聖王国の鈴木悟 (ニギ)
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プロローグ

とりあえずお話が始まる前の前座です。

時期は、原作でモモンガ達が転移したころよりも少し前ということにしています。
あと、ネイアはまだ騎士見習いになっていません。



 ローブル聖王国の北方、大陸本土と半島の境を線引くように建てられた城壁の上にパベル・バラハは立っていた。本土の方角を見据えるその眼光は鋭い。携える弓は魔法の付与を受けて淡く光っており、その造りは見事である。また、この男もその業物に相応しく、天才的な弓兵であった。百発百中の技術をもって、誇れ高い聖王国九色のうち黒色を戴いている。

 「バラハ兵士長、すこし休まれては?」

 

 夜番として、日が沈んでからかれこれ三時間以上が経つ。不休で監視を続けているパベルを労り、部下がそう提案した。亜人の侵攻から、国を守るべく見張りに立つのが彼らの職務である。

 労りの言葉を受けて、パベルは部下の方へ顔を向ける。部下に向けられた双眸は鋭く凶悪であった。何も知らない者であれば、なにかパベルの不興を買ってしまったのかと震えるであろう。しかし、単にパベルは目つきが悪いだけだと知る部下の顔に恐怖の色はない。

 

 「そうだな、では少し休ませてもらおう」

 「はい。兵士長の分もしっかり俺が見張ってますよ」

 

 疲労による集中力の欠如は致命的な見落としに繋がる。そのことを十分に承知しているパベルは素直に部下の言葉に従った。一歩下がって腰を落とす。そして、妻が持たせてくれた夜食用の弁当を取り出す。そして、ささやかな期待を込めて蓋を開いた。

 

 (……やはり、無いか)

 

 弁当の中身を見てパベルは落胆する。そこに詰められていたのは、お世辞にも美味しそうにはみえない、料理下手の妻らしい歪な作品の数々であった。

 ただ、決してパベルは、妻の料理の出来の悪さに落胆したわけではない。妻が料理を不得意とすることなどとうに知っているし、例えそれが如何に酷い出来のモノであったとして、愛する妻が作ってくれた料理にどうして不満などがあるだろうか? とにかく、パベルが落胆した理由はもっとべつにあった。

 

 (ネイアの手料理を久々に食べたいのだがな……)

 

 もう大分昔になるが、一度だけ娘のネイアがパベルに弁当を作ってくれたことがあった。ネイア自身は、パベルが帰ってから「実はあれは私が作ったんだよ」と驚かせるつもりでいたのであろう。しかし、弁当を空けてそれが妻によるものでないことなどパベルにはすぐ分かった。そして、消去法的にそれが愛娘のつくってくれたものであると理解して、任務中であるにも関わらず思い切りにやけた。

 確かに、見た目こそ妻に負けず劣らずの歪な料理であったが、当時の幼さを考えれば十分すぎるほどの出来であったように思う。見方を変えれば芸術的な仕上りであったとも言える。なにより味は、どの一流料理店のものにも勝っていたとパベルは断言できた。

 偶然居合わせたオルランドにも(自慢したくて)分けてやったが、あの男は随分と微妙な顔をしていた。まあ、舌まで闘争本能に侵されているのだろう。気にすることはない。

 

 (ネイアも聖騎士を目指す身だから……色々忙しいのだろう……)

 

 そう、ネイアが弁当を作ってくれていない――後、最近妙に冷たい――ことの理由付けをして自分の中で納得する。

 そして、母に憧れ聖騎士を目指すと息巻いている娘の姿を頭に浮かべる。娘はあまり聖騎士には向いていないとパベルは考えていた。聖騎士の戦い方の基本は剣である。しかしパベルの見立てでは、ネイアに剣の才能はなかった。加えて、聖騎士特有の絶対の正義感も持っているとは思えない、というよりあんな狂信的な思想は持って欲しくもない。

 

 (弓の才能はなかなかあるのだから、それを活かせばいいのに)

 

 自分にも憧れて欲しいという、嫉妬と願望からそんなことを考える。そして、娘からの尊敬を回復させるべく、次の休日にでもまたキャンプをしようと思案していたその時であった。

 

 亜人の接近を知らせる鐘がなった。

 

 パベルは素早く弁当を片付け部下の横に立つ。

 

 「兵士長、あちらです」

 

 部下の示した方角を見やる。100mほど先に四匹の鉄鼠人(アーマット)の姿を確認した。この程度の距離ならばパベルはまず外さない。早急に鉄鼠人達を討伐しようと、背中の弓――コンポジットロングボウ――に手をかける。そこでふと違和感を感じた。

 

 「あの鉄鼠人共、動きが妙だな。こちらに向かってくるでもなく……っ?!」

 

 パベルのいる要塞線と並行して鉄鼠人達が駆ける先に、もう一つ生き物の影があった。訓練によって闇夜も見通す視力を手に入れているパベルは、その影の正体をとらえる。

 

 「人だっ!! 救出部隊をだせっ!」

 「はっ、直ちに!」

 

 命令を受けて部下は部隊を編成するために走り出す。

 パベルは、今まさに襲われようとしているその人物を救うべく、鉄鼠人に矢を放った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 *****

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヘロヘロさんもログアウトしてしまった。

 

 四十人分の空席を見渡して、オーバーロード、全身骨だけのモモンガはため息をつく。

 ここはナザリック地下大墳墓、DMMORPG『ユグドラシル』において、かつてゲーム中に名を轟かせたギルド「アインズ・ウール・ゴウン」の本拠地である。

 アインズ・ウール・ゴウンは、非公式ラスボスとまでうたわれた大ギルドであった。しかし、そのメンバーは一人また一人とゲームをやめていき、ユグドラシルがサービス終了を迎えようとしている今ではモモンガただ一人になっていた。

 

 「最終日くらい、皆来てくれるって……少しだけ期待したんだけどな……」

 

 そんなモモンガの思いも虚しく、今日ゲームにログインしてくれたかつてのギルドメンバーはたったの三人だけ、そしてユグドラシル最後の瞬間をともにしてくれる人はついに居なかった。

 モモンガは諦めたように席を立ち、ギルド武器スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンのもと向かう。そして、そのギルドの証を手にしようとして――やめる。

 

 「はは……虚しいな……もう、全部」

 

 モモンガは円卓をあとにして、大墳墓の十階層、王座の間を目指す。

 九階層から十階層まで降りきるとそこには大空間が広がっている。そして、その空間には複数の人影があった。

 彼らはNPC、執事のセバスと、セバス直属の六人の戦闘メイド“プレアデス”である。侵入者たちを迎撃する最終一歩手前の守り手達であったが、ここまで侵入してこれたプレイヤーは遂に居なかった。

 

 (一度も役目を果たすことができずに最期を迎えるのか……)

 

 データの塊でしかないようなNPCを憐れむなど馬鹿な話である。しかし、最後くらいそんなアニミズムに浸ってもいいではないか。

 

 「ええと、確かコマンドは……付き従え」

 

 モモンガの指示を受けて、NPCたちは主人の後に続いた。執事とメイドを従えてモモンガが目指すのは地上である。

 

 (もしかしたら、最後にナザリック地下大墳墓に攻撃を仕掛けるプレイヤーがいるかもしれない。もしいてくれたなら、このNPC達に戦う機会をあたえてあげられるよな)

 

 そんな酔狂な連中の存在を願って、モモンガは上へ上へ向かう。

 そして、墳墓の入り口、霊殿の前まできてあたりを見渡す。

 

 そこには毒の沼地があるだけでプレイヤーの姿はなかった。

 

 「はあ……すまないな、おまえたち」

 

 結局活躍の場は与えてやれそうにない。NPCはギルド拠点を出ることはできないから、ここに誰もいなかったらそれでおしまいである。

 

 無論、モモンガの謝罪に答えるNPCなんかいない。

 

 「もうそろそろか」

 

 気がつけばサービス終了の時は目前まで迫っていた。

 モモンガはそっと目を閉じて、サービス終了にともなう強制ログアウトの瞬間を待った。

 

 23:59:00

 

 ――楽しかったな……本当に楽しかったんだ

 

 23:59:55

 

 ああ、このまま、時間が止まってくれたらいいのに……

 

 23:59:59

 

 そんなことを、往生際悪く考えてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 00:00:00

 

 

 

 

 

 (……おや?)

 

 目を開ける。

 もうユグドラシルは終了したのだから、そこにあるのは運営からのサービス終了のメッセージであるはずだ。しかし、視界に広がるのは夜の草原、少し先には丘があり森がある。

 

 10年以上ユグドラシルをやっていて、ただの一度も見たことのない光景であった。

 

 (うーん、バグかな? いや、でもどんなバグり方したらこんなことになるんだよ)

 

 理解の及ばない事態に困惑する。困惑するが、それ以上にこの急展開に興奮を覚えていた。

 

 (これ、絶対ネットニュースになるよな! 色々調べてもみたいけど……)

 

 明日も会社があることを思い出して、その好奇心を抑える。それに、なにか面白い発見があったからと言って、その感動を分かち合える仲間はもういないのだ。

 そこに思考がいきつき、興奮も冷めてしまった。

 

 いい加減ログアウトしようとして、気が付く。

 

 (コンソールがない?!)

 

 目の前にいつも浮かんでいたコンソールがなくなっていた。

 それだけではない。コンソールを使わないシステムの強制アクセス、チャット機能、GMコール、強制終了……そのすべてが機能しない。

 

 「はあ? どうなってんだよもう……明日も朝早いんだって……」

 

 少し苛立つ。

 先までの好奇心も悲しみもそのなりを潜め、今考えるのはどうやってログアウトして早く寝るかということだけであった。

 これこそバグで、コンソールはあるがそれが見えなくなっているだけかも知れない。そう考えて、試しにログアウトの表示があったはずのところをタップしようとした。

 そんなことをしようとしたのだから当然、手は持ち上げられその姿は視界に入る。

 視界に入った自分の手を見て――――絶句した。

 

 (はあああっ?! んだよこれぇっ?!)

 

 その手は、長年ユグドラシルで親しんだ骸骨の骨だけの手ではなかった。肉と皮がついた紛れもない人間の手である。まさかと思い慌てて、その手を自分の顔まで持っていくと、やはりそこあるのは頭蓋骨ではなく人の顔である。口元を触れば、今日ログインする前に剃ったザラザラとした髭の感触、そう、“感触があった”。

 

 「ユグドラシルじゃ触覚までは感知できないはずだろ……ああ、口まで動いてるし……」

 

 ようやくこれが単なるバグなどではないことに気がつく。

 

 では、一体なんであろうか?

 

 「まさか、ゲームの世界に入ってしまったみたいな? ……いやいやいや! そんな漫画じゃあるまいし……ふぅ」

 

 一旦落ち着こうと深呼吸をする。

 自分はどうも先程から冷静ではないようだ。悲しんで、戸惑って、苛立って、驚いて、色々な感情が入れ替わり立ち替わりに現れている。情緒不安定だ。ユグドラシルと仲間を失ったショックは自分が思っていたよりも遥かに大きかったらしい。

 

 とにかく、未曽有の大事態がこの身に起きていることは間違いない。冷静を欠いた者から足をすくわれるとはぷにっと萌えさんの言である。一先ず状況を整理しよう。

 現状自分はユグドラシルでの骸骨姿ではなく、一人の人間の血肉ある姿だ。鏡で見たわけではないから断言はできないが、おそらく現実の鈴木悟の姿であろう。

 このことから、まず、ここがユグドラシルである可能性がほぼ消える。本人の素顔を晒すような行為は肖像権の侵害であるし、そんなことができる技術があるとは思えない。

 次に、とてもゲームの中の物とは思えない肉体の感覚だ。確認してみるとちゃんと脈があるし、体温もある。摘まめば痛い。紛れもない、リアルの人間のソレなのである。

 そうかと思えば、身にまとっているのは、自分が現実で着ていたワイシャツではなく、ユグドラシルの馴染み深い神器級の装備のままであった。

 

 「うーん、とりあえずここはユグドラシルでも日本でもない別の世界ってことなんだろうか? うわー自分で言っておいてわけわからん」

 

 状況は把握できたし、冷静にもなれたが何も分からないままである。

 しかし、少しばかりは心の余裕ができた。

 心の余裕ができたから、一つ気になることもできた。

 

 ――――いまの自分の格好である。

 

 「いやさ、この神器級のローブはさ、ガイコツのオーバーロードの姿だったから似合ってたんだよ……鈴木悟が纏ったところで違和感しかないでしょ……」

 

 けして不細工ではないが格好よくもない、平々凡々たる顔つきの男が神器級アイテムで着飾っているこの状況、滑稽である。着られてる感がすごい。

 

 (別に誰に見られているでもないけど恥ずかしい! 脱ぎたい! でも他に着るものなんて……?)

 

 その時であった。自分の内側になにか湧き上がるものを感じた。

 得体の知れないソレに従って――――

 

 

 

 ――――念じる。

 

 

 

 「おお!」

 

 途端に体から神器級アイテムが消え、ゲーム初期のころに着ていた茶色いぼろ布のようなローブに変った。悲しいかな、こちらは大変良く似合っている。

 

 しかし、それだけではない。

 

 (俺、魔法使えるぞ……)

 

 そう、強く確信していた。

 自分の内側に意識を向ければ分かる。どうすれば魔法が発動するか、その効果範囲はどの程度か、つぎの魔法を使うまでにはどれだけの時間を要するのか、そのすべてが完全に把握できている。 

 

 それにともなって分かったことがもう一つ

 

 (俺、今≪時間停止/タイムストップ≫使っているな)

 

 いつの間にか、というよりこの世界に来た瞬間から自分が第十位階の魔法を使っていたことに気がつく。

 

 (確かに時間が止まってくれればいいのにとは思ったけどさあ……)

 

 まさか本当に止まるとは、と苦笑しながら魔法を解除する。

 世界は動き出し、夜風が草花の香りを運んで、優しく頬をなでる。

 

 「これが自然かあ! 心地良いなあ」

 

 これから自分がどうなるのかは分からない。しかし、自分が魔法が使えると分かったことで、なんとかやっていけるのではなかろうかという安心感が生まれた。

 今はこの生まれて初めての大自然を楽しもうと目を閉じて、吹く風に身をゆだねる。

 

 つい先ほどまで、空はスモッグに覆われ、自然が淘汰されたディストピアに生きていたのである。この瞬間だけはさっきまでの悲しみを忘れて、突然現れた御伽噺の世界にただひたすらに感動していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、そのせいで注意力が散漫になっていた。

 

 「?!……ひぃっ!」

 

 気付けば自分の真横にまで、ネズミの化け物が迫っていた。

 ゲームのモンスターとは違う、実在する化け物のリアルな姿に恐怖する。

 

 もし、モモンガ――鈴木悟が、ユグドラシル同様にアンデッドとしてこの世界に来ていたならすぐに精神の沈静化が起きてこの様に臆することはなかっただろう。

 自身には<上位物理無効化Ⅲ>という常時発動スキルがあることも失念せずに、冷静に対処できていただろう。返り討ちにすることも容易かったはずだ。

 

 しかし、鈴木悟は人間である。

 本物の戦いも命の奪い合いも知らないただの人間であったのだ。

 そして、その弱い心は、自分よりも遥かに惰弱な存在に対しても、そのおぞましい風貌と不意を突かれたことへの動揺から簡単に屈服し、恐怖した。

 

 先も説明したが今の鈴木悟には<上位物理無効化Ⅲ>がある。鉄鼠人ごときでは逆立ちしたって傷一つつけられない存在だ。

 だが、鈴木悟はそのことを思い出せない。思い出せないまま、あり得ようもない死を覚悟して――――気を失った。

 

 

 




次回から、レメディオスさんとかケラルトさんとか出していきたいです。

次回更新は7月10日を目指してます!


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パベルさん不憫

三期、一話最高でしたね。
OPもEDも格好良かったですね。これからが楽しみです。

予定に間に合いませんでした。すみません……

今回はレメディオスさんとグスターボさんしか出せませんでしたすいません……




 目を開けると、そこには白い天井があった。少し身じろぎすれば、自分が今ベッドの上に寝ているのだと分かる。

 ゆっくりと上体を起こした。窓から差し込む陽の光が暖かい。

 

「お、目を覚ましたか」

 

 俺が起きたのを確認して、同じ部屋の奥に座っていた男が微笑む。彼は、中世の騎士のような格好をしていた。様になっている。ああいうのが似合うって羨ましい。

 

 最初はそんな呑気なことを考えていたが、頭が覚醒してくると、まず自分の置かれている状況を把握しなければならないことに気がつく。

 

「ええと……ここは?」

 

「ここはローブル聖王国、人間の国だ。大丈夫、君の安全はひとまずは約束しよう」

 

「はあ……ローブル聖王国ですか」

 

 いや、どこだよ?

 そんな国俺知らないんだけど、まじで異世界に来てしまったんだろうか?

 

 いや、それはいい。自分が訳分からない世界に飛ばされてしまったことはもとから勘づいていた。

 それが事実なら、俺が知らないような国があったとしても別に不思議じゃないだろう……いや、分かんないけど……。

 

 取り敢えず、今は自分自身のことだ。

 

 俺の記憶は怖いネズミさんに襲われたのが最後だ。状況的にこのローブル聖王国とやらの兵隊さんが助けてくれたのは間違いない。

 

 うん、それにはほんとに感謝します。

 

 ただ、なんか不穏な発言が無かったか?

 ひとまずとか言ってなかったか?

 

 たしかに、状況的に今の俺はこのうえなく怪しい人物だろう。不法入国者だとか、下手したらテロリストの疑いもかけられているかもしれない。

 ということはなんだ? 「ひとまず」って、場合によっては俺達がお前を殺しますよって意味なんじゃないか?! えぇ困る!

 

「もう少ししたら兵士長が来るから、そこで色々質問をうけることになる。嘘をつくのは君のためにならない、どうか真実を述べてくれ」

 

「はひぃ……」

 

 ああ、やっぱり……すごい怪しまれてる。

 兵士長って誰だろう。優しい人だといいなあ……

 とにかく、その兵士長さんに自分の潔白を主張する必要があるだろう。うん、無理そうだ。だって自分が一番いまの状況を分かってないんだもん――

 

 

 

 

――ガチャリ

 

 

「失礼する。目は覚めたようだな。調子はどうだ?」

「おうっふ」

 

 あ、駄目だ。このひとすごく怖い。あの目は殺し屋の目だ。色々順序すっ飛ばして死刑執行人が来やがった。

 

「おうっふ? まあいいか……俺はローブル聖王国の軍士パベル・バラハだ」

 

 あれ? 話してみるとそんなに怖くない? いや、やっぱり顔見ると怖ぇや……とにかく名乗られたのならこちらも名乗るべきだろう。今はいかに自分が人畜無害な存在であるかを示すことが重要なのだ。

「ええと、私は鈴木悟です。この度は危ない所を助けていただき有難うございました」

 

 モモンガと答えようかとも思ったが、流石に今の姿形でユーザー名を使うのは憚られた。

 

「ふむ、それは名がスズキで姓がサトルということでいいのか?」

 

「あ、いえ、名がサトルで姓がスズキです……はい、すみません」

 

 ああ、なんで謝ってんだ俺……確かに「すみません」は日本人の万能スラングだけども! いや、でも、この弱弱しい態度は相手の警戒心を和らげたりするんじゃないか?

 

「いや、別に謝る必要はないのだが……その名前といい顔立ちといい南方の国の者なのか?」

 

「その南方と言われましてもですね…自分もどうしてあんな場所にいたのか分からなくて……正直ローブル聖王国という国の存在すら今まで知らず、祖国がここからどちらの方角にあるかなんて見当がつきません……」

 

 パベルさんの眉の角度が険しくなる。

 

 ああ! 怪しんでるよ! 怖いよ!

 

 そりゃそうだよね! 「気が付いたらおたくのギルドにいました。よろしく」なんて言うやつがいたら、やまいこさんなら取り敢えず殴ってるよ!

 でも、この世界のことを何も知らないまま噓をつくのはあまりに愚かな行為だと思う。嘘がばれて交渉の余地がなくなるよりは、多少不信感を持たれてでも事実だけで答えるべきだ!

 

「気が付いたらあそこにいたか……それは《転移/テレポーテーション》に失敗したということか?」

 

 《転移/テレポーテーション》だって? もしかして、この世界にもユグドラシルと同じ魔法が存在するのか? 

 

 うーん、ここでうなずけばパベルさんも納得してくれそうだけど……もし、なぜ最初からそう説明しなかったのかと聞かれるとキツイよなあ。普通に嘘だし。それに《転移/テレポーテーション》がユグドラシルのものと全く同じである保証がない。もし違った場合さらに突っ込まれた質問をされたときになにかボロが出そうだ。

 

 やはりここは正直に否定するべき!

 

「いえ、私自身は《転移/テレポーテーション》を使ってはいません」

 

 返答の中で、他者に何かされた可能性は匂わせておく。なんか後でいい感じの言い訳の役に立ちそうだからそうする。

 

「ふうむ……その口ぶりから察するに、スズキ殿にも魔法の心得はあるのか?」

 

「ええ、まあ、多少は……」

 

「なるほど……」

 

 パベルさんは何かを見定めるようにその目をさらに細くして俺を睨む。

 

 正直すごく怖い。冷や汗をダラダラ流しながら、先までの自分の発言に変な所はなかったかを考える。いや、変な所はたくさんあったと思う。むしろ変な所しかなかった気もしてきた。しかし、少なくともこの場で殺されるような失言は無かったはずだ。

 

 ふと、パベルさんが俺の手元に目を落としていることに気がついた。

 

「その指輪なんだが、マジックアイテムだろうか? もし外して問題がないのなら預からせてほしいのだが」

 

 

 しまった……指輪のことは意識して無かったから装備されたままだったのか……。

 この指輪は取られるとまずい奴が多いんだよな……

 

 うん、これくらいならちょっと嘘ついても大丈夫かな? 

 これを奪われて調べられる方がよっぽどまずい気がする。指輪の性能的に戦う気満々だと思われる。

 

 あと、課金しまくったアイテムを失うのが嫌すぎる。よし嘘つこう。

 

「すいません……この指輪は生命維持に必要なものでして……外すのはちょっと……」

 

「生命維持? だとしたら、勝手に外しておかなくて良かったな……病気か何かなのか?」

 

「いや、その、呪いとか……そんな感じです……ハイ」

 

「ふむ、呪いか」

 

 あ、適当なこと言ってしまった。

 ええ、もうどうしよう、これ以上追及されたら絶対ボロが出るって……頼むからここで別の話題に変わってくれ……!

 

「ああ、では最後に一つだけ、君の祖国の名前を教えてもらえるだろうか?」

 

 祖国か……そりゃあ日本だけどこの場合はなんか違う気がするな。

 さっきの魔法もそうだけど、この世界ユグドラシルとは全く無関係じゃない気がするんだよなあ。

 

 

 

 

 

 もしかしたらなにか知っているかも知れないな……よし!

 

 

 

 

 

 

 

 

「ユグドラシルというのですが、何かご存知ですか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いや、申し訳ないがそんな国は初耳だな」

 

「そうですか……」

 

 サトル・スズキと名乗った男は酷く残念そうな顔をする。祖国に帰る手掛かりを求めているとすれば自然な反応であろう。

 パベルとしては、もう少し聞きたいことはあったが、これ以上は彼の対応できる範疇を超えそうである。特に魔法やマジックアイテムに関しては職務上必要な知識を持つだけでさほど詳しくはなかった。

 

「では、一旦質問はここまでにする。我々はしばらくここを去るが、ドアの向こうには見張りがいるし、窓の向こうにも兵士が在中している。変な気は起こさないでほしい」

 

「はい! もちろん、大人しくしています」

 

「そうしてくれると助かる。では失礼する」

 

 パベルは、そう告げて部下とともに部屋を出た。扉の前の兵士に目配せすると、その兵士は「お任せください」と笑って横の筒をポンポンと叩く。この筒は部屋の中につながっており、中に鏡を仕込むことで外から部屋の様子をうかがえるようになっている。パベルは、兵士が自分の務めをしっかり把握していることを確認して廊下を歩きはじめる。

 

 しばらく歩いて、部屋から十分離れたころにパベルは部下に問いかけた。

 

「あの男、目覚めてから何か怪しい動きはなかったか?」

 

「ええ、特にありませんでした。あのスズキという男が目覚めたのは兵士長がくる直前でしたからね、何もする暇ありませんよ。にしても、《転移/テレポーテーション》とは思い切った質問をしましたね」

 

 部下が驚くのも無理はない。

 

 《転移/テレポーテーション》といえば、第五位階以上の魔法である。そんな高位魔法が使える存在は聖王国の神官団にすら――実は内密にされているだけで神官団団長のケラルト・カストディオは第五位階魔法を行使できる――いない。

 

「確かに馬鹿げた質問だったと思うが、あの夜の男の現れ方はいささか妙だったからな」

 

「妙ですか?」

 

「ああ、俺には突然現れたように思えた。あの場所に、それこそ《転移/テレポーテーション》を使ったかのようにな。もし、普通に歩いてきたならあんなに接近するまで誰も気が付かなかったのは不自然だ。というか、あそこまで亜人に襲われず辿り着けるとは思えない。鉄鼠人共も、突如現れた獲物に喜び勇んで横の森から出てきたといった感じだったからな」

 

「《不可視化/インヴィジビリティ》を使っていた可能性は?」

 

「それだってかなりの高位魔法だろう、それにあんな場所で魔法をとく理由がない」

 

「しかし、《転移/テレポーテーション》じゃそれほど長距離の移動はできないでしょう?」

 

「確かにな、お前の言う通りだ。そもそも、それほどの高位魔法が使える男が、鉄鼠人ごときに手も足も出ないのはおかしな話だな……やはり、ユグドラシルの何者かが未知の魔法をあの男に行使したのだろうか?」

 

「お、ということはあの指輪を外すと死ぬ呪いもその何者かが?」

 

「あの話が本当ならそうかもしれんな。しかし、だとすればあの男、ユグドラシルではそんな事件に巻き込まれる程度には特殊な地位にいたということか――――いや、いかんな、何も分かってないのに憶測ばかり口にしてしまった」

 

「すこし楽しかったですけどね、なにか御伽噺みたいで……ああ、そういえばあの男、魔法は使えるようでしたがどの程度でしょうね」

 

「鉄鼠人に後れを取るんだ。よくて第二位階、まあ第一位階が関の山だろう……ん?」

 

 廊下の向こうから一人の兵士がパベル達のもとに駆けてきた。

 

「どうした?」

 

「はっ! さきほど、レメディオス・カストディオ聖騎士団長殿がお見えになりました! 例の男の件で話が聞きたいと応接室でお待ちです!」

 

「なに? 近くの聖騎士駐屯地にでも視察にいらしてたのだろうか……了解した。今から向かおう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 兵士が扉を開けて、パベルが部屋に入る。パベルの姿を確認して立ち上がりお辞儀をしたのはグスターボ・モンタニェス、聖騎士団の副団長である。そして、ソファに座ったまま、軽く右手を挙げたのが聖騎士団団長レメディオス・カストディオ、聖王国九色のうち白色を戴く女聖騎士である。四大聖剣の一つ聖剣サファルリシアを賜っているが、今日はそれを帯刀していない。それは、「強き剣を持てば、それに溺れて基礎を疎かにする」という彼女の信条によるものであった。

 

「団長殿、わざわざ中央部拠点(こんなところ)までお越しいただきありがとうございます」

 

「いや、こちらも急に押しかけてすまなかったな。早速だがその保護した男について話をしてもらえるか?」

 

 レメディオスは口に出さなかったが、今の言葉の最後には「グスターボに」というのがつく。レメディオスでは、ここで話を聞いても城に着くころには八割がた忘れてしまっているだろう。

 それを承知しているグスターボは、パベルの話に真剣に耳を傾ける。

 

 パベルが粗方話し終えたところで、レメディオスが口を開いた。

 

「ふむ、ユグドラシルという国は私も聞いたことがないな。まあ、忘れているだけかもしれんが、グスターボ、お前はどうだ?」

 

「いえ、私も初耳ですね」

 

 「うーん」といって、レメディオスは手をあごに持っていき、考える人のポーズをとるが、実際彼女が考えているのは「妹かカルカ様なら知ってるかな?」ということだけであった。

 そんな聖騎士団長の横から、グスターボがパベルに質問をする。

 

「兵士長殿が話をされた感じでは、その男に噓をついている様子はありませんでしたか?」

 

「そうですね、自分の観察眼に頼っただけですから断言こそできませんが、ほぼ事実を話しているように思えました。指輪の下りだけは少々怪しかったですが、無理矢理奪って取り返しのつかないことになってはまずいですから」

 

 これにはレメディオスも「うむうむ」と頷く。もしサトル・スズキの話が事実なら、この男の境遇は大いに同情に値した。人間である以上悪人でないのなら助けてやりたいと考える。

 

「まあ、確かに聖王国に侵入して何か企んでいるとしたら、行動も言動もあまりにお粗末ですね」

 

 部下の言葉に「そうだな」と答えるが、どこらへんがお粗末なのかよく分からない。というか、人づてでははっきり言って何も分からない。

 業を煮やした、レメディオスはパベルに提案する。

 

「私もその男と直接話をしたいのだが構わないな?」

 

「は? 団長殿がですか?」

 

「ああ、そうだ」

 

 直接話せば勘で、その男に害意があるかどうかぐらいは分かる自信があった。

 

 パベルは少しの間、考え込んでいたが、最後には顔をあげてそれを了解する。

 

「分かりました。団長殿でしたら、万が一の時にも対応できるでしょう。よろしくお願いいたします」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 パベルがいなくなってからしばらくが経った。

 サトルは特にすることもないので、自分の内側に意識をむけ、もう一度落ち着いて自分の使える魔法やスキルを確認する。

 

(うーん、なんか、オーバーロードだった時にはできたけど今では使えなくなってるスキルや特殊能力があるっぽいなあ)

 アンデッドの基本特殊能力(クリティカルヒット無効、精神作用無効、飲食不要、闇視/ダークヴィジョン等々)はすべて消失しているようである。今のサトルは人間であるから当然と言えば当然であろう。

 

(というか、今の俺のカルマ値ってどうなってんだろう? 正に振れているなら《神炎/ウリエル》のダメージは上がってるはずだけど……まあ、そもそもこの魔法は覚えてないしな。攻撃魔法なんて使う機会はない方がいいんだ)

 

 そう考えて、サトルは《異界門/ゲート》や、《上位転移/グレーター・テレポーテーション》といった逃げるようの魔法の発動手順の確認をする。

 

 その時、こちらに近づいてくる足音に気が付いた。

 

(パベルさんが戻ってきたのかな?)

 

 そう考えて、もしもの時のためにいつでも魔法が使えるように構える。

 

 

 

 

 

 

 

――ガチャリ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(あれ? パベルさんじゃない? 綺麗な人だけどなんかちょっと怖いな、パベルさんほどじゃないけど)

 

  部屋に入ってきたのは、銀色の全身鎧に白色のサーコートを纏った女性であった。

 

「私は、ローブル聖王国、聖騎士団団長のレメディオス・カストディオだ。お前がサトル・スズキで間違いないな?」

 

「は、はいそうです。この度は命を救って頂き誠にありがとうございました……ええと、団長さんということはこの国のお偉いさんということですよね?」

 

「ん? ああ、そうだな。私は偉いぞ! 無論、カルカ様の方が偉いがな!」

 

「ええと、カルカ様というのはどなたでしょうか?」

 

 サトルのその質問に、レメディオスの口元が緩む。自らの敬愛する主の話をすることが喜びであるのは聖騎士団長もどこぞのサキュバスも同じなのである。

 ちなみに、この時点でレメディオスは本来の目的の九割を失念していた。

 

 

 

「なんだ? バラハはそんな大切なことも話してなかったのか、ならば仕方ない、この私が語ってやらねばなるまいな!」

 

「はい、お願いします」

 

「うむうむ! カルカ・ベサーレス様はこの国の王女様であり、慈悲深きお方だ! その美しさはまさにこの国の至宝であり、さらには魔法に関しても非凡な才能を持ってあられる!」

 

「それは……すごいですね」

 

 天は二物も三物も与えるものだなと感心する。

 

「それだけじゃない、カルカ様は国民を心から愛し、家族のように想っていらっしゃる! このローブル聖王国が誰も泣かない国となることを心から願い、統治されているのだ!」

 

「それは、理想の統治者ですね!」

 

 サトルは、日本の税金を食いつぶすだけの政府を思い出して、心からそう思った。やはり、どこの世界にも名君とはいるものだと。

 レメディオスは、そんなサトルの反応に気分を良くする。

 

 

 

「ところで、お前の祖国……あー……ユグ…」

 

「ユグドラシルですね」

 

「ああ、そのユグドラシルの王は良い統治者ではなかったのか?」

 

「うちの(運営)はクソでしたよ。俺たちが惑い、苦しみ財産をうしなっていく(課金)さまを見て楽しむような感じでした」

 

 

 

 これにはレメディオスが驚いた。私腹を肥やすために結果的に民を苦しめる暗君ならば何人か知っているが、民を苦しめることそのものを楽しむ外道の王がいるとは思わなかったのだ。

 レメディオスの中でサトルに対する同情の度合いが跳ね上がる。

 

「俺もこの国の王女様のような方が治める国に生まれたかったですよ……」

 

「安心しろ、お前がこの国に害を及ぼそうとする者でないことが分かれば、きっとカルカ様はお前を新たな国民として迎えてくださるはずだ」

 

「そうなってくれたら最高ですね……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「部屋に一人にしている間に、あの男に怪しい動きは無かったか?」

 

「はい、ずっと大人しくしてましたよ」

 

 パベルは、兵士の言葉に一先ず息をつく。そんな、彼にグスターボが声をかける。

 

「あの男は、これからどうするおつもりでしょうか?」

 

「そうですね……すこし可哀想ですが、詳しいことが分かるまでは警備が厳重な牢屋に入れておこうかと思います。もちろん、犯罪者という扱いではないので色々融通はきかせますが」

 

 牢屋とは穏やかではないが、実際それしかないかとグスターボは唸る。そして、それからは扉の向こうに意識を集中させる。サトル・スズキとやらが下手にレメディオスを怒らせてしまった場合自分が止めに入る必要があるからだ。

 

 しばらくして、扉が開きレメディオスが出てきた。機嫌はよさそうである。

 

「団長どうでしたか?」

 

「うむ、なかなか気分のよい男だったな」

 

 レメディオスの能天気な答えに、グスターボは苦笑いをする。

 

「それは、団長が見る限りあの男に、この国を害する意志は無かったということですか?」

 

「ああ、少なくとも私は、あの男から害意は感じなかったぞ。それに、カルカ様の偉大さを語ったら大いに感動していたからな、悪い人間じゃないと思う」

 

「それは、団長殿の機嫌を取るために媚を売っただけということはありませんか?」

 

 パベルのその質問にレメディオスは少しムッとした。

 

「そんなことはない。私はこれまでそうやってカルカ様に取り入ろうとする不逞の輩を何人も見てきた。本当にカルカ様を尊敬しているかそうでないかくらいの区別はつくぞ」

 

「これは、失礼しました」

 

 素直に謝るパベルに、レメディオスはすぐに機嫌を直す。

 そして、話題を変えてパベルに話かける。

 

「バラハ兵士長、あの男の当面の処遇なんだが……」

 

「ええそれでしたら……」

 

 パベルは、先ほどグスターボに話したことをもう一度説明しようとするが、すかさず紡がれたレメディオスの言葉に遮られた。

 

「お前の実家に居させてやってくれ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……は?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




次回こそ、カルカ様やケラルトさんを出したいです。

あと、どうしよう、パベルさんの奥さんの名前知らない


誤字修正してくださる方、本当に助かっております!

次回更新は、7月17日を目指してます

↑すみません、守れませんでした。もう少しかかりそうです……


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パベル宅へようこそ

本当に遅くなりました。
弁解の余地がありません、本当に申し訳ありませんでした。

そして、二話で早速更新が停滞するという体たらくを晒しているにもかかわらず、それでも待ってくださっていた皆様、心から感謝いたします。


今回で、ようやっと前座が終わるという感じです。
パベルの妻の口調に関しては、参考資料が「私に勝てたら許してやる!」という、ネイアの回想の一言だけだったのでほぼ想像です。一応、レメディオスにもうすこしもう少し女性らしさを足したというイメージで書きました。




「……は?」

 

 パベルは考える。今随分と、そう随分とおかしな言葉を聞いた気がする。

 なんだろう、この聖騎士団長様はあの不審の権化を、愛する妻と娘とともに生活させろとか仰りやがったりはしなかっただろうか?

 なんの冗談だろう。笑えない。

 

「スズキをいつまでもここに置いておく訳にもいかんだろう。しばらくの間お前の家で面倒をみてやれ」

 

「いやっ、ちょっ、ちょっとお待ちください! わ、私には家族がいるのですが?!」

 

「ん? ああ、お前の妻ならよく知っているぞ。あの人は実に優秀な聖騎士だった。彼女とお前なら、スズキの見張りにも十分な戦力だろう!」

 

 そういうことではない。そういうことではないのだとパベルは心の中で悲鳴をあげる。

 

 仕事を家庭にまで持ち込む男は家族に嫌われると何かの本で読んだことがある。

 そもそもまだ家には、愛らしい娘がいるのだ。あのような得体の知れない男を娘の半径10メートル以内に近づけるなどあってなるものか断じて。

 

 しかし、どうだろうこの聖騎士団長の中ではもう決定事項のようになっているではないか。

 

 パベルは、以前娘に嫌いと言われて以来の狼狽っぷりを見せる。そんな姿に同情し、グスターボが助け舟を出す。

 

「あー、団長? 兵士長殿にも家庭やプライベートがあるのですから、それは流石に酷ではありませんか?」

 

「ふむ、それもそうか……」

 

(副団長殿……!)

 

 ありがとう副団長、今度あなたのペットのバーニアに餌を差し上げます。

 

 パベルはグスターボの優しさに胸を震わせる。そして、無事この話は流れそうだと安心しかけたのだが、そうはいかなかった。

 

「では、一週間だ。このまま城に戻り、ケラルトやカルカ様にスズキの処遇について、一先ずの決定をしてもらう。長くても一週間のうちには城に召喚することになるはずだから、それまで面倒を見ててくれ。これならいいだろ?」

 

「一週間ですか……」

 

 なお、自身の提案を撤回しなかったレメディオスに、一度元気になったパベルの心は再び落ち込む。ただ、一週間と期限を指定されたのはせめてもの救いと言えた。終わりが分かっていれば、多少の苦難も耐えられるだろう。

 それに、仕方がないとはいえ、現状なんら罪を犯してない男を牢屋に入れることには、パベルも多少の罪悪感があった。

 

「かしこまりました……」

 

 パベルは渋々その提案を受け入れる。レメディオスはその返答に「よし!」と満足げに答えると、自身の本来の職務に戻っていく。

 グスターボも、少しの間気の毒そうにパベルを見ていたが、すぐにレメディオスを追った。その際、パベルに慰めの言葉をかけたが、消沈している彼に届いていたかは不明である。

 

 そんな二人を見送ってから、パベルは事の次第を伝えるために、サトルのいる部屋へ戻っていく。

 

「取り敢えず、ネイアとの会話禁止令は出しておくか……」

 

 肩を落としてそう呟く兵士長に、見張りの兵士は静かに敬礼を送ることしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 *****

 

 

 

 

 

 

 

 化粧台の上に手を置いて、そっと何かを呟く。すると、その手を中心に淡い光を放つ魔法陣が構築された。完成した魔法陣は、そこから薔薇の香りのする蒸気を発生させる。その香りは上品で、心地の良いものである。

 無事、魔法が発動したことを確認すると、顔を近づけてその蒸気を浴びる。かるく前かがみの姿勢になり、長い髪がサラリと落ちる。艶めく鮮やかな光沢を湛えた、金糸のような髪であった。

 

 聖王国王女カルカ・ベサーレス、門外不出の美容魔法行使の瞬間である。

 

 美しい顔も相まって、その様子は非常に優雅であったが、彼女の心の中は適年齢への焦燥でまったく穏やかではない。その非凡な魔法の才能をフルで使って、幾つもの信仰系“美容”魔法を開発しているあたり、彼女の美への鬼気迫り具合が窺える。

 

「どうしよう……本当にそろそろ良い人を見つけないと……」

 

 カルカは今、結婚相手を求めている。

 聖王女という権威につられて彼女に擦り寄る貴族は多くいるが、彼女が求めるのはそんな自分を利用しようとするような男ではない。地位や名誉など一切なしで、糸を纏わぬカルカ・ベサーレスという人間そのものを愛してくれる殿方こそ彼女の理想である。カルカの美貌をもってすれば、けして贅沢な望みではないように思われるが、聖王女という立場上どうしてもそれは難しい条件となってしまう。

 ただ、聖王女という立場以上に彼女を結婚から遠ざけているものがあった。

 

「違うのに……私は普通に殿方が好きなのに……」

 

 “聖王女様、ご子息ご息女のご誕生不可能な嗜好をお持ち説”である。

 

 ケラルト・カストディオ、レメディオス・カストディオという未婚、交際経験なしの美人姉妹と常に一緒にいることから囁かれてはじめた噂だ。

 カストディオ姉妹とカルカの三人セットで語られる根も葉もない悪評はいくつかあるが、カルカにとって、どうしても払拭できないこの説こそ最大最悪の悪評であった。

 

 「レメディオスやケラルトが早く結婚してくれたらいいのだけれど……いや、それは先を越されたみたいでなにか複雑ね……」

 

 いつものように、魔法の効果が切れるまでこの悪評を無くす手立てを考えるカルカ。平常であれば、あと半刻は彼女の自由にできる時間であるはずだったが――――

 

 

 

 ――――コンコンと、扉を叩く音がした。

 

 

「カルカ様、ケラルトです」

 

 刹那、カルカはパンと手をたたいて魔法陣を消滅させる。蒸気も空中に霧散して消えた。

 サッとハンカチを取り出し、しっとりと湿った顔をふく。そして、椅子に優雅に腰かけて、適当なページを開いた本を持って応える。

 

「どうぞ」

 

 カルカの許可を得て、ケラルトはそっと扉を開け、一礼して入ってくる。カルカは「自分とあなた達の仲なのだから、公式の場でない時ぐらい楽にしても構わない」といつも言っている。しかし君主を敬愛する姉妹は、他の者と比べればカルカとも会話を自由にするが、それでも一定以上の礼儀は遵守していた。

 ちなみにカルカのそういった発言が例の噂に信憑性を持たせているのだが、本人はそのことを知らない。

 

 部屋に入ると、ケラルトはスンと鼻を動かす。

 

「良い香りです……薔薇ですか?」

 

「そ、そうなの、薔薇の香水をいただいてね! そんなことより急にどうしたのかしら? ケラルト?」

 

 急ぎ、話題をそらす。カルカは、窓を開けておかなかったことを少し後悔した。

 

「ええ、そうですね。まずは、それですね。どうやら、姉様がもう戻ってくるみたいなんです」

 

 そう言ってケラルトは、トンと自身の額に指を置いた。レメディオスに同行していた神官から《伝言/メッセージ》を受け取ったようである。

 《伝言/メッセージ》は、正確性において何かと不安の多い魔法であるが、ある程度の技量を持った者同士がそれ程離れていない距離で、危険度の低い情報をやり取りするには便利な代物であった。

 

「あら、もう? 戻るのは明日になると聞いていたのですが」

 

「はい、私もそう聞いてたのですが、何やら急ぎ連絡することがあるそうで……何でも、国境で妙な男を保護したとか」

 

「国境で、ですか……」

 

 そう呟いてカルカは、自国の誇る要塞線を思い浮かべる。あそこは、亜人の侵攻を食い止める聖王国の盾である。であるから、その向こう側には亜人共が跋扈しているわけで、そんな場所にいた人間ともなれば当然カルカも警戒する。

 

「なるほど、それは確かに重要な案件ね」

 

「ですね。詳しいことは聞いていないので、一先ずは姉様達が戻るのを待ちましょう」

 

「そうね、じゃあここでお茶して待ちましょう。今から紅茶を入れるわ、あなたはそこに座っていてね」

 

 そう言って立ち上がるカルカに、ケラルトは少し慌てて言う。

 

「ああ、もう、カルカ様、この場合そういった雑事は私の役目ですよ。紅茶は私が入れますから……」

 

「いいのよ、誰が見ているわけでもないのだから、こんな時ぐらい友人として接してほしいのだけれど?」

 

 そう言ってカルカは、さっさと部屋の奥に行ってしまった。ケラルトは溜息をつくも、主人からの嬉しい言葉に少し頬を緩めて椅子に座る。

 

 カルカは、そんなケラルトの様子に満足したように笑うと、さり気なく窓を開けて、香りの強い種類の紅茶の瓶を手に取った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「失礼します!」

 

 元気の良い挨拶とともにレメディオスが入室する。そして、そのままカルカ達のもとへ歩いて行き、主人に一礼してからテーブルにつく。

 

「モンタニェスさんもどうぞ」

 

 カルカにそう促されて初めて、グスターボは敬礼を止めて部屋に足を踏み入れる。そして、カルカにもう一度深く辞儀をして、レメディオスの後ろに立った。

 

「モンタニェスさん、あなたも椅子に座ってもらっていいんですよ。ほら、ちょうどあと一席空いています」

 

「いえ、私なぞ皆様と比べれば、立場も能力も大きく劣る身、この場にご一緒させていただくだけで十分でございます」

 

 グスターボの返事に、カルカとケラルトは顔を合わせて微笑んだ。グスターボにこの場にいてもらわなくては困るのはこちらの方なのに、と。

 2人がなぜ笑ったのか分からないが、レメディオスも取り敢えず口角を上げておいた。

 

「それではレメディオス、早速ですけどその保護された男について詳しく教えてくれます?」

 

「はい! ああ、えーと、そうですね。そいつはサトル・スズキというやつで、あー、中部拠点でパベル・バラハが、ほら、あの九色の黒の弓の腕のたつ男です。で、そのパベルが保護して、なんだったか……ユグ何とかという外道の王の国からきた可哀想な男で、カルカ様の偉大さを語ってやったところ、大いに感動していたから見どころはありますね。私からは以上です。あとはグスターボから聞いてください」

 

 最終的に報告が感想になったところで、レメディオスはグスターボにぶん投げた。その潔さはいっそ清々しい。

 大体こうなることは予想がついていたが、それでもカルカがわざわざレメディオスに話をふったのは、癒されたかったからである。狙い通り、今のカルカはとてもほっこりしていた。

 

「はっ、では私からご説明させていただきます……」

 

 カルカが微笑み、ケラルトは額に手を当て、そして何故か――ほんとに何故か分からないが――レメディオスがドヤ顔をかます中、グスターボは団長から引き継いだ報告をはじめた。

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

「それで、娘は聖騎士を目指しているわけだ。妻の反対は凄まじくて、俺が盾になることで何とか説得できたわけだが――あの時は久しぶりに娘からありがとうと言ってもらえたな。あのネイアは本当に可愛かった……いや、もちろんいつだって可愛いのだがな? というか娘が可愛いのは自明の真理というか……そうだ可愛いといえば――」

 

(何回目だよその話……馬車に乗ってから何回同じ話をしたよ……)

 

 先程から「そうだ~といえば」の乱用により、幾度となく繰り返されているパベルの娘自慢にサトルはげんなりする。

 

 少し話を前に戻そう。

 パベル達は、オルランドへの任務の引継ぎもありレメディオス達に半日遅れる形で実家のあるホバンスへと出発した。馬車の中はサトルとパベルの二人だけである。レメディオスの意見もありサトルへの警戒が大分弱まったこともあるが、サトルのもっとも近い場所での監視がパベル一人に任されているのは、ひとえにパベルの実力が信頼されているからである。

 

 パベルは、出発と同時にサトルに言った。

 

「いいか、妻にも娘にも触れるな、というか話しかけるな。妻に関しては向こうから話しかけられた場合は仕方なしとするが、娘とは接触する機会すら与えんからな。というか、部屋を一室与えるから基本的にそこから出るな。用を足す場合は俺を呼べ、廊下で娘と偶然すれちがうという可能性もあるからな……まったく、なんでお前のような訳の分からん男を……そうだ、男をだ! 同じ屋根の下に……」

 

 突如バラハ家のお約束十か条をぶちまけ始めたパベルの、敵意というよりは悲しみを感じる言葉に、何を返せば良いか分からないサトルは苦笑いを浮かべる。

 初対面の時とは違い、自分に対する警戒を隠そうともしないパベルの態度であるが、サトルは別にそれを不快とは思わなかった。そもそも自分が警戒されるのは仕方のないことと自覚していたし、それ以上に、パベルの態度の変化は、娘を家族を愛するが故のものであると分かったからである。その様子は微笑ましく、すでに両親のいないサトルにとっては若干羨ましくもあった。

 ネズミの化け物を倒してくれたことと、牢屋に行くことになる予定だったらしい自分を――不承不承であるが――引き取ってくれたことから、サトルのパベルに対する好感度は高い。それに、パベルの家族に危害を加えるつもりはもとより無いので、彼の要求をのむことに抵抗はなく、精神的に余裕があった。   

 

 それ故に、あの一言を口にしてしまったのである。

 

 

 

「大切な娘さんなんですね」

 

「ああ、そうだ自慢の娘だ」 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(いやさ……最初の方は、本当に娘さんが大好きなんだなあってほっこりしたよ? でも、もう一時間以上ずっと話し続けてるぞ……それも同じ話を……溺愛しすぎだろう……)

 

 『木彫りの人形編』『初めてのお弁当編』『家族でキャンプ編』『聖騎士を目指す編』『最近若干冷たい編』のランダムリピートに、社会人時代の接待スキルで対応していたサトルであったがそろそろ限界が近い。ホバンスに着くまでにこの国の情報をできるだけ得ておきたいとも考えているので、なんとか別の話に持ち込めないかと隙をうかがう。

 

「……というわけで、もうすぐネイアは聖騎士訓練生として家を出てしまうんだ……そうだ…」

「そうです! そ、その聖騎士のことなんですが!」

 

「……む? 聖騎士がどうかしたのか」

 

 何度目かの『聖騎士を目指す編』が終わった隙に、すかさず別の話を切り込む。それが、うまくいき話の主導権はサトルへと移った。

 

「先ほどお話しさせていただいた方が、ご自身を聖騎士団の団長と仰っていたのですが、やはり団長ともなればお強いのでしょうか?」

 

「ああ、カストディオ団長のことか、そうだな、個の武力で言えばこの国であの方の右に出るものはいないだろう。周辺諸国でも随一の強さを誇っているのは間違いないな」

 

「やはりそうですか……いえ、話していて妙に威圧感があったので、強そうだなあとは思っていたのですが……」

 

 パベルの答えを聞いて、サトルは気を引き締める。聖王国最強、周辺諸国で随一ともすればそれは相当な強さであると見るべきであろう。まさか、ワールドチャンピオンであるたっち・みー以上ということではないだろうが、戦うことは避けるべき相手だとサトルは考えた。

 

「しかし、当然、カストディオ団長だけが強いというわけではない。団長には及ばずとも、この国には強者は多くいる。例え剣の腕は平凡でも、この国を民を守らんとする強い意思を持った者たちがたくさんいる。そんな真の強者達が血と汗を流し、剣をふるっているからこそ、この景色は今日も美しいままなんだ」

 

 そう言って、パベルは窓の外を眺める。それにつられて、サトルもここまであまり気にしていなかった、車窓の向こうに目を向けた。

 空と空を反射した湖の青色に挟まれて、鮮やかな緑色の草原が広がっている。その中にポツリ、ポツリと建っている民家の白い壁は朝日を反射してキラキラと輝いていた。

 自然と人の営みが調和している、完成された景色であった。

 

「ああ……本当に……きれいです……」

 

 それは、サトルの心の底からの言葉である。

 

 空が青い。水が清い。日が差している。本物の緑がある。

 

 すべてが、彼の過ごしていた世界では「昔はあったらしいもの」でしかなかった。

 

 絵本の向こう側の光景であった。

 

(色々あってあまり気にしてなかったけど、これって凄いことだよな)

 

 リアルでは、例えどれだけの金を投じてもこれほどの景色を直に見る機会は得られないだろう。そんな景色が一介のサラリーマンにすぎない鈴木悟の眼前に、当然の如く広がっているのである。

 

「……良い国ですね。ここは、毎日がきっと楽しいでしょうね」

 

 目を輝かせてそう呟くサトルを見れば、その感動に噓がないことはすぐに分かった。その純粋さにパベルは頬を緩めるが、同時に疑問も抱く。

 

 その、初めて目にしたかのような顔はどういうことだろう?

 

 ユグドラシルとは一体どんな国であったのだろう?

 

「……なあ」

 

「はい?」

 

「あー、いや……何でもない」

 

 パベルはユグドラシルについて聞こうとしてやめる。こんな雑談のような形でする話でもないだろうし、今、個人的に抱いた疑問はサトルの回答次第では余計な私情を抱きかねないものであったからだ。

 サトルは少し不思議そうにしたが、別段気にする様子もなく再び窓の外に目を向けた。

 

「あの丘で昼寝とかしたら心地よさそうですね」

 

 サトルは陽のよく当たったある丘を何気なく指さす。そこは、たまたま、パベルの良く知る場所であった。

 

 それでパベルは、そういやまだあの話はしてないなと思い出す。

 

「ああ、あの丘か、あそこは昔、娘とよく遊びに行っていた場所でな……」

 

「えっ?! ちょっ……」

 

「そうだ、娘と遊ぶといえば……」

 

 

 ホバンスへの道のりはまだ長い。

 

 

 

 

 

 

 *****

 

 

 

 ホバンス一等地、バラハ宅

 

 洗濯で庭に出ていたネイアは、そこをたまたま通りがかった隣家の婦人と柵越しに話をしていた。

 

「それにしても、お子さん大きくなりましたね」

 

「そうなの、まだ手で体を支えながらだけど少しづつ歩けるようにもなってきてね。ちょっと目を離すとすぐどっか行っちゃうから毎度ハラハラさせられるわあ」

 

 婦人はそう言って嬉しそうに笑う。話の中心である子供は、背中のおんぶ紐の中でグッスリ寝ており起きる気配がない。

 

「ああ、そういえばこの間はごめんなさいね? せっかく抱っこしてくれたのにこの子ったらあんなに泣いちゃって……」

 

「いえ……全然大丈夫です……」

 

 お腹がすいてたのかしらね? と婦人は気を利かせているが、その子が泣いた理由が自身の狂眼にあると自覚しているネイアは、歪な愛想笑いを顔に貼り付ける。

 泣きたいのはネイアの方であった。

 

 おそらく笑っているのだろうネイアの有様に同情しつつ、婦人は半ば強引に話を変える。

 

「あー、そうそう、果実園をしている知り合いが居るんだけど、この間、安くでたくさん譲ってもらったのよ。後でお裾分けするわね」

 

「いや、そんな悪いです。タダでなんて……」

 

「いいのよ。ネイアちゃんのお母さんには怪我した時にいつもお世話になっているんだから」

 

 遠慮するネイアに、婦人はそう答える。

 もとは聖騎士であったネイアの母は、魔法による加護で軽い怪我なら治癒することが出来た。そして、多くの聖騎士と同様の強い正義感のために近隣の住民に頼まれれば、治せる範囲で無償の治癒を行っていたのだ。

 

「ここら辺は神殿から少し離れてるからね、ネイアちゃんのお母さんには本当に感謝してるのよ」

 

「あはは……神殿の方達はあんまり良い顔しませんけどね……」

 

 無償で勝手に治癒を行われることは、お金を取って人々の治療にあたる神殿からすれば当然容認し難いことである。ただ、ネイアの母がするのは、神殿で診てもらう程ではない軽傷の治療や神殿で診てもらうまでの応急処置ばかりであり、よって黙認されていた。

 

 母に対する感謝に「伝えておきます」とだけ答える。

 ネイアは、聖騎士を目指す者として、当然母のことは尊敬していた。というよりは、母という存在があったから、聖騎士に憧れたのであろう。

 そんなネイアにとって、母が感謝されることは、やはり誇らしいものであった。

 

 

「―――なんだか、随分話しちゃったわね。ごめんなさいね? お手伝いの途中だったのに」

 

 しばらく他愛のない世間話をしていた二人だったが、ネイアの洗濯物を干す作業が停止していることに気が付き婦人は謝罪する。

 

「いえ! そんな! 気にしないでください」

 

「本当にいい子だねえ、ネイアちゃんは。この子もネイアちゃんみたいに育ってほしいわぁ……ああ、それじゃ、これ以上お仕事の邪魔しちゃ悪いから、また後でね」

 

「はいっ! お気をつけて!」

 

 すぐそこなのに気をつけるも何もないわよー、と笑いながら婦人は家に帰って行く。

 残りの洗濯物もさっさと干してしまおうと、ネイアがカゴに手を入れた時、その鋭敏な聴覚が馬鉄の音を捉えた。

 

「こんな時間に何事だろ」

 

 気になって様子を伺う。しばらくして、一台の馬車がこちらに向かってきているのが見えた。馬を操っている兵士には見覚えがある。

 

「あの人って確かお父さんの部下の人だよね」

 

 過去に数回、家に訪れたことがあったので顔を覚えていた。しかし、昨日家を出たばかりの父は、あと四日は帰らないはずである。一瞬、父が何かをやらかしたのかと考えたが、あの真面目な父に限ってそれは無いだろうとその考えを捨てる。

 だが、異常な事態であることには間違いなく、ネイアは少し身構えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 やはり、馬車はバラハ宅の前に止まった。扉が開き、パベルが降りてくる。

 

「お父さんお帰り。えっと、どうしたの?」

 

 庭から出て、玄関の前でネイアは父を出迎える。

 

「ああ、ただいまネイア。あー……お母さんはいるな?」

 

「うん、今家の中で掃除してるけど……」

 

「そうか、じゃあ、詳しいことは後で話すから、ちょっとお母さんを呼んできてくれるか? それと、お母さんを呼んだらネイアは家の中で待っていなさい」

 

「え? でも、まだ洗濯物が途中なんだけど」

 

「それは、お父さんがやっておくから」

 

 やはり、何かが起きたのは間違いないらしい。いつもと様子の違う父親にネイアは少し不安になる。しかし、なんやかんやでパベルのことは信用しているので、ネイアは大人しく父の言葉に従った。

 

 

 ネイアが家に入ってそれ程間を置かず、ネイアの母が家から出てくる。ネイアも詳しい話をされていない以上、ネイアの母にも「取り敢えず来てくれ」という情報しか伝わらず、訝しげな顔をしている。

 

「どうしたの? というか何事よ、忘れ物?」

 

「そうではないが……ちょっと……いや、大分面倒なことになってしまった。これは、俺としても本当に遺憾であり……もう、なんでこんなことになったんだか……」

 

「だからどうしたの? はっきりしないな」

 

 妻に急き立てられて、パベルは、事の詳細を語り始める。ただ、その中でパベルは、自分が如何に今回この様な結果となってしまったことを残念に思っているのかを力説した。仕事を家庭に持ち込んだのはまったく不本意であり、けして家族の団欒というものを軽んじたわけではないのだと、俺の家族愛はいまだ火球(ファイヤーボール)だと訴えかけた。しかし、妻はそんなパベルの言葉を「そういうのはいいから、要点だけ話せ」と切り伏せる。

 きっと、言うまでもなくパベルの家族愛は妻に伝わっていたのだろう。そうなのだろう。

 

 パベルは、全てを話し終えて妻の様子を窺う、どうやら機嫌が悪くなるということは無かったようである。一安心だ、と思いきや妻は思わぬことを口にした。

 

「なるほど、つまりお客さんが来ているということだね」

 

「うん? いや、違うな、断じてお客さんではない」

 

 あれ、おかしいな? とパベルは首をひねる。自分はサトル・スズキのことを、(我が家に)招かれざる監視対象であると説明したはずであるのに、これはどうしたことであろうか。

 

「いや、あの男は極めて得体の知れない存在であって、それ以前に男であって、うちのネイアは天使であるからして、決してお客さんなどとおもてなしすべき対象ではないのだ。わかるな?」

 

「しかし、別に不法入国者というわけではないんだろ?」

 

「まあ、そうだが……」

 

 そう、パベル達が気絶したサトルを救出のため国内に運び入れたのであって、サトルが自分の意志で勝手に国土に踏み入ったわけではない。

 

「そして、別に何か悪事を働いたわけでもないんだろ?」

 

「まあ、今のところは……」

 

「レメディオス団長が、うちで面倒見るように指示したんだろ?」

 

「まあ、不本意だが……」

 

「では、客人だね」

 

「そんな……馬鹿な……」

 

 現状、サトルのポジションは極めて微妙な位置にあり、それこそ接する人の気持ち一つで簡単に扱いが変わるものであった。パベルとしても別に、サトルを邪険に扱いたいわけではない。しかし、我が家に来るとなれば話は変わる。隔離せねばならない。

 

「ほら、いつまでも馬車で待たせてたら失礼でしょう。早く上がってもらわないと。しかしまいったな、まだお酒は残っていただろうか……」

 

 そんな、パベルの思いとは裏腹にパベルの妻は着々と歓迎のための思案をはじめる。団長にしても妻にしても、聖騎士の正義感はこれだからとパベルは泣きたくなるが、今回は多分パベルの過ぎた子煩悩にも問題がある。

 

「わ、分かった。客人待遇は分かったから、せめてネイアとは会わせないでおこうか」

 

「何言ってるのよ、ちゃんと挨拶させないと」

 

 泣きそうな顔になるパベル。しかし、娘を持つ男親ともなれば程度の違いこそあれ皆こんなものである。分かってあげてほしい。いや、知らんけど。

 

 

 

 

 

 *****

 

 

 

 

 

「サトル・スズキと申します。この度は私のような、どこの誰とも分からない人間を迎え入れて頂き誠にありがとうございます」

 

「迎え入れたわけではない。一週間のうちに出ていってもらっゴフッ!」

 

「何か不便があれば、私にでも旦那にでも娘にでも気楽に声をかけてくれると良い。できる限り、力になるよ」

 

 脇腹を抑えて膝をついたお父さんに、スズキさんは少しの間心配そうに目を向けていたが、すぐにお母さんの言葉に応えるようにもう一度深く頭を下げた。

 スズキさんが頭を上げるのを待って、自己紹介をする。

 

「娘のネイア・バラハです。よろしくお願いします」

 

「こちらこそよろしくお願いします。とても賢そうな、礼儀の正しい娘さんですね」

 

「ふふ……そうだろう? 自慢の娘だ。うちのネイアはだな……」

「お父さん、やめて」

 

 また、いつものように私の自慢話をしようとしたのですぐに遮る。私の冷たい声に、この世の終わりみたいな顔をしているが気にしていられない。毎度毎度、誰かが来るたびに絶え間なく私の話をする癖は、ほんとにどうにかして欲しい。それを、聞くたびに顔から火が出るほど恥ずかしくなるのだ。

 

 そんな、私とお父さんのやり取りを、スズキさんは苦笑いしながら眺めていた。

 お父さんが異常に警戒していたから、一体どんな人が来るのかと随分と身構えていたが、スズキさんは拍子抜けするほど普通の人だった。顔立ちこそ、ここらではあまり見かけない、いわゆる南方系の顔であったが、話し方は穏やかでとても優しそうな人である。

 

(それに、私を見ても少しも怖がらなかったな)

 

 これまで私が出会ってきた人は、大人子ども問わず、程度の違いはあれ初対面なら多少の動揺を見せてきた。そのつどなかなか傷ついたものだが、このスズキさんという人は、私を見ても顔色一つ変えないで普通に挨拶を返してくれた。

 これだけのことで喜んでいたら、お前はどれだけ幸が薄いのかと人に言われそうだが、それでもこの目つきの悪さは深刻なコンプレックスであっただけに、スズキさんの対応が妙に嬉しかった。

 

「ネイア、市場でパンとハムを買ってきてくれる? 切るだけなら私にもできるからな。ああ、あとお酒もあまり残っていなかったから、いつものを一本」

 

「ああ、そんなお構いなく……」

 

 そう言ってスズキさんは、出かける準備をはじめる私に申し訳なさそうな目を向ける。

 

「大丈夫です。歓迎させてください」

 

 私はそう言って笑った。真顔のほうがまだ愛想が良いと言われる私の笑顔だけれど、それでもスズキさんは、少しも顔色を変えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あと、お父さんが代わりに干すと言った洗濯物を、結局やっていなかったので私がお母さんに怒られた。

 かなり、イラっとした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 *****

 

 

 

 

「――――以上のように、サトル・スズキについて対応している状況です」

 

 グスターボが、中央部拠点でのサトル・スズキに関するあらましを簡潔明瞭に説明した。カルカやケラルトに並んで、レメディオスも初めて聞きましたみたいな顔をしていることに心の中で眉をひそめたグスターボを誰が非難できるだろうか。

 

「ユグドラシルですか……私は、聞いたことありませんね。ケラルト、あなたはどう?」

 

「私も聞いたことがありません。それに、突然現れた理屈についても常識で納得のいくものはすぐには思いつきませんね」

 

「カルカ様とケラルトにも分からないなら、私が分からなくても仕方がないな!」

 

「姉様、そんなに快活に言うことじゃありませんよ」

 

 いつも言いたくても言えないことを、ケラルトが言ってくれるのでグスターボはすこしだけ優しい気持ちになれた。彼は今、早く帰ってペットを愛でたい。

 

「なんにせよ、これだけではあまりに情報が足りませんね。やはり、一度会ってみた方がいいかしら」

 

「そうですね。ただ、姉様、兵士長さんには一週間以内にと伝えたのですよね?」

 

「ああ、多分そうだ」

 

「間違いなくそうです」

 

 横からグスターボが、情報を確実なものにしてくれる。

 

「では、まずは一週間、兵士長さんの家で様子をみましょう。ホバンスならここから近いですし、何かあればすぐに情報がくるよう伝達網をつくっておきます」

 

「そうですね。では、スズキさんが新しく聖王国民となる可能性も高いですから、私はその準備をしておきましょう」

 

 ケラルトとカルカで一先ずの方針を立てる。レメディオスはその様子を笑顔で眺める。

 

 

 取り敢えず言えることは、「一週間以内ということなら、存外明日明後日には城に召喚されるのでは」というパベルの淡い期待は、泡沫のようにはじけて消えた。

 

 




次回更新も、大変申し訳無いのですがいつになるか分かりません。

あと、また、パベルの妻ですが、一応今は「お母さん」「パベルの妻」「妻」という風に表記していますが、今後話をつくっていくうえで、あまりに出番が増えるようなら何か適当な名前を与えようと考えています。その時は、マリアとかそんな無難でありきたりなやつにするつもりなので、できるだけ抵抗を感じないで頂けると嬉しいです。


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