魔法科高校の劣等生と幻術士 (孤藤海)
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入学編
入学編 入学式前・中庭


全国で九校設置された魔法に関する教育機関の一校である、国立魔法大学付属第一高校。

 

その中庭で司波達也は困惑を心の奥に隠し、懸命に愛想笑いを浮かべていた。それも無理なからぬことだろう。

 

達也の前にいるのは、これから通う第一高校の生徒会長を務める、七草真由美。彼女は現代の魔法遣いである「魔法師」の頂点に立つ十師族と呼ばれる一族の一、七草家の長女だ。そんな相手に唐突に話しかけられ、更には達也自身が誇ろうとは思っていないペーパーテストの結果を称賛されていたのだ。

 

達也がもしも彼女のように真に優秀な人間だったら、その称賛も素直に受け取ることができただろう。

 

しかし、達也と彼女の間には、けして埋められぬ溝がある。

 

彼女の制服の胸には八枚花弁の第一高校のエンブレム。一方の達也の胸にはそれがない。

 

第一高校では魔法科大学、魔法科技能専門高等訓練期間に毎年百名以上の卒業生を送り出すことが義務付けられている。

 

八枚花弁を持つ彼女は魔法大学進学の候補生である一科生、ブルーム。将来を約束されたエリートである。

 

一方の達也は、エリートたちに事故があったときのための単なる予備要員である、二科生。ウィードと呼ばれる花の咲かない雑草だ。

 

「そろそろ時間ですので……失礼します」

 

達也にとっては他人にどう思われるかということは、さほど重要なものではない。とはいえ、今回は相手が相手だ。達也は無難に入学式までの時間を理由に、彼女との話を切り上げようとした。

 

達也の中では、彼女の返事を待たずに背を向ける予定であった。しかし、それは思いもよらぬ相手の登場により果たされることはなかった。

 

艶やかな黒髪は胸よりも少し長く、怜悧さを湛えた瞳と高い鼻梁。それは、容姿だけを見れば大和撫子を体現したかのような女子生徒だった。

 

ただし、奥ゆかしさのようなものは、あまり感じない。それは、真っ直ぐに前を見て歩く姿や、どこか冷たさを感じさせる眼差しのせいかもしれない。また、小柄な真由美より少しだけ高い程度の身長にも関わらず、妙に威圧感のようなものを感じた。

 

少女は間違いなく美少女であった。けれど、美少女という点においては、達也の妹の深雪は並ぶもののないレベルだ。それくらいで動きを止めたりはしない。

 

彼の足を止めさせてしまったのは、彼女の胸のエンブレムであった。

 

第一高校のエンブレムは八枚花弁。けれど、彼女の胸のエンブレムの花弁は五枚で、色は鮮やかな水色だった。更には右胸だけでなく両胸に刺繍がされている。

 

それは、第一高校に現れた紋なしを含めれば三種類目。エンブレムに限っても二種類目の完全に新しいカテゴリの生徒であった。

 

少女は水色桔梗紋を胸に颯爽とこちらに歩いてくる。

 

「ちょっ……ちょっと、そこのあなた」

 

先に動き始めたのは七草真由美であった。横を通り過ぎようとしていた少女を慌てて呼び止める。

 

「何でしょうか?」

 

それに対して少女は、きっちりと立ち止まってから真由美に正対する。

 

「その制服はどうしたの?」

 

「制服に何かありましたか?」

 

「そのエンブレムです。当校のエンブレムとは違うようですけど?」

 

真由美が少女の水色桔梗紋を指さしながら聞く。

 

「そうでしょうね。これは当家の家紋ですので」

 

堂々と言い返されて、百戦錬磨であろう真由美も面食らったようであった。けれど、すぐに態勢を立て直し、言葉を続ける。

 

「当校の制服は校則によって定められています」

 

「これは異なことを。私は単に着替えなどの折に取り違えが起きないようにしているだけです。いわば、持ち物に名前を書いておいただけ。御校の校則では生徒に持ち物に目印をつけることを禁じておられるのですか?」

 

少女はすらすらと屁理屈を述べていく。屁理屈と断じたのは少女の芝居がかった台詞から判断したものだが、真由美も同じ感想を抱いたらしく、頭痛を抑えるようにこめかみを押さえていた。一方、先の機会においては完全に離脱に失敗した達也は、この空白を利用することを考えていた。

 

「そろそろ時間ですので……失礼します」

 

前に言ったのと同じセリフを口にして、真由美に一礼する。

 

「そうですね。ついでに頭脳明晰な達也くんには、そこの彼女に対する説得をお願いしていいですか?」

 

「こんな難問を、いきなり新入生に任せないでください」

 

「あら、同じ新入生同士……そういえば、まだ名前を聞いてなかったわね。貴女の名前は?」

 

「宮芝和泉です」

 

「あっ……」

 

真由美が思わずといった感じで声を漏らす。そして、達也も声には出さなかったが同じように驚いていた。

 

宮芝は達也たち魔法を扱う者、魔法師にとっては特別な名であるためだ。

 

魔法師には大きく二種類に分けられる。一種類目は現在の主流である現代魔法師。そして、もう一種類が超能力と言われていた頃の名残を色濃く受け継ぐ、現在は少数派となった古式魔法師だ。

 

宮芝は非主流派の古式魔法師たちの中で最も長い歴史を持っていると言われ、恐れられている一族だった。

 

曰く、歴史の裏側では常に宮芝が暗躍していた。曰く、現代魔法の代表である十師族の成立にも深く関わっている。曰く、対立した一族は悉く消し去られてきた。

 

どこまでが本当かは眉唾物だが、少なくともそれだけ恐れられている一族ということだ。しかし、彼女はおそらく二科生。だが、それだけで噂を否定することはできない。

 

実戦での技能と学園の評価が必ずしも一致しないことは達也が他の誰よりも認識していることだからだ。

 

「では、達也くん、彼女のこと、頼みますね」

 

少しの間、言葉を失っていた真由美だが、復活すると大変な厄介事を達也へと押し付けて去っていった。

 

「さて、どうも任されてしまったようだが、君が私をエスコートしてくれるということでいいのかな?」

 

「会場までの案内くらいならするが……とりあえず、宮芝さん、俺の名前は司波達也だ」

 

「分かった。達也だな。ああ、私のことは気軽に和泉と呼んでくれ。私が達也と呼んでいるのに君だけが宮芝さんだと、いささか座りが悪い」

 

そんなことを気にする性格には見えないが、達也はそれをわざわざ指摘するようなことはしなかった。

 

「とりあえず、講堂に向かおう。入学式が始まる」

 

それだけ言って、少女の前に立って歩き始めた。



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入学編 入学式前・会場

達也が講堂に入ったときには、すでに席は七割ほどが埋まっていた。開場の遥か前に到着していながらこの順番となったのは、言うまでもなく生徒会長と、隣にいる女子生徒の責任である。

 

入学式には座席の指定はない。つまり、どこに座っても構わないのだが、新入生は前半に一科生、後半に二科生と綺麗に分かれている。

 

最も差別を意識が強いのは、差別を受けている者である。

 

自然と、そんな言葉が浮かんできた。そして、そういうことならば、達也にはやらねばならぬことがある。

 

「和泉、ここが空いてる。ここに座ろう」

 

「君はここに座るといい。私が座るべきは別の場所だ」

 

「いいから、ここに座ろう。生徒会長にも言われただろう。俺にエスコートさせてくれ」

 

重ねて言うと、和泉は渋々といった様子ながら達也の後に続いてくれた。

 

達也が強引に和泉の座る場所を指定したのは、講堂に入る前に和泉の制服に刺繍された水色桔梗紋について聞いていたからだ。

 

和泉に聞いたところによると、宮芝の家紋は単なる桔梗紋ということだった。しかし、和泉は第一高校に進学するに当たり、敢えて桔梗紋を水色に仕立てたという。

 

水色桔梗紋は織田信長を謀反により殺害した明智光秀の家紋だ。実際は地色が水色で桔梗自体は白抜きだったようだが、地色を水色にはできないので桔梗自体を水色にしたのであろう。

 

ともかく、わざわざ明智光秀で有名な色に変えたという意味は、下剋上あるいは寝首を掻くという宣言か。いずれにしても不穏なことこの上ない。

 

和泉とは今日初めて会ったばかりだ。下剋上の宣言をして反感を浴びようが、達也としてはどうでもいいことだ。けれど、この場でトラブルを起こすことは避けてほしい。

 

何と言っても、今日は達也にとって何よりも大切な妹の晴れ舞台なのだ。式の始まる前に無用な争いで場の空気を乱すようなことは許容できないことだった。

 

「あの、お隣は空いていますか?」

 

とりあえず席に腰を下ろして一息ついていると、頭上から声がかけられた。

 

「どうぞ」

 

達也が愛想よく頷くと、声を掛けてきた少女に続いて三人の少女が腰を下ろしてきた。

 

「え?」

 

そして、達也の隣に腰を下ろした少女が、達也の隣に座る和泉のことを何気なく見て、思わず困惑の声を漏らした。

 

それも無理なからぬことだ。第一高校には八枚花弁の一科生と無地の二科生がいるということは、これから通学を始める一年生であっても常識として知っていることだ。その常識があればこそ、水色桔梗紋などという見知らぬエンブレムを纏った生徒がいれば戸惑ってしまう。

 

「二科生の宮芝和泉だ。気軽に和泉と呼んでくれ」

 

視線に気が付いたか、和泉が先に少女に話しかける。

 

「あ……私は柴田美月っていいます。よろしくお願いします」

 

「司波達也です。よろしく」

 

自分を挟んで自己紹介をしあっているのに、無視するわけにもいかない。達也もなるべく柔らかな態度で自己紹介を返す。

 

「あたしは千葉エリカ。よろしくね、和泉、司波くん」

 

続いて声をかけてきたのは美月の奥に座った少女のものだ。

 

「千葉というと、剣術で著名な千葉家かな」

 

「うん、そうだよ。そういう和泉は、噂の宮芝さん?」

 

「どういう噂かは知らないが、君の思った宮芝と同じだと思うよ。しかし、さすがは千葉家だな。現代魔法師は往々にして古式の知識に疎いものだが、私の一族を知っているとはな。うむ、見上げた心がけだ」

 

「いや、うちは古式全般に詳しいわけじゃないよ。私はたまたま古式に知り合いがいるから知ってたというだけ」

 

達也と美月、二人を挟んで二人は会話を続ける。そして、二人には相手が何を知っているのかを探り合うような雰囲気があった。そんな二人に挟まれた二人としては居心地が悪いことこの上ない。

 

「ところで、和泉のそのエンブレムは何なの?」

 

ここでエリカが和泉の水色桔梗紋のことを質問した。

 

「これは宮芝の家紋、桔梗紋だ。水色にしたのは明智光秀にかけたものだな」

 

「明智光秀って?」

 

どうやらエリカは歴史にはあまり詳しくないようだ。

 

「簡単に言うと、謀反人だな。自らの主君を殺し、下剋上を成そうとした人物だ。まあ、私は一科生に上がるという決意を示したものだと思ってくれ?」

 

和泉はさらりと、とんでもないことを言った。達也はこのときだけは一科生と二科生が別れていることを、ありがたいと思った。

 

「一科生に上がるって、入れ替え制なんてあったっけ?」

 

「一科生に欠員を出せばよいというだけだろう?」

 

和泉はさらりと、さらにとんでもないことを言う。和泉は欠員が出たときのためとは言わなかった。欠員を出すと言ったのだ。言葉だけでも、どう考えても不穏な行動しか想像できない上に、相手は宮芝なのだ。

 

「和泉、一科生には俺の妹がいる。頼むから妹だけは巻き込んでくれるな」

 

「司波くん、妹さんがいらっしゃるんですか?」

 

「妹なのに同学年ってことは双子?」

 

発言は、前者が美月で、後者がエリカだ。

 

「俺が四月生まれで、妹が三月生まれなんだ。だから、双子じゃない」

 

「君の妹か。それはさぞかし優秀なのだろうな」

 

そして和泉は達也の返答とはまるで関係のない感想を漏らしていた。

 

「なぜ二科生の俺の妹なら優秀だという結論になるのか分からないな」

 

「君、君も千葉君も優秀なのは見れば分かる。何より私はこの場にいる誰よりも優秀だ。それだけを見ても優秀であるか否かということと、一科生であるか二科生に関連性はないと分かるというものだろう?」

 

「……その自信はたいしたものだな」

 

あまりにも自信に満ち溢れた発言に思ったことが口をついてしまった。しかし、その感想は和泉と逆方向に並ぶ四人も同じであったようで、皆、一様に乾いた笑みを浮かべていた。



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入学編 入学式後・会場

達也の期待以上に、妹の深雪の答辞は見事であった。「皆等しく」や「魔法以外にも」といった際どいフレーズも上手く棘を隠して使用していた。

 

それに比べて、この女は。

 

式の終了後、IDカードの交付のために列を作る段になると、宮芝和泉は早速とばかりに一科生の列に向かおうとしたのだ。しかも、ただ並ぶだけでも悪目立ちを通り越して、敵意をぶつけられることは確実であろうに、あろうことか順番抜かしまでしようとしたのだ。

 

おそらく和泉の狙いは、適当に挑発して相手に先に手を出させ、それをもって退学に追い込むという手だろう。達也はこの短い時間で、一科生の中には無駄にプライドばかりが高い者いることに気づいていた。

 

魔法の能力が全てという実力主義は、魔法科高校の中においてのみ有効な概念だ。学校の敷地を一歩外に出れば、個人の魔法の能力などというものは権力や財力、組織的な武力の前では何の意味もなさない。

 

最強の現代魔法師の一族と言われている十師族の中には四葉家という家がある。四葉家は歴史の表舞台には、ほとんど顔を出さない。けれど、保有している武力、権力との繋がり、いずれもかなりのものだ。

 

達也の妹の深雪は、一人の魔法師としては世界屈指の実力者だが、それでも四葉家と敵対などということは、可能性を考えることすらしない。

 

噂の内容による判断しかできないが、宮芝は四葉とよく似ている。仮に四葉と同等の影響力があるとすれば、いや、四葉ほどの影響力がなくとも一科生一人くらいなら退学に追い込むことは容易いだろう。

 

何せ、世間の常識では口喧嘩で女性に手を出すというのは圧倒的に悪。多少の力があれば外からの圧力という方法を取ることができる。

 

和泉の手段は積極的に同調できるものではない。とはいえ、普段の達也なら勝手にやる分には放置したことだろう。

 

けれど、今は妹が答辞を終えた直後。これでは妹の答辞が悪い影響を与えてしまったと取られかねない。

 

「すみません。この子はちょっと貧血で意識が朦朧としているようで」

 

仕方なく、達也は割り込みをしようとしている和泉の腕を取り、強引に外へと連れだした。

 

「君、なぜ邪魔をするのだ?」

 

「さっき、妹だけは巻き込んでくれるなと言っただろう。俺の妹は総代を務めた女子生徒だ。和泉に今、問題を起こされると総代の顔に泥を塗ることになるとは思わないか?」

 

「む、それは確かにそうだな。分かった、今日は大人しくしていよう」

 

それは明日からでも暴れるという宣言ということだろうか。それはそれで不穏であるが、とりあえずは今日を乗り切ることを考えよう。

 

「何、まさか本当に仕掛ける気だったの?」

 

和泉を二科生の列に連れ戻すと、エリカに冷たい目で言われてしまった。

 

「当然であろう。魔法技能を向上させるという点において、指導教員がいるのといないのでは大きな違いだ。一科生にあがるのは早い方がいい」

 

達也も含めて多くの二科生は、試験の結果であるから仕方がないと、二科生であるということを受け入れている。それに比べて和泉は、磨かれた刃もかくやというレベルでぎらついている。

 

「ほんの少しだけなら、その姿勢も見習うべきなのかもしれないけどね」

 

エリカの言う、ほんの少しというのは、本当に少し、おそらく一割程度くらいだろう。確かに入学式の段階から自分は一科生とは違うと列の後ろに向かうのは、向上心に欠けると思わなくもない。けれど、全員が和泉だったら、魔法科高校は辻斬り闇討ちが横行する無法地帯になっている。

 

何はともあれ和泉を連れて二科生の列に並んでIDカードを受け取る。

 

「司波くん、何組?」

 

聞いてきたのはワクワク感を隠し切れないエリカだ。

 

「E組だ」

 

「やたっ! 同じクラスね」

 

エリカは飛び跳ねて喜びを示す。

 

「私も同じクラスです」

 

アクションは伴わないものの、美月も表情で喜びを示していた。

 

「おや、奇遇だな、私もだ。短い間となるが、よろしく頼む」

 

一方、和泉はというと、単純に偶然を面白がっているだけの様子だった。和泉の言う、短い間というのは、それこそ最短では明日までというくらいの気持ちだろう。

 

旧時代と違い、クラスはあくまで実技や授業の単位のために定められているにすぎない。仮にクラスの中で問題が発生したとしても、それによって他の生徒にまで責任が及ぶということはない。

 

けれど、同じクラスということは必然的に視界内に入ることは多くなる。そして、和泉は誰かが巻き込まれそうだということで行動を自粛するようなことはないだろう。つまり、達也が和泉の起こす事件に巻き込まれる確率は、確実に増したということだ。

 

「どうする、ホームルームに行ってみる?」

 

落胆を隠せない達也の顔を見上げながら、エリカが尋ねてくる。

 

「悪い。妹と待ち合わせているんだ」

 

友人を作るならホームルームに向かった方がいいのだろう。しかし、達也にとっては友人作りよりも妹の約束の方が大事だ。

 

「ほう、君の妹と言うと、総代を務めていた彼女だな。初めて見たが、あれには確かな才気を感じた。それは是非とも面識を持っておきたいな、同行しよう」

 

「え、和泉も行くの? それならあたしも行こうかな」

 

「でしたら、私も」

 

「エリカと美月はともかく、和泉だけはお断りさせてほしい」

 

嘘偽りのない本心で、達也は和泉に言ってみる。

 

「堅いことを言うな。なに、別に取って食いも、喧嘩を仕掛けも、脳に呪符を仕込みもしないから安心したまえ」

 

前の二つはともかく、残りの一つは完全にアウトだ。けれど、わざわざ言ったからにはできるということなのだろうか。

 

或いは、深雪の敵となるのであれば。

 

達也が僅かに拳を握ると、和泉は愉快そうに右の口角を持ち上げて見せた。



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入学編 入学式後・会場出口

「お兄様、お待たせ致しました」

 

待ち人の声に振り返った司波達也が目にしたのは、妹の深雪の背後に続いている予定外の同行者の姿だった。

 

「こんにちは、司波くん。また会いましたね」

 

同行者は七草真由美であった。真由美の人懐こい笑顔に、達也は少しだけ和泉の方を見た後、無言で頭を下げるのみという対応で答えた。

 

それを受けた真由美は無反応。その微笑みは少しも崩れることはない。

 

また会った、ということなら達也の隣にいる宮芝和泉も該当するはずだ。だから、声をかけるよう促したが、それでも真由美は声をかけるということをしなかった。おそらく、関わり合いたくないのだろう。

 

一方の深雪はというと、兄と生徒会長の駆け引きよりも、兄の傍らに親しげに寄り添う少女たちに目を向けていた。

 

「お兄様、その方たちは……?」

 

「こちらが柴田美月さん。そしてこちらが千葉エリカさん。同じクラスなんだ」

 

達也が和泉のことを紹介しなかったのは、深雪と関わり合いを持たせたくなかったからだ。しかし、和泉がそれを見逃してくれるはずもなかった。

 

「冷たいな、達也は。なぜ私との関係は妹さんに隠そうとするのかな?」

 

和泉は自分のことを紹介をしなかったという敵失に対して最大の攻撃力で仕掛けてきた。一瞬、これも一科生を追い落とす策の一環かと思ったが、視線を向けた先にいたのは単純ないたずらを楽しむ少女であった。どうやら、今回は単なる冗談であったらしい。

 

「そうですか……早速、クラスメイトやそちらの女性とデートですか」

 

可愛らしく小首を傾げ、唇には淑女の微笑みを浮かべているが、目は笑っておらず、心なしか周囲の気温が下がっている気がする。

 

「そんなわけないだろ、深雪。お前を待っている間、話をしていただけだ。そういう言い方は二人に失礼だよ。そして、最後の一人は深雪の魔法力が目当てのようだから、深雪のために関わらせない方がいいと判断したまでだ」

 

このままでは周囲に冷害を起こしてしまいかねない。達也が慌てて静止をかける。

 

「おやおや、これは随分な言われようだな」

 

「そうですか。私のため、なのですね」

 

和泉はまだ何かを言っていたが、達也の視線と言葉の効果は絶大であり、深雪の機嫌は劇的に回復した。

 

「はじめまして、柴田さん、千葉さん。司波深雪です。わたしも新入生ですので、お兄様同様、よろしくお願いしますね」

 

達也の、関わらない方がいいという言葉を忠実に守ってか、或いは単純に和泉が名乗っていないためか、深雪は和泉を除いた二人の名だけを呼ぶ。そのことに対して、和泉はすぐには反応を返さなかった。

 

危険人物がいよいよ、その食指を伸ばしてきたのは、深雪に対して美月とエリカが改めて自己紹介をした後だった。

 

「なんだか私の扱いが悪いのが気になるが、私の名は宮芝和泉だ」

 

「宮芝っ……」

 

宮芝の名に、深雪は思わず驚いた様子を見せてしまった。しかし、これはあまり好ましい反応ではない。

 

百家であり、古式に知り合いのいるエリカは宮芝家のことを知っていた。一方、美月は宮芝という名を聞いても反応しなかった。

 

悪名も高い宮芝家であるが、仮にも十師族として名を連ねる四葉家と違い、表舞台に全く姿を現さないことから現代魔法師の間ではそれほど知られた存在ではない。そして、司波家は名門でもなければ、古式魔法にも通じた家でもない。多くの人の前では、あまり見せてほしくない表情だった。

 

さすがに深雪は心得たもので、驚きの表情は一瞬で消した。が、今の間で誰か気付いた者がいないとも限らない。

 

達也は素早く視線を左右に走らせたが、深雪が和泉の方を見ていたこともあり、幸いにも表情の変化に気づいた者はいないようだった。

 

「深雪、生徒会の方々の用は済んだのか? まだだったら、適当に時間を潰しているぞ?」

 

一安心したところで、深雪と和泉の会話を切りにかかる。

 

「大丈夫ですよ」

 

達也の問いに答えたのは真由美であった。

 

「深雪さん、詳しいお話はまた、日を改めて」

 

真由美は笑顔で軽く会釈してそのまま講堂を出ていこうとした。だが、すぐ後ろにいた男子生徒が真由美を呼び止めた。その胸には当然のように八枚花弁のエンブレムが咲き誇る。

 

「しかし会長、それでは予定が……」

 

「予めお約束していたものではありませんから。別に予定があるなら、そちらを優先すべきでしょう?」

 

そう言った真由美に続けて割って入る声があった。

 

「そうだぞ、少年。人にはそれぞれ都合があるのだ。君の不調法は、そのまま会長の評判を落とすものになる。くれぐれも言動には注意することだ」

 

ああ、また始まったか。和泉と自分たちが友人ではないことは、今までの遣り取りで理解してもらえるはずだ。達也は諦観をもって、それを見守ることにした。

 

挑発された男子生徒が、和泉に目を向ける。

 

「そこの生徒、その制服は何だ!」

 

「やれやれ、君の不調法はそのまま会長の評判を落とすものになると、今言ったばかりではないかね? この制服のことはすでに会長もご存じというに、なぜそれを確認しない?」

 

「な、何!?」

 

和泉に反論され、男子生徒は見事に言葉に詰まった。ちなみに和泉は嘘は言っていない。けれど、正しい言い方では断じてない。

 

今日の入学式前、確かに和泉は制服にあしらわれた水色桔梗紋の由来を話した。だから真由美も当然に知っている。けれど、それだけだ。それを和泉は、会長から許可をもらっているかのような言い方で伝えた。

 

一方、急に登壇させられた形の真由美は困惑を露にしていた。許可をしていないと伝えることは簡単だ。けれど、それをしたら先の時間には注意をできなかったことを告白の上、名前を書いているのも同じという和泉の言い訳に対して反論を返さなければならなくなる。

 

一度に二人の人間を煙に巻いたことを感心するべきか、呆れるべきか。そうこうしているうちに和泉は次の行動に移っていた。

 

「では、私はこれで失礼するよ。また会おう、生徒会諸君」

 

お前は一体、どういう立場の人間だ。その言葉は、当然のことながら胸の内に留める。

 

「……さて、帰ろうか」

 

そうして和泉が遠ざかるのを待ってから、深雪たちを促して帰路につくことにした。約束通り、今日は大きな問題は起こさなかった和泉だが、明日は同じようにはいかないかもしれない。

 

帰り際に皆の表情を見回すと、真由美や生徒会所属の男子生徒を含めた全員が、一様に疲れた顔を見せていたのが印象的だった。



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入学編 入学式後・司波達也自宅

「それで宮芝を名乗っていたのは、どんな子だったの?」

 

司波達也が念のため宮芝を名乗る者が第一高校に現れたことを本家に連絡すると、予想外に四葉家当主にして彼の叔母である四葉真夜が直接、報告を聞きたいと言い出したのだ。

 

その異例の対応は、眉唾物と思っていた宮芝に関する噂が、けして火のない所に立った煙ではないことを示していた。

 

「名は宮芝和泉といいます」

 

「それは、男の子、女の子?」

 

「女性ですが……」

 

和泉という名前で女子であることは分かりそうなものだ。不思議に思いながら答えると、真夜はおかしそうに種明かしをした。

 

「宮芝家の当主は、代々、和泉守を名乗るのよ。だから、男であろうと女であろうと通名は宮芝和泉。今代が女の子なのは単なる偶然ね」

 

今時、官職を名乗り続けている者がいるとは思わなかった。

 

「それで、その子はどんな子なの?」

 

「率直に言って、よく分かりません」

 

「あら、達也さんの目をもってしても?」

 

「一つ言えるのは、酷く好戦的という印象です。けれど、本当に好戦的であれば、こうまで歴史の裏に隠れ続けることはないでしょうし……もっとも、今代が特別に好戦的な人物、という可能性もありますので」

 

和泉の行動は、一見すると隙あらば喧嘩を仕掛けているように見えた。しかし、よく考えてみると仕掛けようとしたのは常に周囲に大勢の一科生と二科生がいる状況だった。例え周囲に人が少ない状況であっても、挑発して騒ぎになれば何らかは耳に入るはず。それがなかったということは、一対一などの場面では行っていないとも考えられる。

 

もしも敢えて一科生と二科生が複数人いる場面で喧嘩を仕掛けるとすれば、意図的に乱闘になることを狙っているとしか考えられない。そして、複数人が入り乱れる乱闘は、多くの退学者を出すのに、もってこいの状況だ。

 

今の時点では短慮であるとも、思慮深いとも言えない。唯一言えるのが、自らの望みを果たすためなら、とばっちりで回りがどうなろうとも気にしない。即ち、混乱を恐れない極めて好戦的ということだけだった。

 

「まあ、道徳なんて言葉は宮芝とは対極だものね」

 

うちも人のことは言えないけど、と呟いてはいたものの、真夜の言葉は実感が伴っていた。どうやら、噂以上に宮芝は闇の深い一族のようだ。

 

「それで、対応はいかがしましょうか?」

 

「達也さんは、どう見たのかしら?」

 

「積極的に深雪を害してくるようなことはないと思います。ですが、混乱を起こすことを目的とする以上、巻き込まれる危険性は捨てきれません」

 

和泉が狙うのは、人が多い所。残念ながら、類まれな美貌を持つ深雪は、本人の意図に関わらず多くの人に囲まれている可能性が高い。そして、そこを和泉が狙う可能性も。

 

しかし、今の叔母の態度を見る限り、和泉に危害を加えるという行動も悪手に思える。今の所、和泉に深雪に対する害意はない。しかし、手段を選ばない和泉のことだ、達也が邪魔をすると判断した場合に、どのような行動に出るかは容易に想像できる。

 

果たして叔母はどのような判断を下すのか。

 

「達也さん、宮芝からは目を離さないようにしなさい」

 

「敵対は、避けるべきですか?」

 

「先方から危害を加える行動に出てこない限り、敵対行動を取ることは禁じます」

 

「分かりました」

 

これで、はっきりした。宮芝への敵対はなしだ。

 

達也の言葉に満足したのか、真夜は通信を切った。

 

「お兄様」

 

通信が切れていること十分に確認して、深雪が徐に口を開いた。

 

「すまない。どうやらお前に平穏な学園生活は送らせてやれそうにない」

 

今日の帰り道。和泉がさっさと消えた後、エリカに連れられてケーキ屋で、深雪はエリカと美月の三人でのお喋りの時間に興じていた。それは、深雪にとっては大切な、ごく普通の女子高生として楽しめる時間であったはずだ。

 

第一高校を卒業してしまえば、或いは何か一つでも歯車が狂ってしまえば、深雪の学園生活は一瞬にして終わりを迎える。だからこそ、達也は深雪の学園生活を守りたいと思っていたのだ。

 

現時点では、それが壊されると決まった訳ではない。しかし、その時間が続くことを根拠なく信じられているのと、その時間が近く壊れてしまうのを予見しているのでは、同じ時を送ったとしても受け取り方は変わってしまうだろう。

 

たった三年だけの、深雪がただの司波深雪として無邪気に楽しむことのできる時間。それを奪われるというのは業腹だ。しかし、それを防ごうと手を打つことは和泉と敵対することになり、結局は平穏を失うことになるのだ。

 

だから、達也には何もしてやることができない。

 

「気になさらないでください。お兄様は何も悪くないのですから。悪いとすれば、一科生と二科生を徒に対立させている学園側だと思います」

 

深雪は深雪で、達也を二科生として冷遇する学園に腹を立てているようだ。

 

ともかく、検討すべきは和泉への対処法だ。

 

今日の様子を見た限り、一科生への挑発を諫めたりする周囲の言もある程度は受け入れてくれるようだ。また、深雪を巻き込むなと言った時も、あっさり了承の意を示していた。

 

そこから考えるに、達也や深雪に火の粉が降りかかる可能性のある場面なら、和泉の妨害をしても問題はなさそうだ。

 

叔母は目を離すなといったが、どうも和泉には達也と深雪の目の届かない所に行ってもらった方がよい気がしてならない。

 

「ひとまずは、明日の和泉の行動を見て、判断するよりないな」

 

こういう案件こそ、生徒会が受け持つべきことなのではないか。達也は今日、生徒会長でありながら和泉を押し付けた七草真由美に心の中で毒づいた。



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入学編 入学二日目・登校直後

司波達也が入った一年E組の教室は、雑然とした雰囲気に包まれていた。

 

教室のそこかしこに発生している雑談の小集団の合間を縫い、自分の端末を探すために達也は机に刻印された番号を確認していく。しかし、自分の端末を見つける前に思いがけず名前を呼ばれ、顔を向けることになった。

 

「オハヨ~」

 

声の主は相変わらず陽気な活力に満ちたエリカだった。

 

「おはようございます」

 

その隣では、美月が控え目ながら打ち解けた笑みを向けて来ている。

 

二人と軽い挨拶と雑談を交わし、達也は端末でインフォメーションのチェックを始める。

 

各種規則やイベントやカリキュラムを高速でスクロールしながら頭に叩き込み、キーボードオンリーの操作で受講登録までを終える。そこで一息入れるために顔を上げると、前の席で目を丸くして、達也の手元をのぞき込んでいる男子生徒と視線が合った。

 

「……別に見られても困りはしないが」

 

「あっ? ああ、すまん。珍しいもんで、つい見入っちまった」

 

珍しいかと聞いた達也に、珍しいと答えた男子生徒は自分の名を西城レオンハルトと名乗り、得意な術式は収束系の硬化魔法と自己紹介した。

 

「司波達也だ。俺のことも達也でいい」

 

自分のことをレオと呼んでいいと言った相手に会わせて自分も名前呼びでいいことを伝える。すると、レオは早速、達也と呼びかけて得意魔法を聞いてきた。

 

「実技は苦手でな、魔工技師を目指している」

 

「え、なになに? 司波くん、魔工技師志望なの?」

 

すると、まるでスクープを耳にしたかのようなハイテンションでエリカが二人の話に割って入ってきた。

 

「達也、コイツ、誰?」

 

その様子にレオは、やや引き気味に指差しながら訊ねてくる。

 

「うわっ、いきなりコイツ呼ばわり? しかも指差し? 失礼なヤツ、失礼なヤツ! 失礼な奴ッ! モテない男はこれだから」

 

「なっ? 失礼なのはテメーだろうがよ! 少しくらいツラが良いからって、調子こいてんじゃねーぞっ!」

 

言い争い始めた二人を諫めようと達也と美月が動き出そうとする。しかし、それよりも混沌の申し子が割って入ってくる方が早かった。

 

「やあ、二人とも。元気がよいのはいいことだな」

 

宮芝和泉は言い合う二人の間にすっと入るばかりか、レオの肩に手を置いていた。

 

「な、なんだコイツ!?」

 

「おやおや、つい今しがた、そこの彼女にコイツ呼ばわりはよくないと諭されたばかりではないか。発言には注意した方がいいぞ、少年」

 

「少年って、どう見てもお前は同学年……その前に、お前は二科生なのか?」

 

「私の名より前に一科二科を問うのか。嘆かわしいな」

 

「ちょっと達也、コイツどうにかしてくれ!」

 

どうにも噛み合わない会話に、レオが音を上げる。

 

「そういえばエリカ、昨日のケーキのレシピだが……」

 

「あー、たぶん、砂糖を使ってるよね」

 

レオには悪いが昨日の時点で関わらない方がいいと悟っている達也たちは、三人で話し込んでいるため、聞こえなかったことにしようとした。

 

「ケーキに砂糖を使わなかったら、何を使うんだよ……ってどこを触っているんだ!」

 

「ふむ、なかなかいい筋肉だが、少し足りないな。どうだい、君。筋肉量が倍になる薬があるんだが試してみないか? なに、少し思考能力が低下するが、安全な薬だ」

 

「思考能力が低下する時点で、どう考えてもヤバイ薬だろ。って、いい加減に離せ!」

 

「きゃっ!」

 

レオが逃れるようと大きく腕を振ると、和泉が大きく跳ね飛ばされた。和泉は机に背中を打ち付けている。更にその後は右手首を押さえて、へたり込んでしまった。俯いた顔の奥からは微かに鼻を啜るような音も聞こえてくる。

 

「わ、悪い。加減できなくて、つい……」

 

相手が小柄な女子というのもあるだろう。レオは慌てた様子で和泉の傍に跪く。

 

「いえ、私がふざけすぎたのが悪いんです」

 

「いや、全面的に俺が悪い。本当に悪かった」

 

レオは和泉に責任の一切を押し付けず、自分が全て悪いと断言する。そこには、大柄な男である自分が小柄な女子を突き飛ばす形になり泣かせてしまったという罪悪感があるのだろう。その心がけは、ある意味、男らしいと言えなくもない。

 

「レオ、謝る必要なんかないわよ」

 

しかし、その行動はエリカによって静止がかけられた。

 

「なんだよ、お前はこういうの、厳しそうに見えたんだがな」

 

「あんたが馬鹿力で怪我をさせたんなら、あんたを非難してるわよ。けど、その女、あんたが腕を振る直前に自分で僅かに体を浮かせてたわよ」

 

レオが驚いて蹲る和泉の方を見る。その和泉はというと……。

 

「あーあ、せっかく面白くなりそうだったのに。まあ、君が好ましい人間だと分かっただけで収穫はあったかな」

 

悪戯がばれた子供のような邪気のない笑顔で、立ち上がっていた。

 

「改めて、初めまして。宮芝家三十六代当主、宮芝和泉だ」

 

「え……ああ、西城レオンハルトだ」

 

名乗ると同時に和泉は流れるような動作で右手を差し出す。展開についていけないレオは流されるように手を取ってしまい、改めて名乗っていた。

 

それにしても魔法が表に出るようになってから、まだ百年程度しか経っていない。現代魔法師は名門と呼ばれている一族でも、百年程度の歴史しか持っていないわけだ。

 

三十六代分という途方もない歳月を積み重ねてきた宮芝の価値観は、現代魔法師とは異なっていても不思議ではない。

 

「まあ、さっきの忠告だけには礼を言っておくぜ」

 

「そ、じゃあ、とりあえず受け取っておくわ」

 

あまりにも自由な和泉に毒気が抜かれたのか、エリカとレオの間でも和解が成立したようだ。

 

しかし、ようやく静かになった、という周囲の声が耳に入り、次の瞬間には達也は自分が騒がしい連中の一人としてカウントされていることに肩を落とすことになった。



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入学編 入学二日目・履修登録

第一高校の総合カウンセラーを務めているという小野遙の話を、吉田幹比古は半分以上聞き流していた。

 

遙は相談事には適切な専門分野のカウンセラーを紹介するとも言っていたが、幹比古が抱えている問題は誰かに相談しても解決する類のものではない。この学校のカウンセラーがどの程度まで優秀なのかは知らないが、少なくとも古式の問題について吉田家よりも優れた解答を導き出せるとは思えない。

 

既に履修登録を終えている幹比古は、遙のガイダンスに関する説明も聞き流していた。そこに待望の言葉がかかった。

 

「……既に履修登録を終了している人は、退室しても構いません。ただし、ガイダンス開始後の退室は認められませんので、希望者は今の内に退室してください」

 

幹比古は教卓に向かって一礼すると、左右から窺うように投げかけられる視線も無視して、迷うことなく教室を出る。

 

「やあ、随分と早い退出だね、少年」

 

と、教室を出て幾ばくもしないうちに、背中から声を掛けられた。その声が誰であるのかは振り返らずとも分かった。

 

朝の騒動は多くの生徒が目撃している。当然、幹比古も。

 

「な……何で?」

 

「何でとはご挨拶だね。早い退出であることは一目瞭然だろう?」

 

幹比古が思わず聞いてしまったのは、どうやって自分の後に外に出たのかということだ。扉に向かって歩いている最中、他に誰かが立ち上がった様子はなかった。そして、自分が閉めた教室の扉を誰かが開ける音も聞いていない。

 

古式魔法の名門、吉田家の者として修業を積んだ幹比古は、すぐ後ろをついてくる人間の気配を察知できないほど鈍くはない。例え相手が何らかの手段を用いたとしても、だ。けれど宮芝和泉は、それを易々とやってのけた。

 

「さて、吉田の子倅、随分と苛立っているようじゃないか」

 

相手は自分より遥かに小柄な女子だ。けれど、見上げるように見つめてくる、その視線から目を逸らすことができない。

 

「何か悩みがあるのだろう。さあ、私に話してみるがいい。同じ古式の誼だ。私にできることなら協力してやろう」

 

古式の術士として、宮芝の危険性は周囲から嫌というほど聞かされていた。朝の騒ぎの際にも宮芝が混じっていると分かった瞬間に目を逸らし、一切の関りを持たなかった。

 

宮芝は蛇を思わせる笑みで蛙にすぎない自分を丸のみにせんと狙っている。しかし、圧倒的な歴史を持つ宮芝なら自分の悩みを解決してくれるのではないか。危険だと分かっていても、甘美なその誘いから逃れることができない。

 

「ぼ……僕は……」

 

「そこまでにしておいたらどうだ?」

 

誰かの声が聞こえ、幹比古の意識は現実に引き戻された。

 

「おや、あと少しだったというのに。残念」

 

宮芝はくるりと反転すると、誰かに向かっておどけて見せたようだ。靄がかかったように朦朧とする意識を頭を振ることで覚醒させ、顔をあげると朝方に宮芝と騒いでいた男子生徒だと分かった。名前は……確か司波達也。

 

「しかし、君は他人にさほど関心がないように見えたのだがね。まさか名前も知らない同級生を助けるとは意外だったよ」

 

「名前も知らないのは確かだが、一応は同級生だ。そして同級生を入学早々に洗脳しようとしていたら、誰でも止めるだろ?」

 

「おやおや、お優しいことだ」

 

やはり、自分は洗脳されそうになっていたのか。危ないところだった。

 

「まったく、お陰で俺まで教室を出る羽目になったぞ」

 

「おや、君も履修登録は終えていたのだろう。だったら何も問題はないじゃないか」

 

「悪目立ちは、したくなかった」

 

それは、幹比古は悪目立ちしたと言っているのだろうか。自覚はあるので特に口を挟むことはしなかった。

 

「席を立ったのは、私を入れれば三人だ。物珍しさは、だいぶ薄れたと思うがね」

 

「和泉が席を立ったことには、だれも気付いていなかったようだが?」

 

「それでも君は気づいた。やはり、君はたいしたものだ」

 

幹比古はそれなりに現在の魔法師界について精通しているはずだが、司波という家は聞いたことがない。古式であれば知らないはずがないので、現代魔法師。その現代魔法師の、しかも二科生が気づけた術に、自分は気づけなかった。幹比古の心に暗い影が差す。

 

「もう行っていいかな? 宮芝には関わりたくないんだ」

 

そして、その影は普段の幹比古であれば避ける直言となって出た。

 

「おや、随分な言い様だな。……吉田風情が」

 

宮芝は気分を害したようで、威圧感を強めてきた。

 

「吉田風情かどうか、試してみるか?」

 

どう考えても、売り言葉に買い言葉だ。だが宮芝の態度は幹比古の苦悩を嘲笑っているようで、つい挑発めいたことを口にしてしまった。

 

「試す? 勘違いするなよ、吉田風情に試すに値するものなど、あるものか」

 

「よせ、二人とも!」

 

一触即発の雰囲気を出し始めた幹比古と宮芝の間を遮るように、司波達也が宮芝の前に出る。

 

「どいてくれないか、吉田の姿が見えない」

 

宮芝はそう言って司波を押しのけようとするが、どうやら腕力は普通の女子くらいしかないようで、司波の身体はびくともしない。

 

「妹だけは巻き込まないでくれと言ったが、訂正しよう。妹に加えて、俺のことも巻き込まないでくれ」

 

「君は勝手に首を突っ込んできているのだろう?」

 

「同じクラスでの揉め事だ。諸々の連鎖で巻き込まれるに決まっている」

 

どうも宮芝は司波には、幹比古ほど強くは出ないようだ。宮芝が賛辞を送っていたところを見ても、何か優れた適性があるのだろう。

 

宮芝を押さえながら、司波が後ろ手で、今のうちに行けと合図を送ってくる。元より宮芝の危険性を認識していた幹比古だ。この場で何が適切な選択であるかは理解できている。

 

ゆえに幹比古は素直に、この場を去ることを選択した。しかし、宮芝が持っている知識に後ろ髪を引かれる思いがあることは、否定しきれない事実であった。

 

「気が変わったなら、いつでも連絡をするがいい」

 

そして、それを見透かしたように、宮芝は尚も甘美なささやきを続ける。



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入学編 入学三日目・騒動(前)

入学三日目、昼食時の食堂で一つの事件が起きた。

 

事件といっても、内容は些細な言い争いという程度だ。

 

そのとき、司波達也はレオやエリカ、美月と一緒に食事をしていた。そこに、少し遅れて深雪がやってきて、達也たちと食事をすることを望んだ。そのとき、深雪に引っ付いて一緒に食堂に来ていた男子生徒がレオから席を奪おうとしてきたのだ。

 

そのときは和泉がいなかったこともあり、急いで食べ終えた達也がレオと一緒に食堂を出ることで事なきを得た。

 

その後の午後の専門課程の見学で、遠隔魔法の実習中の生徒会長、七草真由美の実技を最前列で見学したことで悪目立ちをし、そして今、最終章を迎えようとしていた。

 

「いい加減に諦めたらどうなんですか? 深雪さんは、お兄さんと一緒に帰ると言っているんです。他人が口を挟むことじゃないでしょう」

 

美月がいつもの内気な様子から打って変わって気色ばんでいる。

 

「別に深雪さんはあなたたちを邪魔者扱いなんてしていないじゃないですか。一緒に帰りたかったら、ついてくればいいんです。何の権利があって二人の仲を引き裂こうとするんですか」

 

美月は丁寧な物腰ながら、容赦なく正論を叩き付けている。

 

「僕たちは彼女に相談することがあるんだ!」

 

「そうよ! 司波さんには悪いけど、少し時間を貸してもらうだけなんだから!」

 

昼食時には何とか衝突には至らなかった。しかし、今回は一科生たちの言い分に我慢がならないようで、レオ、エリカ、美月の三人が揃って反論している。もはや、達也が止めても簡単には引き下がらないだろう。

 

そして、何より不気味な存在として、和泉が黙って達也の横で事態の推移を見守っているのだ。いや、見守っているというのは正しくない。

 

和泉はすでに仕掛けるつもりで魔法式の構築に余念がない。どうも和泉は魔法式の構築はあまり得意でないようで、一つ一つの魔法の構築スピードは二科生の中でも劣等生もいいところだ。しかし、そこはさすがに古式の術士というべきか、完成させた術式を呪符の中に封じる技能を有しているようだ。

 

和泉は言い争いに参加していないのでない。すでにその先の衝突に備えて様々な術を用意するのに忙しいというだけだ。

 

準備万端となれば、いよいよ最後の挑発に移るだろう。そのとき挑発に乗れば、和泉の呪符の一斉射撃が発動されるはずだ。

 

「うるさい! 他のクラス、ましてやウィードごときが僕たちブルームに口出しするな!」

 

しかし、達也の憂慮をよそに、和泉の挑発を待たずして一科生たちは暴発を始めていた。

 

「同じ新入生じゃないですか。あなたたちブルームが、今の時点で一体どれだけ優れているというんですかっ?」

 

そして、ついに衝突の引き金になる一言が美月の口から発せられた。

 

「……どれだけ優れているか、知りたいなら教えてやるぞ」

 

「ハッ、おもしれえ! 是非とも教えてもらおうじゃねえか」

 

一科生の最後通牒にも、レオは挑戦的な大声で応じる。

 

「だったら、教えてやる!」

 

その言葉が終わらぬうちに、最初の魔法が発動された。発動者は和泉。しかし、それを知覚することができたのは達也だけであった。深雪でさえ、この場で魔法が使われたことに気づいていない。その理由は、表面上は何も起こっていないためだ。

 

言葉を発した男子生徒は和泉の魔法に気付くことなく、魔法の術式を補助する演算機であるCADを……しかも高速な魔法発動を可能とする特化型のCADを抜き、それを同じ生徒に向けた。

 

それ自体が異常な事態。それ以上に異常なのは、拳銃を模した特化型CADの銃口が向けられているのが、同じ一科生である隣の生徒に向けられていることだった。

 

「お兄様!」

 

深雪の声に達也は一科の男子生徒に向けて右手を突き出す。しかし、動いていたのは達也だけではなかった。

 

次の瞬間には、一科生の小型拳銃形態のCADは、彼の手から弾き飛ばされていた。それを行ったのは、どこからか取り出した伸縮警棒を振り抜いたエリカであった。エリカは一科生の予想外の行動にも冷静な対処を見せていた。

 

エリカは達也のように和泉の魔法の発動を感知していたわけではない。一科生がどのような行動に出ようとも対処できるようにしていた結果、同じ一科生に向けてCADを突き付けるという行動にも対処できたにすぎない。

 

何が起こったのかが理解できず、多くの生徒は硬直し、エリカは油断なく周囲を見回している。そんな中、一人の女子生徒が腕輪形状の汎用型CADへ指を走らせた。しかし、その魔法は未発のまま霧散した。

 

「止めなさい! 自衛目的以外の魔法による対人攻撃は、校則違反である以前に、犯罪行為ですよ!」

 

声の主は生徒会長、七草真由美だった。

 

「あなたたち、1Aと1Eの生徒ね。事情を聞きます。ついて来なさい」

 

硬質な声で命じたのは、真由美の隣に立った女子生徒。入学式の生徒紹介によれば、彼女は風紀委員長、渡辺摩利という名の三年生だ。

 

摩利のCADは既に起動式の展開を完了している。

 

ここで抵抗の素振りでも見せれば、即座に実力が行使されることは想像に難くない。

 

レオも、美月も、深雪のクラスメイトも、言葉もなく硬直している。

 

そんな中、ただ一人だけ密かに魔法式を構築している生徒がいた。言うまでもなく和泉である。よほど自身の魔法の隠匿技術に自信があるのか、或いは生徒会の面々の実力を試しているのか、どちらにせよ放っておくのは物騒すぎる。

 

達也は泰然とした足取りで、しずしずと背後に付き従う深雪と共に、摩利の前へ歩み出た。

 

摩利の訝しげな視線を動じることなく受け止め、礼儀を損なわない範囲で軽く一礼した。

 

「すみません。悪ふざけが過ぎました」

 

「悪ふざけ?」

 

唐突に思えるそのセリフに、摩利の眉が軽く顰められる。

 

「はい。森崎一門のクイックドロウは有名ですから……」

 

真由美や摩利の目を誤魔化しながら和泉の行動を止めることは困難だった。それゆえに説得により場が納められないか試みたのであるが、残念ながら和泉はこのまま事態を収束させてはくれないようだった。

 

不意に地表付近に突風が走り、真由美と摩利のスカートの裾を持ち上げようとする。幸いにも二人はすぐに裾を手で押さえたために重大な事態になることはなかったが、危ないところであった。

 

「すみません。悪ふざけが過ぎました」

 

続いて場に響いたのは、達也の声だった。しかし、当然ながら達也はこのとき何も言ってはいない。声は和泉が魔法で再生したものだ。無論、その前の突風も。

 

どうやら和泉は、達也の悪ふざけという表現が気に入らなかったようだ。そこで、文字通りの悪ふざけのためだけに風を起こす魔法と、少し前に発せられた声を再生する魔法を使用したらしい。

 

「今のは、達也くんの魔法じゃないわね? さしずめ宮芝さんかしら?」

 

さすがに真由美は、騙されることはなかったようだ。ただし、和泉が使ったという確信に足る情報は掴めなかったようだ。

 

「証拠もなしに人を疑うなんて、酷い生徒会長だな」

 

「疑われたくないのなら、普段から言動に気を付けてほしいものだけど」

 

「いえいえ、そこの彼らに比べれば私の言動なんてかわいいものでしょう?」

 

拙い。和泉はこの機に暴挙に出た一科生を退学に追い込むつもりだ。

 

これが深雪が関わっていない案件であれば、達也は傍観をしていた。けれど、今回の衝突の切欠は深雪の奪い合いだ。理論上は深雪には責任はないが、感情論として深雪は気にしてしまう。だから、大事になるのは避けたい。

 

「和泉、深雪の前で、同じ学校の生徒同士で本気で攻撃などするはずないだろう?」

 

「ふーん、そういうこと、ね。何だか面白くはないけど、まあ、そういうことにしてあげるとしようか」

 

深雪の前であれば攻撃をしないという前提など、どこにもない。達也の発言は全く論理的ではない。けれど、深雪を巻き込まないために、ここは折れてくれというメッセージは和泉に伝わったようだ。後は、生徒会を丸め込むのみ。

 

「君の友人は、魔法によって攻撃されそうになっていたわけだが、それでも悪ふざけだと主張するのかね?」

 

摩利は冷笑を浮かべ、当然の追及をしてくる。

 

「攻撃といっても、彼女が発動しようと意図したのは目くらましの閃光魔法ですから。それも、失明したり視力障害を起こしたりするレベルではありませんでしたし」

 

「ほぅ……どうやら君は、展開された起動式を読み取ることができるらしいな」

 

「実技は苦手ですが、分析は得意です」

 

「……誤魔化すのも得意なようだ」

 

ただ一人、摩利と対峙する達也を庇うように、深雪が進み出る。

 

「兄の申したとおり、本当に、ちょっとした行き違いだったんです。先輩方のお手を煩わせてしまい、申し訳ありませんでした」

 

「摩利、もういいじゃない」

 

深雪の正面からの謝罪と、静観していた真由美が深雪に加勢したことにより、その場は収めることができた。ただし……。

 

「君の名前は?」

 

「一年E組、司波達也です」

 

「覚えておこう」

 

しっかりと風紀委員長に目を付けられてしまったことは、達也であってもため息をつきたくなる事柄であった。



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入学編 入学三日目・騒動(後)

「……借りだなんて思わないからな」

 

生徒会役員の姿が校舎に消えたのを見届けて、達也に庇われた形になったA組の男子生徒が、棘のある視線を向け、同じく棘のある口調で、達也に向けてそう言った。

 

「貸してるなんて思ってないから安心しろよ。決め手になったのは俺の舌先じゃなくて深雪の誠意だからな」

 

「お兄様ときたら、言い負かすのは得意でも、説得するのは苦手なんですから」

 

「違いない」

 

わざとらしい非難の眼差しに、達也は苦笑で返した。

 

「……僕の名前は森崎駿。お前が見抜いたとおり、森崎の本家に連なる者だ」

 

「なるほど、森崎の者だったのか。だったら、君は彼らに大いに感謝すべきだ」

 

声を上げたのは、不気味にも黙っていた和泉だった。不快感を隠しもしない視線を気にする素振りもなく、森崎の前に進んでいく。

 

「なぜなら君は、己が無能で何の役にもたたない人間であることを自覚することができたのだからな。さ、早く退学届けを出したまえ」

 

「ウィード如きが、何を……!」

 

あまりの怒りで、森崎は言葉にならない様子だ。せっかく場を収めたというのに、二回戦が始まりそうだ。とりあえず、今度は深雪を関わらせまい。

 

「短慮軽率、注意力散漫、視野狭窄、無知蒙昧、頑迷固陋。これだけ揃った愚か者に誰かの護衛などできるはずがないだろう」

 

「貴様!」

 

森崎の家業とも言えるボディーガードの仕事を揶揄され、森崎が怒りを爆発させる。幸いだったのは、エリカから弾かれたCADを拾ってなかったことか。それゆえ森崎の攻撃は単なる拳によるものだった。

 

「きゃあっ」

 

響いた悲鳴は同じA組の女子生徒のものだ。

 

森崎の拳が、同じA組の女子生徒に振るわれたのだ。いきなり殴りかかられた女子生徒は防御を取ることもできず、男の拳を頬に受けた衝撃でその場に倒れる。気絶してしまったようで女子生徒はぴくりとも動かない。

 

「三上さん!」

 

「ちょっと、森崎! 何を!」

 

周りの女子生徒が、ある者は慌てて介抱に向かい、ある者は森崎に批難の視線を向ける。

 

「俺は……何を……」

 

そんな中、森崎は呆然と己の拳を見つめていた。

 

「大陸系の古式魔法でね。奇門遁甲と言う。簡単に言えば方向感覚を狂わせるというものだ。君はずっと前から私の術下にあった。もしも、そこのエリカくんが君のCADを弾いてくれなければ、君はそこの男子生徒の頭を吹き飛ばしていた」

 

和泉に指差された男子生徒が初めて自分が命の危機にあったと気が付いて、驚愕に目を見開いた。

 

「それをせっかくウィード諸君によって救われたというのに、その直後にまた過ちを犯す。まったく、度し難い愚昧さだ」

 

ゆっくりと森崎の前まで進んだ和泉が肩に手を置く。

 

「今度は殴らないのだな。いや、殴れないのだな。君は私を攻撃できる自信がない。もしも、また無関係の者に拳を振るってしまったら……いや、必ず振るってしまうと自覚できたから殴れないのだろう。襲ってきた敵と、守るべき相手。識別を誤って守るべき相手を攻撃してしまっては一大事だ。けれど、どうすれば敵味方の識別ができるのか分からない。君は、それで一体、誰を守るというんだい?」

 

和泉が森崎を追いつめる。魔法は精神に大きく影響される。己の魔法に自信が持てなくなれば、魔法師は簡単にただの人となる。

 

「今後の教訓のために、君には先ほどエリカくんが君のCADを弾いてくれなかった場合の未来を見せてやろう。友人の頭が吹き飛ぶさま、しかと目に焼き付けて、二度と魔法に関わらないようにして生きるといい」

 

和泉は森崎を見逃してなどいなかった。ここで森崎を潰してしまうつもりだ。けれど、和泉の狙いは実現しなかった。

 

「そのくらいでいいのではありませんか?」

 

深雪が止めに入ったからだ。

 

「おや、君は君の兄上をあれほどに愚弄した彼の行為を許すというのかね」

 

「ただ一度の過ちで全てを失うというのは酷ではありませんか?」

 

「違うな。戦場で命を失うのは一度の過ちで十分だ。彼の愚かな行動は彼のみならず、友軍全体を危険に晒す」

 

「今は戦場に出ているわけではないでしょう?」

 

「今は戦場でないからといって、明日も戦場でないという保証はどこにもない。力が足りぬなら足りぬで使い道はあるが、友軍を害する兵器など一片の存在価値もない」

 

和泉の発言を聞いて、達也は和泉とは絶対に分かり合えないと悟った。和泉の発言は、魔法師は兵器であるという前提に立ったもの。一方の達也は、魔法の平和利用と魔法師の兵器としての立場からの解放を目指している。

 

「今回は、これで矛を収めていただけませんか。もしも再び、貴女の言う愚かな行動に出たのならば、その時は何も言いませんので」

 

口調こそ丁寧だが深雪の瞳には、これ以上続けるつもりなら実力行使も辞さない、という強い気持ちが宿っていた。先ほどまでは、さすがにやりすぎ、という程度だった深雪の態度を硬化させたのは、間違いなく魔法師を兵器扱いした発言だろう。

 

「なるほど、確かに君が嫌いそうな発言だったね。まあいい、次に一科生が愚かな言動に出た場合には私の邪魔をしない。約束をしてくれるね?」

 

「深雪! 答えるな!」

 

達也が叫んだのは、和泉がその言葉を発する際に何らかの魔法を使用したのを察知したためだ。

 

「心配はいらない。ただ単に、約束は絶対に守らなければならない、という制約をかけるだけの魔法だ。ちなみに、約束は私にも有効だ。だから、次に何らかの愚かな行為にでない限りは私も彼に手を出せなくなる。どうだい、受けてもらえるかい? 深雪くん」

 

「分かりました」

 

達也が止める間もなく、深雪は答えてしまった。彼女をこれほど意固地にさせてしまったのは、他ならぬ達也の目標だ。それゆえに達也は苦い顔をすることしかできない。

 

「契約は成立した、此度は私は退かせてもらおう。彼女に感謝することだ、森崎くん」

 

そう言うと、和泉は制服の裾を翻して駅の方へと去っていった。



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入学編 入学四日目・登校中

それは、第一高校前駅から学校までの一本道の途中で起きたことだった。

 

司波達也と深雪の二人での登校から始まり、駅の構内、駅から出てすぐの場所でと次々と美月、エリカ、レオが合流をしてきた。そうして五人で共に歩いていると背後から達也の名を呼ぶ声が聞こえてきたのだ。

 

振り向いた五人が目にしたのは、達也の名を呼びながら、軽やかに駆けてくる生徒会長、七草真由美の姿だった。

 

「達也くん、オハヨー。深雪さんも、おはようございます」

 

「おはようございます、会長」

 

相手からぞんざいに扱われようと、達也は丁寧に一礼した。そして、達也に続いて深雪も丁寧に一礼する。

 

「深雪さんと少しお話したいこともあるし……ご一緒しても構わないかしら?」

 

少しのやり取りを経て、真由美は本題を切り出してきた。

 

「お話というのは生徒会のことでしょうか?」

 

尋ねた深雪に、真由美は生徒会室で昼食を取りながらの説明を提案してきた。生徒会室であれば、達也が一緒でも問題がないというのが、真由美の言い分だった。

 

「……問題ならあるでしょう。副会長と揉め事なんてゴメンですよ、俺は」

 

生徒会のことで妹に干渉するつもりはなかったが、達也はやむなく口を挿む。

 

けれど、真由美は服部副会長は部室で昼食を取っているから大丈夫だと言い、更には他の三人にも話を向けた。

 

「何だったら、皆さんで来ていただいてもいいんですよ。生徒会の活動を知っていただくのも、役員の務めですから」

 

「それは是非とも、同行させていただきたいな」

 

真由美の申し出を受諾する声は、エリカたち三人以外から発せられた。そして、その瞬間、真由美の笑顔が明白に引きつった。

 

「そんな顔をするなんて、酷い生徒会長殿だな。私は皆さんのうちには入ってなかったということかい?」

 

真由美はまだ、振り返っていない。それでも生徒会長の背後に出現した和泉は、まるで真由美の表情が見えているかのように断言した。

 

ちなみに、和泉は言いながら真由美の肩に手を置いている。それを見て、達也は真由美を馴れ馴れしいと思ってしまった少し前の自分を恥じた。三年生の、しかも生徒会長に向かってこの態度に比べれば真由美の言動など、かわいいものだ。

 

「ええと、宮芝さんはいつから私の後ろに?」

 

「いつからとは愚問だな。私は面白そうな場面には空間を越えてでも参上するのだよ」

 

さすがにこれは虚言である。和泉は真由美が達也の名を呼び、駆けてきているときには、すでに真由美の背後にいた。ただし、達也がそれに気づいたのは、和泉が真由美に声をかける直前になってからだ。

 

真由美の背後を追尾していた女子生徒は確かにいた。けれど、それは和泉の容姿とは似ても似つかなかった。何らかの魔法で外観を誤魔化していたのだろう。

 

達也は通常の魔法の才と引き換えに、情報体であるイデアの中にある個々のエイドスを見分けることができる高性能な知覚能力を有している。達也は密かに、ほとんどの魔法を識別することができると自負していた。

 

しかし、和泉の魔法の隠匿技術は異様に高く、昨日の校門前での騒ぎの時、達也でさえ魔法が使用されたことは分かっても、何の魔法かを読み解くことができなかった。

 

そして、今日は魔法を使用していたことにさえ気づけなかった。これは驚異的なことであり、達也にとって明白な脅威であった。

 

もしも和泉が達也にも気づかれることなく深雪を害する手段を持っていたら。そんなことはできないと信じたいが、昨日から和泉は悉く達也を越えてきている。

 

「変装用の魔法か? 随分と珍しいな?」

 

少しだけネタ晴らしをしたのは、そのことに対する意趣返しだ。

 

「ほう、私が姿を変えていたのに気付いていたのか?」

 

「まあな。それよりどうして変装をして会長の後をつけていたんだ?」

 

「無論、弱みを握って脅すためだよ」

 

「普通、本人を目の前にしてそういうこと言うか?」

 

あきれ果てた様子で言ったのはレオである。

 

「達也くん、彼女、何とかしてよ」

 

一方、堂々とストーキングしていると宣言された真由美は演技でなく困った様子で達也に助けを求めてきた。

 

「残念ながら、俺の手には余ります」

 

嘘偽りではなく、面倒だからという訳でもなく、本当にこの暴れ馬の手綱を握るというのは達也にしても荷が重い。

 

「ところで、皆はどうする?」

 

「せっかくですけど、あたしたちはご遠慮します」

 

キッパリと拒絶をしたのはエリカだったが、美月もレオも同意見とばかりに頷いていた。どうもエリカだけは他に何かがありそうだったが、残りの二人に関しては、まず間違いなく巻き込まれるのを嫌がったのだと分かった。

 

好奇心旺盛に見えるレオにあれだけの拒否反応をさせるあたり、さすがは和泉というべきだろう。和泉につけていたマイナス値の評価を更に上積みしておくことにする。

 

「じゃあ、深雪さんたちだけでも! お願い、二人きりにしないで!」

 

エリカたちに断られた真由美の勧誘対象は深雪に絞られた。しかも、いつの間にか生徒会への勧誘から、共に和泉に対処する仲間の勧誘に代わっている気がする。もっとも気持ちは分かるので発言は控えた。

 

「いいですか、お兄様?」

 

気の毒になってきたのだろう。深雪は達也に許可を求めてきた。

 

「……分かりました。深雪と二人でお邪魔させていただきます」

 

「おや、冷たいな達也は。同じクラスの仲間だというのに、私のことは一緒に連れて行ってくれないのかい?」

 

「……深雪と二人でお邪魔させていただきます」

 

「……達也、私も感情がない訳じゃないんだよ。あまり無視をされると私だって悲しくなる。何なら、今ここで泣いてやろうか?」

 

泣いてやろうか、と聞いてくる時点で嘘泣きは確定的だが、嘘でも面倒なのは変わりない。

 

「分かった。昼になったら、二人で深雪の所に行こう」

 

「ああ、そうしよう」

 

「じゃあ、とりあえず生徒会室でお待ちしてますね」

 

前向きに見える発言であるが、真由美の心を占めているのが諦めの感情であることは想像に難くない。ともかく、真由美がそう答えたことで一旦は解散となった。

 

しかし、いち早く校舎に歩き出した和泉に比べ、残り六人の足取りは異常に重かった。



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入学編 入学四日目・昼休み

昼休みの生徒会室にて、会計の市原鈴音はいつになく緊張した面持ちの七草真由美の姿を見つめていた。

 

今日は来客があるから、それまでに絶対必ず生徒会室に集まっているようにと何度も念を押されたのは今朝のことだ。鈴音はこれまで学校内において、これほどに緊張した真由美を見るのは初めてだった。

 

けれど、それも無理のないことだと思う。鈴音の手元にあるのは、昨日、校門前で起きた森崎駿と宮芝和泉という生徒の言い争いの顛末書。真由美と摩利が校舎内に戻ってからの二人の言い争いを目撃した二年生からの聞き取りの結果が記されている。

 

その内容を読めば、一科生である森崎が二科生である宮芝に、文字通りの再起不能ぎりぎりまで追い込まれていたことが容易に読み取れた。幸いにして司波深雪の執り成しにより、風紀委員の教職員推薦枠として打診がされている森崎を失うという結果にはなからかった。

 

だが、これまでに入手できた宮芝の言動からすると、森崎への攻撃は意図的なもの。そもそも一科生を皆殺しにしてでも、一科に上がってみせると豪語しているのだ。今後も同様の事件は発生すると考えた方がいい。

 

過去、第一高校において……いや、魔法科高校において二科生が一科生に昇格するために意図的に一科生を害するというのは聞いたことがない。そもそも二科生は一科生に実力的に劣るのであるから、一科生を害して枠を空けるなどという企みは成立しない。けれど、宮芝の魔法はその常識に当てはまらない。

 

鈴音は急ぎ入試のときの宮芝の成績を確認してみたが、二科生の中でも中の下。取り立てて見るべきものはなかった。

 

ただ、宮芝には他の生徒と違い、試験中に試技無効と扱われた一回があった。それは、事象が発生しているのに、何も観測ができなかったというものであった。

 

処理速度、演算規模、干渉強度、いずれもゼロ。それは、非魔法師が魔法の使用を試みて失敗したときと同じ観測結果だ。けれど、事象は発生していた。それは、ありえない結果であった。

 

監督官が宮芝に聞いてみると、いつもの癖で術式を隠蔽する魔法も同時使用してしまったためということだった。そうして、意識して隠蔽を解いてもらった結果が正式に記録された入試の結果だということだった。

 

推測になるが、一科生にあれだけ執着を見せる宮芝が入試で手を抜いたとは考えにくい。おそらく、並列処理の一方を止めても、もう一方の速度が上がらないのと同様、隠蔽の魔法を使用しなかったといって本来の魔法の威力や精度が上がるというものではないのだろう。

 

ここから考えられることは、入試の成績が宮芝の実力と見ていいこと。そして、彼女が実戦レベルで強力な術は使用することができないだろうということ。

 

けれど、それで彼女が無能かというと、そうではない。魔法師といっても所詮は人。人が人を殺すのに、重火器は必要ない。それこそ金属製であれば工具のようなものでも、就寝中の相手なら簡単に殺せる。

 

相手に気づかせずに攻撃できるという点では、宮芝の能力は脅威だ。けれど、一方で防御という面では有効性に疑問符がつきそうだ。

 

宮芝の最大の優位性は隠匿性にある。しかし、守りについては相手の攻撃に対処するという性質上、隠蔽性は有利には働かない。この場合、強力な魔法が使えないという欠点が強く表れそうだ。

 

真由美の言うには、今朝、宮芝は姿を変える魔法を使っていたという。これは有力な対抗手段を持たないからこその擬態だったのではないか。

 

けれど、それでも容易に対処できる相手ではない。森崎を翻弄したという奇門遁甲なる術。そして、その他の鈴音の知らない隠し玉。それらへの対策が明確にならない限り、迂闊に敵対はすべきではない。

 

鈴音はそう考えていた。

 

待つこと少し、生徒会室のインターホンが来客を告げる。

 

「いらっしゃい。遠慮しないで入って」

 

相手が待ち人であることを確認した真由美が、平静を装った口調で告げる。

 

ロックが外れた引き戸を開けたのは、司波兄妹の兄である司波達也だった。しかし、部屋に入ってきたのは妹の司波深雪が先。達也は深雪を先に通した後で続いてくる。一連の動作の自然な流れは、この兄妹が普段からそういう行動を実行していることを思わせるもの。そして、その後に続いてくるのが招かれざる客、宮芝和泉。

 

入室するなり司波深雪に、礼儀作法のお手本のようなお辞儀を見せられた真由美は、ともかく席にかけるように伝える。

 

今日の昼食会、生徒会側の出席者はホスト席の真由美、鈴音、風紀委員長の摩利、そして生徒会書記の中条あずさの四名。そして一年生側が司波深雪、司波達也、宮芝和泉の三名。

 

「お肉とお魚と精進、どれがいいですか?」

 

あずさが訪ねたのは、食事を前にすれば今の緊迫した状況も少しは緩和されると考えてのものだろう。あずさの質問に、司波達也、続いて司波深雪が精進料理を選び、宮芝和泉の番となった。

 

「失礼とは存ずるが、信頼関係にない者の手を経たものは口に入れられない性分でな。此度は辞退させてもらう」

 

なるほど、これが真由美と摩利が言っていた百パーセントの喧嘩腰かと鈴音は密かに溜息をついた。もしも宮芝の発言が本当だとして、それならば摩利のように弁当を持参しておけばいいだけの話だ。それなのにわざわざ、こんな言い方をするのは生徒会側に対する牽制としか考えられない。

 

「そ、そうですか……」

 

実際に気弱なあずさは、いきなりの先制攻撃を受けて、早くも真由美に助けを求めるような視線を送っている。

 

「人それぞれ事情はあるでしょうから、無理に勧める必要はないでしょう」

 

やむなく鈴音の方であずさに助け舟を出しておく。

 

その後、真由美が今期の生徒会メンバーの紹介を行って時間を潰し、ダイニングサーバーからトレーが乗った料理が出てきたことをもって、奇妙な会食が開始される。

 

「どうですか、悪くはないでしょう?」

 

司波兄妹が口に入れたものを嚥下するのを待って、すかさず鈴音が訪ねたのは生徒会に反抗して一人だけ何も食べていない宮芝への当てつけだった。

 

「そうですね」

 

とはいえ、悪くはないのは確かだが、良い点にも乏しく、物足りなさは否めない料理だ。司波深雪の肯定が微妙になってしまったのはやむをえまい。

 

「ところで、そのお弁当は、渡辺先輩がご自分でお作りになられたのですか?」

 

司波深雪の意図は、会話を円滑にするため、そして話題を変えたいという思いも少しはありそうだった。

 

「そうだ。……意外か?」

 

「いえ、少しも」

 

摩利のちょっとした悪戯心からの発言は、司波達也の手により無効化される。

 

「ああ、少しもおかしなことはない。女であれば意中の異性のために少しでも何かをしてあげたいと考えるのは自然なこと。君の場合は、それが料理という方向に向かったというだけの話だ。君の想いは、きっと意中の男に届くことだろう」

 

そして、宮芝によって見事にカウンターとなって返された。

 

「いや……別に、私は……」

 

はっきりと男性の存在を指摘され、摩利は狼狽を隠せない様子だ。

 

「はいはい、もう止めようね、摩利。口惜しいのは分かるけど、どうやら達也くんも宮芝さんも一筋縄じゃ行かないようよ?」

 

摩利の不利を見て取った真由美が割って入り、ひとまず場を収める。

 

「そろそろ本題に入りましょうか」

 

少し唐突な感はあるが、これ以上、先延ばしをしても戦況を悪くするだけだろう。昼食を終えていなかったが、真由美は司波深雪に第一高校の生徒会長と生徒会の仕組みの説明を開始した。

 

生徒会については、生徒会長は選挙で選ばれ、その他の役員は生徒会長の指名により選任がされること。風紀委員等の一部の委員については例外があり、風紀委員では生徒会、部活連、教職員会の三者が三名ずつ選任し、委員の互選により選ばれること。例年、新入生総代を務めた一年生は委員になってもらっていること。

 

ここまでの説明の間は、司波達也、司波深雪ともに疑問は差し挿まず、危険人物である宮芝も沈黙を守っていた。

 

「深雪さん、私は、貴女が生徒会に入ってくださることを希望します。引き受けていただけますか?」

 

真由美に問われた司波深雪は俯いた後、思いつめた瞳で顔を上げた。

 

「会長は、兄の入試の成績をご存知ですか?」

 

「ええ、知っていますよ」

 

答えた真由美に司波深雪は有能な人材を生徒会に迎え入れるのなら兄の方が相応しいとまで言ってきた。

 

「デスクワークならば、実技の成績は関係ないと思います。むしろ、知識や判断力の方が重要なはずです。わたしを生徒会に加えていただけるというお話については、とても光栄に思います。喜んで末席に加わらせていただきたいと存じますが、兄も一緒というわけには参りませんでしょうか?」

 

「残念ながら、それはできません」

 

回答は鈴音が行った。

 

第一高校には、生徒会の役員は第一科の生徒から選任されるという明文規定がある。そのため仮に真由美が深く共感をしようと、その指名は行えない。深雪が指摘したように事務能力と魔法実技の能力には全く関連性がない。その意味では非合理的な規則だ。しかし、規則は規則。明文の規則を破る訳にはいかない。

 

真由美にもどうしようもないことなら、それは自分が行うべきだ。強い思いを持って、鈴音は自らの口で規則のことを説明した。

 

「……申し訳ありませんでした。分を弁えぬ差し出口、お許しください」

 

司波深雪が立ち上がり、深々と頭を下げたことで、この話はここまでになった。少なくとも鈴音はそう思っていた。

 

しかし、司波深雪が生徒会入りを受諾し、具体的な仕事内容はあずさから教わること、放課後に生徒会室に来てもらうことを伝えたところで、摩利がおもむろに手を挙げた。

 

「風紀委員の生徒会選任枠のうち、前年度卒業生の一枠がまだ埋まっていない」

 

「それは今、人選中だと言っているじゃない。摩利まで、そんなに急かさないで」

 

摩利まで、の前には、和泉に困らされている中で、という言葉が隠されている。

 

「第一科の縛りがあるのは、副会長、書記、会計だけだよな」

 

真由美の抗議も気にせず摩利は質問を続ける。これは彼女には珍しい傾向だった。

 

「そうね。役員は会長、副会長、書記、会計で構成されると決められているから」

 

「では、私が書記長に就任して……」

 

「お願いだから、無茶ばかり言わないでよ……」

 

心底弱り切った真由美の様子に、さすがの和泉も口を閉じた。

 

「ええと、つまり私が言いたいのは、風紀委員の生徒会枠なら、二科の生徒を選んでも規定違反にならないのでは、ということなのだが……」

 

「ナイスよ!」

 

真由美は歓声をあげ、そのまま生徒会は司波達也を風紀委員に指名すると明言までしてしまった。これは鈴音としても完全に予想外の一手だった。

 

けれど、風穴を開けるという意味では悪くないかもしれない。

 

「ちょっと待ってください! 俺の意思はどうなるんですか? 大体、風紀委員が何をする委員なのかも説明を受けていませんよ」

 

「妹さんにも生徒会の仕事について、まだ具体的な説明をしておりませんが?」

 

だから、司波達也の抗議の声を封じる方向に動く。

 

その後、司波達也からの風紀委員の仕事に関する説明を求める声にはあずさが答え、風紀委員について、魔法使用に関する校則違反者の摘発と魔法を使用した争乱行為の取り締まりを行う警察と検察を兼ねた組織だと伝える。すると、殊の他、嬉しそうに声を上げた人物がいた。

 

「素晴らしい。その役目、私が就任しよう」

 

全員が、何を言ってるんだコイツ、という目で宮芝を見つめた。

 

「間違いなく、冤罪が横行するから却下だ」

 

摩利がその答えを出すのは当然のこと。その証拠に宮芝以外の全員が頷いている。

 

「では、真面目に風紀委員の仕事をする代わりに私に指導教官を付けてもらうという交換条件としよう。そうすれば、私としても無用な殺生をせずに済む」

 

「そもそも、どうしてそこまで一科生にこだわるのですか?」

 

聞いた真由美に対して、宮芝が暗い笑みを浮かべる。

 

「私が一科生に上がらないのでは、父が無駄死となってしまうからな」

 

「無駄死? それはどういう?」

 

「簡単な話だ。私の第一高校の受験に反対したから殺した。それだけのことだよ」

 

それだけのことで父を殺すのか、という問いは誰も発せない。他人から見れば、それだけのこと。けれど、宮芝はそこに大いなる価値を見ている。迂闊な発言は虎の尾を踏むことになりかねない。

 

「なぜ、そこまでして第一高校に入ろうと思ったのですか?」

 

危険を感じた鈴音は別角度からのアプローチを試みてみる。

 

「無論、より我らの魔法を発展させるため」

 

「なぜ、そこまでして魔法を発展させねばならないのですか」

 

「知れたこと。このままでは、近く宮芝の術は役目を果たせなくなるからだ」

 

「役目、とは?」

 

「この日の本を異国の脅威より守り抜く。それこそが宮芝が遥かなる昔に帝から命じられ、受け継いできた役目だ」

 

もしも宮芝の言葉が本当なら、手段はともかく目的自体は脅威ではない。しかし、偽りがないとは言い切れない。どうする、自分の力を使ってみるか。

 

「分かりました。そういうことならば、学校側と話してみましょう」

 

鈴音が迷っている間に、真由美は宮芝の提案に前向きな返答を返した。

 

「おい、いいのか、真由美?」

 

「だって、ここで断ったら宮芝さんは宣言している通り一科生を全員殺してでも個別指導を受けられる権利を獲得しに向かうでしょう? そこまで行かなくとも一科生が十人も退学になれば第一高校の存続に関わる一大事です。現状、宮芝さんを退学させるだけの不正の証拠はないですし、彼女の場合、退学にしたら報復が怖いです」

 

「確かに、安易な特例は問題だが、今回は特例を認めることのマイナスより彼女と抗争を繰り広げることのマイナスの方が大きいか。分かった、もしも学校側が許可をしたら、彼女は風紀委員会が引き取ろう」

 

真由美と摩利の話がついたところで、それまで黙っていた司波達也が再び口を開いた。

 

「あの、俺の風紀委員の話は……」

 

「もう、達也くんまで困らせないで。宮芝さんが風紀委員になるんなら、当然、達也くんも目付役として風紀委員に入るの」

 

「とりあえず、そろそろ昼休みも終わる。放課後に続きを話したいんだが、構わないか?」

 

「……分かりました」

 

真由美と摩利によって強引に風紀委員入りの道筋がつけられた司波達也のことを、この日、鈴音は初めて同情した。



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入学編 入学四日目・放課後(前)

達也たちの一行が生徒会室に入ってくるのを七草真由美は心穏やかに迎え入れた。昼と違って緊張をしていないのは、宮芝和泉の個人指導を行ってもらうことを学校側に認めさせることに成功したためだ。

 

どうも学校側も一連の騒動は把握しており、このままでは拙いと考えていたらしい。

 

成績から考えると、宮芝和泉が一科に上がるためには、現一科生を半分以上は退学させる必要があった。けれども、彼女はそれを躊躇わずに実行するだろう。

 

将来が有望な一科生が大量に学校を去るなどということになれば、国立魔法大学に百名を合格させるというノルマをクリアできなくなる。それは、学校側としては絶対に許容できないことだ。

 

だからといって、そのような手段を選ばない宮芝を処分しようとして目を付けられれば、何をされるか分からない。優秀な魔法師とはいえ安定待遇を得ている教師陣に、そんなことができる訳もなく……要は非常に頭の痛い問題となっていた。そこに、風紀委員として働く代わりに個別指導を受けさせるという提案が出された。名目上は風紀委員としての活動能力を高めるため。

 

過去、二科生が風紀委員に選ばれたことはない。だから、実は制度自体はあったのだが、これまでは一科生しか選ばれていなかったため、使われることがなかったということにしても気づかれることはない。しかも、真由美が交渉して枠としては部活連の推薦枠を使ってくれるという。こんな、おいしい話はない。

 

真由美が提案を持って行ったとき、百山校長の顔にはそう書いてあった気がした。

 

なんだか貧乏籤を引かされた気はするが、これで宮芝問題が解決するのなら払った労など、たいしたことはない。

 

ごきげんな真由美に対して生徒会副会である服部は達也と和泉に対する敵意を隠そうともしていない。そこで入学式の日に、和泉が服部を挑発していたことを思い出した。

 

生徒会と和解をしたのだから和泉も今度は無暗に挑発してこないはず。しかし、敵意を向け続けた場合も同様であるかは分からない。

 

真由美が、お願いだから穏便に、と願う中、服部は深雪に近づいていく。

 

「副会長の服部刑部です。司波深雪さん、生徒会へようこそ」

 

服部は深雪にだけ挨拶をして、達也と和泉を完全に無視した。お願いだから穏便に、って祈ってたのに、と心の中で叫ぶが当然ながら、それで服部が態度を改めることはない。

 

「いらっしゃい、深雪さん。達也くんと宮芝さんもご苦労様」

 

務めて笑顔で、できるだけ場を和ませるように言葉をかけ、目で摩利に早く二人を部屋から連れ出してくれ、と語りかける。

 

「じゃあ、あたしらは移動しようか」

 

「どちらに?」

 

「風紀委員本部だよ。色々見てもらいながらの方が分かりやすいだろうからね」

 

達也の疑問に摩利が答え、そのまま席を立とうとする。

 

「渡辺先輩、待ってください」

 

しかし、服部がそれを止めてしまった。

 

「何だ、服部刑部少丞範蔵副会長」

 

「フルネームで呼ばないでください!」

 

「じゃあ服部範蔵副会長」

 

「服部刑部です!」

 

「そりゃ名前じゃなくて官職だろ。お前の家の」

 

摩利がそう言ったときであった。

 

「まあ、刑部殿でございましたか」

 

はしゃいだような声を上げたのは意外や意外。和泉だった。

 

「申し遅れました。宮芝和泉守治夏と申します」

 

丁寧に腰を折った一礼をした和泉を真由美のみならず摩利や達也、深雪までもが不気味なものを見た、という目つきで見つめている。

 

「昨今は先祖代々受け継いできた官位をあっさりと捨てる方が多い中、しっかりと守り続けておられるとは素晴らしいです」

 

そう言うなり和泉は服部の手を取り、両手でしっかりと握りしめたまま吐息がかかるほどの距離まで近づける。

 

「み、宮芝さん、何を!?」

 

「すみません。感動しすぎて、つい……。あ、刑部殿、私のことはもっと気軽に和泉守または和泉とお呼びください」

 

和泉は満面の笑みを服部に向けて投げかける。しかし、それが作った笑顔であることに真由美は気づいた。

 

服部は二科生に対して若干の差別意識を持っている。しかし、男と女という差は一科生と二科生という差以上に大きい。相手が誰であろうと、かわいい異性に尊敬の眼差しを向けられて悪い気がするはずがない。

 

しかし、服部が異性との触れ合いを苦手としていることを初見で見抜き、女であるということを最大限に利用して懐柔しようとするとは、やはり和泉は油断がならない。真由美は和泉の評価を下方修正しようとしたが、宮芝株はすでに底値に達していた。

 

「刑部殿、私はこのような術は得意なのですが、何分、直接戦闘能力が低いので、刑部殿には色々とご迷惑をおかけしてしまうことがあると思います。ですが、精一杯働かせていただきますので、どうかよろしくお願いします」

 

そう言いながら、和泉がブレザーの内側から取り出したのは、折紙で作られた水色の鳥であった。鳥は一羽でなく次々に取り出され、合計は九羽になった。

 

「みんな、お願いね」

 

和泉が折紙の鳥たちの上空をひと撫でする。すると、折紙だった鳥は本物の水色の鳥へと姿を変えて室内を飛び始めた。

 

「彼らの見た景色は全て私に送られてきます。景色を見るだけでなく、サイオンなども感知することができるので、彼らだけで人間九人分以上の監視能力があります。あとは……すみません、モニターを借ります」

 

そう言って、これまたブレザーの内から取り出した小さな機械を端末の接続端子に刺す。すると、モニターが九分割されてそれぞれ別の景色が映しだされた。

 

「こうして情報を転送して他の人にも見えるようにできます。こうした術で補助はさせていただきますが、その後の対応となると刑部殿のような力のある方が頼りとなってしまいます。心苦しいですが、お願いできますか?」

 

「ええ、まあ。こういった方法で早期に異常を知らせていただければ、大事になる前に場を収めることはできますね」

 

あ、認めちゃうんだ。と思いはしたが、真由美にとっても都合がいいので、黙っておいた。

 

しかし、かわいい女子生徒にちょっと上目遣いでお願いされただけで、あっさりと陥落するとはどういうことだろうか。これは後で教育が必要そうだ。

 

「けれど、それをもって風紀委員としての適性がありとはできません」

 

と思ったが、意外にも服部は踏みとどまった。

 

「実際、過去にウィードを風紀委員に任命した例はありません」

 

服部の言葉に含まれた蔑称に、摩利は軽く、眉を吊り上げて見せた。

 

「それは禁止用語だぞ、服部副会長。風紀委員会による摘発対象だ。委員長である私の前で堂々と使用するとは、いい度胸だな」

 

「それは良いことを聞いた。では、摘発といこう」

 

愉悦に満ちた声を発したのは和泉だった。

 

「ぐああっ」

 

直後、絶叫が生徒会室に響き渡り、服部がその場に崩れ落ちる。どんな魔法によるものかは真由美にはよく分からなかったが、直前の発言から考えて攻撃者は和泉なのだろう。

 

「君のその異常なまでの攻撃性の高さは何とかならんのか?」

 

摩利が頭痛を抑えるように、こめかみを揉みながら言う。

 

「善処はしよう」

 

「善処ではなくて、何とかしてくれ。ちなみに摘発は相手が警告に応じない場合に行われるもので、発見次第攻撃開始というような手段は認められていない」

 

「そうは言われても、先手を取るというのは兵法の基本であろう?」

 

「完全に後手を引いてからでも、相手を取り押さえるのが風紀委員だ。だから高い実力を求められて……なぜか、服部の気持ちが分かったような気がしてくるな」

 

やはり和泉を風紀委員として外に放つのは危険すぎる。ここは和泉の索敵能力にだけ期待して風紀委員会本部に押し込めておく方が安全かもしれない。

 

真由美は完全に気絶させられた服部を見て、そう感じていた。



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入学編 入学四日目・放課後(後)

「入学三日目にして、早くも猫の皮が剥がれてしまったか……」

 

聞こえてきた達也のぼやきに、司波深雪は自らの短慮への後悔から胸が裂けそうなほどの痛みを感じた。

 

「申し訳ありません……」

 

「お前が謝ることじゃないさ」

 

「ですが、わたしの所為でまたお兄様にご迷惑が……」

 

続けようとした謝罪の言葉は、達也の手により遮られた。達也は優しく深雪の頭を撫でてくれたのだ。おずおずと顔を上げてみる。

 

「怒ることのできない俺の代わりに、お前が怒ってくれるから、俺はいつも救われている。それに、今回はお前の所為ではなく、和泉が悪い」

 

「これは手厳しいな」

 

和泉は何ら悪びれた様子なく邪気たっぷりの笑顔を浮かべている。

 

今から一時間ほど前、生徒会室で風紀委員候補の宮芝和泉が生徒会副会長の服部刑部を、禁止用語の使用の咎で制圧するという前代未聞の事件が起きた。その後、和泉は目覚めた服部に対して丁寧に謝罪をしながらも、一科生で上級生の服部が、まさか二科生の簡易な魔法一発で気絶するほど弱いとは思わなかった、と弁明したのだ。

 

和泉の弁明を傍で聞いていたが、出てくる言葉はいずれも、この学園の一科生は揃って搦め手からの攻撃に弱い脳筋ばかりで、少しの工夫でどうにでもなる、といった言葉ばかり。はっきり言って弁明でなく挑発だった。

 

その挑発に耐えかねたのか、服部が達也たち二科生のことを補欠と呼んだのだ。それは、深雪には看過できない言葉だった。

 

達也は実家ではいなくても構わない存在として扱われていた。服部の言葉は、この第一高校でも達也はいなくても構わない存在であると言ったように聞こえてしまった。深雪は服部の発言を否定しなければ、達也の居場所がまたひとつ消えてしまうように感じたのだ。

 

必死に反論するうちに冷静さを失い、ついには言ってはならない言葉を発しようとしたところで達也は服部に模擬戦を持ちかけた。その結果として、今、深雪たちは演習室の前まで来ていた。

 

「深雪、もうすみません、とは言うな。今、相応しいのは別の言葉だ」

 

「はい……頑張ってください」

 

目からこぼれかけた涙をぬぐい、笑顔を浮かべた深雪に笑って頷き、達也が演習室の扉を開ける。そこで待っていたのは、審判役の渡辺摩利だった。

 

「それで、自信はあるのか?」

 

達也にそう聞いた渡辺の顔の距離は、吐息がかかるのではないかと思うほどの近さだ。それほどまでに顔を近づけずとも、服部は近くにはいないので聞こえることはない。はっきり言って、渡辺摩利の意図が分からない。

 

「和泉とは少し違いますが、正面から遣り合おうなんて考えていませんよ」

 

「落ち着いているね……少し、自信をなくしたぞ」

 

さすがに達也は、その程度では動揺はしない。

 

「こういう時に赤面するくらいの可愛げがあった方が、力を貸してくれる人間が増えると思うがね」

 

ニヤッと笑って後退ると、渡辺は中央の開始線に歩いて行った。

 

達也は黒いアタッシュケースの中から拳銃形態のCADを取り出し、カートリッジを抜き出して、別の物に交換する。その様子を、深雪を除く全員が、興味深げに見詰めていた。

 

渡辺が簡単にルールの説明を行う。

 

それは、相手に致死性の術式、回復不可能な障碍を与える術式および相手の肉体を直接損壊する術式、武器使用の禁止。勝敗は一方が負けを認めるか、審判が続行不能と判断した場合に決する。双方開始線まで下がり、合図があるまではCADを起動しないこと。というものだった。

 

それまでも達也の勝利を疑っていなかった深雪であるが、試合のルールを聞いて、より強く勝利を確信した。対人戦で兄に勝てる相手はいない。

 

達也と服部の双方が頷き、五メートル離れた開始線で向かい合う。

 

この勝負は通常、魔法を先に当てた方が勝つ。そして、同時にCADを始動するルールであるため、魔法構築の速度に優れる一科生である服部は二科生の達也より圧倒的に有利。服部はそう考えていることだろう。

 

けれど、魔法の構築速度など些細な問題だ。

 

達也はCADを握る右手を床に向けて、服部は左腕のCADに右手を添えて、渡辺からの開始の合図を待つ。

 

場が静まり返り、静寂が完全な支配権を確立した、その瞬間。

 

「始め!」

 

渡辺の声により達也と服部の正式な試合の火蓋が切って落とされた。

 

先手を取ったのは服部だった。スピード重視の単純な起動式を即座に展開を完了させ、魔法の発動態勢に入る。

 

しかし、達也はその一瞬の間のうちに服部の目前にまで迫っている。達也はそのまま服部の側面へと回った。対象を見失ったことで、魔法の起動に失敗した服部に向けて達也がCADの銃口を向けて魔法を発動する。

 

服部の身体が崩れ落ち、勝敗は決した。

 

「……勝者、司波達也」

 

渡辺の勝ち名乗りは、むしろ控え目で、勝者の顔に喜悦はない。軽く一礼をするとCADのケースを置いた机に向かう。これはポーズではなく、達也は自分の勝利に何の興味も抱いてはいない。

 

「待て」

 

その背中を、渡辺が呼び止める。

 

「今の動きは……自己加速術式を予め展開していたのか?」

 

「そんな訳がないのは、先輩が一番良くお分かりだと思いますが」

 

「しかし、あれは」

 

「魔法ではありません。正真正銘、身体的な技術ですよ」

 

「わたしも証言します。あれは、兄の体術です。兄は、忍術使い・九重八雲先生の指導を受けているのです」

 

深雪の証言により、服部を翻弄した動きが体術であることは信じてもらえたようだ。観戦していた七草真由美たちの興味は服部を倒した攻撃に移った。

 

達也が服部を倒した魔法はサイオンの波であることを伝えると、市原鈴音は、それが振動数の異なるサイオン波の合成によるものと見抜いた。更に、中条あずさは達也のCADがシルバーホーンという名の、天才プログラマであるトーラス・シルバーがフルカスタマイズした特化型モデルであることを言い当てた。

 

三人がかりであること、達也が多少なりともヒントを与えたとはいえ、初見でこれだけの分析ができるあたりは、さすがは名門第一高校の生徒会メンバーだと感心する。それに、トーラス・シルバーを高く評価しているところも素晴らしいとしか言いようがない。

 

七草と市原の分析は続き、ついに達也が座標・強度・持続時間・振動数の変数化して魔法を起動していたことに思い至った。

 

「多数変化は処理速度としても演算規模としても干渉強度としても評価されない項目ですからね」

 

「……実技試験における魔法力の評価は、魔法を発動する速度、魔法式の規模、対象物の情報を書き換える強度で決まる。なるほど、テストが本当の能力を示していないということはこういうことか……」

 

肩をすくめて醒めた口調で嘯いた達也の言葉に応えたのは、半身を起こした服部だった。

 

「はんぞーくん、大丈夫ですか?」

 

「大丈夫です!」

 

少し腰を屈めて、のぞき込むように身を乗り出した真由美に対し、寄せられた顔から逃げるようにして、服部が慌てて立ち上がる。

 

「ならば私とも模擬戦をしませんか?」

 

そう言い出したのは和泉だった。

 

「どうですか、刑部殿も私の実力を知りたくはないですか?」

 

「ちょっと、和泉さん。はんぞーくんは今、達也くんに倒されたばかりで……」

 

「分かりました。やりましょう」

 

七草の言葉を遮り、服部が前に一歩、進み出る。生徒会室で不意打ちとはいえ、あっさり倒されたことは服部にとっても汚点なのだろう。服部の目には闘志がみなぎっている。

 

「ルールは達也と同じでいいか?」

 

「ああ、それでいい」

 

「風紀長、審判はお願いしてもいいかい?」

 

「真由美、どうする?」

 

渡辺に問われ、七草は少しだけ迷った素振りを見せた。しかし、服部が引く気がないのを見て仕方なく頷く。

 

「分かった。それでは、二人とも開始位置に!」

 

渡辺に言われ、和泉と服部がそれぞれ開始位置へと歩き出す。が、その途中で突如として和泉が振り返り、無防備な服部の背に魔法を放つ。

 

「ぐあっ!」

 

服部がたまらず前のめりに倒れる。

 

「何をしている!」

 

叫んだ渡辺はCADに手をかけ、魔法の発動態勢を整えている。

 

「すみません、ついフライングをしてしまいました。今回の模擬戦は私の負けですね。いや、口惜しいことです」

 

対する和泉は悪びれた様子もなく白々しく悔しがって見せている。

 

「……今後一切、貴女が模擬戦をすることは認めないことにしますね」

 

「いいのか、真由美?」

 

「だって、模擬戦でルール違反しても反則負けになるだけで、それ以上のペナルティは決めてないでしょ?」

 

言われた渡辺は苦虫を噛み潰したような顔ではあるが、反論はない。まだ規則を十分に読み込んでいない深雪には判断がつかないが、その様子から事実であるのだろう。

 

「刑部殿に伝えておいてくれ。思い込みは思わぬ隙を晒すだけだ、とね」

 

それだけ言い残して和泉は演習室を去っていく。

 

服部は深雪の大切な兄を貶めた。それだけに、あまり良い感情は抱いていない。

 

しかし、本日三度目となる気絶をさせられた服部は少しだけ哀れに感じた。



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入学編 風紀委員出動初日・風紀委員会本部

「何故、お前がここにいる!」

 

それが、司波達也が再会した森崎駿にからかけられた第一声だった。

 

「それは私に言ったのかな?」

 

「お……お前は……」

 

達也の影で見えていなかったのだろう。すっと横に出て和泉が問いかけると、森崎は目に見えるほど狼狽した。

 

「今の状況が分からんほどの戯けか、お前は?」

 

「ひっ……」

 

森崎が和泉に何もできなかったのは、一昨日のこと。植え付けられた恐怖感を拭い去るにはあまりにも短い時間だ。

 

「やめろ!」

 

ただならぬ様子を見て、摩利が慌てて止めに入る。

 

「森崎、渡辺風紀長に謝罪せよ」

 

「はっ、渡辺委員長、申し訳ありませんでした!」

 

和泉の指示に、森崎は何ら反論することなく応じる。二人の間にはすでに絶対的な上下関係が成立しているようだ。

 

「もういいから早く座れ」

 

摩利は苦々しい表情でそう命じる。

 

どうやら摩利は自分より弱い立場の者を虐げて悦にいるタイプ……例えば和泉とは対極の心性の持ち主のようだ。

 

その後、風紀委員たちが次々と入ってきて、室内の人数が九人になったところで、摩利が立ち上がった。

 

「そのままで聞いてくれ。今年もまた、あのバカ騒ぎの一週間がやって来た」

 

そう切り出した摩利は、くれぐれも風紀委員が率先して騒ぎを起こすなと戒めていた。そう言われてしまうと、一級のトラブルメーカーを隣に座らせ、自らもトラブルに巻き込まれる体質である達也としては嫌な予感しかしない。

 

「今年は幸い、卒業生分の補充が間に合った。紹介しよう。立て」

 

事前の予告なしに発せられた摩利の言葉だったが、達也も森崎も無難に、まごつくことなく立ち上がった。

 

立ち上がったのは、達也と森崎の二人だけ。宮芝和泉は微動だにせず座ったままだ。

 

「おい、宮芝」

 

摩利が困惑しながら名前を呼ぶも、和泉はやはり動かない。さすがにこの態度はないだろうと眉をしかめかけ、ようやく達也は僅かなサイオンの揺らぎに気付いた。

 

「おい、一年! 渡辺委員長が呼んでいるぞ! 早く立たないか!」

 

苛立ちまぎれに発言したのは、岡田という名の教職員選任枠の二年生だった。

 

「私は、とうに立っているが?」

 

声が聞こえたと同時に、椅子に座っていた和泉が消え、その後ろにきちんと立った和泉の姿が現れた。他人を攻撃した悪しき記憶を思い起こしたか、森崎が顔を強張らせる。

 

「またか……まあいい。1-Aの森崎駿、1-Eの司波達也、1-Eの宮芝和泉だ。宮芝以外は今日から早速、パトロールに加わってもらう」

 

「宮芝以外、ですか?」

 

聞いたのは、先程、怒鳴った岡田という委員だ。

 

「そうだ。宮芝はここに残ってもらい、他のメンバーのサポートをしてもらう」

 

「私は直接の戦闘は苦手でね。私にできるのは……」

 

そこで言葉を止めた和泉はパチリと指を鳴らす。すると、岡田の目の前に高さ三十センチほどの日本人形が姿を見せた。人形は腕に小ぶりなナイフを持っており、そのナイフは岡田の鼻先に突き付けられている。

 

「ひっ……」

 

急に目の前に刃物が現れ、一押しすれば自らの両の鼻の穴が繋がるという状況に岡田の喉が息を吐きだす。その状況をじっくりと見てから和泉は言葉を続ける。

 

「こうして、人形におままごとをさせるくらいのものだ」

 

ナイフが凶悪過ぎて視界からは外れがちであったが人形の左手には、ブドウの粒が握られていた。人形は器用にもブドウの皮をナイフで綺麗に剥くと、身を先端に刺して岡田へと差し出す。

 

「どうした、君のためにせっかく剥いてやったブドウだ。食べないのか? それとも別の人形の方がお好みかね?」

 

人形が一歩前へと進む。宮芝から脅された岡田は、急いでナイフの先のブドウへと右手を伸ばし、口の中へと放り込んだ。

 

そして、岡田以外の委員はというと、その光景を横目で見ながら、視線を周囲に飛ばしていた。和泉の言った他の人形という表現が気になったのだろう。けれど、達也の見立てではそれは虚言だ。達也が全力で探っても、他に妙なサイオンの流れなどは感じない。

 

「分かったか、岡田。宮芝については何も聞くな。ろくな事にならない。あと宮芝、頼むからもう少し穏便に頼む」

 

服部のときのように、いきなり攻撃よりは数段ましとはいえ、これでは気が休まらないだろう。達也は少しばかり摩利に同情する。

 

「ともかく、これより、最終打ち合わせを行う。巡回要領については前回までの打ち合わせのとおり。今更反対意見はないと思うが?」

 

和泉が最初から飛ばしてくれたためか、二科生である達也が風紀委員としてこの場にいることに、誰からも疑問も異議もあがらなかった。同じクラスということもあるし、もしや自分も和泉の同類と思われたのだろうか。だとしたら、甚だ遺憾だ。

 

「よろしい。では早速行動に移ってくれ。レコーダーを忘れるなよ。一年生の三名については私から説明する。他の者は出動!」

 

全員が一斉に立ち上がり、踵を揃えて、握り込んだ右手で左胸を叩いた。

 

どうやら風紀委員会で採用されている敬礼のようだ。それを摩利から聞いた達也は思わず和泉の方を見てしまった。その和泉はというと興味なさそうな様子である。

 

これまでの言動から考えて、和泉は他人が決めたルールに、何の価値も見出していないように見える。これは、絶対にやらないな。達也はそう確信した。

 

風紀委員たちが退室していく。それを見送った和泉は、早速とばかりお茶を淹れ、部屋の隅でくつろぎ始める。

 

「まずこれを渡しておこう」

 

それを無視して整列している達也と森崎に、摩利は腕章と薄型のビデオレコーダーを手渡してきた。巡回中はレコーダーを携帯して違反行為を発見した場合は撮影をするようだ。ただし、風紀委員の証言は原則としてそのまま証拠とされるため、撮影を意識する必要はないということ。それならば達也としても気が楽だ。

 

その後、委員会用の通信コードの連絡と諸注意を受けた。その中にはCADの不正使用が判明した場合には、委員会除名の上、一般生徒より厳重な罰が課されるというものもあった。摩利は明らかに和泉に釘をさしていたが、和泉はやはり涼しい顔で受け流していた。

 

注意を聞き終えた達也は風紀委員会の備品であるCAD二機を借りて、部活本部に向かう摩利と別れて巡回に参加することになった。ちなみに和泉は風紀委員本部の中に自分専用のスペースを作る気のようで、採寸を始めている。

 

「おい」

 

そうして、いよいよ巡回と足を踏み出そうとした所で、達也は森崎に呼び止められた。

 

「何だ」

 

「はったりが得意なようだな。会長や委員長に取り入ったのもはったりを利かせたのか?」

 

「羨ましいのか?」

 

「なっ……」

 

たったそれだけの切り替えして、森崎は逆上した。

 

「複数のCADを同時に使うなんて、お前ら二科生如きにできるはずがない」

 

そう言ったときであった。

 

「君は本当に成長をしないのだな」

 

いつの間にか森崎の背後に現れていた和泉が、森崎の右肩に手を置いて囁きかける。

 

「あ……」

 

恐怖のあまり森崎は悲鳴すら上げられないでいる。

 

「君には徹底的に教育を行ってやろう。恨むなら、せっかくの深雪くんの好意を無為にした己を恨むのだな。さ、こちらに来い、森崎駿」

 

「はい……和泉守様」

 

森崎が、森崎には名乗っていないはずの官職名で和泉のことを呼ぶ。その一言で、深雪と和泉との約束が無効となったこと、森崎が和泉の術中にあったことを悟った。

 

森崎が、退出したばかりの風紀委員本部に戻っていく。教育という言葉には嫌なものを感じるが、達也にはそれを止めることができない。

 

深雪は和泉との間で、次に一科生が愚かな言動に出た場合には和泉の邪魔をしない、という約束をしている。その約束を破った場合にどうなるのかを、達也は知らない。

 

約束の文言を素直に解釈すれば、対象に達也は含まれていないように思える。しかし、絶対に深雪に害が及ばないという確証がなければ、たいして接点のない一科生のために、達也が和泉の行動を妨害することはない。

 

達也は結局、そのまま巡回に出ることにした。達也はこのとき、森崎を見捨てたのだ。



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入学編 風紀委員出動初日・闘技場

「どうだ壬生、これが真剣だ!」

 

小体育館「闘技場」にて、剣術部の桐原武明からの『高周波ブレード』での攻撃を辛うじて躱した壬生紗耶香は、懸命にその剣筋を見極めようとしていた。

 

『高周波ブレード』は振動系の近接戦闘用魔法で、使用すれば竹刀に真剣の鋭さを与えることができる。実際、竹刀が掠った紗耶香の防具には細い線が入っている。防具を裂ける剣を竹刀で防ぐことはできない。

 

紗耶香に向けて再び竹刀が振り下ろされる。

 

躱すしかない紗耶香が見つめていた桐原の剣先が、不意に誰かの背中によって遮られる。背中から分かったのは、相手が男子生徒であるということのみ。

 

危ない、そう声を出す前に強烈なサイオンの波動が紗耶香の頭を揺らした。同時に高周波ブレードから発せられていた不快な音が消えた。

 

次に聞こえてきたのは、板張りの床を鳴らす落下音。紗耶香が目を向けた先にあったのは、俯せにひっくり返された桐原と、その桐原の左手首を掴み、肩口を膝で抑え込んだ男子生徒の姿だった。状況から、男子生徒が桐原を投げたのだと分かった。

 

腕章から、その男子生徒が風紀委員であることは分かる。一方、ちらりと見えた制服から、新入生が二科生であることも明らかだった。

 

剣術部を中心としたざわめきが広がる中、男子生徒は桐原を組み伏せたまま通信ユニットを取り出した。

 

「こちら第二小体育館。逮捕者一名、負傷していますので、念のため担架をお願いします」

 

「おい、どういうことだ?」

 

その発言を聞いた剣術部員が男子生徒を怒鳴りつける。

 

「魔法の不適切使用により、桐原先輩には同行を願います」

 

風紀委員の男子生徒の発言に、剣術部員が激昂した。

 

「おいっ、貴様っ! ふざけんなよ、ウィードの分際で!」

 

怒鳴りながら、風紀委員の男子生徒に向けて手を伸ばす。

 

「やめろっ!」

 

風紀委員が急に慌てた様子で叫んだが、それで剣術部員が止めるとは思えなかった。けれど、剣術部員は動きを止めた。腹から刀を生やして。

 

「えっ」

 

剣術部員の口から呆然とした声が漏れる。

 

「禁止用語の使用により、風紀委員の権限により、処刑する」

 

その直後、聞こえてきたのは女子の声であった。

 

「和泉、風紀委員に処刑の権限はない」

 

男子生徒が呆れきった様子で言う。

 

「大丈夫だ、私は死人を操る術を修めている。死体を動かして、対外的には生きていることにしてしまえばいい」

 

剣術部員の体から刀が抜かれる。ゆっくりと前へと倒れる剣術部員の背後から現れたのは小柄な女子生徒の姿だった。

 

第一高校の一科生の制服に付けられているのは、左胸に八枚花弁のエンブレム。しかし、その女子生徒は両胸に水色桔梗があしらわれていた。

 

突然の流血に誰もが動きを止めていた。しかし、仲間が重傷を負わされたと気づいて他の剣術部員たちも動き出そうとする。しかし、それよりも和泉と呼ばれた女子生徒が動くほうが早かった。

 

「全員、動くな。動けば、こいつを殺す」

 

腹を押さえて蹲る男子生徒の首に刀の切っ先が添えられる。脅しでないことは躊躇わず刺した先の一件と、容赦なく首筋から流れる血の雫が雄弁に語っていた。

 

「和泉、とりあえず止血をするぞ」

 

「うむ、許可しよう」

 

男子生徒は剣術部員に背を向けさせると、背面の傷の止血にかかる。

 

「誰か、治療魔法を使える者はいないか?」

 

「達也くん、私が」

 

「エリカか。そうだな、エリカなら応急処置の心得がありそうだ」

 

達也と呼ばれた男子生徒を中心に剣術部員の治療が開始される。彼らの落ち着いた様子から、おそらく剣術部員はすぐに命に障る傷ではないのだろう。

 

「ふむ、こうなれば君たちに危害を加えようとする馬鹿もおるまい。ならば、私はそこに転がっているゴミを連れて先に帰るとしよう」

 

女子生徒はそう言って血払いをして納刀すると、桐原の元へと進む。

 

「おい、立て、愚図」

 

言うなり、女子生徒は桐原の顎を蹴り上げる。

 

「やめろ、和泉」

 

「おや、君はこの馬鹿を庇うのだな」

 

「俺には嗜虐趣味はない」

 

「そうか。まあ、ここは従おう」

 

言葉通り、女子生徒はそれ以上の暴行は行わずに桐原を立たせると、体育館から連行しようとする。が、あと一歩で体育館を出るという所で急に立ち止まり、振り返った。

 

「情けない弱者どもだな。自らの仲間が連れ去られようとしているのに、私に立ち向かおうという者は誰もいないのか?」

 

そう問いかけた女子生徒の顔は、ぱっと見の可愛らしさとは似ても似つかない獰猛な獣の雰囲気を漂わせていた。その挑発に剣術部員たちが顔を見合わせる。

 

あの女子生徒は危険だ。任せてしまえば、桐原がどうなるか分からない。けれど、あの女子生徒に立ち向かった場合、命の保証はされないだろう。たった一人の小柄な女子を相手に、剣術部員たちは誰一人として動けずにいた。

 

「おい、やめろ!」

 

今度の声は体育館の外からだった。

 

「全員、動くな」

 

そう言いながら入ってきたのは、風紀委員長の渡辺摩利だ。

 

「おや、風紀長殿の到着か。ならば、私の役割はここまでだな」

 

「おい、待て、宮芝! 宮芝! ええいっ」

 

女子生徒は桐原を放置し、摩利の制止を無視して歩き去っていく。無視された摩利はというと、第二小体育館内の状態を目にしてしまったために追うに追えないようだった。

 

「お前たち、話はしっかりと聞かせてもらうからな!」

 

やや八つ当たり気味に紗耶香たちと剣術部員の双方に言うと、摩利も刺された剣術部員の治療に参加する。

 

「とんでもないことになってしまいまして、すみません」

 

自分と桐原との諍いが何やらとんでもない事態に発展してしまった。紗耶香が謝罪したのは男子剣道部主将の司甲だ。

 

「いや、壬生の責任ではない。気にしなくていい」

 

そう答えた司は、最初に飛び込んできた風紀委員の男子を見つめているようだった。二科の風紀委員というのは初めて見る。珍しさがあるのは確かだが、司が見ている理由はそれだけではない気がする。

 

しかし、その考えはすぐに霧散した。きっと司は高周波ブレードを振るう桐原の前に飛び込んだ勇気を評価しているのだ。そうに違いない。

 

紗耶香の疑問は形にならず、乱暴な一科生に対する反感だけが残った。



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入学編 風紀委員出動初日・部活連本部

閉門時間間際の部活連本部。

 

「以上が剣道部の新歓演武に剣術部が乱入した事件の顛末です」

 

達也が目撃し体験した事件の一部始終、壬生紗耶香と桐原武明の口論から二人の私闘を経て、宮芝和泉の乱入と剣術部員の傷害までの顛末を聞き、渡辺摩利は大きく息を吐いた、

 

「大きな乱闘にならずに収めたと評価すべきか、あれだけ騒ぎを大きくしたことを呆れるべきか、何とも評価に困るな」

 

和泉が傷つけた剣術部員は軽傷だった。怪我の程度で言えば鎖骨を骨折した桐原武明の方が重傷だったほどだ。

 

「しかし、壬生紗耶香の証言では剣術部員は随分な重傷に見えたという話だったが、あれはどういうことだ?」

 

質問をしたのは部活連会頭である十文字克人。苗字に「十」を冠するナンバーズの名門、十文字家の総領だ。

 

「和泉が行ったのは、持っていた刀で剣術部員を浅く刺すということ。幻術を使用して、刃先が剣術部員の体を貫通したように見せたこと。そして、剣術部員に重傷を負ったと思い込ませる精神干渉系の魔法を使ったこと。最後の精神干渉系の魔法は弱いものでしたが、実際に刺されていたことと、幻影の刃を見たことで、かけられた本人が暗示を受け入れてしまったのでしょう。そして、壬生先輩は剣術部員の反応で、重傷だと思い込んでしまったのではないでしょうか」

 

「相変わらず、といったところか。あいつは詐欺師になれば大成するんじゃないか?」

 

「摩利、それ、笑えないから」

 

そういった反応をする時点で、真由美も摩利と同じようなことを思っていたことが伺えた。

 

「司波の話を聞く限り、随分と魔法の使用法に長けているようだな」

 

「これまでのところ、私は宮芝が強力な魔法を使っているところは見たことがない。だが、魔法の隠密性が恐ろしく高く、相手の隙を突くことに長けている。あと、これは単なる推測になるが、おそらく人を傷つけることを何とも感じない」

 

十文字に同意しつつ、摩利は和泉の危険性を伝えた。

 

「七草も同じ考えか?」

 

「ええ、残念だけど。彼女、風紀委員になる前に、自分が一科に上がるためなら一科生全員を殺すことも厭わないって言ってたみたいだから」

 

「それを実際に実行する可能性はあったか?」

 

「可能性ではなく、実際に行おうとした。そのときは達也くんたちの働きもあって未遂に終わったが、下手をすれば二人の退学者が出ていた」

 

摩利が言ったことで、十文字は質問の相手を達也に変えた。

 

「本当なのか、司波?」

 

「ええ、そうなっていたかと」

 

「なんだ、私は随分と信用がないんだな」

 

「渡辺を信用していないわけではない。なるべく多くの者の認識を問おうとしたまでだ」

 

「冗談だよ」

 

無論、摩利とて本気で克人のことを疑ったわけではない。深刻な様子の話が続いていたことに対する、箸休めみたいなものだ。

 

「ところで、取り押さえた桐原はどうした?」

 

「桐原先輩は保健室で非を認めておられたので、それ以上の措置は必要無いと判断し、保健委員に引き渡しました」

 

「ふむ……いいだろう。訴追は、摘発した者の判断に委ねられているのだからな」

 

達也の言葉に頷き、摩利は十文字に目を向けた。

 

「聞いてのとおりだ、十文字。風紀委員会としては、今回の事件を懲罰委員会に持ち込むつもりはない」

 

「寛大な決定に感謝する。今回のことを教訓とするよう、本人にもよく言い聞かせておく」

 

「頼んだぞ」

 

これで桐原のことは決着がついた。となると、残る問題は……。

 

「宮芝をどうするか、だな」

 

「野崎くんの怪我の程度は桐原くんより軽いものだったんでしょ。だったら、今回は不問でもいいんじゃないの?」

 

「しかし、首筋に刀を当てて殺すと宣言したんだ。手っ取り早く乱闘を収めるためとはいえ、人質を取っての脅迫は拙いだろう」

 

風紀委員には、警察と検察を兼ねた大きな権限が与えられている。けれど、そこまでだ。本来なら差別用語を使用したからといって、軽傷とはいえ刀で刺すという行為だけでも違反だ。今回は達也が襲われそうになっていたという状況を鑑みて、それは大目に見ることもできる。けれど、その後の発言まで加えれば明らかに許容範囲外だ。

 

「風紀委員のCADの不正使用が判明した場合には、委員会除名の上、一般生徒より厳重な罰が課されるということは説明していたはずだがな」

 

「お言葉ですが、委員長」

 

「何だ、達也くん」

 

「和泉はCADを使用していないようでした」

 

部屋の中にしばしの沈黙が流れる。そういう問題ではない気もするが、実際にCADを使用していないとなると、残るは傷害か刀剣類の不正使用だ。

 

「真由美、校則に刀剣類の扱いに関するものはあったか?」

 

「刃物で人を傷つけてはいけません、なんて校則あるわけないでしょ。校則以前に、傷害で普通に犯罪なんだから」

 

「まあ、当たり前だな」

 

刃物を振り回してはならない、という校則も同様に存在しないはずだ。窃盗や暴行など犯罪行為の禁止が校則に含まれていたら、逆にどれだけ治安が悪いのかと不安になりそうだ。

 

そうなると傷の程度が浅いことを、どう評価するか、だが。

 

「それを踏まえて、真由美、十文字、宮芝のことはどうすべきだと思う?」

 

「さっきも言った通り、私としては、今回は厳重注意くらいに留めた方がいいんじゃないかと思うけど。それ以上は変な報復がありそうだし」

 

「報復はともかくとして、今回に限れば重い処分は難しいだろうな。真剣は確かに危険だが、桐原の高周波ブレードを超えるものではない」

 

「やはり、そうなるか……」

 

真剣と高周波ブレードを比べてしまうと、殺傷力という面では高周波ブレードに軍配が上がる。すでに桐原を不問としてしまった以上、和泉を処分するとなると均衡を欠くことになってしまう。

 

「分かった。宮芝は厳重注意としよう」

 

とはいえ、あの和泉が注意をまともに聞き入れてくれるとは思えない。ほぼ時間の無駄になると思うと、厳しく叱る気も失せてしまう。かといって軽い注意で済ませて和泉が再び問題を起こせば、摩利がどのように注意をしたのか責められることになる訳だ。まったくもって、割に合わない。

 

「委員長、自分は失礼してよろしいでしょうか」

 

「ああ、いいぞ」

 

精神的な疲れにより、摩利の達也への対応は大変になおざりなものになった。



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入学編 新入部員勧誘週間終了

新入部員勧誘週間が過ぎた日のことだった。

 

西城レオンハルトが帰り支度中の司波達也に声をかけたのは、達也が酷く疲れた表情をしていたためだ。

 

「達也、今日も委員会か?」

 

「今日は非番。ようやくゆっくりできそうだ」

 

「昨日はそんなに消耗してなかったじゃないか。最終日に何があった?」

 

聞いた達也が見つめたのは、さっさと帰宅してしまった和泉の席だ。それで、また和泉が面倒を起こしたのだということは伝わった。

 

「また和泉が何かしたの?」

 

話に入ってきたエリカは和泉の起こしたトラブルを楽しみにしている表情だ。隣には逆に本気で心配した様子の美月もいるが、達也はレオとエリカを見て大きなため息をついた。

 

「随分と大きなため息だな?」

 

「他人事だと思いやがって……一週間で二回も死ぬかと思う体験をさせられ、三回目は実際に魔法攻撃を受けてみろ」

 

「魔法攻撃って、それ大丈夫だったのか?」

 

面白がって聞いていたレオだが、さすがに心配になってくる。

 

「まあ、軽傷ではあったがな」

 

「誰だよ、そんなことをしたのは」

 

「それが和泉だよ」

 

「……なんで、そんなことになるんだ?」

 

どうやったら風紀委員同士で魔法の撃ち合いをすることになるのか。少し考えてみたが全く分からない。

 

「どうも桐原先輩の一件が中途半端な魔法選民思想に染まった奴らの怒りを買ったらしくてな」

 

そう前置きして達也が語ったのは、巡回中の達也が近づくのを待ち、わざと騒ぎを起こして達也が仲裁に入ったところで誤爆に見せかけた魔法攻撃を行うという手口だった。達也自身も、それが自分を狙った攻撃と考えていたが、裏で結託している証拠が見つかるまでは手の打ちようがないと考えていたらしい。

 

それを知った和泉が取った行動が、騒ぎを起こしていた両者と仲裁の達也の三者纏めての範囲攻撃を行うというものだった。喧嘩両成敗に留まらず仲裁者までも巻き込んだのは、風紀委員の横暴とそしられるのを避けたためだろう。しかし、そのためだけに範囲攻撃魔法に巻き込まれる達也としては堪ったものではないだろう。

 

「それは、まあ……ご愁傷様というか……それで和泉はどうなったんだ?」

 

「どうにかするには誰かが被害を訴えなくてはならない。けれど、和泉は攻撃をした二人に平然と『もしも私の攻撃を不当だと訴え出るなら、私も私のことを守るため、ここ数日、式神を利用して校内を撮影し続けた映像をもって君たちの行いと、どちらが不当か争う必要があるな』と言っていた。それで二人とも被害を訴えなかったというわけだ」

 

達也の言葉だけで、レオには和泉がどのような顔でそのセリフを発したのか、はっきりと思い描くことができた。

 

「で、和泉はその両者が裏で結託していた証拠を持っていたと」

 

「実際、和泉の式神の鳥が校内を飛んでいるのを見ているし、持っているとしても不思議ではないだろうな」

 

「それなら、達也を攻撃していた奴らを処分できるだろ。何でそうしなかったんだ」

 

レオの疑問に答えたのは、達也ではなくエリカだった。

 

「そりゃ、取引材料があるなら魔法攻撃をしても処分されないって思ったからでしょ。達也くんを攻撃した人を処分しても知らない誰かが処分されるだけ。対して自分が攻撃するなら実践的に実験ができるじゃない」

 

レオが難しい顔をしていたためだろう。エリカが補足する。

 

「アンタみたいに善良な人間ばかりじゃないのよ。世の中には自分にとって都合が良ければ他はどうだっていい、って奴だっているんだから」

 

さらりと自分は善良な人間であると評価された気がするが、今はそこではなく、レオが悪人の思考を理解できていないという点が本題だろう。

 

「それは分かってるけどよ……」

 

達也たちにも話していないが、レオの趣味は夜歩きである。夜間に繁華街をうろつくこともある以上、そうした輩を目にすることもある。

 

けれど、そういった輩は、単純化するならば目に見えてクズと言える奴らだ。一見した人当たりの良さは違えども、詐欺師の類も同類だ。

 

一方の和泉はというと、人をからかって遊ぶという悪癖があるが、レオたちが決定的に困るようなことはしない。それは他人に対しても同じで、全く非のない相手を陥れたり、攻撃したりしたような場面は見たことがない。

 

その意味では、和泉はエリカが語ったような悪人の思考を持つ人物とは違う気がする。けれど、ある程度は親しいクラスメイトであるはずの達也を助けようともしなかった。悪人ではないが、善人でもない。だからといって普通の人では断じてないが……。

 

「けど、何かそういのとは違う気がするんだよな」

 

「何かって、何よ?」

 

「それは、上手くはいえねえけどよ……。お前だってそれは感じてるんじゃねえか?」

 

レオの目には、エリカはそれなりに危険に対する鼻が利くように見える。そして、ここで下手に首を突っ込んでは危険であると思えば、ドライに割り切って線を引くことができるようにも。

 

つまり、相手が本当に危険と感じたなら和泉とは距離を置くはずなのだ。けれど、エリカが和泉を避ける様子はない。それは、近くにいても大丈夫だと判断しているからではないのか。

 

「まあ、少なくとも近くにいても害があるとは思わないわね」

 

「やっぱ、そうなんじゃねえか」

 

「あたしはアンタよりは根拠を持ってるけどね」

 

レオとエリカが言い争いを開始する雰囲気を見たのだろう。それまで口を閉ざしていた美月が二人の間に入ってきた。

 

「とにかく、今日からはデバイスの携帯制限が復活することですし、達也さんも、もう心配ないんじゃありませんか?」

 

「そう願いたいよ」

 

心から願っている様子で、達也は大きく頷いている。

 

「気晴らしに、帰りにどこか寄っていくか?」

 

「いや、遠慮しておくよ。今日はさすがに早く帰って休みたい気分なんだ」

 

柄にもなく気を遣って、声をかけてみたが、慣れないことはやはり上手くはいかなかった。



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入学編 気弱な生徒会役員の憂鬱

私、中条あずさは、これまではクラスメイトと昼食を取ることが普通でした。けれど、司波兄妹が生徒会室で昼食を取るようになってから、毎日のように声を掛けられ、七草真由美生徒会長と共に昼食を取るようになりました。

 

それ自体は問題ありません。けれど、同時に大きな問題があったのです。

 

それは昼食グループの中に、お弁当を作ってくることが流行っていることです。今では渡辺風紀委員長に続き、司波深雪さん、七草会長と続いて昼食グループ五人のうちの三人が自作のお弁当となっています。更には司波達也くんが食べているお弁当は深雪さんの作ったお弁当なのです。つまるところ、私だけがダイニングサーバーのお世話になっています。

 

誰も何も言いません。けれど、女子として劣等感を覚えざるをえません。特におかずの交換などを始められた日には、温厚な私でも当てつけですかと叫びそうになってしまいます。

 

そんな最近の中でも今日はとびきりの悪夢です。それこそ、悪夢のおかず交換会より更に酷い状況下だったのです。今日はよりにもよって私の隣で普段は参加していない特別ゲストがお弁当を広げているのです。

 

「ん、どうした、あずさ君。私のお弁当が欲しいのかね」

 

「いえ、結構です」

 

学園始まって以来の問題児であり、本日のゲストである宮芝和泉さんに聞かれ、私は咄嗟に首を横に振ります。

 

「おや、そうかね」

 

この下級生は、私のことを明らかに下級生扱いしています。けれど、気の弱い私に、こんな強敵に歯向かう勇気などないので黙って従うしかありません。

 

そんな緊迫した昼食の場に爆弾を投入したのは、意外にも宮芝さんではなく渡辺委員長でした。

 

「達也くん」

 

「何でしょうか、委員長」

 

「昨日、二年の壬生を、カフェで言葉責めにしたというのは本当かい?」

 

司波くんが見つめたのは宮芝さん。宮芝さんは、人の悪い笑みを浮かべています。どうやら、この情報をリークしたのは宮芝さんのようです。

 

一瞬、渡辺委員長の彼氏さんの話に飛んだりしました。けれど、渡辺委員長は強引に話を戻して、再度、司波くんに事実確認をします。

 

「ですから、『言葉責め』などという表現は止めた方がよろしいかと……深雪の教育にもよくありませんし」

 

「……あの、お兄様? もしや、わたしの年齢を勘違いされていませんか……?」

 

司波兄妹が、いつものように馬鹿兄妹会話を繰り広げています。今日のはまだマシですが、この兄妹は同じ部屋にいるだけで胸焼けが止まらなくなるという、恐るべき魔法を頻繁に使ってくるので注意が必要です。

 

「……そんな事実はありませんよ」

 

司波くんは否定をしました。が、渡辺委員長は追撃をかけます。

 

「おや、そうかい? 宮芝の話では壬生が顔を真っ赤にして恥じらっていたようだが」

 

その発言をきっかけに室内の空気が変わりました。

 

「お兄様……? 一体何をされていらっしゃったのかしら?」

 

漂ってくる冷気は深雪さんから発せられているものです。

 

「ま、魔法……?」

 

知らず、呟きが口から漏れていました。皆さん、深雪さんの前で司波くんと他の女の子との話をしたら、深雪さんが怒りそうなことくらい理解できるはずです。それなのに、どうしてこんな話をするのでしょう。おかげで私は怖くてたまりません。

 

「落ち着け、深雪。ちゃんと説明するから。まず、魔法を抑えろ」

 

司波くんの言葉で、ようやく深雪さんが精神を落ち着けました。極寒だった生徒会室に春の暖かさが戻ってきます。

 

その上で、司波くんは壬生さんとの話を正確に再現してくれました。

 

彼女が訴えるには、風紀委員が自分の点数稼ぎのために不必要な摘発を行っており、更には非魔法系のクラブは冷遇されているということです。

 

実際は、そんなことはありません。けれど、壬生さんにとっては、それがこの学校の姿。彼女にとっての第一高校は、そのような場所なのです。

 

皆さんが沈鬱な表情になる中、口を開いたのは宮芝さんでした。

 

「剣道部と剣術部など似た部活を放置しておくから、そういう問題が発生する。どちらかを廃部することにして、どちらを廃部とするかは勝負して決めさせればいい」

 

相変わらず、宮芝さんは過激です。

 

「勝負をするとして、ルールはどうするんだ?」

 

「ここは魔法科高校。魔法ありのルールになろう」

 

渡辺委員長の問いに、宮芝さんは、さも当然と言わんばかりです。けれど、それでは剣道部に勝ち目はないでしょう。宮芝さんの案は単に剣道部を廃部にすると言っているも同然です。

 

「宮芝さんの案は論外として、問題はどうすれば現体制への誤解を解けるか、ということね。まあ、そういう風に印象操作をしている人もいるから、誤解を解くのは容易ではないんだけどね」

 

「その印象操作をしている者の正体は分かっているんですか?」

 

七草会長の印象操作という言葉を聞いた司波くんが問い詰めます。

 

「例えば『ブランシュ』のような組織ですか?」

 

司波くんがその名前を出した瞬間、会長と渡辺委員長が硬直しました。よほど驚いているようですが、私にはその理由が分かりません。

 

「何故、その名前を……」

 

「別に、極秘情報という訳でもないでしょう。報道規制が掛かっているようですが、噂の出所を全て塞いでしまうことなんて、それこそ、できませんから」

 

「君たち、あずさ君がついてこれていないようだぞ。『ブランシュ』について少しは説明をしてやったらどうだ?」

 

私のためにと助け舟を出してくれたのは、宮芝さんでした。ですけども、これは本当に助け舟なのでしょうか。乗っちゃいけない列車に一緒に乗せられそうになっているだけのような気もしてきました。

 

「それなら、和泉が説明したらどうだ?」

 

「そうだな。そうするとしよう」

 

司波くんに言われて、宮芝さんが私の方へと向き直ります。

 

「簡単に言えば、国際的な犯罪組織だ。目的は魔法師の絶滅。我らとしては何としても壊滅させねばならぬ組織だ」

 

「ちょっと、待って。過激になってる。過激になり過ぎてる。『ブランシュ』は魔法能力による優遇の撤廃を求めているけど、魔法師の根絶までは求めてないから、信じちゃだめよ、あーちゃん」

 

「似たようなものだと思うがね。馬に走るなと言うのは死ねと言うに等しい。仮にその程度の知能もないまま戯言を叫ぶのなら、そのような能無しは社会の害悪。それこそ殺した方が世のためだ」

 

「ちょっと、誰か宮芝さんを止めて。あーちゃんが汚れちゃう」

 

会長、私とて生徒会の一員です。ちょっとくらい過激な言葉を聞いたからといって、汚れたりはしないと思うのです。

 

「まあ、和泉の意見は行き過ぎだとしても、こういうことは中途半端に隠しても、悪い結果にしかつながらないものなんですがねぇ。いえ、会長のことを非難しているのではなく、政府のやり方が拙劣だと言っているだけなんですが」

 

司波くんの考えを聞いた会長は、司波くんの考えが正しいと言い、本来なら魔法師を目の敵にする集団が如何に理不尽な存在であるか情報を行き渡らせることに努めるべきだと続けました。それは、自分を責めるかのような口調でした。

 

だからでしょうか。司波くんは学校運営に関わる生徒会役員が国の方針に縛られるのは仕方のないことと、会長を慰めるようなことを口にしました。

 

「……会長の立場では、秘密にしておくのもやむを得ないということですよ」

 

「ほほぅ、達也くん、中々優しいところがあるな」

 

「けど、会長を追い詰めたのも司波くんなんですよね」

 

私はそう簡単に騙されません。というのも、大人しそうに見えるからか、私は意外とこの手の輩には慣れているんです。ちょっと優しい言葉をかけたくらいで、どうこうできると思わないで欲しいと声を大にして叫びたいと思います。

 

その後は、じゃれ合いを始める会長と渡辺委員長。それを、にまにまと見つめる宮芝さん。そして、目の前で恋愛小説もかくやとばかりに甘い雰囲気を漂わせ始めた司波兄妹から離れてお仕事をしていました。

 

「さてと……そろそろ時間ですから、俺たちは教室に戻ります。行こう、深雪」

 

少しして、最初に本日の業務を終えた司波兄妹が退室しようとします。それを渡辺委員長が呼び止めました。

 

「それで達也くん、結局、壬生への返事はどうするつもりなんだい?」

 

「返事を待っているのは俺の方ですから、それを聞いて決めますよ」

 

司波くんの言葉を聞いた渡辺委員長は、ふと気づいたように宮芝さんに話を向けます。

 

「そういえば、和泉は誘われなかったのか?」

 

「誘われたよ」

 

「それで、どう答えたんだ?」

 

「雑魚が対等に話すな、と一喝した」

 

誰もが言葉を失いました。一科生による二科生に対する陰口にも酷いものはありますが、ここまで侮蔑的な言葉を発する人は聞いたことがありません。

 

「よく、壬生さんは怒らなかったわね」

 

「そのときは殺してたな」

 

「ほんと、壬生さんはよく怒らないでいてくれたわね」

 

神様、私の隣に未来の犯罪者がいるんですが、この場合、どうしたらいいのでしょう。

 

「とりあえず、壬生のことは頼んだぞ」

 

「何を頼まれれば良いのかさえ、今の段階では見当もつきませんが」

 

「できる範囲で構わないさ」

 

渡辺委員長の依頼を司波くんは、できる範囲のことはやる、という言葉で引き受けてくれました。ちなみに渡辺委員長は宮芝さんには何も頼んでいませんでした。期待していなかったためでしょうが、私にとっては大正解です。

 

大っぴらにやると宮芝さんに睨まれそうで怖いので、私は心の中で盛大に手を打ち鳴らしました。



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入学編 魔法実技が苦手な面々

「九四〇ミリ秒。達也さん、クリアです」

 

「やれやれ、三回目でようやくクリアか」

 

我が事のように目を輝かせて喜ぶ美月に、司波達也は疲れ気味の笑顔で答えた。

 

現在、達也たちのクラスは、魔法実技の真っ最中。

 

今日の実技は、基礎単一系統の魔法式を一〇〇〇ミリ秒以内にコンパイルして発動する、というものだった。

 

「でも意外でした。達也さん、本当に実技が苦手だったんですね……」

 

「意外って、結構何度も自己申告したと思うけど?」

 

「確かにお聞きしましたけど……謙遜だとばかり。だって達也さんみたいに何でもできる人が、実技が苦手なんて」

 

「そうだな。まさか私より下だとは思わなかったよ」

 

話に入ってきた和泉は二回目に九七〇ミリ秒で合格していた。まあ達也との差は団栗の背比べというやつだ。

 

ちなみに、エリカとレオも同様の課題に苦しんでおり、時折、エリカがレオをからかう声が聞こえてきている。が、エリカとレオの差も団栗の背比べでる。

 

今日の達也たちは正しく劣等生たちの集まりとなっていた。

 

「……自分で言うのも何だけど、実技が人並みにできていたら、このクラスにはいなかっただろうね」

 

「まあ、ないものねだりというやつだがね」

 

「和泉に言われるのは心外だけどな」

 

「おや、私だからこそ、言う資格があるのではないかな?」

 

確か和泉も理論は得意だったはず。そして、実践的な技能は多く有していることも。似ている部分が多いからこそ、単純に他人を評するのとは違うということだろう。しかし、何となく同意しかねるのは、和泉の性格面が特殊すぎるためだ。

 

「でも、達也さん……口惜しくは、ないんですか?」

 

「何が?」

 

「本当は実力があるのに、実力がないみたいに評価されていることです」

 

非常に答えにくい質問だった。達也が少し考えている間に先に和泉が口を挟んできた。

 

「おや、私には聞いてくれないのかい?」

 

「和泉ちゃんは口惜しいと思ったら、その通り行動するじゃない」

 

美月にしては、ばっさりと切り捨てたのは毎度の和泉の過激な行動には、彼女としても思うところがあるためだろう。

 

その間に、達也は自身が抱えている個人的事情を秘匿するため、美月の質問から建前論で逃れることを決定していた。

 

「処理速度も実力だよ。それも、重要なファクターだ」

 

「実践を想定するなら、達也さん、本当はもっと発動できるんでしょう?」

 

「……何故、そう思う?」

 

「さっきの実技ですけど、達也さん、三回ともすごくやりにくそうでした。最初の試技を見て思ったんですけど、達也さんって、この程度の魔法なら、起動式を使わずに直接魔法式を構築できるんじゃないかって」

 

起動式を使わずに、使用するのと同等のスピードで魔法を行使する技術は、厳に秘匿を義務付けられているものだ。

 

達也が咄嗟に視線を向けたのは和泉の方だった。美月にならば核心部分以外は見破られたとしても問題ない。逆に、和泉には僅かな情報でも与えたくはない。

 

和泉の視線は美月に向けられたまま。達也の方には気を向けていないように見える。だが、それは演技であろう。和泉が希少技術に対して興味を向けないという方が不自然だ。

 

ともかく、達也はこれ以上、和泉に情報を与えないため美月への口止めを試みる。

 

「そこまで見られていたとは思わなかった。さすがに良い目をしている」

 

美月の顔がサッと蒼褪めた。美月が自分の目のことを隠しておきたいと考えていることを予測していての意地の悪い言い方であったが、効果はてきめんだったようだ。

 

「確かに、基礎単一系程度なら、直接魔法式を組むことでもう少し速く発動できるよ。でもその手が使えるのは工程の少ない魔法だけだ。俺には五工程が限界だな」

 

「五工程でも十分であろう。それだけあれば、十分に人を壊せる」

 

やはり和泉は達也の技術に興味を持っていたようだ。しかし、まだ純粋に属人的なスキルであると誤認しているはず。ならば、誤認させたまま、この話を終える。

 

「俺は、戦闘用に魔法を学んでいるわけじゃないからね」

 

そう言って、戦闘用魔法よりも多段階の工程を必要とする民生用魔法では通用しないことを匂わせ、処理速度が劣ることに対して相応の評価を受けるのは仕方の無いことと納得していると伝える。しかし、これは失敗だった。

 

「戦闘用に魔法を学んでいるわけじゃない……ね。ならば、どうして対人戦闘の技術を磨いているのか教えてもらいたいものだね」

 

和泉は小声であったが、内容は達也の矛盾を的確に突いたものだった。達也は自分に計算ミスがあったことを悟り、リカバリの方法を考えていた。しかし、計算ミスは一つだけではなかった。

 

「すごいです、達也さん……尊敬します」

 

うっとりとした口調で言った美月は、胸の前で指を組み、目を潤ませて達也のことを見上げている。言葉通りの、同級生に向けるには不適当なまでの憧憬の念が、そこにはあった。

 

「魔法が使えるから魔法師になる……それが普通なのに、達也さんはちゃんと自分の目的を持って、その為に魔法を学んでいるんですね……」

 

「いや、まあ、確かにそのとおりだけど……」

 

「私、心を入れ換えます!」

 

そうして美月は目をコントロールする為に魔法を勉強していただけだったが、これからしっかりと将来のことを考えてみると宣言を始めた。

 

「もしもし、美月さん?」

 

「そうですよね。目的をしっかりと持っていたら、少し中傷されたくらいで挫けたりしませんよね」

 

美月の独演会は、更にヒートアップしていき、人にとって大切なことは、自分だけの生き甲斐を求めることだ、という域までスケールアップしていた。

 

達也はあくまで自分の学習の到達点を語っただけであり、それ自体を人生の目的としているなど、一言も発していないはずだが、どうしてこうなったのだろうか。

 

「達也、この責任、どう取るつもりだい?」

 

挙句の果てに、和泉までが達也の側に問題があるかのような言い方である。

 

「俺の責任なのか?」

 

「君が責任を取らねば、美月の立場はどうなる?」

 

「それなら、俺の立場はどうなるんだ?」

 

「君は元々が変人として認められているではないか。今更、立場は変わらんさ」

 

反論したいところだが、一方で確かにそうかもと思ってしまった。

 

ちなみに一人で盛り上がり続けた美月は、エリカによって止められた。しかし、時すでに遅く、達也たちの中では圧倒的に常識人と見られていた美月は、晴れて達也たちの正式な仲間と認知されることになった。

 

「よかったな、達也。今日から君は変人グループのリーダーだぞ」

 

そして達也は、更に悪化した自らの評判に苦笑いを浮かべることしかできなかった。



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入学編 有志同盟結成

司波達也が宮芝和泉に対する警戒心を高めることになった魔法実技の授業から一週間が過ぎた。この間、壬生紗耶香と学園側の二科生の扱いに関して二回目の討論を行っていたが、総じて見れば平穏な日々であった。

 

けれど、平穏な日々というのは、いつだって唐突に破られるものである。今回のそれは、放課後の冒頭だった。

 

クラブ活動の生徒はロッカーへ着替えや荷物の入ったバッグを取りに、帰宅をする生徒は帰り支度を始める中、スピーカーからハウリング寸前の大音声が響いた。

 

『全校生徒の皆さん!』

 

その音量にレオが同じく大声で何事かと叫び、応じてエリカも大声で諫め、騒ぎを大きくする二人を美月が抑えようとする。ほかにも少なくない生徒が慌てふためく中、今度は少し決まり悪げに同じ放送が流れる。

 

「どうやらボリュームの絞りをミスったようだな」

 

「やっ、ツッコンでる場合じゃないから、きっと」

 

ボソッと呟いた達也の言葉を、耳聡く拾い上げたエリカからすかさずツッコミが入る。

 

『僕たちは、学内の差別撤廃を目指す有志同盟です』

 

スピーカーからは男子生徒の威勢の良い言葉が続いている。

 

『僕たちは生徒会と部活連に対し、対等な立場における交渉を要求します』

 

「ねぇ、行かなくていいの?」

 

座ったままスピーカーに目と耳を向けている達也に、エリカが何事か期待しているような声で訊ねてくる。

 

「そうだな」

 

その態度を不謹慎だ、とは、言わなかった。エリカの言っていることはもっともだ。

 

「放送室を不正利用していることは間違いない。委員会からお呼びが掛かるか」

 

達也がそう言うのと同時に、内ポケットの携帯端末にメールの着信があった。

 

「おっと、噂をすれば。じゃあ、行ってくる」

 

「あ、はい、お気をつけて」

 

美月に送られて、席を立とうとする。

 

「少し待ってくれないか」

 

しかし、その前に和泉から呼び止める声がかかった。

 

「達也、私にメールを見せてくれないか?」

 

「和泉にもメールが来てるんじゃないか?」

 

「来てないから聞いているんだ」

 

なるほど、つまり摩利は和泉に来てもらうのは不適当と考えたわけだ。和泉であれば放送室ごと爆破して一網打尽などという過激な発言をしても何の不思議もないので、妥当な判断だ。そして、それならば達也が打つ手は一つ。

 

「エリカ、レオ、和泉を拘束してくれ」

 

その言葉を予測していたかのように二人の行動は迅速だった。エリカが右腕、レオが左腕を取り、放送室に向かえないようにする。

 

「ちょ……待って……離して!」

 

「離したら、放送室に突撃するだろ」

 

「しないから。しないから離してよ」

 

「はいはい、達也くんが事件を解決したら離すから、少しだけ我慢してね」

 

和泉は離せと叫ぶが、レオとエリカは軽く流す。

 

「離して……離してよ」

 

懇願する和泉は涙声になっていたが、以前、嘘泣きに騙されたレオは力を緩めない。だが、もう一方のエリカは腕を離していた。

 

「おい、エリカ……」

 

非難しかけたレオも和泉がその場にくずおれたのを見て慌てて腕を離す。

 

「酷いよ、何で……」

 

その場に蹲るようにして泣く和泉を前に、それほど酷いことをしただろうかと困惑した顔でレオは達也のことを見つめてくる。が、達也も酷いとは思わないものの今の和泉の前で言えるはずもなく、黙っていろと目で合図するのみだ。

 

「ご、ごめん、そんなに嫌がるとは思わなくて」

 

「もう大丈夫だから、ね」

 

ひとまずは同性のエリカと美月に任せて、達也はレオと和泉が落ち着くのを待つ。

 

「あたし、拘束されたりとかするの苦手で……」

 

少しして、泣き止んだ和泉がぽつぽつと言葉を発し始めた。

 

「拘束って、本気で監禁とかしようとしたわけじゃないだろ」

 

「幻術士は回避が命だから、防御は紙なの。避けられないって状況は、それだけで恐怖でしかないだもん」

 

冷静になると気恥ずかしさが勝ってきたのか、レオに返す言葉にはいつもの覇気はなく、口調も弱々しい少女のものだった。

 

「特にレオみたいな体格のいい男の人が相手だと、あたしなんかじゃ素手で簡単に倒されちゃうでしょ。だから、掴まれただけで体が硬直しちゃうのよ。それに加えてもう片方の腕も、エリカのような腕利きに取られてたでしょ。今、攻撃をされたら、何もできないと思うと本当に怖かったんだから」

 

「レオで緊張するなら、十文字会頭なんか、どうするんだ?」

 

「絶対ダメ。十文字さんなら今みたいな量じゃなく全部、漏らしちゃう」

 

その言葉に、一瞬、場の空気が固まった。

 

「えっと、今みたいな量ってことは……」

 

「レオ、それ以上、聞くんじゃないわよ」

 

エリカの眼光はレオの言葉を見事に封じた。

 

「和泉ちゃん、大丈夫ですか?」

 

「うん、大丈夫……だけど、少し買い物だけお願いしていい?」

 

「うん、分かった。エリカちゃん、お願いできる?」

 

「分かった。あ、後はあたしたちが引き受けるから男子はもう行っていいよ」

 

これから先は同性のみの方がいいということだろう。達也とレオは後を二人に任せて部屋を出た。レオは明らかに失敗したという表情であったが、気を取り直して達也に聞いてくる。

 

「達也、あの状況じゃ言い出せなかったけど、委員会はいいのか?」

 

「よくはないだろうな」

 

そうして取り出した端末には未読メールが三通も溜まっていた。うち一件は摩利からのものだが、問題は残りの二件だった。

 

「深雪からメールが来てる」

 

「それは早く行った方がいいんじゃないか?」

 

「そうさせてもらう」

 

メールの内容をちらと確認し、達也は心配と怒りを溜め込んだ妹の元へと全速で歩き始める。深雪は、なぜ返事をよこさなかったのか聞いてくるだろう。それに対して、正直に話すことは、さすがに和泉の名誉のためにも憚られる。

 

そもそも、女子にそのような恥をかかせたとあっては、深雪にまで怒られてしまうのは確実。達也としては何とか誤魔化すしかない。

 

「案外、放送室の一件よりも難問かもしれないな」

 

高速で歩きながら大きく嘆息するという姿に、たまたま近くを通りかかった生徒から奇異なものを見る目つきを向けられた。



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入学編 宮芝治夏

多摩地域に設けられた自宅兼拠点として用いている家の中で、宮芝和泉守治夏は側近である村山右京と今後の方針を相談していた。

 

「それで、司波達也を欺くことはできたのですか?」

 

「おそらく……としか言いようがないな。少なくとも千葉の娘は欺けたが、司波達也はどうだろうな。表情が読めればよかったのだが、生憎とそんな余裕はなかったからな」

 

「まあ『恐慌』を使えばそうなるでしょうな」

 

治夏がレオとエリカに腕を取られたときに大泣きをしたのは、対象を恐慌状態に陥れる術を自らにかけたためだ。その狙いは司波達也の警戒心を緩めること。

 

一週間前の実習の折、美月が何気なく明かしたことで、治夏は達也が起動式を使わずに魔法を扱えると知った。そして、それ以来、元々高いレベルにあった達也の治夏に対する警戒心は更に上昇した。その状況は治夏をして、これ以上達也から警戒をされるのは良い結果にならないと思わせる程だった。

 

それゆえ治夏は偽の弱点を披露したのだ。正確には、両腕を拘束されることも弱点ではあるが、致命的とまでは言えない、というところだ。全く偽の行為としなかったのは、真実を混ぜた嘘の方がより本当に不都合なことから目を逸らしやすいという判断ゆえだ。

 

「まあ、できればもう少し別の行為であった方が良かったが、こればかりは周囲の動き次第という面もあるからな」

 

自分から弱点を明かすというのは妙な話で、疑われてしまう。それゆえ、偶然に発覚するという方法しか取りようがない。しかし、偶然は本当に偶然であるから意味があるのだ。そこに何らかの作為が見えれば、おそらくは司波達也は気づいてしまう。

 

これで対処法が見つかったと考えてくれて警戒が緩んでくれるのであればよし。男子を含む多くの人の前でかいた恥と、捨てることになってしまった下着の損失額など安いものだ。

 

だが、何の効果もなかったとしたら悲しくなる。自分の気持ちなど二の次というつもりではあるが、何も感じない訳ではないのだ。

 

「しかし、司波達也とは何者なのでしょうか?」

 

「分からん。だが、右京が調べて何も分からないという時点で普通の相手ではないだろう。それでも私が本気を出せば調べられるだろうが、藪蛇になってもつまらん。幸い、向こうに宮芝への害意はないようだ。放っておくのが一番だな」

 

宮芝は裏に属している家だ。その宮芝が調べきれないということは、向こうも同じくらいの闇を抱えていると考えた方がいいだろう。

 

だが、治夏は背後に潜んでいる組織よりも達也個人を警戒していた。司波達也は明らかに戦いに慣れている。それも試合のようなルールの中での戦いでなく、想定外の事態への対応が求められる実戦に。

 

加えて、何やら妙な感覚も持ち合わせているようだ。でなければ、死角からの魔法攻撃を完璧に避けることはできない。治夏は、もしも第一高校で宮芝の術を看破するとすれば、それは達也だろうと考えている。達也が本気を出してくるような事態は、何としても避けなければならない。

 

「宮芝に害意はなくとも、これから和泉守様のなされようとしていることを妨害してくることは考えられませぬか?」

 

「確証まではないが、おそらく司波達也にとっても敵であるのであれば邪魔はしてこないのではないかと思う」

 

「では、一高生を対象とすることはやめておきましょうか」

 

「それがいいだろうな」

 

「では、そのようにいたしましょう」

 

深々と一礼した後、右京が退室する。それと代わるように、同じく治夏の側近である山中図書が入室してくる。山中は諜報活動を管轄する部署に属しており、今はブランシュの動きを探らせているところだった。

 

「図書、どうだ?」

 

「はっ、密偵からの報告によりますと、奴らの動きが活発になっているようです。おそらく、和泉守様が予想された通りとなりそうです」

 

「やはり、そうか……」

 

となると、近いうちに仕掛けてくると考えた方がいいだろう。

 

「掃部はいるか?」

 

傍らにいる水色の鳥へと語りかける。すると、すぐに襖が開かれた。

 

「ここに」

 

「入れ!」

 

「はっ」

 

音もなく歩を進めてくる皆川掃部は、宮芝の実働部隊に属している。先の村山右京と山中図書、皆川掃部の三名が、治夏が側近として頼む者たちだ。

 

「掃部、近くブランシュが第一高校に何らかの作戦行動に出ることが予想される。郷田飛騨と対応する人員の選別に入れ」

 

「はっ!」

 

「攻撃予測は図書とよく相談して決めるがいい。図書、数人なら使い捨てても構わん。確実な予測を立てよ」

 

「ははっ!」

 

二人が同時に平伏し、退出する。

 

「和泉守様」

 

それと同時に、鳥を通して声が掛けられる。

 

「瑞希か、どうした?」

 

「お茶をお持ちしました」

 

「気が利くな」

 

答えるとすぐに襖が開き、湯呑を乗せた盆を持った女性が入ってくる。彼女の名前は杉内瑞希。他の側近三名とは異なり、瑞希は魔法師としての力量は低い。

 

けれど、それで腐ることなく魔法以外の分野で治夏の役に立つべく、秘書としての技能を磨いてきた。幼い頃から共に育ち、気心の知れた友人という面を持つ大切な相手だ。特に治夏は時に自らの身の回りのことがおろそかになるため、その意味でも瑞希の役割は重要だ。

 

「難しい局面なのですか?」

 

「そうだな。明確に何かが起きている訳ではないから、それゆえに対処もしにくい」

 

瑞希は宮芝内で役職に就いていない。それゆえに他の者には見せられない、悩んでいる姿なども見せることができる。

 

「せっかくの高校生活なのですから、もっと楽しめばよろしいのに」

 

「そうもいかんのだ。父を殺してまで強行した第一高校入りだ。早くなにがしかの結果を出さねば私の立場が危うい」

 

「治夏は急ぎすぎなのですよ」

 

「かもしれんな」

 

治夏が父を殺した理由。それは宮芝家中を手っ取り早く掌握するためだ。恐怖というのは人を従わせるには有効な手だ。

 

ただし、それで恨みをかうようでは後で寝首を掻かれかねない。その点、父ならば恐怖感も倍増に加えて恨みをかう相手も少なかった。治夏が父を粛清の対象としたのは、実際のところはそれだけの理由に過ぎない。

 

我ながら冷酷だと思うことは多い。しかし、現代魔法の発展は目覚ましく、一方で古式魔法は衰退とまではいかずとも停滞しているのは間違いない。今のうちに手を打たねば、宮芝は歴史の陰からもひっそりと退場、などということになりかねない。

 

すべては宮芝、ひいては国家の安寧のため。陰陽と呼ばれていたころより受け継いできた使命を果たすため。それが宮芝に生まれた者が受け継ぐべき使命だ。

 

自らに課せられた使命を果たすため、治夏は次に打つべき手を見極めようとしていた。



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入学編 変わった態度と変わらぬ態度

翌日、司波達也は深雪と共にいつもより早めに家を出た。そして、いつもより早く駅に着いた。すると、そこで待っていた先客に声をかけられた。

 

「あ、達也くん、今日は早いんだね」

 

ごく平凡な内容の挨拶だ。しかし、その言葉を発した相手が意外過ぎて、達也は顔をまじまじと見つめてしまった。

 

「えっと、そんなにまじまじと見つめられると照れるんだけど」

 

まるで普通の女子生徒のように顔を逸らしながら言ってきたのは、和泉だった。

 

「あ、いや、悪かった。口調がいつもと違ったからな」

 

「昨日、あれだけ泣かされた後で格好つけても、しょうがないでしょ」

 

「お兄様、どういうことですか?」

 

和泉にとっては甚だ不本意な話と思ったので、深雪に詳しく説明していなかったのが仇となったようだ。深雪は冷たい目で達也を見つめてくる。

 

「ああ、気にしないでくれ。達也は知らずに私のトラウマを抉ってしまっただけだ。それで私も少しばかり取り乱してしまってね。だからあまり兄上を責めないでやってくれ」

 

「お前、深雪には今まで通りの口調なんだな」

 

「だって、深雪さんにはまだ恥ずかしいところは見せていないからね。それに私にとって、今までの自分が偽りだったってわけじゃないから。ただ、達也だけは宮芝治夏にとって、少しだけ特別な相手になったってだけだよ」

 

達也だけ特別、という表現の個所で深雪の表情が変わった。その静かな怒りは和泉だけではなく達也にまで向けられているようだ。まさか和泉は、深雪がこういう反応をしてくるのを承知の上で、達也への意趣返しとして今のような態度に出ているのではなかろうか。

 

和泉の態度は虚構か実際のものか。測りかねていたところで目的の人物を見つけ、達也は思考を中断させた。

 

「会長、おはようございます」

 

「達也くん? 深雪さんに宮芝さんも、どうしたの?」

 

この三人組に待ち伏せをされるというのは真由美にとっても予想外だったようで、いつもの冗談めいた態度を作る余裕もなく、捻りも何もない平凡な反応を返した。

 

「昨日のことが気になりまして。あの後、放送室を占拠していた壬生先輩たちとの話し合いはどういう結論になったのか教えていただけませんか」

 

あの後、和泉と別れて放送室に向かった達也は、待ち合わせの為に教えられていたプライベートナンバーを使って紗耶香と交渉し、放送室の扉を開けさせたのだ。

 

その際に十文字克人会頭と真由美の決断によって放送室を占拠した生徒たちとの交渉の席が設けられることになったのだ。達也が質問したのは、その結果についてだ。

 

「ちょっと意外ね。達也くんにしても、宮芝さんにしても、他人のことに深入りするタイプにも見えないのに」

 

「他人事で済めば良いんですが、そうもいかないでしょうから」

 

「右に同じく」

 

「なるほど」

 

達也も和泉も風紀委員だ。無関係ではいられないと思ったのだろう。

 

「彼らの要求は一科生と二科生の平等な待遇。でも具体的に何をどうしたいのか、その辺りはよく考えていないみたい。むしろ、具体的なことは生徒会で考えろ、って感じだったわ」

 

「無能な働き者ほど厄介な存在はいないという典型例だな。そのような見下げ果てた輩と話をする必要もあるまい。その場で斬ってしまえばよかったのだ。そもそもが、一科生と同数のスペアなど置いておくから面倒なことになるのだ。この機に半分くらい退学にしたらどうだ?」

 

「いや、それだと和泉さんは退学枠に入る可能性があるんだけど」

 

「それはないな。その前に五十人の死体を積み上げるからな」

 

「……それはともかくとして」

 

真由美は和泉との問答を打ち切った。どう転んでも、ろくでもない方向にしか行きようがないので妥当な判断だ。

 

「それで押し問答みたいになってね。元々昨日は今後の交渉について話し合いましょう、という趣旨だったし、結局、明日の放課後、講堂で公開討論会を行うことになったの」

 

「随分急な展開ですね……」

 

達也としては「遂にそう来たか」という印象で意外感は薄かったが、深雪は予想を超えた急展開に目を丸くして声も出ない様子だった。

 

「ゲリラ活動をする相手に時間的な余裕を与えないという戦略思想は理解できますが、その分こちらも対策を練る時間が取れません。生徒会ではどなたが討論会に参加されるのですか?」

 

達也の質問に真由美は「良くできました」と言わんばかりの笑みを浮かべながら、自分の顔を指差した。

 

「まさか、会長お一人ですか?」

 

「はんぞーくんにも壇上に上がってもらうけど、話をするのは私一人よ。達也くんの言うとおり、打合せをするには時間が足りないからね。一人だったら、小さな食い違いから揚げ足を取られる心配も無いし。怖いのは印象操作で感情論に持ち込まれることだから」

 

「ロジカルな論争なら、負けることは無い、と?」

 

達也がそう言うと、真由美は自信ありげに頷いて見せた。

 

「それにね」

 

軽やかに続けた真由美の声は、何かを期待しているような響きを伴っていた。

 

「もしもあの子たちが私を言い負かすだけのしっかりした根拠を持っているのなら、これからの学校運営にそれを取り入れていけば良いだけなのよ」

 

「しかし、残念ながら、その期待は薄い。むしろ、言論で勝てぬ相手であるから暴力を用いてくることは十分に考えられる」

 

むしろ論破されることを期待しているような真由美に頭からかぶせる勢いで水を差したのは、やはりというか和泉であった。

 

「会長、暴力を用いてきた場合の備えはされているのかな?」

 

「風紀委員には全員、出動してもらう予定だけど」

 

「しかし、それでもいかにも戦力不足だ。戦というのは数がいなければ始まらない。ところで話は変わるが、我ら宮芝の傘下で造園業を営んでいる会社があるのだが、彼らが私の通う学校のためにと無償で木々の剪定を申し出てくれたのだ。明日の放課後辺りに作業をしてくれるというので、入校のための手続きを取っておいてくれるかな?」

 

「それ、絶対に造園が専門の人たちじゃないわよね」

 

「別に損になる話でもあるまい。何もなければ何も起きない。ただ、十人に満たない風紀委員で講堂と広い校舎の全体を守ることは不可能だ。そうなれば、手の回らない個所で重大な事態に陥る生徒が出る可能性があるのではないか。仮に本懐は遂げられずとも生徒を五人も殺せればテロとしては成功だ。宮芝としてもそれは避けたい。それだけの話だ」

 

言われて、真由美はしばらく迷っている様子だった。

 

「分かりました。木々の剪定をお願いします」

 

が、結局は首を縦に振ることになった。事実として風紀委員は講堂に集中配備せねばならない以上、校内の他の個所が手薄になるのは避けられないためだ。

 

「分かった。悪いようにはしないと約束しよう」

 

そう言った和泉の顔は嗜虐的な笑みに染まっていた。



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入学編 戦闘開始

公開討論会当日、全校生徒の半数が講堂に集まる中、皆川掃部は宮芝家当主である宮芝和泉守治夏、宮芝の諜報部隊の山中図書と共に風紀委員長室で待機していた。

 

和泉は制服の上から水色地に白抜きの水色桔梗紋で染め抜かれた陣羽織を羽織って準備万端。室内にも近代的な通信機や古式な呪符など、あらゆる道具類が置かれている。そして、校内には戦支度を整えた郷田飛騨守が率いる宮芝の術士一個小隊十六名が四個の分隊に分かれて四方の守りに就いている。加えて、それとは別に校内の部隊をサポートするために一個分隊四名が第一高校周辺に潜伏している。

 

「和泉守様、現在、講堂では生徒会長優勢で議論が進んでおります。なお、主犯格と見られる剣道部主将の司甲、壬生紗耶香の姿は未だ確認出来ておりません」

 

「報告ご苦労、森崎は引き続き講堂の守りにつけ。なお、事が起こったときには生徒はできるだけ捕獲。外部の者は速やかに抹殺せよ」

 

「はっ、承知つかまつりました」

 

風紀委員長指揮下で講堂にて警戒に当たっている森崎からの通信が切れたところで、和泉が山中を振り返った。

 

「どうだ、図書。森崎は躊躇わずに敵を殺せるか?」

 

「はっ、問題なく実行できると確信しております」

 

「そうか。始めはどうにもならぬ輩かと思ったが、どうして使える手駒となるものだな。これも図書の調整の手腕の成せる業といったところか」

 

「はっ、もったいなきお言葉です」

 

和泉と図書が軽口を交わしているところで、現場指揮官の郷田飛騨守から通信が入る。

 

「和泉守様、敵部隊です」

 

「来たか。手筈通り、敷地外にいる間の攻撃魔法は控えろ。第一高校から三キロ手前の地点にて中央付近で敵を前後に分断する。後続部隊はしばらく足止め。前衛部隊は高校の敷地内に入り、分散してから攻撃を開始せよ」

 

「承知つかまつりました」

 

飛騨守からの通信が切れる。同時に、和泉は自らが放っている式神から送られてくる映像を中央のモニタに映し出した。

 

「さて、戦争を始めるとしようか」

 

隠蔽は宮芝の戦いにとって不可欠なもの。すでに戦闘配備に就いている各員はすべての通信を切断しており、答える者はない。

 

前線の部隊は戦闘の全容を知ることができない。他の部隊の情報についても同様。

 

悪くすれば、知らぬ間に急襲で本部が壊滅していたり、或いは自分たちの隊を残して全滅している可能性すらある。それでも、前時代的な個別での作戦を宮芝は推奨していた。

 

それは、全力で隠蔽に力を注ぎさえすれば、敵に自己の存在を気づかれることはないという自信の現れ。敵に直接のダメージを与えるよりも、戦闘能力を奪うことに特化した古式の粋を尽くした術の数々がブランシュの部隊に襲い掛かる。

 

初手は濃霧の発生から。それにより、中団より後方の車列の運転手に自然とスピードを緩めさせて前との差をつけさせる。続いて周辺に雷術を用いた通信妨害を敷くことにより車両間での情報の交信を遮断する。

 

三人目が用いたのは幻術。霧の中に幻の車体を浮かび上がらせる。幻の車体は徐々に速度を落としていき、やがては完全に停止する。それを見て、後続の車両も次々と停止した。

 

車両間の通信は封じられている。停止した車両の者たちは、前の車がなぜ停止をしたのか把握できていない。だが、自然には発生しえない濃霧と明確な通信妨害から、何者かから攻撃を受けていることは明らかだ。それだけに車を降りて周辺の状況を確認するということは、容易には実行に移せない。

 

しかし、このまま時を浪費して討論会が終わってしまえば好機を逸することになる。やがて中の一人が車を降りて前の車両に状況の確認に行く。

 

「おい、一体どうなっているんだ?」

 

前の車の乗員に状況を聞きながら徐々に前に。そして、その質問は幻術によって作られた車体に向けられた。

 

「分からない。前が停止したから止まったが、状況は分からない」

 

幻術で作られた車体には当然に乗員などいない。返答を行ったように見えたのは幻術で作られた影であり、返答の内容は四人目の術士が送った音声である。

 

聞いた者は車体が幻術によって作られたものであることも、返答が術によって再生されたものであることにも気づかなかった。だから、更に前の車両へと状況を確認しにいく。

 

その男がおかしいと気づいたのは五台目を過ぎた辺りだった。前の車両の乗員たちは揃って状況を見守るばかり。それに、緊急時と思って見過ごしてしまったが、自分を知る者が一人もいないのは変だ。そう思ったのだろう。

 

「姓名と所属を答えろ」

 

男は前の車両の乗員に向けて銃を突き付けて、そう言った。

 

「ようやく気付いたようですね。間抜けなブランシュさん」

 

そして乗員の回答は急に女声に変わった。同時に霧が急速に薄まっていく。霧が晴れた後、そこには道路があるのみ。車列は綺麗になくなっていた。慌てて周囲を見回して、男は後方に停車している車両を見つける。

 

そこにいるのは当初の戦力の半数。それをもって男は自分たちが分断されたことに気づいたようだった。

 

「できれば、あと少し時を稼いでほしかったがな」

 

その光景を式神の映像を通して見ていた和泉は、掃部を振り返って言った。

 

「あのまま銃を撃たれてしまっては流れ弾で周辺の民家に被害が発生する可能性があります。現場はなかなか良い判断を下したかと」

 

「それは分かっている。だから判断には文句をつけるつもりはない」

 

現場を庇うつもりで言った掃部だったが、和泉相手には無用な気遣いだったようだ。

 

「はっ、出過ぎたことを申しました」

 

「よい、それより校内の戦況はどうなっているかな」

 

そう言いながら和泉は映像を切り替える。そこでは、ブランシュの前衛部隊が後続のないのに不審な様子を見せながらも校内の各所に散っているところだった。この間、宮芝の術士たちによる妨害は行われていない。

 

敵の進行を完全に防ぐなら、水際作戦が有効だ。しかし、そもそも宮芝の術士たちはそういった正面からの戦闘には長けていない。ゆえに、ここでも選択は搦め手からの攻撃。

 

仕掛けたのは、最後尾より二つ前の車両だ。その乗員が車両を降りて振り返ると、いつの間にか接近していた軍の車両が見える。乗員たちは慌てた様子で軍の車両をめがけて発砲。しかし、それは宮芝の術士により偽装された友軍だ。

 

後方の車両の乗員たちは急な事態に戸惑った様子だ。とはいえ、撃ってくる相手を無視はできない。事態を把握できないまま前衛部隊の最後方では壮絶な同士討ちが展開される。

 

一方、実技棟に進んでいた隊は、敵の発見の報を受けて待ち伏せをしていた郷田飛騨守の奇襲攻撃を受けていた。その方法は、空中に糸を張って吊るしておいた大量の手榴弾を、術で隠蔽しておき、ブランシュのメンバーが下を通るところで、一斉に頭上に落とすという単純なもの。しかし、破壊力は抜群で、更には轟音が周辺に異変を知らせることができるという効果もある。実際、これで第一高校の教員たちが異変に気付いた。

 

「さあ、全面戦争の始まりだ。ブランシュ諸君の戦闘への対応力は如何程か、とくと見せてもらおうではないか」

 

和泉は勝利を確信した様子で、笑みさえ浮かべている。その様子を見て、掃部は頼もしさと同時に微かに寒いものを覚えていた。



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入学編 宮芝配下の森崎

突如、轟音が講堂の窓を震わせ、真由美の演説に対する満場の拍手という一体行動の陶酔に身を委ねていた生徒たちの酔いが醒めた。

 

動員されていた風紀委員が一斉に動いた。

 

普段、まともに訓練など行っていないとは信じられない、統率の取れた動きで、各々マークしていた生徒を拘束する。

 

窓が破られ、紡錘形の物体が飛び込んで来た。

 

床に落ちると同時に白い煙を吐き出し始めた榴弾は、白煙を拡散させずに、ビデオディスクの逆回し再生を見ているような動きで煙もろとも窓の外に消えた。

 

司波達也が賞賛を込めて視線を向けると、服部は不機嫌そうに顔を逸らした。

 

摩利が出入り口に向けて、腕を差し伸べている。

 

突入してきた防毒マスクを被った数名の闖入者が、段差に躓いたかのように一斉に倒れて、そのまま動きを止めた。

 

そこに、連続した発砲音が響く。戦闘能力を失っていた闖入者たちが血の海に沈む。

 

全員が驚いて視線を向けた先には、銃口から薄く煙を吐く突撃銃を右手に持つ風紀委員、森崎駿の姿があった。普通、突撃銃は片手で扱えるものではない。しかし、森崎は左手に持ったCADで硬化魔法を用いることで銃の反動を抑え、片手での銃器の扱いを可能としている。魔法を補助に銃器で戦闘を行う。それは、以前の森崎とは明らかに異なっていた。

 

「おい、森崎! 戦闘能力を失った相手を、なぜ虐殺した! そもそも、そんな危険な銃器をどこに隠し持っていた!」

 

「生徒は拘束。それ以外は殺害せよというのが、和泉守様の御命令でございますので。それでは、仕事が残っておりますので」

 

「おい、森崎!」

 

摩利の制止も聞く耳もたずという様子で森崎は右手に突撃銃、左手に愛用のCADという装備で外に飛び出していく。

 

「お兄様、あれは本当に森崎さんなのでしょうか?」

 

深雪が怯えを含んだ声で達也に問うてくる。

 

「あれは間違いなく森崎駿だ」

 

それは間違いがない。だが、達也の記憶にある森崎とは別人であるのも確かだ。

 

森崎は妙なプライドを肥大化させた結果、些細な言い争いの場でCADを抜くという愚挙を犯した。だが、熱くなりやすい性格ではあっても、無表情で殺人を行えるほど踏み外した人間ではなかったはずだ。

 

しかし、先ほどの森崎は殺害した者たちに何の感慨も抱いていなかった。何より、和泉の命令を絶対のものとしていた。あれは明らかに異常だった。

 

そうしている間にも外では複数の銃声が響いている。達也はすでに校内に侵入した者たちが狙撃銃により倒されている様子を知覚していた。それと同時に、異様な動きをする機械が校内を蠢いていることも。

 

「俺は、実技棟の様子を見てきます」

 

「お兄様、お供します!」

 

「気をつけろよ」

 

摩利の声に送り出されて、達也たち兄妹は実技棟の方角へと駆け出す。

 

達也が向かったのは轟音が聞こえた方向とは少し離れた区画だ。轟音が聞こえた区画では負傷して満足に戦えない者たちへの凄惨な殺戮行為が行われている。多少の血で動揺する妹ではないが、やはり深雪には見せたくない光景だった。

 

そうして向かった先では、壁面に付着して燃え続けている焼夷剤に、教師が二人がかりで消火に当たり、その教師たちをガードするようにレオが大立ち回りを演じていた。レオを取り囲んでいる男の数は三人。

 

男たちは電気工事の作業員のような恰好をしている。明らかに生徒でも職員でもない。

 

深雪の指が、片手で操る携帯端末形態のCADの上をしなやかに踊る。それで男たちは一斉に吹き飛んだ。

 

「何の騒ぎだ、こりゃあ?」

 

「テロリストが学内に侵入した」

 

訊ねて来たレオに、達也は詳細を一切端折って事態を説明する。

 

「ぶっそうだな、おい」

 

レオはそれだけで納得する。納得できる性質だと、分かっていたからだ。

 

「レオ、ホウキ! ……っと、援軍が到着してたか」

 

その時、反対側、事務室方向からエリカが姿を見せる。達也たちの姿を認めて、エリカは走ってきた足を緩めた。

 

「これ、達也くん? それとも深雪?」

 

レオにCADを投げ渡したエリカは、呻き声をあげて緩慢に這いずる侵入者を同情の欠片もない眼で眺めながら簡潔に問うてきた。

 

「深雪だ。俺ではこうも手際良くは行かない」

 

「わたしよ。この程度の雑魚に、お兄様の手を煩わせるわけには行かないわ」

 

達也と隣に来ていた深雪の回答は、全くの同時だった。

 

「それでこいつらは、問答無用で打っ飛ばしても良い相手なのね?」

 

「生徒でなければ手加減無用だ」

 

「その言葉を聞いて安心しました」

 

声の方を向くと、全身を返り血で真っ赤に染めた森崎駿が立っていた。

 

「その者たちの身柄は我々が預かりましょう」

 

「預かってどうする気だ?」

 

「脳に呪符を埋め込んで、和泉守様の人形になっていただきます」

 

森崎の答えは、いつぞやの和泉の発言とそっくりだった。

 

「お前も、呪符を埋め込まれたのか?」

 

「いいえ、私は和泉守様に教育をしていただいただけです」

 

「その割には、以前とは別人になってしまったようだが?」

 

「以前の私が愚かだっただけでございます」

 

これ以上、何を言っても無駄のようだ。そして、行為自体は気に入らないが、生徒は殺害も拉致もしないということは、和泉なりに譲歩はしてくれているということ。そして、達也は宮芝と対立するというリスクを冒してまで、侵入者を庇うつもりはなかった。

 

事務室の方から、小型列車のようにコンテナを連ねた機械が走ってくる。森崎はコンテナを開けると、気絶させた侵入者たちを放り込んでいく。

 

その間に、校舎の陰から作業着姿のテロリスト一名が現れたが、その相手は音もなく飛来した弾丸に胸を貫かれて絶命した。銃弾は宮芝の術士が放ったもので、純粋な銃器によるものだった。

 

敵を撃った宮芝の術士は、迷彩に防音と術を全て自らの隠匿に用い、攻撃には狙撃銃を用いているようだ。その腕は達也でさえ、放たれた銃弾を知覚して初めて術士が隠れていることに気づくというレベル。

 

いかに高レベルの魔法師でも、常時、防御魔法を展開している訳ではない。例えば相手が真由美のように超一流の力を持った魔法師であったとしても、今の宮芝の狙撃手の腕前ならば倒せる可能性は高いだろう。

 

そして、それは真由美を深雪に置き換えたときにも該当しそうなのが怖い。やはり宮芝には最大限の警戒をもって当たらなければならないようだ。

 

「他に侵入者を見なかったか?」

 

森崎がコンテナを引く機械を連れて次の獲物を探しに行くのを見送ると、達也は意識を切り替えて訊ねた。

 

「反対側を先生たちが守っていたけど、さすがね、もうほとんど制圧してた」

 

「オレが言うのも何だが、あいつら、魔法師としては三流だったな。三対一で魔法を練れないんだからよ」

 

レオは何でもないことのように言うが、そもそも三人を同時に相手取ること自体、容易ではない。このクラスメイトは思った以上にやれるようだ。

 

「エリカ、事務室の方は無事なのかしら?」

 

深雪の問いかけに、エリカが頷く。

 

「あっちの方が対応は早かったみたい。あたしが到着した時には、先生たちが侵入者を縛り上げていたよ」

 

エリカの言葉に、達也は引っ掛かりを覚えた。

 

事務室には多くの貴重品が保管されているから、襲撃の対象となるのは分かる。だが、実技棟には型遅れのCADが置かれているだけで襲撃する価値は低い。

 

他に、破壊活動によって学校の運営に支障を来す場所はどこだ。

 

「……実験棟と図書館か!」

 

「では、こちらは陽動? もしかして、討論会へ結びつく抗議行動自体も?」

 

「いや、あれはあれで本気だったと思う。彼らも利用されていただけじゃないかな」

 

気の毒な、とまでは言わなかったのは、本気で差別の排除を叫んだ者に対する侮辱になると考えたためだ。

 

「それより、これからどうするか、だが」

 

「彼らの狙いは図書館よ」

 

情報をもたらしてくれたのは、学園のカウンセラーである小野遥だった。実技棟の中から現れた彼女は、防弾・防刃効果を重視した金属繊維のセーターを身に纏っている。

 

「向こうの主力は、既に館内に侵入しています。壬生さんもそっちにいるわ」

 

ただの学園のカウンセラーが、そんな情報を持っているはずがない。一方で、遥は自信を持って発言をしている。

 

「後ほど、ご説明をいただいてもよろしいでしょうか」

 

「却下します、と言いたいところだけど、そうもいかないでしょうね。その代わり、一つお願いしても良いかしら?」

 

「何でしょう」

 

「カウンセラーの立場としてお願いします。壬生さんに機会を与えてあげて欲しいの」

 

「甘いですね」

 

遥の依頼を達也は容赦なく切り捨てた。

 

「余計な情けで怪我をするのは、自分だけじゃない」

 

同じ学園の生徒を切り捨てることに戸惑いを覚えている友人たちにアドバイスを残し、達也は図書館へと走り出した。



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入学編 宮芝治夏前線へ

達也たちが図書館に向かい始めるよりはるか前に、宮芝和泉守治夏は風紀委員本部に山中図書を残して、皆川掃部とともに図書館へと向かっていた。本来は自ら前線ということは考えていなかったが、敵の狙いが分かった以上、黙って待っているという手はない。

 

襲撃者側と生徒側が小競り合いを繰り広げる中、治夏は自らの姿を隠す術を使い、戦闘を行うことなく図書館内への侵入を果たす。悠々と中まで進めたのは、両者が目に見えている敵にのみ注意を払っていたためだ。こういう場面では、宮芝の術は真価を発揮できる。

 

館内では常駐の警備員が無力化をされているところだった。治夏はそれを無視し、注意が逸れている隙を狙って二階の特別閲覧室へと進む。

 

特別閲覧室からは魔法大学が所蔵している一般閲覧禁止の非公開の機密文献にアクセスができる。ブランシュの尖兵が図書館に向かうのを見た治夏は、すぐに目的がそれらの機密文献にあると気づいた。

 

日本の貴重な研究結果が国外に流出することは断固阻止しなければならない。それと同時に、それら研究資料は宮芝にとっても魅力的なものだった。仮にそれら研究成果を手にできるのならば、場合によっては証拠隠滅のために、その場にいる者は生徒も含めて皆殺しとすることも視野に入っている。

 

特別閲覧室に入ろうとしている一行の、最後尾の一人を音もなく引き抜いた短刀で首筋を切り裂いて殺害。この際に防音の魔法を使ったのは掃部で、治夏は実際に得物を手にしての敵の抹殺を実行した。

 

死体と血溜まりは短時間であれば、術により誤魔化すことができる。が、このままでは、いずれ階段に残った者に異変に気付かれる。

 

「どういたしますか?」

 

小声で聞いた掃部の目は、階段に残ろうとしている一人の男子に向けられていた。男子生徒は剣道部に所属する第一高校の生徒のようだった。その意味するとことは原則通りに拘束で済ませるか、ということだ。

 

「いいよ、処分して」

 

階段付近に残るのは四人。掃部の腕ならば気づかれることなく三人の殺害と一人の拘束も可能であろう。しかし、可能であるということと、確実に成功が見込めるというのとは別の問題だ。

 

自分の腹心を危険に晒してまで、同じ学校の所属というだけの縁しかない敵を助ける義理はない。自ら国に仇なす行為に加担した以上、殺されても文句はいえないというのが治夏の認識だった。

 

自らの姿を殺害した一人に偽装する術を使用。続けて治夏のことを、その男と同一人物であると誤認させる術も保険でかけ、特別閲覧室の中に。その間、掃部は階段で外からの敵を警戒する四人の殺害に当たる。

 

そのようなことが自分たちのただ中で行われていることに、誰も気づかない。警戒とは前方と後方に向けられるもの。中央への意識は薄くなることを巧みに突いているためだ。

 

もっともそれ以上に大きいのは、侵入者たちの対魔法耐性が低すぎることにある。特別閲覧室の中にいる者たちで一番なのが壬生紗耶香なのだから、程度の低さは惨憺たる有様だ。

 

「これなら労せず全員を殺せるな」

 

防音の術を使った上で小声を出してみるが、それに気づいた者はいない。やはり、この者たちのレベルはかなり低い。

 

「……よし、開いた」

 

機密文書にアクセス可能な端末にハッキングを仕掛けていた男の言葉に小さなざわめきが走る。記録用のソリッドキューブが慌ただしく準備された。そこに記録が移され次第、治夏はこの場にいる全員を殺してソリッドキューブを奪い取るつもりだった。しかし、その前に事態は動いた。

 

「ドアが!」

 

壬生の悲鳴に振り向くと、四角に切り取られたドアが内側に倒れるところだった。

 

「バカな!」

 

驚愕の叫びが耳に届く。その男以上に治夏は焦っていた。

 

外からの攻撃ということは、相手は学園側。そして、学園側ならば掃部が中に治夏がいることは伝えているはず。問題は、いつ偽装の術を解くかだ。早すぎれば敵に攻撃を受ける可能性があり、遅すぎれば味方に攻撃をされてしまうかもしれない。

 

常識外の光景に凍りつく男たちの手許で、記録キューブが砕け散る。惜しいと思う間もなく、続いてハッキング用の携帯端末が、製造工程を高速逆回転させたかの如く分解した。

 

「産業スパイ、と言っていいのかな? お前たちの企みはこれで潰えた」

 

淡々とした口調で告げる司波達也に、私の企みも見事に潰されたよ、と心の中で毒づく。

 

「司波君……」

 

呟く壬生の隣の男で拳銃を上げた男が、司波深雪の魔法により無力化される。

 

「壬生先輩。これが、現実です」

 

「えっ……?」

 

「誰もが等しく優遇される、平等な世界。そんなものはあり得ません。才能も適性も無視して平等な世界があるとすれば、それは誰もが等しく冷遇された世界」

 

達也の声が続く。今や室内の者の注目は達也に集まっている。好機と見た治夏は密かに大きな魔法の準備を始めた。

 

「壬生先輩は、魔法大学の非公開技術を盗み出す為に利用されたんです。これが他人から与えられた、耳当たりの良い理念の、現実です」

 

「どうしてよ! 何でこうなるのよっ?」

 

壬生が感情を爆発させる。差別を無くそうとしたのが間違いだったと言うのか、平等を目指したのが間違いだったというのかと問いかける。そうして、自らが蔑まれたこと。馬鹿にされたことを訴えて、達也もそうであるはずだと叫ぶ。

 

心からの叫び、心からの絶叫。しかし、治夏には心を乱した甘美な響きに聞こえるのみ。

 

「わたしはお兄様を蔑んだりはしません」

 

けれど、代わりに司波深雪の心に届いたようだった。

 

「仮令わたし以外の全人類がお兄様を中傷し、誹謗し、蔑んだとしても、わたしはお兄様に変わることのない敬愛を捧げます」

 

「……貴女……」

 

怒りをも込めた深雪の言葉に壬生も絶句していた。

 

「結局、誰よりも貴女を差別していたのは、貴女自身です」

 

あまりにも鮮烈な深雪の言葉に、壬生が反論もできない様子で佇む。そこに声が響いた。

 

「壬生、指輪を使え!」

 

「させると思うか」

 

右手の短刀で壬生の指を切り落とすと同時に、左手の拳銃で壬生の背中に隠れるようにしていた男を撃とうとする。しかし、短刀は司波達也の手で受け止められた。他の二人は深雪の魔法で無力化されている。

 

結果的に、治夏は男の方を銃撃で殺したのみ。壬生は図書館の外へと逃れていく。

 

「どういうつもりだい?」

 

「小野先生に、彼女を頼むと言われていた。そんなことより、和泉こそどういうつもりだ?」

 

なぜか達也の目には怒りの感情が見える。理由の分からない治夏は、ありのままの事実を答えることにした。

 

「全てを否定された壬生の最後の拠り所が剣道だ。まずは指を切り落とすことで、それさえも失わせる。そこで今回の戦闘で死んだ剣道部員とブランシュのメンバーの死体を見せて、お前のせいだと囁けば壬生の心は壊れる。そうすれば残るのは空虚となった器のみ。死体よりよほど素晴らしい人形にできる」

 

「森崎も、そうして人形にしたのか?」

 

「森崎は人形ではない。実際、問題なく日常生活を送っているだろう?」

 

「あの命令を忠実にこなすのみの機械のような状態が、か?」

 

吐き捨てるように言う達也の怒りがどこから来ているものか、治夏には分からない。だが、少なくともこのままここで話し込むのは得策ではなさそうだ。

 

「校内には、まだ残党がいる可能性がある。私はその狩りに向かうとするよ」

 

思うところはあるが邪魔をする気はないのか、達也は道を譲るように体を傾けた。最大の目的だった、壊されてしまった記録キューブを名残惜しく視界に収めて治夏は風紀本部に戻るために外へと歩き出した。



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入学編 ブランシュ壊滅戦

茜色に染め上げられた世界の中、夕陽を弾いて疾走する大型のオフローダーが、閉鎖された工場の門扉を突き破った。時速百キロ超で衝突した大型車の衝撃は相当なもの。しかし、門扉の破壊音は工場に届くことはなかった。

 

「レオ、ご苦労さん」

 

「……何の。チョロイぜ」

 

「疲れてる疲れてる」

 

高速走行する大型車全体を衝突のタイミングで硬化するというハイレベルな魔法を使用したレオは集中力の多大な消費にかなりへばっている。それでも懸命に見せた明らかな強がりは、エリカのからかいの的になっていた。

 

「和泉も、ご苦労だったな」

 

「別に構わんよ」

 

今回の門扉突破の、もう一人の功労者である和泉は憮然とした表情をしていた。

 

「司波、お前が考えた作戦だ。お前が指示を出せ」

 

克人に権限を委ねられた司波達也は、尻込みすることなく頷くと、一行を見渡した。

 

達也の現在地は街外れの丘陵地帯に建てられた、バイオ燃料の廃工場。ブランシュの拠点となっている場所だ。

 

そこに和泉が得意とする隠密の術と、レオの硬化魔法で強襲をかけたところだ。強襲部隊のメンバーは、達也と深雪に、克人、桐原武明、レオ、エリカに和泉の七人。このうち多くは志願者だが、和泉だけは別枠だ。

 

和泉が率いた宮芝の術士は、なるべく穏便に済まそうとした風紀委員の意向を無視して三十名もの屍を築いた。おかげで秘密裏に処理というのは大変難しくなり、こうなった以上は最後まで責任を持てということである。

 

さて、その七人をどう配置するか。

 

「レオはここで退路の確保。エリカはレオのアシストと、逃げ出そうとするヤツの始末」

 

「……捕まえなくていいの?」

 

「余計なリスクを負う必要は無い。安全確実に、始末しろ。会頭は桐原先輩と左手を迂回して裏口に回ってください。俺は深雪と和泉と、このまま踏み込みます」

 

「私は荒事を苦手としているというのに、どうして達也と一緒なのかい?」

 

全員が、こいつは何を言っているんだ、という表情で和泉を見た。その脳裏には屍の中を平然と歩く和泉の姿が思い浮かべられている。

 

「か弱い女子であるというのは噓偽りない事実だよ。なのに、この扱いはさすがに酷いのではないかな」

 

その視線を受け、さすがの和泉も居心地が悪かったのか、弁解になっていない弁解を行う。

 

「まあいい、裏口からの侵入、引き受けた」

 

「逃げ出すネズミは残らず斬り捨ててやるぜ」

 

克人が悠然と頷き、桐原が刃引きされた抜き身の刀を握る手に力を込める。

 

「達也、気をつけてな」

 

「深雪、無茶しちゃダメよ」

 

レオとエリカに見送られ、達也は深雪と和泉と共に薄暗い工場の中へと進む。そうして他のグループから離れたところで和泉が切り出してきた。

 

「どうして私を一緒のグループに指定してきたの? 戦力面での均衡という意味では私はレオたちと一緒の方がいいんじゃない?」

 

「和泉は俺と一緒の方がよかったんじゃないか?」

 

「それはそうだけど、でも教えてくれるわけじゃないんでしょ」

 

「そうだな」

 

和泉は図書館の特別閲覧室で達也の固有魔法である「分解」を目撃している。紗耶香はただ事象に驚くだけであったが、和泉は必ず分析をしていたはずだ。そう簡単に原理にまでは辿り着けないだろうが、達也が特別な魔法を使用できることは知られたと思っていい。それならば、ある程度は「分解」の脅威を見せつけて、迂闊に手を出すことは危険と思わせておいた方が、結果的に宮芝を遠ざけることができると考えたのだ。

 

「とりあえず、このまま進むとホール状の部屋で待ち伏せを受けることになるけど?」

 

そんなことを考えていたら、唐突に和泉が忠告をしてきた。

 

「分かるのか?」

 

存在を知覚する能力を有している達也は、和泉の言ったことが事実であることが分かる。しかし、和泉がどうやってそれを知ったのかが分からない。

 

「ブランシュの中には私の人形が混じっているからね」

 

すると、あっさりと理由を白状した。そう言われてみると、なんとなくエイドスがぼやけている人間がいる。どうやら意思の希薄さはエイドスにも表れるものらしい。

 

「それで、どうするの?」

 

「問題ない。このまま進む」

 

「あのね、達也はいいかもしれないけど、私は防御は得意じゃないの。待ち伏せの中に突入するなんて嫌だからね」

 

「じゃあ、後からついてくればいい」

 

そう言って深雪と二人で工場の中に歩を進める。

 

「女の子を無理やり戦場に連れ出して、挙句に放って先にいくなんて、いくらなんでも酷すぎるんじゃないかな」

 

何やら不平を言っている声は聞こえてきたが、和泉なら逃げに徹すれば、そう簡単に捕まることはないはずだ。無視をして敵の待ち構えるホールへと進む。

 

「ようこそ、はじめまして、司波達也くん! そしてそちらのお姫様は、妹さんの深雪くんかな?」

 

ホールでは二十名以上のブランシュのメンバーが銃器を手に待ち構えていた。声を発したのは、その中央に立つ三十歳前後の男だった。

 

「お前がブランシュのリーダーか?」

 

「おお、これは失敬。仰せのとおり、僕がブランシュ日本支部のリーダー、司一だ」

 

「その男を殺せ」

 

司一が名乗った瞬間、和泉の声が響く。それと同時に、司一の近くでサブマシンガンを構えていた男が銃口の向きを変える。余裕たっぷりの姿勢のまま、司一は至近距離からの連発により、あっけなく息絶えた。

 

「ブランシュを殲滅せよ」

 

撃った男は和泉が紛れ込ませていた操り人形だった。男は和泉から命じられるままに周囲の男たちに銃弾をばら撒き続ける。

 

「相変わらず、性急だな」

 

「敵を前におしゃべりに興じるなんて、二流どころか三流だよ。さて、目的は果たしたことだし、残党狩りは任せていいかい?」

 

「気乗りしないが、任されよう」

 

司一を殺した男はすでに残るブランシュのメンバーの反撃に合い、倒されている。その男が自らの死の間際にも何の感情も抱かず無表情のままであったことを、達也の感覚は認識していた。それは、正しく意思を持たぬただの人形だった。

 

男は魔法師ではない様子だった。和泉はいつぞや、魔法師は兵器にすぎないと言い放った。達也はそれを文字通り、魔法師を兵器として扱った前時代の思想を引き継ぐものとして理解した。

 

けれど、どうやらそれは誤りであったようだ。和泉は自ら以外の全てを道具として扱うことに何の抵抗感も抱いていない。

 

道具というものは上手く扱えてこそ。つまり扱いが難しい達也や深雪は宮芝に害される可能性は低くなったといえるだろう。

 

しかし、それを喜ぶことはできそうにない。複雑な思いに今は蓋をして、達也は残った男たちに拳銃型のCADを向けた。



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入学編 後始末

司波達也や十文字克人の活躍によりブランシュの日本支部は壊滅した。第一高校内での戦闘や、その後の工場での戦いでは合計で五十名以上の死者を出し、ほぼ同数の敵兵を拘束している。

 

相手側を死亡させたのは概ね宮芝家の者たちであり、逆に拘束をしたのは第一高校の生徒たちだ。特に十文字克人は卓越した防御魔法でもって対峙した全相手を殺害することなく無力化に成功していた。

 

堅固な防御魔法は古式魔法が最も苦手とする分野だけに、その能力は羨ましくはあった。しかし、同時に力押しのような戦い方は古式の良さを殺すことにもなるため、真似をしようとは少したりとも思わない。

 

ともかく、ブランシュの襲撃を撃退したのみならず、壊滅にも成功した。それはよいが、問題となるのは事後処理である。

 

学校への襲撃者を撃退しただけであれば、まだ正当防衛の目もあった。しかし、拘束した敵兵は素材として使うために残らず運搬してしまっているし、廃工場への攻撃はもはや完全な報復行為である。世界群発戦争を経た現在においても、日本は無法地帯となっていないため、自力救済は認められていない。

 

だが、司直の手が治夏たち宮芝家に伸びることはない。十師族の一である十文字家の総領、十文字克人がかかわる事件に普通の警察は関与できないのだ。

 

学内の戦闘も、廃工場の戦闘も今回は克人が後始末を引き受けたため、外部からの介入はない。治夏は普段、司法当局を凌駕する十師族の権勢に忸怩たる思いを抱いているが、今回ばかりはありがたく恩恵に与ることにしていた。

 

これにより第一高校にとってのブランシュ事件は解決した。しかし、治夏は司直の介入とは関係なしに片付けなくてはならない案件を抱えていた。それは図書館に突入した際に殺害した第一高校二年生、早田宗泰に関しての後始末だった。

 

「こんなことになるのなら、殺さずに眠らせておくべきだったな」

 

「司波達也の到着が予想以上に早かったのですから、仕方ないかと」

 

これから行う面倒な処理を思うと、愚痴もこぼれもする。そんな治夏を皆川掃部は懸命に宥めようとしてくる。

 

現在、治夏たちは掃部、郷田飛騨守をはじめとした屈強な男たち八人と共に三台の自動車に分乗して早田宗泰の住所地へと向かっていた。生徒会からの情報提供によれば、早田宗泰は両親との三人暮らし。

 

つまりターゲットは二人ということだ。宗泰の他に子がいなかったというのは好材料だ。

 

「ターゲットは二人とも在宅か?」

 

「探知が得意な者に探らせたところ、二人とも在宅中ということです」

 

「では総員、作戦行動開始」

 

治夏の指示を受けて郷田飛騨が指揮する部隊が早田邸に突入する。郷田たちはそのまま瞬く間に早田夫婦を拘束。そのまま外の車へと連行して拉致をする。

 

この後、早田夫婦には厳しい尋問が行われることになる。二人の罪状は外国と繋がりのあるテロリストに加担していた早田宗泰に対し支援を行ったというもの。当然に、二人は息子がテロリストに加担していたことを否定しようとするだろう。だが、治夏たちはブランシュと行動を共にする早田宗泰の映像を多数保持している。

 

銃火器を生徒に向けるブランシュのメンバーたち。そのブランシュのメンバーを積極的に校内へと引き入れている早田宗泰。それだけで関与を示す決定的な証拠となりうる。

 

そして、十分に衝撃を与えたところで、二科生として一科生から下に見られることに不服を持っていたという早田宗泰の犯行の動機を伝える。それだけの動機でテロリストを校内に引き入れて学校を壊滅させようとし、実際に警備員を殺害した。あまりに軽い理由での重大な犯罪を犯したその心は、親であっても理解できないと感じるはずだ。

 

その結果が、倒されたブランシュメンバーの躯が随所に転がる凄惨な光景だ。学園側の警備員を殺害するブランシュのメンバー、ブランシュのメンバーを明らかに支援している早田宗泰の姿を重ねて映すことも忘れない。そして、最後の締めとして早田が手引きしていたブランシュのメンバーの死体の再放送だ。

 

無論、映像に加工などはしてやらない。ありのまま、素人であれば嘔吐しかねない悲惨な人体の一部まで、そのままの映像だ。

 

その後、早田が死んだことは口頭のみで伝えるが、両親の脳裏にはブランシュのメンバーの顔を入れ替えた映像が浮かんでいるはずだ。しかし、息子の死を悲しむ間も与えず、これだけの死者を出す重大な犯罪に手を貸した早田宗泰を責め上げる。そうした上で、本当に早田宗泰の計画を全く関知していなかったのかと尋問をするのだ。

 

両親は別々にされた状態で、三日ほど監禁を続けて昼夜に渡り厳しい尋問を続けられる。その後、解放されて疲労困憊の状態で帰宅した彼らを迎えるのは、家宅捜索により荒れに荒らされた我が家の姿だ。

 

そうして摩耗しきったところで、未成年者であることを考慮して、早田宗泰は犯罪の結果として死亡したのではなく、事故死として扱ってあげようという悪魔の申し出をする。それを受けた瞬間、両親は早田宗泰の死の責任を問う権利を失うのだ。後はテロリストに与して殺害されたという不名誉を息子と自身に与えないよう、二人は息子の死には触れることなく余生を過ごしてくれる。

 

「面倒は抱えることになったが、こうなれば出来レースだな」

 

「はっ、そのような展開になるかと」

 

「そうだな。では、我々は三日に渡って余計な仕事をしなければならない郷田飛騨たちに報いる方法でも論じておくとするか」

 

「はっ、かしこまりました」

 

拉致が順調に推移しているのを見て、治夏は自宅へと車を向けさせた。




  ~  お知らせ  ~

投稿前に書き溜めておいた分を使い切ったため、以後は週一での更新となる予定です。



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九校戦編
九校戦編 宮芝治夏にとっての九校戦準備


正式には全国魔法科高校親善魔法競技大会という長い名を持つ九校戦は、日本に存在する魔法大学付属高校九校による交流戦である。

 

政府の他に一般企業から多くの研究者やスカウトを集める九校戦は、魔法大学付属高校の生徒にとっては、年に一度の晴れ舞台である。それと同時に、魔法を使えぬ一般の人々にとっても、魔法競技を目にできる数少ない舞台だ。また学校単位の競争であるため、当事者として他の八校と争う形になる各校にとっては学校の威信を掛けた場になる。

 

そのため、どの学校も九校戦の前は諸々の準備のため慌ただしい雰囲気に包まれることになる。それは、第一高校も例外ではない。

 

だが、宮芝和泉守治夏にとって、第一高校の威信などは興味の範囲外。治夏は競技の参加者でもなければ、スタッフにも名を連ねていない。つまり、普段通りの日々を過ごしていた。

 

治夏の予定では、九校戦が始まる前日にゆっくりと会場入りをし、若者たちの実力の程をじっくりと観客席から見せてもらうつもりであった。

 

気がかりなのは、国防軍から香港系の犯罪シンジケートである無頭竜らしき存在が会場近くで蠢いているという情報がもたらされたことで、それに対しては山中図書を派遣して調査をさせていた。この時点では治夏も事態を深刻なものとまでは認識していなかった。

 

だが、事態は予想を超えて動き始める。

 

そのとき、治夏は翌日からの会場入りに備えて荷造りをしている最中だった。第一高校の一員という意識の希薄な治夏は、大会期間中も全てを私服で賄うつもりでいる。しかも十日間に及ぶ大会期間中、一日たりとも同じ服は着用しないという気合の入れようである。

 

衣類は全てを持参するわけではなく、二日目までの衣類は予めホテルに送付しておき、その後は逐次で後続を送ってもらう手はずであるので、手荷物はない。けれど、それを実行するためには十日分の衣類の組み合わせを予め決めておかなければならない。

 

衣類に興味の薄い者の場合は、スタイリストやらに決めてもらうという手を取るだろう。けれど、質実剛健を旨とする宮芝では、そんな余分な人員はいないし、そもそも治夏は服を選ぶのが嫌いではない。

 

というわけで所有する衣類を部屋の中に所狭しと並べて、ああでもない、こうでもないと組み合わせの吟味を続けていた。普段の治夏は肌の露出を嫌うが、季節は夏。少しばかり冒険をしてみるのも悪くないかも、などと考えているとき、その電話はかかってきた。

 

「瑞希です。和泉守様、森崎殿からお電話が入っております」

 

「要件は?」

 

「森崎殿も加わっている第一高校の選手団が何者かの襲撃を受けたとのことです」

 

そう言われれば、嫌でも山中図書が調べている無頭竜が頭に浮かぶ。

 

「分かった、繋げろ」

 

「はっ、かしこまりました」

 

わずかの間の後、通話相手が森崎に切り替わる。

 

「森崎駿にございます。此度はお休み中にお手を煩わせて申し訳ございません」

 

「よい。それより、第一高校が受けた襲撃について、なるべく詳細に報告をいたせ」

 

「始まりは、対向車線で起きた車両事故にございました」

 

そう言って森崎が伝えたのは、急にスピンを始めてガード壁に激突した大型車が、宙返りをしながら第一高校生の乗るバスへと飛んできたという事実だった。

 

幸い、十文字克人と司波深雪の活躍により選手団に被害は出なかったらしい。しかし、事故に至る前の車両の動きと、事故後に微かに魔法の残滓を感じ取ったことから、ただの事故ではなく第一高校を狙った襲撃であると判断したようだ。

 

「分かった。引き続き警戒を厳にせよ」

 

「はっ、かしこまりました」

 

森崎からの通話が切れた後、治夏はすぐに杉内瑞希に電話を掛けなおし、山中図書を呼び出すよう伝える。そして、山中からの電話を待つ間に今後の対応を考える。

 

とりあえず、仕掛けてきた相手は無頭竜で間違いないだろう。犯罪シンジケートがなぜ高校生の死傷を狙うのかの理由は分からないが、タイミングから考えて無関係であるとは考えられない。

 

まずは早急に会場近くに現れたという無頭竜の構成員を捕らえる。そして、どのような手段を用いてでも、無頭竜の狙いの全てを吐かせる。

 

そこまで考えた所で、山中図書からの電話が入った。

 

「和泉守様、山中図書にございます」

 

「図書、命じていた無頭竜について何か判明したか?」

 

「いえ、現在は……」

 

「何をモタモタしているか!」

 

急に落ちた雷に山中図書が身を竦ませた気配がした。しかし、今の治夏は確かな怒りを覚えている。叱責をやめるつもりはなかった。

 

「今日、第一高校の選手団が襲撃を受けた。相手は十中八九、無頭竜だ。お前はその兆候を何も掴んでいないのか?」

 

「申し訳ございません」

 

「人数を追加しても構わん。怪しい者は術だけでなく薬も使って全て吐かせろ!」

 

「はっ、至急、取り掛かります」

 

山中図書との電話を切ると、瑞希がお茶を持って入室してきた。

 

「ご機嫌斜めのようですね」

 

「そうだな」

 

「大亜連合が絡む案件だからですか?」

 

「まあ、そうだな。大亜のゴキブリどもがまたも日本に手を出してきたと考えれば、機嫌も悪くなろう」

 

そう言うと、瑞希が呆れたように溜息をついた。

 

「和泉守様は本当に大亜連合が嫌いなのですね」

 

「大亜連合だけではない。新ソ連の生ゴミどもも同じくらい嫌いだな」

 

「まあ、和泉守様にしてみれば、仕方がないのかもしれませんけどね」

 

長い歴史を刻んできた宮芝にとって、魔法が正式に成立した百年前であっても、ちょっと前くらいの認識になる。そして、その百年の間に何度も日本にちょっかいを出してきている大亜連合と新ソ連は宮芝にしてみれば、ちょっとの間に何度となく攻撃を仕掛けてきた相手ということになる。加えるなら、それらの攻撃では少なくない宮芝の術士たちが命を落としているのだ。許し難いと考えてしまうのも仕方のないことではないだろうか。

 

「ともかく私も現地入りを早めることにしよう。瑞希、今日から宿泊ができるようホテルに連絡を頼む」

 

「かしこまりました」

 

「その間に私は一日分、余分となった服を選んでおく」

 

「そこは妥協なされないのですね」

 

「私とて花も恥じらう乙女だぞ。少しくらい楽しんでもいいじゃないか」

 

治夏の言はあまり瑞希の心には響かなかったらしく、芳しい反応は帰ってこない。年頃の少女であるということと、冷酷な宮芝の当主であるということは相反することではないはずだ。しかし、これも言っても理解はされないだろうと、治夏は黙って準備を続けることを選択した。






森崎駿:キャラ改変のタグを付けることになった原因、代わりに出番を獲得



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九校戦編 懇親会の異端者

九校戦参加者は選手だけで三百六十名。裏方を含めると四百名を超える。

 

その前々日の夕方から行われる懇親会は全員出席が建前である。とはいえ、様々な理由をつけて欠席をする者は少なくないが、それでも出席者数三百名から四百名の、大規模なものであった。

 

その中に見知った顔を見つけ、司波達也は呆然とその姿を見つめてしまった。

 

「ねえ、達也くん。普段と違う私を見たっていうのに、何の感想も言ってくれないの?」

 

濃紺の袴と、鮮やかな水色の着物。そして着物には普段のシンプルな桔梗紋とは違った、鮮やかな大輪の桔梗が描かれている。

 

その服装は、選手でも裏方でも、無論のことホテルのスタッフでもない。しかし、その人物は誰の注目も浴びることなく会場に溶け込んでいた。

 

「何をしているんだ、和泉」

 

「ちょっと事情があって早めに会場入りすることにしたの。で、暇だから懇親会というものの様子を見てみようと思って。そんなことより、私の着物姿に何の感想もないの?」

 

非常に面倒臭いが、感想を言わないと解放してもらえないようだ。

 

「似合ってると思うぞ」

 

「そ、ありがと」

 

「それより、まさか忍び込んだんじゃないだろうな?」

 

「そんなはずないでしょ。ちゃんと許可を取ってるよ。ただし、目立たないように、って条件を出されたけどね」

 

和泉が使っているのは、周囲が自分の存在に違和感を抱かないようする精神干渉系魔法。加えて、自らの姿を変えて見せる幻影の魔法も使用しているようだ。おかげで、四百名近くいる魔法師の卵たちのほとんどは、和泉が制服を着用していないことに気付いていない。

 

「み、宮芝さん?」

 

「どうして、ここに……」

 

和泉の存在に違和感を持つのは、そもそも幻影の魔法を見破ることができて、かつ和泉がこの場所にいること自体に違和感を抱ける者。つまりは第一高校の生徒の中でも実力上位の者たちだけのようだ。

 

「おや、会長に風紀長。先に楽しませてもらっているよ」

 

「そ、そうなんだ。……じゃあ、宮芝さんは、ほどほどにね」

 

そして、和泉の存在に気付いた第一高校の生徒会長は、どう絡んでも面倒にしかならないと学習しているのか、見て見ぬふりを決め込んで撤退した。一方、真由美に置いて行かれたかたちの摩利は、風紀委員長として部下である和泉を放置できぬと考えたのか、この場に残ることを選択したようだ。

 

「……それで、お前は忍び込んだんじゃないだろうな?」

 

「風紀長殿も達也と同じことを聞くのだな。きちんと許可はとってあるよ」

 

「ならば、よいが……」

 

若干の疑いを含んだ声色であったが、ひとまず異論は挟まないことにしたようだ。

 

「ところで達也、その制服はどうしたんだ?」

 

和泉が指摘しているのは、達也が着ているブレザーだ。その左胸には一科生の証である八枚花弁のエンブレムがある。

 

「予備の制服だ。他校の生徒との親睦会では、正面から校章が見えないと判りにくい、ということらしい」

 

「新調すれば良かったんじゃないか?」

 

聞いてきたのは摩利だ。

 

「二回しか着ないブレザーを新調するのは、もったいなすぎますよ。ワッペンなら取り外して着るという選択肢もあったでしょうけど、刺繍ですからね、これは……」

 

「いや、そんなことは言わず、新調すればよかったじゃないか」

 

そう言った和泉は、悪だくみをしています、という顔をしている。

 

「あまり聞きたくない気もするが、その理由は?」

 

「うっかり前の制服を破ってしまうこともあるだろう。そういうときは一科生の制服を着るのもやむを得ないと思わないか?」

 

「お前、絶対に故意に破る気だろう」

 

やはり和泉の話は、ろくでもない。聞くのではなかった。

 

「宮芝の発言はともかく、二回だけとは限らないだろう? 秋には論文コンペもあるし、君が一科に転籍しないとも限らないからな」

 

笑いながらであったが、摩利の目は結構本気だった。

 

「論文コンペに選ばれたとしても、自分の制服で構わないでしょう。一科への転籍はあり得ません。そんなことは規定も前例もない」

 

「君が望むなら、私が君を一科に……」

 

「却下だ」

 

「達也が私に冷たい……」

 

冷たくされないなら、もう少しマシな発言をしてほしい。

 

「何度も宮芝に茶化されて気が抜けたが、あたしとしては前例が無い、などと言うより、君こそが『前例』になるべきだと思うのだがな」

 

「……」

 

苦虫を噛み潰してしまった達也を見て、摩利が楽しそうに笑う。

 

「さて、あたしは他校の幹部と少し話をしてくるとするか」

 

そう言って摩利が去って少しして、今度はエリカがやってきた。

 

「あれっ、和泉? そして達也くん、深雪は?」

 

「和泉は許可を取って紛れ込んだらしい。深雪はクラスメイトの所に行かせた。エリカの方こそ幹比古はどうした?」

 

「なんか直前で逃げ出したけど……そっか、和泉がいたからか」

 

本来、エリカは幹比古を呼びに行ったのだが、どうやら幹比古は直前で危険回避を行ったらしい。

 

「こんな美少女を避けるなんて、酷い吉田だな。後で懲らしめねばな」

 

「和泉、あまり幹比古を虐めるな」

 

「分かってるよ。ちょっとした冗談じゃない」

 

「なら、いいんだが」

 

そこで急に和泉が黙りこんだ。そして明確に非難の視線を向けてきた。

 

「ねえ、達也。私は達也には誠実に接してきたと思うんだけど。吉田のことだって、達也が同級生には手を出すなと言ったから何もしなかったのに。それなのに、こんなふうに扱うのは、さすがに酷いんじゃない?」

 

言われてみると、和泉は達也とのちょっとした約束も律義に守っている気もする。もしそうだとしたら、確かに少しうがった見方をしすぎたかもしれない。

 

「前も言ったと思うけど、私も何も感じない訳じゃないんだよ。それに、達也は私のこと、全然、女の子として扱ってくれないじゃない」

 

そう非難されて改めて思い返してみると、和泉は夏を前に髪留めを始め、小物類を全て新調していた気がする。容姿にも気を使っているようだし、意外に女子として扱われることにこだわりがあるのかもしれない。

 

「悪かった」

 

今回ばかりは和泉の方に理があるように感じ、素直に謝ることにする。

 

「じゃあさ、もっと女の子らしくなってしまえばいいじゃない」

 

そこで、二人の諍いを黙って見ていたエリカが口を挿んできた。

 

「女の子らしく、とはどういう意味だ?」

 

「そ、衣装は余ってるから、せっかくだから私と同じ格好になってみれば?」

 

エリカの衣装はスカートがフワリと広がった黒のワンピースに白いエプロン、頭に白いヘッドドレスだ。その衣装を上から下まで見た和泉は顔を赤くしながら叫んだ。

 

「そ、そんな恥ずかしい格好、できるわけないでしょ」

 

「そんなに変な格好じゃないでしょ」

 

「スカートが短すぎる」

 

「別に見えちゃうほどじゃないでしょ。物は試しよ、さ、こっち来て」

 

「嫌だ、嫌だ、嫌だーっ。達也、助けて!」

 

こんなに余裕がない和泉というのも珍しい。達也に嗜虐趣味はないが、いつも強気の和泉がどのような態度で戻ってくるのかという興味はある。なので、和泉の救助要請は無視をすることにした。

 

和泉はそのままエリカによって連れていかれ、面倒から解放された達也は、料理が並べられたテーブルに向かい、胃袋を満たしていた。そうしてしばらくすると、パーティーホールの中にざわめきが広がるのが分かった。

 

何事かと視線を向けると、そこには予想外の光景が広がっていた。

 

スカートがフワリと広がった黒のワンピースに白いエプロン、頭には白いヘッドドレス。そしてスカートからは細めだが良く引き締まった男性の足が伸びていた。

 

メイド服といって差し障りのない服装で現れたのは、吉田幹比古だった。そして、その手を引いてくるのはエリカだ。

 

「どう、達也くん?」

 

「いや、どう、と言われても……」

 

「もう、せっかく和泉が着てくれたってのに、もう少し感想はないの?」

 

間違いない。和泉は術を使ってエリカに幹比古を自分と誤認させている。つい先程、幹比古には手を出さないと言ったばかりなのに。これは自分の身を守るための緊急避難であり、対象外ということだろうか。

 

「ねえ、達也くん」

 

達也の反応がおかしいことにエリカも気づいたようだ。ただ、その原因には気づいていないようで首を傾げている。

 

このときになって気づいたが、エリカの服装も少し変わっている。具体的にはスカートがかなり短くなっていた。これでは軽く前に屈んだだけで、下着が見えてしまいそうだ。この格好のまま給仕をさせる訳にはいかない。

 

「エリカ、目を覚ませ! 和泉に幻術をかけられているぞ」

 

そうして肩を揺すると、初めてはっとしたように目を見開いた。

 

「エリカ君、そのスカートで給仕は青少年に目の毒だ。早く着替えた方がいいぞ」

 

そこに、いつの間にか現れていた和泉がエリカの肩に手を掛けながら言った。エリカの目が自分の下半身へと向けられる。

 

「きゃああっ」

 

そうして、これまで聞いたことのない可愛らしい声を出して、その場にしゃがみ込んだ。

 

「な、なな……何で!?」

 

「理由より、今は着替えることが先決だろう」

 

「う……うん」

 

頷いたエリカが、着替えるためにパーティーホールから出ていく。

 

「うわあああっ!」

 

その後を追うようにして、和泉の幻術から解放された幹比古が絶叫を残して会場から駆け出していった。

 

「和泉、幹比古が心に傷を負ったらどうしてくれる?」

 

「……だって、他に身代わりがいなかったんだもん」

 

悪いとは思っているのか、今日の和泉はさすがに歯切れが悪かった。






吉田幹比古:主人公が上位互換の性能のため、本作では不遇な達也の同級生




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九校戦編 九島烈の誤算

九島烈は毎年、九校戦の懇親会での挨拶を楽しみにしていた。

 

十師族の長老と呼ばれるようになって久しい烈は、来年には九十になる。医療技術も進歩したとはいえ、さすがに先は短いだろう。

 

だからこそ、気になるのは自分が亡き後の日本の未来だ。果たして後進たちは、この激動の時代の中を生き抜いていくことができるのか。そう考えたときに安心して見ていられる、とは言い難いと判断してしまう自分がいる。

 

だからこそ、烈は九校線での挨拶に参加を続けている。すでに第一線を退いた身であるが、かつて最強と呼ばれていたときに身に付けた技術は未だ死んではいない。短い時間での挨拶だが、若い魔法師が持っていない経験を上手く伝えられれば、貴重な財産になるはずだ。

 

司会者から名を呼ばれ、烈は用意していた魔法を展開しながら壇上へと進み出る。その前には、パーティードレスを纏い、髪を金色に染めた若い女性を進ませている。

 

目立つように別人を進めて、そこに意識を向けた瞬間に他への注意が向かなくするという精神干渉系魔法。強度は低いが、人間の自然な意識を利用するという点で、掛けられた側としては気づきにくい魔法だ。

 

さて、何人が前の女性の後を進む烈のことに気づくことができるか。会場を見渡しながら前へと進む。

 

すると、迷わず烈のことを注視していること一団に気が付いた。一団の纏う制服は第一高校のものだ。彼らだけで実に八人が烈のことに気付いていた。会場全体で烈のことに気づいているのは十一人。驚異的な比率と言える。

 

一体、なぜ。そう考えたところで、一見すると第一高校の制服を着ているが、実は和服姿の女子生徒が混じっていることに気が付いた。

 

その瞬間、烈の中で疑問が腑に落ちた。烈をして最初は普通の第一高校の生徒と見間違えさせた相手は、宮芝家三十六代当主の宮芝和泉守治夏。そういえば、彼女が第一高校に入学したと聞いたことがあった。

 

烈は精神干渉系魔法を比較的得意としている。しかし、数ある手札の一つにすぎない。

 

しかし、宮芝は精神干渉系魔法の専門家だ。こと精神干渉系魔法に限ってであるが、その技量は「最高」にして「最巧」と謳われた「トリック・スター」九島烈であっても足元にも及ばない。

 

その宮芝が操る精神干渉系魔法を受けたことがあるのであれば、烈のちょっとした悪戯にすぎない魔法が通用しないのも頷ける。彼女が入学したのが二科ということもあり、宮芝の情報は、ほとんど入ってこなかったが、どうやら学校という場でも遠慮なく得意の精神干渉系魔法を使用しているらしい。

 

それはそれとして、どうも宮芝和泉守は不機嫌なように見える。烈も今代の和泉守には二度しか会ったことがないので、確証にまでは至らない。しかし、懇親会への参加を頼んできたときと比べても明らかに面白くなさそうに見えてならない。烈の魔法が児戯に等しいと不興を買ってしまったのだろうか。

 

ともかく、そろそろ種明かしをせねばならない。

 

烈は前を歩かせていた女性に声をかけ、脇へと避けさせる。ライトは女性から烈へと照らす対象を変える。しかし、会場にいる観客たちは無反応だった。

 

一体、なぜ。と一瞬だけ考えて、宮芝が悪戯を仕掛けていることに気が付いた。宮芝は烈の前にいた女性の後には誰もいない、と認識させる精神干渉系魔法を使用しているのだ。

 

元々、多くの者は壇上には女性が一人しかいない、という認識をしている。自己の認識を肯定してくれる内容であるから、違和感なく魔法を受け入れてしまう。だから、ライトを当てるという行為で明らかに状況を変化させても、自己の認識の方を優先してしまい違和感を抱くことができない。

 

人は己の信じたいものを信じる、ということか。相変わらず宮芝は精神干渉系魔法の使い方が抜群に上手い。

 

それはともかく、どうすれば皆に気づいてもらえるか。宮芝の精神干渉系魔法は強度は低いものの、各自の認識が基にされているだけあり、解除するのが非常に難しい。

 

「皆、どこを見ている。儂はここにおるぞ」

 

そのとき、突如として壇上とは逆の方向から声が響いた。多くの者が、その声に釣られて背後を振り返った。

 

「どこを見ておると言っておろう。儂は壇上じゃ」

 

その声で皆が再び壇上を見た。そうして、烈の姿を認めた。

 

ちなみに、この間、烈は何もやっていない。声を響かせたのは宮芝の魔法だ。

 

宮芝は敢えて壇上から意識を逸らすことで、今度、壇上を見たときには九島烈がいるかもしれない、という状況を作り出したのだ。その認識が烈の姿を認めさせた。

 

しかし、本来の烈とは似ても似つかない、宮芝が思う老人の喋り方と声で勝手なことをされたのであるから、業腹でしかない。けれど、すでに皆は烈の姿を認めてしまった。であるのであれば、このまま続けるしかない。

 

「まずは、悪ふざけに付き合わせたことを謝罪する」

 

想像した以上に若々しい声だったのか、驚きに目を丸くする者たちが多くいた。先ほどの声を変に男前にしなかったのは、宮芝なりに気を使ったのだろうか。ともかく、落胆をされるよりかはよほどいい。

 

「今のはチョッとした余興だ。初めに言っておくが、私はドレスを着た女性と共に登壇し、ずっと壇上にいた。けれど、私の精神干渉系魔法の影響で君たちは私の存在に気づくことができなかった。気づいた者は、私の見たところ十人ちょっとだった」

 

烈の説明を、宮芝は嫌らしい笑みを浮かべて聞いている。私が使った魔法の手柄まで取るつもりか、とでも言いたいのだろうか。宮芝の存在を語り始めると長くなりすぎて本題が伝わらなくなるので、無視するしかないと知ってのこの態度。やはり宮芝は曲者だ。

 

「つまり、もし私がテロリストで君たちを害する行動に出たとしても、それを阻むべく行動を起こすことができたのは、十人程度ということだ」

 

会場内の生徒たちは真剣に烈の話に聞き入っている。その中で宮芝だけはぞんざいな態度で烈の話を聞き流していた。宮芝にとってみては、烈の話の展開などお見通し。真剣に話を聞くに値しないということだろう。

 

「魔法を学ぶ若人諸君。魔法とは手段であって、それ自体が目的ではない。私が今用いた魔法は、規模こそ大きいものの、強度は極めて低い。だが君たちはその弱い魔法に惑わされ、私がこの場に現れると判っていたにも拘わらず、私を認識できなかった。使い方を工夫した小魔法は大魔法をも上回ることがある。魔法を学ぶ若人諸君。明日からの九校戦、私は諸君の工夫を楽しみにしている」

 

我ながら宮芝の影響を受けすぎた挨拶であるとは思ったが、烈は少年少女たちに警鐘を鳴らさざるをえなかった。宮芝の魔法力は、下手をすると、この会場の誰よりも低いかもしれない。けれど、この会場内で宮芝に勝てる者は数人いるかどうかだろう。

 

今の日本の魔法師社会は魔法のランク至上主義に捕らわれている。だが、実際の魔法の有効性は使い方次第。いかに高ランクの魔法が使えてもお膳立てを整えてやらねば上手く使えないようでは、実戦では使い物にならない。

 

それを実感してもらうために実演して見せたわけだが、残念ながら多くの者の心には届かなかったようだ。それが、戸惑いながら手を叩く姿に現れている。

 

逆に烈の言葉を、確かな実感を持って受け止めているのは、第一高校の一団だ。彼らは弱い魔法を的確に使い、搦手から攻めてくる相手がどれほど恐ろしいかを知っているのだ。

 

やはり百の言葉より一度の体験ということだろうか。

 

「或いは宮芝に選手として出場してもらえたら、何かが変わるきっかけになったのかもしれぬがな……」

 

烈の独り言は誰にも聞きとがめられることなく、拍手の音が響くパーティーホールの中に消えていった。




九島烈:主人公との性能被りによる被害者、その2



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九校戦編 夜歩きでの遭遇者

宮芝和泉守治夏は荒んだ気持ちを落ち着けるため、ホテルの周囲を散歩していた。治夏の気持ちを波立たせているのは司波達也。達也は治夏が思いつくだけの可愛らしいと思う方法でアプローチをしても反応が極端に薄いのだ。

 

全く反応しない訳ではないので男にしか興味がない、という訳ではない。胸を軽く当てれば反応はするし、太股を覗かせれば視線も向く。けれど、それは確認のために見ました、という程度であり、凝視などとは程遠い。そして、恥ずかしさのあまり視線を逸らしてしまうという訳でもない。はっきり言えば、さほど興味がない、ということだろう。

 

幻術士にとって他人の意識の向きというのは非常に重要だ。どこかに興味が向いているのなら、そこへの意識を強めてやれば他への警戒を散漫にできる。どこかに興味を向けていないなら、そこに興味が向かないようにすれば、それが隙になる。

 

どのように言えば、どのように心を動かすか。どう動けば、どのように心を動かさずにいられるか。それを意識できないようでは幻術士としては失格だ。

 

治夏は幻術士として修業を重ねる過程で、自分が優れた容姿であることを自覚した。多くの人から賛辞も送られたし、言わずとも多くの男性の心が動いていることも分かった。無論、その中に劣情が含まれていることも。

 

そうなったとき、人が取るべき行動は両極端になるだろう。即ち、自分を異性から性的な対象として見られることを嫌悪するか、性的な対象として見られることを肯定して、より魅力的に映るようとするか。

 

治夏が選んだのは後者であった。悪感情を抱かれたとして、それすら利用してこそ一流の幻術士。ましてや男性が女子に抱く感情としては、ごく自然な部類に入るものを忌避するようでは、幻術士失格だ。

 

そうして、治夏は意識して自分を磨いてきた。第一高校では厳しい言動のせいで、近づくことさえ避けられている雰囲気はあるが、中学まではそれなりに人気があったのだ。

 

「そりゃあ、深雪は私でも敵わない美人だよ。でも妹じゃない。変態じゃあるまいし、どうして女子に対して興味を持たないのよ」

 

はっきり言って治夏はプライドをかなり傷つけられていた。その鬱憤もあり、九島烈に対して意地悪まで仕掛けてしまったほどに。

 

もっとも苛立ちはそれだけではない。結局、無頭竜に関する情報が得られていないのだ。けれど、これ以上、山中図書を叱りつける訳にはいかない。それでは単なるヒステリーで、そこからは何も生まれない。

 

それが分かっているからこそ、一人で心を落ち着けていたのだ。そして、そのおかげもあり徐々に精神も平穏を取り戻してきた。

 

「そろそろ部屋に帰ろうかな」

 

そうしてホテルに戻ろうとしかけたところで、剣呑な気配を察知した。軍の管理地域内に侵入をしてくるような輩がただの泥棒などであるはずがない。無頭竜に関連していると考えるのが妥当だろう。

 

できれば捕らえて尋問をしたいところだが、相手は三人で、銃器を持っている。そして、警戒は周囲全般に向けられている。この状態では、治夏の幻術は十分な効果を発揮できない。治夏は草陰に潜伏して機が訪れるのを待つ。

 

けれど、その機は訪れなかった。それより先に事態が動いたためだ。

 

事態を動かしたのは同じクラスの吉田幹比古だった。吉田は呪符を取り出し、侵入者たちに古式魔法を放とうとする。だが、そのときには侵入者たちも吉田のことに気づいて、戦闘態勢に移行していた。

 

吉田の手元に閃光が生じ、侵入者の頭上に電子が集まる。程なく、侵入者は吉田の電撃により倒されるだろう。しかし、それよりも賊の指が、構えた拳銃の引き金を引く方が早い。それを防ぐ手段は治夏にはなかった。

 

治夏の得意とする術が効果を発揮するのは、意識が向いている先への注意を強めることで他への意識を散漫にすること。または、意識が向いていない方向へ注意が向かないようにすることで特定の方向への意識を働かなくすること。つまり、そのどちらかで自分たちを優位に立たせることができるときのみ。

 

しかし、今はすでに敵は己の攻撃対象を明確に認識している。こうなると、治夏には吉田が撃たれたることを見ていることしかできない。

 

しかし、想像していた最悪の事態は起こらなかった。侵入者が持つ拳銃が銃弾を発射することなく、バラバラに解体されたためだ。

 

その直後、吉田の魔法により空中に生じた小さな雷が、三人の賊を撃ち倒した。そのときには、治夏は幹比古の背後から駆け寄っている人物の存在と、それが司波達也であることを掴んでいた。

 

吉田からの誰何の声に達也が答えている。そこで、治夏も姿を現そうと思った。

 

やあ、危ないところだったな、吉田の倅よ。そう言いながら徐に立ち上がればいいだけだ。けれど、治夏はそれができなかった。

 

自分は何もできなかった。自らの意思で助けなかったのとは違う。そもそも、助けることができなかったため、見ているしかなかったのだ。

 

倒された賊の付近では、達也の援護がなければ魔法行使が間に合っていなかったと落ち込む吉田が、達也からフォローを受けていた。

 

「相手が何人いても、どんな手練が相手でも、誰の援護も必要とせず、勝利することができる。まさかそんなものを基準にしているんじゃないたろうな?」

 

達也が吉田に言ったその言葉は、治夏にとっても耳に痛い言葉だった。宮芝は元より、そんなことは不可能と判断し、特定の状況下であれば勝利をできるように修業し、また特定の状況を作り出すことをもって常勝を可能とした。どんな状況下でも勝利できるというのは、そもそも宮芝が目指すべき方向ではない。

 

「けれど達也、君は実際にその夢物語を現実にしてしまうじゃないか。そんなものを見せられてしまうと、私も夢を見てしまうだろう」

 

聞こえないように口の中で呟いた言葉は、そのまま治夏の中に消えていく。けれど、それは治夏の本心でもあった。

 

今までは、達也の言う通り、そんなことはできないと思っていた。だから、同じような場面に出会っても何とも思わなかっただろう。だけど、何とかできる可能性を見せられてしまうと、同じように平常心ではいられない。

 

その間に達也は吉田の悩みが、魔法の発動スピードであることを言い当て、更にはそれを改善できるとまで言い切っていた。魔法の発動スピードは古式に共通した悩みだ。司波達也の言葉は何と甘美なことか。

 

「私よりずっと狡いじゃないか、あいつは……」

 

思わず、ぽつりと呟いてしまう。幻術士である自分が心を乱されてしまうほど、達也は魅力に満ちた提案をしていた。それを達也は気づいているのか、いないのか。

 

考えているうちに、吉田が警備員を呼んでくるために場を離れた。そうしてから、達也がゆっくりと治夏の隠れているところに向かってくる。

 

「それで、和泉はこんなところで何をしているんだ?」

 

「女の泣き顔を暴きにくるなんて、思ったより悪趣味なんだね、達也って」

 

「泣き顔?」

 

達也が疑問を浮かべている隙に接近し、胸に顔を押し付ける。

 

「何をして……」

 

「ごめん、ちょっとだけ泣かせて」

 

宣言だけして、自分の気持ちを開放する。

 

「あたしね、今回は何もしなかったわけじゃないんだ」

 

「そうなのか?」

 

「うん、しなかったんじゃなく、何もできなかったの。私の魔法では吉田くんを助けることはできなかった。いつも偉そうなことを言っていても、所詮は宮芝の魔法は条件を整えた上でなければ使用できない、古式の魔法。銃器の前には無力だったの」

 

「同時にということなら、現代魔法でも銃に対応することは難しいぞ」

 

「そうかもね。けど、悔しかったんだ」

 

もういいだろう。他ならぬ達也が相手だ。我慢することはない。

 

達也の制服に顔を埋め、声を押し殺して静かに泣く。ある程度の実力者であれば、可能であったはずの吉田を助けるという行為ができなかったということは、自分の魔法には穴が多いということを嫌でも思い知らされた。

 

けれど、これは宮芝の者たちの前では言うことができない。だから、今のうちに全てを吐き出して、ホテルには何事もなかったかのように帰らねば。

 

「ごめん、面倒をかけたよね」

 

しばらく泣いて、少しすっきりした所で達也から離れる。

 

「この借りはいつか返すから」

 

照れ隠し混じりにそう言って、ホテルの方に歩き始める。突然の治夏の涙に混乱したのか達也は何も言ってこない。

 

「さあて、泣いた、泣いた」

 

達也から十分に離れてから、治夏は呟く。

 

治夏は今日、嘘は言っていない。けれど、正確なことも言っていない。

 

治夏は確かに、今日の状況で吉田を助ける術は持っていない。けれど、自分の身を守ることならできていた。

 

つまり賊の目を治夏に向けた上で、その上で自己の身を守るということならできたのだ。それをしなかったのは、最後の頼みである宮芝の防御術を秘匿するため。誰かに知られた防御魔法なら、敵は必ず対抗する術を編み出してくる。

 

治夏が嘆いたのは、見せてもいい魔法では吉田を救えなかったということ。それを達也はどう捉えただろうか。

 

「できれば過小評価をしてもらえるといいのだがな」

 

とりあえず泣いた跡を宮芝の者たちに見られないよう、少し遠回りする道を選んで治夏はホテルへと向かった。



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九校戦編 渡辺摩利の負傷

司波達也は九校戦に選手でなく、裏方の技術者として参戦している。

 

達也が技術者として担当する競技は、一年生女子のスピード・シューティング、アイス・ピラーズ・ブレイク、ミラージ・バットの三種目。これは達也の妹の深雪、深雪と同じクラスの光井ほのか、同じく深雪のクラスメイトの北山雫が自分たちを担当してほしいと強く希望したためである。。

 

他にも森崎駿は達也がエンジニアとして自分を担当することを希望したというが、他の男子が猛反対をしたため、実現することはなかった。森崎のために調整をしたCADは間違いなく宮芝に流され、徹底的解析されるだろうから、これについては反対した他の男子に感謝するしかない。

 

九校戦は本選と一年生たちが出場する新人戦から成っている。そして、新人戦が行われるのは大会四日目からである。

 

今は大会三日目。つまり、今日まで達也はフリーであり、普通に大会を観戦できるだけの余裕があった。けれど、その善悪は今のところ不明だった。というのも……。

 

「昨日は君に譲ったではないか。今日は私に譲ってくれてもいいと思わないか?」

 

「宮芝さんは同じクラスだから、いつでも隣にいられるじゃないですか。その分、私に多く譲ってくれてもいいじゃないですか」

 

「クラスは関係ないだろう? こんな便利な解説機、独占など許されるものではない。皆で平等に使うべきだろう」

 

「達也さんは解説機なんかじゃありません。そんな人には貸し出せません」

 

「貸出、という表現はそれこそ物に対して用いる表現だと思わないか?」

 

和泉とほのかが、どちらが達也の隣の席に座るかで毎度のように揉めているからだ。ちなみに達也の隣は左右に一席ずつあるので二人が座れるはずなのだが、一席は深雪がしっかり保持しているため自由なのは一席なのである。

 

なお、初日に和泉が深雪の席も交代にすべきと言っていた気がするが、その発言は他ならぬ和泉自身により撤回されている。その際に、和泉でさえ凍り付くような何かを見たような気がするが、そんなものは存在しないはず。だから、何事もなかったのだ。

 

「さて、今日も頼むよ、達也くん」

 

達也が現実逃避をしている間に、今日は和泉に決まったらしい。

 

「分かった。精々期待に応えられるようにするよ」

 

和泉にそう答えたところで、用意、を意味する一回目のブザーが鳴る。これから行われるのはバトル・ボードというサーフィンのようなボードに乗って人工水路の中を周回し、その早さを競う競技だ。出場するのは渡辺摩利。

 

観客の視線が選手たちに集中する。観客席の声が消え去り、水の流れる音だけが響き渡る。その直後、スタートを告げる二回目のブザーが鳴った。

 

先頭に躍り出たのは摩利。だが、すぐ後に「海の七高」と呼ばれる第七高校の生徒が続いている。

 

両者は激しいデッドヒートを繰り広げながらスタンド前の長い蛇行ゾーンを過ぎ、ほとんど差がつかぬまま、鋭角コーナーに差し掛かる。ここから先はスタンドからは死角になるため、スクリーンによる観戦となる。

 

達也はチラリと大型ディスプレイに映ったコーナー出口の映像に目を向けた。

 

「むっ」

 

そして、其処に見つけた小さな異常に、目を奪われる。同時に横から舌打ちと、何かの魔法を使用する気配を感じる。

 

だから不覚にも、事故の起点を見逃してしまった。達也が観客席から聞こえた悲鳴に移した視線の先では、七高の生徒が大きく態勢を崩していた。

 

「オーバースピード!?」

 

誰かが叫ぶ。

 

七高の選手のボードは水をつかんではいなかった。飛ぶように水面を滑る七校の選手は、そのまま前にいた摩利へと突っ込んでいく。

 

背後からの気配に気づいたのか、摩利が肩越しに振り返る。そうして事態を把握した摩利はすぐに前方への加速をキャンセルして魔法と体さばきの複合でボードを反転させると、暴走している七校の生徒を受け止めようとした。

 

摩利が使用を試みたのは、突っ込んでくるボードを弾き飛ばす為の移動魔法と、相手を受け止めた衝撃で自分がフェンスへ飛ばされないようにする為の加重系・慣性中和魔法。

 

本来なら、それで事故を回避できたはずだった。しかし、摩利が魔法を使う直前に、不意に水面が沈み込み、その所為で魔法の発動にズレが生じた。

 

結果、ボードを弾き飛ばすことには成功したものの、慣性中和魔法は発動が間に合わず、摩利は七校の選手ともつれ合うようにフェンスへと飛ばされた。

 

大きな悲鳴がいくつも上がり、レース中断の旗が振られる。

 

和泉がゆっくりと立ち上がった。その顔は怒りに燃えているように見える。そのままどこかへと立ち去ろうとする和泉の手を慌てて掴む。

 

「和泉、何があった?」

 

「達也なら、気づいただろう」

 

「水面の異常のことだな」

 

「ああ」

 

「七校の選手については、何か分からなかったか?」

 

達也の問いで、和泉の頭は少しだけ冷めたようだ。今にも人殺しに向かいそうな危うい雰囲気も少しは薄れた。

 

「私には分からなかったが、達也にも分からなかったのか?」

 

「残念ながら」

 

「そうか……」

 

「水面の異常について聞いてもいいか?」

 

続けて聞くと、和泉は気持ちを落ち着けるためか大きく息を吐いてから語り出した。

 

「水面の異常は精霊魔法によるものだ。水路の中に潜ませておいた水の精霊に命じて、水面を荒らさせていた」

 

和泉が答える直前、拙いと思ったか深雪が防音の魔法を使った。その効果を確認し、達也は続けて和泉に問いかける。

 

「和泉は水面の異常を悟って何か魔法を使ったな。どんな魔法だ?」

 

「何のことだ?」

 

とぼけようとする和泉の言葉には答えず無言で見つめる。すると、観念したのか大きく嘆息してから語り始めた。

 

「精霊魔法を使った場合、精霊の中に一定時間、術士の魔力の残滓が残る。それを解析するために精霊を捕らえる魔法を使った」

 

「和泉なら、渡辺先輩への魔法を防げたんじゃないか?」

 

「可能、不可能で言うなら可能だったな。だが、それをするには精霊を散らすしかなくなる。それでは下手人への手がかりを失ってしまう」

 

「そのために渡辺先輩を見捨てたと?」

 

「見捨てた? 違うな、救う価値を見出せなかったというだけだ」

 

精霊魔法を使うということは、術者は古式の魔法師だろう。和泉は古式から裏切り者が出たことに激しい怒りを覚えている。だから、摩利の体よりも裏切り者を処罰することを優先した。つまりは、これ以上は問い詰めても無駄ということだ。しかし、達也のようにドライに考えない者もいた。

 

「できるのに、何もしないなんて、君はそんなことでいいのか?」

 

叫んだのは、和泉と同じ古式魔法師の吉田幹比古だった。

 

「勘違いするなよ、吉田。したいことがあるのなら、人に頼らず己でやればいいだけの話だ。勝手に他人に力の使い方を強制するな」

 

幹比古が悔しそうに顔を歪める。それに見向きもせず和泉は会場を去っていく。

 

「お兄様……」

 

「渡辺先輩の所に行って来る。お前たちは待て」

 

幼い頃からボディーガードとして、あるいは兵士としての訓練を積んで来た達也には、簡単な外科手術くらいならこなせるスキルがある。

 

深雪が頷くのを見て、達也は人の密集するスタンドを、手品のようにすり抜けながら駆けていった。




光井ほのか:事実上の初登場、我ながら遅すぎ。



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九校戦編 磔刑

大会四日目の朝、九島烈は妙な胸騒ぎを覚えてホテルの外に出た。今、何か不穏な事態が起こっている。それは、胸騒ぎと表現するには断定的な確信だった。

 

会場の方に足を向けると、早朝にも関わらず何やら騒然とした雰囲気がある。近づいてみると、一人の和装の少女とその護衛と思しき男四人を大会運営委員に属する魔法師たちが取り囲んでいる様子だった。

 

否、それは取り囲んでいるのではない。ただ、遠巻きにしているだけ。更に近づいた烈は、そう気づかされた。

 

運営委員会側の魔法師の数は十三人。数の上では二倍以上の差だ。しかし、気圧されているのは包囲している側だった。

 

特に、中央に立つ少女は騒然とする周囲の魔法師を羽虫と感じているかのように、まるで興味を持っていない。その少女の目が烈を捕らえた。

 

「遅かったな、九島の」

 

「和泉守殿……」

 

相手は遥かに年下の少女だ。しかし、烈は反射的に後退りしそうになってしまった。宮芝からは、それだけの怒りを感じた。

 

「九島閣下!」

 

烈の内心を知らぬ運営の魔法師から、助かった、という感情を隠し切れない声があがる。

 

「何事か?」

 

「あれを」

 

その魔法師が指差した先には大会会場の壁に磔にされた運営委員の死体があった。遺体には、凄惨な拷問の跡が見える。いや、見せつけるために拷問をしたというべきだろうか。

 

「和泉守殿、これは、あなた方が?」

 

「問わずもがな、の問いするか?」

 

「では、なぜ、と聞かせてもらいましょうか?」

 

「その男は、昨日のバトル・ボードの事件に絡んでいた」

 

現場にはいなかったが、第一高校の渡辺摩利と第七高校の甲斐亜輝菜のバトル・ボードの事故は烈も聞いた。そして、後で事故の映像を見て何かがおかしいと思ったのは、烈も同じであった。しかし、その間に宮芝はその犯人にまで至っていたというのか。

 

「小嶋が関わっていたという、証拠があるのか!」

 

「君もこの男の仲間か?」

 

冷たい眼で射すくめられ、叫んだ男が口を閉ざす。冷静に考えれば、この場で正しいのは関与の証拠を問いただした男の方だ。しかし、今の宮芝には正しさの一切を否定する圧倒的なまでの暴力性が見える。

 

この相手には、冷静な議論など不可能。誰もがそう思っているであろう。けれど、烈はその中でも前に出る。ここで恐れて宮芝に何も言えぬようでは「最高にして最巧」の魔法師の名が泣く。

 

「せめて方法だけでも語っていただきませんと、彼らも他に妨害工作を行った者がいないか探ることもできますまい」

 

「私は魔法を解析すれば、誰が術者であるか探ることができる。それで、この男が水路での妨害工作を行った者であると解明した。けれど、これで終わりではない。水路の妨害を行った者とは別にCADに不正を行った者がいるはずだ。しかと探せ」

 

「分かりました。調べを進めましょう」

 

「この者の後始末もお前に任せる。いいな」

 

「承りました」

 

烈の言葉に満足をしたのか、宮芝はその場を去っていく。その姿が見えなくなってから、烈は周囲の者に命じる。

 

「亡くなった彼を、降ろしてあげなさい」

 

魔法師たちが小嶋と呼ばれていた男が磔にされている壁に取り付いて降ろそうとする。その間に一人の若い魔法師が聞いてきた。

 

「閣下、あの娘は何なのですか?」

 

「あれは最も古い魔法師の一族だ」

 

「古い魔法師? それだけで、あれ程までの横暴を働けるものなのですか?」

 

「あれは、それすら許されるような日本の闇を凝縮したような一族なのだよ」

 

若い魔法師は納得していないようであったが、宮芝は九島の闇をも知る一族。私刑の責任を負わせることはできない。まだ何か言いたそうな魔法師を無視するように前を向く。そこで更に小嶋を降ろそうとしていた魔法師から声をかけられる。

 

「閣下!」

 

「どうした?」

 

「これを……」

 

言い淀む魔法師の影に見える小嶋の遺体の頭頂部は、鋭い刃物で切り取られていた。そこから見える頭の中は空洞。遺体からは脳が取り出されていた。

 

「閣下、これは?」

 

大亜連合では魔法師の脳を魔法行使のための補助具として用いる技術がある。大亜の技術に通じている宮芝ならば、その技術を自らのものとしていてもおかしくない。だが、遺体を損壊するという犯罪行為を、これほどまでにあからさまに行うものだろうか。

 

「閣下」

 

「このことは口外せぬように」

 

魔法師の脳を道具として扱うということは、魔法師に嫌悪感を抱かせる行為の最たるものだろう。さすがに、それを教えるのは躊躇われた。

 

目の前の魔法師は、単純に死体を傷つけられたとしか捉えていないようだ。それは魔法師の脳を魔法の補助具として使うということが公にされていないから。逆に言えば、この死体からそれを行ったと、すぐに気づく者がいたとすれば、それは。

 

「大亜連合と通じる者への警告か……」

 

「はい?」

 

「いや、何でもない。ともかく今回の件は九島が引き受けよう」

 

「閣下がおっしゃられるなら」

 

「すまぬな」

 

答えた魔法師が納得していないのは明らかだが、今の烈にはこの手が最善に思える。

 

「ひとまず宮芝が言っていた他の不心得者を探すことに全力を尽くしてくれ」

 

「かしこまりました」

 

頷いた魔法師に背を向けて烈はホテルへと足を向けた。これから、あの魔法師たちは血液が付着した壁面の清掃等の作業を行わなければならないが、真偽の定かでない疑いにより仲間と思っていた者が殺害されたことへの不安や不満は大きいだろう。

 

烈が見ていたのでは、その不安を口に出すことができない。魔法師たちへのプレッシャーはなるべく軽減してやりたい。

 

「私は大会委委員ではないんだがな」

 

独りごちて、ひとまず運営委員長に調査を依頼するために、烈はホテルへと歩み始めた。






お知らせ:九校戦編の脱稿につき、しばらく週2で更新します。


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九校戦編 新人戦・男子スピード・シューティング決勝

九校戦四日目、第三高校一年の吉祥寺真紅郎はスピード・シューティングにおいて優勝を絶対の使命として自らに課していた。課していた、といってもその使命を課したのは今日になってからだ。

 

真紅郎の名が最も轟いているのは魔法式の原理論の研究者として。しかし、魔法師の世界においては実技ができなければ理論も理解できないと言われるように、学問面のみでなく実践の面でも優秀であると自負していた。

 

そのため、無論のこと今大会でも当初から優勝は狙っていた。けれど、それを絶対という域にまで高めざるをえなかったのは、第一高校の女子スピード・シューティングでの大躍進があったためだ。

 

女子スピード・シューティングの決勝戦は、すでに第一高校生同士で行われることが確定しており、更に三位決定戦にも進出している。これで女子スピード・シューティングだけで最低でも三十五点も差をつけられることになる。

 

ここで真紅郎が第一高校の森崎駿に敗北すれば、点差は縮まらないどころか、広がることになる可能性が高い。上級生たちのためにも、それは許されない。何としても負けられないと考えるようになるのも当然だろう。

 

名を呼ばれ、会場に入る。

 

夏の日差しに、大勢の観客の歓声。前から真紅郎のことを知っているのか、熱の籠った声で名を呼び掛けてくれる声が聞こえる。

 

まだ一年生の真紅郎にとって今大会がデビュー戦だ。少ない機会で自分のことを知ってもらえ、応援してくれるというのはありがたいことだ。

 

期待は裏切れない。

 

決意を込めて射撃位置につき、開始を待つ。ちらと視界の端に収めた森崎は、憎らしいほどの自信に満ちている様子だ。事前に映像で確認した限り、森崎の実力は真紅郎に及ばない。それなのに、あの自信は何だろう。

 

何か、隠し玉があるのだろうか。いや、それを考えすぎても仕方ない。

 

下手に対策を考えすぎるより、自分の力を出し切ることの方が大切だ。真紅郎のクレーは名前にも入っている紅色。縁起がいいと考えよう。

 

構えの合図がかかる。スタートのランプが点り始めた。ランプが全て点る。

 

次の瞬間、クレーが空中に飛び出してきた。

 

初手を取ったのは森崎。得点有効エリアに飛び込んだ瞬間、粉々に粉砕される。

 

森崎が早撃ちを得意としていることは知っている。ゆえに最初の得点を許すことは計画通り。要はその後で取り返せばいいのだ。

 

真紅郎はエリアに侵入したクレー二つを、セオリー通りに衝突させて破壊させる。これで一気に二点、のはずだった。

 

だが、会場に広がったのは歓声でなく、ざわめきだった。機械の誤動作ではないか、という声が聞こえてくる。

 

どういうことかとモニターを見ると、森崎が二点。真紅郎は一点となっている。

 

一瞬、観客の声のように機械の誤作動ということを考えた。しかし、それならばすぐに本部から静止がかかるはずだ。それがないということは、機械は正常と判断されているということ。となると、残るは人間の目の不具合。

 

原因に当たりをつけた真紅郎は、すぐに幻影魔法への対抗魔法を発動させる。すると、砕けたクレーの破片の一方は、確かに白色だった。森崎は幻影魔法を使うことで、自身の白色のクレーを紅色に着色していたのだ。同時に、それまで白色のクレーに見えていたため注意を払っていなかった一枚が、実は紅色であったことが判明する。

 

「くっ……」

 

すでにクレーは得点有効エリアの外に出ようとしている。今から魔法を構築したのでは、早撃ちに特化した森崎であっても間に合わない。遺憾だが、このクレーでの得点は諦めて見逃すよりない。

 

逃したのは、たった一点だ。まだ何の問題もない。

 

そう思おうとしたが、同時に、この試合は容易には勝てないとも考え直していた。森崎の戦術は準決勝までに見せていたものと全く異なる。おそらくは相当の準備をして臨んできていると考えた方がいい。

 

今度は騙されないようにと油断なく会場を見つめる真紅郎の視界が、不意に白く霞んでいく。今度は考えるまでもなく、魔法による妨害。しかし、真紅郎の衝撃は幻影魔法を使われたときを超えていた。

 

「これは……古式の魔法!?」

 

森崎は現代魔法を使う魔法師のはずだ。それがなぜ、古式の魔法を使えるのか。焦りを隠して発散系の魔法を使用して霧を散らせる。すると、得点有効エリアから外れようとしている紅のクレーが目に入った。自身の魔法の中で最速で使用できるエア・ブリットを用いて、得点有効エリア外まで三十センチほどのぎりぎりの位置で破壊する。

 

しかし、得点が入ったのは森崎の側。霧の解除後なだけに焦って魔法を使うと読んで、再び幻影魔法を使っていたようだ。となると、おそらくエリア外に消えた白色のクレーが本来の真紅郎の狙うべきクレーか。

 

挽回を期す真紅郎に対し、今度は地面からせり出してきた土壁が視界を遮ってくる。この壁は加重系魔法により破壊する。すると、今度は巨大な風船が現れた。この程度ならと弱い魔法で破壊すると、中からは大量の白い煙が吐き出されてきた。霧への対処と同様に発散系の魔法で吹き散らす。

 

その次は小さな火の玉だった。会場の中心をゆらゆらと揺らめいている。放置するのは危険と判断して先んじて消し去ろうとすると、急に眩い閃光を発してきた。威力が調整されているのか咄嗟に目を逸らすという程度だったが、それでもロスはロスだ。

 

そして、前を向き直した真紅郎が目にしたのは紅のクレー二枚が有効得点エリアの外に出ようとしている光景だった。

 

幻影を消す魔法と、クレーを落とす魔法の両方を使用する時間はない。幻影に騙された反省を生かして放置するか、一か八かで移動系魔法で両者を破壊してみるか。

 

真紅郎は罠と判断し、その二枚を見送った。ここまで徹底して罠を張り続ける相手が、今度は何もしていないと期待して行動するのは危険と判断したためだ。その代わりとして、横目で森崎の様子を窺う。そして、その瞬間、真紅郎は驚愕した。

 

最初は上着を纏っていたため、気づかなかった。だが、上着を脱ぎ棄てた森崎は全身に特化型のCADを身に付けていた。そして、それを引き抜いて使っては、足元に捨てるという行動を繰り返している。

 

相手は予め用意しておいた、一つだけの魔法に特化した調整を行ったCADに設定された魔法を順に使用するだけ。それに対して真紅郎は森崎の魔法を見て、対抗魔法を選択しなければならない。これでは遅れをとって当然だ。

 

それにしても、すでに地面に転がっているものも合わせると森崎はCADを二十以上も持ち込んでいることになる。こういうのも、金に飽かせてというのだろうか。

 

CADを抜いて魔法を発動させては地面に落とすという行為の異様さと、競技者の一方はひたすら相手の妨害に終始するという、あまりにも通常と異なる競技方法に会場全体がざわめいている。すでに制限時間五分のうち三分を過ぎて、得点は十対五。決勝はおろか予選でもありえないロースコアの戦いだ。

 

残り時間は二分弱。けれど、点差は僅かに五点。逆転できない差ではない。

 

直接的な効果を狙う魔法が主である現代魔法と違う、事象を発生させることに特化した古式魔法による妨害がこれほど厄介だとは思わなかった。けれど、妨害を主としているということは直接的な点の取り合いでは森崎は真紅郎に勝つ自信がないということでもある。隙をついて一点ずつでも得点を得ていけば逆転は可能なはず。

 

再度の霧での妨害を吹き飛ばし、次の妨害が来る前に紅のクレーに狙いをつける。幻影魔法への対抗魔法を使い、刹那の間も置かずエア・ブリットで仕留める。が、その前にぐらりと視界が揺らいだ。

 

幻影魔法でなく、古式の幻覚の魔法。それをクレーにかけていたか。

 

理解したが、すでに遅い。真紅郎が態勢を立て直している間に森崎は二枚のクレーを仕留めていた。そして、今度は視界一面に白い鳥が舞い始めている。

 

最初から今まで、完全に相手のプラン通りに進んでいる。それを察した瞬間、真紅郎は残りの時間では逆転が不可能であることを理解した。



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九校戦編 不正行為

九校戦四日目が終わった夜、司波達也は到着初日に侵入者を捕らえた場所に立っていた。目的は、ある人物に確認をしておきたいことがあったためだ。その目的の相手は、約束の時間ちょうどに現れた。

 

「ねえ、達也くん。仮にも女子を、夜中に人通りのない場所に呼び出すのは、問題があると思うよ」

 

そして、呼び出した相手、宮芝和泉は開口一番、そう言って抗議してきた。

 

「和泉にとっても聞かれたくない話だと思ったから、ここにしたんだが」

 

「それは穏やかじゃない話みたいだね。けど、その前にせっかく着替えてきたっていうのに何も言ってくれないの?」

 

そう言ってきた和泉は、昼間に見た水色のブラウスの上に、白いカーディガンを羽織っている。そして、スカートは白の膝丈のスカートから、黒の膝下まで覆うものに履き替えられていた。昼間に見たときの第一印象は、本当に水色が好きなんだな、というものだったが、この感想が怒られることは容易に想像がつくので言っていない。

 

「似合っていると思うぞ」

 

「なんか、前も同じような調子で全く同じ言葉を言われたような気がするんだけど、本当にそう思ってる?」

 

「語彙がないだけで、本心だ」

 

「なら、いいんだけど。それで、要件は?」

 

かなり疑いの目で見られたが、達也は嘘を言ったつもりはない。和泉は深雪と比べさえしなければ文句なしに美少女だと思う。ただ、それと適切な賛辞がするすると口から出るというのとは別問題だ。

 

ともかく達也は本題を確認することにした。

 

「単刀直入に言おう。吉祥寺に勝ったのは、本当に森崎の実力か?」

 

「宮芝も全力でサポートはしたよ。それは使用した魔法からも分かったんじゃない?」

 

「そういう裏方の面のことを言ってるんじゃない。はっきりと言わないと答えないか?」

 

強く言うと、和泉は観念したように大きく息を吐いた。

 

「達也は女子の試合にかかりきりで、せいぜい映像で見たくらいでしょ。何でそこまで分かるのかな」

 

「入学当初の森崎と、普段の和泉の魔法を見ていれば誰でも気づく。古式魔法はそんなに簡単なものではないだろう?」

 

「そうだね。そっか、三か月ちょっと期間であのレベルまで到達するのは、さすがに少し無理があったかもね」

 

達也が聞いたのは、スピード・シューティング決勝で森崎が吉祥寺に向けて使った魔法は観客席から和泉が放ったものではないのかということだ。そして、和泉はそれを肯定した。森崎も一応は魔法を使用していたようだが、本来は出力が全く足りないのだろう。それを、森崎に合わせて、和泉が完璧な隠蔽の上で同じ魔法を使うことでカバーした。

 

無論のこと大会委員も外部から何らかの援助または妨害がされることを危惧し、各種の方法で監視を行っている。だが、和泉の隠蔽魔法がそう簡単に感知できるものでないことは、達也も身をもって知っている。

 

「けど、疑いは持っても確証まではいかないんじゃない?」

 

「そこは幹比古もいるからな」

 

「そっか、吉田ならそれぞれの術の習得にどのくらいの期間が必要なのかは分かるか」

 

つまらなそうに言った和泉は、不意に笑顔を浮かべた。

 

「それで、達也くんはこの不正をどうするつもりなの?」

 

「どうもしない」

 

「不正は許せないってわけじゃないんだ」

 

「俺がそういうタイプに見えるか?」

 

和泉は笑みを深めることで、見えない、という答えに代える。

 

「じゃあ、達也くんは何で私に確かめようと思ったの?」

 

「本当に森崎が古式魔法を習得したのか、幹比古が気にしていたからな」

 

「宮芝なら裏技を知っているかもしれないって? そんな訳ないでしょ」

 

「まあ、俺もそうだと思ったんだがな」

 

ここまでは予想通り。達也が確認したかったのは、この後だ。

 

「ところで、なぜ和泉は不正をしてまで森崎を助けようとしたんだ?」

 

これが一番、気になったことだ。和泉が森崎にそこまで入れ込むとは考えられない。

 

「それは勿論、古式の優秀な部分を再評価させるためだね。今はとにかく強力な魔法にばかり目を奪われて、いかに相手に力を出させないかという点が過小評価されているから。徹底的に相手の長所を潰すという戦略も時には有効ということを今回は示したかった」

 

「横やりはそもそも戦略も何もない単なる不正だろう」

 

「それはそれ、ということで」

 

和泉が第一高校や森崎のために、そこまで力を尽くすとなると裏があると勘繰らざるをえないが、古式の利益ということなら頷けなくはない。宮芝が最終的に目指すのは国家の利益のようで、そこが達也の実家とは大きく異なる所だ。

 

しかし、だからといって油断はできない。最終的に目指すものが大きければ大きいほど、それを成すために許容される犠牲も大きなものになるからだ。

 

ともかく和泉の答えを聞いて安心した。観客席から和泉が魔法を使用したのなら、たいした問題ではない。もう一つの可能性としてあった外道な方法でないのなら、達也が口を出すことではない。これで、確認しておきたいことは残り一つだけだ。

 

「宮芝は、今回の大会の裏で何が起こっているか把握しているのか?」

 

「調査中だね」

 

「相手が誰かも分かっていないのか?」

 

「誰かってのは概ね分かっているかな。分からないのは、なぜってことかな」

 

つまり宮芝も相手が無頭竜であることは分かっているということか。そして、なぜ国際犯罪シンジケートが九校戦で、しかも第一高校を標的にしていると考えられる攻撃を行っているのか、という目的までは分からない。それは達也が軍の伝手から聞いている情報と同じであり、それゆえに宮芝も軍にパイプがあることをうかがわせるものだった。

 

「和泉はまだ、攻撃は続くと思うか」

 

「愚問だね。この程度で終わりなら、それこそ児戯のようなものでしょ」

 

「確かにな」

 

互いに微かに笑い合う。

 

「さて、用は済んだ。俺は部屋に戻るよ」

 

「なに、自分の用が済んだらポイ捨て? せめて部屋まで送ってくれるとかないの?」

 

何か言っているが、迂闊に話に乗っては余計な厄介事を背負うことになりかねない。ここは無視をするのが一番だ。

 

「本当に冷たいなぁ」

 

そんな呟きが聞こえてきたが、達也は歩みを止めることはなかった。



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九校戦編 第二の事故

大会七日目、新人戦四日目。

 

この日は九校戦のメイン競技とも言えるモノリス・コードの新人戦予選リーグと花形競技ミラージ・バットが行われる。司波達也はミラージ・バットの担当エンジニアとして第一試合と第二試合を終え、決勝に備えてホテルで仮眠を取った。

 

そうして競技エリアに戻った達也は、会場が動揺に包まれているのを感じ取る。パニック一歩手前の空気の中心にあるのは、第一高校の天幕のようだ。

 

「お兄様!」

 

天幕に足を踏み入れた途端、深雪が一直線に駆け寄ってきた。その隣には深雪の友人で、女子スピード・シューティングの優勝者でもある北山雫の姿もある。

 

「深雪? 雫も……エリカたちと一緒じゃなかったのか?」

 

ミラージ・バットに出場するほのかが起きてくるまで、深雪と雫はエリカたちとモノリス・コードを観戦している予定だったはずだ。

 

「何があったんだ? モノリス・コードで事故か?」

 

答えを待たずに、達也は更に質問を重ねた。

 

「はい、事故といいますか……」

 

「深雪、あれは事故じゃないよ」

 

言い淀む深雪の横から、雫が強い口調で口を挿んだ。

 

「故意の過剰攻撃。明確なルール違反だよ」

 

その口調は抑制を保っているが、雫の目には見間違えようの無い憤りが燃えていた。

 

「雫、今の段階であまり滅多なことを言うものじゃないわ。まだ四高の故意によるものという確証は無いんだから」

 

「その通りだな」

 

そう言って話に入ってきたのは和泉だった。

 

「すまないな、達也。君が休んでいる間くらい、私が当校の守りを受け持つつもりでいたのだが、まさか対戦相手からの攻撃を装うとはな」

 

「それよりも和泉がここにいることに驚きを隠し切れないんだが」

 

「小官が和泉守様をお呼びいただくようお願いしたのだ」

 

声の主は、骨折をしたのか右手を白布で吊った森崎だった。それにしても、森崎はどこまで変わってしまうのだろうか。怪我よりも性格の変質の方が心配になってしまう。

 

「思ったよりも怪我は軽いようだな。とりあえず安心したよ」

 

「これも和泉守様の教えの賜物です。おかげで皆、重大な傷は負わずに済みました」

 

もはや、こいつは誰だ、という感想しか持てない。森崎にとっては、この機会に長期入院でもして洗脳を解いてもらった方がいいのではないだろうか。

 

とはいえ、森崎に魔法で強制的に思考を歪められたという痕跡はみられない。本当に何をしたらここまで人間が変わってしまうのやら。今度、師匠に聞いてみようか、などと考えながら、とりあえず話を進めることにする。

 

「ところで、なにがあったんだ?」

 

「市街地フィールドの試合で、廃ビルの中で『破城槌』を受け、瓦礫の下敷きになった」

 

「……屋内に人がいる状況で使用した場合、『破城槌』は殺傷性Aランクに格上げされる。バトル・ボードの危険走行どころではない、明確なレギュレーションレーション違反だな」

 

対人戦闘競技であるモノリス・コードには選手の安全のために使用できる魔法に、殺傷力のランクによる制限がかけられている。

 

『破城槌』は状況により殺傷性ランクが変動する魔法なので、設定しておくことは違反ではない。しかし、『破城槌』は難度も高い魔法でもあり、間違いで発動される可能性は著しく低い。それが、雫が故意と断定した理由だ。

 

「しかし、状況が良く分からないな。三人が同じビルの中に固まっていたのか?」

 

モノリス・コードは、互いのモノリスを巡って攻防戦を行う競技だ。そのためオフェンスとディフェンスに分かれるのが定石となっている。

 

「試合開始直後に奇襲を受けたんだよ。開始の合図前に索敵を始めてなきゃできないこと。『破城槌』はともかく、フライングは間違いなく故意だと断定できる」

 

達也の疑問に答えをくれたのは、憤懣遣る方無いといった雫の声だった。

 

「それならば、大会委員会としては、このまま新人戦モノリス・コード自体を中止にしたいだろうな」

 

「確かに、中止の声もあったようですが、当校と四高を除く形で予選は続行中です。最悪の場合は、当校は予選二試合で棄権となります」

 

深雪の言葉に達也は首を傾げる。

 

「最悪の場合も何も、選手が試合をできる状態ではないのだとしたら、棄権するしかないと思うが……」

 

「そうならぬよう、会頭殿が大会委員本部で折衝中だ」

 

十文字克人の姿が見えないのは、どうやらそのためのようだ。

 

「それは予選開始後の選手の入れ替えを、相手の不正行為を理由に特例で認めさせるということか?」

 

「その通りだ」

 

「しかし、モノリス・コードの選手は一年男子の成績上位者から選りすぐったメンバーだ。代わりを出しても、勝ち抜くのは難しいんじゃないか?」

 

「だが、中止ではつまらない。そうは思わないか?」

 

モノリス・コードは九校戦のメイン競技であり、観客からの人気も高い。それゆえ容易には中止にできないのだろうか。いや、和泉は単純に一高の成績よりも自らの観戦の優先度が高いだけだろう。

 

「それに我らが勝てぬと決まったわけでもなかろう?」

 

「まあ、そうだが……」

 

絶対に負けると決まった訳ではない。しかし、可能性が低いのは事実だ。

 

「私は勝算があると言ったつもりだったんだが、勘違いをさせたかな?」

 

「勝算? それはどういう?」

 

「小官は代理として貴殿を推挙させていただいた」

 

だから、お前は誰だ。という声は辛うじて飲み込んだ。今の森崎に何を言っても無意味だと感じたからだ。しかし、困ったことになった。

 

交渉に当たっている十文字には、ブランシュの一件で達也は実戦では使える人材だということを知られてしまっている。そこに和泉や森崎などの後押しの声があれば、本当に達也が代理として任命されかねない。余計なことに巻き込まれないためにも、まずは大会委員が選手の交代を認めないことを祈るしかない。

 

「ああ、達也。ちなみに私も九島にモノリス・コードは続けろと言っておいたから。そのつもりで」

 

どうやら選手交代が認められるのは既定路線のようだ。そして交代の選手が達也となることも、いつの間にか決まっていそうである。

 

「俺が代役で出ることによって、その後で受ける面倒事は考慮してくれないんだな」

 

「君だって私のことを、ちっとも考えてくれないじゃないか。おあいこだよ」

 

数日前の夜のことは、しっかり根に持たれていたようだ。

 

モノリス・コードにて一高が棄権した上で、三高が優勝した場合には、ミラージ・バットで二位までを確保しても新人戦は三高が優勝となる可能性が高い。一方、モノリス・コードで三位までに入れば一高は優勝が確定する。

 

要するにモノリス・コードで奮戦して三位までを確保すれば、達也は新人戦の優勝の立役者となり、ただでさえ不甲斐ない成績の一年生男子の一科生たちのプライドはズタズタに切り裂かれることになるだろう。そこで達也が受ける妬みや嫉みはどのくらいのものになるかは、正直に言って考えたくない。

 

そして、負けたら負けたで戦犯にされてしまうことは確実。正に達也にとっては益少なく害ばかりである。

 

「なあ、達也。君は前から注目を浴びることを避けようとしている節があるが、それはどうしてかい?」

 

「……逆に聞くが、注目を浴びた結果、どういう目に遭うかは、風紀委員の活動の件で和泉も知っているだろう。何で好んで面倒事を引き受けなくちゃならないんだ?」

 

「面倒を避けること自体は当然の行動だ。時間は有限だ。面倒な事で時間を潰されては己に使う時間が減ってしまう。けれど、君の場合はそれが目的ではないだろう。君は殊更に己の力を隠そうとし、あるいは自分に注目が及ばないようにしている。面倒事を避けようとするのは、その一環ではないかな?」

 

達也には皆に隠していることがある。そして、それが注目を浴びることになる行為を避ける動機にもなっている。和泉の言は的を射ているがために、達也は反論ができない。達也が黙ってしまったことによって生じた沈黙を破ったのは和泉の続いての発言だった。

 

「まあ、君の場合は冷たいくせに妙にお人好しという、よく分からない性質によって、結局は注目を集めてしまっているけどね」

 

それもまた自覚があることなので、今回も達也は反論することができない。

 

「ま、それはそれとして、力は使ってこそ意味のあるものだと私は思うよ」

 

そうして自分の言いたいことを言った和泉は、すっきりとした表情で天幕を出て行った。






北山雫が初めて喋りました。
ほのかに続いて遅すぎ。



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九校戦編 惨劇へ

新人戦モノリス・コードは、司波達也たちの活躍で第一高校の優勝となった。

 

その結果自体は宮芝治夏にとってはさほど価値のないもの。それよりも重要なのは試合の中で見た達也の魔法だ。

 

モノリス・コードの決勝戦、達也は対戦相手の一条将輝の攻撃で致命傷を受けたはずだ。しかし、達也は直後に立ち上がり、反撃まで行って見せた。

 

それに対する治夏の仮説は二つ。一つは異常なほどの回復魔法により瞬時に傷を癒した。もう一つは異常なほどの防御魔法で致命傷になりうる攻撃を耐えきった。おそらくは、そのうちの前者であると治夏は考えていた。

 

根拠としては達也が得意としている魔法が、敵の魔法情報を記録した想子情報体を吹き飛ばすことで魔法の発動を妨害する『術式解体』であることが挙げられる。もしも強固な防御魔法が使えるなら、解体せずとも硬さを頼みに突っ込んでしまえばいい。自らも足を止める必要がある『術式解体』を使う必要はない。

 

ともかく、治夏の達也に対する興味と警戒は更に上昇した。

 

そして、大会九日目。今日はミラージ・バットの本選とモノリス・コード本選の予選が行われる。達也がミラージ・バットに張り付くということで治夏はモノリス・コードの監視を行っていた。

 

どうも無頭竜は第一高校に優勝をしてほしくないように思えてきた。そうなると当初に危惧した日本の魔法力を削ぐという目的の線は薄くなってくる。

 

とはいえ、妨害工作が日本を標的とした攻撃ではなかったところで、魔法師生命を奪うような怪我を負わされたとしたら結果は同じだ。何より異国の手の者の、おそらくはくだらない賭博のために日の本によけいな混乱をもたらされるというのが気に食わない。無頭竜の馬鹿者どもには、誰に庭に手を出したのかを、結果をもって後悔をさせねばならない。

 

そんな思いを強くしていた所に、ミラージ・バットで事故があったと連絡が入った。今回の事故は競技中に空に飛び上がった後の着地のための魔法が発動しないというもの。それにより選手は危うく水面に叩きつけられるところだったらしい。

 

幸いにというか、選手は大会委員の魔法により身体的には何の問題もなかった。しかし、それで良かった、とはならない。

 

魔法を学ぶ者が魔法を失う原因の内、最大を占める理由は、魔法の失敗による危険体験、それによってもたらされる魔法に対する不信感と言われている。

 

現代魔法は世界を偽る力。魔法それ自体が、世界の理からはみ出した偽りの力だ。

 

多くの魔法師にとって、魔法は目に見えない、あやふやな力。想子を見ることはできても、魔法がどういう仕組みで働いているかを見ることができない。理論でしか知ることができない。そう言われている。

 

だから現代魔法師は潜在的に、自分が使っている魔法は本当に自分の力なのか、という疑念を抱いている。それが、発動するはずの魔法が効果を顕さず、魔法によって避けられたはずの危険に直面したときに、疑念は魔法がないという危険な確信に変わる。

 

そうして危機体験をした現代魔法師は、二度と魔法を行使することができなくなる。現代魔法は、それ程までに脆く危うい、精神の微妙なバランスの上に成り立っている。

 

一方、古式魔法は必ずしもその構図には当てはまらない。古式魔法の多くは精霊等の目に見えない存在を知覚することから始まる。

 

何より現代魔法より遅れている原因にもなっている、昔ながらの泥臭い修業が精神的な頑強さを育てている。古式の魔法師が魔法を失う原因の第一位は修業の辛さに起因した逃亡であり、それに付随しての秘術が漏れるのを防ぐための封印である。

 

「小早川の魔法力は高いレベルにあったはず。このまま失うのは惜しいな」

 

場合によっては宮芝で引き取って治療をすることも考えた方がいいかもしれない。そうすれば森崎に次ぐ優秀な手駒になってくれるだろう。しかし、それよりも対処すべきは、またしても行われた妨害行為だ。

 

敵に通じた魔法師は、今はミラージ・バットの会場にいるはず。同じ会場で連続して行為に及ぶ可能性は高くないかもしれないが、それでもモノリス・コードの会場に現れる確率よりは高いだろう。そう判断し、治夏はミラージ・バットの会場に向かった。

 

バトル・ボードで不正を行っていた者を磔にすることで、警告はすでに行っていた。それにも関わらずモノリス・コード、そして今回のミラージ・バットと続けて妨害行為を仕掛けてきた。これは、いよいよ容赦のない生き地獄を見せてやるしかない。

 

暗い憎悪の炎を心に灯し、治夏は第一高校の天幕の中に入る。すると、幸運にもすぐに達也の姿を見つけることができた。

 

「やあ、達也。何があったか分かっているか?」

 

「俺はここにいたから分からなかったが、美月が視えたことがあるそうだ」

 

「ほう、それは?」

 

「小早川先輩の右腕、CADをはめている辺りで『精霊』が弾けたように視えたらしい」

 

「ほう……」

 

そこまで材料が揃えば、敵が何をしたかの想像がつく。惜しむべくは治夏がこの会場にいなかったことだ。精霊に対しては絶対的な知覚能力を有すると自負する治夏であれば、あるいは小早川のCADの異変に気付けたかもしれないものを。

 

「ところで、達也は敵が仕掛けてきた攻撃の正体に気が付いたのか?」

 

「朧気ながら、だな」

 

「ならば話は早い。次のCADのレギュレーションチェックには私も同行させてくれ。なに、大会委員に気づかれることはないから安心してくれ」

 

「……止めるだけ無駄か」

 

「ふふっ、君も私のことが分かってきたじゃないか」

 

達也は非常に嫌そうな顔をしていたが、治夏の行動に反対はしなかった。それを了承と解釈して治夏は達也の後に続いて一高のテントを出て、CADのチェックを行っている大会委員会のテントに入る。

 

大会委員の中には高レベルの隠蔽術式を突破できる感知能力のある者はいないらしく、治夏の姿は誰にも見咎められない。係員が達也の手から試合用のCADを受け取り、検査装置にセットしてコンソールを操作する。

 

次の瞬間、達也は係員をテーブルの向こうから引きずり出し、地面に叩きつけた。悲鳴、続いて怒号が上がり、警備担当の委員が達也に駆け寄ろうとする。

 

「動くな!」

 

だが、その足は治夏により止められた。隠蔽術式を解いた治夏は警備担当者の額に拳銃を押し当てている。

 

「……なめられたものだな」

 

治夏に目もむけず、達也は組み伏せた係員の胸を抑える膝の圧力を高めている。達也の放つ鬼気に、係員は歯の根が合わず、口元と頬を痙攣させていた。

 

「深雪が身につける物に細工をされて、この俺が気づかないと思ったか?」

 

達也は不吉な含み笑いを浮かべたまま詰問を続ける。

 

「検査装置を使って深雪のCADに何を紛れ込ませた? ただのウイルスではあるまい」

 

係員の顔がこれ以上無いまで引きつった。その恐怖と絶望の表情の原因は達也だけではあるまい。係員の目は治夏のことも見ていた、治夏ならば自分を生かすことはないと気づいているのだ。

 

「なるほど、この方法ならCADのソフト面に細工をすることもできるだろう。大会のレギュレーションに従うCADは、検査装置のアクセスを拒むことができないからな。だが、この大会、今までの事故が全てお前一人の仕業というわけではあるまい?」

 

「そこまででいいぞ、達也。後は私が引き受けよう」

 

係員の顔が、より深い絶望に染まった。

 

「何事かね?」

 

そこに現れたのは、九島烈だった。係員が一瞬だけ希望を見出した顔になった。しかし、それは本当に一瞬のことだった。

 

「九島、またしても事故が起こるところだったぞ。貴様の監督はどうなっている?」

 

九島を見つけた治夏は怒気をより露わにした。

 

「和泉守様の手を煩わせてしまい、申し訳ありません。ですが、私は大会を監督する立場ではありませんが……」

 

「それは認めよう。だが、厳に貴様はこうして大会会場を自由に出入りできている。それでどうして責任がないと言える」

 

「そう言われれば是非もありません。ともかく大会委員長に代わり、和泉守様にお詫びさせていただきます」

 

九島がゆっくりと頭を下げる。それを見て、自分は救われないのだと分かったのだろう。係員が達也の下から這い出そうとする動きを見せた。

 

直後、銃声が鳴り響く。

 

「うがあぁあ」

 

治夏が撃ったのは係員の右足だ。続いて左足も撃っておく。

 

「殺しはしない。だが、逃がしもしない。無駄なあがきは苦しみが増すだけと思え」

 

治夏の行動を見た九島が達也に目を向ける。

 

「司波達也くんと言ったな。君は選手の元に戻りなさい」

 

「分かりました。後はお任せします」

 

達也であれば、この後に厳しい尋問が行われることくらい予想できているだろう。しかし、何も言うことはなく天幕を出て行った。それを見て、治夏は係員を最大級の残虐さで殺し、後々までの見せしめとすることを決定した。






~注意~

次話には残虐な表現が出てきます。
飛ばしても、全く話が分からなくなる、ということはないはずですので、苦手な方は飛ばしてください。


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九校戦編 客席での戦い

「動くみたいだね」

 

標的の動きをじっと観察していた宮芝和泉守治夏がぽつりと呟く。それと同時に、治夏の後に控えていた者たちが一斉に動き始めた。

 

時はミラージ・バット予選、第一フィールド・第二試合の終了直後。司波深雪の披露した飛行魔法に魅了されていた観客たちが、ようやく我を取り戻して席を立ち始めていた中であった。

 

治夏たちが監視をしているのは、気妙な無表情でヘッド・マウント・ディスプレイに映るメッセージに見入っている様子の男である。その男が今まさに、のっそりと立ち上がろうとしたところだった。

 

しかし、男が立ち上がることはなかった。何かが男の肩を押さえているかのように、男の体は上へと持ち上がらない。そして、次の瞬間には、屋根から逆しまに降ってきた男が着地直前に振り抜いた短刀が、男の体に深々と突き刺さっていた。

 

「終わったようだね」

 

短刀を刺された男は、細かく体を痙攣させたまま椅子に座り込んでいる。この間の男の異常は、会場の誰にも気づかれていない。治夏をはじめ三人もの宮芝の術士たちが視覚・聴覚・嗅覚に対する完全な欺罔を行っていたためだ。

 

男は脳外科手術と呪術的に精製された薬品の投与により意思と感情を奪い去り、思考活動を特定方向に統制された「ジェネレーター」と呼ばれる生体兵器だった。兵器と呼称されるのは、もはや人としての意思を持っておらず、ただ命令の通りに行動をするだけの存在であるためだ。

 

治夏は会場で警戒をしていた皆川掃部からの連絡を受け、ジェネレーターが観客席に入り込んでいることを知った。相手がジェネレーターであれば、これまでのような繊細な妨害作戦は実行されない。

 

比較的単純な命令を実行する程度の判断能力しか持たないジェネレーターが十全に能力を発揮できる場面は何か。それは、ジェネレーターならではの精神面に左右されない戦闘。要するに普通の人間であれば忌避するような無差別な殺戮のような行為だ。

 

宮芝は日の本の守護者を自負する一族。そのような蛮行は許すわけにはいかない。

 

「手筈通りに運び出せ」

 

治夏は痙攣の止まった男の体を搬出するよう、短刀を刺した男……部下の郷田飛騨守に指示を出す。男の体は術によって動きを封じられただけで、未だ死んではいない。

 

意思と感情を奪い去され、ただ命令のままに動く兵器。それは命令の上書きさえ可能なら、すぐにも自らの兵器として運用できるということだ。そして、人間を人形とすることもできる宮芝は、元からの人形を扱うことなど造作もない。それが男を破壊するのではなく、鹵獲することを選んだ理由だ。

 

宮芝は使命のためならば主義も理想も捨てきる一族。たとえ敵の兵器でも、優れていれば、最大限に活用する。

 

「図書、通信は辿れたか?」

 

「はっ、無事に辿ることができました」

 

「よろしい。では、飛騨。そのまま無頭竜の殲滅に向かってくれ」

 

「はっ、承知仕りました」

 

そして、人形の扱いに慣れた治夏たちが、男がジェネレーターであることに気づきながら動き始める直前まで、制圧を行わなかった理由。それが、男に命令権を持つ者が発する指令を傍受し、逆探知することで敵の本拠を割り出すためだった。

 

「飛騨、奴らは日の本の民に手を出そうとしたのだ。考えうる限り残虐な方法を用いて殺害した上で、更にその死に方が他の犯罪組織にも知られるようにせよ」

 

「心得ております」

 

治夏に嗜虐趣味はない。けれど、残虐な死を与えることが将来、抑止力として効いてくるというのなら、どれだけでも冷酷になることができる。

 

「さて、それでは私たちは望まぬ仕事に向かうとするか」

 

飛騨守たちの出立を見送った治夏は、隣に立つ掃部に声をかける。

 

「気は進みませんがな」

 

「だが、やらねばならないだろう。ここらで少し引き締めが必要だ」

 

そして、これから達也が捕らえた大会委員に対して行う行為も、全てはこれ以上の裏切り者を出さないためだ。

 

「ジェネレーターの調整は万全か?」

 

「はっ、抜かりありません」

 

「現場での指示は私が与えよう」

 

「いえ、自分もお供いたします」

 

治夏が宮芝の保有するジェネレーターを用いるのは、これから行う行為の残虐性を加味して、なるべく正常な人間を関わらせない方がよいという判断のためだ。それなのに、わざわざ現場に同席することを志願するということは……。

 

「掃部にそのような趣味があったとは、意外だな」

 

「そのように思われるとは心外ですな」

 

「戯言だ。掃部の気持ちはありがたく思う。しかし、捕らえた大会委員……真鍋といったか。今回はあれの妻にも責任を取ってもらうことになる。だから、お前は同席するな」

 

「承知仕りました」

 

治夏の言った責任というのは、真鍋を責める材料として使うということだ。人は己に対する責め苦に対しては、心を壊すという逃避を取ることがある。しかし、他人に対する責め苦では当人の心は壊れない。

 

最終的には自責の念から自らを追い詰めることは多いが、少なくとも責め苦を見せられている最中に逃避はできない。だから、宮芝の処刑は当人より近親者を先に実行していくことが多い。

 

そして、今回の治夏は真鍋当人のみならず親族までを最大の残虐性で撫で斬りとすることを心に決めている。真鍋の妻は、ただただ真鍋に涙を流させるためだけに裸にされ、凌辱され、息子が全身を切り刻まれて死ぬまでを見させられる。

 

夫の愚かな行為により、大切な子を失うのだ。妻は最後には夫に向けて心からの怨嗟の叫びを投げつけるようになる。

 

残虐行為は、裏切り者の末路を日本の魔法師界に示すために必要なことだと、すでに治夏は割り切っている。しかし、普通の一人の女としての感性が、知人の男性に女性が非道な目にあっている場面に同席してほしくないと言っているのだ。

 

掃部も、それが分かったからこそ引いたのだ。他者を傷つけるという行為は見ている者の心も傷つける。だから、残虐な行為を成すのは全てジェネレーターたち。けれど、それを命令するのは治夏だ。

 

つまり、これから行われる行為は全て治夏だけの責任によって行われる。仮に冥府や地獄があるとして、そこに行くべきは治夏一人だ。

 

是非、そうあってほしいと願いながら治夏は村山右京たちが見張っているはずの大会委員会の天幕に向けて歩いていった。



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九校戦編 富士の撫で斬り

 ~ 注意 ~

 本話では著しく残虐な表現があります。
 苦手な方は本話を飛ばすことをお勧めします。


九校戦九日目、ミラージ・バットは深雪の優勝に終わり、第一高校は九校戦の総合優勝を勝ち取った。それを確認した司波達也は、大会委員会の天幕に足を向けた。

 

無頭竜は深雪を地に墜とすことを企てるという、万死に値することを行った。その時点で達也の中では無頭竜に措置を取ることは決定していた。しかし、宮芝がすでに行動を起こしているなら話は別だ。

 

無頭竜は断じて許すことはできない。しかし、何が何でも自らの手で事を成す、という強い思いまで持っている訳ではない。

 

宮芝であれば、甘い措置を取る可能性は皆無と考えてよいだろう。それどころか、達也よりも非道な措置を取ることも考えられる。それならば、達也は引こう。

 

ひとまずは自分が捕らえた者だから気になった、という体で話を聞いてみようと大会委員会の天幕に入った。そして、その瞬間に思わず足を止めてしまった。

 

まず聞こえてきたのは子供の泣き声。それと名前らしきものを叫ぶ女性の声。外までは声が聞こえてこなかったのは、遮音の結界が張られていたためだろう。

 

次に目に入ってきたのが、全裸のまま鎖に繋がれた女性の姿と、女性に馬乗りになっている大柄な男だった。女性は性的な暴行を受けたのか体が酷く汚れている。そして、それにも関わらず懸命に声をあげていた。

 

女性の視線の先に、十歳くらいの男児が吊るされていた。男児は右腕の肘の部分から下がなくなっている。その男児の欠落した腕の部分から五センチくらい上に、大柄な男が高周波ブレードを用いた棒を押し当てる。男は何らかの措置で精神の自由を奪われているらしく全くの無表情で子供の腕を輪切りにしていく。

 

男児の絶叫が天幕に響いた。普通ならば、おびただしい血が流れているだろう。けれど、高周波ブレードを使う隣にも、やはり大柄な男がおり、一目で高熱を持っていると分かる赤く変色した棒で傷を強引に焼き繋ぐことで、それを防いでいる。

 

二人目の男が行っているのは、けして救命行為ではない。確かに、男の行為により男児は出血を抑えられ、死亡という結果を迎えていない。だが、それは男児をより長い時間をかけて痛めつけるために行われている行為だ。

 

泣き叫ぶ男児の様子を見て、全裸の女性が悲鳴を上げている。そして、同じく吠えるような泣き声を上げている男がいた。その男が、達也が捕らえた大会委員だった。

 

「もう殺してあげて!」

 

そう言いながら、女性が顔を向けた先に和泉がいた。助けてではなく、殺して。その言葉が意味するのは、すでに死んだ方がましだと思わせるだけの虐待が行われたということだ。叫ぶ女性を無視して、和泉は達也の元へと歩み寄ってくる。

 

「おや、達也。こんなところにどうした?」

 

「背後関係に対する尋問がどうなったか聞きにきたんだが……この有様は、一体どういうことだ?」

 

「君が捕らえた男に、最大の後悔を味わってもらっているところだ」

 

何をしているかは見れば分かる。聞いたのは、なぜ、ということだ。

 

「嗜虐趣味はなかったんじゃないのか?」

 

「趣味ではない。必要な罰だ」

 

「当人以外にも責任は及ぶと?」

 

「国家への反逆に対する罰は三族皆殺しだ」

 

そう言った和泉の声には達也が捕らえた男に対する凄まじいまでの憎悪が滲んでいた。しかし、怒ってはいても怒りで我を忘れている、という様子ではない。あくまで必要な措置として行っているのが見て取れた。

 

見せしめ。そういう言葉が頭に浮かぶ。前時代にこのような処罰が行われたのは、苛烈な罰により同じようなことをする者が出ることを防ぐのが狙いであったはず。そして、そういう意味では今回の処罰は、十分に機能しているようであった。

 

部屋の隅では大会委員たちが銃を突き付けられ、ひとかたまりに集められている。その顔は一様に蒼白となっている。

 

「和泉、大会委員たちを集めているのは、なぜだ?」

 

「決まっているだろう。他にも国家への反逆を企てている者がいないという保証がないからだ。潔白が証明されるまで、いつでも処刑できる状態にしているだけだ」

 

嘘だ。和泉はこの残虐な処分を、より多くの者に見せつける気なのだ。大会委員たちに、目の前で起こったことを魔法協会に報告させ、それをもって大亜連合に連なる組織に関与する魔法師が出るのを防ぐつもりだ。

 

深雪が関わるのでなければ、達也は他人に興味を示さない。その意味では、今回の一件は微妙なラインにある。

 

あの大会委員が和泉に責められているのは、深雪のCADに細工をしようとして達也に捕らえられたからだ。その意味では、深雪も間接的せよ関係はしていることになる。そして、悪いことに達也が委員を捕らえたことは、すでに伝わってしまっている。

 

もしも、この苛烈な事態を深雪が知ったらどう思うか。少なくとも男の妻子が受けている責め苦には心を痛めそうである。ここらで、やめさせるべきか。そう思って足を前に進めかけたところで、背後から誰かが天幕の内に入ってきた。

 

振り返ると、三十歳前後と思われる女性と、その両腕を掴む二人の男がいた。その二人の男も精神操作をされているようだった。

 

「玲菜!」

 

達也が捕らえた男が叫ぶ。

 

「兄さん、これは?」

 

恐怖に震える声で女性が聞く。その声に、男は答えることができずにいる。

 

「達也、外に出ていてくれないか?」

 

「あの女性は?」

 

「あの男……真鍋陸人の妹だよ」

 

「妹までが対象となるのか……」

 

達也も人からは恨まれても仕方がないことを行ってきた。その達也からすれば、その罪を深雪にまで問うと言われているようで穏やかではいられない。

 

「達也、早く出てくれ。彼らは、君がいるからと行動を待ってはくれない」

 

和泉がそう言うと同時に、二人の男が捕らえていた女性を地面に押し倒す。そのまま男たちは女性の衣服を引き裂いていく。女性の悲鳴が天幕の中に響き渡る。

 

「まさか、玲菜まで!」

 

「三族まで同罪とすると言わなかったか?」

 

和泉の冷たい声音に真鍋が言葉を失う。

 

「達也、これ以上、ここに留まって見続けるなら、私は君を軽蔑するぞ。彼らの命を助けることはしない。分かったら、早く出ろ」

 

「分かった」

 

和泉の声に僅かに悲しみの色を見た達也は素直に受け入れることにした。

 

「誰か、助けて! 誰か! 嫌あぁ!」

 

真鍋の妹の声を背に聞きながら、達也は大会委員の天幕を出る。そうして第一高校の天幕に向かう道すがら、今度は初老の夫婦らしき二人と、同じく両腕を捕らえる精神操作されていると思しき男たちとすれ違った。

 

あれは、真鍋の両親だろう。和泉は本当に、一族全員に壮絶な仕打ちを行った後、真鍋と同じ血が流れるものを根絶やしにするつもりのようだ。しかも、和泉は真鍋を苦しめること自体を目的にしている。となれば、単により長く苦しめるというだけのために、全員が簡単には殺してもらえないだろう。

 

このまま放置すれば、深雪の耳にも入る可能性が高まる。そして、和泉に言っても行為を止めることはないだろう。となれば、実力行使しかない。

 

「それにしても命は助けないとは、重い条件を出してくれる」

 

和泉は関わるなとは言わなかった。命は助けない。つまり殺すと言っただけだ。

 

それは和泉たちの手で殺すことには、こだわらないという意味。要は達也が殺すのは構わないということだろう。或いは、和泉も振り上げた拳の下ろし方が分からなくなっているのかもしれない。

 

「やるか……」

 

達也はCADを抜くと照準を大会委員の天幕に向ける。改めて確認をしてみると、大会委員の天幕には防音以外の魔法的な防御は施されていないようである。これも、和泉が誰かが止めてくれることを期待した結果なのだろうか。

 

天幕の中では早くも真鍋の両親が竹の棒で殴打されているようだった。材質が竹なのは、より長く苦しめるためだろう。

 

精神を集中して魔法を六回、発動させる。それで、真鍋とその妻、息子、妹、両親の六人の命が失われた。

 

「まったく、他人に殺人の実行をさせるなよ」

 

ぼやきながら、達也は今回の一連の事件の本命である無頭竜に必要な措置を講じるため、彼らの本拠地がある横浜に向かう手筈を整え始めた。



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九校戦編 最後の夜は静かに更けて

九校戦最終日は何事もなく終わり、長いようで短い九校戦は終わりを迎えた。

 

もっとも、宮芝和泉守治夏にとっての九校戦は、前日の無頭竜の壊滅をもって概ねにおいて終わりを迎えていた。といっても、宮芝の術士たちは何もしていない。

 

宮芝の術士たちにとって正面突破という作戦は本分ではない。宮芝の術士の本分は奇襲。ジェネレーターを複数用意し、警戒する相手の本拠に突入するというのは、宮芝の精鋭部隊であっても荷が重い。

 

それゆえに無頭竜の本拠に向かった郷田飛騨守からは、無頭竜の東日本総支部の幹部たちは日本を離れようとするはずであり、そのときを利用する手を考えていると聞いていた。具体的には幻術で誤認させることで、本来の逃走用のものと異なる船に乗り込ませ、太平洋に沈めるという作戦が提示されていた。

 

しかし、その前に事態は大きく動いた。何者かに襲撃を受けて、無頭竜が壊滅したのだ。そして、郷田飛騨から聞いた襲撃の内容は、驚くべき内容だった。

 

まずは飛騨たちも把握できないような遠距離からの狙撃によりコンクリートの外壁が消え去った。続いて中の人間が燃えるようにして消失していったということだった。消失と表現をしたのは、事が終わった後に乗り込んだ拠点内に燃焼の形跡がなかったためだ。

 

郷田飛騨はけして無能な術士ではない。むしろ、前線指揮官としては治夏がもっとも信頼している男だ。その飛騨がどのような魔法であったのか全く想像がつかないと報告をしてきたのだ。それは、客観的には由々しき事態と思える。

 

治夏も、その魔法の原理はよく分からない。しかし、郷田飛騨が何者か、と表現した者の正体は分かっていた。無頭竜を壊滅させたのは、間違いなく司波達也だ。

 

根拠としては、一つは治夏がブランシュ事件の折に達也の謎の魔法を見ていたこと。ただ、これだけだと根拠としては乏しい。

 

決定的になったのは、無頭竜の幹部と襲撃者の間で交わされた遣り取りだ。これは、最初の攻撃でコンクリートの外壁が消えたのと同時に、他の魔法的な防御も消えたのを察知した郷田飛騨が咄嗟に放った魔法で傍受したものだ。

 

声は変えてあるのか、当人と断定はできなかった。だが、語った内容にあった、富士での返礼、という表現が、襲撃者が達也であることを示していた。もっとも、それがなかったとしても状況から達也であると断定はしていただろう。何にせよ、達也の妹の深雪がちょっかいを出された、その日のうちに動くというのは気が早いにも程がある。

 

「そんなに妹が大事ということか。これは立ち回りには注意しないとね」

 

ひとり呟いて、空を見上げる。すっきりと晴れた空には、町の明かりが遠いという環境もあり、無数の星が煌めいていた。

 

治夏の待ち人は、今頃、その活躍を認められた多くの人たちに、パーティー会場で囲まれているのだろう。治夏を一人で待たせて自分だけ楽しむなんて、という勝手な思いもなくはないが、そもそも一人で過ごすことになったのは、昨日の凄惨な拷問劇が引き起こしたもの。これで彼を責めるのは身勝手が過ぎる。

 

「さながら向日葵と月見草かな」

 

けれど、それで構わない。元から宮芝は日陰の存在。宮芝の動きが目立つということは国が荒れているという証拠であり、けして喜ばしいことではない。

 

「けれど、それは達也も同じだと思うのだけどね」

 

達也は妹に危害を加えようとしたという理由だけで、おそらく無頭竜を壊滅させた。ただ、それを陰で行ったがゆえに、それは誰も知らない。

 

一方、宮芝が凄惨な拷問という手段を取ったのは、安易な気持ちで国外勢力に協力する者がでないようにするためだ。裏切り者の抹殺というだけでは更なる裏切りを止めることができなかった。

 

おそらく無頭竜も裏切りには死という方針であったため、ただ当人を死罪にするというだけでは抑止力が働かなかったためだろう。それゆえの族滅であるが、その目的は怨恨でも己の利益でもなく、純粋にそれが国のためになると思ってのことだ。

 

国のために働いた宮芝が忌み嫌われ、自らの思いだけで行動した達也が称賛される。なかなかに皮肉な結末だ。

 

それでも、そのことに治夏が腹を立てることはない。個人がいくら優れていても、それでは影響力は限定的だ。それは大量破壊兵器に匹敵すると言われている戦略級の魔法師であれども変わらない。いかに優れていても、個である以上は弱点も明白であるからだ。

 

だからこそ、力がある者はもっと表に立ち、その力をもって周囲を引き上げていくべきだ。それが国力を高めるということだ。

 

治夏がそう考えていたところで背後に人の気配があった。振り返ると今宵の待ち人である達也であった。

 

「ねえ、達也、今夜は月が綺麗だよ」

 

「……今は少し雲がかかっているようだが?」

 

「……君はつまらない男だね」

 

「和泉に面白いと思ってもらうと、ろくなことがなさそうだ」

 

「違いない」

 

軽く笑った後、姿勢を正して達也を正面から見つめる。

 

「まず、お礼を言わせてもらうね。昨日はありがとう」

 

「何のことだ?」

 

「まあ、そうだよね。言えないもんね」

 

達也としては、礼を言われる候補は二つだろう。一つは無頭竜を宮芝に代わって始末をしたこと。そして、もう一つが無頭竜と通じていた真鍋を殺害したこと。けれど、それはどちらも犯罪行為。自ら犯行を自供するような間抜けはしなくて当然だ。だから、これは治夏の方から言い出すべきだろう。

 

「あの行為は必要なことだったと、今でも思っている。けれど、どうやって終わらせるかというのは難しいこところだった」

 

「まあ、そんな気はしていた」

 

「だから、達也が手を出してくれて本当に助かったんだ。ありがとう」

 

「……やったことを考えると、素直にどういたしまして、とは言えないんだがな」

 

「それも、違いないね」

 

達也が行ったのは、誰が何と言おうと究極的には殺人だ。仮に治夏が達也から真鍋の殺害を称賛されたとしても、きっと同じように微妙な表情をしただろう。

 

「それにしても、君はこれから大変そうだね」

 

「それは和泉も同じだろう」

 

「そこは頷き難いな」

 

達也が大変なのは、第一高校優勝の立役者となったスーパーエンジニアという評価。そしてモノリス・コードで十師族直系、第三高校の一条将輝を破ったという名声によるもの。

 

それに対して治夏が大変なのは、一般の魔法師には知られていないものの、今回の拷問による悪名によるものだ。特に後から事情を知った者の中には、親族というだけで殺害した宮芝に対する反感を高める者もいるだろう。まあ、それについては隠蔽に関与した九島に幾らかは肩代わりをさせるつもりだが、それにしても面倒なことには変わりない。

 

「願わくば、達也とはこれから先も良い関係でいたいものだね」

 

「今は、良い関係と言えるのか?」

 

「私たちの互いの利害が対立していない。これ以上の良い関係はないんじゃないかな」

 

「確かにそうかもな」

 

「もっとも、達也の方から私に協力してくれるって言うんなら、私は喜んで受け入れるよ。もちろん、その際には私にできるお礼ならしてあげるけど」

 

達也が望むのなら、体を捧げてもいいよ。そんなことを暗に匂わせながら言ってみる。

 

「俺が和泉に協力するとしたら、それはあくまで俺の利益のためだ。だから気にする必要は無い」

 

「本当に、君はつまらない男だね」

 

あまり乗り気になられても困るが、興味がない様子は腹立たしい。治夏は達也の才能を高く買っているというのに、これでは一方通行の片思いのようではないか。

 

「けど、君に腹を立てても仕方がないね。じゃあ、私は言いたいことは言ったから、これにてお暇させてもらうよ。この後はどうぞ、好きな相手と好きに過ごしたらいい」

 

それで達也の態度が変わるとは思わないが、機嫌はよくないですよ、というのを前面に押し出して背を向ける。何かしらの反応くらいはあるかと思ったが、達也は一言も発せずに治夏を見送った。

 

おかげで、せめておやすみの挨拶くらいは言えないものかな、と部屋に帰って少し荒れたのは余談である。



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幕間編
幕間編 渡辺風紀委員長の引退


夏休みが終わり、治夏は久方ぶりに風紀委員室にいた。今日は委員長である渡辺摩利の後任候補の紹介がされるという連絡がされたためである。

 

ところで、他の魔法科高校生と違い、宮芝和泉守治夏にとって夏休みは普段は行えない、宮芝に関する各種の視察を行える期間であった。言い換えると、仕事漬けの毎日であったということだ。

 

魔法研究の成果や財務状況の確認も重要だ。しかし、治夏が特に力を入れたのは、宮芝の次代を担う十代前半の修行者たちの仕上がりであった。

 

現代魔法会では、名目的には実技について教わるのは魔法科高校入学後からということになっている。しかし、実際は入学時にはすでに自己の得意魔法を認識している者が大半であるように、それぞれに父母等から学んできているのが普通だ。けれど、それでは純粋な資質というより、入学試験前にどれだけ質の高い教育を受けてきたかが重要になる。

 

この点は、代々、家業として受け継がれてきた古式魔法でも同様であった。宮芝ではその弱点を軽減するため、有力な家の出身ではない実力上位の術者を宮芝家として師範に取り立て、そこで中小の家の魔法師の子弟たちを教育させているのだ。

 

しかし、優れた術者が優れた教育者であるとは限らないのは、今も昔も変わらない。また、性格等の相性により上手く育てられる者と、上手く育てられない者が出てくることも避けられない。治夏が確認をしていたのは、修業中の術士の実力の確認とともに、そうした師範たちの資質と特性についてであった。

 

その成績によって、実績に劣る師範は解任し、代わりに新しい師範を取り立てる。もしくは特性に合わない弟子の移籍を斡旋する。

 

それにしても、人が人を評価するのは極めて難しいものだ。特に治夏は人生経験が圧倒的に不足しているため、誰が優秀で誰がそうでないのかを判断することに自信がない。ともすれば表面的な数字だけを評価しそうになってしまう。

 

ところが、経験豊富な者に言わせると、問題は割り当てられた弟子の才能であり、指導力は十分に評価に値するという意見が出たりする。そう言われて見てみると、大成した者を輩出したことがない家の出身者ばかりであった。

 

では、そもそも弟子の才能というのはどう評価すればいいのか。そもそも弟子が才能豊かであれば、師範が指導をしなくとも勝手に成長していきそうである。

 

周囲の言いなりになってしまうのでは、当主として資質がないと言っているようなもの。かといって周囲の意見を全て無視するのも、当主の資質に欠けると言わざるをえない。結局は周囲の意見に若干の修正を行うということで決着させた。それが正しかったのか否かが判明するのは、しばらく後のことなのだろう。

 

いずれにしても、治夏にとっての夏休みとは、少しも気の休まらない、疲れることが多い日々であったということだ。それに比べれば、高校生活は何と素晴らしいことだろう。口うるさい重鎮たちがいないということが、どれほど素晴らしいかということを世の魔法科高校生たちは、もっと噛みしめるべきである。

 

「ま、そんなことを考えるのは、若くして責任者になってしまった者だけだろうけどね」

 

「ん、何の話だ?」

 

「いや、何でもないよ」

 

隣にいた達也に聞かれてしまい、治夏は慌てて答えた。そして、話題を変えるために近くにいた渡辺に話を向ける。

 

「ところで、風紀長殿、此度は随分と多くの委員が参集されたようですが?」

 

「私に対してだけ、君の口調が違うのは、どうしてだ?」

 

「風紀長殿、和泉守様は長幼の序をわきまえぬ不分別者ではございませぬ」

 

「そして、森崎。君はもはや別人だな」

 

治夏に代わって答えた森崎にげんなりした表情を見せた渡辺だったが、気を取り直して当初の治夏の疑問に答えてくる。

 

「宮芝も知っての通り、風紀委員はそんなに団結力のある組織ではない。けれど、私の代わりに入るのは女子なんだ。風紀委員は荒事が仕事であるため、女子が選ばれるのは珍しい。それで、暇人が多く集まったということだ」

 

「風紀長殿、私も女子なんだが……」

 

「宮芝は選ばれたのではなく、押し入ってきたのだろう?」

 

それは確かにそうだ。けれど、入るまでの過程と男臭い風紀委員の中に可愛らしい女子が入ってきてくれるという結果とは別問題ではないだろうか。

 

治夏の立場では自由恋愛は許されない。しかし、異性にチヤホヤされたいという願望まで失っているわけではない。

 

「なら、委員長が選ばれた時も注目を浴びたのでしょうね」

 

達也が口を挿んできたのは、治夏に対するフォローのつもりだろうか。

 

「……まあ、あたしのケースは置いておくとしてだ。今回、新委員を迎えるに当たり、しばらく君に面倒を見て貰いたいんだが」

 

「……俺が、ですか」

 

「ああ、特に和泉に虐められないように、しっかりとサポートしてやってくれ」

 

「風紀長殿、和泉守様は故なく他者を傷つけるような方ではございません」

 

そう言った森崎の顔を見ながら、渡辺が尋ねる。

 

「仮に新任の風紀委員が和泉の行動を制限するようなことを言ったら、君はどうする?」

 

「和泉守様の妨げとなる者は、小官が排除いたします」

 

ほらな、という言葉が聞こえてきそうな表情で渡辺が達也を見る。その達也が治夏のことを見つめてくる。

 

「ちょっと、調整しすぎたかな」

 

当然ながら、そう言ったところで視線が和らぐことはない。

 

「そういった訳で、君にお願いしたいんだが」

 

「仕方がありませんね」

 

確かに治夏に対抗ができるのは、風紀委員の中で達也だけだろう。それが分かったからか、がっくりと肩を落としながら、達也は補佐役を引き受けていた。

 

その後、紹介がされたのは、千代田花音という二年生だった。治夏は面識がなかったが、達也は九校戦の折に知己を得ていたらしい。治夏も女子アイス・ピラーズ・ブレイクの優勝者として、その名だけは記憶していた。

 

ともかく達也がお守りをしながら校内の巡回をするというのであれば、治夏の出る幕はない。であるならば、風紀委員を引き受ける代償として得た特権を行使するとしよう。

 

治夏は入学当初の目的である一科生入りを断念することと引き換えに得た、指導教官による実技指導を受けるために教職員棟へと歩き出した。



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幕間編 司波達也の危機

司波達也は、かつてない危機の中にいた。

 

達也を追い詰めているのは、最愛の妹である深雪。そして、エリカ。更には美月と深雪の友人の北山雫と光井ほのかまでが冷たい視線を送っている。

 

なぜ、こんなことになったのかというと、話は少し前に遡る。

 

この日、生徒会長選挙に自身が出馬するという、根も葉もない噂に悩まされていた達也は、一つの解決策を提示でき、気分が高揚していた。それは、現生徒会書記の中条あずさに立候補をさせるというものだった。

 

解決策という割には誰にでも思いつく本命中の本命であるのだが、問題となったのは彼女の引っ込み思案な性格である。あずさは明らかに人の上に立つには向いていない。そして、そのことは本人も自覚をしている。だから、あずさは生徒会長選への出馬を拒否していた。

 

そのことは現生徒会長の七草真由美も十分に理解していること。だから、真由美は当初、深雪を次期生徒会長へと推そうとしていた。けれど、それは達也が望むことではない。そのため、あずさの説得を買って出たのだ。しかし、その説得の方法はというと、けして褒められた方法ではなかった。

 

第一高校では四年前、自由な選挙を標榜した当時の生徒会の方針で候補者が乱立し、更にはその候補者たちが争い合うことによって二桁に達する重傷者を出すという苦い経験をしている。達也はその過去を持ち出して、あずさが頑なに出馬を拒否するならば、結果的にそのときと同じことが起きるかもしれないと脅したのだ。

 

あずさは自分に自信はない。しかし、責任感がない訳ではない。自身が出馬を拒否し続けたことで起きる事態を想像して、身体ごとブルブルと震え出した。

 

そこに深雪が優しい言葉をかけた。あずさなら、きっと上手くやれると言ったのだ。直前まで達也に脅されていただけに、あずさの眼差しはそれだけで大いに揺らいだ。

 

ここまでなら、一般的な説得の範囲だったかもしれない。問題は、その後だ。

 

達也はデバイスオタクとも呼ばれているあずさに対して、再来週発売の飛行デバイスのモニター品が手に入ったと語りかけたのだ。そうなれば、当然にあずさは入手を望むはずという読みをもって。

 

そして思惑通り、あずさはデバイスの入手を望んだ。実際に口に出したわけではないが、眼差しが雄弁に気持ちを物語っていた。

 

そこで、あずさには深雪がお世話なっているからという建前のもと、新生徒会長に就任した暁には、お祝いとして贈呈すると語ったのだ。その効果は覿面だった。あずさは歓声をあげて立ち上がり、誰が相手でも負けない、絶対に生徒会長に当選してみせる、そう力強く断言したのだ。

 

ここまでが前半戦である。この時点までは面白いように事が運んだと言っていい。問題は、その後で起きた。

 

達也が出馬するという噂を否定するため、新しい生徒会長は中条あずさに決まりそうだという情報を持って、いつものメンバーと喫茶店を訪れた。

 

ただし、いつもと異なることもあった。それは、同行メンバーとして和泉がいたことだ。

 

そして、その和泉が、あずさに生徒会長選に立候補をさせることに成功したと話したとき、自分が対抗馬として出馬すると言い出したのだ。立候補の理由を聞けば、答えは単純に権力がほしいから、と言う。

 

あずさと和泉が選挙戦を争うことになれば、和泉からの様々な圧力であずさが途中で脱落してしまうことも考えられる。和泉が生徒会長として深雪の上に立つ。それは、悪夢以外の何物でもない。

 

「では、早速、根回しに動くとしよう」

 

「ちょっと待て」

 

立ち上がりかけた和泉に対し、達也は千代田花音に対して効果を発揮した方法を試みた。それは、達也の師匠である九重八雲直伝の技である、背中にある「快感のツボ」、『快楽点』を突くというものだ。

 

「ひあぁっ」

 

効果は抜群だった。和泉は聞いたことがない声を上げて、その場にへたり込んだ。

 

ここまでは花音のときと同様。違ったのは、その後だった。

 

「うっ……ぐすっ……」

 

そのまま和泉はすすり泣きを始めた。

 

「お兄様、和泉に何をなさったのですか?」

 

「いや、背中にある『快感のツボ』を押しただけなんだが……」

 

その間にエリカ、美月、ほのか、雫の女性陣はへたり込んだままの和泉の周囲に集まっている。対して、レオと幹比古は達也の加勢はしてくれないようで傍観に徹しているが、このような状況であれば、達也も同じ行動を取るはずなので、これは責められない。

 

和泉がエリカたちに話す内容が、微かに漏れ聞こえてくる。それによると、達也が快楽点を突いたことで、和泉は軽く達してしまったらしい。人前で……とりわけ男の手によりそのようになってしまったことが、堪らなく恥ずかしい。つまるところ、それが和泉の泣いている理由のようだ。そして、その言葉を聞いた瞬間、女性陣の顔つきが変わった。

 

そして、冒頭に至った、というわけである。

 

思い返してみれば、和泉は九校戦のパーティーの折にも、短いスカートに頑なに抵抗したことがあった。普段の過激な言動で忘れがちだが、和泉は意外と羞恥心が強い。それを忘れていたのは大きな失策だった。

 

「お兄様、ご自分が何をされたか分かっていらっしゃるのですか?」

 

深雪の怒りは烈火の如く。それが吹雪となって達也の身に打ち付ける。

 

「達也くん、さすがにやっていいことと悪いことがあることは分からない?」

 

エリカもまた、怒り心頭といった様子である。

 

「私も、今回はやりすぎだと思います」

 

「今回は達也さんが悪い」

 

「あの……私も和泉さんに謝った方がいいと思います」

 

異性の前で恥ずかしい思いをさせられるということに対しては、女性陣の共感は和泉の方に向かってしまう。これでは達也には太刀打ちできない。いや、そもそも深雪が和泉の側に付いた時点で達也の負けは決まっている。それは、たとえ俯いた和泉の口角があがっていようと変わらない。

 

おそらく、泣いたところまでは本当なのだろう。けれど、その後は泣かされた腹いせとして達也に反撃を行うための計算された行動だ。とはいえ、泣かせたことまで本当であれば、負けは確定的だ。

 

「和泉、すまなかった」

 

自らの負けを認め、達也は和泉に謝罪する。泣かせたことは悪いと思う気持ちはあるため、声に不満の色は出ていないはずだ。和泉は無言のまま頷くと、エリカと美月に支えられ、涙を拭って立ち上がる。

 

「今日は、もう帰るね」

 

和泉はそう言って、喫茶店を出て行く。今度は、達也も引き留めることはできない。

 

とはいえ、和泉も興が醒めた様子であったため、今後は生徒会長選に立候補するというようなことは言い出さないだろう。

 

それにしても、今日のことにせよ、以前のことにせよ、和泉の防御が弱いというのは本当のことのようだ。それが分かったというだけでも、今日の達也の行動は意味があったといえるだろう。

 

ただ、一つだけ困ったことを挙げるとすれば……。

 

「お兄様、その技、今後は二度と使わないでくださいね」

 

達也が言うと、深雪だけでなくエリカや美月までが頷いていた。

 

「ああ、二度と使わない」

 

深雪が和泉に同情的になってしまったことだろうか。



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幕間編 気弱な生徒会長の憂鬱

私、中条あずさは、昨日の生徒会長選挙で無事に当選することができ、意気揚々と生徒会室へと入りました。すると、一人の教師が私を待っていたのです。

 

「中条くんにお願いがあるんだが」

 

そう切り出してきたのは、天童星哉先生です。二十代後半の若手教師で、魔法に関して非常にバランス良く習得しているため、どんな生徒にも的確な指導ができると、評判のよい先生だったと記憶しています。そんな先生がとても深刻そうな表情で私のことを待っていたのです。

 

左右を見回すと、室内にいたのは新しく会計に就任した五十里啓くんだけです。五十里くんも人当たりのよいタイプですから、仮に先生からのお願い事をお断りする、という場面になると少しばかり心もとないです。深雪さんがいてくれると心強いのですが、副会長が来るまで待ってください、などと言えるはずもありません。

 

「何でしょうか?」

 

なので、そのまま聞くしかありません。

 

「実は宮芝さんのことなんだが……」

 

あの、なぜ私が中条くんで、宮芝さんはさん呼びなのでしょうか。そして、どうしてそんな難案件を私に対して持ち込むのでしょうか。まだ何も聞いていませんが、宮芝さんの関係する内容で、簡単に解決できる内容のはずがありません。

 

先生は、私が宮芝さんに何かを言えるなんて、どうして思ってしまったのでしょうか。七草元会長、今すぐ現役に復帰してください。私には、やっぱり生徒会長は無理です。

 

私の内心の叫びなど聞こえるはずもなく、天童先生は話を続けます。

 

「僕を宮芝さんの指導教官から外してもらえないだろうか?」

 

ぎにゃあぁー。想像以上の爆弾です。ダイナマイトです。アトミックです。

 

宮芝さんに指導教官を付けるというのは、校内を血の海にしないことの交換条件です。それを反故にすれば怒れる宮芝さんが、どんなことをしでかすか想像もつきません。

 

天童先生は、何がしたいというのでしょう。馬鹿なのですか。

 

「あの……どうして、そのようなことを?」

 

ひとまず内心の罵声は心に押しとどめ、理由を聞いてみることにします。

 

「僕は魔法の指導教官だと言われたから、引き受けたんだ。けど、彼女の指導は、魔法の指導とは言わない」

 

「それは、どういうことですか?」

 

「彼女の要望は、決まって魔法を見せてくれというものなんだ。普通に魔法を見せるだけなら、他の生徒にも見せることはあるからいいんだが、魔法の使い方をより詳しく知るためと言って、毎回のように全身に機械を取り付けられて、色んなデータを計測される。しかも、同じ魔法を強めに、弱めに、精密にと色んなパターンで。これは、指導教官の仕事じゃない。どう考えても彼女のモルモットにされているようにしか思えない」

 

ええ、間違いなく先生はモルモットにされていますね。彼女が興味あるのは現代魔法をいかに自分の術に組み込むか、なのでしょうから。

 

「話は分かりましたが、なぜその話を生徒会に? それなら校長先生と交渉をすべきなのでは?」

 

そう助け舟を出してくれたのは五十里くんです。そうです。先生方の担当は学校が決めるべきことですから、もっと言ってください。

 

「百山校長には、もう断られたんだ……」

 

「ちなみに断られた理由は、聞かれたのですか?」

 

「魔法の指導をする際の、データを計測することは今後のことを考えた場合に有効になる可能性がある。有効な指導法を提案してくれた生徒に対して、それを理由に指導教官を変えるということはできない、ということだった」

 

校長先生、初めから断るつもりだったんだろうなあ、というのが、ありありと分かる表情で天童先生は答えてくれました。天童先生には気の毒ですが、校長先生が断った案件では、私たちが手を出すことはできません。

 

「先生には申し訳ありませんが、私たちではどうすることもできないと思います」

 

校長先生から断られたというのは、私たちにとっては大事な大義名分です。私たちのためにも、先生は犠牲になってください。

 

「いや、むしろ生徒会にしか、打開はできないと考えているんだ」

 

けれど、天童先生は力強く、そう言ってきました。

 

「それは、どういうことでしょうか?」

 

「宮芝さんが指導を受けられるのは、風紀委員に所属しているからだろう? だったら、この機に風紀委員も交代させたらいい」

 

「あの、それだったら風紀委員長にお願いしてはいかがですか?」

 

どういう発想の転換で、そんな結論に至ったのでしょうか。五十里くんが若干の呆れを含んだ声音で聞きます。

 

「風紀委員は宮芝さんに抑えられているみたいで、ろくに話を聞いてもらえなかった。だから、後は頼れるのは生徒会だけなんだ」

 

だから、そんな難案件を生徒会に持ち込まないでください。生徒会は第一高校の生徒たちのための組織です。教職員でも手に負えない事件を解決できる組織ではありません。まあ、七草会長の時代は十師族の権力で普通ではできないこともやっていた気もしますが。

 

普通、テロリストの拠点に突撃したりしませんからね。もっとも、あのときの実行したのは部活連でしたので、非常識なのは十文字先輩ということになるのでしょうか。けど、七草会長も黙認していたように聞いていますし、同罪ですよね。

 

「天童先生、やはり生徒会では引き受けることのできない相談だと思います」

 

私が考えている間にも、五十里くんは冷静に天童先生を諭してくれます。

 

「そこを何とか……例えば司波深雪さんなら宮芝さんを説得することも……」

 

「深雪なら、私をどうできると?」

 

そのとき、唐突に室内にそんな声が響きました。声の聞こえてきたのは私の後方……風紀委員室に繋がる扉の方向からです。私の背中を嫌な汗が次から次へと流れていきます。

 

「み……宮芝さん……」

 

声と発言内容で分かってはいましたが、天童先生が引きつった顔で漏らした言葉で、発言者が誰なのかが確信できてしまいました。扉が開いた音など一切しませんでしたが、彼女は一体、いつから聞いていたのでしょうか。恐る恐る、振り返ります。すると、満面の笑みを浮かべながら、目は全く笑っていない宮芝さんがいました。

 

「さて、天童くん、少し風紀委員室で話をしようか」

 

「あ……いや、できれば話なら、ここで……」

 

「ほう、では、このまま話といこうか」

 

拙いです。このままでは否応なく私たちが巻き込まれてしまいます。

 

「深い話になれば、宮芝さんにとって他の人に聞かれたくない話にもなるかもしれません。だから、私たちは席を外しますね」

 

「え、ちょっと待ってくれないか、中条くん」

 

「それじゃあ、天童先生。お大事に」

 

「ちょ、ちょっと待って……中条くん。五十里くんも……」

 

ガラガラ、ピシャリ。ふう、私は何も聞かなかった。私は何も聞かなかった。

 

「さて、五十里くん。深雪さんたちが来ないよう、連絡をしておきましょうか」

 

「会長、何だか今日は別人のようですね」

 

「……危険を前にすれば、性格も変わります」

 

それだけ答えて、私は魔窟と化しているはずの生徒会室から離れていきます。

 

先生、私には何もできませんでしたが、強く生きてください。だって、仕方がないんです。宮芝さんは本当に怖いんですから。



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横浜騒乱編
横浜騒乱編 文を競う場


全国高校生魔法学論文コンペティション。通称論文コンペ。

 

それは、毎年十月の最終日曜日に開催されている、「武」を競う九校戦と双璧をなす「文」の九校間の対抗戦である。

 

司波達也はその論文コンペの第一高校代表チーム三名の一員に、体調を崩した三年生の代役として参加することになった。ちなみに他の二名は前生徒会会計の市原鈴音と現生徒会会計の五十里啓である。

 

そして、今はそのことを、そろそろ常連扱いを受ける程度には足繫く通っている店でいつものレギュラーに、最近は時間が合えば合流してくるようになった和泉を加えたメンバーに対して報告をしていたところだった。ちなみに、レギュラーメンバーとは達也、深雪にレオ、エリカ、美月の古参メンバーに深雪と同じクラスの光井ほのか、北山雫、九校戦後から加入した吉田幹比古の八人である。

 

「達也くん、感動薄すぎ」

 

全校で三人だけしか選ばれない論文コンペのメンバーに選ばれたことを淡々と伝えた達也に対してエリカは呆れ顔をしていた。その隣ではレオが楽しそうに笑っている。

 

「達也にしてみりゃ、その程度は当然、ってこったろ」

 

「一年生が論文コンペに出場できるなんてほとんど無かったことだよ」

 

「皆無でもないんだろ? 職員室だってインデックスに新しい魔法を書き足すような天才を無視できるはずねえって」

 

雫の反論に対して、レオは笑顔のまま再反論する。

 

「天才は止めろ」

 

達也が本気で嫌がっているのが分かったのか、場の雰囲気があやしくなりかける。

 

「いや、やっぱり凄いよ!」

 

漂い始めた暗雲を吹き飛ばす勢いで力説したのは幹比古である。

 

「あの大会の優勝者は『スーパーネイチャー』で毎年採り上げられているし、二位以下でも注目論文が学会誌に掲載されることも珍しくないくらいだから」

 

「論文コンペでの優勝論文ともなれば、学問としてもみならず実用面でも価値の高い論文が多いからな。実際、『スーパーネイチャー』に掲載される他の論文にも見劣りしていない。それだけに、論文コンペの優勝者はその後の未来は明るいことが多い。ゆえに、名を売るには絶好の機会と言えるが……いいのか?」

 

和泉の質問は、達也が目立つ行動を避けていることを念頭に置いたものだろう。

 

「今更だ」

 

それに対し、達也はもう諦めたという思いを前面に出して答える。

 

「それより、和泉もスーパーネイチャーを読んでいるんだね」

 

和泉に聞いているのはエリカだ。

 

「意外か?」

 

「改めて考えてみると、そうでもないかも。和泉って座学の成績、優秀だしね」

 

「彼を知り己を知れば百戦殆うからず、と言うだろう。自らに使えない術こそ、しっかりとその特性を頭に入れておくべきだな。違うか、エリカ?」

 

「そうかもね」

 

エリカは近接戦闘専門の魔法師だ。敵の遠距離攻撃の性能を知らなければ、勝利することは難しい。

 

ちなみに、何度か話題に挙がっているスーパーネイチャーというのは、現代魔法学関係で最も権威があると言われているイギリスの学術雑誌のことだ。権威主義的なところがあるため高校生が読むには不親切な内容だが、幹比古だけでなく達也、深雪、雫もこの雑誌を購読していたし、他のメンバーも名前とステータスは良く知っているようだ。

 

「あっ、でも……もう余り日が無いんじゃなかったっけ?」

 

それまでのハイテンションから一転、幹比古は心配そうな表情で問いかけてくる。

 

「学校への提出まで、正味九日だな」

 

「そんな!? 本当に、もうすぐじゃないですか!」

 

「大丈夫だよ。俺はあくまでサブだし、執筆自体は夏休み前から進められていたんだから」

 

顔色を変えたほのかを宥めるために、達也は笑いながら手を振る。その姿に一同が安堵の息を漏らす。

 

「しかし、随分と急な話だな。もしや、君はまた何かトラブルを呼び込んだのか?」

 

「またって何だ。今回は俺とは関係なく、サブの上級生が体調を崩しただけだ」

 

「おや、そうなのか。てっきり君が自信を喪失させたのだと思ってしまった」

 

「お前は俺を何だと思っているんだ」

 

とはいえ、体調を崩した生徒は九校戦のエンジニアだったはず。影響を与えた可能性はないとは言い切れない。

 

「その先輩はお気の毒ですが、それにしても急すぎはしないでしょうか?」

 

深雪は、事情は納得できても心情的には納得できない、という様子だ。

 

「確かにお兄様だからこそ、いきなり論文作成のチームに加われと言われてもすぐに対応できるのですから、適切な人選とは思いますが」

 

「そうでもないさ。市原先輩の選んだテーマが俺の全く知らない分野だったら、さすがに遠慮させてもらったよ」

 

「へぇ、何について書くんだ?」

 

レオが好奇心を露わにし、身を乗り出してくる。

 

「重力制御魔法式熱核融合炉の技術的問題点とその解決策についてだ」

 

「……想像もつかねえよ」

 

「……随分壮大なテーマだね。それって『加重系魔法の三大難問』の一つじゃなかったっけ」

 

早々に降参したレオに代わり、幹比古が難しそうな顔で唸る。

 

「ほう、それは有用そうなテーマだね」

 

そして、研究テーマに肯定的な反応を返したのは意外にも和泉であった。

 

「和泉が軍事以外のことに興味を示すとは、意外だな」

 

素直に心情を語った達也に、和泉は頬を膨らませてくる。

 

「私としては、達也のその反応の方が心外だよ。私がいつ、軍事にしか興味がない、なんて言った?」

 

「いや、そう明言したわけじゃないが、魔法師を語るときに戦力面での評価しか聞いたことがなかったからな」

 

「それは現状、軍事以外では限られた研究分野しか魔法師を有効活用できる場がないから。軍事専用機より汎用機の方が使い勝手がいいんだったら、汎用機になってもらった方がいいに決まってるでしょ」

 

どうやら和泉は魔法師を兵器としか考えてない訳ではなさそうだ。機械と考えているという意味では何も変化はないのだが、それでもこの差は大きい。

 

達也が目指すものは、魔法師の地位向上だ。それも政治的な圧力などでなく。そのためには魔法を経済活動に不可欠なファクターにせねばならない。それで初めて魔法師は本当の意味で兵器として生み出された宿命から解放される。

 

もしも和泉が魔法師は兵器という考えを譲らなければ、兵力の減少に繋がる研究は敵視の対象になりえた。しかし、今の和泉の言を素直に受け取るなら、経済活動という方向でも国に貢献してくれるのならば何の問題もないということだ。

 

宮芝が敵に回らないというのは非常に大きい。和泉には達也を殺すことはできないだろうが、達也の計画を潰すことは十分に可能だからだ。

 

特に達也の目指すような常駐型重力制御魔法式熱核融合炉のような大規模な機器を用いねばならない分野では、実験装置を破壊されれば研究は完成しえない。いや、それよりも魔法隠蔽の技術を駆使して九校戦の無頭竜よろしく故意に実験を失敗させられることの方が怖い。もしも実験の失敗で大事故が起き、死傷者でも出ようものなら、長きに渡って一切の研究が禁止されることもないとはいえない。

 

結局、達也はどこまでいっても基本的には個にすぎない。一方の宮芝は物量による多面作戦を取ることができる。また、明確ではないものの政界や経済界とも深い繋がりを持っているようだ。

 

だが、ひとまずはそれらの心配をせずともよさそうだ。ならば、この機になるべく多くのものを得られるようにしなければ。

 

決意を固める達也に対し、和泉は愉快そうな視線を向けていた。



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横浜騒乱編 第一高校を探る影

論文コンペの準備が始まって九日間が過ぎた。といっても、九校戦に引き続いて何の役割も持っていない宮芝和泉守治夏にとっては、少々周りが騒がしいというだけの普通の日々であった。しかし、平穏は突如として破られる。

 

その日、登校して少し経った頃から俄かに精霊たちがざわめき始めた。そのざわめきの様子から、治夏は即座に原因は古式魔法によるものであることに気づいた。問題はどのような術式によるものか、ということだ。

 

相手の術式は教室に届くまでに拡散してしまって、特定の形を得ることは難しい。けれど、精霊の様子を観察するだけでも、どのような力が働いているか、おおよそまでは掴むことはできる。そして、その結果は望ましいものではなかった。

 

敵の術式は十中八九、大亜連合のもの。しかし、理由が分からない。

 

「堂々と偵察行為? しかし、それにしては不自然だな。リスクを冒すなら、もっと価値が高い場所もある気がするが……」

 

誰にも聞こえないように小声で呟きながら考えを纏める。

 

高校とはいえ魔法大学へのアクセス端末を持ち自身も貴重な文献を数多く所蔵し、多くの有能な魔法師が教師として集っている第一高校は、常日頃から魔法技術を狙う輩の標的となっている。そのこともあり、高校の外塀沿いには防御術式が張り巡らされていた。

 

つまり、攻撃を仕掛ける価値があるかと問われれば、あると答えることになる。しかし、執拗に攻撃を行う価値があるかと問われれば、答えは否だ。確かに第一高校は高い価値があるが、最高の価値がある場所ではない。魔法大学へのアクセス端末は他の魔法科高校にもあり、その中には第一高校より防備の緩い場所もあるためだ。

 

ともかく、敵を逃がしてはつまらない。まずは逆探知を試みるつもりだが、それを相手に気づかれないようにしなくては。

 

「使える……かな」

 

治夏は無言で席を外し、防御術式が張られている外塀の内側に向かう。そして、常に隠し持っている短刀で指を切った。

 

微かな痛みが走り、指から血が流れる。治夏は自らの血で外塀に術式を書き込んでいく。隠蔽術に長けた宮芝は結界に対する知識も豊富だ。その知識をもって以前に外塀に掛けられた防御術式を解析したことがあった。

 

その結果、破壊等は難しいが、僅かに手を加えることはできる、というのが治夏の結論であった。そのときの記憶を頼りに治夏は防御術式に偵察術式を書き加えていく。

 

「さて、どうなるか」

 

外塀に手を当てる。物理的な攻撃に備えて厚めに作られたコンクリートの、ひんやりとした感触が掌から体へと伝わってくる。体に伝わる熱とは別に、治夏の偵察術式は防御術式に弾かれた精霊の鼓動を解析していた。その鼓動から、更に精霊に影響を及ぼした術者の術式を読み解いていくのだ。

 

「術式の解析、完了。じゃあ、後は術士の追尾だけど……誰も見てないよね」

 

左右を見渡して、人影がないことを確認。ついでに防犯カメラの位置も確認。当然、死角がないように設置されており、姿は撮られてしまうだろうが、致命的ではない。

 

「よっ……と」

 

たっぷりと時間をかけて魔法式を組み立て、大きく助走をつけて外壁を蹴る。足を振り上げた拍子にスカートが大きく捲れてしまうが、監視カメラは上方にあるので見えてはいけないものが映る心配はないはず。

 

もっとも、魔法科高校の生徒はスカートの下に厚手のレギンスを着用している。そのため、仮にカメラに映っても問題になるような画像にはならないはずだ。とはいえ、お尻をさらすような真似は治夏にとって許容できることではない。

 

侵入警報が鳴らないよう、慎重に手を伸ばして塀の上に高さ二十センチほどの小さな人形を設置する。地上に降りた治夏は、早速、術式を発動して目を閉じた。

 

治夏の瞼の裏には人形が見た景色が広がっている。その景色には靄がゆらゆらと波に揺られるようにして漂っていた。その靄こそが精霊をざわめかせている波動だ。それがどこから発せられているのか治夏は視界を動かしていく。

 

「見つけた」

 

それは、第一高校から一キロほど離れた場所にある三階建てのビルの屋上から発せられていた。どのような人物が術式を打っているのかは分からないが、場所が分かれば十分だ。治夏はすぐさま側仕えの杉内瑞希に電話をかける。

 

「あ、瑞希、和泉だけど、ちょっとお願いできるかな。うん、ちょっと荷物が多いから帰りに迎えに来てもらいたくて。高校にいるから七時に迎えにきてもらえる? ありがと、悪いけどお願いね」

 

瑞希の遺漏なく承りました、という返事を聞いて治夏は電話を切った。今の電話は敵が現れたので、すぐに援軍をよこせ、という連絡だ。七時という時間は敵のいる方角が南南西であることを伝えたもの。これで村山右京たちが動いてくれるはずだ。

 

とはいえ、右京たちは常に近くで待機している訳ではない。おそらく駆けつけてくれるまで一時間弱はかかるはず。

 

治夏は自分が弱者であることを自覚している。奇襲や搦め手での勝負では、そうそう遅れは取らないという自負もあるが、正面からの戦いとなれば不利になる局面が多い。だから、自分一人で解決をしようなどとは考えない。

 

今、できることはここまで。自らの気配を遮断する術に長けているからといって一人で偵察行為など行わない。いかなる行動を取るときでも、常に備えは怠らない。それが現代魔法に対して弱者たる宮芝の戦い方だ。

 

「かといって今の状態で授業を受ける気なんてしないしなぁ……よし、決めた。風紀委員室でお茶してよ」

 

風紀委員室の鍵にはすでに細工がしてあり、治夏ならいつでも開錠可能だ。瑞希から連絡が来るまで、戦の前の休息としよう。

 

お茶を淹れて一服。小棚からお菓子も取り出し、時折、人形に視界を繋いで状況の確認をしながら連絡を待つ。

 

待つこと一時間ほど、治夏の携帯端末に呼び出しが入る。コールは三回で切れた。それから三秒後、再び呼び出しが入る。今度のコールは二回。予め治夏達の間で決めていた攻撃準備よしの合図だ。

 

「さて、それではいくか」

 

風紀委員室を出た治夏は、隠蔽術式を使用の上で校門から外に出た。術式を使用している敵の位置からは死角となる場所に三人の男がいる。治夏の側近である村山右京、山中図書、皆川掃部の三名だった。

 

「私の武器もあるな」

 

「はっ、お持ちしています」

 

右京の右手には大型のスーツケースがある。

 

「よし、では参ろうか」

 

三人を引き連れて敵の居場所として目星を付けたビルへ向かう。その途中で三人に向けて聞いた。

 

「敵の人数は確認しているか?」

 

「はっ、敵は二人のようです」

 

「では、私と掃部、右京と図書で一人ずつ相手をするぞ」

 

右京の答えに少し考えてから言うと、三人が無言で頷き、了承の意を返す。足早に進んでいたため、早くもビルまで五十メートルの地点だ。

 

「隣のビルの屋上から急襲をかける」

 

作戦を伝え、敵のいると思しきビルの裏手にあるビルに入る。階段をゆっくりと登りきり、屋上へ。扉を開けて屋上を前へ。その更に先を使い魔の鳥に進ませ、欄干の間から隣のビルを覗き見させる。

 

そこでは、一人の男が第一高校に向けて式を飛ばしていた。そして、もう一人が周囲を警戒している。指のサインで右京と図書に警戒している男の方の相手をするよう指示。二人が頷くと同時にやはり指で三カウントを取る。

 

カウントゼロと同時に三人が一斉に隣のビルに向かって空を駆ける。それを援護するために治夏は現地に留まったまま二人の男に向けて「漣」の術を放つ。漣は水の精霊を宿らせた想子弾を連続で打ち出す魔法だ。一発当たりの威力は低いが、弾数が多いため敵の足止めに向いている。

 

治夏の漣が命中するより早く、警戒役の男が声を発する。式を打っていた男が振り返り、二人はともに防御魔法を展開。咄嗟の防御魔法は万全には遠いはずだが、威力の低い漣の攻撃では防御を抜くことはできない。けれど、その間に掃部たち三人は敵地に着地して各々の標的に攻撃を仕掛けていた。

 

「はあっ!」

 

気合の声と共に掃部が何もない空中に掌底を放つ。その掌底は衝撃波を生み、式を打っていた男へと襲い掛かる。

 

掃部が仕掛けた魔法は「雷衝」。広範囲に電気を纏わせた衝撃波を放つ魔法で、こちらも受けることはできても回避することは難しい魔法だ。敵も掃部の攻撃が、ただの衝撃波ではないと気づいたようだが、気づいたところでどうしようもない。相手は衝撃波を防御魔法を使って受け止めた。

 

漣の後の雷衝で敵は完全に足を止めている。好機だ。治夏は持ってきていたスーツケースを開ける。そこには五体の人形が収められていた。

 

「雛霰」

 

治夏が魔法を発動させると、五体の人形たちが一斉に敵へと襲い掛かる。人形はそれぞれに手にナイフや拳銃を持っている。

 

「ちっ」

 

空を飛び、包囲して攻撃を仕掛けてくる人形たちはうるさい存在だ。しかし、その手に持つものは単なるナイフや拳銃。一般人には脅威でも一流の魔法師となれば攻撃を防ぐのは難しいことではない。

 

決定打にはなりえない。そう判断したのか、男は人形たちを無視して掃部に反撃を加えようとする。そして、その判断が敗因となった。

 

防御を固めて突進する男に取り付いた人形の一体が突如として爆発。周囲にはサイオンの暴風が吹き荒れた。同時に、発砲音が四発。銃弾は、男の身体を貫通している。

 

男の口が僅かに動く。しかし、それは言葉となることはなかった。そのまま男は前のめりに倒れ込んだ。

 

雛霰の術で作り出した人形には、大量の精霊が封じ込められている。それを開放することで術式解体に似た効果を発揮することができる。今回はその精霊の解放で防御魔法を吹き飛ばし、そこに銃弾を叩き込んだ。

 

この術への正しい対処法は、面倒でも人形をきちんと破壊することだ。そうすれば、不意の精霊開放によって無防備な姿をさらさずにすむ。もっとも、それをさせないための掃部の存在だったわけだが。

 

「終わりだね」

 

いいながら見ると、右京と図書も、もう一人の男を倒していた。これで、第一高校に対するスパイ未遂をしていた者たちはいなくなったはずだ。

 

「さて、右京たちはこの二人を連れ帰り、解剖して情報を引き出せ」

 

「和泉守様はいかがなさいますか?」

 

「今はまだ授業中だ。一応、学校に戻るとするよ」

 

本当はもう帰りたい気分だけどね。本音は心の中に隠して治夏は束の間の平穏を取り戻した学校に向かって歩き始めた。





投稿直前に全面改稿を決めるという暴挙により、月曜に予定していた投稿を飛ばしてしまいました。
週2回の更新を果たせず、申し訳ございません。


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横浜騒乱編 敵と通じた女子生徒

九校戦代表チーム五十二名に対し、論文コンペは三名。比較するのが最初から無意味に思えるほど規模が違う。それにも関わらず、論文コンペは九校戦に匹敵する重要行事と見做されている。

 

その理由としては、この催し物が実質的に魔法科高校九校間で優劣を競う場であること。そして、論文コンペは代表に選ばれた三名だけでなく多くの生徒が直接関わることができるという性質が挙げられるだろう。

 

非魔法科高校を対象とした弁論大会や研究発表会と「全国高校生魔法学論文コンペティション」の最大の違いは発表内容の実演がプレゼンテーションに含まれるという点だ。

 

つまり論文の発表には、魔法装置を作って壇上で魔法を実演することが含まれる。発表用の模型といっても、張りぼてでは評価されない。実際に作動するか、実際の動作をシミュレートするものでなければならない。

 

その為の魔法装置の設計から術式補助システムの製作、それを制御するためのソフト、搭載するためのボディ、ターゲットが必要な場合の作成等の多様な作業に技術系クラブ、美術系クラブはもちろんのこと、純理論系のクラブや実技の成績上位者まで総動員される。

 

本番が次の次の日曜日に迫り、今も校庭では多くの生徒が忙しく準備を行っている。

 

そんな中、校舎の屋上に陣取った宮芝和泉守治夏は他の勢力のスパイ活動を防ぐためという名目で、式を用いて作成した水色の鳥に多数の機器を乗せ、上空を飛び回らせていた。

 

言うまでもなく、治夏の式神の鳥の目的は名目通りの国外勢力に対する防諜だ。しかし、監視を行っている対象は名目とは異なっている。治夏が入念に監視をしているのは、第一高校の生徒たちであった。

 

魔法という特別な力を扱えるという自信がそうさせてしまうのだろうか。魔法科高校の生徒の中には自己肯定が強い人間が多い傾向がある。そこを突けば、第一高校の生徒の中に内通者を作ることは難しいことではない。

 

実際、春先には壬生紗耶香がブランシュの手先にされた。そして、治夏も森崎の自信を一度は完膚なきまでに圧し折った後で、新たな道を与えることで自らの手駒とした。今回も同じことが行われないと考える方が危うい。

 

加えて、式神たちの行っている諜報活動には治夏の第二の目的を果たすためのものも含まれている。それが今回の副次的な目的である、校内で使用されている数々の魔法の解析である。

 

治夏が第一高校に入学したのは、宮芝の魔法を発展させるため。理論より実践を重視する治夏であるが、理論に興味がないわけではない。少しの情報も漏らさず、自らはしっかりと情報を得る。そのために万端の態勢を整えていた治夏を出し抜くのは容易ではない。

 

「うん?」

 

警戒中の治夏が見つけたのは一人の女生徒。その手にあるのはパスワードブレーカーと呼ばれる携帯端末だった。パスワードブレーカーは、その名の通り認証システムを無効化して情報ファイルを盗み出す機械だ。その用途は犯罪目的以外ありえない。

 

二科生の治夏だが、自らの体の落下の勢いを殺すことくらいなら問題なく行える。屋上から軽やかに飛び降りると、パスワードブレーカーを持っていた女生徒を追う。

 

芝生の敷き詰められた中庭で、治夏は女生徒に追いついた。そのとき女生徒は壬生紗耶香と対峙していた。どうやら壬生も彼女の持っていた物に気づいて追いかけていたようだ。

 

二人とも視線は相手に固定されている。これなら認識を偽ることは容易い。治夏は得意の認識阻害魔法を使用した上で茂みの陰から様子を窺う。

 

「マフィアやテロリストが利用する相手のことを考えていないなんて当然じゃないですか。先輩はそんなことも分からずに手を組んでいたんですか? 失礼とは思いますけど、先輩は随分と子供だったんですね」

 

なんとか思いとどまるように説得する壬生を女生徒は嘲笑う。その内容は、治夏としては到底、容認できるものではなかった。

 

「自棄になったって、何も手に入らないし、何も残らないのよ!?」

 

「先輩には分かりませんよ。あたしは別に、何かが欲しくてアイツらと手を組んだんじゃないんですから」

 

拒絶の声を聴きながら、治夏はこっそりと女子生徒の背後に忍び寄る。

 

「愚かな娘だな」

 

言いながら、背から刃を貫通させる。いつぞやのように幻術ではなく、実体の刃だ。

 

「え?」

 

女子生徒が呆けたような声で自らの腹より突き出た刃を見下ろす。

 

「どうした? お前はテロリストを支援した。それは自分の目的のためなら他人がどれだけ死のうとも構わないと言ったも同然だ。それなのに、まさか自分は傷つけられないなどと思っていたわけではあるまいな」

 

「あ……うっ……」

 

「急所は外している。貴様にはまだ聞きたいことがあるからな。とりあえずは保健室へと行くとしようか」

 

「ちょっと、和泉!」

 

声の方を向くと、千葉エリカ、西城レオンハルト、二年生の桐原武明がいた。声を発したのは、エリカだ。

 

「どうしたかな、エリカ君」

 

「……その子を、どうするつもり?」

 

「とりあえずは保健室に連れて行くよ。とりあえずはね」

 

「その後は?」

 

「尋問の後で決めることになるが、まあ死に方が変わるくらいかな」

 

あっさりと言った治夏に壬生が目を剥いた。

 

「彼女は利用されているだけなのよ!」

 

「彼女の答えをよく思い出すがいい。果たして、そうだったか?」

 

単に利用されただけか否か、壬生の中でも答えは否であるという印象程度は持っていたのだろう。唇を噛むと切り口を変えてくる。

 

「でも、殺すなんて、貴女にそんな権利があるって言うの!」

 

「では君はどんな権利があって、彼女を見逃したせいで誰かが命を落とすという結果を容認するというのかね」

 

「でも、絶対にそうなると決まったわけじゃない」

 

「そうならないという保証もないだろう。君は彼女が手を貸したことで命を落とした誰かの遺族の前で、同じことを言えるのか?」

 

納得をしたわけではないだろうが、治夏の決意を翻すこともできないと悟ったのだろう。壬生から、それ以上の反論はなかった。

 

「とりあえず、早く保健室に行った方がいいわね。レオ、背負いなさい」

 

「お……おう」

 

エリカに言われ、レオが女子生徒を背負う。その女子生徒はというと、さっきまでの威勢はどこに行ったのか、されるがままだ。

 

現時点での治夏の女子生徒の評価は、考えなしに行動する完全な小者。後はどう役立ってもらうか、というレベルだ。要は生かして使う方が有益という事情がなければ、殺害するのが既定路線だ。

 

「さて、彼女の運命はどうなるのかな」

 

「おい、宮芝。お前のその考えはどうにかならないのか?」

 

かつては壬生も殺害しようと考えていたことに加え、先ほども対立していたこともあり、桐原が治夏に向ける視線は剣呑だ。

 

「どうにもならないな。それに例の一件を知っている君だからこそ、身勝手な考えは僅かの運命の悪戯で多数の人間を死に追いやることになると知っているのではないか?」

 

「だとしても……」

 

「春の一件、敵の狙いが情報の盗取でなくテロ行為であったら、どれだけの生徒の命が奪われることになったと思う? あのとき講堂にいた中に、通信機と偽って爆弾を持たされた者が混じっていた場合は?」

 

生徒会長の挨拶に熱狂する講堂の中で爆発が起きた場合。突入した敵が無差別に銃を乱射した場合。多くの生徒がCADを持たない中では、一体どれだけの被害となるかは想像もできない。

 

結局はリスクを承知で利用された者の更生を試みるか、リスクを避けるために利用された者を切り捨てるかの決断に常に正しい答えはない。更生が叶えば最善だろうが、叶わず多くの生徒が亡くなった場合に責任を取れる者などいないのだ。

 

桐原も納得はできないようだが、治夏を翻意させる方法はないと悟ったようだ。そこから先は何も言わず、五人は背負われた女子生徒と共に保健室へと歩いた。



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横浜騒乱編 聴取

一旦は保険医の安宿怜美に女生徒を任せ、治療が終わるのを待った宮芝和泉守治夏は女生徒の尋問を開始する。といっても、実際に質問するのは風紀委員長の千代田花音と生徒会会計の五十里啓だ。これは学校施設内で起こった事件であるという理由で学校側に条件として出され、治夏がしぶしぶ飲んだものだ。

 

「一昨日は大丈夫だった?」

 

ベッドに座らされた女子生徒に対して千代田は開口一番、そう問いかけた。女生徒が目を見開き、慌てて顔を隠すように俯く。その態度で話には聞いていた、達也たちを監視していたという第一高校生は彼女であると分かった。

 

「一昨日といい今日といい、無茶するわね。一歩間違えば自分が大怪我してるわよ」

 

「風紀長、語り出す前に彼女の所属と姓名を教えてくれるかな」

 

「所属と姓名って……まあ、いいか。彼女は一年G組の平河千秋さん」

 

「そうか」

 

ここまでくれば平河の素性を調べるのは難しくない。聞いたのは、ほんの少しでも手間を省略できるという思いからだ。

 

「そうかって……、話を戻すわね。あたしは貴女の行為が、このままエスカレートするのを止めなくちゃならない。さっき壬生さんに、何かが欲しいわけじゃない、って言ったらしいわね。じゃあ何でデータを盗み出そうなんて考えたの?」

 

「……データを盗み出すことが目的じゃありません。あたしの目的は、プレゼン用の魔法装置プログラムを書き換えて使えなくすることです、パスワードブレーカーはその為に借りたものです」

 

「パスワードブレーカーでプログラムを書き換えて、装置を暴走させて司波達也を、たまたまその周囲にいた不幸な者たちを諸共、爆殺するためじゃないのか?」

 

「違います! そんな恐ろしいことは考えていません」

 

「マフィアやテロリストが利用する相手のことを考えない。確か君が言った言葉だな。どうして貸し与えられたパスワードブレーカーが、君の期待した通りの性能しか発揮しないなどと考えられる?」

 

考えてもみなかった可能性を示され、平河が絶句する。続いて、証拠品として五十里が持っているパスワードブレーカーに視線が向いた。

 

「ねえ、何でそんなことをしたの?」

 

「だって、アイツばっかりいい目を見るなんて許せないんだもの……!」

 

そう言うと、平河はベッドの上で嗚咽を漏らし始めた。

 

「平河千秋くん……君は、平河小春先輩の妹さんだね?」

 

五十里の問いかけに、俯き、嗚咽に震えていた平河の肩が別の意味でビクッと震えた。

 

「平河小春?」

 

「九校戦のエンジニアチームの一人で、ミラージ・バットで事故に遭った小早川先輩の担当だった」

 

「そうか」

 

選手に比べてエンジニアチームは治夏の関心が薄かった。教えられても平河小春の顔は思い浮かばなかった。

 

「お姉さんがああなっちゃったのは、司波君の所為だと思ってる?」

 

「……だってそうじゃないですか」

 

五十里の問いを受けて、平河の口から呪詛が響く。

 

「アイツには小早川先輩の事故を防げたのに、そうしなかった。アイツは小早川先輩を見殺しにして、その所為で姉さんは責任を感じて……」

 

「もしあの事故について司波君に責任があるというなら、僕も同罪だ。僕はあの仕掛けに気づかなかったんだから。僕も含めた技術スタッフ全員が同罪だよ。司波君だけの……」

 

「くだらんな」

 

あまりにもくだらない言い分に、五十里の言葉を切って治夏は断じる。

 

「何がくだらないって言うんですか?」

 

「小早川の事故を防げたとして、なぜ防がねばならないと思う?」

 

「事故が防げるなら、防ぐのが当たり前じゃないですか」

 

「それが思い違いだと言っている。事故を防ぐも防がぬも自由。どうしても防ぎたいなら、誰かを頼らず、己で防げ」

 

「やっぱり、そうなんですね。あの人の言った通りだ。やっぱりアイツは、自分には、妹には関係がないからって手を出さなかったんだ」

 

メール等で存在しか知らない相手と、実際に顔を知っている相手。両者を呼称するとき、人の表情は微妙に異なるものだ。平河が、あの人、というときの様子から、治夏は平河が相手の顔を知っていることを確信する。

 

「あんなに何でもできるクセに自分からは何もしようとしない……きっとそうして、無能な他人を嗤ってるんだわ」

 

どうやら平河は当初は達也に対して憧れに近い感情を抱いていたようだ。一方的な憧憬から裏切られたと思い、憎悪を滾らせた。もっとも、治夏としては過程には興味ない。重要なのは現状のみ。

 

「本当は魔法だって自由に使えるクセに、わざと手を抜いて二科生になって、一科生も二科生も手当たり次第に他人のプライドを踏み躙ってほくそ笑んでるに違いない……」

 

「くだらんな」

 

治夏は二度目となる言葉を冷たく言い放つ。

 

「もしも他人のプライドを踏み躙るなどという、自分にとって一文の得にもならぬ行為に力を注ぐような俗物であれば、それこそ気に留める価値もない」

 

「じゃあ、何でアイツは二科生なんかに……」

 

「逆に問おう。彼にとって一科生となることに何のメリットがある?」

 

問われた平河はすぐに答えを出せないようだった。

 

「なんでもできるのであれば、誰かに指導を仰ぐ必要もない。逆に自分のやり方に下手に手出しをしてほしくないと考えても当然ではないのか?」

 

「じゃあ何でそもそも魔法科高校に……」

 

「彼にとって重要なのは図書館に入館する権利だろう。それさえあれば、指導などなくとも、個人で勝手に成果を生み出せるという自信があったのだろう」

 

あまりにも身勝手な達也の行動理論に、平河は絶句しているようだ。五十里が首を捻っているのが見えたが、今は無視だ。

 

「ようやく理解したか。そもそも彼にとっては君も、君の姉も、小早川も全ては路傍の石のようなもの。薄汚れた石が転がっていたとして、どうして磨いてくれなかったんだと責めているようなものだ」

 

「そんなの……あまりにも……」

 

「ハイハイ、そこまで」

 

治夏と平河を遮ったのは、保険医の安宿だった。

 

「ドクターストップよ。続きは明日にしてちょうだい」

 

「安宿先生……」

 

「彼女の身柄は一晩、大学付属の病院で預かります。親御さんには私の方から連絡しておくから、二人とも準備に戻りなさいな。もう日がないのでしょう?」

 

千代田は何か反論を考えていたようだったが、五十里に制止され、保健室を出ていく。治夏もその後に続いた。

 

「ねえ、宮芝さん。司波君はそんな人じゃないと思うんだけど」

 

保健室を出たところで、五十里が治夏の先の発言に反論をしてきた。

 

「けれど、説明としては筋が通っていただろう?」

 

「ということは、本気で司波君がそういう人だとは思っているわけじゃないってこと?」

 

「まあ、中らずと雖も遠からず、だとは思うがね」

 

「じゃあ、どうして平河さんにあんなことを言ったのよ」

 

今度の質問は千代田からだ。

 

「真意を伝えることが難しいから近いところで妥協した、ただそれだけだよ」

 

死ぬ前に少しでも正しい情報を与えるのも慈悲だ。そして、もう一つ。もしも司波達也に一泡吹かせるためと頼るのが治夏なのであれば、そして、例えば司波達也のストーカーのような形でも何でも、駒として役立つようであれば、生かしてもよいと思ったためだ。

 

「真に利己的というのは、私みたいな存在を言うのかな」

 

二人に聞こえないよう、治夏は心の中で呟いた。




先週末に飛ばした分を臨時投稿


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横浜騒乱編 二人目の反逆者

論文コンペまで一週間後に控えた日曜日、司波達也はロボット研究部のガレージで論文コンペ用の起動式のデバッグを行っていた。市原鈴音と五十里啓は完成済の大道具の作動テストを行っていて、今日のデバッグ作業は達也一人で行うことになっている。

 

「お帰りなさいませ」

 

ガレージにいる「人間」は達也一人だが、達也の入室から一拍遅れて出迎えた「人影」があった。

 

黒を基調とした膝下十センチのバルーンスリーブワンピースにフリルのついた淡い水色のエプロン。白のストッキングに黒のローファー。頭にはこれまたフリルのついたホワイトブリム。

 

出迎えた「少女」は人型家事手伝いロボットだ。ロボ研では型番を縮めて「ピクシー」と呼ばれている。

 

「ピクシー、サスペンドモードで待機」

 

ピクシーが達也の座ったコンソールデスクのサイドテーブルにコーヒーを置くのを待ち、命じる。

 

達也がピクシーを遠ざけた理由は二つ。一つはロボットと分かっていても、人間そっくりに作られている物が背後に立っていると落ち着かないため。そして、もう一つがピクシーの管理には宮芝家が関与しているためだ。本来は白色で会ったエプロンを水色にしたのも彼らの手によるものだ。

 

「かしこまりました」

 

ピクシーは機械であることを感じさせない滑らかな動作で一礼して、入り口脇の椅子へ向かった。

 

腰を下ろし、背筋をピンと伸ばす。そして、そのまま微動だにしなくなった。

 

グルッと首を回して、達也はキーボードに指を置いた。

 

軽快な打鍵音が奏でられ始める。

 

達也の魔法開発効率が異常に高いのは、エレメンタルサイトという情報体を視る眼を保有しているためだ。この「眼」で魔法式の動作情報を直接観察しながらチェックを進める。

 

作業開始から、およそ一時間が経過した。

 

ふと、達也は身体に不調を感じた。

 

突然睡魔が襲ってきたのだ。

 

深呼吸をしてみると、眠気がなおさら強くなった。

 

それなりの訓練を受けた者なら、肉体的な睡眠欲求を意思の力でコントロールすることは可能だ。何日も徹夜続き、というような状況なら話は別だが、達也はそんな不規則な生活をした覚えはない。

 

脳裏を危険信号が貫いた。自分の体調不良は明らかに、不自然に、異常だ。

 

達也の持つ自己修復能力が活動を開始。体が瞬時に「眠気に囚われる前の状態」に戻る。

 

しかし、まだ問題は解決していない。

 

先程ピクシーが淹れたコーヒーに有害な薬物が含まれていないことは、エレメンタルサイトで確認済だ。だから、薬物を盛られたとしたら、ガス。

 

室内の情報にアクセスして、毒性が低く持続時間も短い代わりに即効性が高い睡眠ガスが部屋の空気中に混入していることが判明した。

 

校内の至る所で魔法を観測する機器が稼働している今の状況では、秘密にしなければならない魔法がばれないように睡眠ガスを無害化することは、達也の技術では不可能だ。

 

とにかく息を止めて計算機をロックして立ち上がり、達也は出入口へと振り返った。

 

だが、その前に華奢な人影が立ち塞がる。

 

「空調システムに・異常が・発生しました。マスクを・お使いください」

 

ピクシーの名を持つ少女型ロボットは簡易防毒マスクを差し出してきていた。

 

受け取った達也が素直にマスクをつけると、今度は目を閉じるよう言ってくる。

 

「角膜が・汚染される・おそれがあります。手を引いて・外へ・誘導します」

 

「ピクシー、強制換気装置を作動。避難時の二次災害を警戒し、俺はここに留まる。監視モードで待機。救助のための入室に備え、排除行動は禁止する」

 

達也がわざわざ排除行動を禁止と明言したのは、今のピクシーには火器を内蔵し、防衛戦闘を行えるようにする違法改造が行われているためだ。無論、やったのは和泉であり、宮芝家から出張してきた技術者たちだ。

 

「二次災害回避を・合理的と・認めます。強制換気装置を・作動させます」

 

通常の空調システムとは別系統で設置されている災害時対応の強制換気システムが作動を始めた。

 

達也は睡眠ガスが排出されるのを待ち、端末の前に座り直すと、マスクを外す。眠っているはずの達也の様子を見に来るであろう人物を驚かせないようにするためだ。

 

待ち人は、すぐにやって来た。

 

「司波?」

 

聞き覚えのある上級生の声。

 

「司波、眠っているのか?」

 

もう一度達也に声を掛け応えが無いことを確認して、侵入者は何かを探す素振りを見せた。しかしすぐに、侵入者の視線はデモ機に固定された。

 

達也が薄目を開けて見ているとも知らず、監視モードのピクシーに映像を記録されているとも知らず、侵入者はサブモニター用のコネクターからハッキングツールを使って起動式のデータを吸い上げようと悪戦苦闘していた。

 

その背中に、最大威力からは加減されたエア・ブリッドが命中する。侵入者は耐えきれず、頭をモニターにぶつけていた。

 

「ハッキングツールか。産学スパイの現行犯だな」

 

その言葉と共に侵入者の背中に日本刀が突きだされる。

 

「がああっ」

 

「煩い、黙れ!」

 

殴打する音が聞こえ、侵入者の声が聞こえなくなる。

 

「司波達也、起きているのだろう?」

 

そう呼びかけられ、達也は目を開けて椅子から立ち上がった。

 

「相変わらず容赦がないな。ところで、ちゃんと急所は外しているんだろうな?」

 

「無論だ。このような小者の命を奪って大切な情報源を失ったのでは、和泉守様に申し訳が立たぬ」

 

侵入者の後から入ってきていた人物。それは風紀委員の森崎駿だ。

 

達也の手によりピクシーに施された設定により、この部屋内での有事の際には、森崎に連絡がいくようになっていた。そのように設定をすることを受け入れたのは、遺憾ながら森崎が非常に優秀なためだ。

 

森崎は元から魔法実技で成績上位の優等生だった。ただし、魔法力の高さが魔法に対するプライドの高さに繋がってしまい。何でも魔法力を中心に考える視野狭窄に陥っていた。

 

しかし、宮芝の指導を受けてからの森崎は魔法を自らの手札の一つにまで割り切るようになった。その結果、実弾の入った拳銃と拳銃型のCADの二丁拳銃という魔法師としてはかなり特殊な戦い方も行うようになった。加えて刀を持ち歩くようになり、魔法で身体能力を高めた上での剣戟での近接戦闘を行える。

 

また、思い切りのよさも敵と対峙した場合には頼もしい。先ほども怪しいというだけで、まずは弱めの魔法を放った。そうして反撃能力を低下させつつ、接近して本当に敵か確認するという方法を取った。仮に敵でなかった場合は問題となりそうだが、それよりも反撃を許す方が危ないと判断したのだ。

 

「ともかくは、こやつの治療を行うか」

 

森崎の足元で蹲るのは風紀委員に所属している関本勲だった。同僚ともいえる関本に対して、森崎の送る視線は冷たい。その目は関本がすでに仲間でも何でもなく、単なる尋問対象であると雄弁に語っていた。

 

「学校内だ。あまり無茶はやるなよ」

 

「無論、和泉守様にご迷惑をおかけするようなことはせぬ」

 

夏の富士での宮芝の行いを踏まえて行った忠告に、森崎は自信を持った様子で頷く。その様子から、達也は森崎が富士で行われた虐殺を知っていると悟った。

 

森崎が関本の襟首をつかみ、引きずっていく。そこには死にさえしなければ痛かろうと、どうでもいいという思いが見て取れた。

 

かつての森崎は視野の狭かったが、自分勝手ではあれども正義感のようなものも持っているように感じた。戦闘能力が高まった分、そうした部分も失ってしまったようだ。

 

正直に言って、達也にとってかつての森崎は、最初の印象は最悪。二度目も無意味に敵対的な態度を取る嫌な相手だった。けれど、良くも悪くも真っ直ぐな部分を失ったことについては少しだけ惜しく感じた。



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横浜騒乱編 大亜連合のエース

平河千秋が入院した国立魔法大学付属立川病院。

 

その病室の一室の前に、大亜連合軍の特殊部隊に所属する呂剛虎は立っていた。目的は言うまでもなく、平河千秋の抹殺である。

 

しかし、いざ戸を開けようとした直前に、突如として警報が鳴り響いた。呂は気にすることなく病室のノブに手を掛け引っ張る。しかし、ドアには鍵が掛かっており、開かない。

 

呂の常識では、警報といえば火災警報であり、鳴れば逃げる妨げとならないよう鍵は解放されるはずであった。しかし、ドアのロックが解除される気配はない。

 

元々、呂は鍵を壊して入室するつもりであった。速やかにドアを破る決心をし直した呂は、ドアノブを派手な音をさせながら引き抜く。

 

「何者だ!?」

 

その直後、呂に対して誰何の声が掛けられた。呂が声の方を向くと、そこには一人の青年がいた。どうやら、警報を聞いて駆けつけてきたようだ。

 

「人喰い虎……呂剛虎! 何故ここに!?」

 

呂が答えるまでもなく、相手は呂の名を言い当ててきた。同様に、呂も青年の顔が知ったものであることに気づいていた。

 

「幻刀鬼、千葉修次」

 

青年は、近接魔法剣技の権威として知られる千葉家で、天才剣士の名をほしいままにしている男。それは大亜連合でエースと呼ばれている呂であっても最大の警戒をもって当たらねばならない相手だった。

 

すでに病室の扉は破壊してある。中に入って小娘を殺すことなど、一秒とかからず実行できるはず。それで任務は達成だ。だが、この男を前に一秒もの間、意識を逸らすのは危険すぎる行いだ。呂は全神経を千葉に向ける。

 

千葉が懐から二十センチほどの棒を取り出す。そのまま流れるような動作で棒の先端近くのボタンを押すと、刃渡り十五センチほどの刃が飛び出してくる。

 

小さな刃を恐れることなく、呂は無手のまま千葉に突進する。

 

二人の距離が太刀の間合いに入った瞬間、千葉が右手を振り下ろした。

 

本来なら短刀は届かない距離だ。であるにも関わらず、呂は頭上に左手をかざす。

 

短い刃の延長線とかざした左手の交差点で重い音が鳴る。

 

千葉が使ったのは加重系魔法「圧斬り」。細い棒や針金に沿って極細の斥力場を作り出し接触した物を分割する近接術式だ。

 

一方、それを受けた呂の技は硬気功の発展形である鋼気功。気功術を元にして皮膚の上に鋼よりも硬い鎧を展開する魔法に発展させたものだ。

 

千葉は自らの魔法を無効化することで右手を腰下まで振り下ろすと、今度は素早く斜めに切り上げてきた。見えざる斬撃を受け止めるべく、呂は鋼気功を展開した右手を右脇下に叩きつける。しかし、その右手は何の抵抗も受けることはなかった。斥力の刃は兆候のみでキャンセルされたようだった。

 

来るはずの斬撃に備えた呂の身体は、斥力の刃が幻となった為に右へと流れた。そこを逃さず千葉がすかさず袈裟切りの「圧斬り」を放ち、見えざる刃が呂の右首横を目掛けて打ち込まれる。

 

重い音が鳴ったが、血飛沫は舞わなかった。呂は身体を捻って千葉の斬撃を正面から受け止めていた。仰向けになり、背中から落ちた呂は、そのまま背中を軸に回転して千葉に蹴りを放つ。千葉が後ろに跳んで躱す間に、すかさず立ち上がる。

 

間合いの読み合いになれば千葉に分があることは今の激突で明らかになった。起き上がるや否や、呂は大きく踏み込んで間合いを詰めようとした。

 

「おや、呂剛虎とは、随分と大物が釣れたものだ」

 

その瞬間、すぐ傍から女の声が聞こえてきた。思わず視線を向けると、いつの間にか病室の戸が開いている。そして、入口付近には小柄な女が立っていた。女は水色の妙な衣服を身に纏い、右手には刀、左手には拳銃が握られていた。

 

抹殺対象の少女も小柄だったはずだが、病室前に立つ女の容貌は呂が聞いていたものとは異なっている。それに、その纏う雰囲気もただの高校生ではない。

 

女が左手の拳銃を呂に向ける。そうして徐に口を開いた。

 

「いいのかい? 余所見をしていて」

 

瞬間、誰と対峙していたのかを思い出した呂は反射的に頭部を守る態勢を取る。しかし、千葉もさるもの。頭部を守ったと見るや、すかさず無防備な脇腹へと刃を突き出してきた。呂がその攻撃で致命傷を避けられたのは幸運だった。身体を思い切り捻った結果、内臓深くまで刺し込まれることを回避できたが、なぜ身体を捻ったのかと問われれば、なんとなく嫌な予感がした、としか言いようがない。

 

ともかく、優位に立っている身体能力を生かして大きく後ろに跳ぶことで千葉から距離を取る。先ほどは千葉の技の優位性を消すために敢えて強硬な攻撃に出たが、状況の把握できていない今の状態でそれを行うほど、呂は愚かではない。

 

「距離を取れば安全だと思うのは、早計だぞ」

 

そんな呂の行動を、女は嘲笑していた。そして、その意味はすぐに分かった。

 

天井から粘性の高い液体が落ちてくる。その液体は魔法で操られているのか、呂の顔へと纏わりついてくる。

 

「君の防御能力は非常に高い。だが、攻撃以外の手段ではどうかな?」

 

女が言った瞬間、呂の顔に纏わりついていた液体が炎を上げた。炎自体は呂の鋼気功に守られた肉体を焼くには足りない。しかし、肉体は焼かれずとも鼻と口の上で上がった炎は呂の呼吸を許してくれない。

 

慌てて液体を取ろうとしたが、顔に張り付いた液体は妙な伸縮性を持っており、引きはがすことができない。ただでさえ千葉修次という強敵との戦闘中なのだ。すぐに呼吸を確保できなければ、敗北は必至。

 

覚悟を決めた呂は自らの顔へと手を掛ける。そして、皮に爪を立てる。

 

「グオオオオッ!」

 

一瞬だけ顔面の剛気功を解き、その間に液体を自らの表皮ごと引きはがす。

 

「ほう、随分と思い切りがいいな」

 

女の声には耳を貸さず、再び後方に大きく跳ぶ。視界の端では呂の身体から離れた皮膚が燃え尽きたのが見える。千葉が目の前に迫っていないことを確認し、呼吸できなかった分を補うように大きく息を吸い込んだ。

 

今のところ、女がどのような方法を使って呂に攻撃を仕掛けてきたのかが全く掴めていない。加えて女の横には千葉がおり、呂は脇腹に浅くない傷を負い、皮膚をはいだ顔は全体が鈍い痛みを訴えている。戦況は圧倒的に不利だ。

 

ちらと見えた病室の中に平河千秋はいないようだった。ということは、呂は完全に罠に嵌められたと考えるべきだろう。

 

もはや、これ以上の継戦は無意味だ。そう考えた呂はすぐ横にある階段へと身を投げた。

 

「千葉の麒麟児、追撃は無用だよ」

 

上からはなぜか呂の逃走を助けるような声を発していたが、今の呂にはその真意を推測するような余裕はなかった。



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横浜騒乱編 病室の治夏

その日、宮芝和泉守治夏は国立魔法大学付属立川病院の四階の一室にいた。

 

本来、この部屋にいるのは平河千秋である。しかし、敵の口封じを警戒した治夏は別に三階の一室を用意し、そこに平河千秋を移していた。無論、幻術を多用して病院の皆には治夏のことを平河千秋という名であると誤認させている。

 

部屋には多数の罠を仕掛けて迎撃の準備は万全。後は敵がやってくればよし。やってこなかったとしても、たいして損はない。

 

そのまま室内で書類仕事をしながら一日を過ごし、午後四時過ぎ。突如として病院内に警報が鳴り響いた。それは、暴力行為対策警報。暴力行為、犯罪行為に第三者が巻き込まれない為の警報であると同時に、治安回復の為の協力者を募る合図だった。

 

「全く、どこの馬鹿だ」

 

誰も聞いていないのをいいことに口汚く罵りながら、無関係の者が巻き込まれるのを防ぐために扉に設置していた罠を解除する。せっかく設置したことを考えると惜しい気もするが、部屋の中の罠だけでも十分に敵に対処することは可能だ。失ったとしても、特別に問題は発生しない。

 

治夏が扉の罠を解除してすぐ、病室のドアノブが引き抜かれた。敵が室内に入ってくるまでには、まだ時間があるだろうが、用意はしておくに越したことはない。呪符を両手に三枚ずつ持ち、室内の六つの罠を起動状態で待機させる。しかし、とっておきの罠が敵を屠ることはなかった。

 

「人喰い虎……呂剛虎! 何故ここに!?」

 

「幻刀鬼、千葉修次」

 

外で二人の男の声が聞こえた。どうやら襲撃者は大亜連合のエース、呂剛虎らしい。

 

「これは思った以上に大物が釣れたものだが……面倒だな」

 

言いながら、気配隠蔽を行い、扉の隣の壁から生えているノブに手をかける。その瞬間、幻術が解除されて扉は壁に、隣の壁は扉へと変わる。

 

もしも介入してきたのが、たいした実力のない者であったなら、治夏は有利な病室内から動かなかっただろう。しかし、千葉修次といえば日本でも有数の近接魔法師だったはずだ。こんなつまらぬ戦いで命を落としてよい存在ではない。

 

本来の病室の扉を開けると、千葉が攻撃を仕掛け、呂が体を捻って回避しているところであった。緊迫した戦闘だ。それだけに介入は容易だ。

 

「おや、呂剛虎とは、随分と大物が釣れたものだ」

 

言葉を発しながら、呂に対して魔法を放つ。治夏が放ったのは、言伝という魔法。周囲に聞かれないように特定の相手にだけ秘密の言葉を伝える魔法だ。この魔法に攻撃力は皆無である。だが、普通に耳から聞くのとは違う聞こえ方をするため、唐突に使用すれば相手を戸惑わせることができる。今回の治夏は、その狙いで魔法を使用した。

 

期待した通り、呂は思わずといった様子で治夏の方を向いた。そして、治夏が拳銃を向けるのに合わせて、千葉に向けていた警戒を外してしまった。

 

「いいのかい? 余所見をしていて」

 

治夏に言われて慌てて千葉に視線を戻すが、もう遅い。千葉は呂の守りを抜いて、手傷を負わせた。呂の闘志は少々の傷では衰えた様子はない。傷をものともせずに高い身体能力を生かした後方への跳躍で千葉から距離を取る。

 

「距離を取れば安全だと思うのは、早計だぞ」

 

忠告に対し、呂の警戒が治夏に向く。しかし、それこそが悪手。罠を張って待ち構えている宮芝が、単独行動を取るはずがない。呂が行うべきは周囲への警戒だった。

 

村山右京の幻術により隠蔽されていたが、病院の四階廊下の、さして高くない天井の上には一面に、どす黒い油のような液体が付着している。それは郷田飛騨守が魔法『黒油』で作り出した、極めて粘性と可燃性の高い液体だった。

 

それが天井からはがれ、呂の顔へと付着する。呂は慌ててはがそうとするが、『黒油』の粘着性は高く、容易には引きはがせない。

 

「君の防御能力は非常に高い。だが、攻撃以外の手段ではどうかな?」

 

治夏の言葉に呼応して皆川掃部が『種火』の魔法を放つ。この魔法は極めて発動が早い代わりに威力はほとんどない。せいぜい燃えやすいものに種火をつける程度。しかし、元より高い可燃性を持つものに向けた場合であれば、その限りではない。

 

『種火』は『黒油』に火を点けて一気に燃え上がらせる。さすがに音に聞こえし呂剛虎というべきか、それでも痛手とはなっていないようだが、顔の周囲で容赦なく燃え上がる炎は呂の肺に酸素を送り込むことを許さない。

 

このままでは徐々に体の自由が利かなくなる。それに対する呂の対応策は、付着した顔の皮膚ごと『黒油』をはがすという方法だった。

 

「ほう、随分と思い切りがいいな」

 

少しは感心したが、予想外という方法でも、予定外の流れというわけでもない。『黒油』と『種火』はセットで使えばなかなか強力だが、それでも特別に強い魔法ではない。実力者であれば何らかの方法で破ってくることは想定済だ。

 

しかし、しばらく呼吸を止められたのは確か。ならば次の敵の手は、酸素の補給。それは頭で考えての方法ではなく、生物であれば当然の息を吸うという行動。それに合わせて山中図書が魔法を放つ。

 

極限状態での戦闘の最中のこと。呂は図書の魔法に気づくことなく、階段から飛び降り、そのまま撤退を図る。

 

「千葉の麒麟児、追撃は無用だよ」

 

当初、千葉は不審そうな顔をしていた。しかし、治夏の自信に満ちた表情と、音もなく集まってきた飛騨や右京、掃部などの姿を見て、これまでを含め、呂の行動は治夏の掌中と感じたのだろう。素直に追走を諦めてくれた。

 

その後、遅れて現れた渡辺摩利から平河千秋の行方などを追及されたが、呂の追跡を理由にして、その場を離脱。治夏は三階に用意していた平河の部屋に逃げ込んだ。

 

「やあ、平河千秋。気分はどうだ?」

 

「宮芝さん……!」

 

治夏の姿を認めると、平河はベッドから転がるように下り、額を床に押し付ける。

 

「あたしはどうなっても構いません。だから、どうか姉さんだけは!」

 

平河がこのような態度に出ているのは、入院中に九校戦の折に海外マフィアに協力した真鍋の一族の末路を、分かりやすいように映像で見せたためだ。国を裏切った者には、三族までの粛清で応じる。その方針に沿えば誰が真鍋の妻のような目に遭うか。平河はすぐに理解したようだった。ピンとこないようなら幻術で自らの姉が穢される姿をはっきりと見せようと思っていたが、その必要すらなく、平河は完全服従した。

 

いくら後悔しようと、犯した罪はなくならない。先ほどまでは、それでも平河を殺害しようと考えていた。しかし、少しばかり状況が変わった。

 

大亜連合は平河を殺害するために呂剛虎という大物を投入してきた。どうやら、あちらは治夏が思っていたよりも遥かに平河を重要視していたようだ。そうと分かれば、自らの手で殺してしまうのは惜しい。

 

人が人を殺そうとすれば、どうしても痕跡を残してしまう。つまりは平河を大亜連合に殺させれば、日本に侵入している敵性分子の尻尾を掴む機会を得られるということだ。加えて、平河千秋の助命を条件に、平河小春を傘下に加えることもできる。

 

平河小春はわざわざ労を負ってまで傘下に加えたいと思えるほどの有能さではなかったため、重視はしていなかった。だが、ただで手に入るなら飼っておくのも悪くないと思えるくらいには有能でもある。

 

「お前の罪は容易に許されるものではない。だが、敵がお前の命を狙う以上、お前には汚名を雪ぐ機会がある」

 

言いながら平河の目を見る。

 

「これより、お前の身体に呪術を仕込む。もしも、お前を唆した者たちが接触をしてきたら、迷わず術を発動させて自爆しろ。敵が接触をしてこなければ、そのまま日常生活を送っても構わない。だが、もしもが現れたにも関わらずに何も行動をしなかったら……そのときは分かっているな?」

 

平河は覚悟を決めたように頷いた。自らの命で姉が助けられるのならば、惜しくはないと考えているようだ。

 

美しい姉妹愛。それだけに扱いやすくて助かる。

 

「では、いこうか平河千秋。いつまで続くかは私にも分からないが、君の新しい人生の始まりだ」

 

平河を引き連れ、治夏は宮芝家中の呪術に長けた者たちの元へ向かうべく病院の外へと向けて歩き始めた。



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横浜騒乱編 呂剛虎

十月二十五日、司波達也は渡辺摩利、七草真由美とともに八王子特殊鑑別所を訪れていた。目的は、論文コンペの情報の盗取を試みて森崎に拘束された、元風紀委員である関本に面会するためである。

 

達也は真由美と共に中の様子を見ることができる隠し部屋に入り、狭い個室で関本と相対するのは摩利一人である。

 

「余り時間が無いからな。要点だけを聞かせてもらうとしよう」

 

多少の問答の末、言いながら摩利が魔法を発動させる。真由美の話によると摩利が使用したのは、気流を操作して複数の香料を鼻腔の嗅細胞に送り込む魔法ということだった。それにより、心理的抵抗力を低下させる匂いを強制的に知覚させ、自白剤と同じ効果を生み出すことができるらしい。

 

「達也くん、見るのは初めて?」

 

「初めてです。大っぴらに使われてもこちらが困ってしまいますが」

 

真由美と会話しながらも、達也は関本の「自白」を聞き逃してはいなかった。関本の目的は達也自体にもあったのだ。敵は達也の仕事にも興味を持っている。達也が警戒心を新たにしていると、突如として八王子特殊鑑別所内に非常警報が鳴り響いた。

 

摩利は意識が朦朧としたままの関本をベッドに押し倒し、その間に達也と真由美は隠し部屋を出る。

 

「侵入者ですね」

 

天井のメッセージボードを見て達也が言うと、真由美と摩利が同時に上を向いて、達也の発言が事実と確認していた。

 

「何処の命知らずだ……」

 

戦慄混じりの呆れ声で摩利が呟く。一昨日の魔法大学付属病院襲撃事件で西東京一帯は警視庁による特別警戒態勢が敷かれている。この八王子特殊鑑別所は二百パーセントの警戒態勢だ。そこに敢えて突っ込んでくる者は、余程腕に覚えがあるか、あるいは真正の馬鹿。そして、この相手は、おそらく前者。

 

「達也くん、何処から来てるか分かる?」

 

真由美に問われて、達也は端末を操作した。表示された避難経路から逆算して侵入者の現在位置を割り出す。

 

「屋上から侵入したようですね。飛行機から飛び降りたか、カタパルトを使ってジャンプしたか、そんなところでしょう。現在位置は東階段三階付近だと思います」

 

達也の回答を聞いて、真由美が虚空に焦点の合っていない目を向けた。真由美の先天性の知覚魔法「マルチスコープ」をフル稼働させて達也の示した場所を見ているようだ。

 

「さすがね、達也くん。侵入者は四人、ハイパワーライフルで武装しているわ」

 

ハイパワーライフルは対魔法師用の携行武器で、対物防御魔法を撃ち抜く弾速を得る為に通常のアサルトライフルの三倍から四倍の爆発力を発揮する発射薬を使用する。威力が大きい分、高度な製造技術が必要で、そこらのテロリストが手にできる代物ではない。

 

「警備員が階段の踊り場で盾のバリケードを作って応戦してる」

 

「廊下の出入口は隔壁で閉鎖されているようですね」

 

真由美の実況中継に続いて、達也が建物内立体地図の表示を読み取る。三人の現在位置は中央階段寄りの二階。

 

「こちらが本命ですか」

 

その中央階段を達也が鋭く見据え、一拍遅れて摩利が階段の出入口を睨みつけた。二人の様子を見て、真由美も階段へと視線を向ける。

 

三人の視線の先に、大柄な若い男が姿を見せた。身長は達也より頭一つ上の百八十センチ代後半。良く引き締まった身体は鈍重さなど欠片も無く、大型肉食獣のしなやかさを感じさせる。妙に気配が薄いのは青年の技によるものだろうか。視界に映っていてもうっかりすると見過ごしてしまいそうな気配の希薄さだった。

 

男の隠形はかなりの腕前なのだろう。だが、隠形に限定すれば、男よりも一枚も二枚も上手が、この場所にはいた。

 

「ようこそ、呂剛虎。また会えたことを嬉しく思うよ」

 

達也たちの背後から音もなく和泉が姿を現した。そして、和泉の姿を見た瞬間、呂の表情は劇的に変化した。

 

「どうした? ここに私がいることが、そんなにも不思議か? 悪いが、君たちが取りそうな行動など、お見通しということだ」

 

和泉の挑発を受けて、呂がこちらへと歩みだす。それにしても、八王子特殊鑑別所は二百パーセントの厳戒態勢下にあったはずだが、和泉は易々と侵入している。鑑別所の警備体制を呆れればいいのか、和泉の魔法に関心すればよいのか、何とも難しいところだ。

 

「あたしが前に出る。達也くんは真由美のガードを頼む」

 

「おや、前風紀長殿、私には何かないのかい?」

 

「あたしが指示を出さずとも、勝手に動くのだろう?」

 

「その通りだね」

 

和泉に軽口で答え、摩利が達也の前に立つ。確かに摩利は高校三年生にして既に一流とも言える魔法戦闘技能を身につけている。しかし呂剛虎は魔法近接戦闘において「超一流」だ。正面からぶつかるのは余りに分が悪いように思われた。

 

「摩利、気をつけて」

 

だが、真由美が摩利の意見に賛成のようであるため、達也は引き下がることにした。

 

「ただ者でないのは、見ただけでも分かっているさ」

 

前を向いたまま軽く上げられた摩利の左手が、自分のスカートをはたくように後ろから前へ勢い良く振り下ろされ、振り上げられた。普段は形状保持機能に隠されている極薄の生地で作られたサイドの三角プリーツが広がりスカートが大きく捲れ上がる。レギンスに包まれた形の良い足が付け根近くまでが露わになり、太股に巻いたホルスターが露出する。すかさず引き抜かれた得物は、長さ二十センチ程度の短い角棒だった。

 

「前風紀長殿、少々、はしたないぞ」

 

「……今は、それどころではないだろう」

 

摩利の言う通り、呂剛虎はわずかに前傾姿勢を取り両手を身体の前に垂らす。指を軽く曲げ、今にも跳び掛からん勢いが呂の身体に満たされる。

 

火蓋を切ったのは摩利でも呂でもなく、真由美だった。

 

左右の壁と天井に靄のような物が浮かんだと見えた瞬間、無数の白い弾丸が呂を目掛けて降り注ぐ。すかさず呂が前へダッシュしたにも関わらず、ドライアイスの弾丸は半数が呂の身体を捉えていた。

 

しかし、呂にダメージは無い。体を覆う剛気功の鎧がドライアイスの弾を弾き返していた。そのまま呂は摩利へと襲い掛かる。それを摩利は角棒から伸ばした刃で迎え撃った。

 

鈍い金属音がして、摩利の打ち込みは呂の右手に阻まれる。しかし、その直後、呂が顔を仰け反らせた。呂の前を通過したのは、摩利の得物から伸びた細いワイヤーと二枚の短冊だ。摩利の小型剣は三節構造となっていたのだ。

 

直後、呂は大きく後方に跳んだ。その直感に誤りはなく、真由美の第二射が直前まで呂がいた床と壁に無数の傷跡を刻む。けれど、それで終わりではない。呂の着地直後を狙って和泉が鋼の縄を丸めた玉を投げつけていた。

 

「四条縄手」

 

和泉が呟くと同時に鋼の玉は空中で解け、踊るように四本に別れた。別れた縄は呂の身体を拘束しようとする。それを見た呂は、自らの力で縄を引き千切ろうとした。呂ほどの術士であれば、いかな鋼の縄であろうと、それは十分に可能と思えた。しかし、呂は縄を千切ることができなかった。

 

呂が力を込めようとすると、縄はまるで意思を持っているかのように自ら拘束を緩め、たわんでしまう。それでいて、腕に力を込めれば足、足に力を込めれば首と呂の狙いと異なる部位を締めようとしてくる。ひゅるん、ひゅるん、と風切り音を響かせながらしなる四本の縄は、呂の足を完全に止めていた。

 

ここにきて、呂も覚悟を決めたようだ。隠形を切って眼前の敵の突破に全魔法力を注ぐ。

 

呂の全身を覆って何層もの想子情報体が構築された。それが対物障壁魔法と同じ性質を持つ情報体であることが達也には解った。今までは高密度の想子を皮膚上に流すことで皮膚の構造情報を強化しているのと同じ効果を出していた。それが、障壁魔法に切り替わったのだ。

 

足に絡まる和泉の縄を引き摺るようにしながら突進する呂に向けて、真由美の第三射が放たれる。それを呂は対物障壁で防いだ。そのまま神速とも言える突進で摩利に肉薄する。

摩利は二本の刃を直線状に固定して迎撃の構えを取る。

 

だが、摩利と接触する直前に呂の姿は消えた。

 

「落盤」

 

眼前にあるのは廊下に空いた五メートルほどの穴。和泉が魔法で空けたものだ。

 

しかし、それだけでは呂に傷を負わせることはできない。少しの後、穴の向こうの廊下が下からの攻撃により崩落した。

 

崩落個所が広がったことで、一階にいる呂の姿がはっきりと見えるようになる。呂は自らの成した結果に驚いているようだった。

 

「不思議かい、呂剛虎。どうして私たちが攻撃した場所と違う場所にいるのかが」

 

その呼びかけで達也は、和泉が呂に対して、森崎に使用した奇門遁甲という術を使っていたことを知った。おそらく落盤という術で一階に落ちている最中にかけていたのだろう。

 

「その術は知っている。次は騙されん」

 

「まあ、君たちの術だからね。さ、そんなことより第二ラウンドといこうか」

 

和泉の誘いに対し、呂は無言で二階に向けて跳躍することで応える。しかし、その身体は崩落した床の高さを超えた所で停止した。よく見ると、呂は無数の細い魔法の糸に捕らえられているようだった。

 

「姿が見えているのが敵の全てだとは思わないことだ」

 

和泉が言うのと同時に四人の男が姿を見せた。四人の男の指からは他の三人に向けて糸が伸ばされている。どうやら、呂はこの糸で作られた網にかかったようだ。

 

「そもそも、どうして私たちは君の動きが読めていたと思う? いや、その前に、どうして病院で私たちは君を逃がしたと思う?」

 

呂の顔に動揺が色濃く出る。

 

「君は顔に掛けられた油と火を、皮ごと取り去ることで逃れたが、その際に大きく呼吸をしてしまったな。その際に君は、我々が魔法で作った寄生虫を飲み込んでいたのだよ。後はその寄生虫の反応を追うだけ。簡単だったよ」

 

その一言で、呂の顔が驚愕に染まった。

 

「理解したようだね。君たちの動きも、君たちの拠点も、そこで君が交わした会話も、全ては我々に筒抜けだったということだ」

 

呂の、魔法の糸から逃れようとする動きが激しくなった。それは、呂の内心の動揺を示すものだった。

 

「反響結界」

 

「拡声器」

 

「地獄耳」

 

「鐘音」

 

四人の男たちから、立て続けに四つの魔法が放たれた。

 

内容は、音を反射する結界を作る魔法、対象者が発する音量を増加させる魔法、対象の聴覚を鋭敏化する魔法、鐘を突いた音を発生させる魔法。一つ一つは弱い魔法たち。特に最後の魔法は遊んでいるかのようなふざけたものだ。

 

しかし、他の三つの魔法のお膳立てがあれば、ただの鐘の音を響かせる魔法も脅威となる。反響を伴った轟音は物理防御力を無視して身体を直接に揺さぶる。

 

音による攻撃は、達也も一条将輝との戦いで使用したことがある。その攻撃力は、上手く使えば相手を戦闘不能にまで追い込める強力なものだ。

 

「前会長殿」

 

和泉に促され、真由美が射撃魔法を放つ。

 

呂の反応は「超一流」の評価に恥じぬものだった。

 

脳自体を揺さぶられるような衝撃の中、懸命に情報強化型の鋼気功を再構築する。

 

しかし、その強化は万全には程遠いもの。それでは、弾数を減らした代わりに一発一発の威力を上げた真由美の射撃を完全に防ぐことはできない。

 

弾着の衝撃と大量の想子を浴びせられたことによる感覚の混乱で、呂の鉄壁の守りも風前の灯火。そこに摩利の魔法が襲い掛かる。

 

左手で振り上げた小型剣から二枚の刃が抜ける。短冊形の刃はクルクル回りながら呂の頭上に達した。

 

摩利の右手が突き出され、その手から黒い粉が呂の頭部に向かって飛ぶ。黒い粉は呂の首から上を包み込むように広がり、薄暗い光を発して消えた。

 

呂の身体がグラリとよろめく。熱と光を抑え酸化のみに結果を絞った摩利の吸収系魔法によって急速「燃焼」した炭素粉末が、酸素を喰らい尽くして二酸化炭素となり、瞬間的な低酸素状態を呂剛虎の周りに作り出したのだ。

 

「閃雷」

 

そこに和泉の魔法が直撃する。吉田幹比古の雷童子に似ているが、威力はやや上のように見えた。

 

いかな鋼気功といえども音波攻撃の後に真由美の射撃魔法を浴び、更には酸素欠乏状態に陥った状態では本来の効果を発揮できず、呂は遂に崩れ落ちた。



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横浜騒乱編 横浜に蠢く影

時計の短針が頂上を通り過ぎた。暦の上の明日、ここ横浜で「全国高校生魔法学論文コンペティション」が開催される。もっとも、だからといって街が特殊な空気に包まれているわけではない。魔法科高校の生徒にとって論文コンペは特殊なイベントで、代表に選ばれた生徒にとっては将来を左右するかもしれない重要な行事だが、魔法と縁の無い市民にとっては年に何回も開催される催し物の一つに過ぎない。

 

この時代もなお横浜の主要な歓楽街の一つであり続けている中華街の数ある飲食店の中で特に大きな間口を構える店で、二人の男が向かい合っていた。

 

「周先生、すっかりお世話になりました」

 

言葉を発したのは大亜連合軍の特殊工作部隊隊長の陳祥山。セリフに反して、その口調は横柄であった。

 

「恐縮です、閣下」

 

しかし、この店の主でもある周は陳の態度など気にすることなく、恭しく控え目な笑みを浮かべたまま頭を下げた。

 

「本国から艦艇を派遣すると連絡がありました。おかげで無事、次の作戦を遂行できる」

 

「お役に立てたのであれば光栄です」

 

周と陳はいつもと変わらぬ表情だ。二人が卓についてから、ともに表情は変わらない。

 

「ただ、一つ未解決な問題がありましてな」

 

「おや、それは何でしょうか、陳閣下」

 

「ご存知かもしれませんが、武運つたなく副官が敵の手に落ちてしまいまして」

 

「存じております。真に運が悪かったとしか申せません。まさか呂先生が……」

 

周は沈痛な表情で、心から気の毒に思っているような声で答える。

 

「しかし、一度は敵に囚われる失態を曝したとはいえ、彼は我が国に必要な武人」

 

周は無用な言質を取られぬよう、無言で頷くことにより、陳の言葉に同意を示す。

 

周が何も言おうとしない為、陳は諦めて自分から依頼を切り出した。

 

「もう一度だけ、手を貸してもらえないだろうか」

 

「……実は明後日の朝、いえ、暦の上ではもう明日ですが、呂先生の身柄が横須賀の外国人刑務所に移送されることになっています」

 

周がもたらした情報に、陳は本気の驚きを表した。

 

「本当ですか」

 

「ええ、実に好都合なタイミングです。移送ルートも調べることができてしまいました」

 

「罠であると?」

 

周の言い方から不安を感じ取ったのだろう。陳が聞いてくる。

 

「日本には宮芝という四葉と同様に恐れられている家があります。魔法が現実のものとされるようになった百年前以後に限れば表立った実績はありませんので、国際的にはさほど有名ではありません。けれど、古くから日本の暗部に属し、古式魔法界に限れば、間違いなく四葉より影響力は上です」

 

「話には聞いたことがあるな」

 

「呂先生が最初に襲撃した立川の病院。そして今回の八王子特殊鑑別所。ともに宮芝の現当主の姿があったようです。そして、結果的にはいずれも罠であった。それなのに今回だけは特段の警戒をしていないとは考えにくい」

 

「……警察と連携が取れていないという可能性は?」

 

「その可能性もなくはありませんが、本質的には影響はないでしょう。宮芝は隠形に長けた魔法師です。こっそりと護衛部隊を付けることくらい造作もないでしょう」

 

周が話し終えると陳は不快感を露わにしていた。

 

「我が副官を見捨てろと言うのか?」

 

「恐れながら、それが賢明かと」

 

「彼は我が国に必要な武人だと言わなかったか?」

 

「それも承知しております。ですが、一度、宮芝の手に落ちた者を救出するというのは非常に危険な行為なのです」

 

陳が顎で続きを促してくる。根拠があるならば聞かせろということなのだろう。

 

「宮芝は非常に高度な精神制御技術を持っています。その術にかかれば、いかに忠義溢れる者でも反逆者に成り下がると言われています。また、人をジェネレーターとする技術にもたけていますので、最悪の場合は、もう……」

 

「副官は、すでに宮芝の操り人形となっているということか」

 

「はい。そうなれば救出作戦に動いた者は一人も生きて帰れないでしょう」

 

呂が強力な戦士であればあるほど、敵に回れば厄介なことになる。そして、周は自分がこれまでに得てきた情報から考えて、宮芝が強力な魔法師をみすみす刑務所などに渡すとは思えなかった。力を得ることに貪欲な宮芝は、必ずや呂剛虎を自らの手駒として利用する。それが、周の考えだった。

 

「それにしても周先生は、随分とその宮芝という敵を恐れているのだな」

 

話題の転換は、陳が呂の奪還に慎重になっていることを示していた。

 

「宮芝は目的のためならば手段を選びません。この夏にも香港系の犯罪シンジケートに協力していた魔法師が、親兄弟に至るまで殺害されるという事件を起こしています」

 

「現代に、そのようなことを行っているのか」

 

族誅は大亜連合の前身である中国の古代に行われていたことだ。しかし、巻き添えのように殺される者にとっては、降って沸いた災難。それに、無実の者を殺害することから批判が多い。基本的に現代で行うことは、あり得ないことだ。

 

「その他に、宮芝は我が国の魔法の知識に長けていますが、それは我らの捕虜を解剖して得たものだと言われています」

 

「戦時国際法など、完全無視ということか」

 

大亜連合とて、それほど綺麗な組織ではない。どこの国も表にできない汚れ仕事というのはあるものだ。

 

国際法は完全無視。寝返る者にはどんな非道な粛清も辞さないとしたら、宮芝は陳のような工作員にとっては天敵といえる存在だ。

 

「それなのに我らに情報が入っていないというのはどういうことだ?」

 

「おそらく宮芝の実態がはっきりとしないためではないかと。実際、宮芝というのは宮芝家を中心とした古式魔法師の集団でおり、規模などについても必ずしも一定ではないという話もありますので」

 

「下手な予備知識は危険な可能性もあるわけか」

 

「はい、それだけに警戒が必要です。実際、私も当初の予定では平河千秋に精神干渉魔法を使用するつもりでいましたが、断念をいたしました」

 

周は平河千秋に顔を見られている。それは大きなリスクだ。しかし、宮芝はすでに平河千秋の入院病室を偽り、一度、どこかに隠している。ならば、すでに必要な情報は収集されてしまったと考えた方がいい。そして、そうだとすれば、新たな接触は自らの首を絞めることにしかならない。

 

「宮芝は、それだけの警戒が必要な相手ということか……」

 

陳は少しの間、瞑目する。

 

「分かった。日本の国軍の攻撃によって我らはすでに大きな損害を被っている。これ以上の損耗は許容できない。遺憾だが、副官のことは諦めよう」

 

陳の作戦に対して、周は意見を言う立場にはない。そのため、黙って頭をわずかに下げることによって答えとした。



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横浜騒乱編 いざ横浜へ

全国高校生魔法学論文コンペティション開催日当日の朝、宮芝和泉守治夏は宮芝の手勢八十八名を前に訓示を行っていた。今日の戦闘の相手は大亜連合の特殊部隊。確定したわけではないが、治夏はまず勃発すると考えていた。

 

今回の戦いに投入されるのは宮芝でも最精鋭の部隊だ。各隊はそれぞれ四十名。水色桔梗紋を旗印し、片瀬志摩守が率いるのが一番隊。九曜紋を旗印とし、一柳兵庫が率いるのが二番隊。笹竜胆を旗印とし、郷田飛騨守が率いるのが三番隊だ。

 

また、各隊にはそれぞれ後方支援要員と、有事の際に利用すべくこれまで宮芝が蓄えてきた財産についても持参させることになっている。それらを合わせると作戦への参加人数は二百名を超える、正しく大規模動員だった。

 

一番隊は魔法協会本部付近、二番隊は桜木町駅付近にて待機。三番隊は一旦、横須賀方面に向かった後、横浜の中華街付近に向かうことになっているため、すでに出立をしており、この場にはいない。

 

一方、治夏は論文コンペティションの会場に入り、何も起きなければそのまま観覧を行い、何かあれば戦闘指揮に移行する。この隊には、治夏に同行するメンバーとして森崎駿、小早川桂花、平河小春、平河千秋。別途、会場入りして別働隊となるメンバーとして村山右京、山中図書、皆川掃部、関本勲が属している。

 

関本は本来、八王子特殊鑑別所でまだ取り調べを受けている段だが、治夏が国のために働くことで罪を償わせると言い、強引に連れ出した。今回は間違いなく激しい戦闘となることが予想される。優秀な現代魔法師を遊ばせておく余裕はない。

 

「図書、関本は使えこなせそうか?」

 

その関本の状態を確認すべく、治夏は関本の調整を命じていた山中図書に話を向ける。

 

「はっ、問題ないかと」

 

「関本、聞こえるか?」

 

呼びかけると、関本がゆっくりと治夏の方を向いた。

 

「聞コえてオリます、和泉守サマ」

 

その返答は、はっきり言って、ぎこちないにも程がある。

 

「図書、本当に問題ないのか?」

 

「時間がありませんでしたので、戦闘面を優先して改造を施すしかありませんでした。言語面が不安定なのは諦めてください」

 

「関本は論文コンペの次点者。頭脳も惜しくはあったが、確かにこの短時間では思考誘導では間に合わなかったな。まあ、関本は風紀委員にも在籍した猛者。人形としてでも十分に働いてくれよう」

 

治夏の言葉に、平河姉妹は少しだけ動揺を見せた。この二人は両親を人質に協力を強要している段階なので、まあ、このような反応も仕方あるまい。一方、森崎駿と小早川桂花の二名は関本に何の感慨も抱いていないようだ。こちらの二人は思考誘導が十分に機能しているといえよう。

 

「右京、飛騨守から連絡はあったか?」

 

「今のところ、何の問題も発生していない様子です」

 

「ということは、敵は餌にかからなかったか」

 

まあ、これだけ罠にかけられ続けて、それでも仕掛けてくるとしたら余程の馬鹿としかいいようがない。とはいえ、それを言ってしまえば日本の警察の方が馬鹿だが。

 

一体、どういう思考をすれば、たかだか高校生を抹殺するために呂剛虎を送り込んでくる組織が、呂を奪還に来ないと考えるのだろうか。警備体制が通常の犯罪者移送に毛が生えた程度のものだと知ったときには本気で頭を抱えたものだ。

 

しかし、警察だけを責めることはできない。平和ボケはこの国の全体に蔓延している重篤な病だ。

 

「といっても、沖縄に佐渡と侵攻を受けて被害を出しているのだけどな」

 

それからほんの三年ほどしか経っていないというのに魔法師の不要論に近いものまで出てくるのだから、理解に苦しむ。

 

「しかし、和泉守様、供回りは本当に八名だけでよろしいのですか?」

 

聞いてきたのは山中図書だ。

 

「構わない。論文コンペの会場には十師族の七草真由美、十文字克人、一条将輝といった面々がいる。加えて司波兄妹や渡辺摩利なども十分すぎる戦闘能力を持っている。そこに切り札も合流する手筈。多少の敵ならどうとでもなる」

 

「はっ、そういうことでしたら」

 

「それに、今回はせねばならぬことが多いからな」

 

そう言って治夏は二番隊の指揮官を務める一柳兵庫を見た。

 

「兵庫、お前には辛い役目をさせるが、頼むぞ」

 

「はっ、お任せください」

 

本作戦にあたり、各隊には別々の役割を与えている。一番隊の役目は貴重な戦力となりうる魔法師を守ること。対して二番隊の役割は市街地中心部の防衛に加えて、住宅地で被害をださせること。

 

佐渡や沖縄といった首都圏から遠い地域で被害者を出しても駄目なのだ。首都、東京に近い場所で多くの民間人が無残に敵兵に殺される。そういった事態になって、初めてこの国は国家と国民の防衛のために本腰を入れ、また民衆もそう言った声を上げ始める。

 

だから、二番隊はもしも敵が住宅地を無視するような動きを見せた場合には、住宅地に誘導するように行動する。そして、もしも敵が民間人を無視するようであれば、己の手で殺害してでも民間人に犠牲を出す。そういった汚れ仕事を担当する。

 

そして、それは三番隊にしても同じだ。三番隊の役割は中華街の壊滅。かの地は工作員の温床であるにも関わらず、歴史があり、純粋な民間人も多いということもあって、これまで手を出せなかった。三番隊はその中華街に敵を追い込んだ後、敵国への協力の有無を問わず、中にいる生物は犬や猫に至るまで撫で斬りにする。

 

実際に誰が工作員で誰がそうでないのかを峻別することはできない。だから、戦時を利用して全員を殺害する。非難はされるだろうが、それも日本の民間人を虐殺した犯罪者的な軍が逃げ込んだためとすれば、いくらか和らぐはずだ。

 

なるべく多くの戦力が集まるように、それとなく十師族に対して動員は要請した。古式魔法師も大亜連合に気取られぬように注意しながら最大限の動員をしている。宮芝の部隊も最精鋭を投入する。戦端が開かれれば、魔法師たちには民間人の保護を最優先にする指示を行う予定で、これにより魔法師の近辺の民間人の被害を最小限にまで抑える。

 

それでもなお、多くの民間人の被害が出る。それは、魔法師の人数が圧倒的に足りないのが原因である。そのように世論を導かないとならない。

 

そのために邪魔になりそうな反魔法師の急先鋒の者たちには密かに刺客も送っている。せっかくの敵の大規模な侵攻なのだ。これを機に、できる限り宮芝の望む世へと近づけなければならない。

 

我らはこの国を守るための尖兵。その目的のためなら鬼にも悪魔にもなろう。

 

「皆、我らの未来はこの一戦にかかっていると思え。総員の奮闘を期待する。出陣!」

 

「応!」

 

声を発し、各隊が出立をしていく。それを見送って、治夏も論文コンペの会場となる横浜国際会議場へと出立した。



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横浜騒乱編 開戦

午後三時三十七分。

 

全国高校生魔法学論文コンペティションの会場である横浜国際会議場に突如として爆音と振動が届いた。

 

「いやはや、やはりここも標的の一つであったか」

 

周囲が混乱する中、この事態を予測していた宮芝和泉守治夏はゆったりと席に坐したまま次の段階に進展することを待っていた。その心の中は平穏そのもの。むしろ予想が大きく外れ、敵が東京に突入しなかったことに深い安堵を覚えていた。

 

正面出入口の方角からはハイパワーライフルの発砲音が聞こえてくる。おそらく、敵はこの会場へと突入をしてくるのだろう。これも予想が外れて会場もろとも爆破などの手段に出なかったことに笑みさえ浮かんでくる。

 

とはいえ、これらは予想ができたこと。

 

理由は分からない部分があるが、大亜連合の工作員は高校生を洗脳してまで第一高校の研究成果を求めていた。加えて口封じに選ばれたのはエースの呂剛虎。

 

これで横浜を無視したり、研究成果が失われる可能性を無視しての爆撃などを行ったりするようなら、呂剛虎までもが捨て駒だったということになる。そこまでの犠牲を払ってまで作戦目的を隠蔽したのであれば、素直に相手を褒めるしかない。

 

「さて、諜報部隊が手に入れた大亜連合を出立した部隊の陣容から考えれば、そろそろ他の地区でも戦端が開かれていそうなものだが、どうなったかな。まさか、こちらは小規模で本命は東京という線はないよな」

 

念のため、そのパターンも考慮して二線級の戦力は東京に布陣させている。そのために横浜に必殺の陣を敷けなかったのだが、それはやむを得ないことだろう。防衛側はいつでも複数の手段に対応するために手を縛られるものだ。

 

しばらく待ちかと思っていた治夏であったが、こちらの予想は外れた。予想以上に早く荒々しい音とともに会場の入り口にライフルを構えた集団が現れたのだ。

 

「やれやれ、会場警備の面々には実戦経験のある魔法師が配備されていると聞いていたのだが……随分とだらしないことだな」

 

治夏の呟きと同時に、会場内に猛烈な射撃の音が響き渡った。銃弾の雨は会場の入り口付近を蹂躙し、ライフルを構えた集団をバラバラにして吹き飛ばす。

 

「何が……」

 

「おえっ……」

 

会場内の反応は二種類。敵の身に何が起こったのか確認しようとするものと、理屈抜きで人が目の前で原形を失ったことに気分を害したものだ。

 

「なんで、あんなものが……」

 

呆然と呟く声があがるのも当然だろう。発射音を頼りに見上げた者たちが発見したのは、天井に吊るされた機関砲だった。その傍らには中空に浮遊している女性がいる。女性は水色桔梗紋の小袖に濃紺の袴を纏っている。

 

女性が機関砲から手を離し、地上へと降りてくる。そして、すぐさま治夏の傍らに跪く。

 

「和泉守様、お怪我はありませんか」

 

「ああ、問題ない。よくやってくれた」

 

「はっ、ありがたき幸せ」

 

「こ、小早川さん? 何で……」

 

声を発したのは第一高校の制服を纏った女子生徒だ。おそらく九校戦のミラージ・バットの事故以前の小早川のことを知っているのだろう。

 

「和泉守様の命だ」

 

女子生徒が尋ねたのは、なぜここにいるのか、ではないと思うが、今の小早川に相手の発言の意図を読み解くことは難しいか。思考誘導と魔法力強化は兵士としての実力は飛躍的に向上するが、人間としての能力が低下するのは何とかならないものか。

 

「彼女は九校戦での事故の後、古式の修業を経て魔法力を取り戻した。そして、その力を用いて会場警備に当たってくれていたのだ。さて、今はゆっくりと話している時間はないな。君もこれからどうするかを考えた方がよいだろう」

 

そう言いおいて、女子生徒の前から離れた。その後に小早川も続いている。向かった先は敵から鹵獲したハイパワーライフルを持ち、散らばる人体の欠片を気にも留めずに入口付近で警戒を続ける森崎の元だ。

 

「森崎、続く敵はあるか?」

 

「はっ、今のところありません」

 

「分かった。森崎、小早川と共にこの場を死守せよ。私はこの場の首脳部と意見の交換をしてくる」

 

「はっ、いってらっしゃいませ」

 

森崎と小早川から離れて、今度は司波達也の元に向かう。そこには、達也と深雪に加えて、エリカとレオ、吉田幹比古、美月、光井ほのか、北山雫が集まっていた。

 

「やあ、達也、私の備えはどうだったかな?」

 

「四十ミリ機関砲は対人用の武器ではないと思うぞ」

 

「しかし飛行魔法を使用することで少々大型だが歩兵でも運用ができる兵器となっていただろう?」

 

この会場に持ち込まれた四十ミリ機関砲は、ただの機関砲にただの飛行魔法用デバイスを乗せただけのお粗末な品。けれど、それで空中での姿勢制御には優れるが、強力な魔法は使用できない小早川に敵魔法師の防御を抜ける攻撃力を持たせられた。もっとも、さすがに兵装の種類にもよるが重量が三百キロから五百キロにもなるものを飛ばすのは消耗が激しいので、運用可能な時間は短いのだが。

 

「さて、ところで君たちはこれからどうするつもりだ?」

 

「逃げ出すにしても追い返すにしても、まずは正面入り口の敵を片付けないとな」

 

達也の言葉にすぐに反応したのはエリカだった。

 

「待ってろ、なんて言わないよね?」

 

問いかけたエリカの目は輝いている。この血の匂いが充満する会場で更に戦意を高められるのはよいこと。自然と治夏の口元にも笑みが浮かぶ。

 

「別行動して突撃されるよりマシか」

 

達也の言葉に、意外にもほのか、美月、雫までが喜色を顕した。それに対して達也はあまり乗り気ではないようだ。意外と優しい達也のこと。本音では巻き込みたくないのかもしれない。ちなみに、その優しさは治夏には全く向けられない。確かに部下に機関砲を持ち込ませて待ち構えていた治夏は、この事件に巻き込まれたという枠内には入っていない。けれど、なんとなくだが、差別されていると思う。

 

差別はなくすべき、と叫んでいたのは壬生紗耶香だったか。だが、治夏に対しては、おそらく味方はしてくれないだろう。

 

「和泉はどうするんだ?」

 

「君たちが働いてくれるなら、私は楽をさせてもらおうかな」

 

「……ちなみに俺たちが動かなかったら、どうするつもりだったんだ?」

 

「その場合は、戦意旺盛な三高生あたりに突貫してもらったかな」

 

「……やはり、俺たちが行った方がよさそうだな」

 

おかしい。宮芝は正面から撃ち合うような戦闘は苦手だと知っているはずなのに、なぜ達也はここで冷たい反応なのだろうか。

 

「七草先輩。中条先輩も、この場を早く離れた方がいいですよ。そいつらの最終的な目的が何であれ、第一の目的は優れた魔法技能を持つ生徒の殺傷または拉致でしょうから」

 

舞台近くの七草と中条に忠告を残し、達也たちはこの場から去っていく。それを見送り、治夏は水色の鳥の使い魔を作り、周辺の偵察のために解き放った。



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横浜騒乱編 宮芝と七草

達也たちの姿が扉の向こう側へ消えた直後、一際激しい爆発音が会場を揺るがした。無秩序な叫び声と怒鳴り声が混沌と絡み合い、悲鳴とも怒号ともつかぬうねりとなって、更に人々の神経を削る。

 

最前列には森崎駿と小早川桂花。二列目に平河小春と平河千秋を立たせた宮芝和泉守治夏は、その混乱を少し離れたところで、見守っていた。

 

混乱が後方から徐々に前方へと波及する中、それを沈めたのは第一高校生徒会長、中条あずさの情動干渉魔法「梓弓」だった。

 

「この範囲に効果を及ぼすか。なかなかに興味深い魔法だが、さすがに相手が相手だ。解剖は難しいだろうな」

 

そして、それを見た治夏が物騒なことを呟いているうちに壇上には第一高校の前生徒会長である七草真由美が立っていた。

 

「現在、この街は侵略を受けています」

 

自身の名前に続く衝撃的な第一声に、梓弓の効果で忘我の中にあった人々が愕然とする。

 

「港に停泊中の所属不明艦からロケット砲による攻撃が行われ、これに呼応して市中に潜伏していたゲリラ兵が蜂起した模様です」

 

これは治夏もまだ得ていない情報だった。おそらく国防軍の最新情報を、これだけの期間で得るというのは、さすがは七草といったところか。

 

「先程、現れた暴漢も侵略軍の仲間でしょう。先刻から聞こえている爆発音も、この会場に集まった魔法師と魔法技術を目当てとした襲撃の可能性が高いと思われます」

 

一旦、言葉を切って七草が観客席を見渡す。

 

「皆さんご存知のとおり、この会場は地下通路で駅のシェルターにつながっています」

 

多くの大人が混じる聴衆に向けて、壇上で七草は堂々とした態度だ。しかし、実戦経験の不足は十師族としての権威では補えない。

 

「シェルターには十分な収容力があるはずです。しかし、地下シェルターは災害と空襲に備えたものです。陸上戦力に対しては、必ずしも万全のものではありません」

 

七草がそう言ったのを聞いて、治夏は僅かに眉を顰めた。というのも、治夏の感覚ではそれは悪手であるからだ。この会場のことを知っていた敵は当然、地下通路のことも知っているはず。ならば、シェルター自体の中、あるいは途中の地下通路での待ち伏せが懸念される。

 

「侵略軍は魔法師の部隊も投入していると推測されます。魔法の攻撃に対して、シェルターがどの程度持ちこたえられるか、楽観はできません」

 

いや、違う。シェルターで恐ろしいのは、そこに逃げ込んだ一般人の中に、テロリストが混じっていることがある点だ。現に七草も、市中に潜伏していたゲリラ兵が蜂起という言葉を使ったばかりではないか。誰が敵で誰が民間人か、分からないのがゲリラ戦の特徴。

 

だから治夏も確実に信用できる達也たちだけとしか話をしなかったし、今も森崎と小早川を前面に、二列目にも平河姉妹を盾代わりにして、周囲の様子を窺っている。治夏が警戒しているのは、この場に敵の尖兵が紛れ込んでいるというケースだった。

 

「だからといって、砲火の飛び交う街中から脱出を図るのはもっと危険かもしれません。しかし最も危険なことは、この場に留まり続けることです」

 

それは正しい。大亜連合が会場を吹き飛ばすような攻撃を行なわなかったのは研究結果の奪取を狙っていたためだ。しかし、もしもそれが叶わないとなればどうなるか。泣かぬなら殺してしまえ、という方向に行くことは確実だろう。なにせ、それでも十分に日本に打撃を与えることは可能だからだ。

 

「各校の代表はすぐに生徒を集めて行動を開始してください! シェルターに避難するにしろ、この場を脱出するにしろ、一刻も無駄にできない状況です!」

 

それは果たしてどうなのだろうか。治夏の考えるこの場の最善手は、全軍での脱出。それも各校単位に別のルートを通って同じ場所を目指すという方法だ。それならば敵の一部しか相手にしないため、局地的には数的優位を築ける。加えて、各校単位に分散していれば、大規模な魔法を受けたとしても別の隊は生き残る。

 

「九校関係者以外の方々は、申し訳ありませんが、各々ご自身の判断で避難なさってください。残念ですが、私たちは皆さんの安全に責任を負うだけの力がありません」

 

そして、この九校の生徒以外の存在が、治夏が全員で一方向へ脱出するという手を考えた理由だ。各校がバラバラに行動したのでは、どうしても非魔法師を守る余裕は少なくなる。けれど、各校が分散して面制圧を行いながら前進を行えば、その後ろに空白地帯ができる。

 

当然、前衛部隊の撃ち漏らしはあるだろうが、後続の非魔法師も分散して進ませておけば、全滅という結果は避けられるはず。加えて、無謀な救出作戦で国防軍の戦力が削られるような事態を避けられるという点も大きい。

 

「シェルターに避難されるなら、すぐに地下通路へ。脱出をお考えなら、沿岸防衛隊が瑞穂埠頭に輸送船を向かわせるという報告を受けています」

 

七草が一礼してマイクを切る。その後は、中条に一高のことを任せることを伝え、市原鈴音たちのいる控え室へと駆け戻った。

 

七草の提示した考えは、治夏の直感とは異なるものだった。けれど、治夏は七草に心の中で惜しみない賞賛を送っていた。

 

治夏は混乱する場に対して、結局は何もしなかった。それは、治夏の考えが誤っていて多くの死者が出た場合の、後からの非難を恐れたためだ。特に今回のような事態の場合、実は幾つかの選択肢のうちで最も犠牲の少ない方法を選んでいたとしても、ある程度の死者が出たというだけで後から勝手な非難の的となりやすい。

 

人が持っている情報は有限だ。けれど、非難する側は後から万全の情報を準備した上で、起こらなかった事象に対する考慮を行ったことも、起きた事象を考慮できなかったことも、纏めて非難をしてくる。

 

それらは単なる感情の発露であり、反論等に意味はない。なぜなら、緊急時に完璧な行動を取ることは不可能であるし、そもそも完璧な対応を取っていても、実現性ゼロの夢のような案を持ち出されて、強引にでも失敗したように印象付けられてしまうためだ。

 

特に宮芝のような、嫌われ者の家では非難の量は大きくなる。だから、治夏は動くことができなかった。

 

一方、七草は名声が高い一族である。従って非難の量は宮芝よりは少ないだろう。

 

だが、名声が高ければ、それを貶めようとする者もいるのが人の世だ。七草もけして無風ではいられないだろう。

 

そして、今回のような各自で行動という案は、後から非難はされど称賛されることはない案である。その意味では、七草はただリスクだけを拾ったということになる。

 

それでも前に立ち、道を提示したというのは、おそらくは十師族の七草家の直系という責任感。とかく家の利益を考えがちの治夏にはできない行動だ。だから治夏は、七草のことを非常に高く評価した。少なくとも、この戦の間は多少の犠牲は吐き出しても守ってやろうと思うくらいには。

 

「和泉守様、我々はこれからどうしますか?」

 

聞いてきた森崎の視線は各校で固まり始めた生徒たちと、知り合い同士、相談している様子の会場内に固定されている。

 

「ひとまず会場外の右京たちと合流したいところだが、慌てて外に出るよりも九校の精鋭たちが道を切り開いてくれるまで待った方がよかろう。その間に私は七草前会長から情報収集をしておくとしよう。森崎、供をせよ」

 

「はっ!」

 

続いて小早川に目を向ける。

 

「小早川はこの場を任せる。ただし、敵が会場自体を攻撃してくるようなら、退避し、我々と合流せよ」

 

「はい」

 

「では、参ろうか」

 

森崎に背を任せ、治夏は一高の控え室へと向かった。



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横浜騒乱編 ステージ裏

司波達也たち一行は会場正面出入口前の敵を掃討後、会場内のVIP会議室で情報収集を行った。その後、デモ機のデータを処分するため十文字克人とステージ裏へと戻ると、そこには予想以上に多くの人がいた。

 

「何をしてるんですか」

 

「データの消去です」

 

答えた鈴音の他に五十里、真由美、摩利、花音、桐原、紗耶香。それに加えて和泉に森崎、平河千秋や九校戦以後は体調を崩していたはずの平河小春や小早川もいる。更には隅には水色桔梗紋の揃いの衣服を着た四人の男がいた。

 

「なぜ、彼がここにいるんですか?」

 

その中の一人の顔を見て、思わず達也は問うてしまった。そして、問われた真由美はというと、ただ苦い顔をするだけで何も答えてくれない。

 

「和泉、どういうことだ?」

 

「図書、彼とともに少し席を外せ」

 

「はっ、ついてこい、関本」

 

「了解しマシた」

 

関本はまるで機械のように平坦な声音で答えると、達也たちの方をちらりとも見ることなく、ステージ裏を出ていく。

 

「和泉、関本に何をした?」

 

「分かっていることを聞くというのは、あまり感心しないな」

 

否定をしなかったということが答え。おそらく、関本はジェネレーターにされてしまったのだろう。

 

「なぜだ?」

 

「貴重な戦力を遊ばせておく手はなかろう。能力は確かなのだ。ならば、腐りきった頭を取り換えれば、有益な戦力となる」

 

「また君たち宮芝はそうやって……」

 

苦々しげに言ったのは幹比古だ。一時の犬猿の仲から、最近は少し雪解けの気配を見せていたが、今回の件で悪化してしまったようだ。その和泉はというと、幹比古には視線を向けることなく達也に向けて話しかけてくる。

 

「さて、達也もデモ機の破棄に来たのだろう。余計なことに気を回している暇があったら、作業に取り掛かったらどうだ」

 

「……そうさせてもらおう」

 

今は内輪揉めをしている場合ではない。達也は当初の予定であるデータの処分に動くことにする。

 

「ここは僕たちがやっておくから、司波君は控え室に残っている機器の方を頼めるかな」

 

「もし可能なら、他校が残した機材も壊してちょうだい」

 

「こっちが終わったらあたしたちも控え室に向かう。そこで今後の方針を決めよう」

 

五十里、花音、摩利からの立て続けの依頼を受けて、達也は深雪と控え室に向かう。

 

「お兄様、関本先輩は……」

 

和泉たちから離れてすぐ、深雪は関本の状態を聞いてくる。

 

「外科手術で脳の機能を制限した上で、魔法力を強引に上昇させるために複数の薬物も使用しているようだ。体も多くの部分が機械に置き換えられている。もっとも、関本としてはすでにそれさえも、どうでもいいことなのだろうけどな」

 

「では、森崎君や小早川先輩たちは?」

 

「森崎や小早川先輩、平河姉妹は特に危険な状態ではないようだ。……多少の洗脳のようなことは行われているようだがな」

 

本来なら、もっと嫌悪感を覚えるのかもしれないが、関本の様子を見た後では、その程度ならかわいく思える。

 

「ともかく今はこの場を切り抜けることを考えよう」

 

深雪にそう言うと、達也は控え室を回って他校の機材に対して固有魔法を使用。機械の情報だけを破壊してストレージを空にする。これで、通常の手順に比べて大幅な時間の短縮となったはずだ。

 

「おや、早かったね」

 

作業を終えて第一高校の面々が集まったステージ裏に戻ると、真っ先に声をかけてきたのは和泉だった。

 

「どのような手段を用いたのか、是非とも教えてもらいたくなったな」

 

「教えるわけがないだろ」

 

「それは残念」

 

「司波君、首尾は?」

 

続いて聞いてきたのは五十里だ。

 

「残っていた機器は全てデータを破壊しておきました」

 

予想はしていたようだが、五十里は驚きを隠せない様子だった。だが、和泉のように方法について聞いてくることはなかった。

 

「さて、これからどうするか、だが」

 

口火を切った摩利は、その後、真由美へと目を向ける。

 

「港内に侵入した敵艦は一隻。東京湾に他の敵艦は見当たらないようよ。上陸した兵力の具体的な規模は分からないけど、海岸近くはほとんど敵に制圧されちゃってるみたいね。陸上交通網は完全に麻痺。こっちはゲリラの仕業じゃないかしら」

 

「彼らの目的は何でしょうか?」

 

五十里の提示した疑問に答えたのも真由美だった。

 

「横浜を狙ったということは、横浜にしか無いものが目的だったんじゃないかしら。厳密に言えば京都にもあるけど」

 

「魔法協会支部ですか」

 

答えを最後まで待たず、花音が口を挿む。

 

「風紀長殿、さすがにもう少しだけ頭を使ってから発言してはいかがかな?」

 

そこに、更に口を挿んだのは和泉だった。

 

「魔法協会のメインデータバンクには重要なデータが管理されている。それを狙ってきたと考えるべきだろうな」

 

和泉の言葉に憮然とする花音を気にせず、摩利が再び口を開く。

 

「避難船はいつ到着する?」

 

「沿岸防衛隊の輸送船はあと十分ほどで到着するそうよ。でも避難に集まった人数に対して収容力が十分とは言えないみたい」

 

「状況は聞いてもらったとおりだ。シェルターの方はどの程度余裕があるのか分からないが、船の方はあいにくと乗れそうにない。こうなればシェルターに向かうしかない、とあたしは思うんだが、皆はどう思う?」

 

真由美、摩利、鈴音。

 

五十里、花音、紗耶香。

 

達也、深雪、エリカ、レオ、幹比古、美月、ほのか、雫。

 

和泉、森崎、小早川、平河小春、平河千秋。

 

関本勲、そして宮芝の術士が三人。

 

これに逃げ遅れた者がいないかどうか確認中の克人と桐原。

 

総計では二十五人の大所帯だ。逃げるとなると行ける先は限られてしまうだろう。

 

「……あたしも、摩利さんの意見に賛成です」

 

花音たち二年生も、他に選択の余地は無いと考えている様子だった。

 

「シェルターに向かうというのは賛成できないな。ここは、敵中を抜いて魔法協会に向かうべきだろうな」

 

それに真っ向から反対したのは和泉だった。

 

「何を言っているんだ、私たちは高校生……」

 

「考えてもみよ、前風紀長殿。ここには十師族の直系が二人に、九校戦の競技優勝者が十人もいる。これだけの巨大戦力がただ逃げるだけという手はあるまい」

 

摩利の言葉は和泉の強い口調の言葉によって切られる。確かに和泉の言う通り、ここにいるメンバーを純粋な戦闘能力という面でのみ評価したなら、倍の人数の敵だろうと完勝することもできるだろう。

 

ただし、それは何の問題も発生しなかったら、という前提にある。現実的に見れば、ほのかや美月、雫に人間を躊躇わずに殺傷できるとは思えない。

 

けれど、そういった不安の残るメンバーを除外しても、真由美に克人に加えて摩利に桐原、エリカに幹比古、和泉たち宮芝の術士たちという戦力として計算ができる面々がいる。特に真由美と克人と摩利、そして深雪を相手に勝利を収めるのは、軍の精鋭部隊であっても相当に難しいだろう。

 

理屈としては分からなくはない。だが、達也としては深雪を危険に晒すような選択肢を採ることはできない。

 

しかし、達也が和泉への反対意見を口にすることはなかった。壁の向こうに装甲板で鎧われた大型トラックが迫っていることを感知したためだ。

 

大型トラックの突入を、達也は固有魔法を使って阻止。しかし、続いて小型ミサイルの群れが飛来してくる。

 

けれど今回は、達也が手を出す必要は無かった。

 

ミサイルは着弾する前に、横合いから撃ち込まれたソニック・ムーブによりことごとく空中で爆発したためだ。

 

「お待たせ」

 

急に外から掛けられた声に、達也は壁の向こうに向けていた「精霊の眼」による視点を肉眼に戻す。

 

「えっ? えっ? もしかして、響子さん?」

 

声をかけてきた女性は、藤林響子。古式魔法の名門、藤林家の令嬢。そして同時に、日本魔法師界の長老である九島烈の孫娘でもある。更には達也とも関係のある人物だが、幸いにして、真由美と、たぶん黙っているが和泉も藤林と面識があるはずなので、達也が彼女を紹介する必要はなさそうだ。

 

そう考えて、達也はしばし傍観に徹することにした。






横浜編、脱稿。
思ったより長丁場になりましたが、年内には校閲して投稿にもっていける予定です。


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横浜騒乱編 国防軍の特尉

論文コンペのステージ裏に入ってきた藤林響子を見た宮芝和泉守治夏の感想は、遅い、の一言に尽きる。治夏は事前に国防軍にある程度の情報を渡していた。それなのに、今更の出動なのは、どういうことか。

 

その答えを返すことができる人物は藤林の後ろから現れた。野戦用の軍服を纏った彼女の後ろから現れたのは、同じく国防陸軍の軍服に身を固め少佐の階級章をつけた壮年の男性だった。しかし、治夏が少佐に問いかける前に藤林が口を開いた。

 

「特尉、情報統制は一時的に解除されています」

 

藤林の達也に向けての言葉に、深雪を除いて、治夏を含む全員が驚いていた。何らかの後ろ盾があるのは分かっていたが、まさか国防軍に所属しているとは思わなかった。

 

「国防軍少佐、風間玄信です。訳あって所属についてはご勘弁願いたい」

 

「貴官があの風間少佐でいらっしゃいましたか。師族会議十文字家代表代理、十文字克人です」

 

十文字の自己紹介に風間は小さな一礼で応える。

 

「藤林、現在の状況をご説明して差し上げろ」

 

「はい。わが軍は現在、保土ヶ谷駐留部隊が侵攻軍と交戦中。また、鶴見と藤沢より各一個大隊が当地に急行中。魔法協会関東支部も独自に義勇軍を編成し、自衛行動に入っています」

 

「藤林、我ら宮芝の軍勢の戦況は入っているか?」

 

「我々が把握している限りでは、九曜紋を掲げて桜木町付近で戦闘している隊はやや優勢。水色桔梗紋を掲げて魔法協会関東支部で敵と交戦中の部隊は拮抗中ということです。あと、東京方面から笹竜胆の旗を掲げて移動している隊は、まだ交戦には至っていないようです」

 

「和泉、わざわざ旗を持ち込んでまで示威行動をしていたのか」

 

呆れたように言ったのは達也だった。

 

「宮芝がいるというのは、敵にとっては警戒の対象となるはず。少しは侵攻の足も鈍るというものだろう」

 

「それだけなのか?」

 

「無論、宮芝家という古式の魔法師集団が皆のために働いたという実績を残すためという意味もある」

 

自らの血を流しての献身には、相応の見返りがあるべきだ。そうでなければ、我が身を顧みずに働く組織というものを維持することはできない。

 

「さて、特尉、続きをよいか?」

 

風間の問いに、達也は姿勢を正すことで応えとしていた。

 

「現下の特殊な状況を鑑み、別任務で保土ヶ谷に出動中だった我が隊も防衛に加わるよう、先程命令が下った。国防軍特務規則に基づき、貴官にも出動を命じる」

 

七草と渡辺が揃って口を開きかけたが、風間は視線一つで彼女たちの口を封じた。

 

「国防軍は皆さんに対し、特尉の地位について守秘義務を要求する。本件は国家機密保護法に基づく措置であるとご理解されたい」

 

「風間、私たちは宮芝として、その要請を受諾するということでよいかな?」

 

「ええ、仕方ありません」

 

治夏が問うたのは、宮芝治夏としてではなく、宮芝家として守秘義務を負うという形で問題ないか、ということである。要は宮芝の首脳部間では達也が国防軍特尉の地位にあることを共有すると言ったのだ。

 

治夏と風間の話が一区切りついたのを見て、達也が友人たちに振り向いた。

 

「すまない、聞いてのとおりだ。皆は先輩たちと一緒に行動してくれ」

 

「特尉、皆さんの避難には私と私の隊がお供します」

 

軽く頭を下げた達也に、藤林が口を添える。藤林の発言内容は治夏の方針とは異なるものであったが、さすがに反論はできない。なにせ相手は正規の軍人。宮芝も力は持っているとはいえ、軍人の避難の指示に反対して民間人を戦場に送ることはできない。

 

「少尉、よろしくお願いします」

 

「了解です。特尉も頑張ってくださいね」

 

藤林に一礼し、達也は風間の後に続く。

 

「お兄様、お待ちください」

 

その背中を、深雪が思い詰めた顔で呼び止めた。深雪は達也の目の前に立つと、手を、頬に差し伸べる。

 

えっ、ナニコレ、何を始めるつめりなの。

 

深雪の眼差しに、戸惑いと、理解と、感謝の綯い交ぜとなった表情で頷き、達也は深雪の前に片膝をついた。深雪はその頬に手を添え、瞼を閉ざした兄の顔を上へ、自分の方へと向ける。

 

ちょっと待って、本当に?

 

深雪はそのまま腰を屈め、兄の額に、接吻る。

 

「きゃあー!」

 

思わず叫んでしまった治夏に、周囲の視線が刺さる。幸いだったのは、関本を連れていることもあり、右京たちが少し離れた場所にいることだ。今の耳まで赤くなっていそうな治夏の顔は、とてもではないが部下たちには見せられない。

 

その間に深雪は唇を離し、頬に添えられた手も放す。達也が再び頭を垂れた。

 

変化は、唐突に訪れた。

 

眼を焼くほどに激しい光の粒子が、達也の身体から沸き立った。光子ではない、物理以外の光を纏う、魔法の源となる粒子だ。

 

その劇的な変化に、治夏は心当たりがあった。この現象は封印の解除だ。

 

それは分かる。しかし、分からないことがあった。

 

達也は国防軍の特尉である。それで、高校生としては不釣り合いな戦闘技能については納得ができていた。しかし、今回の封印は国防軍とは明らかに異なる。そもそも、封印というものは必要だから行われるものだ。

 

もしも何らかの理由で封印が必要だったとして、その解除を深雪が行えるというのは説明ができない。深雪は達也の妹で達也を敬愛している。それは、事実上、封印の解除を任意で行えるというのと変わらない。

 

無論、任意で解除が行えるようにするというのは可能ではある。実際、例としては少なくはあるが、治夏も数例は知っている。しかし、その場合は純粋に自らの意思のみで解除できるようにしている。

 

封印が必要であるから行うものであれば、解除も必要だから行えるようにするのだ。そのため、ストッパーとしての役割を持つなら複雑な手順を、安全装置のような役割であるならば任意解除をできるようにする。

 

しかし、妹が必要というのは、このどちらでもない。

 

相手が身内であり、しかも達也の依頼であれば、どんなものでも首を縦に振りそうな深雪にストッパーとしての役割は期待できない。かといって、安全装置としての利用と考えても、相手が傍にいないと解除ができないということは、即応性がないということであり、肝心な時に使えないという危険性をはらむことになる。

 

なぜ、このような封印をしているのか。治夏には意図が全く読めない。

 

そして、もう一つ。身内を封印の解除者にするという杜撰な対応は、国防軍を始めとして、国家が関与している組織であれば絶対に行わない方法だ。

 

それはつまり、達也に封印を施した者が別にいるということ。けれど、普通の小さな組織が構成員に封印を行うということは考えづらい。

 

国防軍の別に、達也の背後には大きな組織がいる。それは、どこだ?

 

考え続ける治夏など気にも留めず、深雪は淑やかな笑顔でスカートをつまみ、兄に向けて膝を折る。

 

「ご存分に」

 

「征ってくる」

 

万感を込めた深雪の眼差しと言葉に、達也が答える。

 

達也、君は何者なんだ?

 

戦場となった横浜の街へと、達也は出陣する。治夏の質問は、心の内を反射しただけで、口から外に出ることはなかった。



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横浜騒乱編 別行動開始

藤林の隊はオフロード車両二台に藤林を含めても、分隊規模にも及ばない小規模の集団だった。しかし、全員が相当な手練れであると思わせる雰囲気を纏っている。

 

宮芝和泉守治夏にとっても、人員的には何の不満はなかった。しかし、車両の少なさが問題であった。

 

治夏は最低でも治夏本人に加えて村山右京、山中図書、皆川掃部に護衛が二人はいないと真価を発揮できない。治夏にしてみれば部下に戦闘を任せて避難とはいかないため、激戦地である魔法協会の関東支部に向かう予定だ。そうなると車両を二台とも譲ってもらわねばならない。

 

それでは、さすがに反発の量が尋常でないものになるだろう。そこまで厚顔無恥となることはできない。つまりは、治夏たちは車両を使わずに徒歩で移動しなければならないということだ。

 

「真由美さん、残念ですけど……全員は乗れません」

 

いや、そのくらい見れば分かるだろ。という言葉はさすがに飲み込む。

 

「えっ、いえ、最初から徒歩で避難するつもりでしたから……」

 

「そうですか。しかしそれでは余り長距離は進めません。何処へ避難しますか?」

 

「その前に現状は?」

 

こと軍事となれば七草は少々頼りない。代わりに治夏が質問を投げかける。

 

「保土ヶ谷の部隊は野毛山を本陣とし、小隊単位でゲリラの掃討に当たっています。山下埠頭の敵の偽装艦には今のところ動きは見られませんが、じきに機動部隊を上陸させて来るでしょう。そうなれば海岸地区は戦火の真っ直中に置かれることになりますから、やはり内陸へ避難した方がよいでしょうね」

 

「えっと……予定どおり、駅のシェルターに避難した方が良いと思うんだけど」

 

迷いが拭えぬ口調で、七草が十文字に目を向けた。

 

「そうだな。それが良いだろう」

 

「では前と後ろを車で固めますから、ついて来てください。ゆっくり走りますから大丈夫ですよ」

 

「藤林少尉殿、まことに勝手ではありますが車を一台、貸していただけませんか」

 

「む……」

 

ずるい、という言葉は辛うじて飲み込んだ。十文字が何をしたいかは分かる。その有用性についても。けれど先程、治夏は我慢せざるを得なかったのだ。その責任は主には単独では力を発揮できない治夏にあるのだが、だからといって納得できるものではない。

 

「何処へ行かれるのですか?」

 

「魔法協会支部へ。私は、代理とはいえ師族会議の一員として、魔法協会の職員に対する責任を果たさなければならない」

 

「わかりました」

 

やはり予想した通りだ。

 

「少尉、我ら宮芝家も魔法協会支部に向かうつもりだ」

 

「和泉守殿も、ですか?」

 

敵中を突破するような強行策は宮芝には似合わないと思っているのだろう。藤林が怪訝そうに聞いてくる。

 

「ああ、どうやら魔法協会防衛に当たっている部隊は苦戦しているようなのでな。加勢に向かうつもりだ。が、その前に頼み事があるのだが、よいか?」

 

「何でしょうか?」

 

「こちらにいる、平河小春、平河千秋の二名は現状況下では戦力として心許ない。そちらに預けたいと思うのだが」

 

これは二人のことを思ってのためだけではない。なるべく隠密行動を行いたいときに足手纏いがいるのは治夏にとってもマイナスでしかない。

 

「分かりました。お預かりします」

 

「頼む」

 

「しかし、車一台では、十文字さんを合わせると八人は多くありませんか?」

 

「心配ご無用。我らは徒歩で向かいます」

 

十文字と違って、治夏は突出した戦士というわけでも、優れた指揮官というわけでもない。一人だけで向かったところで、大して役にはたたない。

 

「そうですか。ならば楯岡軍曹、音羽伍長。十文字さんを魔法協会関東支部まで護衛なさい」

 

二人の部下と車両一台を貸し与えた藤林は、もう一台の車の荷台に立ち、七草たちへと呼び掛ける。

 

「さあ、行きましょう。無駄にできる時間はありませんよ」

 

藤林たちが駅のシェルターに向けて出立する。

 

「では、我らも行きましょう。宮芝、悪いが先に行くぞ」

 

「我らのことは気にせず。まあ、どうしても気になるなら、敵をなるべく叩いておいてくれると助かるな」

 

「善処しよう」

 

十文字たちも魔法協会関東支部に向けて出立していく。そうして、この場には治夏たち七人だけが残される。

 

「さて、ここにいるのは私、右京、図書、掃部に、森崎、小早川、関本だ。さて、この戦力で如何にして魔法協会関東支部を目指す?」

 

「手は二通りございましょう。一つは隠蔽術式を用いて戦闘をなるべく避けて関東支部を目指す方法、もう一つは周辺の二番隊または三番隊と合流して戦闘力を増強した上で関東支部を目指す方法です」

 

「右京、後者は却下だ。二番隊は優勢とはいえ戦闘中。下手な戦力の引き抜きは重要拠点である桜木町付近の防衛力を低下させる。また、三番隊の引き抜きも副次目的の中華街の粛清の妨げになる。我らは、この七名で魔法協会関東支部を目指す」

 

「ならば我々が考えるべきは、どのような経路にて関東支部を目指すか、ということでございますか?」

 

「そういうことだ」

 

治夏の指示を受けて、右京、図書、掃部の三人が考え込む。その間、森崎、小早川と思考能力が奪われている関本は周囲の警戒だ。

 

「我らの技能を考えれば、海岸近くを行く方がよいのではないでしょうか?」

 

進言してきたのは図書だ。確かに、認識阻害の術は、そこに敵はいないだろう、という思いがある方が掛かりやすい。

 

「それも得策ではないな。大亜連合には古式に通じた術士も多い。発覚をした場合に重大な危機に陥る道は避けるべきだ」

 

「では、時間は掛かりますが外周部を行くということですか?」

 

「他に案がなければ、そうなるが……掃部はどう思う?」

 

話を向けた掃部は少し考えてから切り出してきた。

 

「或いは後で非難の対象とされる可能性がある手段でもよろしいですか?」

 

「構わん」

 

「敵兵を使うという方法はいかがでしょうか?」

 

「面白いな」

 

治夏が笑みを浮かべながら評すると、すぐに三人が方針は決まったと動き出す。

 

「図書、意識のない敵兵はいるか?」

 

「いや、この辺りにはいない」

 

「ならば調達する必要があるか」

 

「では、我らで行くか。右京は和泉守様の護衛を任せてよいか?」

 

「心得た」

 

役割分担は迅速に進み、掃部と図書が中心となってゲリラの姿を求めて、治夏たちから離れていく。

 

「関本、前衛に立て」

 

森崎、小早川と治夏を中心に三角形を作るように立ちながら、右京が命じる。使い捨ての関本が立つのは、当然ながら敵が来る可能性が高い東側だ。果たして、想定通りの方角に敵兵の姿が見えてきた。

 

「関本、殲滅せよ」

 

右京が命じるのと同時に、関本が疾風のように敵に駆ける。関本は駆けながら抜刀すると刃に高周波ブレードを纏わせる。

 

「キイィイイィー!」

 

奇声を発しながら関本が振るった刃を、敵は自身も高周波ブレードを纏った刃で受け止めた。どうやら、敵も近接戦闘を得意とする魔法師のようだ。だが、関本を相手に接近戦は正しくない。

 

直後、関本の奇声に発砲音が混じった。同時に敵兵が崩れ落ちる。発砲音は関本が胸部に仕込んだ機銃を撃ったものだ。

 

「胸に銃を仕込んでいるとは思わない、という意味では奇襲効果が高い攻撃だが、一度でも撃ってしまうと服に穴が空いてバレバレなのは何とかならんのか?」

 

「こればかりは……服に再生機能でもなければ難しいのではありませんか?」

 

「イキキキ、イキキキキ」

 

この間に関本は敵の後続に剣戟と射撃、魔法を駆使して襲い掛かっている。

 

「なあ、やはり言語機能はもう少し高めた方がいいのではないか? あれでは狂戦士とすら呼べん」

 

「……さすがに、改善した方がよろしいでしょうな」

 

この間に関本は何発か銃弾を受けていたようだが、きちんと頭部への打撃は避けているようだ。首から下は機械への交換が進んでいるので、今の関本ならハイパワーライフルくらいでなければ効果は薄い。

 

自分にとって脅威となる攻撃を見極めているあたり、戦闘に関する機能は正常に働いているようだ。しかし、あの奇声はいただけない。

 

「まだまだ研究が必要だな」

 

無様ながらも敵兵の集団を圧倒する戦闘を続ける関本を見て、治夏はぽつりと呟いた。






ストックに余裕があるため、臨時投稿します。


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横浜騒乱編 桜木町防衛戦

宮芝家当主の和泉守から二番隊を任された一柳兵庫は、この日、宮芝家の精鋭四十名を率いて桜木町駅付近で待機していた。そうして午後三時半頃、戦端が開かれると同時に駅前広場に笹竜胆の旗印を掲げてゲリラの掃討に当たった。

 

宮芝家の魔法師には強力な魔法は使えない者が多い。兵庫の率いる部隊の魔法師も主武装は対物ライフル。魔法は自らの存在の隠蔽等の補助に用い、攻撃は高性能の武器を使うというのが宮芝の戦い方だ。

 

兵庫は敵の歩兵を狙撃で的確に葬りつつ、避難してきた民間人を収容していった。その戦闘の経過は国防軍に観測されており、この時点までは確かに兵庫たちは優勢だった。

 

しかし、戦況というものは刻々と変化していくものである。

 

通りの先から現れたのは巨大な金属塊だった。

 

複合装甲板で全身を覆った人型の移動砲塔。太く短い二本の脚に無限軌道のローラースケートを履かせているようなフォルムの下部構造と、一人乗りの小型自走車に様々な種類の火器がセットされた長い両腕と首の無い頭部をつけた上部構造。

 

全高約三メートル半、肩幅約三メートル、横幅約二メートル半、長さ約二メートル半の機体は、市街地において効率的に歩兵を掃討することを目的に開発された、直立戦車と呼称される兵器だった。

 

二機の直立戦車を見た瞬間、兵庫は敵機の射程内と推定される地点にいる宮芝の術者に後退を命じた。

 

後退の狙いは、一つは純粋な戦力面での不安から。携行火器が主体の宮芝家の術者の火力は高くない。対物ライフルも厚い装甲に守られた直立戦車の正面装甲を抜けるほどの威力は持ち合わせていない。

 

ただし、対処が不能というわけではない。高火力の魔法が使えないだけであって、例えば雷撃や関節部への熱風など、決定打とはいかなくても有効打となりうる魔法であれば、いくらでもある。

 

それでも敢えて後退を命じた理由。それは出立前に和泉守から命じられた目的を果たすためだった。

 

それが、住宅地で民間人に被害を発生させること。現在地は市街地であるため、直接的には命令には関係がない。

 

しかし、目的を民間人への被害と考えれば、多くの民間人が逃げ込んだシェルターへの直立戦車での攻撃はインパクトとしては絶大だ。大亜連合の兵士の残忍さと、いざ敵の上陸を許せば、こうなるのであるということを喧伝する材料とする。このままなら、今の日本が危機的な状況に置かれていることを想起させる最高の映像が撮れるはずだ。

 

だから、兵庫は部下にシェルターが攻撃されるのを傍観させる。実際には、全く攻撃を仕掛けなければ文字通りに傍観したことが非難されるので、敵の射程外から貫通しないと分かりきっている対物ライフルで攻撃し、頑張ったけれどもどうにもできなかった、という言い訳ができるようにしておく。

 

兵庫の狙い通り、直立戦車は宮芝家からの攻撃を煩わしそうにしながらも、シェルターに向けての銃撃を開始した。

 

轟音が耳を打ち、重砲撃を受けていた駅前広場が、耐えきれず大きく陥没した。しかし、これはまだシェルターに続く通路が崩落しただけだろう。シェルター本体を破壊するには、追加の攻撃を要するはずだ。

 

傍観を続けていた兵庫たちであったが、期待した光景が現出することはなかった。それより前に現れた一台の車両の後方から現れた一団から放たれた魔法が、直立戦車を倒してしまったからだ。

 

実行したのは二人の少女。ともに第一高校の制服を着用している。

 

「和泉守様の学校か」

 

敵が排除されたのなら、このまま待機しているのは拙いだろう。兵庫は隠蔽術式を解くと、車両に率いられた一段の前に進み出た。

 

「直立戦車の排除、かたじけない。我々は宮芝家の術士隊で某は指揮官役を拝命した一柳兵庫と申す」

 

「国防陸軍少尉、藤林響子です。貴官が桜木町駅付近で敵と交戦していたという宮芝家の部隊の指揮官ということですね」

 

「然り。されども我らの武装では直立戦車に痛撃を与えることができず、やむなく部隊を後退させざるをえませんでした。そこを、まさか高校生に助けられるとは……面目次第もございません」

 

「いえ、直立戦車はたまたま宮芝家と相性が悪かったということでしょう。それよりも……」

 

言いながら藤林が見たのは一人の男子生徒だ。

 

「……地下道を行った皆は大丈夫みたいです。誰かが生き埋めになっている形跡はありません」

 

「そうですか。吉田家の方がそう仰るなら確かでしょうね。ご苦労様です」

 

残念ながら、この場で死者は出せなかったようだ。同時に、男子生徒が吉田家の人間と分かったことで、兵庫はこの場での任務達成が困難となったことを悟る。宮芝に比べれば劣るとはいえ、吉田家の技量は侮れない。ここで工作を行えば、発覚して追い込まれてしまうのは宮芝の方だ。

 

こうなると、工作は少し離れたところで行うしかないのだが、駅の前にはシェルターの入り口を潰されて途方に暮れる市民の数が徐々に増しており、彼らを置いて、この場を離れるという手段は取りにくい。

 

「では七草先輩は、野毛山に向かうべきだと」

 

「私は逃げ遅れた市民の為に、輸送ヘリを呼ぶつもりです」

 

さて、どうしようかと頭を悩ます兵庫の耳に飛び込んできたのは、そんな驚きの会話だ。かなり高い実力を持った魔法師だとは思ったが、十師族の七草家の人間なら納得もできる。そういった事柄よりも驚いたのが、高校生が輸送ヘリを呼ぶという発言についてだ。

 

「まずあの残骸を片付けて発着場所を確保し、ここでヘリの到着を待ちたいと思います。摩利はみんなを連れて響子さんについて行って」

 

「何を言う!? お前一人でここに残るつもりか!?」

 

「これは十師族に名を連ねる者としての義務なのよ。私たちは十師族の名の下で、様々な便宜を享受している。この国には貴族なんかの特権階級はいないことになっているけど、実際には、私たち十師族は時として法の束縛すら受けず自由に振舞うことを許されているわ。その特権の対価として、私たちはこういう時に自分の力を役立てなきゃならない」

 

その言葉が皮切りになったようだった。

 

「だったら僕もこの場に残りますよ。僕も数字を持つ百家の一員として、政府から色々な便宜を受けていますから」

 

「俺は十師族でも百家でもありませんが……下級生の女の子が残るって言ってんのに、尻尾を巻いて逃げ出すなんて真似はできませんぜ」

 

「オレもです。腕っぷしには自信があります」

 

「吉田家は百家じゃありませんが……いろいろと優遇してもらっているという点では同じです」

 

「下級生が全員残ると言っているのに、あたしたちだけ避難するわけにはいかないよな?」

 

男子生徒も女子生徒も、次々とこの場での戦闘に加わることを宣言していく。

 

「では、この場での戦闘は皆様にお願いしてもよろしいでしょうか? 遺憾ですが、我々は防衛戦には向いていません。それよりも前に出て遅滞戦闘に出た方が皆様のお役に立てると思います」

 

「そう……ですね。分かりました。お任せします」

 

「本来は我々こそが防衛戦の最前線に立つべきところ、申し訳ない。この汚名は働きで返上させていただく」

 

七草に一礼し、兵庫は部下たちを率い、桜木町駅前を離れる。

 

「いかがなさいますか?」

 

「言った通りだ。敵への遅滞戦闘を行う」

 

「よろしいのですか?」

 

「高校生が自らの義務を果たそうとしているのだ。我らが利己的な行動を取るわけにはいくまいよ」

 

宮芝の行動はたとえ行うことが虐殺でも国を思ってのこと。しかし、彼らの行動も同じく国の為に働くというもの。そして違うのは、宮芝は国から禄を得ているのに対して、彼らは逃げることが可能であるにも関わらず、純粋に魔法師として義務を果たそうとしていることだ。両者を比べた場合、どちらが尊いかは考えるまでもない。

 

彼らの犠牲をなるべく少なく。方針を変えた兵庫は前線でなるべく多くの敵を屠るべく兵たちを前に進めた。



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横浜騒乱編 大亜連合の名もなき兵士

大亜連合軍の日本への奇襲部隊に選ばれた趙海誠は、装甲車の指揮官席で周囲を油断なく見回していた。

 

この一帯は先んじて蜂起したゲリラ部隊により制圧済という話だが、ここはそもそも敵地だ。特に趙が搭乗する装甲車は、五輌からなる車列の先頭だ。油断することなどできるはずがない。だから、趙がそれに気づくことができたのは必然だった。

 

前方から、よろよろと歩いてくる人影があった。

 

ハイネックのセーターにジャンパー。カーゴパンツに似た余裕のあるズボン。大亜連合の潜入工作員がよく使用しているアサルトライフルを装備している。間違いなくゲリラ部隊の一員だろう。

 

ゲリラ部隊の男は左肩が鮮血に染まっている。負傷により判断能力が低下しているのだろうか、車線の中央を左右にぶれながら歩いていた。このまま装甲車を前に進めていては轢いてしまう。

 

仮にも味方だ。構わず轢き殺して進んでは、今後の潜入役の士気に障る。

 

やむなく趙は装甲車を停止させた。

 

「前方に負傷した協力者を発見。誰か車内に収容しろ」

 

中の兵員に連絡すると、三名の兵士が路上に立ったようだった。そのうちの一人が警戒に当たり、残りの二人が負傷者を収容しようとする。

 

二人の兵士が男に近づき、声をかける。その次の瞬間だった。顔を上げた男が急に味方に向けて発砲をしてきた。周囲の警戒こそすれ、救助対象と思った相手から撃たれることは想定していなかった三人は、何の抵抗もできずに撃ち殺された。

 

もしや、敵が偽装か。己の判断を悔いると共に、ならば轢き殺せと命じようとした。だが、それよりも敵の次の攻撃の方が早かった。

 

どこからか機関砲の発砲音が聞こえてきた。それと同時に、中央に位置していた三輌目の装甲車から炎が上がった。敵の狙いは明快だ。中央の装甲車を擱座させることで車列を分断しようとしているのだ。

 

「くそっ、どこからだ!?」

 

叫んでみたが、指揮官席にいる趙に分からないことが、装甲車の中にいる人間に分かるはずがない。頼みの綱は攻撃にあった車輌より後方、四輌目と五輌目の車輌だ。

 

「詳しくは分からないが、上からの攻撃だ!」

 

「上から? ビルの上にでも機関砲が備え付けられているとでも?」

 

そんな馬鹿なことがあるはずがない。ここは要塞ではなく市街地だ。紛争地でもない限り、装甲車を撃ち抜ける口径の機関砲を街中に設置する馬鹿はいるまい。

 

「分からない。けど、確かに上から撃ち抜かれたように見えた」

 

装甲車にとって底面に次いで防御がしにくいのが上方向だ。まさかと思ってしまったが、妙な先入観に囚われれば致命的な結果を生みかねない。もしも、すでに敵の機関砲に狙いを付けられているとすれば、ここに留まるのは危険だ。

 

趙は急いで発進を命じる。装甲車が急発進し、前に立ったままこちらに銃を向けていた男を跳ね飛ばした。

 

発進して十メートルほど進んだ頃、後方で銃撃の音がした。最後尾の装甲車がいた位置で炎が上がる。今度は趙にもはっきりと見えた。敵の位置は真上。つまりビルの上からの攻撃ではない。

 

「幻影術式だ! 姿を隠しているぞ!」

 

あとは気配も消しているかもしれない。しかし、銃声は聞こえたことから音は消していないとすると、ヘリなどがいるわけではなさそうだ。けれど、敵の銃撃の威力はどう考えても歩兵用の銃器ではない。

 

どういうことかと考えている間に、四輌目に位置していた装甲車から出た兵士から幻影解除の術式を放った。それによって敵の正体が露わとなった。

 

それは空を飛ぶ少女だった。一瞬のうちにビルの陰に隠れてしまったが、水色の衣装を身に纏っていたこと、そして右手に自分の体よりも長大な機関砲を持っていた。

 

「あれは飛行術式か」

 

自らと武器を一体のものと認識することで、飛行魔法を機関砲にも用いているのだろう。装甲車を葬れるような魔法師となると限られてしまうが、あれならば本来より一段劣る魔法師でも十分な打撃力を得られそうだ。

 

「厄介な攻撃を」

 

言いながら装甲車を停止させ、中の兵員を外に出す。あのような攻撃を車輌が受けてしまえば、中にいる兵員は全滅する。それだけは避けなければならない。

 

次に敵が上空に姿を見せたときには、必ず撃ち殺す。その覚悟を持って上を見上げる者たちを嘲笑うように地上からアサルトライフルの射撃音が聞こえてきた。二人の兵士が銃撃を受け、道路に蹲る。

 

多くの者が上方に気を向けていたとはいえ、当然ながら周囲を警戒する者は残していた。それにも関わらず警告を発することができなかった。それが意味することは……。

 

「幻影術式だ! 解除しろ!」

 

他の兵士に守られていた、敵の防御魔法への対抗魔法に長けた魔法師が幻影解除の魔法を使う。それにより姿を現したのは、やはり水色の衣装を纏った少年だった。少年が物陰に飛び込みながらアサルトライフルを撃ってくる。

 

趙の部下たちも特殊部隊に所属する兵士たちだ。見えている敵からの攻撃にやられるほど甘くはない。全員が装甲車や物陰に隠れることで銃撃をやり過ごす。だが、敵の攻撃はそれで終わりではなかった。

 

物陰に隠れた兵士に向けてドライ・ブリザードの魔法によるドライアイスの弾丸が襲い掛かる。ちらりと視線を向けたところ、敵はアサルトライフルの他に拳銃型のCADを左手に持っていた。狙われた兵士は魔法発動の兆候に気づいて咄嗟に身を捻ったことで致命傷は避けられたようだが、敵地での負傷は痛い。

 

「敵は魔法師だ! 魔法攻撃にも注意しろ!」

 

叫びつつ敵に銃撃を浴びせるが、敵は建物の陰に隠れてしまう。

 

「深追いはするな! 対幻影魔法を欠かすな!」

 

これ以上の奇襲は何としても防がねばならない。今は攻撃よりも態勢を立て直すことの方が大事だ。

 

警戒を続けている趙たちのところに二輌目の装甲車を降りた兵士たちが加わってくる。これで反撃の準備は整った。

 

さあ、反撃の時間だ。そう思ったとき、道の向こうに大柄な男が現れた。

 

敵か、味方か。見極めるために目を細めた趙は、次の瞬間には大きく目を見張った。

 

男は趙も顔を知る大亜連合のエース。呂剛虎だった。

 

普通に考えれば味方。しかし、作戦前に呂剛虎が敵の手に落ちたという噂もあった。先ほどのゲリラのこともある。

 

「警告射撃だ。止まらせろ」

 

少しの逡巡の後、趙はそう命じた。それを受けて部下が呂の前方に発砲し、その場で止まるように言う。

 

「ウゴオオオオォー!」

 

次の瞬間、呂が咆哮を上げてこちらへと突進を開始した。

 

「構わん! 撃て!」

 

趙の声に応じて部下たちが一斉に銃と魔法で攻撃を開始する。だが、呂は全く足を止めることがない。高名な剛気功によって銃弾も魔法も全ては弾かれてしまう。

 

「ゴガアアアァア!」

 

突進してきた呂が兵士の一人に剛腕を振るう。たったそれだけで、兵士は身体を二つに裂かれた。

 

「ガアアァアアア!」

 

呂が半分となった兵士の身体を投げつける。圧倒的な力で投じられたそれは凶器となり、投げつけられた兵士の命を奪う。

 

「撃て! 撃て! 少しでも足を止めろ!」

 

強国、大亜連合でエースと呼ばれた呂の戦闘力は確かに高いもののはず。しかし、これほどまでに規格外だったのだろうか。目の前で暴れまわる呂の戦闘力は話に聞いていたよりも遥に上に思える。何より、意味を成していない咆哮とともに、ただただ暴れまわる姿は理性を全く感じさせない。

 

「もはや、あれは呂剛虎とは別ということか」

 

三人目の味方の兵士がなすすべなく縊り殺された。これまで、部下の攻撃は呂に全く痛痒を与えてはいない。趙は今の自分たちの手持ちの武器と魔法では呂を止めることはできないと悟った。こうなれば、無様でも少しでも多くの兵を逃がす手しかない。

 

「総員散開して撤退を……」

 

趙がそう命じかけたときだった。

 

「イキキキキキキ!」

 

上空から奇妙な声が聞こえてくる。それが、趙が最後に思ったことだった。




森崎、小早川、関本、呂剛虎(全員ほぼ別人)が大亜連合に襲い掛かる!
自分が書いておきながら、もう滅茶苦茶だなー、なんて思ったり。


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横浜騒乱編 一柳隊の激闘

部下の半数を密かに第一高校の生徒たちが陣取る桜木町駅付近に残し、一柳兵庫は二十名の部下と共に前線で敵を殲滅していた。殲滅といっても敵に貪欲に食らいついていくような派手な戦い方ではない。姿を消して敵に奇襲を仕掛けてはすぐに退くという、どちらがゲリラか分からない戦い方だ。

 

そのような戦い方では、当然ながら全ての敵を撃破できるわけではない。けれど、それら撃ち漏らしは後方の二陣と第一高校の生徒に任せるという方針だ。

 

「直立戦車……いや、少し違うようだな。新型か?」

 

そんな中、兵庫の警戒網に掛かったのは奇妙な戦闘機械の反応だった。カメラを背負わせた式神を向かわせる。そして映像が兵庫の元に届けられた。

 

無限軌道を備えた短い脚部。前後に長い胴体部。そこまでは通常の直立戦車と同じ。

 

だが、右手にチェーンソー、左手に火薬式の杭打ち機を取り付けた腕は、通常装備の直立戦車ではあり得ないもの。災害現場で使われる障害物除去用の重機を人型にしたかのようなフォルムだった。加えて、右肩には榴弾砲、左肩に重機関銃。

 

それが三機、列を成して進んでくる。

 

「攻撃力は通常型よりも強化されているか。防御力も装甲材の強化で若干の性能向上がなされているかもしれんな」

 

通常の直立戦車にも通用しないような武装では、おそらく痛撃を与えることはできまい。通用するとすれば、純粋な打撃力とは異なる攻撃。

 

「やれ!」

 

短い指示と同時に道の両側から霧が吹きだした。濃霧は瞬く間に新型の直立戦車の姿を覆い隠す。視界を奪われた直立戦車に向けて古式魔法の雷童子が放たれる。しかし、対電気防御は施されているらしく、敵機を撃破するには至らない。

 

「銃撃、開始!」

 

続いて銃による攻撃を行うが、これも決定打とはなりえない。敵を照準に収めるべく新型直立戦車が旋回をするのが見えた。

 

「総員、後退!」

 

声を張り上げ、術士たちに敵機から距離を取らせる。距離を取った術士たちは、そのまま前へと走っていく。敵機はそれを追って元来た道を戻り始めた。これは、敵機を撃破するのが困難とみた兵庫たちの魔法によるものだ。

 

霧は言うまでもなく視界を奪うもの。続いての雷童子は計器類を狂わせるもの。その間に直立戦車の乗員に方向感覚を狂わせる魔法も放っていた。それに気づかず、敵機は銃撃を行う宮芝の術士に反撃をすべく機体を旋回させた。そして、兵庫の叫んだ後退の言葉を信じて来た道を戻り始めたというわけだ。

 

ひとまず敵の攻撃を遅滞させるという目的は果たした。けれど、このまま逃げ回って時間を稼ぐだけというのは悪手だ。他にも敵が桜木町駅に向かっていた場合、挟まれてしまう可能性がある。

 

「それではつまらんからな。少しは削らせてもらおうか」

 

兵庫の合図を受け、またも濃霧が直立戦車の前に立ち込める。また同じ手とみたか、敵機は構わず突っ込んできた。

 

「愚かな」

 

進んで少し、直立戦車の一機が動きを止めた。魔法による直接的な効果ではなく、魔法による毒ガス攻撃で乗員に異常が発生したことによるものだ。雷童子と銃撃により攻撃を加えたのは、敵の誘引のためだけではない。機体の装甲に傷をつけて毒ガスの侵入経路を確保するためのものだ。

 

毒ガスに気づいた敵の搭乗員がコックピットを開いて外へと逃げ出そうとする。しかし、無論のことそれを許す宮芝ではない。

 

顔を出した搭乗員は狙撃により左肩を撃たれ、地面へと転がり落ちる。操縦者は、まだ死んではいないはず。そうなるように敢えて殺さなかったのだから。あの兵を殺すのは、負傷した味方を助けるために敵が集まってきてからだ。

 

しかし、敵も兵庫たちの狙いには気づいているのだろう。残る二機の直立戦車が隠れる宮芝の術士を炙り出そうと物陰を狙って銃撃を行ってくる。

 

敵機の搭乗員の選択は正しい。だが、それは敵の搭乗員の見えている光景が正しいものであった場合の話だ。宮芝の術士の本分は、隠蔽術式に加えて幻影魔法である。敵の搭乗員には平坦な場所に見えている場所には実は壁が存在しており、宮芝の術士が身を潜めているのは、その裏側である。

 

直立戦車の射撃に対する反撃がないのを確認し、地面に倒れる搭乗員を救うために敵の歩兵が前へと出てくる。倒れた敵兵まで、あと三歩……二歩……一歩。

 

「やれ!」

 

兵庫の声に合わせて二人が同時に魔法を発動させる。使った魔法は泥濘と隆土。使った相手は健在な直立戦車の一機だ。

 

直立戦車の右足元が泥沼に変わって沈み込む。一方の左足は隆起した土砂に押し上げられる形で持ち上げられた。バランスを崩した敵直立戦車が大きく傾く。しかし、転倒させるまでには至らない。けれど、これで終わりでもない。

 

ダメージを与えるための雷童子。続いて敵機を今度こそ転倒させるための陸津波。陸津波が襲ったのは、隆起した土砂上の左足だ。雷童子により機体が硬直したところに、不安定な足場の上の左足に直撃を受けて、ついに直立戦車が轟音を立てて地に転がった。

 

敵機は宮芝の術士が歩兵を狙ってくることを警戒するあまり、自身の守りへの意識が疎かになっていた。それに宮芝の術士たちは、たっぷりと時間をかけて魔法を発動させるだけの時間的余裕も得ていた。それゆえの横転という戦果だ。

 

残った最後の一機が、標的の位置を探ることを諦め、所構わず射撃を始める。どうしても敵を見つけられないがゆえの出鱈目な攻撃だったが、その射撃が幻影で隠していた壁を貫通して裏にいる術士を負傷させた。

 

「後退の笛を鳴らせ!」

 

それを見て、兵庫は部下に退き笛を鳴らさせた。負傷した術士は他の者で抱え、一斉に後退を始める。

 

宮芝の術士に対して有効な攻撃と、通常の実戦魔法師に有効な攻撃は全く異なる。通常の実戦魔法師に対しては、魔法による守りを抜くためのハイパワーライフルが有効だ。だが、威力が高い代わりに速射性に劣るハイパワーライフルは、幻術や認識阻害魔法を多用する宮芝の術士にとっては与し易い武器である。

 

守りの魔法を得意としていない宮芝の術士に対して有効なのは威力よりも広範囲に破壊力を有する攻撃か、とにかく弾数が多い攻撃だ。つまり、面制圧射撃や短機関銃の乱射などが有効ということだ。

 

その弱点は、まだ他には知られていない。それは、弱点を晒さないように注意し、巧妙に戦ってきた先人たちの知恵のたまものだ。その攻略法にたどり着くための発端を、こんな所で与えてしまうわけにはいかない。

 

兵庫たちの守っている第一高校の生徒たちは、高校生といえども旧式とはいえ直立戦車を一瞬で撃破してみせる猛者たちだ。仮にここで兵庫たちが退いたとしても、あの少女たちが敗北に追い込まれることはないだろう。

 

ただし、敗北しないということと死傷者がいないということは別問題だ。あの少女たちが強者ということは兵庫も理解している。

 

けれど、強者であるからこその弱点というものはあるものだ。そして、実戦経験が不足した高校生たちは、おそらく自らの弱点を把握してはいまい。しかし、そこは残してきた二十名の術士たちが補う戦い方をしてくれるはず。

 

総合的に考えれば、兵庫たちは退き時だ。手持ちの武器では苦戦することが明確になった以上、もう直立戦車を含む部隊に挑むことはしない。

 

「これより我らは本来の任務に移行するぞ」

 

それは若者たちを守るという正しき戦士から、いかなる手段をもってしても未来の日本を守るという汚れ役へと戻るという宣言だった。

 

これから行うのは、怨嗟と後悔をもって国に戦意を与える忌まわしき同胞殺し。誰にも認められない戦いを行うために兵庫は部下に厳重な隠蔽術式の展開を命じた。




直立戦車について、どのように描くかということで割と悩んだ場面です。

直立戦車は原作では引き立て役となっていましたが、本作では一定の戦闘力を有する兵器と定義しています。
正面からならば、四十ミリ機関砲にも耐えられるその装甲は、宮芝の術士では抜くことができず、一柳隊は苦戦を強いられました。

という設定で本話を仕上げたのですが、そうすると真由美のドライアイスは四十ミリ機関砲より威力があるということに。
ついてに克人のファランクスも。
ま、まあ、二人とも十師族だし、人間を粉々にできる威力の魔法を使えてもいいよね。
レオも超一流の攻撃力を持つことになるけど、原作で実戦魔法師を圧倒していたし問題ないよね。

けど、本当にいいのでしょうか?
魔法科高校の生徒たちが強くなりすぎの気が。


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横浜騒乱編 平河小春の戦い

第一高校三年生にして今は宮芝の配下に入らされている平河小春は、桜木町駅前でヘリの到着を待ちながら、ただ一つのことだけに注意を傾けていた。それは、妹である千秋の安全のことだ。

 

千秋の安全を確保するためには、何としても敵を近づけさせてはならない。宮芝から千秋に指示された内容は、千秋を唆した何者かが接触をしてきた場合に、自爆して相手を道連れにすることのみ。しかし、小春は千秋の自爆装置の起動スイッチを、宮芝の者たちも握っているのを知っている。

 

あの宮芝が、千秋が敵の捕虜となることを容認するか。答えは、どう考えても否である。

 

捕虜となることができないなら、死力を尽くして敵を倒すしかない。だから、千秋の安全の確保とは、敵は全て倒すことに他ならない。

 

だから千秋の警戒は常に地上に向けられていた。それは、敵が急に現れそうな路地のみではない。そもそも和泉守は九校の制服を身に纏った者すら、内通の可能性を疑って警戒を怠らずにいた。それに比べてもゲリラが混じることが遥に容易な、一般市民という存在は小春にとっては敵の予備軍でしかない。

 

小春に実戦魔法師としての経験はない。小早川のように宮芝で戦闘訓練を受けたわけでもない。使える魔法も精巧なものがほとんどで、学術的な用途は高くても戦場ではあまり役に立たないものばかりだ。

 

一科生とはいえ、そんな小春では、できることは限られている。ならば、小春にできることをやるしかない。

 

小春が宮芝の配下となってからの期間は短い。だが、短い時間でも宮芝の魔法師ができること、できないことの割り切りについて驚くほど淡泊なのは分かった。

 

無論のこと、修業の場面においては、できないことを、できることにするために努力する。だが、修業の場で成果が出せなかった場合、それはできないことなのだと諦める。少なくとも練習でできないのに、実戦で使うということは絶対にないと言っていた。

 

その考え方は小春にも分かる。学力テストにしても、魔法実技にしても、練習で成功しないものが本番では成功するというケースは、あまりない。

 

それでも、テストであれば真剣さが増したことで解けるということもあるだろう。だが、使う場面があるかないか分からない実戦で、急な機会にぶっつけ本番で使用となると、成功することはないと考えた方がいいだろう。

 

小春は自分ができることしかしないと決めていた。だから、ダブルローターの輸送ヘリの着陸の直前に季節はずれの蝗の大群が現れたときも、それがヘリを包もうとしたときも何もしなかった。

 

これには、着陸前のヘリは千秋の危険と直接の関りがなかったということもある。しかし、それ以上に明らかに自然の生物と異なる蝗に対して、自分の手持ちの魔法では、できることはないと悟っていたためだ。それよりも小春がすべきことは、皆の意識が上空に向いている間の地上の警戒。そう信じて、地上に視線を向けていた。

 

それは、北山雫という少女が蝗たちを迎撃しているときも、黒尽くめの人影が空に現れたときも、同じ服装の集団が飛来してきたときも、同様であった。戦場に対して、何の知識も経験もない小春がすべきことは、未知の危機への対応を考えることではない。

 

未知のことを想定できるほど、小春は自分を賢明だと自惚れてはいない。小春がすべきことは、小春でも考え付くことに対して警戒をするのみだ。

 

ただ、少しだけ思うこともあった。飛行魔法を行使していた黒尽くめの集団は、その行動から考えて、おそらくは国防軍の部隊なのだろう。ということは、あの中には司波達也もいた可能性がある。

 

九校戦で見た司波達也は、同じ高校生、しかも下級生とは思えない魔法に関する知識と技術を有していた。当初は小春も、その技能の差に打ちのめされた。しかし、彼が現役の国防軍の士官であったのなら、その差は比較の意味がないことになる。

 

ただの高校生と、軍に所属して実践的な研鑽を積んできた人物とでは、差ができて当然だ。もしも、あのときに知っていれば、自分も妹も、道を誤ることはなかっただろうに。

 

そう思ったところで、主である和泉守の声が聞こえた気がした。それは、なぜ君は相手にとって何の得にもならないのに情報を開示してもらえると思うのか、というものだった。今はその言い分が実感として理解できる。

 

現状、小春の仮想敵は市民たちである。七草真由美は十師族の義務として市民たちを守ることを自らに課していたが、小春は少しでも不審な点かあれば、即座に魔法で攻撃しようと考えていた。

 

小春の最大の関心は自らと妹の命。だから、真由美には何も告げずに、小春は宮芝特製の腕輪型のCADの上に指を置いたままにしている。

 

宮芝特製のCADといっても、はっきり言って性能的には見るべきものはない。設定されている魔法は僅かに一種類。発動速度も最大で九種類の起動式が設定できる普通の特化型のCADと同程度。唯一、優れている点が、種類が一種類のみであるため、使用者が魔法を選択するという行為が不要ということだ。

 

ゆえに小春が行うのは、ただ標的を定めて、サイオンを流しながら腕輪に付いたボタンを押すだけ。小春は仮にも一科生。そのくらいなら造作もない。

 

ヘリが着陸して、市民の収容を開始する。それでも小春の行うことは変わらない。

 

ゲリラが襲ってくることを警戒して、他の皆は周囲に視線を向けている。それに対して小春は、戦闘用の魔法は使えない風を装って、ひたすらに内側を見つめていた。

 

一機目のヘリが上昇して少しして、二機目のヘリが到着する。到着したのは、軍用の双発ヘリだった。

 

到着したヘリと通信を行っていた真由美が市原鈴音に声を掛ける。

 

それに応えて、鈴音が振り返る。

 

その背後に迫る影があるのを見て、小春は迷わず腕輪のボタンを押した。瞬間、無音で飛んだ毒矢が鈴音に迫る男を穿った。

 

腕輪に込められた魔法は、加速と移動。すなわち、袖口に仕込んでいた毒矢を魔法の力で飛ばすという単純なものだ。

 

倒した敵の他にも怪しい動きをする者がいた。確信はないものの、敵である可能性は高いように思える。小春は迷わず、その男にも毒矢を撃ち込んでおいた。

 

「平河さん?」

 

さすがに二度目の射撃ともなれば、目端の利く真由美なら気づく。

 

「和泉守様から市民に紛れたゲリラに注意せよと助言をいただいていましたので」

 

詳しく聞かれる前に、そう答えておく。

 

「貴女も宮芝の流儀に染まってしまったということなの?」

 

「確証に至るまで待っていたのでは、間に合いません。私たちが生き残るには、先手を打つしかありませんので」

 

どこか悲しそうな真由美から目を逸らし、小春に対して恐れを含んだ視線を向ける市民たちへと目を戻す。

 

「分かりました。鈴音を助けてくれて、ありがとうございます」

 

「はい」

 

鈴音を助けたことへの礼を言う真由美にも軽く声だけで返し、小春は市民たちへの警戒を続けた。



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横浜騒乱編 魔法協会前の攻防

宮芝和泉守治夏が関東支部に近づいたときには、魔法協会の組織した義勇軍はジリジリと後退を余儀なくされているところだった。

 

敵の上陸部隊は、明らかに主力。白兵戦仕様の特殊な直立戦車を主力とし、多数の魔法師が同行している。

 

犬に似た獣が炎の塊となって爆ぜる。「禍斗」と呼ばれる魔物を真似た、化成体と呼ばれる幻影体を作る古式魔法だ。

 

敵は大陸系の古式魔法を使って義勇軍に襲い掛かっている。

 

相手は最早「国籍不明」軍ではない。素性を隠蔽する意図を放棄したのか、特徴のある術式と対魔法防御の施された直立戦車が義勇軍の陣地を蹂躙する。

 

協会の魔法師も速度、即ち手数に勝る現代魔法で対抗していたが、劣勢は明らかだ。

 

「クッ、撤退だ!」

 

「後退して防衛ラインを立て直す!」

 

それでも、戦意は失っていないようだ。まあ及第点くらいは与えても良いだろう。

 

「その必要はないよ」

 

治夏は言いながら大弓型のCADの弦を引く。治夏が右手を離すと同時に、ぴいん、という高い音が響き、炎の化成体たちが跡形もなく消え失せた。

 

宮芝が長年をかけて練磨し続けてきた古式魔法、弦打ち。その効果範囲内では幻影体は存在を保つことができない。

 

「さあ、行け! 人形たち!」

 

治夏が言ったのとほぼ同時に、敵の後方が騒がしくなる。

 

「助けてくれ! 撃たないでくれ!」

 

そう言いながら、大亜連合の兵士に向けて銃を乱射する男がいた。銃を乱射している男もまた、大亜連合の兵士だ。男は治夏たちが捕らえ、呪符で操作をしている。だが、大半の身体の自由は奪いながら、意識と首から上の操作権のみは残している。

 

「俺を操っている奴は、あの女のいるビルの中にいる。頼む、そいつを殺してくれ」

 

あらぬ方向に首を向けながら、銃だけは正面に向けて乱射しているのだから、撃たれている大亜連合の兵士からしてみれば堪ったものではない。操っている魔法師を殺すまで、好きに撃たせてやることはできない。そう決断したか、銃口が男に向いた。

 

「やめてくれ! 撃たないで……」

 

男の懇願は聞き届けられず、銃撃が男を穿った。

 

「痛い! 痛い痛い痛い痛い痛い」

 

絶叫しながらも、男はなおも銃を撃ち続ける。男の身体は、男が動かしているのではない。魔法の力で動かしているのだ。たとえ肉体が致命傷を負ったとて、簡単に止まることがない。

 

「痛い! もういい、殺してくれ! 殺してぇ」

 

顔の右半分は吹き飛ばされ、残った左眼からは涙が溢れている。それでも男は銃を撃ち続けている。治夏はその姿に哄笑を送る。

 

「そら、早く殺してやらないと、いつまでも苦しみ続けることになるぞ。さ、早く味方を撃ち殺せ」

 

笑う治夏に対して銃弾は飛んでこない。治夏の側近の一人である村山右京は現代魔法である「凍火」を元にした「制火」の魔法を使用できる。

 

「凍火」の魔法は熱量の増加を禁止することで銃火器を封じることができる魔法。それに対して「制火」の魔法は、その熱量の増加の抑制を精霊の活動を活発化させるという方法で行うことで、対象を一定範囲内にまで広げたものだ。

 

利点としては、対象を個別に指定しないため隠れている敵にまで効果を及ぼせる。一方で欠点として範囲を対象とするため、味方にまで効果を及ぼしてしまう。

 

この「制火」の影響内では、味方も銃が使えないために白兵戦が発生しやすい。治夏の脇を固める者たち全員が刀を保有しているのは、これに備えてのものだ。

 

「ゴガアアアァア!」

 

そして、火器を封じられた直立戦車に迫るのは放たれた暴虎。その強化された魔法力により振るわれる剛腕は素手で直立戦車の脚部を破壊するほどの威力を持つ。

 

「イキキキキキ!」

 

同時に山中図書の幻影魔法で姿を隠して空を飛行する小早川から投下された関本勲が高周波ブレードを纏った刃で直立戦車のコックピットを貫く。そして森崎は義勇軍と共に敵の古式魔法師に対して、速度で勝る現代魔法で対抗している。

 

現状、優勢に戦闘は推移している。しかし、火器を封じたとはいえ、防御の高い直立戦車は少々、厄介な相手のようだ。

 

何か弱点はないかと直立戦車を見ていた治夏は、敵が剪紙成兵術という古式魔法の術式で機甲兵器を動かしていることに気が付いた。その核の位置も古式魔法を極めた治夏には手に取るように分かる。

 

「断ち切れ!」

 

破呪の術式を行使すると、敵直立戦車の機動性は眼に見えて低下した。これなら、直立戦車を倒しているのが実質的に二人でも問題ないだろう。

 

残る皆川掃部は姿を隠して人形兵士たちを操作。山中図書は本陣に戻って治夏を護衛中。余剰戦力がないのは気になるが、贅沢は言っていられない。

 

「掃部、残る人形も投入してやれ」

 

掃部に連絡すると、更に三人の兵士が追加された。

 

「嫌だ、嫌だ!」

 

「いっそ殺してくれ!」

 

「この悪魔め!」

 

三人は思い思いのことを叫びながら、かつての味方であった兵たちの方へと足を進め続けている。

 

「随分と悪趣味なことをしているな」

 

声の方を向くと、先行していたはずの十文字克人がいた。プロテクターとヘルメットを身に着けたその姿は、古の鎧武者のようだ。

 

「おや、随分な重役出勤だな」

 

「戦闘を行うのだ。準備くらいは必要だ。宮芝こそ、戦闘服くらい着たらどうだ?」

 

「この陣羽織が我らの戦闘服なのでな」

 

「む、そうか……」

 

意外にも十文字はその説明で納得したようだ。まあ、嘘ではないので問題はないのだが。

 

「ところで、ここには我らの先遣隊がいたはずだが、前会頭殿はご存知ないかな?」

 

「彼らはここを長く守り抜いてくれたが、敵の猛攻の前に壊滅状態になっていた。だから、今は後退してもらっている」

 

壊滅状態? 誰が?

 

その言葉は、あまりに意外で、受け入れられないものだった。

 

「一体、どうして!」

 

言いながら、ビルから飛び降り、十文字の元へと走る。このとき、治夏は完全に周囲から意識を逸らしてしまっていた。

 

「宮芝!」

 

十文字の強い口調で我に返る。そうして見つめた先には飛来してくる鉄塊。近くに来た今なら届くと、使えない重機関銃を投擲してきたようだ。魔法力に劣る治夏には、それを防ぐ方法はない。

 

「あ……」

 

声にならない恐怖の声をあげ、顔を庇うようにして背を向けることしかできない。後は重機関銃に潰されるのを待つだけ。

 

しかし、その瞬間は訪れなかった。投ぜられた重機関銃は、まるで分厚い壁に当たったかのように跳ね返された。

 

十文字克人の代名詞である、多重障壁魔法「ファランクス」。

 

その防御力は、正に鉄壁。

 

そして、ファランクスが優れているのは防御力だけではない。

 

「むんっ!」

 

十文字が右の掌を突き出す。それだけで、直立戦車はスクラップになった。

 

ファランクスの術式は、何枚もの障壁を次々と構築し、前面の障壁が効果を失ったら次の障壁を前に出し最後尾に新たな障壁を追加するというものだ。

 

防壁は常に一定の領域で移動し続けている。

 

その壁を自分の前に固定するのではなく、敵に何十枚も高速で叩きつける。

 

防御においては複数の性質をもつ複数の防壁を同時展開。

 

攻撃においては単一の性質を持つ多数の障壁を連続射出。

 

ファランクスはその名のとおり、攻防一体の魔法なのである。

 

「あ……う……」

 

自分に迫る重機関銃の残像は、まだ消えていない。恐怖で竦んだ身体は、まだ上手く動いてくれない。お礼を言うべき口も、まだ意味のある言葉を紡いではくれない。

 

「怪我はないな、宮芝」

 

言いながら十文字は、前に立つ護衛の兵士ごと、敵の魔法師を吹き飛ばしていた。

 

死の恐怖は、簡単に消えてはくれない。涙が零れそうになったが、部下たちの前で泣いたりすることはできない。治夏は唇を噛みしめ、何とか頷いて見せる。

 

「少し下がっているといい」

 

まだ身体が動かない治夏を励ますように軽く頭に手を置いて、十文字克人が前線に歩いていく。

 

今の治夏は、それを黙って見送ることしかできなかった。



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横浜騒乱編 中華街前

郷田飛騨守が率いる宮芝家の三番隊は、中華街の付近に潜伏し、じっと動くべきときの到来を待ち続けていた。機会を絶対に逃さぬよう、飛騨守が率いる四十名はこれまで一戦もしていない。

 

横浜の中華街は戦後の再開発の結果、ビルが壁の役目を果たして東西南北の四門からしか出入りできなくなっている。無秩序な再開発ではなく、計画的に行ったことだ。

 

閉じ込める為か、閉じこもる為か。

 

おそらくは、後者。であるからこそ、この街の人間は根絶やしにしなければならない。

 

平時であれば大きく開け放たれ観光客の出入りが絶えない四方の門が、今は固く閉ざされている。

 

それは飛騨守の読み通りであり、かつ望んでいた光景だ。門が四方に一つずつしかないということは、即ち逃げ道も四か所しかないということ。つまりは中に火を放って門前で銃を構えていれば、それだけで中の人間を根絶やしにできるということだ。

 

無論、中華街の中にも単純に商売のことのみを考え、日本を害する意思など全くない者もいるだろう。いや、むしろそちらの方が多数派かもしれない。しかし一方で、この場所を日の本に対する敵対行動の拠点としている者たちも確かにいるのだ。ならば、平穏に暮らす者たちには悪いが、日本国と日本国民のために、その者たちの死を厭うことはしない。

 

すでに四方の門には各十名が張り付き、射程に捉えられる場所には各二丁の重機関銃が備えられている。以後、門が空いて中から出てくる人間は、民間人の風貌だろうと赤子であろうと、皆殺しにするよう命令を下していた。

 

戦の潮目はすでに変わっていると、飛騨守の感覚は伝えてきている。後は機を見て仕掛けを放り込むのみである。

 

しばらく待つと、北の方から義勇軍部隊に追われた敵の部隊が、中華街の方向へと後退してきた。その姿を見た飛騨守は、部下に手で合図を送る。

 

次の瞬間、路地から一人の男が現れた。男は大亜連合の兵士だ。といっても元兵士と表現した方が正しい。男は三年前に起きた大亜連合の沖縄侵攻の折に捕らえ、宮芝で実験体として運用されていた元人間だ。

 

幸いに敵部隊の服装は、三年前に男が着ていた戦闘服と同様。顔つきも当然のように似ているし、言語能力に支障を来す調整は行っていないために発音等も完璧だ。その完璧な発音をもって男は門の内に敵国語で叫びかける。

 

「追われている。門を開けてくれ!」

 

その言葉から少し。門がゆっくりと開いていく。

 

それを見て、義勇軍から敗走していた大亜連合の部隊も中華街へと足を速める。これこそが飛騨守の狙い。そして、中華街の住民たちに与えた最後の機会だった。

 

人間だれしも、命が助かりそうな道があれば、そこに飛び込みたくなるものだ。閉まった門へと殺到することは一種の危険も孕むが、自分たちを迎え入れようとしてくれる相手にならば、飛び込むことに躊躇はいらない。

 

大亜連合の兵士たちが、中華街へと消えていく。その瞬間に、中華街の住民への殺戮が本当に確定した。

 

もしも中華街の住人たちが助けを求める同胞を見捨てたならば、少なくとも本国との間に一定の溝は作ることができたことをもって矛を収めることも考えていた。けれど、彼らはそれをしなかった。つまりは敵を同胞と本当に認めてしまったということだ。ならば、容赦は必要ない。

 

「攻撃開始!」

 

大亜連合の兵士たちが半ばほど門の中に消えたあたりで飛騨守は部下たちに命令を下す。同時に重機関銃が咆哮をあげ、最後尾の兵たちを吹き飛ばす。

 

「溶岩流」

 

重機関銃から逃げ惑う兵たちに向けて部下から魔法が放たれる。それは兵たちから少しばかり外れてしまい、建物へと直撃した。

 

他の部下たちも魔法を放つが、敵兵に命中するのは三割ほどで、残りは建物へと外れる。飛騨守の部下たちは広範囲に火を放つ魔法を得意とする者たちで構成されている。すでに門に近い場所に建つビルは黒煙を空へと上げ始めていた。このまま街に火を放ち続ければ、ほどなく中華街は地獄の様相を呈してこよう。

 

しかし、その前に義勇軍の兵士たちが到着してしまう。それを押しとどめるのは飛騨守の役割だ。飛騨守は用意していた笹竜胆の旗印を掲げ、自らがどこかの組織に所属していることを示す。

 

「十師族、一条家の一条将輝だ。貴官らの指揮官は?」

 

わざわざ十師族という点を強調して伝えてきたのは、飛騨守たちの作戦に異を唱えるためだろう。もっとも、これは予想できていたことだ。

 

「宮芝家、郷田飛騨守勝貴だ」

 

「郷田殿……とお呼びしてよろしいのか? これはどういうことですか?」

 

「見ての通り、中華街に逃げ込んだ敵兵と、その逃走を手助けした反乱分子に通じる者たちの排除を進めているところだ」

 

呼び方に対する質問には答えず、飛騨守は端的に現在行おうとしていることの建前を口にした。

 

「そのような区別を行っているようには見えないが?」

 

「誰が敵であるかの選定に、指図を受けるつもりはない」

 

「貴官らの行いは、中華街そのものを敵としているように見える」

 

「誰が敵であるかの選定に、指図を受けるつもりはないと言ったはず。我らは、我らの安全を第一としながら戦わせていただく」

 

それは十師族の直系としての指示であろうとも従うつもりはないということ。そもそも宮芝家は現代魔法を司る十師族とは別の体系に属している。けれど、指揮系統の違いを前面に押し出すことは好ましくない。

 

なんといっても、十師族には権力のみでなく実力行使で目的を達することができるだけの力があるためだ。もしも一条が本気になれば、飛騨守たちを止めることは難しくない。

 

疑念を持たれるくらいなら問題ない。けれど、決定的な決裂は避けなければならない。

 

そのために民間人を直接攻撃はせず、建物への放火のみ行っているのだ。後は時間を稼いで火の手が止められないほど広がるのを待つのみ。

 

飛騨守はそう考えて一条との交渉を行おうとしていた。しかし、その前に中華街の中から声を掛けられた。

 

「私たちは侵略者と関係していません。むしろ、私たちも被害者です。そのことをご理解いただく為に、協力させていただこうとしただけです」

 

声の主は、二十台半ば頃と思われる貴公子的な雰囲気を漂わせる青年だった。青年の後ろには拘束された大亜連合の兵士たちが連れられている。その中に宮芝が投入した人形の姿を見た飛騨守は部下に密かに合図を送る。

 

次の瞬間、青年の部下が拘束していた元兵士が自爆した。その巻き添えで青年の部下も吹き飛ばされ、地面に血だまりを作っている。

 

「拘束を続けなさい! 彼らを逃がしてはなりません!」

 

青年の一喝に、目の前で起きた仲間の死に揺らいでいた部下たちが落ち着きを取り戻したのが分かった。もしも再びの自爆を恐れて拘束を緩めるようなそぶりがあれば、わざと当てないように大亜連合の兵士たちを攻撃し、中華街の奥に逃げ込ませてから無差別攻撃ができたものを。

 

「貴殿は?」

 

「申し遅れました。周公瑾と申します」

 

「……周公瑾か」

 

飛騨守の印象は、油断のならない男。一見は優男だが、周からは戦士の匂いがする。

 

「本名ですよ」

 

「失礼した。一条将輝だ」

 

飛騨守としては敵に名乗る名など持ち合わせていない。しかし、一条は名乗らないのは失礼と考えたようだ。

 

「逃げ込んだ敵兵は、貴殿が連れている者たちだけか?」

 

「はい、その通りです」

 

「とはいえ、それを鵜吞みにはできん。調べさせてもらうことになるが、よろしいか?」

 

こうなってはさすがに中華街の住人の殲滅は続けられない。そうすれば、一条と敵対関係となってしまう。

 

「はい、構いません」

 

「では、遠慮なく調査をさせてもらう」

 

ここで下手に隠し事をすれば致命的な結果を生むことは、周も理解しているはず。おそらくは全員が飛騨守たちに引き渡されるのだろう。

 

しかし、さすがにそれだけでは終われない。この機に中華街の不穏分子を適当に間引いておく。そんな狙いをもって飛騨守は一条とともに中華街の中へと足を踏み入れていった。



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横浜騒乱編 呪水落滅

宮芝和泉守治夏が率いる少人数の部隊は、戦闘を行っている十文字克人率いる義勇軍部隊を追い抜き、敵の後方を襲わんとしていた。ちなみに、魔法師協会の中にいるという壊滅したと聞かされた宮芝家の一番隊の様子は調べていない。もしも十文字の言う通りの状態であったならば、治夏は平静を保てる自信がなかったのだ。

 

それよりも今の治夏がすべきことは大亜連合を叩くこと。宮芝家の部隊に打撃を与えられたという自信など持たせない。奴らに宮芝家が決して隠形だけの家ではないことを思い知らせなければならない。

 

遠くの空には飛行デバイスを用いて敵を叩いている国防軍部隊の姿も見える。装甲を持つ敵も討てるだけの魔法力は羨ましい限りだが、負けていられない。国防軍にも宮芝が打撃力も持っていることを知らしめておこう。

 

「図書、掃部、右京、準備はいいか?」

 

「はっ!」

 

「いつでも!」

 

「整ってございます」

 

一列に並んだ三人が返すのを聞いて、治夏は森崎に声を掛ける。

 

「森崎、これより我らは無防備になる。関本と呂剛虎の指揮はお前に任せる。上空の小早川と協力して敵の接近は絶対に阻止せよ!」

 

「はっ、お任せください!」

 

「図書、始めよ!」

 

森崎の力強い返答を聞き、ついに治夏は宮芝家で最大の攻撃力を持つ大規模儀式魔法の発動を命じる。

 

「連唱奏歌。

 長引く雨に里は濡れ、

 川は溢れて岩流す。

 田畑は水に漬かりきり、

 民は沼田に涙する」

 

まず出だしは一同の左端に坐した山中図書から。これから使う魔法は四人の術士が協力して放つ魔法。現代魔法では、同じ種類の魔法を複数人で使っても強化されることはないということが常識となっている。しかし、古式の中にはそもそも大人数の術士を集めて全員で行う大規模儀式魔法という存在があった。これは、それを発展させたもので、現代では失われた詠唱という形をとることで一つの魔法を複数人で完成させる大魔法だ。

 

「承歌。

 雨は止まずに降り続け、

 田の水引かず苗腐る。

 暗雲空を埋め尽くし、

 明日も雨ぞと伝え来る」

 

続いたのは皆川掃部。一言一言をはっきりと歌うため、文字数に対して詠唱は遅い。

 

「継歌。

 止まぬ雨に民祈り、

 儚き乙女を贄とする。

 竜住む池に沈められ、

 乙女は底で息果てる」

 

三人目は村山右京。ここまで来れば四人の周囲には想子の嵐が吹き荒れ、何らかの大きな魔法が行使されようとしていることは明らかになる。その様子を見て迫ろうとした敵に呂剛虎、続いて関本勲が放たれた。

 

向かおうとする先に何らかの魔法が行使されようとしているのを感じたのだろう。国防軍の部隊が前進を止めた。

 

「終歌。

 乙女の瞳は竜を視ず、

 濁りし水を見るばかり。

 無意味と知りしその最後、

 乙女里に呪いを残す」

 

小早川が上空から銃撃を行っている。森崎は防御魔法で四人への攻撃を防ぐ。呂剛虎は敵の中に飛び込み縦横無尽に暴れ回り、関本は斬撃と銃撃で敵を薙ぎ払う。

 

歌の詠唱は成った。後は解き放つのみ。

 

「呪水落滅」

 

周辺に吹き荒れていた想子の嵐が空へと登り、消えていく。それは一瞬の間の後、巨大な滝となって大亜連合の偽装揚陸艦の前に設けられた敵本陣に降り注いだ。

 

強大な滝は、その水圧で人も機械も押し流そうとする。だが、いかに巨大な滝といえども、水が降り注ぐ場所は限られている。そこから外れた兵たちは、ある者は物に掴まり、ある者は魔法で体を浮かせることで水流に耐えていた。

 

「直接被害は軽微か。ま、そうだろうね」

 

敵兵の中に紛れ込ませていた人形が送信してくる映像を見ながら、治夏は呟いた。大規模儀式魔法は体力をも大きく奪う。今の治夏は自力では歩くことさえ困難な状況だ。それだけの犠牲を払って行使した魔法の被害が軽微なのに余裕なのは、呪水落滅はもう一つ大きな効果を持っているためだ。

 

「ぐあああぁっ!」

 

突如、一人の兵士が絶叫をあげた。続いて、他の兵士も。絶叫をあげた兵たちは自らの顔を掻きむしり、口から血を吐き、耳と鼻と眼からも血を流しながら倒れていく。

 

呪水落滅のもう一つの効果。いや、むしろ、こちらを本命と呼んだ方がよい効果。それが水に触れた者に強烈な呪詛を刻み込むという点だ。この呪詛を受けた者は、まず精神に異常をきたし、続いて肉体を破壊されて死んでいく。

 

だが、呪水落滅も魔法であることには変わりはない。つまり魔法師……特に精神干渉系魔法に対して高い抵抗力を持つ魔法師であれば、無効化まではできなくとも、一時的に行動不能となる程度に被害を抑えられる。けれど、宮芝がそれに対して何の備えもしていないということはありえない。

 

魔法師たちに襲い掛かったのはアサルトライフルによる銃撃だった。撃ったのは、大亜連合に紛れ込ませていた人形だ。呪水落滅は精神への異常がその後の異変の起点となる。つまりは元から異常をきたせるだけの精神を有していない人形には効果がない。

 

無意味に池に沈められた乙女の世を呪う呪詛に蝕まれ、大亜連合の魔法師たちは抵抗をする力は有していない。目の前で戦友が撃ち殺されていても、助けることはおろか逃げ出すことすらできない。

 

「や……やめてくれ……」

 

身動きの取れない兵士たちにも、命乞いをする兵士たちにも、皆平等に人形兵は銃弾を撃ち込んでいく。淡々と殺害しているその光景を防ごうにも、未だ天からは呪いを含んだ水が小雨のように降り注いでいる。救援に行くことは難しい。

 

「また、悪趣味なことをしているのだな」

 

「仕方ないんですよ。私たちは広範囲を殲滅できる魔法は少ないんです」

 

視線を向けると、周囲の敵を排除してくれたらしい十文字がいた。

 

「味方はあの中にはいないんだな?」

 

「今のところは。危ないのは、飛行型の国防軍兵士ですけど、あそこは優秀な解析機を保有しているはずなので、何とかしてくれるでしょ」

 

「随分な言い様だな。それで、動けるのか?」

 

「正直に言って辛いです。ここまでにも随分と消耗してしまっていたので」

 

治夏が荒い息を吐いているのを見ての発言だろう。ここは身の安全のためにも正直に現状を話すことにした。

 

「それほど無茶をしてきたようには見えなかったが?」

 

「残念ながら、身体的にはごく普通の女子なので。戦場を自分の足で走り回って、ときどき魔法を使って、最後にこれだけの大魔法を使ったのですから。それに、こう見えて私は初陣なんですよ」

 

「そうか。それで、安全な場所まで運んでやった方がいいか?」

 

「運んでくれるんですか?」

 

「ああ」

 

そう言うなり、十文字は治夏の傍まで来て、両手を背と膝の下に入れると、身体を軽々と持ち上げた。

 

「え、ちょっ……先輩……」

 

「どうかしたか?」

 

「い……いえ……」

 

どうしよう。ちょっとした言葉遊びのつもりだったのに。お姫様抱っこなんて、恥ずかしすぎる。けど、鉄壁を誇る十文字の傍なら安全だし。体も実際にきつい。

 

それに、十文字にはすでに魔法協会前でだいぶ恥ずかしい姿も見せてしまった。だったら、このまま甘えてしまってもいいのかな。

 

頭は極度の混乱状態だった。治夏が何も言えぬうちに、十文字は魔法協会の方角に歩き出してしまう。こうなってしまっては、今から降ろしてくれと言うのも失礼だろう。そして治夏は、しばし十文字に身を任せる覚悟を決めた。

 

ただ一つだけ気になることもある。それは、汗と血と、そのほか色々なもので自分の体が汚れてしまっていることだ。

 

臭くないかな。

 

それだけは気になって仕方がなく、治夏はなるべく十文字の鼻から遠ざかろうと僅かに背中を丸めた。



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横浜騒乱編 偽装揚陸艦撃沈

司波達也が属する国防軍独立魔装大隊は、敵の本陣である偽装揚陸艦を前にして進軍の停滞を余儀なくされていた。

 

偽装揚陸艦の周囲にしとしとと降りしきる雨。それは、異様に淀んだ想子を持っていることが、達也の眼には見て取れた。いや、淀んでいるという表現すら生温い。あの水滴には一滴一滴に至るまで人の怨念が詰まっている。

 

降りしきる雨水に込められた呪いは、人に限って猛毒を発揮する。それだけに周囲にいる小動物は平気な姿を見せている。

 

だが、それに油断して中に足を踏み入れようものなら、一瞬にして猛毒に冒される。その威力は極めて高く、達也固有の魔法をもってしても対処が不能な凶悪なものだ。何せ、一瞬のうちの治療が終わると同時に新たな呪いに冒されるのだ。治療の度に発症する病など相手にしないに限る。

 

敵が投入した戦力は、二十輌の装輪式大型装甲車、六十機の直立戦車、八百人の戦闘員。その中には魔法師も多数含まれていた。

 

占領維持には足りなくても、一局面の打撃力としては不足のない戦力が、今や装甲車、直立戦車の残存数ゼロ、兵士の損耗率八十パーセントという壊滅状態に陥っている。

 

加えて特殊工作部隊の隊長である陳祥山は達也の妹である深雪に敗北して捕らえられており、大亜連合のエースとして名を馳せた呂剛虎に至っては、今や完全な宮芝の操り人形。もはや大亜連合側に勝ち目はないのは明らかだった。

 

それを知ってか、敵艦は兵の収容が完了していないにも関わらず、早くも離岸し沖への航行を開始した。これは、宮芝が放った魔法がどれだけの効果時間であるのか読めないという点も影響していると思われた。もし、この雨が数時間に渡って振り続けるとしたら、どれだけ待っても兵の収容が終わることはない。

 

「逃げ遅れた敵兵は後詰めの部隊に任せて我々は直接敵艦を攻撃、航行能力を破壊する!」

 

達也の上官の命で独立魔装大隊の兵たちが追撃の準備に入る。確かに飛行魔法を使用する独立魔装大隊の機動力なら、呪いの雨の降り続く場所を迂回して敵艦の前に回り込み、指向性気化爆弾のミサイルランチャーと貫通力増幅ライフルによる攻撃で敵艦を沈めることすら難しくない。

 

だが、彼らは今まさに飛び立とうとしたその時、制止の声が届いた。

 

「敵艦に対する直接攻撃はお控えください」

 

通信で割って入ってきたのは藤林響子だった。

 

「どういうことだ」

 

「敵艦はヒドラジン燃料電池を使用しています。東京湾内で船体を破損させては水産物に対する影響が大きすぎます」

 

「ではどうする」

 

「退け」

 

「隊長?」

 

再び通信に割って入ってきたのは独立魔装大隊の隊長、風間玄信少佐だ。

 

「勘違いするな。作戦が終了したという意味ではない。敵残存兵力の掃討は鶴見と藤沢の部隊に任せ、一旦帰投しろ」

 

「了解です」

 

上官の返答に従い、隊は移動本部に帰投を始める。しかし、その中に達也の姿はなかった。別途、風間に指示されてベイヒルズタワーの屋上に向かうことになったためだ。

 

「来たか、特尉」

 

「はっ」

 

今の達也は軍人だ。風間にも略式ながら敬礼で応えておく。

 

「早速だが、頼めるか?」

 

「はっ。しかし、先にお耳に入れておきたいことがあります」

 

「何だ?」

 

達也はその質問には答えず、藤林に話を向けた。

 

「藤林少尉、敵艦の現在地は?」

 

「敵艦は相模灘を時速三十ノットで南下中。房総半島と大島のほぼ中間地点です。撃沈しても問題ないと思われます」

 

「その敵艦の中に、宮芝の人形が複数体……しかも、自爆できるタイプが、潜入しているようです」

 

「分かるのか?」

 

「以前、学内にテロリストが潜入した事件の折に見た宮芝の人形を見ていますので。自爆機能を持っているという点は、胸に妙な想子の印が刻まれていることからの推測です」

 

驚いて聞いてきた風間に返すと、風間は考え込む様子を見せた。

 

「宮芝の狙いは何だと思う?」

 

「おそらく、何らかの方法で敵艦がヒドラジン燃料電池を使用していることを掴み、我々と同じ理由で攻撃を控えているものと思われます」

 

「それは分かる。その後のことだ。和泉守はどこで自爆させると思う?」

 

「和泉守の性格を考えると、二種類でしょう。一つは敵国内に寄港する直前……敵の水産資源に最も打撃を与えられる場所。もう一つは周囲に民間の漁船等がいるタイミングです」

 

「いずれにしても悪趣味なことだな」

 

海洋環境に大きな影響を与えるヒドラジン燃料電池の艦など、和泉が知れば激怒することは想像に難くない。おそらく、相手にとって最も嫌な場面で自爆させることは確実だ。

 

「敵艦を逃がさない、ということだけを考えれば放置しても問題はないと思いますが、いかがいたしますか?」

 

「宮芝は、我らが艦を沈めれば不快に思うか?」

 

「知る限りの和泉守の性格から考えると、多少は残念に思うでしょうが、不興を買うということはないと思います」

 

「そうか……ならば頼めるか?」

 

風間は敵兵を爆弾に作り替えて自爆させるという手段自体を快く思っていないようだ。その気持ちは達也としても分からないものではない。

 

「分かりました。撃沈します」

 

そう答えるとにわかに周囲が慌ただしくなる。

 

「サード・アイの封印を解除」

 

風間が叫ぶ。隊員が大きなケースを達也に渡す。

 

「色即是空、空即是色」

 

達也の声を用いた声紋照合と暗証ワード。それに静脈認証とカードキーという厳重な封印が解かれ、大型ライフルの形状をした特化型CADが姿を現す。達也は、その特化型CAD

 

「サード・アイ」のストックを肩に当てて構える。

 

「成層圏監視カメラとのリンクを確立」

 

隣でノート型のモニターを見ていた藤林が、風間にそう告げた。

 

日本列島をぐるりと囲む形で空中に浮いた成層圏プラットホームに搭載された国境監視カメラが、サード・アイのアンテナを通じて達也のバイザーに映像を送り込んでくる。

 

「発動」

 

達也がそう呟いて、引き金を引く。

 

次の瞬間、相模灘を南下していた大亜連合の偽装揚陸艦は灼熱の光球に包まれる。それは空気を加熱して衝撃波を発生させ、甲板を溶かして金属蒸気の噴流を生み出し、ヒドラジンを含めた全ての可燃物を一瞬で完全燃焼させ、巨大な炎の塊と化して艦を呑み込んだ。

 

その灼熱の地獄は、成層圏監視カメラを通じてベイヒルズタワーの屋上でも確認された。

 

「……敵艦と同じ座標で爆発を確認。同時に発生した水蒸気爆発により状況を確認できませんが、撃沈したものと推定されます」

 

「撃沈しました。津波の心配は?」

 

モニターを見ていた藤林の報告を、達也は修正をした上でそう訊ねた。

 

「大丈夫です。津波の心配はありません」

 

「ご苦労だった」

 

「ハッ」

 

敬礼で応えた達也に頷き、風間が作戦の終了を宣言する。

 

日本に侵入した偽装揚陸艦と乗員は、こうして太平洋に消えることになった。



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横浜騒乱編 十文字邸の訪問者

横浜での戦いが終わった夜、事後処理については魔法協会の大人たちに任せた十文字克人は、自宅で疲れた体を休めていた。今日の戦いは高校生にしてすでに国内屈指の実力を有する克人にしても、かなり厳しい戦いだった。

 

今日は少し早めに床に入ることにしよう。克人がそう考えていたところに、十文字家で働いている使用人が困惑の表情で近づいてくる。

 

「克人様、宮芝和泉と名乗る方から電話が入っております」

 

「宮芝?」

 

克人の後輩である宮芝和泉であれば、十文字家の番号を調べるくらいは容易いことのはずで、驚くには値しない。けれど、宮芝が何のために電話をかけてきたのかは、想像がつかなかった。

 

「十文字だ」

 

「夜分遅くに失礼いたします。あの、十文字先輩に相談したいことがあって……。不躾なのは承知していますが、会ってお話をさせていただけないでしょうか?」

 

ますます理由が分からない。克人と宮芝は、ろくに会話すらしたことがない間柄。相談する相手として適当とは思えない。

 

「何かあったか?」

 

「今日の戦いのことで……十師族、十文字家の実質的な当主である先輩に相談させていただきたいんです」

 

そう言われれば、何を相談したいのか、なぜ克人を相談相手に選んだのかも想像はつく。そうなると、断るということは考えられなかった。

 

「分かった。どこに行けばいい?」

 

「あの……すみません。もう、家の前にいます」

 

「分かった。中で話を聞こう」

 

そう言って、克人は自ら宮芝を迎えに表門に向かう。門を開けて通りを見ると、暗がりの中に一人佇む宮芝の姿を確認できた。宮芝の表情は暗く、いつもの自信に溢れた言動を感じさせる要素は微塵もない。

 

「すみません、先輩」

 

今日の宮芝は、普段の様子が嘘のようにしおらしい。今も十文字の姿を認めるなり、深々と頭を下げている。そして、克人に向けた顔は今にも泣きだしてしまいそうな、思いつめたものに見えた。

 

「いや、それより中に入ろう」

 

「はい」

 

宮芝を伴って屋敷の中に戻る。おそらく余人に話を聞かれたくない宮芝のため、使用人はお茶を出すのを待って席を外させた。

 

「今日の戦いのことで相談ということだったな。俺で役に立てるかは分からんが、話を聞くくらいはしよう」

 

「すみません。あの、先輩に一つお尋ねしたいことがあるのですが、先輩が実質的な当主となってから、先輩の命令で部下の方が亡くなられたことはありますか?」

 

「幸いにして偶発的な事故を除けば、俺には自分の命令により部下を死なせた、と言える経験はない」

 

「そうですか……」

 

今日の戦いで、魔法協会の本部を守るため宮芝の魔法師たちは多くの犠牲を出した。その結果に宮芝は責任を感じている。けれど、どのようにしたら自らの作戦の失敗を償えるのかが分からないのだろう。だから、助言が欲しかった。

 

けれど、部下に対して弱音は吐けない。そして、外の人間に相談することも好ましくない。集団を率いる者としては、外に対して自らの集団に属する者たちから多くの犠牲が出たことを吹聴はすべきではないからだ。けれど、克人ならば協会本部での防衛戦に参加し、そのことを知っているため隠す必要はない。

 

何より、宮芝が求めているのは組織を率いる者の見解だ。その点では、いくら頭が良くとも人の上に立ち、指示を行う者でない司波達也などは相談相手とはなりにくい。けれども、克人もまた、宮芝の求める部下に犠牲を出してしまった者ではなかった。

 

「宮芝、俺にはお前が求める答えを与えることはできないだろう。けれど、お前と一緒に考えてやることはできる。俺でよければ相談するがいい」

 

克人は宮芝の求める答えは持っていないだろう。けれど、今日の宮芝は明日の克人の姿でもあるかもしれないのだ。見捨てる真似はできない。

 

「うっ……くっ……」

 

不意に涙が落ちそうになったのか、宮芝が唇を震わせた。けれど、宮芝はそれを抑えて、それからゆっくりと話し出した。

 

「私は、自分たちの力を過信していたんです。私たちは確かに戦い方を工夫することで大亜連合のエースと呼ばれる相手をも完封することができます。けれど、それは相手に応じた対策を練った上で、こちらが全力で攻撃を行える状況を作った場合です。それを私は対策さえ怠らなければ現代魔法にも負けないと誤認してしまった」

 

自らの感情を抑えるためか、宮芝は殊更に淡々と言葉を紡いでいく。

 

「宮芝の現代魔法に対する最大の優位は、逃走のみを目的とした魔法を持っているという点です。それがあるから、宮芝は勝てる場面だけを選択して戦闘を仕掛けることができる。だから、宮芝は逃走ができなくなるような、特定の場所を守るなんて戦いは絶対にしてはならなかったんです」

 

それは十文字とは正反対の戦い方だった。十文字は首都を防衛するための要。戦いにおいて安易に退くということは、考えにくい。けれど、宮芝にとって、それは避けるべき戦いになるのだろう。

 

「私が……自分たちのことを過信して、あんな作戦を立てたから。この機にあれもこれも、なんて欲張らなかったら……」

 

「もういい、宮芝」

 

声を震わせながら、それでも絶対に涙を流すまいとする宮芝の姿はあまりにも痛々しすぎて、克人は知らず小さな体を抱きしめていた。

 

「すまない。宮芝の魔法師が大きな被害を出したのは、俺たち十師族が警告を受けていたにも関わらず真剣に受け止めなかったせいだ」

 

「そんな……十文字は首都を守るのが務めですから。相手の狙いが確実に横浜だと絞り込めない状態で主力を動かせないのも仕方ないですよ」

 

「それでも俺たちが動けないからこそ、他の十師族に出撃を頼むことはできたはずだ。けれども、宮芝の予測が外れたときのことを考えて動けなかった。それに俺がもっと早く戦場に立っていたら、結果が少しは変わった可能性もある。だから宮芝は俺を責めろ」

 

「……本当に、先輩を責めていいんですか?」

 

「ああ、俺を好きなだけ責めろ」

 

克人がそう言うと、宮芝は一度、大きく息を吸い込んでから、一気に吐き出した。

 

「先輩の馬鹿! どうして私の言うことを本気にしてくれなかったんですか! どうして十師族は本気で対処してくれなかったんですか!」

 

「すまん」

 

「もしも十師族が全力で対処に当たっていてくれたら、志摩守も昭次郎も死ななくてすんだのに……」

 

「すまん」

 

「先輩が……先輩が……ああああああっ」

 

そこで堰を切ったように宮芝が号泣を始めた。宮芝は克人の服を掴み、顔を胸に押し付け、今まで我慢していたものを全て出し切るかのように子供のように声を上げて泣く。それは、これまで克人が見てきた宮芝和泉という少女とは全く異なる姿だった。

 

組織を率いる者でなくとも、自分のミスで仲間を失うということはある。けれど、組織を率いる者の場合は、その失敗を悔いる言葉をなかなか下には言えないものだ。それでも克人ならば、祖父の代から仕えてくれている者たちに相談することができる。父を殺したという話も伝わる宮芝のことだ。おそらく、そこまで信頼できる部下がいないのだろう。

 

組織を率いるということは、誰にとっても難しいものだ。克人の場合は他を超越した圧倒的な魔法の実力と見た目だけなら成人という点が有利に働く。しかし、宮芝和泉は克人より若く、小柄な女子であり、実力は克人ほど分かりやすくない。周りとの関係も難しいものであることは想像に難くない。

 

克人と宮芝では違うことが多すぎる。今の克人は宮芝和泉のことを何も知らない。だから今の克人にできることは、ただ宮芝の胸の中に貯まったものを吐き出させることだけだ。

 

しばらくして泣き声が止まると同時に、克人に胸にかかる重みが大きくなった。軽く肩を押して様子を確認してみると、どうやら眠ってしまったようだった。本当に全ての力を使い果たして泣いたのだろう。

 

克人は宮芝を起こさないように、静かにその身体を抱き上げる。そういえば、横浜の戦いの折にも、こうして宮芝和泉のことを抱き上げた。そのときも思ったことだが、宮芝の身体はかなり軽い。克人が力を込めると折れてしまいような、その細い腕と足で戦場を駆け回り、克人よりも大きな心労を抱え込んだのだ。

 

今くらいはゆっくりと休ませてやろう。

 

克人は腕の中の少女を揺らさないよう、ゆっくりと客間に向けて歩みを進めた。



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横浜騒乱編 戦略級魔法

西暦二〇九五年の十月三十一日、ハロウィンの朝を、宮芝和泉守治夏は十文字家の客間で迎えた。といっても、それを知ったのは目覚めてから少し経ってからのこと。最初は見知らぬ部屋での目覚めに大いに困惑をしたものだ。

 

最初に考えた可能性は誘拐。しかし、その割には手足が全く拘束されていない。それに薄明りの中ではあるが、ベッドの脇にあるサイドテーブルの上には治夏が愛用しているCADの光が見えている。これは、誘拐ではありえない措置だ。

 

そうして昨日のことを思い出していき、治夏は驚愕の結論に至る。昨夜、十文字の前で大泣きして以降の記憶がない。ということは、ここは十文字の家か。

 

布団をめくって着衣と下着に不自然な点がないか確認してしまったのは無理のないことだと思う。十文字のことを信用していない訳ではないが、それでも万が一ということはありえることだ。

 

結論は、何もされた形跡はなし。スカートの中くらいは覗かれたかもしれないが、少なくとも身体は無事のようだ。そこまで確認して、治夏は再びベッドへと倒れ込んだ。普段の治夏は男の家で無防備になるほど愚かではない……つもりだ。けれど、昨日はそんなことさえ考えられなくなるほど、心が乱されてしまった。

 

その最大の原因が、横浜の魔法師協会を巡る防衛戦での宮芝の被害の大きさだった。片瀬志摩守が率いる宮芝家の一番隊四十名は、敵の侵攻軍との戦いで死者九名、重傷者十二名、軽傷者十四名という大損害を被った。しかも重傷者のうち半数は後遺症により戦闘能力に支障をきたす可能性があると聞いている。

 

仮に六名全員が復帰できないとなると、宮芝は一気に十五名もの術士を失うことになる。しかも、その全員が宮芝で精鋭とされている人員なのだ。精鋭を一気に補充する方法など、あるはずがない。穴は容易に補えない。

 

この責任は治夏にある。十文字にも言ってしまったが、宮芝の術士は直接戦闘には長けていない。いや、そもそも軍隊を相手にするには宮芝はあまりにも非力なのだ。宮芝の戦いは防諜など、一対多を望めるものに限るべきなのだ。

 

この戦いで命を落とした者たち。この戦いで術士としての生命を断たれた者たち。

 

彼らにどのように詫びればいいのか、今の治夏には分からない。けれど、彼らの戦いを無駄にしないためにも、治夏は教訓を次の戦いに生かさなければならない。

 

その思いを胸に、治夏は多摩にある宮芝家の本拠に詰め、情報の整理を行っている。治夏の元に届いているのは国防軍から提供された大亜連合の巨済島要塞の向こうにある鎮海軍港の写真だった。そこには十隻近くの大型艦船とその倍に上る駆逐艦・水雷艇が出港準備に取り掛かっている様子が映っている。

 

ちなみに十文字で起床してから本拠に詰めるまでの時間が飛んでいるのは、その間に経緯があまりに情けないからだ。というのも治夏が目覚めたのは午前三時で、客間を出るには不適当な時間だったが、身体が尿意を訴えていたのだ。とてもではないが、朝まで待つことはできそうになかった。

 

それで、深夜に部屋を出るもトイレの場所が分からず彷徨っているうちに、家内を動く者の気配を察して出てきた十文字に会ってしまったのだ。お陰で昨晩のことについての礼を言うでもなく、謝罪をするでもなく、トイレを貸してほしいという、情けない第一声を放つことになってしまった。

 

でも、それは暗闇の中から急に浮き上がってくる方も悪い。おかげで、ちょっと我慢が緩んでしまい、もうトイレに駆け込む以外の選択肢がなくなってしまったのだから。

 

治夏は頭を振り、嫌な思い出を追い払う。今は大亜連合にどう備えるかが肝要だ。

 

とはいえ今回については、治夏は積極的に部隊を動かすつもりはなかった。大亜連合軍とまともにぶつかれば、どうなるかは明らかになった。基本的には宮芝は敵が上陸後に後方の兵站を狙う方針とする。

 

その場合に重要となるのは敵艦隊がどこを目的に進軍してくるかだ。候補地は北部九州、山陰、北陸のいずれか。その中でも最有力の候補地を、治夏は九州だと考えていた。

 

北陸には新ソ連に備えた部隊がおり、簡単に制圧はできない。山陰は上陸までは容易かもしれないが、陸路が険しく他地域への侵攻が困難で海路を維持し続けなければ孤立の危険がある。そして、日本は伝統的に海軍国であるため、それは容易ではない。となれば、残る選択肢は九州しかありえない。もっとも沖縄に再びという線も捨てがたいが、さすがに日本も三年前を教訓に防衛を強化している。それはないと思いたい。

 

「中四国の魔法師は広島に、九州の魔法師は熊本に布陣させろ」

 

主眼は北部九州に、一応は山陰にも動員をできるように、治夏は傘下の魔法師たちへの動員を指示する。

 

「和泉守様、大亜に侵入させていた小十郎より連絡です」

 

「回せ」

 

直後、治夏の使い魔である鳥から声が聞こえてくる。

 

「小十郎です。ただいま、鎮海軍港に到着。これより敵方に侵入を試みます」

 

この通信はまずは大亜連合の小十郎と他の大亜連合に侵入中の工作員との間で行われている。そこで、また別の工作員と使い魔を介した通信を行い、それから長崎の術士、京都の術士と使い魔通しの通信を経て宮芝の作戦本部へと届けられている。

 

特徴はそれぞれに異なる術式での通信を介しているため秘匿性に優れるという点。弱点は極めて属人的な方法のため途中の術士が体調不良だと通信が叶わない点だ。

 

「できそうか?」

 

「警備は厳重でありますれば、成功するかは半々かと」

 

「それでも、やってもらわねばならん」

 

「心得ております。必ずや成し遂げ……なんだ!?」

 

急に小十郎の声に焦りの色が混じった。まさか敵に発見をされたか、と思ったが、小十郎からその答えが返ってくることはなかった。小十郎が叫んでからまもなく、通信自体が途絶してしまったのだ。

 

「和泉守様、重蔵から通信。小十郎の使い魔が消滅したようです」

 

その言葉が意味するのは、小十郎が死んだということ。

 

「小十郎ほどの遣い手が一瞬で殺害されたというのか……」

 

呟く治夏に向けて部下が追加の情報をもたらす。

 

「国防軍より映像の提供あり。画面に映します」

 

映し出されたのは、圧倒的な暴虐の嵐が過ぎ去った後の軍港だった。艦隊は跡形もなく消滅している。巨済島要塞は嵐の後の小舟のように破壊しつくされ、瓦礫の山の様相だ。周辺の島々も津波の跡がはっきりと見て取れる。

 

「一体、何が……」

 

そう言いながらも、これは魔法による攻撃だと治夏の冷静な部分が告げていた。自然災害であれば、一瞬のうちに何もかもを破壊するということはない。大なり小なり、時間差というものがある。核攻撃であれば、これと似た状態を作り上げることができるが、ミサイルにせよ何にせよ。全く気付かれることなく着弾は、またありえない。

 

ゆえに、これは魔法攻撃。そして、タイミングを考えれば、これは間違いなく日本の魔法師によるものだ。知らぬ間に、日本に新たな戦略級の魔法師が誕生していた。けれど、治夏はその戦略級魔法師が誰であるのかに心当たりがあった。

 

「まさか、君なのか……」

 

昨夜、治夏が頼ろうとしたのは、十文字だけではなかった。その前に、弱音だけでも吐けないかと一人の人物に電話をしていた。けれど、その相手は留守であり、代わりに電話に出た相手によれば、昨日は帰ってこないということだった。

 

まさかという思いとともに、そうであれば納得ができると思う自分もいる。しかし治夏は確かめたいという思いに蓋をする。今、それを確かめるのは、どちらにとってもあまりにも危険と思えたからだ。

 

 

灼熱のハロウィン。

後世の歴史家は、この日のことを、そう呼ぶ。

それは軍事史の転換点であり、歴史の転換点とも看做されている。

それは、機械兵器とABC兵器に対する、魔法の優越を決定づけた事件。

魔法こそが勝敗を決する力だと、明らかにした出来事。

それは魔法師という種族の、栄光と苦難の歴史の、真の始まりの日でもある。

そして宮芝和泉守治夏にとっても前日の横浜での戦いと合わせて、大きな人生の岐路となった出来事でもあった。

そのことを、治夏はまだ、知る由もなかった。



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横浜騒乱編 紅葉狩り

十一月六日、宮芝和泉守治夏は横浜事変の際の醜態のお礼とお詫びを兼ねて、十文字克人を宮芝が管理している土地の一か所である奥多摩の山中に招待していた。

 

「どうですか? 内々で楽しむための場所なので、名所と賞される地には劣りますが、なかなかのものでしょう?」

 

「ああ、本当に。見事なものだな」

 

治夏が手を向けた先には、せせらぎの音を奏でる川を挟むように紅く染まった楓の木々がある。自然のままの山に少しだけ手を加えたその場所は、自然の美と人口の美が融和している。小川の淵には緋毛氈が敷かれ、少し肌寒い今日の気温でも快適に過ごせるよう火鉢が置かれていた。

 

このように純和風の用意がされているが、今日の治夏の装いは濃い目の青色のセーターに黒のロングスカートと洋風だ。これは正式な会ではないのだから、あまり堅苦しくせずに、お互いに楽しみましょうというメッセージでもある。ちなみに、この山は和服でも来られるように道は均してあるので、今日の軽装でも問題はない。

 

「さ、まずは楽にしてください」

 

そう言って席を進めたのだが、初め十文字は正座をしようとした。

 

「先輩、それではお礼なんだか修行なんだか分からなくなってしまいます。私はスカートなので足をあまり崩せませんが、先輩はあぐらでもかいてしまってください」

 

重ねて言うと、ようやく十文字は足を崩した。

 

「それでは、まずは暖まりましょうか。緑茶と紅茶と珈琲を持ってきたんですけど、先輩はどれがいいですか?」

 

緋毛氈の隅に置かれた三本の水筒を指差しながら聞くと、克人は珈琲を選んだ。なので、治夏も珈琲を選び、用意していたお椀へと注いだ。

 

「さすがに、コーヒーカップは割れてしまう可能性があるので用意できませんでした。少し不格好ですけど、いいですか?」

 

「ああ、別に構わん」

 

「砂糖とミルクは使いますか?」

 

「いや、なくていい」

 

「じゃあ、私はミルクだけ失礼します」

 

十文字に断って、水筒の脇に置かれたミルクを注ぐ。

 

「しかし、山中だというのに随分と準備がいいのだな」

 

「私の世話役を務めてくれている女性ができた人で、紅葉狩りがしたいと言うだけで準備を整えてくれるんです」

 

「良い部下に恵まれているのだな」

 

「はい」

 

本当に杉内瑞希は治夏にとって欠かせない人物だ。すべては自らの責任とはいえ、身内を失っている治夏は瑞希がいないと孤独になってしまうのだから。

 

お互いコーヒーに口をつけ、ほうと息を吐く。火鉢の熱と、身体の中に入った珈琲の熱で徐々に体が温まっていく。

 

川のせせらぎの音を楽しみながら、しばし風に乗ってひらひらと舞い落ちる楓の葉を静かに眺める。横目で見ると、十文字も緋毛氈に負けぬほど赤く煌めく自然の光景に見入っているようだ。十文字は質実剛健なのだ、風情など軟弱な公家の遊びだ。なんて主義だったらどうしようと思っていたが、杞憂だったようだ。

 

少し経った頃に白い狐が木々の間から現れた。狐は背に風呂敷を括り付けられている。

 

狐は治夏の式神だ。傍に寄ってきた白狐の背から風呂敷を降ろす。中に入っていたのは昼食として用意していたお重だ。

 

「少しですけど、私も作るのを手伝ったんですよ」

 

言いながらお重を並べていく。三段のお重は見た目、味ともに自信の一品。何せ、治夏が手伝ったのは主に下ごしらえで、仕上げは瑞希に任せた。つまり、治夏の失敗分のリカバリは完璧ということだ。ちゃんと手伝ったのは少しだけと申告をしているのだから、とりあえず嘘は言っていないはず。

 

十文字は大柄な体格に見合った気持ちの良い食べっぷりだった。何となく熊を餌付けしているような気分になってくる。

 

「ご馳走様。美味かった」

 

「お粗末様です」

 

決まりの言葉を交わして微笑み合う。その直後、不意に十文字が真剣な顔つきになる。

 

「それで、これだけではないのだろう?」

 

「何ですか? もっとすごいサービスでも期待させてしまいました?」

 

「冗談はよせ。食事の途中から何か落ち着かない様子だっただろう?」

 

ばれていたか。というか、私が下手すぎるんだな。

 

はあ、と大きく息を吐く。そして、治夏も顔つきを変えた。

 

「宮芝和泉守として十文字家当主代理殿にお願いしたきことがございます。我らは国と首都と対象は違えども、どちらも守ることを定めとされた一族。これから我が国に起こる動乱を乗り切るため、どうか我らに力を貸していただきたい」

 

「それは、先月末の事件のことを言っているのか?」

 

「その通りです。あの事件で、日本は二人目の戦略級魔法師を抱えることを諸外国に明らかにしてしまいました。しかし、一人目の戦略級魔法師とはわけが違います」

 

「五輪殿の魔法は侵攻戦向きではないからな」

 

日本で公認されている戦略級魔法師、五輪澪の深淵は海で真価を発揮する。地上攻撃力もあるとはいえ、やはり本質は海上戦力の殲滅にある。

 

複数人存在するなら話は別だが、防衛戦に最大の力を発揮する唯一の戦力を簡単に前線には出せない。そのような特性上、防衛には最適だが、広大な陸地を有する大陸の国を攻めるには向いていない。それゆえに各国の警戒心は低かった。

 

「先輩は、あの魔法を防げると思いますか?」

 

「おそらく難しいだろうな」

 

一方、今回の魔法は長大な射程と圧倒的な攻撃力を有している。そして、防御する方法が全く思い浮かばない。

 

実際、未確認情報ではあるが、大亜連合は国家公認の戦略級魔法師である劉雲徳を失ったという話もある。だとすると、同じ戦略級魔法師であっても、あの攻撃は自らの身を守ることさえできないということだ。

 

現実として大亜連合は、あの魔法を受けた直後に講和を打診してきた。宮芝が行った民間人の虐殺も、民間人と軍人の差を加味してもあまりの大きな大亜連合軍側の犠牲者数の前にすっかり霞んでしまった。これでは犠牲になった者たちは犬死だ。

 

更に予想外に早い戦乱の終結に宮芝は苦しい立場に追い込まれた。宮芝としては大亜連合の侵攻に対する防衛がある程度、長期化すると見越して横浜での捕虜たちの脳にその日のうちにメスを入れてしまっていた。ところが、早く平穏を取り戻したい無能な政治家が、とんとん拍子に捕虜の返還まで約束をしてしまったのだ。

 

返せと言われても人形に改造してしまった兵士など返せるはずがない。結局、せっかく改造した兵士を慌てて荼毘に付して、遺骨として引き渡すという何とも無意味なことをする破目になってしまった。

 

「我々は隠密行動に長けていますが、敵の魔法師との戦闘となると不安があります。一方で十文字家は個の力は強いものの手が足りない。我らは互いに不足を補い合える関係であると思います」

 

今回の魔法は、他国としても無視はできない。使用者も使用条件も不明の大威力の魔法は、喉元に刃を突き付けられている気分になる者が出てもおかしくない。そうなると、日本は多くの敵の侵入の危険に晒されることになる。

 

「分かった。前向きに検討しよう」

 

「ありがとうございます」

 

治夏が緋毛氈に手をつき、頭を下げると、十文字が立ち上がるそぶりを見せた。

 

「待ってくださいよ、先輩。確かに今日は、宮芝と十文字の連携についての相談も先輩に来ていただいた目的の一つでした。けど、それ以上に先輩にきちんとお礼が言いたいというのも大事な目的なんですよ」

 

「そうだったのか?」

 

「そうですよ。だって先輩は私の命の恩人ですから。それに……」

 

少し言い淀んだ治夏を十文字は黙って待っていてくれる。

 

「それに、本当に嬉しかったんです。重機関銃に潰されそうになって、怖くて震えていた私の頭を撫でてくれて、優しい言葉をかけてくれたことが。宮芝家の当主として称えられたり、叱責されたりじゃなくて、私をちゃんと私として気遣ってくれたことが」

 

「それは分からなくもないな」

 

十文字も、十文字家の跡取り、十文字家の当主代理、とただの十文字克人ではいられない場面は多いのだろう。やはり十文字は治夏にとって大事な相手だ。

 

「だから、お願いがあります。十文字先輩、どうか、これからも私のことを守ってくれませんか?」

 

心の内を一切の偽りなく言葉にして、治夏は十文字にぶつけてみた。





横浜編終了
この後は5話の追憶編を挟んで短い来訪者編となります。


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追憶編
追憶編 萌芽


山間部にある小さな墓地の石段を、私はゆっくりと登っていきます。十一月に入り、秋は急速に冬へと衣替えを行っているようです。

 

墓地の中腹、やや右側より。そこにある大きくもなく、小さくもない、何の変哲もないお墓の前で私は足を止めました。

 

お墓の表面に刻まれているのは「大野家之墓」。刻まれた文字まで平凡そのもの。特に何かの思いを伝えてはきません。

 

このお墓の中に眠る私の母も、このお墓にぴったりの平凡な人でした。平凡だけれど穏やかで、ちょっと体が弱くて寝込んでしまうことが多いけど、いつも私と家族のことを考えて、私に無償の愛を与えてくれた人。

 

私をこれまでで一番、愛してくれた、私にとって一人だけの本当の家族。自然と私の心は母と共に過ごした日々を思い出していました。

 

 

 

ある所に、森山深夏という名前の少女がいました。年齢は十歳。

 

小学校に行って、勉強して、休み時間は友達と遊んで、だけど習い事があるから放課後は少しだけ早めに帰る。そんなごく普通の少女でした。けれど、普通の女の子とは少しだけ違うところがありました。それは、友達には習い事と言っていることが、実は魔法の練習ということでした。

 

教師役はお父さん。魔法の練習のときには厳しいけど、魔法が上手にできたときや、新しい魔法を覚えたときには、思い切り褒めてくれる人。

 

魔法の練習が終わったら、家に帰って夕ご飯の時間です。お母さんがいつもおいしいご飯を作って待っていてくれて、一家団欒の時間です。といっても、少女がお母さんに今日の魔法の練習の内容を話して、お母さんは笑ってそれを聞いてくれるばかり。お父さんは、そういえばあまり喋っていませんでした。

 

お父さんは、すごい魔法の力を持っていました。お父さんの家系は、強い魔法の力を持つ人はいない家系だと言っていました。けど、お父さんは宮芝という大きな魔法師の団体の中でも五指に入る逸材だという話でした。

 

それがどのくらいすごいことなのか、まだ少女にはよくわかりません。けれど、お父さんがすごい人だと言われているということは少女の密かな自慢でした。

 

でも、それを友達に話すことはできません。少女が魔法を使えることも、お父さんが魔法を使えることも、他の人には話してはいけない。それは、少女が魔法を使えるようになる、もっと前から繰り返し言われてきたことだったからです。

 

そうして、少女は魔法の練習に励みながら、ごく平凡な小学生としての日々を送っていました。少女は、それが大人になるまで続くと信じていました。

 

けれど、その日々は唐突に終わりを遂げてしまいました。

 

ある日、家に帰るとお母さんが一人で少女の帰りを待っていました。それ自体は珍しいことではありません。お父さんは仕事で遅くなる日があるからです。

 

けれど、その日は何かが違うと幼心なりに感じ取っていました。お母さんはいつもの笑顔のようで、寂しさを隠し切れていませんでした。

 

どうしたの。少女は尋ねました。

 

お母さんは、少し驚いた顔をした後、衝撃的な言葉を発しました。

 

お父さんと、離婚することになったの。

 

はじめ、少女はお母さんが何を言っているのか理解できませんでした。離婚というのはお父さんとお母さんの仲が、どうしようもなく悪くなったときに起こるものだと思っていました。けれど、少女のお父さんとお母さんは喧嘩をしているようには見えませんでした。

 

どうして。聞いた少女にお母さんはいつもとは少し違う笑顔を浮かべて、お父さんは向上心が強い人だから、と答えました。

 

向上心が強いと、どうして離婚しなければならないのか、少女には分かりませんでした。そんな少女に、お母さんはお父さんが桐生という宮芝の有力な分家を婿養子として継ぐのだと教えてくれました。

 

正直なところ、少女にはそれがどんなものかよく分かりませんでした。けれど、説明をしてくれるお母さんが、なんだかとても苦しそうで、それ以上、聞くことができませんでした。少女は分かったふりをすることしかできませんでした。

 

お父さんとお母さんが離婚する。それだけでも頭がいっぱいなのに、少女には更に重大なことが告げられます。それは、これからはお父さんと、新しいお母さんと一緒に新しい家で暮らす、というものでした。

 

お父さんも好きでしたが、どちらか一方と言われれば、少女はお母さんの方が好きでした。だから、少女はお母さんと一緒がいいと言いました。けれど、お母さんは黙って首を横に振ります。

 

深夏には魔法の才能がある。だから、お父さんと一緒に桐生で魔法の勉強をした方がいい。それが、深夏のためになる。お母さんはまた、苦しそうな顔で少女に言ってきます。

 

魔法の実力があるから、お母さんと離婚して力のある家の女の人と再婚する。魔法の才能があるから、大好きなお母さんと別れて、新しい家で魔法の勉強をする。魔法は、そんなにまで大事なものなのか、少女には分かりません。

 

けれど、苦しそうに言い切ったお母さんの言葉を拒否することもできず、少女は黙って俯いていることしかできませんでした。そんな少女をお母さんは優しく抱きしめます。

 

ごめんね、深夏。こんなことになってしまって。けど、お母さんは深夏に幸せになってもらいたいの。

 

涙を流しながら、それでも少女の為に別れを決意するお母さん。その姿に、少女はついに首を縦に振りました。けれど、少女はどうして大好きなお母さんと別れることで幸せになれるのか、それが最後まで分かりませんでした。

 

こうして、お父さんとお母さんは離婚しました。その翌日には、お父さんと新しいお母さんの再婚をしました。

 

お父さんが再婚する桐生さんのお父さんに不幸があったらしく、早く新しい当主というものを立てる必要があったみたいです。少女は気持ちの整理をする間もなく、新しい家に移ることになりました。

 

お父さんと新しいお母さんの結婚式で、少女は今までに着たことのないような華やかな服を着ました。けれども心はちっともときめきませんでした。

 

こうして、少女は桐生深夏になりました。

 

その一方で、お父さんと別れたお母さんは、姓を結婚前に戻しました。少女にはよく分かりませんでしたが、お父さんとの関係を薄くするためと聞きました。

 

そして、お母さんは元からの身体の弱さと、家族を失った寂しさもあってか、お父さんと離婚してから一年も経たないうちに亡くなってしまいました。

 

お父さんは、そのお葬式に出席をしませんでした。冷たい体となったお母さんは、もう少女を抱きしめてはくれません。お母さんは亡くなる直前、生きる意味を失っていたように見えたとお爺ちゃんが嘆いている声が聞こえました。

 

お爺ちゃんのその声を、少女は今でも覚えています。そして、その日から、離婚のときから抱いていた少女のお父さんへの反感が、少しずつ大きくなっていったのでした。



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追憶編 萌木

桐生深夏と名を変えた少女は、桐生家での生活を開始した。桐生家は少女の生家とは違い、使用人を抱えた家であった。そこで少女が多くの時間、接したのは義理の母ではなく、側仕えの少女だった。

 

義理の母が悪いわけではない。それが分かっていても実の母を追い詰める一因となった再婚の相手と、にこやかに会話することはできなかった。

 

側仕えの少女は、複雑な少女の心境を知ってか、基本的に身の回りの世話をしてくれるが、放っておいてほしいときには距離を取ってくれていた。それが、少女にはありがたかった。

 

そうして三年ほどが経ったとき、少女は再び住居を変えることになった。少女が十三歳になって少し経った頃、桐生家の本家に当たる宮芝家が、自前での後継者輩出を諦め、募集に舵を切った。大亜連合の沖縄侵攻と新ソ連の佐渡侵攻を見て、激動の時代への兆候を予感したためと言われている。

 

向上心の塊となっていた少女の父は迷わず少女を推薦。試験を受けた少女は後継者候補となるための試験を突破し、十人の候補者の一人になった。候補者たちは、上は十八歳で、下は十三歳。つまりは少女が最年少で、そして唯一の女子であった。

 

こうして少女は僅か三年で桐生の家を出て、宮芝の家で寝起きしながら修行に励むことになった。ちなみに、宮芝の後継者候補となり、秘術の一端に触れ得る存在となった時点で将来は宮芝の術士となることが確定する。

 

それに伴って少女は宮芝と関係のある学校に、名目上の転校をすることになった。実質はというと、随分と早い卒業である。つまり少女の最終学歴は実体としては中学校中退である。もっとも社会に出たときにあまりに学が劣ると問題だということで、学校で習う範囲の勉強は通信教育という形で受けさせられたので、学力的には劣っていないはずだ。

 

ともかく宮芝の後継者候補として修行の日々を送ることになった少女だったが、その毎日は苦難の連続であった。何よりも辛かったのが日々の修行の中身である。

 

魔法の使用に関してだけで言えば、男女の間に性差は存在しない。けれど、魔法師たちが通う高校の競技大会である九校戦の出場選手が、体力も使う競技を中心に男子生徒ばかりであるように、総合的な実践力ではどうしても男性優位となっている。

 

古式の場合、そこに更にハンデがのしかかる。古式の魔法の修練は、昔ながらの荒行のような修行が多く残っている。つまりは、こなせる修行の量が女子ではどうしても劣ってしまうのだ。

 

ましてや少女は最年少。元から女子の中でもやや小柄で、それに応じて体力もない少女は、日々の修行では遅れずについていくのがやっとの状態だった。そして、もう一つ。自分一人だけ女で、周りは男子ばかりという状況は、思春期の中にある少女にとっては、それだけで辛い状況が多かった。

 

最初に戸惑ったのは滝行であった。少女をはじめとした後継者候補が纏う衣装は昔ながらのものであり、水に濡れれば透けてしまうものだった。もっとも、これはインナーを工夫するだけで、比較的簡単に対応可能だった。

 

五代くらい前の世代であったら、大変苦労をしたのだろうから、文明の発達に感謝した。けれど、もう一つは大きな問題となって少女を苦しめた。それは排泄の問題である。

 

古式の修行は精霊を感じることと不可分。そのため修行は自然の中で行われる。つまり、トイレなんていう存在は、ないのだ。

 

ではどうするかというと、少女以外は歩いている途中で足を止めて、そのままそこらで済ませてしまうのである。おかげで少女は見たくもない他の候補者九人の性器を全員分、目撃させられることになった。

 

男子はそれでいいかもしれないが、少女にとって見られるというのは耐えがたい屈辱である。結果的に少女は水分の摂取を制限せざるをえなくなった。しかし、ただでさえ厳しい修行の最中である。ある程度は水分を摂取しないと修行から脱落してしまう。少女は慎重に身体と相談しながら、ちびちびと水分を摂取することを心掛けた。

 

けれど、そもそも修行は男子にとってもきついように設定されている。少女はついていくのにも苦労する有様なのだ。結論としては、水分摂取は抑えることはできなかった。そうして尿意については周囲の目を盗んでこっそりと草の中で解消するしかなかった。

 

だが、常にそういった状況が確保できる訳ではない。ある日、なかなか集団から離れることができず、少女は他の候補者の前で失禁をしてしまったのだ。

 

下着と袴が濡れる嫌な感触。周囲の視線。少女はこのまま逃げ去って後継者候補からも辞退したい思いに駆られた。けれど、それはできなかった。

 

宮芝本家の当主の父という肩書を望む少女の父親が、少女が辞退することを許すはずがないし、そもそも桐生の家は少女にとって安息の地ではないのだ。このまま帰れば針の筵の上となってしまう。また、修行中に失禁して逃げ出したなどとなれば、その後ずっと悪評となってついてくるし、なにより自分が唯一の女という状態で真っ先に逃げ出せば、やはり女では駄目だということになってしまう。

 

解決策としては、結局は女を完全に捨ててしまって外で男子の前でも用を足せるようになるか、何か上手い方法で男子の目を誤魔化すかしかないのだ。そして、少女にとって羞恥心を捨てるということはあり得ない方法だった。

 

少女はひとまず、少し長めの腰巻きを用意した。これで最低限を隠すことができる。

 

そして、次に行ったことは魔法の修行だった。まずは音を消すための防音結界。続いて排泄時の姿を誤魔化すための幻影魔法。最後に幻影を纏った上でもやはり気になるため、精神干渉魔法を習得した。

 

相手は宮芝の後継者候補となる者たち。当然ながら対幻影魔法も対精神干渉魔法も高い実力を誇っている。生半可な魔法は通用しない。ならば、圧倒的なまでの実力をつければいいだけのことだ。幸い、幻影魔法を必要以上に究めようとする者は宮芝の中でも少ない。

 

結果として、候補者たちの視線を誤魔化すことができるようになるのだから、必要性というものは馬鹿にならないものだ。防音はともかく幻影魔法と精神干渉魔法は、この後も少女にとっての武器となった。

 

こうして山中で修行する上での重大事の対応はなったのだが、少女は次なる課題に対処せねばならなかった。それは、孤立を防ぐ方法である。

 

宮芝の当主を決めるための選定は一年という長丁場で行われる。それだけの期間、行動を共にすると、必然的にグループのようなものができるようになる。究極的には周囲は全員がライバルであるのだが、実力を高めるためには、複数人で互いの魔法を見るのが効率的な場面というのは多い。

 

だが、ただ一人の異性である少女は、候補者になって一月が経過する頃になっても、どこのグループにも属すことができなかった。このときの候補者たちは互いに気兼ねなく接することができるためか、年齢が近い者たちで集まる傾向があった。

 

それであれば少女は十四歳と十五歳の少年二人の三人組で構成したグループに属するのが自然であった。けれど、少女はそのグループに属するのは危険と判断した。

 

グループの中の十五歳少年のうちの一人が少女に興味を持っていたからだ。その少年は、明らかに少女を女として意識していた。

 

仮にも宮芝の後継者になろうとしている術士だ。馬鹿な真似をする可能性は低いだろう。けれども、一方で未だ十五歳という未成熟な年齢の男子というのも事実。自分の身を守るためにも、あまり傍にいたくはない。

 

結局、少女は十八歳と十七歳の最年長コンビに加えてもらうことを選んだ。その手段として用いたのが子供であることを強調することだった。十五歳や十四歳の少年たちの方から見たとき、少女は女子の仲間入りをしてしまう。けれど、十七歳の少年は、少女のことをまだまだ子供と見ているようだった。

 

相手が特殊な性癖の持ち主でなければ、子供に対しては性的な面に興味を抱かない。また、相手がよほど歪んだ性格でなければ、困っているときは子供の方が助けてもらえる可能性が高い。

 

そう考えて少女は二人に声を掛ける前に、子供に戻ることを心掛けた。といっても、特別に何かをした訳ではない。相手も当主候補に推される人物。下手な嘘は見破られてしまう可能性がある。だから、少女が行ったのは隠さない、ということだけだ。

 

辛ければ、辛そうな顔をする。孤立したときは寂しそうな顔をする。子供が困っている。それを素直に示した。

 

そうして一週間ほど過ごしていると、なんと向こうの方から声を掛けてきてくれた。それは少女が一人で食事の準備をしているときだった。

 

複数人であれば調理の下準備と薪集めを分担するところだが、一人の場合は、まずは薪を集めて、その後で調理の下準備をすることになる。その手順をこなすため、少女が薪を拾いに行こうとしたところで、最年長の十八歳の少年が声をかけてくれたのだ。

 

少年は、自分は調理が苦手だから下準備を担当してくれないか、と言ってきたのだ。それは少女に気を遣わせまいという心遣いで、好感を持てるものだった。そうして三人での食事のときに魔法の修行に困っていることを、こちらも素直に打ち明けた。

 

すると少年たちは、少女のことを魔法の練習の仲間に加えてくれた。それは少女が、年長者という最大の庇護者を得た瞬間となった。





会話文のまったくない独白続きです。
少し読みにくいかもしれませんが、ご容赦ください。


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追憶編 新緑

年長者の庇護を受けられるようになり、桐生深夏の日々の修行における不便は概ね解消がされた。けれども、それをもってよしとはできない。

 

そもそも少女がこの場にいるのは宮芝の当主となるためである。そして、宮芝の当主に選ばれるための最大の懸案事項である体力不足による修行の遅れについては自力で解決をするしかない。

 

少女は自分について古式魔法の才能があると思っていた。けれども、他の九人についても選ばれし才能の持ち主。そう簡単に差をつけることはできない。となると、努力は欠かせないのだが、一定以上に努力すると、かえって修行に支障をきたしてしまう。

 

そこで少女が目をつけたのが現代魔法だった。現代魔法は体系化され、効率的に習得するための方法がある程度は確立されている。その体系を用いて古式魔法も、ある程度は効率的に会得できないかと考えたのだ。

 

それは大きな賭けであった。特に宮芝は大亜連合や新ソ連の魔法に対抗することができるよう、現代魔法も熱心に研究を行っている。そして実際に、そこで得た知識を元に古式魔法の内容や習得の方法を改善させている。

 

ただでさえ少ない時間を、現代魔法に振り分けて、そこで得るものが少なければ、少女は完全に後継者選定レースから脱落してしまう。けれど、今のまま進んでいても、それは遠からず同じ結果になるはず。少女に選択肢はなかった。

 

宮芝は現代魔法の創生期に九の字を冠する家と共に古式をアレンジした現代魔法を作り出した。しかし、その後は大亜連合や新ソ連との戦いで捕虜とした魔法師を解剖しての対抗術式の研究が主となっている。となると、狙いどころは当初より発展したはずの現代の九を冠する家の魔法。

 

少女は九の名を冠する家の魔法の研究を志した。そのとき力を借りたのが、今や実家と同じ扱いの桐生家だった。桐生の当主である少女の父は、何としても少女を宮芝の当主へと就けたがっている。だから、利害関係は一致している。

 

少女は九の名を冠する家に属していた魔法師を選び、多少の非合法的な手段を用いて協力をさせ、魔法の解析をさせた。その結果、少女が推測した通り彼らはより発展させた古式の流れを汲んだ魔法を作り上げていた。

 

九の家の魔法の発展の過程と、解析結果を合わせてみることで、古式にどのように発展の可能性があるのか、その一端を知ることができた。そして、九の家が持っていない古式の知識を合わせることで、少女は現代魔法の要素を取り込んだ古式魔法を作り出した。

 

それは、当初の狙いとは少し異なるものだったが、成果としては上々だった。少女は新術をもっていくつかの古式の魔法の代替を行った。それにより、宮芝の魔法の習得のための時間を大幅に短縮できた。けれど、それは別の問題も引き起こした。

 

繰り返すが少女は他の候補者に比べて体力面では劣っている。その結果、合同で行う修行を除いた自主的な修練の時間は誰よりも短くなっていた。それなのに、少女は他の候補者たちと同じか少し上の成績をあげている。

 

それは他の候補生たちの自尊心を傷つけ、反感を抱かせるには十分だった。しかし、未だ年長組は少女の庇護を続けている。ゆえに表立って何か言うことは難しい。

 

ある日、それが一人の候補生の感情を暴走させた。

 

その日、少女は合同での修行の後、汗をかいた衣服を着替えるために自室へと歩いていた。そのとき、一足早く部屋に戻って着替えを終えて自主修練に向かおうとしている候補生が目に入った。その候補生は少女に性的関心を抱いていると思っていた十五歳の少年だった。

 

その少年とすれ違う瞬間だった。その候補生が不意に腕を持ち上げ、少女の腹に拳を叩きつけてきたのだ。

 

初め、少女は何が起きたのか分からなかった。分かったのは、強い衝撃とともに一瞬だけ息が止まったということだけだった。痛みがやってきたのは、少しして殴られたと気づいた後だった。そうすると今度は猛烈に怖くなってきた。少女は涙をこらえて、ともかく自室へと駆け込んで鍵を閉めた。

 

恐怖と、悲しみと、怒りと。色々な感情で頭の中はぐちゃぐちゃだった。何に対しての感情か分からないまま、そのくせ泣き声を聞かれるのは嫌で、ただ声を押し殺して泣いた。

 

少しして冷静に振り返ると、少年は殴ろうとしたというより、少し腕をぶつけて嫌がらせをしてやろうとしただけなのだろう。本気で殴ってきたのなら、すぐに蹲るくらいの衝撃があっただろうから。

 

けれど、その一件で魔法は至近距離からの不意打ちに対しては無力であると知った。それとともに、至近距離での一撃で少女を倒しうる大柄な男性という存在に対して少し苦手意識を持つようになった。

 

そのようなアクシデントはありつつも、少女の宮芝の魔法の習得は順調に進んだ。半年が過ぎた頃には、三人の脱落者が出たが、少女も、少女の庇護者となっていた二人の年長者も無事に残り七人の中に残っていた。

 

しかし、それからが問題だった。少女は残った七人の中でも有力候補の一人ではあったが、そこから正式な後継者に選ばれるには少し決め手に欠けていた。

 

仮に魔法の能力が全く同じであれば、体力面で男性の方が優位である。これは少女がこれまでに実感してきたことである。そこから考えれば、少女は他の候補者より大幅に優れていなければならない。

 

しかし、現代魔法の要素を取り込んでも、少女は有力者の一人という位置である。今のままでは足りない。けれど、これ以上の上積みがなせるかというと、難しいと感じていた。

 

九の家の直系レベルの魔法師を解剖できれば何か有益な情報が得られるかもしれないが、それこそ発覚すれば桐生家自体が取り潰しに合う。さすがにリスクが高すぎて桐生でも受けてくれないだろう。

 

結局、思い悩んだ少女が辿り着いた答えは最も得意としている幻影魔法と精神干渉魔法だった。それをもって、後継者を選ぶ宮芝の現当主に対する少女の印象を操作する。それは非常に難易度が高く、リスクも高い方法だった。

 

けれども、これ以外には手はないと思えた。それに、仮に完全に騙しきることはできなくとも、一瞬でも宮芝家の現当主に偽りの魔法情報を信じさせることができたら、それも武器として評価してくれる可能性がある。

 

その可能性に賭けて、少女は魔法を上手く使うのと同時に、魔法を上手く使えているように見られるように努力した。そのために鍵となるのが高度な魔法の隠蔽技術だった。それが無ければ、余計な魔法を使っていることが発覚してしまうから。

 

少女は隠蔽なしで通常の魔法を使用し、その後で隠蔽を施した幻影魔法により、魔法を派手に見せかけるという方法を編み出した。それだけを見れば、明らかに試験用で実用性のない魔法である。

 

けれども見る者が見れば、精度の高い幻影魔法も、極めて優れた隠蔽魔法も、実戦でも有用なものであると分かるはず。そして、そもそも幻影に騙される者であれば、少女の実力自体を見誤ってくれる。

 

課題本来の内容とはかけ離れた魔法の披露。少女はそれをもって答えとした。そして本番、少女は幾度も練習を重ねてきた、通常の魔法と幻影魔法と隠蔽魔法を併用するという方法で宮芝の魔法を披露し、そこに少しだけ注意力を散漫にする精神干渉魔法を加える。

 

少女の魔法に気づかなかった者は、素直な感嘆の声を漏らしていた。少女の魔法に気づいた者は難しい顔で唸り声を上げていた。

 

結論として、少女は賭けに勝った。古式魔法にとって、幻術と隠蔽術式は最重要ではないものの、大事な要素であることには変わりない。それを高精度で、かつ工夫を凝らして披露してみせた少女は高い評価を得られたのだ。

 

こうして、少女は宮芝の後継者として選定された。



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追憶編 開花

宮芝の後継者となった私は、宮芝の姓と宮芝家の通字の「治」の一字を受けての治夏の名を与えられることになりました。ちなみに父が桐生家に入ったときと違い、私は宮芝の養子になったわけではないので、本名は桐生深夏のままです。

 

宮芝の当主は基本的に宮芝和泉守、または宮芝和泉と名乗ります。そして特別に個人を識別する場合には各々の当主に与えられた通名を使い、宮芝治夏と名乗ります。私の本名である桐生深夏という名を知る者は、後継者就任前から私を知る一部の人だけです。

 

さて、宮芝の後継者と決まったわけですが、そこから正式に当主となるためには、更に一年の修行期間が必要となります。その期間で宮芝の中でもごく一部しか触れないような秘中の秘について学ぶことになります。

 

その間に宮芝の後継者はもう一つの仕事があります。それは一年後に当主となった暁に側近として仕える人物を指名することです。

 

私が最初に指名したのは、身の回りの世話を担当してくれる杉内瑞希です。彼女は桐生家の使用人として働いており、このときの私にとっては最も古くから知っている相手でした。瑞希に対しては話をすると、すぐに了承してくれたので当主と決まった翌日には指名して、宮芝家に移ってもらいました。

 

続いて指名したのが修行時代に私のことを庇護してくれた年長者の二人、村山利明と山中幸弥でした。二人もあまり迷う様子なく了承をしてくれ、以後は村山右京、山中図書という名で私を助けてくれています。

 

最後に指名した皆川崇明は当主に就任する直前に指名しました。彼だけは既知の間柄ではなく、宮芝の術士養成所で見かけた実力者五人の内から、面接で選びました。皆川掃部と名を変えた崇明は、古式には珍しく対人戦闘に優れています。そのため敵と交戦する際の護衛役を期待しての指名でした。

 

こうして側近の指名を行うのに引き続いて、頑張らなければならなかったのが歴史の勉強でした。宮芝は六百五十年もの歴史を持っています。しかし、私は今では桐生を名乗っているとはいえ、元々は宮芝傘下の森山という小さな家の出身です。本家の歴史については最低限しか持っていません。必然的に学ぶ内容は多くなります。

 

これが単なる暗記のようなものなら、それほど苦労はしなかったでしょう。私は中学校を中退したような格好ですが、それまでの成績はわりと良い方でしたから。けれど、宮芝の歴史は単なる暗記の座学ではありません。

 

宮芝の歴史というのは、魔法の歴史でもあります。発祥の陰陽道から後に神道に広がり、更には修験道まで取り入れて生き残りを図ってきた宮芝は、多くの秘術を己のものとしてきました。

 

その大半は属人的な資質に基づいていたため、再現するのは困難ですが、長き時を経て再び陽の目を見ることもあるので、その判断に役立てるため仕組みをある程度は理解しなければなりません。とはいえ、昔の資料になればなるほど単なる伝説なんじゃないかと思える記載も多く、実際に今も完全に理解しているかと問われると、首を横に振るしかありません。

 

けれど、その中には面白いものもありました。それが、とある村で長雨に悩んだ末に龍神への生贄として池に沈められた乙女の物語でした。

 

ぱっと見では、よくある伝説。けれど他の物語と違ったのが、池には龍など住んでおらず、乙女の犠牲は無駄になったということ。そして、自分の死が無駄であると知った乙女がくだらない伝承を信じて自分を池に沈めた者たちを恨んだという記述でした。

 

龍神伝説は数あれども、このような記載があることは珍しいです。何より、死にゆく者が直前に誰かを恨んだなどということを一体、誰がどうして知れるというのか。これでは、よくある怪談の類です。

 

けれど、なぜか私はその記述に心惹かれました。わざわざ宮芝の魔法に関する書物の中にそのような記述があるのです。単なる伝説を記したものではないはずです。そう考えた私はその魔法の再現を試みることにしました。

 

そうして記述を読み解いていくと、魔の者を滅ぼすために、乙女の人に対する恨みを魔の者に転嫁して用いたものであることが判明しました。私はそれを、本来の形である人に対する恨みとして発動させる魔法とすることを考えました。

 

宮芝の魔法には、広範囲に影響を及ぼす攻撃系の魔法がありませんでした。そもそも古式は現代魔法の戦略級魔法のような目立つ魔法は得意とはしていません。だからこそ、私は呪いを元にした広範囲攻撃魔法を面白いと感じたのです。しかし、大きな問題が立ちはだかりました。それは干渉力の大幅な不足でした。

 

広範囲に影響を及ぼすためには、それだけの魔法力が必要でしたが、十師族ほどの力を持たない私たちには、それを賄うだけの力がなかったのです。かといって威力を低下させてしまったのでは本末転倒です。

 

私たちはまず少ない魔法力を増幅して、大きな力を引き出す方法を編み出す必要がありました。もっとも、それには心当たりがありました。古式魔法には昔から大勢の術士が同じ効果を願って力を注ぐ、大規模儀式という方法が伝わっていました。

 

綿々と受け継がれてきた儀式が、何の意味もないものだとは考えられません。必ずやそこに現代魔法では例外的な事例として報告されているだけの、複数人で一つの魔法を完成させるための方法があるはずです。

 

そのときに宮芝が受け継いできた数々の古文書が役に立ちました。書かれている内容をしらみつぶしに試してみて、感覚として効果があったものとなかったものを振り分けているうちに、どのような方法を取れば効果を発揮できるかが分かってきました。

 

そうして半年間の研究を経て、ついに儀式系広範囲呪法である呪水落滅が完成しました。その魔法は私の当主就任の席で披露され、どこの馬の骨とも分からない小娘の当主就任を冷ややかに見ていた者たちの度肝を抜くことに成功しました。

 

現代魔法のみならず古式魔法においても、複数人での魔法行使は属人的な技術とされていました。それを覆したことは大きな驚きをもって迎えられたのです。それは、その後の当主としての運営にも影響を与えるものでした。

 

しかし、それでも私は外様の人間です。形式的には有力分家の桐生家の娘ですが、元は無名の家の出ということは広く知られています。

 

救いなのは、宮芝にとって外部の当主が珍しくなかったことです。現代魔法師たちと私たち古い家は魔法師としてのなりたちがそもそも異なっています。

 

現代魔法師の名門は、卵子と精子の正しい組み合わせを科学的に導き出した上で両親を定められた、作られた家系。一方の古式魔法の名門は歴史が長く、他に比べて平均値が高いものの、あくまで自然に代を重ねてきた結果です。そのためなのか、私たちは良く言えば可能性に満ちている、悪く言えば能力にばらつきが多いのです。

 

しかも古くから伝わる家で、実力主義を取っていることもあり、養子が当主に就任することも、過去に例がないということではありませんでした。当主の弟の子等の身内からの養子までを含めれば、むしろ半数以上が養子等による当主になります。それでも、反発がないというわけではありません。

 

現状では私の味方は父が当主を務めている桐生のみ。他の分家も同様に思って、私のことを侮っていることでしょう。けれど、それでは駄目なのです。私が宮芝家の当主として力を振るうためには、たった一家の協力では足りません。

 

一年の当主見習の期間が過ぎ、私は正式に当主の座に就きました。当然、宮芝本家の後見の元になりますが、自分なりの施策も打てるようになりました。

 

そして、それを機に私は大きな決断を下したのです。



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追憶編 落首

当主に就任して、私は宮芝和泉守治夏と名乗り始めました。宮芝家で当主が代わったときには、慣例として宮芝発展のための案を披露することになっています。そこで私は宮芝家の発展の案として、現代魔法の最新知識の吸収による古式魔法の再構築、を掲げることにしました。

 

宮芝は随時、最新知識を取り入れているとはいえ、古くからの魔法は手つかずのものも多かったので、効果があるのは確かなはずです。けれど、それは実現に移すのが難しい方法でした。古くから受け継がれてきたものであればあるほど、変えたくないと考えるのが人間の心理だからです。けれど、それでは駄目なのです。

 

大規模儀式魔法という新たな武器を手にした宮芝ですが、それは安易に使えるものではありません。その最大の懸念は大規模儀式魔法の詳細が外へと漏れることです。

 

大規模儀式魔法の最大の特徴は、魔法力の乏しい者でも強力な魔法を使えるということ。その利点を最大に生かせるのは、量が少ない代わりに精鋭を揃えようとする日本ではありません。むしろ、質に圧倒されている外国の方です。

 

それに私は、当主候補の時期に参考とするために研究したことで、現代魔法の優秀さを十分に認識させられました。特にここ最近はトーラス・シルバーなる謎の技術者が現れ、現代魔法は一気に発展をしています。

 

旧態依然の方法を続けていては、いずれ古式魔法は現代魔法に挽回不可能なほどの差をつけられてしまうでしょう。その前に、新たな考えをもって宮芝の魔法を大幅に変えなければならないのです。

 

そこで私は現代魔法を学ぶ手段として、魔法科高校への進学を考えました。けれど、当主が宮芝家を離れて勉学に励むというのは前例のないことです。かといって、私と同年代に、私以上に古式の魔法に精通している人間はいません。それを考えると、私が行くのが最も有益な結果を出せる可能性が高いのです。

 

けれど、方針に賛同してもらうには、私には多くのものが足りませんでした。当主として部下を従わせるのに必要なものをあげるとすれば、第一には信望でしょう。けれども、これは容易に得られるものではありません。だから、私は他の手段として、恐怖を用いることに決めました。

 

恐怖は人を従わせるために有力な手段ですが、反面として過ぎれば自らの身を滅ぼすことになります。でも、入学試験までの残り時間を考えると、私には悠長な手段を講じている時間がありませんでした。

 

そこで考えたのが、現在の私にとっての唯一の味方といえる桐生を利用することでした。味方といっても、父にとって私は自由に操れる都合のよい存在であるはず。けして無条件の味方なのではないのです。

 

おそらく味方でいてくれるのは一時のこと。私が父の意と異なる行動を取り始めた瞬間、父は私の敵となることは眼に見えています。敵となってからでは色々と面倒です。だから、切るならば早め、まだ警戒をされていないうちが一番です。

 

桐生を切るための第一歩として私は父と示し合わせて、わざと父に私の様々な案に反対の意見を出させました。そのときは、近々、重要な提案を考えており、それまでに私と密接という印象を薄れさせておいてほしい、と依頼しました。

 

桐生と宮芝が一体と見做されれば、他の分家から睨まれ、桐生としても動き辛くなります。それは父にとっても、望むことではありません。私からの提案に対して、父は何も考えずに乗ってきました。

 

私の口にする、何でもない一言に父は積極的に拒否反応を示してくれます。父の色々な提案を、私は悉く拒否していきます。無論、私が感情的に拒否していると思われないように、父の提案はやや認め難い内容にしておきます。

 

そうして幾度かの口論のような対立を周囲へと見せつけ、ついに私は行動に移しました。父をこの手で殺害したのです。

 

私は手勢を率いて桐生家を取り囲みました。驚く父に門前に出るように告げ、その場で反論も聞かずに斬りつけたとき、父は驚きに目を見張っていました。武装した部下に両腕を掴まれて門前に引きずり出された時点で、自分が私の策に嵌められていたことは父も気づいたはずです。

 

ですが、父は最後までそれを認めたがっていないように見えました。それがどのような心持ちによるものか、今となっては知るすべはありません。

 

父を殺害した理由を、私は当主への度重なる反抗に対しての処罰と伝えました。それだけで重臣を粛清するとなると大問題ですが、宮芝には前例がありました。それは、先々代の頃のことです。そのときは弟が当主に就任したことが面白くなく、反抗的な態度を取り続けた兄が粛清されました。

 

そのとき宮芝の先々代の行いは、身内の争いとして重臣たちから黙認されました。私の行動は、父と娘という関係を利用してそのときの再現を狙ったものです。

 

下手をすれば私は当主の座を剝奪されてもおかしくありませんでした。けれど、前例のある事件を理由に就任早々に当主を交代させるはずがないという読みは当たり、私は厳重注意という、事実上のお咎めなしに終わりました。

 

当主を交代させないのなら、良好な関係を保った方が己の家のためになります。親子の対立の結果に口を出して無用な恨みを買うような愚を冒そうとは誰も思わなかったのです。

 

一方の私は、将来の敵の芽を摘んでおくという効果を得られました。それとともに、当初の目的である私に恐怖心を抱かせるということも。場合によっては身内の粛清も辞さない冷酷な人物である。周囲がそう思ってくれた結果でした。

 

かつて私は、自分が上に行くために母のことを切り捨てた父を浅ましい人間と軽蔑をしました。けれど、今の私はそのときと同じことをしています。

 

切り捨てられた母のことを思い、そこまでして上になど行かなくともよいと思った幼き日の私。それは今やどこにもいません。父の死に対して悩みの種が減ったと清々しく思う今の私は、あの日の父以上の畜生です。

 

認めましょう。お父さん。私は確かにあなたの娘です。

 

自らの都合の為に身内を切り捨てることのできる、あなたの浅ましさを誰よりも受け継いだ、あなたの娘です。

 

こうして魔法科高校に進学するための下地を整えた私は、必死の猛勉強もあって試験にぎりぎりながら合格し、国立魔法大学付属第一高校への進学を果たしたのでした。





追憶編完結

次の来訪者編はなぜかコメディ要素が強くなっています。


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来訪者編
来訪者編 元日


西暦二〇九六年の元旦を、宮芝和泉守治夏は東京の仮宅で迎えた。

 

宮芝家の当主である治夏の正月といえば祝賀行事の連続である。が、宮芝家の正月とは旧正月のことであり、一月一日は何でもない日なのである。

 

おかげで今日は、親睦を深めたい人たちと初詣に行くことができる。治夏は水色地に鮮やかな桔梗の花を散らした振袖に、赤地に白の羽を散らした模様の帯、髪には鶴を模した簪を身に着けていた。水色地の着物は他でもよく着用するが、今日の衣装は同行する皆には初披露のものだ。

 

「瑞希、おかしなところはない?」

 

「たいへんお綺麗ですよ、治夏様」

 

着付けを手伝ってもらった杉内瑞希に確認して太鼓判をもらう。しかし、着物を選ぶところから髪のセットまで瑞希に手伝ってもらっているのだから、全部が終わった段階で似合わないなど言うはずがない。

 

となると、誰か別の人にも確認すべきか。いや、それでは瑞希のことを信頼していないようだ。などと考えているうちに、時間はどんどんと過ぎていく。

 

「治夏様、そろそろ出立しませんと、遅れてしまいますよ」

 

「む、そうだな。では、そろそろ出るとしよう」

 

結局、自信たっぷりとはいかぬまま、治夏は待ち合わせ場所に出立する。ちなみに治夏はしっかりと運転手付きの車を用意しているため、駅での乗り換えは発生しない。正月早々に働かされる運転手には申し訳ないが、大亜連合とのいざこざから日が経っていない今、なるべく表を歩く気はない。

 

「あ、宮芝さん、こっち」

 

目的地に着くと、すぐに治夏のことを呼ぶ声が聞こえた。そこにいたのは、七草真由美、渡辺摩利、十文字克人、そして見知らぬ女子二人だ。

 

「遅くなってすみません、先輩がた」

 

「ううん、約束の時間まではまだあるんだから、いいのよ。それより、宮芝さんに紹介するわね、私の妹の香澄と泉美よ」

 

そう言って七草真由美が二人の少女を紹介してくる。二人は顔立ちこそ似ているが、雰囲気はだいぶ異なる。

 

「はじめまして、香澄さん、泉美さん。宮芝和泉守治夏です。それにしても、泉美さんは私の官位と同じ響きなのですね。なら、皆さん、これからは私のことは名前である治夏で呼んでいただいていいですよ」

 

「いや、宮芝のことは皆、ずっと宮芝と呼んでいたはず……いや、何でもない」

 

渡辺摩利が何か言いかけたが、視線で黙らせた。

 

「それより、私たちと一緒に初詣に行きたいなんて、どういう風の吹き回しなの?」

 

七草が言ったように、今日の初詣は治夏が主体となって企画された。参加者を選んだのも、当然に治夏だ。

 

「嫌ですね。私はただ三巨頭と称される皆さんと卒業後も良好な関係を築きたいだけです。他に他意はありません」

 

「その考え自体がすでに下心だらけに聞こえるのは、私の気のせいか?」

 

そう言ってきたのは、またしても渡辺だ。

 

「いいえ、性格、能力、財力などを総合的に見させていただいた上で、下心込みで仲良くしていきたいと思っていますので、気のせいではありませんよ」

 

「そうはっきりと言われると、何も言う気が起きなくなるな」

 

呆れた様子ではあるが、嫌悪感は抱かれていない様子だ。なら、よしとしよう。

 

「ところで十文字先輩、今日の私はどうですか?」

 

袖の模様がよく見えるよう、軽く腕を持ち上げながら聞いてみる。

 

「似合っていると思うぞ」

 

「七草先輩、うちの男連中は揃いも揃ってこんな反応ばかりなんですが。先輩は同級生にどういう教育をしているんですか?」

 

「同級生には入らないが、確かに服部にせよ達也くんにせよ、頭はいいくせに女性を褒める語彙となると途端に乏しくなるな」

 

今回は渡辺も治夏と同意見のようだ。けれど、一つ見過ごせない点がある。

 

「渡辺先輩の場合、褒めてもらおうと思うなら、もっと頑張った方がいいと思いますよ」

 

今日の服装は治夏と七草姉妹が振袖姿なのに対して、渡辺だけがごく普通の冬服だ。

 

「なっ……わ、私はいいんだよ」

 

「まあ彼氏さんがいるのに着飾って他の男とお出かけとなると色々と拙いのは確かなんでしょうけどね……」

 

「うるさいな、いつまでも立ち止まっていないで行くぞ」

 

照れ隠しか、渡辺は話を打ち切って賑わう参道へと歩き出す。その後ろに続きながら治夏は七草の妹二人に話しかけた。

 

「改めて二人には初めまして。古式魔法の名門、宮芝家の三十六代当主、宮芝和泉守治夏だ。君たちは来年、第一高校に進学する予定なのかな?」

 

「はい。私たち二人とも第一高校に進学するつもりです」

 

そう答えたのは七草の双子のうち、おっとりとした雰囲気を纏った少女だった。七草真由美から泉美という名だと紹介された少女は、ストレートの髪を眉の高さと肩に触れる長さで切り揃えている。印象としては、お淑やかな文学少女だ。

 

「君たちは双子ということでいいのかな?」

 

「はい、そうですけど?」

 

泉美はなぜそんな、当たり前のことを聞くんだ、という顔だ。

 

「今年の一年生には、四月生まれと三月生まれという同学年の正真正銘の兄妹がいるんだ。だから、念のための確認だな」

 

「今年の一年生って……先輩も同学年なんじゃないんですか?」

 

今度の質問は、香澄の方だ。香澄は癖のないショートカットで、見るからに活発な体育会系という雰囲気である。

 

「そうだな。私も彼らとは同学年だ」

 

「どうでもいいけど、お姉ちゃんたちに話す時と口調が違いすぎない?」

 

「香澄ちゃん、彼女の場合、こちらの方が普段なのよ。私なんか七草先輩なんて呼ばれたのは今日が初めてだし」

 

「そうだな。これまでは会長殿か前会長殿だったな」

 

「いつの間にか、これまでの口調に戻ってるし」

 

七草は、はあ、とわざとらしく溜息をつく。

 

「宮芝さん、お願いだから四月以降、香澄ちゃんと泉美ちゃんを困らせないでね」

 

「前会長殿、それは無理なお願いというものだ」

 

「無理なのね」

 

「ああ、何せ第一高校には関本がいるからな」

 

「あー」

 

七草は額に手を当て、空を見上げてしまった。

 

ちなみに第一高校三年生であった関本はすでに高校を中退し、今は第一高校の警備員として働いている。なお、その交渉の際に関本に内蔵した火器が暴発して、校長室に多数の銃痕が刻まれることになったが、それはあくまで事故である。脅迫などでは断じてない、と主張しておこう。

 

「その関本だが、花音が引き取ってくれと私に言ってきているんだが」

 

「前風紀長殿は引き取りたいのか?」

 

「御免蒙るな」

 

「その関本さんって人は、そんなに問題のある人なんですか?」

 

聞いてきたのは香澄だった。その質問に七草と渡辺が顔を見合わせる。

 

「問題のある人っていうか……」

 

「ああ、あれはもう人型ロボットと呼んだ方がいいような……」

 

「そうよね。この間は足の裏から出した車輪で移動していたし……」

 

「二足歩行というのは意外と動力を使うんだ。平地では車輪を使って移動した方が効率的だと判明したのでな。試しに搭載してみたんだが、これも今一つでな。いっそ膝までを無限軌道にしてみようかと色々とテスト中だ」

 

「あの……今の会話を聞く限り機械としか思えないんですけど……」

 

女三人寄れば姦しいというが、この場にいるのは五人。話が弾んでしまい足が遅くなってしまうことは避けられない。そのため克人は度々、足を止めていた。

 

七草姉妹との会話も楽しいが、今日は克人ともっと親睦を深めたい。いつまでも女子と話していてばかりではいけない。

 

「すみません、先輩。女五人を連れてで、大変な思いをさせてしまいましたね」

 

「いや、別に構わない」

 

「先輩は、よくお祭りとかは来られるんですか?」

 

「いや、あまり来たことはないな」

 

「ちょっと宮芝さん。私たちと話し方が違わない」

 

そう言って抗議してきたのは七草だ。

 

「それはそうだろう。男の前で気取らないなら、着飾った意味がないだろう?」

 

「そうまで断言すると、逆に清々しいな」

 

渡辺が関心しているのだか、呆れているのか分からない調子で言う。その間に列は進み、拝殿の前まで進んでいた。

 

少しつめて五人で横に並び、参拝する。願うのは国家の安寧と宮芝の発展。そして、できれば自分にも幸せを感じられる事柄が起きてくれれば。

 

去年の横浜のような事態は、二度と引き起こさせない。

 

けれど、その思いを無視するように、厄介事の種はすでに足元に植えられてしまった。

 

もうじき、三ヶ月の期限で第一高校の北山雫とUSNAの魔法師の交換留学が行われる。これまでに長きに渡って絶えていた風習が再開されるのは、相応の原因があるためと考えるのが自然。そして、その原因で思い当たるのは「灼熱のハロウィン」以外にない。

 

間違いなく、送り込まれてくるのは諜報員。しかし、USNAは表面上同盟国であるため、排除はできない。それでも場合によっては抹殺するが、それは本当に最後の手段だ。

 

此度の平穏は、少しでも長く続ける。

 

穏やかな冬晴れの元日に、治夏はそう自らに誓いを立てた。



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来訪者編 留学生の登校初日

アメリカ、カナダ、メキシコ等を併合して成立したUSNA(北アメリカ大陸合衆国)。その統合本部直属の魔法師部隊が『スターズ』である。

 

そして、そのスターズの総隊長であるアンジー・シリウスことアンジェリーナ・シリウス少佐は、ある任務を受けて一月から日本の国立魔法大学付属第一高校に留学生として通うことになっていた。

 

その任務とは、十月末に極東で観測された戦略級魔法によるものと思しき大爆発の術者の正体を探ることである。情報部が絞り込んだ五十一人の候補のうち、第一高校に通う二人がシリウス少佐の担当だ。つまりは、シリウスが対象の高校生と同じ年齢であることを利用して相手と接触し、術者であるか否かを探る諜報活動が今回の留学の目的である。

 

しかし、シリウスは戦闘力には優れているが、諜報の能力はない。そのため期待されている成果も、容疑者に接触して何気ない会話から揺さぶりをかけるまで。後はバックアップ用の部隊に任せる予定だ。

 

そのため、シリウスは軍人でなく、個人のアンジェリーナ=クドウ=シールズとして比較的気楽に第一高校の門を潜ろうとした。その直後だった。

 

「イキキキキキ!」

 

奇妙な声が上から聞こえたと同時に目の前の地面に弾痕が刻まれていく。シリウスは咄嗟に後方に大きく跳ぶと同時にCADを取り出し、臨戦態勢を取る。

 

校舎の屋上から何かが飛び降りてきて、地面に着地をした。シリウスが攻撃をしなかったのは、弾痕の位置が自身よりも二十メートルは前であったため。つまりは警告射撃であると判断したためだ。

 

着地地点から近づいてきたのは、右手にアサルトライフルを持った、男の姿をした何か。顔は確かに男子生徒を思わせるものだが、表情には一切の感情が見えず、相対していても人間と思えない。

 

「アナタハ生徒データベースニ登録サレテイマセン。制服ヲ偽造シテノ不法侵入ト判断シ退去ヲ要求シマス」

 

男は機械としか思えない声音でそう言ってくる。

 

「私は交換留学生として今日から登校することになっています。情報が更新されていないだけではないですか?」

 

「アナタハ生徒データベースニ登録サレテイマセン。制服ヲ偽造シテノ不法侵入ト判断シ退去ヲ要求シマス」

 

うん、話が通じない。どうも本当に機械のようだ。それでは説得をするだけ無駄というものだろう。

 

どうするか。まさか破壊して侵入するわけにはいくまい。そこまでして、今日から学校に通わなければならないわけではない。となると、今日はおとなしく引き返して学校側に手続きを依頼すべきか。

 

「管理者権限において命じる。関本、行動を停止せよ!」

 

そう考えていたとき、女性の声が聞こえてきた。

 

「イキッ!」

 

妙な声で答え、セキモトと呼ばれた機械が銃を降ろす。

 

「失礼しました。私は第一高校で風紀委員を務める、宮芝和泉と申します。貴殿は交換留学生のアンジェリーナ=クドウ=シールズ殿でお間違えはありませんか?」

 

セキモトの後を追うようにやってきたミヤシバイズミは艶やかな黒髪の、日本人形のような少女だった。ただし、纏う雰囲気は人形とは程遠い、跳びかかる直前の肉食獣だ。

 

「はい、私がアンジェリーナ=クドウ=シールズです」

 

「それでは、私が教室までご案内いたします。関本、屋上で警戒態勢に戻れ」

 

「イキッ!」

 

妙な声で答えたセキモトが魔法を使って屋上へと戻っていく。当たり前だが、機械は魔法を使えない。ということは、あれは人間なのか。改めてまじまじと見つめてみる。が、その結果はやはり機械にしか見えない、というものだった。

 

「シールズ殿、こちらへ」

 

「あの、そのように畏まらずとも、気軽にリーナとお呼びください」

 

「では、リーナ、先の銃撃を受けた後の対応は見事でした。さすがは交換留学生に選ばれる才媛。関本の攻撃が威嚇射撃であることも見抜かれていたのでしょう?」

 

親しみを持ってもらおうと思ってのリーナの発言は、ミヤシバからの強烈な反撃を得ただけだった。

 

「いえ、見抜いたというほどではありません。たまたまそう見えただけですよ」

 

目の前の地面を銃で撃たれて、それが警告射撃かそうでないか判断できる。そんな技能を持つ高校生は普通いない。ここで正直に答えるのは、あまりに拙すぎる。かといって演技の苦手なリーナに上手い言い訳も思いつかず、思い切り曖昧な答えを返してしまう。

 

「そうですか。謙遜をなさらずともよいと思いますが」

 

しかも全く通じていなかった。早くも疲労困憊のリーナは、これ以上、傷口を広げる前に帰りたい思いに駆られていた。

 

「さて、ここがリーナの通われる教室です」

 

そう言ってミヤシバが立ち止まったのは1Bと記された教室だった。

 

「あの、私は1Aに通うことになると聞かされていたのですが……」

 

「昨日、1Bでちょっとした事故がありまして、生徒が二人ほど年度末まで休学することになったのです。それを受け、それならば生徒数の少ない1Bの方がより手厚いサポートができるだろうと、急遽、変更されたのです。もっとも、そのせいで何か手続き漏れがあったようで、先程の失態に繋がったわけで、リーナには申し訳ないばかりです」

 

「え……ええ、それは構いませんが……」

 

本当は構わない訳がない。リーナが接触対象とする人物は1Aにいる。だが、そんなことを言える訳もない。仕方なく、1Bの扉を開けようとする。

 

「そういえば、リーナはもしかして九島閣下の血縁ですか?」

 

しかし、その前にまたしてもミヤシバの質問を受けてしまった。けれど、この質問は事前にどのように答えるかの想定問答を作成済だ。

 

「良く知っているのですね。随分と昔のことなのに。ワタシの母方の祖父が九島将軍の弟なのよ」

 

「随分昔と言われても……我ら宮芝は三十六代、六百五十年の歴史があるので。九島と共に秘術の開発を行ったのは、ほんの三代前。最近の話にしか感じないのです」

 

もう、どこから突っ込めばいいのだか分からない。それより、九島と共に秘術の開発と言う発言は看過できない。それは、リーナが使う魔法も知っているということ。とりあえず、この少女には近づかない方がいい気がしてならない。

 

「ともかく、教室に入ろうと思います。案内、ありがとうございました」

 

「待ってください。ここへは教室の場所の確認に来ただけで、まずは個人情報の登録をしなければなりません。お手数ですが、風紀委員本部にまでご足労願います。そこで静脈等の登録を行い、それで施設利用に必要なIDカード等が発行することができますので。普通の生徒ならばそこまでの手続きは必要ないのですが、リーナの場合は仮にも外国人。秘匿情報へのアクセス権限は与えられませんので、申し訳ありませんが、ご了承ください」

 

「いえ、当然のことと思います」

 

「それでは、こちらに」

 

希望を与えて、突き落とす。これが、この少女のやり方なのだろう。

 

「そういえば、九島家といえば古式の魔法を発展させ、現代魔法として受け継いでいる家系。となれば、リーナも古式の知識には詳しいのですか?」

 

そして、その時間を利用して、ミヤシバは何気ない疑問を装って、聞いてほしくない情報へと、どんどんとアタックしてくる。そして、個人情報なんか残したくないのに、逃げられない流れになっている。この分だと静脈だけでは終わらない気がするが、どの情報ならば守り抜き、どこまでの情報までなら与えてもいいのかが分からない。

 

これが捕虜として連れてこられたのなら、対応方法の訓練も受けたし、知識もある。けれど、諜報目的の潜入任務で、あれもこれも拒否をしていては、相手に警戒心を植え付けてしまい、任務が果たせなくなる。

 

やっぱり、本職を人選すべきだったと思います。本国に残っている頼れる部下に向けて、リーナは心の中で訴えてみた。



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来訪者編 治夏の誤算

「うーむ、なかなか思ったようにはいかないようだね」

 

シールズが転校してきてから二週間ほどが経ったある日、宮芝和泉守治夏はある決定を見てそう漏らした。それは、シールズを深雪のいるA組に正式に転籍させるというものだ。

 

調査対象と想定される十師族の直系ほか有力な魔法師から遠ざけるための措置だったのだが、シールズの魔法技能が予想以上に高かったとことで、B組では誰もペアの実習の相手方を務めることができなかったのだ。

 

それで他のクラスを見たとき、同じくA組で実習の相手のいない深雪ならば、ということになり、学校側は試しにということで実行してみたようだ。結果は深雪と互角。それで深雪と同じクラスへと転籍となった次第である。

 

道理を曲げてまで我を通せば、さすがに反発が大きくなりすぎる。それを繰り返せば信頼を失い、やがては力を失うことにも繋がる。大きな力を振るう場合は、それなりに気は配らねばならないのだ。

 

さて、そのシールズは今どうしているかな、と校内にこっそり設置してある監視カメラで居場所を探すと、面白い場面を目撃した。それは、治夏にとっても戦略級魔法師の容疑者である達也と一緒に校内を回っているところだった。

 

「これは、介入せざるをえないだろうな」

 

治夏はすぐに二人に合流すべく、足早に歩き始めた。二人の現在位置と歩く方向を確認して確実に先回りをする。二人は実験室が並ぶ特殊棟の端、実験棟から裏庭に降りる昇降口で立ち止まっていた。治夏は隠密術式を使ってから二人へと接近する。

 

「タツヤは補欠、二科生なのよね?」

 

「そうだけど?」

 

「A組のみんなと制服が違うから何故かなって思ってたら、ミユキが不機嫌そうな声で教えてくれたわ」

 

シールズが質問をし、達也がそれに答えている。今はまだ、口を挿む必要はない。しかし、確信に迫るようなら介入する。

 

「でも、さっきカノンに聞いたら、タツヤは一高でもトップクラスの実力者だって言ってた。タツヤ、なぜ劣等生のフリなんてしているの? 劣等生のフリをしていて、なぜ簡単に実力を見せちゃうの? タツヤのやっていることって凄くチグハグで、どうしてそんなことをするのか分からないわ」

 

「リーナ、それはこの学校に問題があるからなのよ。あ、達也は上見ちゃ駄目だからね」

 

口を挿んだところ、シールズが驚きに目を見張りながら上を見た。治夏の現在地は二人の真上、天井に手足をつけて張り付いているところだ。足も天井に付けているためスカートの中を見られる心配はないのだが、不格好なので達也は見るのを禁止だ。

 

「イズミ、どうしてそんなところに!?」

 

「風紀委員としては、時にはこっそりと校内の査察をする必要があるのよ。そのとき、たまたま二人の姿が見えたから、近づいてみたの」

 

「そ……そうなの……。大変なのね。けど、タツヤはそんなこと、言ってなかったけど」

 

「これは私たちが特別にやっている活動ですからね。きっかけは関本が普通に廊下を歩くと怖がる生徒がいるから、天井を歩行させてみたことなんです。関本にできて私にできないというのは悔しいでしょう?」

 

「そ……そうなの?」

 

リーナは治夏に向けてくるのは、奇妙なものを見る目つき。関本のこともあって、相当の変人と思われているようだ。遺憾ではあるが、都合がよいので利用させてもらおう。

 

ただし、達也。君は私のことを知ってるのだから、これが方便であると分かってくれてもいいのではないかな。それなのに何で、諦観を感じさせる表情なのかな。よし、後で問い詰めよう。

 

「さて、話を戻しましょう。この学校の成績評価の方法はあまりに実戦からかけ離れたものとなっているの。けれども、単に機械的に行う方が評価するのが簡単というだけで、それを改めようとしない。それは大いなる怠慢だと思わない?」

 

「……試験の実力と実戦の実力は別物だとは思うけど、この学校の評価方法は分からないから、そこはコメントし辛いわね」

 

「試験の実力が実戦とは違うという点は大いに参考になる意見ね。ところで、どういう試験にすれば、両者を近づけることができると思うか、実戦経験が豊富なリーナに是非とも助言いただきたいのだけど、いいかしら?」

 

「いや、私はそんな立場じゃないから……」

 

「そのくらいでいいんじゃないか」

 

ここで、それまで攻める治夏と防戦一方のリーナを見ていた達也が間に入ってきた。

 

「ま、そうしましょうか。それで、達也の見解は?」

 

「実技試験で評価されるのは速度、規模、強度の三つ。国際基準に合わせた項目を使ってる。その意味では妥当なんじゃないか?」

 

「ねえ、リーナ。今の達也の意見を聞いてどう思う? 優等生的というか、面白みがないと思わない?」

 

「そうね。まだ若いんだから、もっとアグレッシブでもいいのにね」

 

「何でそこで急に意見が合うんだ?」

 

達也が呆れたように言うのに合わせ、リーナと二人で笑う。よしよし、相手は表面上とはいえ同盟国が送り込んだスパイ。であれば、対立一辺倒というのもよくない。成果は与えず、気分だけは損なわずにお帰りいただくのが一番だ。

 

「では、お二方、私はここで失礼させてもらいますね」

 

「そうね。イズミも見回りの途中だという話だったものね」

 

「ええ、そういうことです。それでは、達也、ちょっと少しの間でいいので、後ろを向いていてもらえますか?」

 

「何で……まさか、まだ続けるつもりなのか?」

 

「勿論です。さ、早く」

 

溜息をつきながら達也が後ろを向く。それと同時に治夏は飛び上がり、天井へとしがみついた。そして、天井を四足歩行状態で伝っていく。

 

よくよく考えてみれば、あまり知能の高くなさそうなシールズが、情報戦で切れ者の達也に敵うはずがなかった。治夏は二人が何を話していようと気にする必要などなかったのだ。それなのに、こんな登場の仕方をしたのは正しかったのだろうか。

 

まあ、少なくともこれで治夏がどのような奇行に走ろうともシールズには、宮芝だから、と納得をしてもらえることだろう。USNA国内で宮芝がどのように思われようと、治夏も宮芝も一向に気にしない。けれど、そのせいで達也や他の生徒から宮芝が変な存在と思われるのは避けたいものだ。

 

と、そのとき見回り中の関本が前方からやって来るのが目に入った。

 

「キ……キ……キ……キ……」

 

関本は顔を左右に振りつつ、リズムを取るかのように機械的な声を発し、足を折りたたんで膝から下に内蔵しているローラーで走行している。

 

「うわ、キモい」

 

改めて見ていると常軌を逸している。とても元人間とは思えない。

 

「あれ、もしかして私、既に多くの生徒からはとてつもない奇人だと思われてる?」

 

そんな治夏の疑問に答えを返してくれる相手はいない。とりあえず治夏は天井から地面に降り立った。

 

どうしてだろう。国の為に働いたはずなのに、治夏は今、とても疲れていた。



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来訪者編 妖魔

まだ午後の授業が行われている時間、自由登校となっている三年生の十文字克人と七草真由美、それと本来なら授業中のはずの宮芝和泉守治夏が他に誰もいない部屋でこっそりと会っていた。

 

「何で私たちがわざわざこんな所で、とは思うけどね」

 

「すまんな。こうするのが一番目立たない方法だと判断した。今、四葉を刺激する結果となる事は、十文字家として避けたい」

 

「宮芝としても、今は目立たない方が望ましいので異論はありません」

 

「ウチと四葉は先々月から現在進行形で冷戦状態だものね。まったく、あの狸親父が余計なことをするから」

 

忌々しげな七草の呟きに克人が失笑を漏らした。

 

「七草でもそんな言い方をするんだな」

 

「あら、ごめんあそばせ? はしたなかったかしら?」

 

芝居っ気タップリに真由美がしなを作ると、克人の失笑は苦笑に変わった。

 

「お前の相手をしていると、男扱いされていないのではないか、と時々考えることがあるぞ」

 

「それは誤解よ? 十文字くんは私の知り合いの中でピカイチに男らしいわ。ただねぇ」

 

「今更男女の仲には成れんか」

 

「入試の時から。三年来のライバルですもの。それに、今はもう男女の仲になる必要もないでしょう? ね、宮芝さん」

 

「なんで私に聞くんですか?」

 

声に動揺は出ていなかったはずだ。けれど、七草はにやりと小悪魔な笑みで治夏へと問いかけてくる。

 

「あなたが十文字くんと、人目を忍んで会っているという話は私の耳にも入ってきているのよ」

 

「隠蔽と偵察が得意の宮芝に防御力の十文字が加われば、鬼に金棒だろう。それで、協力関係を築けないかと交渉しているだけだ」

 

「へえ、じゃあ、抱き合ってたっていうのも、色仕掛け……」

 

「きゃあー!」

 

思わず悲鳴を上げた治夏を七草は冷ややかな目で見ている。

 

「え、まさか、本当に……」

 

「わ、悪い?」

 

「いえ、悪くはないけど……意外ね」

 

「別にいいでしょ。七草だって言っていたように、克人、男らしいんだから……そ、それよりも話を続けよう」

 

「そ、そうね……」

 

意外と七草も動揺していたのか、気を取り直すように深呼吸をする。そうして気持ちを置きつけてから、改めて克人に話しかける。

 

「十文字くん。父からの、いえ、七草家当主、七草弘一からのメッセージをお伝えます。七草家は十文字家との共闘を望みます」

 

「穏やかではないな。『協調』ではなく、いきなり『共闘』か」

 

「吸血鬼事件のことは、どの程度知ってる?」

 

吸血鬼事件とは、最近、社会を騒がせている猟奇殺人事件のことだ。内容としては単なる殺人事件の範疇といえなくもないが、特徴として被害者が血液の一割を失っていたという事実がオカルト的なセンセーションを煽っている。

 

「報道されている以上のことは知らん。当家は七草家ほど手駒が多くない」

 

「宮芝さんは?」

 

「我々としては事件が人ならざる物によって行われている、ということくらいかな」

 

克人と七草が驚いた様子で治夏のことを見つめてくる。

 

「それは本当か?」

 

「私は克人にそんなつまらない嘘は言わない」

 

「むっ……すまん」

 

ちょっと拗ねてみせると、少し克人は慌てた様子を見せる。一方、七草はというと、達也と深雪を見つめるときと同じような表情をしていた。

 

ちょっと待ってほしい。私たちはあれほど、馬鹿馬鹿しい遣り取りはしてないはず。そう思ったが、抗議をするのはやめておいた。

 

「さて、話を戻そう。そう言えば二人には伝えていなかったが、我々は元々、魑魅魍魎の跋扈する都の浄化を行うことを目的とした一族だ。それゆえに魔の物に対する感覚は現代魔法師の数千倍は優れていてね。事件から多少の時が経とうとも残り香から相手が人ならざる物の仕業というくらいは見破れる」

 

「まさか、本当にオカルトな話だったなんて……」

 

驚いている七草には悪いが、宮芝が事件現場の残り香から魔物の存在を感知したというのは偽りである。実際はもっと前。日本に侵入してきた直後には、その存在を知覚していた。知覚していながら、放置していたのだ。

 

「それで、その話が七草から出てくるということは、被害者の中に七草の関係者がいたということかい?」

 

「半分正解。警察が把握している以外にも被害者がいて、それは全員、ウチと協力関係にある魔法師よ。そうじゃない被害者も魔法師あるいは魔法の資質を持っていた人だと判明しているわ。例えば、魔法大学の学生とか」

 

「七草の魔法師を害する能力の持ち主か。それならば放置はできないね」

 

深刻な顔をして頷きながら、治夏は心の内でほくそ笑んでいた。二人に語った通り、魔の物の退治は宮芝にとって本業であり、専門分野だ。こっそりと始末してしまう程度のことは容易かった。それなのに放置をしていた理由。それは、宮芝の価値を現代魔法師たちに知らしめるためだった。

 

現代魔法が大きく発展をした、ここ五十年ばかり。魔の物が世を大いに乱すことは一度たりともなかった。それゆえに現代魔法師のたちは魔の物への対処法を知らない。

 

知らなければ、適切な対処など、できようはずがない。おそらく現代魔法師たちは敗北し、犠牲を出すだろう。

 

宮芝が出ていくのはその後。そして、現代魔法師たちの前で己が苦戦した敵を圧倒して見せる。それが宮芝の出した此度の方針だ。

 

宮芝が本来の敵である魔の物に対して、そのような消極的な態度に出ることになった遠因は、十月の横浜事変にある。あの事件で大きな犠牲を出した治夏は、何としてもその埋め合わせをするだけの功績を上げる必要があった。

 

功績とは、短絡的には金である。あの戦いで犠牲になった者たちが稼ぎ出してくれるはずの金は失われ、逆に彼らの遺族の面倒を見るために出費は嵩んでいる。桜木町方面での戦いを含めて国からも密かに報奨金はせしめてあるが、それでも長期的には赤字。あの犠牲の原因は治夏の失策にある以上、当主の務めとして、それを何とかする必要がある。

 

だからこそ、こっそりと事件を解決はできない。宮芝は凄いと誰かに評価させ、出資を得られないのであれば、事件を解決できても意味がない。

 

「それで、如何でしょう。十文字家は七草家と共闘していただけますか?」

 

治夏の内心など知る由もない七草は、当初の方針の通り、まずは克人の意向を尋ねる。

 

「協力しよう」

 

「いつもの事とはいえ……随分と即答ね」

 

「さっきも言った。話を聞いた以上、十文字家としても放置しておける事態ではない」

 

「それで、宮芝家も協力してくれるということでいいのよね」

 

「そうだな。ところで、これは七草家に対して貸し一つということでいいのかな?」

 

悪いが宮芝は十文字のように使命感だけでは動かない。動く以上、それなりに利がなければならない。魔の物の退治は元々宮芝の仕事だが、だからといって今の世でただ働きをするつもりはない。

 

「父にはしかと伝えておきます」

 

「まあ、今回は特別に安売りとしておくよ。そして、今回の働きをしかと見届け、次回は是非とも高く買ってほしいものだな」

 

「もし宮芝家が、七草が手を焼いた相手をあっさりと倒したなら、父も嫌でも貴女たちを評価せざるをえないでしょうね」

 

「そうなることを望んでいるよ。今後も互いによい協力関係でいられるように、ね」

 

別に宮芝は七草から金をむしり取ろうとは考えていない。宮芝の望むのは、現代魔法師たちの間に宮芝家は七草に匹敵する力を持っているということが伝わること。利益は後からついてくるという算段だ。

 

まず、第一段階はクリア。次はできれば七草の目の前で敵を葬れればベスト。最低でも七草の魔法師の前で敵を討ちたいものだ。

 

七草程度が善戦できる程度の妖魔なら、宮芝が負けることはない。その自信の元での打算にまみれた妖魔退治が開始されようとしていた。



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来訪者編 見舞い

ある日の放課後、達也はいつものメンバーと和泉を引き連れて、中野の警察病院を訪れていた。目的はエリカの長兄が担当する吸血鬼事件の捜査への協力中に巻き込まれて負傷したレオの見舞いのためだ。

 

「エリカちゃん、レオくんは無事なの……?」

 

病室に向かうエレベーターの中で、経緯から学校を休んで付き添っていたエリカに向けて美月が尋ねる。

 

「大丈夫よ、美月。メールでも連絡したでしょ? 命に別状は無いわ」

 

口には出さないものの同じような懸念を抱えていたのは美月だけではなかったようで、全員の硬さが幾分か取れた。少し和らいだ雰囲気の中、エリカが病室のドアを開ける。それなりに広い、つまりそれなりにグレードの高い個室で、レオは退屈丸出しの顔でベッドの上に身体を起こしていた。

 

「酷い目に遭ったな」

 

「みっともないとこ、見せちまったな」

 

照れくさそうにレオが笑った。

 

「見たところ、怪我もなさそうだが」

 

「そう簡単にやられてたまるかよ。オレだって無抵抗だったわけじゃないぜ」

 

「じゃあ何処をやられたんだ?」

 

「それが良く分からねぇんだよな」

 

レオは負け惜しみでなく、心底納得いかないという表情で首を捻っている。

 

「殴り合っている最中に、急に体の力が抜けちまってさ。最後の根性で一発、良いのを入れたら逃げてったけど、こっちも立ってられなくなって道路に寝転がっている所をエリカの兄貴の警部さんに見つけてもらったんだよ」

 

「毒を喰らった、ってわけでもないんだよな?」

 

「ああ。身体中何処調べても、切り傷も刺し傷も無かったし、血液検査でもシロだったぜ」

 

確かに不思議な話だ。達也が一緒に首を捻っていると、横から和泉が口を挿んできた。

 

「相手の姿は見たのかい?」

 

「見た、って言えば見たけどな。目深にかぶった防止に白一色の覆面、ロングコートにその下はハードタイプのボディアーマーで人相も身体つきも分からんかったよ。ただ……」

 

「ただ、何だい?」

 

「女だった、ような気がするんだよな」

 

「ほう、奴ら、女の形をとっていたか。それは珍しいな」

 

和泉の言葉を聞いて、皆が一様に目を丸くした。

 

「和泉、それって吸血鬼が本当にいるってこと?」

 

「何か心当たりがあるのか?」

 

エリカに続いて、達也も質問する。達也は妖怪の実在を信じてはいなかったが、ただの人間ではないものを否定してもいない。

 

「レオが遭遇した相手は『パラサイト』と呼ばれているものだね」

 

「そのまま寄生虫って意味じゃないよね」

 

「吉田、エリカに教えてやれ」

 

と、ここで和泉は説明を幹比古に丸投げした。一見すると、ただ面倒になっただけ。だが、それが本当の理由ではないだろう。和泉はパラサイトと呼ばれるものについての詳しい情報を知っている。おそらく、幹比古が知っているよりも遥かに詳しく。それを開示してしまうことを避けたのだろう。幹比古はそれと気づかず、講義口調で語り始めた。

 

「PARANORMAL PARASITE、略してパラサイト。魔法の存在と威力が明らかになって、国際的な連携が図られたのは現代魔法だけじゃない。古式魔法も従来の殻にこもり停滞することは許されず、国際化は避けられないものだった。古式魔法を伝える者たちによる国際会議がイギリスを中心として何度も開催され、その中で用語や概念の共通化、精緻化が図られたんだ」

 

「国際的な連携は、古式魔法の方がむしろ盛んだと知っている。それで?」

 

「パラサイトも、そうして定義された名称の一つだ。妖魔、悪霊、ジン、デーモン、それぞれの国で、それぞれの概念で呼ばれていたモノたちの内、人に寄生して人を人間以外の存在に変える魔性のことをこう呼ぶんだよ。国際化したって言っても古式魔法の秘密主義は相変わらずだから、基本的に現代魔法の魔法師である皆が知らなくて当然だと思うよ。それに、パラサイトについては余計な横槍もあったみたいだしね」

 

そう言って幹比古は和泉のことを見た。

 

「横槍?」

 

「パラサイトに関する知識の共有については、宮芝が強硬に反対するんだ」

 

「それはなぜだ?」

 

「愚問だね、達也。パラサイトに関する知識に関しては、我が国は他の先進国より格段に先を行っている。けれど、それは先人たちが長い時間をかけて蓄積をしていった成果だ。簡単に他国に供与してよいものではない」

 

確かに現在の強国、USNAや新ソ連、大亜連合にしても、歴史の断絶を経験し、古式魔法に関する知識は日本には遠く及ばない。それら各国に情報が渡ることは、国にとっては望ましくないのかもしれない。

 

「それにしても、妖魔とか悪霊とかが実在するなんて……」

 

ほのかが怯えたように呟く。その肩に手を置きながら、達也は言った。

 

「魔法だって実在するとは思われていなかった。でも、俺たちは魔法を使っている。未知の存在だからといって、無闇に怯える必要は無い」

 

それだけで、ほのかから盲目的な不安が拭い去られていく。

 

「そういうことだ。何より、日本には我ら宮芝がいる」

 

そこで更に、和泉が自信満々で言い切った。先の情報共有を拒んだことも含めて、どうやら宮芝家のパラサイトに対して有する自信は相当のもののようだ。

 

「さて、レオ、君には軽く治療をしておいてやろう?」

 

「できるのか?」

 

「君は今、精気を大きく失っている。それを回復はできないが、これ以上、漏れ出さないよう蓋をしてやることくらいはできる」

 

「分かった、頼む」

 

「任せてくれ」

 

頷いた和泉が、レオのベッドの傍らに立つ。

 

「じゃあ、レオ、服を脱いでくれ」

 

そして、次の一言で室内の空気が凍り付いた。

 

「い、言っておくけど、上だけだよ」

 

「いや、ただ急だったら驚いただけで、言われなくても分かるけどよ」

 

「だったら、こんな空気にならなくてもいいんじゃない」

 

「いや、俺だけが空気を作ったわけじゃないし」

 

それにしても、これまでの経験で分かっていたことではあるが、和泉は随分と不意打ちに弱いらしい。たった一瞬の沈黙で、あれほど取り乱さずともよいだろうに。

 

こうした一悶着を経て、レオが上半身裸になる。

 

「じゃあ、ちょっと失礼して」

 

そう言ってベッドに上がった和泉は、レオに負担をかけないためか、ベッドに坐したままのレオの両足を跨ぐようにして正対する。

 

「なんか、ちょっとエロい光景ね」

 

「うるさいな。黙っていろ」

 

茶化したエリカに言い返したものの、和泉もレオも顔が赤いのは、何となく自覚があったためだろう。

 

「それじゃあ、いくぞ」

 

和泉がレオの胸に右手を当てる。そうして目を瞑ると、レオの身体の中に想子を流し込み始める。それほど劇的な効果があったようには見えないが、僅かにだがレオの顔色に赤みが増したような気もする。

 

「以上だ。あとはゆっくり休むしかないな。ということで、我々もお暇しよう」

 

今は話すより寝ることの方が大事と言われれば、これ以上、病室で粘るわけにはいかない。達也たちは兄に話があるというエリカを残してレオの病室を後にした。その帰り道、達也は幹比古に話しかける。

 

「妖魔とかパラサイトとかいうヤツらは、頻繁に出現するものなのか?」

 

「……いや、滅多に出現するモノじゃないよ。昔話なんかにはいつも何処かに隠れていて悪いことをしているみたいに書かれているけど、大抵は魔性を装う人間の術者の仕業だ。例えば有名な大江山の酒吞童子だって、正体は西域から流れてきた呪術師だった、っていうのが僕たちの間では定説だし」

 

「滅多に出現するものではない、というのは同意だ。多くは人間の術者の仕業というのも同意しよう。しかし、吉田は一つ思い違いをしている」

 

そう言いながら入ってきたのは、専門家を自負する和泉だ。

 

「吉田たちが魔の物と遭遇しないのは、我々が先んじて退治をしてきたからだ。つまりは吉田たちが大抵は人間の術者の仕業と感じているのは、本物は我々が退治するため、結果として紛い物ばかり掴んでいるというだけにすぎん」

 

自分のこれまでの認識を否定する和泉の言葉に、幹比古は驚いている様子だ。けれど、達也にとって重要なのは、古式の真実などではない。

 

「今回のパラサイトの出現は、偶然だと思うか?」

 

「歴史が現代に近づくにつれ、魔の物たちは減少している。全くの偶然とは、ちょっと考えられないな」

 

和泉の言葉に、達也は一言、「そうか」とだけ呟いた。




レオのお姉さん?
もちろんカットですよ。


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来訪者編 魔狩り

アンジェリーナ・シールズは、現在、USNA軍から脱走した魔法師の追跡任務に従事していた。対象としているのは、元スターズの衛星級デーモス・セカンドのコードを与えられていたチャールズ・サリバン。サリバンの脱走には、人間の脳を変質させ吸血鬼へと変貌させるパラサイトというものが関わっているらしい。が、今のリーナにはその原因への対処はできない。できることはサリバンを始末するという対処療法のみ。

 

サリバンはケープ付きのロングコートと目深にかぶった帽子。帽子の下は灰色の生地に黒のコウモリを描いた顔の全面を隠す覆面だ。

 

リーナは魔法により赤い髪、金色の瞳の仮面の魔法師、アンジー・シリウスに姿を変えている。そのリーナに、幾度となく想子のノイズが浴びせられる。そのたびのリーナの感覚はサリバンを見失う。

 

『総隊長、次の角を右です』

 

しかし、テレビ中継車に偽装された移動基地の想子レーダーがサリバンの居場所を捉えて放さない。この技術においてUSNAは日本の一歩先を進んでいる。想子波特製の識別機能がついたレーダーは、一旦想子波パターンを特定されるとレーダ-の探査圏内から脱出する以外、逃れることはほぼ不可能だ。そして掌サイズにまで小型化されたレーダーの中継アンテナをリーナが携行している以上、圏外脱出も不可能だった。

 

「クレア、レイチェル、サリバンの正面に回りなさい」

 

リーナが通信機に呼び掛けて少し、進行方向で魔法戦闘の気配が生じた。二人がサリバンの足止めをしているのだ。リーナはここで、サリバンの位置を完全に捉えた。

 

真夜中に近いとはいえ人目が全く無いわけではない。だが、警察が介入してくる可能性を無視してリーナは小振りのダガーを抜いた。

 

元々黒くつや消しされた刃は日中でさえ目立たない。リーナは隠す素振りもなくダガーを前方へ投擲した。

 

このダガーは武装一体型CADになっており、投げるだけで移動魔法が発動し、術者が設定したルートをたどって標的に突き刺さる。リーナが投げたダガーは空中で何度か軌道を変えながらサリバンの背中に襲い掛かった。

 

リーナのダガーは、振り向いたサリバンが掲げた右腕に深々と突き刺さった。

 

硬直するサリバンの身体。

 

その背中をレイチェルのコンバットナイフが抉る。

 

ただの人間であれば致命傷だっただろう。

 

だがサリバンは腕を横殴りに振り回して、ナイフを握ったままのレイチェルをはね飛ばした。それは、普通の人間には到底、不可能な行動だ。リーナたち追手が一瞬の間であるが硬直したそのときだった。

 

「やあ、君、なかなかの腕前のようだね。けれど、そこまでだ」

 

不意に声が聞こえてきて、街路樹の陰から一人の少女が姿を現した。水色の奇妙な服を着て大きな弓を構えたその人物は、リーナも知るミヤシバイズミだった。

 

「なあ、君、気づいているか? 君の仲間は私に気が付いて逃げたぞ」

 

これまでの幾度かの戦闘から考えれば、問われたサリバンが棒立ちのままというのはありえない。迎撃するか逃走するか、いずれかの手段を取るはずだ。けれど、サリバンは時を止められたかのように微動だにしない。

 

「私に対して反応しないのが不思議かい、USNAの魔法師諸君。しかし、種は非常に簡単。我らは応仁の乱で荒廃せし都の穢れ祓い生業とせし、魔狩りの一族。彼らは本能で狩るものと狩られるものの間柄というのが理解できてしまっているだけなのだよ」

 

イズミがゆっくりとサリバンに近づいていく。本当なら、この機に一気にサリバンを始末してしまうべきだ。しかし、イズミは姿を現しただけで、サリバンの動きを止めて見せた。その秘密の一端でも掴めれば、大いに役に立つ。その思いからリーナはイズミの行動を見守ることにした。

 

「さて、それでは始めるとしようか」

 

イズミが弓弦を引いていた右手の力を緩める。

 

「死ね」

 

ぴいんと高い音が鳴った。その瞬間、サリバンが崩れ落ちた。

 

「そんな!」

 

あまりにもあっけない幕切れ。何が起きたのかさえ、分からない。

 

「理解できたかね、狩るものと狩られるもの、という意味が」

 

サリバンはスターズの衛星級の隊員。それが吸血鬼化により身体能力・魔法能力ともに向上していた。シリウスであるリーナであれば圧倒できる相手だが、それでも、これほど簡単にはいかない。

 

「さて、そこの仮面の貴女、あちらで二人だけで話しませんか?」

 

「いいでしょう」

 

イズミの口調は、学校でリーナに向けるものだった。つまり、魔法による変装がばれているということだろう。クレアとレイチェルにサリバンの回収を任せ、二人から離れる。

 

「通信機も切っておいた方がいいと思いますよ」

 

それは、リーナにとって、ということだろう。相手の言いなりというのは癪だが、リーナにとって重要な魔法の見破り方を暴露されてしまう可能性もある。今は相手の言に乗ってみるべきかもしれない。そう考えて、リーナは敢えてイズミの言葉に乗った。

 

「さて、リーナ。何か聞きたいことは?」

 

「私はリーナという名前ではない」

 

「ここでとぼけるくらいなら、初めからクドウを名乗るべきでないな。九島が仮装行列を家芸としていることは、知るものならば知っている。そして、幻影を得意とする宮芝にとってそれが仮装行列によるものだと見破るのは難しくない」

 

仮装行列とは、色と形と音と熱と位置を偽装する魔法だ。このうち色と形に演算領域を振り分ければ変装になり、位置をずらすことに振り分ければ幻術に似た効果を生み出せる。

 

「それが普段のアナタなのね」

 

言いながら、リーナは仮装行列を解いた。仮装行列を使えるということだけならば、すでに九島であることから予想がされていた。知られてもさして問題はない。

 

問題は、リーナがスターズの総隊長であるシリウスであることまで知られているか否か。それさえ知られていなければ、許容範囲とすべきだ。今のところ、そこまでイズミが把握している様子はない。

 

「ところで、さっき何をしたのか聞かせてもらえるの?」

 

「いいだろう、と言いたいところだが、実はそれほど伝えられることはないんだ。我々は人ならざる物を消滅させる魔法を有している。それを使ったというわけだ。ちなみに、その記憶か記録かが、どういうわけか奴らに伝わっているらしくてね、おかげで姿を見せれば動きを止めてくれるので助かっている。まあ、仮に反撃してきても、逃走を試みても、結果としては変わらないがね」

 

「さすがに、その魔法を教えてはくれないわよね」

 

「そうだな。だが心配する必要はない。その魔法は、人には効果がないのだ」

 

額面通りに受け取っていいのかは分からない。けれど、二科生であるイズミが総合能力で高いはずがないのも確か。日本の古式魔法の敵は、専ら妖魔と呼ばれる物であったという話も聞いている。だったら、妖魔専用の攻撃魔法を持っていても不思議はないのかもしれない。

 

「ちなみに、その人ならざる物に対する魔法は、どんな相手にも通じるの?」

 

「基本的には、そう考えている。つまり、私は今の君には勝てないが、君がパラサイトに侵されてくれれば、私は一秒で君を殺せる、という訳だ」

 

「文字通り、人ならざる物にとっては天敵というわけね」

 

もしもそうであれば、サリバンの反応も納得ができるかもしれない。ともかく、日本にはミヤシバという対妖魔の専門家がいるということは報告をしておくべきだろう。

 

「とりあえず、ワタシたちはお互い中立ということでいいのかしら?」

 

「それは君たち次第だな。君たちUSNAの魔法師たちは日本にあまり奴らの情報を知られたくないように見えたからな」

 

「そうね。けど、アナタたちは他の日本の魔法師とは少し違うのでしょう?」

 

「そうだな。確かに我らは普通の魔法師とは異なる」

 

できれば、どう違うのかを教えて欲しいところだが、そもそも古式は秘密主義なところがある。それは高望みしすぎだろう。

 

「とりあえず、今はアナタたちと敵対するつもりはないわ。まあ、アナタたちの普通の魔法の能力は少し気になるけどね」

 

「そうか。ならば、それについては試す機会を与えてやろうか?」

 

「機会?」

 

「宮芝で一番の戦士と模擬戦をさせてやろう」

 

そう言ってイズミはリーナに驚くべき提案を持ちかけてきたのだった。



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来訪者編 宮芝の虎

宮芝和泉守治夏が提案した模擬戦闘の舞台は、第一高校敷地内の演習場で行われることになった。終了条件は審判役の制止のみ。演習中に例え相手を死に至らしめたとしても双方ともに責任は問わない。

 

条件だけみれば模擬戦闘にかこつけて暗殺するつもりか、というものだが、これは双方ともに全力を尽くすことを目的とした結果だ。宮芝側は将来有望な留学生を殺害して外交問題を抱えるつもりもないし、リーナの方も事件を起こして少し早めの留学強制終了という結末など望んではいないはず。

 

つまりは宮芝とリーナ、双方が互いの実力を測るというだけを目的とした模擬戦である。もっともリーナは気づいていないはずだが、宮芝側は隠蔽術式を得意とする術士が校内に入り込み、模擬戦闘の情報を記録するため、総合的に得をするのがどちらかは明らかだ。

 

そして今、治夏は克人や七草や渡辺、中条や千代田といった新旧生徒会と風紀委員の役員。それに深雪とその仲間たちといった招待者たちと対戦者の登場を待っているところだった。ちなみに達也は術式解体が使えることから審判をお願いした。

 

リーナはすでに戦闘準備を整えて待っている。後は宮芝の戦士の登場を待つのみだ。

 

「和泉守様、戦闘準備が整いました」

 

一足先に控え室から出てきた森崎が治夏に報告してくる。

 

「では、彼女の対戦相手に入ってもらおう。故あって名は明かせないが、そうだな……仮にミスタータイガーと呼んでおこう。さあ来い、ミスタータイガー」

 

治夏の声とともに大柄な男が入ってくる。顔は隠されているが、百九十センチ近い長身に筋骨隆々とした体格が、覆面の人物が男であることを表している。虎の覆面の他には、白のブリーフのみの男は……。

 

「いやあぁっ」

 

と、そこで最初に中条が悲鳴をあげた。

 

「きゃああっ」

 

次いで、治夏も悲鳴をあげた。

 

「ちょっ……ちょっと森崎、何なの、あの格好は!」

 

「はっ、和泉守様の指示通りの虎の覆面にパンツの装いとさせていただきました」

 

「そうだけど! そうだけど、違うの!」

 

こいつ、かの有名なネタを知らないのか。いや、そんなことを追及よりも今は大事なことがある。

 

「克人、違うからね。これ、私の趣味じゃないからね」

 

「う、うむ」

 

何で半信半疑って感じなの。と、そのとき強烈な視線を感じた。

 

見ると、達也が鬼の形相で治夏のことを見ている。それで横を向いてみると、深雪が顔を赤らめて下を向いていた。

 

え、これも私の責任なの。達也、ちょっと過保護すぎない?

 

「あの、ワタシ、あの変態と戦わないといけないの?」

 

今度はリーナからだ。何、今日の私の周りには敵しかいないの。

 

「ええい、もういい。始め、始め!」

 

もう強行突破しか思い浮かばず、自棄気味に叫ぶ。それに合わせて嫌そうな顔ながら達也が腕を振り上げた。

 

達也の開始の合図とともに、ミスタータイガーと名乗らせている元呂剛虎が剛気功で自身を強化。全身をしならせて一気にリーナへと迫る。

 

対するリーナは五本のダガーを呂に投擲して迎撃してきた。五本のダガーは自在に宙を舞い、前後左右に上方から呂に襲い掛かる。ダガーは十分な破壊力を秘めたもの。しかし、近接戦闘で世界有数の力を持つとされる呂の防御を突破するには、僅かに及ばない。

 

「ゴガアアアァ」

 

呂が剛腕をリーナに叩きつけようとする。いかにリーナに実力があろうと、強化された呂の攻撃力を防ぐことはできないはず。リーナも一目見て、それを察知したのだろう。小振りなナイフを抜くと、仮想領域を纏わせて一気に横に薙いだ。

 

その一撃は呂にしても無視できない威力であったようだ。呂は強引に横に飛ぶことで薙ぎを躱し、地面を転がる。

 

「あれはUSNA軍の分子ディバイダーか。やはりリーナは軍人、それもおそらくスターズの一員のようだね」

 

小声で呟いた治夏の言が聞こえたわけではないだろうが、僅かにリーナが顔をしかめていた。おそらく、今の魔法はできれば披露したくなかったものなのだろう。それと同時に、リーナの顔つきが変わる。

 

おそらく今の邂逅で接近戦ではどちらに分があるか分かったのだろう。おそらく総合力ではリーナの方が上だろう。呂は遠距離の魔法が得意でないのに対し、リーナは中距離戦を得意とする魔法師とみた。

 

ならば、リーナにとっては呂に接近をさせないのが勝利への近道だ。しかし、狂戦士と化してはいても戦闘に関する感覚は残っている呂はそれを許さない。

 

「ゴオォォォオ、ガアァァア!」

 

咆哮とともに剛腕が振るわれた。その拳先から衝撃波が巻き起こり、リーナに襲い掛かる。その一撃は、間一髪で躱したリーナの後方にあった木を圧し折り、倒してしまうほどのもの。これは宮芝が呂に授けた虎咆拳という技。威力もさることながら、近距離戦に特化した呂にとっては貴重な中距離攻撃だ。

 

その攻撃を防御でなく回避で応じたリーナの狙いは呂への反撃。防御に魔法を使っていては、相手の得意な接近戦を許してしまう。それゆえのリスクを取っての反撃だ。その的確な判断力はよほど実戦慣れしていないと身に付かないものだ。

 

横っ飛びに躱しながら放たれたリーナの加速系魔法、エクスプロージョンが呂に叩きつけられる。その攻撃を防ぎきるも、呂はリーナに距離を空けられてしまった。

 

今のところ、呂はノーダメージ。対してリーナはある程度、魔法力を使用してしまった。損得でいえば、リーナが多少の損をしている。すでにリーナは呂の守りを抜くには強力な一撃が必要だと悟ったはず。さあ、次はどう来るか。

 

そう考えた瞬間、空間が沸騰した。現出したのは、雷光瞬く、炎雷の世界。

 

それは、空気が燃え上がる灼熱の地獄、ムスペルスヘイム。気体分子をプラズマに分解し、更に陽イオンと電子を強制的に分離することで高エネルギーの電磁場を作り出す最高難易度の領域魔法だった。

 

「ゴォオガアァアアアァ!」

 

呂が剛気功の外に防御魔法を展開してリーナの魔法に耐える。リーナの魔法の効果範囲が半径十五メートルほどなのに対して呂の防御領域は直径二メートルほどの楕円形。効率でいえば呂の方が優れているはず。

 

しかし、呂は確かに熱を感じている様子だ。これはリーナの魔法が効率性など問題にしないレベルで呂を上回っていることを示していた。

 

「これは、思った以上に強力な魔法師を送り込んできていたみたいだね」

 

このまま中で耐えていては、リーナの魔法力が尽きる前に、呂の体力と魔法力の方が尽きてしまう。ここで呂は一時的に外の防御領域を解き、全力で後方へと飛ぶことによって魔法領域から逃れることを選んだ。

 

全身を焼かれつつも呂はムスペルスヘイムの範囲外に逃れた。さすがに片膝をつき、全身からは薄く煙が上がっているが、闘志は僅かも衰えていない。というか、闘志を衰えさせるなんて機能は搭載していない。

 

しかし、呂の身体には深刻な問題が発生していた。具体的には覆面が焼け落ち、更に唯一の防具といえた白のブリーフもなくなってしまっている。

 

「いやああっ」

 

「きゃああっ」

 

今度の悲鳴は中条と同時だった。

 

「ガアアアァッ」

 

そして呂は、自分の身体のことなど気にすることなく、再びリーナへと向けて疾走する。リーナの迎撃魔法を横に大きく跳んで躱す。

 

そのたびに呂の何かが大きく揺れ、あるいは跳ねる。ちなみに何が揺れているのかは言及をしたくない。

 

「止まれ、タイガー!」

 

さすがに放置することはできず、治夏は大声で叫ぶ。

 

「達也、この試合はここまで。いいね」

 

「俺としても、そうしてくれるとありがたい」

 

「ええと、ワタシの勝ちということでいいのよね」

 

そう問いかけてくるリーナはもはや正面を向いていない。

 

「早くアレ、何とかしなさいよ」

 

さすがに男所帯で少しは免疫があるエリカが言ってくるが、治夏も自分の手で何かを行うのは無理だ。

 

「森崎、タイガーに何か服を」

 

「はっ、では某の服を」

 

「お前まで脱ぐな!」

 

一人がパンツをはいて一人がパンツを脱いだのなら、それじゃプラマイゼロだろうが。

 

「お前らは何をやっているんだ」

 

そう言いながら、達也が自分の上着を脱いで呂の腰に巻き付ける。ありがたいが、達也は呂のものが自分の上着に当たっても嫌じゃないんだろうか。

 

ちなみに今更どうでもいいかと思われそうだが、呂はすでに整形をされているため、覆面が焼け落ちても本人だとはばれていない。宮芝が呂剛虎を操っているということは、公表をすべきことでないのだ。

 

「色々、ご迷惑をおかけしてすみません」

 

ともかく、模擬戦闘は終わったわけだが、さすがに周囲の視線が痛すぎて、治夏は第一高校に入学してから初めて、誠心誠意、頭を下げた謝罪をすることになった。




誰も望んでいないサービスシーン登場。


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来訪者編 深夜の公園

ぴいん、という高い音が夜の静寂を破る。同時に、逃げていた人物が崩れ落ちた。

 

現在地は東京タワー公園。本家での慌ただしい旧正月の行事を終えて第一高校に戻ってきた宮芝和泉守治夏は、十文字克人、七草真由美、千葉エリカ、吉田幹比古の四名と一緒にパラサイトを追跡していたところだった。

 

「確かに死んでいるな」

 

傍に屈み、確認していた克人が言う。

 

「それだけじゃありません。彼の器には何も感じません。魔の気配そのものが完全に消えてしまっています」

 

「ほう、それくらいは分かるのだな」

 

「宮芝ほどではないけど、吉田も一応は退魔を生業にしていたからね」

 

「そうか。ならば、教えてやろう。私は魔の物を殺したのではない。この世から消滅させたのだ」

 

考え違いを指摘してやると、吉田はむっと押し黙った。

 

「それにしても、本当に一瞬で倒せるのね」

 

「ああ、我々がいる意味がなかったな」

 

七草、克人が順に治夏を讃える。それに対して吉田は悔しさを隠し切れず、エリカも憮然としている。

 

「そんなことはありませんよ。競合相手はおそらくはUSNA軍のスターズ。もし鉢合わせになってしまったら、私では勝てない相手ですので」

 

「我々は敵というより競合相手への備えというわけか」

 

「端的に言ってしまえば、そうですね。けれど、今はそれが何より大事です。敵の敵は味方といいますが、今回はそれには当てはまらないようですので」

 

「機密保持のため、彼らは自らの手で決着をつけることを望んでいるから、ね」

 

「その通りです、七草先輩。もしも、彼らが優秀でしたら任せるという手もありましたが、残念ながら対パラサイトという面では彼らは無能です。任せていては日本国民に多大な犠牲がでてしまいます」

 

世界最高峰の魔法師部隊の隊員を無能呼ばわりしたことに七草が苦笑しているが、事実だから仕方がない。もっとも事実であると断じながら積極的な解決に乗り出さない治夏が言えた義理ではないのだが。

 

「ところでその弦打ちという魔法は、パラサイトであれば相手の実力に関わらず効果を発揮できるのか?」

 

その質問は、つい最近リーナからもされたばかりだ。治夏は苦笑しながら答える。

 

「ええ、例え十文字先輩がパラサイト化して全力でファランクスを使用していても防ぐことはできません。音波の遮断も無意味です。相手が魔の物であれば、私は問答無用で消滅させることができます」

 

「あの敵の身体能力も出鱈目だったけど、和泉はもっと滅茶苦茶ね」

 

「褒め言葉と受け取っておくよ、エリカ」

 

できれば自らの手で討ち果たしたいという思いが強かったのだろう。敵が消えたというのにエリカは不満げだ。

 

「ねえ、そんなにレオの敵を自分の手で討ちたかったの?」

 

「違うわよ。例え一時のことでも、アイツは千葉の門を跨いだ、ウチの門人よ。それもあたしが直々に手解きをしたんだから、あたしの最初の弟子と言うこともできる。弟子をやられて、黙ってられるはずが無いでしょ」

 

思わず聞いた治夏に、エリカは目を吊り上げて反論してくる。

 

「別にそんなに強く否定しなくてもいいと思うけど」

 

「実際、何でもないのに変に思われたら嫌でしょ」

 

「でも、ただの弟子なら師匠が出て行って敵討ちなんてしなくない?」

 

「ただの弟子じゃなくて一番弟子だから。あと、調子が狂うから素で話しかけないでよ」

 

ここ数日のエリカの様子を見ると、本当にそれだけとは思えない。けれど、実際に男性として意識をしているようにも見えない。エリカとレオが互いのことをどう思っているかは、ここ最近の治夏の最大の関心事だ。治夏も今はちょうど楽しい時期で、他の子の恋愛話は参考にできるという意味でも興味深い。

 

それはそうと、素で話すと調子が狂うとはどういうことだろうか。問いただしたい気もしたが、普段の尊大に見せる言葉遣いに対して否定的なことを言われたら自分が傷つくだけなのでやめた。

 

「それにしても宮芝さんがいてくれると、追跡が随分と楽になるわね」

 

七草がそう言ったのは、パラサイトに侵された人の姿は、街路システムにボンヤリとしか映らないという特徴があることが分かったためだ。おかげで七草が警察の通信システムを利用しても、敵を補足するには至らなかった。

 

「敵はまだ数がいるの?」

 

今日のところはこれで解散として、いつまで続ければいいのか。聞いてきたのは、やや疲れた表情の吉田だ。

 

「ああ、まだまだいるな」

 

「まだまだってことは、それなりに数はいるってことね」

 

七草が重い溜息をついた。

 

「七草先輩は自由登校だから、まだいいですよ。私たちが毎日、どれだけ辛いか」

 

ここ数日、エリカは夜中の捜索の為に徹夜続きらしい。実際、学校では登校するなり机に突っ伏しているという光景がお馴染みになっている。あまりにも無防備なので、スカートの中を盗撮してみたが、それでも起きることはなかった。

 

ちなみに盗撮した画像は、レオに売ろうと思っていたのに、達也に破壊されてしまった。別に盗撮といっても、膝から下とスカートの裏地が映っているだけである。治夏としては、レオがエリカのことをどう思っているのかを知るのに使おうとしていただけだ。

 

「連日の徹夜は確かに辛いな。ならば、明日は休みとするか?」

 

「ううん、やる。あと、和泉にだけは徹夜が辛いなんて言われたくない」

 

「まあ、それはそうだろうね」

 

治夏は夜にお仕事に就いた日は、翌日の学校を休むつもりでいる。どうせ寝ているだけならば、学校に行く意味などない。自宅でゆっくり休んだ上で、夜のお仕事に向けて英気を養う方が効率的という考えだからだ。

 

「あたしも同じことができたら……」

 

エリカが何をしているのかは、家族も知っているはず。だが、それでも学校を休んで昼近くまで寝ているとなれば、普通の親なら何か言ってきそうだ。その点については、瑞希は何も言ってこないので、治夏は気が楽である。

 

「では、私はこれで失礼させてもらうよ」

 

「十文字くん、今日も宮芝さんを送ってあげるの?」

 

克人にそう問いかける七草はたいへんに意地の悪い笑みを浮かべている。

 

「宮芝は近接戦闘には不安があるからな」

 

「ふーん、私も近接戦は得意じゃないんだけどな」

 

「七草は得意じゃないだけで、近接戦も可能だろう。それと比べると、宮芝は魔法自体が上手くないからな」

 

克人、さすがにその言い方はちょっと傷つくんだけど。

 

「そういうわけだ。まあ、私は一人でも余裕なのだが、好意での申し出を断るのは逆に失礼となるからな」

 

「ねぇ、和泉。まさかあたしが気づいていないと思ってるわけじゃないよね?」

 

エリカが何か言っているが無視だ、無視。何に気づいているのかなんて私のためにも聞いてやるもんか。

 

「とにかく、さらばだ。また会おう、皆の衆」

 

「いや、和泉。動揺でセリフがおかしくなってるから」

 

分かってるなら言わないで。克人、助けて。

 

治夏が上目遣いで見ると、克人は大きく溜息をついた。

 

「そのくらいにしてやれ、それよりお前たちも早く帰った方がいいだろう?」

 

「そうね。これくらいにしておきましょうか」

 

七草が言ったのを合図に、エリカと吉田も帰路につこうとしている。その背中に治夏は声をかけた。

 

「吉田くん。ちゃんとエリカを送ってあげないと駄目だよ」

 

「うえっ……いいよ、あたしは」

 

「駄目だよ。もしもエリカに何かがあったとき、後悔するのは吉田くんなんだから。だからこれはエリカのためだけじゃなくて、吉田くんのためでもあるの」

 

「ええっ」

 

エリカは嫌そうにしているが、ここは譲れない。何せエリカの戦闘力は肉体を使ったものに大きく偏っているのだ。

 

パラサイトのような相手はエリカとの相性は最悪と言っていい。今まで非道なことを散々しておいてと言われそうだが、本来の治夏は敵と定めた相手以外が後悔に苦しむのを見ることを嫌っている。

 

「吉田くん、エリカをお願いね」

 

それが何を意味しているのか分かったのだろう。

 

「分かった。確かに家まで送るよ。どうせ近所だしね」

 

吉田はそう言って、しかと頷いた。



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来訪者編 パラサイト襲来

週明けの昼休み、吉田幹比古はエリカと美月の三人で、一緒に昼食を取ろうとしていた。これは誰かが誰かを誘ったというより、睡魔に屈して食事に出遅れたエリカとそれに付き合う美月を見かねた幹比古がサンドイッチを差し入れしたことで実現したものだ。三人がとりあえず腰を落ち着けて、サンドイッチにかぶりつこうとする。

 

しかし、その直前に美月が突然、顔を顰めて両目をきつく閉じた。何が起こっているのか悟った幹比古は、咄嗟に呪符を取り出して霊的波動をカットする結界を張った。幹比古がここまでスムーズに事を運ぶことができたのも、宮芝から今回の敵が放つ波長の特徴について聞けていたためだ。

 

「やっぱり、『魔』の気配だ」

 

想子ではなく霊子の波。それが結界を超えて流れ込んで来ている。それに気づくと同時に、幹比古は美月を教室で待たせてエリカと二人で迎撃に出ようとした。しかし、その指示に美月は自分も一緒に行くと首を横に振った。

 

宮芝和泉もパラサイトの存在自体は視認できないと言っていた。しかし、彼女は魔に対して圧倒的な感度のレーダーを有していた。だから、見えなくても何の問題もなかった。だが、幹比古ではそうはいかない。結局、美月の目の有用性を感じた幹比古は美月の同行を了承することにした。

 

「ハァ……ミキ、だったらアンタが責任持って美月をシッカリ守りなさいよ」

 

美月を危険に晒すのは心苦しい。けれど、今は宮芝がいないのだ。ならば、幹比古が先頭に立って戦わなければ。

 

その覚悟をもって、まずはCADを返却してもらうべく、事務室に向かったのだが、ただの事務員が今日の異変に気づいている訳はない。従って、正攻法では返却依頼は受け付けてもらえないことは確実だった。

 

「すみません。彼女の体調が悪いようなので、僕が付き添って早退させます」

 

幹比古が示した先では、エリカが具合が悪そうに美月にもたれかかり、美月はエリカを心配そうに見つめている。

 

「ですので、吉田幹比古と千葉エリカのCADの返却をお願いします」

 

事務員が二人分のCADを取りに行くため、席を外す。その隙にエリカがこっそり耳打ちしてくる。

 

「ミキも悪くなったね」

 

「これも宮芝のせいだ」

 

元も幹比古であれば、こんな手段は取らなかっただろう。目的のためなら幾らでも嘘をつけるようになったのは、果たして正しいことなのか、今の所は分からない。

 

事務員からCADを受け取った三人が向かった先は実験棟の資材搬入口だ。

 

そこには一台のトレーラーが停車しており、魔法工業産業ではトップメーカーの地位にある、マクシミリアン・デバイスの社員六人の姿が見えた。そのうちの誰がパラサイトと呼ばれる存在に寄生された吸血鬼であるかの見当もついている。

 

しかし、確信と呼ぶには、やや弱い。ならば、確かめてみればいいだけの話だ。幹比古は見当をつけていた一人に向けて精霊を放った。

 

技術者然としたその女性は、精霊に向かって虫でも追い払うように手を振る。普通の魔法師には見えないはずの精霊に忌避を示す様を見て、幹比古は確証を持つ。

 

「彼女だ。間違いない」

 

幹比古が精霊を放った直後、話題の留学生、アンジェリーナ・シールズが吸血鬼に向けて話しかけていた。或いは、彼女も敵と見ておいた方がよさそうだ。

 

「視覚と聴覚を遮る結界を張ります。機械は誤魔化せませんが……」

 

「そちらは俺が何とかしよう」

 

そう言ったのは精霊を飛ばしている間に合流した十文字克人だ。

 

「行きます」

 

幹比古が投じた六枚の短冊が、見えない羽根を備えているように空中を低く滑っていく。呪符はトレーラーを取り囲む正六角形の頂点に着地した。

 

幹比古の両手が印を切り、現代魔法とは術理が異なる、知覚阻害の領域魔法が発動した。

 

同時にエリカと克人がトレーラーに向かって駆け出す。後衛の幹比古は美月と共に少し離れての追走だ。

 

初手はエリカ。幹比古が吸血鬼と断じた女性に向けて、袈裟懸けの斬撃を繰り出す。だが、それはリーナが女性を突き飛ばしたことにより空を斬った。

 

「何をするの、エリカ!?」

 

叫びながらリーナが構築した反撃のための魔法は、克人が障壁で防いた。防御を克人に任せたエリカはそのまま吸血鬼に肉薄し、再度の斬撃を放つ。その小太刀の一撃を吸血鬼はCADを使わず防壁の魔法を掌に纏わせ、素手で受け止めた。

 

斬撃を受け止められ、一度は引いたエリカが、距離を詰めると今度は横薙ぎで首を狙う。吸血鬼はそれを防ごうと手を掲げるが、エリカの斬撃は手品のように軌道を変える。

 

首を狙ったかに見えた小太刀が貫いたのは、吸血鬼の胸。吸血鬼が、それを信じられない、という顔で見下ろしている。勝負はあったかに思えた。

 

だが、次の瞬間、厳しく表情を引き締めたのはエリカだった。エリカは足を振り上げ吸血鬼の腹を蹴りつけた反動で突き刺さった小太刀を抜くと、更に軸足でジャンプして後方に跳び退った。

 

エリカの残像を、吸血鬼の右手が薙いだ。鉤爪状に曲げられた指は力場を纏われていた。貫かれた胸の穴が、瞬く間に塞がっていく。

 

「どうやら本物の化け物みたいね」

 

エリカが吸血鬼を睨みつけながら吐き捨てる。宮芝があまりにも簡単に倒してしまうので錯覚しそうになるが、世界最高峰の魔法師部隊から逃げ回れるだけあり、やはり吸血鬼は手強い。

 

「だったら、これならどうかしら」

 

さて、次の手はどうしようか。幹比古が考えていたところで、その声はトレーラーの陰から聞こえてきた。

 

その直後、冬がいきなり勢力を増した。ピンポイントに、吸血鬼に向かって凍気が襲い掛かる。物理的にも魔法的にも、抵抗する間もなく吸血鬼は凍りついた。

 

「深雪?」

 

宮芝と比肩する程の呆気ない結末に、思わず構えを解いたエリカが気の抜けた声で問いかける。エリカの視線の先に深雪が姿を現す。その背後には達也の姿も見える。

 

「リーナ、どうやら知り合いらしいが、彼女はもらっていくぞ」

 

達也とリーナの話を聞く限り、リーナと吸血鬼は以前からの知り合いだが、吸血鬼としての仲間ではないようだった。そのまま達也とエリカと克人で、吸血鬼の身柄について話し合いを始める。

 

リーナにはこの場に発言権はなく、深雪は達也に一任しているようだ。達也たちとリーナは友人と呼ぶには利害の対立があり、その場の皆は互いのこと警戒している。だから、その場を俯瞰的に見ていた幹比古が、異常に一番早く気付いた。

 

「危ないっ!」

 

咄嗟に放たれた警告は、突然のこと故、その短いフレーズしか口にできなかった。それでも、警告の役目は果たしていた。放出系の魔法により引き起こされた空中放電は、克人の展開した障壁に阻まれ、達也が放った対抗魔法によりかき消された。

 

魔法を放ったのは、凍ったままの吸血鬼。氷の彫像が電光に包まれた。

 

「自爆!?」

 

「宮芝じゃあるまいに……」

 

リーナが悲鳴を上げ、達也は珍しく毒づいている。

 

「伏せろ!」

 

克人が叫ぶのと同時に、達也が深雪を抱え込んで、幹比古は美月を両手でかばった。克人とエリカとリーナは身体を丸めて防御姿勢を取る。

 

深雪の氷を突き破って、吸血鬼の身体が炎を発し、乾いた紙のように一瞬で燃え尽きた。

 

そして、舞い散る灰の消え失せた何もない所から、魔法の雷が五人に襲い掛かった。

 

深雪の背後に生じた閃光を、深雪が振り返るより早く達也の魔法が消し去った。

 

エリカの頭上に生じた電球は深雪が作り出した氷の粒子群を帯電させて消えた。

 

克人の障壁が電光を阻み、リーナのプラズマが電撃を蹴散らした。

 

幹比古の張った結界が功を奏し、幹比古と美月の二人は攻撃に晒されていないが、他の五人は攻撃への対処で手一杯の様子だ。

 

敵はもはや肉体を持った吸血鬼ではない。霊子の塊であるパラサイトそのものだ。

 

パラサイトの攻撃は散発的であり、達也たちが圧倒されているという感はない。だが現代魔法師である五人には霊子の塊に有効な反撃ができない。両者ともに痛手を与えることができないまま時が流れていく。

 

もしも自分に宮芝のような力があれば。歯噛みをしてみるも、ない袖は振れないのと同じ。今は自分のできることを探すべきだ。そうして考えていると、パラサイトに不自然な点があることに気が付いた。

 

「おかしいな……何故逃げないんだ……?」

 

パラサイトは、何故通用しない攻撃を繰り返しているのだろうか。

 

パラサイトに意思や判断力がどの程度あるのか不明だが、少なくとも本能のみで動く存在ではない。それだけは宮芝と追っていた時の経験から断言できる。この場に留まり続けて執拗に攻撃を続けているのは、理由があるはずだ。

 

考えながら戦況を見つめる。その間に、徐々にだが戦況は悪化を始めていた。

 

「まずいな……エリカが狙われている。エリカに対抗手段が無いことが察知されたのか」

 

エリカの魔法技能は基本的に、実体を持つもの相手の白兵戦技に偏っている。距離だけが問題なら薄く研ぎ澄ませた衝撃波を飛ばす程度のことはできるが、実体を持たない敵を相手取るスキルは無かったはずだ。

 

だから宮芝は幹比古にエリカを家まで送れと何度も念を押したのか。こんなことになるのなら、恥を忍んで宮芝に頭を下げ、パラサイトに対抗する手段を教えてもらうのだった。

 

「吉田くん、結界を解いてください。私なら、何処にいるのか、分かるかもしれません」

 

「……ダメだよ、刺激が強すぎる。妖気を抑えた状態でもあれだけ影響があったんだ。妖気を開放した今の状態でアレを直視したら、最悪、失明の危険だってあるんだよ」

 

「魔法師であることを選んだ以上、リスクは覚悟の上です。友達が危ないのに、ここで役に立たなかったら私の持っている力も、私がここにいる意味もなくなってしまいます」

 

そんなことを言っちゃダメだ。感情はそう言っている。

 

けれど幹比古は結局、美月に頷くことしかできなかった。幹比古自身を縛る名門魔法師の価値観が、幹比古に頷くことを強いていた。

 

幹比古はブレザーから折り畳んだ布を取り出して美月に渡した。それは「比礼」と呼ばれる神道の方具を参考にして作られた吉田家の魔法防具だった。宮芝がいる以上は自分など不要と腐らず、できるだけの装備は持参していたのが奏功した。

 

「それを首に掛けて。危ないと思ったら、その布で目を覆うんだ。柴田さんが掛けているメガネより効果があるはずだよ。約束して。決して、無理はしないと。自分の為に誰かが犠牲になるなんて、エリカは望んでいないはずだから」

 

言いながら、幹比古は美月の首に薄い布を巻いていく。

 

「……約束する」

 

答えた聞いた幹比古が結界を解いた。美月が、戦闘中の五人の方角を見つめる。

 

「あそこです」

 

それから間もなく、持ち上げられた美月の腕が指を差す。

 

「エリカちゃんの頭上、約二メートル、右寄り一メートル、後ろ寄り、五十センチ。そこに魔物が使っている接点があります」

 

幹比古は答える間も惜しんで、CADに指を走らせた。扇形の専用デバイス、明王の纏う炎の術式が記された短冊を開き、想子を注ぎ込み、形成された起動式を回収する。

 

対妖魔術式、迦楼羅炎。情報体に外的なダメージを与えることを目的とした「炎」の独立情報体が美月の指定した座標に向けて射出された。

 

幹比古の魔法は確かにパラサイトにダメージを与えたはずだった。だが、倒しきるには威力が足りない。幹比古がパラサイトに対峙するために準備してきた魔法は、宮芝の術とは比べ物にならない紛い物だ。

 

「来ます!」

 

美月の上げた、悲鳴のような警告を聞いて、幹比古は咄嗟に結界を再展開した。急造の防壁に可能な限りの強度を付加し、幹比古は美月にパラサイトの正確な位置を求める。

 

しかし、それに答える余裕は、美月にはない様子だった。彼女は両目を押さえてしゃがみ込んでいた。

 

パラサイトが電光に紛れて「何か」を美月に対して伸ばしてくる。

 

幹比古も手をこまねいていたわけではない。正体を見極められなくても、霊的な干渉を断ち切る術はある。元々、幹比古たち古式の術者は物質的な現象に介入するより、霊的な現象に対処する方が専門分野だ。

 

だが同時に、古式魔法の伝統的な術法は準備に時間を要するものが多い。咄嗟の対応速度に劣っている、そのことが現代魔法を主流に押し上げ古式魔法が傍流に甘んじている理由なのだ。

 

それでも幹比古は結界に開いた穴に向かって魔的な干渉を遮断する術法「切り祓い」を行使した。威力は儀式魔法に劣るものの、密教系魔法師の使う「早九字」に匹敵する速度を有する術だ。

 

剣を模した想子がパラサイトから伸びる糸を切り裂く。だが、所詮は略式の術法。呪詛を断ち切ることはできても、本体には何の影響もない。

 

幹比古の奮戦を嘲笑うように、すかさず伸びてきた別の糸が美月に迫る。危険と承知していたのに、美月の同行を許したのは幹比古だ。そして守ると約束したのだ。ここで諦めるわけにはいかない。幹比古は千日手を承知で、切り祓いを放とうとした。

 

しかし、その刃が振り下ろされるより速く、不可視の輝きを帯びた烈風が、その本体ごと「糸」を吹き飛ばしていた。

 

「柴田さん、大丈夫!?」

 

敵の脅威が消えたのが分かり、ひとまず美月の様子を確認する。

 

「ええ……なんとか」

 

美月は未だに目を押さえているが、重大な結果は避けられたようだ。

 

「逃がしたか……」

 

克人が少し残念そうに呟く。その言葉の通りパラサイトは消滅したのではなく、吹き飛ばされただけだろう。

 

もしも、幹比古に宮芝ほどの力があれば、今日の敵も楽に倒し、美月がこんな無理をする必要もなかった。それが悔しくて、幹比古は爪が食い込み皮膚が破れるほど、強く拳を握りしめた。



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来訪者編 バレンタイン狂騒曲(前)

二月十四日がやってきた。この日は世の乙女にとっては一大決戦の日。それは、宮芝和泉守治夏にとっても例外ではない。

 

治夏が十文字克人と交際を始めて二ヶ月ばかり。治夏はこの日に向けて瑞希からお菓子作りの手解きを受けてきた。克人は仮にも部活連の前会頭。以前、お世話になったお礼としてチョコを渡そうとしてくる者や、或いはその中に実は秘めた思いを持つ者がいることも考えられる。

 

なんといっても克人は頼り甲斐がある男性だ。彼の力強さに惹かれる女子が出ても不思議ではない。それ自体は仕方がないことなのかもしれない。しかし、治夏は今日、何としても誰よりも早く克人に手作りのチョコレートを渡すのだと決めていたのだ。

 

「それで……その結果がこれか?」

 

「ごめんなさい。よく考えたら、迷惑だったよね」

 

「いや、迷惑ではないが、夜中に急に大型の鳥が窓を突いているから、驚いたぞ」

 

現在、二月十四日の午前零時十五分、治夏と克人は使い魔の鳥を通して会話中であった。家族よりも先に克人にチョコレートを渡したいと意気込んだ治夏が、日付が変わると同時に鳥の背に箱を括り付けて十文字家へと放ったのだ。

 

「呆れちゃった?」

 

「まあ、少しは呆れたが、それ以上に嬉しかった」

 

「ありがとう、克人」

 

「それは俺が言うべき言葉だろう。チョコレートありがとう、深夏」

 

二人きりのときだけ。そういう約束で伝えていた本当の名前を呼ばれ、治夏の心は一気に舞い上がった。

 

「えへ……えへへ、好きだよ、克人」

 

「ああ、俺もだ。……だが、その様子で明日は大丈夫か?」

 

「大丈夫、皆の前ではちゃんと宮芝治夏になっておくから」

 

「なら、いいが……」

 

克人が心配そうなのも分からなくはない。今のだらしない治夏の顔を見られれば、部下からの信頼は急降下だろう。そればかりか、克人の評価まで下げてしまいかねない。克人の毒牙が治夏を腑抜けにした、なんて評は絶対に出させない。

 

「話したいことは幾らでもあるけど夜も遅いから、そろそろ終わりにするね。じゃあ、克人、また明日」

 

「ああ、また明日」

 

式神に通話回線のカットと帰還を命じる。その間に治夏は布団へとダイブし、枕に顔を押し当てる。

 

「ねえ、聞いた? のーちゃん、私のチョコ、嬉しかったって」

 

そう声をかけると、機械の脚部に培養液に漬かった脳を乗せたペット、のーちゃんが細い足をぷるぷると震わせた。

 

のーちゃんは、幼くして難病にかかり、死の運命にあった子供の脳を取り出して、代わりの身体がみつかるまで培養液に入れて機械の脚を与えていたら、いつの間にかペットのような存在になってしまったものだ。

 

治夏自身、何を言っているのか分からない部分があるし、何より見た人は一様に気味が悪いものを見たという表情をする。中には殺した敵の脳を自らの傍に侍らせているなんて噂をする者までいた。以来、あまり人には見せていない。

 

私にそんな狂った趣味はない。私は普通だ。それに、良く見ればかわいいでしょ。そう声を大にして叫びたいところだが、瑞希に真顔で止められたため実行はしていない。

 

さて、ともかくこれでバレンタインの最大の任務は終わった。後は後顧の憂いなく眠って明日を迎えるだけだ。

 

そうして、一波乱のあった夜を終えて朝になり、治夏は登校の準備を始める。その際に、克人以外の男子に配るためのチョコを忘れずに持っておく。人間関係を円滑にするには義理は重要な要素だ。

 

教室に入ると、達也に吉田、それに退院したばかりのレオといった、治夏がクラス内で親しくしている男子メンバーが揃っていた。だが、今は美月が三人にチョコを配っているところなので、治夏は少し待つつもりでいた。

 

「随分急いで退院すると思ったら、チョコが目当てだったの?」

 

が、そこに教室に入ってきたばかりのエリカが口を挿んできた。

 

「そんなわけねぇだろ! ふざけんなよ、このアマ!」

 

単に言い返すだけではなく、レオは椅子を蹴って立ち上がっていた。

 

「ねえ、レオ。照れ隠しにしても、その言い方はないんじゃない? 入院中には、エリカのお世話になったんじゃないの?」

 

レオの言い方に、治夏は思わず素で怒りを表明してしまった。普段の口調とは違うせいか、レオも面食らった様子だ。けれど、治夏は我慢できなかった。

 

「それにね、レオみたいに体格がいい男子は、怒鳴り声をあげるだけで周囲の女の子は怖い思いをすることもあるんだよ。今もレオが乱暴に立ち上がるから、美月、驚いてたよ。少し考えて行動してくれない?」

 

今回はレオに効きそうということで美月の名前を出したが、怖かったのは治夏も同じだ。一時期よりはマシになったとはいえ、修行時代に殴られたときの恐怖が消えていない。それがなくとも、男の人に近くで怒鳴り声を上げられれば、怖いと思う女性は多いはずだ。

 

「悪かった」

 

治夏の怒りが分かったのか、レオが矛を収めて頭を下げる。

 

「あたしも、ちょっとごめん」

 

それに続けてエリカも謝罪をしてくる。

 

「でも、和泉って意外と怖がりなんだね」

 

「私は身体的には、か弱い女子なので。エリカみたいな格闘戦マニアと一緒にしないで」

 

「その割には刀を持ってたりするじゃない」

 

「あれは主武装じゃないから。私の刀は相手を背後から無音で葬るためのものなの。接近戦こそ自分の土俵っていう千葉にとっての刀と一緒にしないで」

 

だから、打ち合うなんてことは想定されていない。そのため、持っているのは刀としての評価は二流の数打ちの物だ。

 

「ところで私が水を差しちゃった訳だけど、私も三人にチョコ作ってきたから」

 

そう言いながら、片手には少し大きく、両手には少し小さいという中途半端な大きさの小箱を渡していく。

 

「一応、箱に幻術を仕込んでおいたから。開けてから三分以内に食べ上げれば、かなり美味しいチョコだったって感想になるはずだよ」

 

「どこに細工を仕込んでるんだよ」

 

「技術の無駄遣いって、こういうことを言うんだね」

 

先程の注意が効いているのか、控え目にレオが叫ぶ。続いて呟いたのは吉田だ。それを無視して治夏は続ける。

 

「ちなみに先に注意しておいたのは、言っておかないと妙な勘繰りをしてせっかくの仕掛けを解除してしまいそうな誰かさんがいるからだから」

 

そう言いながら見ると、図星だったのか件の誰かさんは口を僅かに曲げていた。

 

「あ、ちなみに、その幻術は私のチョコ限定じゃないから、本命のチョコ……例えば同学年の同居人とか家族とかのチョコのスパイスとして使っても、心の広い私は、文句は言わないからね」

 

「和泉、初のバレンタインで浮かれた気分になっているのは分かるが、普段とキャラが違いすぎるぞ」

 

と、そこで思わぬ反撃を受けて、治夏は固まった。

 

「や、やだな、達也くん。バレンタインなんて毎年来るものじゃないか」

 

「そうか。今年のバレンタインは特別なのかと思ったが、俺の気のせいか」

 

「そ、そうであるな。気のせいなのだな」

 

達也に克人とのことは話していない。けれど、達也には気づかれてしまっているようだ。

 

「和泉ってこんなに嘘が下手だっけ」

 

エリカが何か言っている気もするが、空耳だ。私には何も聞こえていない。

 

「エリカ、レオは気づいてないみたいだから、もう少し黙っていてあげようよ」

 

「そうよ、エリカちゃん」

 

吉田と美月も何か言っているが、気にしない。

 

「用事も済んだし、ちょっと散歩してくる」

 

けれど、この場は撤退が必要みたいだ。治夏は慌てて外に出た。

 

朝の時間は、周りに多くの生徒がいるためか本命と思われるものが渡されている様子はない。けれど、放課後になれば、覚悟を抱えた女子が動き出すかもしれない。

 

克人には誰にもチョコを渡さないでほしい。けれど、一世一代の賭けの決意を持って踏み出す女子の心を、何もさせないで潰してしまうというのもしたくない。

 

少しもやもやした気持ちを抱えながら、治夏は用もないまま廊下をぶらついた。




深夏の名が出てきたので改めて。

本名:桐生深夏
通称:宮芝和泉守治夏

治夏の本名を宮芝家関係者以外で知っているのは今のところ克人だけです。


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来訪者編 バレンタイン狂騒曲(後)

バレンタインの日の真の狂騒劇は、この日の昼に訪れた。いつもの通り風紀委員室で昼食を取ろうと教室を出た宮芝和泉守治夏が見たのは、時間でないのにも関わらず校内を巡回している関本勲の姿だった。

 

不審に思い、関本の後をついていく。すると関本は食堂へと入っていった。関本の脚が止まったのは、司波達也が座っている席の真後ろだった。

 

「ミツケタ」

 

関本が小さな声で呟く。そして次の瞬間には、関本は達也に向かって飛び掛かっていた。異変に気付いた達也が振り向く。機械の補助により関本の瞬発力は増している。だが達也は関本が動いた後から反応したにも関わらず、関本の手から逃れていた。もっとも、代償として自分と周囲の人間の昼食を蹴散らしながらになってしまったが。

 

「うおわっ」

 

「きゃああっ」

 

そして、蹴散らされた食事をレオとエリカが仲良く浴びていた。さしものエリカでも椅子に座った状態から散弾のように飛来する食物を避けることはできなかったようだ。ちなみに深雪とほのかと美月は達也と同じ並びであったことから被害を免れ、吉田はたまたま自分の方には飛んでこなかったという幸運に助けられて無事である。

 

「管理者権限において命じる。関本、行動を停止せよ!」

 

ここで治夏が関本の行動に待ったをかけた。

 

「もう大丈夫だ。迷惑をかけたね、エリカ、レオ」

 

「ええ、本当に」

 

さすがに憮然とした表情のエリカは頭への直撃は避けたものの制服に大きな被害が出ていた。そしてレオの被害はもっと大きく、額に汁物の具であったと思しきワカメを貼り付けている。

 

「ごめん、エリカ。原因究明は後にして、まずは着替えに行こう」

 

「それなら問題ないわ」

 

そう言ったのは深雪であった。意味が分からず小首を傾げる治夏の前で、深雪はCADを操作して魔法を発動させる。すると、エリカの制服の汚れだけが布地から分離し、剥がれて床へと落ちた。

 

「洗剤みたいなこともできるのか。何というか、高い魔法力の無駄遣いだね」

 

午前中は自分が言われたセリフを、そのまま深雪に送ってみる。

 

「緊急事態だから」

 

「あの……オレは?」

 

言われて、深雪はレオの汚れも落とし始める。その間に達也は美月に声をかけていた。

 

「美月、関本の中をのぞいてみてくれ。和泉と幹比古は美月が大きなダメージを負わないようにガードして欲しい」

 

「関本に何か不審な点が……なるほど、これは気づかなかったな」

 

そこまで言われて、ようやく治夏も気が付いた。

 

「います……パラサイト、です」

 

「そのようだな。だが、妙なんだ。悪意というか邪悪な波動を全く感じないんだ」

 

そのせいで、治夏のレーダー網に引っかからなかったのだ。そして、美月は続けて驚きの言葉を口にした。

 

「でも、このパターンは……ほのかさんに似てる」

 

「ええっ!?」

 

ほのかが仰天の声を上げた。

 

「パラサイトは、ほのかさんの思念波の影響下にあります」

 

美月は珍しく、キッパリとした口調で答えた。

 

「それって、ほのかのコントロールを受けているってこと?」

 

聞いたエリカの問いに、美月は首を横に振った。

 

「ほのかさんとパラサイトの間にラインが繋がっているんじゃなくて、ほのかさんの思念をパラサイトが写し取った感じです。あるいは、ほのかさんの『想い』が、パラサイトに焼き付けられた、と言うべきでしょうか」

 

「私、そんなことしてません!」

 

「ほのかが意図してやったと言ってるわけじゃない」

 

パニックを起こしかけているほのかを、達也が宥めた。

 

「そうだろう、美月?」

 

「あっ、はい。意識的なものじゃなくて、残留思念に近いと思います」

 

「残留思念……つまり、光井さんが何か強く想ったことが、偶々近くを漂っていたパラサイトに写し取られたということかな? その後、関本さんに憑依した? それとも関本さんの中に潜んでいたパラサイトに、光井さんの思念が焼き付いた……?」

 

「後者だ、吉田」

 

吉田の独り言に治夏は答えてやる。

 

「命令を与えていないときの関本に思考能力はない。つまり全くの無だ。全く動いていないゆえに中に入り込むのは余裕だったのだろうな」

 

「和泉、アンタ、さり気なく相当に下衆なこと言ってるの気づいてる?」

 

「別に言わずとも分かっていたことだろう。アレが今も関本としての自我を残していたように見えたか?」

 

言うと、エリカが何とも言えない顔をした。言われずとも分かってはいたが、改めて明言されると、ということだろう。

 

「それはともかく、私の命令が届いたということは、管理者権限は未だに有効らしい。なら、直接に話を聞くのが早い」

 

動きを止めたままの関本に向けて、治夏は命じる。

 

「起動せよ、関本」

 

その声を受けて関本の目に光が宿る。内燃機関が活動を始め、関本が起動した。

 

「関本よ、我が問いに答えよ」

 

「はっ、何なりとお申し付けくださいませ、上様」

 

「お前は光井ほのかの想いを受け継いだパラサイトなのか?」

 

「はっ、仰せの通りでございます」

 

「どうしよう、関本が優秀になってる」

 

そこで思わず治夏は振り返って言ってしまった。

 

「確かに奇声は発しなくなってるな」

 

「口調を除けば、受け答えも自然ですね」

 

レオと深雪も同感であったのか、頷いてくれている。

 

「話を戻そう、お前のことは何と呼べばよい」

 

「我らには名がございませぬ。ゆえに某のことはこれまで通り関本とお呼びいただきたく存じます」

 

「では関本、お前は我々に敵対する存在か?」

 

「某は上様の忠実なる家臣にございます。敵対する気など毛頭ございません」

 

ここまでの話を聞く限り、このパラサイトには関本の影響が強く出ているようだ。

 

「では関本、お前は何を望み、何のために動く」

 

「某の望みは上様の望みを果たすことにございます。そして、願わくばいずれは我が伴侶として司波達也殿と添い遂げ、夫婦二人で上様をお支え申し上げたいと存じます」

 

ああ、ここで光井ほのかの思念の影響が出たのか。空など見えないのに天井を見上げてしまった。そして、ほのかはというと、恥ずかしさの臨界を突破したのか、椅子に座ったまま真っ白になっていた。ごめん、ほのかと心の中で土下座しておく。

 

「だ、そうだが、達也は……」

 

「お兄様に、そのような望みはありえません」

 

「うん、そうだよね」

 

達也が何か答えるより早く深雪に全力で断られてしまった。

 

まあ、普通に考えて頭の中が一部ほのかで身体が機械を選ぶくらいなら、頭も体もほのかを選ぶよね。そもそも伴侶って……そういえば関本の下半身ってどうなっていたっけ。確認したことはなかった気がする。

 

「ま、まあその達也への思いに関しては私が口を出すことではない。ただ、達也の迷惑とならないようにな。それはそれとして、お前たちは憑依した者の影響を強く受ける、ということで問題はないな?」

 

「はっ、我々は強い想念に引き寄せられ、その想念を核として『自我』を形成します」

 

「分かった」

 

つまり関本に植え付けておいた治夏への絶対服従の命令を核とし、光井ほのかの想いを願いとしたということか。

 

「ところで……関本、お前の戦闘能力はどうなっている」

 

「では、いざご覧あれ」

 

そう言うなり関本は肘の中に内蔵した二本のブレードと脇腹に内蔵してある二本の隠し腕から伸びるブレード、計四本のステンレスブレードに高周波ブレードの魔法を付与。四本の剣により縦横無尽の舞を見せつつ制服を破り捨て、胸部機関砲を空撃ちしてみせた。その動きは、以前の関本に比べて格段に鋭くなっている。

 

「あー、もういいぞ」

 

その声を聞いた関本は内蔵ブレードや隠し腕を機体内に収納する。ただし、破れた服は戻せるわけはなく、辺りには制服の切れ端が散乱している。更に急な大立ち回りに驚いた生徒たちによって、先のエリカとレオに近しい被害があちこちで発生している。

 

「ねえ、関本さん、もう人間の要素なくない?」

 

エリカの声がとげとげしい。

 

「まあ、ちょっとやり過ぎたかな、とは思わなくもない」

 

ともかくパラサイトは使い方によっては非常に有用ということがわかった。これは何としても残り全てのパラサイトを確保せねば。

 

ここにきて治夏は方針を大きく変更した。




ただの風紀委員であった関本勲はアンドロイド関本を経てパラサイト関本へとクラスチェンジを果たしたのでした。
……我ながら、どうしてこんなことに。


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来訪者編 司波達也の襲撃者への襲撃者

バレンタイン翌日の夜、リーナは公園の駐車場に止めたワゴン車の中で、部下からの連絡を待ちながら戦術魔法兵器「ブリオネイク」の最終点検をしていた。

 

目の前のモニターに映るのは、レストランで食事中の司波達也。これからリーナの部下がレストランに押し入り、その場で捕獲が可能なら、そのまま拉致。反撃を受けたら交戦しつつ逃走し、リーナの待つ公園へターゲットを誘導する手筈になっている。

 

タツヤを襲う部下たちはUSNA軍の中で「スターダスト」と呼ばれている魔法師たち。調整と強化に耐えきれず、数年以内に死亡することが確実視された魔法師により組織された決死隊だ。その中でも近接戦闘に特化した兵士たちを選抜してある。普通ならリーナと同年代の少年が勝てる相手ではない。

 

けれど、タツヤの力は底が見えない。だから、知らずリーナはブリオネイクを強く握りしめていた。

 

ブリオネイクはリーナのために製作され、リーナにしか使えない、それなのにUSNA魔法師部隊の総隊長であるリーナでも自分の一存では使用できない、超兵器だ。携行兵器でありながら、その威力は最大で戦艦の主砲にも匹敵し、それ程の破壊力を持ちながら出力も射程も自由にコントロールできるという非常識兵器の外見は、長さ四フィート程度の太めの棒だった。

 

手元三分の二がテニスラケットのグリップと同じくらいの太さで、先端三分の一がそれよりも二回り太い円筒形、その境目に、ちょうどリーナの手で握れる程度の幅と厚みの、短い箱形の棒が十字に取り付けられている。

 

時間だ。作戦開始が告げられ、タツヤの食事中のレストランの前、反対車線側に停車したボックスワゴンの中に待機しているスターダスト所属の五人が、行動に移すべくドアに手をかけた。

 

「キィエアァアー!」

 

その直後、絶叫と共に空から降ってきた男の振るった太刀により、ボックスワゴンは両断されてしまった。幸いにも中の兵士たちは回避できたようで、全員が無事に車外に飛び出していたが、突然の事態に混乱は隠せていない。

 

「我は宮芝和泉守様の部下、関本勲である。貴殿らに我が国の民を害する意思ありとみて、攻撃をさせてもらった。このまま退くなればよし、退かぬとあらば……」

 

セキモトがゆっくりと左足を前に出し、刀を右肩の上で構える。

 

「斬る!」

 

その言葉に対して、スターダストの兵士たちはサブマシンガンにCADを組み込んだ武装デバイスの銃口を向けることによって答えとする。だが、兵士たちの銃口が火を噴くことはなかった。その前に、明らかな異変が彼らの前に現出したからだ。刀を構えるセキモトの姿は二人になり、三人になり、ついには十人にまで増えた。

 

「ニンジュツというやつか?」

 

「いいや、違うな」

 

スターダストの思わず一人がこぼした言葉に答える声がワゴンの周辺に響いた。

 

「聞こえているな、君。よく見ておくがいい。これこそが九島の秘術と言われる仮装行列の本当の姿だ」

 

声はまだ若い少女の声。そして、リーナに聞き覚えのある声だった。

 

リーナが普段、仮装行列で作り出すのは一人のみ。それは、仮装行列が自らの位置を偽装するための術だからだ。本体と別の位置に偽装した幻を作ることで敵の攻撃を防ぎ、同時に無防備な相手に攻撃ができるようになる。

 

多数の幻影体を作ることは、少なくとも一体は本体ではないということを相手に知らせることに繋がる。この魔法の使い方としては下策としか思えない。しかし、相手はおそらくミヤシバイズミ。その程度が分からないとは思えない。

 

リーナが考察をしている間に、スターダストの兵士たちが再び武器を構えてセキモトに発砲する。ケイ素化合物の軟性弾丸に、射出時帯電、着弾によって放電する効果が付与された弾丸はタツヤを生け捕るために用意されたものだ。

 

弾丸はセキモトの身体を素通りし、後方の壁に命中した。やはりセキモトたちは仮装行列によって作り出した幻影なのだろう。十人のセキモトの中に本物がいるか、或いは全員が幻影体で本体はどこかで息を潜めているのか。

 

仮装行列が対処に難しいところは、明確な対抗魔法が存在しないことだ。スターダストの隊員たちも何か少しでも違和感はないかと周囲に視線を走らせていた。その隙にセキモトの一人が刀を構えたまま突進してくる。

 

「キィエェエェイ!」

 

絶叫と共にセキモトが刀を振り下ろす。その迫力は、幻影だと理解しているはずの、狙われた隊員も思わず武装デバイスを掲げる程だった。

 

結論として、その行動は半分正しく、そして決定的に間違えていた。セキモトの刀は武装デバイスのみならず隊員の頭部までをも両断していた。幻影と思っていた相手からの攻撃を受け、慌てた他の隊員が銃撃を開始する。

 

が、それは悉くセキモトの身体をすり抜け、味方を傷つけるだけに終わる。やはり、この相手は幻影なのか。そう訝しんでいるうちに、もう一人が刀により両断された。

 

「九島の秘術であるパレードの魔法に、なぜ『仮装』ではなく『仮装行列』の字が宛てられていると思う? それは真の仮装行列が、実体を持った大量の幻影の創出だからだ。攻撃力を有した幻影体の創出。これが九島のような紛い物でない、古式の奥義を受け継ぐ宮芝の、正真正銘の仮装行列だ!」

 

ここにきて、さしものスターダストの隊員たちも恐慌に陥った。どのセキモトも、こちらの攻撃は全てすり抜けてしまうのにも関わらず、相手からの攻撃は自分たちに届く。それは、さながら先日のパラサイトとの戦いを想起させた。

 

攻撃の通じない敵を相手に、スターダストの隊員たちは、逃げ回ることしかできていない。これでは勝負にならない。

 

何とかしなければ、全滅する。どうすればいいのかは分からないまま、リーナはワゴン車から飛び出そうとした。

 

「待て、シリウス少佐!」

 

しかし、その前にお目付け役として新たに派遣された上官に止められてしまう。

 

「少佐は、宮芝のパレードを破る手段に見当がついているのか?」

 

「いえ……ですが、このままでは!」

 

「落ち着け! シリウスは我が軍最強の魔法師。それを、こんなくだらない戦いで失うわけにはいかないのは貴官にも理解できよう」

 

その理屈はリーナにも理解できるものだった。長く持たないスターダストを救うために切り札たるシリウスを失うなど、あってはならない。軍人としては、そのような思考に至るのは当然。けれど、頭では理解できても感情は追いついてくれない。

 

唇を噛みしめて耐えるリーナが見つめる先、モニターの中でスターダストの隊員たちが次々と倒されていく。そして、最後の一人が前後から突きを受けて絶命した。

 

「これで理解できたかな。そも秘密主義の古式が秘術の全てを開示するなど、ありえぬ話であろう。貴様の魔法は我らが現代魔法を得るための捨て駒。まあ、それでも凡百の魔法師には通じる武器であったろう。これからも精々大事に使ってくれたまえ」

 

音声を拾われていることを理解しているのだろう。ミヤシバはリーナを挑発するような声を届け続ける。

 

仮装行列はリーナにとって固有魔法と双璧を成す最大の武器であった。その仮装行列が紛い物扱いされた。そして、真の仮装行列と言われた魔法は、リーナの魔法に比べて桁違いに強力で、攻略法が全く見えない。

 

いや、正確にはブリオネイクを用いたリーナの固有魔法であれば、おそらく何とかなる。ただし、敵の正確な位置が分からないので、周囲を薙ぎ払うような攻撃を行わざるをえず、それはさすがに軍人のみの判断で許容される行動を超えてしまう。

 

「少佐は声の主を知っているように見えたが?」

 

「はい、あの声はおそらく第一高校の生徒、ミヤシバイズミです」

 

「また高校生か……」

 

シバタツヤとミユキに加えて、ジュウモンジカツトにミヤシバイズミ。今の第一高校は異常というよりない。

 

「それにしても、まさか同盟国に対してこれほど強硬手段に出てくるとはな」

 

「ミヤシバイズミなら、この程度はやりかねません。今日、スターダストの隊員と戦ったのはセキモトという第一高校の警備員ですが、噂では大亜連合に通じたところ機械に改造されてしまったようですので」

 

「そのミヤシバイズミという相手のことは後で詳しく聞く必要があるな。ともかく、今日は完敗だ。ここは退くぞ、少佐」

 

「はい」

 

受けたショックはあまりに大きく、リーナは力なく頷くことしかできなかった。




千葉修次さんにお知らせです。
来訪者編における貴方の出番はカットされました。


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来訪者編 USNA軍急襲

司波達也襲撃計画を一度は頓挫させたが、事は戦略級魔法師に関するもの。司波達也に対する拉致または暗殺計画は簡単には中止されないようだ。

 

再びUSAN軍に動きあり、という報を受け取り、宮芝和泉守治夏はいよいよUSNA軍の殲滅作戦を実行に移すことを決意した。殲滅といってもUSNAは同盟国。潜在的には競合関係にあるとはいっても、大亜連合と新ソ連と、すでに敵を二国も抱えている日本に更に敵を作る余裕はない。そのため行使する実力は限定的なものとなる。

 

具体的にはリーナの他に佐官クラスの人間は、影響を考えて原則として殺害は行わない。宮芝の目的はあくまで日本から手を引かせること。これ以上、作戦を継続しても損だと思わせられれば、それで十分だ。

 

USNA軍の襲撃の為に治夏が揃えた人員は、治夏本人に村山右京、山中図書、皆川掃部、郷田飛騨守、松下隠岐守、呂剛虎、関本勲、あれから急いでかき集めたパラサイトを封じたパラサイト関本が六体。それに技術者の平河小春だ。計十五人と少ないのは、他国の軍人に攻撃を仕掛けるという作戦の性質上、専門性の高い者のみ選別せざるをえなかったためだ。そのため戦闘力だけなら及第点でも森崎は参加させられない。

 

「先鋒は関本及びパラサイト関本の一番機から六番機が務める。関本にはパラサイト関本各機の指揮官を命じる」

 

「ははっ、お任せあれ!」

 

関本の返答を聞き、治夏は関本の量産機たちを見回した。

 

「皆もそれでよいな!」

 

「はっ、承りましてございます」

 

同じ顔をしたパラサイト関本たちが一斉に返事を返す。ちなみに常人には量産型関本の違いが判別できないらしいが、治夏には各機の発する波長の違いでどれが一番機でどれが六番機なのか判別可能だ。

 

「本作戦においては先日と違い、仮装行列は用いない。ゆえに作戦の成否は諸君らの働きに掛かっている。皆、心して任務に当たってほしい」

 

先日の本物の仮装行列、と称したものの正体は実に単純。まずは治夏が情報体の核となる部分を仮装行列で作り出し、そこに幻影魔法で肉付けをする。更に幻影の動きに合わせて刀剣型のCADをダンシング・ブレイズで操り、尚且つ関本のパラサイトとしての能力である物体軌道干渉を組み合わせたもの。

 

治夏、村山右京、山中図書、皆川掃部、パラサイト化した関本の五人がかりでの複合魔法。それが真の仮装行列の正体だ。

 

仕掛けを知られてしまえば威力は半減だが、知られていないうちなら効果は高い。何より、一方的に攻撃をされるというのは相手に強いストレスを与えることができる。そうなれば精神干渉系魔法も効きやすくなる。

 

相手が世界最高峰の魔法師たちだろう。けれど、今回の作戦に当たるのはパラサイト七体。現代魔法師には厳しい相手のはずだ。

 

決意を持って出立した治夏たちの目的地は普通のオフィスビル。そこの一階層分がUSNA軍の臨時作戦本部が置かれている。本日は、そこに強襲をかける。

 

攻撃目標が普通のオフィスビルという点は、宮芝にとって有利にしか働かない。狭い場所であればあるほど、近接戦闘に強い関本の能力が生きてくる。また、宮芝にとっては上下の階層の民間人の被害など知ったことではないが、そこで戦闘が行われたことが公になるだけでダメージがあるUSNA軍にしてみれば、やりにくいことこの上ないはず。

 

もしも相手の抵抗が激しいようなら、大人しく撤退する。ただし、その場合も派手に魔法を使ってなるべく周囲に被害を出す。作戦目標はUSNAが達也を害する計画の断念させること。それは、USNA軍が動きにくい環境を作ることでも達成が可能だ。

 

要するに、あちこちで戦闘を行えば、それだけで治安の悪化という形で耳目を集められる。そうなれば治安維持のために軍や警察が動き回ることになり、結果的にUSNAは作戦が行いにくくなるという算段だ。

 

そして、今回の作戦は全てパラサイトを封じた関本たちによって行われる。機体が撃破されてもパラサイトの本体は脱出が可能。そして、各パラサイトには代替機を用意してあり、脱出時にはそちらに戻るよう指示してある、新たな機体に再定着が完了すれば、再出撃することも可能だ。この際の損害は機体を作る費用分のみ。

 

「さて、関本、準備はよいか?」

 

「はっ、いつでも行けます」

 

「ならばよし。図書、幻影魔法をかけよ」

 

目的のビルまで百メートルほどの地点にあるビルの屋上が、治夏たちの陣地だ。治夏の命に応じて図書が魔法を発動させ、関本たち七人の姿が消える。

 

「攻撃開始!」

 

飛行魔法を発動させ、関本たちが空へと飛び立つ。といっても目的地は近い。関本たちはすぐに急降下を開始し、窓を高周波ブレードで破って室内に突入した。

 

「総員、抜刀!」

 

関本が叫び、量産型六機が一斉に抜刀する。

 

「天誅!」

 

突撃するパラサイト関本たちに対してUSNA軍の魔法師たちが迎撃する。関本たちは防御魔法を展開しつつ、左腕に内蔵されたガトリングガンを撃ちながら突進、一機を失いながらも敵中に踊り入った。

 

接近戦となれば、関本たちは機体の脇に内蔵された二本の隠し腕を展開しての攻撃が可能だ。その近接戦能力はUSNA軍の精鋭を相手にしても優勢に戦いを進められるほど。

 

「パラサイト金剛、帰投」

 

計器を睨んでいた平河が叫ぶ。

 

「高機動型はどれだ?」

 

「十三号機です」

 

「では、十三号機に定着させよ」

 

「了解、十三号機に定着させます。定着……完了。関本十三号機起動します」

 

撃破された関本五号機から脱出したパラサイトの本体が予備機の中に入るのを、治夏の知覚はしっかりと捉えていた。パラサイトの宿った関本十三号機の目に光が灯る。

 

「パラサイト金剛、関本十三号機にて出撃します」

 

金剛の個体名を与えたパラサイトが高機動型の関本十三号機を操り、再び戦場となっているオフィスビルへと突入していく。なお、関本たちが装備しているのは形状から刀と呼んでいるものの、実体としては刀型をしたCADに過ぎない。治夏たちの腰にある歴史的な価値はないものの、きちんと拵えられた一振りが一千万単位の刀とは別物で、戦闘中に失っても惜しくはない。

 

誰が倒すべき高級士官であるのかは、すでに調べがついている。関本たちは敵の士官を避けて兵に向けて突進していく。それに対し、敵側も反撃を行っているが、撃破してもすぐに補充がされるため戦局は徐々に不利になっていく。

 

近接戦型の関本たちの振るう刀だけでも厄介なのに、パラサイト特有の魔法攻撃、加えて再出撃したパラサイト阿修羅による狙撃まで受けている。USNAの兵たちは、その対応に追われる内に一人、また一人と倒されていく。

 

今の所、戦局は有利に運んでいる。USNA魔法師隊はパラサイトの本体の存在にすら気づいていない。もっとも、これは予想ができたことだ。

 

USNAは短期間で精強な魔法師部隊を作り上げている。しかし、元の歴史が浅いことと急激な組織化、科学的な要素への傾倒に伴い、多様性に欠ける。要するに妖術に属するような古式魔法への対抗力については欠けているのだ。

 

もっとも、これはUSNAに限った話ではない。日本の現代魔法師も古式魔法の知識については万全とは言い難いし、その古式についても戦車のような単純な高破壊力と重装甲の相手には弱い。

 

ゆえに、これからは単一の組織で部隊を組む従来のやり方は考え直さなければならないかもしれない。その意味でも、十文字家と同盟を組むのは大きな意味がある。もしも十文字家と混成部隊を結成できれば戦略の幅は大きく広がるだろう。

 

もっとも、その実現には高い壁がある。例えば今回の作戦にしても、強襲が上手くいかなければ上下階に被害を発生させるという作戦に、一般的な倫理観を持った魔法師が同意をしてくれるか。その答えは否であろう。

 

宮芝には父祖代々から引き継いできた使命がある。しかし十文字家の魔法師もまた、生まれたときから十文字の魔法師としての使命を教えられてきたはず。歴史は確かに宮芝の方が長い。けれど、それは十文字を軽視してよいということにはならない。

 

「当面は、この案は保留だな」

 

今はその考えを頭の隅に追いやっておく。こんなふうに余計なことに思考を割くことができたのも、USNA軍の制圧作戦がすこぶる順調であるからだ。

 

すでに敵の半数は殺害が完了している。そして、この半数というのは非常時に前に出てきた人員ということで、戦闘要員と換言できる。つまり残っているのは技術者や事務員などの非戦闘員ばかりだ。

 

「何で繋がらないんだ!」

 

その事務員の一人が悲痛な声を上げる。

 

それは、ここにいる松下隠岐守が封鎖結界を展開しているからですよ。治夏は心の中でそう返しておく。

 

「君たちは宮芝の魔法師だったな」

 

本部陥落が確実となったためだろう、指揮官の女性が前に出てくる。

 

「貴官とは今は交渉を行うことはできない」

 

パラサイトたちを代表してオリジナル関本が答える。

 

「それは、どういう意味だ?」

 

「我々は佐官以上を除き、この場にいる者は殲滅するよう命を受けている」

 

「我々が降伏をしても、ということか?」

 

「然り」

 

言いながら、オリジナル関本が絶望を顔に浮かべて必死に逃げようとした事務員に飛び掛かり、首を刎ねた。

 

「やめろ!」

 

「動くな!」

 

残りの職員を救うためか玉砕覚悟で踏み出そうとした指揮官に、関本は刀を突き付ける。

 

「佐官以上は殲滅の対象からは外れているが、殺すなという命までは受けていない。貴官がここで抵抗して討ち死にした場合、我らは交渉相手を探して次なる場所を襲わねばならなくなる」

 

更に同胞を殺すと脅され、指揮官が顔を歪めながら戦闘態勢を解いた。

 

「賢明な判断に感謝する」

 

関本が答えている間にも非戦闘員の虐殺は続いていく。

 

それが精神に負担を強いた結果だろうか、USNA軍の大佐は、日本の非公認戦略級魔法師に関する作戦を中止するよう尽力することを約束した。なお、その約束は絶対順守の強制力を持たせる呪いを組み込んである。

 

彼女はあくまで実行部隊の最高責任者。これで工作が本当に終わるとは限らない。しかし、少なくとも日本に手を出すと、ただでは済まないということは警告できたはず。その結果をもって治夏は全軍に撤退を指示した。



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来訪者編 司波達也への来訪者

USNA軍の作戦本部を襲撃した翌日、宮芝和泉守治夏は昼休みになったのを見計らって達也に話しかけた。

 

「ねぇ、達也。ちょっとお願いがある……」

 

「すまない、断らせてくれ」

 

そして、皆まで言わせてもらえず、ぶった切られた。

 

「ちょっと待って、まだ何も言ってない」

 

「そうだが、ろくでもない結果にしかならない気がするんだ」

 

「最近、私への対応が酷すぎる。私がどれだけ達也のために頑張ったか、達也なら知っているはずでしょ」

 

作戦本部への襲撃はともかく、レストランで襲われかけたところを助けたことは、達也なら当然に知っているはずだ。

 

「それは、そうだが……」

 

さすがに借りだと思ってくれているらしく、達也は少しだけ目を逸らした。

 

「別に変なお願いじゃないから。これから、ちょっとだけ人に会ってほしいだけだから」

 

「お願いは変じゃなくても、待っているのは絶対に変な人だろう?」

 

宮芝の関係者なら変人に違いないというのは、大いなる偏見だと思う。もっとも、この学内にいる宮芝の関係者ということなら、あながち間違っていないので主張し難い。しかも、これから会わせようとしているのが変人じゃないかと問われると、違うと言い切ることは抵抗がある。

 

「ねぇ、エリカ。達也が虐める」

 

こういうときは他人を巻き込むに限る。意外に甘い所がある達也は、諫言は損にならない限り受け入れてくれる傾向が見えるからだ。

 

「どうしたの?」

 

「私の部下がどうしても達也に会いたいって言うから連れてきたのに、会ってくれない」

 

「和泉の部下ってどんなのよ?」

 

「……恋する乙女」

 

「なんか、怪しい気がするんだけど」

 

残念ながら、エリカも味方にはなってくれそうにない。

 

「お願い、達也。一目見たいだけって言ってたから、叶えてあげて」

 

「なんで、そんなにまで必死なんだ?」

 

「仕事に対するモチベーションに影響があるの。それに、仕事だって達也に無関係じゃないんだから、少しくらい協力してよ」

 

そこまで言えば、仕事というのが何であるかは達也とて分かるはず。

 

「……分かった、少しだけだぞ」

 

邪魔なUSNA軍の諜報員の排除という、自分にもメリットのある話であると分かったからか、ようやく達也は頷いてくれた。

 

達也を連れて風紀委員室へ。ちなみに面白がったエリカとレオ、吉田と美月に、兄に告白をしたい相手という情報をどこかから聞きつけた深雪とほのかと雫まで加わり、またも大所帯での移動である。

 

「連れてきたぞ、事前に言っておいた通り、お触りは駄目だからな」

 

言いながら扉を開ける。

 

「達也さま!」

 

「達也様だ!」

 

「達也様がいらした!」

 

途端に、中から騒がしい声が聞こえてくる。

 

「イキキキキキ!」

 

奇声を発しながら、扉を破壊し、中から関本と六体のパラサイト関本が飛び出してくる。約束通り、身体には触れていないが周囲を取り囲まれ、達也は身動きが取れない。

 

「和泉、これはどういうことだ!」

 

「いや、この一連の騒動の中で、パラサイトたちには頑張ってもらうことになったんだけど、そしたら褒美として達也に会わせてほしいって言ってきて……」

 

「はっ、我らは皆、母上から頂いた思い、忘れておりませぬゆえ」

 

「は、母上!?」

 

言われたほのかが悲鳴に近い声を上げる。

 

「和泉守様、触るのは不可とのことですが、匂いを嗅ぐのは構いませんか?」

 

「え!? えーと、少しだけ……なら?」

 

「ちょっと待て、和泉。誰がいいと……」

 

クンクン、クンクンクン、クンクン。達也の声など耳に入っていない様子で、関本たちが一斉に達也の匂いを嗅ぎ始めた。一応、触られてはいないが至近距離に匂いを嗅がれている達也は、全身に鳥肌を立てているようだ。

 

「和泉、いい加減にしたらどうかしら?」

 

「まずい、深雪がキレそうだ。管理者権限で命ずる。関本全機、司波達也より三メートルの距離を取れ!」

 

治夏の命令に従い、関本たちが一斉に後退する。

 

「和泉、そもそもこれは何だ?」

 

大勢の関本たちを見ながら、達也が聞いてくる。

 

「捕らえたパラサイトたちを用いて作った量産型の関本なんだけど」

 

「あの、和泉。量産型って、関本さんは型番じゃないからね」

 

「エリカに言われるまでもなく、関本が関本勲という人間だったことは記憶している」

 

「じゃあ、何でこんなことに?」

 

「一点物をいくつも作るより、同一の型として制作した方がコストを抑えれるだろう。元々、関本の身体を作っていたから、その設備を使ったまでだ」

 

もっとも、低コスト化は成功したが、オリジナル関本はともかく、量産型は全く同じ顔が六つなので不気味になってしまったが。

 

「まあ、長男と六つ子ということでなんとかならないか?」

 

「あまりにもお粗末な設定だと思うがな」

 

言われなくとも分かってる。

 

「それで関本たち、気は済んだか?」

 

「達也様、最後に一つ、お願いがございます」

 

「聞きたくない気もするが、何だ?」

 

「どうか達也様の子種を我らにお恵みください!」

 

「こだっ……」

 

絶句したのは深雪だ。

 

「子種さえ下されば和泉守様は必ずや我らのことを、子を産める身体に改造してくださります。そうすれば我らは真の夫婦になれます」

 

いや、無理だから。機械が人間の子供を産めるようにするなんて無理だから。宮芝にそんな特殊で変態的な技能なんてないから。

 

「和泉、今すぐこの壊れた機械たちを破壊してもいいかしら?」

 

「待って、深雪。まずは本人の意思を確認してからにしよう。達也、関本たちはこう希望しているけど、達也の気持ちは?」

 

「俺に、これに欲情しろと?」

 

まあ、ほとんど機械のうえに関本だしね。私でも無理だから、同性の達也ならもっと無理だよね。

 

「欲情していただかずとも結構。ただ達也様の子をなすことだけが我らの願い」

 

「和泉、ほのかが恥ずかしすぎて気絶したみたいなんだけど」

 

「雫、しばらく退避させておいて。あと達也、もう面倒だから自慰で出した分でいいから分けてあげて。どうせこっそり出しているんでしょ」

 

「そんなことはしていない」

 

「えっ、本当に?」

 

達也が頷いたのを見て、深雪に聴取を開始する。

 

「ねえ、深雪。もしかして、本当に?」

 

「なぜそれを私に聞くの?」

 

「えっ、あれだけシスコンなのに?」

 

そう言った瞬間、達也がものすごく嫌そうな顔をしたが、今は放っておこう。

 

「それに関しては答えにくいけど、いくら仲のよい兄妹でもそんなことまで知るはずがないでしょう?」

 

「それって大丈夫なの? 高校生の男子なんだよね。もしかして、何か深刻な病気とかいうわけじゃないよね」

 

治夏がそう言うと、深雪も俄かに心配そうな顔になった。ところで、今更だが自分は一体、こんなところで何を言っているのだろうか。

 

「あの、お聞きしにくいのですが、お兄様はもしかして……」

 

「聞こえているからな! その機能は正常だから安心しろ」

 

「それでも、深雪、私、エリカ、美月、ほのかに雫で一度もないの?」

 

「何の質問だ! 和泉、頼むからどう答えてもマイナスにしかならない質問をするな!」

 

達也にしては珍しく動揺を隠せない様子だ。

 

「では、なぜ我らにも母上にも慈悲を与えてくださらないのです?」

 

関本が両手を組んで答えを達也に迫る。それを見た達也は、数秒の沈黙の後、全力で廊下を疾走し始め、あっという間に見えなくなってしまった。

 

それは治夏が初めて見る、達也の全力での逃避だった。

 

「ところで、この状況、どうやって収集をつけるつもりなの」

 

そして、雫の一言に治夏は大いに頭を抱えることになった。




どれでも好きな関本をお選びください。


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来訪者編 十文字の詰問

日本に侵入したパラサイトは十二体。そのうちの三体を宮芝和泉守治夏は弦打ちにより消滅させた。残り九体のうち、一体は関本と融合。六体は封印した後に関本の情報をコピーした器に定着させて量産型関本となった。残りの二体はどうやら四葉と九島に持ち去られてしまったようだ。

 

もしも治夏が早くから動いていたら、その二体も確保できただろう。しかし、もし治夏が最初期から本気で動いていたら、そもそも十二体全部が消滅していたはず。結果的に宮芝は最も戦力を拡充できたといえよう。また、その戦力があったからこそ、宮芝はUSNA軍に勝利をすることができた。

 

しかし、関本がパラサイト関本になってから短期間で吸血鬼事件を収束させたことは、協力を明言していた克人と七草に疑念を抱かせてしまったようだ。

 

そして今、治夏は克人に呼び出されて指定場所に向かっているところだった。克人に指定されたのは、十文字邸。秘密にしたい事項の尋問をされるのは確定的だ。

 

パラサイト関本が誕生した後、急ぎ過ぎてしまっただろうか。でも、あそこで急がないと利用価値を知った他の勢力に出し抜かれてしまった可能性が高い。身体を失っても精神だけが戻ってきて、いくらでも復活できる魔法が使える機械人形など、そんな素敵な存在を捨ておくことなどできるはずがない。

 

とはいえ協力すると明言していた七草と十文字を放り出して、自分たちの利益のためだけに暴走したのだから、両家からの印象は最悪だろう。たぶん今日は、克人も追及を容赦してくれないと思う。

 

何もなければ心躍る十文字邸への道を、今日は重い足取りで進んだ。訪いを告げるとすぐに応接間へと通された。

 

「今日はお呼びだてして申し訳ない」

 

少しも申し訳なく思っていない表情で克人が言う。他人行儀な挨拶も含めて今日は十文字家の当主代理としての話ということだろう。

 

「さて、早速で申し訳ないが、本題に入らせてもらおう。和泉守殿、貴殿は吸血鬼事件を解決できる力がありながら、意図的に対処に手を抜いていたのではないか?」

 

「なぜ、そのような疑いを持たれたのか、理由をお伺いしても?」

 

「関本勲に……」

 

そう言いかけた克人が一瞬、言い淀んだ。最近になって知ったことだが、克人と関本は面識程度であるが既知の関係だったらしい。それなので、以前の関本とは全くの別人に成り代わってしまった今の関本を前と同じ名で呼ぶことに少し抵抗があるようだ。

 

「関本勲にパラサイトが宿ったと確認できて以後の捕縛のペースが早すぎる。これは何らかの追跡手段があったということではないか?」

 

「それに関しては、パラサイトに互いの存在を知覚できる能力があったためだ。それゆえ最初の一体を確保する前と後とで効率が飛躍的に増したのみ」

 

「その件を我々に連絡しなかったのは?」

 

「我々が主に七草に提供を依頼したのは、足りぬ手の不足のみ。殊に相手がパラサイトであるならば、戦力的には我々に他家は必要ない」

 

実際にパラサイトは仲間と意識の一部を共有する能力を持っている。それをもって仲間の居場所を把握することも可能だ。もっとも、関本と融合したパラサイトは本来の有様から離れ過ぎたためか、一定範囲の存在を知覚できる程度まで性能が劣化していた。だが、そのことを克人たちは知らない。

 

筋は通っているはず。これで誤魔化せるか。考えていたところで、克人が大きく息を吐きだした。

 

「宮芝……いや、深夏、見え透いた嘘はもうやめにしないか?」

 

「なっ……急に名前なんて……なんで……」

 

「深夏は俺に大きな嘘をついている。どのくらいか具体的には俺には分からないが、宮芝はもっと早く事態を鎮静化できたのだろう?」

 

「だから、なぜ、そのような疑いを……」

 

「では聞くが、外国が持ち込んだ火種に日本人を殺された。それにも関わらず、深夏の怒りが薄かった理由は何だ?」

 

言われて、一瞬、言葉に詰まってしまった。確かに、あのときの反応は不自然だったかもしれない。

 

「今回は外国が持ち込んだと言っても、意図してのものではない。それで報復に出たのでは単に関係を悪くするだけだ」

 

「あのときに、それが分かっていたのか?」

 

「USNAに妖魔を支配できるだけの術は存在しない。それは、古式の魔法師ならば実感として認識していることだ」

 

「そうなのかもしれない。では、質問を変えよう。なぜ今回、宮芝は七草から協力の要請がされる前に我らに声をかけなかった?」

 

宮芝と十文字は同盟を結んでいる。宮芝の手が足りなければ、十文字を頼るべきだった。けれど、そうはしなかった。それは、なぜか。

 

「こと妖魔に関しては、いかな十文字家の魔法師といえども単独では危険だ。下手な連携は、却って双方を危険に晒すと……」

 

「ならば! なぜ、その後の七草の協力要請には応じた!」

 

怒りを滲ませた克人の言葉に、今度こそ何も言えなくなってしまう。黙るということは、克人の言うことが正しいと認めることになってしまうというのに。

 

「宮芝は以前、言っていなかったか? 宮芝の役目は国家を守ること。宮芝と国家の利益が反することがあっても、宮芝は己を捨てて国家のために働くと。深夏は本当に今回、己を捨てて国の為に働いたのか?」

 

克人の言うことは正しい。正しい……けれど。

 

「だって、しょうがないじゃない!」

 

治夏は、思わず叫んでしまっていた。

 

「だって、宮芝は私のせいで横浜で多くの術士を失って、家の中はごたごたして……旧正月では色んな人からいろんなことを言われて……そして、私にはその人たちに言われたように宮芝を立て直す義務があるんだから!」

 

叫んでしまったのは、気持ちの制御ができなかったからだ。克人の言ったことは正しい。克人の言ったことが、宮芝の理念。誰になんと言われた結果であろうとも、間違えたのは、治夏の方だ。

 

宮芝がこれまで超法規的手段を取ってきても許されていたのは、全ては国のためという前提があったからだ。それを唯一の頼みとして、治夏は非道なことも行ってきた。その大切な正当性を治夏は、自ら捨ててしまった。

 

「うっ……ううっ……うううっ……」

 

気づいた瞬間、涙が溢れてきた。宮芝が数百年に渡って守ってきた理念。それは、一時の苦しさで捨てていいものではない。

 

「私……私は……」

 

「反省したならいいのではないか? これ以上の後悔は何も生まない」

 

「でも、でも……私はまた……」

 

治夏が今回、解決に積極的に乗り出さなかったのは、七草に恩を売って資金を引き出すためだった。けれど、それは僅かな金や利益のために国を裏切る行為で、宮芝が何よりも軽蔑して、敵視していたことのはず。

 

治夏は間違えを取り戻そうと焦り過ぎて、より大きな失敗をしてしまったのだ。しかも、今度の失敗は宮芝の歴史自体に泥を塗る行為だ。治夏がどんなに取り返したいと願っても、もう取り戻せない。

 

「うえっ……ふえええぇん」

 

感情を抑えきれなくなった治夏を、戸惑ったように見つめていた克人が腕の中に収めようとしてくる。このまま泣いていれば、克人は治夏を慰めてくれるだろう。けれど、それは自らの罪を逃れるための、狡い行いだ。

 

そう思っても、溢れる後悔の方が強すぎて自分の気持ちが制御できない。こんなことでは駄目だと思う気持ちと、このまま身を任せて楽になりたいという気持ち。二つの相反する気持ちが制御できない。

 

せめて寄りかかることはしないように、懸命に克人の胸を押す。しかし、元の力が違いすぎる上に泣きながらでは抗えるはずもなく、治夏の身体は完全の克人の中に収まる。

 

「今は優しくしないで」

 

「分かった。俺は何も言わない。存分に後悔していい」

 

けれど腕の中からは逃がしてくれない。仕方なく治夏は克人の胸で泣き続ける。

 

そうしてどれくらい時間が経ったのだろうか。大きな後悔の波が過ぎ、この場所の安心感が胸の中に満ちると、急に力が抜けてきた。

 

「おい、まさか、またか……」

 

そんな克人の声が聞こえた気がしたが、治夏に答えるだけの力は残っていなかった。




来訪者編、終了。
え、リーナ?
こっそりと帰国していますが?


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ダブルセブン編
ダブルセブン編 第一高校二年生


西暦二〇九六年四月六日、新年度の初日。宮芝和泉守治夏は二年生の初日を以前と変わらないメンバーで歩いていた。即ち治夏、達也、深雪、エリカ、美月、レオ、吉田、ほのかと雫の九人である。

 

メンバーの顔触れは昨年度までと変わらない。しかし、身に着けている制服のデザインが、先月まで、即ち一年生の時とは違っている者がいた。

 

達也の胸には、八枚歯のギアを意匠化したエンブレム。

 

同じデザインの刺繍が、美月のブレザーにもついている。

 

そして、吉田の左胸には、八枚花弁をかたどった一高の校章。

 

「幹比古、一科生の制服の着心地はどうだ?」

 

「からかわないでよ、達也」

 

ニヤリと笑って人の悪い祝辞を送った達也に、苦笑いしながら満更でもなさそうな顔で吉田が答える。

 

「ところで、なぜ和泉は、あれほど望んでいた一科生入りを断られたのですか?」

 

「えっ? 和泉が一科生に?」

 

「エリカはちょっと失礼なのではないかな?」

 

深雪が問いかけてきた通り、治夏は学校側から一科生への昇級を打診されたが、断った。ちなみにエリカが驚いていたのは、治夏は成績だけでは二科生の中でも下位だからだ。一応、最後の試験だけは素晴らしい結果を出して見せたが、それでも二科生のトップクラスの吉田の昇級とはわけが違う。

 

「それで、どうしてなの?」

 

「私が欲したのは、指導教官のみ。一科生になれば、それが共用になってしまう。それよりは好きに呼び出せて、どのようにでも使える今の方が、都合がいい」

 

「和泉はそれでいいのでしょうけど、休日でも構わず呼び出されている天童先生が、この世の終わりのような顔をしていたわよ」

 

実質的な生徒会長とも言える深雪の元には、教員からの要望等も集まってきているのだろうか。けれど、少しばかり疑問があった。

 

「天童には私が休日に呼び出した場合は代休を取っていいと伝えてあるはずだが?」

 

「それで和泉の言う通りに代休と取っていたら、本来の授業に支障がでるでしょう?」

 

「確かにそうだ。しかし、心配は無用。今年は学校の授業からは外させたからな」

 

そう答えたところ、深雪が頭痛を耐えるような顔をしていた。達也など、天童先生、と呟きながら合掌をしている。

 

「授業から外させる前に、せめて授業くらい受けなさいよ」

 

エリカの言う通り、最近の治夏は学校の授業など全く真面目に受けていない。それどころか授業時間も自らの研究に勤しんでいる有様だ。そんなのでは当然、カリキュラムにもついていけないが、宮芝には秘密兵器、仮装行列がある。それを使えば替え玉による受験など容易なことだ。

 

ありがとう、小早川。そして、これからもよろしく。

 

「ところで、達也の方こそ、真新しいブレザーの着心地はどうだい?」

 

露骨に話を変えたのは、吉田が治夏の替え玉受験に気づいていたからだろう。正確には吉田に限らず同じクラスの者は誰もが気づいているはずだ。

 

それもこれも治夏の代わりに試験を受けた小早川が、和泉守様のためにと張り切りすぎたせいだ。おかげで実技においても十傑に入るというとんでもない事態になった。そうなれば普段と違いすぎると嫌でも気づく。

 

ありがとう、小早川。でも、今度からは少し手を抜け。

 

「新しいといっても今のところ看板だけだからな」

 

達也の制服は新設学科である魔法工学科の所属であることを示すものだ。しかし、まだ独自授業がスタートしていなければ、教員の顔ぶれも明らかにされていない。

 

「おはようございます、和泉守様」

 

と、そこで治夏の姿を見つけた森崎が駆け寄ってきた。

 

「ご苦労」

 

片膝をついて森崎が頭を下げる。その森崎を見たほのかが驚いたように制服を指差しながら聞いた。

 

「あの……も、森崎さん。その制服は?」

 

「これは今年から小官に和泉守様より許された紋だ。正成公のように更なる忠義に励めという信頼の証である」

 

森崎が自慢げに胸を突き出すようにして答える。森崎の両胸、治夏と同じ位置には菊水の紋が描かれている。元々の八枚花弁と紋なしに、昨年から水色桔梗紋が加わり、今年になり魔法工学科と菊水の紋が加わった。我ながら、なかなかの混沌具合だ。

 

ともかくも達也が魔法工学科に移ったということで、治夏とはクラスが別になった。これを治夏は好都合だと考えている。達也は非公認戦略級魔法師である可能性が高い。もしもそうなら、あまり近づきすぎるのは危険だからだ。

 

「深雪、いいの?」

 

「雫、これを問題にしたら、和泉の制服も問題だということにならない?」

 

雫の危惧は、このまま変な制服が増加することに対してだろう。それに対して深雪は前生徒会長の七草が黙認した以上、今更どうにもできないという姿勢のようだ。

 

「人間、変われば変わるものだな……」

 

「レオ、あれは変わったんじゃなく、改造されたって言うんだと思うよ」

 

「失敬な、改造というのは関本のような例のことを言うんだ。森崎の変わり方は、れっきとした成長だ」

 

「調教の間違いじゃなか?」

 

一年前の校門での騒動を思い出しているのか、どこか遠い目をして語り合っているレオとエリカに治夏は一応、訂正を入れておいたが、納得は得られなかったようだ。

 

そんな雑談をしながら、一度、それぞれの教室へ向かう。治夏はエリカとレオと同じF組であり、達也と美月の魔法工学科クラスはE組だ。その教室は治夏たちの隣だ。

 

エリカとレオは新しい教室の席を確認すると、すぐに魔法工学科の教室を見に行くようだったので、治夏もそれに同行する。達也は廊下側の席であったため、エリカはいっぱいに開けた窓のレールに両肘をついた。

 

「美月は今年も達也くんのお隣かぁ。あたしもクラス替えを志望すれば良かったかな」

 

「必要ないだろ。隣のクラスなんだし」

 

ぼやいたエリカに、エリカと窓枠の隙間に顔をねじ込んだレオが反論する。

 

「それって、俺がいれば他の男なんて不要……」

 

治夏が言い終わる前にレオは口を挿んでくる。

 

「いつからお前はそんな色ボケになったんだよ!」

 

「ねぇ、レオ。私、お前って呼ばれるの好きじゃないんだけど!」

 

「そして、何で急に豹変する」

 

治夏たちが騒いでいる所に一人の女子生徒が近づいてくる。

 

「司波達也殿、お話中に失礼いたします」

 

達也に声を掛けたのは、今年から魔法工学科に転籍した平河千秋だ。

 

「此度、和泉守様から貴官の監視役を拝命しましたので……」

 

「ちょっ……それ、言っちゃダメなやつ!」

 

「そうなのでございますか?」

 

「少なくとも本人に宣言する必要はないな」

 

「はっ、では司波達也殿、先程の発言はなかったことにしていただきたい。では、失礼いたします」

 

綺麗な回れ右をして平河は自分の席に戻っていく。

 

「和泉?」

 

「どうせ君は、この魔法工学科に移ってからも問題を起こし続けるのだろう?」

 

達也のジト目に、仕方がないので開き直った回答を返しておく。

 

「確かにそうね」

 

「すまん、達也。否定できねぇ」

 

「でも、達也さんに責任があるわけではないですよ」

 

幸運だったのは、エリカ、レオ、美月の発言が治夏の言葉を肯定するものだったことだ。特にブランシュ事件、横浜事変、対パラサイト時と何度も大立ち回りを行ってきたエリカとレオは否定したくてもできないはず。

 

「私にはこんなトラブルメーカーを放置することはできない。もっとも、四六時中監視しているわけではないから安心してくれ。そして、何かあったらすぐに彼女に相談をしてくれ。宮芝もできる限りの協力をしよう」

 

「分かった……考えておく」

 

ここにいる全員にトラブルメーカー扱いされてしまったのが衝撃だったのか、達也はいつになく疲れた表情で治夏の言葉に頷いた。




敵対的な平河千秋と、監視していると明言する平河千秋。
達也にとってはどちらがよかった?


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ダブルセブン編 新入生の勧誘

司波達也が今年度から生徒会に移籍。風紀委員には吉田幹比古と北山雫を加え、部活連の会頭には服部刑部が就任し、第一高校の新しい一年が始まった。

 

ところが、万事順調とはいかぬようである。

 

西暦二〇九六年度の入学式終了後の生徒会長、中条あずさによる新年度の首席入学者である七宝琢磨の勧誘の席に、宮芝和泉守治夏は同席していた。

 

それは七宝琢磨が入学式の打ち合わせの際に、深雪と一波乱があったという話を聞いたためだ。七宝家は十師族の候補である師補十八家の一つ。十師族同様に魔法技能開発研究所を出自として持つ強力な魔法師の一族だ。琢磨はその七宝家の長男。治夏にとっても無視のできぬ相手であった。

 

「申し訳ありませんが、辞退させていただきます」

 

果たして、七宝は中条の勧誘を拒否していた。

 

「……理由を聞かせてもらってもいいですか?」

 

「自分を鍛えることに専念したいんです」

 

質問した五十里の目を正面から見返しながら、七宝が答える。

 

「俺は、十師族に負けないくらい、魔法師として強くなりたい。それが俺の目標です。だから課外活動は生徒会で組織運営を学ぶより、部活を頑張りたいと思います」

 

「何だ、小者であったか」

 

治夏の言葉に七宝が目を剥いた。

 

「そういえば、誰なんですか? この妙な制服の人は?」

 

「二年F組、宮芝和泉だ」

 

「F組? ウィ……」

 

そこで五十里が七宝に飛び掛かり、強引に口を封じた。

 

「何を……」

 

「七宝、それは禁止用語だ。宮芝さんは風紀委員だ。禁止用語を言った者は新入生であろうとも容赦なく殺されるぞ!」

 

「そんなことがあるはず……」

 

「あるんだ。実際に昨年は三年生の風紀委員が、殺されて機械人形の素材にされた!」

 

五十里の必死な様子に、七宝も危機感を抱いたのか口を閉じた。ちなみに五十里は誤解しているようだが、いかな宮芝とて簡単に人を殺すことはしない。関本にしても公的には横浜で戦死したことになっている。

 

けれど、それだけに残念だ。ここで禁止用語でも言ってくれれば殺さないまでも恐怖を植え付けられたものを。

 

「あの人は何なんですか?」

 

「宮芝さんは古式の中でも長い歴史を持った一族の当主だ。現代魔法師である七宝はあまりよく知らないかもしれないが、非常に力のある家で、一人くらいの殺人なら簡単に隠蔽する家だから、絶対に逆らわないで!」

 

「やれやれ、随分な言われようだな」

 

言った治夏に、五十里はジト目を向けてくる。

 

「そう思うなら、関本さんを何とかしてくれないか?」

 

「一度、機械にした人間を元に戻す術はない。それは五十里くらいの技術者なら知っていることではないのか?」

 

「言ってみただけだよ。ともかく、七宝は絶対に風紀委員……特に宮芝さんと森崎君には逆らわないこと。いいね?」

 

「……その前に、どうして部活を頑張るのが小者という評価になるんですか?」

 

「お前は組織運営を学ぶより自らが強くなることをしたいと言ったな?」

 

七宝は、お前という呼び方に反感を持ったようだが、反論はせずに黙って頷いた。

 

「それが、そもそも次代の当主という自覚が足りない意見だ。十師族では、なるほど直系が強い魔法力を持っていることは多い。しかし、一族で最強かと問えば、必ずしもそうでないことは知っているはずであろう?」

 

問えば、七宝はしぶしぶという様子ながら頷いた。十師族の中でも一条や十文字は長子の能力が高いが、五輪や七草は優秀ではあるものの、最強ではない。

 

「そこから考えても、必ずしも当主が最強である必要はないということは容易に分かることであろう。当主に必要なのは単純な力ではなく、見識だ」

 

言い切った治夏に対して、七宝の反応は鈍い。もっとも、これは予想ができていたことだ。七草の件にしても九島の件にしても七宝ならば当然にすでに知っている話のはず。それでも力を求めている以上、これくらいで翻意はない。

 

「お話は分かりましたが、やはり俺は、まずは自分を鍛えたいと思います」

 

「ま、そう言うだろうことは分かっていたがね、それでも心に留めておくといい。君が求めている力というのは限定された場面にしか力を発揮できない。真に強い者というのは、何があっても生き残れる者のことだ」

 

「生き残るだけじゃ、意味がない。勝たないと」

 

「今の君に言っても分からないだろうな。だから、心に留めておけと言った。君が真の力を求めるなら、宮芝は力を貸すこともあるだろう」

 

七宝は相変わらず胡散臭そうに治夏を見ているが、今はこれでいい。この言葉が生きてくるのは、七宝が今後、大きな挫折をして藁にも縋る思いになったとき。今はそのときのための種蒔きのときだ。

 

「さて、私の話は概ね終わったが、会長殿は七宝が断ったことについて何か言っておくことはあるか?」

 

「いえ、無理強いできることではありませんし、仕方がないと思います」

 

治夏にそう答えた後、あずさは七宝のことを見た。

 

「わたしたちとしては残念ですけど、七宝くんがそう決めているのであれば。部活、頑張ってください」

 

「すみません。失礼します」

 

一礼した後、七宝は足早に去っていく。その後ろ姿が見えなくなった頃、中条が言いにくそうに切り出してきた。

 

「宮芝さん。まさか、七宝くんまで取り込む気ですか?」

 

「七宝まで、とは随分な言い様だな。まるで私が誰か取り込んだみたいではないか」

 

「平河先輩は違うんですか?」

 

中条が言っているのは平河小春のことだった。同じ九校戦の技術者であっただけに思う所があるのかもしれない。

 

「平河小春は妹の千秋の助命を条件に宮芝に命を捧げたのだ。取り込むというのとは少し違うな。それに、あいつは今の生活を楽しんでいる」

 

「本当ですか?」

 

「本当だとも。奴め、案外にマッドの才能があったようでな。今はより効率的に人を殺すことができる機械の開発を喜々としてやっている」

 

中条は疑うような目で見てくるが、治夏は嘘を言っていない。中条はつい先日も関本の空戦用の装備の改良を具申してきて、今はリーダーとして機体制御機能の向上と高機動戦に対応する火器管制システムの改善に努めている。

 

現在は空戦というより空挺がやっとだが、そのうち空を舞う関本たちが見られるかもしれない。ところで、治夏が言うことではないが、平河は関本をどうしたいのだろうか。

 

「そういうわけで、心配は無用だ」

 

「分かりました。けれど、七宝くんは師補十八家の一つ、七宝家の長男です。他と同じような無茶をしては、どのようなことになるか分かりません。絶対に七宝くんを洗脳するようなことはしないでくださいね」

 

「分かっているよ。それではな、会長殿」

 

念を押す中条にひらひらと手を振り、治夏はこの場を離れていく。中条に言われるまでもなく、治夏もすぐに七宝に手を出すつもりはない。ただし、七宝が何らかの弱みを見せた場合は、その限りではない。

 

達也たちのように穏便に事を済ませるつもりは、治夏にはない。違反には、強い制裁を与える。それが、治夏の基本方針だからだ。



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ダブルセブン編 反魔法師活動

四月の半ば、宮芝和泉守治夏は七草家で行われた、十文字克人と七草家当主の七草弘一の面談に同席していた。なお、他に七草真由美も同席している。

 

議題は、最近になって急増したマスコミによる反魔法師報道に関して。マスコミの論調は二つに分かれているが、この内の一方、魔法師を利用する国防軍を非難している論調を背後で煽っているのが七草家であると克人が掴んだためだ。治夏がこの席に同席しているのは、その裏を取ったのが宮芝であるためだ。

 

「良く調べましたね」

 

七草弘一は、反魔法師報道の一方を使嗾しているのは貴方ですか、という克人の質問形式の推測をあっさり認めた。

 

「お父様! 何ということを!」

 

ぬけぬけと頷いた父親に、逆上した真由美が食って掛かる。

 

「落ち着きなさい、真由美。何を興奮しているんだね」

 

「そうだぞ、前会長殿」

 

治夏が七草弘一を援護するとは思いもよらなかったようだ。真由美は虚を突かれたように押し黙った。が、その目には不満がありありと見える。

 

「もしも七草が我が国にとって害となる行動を取っていたならば、宮芝は七草を殲滅する。それは前会長殿なら知っていることではないか?」

 

「やはり宮芝は、七草さんの考えを知っていたのか?」

 

「知っているといっても、推測にすぎないがね」

 

だから答えは自分で聞いてほしいと暗に訴える。

 

「七草さん、私には貴方のお考えが分からない。だから、ご説明をお願いしたい」

 

「それは十文字家としての要求ですか」

 

「十文字家としての質問です」

 

「同じ十師族の十文字家から七草家への質問とあれば正直にお答えしましょう」

 

克人は先程から姿勢にわずかな乱れも見せない。その堂々たる振る舞いは、さすがは克人。そんな克人にならって七草弘一も姿勢を正す。

 

「まず誤解の無いように言っておきますが、今回のキャンペーンを始めたのは、七草でなく外国の反魔法師勢力です。彼らはマスコミへ単純に情報を与えただけでなく、資金的な援助も行っています」

 

「マスコミに対して資金援助ですか?」

 

「寄付とか広告とか理由は何とでもつけられますし、名義だってどうにでもなりますから」

 

「それだけではない。記者個人に対して金品を送っている」

 

発言した治夏に、克人や真由美だけでなく、七草弘一まで驚いた様子で見つめてくる。

 

「宮芝はそこまで掴んでいたのか?」

 

「掴むも何も、送ったのは宮芝の影響下にある組織だからな。といっても勘違いするなよ、単に構成員の一人を人形にしているだけだ」

 

代表して聞いてきた克人に答えると、なぜかものすごく嫌そうな顔をされた。

 

「宮芝が行ったことはともかくとして、七草さんのマスコミ介入は、それに対抗する措置だということですか」

 

「克人君、『世論』に対抗する有効な手段が何か、分かりますか?」

 

七草弘一は答えを聞きたいのではなく、答えを述べたいのだ。だから、克人は回答する姿勢を見せない。けれど、そこに敢えて治夏は割って入る。

 

「十文字、間違っていてもいいから、ここは自分の考えを言うべきだ。世論はこの国における最大の味方であり、同時に敵でもある。君はその厄介な相手への自分なりの対処法を考えなければならない」

 

「分かった、考えてみよう。しかし、今は答えはない」

 

「それで正解だよ。難問に対して咄嗟の判断で行動したところで、大抵は良い結果は生まないものだ。無論、咄嗟の判断が必要になる場面はある。だが、今はそのときではない。当主たるもの考えが纏まらないうちに答えを述べて、すぐに言を翻すということだけはしてはならない。下の者を振り回してしまうからね。上出来だよ、克人」

 

「……ならば、宮芝さんなら、どのような手段を取られる?」

 

すっかり話の腰を折られてしまい、七草弘一は鼻白んだ様子を見せる。しかし、すぐに気を取り直して治夏に聞いてきた。

 

「まずは煽れるだけ煽ります。国防軍に魔法師の採用を控えさせる、くらいの対応をしてみせてもいいかもしれません」

 

「それでは、大亜連合や新ソ連の思うつぼではないか?」

 

「それでいいのだよ、十文字。国防軍の防衛力を低下させた上で内通者でも送りつけ、敵に侵攻をしてもらう。魔法師の不足した国防軍は迎撃に失敗し、住民は戦火の中で多くの命を散らしてもらう。そこで、国防軍を非難していた者たちが、実は外国勢力と通じていたことを公表する。それで獅子身中の虫を一網打尽にするとともに、魔法師が国防には必須であるということを幼子にまで浸透させる」

 

「そうして、魔法師は晴れて兵器として評価される、というわけですか?」

 

疲れたように言ってきたのは七草弘一だった。

 

「貴女の考えは私よりもよほど過激だ。世論に対抗するために、世論が誤りであることを多くの犠牲をもって知らしめるというのは、私でも口にはできない。そして、貴女はこの機に昔のように魔法師を兵器にしてしまうつもりなのですね」

 

「少し違うな。私は魔法師を兵器にするつもりはない。ただ、一定の数の魔法師には兵士でいてもらわねば困るとは思っているがな」

 

「宮芝殿の意見は置いておくとして、克人君は世論に対向する為にはどうすれば良いと思いますか」

 

「分断を図れば良いでしょう」

 

「正解です」

 

克人も七草弘一も、特に悩むでもなく、あっさり答えた。このくらいなら、克人でなくても十師族を担うべきものであれば、当たり前に導ける回答の一つということだろう。

 

「先行する世論に大筋で同意するものであれば異教徒狩りの対象にはならない。そして枝葉末節でしかない差異が容易く世論を分断する。分断された世論は勢いを失い、やがて忘れられていく。誰かがそれを主張し続けない限りね」

 

「それは七草さんの仰った世論の定義に反するのでは?」

 

「そのとおりですよ、克人君。正体を隠している限り、勢いを失った世論を維持することはできません。正体を隠したままでは、下火になった世論を再び燃え上がらせようとしても民衆はそれを見透かして反発するだけです。民衆は一度操られる程度には愚かで、同じ手口で二度操られない程度には賢明ですから」

 

「七草殿、その前提には一つ誤りがあるぞ」

 

口を挿むと、七草弘一は続きを促すように治夏を見た。

 

「七草殿の話は、正体を隠している限りという前提を置いたものだ。ならば、正体を隠さなければよい。そうすれば世論に方向性を与えることができる」

 

「宮芝、それも七草さんの世論の定義に反するのではないか?」

 

「その通りだな、十文字。だが、敵は世論であると断定しきるのは危険だと私は言っているのだ。先ほど七草殿は枝葉末節が容易く世論を分断すると言ったが、それは方向性がない場合の話だ。旗印の元に大筋で合意できる意見を表明するものがいれば、それは小さな違いなど包含して大きな力となりうる」

 

「では、宮芝殿は、それに対してはどのように対応しますか?」

 

「十文字、君なら私がどうすると思う?」

 

内容だけを見ると、質問の回答を丸投げしたようだが、治夏の中では答えは当然にあり、それに関するヒントもこれまでの会話の中で出している。この質問は克人が治夏のヒントに気づけているかどうかを試すものだ。

 

「世論には早い者勝ち的な面がある。ならば、その先駆者を自分たちの息のかかった者にさせるということか?」

 

「その通りだよ。そうして人々を引きつけさせたところで、実は外国から金を受け取って活動していただけの薄汚い裏切者だったことを明らかにさせる。そうすれば、同じ意見を表明することは難しくなる」

 

「克人君は、いつのまにか宮芝殿に毒されているようだね」

 

「褒め言葉と受け取っておくよ。ともかく我々は、我々の思惑で動かせてもらう。七草殿もあまり派手な動きはせぬことだ」

 

「……忠告として受け取らせていただこう」

 

場合によっては、薄汚い裏切者の役目は七草に負っていただくことになる。言外にそう滲ませて言うと、七草弘一は苦い顔でそう答えた。

 

「本日は、有意義な話し合いができて良かったよ。それでは、また」

 

反魔法主義者は、或いはこの先の厄介な敵となるかもしれない。そう考えながら治夏は七草弘一に挨拶をして七草邸を辞した。



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ダブルセブン編 国会議員の来訪

四月二十五日、宮芝和泉守治夏は校舎の屋上から校門前の喧騒の様子を眺めていた。門前にいるのは人権主義者で反魔法主義者の国会議員の神田およびその取り巻きのマスコミたちである。

 

神田たちの訪問の目的は、魔法科高校が生徒を軍人にすべく洗脳しているという疑惑の解明。要は先日から続いている反魔法師活動の一環である。

 

物々しい黒塗りの乗用車三台で押し掛けた十人の男女は、しかし未だに校門を突破することができずにいる。その原因は校門前で仁王立ちしている関本である。

 

神田たちは四時限目、午後最初の授業の最中、予約も無しにいきなり校長に面会を求めてきた。国会議員のバッジをつけていればこその無理である。しかし、それが有効な相手は人間のみ。機械であることを示すために隠し腕二本を展開した関本は、校長の不在を理由に校内への侵入を拒み続けている。

 

「繰り返す、そこもとらの入校は許可されていない」

 

「私には国会議員として国立の学校で教育が適切に行われているか確認する義務がある。入校をさせなさい」

 

「繰り返す、そこもとらの入校は許可されていない」

 

「では、誰か許可を出せる人間を出せ」

 

どれだけ権力があろうとも、機械が管理者以外の命令を聞くはずがない。神田は機械の説得という無駄を諦め、次の要求を始めた。

 

「本日、校長は不在である。改められよ」

 

「校長が不在なら、教頭でもよい。ともかくここに誰か呼べ」

 

「その要求には答えられぬ」

 

「なぜだ?」

 

「本機の権限外である」

 

今日の関本は完全にポンコツ機械に擬態している。あまりの話の通じなさに神田も頭を抱えている。

 

「待たれよ、校長より通信が入った」

 

そのとき唐突に関本が神田に声をかけた。関本は神田たちが見ている前で着ていた服を脱ぎ棄てて、綺麗なメタルボディをさらけ出す。その胸が二つに割れていき、中から姿を現したのはディスプレイだった。

 

『神田先生、本日はどのようなご用件ですかな』

 

「ああ、いや、ご予定も確認せずお邪魔したことは申し訳なく思っております」

 

『それがお分かりなら日を改めていただけませんか』

 

「本来ならば校長先生の仰るとおりにすべきなのでしょうが、私にも少々思うところがありまして」

 

そう言って神田が続けたのが、生徒を軍人にすべく洗脳しているという噂だ。当然に百山は否定するが、神田はそれに食い下がる。

 

神田も実際には洗脳などないと知っている。それでありながらパフォーマンスのために都合よく解釈したデータを並べる様は実に醜悪だ。

 

「図書、次の選挙、神田は落とせ」

 

「はっ」

 

傍に控える山中図書からの返答は短い。ということは、既にスキャンダルの当てはあるということだろう。

 

「校長先生の仰るとおりだと思います。だからこそ、魔法科高校が国防軍の出先機関であるなどという無責任なイメージを払拭する為に、授業を見学させていただきたいと思い参上した次第です」

 

『困りますな。魔法の実技は繊細なものだ。いきなり押し掛けられては生徒が動揺します。精神的な動揺が魔法事故を引き起こす可能性があることは先生もご存知でしょう』

 

「ご迷惑は掛けません」

 

『……そこまで仰るなら見学を許可しましょう。ただし見学は五時限目だけとさせていただく』

 

「そっ……いえ、それで結構です」

 

百山の言葉と同時に治夏は屋上から飛び降りて、神田たちの元へ向かう。

 

「皆さま、はじめまして。当校の風紀委員にして警備機械の管理権限者たる宮芝和泉です。これより皆さまの案内役を務めさせていただきます」

 

「警備の管理権限者がいたのなら、なぜ出てこなかったのだ」

 

「私の役目は機械の管理です。入校の許可は校長の権限ですので、一生徒にすぎない私ではいずれにしても判断ができませんので」

 

恨めし気に言う神田にさらりと返して、治夏は関本の前に立った。

 

『宮芝さん、五時限目に予定されている実習はどのクラスとどのクラスだ?』

 

「五時限目に実習が予定されているクラスはございません」

 

治夏は手元の端末で、調べものをしたように装いながら答える。

 

「ただ正規のカリキュラムではありませんが、二年の魔工科の生徒から申請のあった課外実験が校庭で行われる予定になっています。大規模な実験で、元から多くの生徒が関わるようですので、少し距離さえ取っていただけるなら皆さんが見学をされたとしても支障はないと思われますが、そちらに案内するということでよろしいですか?」

 

『どうでしょうか、神田先生』

 

「……分かりました。それではその課外実験だけでも見学させてもらえませんか」

 

「分かりました。今少し準備に時間がかかりますので、実験開始の時間までは校長室でお待ちください。ご案内いたします」

 

他の生徒の目に触れないよう、神田とマスコミ陣を校長室に押し込んでおく。突然の訪問ということになっているので、たいしたもてなしもしなくてよいので楽だ。

 

「神田先生は民権党の所属でしたよね。党首の永山さんはお元気ですか?」

 

「宮芝さんは、永山とお知り合いなのですか?」

 

「ええ、少し。宮芝和泉が、すぐに来い、と言っていたとお伝えください」

 

すぐに来い、の部分を強調しつつ、凄みを利かせて言うと、神田は途端に引きつった表情となった。今の言伝の内容を聞けば、民権党の党首と宮芝のどちらが上であるかは明らかだ。今は事実として宮芝が上なのか、それとも単なる無礼者か読み切れていないはず。しかし、神田は第一高校で教師たちに代わって応対する治夏の姿を見ている。

 

実際、永山は宮芝を無下にはできない。それをここで匂わせたのは、神田の質問を縛るためのものだ。相手に強力な後ろ盾があるなら、神田は無茶ができない。

 

「実験の準備ができたようです。それでは校庭に移動しましょう」

 

五時限目が始まって少しして、治夏はそう言って一行の前に立って歩き出した。

 

「そういえば何故、正規の授業でない実験を授業時間中に行うのだ? こういうことは良くあるのか?」

 

「いいえ、元々は放課後に行う予定であったと聞いています。ですが、詳細を知った職員の間から自分の担当している生徒にも見学させたいという声が多く上がったようです。それでなるべく多くの生徒が見学できるよう、授業時間を使って見やすい校庭で実験をすることになったようですね」

 

記者からの質問に答えつつ、治夏は校庭へと足を進める。宮芝家の当主と知らない記者たちは無遠慮な言葉で治夏に質問をしてくる。或いは上と強固な繋がりがあるかもしれないと神田は少し焦った様子も見せているが、このくらいは問題ない。宮芝の当主たる者、いかなる暴言も笑って聞き流して後から笑顔で首を刎ねられて、ようやく一人前なのだ。

 

「実験を開始します」

 

拡声器を使って達也がアナウンスをする。その合図を機に深雪をはじめとした学内でも上位の魔法師たちが連続して魔法を発動させる。それにより実験装置の球形水槽内の水が沸騰したりしてはいたが、はっきりいって魔法に詳しくない者には何を行っているのか全く分からなかったであろう。

 

「実験終了」

 

実際、三分後に達也が実験の終了を告げ、中条あずさが実験の成功を告げて生徒たちが歓声を上げる様を神田と記者たちは呆然と見ていた。

 

「今のは一体何だったんです?」

 

「常駐型重力制御魔法式熱核融合炉の実験ですね」

 

「それはどのようなものですか? 核融合炉の実用化は断念されたはずだが」

 

「断念はされていないみたいですね。太陽光エネルギーシステム群が先に完成した為に優先度が後退しただけのようです」

 

私も専門ではないので、詳しくは知りませんが。と付け加えると神田は特に疑問を抱かず頷いていたようだった。こういうときは、高校生の特権、詳しいことは分かりません、を発動しておくに限る。

 

「核融合炉の研究とは、魔法による核融合爆発の実現を目指すのか?」

 

「例えば『灼熱のハロウィン』で使用されたような?」

 

「ただ爆発を起こすだけならブラジル国軍の戦略級魔法師が成功させていますし、今回の実験のような精密な術式は不要です。今回の実験の目的は、社会基盤としてのエネルギー源として利用するためです。解決すべき問題は数多くありますが、恒星炉が実用化されれば太陽光サイクルより豊かなエネルギーを利用できるようになります。その社会貢献としても有益な点を学校も評価してくださり、今回の実験が行えることとなったようです」

 

「そう……ですか」

 

「せっかくですから、神田先生。今回の実験を見学しての感想をいただきましょう」

 

治夏はそう言うと、神田が答えるより前に隠し持っていたマイクを取り出す。

 

「皆さん、風紀委員の宮芝和泉です。本日の実験は国会議員の神田先生も見学をしていただいておりました。神田先生からお言葉をいただきますので、喜びに沸く中に申し訳ありませんが、しばし静粛に願います」

 

治夏が声をかけて場内が静まらぬわけがない。

 

「ご紹介いただきました神田です。皆さんの社会の繁栄に貢献しようとする姿勢はすばらしいものだと思います。これからも学業に励んでください」

 

そして、社会貢献に繋がる実験の成功に沸く高校生に向かって辛辣な言葉を吐くことは、いかに相手が魔法を扱う特別な相手だとしても難しい。ましてやいつの間にか現れていた放送部の腕章をつけた妙に立派な撮影器具を持った者の前においては。

 

国会議員という権力者と、魔法という力はあるがただの高校生。その強弱関係と、力ある者が力のない者を罵倒するという光景の拙さを理解できぬはずがない。大勢の聴衆に対して言葉を発するのと、特定の相手に言葉を発するのは違う。けれど、それで発言の矛盾が許されるわけではない。

 

表では相手を持ち上げておいて、裏で相手を貶す。それが歓迎されないことであるのは、どのような世界でも変わらない。

 

ひとまず、厄介事が一つ片付いたか。治夏は心の中でほくそ笑んだ。



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ダブルセブン編 森崎の実力

国会議員の神田の訪問を上手くやり過ごした翌日の四月二十六日、風紀委員に就任した七草香澄は気持ちよく廊下を歩いていた。昨日の恒星炉の実験が成功であった上に、その結果に対する報道が思いがけず好意的なものであったためだ。

 

そのとき香澄は本部に戻るために前庭を歩いているところだった。反対側からは七宝琢磨が歩いてくる。けれど、香澄は特段気にせずにすれ違おうとした。

 

「上手くやったもんだな、七草」

 

「……何の事?」

 

七宝の急な言葉の意味が分からず、香澄は足を止めて問い返した。

 

「昨日の公開実験のことさ。ローゼンの支社長にまで注目されたみたいだな。全てが計画通りってわけなんだろ」

 

「公開実験? 七宝、アンタ何か勘違いしてない?」

 

「とぼけるなよ。魔法師を目の敵にしている国会議員がやって来ることを知って、昨日のことを仕組んだんだろう? 司波先輩を利用して、上手く名前を売ったものだぜ」

 

「利用ですって? 変な言いがかりをつけないで」

 

そうは言ってみたが、実際には香澄も神田の来訪を知っていた。しかし、昨日の粗筋を描いたのは宮芝と司波達也であり、七草は協力させられたに近い。

 

「俺が迂闊だったよ。あの人、この第一高校だけでなく魔法科九校の間でちょっとした有名人だったんだな。さすがは七草、抜け目がない。姉に続けて色仕掛けで誑し込んだのか? お前たち姉妹、見てくれだけは一流だからな」

 

「ふざけるな!」

 

姉の真由美は、香澄にとっては尊敬ができる、大事な存在だ。自分だけならまだしも姉までも侮辱する言葉は、さすがに看過できない。しかし香澄は、ここで一度、息を吐いて怒気を抑えこんだ。その真由美が七宝とのいざこざを心配する表情をしていたのを思い出したからだ。けれど、このまま黙って引き下がることは、さすがにできない。

 

「……誑し込むとか、七宝の考えることは随分下品なんだね。色仕掛けなんて、私たち七草には考えもつかないよ。アンタ、そこそこカワイイ顔してるんだし魔法師目指すの止めてツバメにでもなったら? もっとも、今時ツバメ飼ってるのなんて色ボケ芸能人くらいのものだろうけど」

 

せめて、精一杯の嫌味を。そんな軽い気持ちの揶揄に、七宝は顔色を変えた。

 

「……喧嘩を売っているのか、七草」

 

「先に喧嘩を売ってきたのは七宝、アンタの方よ。それに前に言わなかったっけ? 二度と喧嘩を売ろうって気が起きないくらい、安く買い叩いてあげるって」

 

香澄が姉を侮辱されたのに対して、七宝に返したのは軽い揶揄だけ。それなのに激しい怒りを向けてくる七宝に、今度は香澄も我慢がならなかった。

 

香澄も七宝も、右手を左の袖口に掛けている。二人のCADは共にブレスレットタイプ。一触即発の状態だった。

 

「そこな二人! 何をしておるか!」

 

「二人とも、手を下ろしなさい!」

 

だが、香澄と七宝がCADを操作しようとした瞬間、背後から静止の声が掛かった。

 

香澄の背後から、女子生徒の声。七宝の背後からは、男子生徒の声。

 

香澄は言われた通りに、右手を下ろして振り返ろうとした。その直前、七宝が左袖を捲り上げながら振り返ろうとするのが視界の隅に映った。

 

香澄が思わず振り返ると、風紀委員の上級生、森崎駿が厳しい表情で左の懐に右手を差し入れ、拳銃形態のCADを抜こうとしていた。対する七宝の手は、すでにCADのスイッチに触れている。ならば、先に魔法を発動できるのは七宝だ。

 

それほど親しくないとはいえ、相手は同じ風紀委員の上級生だ。助けたい気持ちもあるが、今からでは到底、間に合わない。しかし、見守るしかない香澄の前で膝をついたのは、予想に反して七宝だった。

 

「ドロウレス……」

 

香澄の口から呟きが漏れる。それは感覚だけで照準をつけて魔法を放つ拳銃形態のCADの高等技術だ。なまじCADを向けた方向に照準をつけるという補助機能を持つがゆえに、それは習得が難しい技術であったはずだ。

 

しかも、森崎の行動はそれだけではなかった。ドロウレスによる魔法を受けて膝をついた七宝の身体には飛来する刀身が迫っていた。それは、右手でドロウレスによる魔法を発動させながら、森崎が左の腰に差していた刀を左手一本で抜きつつ投じたものだった。膝をつくほどの衝撃を受けていた七宝に、それを防ぐ手段はない。

 

「がっ!」

 

七宝の口から苦悶の声が漏れる。投じられた刀は七宝の左肩に突き立っていた。その刀身がするりと抜けて、森崎の方に戻っていく。どうやら柄の部分にワイヤーが付けられていたようだ。

 

刀が飛ぶのに合わせて、七宝の返り血が宙に舞う。しかし、それは僅かな距離だけだ。刀が戻りきる前に、自己加速術式を使って森崎は七宝へと駆け出していた。刀が右手に納まると同時に、森崎が七宝の腹へと突きを放つ。

 

刀は七宝の身体を貫通していた。七宝の腕はだらりと垂れ下がっていて、力を感じない。背中から突き出た刀身には七宝の血が付着している。

 

「き……北山先輩……」

 

「香澄、黙ってそのまま立っていて。右手は絶対に動かさないで。少しでも敵対の意思を感じ取ったら、香澄も殺される」

 

なんだ、それは。理解ができない。理解ができず、ただただ怖い。

 

香澄はまだ戦場に立ったことはない。けれど、魔法師として仮に周囲で何かが起きたときには命をかけて戦えると思っていた。でも、今は森崎に逆らおうとは全く思えない。

 

「大丈夫、急所は外しているはずだから」

 

北山が香澄を安心させるように言ってくる。けれど、負傷した七宝の髪をつかみ、血の跡をつけながら引き摺っていく森崎の、どこを安心すればよいのか。

 

「森崎、七宝は師補十八家の一つ。手荒な手段は問題が大きくなる」

 

「留意しよう」

 

北山の言葉に森崎が答える。香澄には何を言っているのか分からない部分もあるが、あれで七宝の扱いが多少はましになるということだろうか。

 

森崎の背中が遠ざかり、急に周囲が暖かくなった気がした。足が震えて力が入らず、香澄は思わずその場にへたり込む。足に少し冷たい感触があり、それを見た香澄は思わず顔を顰めてしまう。

 

「香澄、大丈夫?」

 

「はい。北山先輩……森崎先輩は、七宝をどうするつもりですか?」

 

「きちんと力のある家の出身であることは伝えたから、安全ではあると思う」

 

「そうですか」

 

では、七宝が普通の生徒であったら、どうだったのか。それは、とても聞けなかった。

 

「立てる?」

 

「はい」

 

足に力を込めて、香澄は立ち上がった。見下ろした視界の隅、スカートについた赤い染みを見て、香澄は校舎の中へと続く七宝の負傷の証を追う。

 

「北山先輩、学校内でこんな事件が起こっていいんですか?」

 

「本当はよくはないんだろうね。けれど、しょうがない」

 

今日の森崎を見る前だったら、諦めたような言葉に香澄は反論をしただろう。けれども、今は北山が言った、しょうがないという言葉が実感を持って受け止めることができた。

 

香澄が森崎を怖いと思ったのは、戦闘能力だけではない。無論、戦闘能力の高さにも驚かされたが、それでも姉よりも強いとは思えない。香澄が森崎を怖いと思ったのは、何の感情も見せずに淡々と七宝を傷つけていたことだ。

 

激しい憎悪を見せて。嗜虐心に顔を歪めて。そう言った感情が見えれば、香澄は腹を立てたと思う。けれど、森崎にそのような感情が見えなかった。森崎を見て思ったのは、ただ効率がいいということだけ。いかに早く相手を無力化するか。森崎から窺えたのは、ただそれだけだった。折れてしまった箸を捨てる時でも、もう少し感情が見えそうだ。それが香澄には恐ろしかった。

 

「香澄も宮芝さんには気をつけて。味方にしておけば心強いけど、敵に回してしまうと本当に怖い人だから」

 

そう言われて、香澄の脳裏には元日に初詣に行ったときの宮芝和泉守治夏の顔が浮かんでいた。泉美と同じ響きだからと治夏と呼んでいいと言った、あの日の宮芝の姿と今日の森崎とは、香澄の中ではどうしても結びつかなかった。



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ダブルセブン編 反魔法師活動への反撃

宮芝和泉守治夏はその日、輸送機の中にあった。輸送機の格納庫にはパラサイト関本七体が搭載され、出撃のときを待っている。

 

本作戦の目的は、カルチャー・コミュニケーション・ネットワークというマスコミの社長の娘である小和村真紀に対する襲撃計画の阻止だ。本来ならばマスコミがどうなろうと治夏の感知するところではないが、今回は少し事情が異なる。

 

それは小和村真紀が狙われている理由が、父親の会社が指示された通りの反魔法師報道を行わなかったというものだからだ。反魔法師報道をしなければ、命を狙われる。そのような前例は絶対に作ってはならない。

 

「それにしても、周公瑾か。飛騨守から報告のあった名だな」

 

周は横浜事変の際に飛騨守が企図した中華街殲滅作戦を阻止した男だ。それ以来、警戒は続けていたが、その男が今回の反魔法師報道を仕掛けていたこと、今日の襲撃作戦を主導していることを宮芝家はしっかりと掴んでいた。

 

「しかし、気になるのは七草家が周に接触をしていることですね」

 

山中図書が言った通り、七草は周に接触して、反魔法師報道の内容を操ろうとしている節があった。加えて、周自身が真の黒幕ではなく、更にその裏があると思われる。それゆえ周本人への攻撃は控えている。

 

「しかし、いつかは殺さねばならないな」

 

七草の意図と、黒幕の存在。それを確認でき次第、周は殺さなければならない。奴は間違いなく、この国にとって有害だ。

 

「それよりも今は目の前の作戦だな。平河、関本たちの準備は整ったか?」

 

「はっ、空戦装備の関本七機、有事のときの予備機三機全て出撃準備は整っています」

 

平河小春が改良を進めた空戦型関本は、その呼び名に反して翼の揚力は低く、現在は投下された後は滑空して標的に迫る程度の能力しかない。それでも、降下作戦程度は可能なため、今回の作戦の装備として採用され、実戦投入されることになった。

 

「標的の敵飛行船の上空に到達!」

 

「空戦型関本全機、降下を開始せよ!」

 

村山右京の報告を受け、治夏は作戦の開始を命じる。

 

飛行船は黒一色に塗装されているが、関本たちはパラサイトだ。迷彩塗装程度で誤魔化すことはできない。輸送機の扉から降下を開始した関本七機は、自ら光学魔法を纏って飛行船に接近していく。

 

「こちら関本勲、それより攻撃を開始する!」

 

指揮官機であるオリジナル関本から通信が入る。次の瞬間にはパラサイト明王を先頭に、ゴンドラの扉を高周波ブレードで破り、飛行船内に突入を開始する。

 

関本から送られた映像には、拳銃を構える男たちの姿がある。しかし、USNAの武装にすら優勢に立ち回れる関本たちにとっては恐れるに足りない武装だ。しかも敵は僅かに五人。一人一殺でもおつりが出る。

 

一瞬で間を詰めた関本たちは瞬く間に二人の敵を斬り伏せた。それを見た左右両端の二人が拳を突き出す。中指に鈍く輝く真鍮色のアンティナイト指輪からキャストジャミングが発振される。

 

ノイズに満たされたゴンドラ内では、魔法の使用が制限される。しかし、それでも機械の身体による身体能力とセラミックブレードだけで敵を圧倒可能だ。更に二人の男が倒され、敵は敗北を覚悟したようだ。中央に立っていた男が左手を握り込む仕草を見せる。

 

「関本全機、すぐに脱出せよ!」

 

すでに左右の二人は倒され、アンティナイトによるノイズは収まっている。関本たちは高周波ブレードでゴンドラの壁を破り、外へと飛び出した。

 

その直後、閃光と共に爆音が生じ、ゴンドラが炎に包まれた。

 

「関本全機、飛行船を破壊せよ。七星砲の使用を許可する!」

 

気嚢が破れた飛行船はマンション街へと落下している。あんなものが街に落ちては大惨事だ。何としても、あれを墜とさせるわけにはいかない。故に治夏は秘匿しておくつもりであった関本の切り札を使うことにした。

 

飛行船から飛び出した関本たちは魔法の力も使って急降下する。飛行船から距離と十分に取った所でパラサイト関本たちが六芒星を描き、中央にオリジナル関本が位置する。七機の関本たちの身体を中心に膨大な魔力が渦を巻き始める。

 

「七星砲、発射!」

 

儀式系砲撃魔法の七星砲。それはパラサイトならではのシンクロを利用した魔法だ。それにより大規模儀式魔法と同様に複数機での同一魔法の増幅を実現している。

 

治夏の命に従い、関本たちから炎上する飛行船に向けて光の濁流が放たれた。それは飛行船を空中で爆散させるに十分な威力を持っており、更に落下しようとした破片すら蒸発させてみせた。

 

「飛行船、消滅。七星砲の実戦投入は成功です」

 

平河小春が珍しくはしゃいだ声をあげた。調整の結果、今の平河は関本を我が子のように愛して改造を繰り返す完全なマッドサイエンティストだ。今もより強くなった関本たちに歓喜しているのだろう。

 

「さて、上空は片付いたな。次は地上だ。行け、掃部」

 

今度の治夏の命令は、今しがた襲撃犯より身を守った小和村真紀への襲撃だ。父親が反魔法師報道に関与していただけではない。小和村真紀も七宝を使嗾し、何やらよからぬことを行おうとしていたことを宮芝は掴んでいた。普通ならただでは済まさないが、小和村は女優として名を馳せている。ならば、殺すよりその発信力を利用した方がいい。

 

治夏の命令を果たすべく掃部に率いられた四人一組の小隊が、ベランダより室内に突入を開始する。異変に気づいた二人の護衛が小和村の部屋に駆けつけてきたが、仮にも宮芝の手練れである掃部たちの相手ではない。瞬く間に無力化した掃部は怯える小和村の髪を掴んで無造作に床に放り投げる。

 

着ていたワンピースが乱れて下着が露わになっていたが、それを直すこともせず、小和村はただ怯えている。女優としては百戦錬磨なのであろうが、荒事には慣れていないのだろう。女優である自らの身体に傷がつこうと何とも思わないことが明らかな掃部たちへの抵抗の意思は見られない。

 

「我が主からの伝言を伝える」

 

「我が主?」

 

「余計な口を聞くな。お前は返答を許可されたときだけ口を開け。次に許可なく発言をした場合には、その口を裂く」

 

掃部の脅しに、小和村は慌てて口を閉ざした。しかし、使い魔から見る限り、掃部は有名女優の艶姿を見ても全く心を動かされていないようだ。仕事熱心なのは歓迎すべきことなのだが、あれで大丈夫なのだろうか。

 

「小和村、貴様には今後、親魔法師の姿勢を鮮明にしてもらう。これはお前の身を守るためでもある」

 

そう言って掃部が見せたのは、小和村を襲撃する予定だった男たちの会話だった。そして、その男たちを皆殺しにする様子も映っている。

 

「我々の庇護下に入るか、拒絶して新たな刺客に殺されるか、選ぶのはお前だ。ああ、それと我々以外の魔法師とは接触をすることは禁じる。お前だけで決断せよ。それでは、賢明な選択を祈る」

 

それだけ言うと、掃部たちは突入したベランダから次々と身を投げていく。小和村の表情からは、すでに反魔法師側に回る意思は感じない。掃部は口に出さなかったが、反魔法師派の刺客たちを簡単に屠っていく姿を見た小和村は、どちらを敵に回してはいけないかを理解したはずだ。

 

「さて、これで反魔法師報道は下火になるはずだ。まずは皆、最後まで油断することなく宮芝まで帰投をせよ」

 

作戦の成功に気をよくして、帰投する姿を敵対勢力に目撃されることになっては、目も当てられない。最後まで気を引き締めるよう部下たちに声をかけ、治夏は輸送機を空港に向けさせた。



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ダブルセブン編 七宝の受難

師補十八家の七宝家の長男、七宝琢磨は現状に強い不満を抱いていた。

 

先日、森崎に重傷を負わされてから、琢磨に近づいてくる者は全くいなくなった。それまで近くにいた、ある男子生徒など第一高校の学内では泣く子も黙ると言われている森崎駿に睨まれている者に積極的に近づくのは、単なる命知らずとまで言って離れてしまった。

 

二十八家でもない一介の風紀委員が、そこまでの影響力を持っているとは琢磨は全く想像をしていなかった。おかげで自分の派閥を作って七草に対抗するという当初の計画は既に瓦解したと言っていい状態だ。

 

加えて、それまで良い関係だと思っていた小和村真紀もいくら連絡をしても反応すらしてくれなくなった。家にも行ってみたが、そこはもぬけの殻だった。家具も荷物も全て運び出されたマンションの一室に待っていたのは森崎だった。

 

その森崎から伝えられた、あの女とは二度と連絡を取るな、という命令で、琢磨はこの件にも宮芝が絡んでいることを知った。とはいえ、それに黙って従う琢磨ではない。先日の一件への意趣返しとして森崎に魔法を使おうとしたのだ。

 

けれど、それは一瞬で封じられた。ブレスレットタイプのCADに指を乗せようとしたと同時に目の前を銀の光が奔った。同時に二つになったCADが床に転がる。カチン、とい納刀の音で、森崎が目にも止まらぬ速さで抜刀して琢磨のCADだけを両断して納刀まで終わらせたのだと分かった。

 

「って、どこの剣豪だよ!」

 

「この程度も見切れぬようでは、戦場では役に立たんな」

 

叫ぶ琢磨を無視して、そのときの森崎は去っていった。そして、今度こそ琢磨は、絶対に勝てない相手だと深く思い知ったのだ。

 

そして今、琢磨の前には一枚の書類が置かれていた。

 

「七宝、そこに名前を書け」

 

そう言って迫ってきているのは、件の森崎である。

 

「あの……これ、学校と袴田園芸って会社の契約書に見えるんですけど、どうして僕が署名をしなければならないんですか?」

 

「此度、生徒会以外にも組織運営の経験を積ませるため学校から部活連に一部の権限が譲与された。その権限に基づく、学校の環境整備のための契約だ。お前が代表してサインをするんだ」

 

「あの……ただサインするだけなら、組織運営も何もないじゃないですか。組織運営ってことなら、業者を選定する段階から……」

 

「業者はここと決まっている。だから、さっさとサインをしろ」

 

森崎の言っていることは無茶苦茶だ。これは絶対に森崎、というか宮芝が関係している会社だろう。

 

「あの……そもそも、なぜ先生方は業者との契約なんて学校運営に関わることを部活連に任せることにしたのですか?」

 

「決まっておろう。自らが危うい橋を渡らぬためだ」

 

逃げたな! この契約がヤバイって知ってて生徒を人身御供にしやがった!

 

こんなことが許されてよいのか、と叫びたい気分だが、生憎とここにいるのは森崎だけ。叫んだところで黙殺されるだけだ。というか、今になって気づいたが、もしかして服部会頭も逃げたのだろうか。だから自分が署名をさせられようとしているのだろうか。

 

「そういえば、小官がいたあの部屋だが、前の住人の時代から盗聴器が仕込まれていたようでな。犯人に警告を与える意味でも音声公開を……」

 

「喜んで、書かせていただきます!」

 

違った。初めから自分が狙われていたんだ。それに気づいたところで、もう遅い。

 

あれ、これって、このままズルズルとヤバイところに引きずり込まれていくパターンなのではないだろうか。そんなふうに思っても、すでに抜け出せる時は逸している。

 

「書きました。これでいいんでしょ」

 

「うむ、確かに。では、礼としてそなたに稽古をつけてやろう」

 

「稽古ですか?」

 

「うむ、まずはこれに着替えるがよい」

 

そう言って森崎が出してきたのは、相撲の廻しであった。琢磨も実際に見たことはないが、特徴的な外見から、たぶん間違いないと思う。

 

「あの、これは何ですか?」

 

「見てわからぬか? 廻しだ」

 

「いえ、それは辛うじて分かりましたが、これでどうするんですか?」

 

「決まっておろう。相撲で身体を鍛えるのだ」

 

一応、そういうつもりなのだろうなとは思った。けれども、なぜそこに行き着いたのかが分からない。

 

「えっと……他にいくらでも方法が……」

 

「いいから、さっさと着替えろ。時間の無駄だ」

 

「せめて廻しでなく普通の運動着で……」

 

「ええい、うるさい!」

 

その瞬間、光が奔った。そして、七宝の制服は布切れと変わった。

 

「ちょっ……何を……」

 

「そら、さっさと廻しを締めろ。このまま外に連れ出されたいか!」

 

「分かりました。つけます。つけますから」

 

それにしても、パンツまで綺麗に剝ぎ取るなんて、この人は何を目指して剣技を磨いてきたのだろうか。とりあえず全裸よりはましと、廻しを手に取る。

 

「あの……着方が分からないんですが」

 

「貴様は廻しの締め方も知らんのか」

 

「普通の高校生は知らないと思います」

 

「ええい、分かったから貸してみろ」

 

森崎は意外と丁寧に琢磨に廻しをつけてくれた。だからといって、森崎に感謝などはしてやらない。

 

「さあ、外で和泉守様が待っているぞ」

 

「え、まさか宮芝さんと相撲を取る……」

 

「身体を四つにするぞ」

 

気づいたら、額に刃がつきつけられていた。というか、軽く刺さっていた。邪な気持ちなどなかったから、まさかという言葉になったというのに、この人は日本語が理解できないのだろうか。

 

「和泉守様は土俵を作ってくださるだけだ」

 

土俵を作るという意味が分からず、とりあえず外に出た。すると、宮芝和泉が土俵を作る魔法を使っているところだった。土が勝手に盛り上がっていき、どこからともなく俵が湧き出してくる。

 

まずもって原理が全く分からないし、分かったところで、こんな使いどころのない魔法は習得しようとは欠片も思わない。一ミリたりとも心に響かない魔法だった。

 

「さあ、土俵に上がれ、貴様の相手が待っているぞ」

 

全くテンションの上がらない琢磨に対して、森崎が指差す。その先にいたのは比喩でなく鋼の肉体を持った関本だった。

 

「ちょっと、あんなの勝てるわけがないじゃないですか!」

 

「力が全てではない。柔よく剛を制す、の心を学ぶため、貴様は関本に挑まねばならぬ」

 

「力だけが全てでないにせよ、力があった方が有利なのは変わらないでしょう。だいたい、あの機械、絶対に重さが凄いでしょ」

 

「ええい、うるさい。まずは一番、当たって砕けてこい」

 

「砕けたくなんてありません……」

 

琢磨が言い終わらないうちに身体が浮き上がり、土俵の上へと移動させられる。関本の目が謎の光を放っていたことを考えると、どうやら念動力で移動させられたらしい。

 

「それでは行くぞ……どすこい!」

 

猛烈な勢いで突っ込んできた関本の張り手一発で琢磨は土俵外に吹っ飛ばされた。物凄く痛い上に、入念にセットしていた髪も身体も砂まみれになった。

 

「こんなの勝てませんって!」

 

「初心者の貴様が簡単に勝てるはずがなかろう。まずは百番、取り組みを行い、そこから何かを得るのだ」

 

「何かって、何です……」

 

「どすこい!」

 

森崎に抗議を行っている最中だというのに、続く張り手が飛んできて、今度は土俵下にまで吹き飛ばされた。

 

「戦場で敵から目を離すとは愚かなり」

 

関本が何か言っているが、いつから相撲から戦闘に変わったのだろうか。とにかく、おちおち寝てもいられないということだけは分かった。

 

逃げることは、おそらくできない。ならば、無心になるしかない。無心で耐えて、百番を終えるしかない。それしか、この地獄から抜け出す道はない。琢磨は自分に言い聞かせて、ただひたすらに関本に挑んでいった。

 

校庭に唐突に現れた土俵と、その上に廻し姿で泥まみれになっている琢磨に多くの生徒が奇異の視線を向けてくる。だが、気にしては駄目だ。とにかく一刻も早く百番の取り組みを終える。それが一番、傷が浅いはずだ。

 

そうして、琢磨はやりきった。結局、一勝もできなかったが、無事に百番をやり切った。これでようやく帰れる。

 

「七宝、家に帰るまでが稽古だ。自宅までは、このまま摺り足で帰るように」

 

「このまま?」

 

「そう、このままだ」

 

結局、琢磨は関本に見守りという名の監視を受けながら、泥まみれの廻し姿で、泣きながら摺り足で帰宅した。

 

本当に散々な一日だったが、次の日から、周りの皆が少しだけ琢磨に優しくなった。





七宝の将来から俳優への道が閉ざされました。
これにてダブルセブン編終了 次はスティープルチェース編です


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スティープルチェース編
スティープルチェース編 二度目の九校戦


今年も九校戦の季節が近づいてきていた。そして、第一高校は例年より早く忙しい日々に突入していた。

 

これは、万事に慎重な生徒会長、中条あずさが例年より一ヶ月も早く九校戦の準備に着手したためである。その甲斐あって今年は余裕をもって準備が整う見込みであった。しかし、それは儚く消えることになった。

 

「いやあぁああぁあ」

 

七月二日月曜日の放課後、叫び声をあげて頭を抱える中条を、宮芝和泉守治夏は冷めた目で見つめていた。

 

「中条さん、どうしたんですか?」

 

治夏と違って気遣った五十里も、中条から渡された紙を見ると顔色を変えた。重い空気が漂う生徒会室に次に入ってきたのは、司波兄妹だった。

 

絶望感を放ちながら頭を抱える中条と、途方に暮れる五十里。そして完全に他人事でただ面白がっている治夏を見て二人も足を止めていた。

 

「お疲れ様です、五十里先輩。一体何があったんですか?」

 

達也が質問の相手に選んだのは、五十里だった。

 

「いや、それがね……」

 

「九校戦の運営委員会から、今年の開催要項が送られてきたのだよ」

 

歯切れの悪い五十里に代わり、治夏が事情を口にした。

 

「そうですか。それで、何が問題だったんですか?」

 

「何もかもです!」

 

中条が勢い良く顔を上げ、呪詛にも似た愚痴をこぼし始めた。

 

「開催要項は競技種目の変更を告げるものでした!」

 

「……何が変わったんですか?」

 

「三種目です!」

 

「スピード・シューティングとクラウド・ボール、バトル・ボードが外されて、代わりはいずれも実戦的な競技ばかりだ」

 

治夏が補足すると、達也も深雪も表情を曇らせた。

 

「追加競技は、USNA海兵隊の上陸支援訓練がルーツのロアー・アンド・ガンナー。魔法と格闘の両方のセンスが要求される、対人格闘戦シールド・ダウン。そして極めつけと言えるのがスティープルチェース・クロスカントリーだ」

 

治夏が競技名を告げると、達也ははっきりと眉を顰めた。

 

「お兄様、スティープルチェース・クロスカントリーとはどのような競技なのですか?」

 

「スティープルチェース・クロスカントリーはその名のとおり、スティープルチェース、つまり障碍物競争をクロスカントリーで行う競技だ。障碍物の設置された森林を走破するタイムを競う。各国の陸軍で山岳・森林訓練に採用されている軍事訓練の一種だよ。障碍物には物理的な自然物や人工物の他、自動銃座や魔法による妨害も用いられる」

 

「随分ハードな競技ですね……」

 

「スティープルチェース・クロスカントリーは高校生にやらせる競技じゃない。運営委員会は一体何を考えているんだ?」

 

詰るように呟く達也に、治夏は面白い情報を追加してやることにした。

 

「スティープルチェースは二年生、三年生なら男子も女子も全員エントリーが可能だ。実質的には全員参加だな」

 

「和泉は随分と楽しそうだな」

 

「そうだな。何せ我ら宮芝にとっては日常的と言っていいほどに取り入れられている訓練だからな。せいぜい張り切ってしごいてやるつもりだよ」

 

「……余程しっかりと対策を練らなければ、ドロップアウトが大勢出ますよ、と忠告をしようと思っていましたが、当校には山野の訓練のスペシャリストの和泉がいましたね。和泉、宮芝なら訓練でドロップアウトなど出さないようにできるだろう?」

 

達也の言うドロップアウトは競技からではなく、魔法師人生からのドロップアウトだ。

 

「無論だ」

 

山野での訓練の度に脱落者を出していては、魔法師部隊など作れない。どの程度で強制的にリタイアさせれば致命傷とならないか、宮芝は加減を熟知している。

 

「ならば、まずは選手選考のやり直しからですね」

 

「今年はただでさえ主席の退学なんていう異常事態があって選手選考が難しかったのに、やり直しですか」

 

「こちらを見ながら言わないでくれ。七宝の退学は本人がどうしても力士になりたいと希望したからで、私としても全くの計算外だ」

 

しごきのつもりで相撲を続けさせていたら、七宝は力士になると言い出して学校を辞め、実際に相撲部屋に入門してしまった。治夏としては本当のことを言ったのだが、中条は疑わしそうな目で見てくる。だが、考えてもみてほしい。誰が好き好んで第一高校で主席を張れるような優秀な人材を、例え一時的とはいえ魔法を封じて相撲部屋に放り込むことをするものか。そんなことなら国防軍に入れた方がましだ。

 

七宝のことはともかく、変更となった競技だけでなく既存の競技も従来からのソロに加えてペア形式が追加されている。選手は出場競技と人選を全面的に見直す必要がある。達也が声をかけ、中条を励ましつつ選手から再考し始める。

 

そうなると治夏としては口を出すこともない。治夏は第一高校の魔法師たちをより実戦向きに調整すべく訓練プランを練り始める。

 

そして生徒会業務の終了後、治夏は久しぶりに達也たちの生きつけとなっている喫茶店「アイネブリーゼ」に顔を出した。集まっていたメンバーは達也と深雪に、エリカ、美月、レオ、吉田にほのかと雫の二年生八人に、達也たちの従妹だという桜井水波という一年生が一人だ。治夏が顔を出したときには、達也が生徒会室にいなかったメンバーに新競技についての説明をしているところだった。

 

「へえ……楽しそうじゃない。特にシールド・ダウンとか」

 

自らも近接戦魔法師であるエリカは、弾んだ声でシールド・ダウンに興味を示す。

 

「えっ、そうかな……何だか怖そう」

 

逆に荒事が苦手な美月は、エリカとは対照的に不安そうな声を漏らしていた。

 

「うん……去年まで採用されていた競技はどれも、選手同士が直接ぶつかり合わないものばかりだったよね」

 

「モノリス・コードですらそうだったのに」

 

同じく成績は優秀だが戦闘は得意でないほのかも同様の感想のようだ。

 

「でも本当に危ないのは、シールド・ダウンよりスティープルチェースの方だと思う」

 

「ええ、お兄様もそう仰っていたわ」

 

そこへ雫が口を挿み、深雪がその言葉に頷いた。

 

「道のない森の中じゃ、ただ移動するだけでも慣れてなきゃ危ないからな。物理的な障碍物に加えて魔法による妨害とくりゃ、怪我人が出なかったら不思議ってもんだぜ」

 

「山駆けは道があっても経験豊富な先導者が必要だ。不慣れな森の中でスピードを競うなんて無謀すぎる」

 

レオと吉田もそれぞれの経験から否定的な意見を口にする。けれど、それは治夏にとっては看過できない発言だった。

 

「なぜ吉田は否定的なのだ。このような競技は古式にとっては望むべきものだろう。お前が一科生として皆を引っ張ればいいだけの話だ」

 

「古式の魔法師でも初めての森は危険だ」

 

「そうか? 使い魔を十体程度前方に放射状に飛ばして、合わせてピンを百発も打てば地形も障碍物も簡単に感知できるだろう?」

 

「なあ、ピンって何だ?」

 

聞いてきたのは古式には疎いレオだった。

 

「意味としては、そのままだね。もっとも宮芝のピンは音波の代わりに精霊を飛ばすというものだがね。それにより対精霊用の欺罔を施していない全てのものを検知できる」

 

「それだけ高性能な探知手段があるなら、和泉が自信満々だった理由が分かるな。いっそのこと選手として出場したらどうだ?」

 

「シールド・ダウンなら相手によっては勝てるかもしれないが、それでいいのか?」

 

今日はずっと中条と人選で頭を悩ませた達也の提案に、治夏は笑顔で答える。

 

「やはり、やめておいた方がよさそうだな」

 

「おや、それは残念だ」

 

本来のシールド・ダウンは盾を使った格闘戦で、相手の盾を破壊するか奪う、または相手選手を場外に落とせば勝利となる。競技の性質上、相手への魔法自体が禁止されているわけではないため、治夏の場合は幻影魔法と隠蔽した精神干渉魔法で相手を場外に導く戦い方となるだろう。しかし、それは達也には許容できないことのようだ。

 

達也もルールの隙をつくのは得意だ。けれど、それは競技の内容自体にまでは影響を及ぼさない範囲に留まる。一方、治夏の場合は競技性が消滅しようと、次回は禁止されるような方法であろうと構わず用いる。加えるなら、ルール違反であろうともばれずに済ませられるならば遠慮なく使う。それを達也は嫌ったのだ。

 

ちなみに、ルールの逸脱を嫌うのは、おそらく達也が潔癖だからではない。単に変な形で目立つのを嫌っているだけだろう。そのあたりが、できるだけ目立ちたい治夏と達也の大きな違いだ。

 

「達也、今回加わった種目って、やけに軍事色が強い気がすんだけど?」

 

レオの問い掛けは、治夏も語ったことだった。

 

「おそらく横浜事変の影響だろう。去年のあの一件で国防関係者が改めて魔法の軍事的有用性を認識し、その方面の教育を充実させようとしているんじゃないか」

 

「反魔法主義マスコミがアジっているとおりになってるね」

 

エリカが人の悪い笑みを浮かべて茶々を入れる。

 

「ああ、時期が悪いとしか言いようが無い。何故こんな分かり易い変更を行ったのか……。現下の国際情勢下で焦る必要は無いと思うんだがな」

 

時期が悪いというのは、達也の言う通りだ。治夏が反魔法師報道に手を打ってから二か月ほどしか経っていない。あるいは、何か裏があるのかもしれない。

 

達也たちが話を続ける中、治夏は大会運営委員回りを調べてみることを決意していた。




ひっそりと七宝、力士になる。


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スティープルチェース編 九島家の訪問者

九島烈は国防軍退役少将の肩書きを持つ日本魔法界の長老である。しかし、烈は現在の九島家の当主ではない。九島家の当主は現在、烈の長男である。

 

その九島家当主、九島真言は九島、九鬼、九頭見という九の字を冠する家の共同出資による民間研究所で、ある研究を行っている。民間研究所とはいっても、それは現代魔法に古式魔法を組み込むことを目的に設立された国立の第九研究所を基にしたもの。ゆえに、これまでは第九研の流れを組み作用系の魔法に比べて発展が遅れている知覚系の魔法の研究を主としてきた。しかし、現在の研究の主たるテーマはそれから外れている。

 

現在、九島が開発しているのは女性型のロボットであるガイノイドに、一月の事件の際に捕縛して培養したパラサイトを定着させた兵器の開発である。パラサイトドールと名付けられた試作体は、すでに十六体が製造済だ。

 

培養したパラサイトは忠誠術式を組み込まれており、大きな危険はない。その新兵器であるパラサイトドールの実戦テストの場として選ばれたのが、九校戦において新設された競技であるスティープルチェース・クロスカントリーだった。

 

生徒から反撃を受けても傷つかず、忠誠術式の効果で身の危険を感じても過剰な攻撃を行うことはない。競技の障碍物として、これ以上の適役はない。問題があるとすれば、高校生の競技会を新兵器のテストの場とすることへの世間の反応だが、罵りを受けることくらいは覚悟の上だ。けれど、今の真言は問題ないと笑えない事態に直面していた。

 

「やあ、九島の子倅よ、面白いことをしているな」

 

今現在も最巧の魔法師と称される真言の父である烈を男の肩に担がせて、水色桔梗紋の陣羽織の少女が愉しそうに笑う。烈を肩に担いだ男の名は関本勲。パラサイトの宿主とされた哀れな元第一高校の生徒だと真言は部下の報告で聞いている。

 

少女の周囲には関本と全く同じ顔の男が六人いる。男たちは機械にパラサイトを定着させたアンドロイド兵。いわやパラサイトドールの原形とも呼べる存在だ。パラサイト本体を定着させた彼らと、培養したパラサイトを定着させたにすぎないパラサイトドールの戦闘力の差は雲泥のもの。しかし、パラサイト本体など簡単に手に入らないので仕方がない。そんな苦心の末の研究を、少女は愉しそうに眺めている。

 

「面白いな、これがあれば更に数を増やせるというわけだな」

 

培養したパラサイトと違い、自らの意思を持つパラサイトであれば、定着させた機体が撃破されても、パラサイト自身に帰還させて再出撃も可能と聞く。ある意味では不死身の兵を手にしておいて、更に戦力を望むのか。

 

そう思っても今の真言は父の烈を人質とされているも同然。何も言えるわけがない。

 

「楽しい祭りに招待をしてくれなかった罰だ。これを二体ほど貰ってもよいか?」

 

「否と言えば強奪されるおつもりでしょう。ご勝手に」

 

関本たち七人でも厳しいと思われるのに、少女は戦闘員と思しき者を八名、研究員と思しき者を十四名も連れている。断るなら真言も烈も始末することさえ厭わぬ。それだけの姿勢を少女からは感じた。

 

「賢明な判断だな。では皆、搬出の用意をせよ」

 

「本体は見逃してくれるのでしょうか?」

 

「それくらいの配慮はする。搬出するのは人形だよ」

 

少女の言葉通り、研究員たちが運び出そうとしているのはパラサイトドールの方だ。培養したパラサイトたちは九島の忠誠術式によってガイノイドの中で休眠状態にあるのだが、九島の術式など、どうとでもできると思っているのだろう。

 

「さて、九島の子倅。続けての要求を伝える」

 

「まだ何かございましたか」

 

「次はたいしたことではない。九島の家に今晩、来客がある。その来客の手土産は我らに渡してもらいたい」

 

「分かりました」

 

元より計算に入っていない手土産くらいなら、その来客が九島にとって、よほど損な条件を出してこない限り、差し出してもさほど問題はない。その計算の元に真言は了承する。

 

「ならば、今回のことは他の十師族には内密にしておいてやろう。では九島の子倅、手土産の供出を楽しみにしているぞ」

 

そう言って少女は研究員と七人の関本を置いて去っていく。そして搬出作業終了と撤収を待って真言は本家に帰宅した。

 

烈が招待を受けていた大阪の料亭に向かい、真言がデスクの前に腰を落ち着けた午後六時過ぎ、守衛から来客を告げる内線電話が掛かってきた。

 

「何者だ?」

 

来客があることは事前に知らされていたため、真言が尋ねたのは相手についてだけだ。

 

『横浜中華街の周公瑾と名乗っております。用件は旦那様に直接申し上げたいとのことですが、如何致しましょうか』

 

「すぐに行く。応接室に通しなさい」

 

周は旧第九研を出自とする「九」の家にとっては無視できない名前だ。そうでなくとも、少女が言っていた来客の手土産というのは、間違いなく彼がもたらすもの。断るということは考えられない。

 

そうして入室した応接室で横浜華僑の姿を見て、真言が最初に抱いた感情は嫉妬だった。真言の目から見て、周公瑾はそれ程に若く颯爽としていた。その涼やかで秀麗な容貌は真言のような老人に持ちえない活力に輝いている。

 

「ようこそ。九島家当主、九島真言です」

 

「周公瑾と申します。周とお呼びください」

 

「ご高名はかねがねうかがっております。周さんは、このあたりでは有名人ですかね」

 

「ご存知いただいているとは恐縮です。本日は、大亜連合の圧政を逃れてきた同胞の身の振り方について、九島様ならば便宜を図ってくださるのではないかと思い、お願いに参上しました次第です」

 

周は大亜連合からの亡命を望む人々に様々な便宜を図っていると言われている。主な活動内容は日本にたどり着いた亡命者に最終的な受け入れ先を斡旋しそこまでの渡航手段を費用込みで提供すること、そして、亡命後の政治活動の資金的援助を行うこと。ただ、その一方で大亜連合の対日工作に協力しているとも言われている。要するに食えない相手だということだ。

 

「実は来週、大陸より三人の方術士を受け入れる予定なのですが、いささか手違いがありまして……落ち着く先がまだ決まっていないのです」

 

その言葉で、少女が言っていた手土産が、方術士三人のことだと分かった。取引に応じる意思を示した真言に対して周が決定的な言葉を発した。

 

「道士の先生方を食客としてお迎えいただけませんか」

 

その一言で、三人の方術士の行く末が決定した。三人とも情報を絞り尽くされた後で捨てられるのが運命だ。

 

「しかし、伝統派の方々とのお付き合いはよろしいのですか?」

 

伝統派とは京都を中心とする地方の古式魔法師が宗派を超えて手を結んだ魔法結社の名前だ。伝統派の目的は現代魔法に対して古式魔法の独自性を守ること。アイデンティティの堅持と言い換えても良いだろう。言うまでも無くそれは、第九研を対立勢力と想定したもの。そして、これが周公瑾の名が「九」の数字付きにとって無視できない理由に繋がる。

 

周が亡命を手引きした大陸の古式魔法師の内、日本在住を望む者は伝統派に属する諸家に寄留するのが通例だった。周は自分たちの潜在的な敵対勢力を増強する人物として「九」の各家に知られていたのだ。

 

「私のなすべきことはあくまで圧政を逃れてきた同胞に安住の地を提供することです。伝統派の皆様には確かにこれまでご協力いただいてきた義理があります。しかしそれは、本来の目的と天秤に掛けられるものではありません」

 

「分かりました。魔法師に人間らしい暮らしをもたらすことも我々十師族の理念です。祖国を捨ててまで自由を求めた魔法師に手を差し伸べるのは十師族にとって当然の義務とも申せます。ただ、無責任に承れるお話でもありませんので、この場ですぐにご回答申し上げられないことはご理解ください」

 

真言の中では受け入れは決定事項だ。けれど、初対面の相手からの提案に即答で頷くのは九島家の当主としてできなかっただけだ。

 

「こちらに道士先生方のプロフィールをご用意しました。良い返事を期待しております」

 

「前向きに検討させていただきます。週明けにはお返事できるでしょう」

 

「それはありがたい。では月曜日にお邪魔してもよろしいですか?」

 

「午後四時でしたら」

 

「では、そのお時間に。本日はありがとうございました」

 

周はその容姿に相応しく、優雅に一礼して退出する。その後ろ姿を見送り、真言はソファに深く身を埋めた。

 

元より周とは利用し、利用される関係以外はありえない。しかし、受け入れを約束した亡命者がその日の内には脳を摘出されると知って他に流すとなれば、多少なりとも罪悪感は湧くというものだ。

 

「しかし、周の来訪も、その話の内容すら知っているとは。先代より聞きしに勝るな」

 

真言の言葉は誰もいない応接室の中に響いただけだった。



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スティープルチェース編 四葉家との繋がり

西暦二〇九六年の九校戦は、八月三日が前夜祭パーティ、五日に開会、十五日に閉会というスケジュールになっている。競技日程だけで去年より一日多い十一日間だ。

 

ただ日数は変わっても開催場所は変わらない。一高の選手団は例年通り、前夜祭パーティ当日午前八時半に学校集合で、そこから大型バスとエンジニア用の作業者に分乗して会場に隣接するホテルに向かう段取りとなっている。

 

その一行より早く宮芝和泉守治夏は会場に入って準備を行っていた。九島に交渉して今回の九校戦、宮芝はスティープルチェース・クロスカントリーに監修として参加することになっていた。

 

障碍物の種類が分かれば罠もおおよその特定が可能。そのため、選手が入る前に障碍物などの搬入を終えるためだった。

 

「さて、私はそろそろパーティ会場に向かうとしよう」

 

「行ってらっしゃいませ、和泉守様」

 

杉内瑞希に見送られ、治夏は開幕して間がないパーティ会場に入る。今年は九島に悪戯する必要もないため、気楽なものだ。

 

会場には八枚ギアのエンブレムの付いた制服を着た兄を見て微笑むブラコン美少女や、同じように制服を褒める美少女たち、その周囲でハーレム状態を不快気に見る見知らぬ男子生徒もいる。その様は治夏をして、目立ち過ぎた、と苦言を呈したくなるものだった。

 

だが、その悪目立ちが奏功したか面白い二人が近づいてきた。三高に通う十師族、一条将輝とその参謀格の吉祥寺だ。

 

「今年の九校戦、何か変じゃないか?」

 

その一条が、達也と会話を始めて少しして、唐突に切り出す。

 

「そんなにおかしいか? 俺は去年の九校戦しか知らんから良く分からないが」

 

「競技種目の変更は、まだ理解できる」

 

「九校戦の運営要領も、種目変更があることを前提にしたものですからね」

 

一条だけでなく吉祥寺も、話題に参加する意思のようだ。

 

「少々戦闘的な面に偏った構成のようにも見えるが、昨今の情勢を考えればむしろ妥当なものだと俺は思う」

 

「ですが、最後の競技、スティープルチェース・クロスカントリーだけは違います」

 

吉祥寺の断言は、治夏に議論への参戦を決意させるに十分なものだった。治夏は面倒な展開に大きく息を吐いて隠蔽術式を身に纏う。その間も吉祥寺は話を続ける。

 

「元々あれは陸軍が森林戦の訓練として行うもので、競技名がついているのも不思議なくらいです。公開されている情報も少なく。大雑把なことしか分かりませんでしたが……長さ四キロというのは現役の部隊でも滅多にやらない、大規模演習用のメニューであるようですね」

 

「それを魔法師とはいえ高校生の競技会で、しかも疲労の残る最終日に行うなんてリスクが高すぎる」

 

「そんな競技が許容され実施される今回の九校戦自体も、僕たち魔法科高生に魔法技能を競わせる以外の、別の意図に侵食されている気がします」

 

「そこまでにした方がいいよ、吉十郎くん」

 

治夏がそう言いながら隠蔽術式を解くと、気づいていた達也を除いて驚いた顔をした。

 

「和泉、彼の名前は吉祥寺真紅郎だ。吉十郎じゃない」

 

「おや、そうかい。それは失礼。しかし、新九郎、ここが九校戦のパーティ会場だということを忘れているのではないかい」

 

そう指摘すると、吉祥寺は慌てた様子で左右を見回し始めた。

 

「和泉、俺としては一条と吉祥寺の言葉が一条家として調べた結果か否かが気になる」

 

「んっ? いや、そこまでは……その必要があると思うか?」

 

「いや、その必要はないよ」

 

「和泉、それは宮芝としての言葉か?」

 

「愚問だね」

 

それだけで達也には、この件について深入りするなというメッセージが伝わったはず。

 

「それは調査を宮芝が請け負うという意味ではないんだな」

 

「そういうことだね」

 

そして、続くこの言葉で、今回のスティープルチェース・クロスカントリーは実施したとしても問題がない内容に留めるという考えも伝わったはず。

 

「そうか。そういうことなら、ひとまず様子を見させてもらおう」

 

達也の興味は深雪が参加するスティープルチェース・クロスカントリーの安全度であるはず。その安全を保障すると、達也は引き下がる姿勢を見せた。

 

良かった。ひとまず、その程度の信頼は持ってもらえているらしい。

 

そのとき話が一段落したと見たのか深雪が達也の所へ小走りに駆け寄ってきた。

 

「お兄様、少しよろしいですか。四高の一年生がお兄様にご挨拶したいと」

 

「俺に? ああ、分かった」

 

四高は魔法科九校の中でも、実験室で扱われるような魔法の技巧と魔法工学に傾斜している。去年の大会で技術者として高度な技術を見せた達也に、四高の新入生が憧れを示しても不思議はない、はず。しかし、なぜか気になる。だから、治夏はそのまま達也と別れずに一緒に四高の生徒の元に向かおうとした。

 

「和泉も来るのか?」

 

「ああ、何か拙いかい」

 

「大いに拙い。和泉は絶対に相手に尊大に振舞うだろう?」

 

「分かったよ。今回は黙っている」

 

「絶対だぞ」

 

達也に追い返されなかったので、治夏は予定通り達也と四高の生徒の元に向かう。まあ、追い返されても少し後からついていったが。

 

「黒羽文弥です。初めまして、司波先輩」

 

「初めまして、黒羽亜夜子と申します。文弥とは双子の姉、弟の関係になります。よろしくお願い致します、司波先輩」

 

「黒羽……なるほど、達也。君は、そういうことだったのか」

 

「何がだ?」

 

「ここで言っては拙いだろう、向こうで話をしないか?」

 

そう言って誘うと、二人に謝ってから達也は治夏の後をついてきた。

 

「達也、君は十師族の四葉家の関係者だったのだな」

 

「どうして急に?」

 

「黒羽家は四葉一族の中でも有力な分家だ。その存在は我々も掴んではいたが、今年の春頃からは、なぜか噂としても流れ始めた」

 

「黒羽という苗字は珍しいものだが、他に全く無いというものでもないぞ?」

 

達也が姑息な誘導を使ってくる時点で、すでに追い込まれていると白状しているようなものだ。

 

「達也、他ならいざ知らず、宮芝をそんな言葉で誤魔化せると思うのか? それにね、君たちが初対面でないことを私が読み取れないと思うかい? もしも黒羽が四葉と関係がないとしたら、なぜそのような偽装工作を働いた?」

 

「なぜ、俺たちが初対面ではないと思った?」

 

「視線と緊張感だね。君の妹が絶世の美少女でなければ、或いは誤魔化せたかもしれないが、君の妹を前にして、と考えると、あの二人は少しばかり不自然だった」

 

もはや言い逃れは不可能と考えたのか、そこで達也の視線が変わった。

 

「それで、和泉は知ったことをどうするつもりだ?」

 

「別にどうもしないよ。四葉という虎の上ではしゃぐほど、宮芝は馬鹿ではないよ」

 

「ならばいい」

 

それだけ言うと、達也はパーティ会場へと戻っていく。その姿が見えなくなると、治夏はその場に座り込んだ。

 

「……怖かった。何もあんな危険な目をしなくてもいいじゃない」

 

治夏とて達也が絶対に四葉の関係者だとまで確信を持ちきれたわけではなかった。ただ七割がたそうだとうと思っていたので、根拠のある否定の動作がなければ治夏の中では決定事項になっただろう。そのくらいには確信を持って揺さぶりをかけたわけだが、あんな今にも殺しにかかってきそうな目で睨まなくてもいいではないか。

 

「はあ、これは宮芝だけでの極秘情報にした方がよさそうだね」

 

あんな怖い相手と交渉なんてやりたくない。まあ、達也にはあまり近づくべきではないという情報を得られたことで、今回はよしとすべきだろう。

 

とりあえずパーティ会場に戻る気分ではなくなった。治夏は予定を切り上げ、ホテルの部屋へと歩み始めた。




治夏は吉祥寺のことは、本当に覚えていません。
ちなみに新九郎は響きから治夏が変換した結果なので誤字にあらず。


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スティープルチェース編 九校戦の裏に潜む者

九校戦も中盤に差し掛かり、司波達也は翌日に出場する選手のCADの最終調整を行っていた。一条将輝が作業車を訪ねてきたのは、その作業も終わりに差し掛かる頃だった。

 

「こんな時間にすまん。今、ちょっといいか?」

 

「俺たちにとってはそれ程遅くもないし、少しくらいなら構わない」

 

達也はそう言って将輝と共に作業車の明かりの届かない所へ移動する。

 

「それで? お前が俺の所に来る用事は、スティープルチェースの件しか思いつかないが」

 

「ああ、そのとおりだ。どうも、思っていたより焦臭いぞ」

 

「結局、調べたんだな」

 

「ああ、一応はな」

 

達也は和泉のことを一定の範囲では信頼している。けれど、将輝にとっては全く知らない相手だ。簡単に信用はできなくとも無理はない。

 

「それで、何が分かった?」

 

「まだ分かったと言えるほどじゃない。ただ、国防軍の強硬派が噛んでいるようだ」

 

「強硬派?」

 

「ああ、すまん。国防軍内の対大亜連合強硬派のことだ」

 

「それが九校戦の裏で暗躍していると?」

 

単純に考えれば納得し易い図式だ。戦争による勝利を望む勢力が、手っ取り早く戦力を拡充する為に軍事適性の高い魔法師を選別する。

 

この図式ならば宮芝家が加担するのも一応は理解できる。しかし、宮芝家が望むのはあくまで国家の安寧。被害の大きくなる敵国での戦闘まで望んでいるとは思えない。もっとも、戦力は多ければ多いほどよいと考えているとすれば、実に和泉らしい。そうであれば、少なくとも短期的には利害が一致する。

 

しかし、九島家、否、九島烈と強硬派は、結び付けて考えるのが難しい組合せだった。九島烈は魔法師を兵器として使用することを嫌っていると達也は考えていた。あくまで伝聞だが信頼性は高い。藤林から聞いただけなら身内を贔屓しているとも考えらえるが、十師族体制に対して否定的な国防軍の風間も同じことを言っていたからだ。

 

国防軍強硬派、宮芝家、九島烈、この三者は、類似点はあるとはいえ、最終目的を同じくすることはない。それはお互いに理解しているはず。それなのに、どうやって結びついて、そのまま行動を続けているのか。そこまで考えて、達也は今回のスティープルチェースで投入されると思われるパラサイドールという兵器の実用化は、三者の目的と矛盾しないことに気が付いた。

 

パラサイドールというのはパラサイトを使った自立兵器のはず。それにより、強硬派は戦争に必要な兵力を、宮芝は国家の安全に必要な戦力を、九島は魔法師の兵器化の必要性の低下という結果を得ることができる。三者の利害は一致した。

 

問題は、今回のパラサイドールのテストが、どの程度までを想定されているのかだ。それにより競技者の、ひいては深雪の危険度が変わってくる。

 

和泉は達也に調査の必要はないと言った。そして、その言葉を達也と深雪が四葉の関係者と知ってからも撤回しなかった。つまり、危険性はないと考えているということだ。

 

達也は別のルートからパラサイドールに暴走させる術式が仕込まれている可能性を示唆されていたが、そちらは気にする必要はないだろう。こと古式の術式に関して、宮芝が遅れをとるとは考えにくい。ならば、今回は静観していればいいのだろうか。

 

「酒井大佐は、俺たち魔法科高生が防衛大を経由せず直接国防軍に志願することを望んでいるようだ」

 

達也が考えている間に、将輝は自分の調べたことの披露を続けていた。

 

「……良く、酒井大佐の名前まで分かったな」

 

「酒井大佐は、親父の昔の知り合いなんだ……」

 

「一条、まさかとは思うが」

 

「それは違うぞ! 司波、誤解するな!」

 

あえて思わせぶりに水を向けてみれば、予想通り将輝は狼狽を露わに否定する。達也としても、否定してくれて一安心というところだ。ただでさえ複雑なところに、更に十師族の一条まで追加されれば、思惑の違いが思わぬところで顕在化して誰も予想しない方向に事態が転びかねない。

 

「知り合いだったのは昔のことで、昨日親父と話した時も『反乱なんてバカな真似をしなければ良いが』と悩んではいたが『最早他人だからどうしようも無い』と仕切りと頭を振っていたくらいだ」

 

「反乱?」

 

思いもよらぬ言葉に、達也は思わず聞き返す。

 

「いや、酒井大佐のグループに反乱の疑いがあるとかそういうことじゃない。俺自身が詳しく知っているわけじゃないが、『そのうち反乱でも起こすんじゃないか』と噂されている程度だ」

 

「根拠は無いということか」

 

「あ、ああ」

 

「だが噂にはなっている?」

 

「そうらしい」

 

そう言われて、達也は考え込む。宮芝が裏切り者に厳しいのは達也も知っている。では、反乱は裏切りに値するのか。

 

四葉家からの情報によると、これまで宮芝家は国内の権力争いと一線を画してきた。だからこそ、宮芝は六百年以上の長きに渡り、国を守るという役割を担い続けることができた。そこから考えると、反乱を企図していると噂があるような相手に肩入れするような真似をするとは考えにくい。

 

一方で宮芝は、これまでも国にとって不利益になると考えれば、相手を抹殺するような行動が見られた。では、酒井大佐は、国に不利益をもたらす者か。

 

達也の感覚からすれば、大亜連合への宣戦布告は日本にとって不利益が大きい。ただでさえ日本の純粋な戦力は大国には及ばない。大亜連合の力が落ちている今を好機に戦争を仕掛けて勝利したとして、結果的に大国との差が開いてしまえば、肝心の国防を果たすことが難しくなる可能性が高い。

 

あるいは宮芝が酒井大佐のグループを排除する方針をもっていたとすればどうか。その場合に宮芝が考えるのは新兵器の開発と魔法師たちの育成。それは、スティープルチェースへのパラサイドール投入に反しない。

 

「大佐のグループも反乱など企んではいまい。何か企んでいるとすれば、若い魔法師を大勢集めて自分の派閥へ取り込み、大亜連合に攻め込もうと考えるくらいだろう」

 

「それだけで十分穏やかならざる話だが……礼を言う。参考になった」

 

そのような過激な行動は宮芝が好む内容ではない。宮芝が強硬派を切るつもりだという達也の考えは間違いなかろう。

 

「べ、別に、お前の為に調べたのではないから礼には及ばん。とにかくそういう訳だから競技中に手を出してくるということは無いだろう。手を出してくるのは大会が終わってからだろうな。閉会パーティか、個別に接触してくるのか……詳しいことが分かったら連絡する」

 

「助かる」

 

達也は必要以上にせかせかと立ち去る将輝を短い謝辞で見送った。達也は将輝の推測が間違っている可能性が高いことを知っていたが、宮芝とパラサイドールの件に巻き込むつもりはない。

 

少なくとも宮芝が動いている以上は、今後の話は和泉と個別に詰めていけばいいことだ。宮芝は国にとっての不利益となることは絶対に容認しない。あとは国にとっては利益となるが、個人にとっては不利益というケースに対して、達也とその身内が不利益を受ける側に回らなければ、それでいい。

 

「警戒すべきは大きな挫折を味合わせて、その隙をついて宮芝に取り込むということを抑えさせることくらいか」

 

それは、宮芝が魔法科高生を取り込むために何度も用いてきた手法だ。それによる宮芝の強化は、短期的な不利益ではないが、長期的に見れば好ましくない。

 

宮芝は国にとっての味方であり、四葉と達也の味方ではない。袂を分かつことも、ないとはいいきれない。そんな宮芝があまりに強大になりすぎるのは好ましくない。

 

とはいえ、それらは今すぐに対応に取り掛かれる案件ではない。今晩のところは宮芝のこともパラサイドールのことも取りあえず頭から追い出して、深雪や友人たちとのお茶会でリラックスしよう。

 

達也は自分に対して、そう命じた。




百話記念、というにはなんて事のない内容。
せめて、あと一話後であれば……。


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スティープルチェース編 将輝の戦い

八月十五日、九校戦十一日目。一条将輝はスティープルチェース・クロスカントリーの準備運動を入念に行っていた。

 

午前九時半から行われた女子のレースでは障碍物は一般的なものの範囲に留まっており、懸念された事故もおきなかった。ただし、レース結果においては第一高校の司波深雪に一位、千代田花音に二位を奪われたのみならず、五位と六位まで許してしまった。第三高校は三位を確保できたものの、スティープルチェースだけで七十点差をつけられるという大惨敗を喫した。

 

もはや第三高校の優勝は不可能。けれど、このままやられっぱなしというのは、我慢がならない。せめて一矢報いてみせる。

 

『男子スティープルチェース出場選手はスタート位置に集合してください』

 

アナウンスが流れ、将輝はスタート位置に向かった。そこには、すでに吉祥寺真紅郎を始めとした第三高校の生徒が集まっていた。

 

「ジョージ、このまま終わると思うか?」

 

「女子のレースが終わった後、何やら運営委員が動いていた気がする。男子のレースは女子のものより苛酷になるのかもしれないね」

 

「ありえそうだな」

 

ここは悲観的に、男子は女子よりも過酷になると考えた方がよさそうだ。話しているうちに他の八校の選手も集まってくる。九校各十二名、計百八名の選手がスタートラインに勢揃いする。そして、その後方には各校二名の水色の服を着た魔法師たちがいる。

 

『皆さんと並走する魔法師は大会運営委員が委託した、皆さんの安全を守るための魔法師です。攻撃は学校ごと失格となるのでご注意ください』

 

「なるほど、一応は選手の安全に配慮しているということか」

 

「そう単純なものではないかもしれないけどね」

 

将輝の感想に、吉祥寺から返ってきたのは否定的な言葉だった。

 

「どういうことだ?」

 

「近くで指示を出せば、より的確な妨害が可能になるだろう?」

 

「そういうことか」

 

「とはいえ、将輝が言うように選手の保護も兼ねているはずだから、悪いことばかりではないけどね」

 

どちらにせよ、妨害を排除しながら前に進むしかないということだ。だったら、完走できなそうな状態になった同級生たちを気にせず進めるようになったと考えよう。

 

午後二時、スタートライン上、百メートルごとに設けられた高さ二メートルの足場の上で、四十一のピストルがスティープルチェース・クロスカントリーの開始を告げた。

 

スティープルチェース・クロスカントリーのルールは大まかに言って三つある。一つは他の選手を妨害しないこと。故意の妨害は失格となる。視界は悪いが、運営委員から委託されたのは森林戦に長けた魔法師たちだろう。発覚の可能性は高い。

 

逆に言うと、他校からの妨害もあまり考えなくていいということだ。他校と泥沼の戦いに突入して、その間に漁夫の利を攫われるのは避けたいので、これは正直、ありがたい。

 

ルールの二つ目は四キロメートル四方のコースから逸脱しないこと。各選手は富士演習場独自の測位システムに連動した発信機を持たされており、誰が何処を走っているか、一人一人を大会本部で確認できる。

 

そして三つ目は木の高さより上に飛び上がらないこと。そもそも樹上を飛んでは障碍物競走にならない。

 

そのため将輝を先頭にした第三高校の生徒は一丸となって木々の間を駆け抜けていた。小刻みに跳躍の魔法を使って木の根を飛び越え、落とし穴を避け、泥沼の上を飛び越えて、更にそれを見越して空中に張られていた網を切り裂いた。

 

そうして前に進む一団の前に一体の機械兵が姿を現した。その身体は森林迷彩の野戦服に包まれており、その姿を隠すように大型の盾を持っている。

 

「これは……女性型機械兵の改良型か?」

 

「ジョージ、それは何だ?」

 

「歩兵を代替する戦闘機械として設計されたヒューマノイド型ロボットだよ。装備を歩兵と共用できるという触れ込みで、危険度の高い地域における警戒任務などの目的で研究が進められていたけど、わざわざ人型にするより素直に非ヒューマノイド型の自立走行自動銃座を配備した方が費用対効果が高いという結論になり開発がストップしたと聞いている。これは、それを男性型として改良したモデルみたいだね」

 

機械兵が攻撃態勢に入る。相手が機械兵なら、手加減する必要はない。

 

将輝の操る一条の秘術「爆裂」は対象物の内部の液体を瞬時に気化させる魔法だ。人体に行使した場合、血漿が気化し、その圧力で筋肉と皮膚が弾け飛び、血液内の固形成分である赤血球が真紅と深紅の花を咲かせることになる。将輝の異名である「クリムゾン」はそのときの光景に由来するものだ。

 

爆裂は対象が機械であろうと、その効力は衰えない。内部に液体が存在する限り、爆裂から逃れることはできない。

 

けれど、その機械兵には爆裂を発動させられなかった。機械兵の内部には燃料や潤滑油を含めて一切の液体が存在しなかったのだ。それにも関わらず、機械兵は高速で将輝へと突進をしてくる。

 

「将輝!」

 

爆裂が発動できないという予想外の事態に、将輝の対応は僅かに遅れた。相手は突進力に任せたシールドバッシュを狙っているようだ。それを見た吉祥寺が自身の開発した魔法であるインビジブル・ブリットで援護しようとしていた。

 

しかし、インビジブル・ブリットには対象を視認しなければならないという弱点がある。この機械兵は大盾に身体を隠している。インビジブル・ブリットには厚めの盾を貫通させるほどの威力はない。

 

「一条!」

 

金属の塊の衝突を覚悟した将輝だったが、次の瞬間、その身体は横に転がっていた。後ろにいた三年生が魔法で将輝を突き飛ばしたらしい。

 

「悪い、手荒になった」

 

「いえ、あの敵を魔法で止められたか分かりません。正しい判断だったと思います」

 

しかし、何の動力も搭載せずに、あの機械兵はどうやってあれだけの高機動性を獲得しているというのだろうか。それに、まるで吉祥寺の魔法を封じるかのような大盾。

 

「どうやら、僕たち対三高仕様のカスタム機のようだね」

 

「厄介なことを……」

 

呟いた将輝たちが見つめる先で、機械兵は八本の短刀を空中に投じていた。八本の短刀は空中で一瞬だけ停止した後、将輝たちに向けて飛来してきた。

 

「全員、俺の後ろへ入れ!」

 

将輝は対物障壁を展開して短刀を受け止めた。爆裂を封じられたとはいえ、将輝は十師族。通常魔法でも他を抜きん出ている。

 

「これは、念動力か?」

 

そのとき、しばし戦況を見ていた吉祥寺が呟いた。

 

「機械が超能力を使っているっていうのか?」

 

「そうとしか考えられない」

 

「……分かった、そういうものとして考えよう」

 

機械が超能力を使っている原理は分からない。けれど、使えると仮定すれば、何の燃料も用いずに高機動性を実現できた理由も分かる。自らに超能力を用いればいいのだ。そして、機械でなく超能力を使えて爆裂が通用しない人間だと考えれば、少し厳しくとも対処法はある。何せ、こちらは十二人もいるのだ。撃ち合いになれば負けない。

 

「高崎さん、砂永さん、牽制攻撃をお願いします」

 

「分かった」

 

二人が威力は低いが手数の多い魔法で、機械兵の行動を縛る。

 

「ジョージ、右から敵を狙ってくれ!」

 

起動式の構築を急ぎながら、将輝は吉祥寺に言いつつ敵の左に向かって走る。超能力による攻撃は発動が分かりづらい。だから、いざとなれば防御魔法を発動できるように攻撃は発動時間が短いものがよいだろう。

 

いつでも対物障壁を展開できるように注意しながら、圧縮空気弾による牽制を行う。相手は知性も高いようで、将輝の動きに合わせて後退をし、盾以外の場所を露出しない。これを仕留めるのは時間を食われそうだ。

 

「ここは俺とジョージが受け持つ! 他の皆は先に進んでくれ!」

 

敵は明らかに遅滞戦闘を心掛けている。必要以上に人数がいても、連携攻撃の訓練を積んでいない将輝たちでは有効な攻撃はできない。

 

「分かった、頼む」

 

戦闘中の将輝と吉祥寺を迂回して他の十人の選手たちが奥へと駆け抜けていく。敵の機械兵がその背に向けて、またしても短刀を投擲してきたが、それは吉祥寺と二人がかりで叩き落した。

 

「さて、どうする、ジョージ」

 

「超能力で動いている機械となれば、動力部の破壊でも止まらないだろうね」

 

「となると、なんとか撒くしかないか」

 

先程から、何発か攻撃は命中している。しかし、魔法の効きが妙に悪いのだ。

 

なまじ使い勝手がよいこともあり、爆裂とそれ以外の魔法では、将輝の技能は歴然とした差がある。他の魔法では、この敵を完全に破壊するのは難しい。そもそも頭部を破壊しても、胴体を破壊しても止まるとは限らないのだ。

 

とはいえ、完全に破壊する必要はない。この機械兵が追ってくることができなくなれば、それでよいのだ。

 

ひとまず敵の攻撃は、突進にさえ気を付ければ対物障壁で防げる。将輝は相手のバランスを崩すために破城槌の魔法をぶつける。さすがに衝撃が大きかったか、盾で受けた機械兵がたたらを踏んだ。

 

すかさず跳躍で飛び上がった将輝は、今度は上から破城槌を叩きつけた。受けるために敵機械兵が盾を頭上にかざす。

 

「今だ、ジョージ!」

 

その隙を逃さず、空いた胴体に吉祥寺がインビジブル・ブリットを放つ。さすがに無傷ではいられなかったようで、機械兵が身体を折り曲げるようにして吹き飛んだ。

 

「おまけだ!」

 

そこに更に一発、破城槌を叩きこんでおく。今度の一撃は綺麗に決まり、敵は木々の奥へと消えていった。

 

「今のうちに進むぞ!」

 

敵機械兵は、まだ戦闘能力を喪失していない様子だった。だが、これ以上、あんなものに時間を取られるわけにはいかない。

 

そこからは全力で先に進んだ将輝だったが、時間のロスは思った以上に大きく、将輝の成績は三位という振るわないものになってしまった。




本作、どうにも将輝が活躍してくれません。


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スティープルチェース編 宴の後

九校戦の後夜祭の夜、九島烈は九鬼家、九頭見家の前当主、今なお烈に従う「九」の一族に囲まれて、笑顔で杯を傾けていた。

 

「皆の者、今回もご苦労だった」

 

酒がある程度進んだところで、烈は労いの言葉を紡ぎ始めた。

 

「宮芝により改良されたパラサイトドールの実験は魔法の軍事利用を考えている者には強い印象を残したことだろう」

 

一座から賛同を示す拍手が起こる。

 

「若い魔法師の徴用を企んでいた者たちは、明日にでも失脚する。伝統派を巻き込んでな。そちらも大きな成果だったと言えよう」

 

「明日ではありませんな」

 

しかし、唐突に差し挟まれたその声は、扉の向こうから聞こえた。

 

「誰だ!」

 

末座の者が立ち上がり扉を開ける。

 

「風間君……それに佐伯閣下」

 

佐伯は今年で五十九歳になる女性将官。国防軍内における十師族批判の最右翼として知られている、参謀畑を歩んできた才女だ。

 

「お久しぶりですわね、九島閣下」

 

意外な人物の突然の来訪に、一座の者は声を無くしている。

 

「どうしたのかね、急に。この集まりは私的なものだ。残念ながら、満足におもてなしもできないが」

 

「不意の訪問であることは重々承知しておりますわ。手土産を受け取っていただけましたらすぐに退散致します」

 

「手土産?」

 

佐伯が右手を上げた。それと同時に小柄な少女が部屋に入ってきた。

 

「和泉守様……」

 

「久しぶり、というほどでもないから、挨拶は省略でよいかな、九島よ」

 

久しぶりどころか、和泉守と最後に会ったのは今朝のことだ。

 

「さて、私からの手土産はこれだよ」

 

『……自分は国防陸軍総司令部所属。酒井大佐であります。自分は九島家当主、九島真言殿と談合し、九校戦を舞台に自律魔法兵器の実験を推進しました……』

 

烈を除く一座の全員が、音を立てて立ち上がった。

 

「確か、木霊、でしたか?」

 

「その通りだよ」

 

木霊は録音と再生を行うという、今では機械でいくらでも代用可能な魔法だ。その木霊によって再生された音声は、酒井が九島家と結託して高校生を実験相手に兵器のテストを強行したことの告白であり懺悔だった。

 

「……酒井大佐は君たちの手に落ちたか」

 

「大佐を捕まえたのは私たちだけではありませんけどね」

 

「……よければ教えてくれないかね」

 

「君の弟子だよ」

 

和泉守の言葉に、立ち上がったまま固まっていた者たちが、一斉に息を呑んだ。

 

「やはり四葉は、一族に手を出す者を決して許さないのだな」

 

「しかし、それならば和泉守様も同罪ではありませんか?」

 

「同罪? 勘違いしてもらっては困るな。私が気づいたときには君たちは勝手にこの計画を進めていた。私は単に、計画を遂行されても魔法科高生に被害が出ないよう安全度を高めただけだよ」

 

九鬼家の当主の言葉にも、和泉守は悠然と構えたままだ。確かに宮芝はパラサイトドールにより強固な忠誠術式を施し、トラップの難易度の低下や監視員を付ける等の競技の安全度を高める方向に修正を行っただけ。九校戦の競技内容の決定にも、パラサイトドールの投入の決定にも一切、関わっていない。けれど、魔法科高生を相手にテストすることに反対しなかったのも事実。和泉守の発言は詭弁というものではないだろうか。

 

「閣下は少し思い違いをされているようです」

 

「どういうことだね」

 

「四葉殿は本データを公開するつもりはありません」

 

訝しさに、思わず眉を顰めた。四葉と佐伯の真意が理解できない。

 

「四葉殿の目的は酒井グループ、俗に言う大亜連合強硬派の粛清です」

 

「なるほど、それで君は私たちをどうするつもりかね」

 

「九島閣下、国防軍は魔法師に兵器になることを最早強要しません」

 

「それは和泉守様のお考えとは違うのではありませんか?」

 

「その通りだよ、九島。けれど、私は誰も彼も兵器にしてしまえと言うつもりはない。軍務に就く魔法師を増やすのは必要なことだ。しかし、何事にも適正な範囲というものがあろう。それに、魔法師を兵器として扱うということは、一般の兵と魔法兵の間に意識の差異を産むことになりかねない。我らが最も恐れるのは国防が他人事になってしまうこと。九島、君の歩こうとする道は、我らの目指す道とは異なる」

 

魔法師を兵器とすることは賛成するくせに、魔法師を兵器と他の者が認識することは忌避感を示す。なるほど、この少女は大いに歪んでいる。

 

「私が何よりも許せぬのは、君の馬鹿息子が大亜連合の息のかかった者に乗せられそうになったということだ」

 

「それは和泉守様がそうしろと命じられたからでは?」

 

「私が介入しなければ、其方らは断っていたか?」

 

そう言われてしまうと弱い。あのときの九島は確かに大亜の道士の力を欲していた。真言は危険性を認識しながらも道士を受け入れてしまっただろう。

 

「ともかく魔法師が、自分の意志に反して、戦場に駆り立てられることはありません。お孫さんも」

 

佐伯の考えは分かった。いまひとつ分からないのは和泉守の意図だ。

 

「和泉守様は……私に隠居しろと言いに来られたのですか?」

 

「その通りだ。九島よ。お前は老いた。自分の先の人生の短さに状況を悲観して、短絡的な解決方法を導いてしまうほどにはな」

 

そう言われれば、そうかもしれない。烈は自分の先がそう長くないことを自覚していた。だからこそ、自分のいるうちに孫たちをなんとかしてやりたいと思ってしまった。

 

「和泉守様、いくら何でも無礼では?」

 

「止せ」

 

自分が従っている相手が貶されるということは、自らを貶されるも同じだ。さすがに苦言を呈しようとした九鬼家の前当主を、烈が手振りを伴ってなだめた。

 

「未熟な魔法師で、魔法兵器の実験を行う。どう言い繕っても正しい運用とは言えません」

 

佐伯の横から風間が口を挿む。その声にはマグマのような怒りがこもっている。

 

「風間、それは私にも言っているのか?」

 

機嫌を損ねたように和泉守が言う。

 

「私の考えは、先に言った通りです」

 

対する風間も一歩も引かず、二人の間にひりついた空気が流れる。高校生を魔法兵器の実験に使うこと自体を忌避する風間と、余計な怪我人が出ない範囲でならば許容する和泉守。今回は手を取り合ったようだが、二人の考え方は全く違う。

 

「風間少佐、控えなさい」

 

「ハッ、失礼しました!」

 

今度は佐伯が風間をたしなめる。今回は引いた風間だが、いずれは和泉守とひと悶着があるかもしれない。

 

佐伯は烈の目を正面から見詰めた。

 

「軍の魔法師の権利は、現役の私たちにお任せください。九島閣下がご懸念のような真似はさせません」

 

「それは、この先にどのような戦乱の時代が待ち受けていようとも、かね?」

 

「そのような時代になったとしても、我々は最後まで良識を守ることができるよう、全力を尽くします」

 

「そうか」

 

こうまで断言してくれたのだ。佐伯は自分の考えを実現させる自信があるのだろう。頼もしい後進の言葉に、肩を落としながらも、何処か晴れやかな気持ちで烈は答えた。



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古都内乱編
古都内乱編 姿を消した周公瑾


西暦二〇九六年九月二十九日。宮芝和泉守治夏は司波深雪の生徒会長就任祝いの会場となっている喫茶店、アイネブリーゼにいた。

 

治夏の周囲ではきな臭い話が多い。目下の重要案件は、横浜の周公瑾だ。周は追討に動いた黒羽家の包囲網を突破して脱出後、海路西に向かい、太平洋に逃れようとしたが、阻止された。その後は伊勢に上陸し、北上して琵琶湖大橋と京都三千院で戦闘が確認されたのを最後に足取りは途絶えている。

 

とはいえ、足取りが途絶えたといっても現在地は知れているようなもの。まず間違いなく最後に戦闘が確認された地である京都に潜伏中だろう。

 

京都周辺は伝統派の力が強い所だ。一方の宮芝家は関東に移ってから早二百年以上が経過しており、更には九島家を始めとした「九」の各家との研究でも利益を得た側であることもあって伝統派とは対立関係にある。

 

よって今のところは宮芝もあまり派手には動けないでいる。ともかく次の予定としては十月六日だ。その日は、九島烈と司波達也との面談が行われる予定となっていて、治夏もそれに同席するつもりだ。

 

と、そんなふうに時折、仕事のことを考えながらではあったが、今日のところは高校の関係者との歓談を楽しむつもりだった。それもこれも、捕らえたパラサイトの本体を定着させたパラサイト関本の他に培養したパラサイトを用いた真の量産型関本の開発が進み、宮芝の戦力強化の目途が立ったためだ。

 

「それでは、深雪の生徒会長就任を祝って、乾杯!」

 

エリカの音頭によりソフトドリンクのグラスが高々と掲げられる。今日の参加メンバーは達也、深雪、レオ、美月、吉田、ほのか、雫に桜井水波、七草泉美と香澄の姉妹に治夏という十一名だ。

 

「まっ、順当といえば順当だけどね」

 

「当然です! 深雪先輩以外に一高の生徒会長は考えられません! 当校を代表するに相応しい実力! 才能! 美貌! 立ち居振る舞いの美しさ! この結果はまさに天の思し召しです!」

 

「そ、そうかしら?」

 

七草泉美が深雪に憧れていることは何となく知っていた。しかし、これほどだとは思わなかった。

 

すっかり腰が引けた深雪と双子の妹の狂態にさじを投げている感じの香澄の姿が面白い。人間の生の感情というのは、精神制御を得意とする宮芝の人間には大好物なのだ。

 

「深雪、役員は決めたの?」

 

「副会長は泉美ちゃんにお願いしようと思っているわ」

 

七草泉美が悲鳴と大差ない歓声を上げ、さすがに恥ずかしかったのかそれまで関わる姿勢を見せていなかった香澄がその口を塞いでいる。

 

「他の役員はまだ決めかねているの。ほのかにも手伝って欲しいと思っているのだけど」

 

そう言った深雪だが、その目は達也の方を向いている。

 

「遠慮することはないだろう。達也も役員にしてしまえばいい」

 

提案した治夏に対し、深雪は曖昧な笑顔をもって答えとした。

 

「そういえば、以前は和泉も生徒会長に立候補するとか言ってなかったか?」

 

治夏にそう言って聞いてきたのは達也だ。

 

「それは、私がまだ現代魔法の研究で十分な成果を得られていなかった頃の話だろう。今となっては無意味に時間を取られる生徒会長になど魅力はないよ」

 

「どこまでもビジネスライクということか……」

 

そうは言われても、治夏にとっては宮芝の利益が何よりも重要だ。宮芝の利益になるなら生徒会長でも目指すし、逆に利益が薄いと感じれば興味もなくなる。

 

「ときに達也」

 

そう言って治夏は達也を隅へと誘った。

 

「黒羽家は周公瑾を取り逃がしたようだな」

 

「耳が早いな。どうやってそれを知った?」

 

「方法については明かせないが、周公瑾については我々も監視をしていたのでな」

 

実際に宮芝が取ったのは隠密術式が得意な者が視力強化と双眼鏡で目視監視するという古典的な方法だ。精霊を感知できる古式の術者の場合、術を用いない方がよいという判断によるものだ。よって手法を明かしたところで格別な不利益はないのだが、逆にわざわざ手の内を明かしてやる必要もない。

 

「そして、その件について達也は九島家の力を借りることにしたのだな」

 

「どこからそれを……と考えるまでもなかったな。今度は九島家からか」

 

「その通りだよ。九島家は今、我らの監視下にあるからな」

 

「この間の九校戦の後から、ということか」

 

九校戦のスティープルチェース・クロスカントリーの裏について、ある程度は知っている達也はそれだけでよく理解してくれた。

 

「ところで君と九島との会談というのは、君個人としてか、それとも四葉としてか?」

 

「どちらも、だな」

 

「なるほどね」

 

一応は個人として会談を行うが、達也が四葉の関係者である以上、四葉家を代表してという側面を廃することはできないという意味だと、治夏は理解した。

 

「ときに周公瑾を取り逃がしたという黒羽家の実力はいかほどのものなのかな」

 

「詳しいことは分からないが、精鋭揃いだとは聞いているな」

 

「ならば、実力不足で取り逃がしたというわけではないということだな」

 

横浜で周と対峙したことのある郷田飛騨守も油断のならない相手だと感じたと報告をしてきている。周は個人戦の技能も高いと考えておいた方がいいだろう。

 

「和泉がここまで質問をしてくるのは珍しいな。もしかして、手を貸してくれるのか?」

 

「もしかしなくとも、手を貸すつもりでいる」

 

そう言うと、達也は目を見張ってみせた。

 

「驚いたな、どういう風の吹き回しだ?」

 

「別に驚くほどのことではないだろう? 周公瑾は間違いなく日本の敵だ。それを排除するためなら、私はよほどの敵とでない限りは誰とでも手を結ぶつもりだよ」

 

「なるほどな、理解した。だが、その考えだと伝統派はどうなる?」

 

「愚問だね、情勢の見えていない馬鹿どもだ」

 

伝統派と「九」の各家の対立の理由は、旧第九研に参加して自らの魔法を提供したにも関わらず、望んだ成果を与えられなかったというもの。けれど、同じように旧第九研に参加した側でも宮芝は十分な利益を得ている。

 

宮芝は得られる利益と、それに費やせる対価を厳格に計算した上で情報を提供する。だが、他の古式の魔法師たちは飛躍が予想される現代魔法に対する危機意識からか、無警戒に情報を出し過ぎた。それが宮芝との最大の違いだ。

 

ちなみに宮芝は情報を出し過ぎだと思っていたにも関わらず伝統派を諫めず、逆に垂れ流される秘術を喜々として自分たちの魔法に取り込んでいった。そして、それが宮芝と伝統派の対立の始まりとなった。しかし、宮芝である治夏からすれば、助ける義務など全くない相手に助けてくれなかったと非難するなどお門違いも甚だしいと言わざるをえない。

 

生き残りたくば、生き残るために知恵を絞ってほしいものだ。自らの浅はかさを他人のせいにしてもらっては困る。

 

閑話休題。

 

結局、伝統派というのは「九」の各家に対して嫌がらせをすることを目的として集った古式魔法師たちに過ぎない。その目的には何の生産性もなく、はっきり言って存在自体が害悪である。

 

「分かった。それならば、宮芝とも手を組める余地はあると思う」

 

達也としては現代魔法師である九島と古式魔法師である伝統派のどちらに宮芝が付くか、今ひとつ確信が持てなかったのだろう。治夏の辛辣な言いように安堵した様子を見せた。

 

「しかし、宮芝も九島と対立したり共闘したりと忙しいな」

 

「全くだね」

 

九校戦においては若干、嵌めるような形になった九島と共闘しようとしているのだから、情勢というのは難しいものだ。もっとも、どのような情勢となろうとも、宮芝のやることは変わらない。

 

この国を守る。そのことは二度と忘れないと心に誓いつつ、治夏は達也から離れ、束の間の休息を楽しんだ。



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古都内乱編 奈良へ

十月六日、司波達也は奈良行きのリニア列車に乗って九島家のある生駒を目指していた。同乗者は深雪と水波、そして和泉だ。どうせ同じ目的地であるということ、四葉家と関係があることは知られているので不利益は少ないことから同乗を認めたのだ。しかし、達也は早くもその決断を後悔し始めていた。

 

「やっぱり大室屋かな?」

 

「そうですね。私も行ってみたいです。水波ちゃんはどうですか?」

 

「はい、私も行ってみたいなと思っていました」

 

女三人寄れば姦しいと言うが、今の状態は正にそれだった。奈良の名物料理のサイトを見ながら盛り上がる三人を横目に、ただ一人の男である達也としては、いかにほとんどが身内といっても、居心地が悪いことこの上ない。

 

「達也様、紅茶のお代わりはいかがですか?」

 

「ああ、もらおうか」

 

達也たちが四葉の関係者と知られている時点で、水波が従妹という設定の信憑性は皆無になっている。そのため、この個室内では水波は達也たちのことを様付けで呼び、世話を焼くことができている。そのこともあり、最初は少し緊張した様子を見せていた水波が、今は生き生きとしている。

 

水波が和泉と馴染めたと考えると、悪いことばかりではなかった。けれども、次はやはり和泉は抜きとしよう。そんなことを考えながら、生駒山東山麓の九島家に向かう。

 

「ようこそ起こしくださいました、和泉守様」

 

門前で待っていたのは、使用人ではなく藤林響子だった。

 

「出迎え、ご苦労」

 

「ありがとうございます。それでは、ご案内いたします」

 

九島家の門から玄関までの道は、高さ二メートル以上の生け垣で作られた迷路になっていた。それも、ただの迷路ではなく魔法的なパターンを持つものだ。

 

門の外から見れば、豪華ではあるがそれ以上の異常は無い三階建ての洋風建築。

 

だが一歩門の中に入れば、招かれざる客を拒む絡繰り屋敷。あるいは城塞建築が本格化する前に見られた軍事的な意味を兼ねる領主の館。

 

「少し、仕掛けが古いのではないか?」

 

しかし、その九島家を和泉はそう評した。

 

「古い、ですか?」

 

「そうだな。仕掛け自体というより仕掛けの設計思想という方が正しいかな。古い術式を新しい術式には置き換えても、それに伴っての仕掛け自体の全面的な見直しはしていないのではないか?」

 

「私には詳しいことは分かりません。ですが、祖父には伝えさせていただきます」

 

「それがいいだろう。もっとも、今のご時世に大層な労力を割いて術式の全面更改を行う必要があるかという問題はあるがね」

 

「それは伝統派の危険度が小さくなっているということですか?」

 

聞いたのは、それまで黙っていた深雪だ。

 

「いいえ、そもそもここは伝統派の襲撃に備えて作ったものじゃないのよ。この屋敷ができた時から、旧第九研の研究成果を取り入れながら少しずつ守りを調えていったの。ここに屋敷を構えることは、当時の政府の決定事項なのよ」

 

「ちなみにその理由は分かるかな?」

 

「大阪の監視と聞いています」

 

口を挿んできた和泉は深雪を意識していたが、明確に回答者を指名しなかった。だから、達也は遠慮なく回答を口にした。

 

「少しでも深雪が困るとすぐに助け舟か。ここまで兄馬鹿となると、重傷だな」

 

深雪の困り顔が見られると思ったのに、などと和泉は呟いていたが、達也の回答としては、そのような趣味に妹を巻き込むな、の一択だ。

 

「お兄様、大阪の何を監視するのでしょうか?」

 

達也の知識は一般的なものではない。達也に質問した深雪に、今度は藤林が答える。

 

「大阪は国際商業都市という性質上、外国人の行き来に寛容で居住も容易です。どうしても監視の目から漏れる工作員が出てきますし、何か事件が起こった際、後手に回り易いのです」

 

「それに対処する為ですか?」

 

「ええ。魔法工作員の暗躍は政治家にとって最も質の悪い悪夢の一つですので。九島家は旧第九研最高の成功例として、外国人魔法師工作員の跳梁を抑えるという任務が与えられたんですよ」

 

藤林の説明に一応納得した素振りを深雪は見せた。だがまだ疑問が残っているような印象だった。

 

「深雪さん、遠慮はいらないんですよ」

 

「ありがとうございます。大したことではないと思うのですが……大阪に潜入した工作員の監視が任務なら大阪に、少なくとも生駒山の東ではなく西側に拠点を設けるべきではないかと思いまして」

 

「それは少しばかり危うい。そう見られていたということだよ」

 

言葉に詰まった藤林に代わり、回答を口にしたのは和泉だった。

 

「危うい、ですか?」

 

「木乃伊取りが木乃伊になっては詰まらなかろう?」

 

「裏切る、ということですか!?」

 

「多くの古式がいる京の地にて九島は新参も新参。最初から信用をされようという方が間違っている」

 

迷路が途切れ、玄関が見えた。当時の政治家と古式魔法師たちが九島をどう見ていたかについての話題は、掘り下げられることなく中断された。四人はそのまま応接室で九島烈との会談に臨む。

 

「本日はご足労いただき、誠にありがとうございます」

 

日本魔法師界の長老が十代ばかりの面々に頭を下げているのを、達也は妙な心持ちで見つめていた。

 

「君たちの用向きは周公瑾の捕縛。これは四葉殿より下された任務で、和泉守様もそれに助力くださっているということでよろしいかな?」

 

「そうです」

 

四葉家当主からの直命であるという部分を認めるかは少し迷ったが、十師族への協力依頼という時点で、かなり上位の者の指示であることは知れる。ここは素直に頷いておいた。

 

「四葉殿が誰の依頼で動いているのか、それは知っているのかな?」

 

「いえ。存じませんし、知る必要も無いと考えています」

 

「四葉の駒であることに甘んじると?」

 

「知らないことにしておくべきだと分かっているからです」

 

「二人とも、そこまでにしておくべきではないか? 話の裏はこの際、どうでもいい。九島はこの件を受けるか拒むか、如何する?」

 

そこで和泉が割って入ってきた。そうして九島烈に回答を強要する。

 

「十師族は師族会議で定めたルールに縛られています。その一つに十師族は非常事態を除いて、師族会議を通さず共謀、協調してはならないという決まりがある」

 

「そのようだな」

 

「九島家としては、四葉家の協力依頼を受けることはできません。だからこの件は、私が九島烈個人として、司波達也君個人の要請を受けようと思います」

 

回りくどい言い方ながら、とりあえず九島家の協力は得られたと思ってよいだろう。目的を果たした達也は、必要以上の長話をせず、九島烈の前を辞した。

 

「和泉守様はこの後、祖父が歓待の場を用意させていただいております」

 

「そうか、それでは招かれるとしよう」

 

「達也くんたちは別に食事の席を設けさせてもらいたいと思うのだけど、どうかしら?」

 

これは和泉に比べて軽んじられているというより、気軽な食事の方が達也たちも気楽だろうという気配りだろう。十師族の長老と宮芝家の当主の晩餐への同席など御免蒙るので、達也としてもありがたい申し出だった。

 

九島邸に複数ある食堂の内、親たちに連れてこられた未成年同士が親睦を深める為の一室に案内された三人は、料理が運ばれてくる前の談笑の最中、軽く響いたノックの音に各々ドアへ目を向けた。

 

「失礼します。あの、お祖父様が皆様とご一緒させていただきなさいと……」

 

現れたのは達也たちと同年代の少年。

 

その麗しい顔は人間離れしており、達也も瞠目せずにいられないほどの美貌だった。

 

「九島家当主、九島真言の末子、第二高校一年、九島光宣です。司波達也さん、司波深雪さん、桜井水波さん、お会いできて光栄です」

 

そして、その光宣に翌日、奈良の伝統派主要拠点を案内してもらえることになったことを成果に、この日の九島家の会談は終了した。



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古都内乱編 奈良の捜索

翌日、司波達也は朝早くホテルをチェックアウトし、深雪、水波、和泉と共に再び九島邸を訪れる。荷物だけを先にホテルから奈良駅に送り、身軽になっての訪問だ。

 

身軽といえば、今日の深雪は珍しくパンツルックである。それも街遊びよりハイキングに向いている丈夫な生地の物で、上もブラウスでなく秋物のロングニット。ただ、だから地味になっているかというと、そんなことは全くない。

 

水波も深雪に合わせたのか、ニットのセーターに踝まであるパンツ姿だ。ただ水波の方はサイズに少々余裕があって、女らしさより少女っぽい可愛らしさが勝っていた。

 

そんな中、和泉は一人だけロングスカートにブラウスの上から薄手のジャケットだ。靴も機能性よりファッション性重視だ。歩き回ることには不向きに思える格好に、ホテルを出た直後、思わず達也は問うた。

 

「本当に、その服装でいいのか?」

 

「……私、そんなに歩くつもりないし」

 

伝統派の拠点となっている場所は社寺が多いようだ。そして、社寺といえば基本は山に存在する。嫌でも歩かざるをえないと思う。

 

「今回は観光だけして帰らない?」

 

「和泉は一体、何しに来たんだ?」

 

「九島と君の会合の結果を見届けるためだけど?」

 

「なら、和泉だけ先に帰るか?」

 

呆れた達也がそう提案するも、和泉は小さく首を振った。

 

「まだ大室屋に行ってない」

 

こいつ、本当に何しに来たんだ。叫びたい気持ちを達也は懸命に抑えた。

 

こうして朝の七時に大室屋が開いているわけもなく、仕方なしについてきた和泉と、深雪と水波を連れて、九島邸で達也は光宣と合流した。

 

「初めまして、和泉守様。九島家当主、九島真言の末子、第二高校一年、九島光宣です」

 

挨拶した光宣に対し、始め和泉は驚いたように目を見張った。しかし、すぐにその目は細められることになった。

 

「宮芝家当主、宮芝和泉守だ。今日はよろしく頼む」

 

そう言った和泉の目に妙な警戒の色が見えて、逆に達也は戸惑いを覚える。少なくとも、達也は今の時点で光宣を危険だとは考えていない。だからこそ、達也は和泉が光宣の何に警戒心を覚えたのかが気になった。が、今すぐ聞けることではない。

 

ひとまず九島家の用意したリムジンに乗り、最初の目的地である奈良盆地南西部の御所市にある「葛城古道」と呼ばれる散策路に入った。

 

葛城古道は観光であれば六、七時間ほどを掛けてのんびりと歩く散歩道だが、今回は時間的な余裕が無い。光宣はリムジンに散策路の出口で待っているよう指示して、立ち乗り式の電動ロボットスクーターを借りようと達也たちに提案した。

 

「じゃあ、私はリムジンで待っているよ」

 

ここでも和泉はまるきりやる気が感じられない様子だ。

 

「彼女は体調でも悪いのですか?」

 

リムジンから少し離れた所で光宣が達也に聞いてくる。

 

「俺も良く分からないんだが、そうであれば申告しているだろうから、気にしなくていいと思う」

 

達也としても今日の和泉がどうしてやる気に乏しいのか分からないのだ。和泉は周公瑾の捕縛にも意欲を燃やしていたし、伝統派も嫌っていたように思える。なのに、なぜ今日はこうまで意欲が低いのか、達也にも見当がつかない。

 

ともかくと気持ちを切り替えて臨んだ葛城古道の捜索は空振りに終わった。と言ってみ光宣も最初から可能性が低いと言っていたし、落胆はない。

 

葛城古道を出た後、光宣は達也たちを橿原神宮から石舞台古墳、天香具山へ案内した。正確にはその付近にある伝統派の拠点に連れていったのだが、捜索は空振りに終わりどれも単なる観光になってしまった。が、特に橿原神宮は和泉が喜んで見て回っており、機嫌も少し上向いた様子だったので、それだけは収穫だった。

 

時刻はいつしか午後三時を回っていた。五人は東大寺へと通じる道と春日大社に通じる道へ分岐する交差点でリムジンを降り、光宣の先導で春日山遊歩道へと歩き出した。

 

「かーごめ、かごめ……」

 

そして遊歩道に入って少し、唐突に和泉が歌い始める。その声を聴いてすぐ、達也は立ち止まって深雪に預けていた右腕を軽く揺すった。

 

深雪もすぐに達也の腕を放した。

 

「気づいたようだね、悪くない反応だよ、さ、砕けろ」

 

達也たちの反応を見ていた和泉が、言いながら遊歩道を強く踏みしめた。その瞬間、達也が感じていた結界が砕け散った。

 

「魔法の出力を最小限に絞って、ギリギリまでこちらに気づかせないようにしていた高位の結界術者によるものだと思ったのですが」

 

「九島の子倅、ただの高位の結界術者が、いかに二日酔いだといえ、私を誤魔化せるはずがなかろう」

 

「二日酔い?」

 

思わぬ言葉に問い返すと、和泉は気まずそうに目を逸らした。

 

「文句なら三輪の酒など出した九島に言ってくれ」

 

「出したのは老師でも飲んだのは和泉だろう」

 

未成年飲酒も悪いが、それで仕事に影響が出るなど最悪だ。

 

「本調子じゃないんだ。静かにしていてくれないか」

 

和泉がそう言っている間にも木々の間で気配がザワリと揺れ始める。

 

「水波!」

 

「はいっ!」

 

達也に命じられた水波が障壁を構築するのと同時。その表面に銀光がはじけた。

 

防御壁の外に跳ね返った銀光の正体は太い針、あるいは極小の矢だった。

 

その飛来した方向に達也は部分分解の魔法を放つ。立て続けに悲鳴が上がり、二人の男が木陰から転がり出てきた。分解の魔法は和泉にあまり知られたくないものだが、達也が敵を即座に倒せる魔法は限られている。すでに扉を破壊する場面を見られているのだから、このくらいは許容範囲のはずだ。

 

その間に光宣は達也が迎撃している方向とは反対側に歩いていた。無防備に見える光宣に向かって激しい攻撃が集中する。

 

しかし、その全ての魔法が当たらない。風や火や音を発生させる魔法は光宣を貫いて何のダメージも残さず霧散し、直接外傷・内傷を与える魔法は作用対象不在によりことごとく破綻している。

 

「幻影、ですか? 信じられない……」

 

「パレード。忍術の要素を取り入れた九島家の秘術よ」

 

水波の呟きに対して解説する深雪の声には、称賛を超えた戦慄が宿っている。

 

「それにしてもすごいわ……あの精度、リーナより上じゃない」

 

「別に日本を離れた九島の傍流より優れていたとしても、自慢にはならぬだろう?」

 

深雪の言葉にそう返してきたことで、和泉はリーナがアンジー・シリウスであることに気づいていなかったことが分かった。達也の素早い目配せに深雪と水波が頷く。和泉が知らない情報を達也たちが知っていたとなれば、かえって警戒心を煽るだけだ。

 

その間に光宣は放出系魔法「スパーク」を放って達也たちを包囲する魔法師の半数の無力化を成功させていた。光宣の魔法のスピードは控え目に見積もっても第一高校元生徒会会長・七草真由美に匹敵するものだ。そして、その魔法の威力は魔法師が無意識に展開する情報強化の防壁を易々と突破して敵に直接、魔法を作用させられるものだった。

 

光宣の幻影が指差す先で、次々と人が倒れていく。

 

敵の攻撃は光宣の実態を捉えられない。

 

敵も格の違いともいうべき力量をようやく覚ったのか。一人の魔法師が隠れていた物陰から姿を見せた。

 

呪符を構えているから投降ではないだろう。姿をわざわざ見せた以上は逃亡でもないだろう。一か八か、いや、破れかぶれの攻撃に打って出る構えだった。

 

光宣の魔法が、呪符を構えた術者を倒す。

 

それとほぼ同時、光宣の、というより深雪のほぼ真横の茂みから、小さな影が走り出た。

 

魔法師ではない。人間よりずっと小さく、遥かに俊敏な四つ足の獣。

 

「管狐!?」

 

光宣が驚愕の声をあげる。

 

「深雪さま!」

 

水波は自分を主の盾とすべく、深雪に覆い被さろうとしていた。

 

「伏せ!」

 

そして和泉は管狐に対して厳かに命じていた。その瞬間、狐はさながら犬のように、長い胴体を地面につけて伏せの姿勢になっていた。

 

「管狐を……支配したのですか?」

 

「下位の術者の使役していたものだ。驚くべきことではない」

 

和泉はそう言っていたが、光宣の驚きようを見る限り、十分に驚くべきことなのだろう。本当に、宮芝は古式の魔法に関しては規格外だ。

 

その後は、どこからともなく現れた宮芝の手勢が倒した魔法師たちを運び出した。けれど、さすがに捜索は打ち切ることになり、和泉が訪問を熱望していた大室屋に寄り、光宣から案内された老舗ホテルの温泉で戦闘の疲れを取り、東京へと戻ることになった。



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古都内乱編 河辺の死闘(前)

西暦二〇九六年十月十一日木曜日の夜、京都市内某所。

 

空はどんより曇って今にも雨が降り出しそうな漆黒の夜空。

 

昼間は人々の憩いの場となっている公園も、真夜中ともなれば人気はほとんど無くなる。

 

そんな公園の一角に、森崎駿は身を潜めていた。森崎の視線の先には七草家の長女、真由美のボディーガードと言われている名倉三郎がいた。

 

「名倉様。お待たせいたしましたか?」

 

川辺に立っていた名倉に、上流側から歩いてきた周公瑾が声を掛けた。遮音の魔法の応用、集音の魔法で森崎はその言葉を聞いている。

 

「いえ、時間通りですよ、周さん」

 

名倉と周はお互いが手を伸ばしてもちょうど届かない距離で向かい合った。

 

「隠岐守様、閉鎖結界の準備をお願いします」

 

名倉と周が話をしているうちに宮芝の結界術士たちが逃亡を防ぐ術式を展開する。森崎たち強襲部隊が突入するのは、その後だ。

 

「周さん、九島が四葉と手を組んだのをご存知ですか」

 

「私も随分出世したものです。現在の世界最強に率いられた四葉だけではなく、かつての世界『最巧』をいただく九島にまで狙われることになるとは」

 

そう言って周公瑾は楽しそうに笑っている。

 

「閉鎖結界は準備完了です」

 

「遮音結界と遮光結界は?」

 

「遮音結界があと少し、遮光結界までは今しばらく、といったところですな」

 

「まだ彼らは衝突していません。放っておいても問題はないでしょう」

 

二人が顔を合わせた瞬間に激突することも想定していたが、彼らはどちらかといえば語るのが好きなタイプなのだろう。

 

「正直に申しましょう。周さんが四葉の手に落ちるのは、七草として許容できません。だから私が、決して四葉の手が届かぬ所へお連れいたします」

 

「ほう……その場所の名はもしかして」

 

周がさりげない仕草で懐へ手を入れた。

 

対する名倉の手にも携帯端末タイプのCADが握られている。

 

「冥土というのではないでしょうね!」

 

「いいえ、その場所の名は地獄です!」

 

二人は同時に地面を蹴って互いに距離を取った。周は懐から令牌を取り出し、名倉はCADから起動式を展開する。

 

周の令牌から全身黒一色の犬を模した化成体が飛び出した。黒い犬は一旦地面を跳ねて、一直線に名倉の喉笛に飛び掛かる。その陰の身体を下から、十数本の透明な針が貫く。その攻防を見ていた後方の支援部隊員が、急ぎ術式の解析を始める。

 

「水の針、ですか……」

 

「そちらは影を媒体に獣の化成体を作り出す魔法ですな」

 

会話を交わしている間にも周の手に持つ牌は新たな影獣を吐き出し、名倉はそれを水の針で迎撃している。

 

周の作り出す幻影の獣が一瞬、途切れたのを見て今度は名倉が攻勢に出る。暗闇で人の目では視認できない水針を、周に向かって次々に飛ばした。しかし、周はサイドステップを踏むことで軽々と躱している。

 

およそ人間が筋力のみで出せるスピードではない。大陸の古式魔法師が使用する自己加速術式と似た効果を持つ術によるものだろう。

 

速いには速い。けれど、森崎が普段の訓練で対峙している呂剛虎には遠く及ばない。

 

直射は躱されると判断したか、名倉は針を雨のようにして広範に降り注がせる。それを見た周は胸ポケットからハンカチを引き抜いた。

 

白いハンカチは周の前身を覆い隠すサイズに広がって水針のシャワーを防いだ。古式は防御魔法を苦手としている。あれだけの魔法が使えるとは、やはり周は油断がならない。

 

布を下ろして顔を見せた周が、一匹の影獣を放つ。名倉はそれをギリギリのところで撃ち落としていた。

 

ここまでの戦いは互角。しかし、この戦いは周が勝つだろう。周にはまだ隠し玉がある。そう確信できるのは、古式はレベルが上になればなるほど、芸達者になるのを森崎は経験で知っていたためだ。

 

白い布を構えていた周の次の一手は、意表を突く令牌の投擲だった。名倉は円を描く軌道に乗せて水針を周へ飛ばす。しかし、それより先に空中の令牌から影獣が飛び出してくる。名倉は新たな魔法を組み上げてそれを迎え撃った。

 

周の姿を隠していた白い布が地面に落ちるが、その向こうに周公瑾の姿は無い。水針を受けた影獣が影になって夜に溶け、孤を描いた水針の群れが虚しく宙を貫く。

 

一瞬の静寂のあと、川面に落ちた令牌が黒い影を吐き出した。水飛沫を上げて飛び出した顎から、跳躍の術式を発動した名倉が間一髪で逃れた。

 

岸に着地した名倉が次の攻撃に備えて体勢を立て直す。川を挟んだ闇の中へと名倉は目を凝らしている。

 

もはや名倉は敵の術中。さて、そろそろ出番だろう。

 

「闇鍋」

 

闇の中に言葉が響き、背中から聞こえた轟音に名倉が振り返る。名倉の背に出現しているのは巨大な黒い鍋。黒い鍋は名倉を背後から強襲しようとした黒犬の角を防ぐために、郷田飛騨守が放った魔法だ。

 

「なかなかに見事な鬼門遁甲であるな、周公瑾」

 

「貴方は……確か宮芝家の郷田飛騨守殿でしたかな」

 

周の質問への郷田の回答は魔法攻撃だった。敵に対して語る言葉は持たず。さすがに郷田の行動は宮芝の術士らしいものだ。

 

周の足元の水が渦を巻く。その渦に捕らわれる前に周は跳躍で逃れようとした。

 

「網天井」

 

しかし、その先にあるのは魔法で作られた網。周は空中で更に跳躍の方向を変えるというアクロバティックな動きでその罠から逃れようとした。

 

「雷三槍」

 

「蔓切旋風」

 

しかし、逃れた先に立て続けに魔法攻撃が行われる。支援役の術士たちの攻撃の間を突いて森崎も戦場へと突入した。

 

まずは両手に持った特化型のCADから細雨の魔法と水槍の魔法を放つ。細雨は細かい水の弾を多数放つ魔法で、逆に水槍は一発の強力な弾を放つ魔法だ。どちらも古式を元にした現代魔法なので森崎でも問題なく使用可能だ。

 

「現代魔法師もいるのですか!」

 

名倉と対峙していたときのように、周は白い布を盾のようにして使って森崎の魔法を避ける。続いて予備の令牌を取り出して、そこから狼のような影獣を呼び出した。

 

狼の化成体はその姿に違わぬ速さで森崎へと迫ってくる。だが、遅い。

 

森崎家は百家にも連なる家柄だ。しかし、魔法発動の速さ以外は平凡な能力に過ぎない。森崎家は以前より速さでは誰にも負けないように研鑽してきた。その自信は宮芝和泉守と出会って粉々に砕かれたが、それでも速さが森崎の武器であることには変わりはない。

 

標的を見据え、左手の拳銃型の特化型CADの引き金にかけた指に力を込める。打ち出された水の弾丸は狼の影獣を貫いて影へと返す。影獣が本当に力を失っていることを、目視確認しつつ、視界の端の周に向けて細雨を放っておく。

 

「どういうつもりですか?」

 

周が言っているのは、郷田飛騨を始めとした宮芝の術士たちが名倉を連れて姿を消していることについてだろう。その問いに森崎は冷笑を浮かべて返す。

 

「そなたなど、小官一人で十分ということだ」

 

無論、このような言葉を無邪気に信じてはくれまい。けれど、信じてもらわずとも何の問題もない。要は何の情報も与えなければよいのだ。

 

「なら、あなたを倒すしかありませんね」

 

挑発じみた発言を聞いて逃げてくれれば都合がよかった。そうすれば結界に阻まれたところに郷田飛騨たちの魔法が撃ち込まれ、この戦いは終わっていた。さすがに、そこまで愚かではなかったようだ。

 

ならば第二の策、時間稼ぎだ。右から左から上から、次々と周の生み出した影獣が襲い掛かってくる。森崎は周から距離を取り、ひたすら影獣の迎撃に専念する。

 

「いつまで耐えられますかね!」

 

嘲笑うように周が言った直後、三方から同時に影獣が襲い掛かってくる。森崎は両手を左右に伸ばし、影獣を迎撃した。これで二体の敵は消滅した。

 

しかし、正面の影獣にCADを向けて魔法を発動させるより敵の方が僅かに早い。自らに迫る黒い獣の目に宿る暗い光を森崎は静かに見つめた。




本話は長くなったので前後編となっています。


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古都内乱編 河辺の死闘(後)

周が呼び出した影獣が森崎に刻一刻と迫ってくる。対する森崎はCADを敵に向けるだけの時間がない。だが、それが何だというのだ。森崎は左に向けたままのCADの引き金の上の指をもう一度、動かす。

 

その瞬間、森崎の足元の水が盛り上がり、鋭い槍状になって正面の影獣を貫いた。影獣が形を失い、水面に落ちて消えていく。

 

森崎が行ったのはCADの方向と無関係な場所での魔法の発動。早さを極めるために森崎が習得したドロウレスと原理は一緒だ。本来なら攻撃に転じるときのための隠し玉のつもりであったが、仕方ない。

 

両手のCADを周に向け、影獣の迎撃にはCADを向けない魔法発動によって行うようにする。攻撃は最大の防御とも言う。特に魔法の発動が早い反面、防御に必要な干渉力は高くない森崎にとって、敵を攻撃に専念させないことは苦手な大威力の魔法を牽制するために大事なことだ。

 

森崎が時間稼ぎをしていることには、周も気づいているようだ。森崎の牽制で手傷を負うことを厭わず、手持ちの令牌を全て使い尽くす勢いで猛攻を仕掛けてくる。けれど、簡単にやられはしない。

 

宮芝家の教えを受けるようになってから、森崎はこれまでに何度も模擬戦を行ってきた。そして、何十回、何百回と負けた。これ以上、負け方は知らないというほど負けた。

 

何十、何百という負けの経験を重ねながら、森崎は遅滞戦闘の訓練を積んできた。負けるのは仕方がない。けれど、どうすれば殺されるまでに最大の時間を消費させることができるのか、それを徹底的に叩きこまれた。

 

森崎の負けとは、期待された時間を消費させることなく敗れることだ。そして、今の森崎は宮芝の精鋭術士を相手にしても、ほとんど負けることはなくなってきている。幾度もの敗北の経験をしたからこそ、本番では負けてやらない。

 

使いきって捨てたと見せかけた令牌から追加の影獣を呼び出す方法も、耐久の高い敵を潜ませておいて反撃に耐えて追撃を行う方法も、こっそりと地面に令牌を埋めておいて上を通るのを待つ方法も。その奇襲も、その奇襲も、その奇襲もかつて負けた経験があるもの。だから、引っかかってはやらない。

 

決め手のないことに焦れたか、周が切り札ともいえる鬼門遁甲を発動させた。それを知ることができたのは、森崎の右手首のリストバンドに仕込まれた御守りのおかげだ。

 

ちりん、ちりんと音が響き、リストバンドから転がり出た子鈴が右斜め前方を指し示す。対鬼門遁甲用の対抗魔法、導きの鈴。鈴の音に導かれて、虚空に飛んだ水槍が方向を変え、周の右足を貫く。

 

「くうっ」

 

苦悶の声を漏らしながらも、周は化成体を呼び出して反撃に出る。が、それは出現すると同時に、どろりと溶けて形を失った。

 

「解呪!? 馬鹿な!」

 

周が驚きの声をあげる。

 

「予想時間より早く完成させるとは。さすがですね」

 

森崎が待っていたもの。それが松下隠岐守を中心とした結界術士たちによる、化成体の出現を封じる領域魔法の完成だ。

 

「よく覚えておくがいい。宮芝が仕掛けるときは、必勝を確信したとき」

 

森崎が言うのと同時に、水が、雷が、短刀が周に向かって襲い掛かる。これまで結界術士たちの護衛に回っていた郷田飛騨たちによるものだ。

 

「宮芝家、予想以上ということですね」

 

不意に周が白いハンカチをふわりと投じた。白いハンカチは一瞬だけ周の姿を覆い隠し、しかし、そのまま水面に落ちた。

 

「なぜ私の遁甲術が通用しない!?」

 

周が理解不能というように叫ぶ。それに対して森崎をはじめとした宮芝の魔法師たちは笑みを浮かべるでもなく、淡々と攻撃を繰り返していく。

 

それを見た周が取り出したのは、今度は黒いハンカチだった。目の前に大きく広げられたハンカチはまたも一瞬だけ周の姿を覆い隠し、地面に落ちた。今度は前回と違い、ハンカチが落ちたときには周の姿が消えていた。しかし、森崎に焦りの気持ちはない。

 

「ぐっ!」

 

少し後に苦悶の声が聞こえ、周の姿が少し下流に現れる。

 

「影封じの結界。なるほど貴方がたは彼との戦闘の時間を利用して私に対抗するための結界の準備を事前に整えていた。そうですね」

 

影での逃走を封じられた周は、今度は身体強化での強引な逃走を試みていた。その速度は時速四十キロから五十キロに達するほどに見えた。しかし、その逃走も進み始めて間もないうちに壁に当たったかのように跳ね返された。

 

「三重、いや、四重……五重の結界!? どれだけの人数をつぎ込んだ!」

 

「それだけは最後に教えてやろう」

 

まさか森崎から返答があるとは思わなかったのだろう。周が驚きに目を見張っていた。

 

「八十名だ!」

 

呆れたような笑みを浮かべた周公瑾に魔法攻撃が殺到する。攻撃を受けて体勢を崩したところを狙い畳みかける。何度も地面を転がり、水飛沫をあげる。それでも、周は倒れない。何がそこまでさせるのか、どれほど傷を負おうとも周は諦めない。懸命に生き延びる術を探して戦い続ける。その様は、どこか宮芝の術士にも似て見えた。

 

しかし、このままでは拙いことになる。すでに宮芝は攻勢に出ている。ここで仕留められないと、今度は高度な術を維持している結界術士たちの方が息切れする。

 

「小官が仕留めます!」

 

宣言を行うと同時に、これまで使用していた射撃戦用のCADを捨て、近接戦用のCADを取り出した。

 

森崎が手にしているのは、これまで使用していたものと同じ拳銃型の特化型CAD。だが、こちらは銃口に相当する位置の上部に小型の装置が取り付けられており、そこから極細の長さ二メートルほどのワイヤーが伸びている。

 

振り下ろされた右手のCADから伸びたワイヤーが周の頬を打とうとする。それを周は大きく後方に飛びのいて躱した。

 

「今度は剣術ですか。多彩ですね!」

 

忌々しそうに周が言った通り、森崎のワイヤーは剣術の圧斬りが使われている。触れれば身体を二つに裂くほどの威力だ。受けられるものではない。

 

両手のCADから伸びたワイヤーを自在に振るい、森崎は周に迫る。周囲の郷田飛騨たちからも周の退路を制限するように魔法の援護射撃が行われている。

 

「雷走波」

 

そしてついに、一人の術者の放った術が周の脚を止めた。それを見た郷田飛騨が周の後方に古式魔法、火燕閃を放って後退を制限する。

 

絶好機に森崎が地を蹴った。疾風のごとく周に迫り、まずは左手のCADを振り下ろすが、周はそれを半身になって躱す。続いて放たれた右手のCADでの足元へと薙ぎも、腰ほどまでも跳んで躱してきた。長いワイヤーが災いして、今の特化型CADでは、森崎は至近距離での素早い攻撃ができない。

 

ならば、余計なCADなど捨ててしまえばいい。宮芝に弟子入りしてから鍛錬を欠かさなかった森崎の魔法に並ぶもう一つの武器は左腰にある。

 

振り下ろした体勢のまま握る左手の力を弱めれば、CADはするりと滑り落ちた。その手を僅かに左に動かせば、そこには愛刀の柄がある。その柄を逆手のまま握り、身体の捻りも利用して左手一本で引き抜くと同時に、掌で反転させる。

 

いかに発動を早くするために工夫しようとも、魔法を使うには僅かの時間は必要になる。ならば、魔法以外の手段を併用すればいい。そして、歴史の長い宮芝は、その方法を受け継いでいた。それが、魔法ではない純粋な剣技、宮芝流剣術の逆月。

 

森崎が放った一撃は左脇下から肋骨を砕き、心臓に傷をつけた。周が血を吐きながら、右膝を川面に浸す。そのときには、森崎はすでに後方へと跳躍をしている。

 

殺到する火、水、風、岩、雷、短刀、矢。すでに回避する力を失っていた周は嵐のような攻撃を全身に受けた。衣服の切れ端が、肉片が、鮮血が京の夜に散る。嵐のような猛攻が収まったときには、周の身体は川底にあった。

 

これで周公瑾の暗殺は成った。残るは後始末のみ。

 

「さて、名倉三郎殿。話を聞かせていただいてもよろしいかな?」

 

郷田飛騨が戦場から遠ざけていた名倉を呼んで尋ねる。

 

「もはや私は七草家には帰れぬということですかな?」

 

「話を聞かせていただいた後は自由にしていただいて結構。しかし、それは貴方にとっても望ましいことなのですか?」

 

名倉と周の関係は宮芝に知られてしまっている。その状態で七草に帰ったところで、果たして身の安全は保障されるのか。

 

「どうやら我々の完敗のようですな。私の身柄、お任せします」

 

名倉は礼儀正しく、執事の礼をもって郷田に応えていた。




周公瑾、古都内乱編の半ばで倒れる。
というわけで、古都編はまだ続きます。


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古都内乱編 京都に行きたい

西暦二〇九六年十月十五日、放課後。今年の論文コンペを二週間後に控えた第一高校の校舎内の其処彼処に、準備作業による喧騒とは趣を異にする密かなざわめきが生じていた。

 

話題になっているのは突然の来訪者。二、三年生にはお馴染みの、一年生でも知らぬ者はごくわずかという有名人、七草真由美だ。

 

来賓用の応接室でその真由美の相手をしているのは二人。一人は司波達也。そして、もう一人が宮芝和泉守治夏だった。

 

「ごめんなさいね、達也くん。一高に来るのが一番無難だと思ったものだから……」

 

「いえ、気にしないでください」

 

「おや、私に対しては何もないのですか?」

 

「ただの勘だけど、宮芝さんは、当事者側の気がするからね」

 

おどけて言ってみせた治夏に対し、真由美の反応はなかなかに手厳しい。

 

「達也くんは、名倉さんのことを覚えてくれているかしら」

 

そう言って真由美が切り出したのは、自身のボディガードを務めていた名倉三郎という魔法師が行方不明になっているということだった。そして、治夏はその魔法師の名に聞き覚えがあった。先日、周公瑾を抹殺した際に拉致した七草の魔法師だ。

 

「それで、先輩はどうしたいんですか?」

 

「真相を、知りたいの」

 

生きているのか、それともどこかで殺されているのか。何も分かっていないはずなのに、父の弘一は名倉のことをさっさと切り捨てようとしている。

 

「私のボティガードが、七草家の命令で苦境に陥った。死ねと命じたわけじゃないのは分かっているけど、そうなる可能性も高い仕事を命じたのだから結果的には同じよ。私はそこから目をそむけたくないの。七草家の一員として、せめて事の真相は知っておきたい」

 

「先輩のお気持ちは分かりました。しかし、俺に何を? 名倉さんを見つけろと言われても、俺には探偵のノウハウもなければ捜査に協力してくれる人員の伝手もありません。残念ながら、お役に立てないと思います」

 

「宮芝さんは?」

 

「七草の仕事についての心当たりだ。私よりも元会長殿の方が詳しいのではないか?」

 

白々しくも答えると、真由美は少し考えた後、口を開いた。

 

「犯人はおそらく、横浜の件の関係者よ!」

 

「横浜の件と仰いますと?」

 

「去年の横浜事変の関係者。ここ最近、名倉さんは中華街を探っていたみたいなの」

 

「よくそんなことが分かりましたね」

 

「あの人、ボディーガード以外の仕事で私の側を離れる時は、その仕事が終わった後にお土産をくれるのが習慣だったのよ。最近は中華街のお土産が多かったわ。私のことを小さな女の子と勘違いしているのかな、と思っていたけど……名倉さんは自分が何をやっていたのかヒントを残していたんじゃないかなって、今はそんな気がする」

 

名倉はなかなかに良い対応をしていたようだ。この分なら、真由美は京都に向かう。そこには護衛が必要だ。

 

「達也、元会長殿には世話になった。それに京都が不穏な状態とあらば我々の安全のためにも状況は確認しておかねばならないのではないか?」

 

「京都の治安維持は高校生の仕事ではないと思うぞ」

 

「確かにな。だが、我らには力がある。力がある者として、請われれば力を貸すということも必要なことではないか?」

 

「利己主義の塊のような和泉が言っても、説得力がないんだが」

 

達也の発言に真由美までもが同意するように頷いている。おかしいな、宮芝ほど己を捨てて国のために尽くしている組織は他にないと思うのだが。

 

「ともかく、元会長殿が京都に向かわれるのなら達也はそれを護衛すべきだ」

 

「俺はともかくとして和泉はどうするつもりだ?」

 

「京都とならば古式が関わっている可能性は高いだろう。無論、私も力は尽くさせてもらうつもりだ。しかし、私は個人戦についてはあまり自信がない。私にも護衛が必要だが、どうするか……第一高校の卒業生ということで十文字にでも依頼するか」

 

そう言ったところ、真由美は非常にじっとりとした目で見つめてきた。

 

「ねえ、宮芝さん。それって単に二人で旅行に行きたいって言うんじゃないの?」

 

「な、何を言っているのかな。これはあくまで元会長殿の望みを叶えるためで、けして私利私欲のために言ったことではないぞ」

 

慌てて否定するも、真由美は疑わしそうな目で見つめてくる。

 

「十文字先輩も京都に行くのなら、なおさら俺が護衛に付かなくてもいいんじゃないかと思うんだが」

 

更には達也までもが、そんなことを言い出した。拙い、このままでは克人との京都旅行がなくなってしまう。

 

「じゅっ……十師族の直系が二人で出向くとなれば、関西に余計な緊張を生んでしまうのではないかな」

 

「それって、私たちとは別行動をしたいって言っているのよね」

 

「語るに落ちたな」

 

元会長殿、どうして貴女は味方しているはずの私を背中から刺すようなことを言うのか。そう叫びたい気分だったが、懸命にこらえる。

 

「ともかく、元会長殿が京都で真相を調べたいと思うのなら、達也に協力を仰ぐのが一番。そう思ったから、ここに来たのであろう」

 

「確かにそうね。達也くん、私はまだ七草家の娘でしかなくて、自分自身には社会的な力なんて何も無い。魔法師としての実力も才能も所詮は属人的なもので、警察を動かすことも警察の代わりに犯人を捜すようなこともできない。結局は、私の自己満足でしかない。そんなことで危険を冒すのは愚かしいことなのかもしれない。でも」

 

「分かりました」

 

達也が真由美の言葉を遮った。

 

「では二十一日、日曜日に。場所と時間は先輩のご都合に合わせます」

 

「……ありがとう、達也くん」

 

真由美がソファの上で深々と頭を下げた。

 

「あと、宮芝さんも一応、ありがとうね」

 

達也と治夏とで真由美の対応が違いすぎる気がするのだが、これは問いただした方がいいのだろうか。

 

「じゃあ、時間と場所は明日にでもメールします」

 

「では、私の方でも十文字に都合を聞いておこう」

 

「ねえ、本当にただ京都に行きたいだけじゃないわよね」

 

「失敬な。きちんと仕事をするつもりだよ」

 

治夏が真由美に語った内容に嘘はない。治夏個人としては単に克人と京都旅行を楽しむつもりでいる。けれど、それで仕事をしないということにはならない。

 

今回の件は、周公瑾の殺害で終わりではない。宮芝家としては周公瑾に協力していた京都の伝統派の粛清を行い将来の禍根断つことまでを目的としている。その際、克人と真由美という目立つ二人は敵の警戒を分散させるという、目的達成のために重要な役割を果たしてもらうつもりでいる。

 

治夏本人が出向くのが最も戦力的には優位に立てる。しかし、宮芝は何がなんでも治夏が出張らなければならないほど脆弱ではない。実際、周公瑾を殺害するための作戦においては森崎や郷田飛騨守を中心とした治夏の側近組以外が活躍した。

 

要は囮も立派に当主の役割なのだ。ただし、囮には危険もつきまとうものだ。

 

けれども、その危険も十師族という強力な戦力が隣にいれば、かなり緩和される。加えて、克人と二人で旅行もできるのだから、正にいいこと尽くし。とはいえ、進んで危険を冒したいわけではない。だから、治夏はせいぜい人の多い観光地を狙って動き、裏で動く実行部隊の秘匿の一助となれればよい。

 

「では、京都でお会いできることを楽しみにさせていただきます」

 

本音は心の奥に隠し、治夏はそう言いながら微笑みかけることで会談を終わりとしたが、達也も真由美も最後まで、どこか胡散臭そうな目が和らぐことはなかった。

 

ともかく十文字関連での治夏の信用度が著しく低いということだけは思い知った。



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古都内乱編 伝統派との争い

十月二十日、土曜日。

 

吉田幹比古はエリカとレオと共に、探査の術式を派手に使いながら論文コンペの会場となる新国際会議場の近隣を歩き回っていた。これは伝統派の神経を目一杯逆撫でして敵をいぶりだすためのものだ。

 

敵が仕掛けてくれば、それもよし。仕掛けてこなくとも探査式が大陸系の術者の居場所を探り出してくれる。どちらの結果がでても悪くはない。

 

会議場は外国人を逗留させることを前提としていて、ホテルはもちろんのこと広い緑化公園も近くに設けられている。宝ヶ池と言う湖まではいかないが大きな池に臨み、池の周りを緑豊かな里山が取り囲んでいる。

 

状況が変化したのは、コンペの会場を宝ヶ池の対岸から観察しているときだった。

 

背後に迫る小高い里山から押し殺した気配が漂ってきたのを、まず幹比古が、それにほとんど遅れることなくエリカとレオが察知した。

 

「来たみたいね」

 

エリカが幹比古の左隣に駆け寄り、日傘を傾け下からのぞき込むようにして囁いた。

 

「山の中からか?」

 

レオがエリカと幹比古の間に割って入るように首を突っ込んで、やはり低い声で囁く。

 

「気配は山の中にしか無いけど、敵がそこからしか出てこないとは限らないよ。襲ってくるのは人間だけじゃないかもしれないんだ。注意して」

 

幹比古は不快に感じているように装いながら振り返り、レオに注意する。

 

それからほどなく、三人に目掛けて鬼火が降り注いできた。すかさずエリカが手にしていた日傘を振り抜くと、傘の部分が抜け、柄に偽装した得物が現れる。

 

「はっ!」

 

気合一閃、銀色の細い杖、あるいは銀鞭とも言うべき武装デバイスが振るわれ、鬼火が打ち落とされる。

 

第三波まで続いた鬼火の雨が止んだ。しかしそれで襲撃が終わりであるはずもない。

 

赤や黄に色づいた葉を巻き上げて、今度は風の刃が押し寄せる。

 

「任せて」

 

ここで幹比古が前に出た。古式の術式による風の刃なら、古式の名門として幹比古は負けるわけにはいかない。

 

金属の呪符を束ねて扇にした術式補助具から、敵と同じ風の刃の術を選び取る。

 

空中に火花が散り、後から発動したにも拘わらず、幹比古の風の刃は敵の刃を全て弾き返した。

 

「うりゃあ!」

 

そのとき敵の次の攻撃に意識を向けていた幹比古の背後でレオが吼える声が聞こえた。振り返ると、レオの拳が唸りを上げて黒いセーターの男に叩きこまれるところだった。その男はレオに殴られながら、自ら後ろ向きに飛んで威力を殺して間合いの外に逃れる。

 

「忍者か、こいつら?」

 

伝統的な忍者装束とはまるで違う、現代的な、当たり前の格好。だがその右手に構える苦無を見るまでもなく、左手の巻物を見るまでもなく、その人影は忍者だった。

 

三人、五人と人影が増えていく。しかし、それに全く怯むことなく、レオは前に足を踏み出そうとしている。

 

それは勇敢な行動だった。しかし、些か思慮に欠ける行動でもあった。

 

忍者の一人が右からレオへの不意打ちを狙っている。左からは古式術者が風の刃を放とうとしている。

 

一人であれば、レオはやられていただろう。けれど、今は幹比古たちもいる。

 

右の忍者はエリカが迎撃した。左の魔法師からの風の刃は、幹比古が風の刃で相殺した。態勢を立て直すため、三人は背中合わせに固まる。

 

「レオ、心は熱く、意識は冷静に、よ。一人で戦ってるんじゃないんだからね」

 

エリカの忠告に、レオが軽い謝罪を返した。

 

「さて、と。それじゃ改めて」

 

レオがガツッと音を立てて左右の拳を打ち合わせた。

 

「側面の敵は任せなさい」

 

エリカが銀色の武装デバイスを一振りして構えを取る。

 

「援護は任せて」

 

そして、幹比古は術具を扇状に開いた。

 

忍術使いたちは八人。個々の実力では幹比古たちに及ばないようだが、数的不利はやはり厄介なものだ。

 

「さて、そろそろ参ろうか」

 

そのとき不意に場違いなほど落ち着いた声が、その場に響いた。そして次の瞬間には次々と飛来した魔法が八人の忍術使いたちに襲い掛かった。

 

ある忍術使いは飛来した炎を、口から噴いた火で迎撃しようとしていた。しかし、噴いた火は空中で反転して使用者の顔を焼くだけに終わる。そこに火球が飛来したことで、その忍術使いは一瞬で戦闘能力を奪われた。

 

また、別の忍術使いは分身の術で攻撃を躱そうと試みていた。しかし、その術も精霊魔法で解除され集中攻撃で倒された。

 

幹比古の目から見て、攻撃を行っている術者の個々の実力は、忍術使いたちよりも上だ。そして、それが忍術使いたちの倍はいる様子だ。忍術使いたちに勝ち目はない。幹比古の予想通り、手を出す暇もないまま忍術使いたちが全員、戦闘能力を奪われる。

 

とりあえず忍術使いたちを倒した者は敵ではないと思いたい。というか、どこの所属かは何となくだが分かっている。しかし、確証まではない。どうすべきか迷っていると、林の中から一人の大柄な男が歩み寄ってきた。

 

「和泉守様のご学友であられるな。某は宮芝家の郷田飛騨守である」

 

「吉田家の吉田幹比古です」

 

「では、吉田殿、挨拶の前に次の敵を片付けようか」

 

そう聞いた直後、幹比古は扇形デバイスを構えて郷田が現れたのと別の林を睨みつけた。同時に探査用の式神を放つ。

 

「見て!」

 

幹比古が術の発動を捉えたのと、エリカがそう叫んだのは同時だった。エリカの視線の先にある池の中からは、水で形作られた四匹の小さな怪物が飛び出してくる。

 

「化成体か!?」

 

「違う! 水を材料にした傀儡式鬼、一種のゴーレムだ! 実体を持っている!」

 

レオに答えを叫び返しながら、幹比古は瞬きもせず怪物たちを凝視した。

 

四匹の怪物は皆、洪水を引き起こすと言われている怪物のミニチュア版。これは明らかに、大陸の古式魔法師が放つ術だ。

 

「子供騙しだな」

 

しかし、そんな怪物たちを郷田はそう評した。そして、その言葉通りに次の瞬間には怪物たちは形を失い、水に還った。

 

「さすがは隠岐守」

 

郷田が呟いたところから考えて、大陸の術士の魔法は宮芝家の高位術士によって解除されたようだ。

 

しかし敵の攻撃は、それだけでは終わらなかった。

 

池の水が渦を巻く。最初は緩やかに、すぐにスピードを増して。

 

そして、ごうごうと音を立てて、回転する渦の中央から、泥水でできている異形の大蛇が首をもたげた。

 

「相柳!?」

 

九の人面を持つ巨蛇。洪水の悪神「共工」の直臣と言われる大陸有数の大妖怪。相柳が現れた地は水が腐り果て、実りをもたらさぬ沼地になったという。

 

九つの人面の口が、細く濁った水流を吐き出した。

 

「風壁!」

 

それを郷田は腰の刀を一閃させつつ発動させた魔法で防いでいた。弾き飛ばされた飛沫が草地に落ちると、そこにあった雑草が泡を立てて溶け始めた。

 

「腐食の呪法か。しかし、和泉守様の魔法には遠く及ばぬな」

 

呟いた郷田が刀を構える。

 

「合わせよ!」

 

そして、叫ぶと同時に刀を袈裟懸けに振り下ろした。振り下ろされる直前に、郷田の刀に増幅の魔法が四重に重ね掛けられたのを幹比古は確かに見た。他人の魔法を強化するのは非常に難易度の高い技術のはず。けれど、宮芝の術者たちはそれを難なく行っているように、幹比古の目には見えた。

 

増幅された太刀風が相柳に向かって飛んでいく。相柳が飛来する魔法に耐えようと体の前面に魔法力を集めようとしている。

 

「脇が甘いぞ」

 

郷田が笑う。そこで幹比古は、相柳の懸命の防御を嘲笑うかのように横手から同質の魔法が放たれていたのに気が付いた。

 

無防備な横手からの斬撃に九頭人面蛇身の巨体が両断される。

 

怪物の傀儡式鬼を作るという結果が崩されたことで、傀儡形成の魔法も崩壊した。相柳は形を失い、ただの水飛沫となって池の水面を打つ。

 

納刀した郷田が池に背を向けて幹比古の方に向かってくる。

 

「吉田の直系の力、しかと見させていただいた。その若さでたいした腕をお持ちだ」

 

「恐れ入ります」

 

「あの、敵の方術士を探さなくていいんですか?」

 

術者を倒したわけでもないのに、のんきに挨拶をしているように見えたのだろう。エリカが疑問の声をあげた。

 

「いや、その心配はないよ」

 

「どうしてそんなことが言えるのよ!」

 

「……論より証拠だ。見に行こう」

 

「その言い方からすると、方術士とやらは無力化されているのか?」

 

レオの質問に言葉では答えず、幹比古は首を縦に振った。

 

忍術使いたちを回収している郷田たちと離れて林の中に入って少しのところに、方術士の亡骸は転がっていた。

 

「……術を破られた反動だよ。傀儡を操作する系統の古式魔法は、魔法発動後も術式の本体と術者の精神がつながり続けている」

 

だから、術を破壊されれば術者も死を迎えることになる。そして、あの郷田という術者は術式を破壊するのに何の躊躇いも見せなかった。おそらく、術式を解除する術も有していたにも関わらず。

 

「敵は逃がさない。それが宮芝の戦い方ということか……」

 

宮芝の術者の考えを改めて目の前で見せられた幹比古は、知らずそう呟いていた。そして、幹比古は未だ、これが伝統派と宮芝の開戦の狼煙であることに気づいていなかった。



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古都内乱編 京都観光(前)

十月二十一日、日曜日。

 

宮芝和泉守治夏は十文字克人とともに京都の地に降り立った。治夏たちの任務は、宮芝家が伝統派の拠点の捜索を行うための補助、と克人には伝えている。具体的には、ときどき探査の術式を打って伝統派の気を引き、相手が偵察に出てきたところを、周囲を見張る護衛部隊に捕らえさせる、というものだ。

 

とはいっても、これは建前という面が大きい。すでに宮芝家の術士たちは各地で伝統派の拠点を潰し始めており、治夏の行動は引っかかる間抜けがいれば儲けものという程度。治夏の真の目的は、克人との単なる京都旅行。要するに真由美からかけられた疑いは、完全なる当たりだったわけだ。

 

ともあれ後悔なんてない。建前を用意した上で自分の欲望を満たす。これは人の上に立つ際には大事なことだ。

 

「克人、宮芝の出自は京都だからね。だから今日は私が案内するね」

 

克人はしっかり京都観光を行ったことはないらしい。ならば、いきなりディープな場所よりも有名どころを抑える方向がいいだろう。

 

というわけで最初に訪れたのは蓮華王院の三十三間堂だ。宮芝の歴史よりも、なお古いお堂の中には千手観音座像が本尊として安置されている。左右に並ぶ千体の観音像には必ず会いたい人に似た像がいると有名だ。

 

ということは、治夏が深夏であった頃の母に似た像もあるのだろうか。探してみたい気もする。けれど、もしも見つからなかったときは。或いは逆に見つけてしまったときは。そのときに治夏がどんな顔をしているか、それが分からない。

 

楽しい京都旅行の最初から、克人に心配をさせてしまうわけにはいかない。それに声が聞こえるほどの近さではないとはいえ、護衛たちもいるのだ。今日は見合わせよう。

 

多少、後ろ髪を引かれる思いを抱えつつ、お堂の外に出ると、一応、探査の術式を打つ。が、このような歴史も人目もある場所に伝統派が隠れているはずもなく、当然のことながら何事も起きない。

 

「残念ながら、ここには敵の手は及んでいないようだね」

 

「ならば少しくらいは残念そうに見せたらどうだ。ここに敵がいないことは分かっていたのだろう」

 

「ここまで敵に毒されていたら、逆に残念で仕方ないところだよ」

 

「それは確かにそうだが……」

 

「なんでもいいよ。それより次に行こ」

 

次に治夏たちが目指したのは清水寺である。実はこの場所は昨日、達也たちが訪れ、すでに何もないと調べがついている。それにも関わらず足を運んだのは、言うまでもなく単に克人と来たかったというだけだ。

 

古より時が流れ、今では清水の舞台より遥に高い建物などいくらでもある。それでも尚、舞台上から眺める京都の町並みは輝きを放ち続けている。

 

「朝靄の中の京も良いけど、私はすっきりと晴れやかな昼間の方が好きかな。だから、この時間にしてみた」

 

「なるほど、深夏は何度かここを訪れているのか?」

 

「残念ながら、今日で四回目。私の家は東京といっても山の中になるから、そう簡単には来られないよ」

 

何度も来ることはできていない。けれど、ここから見る景色こそが、遥かな昔、宮芝の初代たちが守らんとしたものに思えてならないのだ。だから、これまでは宮芝の行く末に悩んだときに来ることが多かったのだ。

 

けれど、今日だけは何も考えずに楽しむことをお許しください。この地に眠る宮芝の草創期を支えてくださった皆様。

 

「じゃ、次に行こ、克人」

 

「ああ、そうだな」

 

軽く祈りを捧げ、治夏は大きな克人の手へと自分の右手を伸ばす。

 

清水寺への参拝の後に二人で向かったのは、参道の途中にある店だ。伝統派の一派を率いている者が経営している店ということだが、伝統派とはいっても外国勢力に協力する者たちとは一線を画していたと達也たち経由で聞いている。そして、深雪経由で湯葉鍋がおいしかったことも。

 

治夏も湯葉鍋を注文し、時間がかかることも聞いていたので手持ち無沙汰とならないように克人にも同じものを注文させた。豆乳を温めて、表面の幕を竹串で引き上げて食べる。工程に時間はかかるが克人とのおしゃべりの時間としては悪くない。

 

一時間以上かけて食事を終えると、気持ちばかりのお仕事の時間だ。治夏は店の奥に向けて式神を飛ばして店主を呼び出す。そうして主人も席につけると遮音結界を展開する。

 

「さて、私は昨日、貴殿が伝統派を抜ける決断をしたと九島の倅から聞いて訪れたのだが、誤りはないか?」

 

「はっ、間違いございません。和泉守様」

 

実際には目の前の店主がそこまで決断をしたという連絡は受けていない。けれども宮芝からこのように問われて敵対を続けると明言できるのは、馬鹿としか言いようがない。

 

「ならば、これからは我らの手足となって働くがよい」

 

「仰せのままに」

 

仰々しい言葉は交わされているが、この場は遮音結界を張っただけの店内。目立つのを避けるために伝統派の術士も僅かに頭を下げたのみだ。

 

「追って指示を与える。まずは己の言葉に偽りがないことを行動で示せ」

 

そう言って治夏は席を立った。必要ならば粛清も行うが、無意味な血を流すことはない。切り崩しが可能ならば、その方がよっぽど良いに決まっている。

 

そのまま代金は店主持ちにして出ようと思ったが、克人に襟首を掴まれた。弱い立場の者に負担を押し付ける行為は、克人には許せないことだったらしい。

 

克人にお小言をもらいながら店を出る。近場で有名どころということで、次の目的地として選んだのは八坂神社だ。

 

「ねえ、克人、私、自分の好みでお寺とか神社ばっかり回っちゃってるけど、克人は今のままでいいの?」

 

その途中、ふと不安になって克人に尋ねてみた。

 

「ああ、俺も歴史のある建物は好きだから問題ない」

 

克人の言葉は完全に本音でも完全に嘘でもなさそうだった。観光地と考えて回るのは嫌いじゃないけど、普段からあちこち回っている、というわけではなさそうだ。そういえば、初詣のとき、お祭りにあまり行ったことがないと言っていたはず。だとすると、ここらで趣を変える必要があるかもしれない。

 

けれど、趣を変えるといっても、嵐山方面は敵に取り込まれているという情報があった場所だ。あまり近づきたい場所ではない。

 

となると、もう少し別の場所を、と思ったところで、ふと思った。克人ならば半端者ばかりの伝統派の術者の攻撃など、なんということもないだろう。そして治夏も古式の術に対しては後れを取るつもりはない。

 

ならば嵐山訪問に向かったとしても何でもないのではないか。むしろ、二人で危機を乗り越えることで絆が深まるかもしれない。

 

腕の中に治夏を庇いながら襲い来る敵と雄々しく戦う克人の姿が思い浮かんだ。治夏の周囲は村山右京、山中図書、皆川掃部の三名が密かに護衛についている。郷田飛騨が率いている隊からも十名程度を回させれば、おそらく危険は皆無になる。

 

伝統派の粛清は本当なら部下たちに任せるつもりだったが、別に治夏が行ってはならないということはないのだ。部下たちに克人の強さを見せるためにも、一緒に戦うというのは悪いことではないはず。

 

「克人は、今日は荒事を避けた方がいい?」

 

「どういうことだ?」

 

「実は先程の伝統派の術士から、嵐山が怪しいという情報を得ててね。せっかくだから調べておいた方がいいかも、って思いと、このまま何事もなく一日を終えたいな、って気持ちがあって私も悩んでるとこ」

 

「気になるなら、見ておいた方がいいだろう」

 

「克人は危険なことに巻き込まれて、嫌じゃないの?」

 

治夏は僅かに瞳に不安を覗かせて尋ねた。

 

「今更だ」

 

その不安を、克人は綺麗に笑い飛ばしてくれた。



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古都内乱編 京都観光(後)

午後三時、宮芝和泉守治夏は十文字克人と密かに随行する十三名の護衛とともに嵐山公園亀山地区、小倉山南東部丘陵地を登っていた。公園の坂を登り切り「竹林の道」という案内板が指し示す方角へと向かう。

 

「当てはあるようだな」

 

「当然でしょ。私が克人との貴重な時間を割くんだよ」

 

進み始めて少し、治夏たちに向けて鬼火が降り注いできた。

 

「克人!」

 

「見えている!」

 

克人が即座に発動させた防壁魔法が鬼火を完全に消し去る。

 

「右京、図書、掃部、敵を捕らえよ!」

 

「承知いたしました。十文字殿は和泉守様の守りをお願いいたします」

 

代表して右京が答え、鬼火が飛んできた方向へと向かっていく。その姿を見送りながら、治夏は克人が守りやすいように、そっと身を寄せる。ちなみに、これはあくまで守りやすいようにしただけで、けして他意はない。

 

次に襲い掛かってきたのは風の刃だった。しかし、三流の術者に克人の守りが破れるはずがない。綺麗に霧散し、治夏にはそよ風も届かない。

 

続いて左右の竹林から細い紐が伸びてきた。青、赤、白、黒、黄の五色で編まれた組紐からはキャスト・ジャミングに似たノイズが感じられる。この紐の正体は、密教系の古式魔法師が使う羂索であろう。

 

克人のファランクスは多重防御魔法。この程度では破れない。壁を一枚破ったところで何の意味もない。しかし、このままでは治夏は本当に何もしないままとなってしまう。宮芝の当主としては、守られてばかりというのも気分が悪い。

 

「身代われ!」

 

命じながら、治夏は懐から人型の呪符を取り出して投げつけた。組紐は身替わりの呪符に絡みついてただの紙に変える。しかし、代償として自らも魔法力を失い、ただの紐となって地面に落ちた。

 

それにしても、予想以上に敵の数が多いように感じる。敵戦力を探るべく結界破壊の術を乗せて、探査の術式を放った。返ってきた反応は十三。対する治夏の側近が三人と通常の護衛が十人。治夏と克人を入れて一応の数的優位は保てているが、宮芝が理想とする一人当たりに二人には遠い。

 

ここは一度、後退をして四十人程度を率いて出直すか。考えているうちに治夏の前に六人の密教系の古式魔法師が姿を現した。それを見て治夏のみならず十文字も怪訝な顔つきとなったのが見えた。

 

古式魔法は現代魔法にスピードで劣る。これは治夏であっても覆せない古式と現代魔法の歴然とした差だ。古式魔法全体を傍系に落としてしまったその差について、古式魔法師が知らないはずがない。

 

同じ古式系の宮芝家の術士たちだけならば密教系魔法に存在する高速化技術を頼みに、直接の対峙に臨むという考えもありえないわけではない。しかし、ここには明らかに現代魔法を使っていた克人もいるのだ。正面に姿を晒すのは愚策というよりない。

 

「カン!」

 

警戒する治夏たちを嘲笑うように古式魔法師が一言だけ叫んだ。その直後、術者の右手が一斉に燃え上がった。

 

「俱利伽羅剣か」

 

この術は敵にとっては切り札だったのだろう。しかし、治夏にとっては、酷く詰まらない魔法でしかない。だが、この敵失、逃す手はない。

 

敵の術士の燃え続ける右手からは、渦巻く炎が竜のように纏わり付く両刃の直剣の形を模した炎が作られている。右手の肘から先は早くも黒く炭化し、タンパクの焼ける嫌な臭いが漂いだしている。

 

「封呪」

 

治夏が術式を放った瞬間、男たちの右手にあった俱利伽羅剣が消え失せた。後に残ったのは右手を失った古式魔法師たちだけ。古式魔法師たちの俱利伽羅剣は単に自らの戦闘能力を大幅に低下させただけに終わる。

 

「これならば我らの勝利は固かろう。皆、落ち着いて片付けよ」

 

相手は右腕を焼かれた状態なのだ。焦って攻めずとも、じっくりと時間をかければ自然と天秤はこちらへと傾く。

 

「返呪」

 

そうして敵が半数ほど倒された段階で、古式魔法師の死体に手を触れ、治夏は呟く。次の瞬間、竹林の中から絶叫が上がった。全身を炎に包まれた高齢の方術士が、茂みの中から転がり出てくる。

 

治夏の魔法は単に呪術による炎を消しただけではない。一度、封じた上で増幅して術者に返すための布石だった。

 

その結果が、炎に全身を焼かれている現在の方術士だ。もはや逃れる術はない。

 

もがくように動かされていた腕が大地に伏せる。なおも炎は勢いを緩めず、その身体を完全に焼き尽くし、灰へと変えて空に消えるまで火が消えることはなかった。

 

「この魔法は何だ?」

 

「元は不動明王の持っている降魔の力を借りる俱利伽羅剣という正当な魔法だよ。けれど、今回の魔法は他人の腕を、剣を構成する材料にしてしまうという呪術でしかない」

 

吐き捨てるように言った治夏の口調で不快に思っているのは伝わったのか、克人はそれ以上の質問をしてこなかった。

 

「さて、克人。このまま敵の本拠に乗り込むというのでいい?」

 

「これだけの騒ぎを起こしたのだ。急がなければ逃げられてしまうのだろう?」

 

「うん。じゃあ、お言葉に甘えて」

 

今は時間が惜しいので捕らえた敵集団は殺して竹林の中に埋め、治夏たちは道から外れて竹林の中を進んでいく。なお、術者たちは殺害したことを克人に気づかれないように一旦は縛り上げた後に、離れた場所で始末させた。

 

後始末のために護衛二人を欠いた状態で治夏たちは進む。敵はどうやら自分たちの痕跡を辿られると思っていなかったらしく、敵の本拠は比較的容易に見つけられた。

 

そこにあったのは一見すると、地方によってはまだ残っている、町村の集会所のような建物だった。中では敵が待ち伏せをしているかもしれない。

 

手早く合図を送ると同行している十一名が建物を中心に円を作るように立つ。部下たちが配置についたところで治夏は探査術式を放った。精霊を使ったものなので古式魔法師であれば何らかの反応があるはず。

 

治夏の予想通り、探査を行っていた精霊の一体が消される気配がした。これで確定。相手は古式魔法師だ。

 

「仕掛けよ!」

 

治夏の声を合図に十一名の術士たちが一斉に魔法を発動させ始める。十一人がかりで生成しているのは可燃性のガスだ。それを中にいる古式魔法師たちに気づかれないように建物の屋根付近に充満させていく。

 

「全員、伏せよ!」

 

命じながら治夏は建物の真上に充満しているガスに向けて種火の魔法を放つ。宮芝の術士たちの魔法を見て何をしようとしているか察していた克人はすぐに治夏の前に障壁を展開してくれた。

 

種火がガスに到達した。次の瞬間、轟音とともに建物の屋根が崩落する。

 

「斉射!」

 

無論、これで終わりではない。古式魔法師でも防御魔法を使えば、あれくらいの爆発なら乗り切れるはずだからだ。

 

魔法同士が干渉しあうことを防ぐため、可燃物を作っては中に放り込むという方法で対象への直接攻撃を避ける。そうして護衛たちが牽制攻撃を行う中、右京、図書、掃部の三人は強力な魔法の準備を続けていた。

 

「豪炎雷火」

 

右京が種火を作り、図書が育てて大きくし、掃部が標的の座標を指定して落とす。工程の分担により必要魔法力を低下させたことで実現可能となった炎の雷が燃え上がる建物へと降り注いだ。さすがにこれには耐えることができなかったのか、建物の中から火に包まれた人影が続けざまに三人、転がり出てくる。

 

けれど、それは飛んで火にいる夏の虫というやつだ。包囲していた宮芝の術士たち雷撃の魔法が古式魔法師を撃ち抜いていく。

 

火勢がいくらか収まったところで探査を飛ばしてみる。もはや中に生存者はいない。

 

「掃部、中の調査を頼む」

 

命じられた掃部が護衛役三人を引き連れて中の調査に入っていく。

 

「深夏、少しやりすぎではないか?」

 

それを見送っていると、克人から小声で窘められた。

 

「そうは言っても、私たちは十文字のような強者ではないので。待ち伏せされた屋内に突入なんて危険な手は取れないよ」

 

「それはそうかもしれないが……」

 

克人の歯切れが悪いのは、今回の戦いの内容が調査ではなく殲滅だったこともあるのだろう。この部分ばかりは根は民間人の克人と汚れ仕事をこなす宮芝とでは、なかなか考え方を合わせるのは難しい。

 

考えているうちに掃部が建物の焼け跡から出てきた。その手には密教系の古式魔法師が使う法輪や独鈷杵などの法具がある。

 

「確かにこの地は密教系の古式魔法師の拠点であったようです」

 

「分かった。敵の殲滅は完了した。皆、帰投するぞ」

 

掃部の報告を聞いた治夏は部下に向けて命じる。こうして後半部は戦闘面が強くなった、治夏の克人との京都旅行は終わりを迎えた。




投稿を忘れてました。


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古都内乱編 宇治の撫で斬り

十月二十七日、土曜日。論文コンペを翌日に控えたこの日、宮芝和泉守治夏は四台の大型トラックを引き連れて国防陸軍宇治第二補給基地の付近にいた。

 

この基地の指揮官の一人である波多江大尉は対大亜連合宥和論者であると同時に、大陸の古式魔法に傾倒し現代魔法師を「百年足らずの歴史しか持たない成り上がり」と考えている墨守傾向がある軍人だと聞いている。

 

この傾向は大なり小なり京都の人間にあるように見える。もっと言うなら、そもそも京都は魔法師嫌いが多いのだ。

 

そのような地ゆえ、すでに周公瑾が接触を果たしている以上、精神汚染がされている可能性が極めて高い。ゆえに未だ大亜連合との戦火の消えきっていない現状では極めて危険な対象として殲滅が完了した伝統派に続く標的としたのである。

 

宮芝が重装甲の敵と相性が悪いことは横浜で十分に学習した。そして、この基地内には相性最悪の戦車が配備されている。ゆえに本作戦は万全の体制を整えている。

 

まず参加人員から治夏自身に村山右京、山中図書、皆川掃部といった側近に呂剛虎、森崎、小早川といった新参の現代魔法師、郷田飛騨守、一柳兵庫、松下隠岐守といった宮芝の有力者までが揃い踏みである。これに後方支援に加わる人員を含めて、総勢は八十名。

 

加えて、関本勲に六体のパラサイト関本、四十八機の量産型関本もいる。オリジナルの関本は本陣に残し、六体のパラサイト関本にそれぞれ八機の量産型関本を付けて苦手な敵を任せてしまおうというわけである。なお、そのために各パラサイト関本には二体の予備機も用意されており、バックアップ要因として平河姉妹も待機している。

 

「総員、配置に付いたようだな。隠岐守!」

 

治夏が命じると高位の結界術士である松下隠岐守が封鎖結界を展開する。これで結界内から外には出られなくなる。続けて隠岐守配下の術者が幻影結界、遮音結界と展開していく。これらは中が平穏ないつもの基地であるように見せるためのものだ。

 

「関本全機、攻撃開始!」

 

オリジナル関本からパラサイト関本へ、パラサイト関本から量産型関本へと命令が伝えられる。この連絡はパラサイト同士の特殊な念話で実行される。一部の古式魔法師には傍受されうることは課題だが、今回は傍受されたところで問題ない。トラックから飛び出した量産型関本たちは、すでにミサイルランチャーを発射している。

 

四十八機の関本たちが肩上の装弾数四発のミサイルを一斉発射する。さすがに古式魔法師である宮芝の改修品というべきか、数機の関本で不発があり、二機の関本が爆発事故で戦闘前から戦線離脱することになっている。

 

「これは、とても人には持たせられぬな」

 

「和泉守様、普通、人がミサイルランチャーを肩に担いで発射することはございません」

 

「……それもそうだな」

 

ともかく、基地内には百八十発ものミサイルが降り注いだ。緊急警報が鳴り響くが、もはや着弾まで幾秒もない。なにもできることはないはずだ。

 

関本たちはすでに跳躍の魔法を用いて基地内に踊り入っている。慌てて出てきた敵兵は上空から侵入していた小早川の機関砲を受けて吹き飛ばされた。

 

こちらが最初から全力攻撃を行っているのだ。当然ながら敵も遠慮はしてくれない。

 

対魔法師用に威力を高めた銃器が使われ、量産型の関本に損傷を与えている。量産型関本は全機、培養されたものとはいえパラサイトを定着させている。念動力を用いて被害を最小に収めつつ前へと進み続ける。

 

同時に敵が量産型関本に目を奪われているうちに幻影魔法で身を隠した宮芝の術士たちの狙撃が敵兵を削っていく。横浜では頼りになる前衛がいなかったため苦戦したようだが、本戦では敵の目がどうしても迫りくる量産機に向かうため、存分に威力を発揮した。

 

「和泉守様、戦車です」

 

治夏が目を向けると、建物の陰から轟音と共に戦車が現れるところだった。戦車は四両で、戦列を組んでいる。

 

「関本たちを退かせろ」

 

市街戦用に分類される小型の車種だが、それでも戦車に正面から挑むというのは馬鹿のやることだ。宮芝が現代魔法師として優秀ならば四人くらいでも対処できるのかもしれないが、残念ながらパラサイト関本も高火力というわけではないのだ。

 

量産型関本の攻撃で戦車の装甲を抜けるのは、至近距離からの高周波ブレードのみ。一方で戦車砲を受けられるような防御魔法を持っていない。それゆえに幻影魔法で関本たちの姿を消し、じっと懐に入るのを待つ。

 

戦車には魔法師は乗り込んでいないようで、搭乗員は関本たちの姿を見失っている。やむなく未だ戦闘音の続いている方向へと車両を向けた。姿を消している量産型関本たちに気づくことなく、戦車が通過しようとする。

 

その瞬間、幻影魔法を解除して量産型関本たちが襲い掛かった。比較的装甲の薄い側面を狙って高周波ブレードを差し込み、空いた穴の中に手榴弾を放り込む。爆発音が響き、戦車が次々と沈黙していく。それを遠目に見ながら治夏は右京に尋ねる。

 

「戦車はこれで全部か?」

 

「そのようにございます」

 

「歩兵の掃討は?」

 

「屋外は完了。これより建物内の掃討に移ります」

 

「分かった。量産型関本を先頭に突入せよ」

 

右京からオリジナル関本へ、オリジナルからパラサイト関本へと命令が伝達されていく。事前情報通り、どうやら魔法師の配備はないようだ。或いは伝統派の一部が合流している可能性を懸念していたのだが、さすがにそこまで腐敗してはいなかったらしい。

 

「第一区画、制圧完了。第二区画も八割がた掃討完了」

 

順調な報告を聞きながら、少しばかり陰鬱な気持ちとなる。この基地は指令部が危険だが、だからといって末端まで敵性分子というわけではない。

 

しかし、ある日突然、同僚たちが敵に内通の疑いありとして次々と殺されていって、お前は対象外だからこれからも励めと言われたとして、これまで通りの働きを見せてくれるか。間違いなく、答えは否であろう。

 

例えそれまで忠誠心に溢れていた者でも、周囲の者が何人も殺されれば、不信感を募らせることになる。そして、不信感を抱いたまま他所で不満を吐き、いずれは次なる不穏分子になっていく。

 

だから、敵に通じていようといまいと、この基地は一旦、撫で斬りにすると決めている。中には治夏たちと同じく国を守るという思いを持ち続けている者もいよう。けれど、それを確かめることは難しい。

 

結局は宮芝の安全と効率のため、今日、この基地の者たちを私は殺す。

 

思うことがないわけではないが、ここは戦場だ。感傷に浸っていて狙撃でもされては目も当てられない。

 

同じ思いの者を殺すのなら、せめてその思いを継いで必ず国のためとする。勝手と罵られても仕方のない考え方だが、そのくらいしか治夏にできることはないのだ。だから、せめてできることを。

 

さすがに軍事基地であるため、内部の詳細な図面は手に入らなかった。波多江を捕らえるには今少し時間がかかるだろう。

 

断続的に聞こえてくる発砲音、傷ついた兵たちの呻き声、漂ってくる血の匂い。若い女性兵士の亡骸の懐から見えた幼い子供の写真。これが侵略者であれば、殺された味方のことを考えて非情になることは難しくない。

 

けれども、この場所は……。

 

今日のことは克人にも言えない。これは胸に秘めておかなくてはいけないことだ。私の保身のために。

 

……ああ、本当に嫌だ。

 

「司令部を発見、波多江大尉の殺害を確認いたしました」

 

「分かった。このまま掃討を続け、撤収するぞ」

 

苦い思いを呑み込んで、治夏は報告をしてきた右京にそう命じた。




古都内乱編終了。
後の方は単なる粛清の嵐。


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継承編
継承編 クリスマス


西暦二〇九六年十二月二十五日、火曜日。二〇九六年度の二学期最後の日。

 

いつもと違うのは授業が午前中で終わることのみ。終業式に該当するセレモニーは無い。

 

成績表が渡されるということも無い。成績については完全な自己責任で、進級・卒業が危ぶまれる生徒のみ保護者に呼び出しが掛かる。

 

それでも定期試験が行われない一般教科の評価点を含めた総合評価に自分でアクセスしている者も多い。その姿を宮芝和泉守治夏はぼうっと見つめていた。

 

二年生になってから、治夏の授業態度はますます酷くなっていた。授業には代役を立てて、風紀委員室で自分の研究に励むことの方が多い。試験も他人が受けたもの。だから興味など沸くはずもない。

 

ふと、自分は何のために学校に通っているのだろうと疑問に思うことがある。元々、中卒でも良いと思っていたし、古式の魔法師として生きていくなら、高校卒業の資格などなくても全く困らない。

 

魔法大学の資料にアクセスできる権限は魅力だが、内部に複数の協力者を抱え、教師陣にも影響力を行使できるようになった今は、学校に通うのは必須ではない。協力者に調べてもらえば済む話だからだ。

 

では、なぜ治夏はわざわざ通学をして、風紀委員室で研究を行うのか。それは、設備等以外に理由がある。

 

「行こ、和泉」

 

「うん」

 

エリカに誘われて、一緒に教室を出る。向かう先は行きつけのアイネブリーゼ。友人たちと過ごす他愛ない会話の時間を治夏は好ましく思っていた。朝と、昼食時と、放課後の僅かな時間を目当てに学校に通ってしまうくらいに。

 

すっかり暗くなった五時半に、治夏はエリカと通学路から一本脇道に入った喫茶店の扉を開いた。中にはすでに生徒会活動を終えた達也たちが待っている。今日のアイネブリーゼは貸し切りで一日遅れのクリスマスパーティーが開催されることになっている。

 

「遅かった?」

 

「いや、ちょうど準備が整ったところだ」

 

「おや、では準備に参加できなかったということではないか。悪かったな」

 

聞いたエリカに答えた達也に向けて言うと、今日の立ち位置はどこだ、と聞き返された。

 

「無論、達也の同級生だが?」

 

「それは俺の同級生のときの口調じゃないだろ」

 

言われてみれば、その通りだ。妙な感傷が感覚を鈍らせてしまったようだ。

 

「まあ、気にするな。ともかく、始めよう。エリカ、頼む」

 

「えっ、私なの」

 

「エリカが一番、上手いでしょ」

 

急に言われても、と言いながらもエリカは戸惑うことなくグラスを取る。

 

「それでは一日遅れとなりましたが、気にせずご唱和ください!」

 

そうして明るい声で呼びかけつつ、皆がグラスを手にするのを待つ。

 

「メリー・クリスマス!」

 

エリカが音頭の声を上げる。

 

「メリー・クリスマス!」

 

それに合わせて皆が声を上げた。

 

「ご唱和ありがとう! 欲を言えば日がある内にやりたかったけどねぇ」

 

「仕方ないわよ。エリカだってクラブがあったんでしょう?」

 

深雪の一言に、エリカが苦笑いを浮かべる。

 

クラブという言葉を聞き、治夏は一切の興味を示さなかった去年の春のことを少しばかり惜しいと感じてしまった。昔から魔法の練習のために早く家に帰り、中学校には通ってすらいない治夏はクラブ活動というものをしたことがない。

 

そこでも今のように友人ができたのだろうか。宮芝のためというわけでなく、別の何かを目標として打ち込むことができたのだろうか。

 

けれど、その考えを治夏はすぐに自分で打ち消した。治夏が宮芝と全く関係のない事柄に長時間を使う姿は、自分でも思い描けなかったのだ。きっと、クラブに所属しても上の空になってしまうだろう。

 

「うちの部は途中で抜けてもあんまり厳しいことを言われないんだけどね。深雪はそうもいかないか。生徒会長だもんね」

 

「わたしだけではないわよ。吉田君は風紀委員長だし、雫だって風紀委員の当番だったんでしょう?」

 

深雪に話を振られて、吉田は照れ臭そうに笑い、雫は短く「ウン」と頷いた。

 

「あたし、治夏が最近、風紀委員の当番の見回りをしているのを見ないし、しているところを見たって話も聞かないんだけど」

 

その話を耳にしたエリカが治夏にじっとりとした視線を向けてきた。

 

「別にさぼっているわけではないぞ。私の当番は関本が代わりに行っているからな」

 

「いや、関本さんは学校の警備員って名目でしょ。私的に使っていいの?」

 

「いいんだよ。天童から許可は取ってあるからな」

 

「……天童先生が和泉に逆らえるわけがないでしょ」

 

皆が揃って天童を同情する目になった。おかしい、治夏は天童にそれほど非道な行いをしたつもりはないのに。

 

「ほのかも生徒会役員だし、達也くんは『書記長』だし、暇なのはレオと和泉だけってわけだね」

 

「オレは暇じゃねえよ」

 

「私だって暇ではない。少なくともレオと一緒にするのはやめてもらえないか」

 

「それはオレのセリフだ。オレは和泉と違って部活をしているからな」

 

「私だってレオとは違って仕事をしている」

 

治夏がそう言うと、微妙な空気になった。治夏の仕事の内容を知っているからだろう。

 

「みんなの私の扱いが酷い気がする」

 

「いや、あれだけ学内でやらかして良い扱いを受けたいって無理だからな」

 

「レオ、そろそろ泣くけどいい?」

 

「どういう脅しだよ」

 

今日のパーティーはケーキも一人一切れずつ、量より味重視でマスターに用意させたと聞いている。そのおかげか、食事があると口が止まりがちになる、食欲旺盛な男子たちもお喋りに参加できているようだ。

 

「今年も、もう終わりですね……」

 

もうすぐお開き、という時間になって美月がしみじみと言った。その気持ちは治夏にも分かる。今日の他愛のないお喋りはとても楽しい時間だった。

 

「今年は平和だったね」

 

感傷的な雰囲気を嫌ったのか、エリカが陽気な声でそう答える。

 

「そうかなぁ、結構大変だったと思うけど」

 

吉田のセリフは、反射的に本心がこぼれ落ちたものだろう。

 

「幹比古は何に引っかかっているんだ?」

 

「……パラサイトの件だよ」

 

聞いた達也と答えた吉田が揃って苦い顔になる。達也の脳裏に浮かんでいるのは七体の関本に囲まれたことだろう。

 

「関本さんの告白事件だね」

 

「雫! それ、言わないで!」

 

達也と同じく軽いトラウマを持つほのかが、悲鳴に近い声を上げる。

 

「別に嫌がることもないだろう、関本の母」

 

「やめて! 私に子どもなんかいないから!」

 

まあ、急にアンドロイドの母と言われては、治夏だって困る。気の毒になってきたので、ほのかいじりはそろそろやめておこう。

 

「けど、エリカの肩を持つつもりはねぇけど、それでも去年に比べりゃ平和だろ。横浜事変みたいな騒動に巻き込まれなかったからな」

 

「あんなことが毎年起こってたまるものか」

 

レオのセリフに、達也が笑いながらすかさず反論する。

 

「そりゃそうか」

 

治夏を除く皆から賛同の笑い声が上がる。しかし、二か月前に国防軍の基地を襲撃して戦車と戦った治夏としては、笑える話ではなかった。

 

時刻は午後の七時になり、治夏たちは店の外に出る。宮芝の本家がある山の中と異なり、ここでは星がよく見えない。

 

今日は本当に楽しかった。だからこそ、少しだけ感傷的になってしまった治夏は、用事があると言って皆と離れて帰路につく。

 

近く、治夏は自分の将来についての決断をしなければならない。それは、ここ最近の宮芝や国家の行く末に影響を与えるものでなく、純粋に治夏個人に関することだ。気が楽と思える反面、指針とすべきものが見当たらず、それゆえに酷く不安でもある。

 

「来年の今頃、私はどこに向かって歩いているのかな」

 

誰もいない今のうちに、そっと心の内を吐き出して、治夏は自宅へと足を向けた。

 



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継承編 規律の弱い国防軍

十二月二十九日、土曜日。宮芝和泉守治夏は司波達也たちの乗ったキャビネットを三台の車の車列で追走していた。三台の車の中には治夏の側近の他に森崎、関本、呂剛虎、郷田飛騨などの腕利きと松下隠岐をはじめとした結界術士が控えている。達也たちの追走を始めてからほどなく、治夏の端末に達也から電話がかかってきた。

 

「どういうつもりだ、和泉」

 

達也の発した言葉は少ないが、自分たちが四葉の本拠に向かっていること、そこに宮芝が介入する意図を問うた言葉であるのは明白だった。

 

「勘違いしないでほしいな。私は別に四葉と事を構えるつもりはない。君たちが四葉の支配圏に無事に入り次第、我々は撤退させてもらうよ」

 

「何か掴んでいるということか?」

 

達也を狙っている者がいるということを伝えていることは、すぐに察してくれたようだ。話が早くて助かる。

 

「君たちでは少し対応に困るだろう。面倒を我々が引き取ってやろうというのだ、感謝して何か奢ってくれ」

 

「分かった。考えておく」

 

自衛目的以外の魔法の使用は違法行為だ。法律を守ることの方が少ない宮芝と違って街中では達也たちは身動きが取り辛い。達也はあっさりと面倒事は宮芝に任せる方針に舵を切ったようだ。

 

やがてキャビネットは小淵沢という駅に着き、そこで達也たちは四葉のものと思われる迎えの車に乗り換える。そのときには、すでに達也たちの様子を窺う目を確認することができるようになっていた。

 

治夏の情報網は、対大亜連合強硬派に属していた国防陸軍松本基地所属の矢口という中尉が、同地に存在する強化超能力者を収容施設から連れ出したことを掴んでいた。特定の異能力に目的を絞って強化措置を施された強化サイキックである強化超能力者たちは、国防軍の暗部ともいえる存在だ。矢口は、それを使って達也たちを狙っている。

 

このことが判明したのは、相手が幻像の投影体という宮芝が残滓から再生可能な方法を使ったためだ。だから、襲撃は必ずあると治夏は確信することができた。ゆえに行動に移すのも、迅速であった。

 

街を出て民家が途切れた瞬間、治夏は部下たちに攻撃開始を命じる。森崎、関本、呂剛虎、郷田飛騨の乗る攻撃役を乗せた車がスピードを上げる。達也たちの乗る車を追い抜くと同時に森崎が車の屋根に飛び乗り、下からせり出してきた重機関銃を撃ち始める。

 

前方で達也たちを待ち構えていた強化超能力者たちが銃弾の雨に薙ぎ払われる。しかし、相手も黙ってやられてはくれない。森崎の乗る先頭の車を目掛けて二発のグレネード弾が発射される。

 

森崎に続いて屋根に上がったのは、郷田飛騨だった。郷田は右手に二本の苦無を持つと、飛来するグレネード弾に投擲して打ち落とした。

 

続けざまに撃ち込まれた榴弾は、関本がパラサイトとしての物体制御で逸らせる。敵の攻撃は今の所、全く打撃を与えられていない。

 

ここで襲撃者たちも火器による遠距離攻撃だけでは倒せない相手であると悟ったようだ。襲撃者たちが背中から格闘戦用のナイフを引き抜いたのが、式神の送る映像で確認できた。敵が使うのは指を保護する幅広のガードがついた、ナックルダスターに刃を付けたような形状のナイフだ。

 

銃器に頼らない格闘戦を前提とした装備は、格闘戦に特化した人造サイキックならではの武器といえる。特殊ステンレス鋼で作られた刀身は帯電しており、躱しても不自然に溜め込まれた電荷の放出、火花放電によってダメージを受けてしまうことだろう。ナイフに溜め込まれた電力量は致死性。恐るべき武器と言える。

 

「ゴガアアァア」

 

ただし、それは相手が並みの魔法師であった場合だ。世界最高峰の近接格闘戦能力を持ち、剛気功で全身を強化した呂剛虎を相手取るには力不足だ。

 

突き出されたナイフは身体に当たる前に曲がり、振るわれた剛腕によって肉体を引き千切られる。その光景を見た別の男が、今度は加速の魔法も用いた全力の突きを繰り出してくるが、それでも結果は変わらない。呂剛虎の剛腕の前に彼もまた命を散らした。

 

襲撃者たちの動きはスピードこそ目を見張るものだが、格闘術としてまるで洗練されていない。魔法で加速したスピードに、自分自身がついていけていない様子だ。そして、それが分かれば森崎の偏差射撃も精度を増す。

 

それから程なく、十二人の強化超能力者たちは全員が殉職した。この間の出来事は松下隠岐たちが巧妙な結界により隠蔽したため知られていない。

 

達也たちは反転してどこかに去ったようだが、国防軍絡みの本件こそが治夏の仕事。この後の彼らがどうしようと治夏の感知するところではない。それよりも問題なのは、これからのことだ。

 

「松下、この場の後始末にどのくらいかかる?」

 

「そうですな。二時間ばかりよろしいですか?」

 

「もう少し急いでもらいたいところだが、やむをえまい」

 

襲撃者たちがグレネード弾や榴弾砲まで持ち出してきたことは、正直に言うと想定外だ。おかげで道が酷いことになっている。本格的な対処は国防軍に任せるとして、しばらくの間、戦場の様相を見せている場所を欺罔する術式を張っておかねばならない。

 

「しかし、国防軍も四十年以上も飼い殺しにしておくくらいなら、我らに譲ってくれればよいのにな」

 

「失敗作と評される程度の強化しかできなかったことに対して、多少の後ろめたさは有していたのでしょう。宮芝に預ければ、完全に人格を消されると考えていた者は大いでしょうから」

 

治夏のぼやきに答えたのは村山右京だ。

 

「それで、このような最後では意味がないではないか」

 

「結果だけを見れば、そのようになってしまいましたな」

 

悪名は役に立つときもあれば、足を引っ張ってくれることもある。当然のことではあるが、こういう場合は面倒だ。

 

「矢口の行方は掴んでいるな」

 

「はっ、掴んでおります」

 

「では右京、確実に処分せよ」

 

「ははっ」

 

矢口の対応は右京に任せておいて問題ないだろう。となれば、次だ。

 

「他に確認されていた不穏な動きを行う国防軍の様子はどうだ?」

 

「少し厄介なことになっている様子です」

 

今度の質問に答えたのは山中図書だ。

 

「どうした?」

 

「ヘリを持ち出そうとしているようです」

 

「本当に厄介だな」

 

空の敵は宮芝がもっとも苦手としている相手と言っていい。対応ができる人員は限られている。

 

「やむをえん。空戦装備の関本を出そう」

 

といっても地上からでは届かない。予めヘリの上空に輸送機を飛ばしておかなければ攻撃は不可能だ。当然のことながら燃料代もかかるし、隠蔽の手間も多くなる。治夏としても頭の痛い問題だが、他に方法がなければ仕方がない。

 

「ただ、なるべくなら地上駐機状態で撃破するよう心掛けるように伝えてくれ」

 

「かしこまりました」

 

「不穏分子の人数と装備は?」

 

「歩兵が一個小隊に魔法師部隊も一個小隊のようです。装備はさほどでもないようです」

 

さすがに精鋭部隊は大丈夫なようだが、末端になればなるほど規律が緩んでいる。日本は憲兵組織がしっかりしていないから、そこを付け込まれているのだろう。

 

「この機に、国防軍も引き締めを行うぞ」

 

「はっ」

 

言うまでもなく、国防において主力を担うのは国防軍だ。宮芝はあくまで国防軍を補助するに過ぎない。けれど、このままでは宮芝が国防軍に情報を流すのも躊躇われる。国防軍が宮芝の足を引っ張るということはやめてほしいものだ。

 

そのような事態を防ぐためにも、ここで膿を出し切らなければならない。京都に続いて不穏分子の粛清を行うことで後顧の憂いを断つ。

 

けれど、それもこの場の処理が終わってからだ。治夏は逸る気持ちを抑えて窓も向こうの作業を見守った。



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継承編 治夏の未来

西暦二〇九七年一月二日。有力魔法師たちの間で話題になっていたのは、四葉家より魔法協会を通じて出された司波深雪の次期当主指名と、司波達也に対する四葉家現当主である四葉真夜の認知。そして達也と深雪との婚約についてだった。

 

宮芝和泉守治夏も無論、その報告には驚いた。治夏は達也が四葉の関係者であるとは確信していたが、現当主の子であるとは知らなかった。同様に深雪が次期当主候補であることも。けれど、治夏は四葉家からの通知を怪しいと感じていた。

 

どう控え目に見ても、達也と深雪では深雪の方が立場としては上に見えた。明確に宣言されたわけではないが、立ち位置などから考えても達也は深雪を護衛していた。無論、一般的な魔法力という面では深雪は達也より上なのは間違いない。けれど、それだけで当主の子を当主候補の護衛にするというのはあり得ない。

 

それでも、達也が一般的な魔法師としての評価では劣等生というのは確かで、その面から護衛に落とされたというのはあり得る。しかし、それほどの低評価ならば、今度は次期当主の婚約者に選ばれるということがあり得なくなる。

 

総じて見れば、ちぐはぐという印象になってしまう。とはいえ、それらは治夏にとっては関係のないことだ。四葉の次期当主も、四葉の中での婚姻も勝手にやってくれればいい。

 

それよりも治夏にとって大事なのは自分と宮芝に関することだ。

 

宮芝にとっての正月となる旧正月を前に、治夏は杉内瑞希、村山右京、山中図書、皆川掃部と極秘の会談を行っていた。議題は治夏の今後の身の振り方について。具体的には治夏と十文字克人との関係を先に進めること、もっと具体的に言うと婚約まで進める場合に行うべき対応についてだ。

 

「率直に言うと、本家は難色を示すでしょうね」

 

「やっぱり、そうだよね」

 

本音を語り合う場として、やや言葉を崩した右京の言葉に、治夏も砕けた口調で返す。

 

「さすがに治夏様が力を持ちすぎますからね」

 

その後に続けた掃部の言葉が治夏の現状をよく表していた。宮芝にとって治夏は、本家に有望な次代が育つまでの繋ぎの当主だ。しかし、治夏はパラサイトを用いた兵器により宮芝の戦力を劇的に増加させた。加えて十師族でも有力な十文字家と個人的に強い関係を持つに至れば、このまま宮芝家を簒奪するつもりと疑われても仕方がない。

 

「せめて治房さんが五年くらい早く生まれていてくれたら、よかったんだけどね」

 

分家筋ではあるが宮芝本家に繋がる家に生まれ、今のところ優れた素質を示して次期当主と期待されている者もいるにはいる。しかし、治房の現年齢は六歳。順調に成長したらという仮定の上でも当主になるまでは十年近くかかる。

 

そうなると、疑いをかけられないように治房に当主を譲ってから婚約、結婚に進むという方法は採れない。早婚が多い魔法師の世界で二十台の後半というのは婚期を逃していると言われても仕方がないし、相手となる克人についても、十師族の当主が三十歳まで未婚というのは一族が黙っていないだろう。

 

要するに情勢が許すまで待っていては治夏が克人と結ばれることはない。一応、裏道として既成事実を作ってしまうという方法もないではないが、治夏の好みではない。違法行為もお構いなしの治夏ではあるが、結婚くらいは祝福をされたいと思うのだ。

 

「関本は私の戦力じゃないって言っても通用しないだろうしね」

 

そもそも治夏がここまで警戒されるようになったのは関本の存在だ。十文字は十師族ではあるが、宮芝への影響力は限られる。有力な分家を軽々と上回ってしまいかねない関本の量産化が、治夏に対する警戒心を著しく上昇させることになったのだ。

 

とはいえ、関本は治夏の個人戦力というわけではない。量産化を行っているのは宮芝家であり、治夏ではないのだ。しかし、オリジナル関本が治夏個人に忠誠を誓っている節がある点から、実は制御権を奪う隠しコマンドを持っているのでは、という疑いをもたれている。ちなみに、それは単なる疑いで、実際に治夏はそんなものは持っていない。

 

けれど、持っていないことを証明することは難しい。どんなに公表をしても隠し持っているという疑惑を晴らすことには繋がらないからだ。

 

「つまり私が関本を抑えているという疑惑を持たれた上で、なお十文字との繋がりに同意してもらう必要があるということだ」

 

「難問ですね」

 

図書が腕を組んで考え込む。

 

「やはり方法は二つしかないのではないでしょうか」

 

そう言ったのは瑞希だ。

 

「やっぱり、そうなるよね」

 

「はい、治夏様の本意ではないでしょうが」

 

「そうだね」

 

瑞希の言った二つの方法は、どちらも究極的な方法だ。誰でも考え付くだけに、実行するには弊害が大きい。

 

その方法とは、一つは関本の武力を背景に強引に事を進めるという方法。この方法は反発が非常に大きくなり、場合によっては身内による暗殺まで警戒しなければならない。今後の平穏な暮らしのためにも、できれば避けたい方法だ。

 

そして、もう一つの方法が出奔同然に自らの望みを果たすという方法だ。しかし、こちらも賢い方法とは言えない。宮芝を捨てるということは、宮芝の秘密を守るために口を封じられる危険性をも許容するということ。つまり、こちらも暗殺などを警戒せねばならなくなる。

 

一応、十文字家が後ろ盾になってくれている間は、軋轢を避けるために手は出してこないと思う。けれど、それは克人との関係が悪化した場合には、即座に身の危険の話になるということでもある。いや、それだけでなく克人と十文字家の間の意見の食い違いなどでも同じ結末になる可能性がでてくる。

 

治夏は克人のことを信頼している。けれど、それでも全面的に委任しきるような関係は望んではいない。

 

「どちらにせよ、まずは十文字家の意向を確認する方が先決ではないでしょうか?」

 

「瑞希の言う通りだね。ひょっとしたら、先方が名門とはいえ古式との婚姻には難色を示す可能性もあるかもしれない」

 

「恋愛と結婚は別ですからね」

 

「掃部、言ってることは正しくても、今ほしい言葉じゃない」

 

軽く睨むと掃部は慌てて口を閉ざした。今の治夏には現実的な視点が必要だ。だが、そればかりでは気が塞いでしまう。

 

「ともかく克人に連絡を取っておく。その間に皆は手分けして宮芝の本家と有力な諸家の姿勢を探っておいてくれる?」

 

「探るといっても、そう簡単に態度は明らかにしないのでは?」

 

「私と克人の交際が順調で高校卒業を機に結婚するかもしれない、って噂を流してしまえばいい。実際、本当に順調に進んだなら、そうなる可能性もあるわけだし」

 

「しかし、治夏様が自分の口から結婚という言葉を発するなんて……」

 

「あの……瑞希、お母さんみたいな顔になるの、やめてくれない?」

 

瑞希とは十歳の頃からの付き合いだ。まだ深夏であった頃のことも良く知っているだけに妙な感慨があるようだが、目の前で言われると治夏の方まで恥ずかしくなってしまう。

 

「せめて姉にしてくれませんか?」

 

しかし、瑞希は別のことが気になったようだ。二十台も後半に差し掛かった瑞希にとっても今は微妙な年頃なのかもしれない。そういえば、治夏の身の回りの世話を一手に引き受けてもらっていることもあり、瑞希には出会いが極端に少ない。婚姻は治夏が何らかの世話を焼く必要があるかもしれない。

 

「私が結婚したら、今度は瑞希にも良い人を紹介するね」

 

「治夏様の回りは変な方しかいないではないですか」

 

せっかくの申し出であったが、瑞希の回答は手厳しかった。

 

ともかく、治夏は相談を兼ねて克人とお出かけの予定を入れることにした。



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継承編 治夏と克人の未来

正月の喧騒が少し遠くなり始めた一月五日、宮芝和泉守治夏は十文字克人とともに昭和記念公園を訪れていた。前世紀から変わらず広大な敷地を誇り、数々の植物が植えられた庭園を持つ公園は、冬の時期であっても十分に見ごたえのある風景を作り出していた。

 

今日の治夏は、真冬らしい少し厚手のハーフコートに膝丈のスカートという服装だ。きちんと厚手のストッキングは履いているが、それでも少しでも女の子らしい可愛い仕上がりにと選んだものだ。

 

というのに、今日の克人は治夏の服装に何の感想も言ってくれなかった。饒舌に容姿や衣服を褒め称える克人というのも想像はできないものの、軽く一言くらいはあってもいいのではないか。

 

そんな小さな不満を抱えながらも園内を巡り、人の少ない園内の端の方へと進む。今日の治夏の目的は、克人との婚約の打診だ。自然と緊張感は高まってしまい、いつもに比べて会話もぎこちなくなってしまう。

 

治夏の様子が普段とは異なることには克人も気づいたようで、どことなく緊張した面持ちをしている。ちょうど無人の小さな休憩所を見つけ、治夏は中に克人を誘った。

 

できれば、婚約を望む言葉は克人の方から言ってほしい。けれど、克人もそこまで治夏の心の中を読めるわけではないだろう。腰を落ち着けても未練がましく、しばらく治夏は何も言わずに克人のことを見つめる。正解が分からなかったのか、克人はひとまず治夏を急かすことなく、じっと待っている。

 

「ねえ、克人って十師族じゃない? やっぱり、結婚とかって考えてたり、周囲から急かされたりしているの?」

 

我ながら、あまりにも下手な切り出し方だった。何かの話題から派生するならともかく、いきなり聞くような内容ではない。

 

「そうだな、多少は相手を勧められたりとかなら、ないこともない」

 

「……まさか、受けてたりとかはしてないよね」

 

「そんな不義理はしない」

 

他の女性との婚姻の話題を受けることを不義理と表現するということは、少しは期待をしてもよいのだろうか。

 

「まさか、深夏にもそういう話が出ているのか?」

 

治夏の唐突な話題を、克人は周囲に婚姻を勧めてくる者がいるからと解釈したらしい。

 

「ううん、私は逆。誰からも婚姻することは望まれていない」

 

「どういうことだ?」

 

誰からも婚姻を望まれていない、という表現に不穏なものを感じたのか克人の目が真剣さを増した。

 

「私が宮芝家の出身じゃないってことは克人にも話した通りだよ。だから、私の次の宮芝の当主には宮芝家の出身者が選ばれることが望まれている。そういう事情だから、私には実子がいない方が、面倒が少ないと思われているんだよ」

 

婚姻も出産も好ましく思われない。それが克人には、どの程度の重さで認識されているのかは分からない。けれど、治夏にとっては間違いなく重大なことだ。今すぐと言われると少し困ってしまうが、将来的には治夏は結婚も出産もしたいと思っている。

 

「前提としてそんな状態なのに、私は関本の量産化という、自前の戦力を持つようなことをしてしまった。加えて、大亜や第一高校の現代魔法師も戦力化している。周りの皆は私にこれ以上、力を持ってほしくないんだよ」

 

治夏が今、宮芝から疎まれようとしている所だということが分かったのだろう。克人の治夏を見る眼が労わるようなものになった。

 

「深夏は、それで大丈夫なのか?」

 

「私は出自のせいで、一部の人からはずっと良くは思われてなかったから、多少、疎まれるくらいは平気。けれど、今後は色々と作戦を練って慎重に動く必要があると思う」

 

どうしようもなく悪化していることはないが、難しい状況にはある。そう匂わせたことで克人の眉間に皺が寄った。

 

「それでは、今日、深夏が話したかったことは何だ?」

 

「あのね……十文字家は克人が婚約することを認めてくれそう?」

 

聞くと、克人は目を見張った。

 

「認めさせることはできると思うが……先程、深夏自身が慎重に動く必要があると言わなかったか?」

 

「うん、慎重に動かなければならないのは間違いない。けれど、打開するためには動かなければいけない。そのときに打てる手を事前に検討するためにも、十文字家がどの私ならば婚約してもいいと思ってくれるのか確認しときたいの」

 

仮に婚約が許されるとして、相手は宮芝家の当主でなければならないのか、それとも宮芝家と繋がりが持てる程度に有力であればよいのか、それとも一介の術士でも資質さえあればよいのか、それすら不要で克人が望めば許されるのか。どこまでの範囲なら許容されるのかにより、治夏の方針も変わってくる。

 

「さすがに非魔法師であれば強硬に反対されるだろうが、高い魔法力さえあれば、それほど強い反対はないと思う」

 

「その基準だと私は合格?」

 

問うと、克人は黙り込んだ。けれど、これは想像の範囲内だ。治夏の魔法力は現代魔法師としては二科生でも下位の方。それは、変えられない現実だ。

 

克人は治夏との交際自体に反対はされていなかったと思う。それは治夏が宮芝家の当主だったということもあるだろう。それでも、婚姻となると十文字家としては歓迎できないらしい。

 

「じゃあ、克人は私とのことは諦めるの?」

 

「いや、多少の反対で諦めるくらいなら、始めから深夏の告白に頷いたりしない」

 

その言葉は嬉しくもあり、同時に少し複雑な心境にもさせられた。

 

「どうした?」

 

「改めて言われてみると、告白も婚約の申し込みも私からなんだなって。私も女の子だから、できれば男の人の方から情熱的に愛を告白されてみたいなって」

 

「……それは俺がするのか?」

 

「分かってる。克人がそういうタイプじゃないってことは」

 

けれど、少しくらいは夢を見たっていいと思う。

 

「それで、克人の思いは?」

 

「深夏がそこまで本気で俺たちの関係を先に進めようとするなら、俺もできる限りのことはするつもりだ」

 

「ありがとう、その気持ちは嬉しい。けれど、対象が多ければ多いほど、どれだけ努力をしたとしても伝わらないものだから、だから私は十文字家が許容してくれるのがどこまでなのかが知りたいの」

 

基本的には高い魔法力が第一条件。それは分かった。けれど、望みはしないが断れない、ということなら宮芝の当主は対象に入るか否か。それが大事だ。

 

「宮芝の力は十文字でも認識されている。そういう意味では、宮芝家から申し込まれた婚姻であれば、十文字に拒むのは難しいと思う」

 

逆に言うと、治夏が個人の深夏に戻ってしまえば、十文字家にとっては何の魅力もない婚姻ということになってしまう。それでも、克人は精一杯のことはしてくれると思う。しかし、十師族の後継者となれば婚姻ですら個人の自由とはいかないものだ。

 

まず大問題として、克人の次の十文字家の当主はどうするのかということになる。後継者がいなければ、十文字家が抱えている魔法師たち、そして十文字家が担ってきた役割を継ぐ者がいなくなってしまう。

 

治夏にしても克人にしても、それさえも捨て去って個人で勝手なことをする、ということはできない。仮に治夏個人としてはどんなに望ましいことでも、それが国にとって重大な不利益になるとすれば、まずもって治夏がその結果を許容できない。

 

例え役目を離れようと、宮芝家はおろか魔法師ですらなくなるときが来たとしても、治夏が宮芝和泉守として担った役割も、行ったこともなくならない。それは、どのようなことがあっても治夏が背負っていかなければならないことだ。捨てるつもりはない。

 

克人もきっと同じであろう。だから、例えどんなに治夏と克人が望んだことでも、宮芝と十文字にとって不利益となると確定した瞬間から、治夏も克人も進んでその道を閉ざす。

 

「ありがと、克人。心が決まったよ」

 

克人への婚約申し込みが宮芝家として行わなければならない。それがはっきりしたこともあり、治夏はすっきりとした気持ちで克人に笑いかけた。



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継承編 先代和泉守

一月七日。新学期を直前に控え、宮芝和泉守治夏は護衛としてついてきた側近たちを離れに待たせ、一人だけで本宅へと足を運んでいた。

 

先日、克人から十文字家の有力者に対して治夏との婚約を進めることについて内々で打診をしてもらった。未だ可能性として伝えただけだが、宮芝家からと伝えた段階では強硬に阻止をしようとする意見はなかったようだ。

 

正面から克人に反対しなかったことをもって安易に賛成してもらえたとは考えてはならない。けれど、ひとまず猛反発がなかったということはプラス材料だ。

 

だから、次は宮芝を纏める番。それが今日の訪問の目的だった。

 

予め準備はできていたようで、治夏が面会相手の秘書役に訪いを告げると、すぐに中へと通された。待つこと少し、四十歳前に見える男性が部屋の中に入ってくる。男性の実年齢は四十五歳であるため、見た目の方が若いということになる。

 

「さて、治夏殿、本日はどのような用件かな?」

 

「先代もすでにお耳にはしているかと存じますが、わたくしは現在、十文字家の当主代理である克人殿と交際をいたしております。本日はその件にてお願いがございまして参上いたしました」

 

「ふむ、話してみよ」

 

「ありがとうございます」

 

言いながら、治夏は深く頭を下げた。治夏の目の前にいる男性の名は宮芝治孝。治夏が先代と呼んだように宮芝家の三十五代当主で、治夏の後見人を務める男性だ。

 

「わたくしが十文字克人殿と交際をしているのは先にお話しした次第です。わたくしの希望としては高校卒業を機に祝言をあげたいと考えております。つきましては、先代には今年の新年の祝いの席までに婚約をすることに対し、ご意見を伺いにまいりました」

 

「随分と急だな。そなたらが交際を始めたのは一昨年の末頃であったであろう。であれば、交際期間は一年ほどではないのか?」

 

「仰せの通りでございます。ですが、克人殿はわたくしより二歳年上です。十師族の次期当主としては魔法大学の卒業……つまりは三年後までには、いずれにせよ婚約は必要となります。であれば、今でもさほど変わらないのではないかと存じます」

 

「いや、大いに変わるな。そのような理由であれば、私は三年後の克人殿の魔法大学の卒業を機に祝言を上げることを命じるぞ」

 

予想外に強い反対の言葉に治夏は一瞬、言葉を失った。

 

「どうした? 別に私は婚姻自体を反対しているわけではないぞ。ただ、三年後にしてはどうだと提案しただけだ。あるいは、治夏殿の卒業時に婚約をし、三年後に祝言という流れでもよいな。その方が良いとは思わぬか?」

 

「……思います」

 

「で、あろう。少なくともこれから一月の間に婚約の準備を整え、わずか一年の期間で婚儀にまで至るよりは現実的だ」

 

普通の女子なら、或いはその期間でも可能かもしれない。けれど、治夏は宮芝家の当主だ。普通の女子とは異なる仕事や技術を多く抱えている。それらの多くは門外不出。つまり例え夫婦になった後でも克人には秘密にしなければならない。要するに今と同じように仕事をして秘密を増やせば婚姻はより難しくなるということだ。

 

解決策としては、そもそもの仕事を制限することだ。けれど、そのためには引継ぎを終えなければならない。だが、そのためには一年という期間では短すぎる。宮芝の当主は、そんなに軽いものではない。

 

先代の言っていることは、いちいち正しい。宮芝の当主を務めあげた手腕は、やはり並みのものではない。未だ治夏は先代には及ばないのだと思い知った。だからといって、諦めるわけにはいかない。

 

「三年後では、あまりに遅すぎるのです」

 

「ほう、その理由は?」

 

「逆にお聞きしましょう。宮芝家は、わたくしがこのまま、あと三年もの間、戦力を蓄え続けることを、良しとしてくれますか?」

 

その質問に、先代は答えを返してはくれなかった。つまりは、それが答えだ。

 

「先日は国防軍の中の対大亜連合強硬派の暴走がありました。その前には京都の部隊でも敵の工作員に汚染されるという事件がございました。これを国防軍の気の緩みと断ずるのは簡単ですが、わたくしはそれだけではないと考えています。間違いなく敵の工作が質と量、ともに増加していると思われます」

 

「で、あろうな」

 

「であれば、我々も戦力の増強を止めることはできません。灼熱のハロウィン以来、諸国の我が国への警戒心は増しています。必ずや何らかの騒乱は起こると思います。その中でわたくしも多くのことを知り、また為していくことになりますが、その後でも宮芝家はわたくしを他家に送り出してくださいますか?」

 

「そなたの言いたいことは分かった。つまり、そなたは……」

 

「はい、わたくしが宮芝家を離れるのを容易にするために、わたしくは一刻も早く先代に当主の地位をお返しして、その上で先代の忠実な部下として職務を全うさせていただきたく存じます」

 

一旦は先代に権力を返した上で改めて当主代理などに任じてもらえれば、実務的な不具合は大幅に緩和される。二人の判断が異なった場合など、いくらかの懸念点はあるが、解消が不可能というほどではない。

 

「その方法を取るとして、そなたは婚姻後も代理という立場で宮芝の務めを果たしてくれると考えてよいのか?」

 

「はい、そのように考えております」

 

「しかし、それでは克人殿まで事実上、宮芝の監視下に置かねばならない。先方はそれでよいのか?」

 

「それについては、しばらくは別居という形を取ることで解決しようと思っています」

 

「克人殿は、それでよいのか?」

 

仕事の都合で遠距離の場合はともかく同じ都内で別居というのは余程の政略結婚以外にはないだろう。けれども、そのくらいは許容すべきだ。

 

「いずれにせよ、克人殿が大学生のうちは昼の間は授業がございます。その間にわたくしも引継ぎを含めた業務時間に充てようと思っています。わたくしとしては業務のない休日にだけ外泊の許可をいただければ十分にございます」

 

「そなたらがそれでよいと言うのなら、そのことについては何も言うまい。しかし、宮芝の次代が育つまでにまだ時間がかかる。その間に我らにもしものことがあった場合はどうするつもりだ?」

 

「その場合は、育成の期間だけは仮に宮芝を離れて少し経っていたとしても、完全に宮芝に戻るつもりでいます」

 

宮芝の秘術には当主のみに伝えられるものも少なくない。けれど、宮芝の当主というものは戦闘指揮官という面も持っている。そうなれば当然、戦死の可能性はある。一子相伝のように後継者のみに伝えることにした場合、技術の承継が途切れてしまう可能性がある。

 

宮芝の継承が若いうちに行われるのは、先代が存命の間に行うという慣例によるものだ。今の宮芝の場合は先々代も健在であるが、その年齢は七十を超えている。有力と見られている治房が継げるような年齢になるには十年近くかかる。その間も先々代が健在であるという保証はない。治夏が言ったのは、先々代が亡くなった場合は、結婚して子供がいようが、それらを捨てて宮芝に戻るということだ。

 

「それを先方は了承しているのか?」

 

「いえ……まだ話していません。ですが、了承してくれるものと思っています」

 

「そんなことを、よく想像で話せるものだな」

 

軽い非難の響きを感じ、治夏は慌てて弁明する。

 

「先方にはわたくしが宮芝を離れるという意味も正確には伝えていません。ですが、わたくしはこれまでも、多くの戦いで戦陣にありましたから、当然に戦死の可能性も考えているはずです。それに比べれば少しの間、離れることなどなんでもないでしょう」

 

「言い分は分かった。しかし、重要なことだ。必ず確認をするように」

 

「はっ、分かっております」

 

「それにしても、このようなことを避けるために、本当なら宮芝の家中での婚姻を考えていたのだがな」

 

ひとまず治夏の方針は受け入れくれるつもりなのだろう。けれど、本音としては今の言葉が表しているはずだ。

 

「わたくしの我が儘でご迷惑をおかけして申し訳ございません」

 

言いながら、治夏は心から頭を下げた。




四葉継承編相当、終了。
ですが、次の師族会議編も含めて継承編とさせていただきます。
治夏にとっては宮芝の継承の方が大事ですので。


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継承編 四葉のいる教室

一月八日、新学期初日の教室内は奇妙なざわめきに満たされていた。原因が、先に発表がされた司波深雪の四葉家次期当主への指名と、司波達也と深雪の婚約にあることは明白であった。特に達也については、ただの二科生ではないという評価ながらも、四葉の直系というのは想定外であり、そのために動揺も大きい様子だった。

 

この事態を予想して、宮芝和泉守治夏は珍しく授業開始の三十分前には学校に来ていた。そうして周囲の様子を窺っていたのだ。達也の元クラスメイトたちの様子は総じて見れば、困惑。次に顔を合わせたときは、どうすればいいのか。その答えを探していた。

 

「あ、和泉も早く来たんだ」

 

そんな治夏に声をかけてきたのは、こちらもいつもより早く登校したエリカだった。

 

「うん、やっぱり気になるでしょ」

 

「ところで、和泉は今回のことを知ってたの?」

 

「四葉家の関係者だってことは何となく。けれど関係者どころか、どっぷり中枢に座っていたとは思ってなかった」

 

「よう、お前らも早いんだな」

 

割って入ってきたのはレオだった。

 

「アンタもね。じゃあ、揃ったところで行きますか」

 

何処へ、と聞くのは野暮というものだ。黙ってエリカたちと二年E組に向かう。

 

「平河、司波達也は登校しているか?」

 

「おはようございます、和泉守様。司波達也は早めに登校するも、教室を経ることなく校長室に向かい、今もってここには姿を現しておりません」

 

達也の監視役を任せていた平河千秋は、校長室に入るところまでを目視確認していたらしい。仕事熱心で大変に結構と褒めるべきか、ストーカーと呼ばれないように窘めるべきか判断に迷う。

 

「だそうだが、どうする?」

 

「オレは一度、教室に戻るぜ」

 

「じゃあ、あたしはここで待っていようかな」

 

「それでは私もここで待つとしよう」

 

エリカが達也に話しかけるときの定位置である窓枠に陣取ったのを見て、治夏は達也の席へと腰かけた。

 

「あ……エリカちゃんに和泉さん」

 

そうしてエリカと話していると、美月が登校してきた。こちらは、いつもより気持ち遅いくらいだろうか。

 

「あの、達也さんは?」

 

「校長室に呼ばれているみたいだよ。こちらにはまだ顔を出していない」

 

「そうですか……」

 

その声には若干だが、ほっとしたような響きがあった。

 

「やっぱり、四葉は怖い?」

 

「いえ……でも、少しだけ」

 

美月の中でも上手く消化できていないのだろう。答えた声には戸惑いの方が大きい。

 

「まあ、悪名高い四葉の直系と聞けば、身構えてしまうのも仕方ないよね。けど、四葉であろうとなかろうと、達也は達也だ」

 

「和泉が達也くんの味方するような発言するのって珍しいね。どういう心境の変化?」

 

「茶化さないで、エリカ。別に私は事実を言っているだけだよ。妹がなによりも大事で妹のためなら、どんなに悪辣なことでもしてしまう、稀代のシスコン。それは達也が何であろうと変わらない……そういえば、妹じゃなかったんだっけ。そうすると、嫁自慢家に変わるのかな。うわ、会いたくなくなった。帰ろうかな」

 

「随分な言われようだな」

 

言われて見ると、いつの間にか達也がやってきていた。姿を見かけてやって来たのだろう、その背中にはレオの姿もある。

 

「いや……私は達也の本質は前から歪んでいたということを言っていただけで……」

 

「それは単なる悪口ではないのか?」

 

「はい、そこまで。和泉は和泉なりに達也くんをフォローしてくれていたってことで、今日のところはいいんじゃない?」

 

「全くフォローになっていないが、まあいいだろう」

 

エリカの執り成しの成果か、ひとまず達也は矛を収めてくれた。

 

「エリカ、レオ、久しぶりだな」

 

「ちょっと、私には何もないの?」

 

「元気に人の悪口を言っているような奴にかける言葉はない」

 

治夏一人にだけ酷い反応だった。もっとも治夏は、達也たちが四葉に向かうときに若干の関わりがあったのだが、それにしても、この反応は納得いかない。

 

「達也くん、いつ東京に戻ってたの?」

 

微妙に拗ねた様子でエリカが言うには、用事が済んだら連絡するという約束を交わしていたらしい。

 

「戻ったのは、四日だが……連絡しなくて済まんな」

 

「あ、良いよ。大変だったんでしょ?」

 

「大変だった、ていうか、これからが大変だよな。こっちは落ち着いてからで構わないぜ」

 

「レオはともかく私は聞いておかなければならないことがあるんだけど」

 

「……何だ?」

 

なぜ達也は治夏にだけ警戒態勢を取るのだろうか。やっぱり納得いかない。

 

「達也、深雪と婚約したって聞いたけど、ちゃんと達也から申し込んだの?」

 

そう聞いた瞬間、微妙な空気が教室中に広がった。今、聞くのがそれか。なんて言葉も聞こえてきた気がする。

 

「な、なんだ。大事な事だろう? で、どっちから申し込んだの?」

 

「どっちも何もない。家の都合だ」

 

「断れないという意味では、そういう面もあるかもしれない。けど、深雪が達也との婚約をそんなふうに考えているわけないでしょ。ちょっと不誠実なんじゃない?」

 

「不誠実ということなら、無関係にも関わらずにそんなふうに口を出してくる和泉の方が不誠実なんじゃないか?」

 

確かに、治夏は深雪と特別に親しい友人関係というわけではない。口を出す資格がないと言われれば、そうかもしれない。

 

「けど、やっぱり深雪としてはちゃんと達也から婚約者としても大事にするって言われたいと思うよ。達也が義務感だけで婚約を了承したとは思わないけど、やっぱり言葉で伝えてほしいと深雪も思ってるんじゃないかな」

 

「分かった。分かったから、朝からする話題じゃないだろう」

 

克人とのこともあり、ちょっと感情的になってしまった治夏に対して、達也は嫌そうな顔で手を振りながら言ってくる。言われてみれば、朝の教室でする話ではない。

 

「分かった。今は退いておく」

 

そう言って治夏が引き下がると、達也はあからさまに安堵の息を吐いていた。

 

「おはよう」

 

その後に達也が声をかけたのは、いつもと違って話に入ってこなかった隣の席の美月だ。

 

「あ、その、おはようございます……」

 

一応は挨拶を返した美月だが、その後はすぐに目を逸らしてしまう。腫れ物に触るようなその接し方は治夏にとっても意外な反応だったし、もっと意外だったのは、美月をして若干の怯えが見て取れたためだ。

 

「達也、私が宮芝だって名乗っても、皆はこんな反応じゃなかった。宮芝が四葉より軽んじられているみたいで気に入らない」

 

「俺に言われても困るんだが」

 

「和泉、あんたはこの状況で、どうやったらそういう発言になるのよ」

 

「宮芝の方が国に貢献しているはずだし、残忍さでも宮芝は負けてない。なのに、現代魔法師が宮芝を恐れて敬ってないのが気に入らない」

 

少しの茶目っ気と多分な本音で不満を口にすると、なぜか全員が面倒くさそうな顔をしていた。

 

「宮芝の冷酷さは俺もよく知っている。正直に言って、危険度という面では宮芝は四葉を超えていると思う。しかし、宮芝は裏の世界の住人であるため、表にはそれを知られていない。そういうことでいいんじゃないか?」

 

「なんだか、投げやりな気がする」

 

「これ以上、俺にどうしろと?」

 

「四葉から、宮芝は恐るべき魔法師だって声明を出してほしい」

 

「何の脈絡もなく、そんなことを言い出したら四葉全体の正気を疑われる」

 

どうあっても達也は、宮芝の地位向上に協力はしてくれないようだ。もっとも、治夏の方は何の見返りも用意していないので、それも当然ではあるのだが。

 

達也に対して皆が抱いているのは、おそれ、の感情。元々、異質な存在ということは感じていた者が多かったのだろう。そこに、四葉という要素が加わったことで、歪な存在は異質な強者へと印象を変えた。

 

とはいえ、これをどうにかするのは治夏の役目ではない。多少の手助けくらいなら、やぶさかでないが、本質部分は達也の役割だ。

 

「ま、健闘を祈るよ。あと、今後とも宮芝をよろしく」

 

「よろしくの内容が気になるが、今は聞かないでおこう」

 

「その方がいいだろうね」

 

そう言いながら、平河に視線で引き続きの監視を命じる。それに対して、平河は敬礼で応じていた。

 

平河、それでは秘密裏に指令を伝えた意味がないぞ。若干の脱力感とともに治夏は自分の教室へと歩み始めた。



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継承編 戻り始める日常

新学期第二週、月曜日の朝。

 

「おはようございます」

 

二年E組の教室に入った達也は、以前のように隣の席の美月から朝の挨拶を受けた。

 

「おはよう、美月」

 

達也の返礼に、美月が笑顔で答える。ただしその笑みは、少しぎこちないものだった。

 

もしそれが自然な笑みだったら、達也はかえって胡散臭いと思ったに違いない。

 

無理をしてでもさりげなく笑おうとしていることに、友達のありがたみを感じた。

 

達也は唇に微かな笑みを浮かべながら自分の席に着いた。

 

達也が着席するのと同時に、達也のすぐ横、廊下側の窓が音を立てて開く。

 

「おはよう、達也くん」

 

「おはよう、エリカ」

 

窓越しに話しかけてきたエリカの背後には、もう一人、女子生徒の姿が見える。

 

「やあ、達也、今日も引きこもらず学校に来たのだね」

 

「和泉は激励しに来てくれたということでいいのか?」

 

「べ、別に達也のことが心配だったというわけではないからな」

 

「和泉は誰に何の言い訳をしているんだ?」

 

相変わらず宮芝和泉の思考は、よく分からない。

 

「美月もおはよう!」

 

「おはよう、エリカちゃん」

 

美月らしい春の日だまりのような笑顔に、エリカが「ウンウン」と満足げに頷く。

 

それだけで、美月に変化をもたらしたのはエリカのお節介だと分かった。

 

「私が言っても駄目だったのに。ずるい」

 

そして、和泉も同じくお節介を焼こうとして失敗したのだということも。

 

「ねえ、達也。私って人望ないのかな」

 

「相談相手を間違っている。俺が人付き合いを得意としているように見えるか?」

 

「そうだね。私と同じで達也も敵ばかりだった」

 

「事故に巻き込まれた気分だ」

 

人付き合いが得意でないということは達也自身も認識していることだ。けれど、それを仕方がないと片付けられるほどには、達也の感性は摩耗していない。

 

ともかく、少しだけ以前に戻った教室で達也が日常を取り戻そうとしていた昼休み、達也の携帯端末に深雪より生徒会室にいる旨の連絡が入った。生徒会室には、ほのかと雫もいるらしい。どうやら深雪の方も友人と向き合う時が来たようだ。

 

「で、どうして和泉は俺の後をついてくるんだ?」

 

生徒会室に向かう途中、達也は振り返って険のある声を発した。

 

「え? だってこれから生徒会室で修羅場でしょ。もしも何かがあったときの為に物理的でなく争いを止められる私は必要じゃない?」

 

「そんなことには、なっていないから安心しろ」

 

「どちらにしても、私の見識は役に立つと思うな。何もなければ、普通に昼食を一緒するだけだから、それこそ問題もないだろう?」

 

和泉に役立てられる見識があるかは非常に疑問だが、深雪からは重要な話をする予定だというメッセージは受け取っていない。昼食を一緒に取るだけならば和泉の同席を断る理由には乏しい。

 

「けして、張り切りすぎないように」

 

念のため釘だけを刺して生徒会室に入った。

 

中で待っていた深雪、ほのか、雫の三人はまだ箸をつけていなかった。深雪は弁当箱の蓋を開けていないし、ほのかと雫の前には何も置かれていない。その状況を見て、達也は和泉が付いてくるのを止めなかったのが失策だったと悟った。

 

「お兄様、お待ちしておりました」

 

「達也さん、どうぞこちらへ」

 

和泉のことを気にしつつも、深雪とほのかが立ち上がって席を達也に勧める。場所は深雪の隣、ほのかの正面だ。雫も立ち上がっていたが、ダイニングサーバーの前に行って、保温状態にしてあった二人分のトレーを取り出すためだった。ちなみに和泉も一応は空気を読んでか、離れた席で静かに弁当箱を取り出している。

 

五人は和気藹々と食事を始めた。食卓に話題を提供するのはほのかと雫、そして和泉だ。和泉も意外と気を使い、四葉家の話題も達也と深雪の婚約も、避けてくれていた。

 

和やかな空気に変化があったのは、達也と深雪が弁当箱をセカンドバッグに戻し、ほのかと雫がトレーをダイニングサーバーの返却口に戻して深雪がお茶を配った後だった。ちなみに和泉はというと、一人だけ飲み物が入った水筒を持参している。あまり他所で食事をしないというのは親しくなっても継続中だ。

 

「深雪」

 

立ち上がり、声と表情に緊張を滲ませてほのかが話し掛ける。

 

「なにかしら」

 

深雪も笑みを消し、真面目な顔でほのかを見上げた。

 

「あの……あのね。私……」

 

ほのかが一所懸命な表情で言葉を絞り出す。

 

「私、達也さんのこと、諦めないからっ!」

 

「譲れないわ」

 

すかさず、深雪がそう応じた。

 

そして優雅に立ち上がり、ほのかへ右手を差し出す。

 

「絶対、負けない」

 

ほのかが深雪の手を握る。ほのかの顔には闘争心がみなぎっていた。

 

「で、達也は二人とも娶るということでいいのか?」

 

そうして自分のことを取り合うという、些か以上に気まずい思いをしながら、なんとか場が纏まったかと思ったとき、今まで大人しくしていた和泉が爆弾発言をした。

 

「何を言っているんだ、和泉は?」

 

「ああ、そうか。当主が深雪なら公然と側室を持つのは難しいか。じゃあ、愛人?」

 

「そういう意味で言ったんじゃない」

 

日本はとうの昔から一夫一妻制だ。ましてや今の時代では、側室を持つなんて言った瞬間に正気を疑われる。

 

「ん、まさか四葉には本当に側室制度がないのか?」

 

「その言い方だと宮芝にはあるんだな」

 

「当然だろう。そうでなければ、安定的に魔法の継承をしていくことなどできない。そもそも側室を含めて多くの子がいても一族や一族外からも当主を擁立しなくては継承ができていないのだ。ましてや……ということだな」

 

達也たち現代魔法師と宮芝の魔法師たちは根本から異なる。達也たちの祖父世代たちは大なり小なり遺伝子の操作などの方法で最適化されている。しかし、宮芝の魔法師たちは、魔法師同士の婚姻という現代魔法師と同様の方法を取っていても、最初から玉石混交だ。

 

そのため現代魔法師では高い確率で継承される親の魔法特性が、宮芝ではそれほど高い確率では継承されないらしい。似て非なるものの場合が大半だと、以前に和泉が言っていたことがあった。

 

そういう意味では当主を身内から出そうと思えば、多くの子が必要ということは分からなくはない。ただし、それと受け入れられるかは別物だ。達也は荒事に関連する方向での倫理観は薄いが、全方向の無法者ではないのだ。

 

「俺は愛人なんか作るつもりはない」

 

愛人という表現で頭に浮かぶのは父の愛人であった義理の母のことだ。その義母に対して深雪は良い感情を抱いていない。それもあっての発言だった。

 

「私としては深雪を正室にして大事にしながら、時々ほのかにも気をかけてやる、というのが穏便な方法と思うのだがね」

 

「今、互いの健闘を誓いあったのが見えていなかったのか?」

 

「あんなもの勝負にもならないだろう。深雪は次期当主に正式に指名された。対して達也は現当主の息子だ。この婚姻は深雪にとっても、達也にとっても、そして現当主の四葉真夜にとっても必要なもの。深雪と実母が困ることになると知った上で、達也がほのかを選ぶことがあると思うか?」

 

そんな可能性は、万に一つもないと分かってしまったのだろう。ほのかが顔色を暗くして俯いた。ほのかが諦めてくれるのは、達也にとっても悪い話ではない。しかし、せっかく深雪が纏めた話をひっくり返すのは本意ではない。

 

「和泉、宮芝がどうかは知らないが、四葉は別に現当主の子意外が当主を継ぐのが難しい家ではない。だから、心配は無用だ」

 

達也が言ったことで、ほのかの顔に赤みが少し戻った。

 

「そうなのか……ところで、愛人の話に戻るが、機械なら愛人枠には入らない……」

 

「枠の問題以前で、関本たちを受け入れるつもりなんてないからな!」

 

あんな機械と機械もどきを七体も受け入れるなんて御免蒙る。

 

「まあ、そうだよね……」

 

さすがに達也が断ることは想定されていたのか、和泉はあっさりと引き下がった。だったら始めから何も言わないでほしいと、達也は心の底から思った。



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継承編 師族会議

二月四日における魔法師の世界においての最大の関心事は、十師族たちによる師族会議の開催である。それは十師族をリーダーに仰がない古式魔法師たちも同様だ。特に今年は二日目に十師族選定会議、次の四年間の十師族を決定する会議が予定されており、魔法師たちの関心はいやが上にも高まっている。

 

しかし、宮芝和泉守治夏にとっての目下の関心事は来週に迫った旧正月であり、その席で承認を求める十文字克人との婚約のことである。今は側近の杉内瑞希も本家に帰り、準備に大忙しであるはずだ。

 

おかげで治夏の日常生活の質は確実に落ちた。けれど、これは必要な投資として割り切るべきことだ。

 

ちなみに、治夏も一緒に戻って手伝うという方法は去年に却下されている。いわく、準備に役に立たない治夏は本家にいても仕方がないばかりか、世話の手間が増えるだけとのことだった。悲しいが、受け止めるしかない。

 

よって今日も普通に登校をすることにして、ついでに浮き立つ周囲を見回しながら主の不在の達也の席に腰かけて、雑談と情報収集に従事していた。達也が登校してきたのは、そんな中であった。

 

「あれっ? 達也さん、どうして登校してきているんですか?」

 

「おはよう、美月。どうしてとはご挨拶だな」

 

「えっ、あのっ、その……すみません」

 

達也の美月に対する反応を見て、治夏は思わず嬉しくなった。

 

「達也、君も世話が大変になるだけだから、むしろ来るなと言われたのか?」

 

「和泉は、だから学校にでも行っていろと言われたのか?」

 

途端にかわいそうな者を視る眼を向けられた。

 

「まさか、達也は違うというのか?」

 

「そもそも師族会議は十師族の血縁者だから参加できるというものではない。例えば十文字家の当主代理だった十文字先輩は当然、師族会議にも参加していただろうが、七草先輩は師族会議に同行したことも無かったはずだ」

 

「なんだと。では、達也は……」

 

「そもそも参加の予定は無かったということだ」

 

なんということだ。まあ、これは宮芝家の一門会議と師族会議の違いによるものだ。それに宮芝の会議は準備段階であり、本番ではない。本番では治夏の出番は多い。これは去年も経験したので、間違いない。長老たちのお小言会の方こそ、むしろ代わってもらいたいと切実に思ったのだから。

 

「ところで和泉は十師族じゃないのに師族会議に出るつもりだったの?」

 

落ち込む治夏に尋ねて来たのはエリカだ。

 

「ああ、師族会議とは違う宮芝一門の会議だよ。今は準備の大詰めの段階なんだけど、手伝おうとしたら、むしろいると邪魔になるから来ないでほしいと言われた」

 

「……何というか、ご愁傷様」

 

「でもよ、参加できないのは仕方ないとして、師族会議で何が話し合われたか、気にならねえか?」

 

妙な空気を払うためか、レオが話題の転換を図る。

 

「決定事項は通達されるはずだ」

 

「達也殿は、いち早く情報を得られるというわけですか?」

 

そこで話に入ってきたのは平河千秋だ。

 

「ならば是非、その情報は私にお伝えください。和泉守様には私が責任を持って、完璧なる資料にて報告をさせていただきますので」

 

「その前に、俺が一番に情報を得られるという前提を何とかしてくれないか?」

 

「何故ですが? 師族会議に参加されるのは達也殿のお母様なのでしょう?」

 

「まあ、それはそうなのだが、俺はつい最近まで叔母と思っていたんだぞ。普通の親子と同じと思われると困る」

 

治夏は達也から両親の話を聞いたことがない。他の友人が親の話題を出したときの反応から考えても、関係を隠したかったということだけではないだろう。事実の程はともかく、達也と四葉真夜の関係が親密でないのは、少なくとも本当のことと見た。

 

「それでは是非とも、この機に関係改善を!」

 

「関係改善はともかく、平河の説明のためにやる意味は見いだせないな」

 

道理である。肉親との関係改善は、当人のために行うべきことで、間違っても他人の任務のために行うものではない。

 

「平河、あまり達也に無理を言うものではないよ」

 

「しかし、それでは和泉守様から与えられた命が……」

 

「達也、もしも良い情報が手に入ったら平河に教えてやってくれないか。なに、公表ができる範囲内で構わない」

 

治夏としては、適当な落としどころを見出してやったつもりだった。しかし、それは達也の裏切りによって無に帰した。

 

「……だったら、十文字先輩に頼んだ方がいいんじゃないか」

 

「じゅっ……じゅうみょんぢ先輩をその程度で戸惑わせるなんて、恐れもったいない」

 

「何を言っているのか分からないぞ。少し落ち着け」

 

「うぅっ……」

 

「すまん、俺が悪かった」

 

治夏が言葉に詰まっていると、達也が急に謝ってきた。態度を豹変させたことに首を傾げていると、理由はエリカに教えられた。

 

「いや、和泉。自分では気づいてなかったかもしれないけど、涙目だったから」

 

逆に恥ずかしい理由だった。

 

「もういい、帰る」

 

「待ってくれ。ここで帰られると俺の外聞が悪すぎる」

 

「知らないよ。達也が意地悪を言ったからなんだから、責任は自分で負ってよ」

 

「俺が得られた情報なら教えてやるから、それで勘弁してくれ」

 

「分かった、それでいい」

 

納得ができない部分もあるが、ここは言い値で飲んでおく方がよいであろう。ひとまず教室へと退散することにする。

 

ちなみにその日の夜、治夏はちゃんと克人から情報を仕入れていた。本日の会議における最大の話題が、冒頭で提案のされた現十文字家当主の和樹から、当主代理の克人への正式な当主の座の継承だったらしい。そしてそれは、四葉家当主の真夜などの賛成で承認された。これで克人は正式に十文字家の当主になったということだ。

 

さすがは克人。今までの実績の勝利だと祝福しておいた。

 

続いて本日の会議で出された懸念について。先週、北米航路で横須賀港に到着し、現在は沼津に停泊している小型貨物船を、USNA大使館が所有するクルーザーが観察をしていたという情報が四葉よりもたらされたようだ。

 

USNAと聞くと、どうしても先のパラサイトの一件が思い起こされる。改めて考えてみると、新年の祝賀行事に気を取られて宮芝の警戒が低下していたかもしれない。そうでなくとも、現下は反魔法師活動がまたしても活発化の兆しを見せており、北米はその反魔法師活動の本場とも言える地域だ。テロ要員の密航などもありえない話ではない。

 

それにしても、いかに関東は人も物の流れも活発とはいえ、七草は少し情報収集能力が低下しているのではないだろうか。もう少し頑張ってもらいたいものだが、それは宮芝も動きにくくなるということでもある。痛し痒しだ。

 

他の話題としては、その七草の当主が達也と深雪の婚姻に反対を表明したらしい。理由としては近親婚により貴重な魔法師の才能が失われることへの懸念だそうだ。それを聞いて治夏は以前、反魔法師報道に対抗するために克人とともに七草邸を訪れたときのことを思い出してみた。

 

現七草家の当主の弘一は、外見だけ見ればエリートビジネスマンというやつだ。強力な魔法師という印象はあまりなかった。その瞳に謀略を好む者に特有の相手を値踏みして計ろうとするような暗い光が見え、はっきりいって治夏の印象はよくない。となれば、今回も純粋な魔法技能に対する憂いではなく、なんらかの策の一環などではないだろうか。

 

ちなみに七草弘一はその後、司波深雪と司波達也の婚姻の取り消しまで提案したらしい。いかに魔法師の才能の継承のためとはいえ、婚姻という私的な行為に口を出すとは思った以上に、いけ好かない相手だったようだ。

 

更に言うと、その後は一条家の当主までも七草に乗り、司波深雪と一条将輝の婚姻を提案して、その場で返答を求めて四葉真夜に断られた。けれど一条は諦めず、将輝にお付き合いのチャンスを与えてほしいと懇願し始めたようだ。その話を聞いて治夏は本気で脱力していた。

 

師族会議はもっと真剣な話をする場ではないのか。何を大の大人たちが十人も集まって、高校生の色恋の話を議論しているのだ。

 

結局その話題は、アプローチをすることまでは禁じないが婚約は解消しないという、至極まっとうな終わりを迎えたらしい。そして、そのくだらない話題だけで一日目の師族会議は終わったと聞いて、治夏は本気で頭を抱えた。




一日目に九島の十師族からの降格と七宝の昇格はありませんでした。
九島のパラサイドール事件は宮芝が関わっているので四葉の追求から外れましたし、周公瑾は宮芝がこっそり始末してますし、七宝は長男が力士になってしまいましたし。
……最後は何の脈絡もないですが。


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継承編 十師族への攻撃

西暦二〇九七年二月五日火曜日、午前十時二十分。

 

珍しく自分自身で学校の授業を受けていた宮芝和泉守治夏は、緊急を知らせる式神を受け取っていた。内容は十師族会議が行われている箱根のホテルの周辺で死体を使った人形を感知したというものだ。連絡はその術者が送ってきたものだ。

 

隠密に特化した行動を行う宮芝の術者は、現在でも一切の電子機器を持っていない。隠密ということでは有効なその対策が、今回は裏目に出た。治夏のところに式神が到達するまでに生じたロスは小さいものではない。

 

治夏はすぐに教室を飛び出すと、達也の元に急ぐ。授業終盤での闖入者に驚く者たちを無視して、治夏は叫ぶ。

 

「達也、急ぎ師族会議の面々に連絡を入れろ!」

 

その一言に教室内がざわめく。

 

「何があった?」

 

ただならぬ様子の治夏の様子に気づいたのだろう、達也が席を立って廊下へと出てくる。ひとまず腕を引いて達也を教室から引き剝がした。

 

「私の部下が師族会議の行われている会場付近で、死体を人形として使役する術式が使われているのを感知した」

 

それだけで達也はすぐに端末を取り出し、どこかに連絡を取り始めた。警戒を強めるように伝えて通話を切った達也は、今度は治夏に尋ねてくる。

 

「使われている人形の数や、それを使う術者の数は分からないか?」

 

「まだ私も第一報を受けたところだ。師族会議を探っていた者が通信機器を保有していないため、連絡が式神を通じてのものになるため時間がかかるんだ」

 

面倒な方法を、と達也が呟いていたが、この方法が一番、機密保持性が高いのだ。何せ送られてきた式神から通信内容を聞きだすにも、専用の術が必要なのだから。少なくとも現代魔法師では再生ができず、古式魔法師でも術の種類が漏洩していなければ再生のための術式を特定することは難しい。ちなみに術式を間違えると式神が消滅するため、再生は不可能となるというオマケつきだ。

 

待ち望んでいた続報が届いたのは、午前十時二十三分過ぎだった。どこにでもいるようにしか見えない茶色の鳥が昇降口の中を飛行して治夏の前に降り立つ。烏が口を開くと、指先ほどの大きさの虫が中から飛び出てくる。治夏は予め定めていた順である火、土、水の順で精霊を虫の口から飲ませる。

 

すると、虫は尻から小さな卵を生み出した。治夏は迷わず、それを口に含む。

 

和泉守様、確認できた人形の数は三十体前後。術者は一人だと思われます。人形たちから魔法師の痕跡を感知できないことから察するに、まず間違いなく標的は師族会議の会場付近の民間人と思われます。

 

術者のメッセージが頭の中で再生されるのを聞き終えると、すぐに治夏は達也へと内容を伝えた。そして、聞いた達也はすぐに顔を顰めた。

 

「標的は本当に十師族ではないんだな?」

 

「相手がよほどの馬鹿でない限り、それはないだろうね」

 

死体を使った人形程度で、一流の魔法師を相手にするのは不可能に近い。ましてや相手が十師族ともなれば力不足は明らかだ。報告をしてきた術士も、それを念頭に民間人が標的と判断したと思われる。

 

「なんとか阻止はできないのか?」

 

「派遣しているのは偵察と隠密術式に長けている術士だ。解呪のような術式は得意としていない。それに相手を捕らえた上でならともかく、一定範囲を対象とできるほどの術士となれば宮芝でも数人しか思い浮かばないな」

 

「解呪でなくとも、なんとかならないか?」

 

「それこそ十師族の仕事だろう?」

 

単純な魔法力に劣る宮芝には無理だ。そう言外に滲ませると達也も宮芝への要請を諦めたようだ。

 

「君がそれだけ慌てるということは、十師族でも阻止できる可能性はほとんどない、ということだな」

 

「普通の十師族が優れているのは、一般的な魔法力の高さだ。探知のような能力には長けていない。そして、会場の広さに対して今回はあまりにも手が足りない。加えて、咄嗟の連携は期待できない面々だ。おそらく民間人を守りきるのは不可能だろう」

 

「そうなると、あとは少しでも被害が少ないことを祈るしかないね」

 

今から駆け付けたところで、とても間に合わない。

 

「ひとまず帰宅の準備をしておこう」

 

達也に言われて、治夏も教室へと戻る。治夏自身は十師族でないので直接の影響はない。けれど、今回の事態は間違いなく魔法師界全体を揺るがす騒ぎになる。

 

ちょうど二時限目の授業が終わったところで、教室内は喧騒の中にあった。その中を脇目もふらずに進み、自らの鞄を掴む。何かが起きたことは察しているエリカたちは、治夏の厳しい表情を見てか、声をかけてこなかった。

 

達也の端末に通信が入ったのは、指導教員に早退の許可を取っている途中だった。届いたメッセージを確認した達也は治夏に向けて緩く首を振りながら言う。

 

「テロの阻止には失敗したようだ」

 

「内容は?」

 

「自爆テロだそうだ」

 

「うん? 人形が爆発したのか?」

 

「それは宮芝の魔法だろう。今回は死体に爆弾を運ばせたらしい」

 

自爆というと何かと宮芝と結びつけるのは止めてほしい。とはいえ、それは今、言うことではないだろう。反論することなく足を進めた治夏たちは校門まで続く並木道に出たところで深雪と出会った。

 

「お兄様にも緊急通信が?」

 

深雪はすっかり血の気を失った顔で、達也に言葉短く問いかけていた。どうやら達也は深雪にまでは情報を伝えていなかったようだ。

 

「急ごう」

 

更に短く、達也が答える。

 

「深雪先輩!」

 

続いて背後から呼び掛ける声を発したのは、一科生の昇降口から出てきたばかりの七草泉美だ。見ると、姉の香澄と桜井水波もいる。

 

「泉美ちゃんにも?」

 

「やっぱり誤報じゃないんですね!?」

 

深雪が頷くと、泉美はガタガタと震えだした。

 

「俺たちは状況を見に行く。お前たちは?」

 

「ボクたちも行きます!」

 

香澄が震えている泉美の手を取った。

 

「では私は別行動とさせてもらうよ」

 

そして治夏は箱根に向かおうとする五人に別行動を宣言した。

 

「そうだな、和泉は十師族ではないからな」

 

「そういうことだ。すでに警察も出ているはず。身内以外の人間が向かうには不適当だ」

 

「分かった。テロを引き起こした犯人は十中八九、古式系の魔法師だろう。場合によっては力を借りてもいいか?」

 

「ああ、相手は日本の敵だ。我々もできる限りの手助けはさせてもらうつもりだ」

 

協力を約束すると、達也たちは箱根に向かうために駅への道を駆けていく。それを見送り、治夏は部下を指揮するための式神を用意していく。

 

本音で言えば、治夏も克人の身の安全が気になる。人形では一線級の魔法師を害するのは難しいのは達也にも語ったとおり。ましてや克人の防御魔法は十師族中でも最強。きっと傷一つなく帰還してくれるはずだ。

 

そう信じていても気になるものは気になる。今は事態への対処に忙しいはずで、治夏に連絡をしている暇はないはずだ。それでも、早く無事の連絡が入らないものかと、つい端末を取り出して画面を見つめてしまう。

 

けれど、いつまでも端末の画面を見ていても仕方がない。今は治夏も自分にできることをするべきだ。

 

まず警戒すべきは敵魔法師の国外への逃亡を許すこと。それだけは絶対に阻止しなければならない。

 

東京、神奈川、千葉、静岡の各地に探査を得意とする術士を回しておく。それだけで宮芝の動かせる術士は払底する。敵の捜索は後回しとなるが、まずは逃げられないことが第一。次の手は十師族との役割分担ができてからでもいい。

 

克人、早く連絡を。治夏の祈りが届いたのか、克人からのメッセージが画面に表示される。それを見て無事を知った治夏は、その場に立ったまま静かに涙を流した。



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継承編 克人からの連絡

宮芝和泉守治夏の元に十文字克人からの電話があったのは、事件のあった二月五日の午後九時になろうかという頃だった。

 

「遅いよ、克人」

 

「すまん、色々とあったんだ」

 

「分かってる。連絡ありがとう」

 

十師族の当主たちが揃って警察の事情聴取を受けていたことも、その後に対策会議を開いていたことも密偵の情報によって得ている。

 

「それで、決まったことを教えてくれる?」

 

移動の様子までは捉えていても、その後に話した内容までは分からない。

 

「まず今回のテロの首謀者の名は顧傑。英語名はシード・ヘイグ。公的な身分はかつて大亜連合と争っていた大漢出身の無国籍難民だ。大漢で魔法研究を行っていた崑崙方院出身の魔法師のようだ」

 

「まあ、やっぱりというところだね」

 

「まさか、すでに情報を掴んでいたのか?」

 

「崑崙方院出身で、現在は大亜連合に属していないというのは魔法の残滓からこちらでも掴んでいたからね。名前までは分からなかったが、まあ、それは大した問題じゃない」

 

今回の魔法は、随分と古臭い大漢の術式を元にしていた。そこから考えて、かつて崑崙方院で研究をし、その後は最新研究の成果を吸収することができなかった立場の者、もしくは昔の術に固執している者ということは予想ができた。

 

そこまで特定ができれば、個人の特定ができなくても問題ない。その時点でも対象は少数だし、日本で魔法師として働いていない大漢の古式術士という時点で不穏分子なのだ。人違いであろうとなんだろうと、条件に当てはまる者なのであれば、禍根を断つためにも、この機に殺してしまえばいい。

 

「それで、その顧傑の捜索についてだが、俺が責任者になった」

 

「えっ、本当に? すごいじゃない、克人」

 

「だが、主力となる実働部隊は七草家が出すことになっている」

 

「それでも、すごいよ」

 

更に言うが、克人はどうにも困惑しているように思える。そういえば、当主モードがどこかに行ってしまっている。

 

「えーと、こほん。それで?」

 

「それで俺の下に司波達也と一条将輝が入ることになった」

 

「一条? 何で一条が?」

 

「一条殿からの申し出だ」

 

そういえば、一条は深雪に対して婚姻の申し入れをしていたな。この機に少しでも近づきたいということだろうか。

 

「一条家の跡取りは高校生だけど、授業はどうするつもりなのかな?」

 

「それは我々が考えることではないのではないか?」

 

「私が言っているのは、捜索にかこつけて深雪の傍に行きたいだけではないのか、ということなんだけど?」

 

「それは……さすがにそんなことはないと思うぞ」

 

治夏こそ今が大変な時期なのだ。この忙しい時に近くで色ボケなんてかまそうものなら、治夏の手で物理的に男でなくしてやろう。

 

「ところで実動部隊は七草が取り仕切るということについてだけど、責任者と実行者が異なることで問題は起きないの?」

 

「それについては俺も少しは懸念したところだが、四葉殿が七草が責任者となるべきでないと主張され、七草殿もそれに反論をしなかったのだ」

 

大陸系の古式魔法師というと、思い出されるのが横浜の周公瑾だ。七草はその周公瑾と通じていた。そのことは九島の開発したパラサイドールに関する実験の情報を流す際に、四葉へと伝えてあった。おそらくテロが起こって移動する途中にでも、今回は七草家は引くようにと四葉から指示がされたのだろう。

 

「その他には?」

 

「魔法協会を通じてテロを非難する声明を出すことになった。それだけで収まるとは思えないが、何もしないよりは良いだろう、とな」

 

「まあ、妥当な線だね」

 

わざわざ魔法師が多く集まる場所で民間人を狙った攻撃を仕掛けたのだ。反魔法師活動こそが本線といえるだろう。

 

「そういえば、深夏に聞いておきたいことがあった」

 

「何だい?」

 

「今回の首謀者は死体を遠隔操作する類の魔法を使ったようだ。我々は使用した人体の数から考えて最大で半径十キロ以内と仮定したが、深夏の見解も聞きたい」

 

「さすがに十師族と言うべきかな。妥当な線だね」

 

治夏と全く同じ結論を現代魔法師たる十師族が出したことを、内心で驚きながら声色は変えない。治夏個人の感情と宮芝として十文字に情報を出さないということは別問題だ。

 

「では、ここらで宮芝からも情報を提供しておくとしようか」

 

「頼む」

 

「まず今回の首謀者だが、大井は超えておらぬゆえ駿河、伊豆、相模、武蔵のいずれかに潜伏していると思われる」

 

現在、宮芝はすでに静岡東部、神奈川、東京まで縛りをかけている。明後日には静岡を調べ終えることができるはずだ。

 

「特定の魔法師が川を渡ったかどうかが分かるのか?」

 

「特定の魔法師となると難しいが、大漢の術士が渡河した者の中にいたか否かは調べることが可能だよ」

 

「分かった。七草殿にも連絡して捜索の効率化を図ろう」

 

そう言った後、克人は少しの時間、口ごもった。

 

「どうしたの?」

 

「今回の件で生まれる魔法師を敵視する風潮は長期的なものになると予想される。残念ながら、十文字家ではそれに対して適切な手を打つことができない。古くから日本の陰にいたという宮芝は何か打てる手を持っているのか?」

 

「反魔法師活動が確認されるようになって以来、宮芝は対処法を考えてきた。今回の件も全くの想定外というわけではないよ。だから、克人は自分の任務に全力を尽くすことだけを考えてくれればいい」

 

確かに、克人が言った通り、一度は反魔法師活動が盛り上がることだろう。ただし、克人がその後に対して悲観的なのに対して、治夏はやや楽観的に考えている。

 

反魔法師活動は、どうしようもない矛盾を抱えている。それは扇動しているのが外国人であること、そして多くの魔法師が関わっていることだ。外国の魔法師が日本の国内で反魔法師を叫んでテロ活動を行う。最初から、反魔法師活動は論理が破綻している。

 

今回の首謀者も元大漢の魔法師だ。それが反魔法師活動を祖国でなく日本で行う時点で活動の正当性は皆無になる。あとは事実を淡々と知らしめてやればよいだけだ。魔法師を敵と考える者がいるから反魔法師活動などというものが起きるのだ。だったら、別の敵を用意すればいい。

 

幸いにして幾度かの諍いの際に大亜連合の術者は複数人を確保してある。その者たちの人形を使って、敵と同じ主張をしながら街中で魔法を乱射させる。自分たちに直接的に危害を加える者と、単なる感情的な不信感を持っているに過ぎない者。どちらと手を組み、どちらと戦うべきなのかは、余程の馬鹿でなければ間違えまい。

 

「克人が指揮する捜索には私もできるだけ参加させてもらうね」

 

頭の中の黒い考えが顔に出ないようにしながら、治夏は克人に笑いかける。

 

「ああ、捜索という面では俺や一条はあまり力になれそうにないから、頼りにしている」

 

「おや、達也は?」

 

「司波は……普通に考えると苦手なはずなのだが、妙に勘が鋭いというか、何か俺たちの知らない手段で情報を得ている節がある」

 

ブランシュ事件のときも、九校戦のときも宮芝の情報網をもってしても掴み切れていない情報を知っていたことがあった。四葉と国防軍の伝手ということで納得ができた案件もあるが、それでも納得ができないほどの案件もある。個人でも何らかの方法で秘匿情報を得ていると考えた方がいい。

 

「頑張ろうね、克人」

 

「ああ」

 

とてもではないが、今の時点では来週の新年会で克人との婚約話を持ち出すかどうかの相談はできそうにない。まずは数日間、様子を見て世論の動向を見極める必要がある。

 

まったく、面倒をかけてくれるものだ。頭の中で文句を並べながら、治夏は克人との通話を終えた。



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継承編 犯行声明

テロから一夜明けた二月六日。

 

普段通りに登校した宮芝和泉守治夏は、昼休みに達也たちと食堂に赴いていた。

 

食堂の大型ディスプレイがテレビの緊急ニュースを流し始めたのは、治夏たちが食事を始めてすぐの頃だった。

 

ニュースキャスターが読み上げ始めたのはテロリストの犯行声明だった。

 

昨日、箱根のホテルを襲ったテロを実行したのは自分たちである。

 

自分たちは魔法という悪魔の力をこの大地から一掃する為、聖戦を行う者である。

 

昨日の攻撃はこの国における魔法師の首魁、十師族を標的とするものだった。

 

しかし十師族は卑劣にも、一般市民を盾にして逃げ延びた。

 

自分たちは今後も魔法師を名乗るミュータントから人類を解放する為、戦い続ける。

 

日本人が魔法師を追放しない限り、犠牲者は増え続けるだろう。

 

ゴテゴテと飾り立てた声明を要約すると、こんな内容だった。

 

「馬鹿だな」

 

それを聞いて、思わず治夏は漏らした。

 

「馬鹿っていうのは、誰のこと?」

 

聞いてきたのは、いつも行動の早いエリカだ。

 

「今回のテロリストのことだよ」

 

「その理由は?」

 

「はっきり言って、自らの望みを語り過ぎだ。放っておいても反魔法師の機運は高まりそうな場面であったのだ。ここで外国人によるテロ活動ですと馬鹿正直に告白しては逆に利用の目が出てくるだけだ。正体や目的を語らない方が、かえって想像力を駆り立てるということもあるのだよ」

 

「そういうものなの?」

 

「そういうものなのだよ」

 

語れば裏を読まれる。語れば矛盾を突かれる。それを避けるためには語らぬというのも立派な手段だ。

 

その間にキャスターは爆弾テロの被害状況を伝え始める。

 

ホテルの利用客八十九名の内、死者二十二名、重軽傷者三十四名。無事だった利用客三十三名の内、二十七名が魔法師。

 

キャスターは死者・重軽傷の中に魔法師が含まれていないことを付け加え、彼らが我先に逃げ出すのではなく人命を優先していれば被害はもっと抑えられたのではないか、と結んでいた。

 

「何で自分の命より他人の命を優先しなきゃいけないのよ」

 

画面の中で政治家のコメントを報じるキャスターに向かってエリカが吐き捨てる。

 

「地位や職業で他人の命を優先しなければならない場合もあるけどね。それを無条件かつ当然のように語られるのは確かに不愉快だ」

 

吉田も珍しく強い口調で嫌悪感を露わにしている。それだけキャスターの理不尽な言い分が我慢できなかったのだろう。

 

「元より人は勝手なものだ。自分が人を助けることは当然ではなくとも、人が自分を助けるのは当然と思っている」

 

「そんな奴ばっかりじゃないと思いてえな」

 

頷ける部分もあるが、頷きたくない。レオの言葉からはそんな複雑な心境が見えた。

 

「そもそも今回のテロで自爆したテロリストは五十人近かったんだろ? そんだけの数を相手にどうやって被害を防止できたって言うんだよ。十師族を万能のスーパーマンか何かと勘違いしてねえか?」

 

「良い所に気が付いたね、レオ」

 

「へ? 何のことだ?」

 

「君は今の自分の言葉に不自然な部分があることに気づかなかったか?」

 

「俺の言葉?」

 

レオは思い当たることがないのか、考え込んでいる。

 

「はあ、君は考えが深いのか浅いのか、よく分からないな」

 

「ほっといてくれ」

 

「自爆したテロリストが五十人。これは普通のことか?」

 

それでレオもはっとした表情になった。ただのテロリストが五十人でも十分すぎるほど多い数だ。けれども自爆するような狂信的なテロリストが五十人は、すでに異常事態だ。

 

「我々は達也からの情報によって敵が魔法師であることを知っていた。だから何とも思わなかった。けれど、民間人の中には敵の素性にまでは思いを馳せていない者もいよう。だが、魔法師たちをミュータントと呼んだ者たち自身が魔法師で、しかも外国人だ。外国の魔法師が人類の解放を叫んで日本の魔法師を攻撃する。これほどの喜劇はあるまい」

 

「けど、それも憶測だって言われるんじゃない?」

 

エリカはなお、懐疑的な様子だ。

 

「憶測でよいのだ。初めは単なる憶測でも裏付けるような事実がいくらか起これば、やがては真実になる」

 

「起こるんじゃなくて起こすんだな」

 

一方の達也は呆れ顔だ。宮芝がそれを可能なことも、現実に実行する可能性が高いことも理解しているからだろう。

 

「……なんとか穏便に済ませられないのかな」

 

そう言ったのは吉田だ。吉田は相手が敵であれば躊躇いなく倒すことができるが、罪のない者を巻き添えにすることは嫌う傾向があるように見える。もっとも、それは誰しもが大なり小なり持っているものだ。殊更に甘いと言うつもりはない。

 

「私もできれば穏便な方法を望んでいる。かといって反魔法師活動の長期化は国にとって大きな不利益になる。ならば、手荒な手段もやむをえまい」

 

宮芝だけに限定をすれば、実は反魔法師活動はほとんど影響がない。元々、ほとんどの宮芝の術士たちは山奥に引っ込んでいるのだから。

 

しかし、反魔法師活動が活発化すると、現代魔法師の活動は低調になる。魔法の衰退や停滞は、そのまま他国と比したときの戦力の劣後となって現れる。実際に、それが他国の狙いなのだ。そのような馬鹿げた狙いを通してやるわけにはいかない。

 

それに、愚かにも敵国の策に乗り、祖国に害を与える者は宮芝にとって、守るべきものに当たらない。被害は魔法師ではなく愚行に走るものが追うべきだ。悪いが、愚行の対価は自らの血をもって払ってくれ。

 

「それにしても、あのキャスターの言い方、優先すべき人命に魔法師の命は入っていないようだったな。被災時の助け合いは必要なことだが、自分よりも他人を優先しろという美談の押し付けよりも深刻に思えるな」

 

魔法師の兵器からの解放を目指す達也としては、キャスターの言い分は承服しがたいものだったのだろう。

 

「そんなものだよ。人はいつだって、勝手に自分を優先してもらえる方に入れたがるものだ。軍人より民間人。警官より民間人。役人より民間人。高給者よりも薄給者。そして、魔法師より非魔法師。違いなど些細なものなのに、少しでも強いと思うものを探して、自らの弱さを理由に助けてもらうことを願う」

 

「そして、それが満たされないと不満に思う、というわけか」

 

だからこそ、宮芝は魔法師が国防に関わることを望みながら、魔法師は兵器という考えには賛同ができない。魔法師というのは望んでなれるものではない。つまり魔法師が兵器と認識されることは、非魔法師に自分は兵器ではないという誤った認識を与えかねない。そして、国防が多くの者にとって他人事になったとき、その国は滅亡を迎える。

 

達也は魔法師たちに積極的に軍事教練を課していることをもって誤認しているようだが、宮芝は通常戦力こそ国防の主力と考えている。宮芝はあくまで敵の魔法師を受け持ち、敵の戦闘機や戦車は国防軍に任せる。それが宮芝の基本戦略だ。

 

「そうだね。全くもって始末に悪い」

 

けれど、始末が悪いといえば、宮芝はそれ以上だろう。宮芝が守るのは、いつだって強いものの方だ。宮芝にとっては、秩序は安定している方が望ましい。危険を冒して新しいものを求めるよりは、安全策を取る。

 

今の秩序を一刻も早く取り戻す。次の宮芝の方針はそう決まっている。そのためならば、多少の犠牲も許容する。

 

流れたばかりのニュースに不快な思いを抱いていることを隠せないでいる少女の姿を、ちらりと覗き見る。彼女の関係者が巻き込まれると、まだ決まったわけではない。けれど、その可能性は高いといえる。

 

そのとき彼女は、どのような反応を示すだろうか。私との関係は今とどのくらい変わってしまうのだろうか。

 

暗い思いを悟らせないように治夏はそっと目を逸らした。



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継承編 対策会議

その日の夜、宮芝和泉守治夏は十文字家の屋敷にいた。屋敷の応接間には他に達也と七草真由美もいる。用件は師族会議で決められたというテロ事件の犯人の捜索についての協力要請だ。達也については、すでに当主からの承諾を得ている以上、個別に話す必要はないはずだが、律義な克人が自分の口からも依頼することを望んだために設けられた。

 

達也と真由美が座るのは、克人と治夏の座るのと同じ三人掛けのソファだ。二人の間には一人分の間隔が空けられている。一方、克人と治夏の間に空間はほとんどない。先に席についていたのは治夏たちで、であれば間隔も合わせてほしかっただが、達也にそんな機微を発揮してくれという方が無理というものだろう。

 

「昨日のテロ事件の件で、お前たちの力を借りたい」

 

「その件については四葉の当主からも命じられていますので、もちろん俺は協力させていただきます」

 

そう言った達也は、しかしそこでチラリと真由美の顔を窺い見る。

 

「しかし、何故七草先輩を? 七草家もご長男がテロリストの捜索に当たられると聞いていますが」

 

「司波。あいにくだが、その質問に答えることはできない」

 

そう言うと、克人は真由美に顔を向ける。

 

「七草。お前に対するこの依頼は十文字家として七草家のご息女に向けたものではない。友人としての頼みだ。だから家の都合を考える必要は無い。気が進まなければ断ってくれても構わない」

 

「克人、それは逆効果というものだ。友人として、と言われたら、七草先輩の性格上、余計に断れなくなってしまう」

 

真由美が小さく呆れの息を吐き出したのを見て、治夏は克人を窘める。

 

「むっ、そうなのか?」

 

「そうなんだよ」

 

そこで再び真由美が呆れの息を吐き出した。今度の呆れの内容は明白だ。克人が慌てて真由美に向き直った。

 

「それで、十文字くんは私に何をさせたいの? 『力を借りたい』だけじゃ判断できないわ。私にできない事は引き受けられないし」

 

「それもそうだな」

 

克人は湯吞みのお茶で唇を湿らせてから真由美に説明を始める。

 

「今回のテロリスト捜索はいささか変則的な体制で行われることになっている」

 

「それは知ってる。総責任者が十文字くんで、主力の指揮を執るのが家の兄なんでしょう? 非効率よね。家同士の面子に拘っている場合じゃないと思うけど」

 

真由美は同じ関東地区を地盤とする七草家と十文字家、両家の面子を立てる為にこのような変則的な体制が組まれたと理解しているようだ。しかし、事実は違う。この体制は名倉を捕らえた宮芝と七草の確執によるものだ。

 

今回のテロの首謀者は古式の術者である。となれば、捜索には宮芝家の力は必須。けれども本来なら十師族側の指揮を執る七草と宮芝の関係は悪い。そのことを知っていた四葉真夜が手を回した結果が今回の指揮体制だ。けれど、それを真由美に言う必要はない。

 

「七草が言う通りくだらない面子ではあるが、決まった以上は仕方がない。だが、智一殿と俺が連携を取らずに別々に動くと、無駄が生じてしまうのを避けられない。そこで七草には互いの進捗状況を伝え合う連絡係を務めてもらいたい」

 

克人には今回の体制の裏を伝えてある。そして克人は今回については、真由美の思い違いを利用することに決めたようだ。

 

「俺は捜査状況について智一殿に隠し事をするつもりはない。智一殿にもそんなつもりはないだろう。だが、捜査の過程で秘匿技術や秘密情報網を使う場面は必ず出て来る。そうしたものから得られた情報は、部外者には伝えにくいものだ。得られた情報の性質から、その手段を推測することは決して不可能ではないからな」

 

克人が説明をしている間、治夏は話し相手である真由美ではなく達也のことを見ていた。真由美と達也、どちらが僅かの情報から真実に至る可能性が高いかと考えれば、警戒すべきがどちらなのかは明らかだ。

 

「なるほど。だから私に、間に入れと言うのね? 単なるメッセンジャーには明かせないことが出て来るから」

 

実際、真由美は克人の話に耳を傾けていて治夏の注意がどちらに向いているのかは気づいていない。

 

「そうだ。七草家の秘密に関わる部分はお前の判断で伏せてくれて構わない。テロ事件解決の為に必要と判断される情報だけを教えて欲しい」

 

「難しいこと言うなぁ……」

 

情報を伏せるか任せると言っているが、真由美が個人の判断で必要な情報を共有せず、犯人を取り逃がした場合、その責任は誰に向かうのか。間違っても真由美個人とはならない。今回の主力の指揮を執るのは七草智一なのだ。つまり、情報の共有不足で取り逃がした場合の責任は七草家が負うことになる。

 

「……分かったわ。引き受ける。確かに私が一番適任でしょうね」

 

しかし、真由美はそこまでの意図を読み取れなかったようだ。

 

「助かる」

 

そう言った克人が目を伏せたのは、治夏の発案に乗ってリスクを七草にばかり押し付けることへの後ろめたさだろう。

 

「気にしないで。家の問題でもあるんだし。ところで、宮芝さんが十文字くんに協力してくれようとしているのは分かるけど、それは宮芝家として?」

 

「無論、宮芝家としてだ。今回の件は他国の工作員による我が国への攻撃だからな。宮芝が手を貸さない道理はない」

 

「そう、なら安心ね。どうせまた、何か隠している情報があるんでしょ」

 

「人聞きが悪いことは言わないでほしいな。私はいつだって国のために必要な情報は供出しているつもりだよ」

 

まあ、逆に言えば全部ではないということだが、それはお互い様だろう。

 

「それで、私は具体的にはどうすれば良いの? 大学はしばらくお休みするべきかしら」

 

「それをこれから相談したいと思っていた」

 

そう言って克人はしばらく蚊帳の外にいた達也に目を向けた。

 

「有力な手掛かりが見つかるまでは自由に動いてもらって構わないが、連絡だけは密にしておきたい。どうも宮芝は比較的早期に犯人にたどり着けると考えているようだしな」

 

そう言って治夏を見やってきた克人に頷きを返す。

 

「それで、できれば毎日、進捗だけでも確認したいのだが」

 

「俺は構いません」

 

「毎日必ずって確約はできないけど、原則としてそれで構わないわ」

 

「それで十分だろう。なに、都合が合わなければ、合う者だけで集まればいい」

 

そう言いながら達也を見ると、非常に嫌そうな顔をしていた。ということは、真由美が来られないときは達也も来るなというメッセージは伝わったようだ。

 

よし、これで仕事にかこつけて克人と二人きりになれる。あとは共有すべき情報が少ない日であるかを事前に調査し、真由美と達也に連絡して出席を見合わせるよう依頼する方法を考えておかなければ。

 

「場所は何処にする?」

 

「私と十文字くんだけなら魔法大学の近くが良いと思うけど……」

 

相談を始めた克人と真由美が達也の様子を窺っている。

 

「問題ありません」

 

達也が即答した瞬間、決定事項のような雰囲気となっている。

 

「ちょっと、私の意見は聞いてくれないの?」

 

「宮芝さんは、この中で一番、時間に融通が利くでしょ」

 

そう言えば去年のこの時期、治夏はパラサイト関係の研究のために授業は全て替え玉を派遣していたのだった。そして、真由美はそれを知っていたらしい。これはさすがに自業自得なので、大人しく引き下がるしかない。

 

「しかし、魔法大学の近くに適当な場所がありますか?」

 

「そんなもの、どうとでもなるだろう」

 

「そういえば、宮芝はそちらの方面も専門だったな」

 

諜報だけでなく防諜も宮芝の真価が発揮できる場面。そう簡単に破られはしない。

 

「情報交換を始めるのは明後日からにしたいが、それでいいか?」

 

「了解よ」

 

「承知しました。何時に、どちらにうかがえばよろしいでしょうか?」

 

「……では、明後日の十八時、魔法大学の正門前に来てくれ」

 

「分かりました」

 

ちなみに今回、克人は治夏には待ち合わせ場所について何の相談もしていない。それは、治夏が克人と毎夜、メールや通話で話をしているからなのだが、その裏事情は気づかれていないだろうか。そう思いながら、治夏はちらと達也の様子を窺った。しかし、今の達也は無表情であり、治夏は何の情報も得られなかった。



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継承編 公私混同対策会議

二月八日金曜日、十八時前。宮芝和泉守治夏は克人と共に小さなレストランの中で達也と七草真由美の来訪を待っていた。

 

この場所は魔法大学から歩いて十分強の場所にある、一見ちょっとお洒落なだけの、普通の戸建て住宅。しかし、中に入ると一階はレストランになっている。元より紹介が無いと入れないこの店を、克人はしばらく貸し切りにしている。

 

ちなみに昨日も治夏は克人とこのレストランを訪れている。目的は下見という名目での、単なる克人と二人きりのディナーだ。今日からお邪魔虫二人が加わる前のささやかな楽しみというわけだ。

 

「十文字くん、お待たせ」

 

しばらく克人と雑談をしていると達也を連れた真由美が入ってきた。

 

「いや」

 

三十分前に治夏がこの店に入って同じようなことを言ったときの克人の言葉は、今来たところだ、というものだった。しかし、今は治夏も克人も先に楽しんでいた紅茶のカップが随分と減ってしまっている。この状態で同じことを言うのは、あまりに白々しすぎて、皮肉に聞こえてしまいそうだ。

 

「掛けてくれ」

 

克人の勧めに真由美が若干、嫌そうな表情を見せたのを見て治夏は慌ててテーブルの下で握っていた克人の手を放した。それにしても、真由美は意外と鋭い。それとも、こんなくだらないことを見破るために、かの高名なマルチスコープを使ったのだろうか。だとしたら、魔法技能の無駄遣いもいいところだ。

 

「早速だが、何か分かったことはないか」

 

「残念だけど、今のところめぼしい手がかりは無いわね。テロリストはアメリカから海路で日本にやって来て、横須賀に上陸したらしい、というところまでは見当がついたんだけど。これも憶測にすぎないわ」

 

「俺の方は、USNAから情報を入手しました」

 

続く達也のセリフに、真由美が驚きを示した。

 

「アメリカから? 一体どんな伝手があったの?」

 

「それはまあ、色々です」

 

「……聞いちゃいけないことだったわね。ごめんなさい」

 

「その情報によれば、テロの首謀者である顧傑の外見年齢は五十代、肌の色は黒、髪の色は白だそうです。信憑性は残念ながら不明ですが」

 

顧傑の外見情報を調べられたというのは治夏にとっても驚きだった。さすが四葉、油断がならない。

 

「確証がなくとも、その特徴的な容姿は有力な情報だ。七草」

 

「ええ。過去二週間以内に入国した外国人から、今の情報に当てはまる人物をピックアップさせるわ」

 

克人の視線を受けて真由美が頷く。

 

「密入国している可能性が高いと思うが」

 

「ええ、そうでしょうね。でも人が動けば必ず痕跡が残るわ」

 

「だが、それすら隠すのが古式の上位術士だ。痕跡があるという先入観にとらわれすぎないように気をつけろ」

 

「けれど、私たちには痕跡があると信じて調べることしかできないわ。まずは、痕跡があると信じて警察の手も借りて徹底的に調査させるわ」

 

警察に対して最大の影響力を持っている魔法師一族は、機動隊を中心に魔法師警官の約半数が一度はその門を叩くと言われている千葉家だが、関東の、捜査部門に限って言えば七草家がむしろ優越していると言われている。

 

そうでなくとも、あれだけの大事件だ。外野から何も言われなくても警察は必死に犯人を捜しているはずだ。どんな些細な手掛かりにも食い付いてくるに違いない。

 

「しかし、それだけに心配でもあるな」

 

「どういうこと?」

 

「今回の敵は死体を操る術を使う」

 

聞いてきた真由美を見ながら治夏が伝えると、真由美が息を飲んだ。

 

「それは警察官を殺害して、その遺体を利用する可能性があるということですか?」

 

「効果的であろう」

 

現代においても警察官の信用度は大きい。新鮮な警察官の死体を操れば、逃亡するにせよ次のテロを行うにせよ、取りうる選択肢の幅は広がるだろう。

 

「なら、あまり大々的に警察を使うべきではないのかしら」

 

「いや、我々が警察を使わずとも、相手が警察官を狙うことは難しくない。まさか警察署から出さないというわけにもいかぬだろう?」

 

「じゃあ、どうすれば?」

 

「普通の警察官は、残念だが普通に捜査をしてもらうしかないだろうな。我らが警戒をすべきは魔法師警官を利用されることだ」

 

魔法師の警察官を使われるのは二重の意味で拙い。一つは単純に戦力面で、もう一つは、魔法師の警察官にわざと市民に被害の出る魔法を使わせるという手段が生じるためだ。

 

魔法を使えぬ者に、魔法師警官が魔法を使ったのか、魔法師警官の死体が魔法を使ったのかを判別する術はない。最悪の場合、魔法師警官は非魔法師の被害など、どうでもいいと考えている、という風説の流布に利用されかねない。

 

「魔法師の警官が動くときには必ず宮芝の術士か、七草の魔法師二名以上と組んで動くようにすべきだ」

 

「それでは、我らの手が足りなくならないか?」

 

「一般市民の死体だけでは、たいしたことはできない。克人、ここは大きな被害を出さないことを第一とすべきだと思う」

 

一般市民の死体を操ったところで、今回のような高性能な爆弾でも用いなければ、魔法師を殺傷することは難しい。非魔法師の殺害ならば可能だろうが、それは魔法師からの解放を謳った自らの大義を己の手で放棄するに等しい。それでは単に対テロで日本を団結に導く効果しかもたらさない。

 

「分かったわ。魔法師警官は特に気をつけて行動させるように連絡しておく」

 

「そうだな。だが、ただ行動を自制させても跳ねっ返りが出てしまうだろう。達也、千葉家にも協力を仰げないか?」

 

「どうして俺なんだ?」

 

「私は千葉家と深く接触しない方がいい」

 

単に魔法師が非魔法師を傷つけないというだけでは足りない。できれば、魔法師に非魔法師を守るために血を流してほしい。それが治夏の望みだ。そして、それを実行に移した場合に流れる血は、先の千葉家の影響力を考えると、千葉家の門を叩いたことがある者となる可能性が高いのだ。

 

「まさか、魔法師警官に血を流させるつもりなのか?」

 

そして、それなりに付き合いの長い達也は、治夏の考えそうなことなどお見通しらしい。

 

「私が答えると思うか?」

 

治夏は達也の問いに肯定も否定もしなかった。しかし、それで十分に通じたはずだ。

 

「分かった。エリカを通して話をしておく」

 

魔法師警官の血が流れたところで達也の不利益にはならない。それならば心情的には賛同はできなくとも、強硬な反対はしないはず。その考えに誤りはなかったようだ。

 

「私は宮芝さんの考えには賛成できない」

 

「だったら、早く首謀者を捕らえるよりないな。私とて無意味に血を流すことは好まない。私が強硬手段を取るときは、それをせねば損になると考えたときだけだ。犯人がなかなか捕まらないことで焦れた世論が暴走する前に、是非とも成果をあげてくれ」

 

「言われなくとも」

 

真由美が治夏を見つめる目は、いつになく挑戦的だ。

 

「ともなく、やる気になってくれたのは良いことだな、では私からも情報を与えておこう。今回の首謀者、顧傑の居場所の絞り込みが進み、対象範囲から駿河と伊豆が除外された。また北武蔵も対象から除外できた。これで残るは相模と南武蔵だ」

 

「つまりは東京と神奈川にまで絞れたということだな」

 

克人の確認に、治夏は頷きで返す。

 

「このくらいの範囲ならば、七草の魔法師をある程度の人数で纏めて行動させたとしても捜索は可能なのではないか?」

 

「ええ、そうね」

 

「では、我らは引き続き相模へと探査を進めていく。七草はそれを念頭に重点的に捜索する地を決められるがよかろう」

 

「ええ、そうさせてもらうわね」

 

真由美のこの返答をもって、本日の相談はひとまず終了となった。

 

「二人とも、食事はどうする予定だ? もし食べていけるのならすぐに用意させるが」

 

克人が二人に尋ねるも、二人は今日の夕食への同席を辞退した。

 

「分かった。では明日もこの時間で構わないだろうか」

 

「ええ、良いわよ」

 

「分かりました。もし都合が悪くなればご連絡します」

 

そう言って二人がレストランを出ていく。

 

「今日の夕食も二人きりだね、克人」

 

「深夏は、あれだけ重い話をした後に、よく簡単に切り替えられるな」

 

「重い話をした後だからこそ、しっかり気分転換しないといけないんじゃない」

 

「そういうものなのか?」

 

「そういうものなの」

 

そう言って克人を強引に納得させ、治夏は今日も克人との晩餐を楽しんだ。




公私混同の激しい治夏ですが、仕事はしっかりやってます。


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継承編 第一高校の一条将輝

二月十一日、月曜日。この日の第一高校内は妙にざわついていた。

 

妙に、と表現はしたものの、その原因を宮芝和泉守治夏はとうに知っていた。それは克人の下で一条将輝が捜索に当たるということを知っていたためだ。

 

ついでに言えば、一条が一ヶ月の期限で第一高校の二年A組の教室にある端末を使って、第三高校のカリキュラムを履修することも聞いている。しかし、そんなことは些細なこと。治夏には特に利も損もないので放っておけばいい話だ。

 

それよりも目下の課題はやはりテロの首謀者である顧傑のことだ。一昨日の夜、司波達也は鎌倉で顧傑の隠れ家を急襲したという連絡を受けている。生憎と取り逃がしてしまったようだが、少し前まで滞在していたのは確定的らしい。

 

その情報を受けて、宮芝家は武蔵国の捜索を進め、顧傑を相模一国の中に押し込めることに成功した。更に言えば、その途中に副産物として少々面白い者を入手することもできた。今すぐ使用すべき駒ではないが、手持ちとしておくには悪くない。

 

今のところ、宮芝は更なるテロ攻撃の被害を防ぎつつ顧傑を順調に追い詰めている。だが、治夏の心にあるのは大いなる不満だけだった。

 

翌二月十二日は、本来なら宮芝家で新年の祝賀行事が行われる予定だった。しかし、高位の術者たちを軒並み現場に張り付けている現状で、満足に行事を行うことはできない。結果として、宮芝は新年の祝賀行事を、ひとまず二月十七日に延期することを決定した。

 

ちなみにわずか五日間という短い延期を行った背景には、反治夏ともいえる者たちの存在がある。要は、あと五日もあれば当然に顧傑を抹殺できますよね、という治夏に対する挑戦状である。

 

彼らの言う通りに五日で片付けることができれば治夏の評価は上がり、逆に再延期となれば治夏の評価は下がる。実にくだらない嫌がらせといえなくもないが、実際に治夏は焦りを覚えているのだから有効な手段だった。

 

狩りは焦らず、じっくりと。焦って包囲網を縮めようとしすぎて逃してしまえば、また包囲網の構築からやり直しだ。そうならないように、直前まで居たとされる相模ではなくて武蔵から捜索を行ったのだから。

 

とはいえ、気持ちの方は簡単に抑えることは難しい。なんといっても、今回の新年会では治夏と克人との婚約話を切り出すつもりだったのだ。印象の悪化が避けられない新年会の延期を繰り返しては、婚約話が立ち消えにすらなりうる。

 

「よりにもよって、こんな時期でなくてもいいのに」

 

顧傑が宮芝の新年会に日程をぶつけてきた可能性は、万にひとつもないはずだ。それだけに巡り合わせの悪さが苛立たしい。

 

ともあれ、それを嘆いてばかりいても始まらない。せっかく四葉に優秀な諜報能力があると分かったのだから、それを最大限に活かすべきだ。そう考えて授業終了後に達也の教室を訪ねるも、達也はすでに深雪の教室に向かった後だった。仕方なく、治夏も二年A組の教室に向かう。

 

「一条、任務の件で十文字先輩がミーティングを開いているのは知っているか?」

 

治夏が深雪の教室に入ると、達也が一条に話しかけていた。

 

「いや、聞いていないが……」

 

「ミーティングといっても十文字先輩と七草先輩と宮芝と俺とで情報交換をしているだけなんだが、一条も来ないか?」

 

「そうだな……」

 

達也の誘いに、一条が考え込んだ時間は、十秒にも満たなかった。

 

「差し支えなければ、俺も参加させてもらおう」

 

捜索に当たって意思の疎通と情報の共有が必要だということは一条にも分かっているはずだ。それでも迷ってしまったのは、他のメンバーが個人的に友誼を結んだ者たちばかりであるためだろう。

 

「そうか。今日のミーティングは十八時からだ。地図を転送するから端末を出してくれ」

 

「あ、ああ」

 

一条がポケットから出した携帯情報端末にデータを送ると、達也は深雪と生徒会室に向かってしまう。

 

「第一高校に不慣れな一条さんを放置して婚約者と仲良く生徒会活動なんて、達也さんにも困ったものですね」

 

「ええと、宮芝さん、でしたか?」

 

「はい、そうです。一条さんに覚えていただけているなんて光栄です」

 

治夏と一条との接点は少ない。明確に顔を合わせたのは今年の九校戦の前夜祭くらいのものだ。そして、そのときとは雰囲気を変えてあるので、一条は少し自信なさげだ。

 

ちなみに今日の丁寧口調は深雪を意識したものだ。一条が深雪に対して交際の申し込みをしたということは、彼の好みは清楚なお嬢様系ではないかと思ったのだ。別に一条の好感度など、どうでもいいことではある。ただ、治夏が近くにいるにも関わらず、去っていく深雪の背中にばかり視線を注がれると面白くない。

 

「一条さん、この後、お時間はありますか? もしよろしければ、簡単にですが、校内を案内させていただきますが?」

 

「いえ、校内の地図に関してもデータはもらっていますので」

 

「ですが、いくらデータがあっても、実際に施設を使うとなると分からないことが多いのではありませんか? 一条さんは東京の御出身ではないので、この後、十八時までの時間の使い方を迷われるのでないかと思ったのですが?」

 

「……そうですね、お願いできますか?」

 

少し迷った後、一条はそう言ってきた。

 

「はい、お任せください」

 

笑顔で答えた治夏が一条を連れて行ったのは演習林だ。ここで森崎の訓練の相手にでもなってもらおうと思ったのだ。

 

「一条殿、どうされた?」

 

演習林に入ってすぐに、森崎は治夏たちの元にやってくる。

 

「学校の地図を渡されても、いきなり訓練施設を使うことは難しいと思って、私が使い方を教えようと思ったのです」

 

一条が答える前に、治夏は前に進み出て森崎と話をする。

 

「けれど、私が教えるより森崎君の方が適当ですね。一条さんも同じクラスの森崎君の方が色々と聞きやすいでしょう?」

 

「そうですね」

 

「では、この場は森崎君にお任せしますね」

 

そう言って治夏は二人から離れる。

 

「一条殿、実際に使いながらということでよいか? その方が小官の訓練にもなるので都合がよいのだが」

 

そう切り出して森崎は一条と演習を始める。治夏はそこから少し離れて情報収集用の精霊を飛ばす。

 

治夏が一条の歓心を買うようにしたのは、無論のこと単に深雪に対する対抗心だけではない。一条を森崎の強化のための訓練相手とすること、それと同時に一条の魔法の情報を少しでも得ることが目的だ。

 

九校戦のスティープルチェース・クロスカントリーで、一条は本当ならもっと順位を落とすはずだった。けれど、治夏の予想以上に短時間で、一条はカスタムタイプの量産型関本にダメージを与えてレースに復帰した。

 

やはり日本最強の魔法師集団と言われる十師族の実力は侮れない。しかし、残念ながら、すでに宮芝は警戒されすぎていて四葉や七草の魔法を解析する機会は得にくい。それに比べて一条は宮芝への警戒心が薄かった。治夏にとって一条は、正に飛んで火にいる夏の虫。あるいは葱まで背負ってきた鴨。

 

とはいえ、さすがに奪ってばかりでは後味が悪い。幸いと言うか、真っ直ぐな性格の一条は搦め手からの攻撃に弱いように見える。その弱点を森崎がしっかり認識させてやるということで対価としてやろう。

 

まあ、支払う対価も得られる利益も治夏が一方的に決めたものという時点で、どう考えても平等ではないのだが、そこは勝手な契約に気づけない一条が悪い。

 

こうして、治夏はしばらく一条に対する情報収集を続け、いつものように十八時の三十分前に着くようにミーティングの会場となるレストランへと向かった。

 

ちなみに少しだけ警戒していた、一条を相手に色目を使ったのでは、と思われるかもという懸念は杞憂に終わった。色目でなく下心を持っての接近だということは、すでに周囲には知れ渡っていたということだろう。

 

それはそれで、どうかと思わなくもないが、今は克人に妙なことを吹き込む者がいないということに安堵しておいた。



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継承編 波乱の時代へ

二月十二日は、朝から小雪がちらついていた。

 

そんな布団が恋しい日の朝、宮芝和泉守治夏は四葉家からもたらされた情報を見て眉を顰めていた。四葉家から届けられた書簡に記されていたのは、顧傑の逃亡に国防軍が関与している可能性だった。

 

適性外国人の浸食を受けている可能性があるのは、座間基地の特殊戦術兵訓練所。特殊戦術兵訓練所とは、魔法力強化を含めた後天的強化措置を受けた実験体を軟禁する施設。その中でも日米の共同利用基地である座間基地の特殊戦術兵訓練所はUSNAとの共同研究の名の下に日本人を外国の人体実験に提供した忌むべき施設だった。

 

四葉は鎌倉での顧傑追跡の折に座間基地で基地内待機となっているはずの強化兵と交戦したらしい。基地内のどの程度まで浸食がされているのかは明らかになっていない。

 

四葉が宮芝に情報を流したのは、宮芝家が十月末に国防陸軍宇治第二補給基地の粛清を行ったという成果を評価してのものだろう。しかし、今回は宇治とは違って基地の人員を殲滅することまではできない。基地の規模も違えば人員の数も違いすぎるためだ。せっかく粛清を行っても、それで国防が弱体化したのでは意味がない。

 

宮芝は同胞が相手でも、いや同胞が相手だからこそ、絶対に容赦しない。その評価自体は光栄といえる。だが、それ以上に下手に国防軍に手を出して余計な面倒を抱え込みたくないというのが本音だろう。

 

そして、四葉からもたらされた情報はこれだけではなかった。四葉は顧傑の隠れ家も把握しているらしい。これで四葉には宮芝をも凌ぐほどの諜報能力を持つ者がいることが確定的になったが、重要なのはそこではない。

 

四葉が特定した顧傑の隠れ家は座間基地のすぐ隣。国からのお尋ね者が随分と大胆だが、座間基地に裏切り者がいるのなら、むしろ都合が良いのかもしれない。いずれにせよ、そんな場所に滞在している以上、無策のまま顧傑を捕らえに行けば、座間基地の特戦兵との戦闘は避けられないものと考えていたほうがいい。

 

要するに期待されているのは四葉が顧傑に対して襲撃を仕掛ける裏で、座間基地を抑えておくことだ。顧傑にしても宮芝は何が何でも自分たちの手で、などということは考えない。結果が得られればそれでいい。

 

四葉の襲撃予定は午後八時。顧傑に察知されることを避けるために、宮芝は事前に座間基地の基地司令部を抑える。それが今回の宮芝の目的だ。同行するのは村山右京、山中図書、皆川掃部、郷田飛騨守、松下隠岐守、矢島修理の六名だ。

 

治夏たちは幻術と精神干渉魔法を駆使し、十一時前に物品の納入業者に紛れて基地内に潜入すると昼食時に基地司令と接触を果たした。指令はさすがに驚いていたが、宮芝を名乗ると納得の表情を見せた。その後は司令室に移動しての作戦会議となる。

 

「まさか当基地に箱根のテロの首謀者を援助する者がいようとは……」

 

「現実を見つめろ。実際に脱走した強化魔法師がいるのだろう?」

 

「しかし……」

 

「貴様と問答を続けるつもりはない」

 

そう言うと同時に抜刀し、切っ先を指令の喉に突き付ける。

 

「な……何を……」

 

「貴様はなぜ、強化魔法師の脱走を上層部に報告できなかった? 基地司令という重責にありながら、なぜ不穏分子に気を配っていなかった?」

 

「それは……」

 

「此度の件、貴様に任せておけないということは、先の事実で十分だ。後は我らで行う故、貴様はここで謹慎しておれ」

 

そう言い捨てて指令室に基地司令を軟禁すると、指令権限を用いて実際の調査を行う部隊を中に呼び入れる。矢島修理に命じて特殊戦術兵訓練所を中心に調査を進めさせながら、治夏自身は司令部の人員の取り調べを行う。

 

特殊戦術兵訓練所の強化魔法師は絶対に外に出さないように厳重な監視下に置き、治夏たちは調査を進めていく。すると唐突にUSNAの垂直離着陸大型輸送機が着陸の許可を求めているという連絡が入ってきた。

 

「そのような予定が入っていたのか?」

 

「いえ、予定にはなかったはずです」

 

大型輸送機が予定もなしに飛来をする。タイミングがタイミングだ。顧傑との関連がないと考える方が難しい。

 

「用向きを尋ねよ」

 

大型輸送機から返ってきた答えは、着陸後に面談してお伝えしたい、というもの。共同利用基地ゆえ拒否は難しい。やむなく治夏は着陸の許可を出した。

 

着陸した輸送機から降りてきたUSNAの隊長は、基地司令にベンジャミン・ロウズ少佐と名乗った。ちなみに応対をしているのは基地司令をはじめ全て座間基地の人員だ。ただし治夏たちも術で姿を消した上で同じ室内に待機している。

 

一通り外交儀礼的な遣り取りを交わした後、ロウズ少佐は品の良い口調でとんでもないことを言い出した。

 

「まことにお恥ずかしい限りながら、小官は脱走兵捕縛の任を受け派遣されて参りました」

 

「脱走兵ですと?」

 

「司令官殿はご存知ないかもしれませんが、一昨年の十二月に我が軍を脱走した兵士が貴国に潜伏致しました。そのほとんどは死亡したことが確認されましたが、全員ではありませんでした」

 

基地司令が軽く頷いて先を促す。ちなみに治夏が基地司令に命じたのは、外国の将校が来たので適当に相手をしつつ来訪の目的を聞きだしておけ、という簡単なものだ。現状の基地司令の態度は、同盟国の所属であっても軍人に対するものだ。

 

「何の目的があってかは分かりませんが、逃亡を続けていた脱走兵がこの基地に所属する魔法師の治療に当たっている医師の拉致を企てていることが判明しました」

 

「魔法師の治療に当たっている医師の拉致ですか?」

 

さすがに基地司令も困惑の声を出していた。はっきり言って意味が分からない。

 

「はい、我が軍でも真の目的は掴めていません。ですが、緊急ですので究明より先に阻止に動くことになったのです」

 

「緊急とは?」

 

「我々が掴んだ情報によりますと、襲撃は今夜です」

 

ああ、そういうことか。治夏は小さく嘆息すると、右手を軽く振った。

 

「司令官殿、小官が御願いしたいことは……」

 

言い終わらぬうちに、ロウズ少佐の首が落ちる。それは室内に潜ませていた皆川掃部による抜刀術によるものだった。

 

ロウズ少佐はハイレベルな魔法師だった。無論、皆川掃部の腕も優れているが、戦場であれば、これほど上手くいかなかったはずだ。だが、ロウズ少佐は策を仕掛けるために、ここを訪れていた。そういうときは、えてして敵の策への対応はおろそかになるもの。加えて言えば、さすがに国防軍の基地司令室に高位の古式魔法師が何人も伏せているとは考えていなかったのだろう。

 

「み、宮芝殿、これはどういう……」

 

切断された首から鮮血が噴き出す中、基地司令が慌てて治夏に尋ねてくる。

 

「指令には話していなかったが、箱根のテロの首謀者は直前までUSNAにいた。それだけならば構わない。国民の一人一人にまで思想調査をするなど、不可能だからな。だが、今日の夜、その首謀者の抹殺作戦が行われる予定だとしたら」

 

「それは!」

 

「そうだ、こやつは我らと座間基地の兵とで同士討ちを狙おうとしていた。となれば、首謀者がUSNAからの密航者であるという前提が崩れる」

 

「箱根のテロは、USNAが裏を引いていた」

 

「そういうことだ! おのれ、馬鹿にしてくれる!」

 

苛立ちのまま頭を失ったロウズ少佐の身体を蹴り飛ばす。ロウズ少佐の身体は自らが流した血だまりの中に横たわる。

 

「右京、USNAの輸送機の中の兵は皆殺しにしろ! 一人も生きて外に出すな! ただし、すでにUSNA側の施設に入っている場合は放置して構わん」

 

「はっ!」

 

右京が兵たちを率いて指令室の外に出ていく。室内にいるのは座間基地の者を除けば治夏と護衛役の皆川掃部のみだ。

 

「さて、USNAの我が国への敵対の意志は明らかだ。とはいえ、こちらから宣戦布告の口実を与えてやるわけにもいかん。指令、腹をくくってもらうぞ」

 

USNAとの戦争となれば、日本はただでは済まない。無能ではあっても腐敗してはいなかった指令は、少しの時間で覚悟を決めたようだ。

 

「具体的には、どうすればよいのですか」

 

「まず此度のUSNA軍人の殺害事件の犯人を強化魔法師たちとする」

 

「……それしか、ありませんな」

 

元から不安定な強化魔法師たちの犯行とすることが、最も日本にダメージが少ない。それが分かっていても、指令が口籠ったのはそれが自らの責任に直結するからだ。

 

「そういうことだ。即刻、辞表を用意しろ。軍は辞してもらうことになるが、其方の今後については宮芝が保証する」

 

「ありがとうございます」

 

元々、顧傑に強化魔法師を盗まれた時点で処分は避けられないのだ。先の人生の保証がされただけ幸運だと思ってもらうよりない。

 

「さて、そうなるとUSNAが片付いたら次は強化魔法師たちだな」

 

さすがに少数の脱走兵がUSNAの精鋭を全滅させたというストーリーには無理がある。在庫はあるだけ放出せねばなるまい。座間特殊戦術兵訓練所は今日で閉鎖だ。

 

それにしても敵がUSNAとは厄介だ。その戦力についてもだが、一番はこれまでの敵である新ソ連と大亜連合とは距離が全く異なることだ。万が一、開戦となった場合に、広大な太平洋の先にいる敵に対して、どうすれば有効打を与えることができるのか。治夏は指令室で頭を悩ませた。




原作で生存中のキャラの初死亡。
治夏は最初からUSNAの関与を疑っていました。その勘違いからカノープスを殺害。
次話から治夏の暴走が始まる。


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継承編 引き起こされたテロ

二月十五日、金曜日。一昨々日、司波達也は箱根のテロの首謀者である顧傑を座間基地に隣接する病院で討ち果たした。しかし、なぜか四葉家より、顧傑の死は秘匿しておくように伝えられていた。

 

そして今、達也は学校の食堂で深雪たちと緊急ニュースを見つめていた。事件が起きたのは魔法大学の正門前だった。時刻は午前十一時。始まりは、反魔法師団体により組織されたデモ隊が、魔法大学構内へ押し入ろうとしたことによる警官との揉み合いだった。

 

国防上の機密に当たる情報が大量にストックされ利用されている魔法大学は、ただでさえ部外者の立ち入りを厳しく制限している。警官がデモ隊の侵入を阻止したのは魔法師に与したからではなく、政府の方針としてそうなっているからだった。

 

だが魔法師に反感を持つ者たちは、そう受け取らなかった。あるいは、分かっていて故意に曲解した。デモ隊の一部が実力行使、否、暴力行使の挙に出た。

 

最初は徒党を組んでの体当たり。警官に押し返されればわざと倒れて自分たちが権力の被害者であることをアピール。そこから、大惨事の幕が開いた。

 

倒れた者の一人が、自爆したのだ。多くのデモ隊と、最前列の警官数人が吹き飛ばされる。悲鳴が響く中、後方から一人の男が声を張り上げた。

 

「進め、進まねば、撃つぞ!」

 

叫んだのは、今回のデモの主催者の男だった。いつの間にか、男はアジア系の外国人に囲まれており、その外国人たちはデモ隊に銃を突き付けている。

 

「さっさと進め、魔法師を殺せ!」

 

言いながら、戸惑うデモ隊に男たちは無差別の銃撃を加える。

 

「悪魔を殺せ! でなければ、お前たちも悪魔に与する者たちとみなす!」

 

言いながら、男たちは更にデモ隊に向けて発砲をする。無論、警官隊も黙って見ていたわけではない。多くの警官は奥にいる主催者たちまで届く火器を有してはいなかったが、少数ながら配備されていた魔法師警官が魔法を使用したのだ。

 

けれど、それは主催者たちを止めるには至らなかった。主催者の周囲を固める外国人たちは魔法師だったのだ。

 

「死にたくなければ前に進め!」

 

自分たちは防御魔法を使って警官側からの魔法を防ぎつつ、デモ隊に人間の盾となるために前に進めと叫ぶ。容赦なく降り注ぐ銃弾に、身を守る術のないデモ隊は次々と倒れる。一方、デモ隊の中からの銃撃と魔法攻撃により、警官隊も甚大な被害を受けていた。

 

このまま状況を見ていれば、警官隊が全滅するのは一目瞭然。ここにきて、魔法大学側も参戦を決意した。このまま警官隊が壊滅すれば、その後は自分たちでデモ隊と、それを操る者たちと戦わなければならないのだ。魔法大学に通う実戦用の魔法を得意とする者たちが、銃撃や魔法攻撃を行われている地点に対して魔法攻撃を行う。

 

「視よ! 奴らは自分たちを守るためなら、民間人に向けて平気で魔法を使う! 奴らを許すな! 日本の魔法師は皆殺しにしろ!」

 

叫ぶ主催者と防衛側の間では、両者の魔法に巻き込まれて次々と屍の山が積みあがっていく。なんとか危険地帯から逃れようと左右に向かう者たちは、主催者たちの銃撃によって命を奪われていく。彼らにできるのは、ただ幸運を祈って前に進むことだけだった。

 

激しい魔法と銃撃の応酬の結果、主催者と外国人風の魔法師たち全員が死亡したときには道には血肉が飛散し、周囲の建物は炎を上げていた。それはデモという言葉とはかけ離れた戦場跡の光景だった。

 

死者は民間人とみられるデモ隊が三百四十名。警察官が私服警察官も含め三十九名。工作員と思われる外国人が二十五名。応戦に出た魔法大学生が一名。

 

あまりに凄惨な現場であったためか、映像はほとんど公開されなかった。報道で流されたのは日本の魔法師を殺せという怒号と、デモ参加者たちの悲鳴。だが、それでもデモ参加者のほとんどがテロリストによって殺されたものだということは伝えられた。

 

けれど、その内容が明らかになったのは、ついさっきのことだ。第一報は警察官がデモ隊に向けて、無差別に魔法攻撃を行ったというものだった。続報でその情報は否定されたが、当初はそれで食堂内が大騒ぎになったのだ。

 

「和泉、ちょっといいか?」

 

四葉にも情報収集を依頼し、ある程度の情報が得られたところで達也は和泉を食堂の外へと連れ出した。

 

「和泉、今回の件は全てお前が仕組んだものだな」

 

「ちょっと、痛いよ、達也」

 

「いいから答えろ」

 

達也は深雪に関すること以外では、激しい怒りは覚えない。けれど、激昂はせずとも怒りを覚えない訳ではないのだ。

 

「全て、とは?」

 

「主催者の周囲にいたという外国人テロリストたち。彼らは宮芝によって操られた者たちなのだろう?」

 

「その通りだよ」

 

「なぜ、あんなことをさせた?」

 

テロの首謀者である顧傑は死んだ。これから時間をかければ反魔法師活動を下火にさせることもできたはずだ。けれど、その考えに和泉は首を横に振った。

 

「一度、心の奥に宿った反魔法師の感情は、簡単に消えることはない。何かのきっかけで、また噴出し、そのときの大きさは今の比ではなくなる。達也、私は確かにデモの主催者までは操った。けれど、デモの参加者たちを操ったわけではないのだよ。彼らは自主的に集まり、権力に抗うという革命気分に酔いしれ、国に損害を与えようとした」

 

「だから、殺したというのか? それで解決するとでも?」

 

「完全な解決はしないだろうね。けれど、次にデモを行うと誰かが呼び掛けたとして、それに応じる者が果たしてどれだけいるかな?」

 

今回のデモは、大亜連合の工作員が魔法大学に存在する機密情報を奪うため、呼び掛けたものとみられると報じられた。外国人工作員にいいように使われた挙句、大半が捨て駒として命を散らしたと知ってなお、デモに参加しようという者は少ないだろう。

 

「それでも魔法師たちの争いに巻き込まれたと考える者は多いはずだ」

 

「少なくとも、今回の件で大規模なデモが起こる可能性を減らすことができた。次の手は既に考えている」

 

「まさか、まだ事件を起こすつもりか?」

 

「今回の件で犠牲になった警察官の多くは、たまたま魔法大学の警備に回されたために命を落とした者たちだ。私が言えた立場ではないが、勝手に殺した以上、それに報いるだけの結果を国にもたらす。間違っても犬死にだなどとは呼ばせない」

 

それは和泉なりの流儀なのだろう。けれども、それはあくまで和泉の流儀だ。

 

「独善だな」

 

「独善だよ」

 

それが分かっていて止まらない。だから、宮芝は性質が悪い。

 

けれど、それを達也が責めることができるのだろうか。今回の件は確かに宮芝の勝手で起きたことだ。けれど、達也は間違いなく、それの恩恵を受ける側だ。

 

明日以降、反魔法師のデモは下火になるだろう。参加する者が激減することは勿論のこと、今の状態でデモを行うことを呼び掛ければ、主催者は政府側のみならず周囲からも素性を疑われて、探られることは確定的だ。それでもなお、デモを呼び掛けようとする者が、また、参加しようとする者がどれだけいるか。

 

「そんなことをせずとも、顧傑の死亡の情報を流せば鎮静化はできるのではないか?」

 

「鎮静化では駄目なんだよ。反魔法師活動は日本の国力を弱めようとする謀略であり、それを目的とした団体は全てが国賊である思わせるくらいにはしないと駄目だ。今回の犠牲の代償は、今後は二度と日本で反魔法師を叫ばせない。それくらいでなくてはならない」

 

「どこまでやるつもりだ」

 

「全部だよ。反魔法師を叫んでいた者たちは政界・財界・知識人ぶる専門馬鹿たちを含めて日の本から一掃させる」

 

それは、あまりにも規模の大きな話だった。

 

「下手をしたら、日本を分断することになるぞ」

 

「それでもやらねばならないんだ」

 

「なぜ、そこまでする?」

 

「USNAが日本の敵に回る可能性がある。だから日本は一刻も早く、より強く、より一枚岩にならなければならない」

 

それは達也も初耳の情報だった。だとしたら、一大事だ。

 

「だから、そんなに焦っていたのか……」

 

その言葉に、和泉は反応を返さない。けれど、その無反応こそが雄弁な肯定だった。

 

「ともかく、俺の方でも伝手を使って探ってみる。あまり早まるな!」

 

まずは当主の真夜に確認を取らなければ。和泉の前を離れた達也は深雪の元に向かって、ともに帰宅の準備を始めた。



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継承編 第二の事件

二月十六日、土曜日。昨日に続いて事件が起きた。場所は、西宮の第二高校。下校途中で一報を聞いた司波達也は、急ぎ第一高校に引き返すと生徒会室に入った。

 

「お兄様!」

 

「達也さん!」

 

生徒会室の中には、深雪とほのかが悲痛な表情で待っていた。

 

「二高の事件を聞いて戻って来た。詳しい状況は?」

 

「下校中の女子生徒が数名の暴漢によって拉致されたようです。犯人たちの行方は、まだ分かっていません。今は水波ちゃんが二高と音声会議の回線をつないでいるところです」

 

深雪が達也にそう説明し終えるのと、水波から「会長、回線がつながりました」と報告があがったのは、ほぼ同時だった。

 

「第一高校生徒会長、司波深雪です。第二高校さん、聞こえますか?」

 

『第二高校生徒会副会長、九島光宣です。音声はクリアに聞こえています』

 

「早速ですけど、九島副会長、御校の生徒が連れ去られたという事件について詳細を教えていただけませんか?」

 

『今から約一時間前、当校から駅へ向かう途中の道で、一年生女子の前に一台のワゴン車が現れました。ワゴン車の中には複数の男と一人の子供が乗っていて、その子供は女子生徒の弟だったようです。子供の首に刃物を突き付ける男の要求に従う形で女子生徒は自ら車に乗り込み、そのまま行方不明となっています』

 

家族を人質に取って魔法を封じる。その悪辣な遣り方は達也にとっても他人事ではない。

 

「一時間もあって、警察は犯人の動きを掴めていないんですか?」

 

『警察からの連絡に、その女子生徒は、今は話し合いをしているところだから、心配はしなくていいと返答したようなのです』

 

「そんなの、脅して言わされているに決まっているじゃないですか!」

 

ほのかが悲鳴のような声で叫んだ。

 

『僕もそう思います。ですけど、警察の方が取り合ってくれないのです』

 

魔法師嫌いの警察にでも当たったか。いや、それにしても昨日、多くの死者を出した事件があった後にしては動きが鈍すぎる。どこかの圧力か。達也が深雪と光宣の話を聞きながら考えていると、不意に水波が声を上げた。

 

「会長、誘拐犯からの犯行声明がネットに上がっているようです」

 

水波が端末を操作し、大型スクリーンに映し出す。

 

『我々は魔法という悪魔の力をこの大地から一掃する為、聖戦を行う者である。我々は本日、一体の悪魔と悪魔の一族の討伐を果たした。日本人よ、目を覚ませ。魔法師は人間ではない。悪魔である。絶対に生存を許してはならない。我々は今後も魔法師と名乗るミュータントから人類を開放する為、戦い続ける』

 

そう主張する男の足元には、一人の女子生徒らしき人影がいる。らしき、と表現せざるを得ないのは、その人影の悲惨な状況によるものだ。

 

着ていた衣服は凄惨な暴行を受け、ぼろ布のようになっている。顔も腫れ上がり、原型を留めていない。唯一、長い髪だけがおそらく女性であるのだろうと想像させる程度だ。そしてそれは、画面の奥に倒れている子供も同じだった。

 

「悪魔の処刑というタイトルの動画も同時にあげられたようですが、どうしますか?」

 

そのとき、水波が恐る恐るという様子で切り出してきた。

 

「深雪たちは退出してくれ。動画を見るのは俺だけでいい」

 

おそらく動画の内容は第二高校の女子生徒に対する凄惨な暴行の内容だろう。過保護だと言われようと、同年代の少女が瀕死となるまで暴行に晒される映像を、深雪たちに見せたくはなかった。

 

「分かりました」

 

その気持ちを理解してくれた深雪が、ほのかを促して生徒会室から出て行ってくれる。

 

「光宣はどうする?」

 

『僕の方もこちらで確認します。一度、通信を切りますね』

 

第二高校との通信が切れたのを見て、達也は水波が言っていた動画を再生してみる。そこには、弟の命だけは助けてくれと懇願する少女に憎悪を露わにして暴行を加える男たちの姿があった。

 

お前たちのせいで、日本がおかしくなった。お前たちのせいで、自分の家族は大亜連合に殺された。

 

言っていることは無茶苦茶であり、何の筋も通っていない。けれど、その理不尽な言い分に少女はただひたすらに謝罪し、許しを求めていた。だが、その悲痛な謝罪は受け入れられることはなかった。暴行を続けた男たちは、体を動かすこともできなくなるほど少女を痛めつけると、歓喜の叫びをあげ、同時に次の獲物として少女の弟を選んだ。

 

この者は悪魔の一族である。そう言って男たちは少女が命を捧げて守ろうとした少年に少女と同じように暴行を加えていく。

 

悪魔の一族は、次の悪魔を生み出す温床である。だから、殺さなければならない。

 

何がそこまで駆り立てるのか、自分よりも幼く弱い者に憎悪を露わにし、暴力を振るう。そして十分に痛めつけると、皆で肩を叩き合って笑い声を上げるのだ。

 

椅子の背もたれに体重を預け、達也は天井を見上げる。あまりにも凄まじい憎悪は、達也をしても精神的な疲労は避けられないものだった。けれど、これでもまだ終わりではない。視界の端には次の動画もあることを示す表示がある。

 

ここまでくれば、見ないわけにはいかない。次の動画のタイトルは、悪魔の浄化。嫌な予感しかしないが、達也は動画を再生する。

 

動画の始まりは女子生徒から、衣服を剥ぎ取っていくところだった。もはや微かに悲鳴をあげることしかできない少女から着ているものを全て剥ぎ取ると、十字架を模した木材に手足を括りつけていく。少女が終わると、次は彼女の弟の番だ。続いて、十字架に磔にされた姉弟の足元に薪がくべられていく。

 

生きたまま焼かれる少女と少年の最後の悲鳴を、男たちは笑って見ていた。男たちは二人の命を奪うことを心の底から正しいことだと信じている。動画を見終わるとすぐ、達也は和泉に電話をかけた。

 

「今、どこだ?」

 

「風紀委員室にいるよ」

 

「待っていろ!」

 

通話を終えると、すぐに風紀委員室に向かう。部屋に入ると、和泉は一人で待っていた。

 

「昨日、言っていたのはこのことか?」

 

和泉は昨日、反魔法師を叫ぶ者たちを一掃すると言っていた。ならば、今日の事件は和泉が裏で手を引いたと考えるのが自然だ。

 

「そうだよ」

 

その考えを、和泉はあっさりと認めた。

 

「なぜだ?」

 

「決まっているだろう。反魔法師派、そのなかでも特に人間主義者は異常者であると一般人に分かり易く伝えてあげるためだよ」

 

二日連続で反魔法師を掲げる者たちが異常な事件を引き起こした。そうなれば、もはや自分は魔法師に反感を持っていると公言することすら憚られそうだ。

 

「犯人たちは和泉が操っていたな?」

 

「完全に操作はしていないよ。ただ、思考の誘導は行ったけどね」

 

「殺された二人は、どういう基準で選ばれた?」

 

「性格が善良であること、友人が多いこと、容姿が親しみをもたれるものであること、両親の地位が高くないこと、そして、失っても惜しくない魔法力しか持たないこと」

 

要するに、失っても惜しくない能力で、悲惨な事件の被害者となったことに同情を寄せられやすい者を選んだということだ。今回の被害者は、何の落ち度もない。むしろ人から愛されやすいという美点を狙って殺された。

 

「まだ、続けるつもりか?」

 

「いや、もう種は蒔かれている」

 

「種とは?」

 

「今回の主犯は、反魔法師派の国会議員である神田の選挙事務所の手伝いをしていた男だ。女子生徒を誘拐する際に使った車両も神田の政治団体が所有しているものだ。そして、神田の事務所から警察に、事件性はないと連絡をさせた」

 

神田は今日も元気に、魔法大学で起きたテロで多くの人が亡くなったのは、警察の不適切な対応にも原因があるのではないかと批判していた。その神田に近い人物が、事務所に関わるものを利用してこれだけの事件を起こしたのだ。神田の政治生命はこれで終わりだ。

 

「無論、これで終わりではない。男の父親は資産家で、反魔法師派の政治家に対して献金を続けている」

 

「そういう環境を持つ人間を選んで、思考誘導したのだろう?」

 

素養のある人間を探し出し、自らの意思のように思わせて操る。大亜連合が人間であった頃の関本に行ったことだ。

 

「エリカは今日、学校を休んでいる。それでも思いとどまれなかったのか?」

 

昨日の魔法大学のテロで亡くなった稲垣という警察官が、千葉家の門下生だった。他にも四人の門下生が亡くなり、エリカは葬儀等の手伝いのために今日は学校を休んでいる。

 

「私が、そのくらいで止まると思うかい?」

 

簡単に考えを翻すようなら、このような荒療治は取るはずがない。何を置いても一刻も早く反魔法師活動を収束させる。和泉はそう決意している。

 

今回の和泉の謀略は十師族にとっては利が多い。おそらく当主である真夜も真相を知らせたとしても宮芝の動きを追認するだろう。

 

本当に、そろそろ満足してくれればいいのだが。達也は心中の不安を押し込め、和泉の考えを非難も肯定もせずに風紀委員室を後にした。



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継承編 宮芝家の継承

二月十七日、宮芝和泉守治夏は本家の邸宅で延期されていた新年の祝賀会を行っていた。参列しているのは宮芝家の有力な術士たち二百名ばかり。その前に立った治夏は無事に新年を迎えることができたことを慶び、皆の働きを労う挨拶を行う。

 

ここまでは例年通り。違うのはここからだ。

 

「皆も知っていると思うが、去る二月十二日、我々は箱根のテロの首謀者である顧傑を座間にて葬った。そして、本日、首謀者死亡を魔法協会を通じて発表を行った。昨日、一昨日の事件については皆も知っての通りだ。反魔法師主義者たちへの目が厳しくなっている現状況下でのテロ首謀者の死亡の報は、盛り上がった反魔法師活動を終息に向かわせるだろう」

 

反魔法師活動に外国の工作が多分に影響を及ぼしているということは、この場にいる者たちなら誰もが知っていることだ。次の工作が成功しにくくなる土壌を築けたことを確信して、今のところは皆の表情は明るい。

 

「だが、反魔法師活動とは別に気がかりなこともできた。それは、今回のテロがUSNAの主導で行われた可能性が高いということだ。現にテロの首謀者はUSNAから入国しており、箱根のテロで使われたのはUSNAの兵器だ。更には、USNAの魔法師が首謀者の顧傑の逃亡を助けるような行動を取っていた」

 

今度の発言には、さすがの宮芝の精鋭たちも動揺の色を隠せなかった。同盟国であるはずのUSNAが露骨に敵対的な行動を取ってくるとあらば、穏やかな話ではない。

 

「皆も知っての通り、現在のUSNAには明確な脅威となる外敵が存在しない。此度の件は国内の不穏分子の目を外に向けさせる狙いが考えられる」

 

大亜連合と新ソ連が、それぞれ目を日本に向けており、また大亜連合と新ソ連の関係もよくない現状下では、USNAがどこかから攻められるという展開は考えにくい。USNAがてこずっているのはむしろ内なる敵で、その代表格が人間主義者たちだ。

 

日本で人間主義者たちに過激なテロを起こさせ、それをもって外国で引き起こした事件を理由に弾圧を行う。それがUSNAの狙いではないかと治夏は疑っている。もしも、そのようなことのために火種を日本に放ったのだとしたら、宮芝としては絶対に黙っているわけにはいかない。

 

四葉ではないが、日本に手を出した者には相応の報復を行う。それが抑止力となり、国を守ることに繋がるはずだ。

 

「これまでもUSNAは潜在的には敵国であった。しかし、先日より奴らは我らの明確な敵国となった。かくなる上は今まで以上に戦力を増強しなければならない」

 

その言葉にはこれまでと違った種類の動揺が走ったようだった。有力な家の中には宮芝宗家の力が増し過ぎることを厭う者も多い。

 

ざっと見て治夏の敵に回りそうなのは、大見福川、逸見福川、岩瀧中原、佐倉中原、丹羽、三田、安藤、高梨、二階堂の一族。所属する術士たちは合計すると百二十人くらい。ここにいる者たちと限定しても五十人くらいだ。全体の四分の一というのは、あまり喜べる数値ではない。しかも、上手く腹の中に押し込めている隠れた反対派がいる可能性もあるのだ。

 

大きな溜息でもつきたい気分だが、皆の前でそのようなことはできない。微かな笑みを絶やさぬように話を続ける。

 

「戦力増強の具体的な手段として、我らは十師族である十文字家と婚姻による盟約を結ぶこととした」

 

はっきりとしたどよめきが、場に満ちた。

 

「婚姻による盟約とは具体的には、どなたとどなたによるものですか?」

 

声を上げたのは反対派と目していた佐倉中原家の当主だった。

 

「宮芝和泉守である私と十文字家当主の克人殿だ」

 

治夏の回答はどよめきを大きくした。

 

「十師族の当主が宮芝に来ていただけるとは思えません。和泉守様が宮芝を出られるということですか?」

 

「将来的には、そうなるだろう。しかし、当面は婚約に留めるため、私はしばらく宮芝に残ることになる」

 

「しかし、いつかは外に出られるとなると……」

 

「皆の懸念は当然だ。ゆえに私は和泉守を先代にお返しし、今後は淡路守を名乗るつもりである」

 

淡路守は宮芝家の当主が引退したときに名乗る官位であり、現在は先代が名乗っていた。今回、治夏はあまり前例のない先代との官位の入れ替えを行うと表明した。それは治夏が宮芝家の当主から退くことを意味している。

 

「無論、今後とも宮芝のために力を尽くすが、決定権者は先代で、私はあくまで現場の指揮官となるだろう」

 

座間基地で討ったベンジャミン・ロウズが実はスターズ所属のベンジャミン・カノープスであることを知り、治夏は報復を行った。以前のパラサイト事件のときに知己を得ていた、スターズのヴァージニア・バランスを処断したのだ。

 

二人が日本の魔法師によって殺害されたことは、当然にUSNAも気づいただろう。敵対的な行動を取るのなら、こちらとしては一戦も辞さずという意思は伝わったはず。果たして、どのような対処で来るか。

 

はっきり言ってしまえば、USNAと開戦となれば敗色は濃厚だ。けれど、こちらが簡単にやられるほどの弱者でないことは、パラサイト事件や今回の件で示してきた。例え敗北しようともUSNAの国としての基盤を半壊させる程度の打撃を与えてみせる。

 

少なくとも治夏はご丁寧に戦争のルールを守るつもりはない。民間人を手当たり次第に死人兵に変えて各地で民間人の虐殺を行う。それを宮芝の術士が全滅するまで続ける。国の敵に対する戦いにおいて宮芝は四葉よりも余程、悪辣だということを思い知らせる。

 

もっとも、そのようなことになる可能性は皆無だろう。今回、USNAが日本に工作を仕掛けてきたのは、此度の新年会で各家に伝えたように、国内の不穏分子に対応するためという内向きの理由だと睨んでいる。

 

理由が内にあるのなら、割に合わないと思えば手出しは控えるはず。だから、スターズの実力者の暗殺という強硬な警告を行ったのだ。

 

とはいえ、いつも読み通りとはいかないのが世の中というものだ。もしもUSNAが野心を秘めていたとすれば、今回の件は格好の口実になる。ただ、それでも宮芝のやることに変わりはない。元から攻撃する予定だった敵からの非難など放置して、宮芝は宮芝の戦いで敵に被害を与えるだけだ。

 

そのための十文字家との同盟だ。治夏の思いとしては、このような緊急の事態に対処するためではなく、普通に婚姻を了承してもらいたかった。しかし、事ここに至っては結果が同じなのだから呑み込むべきだ。

 

国内では稲垣という警察官に術を仕込んでいた、近江円麿という魔法師を討った。また術を仕込まれた稲垣も、下手に利用される前にテロのどさくさに紛れて殺害した。エリカに恨みを持たれそうなところが気がかりだが、これは受け入れるしかない。

 

「以上が、私からの話となるが、これに異議のある者はいるか」

 

積極的に賛意を示す声はあがらないが、反対意見もないようだった。

 

「では、これより先の新年会については宮芝和泉守治孝様に執り行っていただく」

 

そう宣言して、治夏は脇に避ける。同時に先代が和泉守として中央に坐す。

 

「淡路守、ご苦労であった」

 

通常、淡路守は宮芝の先代であるため、和泉守となっても敬意を持って接することを慣例としてきた。しかし、今回は和泉守は淡路守の先代でもあるため、和泉守が淡路守よりも上位とするようだ。治夏としても先代に敬意を示されても困るため、問題はない。

 

「さて、最近になって列席するようになった者の中にはよく知らぬ者もいよう。儂が前淡路守であり、此度、和泉守となった治孝だ。淡路守からも説明があったと思うが、今の日本は目には見えぬが危機的な状況にある。今年は間違いなく、動乱の年となろう。皆は明日より迫りくる危機に対応できるよう全力を尽くしてもらいたい」

 

さすがに先代だ。話を始めてすぐに皆の顔が引き締まった。これが年月を積み重ねた者のみが会得できる威厳というものなのだろう。

 

「とはいえ、それは明日からのこと。皆で来年もこの場所で集うために、今宵は明日への英気を養うために存分に楽しんでもらいたい」

 

先代がそう言うと同時に、酒と料理が運ばれ、皆の空気が緩んだ。新年会の第二幕、宴の始まりだった。




こっそりと千葉寿和生存。
彼が生き残れた理由は、本作では未登場に近かったため。
エリカが平然としているのも変だし、かといって存在自体が無に近い親族の死を急に悲しんでいるのも変。
というわけで、生存しているものの、今後の登場はないことでしょう。


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継承編 エリカの対応

二月十八日、月曜日。千葉エリカは宮芝和泉を実技棟の一室に呼び出していた。

 

ここ数日、エリカは激動の日々を過ごしていた。去る二月十五日、千葉家の高弟であり、次期当主である長兄の千葉寿和の側近でもある稲垣が亡くなった。国立魔法大学に仕掛けられたテロを防ぐための戦いで、一般市民に紛れた工作員の銃撃によるものだった。

 

その現場には、長兄の寿和もいた。けれど、雲霞の如く押し寄せる市民と、その中に紛れた敵工作員への対応で離れ離れになってしまったらしい。

 

普段は軽い言動が多い長兄が、その日からは時に沈痛な表情を浮かべ、時に何も考えていない様子で虚空を見つめることが多くなった。いつものようにエリカに嫌味が飛んでくることも、一度もない。

 

犠牲者の多さから合同葬儀となった警察官三十九名の中には、千葉家の門を叩いたことのある者が三人いた。当主である父も、次兄である修次も、亡くなった魔法師たちの遺族の元に赴き、忙しくしていた。

 

広い家にいるのは、まだ高校生であるエリカと、事件で身体と、それ以上の大きな傷を心に負った長兄の寿和だけとなった。稲垣はエリカも知らない相手ではない。それなりに心を痛めてもいる。しかし、今の長兄の前では、稲垣の名すら出すことを憚られた。

 

子供の頃、エリカが稽古のたびに立てなくなるまで叩き伏せられたのが、この長兄の寿和だった。その記憶は今も心の片隅に残されていて、だから長兄のことは父親に次に嫌いで、父親よりも苦手だった。

 

いつもは憎らしい長兄が、稲垣が死んだ日以来、とても弱く、小さく見える。いつか兄を乗り越えることができたら、そんなことを考えてしまうくらい、長兄は幼い頃のトラウマともいえる存在だった。けれど、今のエリカには何の達成感もない。あるのはただ、今の事態を引き起こした敵への怒りと憎しみだけだ。

 

そして今日、憂鬱な気持ちのまま、それでもエリカは登校した。今回の事件で、エリカ自身は何の被害も受けていない。身内には怪我人すらいない。そんな状態で欠席は、さすがにできなかったのだ。

 

そうして登校した教室で、エリカは小さな違和感を抱いた。それは和泉の少しよそよそしい態度だった。和泉が抱いているのは、かける言葉が見つからない、などの戸惑いではなく、後ろめたく思う気持ちに感じた。けれど、その理由までは分からなかった。

 

違和感が強まったのは、達也との昼食時だった。僅かにではあったが、感情の起伏の少ない達也が和泉に対して苛立ちを覚えていることを、周囲の状況に敏感になっていたエリカは確かに感じた。

 

突如として牙を剥いた大亜連合系の外国人たち。続けて起きた反魔法主義者たちの暴挙。効果的に日本国民、特に女性を敵に回して、そこから一般男性までをも反魔法師活動から遠ざけさせるような事件の内容。和泉の態度。そして、達也の態度。不意に、エリカの中で何かのピースが合わさった。

 

「和泉、放課後、少しいい?」

 

気づけば、エリカは和泉にそう言っていた。

 

今回の件に、和泉は何らかの形で関与している。そうエリカの直感は言っている。その直感に従って、エリカは和泉を呼び出したのだ。

 

だから、こうして人気のない部屋の中で和泉を待っている。だが、果たして自分は和泉に来て欲しいと思っているのか、それとも来ないで欲しいと思っているのか、それがエリカ自身にも分からなかった。

 

あの忌まわしき事件に黒幕がいるのなら、知らなければいけない。そして、相応の対応をしなければならない。その思いで一度、家に戻って真剣を持ち出した。一方で、黒幕が和泉であるのなら、それを知ってはいけない、いや、知りたくないという思いも確かにあるのだ。二つの気持ちが入り乱れ、エリカの心は千々に乱れる。

 

「すまない、遅れてしまったね」

 

ついに和泉が現れた。和泉は口調こそ普段のものであるが、その顔は緊張で強張り、声は僅かに震えていた。

 

「和泉、正直に話してほしい。和泉は魔法大学前のテロに関わっているわね」

 

「……そうだ」

 

その瞬間、エリカは持っていた刀を抜き、和泉に突き付けた。

 

「なぜ?」

 

たった一言に力を込める。睨みつけた視線と合わせて、曖昧な発言は絶対に許さないと、はっきりと伝わるように。

 

「日本のためには、必要だったから」

 

「ふざけないで! あれだけ多くの犠牲が必要なわけがないでしょう!」

 

民間人が三百四十人。警察官が三十九人。魔法大学生が一人。計三百八十名。この死者数は一昨年の横浜事変に匹敵する被害だ。

 

「反魔法師活動は完全に根絶しなければならない。宥めて一時の情熱を失わせるだけでは、何かがあるたびに燻る火種が燃え上がり、その都度、少なくない力を注がなければならなくなる。それでは他国に付け入る隙を与えてしまう。そのためには、魔法師に対する嫌悪感よりも、反魔法師活動に大きな嫌悪感を与え、賛同する声を上げることさえ躊躇われるようにしなければならなかった」

 

「二高の生徒の事件も同じだって言うの?」

 

「そうだよ。あの一件で反魔法師活動が女の指示を得ることは絶望的になった」

 

高校生の女子が大人の男たちに凄惨な暴行を加えられ、裸にされて、生きたまま火をかけられる。同じことを小学生の男の子にも行う。

 

それは、戦場であれば殺人も忌避感なく行えるエリカであっても、吐き気がするくらいに気に食わない光景だった。同性であるからこそ、二高の女子生徒がされたことは許容できることではない。子供を殺すことも同じだ。どんな大義名分があろうとも、そのような行為は到底、認められない。その意味では和泉の作戦は成功したのかもしれない。

 

「じゃあ、身内がそんな最低な考えで起こされた事件の犠牲になった、あたしがどんな気持ちでいるかも、当然に分かるわよね」

 

「……ああ」

 

ここまでずっと、和泉は声だけでなく足も震えて真っ直ぐに立っていることさえできていない。それでもエリカから視線を逸らすことはしていない。おそらく、それは和泉なりの誠意であるのだろう。けれど、そんな誠意などいらない。

 

「じゃあ、それだけのことをした以上、自分が同じことをされても、文句は言えないってことも分かっているわよね」

 

「…………ああ」

 

恐怖で掠れる声ながら、和泉はエリカの言葉を肯定した。エリカが和泉を殺すことはないと信じているのか。いや、それはなさそうだ。

 

微かな音に視線を少しだけ下げてみれば、和泉のスカートの裾から雫が落ちているのが目に入った。和泉は震える拳で裾を握りしめ、腰砕けにならないように懸命に耐えている。殺されないと確信を持っているとは思えない。

 

「あれだけのことをしておいて、自分が傷つけられるのは、そんなに怖いの?」

 

「……怖い。痛いのは怖い。苦しいのも怖い」

 

「じゃあ、なんであたしの呼び出しに応じて、抵抗もせずに立ってるの? 和泉なら、あたしから逃げることは難しくないんじゃないの?」

 

「さっき、エリカも言っただろう。自分がやったことは、いつか自分に返ってくる。それくらいの覚悟はしているつもりだ」

 

残忍な行いで権力を得た独裁者は、自らも同じ行いをされることを恐れ、自らを脅かす者たちを粛清していくようになるという。和泉はそれとは少し異なるのかもしれない。

 

「覚悟しているようには見えないけどね」

 

「か、覚悟はしていても怖いものは怖いんだ」

 

「ま、いいわ」

 

エリカは突き付けていた刃を引いて、納刀する。

 

「斬らないのかい?」

 

「あたしに和泉を斬る資格はない」

 

和泉に対して腹は立てている。だが、稲垣の敵討ちとして和泉を斬るのは完全に間違った行いだ。エリカにとって稲垣は千葉家の門弟の一人である。その死に対して、誰かに死の制裁を加えられるだけの関係は有していない。

 

兄の心に傷を負わせたことも同様だ。兄とエリカとは、これまでお世辞にも仲が良いと言えなかった。それなのに相手を殺害するほどの怒りを見せるというのもおかしな話だ。

 

たいした考えもなく事件を起こしたのであれば、元友人として和泉を止めるために刀を振るったかもしれない。身勝手な思いに囚われて、大事の前の小事と犠牲を無視していても同じだっただろう。

 

けれど、今日の和泉が間違っているのか正しいのかは、エリカの頭では判断しきれない。だから、今日のところは保留だ。ただ、だからといって無罪放免とはいかない。

 

「じゃあね、和泉」

 

それは単なる別れでなく、友人関係の終わりを告げる言葉だ。

 

「……うん」

 

それが分かったのか、和泉は細い声で短く答える。

 

「ま、最後の余計なお世話として美月たちには連絡しておくから」

 

「待って、やめて!」

 

「やめたら、帰れないでしょうが」

 

ひょっとしたら、幻術で誤魔化せるのかもしれない。けれど、さすがに今の格好のままで人目に触れさせるわけにはいかない。一時の恥を忍んで、ここは助けを求めるべきだ。今更ながら恥ずかしそうに俯いて、足元を見つめる和泉を置いてエリカは部屋を出る。

 

部屋を出たからといって、すぐに帰れるわけではない。美月の到着までに誰かが入ってこないよう、部屋の前で見張りをする。

 

これが友人として和泉のために使う最後の時間になるだろう。壁に背中をつけて天井を見つめながら、エリカは静かな時間を過ごした。



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継承編 杉内瑞希の独白

官位を変えられ、宮芝淡路守と名乗りを改められた治夏様が屋敷を出て行きました。その後ろ姿を見送った私、杉内瑞希はそっと溜息を吐きます。

 

本日、帰宅した治夏様は酷く落ち込んでいるように見えました。それは分かりましたが、私の役割はあくまで魔法の関わらない範囲の治夏様の補佐です。私は宮芝家に認められた術士ではありませんので、宮芝の業務に関わってはならないのです。なので、治夏様の方から切り出されるまで、私から何か言うことはできません。

 

沈んだ足取りで部屋に戻った治夏様は私服に着替えると、そのまま外出をすると言って出て行ってしまったのです。着替えたのは制服から私服へ。それと下着も替えていました。それで克人様のところに行ったのだろうと想像がつきました。

 

単なる気分転換のために外出するだけの場合、治夏様は下着まで替えません。治夏様が下着を替えるのは、それなりに大事な相手と会うときだけなのです。そして、今日は宮芝の重鎮との面会の予定はありませんし、出かける前に何の指示もありませんでした。ですので、お相手は宮芝以外の方。そうなると克人様意外に思い当たりません。

 

克人様に会われた後は、治夏様はすっきりとした顔で帰宅なさいます。ですが、治夏様が出かけている間は代わりに私が憂鬱になります。それは、最近の治夏様が克人様に会いに行くと、朝帰りになることが非常に多いからです。

 

私も経験がないので断言はできませんが、治夏様の雰囲気に変化はないため、一線は超えていないと思います。ですが、婚姻前の性交渉が快く思われていない現状で、疑いを持たれる行為はすべきでないと思うのです。

 

もしも相手が宮芝家の関係者なら、こんなことは考えません。昔ながらの価値観に強い影響を受けている宮芝家では、婚約者を相手とした行為なら特に何も言う者はいません。けれども、治夏様は十文字に嫁がれる身です。十文字家の方々に悪い印象を与える行為は慎んだ方が良いと思うのです。

 

そういった意味で、私は克人様に少しばかり腹を立てています。けれど、一方では感心してもいます。治夏様は恥ずかしそうに、抱きしめてもらっているうちに眠ってしまったと告白されたことがございます。おそらく一度きりのことではなく、何度か身に覚えがあるのだと思います。ということは、無防備な治夏様を前にしても、克人様は欲望を抑えられたということです。

 

治夏様の容貌は大変、優れていると私は思っています。背が高くなく、可愛らしい顔立ちですので万人にとは申しませんが、多くの男性には魅力的だと思うのです。その治夏様を前に我慢するのは容易なことではないと思います。

 

そう考えると、克人様にとっては生殺しです。治夏様は無自覚だと思いますが、残酷なことをなさっています。諫めた方がよいのかもしれません。

 

そんなことを考えながら、治夏様の脱いだ服と下着を洗濯に回します。そのときに気づいてしまいました。治夏様の下着の出し方が、普段と異なるのです。具体的には新しい下着であるにも関わらず、妙に綺麗にたたまれているのです。

 

治夏様は特別な衣装については誂えさせていますが、普段の衣服についてはご自身で購入していらっしゃいます。下着についても同様で、見慣れないものが洗濯に出されることは珍しくありません。けれど、その場合には普通に洗濯に出されます。

 

躾の行き届いた治夏様は、普段から脱いだ衣服はたたまれて洗濯に回されます。けれど、そのたたみ方はあくまで自分のためというか、旅行に持参するためのたたみ方といった感じなのです。けれども、今日のたたみ方は誰かのためといった雰囲気でした。

 

治夏様が洗濯物をそのようなたたみ方をされて洗濯に回されるときに、私は心当たりがあります。というのも、同じようなことを何度か経験したことがあるからです。

 

初めて当主として宮芝の会議に出席したとき、初陣のとき、思わぬ邂逅で分家の方と言い合いになったとき、言ってみれば酷く緊張したときです。特に宮芝の会議では特別な衣服を身に纏いますので、着替えをお手伝いさせていただきます。そうすれば、治夏様が下着を汚してしまっていることには嫌でも気が付きます。

 

そのときの治夏様はご自身の手で洗われた後、殊更に丁寧にたたんで洗濯に回されていました。今回の下着は新しい物でしたが、洗濯の出し方がそれらのときと同様でした。おそらく少し汚してしまう程度では済まなかったのでしょう。

 

治夏様は普段の言動と違って非常に憶病な方です。治夏様の手が触れ合う距離での戦闘力は、古式の術士の中でも非常に低いものらしいのです。そのため近距離に踏み込まれることを非常に恐れています。

 

私の予想ですが、今回はそのようなことがあったのではないでしょうか。考えられるのは、手の者を使って起こした反魔法師活動家の仕業に見せかけた一連の犯罪でしょうか。それが第一高校の生徒に発覚したとしたら、詰め寄られたとしても不思議はありません。私は宮芝の業務には深く関わらないようにしていますが、知ってしまうこともあります。その漏れ伝わったことから考えると、怒りを買っても仕方がないと思うのです。

 

もしも私の考えたことが合っていたとしたら、治夏様が酷く落ち込まれていたのも分かります。三年生になろうかという時期に、同級生、あるいは下級生の前で恐怖に震えて粗相をしてしまったとなれば、宮芝の元当主としての誇りも威厳もあったものではありません。治夏様は羞恥心に関しては、むしろ人より強い方なのです。

 

治夏様は強い方です。どんなに自分の思いと違うことでも、それが宮芝のためと思えば、迷わず実行することができます。けれど、治夏様は弱い方です。痛みや恐怖に対しての耐性は普通の女性と同程度しかないのです。

 

治夏様の行動原理の根底には、この恐怖心があったように思われます。恐怖心があるから、人より努力して実力を上げようとする。恐怖心があるから、慎重な行動を心掛ける。そして、恐怖心があるから、先制攻撃を心掛ける。

 

自らの想定していない時に相手から仕掛けられることの恐怖から逃れるため、治夏様は自らの力を最大に発揮できる時を選んで攻撃をされるのです。それが間違ったことだとは思いません。けれど、正しいことだとも思えないのです。

 

普段は宮芝家当主としての義務感で覆い隠しておられますが、治夏様はその報いを受けることを恐れているように思えます。それが、無意識のうちに自分を守ってくれる存在を求めることになり、克人様に惹かれることになったのではないかと思うのです。特にUSNAが日本の反魔法師活動に関与していることが明らかになって以降の治夏様は余裕を無くされているように見えます。

 

魔法大学前で起こした事件については、警察官の犠牲はもっと小規模とする予定だったようです。けれど、警察に非難が向かないようにと、直前で攻撃をより激しいものに変えたという話です。

 

第二高校の生徒に対して起こした事件も、反魔法師活動が収まらない場合の二の矢として考えていたようでした。けれども、より確実に終息に導く為にと翌日に事を起こすことにしたようです。

 

連絡を取っていたUSNAの高名な魔法師を処断したことについても、治夏様にしては些か短絡的だったように思えます。普段の治夏様ならば、もっと慎重に背後関係を探っていたように思えてならないのです。

 

そして、何より宮芝の闇には触れないはずの私がこれらの情報を得てしまえるほど、無防備になっていることに気づいていないように思えます。総じて言えば、今の治夏様は精神の安定を欠いています。そして、治夏様はそのことに気づいていません。

 

治夏様、私は貴女を敬愛しています。

 

治夏様、私は貴女を愛しく思っています。

 

けれど、貴女はもうじき、私の前からいなくなってしまう。

 

治夏様、私は大切なものこそ、自分の手で壊したくなってしまう悪癖がございます。

 

治夏様、私は貴女がどのように壊れるのか見たいと思っています。

 

治夏様、私のこの歪んだ愛情を、貴女は気が付いていらっしゃいますか。



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南海騒擾編
南海騒擾編 テロの兆候と卒業旅行


二〇九七年、三月十五日。第一高校だけでなく、魔法科高校九校で一斉に卒業式が執り行われた。

 

例年であれば卒業生送別パーティーが行われているところだが、今年は先月に起こった第二高校生の惨殺事件を受けて自粛されることになった。小柄で非力な少女と、幼い弟が殺されるという事件は非難を浴び、以降は反魔法師活動は下火になっているが、それでも安全と判断するには時が足りていない。

 

卒業生たちの顔に見えるのは、将来への期待よりも不安の色。そんな少し寂しい卒業式を終えた一学年上の少年少女を宮芝淡路守治夏は複雑な思いで見送った。

 

それから場所を移しての生徒会室には、現在の生徒会室の主である深雪と達也、ほのかや雫たちの他に、中条、五十里、千代田、服部、桐原、壬生の卒業生組が集まっている。彼ら卒業生組が話しているのは卒業旅行についてだった。

 

「全員、予定どおりで大丈夫ですね?」

 

中条の念押しのセリフに、否定の言葉はない。

 

「このメンバーで卒業旅行なんて、一年生の時は思ってもみなかったわ」

 

「壬生、今更そんなことは気にするな」

 

「服部の言う通りだぜ、壬生」

 

中条たちは卒業旅行として沖縄に行くようだ。彼らが向かうのは、五十里家が技術協力をしている人工島で、そこでの竣工記念パーティーに皆で参加すると聞いている。海底資源の採掘基地として用いる人工島でしかも竣工記念の段階なら、反魔法師団体が押し掛けることもない。それが後押ししての目的地決定なのだろう。

 

「和泉はやっぱり来られないの?」

 

治夏にそう聞いてきたのは、ほのかだ。

 

「すまない、やはり都合がつきそうにないんだ」

 

「仕方ないよ。十文字先輩との婚約も発表されたし、忙しいんだよね」

 

人工島に関係しているのは五十里家だけではない。雫の家も出資という形で関係していたようで、ほのかと二人で竣工記念パーティーにも参加するとも聞いている。そこに治夏は十文字と一緒にどうかと参加の打診をされていたのだ。

 

雫としては婚約の発表を受けての、ささやかな贈り物のつもりだったのだろう。けれど、残念ながら治夏は参加できない理由がある。その理由を思い浮かべながら、楽しそうに計画を立てる卒業生組をちらりと見る。

 

卒業生送別パーティーが中止になったのは、治夏の工作が原因だ。そのことを申し訳なく思う気持ちは当然にある。だから、本来ならば皆に楽しんでくるように声をかけているところだ。けれど、それはできない。

 

治夏は彼らの目的地である、久米島沖の人工島『西果新島』の竣工記念パーティーに合わせて破壊工作が行われるという情報を掴んでいる。工作を企む者は、大亜連合の反講和派。狙いは日本の敵意を煽っての講和条約の破棄。

 

横浜に攻撃を仕掛けてきた大亜連合に対しての、腰の引けた講和には治夏も思うところがないではない。それでもUSNAとの間で不穏な空気の流れ始めた現状で、大亜連合と再開戦というのは得策ではない。ゆえに此度は大亜連合の工作は断固として阻止する。

 

敵は軍内の過激派というべき者たちで多数派ではない。国の意向に背く形での攻撃であるため、必然的に少数となるだろう。少数の工作員を葬るのは宮芝の御家芸であり、今回も無論のこと、未然に阻止するつもりである。

 

けれど、戦場になってしまう可能性を消しきることはできない。場合によっては巻き込まれることもないとは言えないのだ。

 

それでも治夏が選択したのは、沈黙だった。五十里にその可能性を伝えてしまえば、彼らは旅行を中止してしまうだろう。それが何かの疑念を招き、そこから大亜連合側に破壊工作の計画漏洩を悟らせる結果になるかもしれないのだ。

 

敵には油断をしてもらっていた方が望ましいに決まっている。だから治夏は、今回も魔法科高校生が危険に晒されることに目をつぶる。それは、相手が多少なりとも知った者たちであったとしてもだ。

 

もっとも、今回は少しばかり気持ちが軽い。それは隣にいる男のおかげだ。

 

「なぁ、達也」

 

「何がなぁ、なんだ?」

 

「お互い秘密があると大変だという話だ」

 

そう言うと、達也が苦い顔になった。達也は国防軍経由で今回の破壊工作の話を知っていると聞いている。いわば、今回は治夏の共犯者のようなものだ。

 

「今回は深雪も知っているのだろう?」

 

「随分と嬉しそうだな」

 

小声で聞いた治夏の言を否定しなかった。それが答えだ。

 

確認するまでもなく、ほのかと雫は深雪の一番の友人だ。達也も深雪も、その大事な友人よりも自らの都合を取ったのだ。

 

「言っておくが、俺たちがどうであろうと、和泉のやっていることが正当化されるわけではないからな」

 

「そのくらい分かっているよ。けれど、私だけが責められるのでないということは、それだけで気持ちが楽になるんだよ」

 

「なんだか随分と気弱なことだな」

 

「まあ、色々とあってね」

 

治夏と克人の婚約は広く公表された。一方で治夏が和泉守から淡路守へと官位を改めたことは全く知らされていない。基本的に宮芝家の当主は、代替わりをしても、それを知らせることはない。

 

当主は全員が宮芝和泉守を名乗るので、相手が代替わりを知らなくとも問題なく話が通じる。よって特別に不具合は生じない。

 

逆に官位の使用は秘密の隠匿には効果を発揮する。和泉守にしても図書にしても飛騨守にしても代替わりをしながら用いてきた官位だ。例えば図書にしても先代の図書と今代の山中図書では得意としていることも役割も全く異なる。治夏が通常は官位でしか呼ばないのも、仮に漏洩しても、誰のことを指しているのか分からないようにするためだ。

 

「ところで、国防軍からも人員を出すのだろう。誰を出すのだ?」

 

「こんなところで急に……なるほど、見事だな」

 

問いかけると同時に、他の皆との間に遮音壁を作ったことに気づいたのだろう。

 

「詳細な人員は俺も知らない。けれど、指揮は風間中佐が執ると聞いている」

 

「それは安心できる材料だな」

 

風間は主義主張の面では治夏とは相容れないが、能力面では指揮官としても一人の魔法師としても一定の信頼を置いている。

 

「日程等に関してはどうなっている?」

 

「独立魔法大隊は先行して沖縄入りするらしい。俺たちは二十四日の彼岸供養式典で合流することになっている」

 

「それは、なかなかの強行軍だな」

 

魔法科高校の終業式は二十三日だ。真面目な達也と深雪のことだ、早めに休暇に入るということはないだろう。つまりは終業式直後に沖縄に飛ぶくらいでなければ、二十四日の式典には参加できないということだ。

 

ちなみに竣工記念パーティーは三月二十八日だ。治夏は余裕を持って三月二十一日には沖縄に入る予定だ。無論、その間の学校は休みである。さすがに術者の治夏が遠方となっては替え玉は使えないので、やむをえない。

 

「ところで、そういう和泉の方の人員はどうなんだ?」

 

「私か? 主力は連れていくつもりだよ」

 

治夏の側近の右京、図書、掃部に、郷田飛騨、一柳兵庫、松下隠岐などの宮芝の精鋭部隊、森崎駿に量産型の関本たち、総勢二十名ばかり。今回は極秘任務であることも考慮して少数精鋭とする予定だ。

 

ちなみに戦力的には頼もしい呂剛虎は今回は留守番だ。今回の作戦では大亜連合側も兵も出すことになっており、相手を刺激しかねない呂はさすがに出すことができない。関本やパラサイト関本を出さないのも、大亜連合側も兵を出すことに伴う機密保持のためだ。今回は自爆機能を仕込んだ量産型のみで対応する。

 

「森崎さんに学校を休ませるつもりですね」

 

治夏が早めに現地入りするのは、いつものことだ。そして、同行するメンバーの中に森崎が入っていることも予想できたのだろう。深雪は若干の非難を込めた声音で言ってくる。

 

「今の森崎は戦力的にも、置いていくと言ったときの面倒臭さを考えても、同行メンバーから外すという選択肢はないな」

 

そう言うと、二人はよく似た複雑な表情を浮かべた。



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南海騒擾編 気弱な元生徒会長の受難

三月二十四日、私、中条あずさは五年前の沖縄侵攻事件の被害者の彼岸供養式典に参加しました。私たち自身は事件の際に亡くなった親族はいません。けれど、一昨年には横浜事変が勃発し、その折には私たちも大亜連合の部隊と戦闘を行いましたし、そこでは多くの人々が亡くなりました。他人事と考えることはできません。

 

一緒に沖縄に来ている千代田さんと五十里くん、壬生さんと桐原くん、沢木くん、服部くんも同じ気持ちだったと思います。卒業旅行中に彼岸供養式典に参加するという私の案を快く受け入れてくれました。

 

「なぁ、俺が来て本当に良かったのか?」

 

それは彼岸供養式典の後、那覇のショッピングモールを歩いていたときに沢木くんが急に言い出したことでした。

 

「何だ、沢木。今更だぞ?」

 

呆れ声を返したのは服部くんです。

 

「俺が加わらなければ三対三だろ? 空気が読めていなかったかと思ったんだ」

 

「沢木くん、何を言っているんですか!? 私と、は、服部くんは、別にそんな仲じゃありませんよ!」

 

沢木くんがどうしてそんなことを言い出したのか、私には全く分かりません。私と服部くんの間に、実際に恋愛感情はないのですから。

 

「中条の言うとおりだ。俺としては、カップル二組に男一人と女一人なんて気まずい状態にならずに助かったと思っている」

 

服部くんがそう言って私の言い方に同意した後、カップル二組に「少し控えろ」と言いたげな目を向けました。その二組はしっかりとペアルックで存在から互いに恋仲であることをアピールしています。

 

今日の私はパーカーとハーフパンツというラフなスタイルです。もっと色気のある服装にしようかと迷いましたが、私にそういう格好が似合わないということと、相手もいないのに妙なアピールをしても虚しいだけだと見合わせました。

 

「沢木君はさっきの司波君たちを見てそう思ったのかな?」

 

振り返って、そう訊ねたのは五十里くんです。

 

「自分では気がつかなかったが、言われてみればそうだな」

 

「でも、沢木君の気持ちも何となく分かる気がするよ。ご供養の式典でこんなことを感じるのは不謹慎かもしれないけど、司波君と深雪さん、本当にお似合いだったもの」

 

壬生さんの言葉に私も心の中で大きく頷きました。深雪さんと達也くんも式典に参加していましたが、深雪さんは相変わらず本当に美しく、達也くんも存在感では全く負けていませんでした。

 

「二人とも、とても高校生には見えなかったけどな」

 

そこに入れられた桐原くんの茶々は、ある意味では的を射ており、私たちは失笑を漏らすしかありませんでした。

 

「どうしたんだ、壬生?」

 

それから少し歩いた頃、不意に立ち止まった壬生さんに声を掛けた桐原くんが彼女の視線をたどり、訝しげに眉を顰めました。

 

「……今時、白人の子供なんて珍しくないだろ?」

 

壬生さんが見ていたのは、十二、三歳くらいの栗色の髪の女の子でした。肌の色と顔立ちから桐原くんの言った通り、白人種だと分かります。

 

「違うわ。分からない?」

 

「んっ?」

 

「どうした、桐原」

 

「……穏やかじゃないな。この雰囲気は」

 

服部くんが桐原くんに声を掛け、その直後に沢木くんも声を潜めました。

 

おそらく両親を待っている少女を盗み見る大の男が四人。しかも、取り囲むように少しずつ近づいているのが分かりました。

 

以前の私であれば、そんなことは気づかなかったでしょう。けれど、私は横浜事変の際の第一高校の生徒会長です。そのときに、たいして役に立てなかった私と、真由美元会長や深雪さんの姿を比べれば、これまで通りでよいとは思えませんでした。

 

生徒会長として、他の生徒を守れるように。自分が戦うことは無理でも、危険にいち早く気づいて、他の生徒に警告を発することができるようにと、私なりに努力したのです。

 

「誘拐か?」

 

服部くんが軽蔑のこもった声でそう言って、誘拐なり猥褻行為なりを止めるために歩き出そうとします。

 

「待て、服部。ここは俺と桐原が行く」

 

それを沢木くんが肩を掴んで止めました。

 

「俺と桐原は白兵戦タイプで遠距離は苦手だ。五十里は対人戦向きじゃない。女子をガードしつつ、いざという時に援護の魔法を撃てるのはお前だけだ」

 

「桐原君、あたしも行く」

 

服部くんが納得しかけたところに今度は壬生さんが声を掛けました。

 

「いやっ、けどよ……どう見てもあいつら、平和な目的じゃなさそうだぜ?」

 

「桐原君と沢木君だけで近づいては、あの子だけじゃなくて他の人からも変な目で見られちゃうわよ」

 

桐原くんは嫌そうに顔を顰めますが、壬生さんの言っていることも事実です。私でも二人の人柄を知らないときに急に至近距離に来られたら、硬直してしまうかもしれません。

 

「……分かった。だが、俺の側を離れるなよ」

 

「分かってる」

 

今度こそ、三人が女の子の元に歩き出そうとしました。けれど、その前に思いもかけない人物が立ちはだかりました。

 

「やめておきなよ、平和な旅行を楽しんでいる元高校生諸君」

 

そこにいたのは、私の天敵とも言える宮芝さんでした。

 

「宮芝さん、一体どうして……」

 

「余計な手出しは無用だ、壬生。この言葉の意味が分かるな」

 

最初、私は女の子を狙っているのは宮芝さんの関係者ではないかと考えました。けれど、それはすぐに自分で否定しました。宮芝さんの関係者ならば、所詮は素人の私たちに気づかれるはずがありません。ただ、宮芝さんにとっては、女の子に何かがあった方が都合がいいということなのでしょう。

 

そして、実際に事態は動き始めました。辺りの人通りが何時の間にか無くなっています。

 

サングラスを掛けた男の人が四人、女の子を取り囲むように近づいていきます。

 

四人は服装も、掛けているサングラスのデザインもまちまちですが、雰囲気が似通っています。それは同じような動作によるものと思えました。

 

女の子も四人の男たちに気づいたようです。けれど、慌てた様子はありません。静かに臨戦態勢を整えているように見えます。

 

「さて、茶番はここまで。逃げられては詰まらないからな」

 

宮芝さんが、そう言った瞬間、女の子の身体が大きく揺れました。彼女の胸の中心から、じわりと血が滲んでいくのが分かります。

 

「狙撃か……宮芝のお家芸の一つだったか。徐々に包囲を狭めてくる明らかに近接戦型の魔法師に目を引き付けておいて、というわけか。相変わらず嫌らしい手段を使うな」

 

そう言ったのは桐原くんで、おそらく横浜事変の折に戦術を目撃していたのでしょう。

 

「お褒めに与り、光栄だな」

 

対する宮芝さんは、目の前で人が死にゆこうとしているというのに、笑みすら浮かべています。やっぱり宮芝さんは普通ではありませんが、同じ状況を見ているはずの桐原くんも特別に動揺しているように見えないのは、悪影響を受けすぎだと思います。

 

血で染まる胸を右手で抑えながら、女の子は対物障壁を展開しました。その障壁に第二射と第三射が弾かれるのが見えました。

 

女の子の近くには四人の男の人もいました。その状況下で、狙撃を受けてすぐ、狙撃手が一人だけではないと考えて対物障壁を展開するなんて、私にはできません。その事実だけで、女の子が見た目通りの庇護しなければならない対象ではないと分かりました。女の子はおそらく軍事訓練を受けた工作員なのでしょう。

 

「なかなか見事。しかし、まだ未熟」

 

宮芝さんがそう言った意味は、すぐに分かりました。女の子の背後に、影から出てきたかのように森崎くんが現れています。

 

「疾ッ!」

 

森崎くんの気合の乗った声と、高周波ブレードが障壁を破る音が響きました。その次の瞬間には、女の子の頭が首から離れていました。

 

「そら、身体を片付ける間、少しの時間だけ持っていてくれ」

 

宮芝さんが言った瞬間、森崎くんが女の子の髪を掴んで私の方に投げます。どうして私の方に向かってくるのでしょう。心情的には今すぐにも背を向けてどこかに走り去ってしまいたいです。けれど、宮芝さんが持っていろと言ったのに、逃げ出すなんてできません。

 

森崎くんはコントロールも鍛えたのでしょうか。女の子であったものは、私がお腹の前に差し出した腕の中に綺麗に収まっている気がします。気がするというのは、怖すぎて確認をすることができないためです。

 

もしも目が合ってしまったりしたら、私はどうなってしまうか分かりません。私にできることは、ただ正面を見続けることだけです。宮芝さんは、そんな私を気にすることなく女の子の身体を森崎くんに運ばせています。

 

ところで、新鮮な生首を持っているせいで、主に私の下半身が大変なことになっている感触がするのですが、宮芝さんは私の後始末のことは、考えてくれているのでしょうか。




南海編のボス、名乗る間もなく死亡。
基本、初撃で確実に仕留めにかかる宮芝相手では物語は生まれにくいのです。


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南海騒擾編 変則魚雷戦

ちなみに本話で治夏が呼ぶ刑部とは服部のことです。
図書とか掃部と一緒に出てきて紛らわしいので念のため。


三月二十六日、宮芝淡路守治夏は沖縄本島の空港にいた。久米島行きの便を待つ空港の出発ロビーには治夏の他に達也と深雪、桜井水波、沖縄旅行中のほのかと雫に加えて、第一高校の卒業旅行組七名もいる。

 

「和泉、これはお前が仕組んだのか?」

 

その状況を見て開口一番、達也が発した。

 

「失礼だな。少なくとも、ほのかと雫は違う。それに詰問の前に言っておく言葉があるのではないかな?」

 

今日の治夏はバカンスに合わせてスカートが膝丈だ。普段の治夏に比べて露出度の高い服装でいるのだから、何か一言くらいあってしかるべきだろう。

 

「それは中条先輩たちに関しては、仕組んだと言っていると同じだと思うが」

 

けれど、達也はそんな治夏のアピールをすっぱり無視した。治夏も達也に機微など期待していないが、それにしても酷い。

 

酷いと言えば、達也の勘違いにしてもそうだ。達也は治夏が中条たちを久米島に向かわせようとしていると考えたようだが、それは事実とは異なる。治夏がさせたのは、元から予定にあった久米島行きを中止させなかったというだけで、その理由もこれ以上、楽しい旅行に水を差すのを不憫に思っただけだ。

 

一昨日の、生首事件は中条の心にかなりのトラウマを与えてしまったようだ。治夏は心の傷を癒すために精神制御の力も借りて、中条を旅に復帰させた。

 

ちなみに他の六人が治夏を見る目は冷たかったが、あれは中条たちも悪い。ただの高校生のくせに外国人が絡む国家の作戦にしゃしゃり出てこようとするから、あんなことになる。多少、腹が立ったからといって大人げなかったのは確かだが、いい薬にしてもらうよりない。

 

「光井さんたちともお話していたんですけど、深雪さんたちもご一緒しませんか?」

 

一昨日のことは、きちんと記憶から薄れているようで今日の中条はいつもの中条だ。

 

「よろしくお願いします」

 

それもあってか、深雪は特に疑う様子もなく達也の許可を取って、中条たちへの同行を了承してくれた。

 

久米島に到着した後は雫が手配したグラスボートで島の周りを一周することになった。船に同乗するのは治夏と護衛三名、達也たち三人、ほのかと雫、卒業生組七名の計十六名。それと船尾には量産型関本の水中型三機がくっついている。

 

雫のために北山家がチャーターしたグラスボートは、喫水下の側面が船首・船尾を除いてほぼ透明になっている。床もほんの一部を除いて透けていて、船室から見る景色はまさしく海中パノラマだった。

 

それ自体は本来なら歓迎すべきことだ。けれども船尾には量産型関本がいる。一応、中から見つからない位置に陣取っているはずだが、乗船前に治夏は海底を含めて警戒をするように伝えてしまっていた。更に拙いことには量産機にはカメラが搭載されている。つまり関本たちの動きによっては治夏のスカートの中が危険なことになる。

 

元となった機械にしても、培養されたパラサイトにしても人の機微など期待するほうが無理というものだ。治夏の何がカメラで撮影されようと、きっと気にもしないだろう。けれどカメラの先には監視している人間がいるのだ。それでは困る。

 

拙いことは更に続く。グラスボートの喫水が深いため、久米島への上陸にはゴムボートを使うようだった。ゴムボートに乗り込むときも降りるときも、スカート丈はかなり際どいことになりそうだった。

 

他の女子たちは、このことを折り込み済なのかパンツスタイルだった。これは他の皆の予定に無理に合わせたために、ろくに下調べをしていないことの弊害だった。

 

「なんだか、今日は宮芝さんが可愛らしく見えますね」

 

恥じらいまくる治夏を、中条が微笑ましく見つめてくる。もう一度、その辺で生首を調達して投げつけてやりたい気持ちになったが、さすがにそれは自重した。

 

上陸後の久米島では、ほのかがいきなり上着を脱いで大胆な水着姿を披露して同行者だけでなく他の観光客の目も惹いていた。ほのかは顔に似合わず立派な胸を持っている。なんとなくだが、気に食わない。

 

「大丈夫ですよ、治夏様も水着を着れば、ちゃんと女性と分かりますから」

 

右京、その言い方では水着でなければ女と認識されないというように聞こえるんだけど。さすがに、そこまで低レベルな心配はしていない。古式の宿命として色々と隠し持つために大きめのサイズの服を身に着けているために胸が目立たないだけで、垂直に切り立っているわけではない。憤慨しながらもコーラルサンドが堆積してできた白い砂州を楽しんで治夏はグラスボートへと戻った。

 

グラスボートに戻っても、ほのかの積極アピールは続いている。チュニックのボタンを上三つまで外して水着のブラを達也へと見せつけていた。

 

「ほのか、少し良いか」

 

そんな中、達也の声の質が急に変わった。ほのかの言葉にならない問い掛けには答えず、達也は操舵室に向かう。

 

達也の様子に普通でない兆候を感じ、治夏と護衛三人。そして服部、沢木、桐原が続く。

 

「船長、前方五百メートルの海底付近に艦影が探知できるはずです」

 

達也の驚くべき言葉を聞いた船長が、操舵室内のクルーにソナーを前方海底へ向けるように命じる。

 

「いました! 推定全長八十メートル、通常型潜水艦と思われます!」

 

「進路反転! 面舵一杯!」

 

国防軍の物ならば何の問題も無い。今は違う場合を想定して対応すべき。船長は的確にそう判断し、対応を始めている。

 

「注水音を確認! 不審艦が魚雷発射体勢に入った模様!」

 

「こちらも魚雷戦用意!」

 

治夏の命令に、その場の皆が驚いて顔を向ける。

 

「宮芝、この船に魚雷は搭載されていないと思うぞ」

 

「刑部、魚雷が搭載されてなくとも魚雷戦は可能だ。それを見せてやろう。掃部、関本全機を甲板に上げろ」

 

「和泉、何をする気だ?」

 

「知れたこと。魚雷がないなら、関本を発射すればいい」

 

この船には魔法師が大勢いる。加速魔法はかなりの力を発揮できる。そして量産型関本も水中用に装着したスクリューにより自らの力によって加速が可能だ。ならば関本を敵潜水艦に突撃させて自爆させれば簡易魚雷となるはずだ。

 

「とりあえず、水波。対物障壁用意。設置場所はボートから三十メートル。サイズは魚雷前方に半径十メートル。ボートの進路を塞ぐのは厳禁だ。できるな?」

 

「お任せください」

 

「魚雷、来ます!」

 

白い航跡が二本、速度を増しながらたちまち迫る。

 

「水波」

 

「はい」

 

桜井によって水中に作られた対物障壁が魚雷を受け止め、水柱が上がる。

 

「発泡魚雷。足止めが狙いか」

 

達也の解説で、治夏も敵の攻撃が船の破壊を目的としたものでないことを知った。治夏は近代兵器にも精通していると自負しているが、さすがに魚雷は専門外だ。

 

「次はおそらく、魚雷型有人艇による襲撃」

 

「こちらも反撃だ。関本魚雷、発射!」

 

右京、図書、掃部の他に深雪、ほのか、雫の力も借りて三機の量産型関本を魚雷代わりに敵艦へと撃ち込む。一機はそのまま敵艦への体当たりと自爆を敢行させるが、残る二機は敵艦付近で停止させて水中用の特殊攻撃をさせる。

 

「第二波、接近!」

 

それと同時に、ソナー員が叫ぶ。

 

「では敵艦は関本に任せるとして、我らは敵の強襲部隊を迎撃するとしようか」

 

「分かっている」

 

治夏の言葉に応え、四条の航跡を刻む魚雷型有人艇を迎撃したのは服部だった。海中に気泡を作り出して艇を立ち往生させる。

 

それを受けて、魚雷型有人艇の背面中程が大きく開く。中から飛び出してきたのは各艇から一人ずつのドライスーツのような戦闘服を着た男だった。

 

「任せろ!」

 

海面から跳び上がった男へ向かって沢木が甲板を蹴った。

 

男より高くジャンプした沢木が、鋭角に軌道を変えて急降下し、キックで敵を叩き落す。

 

「一条閃雷」

 

沢木の攻撃を胸に受けて海面に落ちる直前、男は更に皆川掃部の魔法を受けていた。これで男は痺れて動けぬはず。結末は溺死だ。

 

沢木は空気を足場に再び跳び上がり、もう一人撃墜していた。これで二人。

 

残る二人の敵は、グラスボートに着地をしようとして海中に落ちた。

 

「残念、幻術だよ」

 

二人が着地に失敗したのは、船の位置を治夏が偽装したためだ。そして、水面に落ちた敵に向けては、桐原が釣り竿を振り上げていた。

 

「爆釣だぁ!」

 

高周波ブレードと併用される自壊防止術式を纏った釣り竿で雨霰と剣戟を繰り出す桐原の前に、敵は防戦一方となっていた。そこに対物障壁では防げぬ山中図書の音波攻撃を受け、その敵も海の底に沈んでいった。

 

最後の一人を倒したのは服部だった。海水から作り出した無数の礫で単独で敵を沈めていた。援護をするはずだった村山右京は少し不満げだ。

 

「さて、残るは敵の本艦だけだが、あちらも終わったようだね」

 

治夏が見つめる先には巨大な水柱が上がっている。量産型関本の一体が高周波ブレードで内部に突入した後で自爆したものだ。それでも魔法師であれば、障壁魔法を使って耐えた上で、艦からの脱出も可能だろう。しかし、水中にはまだ二体の量産型関本がいる。

 

その二体の関本がアンティナイトを使用した。これが奥の手だ。水中で魔法の使用を封じられれば、待っているのは溺死のみ。アンティナイトに耐えて浮上しようとしたとしても、艦の傍で待機する関本はスクリューを装備した水中型。両者が泳ぎで戦えば、呼吸を要しない機械の方が上に決まっている。

 

ほどなく、二体の関本が串刺しにした遺体を抱えて水面に上がってきた。思いがけない遭遇ではあったが、得られた戦果は満足のいくものだ。治夏は上機嫌でグラスボートの船長に帰投を命じた。

 

「和泉、船長はお前の部下ではないぞ」

 

が、それは達也の冷静な一言で水を差されることになった。




ちなみにオーストラリアのジェームズ・ジャクソンは原作通り、潜水艦の中におり、戦死しています。
こちらは存在すら明かされぬまま殉職。
オーストラリアの工作員はいなくなりました。


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南海騒擾編 決戦前の宴

三月二十八日。この日は宮芝淡路守治夏にとってテロ工作阻止の本番の予定だった。

 

しかし、一昨日に勃発した予想外の潜水艦との遭遇戦において放った関本魚雷で、座乗中の大亜連合脱走兵の指揮官の一人であるダニエル・リウとオーストラリア軍の士官が戦死した。加えて昨日、潜水艦の母艦ともいえるタンカーに偽装された移動式の潜水艦ドックに対して国防軍は空挺攻撃を行い、その主力を壊滅させている。

 

残るは首謀者の一人、ブラッドリー・チャンの他、十名にも満たない兵たちのみと聞いている。それくらいなら、国防軍だけでどうにでもなる。油断をしきるつもりもないが、全力で警戒に当たる必要もないだろう。

 

というわけで前日の夜からの現地入りの予定を変更。目的地である人工島『西果新島』にはパーティー開始に合わせて向かうことにし、それまでは雫とほのかと久米島で過ごすことにした。その久米島に達也たちが到着したのは、昼前のことだった。

 

「達也さん!」

 

ほのかは相変わらず、達也を見るなり喜色を満面に浮かべる。

 

「ほのか、雫、和泉、わざわざ来てくれたのか」

 

「その順番には、どんな意味があるのかな?」

 

「どんな意味もないから、いちいち突っかからないでもらえるか」

 

ちょっと場を和ませようとしただけなのに、達也は酷く面倒そうに言う。実際に達也は、ほのかに対して随分と気を使っているように見えるが、これ以上の指摘は不興を買うだけなので、ここは引き下がることにする。

 

「三人とも、食事は? まだだったら一緒に食べないか?」

 

「是非! 是非っ! 喜んでっ!」

 

「ほのか、興奮しすぎ。……私たちもそのつもりだった」

 

今にも踊り出しそうなほのかと、思いがけない申し出にはにかむ雫、それを見て微かな笑みを浮かべる達也。なんだか随分と平和な景色だ。

 

それもこれも、破壊工作への対応が上手くいっているからだ。緩み切りはしないものの、確かな成果を得られていることの充足感に満たされながら、治夏は達也たちと、ほのかのお勧めの「車海老バーガー」でお腹を満たした。

 

「ところで、達也さんたちは何処で着替えるの?」

 

食後のデザートに沖縄ぜんざいを食べながら、雫が主に深雪の方を見ながら訊ねる。

 

「もし良かったら、美容室を使えるよ」

 

「ありがとう。でも大丈夫よ。クルーザーの中で着替えられるわ」

 

クルーザーの中での着替えと、美容室で専門家の手を借りての仕度では天と地ほども差が出てもおかしくない。雫の申し出は女子としては非常に魅力的な提案であるはず。それなのに、迷う素振りもなく辞退ができるあたり、深雪はやはり自分の容姿に絶対の自信を持っているのだろう。

 

「深雪、せっかくだから雫の好意に甘えたらどうだ」

 

「達也様がそう仰るなら……お願いしようかしら」

 

けれど、その言葉は達也の一言で、あっさりと翻されることになる。

 

「水波も」

 

けれど、雫は嫌な顔一つせず、今度は桜井に声をかけていた。

 

「水波もお世話になると良い」

 

その桜井も達也からの勧めに従い「お願いします」と頭を下げる。

 

「和泉もどう?」

 

「なぜ私は最後なのかが気になるところだが」

 

「和泉は自分でも用意しているんでしょ?」

 

九校戦を始めとして何らかのパーティーがあるときは治夏は毎回、仕立て直した新作を着用して参加していた。ならば、今回も相応の準備はしているはずと考えたようだ。

 

もしも最初に声をかけられていた場合、治夏はそれを理由に断っていただろう。そして、結果として一人だけ違う美容室に籠ることになったはずだ。前々から片鱗は見せていたが、雫は存外、頭が回るようだ。

 

「それで、どうする?」

 

「せっかくの申し出だ。私もお願いさせてもらえるかな」

 

こうして、女五人で美容室で行くことになった。パーティーに出席する為のメイクに要した時間は二時間半。この間、達也は深雪と桜井の纏うドレスの運搬の他、国防軍との仕事の打ち合わせを行っていたらしい。何とも仕事熱心なことだ。

 

準備の後は船を使う達也たちと別れ、雫が用意してくれたヘリに同乗して、治夏は西果新島に向かう。西果新島の位置は久米島西三十キロの沖合。ヘリなら十分前後だ。

 

今日のパーティは西果新島に作られた五層構造の人工地盤の第一層のホテル宴会場で開催される。開会三十分前には宴会場のロビー前には続々と招待客たちが集まってきている。その中に見知った顔があった。

 

「やあ、馬子にも衣裳の諸君。早い到着だな」

 

治夏が声をかけたのは第一高校の卒業生たち七人の集団だ。

 

「宮芝さん、それは褒め言葉じゃないということは当然、知ってて言ってるのよね?」

 

「当然であろう。壬生、私は魔法力ではお前と同じ二科生だが、学なしではないぞ」

 

「だったら、ちょっと酷いんじゃない?」

 

「だが、自分でも場違いだと感じていたのだろう? 顔に書いてあったぞ」

 

そう言うと、事実であったのか壬生が気まずそうに視線を逸らした。意外と慣れているのか平気そうなのが千代田で、中条も少し居心地が悪そうにしている。

 

「誰もが私たちのように衣装に金をかけられる訳ではない。壬生の衣装は一般人としては及第点で、少なくともこの場で浮くほどではない。どうせ衣装だけ立派にしても立ち居振る舞いでぼろが出る。壬生は普段通りに過ごせば、それでいい」

 

「ええっと、それって励ましてくれてるってことでいいのよね」

 

「まあ、そう取ってもらって構わない」

 

「あれ? ってことは、もしかして、わざわざ励ましに来てくれたってこと?」

 

もしかしなくても励ましにきたのだ、いちいち言わなくても察してほしいものだ。

 

「千代田先輩、壬生先輩、お早いですね」

 

そこに少し遅れて卒業生たちを見つけた、ほのかがやってくる。

 

「あれ、光井さん一人? 北山さんは?」

 

「あそこに」

 

ほのかが掌を向けた先では、雫の父、北山潮が妻と雫、もうすぐ中学生になる長男を連れて有名政治家から挨拶を受けていた。

 

「雫も先輩方の方に来たかったようだが、私が止めた。弟が挨拶を受ける場にいて姉が友人と遊んでいるのでは示しがつかないからな」

 

「そういうところは律義なんですね」

 

中条は他の面でも律義さを発揮してほしいと言っているのだろう。だが、治夏は今でも十分に律義だ。もし律義でないと見えるとしたら、それは相手が気を使う価値もない存在にすぎないだけだ。

 

「それにしても、あの人、結構偉い政治家だったよね? 挨拶するんじゃなくて、向こうから挨拶に来るんだ……」

 

千代田の声は、感心しているだけではなく、呆れ混じりだ。

 

「結構偉いって言うか、大臣経験者だよ。あの方は国防族の有力者だから、余計に気を遣うんだろうね」

 

五十里が後ろから小声で口を挿む。他の者は驚いた様子を見せていたが、宮芝は政府にも深く関与している一族だ。相手が国防族の有力者となれば治夏は当然に顔と名前を知っている。

 

ちなみに、北山家の傘下に直接兵器を扱っている企業は無い。だが銃弾から戦闘機まで、兵器の生産に必要な中間財で北山家の企業グループは高いシェアを抑えている。なまじ軍需分野が主業態で無い為、北山潮の機嫌を損ねれば売上を民生品や輸出に大きくシフトして国防軍の補給が滞る恐れがあった。五十里が使った「気を遣う」という表現は、実態に対して控えめなものと言える。

 

だから治夏は北山潮と密かに会談を行い、その場で大量の物資を発注している。それは来るべきUSNAとの開戦を見越したものだ。

 

かつての日本軍の例を見るまでもなく、USNAと本気で戦争をすれば日本は必ず負ける。ゆえに、いかに開戦直後に大きな打撃を与えられるかが鍵となる。相手の態勢が整う前に、矢継ぎ早に二の矢、三の矢を繰り出すことができるよう、日本は大量の武器弾薬を保有しておく必要があった。治夏はその準備を北山潮に命じている。

 

何も起こらなければ、それが最善。だが、妙なテロまで主導したUSNAが、このまま引き下がってくれるとも思えない。

 

「達也さん、まだ来ていないのかな」

 

治夏が日本の未来にとって重大な事柄を考えているときに、相も変わらず、ほのかは達也のことを考えているようだ。

 

「心配せずとも、パーティーが始まれば姿を見せる」

 

治夏の考えた通り、パーティー開始時には達也たちも姿を現していた。ただし、会場への入場は最後の方だった。

 

その瞬間、ざわめきに満ちていた会場が、入口の方から急速に静まり返っていった。

 

人々は息を呑み、身動ぎ一つできず、深雪の人が持ち得るものとは思えない美貌に目を、意識を奪われた。

 

「もう見慣れたつもりでいたけど……ああいう格好を見ると、改めて圧倒されちゃうわね」

 

千代田の発言は治夏も同意せざるをえないものだった。治夏は美容室で着飾った深雪の姿を目にしている。それでも寛いでいる場面と、相応の場で相応の態度を取っている場面とでは、また違う印象となる。

 

まったく、ブラッドリー・チャンが率いる大亜連合の脱走兵との開戦は、間近に迫っているというのに、緊張感を削がないでもらえるかな。治夏は心の中で深雪を詰ってみせた。



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南海騒擾編 海上決戦

人工島『西果新島』から西に、わずか一キロ。

 

満月の光を受ける波の上に、森崎駿は立っていた。森崎の足元には一枚の木板。大海では急流の木の葉よりも頼りないその足場の上でも、森崎はわずかの揺らぎもみせない。

 

森崎の周囲に他の宮芝の術士たちの姿はない。それは、宮芝の術士たちが総じて魔法力自体は低いことに原因があった。隠蔽の魔法に、水中や海上活動用の魔法を併用してしまえば他の魔法に割けるリソースは極めて少なくなる。また、好んで用いる近代兵器も水中の敵に効果があるものがないためだ。

 

ただし、他に参戦する戦力として増援として派遣された水中戦型関本が五機、水上バイクに乗って少し後方に待機している国防軍の魔法師が九名、大亜連合の脱走兵追討軍の兵士が八名、そしてなぜか第一高校の卒業生である服部、沢木、桐原の姿もあった。ちなみに第一高校の卒業生組の服装はスーツ姿のままだ。

 

「先輩方はこのような所で何をしているのですか?」

 

「横浜の時とは違って、遠慮無く悪者退治ができるからな」

 

風紀委員の先輩でもあった沢木の言葉は酷く好戦的なものだ。

 

「参戦は構いませんが、けして戦列を崩さず、国防軍の指揮官の命令には絶対に従ってください。命令違反があれば、先輩方でもその場で処刑します」

 

「お前もすっかり宮芝の人間だな」

 

呆れたように言う沢木に目を向けず、森崎は前を見続ける。

 

「森崎、予定通り水中での敵の相手は関本たちが行う。そなたは水面に上がってきたところを仕留めてもらえればよい」

 

指示を行っているのは、森崎と関本たちの指揮官である郷田飛騨守だ。

 

「隠岐殿からの連絡があったのですね」

 

飛騨守が改めて確認をしてくるということは、隠岐守の索敵に敵がかかったということだろう。その読みは当たった。

 

「その通りだ。約三分後に前衛の関本に接敵予定だ」

 

「敵の数は分かりますか?」

 

「魚雷型のカプセルが五機だ」

 

「了解です」

 

今回の敵の目的は、海中から人工島に接近し、爆弾を仕掛けてフロートに穴を空けることだと聞いている。つまり、魚雷型カプセルさえ潰してしまえば爆弾の設置が不可能になり、敵は作戦目的を達成できなくなるということだ。

 

ただし、その場合でも決死隊がホテルに乗り込み、無差別攻撃を行うなど、テロ行為としてはやりようはある。ゆえに敵は全員、確実に仕留める。

 

じっと精神を落ち着かせて、小銃型のCADを前方に向けて構える。設定されているのは氷の弾丸を生み出す魔法。海上戦では効果が高く、また森崎としても得意の魔法であることから本作戦で用いる魔法として選択した。

 

待つこと約三分。前方で魔法の発動の気配があった。

 

男たちが次々と海面から飛び出してくる。その数七人。

 

「敵の総数は九人、内二人は海中で関本が仕留めた」

 

飛騨守からの連絡が入る。それは、目の前に飛び出てきた敵以外に伏兵がいないということも示している。友軍は森崎も含めて総数二十六。この戦は勝ち戦だ。だが、それは森崎の命まで保証してくれるものではない。どれだけキルレシオが友軍に傾いていようとも、唯一の被撃墜が自分ではつまらない。ここは死を覚悟する戦ではないのだから。

 

「具申します。国防軍に二人、大亜連合に二人、残り三人を第一高校と我らで受け持つのがよいかと思います」

 

「貴官の考えは分かった。国防軍に提案する」

 

人数比的には森崎と高校生たちの負担が重いように思える。だが、森崎たちは撃破されても代わりが利く関本たちを盾にすることができる。分担としては間違っていないはずだ。

 

「提案は了承された。貴官は第一高校の生徒と協力して三人を撃破せよ」

 

「了解しました」

 

飛騨守に返した森崎は続けて第一高校卒業生組に命じる。

 

「我らが受け持つは三人だ。小官が一人を受け持つ。刑部殿が一人、沢木殿と桐原殿で一人を受け持て。それぞれに関本二機を付ける」

 

本戦の量産型の関本は五機。卒業生組に、それぞれ二機の関本を付ければ森崎に付けられるのは一機のみとなる。他に比べると森崎組だけが随分と手薄だ。だが、森崎にも良識というものはある。卒業旅行中の高校生に犠牲を出さないためには仕方がない。

 

海中から出てきた男たちのうち、一際大柄な敵の足元に向けて森崎は小銃の先を向ける。発動させる魔法はウォーターバレット。その名の通り水の弾丸を射出する魔法だ。男はその巨躯に重厚な障壁魔法を纏い、弾丸を受け止めた。

 

距離が詰まったことで、巨体の男が大亜連合軍脱走兵の首魁、ブラッドリー・チャン元中尉であることが知れた。図らずも当たりを引いたらしい。

 

先の森崎の魔法を無傷で受けきったことからも、相手が攻防に優れた近接戦タイプであることは知れた。一方の森崎は宮芝型の手数と技量で攻めるタイプで、堅固な守りを持つ敵は苦手としている。

 

勝つのは困難かもしれない。けれど、負けるつもりはない。ここでも森崎が負うべき役割は時を稼ぐこと。敵を釘付けにしていれば、いずれ数的優位にある味方が敵を葬って援軍に駆けつけてくる。

 

ブラッドリー・チャンが海面を蹴って疾駆してくる。その前方に向けて森崎は水柱の魔法を使った。巨大な水柱をものともせず、チャンは正面から突破してくる。だが、チャンの前には関本が投じた高周波ブレードを纏った銛が待っている。

 

急ブレーキをかけ、チャンが海面で足を止める。そこに森崎は水砲の魔法を放つ。敢えて砲弾は幅広にして攻撃力よりも衝撃力を重視したものだ。

 

吹き飛ばされたチャンが波の上を転がる。森崎とチャンとの距離は十メートルほどに広がった。けれど、油断はできない。チャンは水の上に「足場」を作っている。板を浮かべて上に乗っている森崎に比べて機動性は遥かに高い。

 

ブラッドリー・チャンは水中と水上を自在に駆け巡る魔法を身に着けている。日本の古式魔法に当てはめれば、忍術の一つ『水遁』の使い手といえる。

 

だが、そればかりでは勝つことはできない。海中にはスクリューと念動力で高速機動を実現している水中戦型関本が待っている。その機動力はチャンよりも上だ。そして、森崎も簡単にやられるつもりはない。

 

油断ならない敵と悟ったか、チャンの目の色が変わった。身体からは抑えきれない想子が噴き出し、陽炎のような揺らぎが全身を覆っている。

 

チャンが、波の上でグッと身体を屈めた。

 

四つ足の肉食獣が襲い掛かる為の力をためるような姿で、両腕を海面につける。

 

その腕を、水が這った。

 

足と腕から這い上がった海水がチャンの巨体を覆い、空中に持ち上げる。

 

海水はチャンを閉じ込めるものではなかった。水の塊が上下に割れ、大蛇の顎を象る。

 

チャンは細部を放棄した大蛇、あるいは龍の口の中から森崎を見下ろしてくる。

 

「あれは、なかなか防げぬな」

 

ならば、打つ手は一つ。森崎の足元には、敵が魔法を練り上げている間に関本が近づいてきている。

 

「三十六計逃げるに如かず」

 

浮上してきた関本の肩に乗り、森崎はスクリューの力を借りた急速後退を実行する。標的に射程外に逃げられたチャンが呆然と森崎を見つめている。

 

「逃げたからとて終わりではないぞ」

 

遠距離戦は苦手ではあるが、全く手がないわけではないのだ。長距離から長射水撃の魔法で嫌がらせをしていく。焦れたチャンが遠距離から一気に突撃してくる。すでに森崎の攻撃を見切り、全力防御なら一撃で倒されることはないと確信した走りだった。

 

しかし、これこそが森崎の待っていた好機だ。疾駆するチャンの前に、優勢な沢木たちから戻した関本が海中から突如として現れ、行く手を塞ぎながら右手の銛を突く。チャンはその銛をぎりぎりで躱しつつ関本の胸へと右手を突き出した。関本の機械の身体をチャンの右手が貫通する。次の瞬間、関本が隠し腕を展開してチャンに抱き着いた。

 

「オイゴトサセ」

 

機械音声が森崎に促す。

 

「応!」

 

高周波ブレードを纏った淡路守より授かった森崎の愛刀が関本を貫き、チャンの守りを貫き、胸へと突き立った。突き立てた刀を素早く抜くと、関本を飛び越えながら空中で刀を振るう。その一閃はブラッドリー・チャンの首を切り落とし、海中へと沈めた。

 

チャンの身体が首の後を追うように海中に沈んでいく。それを横目に、森崎は破壊された関本の機体を見やる。

 

「自爆シマス。退避ヲ」

 

「そなたの働きに最上の敬意を捧ぐ」

 

短く言って、空中に離脱する。その直後、関本が爆炎に包まれた。空中に吹き上げられ、散らばって沈んでいく残骸を追いながら、周囲の様子を観察する。

 

他のチームも無事に勝利を収めたようだ。見た所、重傷者もいない。完勝といえよう。

 

「飛騨守様、任務完了。これより帰投します」

 

簡単な報告を行い、森崎は出撃時より一機少ない、関本四機を率いて帰途についた。




南海騒擾編完結。
最初は南海編は丸ごと飛ばすつもりだったのですが、治夏たちの一年上の学年組の最後の雄姿となりそうなのと、今後も登場する水中型関本のお披露目として書くことに。


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動乱の序章編
動乱の序章編 使用された戦略級魔法


そのニュースが日本に届いたのは、二〇九七年四月一日朝七時のことだった。

 

宮芝淡路守治夏の元に届いたのは、南アメリカ大陸の旧ボリビア、サンタクルス地区にて三ヶ月にわたり続いていた独立派武装ゲリラとの戦闘において劣勢に陥ったブラジル軍が戦略級魔法『シンクロライナー・フュージョン』を使用したという臨時ニュースだった。

 

さしもの宮芝も地球の裏で、ほぼ利害関係のないブラジルに諜報員を派遣はしていない。そのため情報は流れてくるニュースが全てだ。

 

ブラジル軍の公式発表によると、爆心地はゲリラが拠点とするゴーストタウンの中央部。犠牲者は武装ゲリラ構成員のみで、死者およそ千人。だが、その程度が相手ならブラジル軍も劣勢になど陥らないし、戦局を覆すための戦略級魔法を投入するとは思えない。これは意図的に犠牲者を少なく見積もっていると考えた方がよいだろう。

 

「淡路守様、いかがなさいますか?」

 

「学校に行くよ」

 

警護のために詰めていた掃部の問いに、少し考えて答える。

 

「今日は入学式の打ち合わせが行われることになっている。その場には四葉の深雪と達也、七草の泉美と香澄、そして新入生として十師族の三矢家の詩奈が参加する。情報収集としては申し分なかろう」

 

「なるほど、独自の情報網を持つ四葉と、政治力にも長けた七草。そして国防軍とも関係のある三矢ですか。それならばよき情報が得られそうですな」

 

宮芝も国防軍とは深い関わりがあるが、宮芝の懇意にしているのは反十師族の佐伯など。三矢家と関わりの深い者たちとは派閥が異なるのだ。

 

「……済みません。入学式では目立たない物にします」

 

そうして登校した治夏が生徒会室に入ると見知らぬ女子生徒が達也たちに謝罪しているところだった。その女子生徒はヘッドホンを付けていた。ということは、目立たない物というのは、少女が付けているヘッドホンのことだろう。

 

部屋の中にいるのは達也と深雪と桜井、泉美と香澄、そして件の女子生徒。ということは、このヘッドホン少女が三矢詩奈なのだろう。

 

「入学式では、余り目立たない物の方が良いだろう。だが普段は学校でもそれで構わないと思う。何せ、当校にはもっと非常識な前例がいるからな。教員も含め、そんなことを気にする者はいないはずだ。だから今も、気にする必要は無い」

 

「達也、いきなり人の方に目を向けながら礼を失した発言をするのは、非常識なとは言わないのか?」

 

「非常識と呼ばれたくないなら、まずその腰の物をどうにかしたらどうだ?」

 

治夏の腰にあるのは愛刀一振りのみ。

 

「ああ、すまない。けど、脇差は使い道がないから、持たない主義なのだ」

 

「二本差しでないことを咎めるわけがないだろう。帯刀したまま登校することを非常識だと言っているんだ」

 

「そんなもの、森崎も関本も帯刀しているだろう」

 

「全員、和泉の部下じゃないか。部下の非常識も上司の責任だと思うぞ」

 

刀の危険性はCADより低い。達也の言い分は簡単に受け入れられるものではない。

 

「あの……この方は?」

 

しかし、その前に女子生徒が声を発した。そういえば、お互い自己紹介もしていない。

 

「和泉、こちらは今年の新入生総代の三矢詩奈だ。和泉なら知っていると思うが、十師族の三矢家の出身だ」

 

「はじめまして、三矢詩奈です」

 

丁寧にお辞儀をした後で三矢が説明するには、彼女は鋭敏すぎる聴覚を持っており、その対策として外部の音量を自動調節して伝えるための機器が欠かせないということだった。

 

「なるほど、そのような理由であればやむをえないな。私の前でもヘッドホンを付けたままでいることを許そう」

 

「それで、この尊大な女が宮芝和泉だ。宮芝家という古式の名門の当主で、風紀委員を務めている。三矢さんには十文字家当主の克人さんの婚約者と言った方が通りはいいかな」

 

克人の婚約者と言ったところで、三矢はようやく相手に思い当たった顔をした。宮芝では全く反応がなかったのが癪だが、それだけ三矢家とは接点が少ないのだ。

 

ちなみに治夏と克人が婚約したということは、十師族には内々に伝えられている。大々的な発表とならなかったのは、箱根のテロとその後の反魔法師活動家、もとい治夏が命じた凶行の直後という状況に配慮したためだ。

 

「はじめまして。宮芝淡路だ」

 

「淡路……さん?」

 

達也から和泉だと聞いた直後であったためだろう。加えて、和泉はともかく淡路は名前としては一般的ではない。三矢は困惑した様子を見せていた。

 

「以前は宮芝和泉を名乗っていたが、今は宮芝淡路を名乗っている。そういうことだ」

 

「ちょっと待て、聞いていないぞ」

 

「ああ、達也には言ってないな」

 

「普通、名前が変わるようなことがあれば連絡くらいはするものだろう。というか、そもそも名前が変わることは、ほとんどないだろう」

 

「ちょっと前に四葉に名前が変わった人に言われたくはないな」

 

達也も戸籍上は昨年末に司波達也から四葉達也になっているはずだ。だが、未だに司波達也を名乗り続けている。

 

「伝えてくれなかったのは少し寂しい気もしますが、私もこれからは淡路と呼んだ方がいいということですか?」

 

そう聞いてきたのは深雪だ。

 

「これまで通り和泉でいいよ。せっかく名が通ってきたのだ。変えて別人と認識されてしまうのは惜しい」

 

「なら、名前を変えなければよかったんじゃないか?」

 

「敵を攪乱するためには、ときどき官位を入れ替えた方がいいのだよ。本来、宮芝は全体で宮芝なのだからな」

 

治夏が言ったことのうち後段は本当のことだが、前段は正しくはない。宮芝が官位の入れ替えを行うのは人事異動に伴ってのもの。ただ、その人事異動を外部に伝えることをしないために、敵が勝手に勘違いをしてくれるというだけだ。

 

現在の和泉守は先代だが、今はまだ対外的には治夏が当主と思ってくれた方がいい。達也たちは淡路守が当主の座を譲った和泉守が名乗る官位と知らないはずだが、念のために和泉と呼ばせておいた方が無難だろう。

 

ちなみに宮芝家中にせよ親交のある十師族にせよ、治夏のことを和泉と呼ぶ者はいない。宮芝家当主である治夏を呼ぶときに用いるべきなのは、正式な官位である和泉守だ。略称である和泉と呼ぶような無礼者はいない。唯一の例外が、治夏が第一高校に入学するに当たり使用した現在だけ。つまり和泉と指名した場合は学友が治夏を指したものと容易に判断できるというわけだ。

 

「ところで、今日わざわざ登校してきたのは、こんな無駄話のためではない」

 

「ブラジル軍が使った戦略級魔法のことだな」

 

やはり達也もニュースで見て気になっていたのだろう。皆まで言わずとも治夏の要件を分かってくれていた。

 

「率直に聞く。今回の件、四葉、七草、三矢はどの程度の情報を持っている?」

 

「残念だが、今のところ情報はない。本家には連絡を取っていないが、さすがにブラジルの情報は持っていないだろう」

 

「七草はそもそも国外の情報はほとんどありませんから」

 

「私も同じだと思います」

 

達也、泉美、三矢から揃って情報がないという情報を得られた。考えてみれば魔法師の国外移動が厳重に管理されている現下で、その筆頭たる十師族が国外に出るのは容易なことではない。そもそも十師族は強力な魔法師であって、諜報機関の人間ではない。高い魔法力を生かして精密探査等が得意な者はいるだろうが、それが本分ではない。

 

加えて言えば、仮にいくらかの国外情報を持っているにしても、それは日本に強い利害関係を持つ国のみだろう。もしもブラジルに情報を持っていると言われれば、何と物好きな、と返していたかもしれない。

 

「なるほど、今回は空振りということだね」

 

そう言って帰ろうとしたときだった。

 

「あの、私、皆さんとお近づきの印にと思ってこんな物を作ってきたんですけど……」

 

そう言って三矢がスポーツバッグの中のバスケットから取り出したのは、片手に乗るくらいの大きさのパンケーキサンドだった。それは思いの他に美味であり、気づいたときには治夏はパンケーキサンドを三個も平らげていた。

 

余談だが、その夜、治夏はカロリーに追いかけられる夢を見た。




どこかで、この時代には肥満はない、とか見た気がしない気もしますが……。
まあ、宮芝は昔ながらを維持しているということで。


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動乱の序章編 広がる騒乱

四月二日、宮芝淡路守治夏はUSNAに吸収された旧メキシコで叛乱が起きたという報告を山中図書から受けていた。

 

「こうも早く結果が出るとはな」

 

USNAの敵対姿勢が明らかになってすぐ、宮芝は調略を仕掛けるために専門部隊を新設して送り込んだ。それからまだ、一週間しか経っていない。

 

「それだけ、USNA内で反魔法師活動が活発になっていたということでしょう」

 

たったの一週間ではいくら調略に長けていても、いかほどのこともできない。おそらくは宮芝が何もしなくても叛乱は起こった。今回、宮芝がやったことといえば、ほんの少しだけ風を送り込んだという程度のことだろう。

 

叛乱の原因となったのは、昨日ブラジル軍が使用した戦略級魔法だろう。現時点で死者がおよそ九千人、負傷者およそ三千人にまで膨れ上がったいた。たった一発の魔法による多大な被害は、魔法を使えない人々に恐怖心を与えるには十分すぎた。

 

今のところ日本では自国の魔法師に対する恐怖心を訴える声は大きくない。それは、先日の箱根のテロと魔法大学前での事件の効果だった。いずれも外国人の魔法師による攻撃であると喧伝することで、他国の魔法攻撃に対抗するためには魔法師が必要だという認識に導けたのだ。加えて言えば、第二高校生と弟の惨殺事件により、反魔法師集団は危険な思想の持ち主たちであるという印象を与えられたことも大きい。

 

けれど元から人間主義の観点から反魔法師を叫ぶ者が多かった上に、国内ではそれほど凶悪な事件は起きていなかったUSNAの民はそうではなかった。結果として、反魔法師団体による大規模な暴動が勃発した。

 

ただし、いくら大規模といっても、鎮圧ができないものではない。本来なら州軍に鎮圧されて、それで終わりのはずだった。しかし、USNAはそこで大きな失態を犯した。よりにもよって反魔法師団体の鎮圧に魔法師で構成された部隊も派遣したのだ。

 

中央から派遣された魔法師部隊に対して、元より州軍は反感を持っていた。その魔法師部隊が反魔法師団体に対して強硬手段に出たことで、地元の市民が暴動に加わるに至り、州軍の中にも叛乱に加わる者が続出することになった。

 

それにより北メキシコ州のモンテレイの主要行政機関は叛徒の手に落ちることになった。叛徒が行政機関を占拠するのに要した時間は一時間前後。この迅速な攻撃は言うまでもなく宮芝の工作員が攻撃目標の指示を行ったためである。

 

現在、中央の魔法師部隊は叛徒たちの包囲下に置かれている。さすがに全面対決までは望んでいないようで、攻撃は避けているようだが、それがどこまで持つか。

 

本来ならば、彼らの救出に当たるのは精鋭部隊であるスターズが最有力候補だった。だが、スターズは宮芝により上位の指揮官二名を失っている。これまでのような迅速な対応はできないだろう。

 

今のうちだ。今のうちに中央の魔法師部隊と州軍を衝突させる。そうなれば、USNAの魔法師と非魔法師の対立は深刻なものになる。

 

「USNAに日本に目を向ける暇を与えぬためにも、日本に対して行ったことの報復を行うためにも、絶対に魔法師部隊と州軍の衝突を実現させよ」

 

「そのためには地元の市民に犠牲を出すのが有効ですな」

 

「潜入している者たちには死体を操れる術者はいなかったな?」

 

「はっ、その通りでございます」

 

魔法師の死体に市民を攻撃させられれば話は早かったが、そうはいかないようだ。

 

「ならば、幻術を使って魔法攻撃を受けたと錯覚させるか」

 

「しかし、それでは双方の話の食い違いから我らの存在が明るみにでませぬか?」

 

宮芝の術士たちが工作を行っているとUSNAに知られるのは好ましくない。元を断つためにと日本への攻撃を招く可能性もないとはいえないためだ。

 

「ならばガス爆発でも起こさせるか。それならば事故であるし、市民の中には攻撃を受けたと錯覚する者も出よう」

 

「そのあたりが妥当と思われます」

 

「ならば、それで前線に指示せよ。あと、和泉守様に報告を行うことも忘れるな」

 

正式には現在の宮芝の当主は宮芝治孝なのだ。治夏が独断で作戦の指示をしたと思われることは避けねばならない。

 

「他に気になる情報はあるか?」

 

「どうやら、ドイツ連邦の首都にあるベルリン大学でも魔法師排斥派の学生と魔法師共存派の学生がそれぞれデモ隊を結成し、構内で小競り合いを起こしたようです。今のところは武力闘争には至っていないようですが、拡大する可能性も否定できないようです」

 

「それは、あまり良い情報ではないな」

 

目下、USNA内であれば大国を疲弊させるために魔法師の排斥活動は望ましいことだ。だが、それが世界的になってくると、それは望ましいことではない。その余波は必ず日本にも再び到達するからだ。

 

「落ち着いているのは欧州ではイギリスくらいか?」

 

「かの国は過激な反魔法主義思想を早い段階から取り締まっておりましたからな」

 

イギリスにしても、新ソ連や大亜連合にしても、現在、国内での対立が深刻でない国はある意味では強権的な国ばかり。結局は人は自由にしすぎると争いを生み出すだけということだ。だからこそ、日本も気を引き締めて国内を纏めなければならない。

 

「そういえば、こちらは未確認の情報ではありますが、新ソビエト連邦の黒海基地で何か変事が起こったようです」

 

「何か、とは?」

 

「詳細は分かりませんが、戦略級魔法師ベゾブラゾフが黒海基地を訪ねたようです」

 

「ベゾブラゾフか」

 

黒海基地に近いルーマニアには暗殺・破壊工作を得意とする『ドラキュラ』と呼ばれる魔法師がいるという。ベゾブラゾフの行動は、それを疑ったものだろう。

 

逆に言うと、黒海基地でドラキュラの暗躍を疑う何かがあったということ。それが図書が未確認と言いつつ報告をあげてきた理由だろう。果たして国防大臣に匹敵する発言力を有すると言われているベゾブラゾフの動きはどれほどの意味があることなのか。

 

「できれば新ソ連に派遣している諜報員たちも増員したいところだがな……」

 

「新たにUSNAにかなりの人数を割いてしまいましたからな。手すきの人員はほとんどいないでしょうな」

 

ただでさえ、各国に潜入する工作員というものは、その土地の特性に合わせた技能を学ぶために長期の訓練が必要になる。現在、大亜連合との緊張関係は深刻ではないが、昨日まで大亜連合にいた者を明日から新ソ連に、とはいかなないものだ。

 

しかし、社会格差に対する不平と不満をエネルギー源とする反魔法主義は新ソ連では力を得ていなかったはず。一体、何を源にして、何が起きたのか。

 

「純粋な国内問題に留まるのであれば、警戒はさほど必要ない。ひとまずは極東方面の部隊が動き出さないかだけでも監視を強めることはできるか?」

 

国内の不満を国外に対してぶつけることでガス抜きにするという手段は古今を問わず行われていることだ。それこそ、直近では日本に対してUSNAが仕掛けてきたように。同じことを新ソ連が行わないという保証はない。

 

「できるだけのことは行えるよう有力な各家に声をかけてみます」

 

図書の返答を聞きながら、治夏は頭の中で猛烈な勢いで算盤を弾いていた。いかんせん国外で工作員が活動するには資金が必要だ。すでに多数の人員を国外に派遣している宮芝家においては、目下のところ赤字財政である。ひとまず諜報機関として優秀なところを示すために得られている情報を国に渡して機密費による補填を受けるとして、他にも何か収入源が必要だ。

 

「懐が暖かそうな四葉に頼んでみるか」

 

七草も財政は豊かそうだが、七草に借りは作りたくない。

 

「こんな依頼を元同級生にすることになるとはね」

 

言いながら、治夏は取次の依頼をするため達也の番号を呼び出した。



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動乱の序章編 一条家当主の負傷

二〇九七年四月六日、土曜日。東京では魔法大学の入学式が華やかに行われていた。

 

有力な諸家の三名の子弟を魔法大学の入学式に送り出した宮芝淡路守治夏は、今度は翌日の魔法科高校の入学式の祝い状をしたためていた。これは本当は和泉守が行う仕事であるが、学業が始まる前で今は時間に余裕がある治夏が代行しているものだ。

 

学校が始まってしまえば、宮芝家のために費やせる時間は少なくなる。エリカとも決別し、学校に行く意味は薄くなったとはいえ、不登校を決め込むつもりはないので、今のうちに手伝えることは、やっておこうというわけだ。

 

祝い状をしたためた後は報告物の書類仕事を片付けて、迎えた午後。その知らせは唐突にもたらされた。

 

一条家当主、一条剛毅が敵の魔法攻撃により重態。報告によると、一条は佐渡近海で敵対行動が予想される国籍不明船舶を拿捕しようとしたところ、魔法による強力な爆発にさらされたようだ。

 

五年前の佐渡侵攻事件で公式には正体不明とされている新ソ連軍を撃退した立役者は、国防軍ではなく一条家が中心となって組織した義勇兵だった。北陸から東北に掛けての日本海沿岸部防衛における一条家のプレゼンスはそれ程までに高い。

 

一条家は単に魔法の実力に優れているだけでなく、そのリーダーシップで北陸と東北地方西半分の魔法師を掌握し、南北に戦力を集中せざるを得ない国防軍を補完してきた。一条家の当主が動けないという状況は、国防体制に大きな穴が空いたことを意味している。

 

二日前に、治夏は新ソ連の公認戦略級魔法師、ベゾブラゾフがウラジオストクにある科学アカデミーの極東支部に入ったという連絡を受けていた。ベゾブラゾフの使用する戦略級魔法、トゥマーン・ボンバは内容が知られていない。そうなると、時期から考えて、一条を重態に追い込んだ魔法はベゾブラゾフが行使した魔法の可能性も捨てきれない。

 

「当然、これで終わりではないな。国防軍に連絡は取ったか?」

 

「はっ、すでに国防軍は北陸と北海道に増援を派遣する用意を進めているようです」

 

山中図書の報告を受け、ひとまず迅速な対応ができているような様子に安堵する。

 

「しかし、この間、南が治まったと思えば今度は北か。USNAへの対処を考えねばならないこの時期に、厄介な」

 

「今の日本は、こちらから攻撃に出るだけの余裕がありませんからね。足元を見られているのでしょう」

 

「腹立たしいが、こればかりは我ら単独ではどうしようもないな」

 

宮芝が本気になれば、テロ活動により新ソ連に大きな打撃を与えることも可能だ。だが、それで力を大きく失ってしまっては、今度はUSNAや大亜連合に仕掛けられたときに対処ができなくなる。ここで損害が大きくなる手段は取れないのだ。

 

「一条が弱体化したときの対応はどうなっていたか?」

 

「一之倉と一色がサポートをすることになっているはずです」

 

「一色か……そういえば宮芝にいる一色は十師族と関係があるのか?」

 

「宮芝の一色家は清和源氏系です。十師族と同族という話は聞きません」

 

「そうか。両家に親族関係があれば、この機に関係を築けるかとも思ったが、そう上手くはいかないか」

 

直近の情勢からUSNAに力を注いでいた現状、新ソ連はそれほど手厚い対処ができていたとはいえない。宮芝としても、限りある人員を有効活用するためにも、北陸に強い影響力を持つ一族とは関係を深めたいのだ。

 

「ところで一条は復帰までにどれくらいかかりそうか?」

 

「それが、過負荷により魔法演算領域に深刻なダメージを負ってしまったということですので、果たして復帰できるか……」

 

「なに、それほどの重傷だったのか」

 

てっきり一時的な不在と思っていたが、そうとは限らないらしい。そうなると困る。一条家には将輝という後継者がいるが、魔法師としての実力はともなく、衆を率いるという点ではまだまだ不足が多い。現下を任せるには、あまりに頼りない。

 

「一条の状態はなんとかならないのか?」

 

「残念ながら、我らにはできることはないかと。あとは他の十師族が何か手を持っているか、ということになりますな」

 

宮芝の術士たちは、基本的に出力に欠けており、一条が陥っているような過負荷による魔法演算領域のオーバーヒートとは無縁の者の方が多いのだ。

 

「やむを得ん。我らは、我らのできることに専念をしよう。その後、新ソ連軍の動きはどうなっている?」

 

「小型のものばかりですが、多数の艦艇と漁船が出港準備を終えているという報告が入っています」

 

「漁船を前面に出して盾とするか、或いは漁船を沈めたことを口実に攻撃を行うつもりなのか、いずれにしても小賢しいことだな」

 

いざとなれば、自沈させておいて攻撃を受けたと騒ぐこともできるのだ。遠慮してやる方が馬鹿というものだろう。こちらには水中型の関本がいるのだ。もしも攻めてくるようなら漁船だろうと軍艦だろうと遠慮なく沈めて乗員も皆殺しにしてやろう。

 

「ところで、ベゾブラゾフに動きは?」

 

「ウラジオストクにある科学アカデミーに入ったきり動きはありません」

 

「そうか、何とか暗殺できればよいのだが、難しいか?」

 

「ベゾブラゾフの守りは固く、狙撃銃の射程に近づくことは難しいかと」

 

新ソ連の極東に潜り込ませた術士は諜報能力を第一に選んだはず。暗殺技術に長けていない術士に無理な任務をさせて失うのは得策ではない。

 

「ひとまず増援を送るとして、水中型の関本は何機用意できる?」

 

「換装用の装備が不足しています。水中型ということでは、二十機がせいぜいでしょう」

 

「二十か、少ないな。空戦型は?」

 

「同じく二十機ほど」

 

「それでは駄目だな」

 

二十機で空挺しても、戦果は得られまい。逆に降下中に蜂の巣にされるだけだ。

 

「何らかの対策があればよいのだがな」

 

「関本の主能力は念動力です。飛行魔法に力を割いてしまうと、戦闘能力が大幅に低下すると報告されていますが」

 

「分かっている。だから、航空型の関本は開発を諦めさせた」

 

ひとまずは関本は陸戦用として運用するのが正解だろう。だが、それではUSNAや新ソ連との戦いでは有効な活用ができない。なんとも難しいところだ。

 

「お話し中、失礼いたします。右京にございます」

 

そこで部屋の外から声を掛けられた。

 

「入れ」

 

「はっ」

 

短く許可を出すと、村山右京は音もなく図書の横に並んだ。

 

「先ほど、十文字家の克人様より連絡がございました」

 

「十文字が? 内容は?」

 

個人的な内容なら克人は治夏に直接、連絡を取ってくる。ということは、今回の連絡は宮芝内に周知しておいた方がよい内容ということだ。

 

「本日、克人様は七草家の智一殿より面会の申し込みを受けたとのことにございます」

 

「七草智一? 弘一ではなく、か?」

 

「はっ、そのようにございます」

 

克人を呼んだのが智一だとしても、それは当主である弘一の意を受けてのものに相違ないだろう。普通に考えれば、一条が欠けたことに対応するための北陸への支援の在り方についてだろうが、それならば弘一が出てくるはずだ。

 

宮芝も人のことは言えないとはいえ、あの謀略好きの七草のことだ。今度は何を仕掛けてくるものやら。

 

「十文字には会談が行われ次第、内容を教えてくれるよう伝えてくれ」

 

十師族同士の会談であれば、さすがに治夏が出るわけにはいかないだろう。克人は調略を仕掛けることはしないが、仕掛けられた罠を見抜けないほど愚かでもない。ひとまずは任せてしまっても問題ないだろう。

 

「では、差し当たって私は、明日の高校の入学式に備えるとしようか」

 

少し下火になったとはいえ、一連の反魔法師活動はまだ記憶に新しい。そのため、明日は治夏も風紀委員として入学式に参加することになっている。自分の蒔いた種だ。それくらいの労は負わねばならない。

 

「では、皆。私が入学式に出席している間も情報収集を進めるように」

 

二人に命じて、治夏は再び宮芝の書類仕事に戻った。



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動乱の序章編 魔法の不正使用

西暦二〇九七年四月七日。今日は魔法科高校九校の入学式が一斉に行われる日だ。

 

普段は風紀委員の仕事をさぼりまくっている宮芝淡路守治夏も、今日は勤務を怠るわけにはいかない。さすがに去年の七宝のような暴走新入生はそうはいないだろうが、警戒だけは緩めずに式を見守る。

 

厳粛な空気の中、入学式は滞りなく終わった。いつもより浮ついた空気が抑制されていたのは、新入生も父兄も来賓も舞台の下に控える生徒会の顔ぶれが気になっていたからに違いない。

 

なんといっても、十師族の中でも悪名高い四葉の次期当主がいるのだ。迂闊な言動で目をつけられてはかなわない。そう考えると、最初から治夏の出番はなかったのかもしれない。楽ができて喜ぶべきか、骨折り損と悲しむべきかは難しいところだ。

 

張り詰めた入学式の雰囲気が唯一和んだのは、三矢詩奈が答辞を読んでいた時間だ。お世辞にも「堂々と」とか「流暢に」とは言えない、何度も支えそうになりながら何とか踏み止まって、読み終えた瞬間に全身から達成感を漂わせたその姿は「一所懸命」という言葉がとてもよく似合っていた。

 

三矢は治夏には絶対に似合わない、可愛らしい姿を皆に存分に披露していた。そんな三矢を見て、治夏が少しだけ嫉妬したのは秘密である。

 

「詩奈ちゃん」

 

「泉美さん」

 

そんな感じで式を終えた三矢の元に七草泉美が近づき、声をかけた。その瞬間に三矢の周りから、自然に来賓たちが離れていく。

 

七草家は四葉家と並ぶ日本魔法界の双璧だ。一高の入学式に招かれている人間で七草家の不興を敢えて買う度胸の持ち主はいなかった。

 

「例の件を正式にご相談したいので、これから少しお時間をいただけませんか?」

 

「はい、構いません。泉美さんについていけばよろしいでしょうか」

 

これから行われるのは恒例の主席合格者に対する生徒会への勧誘だ。とはいえ、今年はすでに色よい回答を受けている。治夏が立ち会う必要はないだろう。

 

一応は風紀委員であるので入学式の後片付けを手伝い、後の清掃と施錠を職員に引き継いで、治夏は達也、吉田、ほのか、雫と一緒に講堂を出た。その瞬間、治夏は表情を険しくして第一小体育館の方を睨みつけた。

 

「どうした、和泉」

 

「誰かが術を使っている。これは古式魔法の『順風耳』だな。遠く離れた特定の場所の音を拾う術だ」

 

達也の質問に答えた治夏に、ほのかと雫が顔を見合わせた。

 

「盗み聞きの術?」

 

「そういうことだ、雫。これは許せないな」

 

「許せないとは?」

 

憤慨している治夏に対して、達也は落ち着いたものだ。

 

「標的となっているのは生徒会室だ。あそこにいるのは、深雪と泉美、桜井水波に三矢詩奈。女子ばかり四人だぞ。男子の目がないのだ。達也にも、ちょっと聞かせられない話をしていたらどうするつもりだ」

 

「深雪はそんな迂闊なことはしない」

 

「それは兄馬鹿というものだ。女だってそれなりには、そういう話をするものだぞ」

 

「新入生の前でする話ではないな」

 

そういえば、深雪と三矢の間には面識はほとんどないのだったか。さすがにそれで際どい会話はしないかもしれない。いや、やや幼めの外見のくせに三矢はそれなりに大きなものを持っていそうだった。そのことに誰かしらが言及している可能性は……ないな。

 

「ともかく、秘密の花園の覗きなんて許せない。そんな不届き者は校内引き回しの上で打ち首にするぞ、達也」

 

「いや、もう少し穏便に行こう。きっと和泉が思っているような理由ではないから。それに生徒会室をはじめとした重要施設には、特に厳重なプロテクトが掛かっているのは和泉も知っているだろう?」

 

「プロテクトはともかく、達也は術者に心当たりがあるのかい?」

 

達也の口振りは、術者の正体に気づいているのではないかと思わせるものだった。しかし、達也は治夏の問いに答えてくれない。

 

「場所は分かるか?」

 

「第一小体育館だ」

 

「とにかく現場を見に行ってみよう」

 

百聞は一見にしかず。治夏も達也の意見に反対するつもりはない。達也の後について第一小体育館に向かう。

 

「この裏側の壁際だな」

 

第一小体育館の前に着くと、治夏はすぐに術者の場所を伝える。

 

「達也さん、それでどうしますか?」

 

「このまま捕まえる?」

 

「当然だろう」

 

ほのかと雫は達也に質問していたが、達也が答える前に治夏は断じた。女として覗き魔を見逃す手はない。

 

「俺と和泉が裏から近づく。幹比古たちは少ししてから正面から近づいてくれ」

 

「おや、この配置だと捕らえるのは裏からの組だろう? 吉田と組まなくていいのか?」

 

「和泉から目を離すのは危険すぎる」

 

勝手に標的を抹殺してしまいそうだと疑われているらしい。別に治夏が今回の被害者でないのだから、そこまで過激なことをするつもりはない。ひとまず達也が治夏のことを信用していないことだけはよく分かった。

 

「分かったよ、今回は達也の方に行く。そして、何もしないで見ていることにする。これでいいか?」

 

「そう不貞腐れないでくれ。相手を傷つけない魔法なら使ってもいいから」

 

何もする気をなくしていると、なぜか魔法を使ってもいいと言われた。達也の考えがよく分からない。が、魔法を使っていいのなら、色々と楽だ。

 

「とりあえず達也と二人分、気配遮断の術をかけておく。それでいいかい?」

 

「ああ、それで頼む」

 

達也に言われて治夏は二人分の気配遮断を使い、魔法の不正使用者の逃走予想経路で待ち伏せをする。しばらく待っていると、吉田の気配に気づいた相手が治夏たちの方へと逃げてくるのが分かった。

 

「新入生だな? この付近で不正に魔法が使用されたのを感知した。話を聞きたいので同行してもらいたい」

 

達也の呼びかけに対する、容疑者である男子生徒の答えは逃走だった。髪を縛っていた紐を解いて顔を隠すと、高速移動の古式魔法『韋駄天』を発動させる。

 

「待て」

 

達也が言いながら、術式解体で韋駄天の効果を吹き飛ばす。それと同時に治夏も魔法を発動させていた。

 

「があっ……」

 

前のめりに地面に倒れた男子生徒が、顔を打ち付けて苦悶の声を漏らす。治夏が使用したのは『重石』という、単純に身体を重くする魔法だ。はっきり言って、それほど強力な魔法ではないが、治夏が咄嗟に使える魔法など、この程度なのだから仕方がない。

 

それでも、十分だ。達也はすでに男子生徒に手を伸ばそうとしているのだから。

 

だが、男子生徒は抵抗を諦めてはいなかった。視界に入った街路樹の枝を見つめて何かをしようとしている。

 

あくまで抵抗するのなら仕方がない。少し痛い目にあってもらうのみ。

 

「雷網」

 

治夏は男子生徒に向けて雷撃を纏わせた網を作る魔法を使い、上から被せる。男子生徒は雷を急に浴びた者特有の奇妙な叫び声をあげ、そのまま意識を失った。

 

「達也、宮芝さんのことは、ちゃんと監視しておくんじゃなかったのかい?」

 

小体育館をグルリと回り込んで再合流した吉田が、男子生徒の状態を見るなり開口一番で言ったのが、これだった。

 

「なかなか厄介な能力を持っているようで、和泉を止める間がなかったんだ」

 

「それに後遺症が残るような怪我じゃない。軽く失神しているだけだ」

 

「……二人に任せた僕が馬鹿だったよ。ひとまず保健室に連れていくよ」

 

吉田が盛大に溜息をつきながら言ってくる。どうやら、吉田には達也もやり過ぎの傾向があると思われているらしい。

 

「そうか、それでは私はここいらで失礼するよ」

 

「ちょっと、宮芝さん」

 

「こいつが目覚めるまで待つなど、時間の無駄だろう。私はどのような処分となろうと異は唱えないから、後は好きにやってくれ」

 

「ああもう、あの人はいつまでたっても!」

 

吉田は相変わらず何か言っているが、治夏はそれには耳を貸さずに、その場から逃走した。ちなみに、治夏が処分を求めなかったからかは知らないが、その男子生徒は特に処分はされなかったらしい。



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動乱の序章編 矢車侍郎と宮芝の魔法師

二〇九七年四月七日。入学二日目のこの日、十師族三矢家の末娘である詩奈の護衛役を自認している矢車侍郎は悶々とした一日を過ごしていた。

 

昨日、入学式後に生徒会室の様子を探ろうとした侍郎は、違反行為で詩奈に迷惑をかけてしまった。そして、侍郎自身は警戒対象であった司波達也と、もう一人の女子生徒によって完膚なきまでに叩きのめされた。

 

調べてみると、女子生徒は宮芝和泉という古式魔法の名門の当主ということだった。驚くべきは、宮芝は二科生ながら他の生徒たちから一目置かれるどころか畏怖の対象として見られているということだった。

 

失神させられた侍郎が言うのも変な話だが、昨日、魔法を受けた感覚では、それほど強い相手という印象は受けなかった。使われた魔法は強力なものではなかったと思うし、司波達也の影に隠れるように魔法を行使していた姿は近接戦闘を苦手にしていると感じた。接近戦ならば侍郎の方が上手であると思う。

 

けれど、一方で納得せざるを得ない部分もある。司波達也もそうだったが、宮芝の接近に侍郎は全く気づけなかった。そして、侍郎と対峙したときに選択した魔法も、侍郎と司波達也の動きを読み切った的確なものであった。試合ではともかく、実戦では相手が一枚も二枚も上手であるというのが、侍郎の偽らざる実感であった。

 

その侍郎は、さきほど「お近づき」になりたいクラスメイトたちの輪から詩奈を救出し、生徒会室に送り届けたところだった。正確には、到着前にひと悶着があり、生徒会室までは連れていくことができなかったが、役目は概ね果たせたと言っていいだろう。

 

そして今、侍郎はそのひと悶着のせいで詩奈から何も指図を受けていないことで、時間を持て余していた。侍郎は現在、正式には詩奈の護衛から外されている。理由は単純な侍郎の力不足だ。

 

だが、侍郎はまだ、諦めてしまったわけではない。現時点で力不足であることは自覚しているが、才能と能力はイコールではないはずだ。強さが足りないなら、それを補う技術を磨くだけだ。

 

しかし、具体的にどうすべきなのかが分からない。技術は正しく身に着けないと意味がないが、正しい技術というのは、えてして我流で得るのは難しいものだ。

 

「矢車侍郎だな」

 

そうして思い悩んでいるところに、唐突に声を掛けられた。視線を向けると胸に見慣れぬエンブレムをつけた男子生徒が立っていた。いや、完全に見慣れぬとはいえない。その紋は楠木正成が使用したとして有名な菊水紋だ。

 

自然と昨日、侍郎を倒した女子生徒である宮芝和泉が頭に浮かんだ。宮芝は胸に桔梗紋を付けていたことは、一瞬の邂逅ではあったが覚えている。

 

「そうですが、何か御用ですか?」

 

宮芝の関係者には逆らうな。これは、昨日から今日にかけて侍郎が色んな人に何度も聞かされたことだ。だから、いきなり名を尋ねられたにも拘わらず丁寧に答えておいた。

 

「小官は宮芝淡路守様の配下の森崎雅樂と申す」

 

淡路守という官位がでてきたおかげで、うた、という響きから、辛うじて雅樂という字に変換ができた。それにしても、随分と古風な名だ。長い歴史を誇るという宮芝らしいと感心すべきなのか、今の時代にと呆れるべきだろうか。

 

「淡路守様から伺ったが、其方は古式の魔法を使いこなすようだな。古式であれば宮芝以上に上手く使える者はおらぬ。其方、小官と宮芝の戦い方を学ぶつもりはないか?」

 

それは思いもよらぬ誘いであった。しかし、宮芝には警戒しろと多くの人に言われてきた。この誘いには乗らない方がいいだろう。

 

「せっかくのお誘いですが……」

 

「とはいえ、小官の力も知らぬうちからでは、簡単に首を縦には振れぬであろう。まずは小官と一戦、模擬戦を行わぬか? 返事はその後で考えてもらえばよい」

 

が、侍郎が答えを言いきらぬうちに次の誘いを受けてしまった。今度はこの先輩との模擬戦の誘いだ。

 

「確認ですが、自分が負けたら森崎先輩の言う通りにしなければならない、ということではありませんね?」

 

「無論だ。模擬戦の勝敗と誘いとは分けて考えてもらってよい」

 

「分かりました。それでは、お受けいたします」

 

実際に古式の強者がどのような戦い方をするのか。それは十師族と関係していても現代魔法師に分類される侍郎には未知の事柄だ。興味が引かれないわけがない。

 

森崎が侍郎を伴って訪れた場所は第二小体育館、通称「闘技場」だった。そこでは剣術部と剣道部が合同で稽古をしていた。

 

「森崎殿、今日はいかがなさいました?」

 

すると、すぐに慌てた様子で男子生徒が駆け寄ってきた。

 

「今日は御役目ではない。この者との模擬戦の為にしばし場所を借り受けに参った」

 

「それくらいであれば、お安い御用です。どうぞ、真ん中の試合場をお使いください。皆も森崎殿の戦闘ならば勉強になるでしょう」

 

この場の皆を代表している様子から察するに、この男子生徒は剣術部の部長なのではないだろうか。その割には森崎に平身低頭すぎる気がする。

 

「では、参られよ」

 

足を肩幅に開き、森崎は右手を身体の正面で、だらりと下げる。森崎の右腰には拳銃型の特化型CADが、左の腰には日本刀が見えている。森崎は加減をして勝てるような相手ではない。そう判断した侍郎は本来の得物である十手を懐から出した。

 

どうやら、先手は譲ってくれるらしい。ならばと、侍郎は僅かに下げた右足に力を込めて森崎に迫ろうとした。

 

その瞬間だった。ひゅん、という軽い何かを振り下ろすような音が背後から聞こえたのは。侍郎は慌てて振り返りながら、顔の前に十手を掲げた。

 

振り返った先には、何もなかった。確かに攻撃の音が聞こえたにも拘わらず。

 

と、その次の瞬間には侍郎は右脇腹に強烈な衝撃を受けて板の間に転がっていた。見ると、足を振り抜いた森崎の姿があった。

 

「種を明かそうか。今のは魔法隠蔽の技術を用いて、木霊という録音と再生を行う魔法を其方の背後で使ったものだ。加えて無音と気配遮断を用いて其方に接近した。木霊は事象の改変能力が弱い魔法なので魔法隠蔽は難しいものではないし、無音も気配遮断も体術との併用であったため、こちらも弱い魔法だ。それでも、このくらいのことはできる」

 

言われてみれば、確かに個々の技術も魔法も目を見張るものではない。けれど、実際に侍郎は何もできずに敗れた。おそらく、相手を警戒しすぎて周囲に気を配る余裕がない所を見透かされたのだろう。そして、予想外の背後からの攻撃と思って慌てたところで正面から攻撃を受けた。

 

改めて思い返しても強いとは言えない。だが、上手い。そして、これならば侍郎でも習得可能という魔法と技術ばかりだった。

 

「終わりか?」

 

「まだまだ……!」

 

中距離ではいいようにやられた。けれど、この距離なら。

 

右手と左足に力を込める。真っ直ぐに起き上がるのではなく、蹲った体勢から直接森崎に飛び掛かる。

 

「跳躍!?」

 

「いや!」

 

観戦していた剣術部員の輪から声が上がった。一目では跳躍の魔法かと考えた声と、魔法が発動した気配がなかったと断じた声だ。

 

剣術部員たちが見抜いたとおり、侍郎が使ったのは魔法とは別種類の身体能力強化術だ。上から襲い掛かるのではなく、床とほぼ水平に跳んで低い体勢から足を狙う。それは、剣道でも古流剣術でも余り攻撃を受けることがない部位への奇襲だった。

 

「甘い」

 

だが、それすら森崎の手の内だった。飛び掛かってから気づいたのは、森崎が光を屈折する魔法を使っていたということ。森崎がいたのは、侍郎が目的とした場所から三十センチほど左の地点。だが、その僅かの距離が致命的だった。

 

ほんの少しの動きで侍郎の攻撃は完全に躱され、お返しとばかり放たれたカウンターの蹴りは見事に侍郎の左脇腹を捕らえた。右脇腹の痛みが消えていないところに左脇も痛め、今度こそ侍郎は起き上がることもできずに身体を丸める。

 

今のも、魔法自体は大した難易度ではなかった。何せここは闘技場だ。屈折の程度も大きくなければ、板張りの床も背後の壁も偽装が容易い。周囲の状況から有効な魔法を選択する。森崎はその技術だけで侍郎を圧倒した。

 

「……参りました」

 

今度は簡単に起き上がれそうにない。侍郎は素直に負けを認めるしかなかった。

 

「身体を使う技術は及第点」

 

その頭上に、森崎の声が降ってくる。

 

「だが、戦い方が未熟」

 

厳しい言葉だ。だが、侍郎の心には拒絶も反発も無かった。森崎は確かに戦い方で数段、侍郎の上をいっていた。

 

「矢車、強くなりたいか?」

 

端的な言葉が侍郎の心の急所を的確に穿つ。森崎の使った程度の魔法なら、侍郎にも使うことができる。それは、侍郎も森崎と同じくらいには強くなれるということだ。

 

「少し……家の者と相談させてください」

 

辛うじて、その場で森崎の手を取ることはしなかった。だが、そう答えながら侍郎はすでに森崎の提案を受ける理由を探していた。




森崎駿は宮芝家に認められ、雅樂の名乗りを許されました。
どのみち、中身は別人になってますから、名も変えてしまえ、と。


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動乱の序章編 十文字邸での争い

桐生深夏とは宮芝淡路守治夏の本名です。
随分前に出たきりなので念のため。


四月九日の夜。

 

大学から帰宅した十文字克人は、客が待っていると家人から伝えられた。

 

それを聞いた克人は、着替えもせず応接間に急いだ。

 

「相変わらず宮芝はやることが過激で陰険ですね」

 

「あら、同じくらい陰険なくせに肝心なときに何もできない口だけ女には言われたくありませんね」

 

応接間では、すでに醜い争いが繰り広げられていた。どうやら、克人は遅かったようだ。

 

「お待たせしました」

 

応接間に入るなりそう謝罪した克人に、客人の一人であるスーツ姿の女性、十山つかさも立ち上がって丁寧にお辞儀をした。

 

「こちらこそ、お留守の間にお邪魔してしまい申し訳ございません」

 

「本当に、十山には常識というものがないんですね。そんなことだから、いい歳をして彼氏の一人もいないのではありませんか?」

 

そして、もう一人の客人である桐生深夏は十山に盛大に喧嘩をふっかけていた。

 

「煩いですね、私は克人殿と話をしているのです。小便臭い小娘は黙って待っていることもできないんですか」

 

十山の反撃に、深夏がさっと顔色を赤くした。十山は普通の罵声として何気なく発しただけなのだろうが、今の発言は拙い。第一高校での出来事を、深夏が泣きながら電話をしてきてから、まだ二か月と経っていない。

 

「殺す」

 

「待て、宮芝。少し落ち着け!」

 

言いながら、慌てて深夏を押さえつける。しばらく暴れていた深夏だったが、頼む、と耳元で言うと、ようやく落ち着いた様子でソファに戻った。

 

「珍しい組合せですが、どうして二人でここへ?」

 

「今日も、私が十文字家を訪ねようとすると、宮芝殿がどこからともなく現れました。嫉妬深い婚約者を持って克人殿も大変ですね」

 

「それを言うなら、同じ研究所の出身として皆の嫌われ者の相手をせねばならない克人が大変だと言うべきではないですか?」

 

この二人に会話をさせてはならない。強引にでも克人が話を進めるよりないだろう。

 

「それで、つかささん、今日はどのようなご用件ですか?」

 

「克人さんからご招待いただいた件です。誠に申し訳ございませんが、十山家はご存知の通りの事情を抱えておりますので、欠席させてください」

 

「そうですか……残念ですが、致し方ありませんね」

 

克人が招待した件とは、七草智一との会談で開催が決まった、二十八家から三十歳以下の魔法師を集めての、反魔法主義に対抗するための話し合いのことだ。会議は次の日曜に執り行われる予定となっている。

 

そして十山家の事情とは、国防軍との繋がりのことだ。師補十八家・十山家は魔法師開発第十研究所で、首都防衛の最終防壁として生み出された。ミサイルや機械化部隊を迎撃する目的で開発された十文字家に対し、十山家は防衛線を突破された後の重要施設防衛や要人護衛を目的としている。

 

十山家は国民を守る為というより国家機能を守る為の魔法師だ。国防軍中枢との関係は、二十八家の中で最も強い。

 

十山つかさは、実質的に軍情報部を牛耳っている諜報畑の黒幕的実力者との密約により『遠山つかさ』として情報部の超法規的任務に従事している。

 

国家を守るための魔法師。情報部で超法規的任務に従事。十山家と宮芝家は非常に似た立ち位置にある。ゆえに友好関係にあるかというと、むしろ逆。先程の遣り取りを見ての通り犬猿の仲である。

 

協力しあえれば、できることも広がると思うのだが、互いに相手のことは商売敵と思っているのか、歩み寄りの姿勢は微塵もない。せめてもの救いは会えば嫌味や罵声を浴びせるのみで足の引っ張り合いのようなことはしていないことだろうか。

 

もっとも十山家の思いは分からなくはない。十師族は魔法師が国家権力によって使い捨てにされない為の仕組みとして、日本という国家に口答えをする為の組織として作られたものだ。だが十山家は、十師族体制の中枢に参加していながら、決して十師族として国家に魔法師の利害を主張することが許されない一族だ。そして、それを勧めたのが国家と魔法師の対立を憂慮した宮芝家だというのだ。

 

こうして十山家は国家に与する魔法師となった。しかし、そうして国家権力に組み込まれてみれば、宮芝家が歴然とした力を持っており、せっかく移籍してきた十山家は中枢に関われない日々が続いた。十山家にとっての宮芝家は、長らく頭を押さえつける蓋のような存在だったのだ。そうした状況の中、もう十師族に戻れない十山家は、地道に国防軍との関係を強化していった。その結果が現在の国防軍との緊密な関係だ。

 

しかし、十山家が国防軍、特に情報部との関係を深めるに至ると、今度は宮芝家にとって商売敵になってしまった。これまで宮芝家から買っていた情報を十山家が独自に仕入れて情報部に流すようになり、宮芝家と十山家は対立関係となった。これが二人から話を聞いた克人が出した、これまでの両家の経緯である。

 

「ところで、欠席の理由はどうしますか?」

 

「それをご相談したいと思いまして。是非とも克人さんのお知恵をお借り致したく」

 

「色ボケ女が克人に色仕掛けをしようとして勘気を被ったというのではどうでしょう?」

 

「どこかの尻軽女と違って、私はそんなことはしませんよ。唐突にそんなことを言い出すなんて、さては無乳が災いして誰かに寝取られましたか?」

 

「やめないか、二人とも!」

 

さすがに黙っていられず、二人を制止した。これ以上、言い争いをさせては、たぶん深夏が泣き出してしまう。

 

「つかささん、知恵と言われても、私にそのような機転はありません」

 

「十山家以外にも、欠席を申し出てきた家はあるのではありませんか?」

 

「回答自体、まだ数件ですが、七夕家から欠席すると詫びの書状をいただきました」

 

「それは次期当主殿が防衛大に在籍しているから、という理由ではありませんか?」

 

「……そうです」

 

他人の手紙の内容を知りたがるのは、余り礼儀に敵っているとは言えない。けれど、十山の言っていることは正しい。克人は渋々頷いた。

 

「そうすると、同じくご子息が防衛大在学中の一色家、ご子息方が軍務についておられる五頭家、八朔家は会議を欠席しそうですね」

 

「……はっ、相変わらず十山は性悪ですね。そのような理由で他家が欠席すると読めているのなら、わざわざ探りを入れずに欠席の知らせを出せばよいではありませんか」

 

「つかささん、十山家も同じ理由で欠席でよろしいですね」

 

さすがに今度は深夏の発言に心情としては頷かざるをえない。十山つかさは、悪気も悪意も無い代わりに善意まで欠如している。彼女は喜怒哀楽の感情はきちんと備わっているくせに、他人の喜怒哀楽を簡単に無視してしまうのだ。そのため彼女の相手をするのは、克人にとって疲れを感じる事柄だった。

 

だがちょうど彼女の用件も終わった。後は別れの挨拶を交換するだけだ。克人はそう考ていた。

 

「ところで、四葉家の次期当主とその婚約者、司波深雪さんと司波達也さんは会議に来られるのですか?」

 

だが、それは希望的観測に基づく誤認識だった。

 

「……返事はまだ届いていませんが、おそらく出席するでしょう」

 

「克人さんはあのお二人とご面識がお有りなのですよね?」

 

「貴様があの二人の何を知りたいというのだ?」

 

少し表情を険しくして、今日初めて深夏が宮芝治夏としての声音で問いかける。

 

「秘密主義の四葉家の人間のことです。気にならないわけはないでしょう?」

 

「その必要はない。この私が言っているのだ。その意味が分からぬ無能ではあるまい」

 

宮芝は国の不利益になることは見逃さない。だから司波兄妹を探るのは不要だと深夏は言っている。

 

「それは政府に、いえ、国防軍に裏切られたとしても、ですか?」

 

「馬鹿なことを言うな」

 

「それは軍の幹部や政府の要人には平気で敵対するということですね?」

 

「もう一度、言うぞ。馬鹿なことを言うな。そのような仮定は無意味だ」

 

軍の幹部や政府の要人には平気で敵対するという言葉は、宮芝にこそ相応しい。宮芝が守るのは国家の存続。今の政権がどうなろうと知ったことではないし、国のためにならない要人などというものは、そもそも宮芝の守る対象ではない。

 

「独善的な愛国者は、教条的な平和主義者と同じくらい有害ですね」

 

「何とでも言うが良い。我らは国に害為す輩はすべからく排除する」

 

それは司波兄妹への敵対行動を宮芝は許さないと宣言したも同じ。

 

「分かりました。今日のところはこれで引かせてもらいます」

 

十山は、予想外の肩の入れように驚いた様子を見せていた。けれど、少しすると、もう何事もなかったような顔をして、十山は十文字邸を辞去していく。十山は他人の感情に気を配ることがない。それが悪い結果を呼ぶことを克人は密かに懸念した。



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動乱の序章編 宗谷海峡の戦い

本編で真田が言う和泉守とは治夏のことです。
地の文で治夏の言う和泉守とは先代でもあった治孝のことです。
現和泉守が誰か知らないことでのちょっとした行き違い。


四月十三日、土曜日。授業中、宮芝淡路守治夏の情報端末に学校からの緊急メッセージが表示された。

 

治夏はその指示に従い、授業を中断して教室を後にする。

 

治夏が向かった先は学校内の応接室。そこには達也と、今日はスーツ姿の独立魔装大隊所属の国防軍士官、真田が待っていた。

 

「真田か、北海道で異変か?」

 

治夏は早速、遮音結界を作ってから真田に問いかける。

 

「その通りです。和泉守様と達也くんの力が必要です」

 

「分かった。部下に出撃を命じよう」

 

今回は国家と国家の争いだ。出撃の際に宮芝が使う兵器の費用も馬鹿にならない。事前に国防軍からの依頼があったという事実を作ることは大切なことだった。そして、それよりも大事なことは作戦の概要を把握しておくことだ。

 

「敵軍は宗谷海峡に艦艇を展開。侵攻艦艇は多数の小型舟艇から成っており、センサーはほとんどの船が戦闘艦艇であることを、示していますが、一部は漁船が混じっているようです。我々の第一目標は敵魔法の無効化。それが不可能な場合は、侵攻艦艇の航行阻害で撃沈は可能な限り避けるつもりです」

 

「それは遠隔からの魔法では、という意味と捉えてよいか。我らは敵艦はできる限り沈め、更には敵兵は一人でも多く殺害することを目指すつもりだが」

 

「全面戦争を避けるためにも、人的被害は抑えたいと考えています」

 

「甘いな、ある程度の被害がなければ、敵は日本になら手を出しても大丈夫と判断し、国内に何かある度に侵攻をしてくるぞ」

 

「けれど、被害を多くして報復戦を招くのも賢くないでしょう」

 

対USNAに集中するためには、ここは被害を大きくした方がいいのか、抑えた方がいいのか、治夏には判断がつかない。

 

「分かった。今回は国防軍の顔を立てよう。だが、多くは殺さぬにしても少しは間引かせてもらうぞ」

 

「仕方がありませんね。少数ならば目こぼしをしましょう。それで、和泉守様はどのように攻撃を仕掛けるおつもりですか?」

 

「我らが水中の戦力を有していることは、国防軍も知っていよう。それに改良して両腰に魚雷を発射する機能を付けた。それにて海底より攻撃を行う」

 

「ならば、水上への攻撃では巻き込まれることはありませんね」

 

両軍は上手く住み分けが行えそうだ。これなら細かく作戦を詰めずとも戦えるだろう。

 

「では、私は宮芝家より指揮を執る」

 

国防軍とは協力関係にあるが、互いに全てを明かせる仲ではない。達也にも秘密があるだろうし、ここいらで治夏は席を外した方がいいだろう。二人に断って外に出ると、村山右京が車を校門前に付けていた。

 

「概要は聞いているな。本家へ急げ」

 

右京に命じて急がせながら、情報の整理をする。小型艦艇が中心で中には漁船も混じっている。これは事前の情報の通り。これなら破壊力に欠けた水中型関本の魚雷攻撃でも打撃を与えることができるだろう。後は展開した二十機の水中型関本による計四十発の魚雷攻撃でどれだけの被害を与えられるかだ。

 

魚雷攻撃の後は白兵戦となるだろうが、関本も水中用の専用装備は有していない。高周波ブレードではさすがに艦艇の撃沈は難しい。基本的にはアンティナイトを使用しての敵魔法師への嫌がらせになるだろう。

 

情報を整理するうちに宮芝本家についた。まずは本部に向かい、和泉守に真田からの依頼を受けたこと、説明された作戦の概要について報告を行う。その上で改めて今回の作戦の指揮を執ることを命じられた。迂遠に思えるが、現在の和泉守は治夏ではない。自分の身を守る為にも手続きは重要だ。

 

和泉守から指揮を命じられて後、作戦本部に入る。今回の指揮官は治夏となったが、最高責任者は和泉守だ。本部には和泉守も同席する。

 

「前線より報告は?」

 

「兵庫殿より、関本全機はすでに敵予想進路上の海底に展開済と報告がされています」

 

宗谷海峡は水深が浅い。近距離から攻撃ができるため、個人の携行兵器程度の攻撃力しか持たない量産型関本でも打撃を与えられるはず。今回の前線指揮官である一柳兵庫も、そう考えて早めの展開を心掛けていたのだろう。

 

「敵が侵攻を開始次第、前衛に向けて攻撃を開始させよ」

 

本来の宮芝の戦い方では、前衛と後衛を分断するために中団に攻撃を仕掛ける。しかし、今回は分断した前衛に殲滅戦を仕掛けるのを禁じられたため、前衛から航行不能に追い込んで侵攻自体を頓挫させる手を取る。

 

水中型関本は新ソ連に対しては、これが初陣だ。それゆえ、攻撃は大きな戦果を上げるだろう。できれば、敵が無警戒なこの初撃にて大きな打撃を与えたかったが、国策であれば仕方がない。待つことしばし、敵の前衛の艦艇に水中型関本が発射した魚雷が命中したという報告が届く。

 

「敵方からの反撃は?」

 

新ソ連が水中に対して、どの程度の反撃手段を有しているか。それにより、今回の戦いでの水中型関本たちを戦場に留めるか、これにて戦果は十分と引かせるかが決まる。

 

「対潜ミサイルが発射されたようですが、損害はありません」

 

対潜水艦用のミサイルでは、人間と同サイズの相手に直撃させるのは難しい。加えて関本はたちは防御魔法も多少は行使できる。有効打とはならないはずだ。これなら戦場に留めても問題はなさそうだ。

 

「敵の魔法師が潜水を始めたようです」

 

そう考えていたところに次の報告がもたらされる。しかし、その手は悪手だ。

 

「引き付けて、アンティナイトを使用させよ」

 

敵方は魔法により水中で活動しているのに対して、機械である量産型の関本たちは呼吸など必要としていない。なのでアンティナイトは非常に効果の高い武器となる。今頃は魔法を失って、ただの泳ぐ人になった魔法師たちに対して、脚部のスクリューによる高速機動が可能な関本たちによる蹂躙が行われていることだろう。

 

「想子波の活性化を確認! 迎撃に出ている日本艦艇の進路上です」

 

国防軍から提供された情報を映している第二モニターの映像がスクロールし、想子波の高まりが認められた地点が中央に表示される。

 

「解析班、見解は?」

 

「現状は小規模な魔法式にすぎないと思われます」

 

解析班は現在、艦艇への打撃力を基準に規模を評価している。その基準で小規模と言う場合は、艦に重大な損傷は与えない程度ということだ。しかし、今まさに味方の魔法師たちが水中で葬られている状況で、足止めにもならない攻撃を仕掛けてくるだろうか。

 

「魔法式が急速に増殖を開始!」

 

その直後、驚愕の声が上がった。先ほどまで小さな想子波しか計測していなかった画面は、今や膨大な想子波に埋め尽くされようとしている。

 

「どういうことだ!」

 

「分かりません、ですが、このままでは……」

 

日本側の艦艇群は全滅する。そして今度は北海道が蹂躙されてしまうというのか。しかし、幸いなことに、その悪い予想が現実になることはなかった。先程までは高速で増殖を続けていた魔法式が今度は一気に消滅していったのだ。

 

「魔法式の消滅の原因も分からぬか?」

 

「はっ、申し訳ございません」

 

「魔法式の消滅は日本側の魔法であろう。解析はほどほどでよい。それよりも敵の魔法の分析と対抗策の立案に全力を挙げよ」

 

「はっ」

 

治夏たちが敵の魔法への対応を考えているうちに、水中型関本たちと敵魔法師の戦いも終息していたようだ。結果は当然ながら関本たちの圧勝。ただし、敵魔法師を討つために接近戦を挑もうとした一機が艦上からの機銃掃射で撃破された。関本たちの防御魔法は念動力を元にしているため、多数の銃弾の方が相性が悪いのだ。

 

そして、海上では敵舟艇群に新たな動きが見えていた。魚雷で航行不能となった友軍艇の脇を抜けようとした船が、次々と足を止め始めたのだ。第一目標は敵魔法の無効化。それが不可能な場合は、侵攻艦艇の航行阻害。今回の作戦目的を、国防軍の真田はそう説明した。今の状況は、それに合致するものだ。

 

新ソ連の日本侵攻軍が、撤退を開始する。追撃は仕掛けぬ方がよいのだろう。治夏も水中型関本たちに一隻のみを沈めて乗員を拉致した後、撤退を指示する。

 

それにしても、事前に真田に聞いていた通りの戦となった。それには当然、達也の関与もあるのだろう。それが果たしてどの程度なのか。治夏は今は海面を映すだけのモニターを見つめながら考えていた。



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動乱の序章編 二十八家会議

四月十四日、日曜日。今日は克人が招集した二十八家の若手会議の日だ。司波達也は会場となる横浜にある魔法協会関東支部に向かった。

 

会議の開始は午前九時。しかし、予定時間二十分前にはすでに会議室の前には大勢の魔法師が集まっていた。会議室は既に開いていたが、席に着かず立ち話で情報収集を試みている人間の方が多いようだ。

 

その中に達也は、知っているが見知らぬ者の姿を見つけた。

 

「七宝」

 

達也が声を掛けた七宝は、中退時より体重が三十キロ近くは増加したように見える。

 

「お久しぶりです、司波先輩。ですが、今の自分は七宝ではありません、宝大海とお呼びください」

 

「そうだったな。そういえば、春場所で序二段優勝したんだろ。おめでとう」

 

「知っていてくださったのですか。ありがとうございます」

 

第一高校を辞めて角界入りした七宝は、宝大海の四股名で力士としてキャリアを積んでいる。なぜそうなったのか達也には分からないが、七宝は今の自分に満足しているようだ。ならば、達也としては言うべきことはない。

 

七宝と共に入った会議室には、長机が中空きの正方形にセッティングされていた。

 

一辺に座席は六つ。正面奥だけ五つだから、参加者は二十三人ということだ。

 

先に会場内にいた一条将輝とも挨拶を交わした達也は、七宝と並んで座って会議の始まりを待つ。今回の会議の主催者の十文字克人と七草智一が会議室の奥の扉から揃って姿を見せたのは、午前九時ちょうどだった。

 

「皆さん、お忙しい中お集りいただいていることでしょう。無駄に時間を費やすことなく、早速本題に入りたいと思います」

 

克人は奥のテーブル中央の席に着くと、この場に集まってもらったことについて一同に謝辞を述べた。そうして早々に本題を切り出してくる。

 

「本日、皆さんからご意見を頂戴したいのは、ますます勢いを増す反魔法主義運動に対して、我々魔法師がどう対処すべきかについてです。幸いにも日本国内では反魔法活動は下火になっていますが、他国では叛乱や内乱に発展した事例もあります。この厳しい状況にあって、我々はどう行動すべきか、忌憚のない様々な意見を頂戴したい」

 

克人がそう切り出すのを待っていたように、将輝が手を揚げた。

 

「意見を述べさせていただく前に、まずこの会議の性質について確認させていただきたい。反魔法主義者に対処するという重要な議題にも拘わらず、多くの当主を除外する三十歳以下という参加資格を定めた意図は奈辺にあるのでしょう」

 

「七草智一です。実を申しますとこの会議は、私が十文字さんに魔法師排斥運動対策を相談したことがきっかけとなっております。従って今の一条さんのご質問には、私がお答えするのが適当だと考えます。その上で申しますと、当主の意見は、行動に直結します。ですから当主同士の話し合いは慎重なものにならざるを得ない。そうではありませんか」

 

「……確かにそのような傾向はありますね」

 

「ですからまず私たち若い世代が自由な立場で、何ができるのか意見を出し合えば良い知恵も生まれるのではないかと考えたのです」

 

「この会議は、何かを決める種類のものではありません」

 

頃合いとみたのだろう。ここまで黙っていた克人が口を開いた。

 

「私自身は十文字家の当主ですが、それでも私の一存だけで一族の行動は決められません。ここで皆様との間で何らかの合意が得られたとしても、いざ実行に移そうとして結局不可能だったということは十分にあり得ます。しかしここで意見交換することは、全くの無駄にはならないでしょう」

 

克人のこの言葉を機に、会議の話題は具体的な対策に移っていった。

 

「七草さんは、大衆に対する積極的な人気取りが必要だとお考えなのですね?」

 

そう聞いたのは三矢家次期当主・三矢元治だ。

 

「人気取りと言うと語弊があるかもしれませんが、趣旨としては仰るとおりです。私たちはもっと、私たちが社会の役に立っているということを、分かり易く示す必要があると考えています」

 

「そうなると、手として考えられるのは映像配信ですか。地上波は難しいかもしれませんが、衛星チャンネルやケーブルならば私たちに協力的なメディアを見つけられるかもしれませんね」

 

「メディアへの露出を意図的に増やすとなると、見栄えも重要になってきます。容姿は優れている方が良いですね」

 

議論がやや浅慮軽薄な方向に流れているのは、年長者の重しが無い所為だ。もしかしたらこんなところまで見越して、七草家はこの会議を企画したのかもしれない。

 

「凶悪事件や大規模災害に出動となると、実力の方も疎かにはできないでしょう」

 

「容姿と実力を兼ね備えた魔法師ですか。……そうだ! 七草さん、貴方の妹さんなんて、まさにピッタリじゃありませんか?」

 

「真由美ですか? どうでしょう、魔法師としての実力はそれなりだと思いますが……」

 

達也は表情を消して瞼を閉じて、謙遜して見せている智一のセリフに耳を傾けた。

 

「いえいえ。何と言っても『妖精姫』ですからね。真由美嬢はとてもテレビ映えすると思いますよ」

 

「本人が聞いたら喜ぶと思いますが、身内の欲目を捨てて客観的に評価すれば、もっと容姿にも魔法にも優れた方がいらっしゃると思いますよ」

 

「身内の欲目どころか、お身内に厳しいご意見ですね。しかし真由美嬢以上に容姿に優れた方ですか」

 

その声に会議場の何ヶ所かで「あっ」という小さな声が上がった。

 

「では、四葉の時期殿などはどうでしょうか? 我々が象徴として戴くのに相応しい姫君だと思いますが」

 

智一の目が強い光を宿す。彼は待っていましたとばかり、会議の大勢を決するセリフを放とうとした。

 

「それは、ありえない手ですな」

 

しかし智一や、初めての発言をしようとした達也よりも一瞬早く、七宝が議場で繰り広げられた議論を一蹴する。

 

「それは、どういう意味でしょうか?」

 

発言したのは師補十八家の一之倉家の代表だ。

 

「此度の試みは上手くゆけばよいが、逆に反発を招くこともありえるものだ。そのような試みに次期当主という責任ある者を出すわけにはいかぬ。これ以上の魔法師への反発を防がねばならぬ現状、失敗したときに我々まで火の粉が降りかかることは容認できぬでな。つまりは失敗した場合、その場で切り捨てる。具体的には我々は一切預かり知らぬ中、勝手なことをしたことにすることが最良であろう」

 

七宝は神輿に担ぎ上げておいて、いざとなれば放り捨てろと言っている。その非情な言葉には二十八家の者たちも絶句している。そして達也は口調と発言内容から、絶対に宮芝の影響を受けているなと、助けられた形にも拘わらず頭痛を感じていた。

 

「その意味では真由美嬢も相応しくない。彼女は切り捨てるには惜しい能力の持ち主。ゆえに私は、真由美嬢ではなく七草香澄嬢と泉美嬢を推薦する」

 

「それは、私の妹を人身御供に差し出せとおっしゃられておられるのか?」

 

七宝の言い方に、さすがの智一も怒りを滲ませている。けれど、七宝は怯むことなく言葉を続ける。

 

「然り。そもそも七草殿はさきほど、四葉には次期当主にそのようなリスクを負わせようとしたのだ。よもや自らの身内は出せぬとは申されまいな」

 

「十師族としてそのような恥知らずな行いは許されるものではない。自らの発言には責任を持っていただく。それでよろしいな、七草殿」

 

ここで七宝に九島家の代表である蒼司が賛同の意を示した。続けて九頭見家と九鬼家からも同様の圧力が七草にかけられる。

 

「某の意見に賛同していただいたころを感謝する。では、採決と参りましょうか。此度の試みの旗頭を七草家の香澄嬢と泉美嬢といたすことに賛同の者は挙手を願います」

 

七宝が勝手に議事を採決にかけるのを克人は黙認している。それで、克人と七宝と九の家に密かな協定があることが伺えた。その糸を引いているのは、間違いなく宮芝だろう。細かな部分まで詰められているとは思えないので、その内容は不利益は全て七草に押し付けてしまえという緩いものだろうか。

 

積極的な賛成は七宝、九島、九頭見、九鬼のみだろう。しかし、自らの身内にお鉢が回されてはかなわないと考えたと思われる家が多数出たことで、賛成票は三分の二にも達した。無論、達也も賛成をしたうちの一人である。香澄と泉美も大事な後輩であるが、深雪には代えられない。

 

七草智一は、もはやこの場を覆すことはできないと悟ったのか、苦い顔で議場の推移を見守ることしかできない様子だった。



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動乱の序章編 九島光宣と二十八家会議の報告

九島光宣は兄の九島蒼司の付き添いとして横浜のベイヒルズタワーに来ていた。出席者は一人だけであり、何の用意も必要ないお呼ばれの会議に本来なら付き添いなど必要ない。それでも付き添いとして連れ出されたのは、四葉家の達也と深雪と親交を深めることを期待されてのことだった。

 

九島光宣は身体が弱かった。そのため学校も体調不良による欠席が多い。そんな状態では満足に魔法の行使などできるはずがない。光宣は兄姉を抑えて九島家の後継者として存分に魔法を行使できない自分を卑下していた。

 

だが、一方で体調が良い時の光宣は一族中でも祖父の烈に次ぐ魔法力を持っている。そのためか従姉の藤林響子にも劣る魔法力しか持たない兄や姉、更には父親までもを、やや見下してもいる。

 

そんな兄の付き添いで横浜に行くことを受け入れたのは、四葉家の兄妹と会った半年前の記憶が光宣の中では輝いたものだったからだ。

 

あのとき光宣は魔法師として本来あるべき姿でいることができた。対峙した敵はいずれも二流にも届かぬ相手ばかりではあったが、それでもするべきことができたというのは大きな喜びだった。

 

東京に行って、達也と深雪、そして水波と再会する。それは兄のくだらない思惑を考慮に入れても、魅力的なことではないか。光宣はそう考えたのだ。

 

しかし、誼を通じる役割を期待されても、光宣はまだ達也たちの自宅を訪問できるほど親しいわけではない。結果としてベイヒルズタワー内で暇を持て余していた。

 

七草真由美、香澄、泉美の三人と出会ったのは、そんなときだった。光宣と香澄、泉美は同じ年で、そんなに頻繁ではないが、昔から顔を合わせている。光宣の美貌に物怖じしない二人は、光宣にとって数少ない友人だ。

 

そこで四葉家と誼を結ぶことを期待されていること、それを果たせないことを語った光宣に、真由美が七草と旧交を温めるという代案を示してくれた。こうして七草家に招待された光宣は、遅めの昼食に加えて晩餐にも招かれることになった。その席で光宣は七草家の姉妹とたちと共に今日の会議の内容を聞かされることになった。

 

「それで、私たちが広告塔として世間に露出させられることに決まったんですか。しかも、反感を買う結果になったときには自己顕示欲の高い愚かな娘が勝手にやったことにするということとして」

 

「なんでそんなことになったのさ!」

 

懸命に怒りを抑えようとして、けれども抑えられない泉美に対して、香澄は隠すことさえなく憤慨している。だが、その気持ちは光宣も同じだった。一体、どうしたらそのような酷い決定が出されることになるのか。

 

「そもそもは二十八家の補佐の元での映像露出の話だった。けれども七宝家の琢磨殿の発案で、魔法師全体への反感に繋がることを避けるためとして、いざというときは見捨てるという提案がなされた」

 

会議に出席していた七草智一が無念そうに語る。

 

「そして琢磨殿の推薦によってお前たち二人に白羽の矢が立った」

 

「あいつ、まだ私たちのこと目の敵にしてたのか!」

 

香澄の言葉の意味が分からず真由美に視線で問うと、小声で去年の春に香澄と七宝琢磨との間で確執があったことを教えられた。

 

「この席では言いにくいのだが、今回は琢磨殿というより九島家の意向があったのではないかと思っている」

 

「九島家ですか?」

 

急に名前が出てきて、思わず光宣は聞き返した。

 

「そうだ。琢磨殿が発言をした直後、九島家が賛同の声を上げた。そして、九頭見と九鬼家が続いた。あれは、裏で手を結んでいたとしか思えない」

 

「ですが、九島家と七宝家との間には交流といえるものはなかったはずです。急に手を組んだりできるものでしょうか?」

 

「それに関しては四葉家と、何より裏で宮芝家が動いていたのではないかと思われる」

 

「宮芝家……」

 

昨年、光宣は祖父の烈に命じられて宮芝家の和泉と名乗る少女に奈良を案内した。そのときの話では宮芝は古式魔法師の間には隠然たる力を持っているという話だった。実際、敵の古式魔法への対応で、その力の一端を垣間見ることもできた。しかし、それでも二十八家に対して影響力があるとは思えない。

 

「そもそも宮芝さんは、どうして七草と敵対するような行動に出たのかしら?」

 

光宣とは違った観点で疑問を口にしたのは真由美だった。

 

「宮芝家は前から七草家に対して敵対的な行動を取ることが多かった」

 

「それはお父様が変な企みをしていたからではないの? 宮芝さんは自己の利益のために謀略を仕掛けることを嫌う人よ」

 

「それに関しては何とも言えないが、現に今回は七宝家と九島家を動かして香澄と泉美を陥れた」

 

「けれど、仮に宮芝さんが何か企んだとしても、過半数を抑えられるとは思わない。それで決定事項にはならないわよね」

 

真由美の疑問を受けて智一がゆるりと首を振る。

 

「そこが宮芝の上手いところだ。彼らはまず他家から出たメディアに誰かを露出させることには賛成して見せた。その後でメディアに戦略に失敗したときには切り捨てることの提案と、香澄と泉美の推薦を行ったのだ。そうなれば、自家の誰かがメディア戦略の担当にされては敵わないと、誰でもいいから賛成という空気が産まれる」

 

「そもそも、そのような役目を誰かに押し付けようとするのが問題だと思うけど。それにしても宮芝家に七宝家と九島家を動かすほどの力はあったかしら?」

 

そう言って真由美は小首を傾げる。

 

「七宝は宮芝家に関わってから角界入りを決めたと聞いてる。だから、七宝家というより琢磨個人に対しての影響力なら、持っているかもしれない。けど、九島家に対しては?」

 

真由美の疑問には香澄が答えていた。そして、自分の考えを言って光宣の方を見た。

 

「祖父が丁重に扱っていたので、一定の影響力はあるのかもしれません。ですが、九島に何らかの指示を与えられるほどとは思えません」

 

「もしかしたら、九島家は宮芝家というより四葉家と誼を結ぶことを狙ったのかもしれないわね。宮芝家……というより和泉さんは、達也くんと深雪さんとも懇意にしていたはずだから」

 

真由美がどうして宮芝の企みに乗ったのかの予測を立てる。けれど、今の光宣の意識は別にあった。

 

「けれど、どのような働きかけがあったにせよ、決めたのは兄です」

 

言葉の通り、光宣の心に占めるのは兄への怒りだった。光宣が香澄と泉美とは友人関係にあることは、兄の蒼司も知っているはず。それにも拘わらず、二人に対して成功すれば魔法師の利益、失敗すれば香澄と泉美だけの不利益とする酷い提案に乗ったのだ。それは、どのような理由があろうとも許せることではない。

 

七歳上の兄である蒼司のことを光宣は確かに見下していた。平凡な魔法力しか持たない、取るに足らない魔法師である兄が、優れた能力を持ち、光宣の友人である香澄と泉美を苦境に陥れる。それは光宣にとって許し難いことだった。

 

宮芝についても同様だ。確かに腕は立つようだが、未成年ながら飲酒をして、更に二日酔いだから探索に同行しないなど、彼女は極めて不真面目だった。そんな宮芝が謀略で十師族を陥れるなど、許せることではない。

 

「こんなことがまかり通るのか」

 

何の罪もなく、善良な香澄と泉美が陥れられ、無能なくせに稚拙な企みばかり企てる兄や、怠惰な宮芝が果実を得ていく。それは余りにも不条理なのではないだろうか。

 

もしも健康だったら、光宣は九校戦のような表舞台で活躍し、無能な兄姉に代わって九島の後継者として会議に臨んでいたことだろう。そうすれば、香澄と泉美を犠牲にするような酷い案を通してしまうことなどなかった。

 

もっと自分に健康な身体さえあれば、このようなことにはならなかった。その思いから光宣は唇を強く噛みしめた。



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動乱の序章編 七草真由美との会談

魔法大学は教育内容こそ特殊だが、その雰囲気は他の大学とそれ程変わらない。独特の空気を漂わせているという意味では、付属の魔法科高校の方が余程その傾向は強い。そんな魔法大学内の午後のカフェテリアの一角で十文字克人は七草真由美から詰問を受けた。

 

真由美の用件は、当然ながら日曜日の二十八家の会議のことだ。最初、真由美は克人のここでは拙いという発言を理解せず、遮音フィールドのみで話を続けようとしたが、それは何とか遮った。

 

そうして今、克人は駅前にある『寂存』という喫茶店に場所を移して再び真由美と対峙していた。ただし、今度は二人ではない。克人の隣には桐生深夏がおり、真由美の隣には渡辺摩利がいた。

 

「渡辺も来たのか……余り広めたい話ではないんだが」

 

「じゃあ、帰って良いか? あたしは真由美に無理矢理連れてこられたんだ」

 

駆け引きではなく、渡辺は本気で腰を浮かせたようだった。

 

「ダメよ。大事な話だって言ったでしょう?」

 

だが真由美に袖を引っ張られ、渡辺は再び同席を強要される。

 

渋々渡辺は、卓上コンソールでコーヒーを注文する。続いて真由美がミルクティーを注文した。ちなみに克人と深夏は飲み物をすでに注文済だ。飲み物が揃いウエイトレスが退出した後、真由美が改めて克人に真正面から向き合ってきた。

 

「さて、と……。それじゃあ日曜日の十師族の若手を集めた会議のことを聞かせてもらいましょうか」

 

「その前に七草は次期殿からどのように聞いているのだ?」

 

そう聞いた深夏は、最初から智一が殊更に宮芝を貶めた内容で真由美たちに伝えると確信しているようだった。

 

「私が聞いたことは後から伝えるわ。私はまず十文字くんの口から経緯を聞きたいの」

 

「分かった。まずは会議の目的が社会の反魔法主義的な風潮に、魔法師としてどう対応していくかを話し合うためのものだったということは聞いているな」

 

「それは……意味が無いんじゃないか? 相手が犯罪者なら反撃のしようもあるが、好き勝手なことを言っているだけの相手に『魔法師を好きになれ』と強制することはできないだろう?」

 

どうやら渡辺は会議で決まった内容を詳しく知らないようだ。そして、渡辺は深夏と同様、魔法師の貢献を外に発信することの効果に懐疑的ということが分かった。

 

「強制はできないけど、アピールはできるでしょう? 魔法師はこれだけ社会に貢献しているんだと訴えることで、反感を和らげることはできるんじゃない?」

 

「どうだろうな。押しつけがましいとかえって反発されるような気がするが」

 

「もしかしたら、渡辺の言うとおりかもしれんが、先日の会議では七草のアイデアと同じ提案が多くの賛同者を集めたのだ。予め言っておくが、この魔法師の貢献を発信するという案自体については俺も賛成だった。けれど、その後が拙かったのだ」

 

ここまでなら、克人が七草家の敵に回るような真似をせずに済んだのだ。

 

「その後に多くの支持を集めた具体案が、四葉家の時期殿に魔法師を代表してもらうというプランだった。智一殿は、その案を会議の決定事項にしようとした」

 

「私は予め克人の他、影響力を行使できる範囲に、もしも七草がリスクの高い活動を他家に押し付けようとしたならば、そのリスクは七草に負わせよ、と命じていた。宮芝で多少は手解きを受けた七宝は、その活動が危険であることに気づいたのだろうな。命じていた通りに七草家にリスクを負わせるという目的のために七草香澄と泉美を広告塔とする案を出し、九島と克人が同調した」

 

深夏の説明に、真由美がそっと目を伏せたのが分かった。今の真由美は妹たちに嫌な役目を押し付けた原因を克人たちに求めるか兄に求めるかで迷っているように見えた。

 

「それにしても司波の妹……いや、婚約者にそんな役目を負わせようとするとは……ところで、その会議に本人は出ていたのか?」

 

「いや、司波が一人で出席した」

 

「達也くんが? ああ、そりゃダメだ。それじゃ、仮に深雪さんを広告塔にする案が採決されたとしても、達也くんが受け入れるはずがない」

 

渡辺はあっさりとそう決めつけた。

 

「そうね。達也くんならどんな反感を買おうとも、その案は了承しないでしょうね」

 

「私も同感だな。さて、図らずもこの場の四人の見解は一致したわけだが、七草智一は達也の気性を知らないまま深雪を危険な立場に祭り上げようとしたのか。それとも知っていてわざと不和の種を蒔こうとしたのか。今回は代償は身内が支払ったとみて、香澄と泉美には悪いが目を瞑るつもりだが、再び同じことをしようとした場合には、今度こそ有害として排除も考えねばならぬぞ」

 

七草は四葉と並んで日本にとって最重要な一族だ。だからこそ、簡単には手は出せない。けれど、それだけ大きな力を持っている集団が私利私欲のために動くとあれば、それだけ悪影響も大きくなる。深夏が厳しい態度を取る理由も克人はよく理解できた。

 

「それで、今後はどうするつもりだ。まさか本当に真由美の妹を広告塔に何かを行うつもりではないよな」

 

「元風紀長、まさかも何も行うしかなかろう。そうでなければ、今後は二十八家の会議を行うと呼び掛けても誰も出席してくれないということも考えられよう」

 

「この場で言うべきではないのかもしれないが、私は一体いつまで元風紀長と呼ばれなければならないんだ」

 

「永久にだよ。前風紀長ではなくなっても、元風紀長なのはいつまでも変わるまい」

 

「ああ、そうなのか……」

 

言いながら渡辺は天を仰いだ。確かに深夏の言っていることは間違っていない。けれど、いつまでも呼ばれたくないという思いも分かる。特に十文字は部活連の会頭だった。元会頭、などと外で呼ばれては恥ずかしすぎる。

 

「じゃあ宮芝さんは私の妹たちに何をさせるつもりなの?」

 

「心配せずとも、それほど酷いことにはならぬようにするつもりだ。魔法師が社会の反感の的なるのは、私としても望ましいことではないからな。効果は少なくとも、反感を買いにくい内容を選択していくつもりだ」

 

「さらっと言っているけど、活動の内容って宮芝さんが決めるものなの?」

 

「今の時点で決まったことは、七草香澄と泉美を広告塔にして、何かを行うというだけだ。誰が主導して、どのような内容の宣伝を行うかといった具体的な話は全く決まっていない。そもそも、どれだけのメディアが協力してくれるか分からないからな」

 

そう言っても真由美の表情が冴えることはない。何も決まっていないということは、逆に言えば、何をさせられるか分からないということだ。それだけに不安も強いのだろう。

 

「何も決まっていないというのなら、決められる前に仕掛けるというのはどうだ?」

 

意外な発言に、皆で一斉に深夏を見る。

 

「そもそも一度きりの出演では、効果は薄い。幾度ものメディア出演となれば、必然的に演出の存在を感じさせる。それを避けるためにはメディア出演ではなく、動画の配信にしてはどうだろうか」

 

「動画の配信? けれど、それでは益々、香澄たちが勝手にやったことだということにならない?」

 

「なるだろうな。けれど、元よりそういうシナリオなのだ。それならば、まだ自分で全てを決められる状況の方が望ましいのではないか?」

 

克人は十師族の次期当主として、幼い頃から責任ある行動を求められてきた。それだけに動画を自分で配信するなど考えたこともなかった。それは真由美も同様だろう。克人と同じく判断をしかねるという顔をしている。

 

「やれやれ古式の私より情報に弱いというのは、この面々は少しばかり問題があろう。要は見た目が美しい魔法、見て楽しめる魔法でお茶を濁せと言っているんだ。どの程度の魔法を使うかなどは宮芝も相談に乗るぞ」

 

「結果的には、それが安全かもね。分かった、香澄と泉美にも意向を聞いてみて、それで二人がいいと言ったら、お願いしていい?」

 

「ああ、任せてくれ」

 

結局、深夏と真由美の間で話はついたようだ。あまり話に関わらなかった克人は渡辺と見合い、疲れた笑みを交わした。



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動乱の序章編 十山つかさ

国防軍の曹長である遠山つかさはこの日、司波達也に対する情報部による襲撃作戦の指揮を執るはずだった。婚約者である深雪を習い事に送り出し、稽古が終わるまでの時間を潰す司波達也に対して、捕らえたUSNA軍の兵士を使っての襲撃。その予定だった。

 

しかし今、その予定は大きく狂おうとしていた。古式魔法『傀儡法』により自由意思を奪われ、つかさの作戦の駒となったUSNA軍統合参謀本部直属魔法師部隊『スターダスト』の隊員を元にした『人形』たちが、あろうことか民間人に襲い掛かっていたのだ。

 

「駄目です! 制御魔法を受け付けません!」

 

現場からの情報を分析していたスタッフが悲鳴に似た声を上げる。早く暴走の原因を探れと名目上の指揮官である少尉が叫ぶが、その間にも被害が拡大する。

 

「三人目の犠牲者です!」

 

現場では図らずも襲撃対象であった達也とスターダストを元にしたパペットたちとの戦闘が行われている。けれど、それに注意を払っている暇はない。パペットたちはその間にも、更なる民間人の屍を築こうとしている。

 

「させませんぞ!」

 

しかし、そこに一人の男性が踊り入ってきた。男性はすでに初老と呼べる年齢に見えるが若々しい動きで、驚くことにUSNAの軍人と接近戦を繰り広げる。そして、激闘の末に見事にパペットを倒していた。

 

その腕は明らかに素人のものではない。実戦経験を持つ優れた魔法師のものだった。そのような人物が、たまたま通りかかるものだろうか。そう考えたところで、つかさの頭に閃くものがあった。

 

つかさたちが用いた傀儡法を破って意のままに操れる可能性を持つ者。都合よく優れた魔法師を派遣することができる者。或いは四葉にも可能かもしれない。しかし、それよりも余程、この行動が似合う者たちがいた。

 

「まさか、宮芝か!」

 

宮芝は司波達也をやたらと擁護していた。つかさはそれを無視して今回、行動を起こした。だが、まさかこのような手で来るのか。

 

すでに民間人に三人の被害が出ている。いずれも怪我は重度で、一人でも助かれば幸運と思えるほどだった。最低でも二人の死者が出たとして、それを有耶無耶にできるだろうか。影響を考慮して真相は世間には隠されるにしても、情報部、それ以上に作戦を立案して実行に移した、つかさがただでは済まない。いかに国防軍と十山家の密約があるといえど、弱みがある中で宮芝の攻勢を受けきれるとは思えない。

 

権力者を使って横槍を入れてくるのでも、直接的に危害を与えてくるのでもなく、取り返しのつかない失態を演出して追い落としにかかってくる。そのためならば民間人が犠牲になろうとも構わないというのか。

 

司波達也以上に、宮芝は危険だ。宮芝は自分たちの正義のためなら、何をも犠牲にする。そんな者たちを国家の中枢でのさばらせるわけにはいかない。

 

つかさが改めて宮芝に敵意を募らせる一方で、達也はパペットを格闘戦で圧倒していた。体格では、パペットたちの方が上。けれど、技能には大きな差があった。

 

パペットがナイフを繰り出す動作は、魔法で加速されていた。しかし、達也は第三者の視点である街路カメラの映像でも分からない動きでパペットの背後に回りみ、首筋を手刀で打つだけで戦闘不能に追い込んでいた。

 

街路カメラに併設された想子センサーのモニターに目を走らせるが、魔法の使用は検出されない。それをつかさは、高度な隠蔽技術によるものと判断した。だが、その隠蔽技術は誰のものなのかが分からない。司波達也以外にも、ここには宮芝の手の者が潜伏している可能性が高い。宮芝の術士なら、そのくらいの欺罔は行える。

 

つかさはこの点での評価を保留とする。少なくとも現時点で判明したこと。それは達也の格闘戦能力が、つかさの事前予想より二ランクくらいは上なことだ。

 

「遠山曹長、このまま作戦を実行するのか?」

 

聞いてきた少尉は作戦の打ち切りを望んでいるようだった。

 

「ええ、続けましょう」

 

けれど、つかさは少尉の期待と異なる答えを返した。今回の失態はそう簡単には取り繕えない。そうなると、次の機会はない可能性が高い。だからこそ、つかさは何としても今回の作戦で司波達也の情報を集めることに固執した。

 

次なる作戦は、司波深雪の通っているマナースクールへの襲撃だった。スクールへの襲撃には米軍のスターダストを改造したパペットたちに加えて、つかさの私的な部下も送り込む予定だった。

 

しかし、パペットたちにはすでに暴走という実績がある。深雪の通うスクールに通うのは、高額の月謝を負担できる良家の子女ばかりだ。それは、暴走したパペットたちが標的以外を殺害をしたときに影響が大きいということでもある。そのようなところにパペットを突入させることはできない。

 

やむなく、つかさは自らの手勢だけでの襲撃を決行することになった。しかし、そちらの方も早々に躓くことになる。つかさの部下はスクールへの突入前に複数人の狙撃を受けて元から少ない人数を、更に減らしてしまったのだ。銃弾の方角から、おおよその居場所は掴むことができている。しかし、そちらに人を割くことができるほどの余裕がない。狙撃手は無視して突入を行うよりなかった。

 

スクールの警備員たちは、民間の犯罪組織では手を出せないレベルの腕利きだ。けれどもつかさの部下はそれを上回る腕を持っている。上手く死者を出さないように警備を突破し、生徒たちの護衛を制圧できる。そう考えていた。

 

けれど、どうやらこちらにも宮芝の手が回っていたようだ。最初の誤算は、生徒たちに混じって潜入させていた部下が、早々に襲撃者によって殺害されてしまったのだ。当然ながら、その襲撃者たちは、つかさの部下ではない。つかさの部下に見せかけた、おそらくは宮芝の刺客だろう。実際、優れた魔法師である司波深雪は、襲撃を妨害しなかった。

 

潜入させていた者たちは、情報部が抱える訓練を受けた工作員だ。そう簡単に身元が発覚するわけはない。それなのに、なぜ工作員だということが発覚したのか。そこまで考えて、つかさはようやく自らの失策に思い当たった。

 

そういえば、つかさが克人の元を訪れたとき、宮芝和泉守がどこからともなく現れて同道することになった。あのとき、なぜ自分は偶然に会ったものと思ってしまったのか。

 

婚約者という間柄であることもあり、つかさは宮芝和泉守が頻繁に克人の元を訪れているのだろうと何となく考えてしまった。だが婚約者であるなら、なおさら克人の帰宅時間くらい把握していそうなものだ。あの時間に行き合うというのはおかしい。

 

「まさか、ずっと前から私は監視されている?」

 

一体、どのようにしてなのか、方法は分からない。だが、そうとしか思えない。

 

その間にも、つかさの部下たちは次々と倒されていく。同じスクールの生徒が殺害された以上、生徒の護衛たちも投降という手は取らない。全力で抵抗をしてきている。中でも深雪とその護衛の力は想像以上だった。

 

深雪は侵入した部下が使用したアンティナイトによるキャスト・ジャミングまで無効化してみせた。キャスト・ジャミングは現在実用化している中で、最も有効な魔法妨害手段。魔法師でない人間が、魔法師に対抗する最強の武器。そのキャスト・ジャミングを無効化して見せたのだ。これは脅威というレベルではない。

 

「……この国に人を超えたものの居場所はありません。もしも貴方たちが人外の怪物だとすれば、いなくなってもらうしかない」

 

つかさがそう呟いたのと、鋭い衝撃が背から胸に突き抜けたのは同時だった。

 

「違うな、曹長。この国に必要ないのは、無能だよ」

 

発言者は、名目上の指揮官であるはずの少尉だった。そして、つかさは今、自らの胸を貫いている刃を呆然と見下ろしていた。

 

「さらばだ、日本の害悪」

 

つかさの胸を貫いていた刃が引き抜かれ、鋭い風切り音が聞こえた。それが、つかさの耳にした最後の音だった。



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動乱の序章編 国防軍収容所襲撃

四月二十一日、日曜日。

 

宮芝淡路守治夏は司波達也とともに国防軍情報部が捕らえている米軍の工作員の奪取作戦を実行に移していた。現在地は房総半島の先端近く。その山中の斜面にある刑務所のような施設の中に工作員たちは捕らえられていると調べがついている。

 

達也を引っ張り出すための四葉との交渉は、当然ながら難航した。けれど最終的には深雪への襲撃へは報復を与えておくべきという治夏の説得と、達也自身も許し難く思っていることから実現した形だ。

 

もはや言うまでもないことだが、宮芝は敵施設への襲撃というのは苦手としている。十山つかさを簡単に殺害できたのは、時間をかけて用意した内通者がいたこと。そして、予め十山自身に仕込んでいた式神による寄生虫で十分な情報を得ていたこと。これらの下準備によるもので、今回の施設に同じ手は使えない。

 

達也たちへの襲撃の際には宮芝家の専門である傀儡の術を使ってくれたため、簡単に操作を奪って優位を築けた。だが、相手は主戦級を欠いていたとはいえスターズを含んだ工作部隊を捕虜にした精鋭だ。普通に戦っては敗北するのは宮芝だろう。そこで今回は達也の力を欲したという訳だ。

 

「達也、その妙なスーツは何だ?」

 

「これはムーバルスーツだ。独立魔装大隊が似たようなものを運用していただろう?」

 

「まさか軍の装備を個人で再現したというのか。相変わらず君は非常識だな」

 

「宮芝にだけは言われたくはないな」

 

そう言った達也の視線が向いているのは、今回の作戦に投入予定の四十機の量産型の関本たちだ。言われてみれば、量産型関本は軍でも未配備の超優良兵器だった。

 

「それで、そのバイクにも秘密があるのだろう?」

 

「このバイクには飛行スーツとリンクする機能が搭載されている」

 

「……それだけか?」

 

四葉のことだから、てっきりバイクにも驚くような機能が搭載されているのかと思った。しかし、どうやら治夏の期待が高すぎたようだ。

 

「一体、何を期待していたんだ?」

 

「飛行能力を補助してくれるような機能を期待した。残念ながら、今の関本たちは念動力が主で魔法力はそこまで高くない。ゆえに十全の戦闘能力を発揮させようと思えば、飛行魔法は諦めた方が無難だ。だが、そうなると些か機動力に欠ける。何とかならないか?」

 

「それは自分たちで解決してくれないか」

 

「正論だな。だが、気が向いたら何かしらの解決策を提示してくれないか?」

 

二年前、平河千秋のおまけでついてきた平河小春は思った以上に優秀で、宮芝は多数の関本用の換装装備の開発に成功した。しかし、換装用の装備単独で飛行を実現するというのは無理がある。また、飛行魔法が現代魔法ということもあり、その方面から攻めるというのも難航しているのが現実なのだ。

 

「そんなことより、今は目の前のことに集中しろ」

 

「まあ、そうだな。ところで、本当に先陣を任せてしまっていいのかい?」

 

今回の作戦で主力を成しているのは宮芝のはずだ。けれど、達也はまずは自分が飛行魔法を使って単独で潜入すると言ったのだ。

 

「いくら宮芝でも気づかれることなく施設に侵入することは難しいんだろう。それなら俺が壁を飛び越えた方が早い」

 

達也は敵に気づかれたとして、対応がされる前になるべく目的を達成させるつもりのようだ。これは確かに宮芝では難しい任務だ。

 

「和泉たちは俺が壁を超えたら攻撃を開始してくれ」

 

「分かった。幸運を祈る」

 

治夏が言うと、微かに頷いた達也は監獄の壁を黒塗りバイクで飛び越えていく。

 

「さて、我らも行くぞ!」

 

今回の作戦に同行するのは側近三名に加えて、森崎駿、呂剛虎、京都で勧誘した元七草の配下の魔法師である名倉三郎、松下隠岐守に関本たちの指揮官機としてパラサイト阿修羅。それに量産型の関本が四十機という陣容だ。

 

治夏たちの最前列を行く関本たちが門に殺到する直前、警報が鳴り響いた。達也の侵入に対するものなのか、それとも関本たちに気づいてのことなのか。達也の侵入が気づかれていないのであれば、関本を陽動に使うのだが、今は確認をする術がない。達也の侵入は気づかれているものと考えることにする。

 

「しまったな、達也には正門の破壊を手伝わせるのだった」

 

思わず呟いてしまったのは、収容者に対する用心のためなのか、施設の門は予想外に堅牢な作りとなっており、関本たちが破壊に手間取っていたためだ。関本の導入で戦力は大幅に増加したが、破壊力に欠けるという宮芝の欠点は解消に至っていない。

 

ようやく門を突破するも、すでに門の内にはハイパワーライフルを装備した警備兵が展開されていた。突入直後の斉射で早くも三機の関本が撃破される。被弾した関本たちを自爆させた。爆炎に紛れながら、先頭をきって突入していくのは治夏が作った幻影体の関本だ。敵の目を幻影に向かわせている隙に、一拍遅れて本体が装備しているサブマシンガンを乱射しながら敵中に飛び込んでいく。

 

だが、相手は障壁魔法を纏った魔法師の兵士。通常型のサブマシンガンは効果が薄い。

 

念動力で防御をしつつの突撃だったが、結局、高周波ブレードで敵を屠るまでに更に二機の関本を失ってしまった。先にやられていた三機と合わせれば、正門の突破だけで五機の関本を失ったことになる。これでは、とてもではないが、捕虜の救出のための迅速な進軍など無理だ。慎重に進んでいかないと、作戦を成功させる前に関本全機を失ってしまう。さすがにそれは、許容できる損害ではない。

 

念動力と高周波ブレードだけでは駄目だ。これから先のことを考えれば中距離での魔法戦もこなせなければならない。治夏は、そう強く実感した。

 

施設内の廊下に身を隠す遮蔽物は無い。かといって関本たちの念動力による防御だけではハイパワーライフルを防げない。となれば、あとは盾を作って進むしかない。いよいよの場所では呂剛虎に力技で突破してもらい、それ以外の場所は取り外した扉の上に対物障壁を重ねた盾を使って前進する。森崎にしても名倉にしても障壁魔法は得意でない。けれども、その二人でも宮芝よりは上手く使える。

 

そうして亀の歩みで前に進んでいると、そのうちに敵の抵抗が弱くなった。おそらくは達也が頑張ってくれたのだろう。

 

「結局、宮芝単独では情報部の施設一つも落とせないのか」

 

もう少しできると思っていたが、現実は厳しい。しかし、今のうちに現実を知れただけ良しとすべきだろう。本当の敵を相手に今日の体たらくを晒すよりましだ。

 

「ふみどり」

 

治夏が言いながら呪符をふわりと上に投げると、空中で鳥へと姿を変える。予め達也には一枚の呪符を渡してあり、鳥はその呪符を目掛けて飛んでいくように設定されている。

 

式神の鳥は渦巻き状の廊下に囲まれたブロックへと飛んでいく。まるで建物の中に中庭を造り、その中庭の中に監獄を建てたような構造になっている。その監獄の壁には人が通れる穴が開いている。

 

「これは達也の魔法だな。馬鹿正直に一つ一つ障害を突破してきた我らが間抜けのようではないか」

 

思わず愚痴を言ってしまうのも仕方がないことなのではないだろうか。宮芝は四十九人という陣容で挑んでいて、速度でも達也一人にも大きく引き離された上、結局は六機の関本を失ってしまった。

 

「さて、達也、捕虜たちはいたか?」

 

治夏たちの気配を感じてか外に出てきた達也に尋ねる。

 

「その前に聞きたい。捕虜たちを返還するつもりはあるか?」

 

「それはできない相談だね。情報部が行ったことは秘匿せねばならない」

 

捕虜を洗脳して戦闘を行わせたというのは、外に出て貰っては困る情報だ。それに元より邪魔な存在でもあったのだ。彼らには悪いが、今後は宮芝のために働いてもらう。

 

「詳しいことは言えないが、スターズのメンバーだけでも帰国させたい」

 

「……何か事情があるようだね。分かった、彼らの記憶を操作して日本が何をしたかの記憶を消去することを条件に認めよう」

 

「それで構わない」

 

得られる素材がスターズから漏れたメンバーであるスターダストのみというのは、戦力という意味では不満が残る。しかし、今日の功労者は間違いなく達也だ。治夏はあまり強いことは言えない。そうして治夏はスターダストと基地の警備兵を手土産に宮芝に帰還することになった。



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動乱の序章編 襲撃の後始末

四月二十三日。十文字克人は十文字邸の応接室にて、十山家当主である十山信夫の訪問を受けていた。軽い挨拶を行い、飲み物に口を付けた後、克人は切り出した。

 

「して、十山殿、本日の訪問はいかなる用向きでございますか?」

 

つかさの父である十山信夫の年齢は克人の父よりも上だ。そして、今日の話題も難しい内容になるのは決定的。克人は深夏に倣って厳しい口調で訊ねる。

 

「率直にお聞かせいただきたい。十文字家はなぜ、これほど四葉に肩入れなさるのか?」

 

同じ研究所を出自として持つ者として、似たような役割を持つ者として、これまで十文字家は十山家と協調路線を継続してきた。しかし、今回は四葉家が十山つかさを殺害することを黙認した。十山はそう考えているようだ。

 

「一つ勘違いをされているようだが、我々は四葉に与したつもりはない」

 

「では、娘のことは?」

 

「つかささんには、司波達也に関与しないよう宮芝家とともに警告を行っていた。それにも拘わらず勝手な行動に出た結果です。娘さんを亡くしたばかりの十山殿に言うのは酷かもしれないが、国家権力の後ろ盾があれば何をしても許される等という呆れた勘違いをしなければ、娘さんは命を落とすことはなかった」

 

「全ては娘の自業自得だと?」

 

十山の問いに、克人は答えを返さなかった。それくらいは自分で考えろと、十山を突き放したのだ。

 

「ならば質問を変えましょう。克人殿は随分と宮芝に肩入れをしているようですが、それはどのような理由からですか? 克人殿に限ってまさか婚約者からの色仕掛けに屈したということはないでしょう?」

 

「他家の判断にあれこれと申されるより、まずは自分たちの現状認識を改められてはいかがですか? 四葉家の次期殿と婚約者との仲睦まじさは第一高校に通っていた者ならば誰もが知っています。もしも次期殿に何かあれば、婚約者は例え国を灰にしてでも復讐を果たすでしょうし、それは逆の場合でも同じです。そもそも四葉自体が身内の復讐のためならばどのような犠牲でも払うこと、十山殿が知らぬわけはないでしょう」

 

かつて一つの国をも滅亡に追いやった壮大な復讐劇は、克人ですら聞き及んでいる。十山の年代で知らぬはずがない。

 

「十山殿は日本という国と四葉の一族との間に争いを引き起こしかねない、危険な火遊びに手を出した。申し訳ないが、いかに当家と十山家との仲とはいえ、そこまでの愚か者に手を貸すような真似はいたしかねる」

 

厳しい口調で告げると、十山は初めて俯いて唇を噛んだ。ようやく自分の娘の取った行動が考えなしであったことを理解したらしい。

 

実の所、宮芝家と十山家は、その考え方も行動も近しいところはある。ただ、宮芝家は相手が獅子であるのか兎であるのかを見極める眼を持っている。一方で十山は相手を理解する頭が欠けている。それは僅かであっても、とてつもなく大きな差だ。

 

「ちなみに、これは十山家に対してのみ行われることではない。先日の二十八家会議で四葉の次期殿を担ぎ上げようとした七草が、どのような目に遭ったかはご存知であろう?」

 

十山家は二十八家の会議に欠席している。とはいえ経過は入手しているはずだ。

 

「十文字家の考えは、これまでお伝えした通りである。さて、それを踏まえて十山殿、貴方は決断をせねばならない」

 

「決断?」

 

「十山家自体が危険な思想を持っているのか、あくまで持っていたのは十山つかさという個人であるのか、証を立てねばならない」

 

「どういうことだ?」

 

「宮芝はすでに十山家の取り潰しについても視野に入れているように見える」

 

克人が言うと、十山が息を呑んだ。

 

「十山殿、一族の存続を考えられるなら、まずは宮芝に申し開きをなさった方がよい」

 

「我々に宮芝に屈せよと仰られるのか?」

 

「矜持を守って名を惜しむなら、それも一つの道でしょう」

 

克人の言葉は、屈しないなら滅ぼされる覚悟もせよという意味だ。

 

「少しだけ考えさせてください」

 

そう言った十山の顔色は、蒼白だった。そのまま十山は俯いて部屋を出て行く。十山つかさは間違いなく愚かだった。だが、それでも十山信夫にとっては大切な娘だったのだろう。克人としても、悪し様に言うことに胸が痛まないわけではない。

 

「さて、十山の当主は帰ったようだな」

 

頃合いを見計らって克人がいる応接室の扉が開き、隣の部屋から深夏がやってくる。

 

「ああ、最後は少し気の毒だったな」

 

「それでも、これから先には十山の力が必要だ。それに、国防軍と四葉の関係が悪くなることにも不利益しかないからな」

 

それは克人も分かっている。だから、敢えて国の危機であったような言い方をしたのだ。権力者の魔法師としての側面を持つ十山家は、日本あっての十山家である、という考えは強く持っている。それゆえに国を危機に陥れるところだったという言葉に弱い。

 

「それはそうと、七草たちの方はどうなってる?」

 

「それが、面白いことになっているよ。見るか?」

 

そう言うと、深夏は自らの端末で一本の動画を再生し始めた。それは、二十八家の会議の中でも話題だけは出た歌って踊るというものだった。出演者は勿論、七草香澄と泉美の姉妹。二人は適度に可愛らしい服と、持ち前の容姿を生かして画面の中で楽しそうに歌っている。ただし、少しばかり普通と違うところがあった。

 

それは、自ら演出を行いつつ、歌って踊ると題されていることだ。そして、その意味は少し見たところで分かった。香澄と泉美は踊りの途中でCADを操作して魔法によって煌めく七色の光を作り出していた。

 

どうやら魔法による舞台演出を行うことで、軍事面とは違った魔法の使い方を示しているようだ。はっきり言って魔法力の無駄遣いという内容だが、一般受けという意味では悪くないように思われた。

 

しかし、その楽し気な歌と踊りは、唐突に終わる。魔法の制御に失敗して、派手過ぎる水の噴出で二人がずぶ濡れになってしまったのだ。二人は悲鳴を上げた後、前髪からぽたぽたと水滴を垂らしながら慌てて録画を止めていた。

 

「七草の妹なら、あの程度の魔法を失敗はしないだろう。あれは宮芝の指示か?」

 

そこまでの動画の内容を見た率直な感想を、克人は深夏に尋ねる。

 

「その通りだよ。最初から完璧な歌と踊りと演出を見せても感心されると同時に、反発も招きかねないからな。何度も失敗しつつ、試行錯誤の上で成功するのでないと、応援してやろうという気は起きないだろう?」

 

「そんな八百長みたいな真似、よく二人が了承したな」

 

「二人には何も知らせずに、装置に細工をしたからな」

 

どうやら二人にも予想外の事故だったようだ。それで、あんなに慌てた様子が撮れていたのか。てっきり演技が上手いのだと思った。

 

「それで、これが第二回目の投稿だ」

 

そう言って深夏が再生した動画は曲自体は一回目と同じものだった。二人は練習によるものか、双子ならではのなせる業か息のあった踊りを見せている。今回は水の演出も無事にクリアしてクライマックスへと近づいていく。

 

しかし、サビに入ろうかというところで、またしてもアクシデントが起きる。二人はどうやらスモークによる演出を試みたようだが、今度はこれが濃すぎたのだ。放送される画像は一面の白で、中からは咳き込むような声が聞こえてくる。ようやく中から姿を見せた香澄が涙目で撮影を打ち切り、二回目の放送も失敗に終わった。

 

「よくもまあ、こんな茶番をさせたものだな」

 

「けれど、放送としては面白いだろう?」

 

ずぶ濡れになるにしても、咳き込んむにしても、二人とも美少女なので、それなりに様になっている。いや、むしろ美少女だからこそ、面白みが増していると言えなくもない。

 

「それで、次は何をやらかしたんだ?」

 

「いや、次は普通に成功だよ」

 

そう言って深夏は、三本目の動画を前半部を飛ばして克人に見せた。その動画の中では二人は全ての演出に成功し、二人で手を叩いて喜び合っていた。これも二人が美少女であるゆえに、見栄えのよい動画になっている。

 

「しかし、七草たちなら、このくらいの魔法は難しくないだろう。どうして宮芝が細工をしたと気づかない?」

 

「それは、始めから扱いにくいCADを渡しているからだな」

 

「扱いにくいCAD?」

 

「ああ、難易度を上げるためとして、ものすごく使いにくい宮芝の倉庫に眠っていた骨董品を使わせているからな」

 

それで、二人は自分が魔法の制御に失敗したと思い込んでいたのか。宮芝は単なる動画の配信にしても、相変わらずのようだ。

 

ひとしきり成功を喜んだ二人は、次の動画の配信に向けて演出などのリクエストを受け付けると発信していた。これで双方向の交流を意識づけるつもりなのだろう。そして、今度はリクエストされた演出を成功させるために四苦八苦するのかもしれない。それは魔法がけして簡単なものではないと印象付けることにも繋がるだろう。

 

それにしても二人が楽しんで出演しているようでよかった。克人にとっては、それが何よりの安心材料だった。



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動乱の序章編 関本の課題

四月二十四日。宮芝淡路守治夏は達也を郊外の民家に呼び出し、相談をしていた。

 

同席しているのは治夏の側近三名の他、相談の関係者として早川小春。そして、ある意味では当事者である関本勲だ。

 

相談の内容は関本の強化についてだ。先の情報部の拠点を攻めたときの戦いで、量産型の関本たちは敵の防衛線を突破することができなかった。元より力不足の感はあったものの、それがはっきりとしてきた以上、対策は必要だ。

 

「というわけで、何とかならないだろうか」

 

「何とかと言われても、俺は機械の改良など専門外だぞ」

 

「それは何となくだけど、分かっている。だから、私が頼みたいのは魔法式の改良だ」

 

達也の専門に近づけたはずだが、なぜか達也は嫌そうな顔をした。

 

「なぜ、そこで嫌そうな顔をされなければならないんだ?」

 

「兵器の改良をしろと言われ、嬉しそうな顔はできないな」

 

「そうは言っても、味方があの体たらくでは君にとっても不安なのではないか?」

 

「達也様、私たちにもっと、達也様のために戦う力をください」

 

自分の分身というか、劣化コピーというかの量産型の戦いには思うところがあったのか、関本が懇願の声をあげる。しかし、自らを心の底から慕ってくれる関本に対して向ける達也の視線は、非常に醒めたものだった。

 

「味方と思わせたいなら、まず思考を何とかしてくれないか」

 

挙句、思想調整をしろと言うも同然のことを言ってきた。

 

「量産型の思考はオリジナルを元にしているからな。無理な相談だ」

 

そんなに機械男に愛を叫ばれるのは嫌なものだろうか。まあ、治夏とて機械女に言い寄られても少しも嬉しくなどないのだが。

 

「それはともかくとして大国との戦いが避けられそうにない現状、関本の強化は喫緊の課題だ。あれが使い物になるのとならないのでは、魔法師の犠牲者に大幅な差が出る。君としても、多くの魔法師が犠牲になる事態は許容できないのではないか?」

 

「まあ、俺も魔法師の被害はできる限り抑えたいとは思っている。それで具体的にどの魔法を改良したいんだ?」

 

「今の関本は近接型だ。中距離戦を行えるようにフォノンメーザーを使わせたい」

 

有効な中距離武器がないから防衛線を構築する相手に対して懐に飛び込むことができず、徒に被害を増やしてしまったのだ。

 

「フォノンメーザーはかなり高い魔法力が必要な魔法だ。もう少し使いやすい魔法がいいと思うが?」

 

「フォノンメーザーなら見た目にも魔法が使われていることが分かり易いだろう。見た目で分からない念動力による攻撃に奇襲効果を持たせられるし、何より人間との混成軍を形成したときに魔法の相克を起こしにくくなる。何よりも有効な対抗魔法が存在しないので、安定した戦いが期待できる」

 

「そうは言っても、関本の魔法力では厳しいと思うがな」

 

関本の魔法力が高ければ、もっと強度な障壁魔法を展開して接近戦に持ち込むことも可能となる。それができない程度の魔法力しかないから中距離戦の能力を高めようとするはずなのに、強い魔法を使えるようにしたいという要望が理解できないのだろう。

 

「撃てるのは二発くらいでも構わないと思っている。数発だけでも有効な攻撃ができるのなら、その間に接近戦に持ち込むことも可能となるからな」

 

達也はどうしても個の能力を主眼に置いてしまうようだが、関本の最大の利点は数を揃えられる点だ。仮に一体につき撃てるのが二発だとしても、後衛の射撃の間に他機が接近という手段も使えるし、撃ってしまった機体から前衛に回ることもできる。要は均質化しがちな関本たちに手段を与えられれば、それでよいのだ。

 

「それに何より、フォノンメーザーは見た目が派手です」

 

そう言い添えてきたのは平河小春だが、その発言は完全に逆効果ではないだろうか。

 

「魔法を選択する際に見た目は、あまり考慮すべきではないと思うが」

 

思った通り、達也も完全に懐疑的な目になっている。だが、それでも平河はめげない。

 

「高周波ブレードだけではこれからの戦いでは不十分です。関本には何としても中距離での武器が必要なんです。それが完成して初めて、関本さんは戦士に生まれ変わることができるんです」

 

ちょっと意味が分からない。戦士に生まれ変わるって何?

 

「ゆくゆくは中距離支援用の関本キャノンも開発しなければなりません。両肩に背負った重砲型のCADからフォノンメーザーを放つ関本キャノン。彼らが数十体、肩を並べて一斉射撃を行うんです。それはもう最高の光景ではありませんか。早く実現……あ、でもその前に射撃指揮システムを開発しなければなりませんね!」

 

え、何でこんなに平河はテンション高いの?

 

「まあ、一応はやってみるが、期待外れでも文句は言うなよ」

 

そう言った達也は、そっと平河から視線を逸らしていた。あ、これ以上、関わり合いになりたくないのね。分かります。

 

「ま、まあ余談はさておき、新ソ連、USNA共に何やら不穏な空気が漂っている気がしてならない。我々もできる限り戦力を高めておかねば、来たるべき大きな戦いを生き延びることはできないだろう」

 

「せっかくのところ悪いが、そのような国と国との大きな戦いとなれば四葉は関りを持たないと思うぞ」

 

「ちょっと、それは冷たいんじゃないのか」

 

「一民間人としての、当然の判断だ」

 

達也は軍人でもあるはずだが、達也自身も周囲もお手伝いくらいにしか考えていない様子が見えたので、これは言っても無駄だろう。純粋な民間人でありながら情勢が不穏とみれば真っ先に駆けつける一条を少しは見習ってもらいたいものだ。

 

「君の気持ちは、ひとまず分かった。それならそれで四葉が表に出なくともよくなるように、少しでも助言をくれないか」

 

「そうだな……助言と言えるものではないかもしれないが、量産機に付けている隠し腕の機能は本当にいるのか?」

 

隠し腕とは関本の胴体に内蔵されている二本の腕のことだろう。それは分かるが、有効性を問われても、治夏はあまり正確なことは言えない。なので平河を見て発言を促す。

 

「いるいらないの問題ではありません。格好良さの問題なのです」

 

「ちょっと待て! 本当にそんなことのために付けた機能なのか?」

 

「そのためだけではありません。少しは戦闘力も上がります」

 

「少しか、少しだけなのか!」

 

「その少しの差が勝敗を分けることも、ないとは言えません」

 

うん、だいたい分かった。概ね無駄な機能なのだな。

 

「あの隠し腕はどのくらい役に立つのか、一方どれくらいコストがかかっているのか。正直に言え、平河」

 

「隠し腕が役に立つ場面は接近戦ですが、現状は接近戦に持ち込むことが難しいので、役に立つとしたら中距離戦能力を向上させた後になると思います。一方のコストですが、二割ほどは割高になっているかと……」

 

「なんで、そんな無駄な機能を付けた!」

 

ほとんど使われない装備のために二割のコスト増など馬鹿げている。それなら、あと二割、製造量を増やした方がいいに決まっている。

 

「いいか、平河。隠し腕の機能はすぐに廃止だ」

 

「ううっ、分かりました。第二世代関本からは隠し腕の機能を廃止します」

 

そう言う平河は非常に無念そうだ。それにしても、いつから平河はこんなふうになってしまったのだろうか。謎だ。

 

「ぱっと見た限りでは、それくらいだ。だが、戦闘力の前に、やはり唐突に俺の名を叫ぶことがあるのは……」

 

「そればかりは、どうしようもありません」

 

きっぱりと言った平河に達也が肩を落とした。まあ、こればかりはオリジナルの強い希望でもあるのでやむを得ない。

 

ともかく、こうして第二世代関本の開発は急ピッチで進められることになった。




ところで、第二世代関本って何?


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動乱の序章編 帰国後の報告

四月二十六日、USNA軍統合参謀本部直属魔法師部隊『スターズ』の惑星級魔法師であるシルヴィア・マーキュリー准尉は無事にスターズの本部に帰還した。

 

「シルヴィ、よく無事で」

 

本部でシルヴィアを出迎えたのはスターズの総隊長であるリーナだった。

 

「いえ……」

 

無事に帰国できたことは嬉しくないはずがない。しかし、シルヴィアたちは日本で多くの兵を失ってしまった。そして、今も宮芝に連れていかれて戻ってきていない者も多い。その多くは遠くない未来の死が約束されたスターダストとはいえ、それでも自分たちだけでの帰国を喜ぶ気分にはなれなかった。

 

「リーナの方は無事に任務を終えられたようですね」

 

今回のシルヴィアの任務はスターズに下されたものでなく、情報部が作戦に適していると判断した魔法師に個別に下したものだ。シルヴィアが日本に向かっている間、本隊は別に旧メキシコの暴動の鎮圧に向かっていた。

 

「ええ、あまり気分のよい結果にはならなかったけどね」

 

初動に若干の遅れが出たスターズが現地に到着したときには、すでに現地で包囲されていた魔法師部隊、ウィズガードと暴徒との最初の衝突の後だったと聞いている。けれども、リーナたちは暴徒とウィズガードの双方に死者が出ないように、実に二週間近くを費やして暴動を鎮圧させた。

 

「ねえ、シルヴィ、今回の任務はタツヤの捕縛だったと聞いたけど、本当なの?」

 

「シバタツヤの捕縛というのは正確ではありません。作戦はあくまで『グレート・ボム』の戦略級魔法師確保作戦のための事前の情報収集でした」

 

シルヴィアはリーナの日本潜入の際に同行した魔法師の一人だ。それゆえ日本の事情に通じていると評価されたのだろう。

 

「けれど、私は何もできませんでした」

 

まずは日本に潜入して早々に、秘密の工作拠点として建設された工場を日本の魔法師部隊に急襲された。シルヴィアは直接戦闘に長けていないながら『音声伝達』、『遠隔聴』などの得意魔法を駆使して管制で味方を支援した。けれども、USNAが派遣していたのは後方支援要員が多かったのに対して、日本軍は近接対人戦闘に優れた奇襲部隊だった。

 

何よりの脅威はハイパワーライフルを完全に受け止める驚異の防御力だ。結果、日本の魔法師の想像以上の練度によりシルヴィアたちは完敗したのだ。

 

「リーナはかねて言ってましたね。日本の魔法師の戦闘能力は異常だと」

 

「まあ、ミユキとタツヤに関しては、あの四葉の魔法師だったみたいだから戦闘能力が高いのは当然かもしれない。けれど、それ以外にもミヤシバの魔法師も実戦では非常に手強い相手だし、それ以外も恒星級の魔法師がゴロゴロいました」

 

恒星級とは、一等星級と二等星級の魔法師のことだ。シルヴィアは恒星級の下の星座級の更に下の惑星級にすぎない。それでは日本の魔法師相手に歯が立たなかったのも道理だ。

 

「ところで、シルヴィを助けたのがタツヤだというのは、本当なの?」

 

「ええ」

 

「なぜタツヤがシルヴィのことを?」

 

「それは分かりませんが、タツヤは私のことを認識していませんでした。おそらく上が手を回してくれたのだと思いますが……」

 

なぜタツヤが自国の組織と敵対してまでシルヴィアのことを助けてくれたのかは全く分からない。更に言うならミヤシバまでが手を貸していたのは、もっと不可解だ。

 

ミヤシバについては、スターズの副長であったベンジャミン・カノープス殺害の犯人として警戒するよう伝えられていた。カノープスが殺害されたのは、テロを起こした犯人を自分たちの手で始末するために日本の魔法師の活動を妨害を試みたためと言われている。或いは平時は違うのかもしれないが、その可能性は低いだろう。

 

ミヤシバはUSNA統合参謀本部情報部内部監察第一副局長であるバランス大佐の暗殺にも関与していると言われているのだ。はっきり言って、今回は助けられる結果になったとはいえ、ミヤシバに対する印象は今でも悪い。

 

「今後、上層部はどのように動くと思いますか?」

 

今回の作戦の失敗で痛感した。生半可は戦力では日本には通用しない。

 

「どのような取引があったのかは分からないけど、シルヴィたちを解放したのだから、当面の敵対は避けられると思う。それにしばらくは我が国の工作員が日本に潜入することは難しいでしょうから」

 

日本によって連れ去られたスターダストの一部が、なぜか街中で民間人を殺害するという暴挙に出た。日本の発表では彼らの身体から薬物が検出されたという。そして、それに対して大使館に厳重な抗議がされたと聞いている。

 

彼らは紛れもなくUSNAの兵士たちだ。事実としては薬物は日本によって投与されたのであろうが、それを証明することは難しい。正確に言えば、日本に極秘で潜入していたことを明らかにせずに、証明することが難しい。

 

そして、極秘に潜入したことを明らかにすることは、今のUSNAにはできない。箱根で引き起こされたテロの首謀者はUSNAの国民だったためだ。あのテロの首謀者は、間違いなく国家の思惑とは関係なく勝手に日本に密入国した。けれど、今回の潜入を明らかにしてしまえば、あれもUSNAの工作だったとの疑いを招くことは避けられない。

 

「しばらくは手を引くとして、その後は、どうなるのでしょうか?」

 

「シンクロライナー・フュージョンの使用でペンタゴンは日本の秘匿された戦略級魔法師に対する警戒感を強めているようです。このままとはならないでしょう」

 

「それが、果たして国益に適う行為なのでしょうか?」

 

四葉はかつて私怨で大漢に攻撃を仕掛け、崩壊にまで追い込んだ。直接的に滅亡させたのは大亜連合とはいえ、あれは四葉の攻撃での疲弊が原因だった。四葉は損得勘定ではなく、一族の仇という極めて感情的な理由で執拗な攻撃を続けたという。

 

四葉達也を害することは戦略級魔法への対策としては有効かもしれない。けれど、それによって激しい報復戦に巻き込まれては意味がないのではないか。日本での戦いを経験してシルヴィアはそう考え始めていた。

 

「私もその点は憂慮しています」

 

シルヴィアの思いは口にせずとも伝わったのだろう。リーナが深刻な顔で頷く。

 

「四葉の魔法師にミヤシバが手を貸したとき、果たしてどれくらいの脅威度になるかは私も全く想像ができません」

 

戦闘能力も決して低くはないものの、ミヤシバの本分は隠密術にあるという。戦闘能力の面でも隊内屈指のカノープス大佐が友軍に何の兆候も知らせることなく消息を絶ったのも、その隠密術による奇襲ではないかと見られている。そのミヤシバが高い戦闘能力を持つ四葉と手を結んだら、その脅威度は跳ね上がる。

 

USNAとかつての大漢では実力が全く異なる。仮に四葉がミヤシバの力も借りて全力で攻撃を仕掛けてきたとしても、大漢のようにはならないだろう。けれど、少ない被害で収められるとも思えない。

 

「けれど、おそらくそう遠くない未来に、USNAが日本と戦火を交えることは避けられないような気がします」

 

「リーナには、何かそうなると考えている根拠があるのですか?」

 

「それは……」

 

そう言ったリーナは逡巡する様子を見せてから、声を潜めてシルヴィアに伝えてくる。

 

「まだ誰にも言ってないのですけど、私が出動した旧メキシコでの暴動には、ミヤシバが関わっている気がしてならないのです」

 

「それは本当ですか?」

 

「本当も何も、気がしているというだけだから明確な証拠は何もないのよ。けれど、獲物をじわじわと弱らせていくような、そんな狙いをあの暴動からは感じ取りました」

 

リーナの表情は確信を持っているわけではないようだ。けれど、無視できる違和感でもなかったのだろう。

 

あるいは、すでに日本との戦いは水面下で始まっているのかもしれない。シルヴィアはそんな思いを抱いた。



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戦雲編
戦雲編 大亜連合の戦略級魔法師


五月二日の放課後。

 

宮芝淡路守治夏は帰宅途中、大亜連合の戦略級魔法『霹靂塔』がアフリカで使用されたというニュースを受け取った。使用されたのはギニア湾岸のニジェール・デルタ地域。今は大亜連合が実質的に支配しているが、ここ数ヶ月はフランスの支援を受けた武装勢力に支配を脅かされていると言われていた場所だ。

 

先月のブラジル軍のシンクロライナー・フュージョンの使用では、世界中からブラジルに怒涛の非難が寄せられた。一ヶ月を過ぎた今でも、その勢いは衰えていない。

 

それにも拘わらず、大亜連合は戦略級魔法の使用を隠そうとしていない。逆に、自分から『霹靂塔』の使用を公表している。戦果を誇るかのような今回の行動は、フランスの支援を牽制するのが主目的だろう。そして副次的な目的が新たな戦略級魔法師のお披露目を行うことで、『灼熱のハロウィン』で戦略級魔法師、劉雲徳が戦死していたことの衝撃を和らげることだろうか。

 

「ともかく私は情報収集のために一度、学校に戻る」

 

大亜連合はこの間までの敵国だ。それなりに多くの諜報員を投入している。しかし、彼らの主目的は日本への攻撃の有無。アフリカには申し訳程度の人数しか送っていない。宮芝の本拠に戻ったところで得られる情報は限られる。それよりも四葉の見解を聞いておく方が有意義と治夏は判断した。

 

側近たちを付近で待たせた上で先に達也と連絡を取り、合流してからアイネブリーゼへと向かう。合流を優先したのは、アイネブリーゼにはエリカがいると思われたためだ。治夏はまだ、エリカと同じ空間には居辛い。

 

「でも、それって周辺諸国への挑発にもなるよね」

 

大亜連合が戦略級魔法の使用を自ら公表した理由について、達也が治夏と同様の推測をしたのを聞いたエリカが言う。

 

「そんなことは承知の上だろうね。抑止力というのは要するに、他国に対する威嚇だから」

 

エリカの質問に吉田が答える。

 

「新しい十三使徒は十四歳か。俺たちより年下とはなぁ」

 

レオが言った十三使徒というのは、国家により戦略級魔法に適性を認められ、対外的に公表された魔法師が十三名であることから付けられた呼び名だ。そして、新しい戦略級魔法師の年齢が判明したのは、大亜連合が公式に発表を行ったためだ。

 

それにしても、新しい戦略級魔法師『劉麗蕾』が十四歳というのは治夏も驚いた。まさかその年齢で戦略級魔法を会得できる者がいるなど思ってもみなかった。

 

「年齢も驚いたけど、あんなちっちゃな女の子が戦略級魔法師なんて……」

 

「本当に。国によって事情は違うとはいえ、何だかやりきれないですよね……」

 

ほのか、続いて美月が外見の話をしているのは、大亜連合がまさかの本人の映像の公表まで行ったためだ。敵の標的とされることを防ぐため、なるべく秘した方がよい情報を公開した狙いは何か。答えは出ないにせよ、治夏は可能性を考察する。

 

「あの少女が本当に霹靂塔の術者だとするならば」

 

達也の前置きに、深雪と雫が「あっ……」という表情を見せた。それは劉麗蕾を名乗る少女が影武者である可能性を失念していたものだろう。一方の治夏は、その可能性までは考えていた。だが、それでも映像を公表した理由が分からないことには変わりはない。たとえ影武者であっても、狙われて殺害されれば未だ幼さの残る少女にそのような役割を押し付けたということで、大亜連合にとっては傷にしかならないためだ。

 

「大亜連合は彼女を士気高揚のためのシンボルにするつもりではないかな」

 

「こんな幼気な少女だけに戦わせておくわけにはいかない、ということかな?」

 

「まあ、そうだな」

 

達也の推測は的外れというわけではないだろう。だが、今の大亜連合は斯様な神輿を担がねばならないほど困窮をしていただろうか。

 

「劉雲徳の戦死を大亜連合が認めたのも、『祖父の後を継いだ健気な少女』のイメージを補強する為かな?」

 

「本当に孫なのかどうかは分からないけどね」

 

吉田のセリフに、エリカが人の悪い笑みを浮かべてツッコむ。

 

「話は変わるけど、死者八百人っていうのは本当なのかね?」

 

激戦地で民間人が少ないにしても、死者が少なすぎるとレオは考えたようだ。

 

「シンクロライナー・フュージョンによる死傷者よりは少ないだろう。霹靂塔は直接的な殺傷の為の魔法というより、工場やインフラを破壊する為の魔法だからな」

 

「霹靂塔って、雷を落とす魔法じゃないんですか?」

 

意味が分からないという顔で、美月が質問する。その質問に対して達也が解説をしてくれたのだが、治夏ではさっぱり理解ができなかった。電子雪崩だの、電気抵抗を断続的に不均等に引き下げるだの、ただの高校生に理解できると思わないでほしい。

 

「……つまり、雷を次々と落とす魔法なんですね?」

 

魔工技科だから理論系も得意かと思ったが、意外と美月も難しい話は苦手のようだ。

 

「霹靂塔の特徴は、単発の威力よりも手数を重視しているところにある」

 

そう言って吉田が続けた話によると、一度の魔法でそれなりの威力の雷を広い範囲に降らせる霹靂塔は、ある程度しっかりした落雷対策をしておけば致命傷にはならないらしい。けれど、無差別に雷を降らせる魔法というのは隠蔽術に長けた宮芝の術士には相性が悪い。何か対抗魔法の開発も必要になるかもしれない。

 

そして、それよりも拙いのが最初は使用者にも予想外であったインフラに大きな打撃を与える効果だ。広い範囲で電子機器に深刻なダメージを発生させる効果というのは馬鹿にはできないものだ。

 

「けどよ、ずっと陣取り合戦が続いていた紛争地帯で、高度に技術化した都市の建設なんてできないだろ? 霹靂塔でダメージを受けるような機械は資源採掘設備くらいのもんだと思うんだけど?」

 

「詳しいことは分からないけど、そうだろうね」

 

レオの疑問に吉田は答えを返すのではなく、頷いていた。

 

「その採掘施設を今抑えているのは大亜連合だろ? だったら、被害を受けるのは大亜連合じゃねえか。自分たちの損になるような魔法を何で使ったんだ?」

 

吉田が助けを求めるような視線を達也に向けた。

 

「ニジェール・デルタ地域で最近、大亜連合が劣勢に陥っているのは、フランスが提供した無人兵器の所為だと言われている」

 

「採掘施設にダメージを与えても、無人兵器の無力化を優先したんだね」

 

大亜連合が使った今回の無人兵器対策は、宮芝にも無視ができないものだ。以前の宮芝ならば、昔ながらの呪符での戦いであるから、影響は最小限だっただろう。けれど、今の宮芝の主力は関本たちだ。パラサイトを定着させているとはいえ、機械にすぎない関本たちは霹靂塔の被害をおそらく防ぎきれない。

 

「自国の勢力圏内で霹靂塔を使った動機は無人兵器対策だろう。だがあの魔法は言うまでもなく、殺傷能力を有する。十分な被雷装備を持たない軽装の兵士や、平服の民間人ならば簡単に命を奪う」

 

達也の言葉は、分かっていたことにせよ苦いものだった。防御が弱い宮芝の術士たちに対しては、霹靂塔は十分な攻撃力を有するものとなるだろう。

 

アフリカ方面が厳しいのなら、大亜連合は当面は日本に手を出してこないはず。けれど、発表の通りなら劉麗蕾はまだ十四歳。この後、五十年以上に渡って日本の脅威となるということだ。対策は早めに取り掛からねばならない。

 

こうなってみると、昔ながらの戦いには影響が少ないからと劉雲徳が存命の時代に対抗魔法の構築に励まなかったことが悔やまれる。あの頃は、まだ関本も人間の範囲内であったために、霹靂塔対策は後回しになっていたのだ。

 

「なあ、達也。対電気対策で良い方法はないか?」

 

「明らかに軍事目的の質問に何度もは答えないぞ」

 

頼みの綱である達也の知恵も得られず、治夏は余計に頭を悩ますことになった。



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戦雲編 中止となった九校戦

五月十日の放課後。第一高校はざわめきの中にあった。ざわめきの中心にいるのは、この場にはいない司波達也だ。その席を宮芝淡路守治夏はそっと見つめた。

 

ざわめきの中心とはいえ、今回は達也が何かやらかしたわけではない。ざわめきの理由は、今年度の九校戦が中止されたことだからだ。とはいえ、完全に無関係ともいえない。今回の九校戦の中止には少なからず達也が関わっているからだ。

 

発端は大亜連合軍の戦略級魔法により被害を受けたニジェール・デルタ解放軍による大亜連合の基地への攻撃だ。その攻撃でニジェール・デルタ解放軍の一員であるギニア湾西海岸出身の少女魔法師であるエフィア・メンサーがアクティブ・エアー・マインという魔法で大亜連合に大きな被害を出したのだ。

 

アクティブ・エアー・マインは二〇九五年の九校戦において達也が開発し、雫が使用した魔法だ。それが、多くの人を殺傷するための手段として用いられた。更に拙いことに、その魔法の領域に捕らわれた者は、全身の骨を砕かれて血袋となって絶命するという、非常に無残な死体を晒すことになった。九校戦は、図らずも非常に殺傷能力の高い魔法の初出の場となったのだ。さすがに、そのまま開催はできない。それが九校戦中止の理由だ。

 

「さて、達也たちの様子を見ておいた方がいいだろうな」

 

そう呟くと、治夏は生徒会室に向かうために教室を出る。九校戦の中止の知らせは急速に広がっているらしく、あちこちで小さな輪が出来上がっていた。

 

多くの生徒は九校戦の中止を残念がっていたが、その責任を達也に求める者は多くない。第一高校の生徒は九校戦優勝や、恒星炉実験の評価など、何だかんだで達也の功績の恩恵を受けている者が多いからだ。加えて言うなら、四葉に責任があるなどと叫ぶことは蛮勇であると理解していることもあるかもしれない。いずれにしても、校内がそれほど揺れていないということはよいことだ。

 

「やあ、達也、深雪、気落ちしては……」

 

言いながら入った室内は、極寒の世界だった。

 

「こんなの、酷い言い掛かりです! 断じて、お兄様に責任などありません!」

 

激昂したような深雪の叫び声から、今回の犯人が深雪だと分かった。それにしても、怒りで魔法の制御を忘れると氷結地獄を作り出すのは、何とかならないのだろうか。

 

「深雪、落ち着け」

 

言いながら、達也が左手の人差し指と中指を揃えて伸ばし、右から左へ、軽く振る。それだけで室内が元に戻った。

 

「……すみません。達也様」

 

深雪もようやく頭が冷えたのか、憑き物が落ちたように、落ち着きを取り戻した。少なくとも学校で氷漬けにされて殺されるという最悪の事態は回避されたようだ。

 

「ですが、達也様には何の責任もありません。九校戦が中止になったのは大会委員会が無責任だからです。現にここ数日、九校戦関係で非難を集めていたのは、昨年の種目変更についてではありませんか」

 

確かに、アクティブ・エアー・マインの件で騒がれたのは最初だけで、現在の論調は軍事色が強い競技ばかりとなった昨年の種目変更についてだ。

 

「九校戦が中止になったのは、大会委員会が無責任だからではない。むしろ、俺に配慮してのことだ。そうだろう、和泉」

 

「……この話は、二人だけにしたい。人払いを頼めるか?」

 

達也に話を向けられて、治夏は生徒会室にいる、ほのか、泉美、桜井水波、三矢詩奈を見回しながら言う。

 

「悪いけど、お願いできるかしら」

 

「深雪先輩がそう仰られるなら……」

 

泉美としては一緒に聞きたいという思いが強いのだろう。だが、世の中には知らない方がいいことというのは往々にしてあるものだ。

 

「さて、では話を始めようか。まず、九校戦を中止にした理由についてだが、これは達也の言った通り達也を守るためだ」

 

「お兄様を守ると言っても、特に他校の三年生には、今回の九校戦の中止はお兄様のせいだと言い出す方がでてくるのではないですか?」

 

「この際、魔法師は放置していい。今は一般社会からなるべく姿を隠すべきだ。魔法師からの反発など、四葉にとっては重要な問題ではないだろう?」

 

達也の二十八家会議での発言を考えれば、少なくとも達也はそう考えているはず。口に出さなかった言葉は深雪にも伝わったのか、それ以上の反論はなかった。

 

「それにしても、和泉が魔法大学に手を回してくれたんだろう。おかげで助かった」

 

「君の心を安んじることに少しでも寄与できたのなら幸いだよ」

 

達也が言っているのは、アクティブ・エアー・マインが戦場で使用されたと報道されてから時を置かずに行われた会見のことだ。達也には必ず、非人道的魔法を開発した者としての道義的責任が問われる。それを完全に防ぐ手段はいくら治夏でも有してない。けれど、できることはある。

 

アクティブ・エアー・マインは魔法大学が編纂する魔法の百科事典『魔法大全』に新種魔法として登録されている。魔法大学に取材が入るのは想定できることだった。ゆえに治夏は先手を打ったのだ。

 

「それにしても、アクティブ・エアー・マインを防御魔法と呼ぶとは、随分な強弁をしたものだな」

 

「完全に誤りではないだろう。実際、アクティブ・エアー・マインが優秀なのは発動速度だ。その優位点を生かせば防御に使えるはずだ」

 

魔法大学に行わせた対策。それは無断でアクティブ・エアー・マインの術式を改竄して兵器に転用したと、ニジェール・デルタ解放軍に対して非難する声明を出すことだった。高校生が防御魔法として開発したアクティブ・エアー・マインを、人を傷つけるために用いた。それが非難の内容だ。

 

治夏は事前に達也から、基本的に普通の魔法師の使うアクティブ・エアー・マインには、報道されている程の威力はないことを聞いていた。けれど、開発者である達也はその発言と同時に、アクティブ・エアー・マイン自体には威力の上限はないとも言っていた。発動の規模とスピードにトレード・オフの関係はあるが、アクティブ・エアー・マインは魔法師次第では威力は幾らでも上がるらしい。けれど、それは大した問題ではない。

 

重要なのは普通の魔法師には報道の威力は出せないということだ。人によっては優れた術者が使えば強力な魔法となるという時点で危険な魔法であると断ずる者もいよう。けれども、治夏は普通にスピードを追及すれば、それほど大きな威力は出せないという要素を重要視したのだ。

 

「それでも、あれはアクティブ・エアー・マインではないというのはどうなんだ?」

 

声明の発表の場では、魔法科高校生が全国魔法科高校親善魔法競技大会用に開発した魔法で、百人以上の死者が出たことを問題とする発言も出た。けれど、魔法大学側は使われた魔法は開発されたままのアクティブ・エアー・マインではないと言い切ったのだ。

 

「魔法に批判的な者ほど魔法に詳しくないものだ。魔法大学が言っていることが正しいのかどうかなど、判断ができまい」

 

よしんば嘘であると判断できたとして、術式の改変が行われているのか否かの証拠は双方ともに出すことはできないのだ。

 

ちなみに他にもアクティブ・エアー・マインの和名、能動空中機雷の「機雷」に兵器としての使用の意図を勘繰った者もいた。が、それに対しては、私のスパイクは大砲と呼称されていましたが、私の右腕は兵器でしょうかという冗談で煙に巻いた。その上で機雷という名称は範囲に侵入した対象を迎撃するという特徴から付けられたのでしょう、という推測を話すことで受け流していた。

 

現代の魔法は元々、兵器として開発されてきたこと。魔法大全に収録された魔法は大体において軍事目的に転用可能であり、アクティブ・エアー・マインとて例外ではないことは意図的に伝えなかった。

 

一時しのぎの誤った嘘は、いずれ魔法大学の非難に繋がるだろう。けれど、魔法大学への非難ならば達也が責めを負う必要はない。申し訳ないが、魔法大学には後で埋め合わせはするということで我慢してもらうつもりだ。そうまでした今回の一件は、何よりも四葉と達也との関係を重視していると宮芝からのメッセージでもある。

 

「何にしても助かった。今回は素直に礼を言わせてもらう」

 

そう言って達也は深々と治夏に頭を下げてきた。



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戦雲編 トーラス・シルバー

五月十二日日曜日、朝一番で報道されたニュースを宮芝淡路守治夏は忌々しく見つめていた。ニュースの内容は、ロサンゼルスで発表された、国際プロジェクトに関するもの。

 

発表者の名はエドワード・クラーク。USNA国家科学局に所属している政府お抱えの技術者だ。その声明は世界各国に協力を呼びかけるという性質を持っていた。

 

国際プロジェクトの名称は『ディオーネー計画』。それは魔法技術を用いて、木星圏の資源で金星をテラフォーミングしようという夢物語だった。

 

エドワード・クラークが『ディオーネー計画』の推進に必要な人材として、自分以外に九人の名を上げた。そこに含まれていたのは、科学者ばかりではなかった。世界の二大魔法工学メーカーのトップ。魔法学の権威としても有名な国家公認戦略級魔法師。そして、最後に名前が告げられなかった十人目が、治夏を苛立たせた原因だ。

 

『もう一人、是非プロジェクトに参加して欲しい技術者がいます。居住国の法律ではまだ未成年ですので実名は申し上げられませんが、「トーラス・シルバー」の名で活動している日本の高校生です』

 

エドワード・クラークはそんなこと言ってくれたのだ。

 

「日本の高校生で優れた技術者……そんなもの、一人しか思い浮かばないな」

 

溜息を吐きつつ早めの出立の準備を進める。今日ばかりは学校に着く前に達也と話をしておく必要がある。朝から邪魔をすることを詫びつつ、達也に訪問することを伝えた。

 

「それで、君がトーラス・シルバーで間違いないな」

 

司波邸を訪れ、室内に通されて腰を落ち着けると、開口一番、治夏は達也に尋ねた。

 

「ああ、間違いない」

 

「はぁ、全く君は、幾つ名前を持っているのだ。よくもまあ、それだけ幅広く手を広げられたものだな」

 

四葉家の当主の息子をやりつつ、国防軍にも特尉として参加、魔法師としても技術者としても超一流だなどと、どこの完璧超人だ。まあ、名前だけなら治夏も改名を繰り返しているという意味では人のことは言えないが。

 

「それで君は、あの計画に対してどう思う?」

 

「まず言っておくが、俺にエドワード・クラークの誘いに応じるという選択肢は無い。たとえ『ディオーネー計画』とやらが魔法師にとって有益な構想であろうと、USNAの為に働くことはできない」

 

「その答えを聞いて安心したよ。此度のエドワード・クラークの計画がUSNAの意向によらぬものであるはずがないからな。大方、君の拉致に失敗したので、今度は堂々と外に連れ出すことを企んでいるのだろう」

 

「和泉はディオーネー計画を全く評価していないようだな」

 

「当然だろう。そんなことに労力を注ぐくらいなら、地球を浄化する方がよほど有益だ」

 

何で多大な労力と多くの魔法師の力を注いで、金星人の住処を綺麗にしてやらねばならないのか。全く意味が分からない。

 

「和泉は計画自体に反対のようだが、俺はプロジェクト自体は人類にとって意義あるものだと思っているぞ」

 

「本当に実現ができるなら、意義もあるだろう。だが、あんなものは所詮、君を誘い出すための撒き餌にすぎない。どんなときでも自国優先の奴らの頭に人類全体のために力を注ごうなんて気があるものか」

 

今のUSNAの中枢には、人の国にテロを持ち込んででも自分たちは利益を得ようと考える薄汚い者が巣くっている。そんなところに有益な人材を出すなど愚の骨頂だ。

 

「あるいは和泉の言う通りなのかもしれない。けれど、USNAのプロジェクトへの本気度は計画をよく見ていけば分かるものだと思う。ひとまず計画の詳細について読ませてくれないか?」

 

「時間の無駄だとは思うが、君のしたいことを止める権利は私にはない。私はあちらでお茶でもいただいておくから、まずは気のすむまで読めばいい」

 

そう言って治夏は達也の前を離れ、桜井水波に案内されたテーブルに移動する。

 

「宮芝様、どうぞ」

 

「ありがとう、桜井」

 

礼を言って出された紅茶に口を付ける。香り高い紅茶を見れば、桜井水波が魔法技能のみならず使用人としても高い技能を持っていることが分かる。達也にしてもそうだが、四葉は多才な者が多いようで、羨ましい限りだ。

 

「やはり、これは……」

 

そう呟いた達也の眉間には皺が寄っている。

 

「何か分かったのかい?」

 

「もしかしたら俺の考えすぎかもしれないが……このプロジェクトは人々の脅威となるような魔法師を、地球から追い出すことを目的としているように思われる」

 

「宇宙に……追いやるということですか?」

 

深雪の声からは、危機感が窺われない。言葉が実感を伴って理解できていないようだ。

 

「もちろん、表向きは宇宙開発だ。だが、このプロジェクトに携わった魔法師は、長期間地球に帰還できない。戻ってきても、体調が戻り次第すぐにまた、旅立つことになるだろう」

 

「なるほど。ところで達也のところに、それなりに年齢のいった極めて優秀な技術者はいるかな?」

 

「唐突な問いだな。何をするつもりだ?」

 

達也は警戒心を露わにして質問してくる。治夏はずっと達也の味方をしてきたはずだが、どうしてこのような反応なのだろうか。

 

「決まっているだろう。君の身替わりだよ。そうだな……トーラス・シルバーというのは四葉の魔法技術所の責任者が名乗る通名で、君は当主の息子として迎えられるに当たり、今年の始めに襲名したばかり。今の所は目立った実績はないから、ディオーネー計画には先代のトーラス・シルバーが参加する。こんなところでどうだ?」

 

「トーラス・シルバーであることは認めつつ、多くは他の者の手柄にするのか」

 

「高校生が大きな実績を上げたというよりは、当主の息子として名目上の責任者に就任しているだけ、という方がよほど現実味があるだろう?」

 

「だから、それなりの年齢の者という指名をしたのか」

 

「年齢は重要だろう?」

 

若くとも優秀な技術者などいくらでもいる。特に魔法学においては、その傾向が強いようにも感じる。けれども、一般社会においては若輩者よりも一定の年齢の者の方が権威としては認められやすい。治夏たちが相手にするのはUSNAではない。あくまで一般社会だ。

 

「それで極めて優秀な技術者というのは、そのまま計画に参加させるからか?」

 

「そういうことだ。エドワード・クラークの質問に満足に答えられない者を出しては、本当にトーラス・シルバーなのかという疑いを招くだろう。だから、今回は出し惜しみせずに大駒を切ることだ」

 

達也が差し出した身代わりが偽物であるという証明はUSNAにもできないはずだ。水掛け論となったときには、より本当らしいことを言っている方が勝つ。

 

「けれど、それだけだと、また何か手を打ってきそうだな。達也、ちょうどいい技術者が見つかったら、その者の足を切ってしまえ」

 

「何を言っているんだ!?」

 

「そうすれば、歩行が不自由なトーラス・シルバーは遠隔地から参加という手を取りやすくなるのではないか?」

 

「優秀な技術者は、なるべく外には出したくない、か。その為だけに足を切るとか、人でなしにも程があるな」

 

「えっ、たったそれだけでか?」

 

驚きに目を見張ってしまった治夏に対して、達也もまた驚きの目を向けてくる。

 

「たったそれだけ、ということは、もっとろくでもない計画があるのか?」

 

「エドワード・クラークとの対談に持ち込めるようなら、偽のトーラス・シルバーには自爆してもらおうと思っていた」

 

「そんなことをすれば、日本が非難されるぞ!」

 

達也が目をむいて反対してきたが、その程度を考えてないはずがないだろう。

 

「無論、トーラス・シルバーが自爆したなどと公表するつもりはない。爆発はUSNAの人間主義者たちによるもので、トーラス・シルバーは不幸にも巻き込まれただけだ。素材はこの間、仕入れられたしな」

 

房総半島の収容所から連れ出したUSNAの兵士たちは、大事に保管してある。それらにも同時に自爆してもらうつもりだ。

 

「足の切断は却下だ。けれど、身代わりは検討する必要があるだろうな」

 

「そうかい。その点は任せるが、身代わりはくれぐれも出し惜しみするなよ」

 

達也に念を押して、治夏は司波家を辞して学校に向かった。



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戦雲編 ディオーネー計画への対応

その日、司波達也は深雪と水波を連れて友人たちより一足早く下校していた。すでに達也はUSNA国家科学局からアメリカ大使館を通じた連絡で、第一高校の校長である百山や教頭である八百坂たちに自分がトーラス・シルバーであることを知られている。それから達也は登校はしても図書館に籠ったままという日々を過ごしていた。

 

現状は達也をしても不愉快な日々だ。そして、帰宅後に自動録画してあったニュースを見たことで、更にそれは決定的になった。

 

ニュースはモスクワからの中継録画だった。

 

画面に映っていたのは新ソ連アカデミーの幹部と、国家公認戦略級魔法師『十三使徒』の一人である、イーゴリ・アンドレイビッチ・ベゾブラゾフその人だった。

 

ニュースはベゾブラゾフに対するインタビュー画面に移っている。ベゾブラゾフが表明したのは、アメリカの「ディオーネー計画」に対する参加の意志であった。

 

ベゾブラゾフは世界総人口の限界に怯える人類同士の破滅的な対立を回避するためとしてディオーネー計画の意義を讃えた。そして、戦略級魔法魔法師である自分が長期間、国を離れることによる国防上の懸念があっても、平和を愛する私たちの政府は全面的に協力を約束してくれたと語る。

 

その上で、既に計画参加を表明している者たちだけでなく、トーラス・シルバーを名乗る日本の少年にも是非このプロジェクトに参加してもらいたいと言ってきた。そして、共に力を合わせ、人類の未来の為、あらゆる困難を克服していきたいという、なんとも胡散臭い結びでインタビューを終えていた。

 

達也がニュース映像を消す。ほぼ同時に、来客を知らせる音が家の中に響いた。確認のために席を立った水波が、少しばかり困惑の色を浮かべて静かに達也に振り返った。

 

「あの……宮芝様です」

 

「どうやら、このニュースを知っていたようだな。通してくれ」

 

和泉は授業中でも平気で部下と情報をやり取りする。それで先に情報を得た上で、家の前に先回りでもしていて、達也たちがニュースを知るくらいの時間を見計らって訪ねてきたのだろう。

 

「やあ、達也。ベゾブラゾフがディオーネー計画に参加するという報道はすでに知っているかな?」

 

入ってくるなり、和泉は達也にそう言ってくる。

 

「ああ、今しがた知ったところだ」

 

「それで君は、新ソ連のディオーネー計画参加をどう見た?」

 

「実際に新ソ連がプロジェクトに貢献するか否かは分からないが、USNAの敵国である新ソ連が協力を表明した以上、USNAの友好国はディオーネー計画を無視できなくなった」

 

「その通りだ。これは君にとって非常に拙い状況だろう」

 

和泉が何を言いたいのかは分かる。達也は未だ、身代わりのトーラス・シルバーを差し出すという手を実行には移せていない。和泉はそれを促しに来たのだろう。

 

「ところで和泉は、新ソ連がディオーネー計画に参加したことについて、どう見た」

 

「どうもこうもない。単に両国にとっては都合が良いというだけだろう?」

 

「やはり、そうか……」

 

多くの魔法師が宇宙に向かうとなると、国防を担うのは必然的に通常戦力となる。通常戦力の戦いで優劣を決するのは経済力だ。大亜連合もインド・ペルシアも強大国だが、世界政治の軸はやはり、米ソの対立だ。

 

かつての勢力を取り戻した新ソ連と、ますます国力を増強したUSNA。経済力で他を圧倒しているのが、この両国だ。強い力を持つ魔法師をプロジェクトのために集めるということは、自国の戦力を低下させる以上に、他国の力を削ぐ効果があるのだ。

 

「だが、奴らは大きな過ちを犯した」

 

達也が相手の狡猾さに歯噛みをしているところに、しかし和泉は不敵に言う。

 

「大きな過ちとは?」

 

「ベゾブラゾフはこれまで、簡単に表には出てこなかった。しかし、トーラス・シルバーが参加の諾否を検討するためエドワード・クラークとベゾブラゾフの両者に会談を呼び掛ければどうするかな?」

 

「その場で暗殺するつもりか? そんなことをしたら国際世論が黙っていないぞ」

 

「構うものか。ベゾブラゾフを殺せるなら、多少の汚名ならお釣りがくる。もっとも、奴らは来日はしないだろうがな」

 

それならそれで構わない。和泉はそう考えているようだった。

 

確かに、話をしたいという申し出に出向くことはしない、こちらに来いの一点張りをされれば、不信感を抱いたとして断る理由になる。もしも乗ってきたら、重要人物を抹殺してしまえる。宮芝にとっては、どちらにしても損をしないのだろう。

 

だが、宮芝にとって損でないという計算が、達也や四葉にとっても損でないということになるとは限らない。宮芝が代弁するのは国家と宮芝の利益。安易に乗せられることはせず、自分たちの利益は、自分たちで見極めなければならない。

 

冷静に考えれば、和泉の案は悪くない。けれど、達也は和泉の案に頷きたくないと考えてしまっている。それは、今回のディオーネー計画が、図らずも達也の長年のプランの欠点を炙り出してしまったことも影響していた。

 

達也は魔法師が人間兵器として扱われるという宿命から解放されることを目指していた。その基本コンセプトに間違いは無い。魔法師が兵器として使い潰される現実が、肯定されて良いはずがない。

 

達也が宮芝家と協調ができないと考えてしまうのは、この点に大きな差異があるためだ。宮芝は魔法師に優れた兵器や兵士であることを、むしろ推奨している。

 

けれど達也が魔法の経済的利用を推し進め、軍事の現場に高レベルな魔法師が足りなくなり、魔法という廉価で高威力な武器が消えてしまえば、小国は最早、大国に対抗できなくなることが見えてしまった。

 

今の達也は、自分のプランをそのまま推し進めていくことに迷いを感じている。

 

大国が小国を呑み込み、世界が少数の大国に分割支配される世界。世界中で再び泥沼の地域紛争が繰り広げられる未来。それが達也の想像したプランの先だ。

 

やはり、抑止力は必要ということなのだろうか。

 

「達也、あまり迷っている時間はない。ベゾブラゾフは日本の少年と呼びかけていた。奴はすでにエドワード・クラークから君の名を聞いていると考えた方がいい。新ソ連がこのまま君のことを放っておくと思うか?」

 

これは和泉の言う通りだろう。このまま黙っていれば、事態はより悪化こそすれ好転することはない。

 

「加えて言うならば、君がトーラス・シルバーと断定されてしまえば、日本の魔法師たちが君のことを放っておいてくれないぞ」

 

二十八家による会議の場が設けられたのは、反魔法師の風潮に対抗するためだった。そして今、日本は世論への絶好のアピールの機会を得た。

 

「そして何より、一般社会はどのように考えるかな」

 

魔法師からの反発は、四葉はさほど怖くない。けれど、一般社会から弾かれれば四葉とて日本で暮らしていくのは難しい。

 

宮芝の言に惑わされてはならない。四葉、いや深雪の利益は達也が確保しなければ。

 

けれど、いくらそのように考えようとしても、和泉の言葉は他ならぬ達也の懸念でもある。自分の考えを否定することは達也であっても難しい。

 

そもそも達也の手の中には究極の大量破壊兵器がある。

 

未来がどう動こうと、おそらく自分が悪名を背負うことは避けられない。

 

ならば、割り切って被害の軽減に動くしかないのではないか。

 

「和泉、お前の提案を受けよう」

 

「お兄様、よろしいのですか?」

 

「……仕方がない。このままでは近いうちに俺たちは追い詰められる。和泉の案は、少なくとも、それを軽減してくれるはずだ」

 

「……お兄様が、そう決められたのなら……」

 

自分を慕ってくれ、また達也も信頼している部下たち。彼らを自分は切り捨てる。

 

達也はこの日、覚悟を決めた。



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戦雲編 非常識な男

宮芝淡路守治夏が司波達也にトーラス・シルバーとしての対応を取るよう求めてから数日が過ぎた。この間、達也は何らかの下準備のために忙しく動いているようだった。治夏としては拙速と思えても今は先手を取るべきだと思えたが、こればかりは達也の意思に任せるしかない。そして、治夏の懸念通りというか、敵が次の一手を打ってくる方が、達也の対応より僅かばかり早かった。

 

『トーラス・シルバーは、国立魔法大学付属第一高校三年生、司波達也氏である』

 

七賢人を名乗る怪人からの、そんなビデオメッセージにより、トーラス・シルバーが達也であることが明らかにされてしまったのだ。

 

おかげで第一高校には、朝からマスコミが押し掛けてきている。さすがに登校時間には間に合わなかったので朝は何の問題もなかったが、二限目が始まる頃には、一高の出入り口は正門も通用口もマスコミで固められていた。

 

「あー、右京か。悪いが外の連中を皆殺しにするための準備を頼む」

 

「ちょっと待って! 何を指示してるの!」

 

外の騒ぎに苛立ちが頂点に達した治夏が風紀委員室に入って、右京に向かって式神を放つと、香澄が慌てて止めに来た。

 

「安心しろ。生徒に被害は出さない」

 

「生徒に被害が出なかったら、外で虐殺を行っていいってわけじゃないでしょ」

 

「ああいうのは社会の害悪だ。いなくなる方がむしろ国はよくなる」

 

「必要な情報は自前で集められる宮芝にとっては不要でも、一般の人には必要だから」

 

香澄はそう言うが、大局観もなく騒ぐだけの奴らのどこに有益性があるのか、治夏にはまるで分からない。ともかく、治夏は騒がしいのが大嫌いだ。それだけであいつらは殺すに値する。そう考えていると、それまで治夏の背後に控えていた森崎が前に出てきた。

 

「淡路守様のお考えは理解しているつもりです。的はこの森崎雅樂にお任せください」

 

「ほう、何をするか理解したか。さすがは森崎だ」

 

「治夏様にお仕えして二年になりますれば」

 

治夏の考えたのは、校門から出てきた生徒に対して仕掛けられる自爆テロだ。それで不幸にも生徒にマイクを向けようとしたマスコミ関係者が犠牲になる。それで面倒な連中は引き上げることだろう。仕掛け役は米兵を使って、と考えたところで新たな考えが浮かんだ。米軍兵による襲撃なら、的として適任がいる。

 

「なあ、達也、深雪が外に出られなくなりそうなんだが、君は迎えに来られるか?」

 

今日も登校していない達也に連絡を入れると、達也が思い切り嫌そうな顔をしたのが音声のみの遣り取りでも分かった。

 

「何を企んでいるんだ?」

 

「君のことを思っての提案だったのに、相変わらず君は酷いな」

 

「深雪が他の生徒を放置して、一人でこっそり帰宅するわけがない。帰宅できなくなるというのは確かだろうが、それだけで和泉がそんな提案をしてくるとは思えない」

 

信用がないというべきか、逆に信用されているというべきか。まあいい、気づかれているなら仕方がない。

 

「君を狙って襲撃者が現れる予定だから、君は見事に皆を守ってくれるといい」

 

「……で、守り切れなかった何人かが死ぬんだな」

 

達也も治夏の考えはお見通しのようだった。そんなに自分は、分かりやすい性格なのだろうか。だとしたら、行動を読まれないように、少し考えるべきかもしれない。

 

「そういうことだ。目の前でお仲間がテロに巻き込まれて殺されれば、奴らも近寄ってこなくなるだろう」

 

「襲撃を招いたとして、ますます俺の立場がなくなるんじゃないだろうな」

 

「それは問題ない。襲撃してくるのはUSNAの正規兵だからな」

 

「それでUSNAに対して不信感を表明すればいいというわけか。箱根のテロ、先日の街中での行動と合わせて」

 

「君にとっても、悪い話ではないだろう?」

 

実際、トーラス・シルバーの身代わりを犠牲とすることを良しとしない達也にとっては、悪い話ではないはずだ。

 

「良心的なメディアの犠牲を減らすため、まずは手を打とうと思う」

 

「ほう、どうするつもりだ?」

 

「トーラス・シルバーの勤務先であるフォア・リーブス・テクノロジーにも大勢の記者が集まっていると言われている。そこで明日トーラス・シルバーが記者会見を開くことを伝えた上で国立魔法大学付属第一高校の生徒から取材に関してクレームがあった場合には、関係者の入場を断ると通達する」

 

「なるほど、大手は排除でき、残るは有象無象の輩というわけか。いいだろう」

 

達也の対策に対して同意した治夏は、普通に授業を受けながら放課後を待った。そうして迎えた放課後、第一高校を取り囲んでいたマスコミは半減していた。

 

「マスコミの人たちも、手荒な真似はしないと思うけど……」

 

生徒たちをどのように帰宅させるかという第一高校首脳部の会議で、そう言った深雪の口調には、自信が欠如している。まともな記者ならば暴力を振るったりはしない。だが記者の中に、狂信的な反魔法主義者が紛れていないとも限らないからだ。そして、深雪の懸念は正しい。もっとも、紛れているのはUSNAの脱走兵、もとい治夏の手勢なのだが。

 

「……わたしが話をします」

 

結局、生徒たちでの相談では対処案は出ず、ついに深雪は自らが表に出ると言い出した。もっとも、これは治夏は予想していたことなので驚かない。

 

「わたしも本当は嫌だけど、このまま何もしないというわけにはいかないでしょう?」

 

周囲の反対の声に、そう答えて深雪はマスコミに対峙しようとする。

 

「その必要はないよ」

 

そんな深雪を制した治夏の声に皆が注目する。

 

「そら、あれを見なよ」

 

治夏が示した先に接近してくる自走車があった。

 

「さて、行こうか」

 

治夏が先頭に立ち、校門前へと足を進める。ちなみに先頭とはいっても、治夏自身は宮芝の人間としてカメラに映るなどもっての外であるので魔法で姿を消している。

 

エレカーが校門前で止まる。

 

エレカーの運転席から姿を見せたのは、達也だった。

 

「司波達也さん、ですね?」

 

報道関係者にとっても、今日この場に達也が現れるのは完全に予想外の出来事だったのだろう。達也に話し掛けたリポーターの口調は、半信半疑のものだった。

 

「そうですが、何か?」

 

「……貴方がトーラス・シルバーというのは事実なんですか?」

 

「自分がトーラス・シルバーであるという問いに対する答えであれば、事実ではありません、という回答になります」

 

「それは、どういう……」

 

報道陣にざわめきが奔る。

 

「報道機関には既に連絡していますが、明日FLTの本社でトーラス・シルバーの記者会見が行われます。疑問があれば、その席でお訊ねください」

 

一高の生徒から取材に関してクレームがあった報道機関の者は、トーラス・シルバーの記者会見に参加させないと牽制しながら、達也は校内に入ろうとする。その背に向かって破裂音が響いた。破裂音は銃声だった。

 

「拳銃? 何だか随分としょぼいな」

 

それが分かって治夏は思わず首を傾げる。あれでマスコミを一掃するのは無理があるとしか言えない。ちなみに達也は瞬時に振り返って銃弾を掴み取るという離れ業で、自らの身を守っていた。

 

記者とリポーターとカメラマンが拳銃の射線から逃れようと、押し合い圧し合いしているのに、暴漢は目もくれていない。血走った目は、ただ達也のみを睨み付けている。そこでようやく、目の前の暴漢が治夏の依頼とは別口であると気が付いた。

 

「やれやれ、先入観に囚われるのは危険だというのに、私も修業が足りないな」

 

言いながら、式神を取り出して右京に襲撃の取消を指示する。この後にサブマシンガンで武装した者たちが乱入しては、今の達也の行動が茶番となってしまう。治夏が指示をする間にも銃声が連続し、達也は飛来する銃弾のことごとくを掴み止めていた。

 

その後、達也は銃弾の尽きた暴漢の取り出した短いナイフによる抵抗もあっさりと退け、身柄を確保した。この間、魔法の反応は検出されなかった。魔法師が、魔法を使わずに拳銃の弾を掴み取り、ナイフを持った男を無傷で捕らえたのだ。

 

「達也、少しやり過ぎだろう」

 

その光景を見ていた治夏が、呆れ調子で呟いたのは無理ないことではないだろうか。達也はもう少し常識というものを学んだ方がよいと、治夏は切に思った。



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戦雲編 FLTでの会見

二〇九七年五月二十八日。

 

フォア・リーブス・テクノロジー本社には、朝からマスコミ関係者が押し寄せていた。

 

そのマスコミの中に紛れ込み、魔法で外見を変えた上で、宮芝淡路守治夏は会見が始まるのをじっと待っていた。

 

マスコミ関係者は無秩序なお喋りに忙しい。だが、毎日の仕事の中での少しだけ特別な一日でしかない彼らと違って、今日が大勝負だと考えている治夏にそんな余裕はない。この中には敵国に心を売った者が紛れ込んでいる可能性もあるのだ。彼らの誘導により不利な空気とならないよう、治夏は眼を光らせておかねばならない。

 

会場前方のドアが開き、達也が四人のスタッフを連れて入ってきたのは、デジタル時計が十時を示したときだった。

 

一斉にシャッターが切られる中、達也が壇上の長テーブルの中央に立つ。残りの四人は左右に二人ずつが座った。

 

達也の背後は大型スクリーンになっていて、そこには「魔法恒星炉エネルギー計画」という文字が大きく表示された。

 

「なるほど。別の可能性を示して、それを理由に参加を断るか」

 

何をもたもたしているのかと思えば、きちんと意味があったらしい。

 

「トーラス・シルバーの起動式構築を担当しています、神代俊勝です」

 

「トーラス・シルバーのハードウェア開発を担当しています、牛山欣治です」

 

右から順に始まった自己紹介に会場のざわめきが大きくなる。一旦、達也を飛ばして残る二人が挨拶をしたところで、達也がマイクを握る。

 

「チーム、トーラス・シルバーの責任者である司波達也です。これまでの紹介でお察しいただけたかと思いますが、トーラス・シルバーは一人の研究者の名前ではありません。当社における開発チームの名称です」

 

「……何故そんな、人々を騙すようなことをしたんですか?」

 

気を取り直した一人の女性記者がそんな質問をする。

 

「騙していたつもりはありません。団体名で特許を出願するのは珍しいことではありませんし、構成員の個人情報を非公開とすることも今では普通に行われています」

 

「しかし、トーラス・シルバーはCADのソフトウェアをわずか一年で十年分進歩させた天才技術者と評価されていて、御社もそれを否定しなかったわけではありませんか」

 

「当社の根幹に関わる技術の開発者が流出するようなことがあれば、当社としても大きな痛手となりますので。開発者に繋がりかねない情報は安易に出すことはできません」

 

達也の回答は、取り付く島もないものだ。記者たちの中には反感を抱く者もいるだろう。だが、経済的合理性を完全に否定することは、記者たちにもできない。特に今回は、その合理性は誰を傷つけるものでもないのだから。

 

「司波さんが責任者ということは『第一賢人』を名乗る怪人物が流した動画の半分は事実ということですね」

 

別の記者が微妙に論点がずれた質問で続く。

 

「トーラス・シルバーは私が管轄している開発チームの名です。トーラス・シルバーが私、司波達也という報道は虚報です」

 

「テレビが虚報を流したと?」

 

「事実と異なる情報をニュースとして流したのです。それを虚報と言うのでは?」

 

「あなたがトーラス・シルバーであることは事実でしょう!」

 

達也の挑戦的なセリフに、会場の別の場所からヒステリックな声が上がる。

 

「全く異なります。エドワード・クラーク氏はトーラス・シルバーをディオーネー計画の実現に必要な人材として名を挙げていました。ですが、私はトーラス・シルバーの研究により実用化した技術を基にした当社の商品に対する売上予測や販売戦略に関する知識はありますが、技術自体に対する知識は最低限しか有していません。はっきり言って私はここにいる五人の中でディオーネー計画には最も不要な人材でしょう」

 

自分は経営層だと言われれば、技術者であるトーラス・シルバーとのイメージの乖離は自然と大きくなる。

 

「そして、ここからが本題です。私は今日、この場を以てトーラス・シルバーの解散を宣言します」

 

「……どういう意味でしょう」

 

「当社がこれより示すのは新たな未来の創造のためのプランです。魔法恒星炉、重力制御魔法による核融合炉を実用化し、家庭用、産業用のいずれにも使える安価なエネルギーを世界中に供給します」

 

報道陣が無秩序に仲間内で会話を始める。

 

達也は騒ぎが少し収まるまで不敵な笑みで見つめていた。

 

「発電用のプラントは離島、あるいは海上に建設する予定です。魔法恒星炉により生み出した電力で海水から水素を作り出し、本土に輸送します。その水素生産の過程で同時に海水中の有害物質を取り除くことで、海洋環境の浄化にも貢献します」

 

プラントの仕組みを表す簡素なアニメーションが大型スクリーンに映し出される。

 

「魔法恒星炉の安定性に懸念を抱く方もいらっしゃると思いますので、当初は市街地から十分距離を置いた場所にプラントを建設する予定です。ですから、送電ロスを考慮し、水素燃料に変換するスキームを計画しています」

 

「核融合炉の稼働には、相当数の魔法師が必要になると思いますが」

 

「仰るとおりです。この事業に参加する魔法師は、プラントのある島、あるいは海上基地に移住してもらうことになります」

 

「魔法師の独立国を作るつもりですか!?」

 

この質問は、魔法に否定的なメディアによるものだ。

 

「プラントの性質上、魔法師だけでは運営できません。スタッフの内訳はむしろ、魔法師以外の技術者が多くなるでしょう」

 

「つまりそこでは、少数の魔法師が多数のスタッフを支配するということですか」

 

「プラント内での上下関係は役職によるものとなります。当然でしょう?」

 

「それは魔法師ばかりが上位の役職に就くということもありえるということですか?」

 

「当社は魔法技術を基本としている企業ですので、役職者には必然的に魔法技能を有する者が多くなります。ですが、魔法技術に関する部門以外では必ずしも魔法師が役職者でないことは確認できると思いますか?」

 

今日の達也は、とことんビジネスマンというスタンスでいくらしい。魔法が専門ではないという自分の言葉に反しないためにも、反魔法主義者と敢えてかみ合わない議論をするためにも、それは間違っていないように感じる。

 

「ディオーネー計画への参加要請はどうするのですか?」

 

「ディオーネー計画は大変に夢とロマンのあるプランだと思います。ですが、現時点の情報から見る限り、採算性は度外視しているようにしか見えません。プロジェクト完遂までの数十年間、USNAと賛同国が湯水の如く金をつぎ込み続けてくれると保証はしてくれるのでしょうか。プロジェクトに参加している間、経費は支払って貰えるとして、途中で頓挫ということでは、事業計画に大きな狂いが生じます。当社としましては簡単に参加はできません」

 

「例えば二十年間等、長期の支払いの保証がされるのでしたら、ディオーネー計画への参加は可能ということでしょうか?」

 

これは治夏が発した質問だ。

 

「そうですね。魔法恒星炉プラントの計画は、既に建設地の選定段階に入っています。本計画を中止することに伴う補償と今後のディオーネー計画における資金面の保証をしていただけるのであれば、当社は喜んでここにいるトーラス・シルバーの四名を派遣させていただきます」

 

治夏の意図を正確に読み取り、達也は条件付きで肯定の答えを返してくれる。だが、これはUSNAにとっては全面的な拒否に等しいはずだ。USNAにとって本当に必要なのは達也のみ。自称トーラス・シルバーの四人を大金をつぎ込んで招聘する意味は全くない。

 

USNAの逆転の手としては、達也こそがトーラス・シルバーであると証明することだが、それは困難だ。他の者の功績が大きくないという証明は、トーラス・シルバーとしての活動の有無に比べて、遥かに難しい。

 

「ちなみに、条件面を詰めるためにエドワード・クラーク氏から会談の要請があった場合はどうされますか?」

 

「そうですね。現時点では価値のある材料は提示されておらず、こちらから話を伺いに行くことは全く考えていません。ですが、私の都合が合う日でよければ、来訪をお断りするすることはありません」

 

達也はちゃんと、治夏の希望通りの答えを返してくれた。

 

拝啓、エドワード・クラーク様、どうぞ日本にお越しください。宮芝が喜んで暗殺させていただきます。



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戦雲編 FLT取締役、司波達也

司波達也は自宅でテレビを見つめていた。映っているのはディオーネー計画の主導者にして達也に面談を申し込まれたエドワード・クラークだ。エドワードは多忙を理由に司波達也との面会ができないことを謝罪した上で、なお達也たちに向けて計画への参加を求めるコメントを発していた。

 

『ですから、魔法を真の意味で人々の未来に役立てようとするなら、宇宙開発に活用すべきです』

 

テレビの中のエドワードは英語で喋っており、字幕が彼のセリフを同時通訳している。

 

『魔法核融合炉は素晴らしい発明だと思います。しかしそれは燃料の補給が困難で太陽光の供給も不安定な、例えば木星の衛星上で用いられるべきです。核融合炉発電なら、衛星が公転により木製の陰に入る時期でも安定的に電力を供給できます』

 

「ガニメデの公転周期はたったの七日、カリストでも十七日弱しかないけどな」

 

エドワードの発言を聞き、達也は皮肉な声音で呟いた。

 

『海洋開発は魔法を使わなくても、他の技術で代替できます。海上太陽光発電や地熱発電を使えばプラントに必要な動力は確保できるはずです。魔法という希少な才能は、もっと有意義な用途に使われるべきなのです』

 

テレビの中ではエドワードが建前を力説している。

 

『司波達也さんも含め、トーラス・シルバーの皆さんには是非、人類の未来を切り開く我々の計画に参加してもらいたい。そう考えています』

 

エドワードのコメントはそれを最後に終わった。それと同時に達也の端末に向けて通信が入った。

 

「やあ達也、エドワード・クラークのコメントは見たかい?」

 

「ああ、見ていた」

 

「君も今日中にはコメントを返すといい。君には何としてもエドワード・クラークを日本に呼び寄せてもらわねばならないからな」

 

「エドワード・クラークも宮芝が手ぐすねを引いて待っていることは気づいているんだろ。俺が何と言っても来日はしないと思うぞ」

 

「君が何度言っても面会に応じなければ、世間のエドワード・クラークの印象も悪くなる。それで十分ではないか?」

 

確かにエドワード・クラークが面会依頼を多忙を理由に断ったことは達也にとっては大きな武器になる。達也の必要性など所詮はその程度と言っているも同然だからだ。

 

「しかし、あまり追い詰めると暗殺の恐れがあるということを言って、和泉のことを牽制してくるかもしれないぞ」

 

「そんな牽制、我々に通用すると思うか? どれだけ非難を受けることがあろうと、我々は必要な行動は実行する」

 

エドワード・クラークもそれが分かっているから、曖昧な理由で来日を拒む。今の所はそれで達也に不利益はないので放置しよう。

 

「それはともかく、俺はまた金の亡者を演じるのか?」

 

「元は君が始めたことだろう。諦めて経済合理性を押し出すがいい」

 

「それでまた、レオやエリカに笑われるのか」

 

利益の話を繰り返した達也の姿は、テレビで会見を見ていた友人たちに爆笑でもって迎えられたらしい。それを聞いた達也としては微妙な気持ちになったものだが、それは思わぬところで役に立った。

 

昨日、達也はフォア・リーブス・テクノロジーでレイモンド・クラークという名の少年からの電話を受け取った。レイモンドは雫がリーナと交換という形でUSNAに滞在していたときに知己を得た相手ということだった。

 

レイモンドの用件もまた、達也をディオーネー計画に誘うものだった。そこでも達也はきちんと、俺の友人が歓迎したいと言っているから是非、来日してほしいと伝えた。それで日本に向かえば殺されるとは気づいたはずだ。

 

それでも諦めきれなかったのか、レイモンドは夢が無いという何とも曖昧な言葉で説得をしてきたのだ。挙句は叶えられないから夢を見る、などということを言い出した。それは達也の演じた経営者を再現すれば、一蹴可能な戯言だ。

 

叶わない夢に資金を投じることはない。俺は経営者だ。現実で利益を得られる計画を作り直して出直してこい。そう言って達也の側から通話を切ったのだ。

 

ちなみに普段の達也なら、レイモンドに対して敵対的な態度は取らなかった。今回、達也がこのような態度に出たのには、宮芝の影響が少なくない。クラーク親子に対して、和泉は非常に敵対的だ。機会があれば、多少の犠牲を払ってでも排除に出ると確信するくらいに。その様子を見ていたら、和解の道がないのだからクラーク家とはどのような話し合いも無駄である、という気になってしまうのだ。

 

「ひとまずはエドワード・クラークの来日を要望するコメントで応じるとして、君は敵の次の一手を予想できているか?」

 

「エネルギープラント建設の妨害、俺の暗殺、このいずれかだろうな」

 

「ま、順当な答えだね。対策はできているのか?」

 

「経済界の方面は、ある程度できている。問題は直接的にプラントを破壊するような手段を取ってきた場合だな」

 

プラントへの破壊工作となると達也だけでは手が足りない。四葉本家の力を借りたとしても少数精鋭の四葉にとって得意とする作戦ではない。

 

「そちらの方には宮芝も協力できよう。プラントに襲撃部隊を確認できた場合には今度は座間基地の軍人を皆殺しにする」

 

「本格的にUSNAと開戦するつもりか?」

 

「奴らはすでに新ソ連と手を組んでいる。新ソ連軍が日本海に兵力を引きつけたところに背後を襲われれば、日本軍は全滅だ。時流の読めぬ馬鹿に現状を認識させるには緊張感を高める措置もやむを得ない」

 

和泉はクラーク親子に留まらずUSNA自体との開戦を避けられないものと考えているようだ。けれど、和泉の懸念は分からなくもない。

 

大亜連合の被害が対岸の火事でない新ソ連にとって、達也への対策は喫緊の課題だ。おそらくは過激な行動も辞さないだろう。そのときに拙いのがUSNAの存在だ。今の所は同盟国という扱いになっているUSNAを利用すれば、新ソ連はそれなりに多くの人数を日本国内に潜伏させることも可能になる。座間基地を叩くという和泉の案は、これを防ぐためのものでもあるのだろう。

 

これまで達也は、必要とあれば敵対する勢力を葬ることを躊躇しなかった。けれども勝手に他国との戦端を開くということには、さすがに躊躇せざるをえない。けれども深雪の命が関わってくるとなると話は別だ。

 

達也に対しての攻撃が大規模なものになれば、必然的に深雪の危険度も増大する。それだけは許容できない。深雪の命は達也にとって、新ソ連やUSNAの全国民よりも重い。たとえ両国が崩壊しようと、深雪のためならば達也は構わず実行する。だが、宮芝はそうではないはずだ。宮芝にとって大事なのは国の存続のはず。

 

「和泉はUSNAとの戦いに勝算があるのか?」

 

「まともに戦っては勝ち目はないだろうね。だから、最終的には和解することになるだろう。けれど、そのためには派手な一戦が必要と考えている。その鍵を握るのは君だよ」

 

「俺の魔法ということか?」

 

「いいや、君自身の命のことだよ。達也、君は皆のために死んでくれる気はあるか?」

 

和泉は達也が死ねば全てが解決すると考えているのだろうか。確かに、その一面はあるだろう。今回の面倒事は達也の戦略級魔法が引き起こしたものだ。和泉は一貫して達也に味方する動きを続けてくれていたが、ついに面倒を見切れなくなったのか。

 

いや、それならば、わざわざUSNAとの開戦などする必要などないはずだ。そう自らの考えを否定したところで、USNAとの派手な一戦が重要だという意味が分かった。

 

「宮芝が、それに力を貸してくれるというのか?」

 

「ああ、そうだ。我々の力は君も知っているだろう?」

 

「分かった、考えておこう」

 

宮芝の案は、深雪にも話しておく必要のあるものだ。ひとまずそう答えて、達也は和泉との通話を切った。




原作と違いクラーク親子は来日しません。
本当に宮芝に殺されてしまうので。


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戦雲編 十三束鋼

兄の達也が登校を控えるようになってからも、司波深雪はこれまで通りの学校生活を過ごしていた。深雪としては達也の傍にいることを望んだのだが、達也が頑として首を縦に振らなかったためだ。仕方なく深雪は生徒会室で兄の分も業務に励んでいた。達也の同級生である十三束鋼が生徒会室を訪ねて来たのは、何気ない水曜日の放課後のことだった。

 

「達也様が次に登校されるご予定ですか? あいにく、うかがっておりませんが」

 

深雪と十三束は親しいというほどではないが、それなりに面識はある。次に達也が登校するのは何時か、という問いに不本意な現状への不満を混じえて深雪は答える。

 

「じゃあ……司波君が今何処にいるのか、教えてもらえないでしょうか」

 

「それを知ってどうするつもりだ?」

 

十三束の質問に答えたのは、最近は張り詰めた雰囲気で生徒会室に詰めていることも多い宮芝和泉だった。

 

「司波君と、話をしたいことがある」

 

「なるほど、達也の暗殺に加担するつもりというわけか」

 

「そんなことは言っていないだろう!」

 

「同じだと言っている。天才と称えられていたトーラス・シルバーは同時に他国にとっては脅威でもあった。自国の利益のために、手に入らないならば殺してしまえ、と考える者は大勢いる。そうでなくても達也は注目を浴び過ぎた。先日の校門前の銃撃、忘れたわけではなかろう。それを警戒せねばならないから登校も控えて身を隠している。その状況で会いに行くというのは、暗殺者をご案内と同等の行為だ」

 

それは十三束には想像もできていなかった現状だったのだろう。十三束はしばし言葉を失っていた。

 

「お話でしたら、よろしければわたしがうかがいますけれど」

 

さすがに少し不憫に思い、深雪は十三束に話をしたいと思った理由を聞く。

 

「母が倒れたんです」

 

「お母様が!?」

 

「あ、いえ、倒れたと言っても命に別状はありません。急性の胃潰瘍で……一ヶ月程度安静にしていれば退院できるそうです」

 

「そうですか……。お大事になさってください」

 

「ありがとうございます」

 

深雪のお見舞いの言葉に謝辞を返した後、十三束はまだ何か言いたそうにしていた。

 

「……母はこのところ、政府から厳しく責められていたそうです」

 

少し待ってみると、深呼吸で間を取り、十三束が続きを語り始める。

 

「達也様のことで?」

 

「そう、ですね。エネルギープラント計画を取り下げてディオーネー計画に参加するよう、司波君を説得しろと……」

 

「では、その者は私の方で手を下しておこう」

 

和泉の唐突で物騒な発言に皆で一斉に振り向いた。

 

「私に面倒な奴の暗殺をしてほしいから、この場でそのような話をしたのだろう?」

 

彼女はなぜ、物騒な方向にばかり話を飛ばすのだろうか。和泉の思考が理解できずに深雪としては困惑するよりない。

 

「違う! 僕はそんな話をしていない」

 

「じゃあ、どんな話をしにきたのだ?」

 

「僕は政府の思惑に関係無く、司波君はディオーネー計画に参加するべきだと思っている。人類の未来にとって間違いなく有意義な計画だし、USNAは司波君を最大限の名誉ある待遇で迎えようとしているじゃないか。彼にも色々とやりたいことがあったのかもしれないけど、ここは日本の為にも日本人魔法師の為にもUSNAの招待を受けるべきだ」

 

「ふむ、お前がこれほどまでに愚昧だとは思わなかった。なるほど、これ以上は何を話しても無駄なようだな」

 

和泉の心から侮蔑する視線に、普段は温厚な十三束も顔を歪める。

 

「司波君一人の我が儘で、皆に迷惑を掛けて良いはずがない! 司波君が少し我慢すれば、全部丸く収まるんだ!」

 

「十三束君、お母様が倒れられた所為で我を失っているようですね。今日のところはお引き取りください。それがお互いのためです」

 

普段の十三束はむしろ我が弱いくらいで、こんなに独善的なことは口にしない。それに和泉の雰囲気の危険性に気づかないほど、周囲が見えないわけでもない。

 

深雪はそれを知っているから、平和的な解決を図ろうとした。

 

「……司波会長、僕は貴女に決闘を申し込みます」

 

「決闘というのは、意見の対立を解決するための試合のことですか?」

 

「はい。僕が勝ったら、僕に司波君を説得させてください」

 

「ならば私が勝ったら、お前の命を貰おう」

 

そう言って入ってきたのは、またもや和泉だった。

 

「命って……それでは本当の決闘になってしまうではありませんか」

 

「この試合は、そもそもそれに近いものだ。私は先にトーラス・シルバーは他国にとっては脅威でもあると告げた。脅威となる相手が帰国することを他国が許すと思うか? 司波達也はUSNAに向かえば、間違いなく二度と日本の土を踏むことはない。それを少しの我慢と言い切るのだ。ならば自分も国のために命を捧げる覚悟は持っていてしかるべきだろう。その覚悟に従い、私はこやつを来るべき戦いのための素材に変える」

 

よく言えば素直、悪く言えば平和ボケした十三束にとって、和泉が語る言葉はいちいち予想外で衝撃的なことのようだった。

 

「お前は達也が国のために死ぬことを望んだ。ならば私はお前が国のために死ぬことを望もう。さて、お前はこの勝負、受けるか?」

 

「十三束君、私からの最後の忠告です。この勝負は断ってください」

 

普段の十三束ならば、これだけ言われれば引いたはずだ。けれど、今日の十三束はなんだか意固地になっているようだった。そして、深雪の想像通り、悪い方向に出た。

 

「分かりました。それで構いません」

 

十三束と和泉との関りは薄い。和泉の戦い方についても概要くらいしか知らないはずだ。けれど、二科生で成績もよくない和泉との正面からの戦いでは負けないと考えたのだろう。だが、それは大きな間違いだ。

 

「残念だが、失格だよ。十三束」

 

和泉がそう言うのと同時に、十三束が膝から崩れ落ちた。十三束を倒したのは和泉が密かに放った雷童子だ。

 

「何を……」

 

力が入らない中で辛うじて口を開く十三束に対し、和泉は素早く抜刀した刃を寝かせて胸から突き入れる。

 

「十三束君。和泉さんにとっての決闘とは、開始の前にいかにして終わらせるかの勝負です。開始の合図がかかるまでは攻撃されないという思い込みは命取りです」

 

「そんなことが……許され……」

 

胸に穴を空けられた十三束が苦しそうに呻く。

 

「許される、許されないの話ではない。勝つか負けるかだ。戦というのは勝った者が正しく、負けた方が間違っているのだ。お前はその程度も理解できない頭しか持たないのに、迂闊な言動を繰り返した。お前は達也や国に害悪となる無能だ。だから、その無能な頭を無にして宮芝の素材となれ」

 

和泉が合図を送ると、外から平河千秋が入ってくる。

 

「これが新しい素材ですか?」

 

「ああ、そうだ。お前の好きにして構わん」

 

「本当ですか、ありがとうございます」

 

千秋は同級生のはずの十三束を素材と言い放った。それは十三束を研究材料としか見ていないということを意味していた。

 

「あの、十三束先輩を放っておいて、いいんですか?」

 

「十三束君は負けたら宮芝家の素材になるという提案を受け入れました。和泉さんと、まだ決闘の詳細を詰めていないにも拘わらず」

 

聞いてきた泉美に言うと、泉美は初めて気づいたように目を見開いた。

 

「私はこの結果が予測できていたため、何度も制止をしました。けれど、十三束君は最後まで自分の行っていることも、相手が言っていることも理解できていませんでした。さすがに庇うことは難しいです」

 

それに今、宮芝は達也に多大な支援をしてくれている。それは達也の平穏のためには絶対に必要なもので、今は失うわけにはいかないものだ。それを守るためならば、十三束一人くらいの犠牲では深雪は揺るがない。

 

けれど、懸念がないわけではない。今の和泉は十三束以上に余裕がなかったようにも感じたからだ。何やら黒い箱に入れられて、呼び出された関本に担がれて運び出される十三束を黙って見送りながら、深雪の心もまた焦燥を感じずにはいられなかった。




深雪も原作に比べて冷酷に。
ここ最近、死に慣れ過ぎて皆さん麻痺しているのかも。


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戦雲編 トゥマーン・ボンバ

十三束鋼が姿を消してから三日後の土曜日、司波達也は滞在中の伊豆の別荘で深雪から事情を聞いた。そのときは、さすがに十三束を気の毒に思った。

 

達也はこれまで同級生である十三束に悪感情は持ったことがない。それでも十三束の母親が倒れたというだけでは、何の感慨も抱かなかっただろう。だが、同級生にもう二度と会えないとなれば、少しは思う所もある。

 

そうして和室に、二組の布団を並べて深雪と眠った翌日曜日の夜明け前、達也は自分と深雪に向けて押し寄せて来る悪意を知覚した。

 

水の分解、酸水素ガスの生成と再結合。達也は覚醒直後の状態で魔法の性質を読み取る。それはトゥマーン・ボンバと思われる魔法の兆候だった。

 

昨日の昼から降り続いていた小雨が、既に霧に変えられている。

 

雨粒をさらに細かく、霧に分割する工程。

 

霧を水蒸気に気化する工程。

 

水蒸気を水素と酸素に分解する工程。

 

そして、水素と酸素を同時に結合し、点火する工程。

 

何の対抗策も取らず観察を続けたことで、戦略級魔法トゥマーン・ボンバの性質を、達也は今こそ認識した。

 

この間にも、新たに空から落ちてきた雨粒から酸水素ガスが生成されている。もはや達也をもってしても止められない。

 

霧の塊が水素と酸素に分解され、酸水素ガスは外側から内側に、同時ではなく連続的に燃焼した。

 

押し寄せる衝撃波により標的とされた木造の別荘は粉々に吹き飛ばされる。けれど、達也のいる別荘は水波の障壁魔法により守られて無事だ。おそらく直撃であれば、いくら障壁魔法に特化した水波にも防ぎきれなかっただろう。けれど、三百メートル先からの衝撃波だけならば水波でも十分に対応可能だ。

 

原理は非常に単純。四葉の財力と宮芝の精神干渉魔法を用いて三百メートル先の別荘を買い取った上で地下を移動できるようにしただけだ。付け加えるならば、本体の別荘には情報遮断の結界を敷き、身代わりの別荘の中には宮芝が情報を映した形代が置いてあるので、魔法的な探査も誤魔化すことも行っている。

 

ベゾブラゾフからの攻撃を防ぎきってからの計画は二通りあった。一つはこのまま何も行わずに達也はトゥマーン・ボンバにより死亡したことにする方法。こちらは様々な面倒から解放されるという利点があり、本来ならばこちらが本線のはずだった。だが、今は深雪が一緒にいる。深雪まで死んだことにして姿を隠すというのは、良い手段ではない。

 

ゆえに達也が選択するのは二つ目の方法。ベゾブラゾフへの反撃だ。

 

達也は固有魔法、エレメンタル・サイトを、トゥマーン・ボンバの発生源に向ける。幸いにも作戦の成功を信じているのか、第二射はない。

 

爆発の発生源ではなく、魔法の源へ。魔法を放った魔法師へ。

 

達也が到達したのは、二人の若い女性のエイドスだった。

 

酷く歪で脆弱な、おそらくは壊れかけた調整体魔法師。

 

世界には十三人の国家公認戦略級魔法師以外にも、三十人から四十人の戦略級魔法師が隠されていると噂されている。

 

他ならぬ達也自身が「隠された戦略級魔法師」だ。

 

この二人が何者であれ、彼女たちがトゥマーン・ボンバの発生源であることは確実だ。

 

「ならば、消し去る」

 

他者の魔法の侵入を妨げる事象干渉力のフィールドを消し去り、魔法師の肉体を守る情報強化を消し去り、肉体を、構成元素に分解する。

 

人体焼失ならぬ、人体消失魔法。

 

およそ千キロメートルの距離を超えて、人間を消し去る魔法を発動させた。

 

二人の敵魔法師が焼失し、トゥマーン・ボンバに使われていたCADが破損したのを情報の次元で観測して、達也は戦闘態勢を解除した。

 

「水波もよく守ってくれた」

 

「いえ、おそれいれます」

 

寝室に入ってきた水波を労いつつ、達也が行ったことを二人に説明する。

 

「トゥマーン・ボンバを使ってきた魔法師は二人の若い女性だった」

 

「女性? ベゾブラゾフは四十代後半くらいの男性ではありませんでしたか?」

 

深雪の疑問は当然だ。それは達也も思ったことなのだから。

 

「記者会見を行ったのがベゾブラゾフ本人だったという保証はない。だが、ロシア人男性であることは確実だったはずだ」

 

「では、今回の攻撃はベゾブラゾフではなかったということですか?」

 

「そうだろうな。だが、二人がトゥマーン・ボンバの発生源だったのは確実だ」

 

「それで、その二人はどうしたのですか?」

 

「消した。安心はできないが、ひとまずの危機は脱したはずだ」

 

そう深雪に答えて日常に戻りかけたところで、和泉からの通信があった。

 

「達也、ベゾブラゾフは生きているぞ!」

 

「そうだろうな。俺が反撃したのは若い女性の魔法師だったからな」

 

和泉は慌てた様子で言ってくるが、達也にとっては新情報でも何でもない。ごく当たり前のことと受け止めて簡単に返す。

 

「何で落ち着いていられる。早くベゾブラゾフを狙え!」

 

「狙うも何も、ベゾブラゾフがどこにいるのか分からない」

 

「何だと? 私はベゾブラゾフは君が攻撃をしたCAD車両に乗っていたと部下から報告を受けたが?」

 

「そうなのか。どちらにせよ、俺の魔法だって万全じゃない。再度の攻撃でも仕掛けてくるのでなければ、どうしようもない」

 

達也の魔法は自分に対する魔法発動を知覚して行う。何もなしに千キロも先の情報を得ることは、達也にもできることではない。

 

「ところで、そこまで分かっているということは、宮芝の術士はベゾブラゾフを何らかの手段で観察しているということか?」

 

「達也に対しても使ったことのある方法だよ」

 

思い当たるのは、遠距離からの目視確認だろうか。和泉が言葉を濁したのは万が一、傍受をされたときに観察をしている魔法師の身が危険であるからだろう。

 

「宮芝で対応は難しいんだな」

 

「遺憾ながら、そうだ」

 

「ならば、今回は諦めるしかないだろう」

 

「今回は偽装が上手くいったが、そう何度も使える手ではないぞ。奴の魔法に対する対抗策は分かったのか?」

 

「ああ」

 

当初は熱量の増大を禁じる魔法『凍火』で対抗をしようと思っていた。けれど、実際に使わせてみたことで、物体の運動を減速する『減速領域』で衝撃波を減衰することで破壊力を失わせることができることが分かった。これなら、次は防げる。

 

「対抗方法が見つかったのなら、何よりだ。では次はベゾブラゾフにトーラス・シルバーを暗殺しようとした理由を問い質さねばならないな」

 

「そうだな。これでディオーネー計画に参加するという選択肢は消えた。俺にとっては幸いとも言えるが、次はなりふり構わず仕掛けてくるのではないか?」

 

「念のため聞いてみるのだが、今回の報復として奴の本拠を消し去るという方法はないのだな?」

 

「当たり前だ」

 

ここで達也が戦略級魔法を使ってしまえば、いよいよ戦略級魔法の撃ち合いになってしまう。一方的に攻撃をされて黙っているのも得策ではないが、今は世界を巻き込んだ魔法戦の兆候を見せるべきではない。

 

「まあ、仕方ないか。それにしても、新ソ連との全面対決は避けたかったのだが、事ここに至っては、やむを得んか」

 

「今回は俺から手を出したわけではないからな」

 

同盟国が何とも怪しい状況で、軍事大国である新ソ連と正面からの戦いは日本としては避けたいところだろう。しかし、達也としては攻撃を続けられれば反撃に出るしかない。

 

「分かっている。まあ、どの道、新ソ連を放置という手はありえなかったしな」

 

またも言葉を濁したが、和泉の頭にはUSNAとの開戦が念頭にあるはずだ。

 

「何とか穏便に事態が収まるのを祈るだけだな」

 

思い切り当事者であるのだが、達也がどうにかできる問題でもない。そのため返した言葉は予想以上に他人事のようになってしまい、和泉に苦い顔をされたようだった。



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戦雲編 反撃の決定

二〇九七年六月九日、日曜日早朝。

 

正確な時刻は、午前五時六分。

 

伊豆半島中央やや東寄りの高原地帯が、大規模魔法による爆破攻撃を受けた。

 

その爆破攻撃を観測するため、国防陸軍第一〇一旅団独立魔装大隊の隊長である風間玄信は偵察用の装備を施した装甲車で出動していた。

 

達也が滞在している別荘の周りには、半径およそ一キロメートルに渡って、四葉家配下の魔法師によるものと思われる結界が張られていた。

 

それは魔法師であるか否かを問わず、精神干渉系魔法に耐性の無い人間は無意識の内に避けてしまう人払いの陣であると同時に、内部に侵入した者があれば、それを術者に伝える対人センサーの役目も兼ねたものだった。けれど、風間の乗る装甲車は四葉家の結界に掛からないまま観測を行っている。

 

それを可能としたのが、認識阻害魔法、天狗術『隠れ蓑』。

 

見えているのに見ない。

 

聞こえているのに聞かない。

 

光や音波を遮断あるいは攪乱するのではなく、意識に干渉し「そこにいない」と思い込ませる魔法だ。

 

装甲車の存在を覚られていないのは、風間の天狗術が四葉家の結界を上回っているからに他ならない。とはいえ、四葉家の魔法師の結界に対抗するのは『大天狗』の異名を取る風間をもってしても容易なことではなかった。結果として、風間は身動きもできずに念を凝らすことになったのだ。

 

その甲斐あって上手くトゥマーン・ボンバの情報を記録することができ、撤収という段になったのだが、そこで一瞬の気の緩みを四葉家に気づかれてしまう。そうして風間たちは四葉配下の十一名の魔法師たちに囲まれることになった。

 

「全員、車内に待機。こちらに敵対の意思があると相手に誤解を与える行為は禁じる」

 

今、四葉家と争うことは絶対に避けなければならない。部下に釘を刺して、風間は装甲車を降りる。

 

「津久葉夕歌と申します。四葉家を本家と仰ぐ、津久葉家の長女です」

 

そう名乗った津久葉が追及してきたのは、風間が乗っていた装甲車についてだ。

 

「申し訳ありませんが、軍機につきお答えできません」

 

風間の乗る装甲車は偵察仕様のもの。それは、外国が達也を標的とした攻撃を仕掛けてくると察知していたと白状しているも同然だった。

 

「誤解しないでいただきたい。我々に四葉家と敵対する意思はありません」

 

「四葉家は守られる民間人には含まれないと?」

 

「形式はともかく実質的には、完全な非戦闘員ではないでしょう」

 

民間人ではあっても戦闘能力は有していることは間違いない。少なくとも、論理が破綻しているということはない。あと一歩で津久葉の追求をかわせそうだ。

 

「そんなことより、トゥマーン・ボンバによる攻撃を、軍が予期していたかどうかを知りたいのですが」

 

けれど、そうはならなかった。そう言いながら、達也が木立の陰から姿を現したからだ。不覚にも、風間は達也の接近に気づくことができなかった。

 

「風間中佐、自分は中佐に義理と恩義を感じています。ですから、こういうことは言いたくないのですが」

 

達也の言葉には隠し切れない不快感が見える。風間は宮芝家から今回の一連の件には達也にできる限りの便宜を図るよう依頼されていた。今回の件は、それには反していないはずだが、今は達也に敵意をもたれるのは得策ではない。

 

「宮芝家の手も借りての対策がなければ危ういところでした。あらかじめ警告をいただいていれば、そもそも新ソ連に奇襲を許しはしなかったものを……」

 

それまで、なんと言って切り抜けるかを考えていた風間だが、達也の言葉の中には無視しえぬものがあった。

 

「遠距離魔法による奇襲が新ソ連によるものというのは確かなのか?」

 

「奇襲攻撃に使われた魔法はウラジオストク近郊の線路上から放たれました」

 

「線路上?」

 

「トゥマーン・ボンバと推定される魔法を放った術者の情報を読み取った結果です」

 

「線路上ということは、新シベリア鉄道の軍用車両か」

 

国防軍にとって、これは大きな意味を持つ情報だ。

 

トゥマーン・ボンバの発動には、一車両をまるごと占める大型CADを使うらしいというのは、以前から言われていたことだ。だがその説には裏付けが無かった。

 

それに宗谷海峡でトゥマーン・ボンバらしき魔法が使われた時には、そのような列車の移動は観測されなかった。その所為で国防軍は、専用列車を使うという情報が誤りだったのか、それともあの時の魔法がトゥマーン・ボンバではない別の術式だったのか、頭を悩ませることになったのだ。

 

「国防軍は、今朝この場所に奇襲攻撃が行われることを知っていた。そうですね?」

 

「分かっていたわけではない。それに日時までは予測できなかった」

 

「つまりここが奇襲を受けると予測はできた。それは何故ですか?」

 

「ベゾブラゾフがウラジオストクにまで来ていることは宮芝からの情報で確認していた。攻撃がありうるかも、というのは単なる予測だ」

 

おそらく四葉も同じ情報は得ていたはずだ。その情報から、国防軍は攻撃がありうると予測した。一方の四葉は、そこまではしないだろうと予測した。それだけのことだ。

 

二人の間の緊張した空気を破ったのは、達也の端末に届いた通信だった。端末をちらと見た達也が僅かに顔を顰める。

 

「宮芝からです」

 

「それならば、取った方がいいだろう。別に、その間に逃げたりはしない」

 

「分かりました」

 

そうして通話を始めた達也だったが、すぐに風間の方に視線を戻した。

 

「中佐に伝言を依頼されました。すぐに部隊を率いて北海道に向かえと言っています」

 

「北海道へ?」

 

考えられるとしたら、新ソ連の侵攻への対応だろうか。

 

「早く基地に戻った方がいいのでは? 自分の方は宮芝からも仲裁を受けたので今日の所は何も言いません」

 

背を向けた達也を最後まで見送ることなく、風間は装甲車の中に戻り出発を命じた。そうして戻った基地で、まず報告を受けたのは今回の魔法攻撃の被害についてだった。

 

今回の魔法攻撃の被害は、重軽傷者が十一名。幸いなことに死者はなし。物的な被害としては民間の別荘二十七戸が全半壊。

 

爆発の規模に対して相対的に被害が少なかったのは、家屋が疎らな別荘地であるのに加えて、オフシーズンで利用客が少なかったからだ。負傷者は全員、別荘の管理業務に従事する者と報告されている。

 

死者がでなかったとはいえ、国土が不当な攻撃に曝され、国民の身体と財産が脅かされたのは、紛れもない事実だ。

 

程なく日本政府は大規模魔法が新ソビエト連邦の国家公認戦略級魔法師ベゾブラゾフの行使する『トゥマーン・ボンバ』であると断定し、新ソビエト連邦に対してベゾブラゾフの引き渡しを要求するということだった。

 

「ベゾブラゾフの引き渡しですか? そんな要求が新ソ連に受け入れられるはずはないと思いますが」

 

いつにない日本の強硬姿勢に、思わず説明を行ってくれる上官の佐伯をまじまじと見つめてしまった。佐伯は苦い顔をしながら、風間に向けて話を続ける。

 

「受け入れられない場合……間違いなく受け入れられないだろうが、ともかく要求が拒否された場合、または明日の午前三時までに返答がない場合、我が国はウラジオストクに攻撃を敢行する」

 

「馬鹿な!」

 

思わず叫んだ風間を佐伯が視線で窘めてくる。

 

「我が国に正面から新ソ連と戦う余裕はないはずです」

 

「そう思って宗谷海峡で穏便に済ませようとした結果が今日の事態だと宮芝がたいそうなお怒りだそうだ。政府や軍内の強硬派に手を回して今回は何としてもベゾブラゾフを葬ると息巻いているらしい」

 

宮芝は宗谷海峡の戦いでも敵を徹底的に叩くべきと主張していたらしい。そのときは折れてくれたが、それが裏目に出たようだ。

 

「ともかく、攻撃はすでに決まったことだ。風間少佐にも出てもらうしかない」

 

不本意そうな佐伯に対して、風間は不承不承、敬礼を返した。



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戦雲編 ミサイル攻撃

六月十日、早朝。宮芝淡路守治夏は北海道の余市を出港した国防軍のミサイル護衛艦の指揮所にいた。周囲には他に二隻の同型艦と、九隻の高速艦が展開されている。

 

治夏の座乗するミサイル護衛艦は同型艦三隻が並ぶ中の左翼に位置する。本艦隊の旗艦は中央の艦だが、反撃をされた場合に艦隊から離れていち早く離脱するために治夏は旗艦への座乗を避けていた。

 

治夏の艦に同乗するのは側近三名、松下隠岐守、結界術士二名とパラサイト金剛と量産型の関本が一機のみ。宮芝系の術士が極めて少ないのは、今回はミサイルの応酬となることが予想されるため近接戦の強い者や精神干渉系魔法の使い手は活躍の場がないためだ。

 

代わりに今回は十文字克人と十山家当主である十山信夫がいる。克人は今回の戦いの防御の要。そして十山信夫は攻撃成功のための要である。

 

各艦にはそれぞれ宮芝家の術士三名と十文字の魔法師二名、十山家の魔法師二名が乗り込み、攻撃と防御の補助を行う。宮芝の術士は、九隻の護衛の高速艦にも一名ずつが乗り込んでいる。彼らは全員、電波に対抗する魔法を修めた者たちだ。

 

最後まで、治夏たちの艦隊の出港は気取られたくない。そのため各艦に電波を逸らせる魔法を使用できる者を配置しておいたのだ。そして、各ミサイル護衛艦には衛星カメラからの画像を欺罔するための光学術式を得意とした術士も配置した。

 

未だ漆黒の闇に沈む海の中、静かに進む艦隊が沖へと進んでいく。もうじき攻撃予定地点に到達する。そうすれば、函館から出港した別のミサイル護衛艦二隻がウラジオストクに向けてミサイルを発射する。

 

今回の攻撃で用いるのは、対地攻撃用ミサイルの最新型であるブリューナクを二隻計十六発。治夏たちの艦隊は直接的には攻撃に関わらない。任務を果たして、さっさと帰投すれば危険は少ないはずだ。

 

それでも緊張は抑えられない。もしも敵がこちらの動向を掴んでいれば、ベゾブラゾフにトゥマーン・ボンバによる先制攻撃を受ける可能性もあるのだ。治夏には、その攻撃を防ぐ手段はない。

 

もっとも、その為に克人に付いてもらっているのだが、トゥマーン・ボンバは克人にも相当に負担になるはずだ。できれば、そのような場面にはなってほしくない。

 

治夏が内心の不安を解消できぬうちに、艦隊は攻撃予定地点に到達した。旗艦に配置した宮芝の術士から、攻撃準備が完了したかを問う式神が飛ばされてきた。この式神に返答を返せば、ほどなく攻撃開始の合図が下るだろう。

 

「心配ない。今回の攻撃はきっと上手くいく」

 

治夏の内心の不安を読み取ったのか、克人が先んじて声をかけてくれる。

 

「今回の攻撃の成功はすでに確信している。私が気にしているのは、これでベゾブラゾフを確実に葬れるか否かということだ」

 

今の治夏は宮芝家当主の代理だ。弱気になっていたなどとは言えない。口では強気なことを言いつつ、そっと指先だけを克人に触れさせる。

 

「さて、十山。今回の攻撃で負荷が大きいのは其方ら、十山の術者たちだが、全員、防御を施す対象は認識できているな」

 

「はい、すでに全員の情報を記憶しています」

 

「よかろう、では参ろうか」

 

旗艦にいる部下に向けて準備完了の式神を飛ばす。これで賽は投げられた。後は事態の推移を見て、臨機応変に対処をするのみだ。すぐに旗艦から式神が返ってきて、攻撃開始の指示がでたことを伝えてくる。

 

「函館を出港した護衛艦和賀と久慈がブリューナクを発射しました」

 

少しすると、量産型関本からの通信を傍受したパラサイト金剛が、治夏に報告してきた。今頃は夜闇を切り裂き、ブリューナクがウラジオストクへと向かっているのだろう。

 

「あと五分ほどで着弾予定」

 

聞こえてきた声に十山が緊張を高めるのが見て取れた。

 

「着弾まで三分」

 

もしも、この攻撃が全て迎撃されてしまったら、作戦の立案に関わった宮芝にも厳しい目が向けられることになる。加えて、この戦法が今後は用いれなくなってしまう。

 

緊張に強張る治夏の肩に、そっと何かが触れたのが分かった。軽く目を向けても何も見えない。けれど、微かに感じる想子の状態から、克人が魔法を使ったのだと理解した。おそらくは極薄、極小のファランクス。治夏を勇気づけてくれる克人のとっておきの魔法だ。

 

そうだ。この日のために平河千春は連日、徹夜で調整を続けた。松下隠岐たちも艦隊の隠蔽術式を幾度もの相談で決定し、少しでも精度を上げようと修練に励んだ。森崎も今回の作戦では役に立てない分を、と治夏が余計なことに手を取られないようにと自分の本分で力を尽くしてくれた。

 

その者たちの努力を自分が信じずしてどうするというのか。

 

「着弾まで一分」

 

「金剛、通信を傍受した際には即座に十山に展開せよ。他のミサイル護衛艦の関本たちにも同様の指示を再度、与えておけ」

 

「了解しました」

 

パラサイト金剛が、ほどなく聞こえてくるはずのパラサイト間の通信に集中する。

 

「一号機から通信、迎撃ミサイルが発射されたようです」

 

その声を受けて十山信夫が遠距離の味方へと障壁魔法を展開した。十山家の魔法は情報次元の座標を元に離れた相手にも障壁魔法を展開することができる。その障壁魔法を、飛行するミサイルの先端に括り付けられた量産型関本に使用したのだ。

 

今回の障壁魔法は、距離が五百キロ近く離れていること、飛行するミサイルが高速であることから、極めて難易度が高い。それを補助するためにUSNAのスターダストから脳を取り出して作成した補助演算機を十山の術者に配備してある。各艦に量産型関本を乗艦させたのも術者のイメージを補強することで、より魔法の行使を円滑にするためだ。

 

とはいえ、十山の障壁魔法は迎撃ミサイルを受け止めきれるほどではない。まず最初は量産型関本たちが念動力も用いて展開する兵器による迎撃となる。それでも止められないときは関本自身が飛びついての撃破だ。

 

はっきり言って、この迎撃の有効性は未知数だ。訓練の為にブリューナクを発射するわけにもいかなければ、迎撃ミサイルの発射も簡単ではない。ある程度の情報共有が可能な量産型関本の学習能力を期待した、ぶっつけ本番の戦法である。

 

その結果は、一機目の関本は武装での迎撃に失敗して迎撃ミサイルに飛び掛かるも、その手は空を切り、落下する途中で自爆という最悪のものだった。括られていたミサイルも迎撃ミサイルで破壊されてしまった。

 

二機目の関本は武器での迎撃、迎撃ミサイルへの飛び掛かりには失敗したものの、空中で高周波ブレードを纏った刀を投擲して、ミサイルの防衛には成功した。もっとも、後に続く別のミサイルで結局はブリューナクも破壊されたのだが、二発を使わせただけ最初よりは良い結果と言えるだろう。

 

三機目は迎撃ミサイル一発の撃墜に成功。十山家の魔法により攻撃ミサイルへの破片での被害を逸らしたが、後続の迎撃ミサイルに障壁ごと打ち破られた。

 

結論から言うと、量産型関本関本たちによる迎撃ミサイルへの対処は、あまり良い結果とはならなかった。いないよりは多くのブリューナクを着弾に導けたとは思うが、そのために関本十六機を使い潰す意味はあったのかと問われると、自信を持って価値があったと言えるほどではない。

 

ともかくウラジオストクには十六発中、九発のブリューナクが着弾した。重点的に破壊したのはベゾブラゾフがいる科学アカデミーだ。量産型関本による着弾直前までの誘導も功を奏し、実に八発を集中的にぶつけることができた。

 

「金剛、最後の関本が送った時点でのアカデミーの状態はどうだったか?」

 

「被害は軽いものではありません。おそらくはそれなりの犠牲者も出せたでしょう。ですが、優れた魔法師を殺害しえるかは……」

 

「分かった。もうよい」

 

おそらくベゾブラゾフは仕留め損なった。それでも、一度でも攻撃すれば相応の反撃は行うという姿勢は見せることができた。それをもって今回は良しとしよう。

 

任務を終えた艦隊が反転して余市基地へと帰投を始める。もう一つの収穫は、現段階では治夏たちの欺罔に敵は気づけなかったということだ。おそらく次の機会はある。そのときまでに、ベゾブラゾフを殺す策を練り直さなければならない。

 

治夏は未だ明けぬ夜の中を走る艦の中で一人考え込んだ。



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戦雲編 解放された達也

六月十一日、火曜日の朝。司波達也は最寄り駅から第一高校へと続く真っ直ぐな道を歩いていた。隣には妹の深雪もいる。

 

「達也さん、戻ってこられたんですね!?」

 

達也の姿を見つけて駆け寄ってくるのは、ほのかだ。その顔は喜びに満ちている。

 

「ああ。今日からまた、よろしく頼む」

 

そんな様子に微かな苦笑いを浮かべながら達也は応える。

 

ほのかの後ろには、「やれやれ」という顔のエリカ、レオ、幹比古、美月が控えている。達也の視線に気付いたエリカが軽い仕草で手を振った。

 

達也は左隣のポジションをキープしている深雪と、右に並んだほのかと共に校舎へと進んでいく。

 

達也が一高に復学したのは、ディオーネー計画に関わる騒動が達也の手を離れたからだ。トーラス・シルバーにディオーネー計画への参加を求めていたベゾブラゾフが日本に対して魔法攻撃を仕掛けてきた。その時点で日本が新ソ連が参加しているディオーネー計画に参加する見込みは薄くなっていた。

 

それに加えて、昨日は日本側からウラジオストクに向けてミサイル攻撃が行われた。和泉も参加しての攻撃で、科学アカデミーは壊滅的な打撃を受けたらしい。ただ、新ソ連は早々にベゾブラゾフの無事を宣言し、逆に日本に非難の声明を発してきた。

 

それに対して日本は改めてベゾブラゾフの引き渡しを要求。両者の開戦の危険は今までになく高まっており、もはやディオーネー計画への参加はありえなくなった。

 

元々、ディオーネー計画と達也の計画は両立しえないものではない。ただ単に同じ魔法師が両方の計画に同時に参加することはできないというだけだった。そこにディオーネー計画参加が不可能となれば、残るは達也の計画のみとなる。元から達也の計画を支持してくれていたインド・ペルシア連邦とともに計画を進めることができる下地はできつつある。

 

魔工科の昇降口は二科生側にあるため、前庭で深雪たちと別れた達也は自身の三年E組に向かい、午前中は教室の席で過ごした。欠席中に未履修だった一般科目を集中的に受講していたのだ。

 

残念ながら半日で終わる量ではなかったが、達也も今日一日で遅れを全て取り戻せるとは思っていない。昼休みになったので、食事に行こうと立ち上がった。

 

「達也さん、お食事ですか」

 

「ああ」

 

美月に答えて教室を出るまでに無人の十三束の席が目に入った。彼の不在に対し、他の生徒たちは一様に口を閉ざしている。達也も無人の席から目を逸らし、食堂へと向かう。だが、久しぶりの食堂での大勢の食事は、賑やかなものとはならなかった。

 

原因の一つとなったのは水波が報告した七草泉美と香澄の欠席だった。何度かの動画の配信を行って魔法師として知名度が高くなっている二人は、今回の新ソ連との開戦に反対する勢力から標的とされる可能性があるため欠席したということだ。

 

七草家の姉妹が動画配信を行うことになったのは、元はといえば七草家の謀略が原因だ。けれど、その直接の原因となったのは深雪を広告塔とすることに対する身代わりだ。少しばかりの後味の悪さは避けられない。

 

「今の所は反魔法師活動が活発化はしていないようだ。状況さえ落ち着けば二人も登校できるようになると思うが……」

 

「けれど、反戦活動がどうなるかは分からない。実際、二人が欠席したのも、二人の動画にも反戦に関する投稿がされたからみたいだし」

 

エリカの的を射た発言に、皆が沈痛な表情を見せる。今回の伊豆への魔法攻撃では、日本の被害は大きくなかった。それにも拘わらず開戦辞さずの反撃を行ったことには、平和を志す者たちから反発を招いている。

 

魔法師はどうしても戦力という側面を持つ。反戦活動の標的とされる可能性は低くない。日本と新ソ連の諍いがどのような経緯を辿るのかは、まだ予想が難しい。何より、二十八家会議の内容を忠実に守るなら、他の魔法師たちは七草家の双子を守ってはくれない。用心はしておくに越したことはない。

 

「先程、受け取りました淡路守様からの伝言をお伝えいたします」

 

そして、原因の二つ目が、普段は参加していない平河千秋がこの場にいることだ。

 

「和泉はなんと?」

 

「一部の魔法師たちが四葉に対して不穏な空気を醸し出しているとのことです。どうやら、四葉が七草を貶めたと考えているようですね」

 

「他人事のように言ってほしくないんだが、一部とはどの程度だ」

 

結果的には、深雪が担いそうになった役割を七草が受けた形になった。だが、その件に対して四葉は何もしていない。そんな達也の思いを無視して平河は話を続ける。

 

「二十八家の会議の経緯を知った若手の一部のようです。ですが、何人かは無視しえぬ者も加わっているようです」

 

「無視しえぬ者?」

 

「九島家の光宣殿にございます」

 

九島光宣とは奈良に行った際に一日、行動を共にしただけだ。けれど、あのときは達也たちに友好的な姿勢を見せていた。もっとも、あのときはまだ達也たちが四葉であるとは明かしていなかった。

 

「しかし、四葉家と九島家の関係は悪くなかったはずだが。まして宮芝と九島については言わずもがなだ。それなのに、なぜ光宣は敵対的な姿勢を見せているんだ?」

 

「九島光宣は七草家と交流があったようです。おそらく、七草に何か吹き込まれたのではないかと」

 

「また七草家か。どうにも困ったものだな」

 

七草弘一にせよ智一にせよ、どうしてあの家は大人しくしておいてくれないのか。現下の国際情勢が不穏であるだけに、余計にそう思ってしまう。

 

「して、四葉殿、淡路守様の伝言はもう一つございますが、内容がここで話すには憚られるものでございますれば、生徒会室をお貸しいただけませぬか?」

 

「分かった、行こう」

 

平河にそう言われ、達也は結局、他の皆に断って大急ぎで食事を終えて生徒会室に向かうことになった。

 

「それで、和泉からの秘すべき伝言とは何だ?」

 

早く面倒事を終わらせたくて、室内に入るなり達也はそう訊ねた。

 

「失礼ながら、こちらを使わせていただく」

 

そう言って平河が取り出したのは、漆黒の布であった。

 

「こちらは防音と外部からの光の遮断をしてくれます。こちらで防諜をします」

 

生徒会室内のカメラによる撮影と録音を防ぐということのようだ。平河の念の入れようを見て、達也の戦略級魔法にも話が及ぶのだと分かった。

 

「まずはベゾブラゾフについてですが、おそらく昨日の攻撃では仕留められなかったということ。それ故、今後も彼奴の戦略級魔法に警戒が必要となります」

 

「それは何となく予想できていた。仮にも戦略級魔法師な上に、ベゾブラゾフは用心深いとも言われているからな。簡単に仕留めることはできないだろう」

 

「すでに予測されておりましたか。それならば、話は早い」

 

そう言った平河が達也を真っ直ぐに見てくる。何だか、嫌な予感がする。

 

「達也殿、次にベゾブラゾフが戦略級魔法を使ってきた時には、反撃としてウラジオストを灰にしていただけ……」

 

「それは断らせてもらう」

 

皆まで言わせず、達也はきっぱりと言った。

 

「何故ですか? 達也殿にとってもベゾブラゾフめは倒しておかねばならぬ敵ではございませんか?」

 

「それは確かだが、ウラジオストにそんなことをすれば、俺の周囲は、いよいよ危険なことになってしまう。そんなものは許容できない」

 

「では、ベゾブラゾフ個人に対しての反撃ならば、行っていただけますか?」

 

「どういう狙いだ」

 

「達也殿から連絡をいただければ、すぐにでも我らはウラジオストクに再攻撃を行います。それならば、達也殿の魔法も幾らかは痕跡を隠せましょう」

 

達也の分解の痕跡は、すでに幾らかは入手されているはず。宮芝の申し出は、さほど得とはいえない。だが、損でもないのは事実だ。

 

「分かった。その申し出は受け入れよう」

 

どちらにせよベゾブラゾフは放置できない。達也は、そのような判断で平河に向けて返答を行った。



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戦雲編 九島光宣とパラサイト

六月十六日、日曜日。

 

九島光宣は、九島家がパラサイドールを格納している倉庫に来ていた。

 

今はまだ夜明け前、外は暗闇と静寂に覆われている。光宣がここにいることは、家族は誰も知らない。父も兄も使用人も、光宣は部屋で寝ていると思っているはずだ。

 

このところの光宣は四葉家に対して敵対的な魔法師の元に出向いて情報収集をしていた。それがおかしな行動であることは、光宣も自覚していることだ。

 

そんな光宣に対して、家の者は一様に馬鹿な真似はするなとしかりつけてきた。父も兄も、ただ行動を非難するだけで光宣に事情を聞こうとはしなかった。心配顔で事情を訊ねてくれたのは、祖父の烈だけだ。

 

烈に光宣が語ったのが、四葉と宮芝の企みで苦境に陥っている七草香澄と泉美を助けたいということだった。香澄も泉美も魔法師全体のためを思って、やりたくもない広告塔の役目に全力で取り組んだ。結果として魔法師としては有数の有名人となったわけだが、その変な知名度のせいで学校にも通えていない。

 

しかし、帰ってきたのは、烈でさえ今の二人を助けることはできないという答えだった。父と兄は、とうに自分のことを見限っている。そして、祖父でさえ四葉の意向には反することができない。

 

十師族という責任のある立場にいながら、九島は何もしようとしない。いや、それを言うならば、他の各家も同じだ。皆、我が身可愛さに閉じこもり、皆のために頑張った者が傷つけられようとしているのに、何もしようとしない。

 

九島だけではない。今の魔法師界は全体がおかしい。その思いは今を甘受するあらゆる存在に対して、光宣に怒りと失望を感じさせるのに十分だった。

 

そもそも今の九島は四葉と宮芝に完全に屈服している。そうであれば、もはや光宣の存在も邪魔でしかないだろう。

 

そのことに気づいてから三日間、光宣は部屋に閉じこもった。光宣が外に出ることに警戒する家族の油断を誘うためだった。そして、それは実を結んだ。九島家の者たちは光宣が外出しないかは未だ警戒をしているようだが、家の中は警備が薄くなった。

 

そして今、光宣は行動を起こしている。

 

光宣は倉庫の最奥に置かれた「棺」に歩み寄る。

 

その中には、東アジア系の男性の死体が凍った状態で安置されている。

 

これは去年の冬、九島家が回収したパラサイトの死体だ。死体の皮膚にはパラサイトを閉じ込めておく為の文字と文様が刻まれている。

 

この死体は、パラサイドールに使用したパラサイトの供給源だ。この死体に閉じ込められたパラサイトのコピーがパラサイドールの元。

 

この、死体の中に封印したパラサイトと融合する。それが光宣が下した決断だった。

 

体の弱い光宣では、どうあっても魔法師として活躍することができない。高い魔法力を持ちながら、苦境に陥っている友人を助けることさえできない。

 

だが、健康な体さえ手にすることができれば、光宣には絶対的な魔法力がある。非才の父や兄に代わって九島家の力を使えるようになれば、香澄と泉美を救うこともできるはずだ。その思いだけで、今の光宣はパラサイトの前に立っていた。

 

光宣が右手を、凍っている死体の胸に置く。

 

意を決して掌から、凍結死体に想子を送り込む。数秒のタイムラグを置いて、霊子の波動が生じる。

 

死体の中で休眠状態だったパラサイトが目覚めたのだ。

 

一瞬の躊躇を乗り越え、光宣は死体に掛けられた封印術式を解除した。

 

次の瞬間、死体の中から、光でできたスライムが飛び出した。

 

光宣が見た光景は、そうとしか表現できないものだった。ぼんやりと光る非実体の不定形生物。襲い掛かってくる「スライム」を光宣は避けなかった。

 

光宣は自分の意志の一欠片でもパラサイトに渡すつもりはない。

 

光宣は自分自身を保った状態で、パラサイトの力だけを手に入れるつもりだった。

 

他の誰よりも優れた自分の力で、全ての者を屈服させられるように。他の誰よりも高い魔法力を持った自分が、誰よりも高い位置にいくために。

 

そうしなければ、友人たちを助けることができないから。だから自分は父や兄を廃して九島の力を手に入れる。

 

光宣は冷却魔法を発動して、自らの体温を引き下げて仮死状態とする。パラサイトに対する生物としての拒否反応を抑える為だ。

 

肉体の自由は不要。自由は精神のみにあればいい。意識だけは絶対にパラサイトたちに明け渡したりはしない。

 

光宣の目的のためには自分を侵食してくるパラサイトを、逆に支配しなけれはならない。パラサイトを葬ってしまわないよう細心の注意を払いながら、パラサイトを隷属させる術式を自分の中で行使する。

 

自分自身が脆弱な肉体から逃れる。ただそれだけの為なら、光宣は人であることを捨てようなどとは思わなかった。けれど、そこに友人を助けるという崇高な目的が加われば話は別となる。父や兄の排除は、人助けになる。光宣が力を手にすることは、人助けになるのだ。その思いが光宣の背を押した。

 

自分の肉体を生け贄に捧げて、魔の力を得る儀式。それは光宣が己の人生に諦めを抱いていたから、できた決断かもしれない。だが、光宣には勝算があった。

 

宮芝和泉はパラサイトを制御できたと聞いている。宮芝和泉の魔法力は自分の足元にも及ばない。宮芝は確かに優れた術式を持っているのだろう。だが、術式の優劣など問題ではない。その程度の差など光宣の魔法力をもってすれば簡単にひっくり返せるものだ。魔法力とは覆せない不変の価値であるからこそ評価の対象なのだから。

 

精神生命体を斃すだけなら、技術が決め手となることもある。だが、精神生命体を従えたいなら、技術だけでは不足かもしれない。

 

相手は物質的な形こそ持たないものの、自ら捕食し増殖する生き物だ。

 

それを自分の一部として飼い慣らす為には、相手に喰われない心の強さが必要だ。

 

けれど、この点でも光宣は負けるつもりはなかった。宮芝は何の自制も責任感も持たずにパラサイトたちを従えている。

 

自分は宮芝とは違う。自分は、大切な友人たちのためという強い思いを持っている。それならば、宮芝にできて光宣にできないはずはない。

 

「僕に従い、僕の一部になれ!」

 

光宣の咆哮と同時に、パラサイトの同化が終わった。

 

自分は九島光宣であると実感がある。けれど、同時に光宣につながろうとする声も聞こえている。一つになれと、囁いているその声は、逆に彼らと同じ存在ではないということも示している。

 

僕は、僕だ。パラサイトたちと同じじゃない。

 

光宣は肉体に掛けた冷却魔法を解いて、仰向けに転がった。

 

凍傷が、たちどころに癒えていく。

 

この治癒再生能力は、パラサイトとなったことの恩恵だろう。

 

それだけではない。これまで絶えず感じていた肉体の重さを、今は全く感じない。これなら思う存分、魔法を使うことができそうだ。

 

額の奥に、今までに無かった器官が形作られたと、何となく分かる。

 

だがそれは今のところ、光宣の意識に何の影響も与えていない。

 

光宣は完全に賭けに勝ったのだ。

 

「……やった! これで……これで!」

 

抑えきれない喜びに、誰もいない倉庫の中、一人で笑い声を上げる。これで誰も自分を縛ることなどできない。自分には力があるのだから。

 

「待っていて、香澄、泉美。すぐに僕が助けるから」

 

光宣は力を手に入れた。その力で、まずは魔法師界を正しい姿に直さなけらば。

 

くだらない政治力などではなく、魔法師が正しく魔法力だけで評価をされる世界を作る。そうすれば、香澄も泉美も今のような扱いはされないはずだ。

 

その後は世界の全ての作り直しだ。そもそも魔法力のない劣った人間が大きな声を発せられる世の中だから、香澄と泉美のような優秀な人間が苦しむことになるのだ。ちゃんと魔法力の高い人間が世の中の上に立てるようにすれば、このような理不尽は起きない。

 

さあ、香澄と泉美を助けるための世直しの始まりだ。その第一歩として、まずは愚物の権化ともいえる父と兄を。更には邪魔をするなら祖父をも殺す。力を持つ自分には、その権利があるはずだ。

 

自らの魔法力に相応しい地位を得るため、光宣は本宅に歩き出した。




九島光宣、クズになる。


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戦雲編 パラサイト光宣

六月十七日、森崎雅樂駿は九島光宣を討伐するため、副将に名倉三郎、小早川桂花、郷田飛騨、兵員として量産型関本十二機を率いて伊勢国に向けて出立した。九島家より九島光宣が反逆し、現当主である九島真言と真言の次男である九島蒼司の二人を殺害されたと連絡があったのは昨日のことだ。

 

襲撃から逃れた次期当主、九島玄明と外出していたために難を逃れた九島烈の救援要請に従い、森崎は第一陣として出立することになったのだ。九島烈を中心に九頭見家と九鬼家も集結しているため、今の所は九島光宣も手を出せないはず。そもそも、戦力で考えれば九島烈がいる時点で九島光宣を上回っているはずなのだ。

 

それでも九島烈が宮芝に救援を求めたのは、九島光宣がパラサイト化している可能性があると考えたためだという。最巧と謳われた九島烈には劣るものの、九島真言も九島玄明も優れた魔法師には違いない。その九島玄明の魔法が全く通用せず、九島真言が時間稼ぎしかできなかったという結果に九島烈は違和感を覚えたと言うのだ。

 

そこで対パラサイトの専門家である宮芝が立つことになった。しかし、問題は九島光宣が本当にパラサイトとなっているか否かである。パラサイトとなっていれば、宮芝家は元が九島光宣であろうとも圧倒できる。だが、もしもパラサイト化していなければ、魔法戦で九島光宣に宮芝家が勝つのは困難だ。森崎たちの役目は、第二陣として出立する淡路守が率いる本隊の到着前に九島光宣が本当にパラサイト化しているのかを確認することだ。

 

伊勢国に到着した森崎はまずは九島烈と合流を果たすべく、九島玄明が逃れている度会郡へと足を踏み入れた。森崎が違和感を覚えたのは、その瞬間のことだった。

 

粘りつくような不快な空気。それが伊勢の地を覆っている。

 

どことなく関本に似た気配も混じっていることから、森崎はすぐに淡路守へと救援を要請し、その後、伝えられていた拠点へと急行する。だが、その前に森崎たちの前に立ち塞がる物がいた。どことなく関本に似た気配の機械たちは、九島家が開発したパラサイドールたちだろう。その数は、七体。

 

「小早川分隊、交戦に入ります。雅樂殿はどうぞお先に」

 

「了解した。小官たちの関本を一機ずつ貸与する」

 

生まれたばかりに近いパラサイドールと、戦闘経験を積み装備の更新も続けている量産型関本では、関本たちが有利なはず。それでも、数的不利は避けるべきだ。そう考えて元から小早川に付いていた三機に森崎たちから、それぞれ一機を加える。

 

「ご配慮、感謝します。雅樂殿に武運のあらんことを」

 

「小早川も武運を祈る」

 

短く互いを激励すると、小早川をその場に森崎たちは前へと進む。すると、前方で魔法の使用の気配を感じた。

 

「九島烈、九島玄明、九鬼鎮の三名が若い男と戦闘中」

 

その報告は千里眼を使った郷田飛騨のものだ。

 

「戦況は?」

 

「膠着状態に見えます」

 

三人がかり、しかも、その内の一人は九島烈だ。それでありながら膠着状態とは九島光宣の力は本当に恐るべきものとなっているようだ。

 

「これより我らは九島烈を援護する。小官が前衛を務める。名倉殿は中衛、飛騨殿は後衛をお願いしてよろしいか?」

 

「異議はない」

 

「同じく」

 

郷田飛騨、そして名倉が短く答えを返す。これで陣形は決まった。あとは全力で時を稼がせてもらうのみ。

 

今や森崎の肉眼でも激しい魔法戦を行う九島烈と九島光宣の姿が確認できる。九島玄明と九鬼鎮の両名は烈を援護することに主眼を置いているらしい。おそらく二人では光宣と正面からの対峙は難しいのだろう。

 

十師族の当主と次期当主が援護するくらいしかできない。そのような相手に、時間稼ぎができるだろうか。森崎の心に不安が去来する。しかし、前に進む足は緩めない。いくら不安だろうと、やるしかないのだから。

 

光宣の放出系魔法『スパーク』を烈が同種の魔法で相殺する。続けて使われた放出系魔法の『人体発火』を烈は妨害できないようだった。烈の魔法が間に合わないほど光宣の魔法発動速度は卓越していた。

 

ただし、烈もさすがに最巧の魔法師。光宣の魔法の発動と同時に烈の姿が消え、代わりに少し右に新たな烈が現れる。あれが偽装魔法のパレードなのだろう。

 

「九島殿、加勢いたします」

 

言いながら光宣に向かって寒風の魔法を使う。この魔法は威力は低いが影響範囲が広い。烈と同様に光宣もパレードを使っていることを想定して選択した。森崎が思っていた通り、見えている光宣と違った位置で障壁が発生するのを感じた。

 

「宮芝か!」

 

森崎に向けて怒りの視線を向けた光宣が放出系魔法『青天霹靂』を使用する。

 

「導電被膜」

 

「飛射円帯」

 

名倉が青天霹靂の対抗魔法を使い、それを飛騨守が空中に生じた魔法的な兆候へと射出して電撃を四散させた。その間にも光宣の攻撃は止まらない。空中に目を向けておき、今度は地を這うような『熱風刃』だ。

 

熱風刃は空気を薄く断熱圧縮して作り出した刃を飛ばす空気弾の一種だ。単純な魔法なだけに絶対的な対抗魔法が存在しない。そして、光宣の魔法は森崎の魔法力では防ぎきれない威力を有していた。ならば、耐えきればいい。

 

森崎は引き連れている関本に強化魔法をかけ、自分たちの前に並べる。元が金属製の関本は少しの硬化魔法でも、かなりの硬度に達する。

 

飛騨守が風刃の術をぶつけて威力を少しでも弱め、森崎は名倉と二人で関本たちの防御力を底上げする。硬化した関本たちを並べて作った盾は光宣の魔法に見事に耐え切った。

 

今の所は森崎たちは防戦一方。だが、それで十分。光宣の注意が森崎たちに向いている隙を突いて烈が火砕流の魔法を放つ。こちらも範囲の広い魔法だ。幻影が消え、やや左の位置から身体を焼かれた光宣が飛行魔法で空中に逃れる。しかし、空中に立つ光宣に刻まれた火傷は見る間に癒えていく。

 

「パラサイトの治癒再生能力を見るのは初めてですか?」

 

驚く森崎たちを見て、光宣がにやりと笑う。それで森崎もかつて司波達也たちが対峙したパラサイトの話を思い出した。リーナと共に潜り込んでいた個体は、エリカの斬撃で受けた傷を瞬く間に癒したという。

 

だが、身体の広範に渡る重度の火傷を一瞬で治した光宣の治癒再生能力は、話に聞いていた個体を凌駕しているように感じた。これでは九島烈が苦戦していたのも頷ける。

 

おそらく森崎たちの魔法でも光宣に痛手を負わせることはできないだろう。だが、全く手がない訳ではない。森崎たちに与えられている刀には、強力な退魔の力が付与されている。刀での白兵戦でなら、打撃を与えられる可能性が高い。だが、一方でそれが難しいことも理解できていた。

 

まずは、そもそも光宣の激しい魔法攻撃をかいくぐって接近戦に持ち込むことが難しい。そして、仮に接近を果たせても光宣はパレードによる幻影を作っている。広範囲魔法なら、ある程度のずれは無視することができるが、接近戦では僅かの認識の差異が致命傷となる。パレードを見破って斬撃を当てるための方法を、森崎は持っていない。

 

「関本全機、突撃!」

 

森崎の命に従い、六機の関本が光宣に向けて殺到する。飛騨守の陰隠の魔法により、その内の一機の陰に潜み、森崎は光宣へと迫る。関本たちに向けて光宣がスパークを使い、先頭の一機が頽れる。

 

関本たちに、光宣に対する有効な攻撃手段はない。それでも光宣が迎撃を選択したのは、関本に隠れての接近という森崎たちの狙いを何となく察したのかもしれない。このままでは接近前に関本全機が撃破されるだろう。

 

しかし、九島烈たちとて、それを黙って見てはいない。九島烈と玄明、九鬼鎮の三名が畳み掛けるように魔法を放って光宣の迎撃を妨害する。さすがの光宣もそれを無視することはできず、その間に森崎は光宣に近づくことができた。しかし、未だ光宣の本体の位置は掴めていない。これではせっかくの退魔の刃でも斬撃を当てることはできない。だが、そのための方策は、すでに種が蒔かれている。

 

「血霞」

 

言いながら、名倉が自らの掌に刃を突き立てる。噴き出した名倉の血液は細かい針へと変化して光宣の幻影を中心に周囲に降り注ぐ。

 

「見つけましたぞ!」

 

名倉が言うと同時に特定の血針が光を放つ。自己加速魔法で急速接近した森崎は、その光を目掛けて退魔刀を振り下ろした。直後、苦悶の声とともに光宣の本体が現れる。大きく後退した光宣は、血が流れる右肩を左手で抑えている。

 

どうやら、退魔刀での傷は簡単には癒せないようだ。だが、少しばかり浅かった。やはり何の訓練もなしに血針の光だけを目標に的確な斬撃は難しい。

 

「宮芝、僕は絶対に君たちを滅ぼす。魔法師は魔法力だけで評価されるべきなんだ。君たちのような劣等種が力を持つ世界を僕は許さない」

 

憎悪を森崎たちに向け、光宣が退いていく。光宣の傷は、まだ退かなければならないものではない。それなのに継戦ではなく撤退を選んだのは、実戦経験の少なさゆえだろう。おそらく、どの程度の傷が危険なのかの判断がつかないのだ。

 

森崎としては光宣はここで止めが刺すのが理想だ。しかし、現在の戦力でそれを実現するのは不可能だ。ここは退かせられただけで良しとしよう。

 

小早川からの敵パラサイドールの掃討完了の報告を受けた森崎は、九島の隠れ家で守りを固めて淡路守の率いる本隊の到着を待った。



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戦雲編 呪霧散覆

六月二十一日正午過ぎ。宮芝淡路守治夏は北海道の余市を出港した国防軍のミサイル護衛艦の指揮所にいた。

 

治夏は昨日まで逃亡する九島光宣の追討に従事していた。治夏は光宣を西へ西へと追い落とし、遂に九州へと押し込めた。しかし昨日、日本は新ソ連軍からまたしても戦略級魔法による攻撃を受けた。

 

昨日の東京は朝から雨が降っていた。国立魔法大学付属第一高校がある八王子も降り続く雨に街中が濡れていた。

 

一日中弱い雨が降り続く風の無い天気は、『トゥマーン・ボンバ』にとって最高の気象条件であるらしい。そこを狙って、白昼堂々、再びベゾブラゾフが仕掛けてきた。今度は達也がトゥマーン・ボンバを深く理解していたことで、発動前に反撃を行うことができ、第一高校が被害を受けることはなかった。

 

しかし、その魔法攻撃は、未遂であってもしっかり観測されていた。

 

国立魔法大学の付属高校の中でも、最も設備が整っているのが一高だ。こと魔法に関する限り、学校周辺を観測する機器の充実ぶりは国防軍の主要基地にも匹敵する。

 

一高の観測機器群は、頭上に酸水素ガスを生成し爆発させる魔法が発動しかけていたということ、その魔法が新ソビエト連邦沿海州から放たれたものであるということを、客観的なデータ付で示した。

 

外務大臣は即座に新ソ連に対して、未遂とはいえ伊豆に続いての侵略行為を強く非難し、ベゾブラゾフに報復攻撃を行うことを明言した。

 

それを受けての出撃が、今回の出港である。せっかく追い詰めた光宣を自由にさせてしまう可能性があるのは忸怩たる思いだが、事は新ソ連という大敵のこと。小者に構って大事を疎かにすることはできないので、やむを得ない。

 

今回の出撃では、治夏のミサイル護衛艦の周囲に配置されたのは護衛の高速艦が四隻のみだ。というのも、今回の攻撃はただ一つの魔法を行使するのみの予定であるためだ。

 

けれど、そのための準備は入念に行っている。まずは術者として治夏と側近の三名。術の発動の補助のために十二名、治夏たちの乗る艦隊の隠蔽のために十三名。それに加えて敵から反撃を受けたときのために克人以下十文字家の魔法師五名を連れている。

 

多数の術士の隠蔽術式に守られ、艦隊が前進していく。その上空を四機の戦闘機が通過していった。彼らが今回の作戦の重要な役割を果たす、ある意味では主役だ。

 

四機の戦闘機は、日本が極秘に開発した複座式戦闘機である天牙だ。天牙は機体に多数の魔法行使の補助具を搭載し、後部座席に魔法師が搭乗して術式による高いステルス性能を会得した機体である。

 

天牙の後部座席に搭乗するのは無論のこと、宮芝の術士だ。操縦は操縦席の生粋の操縦士により行われるため、宮芝の術士が操縦等を覚える必要はない。しかし、巡航速度であろうとも十分に高速な航空機に隠蔽術式を行使し続けることも、空戦機動の中で術式を組み上げることも、特別な訓練なしにできることではない。

 

来たるべき戦いに備えて横浜事変の直後から準備を進めてきた新兵器が、今日お披露目となるのだ。もっとも、お披露目といっても基本的には対レーダーに加えて、敵地に近づけば光学術式による欺罔も行うため、敵に気づかれない可能性もある。

 

けれど、それならば逆に都合が良い。見えない敵からの攻撃は、大きな恐怖感を与えることができる。何より次のUSNA戦まで存在が明るみにならなければ、より高い戦果を期待できるというものだ。

 

「さて、少しの時間、待ちだね」

 

今回、行使する魔法は、宮芝の地下の実験場で小規模での発動には成功している。だが、影響の大きい魔法ということもあり、実際に敵に向かって放つのは初めてのことだ。或いは期待した通りの結果とならない可能性もある。

 

治夏が不安を覚えると、肩にそっと重みがかかる。前回の出撃のときにも克人が使ってくれた、極小の力で使われたファランクスだ。体温などは伝わってこないが、かかる重みのわずかの変動で肩を叩かれているような心持ちを得られる。

 

妙な魔法の使い方をすっかりマスターしている克人に、思わず緩みそうになる頬を懸命に口を結んで持ち上げる。克人のおかげで緊張は解れた。後は落ち着いて練習のときと同じように魔法を使うのみだ。

 

今回、用いる魔法は呪水落滅を元に組み上げた、呪霧散覆という魔法だ。降り注ぐ水を霧状に変えることで、威力は下がるが、より広範囲に効果をもたらせるようにした。この魔法で作られた呪いの霧を吸い込んだ者は、発狂して周囲の人間を無差別に殺害していくようになる。

 

呪水落滅に比べれば威力は低いため、精神干渉系魔法に少しでも耐性がある者には効果は薄い。だが、一般人や精神干渉系魔法に抵抗力が低い者ならば効果は絶大だ。今回の狙いは非魔法師の軍人たちなので、それに最適化したというわけだ。

 

「そろそろ時間か」

 

いかに高度な隠蔽術式を行使していたとしても、中から外に合図を送れば、それを気取られることになる。合図があったときは攻撃がされた直後。即ち、すぐに魔法の発動に取り掛からねばならないということだ。そのため、準備行動は予定時間に合わせて執り行うことになっている。

 

今回の攻撃では、爆弾の代わりに捕らえたUSNAのスターダストの兵士たちを呪詛漬けにした死体を投下する。それを依代にして遠隔地に呪いの霧を発生させるのだ。

 

隔離された一室に移動した治夏の周囲には呪詛を生み出すための陣が描かれていく。描くために用いるのは、こちらもスターダストの兵たちから搾り取った生血だ。捕らえた敵兵を呪具として使い潰すのは、我ながら醜悪にもほどがある。

 

おそらく、自分はろくな死に方はしないだろう。頭をよぎった考えに苦笑する。

 

そんなことは、父をこの手にかけた時から承知していたはず。今更、何を恐れることがあるだろうか。

 

呪詛の陣が完成した。克人たちは呪詛の巻き添えとならないように同じ部屋にはいない。室内にいるのは、治夏と側近三名だけだ。

 

「さて、そろそろだぞ、皆」

 

他の三人が頷く。緊張が場を満たす。

 

「第一次攻撃は成功」

 

その状態が三分ほど過ぎた頃、不意に艦長からの通信が入った。それは天牙が呪詛の依代の投下に成功した合図だ。隠蔽術式を切った上での天牙からの通信は、当然に敵も拾っていることだろう。そうすれば、二次攻撃を警戒して防衛体制を取るはず。つまり外に出る兵が増えるということだ。

 

慌てて飛び出した兵を呪詛に当てるべく、治夏は急ぎ魔法を構築する。今回の魔法も呪水落滅と同様に山中図書から順に歌を練り上げることによって効果を増幅する。図書に続いて皆川掃部、村山右京が歌い上げていく。

 

そうして、三人の後を受けた治夏が呪霧散覆を発動させた。目標はウラジオストクの海軍基地。そこの軍人たちに付近の街を襲わせる。しかし、今の時点ではその効果は分からない。ウラジオストク上空の天牙は敵の反撃を受ける前に日本に引き返している。近づくのは危険なため、現地の工作員たちは退避させている。

 

術が成功したのか失敗したのか、それは衛星から撮影されたウラジオストクの映像が届いてからとなる。ひとまずは、この場の物騒な呪術陣を撤去するのが先決だ。強力な呪詛を纏ったスターダスト隊員の血を丁寧に中和しながら清掃をしているうちに艦は基地へと帰投したらしい。そこで治夏は、艦長から報告により、ウラジオストで起きた想像以上の惨劇を知ることになった。

 

ウラジオストク基地所属の新ソ連艦隊による市街地の無差別砲撃。基地から外に出た兵たちによる市民の虐殺。それが今、まさに行われているという。

 

最終的なウラジオストクの死者は二万人にもなった。その死者数は都市に向けた攻撃であるという事情を考慮しても、多すぎた。ブラジル軍や大亜連合軍が使用した戦略級魔法よりも多大な被害をもたらした魔法攻撃を行ったことで、日本は後戻りができない戦乱に身を投じることになったのだった。



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戦雲編 USNAの変事

六月二十三日、宮芝淡路守治夏は東京の達也の新居にいた。治夏が達也の家を訪れたのは、極秘裏に来日している、ある重要人物に会うためだった。

 

「は、ハーイ……」

 

治夏の姿を見た重要人物、アンジェリーナ・クドウ・シールズが決まり悪げな顔で挨拶をしてくる。

 

「それで、リーナはUSNAで何があったと認識している。概要は部下からも聞いているが、リーナの主観でも意見も聞きたい」

 

治夏がそう促すと、リーナはゆっくりと自分が体験したことを話し始めた。

 

最初の異変は散歩がてらの自主トレで『パレード』を行使しながら歩いていた所への狙撃だった。その攻撃は基地の中からの攻撃であり、叛乱を意味するものであった。

 

即座に反逆者を捕らえるべく動き出したリーナだったが、次々とスターズの隊員たちが襲い掛かってきて苦戦を強いられる。開けた場所から、遮蔽物を求めて走り出したリーナが辿り着いたのは特殊車両の格納庫だった。

 

だが、そこでも別のスターズの隊員たちに襲われた。そして、そこでスターズの一小隊がパラサイトに取り憑かれたことを聞かされたと言った。

 

「そのパラサイトは前回の生き残りというわけではないのか?」

 

「おそらくだけど、違うと思う。叛乱を起こした隊員たちはマイクロブラックホール実験を再実施したと言っていたから」

 

ということは、新たなパラサイトがUSNAに発生したということだ。これが日本なら治夏が簡単に滅して終わりだが、USNAだとそうはいかない。厄介なことになったと、治夏は小さく舌打ちする。

 

ともかく、部下がパラサイトに侵されたと聞いて動揺したリーナは危機に陥った。だが、そこでリーナを信じる部下たちが救援に来てくれ、リーナは基地から脱出することができたようだ。

 

「そこで部下から聞いた話では、すでに七人の隊員がパラサイト化していると推測されるようです」

 

「明確に確信できるだけで七人か。他にどのくらいいるのか、頭の痛いことだな」

 

元がスターズの隊員であろうが、パラサイトである以上、治夏に負ける道理はない。だが、他の者となると話は別だ。

 

強化された身体能力と魔法能力。様々な特殊能力に加えて、基本的には治癒再生能力も向上している。並みの魔法師であれば苦戦は免れない。前のときは軍事行動を企図せず、好き勝手に動いていたから、討伐は容易だった。

 

しかし、今回のパラサイトたちはリーナの抹殺という目的を持って行動している。本能のままに、ただ仲間を増殖させようとした前回と同じとは考えられない。もしもパラサイト化した七名のスターズの隊員たちが離れた場所を同時に襲撃したら、治夏が対処できるのは一か所だけ。敵に目的を果たされてしまう可能性が高くなる。

 

「ところで、基地を出た途端に、どこからともなく現れた黒尽くめの男たちはイズミの部下たちなのよね」

 

「ほう、よく分かったな」

 

「あんな、いかにもな怪しい格好をして基地の近くにいるくせに、誰からも不審に思われないなんてイズミの関係者以外に思いつかないわよ」

 

言われてみればその通りだが、あれは注意を服装に向け、代わりに纏う者に対する記憶を希薄にさせる効果のある特殊な紋入りの術具である。まあ、それを親切にリーナに教えてやる気はないのだが。

 

「まあいい。その通り、あれは私が送り込んだ部下たちだ。リーナは運がいい。私が部下たちを送り込んでいたから、こうして日本に逃れることができたのだからな」

 

「まあ、脱走兵とならずに日本に来られたことは感謝してるわよ。それにしても、よくあれほど精巧な命令書を作れたわね」

 

リーナのために宮芝が用意したもの。それが在日武官の秘密監査のために日本に潜入せよという偽の命令書だ。精巧に作られたそれは、予め治夏の部下たちから偽の命令書が届くと知らされていなければ、リーナが普通に命令と信じて来日してもおかしくない品だ。

 

その後、リーナは宮芝の配下の者たちの手を借りて貨物船に乗り込み、昨日の昼過ぎに日本に入国。四葉真夜の命を受けた黒羽家に保護されたらしい。

 

「ねえ、ワタシの脱出を手伝ってくれた部下たちがどうなったか知ってる?」

 

「ラルフ・ハーディ・ミルファク少尉は宮芝で保護した。けれど他は捕らえられ、略式裁判でミッドウェー島の魔法師用軍事刑務所に送られたようだ」

 

「そう、ですか……」

 

「残念だが、落ち込んでいる暇はないぞ。奴らはすぐにでも攻めてくる可能性がある。だが、こちらは新ソ連と開戦をしたばかり。手があまりに足りない」

 

自分の脱出を手伝ってくれた者たちの苦境に心が痛むのは当然のことだろう。だが、日本にとって、今はあまりにタイミングが悪い。もしもリーナの到着が一昨日のうちで、治夏がパラサイトたちのことを聞いていたら、新ソ連に対する攻撃は中止しただろう。

 

ベゾブラゾフは気に食わない相手ではあるが、それでも同じ人間だ。宮芝にとって最大の敵である妖魔との比較であれば、どちらを相手にすべきかは明らかだ。九島光宣については戦闘力はともかく、単独であることと増殖の可能性が低いため優先度が高くないが、今回のパラサイトは放っておくと増殖する可能性が高い。

 

それならば新ソ連とは適当に和睦を行い、対パラサイトに限定して各国と連携してでも、早めに対処を行うべきだ。けれど、ここまで対立が深刻化すれば、いかに新たな脅威が現れたといっても、もはや共闘は不可能だ。

 

それにしてもUSNAの最近の行動は妙にちぐはぐな印象を受ける。旧メキシコで起きた叛乱にしても、達也に対しての強引な作戦にしても、今回のリーナへの対応にしても場当たり的で一貫した戦略が見えない。

 

だが、そのちぐはぐさが狙いを絞らせてくれないのも確かだ。はっきり言って、現状では治夏も次の手を決められない。

 

「まあ、今後のことはこれから考えるとして、差し当たってリーナをどこで保護するかは考えているのか?」

 

「四葉の当主は、リーナが隠れ住む場所として巳焼島を考えているようだ」

 

「巳焼島か。身を隠すのには最適だろうが、住むとなると少々、不自由な場所だな」

 

巳焼島は房総半島の南海上九十キロ、三宅島の東約五十キロの海上にある。二十一世紀最初の年に海底火山の活動によって新たに形成されたことから『二十一世紀新島』とも呼ばれている小さな島だ。

 

巳焼島は元々、国防海軍の補給基地が置かれていた。しかし二〇五〇年代の度重なる噴火で基地は放棄され、第三次世界大戦、またの名を二十年世界群発戦争終結後、軍民を問わない魔法師専用の秘密刑務所になったと聞いている。そして、その管理を委託されたのが強大な魔法力を持つ四葉だった。

 

しかし、その秘密刑務所も二〇九三年一月の噴火をきっかけに移設が検討され、つい先月、新たな秘密刑務所が完成して囚人の移動が完了している。宮芝にとって強力な魔法力を持つ犯罪者というのは最高の素材でもある。そんなわけで、昔から宮芝は四葉から高値で素材を買い取っていた。それで治夏も巳焼島のことを知っているのだ。

 

「ワタシ、そんなに贅沢は言わないわよ」

 

そんなことは知らないリーナは何でもないことのように言っているが、元刑務所の孤島に隠れ住むなど、外に出られないという意味では囚人も同然。後で騙されたと文句を言わないだろうか。

 

「潜伏先が巳焼島で本当に良いかは実際にリーナに見てもらってから判断してもらえばいいだろう。明日、俺が案内する」

 

「なるほど、それなら私も是非、同行させてもらえないか?」

 

「和泉が? 何のために?」

 

「備えあれば憂いなし。もしもリーナが巳焼島に滞在するなら、パラサイトに対する仕掛けもあった方がいいと思わないか?」

 

そう言うと、達也も納得したようだ。対パラサイト限定であれば宮芝以上の対策ができる組織は存在しない。そうして明日の出発時間についての相談を行い、治夏は達也の家を辞去した。



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戦雲編 巳焼島

二〇九七年六月二十四日、月曜日の早朝。宮芝淡路守治夏は達也とリーナとともに巳焼島に向かう小型VTOLの中にいた。ちなみに深雪も同行を希望したのだが、達也が登校を強く勧めたこともあり、今日は不在である。

 

「達也様、宮芝様、シールズ様、まもなく着陸致します」

 

小型VTORを操縦している花菱兵庫という四葉の関係者が、声を掛けてきた。

 

「達也、四葉家は良い部下を多く抱えているのだな。羨ましい限りだ」

 

「和泉は単に兵庫という名乗りが気に入っただけじゃないのか」

 

「そんな訳はないだろう。兵庫が戦闘の心得があることは見れば分かる。それに桜井にしても魔法師と使用人、両者を高いレベルで両立しているだろう。それも踏まえてだよ」

 

達也とそんな他愛のない話をしているうちに小型VTOLがヘリポートに着陸した。そこから先は自走車に乗って島内を走る。

 

巳焼島の中は元刑務所として使用されていた囚人用の施設は改装が必要なものの、監督者用の建物はすぐにでも居住可能に見えた。また刑務所として使われていなかった島の東側には、魔法実験施設の建設計画が進められていた。この地は達也の提唱した魔法核融合炉エネルギープラントの建設予定地でもあるようだった。

 

自走車が向かったのは刑務所管理用のスタッフ用の居住棟だった。居住棟の中は、すぐに入居できる状態に維持されている。

 

「フーン……。ホテルと言うよりコンドミニアムね」

 

案内された部屋を一通り見て回ったリーナは、特に不満を感じていない様子だ。もっとも、これだけの設備で文句を言うようなら、宮芝として黙っていない。何と言っても、宮芝にはこれほど大きな施設を贅沢に使える余力はないのだ。

 

「管理施設には住居だけでなく日用品店舗や訓練室、レクリエーション室も備わっております。それらもご覧になっては如何でしょうか?」

 

何と、更に至れり尽くせりだったようだ。宮芝の術士たちの保養所として空き部屋を貸してくれないものだろうか、と思ったが、さすがにそれは口には出さない。

 

達也たちは居住用施設を一回りした後、刑務所のヘリを使って島の東側にある工場群へと治夏たちを案内した。そこでは企業機密ぎりぎり、というか若干アウトらしいものまで見せられた。もっとも、それはリーナに対する無闇に近づくなという牽制と治夏が見た所で、どうせ理解できないという読みがあるようだった。

 

ともかく施設を一巡りして部屋に戻ってきたリーナは、むしろ驚き疲れているような様子を見せていた。当然、ここに住むことも二つ返事で了承していた。

 

「リーナ、この部屋の鍵だ」

 

リーナに渡されたのは金色のICカード一枚だ。

 

「そのカードで、食事やショッピングを含めて、島内の全施設を自由に使える。紛失しても再発行は可能だが、少し面倒な本人確認が必要になる。それから、和泉に何か言われても、安易に奢らないように」

 

「ちょっと達也、最後の注意はどういうことだ?」

 

「リーナにカードの説明をしているとき、目つきが怪しかったからな」

 

「そんな分別のないことはしない」

 

ほんの少し、誘惑に駆られたことは否定できないが、実行しようとは思っていなかった。……つい、先程までは。人間、やるなと言われると、やりたくなってしまうのだ。

 

「だが、リーナは今、手持ちの服が少ないだろう。リーナは衣服のセンスに重大な欠陥を抱えているようだし、私がいるうちに買い物をした方がいいのではないか?」

 

「ちょっと、それはどういう意味?」

 

「言ったままの意味だ。まさか君の周りの者は誰も君の服装に否定的なことを言ってはくれなかったのか?」

 

そう問うと、リーナがそっと目を逸らした。どうやら、経験ありだったようだ。

 

「悪いことは言わない。今のうちに買い物をしておけ」

 

「そうして、和泉もついでに買い物をして、支払いをリーナにさせるつもりだろう。心配しなくても、こんな場所だ。服装を気にする者はいない」

 

「達也、どんな場所でもおしゃれをするという気持ちを忘れたら駄目なんだよ。センスの有無は別としてリーナだって女の子なんだから、服装なんてどうでもいいみたいに言われると気分が悪いでしょ」

 

「分かった。俺が悪かったから、本気で怒るのはやめてくれ」

 

達也が白旗を上げてくれたので、治夏はリーナを連れて簡単に買い物を済ませた。その際、達也を待たせるのは悪いので、かなり手早く済ませたのだが、達也はうんざりとした表情を見せていた。達也は深雪が加わっていれば何時間でも平気で待つ。それは沖縄に出かけた時の美容院で確認済だ。それなのに、妹が絡まないというだけで、途端に興味がなくなるのは、なんとかならないものか。

 

ともかく買い物も終わったのでリーナを部屋に残して、治夏たちは帰ることにする。けれども、その前に見てもらいたい物があると花菱兵庫が言ってきた。

 

兵庫が治夏たちを連れて行った先は、滑走路の脇にあるガレージだった。そこには淡い青色の塗装の四輪車が一台だけ駐まっていた。

 

「この車は『エアカー』でございます」

 

「……飛行魔法車両、という意味ですか?」

 

花菱兵庫の言葉に達也も軽くではあるが、目を見張っていた。だが、治夏の驚きはそれ以上だった。

 

「然様でございます。開発自体は飛行機能付きバイク『ウイングレス』と並行して二年前に着手された物ですが、先々月、達也様から頂戴したアイデアでようやく完成にこぎ着けた、とうかがっております」

 

「そ、そんなことより、このエアカーは普通の魔法師レベルなら十分に操縦可能になっていると考えていいのか?」

 

興奮を抑えきれず、若干どもりながらも治夏は花菱兵庫に問う。

 

「そうですが……」

 

「これの最高速度はどのくらいだ?」

 

「最大時速は九百キロになります」

 

「もっと詳しい説明を聞かせてくれ」

 

治夏の勢いに押されて、花菱兵庫は若干、引き気味になりながらも、一通りの性能を説明してくれた。

 

「素晴らしいじゃないか! 達也、宮芝はこれを注文する。すぐに量産体制を作ってくれ。台数は……そうだな、差し当たって、オープンカー仕様で五十台ほど頼めるか?」

 

「そんなにか!? どうするつもりだ?」

 

「これがあれば、関本の陸戦兵器という弱点が解消される。最前線に投入するのは不安のある魔法師を操縦士に変え、後部座席に関本を……いや、座席などいらないな、平らにして足を固定できるようベルトだけ取り付けてくれ」

 

ここにあるエアカーは窓ガラスもはめ殺しにして気密性を高め、潜水も可能としているようだ。潜水艦から出撃可能という点は確かに魅力的だ。けれども、その為に被弾面積を上げてしまえば肝心の空戦性能に影響が出る可能性が高い。

 

本機の導入を決めたのは、関本のサブフライトシステムとして。あれもこれもと欲張るべきではない。

 

「本当に、何でも兵器にしようとするのはやめてくれないか」

 

「こんな優れた乗り物を軍事に使用しないという手はないだろう。君はそのくらい想定をしておくべきだ」

 

「ともかく四葉は自動車開発のメーカーじゃない。急に五十台も作れと言われても対応できないぞ」

 

「その辺は、他の十師族の手を借りてでも早急に生産してくれ。自動車の大きさしかないこの兵器なら、どんな船舶にでも搭載して出撃が可能だろう? それに、頑張るのは四葉だけではない。宮芝もエアカー上での戦闘が期待できる第二世代関本を二百機あまり生産しなければならないのだからな」

 

達也の協力を得て開発されたフォノンメーザー専用の特化型小銃形態デバイスは何度かの要求性能の引き下げを経て三日前にようやく、試作機が試験をクリアしたところだ。それに合わせた調整を施した第二世代関本を生産していくのはこれからになるので宮芝も大変なのだ。

 

「それは完全に宮芝の都合なのだが、やるだけはやってみよう。兵庫さん、当主様への報告をお願いできますか?」

 

何だかんだ言いながら、達也はエアカーの量産をしてくれるつもりになっているようだ。思わぬ手土産ができて、治夏は大変に喜ばしい気持ちで巳焼島を後にした。



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戦雲編 九島光宣追討戦

六月二十五日、火曜日。リーナの滞在が決まった巳焼島に対する対パラサイト用の仕掛けを部下に指示した宮芝淡路守治夏は、九州に押し込めてた九島光宣の討伐を再開させた。

 

光宣の実力は前回の戦い後の森崎からの報告で理解している。前回は九島烈を始めとした十師族の当主三名の助力もあって手傷を負わせた程度。並の術者では歯が立たないことは明らかなので、部下たちには包囲網の維持の方に力を割かせていたのだ。

 

強い力を持った退魔士たちを下関と宇和島、大洲を中心に配置して逃走の防止はできている。あとは治夏が手勢を率いて光宣を討ち取るのみ。

 

安全策を取って朝の内に広島に降り立った治夏に従うのは側近三名に加えて、前回の光宣との交戦経験のある森崎、名倉、郷田飛騨の三名。それに援軍として克人と十文字家の魔法師二名も加えた計十名が今回の人員だ。今回は治夏が弦打ちを使う予定であるため、量産型を含め、関本は連れてきていない。弦打ちは治夏を中心に無差別に魔の物を祓ってしまう魔法だ。関本が周囲にいると巻き込んでしまうのだ。

 

「九州といっても広いぞ。光宣の居場所は分かっているのか?」

 

「克人、犠牲を出さないために追跡こそ控えているが、偵察は行っている。九州の内、豊前、豊後、筑前、筑後は対象から外している。残るは肥前、肥後、日向、薩摩、大隅の五州だ。そして、その内で可能性が高いと見られているのが、肥後の熊本だ」

 

「どうでもいいが、旧国名で言われると、言葉を聞いてから場所を思い浮かべるのに少し時間が掛かるのだが」

 

「む、そうなのか。旧国名は現在の行政区域に比べて地形の影響が大きい。そのため古式魔法師にとっては旧国名を基本に考えた方が魔法行使の上では利点が大きいのだ」

 

「そういうものなのか」

 

克人は魔法行使上の利点という言葉が、今一つ理解できていないようだった。もっとも、これは現代魔法師には理解できなくても仕方ない概念だ。治夏は一般化して古式魔法師と言ったが、実際には結界系の術者でなければ旧国境はあまり関係がないのだから。

 

「ともかく、そういうわけで下関に移動した後は前線を博多まで進出させる。その後、私たちは熊本に向けて出発する」

 

光宣自体は喫緊の脅威とは言えない。もしも周囲が平穏であれば克人と熊本観光の計画を立てていたところだ。けれども、今の日本は新ソ連にUSNAに発生したパラサイトと、多くの脅威を抱えている。解決できる問題は早めに終わらせておかないと、忙しくなった後では手が回らなくなるおそれがある。だから今回は最速で終わらせる。

 

下関への移動、二十名ばかりの部下たちを引き連れての博多への進出は、昼までに予定通りに進んだ。昼食は博多で取り、午後には熊本に向けて出立する。

 

「肥前方面にも偵察部隊を派遣している。その者たちから連絡があった場合は、我々は急ぎ取って返して佐賀へと向かうことになる。それから熊本に入るときには私と克人、村山右京、山中図書、皆川掃部の組と森崎、名倉、郷田飛騨、十文字家の二人という二組に分かれて行うことにする」

 

「二組に分ける意味は?」

 

「克人、自分で言うのもどうかと思うが、私は現代魔法戦にはあまり長けていない。九島光宣が今も単独行動をしているなら問題ないが、九島が何らかの方法で現代魔法師を味方に付けていた場合、私が危険だ。克人がいるから大丈夫だとは思うけど、ここは我々が慣れている先遣隊を別に立てるという方法を取ることにする。なに、先遣とは言っても今回は我々から一キロ程度前を進めさせるに留めるつもりだ。そのくらいなら時間を稼げるだろう?」

 

「まあ、そのくらいなら何とかなるだろうな」

 

十文字家の魔法師は克人が光宣と戦うことを前提に連れてきた者だ。弱いはずがない。

 

「それでは淡路守様、行ってまいります」

 

一礼した森崎たちが先行して肥後国に入る。そうして進むこと少し、治夏は九島光宣の痕跡を掴んだ。

 

「なるほど、火の国というわけか」

 

光宣の痕跡が向かう先は阿蘇。治夏たちは目的地を変更して阿蘇へと向かう。隊列はこれまでと同様、森崎たちが先行隊で、治夏たちが後続だ。ただし、先程までと異なり両者の中間地点に皆川掃部がいる。

 

その隊列で阿蘇の地を進むこと少し、治夏たちの前方に雷光が煌めいた。同時に発動した気配は避雷針のもの。雷光の正体はおそらく光宣の得意魔法『スパーク』だろう。

 

「深夏、行かなくていいのか?」

 

「まだだ。掃部からの連絡が来てない」

 

スパークは光宣だけが使用できる魔法ではない。他の者が使った魔法であった場合、治夏たちが向かうことに意味はない。

 

前方に再び閃光が輝く。今度は『青天霹靂』だろうか。しかし、それに対抗するための呪符も森崎に渡してある。まだ、慌てるような段階ではない。伏兵からの攻撃を警戒しながら、ゆっくりと前には進み続ける。そして、待っていた知らせが届く。

 

森崎雅樂と九島光宣の交戦を確認。他に敵影はなし。淡路守様も参戦をお願いします。

 

「全員、全速前進! 今こそ、九島光宣を討つ!」

 

掃部から飛ばされたきた式神からの連絡を受け取り、治夏は即座に全員に命じる。

 

「克人、悪いんだけど、私を抱えて走ってもらえる?」

 

「分かった」

 

治夏は身体強化魔法を得意としていない。身体能力は言わずもがな。体力も魔法力も十分の克人に手間をかけてもらうのが、この場の最速なのだ。けして、克人にお姫様抱っこをされたかったとか、邪念からの言葉ではない。

 

「右京、図書、無理のない速度で来い」

 

克人の全速に付いてくるのは古式魔法師で、近接戦が得意なわけでもない二人には辛い。着いた時には疲労困憊となっても仕方がないので、二人はゆっくりと追いついてもらうことにする。

 

克人に抱えられて光宣の元へと急行する。前方からは連続で魔法が使用される気配が伝わってくる。速射力で牽制する森崎に、対抗魔法に長けた名倉、古式に精通した飛騨守の三人に守りの十文字家の魔法師二名がいるのだ。すぐにやられはしないはずだ。けれど、急ぐに越したことはない。

 

やがて、前方に森崎たちと九島光宣の姿が見えてきた。森崎たち三人は、未だ無事。だが、十文字家の魔法師一人が膝をついている。守り手が一人となっては、長くは持たないかもしれない。

 

「克人、降ろして!」

 

治夏の言葉を聞いて、すぐに克人が降ろしてくれる。そうして足を着くとすぐ、抱えていた大弓を引いた。

 

弓弦の音が空間を引き裂く。その瞬間、光宣の身体が確かに傾いだ。けれど、光宣は倒れることなく踏み止まり、そのまま跳躍の魔法で飛び退ろうとする。

 

「遠すぎた!?」

 

弦打ちの魔法は音を媒介にした浄化の魔法。その音が小さくなれば威力も弱まる。だが、少しくらい弱まったところで治夏の魔法ならば光宣であろうと倒せると思っていた。

 

「そうか……光宣は人間としての意識が十分にあるのだったか……」

 

魔の物を宿しているといっても、光宣は人間としての面の方が強かった。おそらく、それもあって弦打ちの効果が低かったのだろう。だが、光宣を逃がした後で気づいたところで遅すぎる。

 

「克人、追うことは……」

 

「残念ながら、あの速度に追いつくのは無理だろう。深夏、光宣が逃れる先に心当たりはあるか?」

 

「具体的な場所は分からないけど、私は要所に探査の陣を敷きながら来た。だから、向かうのは南。日向、大隅、薩摩のいずれかだと思う。安心して、次は逃がさない」

 

森崎たち三名はいずれも失うには惜しい人材だ。その三人がやられるかもしれないという場面を目にして、いつになく焦ってしまった。だが、次は逃さない。

 

熊本での一泊の予約を右京に命じながら、治夏は次戦での必殺を心に誓った。



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戦雲編 パラサイト統一

宮芝和泉守からの魔法攻撃を受けて阿蘇から逃走した九島光宣は、鹿児島を経由して沖縄に至った。これは逃れてきたというより追い詰められたという方が正しい。初めは飛行機を使って東京に舞い戻るつもりでいた。だが、それは叶わなかった。

 

阿蘇から鹿児島に向かう途中、光宣は何気なく大分の方角を見て愕然とした。そこには山の尾根に沿って天へと昇る薄い光の幕があった。あれはパラサイトという異分子を拒むためだけの結界だ。中に入れば例えパレードを使っていたとしても、即座に術者に気づかれる。そうはっきり分かった。

 

次に宮芝和泉守と交戦すれば命はない。宮芝の魔法攻撃は光宣が纏っていた強固な障壁を簡単にすり抜け、魂を削られたかと思うような衝撃を与えてきた。あれはパラサイトに対しては猛毒も同然の攻撃だった。どれだけ光宣の魔法の能力が高くとも、パラサイトであるという、ただそれだけで拒絶してくるという馬鹿げた攻撃だった。その攻撃への対処法を光宣はまだ、全く掴めていない。

 

宮芝の魔法力は全く大したことがなかった。それなのに、ただパラサイトというだけで魔法力の差を無にしてしまう。それはあってはならないことだ。人の価値は魔法力だけで決められなければならないのだから。その原則を捻じ曲げるから、あのように理から外れた力を追い求める者が出て来るのだ。

 

苛立ちのまま次の逃亡先を求めて当てもなく彷徨う。宮芝のことだから、すでに本土へは戻れなくされているのだろう。島嶼部に逃げるか、それともいっそ外国か。そんなことを考えていると、不意に光宣に話し掛けてくる存在があった。

 

『九島光宣さん』

 

それはパラサイトが用いるテレパシーによるものだった。

 

『どちら様ですか?』

 

警戒しながらも光宣は交信に応じた。

 

『僕の名前はレイモンド・クラーク』

 

『クラークというと、ディオーネー計画の関係者ですか』

 

『うん、そうだよ』

 

『それで、僕に何のご用ですか?』

 

『どうやら追い詰められているようだからね。同類として助けてあげようと思ってね』

 

それは思いがけない申し出だった。実のところ光宣はUSNAで発生したパラサイトの存在に、当初から気づいていた。だが、光宣自身が人間としての意識が強かったこともあり、彼らと連絡を取ってみることなど考えてもみなかったのだ。

 

そして、パラサイト側からも光宣に対して連絡をしてくることはなかった。それもあり、USNAのパラサイトは自分とは全くの別物という認識でいたのだ。まさかこの絶体絶命の局面で手を差し伸べてくるとは思わなかった。

 

『僕を助ける意図はなんだい? まさか本当に同類だからというだけ、というわけではないだろう?』

 

『それについては会ってから話をしないか?』

 

パラサイト側の言い分は理解できる。古式魔法師の中にはテレパシーに対する強い感受性を持つ者がいると聞いている。宮芝の関係者にその手の魔法師がいる可能性は高いと考えた方がいい。

 

『分かった、何処に行けばいい?』

 

聞いた光宣は、すぐにパラサイト側から指示された那覇にあるホテルの一室に向かった。今の交信を傍受されていたとしたら、もはや一刻の猶予もないのだ。

 

「改めまして、レイモンド・クラークです」

 

そう言ってきたのは、光宣と同年代の少年だった。聞けば、光宣の一歳上だという。

 

「私はジェイコブ・ロジャース。ジャックと呼ばれている」

 

ジャックはスターズの一員だという。そして、ジャックの目的は脱走した国家公認戦略級魔法師、シリウス少佐の行方を突き止めることだということだった。

 

「僕を助ける見返りが、シリウス少佐の居場所の捜索への協力というわけですか」

 

「そういうことだ」

 

「ジャック、申し訳ないが、僕の手勢はこれまでの戦いの中で全て失ってしまった。宮芝は魔法師としては脆弱だが、ことパラサイトに限っては天敵だ。先ほどの交信も傍受されたと思った方がいい。今は一刻も早くこの場所を離れないと、シリウス少佐の行方を掴む前に宮芝によって殺されることになると思う」

 

光宣の言葉にレイモンドが意外そうな顔を見せた。

 

「それはいくら何でも、過大評価なんじゃないかな。それよりも僕たちは司波達也を警戒すべきだろう」

 

「達也さんも脅威なのかもしれませんが、パラサイトにとっての天敵は宮芝です。貴方たちの目的がシリウス少佐なら、宮芝と接触しないように狙うのが現実的でしょう。もっとも、貴方たちが宮芝と遭遇しても構わないというのなら止めません。ですが、僕はそこには同行できません」

 

「さっさと日本を離れたいということか。十師族の九島ともあろう者が、さほど高名でもない古式魔法師を相手に、随分と弱気だね」

 

「僕も宮芝と戦う前は同じように考えていましたよ。だけど、一戦してみれば嫌でも考えを変えざるをえない。今のままの僕では、宮芝には勝てない」

 

そう、今のままでは勝てない。けれど、絶対に勝てない相手ではない。

 

宮芝は妖魔や古式魔法師に対する戦いでは群を抜いて手強い。けれど、宮芝と古くから付き合いのある九島は、宮芝の弱点も聞き及んでいた。宮芝は、現代魔法師なら容易に対処可能な拳銃のような武器に弱い。ならば、非魔法師を大量に投入すれば宮芝を制することは難しくないはずだ。

 

魔法の使えない価値のない人間が、優秀な魔法師のために働けるのだ。無能な者たちに対する、これ以上の働かせ方は存在しないのではないか。

 

残念ながら、今の日本で手駒を大量に獲得する方法はない。だけども、USNAならば手はある。彼の地では今もパラサイトは数を増やしている。彼らと革命を起こし、溢れる非魔法師たちを日本に侵攻させれば、そのとき宮芝は滅亡する。

 

「僕たちは邪魔な達也にも、この世からいなくなってもらうつもりでいる。シリウス少佐の捜索の伝手はないにせよ、そちらには協力してもらえないかな?」

 

「残念だけど、それもできない。達也さんの元に行き着く前に宮芝に補足されて滅ぼされてしまう」

 

何をするにしても、宮芝に先を越される未来しか見えない。逆に言えば、宮芝を滅亡させれば、後は怖いものなしなのだ。光宣が日本に舞い戻り、人が魔法力によって評価される世の中に作り替えるのは、宮芝が滅んだ後だ。

 

自分が宮芝に勝てずとも方法があることは分かった。しかし、それを実現するためには、まずは国外に脱出する必要があるのだ。

 

「分かった。とりあえず君がUSNAにたどり着けるよう手配はしよう」

 

シリウス少佐の捜索にも達也への対処にも役に立たないと判断したのか、レイモンドがつまらなそうに言う。レイモンドに侮られるのは業腹ではあるが、今は何よりもこの国から逃れることは先決だ。

 

「けれど……」

 

レイモンドの言葉の調子が急に変化する。光宣は警戒態勢を取った。

 

「それは僕たちに勝てたらだ」

 

その言葉と共に、押し寄せてきたのは思念だった。シリウスと司波達也の抹殺を最優先事項とする。それに同意をさせようとしてくる。

 

パラサイトたちは個別の身体を持ちながら、全員で一つの生き物だ。ゆえにパラサイトたちの意思は、一つでなければならない。

 

パラサイトたちがそういう生き物であることは、光宣も理解していた。だが、光宣にはやらなければならないことがある。皆のために、人が魔法力だけで評価がされる世界を作る。そのためには彼らと同じになることはできない。

 

押し寄せてきた思念は、レイモンドとジャック二人だけのものではなかった。スターズの本部基地で、今も増殖を続けるパラサイト全員の渾然一体となった思念が光宣を呑み込もうと襲い掛かってくる。

 

光宣は自分を呑み込もうとする思念の大波に、魔法技術で対抗するのではなく、自分が抱く最も強い「願い」で真っ向から立ち向かった。

 

それは永い戦いだった。

 

それは一瞬の戦いだった。

 

精神の世界で、時間は長さを持たない。

 

その一瞬の戦いの果てに、最後まで立っていたのは光宣だった。

 

「レイモンド、僕に協力してくれるね?」

 

「僕たちは光宣の意思に従う。USNAを動かし、日本に攻め込む」

 

パラサイトたちの意思を統一できたことが確認でき、光宣は深い笑みを浮かべた。



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戦雲編 パラサイトスターズ

七月一日、月曜日の夕刻。宮芝淡路守治夏は山中図書から大亜連合と新ソビエト連邦の間に勃発した戦争の戦況の報告を受けていた。大亜連合と新ソ連が戦争状態に突入したのは一昨日の先月の二十八日のことだ。

 

戦争は大亜連合軍がハンカ湖西の国境を突破したことにより開戦となった。大亜連合軍はその後は南下してウスリースク方面へ進軍している。対する新ソ連はウラジオストクに駐留する極東軍が治夏の魔法で大打撃を受けており、動きが鈍い。緒戦は大亜連合軍が有利の戦況で進展していた。

 

今回の大亜連合軍の侵攻には宮芝が大きく関与している。いよいよUSNAとの開戦の気配が高まるなか背後の敵は非常に邪魔な存在だった。そこで治夏は大亜連合が新ソ連を攻めたくなるような噂を流したのだ。

 

それは、新ソ連の国家公認戦略級魔法師であるベゾブラゾフが、死亡、または人事不省に陥っているという噂だ。両国の軍事力は質を加味すれば新ソ連が勝っているが、単純な数で言えば大亜連合が上。また、新ソ連の兵力は東アジア、中央アジア、東ヨーロッパに広く分散している。そこに極東軍の消耗と戦略級魔法師の空白という好機が訪れたのだ。勝機は今しかないと考えても無理なからぬことだろう。

 

今後の戦局は、新ソ連の東アジア方面軍の主力であるシベリアの部隊が参戦してくる前に大亜連合が決定的な勝利を得られるかにかかっている。持久戦となれば有利なのは地力に勝る新ソ連だ。

 

それを理解しているから、大亜連合も初日から戦略級魔法『霹靂塔』を投入したようだ。だが『霹靂塔』は全戦場をカバーできるような魔法ではない。当然ながら、それだけで決着を付けることなどできない。

 

すでに大亜連合の短期決戦の狙いは半ば失敗している。そのうちに実際は生存しているはずのベゾブラゾフも参戦してくるだろう。

 

さて、こうなると問題となるのは日本は参戦するか否かだ。今のままでは短期決戦に成功すれば大亜連合。失敗すれば新ソ連が勝つという単純なもの。だが、それではつまらない。日本として望むことは両国の争いが互角のまま長く続くこと。そのためには長期戦になりそうな場合に新ソ連を攻撃、または大亜連合を支援することが必要だ。

 

だが、沖縄、横浜と日本に対して非道な真似をした大亜連合を表立って支援するような行為は誰の理解も得られない。理解を得られるとすればUSNAで再発生したパラサイトのことを知っていて、かつ、そのことに危機感を持つ者だけ。

 

USNAのパラサイトだけでも頭が痛いのに、更に拙いのが二十六日に沖縄を最後に消息を絶った九島光宣だ。同日に短時間だがパラサイト同士の通信波を捉えていたことから考えて、九島光宣はUSNAのパラサイトと合流したと考えておいた方がいい。

 

すでに日本に侵入したパラサイトたちが目指すと思われる、リーナ周辺の警備は強化してある。同時に、侵入口となりうる横須賀や座間といったUSNAとの共同利用基地に対しても厳重な警戒を指示させている。

 

パラサイトたちがリーナを狙ってくれるのなら問題はない。そこには宮芝の退魔士たちが網を張っているからだ。

 

治夏が懸念しているのは、光宣がUSNA内でじっくりと力を蓄えることを選択した場合のことだ。病弱であったことが災いして、多くの者は光宣が持つ魔法力を過小評価している。だが、光宣の力は宮芝以外には最大級の脅威となりうる。ゆえに、大亜連合と新ソ連の戦はどちらが勝っても日本にとっては面白くない。だから難しい。

 

そう思いながらも大亜連合を焚き付けたのは、偏に今は時間がないからだ。第二世代関本たちが予定数が揃うまで、今少し時間が掛かる。達也に発注したUSNA攻撃の切り札となるはずのエアカーも、まだ一台も納品されていない。この状況で新ソ連にも大亜連合にも邪魔をされるわけにはいかなかったのだ。

 

すでに治夏にとっての最優先事項はUSNAだ。新ソ連も大亜連合もパラサイトに比べれば話せる相手になる。とはいえ、そんな希望を胸に交渉はできない。交渉とは相手に取引を成立させる意思がなければ成り立たないのだから。

 

「右京にございます」

 

そこに外から声をかけられた。入室を促すと右京は治夏の前で平伏して告げる。

 

「出陣の準備、整いましてございます」

 

「よし、行くぞ!」

 

治夏達の目的地はベンジャミン・カノープスを始末した座間基地。ここに今夜、USNAの輸送機が到着すると国防軍から連絡があったのだ。乗っているのは、おそらくパラサイトたちだろう。それゆえの治夏たちの出動だ。

 

弦打ちの魔法は相手が人間であったならば、何の効果もない。だが、パラサイトであれば即死の魔法に早変わりする。誤射なく敵のみ倒せるという意味で、弦打ちは今回のような事態には絶好の魔法なのだ。

 

座間基地に入り、強化魔法師たちの脱走の責めを負って退任した前司令と交代で着任した士官に部屋を空けさせて、治夏は指令室に詰める。同じ部屋に詰めるのは側近三名に加えて森崎雅樂、名倉三郎、呂剛虎、郷田飛騨守、松下隠岐守、矢島修理。補助役の隠岐守と修理以外は基本的に対人戦に優れた者を選抜した。相手がパラサイトであれば、治夏一人でも十分。今回の布陣は敵がパラサイトではない場合に備えてのものだ。

 

しばらくして、予定時刻通りにUSNAの輸送機が滑走路に入ってくる。それを確認して治夏たちは格納庫の中に陣取った。治夏たちが仕掛けるのは、敵が輸送機から降りてきた直後となる。そこで射程ぎりぎりから弦打ちを仕掛けるのだ。

 

九島光宣には弦打ちに耐えられ、逃げられた。だが、今回の魔法師たちは光宣と同格ということはないはずだ。また光宣同様に強い自我を持ったままとも考えにくい。今回の襲撃で大事なことは、まずはパラサイト兵以外の反撃を受けないことなのだ。

 

輸送機が滑走路上に停止した。輸送機の扉が開き、中から人影が出てくる。だが、一人目はパラサイトではない。二人目、三人目も同様だった。

 

そして四人目、ついに治夏の目はパラサイトの姿を捉えた。どれだけ外見を取り繕おうとも禍々しい妖気は見間違えようがない。すぐに祓いたい衝動に駆られるが、まだ早い。輸送機の中からは別のパラサイトの気配が漏れ出ている。ここで先頭の一人を祓って警戒されてしまえば、後が面倒だ。

 

中にいるパラサイトは全部で四体。それが治夏の捉えた敵の数だ。残り三人が出て来るのを治夏はじっと待つ。二人目のパラサイトが降りてくる。それから少しして三人目。

 

「あの大柄の男は、突出して高い魔法力を持っているようです」

 

外の映像を格納庫の中に映している矢島修理が言った。突出して魔法力が高いと聞いて思い浮かべるのはスターズの正規隊員だ。あの相手がそうだとすれば、あれに弦打ちが効くのなら大半のパラサイトには通用するということだ。つまり今回の弦打ちは今後の作戦に向けての重要な試金石となるということだ。

 

四人目のパラサイトが輸送機から姿を見せた。攻撃の時間だ。

 

格納庫の隅にある扉を森崎が開ける。それと同時に治夏は弓弦を強く引き、破魔の力を込めて打ち鳴らした。

 

弦打ちの音に乗って破魔の波動がUSNAの兵士たちの間を通り抜ける。その瞬間、三人のパラサイトが崩れ落ちた。唯一、膝をついたが死んでいないのは警戒をしていた一体だ。魔法抵抗力の高さが破魔の波動を幾らか中和したものと思われた。

 

やはり、スターズともなると、一筋縄ではいかないか。パラサイト化していない敵との戦闘を思い、少しだけ溜息をつきながら治夏は再び弓弦を引く。

 

二度目の弦打ちの音が響く。それで、生き残ったパラサイトは動かなくなった。これで今回の討伐は成功だ。仮にもっと距離が近ければ、一撃で倒せていたはずだ。そう考えると、パラサイト化したスターズの隊員の強さも、誤差の範囲内と言えるだろう。

 

「さて、騒ぎが大きくなる前に帰投するとしようか」

 

突然の仲間の死に周囲を警戒するパラサイト化していないUSNA兵を置いて、治夏たちは帰還の途についた。



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戦雲編 大亜連合軍壊滅

二〇九七年七月四日、木曜日。大亜連合と新ソ連の戦争は今日で七日目を迎える。

 

この日の朝、戦況に大きな変化が生じた。東シベリア方面の新ソ連軍の再配置が完了し、ハバロフスクの南で防衛に当たっていた機甲部隊が南下を始めたのだ。

 

同時にそれまでウスリースク郊外で大亜連合軍を食い止めていた沿海地方軍が挟撃を狙い後退を開始する。それに対して大亜連合が選んだのは急戦策だった。

 

南下・後退する新ソ連軍の後を大亜連合軍が追い掛ける。しかし追跡の決断に多少の時間を要したのと戦闘車両自体の速度差で、両軍の間隔は大きく開いていた。

 

そして両軍の間隔が二十キロを超えた時、戦局は劇的な転換を迎えた。

 

追撃する大亜連合軍の部隊は戦略級魔法トゥマーン・ボンバに晒され、ベゾブラゾフの存命を知っていた宮芝家の必死の分散策をもってしても尚、侵攻軍の半数が無力化されることになったのだ。

 

第一高校の教室で宮芝淡路守治夏は、その報告を受け取った。正直に言って、この展開は最悪に近いものだ。USNA戦に集中したい日本が望んでいたのは両国の戦争の長期化だ。だが、これほどの被害を受けては大亜連合軍はもはや戦争を継続することは困難だ。

 

大亜連合という南の脅威を排除できた新ソ連はこれで日本戦に注力できることになる。大亜連合軍との戦いで受けた損害は軽微。極東艦隊にいたっては、大亜連合側が横浜事変で海軍に打撃を受けていたことで陸戦を選択したことにより無傷。これでウラジオストクに甚大な被害を受けたままである新ソ連に、日本と講和するという選択肢はないだろう。

 

間違いなく極東艦隊が南下をしてくる。だが、その名目は何だろうか。ウラジオストクの件に対する報復だけでは、やや弱い。大亜連合との戦争は早期に終戦に至るとして全くの無傷ではないのだ。その状況で矢継ぎ早に戦を仕掛けるというのは、違和感を抱く者の方が多いだろう。

 

ともかく、新ソ連との戦いが確実になった以上、関係者と今後の話をしておく必要がある。具体的には達也である。もしも達也が最大威力で魔法を使ってくれるなら、新ソ連戦は随分と楽になるはずだ。一方、いよいよ他国から暗殺者がわんさかと送られることが予想できるため達也が応じる可能性は低い。

 

というわけで現実的な協力点を探るために達也の家に向かう。すると治夏を迎え入れた達也はなぜか疲れた表情を見せていた。

 

「どうした? まさかすでに一戦してきた等と言わないよな」

 

「そんな訳がないだろう。今までずっと新魔法を設計していたんだよ」

 

それが対新ソ連戦を見越したものであることは明らかだった。

 

「要は君も新ソ連は大亜連合に勝利した余勢を駆って日本海を南下してくると考えているということか」

 

「そうだ。もっとも、いきなり宣戦布告してくるのではなく、何らかの理由を付けて艦隊を出動させるのではないかと考えている。例えば、今回の紛争における戦争犯罪者が日本に逃げ込んでいるから引き渡せ、とかかな」

 

「大亜連合の亡命者を日本政府が受け入れることなど、さすがにないだろうがな」

 

「大義名分はこの際、どんなものでも良い。新ソ連の目的も様々な憶測が成り立つ。彼らの狙いが何であっても、侵攻を受ける可能性があるなら、それに備えなければならない」

 

「まあ、それはそうだな」

 

いずれにしても新ソ連との戦いは起こるのだ。他国が参戦する見込みが薄いのなら、正直に言って大義名分など無くともよいのだ。

 

「それで、君はその新魔法を使って新ソ連を攻撃するのか?」

 

「そんなわけがないだろう。何度も言っているが、俺は民間人だ。戦争は、参加の意思がある者にやってもらう」

 

「新ソ連戦に参加の意思がある者……まさか!」

 

「そのまさかだ。新しい戦略級魔法は一条将輝に使わせる」

 

達也の発言は治夏を大いに驚かせるものだった。まさか自分以外に使わせるために新魔法を開発しているとは思わなかったのが一つ。そして、もう一つさらりと告げられた見逃せない発言があった。

 

「君、新魔法とは戦略級魔法だったのか」

 

「ん……ああ、そうだ」

 

「戦略級魔法とは、簡単に作れるものではないだろうに」

 

本当に達也のこの非常識ぶりはどうにかならないのだろうか。

 

「それで、君はすぐにでも一条に戦略級魔法を教えるために金沢に向かうつもりか?」

 

「いや、一条に戦略級魔法を習得させるのは俺じゃない。吉祥寺真紅郎だ」

 

「戦略級魔法の作成という大手柄を簡単に他人に譲るなど君くらいのものだろうな。だが、悪くない選択だ。君はこれ以上、注目を浴びても良いことなどないからな」

 

「そういうことだ」

 

そうして新しい戦略級魔法についての話を聞いてみると、トゥマーン・ボンバの基幹技術であるチェイン・キャストという技術を使った海上用の超広域爆裂ということだった。それを聞くと、一条は確かに術者として最適だ。

 

「ところで、君の魔法の存在は新ソ連も知っているだろう。取ってくる対策はどのようなものになると予想している?」

 

達也が民間人の立場にこだわりを持っていることは新ソ連は知らないはずだ。それに四の五の言っていられない状況になれば、達也とて戦略級魔法を行使する。その可能性を排除した作戦を立てるほど新ソ連は無能ではない。

 

「俺が攻撃できなくする方法を取るだろうな」

 

「例えば?」

 

「難民船団を仕立てて、戦闘艦から通常兵器では流れ弾の被害を受けない程度、離しておく。散開した艦隊を殲滅する為にはある程度規模が大きな攻撃をしなければならないが、それを実行すれば難民船団を巻き込んでしまう」

 

「つまり君が魔法を行使できるように、我々が難民船団を沈めてしまえばいいということだな」

 

「泥を全て被ってくれるというのは、嬉しく感じるより、お膳立てのされすぎで迷惑に感じるということを初めて知ったよ」

 

外堀を全て埋めてしまえば、何だかんだ言いながら義理堅い達也は動いてくれる可能性が高くなる。それに、難民船団など新ソ連が仕立てたもので実態は工作員の集まりなのだ。沈めてしまうに限る。

 

適当に沈めてやれば、貴重な工作員を失いたくない新ソ連の艦隊が勝手に救出に動くことも考えられる。そうすれば国際的な非難もない。仮に救出に来なくても、既に周辺に味方は居ない状況なのだ。外国の言うことなど放っておけばいい。

 

「それよりも、そろそろベゾブラゾフを殺せないのか? 最早、彼奴は戦略級魔法の使用など何とも思っていないぞ。君もいつまでも保身に汲々としている場合ではないぞ」

 

「保身だと?」

 

達也が俄かに怒りを見せる。達也にとって大事なのは深雪のこと。それを軽く扱われたと思ったのだろう。

 

「戦略級魔法魔法の使用で君と深雪が危険に晒されるというのは分かる。だが、日本に実際に戦略級魔法での死者が出てから重い腰をあげたのでは、今まで何をしていたのかという声が出てくるのは避けられない。そのとき君は何と答えるつもりか? まさか自分たちに危害が及ばなければどうでもいい、という本音を言うつもりではあるまい」

 

「無論、適当な理由は考える」

 

「君なら考えることができるだろうな。けれど、君はある意味では分かり易いからな。本音がどこにあるのかなど、分かる者には分かるだろう。或いは犠牲者の中に分かる者の知り合いがいた場合、その者は君だから仕方がないと言ってくれるかな?」

 

返答がないというのは達也も、そうなれば、その遺族は達也のことを許してくれないと考えたということだろう。

 

「君が戦略級魔法を使っても使わなくても、君は今のままではいられない。そのつもりで覚悟を決めておいた方がいい。それが私からの忠告だ」

 

それだけ言うと、神妙な顔をしている達也を残して、治夏は達也の家を後にした。



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戦雲編 大亜連合の亡命者

七月六日、宮芝淡路守治夏は側近三名と共に現状を整理していた。その整理の中心となるのは昨日に生じた情勢の変化点だ。その情勢の変化は宮芝淡路守治夏にとっては予想外のものだった。けれど、司波達也の予想の中にはあったことだった。

 

昨日午前九時、大亜細亜連合政府が新ソビエト連邦政府に対し、極東地域における休戦を呼び掛けた。その一時間後、新ソビエト連邦政府より大亜連合政府に休戦に関する条件提示があったが、そこには戦争犯罪人の引き渡しが含まれていた。その戦争犯罪人のリストの上位に大亜連合の戦略級魔法師、劉麗蕾の名前もあった。

 

それを受けてヴォズドヴィデンカの民間空港からビジネスジェットを使って劉麗蕾および護衛部隊が加賀国小松基地へと亡命。これで新ソ連は日本を攻撃する大義名分を得たことになる。あまりにも出来過ぎた展開を見れば、これは裏で新ソ連が糸を引いていたと考えた方が良いだろう。よく考えられたシナリオとも言える。

 

だが、これは新ソ連にとって大いなる失策だ。劉麗蕾の使う霹靂塔は古式の魔法を源流としている。実は少しの工夫で宮芝の魔法と相互干渉をしない術式展開が可能なのだ。それを用いればベゾブラゾフを殺せる。

 

これまでは達也を何とか引っ張り出すことを考え続けてきたが、ここにきて向こうから足りない最後の駒を渡してくれたのだ。これは戦略級魔法師を軽く考えた新ソ連の油断が招いた結果と言えよう。

 

とりあえず、まず行うことは怪しい護衛部隊なる存在への対処だ。治夏はすぐに小松基地に連絡を入れ、取り調べということで一人、劉麗蕾を別室に移して、その間に護衛部隊の全員を殺害した。

 

殺害した兵たちの脳を解析すると、想像した通りに新ソ連への内通者が存在した。劉麗蕾にはそれを理由に護衛部隊と隔離すると説明して、今は一条家の監視下にある。

 

一条家……正確には一条家の当主夫人の出身である一色家には『神経攪乱』という敵の五感を狂わせて随意筋を麻痺させる魔法がある。そこで両家の血を引く一条家の者が神経攪乱を使用できる可能性があると考え、問い合わせたところ、一条将輝の妹である茜が使用できることが分かった。殺さずに相手を制圧できる神経攪乱と、保険として殺傷能力に優れた爆裂を組み合わせれば、劉麗蕾の裏切りのリスクを最小化できる。

 

それにしても戦略級魔法師が日本に五名も存在する事態が訪れようとは少し前には想像もできなかった。従来からの五輪澪に加え、司波達也に不完全ながら一条将輝。そこに亡命してきたリーナと劉麗蕾。しかも全員が使用できる魔法が異なるのだ。

 

五輪澪の体調と一条将輝の新魔法の習熟度、リーナの協力度という不確定要素はあるとはいえ、これだけの手駒があれば立てられる作戦の幅は大きく広がる。ベゾブラゾフを殺害した後、戦況が有利な状況で講和に持ち込むこともできそうだ。

 

「そのためにも、まずは大亜連合との交渉を纏める必要があるが、状況はどうだ?」

 

「ひとまず交渉相手との接触には成功しました。ところで、こちらの条件として、本当に劉麗蕾の帰国を提示してよろしいのですか?」

 

「本音を言えば返したくはないな。だがな、右京。今は時間がないのだ。やむを得まい」

 

ベゾブラゾフの殺害のためには劉麗蕾に戦略級魔法を使わせるのが必須だ。その際に問題となるのが、どのように説得を行うかということ。よほどの馬鹿でなければ祖国に独断で戦略級魔法を行使はしない。

 

劉麗蕾の意思を無視できるという点で、短期で効果の出せる外科手術などの処置は、魔法技能に影響を与える可能性が高い。一方、劉麗蕾の意思を捻じ曲げる洗脳は効果が出るまでに時間が掛かってしまう。今回はそれだけの猶予はない。

 

そこで考えたのが大亜連合側に命令を出してもらうという方法である。ただ、この方法は当然ながら大亜連合側にも相応の利がなければ成立しない。その利として用意したのが劉麗蕾の返還というわけだ。

 

無論、ただで大亜連合に返すつもりはない。致命的な障害は残さないまでも、魔法の行使に多少の抵抗を感じる程度は酷使するつもりだ。それでも手元から離れてしまった戦略級魔法師が帰ってくるだけ、ありがたく思ってほしいものだ。

 

「分かりました。では、大亜連合は劉麗蕾に対して霹靂塔使用の命令書を出すこと、日本軍がベゾブラゾフ殺害に成功した暁には大亜連合の残存の機甲部隊は直ちに北上を再開すること、これを条件として日本は大亜連合と同盟を結ぶということでよろしいのですね」

 

「ああ、それでよい。頼んだぞ、右京」

 

右京が恭しく一礼をしたのを見て、今度は山中図書に目を向けた。

 

「図書、新ソ連に対する宣戦布告を総理は承認したか?」

 

「未だ躊躇しているようですが、次に新ソ連が戦略級魔法を使ってきた折には速やかに宣戦布告を行うよう約束はしてくれています」

 

「ベゾブラゾフを補足できるのは戦略級魔法を使用された直後のみだ。次の機会を逃せば、更に次に戦略級魔法による攻撃を受けるときまで、日本は反撃の術がない。そう周囲によく言い聞かせてやり、外堀を埋めておけ」

 

「心得ております」

 

最後の段で総理に日和見に走られては、せっかくの総攻撃も中途半端に終わってしまう。もっとも現総理は愚昧ではないので、周辺の佞臣さえ遠ざけておけば、さほど悪いことにはならないだろう。

 

「掃部、軍の反撃の用意は進んでいるか?」

 

「はっ、大亜連合と新ソ連が激突している折から集めておりました艦船と航空機は、いずれも迅速に出撃可能です」

 

新ソ連は必ず日本に対して何らかの軍事行動を起こしてくる。だが、それは日本を本気で降すためのものではないはずだ。少しばかり暴れて、その混乱に乗じて達也を暗殺し、その後で劉麗蕾を引き渡されれば良いと軽く考えているだろう。

 

だが、日本はそんな遊びの気分で迎撃に出ない。陸海空の全ての戦力を一時的に新ソ連に向けて徹底的な破壊を行う。

 

まず第一陣となるのが北海道に配備している魔法師搭乗型の複座式戦闘機、天牙十機とそれに守られた高速輸送機。天牙には術式を補助するためにUSNAのスターダストの脳を用いた魔法発動の補助具を搭載している。そして高速輸送機には劉麗蕾が搭乗し、遠隔地から治夏たちの補助魔法の力を加えた強力な霹靂塔でベゾブラゾフを葬る。

 

高速輸送機には他に関本を九十機搭載しておく。今後は第二世代関本に代えていくことを見越して残存している第一世代関本のほとんどを使い潰すつもりで投入する。これら関本が空挺し、霹靂塔の生き残りの殲滅に当たる。

 

第二陣は艦船からのミサイル攻撃だ。参加艦船は空母三、ミサイル護衛艦二十四、小型艦四十五。これらを舞鶴、呉、佐世保から出港させる。北陸と北海道の艦隊を動かさないのは敵の警戒の目を欺くためだ。新ソ連の艦隊が日本に向けて出港すると同時に、これら三か所の基地から出港した艦隊は宮芝の術士の魔法に守られながら北上して、ベゾブラゾフの死亡と同時に各艦がミサイル攻撃を行うことになる。

 

第三陣が航空機だ。空母艦載機三十に加え、千歳、三沢、松島から出撃した百五十機による航空攻撃を行う。

 

霹靂塔により電子機器が破壊された中での重厚な攻撃で新ソ連の反撃力を徹底的に削ぐ。その状態からならばトゥマーン・ボンバで半壊させられた大亜連合軍でも十分に優勢を築けるという寸法だ。

 

加えて、直接の参戦までは不可能だったが、インド・ペルシア連邦も新ソ連西部を窺う位置に軍を進める密約を成立させている。他国と紛争状態にある新ソ連の動きを警戒しての念のための措置という名目だが、これで新ソ連の西部方面軍の動きを阻害できる。

 

「此度の戦は、絶対に負ける訳にはいかぬ大きな戦だ。各々、僅かな抜かりもなく準備を整えるよう」

 

国の命運を左右する一戦に向けて、治夏は着々と側近たちと戦支度を整える。決戦の日は近い。




新ソ連との戦いは、宮芝らしく物量作戦です。


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戦雲編 USNA空母への対策

七月七日は七夕であり、日曜日であり、国立魔法大学付属高校各校の生徒にとっては定期試験が終わった直後の休日である。とはいえ、宮芝淡路守治夏は最近とくに忙しく。試験どころか登校すらしていない。

 

達也は校長直々に出席の免除を受けているようだが、治夏に関しては無論、そのような配慮など貰えていない。つまりは治夏は今、留年の危機にある。しかし、今は国の危機であるので高校などに構っていられる余裕はなく、治夏自身が魔法科高校の卒業になど何の興味もないので、はっきり言ってそのまま放置のつもりだ。

 

そういうわけで、今は達也、深雪、桜井水波と共にエアカーで巳焼島へと向かっている。目的は新ソ連戦では出番がないと思われる宮芝の人員を、巳焼島に配置するための下見だ。USNAと新ソ連は今は協力関係にある。新ソ連が軍を動かすとき、必ずUSNAも動きを見せる。今回はそれに備えて防備を万全にするつもりだった。しかし、その車内で治夏は危機的な状況に陥ることになっていた。

 

最高時速四百キロ、平均速度三百キロの海上ドライブに深雪はご満悦だった。一方で海面すれすれを飛行するエアカーのスピード感は数倍増しであり、緊張からか微妙な揺れに治夏はすっかり酔ってしまったのだ。

 

「気持ち悪い……」

 

「和泉、このエアカーは気密性を高めるために窓は開かない仕様だ。耐えてくれ」

 

そう言えば、そんなことを言っていた気がする。新鮮な空気を吸えれば少しは気分も良くなる気がするのだが、それもできない。

 

「宮芝様……少しは落ち着かれましたか?」

 

達也がスピードを落とし、桜井水波が心配そうな視線を向けてくるが、残念ながら具合は悪化の一途をたどっていた。

 

「気持ち悪い……」

 

拙い。このままだと、とんでもない事態に陥る。けれど、頭に靄がかかったかのように、対処方法が全く思い浮かばない。

 

「うくっ……」

 

こみ上げてくる嘔吐感を抑えきれない。このままだと、本当に拙いことになる。しかし、焦れば焦るほど、考えは纏まらなくなっていく。

 

「うぐっ!」

 

「和泉!」

 

ついに治夏が自らの不調に負け、車内に惨劇を引き起こしかけたその時、不意に達也が運転席で振り返り、CADの銃口を向けてきた。達也の魔法が発動し、治夏が口元を押さえた手から零れ落ちる嘔吐物が中空に消えていく。

 

車内に惨劇を引き起こすことは避けられたが、手は大いに汚れてしまい、同時に治夏は異性に嘔吐している所を見られるという屈辱を味わった。そして、なぜか達也も何が気に喰わなかったのか、またつまらぬものを消してしまった、などと呟いていた。

 

ともかく、そのようなトラブルはありつつも巳焼島に到着。治夏はリーナも加えたお茶の席に参加していた。

 

「早速だが、悪いニュースだ」

 

その席で、達也が切り出してきた。

 

「新ソ連の極東艦隊は明日にでも日本海を南下するだろう。我が国も今回は迎撃準備を完了し、艦隊はいつでも出撃できる態勢だ」

 

達也の言ったことは控え目に過ぎる内容だ。日本は横須賀の艦隊も舞鶴に回して万全の戦闘態勢を整えている。

 

「日本は新ソ連と正面からぶつかるつもりなの?」

 

リーナが疑わしげに問い返した。

 

「総力戦にはならないだろうが、衝突は避けられない」

 

「新ソ連の要求は、劉麗蕾の引き渡しだったわよね?」

 

「そうだ。日本としては、亡命してきた十四歳の少女を、処刑されると分かっていて引き渡せるはずがない」

 

「開戦の口実作りのための詭弁というやつだな」

 

治夏の発言はアメリカのニュースなどでも流されている内容なので、リーナもすんなりと受け入れていた。もっとも、それが命取りになるとはベゾブラゾフも思っていまい。

 

「新ソ連が本気で日本の領土を占領しようとしているとは、俺は考えていない。真の目的は別にある。それが何かは、断定できないが」

 

「ここに建設中のプラントじゃないの?」

 

「その通りだ。新ソ連が我が国と戦火を交えている間にUSNAはこちらを襲撃してくるだろう。我々はその期先を制するために空母、インディペンデンスを沈めたいと考えている。リーナ、君は自国の空母に戦略級魔法を撃つ覚悟はあるか?」

 

思いがけない言葉であったのか、リーナの喉が息を呑む音を立てた。

 

「今回、極東艦隊を撃退しても、新ソ連との間に緊張が続く。日本がUSNAとの関係を損なう行動を取ることは難しくなる」

 

「ちょっと待って、それなのに、そんな強硬手段に出ていいの?」

 

「いかにこちらが妥協をしようとも、USNAが日本に対する攻撃の手を緩めることはない。ならば、もはや誰の目にも後戻りはできないという所まで進めるしかない。我々は国の存亡をかけた戦を行う」

 

さすがに治夏も、本気で日本をそれ程までに危険な戦いに引き込もうとは考えていない。今の発言は、リーナに自国の空母を沈めることを決断させるためのものだ。

 

USNAの大型空母の艦載機は七十機以上あるのに対して、日本が有する空母の艦載機は僅かに十二機。航空戦では勝負にならない。一応、周辺に多数のミサイル護衛艦と小型艦艇を展開することで対抗も可能だが、相手も護衛の艦艇を展開しているはずなので、結局のところ不利を覆すのは難しい。

 

「はっきり言ってインディペンデンスの艦載機に攻められれば、我々がいかに防備を固めたとて防ぎきることはできない。君はまだUSNAに帰国する道を閉ざすわけにはいかないだろうから、君の魔法を偽装するための手段は尽くそう。それをもって空母への攻撃を了承してもらえないだろうか?」

 

「けれど、それだと日本は新ソ連だけじゃなくUSNAとも同時に全面戦争に突入することになるわよ。そんなことをして耐えられるの?」

 

疑問形ではあるが、リーナはそうなれば日本は一瞬で敗北すると考えているようだ。その考えは正しい。ただし、日本が無策であったならば、の話だが。

 

「そうならないために、インディペンデンスはパラサイトたちによって汚染されていたと公表する。幸いなことに、おそらく証拠は向こうからやってきてくれる」

 

「待ってよ! そんなことを発表されたらステイツが……」

 

軍内でパラサイトが増殖するのを防げなかったとなれば、USNAの信用は地に落ちる。最悪の場合は国家分裂もありうるかもしれない。

 

「君の懸念は分かるが、事実としてUSNAは最精鋭たるスターズ内に大量のパラサイトを発生させてしまっている。それに魔法力至上主義とも言える思想を持っている可能性が高い九島光宣も、おそらくUSNAに潜伏している。九島は身体が弱いという劣等感の中で、魔法力が高いということだけを支えに生きてきた男だ。奴は必ずやUSNAに魔法師のための王国を作ろうとするぞ」

 

「そんな危険な人間を日本は解き放ったの?」

 

「言っておくが、我々はあと少しという所まで追い詰めていた。奴を解き放ったのは君たちが呼び込んだパラサイトたちだ」

 

そう告げると、さすがに決まりが悪いのかリーナが目を逸らした。

 

「話を戻すぞ。九島光宣は九島の直系。つまりはパレードを最も上手く使える一族の者だ。そんな者がスターズを率いて本気で動いたら、君たちの政府は抗しきれるか?」

 

「パレードは非常に厄介ね。使い方によっては変装の効果も期待できるから……」

 

「そうだな。高官が知らぬ間に中身が入れ替わったり、或いはそれを駆使して政治的な痛手となる情報を得て傀儡にしたり、或いは単純にスターズの武力で脅すか。いずれにしても、奴らが政府や軍を掌握しきるのは避けねばならない。そして、それはもはや一刻の猶予もないことを理解してほしい。実際、君の国はパラサイトたちを座間に輸送した。彼らはすでにパラサイトを受け入れるための素地を作ってしまった」

 

「それは……」

 

「パラサイトを放置していたことでUSNAは大きな非難を浴びるだろう。だが、それをしなければ、いずれUSNAは非魔法師が魔法師の奴隷として生きる国へと変わる。君は祖国をそのような国にしたいのか? 君が守るのは国の存在のみで、そこに暮らす者たちは保護の対象外なのか?」

 

そこまで言うと、リーナもついに覚悟を決めたようだ。

 

「分かったわ。パラサイトの件の公表には反対しない」

 

「すまない。君の決断に応えるためにも、我々は戦いの相手をUSNAという国家ではなくパラサイトとすることを約束しよう」

 

もっとも、パラサイトを庇う者については戦いの相手から除外しないが。という言葉は胸の中にしまい、治夏はリーナの協力を取り付けた。




また、つまらぬものを消してしまった。
達也が絶対に言わないであろう言葉を言わせてしまいました。
達也はそんなこと言わない。という突っ込みはご容赦ください。


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戦雲編 新ソ連との開戦

西暦二〇九七年七月八日月曜日、日本時間午前零時。

 

新ソ連極東艦隊は、ウラジオストクを出港した。編成はフレミングランチャーを主武装とする対地攻撃艦二隻、対空・対艦ミサイル艦四隻、対潜・対艦ミサイル艦四隻、小型戦闘艦十二隻。その後に空母とその護衛艦二隻が控えるというもの。艦の役割で見れば空母が一隻、ミサイル艦が十二隻、小型艦が十二隻の計二十五隻。

 

それを受けて日本は直ちに舞鶴、呉、佐世保に集結させていた艦隊を出港させた。昨日のうちに更に戦力を増強したため、その総数は空母三、ミサイル護衛艦二十七、小型艦四十五、総数は七十五隻と水上艦だけで新ソ連軍の三倍にも達している。

 

もっとも、それらの艦隊は隠密行動を取っており、実際に前衛として対峙しているのは金沢から出港した対空・対艦ミサイル艦四隻と対潜・対艦ミサイル艦六隻のみ。蹴散らされても困るが、大戦力を集結させてベゾブラゾフの戦略級魔法で一網打尽というのはもっと困ることになる。それゆえの苦肉の策だ。

 

日本時間正午、新ソ連艦隊は能登半島北西三十海里、接続水域のすぐ外で停止した。対する日本艦隊は金沢付近に、右翼に舞鶴の艦隊、中央に呉の艦隊、西に佐世保の艦隊という布陣で新ソ連の動きを見守っている。

 

宮芝淡路守治夏の姿は、呉から出港した艦隊のうち、後方に位置するミサイル護衛艦の中の一隻にあった。同じ艦には側近たちの他に克人の姿もある。

 

その他の主要な人員の配置は日本艦隊の各艦に郷田飛騨守、矢島修理、十山信夫。巳焼島に森崎雅樂、呂剛虎、名倉三郎、一柳兵庫、達也とリーナ。佐渡島防衛に一条将輝と吉祥寺真紅郎。そして劉麗蕾と松下隠岐守を乗せた輸送機はすでに日本海上にいる。

 

午後一時、敵艦隊に動きがあった。地上攻撃艦に随伴していた小型高速艦十二隻が一斉に東に移動を始めた。それに対応するのは敵方の半分、新潟から出港した僅か六隻の小型艦だけだった。

 

もっとも、これは予定通り。敵艦隊が佐渡に仕掛けてくると読んだ上で一条と吉祥寺に佐渡に行くことを許可したのだ。後は適度な所で新しい戦略級魔法を用いて敵艦隊を一気に殲滅する。

 

ベゾブラゾフがトゥマーン・ボンバを仕掛けてくるとすれば、佐渡を防衛しようとする新潟から出港した艦隊に対してだろう。治夏は劉麗蕾の乗る輸送機に新ソ連に向かわせると同時に、金沢沖に控えたままの主力艦隊に前進を命じる。

 

それから約一時間、新ソ連艦隊が佐渡沖に姿を現した。一条からは攻撃許可を願う暗号文が届いたようだが、治夏はそれに攻撃許可を待つよう返信をさせる。まだベゾブラゾフは戦略級魔法を行使していない。ベゾブラゾフの居場所を掴むためには一度、戦略級魔法を使わせる必要がある。まだ、敵艦隊を殲滅されては困るのだ。

 

新潟を出港した高速艦に積んでいた計測器が強力な魔法の波動を感知した。同時に術者の居場所を演算して治夏にその場所を教えてくれる。直後に新潟の小型艦六隻との通信が途絶した。六隻もの艦の喪失は大きな痛手だが、それだけの見返りは得られた。

 

小型艦の一隻には呪術具を搭載していた。それは自らを殺害した者に対して呪いをかけるというもの。もっとも、高ランクの魔法師であるベゾブラゾフに対しては、どれだけ高性能の呪術具を用いようとも大きな効果は見込めない。けれど、呪術を受けた者が放つ呪いの波動は宮芝の術士ならば感知できる者が多い。それで、ベゾブラゾフの居場所を掴む。

 

治夏はすぐに一条と劉麗蕾に対して戦略級魔法による攻撃命令を出す。まずは一条の戦略級魔法によって敵小型高速艦十二隻を吹き飛ばす。それを知った新ソ連の艦隊は後退を始めるが、日本の前衛艦隊十隻がそれを追跡する。その後方に未だ姿を消したままの主力艦隊が進んでいく。敵艦への攻撃はベゾブラゾフの脅威を除いてからだ。

 

そして三十分後の午後二時半、ついに劉麗蕾の輸送機がベゾブラゾフを霹靂塔の射程内に捉えた。松下の魔法は上手く利いているらしく、今のところ敵側からの攻撃はない。

 

「今こそベゾブラゾフめを葬るときだ。皆、雷雲海を使用せよ」

 

側近三名に命じると同時に治夏も魔法の使用に入る。雷雲海はその名の通り帯電した雲を作り出す魔法だ。この魔法は雨が降りやすくなる程度で攻撃力は皆無だが、雷を降らす魔法である霹靂塔との相性は抜群に良い。

 

輸送機の護衛に付いている天牙から通信が入る。内容は増幅器の投下完了。遠隔で魔法を使用するための補助具として用いた、スターダストの兵士たちを改造した魔術具は無事に投下できたようだ。

 

その報告を聞いて治夏は側近たちと全力で雷雲海を発動させる。それから少しして輸送機から霹靂塔を発動させたと通信が入る。雷雲海の補助を受けた霹靂塔は強力な雷を広範囲に隙間なく降り注がせる魔法となっている。

 

その中心にされたのが呪術の波動を放つベゾブラゾフだ。さすがに無傷ではいないはずだが、殺しきれたかというと疑問が残る。しかし、その点も抜かりはない。輸送機には降下してベゾブラゾフを討ち取るために電磁防御を施した八十機の関本を搭載している。

 

天牙八機の対地攻撃の支援の中、関本たちが空挺を開始する。ベゾブラゾフはすでに何度も達也の暗殺を試みてきた敵だ。達也を慕う関本たちの士気はすこぶる高い。しかし、関本たちの報告をただ待つのでは芸がない。治夏は全艦隊に新ソ連艦隊殲滅の命を下した。

 

三基地から出港した艦隊に前衛艦隊を含めた、八十五隻の艦隊が高速艦を失った十三隻の新ソ連艦隊に殺到する。

 

「全艦、対艦ミサイル発射!」

 

無線封鎖を解除した艦内に艦隊の総司令の声が響く。指示を受けた対艦ミサイルを搭載した三十七隻のミサイル護衛艦が一斉に対艦ミサイルを発射する。濃密なミサイルの雨が迎撃ミサイルを潜り抜けて敵艦に着弾し、見る間にレーダーから敵影が消えていく。

 

逆に相手側からの反撃は、四十五隻の小型艦の迎撃ミサイルと濃密な対空射撃で打ち落としている。新ソ連にとっては頼みの綱とも言える空母の艦載機も睨み合いの中で小松の航空隊と交戦を続けた影響で勢いはない。もっとも、仮に無傷の状態からだったとしても、攻撃隊の数を上回る艦艇に迎撃されたのでは戦果を上げることは難しい。

 

今回の戦いは本気で相手を滅ぼす気で挑んだ者とそうでない者の戦いだ。この結末は当然だった。

 

日本軍の艦隊の前方に、黒煙を上げながらゆっくりと沈みゆく新ソ連の艦たちの姿が見えてくる。そこに向けて日本軍は更に艦砲射撃を加えていく。今回の戦は新ソ連に少しでも多くの被害を与えるための戦いだ。一隻たりとも生かして帰すわけにはいかない。

 

戦闘能力を失った艦に対しても乗員の退艦を許さぬために攻撃を加える。敵の脱出艇を轢き殺して艦を前に進める。一応、皆殺しという汚名を避けるために六隻の小型艦を救助のために残し、主力艦隊は敵兵を蹂躙しながら新ソ連の沿岸部を目指して進軍を続ける。

 

「イーゴリ・アンドレイビッチ・ベゾブラゾフ、討ち取ったり!」

 

その中で入ってきた通信と映像に目を向けると、槍の穂先にベゾブラゾフの首を掲げた一機の関本が瓦礫の上に立っている姿が映っていた。それを見た治夏は映像を大亜連合に流すと同時に軍の再進軍を促すよう国防軍の司令部に命じる。

 

新ソ連艦隊を蹴散らした日本艦隊は続けて新ソ連の沿岸部にミサイル攻撃を行う。狙いは航空隊を支援するための対空ミサイル網の破壊だ。雫の父の会社を始め、この日のために各企業に増産を命じていたミサイルは基地の中に在庫がある。艦載されているミサイルを全て打ち尽くす勢いで四百発以上のミサイルを新ソ連領内に打ち込んだ。

 

この量は世界群発戦争の際にも経験したことのない新ソ連が体験する最大の破壊行為だ。圧倒的な物量の前に迎撃ミサイル網は破壊され、制空権が失われる。

 

そこに空母の艦載機三十機、続いて千歳と三沢と松島から発進した百五十機の航空機が大亜連合を迎え撃つはずだった地上の機甲部隊に襲い掛かる。対地ミサイルの攻撃を受けて次々と戦車が擱座していく。攻撃を行った戦闘機から送られた映像は、即座に大亜連合に送らせておく。

 

そして、午後六時。夕闇が迫る中、ついに大亜連合が新ソ連に再度の宣戦布告を行った。同時に機甲部隊が国境を超えて戦闘能力を失った新ソ連の極東地域を蹂躙する。それからほとんど間を置かずにインド・ペルシア連邦が新ソ連との国境の軍勢を増強し、新ソ連の西部方面軍の動きを制限する。午後六時半、日本軍は敵地で戦闘中の関本を残して軍を後退させた。こうして新ソ連との開戦初日の戦闘は、日本側の全面勝利により終結した。



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戦雲編 巳焼島防衛戦

日本軍と新ソ連軍が激しい戦闘を繰り広げていた頃、巳焼島でも戦闘が始まろうとしていた。ステルス魔法で姿を隠した輸送艦が島に接近してきているのだ。もっともステルス魔法の精度は宮芝に比べれば随分と劣ったもので、島の守備隊は早々にその存在を察知していた。敵の進行方向は魔法研究施設群がある島の北東部だ。森崎雅樂駿は、その報を聞いてすぐに沿岸部に急行した。

 

本来、宮芝の術士たちは陣地防衛戦に向いていない。宮芝として最善の選択は、施設群の中でのゲリラ戦だ。けれど、その戦い方では当然、司波達也の恒星炉プラントに被害が生じてしまう。それを達也は嫌ったのだ。

 

この戦場は司波達也の意向を最大限に尊重するように淡路守から言われている。そのため現代魔法師を中心に沿岸部に配することにしている。ただし、本来の主力である封印術を得意とする者たちは内陸部に配置している。彼ら主力は、沿岸部の部隊が敵を戦闘不能にしてからが出番になる。

 

巳焼島へと接近しているのはUSNAの大型空母インディペンデンスに随伴していた輸送船ミッドウェイから発信したウェーブ・ピアサー型双胴船だ。その過程を考えれば、もしも接近中の船にパラサイトが乗っていた場合、空母も汚染されているのは確定的。リーナにはパラサイトが確認でき次第、空母を沈めるよう攻撃要請をすることになっている。その説得を最終的に担うのも、森崎の役目だ。

 

沖合四キロまで近づいた不審船から、突如爆弾が撃ち出された。

 

フレミングランチャーやグレネードランチャーによる射撃ではない。移動魔法による射出による攻撃だ。

 

爆弾自体は小型だが、数が多い。まるで多弾頭榴弾を使ったような炸裂弾の雨に対して、四葉配下の守備隊が一斉に魔法障壁を展開する。

 

障壁から降り注いだのは、爆発に伴う閃光だった。降り注いだ飛散物の中には閃光弾が混じっていたらしい。

 

「暗幕」

 

現代魔法師ばかりより対応力が増すと、森崎たちに付けられていた一柳兵庫が光を遮断する魔法を使う。閃光を警戒をする必要がなくなった守備隊の魔法障壁が安定する。しかし、その間に不審船の陰から二隻の上陸用ボートが姿を現した。

 

「各銃座、攻撃を開始せよ」

 

宮芝家が島に到着して、まず行ったのは四十ミリ機関砲を沿岸部に設置することだった。海上を侵攻してくるUSNA軍に対して、宮芝家が魔法戦で戦うことは難しい。その解決策が兵器による防衛力の向上だった。

 

接近するボートに対し、島からは四十ミリ機関砲と四葉配下の魔法師による攻撃が仕掛けられる。しかし、ボートに乗るパラサイトたちの魔法力は高く、強力なシールドに守られて有効打を与えられない。そればかりか上陸用ボートからは銃弾、擲弾による反撃を受けてしまう。幸い四葉の魔法師によるシールドに守られたが、ボートは更に接近した。

 

「リーナ殿、この状況で援軍を出されたら我らは壊滅だ。母艦を潰してくれ」

 

はっきり言って宮芝にとって恒星炉プラントは絶対に防衛をしなければならない施設ではない。USNAと交戦状態になれば、自動的に司波達也のディオーネー計画への参加の道はなくなるのだ。

 

「でも……」

 

「パラサイトを探知するレーダーが返してきたボートと輸送船の反応を見ろ。二隻で合計二十五体の反応。その中にはスターズの一等星級に匹敵する魔法力も観測されている。あの空母はもう駄目だ。救えない」

 

渋るリーナに更に迫れば、ようやく首を縦に振った。リーナがUSNA時代に使っていたという専用デバイスはなくても、他を巻き込まない洋上への攻撃なら十分に可能だ。

 

リーナが達也が用意したCADを用いて魔法の準備を始める。そのリーナの前を守るのは呂剛虎だ。呂は肉体の頑強さに加えて、淡路守が第一高校で始末した十三束を元にした補助具を使って接触型術式解体を使用できるようになっている。

 

接近してくるボートからは尚も激しい攻撃が仕掛けられている。しかし、その攻撃が唐突に弱まった。見ると、接近していたボートの一隻が消えている。その少し後には、残るもう一隻のボートも海上から姿を消していた。これは司波達也の魔法だろう。

 

パラサイトたちは海上に立っているが、武器類は海中に没したようだ。加えて個々が魔法で海上に立った影響で、僅かながら防御に回す力が弱まっている。そこに四十ミリ機関砲の射撃が集中する。

 

いかにパラサイト化しようとも魔法能力は有限だ。それに対して機関砲は換えの銃身と銃弾が続く限り撃つことができる。魔法を補うために惜しみなく金銭で代替できるものを投入するのは宮芝のお家芸だ。

 

パラサイトたちを足止めしている間にリーナが自身の戦略級魔法を発動させる。それは宮芝の術士たちの偽装魔法により巨大な雷の砲弾に変えられて、太平洋に浮かぶ敵空母に向けて突き進んでいく。少しして衛星写真が轟沈する巨大空母の姿を映し出した。

 

「シリウスの名を汚す裏切り者め!」

 

その直後、激昂する声が海上から聞こえた。おそらくインディペンデンスがリーナにより撃沈されたのを知ったのだろう。同時に長期戦となれば、ますます自分たちにとって不利になっていくことも。

 

ここでパラサイトたちが決断した。防御を最小限に二十二体のパラサイトが全員で一斉に島へと向けて突っ込んでくる。四十ミリ機関砲と四葉の魔法師たちの攻撃によって防御魔法を突破されたパラサイトたちが次々に肉体を破壊され、本体が付近を漂い始める。

 

「浄流」

 

その直後、島の周囲に沈められていた瓶の中の浄化の水を媒介としたパラサイトの消失魔法が発動される。パラサイトたちの本体は水に包まれた少し後には、元から何も存在していなかったかのように綺麗に消え失せていた。

 

戦略級魔法で敵の帰るべき母艦を沈めたリーナが防衛戦に参加する。リーナが持っているのはグレネードランチャーに似た銃身を持つ特殊な武装デバイスだ。そのデバイスの引き金をリーナが引いた。中性粒子のビームが迫るパラサイトの一体に直撃し、敵を吹き飛ばした。しかし、それで終わりではなかった。次の瞬間には拡散して海面に散ったかに見えたプラズマが高熱を帯びて輝き始める。リーナの得意魔法『ムスペルスヘイム』だ。

 

灼熱の領域に捕らわれた周囲のパラサイト二体が攻撃には耐え切るも魔法障壁を崩壊させた。そこに容赦なく弾雨が降り注ぎ、肉体を吹き飛ばす。

 

その直後、リーナに向けて高エネルギー赤外線レーザー弾が発射された。敵パラサイトの一体が放った『レーザースナイピング』という魔法だ。リーナはそれをミラーシールドという魔法で防ぐ。この辺りの防御はさすがに手の内を知った相手ということだろう。

 

攻撃を行った敵は海岸から約一キロ。輸送艦ミッドウェイの舳先にいる。この船に銃撃に加えて迫撃砲による攻撃も加えているが、よほど強力な魔法師が乗船しているのか耐えられている。ならば直接攻撃で仕留めるのみ。

 

「呂剛虎を射出せよ」

 

それは大砲の中に呂剛虎を入れて、砲弾の代わりに飛ばすという正しく人間大砲だ。呂剛虎の防御力を頼みにとにかく飛ばし、その後は名倉三郎の気流操作魔法で制御するという宮芝ならではの装置だ。原始的であろうと何であろうと、ともかく敵艦に呂剛虎を送り込めればいいという、手段を選ばなさが宮芝らしい兵器だ。

 

大砲が火を噴き、中に入っていた呂剛虎が宙を飛ぶ。慌てたように敵艦から迎撃魔法が飛んでくるが呂剛虎の防御を抜くのは容易ではない。それに気流操作の魔法による制御時間が終われば背嚢の中の十三束の脳を用いた接触型術式解体を使える。降下体勢に入った呂剛虎がレーザースナイピングを接触型術式解体で無効化しながら敵艦に突っ込む。

 

だが、その前に狙撃手の隣のパラサイトが『分子ディバイダー・ジャベリン』の魔法で呂を迎撃してくる。呂剛虎の剛腕とパラサイトの魔法が空中でぶつかった。両者の魔法力が拮抗していたのは、ほんの一瞬。だが、その一瞬のうちで勝負は決した。

 

森崎は指揮に専念していたわけではない。障壁の弱った敵を討つための魔法を待機状態にしていたのだ。そして今、敵は全ての魔法力を呂に向けている。今ならば出力不足の森崎の魔法でも敵に有効打を与えられる。

 

森崎の狙撃魔法、長射水撃の魔法が呂と交戦中だった敵の胸を穿つ。その程度の傷ならばパラサイトならば致命傷ではない。だが、傷を癒すよりは拮抗状態を抜け出した呂の剛腕がパラサイトの肉体を両断する方が早い。

 

「ガアアアッ」

 

その勢いのまま迎撃してきた敵を、続いて遠距離攻撃を行っていたパラサイトを引き抜いたレイピアごと身体を引き裂き、呂は艦内の敵を掃討に向かう。元から呂は近接戦闘なら世界で五指に入ると言われていた。そこに更なる肉体強化と接触型術式解体を得た今、狭い艦内で負ける道理はない。輸送艦のことは任せて森崎は海岸線の戦いに意識を戻す。

 

敵はリーナを集中的に狙っているようだ。今もリーナは加重系攻撃魔法の『ハンマー』を使う敵と大型ナイフを使う敵に攻撃を受けていた。けれど、それは好機だ。

 

「リーナ、少し後退せよ」

 

リーナはその意味を正確に理解して、森崎の言の通り後退してくれた。

 

「逃げるか!」

 

それを離脱と取ったのか、二体のパラサイトが追い掛ける。その直後、地面に複雑な文様が浮かび上がった。文様からは無数の光の蔦が飛び出し、二体のパラサイトを拘束する。

 

「これは宮芝家の封印術、魔封檻。魔に属する者のみ有効な檻だ。貴様らには生きていてもらわねばならぬのでな」

 

リーナとの会話から二体がスターズの一等星級隊員であることは分かっている。この二体は軍の中心部までパラサイトに汚染されていることの格好の証拠だ。

 

すでに達也と四葉家の魔法師、そして全力射撃を続けた四十ミリ機関砲の働きにより島に襲来したパラサイトは二十体が殲滅、もしくは無力化されている。残り五体の仕上げに入るため森崎は再び海岸線に歩き出した。



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戦雲編 新ソ連とUSNAの動乱

七月九日。宮芝淡路守治夏は輸送機に搭乗し、新ソ連の主要都市ハバロフスクに向けて飛行していた。

 

同じ輸送機の中には側近たち三名の他、元から輸送機に付けていた劉麗蕾と松下隠岐守に加えて巳焼島から合流した森崎雅樂駿、名倉三郎に十文字克人もいる。ちなみに近接戦闘が専門の呂剛虎はさすがに使い道がないこと、万が一、劉麗蕾が顔を知っていた場合には反感を持たれる危険性があることから、地上で留守番である。

 

今日の作戦の目的はハバロフスクに対しての霹靂塔使用である。すでに新ソ連は何度も日本の国土に対して戦略級魔法を使用している。その結果、伊豆では民間人に被害が出て、東京でも達也が防がねば多くの死者が出ていた。ハバロフスクで民間人がどれだけ死のうが文句は言わせない。

 

それに昨日の時点でトゥマーン・ボンバから始まり、霹靂塔、新戦略級魔法である海爆、ヘビィ・メタル・バーストと四発の戦略級魔法が乱れ飛んだのだ。今更、戦略級魔法が数回使用がされたところで、驚きは少ないはずだ。

 

何より空母インディペンデンスを沈め、国内の基地にいたUSNA軍人たちを追放もしくは殺害した今、すでにUSNAとの対決は避けられない。頼みの綱の、空母がパラサイトに汚染されていたという発表も、どの程度の効果があるのは未知数だ。

 

現下で新ソ連と長期戦を行うことはできない。大亜連合を助けるという名目が利いているうちに少しでも多くのインフラ設備を叩いて新ソ連の継戦能力を低下させる。

 

今の所、治夏たちが乗る輸送機も護衛の天牙八機も敵に発見された気配はない。宮芝の魔法はそれほど甘いものではない。わずか数日では新ソ連軍も宮芝の魔法への対抗策は編み出せなかったようだ。もっとも、高を括って敵に襲われて皆で戦死となっては詰まらない。治夏が搭乗するのは今回で終わりだ。

 

今頃は沿岸部に対して、昨日に引き続いての艦隊からのミサイル攻撃と空母艦載機による攻撃が行われているはずだ。地上からは大亜連合が猛攻を仕掛けており、昨日、輸送機から投下された関本たちもゲリラ戦を展開している。

 

今のうちに新ソ連軍を叩けるだけ叩いておく。ハバロフスク上空に近づくと、治夏はすぐに劉麗蕾に霹靂塔の使用を命じる。同時に治夏たちも雷雲海を使用してハバロフスクに破滅の雷の嵐を噴き荒らさせた。

 

街のそこかしこで火の手が上がり、慌てて外に飛び出した人が落雷の直撃を受けて黒焦げになる。ひとまずインフラは壊滅。そして人的被害はざっと五万人くらいになるだろうか。まずまずの戦果といっていいだろう。

 

治夏は輸送機の機長に日本への帰還を命じる。そうして輸送機が新ソ連の国土を離れ公海上に出て間もなく、驚くべき通信が送られてきた。その内容は、USNAで九島光宣を中心としたパラサイトによる武装蜂起が起こったということだった。報告によると、日本が主張したパラサイトの跳梁に対する真偽を確認するため、大統領が派遣した調査団を光宣たちは殺害したということだ。

 

その理由は、魔法師でない人間に魔法師に指示をする資格はないというものだった。光宣は堂々と、現在の人々の間にある不公平をなくすため、魔法力という数値化可能な価値観で平等に人が評価される世を作ることを宣言したという。

 

治夏は元から九島光宣のことを浅慮な人間だと思っていたが、一方で、もう少し外面を取り繕う頭くらいは持っていると思っていた。今回の主張は多数派である非魔法師の反感を買う大変に危険な主張だ。しかし、それは同時に好機でもあった。

 

日本としては空母インディペンデンスを沈めたことについて、このようにパラサイトは危険な思想を持っているから、強硬手段に出たのだと言い訳ができる。加えて、このような化け物を内に抱えていては、USNAも全力で日本に対峙する態勢は取れないだろう。

 

「図書、USNA国内に潜伏させている工作員たちに指示し、反魔法師活動を活発化させろ。ただし、絶対にパラサイトが勝利する結果は生むな」

 

パラサイトの魔法師である九島光宣への反感は、簡単に反魔法師活動に誘導可能だ。だが、やりすぎて非魔法師と魔法師の間の分断が深刻になり、魔法師を特権階級と考えている様子の九島光宣の主張に心を寄せられると最悪だ。

 

USNAの弱体化自体は願ってもないことであるが、治夏はあくまでも魔を狩る宮芝家の人間。日本が焦土になるよりも、なお妖魔が跋扈する世の中というのは許し難い。

 

「その件ですが、つい先程、入りました情報によると、すでに各地でデモが起きているようです。九島光宣の発言に怒りを表明する者が多いようですが、同様にパラサイトを放置していた政府に怒りを上げる者も多いようです」

 

「む、九島光宣個人に対しての怒りならよいが、それが日本への反感に繋がるのは良くない。日本はパラサイト追討のために全力を尽くしたが、USNAが放置していたパラサイトたちが手を貸したせいで国外に逃げられた、と主張しておくべきだな。なぜ、九島光宣を保護したのかUSNAに対して詰問する声明でも出させるか」

 

事実としてUSNAから侵入したパラサイトの手引きによって治夏たちは沖縄に追い詰めた九島光宣に逃げられてしまったのだ。この後、USNAに巣くうパラサイトを殲滅するためという名分で攻撃を仕掛けるためにも、このくらいの工作は必要だろう。

 

「ときに克人、十文字家の者たちはUSNAとの開戦にどう言っている?」

 

「空母の随伴艦から多数のパラサイトが巳焼島に上陸したという事実でパラサイトとの戦闘はやむなしという意見で纏まった。だが、USNA自体との開戦となると難しいな」

 

「まあ、そうだろうね。特に今回、九島光宣がUSNAの政府と対決姿勢を示したことで、敵はパラサイトという構図が成立しうることになったからね」

 

そういった意味では九島光宣の行動は迷惑とも言える。USNAがパラサイトを庇えば、すでに取り込まれていると喧伝して他国と協力して攻め込む算段もついたが、今のままだとUSNAとパラサイトは別物だ。けれど今のUSNAは生かしておくには危険すぎる。少しでも利益になるならばパラサイトにも魂を売り、自国が少しでも危険と思えば敵と手を組んで、同盟国の民を殺す。あの国の政府はもはや精神的には化け物の仲間入りしている。

 

「今は少しばかり静観し、力を蓄えるのが得策と思えるが……果たして大亜連合は耐えられるかな」

 

元はすぐにでも攻め込むつもりだったが、九島光宣がUSNAと戦闘状態となれば少しばかりの時間を稼げる。その間に第二世代関本の製造に励めば戦力は増す。だが、その間に新ソ連軍が盛り返してしまえば増強分の戦力など全て吹き飛んでしまう。

 

それを防ぐためには大亜連合に頑張ってもらうよりないが、トゥマーン・ボンバで受けた被害は小さいものではない。いつまで優勢を維持できるかというのは疑問だ。

 

「いっそモスクワを達也が吹き飛ばしてくれれば楽になるのだが……」

 

それを行うには今少し準備が足りない。達也に死んでもらうのは、今ではない。

 

「とりあえずエドワード・クラークは死んでもらわねば困る。上手くパラサイトを誘導して奴だけでも殺しておきたいが……図書、どう思う?」

 

「ひとまずエドワード・クラークはパラサイトと繋がっているという噂は流してみますが、効果はあまり期待できないと思われます」

 

「まあ、そうだろうね。だが、エドワード・クラークが邪魔に思っていた達也のプラントをパラサイトたちが破壊しようとしたという事情もあり、一定数は信じる者もいるのではないか?」

 

「……おそらく、それでも効果は限定的かと」

 

「じゃあ、パラサイトは宇宙人で、エドワード・クラークも実は宇宙人で、ディオーネー計画は自信が宇宙に帰るための計画だと言うのは……」

 

言いかけた治夏が見たのは、全員の酷く冷たい視線だった。

 

「ま、まあ冗談だがな……」

 

とりあえず治夏は慌てて誤魔化すことしかできなかった。

 




九島光宣、USNAでパラサイトを率いて蜂起。


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戦雲編 面倒から解放されぬ達也

七月十日には、新ソ連は日本にとって喫緊の課題ではなくなっていた。すでに敵極東艦隊は壊滅しており、新ソ連の東海岸は日本軍の艦砲射撃とミサイルにより破壊され尽くしている。当面の危機は去ったこともあり、日本国民の今の興味は七月八日に日本が行使した新戦略級魔法に寄せられていた。

 

午前十時、防衛省の会見室にて、防衛大臣は集まった記者の質問に答えて、新ソ連小型艦部隊を一網打尽にした『海爆』の存在と、それを行使した魔法師として一条将輝の名を公表した。それを受けて、小松基地で開かれた一条将輝の記者会見の中継を、司波達也は巳焼島で深雪、水波、和泉、リーナと共に見つめていた。

 

初めは一条が新ソ連艦隊迎撃に志願して参戦したことを答えていた。だが、新戦略級魔法である海爆に話が移ると、今度は吉祥寺に質問が集中した。そして、そこで新戦略級魔法を開発したことを称えられた吉祥寺が、非常に迷惑なセリフを口にした。吉祥寺は魔法の基礎部分を達也から提供を受けたと話してしまったのだ。

 

「余計なことを……」

 

思わず苦虫を嚙み潰した表情になってしまうのも、やむを得ないことではないだろうか。これ以上、自分に関心が寄せられないように、わざわざ完成間近で譲ったというのに、馬鹿正直に全て話してくれるとは、どういうことか。達也の表情を見て、いつもなら達也の功績への評価に喜ぶ深雪も、さすがに難しい顔をしている。

 

「まあ、今回は吉祥寺の性格を見誤った君のミスだな」

 

どこか愉快そうな和泉には、冷たい視線を向けておく。

 

「分かっている。次からはきちんと口止めをしておく。そうすれば、あいつは妙な律義さを発揮して口を閉ざしてくれるだろう」

 

「そうだな、それが最良だっただろう。とはいえ、今回は君にとっても大きな傷にはならなかった。それで、良しとすべきでないか?」

 

和泉の言う通り、ベゾブラゾフが死に、USNAが内紛で混乱している今、ディオーネー計画は自然消滅したも同然だ。少なくとも今すぐに達也自身に手を出してくる組織も見当たらない。ただし、あれだけ熱心にビジネスをしようとしていた人間が裏で戦略級魔法を開発していたというのは、達也の恒星炉プラントにはマイナスにしかならない。

 

「さて、見るべきものは見たことだし、そろそろ本題を見せてくれないか?」

 

今日、和泉が巳焼島を訪れているのは発注を受けていた改造型のエアカーの一号機を自分の目で確認するためだ。次のUSNA戦では、改造型エアカーに搭乗した第二世代関本たちを主力とするつもりらしい。

 

「それにしても、僅か半月で一号機を作りあげるとは、さすがは四葉だな」

 

改造型のエアカーを置いてあるガレージに向かう間も、和泉は上機嫌で四葉のことを褒め上げてくる。

 

「四葉というより、今回の功労者は三矢家だぞ。あの家が懇意にしている会社を紹介してくれたから、車体の量産化ができたのだからな」

 

「そうか、それでは三矢詩奈にも礼を言っておかねばな」

 

そう言う和泉と共にガレージに入る。そこには和泉が注文した通りに仕上げた車体が鎮座している。

 

「え……本当に、これで良いのですか?」

 

それを見た深雪が戸惑いの声を上げるのも分かる。そこにあるのは、やたらと車高が低いスポーツカーに見える前部と、軽トラックのような後部を持つ、奇妙な車だった。言葉には出さなかったが、水波もかなり怪訝そうな顔を見せている。

 

「言っておくが、俺の趣味じゃないからな。和泉が出してきた仕様を満たそうと設計したら、このような姿になった」

 

「そんなことより、早くテスト飛行をしてみてくれないか。この上でどのような戦闘が行えるものか確認をしておきたい」

 

そう言いながら、和泉は早速、荷台部に上がっていた。

 

「リーナはどうする、一緒に乗ってみるか?」

 

「ちょっと待って、どうしてミユキには聞かないの?」

 

「こんなものに深雪を乗せられるか」

 

「ちょっと、それならどうしてワタシには聞いたのよ」

 

「リーナは軍人として飛行する機会もあったかと思ったんだが」

 

理由を言うと、さすがにリーナもそれ以上の文句は言わなくなった。操縦席は風防があるので風を防げるが、後部は外に露出している。そんな過酷な環境に好き好んで妹を乗せるわけがない。

 

「それで、どうするんだ?」

 

「わかった。せっかくだから、乗ってみる」

 

再度、確認をするとリーナも後部の荷台に飛び乗った。

 

「これが足を固定するためのベルトか。ちゃんと丈夫なものにしてあるな」

 

「当然だ。それを使用するのは関本なんだろう。ちゃんと重量二百キロまで耐えられる作りになっている」

 

関本たちは見た目こそ人に近づけてあるが、総金属製だけあって重量はかなりのものだ。そのため荷台部は構造的にも、かなり補強されている。

 

「きちんと足は固定したな。じゃあ、出すぞ」

 

初めはゆっくりと上昇。そして、高度二百メートルの地点に到着すると、全速での飛行を開始した。

 

「ききゃぬにゃーあー」

 

何やら意味不明な和泉の叫び声も置き去りにする勢いでエアカーは時速九百キロで飛行する。一応、戦闘で使用するということも考慮して多少の空戦機動も織り込む。

 

今回はあくまでテストであるので、それは五分ほどで切り上げた。が、それでも長すぎたようだった。

 

「ひぅっ……えっ……えぐっ……」

 

エアカーが地上に着くなり、それまで固まっていた和泉が泣きじゃくり始めた。よほど怖かったのか速度を緩めたときには、すでに股間に大きな染みができていたが、空の上では固まっているという印象だったのだ。

 

その和泉は状況に気づいた水波に連れられて、一足先に居住区へと連れていかれた。そして深雪とリーナはいつになく冷たい視線を達也に投げかけてくる。

 

「お兄様、あんなに怖い思いをさせては駄目ではないですか!」

 

同級生の女子を大泣きさせたということで、さすがの深雪も意見が厳しい。

 

「そうは言っても、あれは和泉が要求した仕様に基づくもので、その性能を発揮していることを示すためのテストだから、他に手はないだろう」

 

とはいえ、旅客機と同程度の速度で空を飛ぶ板の上に、足だけ固定された状態で乗せられるというのは、はっきり言って普通の人間には厳しすぎる状況だ。様々な魔法を駆使して耐えていたリーナと違い、風を受けるまま、機動に振り回されるままだった和泉には過酷すぎたというのは間違いない。

 

「ところで、リーナなら、訓練を積めばあの環境下で戦うことはできると思うか?」

 

「あの速度で飛ぶ車体の上から射撃魔法を使えってこと? 不可能じゃないけど、相当な負担になるから、活動時間は著しく短くなるわよ」

 

風と重力に対する制御魔法を使いながら、自らの未来位置と相手の未来位置を計算して射撃を行うというのは、一流の魔法師でも至難の業だ。

 

「大丈夫か、これ? 本当に使えるのか?」

 

思わず達也もそう零してしまう。一応、生身の人間には難しくとも機械製の関本ならば耐えられる可能性はあるが、さすがに全速下での戦闘は厳しいのではないだろうか。

 

「とりあえずワタシたちも戻りましょ。そろそろイズミの準備も整ったでしょうし」

 

しばらく時間を潰して達也たちもリーナの部屋へと戻る。そこには、すでに着替えを終えた和泉が赤い顔で待っていた。

 

「えーと、それでテストの結果、使えそうか?」

 

「使いこなせるように関本たち改修をさせる。これだけの被害を受けて、おめおめと引き下がれるわけないだろう」

 

口では威勢のいいことを言いながらも、恥ずかしさがぶり返してきたのか、和泉は立てた膝の上に置いたクッションへと顔を埋めてしまう。膝丈のスカートという服装で。足の間からピンク色の布が露わになり、達也はそっと視線を逸らす。

 

「宮芝様、スカートを!」

 

それに慌てたのは、なぜか水波だった。指摘に気づいて足を下ろした和泉を確認すると、水波はなぜか気まずそうに達也を見てくる。その顔は少しばかり赤くなっている。その態度を見ているうちに、和泉が身に着けているものは水波が自分用の着替えを提供したのだと察しがついた。

 

この巳焼島を拠点とすると決めた時点で深雪と水波についても部屋と着替えを用意している。おそらく、水波はそこから提供したのだろう。

 

つまりは水波は間接的に達也に自分の下着を見られてしまったということになる。今の和泉が余裕がない状態なのは分かるが、もう少し色んな所に気を回せないものか。しかも今は達也に味方が少ないのだ。今更ながら周囲を女性に囲まれている状況に、達也は小さく溜息をついた。



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戦雲編 杉内瑞希の反逆

巳焼島という場所に向かわれていた治夏様が戻ってこられました。私、杉内瑞希に対して治夏様は今日は泊まると言って出て行かれました。そこから考えると、何か予定外のことがあったのでしょう。

 

その治夏様は少し落ち込んだような表情を見せていらっしゃいます。予定外の帰宅の原因は治夏様にあるようです。

 

「治夏様、お食事はいかがなさいますか?」

 

「外で食べてきた。今日はいい」

 

そう言った治夏様ですが、少し目が泳いだ様子から、偽りであると分かりました。今は食べたくないということでしょう。

 

「まだ早い時間ですので、夜にはお腹が空いてしまうかもしれません。軽くお夜食を用意いたしましょうか?」

 

時計の針は七時を過ぎたばかりです。この周辺には食事を取れる所はありません。私の言葉は不自然ではないはずです。

 

「……今は分からない。九時くらいには決める」

 

「ええ、別に九時を過ぎても構いませんので、いつでもお言いつけくださいませ」

 

治夏様は聡い方です。私が治夏様のつかれた嘘に気づいたことは、感づかれてしまったことでしょう。けれど、私の真の狙いには気づかれていないはずです。

 

今日、私はいよいよ治夏様を害します。治夏様が最高の表情をなされる瞬間を味わうため、私はずっと我慢していたのです。それなのに今日、治夏様はとても儚げな、そそられる表情で予定外の帰宅をなされたのです。こんな不意打ちを受け、耐えられるはずがありません。

 

「少し部屋で休む」

 

「はい、ごゆっくりお休みください」

 

治夏様を見送り、私は厨房に入ります。おそらく食事を抜いているはずの治夏様は夜になれば空腹を訴えられるはずです。そのための下拵えです。普通の状態の治夏様を私が害するのは難しいです。そのため治夏様には睡眠薬で眠ってもらうことにします。

 

治夏様は薬物にも強い耐性を持っていて、更に敏感です。無味無臭に近い物を選び、お料理にも工夫をしておかなければならないのです。しっかりと料理のメニューを練って治夏様からの指示を待っていると、そのうちに夜食を作ってほしいと頼まれました。

 

さあ、いよいよ実行の時です。手早くお料理を作り、最後の仕上げとして、とっておきのお薬を投入させてもらいます。これで今夜の治夏様の眠りは、深いものになるはずです。

 

治夏様が夜食を召し上がっている間に私は洗濯に向かいます。同じ部屋にいると、ついお薬の入った食事を召し上がる口元を見つめてしまいそうだったので、先にお風呂に入られた治夏様に感謝です。

 

そのお風呂で、私は治夏様の落ち込んでいた原因を悟りました。どうやら治夏様は巳焼島で悪癖であるお漏らしをされてしまったようです。今年に入って、すでに三回目です。

 

本当に仕方のない方ですね。これはお仕置きをしなければなりません。

 

洗濯を終えて食卓に向かうと、治夏様はちょうど食事を終えられたところでした。都合が良いことに今日は疲れたからと言って、早々に寝室に向かわれます。私は妙な笑みが出ないよう表情を抑えるのに、大変苦労をいたしました。

 

早めに床に入られた治夏様がしっかりとお休みになるまで待ち、深夜十二時、私は丈夫な紐を手に治夏様の寝室に入ります。治夏様は薬と疲労でぐっすりとお休みになっておられます。私は一度、着ているものを脱がせて、寝る時も隠し持っている呪符などを取り除き、何度も練習した縛り方で手早く治夏様を拘束します。

 

治夏様は自分の状態にも気付かずに寝入っておられます。ああ、薬が切れるのはどのくらい先なのでしょうか。目覚めたときの治夏様の驚きを思い浮かべると、私の胸はどうしようもなく高鳴ってしまいます。

 

いっそ刃物で手足を刺してみるというのはどうでしょうか。ひょっとしたら痛みで起きられるかもしれません。痛みに弱い治夏様は自分が刺されたと知ったら、どのような泣き顔を見せてくださるのでしょうか。

 

けれど、それはできないことです。私には医術の心得はありません。それに、最近の私は少しおかしいのです。傷をつけていくうちに我慢ができなくなって、そのまま治夏様の命を奪ってしまうかもしれません。治夏様とは、たっぷりと楽しみたいのです。一時の楽しみに心を奪われて、至福の時間を失ってしまうのは惜しすぎます。

 

仕方なく私は布団の端に腰を下ろし、治夏様が目覚められる時を待ちます。室内を照らすのは開けられたカーテンから差し込む月の光だけ。かちり、かちりと時計の秒針が時を刻む音がやけに大きく聞こえます。

 

治夏様、早く目を覚ましてください。でなければ、私が我慢できなくなってしまうかもしれませんよ。

 

私の心の声が聞こえたのでしょうか。治夏様がゆっくりと目を開けられます。そして身体を起こそうとして、起こせないことに気づいたようでした。目覚めの直後でとろんとしていた目が一気に見開かれます。

 

「瑞希、これは一体、どういうことなの?」

 

戸惑いを瞳にたたえ、治夏様が質問なさいます。

 

「治夏様が悪いのですよ。治夏様がこんなにも魅力的だから、私が我慢できなくなったのですから」

 

言いながら、毎日、治夏様のために料理を作ってきた包丁を太股の横に差します。この包丁は毎日、治夏様の健康を守ってきた私の大切な相棒とも言える存在です。治夏様の肉を切るのに、これほど適した得物はないでしょう。

 

「や、やめてよ、瑞希。冗談だよね」

 

戸惑いから恐怖に瞳の色を変えた治夏様が、縋るように言ってこられます。

 

「こんな冗談、言うはずがないでしょう」

 

「じゃあ、誰かに脅されたとか?」

 

「私を一体、誰がどうやって脅すと言われるのですか?」

 

私には治夏様を裏切ってまで救いたいような身内はいません。そのことは治夏様も良く知っておられるはずです。それなのに、そのようなことを考えてしまわれるほど、今の治夏様は弱気になっておられるようです。

 

「私は治夏様が恐怖を感じている姿が大好きなのです。だから今日は私のために存分に恐怖を感じてくださいませ」

 

私が笑みを深めると、治夏様は恐怖に顔を強張らせます。その目は私の右手の包丁に釘付けとなっています。

 

「ひっ……」

 

右胸の上で包丁を止めると、治夏様が息を呑まれました。その怯える顔を十分に堪能した私は包丁を下ろし、露わになっている白い下着に注目します。下着の中心にはすでに染みができていました。

 

「あらあら治夏様、またお漏らしをされてしまっているのですか? 本当に仕方のない方ですね。これはお仕置きが必要でしょうか」

 

包丁を再び手にして、股間の染みの上に刃を軽く当てます。

 

「嫌あぁあ!」

 

泣くような悲鳴を上げ、とうとう治夏様は本格的に失禁をなされてしまいました。少し子供っぽい家用の下着から尿が溢れ、布団に大きな染みを作っていきます。

 

「今、注意したばかりではございませんか。これをお掃除するのは大変なのですよ。治夏様は本当に困った方でございますね」

 

堪えきれなくなり、涙をぼろぼろと零す治夏様は、本当にお可愛らしいです。

 

「なんで……なんでこんなことするの? 瑞希はずっと私に優しかったのに……」

 

「私が治夏様に優しいのなんて当然ではございませんか。私は誰よりも治夏様のことをお慕い申し上げているのですから」

 

「じゃあ、何でこんな酷いことを……」

 

「それは……」

 

それは……はて、どうしてなのでしょうか? いつから私は治夏様を害しようと考えていたのでしょう。初めは、単純に治夏様のお役に立てるだけで満足していたはずです。いつから、それで満足できなくなったのでしょうか。

 

「まあ、でも些細なことですね」

 

それは後からゆっくりと考えればいいことです。私は目の前のごちそうにありつくために包丁を握りしめ、大きく振り上げました。



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戦雲編 処分

杉内瑞希が手にした包丁を振り上げるのを、宮芝淡路守治夏は冷めた目で見つめていた。瑞希は熱に浮かされたように頬を赤らめ、口からは僅かによだれを垂らしている。

 

瑞希が包丁を振り下ろす。刃が布を切り裂き、中の綿を突き抜けていく。

 

「治夏様ぁ、治夏様ぁ」

 

自らの腹から流れ出る血に気づくことなく、瑞希は刃を引き抜き、自らを対象とした呪い人形へと振り下ろす。瑞希の腹に傷がつき、中から血が溢れてくる。

 

「あれ、痛い。どうして?」

 

ぼんやりとした表情のまま、瑞希が自らの腹に手を当てる。その手が赤く染まった。その直後、治夏の方を見た瑞希が極上の笑顔を浮かべる。

 

「ああ治夏様、よかった。ご無事だったのですね。てっきり私がやりすぎてしまって死んでしまわれたかと思ったのですよ」

 

「傷の痛みで幻術が解けたようだな。どうだ、今の気分は?」

 

「はい、治夏様がご無事で、大変に嬉しく思っております」

 

何だ? どういうことだ?

 

瑞希は確かに治夏のことを殺そうとしたはずだ。それなのに、今は治夏の無事を心から喜んでいる。今の瑞希はあまりにもおかしい。

 

「念のために聞いておくぞ、瑞希、お前の背後には誰もいないのだな?」

 

「私の後ろにですか? はい、誰もいませんね」

 

治夏が聞いたのは、瑞希を唆した者がいないかどうかだ。それなのに、瑞希はその場で振り返って、自分の傍に誰かがいないかを確認した。いくらなんでも、瑞希はそこまで馬鹿な娘ではない。

 

精神制御魔法で正気を失っているのではない。その線はきちんと調べた。

 

魔法を使われていないと確信した上で、治夏は背後関係を探るために敢えて瑞希を泳がせておいた。そうして、背後に誰もいないと確信した上で、今日、瑞希を処分しようとしているのだ。聞いたのは、本当に念のための確認だ。

 

それなのに先程から疑惑は深まるばかりだ。今の瑞希は明らかに正気ではない。けれど、何の魔法の兆候も感じない。となると、病だろうか。しかし、それでも、このような状態になるだろうか。

 

「治夏様、まだお早い時間ですよ。お身体が問題ないのでしたら、もう少しお休みされてはいかがでしょうか?」

 

自分を殺そうとした人間に言われて、眠れるわけがない。それ以前に、腹から血を流しながら、他人の体調を気にするとは、どういう気持ちなのだろうか。

 

はっきり言って今の瑞希からは恐怖しか感じない。少し前までは、反逆が何らかの魔法によるものならば助け、そうでないならば殺そうと思っていた。その基準で考えれば今の瑞希は殺すべき相手だ。だが、今の治夏は迷っていた。少なくとも瑞希は反逆をしようとは微塵も考えていないに違いない。

 

このまま放っておけば、瑞希は勝手に死ぬ。それを是とするか非とするか。考えている治夏に向かって瑞希は無造作に手を伸ばしてくる。

 

「嫌っ!」

 

今の瑞希は何をしてくるか分からない怖さがある。治夏は咄嗟に移動魔法を使って瑞希を壁へと押し返した。魔法も満足に使えなければ、武術の心得もない瑞希は背中を壁に打ち付けて立ち上がれずにいる。

 

今ので腹の傷が更に広がったのか、血が流れる速度が増していく。このまま決められずに死なせるというのは治夏としては選べない選択だ。殺すにせよ、生かすにせよ己の決断でなすべきこと。それは治夏の矜持と言っていい。もはや迷っている時間はない。決断をしなければならない。

 

「瑞希、悪く思わないで」

 

治夏が決断したのは瑞希に死を与えることだった。はっきり言って、どうして瑞希がこのような状態になってしまったのかが分からない。分からなければ、救えない。いつ再び牙を剥くか分からない危険人物を傍には置けないのだから。

 

「治夏様の決断なら、どのようなものであれ私は尊重いたしますよ」

 

本当に、そのような心からの笑みを向けないでほしい。決心が鈍ってしまう。

 

「良い覚悟だ」

 

内心を押し隠し、表向きの理由を声を発して自分に聞かせる。そして、迷いが再び治夏の身体の動きを阻害してしまう前に、抜き放った刀で瑞希の首を落とす。

 

瑞希の首からおびただしい血が噴き出し、室内を赤黒く染めていく。治夏は瑞希の亡骸から目を背け、予め待機させていた宮芝本家の使用人たちを呼び寄せ、室内の掃除をさせる。その間、治夏は風呂に行き、汚れた衣服と身体を清めておく。さすがに本家の使用人たちは優秀で、治夏が入浴を終えるまでに室内を清めて姿を消していた。瑞希の姿が消えた屋敷内を歩き、応接室に入ると治夏は側近たちを呼び寄せる。

 

「杉内殿の処分は終わられたのですか?」

 

「ああ、終わった」

 

聞いてきた右京に、治夏は短く答える。

 

「左様でございますか」

 

治夏が不機嫌であることは伝わったのか、右京はそれだけ言うと、口をつぐんだ。

 

「これで後顧の憂いは全て断つことができた。次はいよいよUSNAとの決戦になる。この機を逃して日本がUSNAに勝利を掴むのは難しい。今は一刻も早く敵との決戦に臨む必要がある。掃部、強襲作戦の戦力は整ったか?」

 

新ソ連と大亜連合は互いの対応に忙しく、他に目を向ける余裕はない。獅子身中の虫は処分でき、対してUSNAはパラサイトへの対応で大きく揺れている。本当に、作戦を成功させられるのは今しかないのだ。だから、気分が乗らなかろうと、治夏は休むことはおろか、立ち止まることもできないのだ。

 

「第二世代関本は出撃可能数が揃っております。関本用のライフルは半数が完成。残りを休日返上で製作させています」

 

結局、フォノンメーザーは期待していた程の攻撃力は発揮できなかった。ビーム砲のような射撃は実現できず、結局は光の弾を撃つ程度に留まってしまった。けれど代わりとして射撃可能数は一日当たり五発前後まで伸びた。肝心なのは射撃の精度だが、これは演習を繰り返していくしかないだろう。

 

ちなみに防御面に関しても念動力で操ることができる防弾シールドを装備させることで補強してある。加えて従来通りに両腕にセラミックブレードも内蔵しているため近接格闘戦にも対応可能だ。だが、それでも本物のパラサイトが宿されたスターズを相手に、どこまで戦えるかは疑問が残る。

 

治夏が前線に出ればパラライト兵は圧倒可能だが、それ以外の敵をどうするかが問題だ。それでもエアカーが上手く使えれば、まだ何とかなっただろう。けれど前回は酔ってしまい、今回に至っては失禁してしまうという大失態だった。はっきり言って、エアカーに乗るというのは、今は恐怖しか感じない。これでは戦闘など不可能だ。

 

霹靂塔が使えればいいのだが、劉麗蕾はもう返却の約束だし、新戦略級魔法である海爆は、その名の通り水がなければ使えない。リーナにしても達也にしても、そう簡単に戦略級魔法を使ってくれるとは思えない。

 

更に敵地は太平洋を挟んで遥かな彼方。日本から大兵力を送り込むことはできない。これまでにない好機と言いつつも必勝とはとても言えないのが現状なのだ。

 

「図書、今回が総力戦であることは伝えてあるのだろう? どの程度のクラスの魔法師の参加が見込めている?」

 

「はっ、十師族では十文字克人殿、七草真由美殿、同香澄殿、同泉美殿、一条将輝殿、一之倉典弘殿、六塚温子殿、六角定義殿、七宝琢磨殿、八代雷蔵殿、九島烈殿、同玄明殿、九鬼鎮殿、九頭見玲殿、十山信夫殿。国防軍では風間玄信殿、真田繫留殿、柳連殿、藤林響子殿、千葉修次殿、渡辺摩利殿。義勇兵として吉田幹比古殿、千葉エリカ殿、西城レオンハルト殿、服部刑部殿、沢木碧殿、千代田花音殿、桐原武明殿、矢車侍郎殿、吉祥寺真紅郎殿」

 

「比較的粒揃いとも言えそうだが、十師族の参加が少なすぎるな。魔法大学、防衛大学校、軍に関係する十師族関係者は全員徴発しておけ」

 

「はっ、仰せのままに」

 

ひとまず敵兵を戦闘不能とすれば宮芝の封印術士が動くことができる。そのためには優れた魔法師を一人でも多く戦場に送り込む必要がある。

 

近づく九島光宣率いるパラサイトとUSNAの兵器との戦争に備えるため、治夏は瑞希のことを頭の隅に追いやり、夜も明けぬうちから作戦会議に勤しんだ。




戦雲編終了。
次のパラサイト戦争編17話をもって本作は終了です。
駄作ではございますが、最後までお付き合いいただければ幸いです。


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パラサイト戦争編
パラサイト戦争編 戦力徴発


七月十二日、金曜日。宮芝淡路守治夏は十文字克人の協力を得て、師補十八家の一色家、五頭家、七夕家、八朔家の当主を十文字邸に招いていた。

 

「さて、本日来ていただいた理由は、皆様も分かっておられるでしょう?」

 

治夏が微笑みを浮かべて言うと、四家の当主は緊張した面持ちを見せた。

 

「次なる戦はUSNAのパラサイトと雌雄を決するものになるでしょう。我が国の魔法師の中心たる十師族は、最前線で戦ってもらわねばなりません。特に、本日、来ていただいた四家はいずれも防衛大と軍に関係のある方々です。今の所、お返事をいただけておりませんでしたが、心の内では当然に務めを果たされるつもりだったのでしょう?」

 

笑顔は曇らぬように、けれども、しっかりと威圧する。四家の当主は一瞬、互いの顔を見合う。そうして口を開いたのは四人の中では最年長の一色義広だった。

 

「確かに私の三男は防衛大に在籍しています。しかし、それだけに勝手に他国との争いに手を出すことが難しいのです」

 

「これは驚いたな。本作戦には、すでに複数の防衛大の学生が志願している。百家の千葉修次や渡辺摩利は参加できて、其方らの子息は参加できぬと言うのか?」

 

「百家と十師族では役割も意味も異なります。我々は目立つからこそ、迂闊な行動はできないのです」

 

「ほう、それはつまり、しかるべき者から、しかるべき要請があれば軍役を負うことは厭わないということだな」

 

念を押すと、一瞬、一色はたじろいだ様子を見せた。けれど、すぐに表情を戻して治夏に向けて頷いてきた。

 

「はい、状況が許すのなら我が家も務めを果たします」

 

「さて、一色殿は斯様に申されているが、其方らは如何する?」

 

「我々も同様に考えています」

 

八朔家当主の八朔義光が他の三家を代表して答える。

 

「そうか、それは、これでいいのかな?」

 

治夏が取り出したのは防衛大臣と防衛大学校長からの協力要請状だ。そこには、個人名こそ挙げられていないが、国の為に対パラサイト戦に力を貸すように書かれている。

 

「部隊の編成は我らに任されているのだが……改めて問うぞ、其方らは我らにどのように協力をしてくれるつもりだ?」

 

これ以上、非協力的な態度を取るなら子息を死地に送り込む。そう暗に言ったのは無事に四家の当主たちにも伝わったようだ。一様に狼狽を顔に表した。

 

「分かりました、当家からは一色義和、一色俊義の二名を志願させましょう」

 

一色が挙げた二人は一色の次男と分家の実力者だったはず。有力な魔法師二人を出す代わりに、次期当主やまだ学生の三男を戦場に送ることは勘弁してもらいたいということだろう。また、一人でなく二人を出してきたのは激戦地に送るのは許してほしいという意図だろうか。ともかく、申し出自体は全面降伏と言っていい内容だ。

 

一色の様子を見て、他の三家も次々と実力者たちを志願させると約束してきた。そのうち七夕家のみは治夏たちが伝えた者と一緒だったが、ここで志願させるのと後での徴発では送られる戦地が異なることを敏感に感じ取った結果だろう。

 

「皆様のご協力を感謝いたします。ちなみにこの後は他の十師族および師補十八家の皆様方にもご協力を要請するつもりです。わたくし、まどろこしいのは嫌いなので、他の家の方々とは手短に話がしたいものです」

 

交流のある家にしっかり伝えて、こちらが呼び出す前にとっとと志願してこさせろ。その裏の声は理解したようで、一様に顔色悪く頷いていた。

 

「皆様方と良き相互理解ができたようで、嬉しい限りです。では、次に会うときは出陣の前ですね」

 

「和泉守様、どうか、我が息子のこと、よろしくお願いします」

 

一色家当主がそう言い、他の三家も同様のことを口々に言いながら、十文字邸を後にしていく。扉が閉まり、屋敷内に静けさが戻ってくる。

 

「さて克人、上で少し話をしようか」

 

治夏はそう言って克人の部屋へと上がり込む。克人の部屋はいつも質実剛健。余計な飾りなどや趣味のなにがしかが並べられているわけでなく、ただシンプルに使いやすい部屋が維持されている。

 

「それで、話とは何だ?」

 

「一高の卒業生たちが好戦的すぎるのは、どうしてだと思う?」

 

言った治夏に克人は怪訝そうな顔をした。

 

「多くの者が志願するというのは、治夏にとっては望ましいことではないのか?」

 

「それはそうだよ。けれど、在学中の者だけで十四名、ここ二年間の卒業生だけで十六名というのは少し多すぎると思うんだけど。あ、ちなみに宮芝家の人間として参戦する森崎や平河千秋はこの中から除外しているからね」

 

そう言われると、多すぎると思ったのか、克人も考え込む仕草を見せた。

 

「魔法師を積極的に軍役に付けるべきというのは私の主張でもあるよ。けれど、こうも多いとさすがに心配になってくるよ」

 

そこまで言うと、克人の視線が少し変わった。どの口が言っているのか、という言葉が伝わってきて、さすがに治夏も居心地が悪くなる。

 

「まあ、これまでの経緯は置いておくとして、次点である第三高校の二倍近い人数というのは今後、第一高校が異端視されることに繋がるのではないかと少しばかり心配になっても不思議ではないだろう?」

 

「三年生や、ここ数年の卒業生の志願者が多いのは横浜事変を経験しているのが大きいだろう。だが、それ以上に校内で異常な事件が日常的に起こっているという環境が大きいと思うのだが。この間も注目されていた生徒が一人、忽然と姿を消したのに、大きな騒ぎにならなかったと聞いたぞ」

 

そう言われると、反論することはできない。しかし、あれは素材としては有能というのに、頭が残念だったために起きた事故だ。馬鹿なら馬鹿らしく何もしなければ命を失うこともなかったのだ。

 

「まあ、とりあえず第一高校のことは置いておこうか」

 

「いや、深夏が言い始めたことだと思うのだが……」

 

その通りだ。けど、相手から仕掛けてきたわけでない戦争に、こんなに続々と志願をされると、不安になっても仕方ないと思う。そして、それが治夏の責任だと言われると、否定できないだけに話を逸らすしかないのだ。

 

「で、続いての話になるんだけど、軍との関係が薄い他の二十八家についても戦力を徴発したいと考えているんだけど、協力してもらえる?」

 

「その前に四葉のことを聞いていいか? 今回の件で達也は当事者の一人と言っていい。その四葉が戦力を出さないとなると、他が納得をしないと思うのだが」

 

「ああ、その件なら問題ない。四葉家は司波達也、黒羽亜夜子、黒羽文弥の三名を参戦させるという返事をすでに貰ってある」

 

「よく達也が、それを了承したな」

 

「今の情勢で達也を隠すような真似は四葉としてもできないよ。それに四葉は意外と乗り気だぞ。正式には先の三名だが、他に津久葉夕歌、新発田勝成という者も一般の魔法師として志願させると言っていた」

 

今回の戦争の相手は人類の敵であるパラサイトだ。その戦争において自分勝手な行動を取れば、四葉は日本に居場所を失うことになる。それに、達也としてもディオーネー計画を潰しておくのは、むしろ望ましいことのはずだ。

 

「すでに志願者を出している十師族は四葉、七草、一条、六塚、八代、九島、そして十文字。得意魔法が海戦向きの五輪家はともかく、二木と三矢は程なく志願してくるだろう。そうすれば二十八家も志願者を出してくるのではないか?」

 

「そうかもしれない。けれど、私としては十師族には複数人の志願者を出して欲しい」

 

「一体、どれくらいの人数が必要なんだ?」

 

「必要な魔法師は八百名前後を想定している」

 

「八百……」

 

通常の兵員ならば八百名というのは、それほど大きな人数ではない。けれど、優秀な実戦魔法師を八百名というのはかなりの大人数だ。克人が息を飲むのも当然と言えた。

 

「今回の敵はパラサイトだ。生半可な魔法師では厳しいし、優秀な魔法師でも数的不利な状況下での戦闘は避けさせるべきだと思っている。そうなると、これくらいの必要になってしまうんだ」

 

あくまで犠牲を減らすための戦力投入だ。その思いが伝わったのか、克人は二十八家への働きかけを了承してくれた。




おさらい

原作生存→本作死亡
十三束鋼
九島真言
十三つかさ
イーゴリ・アンドレイビッチ・ベゾブラゾフ
ヴァージニア・バランス
ベンジャミン・カノープス
レイモンド・クラーク

原作死亡→本作生存
呂剛虎
名倉三郎
九島烈
千葉寿和(生きているけど空気)

別人化
森崎駿(雅樂)
小早川桂花
七宝琢磨
矢車侍郎


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パラサイト戦争編 近づく開戦

七月十四日、USNAで動きがあった。反魔法師活動の激化に嫌気がさした魔法師と、魔法師が非魔法師の上に立つという九島光宣の甘言に踊らされた者たちがパラサイト側に合流。非魔法師が中心とした部隊を敗走させたという。さらに、その圧倒的な戦闘力を目の当たりにした一部の非魔法師部隊が投降したということだ。

 

宮芝淡路守治夏が山中図書から話を受けた限りではパラサイトが勢力を広げているように見える。早く介入をしなかれば、人間の被害が増えてしまう。とはいえ、今すぐに動くというのも得策ではない。

 

日本が新ソ連に対して行った戦略級魔法の連発は、端緒が新ソ連側であったことから日本の非難にまでは至らなかった。しかし、間違いなく警戒心は抱かれている。それを緩和させるためにはパラサイトの勢力拡大に危機感を持った各国から協力を依頼されるくらいの方がいい。

 

かといって、時間のかけ過ぎは大悪手だ。質と量が共に日本に数倍するUSNAの通常戦力との戦いは日本の破滅を意味する。よって、光宣が非魔法師に影響力を行使できるようになる前に戦を仕掛けなければならないのだ。

 

だが、未だ戦争に対する日本の準備は完了していない。エアカーについては、ようやく半数が揃ったばかり。何より多数の義勇兵が参加することになる次の戦闘は部隊編成から難問となってしまう。

 

魔法師は個としては強力な戦力だ。だが、群としてみると、古式魔法師に比べれば緩和されているとはいえ、個人の有する技能の差が激しく、戦闘力が平準化されていないという弱点があるのだ。

 

正規軍は繰り返しの訓練により連携を高めることで、そのバラツキという差を克服している。しかし、今回の作戦に参加する者たちは顔と名前すら知らない者たちが背中を預け合うことになるのだ。

 

互いの特性すら知らなのは問題であるため、さすがに短期訓練で最低限の連携はできるようになってもらうつもりだが、その短期訓練で相性が悪いと判明した場合、編成の再考をせねばならない。そうなると、最終的に確定できるのはいつになるだろうか。本当に頭の痛い問題だが、この件は十師族に丸投げする以外にない。

 

よく知った者たちだけでしか集団戦を行ったことのない宮芝家と違い、一条家は危機と見て志願してきた有象無象を束ねて一大戦力として新ソ連軍を撃退した実績がある。今回は素直に彼らの知恵を借りるしかないだろう。

 

その肝心の志願兵たちは二木家、三矢家、五輪家が志願者を出したことを見て、更に数を増やしている。どうやら自分たちの地域を管轄する十師族が志願者を出す前に勝手に参戦することを憚っていた者たちが、それなりにいたらしい。

 

国家を超えて人類の危機に対応するための戦争だというのに、何とも主体性のないことで情けなくなってくる。だが、人間とはそういうものなのかもしれない。何せ、その危機は今の所は眼に見える形で自分たちには迫っていないのだから。

 

ともかく志願者のうちパラサイトには太刀打ちできないと考える者を不合格としても、必要な魔法師の半分を充足することができた。残りは国防軍から集めることができるので、人員的な手当てはついたことになる。

 

そして宮芝家の方も同時に出陣する人員の選抜を終えていた。今回の宮芝家からの参戦人員は全部で二百名。参戦する義勇兵たちの四分の一もの人数を一家のみで手当てしたことになる。そして、これは宮芝が出せる最大兵力だ。

 

もしも、今回の作戦が失敗に終わり、治夏たちが全滅をしようものなら、その瞬間に宮芝家は終焉を迎える。現実にそういった事態が避けられなくなるほど、一定以上の力を持つ術士は全員を投入する。おそらく、次の戦に勝ったとしても宮芝はこれまでと同じではいられないだろう。

 

それでも、やるしかないのだ。或いはUSNAと協調路線がどこかで取れていれば、今回のようにパラサイトがのさばる前に宮芝が直接排除に向かえたはず。その可能性を潰した責任の一端は治夏にもある。ちなみに最大の責任者は達也だ。だから、今回は非公式ながら四葉は克人に伝えた以外に十名前後を派遣してくれることになっている。

 

ともかく今日は国防軍との打ち合わせがあるので治夏は側近三名と克人と共にUSNAの軍人を追い出して閑散とした横須賀基地に入った。そこでは艦隊司令として海将、国防軍部隊の前線指揮官として風間に加え達也が待っていた。

 

「わが手の者が調べたところによると、九島光宣は現在、サンディエゴの海軍基地に滞在している。おそらくは我らの動きを警戒してのものと思われる」

 

治夏は早速、調査済みの情報を開示していく。パラサイトたちは強力だが、宮芝家に対しては無力だ。その宮芝家に対抗するのに最も有効なのが現代魔法だ。しかし、日本軍が兵器と宮芝と現代魔法を組み合わせた攻撃を仕掛けてくることは、新ソ連との戦いで予想ができているはず。

 

パラサイトと現代魔法師だけでは兵器での多重攻撃で消耗した後に襲来する宮芝と現代魔法師に抗しきれない。パラサイトと現代魔法師に加えて兵器の力も借りなければ日本軍には勝てないことは、よほどの馬鹿でない限り気づく。

 

しかし、基本的に近接戦は行わない海軍には、所属する魔法師は少ない。非魔法師の支持を得ていないというのは光宣にとって大きな弱点だ。パラサイトを近くに配置させて脅したとして、果たしてどれだけ真剣に戦ってくれるのかは疑問だろう。

 

両者の連携の乱れを突く。それ以外に日本に勝利の道はない。

 

「第一波はミサイルと航空戦力として、第二波の上陸部隊の先鋒は我らが受け持とう」

 

海将も風間も関本たちのことは知っている。それだけ言えば先鋒が誰なのかは理解してもらえたようだ。それを踏まえて海将が質問してくる。

 

「彼らは、どの程度の戦果をもたらしてくれそうですか?」

 

「敵の通常戦力を、最初にどれだけ叩けるかが鍵だな。盾も持たせたとはいえ、大口径の機関砲は防げない」

 

呼吸を必要とせず、鋼鉄製のフレームを有する関本は対人用の魔法に対して高い耐性を有している。その関本が苦手とするのが強力な物理兵器による攻撃なのだ。対空機関砲は関本の投入前に絶対に葬っておかなければいけない装備なのだ。

 

「仮に機関砲を全て潰せたとすれば?」

 

「通常の魔法師であれば同数、スターダストを元にしたパラサイトなら五十、スターズが元なら二十といったところだな」

 

もっとも全ての対空砲を首尾よく破壊できるとは思えない。

 

「達也、エアカーに幻影魔法を遠隔で発動させられる何かを搭載できないだろうか?」

 

「急に言われても難しい」

 

「では、増加装甲を用いた空飛ぶ戦車などは……」

 

「それも急に用意できるものではない。俺は魔法兵器の開発者じゃないんだぞ」

 

さすがに視線が冷たくなってきたので、戯れはこのくらいにした方がよさそうだ。

 

「ともかく関本たちが国防軍の操縦士が操るエアカーで切り込みをかける。その後を上陸艇に乗った魔法師たちが受け持つことになるが、上陸艇に十文字家の魔法師は何人まで置ける?」

 

「上陸を阻止しようとする魔法攻撃に耐えられる魔法師となると二十人が限界だ。元より十文字は少数精鋭だしな」

 

「では上陸艇の数は二十としようか。各艇につき四十名というのは少し多すぎるが、いずれも高い技量を持つ魔法師だから、無防備というわけではないしな」

 

「だが、高い技量を持つ者ばかりだからからこそ、起きる問題もあるだろう」

 

達也が言っているのは、それぞれが勝手に魔法を使うことで相克が発生することだろう。それは治夏も危惧していたことだ。

 

「誰が魔法を使うかは指揮官に指名させるよりないだろうな。それ以外は、勝手な魔法の使用は禁じるようにしよう。風間、それでどうだ?」

 

「いくつか、修正案があります」

 

義勇兵を含む部隊だけに運用が難しくなるのは、やむを得ない。治夏たちはそれから随分と長い間、作戦以外の内容を話し合うことになった。



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パラサイト戦争編 リーナの帰国

七月十六日の早朝、宮芝淡路守治夏は晴れやかな気持ちで山中図書からの報告を聞いていた。報告の内容はイギリスを中心にUSNAのパラサイトに対抗するための連合軍が結成されたというものだった。同時に、ハワイのオアフ島に本拠を置くUSNAの太平洋艦隊も対パラサイト連合に加勢すると宣言した。

 

イギリスはパラサイトたちに命名を行った国でもあり、古式魔法もそれなりの勢力を維持している。そういった経緯もあり、対パラサイト戦に向けて立ち上がること自体は不思議ではない。

 

しかし、一方でイギリスは大変にきな臭い国でもある。そもそもイギリスの戦略級魔法師であるウィリアム・マクロードはエドワード・クラークやベゾブラゾフと手を組んで達也を葬る為にディオーネー計画を主導していた節がある。マクロードの狙いは魔法師たちが九島光宣に協力したことをもって、本来の意味……魔法師追放のためのディオーネー計画を再発動させることにある気もするのだ。

 

けれど、今の日本に対パラサイト同盟に参加しないという手はない。対パラサイト戦に全戦力を投入する以上、その直後に側面や背後を突かれるような危険性は許容できないのだ。加えて重要なのが、USNAのハワイの太平洋艦隊だ。

 

ハワイの太平洋艦隊と同じ陣営に属していれば、ハワイを通過するのが容易になる。それにオアフ島に駐留する艦隊の戦力はサンディエゴの艦隊を凌駕している。日本が正面戦闘で破ることが難しい強大な海軍戦力を、太平洋艦隊同士で潰し合ってくれれば、上陸作戦は随分と楽になるだろう。

 

無論、その際にも気になることはある。今回の一連の流れは九島光宣とパラサイトの台頭を抑えられなかったエドワード・クラークなりの対抗策のような気もするのだ。その場合、宮芝はエドワード・クラークにまんまと利用されたことになる。

 

疑心暗鬼に駆られて他国との連携を乱すのは愚策だ。けれど、エドワード・クラークだけは殺しておかねば、結局は今回と類似した問題が発生するだけだろう。

 

エドワード・クラークは現在、ワシントンにいる。日本とUSNA政府は対パラサイト戦のため、事実上の和睦を結んだが、未だに人の行き来は再開されていない。そんな中、密かに暗殺者を西海岸に上陸させ、広大なアメリカ大陸を横断してワシントンを目指すというのは、現実的とはいえない。

 

それに暗殺が発覚した場合も痛手になる。先にも考えた通り、未だ世界の日本に対する警戒は強いものがある。暗殺に戦略級魔法を使われたら、というのは誰しもが考えてしまう悪夢で、そしてベゾブラゾフが示してしまった現実でもある。そのような懸念を抱かせる行動は避けるべきだ。そうなると、諦めるしかないのだろうか。今の所はそれも視野に入れておくしかないように思える。

 

ともかく、今後のことは再度、話し合わないといけない。治夏は達也に連絡を取り巳焼島に運んでもらうことにした。そうしてエアカーが苦手な治夏は花菱兵庫に出してもらった小型VTOLで巳焼島に降り立った。

 

「それで、今日は何の話だ?」

 

通された応接室で、達也が若干だが不満げな様子を見せていた。未だ暗殺の懸念が残る達也は、防御の堅い巳焼島への滞在を基本にしている。それに不満を抱いているなら分かる。だが、達也は治夏を厄介に思っているような気がしてならないのは何故だろうか。ここしばらく治夏は達也の利益になることしかしていないというのに。

 

「今日の話はリーナの処遇についてだ」

 

そう言うと、達也の隣で他人事のように座っていたリーナが目を見開いた。

 

「君たちも聞いていると思うが、USNAの太平洋艦隊が対パラサイト同盟への参加を表明した。それに伴い、リーナが本国を離れている理由であるパラサイトに対抗するためという理由が使えなくなった」

 

「それで、和泉はリーナをどうするつもりだ?」

 

どうやら達也の態度が剣呑だったのは、リーナを思ってのことだったようだ。相変わらず醒めているくせにお人好しな男だ。

 

「無論、USNAに返還するしかないと思っている」

 

「その場合にリーナの安全は保障されるのか?」

 

「正直に答えるとすれば、分からないと言うよりないな。少なくとも対パラサイト戦が片付くまでは貴重な戦力として無下に扱われることはないだろう。だが、戦いが終結した後については、全く予想がつかない」

 

「和泉はそれを承知で、リーナを返還すると言っているということだな」

 

「そういうことだとも言えるし、そうでないとも言える。私はわざわざ今後はリーナを引き渡さざるを得ないと伝えたんだ。嫌なら脱走でも何でもすればいい」

 

リーナが第三国に逃れたとしても宮芝はそれを追わないと暗に伝える。

 

「ワタシは……ステイツに帰るわ」

 

「そうかい。君の未来の幸福を祈っているよ」

 

治夏はリーナに選択肢を与えたようで、与えていない。第三国と言えば聞こえはいいが、リーナにとっては見知らぬ異国だ。関係の深い日本ならまだしも、自分をどう扱うか全く分からない異国に向かうくらいなら、普通は祖国を選ぶ。

 

「リーナ、虫のいい願いだと思うかもしれないが、戦後の安寧を守るため、一つお願いがあるのだが、聞いてくれるか?」

 

「改めて言われると胡散臭く感じてしまうのだけど……とりあえず聞いてみるわ」

 

達也にしてもリーナにしても治夏は最大限の便宜を図ってきたはずだ。それなのに、どうしてこんなにも信用が薄いのだろう。全くもって解せない。

 

「心配しなくとも、本当にこれから両国が再び友好関係を築くために必要なことだ。そしてリーナにとっても損にはならない話だ」

 

そう前置きして話し始めた計画には、達也もリーナも驚きの表情を見せていた。しかし、計画の意義は理解してもらえたらしく、協力は約束してもらえた。

 

「リーナの協力に感謝する。もしも宮芝で力になれることがあれば、可能な限り力になると約束しよう」

 

治夏の言った、可能な限り、というのは宮芝の不利益にならない範囲で、という留保がついたものだ。今回の恩で最も利益を受けるのは達也だ。それに対して宮芝が過剰な便宜を図ることはできない。

 

「ありがと、気持ちは受け取っておくわ」

 

リーナにもそれは通じたのか、返ってきたのは至極あっさりとした礼だった。

 

「ではリーナ、いつでも出発できるよう荷物は纏めておいた方がいいぞ」

 

「安心して。荷物は増やしていないから」

 

元よりリーナも、ここが永住の地とは思っていなかったということだろう。リーナとは当面の間は友好関係を築けるはずだ。けれど、戦後は宮芝もリーナも今よりは不安定な立場に置かれるのは間違いがないだろう。だから、互いに多くの言葉は不要。

 

守るべき約束は一つで十分。明確な別れの言葉を残さず、治夏はリーナに背を向ける。

 

「あれでよかったのか?」

 

治夏を小型機まで送る達也が、リーナの姿が見えなくなったところで聞いてくる。

 

「あれくらいで、ちょうどいいんだよ」

 

奇跡的に事が上手く運び、リーナが以前と同じ地位に残れたとしても、一度は祖国から脱走したリーナが今後、異国の土を踏むことはないだろう。つまり治夏とリーナが今後、会うことはないということだ。

 

逆に再びリーナと出会うことがあれば、それは治夏が頭に描いた最悪のシナリオが実現したということになる。日本にとっては、その方が悪夢だ。

 

「それより君も準備を進めておいてくれよ。でないと、せっかくのリーナの協力が無意味になってしまうからな」

 

「分かってる。この機を逃しはしない」

 

今回の案は達也にとっても、けして望ましいことではない。それでも、こうして受け入れてくれたのは、少なくない血が流れるのを見たためだろう。

 

さすがに、これ以上の戦火の拡大は必要ない。その思いが治夏と達也とリーナの気持ちを一致させた。

 

本当に、次の一戦で全てが終わってほしいものだ。治夏はそう切に願った。



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パラサイト戦争編 九島光宣の協力者

七月十八日、北アメリカ大陸合衆国ニューメキシコ州ロズウェル郊外にあるスターズの本部基地で、九島光宣は苛立ちを隠せずにいた。先日、太平洋艦隊の本隊がUSNAから離反して光宣たちの敵に回った。そして昨日にはノーフォークにある艦隊総軍もイギリスを中心とした対パラサイト同盟に参加を表明した。

 

これまで政府の意向には反しないという姿勢を示すことで、大統領にパラサイトを半ば黙認させてきたというのに、これでは何の意味もない。だが、これは自分の責任だ。元から魔法力もない劣等種に過度な期待をする方が間違っていたのだ。この教訓は次回に活かせばいい。

 

ひとまず神から選ばれた存在である魔法師に噛みついた、神に選ばれなかった動物たちには罰を与えなければならない。人と動物が共に生活をするには適切な躾が不可欠となるのだから。

 

もっとも、そのためにも対パラサイト同盟への対処が先決となる。対パラサイト同盟には多くの国が参加を表明しているが、当の発案者であるイギリスからして積極的に戦争がしたいという意思は感じられない。戦争に積極的なのは、むしろ日本の方だ。掌握した衛星からの断片的な情報からでも、多くの艦船を動かそうとしているのが読み取れる。

 

本来の日本は、これほど好戦的な国ではなかったはずだ。それなのに、こうも大々的に他国を侵略するための軍を動かそうとしている。そのような変質を遂げた裏には宮芝の存在があるはずだ。

 

宮芝さえいなければ。その考えの元に光宣はすでに一度、日本に対して宮芝和泉守の引き渡しを要求した。我々が望むのは生存のみで、宮芝家を引き渡すのであれば日本に危害は加えないと約束をして。けれど、それは日本政府に一蹴されてしまった。

 

ならばと日本の世論に向けて、日本を歪める元凶たる宮芝を差し出すのであれば、戦争を避けられると訴えてみたが、これも効果がなかった。光宣が人の価値を魔法力で決めようとしていることへの反発が賛同の声を大きく上回ったためだ。

 

一応、日本とUSNAは違うと強弁してみたが、さすがに騙される者は少数だった。劣等種は劣等種らしく馬鹿でいればいいものを、下手に知恵を付けた動物は人間のような振りをするのだから困る。

 

ともかく光宣たちに対して最も敵対的なのが日本と、USNAから離反した軍人たちだ。そのうち宮芝がいる日本軍にパラサイトは当てられない。となれば西から攻めてくる日本と太平洋艦隊には魔法師部隊と光宣たちが掌握済のサンディエゴの艦隊を、東側から攻めてくるイギリスと艦隊総軍にはパラサイトを当てるのが得策だろう。

 

とりあえずパラサイトを当てる東側は問題なく勝利できるはず。問題は西側だ。ハワイの駐留艦隊とサンディエゴの艦隊では敵方のハワイの艦隊の方が強力だ。そして、日本の魔法師とUSNAの魔法師との比較でも、優秀な魔法師であるスターズの隊員がパラサイト化して東側に向かっているという点で劣勢だろう。そうなると基本方針としては東側が短期決戦で、西側が長期戦となる。

 

光宣は早速、部下たちに向けて戦の基本方針を説明する。説明といってもパラサイト同士なら光宣の考えも把握しているし、決定事項として強い意志を持って命じれば反対意見が返ってくることはない。

 

パラサイトは個別の身体を持ちながら、全員で一つの生き物。パラサイトたちの意思は、一つでなければならないのだから。

 

それにしても、この意思決定と伝達の方法は本当に便利だ。ちょっとした言葉の選択で認識の齟齬が起こることはないし、無能なくせに強硬に反対する者も出ない。優れた個体による指示により統一的な行動ができる。

 

光宣は誰よりも高い魔法力を持っている優れた個体だ。だから、光宣の指示に従うのが最も正しい在り方なのだ。それを説明せずとも理解できるのだから、本当にパラサイトとは素晴らしい存在だ。

 

当初は望む者だけをパラサイトにしようと考えていた。しかし、それは誤りだったのかもしれない。全ての人間をパラサイトにすれば、無駄な手間は必要なくなる。無駄なく全ての人間を思う通りに動かすことができる。

 

それは、なんと素晴らしい世の中なのだろうか。全ての人が優れた人間である光宣の考えの恩恵に預かることができるのだ。そうすれば愚かな人間が発言をすることも行動を起こすこともなくなる。それによって全ての争いがなくなり、皆が幸せになれるのだ。

 

素晴らしい。本当に素晴らしい世の中だ。そんな世界が作れれば、きっと香澄と泉美も幸せになれる。

 

光宣が高揚感に浸っていると、どこかからか通信が入ってきた。ここはスターズの本部基地だ。部外者が通信を入れられる場所ではない。訝しみながら光宣が通信に応じると、相手は七賢人を名乗ってきた。

 

「七賢人とは随分な名乗りですね、エドワード・クラーク」

 

光宣が相手の名を言うと、少しだけ息を呑んだ気配があった。

 

「僕が何も知らないと思いましたか?」

 

「分かりました。私は確かにエドワード・クラークです」

 

言い逃れできないと諦めたのかエドワード・クラークは、あっさりと認めた。

 

「それでUSNAの国家科学局のエドワード・クラークが僕に何の用ですか?」

 

「君に太平洋艦隊の真の狙いについて話をしておきたい」

 

「……真の狙い?」

 

「太平洋艦隊の真の狙いは日本艦隊です」

 

思わず息を飲んだ。それは間接的にだが光宣に味方をすると言っているも同然だ。

 

「どうして、そのようなことを?」

 

「息子の敵討ちという理由では不足ですか?」

 

レイモンド・クラークは巳焼島への襲撃で宮芝の手勢に敗れて戦死している。話としては成立はしうる。けれど、信じるに足りないのも確かだ。

 

「それだけで日本を攻撃するとは思えませんね」

 

「私は何も私怨だけで、そのような行動を取ろうとしているわけではありません。日本艦隊を殲滅することは、長期的には我が国の利益になると信じてのことです」

 

「それは、どういうことですか?」

 

「司波達也は我が国にとって災いとなる。だから、どのような犠牲を払おうとも彼は殺してしまわなければならない」

 

レイモンド・クラークもそのようなことを言っていたが、どうやらクラーク親子は随分と達也のことを高く評価しているらしい。確かに達也は強敵だろう。だが、USNAほどの大国がそこまで警戒をすべき相手とも思えない。最強の戦略級魔法師であるシリウス少佐には脱走されてしまったらしいが、それでもUSNAには、まだ二人の戦略級魔法師がいる。

 

「分かりました。お話を伺いましょう」

 

けれども、この申し出は光宣にとって好都合だ。太平洋艦隊を味方にすることができたとしても、達也に大きな痛手とはならないはず。けれど、宮芝家の打倒には大きな一歩になる。ならば、利用できるものは利用すべきだ。

 

「太平洋艦隊は十日後の二十八日にハワイを出港する予定と聞いています」

 

では日本軍の艦隊はそろそろ日本を出港する頃だろうか。二十八日にハワイを出港した太平洋艦隊がサンディエゴに到着するまでは、おおよそ一週間。半月あれば、それなりに迎撃のための準備も可能となる。

 

「達也さんを殺してほしいということは、太平洋艦隊はサンディエゴで僕の指揮下の艦隊とは戦わず、日本艦隊を攻撃するということでよろしいですね?」

 

「無論、そのつもりです」

 

「僕たちが動くのは太平洋艦隊が日本艦隊に十分に攻撃してからでよいですか?」

 

「私の言葉だけでは信用できないでしょうからね。当然の行動だと思います」

 

衛星での監視が当てにならないのは、新ソ連が日本艦隊の動向を全く掴めなかったことからも想像できたことだ。けれど、その問題も内通者がいれば解決が可能だ。そして、太平洋艦隊と協力すれば、日本艦隊を壊滅させることが可能だ。

 

勝てる。宮芝に勝つことができる。

 

憎き宮芝が血に染まる姿が脳裏に浮かび、光宣は暗い笑い声をあげた。




最新刊とは類似点も矛盾点もありますが、もう戻れないので、このままいきます。


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パラサイト戦争編 飛行車両隊の初陣

横須賀を出港した空母の艦内で森崎雅樂駿は静かに時を過ごしていた。

 

七月十九日に横須賀を出港した艦隊は太平洋を東に進み、七月二十七日にハワイ沖で呉と佐世保から出港した艦隊と合流した。日本艦隊は空母三、ミサイル護衛艦二十一、小型艦三十九の計六十三隻の大艦隊である。

 

同時に、少し遅れて日本を飛び立った輸送機から最後の人員補充を受け、九島光宣討伐作戦の全戦闘員が揃った。それを受けて翌二十八日には太平洋艦隊とともにUSNA本土に向けて出港した。

 

しばらくは太平洋艦隊の後方を日本艦隊が進んでいた。しかし、昨日の八月三日の時点で太平洋艦隊とは別れて今はやや北を進んでいる。

 

最初、淡路守は太平洋艦隊の司令に八月五日に太平洋艦隊が先鋒としてサンディエゴに攻撃を仕掛け、日本艦隊はその後詰めに当たると伝えていた。しかし、今日になって森崎は別の作戦を知らされていた。

 

今日、八月四日に日本艦隊はロサンゼルスに攻撃を仕掛ける。それから少しして太平洋艦隊にサンディエゴへの攻撃命令を下す。それが淡路守の作戦だった。淡路守はUSNAのことを信用してはいなかったということだ。

 

先鋒として空母から十機の複座式戦闘機、天牙が飛び立っていく。隠蔽魔法で存在を隠した天牙が対地攻撃を行うと同時に、ミサイル護衛艦二十一隻が一斉にミサイル攻撃を実行する。加えて空母から二十機の通常の戦闘機が海岸線を攻撃する。その後が森崎の率いる隊の出番だ。

 

森崎はエアカーに搭乗して攻撃を仕掛ける第二世代関本を中心とした飛行車両隊の大隊長に任命されていた。他に郷田飛騨、一柳兵庫、矢島修理、名倉三郎が大隊長に任命されており、各大隊にはパラサイト関本が副隊長として付けられている。ちなみに連隊長は第一飛行大隊長でもある郷田飛騨が務め、森崎は第四飛行大隊長だ。

 

天牙から攻撃成功の通信が届き、ミサイル護衛艦と空母からミサイルと艦載機が敵基地を破壊するために飛び立っていく。今頃は太平洋艦隊にもサンディエゴへの攻撃の依頼がされているはずだ。そして、森崎たちの出番だ。

 

空母の飛行甲板上に並べられたエアカーが一斉に空へと上がっていく。その一瞬後には急加速をし、USNAの本土へと一直線に翔ぶ。

 

元より奇襲であったためか、海岸の防衛線は手薄だった。最も怖い敵戦闘機は事前の天牙とミサイル攻撃で打撃を与えられたのか、姿は見えない。代わりに攻撃が素通りした内陸から飛行魔法を使った魔法師たちが飛び上がってくる。

 

「第四飛行大隊、第五飛行大隊、敵魔法師を迎撃せよ」

 

飛騨守からの指示に了解を返し、森崎は隷下のエアカー十機を敵魔法師隊の左に向けさせる。一方の名倉の第五飛行大隊は敵魔法師の右に回っていく。

 

敵魔法師の数は約四十名。一方の森崎たちの飛行大隊は、各四十機の関本を有している。要するに数の上では二倍というわけだ。

 

問題は、第二世代関本たちがUSNAの魔法師相手にどれだけ戦えるかだ。ここで苦戦するようでは、この後の戦いも厳しいものとなるだろう。敵は左右に分かれた森崎たちに対し、同じく部隊を二つに分けて対抗するようだ。

 

「何だ、こいつらは!? 何て速さだ!」

 

その別れた二十人のうちの一人が、驚愕の声を上げた。自己加速魔法による加速などとは次元が違う時速九百キロで飛行する敵に初見で対処するには、さしものUSNAの魔法師にも厳しいようだ。狙いがつかないのか、放たれた魔法は明後日の方向に飛んでいく。

 

「攻撃開始!」

 

対する森崎の隷下の第二世代関本たちは、時速九百キロで飛行する板の上で同速で飛行する存在に対して射撃を命中させられるよう最大限の訓練を積んできた。それより遅い速度でしか飛行できないUSNAの魔法師たちに次々と命中弾を与えていく。威力も十分で、無事に敵の魔法抵抗力を超えて、地上に叩き落している。

 

「敵魔法師、全機撃墜!」

 

結果として森崎たちには被害なし、名倉の隊も関本一機が被弾して落下中に自爆という軽微な被害で敵を退けることができた。

 

「よくやった。ただし、今回の敵はスターズではない。今後も油断せぬように」

 

「了解です」

 

飛騨守に答えて、敵海軍基地があるサンディエゴ方面へとエアカーを向けさせる。それから少し、前方の空に百近くの魔法師の集団の姿が見えてきた。

 

「連隊長から各大隊へ! 今度の敵は海軍基地に所属する魔法師隊と思われる。全大隊で挑む。今回の敵を先と同じと思うて油断するな!」

 

「応! 第四飛行大隊、各機散開、戦闘態勢を取れ!」

 

叫んだ森崎の声に応え、隷下の飛行大隊が相互に距離を取る。応じるように敵も散開して戦闘態勢を取るのが分かった。

 

「高度下げ! 八時方向より四十五度の角度で上昇しつつ攻撃を仕掛ける!」

 

エアカーは構造上、真下への攻撃ができない。一応、反転して逆さまに飛行することで対応することは可能だが、関本はともかく生身の操縦者の操作精度は影響を受けてしまうため望ましくないとされている。下方からの攻撃に弱いという点は、今は敵に気づかれたくない事実だ。そのため第五飛行大隊はわざと敵の上に回って、こちらの狙いを敵の包囲と誤認させようとしている。

 

「連隊長より各大隊へ! 敵の射撃魔法の発動を観測! 各大隊は、回避行動を取りつつ接敵せよ!」

 

「第四飛行大隊長、了解! 二番機から五番機まで、前衛として敵の攻撃を引き付けろ! 敵の第一射を確認後、六番機から十番機は敵魔法師隊に突撃を敢行せよ!」

 

森崎が指示をする間にも敵魔法師集団の中で魔法発動の気配が高まっていく。

 

「来るぞ! 散開!」

 

叫んだ直後、敵魔法師からの攻撃魔法が森崎の大隊を襲った。膨大な数の氷の礫が隷下のエアカーに降り注ぐ。

 

「二番機、爆散。四〇五号機から四〇八号機までの反応、消失」

 

第四飛行大隊の副隊長であるパラサイト明王がパラサイトの通信で状況を把握し、森崎に報告をしてくる。他隊も魔法攻撃を受けて他に二機のエアカーが撃墜。二機が大破して、関本計十機を失ったようだ。しかし、その間隙を縫って森崎隷下の六番機から十番機が敵に突っ込んでいく。

 

幾筋もの光が空に軌跡を残し、敵魔法師隊へと伸びていく。関本たちのデバイスから放たれた専用射撃魔法によるものだ。何人かの敵魔法師が地上へと落ちていくのが見える。そこに更に、敵からの初撃を回避した三機も後に続く。

 

たちまち、敵味方が入り乱れる大乱戦になった。高速で飛行するエアカー部隊に同じく飛び回っての迎撃は不利と見たか、敵は回避を最小限にした精密射撃で応戦してきた。それは包囲攻撃を甘んじて受け入れる必死の対抗策だ。人間である敵の魔法師たちが、まさか必死の策を取るとは思っていなかったが、足の速さが決定的に違うのだ。逃げても逃げきれないと判断してのものだろう。

 

「七番機、接近しすぎだ、離れよ! 八番機、九番機、七番機を援護!」

 

「三番機、被弾。四一〇号機、戦闘不能」

 

森崎が指示をする間にもパラサイト明王が被害報告をしてくる。

 

「第五飛行大隊、これより急降下攻撃を敢行する。各大隊は援護を」

 

「第四飛行大隊、了解。四番機、五番機、敵の目が上に向かぬよう全力射撃! 当たらなくとも構わん!」

 

第五飛行大隊からの通信に応えつつ、隷下の飛行隊に指示を飛ばす。

 

「三番機、後退せよ。二番機、安全圏まで援護せよ」

 

被弾して速度の低下した三番機に後退を指示し、未だ正面空域で続いている激しい戦闘に目を向ける。気持ちとしては森崎の搭乗する一番機も敵中へと飛び込ませ、共に戦いたい。だが、今の所、全体的には日本軍の優位に戦況は進んでいる。そんな中で数少ない指揮官を務められる人材を失う危険性を冒すべきでない。

 

「十番機、狙われているぞ! ブレイク!」

 

実際、自身が戦闘に参加していては、今のように指示を与えることは難しいだろう。何といっても森崎自身も生粋の戦闘機乗りではないのだから。目の前の敵に対処しつつ僚機への指示を的確に行うなど、欲張りすぎもいいところだ。

 

長い戦いを経て、敵の魔法師が空から駆逐された。落とされた振りをして逃れた敵魔法師からの奇襲を避けるために傷ついた僚機を援護させながら、この場を離れる。そうして被害を纏めてみると、エアカーの喪失は七機、大破が四機、中破が七機。関本の喪失は五十九機にもなっていた。緒戦と合わせると戦闘に支障のないエアカーは三十四機、関本が百四十機。はっきり言って想像以外の被害だった。

 

「関本の被害が大きいな。さすがはUSNAの精鋭部隊といったところか」

 

関本を三割を失ったのを見た飛騨守の言葉には森崎も苦い笑みを返すことしかできない。全体の戦力低下を補うためにも、おそらく次の空戦では森崎自身も戦場へと突入して戦わねばならないだろう。

 

いずれにせよ、本日は関本たちが魔法力をほとんど使い果たしていて戦えない。飛騨守の指示に従い、森崎たちは出立した揚陸艦への引き上げを始めた。



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パラサイト戦争編 太平洋艦隊の裏切り

八月五日、USNAに攻撃を仕掛けて二日目の朝を、司波達也はミサイル護衛艦、綾瀬の中で迎えた。そして目覚めから少し、小型船に乗って訪ねてきた宮芝和泉から達也は歓迎できない情報を知らされていた。

 

「それは、本当なのか?」

 

「ああ、昨日、太平洋艦隊は九島光宣に付いたサンディエゴに駐留していた艦隊とは一戦も交えていない」

 

ハワイに駐留していた太平洋艦隊の本隊とサンディエゴの艦隊では、それなりの戦力差がある。そして、作戦を早めたのは僅かに一日。全く動くことがなかったというのは、警戒感を抱くには十分すぎる要素だ。

 

「もしも太平洋艦隊が北に向かってくるようなら、君には後方のサンディエゴに戦略級魔法を使ってもらいたい」

 

「太平洋艦隊はいいのか?」

 

「そちらには一条将輝の魔法で対抗するつもりだ」

 

一条の海爆は超長距離からの狙撃性能はない。それゆえ、より距離の遠いサンディエゴを達也が攻撃するという役割分担となったのだろう。

 

「だが、俺が先に攻撃をすると、日本艦隊が敵の航空機の集中攻撃を受けるな。俺が魔法を使うのは一条が海爆を使った直後となるか?」

 

「そうなるな。だが、敵も馬鹿ではない。先に戦闘機部隊で仕掛けてくるだろうな」

 

達也の魔法はともかく一条の魔法は空を飛ぶ航空機には効果が薄い。日本艦隊は空母を三隻擁しているとはいえ、艦載機の合計は三十六機。一方の太平洋艦隊は空母の数こそ二隻だが、艦載機の数は百四十機以上。航空戦となっては勝ち目がない。

 

「防ぎきれるのか?」

 

「こちらには六十隻もの護衛艦隊がいる。被害なしとはいかないだろうが、航空戦力による損害は軽微だと思われる」

 

「それは太平洋艦隊が何もしてこなければ、の話だと言っていると思っていいか?」

 

太平洋艦隊には日本艦隊には劣るものの空母を除いて三十八隻もの艦がある。それらがミサイル攻撃を仕掛けてくれば日本艦隊は対空戦闘に集中することができない。

 

「その通りだね。そして敵艦隊は戦略級魔法を警戒して散開しているだろうから、一度に敵を壊滅させることはできない。日本艦隊も相当の被害を覚悟しなければならないだろうな。だが、我らは此度の海戦で上陸戦用の魔法師を失うわけにはいかない。ということで、これより三十分後には各揚陸艦は上陸艇を発進させて魔法師部隊を上陸させるつもりだ。そのときに君に一つ、頼みがある」

 

「何だ?」

 

「君の妹の護衛である桜井水波嬢を上陸部隊に貸してくれないか?」

 

それは意外な申し出だった。達也の身を案じた深雪が強硬に同行を主張したため、今回の戦いでは達也と同じ艦に同乗している。そして、その傍には常に水波を付けていた。

 

「その理由は?」

 

「上陸部隊にいるレオの隊に障壁魔法要員がいると心強い。それに適任なのが、レオと同じ山岳部に所属して連携が取りやすい桜井嬢というわけだ。ちなみに深雪については私と同じ艦に移ってもらう。克人が同じ艦にいるとなれば、君も少しは安心だろう?」

 

レオは魔法特性上、最前線に配置するしかない。そして、レオはエリカと違って回避が得意というタイプでもない。となれば守るには障壁魔法の使い手を同じ隊に配置するのが最善だろう。そして、水波の代わりに克人が深雪を守るというのは、安全度だけで考えれば強化されることはあれ、低下することはない。

 

「分かった。水波を貸そう。けれど、絶対に戦死させるなよ」

 

「安全な最前線など存在しない。約束はできない」

 

和泉は安請け合いはしなかった。それはレオがそれだけ危険な戦場に立つということも意味していた。和泉の申し出は、それでもレオの生存確率を少しでも高めるためのものなのだろう。

 

「意外に和泉も甘いんだな」

 

「友人の為に大切な妹の護衛を貸してくれる君に言われたくはないな」

 

達也の本音ではレオには志願などしてほしくなかった。おそらく和泉も同じだったのだろう。けれど、レオは志願してしまった。そうして従軍が許可されてしまえば、レオは最も危険な戦場に立たせるしかない。

 

「深雪のことは頼んだぞ」

 

「分かっている。そちらの方は任せておけ」

 

何事にも慎重な和泉は自身の周りに幻影魔法や隠蔽魔法のスペシャリストを置き、更に隣には克人という超豪華布陣で臨んでいる。この守りを抜ける敵ならば、どのような策を講じても無駄だと思える程の安全度だ。今回は達也は深雪の傍にはいられないため、守りは他の誰かに任せるしかなかったのだ。そう考えると和泉の提案は悪いものではない。これで達也は己の役目に全力を注げる。

 

「さて、次の問題だが、リーナがどこにいるのか、君は察知できているか?」

 

「ああ、リーナの居場所は予め分かるようにしている。それ自体は問題はない……が、問題なのは乗っている艦だな」

 

リーナはUSNAとの講和の前に重要な役割を果たしてもらうことになる。太平洋艦隊の中のリーナが乗る船は一条の戦略級魔法の標的から外さねばならないのだ。

 

「乗っている艦が問題ということは……リーナは空母にいるのか?」

 

「そういうことだ」

 

空母を沈められないとなると、日本は巨大戦力に手を出せないということになる。艦載機の存在を考えると、日本にとっては大きな痛手だ。

 

「まあ、リーナほどの魔法師であれば通常攻撃なら生き延びてくれるかな。それより戦略級魔法は本当に心配しなくてもいいのだな?」

 

「ああ、戦略級魔法は封じているから問題ない。まさか、この時点でこんなことを言わなければならないとはな」

 

「念には念を入れて、リーナに手を施しておいて正解だっただろう?」

 

太平洋艦隊に返す前にリーナの戦略級魔法は封じさせてもらっていた。完全な封印ではなく津久葉夕歌が解除魔法を使わなければ発動ができないというものだが、この状況で夕歌が解除に同意することはないので、事実上、使用できない。

 

「では深雪の説得は任せたぞ」

 

「ああ、任せておけ」

 

色々と話をしていたが、全て和泉と達也との間のことだ。まずは深雪に今の方針を納得してもらわなければならないため、達也は深雪の部屋へと向かった。上陸戦に加わるとなると、水波にも準備が必要だ。今は本当に時間がないのだ。達也が部屋を訪ねると、深雪は当然のように中に招き入れてくれる。

 

「単刀直入に言う。和泉から水波をレオの護衛として貸してほしいと言われた。代わりに深雪は和泉の艦に移り、一緒に十文字先輩に護衛してもらうことになる」

 

「お兄様がその方が良いとお考えになられたのなら、わたしはそれに従います」

 

部屋に入ってすぐに用件を切り出した達也に、深雪はあっさりとそう言った。その信頼は嬉しくもあるが、同時に少し心配にもなってしまう。

 

「十文字先輩の護衛も勿論だが、和泉は自分の保身に貪欲だ。守りという面では安心だ」

 

もっとも和泉は保身に貪欲な面と同時に、それが国のためになると考えれば自らの命を差し出しかねない危うさもある。が、それでも深雪を巻き込むことはないだろう。

 

「わたしのことよりも、水波ちゃんは大丈夫なのですか?」

 

深雪もレオと水波が危険な戦場に投入されることは理解しているのだろう。続いて出てきたのは水波を案じる声だった。

 

「和泉も命の保証はできないと言っていた。おそらく、これからの戦いは安全な場所などないのだろう」

 

USNAがパラサイトよりも達也のことを排除することを優先するのなら、全面戦争しか道はない。そうなれば、安全な艦は存在しない。ましてや敵地に上陸した部隊ともなれば、どこから攻撃を受けてもおかしくないのだ。

 

「お兄様は今回は戦略級魔法を使われるのですね」

 

「さすがに今回は、それしかないと思っている」

 

パラサイトという人類の脅威に国を分断され、他国の支援を仰がねばならない状況に追い込まれて尚、USNAは達也の抹殺に執心しているのだ。さすがに今回の暴挙は達也にしても許し難い。

 

どうせ、この後は決まっているのだ。今はせいぜい悪名を高めるとしよう。達也はそう心に決めると、サンディエゴの艦隊を攻撃する準備を整えるために自室に戻った。



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パラサイト戦争編 空母艦載機襲来

八月五日の午前十一時前。太平洋艦隊がサンディエゴの艦隊と共に北上を開始したという連絡を一条将輝はミサイル護衛艦、早月の艦内で聞いた。

 

当初、将輝が聞いていたのは、太平洋艦隊と共に九島光宣に付いたサンディエゴの艦隊を叩くという計画だった。それが、いつの間にか太平洋艦隊が裏切り、パラサイトと手を組んで日本艦隊に牙を剥いてくるという。

 

急な作戦変更で秘密裏に太平洋艦隊から離れていなければ、一体どうなっていたか。肝を冷やすと同時にパラサイトという人類の敵に簡単に屈したUSNAの政府に、将輝は激しい怒りを覚える。それは周囲の者たちも同様な様子で、多くの者が怒りを露わにしていた。

 

太平洋艦隊に所属している兵たちも軍人としては政府の命令に逆らうのは難しいのかもしれない。けれど、兵士として以前に人間として、魔法を至上のものと考えて非魔法師を差別する九島光宣に付くことに何も感じないのか、将輝には不思議でならない。

 

ともかくUSNAが敵に回るというのなら、容赦はしない。吉祥寺と共に作った海爆で太平洋艦隊を沈めるという方針にも将輝は当然と考えただけだった。

 

すでに太平洋艦隊の北上を予測して、上陸戦用の部隊はロサンゼルスに向けて揚陸艇で出発した。今、海上戦力の艦内にいるのは敵の海上戦力、航空戦力、そして敵艦から飛来してくるであろう魔法師たちの迎撃用の部隊だけだ。その中でも対海上戦力用の要員として将輝、そして吉祥寺は艦に残っている。

 

「将輝、敵の第一波は航空機みたいだよ。僕たちの出番はしばらく後になりそうだ」

 

「空母を海爆で沈められることは敵も恐れているだろうから、当然だろうな。しかし、航空機だけで攻撃とは少々、無謀じゃないか?」

 

今の艦は数の多寡はともかく、皆、対空ミサイルを装備している。日本艦隊は六十隻もの大艦隊であり、空母二隻から発艦した機体だけでは勝てるとは思えない。

 

「いや、そうとは限らない。今の日本が装備している対空ミサイルは、元はUSNAが開発したものの改良型だ。何か対応策が考えられていても不思議じゃない」

 

それは非常に不穏な発言だった。もしも日本艦隊が装備しているミサイルに対抗する手段を航空機に講じられていたとすれば、日本艦隊は百を超える航空機からの猛烈な攻撃に晒されることになりかねない。

 

「心配しなくても、日本だって馬鹿じゃない。対空ミサイルで迎撃が難しい場合を考えているから、対空攻撃力がある魔法師が艦に残されているんだろう?」

 

不安を覚えた将輝だったが、続けての吉祥寺の言葉に、少しだけ不安が薄れた。確かに各艦には対空魔法が使える魔法師が配備されている。けれども、その総数は三十人程度しかいないのではなかったか。いかに魔法力が高くともマッハ2を超える速度で飛行する航空機を撃墜するのは容易なことではないのだ。

 

「いざというときは、俺も障壁魔法で敵の攻撃を防ぐのに参加するか?」

 

艦が沈められたら、元も子もない。将輝の魔法力なら対艦ミサイルであっても一発くらいは防ぐことができるはずだ。

 

「いや、将輝は戦略級魔法に専念した方がいい。敵艦からのミサイル攻撃を防ぐためにも、まずは一隻でも多く沈めないと」

 

将輝が一発を防いだところで、代わりに数十発のミサイルを撃ち込まれたのでは何の意味もない。戦略級魔法を使用後に集中攻撃を受けることを見越して、将輝の乗る早月には十文字家と宮芝の手練れが乗船していると聞いている。防御はそちらに任せろということなのだろう。

 

『総員、対空戦闘用意!』

 

艦内に放送が流れ、将輝は吉祥寺と共に艦橋の上に出た。そこが将輝のために用意された戦略級魔法使用のための台座だ。

 

「しかし、ここはミサイルを頭上から受けたら一番被害を受ける場所だな」

 

「そうならないように、祈るしかないね」

 

『敵ミサイル接近』

 

話しているうちに緊迫感のある声が届いた。けれど、その一方で艦隊に動きはない。

 

「迎撃ミサイルを撃たないのか!?」

 

「きっと何か考えがあるんだよ」

 

吉祥寺はそう言うが、将輝としては気が気でない。その間にも水平線の向こうに小型の飛翔体の姿が見えた。敵のミサイルは日本艦隊に急速に接近してきて……そのまま艦隊の上空を通過した。

 

「宮芝の魔法はUSNAに対しても有効みたいだね」

 

内心では不安もあったのだろう。吉祥寺が大きく息を吐きながら言った。

 

これで遠距離からのミサイル攻撃は通用しないと分かったはず。となれば、次に行われるのは有視界戦闘だ。

 

『敵戦闘機隊、水平線に姿を現します』

 

その放送の通り、水平線の彼方に銀翼の機体群が姿を現した。それを迎撃するために各艦から迎撃ミサイルが発射される。しかし、それらは敵機に反応することなく水平線の彼方へと消えていく。

 

「敵も無効化策を講じているか」

 

こうなると、動きの鈍い艦船の方が圧倒的に不利だ。敵戦闘機隊は予想通り百四十機あまりの大編隊だ。それに対して、味方空母の上空の直掩戦闘機隊は僅かに二十四機。空戦での不利は否めない。

 

『天牙隊、敵空母一隻を撃沈!』

 

と、そこに味方を大きく沸かせる連絡が入る。今回の作戦でも天牙は初めから大きく迂回して空母を狙っていたのだ。けれど、一度、攻撃を仕掛ければ、さすがに敵に発見される。おそらく彼らは帰ってこれないだろう。

 

彼らに報いるためにも、将輝はここで視界に入った敵艦を仕留めなければならない。上空の敵は無視して、ただ水平線の彼方を見つめる。

 

その直後、敵戦闘機隊に動きがあった。こちらに迫っていた航空機隊のうち先頭の数機が何かにぶつかったように潰れ、海へと落ちていった。

 

「なるほど、障壁魔法か。あれなら高速で飛ぶ敵を打ち落とすより、よほどやり易い」

 

とはいえ、それが可能なのは比較的まっすぐ飛んでくれていた今だからだろう。普通の空戦機動を取り始めたら当てるのは困難だ。何せ地上では長大な一辺十メートルの障壁とて広大な空ではあまりに小さ過ぎる。

 

直後、艦が急速旋回を行い始める。同時に空に向かって迎撃ミサイルが飛んでいく。今回のミサイルは予め指定の軌道を取るようになっているらしく、敵機の有無に拘わらず一定の距離を飛んでは破裂を行っているように見えた。それによって二機を撃墜、一機に重大な損傷を与えたようだが、迫る機数に比べればあまりにも少ない。

 

そして、ついに敵航空機がミサイルの発射を始めた。猛烈な速度で迫るミサイルは、その多くが海へと突っ込んでいく。これはおそらく、宮芝の幻影魔法によるものだろう。

 

『護衛艦羽束、小型艦夕暮、被弾』

 

それでも二隻もの被害が出てしまった。羽束は航行できているようだが、夕暮は直撃弾を受けて船体が二つに割れ、あっという間に波間に消えてしまった。敵航空機隊は十機ほど撃墜できたようだが、このペースでは日本艦隊は甚大な被害を受けてしまう。

 

更に悪いことに、水平線の先から更なるミサイルが飛来してくる。今度のミサイルは航空機からの座標を得ていることだろう。先のように明後日の方向に飛んでいくということはないはずだ。

 

「ジョージ、こちらも座標指定で魔法を使おう」

 

「それだと将輝の負担が増えることになるけど、いいの?」

 

「待っていても、敵艦は視界内には入ってこない」

 

「分かった」

 

吉祥寺が見えない座標に向かって魔法を発動できるようにCADの設定の修正を始める。その間にもミサイルが周辺の海に落ちていく。さすがに誘導なしでの長距離攻撃は命中率は悪いが、至近弾でも被害は避けられない。何発も受けるのは危険だ。

 

そう考えていたところで、まさしく早月の右五メートルという近距離にミサイルが着弾した。来る衝撃に備えて、将輝は吉祥寺と共に艦の手すりに摑まる。が、思っていた衝撃は襲ってこない。見ると、巨大な障壁がミサイルの衝撃波を受け止めていた。

 

この艦は十文字家当主である克人の従兄が守りについていると言っていた。おそらく彼が守ってくれたのだろう。ならば、それに報いねば。

 

「ジョージ、多少アバウトでいい。撃つ」

 

「敵艦の正確な位置は分かっていないけど、分かった。発動を最優先にする」

 

先程、天牙が送ってくれた敵艦の位置情報はあるが、無論のこと敵艦隊も戦闘中に停止しているはずがない。それならば、ある程度、予想で撃つことになるのはやむをえない。それよるも、まずは攻撃してくる敵艦を一隻でも沈める。

 

「将輝、用意ができたよ」

 

吉祥寺の声と同時に短機関銃によく似たCADのトリガーを引く。遠方に魔法の発動の気配があるのを確認し、一旦は指を離す。これでどれほどの被害を敵に与えられたかは分からない。けれど、一つ確実なのは、これで敵に将輝の存在が確認されたということだ。

 

周囲の艦船が一斉に対空ミサイルを発射する。空母の防衛を優先していた味方の航空隊が早月の上空に移動してくる。対空機銃が全力で空に射撃をしている。

 

今、将輝を狙う敵機と将輝を守ろうとする日本艦隊の戦いが始まろうとしていた。




本話は原作30巻発売前に書き終えていた内容なので、このような展開に。
実際には、魔法は航空機にどれほどの効果があるのでしょうか。
私は高速で移動する物体に魔法を当てるのは難しいと考えましたが、達也にとってはそうでもなかった様子。
達也が一般的な魔法師とは言えないので修正等はしませんでしたが、普通の魔法師にとってはどうなんでしょうかね。 


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パラサイト戦争編 名もなき兵士の勇戦

篠田次郎は宮芝傘下の佐倉中原家に属する篠田家の次男として生を受けた。宮芝家の中でも下流も下流に属する次郎の魔法力は他の諸家と同様、全く見るべきもののないものだ。魔法科高校に入学するなど、二科であっても夢のまた夢。中学を卒業後はそのまま宮芝家の修練所で修行の日々。

 

そうして十八歳になり、正式に宮芝の仕事に就き始めてから僅かに四か月弱。次郎は早くも大戦に投入されることになった。

 

この戦には宮芝の術士はほとんどが駆り出されていると聞いている。しかし、修練所を出たばかりの新人に近い次郎まで出陣することになったのは、次郎の属する篠田家の主家である佐倉中原家が現淡路守に反抗的なのと無関係ではないのではないだろうか。

 

ともかく次郎は専用の呪符を仕込んだ移動魔法による攻撃用の岩塊三つと重機関銃のみを武器に本作戦に参加することになった。はっきり言って、岩塊三つをずるずると引いていなければ、大量の弾薬が詰まったバッグを背負った次郎は魔法師には見えないだろう。

 

その次郎は今、ミサイル護衛艦岩瀬の甲板上で機関銃を構えている。上空では先程から敵戦闘機が飛び回っているが、個人が持ち運びできる程度の機関銃で戦闘機を落とすことなどできるはずがない。無駄弾を撃つなと言明されているため、今はただ自分の乗る艦に敵の攻撃が当たらないことを祈ることしかできない。

 

幸いにして、敵戦闘機の搭乗員は魔法師ではない。そのため、宮芝の魔法師たちが作り出した幻影に惑わされ、有効な攻撃はできていない。時折、運の悪い艦が偶然の流れ弾が命中して被害を受けているが、百機以上の戦闘機に上空を飛ばれている割には被害は少ない方だと言える。

 

魔法師でない敵には宮芝の幻術は破れない。だから、次の段階は敵魔法師が飛行魔法で攻撃を仕掛けてくる。次郎の機関銃はそのときのためにあるのだ。

 

司波達也の開発した飛行魔法は、艦船に新たな脅威をもたらした。それが、飛行魔法で接近してくる魔法師だ。それにより、長射程からのミサイル防御のために大型化した火器の他に海面近くを飛行してくる小型の敵への対抗策が必要になり、こうして前時代的に艦の側面に多数の機銃の代わりの機関銃を装備した歩兵を配置することになった。

 

実際の時間としては比較的短時間。けれども次郎にとっては一日とも思えるような戦闘機との戦いが終わり、敵航空隊は一度、弾薬の補給のために戻っていった。

 

事実上、何もすることがなかった次郎は空と海の間で行われた戦闘を見ていたが、味方戦闘機隊の勇戦もあり、敵航空機の被害は四十機ほどはあったように見えた。それに対して日本艦隊はミサイル護衛艦を三隻、小型艦を五隻失った。損傷艦はミサイル護衛艦が四、小型艦が六。他に戦闘機の被害が五機。

 

損傷艦は後退を始めたので、戦場に残るのは空母三、ミサイル護衛艦十四、小型艦二十八の計四十五隻。当初の六十三隻から比べると随分と減ってしまった。

 

幻影魔法が有効に機能して、この被害なのだ。ここに敵魔法師隊による幻影魔法対策が行われれば日本艦隊は全滅する。敵魔法師は絶対に打ち落とさねばならない。

 

『偵察を続けていた天牙より報告あり、我が国の攻撃隊は敵空母一隻、駆逐艦二隻を撃沈。その後、一条将輝の海爆二回により敵艦六隻を撃沈』

 

艦内放送により、敵方も予想以上の被害を受けていたことが分かった。太平洋艦隊は計四十隻だったはず。つまり残りは三十一隻。これなら敵魔法師さえ撃退できれば勝機は十分にある。

 

『敵魔法師隊を確認』

 

しかし、続く放送に次郎は一気に浮かれ気味の気持ちを現実に引き戻された。まだ次郎の肉眼では確認できないが、艦橋では魔法の反応を確認できているのだろう。しばらく身構えていると水平線の向こうから人影が向かっているのが見えた。

 

『敵の魔法反応を解析、スターズの隊員を相当数、含んだ部隊であると予想される。ただし、敵にパラサイトはいない』

 

それは、生半可な魔法も銃撃も効かないということだ。一方でパラサイトでないのなら、敵も生身の人間ということだ。不死身の化け物でないのなら、きっと次郎にもできることがあるはずだ。

 

敵の姿が徐々に大きくなってくる。しかし、まだ射撃開始の指示はない。今の所、撃たれているのは艦に装備された対空砲のみだ。敵は今にも魔法を発動させそうだ。一体、いつまで待てばよいのか。

 

『攻撃開始!』

 

おそらく指揮官が待っていたのも、敵が攻撃に移るときだったのだろう。ついに下った指示に次郎は機関銃の引き金を思い切り引く。

 

機関銃から発射された曳光弾が敵魔法師へと一直線に伸びていく。しかし、それは強固な障壁魔法によって防がれてしまう。ならばと引き摺ってきた岩塊を移動魔法により敵へと飛ばす。が、それも強固な干渉領域によって敵に当たる前に勢いを失い、海へと落下した。何一つ有効な攻撃をすることができなかった次郎を見て、敵が笑みを浮かべる。そこには明らかな嘲りが見えた。

 

今度はこちらの番だ。実際にそう言ったかどうかは分からない。けれど、次郎には敵がそう言ったように見えた。敵が魔法を放とうとしている。次郎に、それを防ぐだけの魔法力はない。しかし、敵が魔法を放つ直前に岩瀬の前に一隻の小型艦が割り込んできた。小型艦は対空機関砲で敵魔法師隊の一人を吹き飛ばす。

 

怒った敵魔法師隊の攻撃により、小型艦が火を噴いた。艦橋付近に集中攻撃を受けた艦は黒煙に包まれたまま、それでも対空機関砲を打ち続け、敵魔法師隊を屠っていく。しかし、二度目の斉射で今度こそ沈黙し、その姿を波間に消した。

 

あの小型艦は岩瀬を守るための盾となって犠牲になったのだ。小型艦を沈めた敵の数は二十人にも満たない。それだけの数で小型とはいえ艦一隻を沈めたのだ。本当に敵魔法師の魔法力は次郎とは雲泥の差だ。彼らからしてみれば、次郎など非魔法師と何ら変わらないのではないだろうか。

 

確かに次郎の魔法力は低い。けれども次郎も宮芝の術士だ。宮芝の術士は例え魔法力が低くとも、ただ狩られるだけの兎ではない。いかに身体が小さくとも、いかに力が弱くとも、牙を持つ狼だ。それを思い知らせる。

 

手近の魔法師に向かって岩塊を飛ばす。直接、相手に当てようとしても強い領域干渉力に掴まってしまうのは目に見えている。山なりに飛ばして、敵の上で魔法を解除。後は重力に任せても勝手に敵に当たるようにする。

 

自分に向かって降ってくる岩に気づいた敵は移動魔法を使って自分の上から軌道を逸らした。けれど、それこそが次郎の狙いだ。他の魔法を使うその瞬間、短時間であろうとも障壁の威力は弱まる。

 

刹那の間を逃さず、左右の銃座とも協力して機関銃弾を目一杯叩きこむ。それは魔法師の障壁魔法を貫き、身体を引き千切って海へと叩き落した。

 

仲間が弱い魔法で隙を作られ、防げる銃弾で撃墜された。その事実に他の魔法師が怒りを露わにするのが分かった。だが、戦場で心を乱すのは精神干渉魔法を得意とする宮芝を相手にした場合の最大の悪手だ。

 

岩瀬に乗艦していた宮芝の魔法師が密かに幻影魔法を使う。それが映し出すのは幻の岩瀬の艦影だ。そこに向かって敵が全力の魔法攻撃を叩きこむ。けれど、それでは当然、艦に被害は出ない。

 

逆に攻撃魔法を使って障壁魔法が弱まった所を狙った集中攻撃で、更に二人の魔法師を撃墜する。更には周囲の艦も援護のために集まってきて、空に向かって猛烈な射撃を浴びせ掛ける。

 

さすがに十文字の魔法師ではない敵魔法師は重機関銃を防ぎきれるような強固な障壁を前方百八十度近くは展開はできないようだ。障壁魔法を貫かれ、一人、また一人と海に落ちていく。

 

そうなれば、後は容易い。周囲の味方が次々と撃ち落とされていくのを見た敵は心を乱し、これまでと同様の強度の障壁を作ることは難しくなる。潰走を始めた敵を銃弾の雨が容赦なく蹂躙していく。

 

結局、次郎の前に見えていた二十人近くの魔法師のうち猛反撃から逃れたのは三人だけだった。そして補給を終えた敵戦闘機隊の第二次攻撃に備えているとき、水平線の向こうから波が押し寄せてきた。それは軍艦を大いに揺らしたが、それ単体で艦が被害を受けることはなかった。問題は、波が起きた原因だ。

 

少しして、その波がマテリアル・バーストという戦略級魔法によるものだと連絡する艦内放送があった。それによりサンディエゴは壊滅状態となったようだ。そして、その日のうちに敵航空機の第二次攻撃が襲来することはなかった。




原作でも飛行魔法による魔法師の脅威が語られていましたが、艦の防御兵装は急には換装できませんから、本作では機関銃兵を並べるという原始的方法で魔法師に対抗しようとしています。

結果、前話から引き続いて魔法の出番が極めて限定的な銃弾が飛び交うばかりの戦場に。


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パラサイト戦争編 リーナの決意

アンジェリーナ・クドウ・シールズは小破した空母エンタープライズの艦内で、日本艦隊への攻撃から帰還した魔法師たちの手当てを手伝っていた。本日の日本艦隊の攻撃には百名を超える魔法師を投入したが、帰還は僅かに二十一名という惨憺たる有様だった。

 

出撃した魔法師いわく、そこは地獄だったということだった。戦場は身を隠せる物など小石すら存在しない大空。魔法師たちに向けられる機関銃の数は攻撃側の人数を上回る。銃弾は飛行魔法で避けきれるような速度では迫ってこない。そんな戦場で魔法師たちは己の障壁魔法のみを頼りに敵艦への肉薄攻撃を行ったのだ。

 

受け損なった者から身体を引き千切られ、海へと落とされていく。それを見て心を乱した者から次の犠牲となる。戦友たちが次々と散っていく中、心の平静を保つことができ、かつたまたま狙われた銃火器の数が少なかった者だけが帰ってこられたのだ。

 

そもそも魔法師は非常に貴重な戦力だ。他科の支援なしに多数の銃火器の中に突撃するような運用は想定されておらず、当然そのような訓練など受けていない。今回の結果は予想されたものとも言える。

 

実戦経験豊富な艦隊司令の予測もリーナと同様だったらしい。だから司令は九島光宣に向けて作戦の再考を進言した。しかし、それに対する光宣の回答は、たいしたことのない魔法師の損耗など痛手ではないでしょう、だったと聞いた。

 

九島光宣は、全体的にレベルの高い日本の魔法師たちの頂点に立つ十師族の中で、更に群を抜いて高い魔法力を持っていたという。その基準から見れば、多くの魔法師がたいしたことのない魔法師になってしまうのかもしれない。しかし、それは多くの魔法師の考えから大幅に乖離している。

 

似たようなことは、今回の作戦前にも起きていた。一時的とはいえ、非魔法師のことを動物と呼ぶ者に与することに対して、多くの航空機の搭乗員が抵抗を示した。その者たちを九島光宣はあっさりと殺害したのだ。

 

このときも、光宣は飼い主に逆らうような犬に価値などないと言い切ったらしい。そして、作戦の成功率の低下を理由に苦言を呈す指令に、代わりなどいくらでもいると言ったと聞いた。魔法力こそが人間にとって最大の価値と考える光宣にとっては、非魔法師は一括りで非魔法師なのだ。海軍の戦闘機パイロットが選ばれたエリートたちであることに光宣は全く考えが及んでいない。自動車と同じと考えているのでは、とリーナは愕然としたものだ。

 

そうして練度を大きく落とした戦闘機隊が敵艦隊相手に苦戦をしたのは、ある意味では自明の理であったと言える。何せ、気概のある者たちは事前に処分されており、残った者たちも戦意は相当に低くなっていたのだから。

 

更に悪いことに、帰ってきた戦闘機隊を迎えるのは一隻が撃沈されたため、損傷を受けた空母が一隻だけだった。損傷の影響で収容可能数を大幅に減らしたエンタープライズは帰還した百機超の半数、五十機のみを収容して残りを海に投棄することになった。

 

通常時ならば他の陸上基地に向かわせることもできた。しかし、ロスアンゼルスは敵の手に落ち、他の基地が航空隊の受け入れを拒否したため、このような事態になったのだ。

 

ちなみに他の基地が受け入れを拒否したのは、この近辺の基地はほとんどが九島光宣の討伐のためにパラサイトと戦い、戦友たちを失った基地ばかりだからだ。国の命令とはいえ、昨日までの宿敵と急に手を組んだ太平洋艦隊に対して思うことのある者は多い。

 

それにしても、本国は一体、何を考えて九島光宣に与することに決めたのだろうか。光宣は明らかに達也よりも危険な存在だ。いくら達也の魔法に脅威を感じたとしても、国を内部から崩壊させかねない光宣に味方するのは、リーナには理解できない思考だ。おそらく前線から遠く離れた首都の高官たちは脅威の査定が近視眼的になっているのではないだろうか。ともかく、USNAの未来が暗いのは、はっきりした。

 

今回、パラサイトの思うがままに自国民を捨て石にするような作戦に従事させたつけは必ずや払うことになるだろう。少なくとも、今日の作戦の前後に交わされた司令と九島光宣の遣り取りを知った軍人たちは、今の政府を承認することはないだろう。

 

軍人たちだけではない。非魔法師を動物とまで見下すパラサイトである九島光宣に協力した政府に対しての一般市民の怒りはいかばかりだろうか。その怒りは政府と共に最初に光宣に協力した魔法師たちにも向かうだろう。

 

USNAの未来に待っているのは、魔法師と非魔法師の激しい対立だ。その解消策は、おそらく誰の胸の内にもない。

 

リーナの中で今まで祖国に抱いていた気持ちが、急速に萎えていく。しかもリーナは日本軍がUSNAという国自体を滅ぼそうという気がないことも知っている。その状態で、ただ命令だからと命を懸けて戦うことはできない。

 

「もう迷わない。私は達也の艦を沈める」

 

誰にも聞かれないように注意しながら、ぽつりと呟く。そうしてリーナは艦隊司令の部屋へと向かう。部屋の戸を叩くと、指令はすぐに室内に入れてくれた。

 

「シールズ少佐か。今日はご苦労だったな」

 

「いえ、私が日本でヘビィ・メタル・バーストを封じられていたばかりに艦隊の皆を苦戦させてしまい、心苦しい限りです」

 

「日本でか……貴官を日本から呼び戻したことが正しかったのどうか、私は今、分からなくなっているよ」

 

「司令……」

 

「我が国は一体、どうしてしまったというのか。九島光宣は我々とは違う生き物だ。奴は人の命など何とも思っていない。あのような者とは、いかなる理由があっても手を組んではいけないというのに……」

 

どうやら司令はリーナと同じ思いを抱いていたようだ。しかし、それなら少しは良い方向に誘導できるかもしれない。

 

「明日からはしばらく日本艦隊との交戦を避けた方がいいと思います。パラサイトのために本気で戦う必要はないです。日本の戦略級魔法師が驚異なら、上陸した日本軍が内陸に進軍するのを待ってから攻撃した方が、より確実だと思います」

 

「確かにパラサイトたちを助ける義理は無いな」

 

「日本の戦略級魔法師だけを倒すなら、私に手があります」

 

「しかし少佐は戦略級魔法を日本の魔法師に封じられているのではないのか?」

 

「はい、確かに私の魔法は日本の魔法師に封じられています。けれど、それならば封じている魔法師を先に倒してしまえばよいのです」

 

リーナがそう言うと、指令が僅かに身体を前に乗り出した。

 

「封じている魔法師の居場所は分かるのか?」

 

「はい、何となくですが、私を縛る魔法の存在を感じられています。その感覚を頼りに残りの全戦闘機を投入して艦を撃沈できれば、私の戦略級魔法が使えるようになる可能性は高いと思います」

 

「試してみる価値はあるな」

 

「ですが、残りの戦闘機の数を考えると、おそらく次が最後の機会となります。成功率を上げるためにも日本の魔法師の主力部隊が留守にするまで攻撃を控えたいのです」

 

「分かった。確かにそうだな」

 

作戦に十分に乗り気になってもらえたところで、リーナは司令の部屋を出た。そうして自室に戻る道すがら、リーナは己にこれでいいのだと言い聞かせる。

 

今回の作戦は日本軍に最低でも二隻の被害を与える。そして、太平洋艦隊にはそれ以上の犠牲を強いてしまう。目的の為に友軍にも被害を強要するという作戦を押し通すという意味ではリーナの行動は九島光宣にも通じるものだ。

 

それでもこの作戦を成功させ、司波達也という存在を抹消しなければ、USNAの高官たちは必要以上の恐怖に怯え、今回のような愚かな選択を繰り返してしまうだろう。この作戦が結果的に、双方の被害を小さくできるはずだ。

 

だから、リーナは祖国の命令に背く作戦を実行する。九島光宣という敵を葬った後に世界がより良い方向に進むために。




図らずも本作のエンタープライズの艦長と原作のシャングリラの艦長は類似点が多くなっていました。


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パラサイト戦争編 対空砲破壊

本作は原作三十巻発売前にストックに入っていたもののため、エアカーの設定については、明確に異なるものになっています。

本作のエアカーはステルス性能は一切ありません。
そのため地上軍が先に対空砲を潰しに向かっています。


西城レオンハルト、通称レオは森の木々の間に身を隠しながら前進を続けていた。レオが配属された隊は第三十四分隊。構成員はレオの二学年先輩である小早川桂花、レオの後輩である桜井水波と元後輩である七宝琢磨、呂剛虎という大男、そしてレオの五名だ。分隊長は小早川で今は彼女の指揮の元、敵の対空砲の破壊作戦に従事中だ。

 

この対空砲も飛行魔法の開発により復活した前時代の兵器である。低空で侵入してくることが多い小型の目標を狙うために艦船に搭載されていた近接防御用の砲塔を転用した、自走式の機関砲塔として復活したのだ。

 

高速で空を飛んで敵と空戦を行っていたエアカーという乗り物は、元は民生品だったらしく、装甲はさほどでもないらしい。加えて、いくら高速とはいえ対空砲を相手にするには分が悪いということだ。そのため、レオたちが地上から迫っているというわけである。

 

対空砲陣地が地上からの攻撃に対して無防備であるはずがない。おそらく相当数の銃火器が待ち構えているはずだ。それを硬化魔法と障壁魔法で強引に突破するのが、第三十四分隊の役割であり、そのためのレオの配属だと聞いている。

 

聞いたときは正直、耳を疑った。レオは確かに硬化魔法が得意だが、拳銃ならともかく機関銃座に突っ込んでいけるほどの強度は出せない。けれど、それを補うために障壁魔法が得意な桜井がいて、更に先頭をいくのは呂剛虎という大男であり、レオはその背に隠れるようにして接近すればよいと言われたのだ。

 

はっきり言って機関銃の攻撃に耐えられるか、なんてことは試したこともないし、試すこともできない。不安がない訳ではないが、二年前から宮芝で実戦を重ねてきた小早川、世界屈指の近接魔法師と聞いている呂剛虎、師補二十八家の七宝琢磨、それに四葉の関係者である桜井まで付けてくれたのだ。和泉なりに最大限の優遇してくれたのだろう。これで嫌だなどと言えるわけがない。

 

「見えてきましたね」

 

分隊長の小早川が双眼鏡を覗きながら言った。機関砲塔は水平射撃も可能と聞いている。ここから先は油断は禁物ということだ。

 

「西城、君は機関砲塔が健在の内は盾を構えて防御に徹していろ」

 

レオは現在、チタン合金製の大楯を渡されており、この盾の内側に桜井を入れて守りつつ、同時に桜井の魔法により守られろと言われていた。小早川が言った防御に徹していろという指示は、残りの三人だけで機関砲塔を制圧すると言っているも同じだ。

 

「三人だけで大丈夫なのか?」

 

「数を相手にする場面ならまだしも、強力な個を相手にするときは君にウロウロとされる方が邪魔だ。それに一つ訂正しておこう。私は機関砲塔を相手にするのは苦手だ。ゆえに今回の制圧作戦を行うのは二人だ」

 

酷い言われようではあるが、実際にバルカン・ファランクスに耐えられると言えない以上、下手に戦場に出ても足手纏いが増えるだけだ。幸いというか、小早川も留守番役らしいので、今回は一緒に後方待機しておくしかない。

 

「では、作戦を開始するぞ、行け、呂剛虎」

 

「ガアアッ」

 

とても理性が存在するとは思えない返事をし、呂剛虎は真っ直ぐに機関砲塔に向けて突進を始める。当然、機関砲塔と周囲の機関銃の攻撃が呂剛虎に集中する。

 

「ゴオガアァアア」

 

体の前面に強力な剛気功なる防御術を展開し、呂剛虎は攻撃に耐える。そして敵の攻撃が呂剛虎に集中するのを見計らい、七宝が攻勢に出た。

 

「群体制御魔法、発動」

 

七宝が言った瞬間、身に纏っていた服が吹き飛んだ。七宝は廻しだけの姿となっており、その周囲には無数の服の破片が渦を巻いている。

 

「ミリオンダイブ」

 

そして七宝は自分の着ていた服の破片に乗って機関砲塔に向けて飛んでいった。機関銃座は対応できなかったようだが、敵機関砲塔が急速接近する七宝の魔法反応を捉えたのか、即座に射撃を開始する。それを七宝は自分が乗って飛んでいる服の破片の一部を盾とすることで防いでいた。

 

「ミリオンストライク」

 

機関砲塔からの銃撃をものともせずに急接近した七宝は、服の破片を纏ったまま敵機関砲塔に突っ込んでいった。さすがにそれだけで破壊はできなかったようだが、とりあえず機関砲の内側に入った。これで機関砲塔からの攻撃は受けない。

 

さあ、そこからどうするのか。盾の陰から遠く見つめていると、七宝は意外な方法で機関砲塔を破壊しようとし始めた。その方法は相撲の稽古でも行われる鉄砲である。まわし一つで突っ込んできた力士が、機関砲に対して突っ張りを行う姿を敵は一体、どんな気持ちで見ているのだろうか。

 

「どすこーい!」

 

一回目の右の突っ張りで砲塔に亀裂が走った。二度目の左の突っ張りで亀裂は砲塔全体に広がった。そして、三度目の右の突っ張りで機関砲塔は崩壊した。

 

「七宝さんって、あんなに強かったんですか?」

 

恐るべき威力の突っ張りを見て桜井が驚愕の言葉を漏らす。

 

「いや、そもそも七宝が体術……突っ張りは体術なのか? まあ、ともかく七宝が体術が得意なんて話自体、聞いたことがないんだが……けど、あれだけ体格が変われば得意なことも変わるのかも?」

 

体重が百二十キロを超えるまでに成長した七宝は、もはや別人としか思えない。達也が言うには顔のパーツは同じだという話だが、レオはそこまで七宝を覚えていない。

 

「む……これはパラサイトの反応ですね」

 

桜井と暢気な会話をしていると、急に小早川がそんなことを呟いた。レオは一年のときにパラサイトと戦って、その脅威の能力の一端を知っている。

 

「パラサイトの反応はどこからですか?」

 

「おそらく、飛行魔法でこちらに向かって来ているのでしょう。さて、我々の中には封印術の使い手はいませんが、どうしたものですかね」

 

パラサイトの厄介な所は憑りつかれている者を倒しても、本体のパラサイトを消滅させることはできないという点だ。

 

「何か手はないんですか?」

 

「無論、用意しています。パラサイトを封印できる護符があります。けれど、二枚しかないのです」

 

「ちなみにパラサイトの数は?」

 

「三体です」

 

つまりは、どれか一体は取り逃してしまうということだ。それなら、いっそのこと後退した方がいいのかもしれない。

 

「まあ、貴方が飛行魔法を使えない以上、逃げきるのは不可能なので迎撃するしかないのですがね」

 

なら、選択肢があるような言い方をしないでほしい。そして、さらりと嫌味を言わないでほしい。

 

「呂剛虎と七宝が一体ずつ相手をします。我々は三人で一体を足止めします」

 

「足止めですか? 倒すのではなく?」

 

「倒せるようなら、どうぞ」

 

そう言われたら倒すしかないだろう。元々、レオは小細工は苦手だ。全力で倒しにいき、結果的に倒せなければ、そのときだ。

 

少しすると、低空を高速で飛行してくる三人のUSNA軍人の姿が見えた。事前に聞いていた人数と同じ。あの三人はいずれもパラサイト化しているということだ。

 

先手を取ったのは七宝だった。砲塔に突っ込んだときも使用したミリオンダイブという技で先頭の一体に組み付き、地上に落とす。続いて呂剛虎も地上から飛び上がって、剛腕を振るって一体を叩き落す。残る一体は味方の援護には向かわず、レオたちの方ににそのまま向かってくる。おそらく、七宝と呂剛虎より、こちらを潰すことを優先したのだろう。

 

急降下しながら、敵パラサイトが両手に持ったナイフを投擲してくる。正面からレオに向かってきたナイフは桜井の障壁魔法で防いだが、もう一本のナイフはそれを見越していたかのように大きく左から迂回してくる。

 

「ジークフリート!」

 

レオは肉体不懐化魔法を使うと、飛来してきたナイフを殴りつけた。ナイフは一瞬だけ押し込んでくるような動きを見せた後、地面に落ちる。その直後、レオに突っ込んでこようとしていたパラサイトの前に閃光が奔り、敵が大きく後退する。

 

閃光の正体は、小早川が放った四十ミリ機関砲の曳光弾だ。パラサイト化した魔法師でも近距離からの四十ミリ機関砲は厳しいということだろう。

 

空中に逃れて距離を取った敵魔法師に対してレオは有効な攻撃手段を持たない。念のためと渡されて、簡易訓練を受けたアサルトライフルを撃っても同じことだろう。一科生である桜井は攻撃系の魔法も使えるのだろうが、レオと小早川の安全を優先しているのか、攻撃を行う様子はない。そして小早川は初めから時間稼ぎ目的の牽制に専念している。

 

図らずも事前に小早川が言っていたような足止めに近い状況になっている。もどかしさは感じるが、どうしようもない。そして、援軍は予想より早くやってきた。服の欠片で飛んできた七宝がパラサイトに急速接近し、レオたちを背に庇うように前に立つ。

 

「ミリオン張り手!」

 

そして、一瞬でパラサイトを粉々にしてしまった。

 

「え!? 何が?」

 

「ミリオン張り手は一秒間に百万回の張り手を繰り出す七宝の必殺技だな」

 

思わず零れたレオの呟きに小早川が答えてくれる。とりあえず、レオが事態を理解できなかった原因は、七宝の張り手が早すぎたためということが分かった。

 

「というか、一秒に百万回って防げる奴はいるのか?」

 

「さあ? だが、使った後は身体に相当な負担が掛かる技らしいぞ」

 

またも零れた呟きを小早川は丁寧に拾ってくれる。

 

「それより呂剛虎も戻ってきたようだ。ここはパラサイトの本体がうろついている場所だ。早く離れるぞ」

 

そう言う小早川に従い、第三十四分隊は砲塔破壊という任務を見事達成して帰投を果たした。とはいっても、レオ自身は特に何をしたということもなく、なんとも不完全燃焼の一戦となった。




なお本作の七宝琢磨は改変の対象となっており原作とは別人となっています。


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パラサイト戦争編 USNAの剣士

千葉エリカは、戦う前から非常に疲れていた。というのも、エリカが所属する第二十六分隊の構成員がエリカにとっては好ましくない面々だったからだ。

 

第二十六分隊の分隊長は防衛大学校の学生ながら、国防陸軍の通称『抜刀隊』にも所属するエリカの兄である千葉修次。そして副隊長格として修次の恋人である渡辺摩利。それに桐原武明と矢車侍郎にエリカという組み合わせである。

 

普通は兄妹を同じ隊に、しかも兄には恋人付きで放り込むだろうか。この編成は絶対に和泉が絡んでいるはずだが、その思惑が理解できない。和泉はエリカと摩利の仲があまり良くないのは知っているはずだ。だったらなぜ、と考えて思いつくのは嫌がらせだ。

 

エリカは少し前、千葉の門弟である稲垣を和泉の謀略で失った。そのときに和泉に刃を向けて失禁させてしまった。あれを根に持っていたのだろう。腹立たしいことこの上ないが、千人を超える軍の編成の結果に個人が異議を唱えても仕方がないことくらいは分かるので、黙って従うよりない。

 

「エリカ、先行部隊が敵を発見したみたいだ。進むよ」

 

修次がエリカを見て言ってくる。先行部隊は幹比古も所属している分隊だ。幹比古を近くを進む分隊に置いたのも、和泉の差し金だろう。こちらは余計なお節介だろうか。和泉の思惑はともかく、今は目の前の敵に集中するしかない。黙って前に進んでいると、後退してくる幹比古たちの姿が見えた。

 

「千葉分隊長、敵はパラサイトと思われます」

 

修次にそう話し掛けているのが、幹比古たちの分隊長である師補二十八家の一色俊義だ。その下に、七草香澄と泉美、幹比古、沼田織部という名の宮芝の魔法師という組み合わせで先行部隊は構成されている。幹比古と沼田が偵察、一色と香澄と泉美が遠距離攻撃要員という近接戦を専門にしたエリカたちと真逆の構成だ。

 

「では私たちが前衛を務めます。一色殿は支援をお願いします」

 

第一高校にパラサイトが現れたとき、エリカは本体を相手に何もできなかった。それは、今になっても変わっていない。精神生命体を攻撃するというのは、千葉家の本分ではなく、どうやっても付け焼き刃くらいにしかならないと悟ったためだ。

 

それはエリカだけに限らない。千葉の麒麟児、幻刀鬼、といった異名を持つ修次も精神生命体には有効打を持たず、それは摩利も桐原も矢車も同じであるはずだ。結局、近接戦闘を専門にした抜刀隊を母体にした戦力ではパラサイトの本体との戦いは難しい。だが、今回は前回とは違う。

 

宮芝家の沼田織部は対パラサイト用の封印術のスペシャリストという話だし、幹比古も宮芝家の指導を受けて新しい封印術を会得したと言っていた。ならば、本体は幹比古たちに任す前提でエリカたちは宿主を倒すことに専念をすればいい。

 

どうやら敵パラサイトは四体らしい。遠距離戦に長けた魔法師を相手にするときは徒に姿を晒すだけになるためか、飛行魔法は使用していない。ただ、何かよくないものの気配が近づいてくることだけは肌で感じることができた。

 

先手は香澄と泉美の二人による『窒息乱流』だった。窒素の割合が九十パーセントを超える強風が姿が見えるか否かという段階のパラサイトに襲い掛かる。パラサイトの本体は精神生命体だが、それを宿した人間は生物だ。窒素の渦に捕らわれれば活動することはできなくなる。けれど、それはパラサイトたちの強力な魔法力で無効化された。だが、それこそがエリカたちの狙いだ。

 

窒素の気流に乗せて放たれた幹比古の短剣が、パラサイトの一体に突き刺さる。幹比古はすかさず短剣と対になる、扇となった呪符を媒介に封印術式を起動した。それにより、敵は身体を痙攣させると糸の切れた操り人形のように崩れ落ちた。

 

仲間が倒されたとこに気づいた残りの三体のパラサイトが怒りを露わに突進してくる。迎え撃つのは修次、摩利と桐原、そしてエリカと矢車という組み合わせの三組だ。

 

今回エリカが使うのは対パラサイト戦となることを想定した、宮芝家提供の翠雨という刀剣型デバイスだ。はっきり言って刀剣型のデバイスとしての性能は並みだが、この刀にはパラサイトの再生能力を無効化する退魔の力が備わっているらしい。

 

エリカの前へとやってきたのは、刀剣型のデバイスを持つ敵だった。しかも、どこか日本の魔法師に似た雰囲気を持っている。

 

「そちらは千葉家の剣士で間違いないか?」

 

「ええ、そうよ」

 

「山坂藩剣術指南役、藤沢周作の末裔、セルヴィス・フジサワ・オーランドだ」

 

セルヴィスは名乗りながら右足を引いて半身になり、刀剣型のデバイスの切っ先を後方に下げる。日本の剣術の構え、脇構えだ。

 

「千葉家、千葉エリカ」

 

対するエリカは正眼に構えを取る。相対しただけで、相手が魔法師である前に一流の剣士であることが分かった。まさかUSNAでこれほどの剣士と出会えるとは、全く想定していなかった。思わぬ幸運にエリカは興奮を隠し切れない。が、そこに水を差す者があった。

 

何の殺気も感じさせることなく、矢車がエリカの背後から飛び出してセルヴィスに向けて手裏剣を放つ。それを見たエリカは即座に矢車を横に蹴り飛ばした。

 

「宮芝にとって戦いは、そういうものなのかもしれない。けど、少なくとも私が負けるまでは無粋な真似はやめてもらいたいものね」

 

「……了解した」

 

矢車は大いに不満そうな様子だが、これ以上の邪魔をすれば斬るというエリカの思いが通じたのか、大人しく引き下がった。

 

「連れが余計な真似をしたわね」

 

「なに、ここは戦場でもある。そういうこともあろう」

 

そう言ったセルヴィスは矢車の手裏剣をちゃんと弾いており、無傷だ。エリカが一騎打ちを望んでいるとしても、他の者はそうでないことに気づいていたのだろう。けれど、邪魔者は消えた。さあ、ここからは本当に剣士と剣士の戦いだ。もう誰にも邪魔はさせない。

 

セルヴィスは脇構えを維持したまま、じりじりと爪先をエリカへと伸ばしてくる。本来の間合いは身長の差でセルヴィスに分があるだろう。だが、相手は初動には少し難のある脇構えだ。実際の間合いはエリカの方が広い。

 

数センチの間合いを取り合う、地味だが緊迫した時間が流れる。一般的でない脇構えを、この大事な場面で出してくるのだ。セルヴィスは間違いなく脇構えに慣れており、隠し玉も持っている。迂闊に動くのは危険だ。エリカから無闇に仕掛けるべきでない。

 

じっと待ち受けるエリカと、間合いを詰めて攻め込もうとするセルヴィス。先に動いたのはセルヴィスの方だった。

 

脇構えから極限まで技の起こりを消した横薙ぎがエリカの脇腹に伸びてくる。エリカはそれを防ぐために左へと翠雨を動かした。だが、その瞬間、セルヴィスの剣は急激に軌道を変えてエリカの首へと向かってくる。

 

咄嗟に首を捻ったエリカだったが、避けきれない。このままでは首を落とされはしないにせよ、深手は避けられそうにない。けれど、エリカは重大な怪我を負わなかった。その前に矢車が投擲した短刀がセルヴィスの剣の勢いを緩めてくれたからだ。

 

助かったのは確かだが、これは明確な約束違反だ。思わず矢車を睨む。

 

「貴女を殺させるなと命令を受けているので。手出しが嫌なら危険な目に遭わないでください」

 

そう言われると、反論がしづらい。ともかくセルヴィスは予想以上の手練れだ。

 

「普通の薙ぎと見せかけて、実は左手一本で放っていたわけね。そして、途中で添えていただけだった右手を使って軌道を変えた」

 

「たった一度、受けただけで見切ってしまったか。さすがに千葉家の者か。左様、これが我が一族の秘剣である手折花だ」

 

「褒められることじゃないわよ。実際に横やりがなければ、あたしは死んでいた」

 

技名は花に例えていたが、実際に落とすのは敵の首だ。そして、エリカはそれを防ぐことができなかった。

 

セルヴィスが再び脇構えを取る。秘剣は一度で敵を必ず殺すから秘剣なのだ。見た者を生かしていては対策を練られる。けれど、それは逆に必殺の秘剣は複数種類を持っていても使う場面は訪れないということだ。それなら、秘剣をひたすらに磨けばよい。

 

おそらくセルヴィスに他の秘剣はない。けれど、一度見たから容易に破れるというほど手折花は甘い技ではない。途中で軌道を変えなければ横腹を、軌道を変えれば首の他に足を狙うこともできるはずだ。これをきっちり防ぐことは難しい。

 

もっとも、それで手がないということはない。防ぐのが難しいのならば、防がなければよいのだ。

 

セルヴィスの脇構えに対してエリカは下段の構えを取る。セルヴィスは先のときと同じように、じりじりと間合いを詰めてくる。エリカは僅かに剣先を左に向けてセルヴィスの動きを牽制する。

 

二度目の攻防も先に仕掛けたのはセルヴィスだった。だが、今度はエリカも刹那の違いで切り上げを繰り出していた。セルヴィスの横薙ぎを右手一本で振るったエリカの剣が跳ね上げる。その直後、エリカは添えていた左手を使って剣を右へと倒した。

 

「手折花」

 

セルヴィスが視線を下げながら静かに呟いた。セルヴィスの脇にはエリカの翠雨が突き刺さっている。それはエリカが手折花を応用して、振り上げから振り下ろしに変化させた剣によるものだった。

 

「まさか一度で見破っただけでなく、己で使ってみせるとは……恐るべき剣士よな」

 

「けれど、あたしは一度、確かに貴方に負けた。だから、お礼を言わせてもらうわね。ありがとう、あたしに勝った人」

 

セルヴィスが僅かに笑みを浮かべる。エリカは介錯をするように、その首に翠雨を振るう。静かに落ちたセルヴィスの首と残された身体が白い炎に包まれて消えていく。

 

彼は確かにパラサイトだった。けれど、彼はパラサイトとしての能力を一度たりとも使わなかった。彼が純粋な剣術のみでエリカとの勝負を望んだからだろう。彼はパラサイトに憑かれても、なお剣士であり続けたのだ。

 

修次や摩利たちが、こちらに向かってくるのが見える。どうやら、他の二人も片付いたようだ。

 

エリカは自分を負かした剣士に、最敬礼で別れを告げた。




セルヴィス・フジサワ・オーランド……無理がある設定だとは分かっていたのですが、一度、剣での戦いも書きたかったのです。


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パラサイト戦争編 飛行隊最後の勇戦

八月九日、地上の兵器の掃討とエアカーの整備が終了したのを見て、森崎雅樂駿の属する隊は内陸部への侵攻を開始した。再編成後のエアカー部隊は四個飛行大隊、総機数三十六機。搭乗する第二世代関本の数は百二十四機だ。

 

飛行隊長は郷田飛騨、一柳兵庫、森崎、名倉三郎。総隊長は前回と同じく郷田だ。森崎の搭乗機には、こちらも前回と同じくパラサイト明王が同乗し、指揮を支援してくれる。

 

今回は地上部隊に淡路守も加わっている。露払いを任された森崎たちの責任は重大だ。

 

すでに九島光宣に与する者たちは相当の被害を出している。イギリスを中心とした連合軍も、東海岸に上陸を開始している。そこから考えても光宣の側も戦力の底が見えてきたに違いない。必ず光宣の籠るロズウェルまで到達してみせる。

 

森崎だけでなく、郷田や一柳も闘志を滾らせている。関本たちも、これで司波達也の大きな驚異を取り除くことができると士気が高い。旺盛な戦意を持った精鋭部隊が、九島光宣までの道を切り開くために空に飛び立った。

 

高度二千メートルを一個大隊、九機単位で時速五百キロの巡航速度で東進する。飛行大隊が敵と遭遇したのは、進み始めて二時間ほど進んだところだった。立ち塞がる敵の魔法師たちの数は約七十名。

 

「総力戦だ、全機、敵に突入せよ!」

 

総隊長である郷田が指揮官も戦闘に参加することを指示した。九島光宣が自分の近くに配置した者たちだ。郷田は前回のように関本たちに任せきりでは、勝利は見込めないと考えたのだろう。

 

第一飛行大隊が右上から、第二飛行大隊が左上から、第四飛行大隊は左下から、そして森崎の第三飛行大隊は右下から敵に向かう。操縦士が速度を上げ、最高速度で接近する。

 

「射撃開始!」

 

防御に優れるのは敵魔法師の側だ。関本もエアカーも被弾には強くない。だから敵の間合いに入る前に先制攻撃を開始した。

 

約三十条の光の線が敵魔法師に向けて伸びていく。攻撃を避けるため敵魔法師たちが散開した。そこに、上方にいた郷田の第一飛行大隊が急降下攻撃をしかけていく。下降の速度も加えて時速千キロを超える速度で、敵の横腹を掠めるように通過しながら第一飛行大隊が射撃を加える。

 

共に近距離での撃ち合いだ。敵魔法師四人が落ちていったが、エアカーも三機が落とされてしまった。失った関本は十二機であるため、このままでは大きな損だ。

 

「全機、突撃! 我に続け!」

 

郷田が無茶な攻撃を仕掛けたのは、敵の陣形を乱す為だ。機を逃すことなく急上昇しながら攻撃を仕掛ける。森崎は得意としている現代魔法のエア・ブリットで、パラサイト明王は自身が憑依している関本エイトエッジの専用装備である背に取り付けられた八本の刀を念動力で射出する。その他の関本たちは専用ライフルからの射撃魔法と、一機だけだが孤立していた敵魔法師に高周波ブレードでの接近戦を挑んでいた。

 

「全機、離脱せよ!」

 

続いて一柳の第二飛行大隊が降下体勢に入っている。いつまでも敵と撃ち合いをしていては、かえって味方の邪魔になるため、森崎は一当たりしただけで大隊に敵から離れるように命じた。

 

第三飛行大隊に続くのは一柳隊の急降下攻撃と、名倉隊の上昇しながらの攻撃だ。それで四個大隊の攻撃が一巡したことになる。

 

現状、味方の損害はエアカーが八機、関本が三十四機。一方の敵方は魔法師十八名。当初に比べて損害の差が随分と縮んだ。加えて、波状攻撃を受けて残った魔法師も披露の色は隠せない。

 

とはいえ、こちらの関本たちも魔法力の消耗が激しい。一日の射撃可能数が多くない関本たちのライフルが打ち止めとなれば、戦況は敵に大きく傾いてしまう。

 

「次で決めるぞ、突撃!」

 

第三飛行大隊の残存七機の先頭に立って、森崎は敵魔法師部隊の左側を通過しての急降下攻撃を仕掛ける。敵も魔法力が心許なくなっているのだろう。森崎たちを十分に引き付けてから攻撃する構えのようだ。

 

「三号機、四号機、攻撃を開始!」

 

牽制の意味も込めて二機のエアカー上の関本たちに射撃を命じる。二機から攻撃を受けた魔法師たちは回避行動を、残る魔法師たちは反撃の態勢を取る。その反撃態勢を取った魔法師が使用したフリーズ・エア・ブリットが急降下する森崎の機に直撃した。操縦席にいた魔法師が即死し、機体のエンジンが火を噴くのが見えた。

 

「雅樂殿、脱出を!」

 

言いながら、パラサイト明王が機体のエイトエッジで森崎の足を固定していたベルトを断ち切る。同時に森崎は跳躍の魔法で機体から離れる。その直後、森崎の搭乗していた機体は空中で爆散した。

 

森崎のデバイスには飛行魔法は登録されていない。だが、重力制御なら登録されている。従って地上に激突する前には、何らかの対応をすることはできる。それよりも今は敵に一射でも仕掛けることを優先する。

 

友軍の支援目的で敵に向けて煙幕の術を放つ。敵はすぐに気流操作の魔法で煙を吹き飛ばしたが、僅かの時間だけでも攻撃魔法を使わせない効果はある。その間に第三飛行大隊の各機はライフルで攻撃を仕掛けている。

 

「雅樂殿、拙者の肩の上に」

 

一緒に落下していたパラサイト明王に言われ、森崎は重力制御魔法を使って明王の肩の上に降り立つ。

 

「エイトエッジ、展開」

 

次の瞬間、パラサイト明王は自身の背中の八本の刃を自らの足の下に展開した。念動力により操作された刃の上に乗っての疑似的な飛行魔法だ。

 

「雅樂、明王、こちらだ」

 

声の方を見ると、郷田飛騨の機が森崎たちに向かってくるのが見えた。

 

「感謝する、飛騨殿」

 

重力制御魔法を使った森崎の足元に郷田の搭乗する機体が滑り込んでくる。元々、郷田の機に乗っていた関本二機は、森崎が乗り移る直前に別の機に向かって飛び移っていた。

 

「第三飛行大隊、残存機、第一飛行大隊長機の周辺に集合せよ」

 

森崎の命に従い、第三飛行大隊の残存機五機が郷田機の周辺に集まってくる。郷田の第一飛行大隊の残存が六機なので、これで合計十一機だ。

 

敵魔法師部隊の方を見ると、名倉隊と一柳隊が森崎たちに続いて攻撃を仕掛け、そちらも一時離脱を行ったところだった。第二飛行大隊と第四飛行大隊の残存機は計十二機なので、味方の合計は二十三機だ。

 

一方の敵方の残人数は四十名ほど。当初に比べて半数ほどには減らせたが、味方はそろそろライフルの使用が厳しくなっている。

 

「飛騨殿、我らを上空より投下してくだされ」

 

そう言ったのは、郷田の機に搭乗していたパラサイト阿修羅だ。

 

「しかし、それでは其方らが危ないぞ」

 

ここはパラサイトが多く漂っている敵地だ。そのため野良パラサイトに使用されることを防ぐために器だけの機体は持ち込んでいない。そして、ここは他の味方から千キロ近く離れている。器を失ったパラサイトが帰還するには難しい距離だ。

 

「この戦いに従軍すると決まったときから覚悟は決めている」

 

郷田の言葉に答えたのはパラサイト明王だ。明王が言った覚悟とは、精神生命体としての活動の停止、即ち自死するということだ。いくら強い思いを持っていても、パラサイトである以上は周囲の影響は避けられない。敵に取り込まれる危険を冒すくらいなら、彼らは達也への思いを胸に死を選ぶ。

 

「分かった。其方らの覚悟に感謝する」

 

郷田が答えたことで方針は決まった。一柳隊と名倉隊にも連絡を取り、日本軍の飛行部隊は敵の上方、高度五千メートル付近で終結する。

 

「では、参りますぞ」

 

日本軍の攻撃隊の先鋒を務めるのは六機のパラサイト関本たち。パラサイト関本は、それぞれ専用の強化された関本を操る。そして、個々の念動力も量産型を凌駕する。最精鋭たる六機がエアカーを飛び降り、一団の先陣を切って敵に降下していく。

 

「パラサイトキャノン、発射!」

 

パラサイト阿修羅が駆る関本ブラッディカノンが専用装備である両肩の砲型デバイスからプラズマ砲を発射する。プラズマ砲は敵魔法師一人を呑み込み、地上へと叩き落す。即座に敵から放たれた反撃は、パラサイト金剛が駆る関本アイギスがパラサイトシールドで受け止めた。

 

落下しながら、パラサイト関本六機は四十名もの魔法師と激しい戦闘を繰り広げる。当初は善戦していたパラサイト関本たちも、やがて数の力で押され始める。そして、ついに関本たちの一機が頭部に被弾した。背部の八本の刀が特徴的なその機体は森崎の副官を務めていたパラサイト明王のものだ。

 

「達也様、愛しております!」

 

明王が叫び、その直後に機体は爆散。本来、機体から飛び出すはずの明王の本体が現れることはなかった。機体の破壊と同時に自死することを選んだのだろう。

 

「ときは来た。先陣を務めて散っていった者たちに報いるためにも、我らは全力で敵を打ち取る」

 

郷田が命じ、残存の二十三機のエアカーで敵へと突っ込む。ライフルによる射撃が可能な機体は射撃を行い、無理な機体はそのまま高周波ブレードでの近接戦闘に持ち込む。速度の遅いパラサイト関本の降下と攻撃で敵魔法師は陣形を乱されている。

 

森崎は急降下の最中、脇差を神速で抜刀して移動魔法を用いて射出した。続いて跳躍で敵に飛び掛かり、同じく鍛え上げた抜く手も見せぬ抜刀で敵魔法師一人を両断した。落下しながら、今度は胸の内に隠した拳銃型CADで、ドロウレスの技術を用いて魔法攻撃を行う。敵の反撃で左肩を負傷したが、致命傷ではない。遥か下方で味方のエアカーに拾われるまで森崎はひたすら魔法を撃ち続けた。

 

そうして、長い戦いは終わった。敵の魔法師は全滅だ。

 

味方のエアカーは十五機、第二世代関本は四十八機まで減り、第二飛行大隊の一柳兵庫、パラサイト不動とパラサイト明王が戦死する激しい戦闘だったが、森崎たちは勝った。

 

「淡路守様、後は頼みます」

 

さすがに、これ以上の継戦は難しい。地上を進んでいるはずの淡路守に呟き、森崎は疲れた体をエアカーの荷台に横たえた。




関本が四分の一まで数を減らしたため、これでエアカーのみで編成した部隊での戦闘は終わりとなります。


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パラサイト戦争編 戦略級魔法の応酬

敵空母より発艦した艦載機が艦隊に向けて接近中。

 

ミサイル護衛艦、早月の艦内放送を聞いた一条将輝は、四日前と同様に艦橋の上に登る。

 

宮芝の魔法師を始め、主力の多くはすでに内陸部に移動をしている。四日前の戦闘以来、不気味な沈黙を守ってきた太平洋艦隊がこのタイミングで仕掛けてきたのは、彼らなりにパラサイトには思う所があったということだろう。それならそれで九島光宣を討ち取るまで黙っていてほしかったものだが、ままならないものだ。

 

「将輝、敵の航空機の数は約五十機ということだ」

 

「五十機? 随分と減ったな」

 

四日前の戦いでは百機以上の敵機が帰還をしていたはずだ。

 

「天牙部隊は空母一隻を撃沈して、もう一隻にも被害を与えたと聞いている。それで、あまり多くの機を収容できなかったんじゃないかな」

 

「それなら好都合だな」

 

現在の日本艦隊は四十六隻。それに空母艦載機が二十機ある。五十機程度の戦闘機による攻撃なら撃退できるはずだ。

 

「油断はしちゃ駄目だよ、将輝。敵も劣勢であることは知っているはずだ。それでも仕掛けてくるということは、何かあると思っていた方がいい。例えば、全滅覚悟で戦略級魔法師である将輝だけは葬っておくとか」

 

その理屈であれば、もう一人、USNAが狙ってきそうな相手がいる。いや、むしろ本命はそちらではないだろうか。

 

将輝が見つめる先にあるのは、ミサイル護衛艦、綾瀬。そこにはマテリアル・バーストという戦略級魔法を使った司波達也がいる。海上でしか効力がない将輝の海爆と場所を選ばない達也の魔法のどちらが脅威かは、考えるまでもない。しかし、なぜか綾瀬は艦隊の外側に位置している。

 

「ジョージ、綾瀬の防備を固めるように進言した方がいいんじゃないか?」

 

「そのくらい、艦隊司令も考えているはずだよ。それでも艦隊の内側にいないということは何らかの理由があるはずだ」

 

言われてみれば、確かにそうだ。実際、綾瀬には小型艦が横付けされ、何やら物資の搬入がされているようだ。はっきり言って艦隊単位の運用となると将輝の手には余るのだ。結局、一兵卒にすぎない将輝としては、この場で海爆での敵艦の撃退に全力を尽くすしかないということだ。

 

やがて空の彼方に戦闘機の編隊が見えてくる。誘導性能を失った対空ミサイルは、まだ発射されない。そう敵航空機隊は考えていることだろう。だが、この四日間、何の対策もしないほど日本は愚かではない。

 

十発ほどの対空ミサイルが敵機に向けて発射される。直進していたミサイルは敵機の付近まで達すると急激に軌道を変える。敵機が緊急回避を行うが、二機が回避しきれずに打ち落とされた。

 

この攻撃はミサイルの先端にCADを括り付け、魔法により遠隔操作をしたものだ。それだけに実際の制御は非常に荒いが、初見の相手には有効だ。

 

迎撃が上手くいく気配に将輝の顔にも僅かに笑みが浮かぶ。しかし、その直後に予想外の方角から大きな魔法が使用された気配を察知した。それは、将輝たちが警戒している南側とは全く違う、北東方向からだった。

 

『我が軍は戦略級魔法、マテリアル・バーストを発動させ、ワシントンを壊滅させた』

 

マテリアル・バーストを使用するなら、敵艦隊に向けてだと考えていた。しかし、今回の攻撃はUSNA政府を、もはや信用ならないと断じて一掃することを狙ったものだ。

 

「随分と思い切ったことをするな」

 

「……おそらく、九島光宣が死ねばUSNAは講和を持ちかけてくるだろう。けれど、日本は今のUSNA政府は交渉相手とは考えていないんだろう」

 

日本の強硬姿勢には閉口せざるを得ないが、一方でUSNAの酷すぎる裏切りを見ると、もはやどのような交渉も行う気が起きないというのも理解できる。

 

「ともかく、今の攻撃は敵にも察知されたはずだ。今度こそ綾瀬に攻撃が集中するぞ」

 

吉祥寺も同意見なのか静かに頷いた。綾瀬周辺でも動きが慌ただしくなり、壮年の技術士官が綾瀬から小型艦に飛び移るのが見えた。

 

しかし、敵の航空機は意外なことに綾瀬にも、将輝のいる早月にも向かってこなかった。敵航空隊が向かっていったのは、ミサイル護衛艦、鳴瀬だ。敵航空機の最前線にいたわけではない鳴瀬が狙われる理由が分からず、将輝としては困惑するしかない。そんな中、吉祥寺は違った感想を口にした。

 

「拙い、あの艦には敵国の戦略級魔法を封印している魔法師がいる」

 

ここにきて、ようやく将輝も敵の狙いが読めた。おそらく、敵の狙いは将輝が考えた通りの戦略級魔法師の殺害。けれど、それを航空攻撃によって果たすのではなく、戦略級魔法によって果たすつもりなのだ。

 

艦隊司令も同じ結論に至ったのか、周囲の艦船が鳴瀬を守るために動きだす。だが、航空機と艦船では速度の差は明白だ。集結が鈍い友軍に対して敵航空機は編隊を組み、今にも鳴瀬に攻撃を開始しそうだった。

 

「将輝、鳴瀬のことを気にしていても仕方がない。僕たちは敵艦を攻撃するよ」

 

冷たいようだが、吉祥寺の言うことは正しい。将輝に高速の飛行物体を撃墜する能力がない以上、心配しながら見つめることしかできない。そんな暇があるのだったら、敵艦船からの攻撃を防ぐための先制攻撃に着手した方がいい。

 

「敵艦の座標は分かるのか?」

 

「正確には分からない。けれど、おおよその位置なら分かる。何隻を巻き込めるかは分からないけど、何もしないわけにはいかないだろう」

 

二隻……あるいは一隻だけでも沈めて見せる。吉祥寺が入力した座標に向けて将輝は戦略級魔法、海爆を発動させた。

 

将輝が海爆で攻撃を仕掛けていた間にも鳴瀬は敵の攻撃を受け続けていた。ミサイル護衛艦に付いている宮芝家の魔法師の幻影魔法は今回も有効に機能してはいる。しかし、敵も対策を練っていたようで、直撃ばかりを狙うのでなく複数機で艦の周辺に広くばら撒くという方法で追い詰めにかかっていた。艦の防衛役を務める十文字家の魔法師の障壁魔法が海上に展開されたのが分かる。それは、攻撃が当たっていることを意味していた。

 

周囲の艦船と、空母艦載機が迎撃を行っているが、今度の敵は死んでも任を果たせと言われているのか、僚機が落とされようとも構わず攻撃を続行している。そして、ついに艦の幻影魔法が解けた。そこには煙を上げる鳴瀬の姿があった。

 

幻影魔法が消えたのは、宮芝家の魔法師が死傷により魔法を維持できなくなったからだ。そして、攻撃を防げなかったという点で十文字家の魔法師に限界がきたのも分かった。手負いの艦に、もはや助かる道はない。ミサイルの集中攻撃を受けて鳴瀬で大きな爆発が起きる。鳴瀬の船体が、瞬く間に波間に消えていく。

 

残存の敵航空機は半数の二十五機ほど。それらは役目は果たしたとばかりに戦場から離脱していく。

 

そして、ついに恐れていた事態が起こった。海の彼方、敵艦隊のいる方向から強力な魔法発動の兆候が感じられる。事ここに至っては日本艦隊に妨害するための術はない。せいぜい一網打尽にされないように散開をするくらいだ。

 

僅かな悪足搔きの時間を経て、水平線の向こうに光が見えた。それは目で追うこともできない速度で綾瀬にぶつかり、障壁魔法を一瞬で貫いた。綾瀬の姿が光の渦に飲み込まれて見えなくなる。

 

数秒の後、USNAの戦略級魔法、ヘビィ・メタル・バーストの光が消える。その時には綾瀬の姿は艦橋の一部すら見えなくなっていた。あっけなく綾瀬は戦場から消えた。

 

「司波っ!」

 

叫んでみたところで、どうなるわけでもない。水平線の彼方を睨むが、それで何が起こるわけでもない。

 

『敵艦隊、後退を開始した模様。我が艦隊も負傷者を救助した後、この場を離脱する』

 

司令からの指示が聞こえてきたが、虚無感に包まれた将輝は、艦橋の上から動くことができなかった。



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パラサイト戦争編 九島光宣の最後

八月十日、宮芝淡路守治夏はついに九島光宣の籠るロズウェルへと迫った。治夏の周囲を固めるのは僅かに二十名ではあるが、いずれも最精鋭の魔法師たちだ。

 

具体的には、側近三名の他、郷田飛騨守、松下隠岐守、森崎雅樂、呂剛虎、十文字克人、七草真由美、七草香澄、七草泉美、六塚温子、七宝琢磨、八代雷蔵、九島烈、九鬼鎮、九頭見玲、十山信夫、風間玄信、千葉修次だ。十師族の当主と次期当主、国防軍のエースで固められた面々は、壮観というよりない。

 

現在地は、ロズウェルまで十キロの地点。ここから先は徒歩で迫る。これは、どのような装甲車両よりも、この面々の障壁魔法の方が強力なためだ。

 

治夏は側近三名と克人、雅樂とともに一行の最前線に立ち、探査の術式を飛ばしていく。敵を探知したら、治夏は一歩下がり、飛騨守、隠岐守、呂剛虎、七草香澄、七草泉美の隊の中に隠れる。その後は前衛に七宝琢磨、八代雷蔵、十山信夫、風間玄信、千葉修次が立ち、後衛に七草真由美、六塚温子、九島烈、九鬼鎮、九頭見玲が控えるのが基本陣形だ。

 

そして今、治夏の探査に十名ばかりの魔法師の反応があった。敵魔法師にパラサイトはいないようだ。ならば、治夏の出番ではない。はっきり言って、この部隊の中では治夏の魔法力でやれることなど、なにもない。

 

治夏は後退すると、支援部隊と合流する。すぐに隠岐守が隠蔽魔法を行使して治夏の位置を敵から隠す。それと同時に迎撃部隊が敵を迎え撃つために動き始める。

 

「ミリオンダイブ」

 

敵を肉眼で確認するなり、七宝が散らした服に乗って飛翔する。先陣に立って突っ込んでくる七宝を迎撃しようとする敵を牽制するのは七草真由美だ。真由美の代名詞ともいえる『魔弾の射手』を使って、牽制と言うには些か強力過ぎる攻撃を仕掛ける。

 

真由美の魔弾の射手から降り注ぐドライアイスの弾丸に対処していた敵が、不意にぐらりと体制を崩した。九島烈が、『ノックス・アウト』という一酸化窒素を合成する魔法を、敵の頭部周辺のみに限定して発動させたものだ。

 

「ミリオンストライク」

 

急な味方の不調に動揺する敵兵に向かって、七宝が突撃する。直撃を受けた敵は哀れにも身体がバラバラになっていた。日本軍の魔法師のあまりの練度の高さに敵魔法師が恐慌状態に陥ったのが分かった。

 

はっきり言って今回、迎撃要員として連れてきた面々の実力はスターズの一等星級の隊員すら凌駕している。並みの一流魔法師では数分の足止めすら不可能だ。

 

「それにしても、そのつもりで最高の魔法師ばかり連れてきたとはいえ、さすがに敵が少し気の毒に思えてくるな」

 

今の後方から進み出てきた戦車に対して、八代雷蔵が部位ごとに異なる重力を与える得意魔法『八細壊』を発動させて粉々にしていた。あれでは中の乗員は遺体すら回収できないだろう。八代の魔法を逃れた戦車たちについても風間の魔法で存在を消した千葉修次の剣によって、気づかぬうちに車体を両断されている。

 

「十時方向、クリア」

 

「二時方向もクリア」

 

着々と妨害を排除して迎撃隊が侵攻を続ける。一応、苦戦するようなら呂剛虎と七草姉妹を援軍に出す用意があったのだが、その必要もないくらいの順調すぎる進撃だ。

 

「それにしても、パラサイトが一体もいないとはな」

 

「治夏様の存在を感じ取っているのではないでしょうか」

 

おそらく山中図書の言う通りなのだろう。だが、九島光宣にとって治夏の存在は死活問題のはず。近く治夏が本当にいるのか、それともいないのか、確定させにくるはずだ。

 

予想通り、前方からパラサイトの気配が漂ってきた。数は五人だ。

 

ただのパラサイトなら、呂剛虎や七宝が余裕で対処してきた。仮に素材がスターズの一等星級の隊員だったとしても、治夏の周囲にいる魔法師たちなら十分に対処可能だろう。それならば、いっそ治夏の存在を隠すために弦打の使用は見合わせるか。

 

少しの逡巡の後、治夏が出した結論は、予定通りの弦打を使用しての迅速なパラサイト排除だった。それは治夏がいると分かったところで、光宣に有効な対抗策はないという判断によるものだ。これまで最前線にいた迎撃部隊の前衛を下がらせる。

 

対光宣用に調整された大弓を持ち、治夏は最前線に立つ。迫るパラサイトたちを一瞥すらすることなく、感覚だけで距離を掴み、射程内に入ると同時に弓弦を引いた。右手の指の力を緩めると同時に破魔の波動が音色に乗って駆ける。それに捕らわれたパラサイトたちは一瞬だけ身体を痙攣させると、その場に倒れて動かなくなった。

 

何か策があるのかとも思ったが、何もなかったか。多少、拍子抜けした気持ちで前への歩みを再開させる。

 

「十文字くん、二時方向!」

 

突如叫んだのは、七草真由美だった。克人が即座に反応して展開した障壁魔法に雷撃がぶつかって消滅する。七草真由美のマルチスコープがなければ危うかったかもしれない。

 

「どこからだ!?」

 

「まだ先だ。九島光宣の気配は三キロは先だ」

 

「三キロ先から精密な魔法攻撃だと!?」

 

慌てて周囲を探る者たちに向けて治夏が叫ぶが、それは逆に味方を動揺させてしまう。

 

「慌てることはない。攻撃が来ると分かっていれば、我らならば十分に対処可能だ。個としての手数は光宣の方が上だが、我らは人数で上回る。我々が負けることはない」

 

九島烈がそう言うと、周囲の動揺が一気に治まった。この辺りの存在感はさすがと言うよりない。一度、落ち着けば、こちらは実力者揃いだ。

 

「六寿応穏」

 

治夏たちの周囲を光の輪が包み込む。光の輪は上空まで伸びて光の柱になり、空に六つ鱗の文様を描く。これは陸前の獅子の異名を持つ猛将であると共に部下と民を誰よりも大切にする六塚温子の固有魔法で、術者の許可しない温度変化の一切を禁じる。

 

光宣の放った熱風は微風に変わり、氷弾は溶けて水滴に変わる。続いて放たれた無数の空気弾は七宝琢磨がそれを上回る回数の張り手で叩き落した。九島光宣が得意のスパークに対しては、飛騨守の避雷針で無効化する。

 

どうやら弦打に対して九島光宣が考えた対抗策が、効果範囲外からの超長距離魔法攻撃だったようだ。確かに治夏だけが相手ならば有効な攻撃だっただろう。けれど、こちらには二十人もの一流の魔法師がいる。

 

「いや、一流は十五人くらいか」

 

思わず呟いてしまったのは、宮芝系の術士は一流と言うのは些か以上に頼りない魔法力しか持たないためだ。今までの信用から周囲を任せてはいるが、実力的には治夏の側近よりは二十八家に出させた人員を連れてきた方が良かったかもしれない。

 

ともかく、今の所は光宣の攻撃に脅威は感じない。断続的に続く攻撃を受け止めながら、光宣の気配まで二キロの距離にまで接近する。すると、俄かに攻撃の性質が変わった。

 

最初に見た感じでは、ただのスパークだった。光宣の得意魔法ではあるが、それだけに対策はしており、こちらに避雷針がある以上、最も効果の薄い魔法だ。けれど、治夏の予想に反して避雷針はスパークに反応しない。

 

訝しむ間もなく、治夏の右二十メートルの地点に落雷があった。これは治夏の鬼門遁甲に隠岐守の隠蔽魔法を重ねた防御魔法が発動したことを示している。つまり九島光宣は治夏に気づかれることなく攻撃を仕掛けてきた。

 

「パレードだ」

 

九島烈の言葉で、今の魔法の原理は分かった。だが、魔法自体にパレードを使うことができるなど、予想外もいいところだ。これでは、いつ、どこから攻撃を受けるか分からない。対抗できるとしたら、克人の全周囲障壁くらいだが、二キロの距離を駆ける間、展開を続けるのは厳しいはずだ。

 

ここが勝負所だ。治夏は一度、深呼吸をする。

 

「七宝、私と克人を飛ばせ!」

 

この戦は九島光宣を討てば、ほぼ勝利だ。ならば、治夏が乗り込んで光宣だけを討ってしまえばいい。

 

七宝がすぐに服を粉々に散らして足場を作る。克人は素早く治夏を抱えると、七宝の服の上に飛び乗った。何を仕掛けようとしているのか察したのか、光宣からの空気弾が治夏に向かって飛んでくる。

 

「せぇい!」

 

それを空中に跳び上がった森崎が切り裂いた。

 

「何処を狙ってくるかが分かれば、小官でも対処はできる!」

 

頼もしい言葉に笑みを送ると同時に、服の破片が飛翔を始める。上下左右から降り注ぐ光宣の魔法を克人が障壁魔法で受け止める。速度を上げる七宝の無数の服の欠片の上の克人の腕の中で治夏は大弓の弓弦を強く引く。

 

「宮芝ぁ!」

 

まだ遠間だと言うのに、怒りに歪んだ顔で光宣が叫んだのが分かった。醜いはずの憎悪の顔ですら美しいのは腹立たしいが、それこそが魔性の証なのだろう。

 

「終わりだよ、九島光宣」

 

強く引いた右手の力を弱め、弓弦を打ち鳴らす。九島光宣の身体がゆっくりと傾ぐ。もがくように動かされた光宣の腕は、何も掴むことはない。

 

たった一撃の、あっけない終わりだ。けれど、それは治夏にも言えたこと。回避の魔法を抜かれれば治夏に防御の術はなく、一撃での絶命は避けられなかった。

 

真逆でありながら、よく似た存在でもあった。だから光宣は宮芝を必要以上に憎んだのかもしれない。

 

ふと、そんなことを思った。




六塚温子、二つ目の固有魔法、第六天魔王、はさすがに自重。
勝手に色物にしてはいけませんからね。


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パラサイト戦争編 掃討戦

八月十五日、吉田幹比古はテネシー州ナッシュビルの近郊でパラサイトの一隊を追跡していた。敵パラサイトは四体。それに対して、幹比古たちは一色俊義が率いる第三十八分隊に千葉修次が率いる第二十六分隊を加えた十人だ。

 

九島光宣を討っても、パラサイトとの戦いは終わらなかった。パラサイトは個別の身体を持ちながら、全員で一つの生き物であり、パラサイトたちの意思は一つであるという性質があるという。つまり、指導的立場にあった光宣が亡き後も残ったパラサイトたちは光宣の考えを受け継いで活動を続けたのだ。

 

その受け継いだ思いが、人が魔法力のみで評価される世を作ること。この何とも傍迷惑な思いの元に動きだしたパラサイトたちは非魔法師の有力者たちを殺害して回るという暴挙に出たのだ。

 

各地で州知事や市長が襲われ、それを守るための州軍と交戦を始め、USNAは全土が大混乱に陥った。そのパラサイトを倒す為、対パラサイト戦の装備を多く保有した日本軍は各地に散って残党の掃討をすることになったのだ。

 

もっとも、それは予定通りでもあるらしい。パラサイトが増殖することは前回の騒ぎのときに知っている。ならば一体でも放置して帰国することは危険すぎる。

 

追討戦にあたっては、直前まで活発だった反魔法師活動の影響が不安だった。が、蓋を開けてみるとパラサイトという、より差し迫った脅威があるせいか、むしろ歓迎をされることが多く、日本軍は次々とパラサイトを討ち取って消滅させている。

 

すでに大半のパラサイトを討ち取っており、今日中には全てのパラサイトの浄化完了を報告できそうという段になっている。幹比古たちの隊も、追っている四体を倒せば帰還の途に就く予定である。

 

「パラサイトとの戦いも今日で終わる。だが、最後の戦いの結果、棺に入って帰国などということになっては詰まらん。最後まで気を抜くな!」

 

分隊長の一色俊義が分隊に注意喚起を行う。心配せずとも、昨日も一名がパラサイトの逆襲にあって命を落としたことは今朝、聞いている。精鋭部隊はこれまでの戦いで失っているとはいえ、相手は腐ってもパラサイトだ。単体でも脅威度は、そこらの一流魔法師にも劣るものではない。味方が精鋭揃いで、人数が上でも必勝とはいかないと考えていた方がよい。

 

「沼田さん、敵パラサイトとの距離は?」

 

「我らから約七百メートル。前衛とは約六百メートルというところですな」

 

「なかなか距離が縮まらないですね」

 

走りっぱなしで疲れてきたのか、七草香澄がうんざりしたように言う。

 

「私たちとパラサイトじゃ、かけっこでは勝てる気がしません。どうするのですか?」

 

七草泉美も少し焦りを滲ませている。幹比古たちも魔法で身体能力を向上させているとはいえ、強力な治癒再生を持ったパラサイトに持久力勝負は無謀が過ぎる。このまま相手に逃げ続けられると、ほどなく振り切られてしまいそうだ。何か手はないか考え始めたところで前の部隊が足を止めたことに気がついた。

 

「諦めたのかな」

 

「まさか、そんな……」

 

香澄が訝しみ、泉美も驚きの声を上げている。

 

「千葉殿、どうされた?」

 

前衛に追いつくなり、一色が第二十六分隊長である千葉修次に尋ねる。

 

「我が隊の矢車侍郎が神行法という魔法を一度だけですが使えるというので、待っていました。準備がよければ使わせます」

 

千葉修次に言われて、一色が幹比古たちを見回す。幹比古が静かに頷き返したの見て一色が答えを返す。

 

「いいです、使ってください」

 

「では矢車、頼む」

 

「はい」

 

答えた矢車が懐から呪符を取り出した。

 

「万里一空、我らただ韋駄天となりて駆けん」

 

矢車が呪符に魔法力を注ぐと、風が幹比古たちの足元に渦を巻き、身体を持ち上げた。

 

「我らを彼の地へ」

 

その言葉と共に風は幹比古たちの背を押し、逃げるパラサイトたちを急速に追い上げる。このままなら、数分の後にはパラサイトに追いつけそうだ。

 

それにしても、ほんの四ヶ月前に矢車を魔法の不正利用で捕縛したとき、その実力は幹比古の足元にも及ばない程度だった。しかし、今の魔法行使は幹比古も舌を巻くほどのものだ。おそらく一点特化で強化したのだろうが、この辺りの宮芝の指導はさすがの一言だ。

 

追い上げてくる幹比古たちから逃れられないと悟ったのか、逃げていたパラサイトたちが足を止めた。迎撃の魔法を放とうとしているのが遠目にも分かった。今回の追撃隊には、障壁魔法を得意とする者はいない。行うべきは相手の魔法の性質を素早く読み取っての対抗魔法の構築だ。

 

「玻璃迷宮」

 

敵からの初手での熱風刃は沼田織部が攪乱魔法で軌道を逸らす。続いての氷の弾丸による攻撃は七草泉美がドライ・ブリザードで迎撃した。

 

「蛇口水仙」

 

ようやく回ってきた反撃の機会に、口火を切ったのは一色俊義だった。毒素を含んだ水球をパラサイトたちに飛ばす。治癒再生能力を持つパラサイトといえど、短時間であれば動きを阻害することができるのは、これまでの戦いで実証済だ。

 

そして、動きが鈍ったところに千葉修次とエリカの兄妹が突入する。例えパラサイトが万全であったとしても、接近戦では修次には敵わない。ましてや、動きの鈍った状態では止められるはずがない。修次が繰り出した幻影の刃にパラサイトは全く反応ができず、一撃すら受けることなく討ち取られた。

 

「貴方の技、使わせてもらった」

 

一方のエリカについても、呟いた言葉の通り、倒した敵から学んだという手折花という技を使って一瞬で相手を斬り伏せていた。エリカはこの一週間ほどの実戦経験により随分と腕を上げたようだ。

 

残り二体のパラサイトには渡辺摩利が一体を牽制し、もう一体には桐原武明が正面で対峙し、矢車侍郎が援護するという態勢だ。このまま任せてしまっても、どちらも勝利を収められるだろう。けれど、黙って見ているだけというのも幹比古の性分ではない。

 

渡辺が三節構造の小型剣を振り下ろすのに合わせて、幹比古は封印術を込めた短刀を投擲する。敵パラサイトは幹比古の短刀こそ危険と判断し、渡辺の小型剣の攻撃を受けてでも投擲された刃を躱した。

 

その判断は間違ってはいない。けれど、正解でもない。

 

渡辺の小型剣から伸びた刃はパラサイトを切り裂くのではなく縛りつけた。捕らえられたパラサイトは慌てて拘束から逃れようとするが、遅い。二度目の短刀は今度こそ敵の身体に突き刺さり、中の本体を浄化する。

 

残った最後のパラサイトに目を向けると、それまで桐原の援護に徹していた矢車が、いつの間にか桐原の陰に潜んで接近し、短刀を敵の胸へと突き立てた所だった。矢車の短刀も宮芝家が封印の術式を込めたもの。短刀を受けたパラサイトは身体を痙攣させると、その場に崩れ落ちた。

 

これで敵パラサイトは全て無力化できた。後は幹比古が浄化まで終えた一体を除いた残りに対する封印を施すのみ。パラサイトの本体が修次とエリカが倒した二体から抜け出してくる。そこに沼田織部が光の網を投じる。

 

網に囚われてもがくように揺れるパラサイトを押さえつけるように、沼田は四隅を縫い付けるように短刀を投じた。そして、その後は網の中に一枚の呪符を投げ入れる。その一拍後には呪符が青白い炎を上げた。

 

炎に炙られたパラサイトの本体が動きを止める。沼田の呪符から噴き出た炎は魔を滅する浄化の炎だ。炎に包まれるたパラサイトの本体が灰へと変わる。これで残るは矢車が行動を封じた一体のみ。

 

幹比古は身動きの取れない最後の一体に浄化の短刀を投じる。宮芝の術に不備があるとは思えないが、それでも油断して接近したりはしない。万全を期して最後の一体の浄化を終えた。

 

「終わったのね」

 

「うん、そうだね」

 

エリカのほっとした声に幹比古も心からの頷きを返す。これで何もかもが上手くいくとは思わないが、それでもパラサイトとの戦は終わったはずだ。

 

願わくば、これから先の世が少しは平和になりますように。そう願いながら幹比古は帰還の準備を始めた。




これで本編は終了。
残りは後日談的な二話のみです。


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後日談編
後日談編 戦争終結二ヶ月後


十月十五日、宮芝淡路守治夏は宮芝家の本宅で慌ただしい時を過ごしていた。八月に終結したパラサイトとの戦争から帰国後、治夏は程なく第一高校を中退した。すでに宮芝の魔法への現代魔法の最新知識の取り込みという目的は達成しており、第一高校に通い続ける異議を見いだせなかったのだ。

 

では、今は何を行っているのかというと、来年の一月に予定されている十文字克人との婚儀の準備だ。すでに治夏は宮芝家への多大な貢献が認められており、それをもって和泉守より克人との婚姻が許可されたのだ。

 

「しかし、いくら忙しいと言っても俺まで引っ張り出すとはな」

 

そう言ってきたのは八月に雇い入れた立花歩という男だ。

 

「どうせ暇だろう?」

 

「今は恒星炉プラント稼働前の最終段階だぞ。暇なわけがないだろう」

 

歩が司波達也だった頃の仕事を持ち出し、渋い顔をする。パラサイト戦争の終盤、達也はリーナの戦略級魔法で死亡したことになっている。けれど、実際は背格好が酷似している宮芝の術士の顔を整形でそっくりに顔を変えた偽物と入れ替わっていたのだ。そうして今度は達也の方を、身代わりとなった立花歩そっくりに顔を変えさせたのだ。

 

こうして表舞台から完全に姿を消した達也は、今は宮芝家と四葉家の隠れ家を行き来する生活を送っている。厳しい情報制限により、今の所は諸外国に達也の生存を気づかれた様子はない。今、達也は久方ぶりの平穏な日々を送っている。

 

もっとも、最近はそれも必要なかったことではないかと思い始めている。達也の存在に最も警戒心を燃やしていたUSNAが崩壊を迎えようとしているからだ。

 

USNAに渡った九島光宣はスターズを掌握すると、その圧倒的な武力を背景に政府との交渉を行った。そうして得られた自らの勢力圏で、非魔法師に対して随分と差別的な対応を行っていたらしい。

 

魔法力だけに価値を見出し、魔法力以外を軽視した光宣らしい行動ではあったが、そのせいで反魔法師活動を活発化させてしまった。同時に魔法師も自らの排除を望む非魔法師に対する反感を高めてしまい、治夏が光宣を消したときには、両者の溝はどうしようもなく広がってしまっていたのだ。

 

結局、パラサイト戦争で多くの犠牲を出した州を中心に非魔法師による魔法師に対する報復が横行することになった。多くの有力な魔法師が戦死したUSNAでは、それを抑える術もなく、生き残った多くの魔法師は他国に亡命をすることになった。ちなみに、リーナもそのときに日本への亡命を決めて、今は四葉の元にいる。

 

そして、魔法師が極端に減少したUSNAは今や完全な魔法後進国になった。加えて通常戦力についてもパラサイト戦と日本軍との戦いで数を大幅に減らしている。特に日本に沈められた空母三隻は弱ったUSNAには痛すぎる損害だ。

 

そのような経緯で、USNA内で達也を敵視していた魔法師たちは今はいない。それでも、せっかく偽装工作をしたのだから念のために死んだことにしているのだ。

 

「それで、恒星炉プラントは上手くいきそうなのか?」

 

「ああ、今の所は順調だ」

 

周囲のUSNA、新ソ連、大亜連合は戦争により魔法師の数を大幅に減らしている。それに対して日本だけはUSNAからの亡命者の受け入れもあり、魔法師の数を増やした。そうした追い風があり、国防に就く魔法師を減らしてしまうという欠点を持っていた達也の恒星炉プラントは実現に大きく前進をしたのだ。

 

「しばらくは魔法力にも多少の余裕がある。その間に、なんとか効率化も果たしてもらいたいものだな」

 

治夏が言った、しばらくの間というのは、具体的には達也が死ぬまでとなる。今の日本の国防の主力は再生産を行っている第二世代関本たちだ。その彼らだが根はパラサイトであることは変わらない。

 

関本たちが治夏たちの命令に実直で、日本の為に命を惜しまないのは、パラサイトたちの元となった光井ほのかの影響が大きい。そして、ほのかの一番の願いが達也の役に立つこと。だから、達也の死とともに全ての関本は殉死するようプログラムしてあるのだ。

 

或いは達也の子孫を守るという指令を与えることで長く日本が関本たちを行使できる可能性はあった。しかし、達也の子孫が妙な野心を持たぬとも限らないし、やはり妖魔は人の理とは異なる次元で生きる物だ。あまり長く使役するのは避けた方がいいと考えたのだ。

 

「効率化はおいおい果たすつもりだが、その前にいつになったら淡路の結婚式の招待状は俺に届くんだ?」

 

「は? 歩は私の結婚式には招待などしないけど?」

 

「ちょっと待て。今、散々に手伝わせておいて俺は招待されないのか?」

 

「結婚式には深雪を招待しているからな。君がいては、深雪の態度から君の正体に気づく者がでかねないと思わないか?」

 

毎週末、兄に会うことを主目的に本家に帰るようになったとはいえ、同居していた頃と比べれば深雪が接する時間は減っている。その状態で深雪の前に出して、ほとんど知らぬ他人のような態度を取ることができるか。検討した歩は治夏と同じ結論に至ったらしく、苦い顔で言を翻した。

 

「それにしても、このようなことになるとは、去年の今頃は想像もしていなかったな」

 

去年の今頃というと、京都で伝統派と戦っていた頃だ。その頃の歩はまだ四葉の関係者であることも公表していなかった。そしてトーラス・シルバーの正体が公表されたのが今から五か月前だ。そう考えると、トーラス・シルバーの正体の公表から僅か三か月の間に坂道を転がるように戦争に突入していったことになる。

 

「本当に君の影響力は恐ろしすぎるな。やはり名を捨てさせて正解だったな」

 

「どういう思考で、その答えにいきついたのか……いや、いい。聞かないでおく」

 

口に出させると歩にとって不都合な言葉がでてくること。そして、それが否定できないことを察したのだろう。さすがに勘が良い。

 

「ところで新ソ連と大亜連合の講和はどうなりそうなんだ?」

 

話を変えるためか歩が聞いてきたのは、開戦から三か月を超えて疲弊した新ソ連と大亜連合との講和交渉の推移だ。当初こそ日本の援護もあり破竹の勢いで進軍した大亜連合軍だったが、日本がUSNAとの戦争に突入すると、その勢いは止まることになった。そして、その後は徐々に戦線を後退させていた。

 

「大亜連合側に一部の領土を割譲するという形で新ソ連側が折れるようだな」

 

新ソ連が警戒しているのは、再び日本が参戦してくる可能性だろう。すでに戦力の三割を失っている新ソ連は、これ以上の疲弊は避けたい。一方、より被害の大きい大亜連合側は戦力の五割近くを失っており、新ソ連以上の窮状にある。ある程度、面目が立てばすぐにも講和したい以上、この条件なら飛びつくはずだ。

 

結局、今回の大戦で最も被害が大きかったのがUSNA。次いで大亜連合。その次が新ソ連ということになる。ちなみに日本もUSNAと新ソ連との戦いで大小合わせて二十三隻もの艦船を失っており、その被害は海軍戦力の二割にも達する。けれど、魔法師の被害が比較的少ないということ、周辺国はそれ以上の被害を出しているという点で相対的な軍事力では、戦前以上と言える状態である。

 

そういうわけで、しばらくの間は平穏が訪れそうである。けれど、油断はできない。内戦の傷以上に内部に深刻な対立を抱えたUSNAはともかく、新ソ連はやがて国力を回復してくるだろう。宮芝はそのときに備えなければならないのだ。

 

「さあ、まだまだ忙しくなるぞ。頑張って働いてくれよ、立花歩」

 

「御免蒙ると言いたいところだが、淡路には借りもある。できることはやらせてもらう」

 

そう言って微笑む歩と治夏は和やかに握手を交わした。




マテリアル・バースト発動後、綾瀬から小型船に移った壮年の技術士官が立花歩に扮した達也です。
ちなみに本物の立花歩は達也の身代りとして戦死しています。


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後日談編 報い

二一〇〇年十月三十日、四葉深雪は十文字深夏の要請を受けて宮芝家の所有する奥多摩の山中を訪れていた。パラサイトとの戦争からおよそ三年。深雪は司波深雪から正式に四葉深雪と名を改めた。一方の十文字深夏は一度、桐生深夏と名を改めた後、婚姻により今の名に変えている。

 

現在、深雪は魔法大学に在学している。これは責任ある立場に就く前のひとときの青春というには、些か波乱万丈すぎる高校生活を送ることになった深雪に対して、四葉真夜が少しばかりの時間の猶予を与えてくれたものである。

 

一方、深雪を呼んだ深夏はというと、十文字克人との婚姻を前に宮芝家を去り、名を桐生深夏に戻した。そうして克人と婚姻し、昨年には男の子を出産。だが、幸福な時は長くは続かず、半年前には夫の克人を病で失うという、パラサイト戦争後も相変わらずの波乱の人生を歩んでいる。

 

お互い立場は色々と変わったが、深雪と深夏の交流は高校在学中よりも、むしろ深夏の退学後の方が深くなった。交流の深まった要員の大部分は立花歩と名を変えた兄の達也が関係しているが、宮芝を出たことで深夏が穏やかな性格に変わったこともある。

 

その達也だが、パラサイト戦争以後は恒星炉プラントの建設に力を注ぎ、新魔法の開発も引き続き行っている。今の達也は完全に研究者という雰囲気で、敵に備えてピリピリした空気を発することは少なくなった。

 

というのもUSNAはパラサイト戦争後も国内の争いが収まらずに今や大国の地位からも脱落、新ソ連はしばらくの沈黙の後、大亜連合と再度の戦争を始めて両国ともに疲弊、というように周辺の脅威が緩和されたためだ。それは必然的に魔法大学の平穏にも繋がり、深雪は友人たちと過ごす時間を増やすことができたのだ。

 

「けれど、そういえば克人さんが亡くなってからは会うのは初めてなのね」

 

思い返してみると、克人が亡くなってからもメールでのやり取りはあったものの、顔を合わすのは初めてだ。深夏は何だか慌ただしく動いているようだったし、深雪の方も会った方がいいのか、そっとしておいた方がいいのか判断がつかなかったためだ。

 

そうして半年ほど間が空いて、今日はいきなり奥多摩に来てほしい、だ。何かは分からないが、重大な何かがあると考えるのが自然だ。若干の緊張を感じながら、深雪は足を前へと進める。

 

指定された場所は山裾の森の中にある湖だった。湖の前にはテーブルのように平らにされた大きな石があり、その上では一歳半くらいに幼児がいる。幼児の顔には見覚えがある。父親の血を継いだのか体が大きめだが、実際は一歳を過ぎたばかりの克人と深夏の子、十文字治人だ。

 

「やあ、深雪、待っていたよ」

 

そして、声をかけてきた深夏はというと、湖の中心に浮かべた小舟の上にいた。深夏は顔の大半が隠れるほどの大きさのフード付きの外套を纏い、更には手袋まで付けて小舟の上で座禅を組んでいた。

 

深夏の格好も異様な雰囲気だが、何より幼児を池の傍という危険な場所に一人で置いて、自分は離れた池の舟の上という状況には違和感しかない。一体、深夏はどういうつもりなのだろうか。

 

「最初に本題を言わせてもらうよ。私と克人の子である十文字治人を四葉で養育してほしいんだ」

 

「何を言っているの!」

 

それは治人を手放すと言っているも同然だ。

 

「無論、理由は説明する。だから、治人に触れない距離に立って話を聞いてくれないか」

 

治人に触れてはならないという意味だと理解した深雪は治人から二メートル手前に立ち、話を促すように深夏を見つめた。

 

「さて、何から話せばいいか……差し当たっては克人が死んだ理由から話そうか。克人が死んだ理由だけど純粋な病死ではない」

 

それは噂では聞いていた話だった。十文字克人が深刻な病状にあるという話は四葉を始めとして十師族の誰にも伝わっていなかった。それなのに、唐突に病死したことが知らされたのだ。事故もしくは事件があったのだという推測の声は小さくなかった。

 

「克人が死んだのは私が殺したからだ」

 

その話も噂されていた中にはあった。けれど、深雪の前では深夏と克人は仲睦まじい姿を見せていたので、深雪はその可能性はないと考えていた。

 

「そして、私が克人を殺さなければならなくなった原因も私にある。全ては私の迂闊さが招いたことだ」

 

そう前置きして深夏が語り始めたのは、ある呪術を元にした魔法についてだった。呪水落滅と呪霧散覆。それは横浜事変の際には大亜連合に、新ソ連戦ではウラジオストクに向けて使われた魔法だという。けれど、その魔法には重大な欠陥があったという。その魔法により作られた呪いの水を浴びた人間は精神を壊すのだが、呪詛は水を浴びずとも使用者には影響を与えるものだったらしい。

 

「私はなまじ精神制御魔法に対する抵抗力が高すぎたため、呪詛の影響に気づくことができなかった。代わりに影響を受けたのが使用人だった」

 

深夏の側近を務めていた非魔法師の杉内瑞希という女性が、最初に呪詛の影響を受けた人物だったようだ。深夏の衣類を扱った彼女が、最初に精神汚濁を受けた。

 

「もっと注意深く原因を突き詰めていれば、或いは今日のようなことは起こらなかったかもしれない。けれど、USNAとの戦いに気を取られていた私は、それを放棄した。単なる錯乱だと片付けてしまった」

 

そう言った深夏からは深い後悔が滲み出ている。

 

「結局、私が異常に気が付いたのは今年に入ってからだった。昨年末から克人がしきりに頭痛を訴えて、その原因を調べていたところで呪詛の影響を受けたものだと分かった。そして、そのときには、もう手遅れだった」

 

深夏があまりに苦しそうなので、深雪は一瞬、止めようかと思った。しかし、深夏が治人を預ける前提として話し始めたことなのだ。遮ってはならないのだと思いとどまった。

 

「克人も十師族として高い魔法抵抗力を持っている。その克人が肉体の不調を訴えるくらいに克人は精神を汚染されていた。そして、克人が汚染されているということは、私のお腹の中で育った治人も汚染されているということを意味していた」

 

そう聞いて、深雪は思わず治人を見つめた。治人は石のテーブルの上で穏やかな寝息を立てていて、とても精神が汚染されているようには見えない。

 

「安心して、今の治人は呪詛を全て吸い出してあるから」

 

深雪を安心させるように深夏が穏やかに言う。

 

「おかしいなと思うことはあったんだよ。治人って妙に癇癪持ちというか、特に理由もなく激しく泣いたりすることがあって……けど、赤ちゃんって何を考えているか分からないときなんて、よくあることだから。ちょっと違うって思いながらも、別に普通の範囲に違いないって思い込もうとしちゃったんだ」

 

深夏は懐かしむようであり、悲しむようでもあった。そして治人の話をするときだけは少し口調が変わっている。いつの間にか深夏はすっかりお母さんになっていた。

 

「呪詛は全て私に移した。けれど、それで終わりじゃないんだよね。実際、全て吸い出して私に移したはずなのに、時間が経つと、いつの間にか侵され始めてしまってた。一時的な呪詛の移動じゃ駄目で、根本から解決しなければいけないみたいなんだ」

 

「根本的な解決?」

 

「そう、この呪詛は長雨に苦しんだ村人の迷信に踊らされて、池に沈められて無意味な死を迎えた女性の恨みを元にしている。その女性の心を慰めるのは、自分を殺した村人たちが自分と同じような死を迎えること。つまり、私が生贄にされた女性と同じように無意味に池に沈めば、これ以上の呪詛の浸食を抑えられる」

 

「待って、深夏! それって……」

 

「うん、ごめんね、深雪。それしか治人を救う手がないの。私がこれから治人の呪詛を全て私に移して、時間を置かずに死ねば、治人は助けられる」

 

そう言いながらフードを外した深夏の顔の左半分は大やけどを負ったように爛れており、左目のあった位置には空虚な眼窩が広がるのみだった。それで、もう深夏自身に時間がないのだと嫌でも思い知らされた。

 

「本当は、もっと治人の成長していくのを見ていたい。これから治人がどんどん言葉を話し始めて、走り回って、腕白さで私を困らせて、いつか私に反抗的になって、そして克人のような素敵な男の子になっていくのを見ていたい。けれど、このままでは精神を侵された治人はただの犯罪者になってしまう。それだけは絶対に嫌。治人には幸せになってほしいから。だから深雪、本当に悪いんだけど、治人のこと、四葉で面倒見てくれる?」

 

友人からの最後の頼みだ。頼みと表現するのには些か重すぎるけれども、深雪に断るという選択肢はない。

 

「分かった。治人くんは四葉が責任を持って預かるわ」

 

「これが四葉じゃなかったら、もっと安心できたのにねぇ」

 

「あら、じゃあ、他を当たってみる?」

 

「ごめん、深雪にお願いします」

 

軽口の応酬をした深夏が薄く微笑む。

 

「じゃあ、交渉成立ってことで、治人の呪詛を移すね」

 

深夏がそう言って座禅のまま印を組むと、治人の身体が薄く光に包まれる。光はやがて治人の体の上に浮かび上がると、深夏に飛んでいった。深夏から微かに苦悶の声が漏れる。

 

「もう大丈夫だから、治人を抱いてあげて」

 

言われた通り深雪が抱き上げると眠っていた治人が目を覚ました。その目は母親を探すように左右に動かされている。

 

「ごめんね、深雪。治人のこと、お願い」

 

母の声だと気づいたのか治人が左右に首を振る。同時に魔法の兆候を感じ、移動魔法で動かされた岩が池の小舟の方に飛んでいくのが見えた。

 

深雪は深夏に背を向ける。まだ一歳になったばかりの治人がどこまで理解できるのかは分からないが、それでも自分の母親が池に沈む光景を見せたくはなかった。

 

大きな物体が池にぶつかった音と小舟の砕ける音。それを背後に聞きながら、深雪は腕の中の小さな命を守るようにきつく抱きしめ、元来た道をゆっくりと歩いた。




これにて完結です。
最後に後味の悪い思いをさせるかもしれないと迷いましたが、治夏は幸福を享受するには血を流させすぎたので、当初予定通りに最後は自らの命で償ってもらいました。

ともあれ、ここまでお付き合いいただいた皆様に最大限の謝辞を。

なお、ご意見、ご感想などございましたら何でも書き込みください。
しばらくは定期的に覗くようにするつもりです。


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