河原の囲碁 (西風 そら)
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~その年の12月~ AKIRA

オリキャラは居ますが、あくまで主人公はヒカル君
スマホやタブレットが出て来たり、原作の時代とズレがあります



 

AKIRAー1

 

長考していた相手がやがてうなだれ、今シーズンの連勝記録を伸ばした塔矢アキラが、静かに礼をする。

対局が長引いてしまい、石を仕舞って立ち上がった時には、手合い所には数える程の人数しか残っていなかった。

 

(進藤…は、居ないか)

久しぶりに手合い日が重なったので、このあと一緒に行動しようと約束していたのだが、何処かで時間を潰してくれているのだろうか。

 

軽く探しながら廊下に出ると、進藤と親しいプロ仲間の少年が、階段を駆け上がって来た。

「あっ、塔矢君? 進藤がさ、今、下のサロンで対局してて、手が離せなくてワリィ、だってさ」

 

「僕との約束があるのに、対局?」

 

「うん…じゃ、伝えたから」

少年は何だか気もそぞろな感じで、急(せ)いて、来た道を戻ろうとする。

 

「ちょっと待て。説明しろ」

「俺に言われても。でも進藤、きっとすぐに終わると思ったんだ。なんせ相手があんなだったし」

「??」

 

そこに、上階から階段を駆け降りて来た兄弟子の緒方精次と鉢合わせする。

「おお、アキラ君、進藤が今、何だか面白い事になっているらしいぞ。高見の見物に行こう」

 

「僕も今聞いて、行こうと思っていた所です。しかし貴方は多忙なタイトル棋士のくせに、進藤のオイシイ場面にしょっちゅう居合わせますね。彼のストーカーですか?」

「鼻が効くと言って貰おう」

 

 

一般客も居る一階に降りると、囲碁界のカリスマ塔矢アキラはいつも少なからずの視線を集めるのだが、この日は勝手が違った。

平日で来客が少ないのもあるが、その少ない人数が、一般客用の奥のサロンで人垣を作っている。

 

「進藤?」

人垣を割って入ると、やはり片方は目当ての人物だった。

期待の新人最強の初段、目下塔矢アキラのライバル筆頭と噂される、新進気鋭の進藤ヒカル。

で、対局者は?

 

――― コトン ―――

 

嫌な音を聞いた。

アキラのトラウマを呼び覚ます、間の抜けた湿った音。

 

「カヤコさん?!」

ヒカルの向かいの席、今、親指と人差し指の慣れない手付きで不器用に石を置いた女性の名を、緒方が驚愕の声で呼んだ。

 

「緒方さんの知り合いですか?」

「あ、いや、知り合いって程では。…しかし相手が彼女だったとは」

 

いささか動揺している緒方に変わって、野次馬していた棋院職員が答えた。

「塔矢君は会った事なかったのかな。

一階ロビーに手合い場の絵が掛かっているだろ。あれの作者さんだよ」

 

「ああ」

知っている。去年の夏頃に掛けられた絵で、院生の研修手合い風景を描いた物だ。

絵画に造詣のない自分でも、凛とした空気と清々しい色が綺麗だなと、好感を持って眺めていた。

こんなに若い女性が描いた物だったのか。

 

緒方がまだ何か追加で言いたそうだったが、それよりなにより盤面に目が吸い寄せられている。

 

「これ…、進藤はどっちだ? 白か…最初に石は幾つ置いた?」

「いえ、置き石無しの互先(たがいせん)です」

先程の少年が答えた。

 

「・・・!」

口を指で覆う兄弟子の横で、アキラも口を結んだ。

 

石の繋がりがばらばらで、これまでの展開が推理出来ない。

しかし今の状況は、多分、双方がっぷり四つ。

少なくとも石も持てない素人の打った盤面ではない。

いや、自分の常識の範疇だけでだが…。

 

デジャブな感覚に襲われて、鳥肌が立った。

 

「あ、塔矢」

自分の石を打ちながら、ヒカルがアキラに気付いた。

「ゴメン、この人…カヤコさんにめっちゃお世話になった事があって、申し込まれたら断れなかった」

 

「あら、約束があったんですか?」

対座の女性が、今置こうとしていた石を手の中に戻しながら、顔を上げた。

日本昔話から抜け出したような声と顔立ちだと思った。

 

「では、おしまいにしますか?」

「「「えっ!!」」」

「えっ」という声がハモって響き、アキラに周囲の視線が突き刺さる。

 

「僕は構わない、進藤、打ちかけた物は最後まで打て」

それだけ言って、ヒカルの背後の椅子にドッカと腰かけた。

 

まったく、なんでこう、いつもいつもいつもいつも…、君は僕の知らない所で、訳の分からない謎囲碁を打っているのだ?

 

 

 

 

 

 

 

 



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~前年の4月~ OGATA

OGATAー1

 

緒方精次は、棋院横駐車場の最奥を、愛車の定位置にしている。

擦(こす)られたら面倒なのと、お気に入りの缶コーヒーがそちら側の自販機にしか無いからだ。

 

4月だというのに今年最初の夏日だとかで、スーツの内側がじっとり汗ばむ。

(もっと根性出せ! オゾン層)

心中で悪態付きながら、アイスコーヒーを一口含んで歩き出した先に、厄介の始まりがあった。

 

正面玄関少し手前の駐車場内、何とはなしの違和感に、足が止まる。

建物の白い壁沿いの駐車スペースは少し大きめで、大型ワゴンや、面構えのでかい高級車が使うのが暗黙の了解になっている。

 

違和感を感じたのは、中程に停められた、黒の大型高級車だ。

プレジの中でも一番グレードの高い、いわゆる『エライさん御用達タイプ』。

 

そういう車が棋院の駐車場に在る事自体は、何もおかしくない。

大手後援者かもしれないし、棋士だってある程度の年収があれば、それなりの自家用車でやって来る。

(俺だってそうだし)

 

最初の違和感は、その車が頭から駐車スペースに突っ込み、尻を向けている事だ。

しかもちょっと斜め。

(みっともない…)

 

白線に収まっている限りどう停めようと文句をつける筋合いは無いのだが、軽ならともかく『エライさん御用達』に乗るのなら、キチンと停めろよカッコワリィ…と、緒方は独自基準で毒づいた。

少なくとも俺のRXー7では、こんなみっともない停め方、やれと言われても金輪際できん。

 

で、次の違和感は、その尻向けプレジデントの運転席だ。

たまたま右側駐車スペースが空いていたので、運転席に人が居るのが見えた。

全開にした窓の向こうに座っているのが、車のグレードにどうにも似つかわしくない、若い女性だった。

 

およそ何も手をかけていない真っ黒い髪を無造作にゆるく編み、身なりは雑で素っ気無い。

頬のラインも肩の線も、どうにも子供っぽい。

っていうか、子供か? 

 

そのオッサン車に似つかわしくない女性が、ステアリングの上に大きな白い紙を広げて、何やらひたすら書いているのだ。

手の動きは規則的で早く、鉛筆の持ち方が独特だったので、絵を描いているのだと思った。

 

女性の横顔が時折見上げる視線を追えば、棋院の庇(ひさし)にベージュの塊(かたまり)が見える。

(ああ、燕の巣をスケッチしていたのか)

その為に車を前向きに入れ、巣が見えるように調整したら斜めになってしまったのだろう。

 

(何にしても酔狂な事だ)

近付いて覗いて見る気になったのは、ほんの気まぐれの好奇心だった。

 

 

OGATA―2

 

斜め後ろから覗いたスケッチは、意外になかなかの物だった。

 

巣にはまだ雛が居ないのだが、彼女は時折帰還する親鳥を脳内に留めては、丁寧に再現している様子だった。

様々な角度から何羽も重ねて、ラフな物もあれば、羽毛の一筋まで鮮明に描かれた物もある。

親鳥は一瞬しか来ないのに、大した動体視力だな・・と、緒方は素直に感心した。

 

「・・!!!」

不意に女性が振り向いた。

近付き過ぎた緒方の影が、スケッチブックに映ったのだ。

やたらと白い頬の上の真っ黒な瞳と、いきなり目が合った。

 

そんな、アメリカの漫画みたいに思いきり驚かなくていいのに…と、緒方があきれる程、女性はその場で飛び上がった。

 

飛び上がった拍子に放り出された鉛筆を拾いながら、緒方は

「失礼、つい目が行ってしまって」

と、当たり障りの無い台詞を述べた。

 

緒方の差し出した鉛筆をすぐには受け取らず、女性は寄り目でその手をじっと見つめる。

「・・??」

 

「棋士の方ですか?」

「・・あ、ああ」

 

年がら年中碁石を打っていれば爪だってすり減るし、指先の皮膚も固まる。

しかもここは棋院の駐車場だ。

プロ棋士がうろついていたって、何の不思議でもない。

(しかし俺の顔を知らんのか? この娘(こ))

 

「ふうぅん」

女性は妙な納得の仕方をして、ダッシュボードから黒い碁石を取り出し、鉛筆と入れ替えに緒方に突き出した。

「ちょっと持ってみて下さい」

「えっ?? はっ??」

 

何でそんな所から普通に碁石が出て来るっ? 

棋院に来る者の車ならありがちなのか?? 

いや! そうじゃなくって!! 

何でそんな当たり前みたいに石を持てとか初対面の者にっ…!!

 

脳が呆気に取られたどさくさに、右手の二本指は本能のように石を挟んでいた。

棋士の条件反射って奴だ。

 

「うん」

女性は緒方の困惑なぞ何処吹く風で、スケッチブックをめくって新しい紙面に鉛筆を走らせる。

 

「・・・・」

左手に飲みかけ缶コーヒー、右手に碁石。

このクソ暑いのに、何でこんな間抜けな姿で突っ立ってなきゃならないんだ? 

と理性は思っても、彼はそこから離れられなかった。

白い紙面に出来上がって行く自分の右手に、目が釘付けになっていたからだ。

 

とにかく手が早い。

鉛筆が画面を擦っているようにしか見えないのに、黒い筆跡がみるみる手の形を浮かび上がらせる。

まるで手品。

 

(これは、絵が上手い…っていうのか? 画力があるというのか? 何にしても、まあ、凄い)

そこそこの失礼な目に遭ってはいるのだが、いいモン見せて貰ったと相殺してやれる気分になれた。

 

「出来ましたっ」

時間にして三分くらいだろうが、この短時間に見事なデッサン画が出来上がった。

指の全神経が指先の石に集中されているのが分かる、独立した生き物のような棋士の打ち手。

自分の打ち手を正面から見る機会など無いが・・・ふむ、カッコイイじゃないか・・。

 

(くれるのかな、これ)

流れとしてはくれる所だが…、緒方はちょっとそわそわした。

 

しかし女性は、緒方が眺めていたその絵にかぶせて、先程の燕のスケッチの頁に戻してしまった。

(えっ?!)

かと思うと、またその一頁をめくり、また戻しして、そしてここで初めて緒方の顔を見て、神妙に言った。

 

「燕にそっくりです。ほら、見てください」

そう言って、スケッチブックを突き出して、二枚のデッサンをパタパタと交互に見せられた。

 

(・・・・)

確かに、燕が翼を広げて飛翔する姿と、正面から見た打ち手は、シルエットが似ている。

しかし、同じ人物が描いているんだから、似せようと思えば幾らでも似せられるじゃないかっ。

 

「ねっ」

重ねて同意を求められた。

どうしろと…

 

 

OGATA―3

 

いいかげんに切り上げようとタイミングを見計らっている所に、彼女の方が先に動いた。

緒方の肩越しに、棋院建物の角を曲がって来た数人を見止めたのだ。

 

「おじいちゃんっ」

弾かれたようにスケッチブックを後部座席に放り投げ、足許から何か拾い上げて、勢いよく扉を開いた。

緒方が退(しりぞ)く形になったのだが、それに慌てて謝りの会釈をし、彼女はお目当ての人物の元に駆けて行った。

そちらを振り向いて、膝の力が抜けた。

 

「ひゃひゃひゃ、緒方くん、何やっとる、ナンパか? 

折角じゃが、君を孫と呼ぶのはゴメンじゃ」

 

不意討ちの天敵登場に、緒方は臨戦態勢が取れない。

「だっ誰が・・!」

次の台詞が出てこない。

(誰がそんな『ふしぎちゃん』に手ェ出すかっ) とは、さすがに言えない。

っていうか、あの爺さんの孫だって? どの辺にDNAの片鱗があるんだっ?! 

 

桑原翁の周囲を歩いて来た数人の棋士も、(あらら、また始まった…)風な苦笑い。

囲碁界の最古老、桑原本因坊(ほんいんぼう)と、彼のタイトルに挑戦するも、あと一歩でいつも苦渋を飲まされている、若手ホープの緒方。

この二人の口喧嘩は、季節を問わない風物詩なのだ。

 

そんな空気にまったくお構いなしに、「おじいちゃん」と叫んだ女性は、手に持った黒いレースの日傘を開きながら駆け寄った。

「ケイタイ鳴らしてくれたら正面玄関に車を持って行くって言ったのに」

 

傘をさしかける孫娘に、桑原老人は面倒くさそうに睨み付ける。

「年寄りあつかいするな。お前は、あれやこれやうるさすぎる」

「だって熱中症は季節の変わり目が一番危ないって…」

 

何か、普通の年寄りと孫の会話だ。

あの妖怪爺さんも、家族にとっては普通に家族なんだな、当たり前の事か…。

さっき自分の前でふしぎちゃんだった女性も、祖父の心配をしている姿は、しっかりした大人だ。

車の免許を持てる年齢だったのに、今、軽く驚いたが。

 

(ま、そんなもんだ…)

最初に感じた違和感は、天敵の身内に対するアラームだったりしてな(笑)。

緒方はややぬるくなったコーヒーを一気にあおり、自分の用事の為に棋院に向かう。

 

その耳に入って来る女性の声。

「だからおじいちゃんは他の人と違うのっ。直射日光脳天直撃なんだからっ」

 

 

棋院の控え室で、スーツの上衣を机に広げて濡れタオルでたたく緒方の姿があった。

「うわっ、どうしたんです、それ?」

入って来たのは、その日一緒に取材を受ける若い棋士だ。

 

「コーヒーこぼしちまってな」

「白だと悲惨ですねえ、手伝いましょうか?」

「まあ、自分で吹き出しちまったんだからしようがない」

 

スーツは悲惨なのに、緒方の背中が、たまに思い出し笑いするようにクックッと震えるのを、若い棋士は怪訝な顔で眺めていた。

 

 

OGATA―4

 

アスファルトに陽炎が揺れる。

白い土壁が続く坂道を、黒いレースの日傘が登って来る。

手には葱の飛び出たエコバッグ。

 

古い静かな住宅街に似合わない赤いスポーツカーが、軽い音を立てて停まる。

 

「こんにちは、桑原カヤコさん」

「…コンニチワ…」

女性は緒方をチラと見てから、小さい声で返事した。

 

「棋院で貴女の名前を聞きました」

「………」

 

「岩手から出て来て、独り身のお祖父さんのお世話をしているとか。

今時感心だと皆褒めていましたよ」

「おじいちゃんがそう言ったんですか?」

「いえ、ご自身では言わないでしょうが…」

 

カヤコは何か言いたそうに頬を膨らませたが、会釈だけして通り過ぎようとした。

「荷物が大変でしょう。自宅まで送りますよ」

「…すぐそこですから」

カヤコは堅い顔のまま歩き出す。

 

「遠慮しないで」

「おじいちゃんに、アナタと話したらダメって言われました」

前を見ながらサカサカあるくカヤコに、緒方は車をゆっくり進めながら着いて行く。

 

「何でダメなんです?」

「……」

「何で?」

「……バンダイサン…」

「は? 磐梯山?」

 

「バンダイサンで闘う武器を与えてしまうからダメだって」

「????」

戊辰(ぼしん)戦争に参戦した覚えはないのだが。

 

「バンダイサンじゃなかった。…バンサンカン?…サンペルカン?…あれ?」

「…もしかして盤外戦(ばんがいせん)?」

「ああ、そう、それです」

 

緒方はハンドルに突っ伏した。

売れない漫才師でももうちよっとマシな脚本(ほん)を書く。

 

だがしかしまあ、爺さんの措置(そち)は的を射ている。

あの『脳天直撃』は、いざという時に引っ張り出してやろうと、心の鞘に収めてある。

 

「これを返しに来たんですよ」

車に乗せられないまま桑原邸前にたどり着いてしまったので、緒方はここへ来た本来の目的の物を取り出した。

 

「あっ」

カヤコは、緒方の差し出した黒い石を見て、思いの外顔を輝かせた。

先日も思ったが、なるほど肌だけは東北出身ならではの白さだな。

 

「それ、碁石じゃないですよね?」

先日返しそびれてポケットに突っ込んだままだったのが、クリーニング屋の店頭で発見された。

持ち帰ってよく見ると、どうも既成の碁石とは違う。

石を磨いた物ではあるのだが、色が悪いし、形が微妙に歪んでいる。

 

「はい」

石を両手で受け取って、カヤコは心底嬉しそうな顔をした。

「小さい時、夏休みに家族でおじいちゃんちに遊びに来て」

 

しまった、女性にありがちな遠回りな長話になりそうだ。

何か盤外戦の材料をと話を振ったのだが、失敗だったか? 

 

「おじいちゃんの碁石を一つ割っちゃったんです。

おじいちゃん、めちゃくちゃ怒って・・帰るまで口きいてくれなかった」

(大人げない爺さんだな)

 

「田舎に帰ってからもメソメソしてたら、トモダチが『碁石は油石を磨いても作れる』って教えてくれたんです」

(既製品を買いに行くとか考えないのか? まあ、田舎なんだろうな)

 

「んで、そのトモダチに教わって、山の河原で油石を探して。

丁度いい大きさのを見つけたら、硬い石と擦り合わせて磨いて」

「………」

「夏休みの終わり頃に、おじいちゃんに送ったんです」

「………」

 

「その後どうなったとかは忘れちゃったけれど、今回上京して、運転手をやる事になって。

ダッシュボードの古いピース缶の中にこれを見つけた時は、何気に嬉しかったです」

「…………」

 

「だからどうも有り難うございましたっ」

カヤコはヒョコリとお辞儀をして、門内に消えた。

 

後続車がめんどくさそうに車線を越えて追い抜いて行って、緒方は我に返った。

・・・駄目だ、彼女の事を盤外戦のネタになんかしたら、あの爺さんに一生口をきいて貰えなくなる・・・。

 

 

 

 

 



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~前年の5月~ SINODA

SINODA-1

 

棋院勤めの篠田は、他のプロ有段者に比べて、棋士達のプライベートに接する機会が多い。

立ち入った事には踏み込まないたしなみを持ち合わせ、尚且つ、自らのこういった立場がお役に立てればというスタンスなので、内外の者に信頼厚く、頼られる事もしばしばある。

 

そんな篠田が、棋院一階の廊下で呼び止められた。

相手は一般囲碁サロンの常連で、アマ段位も取得している、顔見知りの二十代の男性。

確か何処だかの雑誌社勤めで、棋院記者部の何人かとも懇意にしている筈だ。

 

「お忙しい所すみません。あの、先ほど桑原本因坊をお見かけしたのですが」

「ああ、今日は雑誌関係の取材で来られたのだと思います。何か?」

「桑原先生にお尋ねして確かめたい事があるのです」

「?? どのような…?」

 

篠田は今一度相手を見た。

個人的なファン根性でトップ棋士にまとわり付きたがるタイプではない。

知った限りでは、若いけれど礼節のある常識人だ。

 

「分かりました、記者部へ連絡して、桑原先生に時間を頂けるか、確認してみますね」

「あ、大した事ではないのです。一言で済む質問ですので。

桑原先生のお身内に、『桑原カヤコ』という女性がいらっしゃるかどうか、だけで」

 

「『桑原カヤコ』なら、儂の孫娘じゃ」

 

男性の話の途中で眼前のエレベーターが開き、丁度桑原本人が、数人の編集者と共に降りて来た。

「カヤコがどうかしたか? 惚れても嫁にはやらんぞ」

 

「あっ、いや、いいえっ」

突然現れたお目当ての人物に、男性はピリッと緊張し、それから慌てて名刺を引っ張り出した。

 

「は、初めましてっ。『月刊クレアシオ』編集の北上と申します」

「くれあ・し・・」

桑原は面倒くさそうに、受け取った名刺をねめつける。

 

「古今東西近代古代、映像絵画建造物と、クリエイティブ関連なら何でも扱う雑誌です」

「・・・・」

桑原はますます不機嫌風になり、周囲の編集者はハラハラした。

 

「それでですね、先の『東雲杯』絵画部門で銀賞を受賞された桑原カヤコさんは、先生のお孫さんでいらっしゃるのかと」

「・・??」

桑原が目を真ん丸に見開いて止まった。

 

止まった桑原の代わりに、側にいた北上の顔見知りらしい編集者が聞いた。

「その『東雲杯』ってどういうの? 『日展』みたいなヤツ?」

日展なら、よく芸能人とかも入賞していて、一般人に馴染みが深い。

 

「日本美術展覧会略して日展は、広くアマチュアにも門戸を開いているから知名度はあるけれど、東雲杯は玄人向けで、海外ではこちらの方が評価が高くて…」

北上は、説明し慣れているテンプレートを暗唱しようとした。

 

「おいおい、一般人にも分かるように言え。

そのナンチャラ杯の銀賞ってのは、囲碁界でいうと、どの辺りなんだ?」

一般人にはもっと分からないであろう質問だ。

 

「だから、プロ初年度の新人が、いきなり本戦とかリーグ入りしたみたいな物なんですってば!」

 

 

SINODA―2

 

一同、ポカンとした。

北上だって棋院記者とも親交があるアマ有段者。

『例え話』の加減を大きく違(たが)えたりはしないだろう。

 

「凄いじゃないですかっ、桑原先生!」

篠田が満面の笑みで、黙ったままの本因坊を覗き込んだ。

 

岩手の田舎から上京して来た孫娘に、下宿代代わりに運転手をさせているというのは、桑原から聞いていた。

駐車場で寸暇を惜しんでスケッチをする彼女も、何度か見かけている。

そして、あの『脳天直撃』の現場にも居合わせた。

 

そうかあの娘(こ)が…。

普段、若い棋士達の成長を見守っているだけに、囲碁であろうと絵画であろうと、努力が実を結ぶという事に、篠田は素直に感動する。

 

「知らん・・」

唸るように呟く桑原に、一同(え??)となる。

「初耳じゃぞ」

 

北上は硬直する。『子供が親に内緒で芸術の道を志すパターン』は、ありがちだ。

しまった、特ダネを取れる筈が、トンでもない事態を招いたらどおしよう…。

 

「おい、誰か、駐車場へ行って、カヤコを呼んで来い。黒のプレジデントの運転席におるわ」

不穏な空気から逃れるように、一人の編集者が駐車場へ走った。

 

周囲に人が立ち止まり始めたので、篠田は桑原をロビーのソファへいざなった。

北上も恐々と着いて行く。

 

「あのあの、東雲杯って、本当に凄い賞なのですよ。

過去受賞者の中には世界でグローバルに活躍する作家さんも大勢いて…」

 

おどおど取り繕う北上を、篠田は気の毒な目で見た。

桑原は雰囲気で威圧感があるだけで、本当は大して怒ってはいないと思うのだが、慣れない若者には怖いのだろうな。

 

「それで、北上と言ったな、お前さんは、カヤコをどうして儂の身内だと思ったんじゃ?

桑原という名字は、そこら辺に幾らでも転がっとるだろう?」

「あっ、はいっ、えとその」

「あの娘が、儂の事を何処ぞで自慢しよったのか?」

 

篠田はハッとして桑原を見た。

絵画の世界の事は分からないが、『祖父がタイトル棋士』というのは、若い女性作家には、話題性の取れる肩書きなのかもしれない。

 

例え彼女が作為しなくとも、周囲が彼女を売り出す為に、審査に手心を加えたのだとしたら? 

そうではなかったにしても、それを勘ぐって、コネクションだと揶揄する者も現れそうだ。

 

彼女が祖父に受賞を臥せるのは、何かゴタゴタに巻き込まれているのでは…。

我が事のように心配になって来た。

 

「いえっ、違うんですっ、そうじゃなくてっ」

北上も同じ意味に受け取ったらしい。

「受賞作を見て頂ければ…えっと、今お見せします」

 

青年は慌てて自分の鞄からA4タブレットを取り出す。

必死で画面を繰る青年に、隣の篠田は心で一生懸命応援した。

 

「おじいちゃん?」

 

タブレットが目的の画面にたどり着く前に、当のカヤコが、編集部員に連れられて登場した。

真っ白な肌と真っ黒な髪が、いかにも東北娘らしい。

全体的に素朴で飾り気無く、言っちゃなんだが、芸術家というイメージは無い。

 

「どしたの? 聞きたい事ってなあに?」

「桑原先生は、君の東雲杯受賞の経緯をお知りになりたいそうだ」

篠田が口を挟んだ。

差し出がましいとは思ったが、何とか彼女の味方になりたかった。

「この若い記者さんが、どうして君を桑原本因坊の身内だと思ったのか? とか」

 

「そんなの当たり前だわ」

カヤコは篠田の心配などどこ吹く風で、呑気にサラリと答えた。

 

「だって、おじいちゃんを描いたんだもの」

 

 

SINODA―3

 

またまた一同、口をあんぐり開いた。

「桑原先生を? えっと、桑原先生を、絵の、モデルに?」

「それも初耳じゃぞ」

老人がギロリと孫娘を睨む。

 

「えーっ、言ったってば。『描いてもいい?』ってちゃんと聞いたよっ」

「濡れ縁に脚立を立てた時か? あれはてっきり庭を描くものだと」

「脚立じゃなくてイーゼルっ」

「どっちでもええっ」

 

老人の血管が本気で心配になって来た篠田が、再度口を挟む。

「カヤコさんは、単純に純粋に、ただ、桑原先生を描きたかったの?」

 

「ハイ、だっておじいちゃんカッコイイでしょ? 

囲碁を打つおじいちゃんが世界で一番カッコイイ。

だからおじいちゃんを描いたんです」

 

あっけらかんと言い切られて、桑原は口をパクパクする。

 

「東雲杯に出した他にも、おじいちゃんの絵が10枚位あって、ゼミの先生が、その中から出品作を選んでくれたんです。

お前どんだけおじいちゃん好きなんだよって笑われた。あはは」

 

能天気に一気に喋る娘にもう何も言えなくて、篠田は恐々と桑原を見やる。

老人も毒気を抜かれて、どう反応していいやらの顔をしていた。

少なくともこの娘は、コネクションとか、コネクションだと思われる心配とか、そんなのは脳みそに入っていないようだ。

 

「ありましたぁ!!」

必死にタブレットをまさぐっていた北上が、疲弊した声で叫ぶ。

A4の黒い板は桑原に渡され、篠田他一同も横から覗き込む。

 

「・・・・」

正直、『桑原の絵』というと、教科書に載っていた岸田劉生の麗子像のような、おどろおどろしい人物画を想像していた。

 

違った。

液晶に映し出されていたのは、遠くに山を配した田舎家の、美しい風景。

庭の前面に白や紫、淡い桃色の花、後ろには初夏の瑞々しい黄緑。

濡れ縁のある家屋の開けられた障子の奥に、碁を打つ老人が座す。

 

障子は半分しか開いておらず、老人の対座は見えない。

が、それが独りの詰碁ではなく、誰か親しい者と打っているのが分かる。

老人の様子が、本当に楽しそうなのだ。

 

大仰(おおぎょう)に笑っている訳でもないのに、それが分かる。伝わって来る。

見る者に、見えない対局者と老人との間柄を想像させる。

どこか懐かしい、穏やかな、暖かな心になれる絵だった。

 

老人は確かに桑原だったが、言われてそうかと気付く程度だ。

この風景の中にしっくり然と溶け込んでいる。

 

「ほらね!」

声を無くして見入る一同に、北上が、自分の事のように誇らしげに言う。

 

「東雲杯を見くびらないで下さい。本当に実力ある作家さんにしか取れない、硬派な賞なんです。

私は、桑原先生のお顔を存じておりましたので、作者の桑原という名字を見て、もしかしてと思っただけで」

 

篠田は、一時でも、カヤコの受賞にオトナの事情を絡めて考えた事を、申し訳なく思った。

 

「それで勿論記事にしたいのは山々なのですが、……その、ご意向に沿わないのならば、諦めます。第一、私は、この絵のファンなのです」

 

「いや、むしろ、棋院の発行物でも取り上げたいですよっ。

あとこれ、囲碁啓発のポスターとかにどうです? イケますよね」

 

「あっ、ダメですぅ」

カヤコの間延び声があがった。

「著作関係はもう先生と一緒の画廊さんとケーヤクしてるので…

えっと、シヨウとかテンサイとか、画廊さんを通して下さい…ってコトです」

 

「・・それも初耳だぞ・・」

桑原が立ち上がった。

 

「お前、いつの間にそんな一人前の作家面(づら)出来るようになった? 

このコンテストの結果も、儂は何も聞かされておらんのだがっ?!」

篠田が隣でまたハラハラしたが、当のカヤコは平気の平座で言い返す。

 

「え~~、だってぇ…」

「だって、何じゃ?」

 

「おじいちゃん、一等賞の報告以外は要らないって言ったじゃない。

岩手の家に、お父さんとお母さんを説得しに来てくれた時。

絵の勉強の学費も何もかも、心配せんでえぇ任せておけって、啖呵きってくれた時」

 

「・・・・」

そんな事は、言ったような気はする。

 

「銀賞は、まだ、二等賞だもの」

 

 

SINODA―4

 

「棋院の上の階には初めて上がりました」

「そうですか、ようこそ」

 

キョロキョロ歩くカヤコの先に立って、篠田は手合い所の襖を開けた。

時間が早いので、道場はまだ無人だ。

 

「如何です? 意外と広いでしょう?」

「畳の匂いが清々しいです」

カヤコは目を細めてニコニコしている。

頭の中で既に絵筆を握って、イメージを膨らませているのだろうな…と、篠田は思った。

 

東雲杯銀賞のカヤコの絵を見た者の間で、棋院に飾る絵を一枚描いて貰おうという話が持ち上がった。

 

桑原翁は渋ったが、周囲になだめ倒された末、『プロの正式な仕事として引き受ける』『自分は描くな』という条件を付けて許した。

あと、出来上がった作品は、カヤコの契約画廊から自分が買い上げて棋院に寄贈する、と、ややこしい提案を押し通した。

 

先生は意固地なんだからと他の職員が笑う中で、篠田は、桑原のカヤコへの愛情を垣間見て、心和んだ。

孫がコネクション呼ばわりされるのを一番心配していたのは、この人だ。

 

篠田は、若い院生達が夢に向かって精進している姿を描いて欲しいと願い出た。

有名棋士の華やかな対局の絵も良いが、篠田としては、名もない子供達をこの女性に描いて貰いたいと、個人的に強く思った。

 

篠田の提案が通り、本日カヤコがイーゼルを担いで訪れたのだ。

 

「バスで来たのですか?」

「はい、おじいちゃんはゴルフで、今日はプレジデントは、宮守さんが運転手です」

宮守というのは桑原邸の使用人で、カヤコが上京して来る前は、彼が桑原の外出に同道していた。

 

カヤコが運転手としてここに来ている姿しか見ていなかったので、彼女が画学生であるとか、絵描きを夢見て上京して来たとか、まったく知らなかった。

思えば桑原邸には、桑原夫人が存命中からの家政婦も居たし、孫娘が祖父の世話の為に上京する必要など無かったのだ。

 

「下宿代払うよっておじいちゃんに言ったら、じゃあ『運転手』やれって。

私がアルバイトに出たら何かやらかすとでも思っていたのかしら」

きっとそうだろう。

 

言ってくれれば良かったのに、桑原先生…。

まあ、照れ臭かったんだろうな。 孫の夢を応援しているなど、確かに柄じゃない。

あときっと、『好々爺(こうこうや)』とか言ってからかいそうな人物が、約一名いるし…。

 

「どういった段取りで描かれます?」

描き位置を定めたらしいカヤコに、篠田が訪ねた。

「そうですね、院生さん達のみえる土日に4~5回スケッチに来て…下描きが出来たら、後は自宅で仕上げます。

絵の具の匂いが研修の邪魔になってはいけないし」

 

「それで大丈夫なの?」

「必要になったら、使っていない時に、部屋だけ描きに来させて貰うかもしれません」

「じゃ、その時は私に連絡して下さい」

「はい」

 

しっかりした所もあるんだな、と思った。

桑原の前だけで力の抜けた孫娘になるのが、自分達と真逆で面白いな、とも。

 

「そういえば、カヤコさんは囲碁は打たないの?」

「はい、自分では、打ったこと無いです」

部屋の端に積まれた足付きの碁盤を眺めながら、彼女はぽつっと答えた。

「ああこの盤、木目が本当に綺麗。こういうのが描きたいなあ」

 

篠田は声を立てずに苦笑した。

碁盤を見て石を打ちたいではなく、絵に描きたいと言う者が、この世にいるとは思わなかった。

 

「勿体ない、おじいちゃんに習えばいいのに」

家族がまったく囲碁に興味を持ってくれないとボヤく囲碁仲間は多いが、この娘は囲碁もおじいちゃんも好きそうなのに。

 

「私に囲碁は向いていないって言われました。私は絵だけを描いていればいいと」

「桑原先生が?」

 

「いえ、トモダチが」

「友達? ですか?」

 

エレベーターホールに賑やかな声がした。

子供達がやって来たのだろう。

二人は話を中断して部屋を出た。

 

 

 



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~再び、その年の12月~ AKIRA

AKIRA―2

 

―――パチン

―――コト

 

―――パチン

―――ゴト

 

―――パチン

―――ペソ

 

「いい加減にしろっ!」

アキラが頭を抱えて立ち上がった。

 

「もっとこう、ピシッと打てないのか! ちょっと持ってみろ、こうだ、こおっ!」

 

「はあ、すみません」

「塔矢、対局中だ。静かにしていてくれ」

 

進藤にたしなめられるのも腹が立つが、盤面がかなりイイ勝負なのも、何気にムカつく。

 

「まあまあアキラ君、こちらで並べてみよう」

緒方が後ろの机に碁盤を置いたので、アキラもゼイゼイ言いながらそちらへ移動した。

現役タイトル棋士と若手カリスマの実況解説が始まるぞと、ギャラリーは喜んで場所を空けた。

 

「俺、最初から見ていましたから、再現しましょうか?」

先程の少年が、両の碁笥(ごけ)を引き寄せて、パチパチと石を並べる。

 

「あの…」

並べながら少年は、遠慮がちに喋った。

 

「今の時代って、パソコンやスマホの影響で、常識がどんどん更新されて行くじゃないですか。

囲碁だって、相手を求めて外出しなくても、ネットでゲーム感覚で色んな人と対戦出来る。

石も碁盤も知らないで、マウス操作だけで強くなる人も、意外と沢山いたりして…って思いました」

 

並べられて行く石を見つめながら、アキラは彼の言葉も聞いていた。

それは一概に悪い事…ではないのだろうが……やはり少し寂しい。

 

「ここが今です」

少年が石を並べ終わった。

 

『石を打たない→ネット囲碁』の言葉で、アキラは脊椎反射のように、ある人物を連想していた。

 

「違うな」

同じ事を考えていたであろう緒方が、先に結論を述べた。

「『sai』とは違う。あきらかに囲碁の性格が違う。それに…」

この娘が『sai』だったなんて日には、囲碁の神様を速攻ぶん殴りに行きかねない自分がいる。

 

『sai』・・二年前の夏、ネットの某有名囲碁サイトに登場し、世界中の強者相手に無双して、一ヶ月で消えた。

と思ったら、今年の春に一度だけ復活して、日本のトップ塔矢行洋をなで斬りにして、また消えた。

世界中の囲碁関係者の関心の的で、緒方も例外ではない。

 

アキラに至っては一昨年の夏に無双を喰らった一人であり、あまつさえ、尊敬する父親に土を付けられた。

個人的にも、『sai』に対する執念はハンパない。

二人とも、収集出来うる限りの『sai』の棋譜を集め、研究は、し尽くしている。

 

「そうですね、僕もそう思います。『sai』ではない」

では、このカヤコという女性は、あの少年の言うように、ネット等で対局を積み重ねて強くなっただけなのだろうか? 

ふと、『sai』もただ、たまたまそういった人物だったのかもしれないと頭を過(よぎ)って、目眩がした。

 

「アキラ君、考えている事はだいたい予想出来るけれど、多分違うぞ」

少年が報告してくれる新たな一手を置きながら、緒方が言った。

「囲碁に限っては、強い相手が居ない所では、絶対に強くなれない。

塔矢先生が、棋道無き世界で育った、そんな温(ぬる)い相手に、負けたと思うのか?」

「……」

 

囲碁界のトップ塔矢行洋を父に持って生まれたアキラは、当然のように父と同じ道に入った。

囲碁という遊戯が強いばかりではなく、『道』としてそれを極める姿に、憧れ尊敬し、後に続きたいと思っている。

そんな途中で、『sai』という、道を無視した異質な存在に出逢ってしまったのだ。

今までの自分が総て否定されるような…

 

「しかも『sai』は、現れた瞬間、強かった」

いつ何処で棋力を育てたのかまったく不明で、世界中の囲碁組織にも該当者が見付からない。

「だから俺達は、ネットに潜む『彼』の実態を、必死で追い求めているんじゃないか」

 

 

 

 

 



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~前年の6月~ SAI

SAI―1

 

棋院には、プロを目指す子供達の為の、専門の研修機関がある。

院生と呼ばれる彼らは、成績順で1組と2組に分かれ、師範の指導を受けながら日々棋力を磨いている。

 

この日の対局表を見た進藤ヒカルが、席を確認して不満の声を上げた。

「俺、1組なのに、何で今日の席、2組の、しかも一番ドンケツの場所なんだよ」

 

―ヒカル、落ち着いて―

 

佐為(さい)が横からたしなめる。

でも、そう…悪い予感が的中してしまったみたいだ。

 

「申し訳ないね、進藤君、福井君」

院生師範の篠田が、席表を確かめながらやって来た。

 

「画家さんの指定でね。

ほら、今日から、研修風景のスケッチに、画家さんが来るって言ってあっただろう?

メインで描く子供を数人決めて、その子の席は固定してくれって頼まれたんだ」

 

「うわあ、僕、モデルになるの?」

福井が頓狂な声を上げた。

 

「いや、福井君には気の毒だけれど、指定されたのは進藤君。

今日から4、5日、そのはじっこの席になるけれど、手合いには影響しないだろう?」

 

「うん、それなら仕方がないや。いいよ!」

ヒカルは、従来のポジティブさで、軽く切り替える。

「他には誰が指定されたの?」

 

篠田が教えてくれたのは、年齢性別バラバラの、外見にも一貫性の無い面々だった。

「むぅ…カッコイイから選ばれたって訳でもないみたいだな」

 

―そう…多分、これは、こじつけ…―

 

(ちぇっ、佐為はまたそうやってネガティブになるぅ)

 

先程からヒカルと話しているのは、藤原佐為(ふじわらのさい)。

平安時代に生きた棋士。

ヒカルにしか見えない聞こえない、ヒカルの側から離れられない。

いわゆる、ヒカルに憑依している幽霊だ。

と言っても悪さをする意思も能力も無く、本人至って呑気で迎楊(おうよう)。

目下のポジションは、ヒカルの囲碁の先生。

 

―あの女性…―

 

佐為は、道場の反対側、皆から距離を置いた隅っこの板の間にイーゼルを立てる色の白い女性を、チラと見た。

 

―先程、エレベーターの出口ですれ違った時、ぜったい目が会いました―

 

(気のせいだよ、佐為)

佐為と出会って一年半になるけれど、彼に気付く人間には遭遇した事が無い。

 

―その後こんな、自分から一番遠い席を指定するなんて。

意識的に遠ざけているとしか思えません―

(何で意識的に遠ざけるんだよ?)

 

―そりゃ、怖いんでしょう。普通の女性は、怖がりますよ。

幽霊ですよ、私、ユーレイ! 

この前チラッとテレビで見た『写っちまったシリ―ズ』など、全身総毛立つ恐ろしさだったではありませんか―

 

(あんなの作り物に決まってるだろ。モノホンはお前だけで十分だっつーの)

 

時間が来て福井が向かいに座ったので、ヒカルは対局に集中する。

(分かったよ、佐為。昼の打ち掛けの時に確かめてやるよ)

 

囲碁というのは、真面目に打つと、一局にけっこう時間がかかる。

対戦の途中でも、篠田師範の合図で、皆一斉に昼食休憩に入る。

 

『邪魔をしないように』とのお達しはあったが、そこは子供の好奇心。

画家女史の周囲に、小さい子が群がった。

 

「これなあに?」

「パステルよ」

「これなあに?」

「練りゴム~」

 

「何で院生なんか描いているの?」

「さあ、なんでだと思う?」

「しょーぞーけんが安いからだ―」

「あはは」

 

それなりに子供の相手もしてくれているなと、篠田は安心して自分の待機室に向かった。

 

―――パキッ―――

 

乾いた板が割れるような高音。

昼食に手を掛けようとしていた篠田は、慌てて部屋を飛び出た。

先程イーゼルの周囲に居た子供が、廊下を駆けて来る。

 

「篠田せんせぇ、カミナリ落ちた! カミナリ!」

「?? カミナリ??」

 

子供に引っ張られた先のロビーの自販機の前で、進藤ヒカルが尻モチをついている。

その奥、少し離れた壁際に、カヤコが、うずくまって倒れていた。

 

「カヤコさん!」

 

「先生!」

 

駆け寄ろうとした篠田に、年長の院生が大声で止めた。

彼は両手を広げて、子供達をも制止している。

「漏電かもしれません。火花を見たんです」

 

「えっ、漏電?!」

篠田は蒼白になって、自らも子供達を反対側へ押しやった。

「進藤君、大丈夫か、進藤君!」

 

尻モチを着いていたヒカルが振り返る。

「俺は大丈夫、でもあの女の人が」

「動けるなら立ってこちらへ来なさい。 カヤコさん!」

 

壁際の女性もピクンと動いて身を起こした。

篠田は心臓をバクバクさせながらも、胸を撫で下ろした。

 

 

SAI―2

 

「自販機って漏電するの? アースとか付いているんじゃなかったっけ?」

三角コーンとロープの張られた自販機横を、院生達が窮屈そうに通り過ぎた。

 

「でも見た奴の話じゃ、天井の蛍光灯も眩しい位に光ったんだって。電気系統の何か異常だったんだろうな」

「一階までジュース買いに行くの、メンドクサーイ」

「怪我人が出なかったから良かったよね。明後日の月曜には業者が来るってさ」

 

彼らから少し離れて、ヒカルがうつ向き加減に帰途に着く。

 

―ぜったい私のせいですね…―

 

「ちげーよ! 漏電だよ漏電。偶然だって言っただろ。

今までこんな事、一度も無かったんだから」

ヒカルの言葉は無理矢理自分にも言い聞かせているみたいだった。

 

あの後、営繕の人間が来て、ゴム長ゴム手袋のものものしい装備で、自販機の電源を切ってコンセントを抜いた。

あと念の為、周辺に立ち入り禁止のロープを張った。

 

倒れていたカヤコに怪我はなかった。

「ビリッときて驚いた」、とだけ言って、午後も普通にスケッチ作業を続け、ヒカルが福井ともう一局打っている間に、さっさと片付けて帰って行った。

 

「俺はただ、後ろから声を掛けただけなんだ」

 

子供達に囲まれていたカヤコは、ヒカルが立ってこちらへ来るのを見て、「お茶買って来る」と、逃れるようにカンバスを離れた。

その様子にムッとして、ヒカルは、販売機の前で背を向けているカヤコに、足音を忍ばせて近寄ったのだ。

 

「ねえ」

 

「ひっ」

 

振り向いた女性の怯えた顔。

 

それを見て、佐為が思わず、

―私は怖い者ではありません!― と叫び、 

 

次の瞬間、その場がカッと光ったのだ。

 

「カヤコさんの電話番号?」

「うん、えーと、今日の事心配で、大丈夫かなーって」

佐為があまりに気にするので、篠田先生に電話番号を聞いて、誤解を解く事にした。

でもぜったい佐為の取り越し苦労なんだから。

 

「うん、ごめんね、女性の電話番号だし、教えるのはちょっと。

君が心配してたって、ちゃんと伝えておくから」

 

篠田にしたら、桑原本因坊宅の電話番号を安易に教える訳には行かないのと、カヤコが桑原の身内というのも、あまり広めるべきではないとの思いがあった。

 

 

進展しないまま、帰宅するヒカル。

佐為はずーんと沈んでいる。

 

彼が憂鬱だと、ホンの少しだが、ヒカルにも影響するのだ。

胃がムカムカして吐き気がする。

でも今そんな事を言うと、ますます彼がヘコむのが分かっているので、ガマンしてその日は早く休んだ。

 

「明日の日曜も、あの人、居るんだよなあ・・」

 

 

日曜朝の手合い場。

時間ギリギリに行くと、色の白い女性は、もうカンバスに向かって手を走らせている。

反対側の入り口から、目をそらしながら、端っこの定位置に向かう。

 

「えっ?」

座布団の前、碁盤との間に隠すように、小さな紙袋が置かれていた。

女子がよく使う、何の役に立つんだよってくらい限りなく小さい手提げ袋だ。

バレンタインに、あかりにこんなの貰った覚えがある。

 

顔を上げて、遠くの板の間を見た。

カンバスの影から、女性がこちらを見ている。

 

手提げ袋のあった位置を指差し、次にその指を女性に向けた。

女性は会釈するようにうなずいた。

 

 

SAI―3

 

佐為は、ヒカルの対局中は、ぜったいに口出しをしない。

扇を口許に当てて、黙って静かに見据えているだけ。

 

自分はヒカルの影で、この子の囲碁人生をただ見守るだけの者だと、得心している。

 

どうしようもないのだ。

どうやら自分は強すぎる。

 

まだ出会って間もない頃、ヒカルは囲碁に興味が無かったので、何も考えずに自分の望みに応じてくれた。

街の囲碁道場に赴き、その辺の適当な者と、自分の指示通りに何局か打ってくれたのだ。

その数回の内に、たまたま鬼のように執念深い者に当たって、今それで結構苦労している。

 

ヒカルが気を使って、ネットカフェでインターネット囲碁をやらせてくれた時も、気が付いたら世界中で大騒ぎになっていた。

傍(はた)から見たらマウスを持っているのはヒカルなのだから、万が一見付かったら、世界中のあんな怖い執念深い者に、ヒカルが追い回される羽目になる。

 

とにかく、ヒカルが己の力で平穏に囲碁の道を進んで行けるよう、自分は控えなければならないのだ。

 

―本当は、とっても打ちたいんですけれどね…―

 

という訳で、囲碁以外のシーンで佐為のストレスは暴走する。

 

―何でしょう、何でしょう。ヒカル、早く開けてみましょうよっ―

 

昼休みの棋院裏庭。

朝に貰った紙袋が気になって気になって、昼休みの号令と同時に、佐為はヒカルをせっ付いた。

 

「まあ待てよ、しかし女子ってのは、何でこんな小さい袋をいちいちシールで止めるんだろうな。

……よし、開いた」

 

こんな可愛い袋、奈瀬あたりに見られたら、何を言われるか分からないと、うるさい佐為を引き連れて、ここまで走って来たのだ。

 

「手紙、…それと、何か、四角い包み?」

 

手紙は、白い和紙の素っ気ない便箋に、<昨日はびっくりしましたね>、との一行。

 

「これだけ?」

―そちらの包みは?―

 

「クッキ―とかじゃねえの? あっそうか」

―ヒカル?―

 

「きっと、篠田先生、俺が心配してたって伝えてくれたんだよ。それのお礼じゃないかな。

大勢の中で渡せないから、そっと置いてってくれたんだよ」

―はあ、それは律儀な―

 

「何にしても、物をくれるってのは、嫌われていない証拠だよ。

やっぱお前の取り越し苦労だ。良かったな、佐為」

 

その日は、もう女性と目を合わせる事は無かったけれど、佐為は、もう彼女の事を気にするのはやめようと思った。

千年もの時を過ごしても、自分の存在を分かってくれる者には、たったの二人にしか出逢えなかったのだ。

その一人の大切なヒカルに、これ以上負担をかけてはいけない。

 

自宅に戻り、食事を済ませて部屋に上がる。

 

「あっ、これ、生物(なまもの)じゃないだろうな」

ヒカルは思い出して、バッグパックから、紙袋を引っ張り出した。

ガサガサと包みを開く。

「??」

 

白い箱から出て来たのは、白い陶磁器の湯呑みだった。

口がラッパ型に開いた、上品な奴だ。

 

「何でこんなの…。俺、中学生男子だぜ」

―桜の花びらの『透かし』が入っていますね―

 

「ん? ああ、ホントだ」

―光に透かしてご覧なさい―

 

言われて蛍光灯にかざすと、花びらが白く浮かび上がった。

 

「へえ、キレイだな」

―透かし彫りって技法ですよ。 上品なプレゼントですね―

 

「食い物の方が良かったけどな……ととっ、まだ何か入ってた」

箱の隅にあった、小さなジフロックの袋。

中には、直径七ミリ程のエンジ色の玉が十個程。

 

「んんん? 食い物か?」

―袋に何か書いてあります―

 

< 玉1つ・熱湯80cc >

 

「ホンット、素っ気ないな!」

―ヒカル、早く早く―

 

ヒカルが一階から持って来たポットで、玉を入れた湯呑みに湯を注ぐ。

 

―おお!―

 

エンジ色の玉がほぐれて、淡いピンクの桜の花が開いた。

「手品みたい、これ、桜茶って奴?」

ヒカルが持ち上げると、外側からピンクの色が透かされて、それも美しい。

 

「ううっ?」

一口含んだヒカルが、湯呑みを下に置いた。

「香りは凄く良いけど、めっちゃしょっぱくて、塩の味しかしない」

 

―そうなのですか? こんなに綺麗なのに…―

と、薄ピンクに染まった湯の中にたゆたう桜花を見つめて、佐為は、はたと気付いた。

 

これは、目で愉しむお茶なのだ。

持つ事も味わう事も出来ない…

見る事しか出来ない…

自分の為のお茶なのだ。

 

あの女性は、自分へ、これを、贈ってくれたのだ。

 

 

SAI―4

 

次に院生研修に行くまでの一週間が、佐為には待ち遠しかった。

 

早くお礼を伝えたかった。

しかし、自販機の前の事件を忘れてはいけない。

どうすれば良いのだろう。

 

土曜・・少し早い時間に、いつもの指定席に、ヒカルと共に座る。

女性はもうカンバスの前に座っているが、こちらを見て小さく会釈した。

 

そこで佐為は、右手を挙げて指を一本立ててみた。

女性はちょっと考えてから、パステルを左手に持ち変えて、右手の指を一本立てた。

 

はやる心を抑えて佐為は、次は指を三本にした。

女性は三本指を立てた。

 

―見えている!―

 

(マジかよ、うわぁ)

昨日佐為に言われて半信半疑だったヒカルも、素直に驚いている。

 

―ヒカルっ、次の作戦ですっ―

(う、うん)

 

佐為が今度は、右手で石を持つ形を作った。

女性が真似する前に、ヒカルが黒石を一つ持って、空中で静止している佐為の指の間にピタリと合わせる。

そうして二人同時に女性を見て、ニッコリうなずいた。

 

ここで女性は、今までにない、驚愕の表情をした。

 

―やっぱり・・―

 

彼女は、佐為がヒカルに憑いているのは見えていても、『ヒカルに佐為が見えているかどうか』は、分からなかったのだ。

 

―だってヒカル、もしも私に出会っていなくて、誰かに、『貴方の後ろに居る人が怖いから私に近付かないで』って言われたら、どう思います?―

 

「こいつ頭おかしいのか? って思うな」

―そうでしょう?―

 

だからどっち付かずの手紙を送り、『たしかめる』ような贈り物を寄越したのだ。

ヒカルが幽霊に憑かれている自覚が無ければ、『なんかハズした贈り物』で済ませられる。

 

佐為は、再びカンバスの影に隠れてしまった女性の方を見て、目を臥せてささやいた。

 

―今までに、沢山の失敗を重ねて来てしまったのでしょうね…―

 

 

 

カヤコが昼休憩を済ませてカンバスに戻ると、イーゼルの台座に白い封筒が置いてあった。

 

遠くであの二人がこちらを向いているので、小さく会釈する。

二人は顔を見合わせて、嬉しそうに笑い合っている。

 

(仲が良いんだな…)

 

あの子供の事はよく分からないけれど、隣に居る人は、そこそこ格の高い人だ。

トモダチ程ではないけれど。

 

 

 

<こんにちは

この間は、後ろから脅かしちゃってごめんなさい。

それから、イカした湯呑み、ありがとう。 

佐為も喜んでます。

進藤ヒカル

 

初に文を差し上げます。

藤原佐為と申します。

過日は大変失礼致しました。

あと、素晴らしい贈り物をありがとうございます。

たいそう嬉しゅうございました。

つきましては、あなた様と言葉を交わせればと思いまして、

連絡方法等をご提示頂ければありがたく存じます>

 

「佐為、お前の文章、堅ってぇよな。 見てよ、俺の字との、このアンバランス感」

―ヒカルも、大人の女性相手に、くだけすぎですよ―

 

そんな事を言い合いながら書いた手紙を、昼休みに画家女史のイ―ゼルに置いた。

そのついでに、描きかけの絵をしげしげ眺めた。

絵はまだ下描きで、茶とグレ―の線しかないけれど、柔らかい感じだな、と思った。

 

「この奥に居るの、俺かな?」

―こっちは和谷でしょうか、よく特徴を捉えていますね―

「出来上がるのが楽しみだな」

 

帰宅すると、佐為の前に湯呑みを置いて、茶を入れた。

佐為は嬉しそうに目を細めていた。

 

 

翌朝、座布団の前に目立たぬように手紙が挟まれていた。

 

白い和紙に、今度は何行も、女性らしい細い文字で、

 

<自分は霊障体質で、強い霊に近寄ると、相手の良い悪いに関係なく、体調に異変をきたしてしまう事。

理屈は分からないけれど、先日の自販機前の事件は、自分が原因である事。

今ぐらいの距離を保っていれば大事無いので、申し訳ないけれど協力をして欲しい事>

が、説明口調で箇条書きされていた。 そして、

 

<こんなだからお互い関わらない方がいいと思う。

でもどうしても必要になった時だけ連絡して下さい>

と、12桁の携帯番号と、桑原カヤコという名が記されていた。

 

「ホント、素っ気ないよなあ。

けど、電話番号教えてくれるって、佐為の事、大事に思ってくれている証拠だよ、なっ」

 

沈んでしまった佐為に、ヒカルが一生懸命元気付けようと話し掛ける。

 

―・・私・・幽霊なんですね、今更だけれど・・・・―

 

「そうだよ、幽霊だよ。

でも幽霊になって千年も生きたからこそ、俺に逢えたし、あのカヤコさんにも逢えたんじゃん。

俺、佐為に出逢えてよかったもん」

 

―・・ヒカル・・―

 

「それに、俺以外にも佐為が見える人間がいるって分かったじゃん。

これから俺が死ぬまでに、もっと大勢…霊障を起こさない奴にも会えるかも。

そしたら佐為を囲んで、賑やかにわいわい、今よりもっと、色んな事が出来るぜ」

 

―ヒカルったら・・―

 

「寂しがってる暇なんかないぜ」

 

―ええ、ええ、そうですよね、ヒカル・・―

 

 

その時は、本当にそう思って、二人で過ごす未来を、心に描いていた。

 

カヤコとは、彼女の下描きの仕事が終わって、棋院に来なくなってから、会わなくなった。

 

数週間後に、棋院ロビ―に篠田大絶賛の絵が掛けられた後、絵の恩師に同道して海外留学に行ったと、囲碁サロン常連の北上という男性から聞いた。

 

だから、ヒカルが彼女を本当に必要とした時には、連絡が取れなかった…。

 

 

 

 



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~その年の12月の続き~ AKIRA

AKIRA―3

 

「「「あっ」」」

対局現場で、ヒカルの声が、周囲のギャラリーとハモって上がった。

「あ・あ・ああ~~・・」

続いてギャラリーの悲鳴。

 

「どうした?」

緒方とアキラがそちらに駆け寄る。

 

ヒカルが顔色を無くして盤面を見つめ、周囲の者も口を開いて止まっていた。

カヤコだけが不思議そうにキョロキョロしている。

 

「あの女の子が、一度置いた石を『あ、間違えた』って言って置き直ししちまったんだ」

「はあっ?」

 

「お嬢ちゃん、それやったら反則負けになっちゃうんだよ」

「あらら、そうだったんですか」

 

そうだったんですかじゃないだろっ! 

 

「はあ……残念でした。あっ、どうもお待たせしまして」

待ち人に気を使ってか、カヤコは急いで石を片付け始めた。

 

「待って待って!」

ヒカルが立ち上がってその手を抑える。

「今の対局、最後までやりたいんだ。置き直してもいいから、続けさせてよ」

 

「でも…」

カヤコはバラバラにしてしまった盤面を困った顔で見つめる。

 

「復元出来るから大丈夫、ちょっと待ってて」

ヒカルがサクサクと石を戻し始めた。

「はああ、凄いんですね」

 

と、腰を伸ばしたカヤコが、いきなり緒方とアキラの方を振り向く。

「さっき聞こえて、ちょっと気になりました」

「??」

 

「その『現れた瞬間強かった』人のお話」

「はあ」

打っている最中、こちらの会話なぞ聞いていたのか。

 

「その『sai』って人の実態とか、そんなに気になるものなのでしょうか」

「……・・・」

「そこに出て来るその前に、大層な努力をして来た人、…それで済ませてあげられないのですか?」

 

「でも、囲碁は独りで努力するだけでは強くなれないんです。

強い者の中で切磋琢磨しなければ」

アキラが切り返し、緒方も後に続ける。

 

「囲碁の世界はシンプルな、尖った三角垂の山なんだ。

上に行く程、狭くなるから、登って行く途中でも、必ず誰かの目に止まる筈。

それが、誰も知らない強者が、いきなり山頂に現れたから、騒ぎになったんだよ。

そして俺達は、自分が強くなる為にも、彼が強くなった道筋を知りたいんだ」

 

分かりやすい説明に、周囲の者もうんうんとうなずく。

 

「強くなり方なんて、そんな一本道じゃないのに」

この素人娘がまだ言い返して、ギャラリーの中に不快な顔をする者も出た。

だがヒカルは、石を並べながらちょっと止まった。

 

「トモダチに聞いた話をするわ」

えっ? 今からっ? という周囲にお構いなしに、カヤコは話し始めた。

 

「トモダチは、囲碁が大好きで大好きで、でも山に住んでいたから、打つ相手がいなかったの」

おいおい、これ、どうするよ・・という空気だ。

 

「ある日、里の小さい子供に出会って、その子に囲碁を教えたの。

山の暮らしで碁盤なんか無いから、河原の土に19本の線を引いて、白と黒の小さい石を拾い集めて、それで囲碁を打ったの。

トモダチはとても強くて、子供はぜんぜん勝てなかったけれど、それでも子供も囲碁が大好きになってくれて。

里から毎日通って、毎日毎日、二人だけで、夏も冬も、河原で囲碁を打ち続けた」

 

色々突っ込みどころがあるが、悔しいけれど妙に引き込まれる話で、ギャラリーも黙った。

 

「子供はちょっとづつ強くなって、最初にハンデで置いていた石の数も減って行った。

そうなると楽しくて、何とかトモダチに勝ちたいと、新しい打ち方をどんどん考えて、トモダチをびっくりさせた。

トモダチの方も負けるもんかと、その度に対抗する方法を見付けて、意地でも子供を勝たせなかった。

そうやって二人は、多分それなりに強くなって行ったのだけれど、何せ二人きりだから、自分達がどのくらい強いのか、分からなかったの」

 

ボケッと聞いていた緒方も、少し身を乗り出す。

 

「それでどうなったの? 二人で山を降りて腕試しにでも出たか?」

ギャラリーの一人が突っ込みを入れる。

 

「ううん、山を降りたのは子供の方だけ。

トモダチを一人残して、『シューダンシューショク』って奴で、汽車に乗って、遠くに行ってしまった」

 

ある程度の年配者が真顔になる。

ヒカル達若い世代はピンと来ていない感じで、緒方はギリその言葉だけは知っていた。

 

「それでもあの子の故郷はここだから、いつかきっと帰って来てくれると信じて、トモダチは河原で石を並べながら待っていたの」

 

「それで、その子は帰って来たのか? 盆暮れの里帰りとかあるだろっ?」

ギャラリーの老人が、真剣な顔で目を潤ませながら聞いた。

 

「帰って来たわ」

老人はホッと胸を撫で下ろした。

 

「囲碁の世界で成功して、大層立派になって、沢山の人に出迎えられて汽車から降りて来た」

「おお」

ハッピーエンドな方向で、他の者も声を上げた。

 

「河原では、石をゴトゴト並べていたけれど、ちゃんと燕みたいに綺麗な打ち方が出来るようになって。

その姿を早く見せてあげたくて、その子は、山に急いだの」

「うん、うん」

 

「でも、あんなに毎日通った河原もトモダチも、見付けられなかった」

「ど、どうしてだよ」

 

「その子は強くなりすぎちゃったの」

「なんだよ、それ」

 

「大人の世界で打つようになったら、もう、楽しいだけで打っていた子供時代の河原には戻れないの。

トモダチの事も必要じゃなくなって、それで見えなくなっちゃった」

 

うわぁ・・そういうオチか・・って顔の一同。

 

「という訳で」

カヤコは緒方とアキラに向き直った。

「そういう『強くなり方』もあるって事です。

思いも寄らない方法で強くなった人は、案外その辺にゴロゴロいるのかもしれないわ」

 

緒方は横目でそっと隣のアキラを見た。

彼の事は赤ん坊の頃から知っているが、ここまで困り果てた顔を見るのは、初めてかもしれない。

 

「その『sai』という人は、トモダチと一緒で、ただただ囲碁が打ちたかったのではないでしょうか。

だったら、そう……子供みたいな心で、ただ打ってあげればよかったんだと思う」

 

黙って石を並べていたヒカルが顔を上げる。

 

「準備出来た。さあ続きを打とう」

 

 

 



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~その年の7月~ HIKARU

HIKARU―1

 

「居なくなっちゃったんですね、あの人」

 

セミの声に紛れて肩越しに、女性の声を聞いた。

 

振り向くと、初夏の夕焼け空を背景に、白いワンピースの女性が立っていた。

この人の声を聞くのは初めてだ。

この一年、忘れた事はなかったけれど。

 

「携帯の着信履歴を見て、ビックリしました。

あちらでは使えない機種だったので…。昨日、帰国したんです」

 

話しながら女性は、静かに歩いてヒカルの隣のブランコに座った。

最後の子供が母親に呼ばれて駆けて行き、藍に染まる公園は無人だ。

 

「必要な時には連絡してって言ったのに、ひどいよ・・」

 

ヒカルは足元を見つめたまま、小さくブランコを揺らした。

キィキィいう音を抗議のように聞きながら、女性は一言一言、ゆっくり話した。

 

「ごめんね、でも私もやっぱり、貴方の聞きたい事には答えてあげられなかったと、思います。

居なくなった人に会う方法とか、もう一度話をする方法とか、知らないもの」

 

聞きたかった事を先に答えられて、ヒカルはムスッとしながら立ち上がった。

そりゃそうだ、この人に何を期待していたのだろう。

自分の事にも苦労していたこの人に。

 

「でも、まったく何の役にも立てない訳でもないと思う。

ね、進藤さん、時間はありますか?」

女性は手に持っていた車のキーを示した。

 

「え・・えと? 家に連絡すればちょっとぐらい遅くなっても大丈夫だけれど…。

時間って、どのくらい?」

 

「30時間ぐらい」

 

「ええっ!」

 

「おじいちゃんに借りて来た」という黒い大きな車に乗せられ、ビックリ顔のままヒカルは、まず自宅に連行された。

 

女性は、『画家・桑原カヤコ』の名刺をヒカルの母に渡し、急な仕事で息子さんの助けが必要になった、と説明する。

それでも若いカヤコを信用しかねている母親に、カヤコは今度は『本因坊・桑原仁』の名刺を差し出し、母親よりもヒカルをビビらせる。

 

プロ棋士の息子が泊まりで仕事に行く事も経験していた母親は、ではくれぐれもお願いしますと、心配顔ながらも送り出してくれた。

 

「おじいちゃんからの伝言もあるけれど、後で言います。

あと、首都高から出るまでは話し掛けないでください。

地図は頭に入れて来たけれど、慣れていないから…」

女性は流れる夜景の光に照らされながら、緊張顔で運転している。

本当に話しかけたらダメな感じだ。

 

助手席でヒカルは、所在なく座っていた。

何処に向かっているのだろう。

でもこの人は、棋院や桑原先生の所には、連れて行かなさそうだ。

 

手合いをサボった理由を追及されるのとか、せっかくプロ試験に合格したのにと責められるのとか、もうウンザリなんだ。 佐為がいないのに。

 

…と、気付いた。

今、自分が、この人に対して安心感があるのは、この人と俺との繋がりが、佐為だけだからなんだ。

 

蛇のようなインターを幾つか過ぎ、周囲の車の数が減った。

女性も腕を伸ばして、ほぉっと息を吐く。

もう喋ってもいいのかな? 

 

「ね、何処へ行くの?」

「サイノカワラ」

 

「佐為の…カワラ?」

「賽の河原よ」

 

「何それ?」

「あの世とこの世の狭間」

 

「えっえっ・・ええっ?!」

 

ライトの逆光に浮かぶ横顔は真顔だ。

 

「ちょっと待って、停めて停めて、俺、降りる!」

泡食って、ドアの方ににじる子供に、女性は苦笑した。

 

「地名よ、ただの地名だから」

「地名? ビックリしたあ。変な地名」

 

「日本中にあるのよ。それだけ、必要な人が居るのでしょうね。

まあ、でも、良かったわ、元気そうで」

 

「元気? 俺、元気なんか無いし」

 

「本当のホントに元気を無くしている人は、あの世を怖がったりしないもの」

「………」

 

 

HIKARU―2

 

「それで佐為ったら、アポロが月まで行ったって教えても、ガンとして信じないの。

仕方がないから、本屋に行って写真集見せてやったら、喰い付いちゃって大変」

「ふふ」

「持ってるのが俺なんだから、重いのなんの」

「あははは」

 

ヒカルはとりとめなく佐為との思い出を話した。

カヤコが少しずつ聞いて来たからだが、気が付いたら、あれもこれもと言葉が堰をきった。

 

古い蔵での奇跡のような出会い。

文明社会を無邪気に面白がった、最初の頃。

彼の話してくれた、平安王朝の雅やかな風景。 

一人目に取り憑いていた虎次郎の事。

毎日毎日、飽きもせず二人で打ち続けた日々。

 

そうだ、誰かに聞いて貰いたかったんだ。

佐為がちゃんとそこに居て、俺と一緒に生きていた事。

 

「カヤコさん、なんだか俺……凄くお腹、空いてたみたい…」

「じゃ、次のサ―ビスエリアに寄りましょう」

「ガッツリ食べていい?」

「ガッツリ食べていいですよ」

 

『賽の河原』の総本山に行くと言われ、その場所を聞いて、ヒカルは色んな意味でドン引いた。

 

「恐山(おそれざん)? それって、テレビとかによく出てくる、心霊スポットなんじゃ…」

 

「そういうのは、後から勝手に作られた、片寄ったイメージ。

あそこは、大昔から、真面目に、あの世とこの世の狭間なの」

 

「カヤコさん、そんなの、信じているの?」

「ヒカル君は信じないですか?」

 

「佐為に会えるってんなら、何でも信じるよ」

「それは……最初に言ったでしょう?」

 

「じゃあ、行く意味無いじゃん」

「意味があるかどうかは、行ってみてからヒカル君が決めればいいわ」

 

そんな、卵が先かニワトリが先かなんて理屈で、片道800kmかけて俺を運んで、この人にはいったい何の信念があるのだろう。

 

「眠かったら寝てもいいですよ」と言われ、後部座席で足を伸ばしたら、あっという間に睡魔に落ちた。

 

そういえば、ちゃんと食べたのって、どれだけ振りだろう。

お腹が減るって感覚も、忘れていたような気がする。

 

…ああ…この車、広いよな、それにほとんど揺れない。

桑原先生の車だもんな。

俺もプロを続けていたら、母さんやじいちゃんをこんな車に乗せてあげられたのかな……

 

久し振りに泥のようにぐっすり熟睡した。

 

道路の継ぎ目の振動で目が覚めた。

外は薄ら明るくなっている。

夜明け前のぼんやりした窓外に浮かぶのは、ヒカルには馴染みのない針葉樹の山々。

ずいぶん遠くに来てしまった気がした。

 

「おはよう」

運転席のカヤコは、昨日と同じ姿勢でハンドルを握っている。

 

「お、おはよう、カヤコさん。ずっと休んでいないの?」

「休み休み来ましたよ。ヒカル君ぐっすり寝ていたから起こさなかったけれど。

どこか寄ります?」

 

「お腹すいた。ラーメン!」

「あはは、まだお店開いていないから、自販機のカップ麺になりますよ」

 

立ち寄ったサービスエリアは高台で、朝焼けにけぶる遠くの山々が見渡せた。

 

「あれが早池峰(はやちね)山」

コーヒーを片手に車まで歩く途中、カヤコは、遥か彼方にポツンと立つ単独峰を指差した。

 

「あの麓に私の故郷があります」

「へえ、そうなんだ」

 

「古い家でね。ご近所中、みんな桑原さん」

「うわ、郵便屋さん、大変そう」

「おじいちゃんもあそこが故郷なの」

「桑原先生? ふうん、そんな田舎で、どうやって囲碁強くなれたんだろ。あっ、ゴメン」

 

「ふふ、そう、何も無い田舎。私も子供の頃は、毎日山で遊んでいました」

「えーっ、ワイルド! 想像出来ない」

「山でお絵描きばっかりしてた」

「あ、それなら想像出来る」

 

「私が小さい頃からおじいちゃん、本因坊でね。たまに帰郷すると親戚一同大騒ぎなんだけれど、少ない時間の中で、私を膝に乗せて、必ず遊んでくれた」

「うへえ、そっちも想像出来ない」

 

「それで、おじいちゃんを喜ばせたくて、囲碁を覚えようと思ったの。

でも、カヤコには囲碁は向かないって」

「えっ? おじいちゃんが?」

 

「ううん、トモダチ」

「友達…」

 

急に出て来た登場人物に、ヒカルはちょっと戸惑った。

 

「山でいつも一緒にお絵描きしていたトモダチ。

そのトモダチは囲碁に詳しかったみたいだから、教えてって頼んだの。

そしたら、カヤコに囲碁は向かない、カヤコは絵だけを描いていればいいって」

 

「えええ、教えてくれたっていいじゃん。それで囲碁あきらめちゃったの?

桑原先生と打てるなんて、めっちゃ恵まれた環境なのに」

 

「うん…、でもほら、結局、今、絵描きになって、おじいちゃんを喜ばせる事が出来てる」

「ああ、まあ…」

 

「本当に毎日山で一緒に絵を描いて、夏も冬も、夢みたいだったなあ」

「……」

 

カヤコは今一度山を見つめ、それから少し声の調子を落とした。

「私が十歳くらいの時、トモダチは居なくなったんです」

「引っ越したの?」

 

「ううん、…私が悪かったんだけれどね」

「ケンカ?」

 

「ある時、ふっと『この子、どこの誰だろう?』って思っちゃったんです。

ご近所や学校には、こんな子いないよな…って。

小さい頃は何も考えずに、ただその子の事が好きで一緒に遊んでいたのに。

トモダチの正体を気にした瞬間、スイッチが切れたみたいに、見えなくなってしまったんです」

「………」

 

「後悔して大声で謝っても、あとのまつりでした」

「………」

 

「両親に訴えても気味の悪い事を言うなと叱られるし、元々の霊障体質が更にひどくなるしで…

まあ、グレましたよ」

「……そうなんだ」

 

ヒカルをしんみりさせてしまって、お喋りが過ぎたと思ったカヤコは、顔を上げてコーヒーを飲み干した。

「行きましょうか、あと少しです」

 

 

HIKARU―3

 

地の果てみたいな粛々たる景色を想像していたヒカルは、『日本三大霊場の街むつ市へようこそ』のアーケードに、力が抜けた。

 

「そりゃそうですよ、普通に人間が生活を営んでいる土地ですもの」

「カヤコさん、何度か来ているの?」

「二度目です。前回は、おじいちゃんと来ました」

 

カヤコは山に向けてハンドルをきり、ほどなく目的の霊場に到着した。

広い駐車場は早朝で車も少なく、人影はまばらだ。

 

端っこに車を停めてエンジンを切ると、カヤコはいきなりハンドルに突っ伏した。

 

「はあ・・うーん、これは・・」

「大丈夫っ? カヤコさん、『霊障』って奴?」

 

「さすがに、眠いです・・」

「ええっ!」

 

「すみません、少し眠ります」

「待ってっ、こらあああ!」

 

ヒカルの叫びにお構いなしに、カヤコはそのままクウクウと寝息を立て始めた。

なんて自由な人なんだ。

そりゃ、東京から夜を徹して走って来たらそうもなるだろうけれど…

 

仕方なしにヒカルは、車を降りて、一人でブラブラしてみる事にした。

先入観と違って、土産物屋もあるし、普通の観光地みたいだ。

「まあせっかく来たんだし」

 

入山料を払って山門をくぐり境内に入ると、やたらとだだっ広い他は、普通のお寺とあまり変わらなかった。

敷地を横切ってテクテク歩いて行くと、『賽の河原』と書かれた矢印があった。

 

「う・・」

そこだけは、他と違って、ぐっと来た。

火山ガスの影響する場所なんだろうか、見渡す限り白い瓦礫の荒野で、なるほど、あの世感満載だ。

 

所々石が積まれ、殺風景な中にやけに原色な風車がカラカラと回っている。

空は抜けるように青いのに、地上だけが別世界みたいだ。

 

佐為も亡くなった後、こういう所をさ迷った事があるんだろうか。

あの寂しがり屋の佐為が…。

そう思った途端、急にどうしようもなく切なくなった。

 

「大丈夫? ボク?」

 

声を掛けられてハッとした。

知らないおばあさんが、心配顔で覗き込んでいる。

「具合悪くなった? 真っ青だよ」

 

「えっ、いえっ、大丈夫です」

ヒカルは慌てて背筋を伸ばした。

そんなに酷い顔をしていたんだろうか。

 

(何だよ、俺、こんな思いをする為に、こんな所まで来たのかよ…?)

 

「家族の人のお参り?」

おばあさんに尚も聞かれて、返答に困った。

「いえ…」

 

「こんな時間から来るんは、普通にお参りしたい人だから」

そう言うばおばあさんは、割烹着に長靴姿で、この場所の清掃などをする世話人っぽかった。

 

「友達の為に来たんです」

通りすがりの人だからいいやと、正直に答えた。

 

「そう、ボクの友達だったらまだ子供さんだね、いたましいねえ」

そう言っておばあさんは、足元の石を拾っては側の石塔に積み上げた。

 

「それ、勝手にやってもいいの? 演出で積んであるんだと思ってた」

 

おばあさんは目を丸くして苦笑いした。

 

「石積んで、子供さんの成仏を助けてあげるんよ。

子供さんが小さいままに亡くなって親を悲しませるのは、それだけで罪になるの。

罰として、賽の河原で、自分の背丈だけ石を積むまで、成仏させて貰えないのだわ」

 

「酷い、自分でわざと死んだ訳でもないのに、罪になるの?」

ヒカルがびっくりして聞いた。

 

「そう、だから、生きている者が、あの世に手の届くここに来て、石積みを手伝ってあげるんよ」

 

遠くで若い女の人が、屈んで静かに石を積み重ねている。

 

「あの、おばあさん」

ヒカルは思い切って聞いてみた。

「居なくなった友達に、もう一度幽霊になって帰って来て貰う方法はないの?」

 

おばあさんは、真面目な顔でヒカルを見つめ、静かに首を振った。

「そんな事は望んじゃいかん。友達の事を思うのなら、石を積んであげなさい」

「…‥…」

 

「大丈夫、確かに自分でわざと死んだ訳ではないのだからね。

そういう子供達は、最後には、ほら、あそこに居らっしゃる観音様が、救って下さる事になっとる」

おばあさんは、少し高台に立てられている、菩薩像を差した。

 

「本当に自分でわざと死んだ者は、また別の話さ」

 

 

石の荒野の向こうに、恐ろしく青い湖が広がっていた。

白砂の水際に佇んでいるヒカルの側に、黒い日傘を差したカヤコが近付く。

 

「ここ、酸性が強くて、生き物がほとんど住めないらしいですよ」

 

「…カヤコさん、もういいの?」

 

「はい、お陰さまで、頭がスッキリしました。……ヒカル君?」

カヤコは、ヒカルの頬の涙の筋に気付いて、心配そうに見つめた。

 

「地元のおばあさんに捕まって、お喋りの相手をさせられてたんだ。

おばあさんが一方的に喋りまくってただけだけど」

「…そうなの」

 

「聞きもしない事、いっぱい聞かされた。知らなきゃよかった事も」

「……」

 

「『自分でわざと死んだ人』の行き先を聞いた。

一番重い罪で、一番重い罰を受けなきゃならないって」

 

カヤコは黙って、かすれた声で話すヒカルを見つめていた。

彼の隣に居たあの人が、平安時代に自ら命を絶った話は、夕べ聞いていた。

 

「俺、自分が、佐為が居なくなって辛いってばかり思ってたけど…、佐為の事、考えてなかった。

あいつ、暢気に幽霊なんかやってても、実質は、ああいう荒野をさ迷ってるような存在なんだって。

そうだよな、どんなに囲碁が強くても、石も持てないんだ……」

「………」

 

「俺から離れて、あいつが寂しくない訳、ないじゃないか。

何処かで独りで放り出されて、まだ罪を償わなきゃならないのか?

俺、あいつに、何をしてやったらよかったんだ?」

 

 

HIKARU―4

 

「行きの車で聞いた話の中で、ひとつ、えっ? と思った事がありました」

 

白砂に並んで立ち、カヤコは湖の方を向いたままポツッと言った。

ヒカルは、こぶしで頬を拭いながら、彼女の方を見る。

 

「スケッチに行った時に見掛けたあの人は、『自分でわざと死んだ人』には見えませんでした」

「…どういう意味?」

 

カヤコは、相変わらず湖の方を向いたまま、訥々(とつとつ)と続ける。

「そういう人ってね…、そういう事をやっちゃった人は、赤とか赤黒だとか、きつい色に、ドロドロと包まれていたりするんです」

 

「え…マジ…?」

「マジです、見えて気持ちのいい物ではないです」

「………」

 

「けれど、私が見たあの人は、白っぽい明るい光に包まれていました。

だから、とても格の高い幽霊さんだと思っていたのに、昨日の話を聞いて、ビックリしました」

 

「格が高いって…」

「私が今までに見た経験上だと・・・上から二番目ぐらいかな」

ここでカヤコはヒカルの方を見て、ちょっと微笑んだ。

「いつ上に行ってもおかしくないような」

 

「じゃ、佐為は、自分で死んだんじゃないって事?

でもあいつ、自分でそう言ったんだ」

 

カヤコは少し考えてから、ゆっくり口を開いた。

 

「昨日の話に出て来た虎次郎さん…、その人と、ヒカル君の二人で、あの人の色を変えてあげたんじゃないでしょうか」

「??」

 

「二人で、あの人の石を積んであげたんですよ。

上の明るい所へ送り出してあげるように。

虎次郎さんだけでは出来なかった事を、ヒカル君がバトンタッチして」

 

「バトンタッチ?」

「そう、虎次郎さんがやらなくて、ヒカル君がやった事・・・」

「・・・!!」

 

ヒカルの目の前に、佐為と共に打ったひとつひとつの場面がフラッシュバックした。

 

あの時も、あの時も……

いつもいつも後ろで、優しい目で見守ってくれた佐為。

 

(俺が自分の石を打つ事も、佐為の石を積んであげた事になったの? 

本当にそうなの?  

それで良かったの? 佐為!)

 

「あ・・」

湖の方を見ていたカヤコが小さく声を上げたので、つられてヒカルもそちらを見た。

 

黒いカラスが羽ばたきながら飛んで来て、遠くの湖面に波紋を作った…と思ったら、そのままフイッと消えた。

クチバシもあったし、横顔は確かにカラス…

でもそのカラスは、どうしたってカラスの大きさじゃなかったし、どうしたって手足のある、人の形をしていた。

 

「・・・・・」

横のカヤコを見ると、目を見開いて湖面を睨んでいる。

俺だけの見間違いじゃなかったよな…?

ねえ、今…と、聞こうとした所で、不意にカヤコが口を開いた。

 

「じゃ、おじいちゃんの伝言を言います」

(えっ? 今っ?!)

 

「『ぐだぐだ迷うな! 今、お前の中にあったのが、『答え』じゃ!』・・だそうです」

 

「・・・・・・!」

 

「ここは、『居なくなった人を捜しに来る所』ではなくて、『居なくなった人ときちんと決別しに来る所』だそうです。

もう誰も助けてくれないから、自分一人だけの力で。

それを済ませないと、『自分のこれから』は見つけられないから。

私が十歳の時、おじいちゃんに、ここで教わりました」

 

 

帰路、ヒカルは一人、新幹線に揺られていた。

 

駅まで送ってくれたカヤコは、「私はのんびり帰ります、いい温泉があるんですよ~」と、ニコニコ手を振っていた。

どこまでも自由な人だ。

 

もっとも、一刻も早く帰りたいとワガママを言ったのはヒカルなんだから、仕方がない。

 

「じゃ、新幹線で帰ったらいいですよ。

はやぶさだと、東京まで三時間半ぐらいです」

カヤコにサックリと言われ、ヒカルは思わず彼女を二度見した。

「そ、そんなモンなのっ?!」

「行きも新幹線でよかったのに…って思っていますか?」

 

ヒカルは即座に首を横に振った。

あの一晩かけた旅も、答えに繋がる道程だったんだと思う。

 

「最後に一つ聞いていい?」

「はい、なんでしょう」

 

「自販機の前で、カヤコさんを守ろうとして俺達を弾き飛ばしたの、トモダチ?」

 

カヤコはちょっと止まって、前を向いたまま、「うん…多分」と、うなずいた。

 

「再会出来ていたの? それとも見えないだけで、実は近くに居てくれたの?」

 

それを聞かれるだろうと予測していたカヤコは、困った感じで言い淀んだ。

「うーん、分からないんです。ああいうのは初めてだったし…それに…」

 

トモダチと佐為は違う。

無責任にヒカルに期待を持たせる事は言いたくないのだ。

 

「あまり考えないようにしているんです。

深く考えると、また消えてしまいそうで。

さっきみたいに、たまにふっと存在を感じさせてくれる…ぐらいの付き合いですよ、多分」

 

「そう…ありがとう」

あやふやだけれど、この人の精一杯の答えなんだろう。

でもきっと、トモダチを忘れないで絵の道を頑張って歩いた先に、今があったんだろうな…と、ヒカルは思った。

 

自分もいつか、そんな風に佐為を感じられる時が来るのだろうか。

 

 

東京の自宅には、陽のあるうちに帰り付けた。

文明って凄い。

 

一日しか離れていなかったのに、凄く久し振りに感じる母親が、料理のお玉を片手に台所から顔を出した。

 

「お帰り、ヒカル。 伊角さんって人が来ているわよ。

よかったわ、もうちょっと待って会えなかったら帰りますって言っていた所だったから」

 

 

 



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~その年の12月の続きの続き~ AKIRA

AKIRA―4

 

対局が思いの外長引いているのは、ヒカルがー手に手間取り始めたからだ。

 

盤面が止まっている間、アキラは、三年前のある対局を思い出していた。

自分が進藤ヒカルと初めて会った、駅前の碁会所。

 

進藤ヒカル・・・師匠もいないのに、石の持ち方も知らない地点から、二年足らずでプロになり、今や、幼児の頃から父に指導を受けている自分に追い付こうしている。

 

それだけなら、『類希なる才能があった』で、ギリ納得してやる。

問題は、それ以前…初めて会った時、素人だった時点で、自分に勝利した事だ。

しかも、『sai』を彷彿させる打ち筋で。

 

今は、プライベートでも対局し、囲碁論を戦わせる仲になったけれど、その時の確執はまだ残っている。

彼も意識して、過去の事は話題から外している感じだ。

そういう、心を割って本心を聞いたり話したりするスキルが、自分には決定的に欠けているのだろうな。

囲碁だけで生きて来たんだし。多分、これからもそうだし。

 

何故今更そんな事を思い出すのかというと、今、目の前で展開される対局が、その時そのまんまなのだ。

どうしたって初心者以前の素人にしか見えない女性がゴトゴト不器用に置く石が、プロの進藤を翻弄している。

まったく、なんなんだ・・・これは・・・

 

「ほお・・、アキラ君、この石」

緒方の声で呼び戻された。

「どこかで見た配置だと思っていたんだよ。ほら、見覚えはないか?」

 

「『sai』ですか? いや、やっぱり『sai』では無いけれど・・・あっ、そうか、先日の」

 

「ああ、俺がハメられた奴だ、……うぅむ…」

緒方は、口一杯の苦虫を噛み潰したような顔になった。

そう、この、気が付いたらいつの間にか蛇のとぐろの中にいたような、嫌な感覚…

 

「呼んだか?」

 

想像した人物が召喚されたように顔を出し、二人を飛び上がらせた。

 

「く、桑原先生!」

「呼んでません! まったく、俺を索敵する超音波でも出しているんですかっ」

「人を妖怪みたいに…」

 

桑原は、二人が並べている検討中の盤に目をやった。

「・・ほお」

それから、対局中のカヤコの方へ歩み寄った。

 

「あ、おじいちゃん」

カヤコが手を止めて顔を上げた。

「ご用は終わったの?」

 

「ああ、じゃが…」

桑原は今一度盤面を見渡し、そしてカヤコの耳元に口を近付けて、短く何かささやいた。

 

「うん、そう…」

カヤコが小声で返事した時、老人の顔がこれ以上ない程に変化したのを、対座しているヒカルは見ていた。

 

「構わん、決着付くまで打ち切れ。小僧、負けるなよ、まあ勝てないがの」

 

変な励まし方をして立ち去ろうとする桑原に、アキラが声を掛けた。

「お孫さんだったんですか。どうりでこの打ち筋、よく似ていらっしゃると」

「惚れたか」

「いえ、特には」

 

ち、カラカイがいのない…と、肩をすくめて老人は、奥の喫煙スペ―スに行ってしまった。

盤上の行方に興味は無いのだろうか?

 

 

愛用の両切り煙草をくわえると、火を差し出す者が隣に居る。

「見ていなくていいのか? 進藤の小僧がこてんぱんにやられる様など、滅多に見られるモンじゃないぞ」

 

緒方は自分の煙草に火を灯し、ゆっくりと煙を吐いた。

「彼女は囲碁はやった事が無いと、伝え聞いていたんですがね」

「ひょひょ…」

 

「桑原先生も、彼女に囲碁の手ほどきなど、していないでしょう? 

棋道を突き詰めていらっしゃる貴方が、幾ら可愛い孫娘でも、あんな不細工な打ち方を許しておく筈がない」

「ふぉふぉ…」

 

「いったい誰が彼女の師匠なんです?

いや、質問が違ったか。

いったい、ナニが、進藤ヒカルの相手をしているんです?」

 

「ひゃっひゃひゃひゃひゃ・・」

 

 

 



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~回想~ KAYAKO

KAYAKO―1

 

あの山の夏は、いつもあっという間だった。

 

雪が消えて芽が出てツルが伸びて葉が覆って干からびて枯れ野になるまでが、日々早送りみたいにすっ飛んで行った。

そんな毎日を、お絵描き帳に描き写して行く。トモダチと一緒に。

 

「きのうから、おじいちゃんがきてるの。トーキョーの、イゴのおじいちゃん」

 

「ジン? おじいちゃんのなまえは、ヒトシだよ? 

ふうん、あんたはジンってよぶの? まあいいや」

 

「うん、げんきだよ。

ボーエイきろく、コーシンちゅーだって」

 

はたで誰かが聞いていたら、独り言の多いおかしな子供に見えた事だろう。

そんな感じで、私は、お絵描き帳とトモダチと、山の移り行く季節の中で育った。

 

 

「カヤコも囲碁を覚えたら、おじいちゃんを喜ばせてあげられるかな。

ね、囲碁教えてよ、あんた詳しそうじゃない」

 

「どうして、そんな事いうの? 

向いてなくなんかないよ。おじいちゃんの孫だもん。

きっとすぐに上手になってみせる」

 

「えっ、なんで泣くの? 

ごめん、ごめんよぉ、もう言わない。

カヤコに囲碁は向いてない。それでいいから泣かないで。

もう囲碁の話なんかしない。だから泣き止んでよ」

 

「うん、カヤコは絵描きになるよ。

絵描きになって東京に行って、おじいちゃんの絵をいっぱい描いて、そっちで喜ばせてあげる事にした。

その時は・・・あんたも、一緒に来る?」

 

 

<拝啓 おじいちゃん。

おじいちゃんなら信じてくれると思って、手紙を書きます。

お父さんもお母さんも信じてくれませんでした。

カヤコには、トモダチがいました。

毎日、山でいっしょにあそんでいました。

ある日とつぜんいなくなりました。

カヤコがわるかったんです。

トモダチをうたがってしまいました。

おじいちゃん、カヤコはどうしたらいいんでしょうか>

 

大人になってから考えると、こんな手紙を貰ったおじいちゃんは困っただろうな、と思う。

 

でも即座に、返信をくれた。

内容は短かったけれど、私の話を信じた上で、自分の考えを書いてくれた。

十歳の私の言う事を、真剣に受け取ってくれた。

 

その年の帰郷で、私の為だけに沢山の時間を割いて、青森の賽の河原まで連れて行ってくれた。

そして、青い湖の畔に立って、色んな話をしてくれた。

おじいちゃんは、私を子供だからと適当にあしらわず、ちゃんと向かい合ってくれた。

 

おかげで、私は、自分を信じる事が出来た。

トモダチと約束した絵描きになる道が、いつかトモダチと繋がるに違いないと、思い貫けた。

 

あの時から、おじいちゃんは、私の超ヒーローになった。

 

 

KAYAKO―2

 

両親に内緒で応募した小さなコンク―ルで佳作に入った。

その時の審査員の一人だった先生が、自分のゼミに入って勉強してみないかと声を掛けてくれた。

 

今までコツコツ積み重ねて来た事が、動き出した気がする。

ただ、問題は両親なんだよな…。

まあイザとなったら家出でも何でもすればいいやと準備していたら、何の前触れもなく、東京のおじいちゃんが登場した。

 

「お前は儂が責任を持って預かる事になったんだから、学費だのなんじゃらは、心配するな、任せておけ。

ただし、やるからには一等賞を目指せ。それ以外の報告は要らん」

 

初めて乗る新幹線に胸を踊らせなから、おじいちゃんはやっぱり私のヒーローだと確信した。

 

 

東京に出たら、先生のゼミに通う他に、行ける勉強会は端から参加した。

霊障体質のトラブルが心配だったが、行動範囲で『力の強い幽霊』に、出会わなかったからラッキーだった。

(もっとも、油断した頃に、『とびきり強力な人』に出くわしてしまったのだが)

 

おじいちゃんちの広い邸宅の離れを宛がって貰ったけれど、食費ぐらいは入れようと、本屋でアルバイトの雑誌を探した。

青い雑誌とピンクの雑誌が並んでいて、ピンクの方に『女性専用』と書いてあったので、そちらを買って部屋に置いておいたら、家政婦の奥内さんが見つけて大騒ぎして、おじいちゃんの前で正座させられる羽目になった。

 

で、いろんな過程を経て、私は、ゼミ以外の日は、おじいちゃんの運転手をする事になった。

ずいぶんと大きな車だったけれど、叔父さんちのトラクター程ではなかったので、まあ、なんとかなった。

 

 

棋院の建物は、ほぼ入った事が無い。

駐車場で待っている時間をデッサンの予習に当てたかったのもあるんだけれど…

 

『カヤコは囲碁はやらない』

私にはトモダチとの約束があった。

今はトモダチは側に居ないんだけれど、自分が囲碁をやったら、またあの子が何処かで泣いてしまう気がして、出来るだけ興味を持たないようにした。

 

土日は小さい子供達が賑やかに建物に入って行く。

山のトモダチは、『囲碁』の何があんなに悲しかったんだろう。

 

この建物には、あの頃の私よりも小さい子供や、おじいちゃんよりヨボヨボのお爺ちゃんもやって来る。

仲良さそうに連れだって来る人達もいる。

囲碁ってきっと素敵なものなんだろう。

 

だから私は絵に描こうと思った。

碁盤の前のおじいちゃんは、世界で一番カッコいいヒーローだ。

他にもきっと描きたくなる物が沢山あるに違いない

 

 

KAYAKO―3

 

棋院の庇(ひさし)に燕が巣をかけた。

これは是非スケッチしなくては。

何せ、このキレイな翼の形が、苦手だ。

先生にもダメ出しされたばかり。

 

おじいちゃんを降ろした後、車をそちらへ持って行き、運転席でスケッチブックを広げた。

十何羽目かを描き終えた時、スケッチブックに影が映った。

振り返ると、まったく知らない大人の男の人が立っていたんだけれど・・・

 

・・ビックリした! だって、眉間のシワが、トモダチに瓜二つなんだもん!

 

あまりに驚いて、車の天井に頭をぶつけた。痛かった・・・

 

だいぶん後になって、篠田さんに、あの男の人は、おじいちゃんのお気に入りだって聞いた。

きっと眉間のシワが気に入ったのに違いない。

 

 

 

視線を感じた。

手合い所の板の間で、イーゼルを組み立てている時だった。

(さっき、エレベーターの前ですれ違った人だ…)

 

幽霊にはしょっちゅう会うけれど、さっきの人は、飛び抜けて存在感があった。

すれ違っただけで、クラッときた。

近寄ったら多分、軽い頭痛ぐらいじゃ済まなさそうだ。

 

ここで、田舎に居た時みたいな騒ぎは起こせない。

おじいちゃんに迷惑をかけてしまう。

これは本当に、あの人達に近寄らないよう、細心の注意を払わねば。

 

・・と思って、色々工夫したのに、自販機の前で、いきなり遭遇してしまった。

 

幽霊の人が何が言った声が、割れ鐘みたいに頭の中で反響して、立っていられなくなった。

ヤバイ! 本当にヤバイ・・! 

 

―この野郎!!―

 

・・・??? 懐かしい声が聞こえた、聞こえた…ような、気がした。いや、空耳だった? ・・・

 

我に返ったら、あの幽霊と子供が弾き飛ばされていた。

こんな事は初めてだ。自分がやったのかどうかは分からない。

 

幽霊の人が、心配そうにこちらを見ている。優しそうな瞳。

まとっている光が真っ白だから、悪い事はしない人だ。

 

相手がどんな性格をしていても、私の体質が、磁石のプラスマイナスみたいに反発してしまう。

申し訳なく思った。もしかしたら傷付けてしまったかもしれない。

トモダチを思い出した。

 

トモダチは、多分、幽霊とは違う。

霊障も起こさないし、一緒にお団子も食べたし、鉛筆を持ってお絵描きも出来た。

多分、もっと別の種類の存在……おっと、深く考えるのはやめたんだった。トモダチはトモダチ。

 

贈り物をあげたら、幽霊の人は気に入ってくれたみたいだ。よかった。

憑り付いている子供と仲良し関係なのに、驚いた。そんな事もあるんだなあ。

 

あの子供は、大人になっても、あの人とお別れしないで居られるのだろうか…。

 

 

ゼミの先生から、丁度、海外留学の話を頂いていたので、ここを離れる事にした。

あの子供が、『プロ試験』という大切な試験を控えていると聞いたからだ。

 

日本にいたら、おじいちゃんの運転手でどうしても囲碁関係の場所に行ってしまう。

どこかであの子と遭遇して、万が一、試験に支障が出るよう事になっては、大変だ。

 

おじいちゃんは、「海外に行ったら、いい加減、儂ばっかり描くのはやめろ、あちらの色男を描け、なんぼでもおるだろ!」と言って、送り出してくれた。 

無理だ。何処に行っても、おじいちゃんよりカッコいい人間の男性なんか居なかった。

 

 

 

一年の留学期間を終えて、帰国したその夜の出来事は、私の人生で多分ベスト3に入ると思う。

 

部屋に入って荷物を降ろすと、幽かな音が聞こえた。

 

カチャン・・・

 

部屋の外で、何か硬い物同士がぶつかる音だ。

濡れ縁に出ると、庭灯に照らされた飛び石の上を、何かが転がって行く。

碁石だ、黒の。

 

素足のまま庭に降りて、それを追い掛けた。

追い付いて、屈んでそれを拾う。

(・・・・!!!)

 

石を拾った三歩先に、足が見える。

おじいちゃんじゃない。

宮守さんでも奥内さんでもない。

裸足に旅草鞋(わらじ)。

裸足の脚は真っ黒で、艶々したウロコと、小さな鉤爪(かぎづめ)。

 

(・・トモダチだ!!!)

 

脚から視線を外さずに、そっと聞いてみる。

「顔を上げてもいいですか?」

 

―・・だめ・・―

 

否定されたが、懐かしい声に、心が打ち震えた。

そしてやっぱり、自販機の前で聞いたのはこの声だと確信した。

 

―カヤコが、桜の湯呑みをあげた奴―

 

「うん、覚えてる」

屈んで下を向いたまま答えた。

余計な事をしたり言ったりしたら、多分この人は消えてしまう。

 

―上に上がっちまった。子供が今、独りきりで泣いている―

 

「・・・・・・」

 

―助けが要ると思う―

 

「…分かった」

 

了の返事をすると、脚は後退りして消えた。

 

物凄く、色んな事が分かった。

十歳の私をおじいちゃんが助けてくれたのも、東京に出たがっているタイミングで計ったようにおじいちゃんが登場したのも、こうやってトモダチが仲に立ってくれたんだ。

 

そして、今度は、私が助ける番なんだ。

だって私はもう大人だし、大人は子供を助けるものだもの。

そうか…私が子供を助けられるような大人になれたから、トモダチはまた来てくれたんだ…。

 

そのまま素足で庭を歩いて、おじいちゃんの部屋に行った。

 

居なくなった人を求める悲しみは、いつだって同じだ。

私が十歳の時に通った道は、もっと大昔におじいちゃんも通った事のある道だった。

では、私達があの子供にしてあげられる事は、一つだ。

同じ道を案内してあげるだけ。

 

 

子供は、自分の力で、ちゃんと答えを見付けたみたいだった。

そりゃそうだ。

あんなに仲良さそうに笑い合っていたあの二人の時間が、未来に繋がらなかったら、ウソだ。

 

 

KAYAKO―4

 

「カヤコさん、こんにちは」

クリスマス間近の棋院のロビー。

聞きなれた明るい声に呼び止められて、カヤコは振り返った。

 

「あ、ヒカル君」

 

「久し振り! あ、ちょっと待って」

ヒカルは、一緒に居た連れの少年に、先に行ってて、と声を掛ける。

 

「あの時はありがとうございました! ちゃんとお礼、言えなかったから」

 

「いえいえ、私も楽しかったですよ」

元来、こんなに明るく笑う子だったんだなと、カヤコは和やかな気持ちになった。

 

「今日は棋院に何か用事?」

「ヒカル君に会えないかと、ウロウロしていました」

「マジ??」

 

「ウソウソ。

おじいちゃんの仕事で、運転手として来ました。

でも、ヒカル君に用事があったのは本当。渡したい物があったので。

今日会えて良かったです」

 

「そうなんだ、渡したい物って?」

「ちょっと早いクリスマスプレゼント。車にあるから、取って来ますね」

「じゃ、一緒に行くよ」

二人は並んで、玄関を出て駐車場へ向かった。

 

ヒカルにとっても懐かしい黒い車の助手席から目当ての包みを引っ張り出した時、カランと何かが落っこちた。

「空き缶?」

空のピ―ス缶のフタが開き、中から黒い石が転がった。

 

「あらら」

慌ててそれを拾ったカヤコが、下を向いた姿勢のまま、ピタリと止まる。

 

「・・・・・」

「どうしたの? カヤコさん?」

 

「ヒカル君・・・」

「うん?」

「今、時間はありますか?」

「さ、30時間とかは無いよっ!」

 

「一局、お願い出来ないでしょうか…」

困った表情のカヤコが、ゆっくりと振り向いた。

 

「・・・って、『トモダチ』が言っています・・・」

 

 

一般囲碁サロンで向かい合う二人。

 

進藤プロの顔を見知った常連達が、なんだなんだとざわめき、先程の少年が、変わった取り合わせの対局を、面白そうに覗き込む。

 

「進藤、その人、強いの?」

「分からないよ、初めてだし…。あ、後で、上の階の塔矢に、伝言を頼んでもいいかな」

「うん、いいよ、…それ、何を書いてるの?」

 

ヒカルとカヤコは、カウンターにあった紙ナフキンを持って来て、それぞれに手元で何か書いている。

 

「何でもないよ、カヤコさん、書いた?」

「はい、すみません、無理言って…」

「いいよ」

 

二人はそれぞれの紙ナフキンを、畳んで自分の前に伏せた。

「じゃ、始めようか」

 

握ってカヤコが先行になった。

「お願いします」

「はい、お願いします」

 

「ふう…」

カヤコは寄り目で盤面を見つめている。

多分、ヒカルには見えないトモダチが、何らかの方法で指示を出しているのだろうが…。

 

「どうしたの?」

「碁盤に向かうのも、石を置くのも、初めてなんです。緊張するものですね」

 

そう言って、ビックリしてアゴが外れているギャラリーを背景に、親指と人差し指で不器用にゴトンと石を置いた。

 

ヒカルは、軽いデジャヴに襲われながら、唾をゴクリと呑み込んだ。

 

(確かに、こういう相手に負けちゃったら、人生観がぶっ飛んで多少のタガが外れても、仕方がないよな・・・)

 

 

 

 

 



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~その年の12月の続きの続きの続き~ AKIRA

AKIRA―5

 

「・・・負けました・・」

 

ヒカルがうつ向いて息を吐きながら言った。

ギャラリーの一般客から何ともいえない声が洩れ、後方で検討していた緒方とアキラは、自分達の盤面を睨み付けて口を結んでいる。

 

棋院職員が申し訳なさそうに、サロンの閉館時刻が過ぎている事を告げに来た。

一般客達は好き勝手な感想を述べ合いながら散り、緒方達を手伝っていた少年も、「やべ! こんな時間!」と、慌てて挨拶して帰って行った。

 

サロンに残っているのは、向かい合って座るヒカルとカヤコ、後ろの机で検討している緒方とアキラの、四人。

桑原は、事務所へ雑談に行ってしまって不在だ。

本当にこの勝負の行方に興味が無いようだ。

 

緒方が職員に、あと少しだからと頼み込み、職員は承知して、別の場所の仕舞い仕事をやりに行った。

 

「あの、カヤコさん、最後の挨拶をしないと、終われないの。『ありがとうございました』って」

ヒカルが苦笑しながら、貼り付いたようにじっと座っているカヤコを促した。

 

「えっと、あいさつ出来ないです」

「えっ」

「これ、終了のあいさつしちゃうと、ヒカル君が負けた事になってしまうんでしょ?」

「うん、そうだね」

 

この期に及んで死活がどーたら言い出すんじゃないだろうな! 

緒方とアキラは、自分達が並べていた盤面を、今一度なめるように見渡した。

自分達だって、白のヒカルはこの先どうしようもないと、結論付けた所なのだ。

いや、彼女がミスをしたら有り得るのだが、ボケっとした本人とは裏腹に、配石は小憎らしい程に隙が無い。

 

「さっき私が反則したんだから、私の負けです。

そこん所、ちゃんと決めておかないと、終われないです」

 

そっちかよ・・! 生真面目…っていうか、意地っ張りだな。

緒方が口を挟んだ。

「『置き直し』は反則だけれど、相手が容認して次の石を置いてしまえば、勝負続行になるんだ。

この場合は、進藤が続けたがったんだから、やはり進藤の負けになる」

 

「あぁー・・・」

カヤコが小さい悲鳴をあげ、情けない顔で緒方を見る。

何だ? 何か困る事があるのか? 

 

「カヤコさん、いいよ、俺の自業自得なんだから、気にしないで。

賭けに応じたの、俺なんだから」

 

アキラが音を立てて立ち上がった。

「プロの癖に賭け囲碁に乗っただと?! 

しかもこんな石もろくに置けない素人丸出しの女性相手に! 

恥ずかしくないのか、君はっ!」

 

「その素人にボコボコにされた所なんだから、それ以上言わないで。息の根止まるから」

 

「まあまあ、アキラ君、落ち着いて」

緒方がこの日二度目の台詞を唱えて、どうどうとアキラを押さえる。

「賭けったって、現金じゃないだろ?

いくら進藤でも、その辺はわきまえてるだろ? いくら進藤でも」

 

言いながらカヤコを見ると、彼女は眉を八の字にしたまま、うなずいた。

 

なるほど、どうも彼女が対局に乗り気でない感じだったのは、これが原因だったのだな。

多分、進藤が負けるとは思わないで始めたのだろう。

それが、思いの外進藤がヘタレだったから、困っちまってるんだな。

情けねぇ男だなっ、まったく。

 

「で、何を賭けたのだ?」

アキラが、まるで聞いて当たり前みたいにヒカルを問い詰めた。

 

「んーと、『負けたら何でも言う事を一つ聞く』って奴」

「はぁっ??」

 

そんなおままごとのような戯れに、閉館時間過ぎて付合わされている僕や緒方さんや職員さんの身にもなれっ。

 

「ごめん、塔矢、もうちょっと待って。

ね、カヤコさん、それを渡してよ。さっき書いた奴」

 

見ると、二人の手元に、折り畳んだ紙ナフキンがある。

対局前にお互いに命令を書いて、勝った時に相手に渡す取り決めだったのだろう。

 

「進藤、とっとと…」

「あの・・!!」

カヤコが、自分の方を向いて大声を出したので、アキラはビックリして止まった。

 

「貴方は、ヒカル君の、友達ですか?」

「????」

「大切な友達ですか?」

 

「あ―…」

そんな、今、何故それを聞く? って質問を、眉根を寄せて迫るように聞かれても…。

そもそも、『大切な友達』とか恥ずかしい単語、使った事もない。

 

「…ただの友人だ」

「友達じゃなくて友人だ、って事ですか?」

「そうだ、うん、好敵手と言ってもいい」

 

「うわっ、塔矢、うれしっ」

「黙れ」

 

カヤコは非常に満足した顔をして、今度は緒方に向いた。

 

「緒方さんはヒカ…」

「友達ではない! しいて言うなら、希少動物観察員だ!」

 

間髪入れない答えを聞いて、カヤコは安心顔になり、ヒカルに向き直って、姿勢を正して頭を下げた。

 

「ありがとうございました」

「あ、うん、ありがとうございました」

 

それからようやく紙ナフキンをヒカルに渡し、自分は澄まして石を片付け始めた。

 

「で、進藤、女王様の命令は何なんだ?」

「・・・・・」

ヒカルが紙ナフキンを開いて停止しているので、緒方とアキラは両側から覗き込んだ。

 

<大切な友達に、秘密にしている事を、告白する>

 

「・・・・・」

 

アキラはしゃっくりしたみたいな顔になり、緒方は呆気に取られたのち、クックと肩で笑った

 

 

 



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~ending~ TOMODACHI

TOMODACHI

 

職員との雑談が長引いて、桑原とカヤコが連れだって棋院玄関を出た頃には、人通りも途絶えていた。

駐車場に入ると、残っているのは、遅番の職員と自分達の車、そして最奥のRXー7だけだった。

 

壁際の照明下で、緒方が紫煙をくゆらせている。

二人を見止めると、渋い顔をして、駐車場奥の外灯の下を、視線で指した。

 

少年二人が、まるで学校帰りの中学生みたいに、並んで植え込みの陰に座り込んでいる。

 

「さっき進藤が、『俺、お前の事、友達だと思ってるから』とか、こっ恥ずかしい台詞を吐いて、アキラ君を連行して行きました」

「ふぉふぉ」

 

「まあ、あんなでも、蒙古斑も消えない中学生ですからね。

気が済むまで話し終わったら、それぞれの自宅まで送り届けてやります」

 

「面倒見が良いのう。そんなタイプじゃったか?」

 

「大人ですから、俺は」

 

カヤコは口を挟まないで、黙って植え込みの二人を見やった。

まったく、トモダチが、一番、コドモだ…… 

 

ああいうのって、あの子が自然に話せる日が来るまで、放っといてあげればいいのに

今度は、もう片方のあっちの子の事が、気になってしようがなかったのね

 

本当に、お節介な、純粋な、永遠の、コドモ・・・

 

 

 

「で、何の筋合いで、僕をこんな所に引っ張って来る?」

 

「だから、お前が、『大切な友達』だからだよっ。

二回も言わせるな。俺だって恥ずかしくて死にそうなんだ」

ヒカルは、さっきカヤコに貰った包みを、急(せ)いて、開いている。

 

「あの女性が、わざわざカマをかけて、賭けを無効にしようとしてくれたじゃないか。

まあ、ズルいとは思ったが」

 

「違うよ、『賭けに負けたから仕方なく話す』んじゃない形にしてくれたんだよ」

 

「…………」

アキラはヒカルをまじまじと見た。

こんな大人びた考えが出来る奴だったか?

 

「ちなみに俺は命令なんて思いつかなかったから、<桑原先生と一局打たせて>って書いたんだ。

可愛いもんだろ? なのに、ホント、容赦ないよな、あの人…」

 

ブツブツ言いながら包みを開ききり、さっきも見た中身を、数秒無言で見据えてから、ヒカルはポツリと切り出した。

 

「なあ、塔矢」

「なんだ?」

 

「さっきの勝負、カヤコさんが打っていたと思うか?」

「当然だろう? 他に誰が…」

 

そこまで言ってアキラは、ヒカルが真顔で何を言おうとしているのか想像出来て、口を指で覆った。

 

「そう、『そういう事』って、『ある』んだ、塔矢」

 

『今』じゃなかったら、切り出せなかったろう。

今だったら素直に信じて貰える気がした。

 

「塔矢だって一番の当事者だったじゃないか。

俺、今日、自分が同じ目に遭って、あの時のお前の気持ち、やっと分かったもん。

マジ、へこむよな。

でもお前、へこたれないで真っ直ぐ追い掛けて来てくれたんだよな」

「………」

 

「もう想像付いてると思うけど、今日、カヤコさんに指示を出していたのは、『トモダチ』。

ついでに、途中の『河原の囲碁』は、トモダチが話したがったのを、カヤコさんが口伝えで話したんだと思う。

初めて聞いてびっくりしたみたいな、不自然な口調の所があったから」

「・・・まさか・・」

 

「そして、三年前、塔矢と初めて会った時、俺の横に居たのは」

 

ヒカルは包みから取り出したB4ぐらいのボ―ドを、アキラの膝に乗せた。

棋院ロビーに掛かっているのと同じ構図の絵で、奥のヒカルの席だけクロ―ズアップされた物だ。

だけれど、ロビーの絵より、人物が一人多い。

 

「佐為だよ。藤原佐為(ふじわらのさい)っていうんだ」

 

アキラは、まばたきもしないで、優しい眼差しでヒカルを見守る、白い儚(はかな)げな人物を見つめていた。

そして、彼とヒカルとの出会いから別れまでを、口を結んで黙って聞いた。

 

 

「お前さんは聞きに行かなくていいのか? 

色々知りたい事があったんじゃないかの?」

 

駐車場入り口で、煙草の火をまたたかせながら、大人二人は並んで壁にもたれ、カヤコは少し離れて、嫌そうに煙をあおいでいる。

 

「知ってもしようがないんじゃないかと思えて来ましてね」

「ほお?」

「大真面目に、山の河原の囲碁の話なんかされるとね」

 

離れた所のカヤコが、口をへの字にしてそっぽを向いた。

 

「ああ、そういえば、カヤコさん」

「はい?」

 

「さっき、貴女が河原の囲碁の話をした時、進藤は碁石を並べていたじゃないですか」

「はい…」

 

「あの時、話の終わった直後に、奴が、自分の紙ナフキンに何か書き足していたのに、気が付きましたか?」

「えっ」

 

「こっちは賭けの事は知らなかったから、深く気に止めなかったけれど」

「………」

 

緒方は勿体ぶって、胸ポケットから畳まれた紙ナフキンを取り出した。

「あっ…」

 

「進藤の奴、無用心にも、テーブルに置きっぱなしにして行きやがった。

そういう所が、まだまだガキンチョだってんだ」

 

そう言って、そのままカヤコにそれを差し出した。

「差し上げますよ。良い対局を見せて貰ったお礼だ」

 

話の終わった少年二人が立ち上がったのを見計らって、緒方は後ろ手に手を振って、そちらへ歩き出した。

 

カヤコが開いた紙ナフキンを、桑原翁も覗き込み、二人同時に笑みをこぼす。

 

<桑原先生と一局打たせて> の、下四文字が二本線で消され、

<桑原先生と一局打ってあげて> と、書き直されていた

 

 

 

   ~ おしまい ~

 

 

 




とても楽しく書けました
原作者様に感謝です
読んで下さった方にも感謝です




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