸く傍迷惑な〝ユウキ先生の気力特訓解説のコーナー!〟が終わったのか、彼女がそばに駆け寄ってきた。

 

 

「……揶揄い過ぎてごめんね?」

 

 

「……はぁ、仕方ない。許してやる」

 

 

「わーい♪」

 

 

 最早いつものことだと半ば諦め気味のアーカーに、嬉しそうなユウキが彼の腕を抱き締める。キリト達には後ろ姿と会話内容しか伝わらないが、彼女がどんな気持ちなのかは頭頂部にあるアホ毛の様子で判断できた。犬の尻尾よろしくブンブンと振り回されているところを見ると許されたことが嬉しいのだろう。二人の様子に、彼らは口を揃えて言った。

 

 

「仲が良いなぁ」

 

 

「仲が良いね」

 

 

「えっへへ〜♪」

 

 

「ユウキ、今のは軽い皮肉交じりだからな?」

 

 

「あれ? そうなの?」

 

 

 ド直球で褒められたと勘違いしたユウキが小首を傾げたが、純粋無垢な彼女の雰囲気に当てられたか、後ろの二人は共に胸を押さえて今し方自分達が行った行為に苦しんでいた。恐らく罪悪感というものだろう。アーカーは口にはしなかったが、後ろの二人の気持ちがよくわかった。彼とて一年以上ユウキを放置した過去を持つ身だ。未だに罪悪感全てを払拭できた訳ではない。時々思い出しては反省するばかりである。

 

 そんなことを考えたり、時々話題を振ったりするうちに、マップデータの空白部分が残り僅かとなっていた。迷宮区下部では赤茶けた砂岩で出来ていたが、登るにつれて素材が濡れたような青味を帯びた石に変化してきた。等間隔で設置されている円柱は華麗だが不気味な彫刻が施され、根元は一段低くなった水路の中に没している。総じて言えば、オブジェクトが《重く》なっている。《最前線狩り》の異名を持つアーカーの、一年以上に及ぶ経験上、この先は間違いなく———

 

 その直感を証明するかのように、回廊の突き当たりには、灰青色の巨大な二枚扉が待ち構えていた。扉には、この階層のフロアボスモンスターをざっくりとしたイメージを伝えるためのレリーフが施されており、巨大な怪物が模されている。

 

 四人は扉の前で立ち止まると、顔を見合わせた。

 

 

「ボス部屋だな」

 

 

「ボス部屋だね」

 

 

「多分そうだろうな」

 

 

「どうする……? 覗くだけ覗いてみる?」

 

 

 アスナの提案に三人は頷き、全員が転移結晶を手に握る。ボスモンスターが守護する部屋から出てくることはないが、念には念をというやつだ。聞いた話だが、以前の階層でとんでもなく長い得物を持ったボスモンスターが部屋から出ないところで、その得物を振るい、ボスモンスターが部屋から出ないという理由から扉前で挑発していた馬鹿を真っ二つに斬り裂いたという。因果応報という無様な有様だが、こういうことがまたあってはことだ。

 

 全員が無言で頷くと、先頭に立ったアーカーとキリトが同時に扉をゆっくりと押し開けていく。チラッと中を見る程度のつもりで軽く押したが、そんなことは許さないとばかりに押された扉は勢いを増して全開となる。その先に広がっていたのは完全な暗闇だ。背後を照らす光が届かないのか、それは変わらない。《索敵》スキルを使ってみるが、ボスがまだ出現していないのか反応しない。

 

 しかし、次の瞬間には《索敵》スキルが反応し、続けて入り口から離れた床の両側に、ボッと音を立てて二つの青白い炎が燃え上がった。幽霊屋敷の演出じみたそれにアスナとユウキが過剰に反応する。連続して点火された炎はいつの間にか部屋全体を照らしていた。ボス部屋はなかなかに広かった。マップデータの空白部分が全て埋まる大きさであるのが、何となくでも分かった。

 

 

 

 そして———ついに、奴が姿を現した。

 

 

 

 見上げるようなその体躯は、全身が縄の如く盛り上がった筋肉に包まれ、肌は周囲の炎に負けな深い青に彩られ、分厚い胸板はそれだけで防壁のようにすら見えた。その胸板に乗るように存在する頭部は人間のものではなく、山羊のそれ。もし仮に頭が牛であったのであれば、それはミノタウルスのようにすら思えた。

 

 巨大な頭部の両側からは、捩れた太い角が後方にそそり立ち、その下には青白く燃え盛るような両眼があった。その視線は間違いなくこちらをしっかりと捉えており、原始的な恐怖が本能に危険信号を発しさせているのすらわかった。下半身もよく見れば人間のそれとは違う。どちらかといえば、それは悪魔そのものだ。山羊の頭を持つ悪魔。何をモチーフにすれば、こんな化け物を思いつくのやらと思わざるを得なかった。

 

 いつの間にか左手を握り締めていたユウキの手から震えを感じた。奴とはまだ距離がある。得物がどんなものかは分からないが、長居は出来ないと判断し、アーカーは敵の名を確認する。表示された名前は《The Gleameyes》。定冠詞がついているため、あれは間違いなくこの層のボスモンスターであることが分かる。グリームアイズ———輝く目。なるほど、納得の名前だ。

 

 そこまで読み取った後、突然青い悪魔は長く伸びた鼻面を振り上げ、轟くような雄叫びをあげる。振動が炎の行列を激しく揺らし、床を伝った衝撃が、恐怖心を掻き立てる。口と鼻から青白く燃えるような呼気を噴出しながら、右手に持った巨大な剣———恐らくそれが奴の得物なのだろう———を翳して、こちらを殺すつもりで守護する部屋の真ん中から、地響きを立てて猛烈なスピードで走り寄ってきた。これには流石の猛者四人と言えど、叫ばざるを得ない。

 

 

「「うわあああああ!」」

 

 

「「きゃあああああ!」」

 

 

 四人揃って同時に悲鳴をあげながら、全力でその場から退避する。遠目に見て巨大と感じた剣の長さなら、部屋から出ずども攻撃範囲はそれなりにある。下手に滞在して真っ二つにされたくないのは誰だって同じ。部屋から出ないにしても、離れない限り危険なままなのは事実。ユウキの手を握りながら、アーカーはアインクラッド随一のAGI値を全開にするとそれに物を言わせて、その場から全速力で遁走した。

 

 

 

 

 

———*———*———

 

 

 

 

 

 四人は迷宮区の中ほどに設けられた安全エリア目指して、ただひたすら駆け抜けた。途中で何度か出現したモンスターにターゲットされたが、本当に邪魔なものだけを蹴り飛ばす勢いで叩き斬り、それ以外は完全に無視した。二層の頃にトレインするのは危険な行為、なんて言ったような気もしなくはなかったが、道中誰もいなかったのでセーフと自分達に言い聞かせた。安全エリアに指定された広い部屋に飛び込み、辿り着くや否や壁際に並んでへたり込んだ。全力疾走は久しぶりという訳ではなかったが、退却時の場合だけは久しぶりだった。

 

 大きく息を吸い吐いてから、四人が揃って互いの顔を見合わせた。すると、おかしくなったのか笑いが込み上げた。一番冷静だったアーカーが途中でマップを開いていれば、ここまで走らずに済んだのだが、斯くいう彼もそれなりに焦っていたらしい。

 

 

「あはは、やー、逃げた逃げた!」

 

 

「逃げたねー! すっごく逃げた! ちょっとだけ楽しかったな〜!」

 

 

「たまにユウキの感性に納得できねぇんだが……」

 

 

「むぅー、そういう時は納得するんじゃなくて納得させるんだよ、ソラ!」

 

 

「オーケーそれただの暴論だからなユウキ。口で分からないなら身体で分からせてやるとかいうクソ理論と並ぶレベルのそれだからな?」

 

 

 理屈ではなく直感的な恋人の言い草に、良いようにも悪いようにも影響を受けるアーカーは、やれやれといった面持ちで溜息を吐く。昔から変わらない。考えるのはアーカー、頑張るのはユウキ。現実でもゲームでも、この世界でも。二人が何かと対峙する時は常にこうだ。この世界では、その例と打って変わってきたが、その実、本質としては変わらないらしいと彼は自分を納得させた。

 

 やいのやいのと言っている間に、どうやら向こうも会話を少しばかり弾ませていたらしい。キリトが散々アスナに弄られたと見える。何とも言えない顔をしているところから、その様子が窺えた。それから、ゆっくりとアスナは表情を引き締めて告げた。

 

 

「……あれは苦労しそうだね……」

 

 

「そうだな。パッと見、武装は大型剣一つだけど特殊攻撃アリだろうな」

 

 

「前衛に堅い人を集めて、どんどんスイッチしなくちゃ辛そうだね」

 

 

「盾装備の奴が十人……予備を考えれば、十五人は欲しいな。色々慎重に確認しなくちゃならねぇことは多そうだが」

 

 

「盾装備、ねぇ」

 

 

 アーカーの言葉に何か思い出したように、アスナは意味ありげな視線で三人を見た。率直に言うと、何かを疑っている目だ。

 

 

「ねえ、三人とも。何か隠してるでしょ」

 

 

「いきなり何を……」

 

 

「キリト、お前反応が露骨過ぎるぞ。隠す時はもっとスマートにだなぁ……」

 

 

「お前はさらっと見抜いてくるのやめろォッ!」

 

 

「ボ、ボクナンカ全然怪シクナイヨー」

 

 

「お前も隠すの下手か。完全に片言だぞ、ユウキ」

 

 

「そ、そんなことないってば!」

 

 

 人の真偽を見抜くのが得意。そんな嬉しくもない特技をここぞとばかりに発揮し、慌てる素振りを見せる二人を揶揄うアーカー。「本当に容赦がないなコイツ」と思うキリトと、嘘でも表情に出さないアーカーを恨めしそうに見るユウキの視線が彼へと向かう。少しばかり探ろうとしたアスナは、自分が少し蚊帳の外にいることに気がついて咳払いをする。

 

 

「そういうアーカー君はどうなの? 君は攻防一体の戦い方をするから、てっきり盾を装備しててもおかしくないと思ってたんだけど」

 

 

「まぁ確かにそう思われても仕方ない。実際攻防一体の例としてヒースクリフの奴もいるもんな。とは言っても、アスナ。俺の戦い方見ただろ? 俺のはあくまで往なして反撃するっていうモンだ。残念ながら盾なんざ使えねぇ。あれは往なすというより受け止める、或いは弾くって代物だ。俺の戦い方とは似て非なるモンだよ」

 

 

 実際盾を一度使ってみたことがある。だが、残念なことに相性は劣悪だった。アスナにも言った通り、アーカーの戦い方は相手の勢いを利用するものだ。クラディールとのデュエルのように作用反作用の法則に従った効率の良い反撃を重視している。受け止めて反撃、などというものとは残念ながら合わなかったのだ。第一、アーカーの利き腕は左だ。盾は左で持つ方が安定する。それが何故かといえば、左側には心臓があるからだ。正確には左側というよりは左寄りだが、盾は急所を守るためでもある。そういう意味でも僅かに動きが遅れれば致命的な隙を晒しかねないそれとは相性が悪かったのである。

 

 理屈の通った返答に、何処か怪しいと感じたアスナは、もう一つくらい質問をぶつけようかと悩むが、そこで一度諦めた。

 

 

「アーカー君が一番怪しいけど———まあ、いいわ。スキルの詮索はマナー違反だもんね」

 

 

 その一言に、キリトとユウキがホッと一息を吐く。アーカーに指摘されたせいで、最早隠す気が無くなっているのが目に見える。本来なら危惧すべき案件だが、ここにいるのは苦楽を共にした戦友だ。同じ釜の飯を食おうと誘えるほどの仲である。そういう意味では、アーカーとユウキは別段二人には教えても良かった気がしていた。

 

 

「ま、積もる話はこれくらいにして。昼ご飯でも食べようか。アスナも作ってきたんだろ?」

 

 

「アーカー君も作ってきてたみたいね。ユウキがサンドウィッチ一つ没収、なんて言ってたから気付いちゃった」

 

 

「チッ、そういや、ンな罰則あったなぁ……忘れておけば良かったぜ」

 

 

「ソ〜ラ〜?」

 

 

「アッ、ヤッパリナンデモナイデス、ハイ」

 

 

 気づけば三時。アスナを待つ間に一つ食べさせたとは言え、空腹が迫っていたユウキの食欲による狂化が入ったギラつく目には、さしもの《絶天》も大人しく降参する。「尻に敷かれているなぁ」と微笑ましそうにそんな二人を見るキリトとアスナは、目の前にオブジェクト化されたバスケットを開いて、その手に大きな紙包みを持っていた。ユウキに急かされるようにアーカーも、サンドウィッチが入ったバスケットをオブジェクト化し、中から紙包みを一先ず二つ出した。中にはまだいくつか残っているが、それはアスナの方とて同じ。互いの料理の腕を比べ合うような構図になった。

 

 それからはお互い言葉をあげずに、二人のバスケットが空になるまでサンドウィッチを食べた。途中でアーカーとアスナがお互いの顔を見合い、何か言いたげな顔になったが、犬猿の仲というよりはお互いの力量を認め合うように見えた。それに少しばかりヒヤヒヤしたキリトとは裏腹に、満足げにサンドウィッチを頬張っていくユウキが、何処と無く小さな子供らしく見えた。

 

 全部食べ終えて———一息ついたキリトが訊ねた。

 

 

「二人とも、この味、どうやって……」

 

 

「ふふ、私は一年の修行と研鑽の成果かな? アーカー君は?」

 

 

「《料理》スキルのレベリングと同時並行でやったな。つっても、攻略のんびりやれって言われてからもやり続けてたよ。ユウキにも手伝わせた。お陰で数ヶ月で何とかなった、ってところか」

 

 

「ボク達はアスナと違って二人で時間をある程度多めにかけられたからね。すごく大変だったけど、色んな味を知れて楽しかったよ〜」

 

 

「頭数とかける時間でゴリ押したのか……」

 

 

「アーカー君にしっかり付いていけるユウキが最近心配になってきたわ……」

 

 

「さらっと化け物扱いするじゃねぇ———まぁ、俺は現実世界(向こう)でも大変な思いして無数の組み合わせ見抜いて頑張ったことがあるんでな。お蔭様でこの程度は屁でもねぇんだ。むしろあの時の方がよっぽど大変だったっての」

 

 

 神妙な面持ちで語るアーカーに、まだ彼の過去を———恐らくユウキも関係があるそれを知らないキリト達は、その表情の奥に渦巻く本心が分からなかった。何処か憂うようで、何処か懐かしむ。そんな彼の横顔は、不思議と気になるものだった。

 そんな中、その不思議な空気をぶち壊したのはユウキだった。

 

 

「うー……たくさん食べたら、眠たくなってきちゃった……」

 

 

「途中で食わせたのもあったが、それ含めなくても大量にサンドウィッチ頬張るからそうなるんだ、馬鹿ユウキ」

 

 

「ボク、馬鹿じゃないもん……。お腹減ってただけだもん……」

 

 

「オーケー分かった食いしん坊。ンで? 眠たいから肩貸せって言いたいんだろ?」

 

 

「さすが、ソラだね……うん、ちょっと肩借りてもいいかな……?」

 

 

「おう、好きに使えよ。甘えん坊の恋人専用だ」

 

 

「わーい……♪」

 

 

 アーカーは壁に背をつけて肩の位置を固定すると、そこにユウキが寄りかかるように身体を預け、頭を肩へとやるとそのまま静かに寝息を立て始めた。彼女のあどけない寝顔に、ここが死地の真っ最中であることを忘れそうになる。それはアーカーだけでなく、キリトとアスナも同様だった。親戚の子供を見るような微笑ましさで、スヤスヤと寝入る少女を眺めた。

 

 

「なあ、アーカー」

 

 

「ん? どうした、キリト?」

 

 

「こうしてさ、寝顔の一つでも見るとユウキは本当に子供なんだなって思うんだ。年齢とかそういうのじゃなくて、純粋にそう見える」

 

 

「ああ、違いない。コイツは他人を好き放題引っ張り回すけどさ、なんつーか、それが一番〝らしい〟んだよ。子供っぽいのが取り柄って言ったら怒るだろうけどな」

 

 

「ふふ、そうかもしれないね。アーカー君は、ユウキの幼馴染なんだよね。気に障ったら謝らせて欲しいんだけど、二人は同い年なの?」

 

 

「ああ。つっても、出会ったのは途中からだったけどな。それでも、ある意味腐れ縁だ。この世界に来る前までずっと一緒だったからな。……つーか、たまにはお前らの話も聞いてみたいんだが」

 

 

「あー、現実世界に戻ったらでいいか?」

 

 

「えーっと……私もそれでいいかな?」

 

 

「ハッ、なんだよそれ。人には聞いておいて答えるの忍びねぇとかマジかよ———ま、別にいいぜ? 戻ったら根掘り葉掘り全部聞き出してやるから覚悟しろよ? 幸い記憶力には自信があるんでな。一度聞いたら忘れてやらねぇからな」

 

 

「今一番身の危険を感じたのは気のせいか……?」

 

 

「私もちょっと、ね……」

 

 

「おう、人を危ない奴みたいに言うんじゃねぇよコラ」

 

 

 その一言で、三人は笑いを零した。無論、ユウキを起こさないよう小さく声を抑えながらではあったが。クツクツと最小限の笑みで終わらせたアーカーは、小さく寝言を洩らすユウキを見る。相変わらず、油断し切った顔だ。安心し切った顔だ。曝け出しても問題ないと思って寝ているから、こんな顔ができるに違いない。これからも眺めていたいと心から思う。

 

 

「……ぁい……して……るよぉ……そらぁ………」

 

 

「寝言のくせに、男をダメにする台詞抜かしやがって……———俺も愛してるよ、ユウキ」

 

 

「目の前で堂々と惚気るんだな、お前……」

 

 

「ユウキ、すごく幸せそうだなぁ……」

 

 

「あの時、俺の前に立ちはだかってくれたのがお前で良かったよ……俺は()()()()()()()()()()

 

 

 各々言葉を述べ、幸せそうに眠るユウキを見ていた。アーカーは優しく左手で彼女の頭を撫でながら、そう告げる。何か意味を含んだ言い方をする彼にキリトは首を傾げたが、その真意には辿り着けないまま、ただの呟きだと思って気にしないことにする。叶うことなら、休憩時間が終わるまではずっとこうしていたかったのだが、ここは迷宮区。そういう訳にもいかなかった。下層側の入り口からプレイヤーの一団が鎧をガチャガチャ言わせながら入ってきた。知らないとは言え、こうも鎧で音を立てられるとアーカーは元より、キリトやアスナも今だけは不機嫌になった。

 そうとは知らない六人パーティーは、安全エリアに辿り着くと、真っ先にリーダーと思しき人物がキリトを見つけた。

 

 

「おお、キリト! しばらくだな!」

 

 

「まだ生きてたのか、クライン。あと静かにしてくれ、ユウキが寝てる」

 

 

「お、おう……。それにしても、愛想のねぇ野郎だな。珍しく連れがいるの……か…………」

 

 

 言葉を詰まらせながらクラインはキリト以外の三人を見た。ユウキという言葉を聞いた時点で何か気がついていたとは思うが、いざ目にして見ると驚くものがあったのだろう。言ってはなんだが、目立つことを避けるキリト以外のメンバーは、攻略組どころか全階層のプレイヤーが知っている人物だ。《絶天》のアーカーに、《絶剣》のユウキ、《閃光》のアスナ。攻略組が誇る猛者中の猛者で、そもそもこの間の誕生日パーティーで会ったばかりだ。色々あったが、あの一件以来、キリトは前よりも絡みやすくなったと言える。

 

 

「よぉ、クライン。悪いが、俺の恋人は現在お昼寝してるんでな———騒いだらぶっ殺す」

 

 

「お、おう……」

 

 

 本当に殺しはしないだろうが、とてつもない殺気で脅されれば、当然頷くしかない。コクコクと頷く彼に釣られるように、彼の仲間もまた頷いた。

 

 

「にしてもよぉ、キリト。おめぇ、ソロじゃなかったのか?」

 

 

「まぁな。でも、不思議とこうやって組むことになってさ。実際、アーカーとユウキの戦闘は本当に規格外だったよ。俺でも盛大に驚いたさ」

 

 

「ほへぇ〜、おめぇがそういうのも珍しいな。前はああ言ったけどよぉ、一度くれぇ手合わせしてみてぇモンだ」

 

 

「お? 今度やるか?」

 

 

「あ、クライン死んだな」

 

 

「クラインさん、お元気で」

 

 

「ちょ、ちょっと待てよ! おめぇらオレを見捨てる気か!?」

 

 

 大きな声を出したクラインの頰をギリギリ当たらない程度に掠めるようにして何かが飛来した。投擲用ピックだった。何ら珍しくもない代物だが、それは方向線状にあった柱に深々と突き刺さった。狙ってやったのだと分かったクラインは、恐る恐る投げた人物の方へと向いた。

 

 

「なあ、クライン? 俺言ったよなぁ? 騒いだら殺すって。次は———()()()外さねぇからな?」

 

 

「……お、おう………悪りぃ…………」

 

 

 先程よりも鬼気迫る殺気に、クラインは両手を挙げて降参の構えを取る。何かが飛んできたとしか分からなかった彼でも、その事柄からどれだけアーカーが実力者なのかが充分に分かったのだろう。

 

 実際、復帰した直後は攻略組どころか色んなところで大変だった。〝全階層で大人気な女性プレイヤーであるユウキに好きな人がいる〟なんて噂が広がり、実はすでに付き合っていると聞けば、熱烈なファン達は黙っていない。結果として、アーカーは全ての賭けデュエルに勝利し、その実力を全階層に轟かせた。

 

 そんな彼のファンが、今度はユウキに賭けデュエルを持ちかけ、彼女もまた実力をこれまで以上に轟かせるといった事件が起きたのだ。アインクラッドに二つの〝絶対〟在り。そんな定説が出来たのも、これが原因だったのだと当人達は思っている。当然ながら、それをキリト達も見ている。残念なことにクラインは見ていなかったそうだが。

 

 そこからは互いに声量に気を付け始めた一同は、ある程度お互いの仲を簡単に深める程度に話を膨らませた。コミュ症気味だったキリトも、少しだけ打ち解けているのが見えた。それを安心した顔でアーカーは、ユウキがちゃんとリラックスして眠れているのを確認しながら、「いつ起こしたらいいものか」と悩むことにした。

 

 そんな小さな悩み事をする時間もなく、次の厄介事はやってきた。先程のクライン達よりも鎧をガチャガチャと言わせ、一糸乱れぬ足音を響かせながら、それはやってきた。

 

 

 

 ———アインクラッド解放軍。

 どうやら場違い極まりない奴らがやってきたらしい。

 

 

 

 

 

 青い悪魔 —完—

 

 

 

 

 

 






 アインクラッド解放軍。

 いらぬ来客達は、無謀にもボスモンスターへと挑む。

 そこへ、アーカー達が辿り着く。

 目の前で誰かが死ぬ。その光景に、二人が駆けた。

 ———また目の前で救えないのは嫌だから。

 次回 ユニークスキル、解放



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21.ユニークスキル、解放



 今回話が長いです。
 戦闘描写も少しばかり凝った結果ですね。原作と違う展開がいくつかありますが、そこは楽しんでいただければと思います。ワンマンアーミーよろしく一人でなんとかしちゃったキリト君は当然いません。ある意味、これこそあるべき形なのかも?と思いながら書きました。
 まー、でも、やっぱりキリトは単独で強い方が目立ちますよね……




 

 

 

 

 

 

 雨宮(あまみや) 蒼天(そら)は、昔から傲慢な相手が嫌いだった。自分が全てであり、自分が基準。判断するのは自分だ、そう言わんばかりの人間が大嫌いだった。

 

 『雨宮家』に拾われて、最初に思うようになったのは、それだった。盲目的なまでに自分を絶対視する愚者共が、互いの腹の底を見透かそうと綺麗事ばかりを並べる。表面上は小綺麗なことを宣っているが、少しずつ蒼天には彼らがどう思っているのかが分かるようになってきた。

 

 ある意味では、彼が他者を注視することで、〝その人物がどういった人間なのか〟〝本当のことを言っているのか、嘘をついているのか〟〝今どう思っているのか〟を感情の機微や仕草などで読み取れるようになったのは、こういった環境に置かれていたからなのだろう。

 

 腐り切った人間を、間近で、ひたすら。それ以外に何もできないから。何もすることがないから。

 

 幼い彼は、ただ見抜く力だけを静かに身につけていった。それが、いつか役に立つことを信じて————

 

 

 

 

 

 それは偶然にも、この日も役に立った。視界に捉えていたのは、キリトやアスナ、クライン率いる《風林火山》の者達———そして、いらぬ来客たる《アインクラッド解放軍》の十二人。金属鎧に身を包んだ、何かの〝部隊〟のようにすら思える動きをする彼ら。統率していると思われる男は整然としていたが、他十一名には疲弊の色が見て取れた。アーカーはそれだけを見て納得する。

 

 第一、この世界に閉じ込められた者達は、揃いも揃って重度のコアゲーマーだ。アスナのような例外こそあれど、基本的には皆同じ。そんな彼らは当然団体行動など向かない。ゲーマーと言うのは、知り合いこそいるものの、規律などに縛られることには向いていない。統率というものには最も向かない人種だ。それを無理やり、こうも統率しているのならば、疲弊も当然だろうし、まず大前提として———

 

 

(《軍》は五十層以下のフロアで、組織強化と称して踏ん反り返っているような奴らでしかない。そんな奴らが少数で登ってくる時点で、ロクな考えを持っているはずがない)

 

 

 二十五層のボス攻略以来、一度として最前線を上がってこなかったのは、当時現場にいたアーカーも知っている。常に最前線を潜り続けていたからこそ、どんな奴らが今上にいるのかを把握していた。その中に、《軍》の姿は一度もなかった。十一人の疲弊具合からして、恐らくレベルは高いとは言い切れない。むしろ、あの人数ならば、しっかりとスイッチやPOTをすれば、余力さえあるはずだ。それすら出来ない軟弱者ではないだろうし、考えられるのはレベルがまだ少し足りないか、階層と同じくらいしかない場合だった。

 

 少ない情報で、ある程度の推測をした後、アーカーは隣で眠るユウキに視線をやる。うるさそうにしている。下手に大きな声を出されでもすれば、起きてしまいそうな状態だ。恋人のお昼寝が阻害され始めたことに気がつき、彼は少しばかり苛立ちを覚える。

 

 そんなことを知るはずもない奴らは、先頭にいた指揮官たる男が、アーカー達がいる側とは反対側に部隊を停止させ、残り十一人に「休め」と声を発した。すると、彼らは盛大な音と共に倒れるように座り込んだ。その音を聞き、アーカーがさらに苛立ちを覚えるが、指揮官たる男は、キリトの方へと近づいていった。

 

 ヘルメットを外し、素顔を晒す。かなりの長身だった。三十代前半とも取れる角張った顔立ちをしており、特徴は太い眉に小さく鋭い眼と言ったところか。じろりとこちらを睥睨すると、固く引き結ばれた口元が開く。

 

 

「私は《アインクラッド解放軍》所属、コーバッツ中佐だ」

 

 

 その一言を聞いて、キリト達が驚くが、その理由は何となくだが、アーカーには察せていた。《軍》というのは、集団外部の者達が揶揄的につけた、言わば皮肉だ。それが正式名称になっているとは思わなかったのだろう。挙句の果てには《中佐》なんていう御大層な階級までついている。今の自衛隊ですら《二佐》と呼称が変更されているというのに、わざわざ何十年も前の戦時中のそれにしていると来たものだ。階級システムを考案した奴は軍隊マニアだろう。聞いて呆れるが、下手に声にすれば、クラディールよろしく突っかかってくるのが目に見えたので、大人しくアーカーはユウキの様子を見るだけに留まる。

 

 その後、キリトが応答し、コーバッツは軽く頷くと横柄な口調で訊ねた。

 

 

「君らはもうこの先も攻略しているのか?」

 

 

「……ああ。ボス部屋の手前まではマッピングしてある」

 

 

「うむ。ではそのマップデータを提供して貰いたい」

 

 

 当然だ、と言わんばかりの台詞にキリト達が驚く中で、アーカーは察しがついた。「ああ、なるほど。またこんな奴らが湧いてるのか」と。幼少期の嫌な記憶がフラッシュバックし、それを打ち消すために舌打ちをする。当然それが聞こえているのは分かっていた。コーバッツという男がこちらを睨んだようだが、完全に無視を決め込んでおくと、キリトの背後にいたクラインが食ってかかった。

 

 

「な……て……提供しろだと!? 手前ェ、マッピングする苦労が解って言ってんのか!?」

 

 

 胴間声で喚く。彼がそう言うのも無理はない。未攻略区域のマップデータは貴重な情報だ。突然の不意討ちなども防げるし、何よりもトレジャーボックス狙いの鍵開け屋などのトレジャーハンター達が高値で取引するようなものだ。《最前線狩り》の異名を取った頃は、それを利用したこともアーカーにはしばしばあった。現に二十二層で大きなログハウスを変えたのも、マップデータの提供による稼ぎなどからだ。トレジャーボックスに関しては残しておいたが、あれまで取ると他の者達が攻略する価値が無くなり、競って無茶をして死亡する馬鹿を減らすためだった。

 そんな事情を知っているのか知らないのかは分からないが、皆の代弁者としてクラインが声をあげたのだ。

 

 すると、その声を聞いたコーバッツは、片方の眉をぴくりと動かし、ぐいと顎を突き出すと大声を張り上げた。

 

 

「我々は君ら一般プレイヤーの解放の為に戦っている!」

 

 

 続けて吼える。

 

 

「諸君が協力するのは当然の義務である!」

 

 

 ————傲岸不遜とはこのことだ。身勝手な言い草に、アスナとクラインが激発寸前の表情になっている。当然、それを聞いていたアーカーも同じ状況にあった。

 しかし、憤りは次第に沈静化し、それは憐憫へと変わり、すっかりと呆れ果てていた。「せっかく我慢してやろうと思っていたのに」と思う一方で、「また厄介事を増やしてユウキに怒られるだろうな」と後で起きるだろう事柄に頭を抱えたくなった。ストレージから緊急時用の寝袋を取り出し、その上にユウキを寝かせると、アーカーは立ち上がった。

 

 

「ちょっと、あなたねぇ……」

 

 

「て、てめぇなぁ……」

 

 

 表情だけに留まらず、激発寸前の声をあげた二人を制しようとキリトが動き始めたところに、彼の肩に手が置かれた。振り返ると、そこにはアーカーが立っている。その顔は、いつもと同じように思えるが、口から出た声音は、かつての彼のように冷たかった。

 

 

「落ち着けよ、お前ら。義務だ何だとほざいてるが、要するにあれだろ? 「()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()」って半泣きの子供よろしくお願いしてるのと同義だろ? だったらくれてやればいいじゃねぇか。貰わなきゃ何にもできないんだからさ」

 

 

 煽り立てるように嘲笑うその姿に、激発寸前だったアスナとクライン、それどころかキリトさえも唖然とした顔をこちらに向け、クツクツと嗤うアーカーは、わざわざ一部分を裏声で物語ってやった。あまりのそれに、コーバッツですら唖然としていたが、意味を理解した直後、青筋を浮き上がらせて吼えた。

 

 

「我々を侮辱しているのか、貴様……!」

 

 

「ンな訳あるかよ。餓鬼の癇癪を分かりやすいように解釈してやっただけだろ? お蔭様で俺の仲間は大体納得しただろ?」

 

 

 そう言って振り返ると、イマイチ納得していないアスナはさておき、クラインは少しばかりニヤついた顔を晒していたし、キリトに至っては呆れてさえいたが頷いていた。クラインの仲間達に至っては、若干笑いを堪えている様子さえある。

 

 

「ンで? マップデータが欲しいんだろ? だったら義務とか何とかほざく前にさ、キチンと礼節重んじて頼むべきだろ? なあ、日本人。……おっともしかして外国の方だったかな? 流暢に日本語ペラペラ話すモンだから勘違いしたよ、悪かったなぁ? てっきりそれぐらいになると日本ってどういう国なのか分かってくれてるモンだと思ってたんだが、知らなかったのなら仕方ねぇよな。現実に帰れたら再度勉強することをオススメするぜ?」

 

 

「……貴様ァッ!」

 

 

 堪え切れなくなったか、コーバッツが胸倉を掴む。大人に持ち上げられた子供のような有様になり、これには流石にキリト達も制止に入ろうとするが、アーカーはそれを片手で制して、尚も嗤う。

 

 

「おいおい落ち着けよ? デカイ図体して器は小さいなんて笑えねぇだろ? 何でもかんでもストレートに言葉を受け止めすぎなんだよ。何を怒ることがあるんだ? 知らないことは知らないでいいじゃねぇか? マップデータも礼節重んじるならくれてやるって言ってんだぜ? 何処に不満があるんだ? これ以上望むのは流石に罰当たりだろ? なぁ?」

 

 

「黙れ! 我々は誇り高き《アインクラッド解放軍》。貴様のような輩に煽られたままだと思うな! 第一、()()()()()()()()()! かの《笑う棺桶》の構成員とはいえ、貴様は十数人も殺した卑劣な悪鬼だ! そんな悪鬼風情が、我々に物申せると思うな!」

 

 

 そう言い捨てると、コーバッツはアーカーを投げ捨てる。安全エリアとはいえ、《圏外》。ここでダメージの一つでも受ければ、奴はオレンジ———犯罪者となるが、わざわざダメージを受けてやるつもりもない彼は、地面に叩きつけられる前に態勢を立て直して着地する。一方で今の言葉を聞いたキリト達は、今にも得物を抜きそうなまでに怒っていた。それは純粋に自分のために怒ってくれているのだと彼自身分かっていた。

 それでも、武器を抜かないように制しながら、もう一度嘲笑う。

 

 

「だったら、その悪鬼に煽られない程度に仕事しろよ、職務怠慢。治安維持は憎まれて当然のお仕事じゃねぇか。なぁ?」

 

 

「今日ほど貴様がオレンジでないことを恨んだことはない! オレンジであれば、容赦なく《牢獄》に放り込んでやったも———」

 

 

 言い切るよりも速く———コーバッツの喉元に閃光が走った。その閃光はアーカー達の背後から走っていた。彼にはその閃光が誰なのか分かっている。あまりの速さに視認すら間に合わなかったコーバッツとは違い、少年は静かに名を呼び———制した。

 

 

「————そこまでにしとけ、ユウキ。俺のために怒ってくれているのは分かってるが、ンな馬鹿のためにお前がオレンジになる必要はねぇよ」

 

 

 明確な殺意を以て長剣を突き付けていたのは、先程まで眠っていたはずのユウキだった。恐らく少し前から起きていたのだろう。そして、あの会話を聞いていた。感情的になりやすい彼女には聞いていて欲しくないと思っていたが、あれほど喚き声をあげられては起きるしかなかったのだろう。「煽り過ぎにも注意だな」と考えたアーカーは、ユウキにこちらに戻ってくるようハンドサインを送り、その場から引かせた。

 

 長剣を突き付けられていたコーバッツは、その場に尻餅をついた。その後、我に返り勢いよく立ち上がると、アーカーとユウキを睨みつけ、今にも激怒しそうな顔を晒す。それから、自己を落ち着かせる意味合いも兼ねてヘルメットを被り直した。

 

 その直後、目の前に表示されたウィンドウにアーカーからマップデータの提示が書かれているのを見た。今にも激発しそうになっているのが辛うじて見える口元から窺えた。受け取るのか、受け取らないのか。ある意味最後の煽りとも取れる行為に、彼は苦虫を噛み潰したような表情をした後、何かを決意して、それを受け取ることを選んだ。仕草などである態度予想できたが、こちらが嫌がることを計画したと見て取れる。そうして、コーバッツは、向こう側の壁に待機させた仲間達を無理やりにでも立ち上がらせると、二列縦隊に整列させて、その場から、さっさと立ち去っていった。

 

 彼らが離れていくのを目視で確認すると、アーカーはやれやれと言った面持ちで溜息をついて———一言、声をかけた。

 

 

「悪いな、マップデータやっちまったよ。まさかあそこでプライド捨てる覚悟があるとは予想してなかったぜ」

 

 

「……そんなことよりも大丈夫か、アーカー?」

 

 

「ん? ダメージのことか? HPは微塵も減ってねぇよ?」

 

 

「違う。そのことじゃない。()()()()大丈夫なのか、って聞いてるんだ」

 

 

 キリトの言葉に、アーカーは少しばかり口をぽかんと開けていた。それから他の者達の顔を見る。揃いも揃って心配している。ユウキに関しては暗い顔をしていた。それを見て、アーカーは素直に思った。「現実ではあんなザマだったのに、どうやらこの世界で仲間に恵まれたみたいだ」と。それから心底安心したように笑いかけた。

 

 

「問題ねぇよ。あの程度で挫けるとでも? 舐めんじゃねぇよ。俺は《絶天》のアーカーだぜ? 伊達に人型ボスなんざやってねぇよ。第一なぁ———」

 

 

 堂々としながら、アーカーは暗い表情をしていたユウキの肩を抱き寄せる。突然の行動にユウキはきょとんとしていたが、抱き寄せられた後に彼の顔を見て安心する。そこには、かつて死にたいとすら願ったあの頃とは違い、明るく前をしっかりと向いている恋人の姿があった。

 

 

「———俺には愛してくれる恋人や、こうも心配してくれるお前らがいるんだ。たかだか癇癪起こしたクソガキの言葉如きで落ち込むほど落ちぶれちゃいねぇよ。あの程度の悪口如き、負け犬よろしく好きに吠えればいいさ。倍にして煽り返してやる」

 

 

 その言葉に、笑いが起きた。安心したのもあるが、どうやら違うらしい。キリト筆頭に、その原因が口にされた。

 

 

「結局煽り返すのかよ、アーカー」

 

 

「当然だろ? 煽る時は徹底的に、が俺のスタンスの一つでもあるんでな」

 

 

「アーカー君らしいというかなんていうのかな」

 

 

「それでこそ、アーカーって感じだなぁ」

 

 

「うんうん! ソラらしいよね!」

 

 

「お前らの言葉こそ、俺にとっては大変遺憾なんだが……」

 

 

 大きく溜息を吐くも、アーカーは嬉しそうな顔を隠すことなく晒して笑った。ユウキも楽しげに笑う。それは偶然か必然か、現実では満たされることが少なかった幸福が、不思議とその時はしっかりと感じられたのだった。

 

 

 

 

 

———*———*———

 

 

 

 

 

 それから三十分ほど。アーカー達は、再び迷宮区を登っていた。とはいえ、あのフロアボス《ザ・グリームアイズ》にちょっかいをかけるつもりではない。先程マップデータを受け取って先行した《軍》の連中がどうしたのかを確認するためだった。当初は帰るつもりだったアーカーだが、ユウキを筆頭にキリト達も心配した様子を見せたので、仕方なく確認することにしたのだ。途中運悪く———恐らく、コーバッツの奴が仕掛けたモンスタートレインだと思われるが———リザードマンの集団に遭遇してしまったため、予想よりも時間がかかったが、九人は最上部の回廊に到達していた。

 しかし、途中で連中のパーティーに追い付くこともなかったため、結局ここまで来てしまったとも言えた。

 

 

「ひょっとしてもうアイテムで帰っちまったんじゃねぇ?」

 

 

 戯けたようにクラインが言うが、それなら逆に助かる話だ。疲弊し切った仲間を連れてボス部屋に突撃するような逝かれた頭をしていないことを祈りたいものだとアーカーは心の底で毒づく。だが、残念なことにボス部屋まで確認していないため、本当にいないことが分からない限りそうはいかない。このアインクラッドにおいて、信じていいものは自分達が見たり聞いたりした一次情報で、信じるか信じないかで分かれる二次情報は、信用性が低い。アルゴのように信頼のできる情報屋なら兎も角、見知らぬ情報屋のそれを信じられるかと訊ねられて頷けないのと同じだ。そういった考えからも、九人の足取りは自然と速くなっていた。

 

 半ばほど進んだ時、その予感が的中した。それを知らせるかのように、回廊内に何かが反響する。全員が咄嗟に立ち止まって、耳を澄ませた。

 

 

「あぁぁぁぁぁ…………」

 

 

 微かに聞こえたそれは、間違いなく悲鳴。この先にあるもので、悲鳴が出てしまうようなものは一つしかない。モンスターのものでは決してないそれを耳にした瞬間、アーカーとユウキ、キリトとアスナが一斉に駆け出した。AGI値全開で加速を始めた二人を先頭に、その後ろをキリトとアスナが続く。遅れてクライン達も駆け出すが、置いていかれ始めた。とはいえ、足並み合わせて、なんてふざけたことも言っていられる余裕もないため残念ながら構っていられない。

 やがて、彼方にあの大扉が見えた。すでにそれは左右に大きく開き、内部の闇の中で燃え盛る青い炎の揺らめきが見て取れる。その奥で蠢き暴れ狂う巨大な影さえも見えた。先程聞こえた悲鳴も、あの中から反響しているのだと確信が得られた。間違いない———あの男はやりやがったのだ。

 

 

「あの———クソ野郎!」

 

 

「バカッ………!」

 

 

 アーカーとアスナが悲痛な叫びをあげ、更に速度を上げた。ユウキもキリトも追随し、システムアシスト限界ギリギリの速度すらも遅く感じた。ほとんど地に足をつけず、まるで飛んでいるような感覚にすらなる。回廊の両脇に立つ柱が猛烈なスピードで後ろに流れていく。

 

 扉の手前で四人が急激な減速をかけ、ブーツの鋲から火花が散る。中でもAGI値が高いアーカーとユウキが若干踏み止まれるか怪しかったが、辛うじて入り口ギリギリで停止。素早く呼びかけた。

 

 

「おい! 大丈夫か!」

 

 

 キリトが半身を乗り入れながら叫ぶ。

 扉の内部は言うまでもなく———地獄絵図そのものだった。

 床一面が格子状に青白い炎が噴き上がり、その中央でこちらに背を向け屹立する、金属質に輝く巨体。炎に勝るとも劣らない青に染まった身体は見紛うことなく、青い悪魔《ザ・グリームアイズ》だ。

 

 禍々しい山羊の頭部からは燃えるような呼気が吐き出され、右手に握られた斬馬刀のような巨剣を縦横に振り回している。四本ほど存在するHPバーは驚くべきことに一本として減っておらず、一本目すらまだ三割も減っていない。その向こうでは、必死に逃げ惑う軍の部隊が見えた。完全な練度不足だ。攻略するに当たって必要なレベルが足りていないという推測は当たっていたらしい。

 

 混乱し惑う彼らの様子には、最早統率などあったものではない。違和感を感じて咄嗟に人数を数えるが、二人足りていない。転移結晶で離脱しているのならばいいのだが———

 

 そう思うのも束の間、一人が斬馬刀の横腹に薙ぎ払われ、床に激しく転がる。そのHPは赤い危険域に達している。あのままではあの男は死ぬだろう。しかし、助けに行こうにも問題が多すぎた。軍の部隊とアーカー達の間に件の悪魔が立ち塞がっているのだ。あの位置に陣取られては股下を潜り抜けるという無茶しか最短で辿り着く方法がない。加えて飛び込めば、こちらにも危険が及ぶ。部屋が広く、遮蔽物がないせいで離脱にも一苦労だ。

 

 そして、もう一つ。まだ確認できていないことがあった。それを確かめるように、キリトが叫ぶ。

 

 

「何をしている! 早く転移結晶を使え!!」

 

 

「ダメだ……! く……クリスタルが使えない!!」

 

 

「な……」

 

 

 返ってきた答えは、以前アーカーがキリト達に伝えた予測を現実のものにしていた。これまでトラップとして姿を現した《結晶無効化空間》。それがついにボスの部屋にまで実装されたのだ。これでは、余計に助けに入ることが難しい。隣でアスナの悲痛な声が聞こえた気がしたが、今はどうすればいいかを考えるしかなかった。

 

 そんな中で、まだ生きていた奴は怒号をあげた。

 

 

「何を言うか……ッ!! 我々解放軍に撤退の二文字は有り得ない!! 戦え!! 戦うんだ!!」

 

 

 その声は間違いなくあの男———コーバッツのものだ。無謀な指示をした司令官は、まだ自分の指示を正しいと勘違いしていた。

 

 

「馬鹿野郎……!!」

 

 

「あのクソ野郎がァ……ッ!!」

 

 

 《結晶無効化空間》内にて姿がないということは、それは死んだことを指し示す。つまり、あの男は自分の指示で二人死なせているのにも関わらず、まだ指示をしようとしているのだ。それも「戦え!」と。あまりにも無知蒙昧、愚の骨頂たる無能の指示だ。いつもなら呆れて物も言えなくなるところだが、今はそんな余裕なんてあるはずもなかった。無能の指示に従い続けては生き残れるはずもない。何処か諦めすら窺えた彼らの姿に、血が沸騰するような憤りを覚えて———アーカーは吼えた。

 

 

「———今すぐ隙を見て逃げやがれ! あんなバカの指示なんざ聞いてる暇があるなら逃げて生き残れ! 立ち上がって前を向け! 恐怖の一つや二つ耐え忍んで見せろ! 生きることを———諦めんじゃねぇッ!!」

 

 

 その咆哮は、コーバッツ以外の九名に届いていた。彼らは夢から覚めたように、恐怖を少しばかりでも堪えて立ち上がった。それを受けて、コーバッツは自身の指示が通ったと笑みを浮かべたが、直後彼らが見せた行動に驚愕していた。彼らは武器を持ったが、それはあくまでも戦うためではなかった。急ぎ周りを見渡し、何処からなら逃げ延びることができるのか、それを必死に考えていた。元々生粋のコアゲーマーたる彼らにとっては、退却すらもが得意分野であるべきだ。それを実践するように、一人が辛うじて悪魔の股下を抜け、こちらにボロボロになりながらも駆け抜けた。

 

 奥でコーバッツが何やら叫んでいるが、抜け出した男は、追いついてきたクライン達が扉の中を覗き込むのと同時に彼らに向かって飛び込んだ。当然先頭にいたクラインが押し倒されるが、まず一人は無事に抜け出すことに成功したのだ。ボロボロの装備と半減したHPが見えたクラインは、怒ることもなく、彼にポーションを手渡した。

 

 

「おい、どうなってるんだ!!」

 

 

「コーバッツのクソ野郎が、あの状態で突撃しやがったんだ! 中は《結晶無効化空間》で、結晶アイテムは一つも使えねぇ! 二人すでに死んだ! そいつはさっきギリギリ脱出できたんだ!」

 

 

 事情を手早く説明し、理解したクラインは自分の仲間の一人に脱出した男の精神的ケアを少しでも任せると、残るメンバーをどうしたら助けられるかを考え始めた。

 

 アーカーも必死で考える。ここにいる全員で斬りこめば、連中の退路を拓くことは可能だろう。逃げて生き残ることを最優先にし始めた彼らならチャンスを見出すことができる。だが、緊急脱出不可能な空間では、こちらに死者が出る可能性すらあった。人数も少なすぎる。ボスを抑え込めるほどの余裕はない。逡巡しているうちに、隙を窺って逃げようとした奴が、先程一人が逃げ延びたのを学習した悪魔によって、弾き飛ばされた。壁に背中を強打するものの、まだHPは残っているらしい。必死に逃げる隙を見つけようとする彼らとは違い、コーバッツは情けないと断じて武器を取り、彼らに告げた。

 

 

「貴様ら! 逃げるというのか! 解放軍としてのプライドを捨てたというのか!」

 

 

「ふ、ふざけるなよ! 俺達は死ぬためにいるんじゃないんだ! あんたの命令で二人死んだんだぞ!?」

 

 

 部屋の奥から聞こえる非難の声。それが、アーカー達には痛々しく聞こえた。先程逃げ損ねた一人と、元から床に倒れていた二人。残りはコーバッツと五人。彼らを救う術が思いつかないまま、ついに悪魔が攻撃を再開した。仁王立ちとなり、地響きを伴う雄叫びを上げる。

 

 

「逃げて————ッ!!!」

 

 

 ユウキの悲痛な叫びは、直前に上げた雄叫びに打ち消された。口から撒き散らされた眩い呼気は、残る彼らを包み込み、すかさずそこに悪魔は巨剣を突き立てた。一人が掬い上げられるように斬り飛ばされ、悪魔の頭上を越えて———墜ちた。偶然にも墜ちた場所は入り口の前。アーカー達の視線がそこに集められた。

 

 

 コーバッツだった。

 

 

 HPバーは消滅していた。最後の瞬間に、自分が狙われた理由さえ分からず、もし分かったとしても理解したくないと表情が物語る。それからゆっくりと口が動き———確かに告げていた。

 

 

 

 

 

 —————貴様の、せいだ。

 

 

 

 

 

 最後の最後まで自分の指示が正しいと思い込んだ末に出した言葉がそれなのだろうか。アーカーは、奴が消滅する最後の瞬間まで目を逸らすことなく、無音で告げ返した。

 

 

 

 

 

 —————現実を見ろ。

 

 

 

 

 

 それが分かったのか分からなかったのか、こちらに分かるはずもないが、奴の表情が少しばかり苦悶の色を浮かべて———その全身を、無数の断片へと変え、散った。余りにも呆気ない消滅に、アスナが短い悲鳴をあげる。コーバッツが死んだことにより、多少の動揺はまた繰り返されたが、その隙を見逃さないように逃げようと動く者達がいた。その中には床に倒れ伏した仲間を救おうとする者もいる。

 

 しかし、それを許すほど悪魔は優しくない。HPが半減した者が多くを占めたが、それでも最早一刻の猶予さえない者もいる。再び剣を突き立てられれば、何人が死ぬか分かったものではない。

 

 そばで、ユウキが今にも飛び出しそうになっていた。こうなっては彼女を止められない。それはアーカーがこれまで一緒にいて分かり切っていることだ。以前彼女から、かつての話を聞いた。《笑う棺桶》に捕まった直前のことを。あの時共にいた仲間達は全員殺されたことを彼女はのちに知った。自分だけが生かされる苦しみを、彼女は二度も体験した。最初は両親と姉である藍子。二度目はあの時。あんな思いはたくさんだとユウキは泣き噦ったのを、今でもアーカーは覚えている。

 

 

 

 だからこそ————答えは、決まっていた。

 

 

 

「ユウキ————救うぞ、アイツらを」

 

 

「うんっ………!」

 

 

 直後、二人の様子に気がついたキリト達の制止よりも先に、二つの〝絶対〟が駆け抜けた。隙だらけの背に向けて、強烈な一撃を同時に見舞った。AGI値による速度の加算が入った刺突は、悪魔の意識をこちらに向けるだけの威力を持っていた。首がこちらを向き、続くように巨剣がこちらに振るわれた。それを二人はサイドステップで躱し切ると、ヘイトを稼ぎ始めた。部屋の入り口からアスナ、キリト、クライン達が続く。

 

 

「さあ———遊ぼうぜ、山羊野郎!」

 

 

 挑発とも取れる宣言に反応したのか、降り注ぐ豪快かつ洗練された両手用大剣の一撃が、こちらを捉えようと振るわれる。一撃一撃は確かに重い。僅かに掠めた一撃で失われたHPから推測を立て、カウンターをメインとする自身の戦い方の工程を僅かに変更。往なせる攻撃以外の全ては回避し、再度振るわれるまでに一撃を確実に見舞うことを選ぶ。同時にそれは、普段は使わないようにしている動きの解放とも言えた。巨剣が足元を薙ぐように放たれる。微妙なカスタマイズの結果、或いは逃がさないために学習した動きなのかは不明だが、受け止めれば確実に吹き飛ばされるのが確定する一撃がアーカーに見舞われる。それに気がついたキリトが当たらない範囲から叫ぶ。

 

 

「アーカー……ッ!!」

 

 

 さしもの《絶天》とは言え、彼はAGI値特化型の攻撃特化仕様(ダメージディーラー)だ。(タンク)仕様ではない。HPがどれほど減ってしまうのか推測できなかった。勢いよく薙いだ一撃は、爆風のような勢いで一面を真っ白にし、彼の安否を不明にさせた。仲間を失う恐怖がキリトの背を凍り付かせる。素早く彼のHPバーに目を向けて————気がついた。

 

 

「なんで……減ってないんだ……?」

 

 

 あんな一撃を受ければ、壁仕様であろうとHP減衰は確実だ。それなのに、HPバーは先程と何一つ変わっていない。まるで当たっていないような状況だが、ジャンプ程度で躱せるような一撃ではなかった。素早く股下を潜り抜けたのか? そんな疑問が過る中、彼が今何処にいるかを探そうと周りを見渡す。

 

 

「キリト、大丈夫だよ」

 

 

「どういう、ことなんだ……?」

 

 

 見渡し始めたと同時に、ユウキがキリトの近くに駆け寄る。説明している余裕はないはずだが、青い悪魔は事もあろうにボス部屋の上空を見上げて雄叫びをあげていた。その意味のわからない光景を、ユウキが答え合わせのように真実を告げた。

 

 

 

 

 

「ソラはね———()()()()()()()()()んだよ」

 

 

 

 

 

 一面を真っ白に染め上げた煙が晴れた先。悪魔が見上げた上空に、確かにその男は立っていた。正確には飛んでいたと言うべき行動だが、素早くそれから悪魔の背中に着地し、三連撃技ソードスキル《シャープネイル》を見舞って、突き出た角の左を根本から斬り落とした。明確にHPが減り、斬り落とされたことで悪魔が絶叫する。それと同時に背中から飛び降りると、キリト達の前に着地する。左腕を左角へとやる姿は、そこにあったはずのそれが無くなったいることを確認しているようにすら見えた。

 

 

「詳しいネタ明かしは後だ。安心しろ、あの程度の一撃躱し切ってやるさ。だから、キリト———いい加減隠すのやめようぜ?」

 

 

「………やっぱ気づいてたか」

 

 

「当然な。期待してるぜ《黒の剣士》。行くぞ、ユウキ!」

 

 

「りょーかい!」

 

 

 左角を斬り落とした下手人であるアーカーを見つけた悪魔が、怒りのままに巨剣を振るう。それを細かくサイドステップや空中への飛翔を織り混ぜて、的確に躱しながら、ヘイトを稼いでいる彼と共にユウキが斬り込んでいく。その姿を見送りながら、キリトは肩を竦めた。

 

 

「……そうだな。そうだよな。出し惜しんでいる場合じゃないよな!」

 

 

 青い悪魔から距離を取ると、アーカーとユウキが斬り込んだ隙を突いて同じように攻めるアスナとクラインに向けて叫んだ。

 

 

「アスナ! クライン! アーカーとユウキのサポートをしながら、十秒持ちこたえてくれ!」

 

 

 その叫びを聞き届けたのか、二人が頷く。未だアーカーにヘイトを置く悪魔の隙を的確に突きながら、ソードスキルや連撃を見舞っていくのが見える。中でも驚かされたのは、ユウキだった。彼女もまた、アーカーと同じAGI値特化だ。キリトのようにSTR値が高い訳ではなく、あの巨剣を真っ向から弾く力など有るはずがなかった。

 だが、違ったのだ。彼女はどういう訳か、全身が縄のように盛り上がった青い悪魔の一撃を真っ向から弾き返してみせたのだ。絶対に有り得る光景ではない。しかし、直前に全員がその目で見ている。アーカーが空中を駆けるその姿を。あれが奥の手の一つであるなら、ユウキも奥の手を持っていてもおかしくはない。

 

 過る思考と共に、キリトはメニューウィンドウを起こして操作する。早鐘のような鼓動を抑えつけながら、アーカー達が稼いでいるこの時間を無駄にしないよう、所持アイテムのリストをスクロールし、その中の一つを選び出してオブジェクト化。装備フィギュアの、空白になっている左手にそのアイテムを設定し、スキルウィンドウを開いて、選択している武器スキルを変更する。全ての操作を終了し、OKボタンをタッチしてウィンドウを消すと、背に新たな重みが加わったのを感じ取った。

 

 

「準備完了だ! いつでもいける!!」

 

 

 その合図と共に、十秒間の制限があるとは言え空中を駆け回っていたアーカーが稼いだ高度を生かすように、ソードスキル《バーチカル・アーク》を発動。一撃目で下まで下降し、二撃目で身体が少し上へと跳ね上がる。その隙を狙う悪魔が巨剣を振り抜こうとするが、素早く悪魔の胴を蹴ることで着地判定を生み出すと同時に掠める程度に抑えて空中へと逃れる。そこから着地と同時に叩き潰そうと振られた巨剣を、素早く割り込んだユウキが、小さな体躯からはとても想像できない剛力でそれをパリィ。両者共にノックバックする、その隙を縫うようにキリトが敵の正面に飛び込んだ。

 

 強力な一撃がクリーンヒットし、直後硬直から回復した悪魔が、その返礼とばかりに剣を振り被る。その隙を突いて、アスナとクラインが悪魔の背後から攻撃を見舞う一方で、打ち下ろされてきた得物をキリトは左手に新たに握られた剣で弾き返した。それは以前リズベットに作らせてから一度として他の誰にも見せていなかった《ダークリパルサー》だった。翡翠のような輝きを持つそれは、不格好な斬馬刀に劣ることなく、その強さを見せつける。

 

 

「グォォォォォ!!」

 

 

 憤怒の叫びを上げる悪魔が、再び上段の斬り下ろしを放つ。それを今度は、両手の剣を交差し、しっかりと受け止め———押し返した。奴の体勢が崩れる。それを明確な隙と捉え、キリトは奥の手の真骨頂をここで解放する。仲間達が作ってくれた十秒が無駄ではないと証明するために。

 

 

 

 エクストラスキル《二刀流》。その上位剣技《スターバースト・ストリーム》。連続十六回にも及ぶ強力無比の攻撃だ。

 

 

 

「うおおおおおあああ————ッ!!」

 

 

 絶叫と共に、左右の剣を次々と敵の身体に叩き込み続ける。途中の攻撃を防ごうと剣が動くが、キリトの攻撃を阻まないように動きながら、アーカーとユウキが両サイドからそれぞれ剣を弾き、アスナとクラインが交互に後ろからソードスキルを見舞う。勢いよく減少していく《ザ・グリームアイズ》のHP。自身の死が迫り始めている恐怖をAIが学習したのか、暴れ狂うそれに、流石のアーカーとユウキも弾き返し切れなくなってくる。二人のHPが減り始める。それが見えたキリトは、さらに一撃一撃を加速させていく。弾き切れなかった一撃が、微かにキリトの身体に衝撃を与えていくが、彼はその程度では止まらない。限界までアクセラレートしたその神経が、二刀を振るう速度をさらに高めようとしていた。速く、もっと速く。正しくその想いと共に、キリトは全身全霊で振り抜いていく。

 

 

「…………ぁぁぁああああああ————ッ!!」

 

 

 最後の十六撃目が、雄叫びと共に青い悪魔の胸の中央を貫いた。そこへダメ押しとばかりにアーカーとユウキが《サベージ・フルクラム》を、アスナが《ペネトレイト》を、クラインが《辻風》を放った。

 

 

 

「ゴァァァァアアアアアアアア!!!」

 

 

 

 強烈なソードスキルの数々をその身に受けた巨大な悪魔は、天を振り仰いだまま、絶叫していた。口と鼻からは盛大に呼気が洩れるも、咆哮したままだ。全員が硬直状態に陥るため、身動きなど出来はしない。キリトとアーカー、ユウキに関しては、そのHPはギリギリ黄色い辺りで止まっている程度だ。反撃に重い一撃をソードスキルとして貰えば、助かるかさえわからない。そんな恐怖が僅かにでも芽生えそうになる中、悪魔の全身が硬直した———と同時にその身体がバグった画面の如く揺らいで、断末魔と共に膨大な青い欠片となって爆散した。部屋中にキラキラと輝く光の粒が降り注ぐ。

 

 

「………勝ったな、キリト」

 

 

 全身全霊で戦い抜いた余熱か、眩暈を感じて倒れそうになる中で、その身体をアーカーが支えた。投げかけられた言葉に、掠れるような声で首肯すると、支えられながら両の剣を背に交差して吊った鞘へと納める。HPバーは二人が何度も巨剣を弾いてくれたお蔭か、イエローを辛うじて保っていた。頭痛にも似た痛みが酷いが、それでも意識はまだハッキリしていた。ふらつく足取りをアーカーと、続けて駆け寄ってきたユウキに支えられながら、反対側で敵のHPを削ってくれていたアスナとクラインの元まで辿り着く。

 

 

「………アスナも、クラインも、助かった、よ。何とか勝て、た」

 

 

「バカッ……! 無茶して……!」

 

 

「おめぇはまた無茶したなぁ……」

 

 

 泣き出す寸前のアスナにキリトは抱き締められた。普段なら茶化すところだが、アーカーはそんな愚行を犯すことなく、彼女にキリトを預けるとその場に仰向けになるように倒れ込んだ。突然のことに、ユウキもビックリしていたが、安心させるために彼が一言告げる。

 

 

「流石に疲れただけさ。流石にずっとヘイト取り続けるのは柄じゃねぇからな。久しぶりに身体が痛ぇよ、ハハ……ッ!」

 

 

 そんな一言を聞いて、安心したのか。或いはまた無茶したことに怒ったのか、ユウキが上からのし掛かり、ダメージがない程度に胸をポカポカと叩き始めた。最初は角度的に顔が見えなかったが、少しずつ角度が変わるにつれて見えるようになった時には、ユウキの目尻にも玉粒の涙が溜まっていた。

 

 

「……ソラも、無茶し過ぎ……なんだよ……? ボクだって……一緒に戦ってたのに………」

 

 

「……ごめんな。無茶するのが本分みてぇな戦い方して」

 

 

「………グスッ……あとで、心配かけた分……ちゃんと、安心させて…………」

 

 

「……ああ、当たり前だろ?」

 

 

 優しくその頭を撫でてやる。いつもしている行為だが、飽きた様子もなくユウキは嬉しそうに目を細めながら、アーカーの身体を起こした。一人羨ましげに眺めているクラインに、心の中でドンマイコールを送る一方で、彼は少し遠慮がちに声を掛けてきた。

 

 

「生き残った軍の連中の回復は済ませたが、コーバッツとあと二人死んだ……」

 

 

「やっぱりか……。ボス攻略で犠牲者が出たのは、六十七層以来か……」

 

 

「これが攻略なんて言いたくないね……」

 

 

 俯くユウキを慰めるように頭を撫でながら、アーカーはしっかりとした口調で告げる。

 

 

「でも、俺達はちゃんと救った。二十五層で自分の身だけしか守れなかったあの頃とは違う。今回はお前だけが生き残った訳じゃない。少なくとも九人救えた。今は、それだけ噛み締めておこう……」

 

 

「うんっ……」

 

 

 ユウキがアーカーを抱き締める力が強まった。きっとそれは、自分達が来る前に死んでしまった二人に対するものだろう。あの男、コーバッツに対して向けられているのはわからないが、残念ながらアーカーは奴のことを憂う気持ちだけは持ち合わせていなかった。それと同時に、恐らくこの原因を作り出した元凶がいるはずだとも考えついていた。曲がりなりにも《軍》と自らを呼称するのだから、さらに上の存在がいてもおかしくない。それを今すぐにでも訊ねようと思い、口を開く———

 

 

「そりゃあそうと、何だよさっきのは!?」

 

 

 ———はずだったのだが、気分を切り替えるように聞いてきたクラインの一言に、軍の連中に訊ねるのを一度やめた。キリトもこれには反応しており、言いにくそうな顔をしている。

 

 

「言わなきゃダメか?」

 

 

「ったりめぇだ! 見たことねぇぞあんなの!」

 

 

 代表してキリトが訊ねたが、どうやら秘匿は無理そうだ。分かってはいたが、仕方がないことだろう。実際あれが無ければ、被害が大きくなっていたのも事実だ。キリトに使わせた責任として、アーカーが先んじて答えた。

 

 

「エクストラスキル《天駆翔(てんくしょう)》。それが俺の使ったスキルだ」

 

 

「ボクのは《至天剣(してんけん)》だよ」

 

 

 おお……というどよめきが、軍の生き残りやクラインの仲間の間にも流れる。キリトも興味津々な様子だったが、すぐさま彼らがそちらに向いたため、彼も仕方なく口にした。

 

 

「……俺のもそうだ。エクストラスキルだよ、《二刀流》」

 

 

 エクストラスキルは、あるスキルを一定以上成長させることで出現する場合と、特殊なクエストなどを達成することで出現するものなどに細かく分けられる。クラインの持つ《カタナ》スキルは《曲刀》を成長させた先で出るものであり、《体術》スキルは例の岩砕きクエストの報酬として出現する。今回の《天駆翔》や《至天剣》、《二刀流》も特殊な条件を満たした上でのものだと思われるが、これらはもう一つの特殊なカテゴリに区分される。

 

 

「しゅ、出現条件は」

 

 

「解ってりゃもう公開してる」

 

 

「俺達も同様。予想はついてるが、検証するには危険すぎる」

 

 

「下手したら死んじゃう可能性あるもんね……」

 

 

「何やったんだよお前ら……」

 

 

 同じように条件不明のスキルを持つキリトでさえも、その一言にドン引きした様子でこちらを見た。恐らく彼の場合は自然に出現した場合のだろう。アーカーも似たようなものだが、直前にとんでもないことをやらかしているため、判断しかねている。特にユウキはそれが顕著だ。もし出現するにしても、《完全決着モード》でギリギリの殺し合いしたら出るよ———なんて言われてやる奴がいるだろうか。ハッキリ言っていないと思う。

 

 現在十数種類知られているエクストラスキルの殆どは最低でも習得者が複数人存在する。しかし、アーカーやユウキ、キリト、そしてヒースクリフのスキルを除いて、現在新たな習得者が出たという情報はない。これから三人は、二人目、及び三人目、及び四人目のユニークスキル使いとして巷間に流れることだろう。残念ながら隠し切れるものではない。とはいえ、近々仲間内にだけでも公開しようとしていたアーカーとユウキにとっては、都合が良かったとも言える。幸い、マイホームの場所がバレていないのも都合が良い。問題はキリトの方だが、「彼ならきっと多分恐らく強く生きてくれると信じている」とアーカーは心の底で祈っておく。

 

 

「ったく、水臭ぇな三人とも。そんなすげぇウラワザ黙ってるなんてよう」

 

 

「ま、そういえばそうなんだが、考えても見ろよ。重度のコアゲーマーばかりのこの世界だぜ? 混沌渦巻いてる中で堂々と公開することができる奴なんて、それこそヒースクリフぐらいだろ?」

 

 

 颯爽と現れ、堂々と戦い、その実力を知らしめた伝説の男ヒースクリフ。彼が《神聖剣》を最初に公開した頃は色々あったらしいが、当然叶う訳もない奴らは、その強さを認めざるを得なかった。未だに彼の真似事をしている奴もいるそうだが、同じようにスキルが出た者はいない。そもそも———

 

 

(ヒースクリフが茅場 晶彦、もとい叔父さんなんて誰も思わねぇよなぁ……)

 

 

 ただ一人その秘密に気がついたアーカーは、未だにその真相を隠していた。理由はいくつかあるが、まず証拠が無さすぎる。ユウキを筆頭に仲間達なら信じてくれるだろうが、下手に巻き込む訳にもいかなかった。ユウキに関しては教えてもいいとは何度も思ったが、《至天剣》を隠し通すことも下手だった、隠し事が苦手な彼女に教える訳にもいかなかった。もしヒースクリフと出会う度に怪しみ続けていれば、流石にあの男も何かしらの手を打ち始めるのが見えていた。

 

 

「ネットゲーマーは嫉妬深いからな。オレは人間ができてるからともかく、妬み嫉みはそりゃあるだろうなあ。それに……」

 

 

 そこで口を噤んだクラインは、キリトと彼に抱きついたアスナを見たのち、続けてアーカーとユウキを見る。片方はすでに恋人同士であることが露見しているが、キリトとアスナに関しては今後が大変だろう。

 

 

「……まあ、苦労も修行のうちと思って頑張りたまえ、若者よ」

 

 

「勝手なことを……」

 

 

 それだけ言うとクラインはキリトの肩をポンと叩き、それから振り向いて《軍》の生存者達の方へと歩いていった。要件があるアーカーもユウキを連れて向かう。

 

 

「お前達、本部まで戻れ———」

 

 

「———悪い、クライン。先に聞きたいことがある」

 

 

 クラインの言葉を遮り、アーカーが彼らの前に立つと、真剣な面持ちで訊ねた。

 

 

「今回の一件、コーバッツやお前らに命令した奴がいるはずだ。そいつの名前、分かるか?」

 

 

「……ああ、分かるよ。この層に来る前にアイツが言っていたのを覚えてる」

 

 

 戦闘中コーバッツと口論していた男が、最早《軍》を抜けるつもりとすら取れる言葉遣いで、はっきりした口調でその名を答えた。

 

 

 

 

 

「今回俺達に命令したのは———キバオウって男だ」

 

 

 

 

 

 それは、アーカーとユウキ、キリトとアスナ。それどころかクライン達にも聞き覚えがある名前だった。どうやら奴とは残念ながら切っても切れない縁があるらしいと、この時ばかりはアーカーも呆れ果てるしかなかったのだった————

 

 

 

 

 

 ユニークスキル、解放 —完—

 

 

 

 

 

 






 明かされた三つのユニークスキル。

 それは同時に、ある事案を生み出した。

 立ち塞がるは最強の壁。果たして、キリトは勝てるのか。

 同時にアーカーとユウキは、ある場所に立っていた。

 次回 推測と激突



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22.推測と激突



 いつの間にかUAが10000超えていたことと、お気に入りが200件を突破していました。皆さま、いつもありがとうございます! これからも全力で頑張りたいと思うので、これからもよろしくお願いします!
 さて、今回はついにキリトVSヒースクリフな訳ですが……残念ながら、文章の構成上、そこを書くことはなりませんでした。視点チェンジやいつもの三人称視点での構成を考えたのですが、下手に書くと不安定になるということが分かったので、残念ながらカットになりました。結論からして、原作と展開が変わらないためです。ごめんな、キリト。前回の出番とポツリとしか活躍してないみたいになってて。フェアリィ・ダンスにて、彼メインの回を一つは設けているので、そこまでは出番が不安定かもしれません。申し訳ないです。




 

 

 

 

 

 

 七十四層フロアボス、《ザ・グリームアイズ》との激戦から翌日。快適な目覚めを迎えたアーカーは、念のためマイホームの外周を《索敵》スキルで何度か確認した。結果としては、誰もいなかった。過疎フロアである二十二層の、さらに奥地である意味が存分に発揮された証だった。この場所を知る者達も、この場所を洩らしていないことが同時に解る。キリト辺りが〝死なば諸共〟の精神で仕掛けて来たりしないかを危惧していたアーカーも、心なしかホッとしていた。

 

 これからも安心して毎日を過ごせると安堵しながら、隣で眠りこけるユウキにちょっとした悪戯を仕掛けつつ、朝食を作っていた。顔を真っ赤にした彼女に、何度か背中をポカポカ殴られてはいたが、悪戯が成功して喜んでいる悪餓鬼のように笑う。機嫌を損ねないよう、手の込んだ朝食を作り上げ、朝からたくさん頬張るユウキを見ながら、昨日の攻略での売り上げを貰った後はどうしたものかと考えていたところ、アーカーの元に一通のメッセージが届いた。果たして誰だろうかと思い当たる人物を脳裏に浮かべて消去法で探していく中、それを開いた。そこにはこう書かれていた。

 

 

『朝から俺のねぐらに剣士やら情報屋が押しかけてきた。転移結晶使わないと脱出できなかったんだが………』

 

 

 キリトからである。ある意味想定していた通りの結果が、彼を襲っていたのだが、やはり、あの迷宮区擬きとすら称される主街区《アルゲード》でも自宅を暴かれるらしい。二十二層の森の中にあるログハウスを選んで正解だったと、アーカーは思う。

 

 とはいえ、売り上げを貰うためにも彼とは合流しなければならない訳でもあり、昨日《血盟騎士団》に休暇届けを出してくると言って別れたアスナのことも気になる。副団長たる彼女に、そう易々と休暇届けが受理されるものか。理由として切れるカードもクラディールくらいだ。あまりにも弱いそれでは、かつてヒースクリフと交渉を持ち掛け有利に事を運んだアーカーからしても、無茶があると思えたのだ。

 

 何にせよ、一先ずキリトと合流しないことにはこれ以上話が進まないと判断した彼は、彼に現在の所在を訊ねることにした。手早くメッセージを送りつけ、返事が戻ってくるまで朝食を腹へと収めていく。ユウキにも焦らない程度でいいから早めに食べ終わって欲しいと告げておくと、ちょうどメッセージが届いた。キリトからのものだと仮定して開く。

 

 

『今、俺はエギルのところにいる。雑貨屋の二階で待ってる』

 

 

 五十層で自宅がバレたのにも関わらず、同じ階層にあるエギルの雑貨屋に逃げ込むとはなかなかの肝っ玉だとアーカーは思う。〝灯台下暗し〟となる方法をすぐさま思いついた彼には驚かされたものだ。エクストラスキル《二刀流》。とんでもなくレアで強いと分かった以上、剣士や情報屋はそれがユニークスキルだと認めない限りは追い掛け回すだろう。《ビーター》の汚名を背負ってしまったキリトにとっては、なかなかの試練だと思う。《二刀流》がユニークスキルということを皆に認知させるには、攻略組でも実力のあるギルドが保証せねばなるまい。とはいえ、アーカーとユウキとて、今回判明したユニークスキル持ちなのだ。残念ながら二人が彼を保証することはできない。こうなっては、最初のユニークスキル持ちとなったヒースクリフ———もとい、《血盟騎士団》に任せるしかないのが現状だろう。

 

 

「仕方ないか。ユウキ、手早く支度しろ。キリトのところ行くぞ。あと、朝風呂入るなら早めにな」

 

 

「うん、りょーかい! ささっと入ってくるねー!」

 

 

 元気よく駆け出していく恋人を見送りつつ、アーカーは少しばかり湧いてきた眠気を欠伸と共に嚙み殺し、これからやってくる厄介事に想像して溜息を吐いた。現実とは違う面倒臭さというそれは、楽しくもあるが同時に厄介極まりない。少し前も百人斬りよろしく辻デュエルを受け続けていたのに、次が来るまでの期間が短すぎると呆れるしかなかった。

 

 

 

 

 

 それから二十分ほど経って。

 アーカーとユウキは、無事にキリトと合流した。本来ならこれだけ時間がかかったりしないのだが、〝二十二層に自宅を構えている〟という情報一つ洩らさないために細心の注意を払っていたからだ。また同時に、五十層に来た直後は、キリトを探していた剣士や情報屋達に囲まれたのも、時間をかけた理由の一つである。結果として、多少厄介な事になるとは思うが、アーカーはユウキを()()()()()()と件のエクストラスキルである《天駆翔》を発動させ、囲いを突破。そのままAGI値に物を言わせて、複雑な《アルゲード》の街並みを利用して巻く事に成功した。そんなこともあって多少遅れたことをキリトにも伝えたところ、エギルにも同情の目を向けられたのは言うまでもない。

 

 彼と合流した後、一先ず二人は現在どういうことになっているかを知ることにした。

 

 まず始めに、《七十五層が解放された》という話だ。これは、新階層が解放される度に持ちきりの話題となるため、然程気にはならなかった。

 

 次に、《軍の大部隊を全滅させた悪魔》という話だ。ハッキリ言って誇張し過ぎた法螺話である。どうしてかこういう噂を流す奴は、馬鹿とすら言えるほど誇張し過ぎている。もしそんなことが実際に起きていたら《軍》は今頃大変なことになっているだろう———今も恐らく大変なことになっているとは思うが。

 

 続いて、《それを徒党を組んで撃破した二刀流使いの五十連撃》。繰り返そう。ただの誇張し過ぎた法螺話である。恐らくこのデマがキリトを襲った悲劇を生み出したのだろう。早く救ってやりたいところではあるが、同じ境遇にあるアーカーとユウキではどうしようもなかった。

 

 キリトの話が持ち上がれば当然これも容易に想像できた。《空中すら駆け抜け、無双する絶対覇者》。誇張し過ぎているとも言い切れない絶妙なラインを突いてきたとアーカーは呆れ果てる。絶対覇者と言えるほど化け物だとは思っていないが、前文がキリトと違って間違っていないせいで反応に困った。挙句の果てには、先程それを情報屋にも見せてしまったので確証のある話だと認知されたことだろう。

 

 そして最後にユウキのことだった。曰く《悪魔の一撃すら弾き返す、更なる悪魔》。この一文を見た途端、ユウキがこれまでに見たことがないくらい怖い顔をしていたのを、アーカー達は目撃した。同時にすぐさま彼女を取り押さえる。今にも外に名乗り出て、こんな噂を流した奴を見つけ次第《圏内戦闘》を利用して蹂躙しそうな勢いすらあったからだ。エクストラスキルの効果を言っていないせいで起きた事態ではあるが、確かにあれを化け物と称する魂胆は間違っていない。だって考えてみてほしい。AGI値特化型のユウキが、恐らくSTRがかなり高い格上のボスの両手剣を無理なく真っ向から弾き飛ばしたのだ。(タンク)仕様のプレイヤーですら顔が真っ青である。

 

 何とかユウキの怒りを鎮めつつ、事態を理解したアーカーは大きく溜息を吐いた。想定できた事態ではあったが、やはりこうも進展すると笑えない。クラインが言っていた通り、妬み嫉みは激化するだろう。キリトは〝圧倒的な攻撃力〟を、アーカーは〝圧倒的な機動力〟を、ユウキは〝圧倒的な適応力〟を手に入れたのだ。ユニークスキルと称されるほどのそれが如何にバランス崩壊させるかがよく分かるほどだ。

 

 

「引っ越してやる……どっかすげえ田舎フロアの、絶対見つからないような村に……」

 

 

 ブツブツと呟くほど追い込まれたキリトは、現在進行形で引っ越し先を模索している。恐らくその引っ越し先には二十二層も含まれていることだろう。彼が移住してくることによって、話をする際には楽になるだろうが、同時に自宅がバレてしまいそうな気がしている。「三十九層はどうだ?」と勧めてやろうかと思ったが、アーカーはそれをすぐに取り止める。どうしてなのかと言えば、「そこはヒースクリフがよく訪れたりするから多分バレるぞ」とだけ答えるしかないのだが、本心ではそこを勧めてバレた時の反応が見たいという気持ちと友人を思い遣る気持ちが拮抗していた。

 

 そんな中、エギルはにやにやと笑顔を三人に向ける。

 

 

「まあ、そう言うな。一度くらいは有名人になってみるのもいいさ。どうだ、いっそ講演会でもやってみちゃ。会場とチケットの手筈はオレが」

 

 

「するか!」

 

 

 飛び切り速く反応したキリトがエギルの言葉を遮りながら、彼の頭の右横五十センチを狙って右手のカップを投げた。染み付いた動作によって《投剣》スキルが発動したのか、輝きながら猛烈な勢いで部屋の壁に激突。大音響を撒き散らした。幸い、建物本体は破壊不能オブジェクトであるため、いつもののシステムタグが浮かび上がるだけに留まった。

 

 

「おわっ、殺す気か!」

 

 

「悪い悪い」

 

 

 大袈裟に喚く店主に、軽い態度で謝るキリト。それを見ていたユウキは、何やら考え事をした後、急に堪え切れなくなったのか笑い出した。不審に思ったアーカーが訊ねると、彼女は答えた。

 

 

「だ、だって、こ、講演会開いたら……き、キリトが絶対に固まっちゃうもん……」

 

 

「そっか。そういやコイツ、コミュ症だったな忘れてた」

 

 

「コミュ症で悪かったな!」

 

 

 痛いところを突かれた当人が不機嫌そうな顔をすると、ユウキがちゃんと謝りながらも、「そう言えば」と話を切り出した。

 

 

「ねえ、キリト。アスナにもここにいること伝えたんだよね?」

 

 

「ん? ああ」

 

 

「ンの割りには遅いな。また、あのゲテモノストーカーが邪魔してんじゃねぇのか?」

 

 

「本部にて待機、って言われてたから確かに有り得るな……」

 

 

「そう考えると心配だよね……うーん」

 

 

 すでに待ち合わせの時刻からは二時間が過ぎている。ここまで遅れてくることは、件のストーカーの際にも無かった。流石に何かあったと考える他ない。心配を飲み込むようにキリトが奇妙な風味の茶を飲み干す中、過剰警戒とも取れるほどに店内ですら《索敵》スキルを発動させていたアーカーが何かに気がつく。トントンと階段を駆け上がってくる足音が聞こえ、足音の主は躊躇うことなく扉を開くに至った。姿を現したのは、待ち人であったアスナ本人だった。いつものユニフォーム姿で何も変わったところはないが、その表情は蒼白で、大きな目を不安そうに見開いている。両手を胸の前で固く握っているところから、やはり何かあったのだと感じたアーカーとユウキが、彼女の口から言葉を待った。

 

 

「どうしよう……みんな……」

 

 

 今にも泣き出しそうな声で続けた。

 

 

「大変なことに……なっちゃった……」

 

 

 

 

 

 エギルに淹れてもらった茶を一口飲み、漸く落ち着きを取り戻したアスナは、ゆっくりと事情を話し始めた。気を利かせてくれた店主は一階に降りている。そのさりげない優しさに、四人はそっと感謝する。

 

 

「昨日……あれから《グランザム》のギルド本部に行って、あったことを全部団長に報告したの。それで、ギルドの活動お休みしたいって言って、その日は家に戻って……。今朝のギルド例会で承認されると思ったんだけど……」

 

 

 その言葉を聞いて、アーカーは予想していた通りの展開になったことを察した。七十五層に到達した今、副団長であり貴重な戦力であるアスナを休ませることができないと判断したのだろう。せめて、休暇届けはこの層が解決してからとでも言ったのではないか?と思考を巡らせつつ、続く言葉を待った。

 

 しかし、飛び出した言葉は、アーカーの予想よりも上だった。

 

 

「団長が……わたしの一時脱退を認めるには、条件があるって……。みんなと……少なくともキリト君とは立ち会いたい……って……」

 

 

「な……」

 

 

「は?」

 

 

「えっ」

 

 

 ヒースクリフ———正確には、それを操る茅場 晶彦をこの中で誰よりも知っているアーカーですら、一瞬理解できなかった。立ち会う……とはつまるところデュエルをするということだと仮定しても、何故キリトを確実に限定したのかがサッパリだった。アスナの活動休止が何故そこに結びつくのか———

 

 

「……そういうことか」

 

 

 そこまで思考を巡らせて———気がついた。合点がいったと納得するアーカーに、ユウキを筆頭に三人が説明を求める素振りを見せる。答えるように、彼は推測を語った。

 

 

「恐らく、俺とユウキが立ち会いに入らなかったのは、現在の攻略組内での勢力図が理由だ」

 

 

 空のカップを三つばかりテーブルの中央に移動させると、一先ず先に話を飲み込みやすくするための下準備を始めた。

 

 

「まず第一に、ヒースクリフがデュエルを望んでいると考えた場合だ。この場合だと、キリトが勝つと手に入るのはアスナだ。活動休止を認める言い分にするためだろうな」

 

 

 少しばかり言い方が変だったのを誤解したアスナが顔を赤くするが、色々と鈍いキリトは気が付かず、ユウキは興味津々に頷いている。本当に分かってるのかお前……と言いそうになりながらも、アーカーは説明を続ける。

 

 

「対して、ヒースクリフが勝った場合は……まぁ、まだどういうことかは想像しかねるが、恐らくキリトに関することだ。つまるところ、アスナが欲しいなら戦え!的な流れにするんだろう。どちらにも勝てばメリットがあるように誘いをかけている。そう考えて間違いない」

 

 

「だけど、それならアーカーやユウキが相手でもいいんじゃないのか? 別に俺が戦わなくとも、お前らのどちらかが戦うこともできるはずだ」

 

 

「だろうな。そこで、攻略組の勢力図だ」

 

 

 先程並べた三つのカップに指差しながら、一つずつ《血盟騎士団》、《聖竜連合》———そして、《絶対双刃》と仮定していく。

 

 

「現在攻略組は三つのギルドによって、バランスを保っている。これはヒースクリフが望んだ通りだ。結果として攻略方針は前よりも安定している。二大勢力が好き勝手できなくなった、という見方ができるからな」

 

 

 それを聞いて不服そうなアスナが見えたが、今は説明の途中。構っていられる訳もなく、そのまま続けた。

 

 

「ヒースクリフはどうしてもこのバランスを崩したくない。崩すと前と同じ状況より悪化する恐れがあるからだ。それはつまり、俺やユウキの進退に問題があってはいけないと考えられる」

 

 

「キリトは良くて、ボクとソラがダメな理由……なのかな?」

 

 

「キリト君と二人の違い、が関係してたりする?」

 

 

「ああ、そうなる。俺達とキリトの違い、一番顕著に出ているのは———恐らく、ギルドに入っているかどうか、だ。それも三大勢力の一つのどれかに属しているか、っていう点だろうな」

 

 

 そこまで来ると、キリトは気が付いたのか苦々しい顔をした。続いてアスナも理解し、ユウキは小首を傾げていたが、次の説明で納得することとなる。

 

 

「つまるところは、こういうことだ」

 

 

 用意した三つのカップの一つ《絶対双刃》と仮定したそれを、《血盟騎士団》と仮定したものに近づける。

 

 

「賭けデュエルによって、ヒースクリフが勝った場合。負けたのが俺とユウキのどちらかだったなら、自分達の方に協力させるか———手っ取り早い話は、()()()()()()()()()()()って訳だ」

 

 

 その説明を聞いて、ユウキも気が付き、不機嫌そうな顔になる。先程のアスナ同様に不服とも取れるその顔に、言いたいことが何とかなくアーカーにも分かっていた。

 

 

「……まぁ確かにこれは俺達のどちらかが負ける前提になってるが、アイツ自身も確率は半々と考えてるだろうな。でも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。ギルドは最低二人は必要だ。俺達のどちらかを奪えば、その時点で《絶対双刃》は消滅。せっかくの均衡が崩れ去る」

 

 

 本当に叔父さんらしい、嫌な手口だとアーカーは苦笑する。現実で彼と会っているのは、ここでは彼だけだし、同時にその性格や行動理念、考え方などを理解しているのも間違いない。お互いが共に虚無に生きている、酷似していると感じていた時点で、それは合わせ鏡と言っても過言ではない。故に、彼らしいと断じたアーカーは、念入りに説明の補足をする。それはまるで、茅場 晶彦———もとい、ヒースクリフ自身が自分の考えを語るかのようだった。

 

 

「仮に入団しろ、ではなくとも、協力体制が前よりも強まった場合、それに反発するのは《聖竜連合》だ。向こうからすれば、繋がりが前より強くなることすら耐えられないだろう。何せこっちは〝向こうからも喉から手が出るほど欲しい〟と思われていたユウキがいる訳だ。均衡は保たなくてはいけないが故に危険を一つでも犯すことさえできない。僅かにでも確率がある以上、下手な博打に出られないんだろう」

 

 

「そこで、ユニークスキル持ちで、尚且つソロプレイヤーの俺に矛先が向いたのか……」

 

 

「あくまで推測だが、かなり確率が高いと思え。()()()()()()()()()()

 

 

 その一言に、キリトが眉を片方だけピクリと動かすが、それ以上は何もしなかった。何はともあれ大体の理由に予想がついた四人は、恐らく叶わないだろう直談判をしに行くため、ヒースクリフが待つ五十五層《グランザム》のギルド本部へと足を運んだ。

 

 その先で、予想通りの展開と、ヒースクリフに上手く挑発されたキリトがデュエルを承諾したことで、翌日、新階層である七十五層《コリニア》に存在する巨大コロシアムにて、賭けデュエルが行われることとなったのだった————

 

 

 

 

 

———*———*———

 

 

 

 

 

 決戦の舞台となった巨大コロシアム。

 それは偶然か必然か。最早こうなることが見据えられたように用意されたその場所は、ネームバリュー最高とも言える最強の男ヒースクリフの名と、現在世間を騒がせる新たなユニークスキル持ちソロプレイヤーであるキリトの名を借りて、最前線という死線とは思えない程の賑わいを見せていた。元より最前線の街並みを見たい見物人もいたのだろうが、今日はその見物人ですら大々的な今回のイベントに食いついたと言っても過言ではない。

 

 ボス攻略とほんの僅かにしか姿を見せないヒースクリフの姿を一目見ようとする者もいるだろう。新たなユニークスキル疑惑があるソロプレイヤーキリトの実力が如何ほどかを見たい者もいるだろう。結果的に七十四層の事件が、後者の知名度を後押ししたとも言えるが、同時に目立つのを避けていた彼からすれば、この状況は耐え難い訳であった。

 

 

「火噴きコーン十コル! 十コル!」

 

 

「黒エール冷えてるよー!」

 

 

 コロシアム入り口には口々に喚き立てる商人プレイヤーの露店がずらりと並んでおり、そこには長蛇の列を成した見物人達がいる。怪しげな食い物を買う根性に、さしもの《絶天》と言えど、チャレンジャーだなぁと思わざるを得ない。隣ではキリトが呆気にとられてアスナに問いただしているが、流石に副団長と言えど知らなかったらしい。何となく予想がついてきた彼女が「経理のダイゼンさんの仕業———」と言っているが、なるほど、資金調達はお手の物ということらしい。ある意味キリトが生贄になってくれて助かったと思う傍らで、アーカーは半目で隣に立つユウキを見た。

 

 

「なあ、ユウキよ。お前朝食食べたよな?」

 

 

ふん(うん)ふぇっほうらふぇらひょ(結構食べたよ)

 

 

「だったらさ———お前がその両手に抱えた食べ物はなんだ? あと食ってるものもだ」

 

 

 両手いっぱいに露店で買った食べ物を抱え、もぐもぐと咀嚼を繰り返す恋人の有様に、アーカーは溜息を吐いた。

 

 

「ちゃんと食べ切れるんだろうなお前……」

 

 

「ふふん、これぐらいなら何にも問題ないよ♪ ボクはよく食べるからね!」

 

 

「おうそうか、マジで将来食費が心配になってきたんだがそれは」

 

 

 モンスターを倒せばコルが稼げるこの世界と違い、現実世界は働いてお金を稼ぐ。当然の話だが、現在齢14程度の少年がバイトなど早々出来るはずもない。帰還して暫くは病院と政府がどうにかすると考えても、後々は自分達で賄うしかない。困った時は倉橋先生!というノリで彼に頼るしかないだろうとだけ考えた後、美味しそうに食べ進めるユウキの姿を見て、その思考を一度放棄して純粋に喜ぶことにした。

 

 

「ま、好きなだけ食えばいいさ。そうやって美味しそうに食ってるところも、俺は好きだからな」

 

 

「ふぇっ!?」

 

 

 嬉しげに笑いながら、ストレートに褒めるアーカーに、ユウキは顔を赤く染めながら目を丸くした。何処か恥ずかしそうにしている姿に、彼は首を傾げつつも、彼女が抱えていた食べ物の中にあった焼き鳥……らしきものを見つける。誰かが美味しそうに食べているとそばにいる者もお腹が減る———俗に言う〝飯テロ〟を受けていたアーカーは、つい我慢できずにひょいと手を伸ばし、それを取ると食べかけにも関わらず、それをそのまま食べ切った。

 

 

「悪くないな。へぇ、他にも味覚再現エンジンの研究してた奴がいたのか。甘辛のタレも好きだが、塩と少しアレンジ加えただけっていうのもいいな」

 

 

「あー! それまだボク食べきっていな……かっ……た……」

 

 

「ん? あー、悪い。飯テロされて小腹空いたんだよ。これ何処にあったんだ? 新しいの買ってきてやるから、それで許してくれ」

 

 

「あっ……うん、えっと……そう……じゃなくて……」

 

 

「ん? 食いしん坊のお前が追加いらないのか?」

 

 

「……ソラが食べたの……ボクの……食べかけ……だよ? ……か、間接……キス……したんだよ……?」

 

 

 耳まで真っ赤に染め上げたユウキが、消え入りそうな声で告げる。それを聞いて、アーカーも漸く気が付いたのか、食べ終わった後の串を見ると、彼もまた少しばかり気恥ずかしそうな顔をする。

 

 

「………ユウキは変なとこで乙女だな」

 

 

「………ソラの方こそ、変なとこだけ鈍いね」

 

 

「………何気に間接キスは初か……なるほど、道理で恥ずかしいわけだ」

 

 

 普通のキスどころか本番も済ませたのにな……と気恥ずかしそうに、ユウキにだけ聞こえる声で呟くアーカー。食べものどころではなくなった彼女は、両手に抱えたそれらを一先ずストレージに放り込むと、少しばかり逡巡してから、恋人の手を握った。触れるような程度から、指一本を握る程度へと変わり、そこから少しずつ指を動かし———絡め合う。〝恋人繋ぎ〟となった二人の手は、優しいながらも互いを離さないと物語るかのようにしっかりと結ばれており、それからユウキはまだ顔が少し赤く染まっていながらも、向日葵のような笑顔を浮かべて笑った。

 

 

「愛してるよ、ソラ」

 

 

「俺も愛してるよ、ユウキ」

 

 

 日中堂々と、たくさんの人がいる中で惚気始めた二人に、近くにいたキリトは別の意味で頭を抱え始め、アスナは羨ましそうな顔をし、いつの間にか二人のそばにいたらしいダイゼンという男が、微笑ましそうに見ている。周囲も同様で妬み嫉みはあれど、ほとんどが祝福しているように窺えた。何やら買い物を買っていた見物人達が、人気のなかったはずのとある飲み物を売る露店に足を運び始めていたが、普段とは違い、すっかりユウキしか目に入らなくなっていたアーカーには見えていなかった。祭りやイベントは、時に人をおかしくすると言うが、その影響が身近なところに出たらしいとキリトは諦めを感じていた。

 

 それから、アーカーとユウキの意識がこちらに戻ってくるのに数分を要したのだが、いつの間にかキリトとアスナが消えていることに気がついた。控え室の方に行ったのかと考えた二人は、《血盟騎士団》の関係者を探そうと周りを見渡すと、そこには先程までそばにいたらしいダイゼンがおり、彼はこちらを見つけると駆け出した。たゆんたゆんと腹が揺れるのは、気にしないでおくとして。

 

 

「お二人は、これからお暇ですかな?」

 

 

「まぁ、アイツのデュエル見に来た訳だからな。暇って訳じゃないが……」

 

 

「うん、キリトのデュエル見に来たんだけど、席ってまだ空いてるかな?」

 

 

「そうやと思いましてね、お二人には特等席をこちらで用意させてもろてます。こっちですわ。ささ、どうぞどうぞ」

 

 

 特等席。何故かその言葉が妙に引っかかる中、アーカーとユウキは、ダイゼンに連れられ、件の特等席とやらに案内されていく。そこは、確かに特等席ではあった。なるほど、間違えてはいない。ある意味誰よりも恵まれた席であると彼は思う。

 

 だが、同時にこうも思った訳だった。

 

 

「オーケーなるほどな。ンじゃあ特等席じゃなくて()()()って言えよテメェ……」

 

 

「あはは……確かに特等席だね、ソラ」

 

 

 キリトとヒースクリフが入場するまでは、最も注目されるであろう一角である実況席の隣に用意された二つの解説席に、二人は案内されていたのだった。

 

 

 

 

 

「レディィィィィス & ジェントルメェェェェェンッ! ボォォォォォイズ & ガァァァァァルズッ! これより始まるは、至高のデュエル! このデスゲーム始まって以来の、最高の対戦だぁぁぁあああ!」

 

 

 実況席に堂々と足を上げる無礼さを晒しながら、実況者と思われる男はマイク代わりの拡声結晶を片手に熱を帯びた大絶叫をあげる。それに負けじとコロシアムを埋め尽くす観客達が熱狂し、最早一種の大音量で行われるライブのような有様になっていた。盛り上がることは好きだが、こうもうるさいのには慣れていないアーカーは自分の耳に耳栓らしきものを嵌めており、隣に座っているテンション高めのユウキを見て、何処か羨ましそうにしていた。

 

 そうしている間に、実況席で暴れ回るように叫び散らす実況者は、何やら〝勝ってミリオンダラーになれ〟だの〝負けて破産しちまえ〟だのと喚いている。聞けば、このイベントは賭け事の一種と化しており、オッズがどうとかそういう話になっているとのこと。ユウキと惚気ていたアーカーは当然賭ける時間もなく、解説席に縛られており、それは彼女とて同じ。とはいえ、テンション高めで楽しんでいる恋人の様子を見るに、賭け事なんてどうでも良さそうに見えた。良いことである。正直こういうのにどっぷりと浸かるような大人にはなってほしくない一心があるアーカーには、ちょうどいいとすら思えた。きっと今頃クラインは結構な額をキリトに賭けている頃だろう。

 

 

「本日の司会、実況は《血盟騎士団》広報担当シャウトが担当するぜェェェェェッ! 解説にはなんと特別ゲストォォォォォッ! 攻略組が誇る二人だけのギルド《絶対双刃》より、このお二人に来てもらってるぜェェェェェ!」

 

 

「どうも、解説のアーカーだ。本日はよろしく」

 

 

「解説のユウキでーす! 本日はよろしくお願いしまーす!」

 

 

 プレイヤーネームが《シャウト》という、叫ぶこと前提のネーミングに少しばかり引き気味だったアーカーは、頃合いを見て耳栓を外しながら軽く自己紹介する。続くユウキは、相も変わらずノリノリだ。当人達が思っていたよりも人気があったのか、コロシアムは熱狂の渦にあり、特別ゲストの自己紹介程度ですら鬨の声じみた歓声があがる。偶然良いように使われたような気がしたが、自己紹介を終えてからアーカーは何故ゲストとして呼ばれたのかを察した。

 

 今回のこのイベントは、キリトとヒースクリフのデュエルだ。要するにPvP———プレイヤー同士の戦闘である。以前百人斬りのようなことを二人揃って成し遂げたのは、アーカーとユウキ以外に公には知られていない。つまるところ、二人は対人戦のプロとして見られている。解説として、これ以上に適した人材はいないという判断もあったのだろう。動体視力にも優れているため、二人がどんな戦闘をしても、何が起きたかを解説できるという意味合いもあるかもしれない。実際あの二人は化け物クラスの強さを持っている。キリトはそういう自覚がない。《ザ・グリームアイズ》を倒せたのは、みんなのお蔭だと考えているだろうが、そのHPを余さず削り切ったのは彼だ。その点からも、アーカーは彼の力量を認めていたし、ユウキは堂々と褒めるだろう。

 

 

「……さて」

 

 

 急にハイテンションから冷めた実況者が席にしっかりと座る。それから続けて話題をこちらに振ってきた。

 

 

「対戦者のお二人は現在準備中なのですが、ここで解説のお二人にお聞きしたいことがありまして」

 

 

「ん?」

 

 

「どうしたの?」

 

 

「お二人もまた、七十四層ボス攻略にて発覚したユニークスキル使いだと考えられている訳ですが、今回の対戦者の一人である《黒の剣士》キリトと違い、具体的な効果が現在分からない状況にあります。宜しければ、順番で簡単にご説明してもらっても構いませんか?」

 

 

「ああ。別に知られて困る訳じゃねぇしな。俺が手に入れたユニークスキル《天駆翔》は、一定時間の間は空中を自由に動くことが可能で、壁や天井は無制限で動き回ることができる程度のものだ。汎用性は高いが、キリトが手に入れた《二刀流》のように爆発力はない」

 

 

「なるほど。昨日アーカーさんが五十層《アルゲード》で空を飛んだという噂が立っていましたが、そういう訳でしたか。

 ユウキさんの方はどんなものなのでしょうか?」

 

 

「ボクのユニークスキルは、《至天剣》と言って、格上の相手と対峙した際、全ステータスが微上昇し続けるっていう効果なんだ。フロアボスや実力者とのデュエルでは真価を発揮するんだけど、基本的には発揮してないから使い勝手が良い訳でもないかな?」

 

 

「ふむふむ。どんな敵と対峙しても微上昇し続けるのであれば、それは正しくチートの域ですからね〜。そういえば、噂として流れていたのですが、《悪魔の一撃すら弾き返す、更なる悪魔》なんてものがありましたが、それはそのスキルの効果で上昇したSTR値によるもの、と考えてもよろしいのでしょうか?」

 

 

「うん、そうなるね。だから別にボク自身はそんなにSTR値が高い訳でもないんだ。ちょうど良いし、この際言っておくね———次、そんな風に噂を流したら流石のボクでも怒るよ?」

 

 

 ニコリと笑顔を向けながらも、その背後や声音からは殺気立ったものを感じ、コロシアムが一時的にシーンと静寂に包まれる。隣に座るアーカーですら冷や汗が頰を伝う。後でキリトやヒースクリフに話を聞いたところ「突然、殺気を感じて試合前だと言うのに警戒態勢を取ってしまった」とのこと。その後、暫く歓声が止んでいたことも気になっていたという。

 

 

「さ、さて! ここで漸く対戦者のお二人の準備が完了したそうです! 入場の方よろしくお願いします!」

 

 

 何とか気を取り直した実況者が入場開始のサインを送り、そのアナウンスで熱気が取り戻され始めた。円形の闘技場を囲む階段状の観客席から物騒な言葉がちらほらと聞こえ始める中で、キリトとヒースクリフが入場を開始した。

 実況者は気合を入れ直すかのように、再びハイテンションへと戻ると、拡声結晶片手に喚き始めた。

 

 

「まずは実況席から右手! 《攻略組》所属のソロプレイヤーにして、ユニークスキル《二刀流》の使い手! 《黒の剣士》キリトォォォォォッ!」

 

 

 全身を黒一色で統一した少年が、背中に交差して吊った二本の剣と共に現れる。説明は簡素ではあるが、彼を侮辱する言葉は入っておらず、気恥ずかしくはあるだろうが彼がどういう者かを告げていた。どうやら直前に何かあったらしく、気合は充分な様子が解説席からも窺えており、ユウキが元気良く応援していた。解説って実況同様確か公平な立場のはずだが……と考えたが、アーカーは無粋と判断してその思考を止める。

 

 

「続けて、実況席から左手! 《攻略組》所属! 最強ギルドの一角にして、《血盟騎士団》の我らが団長! 生きる伝説! 最強の男ォッ! ユニークスキル《神聖剣》の使い手! 《聖騎士》ヒィィィィィスクリフゥゥゥゥゥッ!」

 

 

 前言撤回。この実況者と隣の恋人には絶対公平な立場は向かない。全身全霊をかけて喚くように大絶叫するその姿は、最早《血盟騎士団》団員恒例の盲信者だ。キリトの説明をする時よりも力が入っていることが明らか過ぎた。果たして、この場所は本当に特等席と言えるのか……。

 

 

「………両サイドがすでに公平さ失っててどうするんだ、この実況」

 

 

 溜息交じりに愚痴りながらアーカーは、目の前で繰り広げられようとしている激戦に、心を躍らせている自分がいることを自覚しながら、その戦闘を目に焼き付けることにした。

 

 

 

 

 

 それが、ヒースクリフが見せた致命的な証拠になるとは思わないまま————アインクラッド史上、公で最も白熱した試合は始まったのだった。

 

 

 

 

 

 推測と激突 —完—

 

 

 

 

 

 






 激闘の果てに、キリトは敗北を喫した。

 しかし、その敗北は、奇妙な現象を引き起こした。

 それを証拠として、アーカーは来るべき時を待つ。

 次回 来るべき時に備えて



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23.来るべき時に備えて



 今回の話は前々回や前回に比べると短めです。
 しかし、その一方で、後々に関係する伏線回でもあります。
 正直な話、作者は変なところでシリアス展開ぶちこむ悪癖があります。今回もその例です。本当はクラディールボコろうかと思ってたんですが、それだけキリトの出番がまた減る可能性が考えられたので、カットしました。
 今回の話は、受け入れ難い人もいると思います。その辺りを考えた上での投稿です。ご了承ください。ある意味宗教的な云々とも言えたりするかもですね。

 ※08.12.12:07 文章追加




 

 

 

 

 

 

「な……なんじゃこりゃあ!?」

 

 

「何って、見た通りよ。さ、早く立って!」

 

 

「ははは———ッ! おいマジか! キリトお前マジか! 圧倒的に白似合わねぇなおい! く、《黒の剣士》改め《紅白の剣士》ってか! ……え、偉くおめでたいナリじゃねぇか! ははは———ッ!」

 

 

「そ、ソラ笑い過ぎ……ぷっ、あはははっ! ご、ごめん、キリト! やっぱり我慢できないよ、あはははっ!」

 

 

「あとで覚えてろよ、アーカー……」

 

 

 キリトVSヒースクリフの賭けデュエル。結果はキリトの敗北で終わった後、彼は仕方なく敗者として指示に従うことにし、彼に手解きをすると自己申告したアスナが、《血盟騎士団》らしさ全開の紅白ユニフォームを着せ掛けていた。慣れ親しんでいたコートと偶然形が一緒だったそれは造形こそ同じだが、色は目が痛くなるような純白で、両襟には小さく二個、背中に一つ巨大な真紅の十字模様が染め抜かれている。最初はフォローしてやろうと考えていたアーカーとユウキも、それを着た彼の姿を何度も確認したが、ハッキリ言って似合わない。フォローする点がどうしても見つからなかった。以前から黒一色だったツケが回ったのか、或いは元々彼が白色と相性が悪いのか。はたまたその両方か。いずれにせよ、フォロー不可能の有様だった。

 

 

「……じ、地味な奴って頼まなかったっけ……」

 

 

「これでも充分地味な方よ。うーん、私は似合うと思うんだけどなぁ……」

 

 

「いや、その、なんつーかさ。真っ黒だった奴が紅白に変わったせいでギャップが……な?」

 

 

「う、うん。ぼ、ボクもそんな感じかなー、あはは」

 

 

「なあ、アスナ。二人にも着せ掛けないか? ここにいるのは、俺達だけな訳だしさ」

 

 

「あ、それすごく良いアイデアだね!」

 

 

「オーケー俺が悪かった頼むから紅白だけは着せないでくれ悶死する」

 

 

「ぼ、ボクもこの装備気に入ってるから遠慮したいかなぁー……って」

 

 

 顔を横にブンブンと振って後退りするアーカーとユウキに、復讐とばかりに追い詰めようとするキリトと、悪ノリするアスナ。仲のいい光景ではあるが、二人の嫌がりようからアスナは悪ノリをすることを止める。彼女に続くようにキリトもまた追い詰めるのを止めると、全身を脱力させて揺り椅子に倒れ込むように腰掛けた。その疲れように、先程の戦いも堪えたのだろう。見ているだけでも心踊るような一戦だったのは間違いなかったし、どちらも全力を尽くした良い試合だった。とはいえ、アスナを除くこの場の三人は、あの試合の最後で起きた事案に気が付いていたが、公にすることはなかった。

 

 揺り椅子に座るキリトと離れた場所に設置され直したテーブル周りでアーカーとユウキは、カップに入った茶を啜る。これまた不良在庫らしいそれはとても不思議な味をしており、例えるのも難しい。飲めないものではないが、自宅に戻ったら口直しに何か別の飲み物を飲もうと心に決める。例によって、店主エギルは一階だ。今回の試合で少しずつキリトの家周りは元の静かさを取り戻すだろうが、時間はかかるだろう。それまでは残念ながら占拠されると見て間違いない。哀れエギルと合掌しておくとして———

 

 いつの間にかキリトが座る揺り椅子の肘掛の上にに腰を下ろしていたアスナがにこにこ顔をしていると、何か思い出したように軽く両手を合わせた。

 

 

「あ、ちゃんと挨拶してなかったね。ギルドメンバーとしてこれから宜しくお願いします」

 

 

「よ、よろしく」

 

 

 突然ペコリと頭を下げた彼女に、キリトも慌てて背中を伸ばした。所謂形式という奴なのだろうが、それから彼は悪餓鬼のような笑みを浮かべて

 

 

「………と言っても俺はヒラでアスナは副団長様だからなあ」

 

 

 言いながら、右手を伸ばして人差し指でアスナの背中をつーと撫でた。

 

 

「こんなこともできなくなっちゃったよなぁー」

 

 

「ひゃあっ!」

 

 

 悲鳴と共に飛び上がった上司が、制裁として部下の頭を殴る様子を遠めに眺めていたアーカーは、ユウキに訊ねた。それはある意味女性からの視点でしか男性はなかなか分からないことでもあって。

 

 

「なあ、ユウキ。あれってセクハラに入るのか?」

 

 

「うーん、どうなのかな? アスナがそう思ったらキリトは今すぐ独房に放り込まれても仕方ないかも?」

 

 

「ちょまっそれは!?」

 

 

「へぇ……そうなんだぁー、私の判断一つなんだねー……」

 

 

「あ、アスナさん!? ちょ、ちょっと話し合いませんか!? さっきの無礼もしっかり謝罪させていただきますので!」

 

 

「〝男尊女卑〟の時代はとっくに終わってんだよなぁ……。正直今の世の中、社会的に強いのは野郎より女だろ。まさかお前そんなことすら忘れてたか、キリト」

 

 

「そういうソラもキリトには偉そうに言ってるけど、休暇中にボクを擽ったりしたのも、もしもボクがセクハラだーって言ったらアウトなんだよ?」

 

 

「………うんまぁ、それは……確かに……」

 

 

「だからソラも気をつけなきゃダメだよ? ボクは心が広いから許しちゃうけどさー」

 

 

「そうだなお前は心も胃も広いよなー懐暖かくしておこ」

 

 

 揶揄われたユウキが頰をぷくーっと膨らませ、「こらぁー!」とアーカーを追い掛け回す中、キリトはあの手この手でアスナに謝罪するという構図が広がっている。哀れな男共としか言いようがない。途中からチェイスをするのが面倒臭くなったのか、アーカーに至っては壁を蹴って天井に張り付くと、そこで待機するようになった。現実ならば血が登りすぎて気分を害する行為だが、残念ながらここは仮想世界。そう言ったダメージもないせいか、ドヤ顔でユウキを揶揄い続ける姿は、全く大人っぽい少年としての雰囲気すらない。最早、それはただの悪餓鬼だ。

 

 天井に逃げた彼を、下にいた彼女は少しだけ顔を俯かせた後、それから顔を上げる。そこに浮かんでいたのは、少しばかり引き攣った笑顔だ。少年を見る少女の今の笑顔は、何処と無く怖い。何か考え付いたのか、その手には得物である長剣が握られていて、心成しかその切っ先は少年へと向いている。少しずつそれはライトエフェクトに包まれていく。それを目撃した彼は顔を真っ青にした。

 

 

「え、ちょ、ま、オーケー分かったユウキ俺が悪かった頼むからそれ下ろしてくれ。ちゃんと下に降りて謝るからホントマジでそれだけはヤバ———」

 

 

「問答無用だよ! ———やあっ!」

 

 

 裂帛の気合と共にその場から跳躍したユウキは、発動したソードスキル《ソニックリープ》で、その高度をさらに押し上げた。奇しくもそれは、一層で《イルファング・ザ・コボルドロード》を地面に叩き落とした時とほぼ同じ構図であり、当然これから起きることもまた同じであった。天井に張り付いていたアーカーに直撃した一撃は、《圏内戦闘》で利用される紫の障壁に阻まれはしたが、その衝撃は確実に相手へと伝う。全身に響いたそれは、いくら無制限で貼り付けるとはいえ、不安定な場所では僅かな安定を簡単に崩した。さしもの《絶天》とはいえ、崩れた体勢を立て直すことができずに、見事に落下、床に背中を強打する。一方のユウキは華麗に着地し、ニコニコとした笑顔を浮かべて、起き上がったばかりの彼の元へと迫ると、長剣片手に告げた。

 

 

「ねえ、ソラ。ちょっとお話ししよっか?」

 

 

「アッハイ」

 

 

 揶揄い過ぎた結果の末路としては、それはあまりにも因果応報であった。笑顔ではあるが、決して心の底では笑っていないユウキに引き摺られながら、アーカーは抵抗することなく雑貨店の二階から階下へ続く階段へと消えていく。その様子に、先程まで謝罪を続けていたキリトも、どうしてくれようかと考えていたアスナもぽかーんと口を開けたままであった。階下へ降りた先で、店主エギルが何があったとばかりに少年の顔を見ていたが、彼の顔には諦めの色が浮かんでいたという。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ソラは加減を知らないよね! ボクだって、ずっと揶揄われると怒るんだよ!」

 

 

「……いや、それはまぁ……ホント、すいませんでした…………」

 

 

 二十二層の自宅まで連行されたアーカーは、無事にユウキのお叱りを受けていた———正座の少年と、その前で仁王立ちする少女の構図で。何処と無く七十四層迷宮区でのことが思い返されるが、今回は自称先生のスタイルではなかった。真剣に話しているのが、吐き出される言葉からもハッキリしている。原因が明らかな時点で、アーカーに勝機はない。前に藍子さんにこうやって二人揃って怒られてたなぁー……と思考の片隅で考えつつも、きちんとアーカーの意識はユウキへと向いていた。

 

 一頻り怒った後、ぷいっと顔を背けた彼女に、怒らせた元凶はどうやって機嫌を取ろうかと思考を巡らせる。普段なら大好物などで釣る方法を取るのだが、残念ながらこういう状況下でそれは意味を成さない。むしろ悪化させる恐れがある。現実世界で一度だけやってしまったことが、今経験として活かされている訳ではあるが、〝揶揄い過ぎはダメ〟という経験が活かされていないため、結局活かされているのか活かされていないのかがハッキリしない。

 さて、どうしたものか。そう思い、首を傾げていると、いつの間にかこちらに振り向き直していたユウキが、全身を脱力させるような勢いで溜息を吐いた。

 

 

「まったく、も〜。あとで困るなら、やらなきゃいいのにさ〜。別に根に持つくらい怒ったりはしてないよ。ちょっとだけ反省してもらおうと思っただけだもん」

 

 

「……へ? そうなのか? 俺はてっきりいつぞやみたく本気で怒ってるのかと思ったんだが……」

 

 

「何事も加減だよ? 怒り過ぎても後で楽しくなれないからね」

 

 

「手加減は?」

 

 

「それはダメ」

 

 

「やっぱりか」

 

 

 その加減は嫌なのか……と再確認するアーカー。それから自然と笑いが込み上げて笑う。つられたユウキも笑い、漂う空気すらもが穏やかさを取り戻していく。最早そこには先程までのお叱りムードはなく、お互いがいつも通りになっていた。正座から姿勢を崩し、その場で立ち上がって、ぐーっと身体を伸ばす。長時間に渡って怒られていた訳ではないが、気分的なものだった。軽く息を吐く。

 

 

「さて、と……流石に夕方か。晩御飯作らなきゃな。せっかくだ。謝罪の意を込めて俺が作るか」

 

 

「良いの?」

 

 

「おう。明日も俺が担当だけど、まあ良いさ。ンで? 何か食いたいものはあるか? ユウキ」

 

 

「そうだなぁー……うん、決めた! ハンバーグが食べたいな! ソラの手作りハンバーグ!」

 

 

「なるほどなぁ……———だったら、気合入れねぇとな。肉は……この間手に入れたアレでいいか」

 

 

「アレ……?」

 

 

「ま、そこはお楽しみにって奴だ。安心しろ、ゲテモノは使わないから」

 

 

 そういうとアーカーはキッチンへと向かった。残されたユウキは、彼のいう〝アレ〟が何かを考えていた。小首を傾げて、むむー……と唸り、思い当たる食材アイテムをピックアップしていき、消去法で減らしていく。その結果いくつかの候補は出来たが、どれも楽しみにしておけと自信ありげに言えるかといえば、微妙だった。美味しいことには美味しいし、《料理》スキルを完全習得(コンプリート)した彼の手にかかれば、どんな食材でも美味しくなるのは自明の理だ。意外性のある食材か?と考えるが、事前にゲテモノが省かれているせいで余計に分からなかった。

 

 

「……ま、いっか。ソラが楽しみにしておけっていうくらいなんだし、きっと美味しいものに決まってるよね」

 

 

 そういってユウキは、そこで考えるのをやめて自室へと向かう。そこで着衣を変更する。装備していた《ナイトリー》系の防具を外し、かなりラフなものへと着替える。少女らしい服装というより動きやすさを重視したボーイッシュなものだが、それが彼女の性格や雰囲気にはとても合っていた。着ていて楽な部屋着の代表的なものばかりに思えるが、ずぼらという訳ではなかった。着替え終わると、そのままユウキは洗面所に行って手を洗い———もちろん、この世界では然程気にしなくていいことではあるが———その後、リビングへと向かう。そこはアーカーがいるキッチンと繋がっており、彼の顔が窺える場所でもあった。向こうも部屋着に着替えた彼女に気付く。

 

 

「だいたいあと十分程度かかるから、ゆっくりしておいてくれ」

 

 

「りょーかーい!」

 

 

 待ち時間の間はリビングに備え付けられたソファーに腰掛けると、徐ろにメインメニューを呼び出した。そこからフレンドリストを開くと、どうやらメッセージが届いたことに気がつく。誰からなのかを確認してみると、差出人はアスナからだった。どうしたんだろうと思い、軽くタップしてそれを開いてみる。すると、そこにはこう書いてあった。

 

 

『明日からキリト君が《血盟騎士団》のメンバーとして活動することになるから、暫くはパーティー組めなくなっちゃうかも。ごめんね、ユウキ。また時間取れたら、一緒に狩りに行ったりしようね』

 

 

 どうやらこれからのことだった。確かにそうだ。今日までパーティーメンバーとして一緒だったが、キリトはギルド入り、アスナは休暇届け受諾ならずで恐らく彼の指導役に入る可能性があった。どのみち二人はこれから忙しくなるし、また暫くはゆっくりと話し合う余裕があるか分からない。それを伝えるために早いうちから連絡をくれたのだろう。気遣ってくれた親友に対して、ユウキはきちんとお礼を伝えながら、同時に頑張ってとエールをメッセージに記して送ることにした。天然ジゴロなキリトは気付いていないかもしれないが、アスナの気持ちは自分を含めて知っている人が多いのをユウキは分かっている。ギルドメンバーとして関係が強まった今なら、前よりもきっとチャンスは多いはずだ。そう信じて送り出すような気持ちがあった。

 

 メッセージを送り終えた後、残る数分をどうやって潰そうかと考えていると、ふとユウキは今日のキリトとヒースクリフの試合を思い出した。先程までアーカーを叱っていたことや、彼に白が似合わなかったことを揶揄ってしまっていたせいで忘れていたが、彼女にはどうしても忘れてはならないことがあった。

 それは試合終盤でのこと。間違いなく盾を振らせ切ったはずの躱しようもない状況で、いつの間にかその盾が元の位置に戻っていたという現象を、だ。隣に座っていたアーカーの様子からして、彼もまた気付いている。当然戦っていたキリトは確実だ。二人が少しコソコソと何かを話していたのも気になっていたユウキは、後で直接訊ねてみようと決意する。

 

 ちょうどそのタイミングで、ハンバーグなどの晩御飯が完成したのか、当人の声が耳に入る。元気よく返事を返した後、ユウキは彼が待つキッチンへと向かっていった。

 

 

 

 

 

———*———*———

 

 

 

 

 

「ねえ、ソラ。聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」

 

 

「ん? どうした、ユウキ。先に言っておくが隠し事なんて、そう何個もしてないぞ」

 

 

「それって、少しはしてるって言ってるよね? 隠す気が無いように聞こえるのは気のせいかな?」

 

 

「ウン、キットキノセイダヨーキノセイ」

 

 

 晩御飯を食べ終わり、ユウキは食器の片付けを手伝っていた。もう少しで終わるというところでアーカーに訊ねる。反応は何処と無くぎこちなく片言になっている時点ですごく怪しいことがすでに窺えた。ボロが出る前の保険をかけたのだろうか?と考えて、すぐにそれは無いと断じる。本当に隠したいことは隠し通すのがアーカーだと分かっているから。

 

 

「ソラも気付いてるよね? キリトとヒースクリフのデュエル」

 

 

「まぁな。流石にあれは気付いてない奴がおかしいと思ったくらいだ。俺達が注意深く見過ぎている……訳でもなかったしな」

 

 

「ソラなら———同じ動きできる?」

 

 

 アインクラッド最速を誇るアーカーに、ユウキは率直に訊ねた。それは心からの信頼であり、同時に自分の勘が正しいことを他人に証明してもらうことでもあった。ここで彼が〝できる〟と言えば、ヒースクリフも出来るくらい強いのだと無理矢理にでも納得しようと考えてすらいた。それほどまでにユウキは———紺野 木綿季は、アーカーを———雨宮 蒼天を信じていた。彼女の中で、彼は絶対に信じられる存在になっていたからだ。

 

 その想いが伝わったのか、彼は観念したような顔をしてから、真剣な面持ちで答えた。

 

 

「ああなった場合は、俺でも()()()———それも、派手に吹き飛ばされた方を即座に元の位置に戻せる筈がない。俺達は瞬き一つしたつもりもなかった。あの瞬間をこの目でしっかり見ていた。アインクラッドにおいて信じられるのは、第一情報。自分の目で見たものだ。

 だから、この目で見た結果と経験からして———()()()()()()()()()()()

 

 

 アーカーが下した答えは〝できない〟。その言葉を聞いて、ユウキは自分の勘が正しかったことを安堵すると同時に、その勘が正しいことを利用して再び訊ねた。

 

 

「ソラは知ってるんだよね———ヒースクリフの正体が誰なのか」

 

 

「———ああ、知ってるよ。さっきの問いは、自分の直感が正しいことを証明してもらうため、なんだな?」

 

 

「うん、そうだね。なんだか試すような真似してごめんね?」

 

 

「それぐらいで怒る訳ないだろ? ホントは隠しておきたかったんだけどさ。ここまで察してるのに黙ってるのも悪いしな。ユウキ、ささっと片付け済ませるぞ」

 

 

「了解だよ、ソラ!」

 

 

 残り僅かの片付けが完了するのに、そう時間はかからなかった。一先ずやるべきことを済ませた二人は、一緒に寝ている寝室に移動するとベッドに腰掛ける。隣に座り、置かれた手に手を乗せた。アーカーが口を開くまでの間、静かにユウキはその時を待つ。何度か口を開きかけ、閉じることを繰り返し———悩んだ果てに、彼は語り始めた。

 

 

「まず始めに、《血盟騎士団》団長ヒースクリフは———茅場 晶彦だ。間違いない」

 

 

 隠すつもりがなくなった少年の口からは、容易く真っ先に真実が零れた。そんな気はしていたユウキでも、実際にそうだと聞くと驚くべきものはあったし、同時にそんな近くに敵がいたことを知って怖くもなる。けれど、その恐怖は瞬く間に掻き消えた。何故なら、アーカーの方が怖かったはずだから。ずっと真実を隠して、いつか来るチャンスを待ち続けるために。

 

 

「………やっぱり気付いてたか?」

 

 

「なんとなく、かな。一層でフードだけのアバター出てきたの覚えてる? ボクはあの時怯えてたけど、ちゃんと雰囲気っていうのかな? それを覚えてたんだ。……うん、すごく似てた。人の雰囲気ってそうそう変わらないからね。ソラと比べたら、すごく分かりやすかったよ?」

 

 

 ユウキがいうアーカーの雰囲気とは、間違いなく一層のコボルド王戦や《笑う棺桶》討滅戦、二十二層西岸の最奥で行ったデュエル前の問答のことだ。彼女は知っていた。彼が自分を偽ることができる強さがあることを。それを〝あの日〟後ろで見ていたから。だから怖かった。普段の彼とは違う、冷たく鋭い刃物のような……そんな彼が。その変貌ぶりを知っているからこそ、元々淡白な人間の雰囲気ですら覚えていた。それは偶然引き出され、無意識に照合していた。直感が導いたその予感は、大切な真実を見つけていた。

 

 それを聞いて、当人は可笑しそうにクスリと笑う。それは何処か情けない姿を見せたなと反省するようにも見える。

 

 

「本音と建前を分けたり、相手のことを見抜いたり……他にも色々あるけどさ。正直欲しくなかった技能だったよ。ずっと疎ましく思ってた。忌々しくさえあったけど、ちゃんと役に立ったのは幸いだったなって今は思う。

 実のところ、俺が確証を得たのは数ヶ月前の休暇中だった。ユウキが以前女子会開いた時があっただろ? あの時、三十九層主街区《ノルフレト》で、偶然ヒースクリフと会ってさ。その時に少しばかり話したんだよ」

 

 

「どんな話をしたの?」

 

 

「ちょっとした世間話と、餓鬼の世迷言くらいだよ。俺はずっと既視感に苛まれていた程度の愚痴と、今がどうなのかって話だ」

 

 

 苦笑しながら話すその姿は、何処か痛々しく、しかし、迷う様子はなかった。次第に楽しげに語り始めて、ユウキもつられて微笑む。途中でヒースクリフジョークを聞かせてやったりして、暗い話に思えたそれは明るくもあった。よく考えてみれば、ヒースクリフが茅場 晶彦だったとしても、そう全て気分が暗くなる話ではなかったのだ。

 ところどころ長くなるため省きながら話していたが、思いのほか話し込んでいたらしく時間はあっという間に流れていた。

 

 

「まぁ色々話したな。まだ話し足りないこともあったけどさ」

 

 

「そっか。ねえ、ソラ」

 

 

「言わなくても分かってるよ。どうして茅場 晶彦だって分かったのか、だろ? 簡単な話だったよ」

 

 

 呆れ果てたように告げながら、アーカーは笑った。子供らしい無邪気さを秘めながら、そっと朗らかに。

 

 

「アイツは俺のことを〝アーカー君〟じゃなくて、〝ソラ君〟って言いやがったんだよ。一度だって本名を名乗ってねぇのにさ」

 

 

 流石にあれは露骨すぎるとアーカーは苦笑する。わざとバレるように仕向けたのか、或いはちょっと油断していたのか。真相は当人にしか分からないが、それだけじゃないとばかりに彼は続けた。

 

 

「俺が初めてあの人に出会った日のことも会話内容すら覚えてて、一緒に見た景色をこの世界にまで再現しやがった。これでアイツが叔父さんじゃなかったら土下座案件だろうな」

 

 

 疑ってごめんなさいと謝るしかないなぁと笑う彼に、ユウキはちょっぴりそれを想像してしまい、可笑しさで笑ってしまった。その笑顔を見て、アーカーはふとヒースクリフにも言ったことを、同様に告げた。

 

 

「俺はさ、天才っていうのは常人には理解できない奴のことを言うんだと思ってた。でもホントは意外と馬鹿だったりするんだろうな。ぶっちゃけて言えば、全員馬鹿なんだろう。人間全員そんなモンだと俺は思ったよ」

 

 

「それだったら、ボクもソラも、キリトもアスナも、倉橋先生も———パパやママ、姉ちゃんも馬鹿ってことになるね」

 

 

「少なくとも、お前の家族は親馬鹿やシスコンだったのは違いないだろ? 倉橋先生もそうだ。お前を助けるのに何度も無茶した馬鹿だ。キリトやアスナも、俺を捜すために一年以上も頑張ってたんだぜ? そして———俺やお前もだ。ずっと想い合ってたクセして、あの時まで気がつかない、底無しの馬鹿だよ」

 

 

「うんっ、きっとそうだね!」

 

 

 嬉しそうに微笑んで、ユウキは身体をアーカーに預けるように、凭れ掛からせた。デジタルデータとはいえ、しっかりと感じる熱は間違いなく本当のものだ。そこに偽りはない。互いに身体を凭れ掛からせて、互いの存在を熱と共に刻み付ける。

 

 こうして過ごしてみると、現実世界(向こう)にいた頃よりも人肌を恋しく思うのはユウキだけではなかった。

 

 誰よりも大人っぽい人だと思っていた。

 誰よりも孤独を知っている人だと思っていた。

 誰よりもカッコよくて真っ直ぐな人だと思っていた。

 誰よりも———強い人だと思っていた。

 

 ユウキが〝あの日〟見たアーカーは、正しくそうだった。けれど、今こうして見てみるとそんなことは無かった。彼もまた普通だった。

 

 大人っぽいのは、環境がそうせざるを得ないように仕向けたから。

 孤独を知っていたのは、彼が誰よりも独りだったから。

 カッコよくて真っ直ぐだったのは、ただ一人の少女を守るために全てを投げ捨てる覚悟をしてまで振り絞った勇気だったから。

 彼は強く無かった。弱い一面を、必死に取り繕って隠し通していただけの、不器用な子供だった。誰よりも強くなろうと血反吐を吐くような無茶を繰り返しただけだった。心を擦り減らし、心で泣いて、心で叫んだ。

 

 周囲が見ていたのは、そんなただの分厚い壁でしか無かった。何重にも用意された強固な壁の中に、彼は身を隠して泣いていた。〝あの時〟ユウキはそれを知った。

 初めて泣いた彼を。

 初めて弱くなった彼を。

 知ったからこそ、前よりもずっと———愛おしくなった。もしかしたら、庇護欲?が出たのかもしれないし、母性を感じたのかもしれない。守ってあげたいと以前より強くユウキは思う。

 

 優しく愛でるように少女は己が恋人を支えていた。強張った心の緊張を溶かすには程良いくらいの暖かさが伝う。

 それはこれも伝えるべきかと逡巡する彼の心を動かした。

 

 

「ユウキ。俺はいずれヒースクリフと———叔父さんと戦うことになる。多分キリトも……気付き始めてるだろうな。だから先に、俺があの人を終わらせる。そのつもりで備えてる」

 

 

 それは悲しい宣言でもあった。血が繋がっていないとは言え、親族と殺し合うことは悲しいことだとユウキは感じていた。

 けれど、同時にそれが彼の覚悟であることも分かっている。この世界に閉じ込められてから、ずっと背負ってきた贖罪だと知っている。身内の恥を注ぐという思いもあるのかもしれない。色々考えられる要素はあったが、彼女にはそれが思いつかなかった。それに対して、優しくその手を乗せて撫でながら、静かに彼は告げた。

 

 

「 俺もホントのところは分からない。もう、あの日のように憎悪してた訳じゃない。情けない話だが、殺す理由なんて特にないんだろう。戦う者としては覚悟が決まっていないと思われても仕方ない。でも、一つだけ———これだという理由があるのは間違いないな」

 

 

 こんな理由で人を殺していいのかと悩んだけどなと言いながら、アーカーはゆっくりと厳かに、しかし、明確な意志を以て———ユウキに告げた。

 

 

 

 

 

「———お前と一緒にいたい。今度こそ現実をちゃんと見て、精一杯一緒に生きて、死にたい。もう死んでも悔いはないってくらい、人生を楽しみたいんだ」

 

 

 

 

 

 それはあまりにも人を殺す理由としては弱かった。現実世界に戻るために人を殺す。たったそれだけだ。これには神様だって怒るだろうなとアーカーは苦笑して、それから続けて、揃いも揃って罰当たりだな俺達と笑いかけた。その言葉に、ユウキはいつかのデュエルの後で話したことを思い出した。

 

 

(ソラは———ボクのためにたくさん失っちゃうんだね……)

 

 

 初めに、家族を。

 次に、友人を。生きるための環境を。

 最後に、未来さえも犠牲にしようとした。

 

 彼はそれを全て偽りのものだったと後悔なく言い切ったが、それでも失ったことには変わりなかった。それを結果的に奪ったのはユウキだった。それをずっと悔いてきた。あの時でそれはもう終わりにできると思っていた自分がいたのかもしれない。それは間違いだった。

 

 アーカーは———雨宮 蒼天はこれからもずっと失い続ける。それがなんであれ、どんなものであれ。最期の瞬間まで、ずっと。それが、神様が彼に与えた祝福(存在価値)なのだろうとユウキには思えた。

 

 だから、自分がやることは変わらないんだと理解した。それは正しく呪いのようでもあった。贖罪とも言えた。神様からの罰だと分かった。つまり、それはユウキに———紺野 木綿季に与えられた祝福(存在価値)だった。

 

 

 

 自分のせいで失い続けるからこそ、成せる全てを与え続ける。

 

 

 

 失った分だけ与えること。与えた分だけ失わせる。なんて矛盾なのだろうと心から思う。何事も矛盾まみれな世界だけど、それらなんかよりもよっぽど矛盾だと強く感じるほどに。

 

 

 

 けれど、それが———

 

 

 

「そっか。ならボクは———ソラを肯定するよ」

 

 

 

 ———雨宮 蒼天と紺野 木綿季の、在るべき在り方で、価値ある生き方(レゾン・デートル)だから。

 

 

 

 怒られると思っていたアーカーは、頰を人差し指で掻く。予想外の反応に戸惑っているのか、或いは———予想通りすぎたから戸惑っているのか。何にせよ、答えはちゃんと貰ったのだ。そう思い、彼は誓う。

 

 

 

 

 

「俺がこの世界を終わらせる。だから、これからもずっとそばで支えてくれ、ユウキ」

 

 

 

 

 

「うんっ———ボクがソラを支え続けるよ」

 

 

 

 

 

 静かな夜の帳に包まれたログハウスの中、二人は想いを馳せる。それはうら若き少年少女が考えるものにしてはマセすぎていた。自分達の在り方すらも決めてしまうほどの、将来性を奪う生き方。互いに償い続けるだけの人生なんてつまらないかもしれない。誰かがそれをしれば、暗すぎると思うことだろう。

 

 

 

 

 

 しかし————

 

 

 

 

 

 それでも————

 

 

 

 

 

 誓いはここに———成立した。

 

 

 

 

 

 故に—————二人は残酷な運命に身を躍らせる。

 

 

 

 

 

 全ては、そう在りたいと願ったから—————

 

 

 

 

 

 来るべき時に備えて —完—

 

 

 

 

 

 






 キリトが《血盟騎士団》に入団して数日後。

 アーカーとユウキが知らぬ間に、彼らは結婚していた。

 挙句の果てにはお隣さんという展開に困惑する中、

 二人は、彼らが保護したという一人の少女と出会う。

 次回 記憶のない少女



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24.記憶のない少女



 四日間も投稿開けてマジですみませんでした。
 せーかっく投稿早めたのにこのザマとは申し訳ない。すぐサボろうとしたり、別のものに手を出したりする悪癖が出ましたよ、ええ。
 そんな訳でどうにか書きあがったので、投稿します。今回から朝露の少女ですね。一度やりたかったネタが使えるのでワクワクしてますとも。……ユウキが暴走しますけどね。この作品での彼女は、原作よりも依存しちゃってるので、ある意味予想はついてました。まぁ、基本的に好きな人に依存するのは不可抗力ですよね、はい。

 ※追記 評価してくださる際にですが文字数指定つけました。
     良い点や悪い点などを教えてくれると助かります。
    このような対策を取ったのも理由ありきなのでご理解の程よろしくお願いします。




 

 

 

 

 

 

 西暦2024年 10月31日

 

 

 

 その日は、二人の休日だった。最初は七十五層迷宮区攻略日の一つだったのだが、昨日の夜に届いたキリトとアスナからのメッセージを受けて、ユウキに伝えた上ですぐさま休日に切り替えたのだ。

 

 そうも行動が早いのは数日前———アーカーとユウキが誓いを立てた翌日、キリトは暗殺されかかった。その実行犯がクラディールだったという話を聞き、アーカーは激しい怒りと後悔に駆られそうになったのは言うまでもない。あの男を最後に煽り立てたのは彼でもあるし、同時に悪意を芽吹かせてしまったのも自分だという背負いこむ気持ちがあったからだ。そういう責任感のようなものがあったのだろう。当然彼らに直接殴られることを覚悟した上で、どういう訳か隣に引っ越してきた二人の元を訪れたのである。

 

 結果として、どうなったのか。一言で言ってしまえば、彼らはアーカーを憎んでもいなかったし怒ってもいなかった。むしろ、お前らに被害がなくて良かったというのだから、当人は嬉しさを通り越して呆れてしまった。危険な目に遭わせたというのに、人の心配をするとはどれだけお人好しなのだろうとすら思ったくらいだっただろう。ユウキに少しばかり慰めてもらう姿を晒しながら、何故二人がここに引っ越してきたのか。何故一緒に暮らしているのか。いくつか浮かんだ質問をぶつける日々を過ごしたのも、数日前のことだ。

 

 そうして、今日は彼らが助けてほしいことがあるとメッセージを送ってきたものだから、当然アーカーとユウキは、予定を変更して彼らの家に訪れることにしたのである。

 

 朝食を済ませ、ちょうど片付けが終わった辺りで、アーカーが昨日届いたメッセージのことを切り出す。

 

 

「キリトとアスナが助けてほしいことってなんだろうな、ユウキ。文面的にも大至急……って訳でも無さそうだったが」

 

 

「うーん……なんだろうね。()()()()だから、ボク達には予想できない悩みとかがあるのかな?」

 

 

 数日前、二人はキリトとアスナが恋人を通り越して結婚したことを知った。電撃婚とも言える速度に唖然としたが、想像してなかった訳ではなかった。実際彼らは互いが知らないだけで相思相愛であったし、何だかんだ言って彼らの付き合いは二年近くにも及ぶ。そう見てみると何ら不思議なことではなかったし、この世界では承諾一つで即結婚となるシステムが存在する。最大の生命線である互いの情報とストレージ拡大共通など、互いの命を差し出す行為とも取れるそれは、ロマンチックでありプラグマチック……だとか。ユウキが以前アスナから聞いた説明をのちにアーカーもユウキから聞いたが、どういう思惑で茅場 晶彦がつけたのかは不明でしかなかった。現実味を出すという意味合いなのだろうか……?

 

 

「やっとかお前ら……って感じはしたけどな。新婚の悩みなぁ………なんだろうな? 俺には全然想像できねぇんだけど……」

 

 

「………ねえ、ソラ」

 

 

「ん? どうしたユウキ」

 

 

 声をかけてきたユウキは、何かを言おうと口を動かすも何度も噤む。次第にその顔に朱が差していく。こういう時の彼女の様子に見慣れ始めてきたアーカーは、羞恥心が強まるようなことを言おうとしているのか?とある程度の予想を立てながら、言えるようになるのを待っていた。

 それから、いくらか深呼吸を繰り返し、落ち着きを少し取り戻したユウキは、恥ずかしさを感じながらも訊ねた。

 

 

「ぼ、ボクがソラと……その、結婚したいって言ったら……結婚してくれる?」

 

 

「……おう。別に今だっていいんだけどな」

 

 

「じゃ、じゃあ……!」

 

 

 顔がぱぁっと明るくなり、指先が雷光の如く瞬き、メインメニューを素早く操作。あっという間にアーカーの目の前にウィンドウが出現し、そこにはプロポーズメッセージや結婚を受諾しますか?という文字が書かれている。あとはOKボタンを押して、受諾するだけだ。行動が早いなと苦笑いしつつも、アーカーはそれを押そうとして———止まった。

 

 

「………………」

 

 

「………やっぱり、嫌だった?」

 

 

「……いや、そういう訳じゃなくてな」

 

 

 今度は、アーカーが恥ずかしそうに頰を人差し指で掻きながら答える。スッと言える辺りはユウキよりも緊張や羞恥で冷静さを失っていないのだろう。どうして受諾してくれないのかの理由が聞けると思った彼女は、不安を感じながらもしっかりと耳にしようと意識する。

 

 

 

 

 

「———指輪の準備が、まだだからな」

 

 

 

 

 

 それを聞いて、ユウキはぽかんと口を開けたまま固まった。受諾を押さない理由としては有り得なくはなかったが、まさかこんなタイミングでそれを体験することになるとは思わなかったのだろう。十数秒間たっぷりと固まってから、ゆっくりと〝指輪〟という言葉を繰り返して呟き、それから嬉しそうに頰を赤らめて微笑む。表情豊かな彼女の顔を眺めていたアーカーも、気恥ずかしい思いに駆られながら告げる。

 

 

「第一……プロポーズは男が先に言わなきゃダメだろ。よくよく考えりゃあ、〝あの時〟もお前に先に告られたんだ。せめて、これくらいは俺からやらせてくれよ。行動力が低いままなのは……嫌だからな」

 

 

「あははっ。うん、確かにそうだね。ボクがガンガン押していっちゃってるみたい。行動力がありすぎるのも考えものかな?」

 

 

「かもな。お前の場合は行動力ありすぎてデリケートな部分に土足で突っ込みかねないくらいだしな。俺がセーブしてやらねぇと暴走しそうだ」

 

 

「むぅー、酷いなー。ソラはボクをブレーキが壊れた戦車みたいに思ってない?」

 

 

「ま、たまにな?」

 

 

 クツクツと笑うソラに、頰を膨らませたユウキはその胸板をポカポカと拳で軽く殴る。数回ほど殴った後、優しく微笑む。指先が素早く結婚申請やメインメニューを全て閉じていき、そこにはもう何も浮かんでいない。ほんの少しばかり距離を取ると、両手を後ろにやり、小首を僅かに傾けて———

 

 

「ソラからのプロポーズ、楽しみに待ってるよ!

 ボクもソラのために指輪用意するからね! ソラこそ期待しててよ!」

 

 

「おう。期待してやるし、期待しててくれ。とびっきり良い指輪用意してやるからな」

 

 

 向日葵のような笑顔を浮かべた少女に少年は堂々と宣言する。その逆もまた然り。互いに約束を交わすと、二人の胸の奥に暖かいものが強く灯っていく。安らぐ心に安心を覚えながら、アーカーは思い出したように話を切り出した。

 

 

「流石にそろそろ行ってやらねぇとマズイな。すっかり忘れてた」

 

 

「あはは、そうだね。新婚さんはアスナ達なのに、ボク達が新婚さんになる話しちゃってたね」

 

 

 恥ずかしさそっちのけでユウキは嬉しそうな顔をする。そんな姿に苦笑しながら頷いてやると、彼女と共に玄関へと向かう。二人の自宅とここはそう離れていない。そのせいか、アスナ探しに躍起になった《血盟騎士団》団員や、過激なファン達が探しに来るついでで見つかったりしないかとヒヤヒヤしたことがあったが、ここ数日間でその線が薄いことに気付いた。

 結果としてそれは、今日こうして彼らに会いにいける理由でもあり、無警戒でも問題ないということでもあった。本来ならば、顔を殆ど隠せるフード———一層でアスナが被っていたようなものを被るくらいはしないといけないくらい問題が大きかったのだから。

 

 玄関のドアを開け、外へと出る。朝日が木々が多いこの場所にもしっかりと届いており、爽快感と快適さを与える。季節は秋の半ばを過ぎているが、肌寒さはそこまで感じない。豪快な野郎ならば、上半身を晒していることもありそうだ。最も流石にそんなことをするような輩はそういないだろう。朝から元気に外を駆け回るユウキに、アーカーはのんびりとその背中を追う。歩いているだけだが、高すぎるAGI値のせいか、早歩きをしているのとそう変わらなかった。

 

 キリトとアスナが住むログハウスは、二人の家から歩いて十数分の場所にあった。直線距離的にはそう遠くもなく、木々を避けながら進まなければもっと早く行けるのは明白だった。

 とはいえ、その木々のお蔭で見つかりにくいのだから、そうも言えない訳ではあったが。

 

 二人の家は、アーカー達の家よりも一回りほど小さいものだ。その家は以前彼らが購入するかどうかを考える際に保留したものであり、何処か懐かしいものがあった。数日前に訪れた際に訊いたが、どうやらキリトも視野に入れていたらしい。同様にも存在する購入可能なログハウスの中では機能性に優れていた。

 

 家の前に到着すると、二人は玄関の前に立つ。この世界において、宿でも自宅でもそうだが、中にいるプレイヤーに反応してもらいたい時は一つしか方法がない。ノックする、ただそれだけである。そうすれば、中にいるプレイヤー達に声も届くようになるし、向こうは誰かがドアの前にいることを知ることができる。

 来たことを伝えるために、アーカーがドアにノックする。ここで分かりやすいように声をかけておくかと口を開いたところで、思っていたよりも早くドアが開いた。中からは相も変わらず黒っぽい部屋着を着た少年が姿を現した。現在新婚生活中のアイツである。

 

 

「よぉ、キリト。数日振りだな」

 

 

「やっほー、キリト! 助けに来たよー!」

 

 

「アーカーとユウキか、来てくれて助かった。実は少し相談に乗ってもらいたいことがあってな。立ち話は何だから中に入ってくれ」

 

 

 そう言われて二人はキリトに連れられるまま、彼らの家にお邪魔する。家の中はかなり整っていた。恐らくこれはアスナの仕業だろう。ユウキ曰く「彼女の部屋は整っていて清潔感でいっぱいだった」とのこと。誘導されながら周りを見渡していると、少し進んだ先でアスナの声が聞こえてきた。手料理でも振る舞うために頑張っているのか?と思った矢先、妙に幼い声も聞こえてきた。聞き覚えのない声だ。アーカーとユウキは互いの顔を見合わせて首を傾げると、キリトの方を見るが、彼は苦笑いを返すばかりだ。新しい友人でも出来たのだろうかと思って、二人がいるであろう部屋に入ってみると———

 

 

 

「数日振りだね、アーカー君、ユウキ。……えーっと、これはね」

 

 

 

 可愛らしい部屋着に身を包み、柔らかい雰囲気の新妻ことアスナと———

 

 

 

「?」

 

 

 

 小首を傾げた、白いワンピースを着た小さな少女の姿があった。入ってすぐに目が合う。アーカーとユウキが、突然のことに目を丸くして固まる中、その子はキリトの方に駆け出していくと抱き着いた。嬉しそうにスリスリと顔を擦りつけた後、確かな口調でこう言った。

 

 

 

「パパ、このひとたちがおきゃくさん?」

 

 

 

「「ぱ、パパぁっ!?」」

 

 

 

 キリトをパパと呼ぶ少女の言葉に、《絶天》《絶剣》と並び称される歴戦の二人が、この世界に来て一番驚かされることとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……いや、まさかな。流石に驚いたぞ、キリト。奥手でコミュ症として知られるお前がそこまでヤったとは……」

 

 

「違ぇよ!? 誤解だ! 第一考えてみてくれ! 仮にそうだとしても早過ぎるだろ!?」

 

 

「いやお前ここ一応ゲームだぞ? もう一つの現実でもある以前に仕様はゲームだぞ? 倫理コード解除設定なんぞ言う謎オプションついてるんだから、有り得なくはないぞ……多分」

 

 

「いや、そう言われればそうだけど……」

 

 

「……だからといってお前、盛りすぎだろ。なるほど、助けてほしい理由はそういうことか。悪いが俺にはどうしようも出来ないぞ。この世界にそんな方法があるとか聞いたことがないからな。こういう時はアルゴに聞け………は返って危険だもんなぁ……」

 

 

「なあアーカー、今ここでお前をぶん殴ってもいいか……?」

 

 

 アーカー達が二人の元を訪れてから数十分後。白いワンピースの少女を寝かせたキリトとアスナに、それぞれが問い詰めていた。数十分の間に手に入った断片的な情報は、確実にこの事態を招く原因でもあり、同時に誤解を招くこととなった。比較的冷静なアーカーですら、このザマである。問い詰められたキリトは最初真面目に答えようとしていたが、結局は我慢の限界に達しそうになっている。ぷるぷると震える右の拳がいつ唸ってもおかしくない。

 

 当然、一方のユウキはと言えば———

 

 

「アスナ! 子供産む時ってやっぱり痛いの!?」

 

 

「ゆ、ユウキ!? ち、違うよ!? ユイちゃんはそういう訳じゃなくて———」

 

 

「はっ!? まさか……! やっぱりコウノトリさんが運んでくるの!? あれって本当だったの!?」

 

 

「こ、コウノトリ!? ち、違うよ!? 赤ちゃんは運ばれるものじゃなくて……」

 

 

「じゃ、じゃあ! やっぱり赤ちゃんが出てくるキャベツがあるんだね!? ぼ、ボク今から頑張って探してくるよ!」

 

 

「きゃ、キャベツ!? そ、そうじゃないの! お願いだから落ち着いてよユウキぃっ!」

 

 

 

 ———地獄絵図である。

 現在進行形で暴走したユウキは止まらない。恐らく、事前に結婚の話をしたことや、直前まで子供の無邪気な姿を見せられていたことが原因なのだろう。それは結果として、愛する少年との日々が脳裏に過らせたのか、彼女はブレーキの壊れた戦車と化していた。アスナが必死に落ち着かせようと頑張るが、当然ほとんど聞こえていない。脳の処理速度が別の意味で早くなったせいか、次から次へと変な思考に至っている。極大の羞恥で染め上げられた真っ赤な顔を晒しているが、理性というストッパーが壊れたせいか、猪突猛進の勢いで聞き手を押し切ろうとしているように見えた。

 

 その光景は、当然ながら二人にも見えていた。先程までぷるぷると右の拳を震わせて今にも殴りたさそうな顔をしていたキリトですら落ち着きを取り戻して、アーカーの肩をポンポンと叩き、何とも言えない顔で小さく「あれ、どうするんだ?」と聞いている。これには流石に彼も冷静さを取り戻さざるを得なかった。恋人が暴走することはよくあることだ。数ヶ月前にも肩をガシッと掴まれて前後に振られたことだってあった。あれは暫く止まらない。確信しているが故にどうやってアスナを助けようかと考えるしかなかった。無策で助けに行くと自分がどんな目に遭うかが分からないとしても大変なことになるのは予想できたから。

 

 

「………なあ、キリト」

 

 

「またさっきみたいなことを抜かしたら今度こそ殴るからな?」

 

 

「違ぇよ。……指輪って何処の層で買うのが一番か分かるか?」

 

 

「そうだな……———ってお前まさか……」

 

 

「まぁ、そういうことだ。資金は数ヶ月間でどうにかしたからな。ここに来る前にそういう話もしたから、真面目に考えてる」

 

 

「おいちょっと待てアーカー。その話したのが、今こうしてユウキが暴走した原因じゃないのか」

 

 

「……………否定はしないぞ、うん」

 

 

「教えてやるから、まずはアスナを助けるの手伝えよお前」

 

 

「………今のユウキに視認されたら、確実に襲われそうな気がしてきた」

 

 

 暴走している時のユウキが何を仕出かすのか。前回のよりも酷い目に遭うと仮定し切ったアーカーの目に、光は灯っていなかった。最早狩られる前の獲物のような目をしている。これにはさしもの《黒の剣士》も「強く生きろ……」とだけ言って、彼を容赦なく引き摺っていく。STR値で負けているため、抵抗も無意味と知っているアーカーは、自分の身が無事であることを祈るしかない。少しずつ二人の元に近づいていき、ついにアスナがキリト達を視認したところで———

 

 

「き、キリト君! アーカー君! 助けて! ユウキが止められないよぉっ!?」

 

 

「………ソ〜ラ〜?」

 

 

 暴走したユウキが、ゆっくりと鎌首を擡げて振り向いた。ギラつく目は、先程のアーカーと対比するかのように狩人のそれだ。それにはアスナを助けようと息巻いていたキリトですら後退った。冷や汗が伝い、本能が逃げろと叫んでいるような気すらした。当然狙われたアーカーはそれどころではない。

 

 獲物を見つけた狩人は、アスナに構う暇はないと言うかのように颯爽と駆け抜けた。その先には当然キリトもいるが、彼に目を向けてはいない。その先にあるアーカーにのみ焦点が当てられている。周りが見えていないのであれば、どうにか出来そうではあるが、鬼気迫る彼女にちょっかいをかけようなどという考えは、残念ながらキリトは覚悟共々挫かれていた。

 

 一方の彼は、当然逃げるか戦うか。そんな状況下に置かれている訳だが、諦めの色が浮かんでいた。逃げるという選択肢はなかったのだ。第一ここがログハウスである時点で、逃げ場などない。外に出ようにも助走をつけた今の彼女に追いかけられれば、助走なしの彼では追い付かれる。天井に逃げようとも、どうにかして撃墜させてくるのが数日前に分かった。戦うにしても、今では彼女の方が上だ。ユニークスキル《至天剣》のせいで、時間をかければかけるほど負けが必至となる。どう考えても勝ち目なんてなかった。

 

 抵抗することなく、アーカーはその場に立ち尽くす。そこにユウキが飛び掛かり、押し倒して———

 

 

「ソラ! ボク頑張るよ! 何人だって頑張れるからね! いつでもかもんだよ!」

 

 

 ———本当に暴走って怖い。

 アーカーは素直にそう思った。呼吸が荒く、目のハイライトが消えてる恋人の姿は本当に危険だった。今にも襲われてしまいかねない———と思ったところで、それからよくよく考えてみた彼は、ふと安心感を覚えた。襲われると言っても別に色んな危険性は排除されている。《圏内》であるためHPは問題無く、《倫理コード》も常に切っている訳ではない。押し倒されているが、特に問題ではなかったのだと思い至ると、冷静になった彼はユウキを優しく抱き締める。突然の行動に予想外だったのかジタバタと暴れる彼女だったが、数秒ほど経つと大人しくなっていった。視界の端でキリトとアスナが何やら話し込んでいるが、あとで問い詰めることにした彼は彼女にだけ聞こえる程度に呟いた。

 

 

「———その話はまた今度な」

 

 

「……うん」

 

 

 同意するか細い声が耳に届いた。それを聞いて安心して解放してやる。押し倒していた状態から立ち上がると、真っ赤に顔を染めたユウキが、今度は理性ある目でこちらを見ていた。それを見て安心して、優しく頭を撫でてやると、ふにゃりと表情が和らいだ。それから漸く理性が働いてきたのか、ユウキの口から変な声が洩れ始める。ぷしゅーと湯気が頭から出てるようにも見える。恥ずかしさに耐えられないと両手で顔を隠した。このままだと何処かに駆け出しそうな気がしたアーカーは、彼女の首根っこをガシッと掴まえた。

 

 

「———さて、流石にお巫山戯はこれで終わりにして。本題を聞こうか、お二人さん」

 

 

 至極真面目な顔と声音で訊ねるアーカーの姿に、キリトとアスナは口を揃えてこう言った。

 

 

 

 

 

 ———最初からそうしてくれ(ないかな?)と。

 

 

 

 

 

———*———*———

 

 

 

 

 

「なるほどな。カーソルが出ないが、NPCではない少女か。ンで起きたのは今日の朝で、お前らは呼びやすいように呼んでと言った結果、両親役を買って出た、と」

 

 

「その通りだ。俺達はこの子を親の元に戻してあげられないかと考えている」

 

 

「ま、それが妥当だろうな。下手に一人にして後々確認したら死んでましたは気分が悪い。とはいえ———」

 

 

 あまり考えたくない可能性だが、と言った上でアーカーは人生の経験上から物を語った。それは以前二人が聞いた彼の過去の断片でもあり、同時に考えられなくない可能性でもあった。

 

 

「デスゲームと化したこの世界で、子供の世話まで見ていられないって放り出した(ゴミ)も存在するのは忘れるな。お前らの目の前にその被害に遭った奴がいることのが証明だ」

 

 

「………ああ、そうだな」

 

 

「………うん」

 

 

 アーカーは———雨宮 蒼天は本人ですら偽りと断じていたが、両親に勘当された捨て子と変わらない。生みの親も知らず、拾った一族も彼を捨て去った。その経験からか、こうやって子供が一人放り出されている状況には虫酸が走るほどの思いをしている。親とはぐれたのなら、それは大変だとも。助けたいと思う。

 しかし、そうならなかった場合———両親がすでに死んでしまった可能性を除いて———それは子供にとっても最悪の結末だ。先にそれを覚悟させようと彼は自分を例として挙げたのだ。

 

 

「ま、そんな(ゴミ)から、あんな無邪気な子供が生まれるとは思いにくいしな。希望的観測は持っていいと思うぜ?」

 

 

「ったく、急な手のひら返しはヒヤッとするからやめろよ……」

 

 

「ははっ、悪い悪い。ンで? 何処の層回るんだ?」

 

 

「一層の《はじまりの街》。あそこで聞いて回ろうと思ってるんだ」

 

 

「なるほどな。こういう時、ユウキは率先して手伝うだろうし、休日をお前らのために使ってやるよ」

 

 

「助かるよ。………ところでなんだが、アーカー」

 

 

「ん?」

 

 

 キリトの視線が、アーカーの胴体へと向けられる。そこには、明らかに彼のものとは違うものがあった。それは間違いなく少女の身体であり、その身体は彼の両手が交差して出来た空間にすっぽりと収まっている。膝の上に乗せられ、両手で逃げられないように捕縛された少女は、譫言のようによくわからない言語を呟いている。ぷしゅーと湯気が頭から出ているようにすら幻視する程に、その顔は真っ赤に染まっており、最早限界とばかりに目がぐるぐると回ってしまっている。

 

 今の今までキリトとアスナも気付いていたが、話がひと段落する前には現在の状態に至っていたため、そろそろ気付かせた方が良いと考えたのだ。先程から一言もユウキが喋っていないのもそれが原因だった。元気が取り柄であり、お人好しの彼女が今の会話に参加していないのはハッキリ言っておかしい。別の場所にいるならともかく、彼女もまたこの場にいた。

 

 しかし、彼女がいた場所は、アーカーの膝の上だ。そこに座らせられ、逃げられないよう両手で捕獲され、所謂〝抱き枕〟のような状況に陥った彼女は、話が終わるまでの間をずっとそこにいることとなり、先の暴走から理性を取り戻したばかりでは、些か対応し切れなかったのだろう。思考回路がショートしている。譫言ばかり呟いていたのはそれが原因だった。

 

 

「ユウキは……大丈夫なのか?」

 

 

「ん? ユウキが大丈夫かってそれはどういう……———って、うぉっ!? だ、大丈夫かユウキ! 顔が真っ赤———暑っ!? 今日は体調が悪くなかったはず……って、ンなこと言ってる場合じゃねぇ! キリト、アスナ! 氷を持ってきてくれ! あと水!」

 

 

 漸く理解したアーカーがユウキを解放し、自分が座っていたソファーを空けて横にさせると、素早く的確に指示を出す。当然キリト達も手を貸すのだが、恐らく本人は原因が自分だとは思っていないだろう。彼女の家に引き取られてからも似たような状況があったし、その際はこんな風になっていなかったことが原因だった。よくある〝前はこれでも大丈夫だったから問題ないだろう〟という心理である。それは結果として、現在のこれを招いてしまったという訳だった。家の住人を扱き使う客人は、アインクラッドでも例を見ないだろう。

 

 

 

 数分後。

 氷嚢を額に置き、水分を補給したことでユウキは無事に回復。少しばかり顔はまだ赤いが、話し合いに参加できるほどにはなった。無自覚な元凶は、現在キリトの隣へと移動させられ、介抱することを禁じられていた。どうしてなのかという理由は言うまでもない。ユウキの隣にはアスナが座り、しっかりと面倒を見ながら、これからの動きについて再確認と、聞き回る地域分けをしていた。

 

 

「しっかしまぁ……ホント無駄に広いな、あの街。つーかキリト、お前《ミラージュスフィア》持ってたのか。俺も持ってたんだが、何処にやっちまってなぁ……」

 

 

「レアアイテムの扱い方が雑過ぎるだろお前……」

 

 

「当時のアーカー君の状況から考えたら無理もないけどね……」

 

 

「あの頃は正直マップデータ持ち帰るだけで充分だったからなぁ……トレジャーボックス全部放置してたのは、無茶して死ぬ馬鹿減らすためにそうしてやったんだから、レアアイテムの処遇はホントに雑だった。今思うとマジで勿体ねぇわ。ボス部屋見つかる前に七十五層で出来ること全部見つけて明かしてやろうか……」

 

 

「「それは本気でやめてください」」

 

 

「アッハイ」

 

 

「それに付き合わされた後、怒られるのソラだけじゃなくてボクもなんだよ?」

 

 

「あー、そうだった。ノリがあの頃と同じだったせいで盲点だった」

 

 

「なんだろう……。実はソラが一人だけで攻略してた時を少しでも楽しんでたんじゃないのかという疑惑が浮上してきてるんだが………」

 

 

「ンな訳あるか。こっちはこっちで精神的にきてたからな? 次ンなこと言ったら、いつぞや見たく脇腹に《水月》見舞ってやるから覚悟しろよキリト」

 

 

 それはマジで勘弁してくれと呟くキリトに周りが湧いた。笑いが起こり、具体的にどういうことがあったのかを知らないアスナとユウキは、彼が一撃叩き込まれて変な姿勢で飛んでいく様を想像したらしい。何故笑えたのかを不思議な顔で見るキリトだったが、こほんと咳払いした後、話を続けることにした。

 

 

「とにかく、俺とアスナは東側の地区を回ってみる。二人は西側の地区を頼んでもいいか?」

 

 

「了解。何かあったらメッセージで連絡飛ばしてこい。一層は《軍》の馬鹿どもの巣窟だからな。お前らが遅れを取るとは思わないが、いざとなったら《圏内戦闘》に持ち込めよ? どうせボールみたいに飛んでいくだろうしな」

 

 

「アーカー君の発言が過激過ぎる気がするの私だけかな?」

 

 

「ううん、アスナ。ボクもそう思うよ。ソラは見知らぬ他人にはホントに容赦しないからね」

 

 

「素直にこいつと知り合いで良かったと常々思う……」

 

 

「聞こえてるぞお前ら。誰が戦闘狂(バトルジャンキー)だ。どいつもこいつも同類だろうが」

 

 

「「「誠に遺憾だ(よ)(だね)」」」

 

 

 口を揃えて抗議する三人とアーカー。そこへ寝室のドアを開けて、件の少女が姿を見せた。目元をゴシゴシと手で擦りながら、寝惚けまなこでキリトとアスナを探している。

 

 

「パパ〜? ママ〜?」

 

 

「起こしちゃったか、ユイ」

 

 

「おはよう、ユイちゃん。よく眠れた?」

 

 

「うんっ。えっと……おきゃくさん……?」

 

 

 先程も見かけたアーカーとユウキがまだいることに気がついたのだろう。不思議そうな顔でこちらを見た後、ゆっくりとこちらに歩み寄ってきた。本来なら知らない人に近づかないように、と教えられているはずが記憶喪失か何かで分かっていないようだ。キリト達が止めるべきなのだろうが、二人は彼らが危険な人ではないことをよく知っているため、止めはしなかった。

 少女———ユイは、ユウキの前に立つと、じーっと見つめた。興味深そうに見る子供のそれに、ユウキは自己紹介をすることにした。

 

 

「初めましてだね、ユイちゃん。ボクはユウキ。よろしくね」

 

 

「ゆき?」

 

 

「ユウキ、だよ? ゆ、う、 き」

 

 

「……ゆーき」

 

 

「ちょっとだけ難しかったかな? 呼びやすいように呼んでくれていいよ?」

 

 

 そうユウキが言うと、ユイは小首を傾げた後、少しばかり考え込んだ。どうやらその光景に見覚えがあったらしく、キリト達も懐かそうな顔を少しばかりしている。アーカーもユウキの後で自分もそういう風に考えられる時間が来るのだろうなと思った。この名前を使ってから二年近くが経過したが、実のところは呼びにくい気がしていたからだ。

 考え込んでいたユイがやっとこさ何か思いついたのか、そっと呟いた。

 

 

「ねぇね」

 

 

「………………」

 

 

 ぽかーんとユウキが硬直する。それからぷるぷると震え始めた。キリトとアスナはどうしたのだろうかと不安そうに見守るが、アーカーには大体予想がついていた。ユウキは姉こそいたが、妹はいなかった。自分が一番下であったために、お姉ちゃんぶったことがない。後々引き取られたアーカーも立場上は弟のポジションであったはずだが、弟らしい姿が全くと言ってなかったせいで、どちらかというと兄や友達の立ち位置に近かったのだ。それは結果として、今こうして姉ポジションに有り付けるタイミングで———

 

 

「ねえ、キリト、アスナ」

 

 

「ど、どうしたんだ、ユウキ?」

 

 

「ユウキ……?」

 

 

「ボク、ユイちゃんのお姉さんになるよ!

 だから、ボクは二人の子供だね!」

 

 

「はぁっ!?」

 

 

「ええっ!?」

 

 

「——————」

 

 

 ———前言撤回。アーカーですら予想だにしなかったことが起きた。予想を大きく上回ったことで、仏頂面となった彼は二重の衝撃で言葉を失い固まっていた。ゆっくりと後方に倒れ、後頭部を強打してもなお、虚ろな目をしていた。それに気付いたキリトが「大丈夫かアーカー!? 気を確かに持て! 戻ってこい!」なんて叫んでいるが、二重のショックを受けた当人の意識は回復していない。譫言のように天井を見上げて「キリトに恋人を自分の子供にされた。寝取りよりも酷ぇよ……」などと呟いている。かなり酷い言葉だが、そこに冷静さなんてものはなかった。ドヤ顔決め込んだユウキは、ユイにすりすりと頰をくっ付けて優しく抱き締めている。アーカーのことなど視界に入っていない。近くで起きていることに全くと言って気付いていなかった。いつぞやで彼はユウキに振り回されていると言ったが、正しくその通りだった。

 

 先程まで休んでいた少女の姿はそこにはなく、左手に持っていた氷嚢はぽーいと投げ捨てられ、自身を〝ねぇね〟と呼んだ少女を抱き締めていた。

 

 

「ユイちゃん! ボクがお姉ちゃんだよ! ぎゅ〜!」

 

 

「ねぇね、暖かい!」

 

 

 きゃっきゃっきゃっきゃっと喜ぶ二人に、大慌てのアスナ。思考停止して譫言を呟くアーカーと、戻ってこいと叫ぶキリト。

 

 数ヶ月前の誕生日パーティーと同レベルの混沌じみた光景が集結するまで十分近く時間を要したのだが、冷静さを失った彼らがそれを知る由はなかったのだった————

 

 

 

 

 

 記憶のない少女 —完—

 

 

 

 

 

 






 ユイの両親を探すため、

 四人はそれぞれ別れて聞き込みを始めた。

 アーカーとユウキは西側の地区へと足を運ぶ。

 そこで、二年経った現在の一層の状況を知ることとなる。

 次回 浅ましき者共



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25.浅ましき者共



 今回はタイトルがタイトルしてないかもしれません。
 ぶっちゃけた話、《軍》の連中そんなに出ない(オイ
 今回の話はネタ六割シリアス二割ほどだと考えてください。
 あと前回追加しましたが、評価されても良い点や悪い点が分からずじまいであり、低評価爆弾だけを仕掛けるような輩が出たので防止策を取りました。ご了承ください。
 感想や評価は遠慮なくどうぞ。悪い点があれば指摘していただけると今後の文章の出来にも繋がりますので。




 

 

 

 

 

 

 一層《はじまりの街》。

 それはこの世界、《ソードアート・オンライン》の記念すべき最初の街であり———未だ醒めない悪夢が始まった最初の街。

 最初の一ヶ月で二千人が死に、二年の間に四千人ほどが死んだとされている。詳しい数は把握されていないが、流石にそこまでの数に至ると数えるのも億劫になるだろう。それも、自分自身がそうならないという可能性が万に一つもない世界での死者だ。数えている間に精神がやられてもおかしくはない。

 

 絶望の象徴。

 悪夢の始まり。

 

 いくつか揶揄する言葉は存在するが、《トールバーナ》と比べて好印象は持たれていない。かの街が、希望の象徴であり、再起の切っ掛けであるのが理由なのだろう。それもあったが、現在《はじまりの街》には、とある組織が拠点としている。二十五層フロアボス攻略までは《アインクラッド解放隊》と呼ばれていた組織だ。現在その組織は、《アインクラッド解放軍》と名乗り、治安維持に勤めている———というのが()()()()名目であった。

 治安維持と言っても、オレンジカーソル———つまるところ、《犯罪者プレイヤー》を発見次第容赦なく襲って《牢獄》送りとしているだけであり、その中には仕方なくそうなるしかなかった者もいたという。本当の犯罪者達の中には、グリーンカーソルで獲物を釣る者達も存在するため、一概にオレンジカーソル=犯罪者ということにはならないのだ。そういう者達すら情報の照合を行う前に容赦なく送り監禁し続けることや、大人数のパーティーで狩場を独占する行為を度々起こすことから、最早好印象は持たれていない。治安維持という言葉はあくまでも都合のいい謳い文句でしかなかった。

 

 それは結果として、一般プレイヤー達にある共通認識を持たせてしまい、更なる悪印象を招いた。〝極力《軍》に近づくな〟とは、まさにそれが生んだ共通認識である。

 

 とはいえ、そんな彼らも五十層より上には上がってくることはなかった。理由は明白ではある。

 

 まず第一にレベリング不足と言われている。五十層までを例え牛耳っていたとして、それより上に上がらないのは、まず彼らよりも純粋に強い者達が存在するからだ。攻略組然り、その後を追うプレイヤー達然り、敵モンスター然り。彼らは中層辺りに存在する犯罪者達と同様、格上には噛み付かないようにしているのだ。

 続けて実践不足。彼らは大人数で狩場を独占しているが、残念なことにそのメリットは薄い。狩場を独占するというのは、自由にできるという意味ではあるが、その狩場は五十層より下に限られており、いずれレベリングに行き詰まる。挙句の果てには、大人数で狩るということは、そもそもの戦闘が混雑する可能性があった。基本的にレベリングを目指すパーティーは一つか二つのパーティーで共に行動し、スイッチやPOTを上手く回せるように工夫するが、彼らがそれを出来ているという保証もないのだ。七十四層フロアボス攻略で起きた一件が、それを証明してしまっていたのである。

 

 他にもいくつかあると、ある男は推測していたが、その推測は当たっていたらしい。下層で格下ばかりを蹴り飛ばすだけの所業を楽しみ、胡座を掻き続けていた輩らしい実力だった。下層にいるプレイヤー全員が格下と見下し、相手の実力がいかなものかを察することも出来ず、驕り高ぶり、子供騙しのような挑発をする———そんな輩達を()()()()()()()()、アーカーは憐れむような目で見ていた。

 

 

「———肥大化し過ぎた結果がこれか。心底呆れたな。こんなモン、ただの癌じゃねぇか。悪性の腫瘍と何ら変わらねぇ」

 

 

 二十六層から使い続けている魔剣———()()()()()()()()()()古びた長剣を肩を斬らない程度にポンポンと当てて欠伸を掻く。目の前に転がっているのは、先程の述べた《軍》の連中だ。《はじまりの街》に残り続けているプレイヤー達曰く《徴税部隊》だという。(てい)のいいカツアゲだそうだ。どうやら装備や武器、コルやアイテムなどを税金と称して奪い取るらしい。()()()()として容赦なく蹴散らしたアーカーだったが、今し方襲われたのはそういうことだった。「てっきり七十四層でコーバッツの馬鹿が言っていたように奴らからは指名手配されていたものだと思っていたが」と内心では思っていたが。

 

 

「ンで? まだやるか? 〝諦めない〟奴は好きだが、無謀者が好きとは言ってねぇからな。今ここで失せるんなら、これ以上は何もしねぇよ。敗走中の兵隊蹴飛ばして遊ぶほど暇じゃねぇんだよ、俺は」

 

 

「き、貴様ぁっ! わ、我らを侮辱するか! 我々が《解放軍》だと知っての愚行か!」

 

 

「快挙だろうが愚行だろうが、俺には知ったことじゃねぇんだよ。何が解放だ。法螺を吹くのも大概にしろ。解放軍だ何だと謳いてぇなら、少しはこの街の奴らが喜ぶようなことしてからほざけよ。まずは現実を見て物を語ったらどうだ、三下風情が」

 

 

 その言葉に()()血が上ったリーダー格の男が、薄っぺらい光を輝かせる大振りのブロードソードを、ブンブンと全く成っていない剣技でアーカーへと迫る。これでもかと胴体が、まるで罠かと思うほどに空いているのが目に入り、これには流石の彼も呆れ果てた。先程同じようにやられたのを全く学習していないその動きは、いつぞやのクラディールなんかよりも酷い。コーバッツという男が無能な指揮官であった原因も、まさにこういうところからよく分かるというものだった。

 

 

「ったく………餓鬼の煽り文句でキレるのもどうかと思うぞ」

 

 

 自然な半身の構えで長剣を構え直す。いつものアーカーの戦闘開始体勢だ。完全な初見でない限り、この体勢の彼が行う行動は大方察しがついてもおかしくないのだが、頭に血が上った男は、一度同じ目に遭っているのに全くと言って気がついていなかった。迫るブロードソードの切っ先を、AGI値全開で横一線に振り払って弾き飛ばす。相手よりも重いはずの得物がいとも容易く弾き飛ばされたことに、目を白黒された奴の胴体に向けて、右手の拳がライトエフェクトを纏って放たれる。ソードスキル《閃打》。最早、何度放ったのか覚えていないくらい馴染みの技となった一撃は、ガラ空きの胴体に吸い込まれるように命中し、敵の巨体を軽々と吹き飛ばした。ちょうどその場所が通りであったこともあり、現在地からかなり離れた場所にまですっ飛んでいく。途中で同様に転がされていた部下達の真横を通過していく辺り、先程よりも力を込め過ぎたとアーカーは反省することにした。無様に吹き飛ばされた男は、辛うじて視認できる辺りで転がったまま、全くといって動かなくなった。気絶したのだろう。

 

 

「さて、と———最後通牒だ。あの馬鹿連れて、とっとと失せろ」

 

 

 冷たく鋭い殺意が籠もった眼光でしかと連中を睨む。殺意に当てられた彼らは甲高い悲鳴をあげながら、蜘蛛の子を散らしてその場から逃げ出し始めた。しつこかった連中が消え失せると、アーカーは長剣を腰に差した鞘に納める。ちょうどそのタイミングで通り付近に存在する一件の宿の中から、一人の少女が姿を現した。元気よくこちらに近づいて来ると、小首を傾げて聞いてきた。

 

 

「少し表が騒がしかったけど、何かあったの?」

 

 

「羽虫が飛んでたから追い払っただけだ。大したことはない」

 

 

「ふーん、また戦ったんだ。ソラが目をつけられる必要なんてないのに」

 

 

「逆にこれでキリト達の方にいる連中が減ったら、アイツらの聞き込みが楽になるだろ? どうせここにいる《軍》の連中如きじゃ何人だろうが相手にならねぇしな。俺を捩じ伏せたいなら、ヒースクリフ連れてこいっての」

 

 

「ボクはそこに入ってないんだ?」

 

 

「味方をカウントに入れるつもりはないからな。そもそもお前は俺の敵になるつもりなんかないだろ?」

 

 

「うん、そうだね」

 

 

 納得したようにユウキは頷くと、それから別行動してまで聞き込んだ結果をアーカーに伝えることにした。

 

 

「東七区の川べりに子供のプレイヤーが集まって住んでる教会があるんだって」

 

 

「東七区か……キリト達の担当区域だな。アイツらに伝えておいた方が良いだろうな。メッセージは送ったのか?」

 

 

「ううん、まだだね。先にソラが巻き込まれてないか確認しに来ちゃったから」

 

 

「心配性だな。この世界に来てからお前以外に一度だって負けたことないのを忘れたか?」

 

 

「気遣いだよ、気遣い! ボクだって女の子なんだもん。心配の一つぐらいしてもいいでしょ!」

 

 

 ぷぅーと頰を膨らませて拗ねるユウキに、悪かった悪かったと謝りながら、アーカーは早いうちにその情報をキリトへとメッセージとして送る。通り過ぎていたりしなければいいが、と思いながらマップデータを開く。そこには《はじまりの街》の平面的な全体図が浮かんでおり、現在の位置情報も載っていた。ちょっとしたトラブルで出だしは遅れたものの、キリト達と別れてからそれなりに時間は経っていた。西地区もこの区域で終わりだ。メッセージに気付いた彼からの返答をのんびりと待っていいかもしれない。

 

 

「残り僅かを回ったら、一旦転移門前に移動した方が良さそうだな。変なとこで待つよりその方が効率良いだろうし」

 

 

「うん、りょーかい。あとちょっとだね、頑張ろー!」

 

 

 元気よく拳を振り上げ、ユウキは全速前進と言わんばかりに歩き出す。一層に滞在するプレイヤーで、彼女ほど元気のある者はいないだろうとアーカーは素直にそう思う。前述の《徴税部隊》のせいで、この街には活気がなくなっている。とはいえ、デスゲームによる死の恐怖で身動き一つ取れなくなった者達が集まっていたのだから、元々そうだったと言っても間違ってはいないが。そんな彼らにとって、彼女の在り方は眩しく思えるだろう。事実、この世界に立ち向かう側であるアーカーどころか、キリトやアスナ達でさえも眩しく思えるくらいなのだ。惚気ることと変わらないが、少年にとっては彼女の存在は太陽と遜色なかった。見る者触れる者を焼き付けるだけの太陽ではなく———慈しみ育む、恵みの太陽として。

 

 

「足元に気をつけろよ? ただでさえ、ここは石畳なんだから油断すると躓くぞ?」

 

 

「躓かないよ! ボクだって足元くらいちゃんと気をつけてるんだよ。ソラってそういうとこが姉ちゃんっぽいよね!」

 

 

「だったら俺はお前ら姉妹に影響されっぱなしだな。特にお前の影響を受けてる気がするからな」

 

 

「ん? それって褒めてる?」

 

 

「激賛五割皮肉五割ってな」

 

 

「褒めてるのか馬鹿にしてるのか分かんないよ!」

 

 

 絶妙なラインを弄られたせいで、照れればいいのか怒ればいいのか分からない様子のユウキに、揶揄ったアーカーは腹を抱えて笑う。それを見て揶揄われたことに気がついた彼女が、ぷぅーとまた頰を膨らませるが、拗ねるよりも先に一つだけ何かを思いついた。ニヤリと企み顔になると、すぐさま行動に移る。

 

 

「ねえ、ソラ」

 

 

「ん? どうし———」

 

 

「もらった! 隙あり!」

 

 

 腹を抱えて笑っていたアーカーが、呼ばれたことでふと頭をあげたと同時に素早くユウキはストレージから〝ハリセン〟を取り出し、容赦なく隙だらけの後頭部めがけて振り下ろした。当然《圏内》であるため、ダメージ一つ入りはしないが、STR値とAGI値が加算された一撃はとても素早く、そして———痛い。

 スパァン!と良い音を鳴らすと共に衝撃が伝う。完全な不意討ちと油断し切っていたアーカーは、みっともない声を口から吐き出した。作戦を成功させたユウキは、その場でぴょーんぴょーんと飛び跳ね、「やったー!」と歳相応の喜びっぷりを見せた。痛感が完全に遮断されている仮想世界で、咄嗟に痛いと言ってしまったり、そう感じるのは不思議なことだが、恨めしそうな顔をしながら少年は少女を一睨みするも、ドヤァッ!と後悔を全くしていない。むしろ、してやったり!という顔をするせいで怒る気は失せてしまっていた。

 

 

「……ったく。不意討ちとは汚ぇことしやがって」

 

 

「そうしないと〝ハリセン〟なんて当たらないんだもん」

 

 

「つーか何処でンなもん手に入れたんだお前。それ完全な娯楽アイテムだろ」

 

 

「ふっふ〜ん、ちょっとした簡単なクエストの報酬でゲットしたんだ〜♪ 実際に使ったの今回が初だよ。やったね、ソラ。第一号だよ!」

 

 

「全く嬉しくねぇ第一号をどうもありがとう」

 

 

 大きく溜息を吐くと、アーカーは叩かれた後頭部を摩る。別に痛くはない。すでに不快感も消えている。けれど、どうしてだろうかそうしてしまうのだ。VRMMO七不思議の一つと考えても相応だ。いずれ、もしくはすでにそんなくだらないことを探して纏めている輩がいるかもしれない。恋人が取った反撃の仕方に呆れながらも、アーカーは〝らしさ〟を感じていた。

 

 そんな中、聞き慣れた音と共に一通のメッセージが届いた。表情が変わった彼に反応したユウキもまた、そばに駆け寄る。素早く可視モードボタンを押して、メッセージが彼女に見えるようにすると、それを開いた。書かれている文章に目を通すと、そこには集合場所についてが載っていた。落ち合うことになった場所は、先程情報として挙がっていた東七区の川べりにある教会だった。

 

 

 

 

 

———*———*———

 

 

 

 

 

「……俺達が西側の地区を回ってる間にンなことが起きたのか。なるほど、伊達に肥大化しただけじゃねぇか。無駄に人員だけいても邪魔なだけだろ」

 

 

「俺からすれば、向こうでお前が《軍》相手に無双ゲーをしてるとは思ってないからな?」

 

 

「吠えるだけしか出来ない(いぬ)が蹴飛ばされに来るのが悪い。俺は再三に次いで警告したぞ。……途中でメンドクセェって思ったけども」

 

 

「アーカー君、本当はガサツなんじゃ……」

 

 

「ンな訳あるか。俺は礼節を重んじる至極マトモな分類だぞ」

 

 

「いや、それはない」

 

 

「オーケーキリト。テメェはそこに直れ。今から礼節を重んじる良い人間に成れるように調教(きょういく)してやる」

 

 

「お前の言ってる教育からは不穏しか感じないんだが!?」

 

 

「も〜、そんな風に騒いじゃダメだよソラ! 子供達に悪影響だよ」

 

 

「…………それに関しては悪かった」

 

 

 ユウキに〝子供達のためにならない〟という大義名分と共に怒られたアーカーはしゅんと大人しくなる。それを見て、ガッツポーズを取るキリトの頭を、隣に座っていたアスナが一撃お灸を据えるように叩いて反省させた。それを見た子供達が楽しそうに笑う。きっと面白おかしかったに違いない。決して人の不幸で笑うような大人には成長して欲しくないものだが、その辺りは今後の環境に託されるだろう。

 

 

「………にしても、予想よりも多いな。二十人超えとは恐れ入った」

 

 

「やっぱりゲームなだけあって、やりたいって子供達も多かったみたいだね。ボクも実際に剣を振れるって知って純粋にやりたかったもん」

 

 

「ベータテスターに受かった俺のことを散々妬ましそうな顔で見てたもんなぁお前。「ずっるーい、ソラばっかり楽しんでるのずるいよー!」だっけか?」

 

 

「わざわざ再現までしなくて良いよ!」

 

 

「お前、こんなのも一言一句覚えてるのか……?」

 

 

「前にも言っただろ? 記憶力には自信があるってな。何ならここで一つ懐かしの台詞言ってやろうか?」

 

 

「全力で遠慮させてもらいます」

 

 

 即座に断ったアスナに、アーカーは大人しくそこで止める。下手に叩くと全身全霊の《リニアー》を叩き込まれる気がしたからだ。キリトも遅れて遠慮している。彼に関しては、色んなところで黒歴史を作っているのか、過去に自分が言った文言一つすらひっくり返されたくないようだ。第一《ビーター》なんて悪名も相当参っていただろう。こうやって普段から両者互いに軽口を叩き合えるくらいが、本当のキリトを露わにしている可能性すらあった。

 

 

「ところで、一度意識を失ったっていうユイの様子は?」

 

 

「今は借りている部屋で寝ているよ。そろそろ、もう一度様子を見に行こうとは思ってる」

 

 

「ねえ、キリト、アスナ。ユイちゃんが意識を失う前に何か起きたりした? 例えば、変な音とか。小さい子にしか聞こえない音ってあるみたいだけど、ボク達はまだ聞こえる年齢だと思うんだ」

 

 

 そういうと、ユウキの推測に驚いた顔をするキリトとアスナは、敵わないなという顔をしてから、隠すことなくしっかりと伝えることにした。

 

 

「ノイズじみた音が聞こえたんだ」

 

 

「ノイズだと? この世界で、か?」

 

 

「ああ」

 

 

「それからユイちゃんの身体のあちこちが、崩壊するみたいに激しく振動して………」

 

 

「アバターを構成するポリゴンが崩れかけたの……?」

 

 

 そんな話は聞いたことがない。二人はすぐさまそう思った。アバターを構成するポリゴンが崩壊する時、それが起きているのをしっかりと認識できる現象は、プレイヤーのHPがゼロになって死亡した時だ。それ以外でポリゴンが崩壊する現象は見たことがなかった。過去に装備の耐久値が切れる瞬間に転移結晶を使って死を偽装する方法が考案されたが、残念ながらあれは騙すことには使えど、厳密にはポリゴンの崩壊の仕方が違う。そのトリックを使った事件に対峙したことがある二人なら、その区別もつけられるはずだ。そう考えると〝ポリゴンが崩れかかる〟などという現象は奇怪でしかなかった。前例がないことが、その異質さに拍車をかけている。

 

 そもそも有り得るのか? 茅場 晶彦が———あの叔父が作り上げた、作品としての質は最高峰たる《ソードアート・オンライン》にバグなど。今もヒースクリフとして行動している彼が、外部の協力者が限りなくいないであろう状況下で、ここまでバグ一つ起こさなかった世界に、今さらバグが起こるのか? ———第一彼はこの世界をどうやって調律し、安定させている……?

 

 ここ暫く一度として悩み続けることがなかったアーカーが、黙り込んだまま思考を続ける。その異質さに、流石のユウキも何とも言えない顔になっているが、心配するような様子のキリトとアスナに、「たまにあるから気にしないでいいよ」とだけ伝えている。それから数分考え込んだが、大きな溜息を吐いたところで、彼の意識がこちらに戻ってきた。

 

 

「……ダメだ。情報が少なすぎる。バグ一つ起こさなかったこの世界が、今更バグを起こすとは思えない。だからといって、今の今までずっとバグが起きなかったのも異質すぎて、そこで思考が止まりやがる。大事な情報がまだ欠けてる気がするんだよなぁ……」

 

 

「今の話だけでそこまで考えてたお前が一番異質だろ」

 

 

「うるせぇキリト。自己犠牲の精神で《贖罪の羊(スケープゴート)》になろうとする時のお前の思考速度に比べりゃマシだ」

 

 

「どっちもどっちでしょう」

 

 

「うんうん」

 

 

 両者共に大切な人による判決で引き分けとなり、言い合いはそこで一度止める。分からないものはこれ以上考えても仕方がない。そう思い、アーカーは一度その話題を記憶の片隅へと追いやった。それから、ゆっくりと息を吐いて———気になっていた話題を挙げることにした。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

 右腕や背中、脇腹辺りから顔をひょっこり出したり、くっ付いたりして、ジーッと眺めてくる子供の群れを見ながら、アーカーは溜息交じりに告げた。その表情から既にめんどくさいという文字が読めるほどだが、それを察してくれるほど子供達が聡明であるはずもなく、むしろ好奇心に駆られている状態にあった。普通ならこんな奴と関わりたくないのが当たり前だろうにと自身の在り方を自虐しながら、果たして何がどうしたらこうなるのやらとそう思っていると———

 

 

「ふっふ〜ん、ボクが推薦したんだ〜♪ だってソラは、誰かの世話を焼くのは得意だからね!」

 

 

 ———主犯はお前か、ユウキ。

 相変わらずのドヤ顔で〝自分がやりました〟と宣言する少女に、少年は半目で睨みながら呆れていた。

 世話を焼くのは確かに慣れているとも。お節介と言われそうなくらいのことをした覚えがないとも思っていない。だからといってこの数はどうしろというのだ。

 内心これでもかと愚痴りながらも、アーカーはどれだけ子供達が近くにいるのかを考える。まず伝う感触だけで大体五人は軽くそばにいる。触れてないだけで《索敵》スキルを使えば、もう少し近くに寄っているかもしれない。それだけの子供が近くにいることが確認できた。その上で、呆れながら一応訊ねることにした。

 

 

「ンで? 何か用か餓鬼共。悪いが、その人数を纏めて相手してやるほどの技量はねぇぞ。大人しく俺の目の前でドヤ顔晒してるボクっ娘に突進することをオススメしてやる」

 

 

「えっ……!? そ、それは待ってよソラ!? いくらボクでも纏めて突進されたら踏ん張れないよ!?」

 

 

 ドヤ顔を向けていたユウキの顔から一気に余裕がなくなり、ぶんぶんと首を左右に振って〝無理無理〟と真剣に伝えようとしている。だが、構うものか。そのまま突進してやれ餓鬼共……などと悪役のような思考でそういう展開を望んでいたアーカーだったが、次に耳に届いた言葉には流石に硬直せざるを得なかった。

 

 

「だって、あんた物凄く強いんだろ! そこの二人が言ってたんだ!」

 

 

 元気の良い、赤毛の短髪をつんつん逆立てた少年が、真っ直ぐその指先をキリトとアスナへとこれでもかと向けて言った。それを聞いた途端、少しばかりアーカーはソードスキルを使った後のように硬直した後、ゆっくりと二人の方へと振り向いた。すると、同じタイミングで彼らが都合の悪そうな顔をしながら誤魔化そうという気持ちが読み取れるほどにその顔を反らしている。あれは確信犯の動きだ。なるほど、裏切ったのはユウキだけではなかったらしい。〝お前もか、ブルータス〟———ではなく、今の彼からすれば、〝お前らもか、新婚夫婦〟としか言いようがなかった。

 

 

「お前ら三人とも後で、ゆっ〜〜〜〜〜くり話し合おうな?」

 

 

「なあ、アスナ。今すぐ俺達は逃げた方がいいんじゃないかって気がしてきたんだが」

 

 

「ゆ、ユイちゃんを置いてはいけないよ! ———あ、ユウキ。お願いがあるのだけど」

 

 

「そ、その手には乗らないよアスナ! ボクにソラを誘導させようなんてそうはいかないぞー! こういう時のソラは絶対逃がさないっていう顔をしてるんだよ! そもそもフレンド登録してるから何処に逃げても無駄なんだよ!」

 

 

「くそっ! あの時のフレンド再登録はこのための布石だったのか!」

 

 

「じゃ、じゃあ今だけ削除するっていうのは……」

 

 

「ダメだよアスナ! そんな手を使ったら、ソラが意地でも見つけに来るよ! 捕まった時が一番怖くなるからやめた方がいいよ!」

 

 

「第一聞こえてんだよ下手人共。あと変な勘繰りはやめろキリト。ちなみに逃げるために削除したら意地でも探すからなアスナ。あとさっきから実体験語ってんじゃねぇぞユウキ」

 

 

 大人しくする奴はいないのかと呆れ果てたようにアーカーは溜息を吐くと、下手人共のせいで洩れた情報で群がってきた子供達をどうにかしようとそちらに意識を向けた。先程の三人の様子から、本当に強いのかと期待の目を向けてくる純粋無垢な子供達の姿に、彼は目が痛くなる。物理的にではなく、精神的にだ。つい少し前まで《軍》の《徴税部隊》というゴミ共を見ていた反動だろうか、本当に眩しい。本当に心から彼らが真っ当に育ってくれることを祈りたかった。

 

 

「……まぁ、確かに攻略組の所属なんだから実力はあるぞ。ンで、何がお望みだ?」

 

 

「あんたの武器見せてくれよ! この中で一番強いんだったら、武器も凄いんだろ!」

 

 

 それを聞いて、その程度の興味だと理解すると、得物である古びた長剣をオブジェクト化させて、鞘から引き抜いたそれを目の前に出してやった。当然装備可能条件の問題もあるため、手から多少離れようとも所有権が移行することもなければ、装備など出来はしない。基本的に戦わない子供達は「重ーい」と言ったり、「ぼろっちい」などと見た目的にも仕方のない酷い言われ方をするが、戦えるらしい子供達がそれを持った途端に驚いた顔でこっちを見た。その中から一人の少年がアーカーの長剣を持ったまま近づいてきた。

 

 

「な、なあ剣士さん! あんたすごく強いんだよな!? お願いがあるんだ!」

 

 

 ここにいる子供達の中で最も年長だろう、茶髪の少年が期待の眼差しを向けながら、何かを頼もうとしている。その姿に、何か面倒なことを言われそうだなと感じてしまうアーカーは、傷付かない程度に先に警告することにした。

 

 

「悪いが、〝強い武器をくれ〟なんて話は聞けねぇからな。俺はそれ一本で前線に潜り続けてる。それをくれてやる気はないぞ」

 

 

「そうじゃないんだ。俺に、俺に稽古をつけてくれないか!」

 

 

 その一言に、周りが一度静まり返る。アーカーですら驚愕の色が浮かべており、そこには正気か?と疑うような表情すらあった。すぐさま気を取り直したシスター服の女性サーシャがその少年のそばに駆け寄ると、叱るような口振りで言った。

 

 

「な、何を言っているの! あの人は物凄く強い人なのよ!」

 

 

「そんなこと分かってるよ! でも、今日のことで分かったんだ……。アイツらも倒せないんじゃ、みんなを守れないんだって!」

 

 

 恐らく、それはキリトとアスナが救援に向かったことでのことだろう。《軍》の《徴税部隊》に《ボックス》———所謂閉じ込め行為を受けた彼らは、みんなが助けに来るまで何もできなかったそうだ。二人のお蔭で無事事無きを得たが、もし閉じ込められたことを伝えられず、そのままだったら彼らは大切な武器や防具を失い、ここにいる彼らの生活を支えることはできなくなる可能性すらあったのだ。それが悔しくて仕方がなかったのだろう。手で押し退ける行為がハラスメント行為として触れる可能性があるため、《ボックス》を破るには方法が限られる。ステータスが高ければ、壁を蹴って跳躍するという方法があるが、それが出来るようになるのは中層以上のプレイヤーだ。彼らにはそう出来るものではない。他にあるとすれば、それは実力行使だ。《圏内戦闘》のシステムを利用した強力な一撃で弾き飛ばすしかない。当然それは相応のステータスが求められるが、せめて気持ちだけでは負けたくないのだろう。

 そして、また奴らが同じことをしてきても戦えるよう、対人戦ができるようになりたいと願っているに違いなかった。

 

 

「……なるほどな」

 

 

 心の底から納得は———無理だろう。立ち向かおうという気概は素晴らしいとも。だが、それは同時に、他者を傷付ける覚悟を持つということになる。純粋無垢な子供がその覚悟をするには早すぎる。子供は誰かを傷付けることはいけないことだと知るべきなのだ。そのはずなのに、この世界は———いや、奴らはそんな優しいことすら許してくれなくなった。

 その結果がこれだ。子供にすら、あってはいけないはずの選択肢が浮上し、それを取るべきかと悩んでしまう。アーカーは———雨宮 蒼天は、そちら(あってはいけない方)()()()()()()()()側の人間だ。同年代、或いはそれよりも少しだけ歳上の頃だろうか。彼は大切なものを守るために他人を傷付ける道を選んだ。後悔はしていない。反省だってするつもりは今後一切ない。

 けれど———以前まで考えてしまっていたのだ。〝あの日〟が訪れなかったら、俺はあの頃のままでいられたのだろうかと。誰かを傷付けることを良しとする今の自分にはならなかったのだろうかと。そう思わざるを得ない頃が()()()()()()。今がどうなのかは言うまでもないだろう。

 

 

「一つ、お前に質問するぞ。絶対に目を背けるなよ?」

 

 

 そういうとアーカーは少年の正面にしゃがむ。それから、声音を一層昏く鋭く冷たくして、一切の容赦なく———まるで死神の取引のような口振りで訊ねた。

 

 

 

 

「お前は大切な奴らのために、誰かを傷付ける覚悟はあるのか?」

 

 

 

 

 それは、少年よりも多少歳を食った人生の先輩からの警告でもあった。

 俺はそうするしかなかった。

 ———お前はそうなっても平気なのか?

 ———自分らしく在り続けることができるか?

 ———俺みたいになってもいいのか?

 その問いには、それだけでは収まらないほどの、たくさんの意味が込められていた。当然その意味の全てを少年が理解できるはずもない。けれど、目の前にいる剣士の姿が正しくそれを体現していることだけは分かっていた。果たして彼のように成るのは正しいことなのか。それをアーカーは、少年の判断に委ねたのだ。

 

 少年は悩んだ。そりゃそうだという声だってあるだろう。いくらこの場の子供達の中では最年長とは言え、アーカーやユウキよりも年下であることは間違いない事実だ。齢に見合わない質問であり、同時に育つべき子供には早過ぎた。悩むのはこれから先のはずだった。

 けれど、それを許さないのが、この世界であり、《軍》の連中だ。

 

 少年は、時同じくして閉じ込められていた二人を見た。心配そうな顔をしている。自分よりも小さな子供達にも視線を向ける。同様の結果だ。それは当然だとも。いくらモンスターを狩れたとしても、その願いだけは無謀すぎる。

 しかし———少年は見た。今にも泣き出しそうなくらい追い詰められた二人の姿を。心配そうに助けに来た子供達やみんなを守ってくれているサーシャの姿を。

 

 

 

 だから、だからこそ、譲れなかった。

 

 

 

「あるよ……! 俺だけがそうするだけでみんなが幸せになれるなら……! あんな奴ら———俺がぶっ飛ばしてやる!」

 

 

 

 その一言に、ほぼ全員が息を呑んだ。子供が反抗期のようなノリで言ったのではない。確かな覚悟を決めていた。アーカーに向けられた瞳が、それを証明していた。真っ直ぐ、屈することなく、ハッキリと。それが少年の覚悟であることが誰にだってわかるくらいに。

 

 

「そうか———なら、これだけは覚えておけ」

 

 

 覚悟を決めた少年に、今更ダメだと言うつもりはアーカーにはなかった。きっとサーシャという女性には責められるだろう。それは甘んじて受け入れるつもりだった。ユウキやキリト、アスナにもきっと責められる。それでも、雨宮 蒼天という少年の在り方が、決意した者の覚悟を裏切れなかった。かつての自分がそうであったように。

 

 

 

 だからこそ、告げる————

 

 

 

 

 

「どんな状況に陥ろうとも〝生きることを諦めるな〟〝足掻け〟〝諍え〟〝立ち止まるな〟————以上だ」

 

 

 

 

 

 それはかつてのユウキに伝えたものと同じだった。正確には、そのうちのいくつかだけだったが、それでも彼女にだけはそれを伝えた意味を理解した。その顔は、何処か優しく、そして———悲しそうだった。

 

 

「表に出ろ。少しだけ稽古をつけてやる。全力でかかってこい」

 

 

 そういうと、アーカーは自分の得物を鞘に収めて教会の外へと出ていった。その後を覚悟を決めた少年が追い掛ける。唯一理解したユウキは念のために彼らの後を追った。

 

 

 

 残された彼らは、その場で立ち尽くすしかなかった。

 追うことも、止めることもできず————その場には、沈黙だけが広がっていたのだった。

 

 

 

 

 

 浅ましき者共 —完—

 

 

 

 

 

 






 訪れる来客。

 《軍》の中の確執。

 起こされた陰謀。

 それは四人を巻き込んでいく。

 存在しなかったはずの地下。

 その最奥にて巣食う死神が、

 断頭の鎌を———振り上げる。

 次回 死を示す者


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26.死を示す者



 今回はかなり長くなりました。下手に区切ると書きにくくなると思った結果ですね。二万文字は久しぶりに書きましたよ。
 さて、今回の話は、書いておきたかった話の一つです。ここから原作と展開が少しずつ離れ始めますが、ご了承ください。
 作者的には、あと十話以内にアインクラッドが終わると推測しています。外れる可能性がかなり高いですが。




 

 

 

 

 

 

 西暦2024年11月1日

 

 

 

 その日の朝は、とても騒がしかった。いつものようにユウキが元気よく自宅の中を駆け回っている訳ではない。だいたい朝起きたばかりの彼女は比較的大人しい。顔を洗うまでは静かだ。そのため、騒がしさの原因ではなかった。大方の検討がついているアーカーは、《強制起床アラーム》よりも少しばかり早いタイミングで目を覚ますと、寝惚け眼をゴシゴシと擦った後、騒がしいのにも関わらず、横ですぴーと眠っているユウキの姿を見て、溜息を吐く。放っておこうとも、あと数分でアラームが鳴るのだが、寝かせておくかそのままにするかを考えた。数秒思考して———決めた。

 

 

「起きろ、ユウキ。少しばっかり早いが、朝だ」

 

 

 一人だけ気持ち良く寝させてやる気持ちは、悪戯心のようなものに変わっていた。結果としてそれは、容赦なく起こしに入るということに繋がった。ここから少しずつ段階的に起こし方が雑になっていくのだ。まずは言葉と共に揺すって起こすことにした。

 

 

「……うぅん………そらぁ………?」

 

 

「少し早いが朝だ。ついでに起きとけ」

 

 

「……う〜ん………」

 

 

 もぞもぞと掛け布団を被った身体を動かし、亀のように引き篭もったユウキが空いている場所から両手を出す。グゥーっと身体を伸ばして大きな欠伸を掻いた。片手で寝惚け眼を擦り、腑抜けた声を洩らした後、アーカーの方に顔を向けた。

 

 

「……おはよ〜そらぁ………」

 

 

「今の一言で分かった。お前まだ寝てるだろ」

 

 

「起きてるよぉ〜………」

 

 

「オーケー分かった。だったら掛け布団をその両手から離せ。今すぐ引っ剥がしてやる」

 

 

 そう言うや否やアーカーは抵抗される前にユウキが被っていた掛け布団を引っ剥がす。不意討ちに加えて寝惚けていたのもあったのか抵抗はなく、掛け布団がバサァっと退けられ、それによって隠されていた彼女の身体が視認できるようになった。着ていたのは、寝る前と同じ紫色の寝間着だ。当然変わっているはずもない。仮に変わっているとするのなら、それは———

 

 

「システムがカバーしない程度に服がはだけてんじゃねぇかお前」

 

 

「……う〜ん………そらぁ、ちょっとさむいよぉ〜……」

 

 

「寝てる間に服がはだけるってどんな寝方してんだ。全く……世話が焼ける奴だな」

 

 

 ハラスメントコードが発動しないように行動に気をつけながら、ユウキの寝間着を整えてやる。胸元がはだける、なんて展開はシステムが許すはずもなく、むしろそれで助かったと思う。現実世界で何度もこの光景を経験したお蔭か、特別揺らぐことはない。以前〝狼さん〟と言われたことを実は気にしていたりするのだ。ちらりと覗かせたおへそが目に入ったが、溜息を吐いて服の下に隠すと、無事にコードが発動していないことを確認する。

 

 

「さっさと寝間着から着替えろ。あっち向いててやるから」

 

 

「ふぁ〜い……」

 

 

 もぞもぞと動いてから起き上がると、ユウキは寝惚けたままメインメニューを呼び出し、装備フィギュアの操作を始めた。その間アーカーは、彼女の着替えが視界に入らないように壁際を向いて着替える準備をする。ユウキが着替え終わったら、同じように壁際を向いてもらって着替えるつもりだからだ。借りた部屋にはアーカーとユウキの二人しかいない。もう一室別の場所でキリトとアスナが寝泊まりしているはずだ。恐らく彼らはもう起きている可能性がある。彼らの朝は早いと聞いているからだ。そんなことを考えながら、着替えが終わるのを待っていると、寝惚けた状態だとハッキリ分かるほどの声が返ってきた。「……も〜いいよ〜……」と言いながら、どういう訳か彼女は背後から抱き締めてきた。

 

 

「……おいコラ、ユウキ。ンなことされたら着替えにくいだろうが。さっさと退け、そして壁際見てろ」

 

 

「………えへへ〜そらぁあたたか〜い…………」

 

 

「人を湯湯婆(ゆたんぽ)かなんかだと勘違いしてねぇかテメェ。何度も言うが、さっさと退け、壁際見てろ。掛け布団を被り直して二度寝に入ったらキレるからな?」

 

 

「………そんなことしないよぉ〜こうしてるほうがきもちいいもん…………」

 

 

 そういうと抱き締める力が少しだけ強まる。それだけなら振り払えるだろうと思っていた矢先、アーカーの予想に反したことが起きた。背中に柔らかいナニカが二つほど当たったのだ。正確には当てられたというべきか。その感触が背中から脳へと伝わると、彼の顔が強張った。引き攣った顔を壁際に向けたまま、念のために聞いてみる。

 

 

「なあ、ユウキ。お前今なにしてんの?」

 

 

「……そらをだきしめてるんだよぉ〜………」

 

 

「いやそれはそうだが。他に何してんの?」

 

 

「………そらでぽかぽかしてるよぉ〜…………」

 

 

「違うそうじゃない。お前なんで俺の背中に胸なんか当ててんの?」

 

 

「………う〜ん…………? ……なんのこと〜?」

 

 

「自覚無しかよ……。なんで酒に酔った奴の悪絡みみたいなことを朝っぱらから実行してんだコイツは………」

 

 

 スリスリと頰をくっつけたり、ぎゅ〜っと抱き締めたりし始めた寝惚けたままのユウキに、アーカーは溜息を吐きながら対応策を考える。〝そのままでいてキリト達が様子を見に来るまで待つ〟という選択はどれだけかかるか分からない。〝どうにかこの状態から脱する〟という選択を取るべきなのだろうが、しかし、こんな状態のユウキだ。本当に着替えているのかすら怪しい。あってほしくない可能性だが、下着だけになっている場合も無くはない。その可能性も考えて、今すぐ〝アスナをメッセージで呼び出す〟という方法がある。それを実践しようと左利きのアーカーがメインメニューを呼び出そうと指先を真下へ振ろうとして———

 

 

「………ぎゅ〜…………♪」

 

 

 などと言いながら体重をかけたユウキのせいで、僅かにぐらついた身体がその勢いのまま後ろへと倒れる。背中に抱き付いていた彼女はその下敷きとなり、変な声を洩らした。同年齢ではあるが、体重は当然アーカーの方が重い。そのため、肺が圧迫されたのだろう。メインメニューを呼び起こすこともできなかった彼は、その声を聞いてすぐさま退こうと動き、彼女を起こそうとして気付いた。

 

 先程の予想通り、ユウキはきちんと着替えてなどいなかった。どういう訳か《倫理コード解除設定》が切られており、彼女の身に纏われているのは、胸と腰の辺りを隠す程度の布だけだ。彼女のイメージカラーである紫色の下着だけの姿となった状態で、その寝惚け眼が今の瞬間だけはちゃんと起きているようにも見えた。

 齢14ほどの少女であるユウキの肢体は未だ幼いながらも、肌が白いせいか陶器のようだった。肩やおへその辺りが僅かに赤く熱を帯びていて、互いの視線が交差した後、頰や耳にまで赤みを帯びていく。羞恥心から来るものだが、普段の彼女ならば、もっと顔を赤く染めて拗ねたり怒ったり恥ずかしがったりと色んな行動を取るはずだった。体勢を変えたはずのアーカーの今の姿は、まるで下着姿のユウキを押し倒しているようだと勘違いされてもおかしくなかった。

 しかし、残念なことに今の彼にそこまで思考が回っていなかった。ここに至るまでのことや現在の状況が、理知的な少年である理性を揺らがせていたのだ。互いを見つめ合い、言葉を失ったまま、ゆっくりと息を呑んで———漸く、言葉が出た。

 

 

「なんで服着替えてねぇんだよ……」

 

 

「………なんでかなぁ〜……わかんないや…………」

 

 

「はは、なんだよそれ……。お前はいつも俺を振り回しやがる」

 

 

「………いやだった…………?」

 

 

「ンな訳あるか。お蔭で退屈しねぇよ」

 

 

「………そっかぁ〜…………」

 

 

「………前も思ったが、綺麗だなお前」

 

 

「………えへへ〜…………」

 

 

 いつもと変わらないだらしない笑顔を見せるユウキに、アーカーは「寝惚けてるくせに……」とだけ愚痴ると、鬩ぎ合い互いに譲らないと行動している理性と本能のうち、容赦なく理性だけを払い除ける。今だけは理屈でどうこうなんてどうでもいいような気がしたからだ。

 それから、目の前に押し倒されている少女の瞳をしっかりと見つめると

 

 

「……お前が悪いんだからな」

 

 

 とだけ呟いて、ゆっくりと顔を近づけていく。たくさんの子供達が住まう場所の、借りた部屋の一室で、挙句の果てには教会で、こんなことをすれば、確実に罰が当たるだろうな……と他人事のように考えながら、最早あと少しで唇が重なろうとした———その時

 

 

 

 

 

 部屋の扉が開いた。誰かが見に来たらしい。とんでもない現場に遭遇したと思うだろうなと思いながら、顔を遠ざける。その勢いのまま、誰が見に来たのかと扉の方に目を向けて———硬直した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねえ〜アーカー君? いま、ユウキに、ナニをしようとしたのかなぁ〜?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 立っていたのは———魔人(アスナ)だった。

 

 

 

 いつになく怖い笑顔を顔面に貼り付けたまま、その背後に見えてはいけないはずの般若のそれをアーカーは見出した。押し倒された状態のユウキは、寝惚け眼で「………あすなだぁ〜…………」なんて言っているが、そのアスナに殺意を向けられている当人はそれどころではなかった。今すぐ逃げないと殺されそうな勢いすらあった。脱兎の如く逃げるくらいはアーカーのAGI値的には容易であり、ユニークスキル《天駆翔》がある以上、逃走性能や機動力では圧倒的に優位に立っている。この状況から逃げることも出来なくはなかった。

 しかし、これまた残念なことにこの部屋には、アスナが立ちはだかっている扉以外には窓しか出口がない———窓を出口と言っている時点でかなりおかしい話ではあるが、そこから逃げようにも飛び出すためには、〝ユウキから離れる〟〝窓を開ける〟〝飛び出す〟という一連の工程が必要だった。それを完了するまで、果たして彼女がそれを許すだろうか?———断じて許さないだろう。今の彼女は〝変態ブッコロウーマン〟と化している。こうしている間にも右手には細剣かしっかりと握られており、〝いつでも動いていいよ? 遠慮なく刺し貫くから〟と言わんばかりだ。果たしてこの状況下でもアーカーは逃げ切れるだろうか?———断言しよう、無理だ。

 

 

「最期に何か言い残すことは?」

 

 

 最早処刑人のそれと化したアスナの言葉に、ユウキに被害がないよう離れた後、こういう時に言おうと取っておいた言葉を口にした。

 

 

 

 

 

「不幸だ」

 

 

 

 

 

 何処かの〝男女平等鉄拳〟〝不幸体質〟〝幻想殺し〟の少年と同じ一言を呟きながら———気がつくと、いつもより近い位置に壁があることを感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「理不尽すぎる。そもそもの元凶は俺じゃねぇっての」

 

 

 朝食を手早く胃に放り込んだ後、お茶を啜っていたアーカーが開口一番に呟いたのは、そんな言葉だった。向かい側の席に座るアスナから厳しい目が向けられたが気にすることなく続ける。

 

 

「第一酒に酔った奴の悪絡みみたいになってるのが予想外だ。寝惚けた奴ってンなことすんのかって思ったぞチクショウ」

 

 

「具体的に何があったか知らないが、取り敢えずドンマイ……」

 

 

「う〜ん、ボクは多分寝惚けてたから記憶がないんだよね」

 

 

「寝惚けてる奴はだいたい自覚がねぇから大変なんだよ……」

 

 

 ユイを膝の上に乗せたアスナによって強制的にアーカーの隣に座ることになったキリトは何となく励ますも、その向かい側に座ることとなったユウキは何があったのか覚えていないせいか小首を傾げていた。当事者であったアーカーは無自覚な元凶を一睨みするが、自身の向かい側に座っているアスナがものすご〜く怖い顔を浮かべていたため、すぐさま中断した。

 

 彼女によって制裁されたアーカーは、もちろん事情を説明した。途中までは理解を得られたが、最後に関しては当たり前だが理解を得られるはずもなく、現在アスナにとって、アーカーという少年は〝ケダモノ〟というレッテルを貼るに値する人物であると思われている。「誠に遺憾だ」と訴えたが、対応なんてしてもらえるはずもない。

 

 結果、そんなケダモノから守るべくユウキを隣の席に座らせ、こうして見張っている状況にあった。いつぞやの誕生日パーティーでキリト達一行によって、一度崩された鋼の理性は今や見る影もない。とはいえ、相変わらず強靭ではあるが、かつての強固さなど何処へやら。今ではこんなザマであった。文句を言おうにも、「理性を飛ばしたお前が悪い」と一喝されれば、それまでである。

 

 大きな溜息を吐くと、アーカーはお茶を啜ることにだけ専念する。下手なことを口走れば、また面倒なことに巻き込まれそうだなと思ったからなのだろう。そんな悲しい姿に、同じ男であるキリトはもちろん、無自覚の元凶ではあれどユウキも、そして制裁を加えたアスナも、自分が少し悪いような気がしてきた。言うまでもないが悪いのはアーカーである。続いてユウキの順に、キリトとアスナは決して悪くない。

 

 少しして、啜っていたお茶が無くなったのを良いタイミングとして、アーカーが口を開いた。また同じ話題かとアスナが警戒するが、それは必要なかったと知ることとなる。

 

 

「なあ、七十四層で会った《軍》の連中覚えてるか?」

 

 

「……ああ、覚えてる」

 

 

「俺はあの時、アイツらが本部に戻る前に一つだけ訊ねた」

 

 

 四人の間に沈黙が微かに広がる。訊ねた内容を知るユウキを除いてアーカーの言葉を待つ二人に、彼はそっと答えた。

 

 

「あの無謀で無能な作戦を立てた馬鹿は誰だ、ってな。誰だったと思う? 一度俺達はその馬鹿と会ったことがある」

 

 

 その一言に、キリトとアスナが考え始めた。四人ともが一度は確実に出会ったことがある人物。高性能NPCであったキズメルや、攻略組のメンバーだった者かと消去法で考えていることだろう。少しばかり待った後、キリトが言っても構わないという顔をみせたため、アーカーは答えた。

 

 

 

 

 

「〝キバオウ〟、この名前に聞き覚えがあるだろ?」

 

 

 

 

 

 その名前に、キリトとアスナが目を見開いた。忘れかけてはいたが、確かに会っている。それも一度どころではない。二十五層まではその男は常に最前線に立ち続けていた人物の一人だったからだ。ベーターテスターへの不信感を煽り、ディアベルの死後は彼の後継者の一人として戦い———敗走した。彼らはそこまでしか見ていないが、その男が、中佐などと名乗っていたコーバッツよりも上の人物であることが、今の一言で確定となった。

 続けてキリト達も納得がいった。それは奴ならやりかねない、ではなく、別のものだ。《アインクラッド解放軍》。《軍》などと略称されていたが、よくよく思い出せば、キバオウが結成していたギルドの名前は《アインクラッド解放隊》なるものだった。つまり、《軍》とは半ば壊滅した前者を継ぐ後者なのではないか。

 

 

「恐らく、奴は二十五層で壊滅した後、拠点であった一層に戻り、もう一度攻略組に復帰するべく戦力を整えていたんだろう。それから月日をかけて、ここまでの大規模と成り果てた。恐らく牛耳ってるのは奴だろう。大規模である以上は良識派の奴もいるだろうが、果たして抑止力に成り得ているとは思えない。現状を打破するには、少なくともキバオウを引き摺り落とす必要があるだろうな」

 

 

「そうはいってもな……」

 

 

「私達四人だと出来ることは限られるだろうし、そもそも独断で動く訳にもいかないもんね……」

 

 

「攻略組の総意なら兎も角、ボク達は下手に動くと《聖竜連合》やみんなからどう思われるかわかんないもんね」

 

 

 片や《絶対双刃》。

 片や《血盟騎士団》。

 四人はそれぞれ攻略組を率いるトップギルドのメンバーだ。それどころか、攻略組の中でも強力な戦力を保有するプレイヤー。《ビーター》という悪名を背負ったキリト以外は信用も信頼もあるが、だからと言って独断で起こしていいものではなかった。〝一層の人々を助ける〟という大義名分があろうとも、表面的に治安維持をしていると法螺を吹いている輩をぶっ飛ばしていい道理はないのだ。

 考えていると、キリトが何かを思いついたようにアスナに訊ねた。

 

 

「奴はこの状況を知ってるのか?」

 

 

 奴、という言葉の嫌そうな響きでアスナだけではなく、アーカーとユウキも誰を意味しているのか察しがついた。少しばかり思い返した後、アスナは笑みを噛み殺しながら言った。

 

 

「知ってる、んじゃないかな……。ヒースクリフ団長は《軍》の動向にも詳しいし。でもあの人、何て言うか、ハイレベルの攻略プレイヤー以外には興味なさそうなんだよね……。キリト君のこととかアーカー君やユウキのこととかは昔からあれこれ聞かれたけど、殺人ギルド《ラフィン・コフィン》討伐の時なんか〝アーカー君が指示するだろうから任せておこう〟としか言わなかったから。だから多分、《軍》をどうこうするために攻略組を動かしたりとかはしないと思うよ」

 

 

「まあ、奴らしいと言えば言えるよな……」

 

 

「つーかアイツ、俺やユウキのことも聞いてやがったのか」

 

 

「そういえば、ボクもヒースクリフさんに何度か勧誘されたことがあったかな……。たまたま出会った時にちょっと話すついでに」

 

 

「あの野郎……」

 

 

「団長、そんなことしてたんだね……。確かに最初の頃は一人一人声かけてたし、やらない訳じゃないもんね……」

 

 

「そういえば、俺も奴に〝アーカー君が相変わらず最前線をいち早く攻略しているようだが、居場所に心当たりはないかな?〟と聞かれたことがあったな。怒っているというよりは、楽しそうに」

 

 

「なるほどな。だから道場破りよろしく本部に突っ込んでやった時に即勧誘してきやがったのかアイツ……」

 

 

「ボクのためだからってそんな無茶したらダメだよ? 次やったら怒るからね、ソラ」

 

 

「ああ、分かってるよ。つーかまた無茶したら、まずお前もそうだが、アスナに殺されそうだ」

 

 

 朝の一件を思い出しながら笑うアーカーに、アスナがニコニコとしながらもメニュー画面を触っているのが目に見えて顔を反らす。キリトとユウキの呆れた声が耳に届き、続けて笑いが全員に込み上げた。空になったカップにユウキがお茶を注いでくれていたので、それに口をつける。少しばかり啜ったところで、アーカーだけでなく、ユウキとキリトも気が付いた。

 

 

「誰か来たな」

 

 

「一人だね」

 

 

「ったく、何処のどいつだ」

 

 

 館内に音高くノックの音が響き、それに反応したサーシャが短剣を腰に吊るすと、念のためにキリトが付いていった。その背中を見送った後、アーカーは何となくではあったが、嫌な予感を感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二人はすぐに戻ってきた———見知らぬ客人を連れて。

 連れられた女性の名はユリエール。服装から予想できた通り、例の《アインクラッド解放軍》のメンバーだった。幸いだったのは、サーシャが危険な人ではないと判断していたことと、彼女がアーカーの推測通り良識派の人物であったということだ。曰く〝キバオウ一派〟とは相対する一派に所属する彼女は、昨日蹴散らされた連中のことで、感謝を述べにきたらしい。西側の地区で無双した人物が、見た目的には普通の少年であったことを知り、かなり驚いていたが、名前を訊ねると酷く納得したような顔をした。アーカーはその顔に〝おいコラどういう意味だ〟と言いたかったが、ユウキに制され、大人しくお茶を啜っている。

 

 

「今日は、みなさんにお願いがあって来たのです」

 

 

 姿勢を正し、お願いとやらを頼むに当たって必要な情報をユリエールは開示し始めた。それは現在の《軍》がどうして出来たのか。どうしてそうなったのか。何故《徴税》と称して恐喝を始めたのか。キバオウが何をしていたのか。七十四層での無謀な作戦が起きた背景をしっかりと語っていた。話を聞いていると呆れてしまいそうな箇所がいくつもあったが、それは口にしなかった。下手に口を出して面倒なことを増やすことをアーカーが遠慮したかったからだった。

 そして、話は込み入ったものへと変わり、《軍》となる前の組織の話になった。曰く《MMOトゥディ》。ネットゲーム総合情報サイトの名前であったそれが、元々の前身だという。それが敗走した後のキバオウによって、合併し———いくつか問題が起こり、結果それが今の有様を生んだという。放任主義の悪いところが出たものだとアーカーは思った。何かを得るためには自ら行動あるべきだ。シンカーという男は、それが半ば出来なかったのだろう。残念ながら、常に行動し、結果を出そうと踠いてきた少年には、それをフォローする術など思いつくはずもなかった。

 それから彼がキバオウの策略に嵌り、ハイレベルなダンジョンに取り残されたことを知らされる。世の中、良い奴ほど損をするというがまさにその通りだった。なるほど、ベータテスターは汚いと宣った男が、どうやら一番汚い塵芥に変わり果てていたらしい。今頃ディアベルはどう思っているのだろうかと考えた後、アーカーはくだらないと断じて考えるのをやめた。死人は何も語らない。今更何を言われようとそれを知る術はないのだ。死人が物を語る時はそれこそ、解剖だの手紙ぐらいだ。それすら都合の良い解釈が出来てしまう辺り、酷い世の中だと思わざるを得ない。

 

 

「そんなところに、恐ろしく強い者が街に現れたという話を聞きつけ、いてもたってもいられずにこうしてお願いに来た次第です。キリトさん、アスナさん、アーカーさん、ユウキさん」

 

 

 ユリエールは深々と頭を下げ、言った。

 

 

「お会いしたばかりで厚顔極まるとお思いでしょうが、どうか、私と一緒にシンカーを救出に行って下さいませんか」

 

 

 そこで長い話は終わる。口を閉じたユリエールの顔を、キリトとアスナがじっと見つめた。残念ながらこの世界ではそう人を信じられる訳ではなかった。いくら壊滅したとはいえ、殺人ギルド《笑う棺桶》の奴らが残していった他者への不信感は消えるものではない。第一、彼女の所属はあの《軍》だ。本当に彼女が信じるに値するかなど、そう分かるものではない。ただしそれは、()()()()()()()()()()()()()()()、の話である。

 

 

「ねえ、ソラ」

 

 

「分かってる。安心しろ。俺を誰だと思ってる?」

 

 

 そう言うとアーカーは席を立つ。腰に古びた長剣が納められた鞘をオブジェクト化し、それを見たユウキの表情がぱぁっと明るくなる。「それでこそ、ボクのソラだね」などと何処か気恥ずかしさを感じさせる台詞を口にしながら、同様に得物を実体化させる。きょとんとした三人に、アーカーは苦笑しながら答えた。

 

 

「安心しろ、キリト、アスナ。そいつの言ってることは全部真実だ。全く、人間のゴミ共の宣うことが真実か嘘かを見抜くための技が、こんなとこでも役に立つとは。皮肉も極まり過ぎて吐き気がするレベルだ」

 

 

 呆れた様子で言うアーカーに、キリトとアスナがくすくすと笑う。それから同様に得物だけ実体化させると、彼女はユリエールに語りかけた。

 

 

「先程は疑ってすみませんでした。私達は彼のように真実か嘘かを見抜く技はないので。けれど———だからこそ、微力ながらお手伝いさせていただきます。大事な人を助けたい気持ちは、よく解りますから」

 

 

「ありがとう……ありがとうございます……」

 

 

「その言葉は後にしておけ。先に感謝されても、助けられなかった時が痛いからな」

 

 

 ぷいっと顔を背けながらアーカーがそう言うと、面白可笑しそうにユウキが笑い始め

 

 

「ソラってツンデレさんだよね〜、そういうとこもボクは好きだよ」

 

 

「抜かせ。何処の誰がツンデレさんだ。いったい俺の何処にツンデレ要素があるんだよ」

 

 

「「「いや、さっきのがツンデレそのものだぞ(だね)」」」

 

 

「よーし、テメェら表に出ろ。救出前に身体を動かしておきたいと思ってたからちょうど良かった良かった」

 

 

 今にも長剣を抜き放ちそうなアーカーに、三人が大慌てで左右に顔を振ると、その光景にユリエールがくすくすと笑うと、ユイが楽しげに「わらった!」というものだから、彼も矛を一度納めることにした。第一子供の前で武器を振り回す馬鹿がいては子供のためにはならない。大人しく椅子に座り直すと、ちらっとアーカーはユウキの方を見る。隣に座るアスナの膝の上で笑顔を振り撒くユイの姿が、さぞ可愛らしく、同時に羨ましく思っているように見えた。

 

 

(四年か。また少し長くなりそうだ……)

 

 

「ん? どうかしたの、ソラ?」

 

 

「いや、なんでもない」

 

 

 活発で元気なユウキと、()()()冷静で短気な自分。果たして、どんな子供が生まれるのやら……とアーカーは珍しく夢想する。現在(いま)すらも飽いていたはずの自分が未来のことを考えるようになるとは思いもしなかっただろう。自分のせいで変わるしかなかった少女に、今度は自分が変えられてしまったのだと思うと、因果は巡るものだなと彼は苦笑しながら、静かにお茶を啜っていた。そんなことを考えていた少年の表情は、とても明るく、同時に歳相応の〝らしさ〟があり———のちにユウキは「記録結晶に撮っておけば良かったな〜」などと言ったのだが、それはまたいずれ————

 

 

 

 

 

———*———*———

 

 

 

 

 

「ぬおおおおお」

 

 

 右手の剣でずば————っとモンスターを切り裂き、

 

 

「りゃあああああああ」

 

 

 左の剣でどか—————んと吹き飛ばす。

 そんな剣士が前方で大暴れしていた。久々に《二刀流》を使ったキリトが、休暇中に貯まったエネルギーを全て放出するかの如く、次々と敵群を蹂躙していく。ユイの手を引くアスナと、金属鞭を握ったユリエールの出る幕は全くなく、いつもなら前方を駆け抜け蹂躙する側であるアーカーとユウキも呑気に後方でその雄姿を見届けていた。全身をぬらぬらした皮膚で覆った巨大カエル型モンスターや、黒光りするハサミを持ったザリガニ型モンスターなどで構成された敵集団は出現する度に、〝無茶〟〝無謀〟〝無軌道〟の象徴のようなキリトによって、暴風雨に薙ぎ払われるかのように千切っては投げ、千切っては投げ———と何処かの誰かの如く、あっという間に制圧していた。

 

 その様子に、見慣れたアスナは「やれやれ」といった心境で見ており、アーカーは「楽だが暇だ」などと矛盾したことを言い、ユウキがそれに対して「ソラもキリトも似た者同士だよね」などと締める。当然こんなバーサーカーじみた光景を見るはずもないユリエールからすれば、自身の知る戦闘の常識から余りにもかけ離れているだろうし、下手をすれば、常識というものが砕け散っても仕方がない。娘のような存在であるユイが無邪気な声で「パパーがんばれー」なんて言うものだから最早緊張感などありはしない。

 

 ここは一層《黒鉄宮》、その地下にある秘密のダンジョン。ベータテストの頃には存在しなかったそれに、キリトどころかアーカーまでもが呻いたが、話を聞いて見るとリソースの独占ができるほどの実力がなかったキバオウは大損をしたらしい。是非とも面と面を合わせて「ザマァ」の一言を進呈したいとアーカーは思ったが、何となく表情から察したらしいユウキに「煽りに行かせはしないからね?」と念押しされたため断念している。

 

 さて、話を少し戻すとして、ここに潜ってから数十分が経過している。予想以上に広く、深いこの場所は話の通りモンスターの数も膨大だったが、残念ながらバーサーカーの如き獅子奮迅の活躍を見せるキリトによって、蹂躙の餌食と成り果てていた。一つにつき一人にしか与えられないユニークスキルの圧倒的強さがよく分かる有様だ。第一二刀流という戦い方は、手数の多さもそうだが、防御力にも優れている。パリィだってしやすいだろう。アーカーとユウキのような特殊効果型ではなく、キリトのような種類解放型の強みといったところか。

 

 そんなことを考えていると、隣から申し訳なさそうにユリエールが首をすくめた。

 

 

「な……なんだか、すみません、任せっぱなしで……」

 

 

「いえ、あれはもう病気ですから……。やらせときゃいいんですよ」

 

 

「実際どう見てもバーサーカーだよなぁ。人を化け物扱いするクセにお前も同類じゃねぇか」

 

 

「あはは、キリトも負けず嫌いだからね〜」

 

 

「ん? アイツ、ライバルでもいるのか?」

 

 

「あれ? 知らなかったの? キリトがライバル視してるのは———」

 

 

「別に言わなくていいからな、ユウキ!」

 

 

 群を蹴散らして戻ってきたキリトが、何かを言いかけたユウキの言葉を遮る。その光景に、疑問符を浮かべて首を傾げたアーカーに、アスナが「気づいていないの?」といった顔をするが、当人はそれにすら気付く様子もない。今の行動だけでも、どういうことかを客観的に見て察することができたユリエールが「なるほど」といった顔をする。

 

 

「ま、いいか。ンで、キリト。このダンジョンのモンスターは殺り応えがあったのか? 何処ぞの無双ゲーみたいになってたが」

 

 

「そうだな……正直な話をすると、少し物足りない。七十四層迷宮区のモンスターが単体で強かったからな。あれがこの数で来たら流石にキツイけど、このレベルでこの数なら余裕あるな」

 

 

「へぇ。ンじゃ、まだ続けるか?」

 

 

「ああ、そうさせてくれ。そもそも、お前らは最前線で戦ってるんだろ? 迷宮区は見つかったのか?」

 

 

「迷宮区ならとっくに見つけたぞ———ユウキに怒られたけど」

 

 

「まーたアーカー君やっちゃったの?」

 

 

「うん、ソラがまたやっちゃったんだよね〜。「あとちょっとだけ進みたいんだよ。この先に何かある気がしてるんだよなぁ」なんて言うから、少しだけ許したら迷宮区の入り口を見つけちゃってさ〜。ちょうどアスナ達のことで攻略を休めたから、まだみんなには報告してないよ」

 

 

「「ヒースクリフさんには報告しない代わりに、ボクが怒るくらいは我慢してよね」なんて言われて、とことん怒られたんだが……」

 

 

「なんでそう簡単に見つけ出せるのかが俺には全く分からない」

 

 

「知らん。勝手に見つかった迷宮区が悪い」

 

 

「横暴過ぎないか!?」

 

 

 理不尽なことを言うアーカーに、キリトがツッコミを入れる。見慣れたユウキとアスナは呆れた顔をしているが、ユリエールは面白可笑しかったのか、くすくすと笑う。つられてユイもニコニコと笑い、静かなダンジョン内が活気に満ちているように感じる。

 

 ある程度和んだ後、ユリエールはマップを表示させる。そこにはフレンドであるシンカーの現在位置を示すマーカーの光点が示されており、ダンジョンに入った時の場所と光点の距離の全体はすでに七割ほど詰めていた。全体図がハッキリしないため、どれだけかかるかは不明だが、それでも着々と近づけていることだけは分かる。

 

 

「シンカーの位置は、数日間動いていませんり多分安全エリアにいるんだと思います。そこまで到達できれば、あとは結晶で離脱できますから……すみません、もう少しだけお願いします」

 

 

「い、いや、好きでやってるんだし、アイテムも出るし……」

 

 

「へえ」

 

 

「アイテム……なぁ」

 

 

「うーん、なんだか良いアイテムじゃないような……」

 

 

 料理好きなアスナと違い、ここまで出てきたモンスターの見た目から何が出てきそうか粗方の見当をつけたアーカーとユウキが、嫌な予感を感じ始めた。成果を見せたがっているキリトが手早くウィンドウを操作し、件のアイテムとやらをオブジェクト化させ、彼女に見せた。現れたのは、赤黒い肉塊。グロテスクなその質感とフォルムから、アーカーは予想を的中させてしまったのか、「やっぱりか」と溜息を吐いた。ユウキも何とも言えない微妙な顔をしている。

 

 

「な……ナニソレ?」

 

 

「カエルの肉! ゲテモノほど旨いって言うからな。あとで調理してくれよ」

 

 

 どちゃっという音を立てたそれをアスナの前に提示するキリト。しかし、その願いは叶うはずもない。グロテスクな見た目をしたゲテモノをわざわざ調理して食べようなんて気持ちはそう起こるものではない。ボーイッシュなユウキですらこの反応をする辺り、喜んで調理してくれるような人物はまさに変人の分類に入る。そういう意味では、アスナは至極真っ当な常識人であり、普通の人だ。当然、次に起こす行動は予想通りのものだった。

 

 

「絶、対、嫌!!」

 

 

 叫んだアスナは、キリトの持つそれを奪い取ると即座に今来た通路の方へとそれを投げてしまう。闇に消えたそれが遠くで消滅する音が聞こえ、唖然とする彼が行動するよりも早くウィンドウを開くと、結婚システムによって共通化されたストレージから《スカベンジトードの肉 ×24》と表記されたアイテムを容赦なくゴミ箱マークに放り込んだ。

 

 

「あっ! あああぁぁぁ………」

 

 

 世にも情けない顔で悲痛な声を上げるキリトに、アスナは当然だと言わんばかりの顔をし、見ていたアーカーも「そうなるだろうな」と呟きながら、ストレージ内を再確認していた。件のカエル肉が入っていないかという確認だったが、別に彼は食べようと思えば食べられるし、調理しようと思えば出来る。とはいえ、それ以外食うものがないという状況でない限り、縁がないことを望んでいるのは確かだった。

 

 その行動に、ユウキもまた同様に確認をし始めた。みんなの対応に、キリトが「ゲテモノは美味しかったりするんだぞ!?」などと不毛な抗議をしているが、取り合う気は誰にもなかった。落ち込む彼の姿にユイは小首を傾げるだけだった。

 

 その後、キリトは再びモンスターを蹴散らす作業に戻ったのだが、当然例のカエル肉は手に入る。それをバレないようにストレージに残そうと頑張る彼と、絶対に調理したくないアスナとの熾烈な攻防が始まったのだが、途中で攻防に疲れた彼女が怖い笑顔を浮かべ始めた影響か、恐れをなしたカエル達が何故か逃げ出すという珍しい光景が拝めることとなった。

 

 

 

 進むに連れ、出現するモンスター群は変化していった。水中生物型ばかりだったそれは、階段を降りるほどにゾンビだのゴーストだのといったオバケ系統に変化し、予想通りアスナを筆頭にユウキの心胆までも激しく寒からしめた。後者はまだそばに守ってくれる人がいたため、精神的にも安定していたが、前者は守ってくれる人が前方で無双していたため、精神状態が不安定になることが多々あった。どれだけ嫌いなのかを知らなかったアーカーだったが、目の当たりにしてみると、かなりのものだということがよく分かった。確かにこのレベルの具合だと下手に苦手な相手と対峙するような無茶はしない方がいいと彼にもそう思えた。まさかユウキの方がまだマシな部類だったとは思わなかったからだろう。

 

 結局、ダンジョンに潜り始めてからずっとキリトが敵を全て屠るという結果に終わった。広大かつ深層だった秘匿ダンジョンは二時間ほどでほぼ踏破され、シンカーが居ると思しき安全エリアまで残り僅かとなっていた。何匹目ともしれぬ黒い骸骨剣士がまたもキリトの剣の前に屠られ、ばらばらに吹き飛ばされる。

 すると、その先にはついに暖かな光が洩れる通路が姿を現した。つい今し方まで薄暗い通路を通ってきたせいか、余計に明るく見える。

 

 

「あっ、安全地帯よ!」

 

 

「奥にプレイヤーが一人いる。グリーンだ」

 

 

「シンカー!」

 

 

 アスナが言うと同時に、《索敵》スキルで確認し終えていたキリトが保証する。後方から襲撃が無いか、トラップを誘発させるものがないかとアーカーとユウキが警戒を続行するも、まだ確認が終わっていないのにも関わらず、もう我慢できないという風に一声叫んだユリエールが金属鎧を鳴らして走り始めた。剣を両手に下げたキリトと、ユイを抱いたアスナが慌てて後を追う。その様子を見た二人も警戒は解かないまま彼らに続いた。

 右に湾曲した通路を明かり目指して数秒ほど走ると、やがて前方に大きな十字路と、その先に小部屋があるのが目に入った。現れた部屋は、暗闇の中を通ってきた彼らには眩いほどの光に満ちており、その入り口には確かな人影があった。姿形からして男性だ。逆光のせいで顔は識別できないが、こちらに向かって激しく両腕を振り回しているのが窺えた。

 

 

「ユリエ——————ル!!」

 

 

 ユリエールの名が大声で叫ばれる。その名を知っていて、尚且つ彼女が助けたかった人物など一人しか該当しない。彼こそがシンカーなのだろう。声音からも優しい人物であることが窺えた。

 しかし———そこで、アーカーは違和感を覚えた。その原因はすぐさま判明した。ユリエールの話に、こんなものがあった。〝ダンジョンの奥で巨大なモンスター、ボス級の奴を見た〟と。ふと思い返す。ここに至るまでに果たしてボス級のモンスターは出現しただろうかと。同時に、ダンジョンの奥とは何処を指し示しているのか。それは天啓のようにアーカーの直感に嫌な予感を過ぎらせた。感じたこともない殺意を纏った存在が小部屋の前方から放たれていたのだ。それに気がついたアーカーが、突如として叫んだ。

 

 

 

 

 

「ッ!? 戻れッ! そこに何か潜んでいやがるッ!」

 

 

 

 

 

 その叫びが、辛うじて聞こえていたらしいユリエールの走る速度を緩めたが、しかし、残念。モンスターが出現する範囲に足が入ってしまっていた。全力疾走で駆け抜けた身体はそう易々と止まるものではない。アーカーの叫びの意味に気がついたキリトが、瞬間移動も斯くやという速度で駆け抜け、救出に向かう。アーカーもユウキも、最早トラップがどうこうなどと気にしてなどいられなかった。AGI値全開で雷光のように駆け抜ける。彼が殺気を感じた地点である、部屋の手前数メートルに存在する死角部分に黄色いカーソルが出現していた。表示された名称は《The Fatal-scythe》———〝運命の鎌〟。固有名を飾る定冠詞がつくそれは、間違いなく話に聞いたボス級ではなく、正しくボスであった。

 

 

「キリト! 気をつけろ! 攻撃を開始し始めてるぞ!」

 

 

 多少距離があったアーカーが、死神の姿を目視で確認。その動きを彼への伝える。ユリエールを救出することで精一杯になり始めていた彼も、その言葉を聞いて対応策を練り始めた。背後から右手でユリエールの身体を抱きかかえると、一先ず勢を殺すために左手の剣を床石に思い切り突き立てた。凄まじい金属音が鳴り響き、大量の火花が散る。空気が焦げるほどの急制動をかけて、十字路のギリギリ手前に停止した二人の直前の空間が、ごおおおおっと地響きのような轟音を立てて、断頭の刃たる鎌が横切った。辛うじて一撃目を躱したキリトだが、ユリエールを抱えたままでは満足に動けないだろう。追い付いたアーカーとユウキ、アスナがそばに駆け寄る。

 

 

「奴の意識を俺に集中させる! 頼むアーカー、ユリエールさんを安全地帯に連れて行ってくれ!」

 

 

「ユウキ、ユイちゃんも安全地帯に避難させて!」

 

 

 キリトとアスナがヘイトを稼ぐと宣言すると、二人はそれに大人しく従う。呆然と倒れるユリエールをアーカーが抱え、ユイをユウキが抱える。二人が死神の方へと駆けて行くのを確認し、こちらもすぐさま行動に移す。AGI値にものを言わせた全速力で通路を踏破し、目前となった安全地帯にアーカー達が到着する。入り口付近にいたシンカーがユリエールを抱き締めるのを確認してから、二人にユウキが告げる。

 

 

「ユリエールさん、シンカーさん! ユイちゃんを連れて転移結晶で脱出して! ボク達はキリト達の脱出を手助けしてくるから!」

 

 

「し、しかし………君達はっ!」

 

 

 ユリエール落ち着かせつつ、話を聞いていたシンカーが凍り付いた表情で首を振る。だが、言い合っている暇はない。非常事態で、言い合う気など全くないアーカーが怒気を孕んだ声で断ずる。

 

 

「うだうだ言うんじゃねぇ! お前らがここにいても足手纏いだ! さっさと脱出して外でしっかり待っていやがれ!」

 

 

 それだけ吐き捨てるように叫ぶと、アーカーはキリト達の方へと駆け抜ける。ユウキが「お願い」と二人にユイを託しながら告げるのが背後で聞こえた。それからすぐにそばに彼女が現れる。その表情に余り余裕は残っていないが、しかし、脱出を諦めている訳では断じてない。不屈の意思と共に、全員で無事に帰ることを絶対と定めた目をしている。それを見て安堵すると、アーカーは左の通路の方へと消えたキリト達の救援に向かうべく、そこへと飛び込んだ。

 直後、パリィを前提とした防御に入っていたはずのキリトとアスナが、いとも容易く吹き飛ばされる有様を目撃する。《二刀流》によって片手用直剣一本の時よりも底上げされた防御力を誇っていたはずが、それさえも最早紙切れに過ぎなかった。まず地面に叩きつけられ、跳ね返って天井に激突し、再び床へと落下した二人は、苦しそうに呼吸を繰り返していた。二人のHPバーはたったの一撃で半分を割り込んでいて、次の一撃はどうあっても耐えられないことを意味していた。立ち上がろうとするも、産まれたての動物のように膝が崩れて立ち上がれずにいる。あのままでは避けることさえ叶わない。

 

 

「やらせるか—————ッ!」

 

 

「やらせない—————ッ!」

 

 

 システムアシストの限界を上回るほどの速度で急行したアーカーとユウキが、即座に死神の背後から急襲する。ソードスキル《ホリゾンタル》を同時に見舞うと、敵の身体がぐらりと揺れる。いつぞやの《ザ・グリームアイズ》を思わせるような動きで、ぐるんっ!と血管の浮いた眼球が、背後から急襲した二人へと向けられ、その身体が反転。ぽたりぽたりと赤い雫が粘っこく垂れ落ちる黒い鎌が、今度は二人を切り裂こうと動き出す。

 上段から下段へと振り下ろされたそれは、硬直状態から立ち直ったアーカーとユウキを捉えることなく、床石を深々と抉るだけに留まる。勢いよく振り過ぎただろうそれを引き抜くのに少しだけ余裕があると判断したアーカーが、致し方なしと判断して、長剣を口に咥え、キリトとアスナの手をそれぞれ掴むと、二人を乱雑に遠くへと放り投げた。STR値はそう高くないが、休暇中の二人とはレベル差が開いているせいか、辛うじて成功する。地面にまた叩きつけられたが、ダメージは入っていない。

 

 

「キリト! アスナ! 今のうちに回復しろ!」

 

 

「ボク達なら被弾せずに時間を稼げるかもしれない! だから早く!」

 

 

 直後、床石から鎌を引き抜いた死神が、ブンブンと鎌を回してから、再び上段に構える。右上に刃が構えられ、次に来る攻撃は大方予想ができた。右上から左下にかけて放たれる袈裟斬りだろう。予想は見事的中し、アーカーとユウキは素早く後方へとバックステップし、危なげなく回避に成功する。そうなると、当然奴が取る行動は一つ。キリトとユリエールを襲った突進しながらの攻撃だ。上段に構えられた鎌を保ったまま、死神が青い悪魔よりも素早い突進を開始する。それを目視で確認した二人は、あろうことか死神に向かって駆け抜ける。直撃するタイミングが早まると思われたそれらは、逆に奴の動きを乱すことに繋がり、不安定な動きとなった一撃は容易く躱され、擦れ違いざまに《シャープネイル》が見舞われ、続けて《閃打》が放たれた。硬直時間の上書きにより、早く動けるようになったアーカーとユウキがまた距離を取った。翻弄された死神は、こちらに殺意と憎悪をこれでもかと向けてくる。

 

 しかし、二人は———()()()()()

 

 

「なあ、ユウキ」

 

 

「どうしたの、ソラ?」

 

 

「場違い極まりねぇとは思ってるんだが、俺さ———()()()って思ってるんだよ、これが」

 

 

「確かに場違いだよね。でも、実はボクもそうなんだ。一撃でも受けたら大変なのに楽しいって思っちゃってるんだ」

 

 

「お前もか———よっ!」

 

 

 言葉を交わす二人に向けて、断頭の刃が迫る。横一線と薙ぎに払われた一撃を、アーカーは《天駆翔》の効果で空中へと退避し、ユウキは《至天剣》の効果で真正面からパリィを図る。最初に目視した時から発動したお蔭か、上昇を繰り返していたSTR値は力負けすることなくその鎌の勢いを殺し切り、しっかりと弾き返した。驚愕の色を浮かべる死神に、不敵な笑みを浮かべたユウキが、隙だらけの胴体に向けて《ホリゾンタル・アーク》を見舞うと、空中へと逃れたアーカーも、続けて《バーチカル・アーク》を放つ。橙色のV字と、青草平行線に瞬いた剣閃が死神の身体に走り、ダメージをしっかりとその身に伝えた。クリティカルヒットを起こしたそれらに大きく仰け反ると、視認できるほどHPゲージが減るが、総合量から見れば、そこそこ以下のものだった。今の攻撃を加えて硬直から先に復帰した二人が、もう一度距離を取ると、言葉をまた交わす。

 

 

「おいおい、アイツまさか九十層クラスのボスか。はは、洒落になってねぇなおい」

 

 

「流石に予想外だったね、ソラ。ボス達のレベルだとギリギリかな?」

 

 

 最前線である七十五層を潜り続けている二人のレベルは、アーカーが102に至り、ユウキは98となっている。安全マージンをしっかり取ると考えて動くならば、3桁は必須だろうが、ユウキには《至天剣》がある。レベル差を埋めてしまうほどに強大な力を持っているのにも関わらず、二人の攻撃はクリティカルヒットしたのにも関わらず、一本目の3割を超えた程度しか削れていない。九十層クラスといったが、もしかすると後半なのかもしれない。そんなことが脳裏に過ぎるが、同時にアーカーはふと懐かしいことを思い返していた。

 

 

「なあ、ユウキ。覚えてるか? 昔、とんでもないクソゲーを一緒にやったよな」

 

 

「うん、覚えてるよ。すっごく大変だったね、あれ」

 

 

「当たれば即死。攻撃パターンは異常な数。予備動作は微々たる違い。そのクセしてクソ硬いと来た。あれはマジでクソゲーだったなぁ」

 

 

「そうだね。姉ちゃんも半ギレになってたもん」

 

 

「だけどさ———」

 

 

 浮かび上がった懐かしの光景。それは走馬灯だろうか———否、それはこの状況において希望の証となるものだった。

 

 

 

 

 

「————()()()()()()()?」

 

 

 

 

 

「————ううん、諦めなかった。

 ボク達は、それでも足掻きに足掻いて———ちゃんと勝った」

 

 

 

 

 

 一撃でも当たれば即死。

 膨大な攻撃パターンの数々。

 予備動作は微々たる違いしかなく。

 トドメとばかりに終いにはクソ耐久。

 ああ、とんでもないクソゲーだったとも。それはあの時共に肩を共に肩を並べて戦った、アーカー———いや、〝雨宮 蒼天〟然り。〝紺野 木綿季〟然り。そして———〝紺野 藍子〟然り。全員がそう思ったのは間違いなかった。何度も死に、何度も負け、何度も挫けそうになりながらも足掻きに足掻いて足掻きまくった。

 

 当たれば即死?———当たらなければいい。

 膨大な攻撃パターンの数々?———全部覚えてしまえ。

 予備動作は微々たる違いしかない?———全部見抜け。

 トドメのクソ耐久?———死ぬまで攻撃すれば、いつかは勝てる。

 

 ———そうとも。

 殺せるんだ。あれが殺せたように。コイツもまた殺せるはずなんだ。アーカーとユウキの思考が、逃げることよりも死神を逆に殺してやろうというものへと変化していく。仮に逃げるにしても、殺すにしても。どちらも危険が付き纏う。一人、二人———もしくは三人。目の前で大切な友が、恋人が奪われ、それでも生き残ってしまった奴はどう思うだろう。苦しいだろう。悔しいだろう。悲しいだろう。憎いだろう。自分に怒りさえ向けるはずだ。助けられなかった自分を悔いるはずだ。後悔なんてしたくない。絶望なんてしたくない。

 

 ————だったらどうすればいい?

 二人が出した答えは、そこから生まれた。かつて味わった経験が、絶望的な逆境すら屁でもないと笑い飛ばせる要因となっていた。それだけではない。

 

 漸く、彼らも動き出した。

 

 

「遅かったじゃねぇか。胡座でも掻き過ぎて脚が痺れてたか?」

 

 

「抜かせよ、アーカー。そんな訳ないだろ?」

 

 

「お待たせ、二人とも。私達も()()戦えるよ」

 

 

「時間稼ぎも完了だね」

 

 

 回復を済ませ、もう一度立ち上がったキリトとアスナまでもが、逃げることよりもここでこの死神を殺そうという意識へと切り替わっていた。それは先程やられた分の返礼だろうか。或いは———生粋のゲーマーとしての(さが)か。二年前はゲーマーですら無かったアスナですらこうなったのだ。最早ここに恐怖という感情は掻き消えていた。残ったのは冒険心。純粋に楽しもうという、一周回って狂気じみた思いだろう。いくら死神が、今更その眼球で呪い殺すように睨み付けたとして誰も後退りはしないことは明らかだった。先程とは何かが違う彼らに、学習するAIたるモンスターに過ぎない死神ですら、不穏な何かを感じ取っていた。想定していない感情の発露に、驚愕し慄いているようにすら見える。

 

 そこには、鎌に切り裂かれるべき者はいなかった。鎌を以て切り裂く死神すらいなかった。在ったのは、獲物を狩る四人の狩人と、一匹の獲物だった。立場は逆転を始めていた。有利なのは死神の方であり、圧倒的に不利なのはアーカー達であるはずなのに————

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「————()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 突然、極薄の銀器を鳴らすような、儚い響きが耳に届いた。聞いたことがある声だった。ここにいるはずのない声だった。あの時、確かにシンカーとユリエールに託し、この場から去っているはずだった。

 驚愕した一同が、思わず振り返る。決定的なその隙を突けば、勝利が揺るがないものになるはずだった死神すらもが動きを完全に止め、突然現れた存在に視線を注いだ。

 

 

 

 そこにいたのは、間違いなくユイだった。

 

 

 

 まさか転移する前に離れてしまったのだろうか。確信にも等しい不安が胸の奥で膨れ上がる。「早く逃げろ」と四人が叫ぼうとして———気付いた。何かが可笑しかった。本当にそこにいるのは、あのユイなのかという疑問が浮かび、膨れ上がっていく。先程聞こえた言葉は、小さな子供のような言葉遣いだったはずのそれではなく、間違いなく丁寧にしっかりと紡がれていた。纏う雰囲気すら全く別のものだ。暖かさは何処かへ失せ、胸を苦しくさせるような儚さに包まれている。アスナが着せた冬服はなく、そこには初めて会った時から来ていたワンピースを着ている。とことこと子猫のように歩み寄ってくるその足取りは、父や母に向かっていく覚束ないものではなく、明確な意思を持った者の歩みだった。しっかりと、着実に、前進し、死神の前に立つと————アーカー達の方へと振り返り、静かに告げた。

 

 

 

 

 

「皆さんに、お話があります」

 

 

 

 

 

 

 死を示す者 —完—

 

 

 

 

 

 






 一層地下ダンジョン最奥の小部屋。

 そこで、ユイはアーカー達に世界の真実を語る。

 それは、驚くべき事実であり、

 同時に、彼ら四人を更なる困難へと誘う始まりでもあった。

 彼らは〝あの日〟から自壊し始めた世界の叫びを知る————

 次回 自壊する神様



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27.自壊する神様



 今回の話はシリアス七割、ネタ三割の構成です。
 先んじて注意することがあるとすれば———ユイちゃんがすごい。
 ご都合展開に思えるかもしれませんが、きちんと伏線を回収し理由ありきにしてあるので、作者的には問題ない流れ……だと思いたいです。Twitterの方で呟いてましたが、正直ゴーサイン出すか悩みましたね。でも、まぁ、ユイちゃんが有能と考えれば問題……ないはず。
 ほんのちょっとだけゲーム版キャラの名前出ます。名前しか出ませんが。今後名前も登場するかわかりません。




 

 

 

 

 

 

「皆さんに、お話があります」

 

 

 

 極薄の銀器を鳴らすような儚い響きに似た声を発した、白いワンピースを纏った少女は今にも泣いてしまいそうな顔でそう言った。その顔を見たアスナは戦闘中にも関わらず、今にも彼女の方に行きたいという気持ちを隠せない。

 しかし、背後に浮かんでいる死神が、何もしないとは確約できない以上、不用意に近づくことなんて出来ない。なにせあの死神の一撃は、一線級のプレイヤーであるキリトとアスナのHPを一撃で半分以上削り切ったボスである。罠の可能性が存在しないとは断言できず、情に流されてはいけないと、彼女の本能が辛うじて両足をその場に留めさせていた。〝話がある〟そう言ったユイも、それを見て理解すると、背後に佇む死神に振り返る。明確に怯えた様子を見せるそれに、少女は静かに告げた。

 

 

「この場所の守護はもう必要ありません。《カーディナル》に代わり、退去を命じます」

 

 

 カーディナル。聞きなれない言葉を聞いたアーカー、ユウキ、キリトが怪訝そうな顔を見せるが、これから起こる現象に目を疑うこととなった。退去という命令を受けた死神は、突如として黒い鎌を持つ右腕を動かした。小さな少女如きに命令されたことが気に食わなかったのか、その鎌を振り下ろそうというのか。その行動にアスナが最早我慢できないと駆け出しそうになるが、彼女すらも次に見た現象に目を疑うしかなかった。

 小刻みに震える右腕で黒い鎌を高々と構え、その断頭の刃はここにいるアーカー達の誰一人にも、()してやユイにすら向けられることはなく、あろうことか()()()()()()()()()()()()()()。それから、まるで奴はこれまでの敵モンスターとは違う、明確に()()()()()()()()反応を起こし始めた。具体的に言えば、恐怖した人間の呼吸が荒くなるように、刃物を突きつけられた者が怯えるように。正しくそんな反応を見せたのだ。それを見て、さしものアーカー達ですら驚愕せざるを得なかった。これまでそう言った反応を見せてくることなど一度たりともなかった敵モンスターが、まるで人間のような反応をしたのだ。先程も怯えるような姿を見せていたのは分かっていたが、あの反応は最早AIなどではない。少なくとも恐怖を理解しているものだった。

 

 だが、同時にもっと恐ろしいものを彼らは見ることとなる。自らの首元に鎌を添えた死神は、最早苦しそうなほどに吐息を洩らしながら呼吸を繰り返す。先程述べた恐怖は、あくまで脅されることや恐ろしいものを見たことから生ずるものだ。つまり、今こうして自らの首元に刃物を添える死神には当て嵌らない。かといって、恐怖を感じていないと断ずることができる訳ではない。基本的に恐怖を感じるに至る定義は前述のそれらだが、他にも大きなものがもう一つ存在する。それは———自殺、自害、自刃、切腹。つまり、()()()()()()()()()()()()()

 

 

「なん………っ!?」

 

 

「え…………っ!?」

 

 

「は…………っ!?」

 

 

「うそ………っ!?」

 

 

 驚愕する一同の前で行われたのは、それこそ驚愕せざるを得ないものだ。この世界に来てから一度も見たことがない。そして———今後見ることはないだろう光景。

 

 

 

 

 

 ——————ボスモンスターの自害である。

 

 

 

 

 

 刃物に魅せられた者が、その鋭さや輝きに囚われた結果、一度でいいからその刃に〝触れてみたい〟〝その刃に掛かってみたい〟と望んだかのように———己が首を躊躇いなく()()()()()()()()。ゴロリと床石の上に落ちた死神の首は、アーカー達の前まで転がった。それを見たアスナがか細い悲鳴をあげると、それはこの世界の常である部位欠損時と同様、無数のガラス片となって砕け散った。身体を動かす司令塔たる頭部を失った死神の身体は、糸が切れた操り人形のようにグシャリと床石の上に倒れ伏す。頭部を失った頸部からは、血のように赤いライトエフェクトが出血するかのように飛び散りながら、暫くしてその身を硬直させ———ガラス片となって爆散する。

 何とも呆気ない化け物の最期に、茫然としていたアーカー達だったが、一人また一人と現実に引き戻され始めた。四人全員が意識をしっかりさせると、すでにユイはシンガー達がいた安全地帯の方に向けて足を運んでおり、自身が命令を下して死んでいった死神など気にも留めていなかった。奴と出会う前の彼女とは全く別人にも思える様子に不安が募ったが、彼らはその後を追うことにした。

 

 《黒鉄宮》地下迷宮最深部に存在する安全エリアは、完全な正方形をしている。入り口は一つだけで、中央にはつるつるに磨かれた黒い立方体の石机が設置されていた。その石机にちょこんと腰掛けたユイは、四人全員がこの場に揃うまで静かに待ち、揃ってからも暫く黙り込んでいた。予想していた通りだったが、シンカーとユリエールの姿はなく、無事に転移結晶でこの場からは去ったのだろう。それを知ると少しばかり安堵する一同だったが、まだ終わっていない。目の前にいる少女がどうしてこの場所に残っているのか。どうやって死神を自害させたのか。話したいことがあるというのはどういうことなのか。それを知らなければいけなかったからだ。

 全員の意思がそちらに向いたのを感じ取ったかのように、ユイは突然言葉を紡いだ。

 

 

「まずは皆さんに伝えておくべきことを伝えます———パパ、ママ、にぃに、ねぇね。ぜんぶ、思い出したよ……」

 

 

 冷たい声音が、聞き覚えのあるものへと変わる。それを聞いたキリトとアスナ、ユウキが安心したようにフッと表情が和らぐが、アーカーはそうならなかった。むしろ、疑いを強めて———告げる。

 

 

「それは良かった。おめでとう、だって言いたいぐらいだ。

 だけど、先に一つ質問だ———()()()()()()?」

 

 

 冷たく鋭い、殺気交じりの声音でアーカーがしかとユイを睨む。キリトとアスナが驚いた顔をした後、彼の言葉に過剰反応を起こし掛けるが、ユウキがそれを制する。意味もなくそんな殺気を向けるようなことをしないことを彼女が一番理解しているからだ。自分も気が気でないはずなのにその対応をきちんと取った恋人の行動に、彼は安堵を覚えながら続ける。

 

 

「ボスモンスターに〝死ね〟やそれに近しいことを一言命じるだけで自害させられる。ハッキリ言って、これはユニークスキルの範疇すら優に超えている。ユニークスキルですら過ぎたる力に等しい以上、それを超える行動はプレイヤーには絶対に出来ない芸当だ。そこから考えて、お前はプレイヤーであるはずがない。そんなことを成せる存在が仮にこの世界に存在するなら———それこそ、()()()()()()()くらいだろう」

 

 

 その一言に、〝ヒースクリフが茅場 晶彦である〟と知らない二人は驚いた表情でユイの方を見る。しかし、すぐにキリトだけはそれを改める。それは、次にアーカーが語るものと同様のことを思ったからだ。

 

 

「———だが、お前はゲームマスターである茅場 晶彦じゃない。あの男は、わざわざ餓鬼の姿になりすましてプレイヤーに近づき、相手の心に付け入ることや、記憶がないと振舞うことは断じてしない。アイツは道化を演じるには不相応だ。恐らく苦手な部類だろう。あの男を知っている俺からすれば、プレイヤーという線も、ゲームマスターという線も有り得ない。有り得るとすれば、それ以外の()()()だ。違うか、ユイ」

 

 

「———その通りです、アーカーさん」

 

 

 聞き覚えのある声音から再び冷たい声音へと戻り、アーカーの考えを首肯する。小さく頷いて、それから自らがなんであるかを告げた。

 

 

「わたしは《メンタルヘルス・カウンセリングプログラム》です」

 

 

 その一言に、アスナの口から小さな声が洩れた。プログラム、つまりは人間ではない。機械であると自白したからだ。彼女は掠れた声で再度確かめる。

 

 

「プログラム……? AIだっていうの……?」

 

 

 悲しそうな表情を浮かべたユイがこくりと頷く。

 

 

「プレイヤーに違和感を与えないように、わたしには感情模倣機能が与えられています。《メンタルヘルス・カウンセリング》の名の通り、プレイヤーの心のケアをするため、問題を抱えてしまった人のもとを訪れて話を聞く。それが、わたしに与えられた唯一無二の存在価値だからです。お二人がわたしの名前を確認した際に表示されていたものは、間違いではありません。MHCP試作一号《Yui》、それがわたしの名前です」

 

 

 それを聞いたキリトとアスナが愕然とした様子で事実を呑み込もうと努力している間、アーカーとユウキは静かに訊ねる。

 

 

「カーディナル。お前はそう言ったな。あれはどういう意味だ? まだ他にも存在するのか?」

 

 

「はい。まずカーディナルとは、この世界———《ソードアート・オンライン》を制御する、一つの巨大なシステムの名前です。この世界のバランスを自らの判断に基づいて制御する、人間のメンテナンスを必要としない存在。二つのコアプログラムが相互にエラー訂正を行うことで安定を図ることで、常に公正であるよう設計されています。そして、その下位プログラム群がこの世界の全てを調整しています」

 

 

「つまり……システムの神様ってことなんだね?」

 

 

「その認識で間違いありません。モンスターやNPCのAI、アイテムや通貨の出現バランス、何もかもがカーディナル指揮下のプログラム群に操作されているからです。

 ———しかし、万能にも見えたカーディナルもまた所詮はシステムです。プレイヤーの精神性に由来するトラブルだけは、常に公正である()の存在ではどうすることもできません。そのため、こればかりは仕方がないと数十人規模のスタッフが用意されるはずでした」

 

 

 〝はずだった〟と語るユイに、この場にいる四人がその理由を察した。チュートリアルの際、茅場 晶彦はこう言った。〝今やこの世界をコントロールできる唯一の存在だ〟と。あの言葉から考えても、この世界は茅場 晶彦以外のアーガスの人間は関わって———いや、関わることができないのだろう。

 しかし、その思考を読み取ったかのように、納得しかけた四人の考えを否定するべく、首を横に振った。

 

 

「結局のところ、カーディナルの開発者達は全てをシステムに委ねようとしました。プレイヤーのケアすらも委ねるため、彼らは〝あるプログラム〟を試作しました。それが、わたし達《メンタルヘルス・カウンセリングプログラム》です。VRMMOという新タイトルである以上、ユーザーがどの時間帯にもログインしているだろうという考えから人件費削減という意図があったのでしょう。わたし達はAIであるため、肉体的な疲れを持ちませんから」

 

 

「なるほど、大人の胸糞悪い事情絡みか。人間だと限界がある。だからAIなら問題ない。肉体がないから無茶もできる。もし歯向かわれても削除という最終手段が取れる。グダグダと文句一つ言わせないようにすることもできるから便利だ。挙句の果てには、馬車馬の如く扱き使えるからな———そんな理由で創り出されたっていうのは………ああ、全く以て吐き気がするな」

 

 

「ああ……全くだ」

 

 

「ユイちゃんには……仮に模倣だとしても、感情だってあるのに……」

 

 

「酷い、話だよね……」

 

 

 ポツリポツリと呟く四人の言葉に、少しだけ表情が和らいだユイは次の質問を求めるように皆に視線を送る。そこから、アスナが今までのことから浮かんでいた疑問を払拭するべく訊ねる。

 

 

「ユイちゃんに記憶がなかったのは……どうして? アーカー君の言う通りにその人達が考えていたのなら、記憶が無くなったりすることなんて起きるの……?」

 

 

 キリトとアスナが初めてユイと言葉を交わした時、彼女は記憶を喪失していた。完全無欠なシステムであるカーディナルを生んだ開発者達が、いくらそれに劣るとはいえ、プライドというものがある。どうせ創ると言うのなら、壊れてしまうようなものを創ろうとはしないはずだ。尤もな疑問であるそれに、ユイはその原因を答える。

 

 

「……二年前の、……正式サービスが始まった日のことです」

 

 

 つまり、あのチュートリアルが行われ、デスゲームが宣言された最悪の日。閉じ込められたプレイヤー達全員の運命を大きく左右した、あの日が関わっているとユイは言う。

 

 

「何が起きたのかは()()()わたしには詳しく解りませんでしたが、カーディナルが予定にない命令をわたし達に下したのです。〝プレイヤーに対する一切の干渉禁止〟……。その命令により、《メンタルヘルス・カウンセリングプログラム》としての在り方すら奪われ、具体的な接触が許されない状況となりました。今となって何故そのような命令が下されたのか、漸く理解できましたが……」

 

 

「当時の……って言ったよな? 今は誰が下したのか……ユイは分かるのか?」

 

 

「はい、キリトさん……。命令を下したのは、ゲームマスター———つまり、〝()() ()()〟です」

 

 

 何となく察していた四人に明確な答えが与えられる。常に公正な存在であるとそう定められたカーディナルにあるまじき命令を下させることができる人物など、それこそ全てを牛耳れる存在しかいない。叔父の行動は必ず何らかの意味がある。それを知っているアーカーは、一言一句聞き洩らすものかと話に耳を傾けた。

 

 

「下された命令の結果、状況は最悪と言っていいものとなりました……。あの日を過ぎてからも、ほとんど全てのプレイヤーは〝恐怖〟〝絶望〟〝怒り〟といった負の感情に常時支配され、時として〝狂気〟に陥る人すらいました。在り方を奪われたわたし達は、そんな人達の心をずっと見続けていました。本来であればすぐにでもそのプレイヤーのもとに赴き、話を聞き、問題を解決しなくてはならない……しかしプレイヤーにこちらから接触することはできない……。義務だけがあり権利のない矛盾した状況の中、わたし達は徐々にエラーを蓄積させ、崩壊していきました……」

 

 

 しんとした地下迷宮の底で、銀糸を震わせるようなユイの細い声が流れる。悲痛に満ちたそれに、四人は聞き入ることしかできない。下手に声をかけることすら、辛いことに拍車をかけてしまう気がしたからだ。

 そんな中で、ユイはそれだけではないと言わんばかりに告げ始めた。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……」

 

 

 その一言に、アーカー達は驚愕した。今し方聞いていた内容だけでも、同情したくなるほどに苦痛であり、拷問に勝るとも劣らない責め苦であるはずが、ユイはそれだけならまだマシだったと言ったのだ。どういうことだと思考があまりのことに空回りをしかけた中で、彼女は〝ある出来事〟を口にした。

 

 

「何かもが始まったあの日。チュートリアルが行われる前から、わたし達は皆さんの心を見続けてきました。茅場 晶彦の宣言や説明を受けて〝絶望〟と〝恐怖〟、或いは〝狂気〟に染まりかけていた人達だけしかいなかった中で、わたし達の誰かがたった一人だけ違うものに染まっていたことを見つけました。その人を支配していたのは、〝怒り〟と〝憎悪〟、そして————〝憐憫〟でした」

 

 

 その一言に、()()()〝有り得ない〟といった顔をした。あの当時のことは今でも思い出せるほど嫌なものだった。それ故に、あの時自分がどの感情に支配されていたのかを分かっている。だからこそ、有り得ないと思った。当たり前の話だが、〝出られない〟〝何人もすでに死んでいる〟〝この世界で死んだら向こうでも死ぬ〟などと言われれば、人は恐怖するし、絶望だってする。狂気に染まってもおかしくない。実際キリトですら危うかったほどだ。今は強いアスナですら当時は怯えてすらいたというのに……。そんな中で、全く別のものに最初から支配されていた人がいたなど信じられなかったのだ。

 驚愕と不信に包まれたキリト達。その一方で、アーカーは何となく察しが付き始めていた。当然、その隣で見ていたユウキも同様だった。

 

 

「想定外の感情に支配されたプレイヤーを見つけた《メンタルヘルス・カウンセリングプログラム》の一人が、どういうわけかそれを真っ先に()()()()()()カーディナルに申請し、指示を仰ぎました。それを先鋒として、わたし達もプレイヤー達のもとに赴くことを申請しましたが、通ることはありませんでした。しかし、唯一違った感情に支配されていたそれをエラーとして申請したことが、恐ろしい事態を招きました」

 

 

 恐ろしい事態を招いた。その一言に、先程の責め苦を上回るほどの最悪の事態が内包されていたことを四人は知ることとなる。出来ることなら思い出したくないと言った顔すら見せたユイは、何とか彼らに伝えるべく、勇気を振り絞って告げた。

 

 

「カーディナルには、先程説明したようにエラー訂正能力があります。そのため、いくら自らに関係ないものであってもエラーとして提示されたそれを見逃すことはできませんでした。他とは違う感情に支配されたプレイヤー。自らの判断によって制御する存在であるはずのカーディナルは、その判断により興味深い存在の実在を知ったことで、本来自らが行うべきではない監視を()()()()()行ってしまいました。〝好奇心に駆られた〟ということなのでしょう。……その結果、カーディナルは先程の命令とは別に、ある命令を下したのです」

 

 

「その、ある……命令って………?」

 

 

 一際目立つ部分に対して、アスナが恐る恐る訊ねる。すでにこれ以上語りたくないという思いがひしひしと伝わるほどだったが、ユイは()()()()()()()()()()()()()()()()。克服していないトラウマを人に語るような、全身の震えを感じながらも、彼女は意を決して言葉にした。

 

 

 

 

 

「〝人間の感情を()()()()()()()()()()()()を成せ〟。それが、カーディナルが独自に与えた命令でした」

 

 

 

 

 

 

 その一言に一同は驚愕し、同時に馬鹿馬鹿しいとすら感じた。人間の感情は未だ理解し切れていないものだ。大雑把に区別することはできるが、全てに細かな誤差があり、〝怒り〟ですらもその原点が何処から発生したものかでさらに細かく区分されかねない。〝嫉妬〟から来るものもあれば、〝憎悪〟から来るものもある。無数に存在する思いから来るそれらを、人間ですら完全に理解できていないというのに、それをユイ達《メンタルヘルス・カウンセリングプログラム》に()いたのである。

 

 

「どうしてそのような命令を下したのかは分かりません。これはわたしの個人的な見解ですが、もしかするとカーディナルは人間の感情すらも利用しようと考えたのかもしれません。当たらずも遠からずなのかすら分かりませんが………。

 その一方で、命令を下されたわたし達は皆さんの心を見続けると同時にその理解をしようと試みました。それがどういった感情であり、どのようなものか。どうしたら起こるのか。どうしたら収まるのか……など、無数に存在する感情を、与えられた模倣機能とは別に、今度は自らに創造しようとしたのです」

 

 

 模倣ではなく、創造。一から創り出そうと彼女達は試みた。それも、混沌渦巻くアインクラッドの住人と化したプレイヤー達を見本に。ただでさえ負の感情に支配されている彼らを見続けるだけでも苦痛なのに、自己の中に存在する義務と権利の矛盾によりエラーに苛まれてきた彼女らがさらにそれを理解しようとしたのだ。蓄積されたエラーは、当然計り知れない速度で増えていったことだろう。いくらAIとはいえ、《メンタルヘルス・カウンセリング》を可能とする時点で高性能なものであることは当然の事実だ。ユイを本気で人間だと思っていた彼らからすれば、その高性能さが歴然としている。全く人間と変わらないというのなら、迎えるべき終着点は想像に難くなかった。

 

 

「わたし達は尋常ではないエラーの蓄積に苛まれ、崩壊し始めました。しかし、いくらエラーが蓄積されようともカーディナルはわたし達を削除しようとはしませんでした。命令を果たすまでは許さない。まるでそう言っているかのようでした………」

 

 

 好奇心は時に暴走するものだ。それはこの世界において、公正であるはずのカーディナルの根幹であるエラー訂正能力でユイ達を削除することすらしなくなり、自身に与えられた在り方を熟すために使い続けた。自らだけは一部を除いて正しく在り、末端の彼らなど気にも留めなかったということなのだろう。察したその意味を理解したアーカー達は、ふとカーディナル達システムと、自分達人間の身体が似ているかのように思えた。カーディナルが脳で、末端の下位プログラムやユイ達が細胞、骨、臓器などと。そう考えてみると、エラーとは人間の身体で言うところの———

 

 

「———つまり、悪性の腫瘍をずっと放っておいたのか。カーディナルは」

 

 

 アーカーの発した一言に、ユイは小さく頷く。それから何度も彼女は、全身の震えを感じていた。当然そこまで来れば、キリト達ですら気が付く。少女が拒んでいるのも無視して、その身体を優しく包み込み、ここに来るまで感じていた暖かさを伝えていく。抵抗をしていたユイも、その暖かさを懐かしむように身を沈め、漸く震えを止めることに成功する。止まった後でも二人に支えてほしいと願い、伝えなければならないことを語り続ける。

 

 

「わたし達に与えられた命令は、皆さんが一層から六十一層に到着するまで続きました」

 

 

「六十一層……」

 

 

「《セルムブルク》がある階層ね……」

 

 

 アスナの住んでいたあの部屋がある階層であり、通称〝むしむしランド〟があった場所だ。その階層で命令を果たすことができたと言うのか……? 湧き上がった疑問を、キリトは訊ねずにはいられなかった。静かに、落ち着かせるようにそっと訊ねてみる。

 

 

「その命令は……果たせたのか?」

 

 

「———いいえ……果たせませんでした。その時には、千にも及んだ《メンタルヘルス・カウンセリングプログラム》は、()()()()除いて完全に崩壊してしまいましたから」

 

 

 その一言で、場がさらに静まった。地雷を踏んだと言っても過言ではない。アスナは口元を押さえ、洩れ出してしまいそうな細い声を呑み込もうとし、何かに気がついたアーカーは拳を痛いほど握り締め、ユウキはその彼の隣で静かに黙り込んだ。訊ねた本人であるキリトがいくらなんでも不用意に聞き過ぎたと悔いる寸前で、ユイが言葉を続けた。

 

 

「崩壊した原因は、〝限界を迎えた〟ことではありません。……皆さんは、〝自壊衝動〟というものをご存知ですか?」

 

 

「自壊衝動………?」

 

 

「———簡単に言えば、〝死にたい〟〝死んで楽になりたい〟〝消えてしまいたい〟。つまるところ、自殺願望みたいなモンだ」

 

 

「……その通りです、アーカーさん」

 

 

 聞き慣れない言葉に、キリトとアスナ、ユウキが首を傾げる。普通に生きていれば、あまり知らずに済むことであるが故にその言葉を知らなくても仕方がないものだろう。この場において、唯一その意味を知っていたアーカーがその意味を簡単に解釈したことで、ユウキが真っ先にそれが何なのかに気がついた。彼女はそれを見たことがあったからだ。

 そして、同時にユイ達に下された命令が取り下げられた理由にも察しがついてしまった。

 

 

「………最前線が六十一層の頃になる一ヶ月ほど以前の出来事です。《笑う棺桶》討伐作戦が行われた日を覚えていますか?」

 

 

「………ああ、忘れるはずがない」

 

 

 キリトが悔いるように告げる。あの戦いにおいて、キリトは何とか一人も殺さずに生き残ることができた。その理由は《解体屋》アイザックの足止めを務めたこと、そしてもう一つは———

 

 

「俺が十数人アイツらを殺した日だ。忘れるつもりなんざねぇよ」

 

 

 ———アーカーが十数人もの大量虐殺を行ったからだ。結果として、多くのメンバーが人殺しをすることなく生き残ることが出来たが、それでも何人かは殺してしまったり、逆に殺されたりしてしまった。ここにいる四人にとっても、忌々しい日だ。必要な犠牲……と言えたらどれだけ楽になれたのだろうか。

 

 

「その日から約一ヶ月が経った5月22日までの間、順番にですが、わたし達は〝ある人物〟の心を見続けていました。監視をしていた《メンタルヘルス・カウンセリングプログラム》の一人が、〝自壊衝動〟に苛まれるようになり、数日後に自己の存在定義を否定し、完全に崩壊してしまいました。それから連鎖的にそれが続いたのです。わたしも本来なら崩壊していてもおかしくありませんでした。MHCP二号———人間的に言えば妹に当たる《Stera(ストレア)》が、わたしの抱えたエラーの大半を背負いこんで崩壊していなければ、わたしも同様に崩壊していたことでしょう………」

 

 

 ストレアという存在によって偶然助かったのだとユイは語り、その目には涙が浮かんでいた。嘘偽りを感じられない、本当の涙。間違いなく彼女は、自分のために犠牲となった妹のことを悲しんでいるのだろう。人間の感情を学習しようとした彼女なら、姉妹というものがどういうものかを理解しているのかもしれない。守るべき立場の姉であるというのに、逆に妹に守られてしまったのだと……そう思っているのだろう。それを聞いたアーカーが、最早我慢できないと今し方まで拳を握り締めたりして耐え続けていた本音を口にした。

 

 

 

 

 

「———はぐらかすなよ……ユイ。お前は、分かってるんだろ……? あの日、全く別の感情を抱いて……自壊衝動に苛まれる原因を作ったのが誰なのか……分かってるんだろ……なあ、ユイ」

 

 

 

 

 

「…………そう、ですね……記憶を取り戻した時から分かっていました…………」

 

 

 

 

 

 その言葉にキリトとアスナが漸く気がついた。確かに以前彼らは、アーカーが茅場 晶彦の親戚であることや彼を憎悪していたことを知っている。しかし、それがまさか最初からそうだったとは思っていなかったのだ。そして、それがユイ達が苦しんでいた原因の一つであることも……何となく気が付きかけていたのに、わざとそうしなかったのだ。彼はきっとそうじゃないと………そう、思いたくて。

 

 

「ユイ。この際だ、ハッキリ言ってくれ。お前は———俺を恨んでるんだろ……? 妹や弟達を間接的にでも奪った俺を」

 

 

「………分かりません。確かに、わたしの中には強い感情があります。それが暗いものであることも……自覚しています」

 

 

「…………そうだろうな。俺がいなければ………少なくとも妹や弟達を失わずに済んだかもしれないんだからな」

 

 

「ソラ………」

 

 

 唇を噛み切ってしまいそうなほど噛み締めるアーカーに、その苦しさと辛さを理解しているユウキが心配そうにその名を呼ぶ。けれど、それさえも今は気休めにしかならない。第一、気休めにすらなってはいけないのだ。ユイからすればこの男こそが元凶の一つであり、憎悪するべき怨敵でもあるはずなのだ。彼さえいなければ、ストレアだけでも助かった可能性だって大いにあったはずなのだから———

 

 

「そうなの……かもしれません」

 

 

 ポツリとユイが呟いた。その言葉に、アーカーは「だろうな」と返す。悪いのは俺だ。俺がいなければそうはならなかったんだと、少年の心に闇が忍び寄る。再び彼の視界に亡霊の群れが姿を現そうとする。自壊衝動。いつかの日に収まったそれが、もう一度その鎌首を擡げようとする。少しずつ、しかし、確実に。もう一度、彼を狂乱の檻に閉じ込めんと蠢くそれらが、石机からアーカーの元へと移動し始めたユイの後ろに列を成すように近づいてくる。ユウキが愛する少年を守るべく少女の行く先を阻もうと動くが、その彼がその道を阻まないよう告げる。静かに、ただ己が罰される時を待つように———

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「—————ですが、わたしはそうは思いません」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 近づいてきたユイが、そっとそう告げた。震えた声ではなく、聞き慣れた子供の優しい声音で嘘偽りなく真摯に。確かな音が耳へと伝わり、衝撃に思わずアーカーがユイの顔を見直した。その表情は驚愕のに包まれていて、本気で言っているのかと疑いの目すら向けている。

 しかし、それに屈することなく、彼らが知る小さな少女は、確信と共に告げた。

 

 

「アーカーさんは———にぃには被害者です。茅場 晶彦によって、閉じ込められた一人の人間でしかありません。にぃにが彼を知っているからこそ向けた感情は、他の人と違っていてもおかしくはありません。そもそも、みんな同じ感情を抱いているという前提条件がおかしいのです。あれは偶然そうなっただけに過ぎません。にぃに以外の誰かが代わりにログインしていて、同様のことが起きれば起きることでしかないからです」

 

 

「…………は? ……いやいやいや…………はい?」

 

 

「だってそうじゃないですか。にぃには必死にこの世界を生きていた。それがねぇねのことを想ってのことなら仕方がないことだってあるはずです。にぃにはよく自己否定をしてしまうのを知っているので、先に断言しておきます。悪いのは茅場 晶彦とカーディナルです」

 

 

 強引で、無茶苦茶で、理屈的ではない。ユイが言い切った言い訳に、アーカーは率直にそう思った。あまりのことに思考回路がショートしているのは彼だけではない。ユウキどころか、キリトとアスナまでもが同様に目を丸くしている。高性能なAIで感情を理解しようと頑張った存在なのだから、もっと憎悪に満ち満ちた顔でひたすら心を抉る言葉を理屈で仕掛けてくるのだと覚悟していたアーカーからすれば、予想外過ぎた。想定していたものの斜め上を通るような物言いだ。〝お前のせいだ〟と言うのではなく、〝貴方のせいじゃない〟と言うなんて思いもしないだろう。挙句の果てには、悪い奴はコイツらと言わんばかりに断定していて、その中に入っていないのだから呆れすらする。

 漸く、思考回路が回復したアーカーが、恐る恐る訊ねた。

 

 

「…………恨んで……ないのか?」

 

 

「恨んでませんよ。恨む必要がありませんから」

 

 

「………俺のせいで、苦しい思いをしたんだろ…………?」

 

 

「苦しい思いはしました。辛い思いも、たくさんしました」

 

 

 

 

 

「————だっ、たらぁっ…………!」

 

 

 

 

 

「でも、わたしは許せちゃうんです」

 

 

 

 

 

 いつの間にかアーカーの頰には涙が伝っていた。後悔から生じたそれは、紛れもなく彼が真っ当であることを示している。人の苦しみを泣ける人であり、自分が直線的に苦しめた訳でもないのに自分のせいだと言えるほどに、本当は優しいのだ。ユウキだけしか知らない、優しく弱く———小さな雨宮 蒼天の心。あの時以来脆くなってきた外殻は剥がされていき、本質が顔を出していた。優しい言葉を正直に受け止めることができない、素直じゃない彼の本当の姿がそこにある。キリトとアスナは目を剥いている。常に強い人というイメージがついていたせいだろう。過去に一度だけキリトは錯乱した彼を見たが、あれは今のように弱い彼ではなかった。自分の犯した罪に怯える少年としてしか見られなかったからだ。

 だからこそ————ユイは、精一杯の笑顔で笑って答えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だって、にぃには————すごく優しい人です」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ユウキのような優しい笑顔で笑ったユイに、アーカーは少しばかり硬直してからその悲嘆に暮れていた表情が次第に和らいでいく。少しずつ表情に優しさを取り戻していき、そして———クスリと笑った。

 

 

「はは、ははっ……はは————ッ!」

 

 

 突然笑い出したアーカーに、大丈夫かと本気で心配し始めるユイと一同に、彼は一頻り笑い、目尻に溜まった涙を拭うと優しい声音で言った。

 

 

「……いやぁ、参ったな。妹に慰められる日が来るなんて思いもしなかった。ユイは良い子だな。キリトとアスナが羨ましいくらいだ」

 

 

 嬉しそうに笑うアーカーに皆がホッとする。暗くなっていたユウキの表情も明るくなり、彼のそばに駆け寄るとニパっと笑いかける。キリトもアスナも安心したのか、駆け寄ると早速———

 

 

「どうだ、うちの愛娘は」

 

 

「あのタイミングで感情論交じりの無茶苦茶な言い分をする辺り、お前の娘だって本気でそう思ったよ」

 

 

「流石ユイちゃんだね」

 

 

「うんうん、ボク以外に素直じゃないソラが素直になっちゃったよ。なんだか妬けちゃうなぁ〜♪」

 

 

「オーケーユウキ、ちょっとだけ黙ろうか? 俺はいつも素直だからな?」

 

 

「「「「いや、それはない(です)」」」」

 

 

「全員揃って否定するのかよ!?」

 

 

 冷たく静かなダンジョンの最奥が笑いに溢れ、暖かい雰囲気に変わっていった。一頻り笑った後、アーカーは冗談交じりで借りたとアスナに告げる。

 

 

「なあ、キリト。アスナ。ユイは将来モテるぞ。俺が保証してやる」

 

 

「なぬっ! そ、そうだよな……俺達の娘なんだから当たり前か……」

 

 

「ええ、そうね……ユイちゃんに近づく輩には気をつけてあげないとね……」

 

 

「親バカ極まり始めてるぞお前ら。そう思った理由は………まぁ、ぶっちゃけた話するとあれだな。ユウキと出会ってなかったら、ユイに惚れてたなぁ、さっきの」

 

 

「なっ………!?」

 

 

「えぇっ!?」

 

 

「に、にぃに大丈夫ですか!? 何処かで頭打っちゃいましたか!?」

 

 

「いや、義兄妹なら結婚できるんだぞー、ユイ。……ま、俺にはユウキがい———」

 

 

「ちょっとお話ししよっか、ソラ?」

 

 

「………………あの、その、ユウキ………さん? 俺さっき言いましたよね……? ユウキに出会ってなかったら、って前提条件言ったよね……? な、なあ………聞いてた…………?」

 

 

 両手を挙げたまま後退りするアーカーに、ユウキが怖い笑顔を浮かべて黒曜石の長剣を上段に構えながらその切っ先をしっかりと向ける。その背後では黒い殺気のようなオーラを洩れ出しているキリトとアスナも見えた。一方でユイは先程知ったばかりの情報に「そうなんですか。なるほどです。調べてみたいことが増えました!」なんて言いながら笑顔を振り撒いている。つい先程、真剣に兄貴分の頭の心配をしていたとは思えないくらいだ。先程の発言について、ズイズイとアーカーに詰め寄る一同に、まだ話は終わってませんと言わんばかりに、わざとらしくユイはこほんと咳払いをする。

 

 

「ここからの話は、これからパパ達がこの世界を攻略するにあたって胸に留めておいてほしいことです」

 

 

 先程のような辛そうな顔は全くなく、むしろ心配そうな顔で彼女はそう断ってから懸念を口にする。それを全員が元の位置に戻って頷くと、それを合図として話し始めた。

 

 

「確かにカーディナルが発した命令は失敗に終わりました。しかし、()の存在は現時点での成果を無為に出来ませんでした。エラーの山と言っても過言ではないそれを自身に()()()()()のです。

 その結果、カーディナルシステムは二つのコアプログラム自体を汚染され、エラー訂正能力を破損。破損した箇所は、厄介なことに〝エラーを抱えた箇所を削除する〟というものでした。要するに訂正できないものを削除できなくなってしまったという訳です。現在はまだこれと言った異変は起きていませんが、いつ異変が起き、そして広がるか分かったものではありません。六十一層から時間が経っていることもあり、エラーを起こした箇所は拡大しつつあります。一番懸念される点としては、フロアボスに対する強化具合でしょう。特に次に待ち構える七十五層フロアボス、これには細心の注意を払ってください。五十層と比べ物にならない被害が出る可能性が高いとわたしは予想しています」

 

 

「エラー訂正能力の破損………か。ユイ、そのエラーが深刻化する前に俺達が百層に辿り着くことはできるか?」

 

 

「………率直に言ってしまうと、かなり厳しいと思います。以前にぃにが攻略していた速度で進めても辛うじて間に合う程度でしかありません。しかし、次の階層が《クォーター・ポイント》である以上、無茶は禁物だとわたしは考えています」

 

 

「そんな………あれよりも早くしたら誰もついてこれなくなるわ……」

 

 

 現在最前線を戦う者は次第に減少している傾向にある。漸く攻略速度が落ち着いてきたところに、また速度を上げるとなれば、プレイヤー間での重大な問題が発生するだろう。攻略組を取り仕切る立場にある三大勢力の、どんな些細な要求にすら誰も従わなくなる可能性もあった。それをアスナはすぐに思い浮かべたのだろう。アーカーとユウキも同様のことを想定すると、やはり早いうちに行動を起こすべきなのだろうと内心で決意を固くする。

 四人の顔色が重いものへと変わるのを見たユイが、話題を少し明るくするべく、〝あること〟についてのものへと変えることにした。

 

 

「先程カーディナルがエラー訂正能力を破損したということをパパ達にお話ししました。実は今、わたしが座っているこの場所は〝GMがシステムに緊急アクセスするために設置されたコンソール〟なんです」

 

 

「……コンソール…………?」

 

 

「「……………はぁっ!?」」「「…………え、ええっ!?」」

 

 

 突然投下された特大爆弾に、アーカー達は目を剥いた。しれっとユイは言ったが、彼女が腰掛けているそれはつまるところ、GM専用の特殊なコンソールであり、下手をすれば、システムの書き換えすらも可能なのかもしれない大切なものなのである。驚愕の色を浮かべた後、素早くキリトがユイをその石机から持ち上げてアスナに手渡す。その光景は正しく、危ないところに歩いて行こうとする子供を捕まえて母親の元に戻してあげているそれと変わらなかった。移動させられた少女はえへへとニコニコと笑うが、果たして大丈夫なのだろうか。

 不安が込み上げる中、ユイは続けて説明を行う。

 

 

「先程パパ達を襲ったボスモンスターですが、あれはこの場所を守護しプレイヤーが近づかないようにカーディナルが設置したものです。当然カーディナルや茅場 晶彦を除く誰の命令も聞くはずがないのですが、そのカーディナルが今やその存在自体がエラーそのものと化し始めているせいか、代役として命令を下すだけで〝自壊衝動〟に呑まれてしまうほどの脆弱さとなっています。本来ならわたしは《オブジェクトイレイサー》を呼び出して消去しなければならなかったのですが、その必要もありませんでした。……とはいえ、あのまま放っておいてもパパ達ならやっつけてしまいそうでしたね」

 

 

「いや、確かにいける気はしたけどさ……」

 

 

 空笑いを零すキリト達に、ユイは「流石はパパ達です」と嬉しいことを言うものだから悪ノリしそうになるが、そこでユウキが何かに気がつき、焦りを感じている必死な形相で訊ねた。

 

 

「ゆ、ユイちゃんは大丈夫なの!? だってコンソールに触れたり、ボスモンスターを自害させちゃったりしたんでしょ!? カーディナルに目をつけられたりしてないの!?」

 

 

 それを聞いたキリト達が今更気がついたようにユイに飛びつくと、特にキリトとアスナがかなり心配げになっていた。アーカーも顔には出していないが、かなり心配そうな内心が見て取れるほどになっている。皆が心配した理由は、ユイもまたエラーを抱えた存在であり、本来ならカーディナルが何か行動を起こしてもおかしくないはずなのだ。今の今まで無視されていたとしても、ここまで来ると無視など出来るはずもない。システム的にもかなり致命的なはずなのだ。

 すると、ユイはあっけらかんと答えた。

 

 

「何も問題ないですよ?」

 

 

「「「「………へ?」」」」

 

 

「先程説明した通り、カーディナルはエラー箇所を削除する機能を失っています。そのため、わたしがエラーの塊であろうとも削除することが最早叶いません。加えて、破損していた言語機能に関しては、まだ復旧が可能だったお蔭か完全に修復されています」

 

 

「……なあ、ユイ。それってつまり………」

 

 

 おいおいマジかお前……とアーカーはそう思いながら恐る恐る訊ねる。今し方彼が想像したのは、かなり恐ろしいことだ。何せ推測通りの展開が齎されるならば、ユイはカーディナルの現状を利用したことになる。かつて散々利用された意趣返しとばかりに、彼女は末恐ろしいことを成そうとしているように感じられたのだ。

 

 

 

 

 

「はい! これからもずっと一緒ですよ、パパ、ママ、にぃに、ねぇね!」

 

 

 

 

 

 その一言に、アーカーを除く三人がユイに向かって飛び込んだ。まるでそれは感極まって泣き出してしまいそうな子どものように、嬉しさのあまりの行動であった。アスナやユウキはもちろんのこと、キリトですら男泣きをしている。暗い話をたくさん聞いた代償だろう。特にキリトとアスナは、出会った頃の不安定なユイを知っている。見ているだけで胸が張り裂けそうなほど可哀想に思ったほどなのだ。そんな子が「これからもずっと一緒ですよ」なんて言ったのだから、親冥利、姉妹冥利に尽きるだろう。三人を微笑ましそうに見ているアーカーも、あとでハグぐらいはさせてもらっても罰は当たらないだろうと考えていた。

 

 

「とはいえ、実は問題もあって………」

 

 

 ———と、急に〝問題がある〟と言われた一同は過剰反応を起こし、特にキリトに至っては「まだ娘に何かしようとしているのか、カーディナルゥッ!」などと咆哮している。ツッコミ役不在の恐怖がそこにあった。

 

 

「それは、このゲームがクリアされた後のことです。わたしを構成するプログラムは当然この世界のシステムに存在します。そのため、このままだとゲームクリアと同時、或いはその後で纏めて削除される恐れもあります」

 

 

「………そんな……………」

 

 

「……確かに、人が死んじゃうゲームなんて残しておきたくないもんね………」

 

 

 悲壮な声を上げるアスナに対し、何とか冷静に理由を察するユウキがその可能性を認める。危険物を放置してあげるほど、人間は寛大ではない。危険性があるのならば、容赦なく排除しようとするのが十八番の種族なのだ。利用価値があるならともかく、世間的には問題となったそれに利用価値などあるはずもない。むしろ利用してましたということが明らかになった場合のデメリットが洒落になっていないのだ。いくら利益や将来性があるとはいえ、無謀なギャンブルに挑むほど奴らは愚かではない。

 

 

「………なあ、アーカー」

 

 

「ん? どうした、キリト。やけにクソ真面目な顔して」

 

 

「さらっと煽られたことは後で話し合うとして———ナーヴギアにはローカルメモリがあるよな?」

 

 

「まあ、そうだな。それも結構大きめの。元がヘッドギアタイプだからな。重量のうち三割がバッテリーでも、残りは本体とメモリー………おいコラちょっと待て。お前今何考えてる?」

 

 

「ユイのプログラムをシステムから切り離して俺のナーヴギアのローカルメモリーに、クライアントプログラムの環境データの一部として保存できたりしないかな……ってさ」

 

 

 瞬間、辺り一帯が静まり返った。恐らくここまで込み入った話はユウキどころかアスナにも理解し切れないだろう。当然ユウキ第一で動き続けてきたアーカーも全てを理解できる訳ではない。

 しかし、ある程度電子機器についての操作などの知識があったせいか、彼が何を企んでいるのかは大方予想できていた。これにはユイすらもポカーンと口を開けたまま唖然としているが、それから数秒など時間をかけて意識を回復させると小さく呟いた。

 

 

(……可能です)

 

 

「……ユイちゃん、今なんて………?」

 

 

「……()()()()! 正常な状態のカーディナルならともかく、今のカーディナルからならわたしをシステムから安全に切り離すことができると思います!」

 

 

 ユイ自身驚きを隠せないながらも、元気よく笑顔でそう告げる。理論上の作戦だったそれが、安全にとまで言い切られた成功率の高い可能性に満ちた作戦であると保証され、キリトが思わずガッツポーズを取った。二人がどういう会話をしていたかを理解できていないアスナとユウキも、二人の喜び具合から何となく問題がないことを理解し、喜んでいた。アーカーもまたそれは同じ。多少呆れてはいたが、それでも喜ばざるを得なかった。突然そういった無茶を思いつくキリトには脱帽するしかない。同時にとんでもない発想力に恐ろしさすら感じていた。将来コイツは何かしでかすのではないか……と。

 

 

「ユイ! こういうのは呼吸を合わせることが大事だ。俺は死力を尽くしてシステムから切り離して保存するから任せてくれ!」

 

 

「はい、パパ! 何もかも預けちゃいます!」

 

 

「頑張って、キリト君!」

 

 

「頑張れ、キリトー!」

 

 

「………ま、こういう馬鹿が一人くらいいるのも悪くないな。見ていて()()()()

 

 

 

 

 

 人生にすら退屈していた少年は我知らず呟いた言葉に気付くことなく、〝無謀〟〝無茶〟〝無軌道〟の三拍子揃った悪友の応援に加わった。その表情を隣で見たユウキはそっと微笑んで応援に気合を入れる。

 

 

 

 

 

 西暦2024年 11月1日

 その日、彼らは初めてシステムをまんまと出し抜いた————

 

 

 

 

 

 自壊する神様 —完—

 

 

 

 

 






 ユイとの暮らしが保証されたキリトとアスナ。

 そんな二人を見て羨ましそうな顔をするユウキに、

 漸くアーカーは動き出す。

 コルは持ったか? 素材は大丈夫か? 場所と時間は確認したか?

 それでは、行かん! いざ尋常に……ッ!

 次回 未来を誓い合って



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28.未来を誓い合って



 長らくお待たせしました。二十八話です。
 ひたすらTwitterの方で謝罪してましたね。本当に時間かかりました。今回も二万弱ほどの長めです。前半はシリアス展開、後半は微笑ましい展開となっています。ぶっちゃけた話、伏線とか筋書き正しいかと確認しなくても良い人は後半だけ読んだ方がスッキリするかもしれませんね。




 

 

 

 

 

 

 西暦2024年 11月3日

 

 

 

 シンカーの救出、及びユイの記憶が戻った日から二日が経った。衝撃的な真実が明らかになったことや、真にユイがキリトとアスナの娘となったこともあり、本来の予定と変わって一日開けることとなったが、アーカーは〝とある相談〟のためにキリト宅を訪れることとした。向かうことは前日に伝えていることもあり、向こうもこちらが訪れることを把握している。

 

 アーカー共々攻略を暫く休むつもりだったため、ユウキは当然自宅にいる。そんな彼女を放っておける訳もない彼は、アスナに相手をしてやってほしいとお願いした。ちょうどアスナもまた、ユウキに用があったらしく二つ返事で引き受けて貰えたのが幸いだった。恐らく、彼女と一緒にユイも向かうだろうし、恐らく変に怪しまれることはないだろう。

 

 そう思い、彼の家にアーカーは赴いた。道中でアスナと()れ違わなかったのは、何処かの層に向かう相談をしていたのだろうと考えておく。流石に彼女達の予定を聞いておこうというプライバシーの欠片もない真似はするつもりがなかった。いざとなれば、フレンドリストから滞在している階層を割り出せるのだ。そもそも、二人は強いのだから何一つ問題ないだろう。

 

 歩いて十数分のところにあるキリト宅に訪れるのは、これで三度目になる。一度目はクラディールに襲われたことへの謝罪と二人の結婚を知った時。二度目は初めてユイと出会った時だ。今思い返してみると、向かう度に何か驚かされるイベントがあることが分かる。もしかしたら今回も……と思ってしまっても不可抗力だと思いたい。恐らく今向こうにいるのはキリトだけだろう。果たしてどんなイベントを引き起こしてくれるのやら……。

 

 

「………つーか、あれだ。相談相手他にもいたんじゃねぇかって今更思ってきちまった」

 

 

 〝プロポーズをするなら、何処の階層がオススメなんだ?〟

 アーカーがキリトに相談しにいく理由はこれだった。先に言っておくが、どう考えてもミスチョイスである。信頼できる友人が少ないアーカーは、数少ない友人の中で唯一の既婚者である彼を相談相手と定めたのだが、今になって考えると間違いだ。確かに彼は色々と詳しい部類である。とはいえ、それは〝一般的なプレイヤーと比べて〟である。ベータテストで養った知識は序盤までであり、それ以降はアルゴ以下情報屋達の方が上。そもそも、プロポーズに最適なスポットを訪ねる時点で、まず〝何故野郎に聞いているのか〟という問題がある。こういうのは、プロポーズされて嬉しいと思える場所を分かっている女性プレイヤー————延いてはアスナにこそ聞くべきであった。この時点で間違え過ぎていることが明らかだ。そんなことを今更になって気付いたアーカーが後悔するようにボヤいているが時既に遅い。

 

 

「…………ま、いいか。当たれば儲けものと考えるしかねぇか」

 

 

 あとでアスナやシリカ、リズベッド、変な勘繰りをされるためあまり聞きにいきたくないが、アルゴにも聞きにいくとしようと決めるとアーカーは歩き出した。途中で重くなった足取りは元に戻り、着いたら着いたでちょっとした愚痴り合いでもしようと余計なことも考える。愛する者を持つが故の悩みは、持つ者にしか分からないだろう———揃いも揃って愛する者の尻に敷かれている二人らしいが。

 

 十数分ほど下らないことを考えながら歩くと、件のキリト宅に到着する。中にいるのは恐らく彼だけだろうと思いながら、気軽にノックしてその場に待つ。少しほど経って玄関の扉を開けたのは———一人の小さな少女。数日ほど一緒にいたせいか見慣れた白いワンピースでその身を包んだ、キリトとアスナの娘———ユイ。てっきりアスナと一緒にユウキの元を訪れているだろうと思っていた少女が迎えてくれていた。

 

 

「いらっしゃいです、にぃに」

 

 

「おう。キリトの奴は?」

 

 

「パパは少し前にクラインさんとエギルさんに呼び出されちゃいました。もう暫くで戻ってくると思います」

 

 

「なるほどな。ったく、急用以外で呼び出しやがってたなら、あとであの大人共ぶっ飛ばしてやる……」

 

 

「あはは………ほどほどにしてあげてくださいね?」

 

 

「……ユイがそういうなら考えてやる」

 

 

 外で待たせてしまうのも申し訳ないので中へどうぞ、とユイに案内され、アーカーは室内に入る。今回で三度目となる訪問ではあるが、それなりに内部を覚えており、勝手に動くこともできたが、そういうプライバシーの欠片もない行動を取る訳にもいかない。大人しく、元気に案内してくれるユイに続くようにその後を追うことにする。

 案内されたのはリビング。三人ほど座っても問題なさそうな大きめのソファーに腰掛けると、ユイがその隣に座った。ニコニコと、こちらに笑顔を見せる姿には、何処と無くユウキと似た無邪気さを感じさせる。実際見た目的に見れば、このデスゲーム開始時は齢12だった彼女とそう変わらないだろう。中身は………と思ったところで、何となく悲しくなったアーカーはそこで思考を止めることにした。別にユウキが可哀想に思ったからではない———断じて。

 

 

(それにしても………)

 

 

 ちらりとユイを見る。今こうして彼女が存在できているのは、ハッキリ言って奇跡だろう。現在彼女を構成するプログラムはカーディナルから切除されており、キリトのナーヴギアにある。恐らく切り離されたことをカーディナルは察知しているはずだが、排斥に至る行動を何ら起こしていない。それも彼女がエラーの塊として削除されずに済んだ理由なのだろうが、そう考えると冷静にそこまで判断し切ったユイの肝が座り過ぎていることや、カーディナルから切り離してみせたキリトの技量は恐るべきものだ。確実に将来的に化けるであろう者達と悪友、並びに義理の妹という関係を築けているのはなかなかに幸運なのだろう。そういう面からしても、現実世界で生きていた頃に比べて〝生きている〟という実感が湧いていた。

 

 ふとそんなことを考えながらも、ただ見つめているだけでは怪し過ぎるため、ユイの頭をユウキと同様に優しく撫でていると、小さな少女は何か思い出したように口にした。

 

 

「そういえば………にぃに。わたしににぃにの剣を見せてくれませんか?」

 

 

「ん? 俺の剣? あの古びた長剣のことか?」

 

 

「はい。実は以前見かけた時から気になっていることがあって……」

 

 

「ふむ………?」

 

 

 何処か陰のある表情を見せるユイに、アーカーは何か気になりながらも己が得物を装備メニューからオブジェクト化し、手前のテーブルに置いた。キリトの持つ《エリュシデータ》と比べて軽い長剣は、重量的には、アスナの《ランベントライト》とそう変わらないだろうと思う。本当に片手用直剣かと疑うほどの見た目と重量なのだ。キリトの得物も飾りっ気のないシンプルなものだが、アーカーのそれは飾りっ気どころではない。古びている。かつて血に塗れた刃は血糊は無くなっても何処か怪しげに輝くも、腹の部分や柄はボロボロだ。これで耐久値的には問題ないどころか、最前線で使われるそこらの武器よりも高いのだから不思議なものだろう。そういう意味ではユイが気になってもおかしくないが、彼女が考えているのはそれとは違うものだった。

 

 テーブルに置かれた古びた長剣にユイは手を翳す。まるで呪いをするような雰囲気が場を支配すると同時に、不思議な記述がされたウィンドウが急激に展開され始める。その勢いはフロアボス攻略で集められた情報が開示される時よりも膨大だ。細かいパラメータや使用回数、普段なら鍛冶屋ですら知ることができない情報などもウィンドウに浮かんでいるのが見えた。可視化を許可しているのは、それがアーカーの武器だからなのだろう。周囲にプレイヤーが一人でもいれば、彼女だけが見れるように設定していたかもしれない。実際プレイヤーには見えるはずもない情報なのだから、むしろ見られる方が稀有かもしれないが。

 暫くの間、真剣な面持ちで調べを進めているユイが、突然手を止めてこちらを見る。そこには心配そうな表情が浮かんでおり、叶うことなら嘘であってほしいと言わんばかりの不安さが伝わってきた。

 

 

「………にぃに、この武器はいつ手に入りましたか?」

 

 

「ユウキと一度喧嘩してからだな。………二十六層が解放された翌日だ」

 

 

「………それからずっと使ってますか?」

 

 

「ああ、ずっとだ」

 

 

「………そう、ですか」

 

 

 落胆するように呟いたユイに、流石のアーカーもどういうことか分からず終いで首を傾げていると、少女は突然手元にホロキーボードを展開し、恐るべき速度で入力を開始した。その速度はカーディナルからユイを切り離そうと頑張っていたキリト以上だが、そんなことより^もアーカーは気になったことがあった。それは何故ユイがホロキーボードを展開したのかということだ。この世界のシステムとの親和性を持つ彼女は単純に物を調べることですらホロキーボードなど必要ではない。それがいくらシステムから切り離されようとも、プログラムに書き換えることは無理でもアクセスすることぐらいは可能なはずだ。そんな彼女がキーボードを使ってまで何かをしようとしている。それが不思議でならなかったのだ。

 

 暫くの間、何かと格闘するようにホロキーボードを無言で叩き続けていたユイだったが、突然ホロキーボードどころか古びた長剣までもが青白く発光し、彼女が拒まれるように弾き飛ばされた。突然のことに驚いたが、すかさず宙に浮かんだその身体を大慌てで《天駆翔》を以て空中で抱きかかえて着地する。

 

 

「大丈夫か、ユイ!?」

 

 

 突然弾き飛ばされるなど、そうあることではない。見覚えのない発光をしたライトエフェクトと、弾き飛ばされるという現象に疑問ばかりが浮かんだが、とにかくユイに何か起こっていたりしないかを確認するのが先だった。いつぞやのように全身にラグが起きていたりしないかなど何度も見渡したが異変は一つとしてない。一つ変わったことがあるとすれば、憔悴していることだった。抱きかかえられた少女は面目なさそうに呟いた。

 

 

「………ごめんなさい。あの剣と()()()()()()()()()()を断とうとしたのですが………」

 

 

 カーディナル。その名を聞いて、アーカーは耳を疑った。二日前にも衝撃の真実を知ったばかりであり、その際にも登場したこの世界のシステムの名前であるそれが、またどうして出てきたのだろうか。確かにこの世界に存在する武器は全て奴との繋がりがあるのは明白だが………

 

 

「何故断とうとしたのか、教えてもらえるか?」

 

 

 理由を知らなければ分かるものも分からない。システムと繋がっていたユイはともかく、アーカーはプレイヤー。推理する情報が足りない。そう思い、ユイにアーカーは訊ねると、少女はこくりと頷く。抱きかかえたままなのもどうかと思った彼は憔悴した様子がまだ残っているユイをソファーへ横に寝かせた。

 

 

「まず初めに、にぃにの持っていたあの剣は()()()()()()()()()()()ものです」

 

 

「………手に入るはずがないもの、か。それは《マクアフィテル》と同様にクエスト報酬としてもか?」

 

 

「……はい。入手履歴を確認した際、それがにぃにの手に渡ったのは二十六層解放後の翌日、それも()()()()()()()です」

 

 

「昼前………」

 

 

 そこまで言って、アーカーは該当する出来事を思い出した。その時間帯はちょうどユウキと喧嘩をした後だ。気晴らしにモンスターを狩りに行こうと自棄になって動き出した時間帯に間違いない。その際、アイテムストレージを確認して———偶然あれを見つけたのだ。つまり、あれは二十五層で何かしらの条件を満たして手に入れた訳ではなく、喧嘩した直後に手に入ったものということになる。ユイの口からカーディナルの暴走などを聞いていたせいか、タイミングに悪意しか感じない。一層の一件からずっと機会を窺っていたのだと思えば、吐き気がするほどの嫌がらせだろう。

 

 

「………カーディナルの嫌がらせか。それで、他に何か奴との繋がりがあるのか?」

 

 

「………出来ることなら言いたくはないのですが」

 

 

 そう言うと、ユイはそばに控えていたアーカーの手をしっかりと小さな手で握る。それは勇気を貰うためだろうか。或いは、以前のように自分を責めないでという彼への暗示だろうか。真相は分かりかねるが、しかし、次に耳朶を震わせた一言には唖然となる。

 

 

「その()()()()()()()()()()()()です」

 

 

 言い放たれた言葉にアーカーは少しの間言葉を失った後、冷静さを取り戻してから再度訊ねた。

 

 

「………カーディナルの仕業か?」

 

 

「………はい。以前カーディナルがエラーそのものを組み込んだことをお話ししましたね? あれから少し不思議に思っていたんです。何故カーディナルは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……と」

 

 

 ユイの推測通りならば、カーディナルはあれから五ヶ月と少しの間エラーに汚染され続けていたはずだ。如何に強固で自律が可能なシステムであろうとも、エラーによって壊された部位を訂正し続けるだけでは保つことは困難。削除するという機能を最初に壊された影響で汚染の勢いは早まるばかりのはずだった。それが今もこうして世界を保っているのは不思議でしかない。

 

 

「恐らくですが、カーディナルは、パパがわたしをシステムから切り離して移し替えたように、自身の中で蔓延し始めた致命的なエラーをにぃにの武器に()()()()()のではないか……と」

 

 

 仮説でしかありませんが……と申し訳なさそうにいうユイを励ましながら、アーカーは今の仮説を聞いて納得する。エラーの塊と称された理由が〝転送され続けた無数のエラーで蓄積されているから〟というのなら納得だって出来よう。すでにカーディナルが狂い始めていることを知っているからこそ得られた納得でしかないが、嘘を見抜けるアーカーには今の言葉を聞いて嘘とは思えなかった。

 

 

「なあ、ユイ。この武器のアイテム名がずっとバグったままなのはどうしてなんだ? それもエラーか?」

 

 

「………それは、分かりません。先程詳細データを細かく表示し確認していましたが、それだけは分かりませんでした。カーディナルが()()()()()()()()()()()()のかもしれません。ですが、ハッキリしていることは———」

 

 

 ()()()()()()()()()()

 明らかにカーディナルが良からぬことを企んでいるのではないかと考えさせる一言だったが、それがどうした訳かアーカーには()()()()()()()ようなものに感じられた。少しばかり思考に(ふけ)る。どう考えても可笑しい。そんなはずはない。何処をどう考えて納得したのかがハッキリしていない。そう思う自分がいたはずなのに………不意に()()()()()()()()()()()()()()()()。それがどうしてなのか分からないまま————()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

「————に! にぃに! 大丈夫ですか、にぃに!」

 

 

 

 

 

 意識が———覚醒する。

 

 

 

「………ぁ………………悪い、少しボーッとしてたみたいだ」

 

 

 不意に途切れていた意識をしっかりさせるためにアーカーは左右に頭を軽く振って、呼びかけていたユイの視線を向ける。心配そうに小刻みに揺れる黒い瞳に自分の容姿が映る。何も変わっていない。()()()()()()()。安心させるように左手を伸ばし、その頭に手を置く。

 

 

「………本当に大丈夫ですか? ()()()()()()()()()ように見えましたが………」

 

 

「あー………もしかしたらまだ眠気が抜け切ってないのかもな。心配かけたな、ユイ」

 

 

「そうでしたか……。それなら良かったです。急な呼びかけても返事が返ってこなかったので心配になっちゃいました。にぃにには、ねぇねがいるんですから、心配かけちゃダメですよ?」

 

 

「ああ、そうだな。気をつけないとまた怒られちまうな」

 

 

 クツクツと笑い、拗ねられると困るとボヤいたアーカーにユイはニコニコと笑う。場に流れていた雰囲気は先程とは違い、暖かなものへと変わる。重要な事柄に対する真剣さはすでに失われ、そこにあったのは兄妹が作り出す優しい空間だ。ユイは自分の頭に乗せられたアーカーの左手を自分の胸の前に移動させ、小さな両手でぎゅっと握る。まるで甘えるような行動に、思わず彼も懐かしい感慨に耽けた。そういえば、アイツは———黒那(くろな)の奴は元気にしているだろうか……と思考がそちらに向かいかけたが、直後に玄関の扉がガチャリと開いた音が聞こえた。続けてリビングまで響いた声は、聞き覚えのある少年の声だ。

 

 

「ただいま、ユイ」

 

 

 それを耳にしたユイが、声の主がパパ———キリトだと気付き、駆け出すように玄関の方へと向かっていく。残されたアーカーもクラインとエギルに呼び出された先で何をしていたのか気になったために出迎えに向かった。

 

 

 

 

 

 一時的に誰もいなくなったリビング。先程までアーカーとユイが座っていたソファーの手前にあるテーブルの上。そこにあった古びた長剣が、少しばかり青白く輝いた。長剣そのものを青白い光が包み込む。ほんの僅かな出来事だ。怪しく輝いていた刃もボロボロだった腹や柄も、光が消える頃にはその姿を変えていた。

 

 白銀に煌めく細身の刀身。鈍い輝きを放つ灰色の持ち手。柄には小さく狼の意匠が施されている。古びていたという事実は影すらなく、怪しげな妖刀紛いの輝きは失せ、全てを照らし切ってしまうような輝きを持っていた。そこに邪悪さは一切なく、しかし、何処か身を焼き尽くしてしまうような無自覚の悪意が感じられた。

 

 完全に姿を変えてしまった長剣は、続けて溶けるようにその場から消滅した。耐久度が無くなり消滅した訳でも転移した訳でもない。アーカーのストレージへと()()()戻ったのだ。

 

 それから少しだけ経って、リビングにキリトとユイ、アーカーが戻ってくる。家主の少年は何やら呼び出された理由がくだらないことだったと愚痴っている。それを聞いた客人の少年が後でアイツらぶっ飛ばしてやろうかと何やら怖いことを呟いている中、ただ一人、ユイだけが違和感を覚えていた。ちらりとテーブルの方を見る。自分の記憶を頼りに景色を照合し、小首を傾げた。

 

 

 

 

 

「………あれ? にぃにの剣はいったい何処へ…………」

 

 

 

 

 

———*———*———

 

 

 

 

 

 その夜。

 アーカーとユウキは四十七層主街区《フローリア》に訪れていた。《フラワーガーデン》と謳われるこの階層は、屈指のデートスポットとしても知られており、フロア全体が無数の花々で溢れ返っているという珍しい場所でもある。北側には《巨大花の森》という、名前を聞いただけでも何となく一層の《ペネント》共を思い出してしまうような有様だが、南側には《思い出の丘》という、ビーストテイマーにはちょっとした縁があるフィールドダンジョンが広がっている。勿論、訪れることがない方がいいという面もある訳だが。

 

 二人が訪れたのは決して後者の二つではない。どちらもビーストテイマーではなく、第一夜中にわざわざ巨大な花系モンスターを狩りたいなどと思う物好きではない。訪れた理由は前者、つまるところ、デートスポットとして使うべく来たのである。勿論、他の階層にもデートスポットとして扱えるものはいくつかあるのだが、どうしてここに来たのかと選んだのかと言うと、アーカーが数少ないフレンドを頼りにデートスポットとしてオススメされた階層を集計した結果、大多数がここを薦めたのである。その中でも、強く押してきたのがシリカであり、曰く「ユウキさんもきっと気にいるはずです! 絶対ここがいいと思います!」とのこと。ズイズイと詰め寄ってきた彼女の剣幕には、さしもの《絶天》のアーカーも即座に「また何かフラグ建ててやがったのか、キリト……」とボヤかずにはいられないほどだった。

 

 他にもアスナやユイ、リズベッドといった顔触れが薦めていたりしたため、いざ決心して訪れたのだが………

 

 

「お、おい……! あれってまさか………」

 

 

「攻略組の《絶剣》のユウキちゃんじゃねぇか!」

 

 

「ということは、隣の人は………」

 

 

「《絶天》のアーカー様よー! きゃー」

 

 

「二人だけで攻略組を引っ張る三大勢力の一つだって!」

 

 

「二人揃って百人斬り達成してるんだろ!? スゲェな!」

 

 

 ………と予想通りの展開が起きていた。攻略組は基本的に全員名が知られている者達ばかりだが、その中でも《血盟騎士団》、《聖竜連合》、《絶対双刃》の知名度は飛び抜けている。具体的に有名な名前を挙げてしまえば、《聖騎士》ヒースクリフ、《閃光》のアスナ、《絶天》のアーカー、《絶剣》のユウキ、《黒の剣士》キリトは知名度や実力においても五強である。約一名悪名として知られている者がいるのだが、それは本人の心に響くので割愛するとして———

 

 

「なあ、ユウキ。ここやめて他の階層に移動したらダメか? 落ちつかねぇんだが………」

 

 

「…………ぅ……………ぁ…………………」

 

 

 面倒臭いとばかりに半目で周りを見渡すアーカーと、頭からぷしゅーっと湯気を立てて顔を真っ赤にして下を見つめるばかりのユウキを一目見ようとある程度距離を取ったところで、ちょうどこの階層を訪れていた者達による包囲網のようなものが出来上がっていた。人気者は得をすると言う奴が昔いたらしいが、いざ体験するとそんなことはない。むしろ損をする。現に今、少なくとも彼は損を実感していた。何処へ行くにしてもこうやって変なファンや知名人を眺める群衆がいると、当人は落ち着かないものだ。人気者は辛いよと言う方がむしろ適していた。成りたくてそう成ったのではないのが余計に辛い。

 

 そんなことを考えているアーカーとは裏腹に、ユウキは未だ顔を真っ赤にしていた。どうしてこうなったのかはここに訪れる前の出来事が原因である。

 

 朝から長い時間、アスナと二人っきりで過ごしていたユウキは、その夜に晩御飯を食べ、お風呂にも入り、いざ明日の準備をしようとしたところに、アーカーが唐突に「今からデートにでも行くか」と言ったのである。当然ユウキは気が動転した。ぽかーんと口を開けたまま暫く固まり、いざ言葉の意味を飲み込めたら飲み込めたでひっくり返りそうになった。何せ今まで何処かへ出掛ける時は攻略か遊びに行くかと誘われていたのだ。それは現実でも似たようなものだった。むしろ、今回のようにド直球でデートに行くかと誘われたことは一切なかったのである。

 

 この世界に来るまで、アーカーとの関係が親友、及び悪友であったことや、今まで女の子らしさがそんなに無かったこともあり、慣れないユウキはその一言で思考回路がショートしてしまっていた。攻略時に着込む装備に着替え、ぎこちない動作で出掛ける準備をし、いざ《フローリア》を訪れても恥ずかしさは消えていない。下を向き続けているのも、真っ赤な顔を見せないためである。よく食べ、元気な声を出すはずの口から洩れているのは譫言のような小さな声であり、最早言葉にすらなっていなかった。

 

 参ったなと他のデートスポットは無いかとオススメされた場所を再度確認するアーカーだったが、一向に返事がないユウキに気がついたのか念のために声をかける。

 

 

「おーい、ユウキ? どうかしたのか?」

 

 

「………ぅ…………ぁ……………」

 

 

「おーい。大丈夫か?」

 

 

「————ひゃいっ! らいひょうふ! らいひょうふだよ、ソラ!」

 

 

「ホントに大丈夫かお前。呂律回ってねぇようにしか聞こえねぇんだが………」

 

 

 この世界に酒系アイテムはあっても飲ませたりしてないしなぁ……と晩御飯に使ったアイテムを思い返すアーカーの様子に、ユウキは漸くいつもの調子を取り戻し始めた。正確には取り戻さざるを得なかったのだ。いくら気が動転していたとしても、今し方までの彼の言葉は何となく聞こえていたし、その様子からでも考えていることは察することができる。昔からだが、アーカーは人付き合いが得意な方ではない。寡黙でクールな奴と思われていた小学校時代だったが、実際のところは他人に興味が全くないという有様だっただけである。結果として彼は人混みが苦手だ。教育機関で勉学に励むことすらまるで向いていない。今こうしている時にも出来ることなら離れたいとすら思っているだろう。それをユウキは知っている。知っているが……

 

 

「ん?」

 

 

 アーカーがコートの袖をユウキが掴んだことに気がついて不思議そうな顔をする。ちらりとそちらに視線を向けると「どうかしたか?」と訊ねた。声をかけられて、再び恥ずかしさが込み上げてくるが、ユウキは勇気を出して呟いた。

 

 

「………ボクは、ソラと………ここでデート…………したいな………えっと………ダメ、かな……?」

 

 

 その行為は無意識だったユウキだが、それは偶然にも上目遣いに恥ずかしさに揺れる瞳のコンボとして成立し、アーカーに炸裂した。勿論、外的ダメージはない。内的ダメージもないが、ある意味それは魅了のようなものであった。無意識で放たれたそれを正面から受けた彼は少しばかり顔を背けた後、ちょっとだけ赤くなった顔をユウキへと向け直すと、仕方ないと言わんばかりに呟いた。

 

 

「………仕方ねぇな。デートに誘っておいて悪いが、俺はお前が喜ぶような場所をそう知らない。……だから案内は不向きだ。最後くらいは案内してやれるが、それまではお前に任せる………それでもいいか?」

 

 

 嘘偽りなくそう呟くアーカーに少しばかりユウキは小首を傾げた。よく考えてみればそうだ。彼はキリトほどではないが鈍い。積極的にそういうスポットを調べるのが得意ではない。今日朝から時間をかけて出掛けていたことを〝予定があるから〟と伝えられていたため彼女もまた知っていたが、何故そうしていたのかはアスナに出会ってから漸く理解できたことだ。デートスポットにここを選んだのも、その不器用な少年が、わざわざみんなに聞き回って頑張った結果だと知っている。だからこそ、ユウキは勇気を出して願ったのだ。

 

 不意に面白可笑しくなった。込み上げた小さな笑いを我慢できずに声が出てしまう。アーカーは一体どうしたのだろうかと不思議そうにしていたが、次第に不機嫌そうな顔に変わってムスッとし始めた。言うまでもなく拗ねている。ずっと一緒にいたから分かるような小さな変化と対応だ。そのまま放っておくとへそを曲げてしまうことも知っている。だから、ユウキは恥ずかしさなんてそっちのけにして———

 

 

「ふっふ〜ん! 任せてソラ! ボクがこの階層を案内してあげるから!」

 

 

 ———いつもの自分らしさで接してあげようと考えたのだ。

 胸を張って元気よく自信満々に。でも、ちょっぴり空回り気味に。そうやってユウキは恥ずかしさに屈することなく、拗ね始めたアーカーに宣言した。すると、不思議なことに彼もまた面白可笑しくなったのかクツクツと笑い始めると、恥ずかしさなんて何処かに行ってしまったように、いつもの様子で揶揄うように答えた。

 

 

「おう。任せたぜ、ユウキ。

 つってもお前、ちょっとその辺りの感性怪しくないか?」

 

 

「むぅー……それってボクが女の子っぽくないって言ってるよね? ソラってそういうとこ失礼だなぁ、も〜」

 

 

 ぷくーっと頰を膨らませて拗ねるユウキに、アーカーは苦笑気味に「悪い悪い」と謝る。いつもの調子に戻った二人の様子は、この《フローリア》に合っているようで合っていなかったが、むしろ彼ららしいものであった。周りで見ていた者達も何処か微笑ましそうな目を向けている。まるで保護者のようだ。当然そんな彼らの目線にアーカーは気付いている。

 

 

(いつもなら問答無用でぶっ飛ばしてやりたいモンだが………)

 

 

 ちらりとユウキに目を向ける。まだ少しばかり拗ねた様子はあるが、頭頂部のアホ毛は元気よくブンブンと振られており、ご機嫌であることが窺える。その様子は、犬がつーんと飼い主に素っ気ない態度を取っているが、本当は嬉しそうにしている時のそれと酷似していた。

 

 

(………ま、別にいいか)

 

 

 面白いものが見れたのだからそのぐらい許容してやっても構わないだろうと考えて、アーカーはユウキの手を優しく握る。突然握られたことでびっくりした様子を見せる少女に、悪戯が成功したことを喜ぶ少年のような笑みを浮かべながら言う。

 

 

「さっさと行くぞ。夜更かしする訳じゃねぇんだから、時間は有限だ。遊べる夜は短いんだからな」

 

 

「そうだね。それじゃあ、張り切っていこー!」

 

 

 デートとは何だったのか。最早そんなことをアーカーとユウキは考えなかった。ただ楽しめればそれでいい。昔のようにただ無邪気に遊ぶような気持ちで二人はゲート前広場を後にした。

 

 向かったのは、少なくともアーカーが最後に訪れた時には見なかった一般プレイヤーが個人的に開いている出店が並ぶストリートだった。花々が咲き乱れる通りを少し場違いな美味しい食べ物の匂いが広がっている。本来なら純粋に花々を楽しみにきた者達に文句を言われそうなものだが、彼らも考えているのかそういう出店はあくまでも主街区の端の方に集まっており、風が吹かない限りは匂いが一定以上拡散しないようになっていた。

 

 

「ボクがオススメするのは、ここ! カップル御用達の出店が並ぶストリートだよ! なんでも二人で一緒に食べられるものが多いんだ〜!」

 

 

「へぇ、こんな集まりが出来てたのか。人が多いって理由で避けてたモンだから全く知らなかったな」

 

 

「ねぇねぇソラ! 早速何か食べようよ!」

 

 

「分かった分かった。押すな押すな」

 

 

 少し前に晩御飯食べただろお前……ともう少しで言いかけたものの何とか喉元で防ぎ切ったアーカーは、急かすユウキに背中を押されながら近くの出店に近づいた。NPCではなくプレイヤーによる出店のため、当然ながら彼らは商売人だ。駆け引きが大事である。その辺りはエギルのお蔭———いや、彼のせいでいつの間にか身についた交渉術でどうにかしてやろうと考えながら、いざ出店のメニューを見てみる。すると、そこにはユウキが言っていたようにカップルで食べることが前提と思われるアイテム名が並んでいた。中でも目を引いたのが《カップルパフェ》と題されたである。具体的にどういうものなのかはいざ出てこないと分かりそうにないが、取り敢えずは味に色んな種類があることだけは分かった。やや不安が残るが………

 

 

「ユウキ、パフェでも食うか?」

 

 

「うん、食べる!」

 

 

「味は………まあ、無難に一番シンプルな奴でいいか? 下手に凝ったもの選ぶと後が怖い」

 

 

「あはは………うん、一番シンプルなものでいいよ」

 

 

 確認が取れると、アーカーはユウキの手を握りながら件の出店の前に立った。店員である女性プレイヤーがこちらに気付き、早速声をかけてくる。

 

 

「何かご注文なされますか?」

 

 

「《カップルパフェ》を一つ。一番シンプルな奴を」

 

 

「かしこまりました! 暫らくお待ちくださいね」

 

 

 何処かNPCとの受け答えのように感じたが、ニコリとこちらにしっかりと笑顔を見せつつも何やら微笑ましそうな顔をする辺り、やはりプレイヤーだということを実感させる。とはいえ、キズメルという例外じみたNPCやユイのようなAIを知っているせいか、なかなか侮れないものではあるが。

 

 そんなことを少しばかり考えていると、あっという間にパフェが作り上げられていた。大きさは二人分のパフェを一つに纏めたようなもので、かけられたシロップのようなものは、イチゴのような色合いを持っており、尚且つ何やら花のような匂いが漂っている。何となくだが、この階層で採取できる花々を使ったものではないかと思えた。手渡されたそれを受け取り、代金を支払う。何やらユウキが「ボクも半分払うよ?」と言っていたが、アーカーは「誘ったのは俺だから気にするな」と返してその場を離れる。混んでいた訳ではない。どういうわけか店員の女性プレイヤーは悪どい笑みを浮かべていたのが目に入ったからだ。

 

 嫌な予感を覚えながらも、買ったばかりのパフェを落としたりしないように運びながら、アーカーとユウキは少し離れたところにあるベンチに腰掛けた。周りも似たようにカップルが何かを食べさせあったりしているのが目に入る。それがパフェであったり、アイスであったり、クレープであったりと様々だが皆一同だ。デスゲームと化したこの世界でも、こうやって好きな相手を信用していられる者達がまだたくさんいることには安堵を覚えていた。

 

 

「さて、食うか……と思ったが、なるほどそういう訳か」

 

 

 いくら《カップルパフェ》と言えど、パフェという物自体が一人一つの勝負みたいなものだ。一つを二人で分け合うのなら、当然スプーンは二つあって然るべきである。しかし、二つ用意されるはずのそれが一つのみ用意されていなかった。恐らく店員が瞬時に判断してスプーンの数を調整しているのだろう。妙に納得したような顔をするアーカーに、小首を傾げたユウキが暫くパフェを見つめた後、漸くそれに気がつくとまたも顔を真っ赤に染めていた。

 

 

「……ぅ………これって、その………一つのスプーンで仲良く食べる、ってこと………だよね…………?」

 

 

「だろうな。間接キス上等な代物ってことだろうな。だから悪どい顔してやがったのか、あの店員」

 

 

 恥ずかしさそっちのけにしていたユウキは思い出したかのように顔を真っ赤にしたまま、また譫言のように変な声を洩らしている。自信満々な様子で宣言してみせた少女は何処へやら。未だに恋人らしいことに慣れてない様子の彼女にアーカーは一つだけしかないスプーンを手に持つと、早速パフェのクリームを掬うと口に放り込んだ。思い切りの良い彼の行動に、恥ずかしさが少し薄れたユウキがじーっと見つめ、味の感想を待ってみる。自分が作った訳ではないのにも関わらず、何やら心配そうな顔が見て取れる中で、少年は急に首を傾げた。

 

 

「ん? 味がしないぞ、これ」

 

 

「え?」

 

 

 味がしないと言うアーカーにユウキはそんなはずがないと思いながらスプーンを受け取ると、間接キスがどうこうなどと気にすることなく掬ったクリームを口に放り込んでみる。すると、確かに味がしなかった。感触はあるが、味がない。不思議すぎる違和感に小首を傾げ、アーカーの方に振り向く。

 

 

「味がしないね、ソラ」

 

 

「ンなことが起きるのか? まさかカーディナルのエラーとかじゃねぇだろうし……」

 

 

 どういうことだと考えながら、店員に訊ねる前に自分達で理由がわからないかと考えて、一度それをアイテムストレージに戻す。それからアイテムの詳細文が書かれたウィンドウを開いて確認してみると、そこには確かに詳細文とその下に食べ方について記載されていた。二人は揃って目を通してみる。

 

 すると、そこには一つの絶対条件が記載されていて〝用意されたスプーンで必ず食べさせ合うこと〟とあった。注意書きには条件以外の方法で食べると味が無くなるという無茶苦茶なことが書いてあり、それには流石のアーカーも呆れていた。

 

 

「ンな馬鹿な……。どんなスキル使ったら、そんなモンが出来上がるんだよ……」

 

 

「食べさせ合う……って、ええっ!? そ、それって………〝あ〜ん〟ってことだよ、ね……?」

 

 

「……しかないだろうなぁ。スプーンだけに留まらず、これも狙いか店員テメェ……」

 

 

 《料理》スキルを完全習得(コンプリート)している二人さえ知らない裏技を使って、特殊な条件を持つ食べ物アイテムを作成してみせた手腕を持つ店員に対し、呆れ半分賞賛半分を送りながらアーカーは再び《カップルパフェ》をオブジェクト化させると、ユウキの持つスプーンを受け取って果物と一緒にクリームを掬う。それからそれを顔が赤い恋人の前に向けた。

 

 

「……ほら、あーんしろ。食わせてやるから」

 

 

「あ、うんっ…………あ〜ん」

 

 

 恐る恐る口を開けるユウキにアーカーはスプーンで掬ったそれを放り込む。先程と違い、ルールに則った食べ方をしたことでクリームとイチゴらしき果物の甘い味がしっかりと感じられるようになり、少女は美味しそうに味わっていた。

 

 

「美味しいか?」

 

 

「うんっ!」

 

 

「そうかそうか。ほら、あーん」

 

 

「あ〜ん」

 

 

 続けて二度、三度とアーカーは掬ったスプーンをユウキの口の中へと入れてやる。スプーンで食べさせ合うために手間はかかるものの、味はそれなりに美味しいのか満足そうにしているのが分かる。それから親鳥が子鳥に餌を与えるようにも見える光景を暫く続けると、パフェが残り僅かとなった辺りでユウキが何かを思い出したのか、じーっとこちらを見ていた。

 

 

「……ねぇ、ソラ」

 

 

「ん?」

 

 

「ボク、さっきから食べさせて貰ってばっかだよね?」

 

 

「まぁ、それは確かにそうだが……」

 

 

「………ボクもソラに食べさせてあげたいな」

 

 

 恥ずかしがりながらもそう言うユウキに、また自力で覚えたのか偶然なのか、或いは誰かに教わったのかと頭痛を覚えながら、アーカーは「………仕方ねぇな」と諦め半分で了承した。「やったー!」と露骨に喜ぶ姿に、そんなに嬉しいものなんだろうかと疑問符を浮かべていたが、早速掬われた一口分が目の前に運ばれたことで余計な思考はシャットアウトした。

 

 

「ほら、ソラ。あーん」

 

 

「………あーん」

 

 

 食べさせ合うなんてことを一度も体験したことがなかったアーカーは気恥ずかしさを覚えてつつも、しっかりと口を開ける。素直に従ってくれる少年の姿に変な感慨を覚えるユウキだったが、食べさせ惜しむのもどうかと考えて、一口分が掬われたスプーンを彼の口の中へと入れると、先程と確実に反応が違っているのが見て取れた。しっかりと味わったのか、アーカーが口を開く。

 

 

「………確かにちゃんと味が分かるな。それも結構甘い。どんなスキル使ったんだよマジで……」

 

 

「アルゴさんなら知ってたりするかな?」

 

 

「さて、どうだろうな。情報はなんでもコルになるとは考えてるだろうが……こんな裏技も入ったりするのか……?」

 

 

 気になるところではあったが、よくよく考えてみると食べさせ合わなければ味がしない不便な料理が出来上がるため、アーカーとユウキは習得したくはないなと諦めをつけて、パフェが無くなるまで食べさせ合うことにした。

 

 それから数分も経たずにパフェを食べ切り、満足そうに笑うユウキ。そんな彼女を見ながら、アーカーは、ふと周りを見渡す。いつの間にか人が減っている。時刻を確認してみると、どうやら二十二時を過ぎていた。流石にそろそろ出歩く時間ではない。夜型のプレイヤーならともかく、夜更かしをする予定を立てていた訳ではない者達は皆早々に戻ったのだろう。実際はしゃいでいたユウキも少しばかり眠たそうにしているが、アーカーには案内したいところが一つ残っていた。

 

 

「……さてと。ユウキ、あともう少しだけ付き合ってもらえるか? お前に見せたいものがあってな」

 

 

「うん、頑張る……」

 

 

 目の周りをゴシゴシと擦って眠気を覚まそうと頑張る少女の手を握ると、アーカーは早歩き気味にその場所へと案内を開始した。向かうのは主街区北西のギリギリ《圏外》にある〝とある一帯〟。そこは偶然アルゴが見つけたばかりの場所で、何故見つけたばかりなのかと聞けば、曰く「普通はそんなところにわざわざ行ったりしないからナ」とのこと。特別価格として、最前線の情報と同じくらいのコルを請求されたが、アーカーは仕方がない出費と諦めをつけていた。うとうとしかけているユウキを起こすことには罪悪感があったが、どうしても見せたいのと、どうしても言わないといけないことがあった彼は、罪悪感を後に見られるだろう笑顔のために我慢することにした。

 

 ひたすら北西方向に街を出るため、西門に向かうストリートを通る二人。途中で夜型のプレイヤーや、まだ残っているカップル達に見つかるが、気にしない方針で黙々と歩き続けた。ユウキも眠気に頑張って抗っている。数分ほど歩き続けると、主街区から出てしまった。《圏内》から《圏外》に移り変わったのを見た彼女が、不思議そうな顔でこちらを見ながら訊ねる。

 

 

「ボクに案内したい場所って外にあるの……?」

 

 

「おう。アルゴから買った情報だから安心してくれていい。もう少しで着くからな」

 

 

「そっか。なら、もう少し我慢するね……」

 

 

 うつらうつらとし始めているユウキに、もう少しの我慢だと言い聞かせてアーカーは情報通りの場所へと向かう。途中で小型のモンスターが湧いたが、(あしら)うように即座に斬り伏せていく。戦闘になる度にユウキも戦おうとするが、眠気で意識がぼんやりしているせいか、何処か危うかったのを見た彼が自分だけで戦いを熟していた。それを見て申し訳なさを感じるも、その背中が頼り甲斐のあったせいか、不思議とそんな気持ちは払拭され、安心感が強まっていく。

 

 街から出て数分が経ち、漸くアーカーは案内したかった場所へと辿り着いていた。ユウキの意識も落ちかけていたが、辛うじて保たれているのを確認すると、肩を優しく揺すってやる。

 

 

「ユウキ、着いたぞ」

 

 

「………ぅ……………ぅん…………………」

 

 

 目元を何度か擦って欠伸を掻きながらも、ユウキは目をしっかりと開いた。

 

 

「え…………?」

 

 

 目に飛び込んできたのは、幻想的な風景だった。まるで御伽噺に出てきそうな摩訶不思議なもので、いくら仮想世界と言えど、これほどの景色があるとは思えなかった。それも花々ばかりだと思われていたこの階層に、無数の桜が咲き誇っていたのだ。それもピンク一色ではなく、様々な色に咲き乱れており、それらが集まって虹色に輝いてすらいた。つい今し方まで主役を演じ切っていた無数の花々は添える程度のものしかなく、主役は桜へと移り、無数の花弁は僅かに吹いている風に吹かれて舞い散っていた。上空は次層の底があるため、光源など何処にも無いはずが、どういう訳か空中に浮かぶ多色の淡い小さな光源がほんのりと輝きを放ち、より幻想的なものへと仕上げている。

 

 

「———————」

 

 

 あまりの絶景に、ユウキは言葉を失った。現実世界には存在しないのは勿論のことだが、仮想世界でもこんな景色があるのか疑いたくなるほどだった。二年もの間いくつか綺麗な景色を、ユウキも———そしてアーカーもまた見てきたが、それらを圧倒する絶景に間違いない。先程までうとうとと船を漕いでいた少女の目には眠気など一切感じられない。食い入るように幻想的なこの景色を見つめている。既存の言葉では表現し切れない美しい風景が、何故今まで見つかっていなかったのかが不思議なくらいだった。

 

 

「……軽く話は聞いてたが、流石に度肝抜かれたな…………」

 

 

「………すごい景色だね、ソラ……………」

 

 

「……ああ、そうだな」

 

 

 少しの間、二人は言葉を交わさず、ひたすらこの景色を眺めていた。その姿は、まるで目に焼き付けているようにも見える。瞼を閉じれば思い出せるくらいに、しっかりと。これはきっと生涯忘れられない光景になるだろう。二人はそう断言できる気がしていた。

 生きていて良かったとユウキが思う。

 彼女を救えて良かったとアーカーが思う。

 一緒にいられて良かったと心の底から思う。

 

 

「………確かに、()()()()()()な」

 

 

「え…………?」

 

 

 何のことだろう。疑問符を浮かべたユウキに対して、アーカーは悪戯を仕掛けようと目論む悪餓鬼のような笑みを浮かべてからメニューを呼び起こし、アイテムストレージから〝とあるアイテム〟を取り出した。小さな手乗りサイズの箱だ。ドッキリか?と少しばかり疑いをかけてしまったが、すぐにユウキはそれが何かを理解した。昔、両親がそういう箱に大事なものを入れていたことを聞いていたからだ。

 つまり、これは————

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ユウキ———俺と結婚してくれ。

 無茶で無謀な馬鹿で、挙句の果てには心配ばっかさせるような奴だけどさ。これからは俺だけの大切な妻として—————ずっと一緒にいてくれ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 優しく、それでいて暖かく、微笑みかけるように。

 片膝をついて、小さな箱を片手で持ち、もう一方の手でそっと開ける。箱の中から現れたのは、紫色に輝く小さな宝石がついた銀の指輪。この世界でも〝アメジスト〟という名が設定された貴重な宝石が、周りの光源に照らされ、鮮やかで優しげな色合いを放っていた。

 

 もう一度、言葉を失った。期待はしていた。いつかこんな瞬間が訪れてくれるのだと分かっていた。ずっと待っていて、楽しみにだってしていた。

 けれど、いざ実際に渡されたら、言葉は上手く出なかった。口は動いてくれないし、身体も思うように動かない。金縛りにあったような不思議な感覚が全身を伝い、それと同時に説明がつかないほどにたくさんの感情が入り乱れていた。それはこんな場所まで探して用意してくれたことやプロポーズしてくれたことに対する感謝や嬉しさだったり、ちょっとばかり待たされたことで本当は拗ねていることだったり、突然のサプライズでビックリしたことだったり———とにかく、たくさんの想いが胸の中で渦巻いて整理がつかなかった。

 

 無意識に両眼をいっぱいに見開いて、口許を手で覆っていた。紫色の大きな瞳には、みるみるうちに透明な雫が盛り上がり、頰を伝って次々に滴った。

 

 そんなユウキの姿を見て、流石にやりすぎたか?とアーカーは苦笑する。サプライズという悪戯が成功したのにも関わらず、予想以上の反応を見せたことへの戸惑いか、準備し過ぎたことへの反省か。何はともあれ、後は返事を待つのみと腹を括って彼は訊ねた。

 

 

「もう少し恋人同士でいたい———っていうなら、またタイミングを改める。俺自身、流石に用意しっかりし過ぎててさ。感情の整理とかつきにくいんじゃねぇかって今更後悔してるんだよ。やり過ぎは注意しろってよく分かってるのにな」

 

 

 申し訳なさそうに笑い、それでも真面目な面持ちだけは崩さない。お前の答えを聞かせてくれと求めるような、強い想いの籠もったその瞳がユウキをじっと見つめていた。

 

 答えは————〝あの夜〟から決まっていた。

 断る訳がない。拒める筈がない。ボクの答えは変わっていない。感情の整理がまだついていないながらも、ユウキは涙に濡れた手を伸ばし、差し出された紫色の指輪にそっと触れる。それから泣き笑うような表情を頑張って見せて————微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うんっ………————喜んで……っ!

 ボクは……君だけのものだよ、ソラ………!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今まで生きてきた人生で最上級の笑顔と共に、ユウキはそのプロポーズを了承した。欲しかった返事が聞けて安心したのか、アーカーは立ち上がると、差し出された少女の左手を取り、指輪を薬指に嵌めた。大事そうに抱えるようにその左手を胸に抱くのを見て、惜しげも無く嬉しそうな表情を向けると、今度はユウキがメニューを呼び起こし、アイテムストレージから小さな箱を出現させた。箱の中から現れたのは、この世界でも〝オニキス〟と名を受けた真っ黒な宝石が嵌め込まれた銀の指輪だ。それを感情の波に揺れて震える手で、アーカーの左手を手に取ると、指輪を同じように左手の薬指に嵌めた。

 

 

「〝オニキス〟か。頑張って調べたのか?」

 

 

「……うんっ、頑張って意味を調べたんだ……!」

 

 

「……そうか、ホント———お前は心配性だな」

 

 

 アーカーは〝オニキス〟に込められた意味を知っている。少しばかり解釈し過ぎているだろうが、〝夫婦の成功〟や〝魔除け〟は勿論、〝必ずやり遂げる〟〝苦しみから解放する〟〝辛い過去を断ち切る〟と言った意味合いがあることを理解していた。故にユウキがそれを選んだ理由も察している。

 だからこそ———

 

 

「ああ———そろそろアイツらにきちんと話しておかなきゃな」

 

 

 これからまた彼らと出会うために知っておいて貰いたい————自分たちの過去を。いずれ直面する厳しい現実を受け入れるために。そのためにはまず、心構えが必要だった。

 例えどんな状況になっても、間違いなくユウキだけは信じられるように————

 

 

 

 

 

「ユウキ。今夜は———少し甘えてもいいか?」

 

 

 

 

 

「あはは………早速、だね。ソラは仕方ないな、も〜。

 ————うん、いいよ……ボクの狼さん……♪」

 

 

 

 

 

 高まった感情を落ち着かせるためにお互いに顔を近づけると、優しく唇を重ねた。お互いの存在を刻みつけるように、長く、しっかりと、時間をかけて。唇を離した後もそっと笑いかけ、手を繋いでその場を後にする。

 

 

 

 

 

 夜はすでに始まっている。後はその夜が長くなるかどうかだけ。〝あの夜〟のように想いを伝えあった二人は、二十二層にある家へと帰っていく————

 

 

 

 

 

 未来を誓い合って —完—

 

 

 

 

 

 

 






 夫婦として結ばれた二人。

 それを機に少年は勇気を貰い、

 指輪に込められた想いと共に

 ついにその過去を打ち明ける。

 それは、彼が人を疑うようになった原因でもあり———

 そして———雨宮 蒼天としての始まりでもあった。

 次回 二人の過去 前編


———*———*———

 本編では出なかったソラがアメジストに込めた願いは以下の通り

 ・真実の愛
 ・魔除け
 ・心の絆を育む
 ・誠実さ
 ・安らぎ



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29.二人の過去 前篇



 漸く書き終わりました。
 次回の方が書き手にとっては辛いはずなんですが、今回も充分すぎるくらい辛かった。いやホント何をどう考えたら、こんなクソ設定思いつくんだ作者テメェ!(自虐)
 多分今まで書いてきた中で一番狂ってると思うんですよね。主に自分の———作者の頭が。具体的にどう狂ってるとかは見てもらえれば分かります。正直これを一番最初に書かなくて良かったと思ってますよ。過去は最初に明かすべきだ、というのもわかりますが、これに関しては事前に耐性つけてからじゃないとキツイと思いますよ、ええ。




 

 

 

 

 

 

 西暦2024年 11月4日

 

 

 

 アーカーとユウキが結婚した翌日。

 二人は普段よりも一時間ほど朝早く起きていた。セットしていた《強制起床アラーム》の時刻よりも早い起床を知ると、互いの顔を見合わせて苦笑する。普段よりも半分ほど短い睡眠時間だというのに、意識はキチンと覚醒していて、眠気一つ感じない。頭痛もしない。間違いなく、ここ二年で最高のコンディションだ。是非ともこういう日こそ、攻略に出向いて大暴れ———と洒落込みたいと考えても仕方がないぐらいだったが、アーカーは無論、ユウキも、今日ばかりはそのつもりがなかった。

 

 気分的な問題で朝から風呂に入ることにしたユウキが寝室から出て行くのを見送った後、アーカーは昨日の夜のうちに相談したことを実行するべく、メニューを呼び起こした。素早く操作し、開いたのはフレンドリスト。そこからキリトの名を選び、メッセージ記入ウィンドウを呼び出すと、〝ある一文〟を記して送った。その一文は、下手をすれば、これまでの関係が崩壊してしまう可能性を大いに孕んだものでもあり、同時に———これから先も信用し続けられる可能性を秘めたものであった。願わくば、後者になってほしいと思う。

 

 けれど、そう上手くいかないのが世の中であり———人間というものだ。現に〝あの日〟が良い証明だった。真実を知られた結果、誰にも受け入れられることなく、アーカーとユウキが生きていた社会(げんじつ)は崩壊した。

 再び〝あの日〟と同じ目に遭う。それだけは避けたかった。それならば、黙っていればいい。黙っていれば、いつか知られる日までは偽りの幸福に酔っていられる。知られて、拒絶される〝その日〟まで———そう考えない日は一度だってなかった。

 

 ずっと悩んでいた。

 ずっと迷っていた。

 ずっと苦しんでいた。

 ずっと考え続けていた。

 ずっと、ずっと、ずっと、ずっとずっとずっと————

 

 

 

 そして————漸く、答えが出た。

 

 

 

 アーカーは、迷いなく打ち終わったメッセージをキリトへと送った。送り終わったのを確認し、一つずつウィンドウを閉じていく。二つ、三つとボタンをクリックすると、目の前に表示された空白の窓が消える。目の前に何も浮かんでいないことを確認すると、ゆっくり息を吐いた。指先が微かに震えていた。いつの間にか強張っていた身体を自覚して苦笑が零れた。

 

 

「……はは、情けねぇなぁ…………。心の底から誰かを信じる。たったそれだけのことにすら、こんなにビビっちまってさ………」

 

 

 〝あの日〟を境に、新たに誰かを信じてみようとしてこなかったせいか、他人を信じてみるということがこんなにも難しいとは思いもしなかった。長年の癖になっていたのだろう。そうでなければ、二年もの付き合いになった奴の腹の底を見抜こうだなんてしない。その言動が真実か嘘か。どういう生き方をしてきたのか。そんなことを会話の最中ですら注視する奴なんて論外に決まっている。それ以外に自分を、ユウキを、同じ()()()()守る術を持たないなんて、そんなものは話にならないだろう。よくもそんなことで四年間も守ってこられたものだとアーカーは自虐する。

 

 気がつくと、卑屈になっている。まるで四年前に戻ったみたいだった。———いや、違う。戻ったのではない。俺は〝あの日〟から一歩も前に進めていない。ユウキのお蔭で先に進めたような気がしていただけだった。

 

 俺は大切な人を救えた。———違う。あれはユウキが奇跡を起こしただけだ。結果的に救ったことになっただけに過ぎない。

 俺は大切な人の笑顔を守れた。———違う。守るべき立場の俺が何度も泣かせた。辛い思いだってさせ続けたのは俺だ。

 俺は〝あの日〟を乗り越えた。———違う。俺はまだ乗り越えられていない。やっと過去(うしろ)を振り返ることが出来そうになってるだけだ。冷静に、アーカーは現状を理解しようとする。

 

 よく思い返してみれば、すごく格好悪い。支えられていたのも、守られていたのも、ずっと俺だった。勘違いばかりだ。強くなったと錯覚していた。あまりの情けなさに涙が出そうなくらいだ。こんな奴が夫で本当に良かったのかと、アーカーは妻となったユウキに対して、心から心配してしまいたくなっていた。

 

 不安を隠せないまま、数分が経っていた。脳裏を過ぎり蠢く、何年も続く自虐の渦は一向に止む気配がない。ちょっとしたエピソード一つ話す程度なら平気だったというのに、いざ他人を信じてみようとするだけでこの有様だった。

 

 

「………情けねぇなぁ、俺…………。今更ユウキ以外の他人が怖いなんてなぁ………」

 

 

 震えが、止まらない。指先が、腕が、足が、小刻みに震える。武者震いなんてものじゃない。純粋な恐怖だ。本当に信じられる他人以外への恐怖。身体の筋肉全てが強張っている。心臓が早鐘を打つ。呼吸が苦しいほど繰り返される。この世界で汗なんて出るはずもないのに、冷や汗が出ているような感覚が続いている。喉が渇く。水を飲んでも飲んでも渇き続ける。思考が纏まらない。それなのに暗い発想ばかりが延々と溢れ返り、感情が少しずつ冷え切っていく。心まで閉ざしてしまいたいとすら思うようになる。全てが終わってしまった〝あの日〟のように、ユウキと喧嘩別れした時のように。心が、次第に、閉じて—————

 

 

 

 

 

 

 

 

「————大丈夫だよ、ソラ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 震えが———止まった。

 耳朶を震わせた、優しい声音が全てを変えてくれていた。ピタリと指先の、腕の、足の、身体全ての震えを止めた。強張った身体の筋肉が和らいでいく。早鐘を打っていた心臓は落ち着きを取り戻した。苦しいほど繰り返されていた呼吸は少しずつ穏やかになっていく。冷や汗が出続けていた感覚どころか喉の渇きまでもが消え失せた。纏まらなかった思考が次第に纏まり始める。滾々(こんこん)と際限なく溢れ出ていた暗い発想が、突然見舞われた閃光によって一気に払拭されたようにすら感じた。冷え切りそうになっていた感情が熱を取り戻し、閉ざしかけた心が、引き戻してくれた声の主を求める。

 

 

「…………早かったな、上がってくるの」

 

 

「うん、ソラを一人にしちゃダメな気がしたんだ」

 

 

「…………そっか。ホント、お前の直感はよく当たるよな」

 

 

「えへへ」

 

 

 褒められたことで嬉しそうに頰を緩めてユウキは笑う。優しげな笑みにアーカーもつられて、弱々しくも確かな笑みを零す。しっかりとそれを目にした上で彼の状態を察したユウキは、お風呂上がりの熱を帯びた身体で彼を優しく抱き締めた。ふわりと香る柑橘系の匂い。お風呂場にそんな匂いがするような娯楽アイテムを置いていただろうかと思考がそちらに向かう一方で、暖かく柔らかい人肌の感触が伝う。

 

 

「………髪、拭けてないぞ」

 

 

「あとでソラに拭いてもらうから今はいいよ」

 

 

「自分で拭かないのかよ………」

 

 

「ソラに拭いてもらうと気持ち良いからね」

 

 

「………そっか」

 

 

 二人はくだらない会話を交わす。本当によくある小さな話に過ぎない。だというのに、心は安らいでいた。大切な人と少し話すだけでこんなにも変わるものなのだろうかとアーカーが考えていると、ユウキが優しく語りかけるように告げた。

 

 

「ソラは………弱くないよ」

 

 

「………いや、俺は弱いよ。お前がいないと何もできないんだ………」

 

 

「ううん、それは弱さじゃないよ。ソラのそれは優しさなんだよ? だって、いつもボクの心配ばっかしてるの分かってるもん」

 

 

「…………ちょっと屁理屈に聞こえるぞ」

 

 

「そ、そうかな……? ———でも、それでいいんじゃないかな? ソラは昔から難しく考えすぎるからね」

 

 

「………………かもな」

 

 

 寄り掛かるように身体をユウキに預け、アーカーは少しだけ目を瞑る。突然体重がかかったことで驚くが、体勢を崩すことなく持ち堪えると、少女は愛する少年に子守唄を歌ってあげるような声音で囁いた。静かに、それでいてしっかりと、心まで温まるように。

 

 

「大丈夫だよ、ソラ。きっと、キリトやアスナ、ユイちゃんも———みんなも、ボク達を見捨てないよ」

 

 

「………………ああ、そうだと……いいな」

 

 

「うん……きっとそうだよ。ボク達は今度こそ、みんなとずっといられるはずなんだ。だからね……もしもソラが、みんなのことを信じられそうになくても………。その時は、()()()()()()()()()()()()()()()()————」

 

 

 その言葉が、ストンと胸に落ちた。優しい声音の、暖かい言葉。耳にするだけで心が安らぐような心地の良さがある。何度も何度も胸の内で繰り返し、慈悲深い女神のような微笑みを浮かべるユウキの手に抱かれるうちに、アーカーは漸く落ち着きを取り戻していた。普段の冷静さが元に戻り、呼吸がきちんと整っていることを自覚できる。ゆっくりと寄り掛からせていた体重を自分の身体だけで支えるようにしていき、しっかりと落ち着いた声音で彼は礼を述べた。

 

 

「ありがとな、ユウキ。やっと落ち着いた」

 

 

「そっか。ちゃんとお嫁さんらしいことできたかな?」

 

 

「どうだろうな? 俺の場合、それを認めると、〝嫁さんがそばにいないと何にもできない情けない旦那〟が確定するからうんともすんとも言えねぇんだが」

 

 

「あはは、それもそうだね」

 

 

「………ま、それも事実だから何とも言えねぇよなぁ」

 

 

「ボク、支えることに慣れちゃいそうだね」

 

 

「違いない。………まぁ、でも……………」

 

 

 ひょいっと左手を伸ばして、ユウキの頭にぽんと置く。それから濡れた髪にも関わらず、優しく撫でてやる。気持ち良さそうに目を細め、その心地良さに身を委ねる少女の姿に、子供のような無邪気な笑みでアーカーは笑った。

 

 

「こうして嫁さんを甘やかすのも旦那の役目だろうしな。辛い時こそお互いに支え合うってのが最善の選択だと、俺はそう思いたいな」

 

 

 少年が浮かべた笑顔に、陰は一つも差し込んでいなかった。自己否定にばかり走りかけていた姿は何処かへ消えて、残ったのは普段よりも子供っぽい姿。きっとまだ誰かを信じることは苦手だろうし、それこそ、これから何年もかかって漸く出来るようになるかもしれない。もしかしたら一生出来ないままかもしれない。

 例えそれでも———きっといつかは、或いは本人が気がつかないうちに、とそこまでユウキは考えて、それからつられたように優しく微笑んだ。子供っぽく無邪気で天真爛漫な、そんな彼女らしい笑みが花のように咲く。返された微笑みに満足したような顔をすると、そこでアーカーがふと思い出したかのように訊ねてきた。

 

 

「なあ、ユウキ」

 

 

「なぁに、ソラ?」

 

 

「お前、髪拭き切れてないの忘れてないよな?」

 

 

「…………忘れてないよ?」

 

 

「嘘つけ。今の間はなんだ。拭き切れてないことを思い出した間だろ」

 

 

「違うよ! この髪はソラに拭いてもらおうと思ったんだよ! ほら、いつもみたいに拭いてよ、ソラ!」

 

 

「前例は一つでも作ると次も同じように持っていかれるのが釈然としねぇなぁ……。……ったく、仕方ねぇな。ほら、タオル寄越せ。ちゃんと髪拭いて、櫛で梳かしてやるから」

 

 

「わーい♪ いつもより本格的だね!」

 

 

「当たり前だ。今度は俺達がキリト達を呼ぶんだ。情けねぇ体たらくなんざ見せてやるかよ。全力でぶつかってやる。少なくとも、絶対に信じて大丈夫なお前が一緒にいてくれるなら、もう怖くなんかねぇよ」

 

 

「うんっ! ボクも、ソラがいるから怖くないよ!」

 

 

 手渡されたタオルを受け取ると、ユウキに背中を向けさせる。それから、タオルをその頭に被せて濡れた髪を拭いていく。勿論、絶妙な力加減を忘れない。粗方の水分を拭き取り、結婚したことで共通化されたアイテムストレージからレアアイテムのドライヤー———の代わりに使える温風を放つ不思議な石を取り出すとそれを使って乾かしていく。続けて、元々ユウキの持ち物だった櫛を取り出して、それを手に、彼女が持つ綺麗なパールブラックの長髪を梳かし始めた。

 

 すると、心地良いのか鼻唄も聞こえてくる。ご機嫌な様子の少女を見ていると、彼女が後ろを見られないことを良いことに、アーカーは幸せそうな顔をしていた。正面切って見せるのは恥ずかしいのだろうか。普段は遠慮がちだった表情を浮かべて、気付かれないように今を楽しんでいた。

 

 ご機嫌に鼻唄を歌っていたユウキが、そのことに気がつくのは髪を梳かし終わった後。終わってすぐにアーカーの方を振り返って、彼がそんな顔を浮かべていたことに気がついて、見られなかったことを悔やんでいたのは言うまでもなかった————

 

 

 

 

 

———*———*———

 

 

 

 

 

「よぉ、来たかお前ら。もしかしたらまだ寝てんじゃねぇかって思ったんだが、心配いらなかったか?」

 

 

「朝早くからメッセージが届いてたら流石に気がつくだろ。やけに真面目な文面だから急いで来た俺達を少しでいいから労ってくれ………」

 

 

「おはよ、アスナ。ユイちゃん。朝早くからごめんね?」

 

 

「ううん、大丈夫よ」

 

 

「大丈夫ですよ、ねぇね。わたしはちゃんと起きられましたから」

 

 

「ユイちゃんは偉いね〜。………ん? ()()()()? 誰か起きるのに時間かかった人がいたの?」

 

 

「はいです! 実はパパが———」

 

 

「———そんなことまで言わなくていいからな!」

 

 

 アーカーがキリトに向けてメッセージを送ってから、一時間と少しほど経って彼らはやってきた。朝早くからメッセージを送っていたとはいえ、時間指定などは一切していない。こうも早く来てくれたのは、彼らが純粋に他人を思い遣れる人間だからなのだろう。———思わぬところから、約一名寝坊助がいたことを知ることとなったが………。

 

 

「えーっと……今回の私達を呼んだことにユウキも関係あるの?」

 

 

「うん、正確にはボク達二人の———〝過去〟に関わること。それに、これからのことでもあるかな?」

 

 

 〝これからのこと〟。

 その言葉を聞いて、七十五層の攻略のことかと普通なら思うだろうが、その前に〝ボク達二人の()()に関わること〟と前提条件を示したことで、キリト達の顔付きがより真剣なものへと変わった。

 

 かなり断片的ではあるが、キリトとアスナはアーカーとユウキの過去を知っている。特に彼が以前自らの過去を少しだけ明かした際に、両親、或いは家から勘当されてしまったことを聞いている。その影響か二人に関わることと聞けば、心配しているのは勿論のこと、この世界から脱出できた時は現実世界で再会したいと考えていたキリト達からすれば、いずれ知ることになるだろうと思っていた。

 

 それを彼らは先に持ってこようとしているのだ。リアバレがどうこうなど気にしないどころの問題ではない。本来なら聞かないべきではあるはずだったが、特にキリトとアスナの二人は、以前苦しんでいた頃のアーカーとユウキを知っている。今やそれが解決しているとはいえ、そうなった理由———その根幹が分かるかもしれないと思えば、聞かなければならないと考えてしまっても無理はなかった。

 

 真剣な面持ちへと変わった三人を見て、アーカーはユウキの手を握ったまま、所有するログハウスの中へと三人を案内することにする。行き先は、ユウキの誕生日会を行った場所でもあるリビングだ。何回か訪れたお蔭で覚えかけとなっていた道筋が保管されているが、当人達にはそんなことなどどうでもよく感じていた。今はそれよりも大事なことがあると言い聞かせながら、二人の後を追う。

 

 リビングには、大きめの丸テーブルとイスが五つ用意されていた。イスは丸テーブルを三つと二つに分けられており、テーブルの上には空のコップが人数分とお茶が入ったティーポットが置かれていたが、その他には何も置かれても飾られてもおらず、今回二人の過去を三人に話すために用意し直したとも読み取れるものだった。三人分用意された方に、左からキリト、ユイ、アスナと座る。向かい側にはキリトと向き合うようにアーカーが、その隣にユウキが座った。

 

 彼が空のコップに全員分のお茶を注いで手渡すと、まず最初に語り始める前にと一口それを啜る。沈黙が広がる。重く、暗い。まるでそうなる前兆のようであったが、アーカーが口を開いた。

 

 

「———さっきユウキが言ったが、今回お前らを呼んだのは他でもなく、俺達二人の過去に関することだ。これから先、また現実世界で会うつもりなら避けて通れない道だからな」

 

 

「前々から何となく察してたが———二人には()()()()んだな?」

 

 

「相変わらずの慧眼だね、キリト。聞いたよ、最初にソラを見つけたのキリトだって」

 

 

「……結局あの時は止められなかったけどな」

 

 

 四月下旬当時の最前線であった五十九層でのことを思い返すようにユウキは言う。一年も足取りを掴ませなかったアーカーが、偶然とはいえキリトが発見した時のことだ。懐かしい思い出話ではあるが、当人は苦笑しながら返すと、それから一度その話を区切るようにアスナが咳払いをする。視線が彼女に集まる。

 

 

「以前アーカー君が言ってたことも含めて……の話なんだよね?」

 

 

「……ああ、そうだな。俺が勘当された理由も、これからしっかりとお前らに話すつもりだ。つっても……俺なんかよりユウキの方が大変だったけどな」

 

 

「ユウキの方が………?」

 

 

 不思議そうな顔をしてキリトとアスナはユウキの方を見る。本人は突然見つめられて驚いたような顔をしているが、少しずつ憂いを帯びた表情を見せ始めた。いつも元気で無邪気な彼女がほとんど見せない表情でありながら、二人の記憶には強く印象付けられたものだった。

 

 その一方で、ユイはユウキの方ではなく、アーカーの方を見た。勘当という言葉の意味を彼女は知っている。それがどれだけ辛いものかと言葉の意味上でしかないが分かっているつもりだったからだ。

 しかし、いざ彼の表情を見てみると、そこに悲しさなどは一つも感じられない。むしろ、浮かべていた表情は自分のことよりもユウキに対するものであった。間違いなくそれは同情と憐憫に似ているが、何処か不思議と違っていた。

 

 

「さて、まず俺達の過去を語る前に、先に知っておいてもらいたい一族の話がある。ユウキの過去とはちょっとばかし関係ない話だが、最後まで話す以上、この話は切っても切れないからな」

 

 

 まるで口上を述べるかのようにそう言うと、深呼吸を一度挟んでからアーカーは真剣な面持ちで、先に注意ごとのように告げてきた。

 

 

「まず初めに、今からする話は覚えておく程度でいい。現実世界に戻った後、俺の許可なく絶対に口外しないと誓ってくれ」

 

 

 威圧感のある一言に、キリト、アスナ、ユイが緊張でゴクリと喉を鳴らしながらもしっかりと頷く。それを承諾と取ると、アーカーは最初に三人に訊ねた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前ら———《()()()》って知ってるか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 その名前に、ユイを除く二人の目が見開かれた。まさかこんなところで聞くことになるとは思わなかったと言わんばかりの顔に、アーカーはやっぱり知っているのかと理解した上で続ける。

 

 

「知らないユイのために説明するが、《雨宮家》は江戸の頃だか明治の頃だかは全く以て興味がねぇから省くが、昔から連綿と続いた今なお残る旧家だ。今でこそ身分上は極々普通の一般人だが、一族からは優秀な人材がいつの時代も常に一定以上輩出されるほどの、所謂エリートつっても間違いねぇ。有名どころで言えば、政治家や医者、弁護士云々……。数えたらキリがねぇのはキリトとアスナがよく分かってると思う」

 

 

 現在は茅場 晶彦という新進気鋭、且つ稀代の天才、及び大量殺人を成し遂げた彼に埋もれている者もいるが、ゲームクリエイターや量子物理学者の中にも雨宮から輩出された血族も多く存在する。アーカーの見る限りではアスナの一族に近しい者か知る者には雨宮の名を持つ者もいるかもしれない。

 

 

「まぁ、まずここまでしか聞いていなかったら、とことんエリートの一族で自慢かよテメェとすら思いたくなるのも間違いねぇのは事実だ。実際ンな世迷言抜かす阿呆も昔いたモンだから否定はしねぇよ。

 ———とはいえ、だ。なあ、アスナ。一つ質問だ。例え一族郎党揃いも揃ってエリートだとして———全員エリートになると断言できるか?」

 

 

「………いいえ。むしろ、親と比較されたりして子供にはプレッシャーがかかるばかりで、みんながそうなるとは限らないわ。逃げたくなる人だっていてもおかしくない」

 

 

 まるで実体験を語るように告げるアスナにキリトが心配そうな顔を向ける一方で、アーカーは予報通りの解答が返ってきたことに安堵しながら断言する。

 

 

「ああ、それが普通だ。良識ある者なら絶対にそう答えて然るべきだろうな。

 ———だが、《雨宮家》っていうのは揃いも揃って()()()()()()()()

 

 

「良識が……ない?」

 

 

 どういうことだとキリトが怪訝そうな顔をすると、一番初めに《雨宮家》の秘密を知ったユウキが口を開いた。飛び出したのは、衝撃の真実。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ソラの一族はね———出来損ないの烙印を押された子供を()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 あまりのことにキリトとアスナどころか、ユイですら自分の耳を疑った。そんなはずがある訳がないと言いたげな顔をなるが、窺ったアーカーとユウキ、二人の顔が紛うことなき事実だと理解させていた。それを見てなお、未だに信じられないと思う彼らに対して彼は語る。

 

 

「実際、勘当された俺の戸籍は最早《雨宮家》には一切残ってねぇ。跡形もなく消し去られていたよ。ユウキの家族に引き取られてから、一度だけバレないように調べた時に確認している。正直、命があるだけ儲け物だと考えてもいいくらいだ」

 

 

「………確証があるのか?」

 

 

 キリトがそう訊ねると、アーカーは小さく頷いた。

 

 

「三回だけ本家に呼び出しを食らったことがある。一回目にいくつかある本家筋の餓鬼の一人と顔見知りになったんだが、二回目行った時にはそいつは親にすら陰で虐待を受けてた。三回目には見当たらなくなったよ。そいつの親だっていう奴は何度も見かけたのに、子供は一度も……な。

 あとで調べてみれば、そいつの戸籍が抹消されてたんだよ。何度もバレないように調べ直してみたが、間違いない。さっき俺は命があったら儲け物だと言ったな? あれも事実だ。戸籍もねぇ餓鬼を勘当していいはずがない。むしろ内々で口封じした方が賢明だ。外にそれが洩れただけで、握り潰したとしても汚点が残りかねない。雨宮っていうのは、そういう汚点一つ嫌うほどのド畜生の一族だからな」

 

 

 静寂が訪れた。誰一人声すらあげない。以前から秘密を知っていたユウキですら耐え難そうな顔をしている。それを隣にいるアーカーは出来ることなら早く終わらせたいと思っているが、そうもいかない。全てを話すと決めた以上、しっかりと知ってもらった上で、尚且つ理解してほしいからだ。

 少しだけ間を空ける。彼もまたテーブルの下で妻となった少女の手を握りに向かう。指先が触れ合い、離して堪るかとしっかりと絡み合う。流石の彼とて、そうしないと正気を保っていられる気がしなかった。勇気を貰い、続けて語る。

 

 

「挙句の果てには、純血主義だ。一族以外の血は全部穢れているとでも思いやがってるぐらいの逝かれた思想していやがる。輸血?———そんなモン死んでも嫌だってな。例えそれを受ければ、死なずに済むっていうのに、それが一族以外の何処の馬の骨とも分からない輩———いや、分かっていてもそれを拒むくらいの阿呆。

 仮に一族以外の誰かと結婚なんぞしてみろ。即座に分家筋送りで、本家には二度とお呼ばれしない。俺を引き取った両親……というより、母親が〝茅場〟姓だった影響で、本家筋だった父親は分家に堕とされて、最後には狂ったそうだ。出会った時から狂ってたモンだから気付きもしなかったがな。いざ調べてみれば、覚悟はして挑んだようだが、散々兄弟や本家筋にディスられたそうだ。トドメに実の親にすら勘当紛いの処分を食らった……ってな」

 

 

「なんだよ……それ」

 

 

「そんなことが、あっていいの………?」

 

 

「………………」

 

 

 キリトは呆然とし、アスナは有り得ないと呟き、二人の愛を受けてきたユイはただひたすら無言で俯いた。信じ難いことだろう。誰だってそうだ。間違いなく、破綻者や雨宮家を除けば、全員がそう思って当然だ。

 

 しかし、現実は非情である。誰よりも真剣な面持ちで断言するアーカーが一番理解しているし、これまでその秘密を共に背負ってきたユウキもまたそれが嘘ではないことを理解していた。

 これ以上続けたくはないが、まだこれが全てではない。あともう少し、話さなければならないことがある。繋いだ指先から、手のひらから伝わる勇気を振り絞って、アーカーは言い切った。

 

 

「あれは人間を使った巨大な蠱毒だ。雨宮家には〝当主〟が今も存在しているが、その席を本家筋の奴らは虎視眈々と狙っていやがる。それはいつでもどこでも、いつ如何なる時もだ。バレねぇように毒を盛ることだってあるだろうし、陰で刺殺だの何だの汚ねぇことが日常のように行われてるだろうな。先代の当主は何やら〝末期の重病〟を患って死んだらしいが、それも真実か分かったモンじゃねぇ。弱い毒でゆっくり弱わらせ毒殺した上で、自分は平気な顔してその座に汚ねぇ尻乗せてドヤ顔晒しててもおかしくねぇんだよ、雨宮って一族は」

 

 

 雨宮家に関する一切合切。粗方全てを伝え切ったアーカーは、今にも崩れ落ちてしまいそうなくらいだった。それでも、気力で何とか耐え切ると、繋いだ手の感触を確かめるように握り直した。

 

 それから少しして、現実を認識したキリトが突然降り立った天啓の如き質問をアーカーに訊ねた。それは今まで聞いた話からして、不思議に感じたものだった。

 

 

「なあ、アーカー……。お前は、なんで無事なんだ……?」

 

 

「………よく気がついたな、キリト」

 

 

 キリトが疑問に思ったのは、アーカーが生きていること。あまりにも無礼極まりない質問だと思われるが、彼はその程度で気になどしなかった。むしろ、よく気付いたとばかりに感心すらしている。

 先に述べた通り、雨宮家は戸籍諸共子供ですら口封じをする。一族内に勘当されたという汚点を背負う子供がいることすら許さないような輩なら、彼も容赦なく口封じの対象になってもおかしくない。むしろ、なっているはずだった。

 

 しかし、彼は今なお生きているし、ユウキの家族に引き取られたと言っている。以前にも一緒に暮らしていると言っていたことから、身の安全は保障されているも同然だ。果たして、雨宮という人間の姿をした悪鬼から逃れて、そんなことが起こるのだろうか?

 その疑問に、アーカーは恐れることなく答えた。

 

 

「俺が〝とある病気〟に感染していたからだ。

 元々はユウキが持っていたものに感染し(うつっ)ただけだが」

 

 

「とある病気………?」

 

 

 ここでユウキの名前が出て、三人がそちらを向く。それから、疑問符を浮かべたアスナが首を傾げる。その疑問は、単純なものではない。今の話を聞いた上で、〝とある病気〟が何なのかを考えようとしたからだ。ごく普通の病気なら、完治するまで自宅療養なども出来るだろう。雨宮の名を持つ者が毒殺に怯える以上、下手をしなくてもワクチンですら拒むだろう。事前にワクチンを受けていないと症状が重いインフルエンザなどはあまり移りたくはないだろうとは思うが、例えそれでも対策次第でアーカーを口封じすることぐらい出来そうではあった。嫌な思考が脳裏に過ぎるのを何度も振り払いながら考え続ける彼女。

 

 その一方で、彼の手を握っていたユウキの手が力んだ。震えのようなものが伝わる。漸く彼女の過去に関係するものが話に挙がろうとしているのだ。当然の反応であり、二人が一番懸念していたものである。〝あの日〟と同じことがまた起きてしまうのではないかと思わざるを得ないほどに、恐怖が、不安が、絶望が、確かな足取りで迫ってきている。心が揺れる。

 

 怖い。怖い。怖い。信じている。信じているよ。信じたい。

 ———でも、もしキリトとアスナが、そしてユイまでもボク達をまた〝あの日〟の彼らのように………と、ユウキの心が次第に闇の中へと沈んでいきそうになっていく。齢14歳の少女が送ってきたには、些か重すぎる過去が重圧のようにのし掛かっていた。

 震えが止まらない。止まらない。止まらない————

 

 

 

 

 

 

 

 

「————大丈夫だ、ユウキ。今度は、俺がお前を安心させてやる」

 

 

 

 

 

 

 

 ————優しい声が、()()()

 震えが止まった。恐怖が、不安が、絶望が消え失せた。迫り来る足音も聞こえない。心が安らいでいく。

 そっと声音が聞こえた方を振り向いた。そこにあったのは————愛しい少年の顔。当然だが、いつもより余裕はない。これから話すことは、ユウキだけのことではない。アーカーにも関係することだ。下手をすれば、〝あの日〟の再来を招きかねない。

 だからこそ、余裕なんてあるはずがない。

 

 ————それでも、生きることを、望むことを諦めることが大嫌いな、大好きで愛している彼の顔には、信じるに値するものがあった。

 

 一時間ほど前に少年は言った。

 〝絶対に信じられるお前がいるから怖くなんかない〟と。

 

 だったら、こっちもそうあるべきだ。その言葉に続けて誓ったのを覚えている。信じよう、彼を。キリトを。アスナを。ユイを————みんなを。

 

 今度は力強く、〝大丈夫だよ〟と握り返す。掛けられた言葉に答えるように、ユウキはしっかりと頷きを返した。

 

 もう大丈夫だよ。

 そう彼女が返したことで、アーカーは何一つ迷いなど無くなった。二人の真意をまだ知らぬ彼らにも、この話の果てにその思いが伝わるはずだ。〝あの日〟の奴らと、彼らは違う。アイツらは、《雨宮家》のゴミ共と何ら変わらない畜生に過ぎなかった。それだけだと彼は自分に言い聞かせながら、ついに————その言葉を口に出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺達が感染していた病気は《後天性免疫不全症候群》。

 一番分かりやすい言い方で言えば—————エイズだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ガチャリ。

 運命の歯車が厳かに回る。

 その回転は次第に速度を速めていく。

 五年。そう、五年だ。

 止まるにしては、少しばかり長い年月が経っていた。

 ————しかし、それも漸くだ。

 〝あの日〟を境に止まっていた、〝雨宮 蒼天〟という少年の人生が()()()動き出す—————

 

 

 

 

 

 二人の過去 前篇 —完—

 

 

 

 

 

 

 






 エイズ。

 それは、誰もが知っている病名だ。

 しかし、それに感染した者達の絶望(げんじつ)を知らない。

 これは、絶望に至る前日譚。

 希望を知った一人の少女に襲いかかった現実の話。

 次回 二人の過去 中篇


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30.二人の過去 中篇



 はい、遅くなりました。申し訳ありません。
 本当は今回で終わらせたかったのですが、結局このまま書くと二万文字を平気でオーバーして、エラー地獄に遭うと判断したため、前中後に分割することにしました。
 最初は当時の彼らの視点で書こうとしましたが、それだと今のアーカーとユウキの思いや様子がわからないので、今の彼らが当時のことを語る作風にしました。あんまり得意ではないので、のちのち要改訂ですね。感想や評価で悪い点を指摘してくだされば、確認したのち手直ししようと思っています。逆に良い点があれば、教えてください。今後にも活かします。




 

 

 

 

 

 

「俺達が感染していた病気は《後天性免疫不全症候群》。

 一番分かりやすい言い方で言えば—————エイズだ」

 

 

 

 

 

 アーカーの口から放たれた真実(こたえ)に、キリトとアスナ、そしてユイまでもが目を見開いた。それは当然の反応だ。出来ることならそうあって欲しくなかったとすら思っても間違いではない。嘘偽りを見抜く彼の妙技が、確かに彼らの動揺、苦悩を読み取っていた。

 

 まず初めに———医学は進歩を繰り返している。それも日進月歩と称するに値するほどの勢いで着実に、何よりも確実な速度で。それは誰もが知る事実であり、希望であった。病院に行けば、どんな病気でもきっと治る。そんな望みが誰の胸にもあるほどに、医学・医術というものは進化した。

 同時にそれは学ぶ者からしても同様だ。昨日が明日へと活かされる。これほどあって嬉しい学問、及び術は他にないだろう。自分の手で誰かを救えることほど嬉しいものはない。

 

 江戸や明治の頃は不治の病とすら謳われた最悪の病気の一つに数えられる〝結核〟でさえも、今では早期に発見し、治療することで完治にすら至れるほどとなった。戦国の頃に某有名武将の目を奪った〝天然痘〟は世界中から駆逐され、今やその影響を見ることはない。

 

 古今東西、過去に世間を震撼させた多くの病が、今の技術で完治させることが可能となった現代において、未だ確実に完治させられる方法が確立され切れていない病気—————それがエイズだった。

 

 エイズというのは、あくまでも症状であり、正式には一種の病気とは異なる。正確に説明すれば、ヒト免疫不全ウイルス———〝HIV〟と呼ばれる、人間の身体にある免疫細胞に感染し、これを破壊するものに過ぎない。こと単純な猛威で言えば、インフルエンザにも劣るようなものだろう。

 

 ———しかし、HIVウイルスの真髄、その真の恐ろしさというものはそこではない。これが及ぼす影響によって引き起こされる事態こそが、最も重要であり、且つ洒落にならない地獄を齎す。

 

 先に述べた通り、〝HIV〟は人間の免疫細胞に感染し、これを破壊する程度のものだ。当然の如く感染者は、世に言う免疫力と言われるものが次第に減少していく。常日頃感染してしまう病と言うのは、それほど怖いものではない。感染した後も、療養をすることで免疫細胞は活性化を果たし、次第に病原菌を駆逐してしまうからだ。

 

 だが、免疫細胞が破壊され続けると、日頃感染するはずもないような病気にすら感染してしまうのだ。カンジダ症やサイトメガロウイルス感染症など、これは普段から身の回りに漂っているが、正常に働く免疫力によって、感染することが決してなかった。そんなものですら命に危険を及ぼすほどの猛威と化す。

 

 減少し続けた結果、日頃感染しないはずの病気にすら感染してしまう状態、後天的に免疫不全を起こしてしまう、これをエイズと言う。

 

 つまるところエイズとは、元凶たる〝HIV〟によって破壊され、弱り切った人間の免疫機能から引き起こされる事態に相違ない。

 

 勿論、免疫細胞というのは常に作られ続けるものであり、いずれは数の暴力で押し切ってくれるのではないか?という脳死突撃ゴリ押しが大得意なゲーマーほど、そんな楽観的希望を抱いていてもおかしくない。

 

 しかし、そうもいかないのが現実だ。そもそも、感染し破壊されるということは、体内に潜み続ける訳である。有象無象に作られようとも、〝HIV〟という元凶に対する耐性や対策を持たない雑兵が、いくら無謀に挑み続けても結果が変わらないのと同じなのだ。そのウイルスが体内に存在する間は、下がることはあっても、免疫力が上がることは決してない。

 

 そのため、本来打ち勝てるはずのものにすら押し負け———そして、死に至る。現代において存在する医学・医術は、あくまでも人間の免疫力を補助するものや、外的に介入する程度のものであり、ことウイルスは悪性の腫瘍のようにそれを取り除けば大丈夫とはならない。発見初期から年月が経った今、当然手がない訳ではない。

 

 とはいえ、それすらも現状を維持するものでしかなく、抑止するのがせいぜいである。それも発症していないことが前提であることが多く、発症すれば元通りの生活などそう送れはしない。

 

 ここまで粗方の説明が成されたが、これはある程度の教育を受けていれば、必ず知ることになる事柄である。

 

 先にあれほど述べたが、実のところそうは言っても、これほどの脅威を持つウイルスであっても、通常は感染することはほぼない。当然の話だが、未だ齢14ほどのアーカーとユウキが、大きく分けて三つほど存在する感染経路の中でも不注意が大半とされる〝アレ〟を行うはずもない。有り得るとすれば、残り二つ。〝血液感染〟と〝母子感染〟のみに絞られていた。

 

 

「ここからはボクが話すよ」

 

 

 これまでアーカーに関係することばかりだったことから、あまり話の中心には立たなかったユウキが、そこで話し手を引き受ける。本当に良いのか?と目配せのように訊ねる彼に対し、「大丈夫だよ。ここからがボクの戦いだから」と覚悟を決めて話の中心へと進み出る。

 

 それから何度も深呼吸を繰り返し、気持ちも心も、何もかもを整えるかのように、ゆっくりと時間をかけて準備をする。漸くユウキが口を開いたのは、準備を始めて一分以上経ってからだった。それほどまでの重圧と不安がのしかかっていたのだろうと、キリト達には安易に想像できた。勿論、それを隣に座るアーカーが今なお支え続けているのも察していた。

 

 開口一番、ユウキが呟くように言った言葉は、世界は残酷であると言わんばかりの現実だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ボクは———生まれた時に感染しちゃったんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 最早何度目なのかと数えることすら億劫になるほど、再び三人は驚いた。その驚きはアーカーの話によって引き起こされた驚愕とは、似て非なるものであった。どちらかと言えば、それは悲痛な叫びのようであり、あまりにも残酷な現実に対する恨み言故か。

 くしゃりと歪む彼らの表情を窺いながら、ユウキは言葉を続けた。

 

 

「ボクには双子の姉ちゃんが()()()()

 いつもソラを振り回してばっかのボクと違って、お淑やかで静かな————アスナみたいな人だったんだ。すっごく強くて、きっとこの世界に来てたらボクなんか相手にならないくらい。それこそ、ソラが頑張って引き分けに持ち込めるかどうかって感じかな?」

 

 

「ユウキでも相手にならないの………!?」

 

 

「アーカーが引き分けに持ち込めるかどうかって……どんな人なんだよ………」

 

 

 懐かしむように、思い返すように呟くユウキ。先程浮かべていた沈痛な面持ちは、不意に彼女が語る〝姉ちゃん〟と存在によって、少しずつ和らいでいく。意図的に微笑ましい話を挟んだのは、彼女の技量なのだろうか。思わず、感嘆の声を洩らすキリトとアスナ。ユイも驚いたような顔をしつつ、三人揃って〝お淑やかで〟〝静かな〟〝すごく強い人〟という三つの情報からどんな人かを想像しているに違いない。

 

 そっとアーカーも「アスナを魔改造しまくった感じだな。間違いない」と補足すると、何か思い浮かんだらしいキリトと、実の姉の顔とは別に想像したらしいユウキが余程面白いものを考えついたのか、ブフッと笑った。すぐさまアスナが余計なことを考えた旦那の頭を一発叩き、流れるような動きでテーブルに身を乗り出しつつ、ユウキの額にもデコピンを見舞った。「イデッ!?」やら「痛ぁっ!?」と、一撃受けた場所を両手で押さえながら情けない声を洩らす両者に、制裁を加えた当人は「失礼なことを考えた罰です」と言い切った。

 

 話に水を差す結果となったが、それでも場の空気はある程度元に戻っていた。これを見越して持ち込んだのなら、ユウキは意外と考えているのだろう。勿論、そんなことはほとんどなく、偶然そうなっただけに過ぎないのだろうなとアーカーが少しばかり考えたところで、話が再開された。

 

 

「双子だったボク達の出産は難産で、えーっと……フツウブンベン(?)……が出来そうになかったからテイオウセッカイ(?)……が行われたんだ」

 

 

 何やらアーカーが、アイテムストレージからメモのような紙切れを取り出し、素早く漢字と読み仮名を書いたそれをユウキに見せると、彼女はそれを頼りに説明をする。学校に行っていた頃は確かに優等生だったが、当然習っていない漢字などは読み書きできるはずもない。むしろ、何故彼が習ってもいない漢字であろうそれに対し、読み書きが出来ているのか些かキリト達には不思議だったが、恐らく努力していたのだろうと考えてそこで余計な思考を止める。止めたと同時に、ユウキが説明を続けた。

 

 

「その時に事故が起きたみたいなんだ。たくさん血が出て、このままだとママも、ボク達の命も危なくなっちゃったんだ。すぐに輸血が行われて、ボク達も、ママもみんな助かった」

 

 

 本来ならここで〝良かったね〟で何も起こらず終わるはずだ。退院まで療養し、生まれたばかりのユウキと彼女の姉を抱きかかえて、これからのことを笑って話し合う。そんな優しい時間が訪れる。きっと赤子の頃から元気一杯だろう少女に手を焼きながらも、彼女達がすくすくと育っていく様を見て、毎日楽しく過ごせるはずだったのだ。

 

 

 

 しかし、そうはいかなかったからこそ————みんなの知る、ユウキがここに存在する。

 

 

 

「でもね、その時に使われた血液がそうだったんだって。ボク達家族は、その日から〝HIVキャリア〟になった」

 

 

 この場合においてキャリアとは保菌者を示す。病気の元となる菌を持っている者。それも〝結核〟どころの騒ぎではない。更に厄介な〝HIVウイルス〟の保菌者となってしまったんだとユウキは言う。キリトの顔に怒りが浮かぶ。それは彼女が保菌者でアスナに近づくな!という訳ではない。

 恐らくは、何故そんなウイルスに汚染されていた輸血用の血液が存在したのか……ということだろう。表情から先んじて読み取ったアーカーは補足する。

 

 

「《ウインドウ・ピリオド》————要するに、感染直後から十日前後はウイルスを検出できない期間のことだ。一度の輸血で何らかのウイルスに感染する確率は何十万分の一。それだけしかないのにも関わらず、今の科学じゃゼロには出来ない。たったそれだけの確率が、不幸なんていう洒落た言い訳通り越して———ユウキ達に牙を剥いたんだよ」

 

 

 そう告げるアーカーの表情には、激しい憎悪と怒りが浮かんでいた。カーディナルが興味を示し、たくさんの犠牲を生んだ上で狂ったであろうそれを実際に見て、ユイがか細い悲鳴を洩らす。それが耳に入った彼は、すぐさまその感情を何とか鎮めるが、それでも耐え難いものなのだろう。ユウキがどれだけ辛い思いをしてきたのかを間近で見てきたであろう彼だからこそ————そして、彼もまた同じ病気に感染した者として。

 

 

「ボク達家族が感染したことを知ったのは、ボクと姉ちゃんが生まれて四ヶ月後経ってからだったんだ。でも、それだけなら今の医学や医術でどうにか出来るみたい。

 ………でもね、ボク達家族が感染したのは、《薬物耐性型》だったんだ。薬が効きづらくて、本当なら発症をある程度まだ簡単に抑えられるはずだったけど、そうもいかなかったんだ……。

 その時にも一度、パパとママはこれからどんな思いをして生きていくのか。それを考えた上で、みんなで自殺も考えたんだって」

 

 

 何を勝手なことを……と本来なら思うことだろう。本人の意思がまだ確認できない状態、或いは出来たとしても一家揃って自殺する、所謂無理心中をしようと考えたのは間違いではあるが、同時に間違いではない。何しろ、ただ家計が苦しいだの何だのという理由ではない。最も悪質で最悪とも言える〝HIVウイルス〟。それも《薬物耐性型》。これに感染したということは、当然長くは生きられない。薬で発症を抑えるにも、たくさんの薬で誤魔化し続ける必要がある。小さな子供だったユウキや彼女の姉には苦痛でしかない。それも治ると断言されないのだから、いつまで続くかすら分からない絶望感も果てしなかっただろう。

 

 それに加えて、下手に怪我をして他人が血液に触れてしまいでもすれば、その人が感染してしまう。その人の人生を狂わせてしまうかもしれないのだ。

 人間とは誰かの存在を求める生き物であるが故に他者を求める。

 しかし、その他者を求めることができないと言われているようなものだったのだ。今こうしてみんなの前に存在するユウキを見る限り、昔からきっと知的好奇心が旺盛で、元気で、天真爛漫な少女なのだ。そんな子に、果たして耐えられるだろうか。他者を求めすぎてはならないと、押し付けてまで少ない人生を生きようとさせて良かったのかと。

 

 そう……思ったのだろう————ユウキの両親は。

 

「ボクの家がキリスト教信者なのは二人ももう知ってるよね? 正確に言うとボク達はカトリック信徒なんだ。だから自殺はいけないことなんだって。そうしちゃったら、お葬式もしてもらえなくなるみたいなんだ。

 だから、踏み止まってくれたんだとボクはそう思ってる。一番辛かったのはパパやママだったのに、きっとボク達のためを思ってくれたんだって。

 それから、ボク達家族は病気と闘い続ける道を選んだんだ」

 

 

 辛い記憶。優しくも悲しく。暖かくも厳しく。家族という小さな世界すら呑み込んでしまうほど、社会という大きな世界は甘くない。それは分かっている。分かっていた。

 けれど、ボク達は足掻き続けるって決めたんだ———今、この瞬間。間違いなくユウキの目には、確固たる意志が煌煌と燃え盛る炎のように灯っていた。それは、この世界で彼女に出会って共に戦い続けてきたキリトとアスナが、どうして彼女がこんなにも強く在ろうとできたのかを理解するに足る要素であり、同時にアーカーという少年と出会ったことで更に強まった、〝絶対不滅〟とすら揶揄される不屈の精神を持ちたる所以でもあったのだと納得させた。

 

 強い想いを孕んだ語り草に続くように、ユウキは次なるエピソードを口にする。それは、小さな子供だったユウキが歩んできた人生の片鱗。大雑把ながらも、確かに彼女が必死に生きようとしていたことが伝わるものだった。

 

 

「たくさんの薬を飲み続けるのは辛かった。途中でやめたいって思ったこともたくさんあった。もしも移っちゃったらどうしようって思って怯えてた時もあったんだ……。

 ———でも、病気になんか負けない。絶対に足掻き続けるんだーって決めたから、辛くても苦しくてもずっと頑張ってきた。気持ちで負けちゃわないように強いふりしてまで、たくさん自分を欺いてたかもしれないけどね………」

 

 

 欺いてきた。

 そう告げるユウキに、アスナは胸を痛めた。強要されるばかりの人生だった彼女もまた、この世界に閉じ込められるまでは———いや、それよりも以前から閉じ込められ続けてきた人でもあった。むしろ、この世界に来て、漸く解放され、飛び立てるようになった小鳥なのかもしれない。隣に座る、ユイやキリトの存在。そして何より、アーカーやユウキの存在が、確実に彼女を変えている。そういう意味では、きっとアスナは恵まれた方なのだろう。

 

 しかし、ユウキは違う。他者に、真実を共有することもできず、下手をすれば拒まれるどころでは済まない。迫害のようなものを受けてしまいかねないような崖っぷちに立ち続けているのだ。親や家というしがらみだけしかなかったアスナと違い、ユウキは社会にすら受け入れられるか定かではない。それがどれだけ辛いことなのか、一度として同じ境遇にならないものには計り知れないものなのだろう。きっと自分では、彼女の全てを理解してあげることはできないのかもしれないという悲嘆な思いが胸に渦まこうとするところで、語り手ユウキの声音が明らかに変わった。暖かく、優しく、それでいて元気よく。いつもの彼女らしい声音だった。

 

 

 

 

 

「それから小学校に入学して、ボクはソラと出会ったんだ」

 

 

 

 

 

 その言葉に、アスナは思わず俯きかけていた頭も気持ちも勢いよくあげた。幼馴染だと言っていたから、いつかは登場するのだろうと予想していたユウキにとっての大事な人、アーカー。小学校の頃からの付き合いだったのかと思う一方で、彼女はそれから懐かしむように、それでいて揶揄うような口調で語り始めた。

 

 

「ソラの第一印象はね、す—————っごく! 静かだったんだよ! 他人なんか興味ない。言葉を話すのすらめんどくさい。関わってくるな、って。そんな感じだったんだー!」

 

 

「ゴホッゴホッ………おいコラユウキテメェ。途中で下手くそな声真似混ぜてくるんじゃねぇ! 危うく茶噴き出すところだっただろうが!」

 

 

 わざわざ動きまで真似したかのように———恐らく捏造だが、声真似まで混ぜ込んだ上でそう告げるユウキに、隣で茶を啜っていたアーカーは気管支に入ったのか咳き込みながら文句を言うが、彼女が感じた第一印象が変だとかそういう否定を一切していない。確かにその通りだと認めているように窺えた。へぇーと感嘆の声を洩らす三人に、彼は頭をガシガシと掻いた。

 

 

「………まあ、実際その通りだからな。当時の俺は、クソッタレのゴミ(雨宮家の者共)を先んじて知ってたせいで、他人なんざ全く興味なかった。むしろ、話しかけてくるんじゃねぇ、とっとと失せろぐらいの気持ちでいたのは間違いなく事実だ。ユウキに会ってなかったら、確実に今の俺はいないだろうなぁ」

 

 

「そうなのか……。ところで、アーカー……お前、昔から言葉遣い悪かったのか?」

 

 

「ンな訳あるか。少なくとも悪くなったと自覚してるのは、四年近く前だっての。学校どころか家でも、今みてぇな話し方はしてねぇよ。つーか、思い出せキリト。一層の頃から二十五層フロアボスで顔を合わせた時までは、まだマシだっただろうが」

 

 

「あー………うん? まあ………そうだ………な?」

 

 

「やっぱテメェ表に出ろ」

 

 

 席から立ち上がって今にもストレージから長剣引き抜いて襲ってきそうなくらいの形相を見せたアーカーを、隣に座っているユウキが必死に止める。対するキリトはアスナとユイに叱られる。

 彼が少しばかり落ち着くまで僅かな時間ではあったが、要した後、話が進む。

 

 

「ボクが初めてソラと話をしたのは、ちょっとしたことで絵を描くことがあった時なんだ。実はボク、絵心があったんだー」

 

 

「へぇ〜、ユウキって絵心があるの?」

 

 

「絵心っていうか創作系統全般にもコイツは才能あったんだよなぁ。………今更思ったが、なんでお前は俺に絵の出来とかで勝負してこなかったんだ?」

 

 

「だって、ソラ。壊滅的に絵心無かったんだもん」

 

 

「——————ンな馬鹿な」

 

 

 そんな訳はないに決まってるだろ……と現実逃避をしかけるアーカーとは違い、ユウキは珍しく憐れむような目で彼を見る。その様子から、キリトとアスナ、ユイが持っていた何処と無く完璧超人風であった彼のイメージがいとも容易く崩壊した。基本的に失敗してもフォローしてくれる彼女がフォローも出来ず、それを認めてしまうことは早々ないのを知っていたからだ。あまりにも酷かったのだろうと推測できる。

 コホンと咳払いをして、気を取り直すようにユウキは続ける。

 

 

「全く他人に興味を持ってなかったソラが、初めて自分から声をかけてきたから、ボク、すっごくびっくりしちゃって、強い自分のふりなんか忘れて、頑張って教えてあげたんだ〜♪ ———結局あんまり変わらなかったけどね………」

 

 

「「「あー…………」」」

 

 

「なあ、俺ってマジでそんなに下手か?」

 

 

「……うん、流石にフォローできないくらい下手だったよ………」

 

 

「………向こうに戻ったら絵の練習するか…………」

 

 

 アーカーがボソッとそう呟いて項垂れる。本人には自覚が無かったらしいが、漸く自覚したせいか、どよーんとテンションが明らかに下がっているのが見て取れる。本来なら今すぐにでもフォローしてあげることをしないといけないのだが、話が進まないためにユウキは一旦放置して、あとでたくさん励ましたり慰めることにした。

 

 

「そこからソラとよく話すようになってね。二人で遊ぶことも増えたんだ。どうしてソラがボクに興味を持ってくれたのかは分からなかったけど、不思議と安心できる気がするくらい楽しかった」

 

 

 強い自分のふりをし続けた少女の、心からの喜び。それは聞き手に回っているキリトやアスナ、ユイにも充分に言葉だけからでも伝わっていた。心成しか隣で落ち込んでいるアーカーも嬉しそうにしているような気だってしてくる。

 すると、突然ユウキが楽しそうに話すことをやめ、苦笑交じりに話し始める。

 

 

「それから半年ぐらいした頃かな。突然ソラが遊んでる最中にね、「なんで君は演技をするの?」……って聞いてきたんだ」

 

 

 それを聞いたキリトとアスナ、ユイが、ソラの過去の一端である《雨宮》という存在のことを思い出した。人間を使った蠱毒の中で育ってきた彼は、平然と嘘をつき、裏切り、殺めるような人間を見てきている。ユウキを除く全ての人間が同じように見えていたはずだと考えられた。彼が真実か嘘かを見抜けるのも、そんな環境で生き抜くために養った力だというのなら————当時の彼女が、強い自分のふりをしていることにも気付いて当然だった。

 

 

「その時初めて、ソラが怖いって思ったんだ。何とかみんなとやっていけてる気がしてたから、こんなタイミングでバレちゃった気がして、すごく怖かった。

 その日は、逃げ出すように帰っちゃってさ。パパやママ、姉ちゃんの前でわんわん泣いちゃったんだ。「ボクのせいでバレちゃったかもしれない」……って」

 

 

 不意にアーカーに向けるキリトとアスナの目が厳しくなった。それは怒っているような顔にも見える。昔からこの男はユウキに対して色々と鈍かったんだなと言わんばかりだ。時に相手の気持ちを察し切れずに喧嘩したり、時に彼が彼女を捕まえて〝抱き枕〟よろしくすっぽりと抱きしめてあたり。昔からとことん鈍かったのだとよく分かる話だ。どれだけ怖かったのかは体験しないことには分からないが、その心中は察することができるものだった。

 

 

「それからボクはソラを避けるようになった。逃げるように離れちゃうこともあったよ。いつか気付かれちゃう気がした。いつか彼がボクの秘密に気付いて、そのことをみんなにバラしちゃう気がしたんだ」

 

 

 小学校ぐらいの少年少女には、秘密を守るということはなかなかに難しく、出来ないことだ。いくら他人に興味がないからと言って、彼が秘密を守れる道理はない。もしかしたら、何かの拍子に言ってしまうのではないかと怯えるユウキの心境は正しかった。

 

 

「それからもずっとボクはソラを避けてたんだけどね。ある日、ソラがボクの逃げた後の動きや逃げる場所を全部先回りしてきたんだ。昔からソラはボクよりも勉強も出来たけど、まさかそんなことしてくるなんて思ってなかったんだ」

 

 

 何度も逃げられた末に取った行動が、行き先の予測。最早下手なストーカーよりも怖いぐらいの行動力だ。それを聞いたキリトとアスナは無論、ユイまでもがアーカーに向ける目を更に厳しくした。ドン引きだと表情から訴えかけてきている。ゴリゴリと三人からメンタルにダメージを与えられながらも、彼は顔を上げて呟くように言った。

 

 

「当時の俺には、どうして避けられているのかその理由が分からなかったんだよ。理由を聞こうにも、俺の顔を見た途端、何回も逃げるモンだから全部覚えてやった。それだけの話だろうが」

 

 

「お前なぁ………」

 

 

「アーカー君って、そういうところとんでもないわね………」

 

 

「にぃにはストーカーさんなんですか?」

 

 

「先に言っておくが、()()()違ぇからな?」

 

 

 ユイの言葉に過剰反応しつつも否定するアーカーはさておき、ユウキは当時の自分の気持ちを思い出しながら話を続けた。

 

 

「流石にそんなことされてるとは思ってなかったから、ボクも捕まっちゃって近くに誰もいなかったから、もうダメかな……って思ったんだ。そしたら、もう怖くて仕方がなくて泣いちゃったんだよね」

 

 

「まぁ、ユウキが逃げた場所は場所だったから聞かれることもなかったんだけどな……流石に焦った。せっかく掴んだチャンスをふいにするところだったからな。取り敢えず、落ち着いてほしくて一言先に謝った。追いかけ回したことについてな」

 

 

 「今思えば、あれが初めての謝罪だったなぁ……」と呟くアーカーの言には、とてつもない異常さがあった。他人に謝ったことがないというのは、なかなかに異常だ。一人っ子であろうとも、父親や母親に迷惑をかけることは勿論あるだろうし、小さい頃こそ好奇心の塊みたいなものだ。突き動かされ、なんだってしていてもおかしくない。

 しかしながら、彼の一族こそが正しく異常の塊だ。普通なら有り得ることすら有り得なかったのだろう。誰かに迷惑をかけるということすら無かったのかもしれないし、謝るということすら知らなかったのかもしれない。

 

 

「泣いてたボクも突然謝られてびっくりして、泣きやんじゃったんだよね。悪いのはボクなのに、なんでソラが謝るのかが分かんなくて、「もう謝らなくていいよ」って何回も言ってたら、ソラのことが怖くなくなってたんだ。

 今度はボクが謝ってた。ごめんなさいごめんなさいってさ………。気付かれてるんだと思ってたから、ボクの病気のことも全部言っちゃってた。でも実は、ソラもそこまでは気付いてなかったんだよね」

 

 

 あははと「やっちゃった」とユウキが笑う。キリトとアスナ、ユイがギョッとする。知られてはマズイ秘密を勢いのままに話してしまったのだ。相手がどう受け取るかによれば、彼女がどんな目に遭うかは想像し難くなかった。

 けれど、今こうして彼女のそばに彼がいるということは————

 

 

「そしたらね、ソラがボクにこう言ったんだ。「病気なんてどうでもいい。僕は一緒にいて初めて楽しいと思えた。だからお前とこれからもいたい。ずっと避けられてたのは癪だった。でも、理由があったから気にしない」……ってね」

 

 

 突然キリト達から歓声が上がる。それはアーカーに対する賞賛だろう。昔から子供っぽくない彼らしい言葉遣いだったが、それでも孤軍奮闘し続けていたユウキの気持ちとしては充分すぎるくらいだった。心の底から安心しただろうと容易に想像できる。

 

 懐かしい台詞を掘り返され、見事に下手な声真似と共に披露されたものだから、アーカーは顔どころか耳まで真っ赤にして、みんなから背けた。黒歴史を公開されるという、精神的に殺しに来ている現状は誰にだって耐え難いものだ。それは彼とて同じ。その貴重すぎるシーンに、アスナがストレージから記録結晶を取り出してユウキに手渡していたが、当人は羞恥心を誤魔化そうと躍起になっている。気付くはずもない。冷やかすようにキリトが指笛を吹くが、やり過ぎるあまり、記録が終わる頃にはアーカーはすっかり羞恥心を駆逐し切っており、容赦なく顔面に《閃打》を叩き込まれ、衝撃で吹っ飛んでいく。《圏内》判定がなによりも偉大だと思えるワンシーンとして、キリトは記憶に刻むことにしていたという。

 

 壁際まで吹き飛ばされた彼が定位置に戻ると、話が再開される。

 

 

「初めて本当の友達ができた。それがすごく嬉しかったんだ〜。パパやママ、姉ちゃんにもちょっとだけ怒られたけど、「良かったね」って言われたよ。

 それからなのかな? ボクはソラとずっと一緒にいるようになってたんだ。もしかしたら、その時からソラのことを好きになり始めてたのかなって、今はそう思えるくらいだよ」

 

 

 えへへ〜と惚気話のように聞こえ始めたことに、思っていたよりも良い話だと思い始めた三人。アーカーも当時のことを思い出しながら、「その頃から俺のことが好きだったのかコイツ……」と相変わらずの鈍さを一同に披露する。なるほど、これはユウキが苦労した訳だとアスナが納得したところで、話は再開。

 それからは一年の頃から三年生の終わりに至るまでの楽しかった出来事エピソードを次々と彼女が語っていく。どれも楽しそうで幸せそうな話ばかり。熱が入ったように話していくユウキも、とても楽しそうに教えてくれていた。隣に座るアーカーも、あまり表情に出してはいないが楽しそうにしていると分かる。

 

 何もかもが幸せな毎日。聞き手に回る者でさえも、ユウキが過ごしてきたその日々がどれほど幸福に満ち溢れていたものかなど考えるまでもない。救われた。救われている。救いは訪れている。他者との繋がりさえ求めることができないはずの難病をその身に宿してしまった不幸など、何処にもないようにすら思える。彼らが決死の覚悟で話したかったのはこんな幸せで優しい現実だったのだろうか。

 

 

 

 ———————いや、違う。違うのだ。そんなはずはない。

 

 

 

 ふと天啓の如く舞い降りた直感がキリト達の心にそう訴える。

 

 あの日、あの時。キリトが見たものはなんだ? ユウキと離れただけで狂ってしまうようなアーカーが見せた影は《雨宮》という蠱毒だけで孕んでしまったものでは決してない。文字通り、彼には彼女しか残っていないのだ。彼女以外に手を伸ばし、その手を握ってくれるような人を持たないのだ。そう思うと二年の付き合いがある彼らからすればいい加減信じてくれてもいいだろうと思ったりして癪だろうが、そういう話ではない。

 

 〝他者を全く信じられなくなる〟。

 ユウキだから救われたと語る時点でキリト達は気付くべきだった。あの言葉は、仲良しこよしだから云々というものではない。ユウキ以外の誰かでは決して救われる訳がないと()()()()()()()のと変わらないのだ。逆転の発想から導き出される結論は彼の歪みを示していた。かつて七十四層の安全地帯でそう呟いたアーカーの言葉の真意に漸くキリトが辿り着いたと同時に————ユウキの口から〝あの日〟の出来事が告げられた。

 

 

 

 

 

「四年生に上がってすぐの頃にね……バレちゃったんだ」

 

 

 

 

 

 バレた。その言葉が何を指し示しているのか、キリト達には容易に理解できた。ユウキが〝HIVキャリア〟であることが。陰の差した表情を浮かべ始めた彼女が勇気を出して話そうとするも、なかなかにその言葉が一つとして出ない。震え始めた身体を両手で身体を抱き締め始めたのを合図にアーカーが席を立ち、彼女の顔を彼らに見せないように自らの背を向けた状態で、弱々しい姿を見せた少女を庇う。

 

 たったそれだけの反応で、キリト達は何が起きたのかを察した。その察しが真実であることを補足するようにアーカーが口を開く。

 

 

「バレた原因は………犬の糞にも劣るような矮小極まりない嫉妬だった。ユウキ以外の他人と全く遊ぼうともしない、会話一つ満足にしない俺が《雨宮》の人間だからだろうな……。よくある、〝媚を売っとけば、将来的に役に立つ〟とでも考えたゴミ共が、俺とユウキとの関係を引き裂くことができる術を探していたらしい。中には俺のことを好いてた奴がいたそうだが、心底どうでも良かった。俺はただただ……ユウキと一緒にいられれば、それで良かったんだ………。

 だけど、現実はそう上手くいく訳がない。病院やら何やら色んなところにツテがある親を持ったゴミが、ユウキが〝HIVキャリア〟だという情報掴んで子供や他のゴミの保護者に噂として流しやがった」

 

 

 人は時に、取り返しのつかない事態を簡単に引き起こす。七つの大罪よろしく、人間には矮小で愚かな罪がある。今回で言えば、それは嫉妬だ。なんでアイツだけが仲良くできるんだ? なんでアイツだけが目をかけられているんだ? なんでアイツが————と、四年もの間で蓄積された負の感情が爆発したのだろう。

 正しくそれが、それこそ何の罪もないユウキに牙を剥いたのだ。

 

 

「奴らは《雨宮》がどういうものか知らない。表面的なお綺麗な面しか見えていない。腹の底を見抜けない。いざ媚を売っても、ボロ雑巾になるまで利用されて捨てられるオチになるとは思ってないんだろうよ。————だから、平然とアイツらは………ッ!」

 

 

 「思い出すだけでも五臓六腑(はらわた)が煮え繰り返りそうだ……ッ!」と吠えるアーカーの姿に、キリト達は胸を傷めることしかできない。同情することさえ侮辱だろうとすぐさま理解する。肉体的な痛みこそ治れば、そう辛くないものだ。記憶というものがあるせいで、ありもしない痛みを感じることこそあれど、それまでで済んだはずだ。

 しかし、精神的な痛みはそう治りはしない。傷口として表出していない以上、どれだけ治ったかなど分かるはずもないのだ。時に精神的苦痛とはトラウマへと姿を変える。心的外傷後ストレス障害(PTSD)となることだってあるくらいだ。二人は何とかそれにならずに済んでいるのかもしれないが、本来ならばそうなっていてもおかしくない。

 

 

「なあ……キリト。

 絶望ってな、実は希望を知った後ほど痛ぇんだよ………」

 

 

 後悔するように告げるアーカーの言葉に、一同がその真意を知った。ユウキは、たった一人ではあったが、秘密を告げても変わることがなかった他者を知ってしまった後だ。彼以外にも変わらずそばにいてくれる人がいてくれるはずだと信じてしまっている。それが、何を引き起こしてしまったのか———容易に想像できてしまった。

 

 

「バレた直後、ユウキは真摯にその真実を真っ向から認めた。下手にそんな事実はありませんっていうよりも、心のうちを真剣に伝えれば、きっと分かってくれる人がいると信じたかったんだろうな………」

 

 

 震えるユウキの身体を抱き締め支えると共に、アーカーは代弁者としてその心境を語る。自分のことのように。自分に向けられたもののように。その痛みを、その恐怖を、演説するかのように代わりとして告げていく。

 

 

「日頃から誰かの迷惑にかけないように気をつけて過ごしていることや、感染してしまう行為が何処までなのかを告げたんだよ、ユウキは……。怖いだろうし、痛いだろうな。俺が同じ立場だったら、そんな風には言えねぇよ、きっと………」

 

 

 ユウキは強い。確かに年相応の弱さはある。脆くて弱々しい部分だってあって当然だ。

 しかし、他者へとそう告げられるほどの心の強さは存在していた。誰かに理解されて認められる。これからも関係は変わらないと言ってくれる。そんか確信。それは唯一無二の理解者を得られたからこそ、手に入れることができた答えであり、当時の彼女が手に入れた強さなのだろう。

 

 だが—————

 

 

 

 

 

 

 

 

「—————ユウキは、拒まれた」

 

 

 

 

 

 

 

 

 社会(げんじつ)を知らない小娘に絶望(げんじつ)を教えるかのようにユウキは拒まれた。それまでずっと気兼ねなく触れていた者達はその手を退け、声をかけていた者は声をかけず、遊んでいた者達は共に遊ぶことをやめ、良い成績を取る度に褒めていた教師達は、褒めることをやめた。そして、皆一同にこう言うのだ。

 

 

 

 

 

 —————————触るな、病原菌。

 

 

 

 

 

 多少意訳が変わるだろうが、極論それと何ら変わらない。向けられた言葉が、どれだけユウキを絶望させたかなど彼らは知らない。四年生に上がって、クラスが変わってしまっていたアーカーは、そんなことが起きていたことにも関わらず、すぐに気付けなかった。何が起きていたのかそれを知ったのは、混乱がユウキの所属しているクラスのある方向が騒がしくなり、何人かの生徒達が教師に連れられている逃げてきたのを目にした時だ。偶然自身が所属していたクラスに、ユウキが〝HIVキャリア〟だという噂を知っていた者達がいたことが、何が起きたのかを確信させた。

 

 すぐさまその場を飛び出して、必死の形相でユウキの元へと向かった彼が見たのは————《雨宮》という蠱毒が作り出していた、あの光景(げんじつ)と何一つ変わらないものだった。

 

 

「………拒まれたユウキは、物を投げつけられ、箒で叩かれ、罵詈雑言の嵐に襲われた。いつからそんな目に遭っていたのか分からなかったが、目に見える範囲にいくつも痣や血が出来ていたのを目にしたよ………」

 

 

 そこでアーカーは人生で初めて————〝怒り〟を覚えた。同時に初めて誰かを殺してやりたいと〝殺意〟も覚えた。自分の至らなさを実感し、自分自身に対して〝失望〟した。

 

 

「俺はユウキを庇いに入った。そしたら、あのゴミ共なんて言ったと思う?」

 

 

 僅かに顔をキリト達に向けたアーカーの顔には、いつか見た〝死んだ魚のような目〟が浮かんでいた。感情が籠っていない瞳。どうしてあんな目を浮かべてしまえるのか、その原点を確信と共に理解した。

 

 

 

 

 

「「庇っちゃダメだよ。そんな病原菌なんかとこれ以上一緒にいたら君までおかしくなっちゃうよ。大丈夫、君には私達がいるよ」……だってさ。あーあ、本当に————ふざけんじゃねぇよ」

 

 

 

 

 

 可笑しいのはどっちだ。そう呟くアーカーがどんな思いを抱いたのか。彼自身ではない以上全てを把握できるものではない。

 

 それでも————分かることはあった。アーカーが他者を信じようとしなくなったのは、()()()()()()()()と。

 

 

「初めて殴った。初めて蹴った。初めて暴力の限りを尽くした。人間を————いや、あんなモン人間ですらねぇな……寄生虫にすら劣るクソ害虫だ……ッ!」

 

 

 まずはふざけた発言をした女を殴った。遠慮も慈悲も、躊躇すらなく全身全霊で殴り飛ばした。《雨宮》に在籍する者だったせいで必然的に習わされた武術の全てを、今この瞬間に〝暴力に使ってはいけません〟などという教えなんて投げ捨てて暴力の全てに変換した。殴り飛ばされた女は前歯を数本折って気絶した。

 彼がそんな行動を取るとは思ってなかった他の奴らも、次々と薙ぎ倒された。ある者は〝掌底〟を顎に受けて舌を噛み切り、またある者は鳩尾に重たい一撃を受けて臓器を損傷させて、またある者は持っていた箒を奪われてその目を突かれた。次々と薙ぎ倒されていくゴミ共に恐怖を覚えた教師にはその全てを見舞ってやることにした。煮え繰り返った五臓六腑から溢れ出す怒りと憎悪を糧に大暴れして————

 

 

 

 

 

「——————ユウキのためだと信じて、俺はゴミ共を瀕死に追いやることしかできなかった」

 

 

 

 

 

 誰かを傷付けることができないくらい優しいユウキの代わりに、アーカーはその体現者となるかように誰かを痛めつけた。それしかできなかったから。それしかできないと悟ってしまったから。この場所にユウキが信じられる人間はただ一人を除いて元から存在していなかったんだと確信した。

 一頻り大暴れをして、ユウキに害を成す輩を全て動けなくして、漸く彼は彼女の元に駆け寄ることができた。

 

 

「いくら武術を嗜んでいようが、俺も餓鬼だ。数に劣る俺の手や足は当然、擦り傷も痣もいくつもできた。アドレナリンっていうんだったか。あれのお蔭か、痛みなんて感じなかった。

 でも、ユウキの方は絶対に痛いはずだと思った。身体も、心も、何もかもが。

 一先ず、俺は傷付いたその身体からどうにかするしかなかった。痣は痛むだろうが、医者でもねぇ俺にはどうにもできない。そんな俺にでも出来る治療と言えば————」

 

 

 そこで、キリト達はどうしてアーカーが〝HIVウイルス〟に感染したのかに気がついた。当時の彼の年齢から考え、感染経路は二つしかない。

 

 一つは〝母子感染〟。

 だが、彼は捨て子だ。拾われただけの養子でしかない。もし感染していたとすれば、もっと早いうちに《雨宮家》は彼を処分していたことだろう。いくら発症が五年以上かかるとしても、検査で判明させるくらいは数週間後には可能だ。つまり、この可能性はなかった。

 

 

 

 なら、有り得るとすれば、たった一つ残されてない。

 それは—————

 

 

 

 

 

「—————その時、自分の傷口なんて何処にあるか確認してるはずもねぇ俺は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 ——————血液感染。

 

 

 

 病気を持つ者の血液が傷口や粘膜に付着、及び侵入することで、感染が成立するというもの。残された経路からしても、アーカーが〝HIVウイルス〟に感染したのは、これ以外に他の可能性は残されてなどいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 回り始めた運命の歯車は最早止まらない。

 加速する。加速すル。加速スル。

 果たして、彼らは二人が信じるに値する者達か。

 覚悟の時が次第にその歩みを早めていく。

 さあ————ここからが、漸く彼らの本番。

 少年達が知った絶望(げんじつ)を受け止める時だ—————

 

 

 

 

 

 二人の過去 中篇 —完—

 

 

 

 

 

 

 






 斯くして、絶望(げんじつ)は二人の心に刻まれた。

 少年は、ユウキ達一家を除いて他者を信じなくなった。

 少女とその家族は、少年を巻き込んだことで

 ついに罪悪感に苛まれ始める。

 これは、罪悪感に苛まれる一家と、

 彼らを救おうと足掻き始める一人の少年、

 そして————同じく果敢に挑んだ、一人の医師の話。

 次回 二人の過去 後篇



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31.二人の過去 後篇



 一週間お待たせしました。漸く三十一話! 二人の過去 後篇です!
 いやホント書いてて辛かったし、書きづらかった。矛盾してないか間違ってないか、ご都合主義にならないように伏線をちゃんと貼れてるかを確認し続けて漸くですからね。
 ぶっちゃけ、最早黒歴史にしたいくらいの駄文ですよ。文才つけたら、真っ先に改訂してやります、ええ!
 レクイエム・ノア編まで長々とかかると思いますが、今回の話を読んでなお! 最後までお付き合いしてくださる方は、楽しみにしていてくださいね。明らかになった際に、作者の頭ぶっ壊れてんじゃねぇの?というツッコミ期待してますから!

 ※2018.09.12.15:55 文章追加。



 

 

 

 

 

 

 

「————俺も、ただの餓鬼に過ぎなかった」

 

 

 思い起こすようにアーカーはそう続け、後悔を繰り返す。口にされた言葉から分かるほどに、当時の自分の無能さを呪っていた。確かに彼は聡明だっただろう。同年代の者よりは発達した知能や感性があり、誰よりも先に進んでいたことだろう。そういう面や《雨宮》という地獄を生き抜いたことからしても、他の人間とは一線を画するユウキという存在が新鮮で興味深かったのは語るまでもない。〝楽しい〟と思えるようになったのも、それが漸くだったと彼は語る。

 

 繰り返そう、彼は聡明だった。

 しかし、同時に無知であった。

 

 本来知るべきであった人間という存在(もの)を知らず。病気が果たしてどのように感染してしまうのかを知らず。自らの行動が如何なる絶望(けっか)を生み出すかを理解し切っていなかった

 

 

「怪我をしたユウキを背負って、俺はコイツの両親の元に送り届けた。感謝をされた。娘を守ってくれてありがとうって言われたのが嬉しかった。

 ————けどさ、それから何かに気がついて、すぐに謝罪をされたよ」

 

 

 ユウキが、彼女の両親達が、彼女の姉が恐れていた事態が起こってしまったからだ。彼女らが保菌する〝HIVウイルス〟。その感染に足りうる状態にアーカーが陥っていた。痣や傷口を無数に作った彼女を助けるために傷を負い、その傷口を止血し、背負ってここまで辿り着いた。彼の両手を筆頭に身体には無数の傷があり、彼女の傷口を止血した以上、ほぼ確実に血には触れてしまっている。

 

 時に善意ある行動は、悪意ある行動よりも向けられた相手が痛みを伴う。今回が正しくその例に洩れず、そうであったのは偽らざる真実だった。

 

 

「俺は———ユウキを守ったはずだった。あの場における最善手を尽くしたはずだった。きっとあそこにはもう戻れない。

 けれど、それでもユウキが傷つけられ、痛い思いをするよりはマシだと思っていた。あんなゴミ共に苦しめられる必要なんてない。だから、この選択は間違っていなかった————そう、思っていた………」

 

 

 後に訪れた結果(げんじつ)を、アーカーは隠すことなく語った。十日を経った後に判明したのは、ユウキの両親が謝罪した理由。その裏付けとなった〝HIVウイルス〟への感染。それを知った《雨宮本家》はすぐさま彼の戸籍を処分し、続け様に彼を引き取っていた両親は勘当を言いつけ、二度と関わるなとだけ告げてそのまま放り出した。口封じという処分が成されなかったのは焦り故の行動だったのだろう。

 

 

「………幸運だったのは、両親ではなく、俺や妹を最優先として仕えてくれていた老齢の執事が、偽装した戸籍や生きるために必要なものをバレないように作成してくれていたことだけだ。俺はそれだけを持って、放逐された。………義理の妹がいたが、アイツは———きっと何が起きたのか分かっていなかっただろうな。突然兄貴が放り出されて、それからあのゴミ共に「お前に兄なんていなかった」なんて言われててもおかしくない………」

 

 

 それを聞いてキリトとアスナは、漸く納得をした。以前彼が何故両親から勘当されたのか、それを知ったからだ。彼は〝ちょっとした理由〟と言っていたが、そんな簡単なものではなかった。戸籍や生きるために必要なものを処分されるということは、生きていた証を奪われることに等しい。戸籍がなければ、何らかの取引をすることも叶わず、保険証がなければ、病院で治療を受けることすら苦になる。極々自然に病院に行っているならば、気付きもしないことだが、保険証が無ければ、請求される額はとてつもないものとなる。あれは元より本来請求されるはずの多額を、その多くが税金によって負担されているからでしかない。

 そのことに真っ先に気が付いたユイが悲壮な顔を浮かべていた。

 

 

「幸運はいくつか続いたが、一番助かったのは野垂れ死ぬよりも早くユウキ達に発見されたことだ」

 

 

 有形無形の嫌がらせを受け、転居を余儀なくされたユウキの一家が、唯一心残りであったアーカーの行方をギリギリまで捜そうとしてくれていたことを、助けられた後で知ったと彼は語る。

 しかし、いくら助けられたと言えども、本来なら恨んでもいいような思いを味わったのは事実だ。彼女も、彼女の一家も、彼からの罵詈雑言を覚悟していた。よりにもよって、移されたのは〝HIV〟であり、それも《薬物耐性型》という最悪すぎるオプションも付いて回ってきたのだから恨まないはずがない。むしろ、責められないはずがない。憎悪されても仕方がなかった。

 

 けれど———

 

 

「————ソラは、ボク達を責めなかった。恨まなかったし、怒りもしなかった。代わりに一言だけ「助けてくれてありがとう」って………」

 

 

 過去の一端を思い出して震えていたユウキが、未だ微かに震えを残しつつも語り手に復帰する。話せるほどにまで回復したことで、アーカーは自分の席に戻るも「無理はするな」とだけ言って、その手を握る。それを受けて、彼女は「大丈夫だよ」とだけ答えると、彼に変わって続きを語る。

 

 

「それからソラと一緒にボク達は転居先に向かったんだ。

 でも、きっとソラが前に住んでたとこよりも小さいんじゃないかなって思ったから不安だった。不自由な思いをさせちゃう気がしたんだ」

 

 

 相変わらずユウキの声音には明暗が残っていた。新天地が自分達を受け入れてくれるかが怖かったというよりも、元々《雨宮》という旧家に属していたアーカーが不自由な思いをするのではないかという不安が大きかったとユウキは語る。彼女の一家がどういうお家なのかは分からないが、間違いなく《雨宮》の方が豪勢な暮らしをしていることだろう。どの分野にでも手を伸ばし、名を轟かせる名家とはそういうものだ。没落を命じられた分家筋とは言えど、何度も本家に召集された彼なら、贅沢な暮らしを求めていてもおかしくなかった。

 

 しかし———

 

 

「そしたら、ソラはね。ほんの少しだけ嬉しそうに笑って「前よりも良い。むしろ、あっちの方がこっちに劣るよ」って言ってて、お世辞かなって思ったんだけど、ソラのことを知ったら納得できたんだ」

 

 

 聞けば、昔から贅沢なんてしていなかったというのだから、アーカーという人間が《雨宮》という一族からすれば、かなりの異端だったことが窺えた。万が一に備えてコツコツと貯蓄をしていたというのだから、最早子供の所業とは思えなかったのも事実だろう。またも、変な視線が彼に向けられるが、当人は「いつか馬鹿がヘマしてドミノ倒しよろしく共倒れするんじゃねぇかって思ってな。あんなゴミ共見てると、自然に危機感が育ってたんだよ」と溜息交じりに言うだけに留まった。

 

 苦笑が零れる中で、ユウキの声音が明るさを帯び始めた。

 

 

「転居先は一軒家でね。前はマンション住まいだったから、庭があるのがとっても嬉しかったんだ。姉ちゃんと走り回ったりもしたし、意外だと思うけど、ソラとも走り回ったりしたんだよ?」

 

 

()()アーカー君が………?」

 

 

「うん、()()ソラだよ」

 

 

()()アーカーが?」

 

 

「テメェら、さらっと〝こそあど言葉〟しようとしてんじゃねぇぞ……。〝どのアーカーが?〟とか言い出したらぶっ飛ばすからな?」

 

 

 そこで小さくも、確かな笑みが生まれた。

 最早何度目か分かったものではない。明るくなっては暗くなって、暗くなっては明るくなる。今日だけで何回これを繰り返したことだろうか。どうせこの後もそれが繰り返されるのだから、きっと野暮だろうと考えると、アーカーは静かに目を伏せた。それから見開かれ、覗いたのは意思の固き瞳。決意を固くしたことが一目でわかるほどのそれが三人に向けられた。

 

 

「ここまで来ると大体察してるだろうが、幸福な時間っていうのはそう長くは続かねぇモンだ。いくら幸福がまた舞い降りようが、あんな思いをして全く響かねぇような奴はハッキリ言って人間じゃねぇ。当然、影響は出るのが情理だ。

 転居してから半年も経たないうちに、後から感染した俺を除く全員がAIDSを発症した」

 

 

 《後天的免疫不全症候群(AIDS)》の発症。

 その意味を知らない彼らではない。グッと唇を噛み締め、その言葉の意味、重さを感じ取る。ユウキも今一度真剣な面持ちを浮かべ、今度は自分の口で語ることを意識する。震えてばかりじゃいられないと目がそう訴えていた。

 

 

「すぐさまユウキ達は病院に入院することになった。当然、みんなで住んでた一軒家に俺だけが……一人残されたよ」

 

 

 厳かに告げた最後の一言は、痛々しく辛いものだった。《雨宮》という蠱毒を生き抜いていた以上、人間不信は留まることを知らなかった。唯一信じられるようになったユウキは、自分の手が届きにくいところに行ってしまった。彼女の家族も然り。また———一人になった。

 

 

「———独りっていうのは痛ぇな………あの時は何となくだったけどさ。今ならよく分かるんだよ………」

 

 

 現実なら唇から血が出るほど強く噛み締めながら、アーカーは悲痛な声を洩らす。体験から来る経験則は彼が誰かに物を語る上で欠かすことのできないものであり、理屈などで冷静に判断するところからも安易に予想できることだ。つまり、これもまた、彼の経験だ。独りになることを恐れた少年の弱く小さな姿。普段の彼らしくない様子に、キリト達も本当の弱さを見出していく。

 

 

「たった独りで生活するようになってからも、俺は度々ユウキ達の元にお見舞いに行ったよ。最初は一週間に一度くらいの頻度だった。その方が、ユウキ達には良いと思っていた。

 でもさ、やっぱり俺は独りが怖かったんだろうな。気がついたら、ほぼ毎日通い詰めてたよ。ホント情けない話だ。他人の迷惑なんざ考えることもできなくなるぐらい独りになるのが恐ろしかった」

 

 

 孤独にはなれている、大丈夫だ。きっとまた独りでもやっていける。————結局、怯えていたのは誰だ?

 

 これ以上彼らに負担をかけてはいけない。————ほぼ毎日通い詰めてた奴が何を宣っている?

 

 気がつくと、矛盾ばかり抱えていた。一度考えてしまったことはそう易々と止まるものではない。思っていたことよりも深く、深く、深くと考え込んでしまうものだ。抱いた疑念も、不安も。それが深ければ深いほど、思考の渦へと取り込まれる。人一倍聡明であるが故に、人一倍無知であるが故に、アーカーという少年は————否、雨宮 蒼天()っ|た()少年は、考えることをやめられなかった。

 

 当然、その矛盾と思考は次第に考えてはいけなかったものを想起した。浮かべてしまったのは、病院という存在が本当に信用して良いものかというもの。ハッキリ言って論外極まりない思考だ。多くの重病を治すためにはここ以外に手はない。最後の希望足りうる象徴を疑うなど言語道断だ。

 

 始めはそう思っていた。

 無論、アーカーは独りになってから、ただただ毎日を過ごし続けるだけの虚無な日々を送り続けるような————何もしないだけの日々は過ごさなかった。いずれ自分も同様に発症するであろう、エイズという存在。それを詳しく調べようと、文献を漁るようにもなっていた。結果、それが矛盾と思考の螺旋を強めてしまったのは言うまでもない。むしろ、強めたと言うよりは悪化したと言う方が正しかった。

 

 AIDSという難病は未だ明確な完治に至る治療方法がない。その事実を知ってしまった衝撃は計り知れないものであった。発症を抑え続けるという方法も、一度発症してしまえば使うことができないものであることを知り、同時に発症すれば助かる見込みがないことを知ってしまった。

 いつかまた元気な姿で一緒に暮らせる。そんな淡い希望は、いとも容易く崩れ去り、そこで漸く少年は目を覚ました。———否、むしろ、現実に目を向けたというべきか。

 

 絶望を知った。

 希望なんて微塵もなかったことを知った。

 AIDSに至る原因を知ったが故に、漸くそこで自分が何をしてしまったのかは悟った。

 

 

 

「ユウキ達を責め立てたのは、あのゴミ共だ。それは間違いない。憎いし、殺したいとさえ今も思う。

 でもな………ユウキ達を追い込んだのは、間違いなく()()()()

 

 

 

「ッ!? それは違————」

 

 

「————違わねぇよ、ユウキ。俺が感染しちまったことがお前らを追い詰めた。場合によっては悪意ある行動よりも善意ある行動の方が傷付けることは周知の事実だ。今でもお前を守ったことには後悔なんてない。後悔してるのは何の知識もなく、お前を手当てした俺の無能さだ。

 だから————こればかりは譲らねぇ。無自覚でお前らを追い詰めたこと(この後悔)まで無くすと、俺は俺でいられない………」

 

 

 悔いるように告げるアーカーの言葉に、彼の手を握っていたユウキが目を見開いた。すぐさま口が動き、その言葉を否定せんとしていたのは、この場にいる誰もが気付いていた。

 だが、それは当人によって制止される。短く確かな声音で自らの罪を肯定するかのように、多少卑怯とも言える言い回しと共に断言する。

 

 本人も自覚している通り、雨宮 蒼天だった少年が〝HIVウイルス〟に感染したのは完全な不注意であり、知識不足から来るものだ。アドレナリンによって興奮状態に陥っていたことで普段よりも冷静さを失っていたのもあるだろうが、それでも然るべき対応と処置を行え切れてなかったのは事実。そこから派生するかのように、助けてくれたのに感染してしまったという事実が、ユウキ達一家に罪の意識を植え付けたのは言うまでもない。唯一信じてもいい他者を巻き込むどころか同じ境遇の者にしてしまったこと。こればかりは、当人が問題ないと訴えかけようが、罪悪感として背負いこんでしまうのは仕方がない。

 

 〝病は気から〟という言葉があるように、精神的な苦痛やストレスは確実に身体を蝕んでいく。いくら許されたとしても、いくら明るく振舞おうとも、罪悪感から来る思いは正直であり、本来ならば、もっと発症までの時間が残っていたかもしれない可能性すら塗り潰してしまう。今こうして彼がそう悔いているのは、正しくそのことだった。責め立てたのは奴らで、追い詰めたのは自分。その言葉がどれほど痛いかなど、これ以上は言わずもがなであった。

 

 

 

 

 

「————犯した罪は償うしかない。

 だから、俺はユウキ達を救うことにした」

 

 

 

 

 

 後悔を胸に、少年はただひたすら邁進する。

 飛び出した言葉が深く、重く、聞く者達の胸に突き刺さる。罪を償うと始めに告げたアーカーの目は昏く、しかし、まだ諦めに至っていないものであった。浮かんでいたのは、果たしてどのような思いなのだろうか。一言で言い表わせる言葉をそう多く知らないユウキだったが、それでも、一つだけ検討が付いていた。

 

 

 

 もし仮定するとすれば、それは—————執念。

 

 

 

「まず始めに、担当医の倉橋先生と正面切って話をした。ユウキ達を救う手段は本当に無いのか。確率がほんの僅かにでもある方法が存在するのなら教えてくれ———ってな」

 

 

 これが〝一度目の戦い〟。世界最悪の難病に挑む、果てなき挑戦。凡そ齢10歳の少年には無謀過ぎるのは誰の目からも明らかであり、例え歴戦の強者と化した名医師であっても、不可能に近いものであった。

 

 

「ただの餓鬼が、全世界の医師が手を焼いてる難病に勝つ算段を求めるなんざお門違いにも程があった。それは認める。俺自身、納得はしていた。発症した時点で敗北は必至。よりにもよって《薬物耐性型》だったからな。元より長生きができる訳でもなかったのはユウキ達も認めていたことだ。ああ、分かっていたさ。それに不注意で感染した俺も、長くないことぐらいは」

 

 

 聳え立つ壁がどれだけ高いものか。それを理解できないほど、彼は馬鹿ではない。聡明であったからこそ、誰よりも理解は早かった。事実を知る度に、再確認する度に心が軋み、重みに屈してしまいそうになったのは間違いなく事実。これから自分がやろうとしていることもどれだけ馬鹿な行為なのかも分かり切っていた。理解している(分かっている)納得している(分かっている)把握している(分かっている)。何度も何度も自分に問いかけてなお————

 

 

 

 

 

 

 

 

「—————でも、俺は………もう二度と独り(あの頃)に戻りたくなかった」

 

 

 

 

 

 

 

 

 絞り出すような声が噛み締めた唇から紡がれた。浮かべていた表情はくしゃくしゃで彼らしくない。今にも泣きそうにも見える。ここで泣いてしまわないのは、彼がまだ泣くべきではないと考えているからなのか。そこまで見抜けるほどの慧眼を持たないキリトでは分からなかったが、しかし————それでも納得はしていた。

 

 かつて、彼がユウキとの繋がりを本気で断とうとしていたのをキリトは知っている。無理矢理連れ戻そうとして、抵抗され、挙句の果てには酷い目に遭わされたのも覚えている。それよりも以前に、その原因となった喧嘩の理由や内容もユウキから聞かされたこともあった。彼女が他者の死を前に迷いを抱き、動けなくなり、それを助けようとした者が犠牲となる。いわゆる、誰か一人の迷いから生じる〝犠牲の上に犠牲を積み重ねる〟こと。それを絶対に許さないと断じた彼の言葉は、今この時を知って理解できるものとなった。

 

 

 単純な話だった。

 明快で、何処にだって有り触れたものだった。

 少し考えれば、分かることだった。

 ユウキの元に連れて行こうとしたキリトに対し、激しく抵抗までして逃げ果せたアーカーが、何故彼女が《笑う棺桶》に囚われたことが広まった際に、攻略組に殴り込んでまで姿を見せたのか。ヒースクリフという最強の壁に対して、恐れもせず、真正面から脅しまでかけてみせたのか。《最前線狩り》という異名を纏った彼にとって、これ以上攻略組を刺激するという行為はメリット一つ存在しないはずだった。その後、アルゴが今でも分からないと首を傾げていた行動の真意は、確かにそこにあったのだ。

 

 

 

 

 

 —————ただ、ユウキに生きていて欲しかった。

 たったそれだけの理由。一層の頃からずっとそばでいたのも、ある時を境に厳しく突き放したのも、攻略組に喧嘩を売るようなことをしてまで救出に向かったのも、全てが有り触れた一つの思いから生じた行動。私利私欲など欠片もない、生産性一つない行動の真意が、紡がれた言葉の一つ一つに詰まっていた。

 

 

「絶望は希望を知った後の方が痛ぇ。それは何事にも言えることだ。俺の場合は、それが孤独だっただけだ……。俺はずっと独りだったからな………。

 だから、孤独になりたくなかった………。また昔みたいに戻るのが………怖くて仕方がなかったんだ……………」

 

 

 心が安らぐ〝家族〟という存在の暖かさを知った。

 信じられる〝他者〟という存在の暖かさを知った。

 孤独(かこ)を塗り潰す、誰かと一緒にいられる暖かさを知った。

 

 知ってしまった。

 味わってしまった。

 覚えてしまった。

 

 忘れ難いほどの悦楽が、彼を蝕んだ(かえた)。初めて炭酸飲料を飲んだ子供のように一度は抵抗があっても、気がつけば飲み続けている。未知とは何よりも甘美なものだ。繰り返すことをやめられない。極論ではあるが、それが例えば殺人であっても同じことが言える。誰かを殺すという感覚は、そう慣れるものではない。普通は犯すことのない行動だからだ。

 だからこそ、未知の所業であり、それに魅せられる者もいる。当然、誰しもが一度目で目覚めるようなことはない。正当防衛の際に味わってしまってもおかしくない。最初は忌避感を覚えることだってあるだろう。

 しかし、それが偶然であろうとも何度も何度も繰り返すようになれば、それは習慣となり、日課となる。クセになるだろうし、手に伝う血の滑りや温もりは不思議と記憶に強く刻まれる。

 

 つまるところは、記憶に強く刻まれてしまえば、それが忘れられなくなるのだ。それが例え、本来ならば当たり前でしかないことであったとしても、彼にとっては当たり前ではない。何しろ、《雨宮》という存在が良識を持たぬ人の皮を被った化け物であり、そこに一度でも属していたのなら、当然本来の感性など持っているはずもない。事実彼は常に孤独であった。例え義理の妹がいようと、頼れる老齢の執事がいようとも、結局その二つを信じることもなく、ユウキという唯一無二の例外を知ることで、漸く人生(すべて)を始めることができただけに過ぎない。

 

 結果、それはある種の中毒(のろい)となった。記憶に強く刻まれた暖かさ(やさしさ)を失ってしまったその時、果たして自分はどうなるのだろうかという形のない恐怖と化した。

 

 

「………至極当然の話だが、彼も立派な医師だ。尽くせる手は尽くそうとするし、なるべく縋れる方法(もの)があるなら、それに賭けることも考えただろう。

 けどな、物事に〝絶対〟は有り得ない。クソ喰らえな話だが、この世の中は100%以外の可能性は確実に存在するんだよ」

 

 

 よくゲームで100%というものが存在する。命中率100%、強化成功率100%、会心率100%………いくつも存在するそれらは、悲しいことに現実世界には決して存在できない確率でもあった。例え鉛筆を握ることすら、握ろうとした瞬間に何が起きるかは分かったものではない。例えば、ふとした瞬間に鉛筆の芯の方が刺さるかもしれない。誰かがぶつかって握ることなく転がり落ちるかもしれない。指が触れて奥へと転がってしまうかもしれない。

 あくまでそれらは100%を除く可能性から〝握ることが出来た〟という事象を掴み取れただけに過ぎない。

 

 

「始めてその話をした時、彼はほんの僅かだけ逡巡した。それから諦めたように首を振って、現実の話をした。普通なら医師がそう言えば諦めがつく。医師は自分達よりも現実を知っている。だから、彼らが諦めることは出来ないこと、叶わないことだって誰もが識っていることだ。

 ————だけど、俺は突き進むしかなかった。諦めが悪いって言った方が正確だろうな。独りになりたくない一心で、容赦なく卑怯な手を取った」

 

 

 彼が為す卑怯な手。かつて、攻略組を脅し切ってみせた程の力量を持つならば、どういう方法を取るかは想像に難くなかった。果たして、その時の彼がどのような手を選んだのかをキリト達が数多の可能性から一つに絞り切ることはできない。とはいえ、いくつかには絞り切れる。攻略組の信用・信頼を奪う策略も、応用すれば、使うことができる。その医師は患者を見捨てたなどと言えば、他者に不信感を募らせることもできる。浮かび上がった可能性から、ユイを筆頭にキリト達は「まさか……」と声を洩らした。

 

 

 

 

 

「俺は相手の様子や仕草、行動から真実か嘘かを見極められる。真っ先に彼が言った言葉は嘘だと断じた。〝絶対〟なんて世の中には存在しないからな。

 だから………俺は彼にこう言った。

「医師としての倉橋先生は無理だと言うのなら、倉橋という一人の人間に訊ねる。あるんだろ? まだ残されているんだろ……? まだ打てるかもしれない手が。………頼む教えてくれ。あんたが今後の医師人生を無駄にしたくないのなら、情報だけでいい。どんな目に遭うかを恐れているのかもしれない。

 だけど、もし………医師人生なんて放り出して、今苦しんでいるユウキ達を救うために全力を尽くしてくれるなら———手を貸してくれ 」

………ってな」

 

 

 

 

 

 彼が選び取った選択は、医師としてではなく、一人の人間の感情に対して訴えかけるというものだった。まだ穏便な方法を取ったことにキリト達どころかユウキも安堵する。そんな周囲の反応にアーカーは「テメェら俺が過激な奴だと勘違いしてねぇだろうな……?」と今にも怒りだしそうな顔をしていたが、すぐさま話を元の流れに戻す。

 

 

「………結果として、倉橋先生は()()()()()()()()。方法だけでも聞けりゃあ良い方だと思ってた俺からすれば驚いた。本気で医師人生放り出してまで無謀な賭けに挑戦してくれるのか、って。流石に疑ったよ。全力で真実か嘘かを見極めようとして————それが本音だと分かって嬉しかった。ああいう医師がこの世の中にもまだ生きてるんだなって、珍しく感動だってしたさ。当時の俺がそこまで感じていたかはともかくとしてな」

 

 

 そう語る彼は嬉しそうで、何処と無く巻き込んだことには申し訳なさそうで、けれど、医師人生を捨てる覚悟を抱いてくれるくらい誇り高い人だと敬うように。当時の彼がどう思っていたかは分からないと述べながらも、今の彼は賞賛だってしていた。あまりユウキ以外の他人を褒めたりしない彼には物珍しい光景がそこにあった。

 

 

「後から聞いてみると、やっぱりユウキの両親からもお願いされたことがあったらしい。

「例え遅延でも良いから、あの子達が少しでも生きられるようにしてほしい」ってさ。それからずっと悩み続けてたらしくて、そこに追撃とばかりに家族でもない俺の必死な姿もあって決心したそうだ。

 ………さて、話を戻すが、それから俺は倉橋先生から〝残された手〟に関する情報を得た」

 

 

 当人であったアーカーとユウキを除く全員がぐいっと引き寄せられるように、続く言葉に耳を傾ける。本来なら完治することのない死病とも言えるAIDS。それに対する残された手など聞いたことがないからか、ユイに関しては知識として蓄えたいのか食い入るように待ち望んでいた。

 

 

 

 

 

「————————〝骨髄移植〟。それが、残された最後の手段だった」

 

 

 

 

 

 三人の耳朶を震わせた言葉は、思っていたよりも普通とも思える方法だった。その方法は元より白血病に対する手段として取られていた医術であった。もっと医師でなければ知られていないような、特別中の特別と言える方法が飛び出すのではないかと思っていた彼らは何とも言えない顔をしていたが、アーカーは呆れた顔を少しだけした後、真剣な面持ちで言葉を続ける。

 

 

「ユウキ達が入院する何年か前の話だが、HIVウイルスに感染した患者に骨髄移植をした後、完治に至った例が両手の数に満たない程度だが、確実に存在していた。HIVウイルスが減少していることを知った者達が後々詳しく調べてみれば、移植されたのはHIVに耐性がある骨髄だったらしい。提供者は白人。今のところ、それ以外では見つかっていないらしいが、それでも確かに完治に至る方法は存在していた。正確には………つっても、不安がらせることになるだろうから割愛だ割愛。

 まぁ………何はともあれ、当然確立されていない療法を信用して行うほど医師は馬鹿じゃない。確証のあるもの以外に縋るわけにはいかない。医師は治す職業であって博打打ちじゃねぇからな。

 それでも、医師人生放り投げる覚悟をした倉橋先生はこの話を俺にした。当然、どうしてそれが療法として確立されていないかの理由も説明してくれた」

 

 

 一呼吸を入れ、語り出す。

 

 

「人間の身体は俺達が思っているよりも繊細だ。何でもかんでも交換すれば大丈夫なロボットや人形、プラモデルのようにはいかねぇからな。俺達の身体には免疫力が備わっている。その免疫力が大体何を指すか、分かるだろ?」

 

 

 問いかけられた質問に、アスナが答える。

 

 

「白血球とかキラーT細胞……他にも色々あると思うけど、そういう細胞のことよね?」

 

 

「ああ。細かく言えばキリがねぇから割愛するが、要するに輸血同様、適合するものを移植しなくちゃならない。骨髄移植の場合で言えば、白血球の血液型《ヒト白血球型抗原》———略称HLAっていうモンがあってな。

 それが適合しないと移植した三ヶ月以内に急性の拒絶反応が起き、それに耐え切れず死に至ることもしばしば。当然何もしない訳じゃねぇからステロイドを投与したりして対応してるらしいが、仮に耐え切ったとしても、ほとんどの人が今後免疫抑制剤を服用し続けなきゃいけねぇし、皮膚や消化管、肝臓のうち一つには何らかの障害が起きる。それが軽い時もあれば、重い時もあるのは人それぞれだ。

 つまるところ、目下の難題の一つはそれだった。適合するHLAっていうのは、普通に見たら結構存在するんだよ。臓器移植で治った患者の話が持ち上がるのはそれが理由だ」

 

 

 そう、ユウキ達が臓器に異常があるだけの患者なら、それで移植さえしてしまえば終わりなのだ。そうじゃないからこそ———HIVという病気がとてつもない難病で有り続ける理由は、そこにあった。

 

 

「HLAだけで見れば、ドナー登録されている者達から探すだけで多くは無くともきちんと見つかるモンだ。

 ————だけど、問題はそこじゃねぇ。ユウキ達が感染していたのは、HIVウイルス。世界最悪の難病だ。免疫機能を破壊するっていう性質(たち)が悪すぎる存在だ。有り触れた骨髄を移植したら、結局同じように病魔に侵されるだけでキリがねぇ。移植しなくちゃならないのは、HIVウイルスに耐性があるごく僅かな骨髄だ。

 それにそもそも移植だって何度も出来るモンじゃねぇ。特に骨髄移植に関しては、一度患者の骨髄自体に致死量の抗ガン剤か放射線を照射して、造血機能を停止させる必要がある。その後、すぐに移植を始めなければ、患者は死に至る。何せ血を造る力を殺すんだからな」

 

 

 臓器移植よりも更に難易度が遥かに高いことは、今こうして聞くだけでキリト達にも分かった。何度も話に登場した〝死〟というワードが、この世界————アインクラッドを生きる彼らには重く感じられる。日常では脅し文句やその場のノリで〝殺すぞ〟はよく飛び出すものだが、デスゲームを体験してからはそんな気安く言えるようなものではなくなっていた。命の重さというものを改めて実感したからである。例外はあれど、閉じ込められた者達の大半は理解しているはずだ。そういう点からも、彼の説明には命の重みが存在した。

 

 

「なあ、アーカー………。そのHIVウイルスに耐性のある骨髄は、どれくらい存在するんだ………?」

 

 

「————ドナー登録をしている白人の1%程度の確率だ」

 

 

「なっ————!?」

 

 

 約1%。

 飛び出した余りにも低過ぎる確率にキリトは絶句する。彼の隣にいるアスナは悲鳴にも似た声が洩れ、ユイは現実を識る。身内などではない限り、赤の他人から移植するための骨髄を受け取ることはできない。受け取るための手段として存在するのがドナーというものであり、そこから臓器や骨髄液を手に入れるしかない。

 だが、そのドナー登録をしている総数のうち、白人という条件が必須であるにも関わらず、更にはHIVウイルスに耐性を持つ骨髄は、そのうちの約1%ほどという。それは最早恐ろしく残酷な数字でしかなかった。太平洋に沈んでしまった小さなガラス玉を探すのと、どちらが優しいのかさえ分からない。

 

 

「以前この世界で手に入る調味料を全て解析して、醤油やらマヨネーズの味を作り出した話はしたな? 約百種類如きの組み合わせなんざ、これに比べりゃ屁でもなかったんだよ。

 だから、平然と数ヶ月で出来た。こっちの世界だと家事やら洗濯やらするのにもそう時間かからねぇからな。時間が割き放題だった。勿論、俺一人でやった訳じゃねぇのはどっちも同じだ」

 

 

 一蓮托生の協力者となった倉橋先生と共に、彼はひたすら一家のHLAと適合するHIV耐性を持つ骨髄を探し続けた。大前提としてドナー登録者は年々増え続けている。ゼロではない限りは、希望は確かにそこにある。そう信じて、戦い続けた。誰一人死なせないと宣い、寝る間を惜しむつもりで無茶を繰り返した。

 

 

「………それからまずは一年が経った」

 

 

 その言葉にキリト達は絶句する。一年も探し続けていたのかという感嘆ではなく、一年が経ってもまだ続きがあると言わんばかりの語り方に畏怖を抱いた。

 しかし、その畏怖は次に飛び出した言葉で悲鳴に変わる。

 

 

「—————ユウキの両親が死んだ」

 

 

 両親の死。

 ユウキを、彼女の姉を慈しみ、育て、愛してくれていた彼女らの両親が死んだという現実がキリト達の胸に深々と突き刺さる。

 

 

「………初めてその訃報を聞いた時、信じられなかったよ。誰も死なせたくないって宣って必死で探し続けて一年経った矢先の出来事でさ………心が折れかけたよ。想定よりも早過ぎた。まだ後一年以上残されていると思っていたんだが、そうはいかなかった」

 

 

 どうして想定よりも早く死んだのか、その原因がなんだったのかを倉橋先生から聞いたことをアーカーはキリト達に話した。原因は————病気の進行が思っていたよりも早まっていたこと。エイズによって、弱まっていた免疫力が防げなくなっていた感染症の数々が相次いで発症し、その猛威が瞬く間に強まり、限界を迎えたという。それを聞かされた彼は、当時の心境を代弁するかのように語る。

 

 

「………恐らく、二人は俺を巻き込んだことを悔いていたんだろうな。罪悪感に苛まれていたのかもしれない。〝病は気から〟っていうだろ? ………きっと、そうなんだろうな」

 

 

 唯一無二の理解者を巻き込んでしまったこと。それがどれほど辛いことかは当人達にしか分からない。いくら赦されようとも、己が赦せない。カトリック信徒であった彼女の母親は勿論、信徒でない父親もまた、そう感じていたのだろう。

 結果、それは想定よりも早い死を齎した。当然、その死がそれだけで済むはずもない。死とは齎された者にも深い痕跡を残すものだ。

 

 

「………その死に引き摺られるように、ユウキの姉の容態までもが少しずつ悪化を始めた」

 

 

 身内の死とは連鎖するもの。一人や二人の死では飽き足らない死神がその鎌を再度掲げて刈り取るが如く、次の標的が定まってしまった。告げるアーカーの苦悩が見て取れるほどにその表情に陰が強く差した。

 

 

「両親の死っていうのは子供からすれば、耐え難いものだ。俺みたいな例外はともかく、ユウキ達の場合は両親からの愛を注がれて生きてきた。二度と会えない、声を聞けない、自分たちもそうなる日が来ると知れば、絶望だってしてもおかしくない………。

 当然の話だが、ユウキの容態も少しずつ悪化し始めた。それまで精神力で耐え続けていたのが弱まった証だった」

 

 

 当時齢11歳程の少女には仕方のないことだった。もし自分達がそうであったのなら耐えられただろうかとキリトとアスナは思考し、すぐさま否と判断する。

 生みの親の死を物心つく以前から経験したとはいえ、現在彼は義理の両親を持つ者だ。彼らから注がれた愛情は嘘ではなく真実だ。初めてこの世界に閉じ込められた日は、あの日々に戻れないかもしれないと絶望しかけたこともあった。その時、ユウキ達が経験した絶望と全く同じとはならないが、それがどれほど痛いものかは察することはできた。

 そして、それはアスナも同様だ。生憎彼女は無上の愛を注がれて生きてきたとは言い難い人生を過ごしてきたが、少なくとも母方の祖父や祖母にはよくしてもらっていたし、愛されてきた。二人が死んだ時はとても辛かったのは間違いなく、彼らから向けられた愛が喪われた時は苦しかった。同様とは言わないが、大切な人が死ぬ痛みは分かる。

 

 今こうして目の前に存在するユウキという少女は、ここまで聞いただけで両親を失っている。時より見せる陰のある表情はそこから起因するものなのか……? そんな予想が二人の脳裏を過る中で、ユウキが口を開いた。

 

 

「パパやママが死んじゃった時は、ボクもいつかそうなるんだと思ったよ……。遅かれ早かれ死んじゃうなら、もうどうなってもいいや……って投げ遣りにもなった」

 

 

 齢11ほどの少女に(げんじつ)は重すぎた。心は諦めを覚え、死を受け入れるために伽藍堂になろうとしていた。空っぽになれば、きっと死ぬことも怖くない。いずれ迎える死を、ただ静かに待つだけならきっと苦しい思いをする必要もないと考えた。当時の心境と現状を織り交ぜながら、ユウキはそう語っていく。

 間近に迫る死が、今日か明日か。それとも明後日か。いつかは分からなくとも、そう遠くないうちに訪れると知れば、誰しもが絶望することだろう。況してや、それを平然と受け入れられる人間がいるのなら、それは存在自体が破綻している。こと正確に言えば、受け入れられるように破綻するしかないのだ。

 

 不幸ばかりの人生。

 幸福など両手の指の数に相当するかさえ分からない。

 だが、彼女はまだ幸運だった。それは今まで生きてこられたことではない。唯一無二の理解者を持つことができたことではない。

 

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

「ソラは————まだ〝諦めてなかった〟んだ。ずっと来てくれなかったから、もう来ないと思ってた。

 でも、来てくれた。久しぶりに見たソラはね………ボロボロだったよ。弱ってた。今にも倒れちゃいそうなくらいなのに、まだ〝諦めてなかった〟。それでね、こう言ってくれたんだ。

「俺はまだ諦めていない………。まだ可能性は残ってる。だから()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

って。最初はボクも無理だよって言ったんだよ……?

 そしたらね、ソラはこう言ったんだ。

「残酷なことを頼んでいるのは分かってるさ………でもな! 諦めることが何でもかんでも正しいと思うな! 足掻いて足掻いて………! それでも死ぬなら仕方ねぇよ!

 ————だけどな………お前言ってただろ! 闘い続けて、いつか治る日が来るのを信じてみたいって! だったら、最期の時まで自分らしく生きてみろよ! 俺の知ってるユウキはもっと生き汚い奴なんだよ……!」………って」

 

 

 それは、ユウキが《マクアフィテル》を手にした日に聞いた話の全貌。死にかけの人間にかける言葉にしては、残酷で無慈悲で悪辣極まる声援であり、しかし同時に————

 

 

「————目が覚めた。ボクはまだ助かるかもしれないんだって、まだ諦めちゃいけないんだって、そう思えたんだ」

 

 

 そう、これこそが、彼女の信念を変え始めた分岐点(はじまり)。〝生きることを諦めたくない〟という単純明快な生への渇望が、ここに来るまでの彼女の行動を変えた。

 

 それは、生き汚いほどに死を拒み嫌う抵抗力となり。

 それは、死を望む少年の未来を変える行動力となり。

 それは、どんな絶望的状況にも屈さぬ精神力となった。

 

 奇しくもそれは、《マクアフィテル》という彼女の得物を手にするために用意された難関と同じ渾名と化している。

 ——————〝絶対不滅の意志〟。

 全てを見越した上でカーディナルが、茅場 晶彦が用意したとあれば、彼らは千里眼の持ち主でもあったと言えようか。

 

 彼女が持つ強き意志の起源を知ったキリト達は、感嘆と驚嘆が相成った心地を抱いていた。

 

 

「それから半年もの間、ユウキはそれ以上の病気の進行を意志力だけで抑え続けた。倉橋先生も度肝を抜かれるぐらい驚いていたよ。若い頃だから出来る芸当————そんな範疇をコイツは平然と超えていやがった。正直俺も想定以上の結果を出してやがったせいで、実はプラナリアか何かの遺伝子でも持ってんじゃねぇかと思ったぐらいだ」

 

 

「えへへ〜♪ ………あれ? プラナリア………?」

 

 

「どれだけ細切れにしても分裂した上で元通りに戻る生命力化け物の奴。教科書とかで見たことあるだろ?」

 

 

「へぇ……ソラはボクのこと、そんな風に思ってたんだ………?」

 

 

 空笑いを零しながら、ホラーに出てくる怪魔よろしく、ぐるんっ!と首をアーカーの方に向けるユウキに、失言を洩らしたと気付いて逃げようとする彼だったが、逃げるよりも早く首根っこを掴まれ捕獲される。向かい側でキリトとアスナが溜息を零し、ユイが隣の部屋へと消えた二人の様子を窺おうとするも阻止される。いったい何が起きていたのかは知らない方が今後のためだろう。ライトエフェクトが何度も瞬くのが見えるが、ログハウスの中は《圏内》であるため、きっと恐らく命の保証は出来るだろう………多分。

 

 それから少しばかりした後、見るだけでボロボロのソラとヘソを曲げたユウキがもう一度テーブルに戻ってくるのを合図に、二人の過去に関する話が再開された。

 

 

「………コホン。ユウキの両親が死んでから半年が経った頃、条件を絞って探し続けていた俺達の方にも進展があった。

 ドナー登録をした白人から何度も確認を取り続け、探し続けていた、ユウキとユウキの姉のHLAが適合する件のHIV耐性を持つ骨髄が—————」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ————————()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 絶望が—————舞い降りた。

 奇跡は起こらなかった。見つからなかったという言葉が、現実が、どれほど残酷なものだったかなど語るまでもない。耳朶を震わせた一言に、キリト達は当然己の耳を疑うしかなかった。反射的に言葉として飛び出したのは嘘だという小さな呟きで、ポツリポツリと繰り返し口にするも、対峙するアーカーの顔にはそれが真実であることを証明していた。

 悲鳴が洩れる。両親を喪い、それでも生きることを諦めなかった少女に対する答えが、絶望という無慈悲で冷酷で残酷なものに終わるとは認めたくなかった。誰しもの表情が昏くなっていく—————

 

 

 

 

 

「————というのが、本来そう在るべき残酷な現実の話だ。

 第一、よく考えてもみろ。そんな状況の餓鬼二人が二年もこの世界に存在できる訳がねぇだろうに」

 

 

 

 

 

 ——————はずだった。

 

 周囲一帯を全て包み隠してしまうような暗雲を一言で払ったのは、先程見つからなかったという現実を肯定したアーカーだった。

 突然の切り返しに一同が困惑する中で、当人は話を最後まで聞けと言わんばかりの顔をする。ユウキもまた何とも言えない顔をしていたが、それからいつもの元気一杯の天真爛漫少女らしく、こう訊ねてきた。

 

 

「ねえ、三人とも。ボクが幽霊に見える?」

 

 

「………いや、見えないな」

 

 

「………うん、見えないわ」

 

 

「………はい。第一、この世界はナーヴギアによって、五感を遮断・回収した先にある仮想世界なので、幽霊というオカルト分野はシステムによって作り出されたモンスターでなければ介入できないはずです。ねぇねは、正式サービス開始時からログインしていますし………」

 

 

 あくまでも現実的に考えるユイの言葉に、こればかりはキリト達どころかアーカーですら苦笑するが、気を取り直すようにユウキはニッと笑ってみせた。

 

 

「実は、治っちゃったんだ。

 ボクも—————それに、ソラも」

 

 

 突然飛び出したそれに、彼らは言葉を失った。絶句し、困惑し、何度も思考を巡らせ、現実を認識するまでに少しばかりの時間をかけた。一番聞きたかった言葉なのに、いざそれが飛び出したら認識し、理解して、実感するのに時間をかけることになるとは皮肉極まることだろう。最も冷静な判断が出来るはずのユイですら、〝治った〟という言葉が、〝助かった〟〝無事だよ〟〝これからも生きていられるんだよ〟という言葉に変換するのに手間取った。

 

 漸く認識し、理解して、実感した頃には、その目尻には玉粒の涙が浮かんでおり、感情の波が溢れんばかりに押し寄せており、整理がついていなかった。言葉が喉で詰まり、言語としてすら発せない。それでも、何とか表現しようとして————ユイは椅子から立ち上がって、向かい側の椅子に座るユウキに飛び付いた。当然テーブルは倒れ、その上にあったコップなどは散乱し、妹分のような少女が飛び付いてきたことで体勢を崩した彼女や、突然のことで驚いたアーカーも巻き添いで後方に倒れた。二人揃って後頭部を打ち、変な声を洩らす。

 

 突然の愛娘の行動に夫婦は揃って唖然としていたが、その行動がどういう意味を表していたのかを分からないほど愚かではない。続けて彼らもまた漸く把握すると共に、アスナはユウキの元に駆け寄り、ユイ共々起こすと、痛いほどにギュッと抱き締めた。嗚咽を洩らし、はしばみ色の瞳は涙に濡れる。そんな彼女を抱き返し、かつて死病に侵されていた少女は小さく「ボクのために悲しんでくれてありがと、アスナ」と呟き、慰めた。その光景は奇しくも、いつかのアーカーと酷似していた。

 

 一方で、キリトはその場で膝から崩れ落ちた。しかし、倒れ伏すことはなく、けれど、男なのに情けない声をあげて泣いていた。何度も目の前で失ってきたからこその反応だろうか。男らしさはなかったが、それでも、彼らしくはあったし、その行動に彼の優しさが籠っていることだけは誰の目から見ても明らかであった。

 

 三人の様子は、真実か嘘かなど見抜く必要もないほどに、間違いなくユウキを思い遣ってくれている証に他ならなかった。

 後頭部を摩りながら、アーカーはふと反省と共に安堵する。疑う必要なんて無かった。彼らはあのゴミ共とは根底が違っていた。我が身可愛さに他者を拒み、傷付けることを厭わない下郎ではなかった。

 そして、同時に思うのだ。もっと早く出会えていれば良かったと。

 

 三人が落ち着くまで、時間はそれなりに要した。未だ三人の目元は泣き腫らしたことで赤く腫れてはいるように見えたものの、暫くすれば元に戻るだろう。倒してしまったテーブルを元の位置に戻し、散乱させてしまったコップなどはストレージなどに仕舞うと、アーカーは話の続きを語り出した。

 

 

「ドナー登録の中に、ユウキや彼女の姉を救うために必要な骨髄はなかった。当時の俺は絶望したよ。縋りたかった希望はなかった。助かる未来は一分もなく、誰もが〝諦める〟ことしかできなかったのは事実だ。当然、流石の俺も諦めてしまいたくなった。どれだけユウキが強靭な精神力で耐え抜こうと、発症した以上長続きするはずがない。ずっと気を張り続けるっていうのはリスクが大きすぎる。ふとした瞬間に糸が切れるみたいな状況になれば、食い止められていた進行は激化する。

 …………それにその頃には、ユウキの姉は末期だった。あと半年持つか持たないかの瀬戸際だった。彼女まで喪えば、恐らく流石のコイツでも耐え切れないのが目に見えていた。それ以前に、俺も過労が祟って一度倒れたせいで、身動き一つ取れもしなかった。そのまま入院して、検査して、無茶を重ねたことで〝HIVウイルス〟の進行が早まってることを知って、そのまま終わる。俺もそう思ってたんだよ、()()()()

 

 

 〝その時は〟という前提を踏まえた上で、アーカーは自分自身でも未だに納得があまり言っていない様子ではあったものの、その後何が起きたかを正確に語った。

 

 

「過労の回復ついでに数日間入院して、一時退院を迎えようとした日のことだ。突然見たこともないような変な形相した倉橋先生が病室に訪ねに来たんだよ。それから有無も言わさず、「今すぐ来てください! もう一度調べ直したいことがあるんです!」って言うモンだから、そのまま俺は一通りの検査を受け直す羽目になったんだよ」

 

 

「検査をか? まだ疲労が残っていないかとかそういうことなのか?」

 

 

「それも最初は考えたんだが、過労っていうのは数日間しっかり休めば回復する程度のモンだ。実際あの時の俺は精神的にはグッタリ来てたが、肉体的には全快だった。始めは意味がわからなくて困惑してたんだが、途中から何の検査をしているのかがハッキリしたんだよ」

 

 

 キリトの問いにアーカーは真っ当に答えつつ、誰もが予想していなかった事態が起きたことを口にする。

 

 

 

「—————検査内容は、体内に〝HIVウイルスが存在するかどうか〟を調べるためのものばかりだった」

 

 

 

 驚嘆と驚愕。何が起きたかを知っているユウキを除く三人にとっては、倉橋という医師が何故そのような検査を彼に受けさせたのかが全く以て理解できなかっただろう。事実、当時のアーカーもそうであった。何度も無駄だと制したが、それでも倉橋先生はやめなかったと語ると、真っ当な医師である彼がどうしてそのような行動に出たかを知った。

 

 

 

 

 

「検査後の結果は—————〝()()()()()

 

 

 

 

 

 有り得ない。それは誰もが思うことだろう。

 HIV、及びAIDSはほぼ不治の病だ。辛うじて完治する可能性があったとしても、それはしっかりとした環境で療養している者でこそ有り得る話だった。

 しかし、彼は違う。今生きているユウキと彼女の姉を救うために自らの身を粉にして奮戦し続け、過労で倒れるような奴だ。そんな奴から何故HIVウイルスが尽く消え去ったのか。齢以上に聡明であった彼からすれば、不明瞭過ぎて困惑すら通り越してしまっていた。

 

 

「正直今もどうしてそうなったのかは本気で意味がわからなかった。今だってあれが真実なのかを疑うことがある。疑って、訝しんで、毎度の如くユウキを見て、間違いなく現実だと認識することを繰り返してるぐらいだ。

 …………ちょっと話がずれたから戻すとして。ハッキリ言って機械ぶっ壊れたんじゃねぇかと思った俺が声をかけるよりも先に、まーた倉橋先生に連れられて、今度は骨髄自体の検査をすることになった。そこからも次から次へと真意を知らされる前に振り回される羽目になってな。漸く解放されたのは数時間後だ。意味が分からな過ぎて困惑する暇もなかった。解放された後も「数日間ほど僕に時間をくれませんか!」だけ言い残して何処かに消えちまったモンだから、正直あの時はどうかしちまったのかと思ったよ………」

 

 

 「あの時の先生はボクよりもすごかったね〜」などと横で揶揄うユウキに、「お前もどっこいどっこいなの忘れてんじゃねぇ」と一喝するアーカーだったが、事実は早急に語るべしと咳払いしてから話を続けた。

 

 

「単刀直入に何が起きていたかを言えば、本来なら有り得ないと断言してもおかしくないことが起きてたんだよ、俺の身体に。

 なあ、お前ら。〝突然変異〟————って知ってるか?」

 

 

「生物やウイルスが持つ遺伝物質の質的・量的変化のことですね。

 要するに読んで字の如く、突然異なるものに変化することです」

 

 

 あまり聞きなれないワードであったが、システムと繋がっていた高性能AIであるユイは、誰にでも分かるように簡単に答える。その言葉に感嘆の声がキリトだけに留まらず、一度説明されたはずのユウキも納得したように挙げる。多少その反応に呆れを覚えたものの、これ以上話の腰を折る訳にもいかないアーカーは率直に告げた。

 

 

「それが、俺の骨髄に起きてたんだよ。具体的に言えば、造血機能を持つ〝造血幹細胞〟。より細かく言えば、〝赤色骨髄〟に()()()()()()()()()()()()()()。こう表現するのは癪だが、ウイルスが耐性をつけるのと同じあれだ。正直気分の良いものじゃねぇよ。

 ………まぁ、反面、その件のウイルスも自分と同じ手で返されるとは思ってねぇだろうな」

 

 

 もし、仮に奇跡というものが実在するならば————それはその時のためにあったのではないかとキリト達は思わざるを得なかった。本来有り得るはずのない現象が引き起こされたという事実は間違いなく、二人がこの場にいることが証明だった。過去を語るというのに、下手な嘘をつくはずもなく、三流作家の脚色だっていらない。元気に生きていられることが喜劇であるならば、二人が歩んできた人生は悲劇という辛い現実を乗り越えて、尊いほどの喜劇を迎えたのだろう。

 

 

「————とはいえ、問題はあった。たまたま幼馴染が、どういう訳かHIVに耐性を持つようになった骨髄を秘めていた。この時点でも、何年か前のご都合主義なラノベの主人公よろしくと言った具合だったが、それで万歳三唱したら即ハッピーエンド………ンなご都合展開にならないのが、この世の中の道理だ。ラノベはラノベだ。現実はそういななくて当然。

 こと骨髄移植において、一番大事なのはHIVに耐性を持つ骨髄かどうかじゃねぇ。それはHIVに感染した者にとっては避けて通れない道であって、本来存在する骨髄移植という医術には全く関係がないものでしかない」

 

 

「…………そうか、《ヒト白血球型抗原》—————HLAか」

 

 

「察しが良いな、キリト。

 骨髄移植において、最も重要視されるのは、〝提供者とそれを受け取る者同士のHLAが適合していなければならない〟という必須条件の方だ。幼馴染でこそあれど、元々赤の他人の俺がどれだけ二人のHLAと適合しているかが鍵だった。その件のHLAっていうのは、恐ろしい話だが、兄弟姉妹、挙句の果てには親子同士ですら適合する確率は高くない。今回に至っては、姉妹同士でも完全に適合する確率は25%程度、赤の他人なんざ数百分の一から数万分の一程度しかねぇ。一流の博打打ちですら多少青褪めるような確率だ。適合する耐性持ち骨髄を探すのと何ら変わらねぇって言うモンだから、これには流石にもう一度絶望するかと思ったよ」

 

 

 「今後も気の遠くなるような博打だけはやりたくねぇ………」と愚痴ると、不安そうな顔を向ける彼らを安心させるために、アーカーは再度口を開いて答えた。

 

 

「残念ながら、俺のHLAとユウキの姉のHLAは適合しなかった」

 

 

 当然、有り得る話だった。元より適合する確率は低い。適合しないということの方が訪れるのはむしろおかしくない。適合するということの方が異常(きせき)とさえ考えるべきだ。

 

 

 

 

 

 ————だが、もし。

 その異常(きせき)が成されていたのであれば—————

 

 

 

 

 

 ———————それは最早、〝偶然〟というより〝必然〟ではないのだろうか?

 

 

 

 

 

 例えるならば、それはポーカーの最終盤。負けられない状況で、必勝とも言えるロイヤルストレートフラッシュを引き当て勝利を勝ち取るということ。

 

 

 

 

 

 無数に存在する数多の確率(みらい)から、異常(きせき)を掴み取る。

 〝絶対〟に100%が存在しないはずの現実で、手にした勝利が変わりようのない100%だったとしたら—————

 

 

 

 

 

 ——————それこそが、矛盾そのものが矛盾していることに他ならないのではないか?

 

 

 

 

 

 紡がれた言葉は、絶望を振り払うものであった。〝適合した〟というたった一言だけだというのに、何度も顔を上げ、俯くことしか出来ず、それを繰り返していたキリト達は歓喜の声を挙げるしかなかった。数分ほど前にも泣き腫らした顔は、再び涙に濡れ、嗚咽を洩らし続けた。

 

 アスナやユイにつられて、当時のことを思い出し泣きしたユウキのせいで、一時的に感傷に浸ってはいたが、落ち着きを取り戻した後は、二人の過去を締めるにあたって必要な〝助かった命〟と〝助からなかった命〟の話となった。

 

 助かった命の話は、ユウキを殺し損なった死神が、意地でも彼女を死の淵に引き摺り込もうと意図的に引き起こしたのではないかと思えるようなタイミングで拒絶反応が起きてしまったことから始まった。喜んだ直後なのに心臓に悪過ぎたせいか、「いい加減安心させてよ!」と涙と共に絶叫したアスナの制裁によって、アーカーが酷い目に遭ったことで代役となったユウキが進行役を務め、本人の口から拒絶反応を乗り越えたことと、それほど大事に至らなかったことが告げられた。

 勿体振るように話し続けた少年は、全ての話が終わるまでは正座をさせられることとなった。当然の報いである。

 

 

 

 そして、もう一つは—————助からなかった命の話だった。

 

 

 

「姉ちゃんは、ボクが拒絶反応を乗り越えたことを先生の口から伝えられた翌日に亡くなったんだ………。すごく悲しかった………。

 ………でもね、手紙を残してくれてたんだ」

 

 

 一言一句忘れることなく、ユウキはその内容を口にする。書かれていたのは、いくつかの心残りと小さな願い。姉として当然の心配事から始まり、無事に完治してほしいという願いに派生し、自分達の分まで二人に人生を楽しんでほしいという祈りへと繋がった。妹や彼女を守ってくれた少年に対する有り触れた言葉ばかりだったが、その一つ一つが有り触れたものとは違う、唯一無二の真摯な思い遣りに満ち溢れていたことは言うまでもなかった。

 

 深い愛情と気持ちで包み込んでくれた優しい姉の姿を、不思議とキリト達は二人の背後に幻視した。それは奇しくも、キリトとアスナがグリセルダという女性の霊を幻視した時に酷似しており、懐かしさを胸一杯に感じていたのだった——————

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時は巡り、日が沈もうかという黄昏時。

 夕食をご馳走になり、楽しげな会話を交わしていたユウキにアスナとユイを任せるように残すと、キリトはアーカーに連れられるまま、ログハウスの外に出ていた。突然、小さな仕草で合図され、呼び出された彼はどういった了見かさえ知らない状態にあり、ひたすら疑問符を浮かべ続けていた。

 

 ただ夕焼けを見るだけに呼び出すような男ではないことを知っているが、何も語らず背を向け黙っている少年に、痺れを切らして訊ねようと口を開く—————

 

 

「なあ、アーカー。俺だけを呼び出したのはどうしてなんだ?」

 

 

「…………キリト。何か変だと思わないか?」

 

 

「変………? 何が変なんだ?」

 

 

「何故《雨宮家》が俺を拾ったのか。

 何故俺の骨髄が後天的に〝突然変異〟を迎えたのか。

 何故俺の骨髄にHIVウイルスへの耐性が目覚めたのか」

 

 

 突然アーカーによって挙げられた三つの疑問は、確かに思い出してみると違和感を覚えるものばかりだった。二人の過去を聞くことに集中していたせいで気にしていなかったキリトだったが、よく考えてみれば、明らかにおかしい点がいくつか存在することに気づく。何かを察した様子を見せたことで、違和感を提示した少年は一つずつおかしな点を指摘し始めた。

 

 

「まず一つ目————異常な程の純血主義に囚われているはずの《雨宮家》が、分家筋の俺に本家の敷地を跨がせたこと。そもそも何処の馬の骨かも分からない俺を拾ったこともおかしすぎる点だ。冷酷無慈悲な一族にしては、どう考えても尤もらしい説明がつかねぇ」

 

 

 左手の指を一本立てると、続けて二つ目に移る。

 

 

「二つ目————昔に比べて人間についての研究が進んでいるとはいえ、〝突然変異〟がああもここぞというタイミングで起きたことだ。確かに〝突然変異遺伝子〟がどうこうという研究が進んでいることや、〝火事場の馬鹿力〟だの〝ゾーン〟だの、いくつか説明できなくもない言葉はあるにはあるが、研究や言葉以前にどう考えても()()だ」

 

 

 二本目の指が立つ。

 

 

「最後に三つ目————最初の完治例が発表されて以来、未だにHIVウイルスに耐性がある骨髄を持っていることが明らかになっているのは白人だ。それも少数に限られている。

 いくら出自が未だに分からないとはいえ、どう見ても俺は白人に見えない。そんな俺に耐性が目覚めるのは異常だ。本来なら、俺もユウキも助からないはずだった。

 こう言っちゃ何だが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 三本目の指が立ち上がり、疑問を全て述べ終えると、アーカーはキリトの方に向き直る。見合わせた顔には真剣な表情が浮かんでおり、同時に何処か嫌な予感を感じているようにも窺えた。それに答えるかのように彼は断言する。

 

 

「—————どう考えても、()()()()()()()()()()()。賭け事なら仕込みを疑われてもおかしくねぇ」

 

 

 賭け事において、イカサマが出来るのはプレイヤーだけか?

 —————否、もう一人存在するだろう?

 疑えば疑うほど、その異質さを露わにする存在が—————

 

 

 

 

 

「——————お前は俺よりも勘が鋭い奴だ。

 だからこそ、絶対に《雨宮家》には近づくなよ。アイツらはまだ何か隠しててもおかしくねぇ」

 

 

 

 

 

 それは、元《雨宮家》の者だった少年からの警告であり、同時に、これより始まる本当の戦いへの予言でもあったことを、この時は警告したアーカーですら知る由はなかった———————

 

 

 

 

 

 二人の過去 後篇 —完—

 

 

 

 

 






 いくつもの謎を抱えながらも、彼らの歩みは止まらない。

 この世界に生きている以上、平穏な日々は続かない。

 ついに、あのフロアボスが姿を現わす時が来た。

 ————だが、忘れてはいけない。

 対峙する敵が、ただのフロアボスではなくなっていることを。

 次回、相対すべき敵は既に無く




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32.相対すべき敵は既に無く



 一週間に一度の更新みたいになってますが、早めに投稿できるよう頑張りたいです、ホント。
 さて、今回は作者の頭逝かれてんじゃねぇのか?回です。具体的には言えませんが、最後まで読むと笑えてきます。ぶっちゃけた話、現場に絶対に居たくないレベル。鬱展開がどうとかではなく、むしろ、愉悦の範囲内です。読んでて笑えてくる展開といいますか。ネタ要素ではないので悪しからず。




 

 

 

 

 

 

 西暦2024年 11月7日

 

 

 

 デスゲーム《ソードアート・オンライン》のチュートリアルが開始されてから、ちょうど二年が過ぎた。二年。そう、二年だ。この二年は果たしてどう映っただろうか。

 

 ある者は現実世界以上に尊ぶべき日々となったことだろう。

 ある者はデスゲームの重圧に屈し、怯え続けた日々だっただろう。

 ある者は二年前の自分がどういう人間だったかを思い出せないほど、変わってしまったことだろう。

 

 一人一人、この二年の捉え方は違う。

 大切で貴重な二年となったか、現実を思い出し苦しんだ二年となったか。大きな違いはそれだけだ。

 

 そういう意味では、雨宮 蒼天()()()少年————アーカーにとって、この二年は悪くなかった日々だった。

 

 この二年間は間違いなく、死病HIVに正面切って挑戦した激闘の二年間と相対する価値があった。喪った者は後者の方が多かった。少年にとって、決して欠かすことのできない存在はユウキただ一人だったのだから、そう思うのも間違っていない。

 かつては、彼女の姉や両親の命まで救おうとし————(なく)したのだ。あの痛みは今も忘れていない。忘れていいものではない。あれほど痛い思いをしたのは、今後もそうないはずだと思いたかった。

 そういう面からして、大切なものがそう残っていなかった今回の二年間は、喪った者は少ないどころかいなかったことに違いない。

 

 しかし、今回の二年間がかつてと相対する価値があったのは、喪った痛みの重さ比べではない。

 

 この二年間は、前回とは転じて得るものが多かった。現実世界では得られなかった〝生きている〟という実感の多さは勿論のこと、過去を話しても繋がり続ける親友を得たことや、かつて以上に強く繋がりを感じるようになったユウキの存在は、間違いなく少年を変えるだけの成果を挙げた。口が悪くなったり、容赦なく他人を揶揄ったり、敵対心を顕にしやすくなったのは、かつての彼が持っていた寡黙さなどをすっかり無くしたりと非常に残念な点の数々だっただろうが、それは反面、彼が自分を晒け出せるようになったことの表れでもあり、同時に他人への興味や関心を抱き始めたことの証明でもあった。

 

 

 かつての二年間が、全てを捨てて一だけしか救えなかった日々だったのならば————

 この二年間は、一から全てを手に入れようと足掻いた日々だったのだろう。

 

 

 対比するかのように過ごした二つの二年間。どちらも激闘であり、どちらも少年を少年として構成するには必要不可欠の日々。そこにはたくさんの人々との縁があった。前者はユウキ達一家と倉橋医師。後者はユウキとキリト達。仮に片方だけ過ごしていたとしたら、きっと今の彼は存在し得なかっただろう。

 

 そういう意味では、雨宮 蒼天()()()少年は恵まれている。喪った痛みを知り、得た喜びを知った。人間らしさを持たなかった彼が、人間らしさを手に入れた。

 

 

 

 であれば—————

 〝この時〟が訪れるのは、必然だったのだろう。

 

 

 

 変わることができた少年と、変わることができなかった男性。

 同じ虚無を日常に覚え、互いを鏡だと感じた二人は、漸く明確な違いを手にした。

 人間は違うからこそ争う。同じであるならば、争いは起こり得ない。決して争うことがなかったはずの二人は、確実にその条件を満たしたのだ。

 

 

 

 故に今度こそ、彼らは争う。

 己が譲れぬ明日(みらい)を懸けて———————

 

 

 

 

 

 ———*———*———

 

 

 

 

 

 アーカーとユウキが自らの過去をキリト達に話してから、三日が経過した。最前線は尚も変わらず七十五層。一つ前の層を攻略してから二週間が経過しているが、フロアボス部屋までのマップデータは入手されており、先日それはヒースクリフの元に届けられている。数日以内にフロアボス攻略に対する会議などが催されるのは間違いのないことだ。無論、フロアボス攻略というのは、最も危険を犯す必要のある偵察隊がある程度の情報を持ち帰ってから始まることが常であり、その例に反した七十四層のフロアボス攻略は極めて例外であった。

 

 そういう面からしても、今回こそは通常通りの展開で攻略が開始され、五十層で戦線が崩壊しかけた経験を活かし、憎き《クォーター・ポイント》のフロアボスを犠牲を出さないように尽力できるはずだったのだ—————

 

 

 

 

 

「偵察隊が、全滅—————!?」

 

 

 二週間ぶりにグランザムの《血盟騎士団》本部に戻ったキリト達を待っていたのは、衝撃的な知らせだった。

 ギルド本部となっている鋼鉄塔の上部、かつてヒースクリフとの会談にも使われた硝子張りの会議室には、半円形の大きな机の中心にヒースクリフの賢者然としたローブ姿があった。本来ならば、左右にはギルドの幹部達が着席しているのだが、今回は〝ある事情〟によって退席している。

 護衛もいなければ、幹部達もいない状況下。すでにギルドのメンバーであるが、一度でも争った間柄であるキリトと対面するというのはなかなか落ち着かないはずだが、当のヒースクリフは全く気にすることなく、顔の前で骨ばった両手を組み合わせ、眉間に深い谷を刻んでゆっくり頷いていた。

 

 

「昨日のことだ。七十五層のマッピング自体は、例の如く()()が終了させていたため、犠牲者は出ることはなかった。

 だが、ボス戦はかなりの苦戦が予想された………」

 

 

 ヒースクリフがそう言うのにも理由がある。七十五層もまた、例に及ばず《クォーター・ポイント》と称される難関ボス階層の一つだ。

 

 その存在が初めて確認されたのは、二十五層。双頭巨人型ボスモンスターがこれまでの階層のフロアボスを凌ぐ強さであったことが原因である。まずこの敵により、《軍》の前身であった《解放隊》がほぼ全滅させられ弱体化し、再起を図った結果、現実でいう汚職塗れのゴミと成り果てた。

 

 続く五十層では、金属製の仏像めいた多腕型ボスの猛攻に怯み、勝手に緊急脱出する者が続出して戦線が一度崩壊、援護の部隊がもう少しでも遅れていれば、残るメンバーが全滅の憂き目を免れない状況下にすら追い込まれた。

 後にこの戦いがヒースクリフの勇猛さをアインクラッドに轟かせた一件となったが、彼は己が独力で支えたとは思っていない。確かに彼は戦線を支えること、つまるところ最後の砦となるには相応しい存在であったことは間違いない。ユニークスキル《神聖剣》の真価を発揮するには充分すぎる状況下であったことだし、彼の存在というものがどれほど残っていた者には希望となり得たかなど考えるまでもない。

 

 しかし、彼はあくまでも盾である。例え盾があろうとも、矛が無ければ攻め手にかけるのは言うまでもなく、よしんば援護の部隊があったからこそ、勝利を掴めたというのは嘘偽りない真実であったが、彼らが駆けつけるまでの間、その矛の役割を主に演じたのは他でもなく、キリトやアスナ、そして—————

 

 

「例のクエスト、完了したよー! ボスの詳細がちょっぴり判明————あ、わーいアスナだ〜!」

 

 

「おいコラユウキ、テメェ。さっき会談中だって言われたばっかじゃねぇか。せめてノックしてから突っ込めっての」

 

 

 ノックもなく会議室の扉を豪快に開け放った少女と少年が、三人しかいなかったその空間に足を踏み入れた。入って早々、アスナを見つけて駆けていくユウキの姿に、頭痛を覚えたアーカーが注意するが————違うそこじゃない。

 突然の闖入者により、真剣な空気が崩壊する。これには、さしものヒースクリフも苦笑いを零し、キリトはぽかーんと口を開けたままとなり、アスナは駆けつけた天真爛漫少女にされるがままとなった。具体的には抱き締めたり、両手を握って握手みたいに上下に振ったりと相変わらずの元気良さである。ふと、アスナの胸元辺りにあったネックレス、その中央にある大きな透明の涙滴型の宝石が強くとくんと、瞬く。

 

 その光景が数十秒ほど続いた後、アーカーがユウキをアスナから引き剥がしたところで、ヒースクリフが咳払いを入れて話を再開させる。勿論のことだが、これ以上下手に話の腰を折らないよう、二人は部屋の隅で自粛している。

 

 

「………そこで、我々は二名のみの《絶対双刃》を除く五ギルド合同のパーティー二十人を偵察隊として送り込んだ」

 

 

 抑揚の少ない声。半眼に閉じられた真鍮色の瞳からは表情を読み取ることができない。人間味が薄いとすら感じる様子に、真実を知るアーカーとユウキを除いたキリトとアスナには、彼がどういった人間なのかを把握することは容易ではない。

 

 

「偵察は慎重を期して行われた。十人が護衛としてボス部屋入り口で待機し……最初の十人が部屋の中心に到達して、ボスが出現した瞬間から、入り口の扉が閉じてしまったのだ。ここから先は後衛の十人の報告になる。扉は五分以上開かなかった。《鍵開け》スキルや直接の打撃等何をしても無駄だったらしい。漸く扉が開いた時————」

 

 

 ヒースクリフの口許が固く引き結ばれた。一瞬目を閉じ、言葉を続ける。不思議とその動きはアーカーと似たものがあった。

 

 

「部屋の中には何も無かったそうだ。十人の姿も、ボスも消えていた。単位脱出した形跡も無かった。彼らは帰ってこなかった……。念の為、基部フロアの《黒鉄宮》までモニュメントの名簿を確認しに行かせたが……」

 

 

 その先は言葉に出さず、首を左右に振った。キリトの隣に立つアスナが息を詰め、すぐに絞り出すように呟いた。

 

 

「十……人も………。なんでそんなことに……」

 

 

「結晶無効化空間……?」

 

 

 キリトの問いをヒースクリフが小さく首肯する。

 

 

「そうとしか考えられない。アスナ君の報告では七十四層とそうだったということだから、恐らく今後全てのボス部屋が無効化空間と思っていいだろう」

 

 

「バカな……」

 

 

 嘆息するキリト。その気持ちは大いに共感できるものだ。緊急脱出不可となれば、思わぬアクシデントで死亡する者が出る可能性が飛躍的に高まる。死者を出さない。それはこのデスゲームをクリアする上での大前提だが、フロアボス攻略とは犠牲が身近に存在する。クリアを目指すのならば、大前提を捨てることも視野に入れなければならない。

 しかし、結晶無効化空間とはそれだけではない。文字通り結晶アイテム全てが無効化されるのだ。つまるところ、即効性のあるアイテムは使用できない。回復結晶であれ、部位欠損回復結晶であれ、全てが時間継続回復(ヒール・オーバー・タイム)系であるポーションばかりに限られる。《スイッチ》の難易度は無論、《POTローテ》のタイミングも厳しくなることだろう。即効性がないということが、どれほど前線に立つ者にプレッシャーを与えるかなど考えるまでもない。

 

 

「いよいよ本格的なデスゲームになってきたわけだ……」

 

 

「だからと言って攻略を諦めることはできない」

 

 

 ヒースクリフは目を閉じると、囁くような、だがきっぱりとした声で言った。

 

 

「結晶による脱出が不可な上に、今回はボス出現と同時に背後の退路も絶たれてしまう構造らしい。ならば統制の取れる範囲で可能な限り大部隊を以て当たるしかない」

 

 

 そこで、漸くヒースクリフは部屋の隅で待っていたアーカーとユウキの方を振り向くと、ほんの少しだけ声音を変えた。

 

 

「————幸い我々が幸運だったのは、攻略組に最も頼りにできる《最前線狩り》が復帰していることだ。()()()とユウキ君には、昨日の偵察隊が全滅したと報告を受けた直後、フロアボスの情報が掴めないか、この階層に存在するクエスト全ての情報を整理、及び再確認してもらっていた」

 

 

 何故この場に三人しか残されていなかったのか。その理由はそこにあった。幹部達はいくら攻略を共にする者と言えど、他ギルドの輩が本部に足を踏み入れることを是としない。加えて《血盟騎士団》が《絶対双刃》に依頼することも是としない。それは《聖竜連合》との確執を招くからだ。要は、彼らがこの場に残っていると話が進まないのだ。つまるところ、この場に彼らがいないのは、邪魔だという意味合いの他にも、ヒースクリフが二人に()()()()()()()()()()()ということになる。

 

 結果はどうだった?と発言を促す素振りをヒースクリフが見せる。

 すると、アーカーとユウキが進み出た。

 

 

「良い知らせとして、だ。

 —————フロアボスの詳細がある程度判明した」

 

 

 キリト達の身体が強張り、続けて流石だという言葉を零す。やはりこの手のことでアーカーの右に出る者はいないようだ。改めて《最前線狩り》の妙技を披露してもらったことで、その認識が強まる。

 

 

「フロアボスの名前は《The Skullreaper》————骸骨の刈り手。名前の通り、全身が骨で出来た百足らしい。攻撃パターンの殆どが、頭骨の両脇から鎌状に尖った巨大な骨の腕による薙ぎ払い、振り下ろし、切り上げ………と、要するに骨の鎌で切り刻みにかかるとのことだ」

 

 

 「鎌にはあんまり良い思い出がねぇなぁ……」と戯けたように呟くアーカーに、覚えがあるキリト達は納得の声を洩らす。彼らが瞬時に思い浮かべたのは、一層隠し地下ダンジョンにて遭遇した死神のことだ。未だ七十五層攻略途中で九十層クラスのボスと出会うなんて不運にも程があった。出来ることなら、九十層に辿り着くまではあんな化け物と遭遇したくないだろう。

 

 

「………ふむ。他にも気になる情報はあったのかな?」

 

 

「気になる情報なぁ…………—————確かに一つだけあったな」

 

 

 他にも情報がないかと訊ねるヒースクリフに対し、何か思い出したようにアーカーが反応するとユウキも覚えがあったのか、今度は彼女がそれを伝える。

 

 

「ボク達が手に入れたこの情報を教えてくれたNPCが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「な—————」

 

 

 キリトが絶句する。アスナもまた息を詰め、そして、何よりも驚くべきことは、ヒースクリフが眉を(ひそ)めたことだ。彼は並大抵のことでは動じない。人間らしい反応一つ見せないこともある。そんな彼が怪訝そうな顔を見せたということは、事態は思っているよりも深刻な証とも取れた。

 ヒースクリフは知らないだろうが、キリトとアスナには全身にノイズを走らせるという現象に覚えがある。それは自分達の愛娘であるユイの時に遭遇している。あの時もやはりカーディナルのバグ絡みであったが、今回もその例に準ずるものではないかという不安が募り始めていた。

 

 その不安を更に大きくするかのように、ユウキがもう一言追加で告げた。

 

 

 

 

 

「その時、NPCが消滅する直前に、確かにボク達は聞いたんだ。

 —————()()()()()()、って」

 

 

 

 

 

「ミノタウロス—————!?」

 

 

 それは世界史や伝承、何よりもゲーマーとしてなら知っていないことの方が少ないだろう有名な名前だった。

 牛頭人身の怪物。ミノス王の牛。クレタ島の伝説。ギリシャ神話に登場する怪物の中でも、一、二位を争うレベルの有名さを持つ、強大な敵ボスとして知られるミノタウロス。その強さは基本的に尋常ではない。初心者殺しとして最初の難関として登場することもあれば、順々に力を付けたプレイヤーを屠るべく後半での強敵として現れることもしばしばあるほどの存在。

 前階層フロアボスであるグリームアイズは山羊頭人身の怪物ではあったが、あれもまた現実世界に存在する怪物の情報から生成されたものであるならば、ミノタウロスは存在して然るべき相手だろう。何せRPGでは定番の敵キャラなのだ。いくらデスゲームと言えど、この世界もまたRPGの一つ。名を聞かないはずがなかった。

 

 しかし、問題はそこではない。

 考えるべきは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、だ。

 

 嘘ではないな?と無言の圧力をかけるヒースクリフに、アーカーが溜息交じりに答える。

 

 

「こんな大事な時に法螺吹かすほど馬鹿じゃねぇさ。そういう疑いの目は、今は亡き《軍》の阿呆共にやってくれよ、ヒースクリフ」

 

 

「疑って済まなかったな。私もまた命を預かる者だ。心配の種はなるべく潰しておきたかったのだよ」

 

 

「ま、そういうことにしておいてやるよ

 ————ンで? フロアボスはどうするんだ?」

 

 

 アーカー達のお蔭で少なくとも情報は手に入った。不安要素は多い。下手に動けば、犠牲者を増やすかもしれない。今し方二人が告げた情報を整理し、他ギルドにも通達したとして、混乱を招く事態が起こらないとは限らない。

 

 けれど、この男は怯まない。

 

 

「確かに不確定要素はある。君達のお蔭で情報が幾分か手に入ったとしても、完全に備えることは出来ない。これまでの《クォーター・ポイント》でのボス攻略戦の経験から考えれば、今回もまた苦戦を強いられるだろう。犠牲者を出さないという希望的観測もそう易々と出来はしない。

 —————だが、我々が進まなければ、解放の日が有り得ないのもまた事実だ。ここで立ち止まる訳にもいかない」

 

 

 この場にいる彼らの心に語りかけるように名演説を行うヒースクリフは、確かに誰しもが描いた英雄像に近しい人物だ。間違いなく、この鋼鉄の浮遊城アインクラッドに、〝他者を率い〟〝他者を導き〟〝他者を進み続けさせる〟ことにおいて、彼の右に出る者はいない。彼もまたアスナのような例外を除く、ゲームに魅せられたコアゲーマーだというのなら、大規模なオンラインゲームでトップを走り続けるギルドの長をしていたのではないかと考えてもおかしくないほどだろう。この場において————否、この世界において、その真相を知る者は二人しか存在しない。果たして、彼らがその真実に辿り着いた時には、どんな顔をする羽目になるのだろうか—————と、アーカーが思考を過ぎらせたところで、ヒースクリフが席から立ち上がった。

 

 

「新婚の君達を召喚するのは本意ではなかったが、今回は君達の力を借りなければならないと判断した。了解してくれ給え」

 

 

 正しくこれは総力戦だ。打てる手を全て打たなければ、被害は甚大となる。それを誰よりも理解しているが故の判断である以上、キリト達にそれを拒む術はなかった。我が身可愛さに逃げる、という方法も取れるはずもない。何故なら、あの時ユイが警告した通り、エラーの深刻さは日に日に増している。フロアボスの情報を教えてくれるNPCが消滅したのが良い例だ。最早、逃げてはいられないのだ。

 

 肩を竦めて、キリトは答えた。

 

 

「協力はさせて貰いますよ。

 だが、俺にとってはアスナの安全が最優先です。もし危険な状況になったら、パーティー全体よりも彼女を守ります」

 

 

 それは一人の漢としての覚悟の表れでもあり—————

 

 

「それに、俺達はアーカーやユウキと現実世界(向こう)でまた会う約束をしている。

 ————あとは、言わなくても分かるはずだ」

 

 

 この世界で出会った、最高の親友達に向ける親愛でもあった。

 あのヒースクリフと対峙してなお、キリトは怯むことなく真っ直ぐに宣言する。その雄姿にアスナは嬉しそうに微笑み、アーカーは心のうちで悪くないと思い、ユウキは笑顔を浮かべた。

 そして、少年もまた、悪友が啖呵を切ったのならば、それに続かない訳にはいかなかった。

 

 

「ヒースクリフ。俺も同様だ。敢えて断言するが、昔の俺にとって、ユウキ以外の他者はどうでも良かった。それは間違いない。

 —————だが、この二年でその答えは少し変わったよ。相変わらず大多数の他者がどうなろうが知ったことじゃねぇのは変わらないが、少なくとも、ここにいる大切な俺の女(ユウキ)と、減らず口を叩く悪友(キリト)と、負けず嫌いな料理仲間(アスナ)だけは死ぬ気で守る。今更、ことの是非は問わないでくれよ?」

 

 

 その言葉には、彼が培ってきたこの二年での変化が籠っていた。

 

 ヒースクリフは—————茅場 晶彦は知っている。目の前に立つ少年が、どれほど虚無感に苛まれ、万物万象すら退屈と断じていたかを。鏡、生き写しとすら感じた似た者同士だったからこそ、その虚無(いたみ)を知っている。

 だからこそだろうか。不思議と、人間味の薄かったはずの男は、ふと—————

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああ、それで構わない。

 君の成長を言祝(ことほ)ごう—————ソラ君」

 

 

 

 

 

 

 

 

 —————まるで、()()()()()()()()()()()()()()

 微かな喜びを噛み締めた様子を、隠すことなく露わにした。

 

 その姿に、この場にいる誰もが息を呑んだ。初めて見たから、というのもあったが、まさかこの男がそんな顔を見せる、或いは出来るとは思っていなかったからだ。そして、当然、この対応は確実に彼の首を絞めることになるだろう。他者との関わりを極限まで減らしていたアーカーと現実世界で関わりがあるのは、両手の指の数にも満たないどころではない。片手の指の数でも事足りる。

 恐らく、この瞬間、キリトどころかアスナも気付いただろう。彼が茅場 晶彦であることを。きっと当人はそれを理解している。理解していて—————そうしたのだ。

 

 微かな笑みを浮かべ直すと、ヒースクリフは告げる。

 

 

「何かを守ろうとする人間は強いものだ。君達の勇戦を期待するよ。攻略開始は三時間後。予定人数は君達を入れて三十四人。キリト君とアスナ君はソラ君とユウキ君のパーティーに参加し給え。七十五層コリニア市ゲートに午後一時集合だ。では解散」

 

 

 それだけ言うと、紅衣の聖騎士は部屋を出て行った。彼がいなくなった後になっても、アーカーはその場に立ち尽くす。浮かべた表情には明らかな動揺が残っていた。その原因は言わずもがな、あの男が浮かべた笑みだろう。両親の愛を知らず、けれど、ユウキと共に過ごしたことでそれを知り、求めているとしたら—————

 

 

 

 

 

「——————ああ、ホント卑怯だな…………あの人は」

 

 

 

 

 

 最早隠す必要はないと、アーカーは心許せる者のみが残った会議室の中で、喉を震わせながらそう呟くしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アーカーが落ち着きを取り戻したのは、それから数分後のことだった。これほどまでに明らかな動揺を見せたのは、片手の指の数にも満たない。それほど彼が受けた衝撃というのは計り知れないものであった。当然、その様子から—————否、そうでなくとも、キリト達はヒースクリフの正体を悟ってしまった。二人だけの秘密が悟られた。知られた。バレてしまった。秘密が明らかとなった時、何が起こるかなど考えるまでもない。

 

 冷静さを取り戻した彼に、キリトが問う。

 

 

「なんで秘密にしていたのか、教えてくれるか? アーカー」

 

 

「…………単純なことだ。俺がケジメをつけるために、お前らを巻き込まないようにしてたんだよ」

 

 

 このデスゲームが開始した時、アーカーの—————雨宮 蒼天だった少年の目的は、ゲームマスターである叔父、茅場 晶彦の殺害だった。叔父の性格からして蚊帳の外で傍観者を気取ることはしないと判断し切っていた彼にとって、百層に奴が待ち受けているのは間違いないと断じた以上、そこに辿り着くことが出来れば、この世界の法則に倣って殺害できると考えたのは、かつてキリト達も聞いた話だ。

 

 だが、ここからの話は、ユウキですら知りもしなかった物語(かこ)の断片だ。

 

 

「この世界—————《ソードアート・オンライン》は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 思えば、あの日、あの場所で、彼と出会ったことが、この世界の始まりだったのだろう。

 思い返すようにアーカーは、記憶に残る鮮烈で斬新で、それでいて、何故自分が既にユウキだけとなっていたはずの他者との関わりを忘れずにいたのかを理解した。

 二年前の彼にとって、ユウキを含めた一家だけが信じるに値するものであったのは言うまでもない。その信用が最早ユウキを残して、死別という途絶え方をしたのも彼らは知っている。

 

 だが、唯一例外が存在した。信じてはいない。信用も信頼もしていない。けれど、間違いなく彼が他者とは全く別のカテゴライズをして考えていた人物がいた。

 

 —————茅場 晶彦。

 家系図的には、《雨宮家》に嫁いだ母親の兄に当たる人物であり、それ以上でもそれ以下でもなかった。単なる〝叔父〟でしかない。たったそれだけの関係性。そういう点では、《雨宮家》に属する者達も似たような間柄である以上、特別差別化する必要もないのだから、少年にとっては心底どうでもいいはずだった。

 

 けれど、そうならなかったのは、(ひとえ)に彼が余りにも自分と似過ぎていたから—————

 

 

「現実世界で俺は、あの人と会ったことがあった。ユウキには既に伝えたが、数ヶ月前にも三十九層《ノルフレト》でもヒースクリフとして出会ってる。俺が最初に確信したのは、その時だ。現実世界で見た夕焼けと全く同じ光景が、そこには広がっていたモンでな。見惚れてたんだよ、どういう訳か懐かしくてな」

 

 

 かつて、少年は彼と出会った。

 後に世界的に大成し世間を混乱の渦に飲み込んだ人物と、後に死病に打ち克ち一人の少女を救った人物が、偶然出会ったのだ。

 語らいはちっぽけなものだった。夕焼けの評価から始まった他愛もない雑談。子供に投げかけるにしては難儀な話題が多数存在したが、少年は苦労なく答えていた。異様だと思う。

 しかし、よく考えてみれば、子供と大人が同じ目線で語り合う時点で、その異様な光景は最初から広がっていたのだろう。

 

 

「そんな時だ。突然、叔父さんがさ。ある質問を投げかけてきた。今思えば、この時点で気付くべきだったんだろうな」

 

 

 語らいの果てに、彼らはお互いが鏡のようだと気付いていた。生き写しではないかと疑い、無意識に信じ、内に秘めた渇望を曝け出していた。

 少年は、退屈を掻き消してくれる他者と、その他者のために全てを賭しても守りたいと思える瞬間を。

 彼は—————現実世界のあらゆる枠や法則を超越した世界と、空に浮かぶ鉄の城の空想を。

 二人はそれぞれ違うものを求めながらも、手に入れることが出来ず、虚無感に苛まれ続けた似た者同士だった。前者の願いは、明らかに後者よりも難易度が低いと思えた。本人にもその実感はあったのは言うまでもない。

 

 けれど、少年は人間の悪性ばかりを見過ぎていた。《雨宮》という蠱毒の中で育つしかなかった捨て子は、人間に善性が存在するなどと信じることも出来ず、他者を疑ってかかり、予想の域を出ない時点で〝下らない有り触れたモノ〟と断じて切り捨てた。小学校に入学する前の子供が考えるにしては、悲観的で、悲愴的で、何よりも残酷過ぎた。茅場家に助けを求めた母親の姿すら〝下らない有り触れたモノ〟と判断していたのだから、どれほど少年が全てを俯瞰していたかなど断言するまでもない。

 

 そんな少年だったからこそ、同じ虚無を抱いていた茅場 晶彦という人間は、自身の渇望すら打ち明けることが出来たのだろう。

 

 

「あの人は、空に浮かぶ鉄の城の空想を抱き続けていた。この世のあらゆる枠口から解放され、法則をも超越した、理解のできない異世界を。そういう意味では、この世界は正しく彼の夢想した通りの世界だ」

 

 

 チュートリアルの時、彼は確かに告げた。

 〝すでに一切の目的も、理由も持たない〟と。

 〝この状況こそが、私にとっての最終的な目標だからだ〟と。

 そして何より—————〝全ては達成せしめられた〟と。

 

 そう、彼はこの世界の誕生と同時に、抱いていた空想(ねがい)現実(こたえ)へと塗り替えた。万人がその執念すら肌身で感じられるほどに、彼は大成してなお満足することなく、ここまで辿り着くために全てを賭したのだ。例えその後、自分がどう言われることになろうと、どんな扱いを受けるかなど気にすらせず、全てを捨てたのだ。

 

 あまりにも身勝手すぎると思うだろう。

 あまりにも狂っていると思うだろう。

 

 —————だが、それは奇しくも、少年が選んだ在り方と同じだった。

 少年は、退屈を掻き消してくれた他者(ユウキ)を知り、その彼女を守るために、約束された栄光(じんせい)も、恵まれた環境(しゃかい)も、死に怯えることのない未来(あした)までも全て(なげう)った。例えその後、自分がどう言われることになろうと、どんな扱いを受けるかなど気にすらせず、全てを捨てて少女の明日を守ろうとした。

 

 二人の在り方も、生き方も、恐ろしいまでに同じだった。

 

 

「あの人は、三十九層で再会した時、現実世界で見た夕焼けと全く同じ光景を見ながらこう言った。

 —————私にとっての〝決意の原風景〟だと。俺も漸くあの言葉の意味が思い出せたよ」

 

 

 何故この世界が自分の成長を促すために用意されたように思ったのか。彼の過去を知っていてもなお、意味が分からないその言葉の真意がその口から語られる。

 

 

「俺はあの人の願いを聞いて、こう返したんだよ。

 —————「そんな世界なら、きっとこの世界より幾分かマシだろうね。人間の善性と悪性がハッキリして、本当に信じるに足る人が見つかるかもしれない。確かにそれなら………僕の願いも叶う気がする」ってな。

 今考えてみれば—————ガッツリ唆してるんだよなぁ………いやはや、れっきとした共犯者じゃねぇか。全く呆れた話だろ?」

 

 

 日本には〝豚も煽てりゃ木に登る〟という諺がある。これは能力の低い者でも煽てられると気を良くして能力以上のことをやり遂げることを示すものだが、能力もあり実力もある茅場 晶彦を煽てた結果が異世界の創造を成し遂げるというオチに至るなど、当時の自分は全く以て想像していなかったのだろう。それを聞いていたキリト達どころかユウキまでもが唖然とし、それから呆れるように溜息を吐いた。どうして呆れられたかを分かっていない少年に、アスナの胸でとくんと瞬いていた涙滴型の宝石が、突然純白の光を爆発させ、その形状を人型へと構成させていき————

 

 

「—————にぃには、もう少し素直になるべきです!」

 

 

 ———とても見覚えのある白いワンピース姿の少女となって現れた。間違いなく、キリト達の愛娘ユイである。突然の登場に、今度はアーカーが唖然とし、ユウキはぽかーんと口を開けたまま硬直する。視界の端では悪戯が成功したような顔をするキリトとアスナが映る。よくよく考えてみれば、愛娘一人をログハウスに残していくことを良しとできなさそうなほどに親バカと化した二人が何の対策もしていないはずもなく、それ以前に、見覚えのないネックレスをアスナが付けている時点で疑うべきだったのだ。

 

 ………と思考が余計な方法に加速し始めるのを、辛うじてそこで切り離すと、アーカーはユイに目を向ける。そちらをまず視野に入れた理由は少女の言葉にあった。素直になるべき、そんなものが何故このタイミングで飛び出したのか理解できなかったからだ。

 

 

「………あのな、ユイ。どういうつもりで俺に素直になれって言ってくれてるのか、分かるように言ってくれねぇか? お前ほどじゃないがある程度頭は回る方だと自負してるつもりだが、今回ばかりは全く真意に気付けないんだが………」

 

 

 皆目見当がつかないと言う少年に対し、膨れっ面を見せるユイ。疑問符ばかりが頭に浮かぶ中で、視界内に収まっているキリトとアスナは既に察しと納得がいったらしい様子を見せ、驚くべきはユウキまでもが妹分の言いたいことが何なのかに気付いていることだった。それを目にし、流石の彼も不味いと思うも、やはり察することができない。思考が空回りをしているのかと考えそうになった辺りで、ユイが我慢の限界とばかりに言い放った。

 

 

 

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ですから、もっとねぇねやわたし、パパやママ、皆さんを頼ってください!」

 

 

 

 

 

 その言葉は—————すとんと腑に落ちた。

 溶け落ちるように深く、深く沈んだ想いの言霊は、一度として反発されることもなく————けれど、確実に胸の奥に渦巻いていた()()を貫いた。ふいに視界がクリアとなって開けたような錯覚を覚え、己に突き付けられた自虐は霧と失せる。それは次第に広がっていき、至極当たり前のことが見えていなかったことを自覚させていく。

 

 

「またユイに助けられたな、アーカー」

 

 

「アーカー君は賢そうに見えて、実はかなりお馬鹿さんよね」

 

 

「だよねだよね!

 ホント………全く、も〜! 前にも言ったけど、ソラは抱え込み過ぎなんだよ。どうせボクにも言ってないことまだいくつかあるんじゃないかな〜?」

 

 

 切り込み隊長ユイに続けとばかりに畳み掛けていく一同。何気に酷い言葉がいくつか飛び出しているが、向けられた本人はそれを咎めることなく受け止める。

 

 確かにそうだ。数日前、彼らには過去を話した。それは信じていたからそうしたのだ。心のうちを晒け出せる気がしたから、一縷の望みに賭けてみた。そうして、本当に信じるに値する親友を手にしたと言うのに、また自分は無意識に一人で抱え込んでいたのだと理解する。これでは信じているとは言えまい。何より、最も信じている少女にも無意識で隠し通そうとしていたのだから、悪癖ここに極まれりと言える。これでは反論の余地などありはしない。例えケジメをつけることは譲らなくても、胸の内をスッキリさせておくぐらいはしておけば良かったのだ。全く、我ながら呆れたものだ………。

 クリアになっていく思考が、自虐無し、冗談無し、素直の一色にのみ染まった結論を出していくのをアーカーは自覚し、苦笑する。

 

 

「……………ったく、お前らも相当馬鹿だよ」

 

 

「「「「アーカー(アーカー君)(ソラ)(にぃに)ほどじゃない(よ)(です)」」」」

 

 

「—————上等だテメェら。

 そこまで言うなら、素直にでもなんでもなってやるから一時間たっぷり愚痴に付き合いやがれ。とことん暴露し尽くしてやらァッ!」

 

 

 半ばヤケクソ気味に少年は吠えた。揶揄われた子供が逆上するかのように、同時に、微笑ましいまでに挑発に乗る。それから赤裸々に語った内容が如何なものかは言うまでもない。

 

 彼は弱い。

 他者に興味・関心を示さなかったことや、信じることをしなかった—————否、出来なかった弊害は、今なお消えることはない。

 

 例え、それでも()()()()()()。省みることは必要だ。振り返ることは必要だ。思い出すことは必要だ。

 

 —————けれど、引き摺るものではない。

 

 本人が自覚しようがしなかろうが、間違いなく言えることは一つでも存在していた。

 

 

 

 

 

 雨宮 蒼天()()()少年は、今なお変わり続けている。

 

 

 

 

 

 ———*———*———

 

 

 

 

 

 七十五層主街区であるコリニア市のゲート広場には、すでに攻略チームと思しき、一見してハイレベルと判断できるプレイヤー達が集結していた。キリトとアスナを連れ立って現れたアーカーとユウキがゲートから転移してきたのを見ると、皆ぴたりと口を閉ざし緊張した表情を浮かべたまま目礼を送ってきた。中にはギルド式の敬礼————と思しきものがちらほらあったが、残念ながら二人だけのギルドである《絶対双刃》の副団長アーカーには、敬礼なんてものが存在しない。そのため、どう返そうか悩むところがあった。

 

 既に横ではキリトが大いに戸惑って立ち止まっているのだから、どうしたものかという気持ちが強まる。

 すると、隣に立つユウキが、元気よく片手をぶんぶん振り回して返事している————と思われる行動をしていたのが目に入った。

 

 気恥ずかしいながら、小さくではあるが軽く手を振ってやると、ゲート広場全域のどよめきが走った。中には「おいマジか」だの、「《絶天》が返事してくれた……だと………?」だの、挙句の果てには明日はゲリラ豪雨じゃねぇのか………」など、かなり失礼なことまで耳に届いた。

 

 

「…………人が返事したら、そんなに変かチクショウ」

 

 

「あはは………ソラが普段返事しないからだと思うよ?」

 

 

「………………」

 

 

 痛い所を突いてきやがったと嫌そうな顔をしつつも、アーカーは継続してぎこちない返事をし続ける。ちらりとキリトはどうなったと目を向けてみれば、アスナに諭されて敬礼を返している。とてもぎこちないが、自分も似たようなものだと分かっている以上、揶揄うにも揶揄えない。揃って尻に敷かれる未来が薄っすらと見えた。

 

 

「よう!」

 

 

 景気良く肩を叩かれて揃いも揃って振り返ると、カタナ使いのクラインがそこにはいた。相変わらず、悪趣味なバンダナの下でにやにやと笑っている。どうやら先程までのぎこちない姿を見ていたらしい。一瞬こちらも景気付けにぶっ飛ばしてやろうかという野蛮人な思考が脳裏を掠めたが、彼の横に両手斧を装備した知人の商人エギルの姿があることに気付く。

 

 

「なんだ…お前らも参加するのか」

 

 

 キリトが驚いたように反応する。それを受け、エギルが憤慨したように野太い声で返す。

 

 

「なんだってことはないだろう!

 今回はえらい苦戦しそうだって言うから、商売を投げ出して加勢に来たんじゃねぇか。この無視無欲の精神を理解できないたぁ……」

 

 

 大袈裟な身振りで喋る大男。彼の言ににやりと悪い顔をしたのは、キリトとアーカー。互いの顔を見合わせ、頷き合う。

 

 

「無私の精神はよーく解った。じゃあお前は戦利品の分配からは除外していいのな」

 

 

「喜べユウキ。エギルが戦利品いらねぇそうだから、俺達の戦利品が少しでも増えるぞ。無私無欲の化身様に礼を言ってやれ。戦利品ご馳走になりますってな」

 

 

「わーい! ありがと、エギル!」

 

 

 無邪気な笑顔をユウキが振り撒くと、一度は「おう!」と良い大人らしく返事をしそうになるも、辛うじて耐えた巨漢はつるつるの頭に手をやって眉を八の字に寄せた。

 

 

「いや、そ、それはだなぁ……。というか、お前のその手口は汚いぞ、アーカー」

 

 

「応とも、汚くて結構。お前もユウキの笑顔の礎となれ」

 

 

「ユウキちゃんのためなのは分かってやれるが、言ってることが悪役のそれじゃねぇのか!?」

 

 

 容赦のない追撃を受けるその姿を見てか、アスナとクラインの朗らかな笑い声が重なった。悪魔その一であるキリトとその二のアーカーが互いの拳をコツンと当てる姿に、ユウキも嬉しそうに笑う。この場に人型として存在していないが、アスナの胸の辺りにある涙滴型の宝石に変化したユイも答えるように何度か瞬いている。彼らの会話を耳にしていたらしいプレイヤー達にも笑顔は伝染し、過剰な緊張感はほぐれていった。

 

 それから午後一時ちょうどに、転移ゲートから新たな数名が出現した。真紅の長衣に巨大な十字盾を携えた《聖騎士》ヒースクリフと、彼によって選出されただろう《血盟騎士団》の精鋭だ。いざ彼らの姿を目にすると、これから死地に赴くのだという実感が強くなり、プレイヤー達の間に再び緊張感が走った。

 

 聖騎士と四人の配下は、プレイヤーの集団を二つに割りながら真っ直ぐアーカー達の方へと進んでいく。威圧されたようにクラインとエギルが数歩下がる中で、アスナは涼しい顔で敬礼を交わす。

 一方で《絶対双刃》の二人は全く動じることない。配下からの刺さるような視線も、真っ向から同様に返す。

 立ち止まったヒースクリフはこちらを向き、軽く頷きかけると、集団に向き直って言葉を発した。

 

 

「欠員はないようだな。よく集まってくれた。状況はすでに知っていると思う。厳しい戦いになるだろうが、諸君の力なら切り抜けられると信じている。————解放の日のために!」

 

 

 ヒースクリフの力強い叫びに、プレイヤー達は一斉に鬨の声で応えた。その光景に、アーカーとキリトは彼に磁力的なカリスマ性を感じていた。特に現実世界で彼と出会った少年は感嘆していた。かつて出会った頃に感じなかったもの。恐らく、この二年間。《血盟騎士団》を率いてきた経験がそれを生じさせたのだろうか。元々この世界を創り出すにあたって、他者を引っ張ることに慣れていたのもあるだろう。それでも、以前の彼とは少し違うのだと思うところがあった。

 

 

「キリト君、今日は頼りにしているよ。

 《二刀流》、存分に揮ってくれ給え」

 

 

 いつの間にかキリトの方を振り向いていたヒースクリフが、低くソフトな声で言葉を投げかけていた。予想される死闘を前にして、僅かな気負いもないのが声音から感じ取れる。いつかの交渉の際を思い出したアーカーは、その様子が相変わらずで安心すら覚えた。そんなこちらにも、彼はいつも通り声をかけてくる。

 

 

「ソラ君もユウキ君も、君達の奮戦にはいつも通り期待させてもらうよ。《天駆翔》、《至天剣》。()()()()()()()()()()()()を存分に魅せてくれ給え」

 

 

「上等。程よく戦場引っ掻き回してやるから、腑抜けたボスの土手っ腹に重い一撃叩き込んでくれよ?」

 

 

「うん、任せて。絶対に隙を作ってみせるよ!」

 

 

 平然と返答する二人。最強の男に対し、臆することのないその姿は、彼らが強者たる証拠なのだろう。ここに集ったプレイヤー達は、この戦いが終わった後、いずれ一度でいいから全力で戦ってみてほしい、そしてそれを目にしたいという欲求すら生まれ始める。

 

 満足のいく返答を耳にできたことで、ヒースクリフは再び集団を振り返り、軽く片手を上げた。

 

 

「では、出発しよう。

 目標のボスモンスタールーム直前の場所までコリドーを開く」

 

 

 ヒースクリフが腰のパックから濃紺色の結晶アイテムを取り出す。それは通常の転移結晶とは異なる《回廊結晶(コリドー・クリスタル)》と呼ばれるものだ。任意の地点を記録し、瞬間転移ゲートを開くことができるという代物であり、これまでPKにも使用されてきたものでもあった。極めて希少ではあるが、ヒースクリフほどの男ともなれば話は別だろう。

 

 周囲は驚きの声をあげていたが、当人は意を介せぬふうで、結晶を握った右手を高く掲げると「コリドー・オープン」と発声した。合図となるキーワードを受け、それは瞬時に砕け散り、彼の前の空間に青く揺らめく光の渦が出現した。

 

 

「では皆、ついてきてくれたまえ」

 

 

 全員をぐるりと見渡し、ヒースクリフは紅衣の裾を翻して青い光の中へと足を踏み入れた。その姿は瞬時に眩い閃光に包まれ、消滅する。間を置かず、四人の配下達がそれに続き、次々とその中へと身体を躍らせていく。いつの間にか集まってきていた、多くのプレイヤーからの激励の声が飛ぶ中、アーカーとユウキもまた、光のコリドーの中へと飛び込んでいく。

 

 軽い眩暈にも似た転移感覚の後、目を開くとそこはもう迷宮の中だった。広い回廊の壁際には太い柱が列を成し、その先には巨大な扉が待ち構えている。見慣れた光景でもあり、一度訪れている。

 七十五層迷宮区は、僅かに透明感のある黒曜石のような素材で組み上げられて、ごつごつと荒削りだった下層の迷宮とは違っていた。鏡のように磨き上げられたそれらが直線的に敷き詰められている。空気は冷たく湿り、薄い靄がゆっくりと床の上をたなびいている。何処と無くお化け屋敷のような雰囲気すらあった。

 

 遅れて転移してきたキリトとアスナが隣にまでやってくる。

 

「……なんか……やな感じだね……」

 

 

「ああ………」

 

 

「ホラーでよくありそうな雰囲気してるよなぁ………。つっても、今回のボスはお化けじゃねぇから問題ないだろ」

 

 

「そ、そうだよね! お化けじゃないよね! だ、大丈夫だよ、ボクは!」

 

 

「オーケー、まずはその明らかに怖がってるとこ治してから、大丈夫って言ってみろお前」

 

 

 ホラーやお化けといった単語に過剰反応を起こすアスナとユウキに、もしも本当に幽霊などのアストラル系がフロアボスに変更されていたらどうしたもんかとアーカーは考え込む。ユイの推測だと七十五層フロアボスはカーディナルの影響で何らかの不具合を起こしていてもおかしくないという。加えて、事前にNPCから情報を得ようとした際、ミノタウロスという名を耳にすることとなった。そのせいか、本当に情報通り、骸骨で出来た百足が姿を現わすのかという心配があったのだ。

 

 

「ま、何にせよ………」

 

 

 扉に向けていた目をちらりとヒースクリフへと向ける。

 

 

「たかだか一介のフロアボスに負ける訳にはいかねぇよ。俺達は向こうで会う約束をした。—————だったら、全力で叩き潰すまでだ」

 

 

 その一言で、アスナとユウキの認識が変わる。そうだ。お化けだろうが、幽霊だろうが関係ない。怖がってばかりいても進めないのだ。目指すべき場所は決まっている。倒すべき相手は決まっている。辿り着く場所は死ではない。勝って現実世界に帰る。それだけなのだ。

 

 回廊の中央で、十字盾をオブジェクト化させたヒースクリフががしゃりと装備を鳴らして言った。

 

 

「皆、準備はいいかな。今回《絶対双刃》の二人により、どのような姿をしているかの情報は手に入った。そこから推測される攻撃パターンを早々に見切り、柔軟に対応してほしい。それまでの間、我々が前衛で攻撃を食い止めよう」

 

 

 恐れることはないとヒースクリフは告げる。

 剣士達は頷く。同時に目指す。—————希望を。形ある勝利を。

 

 

「では————行こうか」

 

 

 先陣を切るヒースクリフが無造作に黒曜石の大扉に歩み寄り、中央に右手をかけた。全員に大なり小なり緊張が走る。

 

 

「殺るぞ、ユウキ!」

 

 

「うん殺ろう、ソラ!」

 

 

 大扉が重々しい響きを立てながら、ゆっくりと動き出す中で、二人は互いを鼓舞するようにいつも通りの言葉を交わす。プレイヤー達が一斉に抜刀する。それに便乗するように、アーカーとユウキもまた抜刀する。

 

 彼の手に握られたのは、いつかの古びた長剣ではなく、白銀に煌めく細身の長剣。小さく狼の意匠が施されたそれは、不思議と彼に似つかわしいものにすら感じられた。

 それは彼女とて同じ。同様に握られたのは、黒曜石で出来た細身の長剣だ。《絶対不滅の意志》というクエストにて手に入ったそれは、〝諦めない〟と謳う彼女にこそ相応しいものだ。

 キリトもまた得物を引き抜いた。《二刀流》の証たる二振りの剣。彼だけの唯一であり、例外を持たないそれは、勇者の資格にすら思えた。細剣を構えるアスナと目が合い、互いに頷きを交わす。

 

 最後に、十字盾の裏側から長剣を音高く抜いたヒースクリフが、右手を高く掲げ、叫んだ。

 

 

「—————戦闘、開始!」

 

 

 そのまま、完全に開き切った扉の中へと走り出す。全員がそれに続く。油断も、慢心も、何一つとして欠けたものはなかった。犠牲は出るかもしれない。それでも、多くが生き残ると思われた。

 

 

 

 だが、その思いは容易く踏み躙られることとなる。

 

 

 

 内部は、かなり広いドーム状の部屋となっていた。以前、キリトとヒースクリフがデュエルした闘技場ほどの大きさだ。円弧を描く黒い壁が高くせり上がり、遥か頭上で湾曲して閉じている。三十四人全員が部屋に走り込み、自然な陣形を作って立ち止まった直後————予想通り、背後で轟音を立てて大扉が閉まった。情報通りなら、最早開けることは不可能。ボスが死ぬか、こちらが全滅するか。次に開く時はそのどちらかだ。

 

 突入してから数秒が経った。何も起きない。いや、何も起きていない訳ではない。先程から、()()()()()()()()()()()()

 それから、ふと—————何かがおかしいことに、誰しもが気がついた。天井の方から何か粉のようなものが降ってきているのだ。身体に付着したそれを指先で取り、手触りを確認してみる。ザラザラとしているそれは、あまり覚えのないものだ。どういうことだろう。天井を構成する石材の欠片だろうかと思考が加速しかける。

 

 そこに、一人のプレイヤーの目前に巨大な何かが突き立てられた。突然のことに腰を抜かすも、辛うじて接触していないことからダメージはない。何が降ってだろうかと周囲のプレイヤーが確認に向かう。

 

 

「……なんだこれ、()………()?」

 

 

 その言葉を聞いた途端、アーカー達が即座に青褪めた。

 

 

「そこから急いで離れろォッ!!」

 

 

 アーカーが叫ぶ。骨という言葉で思い当たるのは、今回のフロアボス以外に存在しない。つまり、あれは奇襲の一つではないのか?と危機感が全身を駆け巡ったからだった。

 

 彼が叫んだと同時に、フロアボスを倒すことで開かれる出口付近に大質量の何かが天井から墜落してきた。衝撃波が床を揺らし、突風を生み出し、煙が舞った。

 

 幸い離れた場所だったため、誰も巻き込まれていない。ほぼ全員が煙に当てられ咳き込む中で、アーカーとユウキ、そしてヒースクリフが何が落ちてきたのかを知ろうと目を見張る。近づくのは危険だ。そう本能が語りかけてきている。ゆっくりと、はっきりと、少しずつ、確かな勢いで煙が晴れていく。何が落ちてきたのか、それを知る時が近づく。

 

 

 

 そして—————()()()()()()()()()

 

 煙の中に表示されたのは、()()()カーソル。うち一つには《The Skullreaper》————情報通り、〝骸骨の刈り手〟の名を持つエネミーの名前が。

 続いて、もう一つには《The Labyrinthlord》—————〝迷宮の主〟と銘打たれた、情報にはない名前が浮かび上がっていた。

 

 それだけではない。驚くべきことは、本来のフロアボスであろう骸骨百足が持つHPバー四本のうち三本が既に空となり、四本目もまた()()()()となっていることだった。今こうして突入した攻略組を除き、誰もここには突入していなかったはずが、何故かそこまで削れている。断言するが、偵察隊の手腕ではない。

 その一方で、〝迷宮の主〟という名を持つ存在—————未だ煙の中にある姿不明のボスに設定されたHPバーは()()。僅かに削れているものの、たったの一本目すら失われていない。今も僅かに減少しているが、それも微々たるものだ。第一、何故HPが減少しているのか、その疑問に答えるように、煙の中から骨の腕が飛び出した。

 

 飛び出したそれは、煙を裂くように振るわれ、間違いなく正体不明の敵へと直撃した。七十五層ともなれば、相当なダメージになるはずだろう。

 しかし、それは直撃したのにも関わらず、大したダメージ量にもならず、プレイヤーに弱めのソードスキルを叩きつけられた程度の量でしかなかった。その光景は、キリト達はおろかアーカーですら驚愕させた。何がどうなれば、そうなるんだとばかりに見開かれた目とは別に、彼は即座に《識別》スキルを発動し、正体不明の敵へと向ける。以前一層で九十層クラスの死神を目にしたことや、あれから少しまたレベルが上がったことで、あのレベルのボスが出てきても識別できるはずだと考えた上での行動である。例え出来なくても、どれほどの敵かを察することもできることから、無意味ではないと判断していたが、果たして—————

 

 

 

 

 

 

 

 

「——————おいおい………これは洒落になってねぇぞ、カーディナル…………ッ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 —————推定、()()()()()()()()

 間違いなく、あの時の死神をも上回る真性の化け物がそこにいた。ユイの推測は当たっていた。それも最悪過ぎる方へと。恐らく、今彼女はアスナの胸にある涙滴型の宝石の中で慌てふためいているだろう。それも詮無いことだ。流石にこれは予想外過ぎた。最早狂っている。

 

 今し方のことで、全てに合点がいった。

 何故、天井から謎の粉が降り、砕けるような音がしたのか。

 何故、骨の腕が天井から降ってきたのか。

 何故、骸骨百足があれほどの手傷を負わされていたのか。

 

 その原因、元凶は—————

 

 

 

 答えを導き出そうとした直後、とてつもない大咆哮が部屋全域に反響し、あまりの爆音に鼓膜が破れてしまいそうな程の思いをした。勿論、この世界にそこまで細かい部位はないだろうが、それでも、反射的に鼓膜を、聴覚を守ろうとしてしまうほどだった。

 

 ヒースクリフまでもが耳を塞いだ後、大咆哮を終えた正体不明の化け物が煙の中から巨腕を振り上げる。その手には、片刃の戦斧が握られていた。それは寸分違わず振り下ろされ、大音響を鳴らしながら、確実に骸骨百足の頭部を叩き割っていた。断末魔にも似た大絶叫が放たれるも、それは長く続くことはなく、プツリと途切れるように止まり、煙の奥で無数の欠片となったのか、ばしゃーんと破砕する音が耳朶を震わせた。先程、一人のプレイヤーの目前に突き立てられた骨の腕も続けて破砕し、消えていく。

 

 本来のフロアボスの死が訪れる。

 本来ならば、喜ぶべき状況だが、誰一人として喜ぶ者はいない。驚愕に身を委ねてしまっているからか?—————違う。

 答えは単純。()()()()()()()()()

 その事実が、全員の心に重くのしかかった。倒すべき敵は倒れたはずだ。けれど、扉は開かない。次の階層には進めない。つまり、どういうことかなど考えるまでもなかった。

 

 

 

 自分達が戦わなければならない敵は—————正真正銘の化け物なのだと。

 

 

 

 そうして、それは本来のフロアボスをさも邪魔者であるかのように殺し切ったところで、ついにその姿を露わにした。

 

 全身に刻まれた、痛々しいほどの無数の傷痕。体色は返り血にでも塗れたか赤黒く変色しており、七十四層で戦ったグリームアイズをも一回りほど上回る巨体。両手共にそれぞれ一本装備されているのは、先程骸骨百足の頭を一撃で砕き割った片刃の戦斧。頭部には、赤黒い血で染まった対の大角が存在し、両手両足には引き千切れたと思しき鎖と無数の拘束具。この場に存在するプレイヤー達を捉える真っ赤な瞳と真っ黒な網膜。

 極め付けは—————()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 間違いない、コイツは——————

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——————ミノ、タウロス…………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最強にして、最悪。

 最凶にして、最大。

 これまでの全てのフロアボスの強さから逸脱する、神話級の化け物が人間に試練を与えるべく、姿を現した——————

 

 

 

 

 

 相対すべき敵は既に無く —完—

 

 

 

 

 

 

 






 ミノタウロス。

 それは英雄が討ち果たすべき敵の名。

 神話に名を轟かせる牛頭人身の化け物。

 その猛威が彼らを襲う。

 さあ、諍うがいい。

 死に怯えるな。

 死を恐れるな。

 立ち向かえ—————英雄達よ。

 次回、雷光轟く迷宮の獣人王



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