ナーサリー・ライム 童話の休む場所 魔女の物語 (らむだぜろ)
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プロローグ

 

 

 

 

 

 

 この童話の主人公は、ごくありふれた日常を過ごしていた少女のお話である……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼女は至って普通の高校生であると自負している。

 名前は一ノ瀬亜夜。とある高校に通う珍しくもない学生。

 強いていうなら、身体が生まれつき弱い虚弱体質で、足に奇形がある。

 その為、日々杖をついてゆっくりと生活していた。

「――とか、面白くない?」

「いいじゃんいいじゃん!」

 時は放課後。彼女は読書の準備中。

 部活は読書部。図書室に居座って好きに本を読む同好会。

 隣の生徒が何やら物語を書きたいらしく、話し合っていた。

 図書館のなかで小声で話すのが聞こえる。

 どうでもいい。何やら小説を書きたいと見るが、だからどうした。

 同じ部活でも、別に日誌を出しているわけでもない。

 そういうのは自由だと思う。

 ただ、読書の邪魔だけはしないで欲しかった。

 遮るように、イヤホンを突っ込みサントラをかける。

 壮大な音楽を聴きながら、好きに本を読む。

 亜夜の日常は何処にでもある普通の世界であり珍しいものではなかった。

 周囲では異世界転生だの、神様無双だのと意味のわからないジャンルが広がる。

 同級生はそれを楽しめている。

 亜夜は全く興味がなかった。異世界? そんなものが、一体なんになる?

 今の世界がそこまでつまらないのか。平穏を退屈と感じるお年頃なのだろう。

(下らない……)

 周りと話は合わない。親しい友人もいない。

 亜夜は基本的に嫌味な性格。ハッキリと相手の嫌な部分を口にする。

 だから、嫌われる。理屈的だし、否定的だし、気遣いもできない。

 友達もいない。ボッチなのを気にしない。だって、友達が居たとして、亜夜は何か得をする?

 彼女はマイペースに生きたかった。両親のいる世界。平和な世界。落ち着いた世界が、好きだった。

 己に不相応な虚像を重ねることを、バカらしいと心底思う。

 異世界にいけば無敵の主人公になれる? 何故? 

 今まで日常を生きていた学生が突然勇者になれるとでも?

 一介の学生に、世界は救えない。魔王は倒せない。

 決して、主人公にはなれない。

 それが、現実と言うものだ。

(はぁ……)

 本当にバカらしい。どこにその根拠があるのだ。

 過去無くして今はあらず。経験の積み重ねが人生を作るもの。

 突然、理の違う世界に飛ばされ好き勝手に振る舞えるなどと思うその青臭い嗜好が嫌だった。

 時々、同じ部活の物好きな奴に物語の感想を聞かれる。正直に言えば、みな同じようなもの。

 何が面白いのか、よく分からない。大抵主人公が飛ばされて好き勝手にやってハーレムして。

 そんなものばかり。

 素直にいった。悪いと思う点は指摘したし、良いと思った部分も指摘した。

 妙な補正なしに純粋に評価してくれるのが助かるとか言っていた。

 興味がないから、逆によく見える。そう言うものらしい。

 サントラが終わるまで一時間、ゆったりと本を読む。

 後書きまで読み終えた。本を戻して、席を立つ。

 隣では、イラストまでラフで描いていた。上手。

 横目で見てから、鞄を肩に下げて杖をつき、ゆっくり歩き出す。

 今日は夕飯が何になるかを楽しみにしながら、自宅に帰っていった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜。

 両親と共に夕飯を食べて、談笑して。

 日常を謳歌しながら、自室に戻った。

 スマホを弄る。学校の数少ない知り合いから連絡が来ていた。

 何でも、巷で噂になっている噂に気を付けろと言うものだった。

 まず、この町には大きな不良グループというものが存在する。

 自称ヘッジホッグ、通称針ネズミ。カツアゲや喧嘩などに明け暮れる高校生や中学生の集団。

 時代遅れも良いところだが、実際はそれなりに勢力が大きく警察ともやりあえるレベルらしい。

 で、そんな針ネズミが……先週、突然壊滅状態に陥ったと噂が流れていた。

 いわく、化け物のような男子高校生、たった一人に瓦解されられたとか。

 そいつは正しくモンスターで、なんと柏の棒切れ一本で武装した不良集団に果敢に挑み、見事に勝利。

 先週の週末は、郊外で喧嘩祭りと化していたと。

 規模からして、推定50名はくだらない。それを、孤軍奮闘して、無傷で生還。

 挑んだ理由は、お婆さんから奪ったバックを取り戻すため、アジトに突っ込んでいったと言うのだから驚き。

 赤の他人の為に命を張ったと書かれている。

 因みに針ネズミの由来は、得物が針を使った凶悪な殺傷能力の高いものを好んで使うから。

 脱線したが、殺意満々のグループを滅ぼしたその生徒は、眼鏡の少年だったと言う。

 最後は、夜明けと共にお婆さんのバックを届けて、颯爽と名乗らず去っていったのだ。

(飛んだお人好しですね。……まるでヒーローのような)

 そんな奴が彷徨いているかもしれないので、気を付けろとのこと。

 下には、噂を纏めたゴシップが書かれている。

 過去にも似たような事に首を突っ込んで解決している名無しのヒーロー。

 通り名まであるらしい。ある時は事故に巻き込まれた小学生を庇った王子様。

 ある時は迷子の外国人を道案内して無事に届けたナイスガイ。

 ある時はお年寄りの手伝いを申し出て、無理難題を解決した若人。

 ここまでは、まあ正義感の強い熱血漢という感じだが。

 眉唾だったのはその下だ。

 パンチ一発でコンクリートを粉砕する。

 キック一発で大木をへし折る。

 走れば残像が見える。

 持ち上げれば猪すらぶん投げる。

 棒切れで暴漢を血祭りにあげる、などなど。

(……人間ですか?)

 亜夜は思った正直な感想。

 本当だとすれば、人間じゃない。

 知り合いは善人かもしれないが、半分都市伝説みたいなものなので用心しておけ、とのこと。

 ……実際ヘッジホッグが活動が大人しくなったのは知っていたが、裏でこんなことが起こっていようとは。

 気を付けるとして、取り敢えず落ち着けと亜夜は返信するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 熱帯夜に近い夜。

 風呂に入った亜夜は、設置された鏡を見る。

 ……貧相なものだと我ながら思う。

 胸はまな板、身体は細すぎ、背も小さい。

 顔も愛嬌がなく幼くて、瞳は茶色に濁って淀んでいる。

 焦げ茶のセミロングも、母に似て質感は悪い。

 母も身体が弱く、今では在宅の仕事をしている。

 まだ若いと言えば若い。結婚したのは何でも19の時だと昔言っていた。

 亜夜が生まれたのは二十歳の時だと。……要するに結構父は手が早いらしかった。

 父は昔はロリコン扱いされ散々苦労していたと、母は笑っていた。

 穏やかで温和な母。確かに見た目は二十代でも通じそうな程若い。

 昔の写真を前に見た。亜夜に似る、幼い中学生みたいな外見なのが一番驚いた。

 父はこんな子供に手を出したのだ。我が父ながら、本当に最低だと亜夜は父に言った。

 父は弁明はしなかったが、母を愛しているのは間違いない。

 あまり知りたくないが、時々ネオンに消えていくのを亜夜は知っている。

 ……その内、妹か弟が出来るかもしれない。

(貧相というか……)

 落ち込む。成長期はどうしたと言わんばかりのもやしっぷり。

 虚弱に貧相、いまだ小学生と言われることもしばしば。

 なんだか気分が沈んできた。

 早めに上がろうと思い、湯船に浸かって力をぬく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 寝る前。

 亜夜は、自室でいつぞや買ったゲームを起動していた。

 新作の、童話がテーマの聞いたことのないメーカーの作品だった。

 タイトルは、『ナーサリー・サナトリウム』。

 内容は童話の主人公たちが、作中悪い魔女の呪いを受けて苦しんでいるのを、世話をしながら仲良くなって、一緒にエンディングを迎えるというゲームだった。

 表紙の女の子が可愛くて購入したのだ。

 これは、不思議の国のアリスだと思う。絵師のイラストが気に入っている。

 早速電源を入れる。それっぽいBGMと、タイトル画面にはいる。

 ここまではそこそこ好みだ。で、肝心の内容だが。

 先ずは主人公が世話をする主人公を選択する。

 そこで気付く。最初は四人までしか選べないらしい。

 亜夜は初回なら当然と気にせず、軽く選択する。

 アリス、グレーテル、ラプンツェル、マーチ。

 不思議の国のアリス、ヘンゼルとグレーテル、ラプンツェル、マッチ売りの少女。

 自分が好きな童話を選び、進める。

 黒い読み込み画面に入る。すると……。

(ん……)

 急に眠たくなってきた。瞼が重たい。

 読み込みしている最中なのに。仕方なく、電源を落とした。

 そのまま、ベッドの上で横になる。

 眠い。凄まじい睡魔が襲いくる。

 眠気に抗えない。亜夜はそのまま、沈むように眠ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 誰かの囁き声がする。

「起きてください。おーい、聞こえてますかー?」

 若い女性の声。亜夜は気にせず寝続ける。

「ちょっとー? 一ノ瀬亜夜さーん? 次は貴方の番ですよー?」

 なんだ、亜夜の番って。

 あまりにしつこく呼び掛けるので、目を開ける。

 すると。

 

 なんだか見覚えのない天井を見上げていた。

 

 真っ白な天井。微かな、お薬のにおい。

 肌を撫でる、乾いた風。優しい光。

 亜夜は、知らないベッドに横たわっていた。 

「……?」

 のそのそと起き上がる。

 眠たい目を擦りながら見れば、傍らには書類を胸に抱く、若い看護師がいた。

 きれいな人、と亜夜は思った。目立つ美しさを持つ看護師さんが、亜夜を見下ろしていた。

「あ、起きましたね。良かった、一番目を覚ますのが遅かったので心配しました」

 誰だろうか? 亜夜は知らない。そしてここはどこ?

 周囲を見回す亜夜に、女性は苦笑いしていた。

 やはり見覚えがない部屋。何かの病室。

「……誰ですか?」

「わたしは、ライム。ライム・ナーサリア。ここ、サナトリウムに勤める職員の一人です」

 名を訪ねると、海外の人らしい名前を名乗る女性。

 ……知らない人だった。何がなんだか、理解できない亜夜に彼女は落ち着くように言う。

 深呼吸して、数度繰り返し亜夜は比較的冷静に受け止めた。

 夢だ。リアルな夢。そう思えば混乱も避けられる。

「突然の事で、大変驚いているでしょう。申し訳ないです、突然呼び込んで」

 頭を下げて謝罪するライムという彼女は、ボーッとする亜夜にこう、告げた。

 にわかには、信じがたい言葉を。

 

「おめでとうございます。一ノ瀬亜夜さん。貴方は、このサナトリウムの職員に選ばれました」

 

 ……と。



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蒼い翼





 

 

 

 

 

 ……この女性は、何を言っている?

 亜夜は一瞬、理解できなかった。

「はいっ?」

 首を傾げて聞き返す。

 女性――ライムは、苦笑いして切り出した。

「突然、こんな事を言われても困惑するでしょう。少し、ご説明させて頂けませんか?」

 こちらの困惑を解しているのか、ゆっくりと説明を始めた。

 先ず、ここは何処なのか。

 ライムいわく、夢の世界。

 現実の彼女は未だに眠りのなかで、意識だけがこの夢の世界に連れてこられて、固定されている。

 現実世界の自分はその後、問題なく動いて日常を続けるというのだ。

「分かりやすく言うと、不思議の国のアリスと同義。貴方は、夢の世界へと招待されました」

「……」

 成る程。ウサギを追いかけたように、ゲームを起動した時点で誘い込まれていたわけか。

 聞けば、才能ある人間しかこの世界にはこれない。あらゆる媒体で現実世界の人間を連れてきている。

「招待、ですか。物は言いようですね、この人さらい」

 大体わかった。要するに異世界に連れてこられたってこと。

 無理やり、合意もしない誘拐のような手法で、強引に持ってきた。

 亜夜は毅然とライムを睨んで、吐き捨てる。

 目を丸くするライムに、亜夜は続ける。

「皆まで言わずとも、察しましたよ。要するに私を自分達の都合で使役しようって魂胆ですか。隔離した世界に誘拐して自分の意思では戻れず、帰りたければ言うことを聞け。言いたいことはそう言うことでしょう? テロリスト風情が、言葉を変えれば納得させ、正当化出来ると思ったんですかっ? 舐められたもんですね!」

 嫌悪と軽蔑をむき出しにして、亜夜はライムに向かって怒鳴った。

 自分の生活を奪われた。両親が、日常が、何よりも好きだった世界が。

 大切なものを奪われ、亜夜は憤慨した。

 怒りをあらわにする彼女に、ライムはため息をついて、頷いた。

「……ここまで、たった一言で理解されたのは、貴方が初めてです、一ノ瀬さん。ええ、大体あってますよ。分かっているなら、話は早い」

 ライムは、睨み付ける亜夜に、断言した。

 それは、予想を越える言葉だった。

「酷いことは、いいたくありませんが、事実ですので否定はしません。こちらの都合で使おうとするのは、どこの世界でも同じはず。大抵は、なぜか喜ぶのですが……一ノ瀬さんは、普通に拒否するんですね。久々に当たり前の反応を見た気がします。ですが、断れば……貴方は、現実世界に帰るどころか、この世界で生きることすら難しいと分かっていますか?」

「ある程度はしてますよ。私には、この世界に必要なものが何もない。……生きていけないことぐらいは、理解してます」

「そうですか……。ならば、ご自身の異変には?」

 異変と言われて気付く。

 亜夜は今まで、仰向けで寝ていたらしい。

 寝ているときに天井を見ていたのはそれが理由。

 然し、なぜ気がつかなかった?

 なんだ、この異物感。

 背中に、違和感がある。言い様のない、知らない感覚。

 顔だけ振り返る。あるはずのない、妙な物体があった。

 

 ――翼。

 

 猛禽類のような、大きく逞しい翼が、折り畳まれて収納されている。

 自分がきている、服の上に。背中に。

 澄みきった青空よりも尚青い、蒼い羽が手元に落ちていた。

「なっ……なんです、これは……?」

 翼。自分の背中に、翼。

 綺麗な蒼い羽。

「それは、呪いです。一ノ瀬さん、貴方は魔女に呪われているんですよ。……ここにいる、多くの子供たちと同じく」

 ライムは告げる。ゲームに書いてあった概要は、そのままこの世界の目的になる。

 つまり、自身も苦しみながら……皆を癒せと言うのか。

 亜夜は絶句した。自分に、あるべきではないパーツが融合している。

 自身の意思で動くこいつは、既に亜夜の一部と化していた。

 魔女の呪い。それは、人間を苦しめる悪意の塊。

「呪いは、人間のマイナスの感情を糧に成長、増幅します。怒り、悲しみ、恨み、憎しみ、嘆き。そういった感情を苗床に、あるいは餌にして、どんどん加速していく。行き着く先は、死よりも恐ろしい結末。死ぬことが終演ではないとすれば、どうしますか?」

 暗に、従わなければ見捨てると脅している。

 少なくとも、亜夜は敵意と判断して睨む。

「……へぇ。これは、私自身も人質ってことですか。従わないと、私も死ぬより恐ろしい目に遭うと。脅しをかけて、屈服させるのが目的。まあ、そんなところでしょう」

「……随分な言い種ですね。悪意は微塵もないのに」

「悪意はなくとも、やっていることはテロリストと同じ。ご自身で認めたでしょうこの外道」

「…………」

 脅しても尚、亜夜は屈しない。威嚇を続けている。

 虚勢ではない。未知に対する恐怖よりも怒りが先行している珍しい人種だった。

 ライムは渋い顔で考える。一番説得の困難な人間であった。

 余程、他の人間が退屈と言っていた世界が大切と見える。

 が、こちらも諦めるわけにはいかない。仮にも、人命がかかっているのだ。

 ライムは思案する。そして、曲げた。

「……すみません。一ノ瀬さん、お力を借りられませんか?」

 非を認めた手前、過失を自覚している。

 他の人間とは違って、亜夜はとても賢い少女で、同時に流石と言うか。

 例のアレなだけある。害意を感じれば、躊躇いなく敵になると見た。

 なので、素直に謝り頼み込むことにした。

 実際、悪いのはこちら。相手の都合を無視して呼び出し、役目を押し付ける。

 向こうの世界では異世界に行くことを楽しむ若者が多いが、本来これが当たり前の反応。

 ライムはそもそも、お願いをする立場であった。マニュアルの対応は不味かった。

 亜夜は鼻を鳴らして拒否した。当然の返答。だから、しつこく頼み込む。

「非礼を許してほしいとは言いません。ただ、一ノ瀬さんでなければ救えない女の子がいるんです」

 助けてほしいと。苦しんでいる童話の少女たちに結末を変えてくれないかと。

 何度もお願いする。亜夜は、腕を組んで目を閉じて聞いていた。

 幾ばくかの回数を重ねて、亜夜は軈て言い出す。

「……まず、呪いの説明をしてください。呪いの原理しか聞いてません。呪いの原因。呪いの解決法、全部白状すれば考えます」

 必要なことを話せと亜夜は言った。

 ライムは一歩前進したとホッとして、彼女にこの世界の理を説明する。

 童話の人間が生きて苦しむ、忌々しい存在のことも含めて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まず、呪いとは。

 それはこの世界に存在する害悪、魔女が行う嫌がらせ。

 人類にたいして魔女が始めた、身勝手で理由のない理不尽。

 それが、呪いと呼ばれるもの。

 人間では解決ができずに、一度発症すると基本的に完治しない。

 そのまま、個々によって迎える結末になって、バッドエンド。

 死ぬものもあれば生き地獄となるものもある。

 そして、呪いには大きく分けて二つある。

「一つは、直接受けること。これは症例が少ないですが、魔女と敵対し生き残った人間が受けるものです。正直、原因がハッキリしているのでまだ救いがあります」

 言うなれば魔女の仕返し。人間に解決できない効果覿面の報復というのが尤もだ。

 もうひとつ。これが一番メジャーで、救いのない理不尽なもの。

「もう一つは、自然発生。……この世界その物が、魔女の呪いの対象と言われています。魔女と出会わなくても、この世界では呪いは自然に発生します。特に、辛い思いをした子供が多いと言われていますが、まだ原因は解明されていません」

 そう。

 なにもせずとも、この世界は呪いが自然発生する。

 普通に生きているだけでも、過酷な環境にいて過度のストレスを感じ続けると、病気のように発生して蝕んでいく。

 はっきり言えることは少ないが、症例としてそういう傾向が強いとライムは言った。

 呪いは不治の病と同じく、一度発症すると治らない。一生苦しむ。

 そう言うものらしい。

「ならば、何故私が?」

 異世界にきた亜夜が発病した理由。

 ライムが言うには、異世界に入り込んだ異物に対する一種の制裁。

 亜夜はこの世界には存在しない、本来居なかった人間だ。

 それを、無理矢理入り込んだせいで呪いまで背負うはめになり、結果発症。

 彼女も呪いの対象となった。

「私が目覚めるのが一番遅かったって言ってましたけど、私以外にもいるんですか?」

 問うと、肯定。同じ境遇の高校生が何人もいるらしく、全員呪いを持っている。

 呪いの内容も、ライムは外側の世界の童話の関係性のあるものが多いと語る。

 ここは、童話の登場人物が生きる世界だ。ある種推測はできた。

「一ノ瀬さんは、内部変容を起こすタイプです。生きたまま人間を止めて、最終的に小鳥になります」

「はっ……鳥と来ましたか。なんです? 蒼い羽と童話と言えば、ありましたね。青い鳥。幸福を探す物語でしたか。あれってことですか」

「ご明察。一ノ瀬さんが背負う童話は、仰る通り『青い鳥』。幸福をもたらす一羽の鳥になってしまいます」

「…………我ながら、笑えません。私に誰を幸せにしろと?」

 推測は当たっていた。亜夜は、放置すれば小鳥になってしまう。

 そのまま捕獲されて、鳥籠に入れられ幸せを呼ぶラッキーアイテム扱いされるという。

 そこまで終わって、漸く終了。亜夜の呪いは道具扱いが結末だった。

 ライムはここにいる呪いを受けた人間の詳細はすべて知っていると語った。

 彼女は異世界から招いた人間を統括する役職に就いているらしい。

「道具扱いなど絶対に嫌です。私は人間。人間で沢山ですっ!!」

 亜夜は嫌がる。この身体が誰かの欲望のために使われると思うとおぞましい。

 なるものか。そんなことを認めない。亜夜は亜夜だけのために生きる。

「ですから、みんなを笑顔にしてください。呪いをはね除ける方法はただ一つ。明るい感情で心を満たすこと。一番効果的なのが、幸せな気持ちになることなのです」

 呪いは暗い感情を好む。

 ならば、真逆の感情で満たしてしまえば消滅すると言った。

 ただ、並大抵じゃ無理。本当に心のそこから満たされなければ、解決しない。

 だから難しい。人間、早々満たされる生活など出来やしない。必ずどこかに不満がある。

 故にそれを吸収して呪いは悪化する。嫌悪して忌避してストレスがたまり、成長。それの悪循環。

 吹っ切るほどの強烈な感情を寄越せと言うのか。亜夜はため息をついた。

 成る程。理屈で言うなら、怒りを感じれば酷くなる。つまり、怒るだけ無駄。

 そう考えるとバカらしくなってきた。ライムに向かってこう、言った。

「はいはい……。分かりましたよ。やりゃあいいんでしょう、やれば」

 逃げても無駄だし、足掻いても無駄。受け入れてここで生きていくしか道はない。

 渋々認めて、彼女は白旗をあげた。

「……すみません。無理強いをして」

 ライムは何度も謝って、彼女の言った。

 このサナトリウムで、主人公たちのお世話をしながら一緒に暮らすのだという。

 サナトリウム。確か、末期患者の為の施設。生きられる可能性の低い患者が生きる場所。

 給料も出るし、自由もある。住み込みのバイトみたいなもんだと言うが……。

「ただ、気を付けてください。ここにいる異世界からきた職員は、全員何かしら抱えています。……特に青髭や、豆の木には気を付けて。刺激をしないで下さいね……迂闊に近づくと、殺されますよ」

「殺され……ああ、そう言うこと。えぇ、覚えておきます」

 童話に纏わることだと言っていた。タイトルで思い出す、よろしくないお話の可能性。

 監視はしているが、いざという可能性も考慮しておけと。

「そう言うときは、眼鏡の人狼に頼ってください。彼は、頼れる男の子ですから。……物理的な意味で。本当に、なんであの子は……。人間なのかしら……?」

「?」

 後半は小声でなんだかよくわからないが、兎に角その眼鏡のロリコン……じゃなかった、人狼に頼れば良いのだろうか。

 物理で頼れる狼と聞いて、真っ先に赤ずきんのえっちな本を思い出す亜夜。

 昔、父の書斎で発見したエロ本である。赤ずきん役が母に酷似していた。というか、自分に似ていた。

 なので、狼と聞くとどっちかっていうと送り狼的なスケベ野郎な気がしてならない。

 これもそれも全部あのロリコンファザーのせいだ。他人までそう感じるようになってしまった。

 そんなこんなで、亜夜もまたこのサナトリウムで働くことになった。

 人一倍忙しい、四人の少女の自分のために、亜夜は仕方なく、働いていく……。



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独りぼっちのアリス

本作のアリスは旧作のアリスとは境遇が全く異なります。
旧作のアリスはデレが強いヤンデレでしたが、こっちは割りとチョロいちょろインです。
結局ヤンデレ化は免れませんが……。


 

 

 

 

 

 小さい頃の記憶が曖昧な人間と言うのは、意外と多いと思う。

 けれども、アリスは違う。辛い経験しかないからか、よく覚えている。

 少女の名前は、アリス。アリス・ジャーヴィス。良家のお嬢様として生まれた経歴を持つ。

 彼女には、とても優秀で出来のよい、年の離れた姉がいた。

 何をしても完璧にこなして、何をさせても満点を出す。

 俗にいう、天才。才能の塊のような人であった。

 幼いアリスは思った。

 

 …………怖い。

 

 アリスは物心ついた頃から、姉がとても怖かった。

 何故なら、姉がまず、人間に見えなかったから。

 何で努力しないで何でもできる? 

 何でなにもしないで理解できる?

 この人は、本当に自分と同じ血を引く家族なのか?

 幼いながら、アリスは姉の異常性に気がついていた。

 気付いていなかったのは、受かれていた両親や親族だけ。

 それほど、姉は異様に何でもできた。

 アリスは、対して。普通の、不器用な女の子だった。

 確かに物覚えは悪く、手先が不器用で、失敗も多かった。

 けれど、両親はそれをアリスの才能がないからだと決めつけた。

 自分達の英才教育が間違っていないと、姉を基準に判断して幼いアリスに落胆し続けた。

 凡才。凡人。まだこの罵りはよい方で、何時しか約たたず、無能と過激になっていった。

 アリスは懸命に努力した。

 死に物狂いで必死になって、友達や夢を持つことなく、ただ両親に認めて貰いたいが為に。

 ……だけど。姉には、勝てなかった。

 軈て、アリスは気付くのだ。姉は、化け物であると。

 人間ではない、よく似た単なる化け物。

 ……姉は、アリスに興味を示さなかった。

「なんで、アリスはこれぐらい出来ないの?」

 よく、姉がアリスに聞いた言葉だった。

 自分と似た顔を、呆れを浮かべて理解できないように。

 これぐらいって何だ。魔法を書物を読んだだけで習得できる姉が化け物なだけ。

 規格外が、凡人にバカを言うな。アリスは言い返した。

「あんたと一緒にしないで、化け物!!」

 アリスは姉を化け物と呼ぶようになった。

 両親はアリスに対して、辛く、冷たく当たるようになったのは学校に通い始める頃。

 最早当たり前の首席をとる姉のせいで、優秀な姉妹の妹というレッテルのせいで余計に苦しんだ。

 学校でも、自宅でも。アリスは誰にも、認めて貰えなかった。

 アリスの人生には、常に姉と両親の重圧と周囲の落胆が付き物だった。

 そんな頃、アリスは時計を持ったウサギを追いかける。

 自宅の庭で、ふて寝をしている時に、見覚えのないそれを追いかけて、物語は始まってしまった。

 彼女の人生を破壊する、悪夢の童話が……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アリスは得体の知れない世界へと放り込まれた。

 頭がイカれた帽子屋に、喋る玉子にせっかちなウサギ。

 意味のわからない事をほざく、不気味な浮かぶ猫。

 今思えば、彼女は選択を誤っていた。

 人生で初めて、アリスを『友達』だといってくれた。

 奴等を、信じるべきではなかったと。

 初めてできた友達と言われた事が嬉しくて、はしゃいでいたからああなった。

 突然、お茶会に乱入してきた謎の女。

 それは、その世界をおさめる、ワガママで傲慢なハートの女王。

 侵入者であるアリスを殺すべく、襲ってきた。

 アリスはいきなり殺されそうになって、逃げ惑った。

 しまいには、大きな魔物に襲われ死にかけて、なんとか手に入れていたガラスの剣で斬首して生き残り。 

 それでも襲ってくる諦めない女王の寄越したトランプの兵士を数えきれないほど殺した。

 アリスは思った。夢なら覚めて。悪夢なら早く覚めて、と。何度も。

 然しそれらは夢ではなく。受けた傷は痛みを発して、自覚させる。

 アリスは絶望した。なんで。なんでアリスばかりが、こんな不幸な目に遭う。

 アリスが一体、何をしたというのか。努力の成果を認められず、両親には見捨てられ、姉には興味すら失われ。

 しかも、ウサギや時計屋はあっさりと裏切り、女王の手先になっていた。

 猫はニヤニヤ笑っているだけ。助けてくれやしなかった。

 裏切られたと知ったとき、アリスは何もかも嫌になった。

 周りが。世界が。全部滅べばいいと思ったぐらい、悲しかった。

 それを怒りと憎しみに転嫁して戦った。皆殺しにしてもなお、ヒステリックに女王は叫ぶ。

 アリスを殺せ、処刑しろと。アリスもキレた。

 なにも知らずに侵入したことは謝ろう。

 だからって、いきなり殺しに来るとかこの女頭がおかしい。

 警告ぐらいしろ。話し合いの席を持て。というか、話を聞け。

 どいつもこいつも、アリスを何だと思っているのか。

 そこまでアリスは生きてちゃいけないか。目障りだと言うのか。

「いい加減に……してよォッ!!」

 アリスはもう、限界だった。

 なんで、みんなしてアリスを否定し続ける。

 アリスの事を、認めてくれない。

 アリスはそんなに鬱陶しい?

 みんなして、否定するなら。アリスから、願い下げだ。

 こんな連中、こんな世界、全部纏めて壊してやる。

 アリスは壊れてしまった。全員殺さないと、死ぬと覚悟を決めた。

 死にたくないから、殺すしかない。迷いなんてない。

 襲ってくるものは全て切り捨てた。女王も手駒を失い、最後にはアリスに命乞いもした。

 助けて、死にたくないと。アリスはこう、返答した。

「あんたは、何にも聞かなかったわ。あたしの話なんて。だから、あたしも聞かない。このまま死んじゃえ」

 バッサリと、頭に剣を突き刺して殺した。

 裏切った連中は逃がしてしまったが、どうでもいい。

 アリスは、疲れはててそのまま戦場のど真ん中で倒れしまった。

 死骸のなかで、二度と誰も信じないと誓いながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 現実世界では、アリスは行方不明になっていたらしい。

 一週間ほどして、自宅から近い森の中で、彼女は横たわって発見された。

 周囲は、一面大量虐殺を行った大惨事の血の海。

 彼女はその中で、一人眠っていた。

 然し周囲には殺された生き物は残っておらず、周囲の木々や地面、彼女の服が血塗れになっていただけ。

 警察に捜査されても、アリスはなにも言わなかった。どうせ、信じないと知っていた。

 両親も何度も事情聴取を受けて、辟易していた。

 アリスに文句を言えば、以前とうってかわってアリスは反撃してきた。

 暴力で、なにかを言えば器物を破壊して、使用人を負傷させ、とうとう姉にまで手をかけた。

 ちょっとした口論になったとき、姉はアリスを不出来と罵倒した。

 アリスは直ぐ様逆上し、姉の首を絞めあげた。引っ掴み、冷酷な表情で静かに問う。

「何時までも調子にのって、良い気になってんじゃないわよ。無能だなんだって、あんたにあたしの気持ちが分かるっての? 全部独り占めしている、人間の皮を被ったこの化け物。化け物は化け物らしく、あいつらのお人形になってりゃ良いのよ」

 バタバタ手足を振るって暴れる姉を持ち上げて、睨みあげて言い放つ。

 次第に姉は顔色が白くなる。

 それを使用人が発見して、両親にちくった。

 直ぐ様駆けつける両親に向かって、アリスは姉を投げ捨てた。

 咳き込む姉を見下して、そして怒鳴り散らす父が彼女の胸ぐらを掴んで叫んだ。

 

 ――この呪われた出来損ないめっ!!

 

 無表情で父を見上げるアリスは思った。

 ああ、自分は魔女の呪いを拾ってきたのか、と。

 呆然と、喚き散らす父を見上げて、五月蝿いので殴り飛ばした。

 あれほど、認めてほしかった相手なのに。

 躊躇なく、殴れた。失望してしまったからか。

 頬にめり込む己の拳。威力がありすぎて、口内を切ったのか吹っ飛び倒れる父。

 口のはしから、血を流して顔をあげた。

 あるいは、気づいてしまったのかもしれない。

 ……こんな連中に認められても、アリスには既に生きる居場所も生きる理由もない。

「呪われている……。そ。あたしは、おかしくなっているわけか。じゃあいいわ。出てってやる。もう懲り懲りよ。報われない努力も、終わらない否定の声も、聞きあきた。……出ていってあげるわよ、こんな家。あたしから、願い下げ。お望み通り、そこの化け物でも愛でて楽しく生きていけば? あたしは生憎と、そっちのご希望には添えないしね」

 実際、家庭はアリスをいないもの扱いしていた。

 もう、アリスという存在はこの家にはなかった。

 だから、出ていく。取り敢えず両親も姉ももう一度、憂さ晴らしと怨念返しでブッ飛ばした。

 長年の仕返しをされて、三人はアリスを強く畏怖した。

 そして、最初で最後のワガママを彼女は、血の滴る拳を見せて言ったのだ。

 

「二度と、帰ってこれない場所に連れてきなさい。出てってあげるから」

 

 ……結果。

 アリスは数年前、境遇を同じくする呪われた子供しかいないこのサナトリウムに入所したのだった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アリス・ジャーヴィスの呪いは『精神状態によって五感の情報が左右される』というもの。

 精神がマイナスになればなるだけ、被害妄想のように思考が偏り、暴力的な行動に走りやすくなる。

 事実、アリスはサナトリウムでも手を焼かれる厄介者として有名だった。

 すぐキレる。すぐ手を出す。加減を知らない暴力女。

 だって、アリスはそうするしか方法を知らなかったから。

 絶対に他人を信じないために、孤独を選んだから。

 こうすれば、誰も寄ってこない。自分が傷つかずにすむ。

 自分を守るために、暴力で他人を遠ざけて、独りぼっちを選んだ。

 わざと不機嫌に振る舞い、最悪な女を演じている方がずっと楽だった。

 落胆されるより、失望されるより、裏切られるよりも、ずっと。

 そうやって、精神の均衡を取ってきた。 

 前の自分を担当していた男は嫌なやつで、セクハラするわいじめてくるわで最悪だった。

 なので、アリスは暴力で何とかしようとするも、奴も腕っぷしが強かった。

 逆襲されて、何度かひどい目にあった。

 その都度、一人で泣いていた。誰も助けてくれないのは知っている。

 だって、そういう振る舞いをしているもの。辛いことも、受け止めないといけない。

 今回も、そう思っていたのだが……。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ギャッ!!」

 

 その日は、違った。

 いつも通り、みたくもないイヤらしい面の男が近寄ってきた。

 アリスの部屋の中で、近寄ってくる変態。

 また人気ない場所でセクハラされる。絶対に抵抗する身構えるアリスの前で。

 知らない女の子が部屋のなかに突然ドアを乱暴に開いて乱入し、助けに入ってくれた。

 

「このクズッ!! 死になさい、女の敵ッ!!」

 

 なんと杖をついた、年下と思われる幼い女の子が、自分よりも体格の大きな男の股ぐらを金属の棒で殴打したのだ。

 大きな蒼い翼を羽ばたかせて突撃、いきなりの攻撃だった。

 怒鳴りあげて、怒りを見せる彼女は容赦なかった。

「発情期のクソ猿が……! 誰に手を出しているのか、わかってんですかッ!?」

 男が何か言い返すと、更に攻撃。

 嫌な音が聞こえた。内股になり、股間を押さえて悶える男。

 女の子は、冷たい目線で、念入りに止めをさした。

 棒で数度、追撃に手の上から股間を殴りまくった。

 甲高い悲鳴が連続して、青ざめる職員を呆然と見ているアリス。

 やがて、呻いている男を無視して、アリスに笑顔で近づく女の子。

「貴方が、アリス・ジャーヴィスであっていますね?」 

 焦げ茶のセミロングの何だか不健康そうな子供?

 然し、職員が着用を義務付けされた白衣を着ている。

「……えっ? 誰、あんた?」

「一ノ瀬亜夜と申します。本日より、貴方の世話を担当するものです。以後、お見知りおきをする前に、そこの猿を殺していきますので少々お待ちください」 

 どうやら、念願の担当の異動が決まったようで、新しい奴が来た。

 来たのは、いいが……。

「私の担当する女の子に汚いシモを見せて喜ぶなど許せませんッ!! 私がいる限り、させませんよこの変態がッ!!」

 何だか凄く怒っている。

 呆然とするアリスの前で、またも股間を執拗に踏み潰す。

 グシャッという、完全に潰れた音がした。

 裏返った断末魔が聞こえて、誰か慌てて入ってきた。

「一ノ瀬さん、落ち着いて! って、あぁ……。遅かったですか……」

 ライムとかいう看護師だった。

 涙を流して痙攣する男を見下ろしてため息をついた。

「何て事を……一応職員ですよ? 本日付で首ですけど」

「ライムさんがこいつ知ってて放置するからですよ。女の子が泣いているのに無視するなんて私は認める気はないのですよ。こんな猿、去勢しなければアリスが報われませんし、何より私の腹の虫がおさまりません」

「だからって……」

 ライムと口論する彼女は、何とアリスを守ろうとしてくれているようだった。

 現に、たった今、アリスが泣いていた理由を物理で潰してしまった。

 自業自得で、職員にすら庇われなかったアリスを、初対面の彼女は、救ってくれた。行動で護ってくれた。

「……あんたが、新しいあたしの担当なの?」

 呆然としているアリスが聞くと、彼女――亜夜は振り返り、微笑んで首肯。

「はい。アリスのことは、私が守ります。責任を持って。私がいる限り、二度とセクハラで泣かなくていいんです。独りで悲しい思いをしないでいいんです。私が居ますから」

 アリスは思った。

 この屈託のない笑顔は、本気だと。アリスの事を、本気で案じてくれていた。

 彼女は、亜夜と名乗るこの子は、違う。

 行動して、見ず知らずのアリスを、実際に助けてくれた。

 孤独だったアリスを……近づいて、手を差し伸べてくれるかもしれない。

 近づいても……平気かもしれない。信じても……いいかもしれない。

 言葉だけじゃない。アリスにとって、自分の味方をしてくれる人は、久しぶり。

 あるいは、サナトリウムのなかでは、初めてだったかも知れなかった。

「亜夜……。亜夜って、呼んでも、いい?」

 気がつけば、アリスは……自分から亜夜に、手を出していた。

 亜夜は不思議そうに首を傾げるが、笑顔で許してくれた。

「良いですよ、アリス。私も、そう呼びますから」

 アリスは感じた。

 この子とは、うまく行ける。

 きっと、仲良く出来そう。

 そう、予感めいたなにかを感じた。

 それはきっと、運命と呼べるかも、なんて。

 アリスは知らない。

 人、これをちょろインと言う。

 アリス・ジャーヴィスの世界は、この日から劇的に変わる。

 蒼い翼を持つ、少女によって。

 それが、少女の呪いだとは、知らぬまま。



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理屈で守り、感情で護る

 

 

 

 

 

 

 

 魔女。

 それは、世界にあだなす人類のアンチテーゼ。人類史の天敵。

 人を害し、人を貶め、人を苦しませる邪悪なもの。

 呪いとは、魔女が編み出した魔法とは異なるものであり、魔女は魔法は使えない。

 魔法は逆に、人間が使うことができる奇跡。

 万物に影響を及ぼし、生活を豊かにできる。

 魔女は魔法は使えず、人間も呪いは使えない。

 呪いは闇の力。魔法は光の力。

 そういう、区別がついている。

 時間を少し遡ろう。

 亜夜は与えられた自室で必要なものを受け取っていた。

 何ともアンバランスな世界なようであった。

 何せ、コンビニやカラオケ、ゲーセンなどが当たり前に存在するくせに、移動は馬車で、人々の認識は時代遅れにも甚だしい次元なのである。

 詳しく言えば、この世界の住人は、そこにある電化製品の使用方法を理解できない。

 取説のいうものを分かっていない。文明の利器が意味をなさない。

 理由として、この世界は上流と下流の身分で大きな意識の格差がある。

 上流の貴族たちは、魔法と言う面倒なものよりも手軽で確実な科学を優先して使っている。

 対して、下流の市民は慣れ親しむ魔法の文化が根強く、魔法を主にして生活しているから。

 一部の慈悲深い貴族が科学の浸透を目論み、出店などをしている結果、魔法と科学の混在する世界の出来上がり。

 故に貴族は普通に自動車使ってた。

 サナトリウムは税金で運営される立派な施設であるが、それは剰りにも呪いによって死人が続出しているから。

 亜夜が来て二日で五人亡くなった。

 正確に言えば、死んだのは二名。後は発狂が一名、廃人が一名、精神崩壊が一名のち、自殺。

 心が死ねば、サナトリウムには居られない。ここは心が生きている人間の最期の居場所。

 最早呼吸する死体など構ってはいられないので、早々に出所して貰っているらしい。

 子供たちが壊れていく様は、職員のメンタルにも大ダメージが入る。

 異世界出身は同じく呪い持ち。何れは己も同じ結末になるのでは?

 そう思っているせいで、呪いが悪化する。

 あらゆる負の感情を温床にすると、聞いているはずなのに。

 己の感情をコントロール出来ない。

 それが、普通の人間。これが、現実。

 異世界に来ても、やっぱり超人にはなれない。

 至って当たり前の苦しみを当然、受けるはめになる。

 亜夜はどうか?

 彼女は、仕方無いので受け入れた。

 しょうがないのだ。抗えない現実ならば、素直にありのままで生きていればいい。

 そう思うと、呪いは無反応だった。成る程、と思う。

 抵抗することがストレスになり、それがこれを助長させるのか。

 亜夜は出来ないことはあまりしない。

 だから、早々に共存が出来ている。

 無駄なことはしない方が身のため。

 翼があるなら、それでいい。

 寝るときに邪魔になるぐらいの話だ。

 仕事を始めることになった亜夜は、世話をする少女たちの概要を聞く。

 グレーテル、アリス、マーチ、ラプンツェル。

 何で四人も、と思うが自分がゲーム開始時に選んだせいだった。

 あれで選んで世話をするらしく、亜夜は四倍の労力を強いられた。

 虚弱な子供にはかなりの重労働。然し人手が足りないサナトリウムでは、これが当たり前。

 ひどい相手など、危害を加えるのが通常だと聞くし、場合によっては反撃も許されている。

 ある意味、命がけの職場。

 亜夜は先ず、グレーテルの引き継ぎを行った。

 ……前任より聞けば、グレーテルは非常にひねくれており、直ぐに喧嘩腰になる。

 なにか、やけくそのような雰囲気を感じるのでよろしく頼むと言われた。

 次、ラプンツェル。彼女は命の危険がある呪いを受けている。

 事情あって、人見知りが激しく、警戒心が強いので注意、とのこと。

 次、マーチ。彼女も事情あって、他人を怖がっているので、コミュニケーションには細心の気遣いを求められる。

 こっちも命の危険あり。早急に対処せねば彼女が危ないと聞いた。

 で、アリスだが……。

 彼女は暴力を振るう典型的な子供で、いつも不機嫌で誰に対しても攻撃的。

 職員だろうが子供だろうが怪我をさせるような奴なので、手を焼いている。

 それは良いのだが、職員がアリスの担当を嫌がり、誰もやらない。

 当然と言えば当然。誰も怪我などしたくない。

 が、それを逆手にとって、今の担当はアリスが嫌われているのを良いことに、セクハラをしまくって泣かせていると周囲の話で聞いた亜夜。

 ライムに言えば、苦い顔で知ってはいるが、今は手を出せないと言う。

 アリス自身が強がって相談しない上に、構うと逆上するのでなにも出来ないと。

 会議でソイツはすぐに首になるが、今までの事まで詰問してもしらを切るだけと。

 要するに面倒くさいから、追い出してそれで終了すると言っていた。

 亜夜はそれを聞いて、翌日直ぐ様アリスの部屋に突撃していった。 

 怒りしかなかった。他人のために怒ったのではない。

 凄まじい不愉快な気分になって、八つ当たりをしたかっただけ。

 女の尊厳を踏みにじるクズに、色々な鬱憤と、半分くらいアリスを心配して、攻撃を開始した。

 確かに、最初はそれだった。だが、現場を見て変わった。

 

 ――泣きそうな、辛そうな表情で身構える彼女を見て、感じたのだ。

 

(この子は私が守らないといけませんっ!!)

 

 部屋に入ったときに見た、アリスの表情だった。

 誰も頼れる人がいないなか、独りで脅威に立ち向かっては泣いているという少女。

 たとえ、それが事情あっての自業自得であっても。亜夜は、見てしまった。

 必死に抗って、それでも敗北の恐怖に怯える彼女の顔が、痛ましいもので。

 亜夜は刹那、考えを改めた。彼女を、アリスを守らないといけない。

 それは、今アリスの担当は亜夜であるという理屈と。

 女の子にこんな顔をさせたくない、という強い感情だった。

 自分の事は、取り敢えず後回しでいい。今は眼前の彼女を、亜夜が守る!

 よくわからない感情で怒りが完全に爆発した亜夜は、前任の股間を殴打。

 本来は万が一を備えてアリス撃退を視野に入れて持参した鉄パイプで思い切り殴った。

 倒れて、尚アリスが悪いみたいな事を奴がほざいたため、更に怒る。 

 無性に腹が立った。こんなやつに。こんな男のクズにアリスが泣かされていたなどと。

 許せないというか、許したくないと言うか、兎に角殺したかった。

 殺意だけは間違いなくあった。亜夜は最悪死んでもいいと本気で思った。

 ライムが来なければ、本当に死んでいたかもしれない。

 アリスは亜夜を、呆然と見ていた。

 そりゃそうだ。いきなり現れて、ボコボコにしたのだから。

 けれど、いい。あんな胸が張り裂けそうな顔をさせたくない。

 確かにアリスの事は知らないし、赤の他人だろう。

 だが、それがなんだというのだ。

 亜夜は嗜虐嗜好じゃない。少女が傷つく所を見たくなどない。

 見るなら、笑顔がいい。笑った顔を見たかった。

 亜夜は、理屈でアリスを守ると決めた。それは、己のため。

 同時に、感情でも守る。アリスの事を。そして、自分が担当する四人の事を。

 だって、そうだろう?

 女の子は、笑った顔が、一番可愛いのだから。

 決めた。亜夜は、全員守る。

 

(自分のことも大切ですがっ! なぜか分かりません、然し笑っていた方が良いなら笑顔にしましょう!! それが私のお仕事ですッ!!)

 

 ……アリスの事が、切っ掛けで。

 亜夜は、知らず知らずに覚醒していた。

 要するに、現実世界では決して発露し得なかった一面が。

 アリスと同じく孤独を好んでいた亜夜はしてみれば、異様極まりない感情。

 それを、人は……保護欲と言う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 後日。個別だった四人は同室に移された。

 ビクビクするラプンツェルとマーチ。不貞腐れたグレーテルに、困惑しているアリス。

 そして、亜夜。

 新しく来た新任の担当は、大きめのワンルームで合同で暮らせと命じてきた。

 壁際に埋め込まれた二段ベッドに、それぞれの私物は持ち込めるだけ持ち込んだ。

「……なんで、いきなり共同部屋? 私、今まで個室だったのに」

「諸事情ありまして。ご不便をお掛けします」

 茶髪のボサボサの癖毛に、生気の乏しい茶色の目。

 唇を尖らせるグレーテルが、亜夜に文句を言っていた。

 本名、グレーテル・アインス。数年前に入所した、今はひねくれた少女。

 が、亜夜は気にしない。グレーテルの髪の毛をすこうと櫛を手に寄っていって、迎撃されている。

 うざったそうに、亜夜の頭を小突いて抵抗するグレーテル。

 病弱そうなこの職員の話は聞いていた。

 いきなり、問題の多いアリスの担当の股間を砕いた悪魔の女だと。

 セクハラをしていたとは聞いていたが、まさか子供のために元同僚に躊躇いなく手を出した。

 色々な意味で、聞いたことも見たこともない人間であった。

 しかも、本人は重度の呪いを受けている。聞いたとも、生きたまま小鳥になる呪い。

 ゾッとする恐ろしいモノであろう。なのに、彼女は絶望しない。

 その言動に、少しグレーテルは興味があった。

 それが、例えば今までの職員と同じくドライで事務的で、仕事としてしか接しない者ならばグレーテルは今殴り倒している。

 だが、どうもこの亜夜と名乗る新人は、こっちを過剰に大切にしようとしている節が見えた。

(……変な人。今まで見てきたどんな奴とも違う。なんなの、このお兄ちゃんみたいなオーラは……)

 嘗て、彼女は兄がいた。その面影が、この知り合って間もない彼女からは見てとれる。

 悪意が、ない。全くというほど、善意しかないのだ。

 甘やかしオーラと言うか、なんと言うか……。

 一言で言うなら、ウザい。ウザったい、けれども懐かしいような感情。

「や、め、て!! しつこいよ、何なのさ!!」

「何なのさと言われたら、答えてあげるが我が情け!」

「もう、意味のわからない事を!!」

 割かし、心に重度のトラウマを背負っているグレーテルですら、ひたすらに笑顔で絡んでくる亜夜に対しては、強く言えなかった。

 兄がいたからか、何故だろう。

 心の底では、ほんの少しだけ、嬉しい気がして必死に否定する。

(さ、寂しくなんてない!! 私はもう、どうでもいいんだ!! 今更……今更、誰かに大切にされたって、何にも変わらない……!)

 寂しい。そんな気持ちが、いつしか無気力に変わり、無意味な苛立ちに変わり、周囲との軋轢を生んだ。

 なのに、亜夜は。

 こっちの悲しみやら絶望やら、そんなものはお構い無しに亜夜はグレーテルを構うのだ。

 強く言えば、彼女も悲しむのかな、とグレーテルは思う。

 拒絶すれば、良いのに。いつも通り、ほっといてと叫べばいい。

 が、頭では理解している。それを言うと、彼女の場合は地雷である。

 加熱するだけだろう。もっと激しくなるに違いない。

「なんでそんなに怒るんです?」

「鬱陶しいからだよ! 変態か何か!?」

「職員のお仕事ですが、問題でも?」

「ないよ! ないけど態度が暑苦しい!」

「良いじゃないですか、ウジウジしてるくらいなら一緒に遊びましょうよ」

「嫌だよ! 私は一人がいいの!  ほっと……」

「……ん?」

「!?」

 いけない、地雷を踏みそうになった。

 悪意のない目が、グレーテルを貫く。

 優しい目をしている。ああ、何だろうか。

 兄に似ているのか、妙にあの頃を思い出す。 

 同時にトラウマを蘇るのが常なのだが……。

(……何か、苦しくない……?)

 何故だろう。何時も動悸がして、過呼吸を起こすのに。

 刺激されても、あまりダメージがない。

 グレーテルは、ハッとした。まさか。

 数少ない、呪いの前例である彼女は考えた。

(この人の呪い?)

 周囲に影響する呪いなのか、グレーテルは辛くない。

 この青い翼の効力なのだろうか。亜夜に聞けば、副産物で周囲に幸運が訪れると説明する。

 ……また、難儀なものを背負ってるとグレーテルは同情してしまった。

 気づいているんだろうが、要するにサナトリウムの連中に使われているだけだ。

 亜夜は知ってて従っているようだし、指摘しても他に方法もないと受け入れていた。

 呪いの原理は一般的には専門知識。ここの子供も詳しく知らないが、グレーテルは知っている。

 経験上、対処法は知るが実践できない。そんなタイプだった。

 他の三人を見るグレーテル。

 アリスは、マーチやラプンツェルが怖がっているのを見て、ちょっと距離を離している。

 どうやら、暴力を振るうつもりはないと思われる。

 一番の問題は奴だが、グレーテルは放置さえされれば文句はない。

 仕方なく、決定を受け入れた。問題は……

「グレーテル?」

「だから……止めてっての!」

 まだ髪をとかそうしてくるので、デコピンで迎撃。

 すると、

「あべしっ!」

 一発ノックアウト。亜夜は失神した。

「ちょ、亜夜!?」

 慌ててアリスが駆け寄って、支える。

 目をバッテンにして、失神している亜夜。

 見た目通り、虚弱らしく驚くグレーテルと二名。

 が……。

 

「……………………」

 

 アリスの目が、殺気立った。

 亜夜が気絶させたグレーテルを、怒っている。

 不味い、とグレーテルは感じた。

 こいつは敵に回すと危険だと分かっている。

 慌てて謝り、逃げる。

「……次は、許さないから」

 アリスは怒気を込めて脅した。

 暴力は自制するように、亜夜に厳重注意されているようだ。

 ビビる二名には、アリスは謝った。なにもしないと言って、亜夜の介抱に専念する。

 怖い。流石暴力女。迫力は段違い。

 そんな幸先不安な四名による共同生活が、始まるのだった……。



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新しい環境で

 

 

 

 

 

 

 

 突然の同居人が増えて、少なくても二人はペースが乱された。

 何もかも初めての事で、どうすればいいのか分からない。

 協調性、と言うものが皆無だったが故の苦労。

 アリスは、一人部屋だったのが三人も増えてイラつく日が増えた。

 日常のちょっとした事で直ぐに苛々する。

 明らかに怯える二人は、まあまだいい。なにもしないから。

 問題はグレーテルだった。あの無気力自己中女。

 なにもしないくせに、あとから口出ししてきてウザい。

 相性は最悪なのは見てとれた。

 対して、グレーテルも大体そんな感じ。

 あの暴力自己中女。

 人の事を考えないで無神経な事ばかり言ってきてウザい。

 ラプンツェルとマーチは仲良くやっている。

 自己主張の少ない弱気なマーチと、単なる無菌培養のラプンツェル。

 妙な化学反応を起こさずに平和に過ごしていた。

 生活リズムが異なる年頃の子供たちを一緒にするのは、大人の事情と言えど本人たちには苦痛のようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 でも、良いことも増えた。

 アリスには、話を真摯に聞いてくれる人ができた。

 今まで散々忌避してきた他人との接触。

 自分が傷つくのが嫌で、遠ざけていたはずなのに。

 無意味に卑下され、裏切られ、見捨てられると思ったのに。

 生きる居場所がなかった。生きる価値すら否定され続けた。

 アリスは、他人に弱味を見せたくなかった。そうすれば、落胆される。失望される。

 孤独を選んだアリスは、だが孤独すら痛みに感じている現状があった。

 それでも、方法はそれしかないと。

 あの頃の二の舞は絶対に嫌だった。

 だけど。初めて、対等な人がいてくれた。

 亜夜は、ずっと話を聞いてくれる。アリスの事を、ちゃんと見てくれる。

 これが、嬉しかった。肯定してくれる人が一人でも居ることが。

「ねぇ、亜夜」

「何ですか?」

 アリスは亜夜の事を知りたいと思う。

 突然出てきてアリスを護るとか宣う変なやつ。

 然し、本当に亜夜は言う通りだった。

 彼女はアリスに目線を合わせて、相手をしてくれる。

 だけど、言葉通りで嘘はなかった。

 行動で亜夜は示してくれた。

 互いに色々話した。自分の事を、相手の事を。

 たくさん知れた。亜夜は読書やゲームが好き。

 静かなところが好き。身体が弱いこと。上手く歩けないこと。

 背負っている呪いのこと。全部教えてくれた。

 アリスも沢山知ってもらった。亜夜は笑顔で聞いてくれた。

 アリスは、亜夜ともっと仲良くなりたいと思った。

 第一印象は、アリスにとってはとても高かった。

 呆気に取られたけれど、元々は此方を案じてくれたもの。

 それすら疑ってかかれば、今度こそアリスは誰も居なくなってしまう。

 ……改めよう。アリスは、己の認識を。

 寂しさはあったと思う。我が身可愛さで周囲を攻撃していたことも。

 暴力と言う行為で自分を守っていたことも。

 それは、悪いことだ。暴力は、良くない。

 それしか思い付かなかったとはいえ、自覚しているのならば止めるべきだ。

 確かに最初から関与されなければ、辛くはない。 

 が、そこから発生する責任には、一人で対処せねばいけなかった。

 嫌だっただろう? 好きでもない男に勝手に自分の体を触られることが。

 暴力には暴力で対処された時の恐ろしさが。

(……大人しくならなきゃ。亜夜に嫌われたら、あたしには何もない)

 好かれる行動をしないと、折角助けてくれた亜夜まで離れてしまう。

 嫌だ。亜夜まで居なくなるのは、嫌だ。

 見捨てないで。

 失望しないで。

 否定しないで。

 裏切らないから。良い子にしているから。

 だから、そばにいて。一人はイヤ。

(嫌だ、一人はイヤ。……もう、泣くのも辛いのも嫌よッ!!)

 アリスは新しい恐怖を知った。ただ一人の理解者に嫌われること。 

 ようやく知った、繋がりの有り難み。失ってたまるものか。

 コミュニケーションが経験不足のアリスは死に物狂いでそれにすがる。

 亜夜が担当して、一週間。アリスはすっかり、今までの攻撃性が失われ、普通の少女となった。

 相変わらず短気で、思いやっても言葉が強くて上手く伝わらないし、強がってばかりいるけど。

 彼女は、亜夜と共にいることを楽しいと、嬉しいと、思うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 で。 

 亜夜の方はというと。

 異様にアリスに懐れているのを自覚していなかった。

 彼女もコミュニケーションに難のある少女で、はんば使命として感じている皆の世話以外の対人関係は最悪に近かった。

「……お前は四人も面倒見てるのか。まぁ、逃げられない手前、やるしかないわけだが」

「えぇ、まあ。連中の言いなりになるのはシャクですがね。で、そっちの経過は如何程に?」

「悪くはない。が、……よくもない。昨日一人、俺のせいなのはか分からんが、亡くなったよ」

「……崩空、貴方って人は」

「残った連中の面倒は見るさ……。そして俺のようにはなるな。今の俺は、辛うじて反面教師としては有益だ」

「なりませんよ。意地ってモノがありますから」

 一人、同僚と休憩室で話す。

 常に目が死んでいる、ハイライトがない亡霊のような少年であった。

 職員の白衣を着ていなければまず誰も近寄らない。

 況してや、本人が他者を寄せ付けない雰囲気を醸し出せばこうもなる。

 崩空文離。文字に起こすと読めないと亜夜は思う変わった名前だが、『くすはらかざり』と読むらしい。

 本人がご丁寧に書いてくれた。

 どこか、亜夜と似た感じがすると他の同僚は言うが、決して亜夜は認めない。

 この何もかも諦めているような人間とは、一部分しか似ていない。

 少なくとも、世話をする子供が亡くなっているのに平然とまでいかなくとも、普通に仕事をしている人間とは違う。

「前提として、俺程度じゃ満足に子供一人救えないのかもしれないな。……それでも、続ける気はあるがな」

 自分を常に客観的に見ているような視線が亜夜はあまり好きじゃない。

 悪人とは言わないが、言動が矛盾しているような得体の知れない人間である、という印象が強い。

 が、決して人間じゃないと言う意味ではない。

「どの口が言うんですか? 悲観している訳もなく、次に向かって足掻いている癖に」

「まぁな。確かに悲しみはあるさ、俺だって人間だ。だが……悲しんでも、死んだやつが帰ってくる訳じゃない」

「そんなんだから、誤解されるんですよ。弔いを胸に仕舞い込むから」

「構わん。一ノ瀬程じゃないが、俺も他人には興味などない。どう思われようが、知ったことか」

「……他人のことを気にしないのは同感ですよ」

 自分の身の程を理解しているくせに、足掻こうとする彼が悪いわけがない。

 他者に何も悟らせないから、彼は誤解される。全部胸になかに隠してしまうから。

 諦めているのは、子供の命じゃない。彼もまた、凶悪な呪いを受けているが……諦めているのはそれだ。

 自分の呪いの解決を既に諦めている。ゆえに過度な進行こそしないが、完治もしない。

 例の、ライムが言っていた気を付けるべき呪い。それが、崩空の受けた呪いだった。 

 彼は巨人殺しの童話の呪いを内包する。

 殺害、暴力、破壊といった衝動を抑えきれないモノであるらしく、抑圧すると更に加速する。

 前に一度、たがが外れて暴走していたが、その時も意味のない行動を取っていた。

「そう言えば、お前のところには、不思議の国のアリスがいたな。……彼女は、どうだ。同じ系統の呪いだろう。俺に助言できることがあれば教えるが。彼女とは仲良くやっていると聞いたぞ」

「崩空。私たちが異世界の人間であることを知られるのはご法度です。迂闊に口にしないで下さい」

「おっと、悪い」

 亜夜が咎めると、彼は謝りコーヒーを入れる。

 休憩室には他にもいるが……顔ぶれは、異世界出身だけなので良かった。

 亜夜が言う通り、異世界出身であることは口外してはいけないらしい。

 いわく、大体がそんなものを現実世界で言えば頭がおかしいと思われるが、この世界でも同じらしく。

 下手すると呪いと判断されて別の施設送りにされるので事実でも止めろと。

 なので、事情を知らない職員もいる手前、大声で言うのは避けろと亜夜は警告する。

 ……崩空は、知られてもあまり気にしないようだが。

「というか、アリスの系統は精神操作です。崩空のは似た別系統だと何度言えば分かるんです」

「……結果的に暴れだせば、変わらん。俺よりも多少被害が減るだけだ。元々手の早い奴なんだろ? 対処法は同じだ」

「……嫌なことを言いますね。まさか、あのピニャ野郎がでしゃばると?」

「わかっているならいい。奴との荒事はお勧めはしない。相手すれば、肋が数本持っていかれるぐらいは覚悟しておけ」

 崩空は、現在肋にヒビが入った状態で仕事を続けている。

 その呪いの暴発時に、例の眼鏡の人狼が武力で介入して、一発で仕留めていた。

 暴れていた崩空は、周囲の器物を破壊しながら遂に子供にまで、手を伸ばそうとした時だった。

 亜夜も一部始終、騒ぎを見ていたが、呆気にとられた。

 亜夜はそいつの本名を知らないが、名字は雅堂と言うらしい。

 顔が黒い眼鏡をかけた勇ましい灰色の狼にしか見えないが、そいつが暴れていた崩空の胴に木刀で一撃ぶちこんだ。

 ボールのように、男子高校生の身体が吹っ飛ばされ、バウンドして転がる様は異様な光景であった。

 本人が慌てて介抱していたが、暴れだすと気絶させるしか対処法はないと聞く。

 要するに早い話がぶっ飛ばせば良いのだが、あの人狼が主に暴れる呪いの対処をするらしい。

 結果、崩空は人狼が言うには手心を加えて肋にヒビが入った。内臓にも少しダメージがいったと言っている。

 それ以降何度か目にしているが、その都度信じられない光景が広がった。

 地面に頭から突き刺さる職員、壁にめり込む子供に、前回の崩空。

 あいつの呪いは、童話赤ずきんの狼に一部の人間から見え、尚且つ女性から意思を無視して強制的に駆除されると言うケダモノ扱いされる呪いだそうで。

 亜夜もあの狼を駆除したい、言うなれば殺したい衝動に駆られたが、幸い己にも幸運をもたらす蒼い鳥のおかげか、相殺はできる様子。

 彼は四六時中、あらゆる女性から命を狙われているが、普通に生活している。

 担当する、シャルという名前の女の子から毎日包丁を股間に刺されそうになって悲鳴こそあげていたが、去勢は免れているようだった。

 そんな化け物狼に倒された崩空は言う。

「昔経験した交通事故を思い出した。車に吹っ飛ばされるのと大差無かったな。……奴は人間なのか怪しいレベルだ。自分の担当が殺されたくなくば、しっかり面倒を見てやれ。命の保証は本当にないぞ?」

 アイスコーヒーを飲みながら彼は告げる。

 いまだ、服のしたに包帯を巻いて医者に通う崩空。

 顔がひきつる亜夜。体験談を言われると……流石におっかない。

 因みに、先程亜夜が言った『ピニャ野郎』とは、亜夜が彼を呼ぶときに使う名称の一つ。

 他にもエロ狼、バカメガネ、腐れロリコン外道など割りと言いたい放題言っている。

 何故か? あの男の呪いにくわえて、担当であるラプンツェルがいるのと自分の経験。

 やはり狼は送り狼なのだ。信用できん。こっちは亜夜の父のせいである。

 ラプンツェルは童話的に美味しく性的に食われるのが普通に有り得る。

 亜夜は予め守るために、人狼を毛嫌いしていた。攻撃こそしないが、野良犬を追い払うような対応ばかり。

「なんで僕がこんな目に……」

 などと本人は弁明すら聞いてもらえず、落ち込んでいたがだからどうした。

 この間見た、どこぞのアイドルユニットのマスコット『ピニャコラーダ』という公式やさぐれた、亜夜からすれば不細工な猫だか狼だか分からない生き物と似ているあいつに言われたくない。

「……分かりました」

 崩空のアドバイスと勝手に受け取った亜夜は、ゆっくりと立ち上がる。

 崩空はコーヒーを飲みながら見上げる。

「……どうした?」

 なにやら、休憩室の棚をあさって、何かを探している様子の亜夜を怪訝な目で見る崩空。

 亜夜は柚子のような、柑橘類の匂いをさせた棒を取り出す。

「この間、ライムさんに言って取り寄せて貰った野犬避けの棒らしいです。嗅覚の鋭い連中には効果抜群だそうで」

「……おい、まさか」

 嫌な予感がする。崩空は言った、止めておけと。

 この女、自分の担当の為に自ら狼に挑むつもりだと分かった。

「……崩空の言い分は聞きました。然し、別に倒してしまっても構わないんでしょう?」

「失敗しそうな台詞を言うな、だから止めろ一ノ瀬。命を散らす気か」

 儚い病弱な少女が自分から死地に向かおうとするのは流石に見てられない。

 説得するも、聞く耳持たず。壮絶な表情で、亜夜は言った。

「私は死にません。何度でも蘇ります。あの子達が待っているんですから!」

「お、おい……っ!」

 とてとて、歩いていってしまった。

 制止を振り切り、突撃していく亜夜に、ため息をつく。

 勝ち目などないだろうに、そこまで担当の四人が大切だと見える。

 出会って一ヶ月もしない誰かのために命を懸ける。

 崩空は、それが少しだけ羨ましいと思う。

 多分、今の自分にはきっと出来ない、情熱のあることだから。

 取り敢えず今は、亜夜の帰還を祈ろう。あの化け物狼に勝てると、一筋の希望を信じて……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……えっ? 一ノ瀬、なに? どうかした……って、何その臭いの!? キツい、ちょっ、何で振り上げんの!? 止めて!?」

「死ぬがよい、ピニャ野郎ッ!! ぐさぁーッと一思いにィッ!!」

 

 

 

 

 

 

 ――びぃぃぃぃにゃああああああーーーーーーーーッ!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……一時間後。

 柑橘類の匂いを漂わせた人狼に亡骸が、休憩室の前に転がっているのは言うまでもなかった……。



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苦痛の甘い味

 

 

 

 

 

 皆の世話をして、二週間が経過する。

 亜夜は、四人と上手く交流する方法を模索していた。

 コミュニケーション能力が壊滅的な亜夜は、口が悪いし態度も悪い。

 基本的に、仲良くという言葉と縁遠い女であった。

 どうすれば、皆と仲良くできるのか。

 頭は良いが、あくまでそれは知識量が多いだけ。

 この手の対人関係においては、亜夜はアリスとどっこどっこい。

 結果は、芳しくなかった。

 グレーテルには押し売り状態が続いている。

 最近、ようやく本気で嫌がるときもあると何となく察して、鬱陶しくてごめんなさいと謝った。

「えっ……。あっ、い、良いけど……」

 グレーテルも意外だった。 

 時折真面目にウザいと思ったことはあったが、まさかそれを謝罪されるとは思わなかったのだ。

 職員は子供よりも立場が上。謝らなくても、そのまま押し通すことも出来たのに。

 亜夜は、律儀に詫びを入れてきた。

 自分がおかしいと思った場合は、子供相手でも言葉にする性格みたいだった。

 ……まあ、善意の押し付けに近い行為であっても、それ自体に悪意などないし、グレーテルも慣れてしまえばそこまで気にならない。

 どっちかっていうと、職員らしい仕事をしている亜夜を評価していた。

 他の職員を見れば分かる。子供に手を焼いて怒鳴る、叩くなどするやつもいる。

 そもそも何で職員やってんだ、という勤務態度のやつもいる。

 もっと酷いと前アリスの担当のような奴さえいる。流石にライムたちが黙っちゃいないが。

 弱い立場に対して欲望の捌け口にされる場合もあるのだ。

 亜夜は身体こそ弱いが、至って真面目かつ実直に、そして素直に熱意を持って接してくれる。

 悪い人じゃない、ただ熱意が暴走しているだけの暑苦しい人、とグレーテルは思った。

 口癖のように、

「皆を二度と泣かせませんよッ!!」

 といきり立つ亜夜を見れば誰でもそう思う。

 世話というより無償の奉仕に近くて、時々ドン引きする。

 いい加減暴走状態を止めないと、倒れてまで働きそうな人だった。

「……ねぇ、ええと……何て呼べばいい?」

「お好きにどうぞ、グレーテル」

「私は名前呼びするんだ……」

 そう言えば一度も呼びつけたことのないグレーテルは、彼女をどう呼ぶか思案する。

 馴れ馴れしい名前呼び。いいや、職員としては普通? ならば。

「……亜夜さん。加減、覚えないと倒れるよ?」

 仕方ない、お返しにこっちも名前で呼んでやる。

 指摘しても、キョトンと首を傾げる亜夜。

 ダメだこりゃ。自覚なしに暴走していると見る。

 懇切丁寧に、珍しくグレーテルは自分から動いた。

 だってそうだ。やはり、彼女は嘗ての兄に似ている。

 多分、身内については亜夜は知っているだろう。

 他の三人は知らないが、少なくともアインスの家は分解している。

 一人きりの兄とは死別した。しかも、魔女のせいで。

 忌々しい存在に、愛しの兄を殺された。

 両親からは、口減らしの為に捨てられた。

 グレーテルは、幼い頃から孤児だった。

 両親の顔すら満足に覚えていない。兄は殺され、グレーテルには呪いしか残ってない。

 こんな状況で希望を見いだせ、などと言っていたら二度と口を聞いてやらない。

 前の担当は無駄に楽観的で無神経で、立ち直れと他人だから気安く傷に触れてきた。

 それが凄まじく不愉快で、グレーテルは一切口を利かなかった。

 当たり前だ。他人事で人の痛みに塩を塗る奴と誰がきくか。

 それが理解できず、一方的にグレーテルが悪いと言わんばかりの言動が更に腹立つ。

 元々、生きる気力などとうに捨てている。死ぬならば別にいい。もう、未練などないし。

 ただ、呼吸をして眠るだけの生きた死体。それがグレーテルだった。

 食事などしなくない。一日何回苦しみを思い出せばいい。飢え死にできれば最高だった。

 しかし、前任はそれを阻止すべく、無理やり食事をさせてきた。

 おかげで、トラウマは増大して一時は人前に出ることすら苦痛になった。

 余計なお世話だったのだ。自棄っぱち。あるいは、無気力。

 周囲の全てに無意味に苛立って、言葉で攻撃して、憂さ晴らしをするだけの日々。

 何のために生きるのか、自分でも理解できなかった。意味などとっくに失っていたとさえ言える。

 ……が。この人は、ちょっと目に余る。ダメだ、そろそろ間に誰か入らないと。

 アリスはお話にならない。亜夜と一緒にいると、常に浮かれていて気付いていない。

 マーチとラプンツェルは、まだ少し警戒している。だいぶ柔らかくなったが、最後の一歩で様子見。

 と、なればグレーテルしかいない。本当に世話をする職員かと呆れてしまう。

 ブレーキを知らない暴走特急。停車ってものを知らずに突撃しまくるあんぽんたん。

 倒れられたら、自分にまで被害が出る。なので、渋々動いた、と自分を納得させた。

 ……グレーテルだって、バカじゃない。こんなものは言い訳だ。 

 亜夜と同じく、自分を行動させるのに理屈という建前を用意して説得しないと動けない。

 変な部分で、亜夜とグレーテルは似ていた。素直に認めれば良いものを。

 要するに、だ。

 グレーテルは、亜夜を、心配している。

 ただ、それだけの話。

 なので、ハッキリと加減しろって言ったのにこの有り様。

 唖然とするグレーテル。髪はボサボサ、汗くさいし目は死んでる。

 こんな状態で世話を受けるのは嫌だって言ってるのに。

「えっ!? 私、汗臭いですか!?」

「いや、そこじゃないよ!? 休めっていってんだよ!?」

 汗くさいに反応するのはやはり乙女だからか。

 程ほどにしろってゆーてんのじゃ、と口を酸っぱくして言うのに。

「……?」

(あっ、ダメだこの人。自覚ないじゃない、理解してないパターンだ)

 救いようがない。病弱言うならご自愛しろって言っているだけ。

 割りとストレートに言ってるつもりなのだが、イマイチ理解されない。

(……これは近々倒れるな。うん、間違いない)

 全く、迷惑をかける職員だ。

 知っているとも、この手の阿呆を。

 嘗ては散々一緒にいた、半身だから。

(お兄ちゃん……)

 この人は、兄に似ていた。

 この自己犠牲をいとわない言動といい。

 己の采配を後回しにする物言いといい。

 自分を軽く扱うのに自覚のなさといい。

 本当に、今は亡き兄にそっくりだった。

 グレーテルの兄は、魔女に殺された。

 それは、最期に妹を救うべく、己を犠牲にしていたからだ。

 目の前で、老婆と共にかまどに落ちていった、あの姿を忘れられない。

 思い出したくない、辛い思い出。

 年数が経過しても、毎日食事をするたびに傷口を抉られる。

 グレーテル・アインスの呪いは『食事の味が、全て甘いお菓子になる』呪いだ。

 それは、口減らしに魔女のいる森に両親に置いてきぼりにされて、極度の飢餓に襲われ森をさ迷っているうちに発見してしまった、魔女の家を食べてしまったことを思い出す。

 何でお菓子の家を作っていたのかなど知らない。

 ただ、飢えを満たすために食べた家の家主は卑しい孤児を許さなかった。

 夢中で食べていた二人を発見するや、逆に食ってやろうと煮えたぎる熱湯の中に兄を突っ込もうと捕獲した。

 老婆の癖に力が強く、半端に飢えを満たされた程度じゃ抵抗できず、涙を流して腰を抜かしていた妹に、決死の表情で兄は叫んだ。

 

「――グレーテル!! お前は逃げろッ!! このババアは俺が何とかするッ!」

 

 老婆を蹴り飛ばし、徹底抗戦の構えをとった兄は、妹に発破をかけた。

 魔女が何かを叫ぶが、なんと顔面を殴り飛ばして、黙らせた。

「何してんだ、グレーテルッ! 逃げろっていってんだよ! 早く行け、お前だけでも!」

 グレーテルは嫌がった。

 兄と共に。逃げるなら、生きるなら一緒がよかった。

 けれども、魔女と取っ組み合いをする兄は許さなかった。

「バカ抜かしてんじゃねえぞ! お前まで死ぬ気か!! 早く行けって言ってるだろ!」

 今思えば、兄は悟っていたのだと思う。

 生きて脱するには、どっちかを犠牲にしないと無理だと言うことを。

 グレーテルは、殴られる兄を見て、漸く立ち上がった。

 加勢したかった。けれど、彼女は兄と違って果敢ではなかった。

 臆病な少女だった。

 兄はそんな妹を庇うために、恐ろしい人類の天敵と素手で立ち向かった。

「へへっ……何だよ、やるじゃねえかクソババア。てっきり、俺はこそこそ生きてる陰険な性悪ババアだと思ってたがな。喧嘩もできるってか、舐めてたぜ」

 魔女を挑発する兄。高慢な魔女は人間風情に貶され激昂した。

 妹が逃げる時間稼ぎになるため、兄はその時には生きることを諦めていた。

 またも、取っ組み合いを再発する。

 グレーテルは、どうするべきか考えた。

 予想できる大半が絶望で、助けを求めても魔女相手ならばまず無理で、孤児相手なら余計に無理。

 手詰まりの状況で、何が最善かを考えた。

 必死だった。懸命だった。

 その全てが、彼女には選びたくないもの。

 然し、戦う兄は再び叫ぶ。

「グレーテル! 俺を気にするな!! お前は、明日を生きろッ!! それが俺の願いだ!!」

 自分は犠牲になっていい。妹のために戦う兄は、とっくに覚悟を決めていた。

 魔女が優勢になる戦いは、転がった兄が近くにすっ飛ばされた時に動いた。

 魔女が痺れを切らして、グレーテルを狙った。それを阻む兄が、煮えたぎる大きな鍋の近場に魔女を殴った。

「テメェの相手は俺だぜ、ババア! 目の前の相手無視して余所見とは随分余裕じゃねえか。どこに目玉ついてんだ、なぁ?」

 またも挑発、キレる魔女。

 再び殴りあい。グレーテルは迷う。

 死にたくない。でも、兄を助けられない。

 自分が加勢しても、一緒に死ぬだけだ。

 敗北は目に見えている。

「グレーテル、俺に構うな! 行け!!」

 兄は再三叫ぶのだ。逃げろと。

 反論したい、しかしその言葉は口にはできない。

 魔女が、兄を捕まえて鍋に放り込もうとしていた。

 グレーテルは駆け寄ろうとした。

 その時、兄は暴れて、魔女のバランスを崩させた。

 聞こえるように、魔女に言い放つ。

 

「テメェに、俺の妹は……殺らせねえ!」

 

 バランスを崩した魔女は、兄を持ったまま鍋に向かって転倒。

 兄も一緒になって、鍋に沈んでいった。

 共に消えるその瞬間を、グレーテルは目に焼き付いていた。

 

「お兄ちゃんッ!!」

 

 グレーテルは鍋に駆け寄った。

 煮えたぎるそれを覗きこむと、悲鳴をあげた。

 ……鍋の中身はお湯ではない。煮えていた黒い粘液だった。

 泥のようなその粘液に、浮かんでいた魔女のシワだらけの顔が、苦痛に歪みながらグレーテルを見上げていた。

 

『お前は決して許さないよぉ、盗人の小娘ェ……。永遠に思い出し苦しむが良い……。お前の兄が死んだ、この瞬間を……甘い味と共にねェ……』

 

 それは、死に際の魔女がはなった呪いだった。

 トラウマになると踏んで、それを抉るように植え付けたお菓子の味。

 計算通り、グレーテルは今までずっと苦しんでいる。

 兄が死んだトラウマとくっつくこの呪いを。

 だから、食事はグレーテルには苦痛でしかない。

 亜夜は知っているから、強要はしないのだろう。

 しかし、こんな風に自分を犠牲に誰かを生かしても、待っているのは苦しみと罪悪感と後悔だけ。

 一緒に死ねれば良かった。助けられれば良かった。自分のせいで兄は死んだ。

 そんな心の痛みを負いたくない。亜夜にも、分からせないと。

 こんな結末は、美徳ではない。悪徳だと。

 心配を説明するグレーテル。が、肝心の亜夜には結局届かず。

 二日後。高熱を出して、案の定亜夜は寝込んでしまったのだった……。



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お休みの日

 

 

 

 

 

 

 亜夜は此処のところ、働きすぎてしまったようだった。

 グレーテルに気を付けろと指摘されながら、やりたいようにした結果だった。

 情けない話だが、体力は全職員最底辺。

 そればかりは、カバーしきれないのである。

 高熱を出して与えられた部屋で俯せに寝ていた亜夜。

 休憩室にあった薬を飲んで様子見をしてみている。

 ライムには一報をいれて、何故か検査をしてくれたが結論は疲労による夏風邪。

 セミがオーケストラしている最中、全力疾走をすればモヤシには負担になる。

 ゆっくりと休めと言われて、彼女は翼を折り畳んで、ぐったりしながら寝ていた。

 彼女が休みの最中は、四人は自力で頑張るといってくれた。

 これが、亜夜の起こした行動の変化。自発的に、何かしようとする心意気を芽生えさせた。

 疲れを自覚しないまま自滅した彼女は、みんみんじわじわと喧しいセミの声を聞きながら、扇風機に当たっていた……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 午後。ある程度回復して、お昼を食べようと思い起き上がった。

 広くはない和室のなかをのろのろと動いて、備え付けのミニキッチンに立った。

 料理は面倒だから、適当にやろう。自炊は最低限できる。

 世話をするなかに、食事の手伝いも含まれる。

 その辺のスーパーで購入した時短アイテムで作るものが多いが、アリスにはわりと好評。

 毎度、グレーテルは個別で勝手にやりたいと言うので放置、未だに警戒される二人には作りおきをしていつもアリスと一緒に食べていた。

 アリスは最初と違ってよく笑うようになった。ハツラツと喋るようになったし、暴力も控えている。

 すっかり、亜夜とは友人関係になれたのは、嬉しかった。

「……なにこれ?」

「うどんですけど」

「う、ウド……? パスタか何か?」

「パスタじゃないです。これ、知りません?」

「全然知らない。なんか変な感触するぅ……」

 この世界の食文化もカオスで、和洋折衷何でもありのくせに、アリスたちの認識は大体海外の認識であった。

 パスタとかパンとか。和食を知らないらしく、変な顔で毎回食べていた。

 食文化の違いはある程度知っている。

 アリスや他の二名にも気遣い、バランスを考えつつ嫌がるものはなるべく控えるように工夫した。

 アリスは紅茶などを好み、ラプンツェルは……多分、甘いものが好き。

 マーチはシンプルで質素なものを好む。派手なものは食べようとしない。

 グレーテルは……今のところ、論外。彼女の場合は自分で任せるのがいい。

 食文化は大切だ。互いの違いを気にしないと、どうなるか。

 一例を紹介しよう。彼の場合は、こうなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「腐ったもん食わせるとか、ふざけんじゃないわよ、このエロ狼がァァァッ!!」

 

「ヴェ、ヴェアアアアアアーーーーーッ!?」

 

 ガシャーンッ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……となったらしい。

 誰かと言えば、例の雅堂というピニャ野郎であり、世話をする相手である童話赤ずきんの主人公の少女、シャル・フェローネという彼女に身体に良いからと言って、納豆を食わせようとしてそれを知らないシャルは激昂。

 食べ物を使った嫌がらせと思い込み、エロ狼の去勢手術を敢行。

 その場で血の海に沈むかと思われたバカメガネは、命からがら脱出したらしい。

 どこぞの喫茶店の女子高生みたいな悲鳴をあげていたが、このように食文化を尊重しない奴は大抵痛い目を見る。

 亜夜は悪い先例を知ったため、特にグレーテルには気をつかい慎重にやっていた。

 自分の場合は手短に済ませたい。適当に買いだめした保存食のパックご飯をレンジに放り込み、加熱。

 湯を沸かして雑炊もどき、あるいはお粥もどきで済ませる。何かたまごでも入れよう。

 暑いとはいえ、栄養価の低い素麺や冷や麦では亜夜の体力が持たない。 

 暑さにやられて簡単なもので済ますと、亜夜は貧血を起こして倒れるので手間でもしっかり食べる。

 パックご飯を沸騰した湯に入れて、数分待つ。

 その間に麦茶を用意。元々あった冷蔵庫から取り出してグラスに注ぐ。

 足がふらつくし、頭も痛いが仕方ない。足が悪い亜夜にとってはいつものこと。

 実家でもこんな感じだし、家事も手伝いも母は危ないからするなと言われていた。

 母は足の奇形はないが、同じく体力はない。あまり、家事は得意ではないと言っていた。

 洗濯も時間がかかっていた。いつも、自分のものは亜夜も出来ることはやっていたし。

 こう見ると、亜夜の実家はうまく機能していた。父が変態のロリコンでなければ最高だったのだが。

 ……認めたくないものである、親の性癖と言うものは。

 思い出しながら、たまごがないので白粥もどきにした。薄く塩をいれる。

 往復して、運ぶ。一人でいただきますを言って、食べる。

 外ではセミのオーケストラが騒がしく響いている。

 すっかり、夏だった。燦々と降り注ぐ太陽の熱は、亜夜の天敵。

 異世界であるが、熱中症には気を付けよう。無理をすればこんな風に体調不良で休むことになる。

 扇風機にあたる。背中の羽が暑い。羽が飛び散る。邪魔なのでゴミ箱に捨てる。

 抜け落ちる羽、何とかしないと。羽毛だらけの室内とかさすがに嫌だ。

 一応、ラッキーアイテム扱いされるものだが。

 もそもそと食べ終えて、片付けはあとにする。涼しい夕方にやることにして。

 

 ――びぃぃぃにゃあああああ…………っ!!

 

 遠くでピニャ野郎の断末魔が聞こえてきた。夏だなぁと思う。

 何でも奴の悲鳴が夏の風物詩みたいになってんのかは知らない。

 解熱剤を飲んで、また横になる。暇なので少し、読書でもすることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この世界には、魔法と言うものがあると聞く。

 ならば、習得してみたいと思う。未知の領域に手を伸ばして。

 亜夜は一度着替えて薄手の部屋着になり、寝転がって魔法習得の本を読み更けていた。

 猿でも分かる現代魔法、という題名で詳しく解説を交えて書いてある。

 どうやら、魔法は素質によって強弱がつくらしく、特定の道具などを使えば実践的になるなど色々知れた。

 亜夜は興味があったのは雷の魔法。速い、強いが要約すると魅力らしく。

 早速、本の指示通りに実践。軽く手順を踏んで、手に帯電させてみる。

「ほぅ……」

 一発で上手にいった。

 バチバチ右手が静電気を鳴らして帯電している。

 見た目はあまり変わらないが、髪の毛が何やら逆立っている。

 慣れれば、手順を踏まずとも出来るようになるし、雷は応用もきく。

 覚えれば日常でも役立つだろうと思うので、練習していこうと亜夜は本を閉じる。

 そんな頃。部屋のベルがなった。来客のようだ。

 午後三時。休憩の時間だが、何か用事だろうか?

 亜夜は気だるそうに起き上がって、対応に向かう。

 怪訝そうにドアを開けると、そこには。

 

「よっ。見舞いに来たぜ、一ノ瀬」

 

 ……見上げるほどの、服をきた喋る眼鏡の灰色狼が笑って立っていた。

 亜夜は一瞬で青ざめて、速攻で気を失った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前失礼にも程があるからね!?」

「大して親しくもないのに女の部屋に押し掛ける送り狼に言われたかないですが」

「喧しい、体調管理の出来ない素人め。これ以上何を譲歩しろってんですか、翼の人や」

「死ね」

「死ぬかっ! 実害ないのに僕を全否定するな!」

 一目で亜夜を失神させたのは、例のピニャ野郎だった。

 同僚の見舞いに、夕方少し時間があるので見舞いに来てくれたらしい。

 白衣を脱いで、半袖にジーンズ姿の人狼は土産にフルーツを持ってきてくれ、挙げ句に洗い物までやってくれた。

 亜夜とは軽く話したり、亜夜に一方的に襲撃されたり、そこまで親しくはないと亜夜は思っていた。

 が、人狼こと、雅堂からすれば立派な知人らしく。

 同僚の見舞いに来るのは寧ろ当然で、女性の部屋ゆえ気をつかいながら、手伝いも当たり前だとか。

 麦茶を差し出すと、礼をいって頂いている。

 やはり、間近で見るとショッキングな外見をしている喋る狼。普通に怖い。

 ドアの前にいた恐怖は伊達じゃない。そりゃ気絶もする。

「しかし、倒れるほど頑張るとはな。気を付けろよ、一ノ瀬。お前、そこまで体力ある方じゃないし。買い出しぐらいは、いってくれればついでにやるしさ。無理はするなって」

 友人のように親しげに話す雅堂。亜夜は首を傾げて尋ねた。

 何でこんなに良くしてくれる? と。

 出会って二週間弱。こんな風に打ち解けた覚えなどないのだが。

 すると。

「いや、うざかったらごめん。僕さ、結構お人好しってやつらしくて。困ってるひとみかけると、なんかしたくなるんだよ。性分だと思うけど」

 と、雅堂は言った。そういう性格らしい。

 確かに見ていればあらゆる人に声かけて助けて、男には結構交遊関係は広い感じはした。

 女性も、呪いさえ乗り越えればわりと親しげにしてる職員もいるが、それは少数。

 彼の呪いは抗体ができるというか、慣れが出れば問題なく接することもできるとライムが教えてくれた。

 ただ、個人差もあってダメな人は全然ダメというが。

 亜夜は、自分の呪いで相殺できるのと、あとは亜夜の意思で攻撃している。

「……まあ、なんだかんだ感謝してます。助かりました、雅堂。すみませんね」

「今初めて名前で呼ばれたよ……」

 そういえば普段は変な呼び方するので、雅堂は苦笑いしていた。

 そっぽをむいて礼を言う亜夜。まさか、こんなタイプの知り合いも出来るとは思わなかった。

 それから、少し話をして雅堂は戻っていった。 

 ……雑談のなかで知ったが、亜夜がこっちに来る前にあった、巷の不良グループ、ヘッジホッグの壊滅事件。

 あれを仕出かしたのは、何と雅堂だった。なんでもとなり町に暮らしている彼は、ひったくりの現場を目撃したらしく、それを取り戻すために追いかけていった結果、抗争に発展。

 仕方なく木の棒切れで応戦したら、勝っちゃったらしい。

 ……なんで釘バットだのゲバ棒で武装する相手に棒切れで勝てるのかは謎だが。

 流石は口を揃えて言われる人間じゃない発言の数々。

 亜夜も知った。噂は事実だったと。

「……美味しいですねこれは……」

 雅堂がお土産に持ってきたバナナを頬張りながら、今度お礼をしておこうと思う。

 自分のようなコミュニケーション能力の不器用な相手にも平等に手をさしのべる、正にヒーローというかなんというか。

 お人好しの善意に感謝しつつ、その日はゆっくりと休むのであった……。



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童話たちの外出

 

 

 

 

 

 

 

 

 夏風邪もそこそこ回復し、亜夜は仕事に無事復帰した。

 が、いいが……。

 いない間のつけ払いが早速やって来る。

 自分でやろうとして、地力のない四人は案の定大失敗をさらして、大惨事を引き起こしていた。

 予想していたはしていたが、想像を越える被害が出ていた。

 酷いもので、部屋はぐちゃぐちゃ、皆はボロボロ、仕事にきた亜夜は言葉を失った。

「ごめんなさい、亜夜……失敗しちゃったわ……」

 珍しく、アリスが素直に謝るレベル。

 というか軽くみんなピンチだった。

 お腹が空いたと訴えるラプンツェル、マーチは亜夜に対して異様に怯えている。

「……こんなことでミスるなんて、自分が情けないよ」

 グレーテルもなんだか落ち込んでいた。

 自立できない四人に対して、亜夜はと言うと。

 

「もぅ、仕方ないですねぇ。大丈夫ですよー」

 

 すごい優しい笑顔で対応していた。

 唖然とする。亜夜は怒るどころか嬉々として作業を再開する。

 丁寧にアリスにあれこれ教えて、グレーテルを励まし、マーチに優しく言葉をかけて、ラプンツェルにはゼリーをあげた。

 全く怒らない。彼女は誰にでも失敗はあると言って、手間が増えても文句ひとつ言わなかった。

「いや、怒りなさいよ……」

「怒りゃあ良いって言うのは古いですよ、アリス。反省している皆に怒鳴り散らして、呪いが悪化したらどうするんです? 必要以上に責める事も怒ることも必要ないです。バランスですよ、この手の問題は。相手によってよりけり」

 仮に反省していないならば、亜夜は問答無用で言葉で相手をズタズタに追い詰めている。

 理屈で追い詰めるのは得意だ。やろうと思えば相手を全否定できる。

 然し、見る。みんな悄気ている。こんな状況で、感情任せに喚く方がみっともない。

 皆はやったことがないのに、頑張った。そもそも、倒れた亜夜に責がある。

 文句を言うならば、体調管理の出来ない亜夜がいけないのだ。

 みんなに優しく接して、亜夜はぱっぱと後始末を続けていく。

 グレーテルも、アリスも、何だか申し訳ない気持ちになり、少し手伝う。

 マーチとラプンツェルは、亜夜をずっと見つめていた。

 そんな夏の一日であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 サナトリウムで、子供が外出する場合、付き添いに必ず職員が同伴する。

 呪いによる暴走を事前に食い止めるためであり、迅速な帰宅を優先するのと一種の監視も込めている。

 そんななか、折角の夏に引きこもっても仕方ないと、一部の職員が立ち上がった。

 海で遊ぼうや、と皆を巻き込み大規模な外出計画をぶちあげたのだ。

 言ってしまえば海水浴。暑いから泳ぎたいというのは本音の。

 新人の亜夜もなし崩しに巻き込まれた。アウトドアは好きではないが、涼しいのは有難い。

 ついでに飯もサナトリウム負担で出るらしいので、同伴する。

「……え、泳ぐの? 海で?」

「えぇ」

 アリスたちにその事を伝えにいく。

 来週の週末。責任者にライムが筆頭に上がり、気分転換を視野に入れてバーベキューもするとか。

 何やら色々計画を立てているようだった。

「亜夜は行くの?」

「まあ。昼食が出るらしいので、それを目的に」

 暇潰しをかねて涼みにいく、というと。

「じゃあ、あたしも行く」

 アリスは当然のように、ついていくと言った。

 亜夜が行くから、アリスも行くと言った。

「私はパスで。外出たくない」

 グレーテルは、寝ていると言った。

 当日のお昼は、自分で何とかすると言った。

 では、警戒の二人だったが……。

「ら、ラプンツェル一緒に行く!! 亜夜と一緒がいい!!」

「は、はぁ……」

 なんか必死になって、ラプンツェルが亜夜にせがむ。

 彼女の心境の変化はわりと単純であった。

 今までずっと観察してきたが、どうやら亜夜は悪い人ではないと判断をした。

 幼い基準のラプンツェルは、悪い人というのは自分に危害をくわえる可能性のある人間であり、亜夜は人見知りおしていただけ。

 慣れた前任は、結婚を機会に退職してしまったので、後任の亜夜に警戒していた。

 今はわかる。大好きなお菓子をくれるこの人はラプンツェルの味方だと。

 ゆえに、突然亜夜に飛び付いて押し倒す。

「きゃっ!?」

 受け止めきれずに倒れる亜夜。

 のし掛かったラプンツェルは、今までずっと酷い態度でごめんなさいと謝った。

 別に嫌がっていた訳ではないので、もう大丈夫と伝える。

「……あ、やっぱり警戒されてたんですね。知ってました」

 引き継ぎの時に聞いていたので、そこまで気にしなかったが、ラプンツェルは嫌われていなくてほっとしていた。

 これからは全力で甘える所存であります、的な事をいってくれる。

 可愛いので許す。長い金髪も、そろそろみつあみか何かにして結っておきたい。

 幼い顔立ちも、緑の瞳も愛くるしい。表情豊かな彼女とこれからは仲良くしていきたい。

 今回のはよい機会になると思ってるようなので、是非一緒にいこう。

「……ぁ、ぁの……」

 で、その様子を後ろで見ていた地味な黒のショートボブの女の子がいる。

 真夏なのに長袖を着ていて、大きな迷いを浮かべてこっちを見つめる。

 黒い瞳に見られて、亜夜も茶色の目で見つめ返す。

 すると、目線を逃がしてしまう。視線があうのは怖いのかもしれない。

 視線は行ったりきたりを繰り返しているし、何かを言いたそうにしている。

 亜夜は言い出すまでずっと待っていた。

 アリスが苛立たないよう諌めて、グレーテルはさっさと寝てしまったのでいいとして。

 軈て、彼女……マーチは、何とか言葉にして意思を紡ぐ。

 それは、亜夜に対しての初めての意思表示だった。

「ゎ、わたしも……一緒に、行っても、いぃです……か?」

 途切れ途切れになる口調で、それでも必死に見せた小さなワガママ。

 亜夜は二つ返事で速攻オッケーをだして、マーチも一緒に、ついていくことにした。

 初めて、亜夜と顔を見て話せたマーチ。

 優しそうな人だとは分かっていたが、経験上対人恐怖症に近い彼女には、勇気を振り絞っての対話だった。

 亜夜は頑張ったと褒めてくれた。誉め言葉なんてずっと聞いてなかった。

 マーチの頑張りを亜夜は気付いてくれた。それが何より、嬉しかった。

 大丈夫だと思う。亜夜は、敵じゃない。怖い人間じゃない。

 言動は常に優しく、まるで姉のような……朗らかで暖かい日溜まりのような人。

 もう、マーチも怖がらない。アリスとかはまだ怖いけれど、亜夜は違う。

 怖くない。もっとたくさんの事を知ろうと思うようになれた。

 この人には、とても感謝している。変われないと諦めていたマーチを、暖めてくれたから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 泳ぐと言えば、水着である。

 三人揃って水着など持っていない。

 だからいっそ新しいのを買おうという話になる。

 恥ずかしいとマーチはいうが、亜夜は無理しないでいい、と言った。

 ラプンツェルは水着の意味をそもそも分かってなかった。

 取り敢えず、サナトリウムから程近い、商店街へとやってきた。

 グレーテルは興味がないので行かないで、部屋で休んでいる。

 一緒の初めての買い物にはしゃぐラプンツェルとアリス。マーチも後ろでちょこちょこついてくる。

 呉服屋を目指していたのだが、道中思わぬ出会いが待っていた。

「……お、一ノ瀬じゃないか。珍しいじゃん」

 喋る狼が大きな機材を担いで歩いていた。

 アリスがまず硬直した。

「あんたは確か……ピニャコラーダ!!」

「誰だよ!? そんな名前じゃないからね!?」

 どっかのマスコットみたいなやさぐれた不細工眼鏡狼とまさかのエンカウント。

 何故かアリスは身構える。

「うっさいわね! あんたの話は聞いてるわよ、あたしと同年代の女子に対して散々好き放題してるって! この最低男……男? あ、いや……オス?」

「誤解だって!! あと僕は立派な男! 疑問符やめて!!」

 ぎゃんぎゃん道中で吠える狼。 

 通りっぱたで邪魔なので、端に退いて言い争い再開。

 亜夜に抱きつくようにマーチとラプンツェルは警戒心全開で距離をはなす。

 亜夜はバカを見る目で眺めていた。

「こんの変態が、職員だからって調子にのって! 亜夜、こいつ殴っていい!?」

「やめた方が身のためですよ、アリス。こいつは人間じゃありません。ロリコンです」

 亜夜は朗らかに嘘を教えた。

 獣の顔で器用に青ざめるロリコンこと、雅堂。

 半袖にハーフパンの彼は、違う違うと即座に否定するが……。

「……ロリコン? ロリコンってなに?」

「ろりこん?」

「ロリ……コン?」

 三人とも当然知らない。幼女趣味などと言えば、彼の社会的信用は地に墜ちる。

 それは流石に可愛そうなので、亜夜は慈悲深く笑って、こう告げた。

「単なる、変態です。ロリコンという種族なんです。人間以上のハイパワーを有する、エロの塊。それが目の前の狼ですよー」

「止めろォッ!! 面白がって嘘八百で僕を塗り固めるなァッ!!」

 能天気に説明されて、叫ぶ狼。面白半分で言ったのだが……。

「あぁ……成る程。だからあんな馬鹿げた芸当ができるわけね。素手で薪割りなんておかしいと思ったのよ」

 アリスの視線が凄く、冷えきった。

 ごみを見る目に変化したと言うべきか。

 身悶えしそうな視線に、絶句するロリコン。

「ろりこんっていうのに、ラプンツェルは近づいちゃダメなの?」

「ダメです。怖い生き物ですよ」

「分かった!!」

 ラプンツェルは疑うことを知らずに亜夜の後ろに隠れた。

 子供特有の、悪意なき無邪気な残酷さで。

「……」

 マーチは完全に敵対の視線で睨んでいる。

 亜夜の言った通りの最低な生き物と思われたようで。

 無言の糾弾が痛い。

「なんでや……なんで僕がこんな目に……」

 だらーっと滝の涙を流す雅堂。

 リアクション面白いので、追撃しようと思ったが、彼の連れが呼んできたので仕方ない。

 遊ぶのはまた今度にしよう。

 因みに彼が担いでいるのはバーベキューの機材で、彼も番犬代わりに参加するそうで。

 信用できないとアリスが当然の事をいうが、そこは大丈夫。

 雅堂には弱点があり、何でも柚子に似た柑橘類を使用した野犬避けの棒を使うと一発で戦闘不能になる。

 特攻アイテムが有る限り、如何に化け物じみた身体的優位性があろうとも、勝ち目などない。

「では、また後程。道中お気をつけて。あと、肉の食い過ぎは身体に毒ですよ、ピニャ野郎」

「はいはい……ってか、そのカクテルみたいなあだ名止めてマジで!! 僕は裏ごししたパイナップルじゃねえよ!?」

 どうでもいいが、ピニャコラーダとは何でも裏ごししたパイナップルという名前のカクテルからきているらしい。

 なんで知っているかは知らないが、こいつも結構博識だったと言うことだ。

 戻っていく際、若干恨めしい目で亜夜を見ていたが面白い反応だったのでこのままにしておこう。

 亜夜たちは引き続き、呉服屋を目指す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 正確にいうなら、呉服屋とは違うが、服屋にしては雑多な店内。

 個人経営なのか、服の系統も片寄っている。

 細かいことは気にせず、水着を探す。

 決定権は亜夜にあるらしく、三人揃って亜夜に何が似合うか聞いてくる。 

 亜夜もこの手のセンスがあるわけじゃない。

 お財布と相談して、上手に買う。

 ラプンツェルは一番簡単で、女児用の水着を買えば済む。

 ピンク色のフリルのふんだんにあしらった、可愛らしいデザインのものがいいと思う。

「おぉー……!」

 何やら感動したのか、早速試着に向かっていった。

 マーチが手伝いに入って、ついでに自分のも亜夜に聞いて参考に着てみるとのこと。

「あんたはどうするの?」

「私ですか? 私は適当ですよ。泳げませんもの」

 足が不自由で、運動が全般ダメな亜夜は、元々泳げない。

 よくて浮き輪にはさまって漂っているくらい。アリスはそれでもいいと言った。

「折角でしょ? 一緒に楽しみましょ」

 自分よりも小柄な亜夜と腕を組んで、楽しそうにはしゃぐアリス。

 こう見ると美人であると亜夜は思う。

 気の強そうな碧眼に、金髪のロングヘアーに青いリボン。

 同じく青いワンピースも似合っている。アリスは青が好きらしい。

 なんか、亜夜と同じ水着にすると言っていたが……。

「アリス。サイズの差が、あるんですよ?」

 一瞬でアリスが身震いするほどの殺気を出す亜夜。

 アリスとはプロポーションの違いは歴然であり、同じ=比べられる。

 結論、死にたくなる。

「あ、亜夜……ごめん。気にしてたんだ、無神経なこと言っちゃって」

 アリスは直ぐ様謝罪する。人のコンプレックスはつつくものじゃない。

 一つ、勉強になったと思うことで我慢する。

「……適当でいいんです。どうせ、海に漂うだけですし……」

「ご、ごめんってば……」

 死んだ目で亜夜はしずみ、アリスはあわあわしながら謝っていた。

 結局、アリスは青いビキニを、亜夜はマーチと同じく色違いのワンピース水着になった。

 帰り道、珍しく亜夜の魂が昇天しかけていたが、アリスの懸命な謝罪で事なきを得たのだった。

 海水浴まで、あと一週間。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 追記として、ロリコンはというと、風の噂によると水着はビキニパンツにしようとしていたらしい。

 亜夜からするとセクハラ以外の何者でもないので、絶対に阻止するべく行動を開始する裏ミッションが発生したのだった……。



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望まない覚醒

 

 

 

 

 

 

 ……亜夜は妙だと思った事がある。

 ご存知の通り、亜夜には猛禽類の如く、巨大で立派な蒼い翼がある。

 折り畳み、収納しているとはいえ、それは明らかに人間のパーツではない。

 更にはピニャコラーダこと、雅堂はそもそも頭部が人狼になっている。

 こうして、変容を起こしている人間が表を歩いているのに、街の人間たちは同情的な視線こそ送るが、決して排斥しない。

(……なぜ?)

 亜夜なら、気味が悪くて遠ざける。

 すぐに分かる人間ではない化け物。

 翼、狼の顔。どう見たって、フォローできない。

 なのに、この世界は……なぜこんな連中を同族と思えるのだ?

 亜夜は気になり、水着を買った日の夜、思いきってライムを訪ねて、聞き出してみた。

 彼女は、なんとも言えない表情で、語り出す……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「結論から言えば、今の時代でも賛否両論です。ここいら一帯は治安が安定しているので、出歩いても平気ですけど……他の地方では、未だに呪いを持つ人間は邪悪として扱われて、殺されます」

「出歩いたら死ぬってことじゃないですか。何でもっと早く言わないんです、そういう重要なこと!!」

 やっぱり、こいつらは信用できない。

 夜の食堂にて、ライムに詰め寄る亜夜が怒鳴る。

 掴みかかるいっぽてまえで、なんとか自制する。

 大切な情報を黙っていて悪びれない。何てやつらだ……。

 亜夜は心証は最悪である。敵意に近い視線を、ライムは苦笑いで流す。

「睨まないで下さい。この辺は大丈夫と言っているでしょう」

「信用なりませんね。私から問わなければなにも言わないつもりだった連中が……」

 ……胸のなかがムカムカする。

 腹が立つ。本当に、コイツらを見ていると無性に腹立たしい!!

 我慢しないと話が進まない。知りたい情報を聞き出すまでは堪えろと言うのに。

 亜夜の激情は加熱されていく。ムカつく、ムカつく、ムカつくッ!!

 

「――!!」

 

 突然、ライムが驚いたような表情に変わった。

 亜夜の顔を見ている。表情に苛立ちが出ていたか。

 だからどうした、このままいっそ怒りのままに……ッ!

「お、落ち着いてください一ノ瀬さんっ!! ダメです、激情に身を委ねては!!」

 ライムが血相を変えて、いきなり立ち上がって亜夜の肩を掴んだ。

 予想外の力がこもっており、痛みが走る。

 表情を歪める。

『――離せッ!!』

 不愉快さが一瞬でゲージを振り切った。

 思わず、思い切り怒鳴る。途端。

 

 ドンッ!!  

 

 大きな音をたてて、ライムが後方に吹っ飛ばされた。

 女性とはいえ、立派な大人。なのに、完全に空中に身体が浮いて、飛ばされた。

「!?」

 亜夜も驚く。今、何が起きた!?

 ライムは椅子を巻き込み墜落。

 派手な音をさせて、倒れこみ呻いている。

 それを見て、亜夜はこんなことを考えていた。

 

(……ざまあみろ。邪魔をするなら……みんなこうして呪ってやる……)

 

 自分じゃない自分が、苦しむライムを見て喜んでいた。

 胸のなかの苛立ちが解消されて、スッキリ晴れやかな気分になっていた。

 意味のわからない混乱を抱えて、慌てて亜夜は駆け寄った。

「だ、大丈夫ですか……?」

 声をかけると、起き上がったライムは、亜夜を見てなぜか安堵していた。

「……平気です。一ノ瀬さん、お騒がせしました」

 何事もないように、乱れた椅子を直して着席。

 混乱する亜夜が聞いても、関係ないの一点張り。

 ……まだ、何か隠し事をしている様子。

「……今は聞きません。話を続けましょう」

 今はいい。取り敢えず、さっき言っていた例の話に戻る。

 で、なぜ出歩いても平気なのか。

 気を取り直し、彼女は説明する。

「今の世界では、前提としてまず『魔女狩り』と呼ばれる法律があります。……そちらの世界でも単語は聞いたことありますよね?」

「無罪の人間を訳のわからない理由で処刑しまくったのは知ってます」

 亜夜も知っている。

 現実世界の中世で実際にあった、宗教だかなんだかの関係で、因縁つけて片っ端から処刑し続けた暗黒時代。

 歯止めが効かずにどんどんエスカレートしていって、最終的には当たり前の倫理を取り戻すまで続いたと言う。

 意味不明な理由で火炙りにされたとか何とか。拷問さえ有り得たと習った。

「まぁ、大体そんな感じです。知っての通り、この世界の魔女は人類史のアンチテーゼ。天敵です。法律ではこう、定められています。……魔女は、見つけ次第何としてでもその場で殺せ、と」

 この世界には実際に魔女がいる。

 弱者である人間を攻撃したり殺したり、子供をさらったり呪いをかける。

 その際、無抵抗にならぬように、魔女にたいしてはあらゆる手段が正当化される。

 防衛の為、殺しも辞さないと。

 人間に紛れる魔女を探し出すのではない。出てきたら仕留める。

 言わば、対処療法。

「それが、呪いを持つ人間を殺される理由の何に関係があるんです?」

 亜夜が問うと、ライムは大きなため息をついて、先に進めた。

 予想はしていたが、それは案の定の言葉で。

「魔女狩りから発展したのが、呪い狩りという文化です。……魔女の呪いという邪悪なものを背負った人間は、人間にあらず。危害をくわえることもあるから、率先して殺そう……という、一種の思想。もう、分かりますよね?」

「だろうと思いました。防衛から一転、殺される前に殺せを推し進めて、殺せるものは取り敢えず殺せって言う過剰反応。そんなことだろうと思いましたよ、まったく」

 亜夜はライムの言葉に呆れていた。

 理屈としては理解できる。

 実際に、呪いは本人の意思を無視して暴走すれば様々な被害が出る。

 ならば、被害を出す前に殺して何が悪い、呪いを持っているのは人間じゃないと言う考え方。

 最終的には単なる迫害と成り果てる。

 ライムは理解が早くて助かると言い、続ける。

「世の中には、二つの流れがあります。擁護する人間と、排斥する人間。呪いがあろうとも人間は人間、無益な殺しは殺人と大差無いという人と、害があるなら始末するべきという過激な人間。呪い狩りをするのは過激派だけです」

「成る程、一理ありますね。私も、理解できない訳ではないですよ。……私も、逆の立場なら、そういう連中こそ真っ先に殺しに行きます。害を出すなら、その可能性はないほうがいい。大義名分もありますし、躊躇いなど感じません。失ってから後悔するより、他人殺して身内守った方が余程良いですし」

「…………一ノ瀬さん、あなたって人は……」

 ライムはそういう人間を許せず、認めない立場の人間である。

 嫌悪を浮かべる時点で、大体わかった。 

 ならば、亜夜はどうか? 立場によるが、相手の意見も十分理解した。

 連中とて、死にたくもないし怪我もしたくない。

 厄介な隣人など関わりたくもないし、危ないものを排除するだけの考えなのだろう。

 亜夜も仮に、この世界に息づく命として、今の皆を守るためなら躊躇なく排除する。

 理由はシンプルなものだ。危ないから、皆で倒そう。これに限る。

 実際にこの目で見た。暴れて周囲を危険に晒す呪いを。

 錯乱状態に陥り他者を攻撃する人間を。

 ……それを呪いだから、なんて理由で正当化されたら、やられた方はたまったものじゃない。

 理屈は仕方ない、感情は許せないということ。

 亜夜はその感情を非難しない。己で見ているから、正しいと認める。

 だが。

「だからって言って、みすみすあの子達や私自身を始末される理由もなりません。だからなんです? 殺しに来るなら殺してやります。襲ってくるのが悪いんです。殺しに来るなら死ぬ覚悟ぐらいしなさい、ってことですよ」

「何処までも利己的な事を……!」

 ライムは笑っている亜夜を見て、酷く嫌がっていた。 

 そりゃそうだろう。亜夜はハッキリ言った。

 相手の心情は大体察した。だからどうした、お前らが悪いと悪びれずに断言したのだ。

 自分から襲う真似などしないが、襲われれば反撃もするし、むざむざ死ぬ気もない。

 殺しあう? 上等だ。何のためにこれを身に付けたと思う。

 興味があったのと、万が一の荒事に職員として、皆を守るために手に入れたのだ。

「……ま、やっぱり人間はどこの世界でも性悪説なんですよ。人間の根本は悪意しかない。ならば、悪意のまま身勝手な理屈と感情を掲げて生きましょう。奴等がそれなら、私もそれです。同じ穴のムジナである以上、非難はしません。だから、そいつらにもなにもさせません。同類の共食いですけれど、なにか問題が?」

「あなたは頭がおかしいんですか!?」

 ライムが今度は怒鳴り返す。

 亜夜が頭がおかしい。確かにそうだ。

 この何処までも利己的な思考は完全に悪党のそれと同義。

 自分勝手にも程がある。亜夜はみんな自分勝手なのだと言って、自分勝手同士、戦争も仕方無いのと思う。

「頭がおかしい、ねぇ。必要なことを教えず、一方的に利用している悪党に言われるとは、私も自分立派になったもんですね?」

「ッ……!」

 揚げ足をとると、ライムは眉をひそめて黙った。

 言外に言う。お前らが言うな、と。同じく自分にも。

 お前も言うな、と。けれど言う。だって言いたいから。

「私は襲われれば戦いますよ。魔法も、その為に覚えたんですから」

 見せつけるように、掌を広げる。

 刹那、静電気が弾ける。空気中のチリが音をたてて、散る。

「魔法は才能に左右されるそうですが、私はどうも才能があるようでした。少し練習したら、人間を攻撃できるレベルにまで使いこなせるようになりましたし」

 亜夜が覚えたのは雷の魔法だった。 

 指南の本を参考にコッソリと練習を重ねた結果、発展から応用まで面白いほど簡単にできる。

 これは便利だった。武器もなしに、自衛の術も手に入れることができたのだ。

 亜夜は元々こう言うのは得意だったし、少し頭を捻れば幾らでも電気は応用ができる。

 ……まあ、参考に某超能力のマンガを参考にしたのは秘密だが。

 然し、解せない。なぜ、ライムはこんなに目を見開いている?

「な、何で……何で、一ノ瀬さんが魔法を使えるんですかッ!?」

 信じられないものを見た。まさに、ライムの反応は亜夜に不信感をさらに与えた。

 魔法をなぜ? だから、今練習して使えるようにした、と説明したではないか。

(……いいえ。この反応は違う。もっと根本的……)

 ライムは狼狽している。亜夜の見せた魔法に、理解が追い付いていない。

 なんだ、この反応は。シャクだが、もっと見せると更に困惑する。

「そんな……そんなバカなこと……! あり得ない、有り得ませんよこんな事は……!」

 目の前の亜夜になにも言わずに立ち上がると、ライムは夢遊病のような足取りで去っていった。

 亜夜が声をかけても無視していく始末。

 一体、何がおかしい。想定外のことなどしていないのに。

 なにか、釈然としない亜夜であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ずっと、気がかりだった。ライムのあの反応は。

 大袈裟すぎる。亜夜を見ていた目は、まさに普段の亜夜がピニャ野郎に対する視線と同じ。

 化け物を見る目だったのだ。

(……まさか。私は人間ですよ?)

 そう、翼が生えている人間。のはず。

 

 ……本当に?

 

 思い出してみればいい。

 

 亜夜は魔法を使った。ライムはそれを有り得ないことと狼狽えた。

 

 根本的だと言うなら、逆に考えろ。

 

 亜夜が魔法を使うのがおかしいんじゃない。

 

 ライムは、亜夜が魔法を使えないと思ってたのだ。

 

 ならば、なぜだと思う? 人間は魔法を使えるんだろう?

 

 ……えっ?

 

(人間は魔法を使える。だったら、あの態度は……!?)

 

 嫌な予感がした。亜夜は青ざめる。

 

 人間が魔法を使えてなぜ驚く。

 

 亜夜からすれば、こう言うことに等しいんじゃないか。

 

 それは、人間が呪いを使ったような衝撃的な出来事だったとすれば?

 

 だったら、ライムのあの言動も納得できる。

 

 思い出せ。前提は、人間は呪いを使えない。

 

 ならば逆だ。魔女は、魔法が、使えない。

 

 そういう理がこの世界だろう?

 

 ライムの反応は、これに当てはまるのでは?

 

 そして、だ。忘れていないだろうけど、いきなり怒ったときにライムが吹っ飛んだ。

 

 そのあと、自分のなかで何ていっていたんだっけ。

 

(呪って……やる?)

 

 そういうことだ。

 

 纏めよう。

 

 一つ。魔女は、魔法を使えない。

 

 二つ。ライムは、亜夜の魔法を有り得ないことと言った。

 

 三つ。亜夜は、何かでライムを吹っ飛ばして、自分で言った。のろってやる、と。

 

 これらを統合して得られる答えは?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――私、一ノ瀬亜夜は。

 

 ――魔女と言うことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『アハハハハハハハッ!!』

 

「!?」

 

 結論が出たとたん、頭のなかで己の笑い声が響く。

 

 エコーのように、甲高い声は亜夜に向かって褒め称える。

 

『その通り!! その通りです! よくぞ、自覚しましたね! おめでとうございます! 蒼い鳥の呪いは、貴女を主として認めましょう! 我が幸運をしかと、存分にお受けください!』

 

(だ、誰ですか!?)

 

 頭になかで亜夜の声が勝手に言う。

 

 こいつは誰。亜夜は分からない。

 

 こいつは自分じゃない!!

 

『ワタシは、呪い。またの名を、幸せの蒼い鳥と申すモノ。貴女に、そして貴女の大切な者に幸せを運ぶ蒼。ワタシを背負いし魔女よ、おめでとう。ワタシの幸運を気に入ってもらえると嬉しい。ワタシは貴女に掌握されし呪いそのもの。もう、鳥になどならずとも良い。ワタシは、貴女の思うがまま。魔女は呪いのすべてを知るモノ。異世界の魔女よ、貴女はワタシをどう使う? さぁ願え、利己的に!! さぁ祈れ、そのエゴを!! ワタシは全てを叶えよう!!幸運は降り注ぐ!! 他者の不運と引き換えに!! 他者の痛みを愉悦とせよ!! 他者の願いを踏みにじれ! 己の欲望が命じるままに!! 嗚呼、幼き魔女よ!! ワタシはこの誕生を祝福しよう!! 振る舞え、災いを!! 甘受せよ、幸福を!! それが蒼い翼の真価!! 他者を苦しめ、己を満たす!! それこそが、ワタシの真髄! 一ノ瀬亜夜、ワタシは貴女と共にあろう!! その蒼き醜く純粋なるエゴを抱いて、世界に蒼の不運を撒き散らすがいいッ!!』

 

 

 呪いと名乗る誰かは亜夜を祝福する。

 

 魔女はここに誕生する、と。

 

 亜夜はなにがなんだか分からないまま。

 

 気がつけば、背中の蒼い翼が変わる。

 

 蒼い猛禽類の翼は、深海のような底の見えない濃厚な蒼に。

 

 形は不定、エネルギーの塊のような物理法則を無視して。

 

 茶色の瞳は真紅に染まり、吐息は腐った臭いを混ぜた薄紫に。

 

 茶色だったセミロングの色素が入れ替わる。

 

 抜け落ちた色はまるで宇宙の如く、暗い蒼が染め上げる。

 

『……私は、一体……?』

 

 今ここに、新たな魔女は誕生する。

 

 幸福の意味がもたらす、真理に辿り着いた一人の少女の成れの果て。

 

 これを、世界は……『魔女』と呼ぶ。



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海にいこう

 

 

 

 

 

 ……とうとう、運命の日はきた。

 サナトリウムの連中が、楽しみにしてならなかった週末にして、とある男……否、オスの終末。

 海水浴、当日を迎えるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この一週間、妙に亜夜がよそよそしい。

 アリスは心配だった。

 なぜか、常に翼をしきりに気にしていて、ライムとぎこちない雰囲気だったのだ。

 何かを聞いても、何でもないと言うし。

(むーっ……)

 相談してくれない。力にはなれないかもしれないが、話ぐらいは聞けるのに。

 壁がある。亜夜とアリスの間には、まだ大きな壁が。

 むくれるアリス。こうなれば、海水浴に時に沖に連れ出して聞き出してやる。

 言いたくない? 聞くから話してと強引に進もうとアリスは画策していた。

 

 

 

 ラプンツェルは思う。

 何だろう。買い物をいった翌日辺りから、亜夜の雰囲気が変わった。

 いや、本人は至って普通なのだろうが。この感覚は、確かに肌が知っている。

 怖くはない、けれど……真夏なのに、鳥肌が立つようなこれは。

(んー?)

 分からない。気のせいじゃないのは、間違いないんだろうけど。

 一体、何なのだろうか?

 

 

 

 

 グレーテルは勘づく。

 亜夜が何か大きなストレスを抱えている。

 無理して笑っているのを、兄で知っている彼女は難なく見抜いていた。

 中身は知らない。だが、良くない兆しは見えている。

(……仕方無いなぁ)

 何も言わずに抱え込む気満々の亜夜をグレーテルは心配する。

 取り敢えずこの人種は寄っていかないと白状しないので、予定変更を余儀なくする。

 

 

 

 

 マーチは、何処か亜夜が大変なことになっているのは分かる。

 だと言えど、自分にできることは少ないとも理解している。

 だから、黙って支える。あの人の苦しみを、少しでも和らげるように。

(わたしに、……出来ることで……)

 その背中を、後ろで見守りながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 で、週末。

 サナトリウムから、一部の職員がなんとワンボックスを出してくれて、その他車に乗っかり移動開始。

 馬車に混じって移動する自動車のシュールな世界観を眺めつつ、穴場らしい海水浴場に到着。

 大きな浜辺に各々突撃していき、荷物を運ぶ男手たちが、バーベキューの準備開始。

 夜まで騒ぐ連中は花火などを計画しているらしいが、亜夜たちは一足先に戻る組。

 そこまで流石に元気じゃない。

 大人たちは早速酒を飲んでべろべろに泥酔しつつ、やりたいようにバーベキューを始めていた。

 一部は遊泳を、一部は釣りを、一部は……あれは何をしているのだろうか? ナンパ?

 などなど、個人の自由にしている。

 統括しているライムは大胆な水着に麦わら帽子をかぶり、あれこれ注意をしつつ、全体を見回す。

 なんと言うか……圧倒的。まさしく、圧倒的!!

「…………」

「亜夜、気にしないでいいわ。あれはあたしも勝てないから。ねっ? 気を落とさないで」

 亜夜ご一行はというと。

 ビーチパラソルをアリスが立てて、その上で持ち寄ったサマーベッドの上で亜夜がふて寝していた。

 マーチと亜夜はワンピースタイプの水着、アリスは蒼いビキニに、髪の毛を簡単に結い上げてラプンツェルはピンク色の女児用水着で、これからどうするか相談していた。

 そこには、なぜか半袖とハーフパンツのグレーテルも、帽子を深く被って立っていた。

 部屋にムカデが出て居たくないので避難してきたと聞いた。あとで処理することとして。

「予定外の外出だよ……。暑いなぁ、もう」

 なんてわざとらしく言っている。

 その目線は、不貞腐れる亜夜に向いており、注意深く観察していた。

 アリスも、マーチですら分かっている。あれは方便。

 亜夜の様子がおかしいのは三人ともちゃんと知っている。

 この人は、間違いなく悪い人ではないし、倒れるまで頑張ってくれるような珍しい職員。

 熱心さをしっかりと、みんな分かってくれていた。だからこそ、純粋に心配だった。

 心境の変化といえばいいか。なにかいつもしてもらうばかり。

 こう言うときは、出来れば……頼ってほしかった。なにもできない無力な自分だとしても。

 そう、言えれば……もっと良かったのかもしれない。

 何か大変なことを背負っていたりしてそうで。

 みんなの心配を他所に、亜夜は死んだ目で寝転がっている。

 蒼い翼は収納されており、ぱっと見てどこの小学生ですか? と聞かれそうな幼い外見。

 完全に高校生には見えなかった。そりゃ周囲と比べて不貞腐れる。

 亜夜は悟られないように必死になって隠しているつもり。

 バレたら命に関わる。最悪本当に殺されかねない。

 もしも、この子達が……などと考えてはいない。

 この子達には最悪、殺されても恨みはしないと思う。

 特にグレーテルとラプンツェルは、その経緯の手前、嫌っていて当たり前だ。

 憎い同類と知られたら、特にグレーテルには本気で危ないと思う。

 ……自分が、まさか魔女だったなんて今更誰に言える。

 知らなかった。まさか、あのピニャ野郎とお仲間の存在だったとは。

 しかも、そのことをライムは予め知っていたと思われる。

 亜夜も警戒するように、ライムも少し亜夜を警戒していた。

 仕事上はしっかりとやるが、あくまで事務的。

 必要なことしか会話しない。あとは関わらないようにしていると言うか。

 亜夜は完全にサナトリウムの人間を信じていない。信じる価値もない。

 今更このような親睦会を開かれたところで、親睦を深めるならこっちがいい。

 魔女だったとして、これが何かプラスになれるなら。それなら、それでいい。

 少なくても、そう考えれば楽になれる。何もかも分からない。

 魔女になっても、周囲には魔女はいない。孤立した状態で、亜夜になにができる。

 此方も死にたくはないし、大人しく過ごそうと至った。

「亜夜、どうする? 泳ぐ?」

「ほっといてください……。どうせ、私なんて……」

 落ち込む。周囲にいるのは相応の体つき女性ばかり。

 いい加減、泣きたい。何なんだこのいじめ。

 アリスが慰めるが、それが何の気休めになる。

 ラプンツェルは能天気に砂のお城をマーチと作っているし。

 幸い、マーチの呪いは水着でも猛暑日レベルの暑さなら中和されるらしい。

 上から一枚羽織っているが、過ごしやすいと言っていた。

 逆言えば水に入ると再び凍えるわけだが。

 グレーテルはボーッと海を眺めている。

 見事に統一性のないバラバラな集団。

 しかし、亜夜の目的はあくまで昼飯と涼むこと。

 潮風に当たりながら本でも読んでいようと思ったが、それでは暇すぎる。

 仕方なく、ゾンビのようにのろのろと動き出す。

 皆にサンオイルだけはちゃんと塗るように指示。意味わかってなかった。

 亜夜が四人ぶん、しっかりと塗ってあげた。自分も塗った。

 朝早くから出てきたから、まだ時間はある。

 少し、浜辺でも散策しようと帽子をかぶって、翼を広げる。

 砂地だから、歩くより飛んでたほうが楽だろう。何かあればアリスが助けてくれるし、皆も一緒に来てくれた。

「行き当たりばったりでごめんなさいね」

 と、詫びを入れてから、皆で出発。あとで泳ごうと思いながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……で?

 あのピニャ野郎はなにしてんだ?

 浜辺にうち上がった大きな亀を苛めている子供の一団を発見。

 亜夜は無視して行くが、颯爽となぜか海の中から人狼登場。

 魔女騒動で阻止しかねたカットの際どい黒いビキニパンツにゴーグル、首から下は最低限ながら非常に肉体美に溢れる筋肉がしなやかに動き、綺麗に日焼けした……灰色の狼が子供に注意している。

 いや、怖い。なにがって、何もかも。

 なんで狼が海から出てくる。腕にでかいタコを持ち帰ってきた。

 あと、黒いすみが濁った血液みたいにポタポタと……。

 で、極めつけは顔面狼。インパクトはヤバい。

 真夏の昼の悪夢。子供にはホラーであった。

「ぎゃああああああーーーーーーー!!」

 子供たちは絶叫をあげて、一目散に逃げ出した!!

 食われるとか、化け物がでたとか騒いでいた。

「ちょ、なんで!?」

 唖然とするピニャ野郎。

 注意しただけで食われるなど言われ放題言われて逃げられる。

 挙げ句には。大きな亀を持ち上げようと、タコを置いてあったクーラーボックスにぶちこんでから近寄ると。

「ぎゃああああああーーーーーーーッス!!」

 なんと、顔をあげた亀が大声で叫んだ。

 海亀なのだろうが、なぜ喋る。

 そして、剥製にされるとかワケわからない事を言いながら海に逃げていく!!

「何でさ!?」

 バタバタ必死になって逃走する亀を見て苦悩するピニャ野郎。

 頭を抱えた。お礼も言わずに逃げる亀。

 それを遠くで観察する亜夜たち。

 バカを見る目で一連の流れを見ていた。

「……誰だって怖いよね。ロリコンだもん」

「あぁ、あれが例のロリコン……。確かに怖いね」

 アリスがグレーテルに話していた、件のロリコンという生き物。

 成る程、変態と言っていたが変態は極まると異性以外にも嫌われるらしい。

 しみじみ納得するグレーテルと呆れるアリス。

「亜夜ー、あのろりこんが持っているあの変なのなぁにー?」

「……うようよして、気持ち、悪い……」

 ラプンツェルとマーチは、どうやらタコを見て興味があるのか、亜夜に聞く。

 ……海外の人にタコをなんと説明すればいい。亜夜は困る。

 普通に食べ物? いや、いつぞやの食文化に触れるから止めよう。

 多分、このあとの展開は見えたから。

 亜夜たちはしばらく、散策を続けてから海に入ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ひ、人にこんなキモい触手食わせようとか大概にしなさいよ、このセクハラ狼がァァァァッ!!」

「ヴェアアアアアアッ!!」

 案の定だった。

 海でいるか型の浮き輪に乗っかり漂う亜夜と、一緒に泳ぐアリスとラプンツェル。

 その視線の先では、浜辺で赤い水着のシャルに股間を包丁で突き刺されて悲鳴をあげるピニャ野郎がいた。

 あれ、昼飯に使うため捕まえてきたらしい。素手で。繰り返す、素手で。

 亜夜が知る限り、あのサイズのオオダコを道具なしで捕まえる芸当は聞いたことがない。

 しかも気のせいか、ウツボとかまで一緒に捕獲してきている。

 あいつは、人間だろうか? いや、ロリコンだった。

「タコって言うの、あれ……? あのキモいの、食べられるの?」

「えぇ。毒はないです。見た目はキモいですが、美味しいですよ?」

「うぇぇ……」

 アリスは亜夜をおかしい目で見る。

 確かに海外の人はあんな軟体動物、食おうなどとは酔狂でも思うまい。

「ラプンツェル、食べてみたい!!」

「じゃあ、後であの野郎に何か作らせましょうか」

 食べたいラプンツェルのため、ピニャ野郎に仕込ませる。

 あの狼、見た目に反して家事スキルは完璧だと聞いている。

 料理も期待はできそう。

 マーチとグレーテルは、休憩をかねて各々好きに過ごしている。

 マーチは焼きそばを貰って食べている。初めて食べるソースの香ばしい味に嬉しそうに頬張っていた。

 あれは割りと質素なものなので、好きになれば今度はそば飯でもつくってあげよう。

 グレーテルは引き続き、ボーッと海を眺めている。邪魔しないでおこう。

 波に揺られるいるか型浮き輪。大きく揺れて転覆、亜夜が沈む。

「亜夜、大丈夫?」

 落ちれば直ぐ様アリスが助けて乗せてくれた。

 大きいイルカなので、ラプンツェルと一緒に乗り込みバランスを維持。

 海水が羽と目にしみた。

「げふ……かふっ……だ、大丈夫です……」

 噎せながら復帰。だらだらと談笑しながら、三人は仲良く浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 浜辺に上がり、パラソルに戻ってお昼にする。

 まだ、海を眺めるといったグレーテルの近くに拠点を構えた。

「美味しい! イカヤキ、美味しい!!」

 ラプンツェルがはしゃぐ。生まれて初めて食している、いか焼きをすごい勢いで平らげた。

 あっという間に貰ってきた海産物が消えていく。ラプンツェルが食べまくる。

「……たこ焼き。美味しいわね、見直したわあの触手」

「でしょう?」

 せっせと向こうでは復活した人狼が確保したタコでたこ焼きを作っていた。

 何でも、今日は一日奴は有給扱いなので、遊びながら働いている。自分から。

 本当に、お人好しというか……善人である。笑顔を見たくてやっている性根の真っ直ぐなオスであった。

 ロリコンだが。繰り返す、ロリコンだが。

「マーチ、美味しいですか?」

「はい……!」

 たこ焼きを頬張る亜夜とアリスの後ろで、今度は焼いた野菜をもそもそと食べている。

 バーベキューの余り物だが、マーチは幸せそうに食べていた。

 肉は要らないらしいので、差し入れにピニャ野郎にくれてやった。

 ……しかし、肉を食う狼が通常だと思うが、焼き肉と焼きもろこしを一緒に食べる狼もシュール極まりない。

 亜夜も避暑にアイスを食べながら、皆で楽しみつつお昼を食べた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 食後。食べたりないラプンツェルがかき氷の山に挑み、偏頭痛を起こしていた。

 一気に食べるからだ。亜夜が苦笑いして、面倒を見る。

 こうしてみると何だか、魔女のことなどどうでもいい気がしてきた。

 別に、なにもしなければなにもならない。大人しくしていれば魔女狩りにもあわないはずだ。

 開き直ろう。魔女である。でも、悪さはしない。

 みんなと過ごせれば、それでいい。

 亜夜が自然に笑うようになり、三人はホッとした。

 何やら、気分転換にはなったようだ。良かった、と思う。

 アリスは冷たい紅茶を飲んで、マーチはお茶を飲みながら海をみた。

 グレーテルはずっと、海と空を眺めている。亜夜は囲まれて、微笑んでいた。

 そんな午後。穏やかな一時だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――その時までは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 遠くで、誰かの声が聞こえる。切羽詰まった内容で。

「裸の女の子が、溺れて沖に流されているぞッ!!」

 それは、周囲を見回りをしていた職員の一声だった。

 人を呼ぶように、周りに知らせている。

 亜夜は顔をあげた。流されている? なぜ、裸で?

「お、溺れたですって!?」

「ど、どぅ、すれば……!?」

 周囲の子供たちが動揺している。

 マーチもアリスも、オロオロし始めた。

 自分には無関係。けれど、周囲の穏やかではない雰囲気に影響を受ける。

 グレーテルも走って戻ってきた。顔色が悪い。

「亜夜さん! 人が流されていったよ!!」

 海を見ていた彼女は、遠くで溺れる人影を見たと伝える。

「…………」

 ラプンツェルも流石に心配そうに海を見ている。……かき氷を食べながら。

 溺死なんて嫌なものを見たくはない。

 亜夜は判断する。この場合は、誰か助けにいくだろう。 

 しかし、誰が? 沖に流された以上、距離はある。

 その距離を泳げる人間など……。

 ああ、違うか。人間じゃない奴なら、二名ほど役立ちそうなやつがいる。

 四人は楽しむどころじゃない。折角の休みが、と思う亜夜は速攻決めた。

「……ちょいと回収してきますかね」

 ゆっくりとサマーベッドから立ち上がる。

 亜夜が率先して動くのに驚く四人。

 亜夜は説明した。

「みんな、待っててください。物騒な空気の中にいるのは私も嫌です。ですので、流された馬鹿者を回収して、すぐに戻ります」

 回収さえしてしまえば、また遊べる。

 あくまで皆と自分のため。死人が出て中止など嫌だった。

 幸い、亜夜は飛翔すれば泳げずとも遠方に移動できる。

 だから、最適なもの。

 それに、もう一人のそいつはロリコンの狼だ。

 裸の女の子にナニをするか分かったものじゃない。

「っと! 一ノ瀬! ごめん、手を貸してくれ!!」

 噂をすれば。

 砂を巻き上げて真ん前に狼到着。

 ハイビスカスの前開きのアロハシャツに、サンダルにビキニパンツ。

 なんだこの変態。亜夜は改めて感じた。

「やめて、今非常時! 変態呼ばわりは良いから! 溺れている子を助けにいきたい! 手伝って!」

「はいはい。いきますよ、待っててくださいな」

 視線で気付いて言い返すも、亜夜は翼を広げて飛翔。

 数メートルの高さまで浮かび上がって、目を凝らすもよく見えない。

 が、このピニャ野郎は何処まで流されているか見えるらしい。

 正確な位置はなんとか探すので、今は回収を急ぎたい。

 皆に留守番を頼み、感謝の意を言う彼に聞いた。

「……泳いでいくんですか?」

「泳いで間に合わないよ! 走っていく!」

「はぁっ!?」

 何かバカなことを言い出したぞこの狼は。

 海の上を走る? 何をいっているのか理解できない。

 海に向かって飛んでいく亜夜。

 そのしたで。

 ……亜夜を追い越し、凄まじい勢いで海を割りながら爆走する謎の生命体が、何かを探すように海上を疾走する。

 何が起きている。というか、あの飛沫はなんだ。

 取り敢えず、見なかったことにして、亜夜はゆっくりとその流された少女を探す……。



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海での救出劇……?

 

 

 

 

 

 

 

 

 まず、根本的な疑問を聞いてもよろしいであろうか?

 人間は、水の上を走ることが可能なのか。

(いや無理ですよ。人間はアメンボじゃないんですよ!?)

 結論、少なくとも亜夜が知る限り、海上を水飛沫をあげながら疾走するのは不可能。

 じゃあ、次の質問だ。

 眼下で、その不可能と思われる芸当をこなしている、あの人狼はなんだ?

(バカな……そんなバカなことがあってたまるものですか!!)

 何なんだ、あの物体は。

 奴は果たして人間か?

 派手に水飛沫を上げ疾駆する姿はまさにUMA。

 成る程、合致がいった。この世界は、童話以外にも未確認神秘動物がいたらしい。

 あいつは現実世界出身だった気がするが、ならば現実世界の童話にすればいい。

 最早そんなレベルだ。あながち、間違っている気がしない。

(そんな阿呆な……)

 亜夜はオカルトを信じる方ではないが、あの爆走する謎の物体Xを見る限りバカにできないと思う。

 いっそ、少しばかり覗いてみるか、とよからぬ考えを思い浮かべ、彼女は青空を飛翔していく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とある少女には、実に厄介な呪いが世界から与えられた。

 それは童話、ピノキオの呪い。嘘をつく、真実と異なることを言う、行うと鼻が伸びる。

 正確に言うと、鼻が出っ張っていく。そのうち、奇形になって痛みが激しくなって苦しみだす。

 逆に真実に基づく言動を起こすと元通りになる。

 幸い、基準は『彼女の認識した事実』であるため、勘違いなどはあまり含まれないのが救いだった。

 他人が嘘だと言っても、彼女が本当のことだと信じこんでいる事象は呪いの対象外。

 明確に、彼女の意思で嘘をつく言動を起こすと苦しむはめになる。

 だから、彼女は人との関わりを避けた。答えない、という選択肢をとり身を守った。

 この世界に来たばかりの彼女に目をつけた同僚にセクハラを受けて、彼女はずっと悲しんでいた。 

 まるで自分の呪いをオモチャのようにする男だった。

 何時までも目をつけて、苦しむ彼女を見て笑っているあの顔が忘れられない。

 おかげで、本当の呪いまで加速して、危うく……誰かを死なせるところだった。

 強いストレスを与え続けると、呪いは一気に悪化する。それは、子供も職員も変わらない。

 彼女は虐められる体質らしい。現実でも、ここでも。

 味方らしい味方もおらず、一人で逃げ惑い、傷ついていく。

 海に入ったのは、呪いの進行を食い止める明確な方法だからだった。

 あいつから逃げてきたはいいが、人気を避けて岩場から入ろうとしたのが失敗だった。

 水着をきると、効果が薄れる。医者にそう言われて、嫌々全裸で入ったはいいが。

 あの男が、なんと仲間を連れて近くにまで来ていた。慌てた彼女は足を滑らせ、転倒して海に落ちた。

 着替えとか全部入れた荷物を置きっぱにして、一気に潮の流れに乗ってしまった。

 泳ぎは得意じゃないこと、パニックを起こして溺れたなどが重なって、結果彼女は沖に流され孤立していた。

(た、助けて……誰か……!)

 必死に体勢を立て直すが、うまくできない。

 何とか海面に顔を出すと、見えた陸地が小さくなっていた。

 かなり遠方にまで来てしまっている。

 彼女は、すんなりと現状を鑑みて諦めた。

 だって、無理だろう。岩場から落ちた事を誰が知っている?

 あそこにいくとは、ライムにしか言っていない。

 現場の指示に忙しいあの人が気付くまでどこまで流れされるだろうか。

 助けなどこない。きっと、こない。

 ……なんか、何もかもいやになった。

 どのみち、溺れ死ぬのだ。無駄な抵抗は止めて、このまま海の藻屑になれれば。

 どんどん彼女は遠ざかる。知らない世界の、名前も知らない大きな海で。

 などと、考えている彼女に、更なる不幸が襲いかかる……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 亜夜は、そう言えば連絡を取るため、先ほど荷物をまるごと持ってきていた。

 小さなバックだったが、中から支給される携帯を出す。そのままプッシュ。

 数秒で、アロハシャツの人狼に繋がった。

『どうした、一ノ瀬! いたのか!?』

「上からじゃ、まだ見えません。そっちは?」

 連絡しあって、連携すると伝え問う。

 メガネもまだ、未発見。

 彼は流された方角こそ分かるものの、正確な位置は潮の匂いで掻き消されて分からないと言う。

「ケダモノ……ケダモノがいる!!」

 思わず亜夜は叫んだ。狼が、嗅覚だけで女性を追いかけている!

 やはりこいつは性欲の塊だ。

『喧しいわ!! 僕を赤ずきんの狼と一緒にするな! これでも人間だっての!』

「嘘だッ!!」

 訳の分からない言い訳をする狼に断言。蜩が悲しく泣きそうな感じで。

『嘘言ってどうするんだよ!? 鼻でも伸びるってのか!? 伸びるか!』

「嘘を言うんじゃないですよ、未確認神秘動物が」

『勝手にUMA扱いすんなや!! バッチリ確認できてるじゃねえか!』

「……アンノウンモンスターアニマル?」

『だからアンノウンじゃねえって! なんだ未確認化け物動物って!』

 意味不明なやり取りを繰り返す二人。 

 亜夜は視覚で探し、メガネは嗅覚で探す。

 広大な海を、目一杯に広がる青。

 だが、亜夜は気づく。

 一部でなんか、見覚えのある背鰭が無数に何かに群がっている。

 なんだか、その背鰭がいるあたりで、僅かに水しぶきがあがっていた。

 魚やイルカじゃない。そんな影は見当たらない。

 ……まさか。

「ピニャ野郎、大変です!! なんかフカヒレが! フカヒレが逆ランチを!?」

 慌てた亜夜は、メガネに叫ぶ。多分、あれだ。

 方角は聞いていた。そっちの方に、大量にヒレが集まっていた。

『はぁっ!? 鮫が群がって襲っているだと!? どっちだ!!』

 意味不明な伝えかただったが、意味は通じたらしい。

 更に加速して、したでその方向目掛けて何かが駆け抜けていく。

 走ったあとに出来るだけ白い飛沫。凄まじい速度だった。

 亜夜も慌てて追走する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何が……起きている?

 流された少女はハッとして、回りを見る。

 何やら、不気味なヒレが海上に顔を出し近寄ってきていた。

 それも、複数。あれは鮫。映像で見慣れたあの、三角形。

 不味い、と流石に思った。食い殺される。

 藻屑になれればとは思ったが、いざ現実になると恐怖が勝る。

 鮫に食い荒らされバラバラになる自分を想像して悲鳴をあげそうになった。

(いや、いやぁッ!!)

 鮫なんかに食われたくない。餌になりたくない。

 だが、大海原は鮫の独壇場。人間が勝てるフィールドではない。

 成す術もなく、彼女はせめての抵抗で再び足掻いて泳ぎだす。

 陸地はどっちか分からないまま、闇雲に動いて体力を消耗するだけだった。

 周囲には無数のヒレが囲むように泳ぐ。

 嫌がる彼女は、それでも足掻く。

 死にたくない、死にたくないと必死に、懸命に、無駄かもしれないと知りつつも。

 鮫の一匹が近寄ってくる。続き、左右前後と逃げ道を潰される。

 塞がされた。彼女は、逃げきれないと察して最期の抵抗を試みる。

 ダメものだ、せめて戦ってやると。意地を見せてやると。自棄に近かった。

 鮫は容赦なく彼女を食らおうと、口を開けて突撃してくる。

 見えた大きな牙。自分など、噛み砕かれてひとたまりもない。

 分かっていた。彼女に勝ち目はないことを。

 迎撃の構えをとる、悲壮な覚悟を決めた彼女。

 

 ……その眼前になんと上から、何かが乱入して鮫を文字通り、踏み砕いたのは突然だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「!?」

 亜夜は見た。

 水上バイクよろしく突っ走る某アンノウンモンスターアニマルが、何故か突然跳躍。

 かなり高い位置……というか、飛翔する亜夜よりも更に高度にまで飛び上がり。

 なんか、空中で回転しながら落下して、鮫の大群がいる場所目掛けて蹴りをお見舞いしていた。

 いや待て。なんで空中で不自然な回転できる。なんで着地したら、反動で例の女の子が空中に舞い上がる。

 ……鮫まで一緒に上がっている。んでもって、落ちてくる鮫を真っ先に掴んだ鮫で殴る。

 よく見れば、あれホホジロザメであった。自分よりも大きな巨体を尾びれ掴んで片手で振り回すって……。

 落ち着け。落ち着くんだ、一ノ瀬亜夜。クールに行こう。スピード出してもクールに去る、違う去るな。

 謎のボケとツッコミが脳内で行き交っていた。深呼吸、出来なかった。

 亜夜は混乱するのを、雨のように舞い上がった海水を全身に被りながら、目を点にして周囲を見回す裸の女の子をキャッチする。

 呆然としていた。さっきまで海中にいたのにいきなり空中にいればこうもなろう。

「大丈夫ですか?」

 羽ばたきながら、胴に両腕を回して持ち上げた少女に問う。

 彼女は黒髪の前髪で目元が隠れた女の子だった。

 ……亜夜よりも長身でスタイルのいい。

 なんか色々ムカつくが我慢我慢。

 彼女は怪我はないと言うが、如何せん今は裸。

 恥じらって隠しているが、下でシャークパニックを起こす奴を見て小声で溢す。

「……ゆーま?」

 大体あってる、と亜夜は肯定。

 サナトリウムの人間らしく、事情は詳しく聞かずに、先ずは服をなんとかしないと。

 するとUMA、気をきかせて自分の前開きのアロハシャツを豪快に脱ぎ捨てる!

「わぁー!?」

 女の子が叫ぶ。悲鳴だった。

 そりゃビキニパンツの男、否オスが鮫と格闘している最中に豪快に脱ぎ捨てりゃ誰だって悲鳴だってあげる。

 亜夜も思いっきり悲鳴をあげた。気持ち悪いって意味で。

 上に向かって思い切り放る。亜夜はその軸に飛んでいくと、彼女に一度掴ませる。

「変態の癖に、中々ナイスな展開じゃないですか。私も想像力が足りないみたいです」

 思わずそんなことを言っていた。

 どうやら、それを羽織ってくれと言うことらしい。

 メガネにしては気が利く。さすがロリコン、性欲の塊。

 亜夜は器用に海面に近づくと、支えるように羽ばたきながら身につけてもらった。

 彼女は直ぐに着込む。大きいらしく、ギリギリ隠せた。

 中々エロい……じゃない、気の毒だが応急処置ゆえ仕方ない。

 亜夜もなんか、暑さで思考がおかしくなってきていた。

 その間にも、なぜか海面に立って降ってくる鮫を叩き飛ばしていた狼が、ラスト一匹を投げ槍の要領で構えていた。

「飛んでけェッ!!」

 思い切り投げる。鮫、飛ぶ。

 一瞬で水平線の向こうに消えていった。

 どんな速度で飛ばしやがったのか……亜夜の目にはさっぱり見えなかった。

 で、バシャバシャ足元が喧しい狼が大声で安否確認。

 なんか普通に浮いているが、何なんだろうか。

 亜夜が無事に保護すると伝えると、そのまま陸地に向かって再び爆走。

 水柱を残して先に戻っていった。

「……あの」

 呆然と見ていた彼女を運ぶ亜夜に、恐々彼女は聞いていた。

「なんです?」

 亜夜が聞くと、彼女は首を傾げながら問うのだ。

 

「あれ……なに?」

 

 とうとう人間扱いさえされなくなった。

 あの人ではなく、あれ扱いとは。

「あれですか? あれはですね、ピニャコラーダという生き物です」

「……ピニャ?」

 面白そうなので、またあることないこと適当に吹き込む亜夜。

 人間、信じられないものを見たあとは大抵のことは信じてくれる。

 今回はあれは実は生身の着ぐるみをきた、猫だか熊だかよくわからない不細工でやさぐれた眼鏡が本体の珍しい宇宙人、という設定にしてみた。

 前半は大体あっているので問題ない。

 異世界ありなら宇宙人もありだ。

 彼女は簡単に信じてくれた。サナトリウムの宇宙人、あるいは未確認化け物動物。

 帰り道、運びながら彼女に思い付いた設定を片っ端から吹き込んでいく。

 また本名雅堂さんに妙な異名が増えるのであった。

 尚、途中で水上バイクが助けに来てくれた。

 彼女と亜夜はそれに乗っかり、無事に浜辺にと帰還するのであった。

 

 

 

 

 

 

 追記。

 浜辺では、無事が確認され保護されたのちにスイカ割りをやっている集団に混じって、シャルが先に戻ってきて埋められた宇宙人の頭を柚子の香り漂う木刀で殴打する事件があったらしいが、それは割愛とする。

 

 ――びぃぃぃぃにゃあああああぁぁぁぁ!!



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時の加速

 

 

 

 

 一つ、幼い少女は気がついた。

 ああ、この感覚は懐かしい。

 まだ自分が、ここに保護される前に散々接していたあの人だ。

 どうやら、彼女はあの人と同じだったよう。

 幼い彼女は考えた。けれど、あの人は人間の狙われていた。

 魔女、というらしい。人間の天敵だと。

 ……天敵ってなんだ? 何時だったか、彼女が天敵とは『ろりこん』と同じだと説明してくれた。

 成る程、納得した。

 あの頭が犬みたいな動物擬きのような生き物だったと。

 それは、確かに嫌がられる。事実、仲良しのマーチが嫌がっている。

 あんな感じで、魔女は嫌われてしまうのだろう。

 ……困ったことになった。

 自分にはよくわからない。あの人は魔女なのだ。

 ならば、他の人に嫌われてしまう。それは、嫌だ。

 折角優しいお姉ちゃんみたいな人に出会えたのに。

 お菓子を沢山食べさせてくれる。優しく甘えても怒らない。

 ワガママ言っても許してくれる人なのに。

 みんなから嫌がられるのは、嫌だ。

 だったら、どうすればいい? 

 魔女はみんなに嫌われる。だから、あの人も様子が変だった。

 自分に、出来ることはあるか?

 よくわからない。わからないから、思い付いた方法をやってみよう。

 昔、塔に住んでいた頃に、あの人が読んでいた本の絵を真似てみよう。

 確か言っていた。これは、時を加速させる魔法だと。

 ことわりまほー。そんな名前。

 大きくなれる。大人になれる魔法だと。でも、使えないから意味はないと言っていたが。

 わからないから、やってみる。やり方は全部覚えているからきっと大丈夫!

 あの人の力になりたい。大人になれれば何かできる気がする!!

 早速、やってみよう!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少女、ラプンツェルには苗字はない。

 彼女は曰く付きの子供で、何でも幼少時より魔女に育てられたらしく、世間知らずの子供だった。

 現在14だと言うのに、精神年齢は10以下というアンバランスな生き方をして来た。

 塔にずっと閉じ決められ閉鎖された箱庭で無菌培養された彼女は、非常に無垢で幼かった。

 どこぞの狼が性欲を暴走させそうな可憐な少女であり、危うい子供である。

 しかし、誰が知ろうか。

 彼女は幼く世間知らずではあるが、時に感覚を研ぎ澄まし、変化をいち早く察する。

 子供特有の鋭敏な五感。四人の少女のなかで、尤も速く彼女は確信を得た。

 世話をする彼女は、魔女であると。

 親に魔女を持つからか、魔女にたいしての一種の適応をしているラプンツェルは思った。

 何か大変ならば、ラプンツェルが助けなくてはいけない。

 だってラプンツェルの、好きな人だから。

 慕っている亜夜を、皆に嫌われるのは見たくないから。

 ラプンツェルは無知だ。無知だから、物怖じせずに何でも試せる。

 幼いから、恐れることなく出来ることを実行できる。

 そんな諸刃の彼女だったが、今回ばかりは吉と出た。

 何せ、対人関係は子供そのもの、見聞は幼く判断基準は適当なもの。

 自分の呪いの境遇もあまり理解していない。

 彼女は『髪の毛が際限なく止まることなく伸び続ける』呪いを背負う。

 命に関わるのだが、本人は気にしてさえいない。ただ、知らない人間に髪を触ることは嫌った。

 彼女の金髪は兎に角伸びる速度が尋常ではないほど速く、一日に下手すると15cmは伸びる。

 身体中のエネルギーを無駄に消費して、生命活動を阻害するのだ。

 結果、ラプンツェルは強烈な飢餓に襲われ、いつも空腹状態に近かった。

 亜夜が世話をしているときも、年上のマーチよりも大量に毎食食べている。

 海に出掛けたときも、一人で海産物を食い尽くすなど、食べ続けないと餓死するのだ。

 お菓子を好むのは、甘い味を好む精神構造と、エネルギーの効率が良いから。

 放っておくとすぐに髪の毛の達磨になり、真夏ゆえの汗くささと脱水症状、手入れに散髪など様々な問題を抱える。

 人一倍食べないと生きていけず、人一倍髪を切らないと満足に生活もできない。

 亜夜に心を開く以前には放置していた髪の毛は、亜夜が自身で海に行く前にある程度切って結ってくれた。

 今もかなりの速度で伸びる金髪。

 ラプンツェルは不便だとは思うけど、まさかこれが命そのものを栄養としているとは思ってすらいない。

 そんなずれているラプンツェルでも、亜夜をとても心配していた。

 だって、そうだろう。この人が、今の姉のような存在で、気がついたら好きになっていた。

 だから頑張って当たり前。出来ることはする。

 それが、どんな結果をもたらすかなど、全くもって気にしないまま。

 ラプンツェルは、子供なりに考えて、行動を起こしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 海水浴を終えた数日経過。

 亜夜は普通に仕事を続ける。

 溺れていた例の女の子は、雨蘇乃華という名前で、このサナトリウムのなんと職員であった。

 最近来たばかりらしいが、なんか職員から嫌がらせを受けていたらしい。

 そいつが素っ裸で流されたと見回りに教えて、助けにいった二人が救出したという流れ。

 で。

「オッケー。……ちぃっと、お話ししてくるな?」

 華から事情を聴いたケダモノが何故か怒髪になり、唸り声を漏らしてそいつに会いにいった。

 あまりの剣幕に華はみて怯えていた。亜夜も絶句して青ざめた。

 不味い。血が流れそうな雰囲気があったと感じる。

 数分後。

「ギャアアアアアッ!!」

 という、明らかに何かヤバそうな叫び声を響かせた。

 聞き覚えのない声だから、多分犯人だろう。

 また、数分後。ケダモノが戻ってきた。

「大丈夫、二度とセクハラしないって遵守させてきたよ」

 と、笑顔で説明する。傍らには、引き摺ってきた白目向いて口から泡をふく男がいた。

 生きてはいる。痙攣しているし。何をしたのか亜夜が問うと、

「呪いに初めて感謝したよ。……こういう使い方も出来るんだからさ。平和的解決をね」

 ぐるるるる、と牙をちらつかせて、獰猛に唸る。亜夜は解した。

 顔面の迫力で迫って、脅したようだ。手を出したら、お前を食うぞと脅かしたと言ったピニャコラーダ。

「さ、流石宇宙人……」

 華がおっかなびっくり呟いた。

 途端に、ピニャコラーダは反論する。

「宇宙人!? 誰よ君にそんなこと言ったやつ!!」

 言うに事かいて宇宙人である。

 華は視線を亜夜に向ける。亜夜は明後日の方向を見る。

 目が泳いでいた。

「一ノ瀬ェ……! またお前かァ!」

「きゃーこわーい、おにーさんがあやにへんなことしようとするー!」

 ガシッと肩を掴んで凄むピニャ野郎。

 亜夜が無表情、棒読みで大声をあげる。

 因みにここは、職員の使う休憩所。

 亜夜におさわりをしたと思われたのか、慌てる狼の肩を誰かが叩く。

「雅堂……性犯罪は、頂けないな。いつぞやの借りを返そう。表に出ろ。お前のような奴は修正してやる」

 崩空が、何やら死んだ目元に陰りを入れ逆に凄んでいた。

 その手には、雅堂が大嫌いな柚子の匂いを染み込ませた檜の棒切れが握られている。

「く、崩空! これは誤解……!」

 言い訳をしようとする前に、更なる援軍が現れる。

「やっぱ殺さないとダメか……。職員さん、手伝うよ害獣駆除」

 こっちも無表情、しかし赤い頭巾を被る彼女の手には青筋が浮かんでいた。

 世話をする少女にして宿命のライバル、赤ずきんことシャルも援軍に来ていた。

「悪い狼ねェ……。所詮は裏ごしパイナップルにしか過ぎないって訳事よね?」

 ふんだんに軽蔑と見下しの声色でシャルは雅堂に告げた。

 流石に反論する狼。

「誰が裏ごしパイナップルだおい!? 僕は人間だって言ってるだ――」

 セリフに最中に突然シャルが動いた。

 ジャブの要領で、コンパクトに、素早く持っていた小さな小瓶を彼の顔にぶっかけた。

 鼻っ面にダイレクトアタック。すると。

「――びぃぃぃぃにゃぁぁぁああああああッ!!」

 凄まじく苦しそうに、顔を押さえてその場に転げ回るピニャ野郎。

 いつもの悲鳴をあげて、悶え苦しむ。

 華が首を傾げた。彼から漂う柑橘類の芳香。

 これは……柚子?

「あぁ、そっちの職員さんも覚えておいて。こいつ、柚子の香りがダメなのよ。効果覿面よ? ほら、この通り」

 残った小瓶の中身も念入りに彼に振り掛けるシャル。無情だった。

「ギャアアアアアッス!」

 汚い悲鳴をあげて、更に苦しみ出す。

 逃げ惑い、這いずって逃走しようとしても、崩空が棒で威嚇する。

 逃げ道を塞がれて、死にかけの虫のように痙攣し始めた。

「中身は単なる柚子の果汁なんだけどね。こいつの嗅覚には覿面なのよねー。はい、止め。よろしく、職員さん」

「……任された」

 崩空が柚子そのものを小さく切ったそれを、死にかけのピニャ野郎に近づける。

「ちょ……崩空、止め……!」

「すまんが、少し頭を冷やせ雅堂。一ノ瀬は、どうみても犯罪だ。同年代でも色々不味い」

「それどういう意味ですか」

 遠回りに貶された亜夜が怒ると、横目で一瞥して崩空は苦しむ雅堂にもう一度言う。

「病弱が好きだとしても、一ノ瀬はやはり、不味いと俺は思う。……ロリコンはいけない」

「遠回しに私がロリだって言いたいんですか! 失礼ですね!!」

 酷いこと言われて傷つく亜夜。

 崩空は無視して、鼻っ面を押さえる雅堂の手を退けて、口を強引に開かせる。

「ほがっ!?」

「たっぷり味わえ。……柚子そのものをな」

 ぽいっと放り込んで無理矢理閉じる。

 直後、雅堂は一瞬で白目を向いて気絶した。

「宇宙人……負けちゃった……」

 華が見下ろす先で、善行を行ったはずの狼は亜夜とシャルのせいで、あっさりと撃沈した。

 情けない姿であった。これが童話の悪役の末路。

 やっぱり、主人公には勝てないらしい。

「こんな感じで柚子がきくから、職員さんも持っておくといいわ。少なくとも、こいつは寄ってこないから」

 シャルが倒れるピニャ野郎を掴んで引きずっていく。

 先ほど連れてこられた彼も一緒に回収。取り敢えずお偉いさんにつき出すとシャルは言って、去っていった。

 崩空は、読書をするために戻っていった。

 ……初級、誰でも分かる心理学とか書いてある専門書を読み更けている。

 やはり根っこは彼も真面目な人物だと亜夜は思った。

 呆然とする華に、宇宙人攻略法を伝授して、その時は終わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 で。

 ラプンツェルは、変なことをしていた。

 下手くそな鼻歌を歌って、部屋の床に何か大きな模様を書いている。

「ラプンツェル……鼻歌止めて……!!」

「耳が、潰れるぅ……!」

 耳を塞いで苦悶の声をあげるのは、アリスとグレーテルだった。

 なにせ、ラプンツェルの鼻歌は凄まじい音痴で、というか既に怪音波である。

 手を貫通して耳の中を好き勝手暴れて傷つける。

 三半規管が死にそうな音を、ずっと彼女は歌っているのだ。

 マーチは外出していていない。被害を免れている。

 ラプンツェルが、チョークで床に描いているのは、魔法陣。

 幾何学模様の複雑なもので、かなり詳細に書き込んでいる。

 二人は何をしているか分からないが、遊びか何かだと思っていた。

 本当は、もっと派手なモノだったりする。

「出来た!」

 嬉しそうに、出来上がった魔法陣に飛び乗るラプンツェル。

 何をするのか、偏頭痛が発生して苦しむ二人を尻目に、ラプンツェルは何か呪文を唱え始めた。

 すると、魔法陣も比例して輝き出すのだ。

「うぇ!?」

「な、なに!?」

 グレーテルとアリスは焦る。

 ラプンツェルが不味い遊びに手を出したと。

 しかし、それも的外れ。

 どんどん輝きを増す室内に、ラプンツェルは嬉しそうに唱えるのだ。

 

「――数字を越えて、三つの針よ、ひた走れ! 理よ、今ここに書き変われ!!」

 

 最後に、魔法陣が爆発する。

 派手な音をたてて、室内に白で埋めつくす。

 二人は腕で目をおおって、防ぐ。

 数秒後、恐々目を開けると、そこには。

 

「……ん、意外と成功するもんだな。さて、僕もねえ様の所に行くか」

 

 なんか見たことのない、長身で巨乳の眼鏡の美女がラプンツェルの服装で立っていた。

 

 またも、数秒後。

 

 二人はありったけの声で、亜夜を呼びつけるのだった……。



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知られた秘密

 

 

 

 

 

 

 休憩室でピニャ野郎を打ち倒し、仕事に戻ろうとした亜夜は聞いた。

 切羽詰まった二人の声を。救援の声だった。

(!!)

 途端に、亜夜は大きく翼を展開していた。

 反射だろうか。何も考える前に、判断をすっ飛ばしていきなり全開だった。

 廊下で杖を捨てて、突風を発して浮遊、急発進。

 道中すれ違った人間を翼で弾き飛ばして特急で急ぐ。

 部屋の前に到着、ドアを雑に開けた。

「何事ですかっ!?」

 ただ事ではないと亜夜が思い、駆けつけると。

 そこには。

 

「あぁ、丁度良かった。ねえ様、探しに行こうと思っていたんだ。手間が省けた」

 

 見知らぬ可愛い年上と思われる金髪美女が亜夜を姉と呼んでいた。

 亜夜、呆然。誰この子。頭がフリーズするも、理性が囁く。

 よく見ろ。確かにこんな可愛い新緑の瞳の眼鏡っ娘、長い金髪のみつあみで巨乳の女性を知らない?

 もう一度、よく見ろ。面影はあるだろう。お前はそれでも世話をする職員か。

「ラプンツェル!?」

 一発で分かった。彼女はラプンツェルだ。

 見た目が随分と成長しているが、間違いない。

 眼鏡っ娘は柔く微笑んで、嬉しそうに言った。

「やっぱり、ねえ様には僕がラプンツェルだって分かるんだ。良かった、パニックになられないで」

 しかも僕っ娘だと!? 眼鏡の美女がラプンツェル。何が起きている。

「えっ……こいつラプンツェルなの!?」

「そんなバカな……何で急成長して……」

 アリスとグレーテルが、のそのそと起きてきた。

 顔色が悪いが、体調を問うとラプンツェルの怪音波に苦しめられただけだと言う。

 超絶音痴で頭がくらくらするらしい。

「悪かったな、音痴で。お前らに言われたくない」

 不貞腐れるように腕を組む。

 随分と窮屈な服だが、もしかしてさっきまで小さかったのか。

 亜夜が問うと、彼女は肯定。

「なに、昔本で覚えた単なる理魔法だ。理屈は簡単だから、ねえ様は心配しなくていい。ちゃんと小さな僕に戻れる。それより、ねえ様。こんな姿になったのは、言うまでもない。大切な話があるんだ。顔を貸してくれ」

 事情を説明して、ラプンツェルは亜夜の手を掴む。

 大事な話をするために、わざわざ自分を成長させてまで準備しているのだ。

 余程、大切な用事と見る。亜夜は深呼吸して、無理矢理納得させた。

 理魔法というのは、どうやら世界のルールを一時的に改竄する禁じられた魔法の一種らしい。

 才能で左右される魔法の中でも、一握りしか使えない希少なもの。

 ラプンツェルの経緯を知る亜夜は、使える理由を大体理解した。と、同時に悟った。

(……知られてしまったようですね)

 不味い。隠していたつもりだったが、まさかラプンツェルに悟られるとは。

 この子は思っていたよりも鋭いようだった。観念して、亜夜は大人になったラプンツェルに言った。

 ここまでされれば、誤魔化すのは無駄だとわかるし、グレーテルに知られるよりはまだ救いはある。

 唖然とするアリスとグレーテルに、少し待つように命じる。

「アリス。彼女に、着替えを貸してあげてください」

「うん……。サイズあうかしらこれ……」

 自分の胸元を見て悲しそうにため息をつくアリスを見送り、ラプンツェルは内密にしたいと言った。

 同席するとごねる二人に、渋そうにラプンツェルは首をふる。

「アリスはまだしも、グレーテルはダメだ」

「なんで?」

 着替えを受けとるラプンツェルは、不満そうにしているグレーテルに向かって逆に問う。

「なら聞くが、グレーテル。……お前は、ねえ様に怒りを向けないと誓えるのか? それこそ、命懸けでな」

「……!」

 グレーテルは驚いて、亜夜を見た。

 亜夜は微笑み、その場に浮かぶだけ。彼女には一番悟られてはいけない。

 情報になるような表情は一切浮かべない。笑顔と言う仮面で、中身を隠す。

「ねえ様の表情が証拠だ、グレーテル。表面上の意味でしか理解できないなら、大人しく待ってろ。お前には、多分無理だ。互いが無意味に余計に苦しむ」

「…………」

 グレーテルも異変には気付いた。

 亜夜が、何かを隠そうとしている。グレーテルに対して。

 これは、ある種の拒絶のような。そんなに、根深い事なのか。

 重大な事だと言うことは、分かった。知られたくない、とても隠したい秘密。

「……亜夜さんは、私に知られたくないの?」

 我ながら愚問だと思った。明確に嫌がっている人間にわざわざ聞くことじゃない。

 亜夜は笑顔のまま、頷いた。出来れば知ってほしくない。滲み出る雰囲気は、そんな空気で。

 グレーテルも、過度な干渉は嫌いだ。況してや、嫌がる意思を見せるのに知ろうとする程、子供じゃない。

 渋々、引き下がる。仲間外れもしれないが命懸けと言われたら言い切れない。

 亜夜は、アリスも出来れば知ってほしくないと言うが……。

「嫌よ。絶対に行くから」

 アリスは直ぐ様断った。同席すると、いってきかない。

 グレーテルが苦言を呈するも、拒否の一点張り。

「行くったら、行くわ。絶対に」

「……アリス。お願いですから、言うことを聞いて」

 亜夜が止めてと言うのに、アリスも嫌だと言い張った。

 次第に、亜夜の表情が変わる。眉をつり上げて、怒りを表していく。

 同時に、アリスも怒気を放っていく。

「……アリス。私だって、怒るときは怒りますよ……?」

「なによ。あんただって、あたしを見くびらないで欲しいわ」

 徐々に口論になりつつあるが、ラプンツェルは何も言わない。

 グレーテルが亜夜に味方して言い負かすも、アリスは決して諦めない。

 ワガママに等しい態度に、亜夜は苛立っていく。

 口調は乱暴になり、アリスに対して厳しい言葉を投げそうになる。

 と、その時。

「ねえ様、先ずはねえ様が落ち着け。……アリスは大丈夫なんだよ。心配はいらない」

 平行線を辿っているかと思ったら、ラプンツェルは亜夜の肩を叩く。

 意外なことに、ラプンツェルはアリスに味方した。

「何が言いたいんですか、ラプンツェル」

 すっかり不機嫌の亜夜に、ラプンツェルは神妙な顔で理由を語る。

 それは、亜夜も予想外の事であった。

「アリスはねえ様の事を決して裏切らない。だろう、アリス?」

 ラプンツェルが横目で見ると、アリスは面白いように動揺した。

 目が泳ぎだし、一歩後ろに下がって、顔面蒼白になった。

 ラプンツェルに、指摘されたことにハッキリと怯えを見せていた。

「行く、行かないの論点から前に進め。お前はすぐに感情的になる。言いたいことはハッキリと言うんだ、アリス。それとも、僕の口から言われたいのか?」

「な、何を……何を言っているのよ、あんた。子供の癖に……あたしの、何がわかって……」

 青ざめるアリス。その様子がおかしいことに、亜夜は気が付いた。

 ラプンツェルは、亜夜に背を向けて、アリスに向き変える。

 精一杯の虚勢を張るアリスに対して、呆れたように見ている。

 

「……独りぼっちは嫌か、アリス?」

 

「……ッ!?」

 

 ラプンツェルの言葉に、大きく肩が動いた。

 アリスは反射的に、物理でラプンツェルの口を閉じようと一瞬、手を伸ばしかけた。

 首を絞めるか、あるいは殴り倒そうとしたか、はたまた何か違う方法か。

 然し、亜夜がいることを思い出して必死に踏みとどまった。

 亜夜に嫌われたくない、という懸命な意志が暴力に打ち勝ったのだ。

 ラプンツェルはそれを、避けるとも防ぐともせずに眺めていた。

 亜夜は驚く。アリスが、手を出そうとしたのに堪えた。

 ラプンツェルの言葉に、図星を言われて怒ったのか、だが彼女は我慢した。

 悔しそうに、睨み付ける。

「ラプンツェルゥ……ッ!」

 怒っている。うってかわって、アリスは激怒していた。

 口喧嘩を仲裁したはずが、今度はアリスを追い詰めているラプンツェル。

 涼しい顔で、再び亜夜の方を見た。

「ねえ様も、少し自覚した方がいい。ねえ様は、自分で思っている以上に僕達に慕われているんだ。だから、味方がいないなんて思わないでほしいな。見ての通り、少なくともアリスは絶対、ねえ様の味方だから。……そうだよな、アリス。お前が素直に何時までも言わないから、代わりに言ってやったぞ」

「わー!?」

 アリスが突然悲鳴をあげた。

 ラプンツェルの思惑を理解したのだ。

 この女、アリスが寂しがっていることも亜夜を純粋に心配している事も全部本人にばらしやがった!

 今の問答だって、ただ亜夜が心配して、アリスは何があろうとも亜夜を見捨てないと言いたかっただけなのに、素直に言えずに拒否されているのが腹立って、押し問答になってしまった。

 アリスは亜夜を慕っている。まさかの発言に亜夜は目を丸くした。

「……はいっ?」

「今の嘘!! 全部こいつの口から出任せ!! あ、あたしが亜夜を心配してるって、そんなこと微塵もないし! あたしは全然寂しくないし!!」

 ほらまた、誤魔化すために捲し立てる大半が本心と逆になる。

 亜夜はアリスを唖然と見ていた。

「アリス……あなた、私が好きだったんですか!?」

「違う! 嫌いじゃないけど好きじゃない!」

「どっちですか!? 私にそんな趣味はないですけど!」

「あたしだってないわよ! 友愛! あっても友愛であって、恋愛じゃない!! 友達!」

「……どうだろうな」

「ラプンツェルゥ!! もう喋るなァッ!!」

 アリスと亜夜は揉めるが、ラプンツェルの小言に直ぐ様反応するアリス。

 顔が羞恥で真っ赤になって、ラプンツェルに怒鳴った。

「……とまあ、自称友愛のアリスはねえ様を心配しているんだ。それこそ、口喧嘩してねえ様を怒らせるぐらいには、それはそれはとっても心配している。だからねえ様、アリスは大丈夫。ほら、友達少ないから大事にする奴だし」

「……あぁ、アリスそういえばボッチでしたもんね」

「なにその哀れみの視線は!? あたしが心配したらいけないの!?」

「逆ギレしてるし……」

 グレーテルも呆れていた。

 二言目には亜夜の名前が嬉しそうに笑って出てくるくせに、それを指摘されると逆ギレしたりする。

 そういう女だ、アリスは。

 ラプンツェルは、適当に誤魔化した。本当は違うと知っている。

 アリスには、亜夜しかいない。彼女は、すっかり亜夜に依存している。

 亜夜も自覚はないだろう。

 アリスの生い立ちは存じ得ないが、恐らくは相当孤独に苦しんでいたのだと思う。

 亜夜と共にいるのに浮かれているのは何度も見ている。

 そして、亜夜と離れるときに寂しそうにしているのも見ている。

 要するにアリスはとても寂しいのだ。

 孤独は嫌で、アリスは同居人はただの同居人でしかなく、友人……いいや、ここまで来ると最早恋慕か。

 亜夜に対しては、それに近い想いを抱いている印象を受ける。

 まさに初めて恋を経験する少女のように。亜夜の言動に一喜一憂している。

 大人になって初めて理解したアリスの言動。亜夜のためなら、出来ることは何でもする。

 亜夜がどうなろうと、アリスだけは全部受け入れる。

 そんな感じを常に感じてきた。亜夜が倒れたときだって、自立しようと言い出したのはアリスだった。

 亜夜の見舞いに行きたいが故に、悪戦苦闘しつつやることを終えて時間を作るために。

 亜夜は悩んでいたが、言えるような悩みではないのだと知っている。

 ラプンツェルも、姉のように慕っているのは間違いない。

 亜夜が何であろうが、この人がこのまま優しい亜夜である限り、ラプンツェルもまた慕い続ける。

 だから、先ず悩みを共有したいと思う。

「……あ、あたしは、亜夜が苦しいなら分かち合いたいわ。亜夜が何であろうが、あたしも一緒に悩んであげる。打開策も一緒に考えるから、話してよ。水臭いことを言わないで。聞くから、あたし」

 暴露されたら、最早怖いものはない。アリスは自棄で素直に話すことにした。

 グレーテル以上に、アリスは亜夜が大事な人である。

 仮に亜夜が…………だったとしても、亜夜に違いはないし、救われた事実も変わらない。

 アリスは亜夜と一緒がいい。自分からは離れない。決して。影のように後ろにいたい。

 人、それをストーカーとかと言うのだが、アリスは知らない。

「……わかりしましたよ。ショックだと思います。警告しますが、軽蔑すると思います。それでも良いですか?」

「上等よ、どんとこい! ラプンツェル、言質は貰ったわ。行くなら早く」

「……そうだな。ねえ様、覚悟はいいな?」

「分かってますよ、ラプンツェル。あなただったら、分かってしまうのも仕方ないでしょうね……」

 どこか、諦めるように、人気のない場所に移動する三人。

 グレーテルはその背中を見送るが、亜夜の死にそうな表情とは珍しい。

 余程知られたくない秘密なのだろう。人にはそう言うものもある。

 グレーテルは、空気を読んでおとなしく待つことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 サナトリウムには、裏手にごみ捨て場や物置が置いてある。

 三人は、物置の物陰に、周囲に人が居ないことを念入りに確認して、集まった。

 既に亜夜は目が死んでいる。ラプンツェルはそれを見て、確信を得た。

 喋られたら殺される事案だ。絶対に口封じできるアリスのみ、許すべきだと思う。

 アリスは亜夜に嫌われることを極度に嫌がる。だから、安心。

「……もういいかな」

 完全に安心と思い、ラプンツェルは亜夜を見下ろして、一度深呼吸して、アリスに覚悟をしろと前置きして、そして口を開いた。

 アリスにとっては、とても大きなことだった。亜夜にとっては、誰にも知られたくない秘密だった。

 それを、大人になったラプンツェルは切り出した。

 

「ねえ様、正直に白状してくれ。…………ねえ様は、『魔女』、なんだよな?」

 

 と。



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蒼い魔女

 

 

 

 

 

 

 ……こんな姿を見せたくなどなかった。

 自分の、無様で見苦しい姿を。

 邪道に目覚め、外道に堕ちて、悪道を進むしかない。

 亜夜がラプンツェルに問われたのは、そういう意味だった。

「……は? あんた、言うに事欠いて、何笑えない冗談いってんの?」

 唐突に飛び出た言葉に、アリスは表情をひきつらせる。

 喧嘩するほど散々な前置きをしておいて、亜夜を魔女呼ばわりした。

 アリスはラプンツェルを睨み付けた。

「亜夜が、魔女ですって? ……ふざけたこと言ってるんじゃないわよ。ぶっ殺すわよ、あんた!」

「落ち着けアリス。僕の気のせいならいくらでもぶん殴ってくれていい。今は、事実を知りたい」

 つかみかかるアリスに、ラプンツェルは制して進める。

 怒り狂うアリスは、亜夜を見た。

「亜夜も何黙ってんのよ! こんな下らない冗談、マジで受けとることなんて……!」

 アリスが見た亜夜は。

「……」

 

 ――今まで見たことがないくらい、追い詰められていた。

 

 顔面蒼白で、目の焦点が合わずに泳いでいて、身体が微かに震えている。

 何も言わない、否、言えないように。

 知られたくない事を暴かれている少女は、いつもの優しく余裕のある知的な彼女から、様変わりしていた。

「あ、亜夜……?」

 その態度に違和感を感じるアリスは、亜夜に寄ろうとする。

 すると、大袈裟にビクッと亜夜は反応した。

「……」

 その表情を見て、アリスは嫌でも理解する。

 亜夜は、アリスに、怯えていた。

 初めて、職員と子供の立場が逆転していた。

 表情が、アリスに対する強い恐怖に変わっていた。

 アリスは知っている。この顔は、暴力を振るわれたあとの相手の顔。

 アリスに対して、畏怖の感情を抱いている時に浮かべるもの。

 亜夜は、アリスを、怖がっている。

 それが、ラプンツェルの指摘したことが、明確な事実であることの何よりの証明だった。

「…………亜夜。あんた、本当に魔女だったの……?」

「……」

 視線を逸らす亜夜。

 アリスの問いにも、ラプンツェルの問いにも答えない。

 それはまるで、イエスと言ったら即座に殺されることを恐れているよう。

 愕然とするアリス。亜夜は、その反応をもってして肯定している。

 己が、世界に対するアンチテーゼであると。天敵であると。

 アリスに対してさえ、亜夜は壁を作っていた。死にたくない気持ちは分かる。

 アリスは、言葉を失った。けれども、身体が勝手に動いていた。

 近づけば逃げようとする蒼い翼。それを、素早く腕を掴んで。

「きゃっ……!」

 小さく、亜夜は悲鳴をあげた。

 アリスは己の胸の中に、亜夜を抱き寄せた。

 抵抗などさせない。逃がすことなどさせない。

 これを知ったアリスの返答は、この上なくシンプルだった。

 

「――大丈夫よ、安心して亜夜。あんたは、あたしが絶対に護るから」

 

 アリスは、怯える亜夜にそう抱き締め囁いた。

 驚く亜夜が見上げるなか、アリスは続けた。

「あんたは、知り合ったばっかのあたしを、無償で助けてくれたわ。だから、あたしもあんたを助けるの。あんたが魔女だろうが化け物だろうが、亜夜は亜夜よ。あたしは、亜夜に救われた。護られた。同じことをさせて、亜夜。絶対に、命懸けても、あたしは亜夜と一緒よ。大丈夫。怯えないで。怖がらないで。あたしがあんたを裏切るわけないでしょ。魔女だから何? 人間の敵だったら何? あんたを殺そうとする奴がいるなら、あたしがそいつを殺してやる。亜夜は誰にも奪わせない。殺させない。亜夜は、あたしが絶対に護る……!」

 まるで、初対面の時の亜夜のような台詞だった。

 亜夜はアリスを護ると言った。そして実行して、護っている。

 アリスは思う。確かに多少は驚いたことは驚いた。

 大切な人が知らぬ間に、あるいは最初から利用するために隠して魔女だったのだ。

 魔女は生きていてはいけない。それが、世界の法律だ。アリスだって知っている。

 だからこそ、アリスは声を大にしてこう反論しよう。

 

(だから何よ! それで亜夜を殺していい理由になってたまるもんですか!!)

 

 亜夜が魔女だった。ならばアリスの返答はこうだ。

 

 ――だからなんだ!! 

 

 亜夜が魔女ならアリスに何か問題があるのか。

 亜夜が魔女ならアリスが救われた事実が変わるのか。

 何一つ関係ない。問題ない。知ったことじゃない!

「アリス……?」

「なによ、魔女だからってあたしがあんたを殺すとでも思った? バカ! あんたをあたしが殺せるわけないでしょ!! あんたがあたしを守ってくれるって言い出したのよ!? じゃあ護ってよ!! あたしは独りぼっちは嫌だもの! そばにいてよ! 一緒がいいの!! 魔女でも怪物でもあんたは一ノ瀬亜夜のまま! 違う!?」

 嫌だ。魔女だからって、離ればなれは絶対嫌だ。

 自分で言い出したのだ。なら、約束は破らないで。

 呆然と見上げる亜夜に、すがるようにアリスは懇願する。

「亜夜、あんたが魔女でもなんでもいいから……。あたしのそばにいて。あたしが頼れるのはあんたしかいないのに、あんたが居なくなったら……あたしは、あたしは誰に頼ればいいの……? お願い、あたしにそんな顔をしないで……。信じて、あたしは亜夜を見捨てないわ。あたしの気持ちは、嘘じゃない。嘘じゃないんだよ……?」

 アリスは最後には、半泣きで亜夜を抱き締めていた。

 何てことだ。亜夜が魔女だから何て理由で、アリスを拒み始めている。

 魔女なんてどうでもいい。世界から迫害されようが、アリスは共にいたいのに。

 痛みだって背負う。苦しみだって分かち合う。アリスは孤独に比べれば、その痛みよりずっといい。

「…………アリス。意味、分かってるんですか? 私は……」

「言わないで。亜夜が魔女でも、あたしは受け入れる。いいえ、亜夜が何者であろうともあたしは亜夜を、あなたを決してそんなことを理由に見限ったりしない。あたしは、たとえ世界のすべてがあなたを謗ろうとも、貶そうとも、追いたてようとも、それを言い分にあなたを傷つけないと誓うわ。大切な人を自ら傷つけるほど、あたしは狂っていないもの。どんなに呪いに蝕まれても、どんなに理性が崩れたとしても……あたしは、あなたを苦しめない。あたしの命そのものを、亜夜……あなたに、あげる。だから、信じて」

 強い抱擁と共に、亜夜に宣誓するアリス。

 亜夜のなかにあった、周囲に対する強烈な恐怖感が、薄れていくのを感じた。

 魔女と知られれば確実に殺される。嫌ではなかったが、同時に死にたくないと感じていた。

 怖い。全てが、怖い。全てが、敵だと思った。

 魔女と言うのは、この世界では絶対悪の象徴だから。

 理由がなんであれ、見つかれば容赦なく遠慮なく、仕留められる。

 亜夜は自分が一人きりになった気分だった。

 なのに、アリスは知った上で愚かな選択をすると誓った。

 魔女だと知っている。受け入れ、分かりきったことで敢えて言うのだ。 

 亜夜は亜夜。何だろうが知ったことじゃあない。

 種族を理由に迫害などしないし、亜夜が護ると言うなら守ってほしいと。

 アリスも護るから。亜夜と言う存在を。

「アリス……なんで、そこまでして私を庇うんです……?」

 尤もな疑問だった。

 亜夜には分からない。アリスがここまでされることを、亜夜は出来ていないのに。

 アリスとは仲良しであることは自覚している。けれど、ここまでされる覚えはないのに。

 身を呈して、亜夜をアリスは肯定してくれる。理解が、出来ない。

 理屈が通らない。単なる職員と子供。その関係だと言うのに……。

「ねえ様、自覚してくれ。僕らは、ねえ様を慕っていると先ほど言ったばかりだ。ねえ様の存在は、少なくともアリスや僕にとってかけがえのない物なんだよ。それこそ、命懸け上等だ。僕だって、誰にでも言える。幼い僕ですらねえ様が好きだ。自信をもって言い切れる」

 それまで黙っていたラプンツェルも加勢する。

 魔女と言う悪の存在だと言われても、ラプンツェルもアリスも黙って受け入れる程愚かではない。

 徹底的に抵抗するし、徹底的に足掻くだろう。

 亜夜は自分の行いに伴う結果が分かってなかった。

 今まで友人の少ない亜夜は、他人の機微に疎い少女。

 グレーテルの件といい、アリスやラプンツェルの事といい、亜夜は良くも悪くも他者の気持ちに鈍かった。

(私のことを……こんなに、求めてくれている……。アリスや、ラプンツェルが……)

 そして。

 此度、ハッキリと目に見える形で示された二人の感情が、亜夜のなかに劇的な変化を生んだ。

 生きていて、初めてかも知れなかった。

 ここまで苛烈に情熱的に、亜夜を求めている人と出会うのは。

 何だろうか。言い様のない感情が、胸に去来する。

 この熱量はなに? この感情の昂りは、なに?

 二人は言う。魔女なんて関係ない。亜夜に信じてほしい、亜夜を信じたいと。

 頼って。護って。頼るから、護るから。

 一人じゃない。二人がいる。

 怖がらないで。恐れないで。

 この手は、亜夜を傷つけない。この手は、亜夜と繋ぐためにある。

(…………アリス。ラプンツェル)

 童話の主人公たちは、力になってくれるといってくれた。

 亜夜は、魔女だ。童話の悪役として、狼と並ぶ悪いやつだ。

 救いなど必要ない。悪いやつは、退治されるべき。

 ……本当に?

 

(……………………フフフッ)

 

 ……何を、迷っていたのだろうか。

 そうだ。亜夜は元より、皆のために他者を蹴落とすとライムに言うほど歪んでいたではないか。

 頭がおかしいと怒鳴られる、根本が利己的、排他的な、魔女狩りをすり連中と同じだといったはずだ。

 死にたくはない。そうさ、死ぬわけにはいかない。

 何故なら、亜夜の命は最早己一人のモノではない。

 思い出せ。自分は、使命を持っていたはずだ。

(……えぇ、そうでしょう。殺される理由などないと言っていたのに、情けない。いざ死ぬとなると私もやはり怖いものですね。ですが……決めました)

 この四人の世話をしていることを、喜びにしていたのは誰だ。

 何で喜びにしていた? 楽しいからだ、嬉しかったからだ。

 みんなと一緒が何よりも心地よく、亜夜にとって幸運だったからだ。

(私は……何を怯えていたのでしょう。バカらしい、魔女になったからって、やることは変わらないのに)

 忘れたか、自分の性格を。

 他人なんて平気で傷つけるくせに、自分や親しい者が苦しむことを嫌がるクズは誰だ。

 こんなやつが、悪役じゃないわけがないだろう。

 アリスがこんなにいってくれるのに、迷っていていいのか。

 ……違う。亜夜は迷う理由が最初からない。

 ラプンツェルが心配してくれるのに、怯んでいていいのか。

 ……違う。亜夜には怯む理由がない。

 襲ってくるなら殺し返せ。恨まれるなら呪い返せ。

「……認めましょう。私は、根っこから最低最悪の、下劣な女ですとも」

 知っていた事を何を今さら怖がっていたのか。

 亜夜は邪悪に、口の端を吊り上げて笑った。

 犬歯を見せて、強気に瞳を宿らせて、抱き締めるアリスを見る。

 ああ、そう言うことか。これは、愛情だ。アリスの不器用な、愛情。

 アリスは友愛でも何でもいい、愛を向けてくれる。

 愛とは、尽くすことなのか。亜夜は知らなかった。

 どんなにゲームや読書をしても知り得なかった大切なことを、知った。

「アリス。アリスは、私の事、好きですか?」

「なっ……何よ、急に」

 亜夜が静かに問う。真剣な眼差しで、アリスの碧眼を茶色の瞳で見つめる。

 アリスは動じたが、とても大切な質問だと肌で感じた。

 亜夜が、自分からアリスに腕を回して、応じてくれそうだったから。

 これは、重要なことなんだとアリスは直感した。

 ここで、誤魔化すのは絶対にいけない。素直に、本音を彼女にぶつけよう。

 自分でも、よく分からないけれど。少なくても、こうは言い切れる。

「…………。ええ、好きよ。あたしは、亜夜が好き」

「そうですか。私もアリスを好きだと思います。あるいは、みんなと一緒に最初から好きだったのかもしれません」

 みんなのために懸命になった理由。

 面倒な理屈を全部取っ払えば、単純な話であった。

 

 亜夜は、みんなのことが好きだったのだ。

 

 好きになっていた、と言うのが正解かもしれない。

 好きになったから、尽くそうと思った。

 好きになったから、守ろうと思った。

 好きになったから、楽しいと思った。

 全部好きだったからこそ、言えた話だったのだ。

「好きですよ、アリス。ラプンツェル。……私は、職員とか子供とか関係なしに、皆さんが好きだったようです。人の気持ちに鈍いと思ってましたが、まさか自分まで鈍いとは意外でしたが」

 亜夜は回復した。バレても別にいい、と完全に開き直った。

 こうなると人間ふてぶてしくなるもので、一種の精神的スーパーアーマーが装備されたに等しい。

 ギューっとアリスに抱きつく亜夜。嬉しそうに、アリスの匂いを堪能している。

「あ、亜夜……くすぐったい」

「ご心配お掛けしました。もう、私は大丈夫です。改めて言いますけど、私はどうやら魔女らしいです。自覚は無かったんですが」

 亜夜はアリスに照れ臭そうにじゃれながら、二人に事情を打ち明けた。

 要するに、自分でつい最近知ったばかりで分からないが、魔女みたいなものだと。

「そうか。やっぱりな」

 ラプンツェルは納得していた。アリスが聞くと、ラプンツェルは自分の育ての親が魔女だと説明する。

 唖然とするアリスに、特に隠していたわけではないが、幼い自分には判別がつかないと語る。

「まあ、あまり大っぴらにしない方がいい。大義名分が相手にある以上、真面目に殺されるぞねえ様」

「殺しに来たら殺してやります。まあ、魔女に正当防衛などないと思いますが」

「思いっきりないな。魔女に人権などない。下手に抵抗すれば連中を助長させるだけだが、力を見せつければ襲ってこないとは思う。状況や相手次第だけどね」

「圧倒的存在と思い知らせればいいんですね? なら、いけます。魔法使えますし」

「……ねえ様はスゴいな。魔女だと言うのに魔法が使えるのか。だったら、いっぱい練習するといい。非常識な存在になればなるだけ、ハッタリも通じるだろう」

「折角の常識外ですもの。言われるまでもなく、頑張りますよ」

 魔女の事は基本秘密。相手によって打ち明けるのもあり。

 但し、襲ってくるならみんなで抗う。手を貸してくれるアリスとラプンツェルと一緒に。

「っていうか、なんでねえ様呼びしてんのあんた。生意気」

「うるさい。お前もすればいいだろ」

「……生憎と、姉って存在には嫌な思い出があんのよ」

 ラプンツェルの姉呼びが気に入らないらしいアリスに、ラプンツェルは言い返す。

 アリスは昔の事もあるし、姉とはあまり呼びたくない。

「アリスは無理して呼ばなくてもいいです。まあ、そうなると……やっぱりそっちの趣味になりますが?」

「……でしょうね。あたしはそんな趣味ないわよ、出来るかもしれないけど」

「自覚しておいてなんですが、私も否定できなくなりましたねえ。いっそ、お付き合いします?」

「…………考えておくわ」

 アリスと亜夜は互いに状況を見る。

 抱擁しあって、互いに好きと言い合った。これは、誰がどうみても女同士の告白であった。

 ニヤニヤしているラプンツェルを、アリスは横目で睨む。

 お付き合い。アリスも男は信用できないし、亜夜なら割りと真面目にありと思う辺り、末期と言うか。

「キマシタワー……。まさか自分がそうなるとは、思いがけませんでした。悪くないですね。嫌いじゃないわ! って叫びましょうか」

「何いっているか分かんないけど、あたしも嫌いじゃないわよ」

 アリスと亜夜のバカな会話が続くなか。

「……そろそろ時間か。すまない、二人とも。限界みたいだ。また会おう」

 大人ラプンツェルは、首を傾げる二人に爽やかな笑みを浮かべ、次の瞬間。

 ぼふんっ! と情けない音と謎のカラフルな煙を出して、ラプンツェルが爆発。

 で、げほげほ咳き込む普通のラプンツェルが、ダボダボの服を着て立っていた。

「……戻っちゃった」

 朗らかに笑う彼女に、二人とも緊張感が抜けて、笑ってしまった。

 こうして、亜夜は魔女だと開き直った。

 精神的スーパーアーマーを纏った、最悪で邪悪な魔女の、誕生の瞬間であった。



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穢れた翼

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 突然だが、一ノ瀬亜夜と言う少女には弱点がある。

 まず、運動ができない。これは足の奇形や虚弱体質が原因の先天性。

 今さら、どうしようもないことだ。

 次に、コミュニケーション能力の低さ。

 彼女の性格が基本的に嫌味で理屈的で利己的で排他的なので、嫌われて当然。

 故にボッチで、友達は少ない。

 その他、細かい弱点が多々あるが、最も大きな弱点はここだ。

 ならば逆に、強味は何か。それは精神的な構造の強さ。

 元来自分勝手な性格が災いし、嫌われる少女であるが、最強の武器である開き直りを装備した状態では、最早無敵だった。

 何が起きようとも他人に責任転嫁をして、自分は悪くないの一点張り。

 自分を正当化する理屈を見つけるのは得意で、反省もすることもないし改める気持ちもない。

 要するに、悪役としてのメンタリティは元々備え持っていたのだ。

 彼女からすれば、既に自分は魔女であると言う定義付けを完了して、害意には敵意を、殺意には悪意で反撃する準備も着々と進めている。

 物理的に補強すれば、最悪の魔女が誕生するのは間違いない訳で。

 その、物理的補強を亜夜はどんどん進めている。

 魔法の学習。また、魔女の能力に対する理解。

 無知な状態で始まった亜夜の魔女強化計画は、順調であった。

 最早単なる人間には、手をつけられないほど強大な存在になりつつあった。

 何せ、呪いという魔女の能力を理解するのに要した時間は僅か二日。

 元々勉強は無駄に得意で、理解力や応用力が高い彼女は砂が水を吸うように知識や経験を重ねていく。

 ラプンツェルが手伝いをして、呪いに対する入れ知恵をしたこともある。

 親に魔女を持つラプンツェルは、幼いながら非常に丁寧に、知っている知識を全部伝授した。

 それを基盤に、実践と練習を繰り返した亜夜は、誰にも悟られずに一人前の魔女に成長しきってしまった。

 アリスとラプンツェルの助力もあり、遂に亜夜は覚醒した。

 四人の呪いを勝手に解くため、行動を開始。

 慣れない手付きで一歩ずつ、裏で糸を引いて知られず静かに進めていく。

 童話の悪役、魔女として。目的は、四人の呪いを解くために。

 同時に亜夜は自覚している。四人の事を、とても好いていると。

 同性愛にも等しい愛情が、一気に加速、加熱され、漏れ出した。

 それを気づいたグレーテルとマーチ。

 亜夜がいつにもまして、優しく甘やかしてくれる。

 否、ここまで来ると別枠のような感じさえする。

 寵愛とでも言おうか。立場を越えて、真摯に亜夜は尽くしてくれる。

 肌で感じる奉仕の心。二人は思う。

 亜夜が悩み乗り越えて、何やら開き直り堂々としていると。

(なんというか、悪い堂々だけど……)

(わたし、は……嬉しい……かな……)

 グレーテルは呆れている。マーチは素直に受け入れた。

 ハッキリと亜夜はいうのだ。好きな皆の為に頑張ると。

 戸惑うグレーテルと、喜ぶマーチ。

 アリスは今まで以上に、亜夜にベッタリであり、素直になりつつある。

 ラプンツェルもまた、無邪気に亜夜に懐いていく。

 四人の関係性も改善されていた。

 アリスの攻撃性は怒らせない限りは発露されず、グレーテルは自立をするようになった。

 マーチは他人とのコミュニケーションを少しずつ取るように努力して、ラプンツェルはいつも通り。

 亜夜は何時も微笑んでいた。穏やかな笑みを浮かべて、そこにいた。

 だが、彼女の内部が強い怒りが蓄積している事を、皆は知らない。

 先ずは、魔女となって真っ先にするべきこと。しようと思っていたこと。

 

 それは、仕返しだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日。亜夜は、ライムに強襲をかけた。

 彼女が廊下を一人で歩いている所を、いきなり襲撃。

「い、一ノ瀬さん!? いったい何を……!?」

 有無を言わさず問答無用。驚くライムに一撃いれた。

 魔法で気絶させて、一人で羽ばたき人気のない場所へと運んでいく。

 下調べを終えて、確認しておいた近所の空き家へと、頑張って運搬。

 廃墟寸前の空き家の一室に、ライムを監禁した。

「な、何をするんですか!! ご自分が何をしているか、わかっていますか!? 誘拐ですよ!?」

「理解した上で、こうやっているんですけど?」

 とある夜更け。椅子に事前に用意した鎖で縛り付けたライムが怒鳴る。

 目の前には、翼を閉じて杖をつき、半壊する机に腰かける亜夜がいた。

 何とも愉快そうに、邪悪に表情を歪めてライムを見つめる。

 暴れて脱出を試みるが、びくともしない鎖。亜夜はバカにするように笑った。

「無駄なことを。それは魔力を分散させる鎖ですよ。魔法で脱出なんて不可能です。無論、物理も無理です」

「くっ……!」

 看護服のままのライムは、亜夜に毅然と睨み付けた。

「とうとう、反撃をしましたか……予想はしていましたよ」

「でしょうね。何せ、全部の事情を話さないクソ外道ですから。利用するだけ利用して、バカな子供を思惑通りに動かすのはさぞ、痛快だったと思いますが、ご生憎様。私はサナトリウムの人間を信用などしていません。所詮、異世界に誘拐してこき使うテロリスト集団ですから」

 ライムに言うと、彼女は鼻を鳴らして言い返す。

「……それを望んだのはそっちの世界の人間でしょう。私たちは、礼儀を尽くしている」

 要するに、亜夜たちの世界で流行っている異世界に招待しているだけだと。

 事実、何も考えずに現実に不満を持つ馬鹿者は異世界に飛ばされることを望んでいるだろう。

 給料も出している。自由もある。対価は支払っていると。

 だが。

「私はそんなの、望んでいません。大体、理の違う世界に無理矢理連れてきて、その時点で自由なんてありませんよ。こっちはあなたの世界でしょう、ライム・ナーサリア。あなたに自由はあっても、私達には一切の自由など、ない。そんなものはただのまやかし。詭弁を言えば自分等が正当化できると思ってます? 全く、愚かしいことです。もとの世界に戻れないという絶対優位を持つそっちの人間からすれば、私達は適当なことを言えば簡単に使役できるバカな子供。入ってくれば呪いも自動的に枷になる。世界のルールすら平然と利用して、異世界の私達を、童話の主人公を救うヒーローに、あるいは救世主に、英雄に仕立てあげる。持ち上げれば日常に退屈しているあんぽんたんはホイホイ言うことを聞くでしょう。見事な手腕です。日常の有り難みを理解しない近頃のノータリンの若者の心理をわかってらっしゃる」

「……ええ。否定はしませんよ。私達は、入所する子供たちを救えるなら、何でもします。異世界の若者を利用するぐらい、どうということはない」

 ライムは言った。彼女の目的は、入所する子供たちの治療だった。

 この世界の人間では根本的治療が出来ない呪いを、異世界の因子を用いて癒す。

 優先順位は、子供たち。日々死にゆく彼らを、ライムは責任を持って治そうと足掻いていた。

 その為に、亜夜たちを利用して悪びれない。謝罪はしない。必要な事だから。

 彼女には彼女の、譲れない正義があった。亜夜はそれを黙って聞いていた。

「で、一ノ瀬さんは私を捕らえてどうするおつもりです? 先に言いますが、私を脅しても、上層部は動きませんよ。私も一介の職員に過ぎませんから、無駄なことをしないのが懸命です」

 暗に、帰ることは出来ないと言われる。

 亜夜は愉快そうにクスクス笑って、ライムを嘲る。

「まさか、そんな事の為に仕出かした訳じゃないですよ? 私の目的は、別です。仕返しと、嫌がらせ。よくも利用してくれやがったな、っていう意思表示。あ、やることはやってやりますので、感謝なさい」

「減らず口を……!」

「立場があくまで上じゃないと気が済みませんか? 大人っていうのはすぐ子供が反抗すると生意気だなんだと的はずれな事を言いますよね。バカなことをしているのはどっちですか、腐れ外道が。私達を体のいい道具にしか見ていないクズが、偉そうに宣うとはいい度胸してますね。ぶっ壊しますよ?」

 ライムの立場を弁えない態度に、亜夜は余裕の笑みで脅かす。

 腰かけたまま、手のひらに炎を召喚して、ライムに見せつける。

 再び、驚愕の表情を見せるライム。

 やはりだ。亜夜は確信した。ライムは亜夜が魔女の可能性を持っていた事を知っている。

「……今度は炎の魔法ですか」

「それだけじゃありません。風、氷、水、雷、重力。それに加えて、少々理魔法を習っています」

「そんなに……!? なんで、一ノ瀬さんが多種の魔法を使えるんですか!」

 禁じられた魔法まで覚えていると言えばライムが噛みつかない訳がない。

 事実、ラプンツェルから習っている我流ではあるが、時間魔法という一種の魔法は亜夜も既に使いこなせる。

 時を加速、または減速させるだけしか出来ないが、完成形は時の停滞、即ち不老や不死すら可能にするらしい。

 そんな上位の魔法を使える時点で、亜夜は人間離れを起こしている。

 魔法が多種使える理由は知らない。だが、これだけは言える。

 

「質問に答える義理はありませんが、成る程。だったら……」

 

 ライムにはこうしたほうがきっと理解されるだろう。

 どうやら、不満らしいから見せてやることにした。

 

 ――此方のほうが、納得できますか?

 

 亜夜はニタリと笑った。

 そんなに亜夜の本性をご所望ならば仕方ない。

 亜夜はやれやれと首をふり、本質を発現する。

 

『なら、見せましょうか。あなたが知る、本当の私を』

 

 亜夜の姿が変わっていく。

 セミロングの茶色から色素が抜けて、とても濃い夜の色を交えた蒼が染め上げる。

 蒼い翼が形を失い歪んでいく。抜け落ちた羽が虚空に消える。

 背中のそれは、美しい海や空を彷彿とさせる蒼の半透明のエネルギーの塊に変貌する。

 変幻自在にあり方を変える、大きな翼。

 茶色の瞳は一瞬で鮮血の紅い色に変色する。

 吐息に薄紫の色と臭いが混じる。

 腐った肉、蛆の沸いた死骸のように、鼻が曲がりそうな強烈な死の臭いを吐き出して。

 室内に腐敗臭を満たしながら、亜夜は訊ねる。

『これが、本来の私ですか? お望み通り、見せましたよ。魔女の姿をね』

 亜夜が笑いながら聞く。

 ライムは、渋い顔で逆に聞いてきた。

「……何時から、ご自分が魔女だと気付いていたんですか?」

『海水浴の前に、一度聞きましたよね。あの時の反応を怪しんで、疑問に思っていたらこの有り様です。望んだ訳じゃないですけれど、便利そうなので使おうと思います』

 自動的になったと説明。亜夜は聞いた。なぜ、最初から魔女だと知っていたかと。

 ライムは何も言わない。亜夜に事情をこの期に及んでまだ言わないようだった。

「同じ台詞を返しましょう。答える義理はありませんよ、穢れた翼の魔女!」

『あぁ、やっぱりそっちは魔女がお嫌いですか。デスヨネー。なので、身体に聞きます』

 軽蔑と嫌悪を丸出しにして罵るライムに、思った通りの亜夜は指を鳴らした。

 すると。

「…………あなたが異世界にきた時点で持っていた履歴書。あれに、この世界におけるあなたの全てが記されているんです。あの紙は、異世界の人間の詳細が自動で記録される媒体。私は、あれを見て知りました。言わなかった理由は、魔女が嫌いなのと……子供たちに危害をくわえる可能性を危惧していたから。それ以外はありません」

『結構。筋が通っているのは驚きましたが、ならば納得しましょう。あなたは、私が思うほどクズではなかった。評価を改めて心に仕舞っておきます』

 ライムは突然、すらすらと理由を口にした。

 偽りない隠していた事実を語っていた。

 自身の言動に絶句するライム。亜夜は満足そうに頷いて、ゆっくりと立ち上がる。

「今のは……呪い!? 一ノ瀬さん、あなたって人は!!」

 一過性の呪いを受けたと自覚して、噛みつくライム。

 呪いを自白材の代わりにして、返答を聞き出した亜夜。

 躊躇うことなく、他人を呪った邪悪な魔女はけんもほろろ。

『穏便に済ませただけ温情があると思いなさい。やろうと思えば、今すぐ精神を内側から瓦解させて廃人にすることも出来るんですよ。それとも、発狂がお望みですか? フルコースでも構いませんよ?』

 有りがたく思えとけろっと言い返す。

 その精神は正しく魔女そのもの。人間のそれとは、異なりすぎる。

「やはり、魔女は魔女ですか。利己的で救いようのない諸悪の根源め……」

『ハイハイ、やっかみはあとにしてください。取り敢えず、今は証拠隠滅でもしておきますので、お覚悟を』

 吐き捨てるライムに近づく亜夜は、鬱陶しいように真紅の目を細めた。

 腐敗の臭いが寄ってくるのを嫌そうに睨むライムは、思い当たる節があった。

「そう言うこと……私の記憶を改竄する気ですね!?」

『ご明察。何分、知られたら困りますから。多少内部の作りを弄くって、私の傀儡にしてもいいんですが、そんなことすればあの子達に嫌われてしまいます。地味が一番です。ですんで、記憶だけ少し失う程度にしておきましょう。こちとら、争い事は避けたいくちですので』

 記憶を抹消して、口封じをする気だった。

 暴れて抵抗するライムだが、乱暴に亜夜に頭を掴まれた。

「痛っ!」

『仲良くなんて絶対にしませんよ。あなたは、私の敵です。何かあれば、すぐ破壊してやります。……肝に命じておきなさいな』

 消されるから意味などないが、と告げて。

 嫌がるライムの精神に、侵入して悲鳴をあげるライムの記憶をいじくり回す、邪悪なる魔女の宣戦布告。

 それは、気づかれることなく、静かに幕をあげたのだった……。



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露天風呂……?

 

 

 

 

 

 ライムを誘拐して宣戦布告を行って数日。

 連日記録的酷暑が続くなか、買い物などの仕事が増えてくる。

 理由として、暑さで倒れる子供と職員が続出。

 あまりの気温に、日射病と熱中症を起こしているのだ。

 故に、外出の代わりを担当するものが、炎天下で力尽きて倒れる。

 待たされる者も、倒れる。それの悪循環。

 虚弱の少女はと言えば。

「暑い……」

 部屋でへばっていた。

 最近、翼から抜け落ちる羽の量が増えてきた。

 生え代わる時期なのだろうか。よくわからんが、片付けも面倒くさい。

 しかし、多量の羽毛は処理に困る。亜夜は記憶を改竄したライムに言った。

 羽毛の処理をしてほしい、と。あの事を覚えていないライムは、取り敢えず了承。

 仕事や体調に関することはわりとすぐに話が通じるのは助かる。

 翌日から、羽毛を求めて業者がサナトリウムに顔を出すようになった。

 理由は、羽毛布団に使う羽を買い付ける為だとか。

 亜夜の羽はお布団になるらしい。今は真夏なのに、よくやる。

 いわく、海外に輸出するのに使うと言うので、ライムを通して買って貰う。

 それでも抜け落ちる羽は、フェザーミールにして貰うしかない。

 要するに、産業廃棄物だ。

 尚、亜夜は毎日発生する羽を使って、みんなにプレゼントを作ることにした。

 どうせ、いくらでも出る羽。惜しくはない。

「麦わら帽子……? あたしは海賊じゃないよ?」

「いえ、そっちじゃないです。というか、何で知っているのです?」

「ラプンツェルがアニメで見てるのを一緒に見てる」

「そうですか」

 ワンポイントで蒼い羽を入れた、麦わら帽子。

 アリスには、それをあげると喜んでくれたが、妙な事を言い出していた。

「……羽ペン?」

「ええ。綺麗な色でしょう?」

「うん、そうだね。……ありがとう亜夜さん」

 グレーテルには、羽を加工して羽ペンにした。

 グレーテルは嬉しそうに受け取ってくれた。

 徐々に、彼女とも距離は近づいているようだで安心した。

「亜夜ー。ラプンツェルはー?」

「ラプンツェルにも麦わら帽子ですよ」

「おぉー! で、麦わら帽子ってなに? 麦だから美味しいの?」

「わぁー!? 食べないでください、これは食べ物と違いますッ!」

 麦わら帽子を知らないラプンツェルに危うく羽ごと食われるところだった。

 麦と聞くと食べ物にいくラプンツェルらしいといえば、らしかった。

 帽子だと言い聞かせて、被り心地が良いのか無邪気に被って外を走り回っていた。

「……これは?」

「私の羽は幸運のお守りになると聞きました。ですので、マーチにはお守りをどうぞ」

「ありがとう、ございます……」

 マーチには、羽を入れて持ち歩けるお守りにした。

 実際は、ラプンツェルに教えてもらった物に呪いを封じ込める術を使い、亜夜が作った呪いのアイテム。

 かなり強い幸運を呼び込む開運アイテムである。呪いを込めすぎて若干淡い蒼光を放ってしまったのは秘密だ。

 大切にしてくれるといってくれたマーチに抱きつかれて、よろけた亜夜。

 マーチともだいぶ、仲良くなってきていた。

 多量の羽毛は、それでも余る。

 ラプンツェルが遊び道具に、羽毛の海に飛び込んだり、他の子供にもキーホルダーに加工されたりなんなりしている。

 酷いときは魔法使いの触媒にされている始末。まあ、一向構わないが。

 そんな真夏の日。近々、近所で夏祭りが行われるらしく、みんなは楽しみに控えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 で。

「一ノ瀬。露天風呂、作ろうぜ!!」

「…………ぐさーッ!」

「びぃぃぃぃぃにゃああああああああ!?」

 久々に顔を出しに亜夜の部屋を尋ねてきたピニャコラーダが意味不明なことを言うので、柚子の棒でお仕置きした。

 意味などない。顔が怖いからしただけ。

「理不尽だろうが!! 何すんだいきなり!?」

「……ん?」

「待て、これみよがしに柚子の代わりにかぼす持ってくんな!! それも嫌いなんだ、マジで止めて!!」

「我が儘ですねえ……」

「おい待て、今度はすだちだと!? 素麺に入れて食わせる気か!? いらん、すだちはいらん!!」

「じゃあ、薬味も入れて……っと」

「拒否権なしにすだち入りで食えって悪魔か!? 分かったよ、食うさ!! ご馳走さまですコンチキショー!!」

 流石の超生物も酷暑で疲れてそうだったので、部屋に常備してある素麺にたっぷりのすだちを入れて食べてけと手招き。

 日々、何となく仲良くしている亜夜とピニャコラーダであった。

「あ、ウマイ。……絶妙だな、ゆで加減。あとでメーカーとゆで時間教えて」

「良いですよ。かぼす食べたらですが」

「畜生め……。勿体無いから食うけどさ……」

 昼抜きで外の仕事をしていたらしい彼。

 汗だくだったので、魔法で頭を凍らせてみた。物理で。

 氷結させたペットボトルをタオルで巻いて頭に器用にのせているピニャコラーダ。

 飲み物に大量の麦茶も振る舞う。彼は礼を言って、ごくごくと豪快に飲んでいた。

「で、何をしていたんですか?」

「裏手の近くにあったオオスズメバチの退治。今さっきまで巣ごと掘り起こしていただけ」

「そうですか、先ず頭が熱でやられているようなので医者に行きましょうか」

 この炎天下の中、サナトリウムの近くに出来ていたオオスズメバチの巣を物理で駆除していたらしい。

 流石に熱中症でおかしくなっていたかと思ったが、彼は否定する。

「いやいや、大丈夫おかしくなってない。ってか、えっ? 普通にしない? 僕は割りと現実でも自分でやってたけど」

「するわきゃないでしょう!! 普通は専門の業者に頼みますよ! アナフィラキシーで死にたいんですか!?」

「……マジで? 刺されたことなんてしょっちゅうだけど、痛いだけじゃん?」

「なんでッ……!? なんでこの超生物は理不尽なんです!? バカなんですかあなたは!?」

 唖然とするピニャコラーダ。唖然としたいのはこっちだ。頭は抱えた。

 亜夜は知っているが、オオスズメバチは夏になると出会いたくない害虫のトップに入る。

 毒もヤバイし、凶暴だし、秋口になると更に凶暴化して危険な状態になる。

 あと、亜夜は虫が嫌いだ。ススメバチ然り、その他しかり。

 大抵、襲われると大事になるのに……こいつは殺虫剤やら何やらの最低限で撃退してしまったと。

「化け物!! あなたはやっぱり化け物じゃないですか!!」

「……え、そんなに異常?」

「当たり前です! 一般人はオオスズメバチなんて撃退できません!」

「……うーむ。そうなのか……道理でみんな嫌がるわけだ。崩空に死にたいのかって言われたしなぁ」

「普通は死にますよ? 自覚なさってます? 良いですか、死ぬんですよ?」

 ダメだ。この素麺を食べる狼には常識が通用しない。

 しかも捕まえた雀蜂は、全部業者に引き渡したと説明。

「業者も僕を何だか変なものを見ている感じだったけど、それが原因かな。てっきり、顔かと思ってた」

「顔以上に非常識なことしてますからね……」

 亜夜は疲れた。何なんだこの狼。本当に人間か。

 UMAとか宇宙人とかあながち間違いじゃない気がしてきた。

「結構山籠りとかやってたんだよね。祖父が山の管理してたから」

「……はぁ」

「ツキノワグマとかと格闘なんて毎度だったし、毒蛇には噛まれるし、雀蜂には襲われるし、蛭とかいるし。慣れちゃえば誰でもできるぞ?」

「いえ、その前に多分ひとつめで死にますから」

 ツキノワグマと格闘か。バカじゃないかこいつ。

 亜夜は突っ込みを放棄した。強さの秘密、いや理不尽の原因が少し見えた気がした。

「あ、そうそう。夏場に山にいくならしっかり準備していけよ。遭難したら帰ってこれないからな。一週間ぐらいはなんとかなるけどそれ以降は厳しいし」

「大丈夫です、私はインドアなので。あとそんなにしぶとい生命力は持ってません」

 実体験で語るピニャコラーダ。言っている事が意味不明すぎる。

 この生き物はどうやら、理屈や常識では語れない埒外の生き物と見る。

 言うだけ無駄だった。

 で、ようやく本題に入った。

「……露天風呂?」

「そうなんだ。僕さ、この時期は外仕事多くて風呂入れないんだよ。戻る頃には大浴場いっぱいで、個室の風呂はこの間ぶっ壊れちゃって。蛇口捻ったらもげちまってさ」

「それはぶっ壊した、ですよ」

 規格外が、自室の部屋の風呂を破壊して、困っていた。

 呆れる亜夜。確かに外で最近雅堂は作業が多い。

 草抜きに買い物、荷物の搬入にシャルの付き添い。

 シャルはある程度、自立ができる年齢なので放っておいても問題ないとか。

 本人もケダモノが近くにいると怖いらしいので、一石二鳥。

 今は雑用をメインの仕事をしているようだ。

 で、入浴できる時間になれば夜遅く。

 子供たちの大浴場を占拠され、入れない。

 もっと遅くなると翌日に響くので、いっそ簡素ながら外に作ってしまおうと言う魂胆。

「ライムさんには許可貰った。場所さえ考えてくれれば別にいいって。最悪、子供たちにも貸すし」

「……どんなものを予定しているんです?」

「ドラム缶の風呂」

「シンプルですね」

 彼はドラム缶の風呂を作りたい亜夜に説明する。

 亜夜には、細かい作業を手伝ってほしいと。

 虚弱に頼むのは皆、へばっていてダメなのとピニャコラーダの顔が怖くて近づかないのが理由。

 亜夜ぐらいしか、暇しているやつがいない。

「晩飯奢るなら考えます。四人前」

「みんなも巻き込むのか……。あ、でもそっちのが有難いな。分かった、出前でも取るか?」

「その辺はみんなで決めますよ。グレーテルの分は私が何とかしますので」

「了解。じゃ、頼むわ。早速今夜入りたいから、涼しくなる夕方にでも」

「分かりました。裏手ですか?」

「おう」

 トントン拍子で話を進める。

 自分も手を貸すので、晩飯目当てで参戦する亜夜たち。

 一度片付けをして別れる。皆の所にいき、事情を説明。

「ロリコンに亜夜を任せられないわ。あたしも手伝う」

「……なんか、心配だね。私もいくよ」

「ドラム缶のお風呂ってスゴそうだから見てみたい!」

「……わ、わたし、も……お手伝い、できる、なら……」

 意外とみんな乗り気だった。個人的な用事なのに。

 夕方になるまで、適当に過ごしてから、皆は裏手に向かうのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夕刻。

 裏手では、ブロックを重ねて女の子達が作業している。

 釜を作るための土台を作っているのだ。

 みんな、面白半分に手伝っていた。

 薄手の格好で、ふざけながらやっている。

「蚊取り線香って、いい匂いよね」

「そうですね。私も好きです。……どこぞの狼は刺激臭らしくて苦しんでますが」

「げほ、げほっ……」

 亜夜が指示を出して、アリスが土台の釜を作るため調整して重ねている。

 一方、蚊取り線香を焚いているのだが、狼は悶えていた。かなり臭いようでもがいている。

 グレーテルは、みんながうまくやれるように細かい裏手をやってくれている。

 お茶やタオルなどの備品を持ってきてくれていた。

「ごめん、ホースで水かけてくれる?」

「こぅ、です、か……?」

「ぶはぁ!?」

「ぁっ……!? ご、ごめんなさぃ!」

 マーチはドラム缶を洗っていたピニャ野郎の指示でホースで放水。

 しかし、目測を誤り狼にぶっかけてしまっていた。

 恐縮して兎に角謝罪する彼女に、狼は眼鏡を拭いて苦笑い。

「気にしないで、ミスっても問題ないし」

 本来は雅堂のワガママなのだ。手伝いをしてもらっている立場。

 何にも気にしない彼に、頭を下げてまた手伝うマーチ。

 ラプンツェルはというと。

「……」

 ボリボリかき氷を食べて全体を眺めていた。

 彼女の場合は何かあったときの人を呼ぶように言ってある。

 問題発生時の足だ。なので、暇でいい。

 全体的に、作業は滞りなく進む。すると。

「……珍しいな。何の騒ぎだ?」

「なに、これ……?」

 私服の崩空と、華が顔を見せた。

 何か物音を聴いて、訝しげに確認しに来たらしい。

「……ドラム缶の風呂? 雅堂、お前こんなのどうするんだ? 着替えのスペースは?」

「大胆、ですね……」

 事情を聞いた二人は、仕事上がりに暇潰しに涼みながら見学していると言い出した。

 別に亜夜たちも構わないので、一緒に続ける。

「着替えなら、プレハブが近くにあるだろ。ほら、あれ。掃除して、綺麗にしておいた」

「成る程。しかし、簡素とはいえ、露天か。……いいな、気が変わった。俺も手伝おう。その代わり、あとで入らせてくれ」

 崩空も面白そうなのか、結局手を貸してくれた。

 いわく、

「一ノ瀬たちは知らないのか? この時期の夜空は格別なんだ。曇りない夜を見上げながらの風呂は良い」

「意外とロマンチストだったんですね」

「まぁな……嫌いじゃない」

 満更でもない崩空は、すのこの加工を率先して始めていた。

 華はラプンツェルと一緒にかき氷を食べて見学。なんだか楽しそうに話している。

 そうこうしている間に、ドラム缶を洗って、土台も完成。

 豪快に雅堂一人で持ち上げ、乗っける。かなり重そうなのだが。

 周囲はドン引きしていた。

 一応光源にスタンドも配置した。

 水着着用で、気が向けば女性も入っていいと雅堂は言った。

「さ、流石に恥ずかしいし」

「仕切りが欲しいね」

 アリスとグレーテルは、そんな改良案を言うので、検討すると彼は言った。

 仕上げに、亜夜が魔法で水を流し込む。

 ある程度溜めて、マーチが薪を釜に入れて、マッチを放り込む。 

 着火が悪いので、亜夜が炎の塊をぶちこんだ。一気に燃え上がる。

「……魔法か。覚えると便利か?」

「えぇ、役立ちますよ」

「わ、わたしも覚えよう……かな……?」

 崩空と華も、魔法が使う亜夜を見て、覚えたいと考える。

 おいおい、勉強もするとして。

「いやー、みんなありがとう! お礼に晩飯は僕の奢りだ!!」

 ご機嫌の雅堂が、出前を頼んで好きに食べてくれと気前よく振る舞ってくれた。

 なんだかんだ、好き放題頼んで、なし崩しにお祭り騒ぎに発展した。

 他の子供も何やら騒がしい事に気がついて混ざって、露天風呂の話が広がり、後日これが量産されることを、まだ誰も知らなかった……。

 

 

 

 

 

 

 

 尚、一号とのちに名付けられた露天は改良を続けられて、いつの間にか掘っ立て小屋を併設されて立派な露天風呂が出来上がったのは、また別の話である。



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もう一人の兄妹

 

 

 

 

 

 

 ……とうとう、恐れていた事態が起きてしまった。

 サナトリウムは、大混乱に陥っていた。

 これは、冗談ではない。なぜ、こんな嫌な偶然が重なってしまったのか。

「……」

 少女は空から冷たく眼下を眺める。

 阿鼻叫喚の地獄が広がっている。

 この連鎖は、止めるべきなのだろうか。

 己の命を賭けに出すほどの意味と、価値があるのか。

 考えている。本来の冷酷な彼女は、血を見るそれを、ずっと見つめていた……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 切っ掛けは、些細なこと。

 新しく入ってきた異世界の職員が、初っぱな呪いが暴走した。

 一番性質の悪い、攻撃型。他者を傷つける錯乱状態に陥ったのだ。

「みんな、早く部屋に戻って!!」

 亜夜はその時、四人と共に、廊下にいた。

 突然、近くから誰かの悲鳴と怒号が聞こえた。

 みな、経験上知っている。この騒ぎは、誰かが暴れだした時のもの。

 派手に破壊音を奏でながら、誰かがこっちに走ってくる。

 ……中性的な外見の、少年。亜夜と同じく、小柄であるが。

 その体躯が刹那、劇的に変わった。

 瞬間的に全体が筋肉質になり、背丈も相応に一気に伸びたのだ。

「!!」

 亜夜は、それを見て大声で四人に。

 正確には、アリスに叫んだ。

「アリス、みんなをつれて早く逃げなさい!! 危険です!」

 亜夜が叫ぶと、アリスは頷いて、パニックを起こすマーチとラプンツェルを連れて脱兎のごとく逃げ出した。

 賢い子。先にいけと言ったのを直ぐに理解した。

 亜夜が腰を抜かしているグレーテルを抱き抱えて羽ばたき出す。

 不味い。あの男、一瞬で外見が変化する亜夜と同じ内部変容型だ。

 しかも、顔つきがどちらかと言えば女性よりだったのに、今は完全に血走った目の男になった。

 筋肉が隆起する。走る速度が増す。嬉しそうに、亜夜たちを見つけて追ってきた。

「待てよォ、逃げてんじゃねえぞオラァッ!!」

「ひっ!?」

 怒鳴るように脅す。面白がって、グレーテルを追い詰める。

 顔を歓喜で歪ませて、亜夜の好きな少女を脅かした。

 

 ……途端。

 

 亜夜まで外見が変化した。

 コンマの世界で茶色の瞳が真紅に染まった。

 逃げながら、静かに怒った亜夜は突然背を向けたまま魔法を使用。

 巨大な拳型の氷塊を生み出すや、発射。かなりの速度で放った。

「うぉ!?」

 男は腕を交差させて急ブレーキで防御。

 逞しい腕に氷がぶつかり、崩壊。しかも細かい粒子が、視界を奪っている。

 その間に逃げ仰せる亜夜。

「あ、亜夜さん!? 何なのその目!?」

「……おきになさらず」

 バッチリグレーテルに目撃されるが、亜夜はなにも言わない。

 亜夜は部屋の前まで到着。グレーテルを下ろした。

「亜夜さん、教えて! 一体、亜夜さんに何があったの!?」

「グレーテル。知らない方が、世の中幸せなこともあります。今は、部屋から出てはいけません」

 問い詰める彼女を宥めて、部屋から顔を出したアリスが無理矢理確保。

「待って、何を隠しているの!? 亜夜さん! アリス、離してってば!!」

「亜夜、あんたも逃げなさいよ」

 暴れるグレーテルを捕獲して、部屋に引き込む。

 アリスの方が大きいので、グレーテルを強引に部屋に回収した。

 ドアがしまる。同時に、室内でアリスとグレーテルが喧嘩を始めていた。

 口論の声が聞こえるが……どうやら、仲裁は入れないようだ。

 亜夜が向き直ると、さっきの男が先ほど逃げてきた方の廊下に立っていた。

 職員の白衣をきた、髪の毛の短い青年が。

 随分と様変わりしたようで、着ているシャツがキツそうだった。

「いきなり襲ってくるたぁ、いい度胸してんじゃねえかテメェ」

「ハァ? お前が私の担当する子に手ェ出そうとしたんでしょうが」

 ニヤニヤ笑って、亜夜に向かって近づいてくる。

 ゴキリゴキリと指の骨を鳴らして、余裕の表情だった。

「さっきのはあれか、魔法か。加減してただろ? 足止めにすらならないぜ。もう少し気合い入れてやれよ」

 生意気に、名も知らない職員は構えを取った。要するにここで始めるようだが。

「……この場所から消えろ」

 グレーテルに手を出そうとする敵意を肌で感じた亜夜は、騒がしい周囲を無視して、低く警告する。

 男はイヤな笑みを浮かべているだけ。なにも答えない。立ち去らない。

「消えろと、言っているのに。……死にたいんですか?」

「ほー。大口叩くじゃねえか。良いのか? 一応、同じ職場の同僚に、そんな事言っちまってよぉ」

 男は先に手を出したのは亜夜だと笑っていた。

 言外に殺すと脅しているのが、ハッタリだと思っているのか。

 なめ腐った態度で挑発する。

「そう。じゃ、良いです」

 そうかそうか。

 警告を無視するのか。

 消えろって言ったのに。

「……あん?」

 初めて、訝しげに表情を変える男。

 亜夜の真紅の瞳から既に、生気と光が欠落していた。

 気のせいか、吐き出す息が……薄紫に色をつけて、腐った生ゴミみたいな臭いがする。

 赤い濁った宝石が、揺らめきながら男を見て。

「死ね」

 容赦なく、亜夜の放った魔法が彼を襲った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 生々しい音がした。

 グレーテルたちは、外で亜夜が誰かと揉めているのをドア越しに聞いていた。

 そして亜夜が、誰かを殺すような声で、嫌な音をさせていた。

 グレーテルが開こうとして、アリスが止める。

 苛立つ彼女に、アリスは黙って首をふった。

 亜夜が良いと言うまで、決して開けてはいけない。

 亜夜は今、追跡者と争っている可能性がある。

 何時かのピニャ野郎の様に、荒事には暴力も許されるサナトリウムでは珍しくない対応。

 そうしないと被害が広がる。話し合いの通じる相手ではないのはみな、知っているはずだ。

「堪えて、グレーテル。話せるときが来れば、亜夜は話してくれる」

「でも……!!」

「分かりなさいな。亜夜は今、あんたに見られたくないのよ。……醜い姿を」

 アリスが言う。亜夜は、今の自分を知ってほしくないのだと。

 グレーテルだって分かっている。あの赤い目は、まるで……。

(お兄ちゃんを殺した、魔女みたいな目だった……)

 見覚えのある、真紅の瞳。

 あの目は、確かに見られたくないであろう何かの変化だ。

 分かっている。だけれど、グレーテルは寂しい。

 教えてくれてもいいのに。アリスは知っていて、グレーテルは知らない。 

 こんな非常時にまで、隠し通さなくても、グレーテルは軽蔑しない。

 今しがた、彼女に守られたところ。

 あの時のような、命の危険に同じ過ちを繰り返し、逃げられなかったグレーテルを助けてくれた。

 腰を抜かしていた、情けない自分を。明らかに殺意のある表情で追ってきた職員から救ってくれた。

 亜夜は、一人で対処している。職員として、当たり前のこと。

 優先順位は、自分よりも子供たち。

 当然とはいえ、分かっていても。

 寂しいと素直に思い、表情を曇らせるぐらいには、グレーテルも亜夜に懐いていた……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「へぇ。表に出ている人格が死ぬと、別の人格に切り替わるんですか。面白い呪いですが……残念ですね。紛い物が、グレーテルに手を出すなど烏滸がましい。その罪、死をもってすら生温い。大切なものを失う痛みを、知るんですね」

 亜夜の目の前には、大きな血の池が出来上がっていた。

 夥しい量の出血の中央に、先ほどの男がいた。

 否。今は……女に近いのか。あるいは、女になっているのか。

 どっちでもいい。浮遊する亜夜を、愕然と見ている。

 血塗れの、恐らくは彼女は、愕然としていた。

「な……何故? なぜ、魔女が……サナトリウムにいるの……?」

「さぁ、何ででしょうね。お前には関係ないです。ほら、何時までも害虫みたいにしぶとく生きてないで、早く死になさい。その身体はお前のじゃないでしょう。主人格を蝕むと、次は脳天を潰します」

 倒れている彼女は、目の前の現実を混乱していた。

 ……サナトリウムに魔女がいる。

 青空の色をした翼、夜の帳を感じさせる髪、鮮血の瞳に腐蝕の吐息。

 まごうことなき、人類の敵がそこには詰まらそうにして、浮かんでいる。

「お兄様を……! お兄様を、よくもッ!」

「黙りなさい、宿り木と寄生虫の兄妹。存在自体が間違いなくせに、何を言うんです。大体、お前ら二人とも偽物でしょうに。本物のお兄さんは……もう、この世にはいないんです。残された妹は、私が命懸けで守っている。……名前だけが同じの劣化品は死んでくださって大いに結構。お前はいないほうが良いのですよ。主人格が圧迫されて、壊れてしまいます。復活するなら是非もない。お前らが壊れるまで何度でも殺してやる。お前の存在が、私にとっては不愉快そのもの。……ヘンゼルとグレーテルは、この世界に一人ずついればいい」

 亜夜は倒れる彼女に放つ、否定の言葉。

 怒り狂う彼女は、兄の敵討ちに亜夜に立ち向かうが……。

 亜夜は見えた。魔女になると、他人の呪いまで大体分かるらしい。

 新しい発見だったのだが、そのわりに酷く不機嫌だった。

 それもそのはず。あろうことか、こいつはグレーテルだった。

 いいや、正確には違う。確かに髪型も変化して、そっくりな長さと顔立ちもよく似ている。

 体つきがまた変わった。今度は背丈も女性らしく小柄に戻り、華奢な外見になった。

 声だってそっくりだ。けれども、決して彼女はグレーテルではない。亜夜は認めない。

 こいつは……呪いの産物に過ぎない。内部変容に加えて、人格分離。多重人格化しているだけの別物。 

 もっと詳しく言えば、一人の人間と言う器に追加された二人ぶんの魂の具現化。

 大元の誰かの存在は今、三人に分裂し使役されている状態だった。

 要するに、存在その物が呪いに奪われていた。

「パチモンよろしく、過重の重力で挽き肉になるのがお望みですか。どうせお前が負った傷は、主人格には引き継がれない。遠慮なく殺してます。お前はグレーテルじゃない。私に前から、消えろ」

 亜夜が、睨み付けて刃物で武装した偽グレーテルが襲ってくるのを、指をタクトのように軽く振るう。

 すると。

 また、嫌な音をさせた。

 振るった途端に、偽グレーテルの身体が突然上から潰された。

 人体を構成するあらゆるものを押し潰して、原形を残さないほど、ぐしゃぐしゃに潰してしまった。

 部屋の前にもう一個、汚いシミが出来上がったのを、亜夜は何もない赤い目で見下ろす。

 たった今、人を殺したのに。なにも感じない。嫌悪が晴れない。苛立ったまま。

 先ほどの男、ヘンゼルにもやった過剰な重力にある圧殺。

 上から思い切り加重して、そのままプレスしてしまっただけの話。

 重力の魔法で、赤い絨毯を拵えた。

 まあ、骨だの内臓だの脳ミソだの筋肉だの筋だの、纏めてミンチにしたからかなり汚れてしまったが。

 潰された本人は死んでいるが、元々の呪いの所有者は無傷で失神して倒れていた。

 血の海に沈んでいるのは流石に気の毒だ。亜夜は普通の状態に戻った。

 茶髪に茶色の瞳、蒼い羽に戻して、白衣を鉄臭く染めた恐らくは彼の首根っこを掴んで、適当に捨てた。

 近くの窓から、外に放り出した。外は大雨なので、流してくれるだろうと言う判断で。

 それをすれば最悪死ぬのに、苛立っていた亜夜は全く意にも止めずにそのまま、他の騒ぎを見に行った。

 真夏の土砂降りの下で、彼が目を覚まして驚くのはそれから数分後の話だった……。



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喪失

今回は残酷な描写が多くなりますのでご注意下さい。


 

 

 

 

 ……サナトリウム全体が騒がしい。

 周囲を見回る。なんと、一部の職員が率先して暴れており、暴徒化しているではないか。

 そこかしこで取っ組み合いと殺しあいがおっ始めている状況だった。

 これは、酷い。何が起きている?

(一斉に呪いが暴走している……んでしょうか。しかも、大抵が危険な物ばかり。これは作為的なモノを感じる……)

 亜夜は巻き添えを恐れて、仕方なく土砂降りの中を移動する。

 中は大パニックだ。混乱を抜けるように、適当においてあった傘を拝借。

 外に出て、羽ばたいて飛翔。そのまま、ゆっくりと上昇して、滞空。

 翼は濡れるが、気にしない。

 それよりも、だ。事態解決のためにはどうすればいい。

 アリスたちは取り敢えず無事。部屋に施錠しているのを確認済み。

 冷静に判断を下す。亜夜は荒事には向かない。

 人目を避けないと魔女にはなれない。却下。

 魔法ではサナトリウムごと、消し炭にしてしまう。却下。

 それは、アリスたちの居場所を奪うことになりかねない。絶対にしない。

 故に、安全圏で様子見。

 問題は他のものたちだ。あのピニャ野郎は何をしているのか。

 これ程までに広範囲、多発的同時発生ともなれば、あのUMAでも対処は難しい。

 それこそ、分身でもできない限りは。……広がっているようだし、多分できないんだろうと思う。

 窓から見える返り血。あれは誰か死んだか。

 亜夜もさっき、部屋の前で盛大に殺したし、後片付けは大変そうだ。

 ホラー映画のような状況に、亜夜は益々不信感を抱く。

 経験上、一度にこんなに沢山暴走することはまずない。

 何せ、暴走とは言わば偶発に過ぎないし、偶然にしては天文学的な数字になるはず。

 と、なれば。外部者か、内部者の仕業か。

(故意、と言うこと。これはキナ臭くなってきました……)

 誰かが内部から、あるいは外部からサナトリウムに仕掛けてきている。

 無論、陰謀説ならそれでいい。だが、偶然と言い切るには出来すぎている。

 暴れだす人間の呪いの偏り、人数、規模。

 誰だ。誰が一体、こんなことをできる。

 ここは童話の世界だ。人を操る童話、そんな都合の良いものがあるわけが……。

 

 その時だった。

 

 土砂降りの中、薄汚いどぶねずみが列を組んで、何処かに歩いているのを亜夜は見た。

 ネズミたちは一列に何処かに向かっている。

 ネズミにはそんな習性はあるだろうか? 亜夜は知らない。

 ネズミの行き先を視線で追った。正門の方に向かっている。

 人を操る童話。……ネズミ?

(!!)

 亜夜はヒントを得て、目を見開いた。

 まさか。まさか、今ここで起きていることは。

 童話に、関係している……!?

 亜夜はハッとして、下降して室内に戻る。

 暴走している連中がどういう存在か、見る。

 大抵が亜夜と同じ。異世界出身の職員ばかりだった。

 一部、余計な者も連鎖的に悪化しているが、大本は亜夜と境遇の同じ者。

 統一性は、確かにある。危険なものばかりを選別して暴徒となっている。

 狙ったように、彼らは見境なく暴れていた。

(……まさか、この一連の騒動は!?)

 気のせいでなければ。最悪の事態を通り越している。

 亜夜は流石に慌てた。この世界の情勢はかじる程度しか知らないが、少なくと賊がいるのは聞いていた。

 山賊、海賊、そういうならず者が存在するとして。

 そして、例の呪い狩りの一件が頭を過った。

 サナトリウム付近は、ライムは確かに治安は安定していると言ったけれど。

 近くにその手の奴が居ないとは、言っていない。

 つまり。サナトリウムは、呪いの子供を集まる場所。

 施設の場所は、みんな知っている。要するに、襲撃し放題。

 ガードマンがいるわけもなく、職員の一部は子供と同じ呪い持ち。

 思想に支配された危険人物が襲ってきても、おかしくはない。

 亜夜は急いでライムを探した。あいつが一番知っているなかで偉い存在だ。

 混沌となった廊下を羽ばたいて駆け抜ける。

 事務所、いない。厨房、いない。食堂、いない。休憩室、いない。一階の要所には見当たらない。

 二階にいく。一通り探す、いない!!

(何処に隠れているんですかあの役立たず!!)

 まるっきり、お偉いさんの姿が見えないのだ。

 ライムだけじゃない。亜夜たちを統括する役職が一人も現場にいないのだ。

 苛立つように舌打ちする。周囲は無数の暴徒が暴れている。

 一人が、うまく避けていた亜夜にも襲いかかった。

 手にはハンマーが持たれている。亜夜はそちらに振り返り、

「邪魔ッ!!」

 雷撃でソイツを吹っ飛ばした。室内に響く雷鳴。

 乱暴に振るった腕から放たれる一撃は、襲撃者を貫いて焼いた。

 白煙をあげ、倒れる。多分死んではいない。死んでもいい。

 引き続き、周囲を探す。

 戦場となったサナトリウムの中を、亜夜は再び疾駆する。

 

 

 

 

 

 

 

 子供たちがまだ、何人か外に出ていた。

 右往左往しているのを見つけた。

 亜夜が発見して、仕方無く誘導する。

「早く隠れて!」

 近場に開いている部屋がなかった。

 仕方ないので、近くの休憩室の押し入れに押し込んで、内側からつっかえ棒で塞げと命じる。

 半泣きの子供はパニックになりながら、頷いて閉じ籠った。

 まるでB級のパニック映画だ。亜夜は苛立ったまま、ライムを探す。

 奴に相談しなければ、対処のしようがない。

 個々に対処していれば被害が広がる。亜夜一人でもいいから、元凶を探しに行きたい。

 だが、アリスたちに万が一があると困る。

 なので、代わりになる無事な職員を手配を頼もうと思ったのに、一定以上の役職が全員雲隠れしてやがった。

 保身か、と亜夜は考えた。死にたくないから、自分だけ子供をほっぽりだして逃げやがったのだ。

(何の為のサナトリウムですか、クソが!! こうなる可能性は重々承知しているはずなのに、武器もないんじゃ対処もできない!!)

 内部抗争となった、サナトリウムには武器がない。

 無事な職員が抵抗するための装備がないため、日常にある刃物や鈍器で武装した暴徒に一方的に蹂躙されている。

 独学で学んだ亜夜は、魔法で片っ端から仕留めていく。

 半殺しだろうが皆殺しだろうが知ったことじゃない。

 呪いが暴走したときに対処するのをピニャ野郎に任せきりにしていたつけだ。

 亜夜まで駆り出されて、無理矢理沈静化していく。

 感覚がおかしいのか、明らかに動けないのに動いて襲ってくる。

「ゾンビじゃあるまいに!!」

 悪態をついて、風で切り刻む。血達磨にして、倒れる。

 意識を失うまでやらないと、相手は止まらない。

 加減が出来ずに下手すれば死んでいる。そんなレベルでいつの間にか亜夜も戦っていた。

 一撃でも受ければ亜夜は致命傷。脆い彼女は懸命に身を守る。

 死屍累々。血と倒れた職員と傷ついた職員で地獄となったサナトリウム。

 遠くで、凄まじい倒壊の音を聞いた。正面玄関の方だった。

「な、何事ですか今度は!?」

 亜夜が向きかえる。今度は、甲高い聞いたことのあるような雄叫びが聞こえた。

 獣の声ではない。この不思議な声は、亜夜は何度か耳にした事があった。

(間延びしている……鯨の鳴き声?)

 陸ではまず聞かない、大きな鯨の咆哮だった。

 なんで陸地のど真ん中で、鯨の声が玄関からするのか。

 亜夜は頭痛を覚えて、そちらに向かおうとする。

「一ノ瀬、待て! 今玄関にいくな、死ぬぞ!!」

 背後で誰かの声がした。制止されて振り返ると、崩空が頭に湿布をして荒い呼吸でたっていた。

 白衣が血と埃で汚れて、彼も酷く疲弊している様子だった。

「く、崩空!? 無事でしたか!」

 亜夜は知り合いと合流して、慌てて近づく。

 彼は自分で、暴走から目が覚めたと説明する。

「運が良かった。雅堂の近くにいたおかげでな。俺も暴れだしちまったんだが、あいつにデコピン食らって、ちょいと外の物置まで吹っ飛ばされたおかげで意識が落ちた。で、今意識が回復して誘導に当たっている。そっちはどうだ。皆、無事か?」

 真っ先にピニャ野郎に再度吹き飛ばされて、意識が早い段階で落ちていたおかげで対処をできたと言う崩空。

 亜夜は、現状を端的に纏めて彼に伝えた。

「……チッ、我が身可愛さで子供たちを見捨てやがったか。くそ、今の俺に出来ることなんてたかが知れているじゃないか……」

 拳で壁を殴る崩空。本気で怒っていた。彼も冷静に判断して、己に出来ることはないと分かりきっていた。

 こういう男だ。真っ先に自分を客観視して、出来ないと悟ってしまう。諦めを選んでしまう。

 但し、諦めるのは自分の命だ。崩空は、ライムたちとは絶対に違う。

 優先順位を、決して間違えない男だから。

「なら、あなたも逃げますか、崩空?」

「バカを言うな。俺は職員だ。……捨てるのは自分の命だけでいい。俺の命を守るのを諦めただけに過ぎん。天秤にかけて捨てるなら、自分の方がよほどいいからな」

 こんな状況でも最善を求めて行動する。

 それがこの男であり、亜夜とはまた違うタイプの職員であった。

「バカじゃないですか、あなたは。……えぇ、地獄の一丁目ならば、私も手伝いますよ。クソの役にもたたない連中に変わって、私達がやるしかないんです」

「お前も大概だな、一ノ瀬。もう少し利己的で賢いと思っていたが」

「ほざきなさい。アリスたちが危険な目にあわないために、全部潰すだけです」

 亜夜はあくまで自分の守る好きな子達の為に。

 崩空は、兎に角打開する為に。二人は、手を組んだ。

 互いの目的を果たすべく、再び行動する。

 移動する二人。崩空は、なんとアーチェリーを取り出していた。

 いわく、前からアーチェリーをたしなみ、ある程度自衛は出来るらしい。

 サナトリウムの倉庫から拝借して、使っているようだった。

 実際、邪魔をする暴徒に素早く撃ち込み倒してしまった。

「コンパウンドって……加減しないと死にますよ!?」

「無理を言うな。これしかなかったんだ。うまくやってるさ」

 亜夜が驚いたのは、崩空が使っていたのは狩猟のためのアーチェリー。

 崩空は急所は外しているが、足を容赦なく負傷させて、動きを止めるだけだったが、一歩間違えれば殺してしまう。

 亜夜は唖然としたが、気を取り直し聞いた。

「そう言えば玄関がどうとか言ってましたが」

「ああ、そうだった。玄関にバカデカイ鯨が現れた。ヒレの代わりに手足が生えていたがあれは多分、誰かが暴走した姿だろうな。お前の翼と同じで、中身が変わるタイプだ。今は雅堂が一人で抑えているが、任せておけばいい」

「……下手に助力すれば、死にますよね?」

「ああ。十中八九、俺達がな」

 二人して無視を決め込む。

 どうやら、ピニャ野郎が割りと本気を出して奮闘しているようだった。

 先程から連続して鯨の悲鳴と破壊音、「ぬうううううううう!!」というどこぞの螺旋のラスボスよろしく叫んでいるピニャ野郎の声も聞こえた。

 あれは戦争の類いだ。加勢すれば人間をでない亜夜と崩空は巻き添えで死ぬ。

 二人は協力して、なんとか進んでいた。

 結構な数を打ち倒した。このまま行けば、なんとかなる。

 亜夜は元凶を後回しにしようと思った。

 

 ――その時だった。

 

「一ノ瀬ダメだッ!! 止まれェッ!!」

 

 何かに気付いた崩空が鋭く叫ぶ。

 前を移動していた亜夜は、それに気付かなかった。

 ちく、たく、と。

 場違いな時計の針の音を聞いた気がした。

「……えっ?」

 目の前に。突然、真横から何かが飛び出してきた。

 倒れていた職員の下から。不意打ちで、大きなシルエットが、亜夜に飛び付いたのだ。

 着地間際、大口を開けて、亜夜の……両足を。

 

 がぶりと。

 

 噛み、ちぎった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――うあああぁぁああああああぁぁあッ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ッ!? ワニが、何でこんなところにいる!?」

 亜夜が悲鳴と多量出血を起こして、墜落。

 紅い色を蒼い羽に混ぜて、墜ちた。

 無様に廊下を汚して、倒れた亜夜。

 そこにワニが再び近寄った。

 激昂する崩空が、思い切り引き絞った一撃で、何かを噛み砕くワニを狙って放った。

 空を切り、疾走した一発がワニの脳天を貫き、直撃。

 巨大なワニが悶えているのを、亜夜は倒れながら見た。

 痛い。痛い。何が、起きたのか分かんない。

 ただ、両足が痛い。あと、何かが変だった。

 足の感覚が、短い。腿より下の感覚が、消えた。

 足が、軽くなった。なんで? あのワニは、一体何を食べているんだ?

「一ノ瀬、しっかりしろ!! 直ぐに医者に連れて……!?」

 助け起こした崩空の言葉が、途中で切れた。

 彼は、下を見て絶句した。そして、悲痛そうに目を背けた。

 痛みと出血が酷いのか、視界が霞む亜夜は呆然とその表情を見上げている。

 頭が激痛でおかしくなっていた。

「畜生、畜生ォッ!! 何でだ……何で間に合わなかったんだ、俺はァ!!」

 強い後悔と自責の言葉を叫び、崩空は立ち上がった。

 誰に言うまでもなく、彼は叫ぶ。

「死なせるか……死なせるものかよ!! 今度こそ、今度こそ俺がッ!!」

「くす……から……?」

 温かい水が、亜夜の頬に当たった。

 何だろう? よく見えない。よくわからない。

 感覚が麻痺していく。痛みが、理解できなくなる。

 彼は走り出す。訳が分からないが、背後で大きな追いかけてくる。

 あれはワニ。まだ、狙っているようだった。

「ゎ……に……」

「もういい、喋るな一ノ瀬! 待ってろ、必ず助ける!!」

 弱々しく追っ手がいるのを知らせる亜夜に、彼は痛々しい声で言った。

 疾走する廊下。そこで、狼頭が合流して戻ってきた。

「崩空、こっちは終わった! そっちは」

「雅堂! ワニだ!! ワニがいる!! 奴が追ってきている、止めてくれ!!」

 雅堂も腕のなかにいた、亜夜を見て絶句。そして。

 

「――貴様ァッ!!」

 

 今までで聞いたことがないほど、足止めに残り激怒した人狼が追ってきたワニを素手で捕まえた。

 そのまま持ち上げて、床に叩きつけた。床が冗談のように、大きく陥没して破壊されていた。

 亜夜が見たのはそれだけだった。途切れそうな意識が、完全にブラックアウトする前に。

 崩空が、何処かに駆け込んで、大声を張り上げた。

 よく聞こえなかったがけれど、亜夜の意識は……そこで、途切れてしまった。

 

 

 

 

 

 

「医者は、医者はいるか!? 一ノ瀬が両足をワニに食い千切られた!! 速く治療してくれ、死んでしまう!」

 



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真相

 

 

 

 

 気がついたら、見知らぬ天井。

 横たわる自分に、周囲の医療器具。

 窓から差し込む暑苦しい日光を遮るカーテン。

 室内に、涼しく冷やす冷房。

 ベッドは大きく、周辺は隔絶された空間のよう。

 個室のようだった。

 鼻を擽る薬品の臭い。違和感のある身体。

 亜夜は、突然目が覚めた。

 何があったか後半は覚えていない。

 けれど、確か大騒ぎのサナトリウムを駆け回って。

 で、最後は。

(……足の感覚がない……)

 思い出した。何かに噛みつかれて、それで。

 感覚がないので、まさかと思ってかけ布団を捲る。

 

 ……太股から下が、ない。

 

 膝がない。包帯すらされずに、ただ足が短くなっていた。

 両足の膝から下部が丸ごと消えていたのだ。

「あらまあ……」

 亜夜は大変驚いた。

 足が消えている。これは物理的に持っていかれたか。

 ビックリ仰天。足がないから、生活できなくなってしまった。

 あの時、あのワニに食われていたのは己の足だったようだ。

 然し、よく考えてみる。冷静になろう。

 思い出す、ここは夢のなかだ。

 現実の亜夜は勝手に生活しているわけで、異世界と言えど所詮は夢。

 現実には、何の影響もない。流石に死んでいたらヤバイだろうが。

 ここは、童話の夢の中でしかない。異世界だけれど、現実には足はある。

 そう考えると、夢のなかで手足欠損とかたいした問題じゃない気がしてくる。

 本質は何処だ? 現実世界。あの世界で足を失えば、亜夜は取り乱していたと思う。

 けれど、ここは所謂目が覚めれば元通りの世界に過ぎない。

 経験が、ない訳じゃない。悪夢で死ぬことなど何度もあった。

 生きているだけ、恩の字だと思おう。

 それに。

(アリスたちは無事ですかね。なら、良いです)

 一番大切な子達が無事ならば別にいい。

 今頃、足がないことを嘆いても始まらない。

 何せ、元々足に奇形があった亜夜は、その奇形部分が食われていた。

 苦労したのは元来だ。剰りにも悪ければ車イスも辞さない生活もあった。

 それが、ずっとになる。……困るだろうが、その内慣れる。

 皆も無事だし、自分も生きてる。代償が足ならば、まだ幸い。

 それに、亜夜が辛ければきっと、アリスが助けてくれる。

 要するに、心配事は何もなかった。理屈で不安は消せた。

 ……予感がなかった訳じゃない。足に激痛と喪失の感触があった時点で、察していた。

 だから、覚悟は決めるほどの事じゃない。なんとかなる。

(それよりも、此度の一件……見捨てていたあの連中のせいですから)

 亜夜は誰一人お偉いさんが協力しなかった事を知っている。

 広義で言うなら、原因の一端はあいつらだ。

 亜夜も大変利己的な女だが、子供を見捨ててまで、と言われたら……必要ならそうする。

 事実、最初は子供なんて助けるつもりはなかった。

 ただ、目の前で死なれるのは職員としてなにか嫌だったので行ったのみ。

 人のことは言えないか、とため息をついて。

 そんななかだった。

 誰か、室内に入ってきていた。

 ノックもなしに、突然開けて、入室。

 人物は、何やら大きなかごを持っていた。

 そして。

「…………」

 起きている亜夜を見て、目を点にした。

 灰色の狼。眼鏡。薄い半袖に、長いジーンズ。

 手にはフルーツの入ったかごをもってきていた。

 亜夜とバッチリ目があった。亜夜は客観的に状況を考察。

 自分、足がない。逃げられない。ここ、個室。

 相手、ピニャ野郎。二人きり。どうなる?

 

「きゃーおそわれるー!! だれかたすけてー!!」

「や、やめろおおおおおおおおおお!!」

 

 取り敢えず身の危険を感じたので、棒読みで大声で叫んでみた。

 数秒かからずライムとシャルと崩空登場。

 ピニャ野郎を速攻でタコ殴りにして、荒縄で捕縛してくれたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんで……なんで僕がこんな目に……」

「ごめんなさい、今はガチで逃げられないので悲鳴あげてみました」

「そこまで一緒の室内が怖いか!? なにもしないからね!?」

「…………よし、殺そうかしら」

「シャルさん、真面目に本気で何にもしないと誓うんで去勢だけは止めてくださいお願いします。怖いから構えないで、本当に死んじゃう!!」

「雅堂……お前ってやつは、隙あらばこんな怪我人すら狙うのか? 恥を知れ、性欲のケダモノ」

「だからなんもしないって言ってるじゃん! してないじゃん! 濡れ衣だかんな!?」

「雅堂さん、後でお話がありますので事務所に来なさい。命令です」

「ライムさんまで……無実なのに……」

 一同揃って、ピニャ野郎こと雅堂を冷たい視線で見下ろしていた。

 部屋の隅で無様に転がる謎の生き物。しくしく泣いていた。

「さて……」

 気を取り直して。

 亜夜の調子を聞いて、話しても大丈夫と確認。

 現状は聞いた。

 ここは、サナトリウムの入院用の個室。

 一種の集中治療をするため、時間の流れを理魔法で歪めて加速させている。

 ここでは何十倍と時が加速され、入院などをしている人間は短期間で完治する。

 亜夜の大ケガを崩空が、医者の待機している部屋に無理矢理侵入して渡して、手術を開始。

 何とか一命をとりとめ、回復魔法と医術を組み合わせた複合医療で彼女は普通の時の流れで一週間ここにいた。

 換算すると、大体一年ほどこの空間では経過しており、足は完全に完治していた。

 尚、出入りには少し手間がかかるので、待機の小部屋を挟んで入室すると言う。

 三人が来たのは扉の向こうの小部屋かららしかった。

 亜夜は崩空に礼を言った。彼は命の恩人であった。

 雅堂にも珍しく礼を言うと、二人は何やらやりきれない表情であった。

 そして。

 ライムが先ず、不信な目で見る亜夜に対し、

「この度は、此方の不手際によって、一生の大ケガをさせてしまい、誠に申し訳ございません」

 頭を下げた。素直に、自分達の不備を認めたのだ。亜夜は驚いて、目を丸くした。

 ライムは、謝罪の意思を伝え、理由を語った。

 それによると、なんと同時ライムは不在だったと言うのだ。

「居なかったんですか?」

「はい。実は、近場で良からぬ噂を耳にしまして。それの調査に、私は出ていました。ですのであの時……サナトリウムには、私は居なかったんです。一ノ瀬さんは、私がいると思って探していたと崩空さんに伺いました。出ていると伝えておけば、こんな事には……」

「……」

 良からぬ噂。

 亜夜はやはり、と謝罪そっちのけで思案している。

「……一ノ瀬さん?」

「あぁ、いいえ。お気になさらず。足がないからどうってことないですし。アリスたちは無事ですか?」

「えっ……え、えぇ。誰も怪我ひとつしていませんが……」

「そうですか。ならば、構いません。ただ、幾つかご指摘したいことがあります。詫びの気持ちがあるなら、聞いていただきたい」

 亜夜は実にすんなりと足がないことを受け入れた。

 てっきり非難されると思っていたのか、三人は唖然としている。

 いや、大半の人間ならば取り乱す。そして、糾弾する。亜夜は、割りきっているだけ。

 それが、一際目立つ異常な心理だった。

 亜夜は再発防止に努めて欲しいと願い、具体的に現場で感じたことをいくつか指摘する。

 情報伝達の徹底に、荒事に対しての対応のお粗末さ、逃げていたお偉いさんの対応など。

「せめて逃げるなら、子供たちの安全を確保してからにしてください。崩空が大半と私、あと何人残っていたかは知りませんが、全員職員が抗戦しながらやっていたんです。それじゃあ、子供たちに万が一があったらどうするんですか?」

 守るべきは子供が先だ。偉そうに言えないが、と亜夜も自分に言うが。

 ライムは渋い表情で、亜夜に伝える。

「実は……逃げていた人には、非常時に誘導をするように指示はされているんです。なのに、彼らは全員逃げ出しました。我先に、隔絶された部屋に閉じ籠り、誰かが……主に雅堂さんが鎮圧してくれるまで、引きこもっていたんです。これは、由々しき問題です。あってはならない事なのです。他人任せで、結局非常時に何の役にも立たなかった人たちには、上層部も流石に重たい腰をあげました。後始末の事は、彼らが全部引き受けさせたと聞いています。ですので、そちらは心配ないのでご安心ください」

 案の定保身だったらしい。

 感情は理解できなくもないが、最低限やることはやってほしい。

 亜夜は非常時の武器の使用も視野に入れて、配備と訓練を徹底した方がいいと語る。

「いなかった連中に対しては分かりました。なら、武器の使用も入れてください。全員が私や崩空、そこのUMAと同類と言う訳じゃないんですよ?」

「……え、こいつやっぱり人間じゃないの!?」

 魔法とアーチェリーで対応した二人と違い、どこぞのケダモノは素手だったらしく。

 シャルがドン引きしていた。

「違う、僕は人間だ!! 人間で十分だよ!!」

「取り敢えず雅堂さんは黙っていてください。あなたは人間じゃないんですから」

「ひでぇ!?」

 シャルの言葉に即座に否定する彼だったが、ライムがピシャリと黙らせた。

 しかも、職員の個人情報を知る彼女がハッキリ断言した。人間じゃない、と。

「こいつ、何者なんですかね……?」

「詳しくは言えませんが……まあ、二重の意味で、彼は別枠と言うことです。外側、ですから」

「?」

 シャルがいる手前、異世界出身とは言えない。

 シャルは首を傾げ、亜夜はピンときた。

 二重の意味の別枠。亜夜たちは、確かにこの世界では別枠の存在だ。

 それが、二重と言うこと。外側、と言うことは。

 現実世界の、別枠。外側の存在。

 嫌な予感がする亜夜は、愕然と雅堂に聞いた。

「雅堂……まさか、あなた……!?」

「え、何その反応!? 僕なんなの!?」

「雅堂さんに問い詰めても、自覚なさってないので無駄ですよ。『中身』は、どうやっても出てこないので大丈夫ですから」

「…………成る程。納得しました」

「しないで!? ねぇ、何!? 気になるんだけど!!」

 これ以上はつつかないほうが懸命だろう。

 これは、触れてはいけない。亜夜はライムの少ない言葉で何とか分かった。

 いいや、分かってしまった。わかりたくもなかった。

「……雅堂、お前って奴は……」

 崩空も分かっちゃったらしく、青ざめて雅堂を見ている。

 彼は理解不能のまま、口にしない方向で、三人は一致した。

 話が脱線した。

 職員に此れからは、訓練も仕事のうちに入れると約束を固くして、それから。

「一ノ瀬。……本当に済まなかったッ!!」

 次は、崩空が豪快に土下座をした。

 床に頭をつけて、彼は精一杯の誠意を表す。

 よく和からない亜夜が聞けば。

「あの時の俺の判断が遅かったんだ。何かいると分かっていたのに、お前に伝えるのが遅れたばかりか、庇うことさえ出来なかった……。お前の足は、俺の失態で失ったも同じ。許してほしいとは言わない。だがせめて、謝らせてくれ! この結果は、俺のミスが生んだものだ。恨んでくれていい。憎んでくれていい。全部、俺のせいだ……」

「違いますよ。崩空、恩人を憎むほど、私は恩知らずではありません。顔をあげて下さい」

 崩空は亜夜の足の事を己の罪として、自責の苦しみを背負っているようだった。

 亜夜は即座に否定する。あくまで、亜夜の恩人であって、仇ではない。

 唖然と顔をあげる崩空み、苦笑いして亜夜は語った。

「下手すれば、私はあの場で死んでいました。迅速に崩空が運んでくれなかったら、今ごろ私は餌だったんです。そんな壮絶な顔をしないで。私は、崩空の英断に救われ、雅堂のおかげで生き延びた。重ねて、お礼を言わせてください。ありがとう、二人とも。私は、恨みも憎みもしません。ただ、感謝しています。もしも、後悔や自責の念があると言うなら……」

 亜夜はそこまで言い切り、その前にシャルに言った。

 ここからは重要な事ゆえ、シャルに退席願えないかと。

「オッケー。元々、そこのエロ狼が無防備な職員さんに毒牙を向けないか心配で来ただけだし」

「誰がそんなことするかい」

「うるさいロリコン、黙って死ね」

「死ぬか!!」

「……え、やっぱし死なないのあんた!?」

「…………言われてみればどうだろ。一ノ瀬、僕って死ぬと思う?」

「殺されても生きてると思いますね」

「同感だ。鯨の化け物とサシで戦って無傷で生還した男だぞこいつは」

「雅堂さん、黙ってて下さい。話が進みません」

 バカな話でまた脱線。

 シャルは笑顔でお大事に、とだけ伝えて退出していった。

 残された四人のうち、亜夜が口を開いた。

 それは、ライムに伝えようとしたこと。

 亜夜が感じていた、襲撃の予感。

「……二人とも。私の足を奪った元凶を捕まえるのに手を貸して下さい」

 単刀直入に、亜夜は切り出した。二人してキョトンとしているが、ライムは察していた。

「やはり、何か掴んでいましたか?」

「えぇ。それで探していたんです。崩空には言ってませんが、此度の一件は、まず間違いなく外部からの攻撃です。サナトリウムが、狙われたと見て、よいと思います」

 ライムも厳しい表情で、亜夜に見たことを聞いた。

 亜夜は説明する。今回暴れた人間の呪いの系統や出身の偏り、規模は偶然では流せない。

 なにせ、見ただけで全員が異世界出身者。しかも、大規模な破壊や暴走をするタイプの。

 崩空含めて、大体がそういう系統だったと。

「言われてみれば……」

「意識してなかったな。一ノ瀬、お前気付いていたのか。あの状況で」

「まあ、そうですね。最初は様子見してましたし」

 雅堂と崩空も頷く。実際暴走した崩空と、対処した雅堂も指摘通りだと思う。

 ライムも言う。後で纏めた被害状況のうち、暴れだした職員と系統は亜夜の言う通り。

 挙げ句には内部変容の呪いも悪化して、激変した姿の者も多かった。

「今だから言えますが、私の足を食らったワニは、多分時計ワニの呪いでしょう」

「……ああ、あの人か……。だけど、時計ワニ?」

 い雅堂が言うには、亜夜の足を千切ったワニはあの状態が末期状態。

 一度でも陥ると回復不可で、結局雅堂が……仕留めてしまったらしい。

 それ事態は後悔するしかない。今頃何を言おうが、暴走して亜夜の一部を食らった事実も変わらない。

 聞きなれない単語に、崩空が雅堂に教えた。

「ピーターパン、知ってるだろ。あれに出てくる、海賊の腕を持っていた時計ごと食い千切ったワニだ。一ノ瀬は、両足だから余計に酷いが……」

「襲ってくる直前、時計の針の音を聞きました。多分、合ってますよね?」

「えぇ、一致します」

 ライムに聞けば、一致。

 他にも、玄関で咆哮していた鯨はなんと、あの時海で助けた華だったらしく、雅堂が無理矢理意識を落として元通りに出来たと言う。

「私、見たんです。皆さんが暴走しているときに、外で隊列を組んでネズミが正面玄関にむかって移動しているのを」

 最大の情報を出すと、崩空は腕を組んで眉をつり上げた。

「……ああ、分かったぜ一ノ瀬。そう言うことか」

「分かってくれましたか?」

「大体な。……雅堂、ひとついいか?」

 今度は彼はその場所にいた、雅堂にも質問を投げる。

「お前、あいつとやりあっているときに、笛の音を聞こえなかったか? お前の聴覚なら、聞き取れるかもしれない」

「笛の音? ……あぁ、してたしてた! フルートみたいなきれいな音色! あれか!」

 思い出すように、雅堂も言った。そして、彼も察する。

「……まさか、黒幕がいるってのか? 人間を操って、遠隔で暴走を誘発させた誰かが?」

 恐々亜夜に聞いた雅堂に、亜夜は首肯。

 そいつは、きっとライムが言っていたタイプの呪いの持つ人間の敵だ。

 実際、ここまで怪我人と死人を出している。サナトリウムの職員が何名も死んでいる。

 それも、呪いの暴走のよる自滅と対処のせいで。どうしようもない大惨事になっていた。

 許せない、という二人の怒りの表情を見ながら、ライムに聞いた。

「……ライムさんが聞いていた噂の人間。確信に、至りませんか?」

「十分ですとも。ハッキリしました、奴等の仕業でしょう」

 ライムに至っては、本気でキレていた。

 怒りで震える声で、三人に言った。

 これは、とある犯罪集団の仕業であり、金さえ貰えれば何でもする指名手配のテロリスト。

 亜夜と雅堂の証言で、確実になった。なってしまった。

 そいつらの名前は……。

 

 

 

「――奴等は、金さえ受けとれば魔女にすら平然と味方する魔女以上の最低集団です。笛の音を使って様々な事をするのですが、頭領の男の通り名が……ハーメルン」

 

 

 と。



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本性発揮

 

 

 

 

 

 彼女が退院したのは翌日だった。

 ライムたちサナトリウム側が全面的に亜夜に謝罪。

 此れからは少しは情報を与えるとある種の和解を申し出た。

 事態収束の為に奔走し、結果両足を失い半身不随となった亜夜。

 依然、亜夜は彼らを信じてなどいないが、利用できるなら利用しようと思う。

 義足はいるか、と問われた。せめて、それぐらいの償いはしたいと。

 亜夜は速攻で辞退する。……嫌いな相手の受け取ったものを、一部とするのは抵抗がある。

 方法ならば、考えているつもりだ。必要などない。

 足を失いつつ、職員としてのお仕事も当然続ける。

 足がないから、移動に困るだけ。亜夜には翼がある。

 常時浮遊していれば良いこと。疲れるかもしれないので、いい加減体力をつけなければ。

 至って亜夜は気にしないで、復職するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……が、こっちはそうもいかないようで。

 復職早々、四人に問題発生。

「ごめんなさい……ごめんなさい……!!」

 亜夜が足を失ったのは自分のせいだ、とグレーテルが思い込んで錯乱状態に陥った。

 グレーテルは関係ない、と何度も説明しているのに……彼女は兄の一件と重ねて、また自分のせいだと思い込んでしまったようだ。

 挙げ句には。

「殺してやる……亜夜を傷物にした奴はあたしが殺してやるッ!!」

 アリスがプッツンして、キレてしまった。

 もう死んでいると言うのに、自分が殺すといって聞かない。

「亜夜、さんは……平気、なんです、か……?」

 マーチに問われる。彼女は困惑しているばかり。

 足を失うと言う大事なのに、亜夜は何も気にしないで生活している。

 その心理が、彼女には把握できずにオロオロしていた。

「足を食われたことですか? えぇ、平気です。今頃、何を嘆こうが苦しもうが、食われた足は戻りません。それに、私が一番護りたかったモノは、無事でした。ならば、代償と言うなら是非もない。生きていますし、死ななければ安いものです」

「……そぅ、ですか……」

 マーチはその、己度外視の思考がよくわからないが、これは分かった。

 亜夜は、自分よりもやはり四人を好いているのだ。

 四人が無事ならなんだっていい。それは、無償の……本物の、愛情だと。

 彼女は言葉だけではすまなさい。行動で、好きと言う感情を体現してくれた。

 微笑みながら、優しく泣きじゃくるグレーテルを抱き締めて、車イスに乗っていた。

 亜夜のスカートから見える足。

 膝から下が、無くなっていた。傷跡もなく、最初から存在しないように。

「ラプンツェルにできることあったら、何でもいってね! 何でもするよ!」

「ん? 今なんでもするって言いましたか? じゃあ、思いっきり私に甘えてください!!」

「なんでそうなるの!?」

 ラプンツェルも、幼いなりに失ったものの大きさを理解していた。

 亜夜に助けを出れば、なぜか甘えろと言われる始末。 

 マーチは、そっとラプンツェルに近寄って耳打ちした。

「……亜夜さん、は……きっと、甘えてほしぃ、んだよ。ラプンツェル、行って、あげて?」

「んー……?」

 ラプンツェルには、無償の愛は難しいかもしれない。

 首を傾げている。

「グレーテル、謝らなくていいんですよ。ちゃんと、私は、生きています。帰ってきました。これでも、まだダメですか?」

「だって……亜夜さんの、足が……!」

 慰める亜夜に、抱きついて許しをこうているグレーテル。

 何度も謝った。役立たずでごめんなさい。何もできずごめんなさい。

 一度は知った痛みなのに、また繰り返して苦しんで。無力は嫌だと、あれほど知ったのに。

 グレーテルにあるのは、後悔ばかりだった。いくつも、亜夜の気持ちを感じているから尚更、辛かった。

 なんで。なんで、グレーテルは何時も何もできない。こんな風に接してくれる人の助けになれない。

 非常時に、役に立てずに見ているだけなんだ。

(お兄ちゃん、ごめんなさい……! 亜夜さん、ごめんなさい……!!)

 涙ばかり流している無力な妹。いざってときに突っ立つだけの木偶の坊。

 足を引っ張り、大切にしてくれる人を追い詰めて。

 挙げ句には、最悪を回避しても二度と戻らぬモノを失って!!

(私がいけないんだ、私が何もできないから、私が、私がッ!!)

 追い詰める己の心。いくら、亜夜が否定してもグレーテルは納得できない。

 だって、二度も同じことを繰り返した。亜夜に救われながら、部屋の中でただ待つばかりの自分がいた。

 何かできることを探しても、何もできずに後悔したときには、亜夜は両足を失っていた。

 これを、グレーテルのせいと言わずに誰のせいとするのだ。

「……」

 亜夜は、軈て何も言わなくなった。

 怒り狂うアリスにも、泣きじゃくるグレーテルにも。

 言葉が、届かない。だったら、こうするだけだ。

「ねぇ、アリス。アリスは私を、守ってくれるんでしょう? じゃあ、守ってほしいなぁ」

「……えっ?」

 怒りが収まらないアリスに、亜夜はイタズラっぽく微笑んで、言い出した。

 我に返るアリスが、驚いて亜夜を見た。

「ほら、私ってば職員の癖に失敗しちゃって、歩けなくなっちゃいました。これじゃあ、職員失格で、お仕事できずにくびになっちゃうかも……。あー、困ったなぁ……」

 わざとらしく、苦悩するように目を伏せる。

 但し棒読み、顔は微笑を浮かべたまま。

 が、アリスには面白いように効いた。

 亜夜が居なくなる、という禁句を言われた。

 怒りが、一瞬で恐怖に変わる。また、おいてけぼり?

 現状を見れば、亜夜は確かに職員としては意味がない。

 仕事を止めさせられても、おかしくない事に気がついた。

 怒っている場合じゃない。どうにかしないと。アリスは急に真顔になり唸り始めた。

 亜夜は、アリスの性格は既に熟知していた。

 互いに好きあっている手前、ちょっとこう言えば直ぐに我に返る。

 アリスはバカではない。冷静になれば、落ち着いてくれるはずだ。

「グレーテル……ちょっと、良いですか?」

「……?」

 泣き腫らした目で見上げる彼女に、亜夜はこう切り出した。

「そんなに、自分のせいだと思うのなら、私はもう否定しません。けれど、終わったことは取り返しは聞きませんよね? だから、前の事に対処しましょう。例えば、私のピンチとか」

「……どういう、事?」

 グレーテルが、初めて違う言葉を発した。

 漸く、切り込めそう。亜夜は続ける。

「まぁ、失敗してご覧の有り様なのですが、歩けないとなると、私は職員として成り立ちません。言いたいことは、分かってくれます?」

「……………………そっか。うん、何ができるかな、私に」

 比較的に、現状を言えば彼女はすぐに分かってくれた。

 出来ることを申し出るのは分かっている。ここから先だ、問題は。

「罪滅ぼしは嫌ですよ? ちゃんと、前向きになってください。グレーテルには、後悔なんて必要ないんですもの。これは、私が失敗した結果。人の失敗を背負われるのは困ります」

「違うよ。私が後悔してるのは……そんなんじゃない」

「そうでしょうか? 自分の無力を恥じるなら、まだまだ早いんですよね、これが。非常時の事は、もう終わったことです。死んでないので、大丈夫。遺して逝くつもりはないですし。それよか、出来ることはたくさんありますよ?」

「出来ること……?」

「えぇ。例えば……」

 無力さを嘆いていると分かっているから、亜夜は言うのだ。

 戦うなどの方法も、本当に望むのなら一緒にやろうと。

 でも今は、目下の問題をどうにか対処したいのだ。

 グレーテルの抱く罪悪感も知っている。が、そんなものより欲しいものがある。

 こんな風にいじらしく、泣いて悔いてくれる可愛い女の子を、何時までも苦しめる気などない。

 グレーテルが見ているなか、亜夜はグレーテルに言う。

「ねえ、グレーテル。……私の妹とかになってくれませんかね?」

「……え」

 グレーテルは呆然としていた。

 何を言われているのか一瞬真面目に分からなかった。

 いっそ、決めた。

 アリス以外の三人、纏めてこの際面倒見てやろうじゃないか。

 なんだかもう、この好きすぎる熱を止められる気がしない。

 猛暑の暑さにも負けないこの感情の赴くままにィ!

 亜夜は足を失ったこの事態すら、己の欲望のままに、チャンスに変える。

 だってほら。そっちの方が、効率いいし。理屈的にも、問題ないね!

 ってことで!

 

「アリス、グレーテル、ラプンツェル、マーチ。この際です。もういっそのこと、同棲しましょう!!」

 

 とうとう、魔女が本性を表した!!

 可愛い女の子四人を手籠めにしようと画策する、とんでもない変態が四人に牙を向いたのだった。

 みんな揃って、バカが宣った寝言に言葉を失うのだった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そうでもなかった。

 足を失った亜夜の仕事をどうするか、ライムたちが決めていたのだが。

 勝手に亜夜が決めてしまった。

「今日こそ四人揃って美味しく頂きます!」

「またですか!? 今度は一体何しようとしてるんですか!!」

 何と。四人を強引に自分の与えられた個室に誘拐。

 そのままなし崩しに、いわく同棲を始めやがったのだ!

「このッ……! 女の子に何をする気なのです!!」

「無論、ナニに決まっているでしょう!!」

「言うと思いましたよ、止めなさいッ!!」

「いいえ、限界ですッ! ヤります!」

「この変態……あっ、コラ! 待ちなさい一ノ瀬さん!」

「逃げるんですよォ!」

「イチイチ漫画の台詞を言いながら逃げないでください!」

 一応、今日も事後報告。とある日の事務所にて。

 全員美味しく頂く意味深でライムに伝えて、車椅子フルブースト。

 緊急離脱で事なきを得た。

 因みに車椅子は、サナトリウムが責任を感じてどうしてもと言うので、受け取った。

 今では有りがたく、移動手段としても活用している。

「ただいまー」

 亜夜が自分の部屋の扉を開けて、入る。

 入り口に車椅子をおいて、飛翔。折り畳み収納する。

「おかえり、亜夜!」

 そこに、ラプンツェルが満面の笑みで迎えに来てくれた。

 途端にだらしくなく表情が崩れる亜夜。

 飛び付いて喜ぶラプンツェルに、仰け反って倒れそうになる。

 慌ててラプンツェルが止めて助け起こす。

「んふふー、ただいまラプンツェル」

 嬉しそうにハグをして、部屋に向かうと。

「あ、おかえり……えと、姉さん……」

 グレーテルが部屋を掃除しながら待っていた。

 未だに呼び方に慣れないが、照れ臭そうに言っているのが可愛い。

 頬が赤いのがなんとも言えない。

「ただいま、グレーテル」

 戻ってきた亜夜は、グレーテルにも抱擁をする。

 彼女もおずおずと、手を回して受け入れた。

 あの日。グレーテルに、亜夜は我慢ならずにとうとう妹になれと言ったのだ。

 前々から結構好きだったが、あの姿を見てどうやら亜夜の悪い欲望に火がついた。

 もうこれは辛抱ならぬと暴走。

 気がつけばグレーテルは、負い目もあって亜夜を恥ずかしながら姉と呼ぶに至る。

 こんなことが出来ることなら、と無理もなく、然し恥ずかしさもあって日々頑張って姉と呼んでいる。

「お帰り……なさい、亜夜、さん」

 ひょっこりと洗面所からマーチも笑って顔を出した。

 直ぐ様飛び付く亜夜。容赦なく甘やかす。

「遅くなってごめんなさい、マーチ」

「いえ……」

 マーチは嬉しかった。

 まさか、誰かに笑顔でおかえりと言う日が来ようとは。

 家族のように一緒に暮らして、笑いあって、同じ空間で過ごす毎日。

 楽しいと、本当に久々に思えた。特に、この人と接している時間は幸せだと言い切れる。

 自然と笑顔が増える。控えめで分かりにくいけど、最近は笑えていると自分でも思えた。

「ちょっと、あたしにしてくれないの?」

「しないとは言ってませんよ」

 奥で作業していたアリスが、不貞腐れて構ってと言う。 

 亜夜は勿論、アリスにも抱き締めにいった。

「おかえり、亜夜。大丈夫だった?」

「ただいま、アリス。今日もキレられました。ま、大丈夫かと」

 ライムに報告したのはいいが、前代未聞のやり方に日々小言を言われそうだった。

 何せ、子供を本来の部屋から合意の上でとはいえ連れ出して、自分の部屋で生活しているのだ。

 結構なペースで同棲に近い形で、今は過ごしている。

 こうすれば、足がない亜夜も積極的に世話ができる。

 要は同じペースで生活すればいい。

 サナトリウムも、真面目に仕事を続ける亜夜には文句は言えない。

 四人揃って、亜夜は悪いことなどしないと言い張り、介入を拒んでいる。

 結局、黙認と言う形になりそうだった。

 亜夜と過ごす部屋は狭いけれど、今までよりずっと幸福だった。

 この人がいると、幸せな気分になる。それは亜夜の呪いがもたらすモノだろう。

 しかし、それだけじゃない。亜夜本人も、そうしている。だから、笑顔になれるだと思う。

 四人は亜夜と過ごす時間を、今まで以上に濃密に、堪能しながら過ごしていくのだった……。



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新人の教育

 

 

 

 

 

 

 魔女が、彼女たちを自分と同室にしたのは、実は何も欲望任せではない。

 いや、確かに二割ほど欲望丸出しの下心ありだったのは否定しない。

 八割は、亜夜の決意だった。

 目の届く範囲に、全員連れて守ろう。

 亜夜は此度の足の喪失を、戦力の低下と受け取った。

 足がないことは、移動手段の低下に他ならない。

 その不利を補うべく、そしてついでに切っ掛けにして、皆を回収。

 弱体化した自分でもできることをしている、そう言うこと。

 転んでも只では起きない。起きられない。

(私は、みんなを幸せにしたい。だから、足掻いて何でもする。……えぇ、その為に魔女ですら利用しましょう。私が出来ることは、壊して殺して奪って滅して、そんな邪道で外道で悪道しか進めない。進み方を知らないんです。破滅の行き先でも、みんなが笑顔なら、私は……。私も今が幸せだから、今を守ります。ごめんなさい、私は蒼い鳥。けれど、魔女でもあるんです。幸せを呼ぶために、他人を蹴落とし進みましょう)

 自分は醜い童話の悪役に過ぎない。

 グレーテルから兄を奪い、ラプンツェルから自由を奪った悪意の権化。

 他人は頼れない。だって、亜夜は魔女なのだ。

 バレてしまえば、みんなが苦しむ。秘匿しないといけない。

 亜夜は、人類に対して無敵の魔女である自覚はあった。

 然し、彼女は必要以外に呪いを使わない。使えない。

 呪いは人を蝕む毒にしかならない。みんなが苦しむ毒を、亜夜が使えば嫌がるだろう。

 必要ならば躊躇わずに振るう。けれども、不必要な呪いは己を追い詰める。

 亜夜は、理屈でしか他人をはかれない愚かな娘。

 見つかれば、必ず殺されると思い込んでいる。事実、普通は始末される。

 アリスやラプンツェルが特殊事例。他は信用できない。

 だが、亜夜は知らない。

 人の善意を。人の信頼を、絆を。

 人類の根本は性悪説であると信じる亜夜は、決して他人の感情を信じたりしない。

 恩人がいる。もしも、恩人が手を下そうと言うなら亜夜は迷わず彼を殺す。

 彼女の天秤は、如何なる場合も四人にしか傾かない。自分ですら、それに勝てない。

 盲目の愛情であろう。故に泥のように濁り、淀み、腐る愛情を皆に向ける。

 亜夜自身、分かっているのだ。自分は弱い女で、全てを守れる主人公にはなれない。

 王道を往くには、雅堂のような圧倒的パワーはない。

 崩空のような、自分を諦めても尚、何度でもしがみつく不屈のガッツもない。

 一度でも折れれば二度と戻れないし、災厄から守れる腕っぷしもない。

 ……亜夜は、臆病になっていた。

 理屈的に考える性格が災いし、隠して生きていくことを望んでいた。

 失うのが何よりも怖い。自分の手足など恐れに比べればどうでもいい。

 みんなを守り、己が生きるために、他人を攻撃して見捨てるのが唯一の活路。

 亜夜は身の程を知っていた。魔女だから、何をしても良いわけではない。

 必要だからやる。無敵のように振る舞っていても、亜夜の根っこはいつも怯えていた。

 亜夜の中に、他人を頼るという文字はない。

 他人に助けてもらおうという発想すらなかった。

 亜夜にあるのは、自分で守る。自分だけで何とかするという、不信。

 ……結局、亜夜は守るために、自分だけで立ち向かおうとする、弱い女の子に過ぎないのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ライムは依然、ハーメルンという変態を追いかけている。

 雅堂と亜夜の証言を元に、様々な組織と連携しているようだが、未だに行方知れず。

 この世界には警察になる組織に騎士団というのがいる。

 そもそも、貴族がいる世界。科学と魔法が混在し、カオスとなり、王国が存在する。

 王国に勤める騎士団が、各地を配置されている。取り締まり彼らの仕事。

 公務員のようなものらしい。因みに武器所持。その場で切り捨て可能と外国に似ていた。

 で。そっちは、任せるとして。

 亜夜は、死亡し殉職した分連れてこられた新人の教育を命じられた。

 他にも雅堂や崩空について、復職した華が皆を手伝ってくれる。

 で。

「覚悟しな、前回のお礼参りだぜオラァ!!」

「……またですか、寄生虫と宿り木の兄妹」

 半袖短パンの白衣のマッチョに襲われた。亜夜は呆れて、魔法発動。

 顔以外全部氷付けにしてやった。

「うおお、さみぃ!! 何すんだテメェ!?」

「……」

「待て、その工具はなんだ!? ……なに、バール? 知らねえよ止めろそんなもんどこにぶっ刺すつもりだ!?」

「…………」

「テメェ、人前で去勢手術する気か!? 止めろ、あいつがまず死ぬわ!! よせ、俺が悪かった許してくれぇ!!」

 まただった。前回、亜夜に過剰重力で挽き肉にされた例の呪いの兄妹が、喧嘩を売ってきた。

 亜夜は冷静に対処。雅堂と同じく、男など物理で股間を抉れば死ぬとわかっているので、実行寸前で停止。

 悲鳴をあげて、呪いの兄、寄生虫ことヘンゼルは大人しくなった。

「ごめんなさいは?」

「だ、誰がテメェなんぞに謝るか!! ぶっ飛ばすぞ!」

 氷付けにされたまま、バールを手にした亜夜が車椅子に座ったまま見つめる。

 啖呵をきるヘンゼルは虚勢で吠える。

 哀れむように亜夜はため息をついた。

「ああ、去勢をされたいんですねそうですか」

 そのまま、氷をバールで削り始めた。股間部分を目指して鋭い部分でガリガリ遠慮なく。

「止めろバカ、また死ぬだろ!! 今度は拷問する気か、おい!?」

「イチイチ五月蝿いですね、イチモツ絞首刑にしますよ? あ。良いこと思い付いた。……抜こうかな、これで」

「ひぃ!?」

 騒がしいヘンゼルは、一瞬で青ざめる。

 亜夜の目線は本気であって、そのままバールで愚息を引っこ抜く魂胆と知った。

 ガタガタ震え出す。寒さではなく、純粋な恐怖だった。

 男が尤も恐れる股間の危機一髪。袋と竿の大ピンチ。

「分かった、分かった二度と逆らわないから!! 止めて!! 止めてマジでそこだけは!」

 半狂乱で、ガリガリ氷を削って息子を狙う女に懇願する。

 車椅子から、大きな五寸釘と木槌を取りだし、打ち付ける亜夜。

 無表情で淡々と、身動きの取れない昼間の休憩室の片隅で。

 とある兄の処刑が続いていた。周囲は亜夜の剣幕に目をそらす。

 野郎は漏れなく全員内股になって、青くなっていた。

 泣き叫ぶヘンゼル。腕っぷしも捕獲されれば意味がない。

 しかも、生きたまま雑に亜夜はイチモツと袋を切除する気。

 あるいは、潰すのかもしれない。事実、ハサミまで増えていた。

「ぐ、グレーテルやべえ!! こいつやべえ、俺のシモがヤバイから助けてくれェ!!」

 ヘンゼルは泣き叫ぶ。そして、内側の妹に助けを求めた。

 一瞬で、彼は彼女に変化する。体つきは女性らしく、髪型も伸びて、顔立ちも女性に、小柄になった。

「……お、お兄様に何てことを! この邪悪なま……!」

 ヘンゼルから見知った顔の偽物、宿り木の妹は何かを叫ぼうとする。

 亜夜が淡々と、その言葉を遮る。

 

「宿り木の妹。……余計なことをいうと、ロリコンの餌にしますよ」

 

「!?」

 

 亜夜は視線をあげた。茶色の生気の乏しい瞳は、冷たい印象を受ける。

 グレーテルが知る、赤い瞳ではなかった。これが、本来の彼女らしい。

「丁度いい機会なので教えておきます。このサナトリウムには、幼女が大好きなケダモノがいます。……あれです」

 グレーテルが、振り返り指を指す亜夜が示す人物を見た。

「えっ、僕!?」

 指されたのは、眼鏡をしている灰色の人狼。

 困惑しているように、目を丸くした。

「あのロリコンは、またの名をピニャコラーダと言いましてね。私や、あなたのような外見の幼い女をペロペロするのが大好物のケダモノ。しかも、サナトリウム最強の生物です。性欲含めて」

「一ノ瀬ェ!! また好き勝手言ってるんじゃねえ!!」

 憤慨するピニャ野郎。

 しかし、グレーテルには効果覿面だったのか、こっちも青ざめた。

 どう見ても人間じゃない。しかも、吠えるとかなり怖い。

 ……物理的に、食われるかもしれないとグレーテルは思った。

 狼は肉食だ。人間だって……もしかしたら……。

「雅堂。やっぱり、お前……」

「……最低です。助けてくれたのも、下心あったなんて……」

 崩空がドン引きして、華が悲しそうに一歩下がった。

 二度も命がけで救われた華だが、まさか性欲のために命を張ったなんて、最低そのものだった。

「ち、違うよ!? 僕はそんなつもりじゃ!」

 周囲の懐疑的視線に、慌てて否定するも。

 崩空の、止めの一言が無惨に突き刺さる。

「……お前、一ノ瀬に何度かお触りしようとしてたな。やはり、ロリコンか……」

「見損ないました……!」

 華がなんだか、泣きそうな表情で走って去っていった。

 崩空が軽蔑する目で、雅堂を見ている。

「ち、違うんだ華さん!! 僕の話を聞いてくれー!」

 追いかけ、雅堂も休憩室を出ていった。

 数秒後。

「――びぃぃぃぃにゃああああああッ!!」

 遠くで何時もの悲鳴が聞こえてきたのだった。

 それは兎も角。

「ま、まさか……まさか、私を生け贄にするつもり!? あんな変態の!!」

「そのまさかです。偽物の宿り木にかける情けはありません。精々ケダモノの慰みものになるがいいです」

 死刑宣告に等しい亜夜の言葉だった。余計なことをいうと、つまり亜夜が魔女だとばらせば。

 グレーテルは、ケダモノの性欲のために餌食になる。

「こ、このォ……!」

「逆らえる立場でいるとは、良い度胸です。余程怖い目にあいたいと」

「だ、誰があんなケダモノなんかと!!」

 悔しそうに唸るグレーテルに、亜夜はあくまで冷酷だった。

 呪いの産物にかける情けはないし、宿主を出せと要求する。

 そして、二度と逆らわないことと、余計なことさえ言わなければ殺しはしないと脅す。

「うぅ……」

「兄の去勢か、自分の純潔を散らすか。好きな方を選びなさい、宿り木の妹。そして寄生虫の兄に伝えなさい。お前も逆らえば、物理で狼の餌にすると。シモで済むと思ったら大間違いですよ。私は、一度でも敵対した連中は忘れない。全部嫌がることをしてやる。早く選びなさい。……食われたいなら、沈黙も構いません。肯定と判断して、素っ裸にしてから奴の部屋に閉じ決めてやります」

 究極の選択肢。

 突きつけられたそれに、グレーテルは苦悩する。

 自分がケダモノに性欲のために餌食になるか、兄のシモが奪われるか。

 どっちもいやだ。あんな狼にエロい意味で食われるなどおぞましい。

 想像してしまったグレーテルは初めて魔女に怯えた。

 流石は魔女だ。卑怯なのはお手の物で、ひどい選択肢も平気で押し付ける。

 童話的に、この兄妹は、魔女に勝つのは無理だった。

 狡猾に兄妹の嫌がるポイントを攻めてくる魔女は、無表情で見ている。

 その本気具合は、ハッタリだとグレーテルに思わせない迫力があった。

 軈て。

「えぇ、分かったわ。何も言わない。絶対に逆らわない。だから、勘弁して。お兄様も私も、まだ綺麗な身体で居たいの。降参するわ、言う通りにする」

「……誓いますか? 次に宿主の意思を無視して勝手に振る舞ったら……」

「止めて!! 分かったって言ったでしょ!! あんな変態の餌なんて絶対に嫌よ!! 従うわ、分かってるわよ!!」

 グレーテルは本気で嫌がっていた。

 雅堂が余程変態に見えたらしい。

 確かに見た目ケダモノに性欲の消耗品のされると脅されればこうもヒステリックに叫びたくもなる。

 グレーテルは半分死んだ目で、大人しく引っ込んでいった。

 漸く、初対面になる。

「あのぅ……寒いんで、降ろして貰えますか先輩……?」

「うん? ああ、元の人ですか。すみません、直ぐに降ろします」

 ヘンゼルとグレーテルの中間ぐらいの身長に、顔立ちも中性的。

 髪型も短いようで、長いような半端な長さ。

 声すら声変わりの途中のような音域だった。

 氷付けを解除して、よく冷えた彼はため息をついて礼を述べる。

「前回は、どうもありがとうございました。なんか、ヘンゼルが暴れたときに仕留めてもらったみたいで」

「いいえ。寄生虫と宿り木の兄妹がいると大変でしょう。何かあれば、遠慮せず殺しますので」

「そうしてください。二人は、殺しても短期間で復活するので、全力で。言って聞く相手でもないんで」

 あんな厄介な二人に巣食われている彼は、玖塚朔光と言うらしい。

 亜夜を先輩と呼ぶ、亜夜の後輩に当たる職員であった。

「玖塚、でしたね。一応、バカ兄妹にはストッパーはかけました。ここには、サナトリウム最強の生物がいますので、もしも暴れだしたら宿り木の妹を差し出してください。色々エロい目にあわせます」

「…………うわぁ……」

「引かないでください。これぐらいしないと、サイコパスには通じません。寄生虫の兄は、最悪私が去勢しますので」

 聞こえていないらしい玖塚に説明。彼は、ドン引きしながらよろしくお願いしますと亜夜に頼み込む。

 偽者兄妹に蝕まれる、新人の教育。

 亜夜は、頭痛を覚えながら引き受けるのだった……。



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童話の夏祭り

 

 

 

 

 

 

 

 新人、玖塚に仕事の基本を叩き込む。

 あまり物覚えの良くない彼は、亜夜の素っ気ない言動になぜかビビりながら懸命にこなしていく。

 亜夜としても、教え方が雑で分かりにくいうえに、他人に対し関心が薄いのでマイペースに進める。

 要するに、教導に向かない性格。

 それでも、亜夜に何か感じるのか玖塚は必死に覚えていた。

 ……いわく、彼の担当は引きこもりらしく、まだ上手く対応ができていない。

 アドバイスを求められるが、

「……と、言われても」

 自分の面倒を見る子供を手籠めにしている変態に聞いても正に無意味で、参考にならず。

 結局、彼は自分で頑張ることにした。

 亜夜が病室送りにされている間に、近場では夏祭りが開催されているらしい。

 皆は是非行きたいと亜夜にせがむ。

 新人の玖塚の基礎を教え込んだ亜夜は、苦笑いを浮かべて、了承した。

 他にも近場だけあり、結構な子供たちが行くらしい。

 崩空なども顔を出すと言っていた。

 そんな中だったのに。

 災いは、何度でも理不尽を振り撒いてくる。

 その背に、呪いを背負っている限り。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夏祭りの会場に行く前に、皆は楽しそうに準備をしていた。

 亜夜といく初めてのお祭りに、テンションは高めであった。

 然し……。

「やはり、止めさせるべきでしょうか?」

「迷うな、あんな楽しそうにされちまうと」

 亜夜たち職員は、事務所に集まって暗い表情であった。

 理由は、ライムに警告されたのだ。

 

 ――夏祭りの会場に、不味い連中が紛れている。

 

 件の、呪い狩りの人間が、あの騒ぎを目敏く発見して、探りを入れているようだった。

 お祭りをぶち壊しにしてでも、仕掛けてくる過激派だ。

 特に亜夜、雅堂は翼に頭と直ぐに呪いを持っているとバレる。

 普段出掛ける顔見知りもそろそろいる商店街だ。

 サナトリウムと知られているが、多分知れば直接も来るだろう。

 その時は、武力衝突も辞さない構えで。

「どうするんだ。祭りに行くのか?」

 一部のお偉いさんに問われる。

 襲われれば、行政である以上騎士団が必ず動く。

 大規模な戦争になり得る可能性すら否定できない。

 亜夜は迷った。安全を取るべきなのだろう。

 然し、あの楽しそうな空気をぶち壊すのは心苦しい。

 折角、一緒にいくのを楽しみにしてくれるのに。

「……」

 命の危険がある。

 連中は、呪いを持つ人間を人権を認めないと聞いた。

 現実はそんなものは関係なく、等しく人間なのだが知ったことではないと。

 まるで、魔女のように断罪の名を掲げて、殺しに来る。

 楽しい時間が、悲しみの時間になるのだ。

「…………」

 行くべきか? たかが、夏祭り。

 来年もあるだろう、危険を犯してまで行くべきではない。

 理屈は、亜夜に撤回を推奨する。

 感情は、欲望は違った。

 来年まで、自分がいるとは限らない。

 亜夜は所詮、外側の異邦人。

 果たして、機会を逃せば次はあるのか。

 それだけの価値は、ないと言い切れるのか?

 笑顔を見るためならば、命懸けも已む無し。

 そう決めているのではないか?

 感情は続行を推奨する。

 理屈の反論。自分の命だけで済むと思うな。

 四人を危機にさらし、万が一があればお前に責任は取れるのか。

 感情の指摘。誰が自分達だけで行くと言った。

 無論、楯は用意していくとも。他人という、身代わりをな。

 せめぎあう感情と理屈。結果。

「……行きましょう」

 亜夜は、続行を決定した。

 望むのならば、行くだけだ。無論、危険と皆に言い聞かせる。

 それで、行かないと言うのならば取り止める。

 最後の判断はそれで間に合う。

 妥協した結論を出した。

「シャルが見物にいくって言うんで……」

 付き添いに、雅堂も行くとため息をついて言った。

 結局、祭りに行くと言い出す連中は、ある程度集団で行くことにした。

 なるべく短時間に、人気のない場所にいかずに、纏まって行動せよとこと。

 祭りをする商店街にも、通達していざとなれば逃げ込む場所も確保した。

 安全対策は万全に。武装をしていく職員もいる。

 最近になり特訓を始めた成果を試されそうだ。

 職員同士で連絡を取り合い、何かあれば直ぐに逃げられるようにしておく。

 そう話し合い、決定した。

 

 

 

 

 

 

 

 

「みんな。落ち着いて、聞いてくださいね」

 自分の部屋に戻り、興奮しているラプンツェルやアリスに悪いけど、と前置きして事情を説明。

 要約して危ないけど本当にいく? と聞いた。

「え、行くわよ? 当然でしょ」

「……心配だし、一応行くよ」

「行きたい、です……」

「絶対行くのー!」

 アリスはキョトンと、グレーテルは心配そうに、マーチは控えめに、ラプンツェルはワガママに。

 全員一致で行くつもり満々であった。

 危ないというのに、亜夜が何とかしてくれると信じきっていた。

「ああ、何かあればあたしも戦うわ。ほら、知ってるでしょ亜夜は」

 けろっとアリスは言い切った。三人が首を傾げる。

 亜夜は察して、了解した。

 そう言えば、アリスはこの四人の中で唯一、不思議の国で戦争を経験していた。

 彼女だけは、血に慣れている。殺すのも躊躇がない。亜夜の敵は切り捨てる。

 アリスなら、多分そう言うだろう。

「襲ってくるなら殺すだけよ。正当防衛よ正当防衛」

「過剰防衛にならないといいんですけど……」

「テロに加減なんて必要ないわ。あたしは人間よ。勝手な理屈で価値を見下げる奴等には負けないわ」

 流石、女王を殺した女は格が違う。亜夜のように、相手が悪いで一蹴した。

 亜夜もそれには、苦笑する。まあ、そう考えれば迷いもなくなる。

 気にしないでいい。襲ってくるなら殺してしまえばいいのだ。

 亜夜はそれだけの能力があるのだから。

「そうですね……。いざとなれば、前衛は託しますよアリス」

「ええ。あたしの背中は任せるからね、亜夜」

 三人に、アリスは荒事経験ありと簡単に説明。

 以前は暴力という形だったが、今は箍が外れている。

 自分のためには抜けなかった『剣』も、亜夜のためなら、迷わず抜ける。

 何年も使っていない武器だけれど、必ず手元にはある。役に立てるハズだ。

「アリス……本当に大丈夫なの? 遊びじゃないよ?」

「舐めないで、グレーテル。あたしは殺しには慣れているの。……亜夜が望むなら、人だって殺せるのよ?」

 グレーテルが問うと、ギロリと碧眼を濁らせてアリスが睨む。

 碧眼の底に、黒い闇を覗かせて。グレーテルはイヤそうに顔をしかめた。

 マーチはそれを見て怯えていた。ラプンツェルも眉をひそめる。

「やり過ぎないでよ」

「場合によるわね」

 ダメだこりゃ、とグレーテルは背中を向ける。

 アリスの奴、どうやら本気で言っていると思う。

 何があったか知らないが、アリスの性格ならあり得る。

 少ないもの大切なものを死に物狂いでしがみつく女だ。

 常識や法が通じるような精神などとうに過ぎている。

 やらせたいようにするしかない。

 この手の相手は、抑圧すると暴走する。

 好き放題に解き放つほうが利口なのだ。

「……アリス」

「大丈夫、マーチやラプンツェルにはなにもしないから。……多分」

「なんで多分なの……?」

 マーチが心配しているのに、多分と言ってラプンツェルに突っ込まれる。

 手が早いアリスなら納得だが、果たして期待していいものか。

 兎に角、夏祭りにお洒落して向かう一行だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夏祭りの準備を終える。

 十分に警戒して、十分に準備して、十分に装備していざ出発。

 ある程度集団と護衛に、なんと商店街のお店のおやっさんたちが駆けつけてくれた。

 いつも贔屓に買い物をしてくれるお得意様を差別する集団は許せないとか言って豪快に笑っていた。

 どう見てもヤバい連中である。というか、異様な集団が現れた。

 筋骨隆々、タンクトップ一枚の筋肉達磨が何人も子供や職員についていた。

 流石地元民。交流していると、こうも味方してくれるらしい。

 警棒や手甲などで武装している、おやっさんたち。

 出店の方は、奥さんたちが切り盛りしていると笑って言っていた。

 で、肝心の亜夜の集団は。

「ねぇ、先ずは身内の危険因子を排除しない? 名案でしょう?」

「そうだよね、そうに決まっている。姉さん退いて、そいつ倒せない」

 亜夜の担当、崩空の担当、そしてピニャ野郎とシャルだった。

 涼しい格好のアリスとグレーテルが、ピニャ野郎にかぼすとすだちの香り漂う棒を構えていた。

「待って、なにもしてないよね!? 僕無害だよ!?」

「……などと容疑者は意味不明な供述を繰り返しており……」

「止めろ一ノ瀬ェ!! 妙なナレーションつけるな死亡フラグに――」

 慌てるピニャ野郎に、亜夜は冷静にナレーションで攻撃を誘導。

 そして、審判は訪れる。

「はい、果汁ぶしゃー」

「びぃぃぃぃぃにゃあああああ!?」

 背後から、赤い帽子をかぶったキャミソールにホットパンツ姿のシャルが、無慈悲に柚子の果汁をうなじにかけた。

 半袖だったピニャ野郎は、道に転がって悲鳴をあげる。

 余程苦しいのか痒いのか、必死に足掻いている。

「……お兄ちゃん、あれ……」

「気にするな。あの宇宙人は、柑橘類が弱点なんだ」

 手をひく小さな女の子達を引き連れる、崩空は突っ込みを放棄していた。

 簡略化された浴衣をきて、わざわざ背中に分解したアーチェリーを背負った彼は、自分の世話をする子供に宇宙人をいじめてはいけないと教えていた。

「痒い、めっちゃ痒い!!」

「……」

 何とか立ち上がって、騒ぎながら歩き出すピニャ野郎。

 それを見て、亜夜は疑問を感じてラプンツェルが丁度食べていたアイスに入っていたレモンの輪切りを貰った。

 痒そうにもがくピニャ野郎。一声かける。

「雅堂」

「なに? ……ほがぁ!?」

 振り返った彼の口に、レモンを発射。

 吸い込まれるレモンを反射的に口を塞ぐ。

 すると。

「あ、美味しい。レモンかな、これ」

 そのまま凍った生の輪切りを食べやがった。

 ごっくんと飲み込む。言葉を失う亜夜。

 柑橘類のなかでも、レモンは大丈夫だったのかと驚く。

「ご馳走さま、サンキュー」

 お礼を言って、また痒みに立ち向かう。

 なんでレモンは平気でかぼす、すだちに柚子はダメなのか。

 理解できない亜夜だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 会場に到着。

 皆で、はぐれないように固まりつつ、物色開始。

「亜夜、あれ食べたい!」

「はいはい」

 ラプンツェルが片っ端から屋台の食べ物を食べ歩く。

 みんなで目の届く範囲で、適当に購入して食べる。

 予算はサナトリウムから出ているのでいいが、しかしよく食べるものだ。

 周囲の人混みはスゴいが、互いに視認しあっているので問題はない。

「姉さん、あれなに?」

「ん、なんです?」

 グレーテルは射的に興味があるようで、少し立ち止まってみんなでやる。

「へぇ……射的か。あたしに任せて!」

 シャルが張り切ってチャレンジ。こちらも片っ端から射止める。

 狙いが鋭い。景品がどんどん取れる。

「僕もやってみるかな」

「ん……あれが欲しいのか? 分かった」

 ピニャ野郎と崩空も参戦。

 アーチェリーが得意な崩空は分かるが、なぜピニャ野郎が投げると当たった景品が壁にぶつかる。

 屋台の店主が驚いていた。奴が投げる速度が速すぎて視認できない。

 で、目ぼしいものは全部確保。

 グレーテルには、クッションカバーがシャルからプレゼント。

 あとで、中に羽毛を詰め込むらしい。亜夜の羽だった。

 グレーテルが礼を述べる。シャルも満更でもない顔で照れていた。

 で、次に入るのは……大食いの店。

 一定時間に食べきったら賞金が貰えるとか。

「面白そうだ。僕、行ってくる」

 ピニャ野郎の本格参戦。

 お金を支払い、スタートのブザーが鳴った。

 すると。

「なっ……!?」

 亜夜が目を疑った。

 ホットドッグの食い放題。それに挑む狼はまさに餓えた獣。

 麺類のように、端から飲み込んでいくではないか!!

 しかも水もない。ただ、貪っている。出されるそれらを、次から次へと。

 全員が絶句した。なんと言うケダモノ魂。

 ガツガツと食べまくり、五分後。

「……ふぅ。もう少しマスタードが強くてもいいかな」

 合計65も食い漁った化け物が、足りなさそうに呟いて最高記録を更新した。

 ご馳走さま、と頭を下げて立ち上がる。店主があまりの剣幕に笑って、賞金を手渡していた。

 凄まじい記録だった。まるで某ピンクの悪魔。

「底無しブラックホール……」

「失礼な。味わっていたさ」

 亜夜の感想に、そんな事を言いながら雅堂は戻ってきた。

 一行はそれからも、目一杯楽しんだ。

 アリスがフランクフルトを喉に詰まらせ。

 マーチが焼きそばをもそもそ食べて笑っている。

 ジュース一気飲みで亜夜と崩空が勝負して、亜夜が大勝利して。

 などと、たくさん楽しみ、満足した帰り道、事件は起こる。

 すっかりと忘れていた、連中のお出ましだった……。



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暴かれた真実

 

 

 

 

 

 

 夏祭りの帰り道だった。

 ふと、人狼が訝しげに夜空を見上げて、鼻を動かした。 

 あるいは、崩空がアーチェリーを外して組み立てる。

 または、亜夜の車イスが止まった。

「……亜夜?」

 押していたアリスが見下ろす。

 亜夜がブレーキをかけて、飛翔。浮かび上がった。

「…………」

 亜夜は無表情。なのに、凄まじい殺威圧感を放って、浮かぶ。

「気づいたか、二人とも」

 雅堂がゴキゴキと首を動かす。

 何かの準備のように、シャルに離れるなと命じた。

 普段ならば拒否するシャルも、気圧されて素直に従った。

 それほど、三人の纏う雰囲気は物騒で。

「まあな。足音を殺しているが、気配が多いな……40はいるぞ」

「静かな闇に紛れても尚、真っ直ぐな殺気が駄々漏れ。隠れる気がないなら、こっちから仕掛けましょうか」 

 たった10程の人間を追いかけ、退路を塞ぐ。

 その数は四倍強。確実に、始末する気だと感じた。

「嫌な臭いがする……。錆びた金属とか、血の臭いもする。それに……多分全員男だ。汗くさいし、タバコの臭いも」

 雅堂はイヤそうに呟いた。

 三人は気づいていた。

 帰り道の街道。周囲の闇に紛れて、何者かが先回りや尾行をしていた。

 雅堂は風に乗る臭いや音、崩空は気配、亜夜は殺気で。

 子供たちは途端に怯え出す。職員にしがみついたり、泣きそうになったり。

 一部、違う反応をする子もいる。

「そう。大体分かったわ、任せて亜夜」

「例の連中か……。ま、想定していたから驚きはしないけど」

 年長者のアリスとシャル。

 アリスは亜夜の背中に自分の背中を重ねた。

 シャルは、手荷物からなんとナイフを取り出していた。

 ぎょっとする雅堂が、問いただすと。

「いや、自衛のナイフよ。切れ味は良いから、気を付けなさいなケダモノ」

「自衛って……お嬢さん、切っ先を僕の股間に向けんの止めてくれませんかね!?」

「ばっさり斬れるのよ? 汚いブツが、根元から……ね?」

「ひぃっ!?」

 などとやり取りをしていたが、シャルは不意に真面目な顔で雅堂に問う。

「緊張とれた? ったく、あんたは後ろめたい時になるとすぐ固くなるんだから。そっちの方が、二次被害出るから、深呼吸して。あんたに足りないのは、強者の余裕」

 シャルなりに、不器用に軽口で緊張を解そうとしたらしい。

 実際、このケダモノが手加減をしないと、比喩や誇張なしに地形が変わる。

 雅堂は暴力による解決をよしとしない善人。迷いはやはり、あるようだが。

「……私は、余裕なんてありません。弱いから、死に物狂いでみんなを守ります。結果、殺してでも」

「姉さん……」

 亜夜は雅堂の流儀には合わさないと先に言っておいた。

 グレーテルに心配されて、慌てて表情を取り繕う。

 襲ってくるなら二度と不安がないように、後腐れなく、始末する。

「守るために殺す……か。正論だな。なあなあで済ませる輩よりは、余程好感が持てる」

 アーチェリーを構える崩空の言葉に、雅堂は表情を曇らせた。

 なあなあで済ませる偽善者、とでも言われたような気がして。

 崩空は気づいているので、続ける。

「雅堂。お前は自分の主義を貫け。ハッキリと殺さないと言えるだけの実力があるだろう。その考えを押し通す基盤はあるんだ。だったら、口だけじゃなく行動で示せばいい。『悪いことだから、殺さない』。それもまた、正論だ。やり方はそれぞれだ。俺は俺のしかたで、やらせてもらう」

 彼はあくまで、中立中庸。殺すのも正論、殺さずも正論と双方を肯定する。

 それぞれの流儀がある。ならば、各々でやればいい。

 先ずは、子供たちを守るのが第一である。

 結論、守れるならば過程は何でもいい。

 最悪、本当に殺してしまっても。

 テロリストにかける情けは、崩空と亜夜は持っていない。

「……そうだな。分かった、僕は僕の覚悟で進むよ!」

「はいはい。じゃ、少しばっか手伝ってやんよ。主に暴走しないようにね」

 シャルは、空気を読んで普段の言動を改める。

 この狼の呪いは慣れた。自分の呪いも少しはコントロールできる。

 こいつは謎の生命体であり、性別は関係ない。今は職員なのだ。

 自分に言い聞かせる。本当は、暴走しないようにするのは、シャルの方だった。

 手伝ってないと、感情の昂りを抑えきれない。だから、やる。彼も理解してくれる筈だ。

「姉さん。二人は、任せて。アリスも姉さんも、思いっきり戦って」

「亜夜、さん……。負けないで……!」

「悪いやつらなんてやっつけちゃえー!」

 グレーテルが、自分の役目を果たす。

 何もできない二人をなるべ遠ざける。

 二人は応援しか出来ないが、振り返って柔く微笑む亜夜は、決めた。

「アリス。今は、手足を切り捨てるまでは許します。良いですよ、使っても」

「……ええ。腹はくくってる。いいわ、久々に血染めにしてやろうじゃない!」

 相手は殺すつもりで来ているのだ。

 死にたくなくば、必要ならば本当に殺すしか方法はない。

 殺人を知っている亜夜には、ストッパーなどない。

 頭蓋を砕く感触を覚えているアリスにも、歯止めはない。

 移動をやめた一行を取り囲むように、闇から次々と人が現れる。

 全員、覚悟を決めるのだった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 囲んできたのは、様々な格好の男。

 得物に斧やら剣やら槍やら、下手するとトゲ付きハンマーまで持ち出していた。

 機動力を削いで、防御力に回したのか鎧姿の騎士擬きまでいる。

 ぐるりと囲まれて、得物を抜き放つ。

 竦み上がる子供たち。全方位、逃げ場なし。

 そこに、リーダーと思われる立派な鎧を纏う男が現れた。

 皆を一瞥し、兜を開いてこう、告げた。

「呪いを持つ者よ。その命を罪と知れ」

 突然仕掛けてきて、何を言い出すかと思えば。

 いきなりの全否定と来た。崩空が早速噛みつく。

「良い年の男が、子供相手に人数集めて圧殺するのは、罪じゃないってのか? 随分と都合のいい主義もあったもんだな」

「ほざけ、小僧。呪いなどという産物を抱えた生命が自由を謳歌するこの腐った世を変える。我々は使命のもとに行動している。主義などという生温いものと一緒にするな」

「チッ……外道が」

 崩空は、言うだけ無駄とすぐ分かった。

 この手の人種は言うだけ意味がない。偏見と妄想に取りつかれただたの暴徒。

 雅堂も、説得不可と即座に頭を切り替える。

 無駄なことはしない。今は、皆の命が危機に晒されている。

 深呼吸して、出方を伺う。

 亜夜は、黙って眺めていた。

 それから、長々と説法のように、一方的に高尚な説教を続けて、言いたい放題否定したのち、言った。

「だが、我らにも慈悲はある。断罪を成す前に、貴様らに懺悔を残す猶予を与えよう。言い残す事があるなら言うがいい」

 偉そうに、彼らは一方的に迫った。

 自分達は大義名分を掲げる正義の執行者。

 正義は我らにあり、と態度で示している。

 武器をとり、丸腰の子供相手に武力で脅すだけのテロリスト。

 不愉快そうに、シャルとアリスは睨んでいた。

 すると。

「あ、有り難みもないご高説は終わりましたか?」

 亜夜が漸く、口を開いた。

 いきなりの喧嘩腰、完全に挑発している態度で。

 彼らの殺気が一段階、シフトアップしている。

 周囲に対して、亜夜は涼しいまま言う。

「で、喋っていいんですっけ? だったら言わせてもらいますけど」

「……なんだ。最期の時だ。多少の傲慢も我らは寛容なる心で許そう。言うがいい、邪悪な翼の小娘」

 腕を組んで、見下す彼らは亜夜に聞く。

 亜夜はそこで、不自然なまでに嬉しそうに笑顔を浮かべた。

 ニコッと普段でも笑わないような満面の笑み。

 皆が、亜夜の出方を注意して見守る。

 アリスだけは、次の一手を理解していた。

「分かりました。では……」

 亜夜は、大きく息を吸う。

 嫌な予感がして、雅堂が制止に入ろうとした。

 血の気の多い亜夜は、既にキレているのを、悪化する殺意で感じ取ったのだ。

 止めろ、と言う前に。

 

 亜夜の姿は、眼前から消えていた。

 

「!?」

 

 亜夜がいたのは、好き勝手に皆を蔑み、貶め、忌避した鎧の真ん前。

 

 右手で、兜をひっ掴んで、犬歯を見せて笑っていた。

 

『――あの世に逝くのは、お前らの方ですよッ!!』

 

 怒号に変わり、亜夜の手から激しい放電がおこる。

 周囲の男を巻き込み、容赦なく焼く。

 夜の暗がりを、特有の青白い光が断続的に明るく照らし、轟音を奏でる。

 頭に血がのぼった、亜夜の宣戦布告。

 しかも、だ。

「……!」

 いち早く、雅堂が気付いた。

 亜夜の目が、真紅に変異していた。

 それだけじゃない。翼は闇に紛れて見えにくいが、翼から何か、高エネルギーそのものに変化していた。

 しかも、強烈な腐敗臭が亜夜から漂ってくる。

 髪色も、夜の帳に負けない暗い色に変色している。

 亜夜は、迎撃に切りかかった男の振るう剣を、残像が見える速度で回避した。

 あたかも、分身のような速さ。

「な、なんだ……!?」

 崩空が戸惑った。

 前触れなく、亜夜を見ていたら恐ろしくなった。

 本能的に、皆を連れ撤退を迷わずこの状況で選びそうになったぐらい。

 何が起きている。あの翼の少女は誰だ。

 見ているだけで、真冬に素っ裸で外に出るような悪寒と恐怖を肌で感じるのはなぜだ。

「姉さん!?」

 グレーテルも、困惑していた。

 姉と呼ぶ職員が突然、闇夜に紅い軌跡を残して激しく戦闘を開始した。

 恐れず敵に突っ込み、飛びかかっていく。

 その機動力と運動性が桁違いすぎて、紅いライトが高速移動をしているような光景で。

 グレーテルは、この忌まわしい存在を知っている。

 人間が本能で交わることを避ける存在。

「亜夜、さん……!?」

 マーチも、ただ眺める以外出来なかった。

 加勢を忘れるほど、彼女は敵意を全面に出して襲っていく。

 集団で囲まれて、袋叩きにされそうになる。

 危うくの寸前で急上昇。難を逃れたようだった。

 既にリーダーらしき人物は、黒煙を上げて倒れていた。

 鎧が黒く焦げていた。生臭い臭いもする。確実に、死んでいる。

「亜夜、ダメだよ!! 興奮しちゃダメ!!」

 異変に、ラプンツェルが叫ぶが、亜夜には届かない。

 その時には、遅すぎた。

「き、貴様は……!」

 迎撃する誰かが言った。

 同時に、崩空の世話をする子供が悲鳴をあげた。

 亜夜を見て、泣き叫ぶ。何度も、同じことを。

 それは、亜夜があれほど隠そうとしていたハズの姿。

 グレーテルが、今でも憎んでいる人類のアンチテーゼ。

 何より、姿を見せれば全てが敵になる。

 彼女の、本当の、本来の姿だった。

 

 

 

 

 ――魔女だ!!

 

 

 

 

 

 この瞬間、一ノ瀬亜夜は、世界の敵として降臨した。

 人類史を否定する災厄の女。呼吸する災い、あるいは生きる疫病。

 生きているだけで、人に殺される運命の邪悪。

『みんなを狙う相手は、私が残らず殺してやるッ!!』

 子供を守るために、怒り狂う幼い魔女が、呪い狩りと敵対していた。 

 連中は、直ぐ様亜夜に矛先を変えた。

 魔女が突如、襲い来たのだ。法に乗っ取り、魔女狩りとなった。

 混乱する戦場。亜夜が中心で狙われるようになり、皆から関心が薄れた。

 亜夜は派手に扇動するように、暴れている。

(一ノ瀬が、魔女だっただと!? いや待て、落ち着け俺。……今はそこが重要じゃない。あいつの事だ。多分、意味がある)

 亜夜が正体をばらしても、崩空は比較的に冷静になった。

 バーサーカー顔負けの暴走をする彼女を見て、腰を抜かす子供たちに一喝する。

「大丈夫だ、あいつは此方にはなにもしない!」

 強めに言うと、彼女たちは崩空を見上げて、怖いと泣き出した。

 精神的なキャパがオーバーしている。

 これ以上、皆には辛いだけ。必死に崩空は考える。

 今、どうするべきか。

「こ、殺せェ!! 魔女だ、魔女がいるぞ……あぎゃあ!?」

 統率しようと、声を出す男を、アリスがいきなり腹を突き刺す。

 その手には、大きなガラスのように透明な剣を握りしめて。

「大声出すんじゃないわよ。人が来るでしょ」

 蹴り倒して、鮮血を浴びながら引き抜いた。

 折角のおしゃれをして来たのに、鉄臭いうえに真っ赤に汚れてしまった。

 綺麗な金髪や、顔の一部にまで紅い飛沫をかけられた。

「汚い……。もう、折角亜夜に可愛いって褒められたのに。あんたらのせいで台無し。責任とって、死になさいな!」

 アリスも、亜夜を守るべく参戦。右往左往する集団に突っ込み、片っ端から斬殺していく。

 碧眼が、不自然に瞳孔が開かれて、色が混ざって濁っていた。

 空中の亜夜に、地上のアリス。二人が煽動して、散り散りに相手を蹴散らす。

「……職員さんが、魔女だったなんて」

 シャルも、ショックを受けて呆然と行われるスプラッタを眺めるしかで出来なかった。

 雅堂は彼女が動かないのを知ると、肩を乱暴に掴んだ。

「シャル、お前は逃げろ。ここは、僕が何とかする。崩空と一緒に速くサナトリウムに戻れ」

 雅堂が、二人の暴走を止めると言った。彼ですら、目に見えて冷や汗をかいている。

 そんな状況なのに、身を呈してかばってくれた。

「で、でも……」

「バカ野郎! 何であいつがこんな危険な賭けに出たのか、分からねえのか!!」

 雅堂は渋るシャルに、そして思考を巡らせる崩空に向かって吠えた。

 狼の咆哮は、二人や泣きわめく子供を黙らせる程の迫力があった。

「崩空、皆を連れていくんだ!! 一ノ瀬が陽動している間に!!」

「……! あぁ、了解した!! みんな、行くぞ!! 走れ!」

 崩空は、意図を理解した。亜夜は、自ら囮になってくれたのだ。

 自分が魔女であることを利用して、皆を安全に逃がすために。

 優先順位は魔女のほうが脅威とわかった上で、危険なのに自分から。

 陽動作戦。亜夜が目を引き付ける。その間に、みんなを脱出させろ。

 そういう事を亜夜は言いたいのだろうと、男二人は判断した。

 崩空が、全員を引きまとめる。

 グレーテルが嫌がるが、

「一ノ瀬が簡単に死ぬわけないだろう!? あいつは魔女だ!! それに、雅堂もいる! 殺される前に殺してでも帰ってくる女だ! お前はあいつを信じられないのか!?」

 あまりにも説得力のある言葉だった。

 物理的ほぼ無敵の超生物と、対人類天敵。

 この二名がタッグを組めば、呪い狩りが勝てる道理が消失する。

 アリスも暴走しているが、味方している。負ける要素が何もない。

 見れば、雅堂も徒手空拳で果敢に応戦していた。

「……分かった」

 渋々従った。そりゃそうだ。

 パンチしただけで、板金の大きな金属楯をへこませた挙げ句に吹っ飛ばしているなんて見れば、信じたくもなる。

「一ノ瀬、雅堂! 先に戻る、必ず戻ってこいよ!!」

 心配そうに振り返りつつみんなで走り出す背を見ながら、雅堂は「応!」と吠えて、振るわれた軍用ナイフを、噛み砕いて吐き捨てた。

 既に半分以上が死んでいたり、瀕死になっている。 

 応援がきても、何のその。三人揃って、数の不利をものともせずに無理矢理押さえ込む。

「亜夜ー! 見てみて、こんなに沢山殺したわッ!! どう、スゴいでしょ!?」

『スゴいですよ、お上手ですアリス』

「えへへ、ありがと! あたしは絶対一緒よ、亜夜」

『……そう言われると、照れちゃいますよ』

 ただ、雅堂の精神はかなり負担が大きい。

 残り二名が、面白がって人を殺し続けている。

 アリスは斬首したそれをもちあげて、飛翔する亜夜に誇らしげに掲げている。

 足元にはバラバラに切断され、死骸に成り果てた人間がゴミのように重なっていた。

 相当な血を浴びているのに、アリスはずっとはしゃいでいた。

 亜夜も、消し炭にするわ氷像にするわ、溺死させるわ感電死させるわ、果てにはミンチにするわ刻んで細切れにするわで酷い有り様。

 意にかえさない亜夜は、笑ってアリスと談笑している。

 その間にも、次々殺人を繰り返して。 

 惨状に堪えかねて、吐き気を催す雅堂は必死に耐えた。

 本当に、ただの扇動だったのか、と疑いたくなるほど。

 二人は無邪気に、楽しそうに、人を殺していた……。



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魔女と受け入れる妹

 

 

 

 

 

 亜夜が行ったことは、恐らくは事情を知らない人間からすれば、さぞかし残虐な行為に見えるだろう。

 アリスには、まだ言い分がある。追い詰められた状況のなかで、彼女の呪いは暴走した。

 精神状態にアリスは左右され、我を忘れる極限に追い込まれれば、最悪殺しても何らおかしくはない。

 逆上して、アリスは殺してしまった。亜夜は、そう戻ったときに説明した。

 明確にわかる、偽りの報告。それでも、言い訳は必要だった。

 アリスには、泥は被せない。被るのなら、己一人。

 何故なら。バレてしまえば、もう出来ることは何もない。

 開き直ろう。亜夜は、魔女だと、サナトリウムの人間にバレてしまうのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 呪い狩りの人間を、大量に虐殺した。

 亜夜は、40を越えるその半数を皆殺しにした。

 アリスは、またその半分を自分で殺した。

 止めに、雅堂が半殺しにしていた相手まで丁寧に殺した。

 生きていても、余計な情報を吐かせないために亜夜がワザワザ近寄って、呪いで精神をズタズタに刻んでしまった。

 誰一人、無事に帰ることは叶わなかった。全員、何かしらで死んだ。

 命あっても中身を亜夜が殺した。

 騎士団がサナトリウムの通報で現場に駆けつけたときには、虐殺の惨状が残っているだけ。

 本人はけろっとして、サナトリウムに帰ってきていた。

 共闘していた雅堂は直ぐ様事情を聞かれ、ライムに全て客観的になるように語った。

 己の目で見たこと、聞いたこと、感じたこと。

 統合すると、こうなった。

「あいつは……確かに魔女でした。間違いない、人類の天敵と言われても納得できる所業の数々。僕は……なにも、出来なかった」

 強い後悔を浮かべていた。彼は止めるべきだったと思うと同時に、この結果は当然の末路とも思う。

 亜夜の考えは見えない。彼女は決して、語らなかった。理解しないで良い、と背中で拒絶を出していた。

 雅堂は苦悩する。どうすれば良かったのか。己が殺すべきだったのか。

 あるいは、亜夜を説得すれば現状は多少なりとも改善していたのか。

「分からない……。僕には、何が正しかったのか、全部分からないんです……」

 項垂れて、ライムに聞く。あの時、自分はどうすれば良かったのか。

 何をすれば、あんなに死人を出さずに済んだのか。どう動けば、結末を変えられたのか。

 亜夜の立場を考え、相手の思想を見る限り、仕方無しと思うのは間違いか?

 テロリストに情けをかけた雅堂は甘かったのか? 

 善悪を越えて、最早どうすれば良かったのかさえ、見失っていた。

 後始末は、サナトリウムが騎士団に相談し、混乱を避けるべくもみ消した。

 実際、呪い狩りというテロリストの集団が近場にいるとなるとパニックになる。

 そこで、騎士団とテロリストの大規模な抗争があった、と周囲に知らせた。

 サナトリウムも、魔女がいることは流石に不味いと判断して黙っていた。

 必然的に、アリスが窮地で暴走して、更に亜夜が皆を守るべく防衛で皆殺しにしたという曲解した事実を伝えた。

 騎士団も、呪いの理解はしている。しかも、相手は末期状態の民草を狙ったテロリスト。

 容赦なく、悪は呪い狩りだと決めつけて、自分達の手柄にした。

 無用な混乱を避けることと、自分達の名誉欲しさに彼らは事実を闇に葬ったのだ。

 相手はテロリスト。連中の妄執などどうでもいい。過激派を殺すのは悪ではない。

 話し合いすら応じず、無抵抗な子供を狙って武力で弾圧することを正義と掲げる異常者。

 そんなものは、死んで当然と言わんばかりの対応だった。

 要するに、あれだけ殺しても二人は無罪放免。

 理由もなく襲ってきた相手が悪いで、お咎め無しだった。

 表向きは。ただ、亜夜は別だった。

 サナトリウムの間で、亜夜の処遇をどうするか、相談している最中。

 亜夜は、無期限の停職を言い渡されるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 亜夜の部屋。

 自分の部屋を抜け出した四人も、共にいた。

 五人は、それぞれ表情が違っていた。

 アリスは、不機嫌そうに壁際に座って寄りかかる。

 ラプンツェルはいつぞやの大人状態で、渋い顔で腕を組んでいた。

 マーチは、どうすればいいのか分からず視線を泳がせて沈黙。

 グレーテルは、ただ悲しそうに亜夜を見ている。

 亜夜は、優雅にコーヒーを飲んでのんびりしていた。

 魔女だとバレた。周囲から、関わりを避けられる。

 知っていたことだった。だから、隠したのに。

 亜夜が、自分で、台無しにした。

「……どうするんだ、ねえ様。連中に、殺される大義名分を与えてしまったが」

 アリスの部屋着を借りたラプンツェルに問われて、亜夜は涼しい顔で返答。

「別に? どうもしませんよ。下手に取り繕えば逆効果。やましい事がないなら、堂々としていればいいんです。襲ってくるなら、壊しますしね」

 亜夜はバレた手前、何もできないと分かってしまった。

 自滅で知られてしまったのだ。妙な真似をすれば尚更怪しい。

 故に、大人しくしているしかない、と。

「亜夜は何も悪くないわ。襲ってきたあいつらが悪いのよ。意味わかんない戯れ言で、殺されてたまるもんですか」

 アリスは依然、亜夜の味方だった。過剰であろうが防衛に過ぎない、と言いきる。

 実際、亜夜は自分から襲ったにしても、既にその時には周囲には取り囲み、武器を手にした男が包囲していた。

 先手を打って、被害を抑えただけ。アリスは連中が悪だと宣う。

「…………亜夜、さんは……わたしたち、に……なにも、しないん、ですか……?」

「しませんよ。いったでしょう、マーチ。私は、みんなを守ると。守る相手を自分で傷つけるほど、狂っている覚えはありません」

 マーチは少し違っていた。

 いいや、違うというか……なんと言えばいいんだろう。

 亜夜が目の前で人を殺すのを目撃したのはショックだった。

 でも、それ以上に、なにもしていない、生きているだけで迫害されて殺されそうになった事がショックだった。

 話には聞いていた。けれど、あんな理不尽を体現したか如く、意味の通らない言い分で一方的に暴力を振るわれかけた。

 ……あれは、まるで。

(あの人……みたいで……怖かった……)

 知っている。経験で身体に刻まれた苦痛と恐怖。

 あのような人間が、他にもたくさんいた。それが、とても怖かった。

 亜夜に対しての恐怖は微塵もない。この人は、ただ純粋に守ってくれただけ。

 言ったことを、実行しただけ。過激だったけれども、少なくともマーチに向かう感情は変わらない。

 どうすればいいのか。亜夜は魔女だ。魔女は殺さないといけないと言う。

 でも、マーチは……そんなこと、したくない。漸く、愛してくれる人がいるのに。

 法と感情。マーチはその間で、板挟みになっていた。

「……」

 そして。唯一、魔女の恐怖を間近で体験しているグレーテルは。

 深い悲しみを抱いていた。そう、悲しみ。

 憎悪でも、恐怖でも、怒りでもない。悲しいだけだった。

「姉さん……酷いよ……」

 ずっと避難する目で見ていたグレーテルが、ようやく喋った。

 開口一番、亜夜を責める言葉が出る。然し、それは湿っていた。

 見れば、グレーテルは泣き出していた。

 溢れる涙で、顔がくしゃくしゃになっていた。

「姉さん、私に気遣って言わないでいたんでしょ……? 私が、お兄ちゃんを魔女に殺されたの知ってるから……」

「……ええ」

 腕で涙を拭うグレーテルの発言に、皆が驚愕の表情で見た。

 グレーテルは、全部ぶちまけた。もう、隠すほどでもない。

 いっそ、打ち明けた方が楽だった。

 実家が貧乏で、口減らしに魔女のいる森で捨てられたこと。

 兄と放浪して、魔女のお菓子の家を発見して食べ散らかしたこと。

 見つかって、食われそうになって、兄が庇って、魔女と戦い、目の前で共に死んだこと。

 その際、死に際の魔女から呪いを受けたこと。全てを吐き出した。

「…………」

 亜夜は、真顔になって、グレーテルを見つめる。

 グレーテルの壮絶な過去を聞いて、皆悲痛そうな表情に変わった。

「私は……お兄ちゃんを、魔女に殺されたから……魔女が憎い。怒りだってある。悔しさだってある。それは、否定しない。けど……」

 グレーテルは、俯いて言葉を紡ぐ。

 涙が床に流れていく。前髪で表情は見えない。

「けど……私は、姉さん何度も助けられた。前の騒ぎの時だって、今回の時だって。なにもできなかった無力な私を、姉さんは足を失ってでも、守ってくれた。そんな人を……私が、殺せると思ってるの……?」

 顔をあげたグレーテルは、亜夜に泣きながら問う。

 亜夜は、口を開く。その前に。

「自棄みたいに生きてた私を、散々構ってくれたよね。あんなに優しくしてくれたよね。酷いこと言ったけど、姉さんはそれで向き合ってくれたよね……」

 ぐすっ、と鼻をすすったグレーテルは、大きく息を吸った。

 そして。

「――そんな姉さんをッ!! 私が、殺せるわけないじゃんッ!!」

 グレーテルは、亜夜に向かって初めて怒鳴った。

 泣きながら、立ち上がると亜夜に近づくや、胸ぐらを掴んで持ち上げる。

 一瞬で殺気立つアリスを、ラプンツェルが手で制した。今は黙って見ていろ、と一瞥して言う。

 渋々、アリスは我慢した。

 亜夜が苦しそうにしているのを、構わずグレーテルは叫ぶ。

「私を気遣ってくれたのは嬉しい、けど……だからって、除け者にしないでよ!! 私がどれだけ寂しかったか、姉さんは分かってない!! 一方的に愛してくれるだけじゃ嫌なのに!! 愛しただけで満足しないで!! ちゃんと私の心も見てよ、受け取ってよ!! その気遣いが私は苦しいのッ!! 私だって、私だって……ッ! もう、愛してくれる人は姉さんしか居ないんだよ!? 好きだっていってくれる親しい人は、誰もいないのッ!! 姉さんが魔女だからなに!? 姉さんが自分から誰かを理由なく呪ったの、殺したの!? 違うでしょ!! 全部、全部……私達を守ってくれただけ! その感情を、私が分からないと思わないでッ!! 守られるだけじゃ嫌だって言ったのに、姉さんはまだ私を信じてくれない! 私に出来ることは姉さんを信じること! だったら、私を信じて! 姉さんが魔女でも、私を愛してくれた人に違いはないじゃない!! 姉さんを恨んだり、憎んだりもしない! 信じてよ、お願いだからッ……!!」

 次第に弱まる力。

 溜まっていた不満を全て亜夜に吐き出して、グレーテルは亜夜を抱き締める。

 呆然とする亜夜。本当に、亜夜は……他人の機微に鈍かった。

「姉さん……。お願いだから、私を一人にしないで……。寂しいよ……。一人は、もういや……。いやなの……」

「グレーテル……ごめんなさい。私が間違っていました」

 亜夜は、グレーテルに謝罪して、抱擁に応えた。

 自分から腕を背中に回して、優しく包む。

 彼女はアリスたちが知っていて、自分だけが知らないのが寂しかった。

 理由は理解できるけど、その気配りが余計に苦しかった。

 確かに、亜夜が魔女だったと知ったときは、今までの言動を疑った。

 でもすぐにそれは改めた。亜夜は一度もグレーテルを突き放すことをしなかった。

 こんな面倒くさい女を、何時でも笑顔で接してくれた。

 何度も何度も守ってくれた。そこに、偽りが混じる余地などなかった。

 亜夜の愛情は、偽物でもなければ空っぽでもなかった。

 優しくて、柔らかくて、温かい忘れていた気持ちだった。

 幸せ。それを、亜夜はずっと与えてくれていた。

 数分無言で抱き締めて、アリスが嫉妬して歯軋りを我慢しきれないぐらい経過した頃。

 グレーテルは、泣き止んでいた。亜夜にそのまま言った。

「姉さん、もう私にも隠し事はしないでほしいな。私は、姉さんの妹だよ。姉妹なんだから、そういうのは無し。私も、なるべく姉さん頼るから。私は、姉さんが魔女でも何でも関係ない。過去は、魔女だったからって覆らないもの。私が好きなのは、姉さんそのもの。ねっ? 姉さん」

「グレーテル……」

 何だか、色々吹っ切れた。

 今まで苛まれた罪悪感や負い目が、消えていく。

 全部亜夜にぶつけて、スッキリしたのかもしれない。

 誰かに素直に甘える事を、グレーテルは思い出した。

 この人は、大切な姉。この世界でただ一人の、血の繋がらない姉なのだ。

 血縁などなくとも、今度からはなにも無しに振る舞おう。

(私は一ノ瀬亜夜の妹、グレーテル・アインス。たとえ、世界が姉さん否定したとしても、妹として姉さんを守る。私は姉さんの愛されるだけの妹じゃない。姉さんの横に立つ妹になる。姉さんを愛する妹になりたい。だからまずは、この状況を打破しようか!)

 とうとう、三人目。グレーテル、覚醒。

 魔女の被害者でありながら、一ノ瀬亜夜という魔女を肯定する過ちに進む決意をした。

 見れば、生気に乏しかった亜夜に似た茶色の瞳は、完全に死んでいる。

 ハイライトを失った、大きな濁りの穴が二つ、顔にぽっかりと空いていた。

 愚かであろう。暴挙であろう。だから、どうした。

(もう、大切な人を失うのは嫌だ。だから、抗えるなら何だってしてやる。気に入らないけど、アリスと手を組んだっていい。他人を殺したっていい。身代わりにしたっていい。私は、それで姉さん護れるなら……やってやろうじゃない。私にとって、それが幸せだと思うし)

 要するに、亜夜が人類の敵ならば人類なんて死ねばいい。

 グレーテルは、そういう結論になった。たった一つの大切なもの。

 その為に、何もかも犠牲にしても構わない。

 これ以上、失う痛みは負いたくない。故に、他人に痛みを押し付ける。

「……あのー? グレーテル、顔が怖い……」

「えっ、怖かった? ゴメンね姉さん」

 少し引いていた亜夜を改めて、自分の膝の上に乗っけるグレーテル。

 羽が邪魔くさいが、これすら姉の一部と思うといとおしい。

「グレーテル、何羨ましいことしてんのよ!?」

 アリスが我慢ならずに立ち上がった。

 発育はグレーテルのほうが良いため、こう言うこともできる。

「アリスにはやらせないし。これは妹の特権だよ。部外者は引っ込んでろ、バーカ! 姉さん、今日も可愛いよ」

「…………えへへっ」

「む、ムカつくッ!! 絶対ぶっ殺す……ッ!!」

 ベーッと舌を出して威嚇するグレーテル。

 プッツンしたアリスが殴りかかるが、ラプンツェルが慌てて制止する。

「なにやってんだ、二人して!! 今は非常時! ねえ様は鼻血垂らして満足感浸って愉悦してないで、現状打開の方法を考えてくれ! マーチ、苦笑している暇があるならアリスを止めるの手伝って!!」

 何だか、いつも通りの魔女の日常になっていた。

 四人の間は無事に解決。本番は、ここからだった。



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