『八幡』と『結衣』と『雪乃』のオムニバスストーリー (こもれび)
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【ショート・ショート】
(1)真っ裸の雪ノ下と由比ヶ浜と一緒に居るだけの話


オムニバスの最初はやはりこの作品からです。
ここから全作品の掲載を始めさせて頂きますね。


「なんでこうなった!」

 

 そんな俺の質問もむなしく、部室の奥の積み重なった長机の陰にしゃがみ込んで隠れる二人は、顔の上半分……目の辺りだけを出して、呆然と立ち尽くす俺を見ていた。

 今は昼休み。うだるような暑さから逃れようと、昼飯を食べられる涼しい場所を求めて彷徨ううちにこの部室に辿りついた。が、ここで異変が起こった。先客がいたのだ。それも二人も……

 まあ、それは別に問題ない。なぜなら、その二人はこの部活の部員、雪ノ下と由比ヶ浜だから。だが、その奥の机の山にその身を隠す二人の身体には問題があった。その問題とは……

 

 何も服を着ていない……全裸だということ。

 

 暫くの沈黙の後、声を出したのは由比ヶ浜だった。

 

「え、えーとね、さっき女子はプールの授業だったでしょ? あたし、ちょっと遅くなっちゃって間に合わなそうだったからさ、ついこの部室で着替えちゃったの。ここプール近いし……それで、戻ってきたら……」

 

 由比ヶ浜は顔を真っ赤にしたまま雪ノ下を見る。すると今度は雪ノ下。

 

「わ、私も同じようなものね。由比ヶ浜さん達の後、今度はうちのクラスが水泳だったし、この後お昼休みだから丁度いいと思って、お弁当とか着替えとか全部持ってきていたのよ。それで、ここに来たら由比ヶ浜さんが着替えていたので、私も一緒に着替えていたのだけど……」

 

 二人はお互い見つめ合う。そして二人とも真っ赤になってテーブルに顔を隠した。

な、なにゆりゆりしちゃてんの? は!? まさか、本当に……ゆ、百合なのか!? ゆりっちゃったのか!? 百合ノ下さん、百合ヶ浜さんなのか!?

 

 ゴクリ…… 

 

 「と、とにかく、着替えに来たのは分かったから、お前ら早く服を着ろよ」

 

 そう言うと、テーブルの陰から雪ノ下が声を出した。

 

「それが……ないのよ、服が」

 

「は? だって、水着とか、制服とかは、どうしたんだよ」

 

「えーとね……」

 

 俺の質問に由比ヶ浜が答える。

 

「えーと、あたしがここに入った時、段ボールが床に置いてあったの。ちょうど、着替えを入れるのにちょうどいいと思って、着ていた水着も制服も全部そこに入れちゃったの……」

 

「わ、私も、その辺に置いておきたくなくて、由比ヶ浜さんに倣ってそこに入れたのだけど……。丁度私達が全部脱いでしまった時、急に入り口で音がして、私たちは二人で、慌ててこの奥のテーブルの陰に隠れたのよ。誰かが入って来た様だったから……それで、暫くして静かになった頃に出てきてみたら……」

 

 俺はため息をついた。

 

「その段ボールが無くなってたわけだな……お前らの服も一緒に」

 

 雪ノ下と由比ヶ浜がちょこんと頭だけを覗かせてコクコクと頷く。なんだ、百合じゃなかったのね……

 

「それでねヒッキー……お願いなんだけど、誰か女子の子を呼んで来て貰えないかな」

 

「な、なに!?」

 

 じょ、女子だと。このプロボッチ10段の俺にそんな試練を……

 俺の思案が終わる前に雪ノ下が言った。

 

「それは酷という物よ、由比ヶ浜さん。人には出来ることと出来ないことがあるのよ。もっと気を遣ってあげましょう。ね!」

 

 お前もだよ、雪ノ下。もっと気を遣えよ。

 

「で、でも……このままじゃ……」

 

 由比ヶ浜が声を震わせる。それにしても暑い。ただでなくても昼時で暑くなってるのに、この部屋窓も閉めきってるし。

 俺があまりの暑さに耐えかねて、ワイシャツのボタンに手を掛けたその時、由比ヶ浜が声を出した。

 

「そ、そうだ! ヒッキーの服があるよ。それ貸して」

 

「は? お前何言ってんの? そしたら俺裸になっちゃうだろ」

 

「いいから貸してよ! ゆきのんはTシャツと、制服のズボンね。あたしはワイシャツと、ヒッキーのパンツで我慢するから」

 

 な、何!? 雪ノ下が俺のTシャツにズボン直履き……、由比ヶ浜がノーブラワイシャツに……俺の、ぱ、パンツを履くだと……!?

 い、いかん……妄想しては危険だ! タダでなくても、目の前の二人は全裸……このままでは……

 

「や、いや、ちょっと待て、ダメだ。絶対に!」

 

「ヒッキー……く、靴下は見逃してあげるから……ね? お、お願い……」

 

「い、いや、靴下だけで何をどうしろっていうんだよ!」

 

「そ、そんなの、頑張って隠せばいいでしょ! も、もう……いい加減に諦めて、早く脱いでよぉ! もうじれったいぃ!」

 

 由比ヶ浜が突然立ち上がる。当然その大きな二つのビーチボールも跳ね上がる。俺は咄嗟に顔を背けて目を瞑った。

 

「ば、ばか! 何してんだ! 恥をしれ。恥を!」

 

「ヒッキーがいけないんでしょ! グズグズしてるから!」

 

 ヒタヒタと由比ヶ浜が近づく音が聞こえる。そして、俺のズボンに手を掛けたのが分かった。こ、こいつ……俺のベルトを外そうとしてる。由比ヶ浜をチラリと見下ろしたら、真っ赤な顔で目を血走らせていた。コイツ……本気だ……

 

「ば、バカ! 本当にやる奴があるか! お前、この暑さで頭沸いてんじゃないか?」

 

「ち、ちがう……そうじゃないの……、そうじゃなくて……」

 

 由比ヶ浜はプルプル震えながら、掠れるような声で呟いた。

 

「も、も、も……漏れそうなのぉ……」

 

 なにぃ? そんな非常事態になってたのかぁ!? って、だからって、俺に出来ることなんて何にもないぞ!

 

「た、頼む……見逃してくれ! ここで起きたこと、いや、起きることは誰にもいわないから! な!? な!?」

 

 俺がそう言った瞬間、ガシッと後ろから羽交い絞めにされた。

 

「ゆきのんナイス!」

 

 真っ裸の雪ノ下が、俺の背後から両脇の下に手をまわして締め上げてる。当然、雪ノ下の身体と俺の背中は完全密着状態。

 お、おおぅ……せ、背中にわずかな膨らみの感触が……

 

「ゆ、雪ノ下……落ち着け、こんなことしてもろくなこと無いぞ!」

 

 すると雪ノ下。

 

「わ、私もお、お手水(ちょうず)に……い、行きたいのよ……」

 

 お、お前もかぁ……何を、上品に言い換えてるんだよ!

 で、でも、この状況はやばい……ち、近すぎる……っていうか、マジでくっついてるし! それに、暑い、苦しい、いい匂い!! もう、色々ヤバすぎる!?

 

「もう……ヒッキーのズボンなんか引っかかってるし……なかなか……ぬ、ぬげなぁいぃぃ」

 

 由比ヶ浜が渾身の力を込めて引き下ろそうとする。止めて! マジで! お、折れちゃうから!

 

「ひ、比企谷君……いい加減観念しなさい」

 

 雪ノ下も引きつった笑いを浮かべながら、俺の耳元にそう囁く。も、もうだめだ……このままじゃおかしくなる……だ、誰か助けてくれぇ!!

 ちょっと、油断をした瞬間、由比ヶ浜がズボンを持つ手に力を入れた。

 

「えい!」

 

 ぴこん!

 ガラガラ……

 

「やあ、すまんすまん、間違えてお前たちの服を持っていってしまったようだ……あ」

 

 その瞬間、開いたドアの前に、段ボールを抱えた平塚先生が絶句して立っていた。



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(2)白衣を着た平塚先生と二人っきりで居るだけの話

 俺は今、例の生徒指導室に居る。目の前には当然世紀末覇王もとい、正義の鉄拳教諭、平塚静先生が鋭い目つきで俺を見据えて座っている。まさに俺は蛇に睨まれたカエル……いや、拳王軍に睨まれた通行人Aと言ったところか。お願いします……命だけは……

 

「比企谷ぁ~……なんでここに呼ばれたのか、分かっているな」

 

「さ、さあ……清廉潔白が信条なんで……なんのことか、さっぱ……」

 

 ぶおん!

 

 風を切る音を立てて100倍くらいに巨大化した拳が、俺の頬を掠めた。ま、マジで死ぬな...これは...

 

「私に適当なことを話すと、どういう目に会うのか、まだ分かっていないようだな、君は」

 

「い、いえ……そんなつもりはありません。ただ、さっきから気になってることがありまして……」

 

「なんだ、言ってみろ」

 

 先生は俺のすぐ横に立つと、腕を組んで見下ろした。いつも通りのポーズ。そう、ポーズだけならいつも通りなのだが……

 

「せ、先生……なんで白衣の前のボタンを全部留めてるんですか? それに……なんで今日はパンツスーツじゃないんですか…」

 

 どう考えてもおかしい……。いつもはシャツにパンツルックで、白衣をはためかせる男らしい先生が、今日はまるで女医のようにきちんと白衣を身に着けている。

 先生は待ってましたとばかりに口元をニヤリとさせると俺の後方に向かって歩いて行った。暫く固まっていると、背後のこの部屋の唯一の出入り口である、引き戸の辺りから、カチリと鍵が掛かる音が聞こえてきた。

 さっきから嫌な予感しかしない。今日はなんて日だ! ついさっきの由比ヶ浜といい、雪ノ下といい、やっとあの地獄から解放されたと思ったら、今度は先生に拉致されてしまうとは……

 先生が何を考えてるのか全く分からないが、どうやら普通のお説教ではないようだ。不意に俺の耳元に囁くように先生が口を開いた。

 

「さっきの事は見なかったことにしてやろう」

 

「本当ですか? あ、ありがとうございます」

 

 ほぅ……これで何とか停学にはならなくて済みそうだ。

 

「しかしな」

 

 先生が俺の両肩に手を置いて話す。

 

「だからと言って、君たちの不純交友を見逃す事は出来ない。まさか、君たちがあそこまでの関係になっていたとはな……監督者の私の責任だ」

 

「い、いや、ちょっと待って下さい。さっきも話しましたけど、本当に何もありませんよ」

 

 ただ、雪ノ下と由比ヶ浜が全裸で、二人に押さえつけられた俺が下半身丸出しだっただけ……あ、これ完全にアウトでした。

 先生は俺の頭をポンと叩いた。そして、突然優しげな表情になって、俺に顔を近付ける。

 うっ……ヤニ臭い!!

 

「まあそれはいい。むしろ健康な男子はそうでなくてはな……比企谷……君は成長した」

 

 は?何言ってんだこの人は……成長も何もただ下半身丸出しだっただけで……

 

「そこでな……成長した君に、一つ手伝ってもらいたいことがあるのだ」

 

 先生は、赤い顔をして俺のすぐ前に立つと、おもむろに白衣の胸の辺りのボタンに手を掛けた。

 な、なに?どういうこと!? お、俺、襲われちゃうの? 大人の階段上っちゃうの!?

 

 ゴクリ……

 

 唾を飲みこんで、先生を見上げる。そして、次の瞬間……先生は白衣を脱ぎさった。

 

 俺は咄嗟に目を瞑る……

 うう……なんで、俺ばっかりこんな目に……

 

「ほら……目を開け、比企谷。こ、こんな姿……私だって恥ずかしいのだ」

 

 い、いや、恥ずかしいなら止めればいいでしょ……と、俺の無言の抵抗もむなしく、先生は俺の両目に指を食い込ませて、瞼を無理やり開かされる。新手の拷問なのかよ!

 目を開いたそこには……

 

「ど、どうだ……私のこの姿は……お前の率直な感想を聞きたい」

 

 そこにあったのは、ぱっつんぱっつんのスクール水着を着た、黒髪ロングヘアーでヤニ臭い一人の顔を赤らめた女教師の姿。

 

 うっわ……!

 

 とにかくおかしい……まず体形に全く水着が合ってない。っていうかいろんなところが食いこみすぎてて目のやり場に困るのはおいて置くとして、とにかく痛い……痛すぎる。

 ボッチで彼女のいない歴年齢の俺が言うのもなんだが、一人の真面目(だと思っていた)な成人女性(アラサー)がする格好では、間違いなくない。ありえない。ドン引きである。

 

「先生……どうしちゃったんすか」

 

「うっ!?」

 

 俺のその一言に、先生は顔を引きつらせる。そして、なぜか俺の股間を凝視する。

 って、ど、どこ見てんですか!

 

「だ、だってぇ……」

 

 先生が急に半泣きで甘えたような声を出した。

 

「この前の合コンの時に、『私、高校の先生やってまーす』って、言ったら、男性陣が、『静さんなら高校のスクール水着とか着ても、きっと似合うねぇ』とか『スク水で迫られたら堪らないねぇ』とか言ってたからぁ、ちょっとその気になっちゃってぇ……で、でも恥ずかしいから本当にその気になってくれるか男の子の反応が見たくてぇ!!」

 

 先生は言いながら最後は半べそをかいて、ぼそぼそ小声なる。

 

「雪ノ下と由比ヶ浜の二人を手玉に取るくらいの比企谷が興奮したら、これも有りかなって期待してたのにぃ」

 

 いやいやいや……全然手玉に取ってないし! そもそも、俺の興奮関係ないでしょ、その合コンとは!?

 俺はなるべく先生の方を見ないようにしながら言った。

 

「あのですね……先生。先生の魅力はそんな水着とか、俺の興奮とか関係ないですよ。先生はそのままで……そのままの平塚静だから魅力的なんですよ。もっと自信もってください」

 

 そう、俺はこの男らしい先生を尊敬している。この人はいつでも、俺達を見ていてくれる。間違ってもいいと言ってくれる。俺にとって先生は、この世界で唯一無二の大事な存在なんだ。こんな素敵な大人は他にいない。

 俺は自分の思いの真っすぐさを確信して、先生に顔を向けた。すると……

 

「比企谷~! 君はなんて良い生徒なんだぁ」

 

 え?

 

 急に先生がぱっつんぱっつんのスク水姿のまま、俺に抱き付いてきた。はあああ? なななななんでいきなり抱き付くんですか? 話の流れ解ってます!? うう……色々なところが当たって、見えて、や、やばい! 柔らかい! ヤニ臭い!!

 

「あれぇ?」

 

 先生は抱き付いたまま、なぜか俺の股間に手を当てて、嬉しそうな顔を俺に向ける。と、次の瞬間……

 

 

 ばったーーん!?

 

「きゃ」「わッ」

 

 短い悲鳴と共に、俺達の脇の間仕切りの衝立が倒れてきた。そこにいたのは。

 

「お、お前ら…」

 

 椅子に座った俺と、俺の股間に手を伸ばすスク水アラサー教諭の二人を、雪ノ下と由比ヶ浜の二人が気まずそうに見上げていた。

 

 

 




平塚先生って可愛いよね。


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Just Honne Christmas 

八結ですよ!


「じゃあ、今日はここで失礼するわね。おやすみなさい、由比ヶ浜さん。それと……卑屈ケ谷君?」

 

「いい加減ディスるのやめてね、クリスマスくらい。そんな奴いないからね」

 

「バイバイゆきのん! おやすみなさーい」

 

 車の後部座席の窓を開けて薄く微笑みながらこちらへ手を振る雪ノ下へと俺も手を振った。

 俺はマフラーでモコモコになっている由比ヶ浜とならんで車で帰っていく雪ノ下を見送った。

 とりあえず人をコケにしないと済まないあの性格本当になんとかならないものかね……あ、天地がひっくり返っても無理か。はい、知っていましたとも。

 

「えと……じゃ、じゃあ、いこっか」

 

「お、おう……」

 

「うん……」

 

 不意にそう声を掛けられて思わず返事をしてしまう。

 これも全て俺の優柔不断の為せる業と言えなくもないが、こうでもなければ女子とこうして会話など成立出来ないことを、俺は誰よりもよく理解しているのだからいたしかたない。

 まあ、この流れは至って自然だろう。なにせ雪ノ下にも由比ヶ浜をきちんと送って行くように言われたばかりだしな。

 

 今日俺達は戸塚や材木座、平塚先生や小町も交えてささやかなクリスマスパーティを開いていたのである。一応クリスマスパーティとは銘打ってあるが、実のところはお見合いに失敗した平塚先生の慰安の為のパーティであり、つい今しがたまでいた会場である幕張の高級ホテルのレストランの展望室は、実はお見合い成功を前提として先生がクリスマスデートの一環として自分で予約してしまったという痛い会場なのであった。というか、こういうのは普通男性が用意するのでは? 先走りすぎた挙句、破断になってしまった上、傷心に傷心を重ねた先生を慰労すべく奉仕部が動いたというわけである。

 本当に先生何やってんすか! ジッとしてれば凄くいい女なのに、どうしてこうイケメン男前に動いちゃうんすかね? 

 先走りすぎてもう目も当てられないです。本当に誰か貰ってあげて。

 そんな風に先生のことを心配していた俺だったが、突然全身を震えるほどの寒気に襲われた。そして……

 

「へっくし!」

「ちょっとヒッキー? だいじょうぶ?」

「あ、ああ、だ、大丈夫だ」

 

 心配そうに覗き込んでくる由比ヶ浜から仰け反って離れつつ、俺は鞄から薬の入った小袋を取り出した。

 もともと少し風邪気味ではあったんだがな、今日は流石に冷えるし、どうも少し体調も悪くなってきたようだ。

 

「薬あるの? なら大丈夫だ!」

 

 何がどう大丈夫なのかは不明だが、俺が薬を飲もうとしているのを見て由比ヶ浜はホッと胸を撫でおろしている。うん、そこに手を持っていかれるとどうしても大きなそれの動きを見てしまうので、ちょっと遠慮してね。次からでいいから。

 そう、ドギマギしていたときだった。

 

「うわぁあっ!」

 

「んぎっ」

 

 急に何かがぶつかって俺は前のめりに倒れ込む。その拍子に手にしていた薬も落としてしまったのだが、とりあえず俺はぶつかってきたそれに視線を向けた。

 俺のすぐそばに倒れていたのは一人の男の子。眼鏡をかけて、この寒いのに半ズボンで……その子は慌てた様子で地面をきょろきょろと見てそして何かを拾ってそのまま起き上がった。

 

「お、おい、大丈夫か?」

 

「あ、あ、ご、ごめんなさーい!」

 

「おい……」

 

 慌てて駆けだしていくその子を俺はただ見ていることしか出来なかったわけだが……はて? いったいなんだったんだ?

 

「大丈夫ヒッキー? ケガしてない?」

 

「ん、おお」

 

 由比ヶ浜が再び俺に近づいてくるが、今度は俺も避けなかった。流石に何度もそうするのは申し訳ない気がしたしな。

 こんな遅い時間にあんな子供が出歩いているのもどうかと思うが、要は早く帰ろうとしていただけだろう。気にすることもないな。

 俺は落としてしまった薬を探してみた。さすがに土に汚れたのなら新しいのを飲もうと思ったが、見つけたそれは道脇のベンチの上に転がっていた。まあ、そこも汚いと言えばそれまでだが、地面に落ちたわけでもないからな。俺はまあいいかと、それをペットボトルのお茶で飲み干した。

 そして俺はふたたび由比ヶ浜と並んで歩き始めた。

 

 

    ×   ×   ×

 

 

「ねえヒッキー? 今日のクリスマスパーティ楽しかったね」

 

 まぁな。

 

「どこがだよ。あんなのただ面倒なだけで時間の無駄だったろうが。平塚先生一周まわって気の毒通り越して哀れすぎだったしな。マジで俺が嫁にもらっちゃうぞ」

 

「え? ええ?」

 

「ん?」

 

 由比ヶ浜が急に俺を振り向いてあわあわと口を動かしているし? なんなんだ急に?

 

 どうかしたのかよ?

 

「なんだよこいつは急に俺をじろじろ見やがって恥ずかしいな。お前にそんなに見つめられたらドキドキしちゃうだろうが」

 

「ええっ!? ど、ドキドキ? ヒッキーあたしでドキドキしちゃうの?」

 

「ん?」

 

 由比ヶ浜は俺を見たままで顔面がどんどん真っ赤になっていく。

 

「ってあれ? 俺ひょっとして全部声に出てる……のか?」

 

 すると由比ヶ浜はコクコクと頷いた。

 

「いや、マジか? マジなのかよ。それはちょっと恥ずかしすぎるだろう。っていうか、なんだこれ? 全然黙れてねえじゃねえかよ。いやだよ、なんだよ、これ、考えが全部だだ漏れじゃねえか……」

 

「落ち着いて、ね、ヒッキー大丈夫だから落ち着いて!」

 

 由比ヶ浜がぎゅっと俺の両方の手を握ってそう声を出した。

 俺はそれに少しだけホッとしながら……

 

「なんだよ、由比ヶ浜の手めっちゃ柔らかくて気持ちいいなあ、こんな俺に触るなんて物好きにもほどがあるだろおおおおっと、違う! 俺はこんなこと考えただけであってだな……」

 

 ババッと手を放した俺だったが、再び由比ヶ浜が俺の手をぎゅっと握ってきた。

 

「なんだよ畜生、触んじゃねえよ。どうせ俺は女になら誰にでも反応しちまうむっつりスケベの妄想野郎だよ。ああ、なんで考えただけのことが全部言葉になっちまうんだよ、ちくしょう、こんなの聞くなよ言いたくねえよ」

 

 それでも由比ヶ浜はジッと俺を見つめていた。

 

「ああ、そうだよ。俺はお前が俺に気があるんじゃねえかなってずっと期待してたんだよ。でも、雪ノ下の事も気になっちまって、あいつに優しくされたらそれだけでああ、俺のこと好きなんじゃねえかなって考えたりもしたし、一色だってひょっとしたら俺を狙ってんじゃねえかって思って舞い上がっちまってたし、畜生、なんだよこれは。別にこんなこと言いたくなんかねえんだよ。どうせ世の中のリア充どもが勝手に青春の定義を押し付けてるだけで、そんな世界に俺はいけないからただずっと僻んでボッチを気取っていて、それを知られたくなくて俺は孤独を装い続けてただけで……」

 

「ねえ、ヒッキー?」

 

「はい」

 

 由比ヶ浜が急にぎゅっと抱き着いてきた。

 

「やめろよ、気持ちいい。やめてくれ。良い匂い。やめろぉ。たまらない。やめてくれよぉ」

 

 声が止まらない。言いたくないのに、思ったこと、思ってたことがどんどん出てきちまう。

 恥ずかしくて、苦しくて、辛くて……

 

「もう死にたい……死にてぇよぉ」

 

 そう言った時だった。

 

 チュッ……

 

 急に俺の唇に何かが触れた。

 泣きたいくらい辛くてぎゅっと目を瞑っていたけど、その瞬間に目を開いて、そこにいつものお団子さんの顔があって……

 俺は彼女とキスをしていた。

 頭が沸騰してしまうくらい恥ずかしくてたまらなくてどうしようもなかった。

 唇を塞がれているのにやはり思ってることをしゃべろうとしてしまっていたし。

 でも、彼女の唇がそれを防いでくれた。

 

 どれくらいそうしていたのか……

 

 ずっとキスをしたままで俺達はいつの間にかきつく抱き合っていた。

 そして……

 彼女がそっと離れた。

 

「もう……大丈夫だね?」

 

「あ……」

 

 そう由比ヶ浜に言われて自分の口に手を当ててみて、もう思ったことがダダ漏れになっていないことが分かった。

 俺はどんな顔をしていたのか、すればいいのか分からず思わず顔をそむけた。

 そして、ひとことだけ謝った。

 

「すまん」

 

 すると……

 

「ううん、あ、あのね……」

 

 由比ヶ浜はうつむいた感じで俺に言った。

 

「あのね、ヒッキーがどんなこと思っててもあたしは平気。きっとヒッキー一生懸命に答えを探しているだけだと思うから。だからさっきどうしてああなっちゃったのかは分からないけど、あれはヒッキーの一番大事な部分だと思うからあたしも助けたかったの」

 

 そう言いながら由比ヶ浜はそっと自分の唇に手を当てた。思わずその仕草にどきりとしてしまう。ひょっとしてこいつは俺のことを……

 再びそんなことが頭をよぎったその時、彼女が言った。

 

「だから、さっきの……これは……キスは……なしね。なかったことにして」

 

「え?」

 

 由比ヶ浜は微笑んでいた。

 

「きっとヒッキーはまだ答えが出てないから。それなのにあたしが強引にヒッキーに近づいたらダメだと思うから……だから、なし……ね」

 

 そう言ってくれた由比ヶ浜の横顔は優し気で、少し寂し気で……

 でも、それもこれも全部俺のせいなんだろう。

 きっと俺のこんな優柔不断も、心の弱さも全部をこの娘は包もうとしてくれているのだろう。それが分かっているのに、それでも今の俺には何も答えを出すことができないでいた。それが苦しくて……でも。

 

 俺は彼女を見つめながら言った。

 

「答えは……出す。きっと……だから……ありがとうな」

 

「うん」

 

 彼女は満面の笑顔で俺に返してくれた。

 そしてふたたび歩き始める。

 さっきの俺がいったいなんだったのかは本当にわからない。でも、何も決められず、前にも進むことのできない俺への何かの罰だったのかもしれない。

 俺はそう思うことにした。

 

「メリークリスマス、ヒッキー」

 

「ああ、メリークリスマス、由比ヶ浜。その……頑張るよ」

 

「うん」

 

 彼女の笑顔が俺の勇気に変わったような気がした。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「うわぁあああああん! 『ジャストホンネ』失くしちゃったよぉ~! これじゃ、しずかちゃんの気持ちが聞けないよ~! ドラえもぉん!」

 

「あれで最後だって言っただろう? のび太君! ボクはもう知らない!」

 

 

※1『ジャストホンネ』:瓶入りの錠剤。これを飲むと本音しかしゃべれなくなる。(Wikipedia:ドラえもんのひみつ道具 (しは-しん)より)。別称『自白剤』。

 

※2 タイトルをアルファベットにしてみたらなんか素敵な感じになりましたとさ。



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『r-after』ふたりぼっちの始まり

円盤特典小説『another』の最後、『r』の後のお話になりますね。

anotherは完結済みですが非売品ですので読むのは困難かもしれませんね。当作は既読前提となります。ですのでカップリングは……
お察しくださいね(笑)


「待たないで、……こっちから行くの」

 

 ゆっくりとそう呟く彼女の瞳は、潤みながら花火の輝きを写している。

 華やかに彩られた美しいイルミネーションも、自身の内に眠る憧憬を呼び覚ますはずのメロディーも、今の俺には何も届かない。

 ただ、眼前にたたずむ彼女だけが、世界のすべてだった。

 

「だから、こんども……。ううん、何度も言うの! あたしから!」

 

「そうか…」

 

「うん、そう」

 

 俺にはそんな彼女の想いに答えてやれる自信なんてまったくない。どんなに言葉を濁そうとも、いい訳をしようとも、きっと彼女は今のように笑顔ですべてを許してくれて、そして俺を受け入れてくれるのだろう。

 だから……

 

 だからこそ、中途半端に取り繕った言葉や、仕草で彼女の思いを壊したくなんて、汚したくなんてない。

 俺は……今の彼女に伝えるべきふさわしい言葉を持ち合わせていないのだから。

 

 だから、これが精一杯だ。

 

 なにより、俺の本心を裏切らないために。

 

 彼女と交わした約束の指切り……

 俺は、その指を離さないままに彼女と手を繋いだ。

 彼女との絆を確かめるように……

 

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 そんな夢のような、夢の国の出来事が確かにありました。

 だが、だからと言って、死に戻ったスバルくんの如くすべてを前向きにひた走れるわけでもないわけで……あれ、痛い、超痛いし。

 ま、まあ、だからそれで俺がどう変わるものでもないわけで、俺の周りも変わらないわけで……

 

「ねえねえ、ヒッキー、このお店さ、ケーキ超おいしーんだって! あたし行ってみたいなー」

 

 あ、ここに如実に変わってしまった人いましたね……

 

 俺は2年F組の自分の席に座っていたわけだが、この僅かな休み時間に入った瞬間に、彼女……由比ヶ浜結衣が走りよって来たわけだ。

 

「な、なあ、もう少し、小声でお願いします」

 

「え、えー? いーじゃん。あたしそんなの気にしないし」

 

「い、いや、俺が気にするんだよ。よ、よし……なら、ちょっとこっちこい」

 

「え? あ……。う、うん……」

 

 慌てて、由比ヶ浜を連れて廊下に出る。もうこれだけで、全身から変な水が駄々漏れになってる感じだ。なにせ、クラスの連中の視線が痛い、痛すぎる。

 ただでなくても、俺をクソミソに思ってる奴しかいないここで目立とうものなら、アウトリベット並みに、叩きまくられちまうに決まってるし。

 というか、すでに目立ちまくりだ。

 かたや、学年屈指の容姿と美貌を誇る美少女。

 かたや、万年ボッチのうえ、いろいろやらかした学年の嫌われもの。

 水面下を行くイ号潜水艦の如く、しのびよって、なにもしないで帰っていくのがモットーのこの俺にはハードルが高すぎるっつーの。うん、ダメ戦争、絶対。ビバ! ピースフル。

 

 階段をかけ上がって、屋上に続くその踊り場の陰まできて、やっと安心して、由比ヶ浜を見た。

 なんか、すごい真っ赤な顔して俺を見上げてくるんだが……

 

「ヒッキーって、大胆だ……」

 

「へ?」

 

 ぽしょりとそう言われて、ふと見下ろすと、しっかり由比ヶ浜と手を繋いだままだった。

 

「うわわ……す、すまん……」

 

 慌てて放そうとするのだが、なぜか由比ヶ浜がぎゅっと力を込めてくる。

 

「は、はなさいでよ……おねがい……」

 

 頬を赤らめたまま、由比ヶ浜は俺にずずいと近づいてくる。もうすっかり馴染みになってしまった甘いシャンプーの香りと、彼女の手の温かさに脳が痺れる。

 そして、急激に全ての俺のポリシーをなげうって、感情のままに動きたくなる衝動をその発現の一歩手前で引きとどめた。

 そして、冷静に状況を分析、整理、確認してから、手を繋ぎなおして、彼女を引き寄せる。

 

「わわっ……も、もう……、ど、どうしちゃったの、ヒッキー」

 

「い、いや、だってはなさいでって言ったのお前だし」

 

「そ、そうだけどさ……さっきまで嫌そうだったのに……う、ううん。な、なんでもない、あ、ありがと」

 

 そう言った由比ヶ浜は、ポスンと俺の胸に顔を埋めてきた……

 

 って!

 

 手、繋いでる。

 お団子頭が俺の胸にポスん。

 体ほぼ密着。

 ここ、屋上階段の踊り場。

 

 あ、あれ? お、おかしいな。ど、どうしてこうなった?

 これ、人が見たら、イチャコラしているバカップルにしか見えないんじゃないの?

 や、やばい、どうしよう、これ、ふじゅんいせ~こ~ゆーなんじゃ~ないの~?

 

 いかん、混乱して、脳が先祖がえりして、ちはやふるの百人一首読みみたいになっちまった。

 

「ゆ、ゆひぎゃひゃみゃ? げふんげふんっ! ちょ、ちょっとす、座ろうか!」

 

「へ? う、うん」

 

 由比ヶ浜の頭を離したあと、踊り場の階段に二人で腰を下ろす。でも、なんとなく、寂寥感に晒されて、手は放せない。由比ヶ浜も同じだったようで指で俺の掌をこすりがらなんだかモジモジしているし……。くっ……、き、きもちい……くすぐったい。

 

「な、なあ。シーでも言ったけど、今の俺にはお前にきちんと気持ちを伝えられないんだ」

 

「うん」

 

「こんな経験したことなんて今までホントになかったし、俺のアイデンティティーとも違うし……」

 

「うん?」

 

「むしろ、キャラ崩壊したまである。だって、俺だぞ? 考えてもみろよ。ぼっちで、ひねくれてて、シスコンで、アニメオタクで……」

 

「そんなに難しく考えなくていいと思うんだけど……」

 

「い、いや、だからな……俺みたいな気持ち悪い男と一緒にいたら、お前だってきっと白い目で見られるし、三浦達にもバカにされるだろうし、これから友達だってできないかもだし、それに……」

 

「ヒッキー……」

 

「え……」

 

「ここ……あたし達しかいないよ?」

 

「お、おう?」

 

「だからさ、言い訳しないでいいよ。あたしヒッキーと一緒にいたいだけだし」

 

「す、すまん」

 

「あと、謝んないでいいし」

 

「お、おう」

 

 手を握ったままにこりと微笑んでそう言う由比ヶ浜は、目を合わせていられないほど、本当に綺麗だった。

 

 何度も頭を過ってきた疑問。

 

 俺なんかで本当に良いのか?

 

 俺には人に誇れるようなことは何一つない。ちょっと顔がよくて、国語が学年3位で、運動もそこそこできるなんて自慢したこともあったり、なかったり……いや、あったな、間違いなく。や、闇の底に沈めたい……くっ、殺……

 でも、そんなことを由比ヶ浜に言おうなんて気はサラサラ起きないし、じゃあ、何を支えにすればいいのかってことが分からない。

 

「俺のどこが……」

 

 そう言いかけて口をつぐむ。

 お、俺はいったい何を言おうとしてんだよ?みろよ、由比ヶ浜のこの顔。目が点になっちまってんぞ。メガンテじゃないし、女神転生でもない!

 どんだけ自意識過剰なんだよ、俺。そもそも女子に……、つきあってもいない女子に聞くことじゃないだろう。

 ばーか、ばーか、ばーか、ばーか!!

 くあああっ、し、死にたい……死にたいよぉ……

 

「全部だよ……全部……す、す……」

 

「え?」

 

 突然言われて、顔を向けてみれば、そこには顔を真っ赤にして、必死に唇をすぼめて続きを言おうとする由比ヶ浜が……

 

 ああ、そうなのだ。やはりバカだ、俺……

 

 勘違いとか、恥ずかしいとか、由比ヶ浜がきらわれるとか、友人関係がーとか、そんなくだらないことばっかり気にして、本当に見なきゃいけないもの全然見てなかった。

 俺は由比ヶ浜が傷つくところを見たくないなどと思いながら、本当は俺自身が傷つくのが怖かったのだ……

 なにがエリートぼっちだ。

 人の気持ちの機微がわかって初めてのエリートじゃねえか。

 だったら、俺が等の昔に出した答えが間違ってるわけねえじゃねえか。

 だからもう……

 

 怖くない。

 

 俺は、必死に続きを言おうとする由比ヶ浜の唇に、自分の唇を押しあてた。

 

 見えるのは驚きに見開かれた由比ヶ浜の大きな瞳。

 でも、決して離れようとはしない。

 こういう時って、目を瞑った方がいいのかな……

 などと……予想外に冷静な自分もいて、でも、心臓は破裂するんじゃないかってくらい、大きな音を立て続ける。

 どれくらいそうしていただろう……

 不意に由比ヶ浜が、ぐらりと揺れて、俺に向かって倒れ込んできた。

 

「お、おい?」

 

 そして、にへらっと笑って、俺に抱きついてくる。

 

「えへへ……やっぱりヒッキー……大胆だ」

 

「お、お前が、か、可愛いのがいけないんだよ」

 

 精一杯の意趣返し。ぜんぜん返せてないけどな。

 でも、今まで感じたことがないくらい、俺の胸は満ち足りていた。

 この娘を大事にしたい。

 心からそう思った。

 

「あ、あのう……邪魔しちゃってごめんね、八幡」

 

 急に階下から天上のベルのごときソプラノが奏でられて……というか、びっくりしてその声の方に二人で目を向けると、そこには天使……いや、戸塚が!

 顔を赤く染めて、もじもじとしてるし。

 

 と、戸塚ー! ち、違うんだ戸塚ーって、全然違わないからいいんだけどー!

 

「あ、あのね?もう授業始まったから、早く来た方がいいよ。みんなもう先に戻ったから」

 

「お、おう……さ、サンキューな戸塚……って、みんなって!?」

 

 戸塚は赤くなった頬を両手で押さえながら話すって、かわいいなそれ!

 

「あ、ご、ゴメン。クラスの殆どの人が気になってさっきまでそこで……えーと、じゃ、じゃあ、ボクも先にいくね」

 

「う……あ……」

 

 もはや何も言葉なし。真っ赤な由比ヶ浜と目を合わせて、二人して息を飲む。

 とりあえず、考えうる最悪の状況。

 一瞬脳裏をかすめたのは、あの折本さんちのかおりちゃんとの一件。あのときの絶望具合ったら半端なかったなー、なんて思ってたら……

 

『ちゅっ』

 

 由比ヶ浜が突然俺にキス!

 

「なっ!? お、お前……」

 

「よし! 元気もらった! 行こ、ヒッキー……えへへ」

 

「なんでそんなに元気なんだよ」

 

「えー? だってー」

 

 にこりと微笑んだ由比ヶ浜が言う。

 

「ヒッキーと一緒なら、どんなことでも平気だよ」

 

「んな!?」

 

 あっけらかんと言われて、俺も二の句が出ない。

 でも一つだけ分かること。

 それは、多分、一人でみんなの標的にされるより、全然痛みは少ないんだろうなっていうことだ。

 俺も……

 お前と一緒なら、どんな辛いこともこえられそうだよ……

 

「え? なんか言った?」

 

「い、いや、別に……」

 

 まだ、そんなこと言えないな……今の俺の度胸じゃ……

 

「そういえばさ、あたし、まだ言って貰ってないんだけど」

 

「えーと……な、なんのことだぁ?」

 

「ぶー、はぐらかすしぃ。人の初めて奪ったくせに」

 

「ほ、ほら、早くいこうぜ」

 

「こらー、ちゃんと言えー」

 

 そう言いながら、由比ヶ浜は全然怒っていない。俺だって嫌な気持ちは全然ない。

 変化は一瞬だ。俺も、由比ヶ浜も、そしてまわりも全部。

 この先なにが待ってるのか、考えたくもないが、俺もそろそろ覚悟を決めないといけないみたいだな。

 何故って、ずっと繋いだままのこの愛らしい手が俺に話続けているから。

 

『がんばって』

 

ってな。

 

 

 



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真夏のお昼の夢(たぶん淫夢ではない)

去年の八幡誕生日に、あわてて1時間で書きあげたやっつけSSです。
八結ね!


 暑い……暑すぎる……

 

 空を見上げれば鮮やかな一面の青。この屋上からは遠く海の向こうの富士山も今日は顔を覗かせている。

 そしてそんな俺に一陣の風が……

 

 熱風を運んできた。

 

 いや、マジで暑いから。地獄だから。

 何ここサウナなの?

 湯気を全身に浴びている感じ! 

 普通こういうときは涼風が運ばれてくるもんでしょうが! 何が悲しくて夏休みにわざわざ学校まで来てこんな思いを味あわなければいけないんだ。

 

「ねえヒッキー、ちゃんと掃除してよね」

 

 唐突に熱気むんむんの中、俺に声をかけてきたのはこいつだ。

 うちの部のおバカ担当にして、仲裁役の苦労人、由比ヶ浜結衣である。

 短パンTシャツで更に腕捲りをしているその姿は正直目の毒だ。あれ? 可笑しいな? 正面から見ているのになんで二の腕が見えないのだろう? あのTシャツの盛り上がりマジで凶悪すぎる。

 

「ち、ちょっと……何見てるの?」

 

「べ、べべべべつに見てねえし」

 

 急に言われ、首を振って逸らすとまるで凝視していたようになっちまうので視線だけそらす。

 よく顔は見えなかったが、由比ヶ浜が後ろをむいたのでとりあえず難は逃れた。ふぅ、あぶねぇ。

 

 台風5号が関東に掠りもせずに北に消えた今日、俺たちは総武高校の屋上の清掃をしている。

 実は夏休みに入る前に屋上の掃除を頼まれたのをすっかり忘れ、そもそもなんで俺達がやらなきゃならないのか不明であるにも関わらず、半ば強引にキチンとやっておくようにと命令された。

 あ、命令したのは言わずもがな、アラサー女史である。

 

 んで、つい今朝方雪ノ下と由比ヶ浜の二人が俺を迎えに来ていやでござるを連呼した俺ではあるが、無理矢理引きずり出され、今に至るというわけだ。

 まったく、なんで今日なんだか。

 ホースで水をじゃんじゃん流しながらデッキブラシで掃除中。全然終わらねえ。というかこの面積三人でやれとかマジ拷問だ。

 

 ちなみに雪ノ下は現在ダウンして保健室で就寝中。マジで体力なさすぎだろ。

 それで由比ヶ浜が「ゆきのんの分まで頑張ろうね」とひとり張り切りだしたものだから、俺も逃げられなくなったわけだが。

 それにしても暑い、暑すぎる。

 

「はあ~、あちぃ」

 

「大丈夫ヒッキー?」

 

 由比ヶ浜にそう言われ見てみれば大粒の玉の汗を全身に掻いているし。

 

「お前こそ大丈夫か? 凄い汗だぞ?」

 

「あ、これくらい平気だし。それに今日はヒッキーもいるから……ゴニョゴニョ」

 

「は? なに?」

 

「な、なんでもない! なんでも! それよりちゃんと水分とってね。倒れちゃうよ」

 

 言われて、ポケットのポカリを飲もうとしたらもうすでに空だった。

 

「あ、もうないの?」

 

「いや、金はあるから大丈夫だ。後で買いにいく」

 

 そう言った途端に由比ヶ浜がだだだっと近づいてきた。

 

「だ、ダメだよすぐ飲まないと。あたしのあげるね、はい」

 

 と、黄色いエネルゲンを差し出してくる。

 

「い、いや、それはちょっと」

 

 それお前の飲みかけだろ? なにこの娘、恥ずかしくないの? 

 すぐ逃げようとしたのだが、しかし俺は回り込まれてしまった。

 お前はドラクエのモンスターか!

 

「ちゃんと飲まないとダメだよ」

 

 何故か強気の由比ヶ浜の真っ赤な顔に圧倒され、俺はそのペットボトルをうけとる。そして見えたのは由比ヶ浜のピンクのくちびる。

 いかん! 意識しすぎだ! こんなんで飲めるか!

 その瞬間……

 

 チュッ

 

 え?

 

 えええ?

 

 えええええええええええええええええっ!

 

「……ま、おま、な、なにやってんだ!」

 

 錯乱しつつも、頬を染めた由比ヶ浜の恥ずかしそうな顔と、くちびるに触れた柔らかい感触の両方が何度も何度もプレイバックされ続ける。

 由比ヶ浜は横を向いたまま、ぽそりと言った。

 

「あ、えと……ヒッキーが間接キス嫌かなって思って、なら本当にキスしちゃえば平気かなって……あれ? あたしなに言ってんだろ、ちょっとふらふらして……き……た……」

 

「お、おい、由比ヶ浜?」

 

 いきなりフラりと倒れかかる由比ヶ浜を俺は抱き締める。全身汗だくでぐっしょりの上に、柔らかい感触と由比ヶ浜の甘い良い匂いが感じられて俺も、頭が……

 

 はれ? どうなって……ん……だ?   

 

 由比ヶ浜を抱いたままその場に倒れかかる俺……

 

 その時、足で踏んだホースが暴れて頭から全身水を被った。それはもう凄い勢いで二人ともびっちゃびゃのびっしょびしょ。

 しばらくしたら頭が冴えてきて、由比ヶ浜を見れば同じように覚醒したのだろう、真っ赤になって震えていた。

 俺はとりあえず水を止め、由比ヶ浜にタオルを渡して階段へと移動する。そこで由比ヶ浜に言った。

 

「ま、まあ、あれだ。お互い熱中症寸前だったみたいだし、あれは夢ということで」

  

 由比ヶ浜を見れば少し寂しそうに俯いている。確かに暑すぎたせいだが、別に適当だったなんて俺は思っちゃいない。だから俺は続けた。

 

「今のは夢だったが……絶対わすれられない夢だが、まあ、実際にああなるように俺も努力する。今はこれでいいか?」

 

「ヒッキー……」

 

 濡れたままポスンと頭をおしつけてきた由比ヶ浜が言った。

 

「あたし、待ってるね」

 

「ああ」

 

「だから今はこれだけね……」

 

「え?」

 

 チュッ

 

 またもや衝撃……

 

 でも今度は頬にだった。

 俺はどんな顔をしていいかわからないまま由比ヶ浜を見た。彼女は優しく微笑んだ。

 

「誕生日おめでとう! ヒッキー!」

 

「あ、今日か!?」

 

「エヘヘ……」

 

 と笑ったところで再び由比ヶ浜は倒れかかった。

 はい、完全に熱中症でした。しかも俺も。

 このあと三人並んで氷枕に頭を乗せつつ保健室で苦しんで寝たことは言うまでもない。

 熱中症マジ恐い! 本当に死んじゃうから気をつけようね! 誰に言ってんだ俺は!

 

 まあ、こんな感じではあったが、今年も無事に誕生日を迎えることができた。本当に無事か?

 さて、あのこっぱずかしい夢の続きはどうしましょうかね……

 

 



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ホント……うるさいよね、この人達

○○「まつっちゃ! ダーリンっ」
○○「待てるかっ!! あ、かーのじょー、お茶しなーい?」
○○「もうっ! ダーリンの浮気者ぉーーーー!!」

いや、気の迷いだったんですよw つい書いてしまいましてww
とある作品とクロスオーバーしています。
ではどうぞ!!



「うー……さ、さみいな……」

 

「そうね、もうこんなに遅い時間だものね」

 

「すっごくお腹空いたしー。もー、今日の中二、本当に失礼しちゃう」

 

 由比ヶ浜がその小さな頬を膨らませながら珍しく文句を言う。そりゃ、俺だって、文句の一つも言いたい気分だよ!

 俺達3人は、総武線で遠くの……とある場所まで材木座の依頼でやってきた。その依頼というのがなんと『デートの手伝い』。正直他人の色恋沙汰なんて絶対引き受けたくなんて無いと思っていたのだが……

 材木座の相手がどんな女性なのか知りたいという欲求に俺達はついに敵わなかった…

 

 で、期待して、奴と一緒にここまで来た訳だが…

 

「あなたが材木座くんね? 初めまして、しのぶって呼んでね!」

 

 その高い塀に囲まれた高校の正門に立っていたのは、今時珍しい、スカートの丈もきっちりと守ったセーラー服姿の女学生。はっきり言って可愛い……すごく可愛い……戸塚の次くらいに可愛い!

 その可憐な少女を目の当たりにして、俺はもちろん、雪ノ下も由比ヶ浜も、口半開きで目が点になっていた。

 な、なにこれ……どうなってんの? マジであり得ない。なんなのコイツ。なんでこんな可愛い子と知り合ったの? なんかマジでムカついてきた。

 

「は、はぽぉん…」

 

 その子に微笑まれて、二の句を告げないでいる材木座を、俺達はさっさと放置して帰ろうと思ったのだが、このデブ、泣きながらすがりついて来やがった。

プルプル震えているし、生まれたての仔鹿はお前がやっても可愛くはねえんだよ。

 どうやら、材木座がネットに投稿した小説のファンの子らしい。奴の良く分からないファンタジー小説の内容についてあれやこれや話しかけているし。でも当然のごとくかちこちで反応することが出来ない材木座。

ちっとはお前も話してやれよ!

 仕方がないので、その子と材木座の後ろを俺達3人が一緒について歩くことに。挙動不審な材木とその子と一緒に、駅前のゲームセンターであれやこれや遊んで(いつの間にか由比ヶ浜に一緒にプリクラ撮らされたけど)、ちょっとケンタでお茶したりしていたら、どうも調子に乗ってきたらしい材木座のやつが『けぷこんけぷこん、お主たちもう帰ってもよいぞ? 我と一緒に居たいという気持ちは痛いほど解かるのだが、もうお子様が出歩いていい時間ではないのでな!』とぬかしやがった。あのデブ浮かれやがって。

 怒りに震える雪ノ下を俺と由比ヶ浜で抑え込んだのは言うまでもないが、浮かれてくるくる回っている材木座にいつまでも関わる気は当然ない。俺たちは奴としのぶって女の子を放置して帰路についたわけだ。

 

 で、今に至る。

 

「ちくしょー、材木座の奴、見せつけやがって」

 

 俺のその独り言に、由比ヶ浜が。

 

「じゃ、じゃあさ……こ、今度中二の前で…その……、あ、あたしが腕を組んであげよっか」

 

「い、いや……そんなことされても恥ずかしいだけだから」

 

「えー、いいじゃん……ちょっとくらい……」

 

「だが、断る」

 

「断っちゃうんだ!」

 

 ガーンという効果音が聞こえてきそうな顔を俺に向ける由比ヶ浜。なんでそんな顔になるんだよ! そんなに俺にくっつきたいのかよ。

 

「無理しない方がいいわ、由比ヶ浜さん。そんなことで危ないばい菌をもらっても困るでしょ?」

 

「おい……比企谷菌なんて存在しないからね。菌呼ばわりマジやめてね。死にたくなるから」

 

 まったく、こいつら調子に乗って俺を弄りまわしやがって……はあ、無駄にイライラしたからマジで腹が減った。それに寒いし……ん? あれは……?

 

「なあ、お前ら……ちょっとあそこ寄ってかないか?」

 

「え?」

 

 俺の言葉に二人が顔を上げる。目の前のそこにあるのは……

 

 赤ちょうちんをぶら下げた、屋台のおでん屋。線路わきの壁沿いに、風情のある木製の屋台が明かりを灯していた。酔っ払いのサラリーマンとかの先客もいない。ちょっと摘まむくらい出来そうだ。

 

「わあ! 屋台!? 初めてだし……あたし行ってみたいかも」

 

「そうね……丁度お腹も空いて来たことだし、私は別に構わないわよ」

 

「良し、じゃあ決まりだ」

 

 俺は先に立って、のれんをくぐった。のれんの内側は、ポカポカ温かくてだし汁の香りが漂っている。仕切りの付いた鍋で煮られているおでんを見るだけで、腹が一気に空いて来た。

 

「ヘイ……らっしゃい」

 

 渋い声で俺達を出迎えた店主は、おっさんかと思いきや、メガネをかけた同年代位のいかつい顔のお兄ちゃん。

 

「よっこいしょ……ってお前ら……なんで俺の両脇に座るんだよ!」

 

「えへへ……こういうところ初めてでさ……頼み方とか、良く分かんないからヒッキーに教えて欲しいかなって」

 

「わ、わたしも初めてなのよ……だから……あ、あなたに選ばせてあげることにしたわ」

 

 くっ……雪ノ下の奴、自分が分からないくせになんで上から目線何だよ。まあ、仕方ねえな……

 

「好きな物頼めばいいんだよ。由比ヶ浜はおでん何が好きなんだよ」

 

「えーとね……はんぺんと卵と……あと、ちくわぶかとか?」

 

「じゃあ、お兄さんそれ! で、雪ノ下は?」

 

「わたしはそうね……大根とこんにゃくと厚揚げ? かしらね」

 

「そしたら、今言ったやつと、俺につみれと、竹輪と牛筋串ちょうだい」

 

 『あいよ』と短く返事をしたお兄ちゃんが、俺達の前におでんを出す。俺はその大きな竹輪にまずかぶりついた。

 はふはふっ……あったけー……ていうか、うめえ……美味すぎるな。やばい超うまい。

 

「美味しい……ねえ美味しいよヒッキー」

 

「ホントね……なにかしら? おだしが違うのかしらね」

 

 その俺達の反応に待ってましたと言わんばかりに、目の前のお兄ちゃんが腕を組んで眼鏡を煌かせて出した。

 

「ふふ……ふふっふーむふーくくく……こちとらこの道30年……そんじょそこらのと一緒にされたらかなわいよほぉ」

 

 声裏返ってるし……っていうか、あんた、俺達とそう歳変わんないだろう? なにこのテンション……

 そうこうしてるうちに、両隣の二人を見たら、ハフハフいいながらぺろりと食べ終わってるし…

 

「はあ……美味しい! 今度はゆきのんが食べたやつ食べたいな……お兄さん、下さいな」

 

「わたしも、先程彼女に出したのと同じものをいただくわ」

 

「お、お前ら……良く食うな……」

 

「へへ……だって美味しいんだもん!」

 

「はいよお待ち……いやはあ、嬉しいねぇ……美味いって言われるのは最高だねえ。それもこんな可愛いお嬢さん達からなんてなぁ……あは、あははぁ、あははははははははは……ヒデキ感激ぃ!! なぁーんちゃって! なははははっははははは……」

 

 だからあんた、歳同じくらいだろうって! なんで、笑いか方がそんなにオッサン臭いんだよ!

まあ、確かに美味いしな……文句はないのだが、この妙なテンションはいったいなんなんだか……ん?

 

「な゛っ!」

 

 おでんを食っていた俺のすぐ鼻先に、そのメガネの兄ちゃんのドアップの顔が迫っていた。俺を覗きこむメガネがギラリと光る。そして小声で俺に囁く…

 

「ところで兄さん……この子達二人とも兄さんの彼女だーなーんてことは、ないよな」

 

「は? 彼女? ……な、ない………ないないない! こいつらただの部活の仲間」

 

 メガネの兄さんはそれを聞くと、にまーっと笑った。

 

「なはーーーーだ、そういうこと! 仲良い部活なのね、あははー! そうだよ……そんなに何人も彼女いる奴居てたまるかってんだよ……なっ!! 兄さんもそう思うだろ? な! な!」

 

 急に機嫌よくなるし……だから、なんなんだこいつは。

 そんな感じで、椅子に座り直してさあ、残りのおでんを食べようと思っていたら、俺の後ろから…

 

「ケッ……なんだよ、しのぶの奴! あんな太いヤローのどこが良いってんだよ! ったくむしゃくしゃする……あ、おじさん、おでん盛り合わせ一つねー、辛子たっぷり入れて」

 

 ポケットに手を突っ込んだ、セーターにマフラー姿の男が、俺の後ろから入ってきた。入ってきた途端……

 

「おわあっ! か、可愛い……にははははははっはははは……ねえねえ彼女達ぃ……どっから来たの? 名前は? 趣味は? 好きな男性のタイプは? ねえねえ……ねえってばぁー? にははははは」

 

 うはっ……なんだこのナンパ男! 雪ノ下も由比ヶ浜も仰け反って思いっきり逃げてるし……て、いうか、俺の背中に寄りかかるんじゃねえよ!

 

「あ、え、えーと……つ、連れがいますから……あはは(ねえヒッキー…たすけてよぉ)」

 

 由比ヶ浜が小声で俺に助けを求めるけど、なに? こういう時ってどうすりゃいいんだよ?

 

「連れ~?」

 

 そいつが寄りかかる俺をチラリと見る。そして……

 

「そっかそっか!! お友達もいたんだねぇ……じゃあさ、ここでバイバイして俺と三人で一緒にどっか遊びに行こうよぉ。カラオケが良い? それともお洒落なカフェでレーコーとかでもいいし、なんなら朝までやってるディスコでもいいよ?」

 

「い、いや……俺達そろそろ帰るから……」

 

「ええ~? いいじゃんいいじゃん……君たち別につきあっちゃないんでしょ? 今日は出会った記念に僕が君たちをエスコートしてあげるからさぁ……一緒にたのしもうよぉ……にははは」

 

 それを黙って聞いていた雪ノ下が、プルプルと震え出した。 あ……これあれだ……『この軟弱者!』とか言っちゃうやつだ……で、パチーンとひっぱたかれて地面に転がるのよね……あれ? それはモビルなんたらの方だった!! 

何かを言おうと雪ノ下が口を開きかけたその時のことだった。

 

「グぬぬぬぬぬぬぬぬうううう……き、貴様ぁ、あたるぅっ!? 黙って聞いてれば調子に乗りくさってぇ……もぉう我慢ならん」

 

 突然メガネの兄さんが袖をまくって、その男を睨み付けて声を張り上げた。

 

「ゲッ! め、メガネ……なあんでお前がおでん屋やっとんのじゃ……ついに金に困って退学でもしたか」

 

「じっさまの屋台手伝っとるだけじゃ、このボケっ!! 今日という今日は本当に勘弁ならんわっ! うちの客にまで手をだしよって、ゆるさぁああああん!!」

 

 にじりにじりと、メガネの兄さんがマフラー男に近寄る。そうしたら今度はその後ろから可憐な声が!!

 

「ちょっと、あたるくん!?」

 

 ん? この声は……聞き覚えあるな?

 そうだ、さっきまで材木座と一緒に居た……

 

「しのぶ~……!! なーんだ、ちゃんと戻って来てくれたのかぁ……俺はいつでもしのぶの事しか考えてないよー!!」

 

「そんなこと言って……じゃあ、さっきはなんで私を無視したのよ!! あのまま、あの人と一緒にどこまでも行っちゃっても良かったの?」

 

「そんなことないよ……俺は本当にしのぶの事心配で心配で……」

 

「信じられない! どうせ『あの女』の方が大事なんでしょ……ふんっ」

 

「違うってぇ……しのぶが一番だって……なっ、なっ? 機嫌なおそうよ」

 

「本当? 本当に信じていいの?」

 

「ああ! もちろん! だからさ! これから一緒にデートしようなっ! なっ!」

 

 そう言って、しのぶって子を抱きしめてるし……な、なんなんだコイツ……雪ノ下と由比ヶ浜は……あ、やっぱり目が点になっているな。まあ当然か、こんなナンパ男の行動なんて理解できなくて当たり前だよな。

 おっと、そういえば材木座の奴は……おお、いたいた……壁にもたれかかって、魂抜かれたみたいな顔になっているな。惚れた女は目の前でこのたらしに抱きしめられているし……マジむごい。合掌。

 

「あ、あ、あたるぅっ! お、俺の話はまだ終わっていないのだぞっ!! 今日という今日は絶対にゆるさ…」

 

 メガネの兄さんがお玉を振り上げてそう吠えたその時のことだった。

 

「ウチのダーリンから離れるっちゃーーーーーー!」

 

 空の上から雷が…そのメガネの兄さんのお玉に落ちた!

 

「ちいぃぃぃぶあぁぁぁぁぁぁぁ……」

 

 兄さんが訳の分からない奇声を上げて倒れる。 これ、マジでやばいんじゃないの!?

 気が付いたら、俺達の目の前に、しのぶって子と同じセーラー服を着た、緑色のロングヘアーの女の子が立っていた。

 

「ダーリンっ! また、ウチに隠れてこそこそしのぶなんかと……今日という今日は絶対に許さないっちゃ!」

 

 その女の子は、心なしか青白くパチパチ光って見えるのだが……。なんだ? 目の錯覚か? とりあえず明らかにお怒りのご様子ではあるな。

 

「ま、待て……ラム! は、話せばわかる! な!? な!?」

 

「問答無用だっちゃー---------」

 

「ぎぃやああああああああああああーーーーーー……た、助けてくれぇーーーーーーーー」

 

「あ……あたるくん!?」

 

「待つっちゃ、ダーリンっ!」

 

 ギャー……と悲鳴を上げて、あのナンパ男が走って逃げて行った。それを追いかける黒髪と、緑髪の二人の女の子。

 

 なにこれ……?

 

「あ、嵐のようだったわね……いったいなんだったのかしら?」

 

 雪ノ下が、ポソリと小声でこぼす。

 

「さあな。世の中には、物好きがいるってことなんじゃないか?」

 

 俺がそう呟いた後ろで、由比ヶ浜がポツリと言った。

 

「ゆきのん…あたし諦めないから!」

 

 え?

 

 なぜか由比ヶ浜が、俺と雪ノ下を凝視して小さくガッツポーズしてるし……どうしちゃったの? お前?

 ま、とにかく、腹も膨れたし、メガネのお兄ちゃん倒れちゃっているけど(まあ、息はあるし大丈夫だよな)、そろそろ帰らねえとな。

 

「じゃ、まあ……帰りますかね」

 

 俺のその言葉に、二人も一緒に立ち上がった。

 

 それにしても……

 

 

 

 『うるせいやつら』だったな……

 

 

 あ、材木座…まあ、いいか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

声の出演

 

比企谷八幡・・・江口卓也

由比ヶ浜結衣・・東山奈央

雪ノ下雪乃・・・早見沙織

材木座義輝・・・檜山修之

 

諸星あたる・・・古川登志夫

ラム・・・・・・平野文

三宅しのぶ・・・島津冴子

面堂終太郎・・・神谷明

メガネ・・・・・千葉繁

 

 

 

 




こもれびはアニメ派なので、メガネの存在肯定です!


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(1)奉仕部3人で♡♡♡に居るだけの話

このお話は、所謂『台本型式』で書かれています。苦手な方はブラウザバックで!!

ちなみに主人公は小町ちゃんですw


 ある秋の平日のお休み。奉仕部員3人はカラオケBOXへ遊びに行くことになった。なったのだが……

 

結衣「キャー!!」ワタワタ

 

八幡「ゆ、由比ヶ浜、雪ノ下! こっち、こっちだ」

 

雪乃「わ、分かったわ」タタタ

 

 

ザァ―――――――

 

 

八幡「ったく……ひでえ雨だ」ビショ

 

結衣「うわーん……びしょぬれだよぉ……」グス

 

雪乃「おかしいわね? 天気予報では、確かに曇りって言っていたはずなのに」フウ……

 

八幡「まあ、予報は予報だからな、外れることもあるだろ。それより、これじゃあ外歩けねえじゃねえか。だから休みの日に出かけたくなかったんだよ」

 

結衣「ぶー……その言い方、ヒッドイし! せっかく人が気を使って、ヒッキーの事を『イオウ』してあげようと思ったのに! 文化祭も、体育祭も頑張ってたから」ジト

 

八幡「それを言うなら『慰労』な。なんで温泉入るみたいになってんだよ」

 

雪乃「そんなことより、このままだと風邪を引いてしまうわね。どこかで乾かさないと……。ええと、ここは?」チラッ

 

八幡「そう言えば、ここ……最近まで工事してた建物だよな? 西欧風な感じで随分おしゃれな外観で……シダ〇クスみたいだよな」チラ見

 

結衣「そうだよ! ここ、カラオケBOXだよ! ほらほら、こっちきてみてよ。なんか部屋の写真いっぱいあるよ」

 

八幡「どれどれ」スタスタ

 

雪乃「ん…………」スタスタ

 

結衣「あ! ほら、カラオケあるって書いてあるし」

 

八幡「ほーん……最近のカラオケは随分と豪華なんだな。まあ、俺は良く知らねえけど」

 

雪乃「そうね……あなたにはカラオケに一緒に行ってくれる友人がいなかったものね……ボッチヶ谷君」チラ

 

八幡「ボッチは自覚してるんだから、改めて強調して言わないでね」ジト

 

結衣「そんなことよりさ、早く入ろうよ。入ればタオルも借りられるだろうし、それに見てよ。開店サービスで今は料金半額だって」

 

八幡「おお!? この金額で3人で良いのか? しかも4時間も?」

 

結衣「うんうん」コクリ

 

雪乃「確かに安いわね」

 

結衣「ねえ、ゆきのん……ここにしようよぉ」ウワメヅカイ

 

雪乃「し、仕方ないわね……ここにしましょうか」フウ

 

八幡「ちょっとちょっとぉ? 雪ノ下さん? あなた本当に由比ヶ浜さん甘やかしすぎじゃないですか?」

 

結衣「やった! じゃあ、早速入ろう!! スイマセーン、スイマセーン!!」キョロキョロ…

 

八幡「なんだよ誰もいねえな。便所か?」

 

結衣「そんなことはないと思うけど……あ! このボタン押せばいいんだよ、きっと!」

 

雪乃「部屋の写真の下のボタンを押すのね? 随分と人手を減らしているのね……だからこんなに安いのかしら?」ハテ

 

結衣「ねえねえ……じゃあさ、この部屋で良い? 3名以上可って書いてあるし!」

 

八幡「おい……なんかその書き方おかしくないか? じゃあ何か、この店は基本2人以下推奨なのか?」

 

雪乃「あら、あなたの様に連れ添ってきてくれる人がいない人の為のサービスじゃないかしら? 良かったじゃない気を使ってもらえて」シレッ

 

八幡「いや……お前がもっと気を使えよ。っていうか使って!」ドヨドヨ…

 

結衣「もう……!! いいから、ここにしよ! はい、決定!」ポチリ

 

 カチャン

 

雪乃「鍵の様ね……この番号の部屋に入ればいいのかしら?」

 

結衣「そうそう!! きっとそうだよ!! じゃあ、行こう」

 

 

 ゾロゾロ

 

 

八幡「外もかなり綺麗だったけど、中も相当綺麗だな…それにしても、カラオケBOXってこんなに静かだったか?」スタスタ

 

結衣「ぼーおんがしっかりしているんじゃないかなぁ? 穴場見つけちゃったかも!」エヘッ

 

雪乃「あ……ここの様ね」ピタ

 

 

 カチャリ

 

 ギイィ

 

 

結衣「うっわー! うわっうわっ! ひっろい、めちゃ広いし! なんかメッチャオシャレだし! 見て見てゆきのん、部屋の壁が都会になってるよ!」ホエー

 

雪乃「ニューヨークかしらね? 夜景を見下ろすような感じね」

 

結衣「あ! ほら、ヒッキー! ベッドもあるよ!! 歌うのに疲れたら眠れるよ!」

 

八幡「いや寝ねぇし……そもそも歌わねぇし……」

 

結衣「え? 歌わないの? せっかく来たのに?」ウルウル…

 

八幡「うっ……その目止めろって。わぁーった、歌う、歌うから」

 

結衣「えへへ! ありがと、ヒッキー」ルン

 

八幡「うッ…」タジ…

 

雪乃「ほらほら……まずは体を拭きましょう。ここは凄いわね……部屋にお風呂まであるわ。はいタオル」

 

結衣「ありがと、ゆきのん!」

 

八幡「サンキューな」

 

結衣「よしッ! じゃあ、歌おう!」ササッ…

 

 カラオケセットのボタンをポチリ。

 テレビの画面をポチリ。

 カラオケのリモコンをポチリ。

 パパパパッと、選曲。

 

八幡「慣れてるな」

 

雪乃「慣れてるわね」

 

結衣「こんなの簡単だよ? じゃあ、最初あたしが歌わせてもらうね! ヒッキーも、ゆきのんも選んでおいてね。あ、始まった!」キリツ

 

 

 ~1時間後~

 

 

結衣「ヒッキー上手~! すっごく良かったよ」パチパチ

 

八幡「お、おお!? そ、そうか!?」テレ

 

雪乃「ただ……ここまでの選曲が全てアニメソングなのはどうなのかしらね」

 

八幡「グッ……(だって、他に知らねえし)」

 

結衣「まあまあ、ゆきのん……あたしも知ってる曲だったし、そんなに悪くなかったと思うよ」

 

雪乃「ま、まあ、由比ヶ浜さんがそう言うなら、私は別にいいのだけれど」アセ

 

結衣「ねえねえ……なんか、マラカスとか、タンバリンとかないのかな? 手拍子だけじゃ、つまんないし」

 

雪乃「そうね……この辺の引き出しに……あ、これは……?」

 

結衣「それなあに?」

 

雪乃「何かしらね、このピンク色の丸い玉は……リモコンみたいなのも繋がってるけど……」シゲシゲ

 

 スイッチオン

 

雪乃「わ、わ、震え出したわ」アセッ

 

八幡「おいお、勝手に触って壊すんじゃねえよ。弁償とか嫌だぞ」

 

雪乃「そ、そうね……これは、しまっておこうかしらね……ん? これは」サワリ

 

結衣「あー、それ知ってる! ママの部屋にあった」ウンウン

 

八幡「おー……それはマッサージ器だな。なんでカラオケBOXにマッサージ器があるんだよ」

 

雪乃「誰かの忘れ物かしらね? いろいろ見たけれど、楽器のようなものはないわね」

 

八幡「それはいいんだけど、腹が減ったな……何か頼めないか?」

 

結衣「そうだね! メニューメニューと……あっ、ベッドの所にメニュー表があったよ!」スタスタ

 

八幡「どれどれ」

 

結衣「うわッ! これも安いよ。肉まん50円だって! カレーライスも300円!?」クワッ

 

雪乃「本当に安いわね……あ、でも、これ今週だけの様ね。オープンサービス価格と書いてあるわ」

 

結衣「あ、本当だ! でもでも、そうしたら今日来れたのは本当にラッキーだったかもだね」ルンッ

 

八幡「おい……このマムシドリンクとか誰が飲むんだよ」

 

雪乃「そうね……それを飲めば、多少の目の濁りも消えるんじゃないかしら? 毒をもって毒を制するというでしょ?」ニコ

 

八幡「さりげなく人を毒扱いするのマジやめてね」

 

結衣「あ……じゃあ、試しに一本買ってみよう」

 

八幡「ゆ、由比ヶ浜まで」ガーン

 

 

 ~注文して30分後

 

 ブーブー

 

 

八幡「お? なんか音が鳴ってるぞ」

 

結衣「あ? あの壁のところ、ランプ光ってるね。なんか窓みたいなのあるね」

 

 スタスタ

 窓を開ける

 

結衣「あ……食事着いてたよ! へえ、この窓から受け取るんだ」

 

雪乃「本当に人がいないのね……徹底してるわね……ものすごいコスト意識に感心してしまうわ」

 

八幡「もうなんでもいいから、早く食おう。腹減って死にそうだ」

 

結衣「はいはい、今あげますからね! はい、ヒッキーの分」

 

 

 食事中

 

 

八幡「ふう……やっと落ち着いた」

 

結衣「ヒッキーまだデザートが残ってるよ」ニコ

 

 マムシドリンク、ドン

 

八幡「おい、マジでこれ飲むのかよ?」ウゲ

 

結衣「遠慮しないでどうぞ」ニコリ

 

八幡「…………ま、まあ、いいか」

 

 

 ごくごく

 

 

八幡「かああーっ…ま、まずい! しかも、あ、暑い!」ワタワタ

 

雪乃「どう? 少しはマシになったかしら?」チラ

 

結衣「あはは……ヒッキーが元気になった!」ニコ

 

八幡「うわ……こりゃだめだ……じっとしてられねえ! ようし……こうなったら」

 

 上着脱ぎ

 

八幡「歌いまくってやるぞぉ!(アニソン)」

 

結衣「イエ―――ィ!」パチパチ

 

雪乃「ふぅ……」ヤレヤレ

 

 

 ~終了

 

 

雪乃「あ、雨も上がったようね」

 

結衣「いやあ……いっぱい歌ったね! ヒッキーのあんなにはしゃいだの初めて見たよ」

 

八幡「そうかぁ? なんか今メッチャ気分いいんだよ! 今日は誘ってくれてありがとうな」ニコッ

 

結衣「ひ、ヒッキー」カアー///

 

雪乃「それにしても、最後の最後まで人に全く合わなかったわね? お会計も機械だったし、本当にすごいコスト意識だわ」ウンウン

 

結衣「あれ? あそこにいるの小町ちゃんじゃない? おーい! 小町ちゃん!」

 

 

 ゾロゾロ

 

 

小町「お、お兄ちゃん……ど、どっから出てきたの?」ワナワナ

 

八幡「? どこって、そこだけど……いやあ、今日は二人が誘ってくれてなぁ、本当に最高だったよ」ニカッ

 

小町「さ、最高!?」ビクッ

 

雪乃「そうね……たまにはこんなのも気分転換になるわね。わたしもいいストレス発散になったわ」

 

小町「す、ストレス発散!?」ビクビクッ

 

結衣「本当に良かったんだよぉ。3人だけでずっと……あ! 途中でヒッキー、マムシドリンク飲んじゃってさ、それからもう凄くて!」

 

小町「ま、マムシドリンク!? す、凄い~!?」ビクビクビクッ

 

八幡「もう……あんまり言うんじゃねえよ。二人のおかげで本当にスッキリした!」キパッ!

 

小町「す、す、すっきりぃ~!?」ガクゼン…

 

八幡「おお? どうした、小町? そうだ! 今度はお前も一緒に行こう。だーいじょうぶだ、お兄ちゃんに全部任せておきなさい」ニヤッ

 

小町「〇×▲□☆ッ…………」//////

 

結衣「どうしたの? 小町ちゃん」

 

小町「お、お、お兄ちゃん…達の……………ふ、『不潔』!! うわーーーーーーーん」ダッシュ

 

八幡・結衣・雪乃「不潔?」

 

 

 




大分前ですが、台本型式の作品ってどういうものなんだろうとチャレンジの意味もあって書いた作品ですね。

台本型式の良いところは、登場キャラ全員の心中を隠せるところ、行動描写がないため会話劇が盛り上がるところ、それと話しているキャラがすぐにわかるところ、こんなところですかね?

あくまで会話劇になるので、物語を進めたり、心情描写には向いていませんが、キャラクターの行動が隠れるため、その裏をかいての落語的なコメディは作りやすいと感じました。
その結果がこれになるのですが、楽しんでいただけましたでしょうか?

台本型式の作品はまだ二話ありますよ。お楽しみに。


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(2)奉仕部三人で八幡の家でおもちゃで楽しむだけの話

これも台本型式です。
朝っぱらからこんなお話ですいませんw


 どうも~! 小町ちゃんで~す!

 実はですね……最近悩んでることがありましてぇ……それは何かと言いますと。

 

『最近、兄のようすがちょっとおかしいんだが。』(笑)

 

 そう、小町のお兄ちゃん『比企谷八幡』の事なんです! 知っている人なら分かってると思いますがぁ、うちのお兄ちゃんははっきり言ってダメなんです。捻くれてるし、人の事は信用しないし、対人スキルはないし……でも、ちょっと優しくしてあげるとデレちゃう所なんかは可愛いんですけどねぇ! まあ、それは置いとくとして、はっきり言ってこんなメンドクサイ男とは、兄じゃなかったら付き合いたくないですね、いやホントに!

 ただですねえ、世の中には物好きな方もおられたようで、こんな兄の周りにも素敵な女性がおるのですよ!

 一人はこの人。雪ノ下雪乃さん。雪乃さんは長い黒髪にスレンダーな体系の本当に綺麗なお姉さん。頭も良くて、ちょっとツンケンしてるけど、そこがまた良いのです!

 もう一人は由比ヶ浜結衣さん。結衣さんは明るい茶髪でお団子ヘアーがチャームポイントの笑顔の可愛いお姉さん。とにかくすごいのがそのお〇ぱい! どこをどうしたらそんなに大きくなっちゃうの? ってくらい大きくて、はっきり言って目の保養です。小町もきっと次の成長期には……げふんげふん。

 

 おおっと! 話が逸れてしまいました。恐ろしいことです。

 小町はなんとかこの二人のお義姉ちゃん候補と、うちのダメゴミいちゃんをくっつけようと日々様々な努力をしているのであります。そうなのですが……

 

 つい最近、この3人が超仲良くしちゃった後に遭遇してしまいまして(『奉仕部3人で♡♡♡に居るだけの話』参照♡)……こう、なんというか、一人取り残されたというか、寂しくなったというか……ハウッ!? 違いますよ! べ、別に、ご一緒したかったとかそんなんでは全然!

 ただ……あのお兄ちゃんがまさかね……その信じられなくて。それに雪乃さんも結衣さんももっと御淑やかな人だと思ってたのに……高校に上がると、みんな大人の階段上っちゃうんですかねぇ? うーん、本当に謎です。

 

 あ、そうそう…今日はお兄ちゃんのところにその二人が遊びに来るらしいのです。本当なら小町は気を使って外出するとこなんですけど……きょ、今日は、家に居ましょうかね?

 ねえ、かーくん! んっ? かーくん? 聞いてる!? こら逃げるな!

 

   ×   ×   ×

 

八幡「ただいま小町……今帰ったぞー」

 

結衣「うっわ、ヒッキーそれ奥さんに言ってるみたいで、なんかキモイ」ヒキ

 

雪乃「そうね……目の澱みの所為で気持ち悪さも2倍増しね」チラ

 

八幡「2割り増しじゃなくて、2倍増しかよ。それ結局3倍気持ち悪いになっちゃってるからね。お前ら人んち上がって、一発目がそれっておかしくないか」

 

小町「おっかえりー! お兄ちゃん、お義姉ちゃんたち」

 

結衣「やっはろー小町ちゃん! 今日はお邪魔するね」

 

小町「はいはい、どうぞどうぞ遠慮なく! 自分の家だと思って、ゆっくりしていってくださいね……ってあれ? 結衣さんが持ってるその大きな紙袋って何ですか?」マジマジ

 

結衣「ああ……これ? これね……今日使う、『おもちゃ』だよ」ニコ

 

小町「えっ……お、おもちゃっ!」ビクッ

 

結衣「そうそう……ねえ聞いてよ小町ちゃん。ヒッキーてば酷いんだよ。自分で言いだしたくせに、私達に買いに行かせたんだよ、この『おもちゃ』! 酷いと思わない?」プンスカ

 

雪乃「そうね……こんな時間に女子高生二人でレジに並ばせてあんなに買うなんて、他のお客にジロジロ見られて本当に恥ずかしかったわ」ハア

 

小町「お、お兄ちゃんが行かせた!? ジロジロ見られちゃったんですか!?」ビクビクッ

 

八幡「もういいじゃねえか……さっき散々謝ったろ? この後俺がきっちり最後まで頑張るから勘弁してくれよ」

 

雪乃「当然ね……あなたにはしっかり最後まで責任とって貰いますからね。みんなが満足するまでね」ジロ

 

結衣「今日はヒッキーに掛かってるんだからね! ホント頑張ってよね! って……あれ? 小町ちゃん? どうしたの……顔真っ赤だよ」

 

小町「……はっ!? だ、だいじょーぶです。まだ……まだ耐えられてます」アセ…

 

結衣「そう? あっ! で、ヒッキー……あれ売ってた?」

 

八幡「それがなあ……無かったんだよ。コンビニ2件まわったんだけどな…」

 

小町「お兄ちゃん、あ、あれって何のこと?」

 

八幡「ああ……あれだよ。ゴムだよゴム!」

 

小町「グ八ァッ!?」

 

八幡「おお……?ど、どした、小町」アセ

 

小町「はあはあ……ま、まさか、お兄ちゃんの口からそんな言葉が出てくるなんて…」

 

雪乃「? なんだか今日の小町さんおかしいわね? でも、そう、売ってなかったのね。なら仕方ないわね……手をつかうしかないわね」

 

小町「て、手でぇ!?」

 

結衣「ええー? せっかく楽しみにしてたのに、それはないよゆきのん……そうだ! 小町ちゃん。この家にはないのかな?」

 

小町「ええー!? ここにですか!? え、いや、ちょっと……多分無いです」ショボショボ

 

結衣「そっかー……じゃあ、やっぱり手でするしかないかー」ガッカリ

 

八幡「まあ、そうがっかりするんじゃねーよ。とりあえず他にもおもちゃもあることだし、色々楽しめるだろ」

 

結衣「そっか! そうだよねヒッキー……えへへ……じゃあさ、早速ここで出してみようか」ガサ

 

小町「へぁ!? ここで!? だ、ダメです! ここはリビングですから絶対ダメなんです」アセッ

 

雪乃「小町さんの言う通りだわ。ここはくつろぐところであって、楽しむところではないもの。場所はきちんと弁えましょうね」

 

結衣「そっかー……なら、ヒッキーの部屋はどう? あたし達も入っても良い?」チラ

 

八幡「べ、別にいいぞ。俺もどんなおもちゃか興味あるし、早く見てみたいしな」

 

結衣「よし! じゃあ、決まりだね! みんなでヒッキーの部屋に行っちゃおう!」

 

雪乃「では、移動しましょうか……小町さん、失礼するわね」

 

小町「は、はい……ごゆっくり~」ゴクリ…

 

 

パタパタパタ(階下に降りる音)

 

 

小町「こ、これは……まさか……まさかあのお兄ちゃん達があんなにあっけらかんと人に話しちゃうなんて……。こ、このままじゃ、お兄ちゃんが……お兄ちゃん達が道を踏み外しちゃう!」

 

台所でコップを一つ手に持って…

 

小町「ち、違うからね、カーくん! 盗み聞きしたいんじゃないよ。あくまでお兄ちゃん達の事が心配だからするだけで、決して興味本位とかじゃないからね!」クワッ

 

カマクラ「ニャー」

 

小町「よ、良し……じゃあ、私の部屋に行こう……カーくん」ダキッ

 

タンタンタン…(階段降りる)

カチャッ

パ……タン……

 

小町「フウ……こちらスネーク、潜入成功」

 

カマクラ「ニャー」

 

小町「作戦開始」

 

コップを壁にピタリ

 

カマクラ「…………………」

 

 

   ×   ×   ×

 

 

八幡「おお、色々あるな……これはいいぞ」

 

結衣「えへへ……あたしとゆきのんでじっくり選んだしね! ゆきのん」

 

雪乃「そうね……喜んでくれそうな物を選んだつもりよ」

 

結衣「じゃあさじゃあさ、どれからやってみる?」

 

雪乃「そうね……じゃあ、これからなんてどうかしら…」

 

八幡「おお! いきなりそれか。確かに俺も気になってたやつだ……でもなあ……ゴムないしな」

 

雪乃「もうそのままでいいんじゃないかしら……ほら、こうやって手をそえれば……」

 

結衣「ゆきのんスゴイ! 上手! ねえ、どうやってるの?」パチパチ

 

八幡「お、おお……お前、う、上手いな……」

 

雪乃「あら、そう? そんなに難しくないわよ。ほら、こんな具合に…」

 

結衣「わあ……スゴイスゴーイ」

 

八幡「くっ……お前、上手すぎだ……」

 

結衣「うっわ……飛んだ! めっちゃ飛んだよ! さっすがゆきのん! ヒッキー、ドンマイ!」

 

雪乃「ふう……こういうのもなかなか楽しいわね。では、次はどれがいいかしら…」

 

結衣「そうだねえ……あ! これなんかどうかな……これ新しい奴だよ」

 

八幡「お、おい……それって刺激強すぎじゃないか? ちょっと見た目もあれだし」

 

結衣「大丈夫じゃないかな……じゃあ、あたしやってみるね……えーと、スイッチを入れてと、あ! 動き出した。うーんとどうしよう……じゃ、じゃあ、いれるね……ここに……ん……お、OK! 大丈夫だったみたい……やっぱり入れる時はドキドキするね……」

 

八幡「………」

 

雪乃「どうしたの? そんな顔して」

 

八幡「い、いや……俺、これあんまり好きじゃ無くてな……どうも昔から苦手なんだよ」

 

結衣「ひ、ヒッキーは嫌だったの? ご、ゴメン、こういうのも好きかなって思ったんだけど」

 

八幡「い、いや……多分、大体の奴は好きなんだろうけど、ほら、俺昔これでいじめられたことあるし……みんなにかわるがわる先に入れられて、俺は嵌められてな……」

 

結衣「あ……えっと……ほ、ホントにゴメンね。じゃあ、もうこれは止めるね。えと、スイッチ切って……んしょ」

 

雪乃「全く……あなたのそういうところ……本当に難しいわね。どこに地雷があるか分からないもの。なら、なんならいいのかしら」

 

八幡「いや、本当にわりぃ……そうだな、これなんか男なら喜ぶぞ」

 

結衣「あー……ヒッキーならそれ選ぶと思ったよ。そうだよね男の子ってこういうの好きだもんね……じゃあちょっと貸して……えっと、ここをこうして、こう通して……うわっ! これキッツイ! めっちゃきついし。ねえ、この胸の所くっつかないんだけど……」

 

八幡「ええ? ちょっと待ってろ俺がやる……ここがこうだろ、んで、ここがこう……おお、本当に胸のところがきついな。おっと、出来た。なんだよピッタリじゃねえか」

 

結衣「わあ! ヒッキーありがとう。これ結構可愛いね」

 

八幡「だろ? 後は、こうやってだな。足を開いて立ったままで……」

 

結衣「わわっ、ひ、ヒッキー!?」

 

八幡「こういう恰好を決めるとな……俺もグッとくるわけだ」

 

結衣「ふーん……ヒッキーこういうのが好きなんだ? ふむふむ……あ、じゃあさ、そろそろここに嵌めてみよっか」

 

八幡「ん? おお、いいぞ。えーと、もう少し足を曲げた方が良いな……で、ここに入れて……と」

 

結衣「ん!! ヒッキー……やっぱりこういうの上手だね」

 

八幡「そ、そうでもねえけどな……これもなかなか……いいな」

 

結衣「ん……いい……ね」

 

雪乃「二人ともさっきから随分と楽しそうにしているけれど……時計は見ているのかしら? そろそろ時間なのだけれど」

 

結衣「あ! そうだね……ついうっかり没頭しちゃってたね……へへ」

 

八幡「だな……………………さてと、じゃあ、行きますか」

 

 ガチャッ! ドンっ! バタン!

 

八幡「ん? って、おい小町!? お前なんでこんなところに居るんだよ!」

 

雪乃「小町さん? あら? どうやら眠っているようね」

 

八幡「ったくしょうがねえな……よっこらせっと」

 

結衣「わあ! ヒッキー力持ちだね……それに優しい!」

 

八幡「ま……お兄ちゃんだからな! えっと、ベッドに寝かせて……と。やれやれ世話の焼ける妹だよ。んじゃ、行くか」

 

結衣「うん!」

 

雪乃「そうね」

 

 

 

 

 

 近所の児童館

 

京華「あ! はーちゃんだ! わーい」ダキッ

 

八幡「お! けーちゃん元気だったか?」

 

京華「うん! けーちゃんげんきだよ。さーちゃんも、たいちゃんもそれからそれから……」

 

八幡「おお……わ、わかったよ」ニコ

 

雪乃「相変わらずモテモテね」

 

結衣「だね」

 

沙希「ごめんね、あんたら……休みの日に来て貰っちゃって。子供会の人手がどうしても足らなくてさ……本当にありがとうね」ニッコリ

 

結衣「やっはろー、サキサキ! 全然大丈夫だよ、ちゃんとおもちゃもいっぱい持って来たからね……ほら」

 

沙希「わっ……こんなにたくさん? ホントありがとう」

 

雪乃「この飛行機は本当はゴムで飛ばす物なのだけど、ゴムが無かったのよ……まあ、でもこうやって手で飛ばせるから」シュパッ

 

結衣「ね! ゆきのん上手でしょ……あ、でもヒッキーへたっぴだから、あんまり弄らないであげてね。それから、こんなのもあるよ」

 

沙希「あ! それ黒ひげ危〇一髪じゃん。すごい懐かしいんだけど……いいね、みんな喜ぶよ」

 

雪乃「でも、これも彼は苦手なようね……以前これでいじめられたと言っていたから、よほどのことが無い限りは大丈夫だと思うのだけれど、遊ぶなら喧嘩にならないように見て上げた方がいいわね」

 

沙希「うん、そうする。あ、合体ロボットまであるんだ。男の子達にいいね! ほんとにありがとう。じゃあ、早速手伝ってよ。お菓子の袋詰め頼みたいんだ」

 

結衣「うん!」ニコッ

 

八幡「俺はなにすればいいんだよ、サキサキ」

 

沙希「さ、サキサキ言うな! あ、あんたはけーちゃん達と遊んでな!(まあ、それが一番大変なんだけど)」

 

八幡「りょ、りょーかい」ゲッソリ

 

雪乃「さあ……じゃあ今日も頑張りましょうか!」

 

結衣「うん! 頑張ろうね、ゆきのん! ヒッキー」

 

 

 

 

 

 

カマクラ「ニャー」

 

小町「……ん、んん? あ、いたたたた、頭痛い~……あれ? なんで小町ベッドに寝てるの? 確か……お兄ちゃん達が部屋で」ハッ

 

タタタタ……ガチャッ

 

小町「あれ? い、いない? っていうことはひょっとして……全部夢? な、なーんだ、そうか……あはは……お、お兄ちゃん達があんなことするわけないもんね、あーびっくりした。でもなんであんな夢みたんだろう?」

 

カマクラ「ニャー」

 

小町「ま、いっか! じゃあカーくん一緒に遊びましょうね……ふしゃしゃしゃしゃ…」

 

カマクラ「フギャー!!」

 



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(3)八幡と雪乃と結衣が『結婚』について真剣に話し合っているだけの話

この回こそ閲覧注意ですよ(笑)
台本形式の上に、内容はメタメタです。

このお話は完全な『八結雪』カップリングになります!!


 冬のある日、俺は……いや、俺達3人は恋人として付き合うことを3人で決めた。

ここに至るまでの道程は様々な紆余曲折を経ており、一言で語るのは難しいが、兎にも角にも、事実として俺と雪ノ下と由比ヶ浜の3人が合意の下で恋人……それも結婚を前提とした付き合いを始めることにしたのだ。

まずはこれを示しておこう。

 そして、今日。初の『恋人会議』が我が家にて開かれることになった。議題は当然『○○』である……

 

   ×   ×   ×

 

ピンポーン

 

八幡「はいはいはい! うー……、寒い寒い」

 

 ガチャ

 

結衣「やっはろー! ヒッキー」ニパッ

 

雪乃「こんにちは、八幡」ニコッ

 

八幡「よお、お前ら。さっさと上がれよ。寒いだろ?」

 

結衣「えへへ……ありがとね! じゃあ、お邪魔しまーす」

 

雪乃「お邪魔するわね」

 

八幡「おぉ、いらっしゃい」

 

結衣「あれ? ヒッキーが着てるそれなに? なんだか凄くあったかそうなんだけど」

 

八幡「なんだお前……褞袍(どてら)も知らないのか?」

 

結衣「オケラ?」

 

八幡「なんで、地面に潜っちゃう虫みたいになってんだよ。ドテラだよ、ド・テ・ラ。ほら、キテ〇ツ大百科のベ〇ゾウさんが、これ着て勉強してたろうが」

 

結衣「むぅ~……そんなアニメ知らないし。なんでヒッキー知ってるし」

 

八幡「うっ、お、俺は、ただ、知識としてだな……(やべーKIS〇ANIMEで見たなんて言えねー、あれなんか違法……)」アセッ

 

雪乃「『丹前』とも言うわね。所謂江戸時代の町人服よ。でも温かいのよね……私のお婆ちゃんも使っていたからそれがどんな物かは知ってはいるわ」

 

結衣「へー……ゆきのん物知りだ」サワリサワリ

 

八幡「って、なんでお前が褞袍(どてら)にスリスリしてんだよ」

 

結衣「だって、ホントにあったかいか知りたかったんだもん。へへ……それにヒッキーの良い匂いするし」スンスン

 

八幡「お前は犬か! って、雪乃も!?」タジ

 

雪乃「……」スンスン

 

八幡「もう、お前らいい加減にしろ……ほら、炬燵あっためてあるから、さっさと入れ」スタスタ

 

結衣「あはは、ヒッキー恥ずかしいんだ! じゃあ、行こっか、ゆきのん」

 

雪乃「そうね、行きましょう」

 

 みんなで炬燵に入る。

 

八幡「よし、揃ったな。とりあえず、雪乃と結衣が俺にぴったりくっついて座ってるのは気にしない事にする。で、お前ら、ちゃんと調べてきただろうな」

 

結衣「うん!もうばっちりだよ。ちゃんと大事なとこはマーカーで線引きまくってあるし…ほらあ」フンゾリ

 

八幡「お前な……なんでもかんでも線引くと、ホントにどこが大事か分かんなくなっちゃうんだぞ。って、まあいいか……雪乃は大丈夫そうだな」チラリ

 

雪乃「貴方に言われるまでもなく、いつも通り完璧に揃えてあるわ」トントン

 

八幡「よし、なら始めよう。では『第一回八結雪恋人会議』~~~って、結衣、このタイトル何とかならないのか? かなりハズいぞ」

 

結衣「ええー、別にいいじゃん、これでpixiv検索すると色々出てくるし……それに分かりやすいし、ねー? ゆきのん!」

 

雪乃「ええ、そうね……『はちゆいゆき』って、『バーレイニディルムンキャット』に似ていてなんだか可愛いわよね」ニコッ

 

八幡「いや……猫、全然関係ないからね……それにそんなレアな猫、知らねーし、大して語呂もあってない」

 

結衣「もう……いいのこれで! はい! さっさと始める!」

 

八幡「わ、分かったよ。じゃ、じゃあ、最初に確認しておくけどな……俺達3人は付き合ってるわけだ。まあ、それは良いとして、この先俺達は3人で結婚することは出来ない。そこはいいな」

 

雪乃「そうね。民法732条で「配偶者のある者は、重ねて婚姻をすることができない」と定められている以上、男性一人に女性二人で結婚することは不可能ね」

 

結衣「むう……ひっどい話だよね。こんなにヒッキーのこと好きなのに……あたしはもっとこの前みたいに……ヒッキーとゆきのんと3人でデートして、お泊りして、それからそれから……」ムムム

 

八幡「いや、まて、今そういうラブコメ要素要らないから」キパッ

 

結衣「なんか酷い事言われてる!」ガーン

 

雪乃「そうね、尺の都合もあるものね……ここから回想シーンに入ってしまうと、大盛りタコ焼きそばさん(旧姓)の『ショートです』と言い張りながら10万文字越えてしまう作品並みのスケールになってしまうわ」

 

結衣「尺とか言っちゃってるし!? ……って、個人名出しちゃったの!?(あ、私達ディスってないですからね、大盛りさん(旧姓)ごめんなさい)」

 

八幡「まあ、冗談はさておき……」

 

結衣「冗談だったんだ!?」アングリ

 

八幡「えーと、今日の議題だ。ま、さっきから話が出てるんだけどな……議題は俺達の『結婚』についてだ。とりあえず、順に調べてきたことを言って行くか」

 

雪乃「そうね。色々当たってみたけれど、やっぱりこの『3人で』というのが難点ね。さてと、誰から話す?」

 

八幡「そうだな、じゃあ、まず俺からだ」ガサゴソ

 

八幡「この資料を見てくれ。まず、基本的なことだが、日本は婚姻に関しては『一夫一婦制』を取っている。さっき雪乃が話した通り、民法にも規定されている。一人の夫に、一人の妻。だが、この様式を取り入れたのは、明治に入ってからだ。欧米列強に合わせて、正式に採用したわけだな」

 

結衣「それまではどうだったのかな?」

 

八幡「その前……江戸時代以前は、時代劇とかであるように、殿様に正室と側室がいる場合もあって、一人の男性に多数の女性の結婚……所謂一夫多妻の慣例もあった。でも、これは一般的じゃない。あくまで、支配階級、トップカーストに許された権限と言って良い。一般大衆は基本一夫一婦のままだし、実際に側室となった場合でも、正室と比較して、身分が劣るとされた。まあ、豊臣秀吉の時の様に、正室のおねは子供が出来なくて、側室の淀の方が、権力を握ったなんて例もあるけどな」

 

雪乃「確かに、正室、側室で言うのなら、一般的な側室に当たる言いかたに『お妾さん』、『愛妾』、『二号さん』なんて、蔑称に近い呼び方があるわね」

 

八幡「そうだな。なんにでも順番は付けたがるもんだが、言われる方は堪ったもんじゃないよな。でもこれは仕方がない。明治政府が欧米に倣ったわけだが、要は、キリスト教を信仰している国は必然的に、一夫一婦制になっている訳だ。キリスト教の場合、浮気はご法度であって、神との契約に違反しているとされる。だから、姦通罪なんて罪を問われる国が世界にまだあるんだ。日本じゃ大分以前に撤廃されてはいるのだけどな」

 

結衣「うーーん……解かる様な、解かんないような……?」ハテ?

 

八幡「(こいつ全くわかってねえな……はあ……)まあ、要はな、日本では昔から基本一夫一婦制だったってことだ。で、もう一人女性を囲うと、その人の事は『お妾さん』、『二号さん』とか呼ばれちゃうってことだ。どうだ結衣、分かったか?」

 

結衣「うん! 要は一人目が一号で、二人目が二号なんだね! 分かった!」ニパッ

 

雪乃「…………」

 

八幡「…………」

 

雪乃「で、では、次は私の番ということね。八幡が歴史から調べてくれたから、そこは端折るけれど、基本的な法律から解説するわね。さっき言った通り、重婚は罪で、刑法184条にも重婚罪が規定されていて、違反した場合の法定刑は2年以下の懲役となるわね。まあ、これについては、結婚したのは、いいけど、相手が実はすでに結婚していて……なんて、詐欺まがいの状態からしか適用されないのだけど、このような民法や刑法があるから大手を振って3人で結婚なんて事は出来ないのよ」

 

八幡「まあ、そもそも、世間一般の目から見ても、三人夫婦なんて異常に映るだろうからな」

 

雪乃「あら、三人なら、夫婦じゃなくて、夫婦婦……いえ…格の順に言うから、婦婦夫かしらね」ニマニマ

 

八幡「グッ……なんで俺が一番下っ端みたいになってるんだよ。自覚はしてるけども。でも『ふふふう』ってなんだかスラ子ちゃんの笑い方みたいで可愛いな」

 

結衣「それなあに?」

 

八幡「い、いや、分からないならそれでいいんだ(小説〇になろうで完結済み!!『スライムなダンジ〇ンで天下をとろうと思う』絶賛応援中!! スラ子超かわいい!!)」アセッ

 

雪乃「まったく……くだらないこと言ってないで、私の話を聞いてちょうだい。まだ終わってはいないのよ」

 

八幡「あっはい」

 

雪乃「問題なのは、その呼ばれ方とかではなくて、戸籍や税金よ。夫婦であれば、同じ籍に入ることで、同一世帯として見て貰えるわ。だから、所得に応じての配偶者控除なども受けられるのだけど、例えば、八幡と結衣さんが結婚して、私が内縁関係のままだとすると、貴方達は夫婦として通常のサービスを受けられるけれど、私は独立した世帯主として存在することになる。つまり、一緒に暮してはいるけど、他人のまま……税金も個人として徴収されることになるし、もろもろの控除も受けられない。おまけに、もし八幡との間に子供が出来たとしても、婚姻関係に無いのだから、父親の欄は空欄。子供は非嫡出子、私生児ということになってしまうわ」

 

結衣「なんかゆきのん可哀そう……」

 

雪乃「えーと、結衣さん? 仮に私と八幡が結婚すると、今度は結衣さんがその立場になってしまうのよ」

 

結衣「えぇっ!? なんかちょ、ちょっとそれ嫌かも!?」アセッ

 

雪乃「そうでしょ? だから、今悩んでいるのよ。日本での結婚は男性一人対女性一人のみ。確かに重婚できる国もあるにはあるけど、そこに移り住んで3人で結婚をするということは、現実的だとは言えないわね」

 

八幡「まあ、その辺の法律には色々抜け穴があるにはある。まあ、要は養子縁組を使いこなせばいいんだ」

 

結衣「幼稚園組?」

 

八幡「ん~……まあ、その間違え方可愛いからゆるす」ポッ////

 

雪乃「あなた、やっぱり結衣さんには甘いわね……先が思いやられるわ」ジロリ

 

八幡「ぐっ……それについてはお前にだけは言われたくないが……、まあいい。養子縁組だ。一人は俺と結婚して、もう一人はうちの親と養子縁組する。そうすると、俺と兄妹の関係になるわけだが、戸籍上これで3親等以内に入るわけだ。財産分与なんかは、配偶者が優位になることは間違いないが、少なくとも他人ではなくなる。親の扶養にも入ることも出来るしな。生まれた子供についても、そのままなら私生児だけど、改めて俺の子供として養子縁組すれば、両親のある子供になるわけだ。ただ、その場合生みの親は戸籍上線を引かれてしまうのが難点なんだが…」

 

雪乃「でも、その方法も完ぺきではないわね。一般的に見て、重婚関係の既成事実を構築していると明らかになれば、それは罪に問われることになるし、大体、それを近親者が納得の上で理解を示してくれるとも限らないわ。うちの両親もそうだけれど、貴方のご両親だって、そんな常識外の発想に共感してくれるとも思えないわ」

 

結衣「えーーーん。そうしたら、もう三人でラブラブ出来ないの? そんなのヤだよ。あたしヒッキーの赤ちゃん欲しいし。それに、ゆきのんとも一緒に居たいもん。ゆきのんの赤ちゃんも一生懸命育てるから!」

 

雪乃「駄々を捏ねないでちょうだい。私だってそうしたいと思っているのだから」

 

八幡「まあ、そうだな……近親者の説得って言うなら、地道に外堀を埋めて周るしかないだろうな。常識ではないことをするわけだから。まあ、理解を100%得るのは難しいだろうな。だから……」

 

雪乃「だから?」

 

八幡「まあ、ある程度、理解を得られたかなってところで、二人同時妊娠とかな……それくらいの破壊力がないと、難しいだろう。今回に関しては俺が悪者になると二人から引き離されるだろうから、とにかく俺がお前らの面倒を見られるって位の箔をつけるのが先だろうな」フンス

 

雪乃「そう……妊娠よね。まあ、貴方がしっかりしていればいいのでしょうけど、そんなこと言って大丈夫なの?」

 

八幡「実は一人、見本がいるんだ。うちの町内でも有名なじいさんなんだが、その人奥さんと愛人と3人で暮してんだよ。そのどっちにも子供がいて、凄い大家族なんだ。元は豆腐屋らしいんだけどな、かなり手広く商売やってて羽振りが良くて、若いころから3人一緒だったらしいんだわ。で、その奥さんも愛人さんもすごい仲が良くてな。まさか二人とも祖父さんの嫁さんだとは思わなかったよ」頭ポリポリ

 

結衣「じゃあさ、その御祖父さんたちに、一緒に暮すための秘訣とか聞いたら、私達も上手く行くんじゃないのかな?」

 

八幡「まあ、今のところ聞いた話だけど、とにかく金なんだと。二人の奥さんに、子供もたくさん。それに、世間の視線もきついときてる。祖父さんが言うには、とにかく金があって、それを使えば文句を言う人間も減るんだとさ……まあ、親族は赤ん坊で、周りの人間には金で対応するしかなさそうだな」

 

雪乃「という事は八幡。貴方には特別強化講習を受けてもらう必要があるわね。なにがなんでも、官僚になってもらうわ」キパッ

 

八幡「うっ……これで専業主婦の夢も潰えたか。仕方ないな、自分で決めたことだ……お前らの為ならなんでもするさ」

 

結衣「ひ、ヒッキー」ジーン

 

雪乃「さて、これで、一つ問題が減ったわね……。残る問題は……そう、赤ちゃんをどう作るかよね」

 

結衣「そう、それなんだよ! ママに聞いたらさ……おしべがどうとか、めしべがどうとか、赤い顔してごにょごにょ言ってて何だか良く分かんなかったし」

 

八幡「あー、うちは親が普段いねえから、小町に相談してみたんだが、聞いた途端に滅茶苦茶怒られたな」ズーン

 

雪乃「そう……でも困ったわね。私も相談する相手が居なくて良く分からなくて……」

 

結衣「むっふっふーん……ゆきのんもまだまだだね。こういう時の為に、これがあるんだよ」バサッ

 

八幡「そういやお前、何調べてきたんだよ……その手に持ってる紙束。結構厚そうだけど?」チラリ

 

結衣「あたし、ヒッキーの赤ちゃんどうしても欲しかったからね、どうすればいいか、姫菜に相談したんだよ。そしたら、これを印刷してくれてさ。で、一生懸命読んでマーカー点けたんだけど、専門用語が多くて良く分かんなくて」テヘ

 

八幡「って、お前……なんで、蛍光ペンじゃなくて、油性ペンでライン引いてんだよ。これじゃ元の文章も読めねえじゃねえか」

 

結衣「えへへ……ごっめーん」テヘペロ

 

雪乃「えーと……百かしら? ……濁? ……肉……奉? んん……、読めないわね。これで何をどうするというのかしらね……?」

 

結衣「えーとね……姫菜が言ってたんだけど、3人でベッドの上でこれを読んでれば、まず間違いなく赤ちゃん出来るよって」

 

雪乃「? ベッドの上で? なんなのかしらね? まあ、でもそう勧められたのなら、一度挑戦してみましょうか……ね、八幡?」チラリ

 

八幡「うーん、訳わからんが、そのままじゃとりあえず読めないな……えーとなになに? 高橋徹著『俺ガイル 日常の何気ないエロス。』ね。ちょっとパソコンで調べて読んでみるか……そうしたら、3人で俺の部屋に行くとしようか……パソコンもベッドもあるし」

 

結衣「よし、じゃあ行こう」

 

雪乃「そうね」

 

八幡「……あー、さっきからずっと俺らだけでしゃべってて悪かったな。とりあえず、六法全書とか持ってきてくれて助かったよ……じゃあ、俺らちょっくら2階に行ってくるから。まあ、のんびりしててくれよ、『葉山』」

 

 

 

隼人「…………」コクリ

 

 

 

 

 ガヤガヤ

 タンタンタンタン

 

 

 

 

  

隼人「………………………雪乃ちゃん……」グスッ

 

 

 

 

 

 キッチンの陰から……

 

小町「……泣ける…」クゥッ

 

 

 

 

 

 



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(4)キスして欲しい一色と奉仕部三人が一緒に居るだけの話

台本形式最後の作品です。
八色ファンは読まない方が良いかも。


 好きな人……

 私は今まで本気で人を好きになったことがないのかもしれない。特に何もしなくても、男の子達は私を誘ってくれるし、もう何回も告白もされた。自分が他の女の子と比べても、魅力がある女の子という自信も多少あった。

 そんな私が初めて気になった男性……その人のこと意識してしまったのは間違いない。その人は面倒くさがりで、人付き合いが苦手で、礼儀知らず、いつも一人で居ることを好んでいる。

 でも、こちらの様子をつぶさに見ていて、気が付かない所にいつも気をまわしてくれる。要は恥ずかしがり屋さん。 

 そんな風に思っていた。一人っ子の私にとっては、まるでお兄ちゃんの様な……

 でも、そんな彼には、心を許している二人の女性がいた。あのものぐさな彼がその二人にだけ見せる顔……優し気なその表情……

 それは壁になって私の前にそびえていた。

 私には超えることが出来ないその壁……

 だからだろうか? 私はその壁を越えてみたくなった……

 この感覚はなんだろう……

 あの葉山先輩に振られた時とも違う。

 私が本当に欲しい物はいったいなに?

 

 教えて下さいよ……ねえ、せんぱい……

 

 

 

 

八幡「よお、一色」

 

いろは「ひゃい! せ、先輩!? なんですかぁ、きゅ、急に声を掛けないでくださいよぉ!」アセリ

 

八幡「お、おお……す、すまん。そんなに驚かしちまうとは思わなくてな」タジ

 

いろは「それで、何なんですか急に。今日は結衣先輩と雪乃先輩とラブラブしてないんですか?」チラ

 

八幡「はあ!? な、なに言ってんだお前……」

 

いろは「え? だって、この前二人と結婚するって……」

 

八幡「ばっ……!? お、お前、何言ってんだ! そんなわけあるか! なに寝ぼけてんだよ!」クワ

 

いろは「えっ? じゃ、じゃあ、先輩って誰とも付き合っていないんですかあ!?」

 

八幡「つきあう!? あ、あるわけないだろ……俺だぞ」アセ

 

いろは「そ、そうですか……。まったく先輩は先輩ですね……。はっ!? そうやって彼女いないアピールして彼氏いない私とお近づきになろうとかしてるその魂胆見え見えなんでホント勘弁してください、ごめんなさい」ペコリ

 

八幡「お、おお……別に告白したわけじゃないけどな。ま、まあ、いいや。んじゃまたな」シュタッ

 

いろは「ま、待ってくださいよぉ! 可愛い後輩置いていくなんてひどいじゃないですかぁ」ムカ

 

八幡「いや、だってお前が嫌がったんだろうが」

 

いろは「字面通り受取んないで下さいよぉ! 嫌がるわけないじゃないですかぁ。あ、先輩ヒマですよね」キラリン

 

八幡「その質問明らかにおかしいだろ。それに俺、これから部活なんだけど……」

 

いろは「じゃあ、問題ないですね。依頼します。すぐに生徒会の仕事手伝ってください」キパッ

 

八幡「はあ? そういうことは雪ノ下を通してだな」

 

いろは「問答無用ですよ! こっちは緊急事態なんです。そんな暇ないので今すぐ来てください」

 

八幡「なんだよ……! ったく、しょうがねえな」

 

いろは「可愛い後輩の為ですよ。急いで急いで!」ニコリ

 

 

 生徒会室

 

 ガラガラ……

 

八幡「なんだ? 誰もいないのかよ」キョロキョロ

 

いろは「はい、みんなはもう帰りましたよ。きゅ、急用ができたとかでぇ~」スットボケ

 

八幡「? はあ? ホントかよ」

 

いろは「ほ、ホントですよぉ。あ、先輩、のど乾いてません? これ、良かったらどうぞ」ハイ

 

八幡「って、お前、そのペットのドリンク、お前の飲みかけじゃねえか」タジ

 

いろは「え? 先輩って、そういうの気にする派なんですか?」ウワメヅカイ

 

八幡「あ、当たり前だろ……嫌だよ、そんな恥ずかしい事できるか」

 

いろは「はぁー……、こんな美少女が飲んで良いって言ってるのに、ほんと先輩って奥手なんですねぇ」ハァ

 

八幡「自分で美少女とか言うんじゃねえよ。ってか、な、なんだ? 急に抱き付いて」ビクッ

 

いろは「先輩はちょっと女性に抵抗感持ちすぎです! で、ですので……わ、私が少し練習させてあげます」

 

八幡「れ、練習だと? おい、仕事はどうし……」口塞ぎ

 

いろは「今は私のことだけ見てくださいよ……せんぱい……」ウルウル

 

八幡「うっ……だからその目は止めろっての……。で、何をどうすればいいんだよ」アセ

 

いろは「そうですねぇ……抱き付く所までは平気そうですからね。じゃあ、キスしてもらいましょうか」ニコ

 

八幡「き、キス~!? なんでだよ」

 

いろは「だって、男女の間の事でしたら、キスは基本中の基本ですよ。そんなことも知らないんですか先輩は!」ニヤ

 

八幡「まあ、そうか……じゃあ」ガバッ

 

いろは「!? ふぇっ! ちょ、ちょっと!? 先輩~!? か、顔近づけて何する気ですか!?」アセリ

 

八幡「え? い、いや、だってお前がキスしろって……違うのか?」

 

いろは「はわわ……だ、だって、先輩、間接キスも嫌がってたじゃないですかぁ!? なのに、なんでいきなりキスしようとしてるんですかぁ!?」アセアセ

 

八幡「え? だって、人の飲み物に口付けたりしたら、何言われるか分かんねえだろうが。中学の時も、ドリンクの回し飲みでキモがられた奴いたしな。そんなことしたら、マジ苛められるし」

 

いろは「は!? じゃ、じゃあ、本当のキスはなんで出来るんですか!?」

 

八幡「え? だって、キスしてたってキモがる奴いなかったし…これも中学の時の話だが、校舎裏でキスしてる奴らがいたんだが、結構な人数で目撃されたけど、別にそれで苛められたりしてなかったからな」

 

いろは「なんですかその理論!? 先輩は苛められるか、られないかで決めてるんですか!?」クワッ

 

八幡「まあそうだな。必要があればどんなに嫌われても平気だが、何にもなくてわざわざ自分を危険に晒そうとは思わない。ボッチが無難に学校生活を乗り切るためのスキルの一つだな。それよりどうすんだよ。キスすんのか、しないのか」ギンッ

 

いろは「は!? え、えっとですね……こういう場合は想定してなくて……っていうか、先輩は本当にキスして平気なんですか?わ、わたしこう見えても、ま、まだキスしたこと無いんですよ! ま、まさか、先輩ってもう誰かとキスしたり」アセ

 

八幡「んん? なんだか分かんねえけどな……なんでそんなに気にするんだよ……あ、でも、そう言えばこの前由比ヶ浜と……」ポツリ

 

いろは「ええ!? ゆ、結衣先輩とシちゃったんですか?」クワッ

 

八幡「シちゃったってなんだよ。なんか悪い事したみたいに言うんじゃねんよ。いやなに、この前クラスに居る時に試しに由比ヶ浜としてみようってことになってだな……」エート

 

いろは「は!? だ、ダメですー! ダメダメ……絶対ダメー」カアッ///

 

八幡「だから最後まで聞けって。別にそんときはだな……」

 

 ガラガラ

 

結衣「あ! ヒッキーやっぱりここにいた」ビシッ

 

雪乃「まったく貴方ときたら、今日は大事な約束があったでしょう? なんでこっちに断りもなく一色さんのところにいるのかしら」フゥ

 

八幡「あ? だってそれは一色がだな」

 

いろは「は!? ちょ、ちょっと待ってくださいね皆さん。わ、私今非常に混乱しておりまして……」ムムム

 

結衣「どうしたの? いろはちゃん。なんだか顔真っ赤だけど?」

 

いろは「ひゃっ……い、いや、あのですね……そうだ! あのぅ、結衣先輩はキスってどう思います!」チラリ

 

結衣「ん? キス? なんで?」

 

いろは「い、いや……あのですね、結衣先輩って頼まれたら誰とでもキスしますか?」

 

結衣「え!? し、しないよ……そんな事絶対……」アセ

 

いろは「じゃ、じゃあですね……先輩に頼まれたらどうしますか」

 

結衣「うん、するね!」キパッ

 

いろは「ふぁっ!! なんでですかぁ? キスですよ! チュウですよ!」

 

結衣「えっと……? なんでって言われると、ねえ、ゆきのん」チラリ

 

雪乃「そうね……一色さんがなんでそんなことに拘るのか分からないのだけど、比企谷君相手でも、キス位してあげてもかまわないのではないかしら…」

 

いろは「ちょ、雪ノ下先輩まで? え? だって、ほら、キスですよ」アセアセ

 

八幡「もう……さっきからうるせいな。ほらキス位簡単だろ……おい、由比ヶ浜」クイッ

 

結衣「うん、ヒッキー……ん」

 

いろは「はうあ!? だ、ダメ、ダメですって! しちゃダメなんですよ! その……人前とかじゃ!?」クワアッ

 

八幡・結衣・雪乃「なんで?」ハテ

 

いろは「そ、それはですね……えっと、き、キスは、す、す、好きな人とするものであってですね……ごにょごにょ……」///

 

結衣「ん? ゴメンね…良く聞こえなかったんだけど」

 

いろは「だからですね……キスは……って、結衣先輩、先輩のこと好きなんですか? どうなんですか?」オラ

 

結衣「ふぇ!? へ!? い、いや、それはちょっと……えへへ……」テレ

 

いろは「雪ノ下先輩は、先輩のことどう思ってるんですか!? 好きになっちゃたんですか!?」オラオラ

 

雪乃「質問の意図が読めないのだけれど、この人ならぬ下等生物に好意を抱いていると思われるのは心外ね」キパッ

 

八幡「雪ノ下……俺目の前にいるからね……人のこと単細胞生物みたいに言うのマジやめてね」ジロリ

 

いろは「だったら!? だったらですよ! いいですか!? 好きでもない男性にキスをすることに抵抗がないってのはおかしいじゃないですか!? なんでキス出来るんですか!」クワッ

 

八幡「お、おい……一色。ちょっと落ち着けって。そもそもお前が俺にキスしてくれって頼んできたんだろうが!」

 

いろは「は!? な、な、なんで今それバラシちゃうんですか!? ちょっと、先輩頭おかしいんじゃないですか!?」アセアセアセ…

 

結衣「なーんだ、いろはちゃんも仲間に入りたかったってことなんだね。そうならそうと、先に言ってくれればよかったのに」ホッ

 

いろは「へ!?」

 

雪乃「そうね。でも、生徒会長が奉仕部に入部するというのもおかしな話なのだけれど、まあ、客員部員という扱いなら問題ないかしらね」ヤレヤレ

 

いろは「へ? え? な、なんの話なんですか?」

 

八幡「だから……お前キスしたいんだろ? まあ、ちょうどいいや、雪ノ下、由比ヶ浜、コイツも連れて行っちまおう…」

 

いろは「えええ!? 何するんですかぁ!? いったい何を……」アセリMAX

 

結衣「えーとね、いろはちゃん。実は新しい奉仕部の挨拶を、うちのクラスの姫菜が考えてくれてね……とりあえず、奉仕部部員と、なんでか分からないけど隼人君は、部室に来た時の挨拶はキスすることにしようってことになったの。まあ、隼人君はヒッキーが担当らしいんだけどね。で、その練習を今日することになっててね……だから、ほら、ゆきのん……ん」

 

雪乃「……ん」

 

 チュッ

 

いろは「ほわああ……な、なにしちゃってんですかぁ……お、お、女の子同士でチューとか!」

 

結衣「??……え、何? やっぱり変なのかな? 姫菜が超ノリノリだったんだけど……ねえ? ゆきのん」

 

雪乃「そうね……欧米では一般的な挨拶とも聞いたことがあるのだけれど、やっぱりやり方が違うのかしらね? これは練習が必要ね。さ、一色さんも一緒に行きましょう」

 

いろは「え? ちょ、ちょっと……そう言う問題じゃない気がす……い、いやあ……離してぇ……」

 

八幡「本当にお前さっきから何なんだよ。ほら、用もなさそうだし、さっさと行くぞ。海老名と葉山待たせて、後でグジグジ言われるのは嫌だからな。とりあえずマウスウォッシュは買ってあるから安心しろ」キパッ

 

いろは「〇×▲□~!?」//////////////

 

 

ガラガラ……ピシャッ!

 

 

 

 

 

 

 私には気になる人がいる。その人は、捻くれてて、優しくて……でも、その人はいつでもその二人だけを見つめている。そんな3人の持つ雰囲気……それは壁になって私の前にそびえていた。

 私には越えることが出来ないその高い高い壁を……私は……

 

 

 

 

 

いろは「やっぱり越えられなかったよぉ」グスッ

 

小町「……ですよね」ウンウン……涙

 

 

 

 

 この日、この奉仕部の新しい挨拶は、葉山と一色の必死の抵抗により廃案となったことは、言うまでもない。

 

 



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ヤ○ーブラウザで読み上げてもらおう!

ウェブページの小説を読んでもらえるアプリがありますよ!
ちなみにこもれびは車の運転中や、事務作業中に読み上げてもらって、無職○生や転生した○スライムだった件などの小説を短時間で読了(?) しましたよ!
自分の書いた小説を読んで貰うのも一興です!

ちなみにこの話は八結です!


「ねえ、ヒッキー、や〇ーぶらうざって、使ってる?」

 

「ん? なんのことだ?」

 

 部室でいつも通りラノベを読んでた俺に、突然隣の由比ヶ浜がそう声を掛けてきた。

 またなにか思いつきやがったのかって、ちょっと顔を上げてみると、すぐ目の前に、由比ヶ浜の顔のドアップが!!

 

「って、近い、近すぎだっつーの」

 

「ふふーん」

 

 由比ヶ浜の奴は俺の目の前で首をかしげて見せたり、横を向いてみせたり……ええい、鬱陶しい。

 

「だ、だから、なんなんだよ」

 

「えー? わかんないの? もう、これだけ見せてるのに」

 

「は?」

 

「ワイヤレスイヤホンのことを言っているのかしら?」

 

「あー、ゆきのん、言っちゃダメだってば」

 

 長机の反対側から、長い黒髪を指でかき上げたゆきのんこと、雪ノ下がそう答える。

 って、ワイヤレス?

 言われて、ぷりぷり頬を赤く膨らませている由比ヶ浜の右耳には、白い小さなイヤホンが。

 

「あ? お前なに、イヤホンで音楽でも聞いてるのか?」

 

「あ、ちがくて……音楽も聞くんだけど、これマイクもついてるやつなんだよ。ほら、これでスマホを持たなくても通話できるし。ふふん、なんか仕事できる女って感じするでしょー」

 

「いや、どう見ても、新しいものに飛びついたはいいけど、いまいち使い方わかってないおばちゃんて感じだな」

 

「ふぁっ!! ちょ、ひ、ヒッキー、ひどっ……キモイから、その言い方!! マジでキモい!」

 

「キモイ言うな」

 

 まったくこいつは年中感情的になりやがって。

 そんな俺達のやり取りをみながら、我らが部長さんははあ、と深くため息を吐いていた。

 

「いつもながら賑やかね。落ちついて本もよめないじゃない。それで、由比ヶ浜さん、そのワイヤレスイヤホンと、さっきのヤ〇ーブラウザがどう繋がるのかしら?」

 

「あ、そうだったそうだった。えとね、ヒッキーとゆきのんって、二人ともウェブ小説とか読んだりする? pi○ivとか小説家○なろうとか」

 

「私は小説〇になろうなら何作品か読んでいるものはあるけれど……」

 

「俺もそうだな、pi○ivはあまり読んでねえけど、な〇うとかカ〇ヨムとかは結構見てるな。で、それがどうしたんだよ?」

 

 俺の言葉に、由比ヶ浜が自信ありげにその胸を張る。

 って、目の前で胸を反らすんじゃねえよ、どこに視線向けていいかわかんなくなるだろ。

 

「あたしもさ、最近WEB小説良く見るんだけどね、読んでると眠くなるじゃん?」

「ならねえよ」

「ならないわね」

 

「へ? いや、あの、なるの! っていうか、ずっと読んでればなっちゃうの! もう……えと、まあいいや、それでね、」

 

 いいのかよ……

 心でつっこみつつ、その後の分かりにくい由比ヶ浜の説明を俺達は辛抱強く聞いた。

 で、要約するとこうだ。

 

 スマホの検索アプリで有名な、『ヤ〇ーブラウザ』っていうのがあるわけだが、このアプリのサービスの中に『音声アシ〇ト』ってアプリが付随しているらしい。(ここまでの説明で5分かかった)

 このアプリは音声で質問すると答えを返してくれるのが通常の使い方らしいが、ヤ〇ーブラウザで開いたページの文章を読み上げる、テキストリーダーの役割も果たせるらしい。

 ということで、由比ヶ浜が何を言いたかったかというと。

 

『音声アシ〇トに、ウェブ小説を読んでもらえるよ』だそうだ。ちなみにここまでで15分かかった、はあ。

 

「ね、ね、どう? すごい発見でしょ?」

 

「と、言われてもなあ……」

 

 鼻息を荒くして、キラキラした目で俺達を見る由比ヶ浜だが、まだ体感したことのない俺と雪ノ下にはいまいち凄さが伝わってこない。

 そんな俺達を交互に見ながら、由比ヶ浜がさらに熱くなって補足を入れてきた。

 

「読んでもらえるから、歩きながらでも小説楽しめるんだよ。最大で2万文字くらいだから、多少長い小説も大丈夫だし。あ、でも、pi○ivの小説はページごとには読んでくれないからね、1ページ目だけだよ。な〇うとか、カ〇ヨムとかハ〇メルンは、ちゃんと読んでくれたかな」

 

 いきなりそうまくし立ててきて俺達はたじたじになるが……

 そんな由比ヶ浜を見て、雪ノ下がふうと、また大きく息を吐いた。

 

「そんなに言うなら、私が試してみるわ。由比ヶ浜さん、あなたのスマホとイヤホンを貸していただけないかしら?」

 

「うん! どうぞどうぞ。はい」

 

 言って、手渡されたスマホとイヤホンを雪ノ下は早速使い始めた。

 耳にイヤホンを嵌め、そして、由比ヶ浜と二言三言話してから、画面に表示されている文章を読ませて、それを聞いている様子。しばらくすると、雪ノ下さん、びっくりした顔で目を見開いた。

 

「こ、これは……」

 

「ね、すごいでしょ! こんなにはっきり綺麗に話してくれるんだよ」

 

「い、いえ、そうではなくて……」

 

「あ、そうだ、ね! ヒッキーも聞いてみてよ、はい」

 

 言いながら、慌てた様子の雪ノ下からイヤホンを取ると、そのまま俺にそれを渡してきた。

 はいと言われても……

 女子の使ったイヤホンを耳につけるとか、なんかね、それ……

 

「ね、ヒッキー、聞いてみてよ、ね! ね!」

 

「お、おう」

 

 言われるままに、俺は耳にイヤホンを嵌めた。すると……聞こえてきた音声ア〇ストの声は、朗々と文章を読み上げていた……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『…………好きです。ヒッキーが大好きです。この気持ちをいつかうまく伝えられるようになりたいなあ。明日も頑張ろう!2016/11/15/20:06……』

 

「ね? すごいでしょ? ちゃんと小説読んでくれてたでしょ?」

 

「そ、そうだな……」

 

 満面の笑顔でそう教えてくれる由比ヶ浜さんに、俺は……

 

 そっとやつのブログを閉じてから、スマホとイヤホンを返してあげました。

 ま、このあと俺と雪ノ下さんは猛烈にここにいるのが気まずくなったことは言うまでもない。

 

 尻がムズムズしていた俺に笑顔の由比ヶ浜が一言。

 

「これからもいっぱい読んでね、ヒッキー!」

 

 



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やはり俺がラノベを読んで泣くのはまちがっている。

某ラノベを読んだらしいですね、八幡が。
特にタグも用意していないので、伏字しまくりです。ご了承ください。

あ、八結です!


 『小説』とは、読んで字のごとく小さなお話のことを指すのが一般的なのであろうが、特にその中の『ライトノベル』と呼ばれる物は、やはり字のごとく軽く扱われることが多い。

 だが、だがしかし、このラノベ、読む人によっては、歴史的世界的文豪の作品や、いつもエラく婉曲な言い回しをするなんとかの森の作家や、やっつけで大作を書き上げてしまう軽井沢に住んでいるミステリー作家の作品をも超える、心に残り、人生を変える素晴らしい作品ともなるのである。

 かくいう俺にとって、今手に取っているこのラノベの作品は筆舌に尽くしがたい魅力を内包したものであり、これを超える作品に今後出会うことはないであろうと考えている。

 読み進め、全てを読み終えた今、この感動をどう表現したら良いのであろうか。

 主人公の苦しみが全身に伝わり、ヒロインのこの純朴な思いが胸を打ち、そして二人で達成したそこに広がった景色に涙が込み上げた。

 これほど爽やかで、清々し思いはいつブリだろう。

 ああ、この感動をどう表現すれば……

 

「ああっ! ヒッキー泣いてる! ねえねえゆきのん! ヒッキー泣いちゃってるよ! きもーい」

 

「あら? 貴方のような濁った目からも涙は溢れるのね。これは発見だわ」

 

 そんなことを俺を覗き見るいつもの二人から言われ思わず目を瞑る。

 いや、だって本当に泣いちゃっているんだもの。

 

「う、うるせいよ。俺だって感動すれば涙くらい出る。それから、キモイ言うな」

 

 とりあえず仏頂面のままそんなことを言って涙を拭うと、わわわと、由比ヶ浜の奴がガタガタと椅子ごと俺の傍に移動してきて頭を下げた。

 

「ご、ごめんねヒッキー。なんかさ、男の子が泣いてるのって意外っていうか、不思議っていうか……ついね、酷い事言っちゃった。怒っちゃった?」

 

 俺を下から覗き見るように眉を下げて謝ってくるし。

 近い……っていうか、近すぎるから。

 

「そ、そうね、私も言いすぎてしまったようね。ごめんなさい」

 

 雪ノ下までもが、対面で申し訳なさげに頭を下げるし。

 

「い、いや別に怒っちゃいねえよ。その、俺もちっと恥ずかしかっただけだ」

 

 本当に恥ずかしくて、そんなことを言いながら頬を掻くと、もう一度二人が「ごめんね」と言って謝ってきた。

 いや、本当に別にもういいのだが、なんだか今日は二人とも偉く優しいな。気持ち悪いくらいに。

 

「それで……ヒッキーは何の本を読んでたの?」

 

 そう由比ヶ浜に聞かれて顔を向けて見れば、さっきよりも近い位置で俺の手に持った本を覗き見てるし。

 な、なんか……なんかいい匂いが……

 一日同じように授業受けていたはずなのに、女子ってなんでこんなにいい匂いすんだよ。き、気まずい!

 

「ま、まあ、これだな。「Reゼ〇から始まる異世界生活」ってやつなんだが……知ってるか?」

 

「あー! 知ってるよ! この前アニメでやってたやつだよね! 深夜に!」

 

 と、かなり食いつきよく由比ヶ浜が反応した。

 え? マジで知っているのか? 意外すぎる。

 

「超怖い奴だよねー、何度もスバル君死んじゃうし、悲しいしね」

 

 本当に知っているみたいだな。盛り上がっている由比ヶ浜を見ながら雪ノ下が聞いてきた。

 

「それはどんなお話なのかしら?」

 

「あ、えとね、主人公のスバル君がね、エミリアちゃんを助けようって、何回も死んじゃいながらね、でもね、嫉妬の魔女のせいでね、言おうとすると、心臓ぐぁーってなっちゃってね、やり直して先に進んで、青い髪のレムちゃんがとっても可愛くてね、モーニングスターで何回も潰しちゃってね、崖から落ちたり、凍っちゃったり、食べられちゃったり、切られちゃったりね。でもそうそうベア子ちゃんも超可愛くてもう最高なの!」

 

 と、一気にまくしたてるように言う由比ヶ浜。

 

「うん、だいたい合っているな」

 

「え? それで合っているの? 本当に!?」

 

 驚いた顔の雪ノ下。目ん玉ひんむいているな。まあ、そうだよな。

 でも本当に合ってんだから仕方ねえ。

 俺は雪ノ下にこの作品の粗筋を説明。雪ノ下はそれをふんふんと頷きながら聞いていた。

 このお話、リゼ〇とは異世界転移したナツ〇スバルのお話で----

 と、説明しようと思ったけど、割愛(みんな話知っているもんね!)

 

 と、そこへ、由比ヶ浜がいきなり聞いてきた。

 

「ヒッキーはさ、ヒロインならエミ〇アちゃんとレ〇ちゃんとどっちが……好き?」

 

 なんでこいつは『好き』のとこに微妙にアクセント持ってくるんだよ。もうその唇の動きが気に成っちゃって仕方ないだろう?

 

「そ、そんなのどっちでもいいだろ?」

 

「えー? 教えてよ。じゃないと、これから毎日リゼ〇の話で盛り上がれないじゃん!」

 

 毎日するのかよ。ま、まあ、それも悪くないかもな……

 いやいやいや、何を考えてんだ俺は。

 女子と会話する内容じゃないだろ、そもそも。でも、確かにネタがあると話しやすいのは確かか……

 そんなことをもんもんと考えていたら、由比ヶ浜が言った。

 

「じゃさ! 二人で一緒に言おうよ! ね? それならヒッキーも恥ずかしくないでしょ!」

 

 いや、女子といっせーのはそれだけで相当ハードル高いと思うのだが……

 と、思っていたのに、由比ヶ浜はお構いなしに、いっせーのーと言い始めやがった。

 わわわ……

 慌てて、俺は……

 

「「レ〇!」ちゃん。わ、わー、一緒だねヒッキー。えへへ」

 

 その屈託のない由比ヶ浜の笑顔に思わずどきりと胸が高鳴ってしまう。

 でも、俺にとってこの作品のヒロインはあくまでレムなわけで、正ヒロインのエミ〇アには申し訳ないが、スバルとレ〇には幸せになって欲しいって切に思ってしまう。

 とくに、今眠ってしまっているレ〇のことを考えるとね。もう胸が張り裂けそうで……

 

「ね、ヒッキー。レ〇ちゃんていつ目覚めるのかな?」

 

「え? そ、そりゃあ、暴食を倒してから……って、あれ? おまえ何でレ〇が眠ってることを知っているんだ? アニメじゃそこまでやってねえはずだが」

 

「あ」

 

 由比ヶ浜も顔を見れば、耳まで真っ赤になって今にも湯気が出そうになっている。

 あれ? なんだ? どういうことだ?

 

「ふふふ……」

 

 なぜか雪ノ下が口に手を当てて小さく笑い始めてるし。なんでわらってんだ?

 雪ノ下は可笑しそうに笑いながら口を開いた。

 

「なるほど……由比ヶ浜さんはこの話をしたくて、この前比企谷君のラノベを見ていたのね」

 

「わわわ、ゆ、ゆきのん、それ言わないで!」

 

 慌てて雪ノ下に駆け寄る由比ヶ浜。

 なんだ? どうなってんだ?

 雪ノ下は由比ヶ浜の制止も効かずに続ける。

 

「この前あなたがマックスコーヒーを買いに行っている間に、この娘あなたの本をこっそり見ていたのよ。つまり、あなたと話すために、その本を調べて自分でも読んだということでしょうね」

 

「え?」

 

「ゆ、ゆきのんってば‼」

 

 笑う雪ノ下の肩を掴んでぶんぶん揺する由比ヶ浜。もう見る間に真っ赤になっていく。

 ということはなにか? こいつ俺とリゼロの話をするために、この本をわざわざ読んだのか? そ、そうまでしてこの話を……、お、俺と?

 

「あらあら、今度は比企谷君も真っ赤になってしまったわね。これは熱くて大変だわ」

 

 そんなことを宣う雪ノ下の脇で、真っ赤になった俺と由比ヶ浜の二人。

 き、気まずい……

 どうすりゃいいんだー‼

 

「え、えと、また一緒にリゼ〇の話……したいな……ヒッキーと……良い?」

 

 オズオズとそう言う由比ヶ浜。

 そんなの俺が言えるのは一言だけに決まってる。

 俺は由比ヶ浜を見ずに一言だけ言った。

 

「ああ……」

 

 雪ノ下がただただ微笑んでいた。

 あー、早くレ〇目覚めねえかなー。

 

 



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八幡がジャンボ宝くじに当たったというだけの話

八結ですよん!!


 突然だが、なんと俺は今意識を失いかけている。

 え? 何でかって? また、車にでも撥ねられたかって?

 いやいや、そうじゃない……もう、あんな痛い思いなんてしたくはない。はっきり言ってもう二度とぶつかってやるつもりなんかない。車にぶつけられる前に、自分から前回り受け身で逃げるまである。ん? なんの話だ?

 お! そ、そうだ……そうだった。こんな与太話を脳内再生してる場合ではないのだ。

と、いうか、俺は今冷静じゃない。ああ、分かっている。冷静なら、こんなに無駄な思考に力をまわしたりなんてしない……実際にしている間は無いのだが、せざるを得ないのいだ。

 何故?

 うん、何故なら……

 

「お兄ちゃん?」

 

「ひゃいッ!」

 

 突然の声に、俺は声が裏返ったまま返事してしまった。くうぅ……いつもならこの天使の声の主、マイスイートシスター小町の声に、爽やかに答えて、『キモ』と、抉る答えを食らって悶える場面なのだが……喜んじゃうのかよ。

 ダメだ……今日はまともに答えられない。

 小町は、ジトッとした目つきで俺を見つめると、スタスタと近づいてきて俺にポツリとつぶやいた。

 

「なんか、隠してるでしょ」

 

「ひゃあ? か、隠してるわけねえだろ……ばばば、バカ言うな」

 

 いや、思いっきり隠しているんですけどね。

 

「小町に嘘ついても無駄だからね……毎日見てる小町にはお兄ちゃんのことならなんでも分かっちゃうんだよ。あ! 今の小町的にポイント高いー!」

 

「だから、そのポイント何なんだよ……っておい! 急に、俺に抱き付くんじゃない」

 

 小町は、いきなり俺の脇から抱き付くと、そのまま器用に手を滑らせて、俺のポケットに隠してあったその『紙』を掠め取った。

 

「えっへへ! もーらった。さっきお兄ちゃんが慌てて隠したとこ、小町見てたもんねー!」

 

「ば、ばか……返せ!」

 

「やー……ちょっとくらい見せてくれても良いでしょ。すぐ返してあげるからさ。えーとどれどれ……んん? これって……」

 

 小町は俺から奪い取ったその『紙』をまじまじと見つめる。

そして、点けっぱなしになっている、俺のパソコンのモニターのある一点と、その紙を交互に見比べている。そして……

 

「お、お、お、お兄ちゃん!! こ、こ、こ、これって……まさか!?」

 

 小町が驚愕の表情で、そう言った瞬間……

 

「あのー小町ちゃん? ヒッキー居た?」

 

 突然、俺の部屋の入り口から声を掛けられて、俺と小町はビクりと反応してしまう。そして、おそるおそるそちらを見てみれば、そこには、茶髪のお団子ヘアーをくしくしと触って気まずそうに佇む由比ヶ浜と、キョトキョトと落ち着かなさそうに視線を動かしている雪ノ下の二人が立っていた。

 

「ゆ、由比ヶ浜さん。やっぱり勝手に上がるのは良くないわ。本当にごめんなさいね小町さん……」

 

 そう言った雪ノ下に、小町は無反応……当然俺も固まったまま、反応なんてできやしないのだが。

暫く、固まったまま二人を見ていると、由比ヶ浜と雪ノ下は不思議そうにお互い顔を見合わせて、今度は俺に話しかけてきた。

 

「あ、ヒッキーごめんね。勝手に上がってきちゃって。えーとね、明日数学のテストでしょ?でね、さっき優美子たちにテストのヤマを聞いてきたの……ヒッキー苦手だし教えてあげようかな……って、優美子のヤマ、良く当たるからさ」

 

「「当たる!!」」

 

 俺と小町は同時にそう叫ぶ! その瞬間、由比ヶ浜はびくりと体を震わせた。

 

「ど、どうしたの……二人とも?」

 

「い、いや……なんでもないんだ。で、雪ノ下はなんの用だ」

 

「私は由比ヶ浜さんの付き添いで、来ただけなのだけれど……あ、そうそう、比企谷君、あなたのこと平塚先生が呼んでいたわ。明日『九時」に職員室にくるようにって……」

 

「「くじっ!?」」

 

 またもや同時に叫んだ俺と、小町に、今度は雪ノ下がビクッと震えた。

 

 小町が震えながら、俺の目を見つめてくる。その瞳は潤んでいて、今にも泣きそうな……って、おいおい、どこの妹モノだよこれ。なに……このまま千葉の兄として、可愛がっちゃうのかよ……うわ何想像してんだ、俺マジでキモ……

 まあ、落ち着け我が妹、小町よ……

 俺は眼光で必死に小町に訴える。

 小町も、何かを伝えようと、俺の目を見る。よし、そうだ。俺達は兄妹だ。誰よりも深い血の絆で結ばれている。例え言葉に出来なくても、これくらいのコミュニケーション、アイコンタクトだけで十分だ。

 

『いいか、小町……まずは、落ち着くんだ。今、こいつらはこれの存在に気が付いてない。余計な事を話す前に、今日のところはお帰り頂こう』

 そう、俺が目で訴えると、小町もウンウンと頷きながら、俺に合図を送ってくる。

『オニイチャン……キョウモメガクサッテテホントウニキモイね』

 ぐはぁっ!! なんでこんなにネガティブな言葉に変換しちゃうんだよ、俺の脳は…どんだけ小町にいじめられたがってんだ、俺って奴はぁ!

 

「あら? これは何かしら……何か落ちたわよ」

 

 その雪ノ下の言葉に、俺と小町は慌てて振り向く。そこには…

 

 雪ノ下が一枚の宝くじを持ってそれをまじまじと眺めていた。

 

 はうああああああ!! そ、そ、そ、それはぁああ!!

 俺と小町が無言の絶叫を上げる。すると…

 

「あれ? 宝くじだね……えーとどれどれ……」

 

 雪ノ下に近づいてきた由比ヶ浜が、ものすごいスピードでスマホを操作している。ま、まずい……このままじゃ……

 俺のその焦りは一瞬で終わりを告げた。なぜなら……

 

「えーと、このくじの番号は……」

 

 もう、指が速すぎて、由比ヶ浜がスマホの操作を終えていたからだ…オワタ…

 

「えーと……最初が0で、次が9で……その次が……」

 

 そう言いながら、読み上げている由比ヶ浜の声が次第と小さくなっていった。そして、暫くすると、その宝くじと、スマホの画面を交互に見比べだした。もう、クビのスイングが速すぎて、残像が残りそうなくらいだ。

おいおい、そんなに速く動かしたら、バターになっちゃうかもしれないぞ!

 その由比ヶ浜の異変に気が付いた雪ノ下が怪訝な表情を浮かべている。そして、その当の由比ヶ浜も口をあわあわとさせて、俺に目を向けた。

 

「ひ、ひ、ひ、ヒッキー!? こ、こ、ここここ…」

 

 こけこっこー? もはや、言葉になっていない。そりゃそうだ…ついさっきの俺も、小町も同様の反応だった。雪ノ下も目の当たりにすれば同じような反応になるかもしれない。いずれにしてもこれはあれだ……

 

 詰んだ……な……

 

 俺は静かに、由比ヶ浜の目を見ながら肩に手を置く。そして、その手に持っている一枚の宝くじを返してもらった。小首をかしげている雪ノ下が、ポソリとつぶやく。

 

「あら……その宝くじ当たっていたのね。それなら、拾った時私が貰ってしまえば良かった……」

 

 そう言った雪ノ下の両肩を、由比ヶ浜が掴んで、見つめながら首をぶんぶん横に振ってる。ふんっ……漸くこの事態を理解してくれたか。よし、じゃあ、そろそろ雪ノ下にも教えてやるか。

 

「あー……雪ノ下。もう仕方ないからお前にも教えてやる。実はな……」

 

 俺がそう言いかけたその時のことだった。

 

「あー、八幡、小町……今帰ったよ。って、ん? あれ? お友達? ああ……ゴメンゴメン急に顔出しちゃって……あはははは。えーと、ひょっとして八幡の友達かい? へー、あんたがガールフレンド連れて来るなんて思いもしなかったね。って、どうしたの? あんたたち……お通夜でもしているみたいな顔して?」

 

 突然現れて、俺の部屋の前で一気にそう捲し立てたのは、俺と小町のかーちゃん……頭のてっぺんでお団子にしていた髪ゴムをスルリと解きながら、メガネ越しに俺達を見た。両手に大量の事務ファイルの入った袋を掲げているところを見ると、どうやら、仕事を家に持って帰って来た様だ。まだ、グレーのスーツにタイトスカートのまま。はあ……せめて着替えてからとか、もう少しタイミング遅らせて現れてくれよ。

 

「あ、あ、お、お母様ですか? は、初めまして、わたし、由比ヶ浜結衣です。ヒッキー……ううん、八幡君とは友……いえ、仲良いです。凄く仲良くさせてもらってます。はい」

 

 突然、由比ヶ浜がかーちゃんに向かって頭を下げた。って、おい!今、一瞬『友達』って言いかけて止めたよな!! なに? 社交辞令でも俺、友達にもしてもらえないの? 八幡泣いちゃうよ!

 

「え? あ、うん……よろしくね結衣ちゃん! こいつ全然友達いないからさ、仲良くしてやってよ。あ、そうそう、欲しいならいつでもあげるからさ……好きにしていいよ」

 

 かーちゃんは、ニヤリとメガネの内側で笑って由比ヶ浜を見た。って、母親! あんた人をなんだと思ってるんだよ。せめて成人するまで大事に育ててくれよ! まあ、小町は大事にするんだろうけどさ。

 その後、雪ノ下もきちんとした挨拶をする。そして、その後、荷物をおろしたかーちゃんが俺の側に近づいて来た。

 

「ん? なんだいそれは? んん? 宝くじ……」

 

 しまった! 突然のかーちゃんの出現で、隠すのを忘れてた。俺は慌ててそれをポケットにねじ込もうとしたが、かーちゃんに手首を掴まれそれを阻まれる! くっ……どこの凄腕のハンターだよ!

 

「ははーん……八幡……あんた当たったんだね」

 

 ご明察。ニヤニヤした顔で俺を見たかーちゃんがそう言いながら、俺から宝くじを奪い取る。もはやこれまでか。

 だが、次の瞬間、想いもかけないことを言われた。

 

「良かったじゃないか。くじなんてなかなか当たらないもんだ。まあ、日ごろ何かとツイてないあんたの事を神様が見ていてくれたんだろうよ。でもね、無駄遣いするんじゃないよ。友達も出来たからってぱあーっと使っちまおうなんてのはダメだ。せっかく当たったんだから、きちんと貯金でもしなよ」

 

 かーちゃんは微笑みながら俺にそう話す。そして、くじをそっと俺に差し出して来た。今まで、ほったらかしで、全然甘えさせてもくれなかったかーちゃんだけど、やっぱりかーちゃんなんだ。そのかーちゃんの優しい言葉に、胸がジーンと熱くなった。

 

「サンキューなかーちゃん。分かってる。こんな大金使っちまおうなんて思ってねえよ。大事に貯金させてもらうよ」

 

 俺が話すその最中に、一瞬かーちゃんが動きを止めた。確か『大金』と言った辺りだったか……?

 かーちゃんはにこにこした表情を崩さないまま、もう一歩俺に近づいてきた。え? ち、近い!!

 

「本当におめでとう八幡……まあ、八幡? 一応聞いておくけどな。いや、だからって、別にどうということはないんだけどな……その、いくら当たったんだ。や、や……別にそんなに気にするようなことでもないのだけどな……ただ、ちょっと知りたくて……あはは……」

 

「お、おお……そのあれだ…………〇等が当たったんだよ」

 

「え?」

 

 一瞬で空気が凍り付いたのを感じた。八幡センサーが非常事態警報を鳴らしている。

 こ、これは……や、やばい……

 そう感じた時には、もう遅かった……俺の目の前には、顎部ジョイントを破壊したエヴァ2号機が!!

 

 ガッ!

 

 目を血走らせたその獣が、俺の両肩に指を食いこませる……やばい、これはやばいぃ……

 

「ちょ、ちょっと、お母さん!?」

 

 咄嗟に小町が声をかけるも、それには無反応。俺を睨み付けたまま、かーちゃんはもう一度聞いて来た。

 

「私は残念ながら、難聴系主人公じゃないんだよ。八幡。はっきりしっかり、もう一度言いな!」

 

 俺は諦めた……ことこうなれば、もはやかーちゃんが俺に耳を貸すことなんてない。全てを洗いざらい言うほかない……たく……仕方ねえ……

 覚悟を決めた俺は、腹に力を入れて、白状した。

 

 

 

 

 

「一等……5億円が当たった」

 

 

 

 

 

 その瞬間、全員の時間が止まる。なに? 俺やっぱりスタンド使いかなんかなのか? あ……雪ノ下がゆっくり白目剥いて、あ……倒れ………………た。どさり。

 気を失った雪ノ下をそのままに、みんなの時間はまだ動きださない……いや、動いていた。一人だけ……指がぐいぐい肩に食い込んでくる。いたたたたた……

 

「は~ち~ま~ん~……!!」

 

 地の底から沸き上がるように低くドスノ利いた声に俺は戦慄する。なんだよ、ちゃんと言っただろうが! そしてかーちゃんは言い放った!

 

「なんで、連番で買わねえんだよ! このど阿呆がぁ!! 前後賞取りそこなってんじゃねえかよ!!」

 

 ええー? そこ?

 

「ホント―にしょうがない奴だ……まあ、言ってもしかたないね。どれ、じゃあ、お母さんが預かってやるからそれ寄越しな」

 

「ちょ、ちょっと待て! それさっきと言ってること違うじゃねーか。大事にしろとか何とか言ったろうが」

 

「はあ? あたしはそんなこと言ってねーんだよ。ガキの癖に親に逆らうんじゃねえよ。ほれ、さっさと寄越せ」

 

「い、いや……銀行に預けるくらい俺でも出来る。大丈夫だ」

 

「ばっ……阿保かオメーは。ガキが一人で大金持ってるのがあぶねえって言うんだよ。それに、お前は未成年だ。お前を養ってるのはあたしたちだ。だからお前の金もアタシらが管理しなきゃいけねーんだよ」

 

「どこのジャイニズムだよ!! もういいから、ほっといてくれ。俺はこの金銀行に預けて、利息で生活するんだよ」

 

「ばっか、オメー。いいか、この低金利のご時世に、そんな都合よく生活できるわけねーだろ。そんなのに金使うくらいなら、家のローン返して、家族でハワイに旅行してだな……」

 

「てめー、最初から使う気満々じゃねーか。俺の金云々はどこ行ったんだよ!」

 

「がたがた抜かすな!! 親に歯向かうんじゃねーよ。ゴルワァ!」

 

 もう……なにが何やら、まさに阿鼻叫喚。修羅と化したかーちゃんを止められるものはなにもなく、俺はとにかく宝くじを守り続けた。そして数十分の攻防の末、ついにかーちゃんは折れた。

 

「……はあはあ……わかったよ、八幡……あんたの言う通りにしよう。あんたの口座を作りな……で、大事にしな……。ま、この先色々金もかかることもあるからね。あ……みんなには恥ずかしいとこ見せちゃったね。勘弁しておくれよ。これからも八幡のことをよろしくね……えーと、由比ヶ浜さん?」

 

「は、はい!」

 

 そう言ったかーちゃんは、床に置いてあった荷物を持って、静かに階段を降りて行った。

 

「はあ……勝ったか……」

 

 がっくり膝をついた俺に、小町が飛びついてくる。うん、マジで強敵を退けたヒーローって感じで悪くない気分だ。おっと、雪ノ下は……

 気を失っている雪ノ下を、由比ヶ浜が抱き起す。どうやら無事の様だ……って別に当たり前なんだけども…

 

 その後は、小町も含めて4人で、ジュースを飲みながら当初の目的の通り、テスト対策の勉強をする。大金が当たってしまい、確かに動揺もしたが、こいつらは特に問題ない。

由比ヶ浜も雪ノ下も、逆に俺に気を遣うような事を言ってくれる。今日はそれが素直に嬉しかった。そして一通り用事が済んだ後、俺は二人を送って家を出た。そしてその足で銀行に向かう。この手の事はさっさと済ましてしまうに限る。そして俺は、5億円の貯金を手に入れた。

 

 

 そして次の日。

自転車で学校に向かっているとなにやら異変が起きていた。

 

「おはよー、比企谷君!」

 

 は? いきなり見知らぬ女から挨拶された。制服を着てるから、うちの学校の生徒なんだろうが……。

それから暫くそんなことが続く。

話したことも無い連中から次々とあいさつされて、正直気分が悪い。

学校に到着して教室に向かっている途中、やはり俺は複数の女子に挨拶をされた。だから、なんなんだよ、いったい……

 

「ちょ、ちょっと……ヒッキー! 大変だよ!!」

 

 廊下で俺を見つけた由比ヶ浜が俺に駆け寄ってくる。

 

「おお……昨日は悪かったな。それにしても、今日はどうなってんだか。知らないやつに声を掛けられまくるんだが……」

 

「そう、それ! ヒッキー良い? 落ち着いて聞いてね」

 

 由比ヶ浜が焦った顔で俺にそう話しかける。落ち着いてね……って、まさか、由比ヶ浜にそんな風に言われるとは……

 

「で、なんなんだよ」

 

「えーとえね……今日、朝からみんなこの噂でもちきりなんだけど、『ヒッキーの彼女になると5億円もらえる』って、みんなこの話しで盛り上がってるの! みんなヒッキーが宝くじ当たったこと知ってるみたい!! ねえ……どうしよう」

 

 由比ヶ浜はそう言って泣きそうな顔を俺に向ける。どうしようって……そりゃ……

 

「ど、どうしよう……」

 

 由比ヶ浜と同じことをポツリとつぶやいて、俺はその場に立ち尽くした。 

 

 

 ◇

 

 

 その日、俺は一日最悪の気分のまま過ごした。理由は言うまでもないだろう。

どこでどう聞いて来たのか、まるで砂糖に群がる蟻のように、一度も話したことも無い女達から声を掛け続けられたからだ。正直耐えられない。たまったもんじゃない。これが金の力なのか。

 休み時間のたびに、数人の女生徒が、俺の周りに集まってくる。そして、他愛もない話をしてくるわけだが、小心者の俺は必死に愛想笑いに終始して、なんとか乗り切ってきた。

我ながら情けない。そしてそのせいで、戸塚は全く俺に近づいて来ない。くっ……俺の教室での唯一の楽しみを……

 そんな俺を、由比ヶ浜や、川なんとかさんなんかが見つめてくるって感じだ。

そんなに冷たい視線送るんじゃねえよ。そりゃ滑稽だろうけどよ。このボッチの俺が突如人気者みたいになってるなんだからな。

 くっそ! くそっ、くそッ……何だっつーんだ……頼むからほっといてくれよ!!

 気が付けば4限の終了のチャイムが鳴っている。

 また、知らない女どもが群がって来るのか……俺は憂鬱な気分になりながら、立ち上がった。その時……

 

「ヒッキー!」

 

 声を掛けた主は俺の良く知る人物だ。でも教室でこいつが話しかけて来るなんてな……由比ヶ浜は何かもじもじしながら俺に話しかける。

 

「ねえ、ヒッキー、このままだと大変だし、良かったら一緒に部室でご飯食べ…」

 

「ちょっと、どいてよ、ねえ、比企谷君……私達と一緒にご飯たべようよ! ねえ、お願い!」

 

 由比ヶ浜の肩に手を掛けたその女生徒達が、彼女を押しのけて俺を囲む。その当の由比ヶ浜は……顔を俯かせて顔を逸らしてしまった。

 ちょ、待ってくれよ……

 俺が声を掛けようとしたその時……

 

「おい……比企谷はいるか?」

 

 不意に、教室の入り口から声がして、そちらに顔を向けると平塚先生が立って俺を見ていた。

 

「比企谷……お前には9時に職員室に来いと言っておいたはずなんだがな。なぜ来なかった」

 

 そう言えばそうだった。昨日雪ノ下の奴がそんなことを言っていたっけな……今日のこの異常事態の所為ですっかり忘れていた。

 

「あ、す、スイマセン」

 

「ホントにしょうがない奴だな、君は……まあ、良い。今からすぐに来たまえ」

 

 その言葉に促されて、俺は席を立つ。そして、平塚先生について教室を出るその時、ふと、振り返ると、先程俺に群がっていた女どもが、今度は由比ヶ浜を囲もうとしていた。俺は……

 そのまま、教室を後にした。

 

 先生に連れられて職員室に向かっていた俺だったが、先生は職員室を通りすぎた。そして、その足で生徒指導室に入り、そしてカギを掛けた。

 

「さあ、掛けたまえ」

 

 そう言うと、先生はいつものように奥の椅子に腰を下ろす。俺は手前だ。座ってすぐに、先生は俺の前に菓子パンとMAXコーヒーを置いた。

 

「これは?」

 

「私からのサービスだよ。君については色々話は聞いている。今日の様子じゃ食事もままならないだろう」

 

「はあ……ありがとうございます」

 

「まあ、遠慮せずに食べたまえ」

 

 そう言われて、俺はそのパンに齧りついた。先生も何かヨーグルトの様な物を取り出してそれを食べ始める。で、何も聞いていないのに、「これはプロテインだ」と、ニヤリと笑って話した。

 

 暫くして、先生が唐突に口を開いた。

 

「どうも君には似合わない話が付いてまわっているようだが……どうかね? 人気者になった気分は?」

 

 冷やかし半分といった様子で、先生が俺にそう語り掛ける。

 

「どうもこうもないですよ……最悪です。知らない連中に挨拶されるは、話しかけられるは、ホント堪りませんよ」

 

「そうか……ま、その類の話は普通の事だとは思うのだがな。まあそうか……」

 

 先生は苦笑交じりに俺にそう話す。

 

「で、この先どうする気かね? この妙な噂が真実であれ、嘘であれ、このままにしておけば、君にとっての安穏の日々は永久に戻っては来ないだろう。というよりも、君が大事に思っているものまで失われてしまうのではないかね?」

 

 それを聞いて、俺は唇を噛む。一瞬、先程の由比ヶ浜の姿を思い出した。あの後……俺が教室を出た後……いったいどうなったんだろうか……

 その俺の表情を見ていた先生が口を開いた。

 

「君が想っている以上に、君を助けたいと思っている人間は多いという事だよ。もう少し頼ってみてはどうだ? そろそろ人を信じて見ても良いと私は思うがね」

 

 そう言って微笑んだ先生の表情は、どこか優しげだった。そんな先生に俺は声を掛けた。

 

「先生……一つ。俺の頼みを聞いてくれませんか?」

 

 先生は静かに頷いた。

 

 

 

 

 その後、午前中と同じように俺は静かに耐えた。俺に話しかける女たちも、会話に苦労したことだろう。それよりなにより、そんな俺を見る男どもの冷たい視線がなにより応えた。

 もともと、俺の耐久値は低い。だから敢えて関わらず、最小限に被害を抑えるがごとく振る舞っているのだ。ところがだ。

こと、この事態に及んでは、そんなニュータイプ張りの回避をすることも出来ない。四方八方から嬲られてるのと同じだからな。

それでも、俺は耐えた。どうにかしてこの状態から脱しなくてはならない。そのためには何とか今日を乗り切らなくては……そして、何が何でも、元の嫌われ者のボッチに戻るのだ。

 

 放課後……

 俺は一目散に部室へと向かった。いつもよりも早く出たのだが、それでも行く先々で声を掛けられる。そして、ようやく部室に辿り付いた俺を待っていたのは……

 

「あ、比企谷君だぁ! ねえねえ、わたしも奉仕部? に入りたいの……ね? いいでしょ」

 

 またもや数人の女子に囲まれてしまう。

 

「奉仕部の理念を理解せずに、興味本位での入部は絶対に認めません」

 

 そんな女どもを強気にあしらう雪ノ下部長。マジで頼もしい。今日ばかりはコイツが部長で良かったと本気で思った。遅れてやってきた由比ヶ浜も加わり、いつものように席に着く。だが…

 部室を取り囲む女どものざわめきが全く消えない。こいつらどんだけ暇なんだよ。しかも連中の声が聞きたくもないのに耳につく。

 そのざわめきに俺は不快になった。

 

『雪ノ下さんは分かるけど、あの由比ヶ浜って子、なんなの?』

 

『ちょっと私達より早く比企谷君と知り合ってたからって当たり前のように近づいちゃって、本当ムカつく』

 

『そんなにお金が欲しいのかしらね……ホントあさましいよね』

 

 いったいどの口がそれをほざくんだよ。昨日まで全く俺に興味なかったくせに……それにしても。

チラリと由比ヶ浜を見ると、いつものようにスマホを片手にその画面を見ている。だが、見ているだけだ……文字を打ってもいないし、文章も読んでもいない。こいつ……

 そんな俺達を見る雪ノ下が、しずかに顔を上げて言った。

 

「今日は部活にならないわね……御終いにしましょうか」

 

「う、うん」

 

 雪ノ下の言葉に由比ヶ浜が静かに頷く。そして、立ちあがった由比ヶ浜が俺のそばに近づいて、一言囁いた。

 

「ヒッキー……あたし、ヒッキーの事助けてあげるね」

 

「は? お、おい……ちょっと待て……」

 

 由比ヶ浜は俺にニコリと微笑むと、俺の制止も聞かずに一人速足で扉へ向かって行った。そして勢いよく扉を開け放った。

 そこには驚いた顔の女生徒達が……彼女らは、一斉に部室に雪崩れ込んで来ようとする。それを由比ヶ浜は、腕で制した。女生徒達は一斉に非難の眼差しを由比ヶ浜に向ける。

 

「なによ……あなた、邪魔する気なの? ホント、何様?」

 

 その言葉に、由比ヶ浜は、大きく笑った。

 

「あはははは……ほーんと、バカばっかりね! 何をみんなムキになってるの?」

 

 大きく声を張り上げる由比ヶ浜に、そこにいる女生徒達は呆気に取られている。あのバカが……

 

「はんっ! 彼女になればお金がもらえる? ホントにそんなこと信じてたの? ばっかみたい……そんな事あるワケないでしょ……みんなホントにばか。あははははははは」

 

「な? あんた何言ってんの? あんた比企谷君の何を知ってるっていうの? 比企谷君ひとりぼっちで淋しいから彼女を欲しがってるのよ。かわいそうな彼を救えるのは私たちだけよ!!」

 

 そう言われた由比ヶ浜が、その女生徒にずいと近づき、見下ろす様にして言った。

 

「それがバカだって、言うんだよ……結局彼女になりたい理由は、お金お金お金……あははは、ばっかみたい。だって、あの噂……流したの私だもん」

 

「な!?」

 

 その場にいた全員が絶叫する。そりゃそうか……自分の信じてた事を全否定されたんだ。しかも、掌の上で操られたかの如く言われて……

 

「う、嘘よ……それならなんでこんなにみんなが信じてるのよ。こんなのあんた一人で出来るわけないじゃない」

 

 そう言われた由比ヶ浜がさらに言葉を続けようとする。その時、由比ヶ浜が拳を握りしめるのを、俺は確かに見た。

 

「出来るよ……そんなの簡単だよ! だって、あたしはコイツが……比企谷が大っ嫌いだったから! このムカつく男に一杯食わしてやりたかったから! だからあたしはあの噂を流して……「それは違う、由比ヶ浜は何も言ってない」……ヒッキー? な、なんで?」

 

 俺は由比ヶ浜の両肩に後ろから手を乗せた。それから由比ヶ浜の身体を俺の方に向ける。そして教えてやった。

 

「あのな、由比ヶ浜…威勢よく啖呵切るのはいいんだけどな、そんな涙流しながら言っても誰もそんなハッタリ信じやしねえよ…」

 

 由比ヶ浜はグスッと鼻をすすりながら俺を見ている。もう目は真っ赤で鼻水だって垂れてきてしまいそうな顔になっていた。そんな向かい合う俺達を見ながら、まわりの女生徒達が話しかけてきた。

 

「じゃ、じゃあ、噂は本当なんだよね。えーとね……比企谷君、良かったら私と……」

 

「ダメダメ、私と付き合ってよー」

 

「ううん……私とだってば…おねがいー」

 

 わらわらと群がってくる彼女らにではなく、俺は由比ヶ浜に声をかけた。

 

「なんで、こんな慣れない事したんだよ……お前らしくも無い……おかげで俺が考えてた方法がダメになるとこだったじゃねえか」

 

 由比ヶ浜は涙を流し続けたまま俺を見上げる。そして微かな声で呟いた。

 

「だ、だって……。ヒッキーを助けたかったんだもん。あたしいつも、いつもヒッキーに助けられてばっかでさ。だから……こんなことくらいしか出来ないけど、ヒッキーの辛そうな顔……見てられなかったから……だから」

 

「だからって、あんな言いかたしなくても……俺マジで傷ついたんだけど」

 

「ご、ゴメン……」

 

「あのな由比ヶ浜……俺にとっちゃ誰かに嫌われるなんてなんてことないんだ。知らないやつに何を言われたって、俺自身のことなら全然平気だ。でもな……俺にとって大事な奴がそうされるのは本当にきついんだ。そんなところ見たくもないし、考えたくも無い。分かってくれるか」

 

「う、うん解る……わかるよ。でもね、ヒッキー……それはあたしも一緒だよ。あたしだって大事な人が人に酷く言われるところなんて見たくないよ。もう……ヒッキーがみんなに酷いこと言われるところなんて見たくないの」

 

「由比ヶ浜……」

 

「あのね、ヒッキー……本当は今この言葉は言いたくなかったの。だって、今言ってもそれは別の理由で言ってると思われちゃうと思ったから……でもね……あたし言う。後悔したくないから……もうこれ以上辛い思いのままで居たくないから……あのね、あたしね……」

 

 そう言った由比ヶ浜は、俺の制服の胸に手を置いて言った。

 

「好き……なの。ヒッキーが好き」

 

 突然の告白だった。でも、予期していた。そう、俺は解かっていた。前からずっとコイツの気持ちを……。今更、誤魔化したり、勘違いを装ったり、茶化したりもしたくなかった。コイツがこんな状況で俺の為にふりしぼってくれた勇気。俺を思って行動してくれたそれを。なぜなら、俺だって、コイツの事を。

咄嗟に沸き上がった切ないくらいの愛しさに、俺は無我夢中になって由比ヶ浜を抱きしめた。そして、そっと由比ヶ浜に言った。

 

「ああ……俺も好きだ……ありがとう由比ヶ浜……」

 

「ひ、ヒッキー……」

 

 由比ヶ浜も俺の背中に手をまわす。そして咽び泣いた。

 

「ちょ、ちょっと!? 比企谷君? これ、どういうこと? 由比ヶ浜さんを選んだってことなの?」

 

 焦った口調で俺にそう問いかける女子に、俺は答えた。

 

「ああ……まあ、そういうことになるのかな? ええと、はい」

 

「じゃ、じゃあ、5億円も?」

 

 俺はその言葉を聞いて、内心にやりとほくそ笑む。そして用意しておいたテンプレの回答をここで述べた。

 

「はあ? 5億円? 何言ってんだ、そんな大金あるもんか、ちょっと考えればわかるだろ」

 

「え? え? いや、だって……」

 

「5億円じゃなくて、これだよこれ」

 

 俺はポケットに忍ばせておいたそれを手で掴みあげると、周りに群がる彼女たちに見せた。穴の開いた丸いそれを。

 

「え? それって……ご、5円玉!?」

 

 俺はそのまましたり顔で続けた。

 

「ああ、そうだ。5円玉だよ。前に葉山たちと話した時に、彼女欲しいんだけどどうしたらいいかって聞いたら、縁結びだから、願かけの意味で5円玉のお守りとかいいんじゃないかって言われてな……ほら、ご縁がありますようにって。だから、彼女が出来たら、このお守りの5円玉をあげようと思ってたんだよ。でも、5億円? それ、どこの5ちゃんネタ?」

 

 そこまで言うと、彼女たちはお互い顔を見合わせた。そして、頃合いを見計らって、俺は抱き付いてる由比ヶ浜をひき剥がして、彼女の眼前にその5円玉を差し出した。

 

「由比ヶ浜……これを貰ってくれないか?」

 

 由比ヶ浜はそれを聞いて満面の笑みを浮かべた。

 

「うん! 嬉しい……好きだよ、ヒッキー」

 

 そう言って5円玉を嬉しそうに受け取った由比ヶ浜をを見た周りの女連中は、一斉にその場を離れていった。後に残されたのは再び抱き合った俺達二人と、ずっと静かにことの成り行きを見守っていた雪ノ下の三人のみ。

 

「上手くいったようね……本当に冷や汗ものだったわ。でもまさか由比ヶ浜さんがあんな風に啖呵を切るなんて夢にも思いもしなかったわ」

 

「ああ……まったくだ。由比ヶ浜にコイツムカつく呼ばわりされた時は、本気で立ち直れなくなるかと思ったよ」

 

「え? あ……ご、ごめんね。あの時は何とかしなくちゃってばっかり思ってて……」

 

「まあ、でもお前のおかげで上手くいった。計画とは違っちゃったけどな」

 

「計画って?」

 

「ああ、平塚先生に頼んでおいたんだよ……5億円の噂を5円に変更してくれってな。そう葉山たちを説得しておいてくれって。まあ、まさかこんなに早くこの設定を使うことになるとは思わなかったけど、万事OKだ。これで、俺も……それに由比ヶ浜、お前も、変な連中に難癖つけられることももうないだろ……ほんと、ありがとうな」

 

「う、うん……ヒッキー好き! 大好き!」

 

「お、おお……お、俺もだよ……う、なんだか恥ずかしいな……これ」

 

 その俺の言葉に雪ノ下がため息をつく。

 

「はあ、全く……恥ずかしいのはこっちなのだけれど。まあ、でもこれで解決の様ね。あなたの5億円の貯金も秘密に仕舞われたわけだし、彼女が云々の噂も、この5円玉と、由比ヶ浜さんの存在で全て落ち着くでしょうしね」

 

「いや、そうでもないな……まだ一つ残ってるよ。一番厄介なのが」

 

 

 

  

 

 

 その日、俺達3人は俺の家に向かった。今回の大騒動の元になった人物に制裁を加えるためだ。そして、悪の本拠地である我が家に着くと、予てより連絡を入れておいた小町も交えて、その下手人に詰問した。

 

「へ? あたしは何も言ってないぞ」

 

「しらばっくれるなよかーちゃん、あの時この5億円のこと聞いてたのは、俺達4人の他はかーちゃんだけだろうが……ならこの5人の他に誰が知ってるって言うんだよ」

 

 かーちゃんは顎に指を当てて暫く考え込む。そして……

 

「ああー! そういえば昨日、酔っぱらって帰ってきたとーちゃんに、八幡に彼女が出来たかも―って話をして……あ、で、5億円当たったとは言ってないけど、5億円当たったらどうする? って聞いてみたな……確か」

 

「あ、じゃあ何か? 親父の奴寝ぼけて聞いて、適当なことしゃべりまくったっていうのか?」

 

「まあ、そんなとこじゃないの? とーちゃんのことだからね、仕方ないよ。それよかあんた、由比ヶ浜さん? 本当にこんなんで良いの? 勧めておいてなんだけど、こいつロクデナシだよ?」

 

 なんてこと言うのこの母親は……自分の息子捕まえて! っていうか由比ヶ浜のやつ、さっきから俺の腕に抱き付いたままだし! 一応、彼氏の母親なわけだし、ちょっとは恥じらいとか……あ、かーちゃんは関係なかったか……この分だと息子の俺のポジションに由比ヶ浜を代わりに入れるまであるな。

 

「はい! 大好きなんです!」

 

 その言葉に、その場の全員の魂が持っていかれた。ホント……無垢って罪だと心から思った。

 

「おお……帰ったぞぉ!! ヒック……今日も5億円当たったのかぁ~? なはははは……」

 

 おおっと……玄関の方からA級戦犯の声が聞こえて来たぞ。これはあれだ……かーちゃんに任せて俺達は退散しよう。

そう思って、かーちゃんを見れば、親指を立ててサムズアップ。そして口を何度も動かしてる。よく見ると……『ハワイハワイハワイ……』だー、もう分った! 行くよ、行けば良いんだろ!? そんときゃ結衣も一緒だっつーの!! ったく仕方ねえ……俺もサムズアップで返すと、かーちゃんは飛び跳ねて喜んだ顔を見せた。

そして表情を鬼へと変えて奴の前に立った。

 

「あんた~!! いったい誰に何を話したんだぁ……ああん!?」

 

 俺達の背後で、恐ろしい魔獣の咆哮が響き渡った。

 

「さーて、これで本当に解決だな……雪ノ下、由比ヶ浜、本当にありがとうな。お前らがいなかったら、本当に人間不信になるところだったよ」

 

「そうね。以前のあなたならそうだったでしょうね。でも、これでも私は貴方の事存外信頼してるのよ、リア充谷君」

 

「えへへ……あたしは前からヒッキーのこと信用してたよ。だからこれからも宜しくね!」

 

「ああ。俺の方こそ、宜しくな」

 

 ま、色々あったが、いい教訓になった。『金は怖い、女はもっとこわい』だから、せっかく出来たこの関係……大事にしよう。これからも奉仕部に俺は居る。

 ただ……

 もう、ボッチとは誰にも認めて貰えないだろうけどな……

 

 

 



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やはり俺の青春ラブコメ『も』まちがっている。

当然ですが八結です。
でもあれあれあれ? 何か違いますぞ? www


 この世の中はなんと生きにくい環境であろうか。絶え間ない自己の肯定と否定の繰り返しの中で、人との距離感を掴むことの難しさに苦しみ続けなければならないことは、何にも換えがたい苦痛である。

 端的に言おう。

 異姓などと謂うものは己を惑わすただの障害物でしかない。

 やつらは頼んでもいないのに心のうちにその触手を伸ばし、知らず知らずの内に心を掌握し、冷静な判断力を削ぐ。

 そしてそれに気づかないのをいいことに己を罠に嵌めそして破滅へと導くのだ。

 恋愛や青春などという甘美な響きの幻惑に囚われることのなんと愚かなことよ。

 どんなにそれに執着する者がいようとも、人はそんな紛い物に惑わされることなどあり得はしないのだ。

 断言しよう。

 一目惚れなどあり得ない。芽生えた感情その全ては悪である。

 恋愛を貴ぶ無知蒙昧なる者達よ、砕け散れ!

 

 国語教師の平塚静は額に青筋を立てながら、俺の作文を大声で読み上げた。

 こうして聞くと、俺の文章もまだまだだなと思い知らされる。

 なるべく自分の頭を良く見せようと、小難しい語彙を羅列して見たものの、思ったよりも心に響かないものだな。まあ、売れない作家が自分をよく見せようと小手先の技に手を伸ばす気持ちがなんとなくわかった。

 さて、俺はこの適当な文章で呼び出されたのか?

 いやとうぜん違うね、知っていましたとも。

 平塚先生は読み終わると、額に手を当てて大きなため息を吐いた。

 

「なあ、比企谷。私が授業で出した課題はなんだったかな?」

 

「……はあ、『高校生活に期待すること』というテーマの作文でしたが……」

 

「そうだな。それでなぜ君は新興宗教の立ち上げ演説を書き上げたのだ? 教祖なのか? バカなのか?」

 

 平塚先生はため息を吐くと悩まし気に髪を書き上げた。その仕草に堪らなくどきりとしてしまう。

 この人めっちゃエロいが一体全体なぜここまで俺に一対一で指導しようとしているんだ?

 

 ま、まさか……俺に惚れて……

 

「真面目に聞け!」

 

 思いっきり頭を紙束ではたかれた。うむ、一目惚れはないとさっき言ったな? いや読まれたな。本人に。

 

「比企谷……この舐めた作文はいったいなんだ? 一応言い訳は聞いてやる」

 

 先生がギロリと睨んできた。なまじ美人なだけにこういう視線は異様なまでに力があって圧倒されてしまう。

 ってか、マジ怖い。

 

「ひ、ひや、俺はちゃんと高校生活を考えてますよ? 近頃の高校生はらいたいこんな感じじゃないでしゅか! だいたいあってますよ!」

 

 噛みまくった。人と話すだけでも緊張物なのに、年上の美人が相手となればなおさらだ。

 

「君は高校生活になんの希望も見出してはいないのか? 普通こういう時は自分の理想を書くものだろう?」

 

「だったらそう前置きしてくださいよ。そしたらその通りに書きますよ。明らかに出題ミスであってですね」

 

「小僧、屁理屈こねるな」

 

「小僧って……。いや確かに先生から見たらおれは小僧ですけど……」

 

 風が吹いた。あれ? 窓開いていたっけ?

 とか、思っていたら、ほっぺが急に熱くなった。

 

「次は当てるぞ」

 

 目がマジだ。

 いや、その剛拳、すでに当たっていますからね! 何神拳なんですか!

 

「すいませんでした。書き直します」

 

 これはもう謝るしかない。

 言葉だけでは不十分かと思い、ついでに頭も下げる。

 と、これで解放されるなんて甘い考えは持ち合わせてはいなかったが、次の先生の言葉に俺は慌てて顔を上げることになった。

 

「比企谷、罰として部活に入りたまえ」

 

「はあ?」

 

 がばりと顔を上げたその先で、パイプ椅子にその長い足を組んだ格好でマルボロを吸っている先生の姿が。めっちゃ様になっているが、吸っていいのかよ、この部屋で。

 

「今だけここは喫煙室だ」

 

 聞いてもいないのに射殺す目で俺を睨むし。別に誰にも言わないっすよ。身に危険が及ぶまでは。

 ふぅっと煙を吐き出した先生は至極真面目な顔でこちらを見据えた。

 

「君は友達とかはいるか?」

 

「……びょ、平等を重んじるのが俺のモットーなので、特に特定の親しい人間は作らないことにしてるんですよ、俺は!」

 

「つまり、いないということだな?」

 

「わ、分かり易く言えば……」

 

 俺がそう答えると、平塚先生はやる気に満ち溢れた顔になる。

 

「そうか! やはりいないか! うんうん、そうだろうそうだろう。君が生まれる前からそんな気がしていたんだ」

 

 どんだけ前から予測してんのよ。やめてよ。

 先生はまたチラリと俺を覗き見る。

 

「それで……彼女とか、いるのか?」

 

 とかってなんだよ。

 

「『今』はいないですけど」

 

 当然未来への希望を込めて今のアクセントに重きをおいた。

 

「そうか……」

 

 先生をなんとはなしに見て見れば、どこか嬉しそうにしているようにも見える。いったいなんなのさっきから。

 どうせボッチの俺なんだからこうなっていて当たり前でしょうに、なんでこんなに突っ込んでくるの? 可愛がりなの? 同情なの? 金はいらないから愛をくれ。いや金もあればあったにこしたことないけど。

 それよりも部活に入れっていったいなんなんだよ。

 先生は何事か思案をした後で煙をふうっと吐き出した。

 

「君に奉仕活動を命じる。異論は認めない!」

 

「奉仕……???」

 

 ニヤリと笑った先生が煙草を携帯灰皿でぐりぐりと消しながら立ち上がってそう言い放った。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「奉仕……部?」

 

「そうだ、ここが今から君が入部する部活だ」

 

 一見なんの変哲もないその教室のプレートには『奉仕部』と書かれている。その引戸に手をかけた先生が俺を振り返って、妖しく微笑んでいた。

 

「そういえば君はさっき、ひとめぼれはないと言い切っていたな。作文で」

 

 作文に書いた文章を言ったといっていいのか、甚だ疑問ではあるが、確かに言ったな、うん言った。先生が。

 

「その通りっすよ。あるわけない」

 

「そうかそうか……ま、そんなに気負わなくてもいいとだけ言っておこうか」

 

 なにを笑ってんだこの人は。そもそもこの部活はなんなんだよ。奉仕? って、そもそも何を奉仕しちゃうんだよ。もうエロいことしか思いつかないんだが。まさか中であんなことやこんなことが……

 いかがわしいピンク色が頭に立ち上り始めたそのとき、先生ががらがらっとその戸を開いた。

 

「平塚先生……ノックを……あっ!」

 

「あ、あーーー、あーーーー! な、なんでヒッキーがここにいるの!」

 

 あ? え? あい?

 

 戸を開けたあとつかつかと中へと入っていく先生。

 と、それに俺も付いて中へ入るしかないわけだが……

 そこには二人の生徒が居た。

 先生はおもむろに彼女達にむかって声を掛けた。

 

「あー、とりあえず紹介しておこうか。もう知っているかと思うが、ここにいる腐った目の男が新入部員の『比企谷弾生(ひきがやだんじょう)』だ」

 

 なんて紹介をするのこの人は。ただ、まあ別に間違っちゃいないからな。

 

「え、えと、ひきゃ、比企谷弾生です」

 

 うおっ……か、噛みまくった。すぐに返事は……ない。死にたい。

 とりあえず頭を下げて挨拶らしきことをした俺が室内にこそこそっと視線を向けてみれば、驚いた顔で俺を見る黒髪ロングヘアーの真面目そうな雰囲気の女生徒と、くりっとした大きな瞳を見開いた茶髪ポニーテールの一見ギャルっぽい女生徒の二人の顔。こころなしか二人とも上気した感じになってしまっていた。

 

 俺はそのどちらのことも知っていた。

 というより、この二人にだけは会いたくなかった。

 時間が止まってしまったかのようなそこに、唐突に空気を読まない直球がすぐとなりの女教師から放たれた。

 

「ふむ、二人とも固まってしまったか、仕方ないな。では私が代わりに紹介しよう。こちらのいかにも文学少女といった感じの生徒が『雪之宮雪穂(ゆきのみやゆきほ)』、そしてこちらの活発そうな生徒が『弓ヶ浜弓美(ゆみがはまゆみ)』だ。二人とも奉仕部に所属しているわけだが、さて」

 

 先生は腕を組んで室内の中央をぐるぐるまわりだした。あんたはボス犬か?

 

「奉仕部について説明しよう……かと思ったが面倒なのでやめだ。それはあとで二人にでも聞いてくれ」

 

 なんだそれは? このひとやる気あんのかな。

 面倒ごとを全部丸投げしやがった。

 

「ではここからが本題だ、比企谷。君は先ほど『一目ぼれはあり得ない』といったが、そんなことはないぞ……なにしろここに……「「あーあーあーわーわーわー」」らな! ん?」

 

 急に駆け寄った二人が先生の前であーあーわーわー言い始めた。

 それを先生がやはりニヤリと口角を上げて見ているし。何をしようとしてんだ、このひとは。

 二人は息を切らせながら俺にちらりちらりと視線を送ってきているし……なんだよ、これめっちゃ緊張する。

 とにかくだ。俺はこの二人のことを知っている。

 知っていてなお、知らない振りをしようと心に決めた相手でもあった。それなのになんでここにいるんだよ。

 うん、やっぱりここは大人しくフェードアウトが懸命だね。

 

「あ、お、俺やっぱり入るの止めます……」

「やめないで!」「一緒に部活やろう!」

「へ? あ、はい」

 

 なんで止めちゃうんだよ? 人がせっかく静かに去ろうとしてるのに。思わず返事しちゃったじゃないか。反射的に。

 何を言えばいいのか分からなくなった俺と、やっぱり無言の女子二人。

 そんな間で再び平塚先生が声を出した。わざとらしく咳ばらいをしてから。

 

「えー、まあ、気まずいのは分かる。君たちは何しろ運命的な出会いをしてしまったのだからな。ということで私が思い出させてあげよう」

 

「は? なんでそれを先生が知ってんすか? それちょっとプライバシー……」

 

「ちっちっち……生徒指導の一環です」

 

 長い人差し指を目の前にもってきてわざとらしくそう言う先生。なんか可愛いけど、それ明らかな越権行為だからね。

 そんな俺の思いはどうでもいいのか、話を続けられてしまった。

 

「2か月前の入学式の朝、比企谷、君は早朝に家を出て自転車で学校へ向かったね?」

 

「はい」

 

 そうあの日、新しい生活のスタートに胸を躍らせた俺は、暗黒の中学時代を全て消去し新たな思い出高校デビューを飾るべく一番乗りを目指して家を出たのだ。

 先生は続ける。

 

「そして、学校近くの国道の交差点に差し掛かったそこで、突然歩道から犬が飛び出してきたのを見つけた」

 

「はい」

 

 その瞬間、弓ヶ浜がびくんと跳ねた。

 そう、あの時飼い主のリードが切れて突然に犬が飛び出してきたんだ。路上を走る俺の目の前に。

 

「その時、不幸にもその犬の駆けだした先に、黒塗りの大きな車が差し掛かった。そうだね?」

 

「はい」

 

 今度は雪之宮がびくりとはねた。

 黒塗りの大きな車は結構なスピードが出ていた。

 そうあのままでは犬は間違いなく轢かれてしまう。俺にはそう見えたのだ。

 

「比企谷……君はその瞬間、咄嗟にある行動をとった。それは……」

 

「その時俺は自転車から降りて飛び出したんですよ。その犬を救いに」

 

 それを言った瞬間、一番興奮したのが平塚先生だった。ヒーローだ! ヒーローがいる! 君が、来たーーーー! とか悶えているんだが。どこに来たってんだよ。オールマイトか!?

 先生はその後を急いで続けようとしたのか、はあはあ言いながら声を出した。

 

「でも君は力及ばず、その迫る黒い車に轢かれ……」

 

「……てませんよ俺は。その車、追突防止システムが付いてて俺にぶつかる1mくらい手前で勝手に止まりましたし。なあ、雪之宮」

 

「え、ええ……」

 

「…………」

 

 なぜか赤い顔で返事をする雪之宮の隣で平塚先生が微妙な顔になっている。

 しかし、気を取り直したのか、先生が今度は弓ヶ浜の方を見て話し始めた。

 

「で、ではこれだ、比企谷。君は自転車から飛び降りると同時に格好良くアクロバティックにその仔犬……」

 

「……じゃありませんでしたよ、ゴールデンレトリバーの成犬でした。正直必死に体当たりしましたがびくともしませんでしたよ。というかでかすぎてクッション変わりになって俺はケガひとつしませんでした。なあ? 弓ヶ浜?」

 

「う、うん」

 

「…………」

 

 今度も弓ヶ浜は赤い顔。そのまま少し申し訳なさそうにうつむいて返事をした。と、それだけならまだしも何故か先生がめちゃくちゃ不機嫌な顔になっているんだが!? なんで?

 腕組みをした先生が再び部屋の真ん中をぐるぐる歩きまわりだす。

 そしてしばらくそんな異常行動をとった先生が唐突にカッと目を見開いた。

 

「納得いかん」

 

 いやいや、なにが!?

 先生は何が不満なのか、急に声を張り上げた。

 

「いいか? 古来より危機的状況を乗り越えた男女は例に漏れずつり橋効果で結ばれるものと相場が決まっているんだ。乗っ取られた戦艦のコックとか、停まらなくなったバスに居合わせた爆弾処理班、爆発するナカトミビルのジョン・マクレーンしかり」

 

 グッと拳を握る先生の挙げた例が男らしすぎる件! てかマクレーン言っちゃったよこの人。

 

「は、はあ」

 

「それがどうだ!」

 

「ひぇ」

 

 いきなりビシィッと俺を指した先生が眉間に皺を寄せて睨んでくるし。

 

「この男は助けるどころか余計に問題の種を振り撒いただけではないか! 犬に押し返され逆に助けられたようだし、こんな男のいったいどこがい……むがもが」

 

 急にまた二人が先生の口を塞いだ。

 まあね、先生の言う通りですよ。

 あの時はもう助けたいって思いで頭のなかがいっぱいでそれ以外のことが考えられなかったしな。

 目に写っていたのは大きな黒い車とぶつかりそうな犬の姿だけ。

 あれで押し飛ばして助けられたり、身代わりで車にぶつかったりしたらもっと格好良かったのかもだけど、結果は変わりはしない。  

 助けに飛び込んで犬に弾かれて、車が安全に停まったという事実があるだけ……。壊れたのは道路を滑って電柱に激突した俺の自転車たけだ。

 しかもその時の犬の飼い主こそいま目の前にいるポニーテールの弓ヶ浜であり、その黒塗りの車の後ろの座席に乗っていた女性こそ、そこにいる雪之宮だった。

 俺はあの時、あの恥態の一部始終を二人に見られてしまった。

 

 くそっ! マジで格好悪すぎるじゃねえか。

 

 華麗な高校デビューをするつもりがふたを開けて見れば、一目に可愛いと思える二人の美少女と出逢えたまでは良かったかもしれないが、要らぬ余計な恥を振り撒いて話しにもならなかった上に、あまりの恥ずかしさに、壊れた自転車を押して逃げるように学校に向かったわけだ。

 俺は初日からこれ以上ないくらいの黒歴史を再び製造してしまった。

 ああ、俺はわかっていたんだよ。

 あんな恥を晒したら次はどうなるかってこと。

 散々体験した。中学で散々……

 

 俺は中学の暗黒時代に思いを馳せた。

 

 人は他人を受け入れたり等はしない生き物だ。大事なのはそれが面白いか自分に都合がいいか、それだけのことだ。理解できないものスベテヲ排除し、利すると思えた物をとりこんでいく。

 力有るものは人を支配し、力ないものは支配されながら身を守る。そんなスクールカーストの中で、底辺を生きねばならない俺のような存在はどうするべきか……

 答えはひとつ。『関わらない』ことだ。

 無邪気が許されないことだと知ったあの時から、自分に人に勝る資質がないと知ったあの時から俺は自分のパーソナルスペースの確保に邁進してきた。

 関わらないことで俺は自分を守り続けた。

 恥を晒して、バカにされて、人に否定されないために。

 でも……そんな俺でもやっぱり憧れていたんだ。

 友達がいて、恋人がいて、そんな日常があったらな……と。

 だからあの時間違えた。

 俺に優しかった女子に告白した。彼女のことを好きだと思ってしまったから。当然断られたけど、気持ちは伝えられたのだからそれでいいと思っていた。

 でも……

 現実はやっぱり残酷だった。

 彼女に告白した翌日、誰にも言っていなかった筈なのにクラス中全ての人の知るところになっていた。

 

『ヒキオのくせにバカじゃねえの』

『自分のつら見てからにしろよ』

『気持ち悪いんだよ』

『ゆかり、マジでかわいそう』

『私ならもう生きていけないよ』

 

 聞こえてくる声が心に刺さる、刺さる、刺さる。

 もう顔を上げられなかった。

 もうこれまでだ。

 人は信じるには値しない。

 頼れるのは自分だけ。自分だけは決して自分を裏切らない。だから俺は決めたのだ。もう二度と心を晒さないと…… 

 

 だからこそ、『素』で行動し、その姿を見られてしまったこの二人からは距離を取りたかったのだ。

 もう二度と物笑いの種になんかなりたくなかったから。 そう思っていたというのになぜここで再会しないといけないんだよ。

 

 視線を二人へと戻すと、やはりプイと目を剃らされた。

 

 こいつらやっぱり俺をネタにしてたんだ。そうだ、そうに違いない。

 

 もうこれまでだ。ここにはいられない。

 先生の前だからとあんな風に俺を止めたとのだろうが、やはり俺には耐えられない。

 ええい、もういいや! このままダッシュでとんずらしよう。もうどうせ悪評が立つのも時間の問題だ。逃げ出すくらいもうどうでもいいだろう!

 

 意を決した俺が開いたままの入り口へ向かって走りだそうとしたその時。

 

「待ちたまえ」

 

「ぐえ」

 

 いきなり背中に背負ったかばんを誰かに掴まれて逃走を阻止された。

 振り返るまでもないが平塚先生だ。何で片手で男子高校生を押さえ込めるんだよ。

 これで逃げ道を塞がれた。さあてもうどうしようもない。後は死刑執行を待つばかりか。

 

「せ、先生、ちょっと……」

 

 ふいに弓ヶ浜が先生の袖を引いて窓辺まで雪之宮もつれだって歩いて行った。そこでなにやらこしょこしょ話しているが。

 暫くしたら、先生が頷くと同時に二人の背中をバシンとはたく。それ女子に対してやる行為じゃないよね、明らかに。

 そんなことを思っていたら、二人がとことこと俺の前まで歩み寄ってきた。そして何やら手をモジモジさせながら俺を見上げてくる。

 これはあれだ。あきらかに俺を警戒している感じだ。先生に俺への嫌がらせがわからないように、この場を納めるつもりなんだな。当然分かっている。当たり前。

 

「あ、あの……」

 

「いや、言わなくていい」

 

「ええっ?」

 

 おずおずと弓ヶ浜が何か言おうとしているのを俺は手で制した。ここでの俺の最適解はただ一つ。『先制攻撃』もとい『先制言い訳』だ。

 とにかく結論を言われる前にさっさと煙に巻かなくては。 

 俺がもう放っておいてほしいという思いを二人に理解させる必要がある。例えおれをこれから物笑いの種にしようとかんがえていたとしても。

 

「言いたいことは分かってる、知ってる。だから、俺から先に言わせてくれ」

 

 言った途端に弓ヶ浜が大きく仰け反った。

 

「え……えええっ!? ほ、ホントに?」

 

「ああ、わかってる」

 

 先生がいるこの状況で余計なことを言うなということだろう?

 弓ヶ浜は雪之宮と顔を見合わせてから二人で俺に顔を向ける。こうなればもう言うまでのことだ。

 あの時のおれはどうかしていいたんだ。犬を車から助けようなんてな……それに二人の視線も怖くて一刻も早く逃げ出したかったし。

 

「悪かった……その……、俺あんな気持ちになるの初めてだったから……お、お前ら二人に対して……」

 

 あの自損事故の時、呆気にとられた二人の反応は俺にとっても初めて体感したものだったし、正義感丸出しで突っ込むなんて恥ずかしい事を本来の俺がやるわけがないのだからな。

 

「ふぇえ……!?」

 

 真っ赤になって二人は声を上げていた。

 中学までのひとりぼっち生活なら或いはこんな事態でも自分で自分を守れたかもしれなかったが……

 

「俺もどうしていいかわからないんだ。一人だけだったなら気にもしなかったことだけどこうなってしまうとな……」

 

 二人がぱくぱくと口を動かして、震える声で話し始めるし。

 

「あ、あたしたちも今はそこまでのことは思ってなくて、ただ仲良くしたいなとか、一緒に……とか……その……解決方とか今は思いつかないんだけど」「そ、そうね、そこまでの考えは至らなかったけれど、でももしそうでもあなたがそう思ってくれることを私は嬉しく思うわ」

 

 なんでこいつらはモジモジしまくっているんだ? とにかく、今までみたいにいつまでも一人だけの学校生活を送りたいってわけではないのだ。黒歴史はなんとしてでも封印しなくては。だからこいつらになんとか理解してもらわなくてはならない。そして約束してもらわなくてはならない。この先俺がいじめられない平和な生活を送るためにも。

 

「だから……頼む! これを俺達3人だけの秘密にしてくれ!」

 

 がばっと頭を下げた。もはや恥も外聞も関係ない。ここには当事者の俺達と平塚先生の4人しかいない。もしすでに俺の悪評が流れていたとしても、この二人がこの先落ち着いてくれさえすればなにも問題はなくなるはずだ……

 と、思いながら顔を上げると。 

 

「ええええっ!? ひ、秘密って、ど、どうしようゆきぽん?」

「そ、そうね、これは悩みどころだわ」 

「あ、あたしは別にいいよ? ゆきぽんがいいなら」

「わ、私も……それでも……むしろ嬉しいかも……」

 

 ん? こいつらは何の話をしているんだ? なんで俺を貶めるかどうかの話でこんな反応してんだか。でも、とりあえずは承服してくれるということなのだろうな……

 しばらく二人でもじもじした後、口を開いたのはやはり弓ヶ浜だった。

 

「あ、あの……ちょっと順番を飛び越えたみたいになっちゃったけど、ほ、本当はここまでの話になるなんて思ってなかったんだけど、あの……あのね、あたし……『本気』だから」

「私もよ。私も『本気』なの。そ、その……選ぶのは後でいいから……だから」

 

 『本気』と書いてマジと読む。『弱虫』と書いてチンピラだっけ? 少なくとも堅気の話じゃないな。

 つまり『選ぶ』って、本気で潰されたくなければ服従の選択をしろと暗に迫っているってことなのか? そ、それは流石に質が悪すぎるだろう。だが待てよ、そうだとしたなら俺も本気で自分の失態を隠蔽しないといけないわけだな。だとすれば、このまま立ち去るのは最悪の悪手……

 となれば……

 

 顔を上げると正面の二人は目を瞑っていた。そして何かを言おうとしていたから先制する意味も込めて声を出した。

 

「「「この部活に入って(入れて)ください! あ、あれ?」」」

 

 なぜか三人同時に同じようなことを口走っていた。

 そして顔を見合わせて不思議そうな顔で見合わせることになる。

 そのまま暫く考えてみてから俺はとりあえず事なきを得たのか? という結論に達した。

 二人を見やれば、二人もホッと安堵したような顔になっているし。

 と、とりあえずはこれでいいか。これで二人に対しての情報のコントロールも出来るし、俺も変な噂が広まっているかどうかの収集に時間が当てられるし。そしてなにより、初めてこの二人に会った時から感じていたこのモヤモヤの正体を調べることも可能か……

 それを思った時、なんとなく心臓の鼓動が速くなるのを感じてはいたのだが、その理由を考察する前に、ずっと黙って冷ややかな視線を向けてきていた美人の言葉に遮られた。

 

「うむ、修正不可能な程にねじくれ曲がった状態で見事に話がまとまってしまったようだな。流石は『比企谷』の血と言えばいいか、うーむ」

 

 先生は暫く腕を組んで思案をしてから徐にポンと手を打った。

 

「よし、ではこれからすぐに家庭訪問だ!」

 

「「「は?」」」

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「で、なんでここに平塚先生がいきなり現れるんすか? しかもここ自宅じゃありませんよ」

 

「いいじゃないか。私と君の仲だ。固いことは抜きにしていつもの旨いブラックを頼むよ」

 

「ま、いいですけどね。今はうちの子がお世話になっているようですし」

 

 視線をカウンターの方へと向けて見れば、そこでは椅子に座る平塚先生と、その正面でがーりがーりとミルを挽いているエプロン姿の俺よりも眼の濁った男の姿。がーりといってもがーっりっしゅなんとかの事では決してない。

 正直あの立ち居姿は、俺から見てもほれぼれするくらいカッコいい。

 

「ねえ! ヒッキーヒッキー! ねえねえ、見て見て! 弾ちゃんが、弾ちゃんが女の子連れてきたよ! しかも二人も!」

 

「ヒッキー言うな、お前もヒッキーだろうが」

 

「あ……そだね、そうだ、そうだった、あはは。そんなことよりさ! ガールフレンドだよガールフレンド! キャッキャァ、どうしよう、どうしようか」

 

 うむ、今日もお団子さんは絶好調だ。カウンターの濁り目と俺を交互にぶんぶん首を振って見ているし。というか、あまりの勢いにもともと巨大な二つのあれがぶるんぶるんしてしまっているが……うっは、お客さんいっぱいなのだからもっと自重してくれよ、は、恥ずかしいぃ~~~。

 おもわず両手で顔を隠した俺に、弓ヶ浜と雪之宮の二人がこしょこしょと話しかけてきた。近い‼ いい匂い‼  は、恥ずかしい‼

 

「ねえ、ひ……だ、弾生君? この喫茶店って君に関係あるのかしら?」

「あそこの店員さんのお二人はひょっとして……」

 

 そう聞かれ、俺ははあっと思わずついてしまったため息を飲み込んでから答えた。

 

「ああ……俺の父ちゃんと母ちゃんだよ」

 

「「ええええええええええええええええええ!?」」

 

 はい、今日一番の『えええ』いただきました。

 

「お、お義母さん、若っ……それにお義父さんもめっちゃイケメンだし!」

 

 お、おおお女の子にお義母さん、お義父さんとか言われるとなんでこんなに発熱しちゃうんだろうか。

 でも、ま、そう反応するだろうな。だって母ちゃん若いし。俺から見てもとても三十代には見えないしな。どう見ても二十代、いや、下手したら十代と言っても通るかもしれない。

 おばあちゃんからして年齢不詳だからな。うちの女系の外見年齢はいったいどうなってやがるのか。

 父ちゃんは……息子の俺が言うのもなんだが、目が濁っている以外は正直ムカつくくらいのイケメンだ。しかもその目だってこだわってる職人っぽさが滲み出てる感じでかなり渋格好いい雰囲気だし。クッ……このトップカーストめ!

 

「それに平塚先生もお知り合いの様だけれどどんな関係なのかしら?」

 

 そう雪之宮に言われたが、正直その関係は良くわからない。

 カウンターで父ちゃんの淹れたコーヒーを旨そうに飲んでいるところをみるとやっぱり知り合いなんだろうな。

 そんなことを考えていたら、急に席に母ちゃんが現れた。

 

「やっはろー! みなさんこんにちは! ねえねえあなたたち。弾ちゃんとお付き合いしてくれてるの?」

 

「ぶっはぁっ!」

 

「も、もう、弾ちゃん汚い。ごめんねみんな」

 

「い、いえ……」

 

 なにいきなり言ってんだ母ちゃんは。思わず飲もうとしてた水を吹いちまったじゃないか。こいつらもこいつらで顔真っ赤になって小さくなっちまったし。

 

「あ、あのな母ちゃん。家に女子が来たからって何も『彼女』なわけないだろ」

 

 と言った瞬間目の前の席の二人がびくんと跳ねた。何やら『彼女』って箇所で反応したような

 母ちゃんはと言えば、にこにこしながら、

 

「ええ? だって弾ちゃんパパにそっくりだし、弾ちゃんを好きな子が何人もいたって不思議じゃないし、あのねパパも高校生の時モテモテだったんだよ。ママもパパに構って欲しかったけど全然来てくれなかったし」

 

 げふんげふんと、濁り目のマスターが噎せ込んでいるけどな……

 

「別に父ちゃんと母ちゃんのラブコメはどうでもいいんだよ」

 

「つまりは弾ちゃんとこの子達のラブコメが大事ってことだよね!」

 

「ちげーから!」

 

 母ちゃんマックススピードだな。正面をみれば二人がますます小さくなっているし。

 もうどうすりゃいいんだよー

 とか、思っていたら、目の前のテーブルに綺麗にデコレートされたケーキが3皿と、カプチーノが3つことりと置かれた。

 父ちゃんだ。

 

「こいつと仲良くしてくれてありがとうな。俺は弾生(だんじょう)の父親です」

「あ、ごめんねおそくなっちゃったけど、あたしは弾ちゃんのママです。みんなこれからも弾ちゃんを宜しくね」

「あ、はい。あ、あたしは弓ヶ浜弓美です」

「私は雪之宮雪穂です。今日は突然にすいません」

 

 言ってペコリと頭を下げる二人に、母ちゃんは別にいつきてもいいよと答えてる。

 と、やれやれ場が収まったかとおもいきや。

 

「で! どっちから告白したの! 弾ちゃん? それともあなたたち?」

 

「お、おい、結衣……食いつきすぎだ」

 

「ええ? だってパパ、気になるし」

 

 ほんと母ちゃん食いつき良すぎだよ。こんなんじゃ俺彼女出来ても連れてこれねーよ。本当に迷惑だよと思っていたら、弓ヶ浜が声を出した。

 

「あ、あの……えっと、今はまだそういう関係じゃないです、はい」

 

「そうなの?」

 

 だから俺を見るんじゃねえっつうの。しかもなんだよ、今の今はまだとかって、このままじゃ母ちゃんに弄られまくることになっちまう。

 頭を抱えたくなったそこへ言葉が続いた。

 

「あ、あたしたち……比企谷君に助けてもらったんです」

「私たちは彼に感謝しているんです」

 

「えっと……何があったのか……聞いてもいい?」

 

 そう言った母ちゃんに二人はあの事故の話をした。細部まで漏らさずに、俺の恥態もなにもかもつまびらかにしたままに。もう顔面が熱い、熱すぎる。

 

「もうやめてくれ!」

「弾ちゃんは座ってて」

 

 バンっとテーブルを叩いて立ち上がった俺だけど、頭を母ちゃんに押さえつけられてそのまままた座らされた。なんでこんなに強いんだよ。

 見れば父ちゃんと母ちゃんの二人が見つめあって微笑んでいるし。

 

「何を笑ってんだよ二人して気持ちわりい」

 

「ふふふ、弾ちゃんもやっぱりあたしたちの子供だなーって思って」

「そうだな」

 

 俺を見てにやつく二人。なんだか見透かされているようで非常に気分が悪い。

 と、母ちゃんが話始めた。

 

「実はね、あたしとパパも同じようなことがあって出会ったの。あたしのサブレ……その時に飼ってた犬の名前なんだけどね、道路に飛び出したところをパパが助けてくれて、でもそのままパパは車に跳ねられちゃったの」

 

 う、うおっ! マジか!

 ほとんど一緒じゃねえか。というか、それってあの事故の成功版……いや、失敗か? めっちゃかっこいいじゃねえかよ。なにやってんだよ父ちゃんは。イケメンかよ。

 

「じゃ、じゃあそれでお母さんとお父さんはお付き合いをはじめたんですか?」

 

 そう聞いた弓ヶ浜に母ちゃんが首を振る。

 

「ううん、そうじゃないの。あの頃はどうやって人と接していいかあたしもよくわからなくて、それにこの人ってば底抜けのひねくれものだったから、ちょっと誘ったくらいじゃどうにもならなかったの。それにモテてたしね。弾ちゃんと一緒で、ふふ」

 

「「も、モテねえし」」

 

 ぐっは、父ちゃんとハモっちまった。そんな照れた顔すんじゃねえよ父ちゃん。

 

「だからね、色々あったんだよ、いろんなことが。良いことばっかりじゃなくて、嫌なことも辛いこともいっぱいね。でも、あたしはずっと好きだったの。だから、今もこうして一緒にいるのかもね」

 

「のろけかよ……勘弁してくれ母ちゃん」

 

 ふふふと幸せそうに笑う母ちゃんと真っ赤になって厨房へと帰っていく父ちゃん。その先でニヤニヤしている平塚先生と思わず目があってしまった。マジで勘弁してくれ。

 

 それから母ちゃんが二人のそばによってサッとかがんだ。当然あのバインバインが大きく上下してる。二人も目が点だ。

 

「この子口下手だし、ちゅうにびょう? だし、ひねくれてるし、目付きも悪いけど……」

 

 おい、それ悪口のオンパレードじゃねえか。

 

「結構可愛くていい子なの。だからこれからも仲良くしてあげてね」

 

「「はい!」」

 

 大きく返事をした二人。

 なんか今日一番元気いいし。

 そんな母ちゃんに雪之宮が声をかけた。

 

「あの……こういう言い方は少し失礼かもしれませんけど、お母様のそのお腹……」

 

 となにか言いづらそうに言っていたが。

 は? 腹? なんのことだ? 見てみてもなにかよくわからんが……

 と、そこへ母ちゃんの爆弾発言が!

 

「あ? わかっちゃった? 流石女子ね。そうよ、今お腹に『赤ちゃん』がいるの」

 

「はあっ!?」

 

 思わず叫んでしまった。

 

「えっと、ヒッキー……弾生君は知らなかったの?」

 

「初耳だが……」

 

「えっとね、今3ヶ月。うふふ」

 

 うわー、思春期高校生の息子の前で何がうふふだよ、父ちゃん見ながらデレデレすんな、恥ずかしいいいいいいいいいい。

 再び顔を両手で覆ってうずくまった。

 

「あ、おめでとうございます」「おめでとうございます」

 

「ありがとう雪穂ちゃん、弓美ちゃん。でもまさかこの歳で4人目を授かるなんてあたしも思わなかったー」

 

「「4人目‼」」

 

 叫ぶ二人。当然か、この少子高齢化の時代で恥かきっ子をこさえてまで、なぜにそこまで大家族化を図っているのやら、うちの両親は。

 

「ちなみに一番上が弾ちゃんで、いま中学生の双子の娘達がいるのよ」

 

「「すごい‼」」

 

 そりゃそういう反応になるよな。

 こ、子供……子供か……いやその前に結婚、更年期……とか、なにやらカウンターの方から黒いもやもやした呟きが聞こえてきているが。

 はああ、本当にうちの母ちゃんは恥ずかしすぎる。父ちゃんラブがあからさますぎて、見ていて超恥ずかしい。もう勘弁してくれよと、水を飲みかけてたら。

 

「あ、弾ちゃん。告白は必ず弾ちゃんからするんだよ。わかった?」

 

「ぶふっ!!」

 

 当然また吹いちまった。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「今日は悪かったな……その、うちの両親がいろいろと」

 

 少し暗くなってきた店の外で、鞄を手に持った弓ヶ浜と雪之宮の二人と平塚先生を見送る。

 

「ううん、なんかさ、急に来ちゃってこっちこそごめん」

「貴方のご両親が本当に素敵で驚いたわ。あなたが優しい理由がよくわかったわ」

 

「は? 俺が優しい? なんで?」

 

 微笑む二人の顔を見ながらそんな疑問を口にすると、弓ヶ浜が口を開いた。

 

「だって、あの時あたしのせいであんな事故に巻き込まれちゃったでしょ? 自転車も壊しちゃったし。でも、ヒッキーは『大丈夫?』って声をかけてくれて、あたしを責めなかったし。だからありがとう」

 

 あ、ヒッキー呼びは確定なのね。いや、いやいやいやそんなことはどうでも良くて、あの時は恥ずかしさのあまり動転しまくっていてなんて声を掛けたかだって記憶はないし、第一気なんてまったく使った記憶はないし。

 今度は雪之宮。

 

「貴方は私も責めなかった。どう考えても私が悪いのに、『自分で勝手に転んだだけだから』って、自転車の修理費も受け取ってくれなかった。わたし、わたしはすごく申し訳なくて、ずっと貴方に謝りたかったの。本当にごめんなさい」

 

 と急に頭を下げる雪之宮。

 いやいやいや、それこそさっさと逃げ出したいからあのときそんな事を言っただけだっての。そもそも雪之宮の車にまったくぶつかってないしな。壊れたのは俺の不注意以外の何ものでもない。だから謝られたって、俺は……

 

 二人を見ながら俺は考える。

 

『こいつらは別に俺を貶めようなんて思っていないのか?』

 

 わからん。

 本当にわからん。

 俺みたいな自分本位の人間にあえて近づこうなんて普通考えるわけがない。だって、今までずっとそうだったから

 俺はただの苛めの対象で、煽ってあわてふためく様を見て楽しむ対象でしかないはずだ。

 なんでだ。なんでここまで。

 でも、悪い気はしないな。むしろ、ずっとこんな風に会話できる相手が欲しかったから。

 まあ、いいか。ダメならその時だ。今は嘘か真か分からなくとも、出来てしまったこの二人との仮初めの関係を大事にしよう。同じ『部活仲間』なのだから。

 

「えーと、これから……宜しくな……『部活』で」

 

「うん!」「ええ!」

 

 微笑む二人が手を振って帰って行った。

 途中まで送ると言ったが、もう近くまで迎えが来ているからと遠慮されてしまったのだが。

 後に残された形の俺、と先生が店の壁に寄りかかってタバコを吸っていた。何をニヤニヤしてんだよと内心イラッとしたところで、店のドアがチリンチリンと鳴ってバカップル両親が姿を表した。

 

「あれ? 弾ちゃん送っていってあげなかったの?」

 

「ああ、迎えがきてるんだってさ」

 

「ふーん」

 

 気のない返事をしている母ちゃんだが、その顔はもうニマニマだ。なんなんだよ。

 

「比企谷、由比ヶ浜、今日は急に悪かったな。見ての通りの状況なんだが、この生徒は思った以上に害があってな、助かったよ」

 

 なに言ってんの? この人は。人の親捕まえて。

 そんな先生に、父ちゃんが頭を掻いて答えた。

 

「まあ、こいつは俺の高校時代にそっくりですからね、先生の苦労もよくわかりますよ」

 

 父ちゃんもかよ!

 

「でもでも、あんな可愛い子達が弾ちゃんのガールフレンドなんて、あたし超うれしいんだけど」

 

「べ、べべべべつにガールフレンド……とかじゃねえし」

 

「はあ、まだそんな事を言ってるのか君は。本当に父親にそっくりだな。あれだけ分かりやすい反応でもこうなってしまうとは」

 

 平塚先生が再び呆れた顔で俺を見る。だからもう放っておいてくれ!

 その時俺の肩を父ちゃんがぽんとたたいた。

 

「ま、先生は人のことを言う前に自分のことをだな……げぶぅおっ‼」

 

 うん、一瞬で父ちゃんがどこかに消えた。

 

「ふんっ……最近人を殴っていなかったから拳がなまってしまっていたな。感謝する。比企谷、女性に対しての口の聞き方を今一度学びたまえ」

 

「……ぁぃ」

 

 こえー! 超こえーし! なんなのこの先生。暴力反対。なんか母ちゃんがこしょこしょ耳打ちしてくる。え? 先生母ちゃん達の高校の時の担任だって? マジで? しかもその時アラサー? え? じゃあ、今は? うわわ、先生の目が超怖い! のーもあぼうりょく。美魔女万歳ぃぃぃぃぃぃぃぃ‼

 

「ふぅ、まったく。君たち親子には退屈させられないな」

 

 別に先生のためにひねくれてるわけじゃありませんけどね……

 おっと、もう下手なこと言えないよ。

 

「ねえ、弾ちゃん」

 

 急に母ちゃんが俺に話しかけてきた。

 なんだよと顔をあげてみれば、いきなり頭をわしゃわしゃ撫でられた。だからなんなんだよー。

 

「今はどうしていいか分かんないかもだけど、弾ちゃんの高校生活は弾ちゃんだけのものだからね。だから、後悔しないように色んな経験をしてね。応援してるから」

 

 優しい言葉が心に染みる。

 嫌なことがたくさんあった。逃げ出したくもなった。でもいつでもこの両親は俺を受け入れてくれたのだ。だから今俺はこうしてここにいられるのかもしれない。

 俺みたいなやつを優しいと言ってくれたあの二人。

 今まで女子にそんなことを言われたことなんかないから、どう反応していいか今だって全然わからない。でも、それも含めて、俺の『青春』なのかもな……

 うっわ、俺今なに考えてんだ! くっそ、もう全部母ちゃんのせいだ。その菩薩みたいな顔もうマジでやめてくれ。

 

「わかったよ。俺はあいつらとも仲良く……できるように頑張ってみる。奉仕部? だって、まだ良くわからねえけど色々やってみるよ。でもな、今まで俺がいろんな嫌な目にあってきたのは、父ちゃんと母ちゃんのつけたこの『弾生』って名前のせいなんだぞ! 普通に訓読みで『ヒキオ』とかっていわれて、ヒキニート扱いだったし、誰も『ダンジョウ』って呼んでくれなかったし!」

 

「いや、ちょっと待て弾生。お前の名前はそもそも、己の信念を貫いて織田信長と戦った戦国武将の『松永弾正久秀』からとったわけでだな……」

 

「いやいや、だからその人日本史史上最悪の部類の悪人の名前じゃんか。裏切り者の代名詞だろ?」

 

「あほか、そりゃ勝てば官軍だからの歴史のせいだろ? 信長を利用してでも自分の私利私欲を満たそうと考えていたまさにエリートボッチのパイオニアだぞ。お前にたくましくなって欲しかった俺と結衣の思いがわからねえのか」

 

「俺別にエリートボッチ目指してねえし。それに松永弾正って日本人で初めてエロ本持ってた奴じゃねえかよ。おかげで俺は中学時代に、『ひきこもりエロリスト』の二つ名までもらっちまったんだぞ!」

 

「うう……同情する」

 

 いや、ちょっと平塚先生ガチで泣くのやめてくれませんかね。

 

「そもそも俺の名前『弾正』じゃなくて『弾生』じゃねえか! どうしてその漢字になったのか、きちんとした理由があるなら納得してやるからちゃんと説明してくれよ!」

 

「あ、それな。結衣が役所に届ける時に、うっかり出生届に『弾生』って書き間違えて……う、うおっ……だ、弾生暴れるな、別に悪い名前じゃねえし、いいじゃねーか。あ、そういや俺も高校時代にヒキオって呼ばれてたことあるし、金髪縦ロールの女王様に、な? 一緒だって、一緒一緒」

 

「ただまー! あれあれあれ~、お兄ちゃんが泣いてる! ぷーくすくす。大の男がみっともないよ」

「Si。男はもっと堂々としているべき。いい加減自分がオタクなのを認めるべき。兄の描いたアロエちゃんのデザインはまさにジャスティス!」

 

「うわあああああああああああああああああああああ……」

 

 こんなんで青春……

 

 できるかあああああああああああああ!!

 

 夕闇に染まるその景色のなかで、やっぱり母ちゃんが優しく微笑んでいた。

 ってか、全部の原因は母ちゃんだったんじゃねえか‼

 

 

 




妹ちゃん紹介コーナー!

比企谷絆(きずな) 中学2年
比企谷美鳩(みはと) 中学2年

とある凍傷さんとかいう作家さんの、とあるぬるま湯シリーズとかいう作品を読むと、可愛い可愛いこの子たちに出会えますよ。砂糖の海で甘え死ぬことになると思いますけどもwww


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竹林で抱きガハマさんと二人でいるだけの話

奉仕部が崩壊するアンチものはここからスタートするらしいですね。

そんなところから始まる、当然のような八結です。


「人の気持ち……もっと考えてよ!」

 

 その両目に涙を湛ながら俺の前から足早に遠ざかる由比ヶ浜に、俺は声を掛けられないでいた。かける言葉を持っていない。俺は風に騒めく真っ黒な竹林の天井を見上げた。

 

 本当はこんな結果を望んでいたわけでは無い。俺だって何もせずにただ通りすぎるのを待つことを選びたかった。

 なら、なんでこんなことをしたのか……

 依頼だから?

 本当にそうか? そんなことを考えていたのか? 俺は、依頼だというなら、何もせずに戸部の告白を見守るだけで良かった。戸部は自分一人で告白する勇気が無かっただけで、べつに本気でその結果を俺達に求めてなんかいなかった。

 海老名のお願いの所為か?

 彼女が戸部の告白を防いで欲しいと考えていることは分かっていた。変わるのを嫌がった結果だろう。ただそれだけのことだ。だから頑張ったのか? 俺は?

 いや、これも違う。

 彼女は戸部を拒絶するつもりだった。もともと、その言葉も持っていた筈だ。拒絶したところで、戸部達との関係がそこまで崩れるとも思えないし、崩れたとしても、それを受け入れる用意も彼女はしていた筈で、そもそも俺が責任を持つことでもない。

 葉山もそうだ。アイツは何もしない。できはしない。ただ、自分の思いと違う展開を恐れていたというだけのことで、それを俺に吐露しただけだ。

 

 なら、なんだ? どうして俺はこんな意味のない嘘を吐いてまで自分を傷つけたんだ?

 自分の痛みは気にするつもりなんかない。でも、敢えて、自分を傷つけてまでこんな事をした理由……それは……

 

 俺は顔を前に向ける。まっすぐ続く竹林の回廊の遥か先に、項垂れたまま歩み去っていく由比ヶ浜の背中が見えた。

 

”まだ間に合うかもしれない”

 

 咄嗟に閃いたその思いに、俺の頭脳よりも先に口が、のどが、震えていた。

 

「ゆ、由比ヶ浜! 待ってくれ!」

 

 その小さな背中が立ち止る。そして、俺をゆっくり振り返った。

 お、俺は……何を……

 今は、頭が働いていない。それよりも、酷い焦りと不安に全身が支配されて、どうにも堪らなくなっていた。そして、自然と足が動いて、由比ヶ浜へ向けて走り出していた。

 

「ヒッキー?」

 

「はあ、はあ、はあ…」

 

 悲しそうな表情のままではあるが、そこにはいつもの由比ヶ浜の顔があった。

 

「話を……俺の話を聞いてくれないか?」

 

 今の俺の精いっぱいの思いで、そう声に出した。そんな俺を見て、彼女は……

 

「は、話してくれるんだ……うん、聞くよ。聞かせて、ヒッキー」

 

 涙で滲んだ瞳を優しいものに変えて、微笑みながら俺を見上げてきた。

 

 よし、話そう! 俺が欲しくなかったこの結果の理由を……漸く分かった俺の気持ちを……このままでいたくなんかない、本当の訳を……

 

 まだ、呼吸が整っていない俺の手を、由比ヶ浜が引いて、近くにあったベンチまで移動した。そこに二人で座って、由比ヶ浜へと俺は話を切り出した。

 

「海老名さんにな……依頼されたんだよ俺達は。それとなくだけどな、この戸部の告白を止めさせて欲しいという依頼を……」

 

「ええ!? そ、そんな? 姫菜がそんなこと頼んだの? 本当に?」

 

「ああ……そうだな。お前が驚くことも分る。でも、この依頼に気が付いていたのは……いや、ひょっとしたら、本当に俺のただの勘違いだったのかもしれないが、海老名さんや葉山が望んでいないと思っていたのはこの俺だけだった」

 

「で、でも……だからってなんでヒッキーが一人であんなことしたの? それならあたし達に言ってくれれば……」

 

「いや……お前らは納得なんてしなかっただろう。特に雪ノ下はな。只でなくても片方からは告白の手伝いをしてくれと言われて、その相手側からは、それを止めさせてくれという。葉山の奴はその両方に気を使っていたしな。そんな中途半端な依頼を雪ノ下が呑むはずもない」

 

「だったら、あたしは? あたしなら二人に事情を話して別の方法を考えられたかも」

 

「お前は、あいつらのグループの一人だ。あのグループの中の人間関係が崩れれば、お前の立場だって変わっちまうだろう。お前も下手なことは出来ないと……俺は思っていた」

 

「違う……違うよヒッキー! だからってそれをヒッキーが一人で抱え込む話じゃないよ! あたしは……あたしは言って欲しかったよ…」

 

 由比ヶ浜がその目に涙を浮かべて俺を見た。また、泣かせちまったか……俺はコイツのこんな顔は見たくなかった。そうならないようにと、全てを丸く収める方法を使ったはずだった。なのに……

 

「解ってる。俺が間違えた」

 

「ひ、ヒッキー……」

 

 俺はまっすぐ由比ヶ浜の目を見て話した。

 

「俺は全ての依頼をこなして、何も無かったことにしようと思ってた。そうすれば、全て元通りになると信じていた。お前も今まで通り、海老名さんや戸部達と付き合えるし、そうなれば、俺達も……俺とも雪ノ下とも今までと変わらずに居られる…そう思っていた。でも違った」

 

「……」

 

「ここがな……胸の辺りがな……苦しいんだよ。耐えられないくらいに。人にどう思われようが、俺はそんなことで傷つくことなんかもうないと思っていた。でも、違った。お前達のな……お前のその哀しそうな顔を見て、酷く胸が苦しくなったんだ。さっき、お前に突き放された時……いや、俺がお前を突き放した時からずっとな。だから、このままお前と離れるのが怖くなったんだよ。本当に悪かった。ゴメン……」

 

 そこまで言った時、突然由比ヶ浜が俺に抱き付いてきた。

 

「ふぁ!? お、おまえ、何してんだ!?」

 

「ヒッキーを離さないようにしてるだけだよ」

 

 両腕を俺の背中に回して俺を締め上げる由比ヶ浜が、微笑みながら俺にそう囁く。

 

「ヒッキーが言ったんだよ。離れたくないって……」

 

「いや、それはこういう意味ではなくてだな」

 

「いいから、あたしの話を聞いて」

 

「あ、はい」

 

 いつになく強い口調で由比ヶ浜が話す。く、くそ……理性が飛びそうだ。お、落ち着け、俺。

 

「ヒッキーごめんね。ちゃんと分かってあげられなくって」

 

「い、いや、だから、お前らに相談しなかったのは俺なわけで」

 

「ううん……違うの。ヒッキーが一人で悩んでたのは、あたし達の責任だよ。だって、奉仕部としての答えをキチンと決めてなかったし、あたしも戸部っちが頑張れば上手くいくくらいにしか思ってなかったし……」

 

「いや、お前らは悪くない。勝手に決めたのは俺だ。それを言わずにいたのも俺だ」

 

「でも、今言ってくれた」

 

「……」

 

 由比ヶ浜が俺を包みこむようにその笑顔を向ける。そして、俺の背中に回すその手に力を込めてきた。

 

「嬉しかったよヒッキー……やっぱりさ、言葉でくれないと、あたし分からないよ。嬉しかった……ヒッキーがあたしを追いかけてくれて……だから、あたしも少しだけ勇気を、出すことにしたの……」

 

「お、おい……由比ヶ浜……」

 

 いつもと違う雰囲気に俺は圧倒されていた。直接触れる由比ヶ浜の柔らかさと温かさに脳が痺れる。

 由比ヶ浜は、潤んだ瞳を俺にむけながら言った。あの言葉を…

 

「……好き……なの……」

 

「え?」

 

「ヒッキーのことが好き」

 

 澱みなくこぼれたその言葉が俺の胸に刺さる。その傷から黒いドロドロした何かが溢れてくるような感じがして、目の前の由比ヶ浜を直視できなくなった。

 

「や、やめてくれ……お前まで……お前にまであんな目に遭わされたくない」

 

「え?」

 

 振り絞った俺の声に、由比ヶ浜が不安げに呟く。だが、俺を抱きしめるその手を全く緩めなかった。

 

「お前たちに……お前に俺は酷いことをしてしまった。だからって、それを俺に返さなくたって……頼む、俺を許してくれ」

 

「え? ち、違うよ……ヒッキー? あたしは本当に……」

 

「頼む……頼むから、放してくれ」

 

 胸が苦しかった。今の俺が大事に思っている数少ないそれの一つ。

 今の俺の居場所…俺のよりどころそのものの彼女から、俺を突き離すための言葉を吐かれる。こんなに苦しいことはない。もう二度と……あんな思いはしたくない。大切な物が壊れるところなんて見たくない。

 そうだ……俺は今の奉仕部の……雪ノ下と由比ヶ浜との関係を壊したくなかっただけなんだ。俺が頑張ることで……戸部達の関係を元に戻すことを一番望んでいたのは、俺だったんだ。動けないでいる葉山にあんな事を言っておいて、なんだ、結局俺も同類じゃないか。苦しい……こんなに苦しい物だったなんて。

 

「絶対離さない! 今ヒッキーを離したら、本当にもう戻れない気がする」

 

 俺の目を見つめながら、由比ヶ浜が涙目でそう答えている。

 

「あたしはヒッキーが好き。大好きなの! だから、さっきみたいな嘘の告白も、あたし達に気を遣うみたいなのも、逃げ出されるのも全部嫌……だから、分かってお願い! あたしはヒッキーと一緒に居たいの! もっと仲良くしたいの! こ、恋人になりたいのぉ!」

 

 俺を力いっぱい抱きしめた由比ヶ浜が泣きながら、最後はそう叫んでいた。

 不思議な気分だった。俺が本気を出せば、由比ヶ浜をひき剥がすこともきっと出来るだろう。でも、それは出来なかった。彼女の口から溢れるその言葉の一つ一つに俺の心が揺さぶられていたから。

 まさか……こいつは、本気なのか? 本気で俺の事を……

 

「ゆ、由比ヶ浜……ちょっと離してくれないか」

 

「イヤ…」

 

「その……ちゃんと聞くから。そのちょっと離れて……」

 

「絶対イヤ」

 

 首をぶんぶん振る由比ヶ浜はその力を全く弱めない。俺は、そのままで彼女に問いかけた。

 

「俺は今の奉仕部に居たいと思ってる。今の奉仕部の、お前たちとの関係を壊したくない。お前はどう思ってるんだ?」

 

「あたしは……あたしはヒッキーもゆきのんも好き。だから、ヒッキーと付き合いながら、奉仕部も頑張る」

 

「お、お前な……俺みたいな嫌われ者と一緒にいたら、それこそ、お前も嫌われるぞ!? もう前みたいな友達関係作れなくなっちまうかもしれないんだぞ」

 

「そんなこと関係ないし……ヒッキーと一緒にいられるなら、周りがなんて言ってきても関係ない」

 

「由比ヶ浜……」

 

 真っすぐに思いを言葉に乗せる由比ヶ浜の気持ちが、俺には辛かった。人の本気程あてにならないものはないと俺は思っている。

 でも、なんだろうこの感じは……

”そろそろ信じてもいいんじゃないか”

 俺の中の何かがそう囁く。

 信じる?人を信じる? 俺がか? それは無理だ。

”お前は由比ヶ浜が嫌いなのか”

 そんな訳ない。大事に思ってる。大事にしたいから……いつまでも一緒に居たいから、俺は……

”人が変わらないでいられるって本気で思ってるのか”

 それは……

 

 ああ、そうだ……俺は当の昔に分かっていたのだ。

 葉山たちのグループを見ながら、変わらないで頑張る日常になんの意味もないってことを。

 そう思っていたくせにな……

 

「由比ヶ浜……分かった……分かったよ。お前が俺の事を本気で思ってくれてるってことは。だから俺を信じて離してくれないか?」

 

 その言葉に由比ヶ浜は顔を少し上げた。そして俺を見ながら彼女は……

 

「やっぱりイヤ。ヒッキーの顔、まだ引きつってるし」

 

 おおう……何? なんなの? 自分で言っておいて信じてくれないとか……っていうか、ちょっと冷静になってきたら、滅茶苦茶恥ずかしくなってきたぞ。 

 さっきから由比ヶ浜の奴、ぴったり俺に抱き付いたままだし、顔近いし、なんかすごく柔らかい感触がむにむにと……

 

「お、おい……頼むから離れろ! お、俺も冷静じゃなかった。悪かった。だから、離れてくれ、頼む」

 

 その俺の言葉にも首を振る。どうしろってんだ!

 

「あのな由比ヶ浜、俺も冷静になって来たし、お前も、そうだろ? えっとな……さっきからお前、すごく恥ずかしいことしてるの、気が付いてる?」

 

 俺のその言葉に、由比ヶ浜の顔が一気に赤く染まった。ふう、こいつやっぱり分かって無かったのか。でもこれで漸く……

 

「そ、そ、それでもダメ……まだ、離れない!」

 

「なんでだよ!? 離れてても、話しは出来るだろ?」

 

「で、でもダメなの! だって……だってまだヒッキーの答え貰ってないから……このまま離したら、ヒッキーきっと何も言わないで行っちゃうし」

 

 真っ赤な顔のまま俺にそう話す由比ヶ浜は真剣だった。コイツ……こんな顔してまで……

 

「分かった……ちゃんと答えるよ……」

 

 一瞬由比ヶ浜がビクりと震えたのが分かった。

 ああ……コイツも怖いんだな。

 今ならもう分る。好きになった相手に拒絶されること程怖いことはない。俺だってそれくらい解るのだ。そうか……今は俺が答える番なんだな……

 俺はそれを思い、生唾を飲み込んで彼女を見た。

 

「由比ヶ浜……俺はお前の事が……」

 

 由比ヶ浜の俺のせなかに回す手に力が込められた。真剣なコイツの為に、俺もきちんと応えよう。

 

「好き……なんだと思う……多分……?」

 

「ヒッキーぃ!!」

 

 由比ヶ浜が俺の背中を思いっきりつねってきた。

 

「いたたたたた! 痛いって! ちょっと待て……ちゃんと応えたろ!? なんで抓るんだよ!」

 

「だって答えになってないし! 好きなの? 嫌いなの? どっち?」

 

「い、いや……だから、嫌い……ではない……って、いたたたたた! だから痛いって!」

 

 頬を膨らませて、むすっとした様子の由比ヶ浜は、じろりと俺を睨んでいた。

 

「だからな……俺もまだ良く分かってないんだよ。嫌いじゃない……だから好きなんだよ……多分。これじゃダメなのか?」

 

「ダメにきまってるし! あたしが欲しいのはそんな答えじゃないし! そんな誰にでも言える『好き』はいらないし! ちゃんとはっきりあたしに言ってくれるまで、絶対にこの手は離さない」

 

「お、お前な……それは脅迫って言うんだよ! でもな、そんなんで俺がお前に言ったところで、それは俺が嘘をついたかどうか分からないだろ!? だから、こんな急には……」

 

「それでもいい……ヒッキーの言葉が欲しいの‼ あたしはヒッキーが好き……一緒に居たい! お願いヒッキー、あたしの事好きって言って」

 

 うう……これはもう答え出てるな。由比ヶ浜がここまで食い下がる奴だったなんてな。なら……なら言ってやるさ。

 

「由比ヶ浜……俺もお前が好きだ! たぶ……いや、好きだ! 大好きだ!!」

 

「ヒッキー……うん、ありがと! すごく嬉しいよ!」

 

 涙ぐみながら由比ヶ浜が俺に更に強く抱き付いてくる。おまけに頬ずりまでしてくるし……お、おい……離してくれるんじゃなかったのか?

 

「なあ、由比ヶ浜。これで本当に良いのか? 俺が嘘ついてたらどうするんだ?」

 

 俺がそう聞くと、由比ヶ浜はにっこりと微笑みながら…

 

「うん、いいの! だって、あたしがヒッキーをもっと好きにさせて見せるから……頑張っちゃうから」

 

 なにこの生き物、超可愛いんですけど!

 こんなに俺のことを想ってくれてるなんてな……俺の今までの悩みはいったい何だったんだよ! 

 そうだな……こんなのも悪くない。気になってた女の子に好きになられるのもな。頑張って良かった……頑張って追いかけて、気持ちを吐き出して、本当に良かった。コイツを好きでいて本当に良かった」

 

「え? ヒッキー……今のホント?」

 

「えっ? ひょっとして声に……」出てたのかぁ?

 

「ヒッキー、スキ! 大好きっ!」

 

 そしてそのまま、由比ヶ浜が離れる事はついになく……ずっとくっついたままホテルまで歩く羽目に。

 そして着いた先で、遅い俺達を心配していた雪ノ下に白い目で睨まれたことは、言うまでもない。

 

 人間万事塞翁が馬とは良く言ったもので、本当にどう転ぶのかなんてやるまで分からないもんだ。少なくとも俺は、経過はどうあれ新しい関係を手に入れた。変わらないものなんてない……必ず変わる。だから、良い方に変わるように努力しよう。それしか、俺達に出来ることはないしな。

 

「ヒッキー……窓の外の景色ばっか見てないで、あたしを見てよ! はい、アイスだよ、あーん」

 

「ちょ、ちょっとお前な……そのスプーンお前使ったやつだろ?」

 

「ええ? いいじゃん別に……彼女なんだし! 一緒に食べよこのアイス」

 

「い、いや……だからちょっとそれは…」

 

「ヒキタニ君! 見せつけてくれちゃってぇ! ホント、羨ましいわぁ!」

 

「うん……八幡、本当に良かったね! おめでとう!」

 

 ウッ……戸部はどうでも良いが、と、戸塚ぁ~!? 彼女が出来たからって俺を見捨てないで!

 新幹線の席を向かい合わせにして 俺と由比ヶ浜、それと向かいに戸塚となぜか戸部の二人が座っている。うう、戸塚の隣が良かったよぉ……。

 由比ヶ浜と付き合うようになったことを知った戸部が何故か急に俺達に馴れ馴れしくなったわけだが、まあ、これあれだわ……俺が海老名さん狙いじゃなかったことが分かったからだな。そんなことを考えていたら、両頬を急に掴まれて、グイッと顔を捻られる。

 

「むう……ヒッキーはあたしを見るの! はい! あーん……」

 

 もう、なんなのこれ……でも、まあ、幸せではあるな……

 

 由比ヶ浜が差し出すアイスを、一口に食べながら、妙にむず痒いこの彼女という存在に、俺は密かに喜びを感じているのであった。

 

「えへへ……ヒッキー、だーいすき!」

 

 了



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たまにはこんなまちがってない……Happy New ……

「比企谷さん、僕、そろそろ帰らせてもらっても……」

 

「うん?」

 

 そう背後から声をかけられて壁の時計を見れば、もう23時をまわっている。

 俺はその部下の新入社員の方を向いてから答えた。

 

「ああ、遅くまで悪かったな。おかげでこのプロジェクトの目処もついたよ。助かった」

 

 それに彼は照れた感じで頭をかく。

 

「僕は別にいいんですけどね、独り身だし。それよか比企谷さんこそいいんですか?大晦日にこんな残業して……。家で彼女さんとか待ってるんじゃ……」

 

「家で?誰も待ってやしねえよ」

 

「え」

 

 一瞬動きを止めた後輩が目を瞬いている。

 怯えさせちまったかな?

 少しつっけんどんに答えたせいか、彼は息を飲んだようだったが。

 

「あ、いや、悪かったな。気をつけて帰ってくれ」

 

 その言葉に彼は、「よいお年を」とだけ呟いて、そそくさと職場を後にした。

 

「ふう、やれやれ」

 

 俺は真っ暗になった他の部署の空間に視線を泳がせながら、肩をまわして独りごちた。

 そして年明けからスタートする新規事業の最終確認作業を進める。

 1000ページにも及んでいるこの企画全体のチェックリストは、目を通すだけでも途方もない時間を要する。だか、こればかりは俺がやらねばなるまい。

 なぜなら、この事業を立案提起したのは、この俺自身なのだから……。

 最初はまさかこの企画が通るなんて夢にも思わなかった。社内コンペに必ず何か提案するように言われ、俺はともかく『彼女』のために何かできないかとひたすら考えた。そして、荒唐無稽とさえ思えたこの企画を提案したんだ。採用されるなんて考える方がおかしい。

 

 だが、それがどう転がったのか、社長を筆頭に取締役会でも承認され、あれよあれよと企画が立ち上がり、そして入社3年のこの俺がプロジェクトリーダーの肩書きまでつけられることになった。

 もはや祝福を通りこして嫌がらせとしか思えない処遇だ。

 それでも……

 この俺の今の状況を『彼女』は喜んでくれたのだがな……

 

「あら?やっぱりまだここに居たのね、約束の時間はだいぶ過ぎていると思うのだけど……ん?なにを笑っているのかしら?」

 

 そう言って現れたのはファーのついたロングコートを羽織った黒髪の美女。まあ、俺がそう表現するのはいささか抵抗がないではないが。

 

「今ちょうどお前のことも考えてたとこだったんだよ、雪ノ下課長」

 

 彼女は被っていた帽子を手に取りながら俺へと視線を向けてくる。

 

「ふう、二人だけの時は名前でかまわないと言ったはずなのだけれど」

 

「そうだったな、悪かった、『雪乃』」

 

 彼女……

 雪ノ下雪乃は、この雪ノ下建設の社長令嬢であり、かつ有能な彼女は将来の後継者としての道を歩んでいる最中でもある。そして、なにより、この俺の直属の上司でもある。

 

「いえ、別にいいわ。それよりも何をやっているのかしら?もうすぐ年が開けてしまうわよ」

 

「そうなんだが、どうしてもこの仕事を終わらせたくてな。それに、待ち合わせには遅れるとメールしたはず……」

 

 その、とたんに雪乃がバンッと机を叩いた。

 

「本気で言っているの?私があそこでどれだけヤキモキしながら待っていたか本当に分かっているのかしら?」

 

 急に声をあらげた彼女に俺は息を飲んだ。

 

「す、すまない……」

 

 雪乃は額に指を当てつつ、首をふる。

 

「ふぅ……、確かにこの仕事が非常に重要だということは私も認識しているし、あなたのおかげで私も助かっているのは事実だわ……でも、それとこれとは話は別でしょう?過剰に時間を注いで身体を壊さないで欲しいの、貴方はもう一人ではないのだから」

 

 そう優しく微笑みかけてくれる雪乃。

 その思いやりのある表情は、あの高校時代のきつく尖ったモノとはまるで別物だ。

 人は変われば変わるものだと、彼女を見ていると良く思う。

 

「ああ、そうだな」

 

 俺は一度、ふうと息を吐いた後で、机に散らばった書類を纏め、そしてノートパソコンをぱたりと閉じた。

 そして雪乃を振り返る。

 

「待たせたな。もう今日は終わりにするよ」

 

「ええ、良かったわ。そうしてくれて。はいこれ」

 

 なんだと思ってみてみれば、彼女の手袋の手が握っているのはまさしくマッ缶。

 

「わざわざ買ってきてくれたのか?」

 

「そうよ。だってあの寒い中にずっと待っていて本当に寒かったのだもの。こんなことなら私も一緒に残業すれば良かったわ」

 

「いや、お前こそ働きすぎだ。親父さん……社長の期待に応えようとするのはいいが、やりすぎて無茶はするなよ。お前には前科があるんだからな」

 

「ええ、そうね。そうするわ。でも今のあなたにだけは言われたくないのだけど」

 

 ふふふと笑う雪乃を見ながら、ぷしゅっとマッ缶の口を開く。そしてその少しぬるくなった甘い癒しのコーヒーを飲んで、俺はようやく一心地ついた。

 そんな俺を見ながら雪乃が微笑みかけてくる。

 

「なんだよ」

 

「やっと顔の緊張がほぐれたわね。さすがマックスコーヒーというところかしら?」

 

「千葉に生きる人間にとってはかけがえのないコーヒーだからな。全国区になって嬉しい限りだよ、スチール缶じゃないのが残念だが」

 

「それだけ話せるようなら安心だわ。父もあなたのこと心配していたのよ。ちょっと働きすぎじゃないかって。いずれはあなたを婿にいれたいとか言っていたのだけれど……」

 

 その言葉に思わずむせる。

 

「ちょ……冗談でもやめてくれ、せっかくのマッ缶の味がわからなくなる」

 

「あら、冗談ではないわ。ふふ……でも本気でもないのだけれどね。あなたが素敵な人だってことを、私は認めているのだもの」

 

「だから……やめろって……」

 

 ずずいと、俺に顔を近づいてくる雪乃……

 俺は思わず顔を背けて近づく彼女のことを避けた。

 その瞳は潤んでいるように見え、そしていたずらっぽい笑みを浮かべて囁いた。

 

「こんなかわいい反応も出来るのね。ふふ、そんなところを……『彼女』も好きになったのかもしれないわね」

 

 そのとき……

 

 

 prrrrrrr……

 

 

「「‼」」

 

 

 鳴り響いたのは俺の携帯。俺はそれを大急ぎでとりだし、そしてすぐに出た。

 

「も、もしもし‼」

 

 そして、通話先の相手の反応……

 それは……

 

 

 

 

「~~~~…………んん~……ひ、ヒッキー~~……も、もう、う、産まれる~~、し、死ぬぅ~~」

 

「はあ!?だって、お前生まれるの明日の朝だとか言ってなかったか?陣痛全然来ないとか」

 

「来なかったんだけど、来なかったからさっきじんつー促進剤?っていうのしてもらって、いたたたたた……いたい~~、死んじゃう~~、お願いヒッキー、助けて~~」

 

「わかった、わかったからすぐ行くから、もうちょっと産まないで待ってろ」

 

「無理無理無理、そんなのむーりー。いたタタタ……か、か、看護師さん、い、痛いです………プツ、ツーツーツー……

 

 

 

 

 マッカンを机に置いて、雪乃を見れば、思いっきり座った目で俺を睨んでるし。

 アーそうだよ、分かってるよ、さっさと行かなかった俺が全部悪いんだよ。

 コートを羽織って荷物を持った俺に雪乃が一言。

 

「父親になるのが怖いからっていつまでもうじうじ仕事に逃げているようじゃ、先が思いやられるわよ」

 

「うっせ。おら、さっさと行くぞ」

 

「まあいいわ。こんなこともあろうかと、都筑さんにお願いしたから病院まで連れて行ってもらいましょう」

 

「はあ?都筑さん待ってるのか?大晦日だぞお前」

 

「病院に行く約束の時間をすっぽかしたあなたが言うセリフではないわね」

 

「ぐむうう」

 

 ということで、俺と雪乃は大晦日深夜の千葉の町を高級車で疾走することになった。

 

 そう、今このとき、俺の新妻『結衣』が出産のために病院で頑張っている真っ最中だ。

 雪乃が怒るのも当然だ。夕方にお腹に痛みがあったとかで病院にお義母さんと入ったときに、俺は一度向かおうとしていた。でも、結衣から思ったより時間がかかりそうだからと言われ、仕事も終わっていなかったことを言い訳にして俺は病院に行かなかった。

 雪乃にはすぐに行けと言われたがな。当然だろう、なにせ結衣は親友だしな。だから、俺を時間指定してまで呼び出したんだからな。行かなかったわけだが。

 

 本音を言えば、俺はただ怖かったんだ。

 

 子供ができる。

 この俺にだ。

 そんなこと、信じられるものか。

 

 俺は本当に何も変わっちゃいない。

 こうやって結婚して仕事しているが、人に誇れるようなものなんて、何一つない。

 結衣のことを心から愛しているし、仕事に生き甲斐だって感じている。だが、それは俺が勝ち取って得たものと言えるのか?そうではない。流されている。俺はずっとそんな思いにさらされていた。

 

 充実しているのだ。

 

 無事にこの雪ノ下建設に就職し、高校からの付き合いの結衣とは同棲するようになっていた。保育士をしていた結衣と二人で働きながらお金を貯めて、旅行をしたり、美味しいモノを食べに行ったり、そしてごく自然に結婚の約束を交わして、そして今年、小さなマンションを買った時に、俺達は入籍したのだ。まだ式は挙げていないが、自然な流れで結衣は妊娠した。それを聞いたとき、俺はただ、『嬉しい』と思ったんだ。でも……

 

 こんなに普通に俺が幸せを享受できるものなのだろうか?

 

 俺にとって幸せとは、なにより孤独でいることであったはずだ。

 それがある日、ふとしたきっかけで人のぬくもりに触れ、結衣の優しさに包まれ、そしてそんな日々が愛おしく感じられるように変わっていったんだ。

 俺にとって、それはなにより恐ろしいことだった。自分の変化に戸惑う日々。

 こんな俺が子供を授かって本当にいいのだろうか。

 俺がそんなことをもんもんと考えていると、雪乃に声をかけられた。

 

「また何か余計なことを考えているようね」

 

「なんでお前は俺の心を読んじゃうんだよ。何も言ってないだろうが」

 

「あら、あなたが考えそうなことくらい想像するのは簡単だわ。そうね、どうせ、俺なんかが父親になっていいはずがない。とか、そんな益体もないことを思っていたのでしょうけど、諦めなさい、子供は産まれてくるのだから」

 

「んぐ。まったくその通りなんだが、諦めて父親になるとか、それおかしくない?」

 

「別におかしいことではないでしょう。世の中には出来ちゃった婚なんてものもあるし、子供が出来てから親を頑張れば良い場合もあるでしょう。それに比べたら、あなたなんて順当すぎておかしいくらいだわ」

 

 雪乃はただ微笑んでいる。

 彼女の言葉はもっともだし、俺だってそれくらいわかってる。

 だが、それでも、俺は自分のことが信じられないんだよ。

 ふうと息を吐いた雪乃が静かに言った。

 

「安心しなさい比企谷君。あなたはきっと良い父親になるわ。だって、すでに結衣さんにとって良い夫をしているのだもの。結衣さん、本当に幸せなのよ。あなたの話をするともう止まらなくなるのだもの。いい加減惚気話は控えるようにあなたからも言ってくれないかしら?」

 

 結衣の奴、なにやってんだか。

 顔面が熱くなっているのを感じながら雪乃を見ると、ニヤニヤ笑いながら俺を覗きみていた。そして言った。

 

「大丈夫よ。もし本当に自信がなくなって苦しくなったら、結衣さんを頼りなさい。彼女は必ずあなたを助けるわ。それに、私も姉さんも、ほかにもたくさん、貴方たちの力になりたいと思っている者はいるのよ。そうね、難しいでしょうけど、もし本当につらくなったら……」

 

 雪乃は俺に満面の笑顔を向ける。そして

 

「頼ってね」

 

 その微笑みに俺の心は一気に軽くなった。

 

「ああ、そうするよ」

 

「それがいいわ」

 

 ありがとうな雪ノ下。

 そうだった。俺はもうひとりじゃないんだ。

 結衣もいる、そして仲間たちがいる。

 もう一人で怖れて怯える必要はないんだ。

 そう思えたとき、俺の気持ちは本当に楽になった。

 

「あのプロジェクトもきっちり成功させましょうね、結衣さんのためにも」

 

「ああ、それは必ずな」

 

「ふふ、あなたから、『働く親の為の保育園の経営』のプランが飛び出すとは夢にも思わなかったわ。父はこれからの未来のためにってかなり乗り気になったしね」

 

「俺はただ、産まれてくる子供と結衣の為になにかしたかっただけだよ」

 

「ほら、もう十分いいお父さんしているじゃない」

 

「あ」

 

 そうだな。そう思うだけでいいのかもしれない。

 だったら、そう思うように努力しよう。愛する人達のために願い続けよう。

 俺はみんなにしあわせになってもらいたいと。

 

 

 

「ヒッキー……しぬぅ、しんじゃうぅう‼せ、背中、さすって‼」

 

「うわわ」「あわわ」

 

「あらあら、うふふ」

 

 病院に着いた俺と雪乃を迎えたのは、ベッドの上で絶叫している結衣と、にこにこ微笑んで編み物をしているお義母さん。俺と雪乃はと言えば、その部屋の入り口であわあわしているだけ。

 

「お、お義母さん!す、すぐに先生呼ばないと!」

 

「おちついて八幡君。まだ子宮口全開してないから無理なのよ~」

 

「子宮っ‼」「ぜ、全開!?」

 

「しぬぅ、い、いたいぃ‼ヒッキー、た助けてよぉ!」

 

「あらあら結衣ったら~、うふふ、ごめんなさいね八幡くん、結衣の背中を擦ってあげてくれないかしら?」

 

「は、はいっ!」

 

 結衣の背中を力一杯さする、そうするとほにゃあと柔らかい顔になる。

 

「あ、ありがと、ヒッキー……、あ、あたし、頑張るからね」

 

「お、おう。俺も一緒だ、結衣」

 

「うんっ‼い、痛いっ‼いたいいたい……」

 

 そしてそれから俺は朝まで結衣のことをさすり続けた。

 雪乃も待ち合い室でずっと待っていてくれた。

 結衣の痛みを変わってやることはできない。だが、その痛みを共有することは出来るのではないか。男の俺には一生理解できないであろうそれを、俺は必死に俺のうちに刻み込もうとした。痛みに耐える結衣を見つめながら、今このときのことを決して忘れまい。俺はそう心に誓った。

 

 分娩室に移動のとき……

 

「あ、立ち合いはご主人おひとりだけでお願いしますね」

 

「え?」

 

 雪乃とお義母さんを残し、中に入り、激痛に顔を歪める結衣の顔を見つつ、ぎゅっと手を握り続けた。

 

「はい、おかあさん、イキんでください。はい、頭が少し出てきましたよー。じゃあ、ちょっと赤ちゃんまわしますねー」

 

「ま、まわす!?」

 

 青いシーツの向こう側で、いったいなにがおこっているのやら……

 俺は苦しみながらも、微笑んでる結衣をなでながら、そして、産まれてくる我が子の幸せを心から願っていた。

 

「おめでとうございます!元気な…………」

 

 助産師さんの言葉を聞きながら、そしてそっと抱きかかえられて結衣のもとへくる俺達の小さな分身……

 涙を流してその子を見る結衣に、俺は静かにありがとうと感謝を告げた。

 

 俺はようやく覚悟がついた。

 俺一人じゃきっとなにもできはしないだろう。でも、俺には結衣がいる。この子がいる。そして、雪乃やお義母さんや、仲間達みんながいる。

 そうだな、一人で無理なら頼ろう。頼ってしまおう。

 きっと、本当の幸せは、自分一人では掴むことはできないのだから。

 

「これから頑張ろうな、結衣」

 

「うん」

 

 心からの幸せを噛みしめて、俺は結衣を撫でた。

 たまにはいいだろう。

 こんなまちがってない幸せの形ってやつもな……

 

 こうしてこの日、1月1日は一生わすれることのできない正月となったのだった。

 

 



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サンタを信じてるガハマさんと、ゆきのん・八幡が一緒に居るだけの話

皆さんご存知の通り、原作の結衣はサンタの正体のことを知っています!!

が、この作品の結衣はどうもそうではないみたいですよ。


「今年はサンタさんなにくれるかな?」

 

「へっ?」「え?」

 

 机に両手で頬杖をついてる由比ヶ浜が、脚をぶらぶらさせながらそう呟いた。それを聞いた俺と雪ノ下は咄嗟に顔を見合わせる。ま、まさか、本気じゃないよな?

長机の対極にいる雪ノ下が、由比ヶ浜に向かって口を開きかけた。

 

「あ、あの……由比ヶ浜さん……サン「ふぇっクッション!」」

 

 俺は慌てて雪ノ下の言葉にくしゃみをかぶせた。そして奴の目を見る。

 雪ノ下は怪訝な顔で俺を見つめた。そう、その顔はこう言っている。

 

『高校生にもなってサンタがいるなんて信じてる事、彼女が恥を掻く前に早く教えてあげるべきだわ』

 

 俺は横目で雪ノ下を睨んだ。

 

『いやいやいや……信じているんならそれでいいじゃないか。人の夢をわざわざ壊すんじゃねえよ』

 

 俺と雪ノ下の無言の攻防の間で、一人目を輝かせる由比ヶ浜。

鼻歌を歌いだしそうなくらい上機嫌だ。いや、待てよ? 別にこいつはサンタからのプレゼントが楽しみなわけで、別にサンタを信じてるとは言っていない。要は親からのプレゼントを暗喩してサンタと言っているだけなのかもしれない。

 よし、それならちょっと、聞いてみるか。

 

「なあ、由比ヶ浜……サンタはソリで飛んでくるんだから、あんまり重たいものは運べないよな」

 

 よ、よし、これなら『俺はサンタを信じているわけじゃないけど、子供の夢を壊さない程度には対応できる男なんだぜ』をアピールしつつ、冗談で済まして自分にノーダメージでいける。さて……

 由比ヶ浜は俺に顔を向けたあと、にこっと微笑んで…

 

「そうなんだよねー。だから前に『お城が欲しい』って頼んだ時に、『それは大きすぎてソリに乗らないよ』ってママに注意されたんだー。だから、今は小さい物をお願いしているんだよ」

 

 おおふ……はい、すいません、やっぱりガチでした。

 

「お、おお……そ、そうか……」

 

 そんな俺を雪ノ下が横目で睨んでいた。

 

『だから言ったでしょう……(言ってないけど)……こういう事は早く教えてあげるべきだわ』

 

『い、いや……それでもな、信じている奴の夢をわざわざ壊す必要はないと思うぞ。俺だって、初めてサンタが居ないと聞かされたときは、そりゃショックだったからな。だから、俺はいまコイツにそんなショックを与えたくなんてないんだよ』

 

『そ、それは私もそう思うのだけれど……でも、それで恥を掻くのはやっぱり可哀そうだわ……わたしは小学校に上がる前に姉さんにサンタがいないと暴露されたのだけど、だから現実を直視できるようになったとも言えるわ。由比ヶ浜さんが現実を見ないということに貴方は果たして責任を取れるのかしら?』

 

『うぐ……、せ、正論を……』

 

 俺の顔を見ながら、雪ノ下が勝ち誇ったような笑いを浮かべる。ぐっ……無言の攻防でも、やっぱりこうなるわけか……。何俺、超ゆきのニスト!!

 そんな雪ノ下に向かって由比ヶ浜が口を開いた。

 

「ねえねえ……ゆきのんはサンタさんに何をお願いしたの?」

 

「わ、わたし……は……」

 

 雪ノ下が、困った顔になって、言葉に詰まった。チラチラ俺の方を見てくるし……。もう教えたいなら教えれば良いだろ。俺は何も言う気はねえ……

 由比ヶ浜がにこにこしながら雪ノ下に近づく。

 

「わ、たしは……頼んでないの、そう、お願いしてないのよ……もう子供じゃないから」

 

 おお……なかなか無難な答えをしたな。俺が雪ノ下に顔を向けると、ちょっと頬を染めて顔を背けた。意外と可愛いとこあるじゃねえか。

 由比ヶ浜はそれを聞いて、

 

「ふーん……そうなんだー。あ、じゃあさ、あたしがゆきのんの分も頼んであげるよ」

 

「え? で、でも……それは悪いわ」

 

「いいのいいの……多分ゆきのんも私と同じ物欲しいんだろうし……ついでだからさ」

 

「……? そう? なら、お願いするわね」

 

「うん! えへへ……」

 

 俺は嬉しそうな由比ヶ浜の顔に、ホッと胸をなで下ろす。でもなんだ? 由比ヶ浜は何をお願いする気なんだ?

雪ノ下も欲しい物で、手に入る物ってなんだ?

 まあ、いいか。本人は満足そうだし。

 夢は夢のままでもいいと思う。現実に向き合って嫌な想いや、後悔をするくらいなら、そんな現実はないままに、知らないままでもいいのかもしれない。俺は嫌だけどな……でもそれは俺の事であって万人の事ではない。リア充にはリア充なりに、ぼっちはぼっちなりに矜持があるってことなだけだ。

 

 リーン……ゴーン……

 

「あ、そろそろ下校時刻ね。では、帰りましょうか」

 

「だね」

 

 俺達は荷物を持って、廊下に出る。そしていつものように、雪ノ下が部室に鍵をかけたその直後、由比ヶ浜が俺と雪ノ下の手を掴んだ。

 

「ふぁっ? な、なんだ」

 

「ど、どうしたの? 由比ヶ浜さん」

 

 由比ヶ浜は俺達の顔を交互に見た後に恥ずかしそうに笑った。

 

「えへへ……メリークリスマス。ヒッキー、ゆきのん……これからも宜しくね」

 

 にへらっと笑った由比ヶ浜が俺達の手を強く握る。お、おい……ドキドキしちゃうからちょっと勘弁して! 雪ノ下も当然困惑顔だ。

 そして、手を離した由比ヶ浜が、「じゃあ、帰ろう!」と一人声をかけて、それに従って俺達は一緒に昇降口へ向かった。

 

 

 

 

 その晩の事……

 

「くっそ……由比ヶ浜の奴、今日はいったい何だったんだよ」

 

 俺は一人悶々としてなかなか寝付けないでいた。手に残る、由比ヶ浜の温かくて柔らかな手の感触が、妙に生々しく思い出される。うう……だから嫌なんだよ。勝手に盛り上がっちまうから……いかんいかん……とにかく寝よう。

 布団を頭まで深くかぶり、耳を塞ぐと、なんとなく眠りに落ちていく感覚があった。

 

 シャンシャンシャン……

 

 どこかで鈴の音が聞こえる気がする。

 その音は穏やかで、安心感があった。その音に導かれるように、俺は自然と体を起こす。体は重いがなんとか動くことが出来た。

 

 シャンシャンシャン……

 

 音はさっきよりだいぶ近くで聞こえる。

 体は相変わらず重かったが、頬に当たる微かな風がどうしても気になって……

 

ん? 風?

 

俺はそっとと目を開けてみた。すると……

 

「あ……やっと気づかれましたな」

 

「は? な、なんだぁ?」

 

 俺のすぐ隣には、サンタの格好をして丸いサングラスをかけた小柄なオッサンが、手綱を握って座っていた。目を前に向けると、そこには6頭のトナカイが。

そして見下ろすと、そこには、街明かりに煌く、夜の千葉市の風景が広がっていた。

 

「は? あー? えーと、どうなってんだ? あんたは誰なんだ? な、なんで俺はこんなとこにいるんだよ」

 

「わてはサンタだす。兄さんを迎えに来たんだすよ」

 

「迎え? なんで? はっ? そうか! これは夢だな……夢に決まってる!」

 

 そのちっこいオッサンは俺をチラリと見るとにやりと笑った。

 

「まあ、そういう事だす。でも兄さん幸せだすね。こんな素敵な夢の中に招待してもらえるんだすから……」

 

「招待? どういうことだよ……」

 

「ああ……もう、でも今はしゃべってる暇はないんだす。兄さんなかなか寝てくんないから、もう遅刻なんだすよ……さぁて、スピード上げますからね、舌かまんといて下さいだす。そりゃー」

 

「ぎゃああー」

 

 トナカイの引くそりが猛スピードで進んだ。そりゃもう気を失うくらいの激しさで。

辺りの景色が全く見えないまま、体中をぐわんぐわん振り回されたまま、俺は必死にソリにしがみつくしかなかった。どれくらいの時間が経ったのか……気が付くとそりが停まっていた。

 

「さあ、着きましただすよ……お兄さんお気張りやす」

 

 サンタがそう声をかけたところで、俺は地面に降り立った。周りは真っ暗で何も見えない。ここはどこだ?

 

「なあ、おい、ここはどこなんだよ……って、あれ?」

 

 振り返ると、もうそこにはサンタはいなかった。

 ったく、どうなってんだ。

 

 カラーン……カラーン……

 

 遠くで鐘の音が聞こえる。音の方に顔を向けると、そこには白壁の教会が立っていた。そこに続く青々とした芝生の上の石畳を俺は歩く。そして、大きな協会の木の扉の前に立つと、俺はゆっくりその扉を開けた。

 

 ギイィィ……

 

 重たい扉の開く音が辺りに響く……

中に足を踏み入れると、正面の上の方に、青や緑のステンドグラスの飾り窓目に入った。それは、陽光に煌いて、その光を俺の足元に落としていた。そして顔を正面に向けると、そこには……

 

 純白のウェディングドレスを着た二人の少女が立って俺を見ていた。俺はそのどちらのことも良く知っている。

 それに驚愕しつつも慌てて自分の格好を見てみれば、俺は真っ白なタキシードに身を包んでいた。ついで視線を巡らせれば、俺が立つその赤い絨毯の両脇の椅子には、たくさんの人が座っていた。俺の両親や小町、それによく見ると、戸塚や材木座、葉山に三浦に海老名さん……それに、平塚先生やかわ、かわ……何とかさんもいる。

 

 俺は両側にいるその連中の視線に怯えながら、真っすぐ二人の元へ歩いた。

 目の前には肩の大きく開いたウェディングドレスを着た由比ヶ浜と、それとは対照的に首まですっぽりと覆われた白のウェディングドレスの雪ノ下の二人が姿勢をただして立っていた。二人とも腕にブーケを抱えている。

 

「もう、ヒッキー遅いし……」

 

「本当にね……新婦を待たせるなんて、最低の新郎だわ」

 

「お、おい……ちょっと待て! どういうことか俺には話が見えないんだが?」

 

 俺のその言葉に由比ヶ浜がニコリと微笑む。

 

「だから、これは結婚式なの。ヒッキーとあたし達とのね」

 

 その言葉に続いて、由比ヶ浜と雪ノ下が腕を組んで俺に近づいて来た。

 

「は、はあ? け、結婚式だと!? これは、夢だろ? そうなんだろ?」

 

 その俺の言葉に由比ヶ浜は嬉しそうに、雪ノ下は赤い顔でちょっと恥ずかしそうに言った。

 

「そうだよ。夢……あたしの夢だよ! あたしは、ヒッキーとゆきのんと3人で居たいの……だからね、結婚しよ!」

 

「ふ、不本意だけれど、由比ヶ浜さんがどうしてもというので、仕方がないのよ。特別に貴方と結婚してあげることにしたわ」

 

 にへらと笑った由比ヶ浜が俺に抱き付く。そしてそのまま口づけをしてきた。その後、由比ヶ浜に押されるように、今度は雪ノ下が恥ずかしそうな表情で俺の唇にそっとキスをする。

い、いやいや、いやいやいや!!

な、なんで俺は今キスしてるんだ!?

しかもこんな唐突に!! 

え? へ? 

ゆ、由比ヶ浜と雪ノ下と!!

 

もう訳が分からないままに、何やらもやもやと色々なものが身体の内から湧き上がり続けているのをそのままに、正面に向き直ってみれば、そこには神父の格好をしたさっきの丸メガネのサンタがニヤリと笑って立っていた。

 

「ここに誓いの口付けを持って、3人の結婚を認めるだす。ア~メン!」

 

 ワッと、俺達の後ろの席の連中が一斉に歓声を上げて立ち上がって拍手をした。そして俺の両腕に抱き付いている二人が俺に向かって囁いた。

 

「えへへ……これから宜しくね。ヒッキー……ううん、八幡!」

「私も……お願いするわね……その……優しくしてね……は、八幡……」

 

 そう言った直後に、二人はその手に持っていたブーケを高く高く放り投げた…

 

 

 

 

 

 

 ジリリリリリリリリ…

 

「ハッ!!」

 

 俺は飛び起きた。由比ヶ浜は? 雪ノ下は? 教会はどこだ?

 辺りを見渡すと、そこはただの俺の部屋。昨日眠る前と全く変わっていない……

 

「はあ……なんだ……夢か……」

 

 そりゃそうだ……。

あんなこと現実に起こるわけがない。大体二人と結婚だなんて……バカバカしい……

 俺の自意識過剰も行きつくとこまで来てしまったようだ。こんな訳の分からない夢を見るなんて……

 まじで気持ち悪い。

 俺は気持ちを切り替えて、支度をして家を出て学校へ向かった。

 でも、何かおかしい……?

さっき朝食の時、小町が妙に赤い顔をして俺のことをチラチラ見てたしな……それに途中で俺と目のあった、かわ、川……なんとかさんも、赤い顔して視線逸らしたし……なんだ? 一体……

 

「やっはろーヒッキー」

「おはよう……比企谷君……」

 

 正門の方から俺を呼ぶ声が聞こえる。顔を上げればそこには、ついさっきまで夢の中で白いドレスに身を包んでいた彼女達二人が立っていた。

 

「おお……おはよう……珍しいな、朝から二人が一緒にいるなんて」

 

 二人は俺に近づくと、急に俺の手を掴んだ。由比ヶ浜は嬉しそうに、雪ノ下は赤い顔でちょっと恥かしそうに……ってこれって……

 由比ヶ浜は微笑みながら俺に囁いた。

 

 

「いつまでも3人一緒だよ……は・ち・ま・ん!」

 

 

 

「はぁ、本当に若い人たちの夢は羨ましいだすな。わてももう一度青春とかしてみたいだすね」

 

 そんな声が空の上から聞こえたとか聞こえなかったとか。

 

 

 

 

 

 



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八幡が結衣とチャーハンを食べに行っただけの話

「ね、ねえ、ヒッキー……これって……『デート』だよね……」

 

「は、はあ?」

 

 由比ヶ浜にそう言われた俺は、思わず素っ頓狂な声で反応してしまう。

 目の前では、ちゃっちゃっと中華鍋を振う白いコック服姿のお兄さん達が、ずらりと、横にならんで大量の料理を作っている。時分は昼時……ほぼ満席の店内で、俺と由比ヶ浜は並んでカウンターに座っていた。

 ここは、幹線道路沿いのとある24時間営業の中華レストラン。開けっ広げなキッチンは、大きな中華コンロが実に6台も並んでいて、それぞれに一人ずつ調理人の人がついている。目の前で立ち上る火柱に圧倒されつつも、素早い手つきで料理を作るその様は、まさに圧巻だ。満員の店内は人のざわめきが響き、厨房からも鍋を振る音や、オーダーを確認する声が飛び交い、賑やかこの上ない。しかも、中華料理特有の香ばしい良い匂い。ほんと、空腹を刺激される。

 

 今日は休日なのだが、たまたま数学の補修で学校に来てみれば、なんと、俺の他にもう一人……俺が唯一(というか、他にクラスで知り合いらしい知り合いもいないからなのだが)アホ認定している由比ヶ浜も居た訳だ。

 で、午前中二人で追試のような物を受けたのだが、はっきり言って、二人とも赤点。頭を抱えた先生が、午後に特別授業をすると言いだした。午前中で帰れるものと思っていた俺は、当然弁当もないし、購買も今日は開いてないから調達もできない。仕方ないから外食……ってことになるんだが、それは由比ヶ浜も同じだったようで、自然な成り行きで二人して校外に食べに出て……なんとなく中華が食べたくてこの店に来た訳だ。

 

 注文して、水を出してもらった直後、突然前述のような突拍子もないことを言った由比ヶ浜だったが、俺をチラリと横目に見た後に、視線を落としてなんだかモジモジしだした。

 

「あのなあ……デートっちゃそうなんだろうけど、飯食いに一緒に来ただけだろうが。第一、こんなに満席で、賑やかな店でデートって、ふつう発想しないんじゃないか?」

 

「あ、あはは……そ、そうだよね! な、なに言ってんのかな、あたしって……あはは……」

 

 冷たくあしらった俺に、由比ヶ浜が顔を赤くしてそう答える。ったく、なんでこんなこと言うかね……なんにも言わなきゃ意識なんてしなかったのに。第一……チャーハンと餃子頼んでデートもなんもないだろ。

 俺のそんな思考を遮るように、恰幅の良いおばちゃんが、こんもりと丸く盛られたチャーハンを二つ手に持って現れた。

 

「はいー! チャーハン二つね、はい、スープ。それと、餃子4個入り1枚ね。ご注文はこれで良い?」

 

 その言葉に、俺達はコクコク頷いた。頼んでまだ5分も経ってない。流石中華料理は早いな。

 

「いただきまーす!」

 

 由比ヶ浜が正面で手をパチンと合わせてそう言うと、レンゲを手に持ってチャーハンを食べ始めた。俺はここのチャーハンが気に入ってる。なんと今時珍しく刻んだナルトが入ってる。味付けも、中華だしたっぷりの濃い味でまさに昔ながら。

 しかも、安いと来てる。由比ヶ浜も多分気に入ったんだろう……美味いとも、何とも言わずにもしゃもしゃ食べてる。そう、本当に美味いときって、別に旨いだなんだ言わないで食べちゃうもんだよね。

 あと、この店は、この手作りの大きな餃子が本当に美味い! 肉とにんにくたっぷりなんで、本当は人と会う時は遠慮しないとまずいんだろうけど、今日はまあ、俺とコイツしかいないしな。それに二人して食ってれば匂いも気にならないし。そう思い頼んだのだが……

 

「ねえ、ヒッキー、あたしには大きくて、餃子2個も食べられないよ……あたしの分も食べてくれないかな?」

 

 隣の席で由比ヶ浜が俺に上目遣いでそう聞いて来る。

 

「お。おお…仕方ねえな食ってやるよ……って、は? な、なにやってんだ、お前?」

 

 見ると、由比ヶ浜が餃子を自分の箸でつまんで、たれをつけたかと思うと、そのまま俺の口に運んできた。所謂『あーん』って奴だ。

 

「え?あたし、自分のとこのタレに置いちゃったからさ……ヒッキーに直接食べてもらおうと思って…」

 

「い、いや……自分で取れるから。ほら、そのまま、持ってろよ、俺の箸で取るから……」

 

「ダメだよ! それじゃ『箸渡し』になっちゃって、縁起わるいよ。いいから、このまま食べちゃってよ!」

 

 想いの他、強気にそう言ってきた由比ヶ浜に押され気味になった俺は、なんだが面倒くさくなって、そのまま口を大きく開けた。そこへ……由比ヶ浜が餃子をねじ込んでくる……うっ……デカくてきつい! ちなみに俺は由比ヶ浜の箸には口をつけていない。その前に奪い取っていたのだが。

 もっきゅ、もっきゅ食べる俺を見ながら、由比ヶ浜がえへへと笑う。そして……

 

「間接キスだね」

 

「ぶふっ……!」

 

 突然ニコリとそう囁いた由比ヶ浜の言葉に、思わず食べてたものを吹きそうになった……。

 ちょ、お、お前な……気をつけて食べてたのお前も見てたろう? そんなこと言われたら、好きになっちゃうだろうが。勘弁してくれよ、まったく。

 あいも変わらず、ニコニコしながら、チャーハンを食べてる由比ヶ浜に俺は猛烈に意趣返しをしたくなった。

 まったく、こんな悪戯をもう出来ないようにしてやる。よーし……悶えるくらいな嫌がらせをしてやろう。

 俺はおもむろに、自分で使っていたレンゲでチャーハンをごっそり掬うとそれを持ち上げて、由比ヶ浜の眼前に運んだ。そして…

 

「あー、由比ヶ浜……餃子のお礼だ。おれのチャーハンをやるよ。ほれ」

 

 きょとんとして、その俺の差し出したレンゲのチャーハンに視線を向ける由比ヶ浜を、俺は内心ニヤニヤしながら見ていた。くくく……まあ、これで、コイツはキモイを連発して俺から逃げるだろ…

 

 ぱくぅッ

 

 またもや唐突に行動に出た由比ヶ浜に、俺は仰天する。いきなり口を大きく開いたかと思ったら、俺の差し出したレンゲにかぶりついたのだ。

 えええー!ちょ、お、お前…何してんだー……!

 由比ヶ浜は、その俺のレンゲを、もくもくと口の中で動かして、上唇で残った米粒をこそぐようにしてか

ら、ちゅぽんっ……とそれから口を放した。それから、にへらと笑って俺を見る。

 

「な、なにしてんだー、お、おま……」

 

 俺のその言葉に悪びれもせずにただ、『ありがと』とだけ返す由比ヶ浜……俺は、綺麗に舐めとられたそのレンゲをただ見つめていた。そんな俺を見て……

 

「あれ? ヒッキー、もう食べないの?」

 

 横から不思議そうにそう声をかけてくる、由比ヶ浜。で、できるわけねーだろ!

 

「ちょっと……すいません……レンゲを……」

 

 俺は新しいレンゲを貰おうと、店員に声を掛けようとすると……

 目の前で一部始終を見ていたさっきのぽちゃっとしたおばちゃんが……

 

「あー、若いっていいねー」

 

 横目で俺達をニヤニヤとした目つきで見ながら、そう呟いてるし……あの……れんげを……

 それ以上、話を聞いてくれない店員にがっくり肩を落としつつ、更に、隣で幸せそうにチャーハンを頬張る由比ヶ浜を見つつ、俺は……

 そのレンゲで、残りのチャーハンを食べた……

 

 

 

 

「あー……美味しかったねー!」

 

 満足そうな顔の由比ヶ浜が、俺と並びながらそう話す。なんで、コイツはこんなに平気なんだよ…

 俺はさっきの出来事を思い出し、一人赤面する。まさか、他人の…それもじょ、女子の舐めたレンゲで、チャーハンを食べることになるとは…

 ま、まさか、コイツはこういうの平気なのか? そう言えば、さっき躊躇なく『間接キス』どうのとか言ってたしな…こいつ、キスとか平気なのか? ひょっとして経験してんのか……

 そう思った途端に、隣で微笑みながら俺と歩く由比ヶ浜の唇が、妙に艶めかしく感じられてしまった。

 く、くそう……なんで、こんなに意識しちまうんだよ、俺は! 俺だけに向けてるわけねーじゃねーか、コイツはトップカーストだぞ!多分、欧米並みにキスの習慣もあるんだよ、きっと…でも、なんだ…なんで、こんなにモヤモヤするんだよ……

 

「どうしたの、ヒッキー?」

 

 ひとり身もだえて、頭を掻きまくっていた俺に、不意に由比ヶ浜が声を掛けてくる。その言葉に、顔をあげると、まるでアップで迫ってくるように、由比ヶ浜の唇が目に飛び込んできた…だから、俺は慌てて視線をそらした。

 その俺の行動に、なぜか由比ヶ浜がさらに追及してくる。

 

「なに? ほんとどうしたの、ヒッキー? お腹痛くなっちゃったの? ねえ……」

 

 そう言って俺を覗きこむ由比ヶ浜…ちょ、ち、近いって…こいつの唇を意識しまくっている今の俺はまともに、顔を見れない。だが…

 がしっと、両手で俺の頬を掴んだ由比ヶ浜が、顔を背けようとする俺の行動を阻んだ。目を逸らせなくなった俺は、全力で抑えつけてくる由比ヶ浜の顔を正面から見ることになる。その瞳は何かを訴えるように俺の目に注がれ、その顔は上気したように真っ赤になっていた。

 な、な、なんで、そんなに顔を近づけるんだよ…このままじゃ…キス…

 

 ま、まさか…

 

 こいつ、キスしようとしてんのか? 俺に? な、なんでだ? ま、まさか、本当に俺の事好きなのか? い、いや、ちょっと待て、今まで何回その勘違いをおかしてきた。で、何回痛い目見てきたと思ってんだ…少しは大人になれ……

 いや……でも待てよ……さっきの食事中のこいつのことば……コイツの行動……どれをとっても、俺に好意があるようにしか見えなかった。っていうか、どう見てもアプローチだろ……なら……ならなんだ? どうすればいい?

 今のこの状況はどう考えても不自然。俺の顔に、こんなに顔を近づける理由ってなんだ?

 キス……キスか……やっぱりキスなのか……

 お、お、お、俺だって…キ、キスは興味あるさ。だって男の子だもん!

 でも、まさか、流石に、女子の方からファーストキスを奪われるのは、断固として阻止したい……なら……なら……どうする? 今の状況を全て整理した最適解、それは……

 

 ……………よし!!

 

 ぶちゅうぅ

 

「んん~!!」

 

 俺は両手で正面にまわった由比ヶ浜の頭に手をまわすと、そのまま由比ヶ浜の唇に、俺の唇を押し当てた。そしてそのまま暫く由比ヶ浜を見ていると、最初は真っ赤になって、目を見開いていたが、次第にその目をトロンとさせて、そのうちに完全に瞼を閉じた。

 俺の両頬を掴んでいた手は、一旦放し、今度は俺の背中に腕をまわす。そして、そのまま俺達はお互い抱き合ってキスを続けた。

 暫くそのまま抱き合ってた俺達だったが、ふと由比ヶ浜が俺の背中をポンポンとタップした。そして、それに合わせて唇を放す。

 

「ぷはーー……はあ、はあ……」

 

 急に赤い顔のまま、呼吸を荒げた。

 

「ど、どうした……?」

 

「ご、ごめんねヒッキー……で、でも、いつ息継ぎしていいのか分かんなくて……」

 

「は? あ? ああ……鼻で息すればいいんじゃねえか? ってお前、ひょっとして初めてなのか?」

 

「あ、当たり前でしょ! でも、そ、そっか……そか……じゃあ、もう一回……」

 

 そう言って再び由比ヶ浜が俺に抱き付いて唇を重ねてくる。今度はさっきと違い、お互いの唇を舐めるように舌を這わせて……そのうちに、お互いの舌と舌が触れる……俺達はそのまま深く深く、お互いの舌を絡ませた。

 

 暫くして、ふと視線を周りに向けると、何人かの通行人が赤い顔をして、俺達を見つめていた。俺はそれに気づくと、由比ヶ浜の両肩を掴んで、ぐいっと引き離した。

 

「や、やん……」

 

 切なそうな瞳を俺にむけたまま、まだキスしたりないといった表情の由比ヶ浜が俺を見ている。俺はそんな由比ヶ浜の耳元に、現状をサラッと伝えると……

 一瞬びくりと肩を震わせた由比ヶ浜が、顔をあげることも出来なくなって、俺の腕に抱き付いてきてしまった。俺はとにかく気まずくなって、そんな由比ヶ浜を抱きかかえたまま、速足でその場所を後にした。

 

 

 

 

「えへへ……ヒッキー好きだよ……」

 

 観衆の視線から逃れようと急いだ俺達は。なんとか学校の正門を潜った。その途端に、由比ヶ浜がそう口にする。まったく…本当に恥ずかしかった。あんなところでキスなんて要求しやがって。

 俺の非難の視線もなんのその……由比ヶ浜はまったく悪びれもせずに、校内にも関わらずまた俺の腕に抱き付いて来る。

 

「お、おい……学校の中だぞ……ちょっとは離れろよ」

 

「いいじゃん別に……それに、今日は休みだよ。生徒なんてほとんどいないよ」

 

「そりゃそうかもしれないが、恥じらいってもんがだな……」

 

「だいじょうーぶだよー……でも、びっくりしたぁ。ヒッキーが急にき、キスしてくるから……」

 

「は? そ、それは、お前の方だろうが……俺に顔近づけて来やがって……」

 

「え? あ、あれは、ヒッキーが赤い顔してたし、具合悪いのかなって思って……はっ!?」

 

 俺達はお互いに顔を見合わせた。どうやら、二人して重大な勘違いをしていたのかもしれない。驚愕の表情で俺を見つめる由比ヶ浜に俺はなんて声をかけていいのか、分からない。ただ……

 

 もう……後戻りできないよな……

 

 俺は静かにもう一度覚悟を決めた。

 

「あ、あのな……由比ヶ浜。順番変わっちゃったけど……あの……お、おれと付き合わないか?」

 

 その俺の言葉に…とてとてと近づいて来た由比ヶ浜が…

 

「う、うん……もちろんだよ!」

 

 にっこりと微笑んで、俺に再び抱き付いて来た。

 

 

 

 その後の補修は、はっきり言って全く何も頭に入ってこなかった。なぜなら、先生の前にいる俺達は、午前中とは違い机をピッタリつけて並んで座っていたからだ。で、教壇に立つ先生からは見えない机の下で、俺と由比ヶ浜はずっと手を握りあっていた。

 その結果……

 

「はあ……また……追試か……」

 

 全く覚えきれていない俺達二人に、もう次はないと最後通告をしつつ、先生が再度の追試を宣言したのだ。これで落としたら、マジで進級出来ないだろう…はあ…内心、かなり焦りながらも、俺に腕を絡ませて歩く由比ヶ浜はニコニコと嬉しそうなままだ。

 

「お前な……進級できないかもしれないんだぞ。もうちょっと危機感をだな……」

 

「へへ……ヒッキーだーい好き」

 

 もうさっきからそればっかりだな。

 俺は俺を好きだと言ってくれるこいつを見ながら考える。勘違いから始まる恋もある……どっかの本で読んだこともあったな…きっかけなんてなんでもいいのかもしれない。怖がって逃げてばかりの俺だったけど、まさかこんな所でもまたやっちまうとは…もし、拒絶されてたらどうだったんだか……いや、別に変わりはしないか。

 俺は俺か……今は……

 俺を好きになってくれたコイツに一生懸命応えよう。

 

「とりあえず由比ヶ浜……まずは勉強だ! 一緒にやるぞ!」

 

 俺のその言葉に満面の笑みを浮かべる由比ヶ浜がさらに強く抱き付いて来た。

 うう……これは、まじでやばいかも……

 俺は一抹の不安を感じつつも、必ず進級してやるぞと覚悟を決めた。

 

「ずっと一緒だよ!ヒッキー!」

 

 




『勘違い』というお題で即興で書いた過去作です。

なんだか珍しく二人でいちゃいちゃするだけの話になってしまいました。
にんにく臭くても、なんかいい匂いしてそうですね、二人とも(笑)


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この素晴らしいヒロインに祝福を!

この作品は俺ガイル×このすばのクロスオーバー作品……

と見せかけた、ただ単に俺ガイルメンバーはこのすばの話で盛り上がっているだけのお話です(なんだそれりゃ)


「ねえヒッキー、『このすば』って読んだ?」

 

「は?」

 

 部室でいつも通りラノベを読んでいた俺に、スマホを弄っていた由比ヶ浜がそう話しかけてきた。

 

「『このすば』って、『この素晴らしい世界に祝福を!』ってやつか?」

 

「うん、それそれ」

 

「まあ、読んだけどな、一応今出てるとこまで全部。っていうか、なんだ?長い文章を読めないアホの子のお前が急にどうした?」

 

「ちょっとヒッキー酷いし!あたしだって本くらい読むし、しょーせつ? だって読めるし!!」

 

「なんで、小説のとこがちょっと自信なさげなんだよ。別にいいんだが……それで? それがどうした?」

 

「あ、えとね、この前いとこの子に借りてさ、少し読んだらはまっちゃって、毎日少しづつ読んでてさっき読み終わったの!! それでさ、ヒッキーも読んでたらその話もできるかなって思って……えへへ」

 

 なにがえへへだよ。

 そんな嬉しそうに俺を覗き見るんじゃねえよ、恥ずかしくなっちゃうだろ、まったく。

 

「そうか。ちなみに、確かスピンオフも合わせて全部で12巻出てたはずだが、全部読んだのか?」

 

「うん、全部読んだよー。もうね、めぐみんが可愛くて可愛くて。主人公のカズマ君がヒッキーにちょっと似ててさ、そこも良かったし!」

 

「いや、俺はあんなヒキニートじゃねえっつーの。地味に人のことディスってんじゃねーよ。っていうか、どうせ全部流し読みだろ?本当に内容覚えてんのか?」

 

「うー、そ、そう言われると自信はないんだけど、結構読むのに時間かかっちゃったし……でも、大体はわかるよ」

 

「ふーん?なら、紅魔の里のめぐみんのともだちの名前、とりあえず4人言ってみ?」

 

「あ。えーと、『あるえ』でしょ? 『ふにふら』でしょ? 『どどんこ』でしょ? えーと今三人だよね、あと、えーとえーと……」

 

「もう一人は『ゆんゆん』ね、他には、『ねりまき』とか、『そけっと』、男のキャラだけど『ぶっころりー』とかね。『こめっこ』は妹だから除外して支障はないわね」

 

 と、急に横から声がしたと思ったら、発言したのは本を見ながら長い黒髪を手櫛でサッとかき上げたゆきのんさん。

 

「そうだそうだった、ゆきのんすごーい」

 

「なにお前? お前も読んでたの?」

 

「ええ、最近話題だったし、それにたまには気分転換に、貴方が読んでいるような通俗な本も読んだりするわ」

 

「あんまりそうやってラノベを下に見るもんじゃねーよ。みんな頑張って書いてんだからな。それにしてもお前まで読んでたとはな。ま、確かに面白い作品だしな」

 

「だよね! あたしも読み始めたら止まんなくなっちゃってさ。気が付いたら全部ダウンロードしちゃってたの」

 

「お前WEB派なの?」

 

「うん! だって、スマホに全部入るし、お手軽だしねー。後、ダウンロード特典小説もついてたし、短いやつ」

 

「え? そうなの? どれどれ、俺にも読ませてくれよ、その特典小説」

 

「うん、いいよ! はい、どうぞ」

 

「呆れたわね、そう言って女子のスマホを覗き見ようなんて……いよいよクズマ……いえ、クズ幡と呼ぶべきかしら?」

 

「いやいやいや、ちょっとなにそれ雪ノ下さん? いよいよって何? ちょっと上手い事言ったからって、嬉しそうな顔しないでね? 俺はお前のおもちゃじゃないですからね」

 

 

 ガラガラ……

 

 

「むっふ~~ん! 今日も今日とて、我参上!! さあ、奉仕部の諸君!! 新作である!! 読んでくれたまへ」

 

「なんだよ、材木座。急に現れんじゃねえよ、うっとおしい。今忙しいから廊下で待ってろ」

 

「そ、そうか、それは失礼……って、誰も客はおらぬようだが?」

 

「いや、お前の相手をしたくないだけだから、気にしないでさっさと帰れ」

 

「はぽん!! ひ、ひどい、八幡酷い!!」

 

「もう、可哀そうだよヒッキー。中二だって頑張って生きてるんだからね」

 

「そうよ、クズ幡、一寸の虫にも五分の魂というのよ。彼だって必死なのよ」

 

「ぶひぃっ!!」

 

「いや、お前らの方がよっぽど酷いからね。ほら、材木座のやつ白目向いて、びくんびくん始めちまったじゃねえか、って、雪ノ下。お前その呼称定着させようとか思ってんじゃねえよ」

 

 ああ、いい笑顔だなあ、この野郎、雪ノ下。お前絶対悪の女幹部とか似合うと思うぞ。

 

「はあ、ったく仕方ねえな。ほら、読んでやるからさっさと寄越せよ」

 

 言って、床でぴくぴくしてる材木座から、いつも通りプリントアウトされた小説の束を受け取ると、それを二人にも手渡した。

 そして、タイトルを見てみると。

 

「なになに……『この素晴らしいダクネスに祝福を!!』? っておまえこれSS(2次小説)か? それもこのすばの?」

 

 材木座は、腕を組んでうんうんと頷いて立ち上がる。

 

「うむっ! 時代は、もはや文芸ではなく、エンターテインメントに移ったのだ。となれば、ちまちまとオリジナルで訳のわからんにわか小説を書くよりも、人気作品にあやかってそのキャラの魅力を描き出したファンアートこそが至高。我はこれからSSを書きまくり、そして、その線からプロデビューすることにしたのだぁ!!」

 

「お前な……相変わらずのぬるま湯路線の上に、今までの自分の行為を全否定するとか、屑すぎてどうかとは思うが、まあ、二次創作から有名になって行ったまんが家とか小説家は確かにいるしな(まあ、最終的にはオリジナル作品書いて成功してるんだけどな)」

 

「うむうむ!! で、あるので、さあ、今回は自信作。さあ、読んでくれたまへ」

 

「えー。お前が自信あるって、そうとう前のめりっぽいから、きつそうなんだがな」

 

「いいじゃん、ヒッキー。このすばなんだしさ、読んでみようよ」

 

「珍しく由比ヶ浜が乗り気なのは妙な気分だが、まあ、読んでやるとしますか」

 

 

 それから、しばらく、ぺらりぺらりと俺達は読み進めた。

 

 

 が!!

 

 

「ん? なんだ? カズマが急にダクネスを好きになったのは、置いておくとして、なんで、ダクネスが王国の姫になってんの?」

 

「それは我の独自設定によるもので、アニメでダクネスの背景が描かれていなかったからな、そこは設定を盛りに盛って盛り上げようと……」

 

「ちょっと、めぐみんが爆裂魔法以外の魔法もつかっちゃってるよ? なんか火とか水とかの魔法使いまくってるけど」

 

「おお!! まさにその通り!! 原作ではあの爆裂魔法だけであったのでな、ここは活躍させようかと……」

 

「このラスト……魔王がドラゴンなのはいいとして、主人公のカズマが勇者カズマになって激闘の末に倒しているのだけれど、これは?」

 

「うむうむうむ!! まさにそこは王道ファンタジー路線としてだな、やはり苦難を乗り越えて感動のエンディングを……」

 

「「「って、これこのすばじゃ(ねえ!)(ないし!)(ないわね!)」」」

 

 ここは3にんハモった。

 当たり前だ。

 

「材木座、お前、ひょっとしなくても、原作小説読んでねえだろ」

 

「アニメだけであるな……あれは非常に面白かった!! であるから、こうして続きをだな……」

 

「はい、ダウト!!」

 

「はぬんっ?」

 

「お前な……普段オリジナル書いてるからわかんねえかもだが、アニメの後も続きの原作があるんだから設定変えて書いてSS投稿サイトにでも載せようものならファンにフルボッコにされるぞ、お前。『こんなのこのすばじゃねえ、ふざけんな』とか『この作品は原作を読んでないアホな作者が書きました』とか、『アンチヘイトタグつけろや、オラ』とか『くそつまらない駄作です』とか、意識高い系のファンに書かれちゃうんだぞ、わかってんのか?」

 

「ぐ、ぐぬぅ、何かすごく真に迫ったコメントで、まるで実話のよう(実話です)で言葉もないが、言わんとしたいことは分かっ……りましたです。はい」

 

「それに大体なんでヒロインがダクネスなんだよ。ここは『クリス』に決まってんだろうが!!」

 

「待ってヒッキー、ヒロインはやっぱり『めぐみん』だよ。だって、こんなにカズマを好きなんだよ? 応援してあげたいじゃん」

 

「ちょっと待ってくれないかしら由比ヶ浜さん。ここはやはりヒロインは『ゆんゆん』ではないかしら? こんなに友人を欲しがって努力しているのに報われないなんて、あんまりだわ」

 

「お前な、なにボッチなとこに共感しちゃってんだよ。そもそもそれならヒロイン枠じゃなくてもいいだろうが、ここはやっぱりこの、『実は私は~~~』な、クリスに決まってんだろうが!!」

 

「ぜーったい、めぐみんだよ!! めぐみんじゃなきゃ、嫌だ!!」

 

「いーえ、ヒロインはゆんゆんよ! そうでなければ私は納得しないわ」

 

「あ、あのう~~、我はやっぱりいつもドキドキさせられちゃうダクネスが~~……」

 

「その後の展開知らないお前が決めてんじゃねえよ!! ダクネスはねえよ! ねえ」

 

「そうだよ」「そうね」

 

「ぶひいいい!!」

 

 そんなこんなであーだこーだ言ってたら。

 

 

 ガラガラ

 

 

「邪魔をするぞー。ん?どうした?もめごとかね?」

 

 入ってきたのは平塚先生。

 

「いや、別にもめごとって程のことじゃあ……あれ? 先生何手に持ってるんすか?」

 

「あ、この本かね? いや、実は最近ラノベにすっかりはまってしまってねー。帰宅してから酒を飲む以外特にすることもないので、ちょっと買って読んでみたのだがこれが面白くてね。こんなに楽しんだのは、『機動戦士ガンダム閃光のハサウェイ』以来だよ。うん、本当にすることなくてな、読書が進む進む」

 

 うっ……

 これが嫁き遅れたアラサー美女の実態か……

 誰か本当のホントに貰ってあげて!!

 

「で、何を読んでるんですか?」

 

「ああ、『この素晴らしい世界に祝福を!!』というやつなのだが、知っているかね?」

 

「やっぱりそれですか!! ええ、知っていますよ。ちょうどその話をみんなでしてたとこですから。ちなみになんですが、先生にとって、この作品のヒロインって言えば誰です?」

 

「へ? ヒロイン? うーん、そうだなー。アクアだな。うん」

 

 と、即答。

 

「え、えーと、嫌な予感しかしませんが、理由を聞いてもいいですか?」

 

「笑ってもいいとも!! なんちゃって……うぉっほん! アクアが一番の理由は、一番フリーダムなとこだな。うん。やりたい放題で、好き勝手やって、酒好きで、でも仲間思いで優しくて、ちょっとおっちょこちょいだけど、それでも可愛げがあるしな……まさに私のようだとは思わんかね?」

 

 ええ、そうですねー。

 

 と、俺も由比ヶ浜も雪ノ下も鼻白んでしまっているが……

 

 先生、アクア目指しちゃったら、きっと旦那さん候補とは一生出会えませんよーと、三人で心で泣いたのであった。

 誰か本当にもらってあげ……いや、助けてあげて!

 

「あ、我の小説の感想は?」

 

「「「没!!」」」

 

「ぶひぃ」

 

 

 了



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嫉妬に狂う比企谷八幡の話。

大分前に書いたものですが、加筆修正がようやく終わりました!!
千葉に住んでいる人なら、物語中の場所がなんとなくでもわかるかもです!!


 成長して得るものがある。身長、落ち着き、人生経験……そういった物を会得しつつ、人は大人へと成長していくものだ…。

 

 が、

 

 失いたくなくてしがみついてしまう物もある。そう……俺にとっては、まさに『これ』だ。

 

「何見てるの? ヒッキー…」

 

「うおっ! び、びっくりした……いきなり声かけんじゃねえよ」

 

 俺の背後から、茶髪お団子ヘアーで御馴染みのアホの子こと、由比ヶ浜結衣が声をかけてきた。こいつは俺と同じ部活のメンバーで、何かと崩れがちな場の調整を担っている。

 つーか、ここは教室。ランチを最高のボッチタイムで満喫して、さあ、残った時間でこのお楽しみをひっそりと……と思っていたところに声をかけやがって。

 俺の至福の一時を返せ。

 

「なになに? 『今季新作アニメ特集……注目度ナンバーワン作品』?」

 

 俺は慌てて参考書に擬装させたその『記事』を手で隠した。由比ヶ浜は、ちょっとムッとした顔になって俺を見た。

 

「何も隠さなくてもいいじゃん。ちょっと話したかっただけだし」

 

「って、お前な……クラスで俺に話しかけんなよ。緊張して変な汗でちゃうだろ」

 

 由比ヶ浜は急に笑顔になる。

 

「大丈夫だよ。みんな昼休みにバレーボールやろうって、体育館に行っちゃったもん。周り見てみて」

 

 そう言われて顔を上げると、確かに誰もいない。俺と由比ヶ浜だけだ……って流石俺、誰にも誘われずに取り残されたわけね。今日もオートステルスモード全開じゃなーい。うわーい、全然笑えなーい。

 

「ね!」

 

 ね! じゃねえ……ここに二人っきりって分かったら、余計に緊張しちゃうだろ!!

 そんな俺の焦りには、お構いなしに、由比ヶ浜が更にズイと顔を、俺の顔の真横に持ってくる……だから、ち、ちちちち近いんだよ!!!

 

「へえー、ヒッキーってこういうアニメが好きなんだ? 面白いの?」

 

 それ、『へー、こういうアニメを面白いと思っているひとなんだ?』に聞こえて死にたくなるから、マジでコメント控えてね。

 

「ああ、面白いね! なにせこのアニメの原作ラノベをもう5年越しで読んでるんだ。待ちに待ってたアニメ化なんだよ」

 

 ちょっとなにくそと思いつつ、そう言ってみれば。

 

「うわあ、ヒッキー……なんかキモイ」

 

 俺の横にあった顔が、一気に遠くに離れた。いや、反応が案の定過ぎてむしろ嬉しいよ、俺は。

 

「キモイ言うな! だから見せたくなかったんだよ。もう良いだろ、あっちへ行ってくれ」

 

「あ、あ……ち、違うの。あたしこーゆーの良く分からないから、スゴイなあーって」

 

 いや……キモイとスゴイは同義語じゃないですからね。

 もう勘弁してください。俺はちょっと目を細めて由比ヶ浜を睨んだ。由比ヶ浜は焦った様子で、まだ何か言おうとしていたけど、そこへクラスの連中が何名か戻ってきた。由比ヶ浜はなんとなくその流れに合わせて、自分の席へ。俺はそれをチラと見送りつつ、一人机に突っ伏した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 最近は本当にろくなことがない。

 文化祭が終わって俺の悪評もピークに達しているし、正直クラスに居場所はないのだから。というか元々ない。

 その割には面が割れていないから、いきなりクレームをつけられることも少ないのだが、一番危険なのは放課後の部室への移動だ。 

 長い廊下を抜けて部室まで歩いている俺に、悪意剥きだしで突っかかってくる奴もたまにいるしな。まあ、クールな俺は相手にはしないんだが、内心では、超怖い。特にその相手が女子だったりすると、背中の変なところから汗がでてしまう。本当に勘弁してください、お願いします。

 だからというわけではないが、俺は今日もステルスモード全開で隠密移動に徹していた。いたのだが……

 

 あれ?

 

 渡り廊下に差し掛かると、見慣れた顔があった。

 そこに居たのは由比ヶ浜だ。バッグを肩に背負ったアイツは笑顔で、楽しそうに会話している。だが、その光景に不自然さを感じてしまった。

 話している相手が、一人の男子だったからだ。

 

 あれは誰だ?

 

 俺の知らないやつだ。茶髪を逆立てたガタイの良いそいつは、一見運動部系に見える。

 由比ヶ浜はアホだが社交性はずば抜けて高いのだ。クラスでもトップカーストに位置する『葉山グループ』のメンバーでもあるし、他の奴ともよく話をしている。

 ただ、放課後はいつも部室へ直行するし、男子と二人っきりで長く話しているところなんて、俺は今まで見たことがない。

 

 まあ、俺には関係ないか……

 

 さっさと部室へ行こう……

 そう決めて連中からだいぶ離れた個所を歩いていたのだかだが。

 

「あ、ヒッキー!」

 

 急に声を掛けられた。どうもコイツにはステルスヒッキーが通用しないらしい。俺はチラリと由比ヶ浜を見やる。

 

「今日部活行けなくなっちゃった……ゆきのんに言っておいてくれる?」

 

 軽い感じでそう言った由比ヶ浜は、俺に小さく手を振った後、その男子との会話に戻った。そいつはチラリと俺を見た後、口元をニヤリと歪ませてから視線を由比ヶ浜へと戻した。そして二人は談笑しながら、昇降口へ向かって行った。

 

 な、なんだ今のは……?

 

 言いようのない不快感に俺は襲われた。

 別にあの男子の顔がムカついたのは置いておくとして、由比ヶ浜が突然部活を休んで、しかも男子と連れたって歩いていくなんて…

 その初めての光景に俺は混乱していた。

 

 あの男は由比ヶ浜のなんなんだ?

 

 いや、別に由比ヶ浜が誰とどんな付き合いをしていても俺には関係はない。だが、無性に気分が悪いのは、俺の自意識の高さのなせる業なのだろう。我ながら思い違いも甚だしい。

 そうだ、関係ない。あいつらはただ普通にリア充と言うだけだ…

 

 モヤモヤした気分を拭いきれないまま、俺は部室へとたどり着きその戸を開けた。

 

「うす……」

 

「こんにちは」

 

 中に居るのは勿論、この部の部長であり、俺の天敵でもある『氷の女王』こと、雪ノ下雪乃。窓に近いところに椅子を置き、紫のブックカバーの文庫本をいつも通り手に持っていた。

 

「あら、今日は由比ヶ浜さんと一緒ではないの?」

 

「なんで俺とアイツをセットみたいに扱うんだよ。大体アイツは俺とは何にも関係ないんだ。それに、今日は休むとさ」

 

 雪ノ下は不思議そうに俺を見る。

 

「そう、お休みなの……。関係ないと言う割には、話しはしているようね」

 

「ああ? 別に、お前に伝言を頼まれただけだ……妙な勘繰りは止めてくれ」

 

「別に勘ぐってなどいないわ。ただ、貴方の捻くれも相当なものだと思っただけよ。ね、ヒネヶ谷(ひねがや)君」

 

「人のこと売れ残った野菜みたいに言うのやめてね? それに、一応言っておくけど、いつも結構傷ついてるからね」

 

 俺が憮然としてそう言うと、雪ノ下は大きくため息をついた。

 

「でも、そうなると……今日の部活はあなたと二人きりという事になってしまうわね」

 

「だから、なんだ? 今更『貞操の危機が』とか言い出すんじゃねえよ。俺は紳士だそんなことはしねえ」

 

「いいえ。そんな事ではないわ……ただ、二人だけだと……その……」

 

 雪ノ下は手元のカバンを抱えながら窓の方に顔を向ける。そして口籠りながら、何かを言おうとしていたのだが。

 

 その時、

 

 

 ガラガラ……

 

 

 急に部室の戸が開いた。そして、そちらへ目を向けると、一人の男子がにこやかな表情で立っていた。そいつの事は俺も良く知っている。俺達のクラスのリーダー的存在で、女子にモテモテのイケメン野郎……

 そう、葉山隼人だ。

 

「雪乃ちゃん……ちょっと……」

 

 突然の葉山のセリフに思わず息を飲む。雪乃ちゃん……だと!?

 驚いたのは雪ノ下も同じだったようで、一瞬訝し気な表情になった後、怒りを隠さない顔つきで立ち上がり、葉山に詰め寄った。

 

「葉山君。あなたにそう呼ばれる筋合いはないわ。いきなり現れてどういうつもり」

 

 葉山は雪ノ下にそう言われて、一瞬たじろいだ。が、その後、チラリと俺を一瞥した後で……

 

「ああ、すまない。失言だった……それより覚えていないのか?」

 

 葉山にそう言われて、雪ノ下は動きを止める。そんな雪ノ下を見て葉山が言った。

 

「今日は俺と二人で出掛ける約束をしただろう?」

 

 はあ? 葉山と二人で出かける? いったい何の冗談だ。雪ノ下と葉山の関係が微妙なのは俺だって知ってる。昔馴染みだか、なんだか知らないが、雪ノ下は葉山に対して嫌悪感すら抱いていたはずだ。

 それを葉山は分かっていないのか?

 そもそも、雪ノ下がコイツとそんな約束を交わすとも思えない。

 次に雪ノ下がなんと言うのか、俺は待ち構えていた。すると……

 

「そう……だったわね、ごめんなさい。では一緒に行きましょうか」

 

 は……い……?

 何? どういう事?

 

「あ、比企谷君……申し訳ないのだけれど、部室のカギを先生に返しておいて貰えないかしら? 今日はこれで失礼するわね」

 

「お、おお……」

 

 手早く荷物をカバンに片付けた雪ノ下は、それを持つと、入口に立つ葉山の側へ近寄る。そして軽く俺に向かって小さく手を上げると、少し穏やかな表情になり葉山を見つめながら、戸を閉めて出て行った。

 

 

 一人部室に取り残された俺は、とりあえず状況を整理しようと大きく息を吐く。

 

 由比ヶ浜は、あの茶髪運動部野郎と二人で帰っていった。

 雪ノ下は、葉山と二人で出かけて行った。

 そして俺は……

 

 晴れて『ボッチ』になったわけか。

 いや、戻ったと言うべきか?

 いやいや、何を考えてるんだ俺は……

 そもそもあの二人と俺にどんな関係があるというんだ? たまたま同じ部活にをしていて、依頼をこなして来ただけ。少し、他の連中よりも一緒に行動した時間が長いというだけじゃないか。

 ボッチに戻るとか、そういうことじゃない。もともと俺は一人だけだったってことだ。

 

 だが、この胸糞の悪い感じはいったい何だ?

 

 あの誰だかわからない野郎と仲良さそうに笑って話していた由比ヶ浜の顔……

 雪ノ下が見せた、葉山を見る安心したような穏やかな表情……

 思い出すだけで、胸の辺りがざわつく……

 こんな感じを味わったのは初めてかもしれない。

 俺が中二病を患っていたときに、会心のコスプレをかあちゃんに見られた時とも、俺が書いた異世界チーレム小説をクラスで音読で読まれた時とも、勘違いで女の子に告白してクラス中の笑いものにされた時とも……

 違う! もっと、気持ち悪い、もっと惨めなこの感覚は、一体なんだ?

 

 なんなんだ!

 

 

 ガラガラ……

 

 

 扉が急に開いて、俺は慌てて呼吸を整えてそっちを見た。

 

 そこに居たのは…

 

「むっふ~ん……比企谷八幡!! 早速だがここに新作がたんまりとある!! さあ、読んでくれたまへ!」

 

 剣豪将軍が分厚い原稿の束を持って、ふんぞり返って立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 昨日は、結局材木座のわけの分からないファンタジー小説をひたすら読んで部活が終わった。いつもなら、面倒過ぎて、焼いて捨てたい原稿なのだが、昨日はモヤモヤした気分を紛らわしてくれた。だからといって、面白かったわけではない。読み終わった後、当然燃やして捨てたくなったのは言うまでも無い。

 

「あ、ヒッキー、やっはろー」

 

 廊下を教室に向かって歩いていると、後ろから由比ヶ浜が声をかけてきた。いつもと変わらない……いや、いつもより生き生きしてるように見える。

 

「お、おお」

 

「ヒッキー昨日はゴメンね、部活行けなくて」

 

「おお……まあ、気にするな」

 

 違う! こんな事を言いたいんじゃない。昨日のアイツは誰なんだ? 昨日は何をしてたんだ?

 そう聞きたくなっている自分がいた。マジで自分が気持ち悪い。

 いや、でもそんなことは関係ない。聞いてどうする? どうなる? どうなりもしない? それが分かってるから当然俺も聞かない。そんな事を思っていると、由比ヶ浜が話しかけてきた。

 

「あのさ、それで、ゴメンなんだけど、今日も部活行けないんだ。ちょっと約束が出来ちゃって」

 

 約束……

 俺の脳裏に浮かんだのは、昨日の男の顔……

 胸の辺りのざわめきが一層強く、激しくなる。聞いても仕方ない……でも……

 

「お前さ……約束って……だ、誰と会うんだよ」

 

 聞いてしまった。つい……うっかりと、口に出してしまった。くっそ、俺はなんでこんなことを……

 

 由比ヶ浜は、キョトンとした顔で俺を見て、少し頬を赤らめた。そして……

 

「ひ、ヒッキーには教えられないな……べ、別に、誰とでもいいでしょ」

 

 そう言った由比ヶ浜は俺を振り返らずに速足で先に行ってしまった。俺は……

 

 酷く苦しくなった胸を強く押さえ込んだ。

 

 

 

 

 

 

 今日も授業は終わり。いつもなら何も考えずにこのまま部室へ直行する。だが、今日は二つの事が気になった。

 一つは由比ヶ浜のこと。今日は何故かよく目が合う。たまに様子を覗うと、アイツも俺の方に目を向けている。そんなことが結構続いた。そして帰り支度をしている今の由比ヶ浜は、とても浮かれているように見えた。俺に後ろめたいのか? でも、これからのことが、もっと楽しみで仕方ないということなのか……そんな考えがあふれまくり頭が痛くなる。

 もう一つ気になること。それは葉山だ。今日はアイツは休みだった。そのことが妙に俺の感情を騒めかせていた。

 

「あー? 雪ノ下なら、今日は休みだったようだぞ。どうする比企谷。お前ひとりで部室を使うか?」

 

 部室が開いてなかったから、平塚先生の所に来てみれば、こんな具合だ。正直今は一人であの部室に居たいとは思えなかった。

 

「そうですね……依頼も特にありませんし、今日は俺も帰ります」

 

 そうか……と、一言だけ先生は言って、くるりと向きを変えて仕事に戻った。職員室を出た俺は、そのまま駐輪場まで行き、自転車にまたがる。

 いつもなら部室で適当に過ごしている時間。急にぽっかりと空いてしまったこの時間をどう過ごせば良いものか。

 かつての俺ならばなんてことはないこの何もない時間を、今の俺は持て余してしまっていた。

 モヤモヤは昨日より酷くなっていた。由比ヶ浜は……多分今日もデートなのだろう。

 雪ノ下も、葉山も休み……二人で昨日から一緒に居るのだろうな、きっと……

 自転車を漕ぎながら、こんな訳の分からない妄想を考えてしまっている。

 材木座の小説といい勝負だなと思いつつ、気が付けば俺がいつも寄っている、千葉の書店の前まで来ていた。

 はは……ボッチの俺が一体何を悩んでいるのだか。

 無意識にここまで来てしまったことを自嘲しながら、せっかくだからと俺は自転車を降りて書店へ向かう。

 

 その時……

 

 通りの向こうを歩いて行く一組のカップルが目に入った。それを見て思わず全身が硬直した。

 一人は葉山……昨日と同じで学生服姿のまま。その隣で、少し項垂れ気味で葉山に寄り添って歩いている紺のワンピースの女性の方は、どう見ても雪ノ下だった。葉山は人目も憚らずに、雪ノ下の肩を抱いていた。

 

 そういうことかよ……

 

 雪ノ下が何と言っていたとしても、結局は葉山と付き合っていたということだったのだ。なんだ、やっぱりそうだったんじゃないか……

 あの二人は幼馴染だ。親同士も付き合いがある。どちらの家も上流階級だ。これ以上の組み合わせは無いだろう。

 俺は何も知らなかっただけだった……という事だ。

 俺は、締め付けられるような胸の苦しみから逃れようと、あの二人とは反対の方に向けて足を動かした。だが、次の瞬間さらに強烈な痛みを俺は受けることになった。

 俺が向かったのは、千葉駅の方角、そっちには映画館やショッピングモールもあるが、一歩その隣の通りに入れば、夜の店が立ち並ぶ歓楽街となる。俺はフラフラとその方向に向かうと…

 

 俺の前に制服姿のままで、二人のスーツの男性と並んで歩く、お団子ヘアーの由比ヶ浜の姿が目に入った。由比ヶ浜は今日も楽しそうな表情でその二人と話しているが、一緒に居る二人の男は、どちらも昨日の運動部野郎とは違った。もっと年上のサラリーマンのような……

 一瞬俺の脳裏に過った言葉は……そう、『援交』……

 

 俺はその場に立ち止った。もはや追いかけようとも思わなかった。

 信じていた物に裏切られた? 違う! 勝手にそう思って、理想を押し付けていただけで、それとは違う現実を見た瞬間に、勝手にショックを受けているだけだ。

 俺は昔から何も変わってなんかいないんだ。信じたつもりになって、信じられたつもりになって、勝手に裏切られた気になってるだけ。

 

 俺はあいつらの事……何も知らなかったんだな……

 

 そのことだけが頭に重くのしかかってきていた。足元が……大きく崩れて、奈落の底に落ちていく。そんな錯覚を陥っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 翌日の学校は酷くきつかった。誰に声を掛けられたのかも分からない。まるで夢の中を漂ってでもいるように、全てに現実感がなかった。

 白昼夢モードで半日が過ぎた頃、やっと俺は冷静さを取り戻せていた。

 放課後、俺は平塚先生に鍵を借りると、一人で奉仕部の部室に入った。そして、買って来たマッ缶をテーブルに置き、昨日購入したばかりの小説を開いた。もはや心に乱れはない。

 漸く分かった。

 俺はやっぱり一人なのだと。

 その酷く自虐的で、自己中心的な考え方で、やっと俺は本来の自分のあるべき姿を取り戻せた。例え彼女らに心を乱されていたのだとしても、それは俺の勘違いでしかなかったということだ。

 それが分かっただけでも俺にとっては救いだった。

 暫くページを読み進め、マッ缶に手を伸ばしたその時、入口のドアが開いた。

 

「あ、やっぱり先に来てた。やっはろーヒッキー」

 

「こんにちは、比企谷君。今日は随分早く来たのね」

 

「……………」

 

 二人は何も無かったかのように俺に近づくと、

テーブルに荷物を置く。そして、由比ヶ浜が椅子を俺のそばに寄せて、そこに座った。

 

「えへへ……昨日も休んじゃって、ヒッキー寂しかったでしょ? ごめんね」

 

「いや、雪ノ下も居なかったからな。俺もすぐに帰った」

 

「え? ゆきのんも居なかったの?」

 

「ええ……そうよ。今からそれを説明しようと思って……」

 

「いや、説明は必要ない」

 

 俺は語気を強めて、雪ノ下の言葉に被せた。二人は驚いた顔で俺を見る。別に、そんな顔しなくてもいい。俺はもう知っているというだけのことだ。

 だが、少なくとも、同じ部員、同じ活動をした一人として、言うことだけは言ってやりたい。いや、言ってやるべきなのだ。

 

「雪ノ下」

 

 テーブルを挟んで、俺と対角の位置に座る雪ノ下は、顔だけをこちらに向けていた。

 

「何かしら?」

 

「お前が誰とどんな関係を大事にしようと考えていても、そんなこと俺が口を出すことじゃない。でも、お前もまだ学生だ。好き勝手に休んだり、人目についたりすれば、内申にも響く。もう少し考えろよ」

 

 俺にそう言われた雪ノ下は、首を傾げながら俺を凝視した。そして、何かを言おうとしているのが、見てとれた。まあ待てよ。俺はまだ言い終わってないんだ。

 

「それから由比ヶ浜」

 

「ふぇ? 今度はあたし?」

 

「そうだ。俺はお前の方が心配だ。お前は見た目よりもっと良識があると思ってた。でもあれは駄目だ。お前があそこまで火遊びが好きだとは、思いもよらなかったが、あのままじゃ身を滅ぼすぞ。もっと自分を大事にしろよ」

 

 由比ヶ浜は、ポカーンと口を開けたあとで、俺を見た。

 

「あたし火で遊んでないけど」

 

 ま、俺が言いたいのはこれだけだ。関係ないとはいえ、知っている奴が道を踏み外していく様は見たくない。後はコイツらが考えて動くだろう……少なくとも人に知られて平気なはずはない。

 

 二人はお互いに顔を見合わせていた。そして、おもむろに立ち上がると、二人揃って俺のすぐ前に立った。

 

「何の話か見えないのだけれど、改めて説明を要求するわ」

 

「そうだよ、ヒッキー。あたし、火で絶対遊んでないからね。そんなん危ないじゃん!」

 

 なんだコイツら……まだ隠そうとするのか。

 それともそうやって俺を追い込んで遊んでやがるのか?

 ようし、わかった。それなら、全部暴いてやろうじゃないか。

 俺は雪ノ下を睨んでから、話した。

 

「分かった。ここだけの話で言ってやる。雪ノ下……もう俺たちには隠さなくていいからな、葉山と付き合ってることは。別に俺は誰にも言う気はないが、せめて卒業までは泊まりデートはやめておけよ、心証悪くするから」

 

「ええ! ゆきのん、隼人君と付き合ってたの!?」

 

「それから、由比ヶ浜。お前はすぐに援交止めろ。下手すりゃすぐに退学になっちまうからな」

 

「なんですって! 由比ヶ浜さんあなた、そんなことを!!」

 

 二人はお互いに驚いた顔で見合っている。そりゃそうだ。聞かれたくないことを暴露されたんだ、そりゃ辛いだろう。

 俺だって言いたくなんてなかった。でも、これで全部終わりにしよう。その方が気兼ねなく付き合いやすいからな。あくまで赤の他人としだが。

 雪ノ下達は一旦俺から離れた後、窓際で何かを囁き合っていた。暫くしてから、静かに文庫本を読んでいた俺のそばにまた戻ってきた。そして……

 

「どうやら、私達は貴方に最大級の侮辱を受けたようね。これは、お仕置きが必要だと思うのだけれど……由比ヶ浜さん?」

 

「りょーかい!」

 

 俺の後ろに周った由比ヶ浜が、突然両手で俺の目を塞いだ。え、ええい、や、やめろ! くすぐったい! 柔らかい! いい匂い! 

 聞こえてくるのは、プシュッ……と缶の口の開く音と、そのあとは、サラサラという、微かな掠れた音。

 

「さあ、目を開けていいわよ」

 

 由比ヶ浜の手が離れて、目の前が明るくなる。俺の正面には雪ノ下が立って不敵な笑みを浮かべて俺を見下ろしていた。そして、俺の目の前にはさっき買ってきたマッ缶……

 だが、なぜかその口が開いている。

 

「さあ、どうぞ……召し上がれ」

 

「召し上がれ……って、これ買って来たの俺だぞ」

 

「いいから早く飲んでよ、ヒッキー」

 

 由比ヶ浜が俺の肩越しに、胸をたゆんと揺らせて顔を近づけてきた。

 だから……近いっての……

 俺はそのマッ缶を、手にすると、恐る恐る口に運んだ。なんで大好きなMAXをこんなに怯えながら飲まなきゃならねえんだよ……そして……

 

 

 ゴックン……

 

 

「う……うあ、甘い、甘すぎる……半端ないぞこれ……」

 

 口の中がひりひりするほどの甘さ。MAXのさらに突破したその甘さに思わず俺は悶絶した。

 

「ふふふ……どう、美味しいでしょ? MAXミルメークコーヒーは。懐かしい味でしょ?あなた甘い飲み物好きだから、一昨日あげようと持ってきていたのよ。あ、ついでに練乳も追加で入れておいたから」

 

「は!? 何!? マッ缶にミルメークと練乳入れたのか? お、お前……なにしちゃってんの!?」

 

「ヒッキーが悪いんだよ。人に訳の分かんない文句言うから……あたしが援交なんかするわけないし」

 

「私だって葉山君とそう言う関係に見られていたということがショックだったわ……いくら何でもそれは耐えがたい苦痛よ」

 

「え? だってお前ら……」

 

 俺は微笑みながら俺を見下ろす二人を交互に見ながら、一昨日からの二人の事について、俺が見た事を話した。由比ヶ浜は頬を赤く染めながら、雪ノ下は、眉間に指をあてて、疲れた様子で聞いていた。話し終わった後、最初に口を開いたのは雪ノ下だった。

 

「比企谷君……まず言っておくわね。私と葉山君は幼馴染だけれど、お付き合いも何も、全く関係ありません。それから、本来ならこんな話をする前にお悔やみの一つでも貰いたいところだったわ。私……今本当に落ち込んでいるのよ」

 

「は? お悔やみだと……」

 

 雪ノ下は俺の右隣に椅子を置くと、そこに座った。由比ヶ浜はいつの間にかすぐ左隣に座っている。

 

「昨日ね……私の祖母が亡くなったのよ」

 

「はあ?」

 

 いきなりの雪ノ下の言葉にお悔やみどころか、相槌をうつのも忘れて、思わずそんな反応をしてしまった。それをジト目で見た雪ノ下は、構わず話を続けた。

 

「祖母はずっと入院していたし、もう長くはないことは分かっていたの。それで、一昨日、私は忘れていたのだけど、葉山君と一緒にお見舞いに行く約束をしていたのよ。葉山君も私も小さいころは、よくお婆さんに遊んでもらっていたから。それで急いで行ったのだけど」

 

 雪ノ下達がお見舞いに行って暫くして、急に容体が悪くなってしまったのだという。そして、雪ノ下達は家にも帰らず、おばあさんを看取るその時まで、病院に居たのだそうだ。

 俺が雪ノ下と葉山を見たのは、ちょうどその病院の帰りの所だったようで……

 

 雪ノ下は相当落ち込んでしまい、それを葉山が励ましていたのが実際のところらしい。

 

「じゃ、じゃあ……葉山と付き合っては……」

 

「何度も言わせないでちょうだい。そんな事実は一切ないわ」

 

 は、はは……なんだ、これ、俺の見間違い、勘違いだってのか……急に肩の力が抜けたと思ったら、突然由比ヶ浜が俺の手の上に本のような物をどさりと置いた。

 

「はい、ヒッキー! プレゼントだよ!」

 

「は?」

 

 手渡されたその白い分厚い本のような物を、目の前に持ち上げて眺めてみる。そこに書いてあったのは……

 

「お、お前! これ、あのアニメの第一話のアフレコの台本じゃないか。どうしたんだよ、これ……」

 

 由比ヶ浜は得意げな顔になって胸を反らした。

 

「ふっふ~ん……あたしの交友関係を舐めてもらっちゃあ困るよ! ヒッキーがあのアニメ好きだって言ってたから、陸上部の友達でお父さんがアニメの会社に勤めてるっていう人に聞いてみたの。そうしたら、制作会社の人を紹介してくれてさ、視聴者? 素人? アンケートみたいなのやってあげたら、これ貰えたんだよ。びっくりさせようと思ってヒッキーにナイショにしてたんだ。どう? 嬉しい?」

 

 じゃ、じゃあ、あの運動部野郎に会ってたのも、昨日のサラリーマンみたいなのと一緒に居たのも、全部俺の為だってのか……

 

 

 何、これ……

 

 

 つまり、全部俺の勘違い……いや、こいつらが俺の事を考えてくれているなんて微塵も思わずに、ただ一人で妄想して落ち込んでただけだってのか。

 マジで俺、サイテーじゃねえか……

 どんな表情で居たのかは俺には分からない。でも、その俺の顔を見ていた由比ヶ浜が、ポンと俺の肩を叩いた。

 

「どう? 少しはあたし達のこと、信じられるようになった?」

 

 屈託のない笑顔を向けられて、俺は思わず口籠る。本当はあまりの恥ずかしさに走って逃げだしたいくらいなのを必死で堪えているところだ。俺はつい、顔をそらした。

 すると、雪ノ下が小さく咳ばらいをして、赤い顔で聞いてきた。

 

「と、ところで……どうして貴方は、私と葉山君の関係が気になったのかしら? そこのところについて、もう少し詳しく……聞いてみたいと思うのだけれど……」

 

「あー! それならあたしも聞きたい! ねえヒッキー、どうしてあたしが他の男子と話していたのが気になったの? ねえ。おしえてよぉ」

 

 赤い顔をした二人が、一気に俺に詰め寄る。だ、だから、近すぎるんだって!!

 

 二人から漂う、甘い香りに包まれながら、俺はミルメークと練乳増量MAXコーヒーを一気に喉に流し込む。

 

 

 甘すぎだ……これ。

 

 

 凄まじい甘さに包まれて、今日も俺は奉仕部の部室に居る。

 

 

 

 

 

 

 

【補足】

 知らない方向けに補足させて頂きます。『ミルメーク』というのは、小学校給食などで出る、ふりかけのような形態の、牛乳に混ぜる粉です。色々な味があるのですが、コーヒー味はまさにMAXコーヒー(笑)私の地元は千葉なのですが、小学校6年間、月に2回は出ましたよ。



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IKE〇で結衣と雪乃と……

完全な八結雪ですよん!!


 IKE〇とは……

 スウェーデン発祥で、ヨーロッパ・北米・アジア・オセアニアなど世界各地に出店している世界最大の家具量販店であり、世界的にブランドが浸透している。家具にはそれぞれスウェーデン語の名前がついている事が特徴。郊外に「イケ〇ストア」と呼ばれる大規模な店舗を構える方法で展開している(wikipedi〇より抜粋)

 

 つまるところは『巨大な家具屋』である。

 この施設が湾岸エリアへと進出を果たし、元超大型屋内スキー場跡地に完成したことは、千葉に住むものとして本当に喜ばしいことであり、そして我が故郷の価値がもう一段高まったことを如実に表していた。

 さてそんな家具屋ではあるが、今俺達がいるのはその家具屋にあってある種異色な場所である。

 

「わあ、ヒッキー見てみて、ミートボールだって! こんなに大きなのがいっぱい入ってこの値段とかほんと凄いね!」

 

 そんなことを言いながら俺の腕に自分の腕を絡めて、頭のお団子をぴょこぴょこ飛び跳ねさせているのはアホの子こと由比ヶ浜結衣その人。

 あのですね、ミートボールがどうとか言いながら俺にもっと巨大なミートボールをバインバインぶつけるように飛び跳ねるのはそもそも反則のような気がするのですけどね。

 そんな俺にはお構いなしに、俺を挟んでちょうど反対にいる人物に向かって前の人がよそってもらった真っ黒なカレーについてのあれ失敗作だよね、ね、ね、と驚きを伝えまくるお団子さん。そんな彼女にむかって、『由比ヶ浜さん、あれはもともと黒いのであって、貴方お得意の消し炭調理法とはまったくの別物よ』とかそんな辛辣なことを宣いながら俺のそでをちょいとつまんで離さないでいるのは、雪ノ下雪乃その人である。

 そしてその中央で二人にあっちへこっちへ連れまわされている俺の名は、当然比企谷八幡……

 

 ここは幕張にある巨大家具店、IKE〇……の広大なレストランコーナー。そこで昼食を購入すべくまるで学食に並ぶかの様に俺たちは列となって順番待ちをしている最中である。

 

 ちなみに、そんな俺たち3人は、3人で付き合っている……

 

 うん、大事なことなのでもう一度言おう。

 

 そんな俺たち3人は、3人で付き合っている……

 

 

『らしい』

 

 

 そうらしい。

 まだまったく理解できていないが、俺たちは3人で付き合っていて、そして今はこのIKE〇に3人で家具を買いに来ているのだ。

 

 なぜだ!

 

 いや、ほんと八幡、なんで? なんでこうなった?

 

 とりあえず適当にメニューを頼んでトレイにのせたそれの会計をしてテーブルに着く。すると当然のように左に由比ヶ浜、右に雪ノ下が座ってくる。いや、おかしいでしょ、この配置。3人でテーブルなら、こっち俺一人、反対側女二人の方が安定するでしょ? しかもこの混みあってる店内で片側3席占領とかいくら相席当たり前でも、対面に座る人たちすごくすわりにくいよね! そうでしょ!

 うう……なんなんだこれは……由比ヶ浜も雪ノ下も俺にぴったり寄り添ってきてるし、いったいこれは何の罰ゲームだよ。というか、なんでふたりとも恥ずかしそうにしながらも嬉しそうなんだよ。

 これはあれか、前によくやられた『比企谷菌感染我慢ゲーム』か?

 中学の時に、『お前負けたんだから比企谷菌感染な! 比企谷に触ったまま1分我慢しろよ。いいか、楽しそうにしてろよ』とか、そんなことを言われた連中がかわるがわる俺の背中に手をおいて、必死に苦笑いを浮かべて写メを取られまくっていたあの光景。まさか、今、それのハード版を喰らわされてるんじゃなかろうか?

 まさか、こいつらにそんな仕打ちをうける羽目になったとでもいうのかよ。

 いやまじでなんなんだこれは。

 せっかく好きなハンバーグなのに、まったく味がわかりゃしねえ。

 二人を見れば、楽しそうに食事をしながらおしゃべりをしているし、定期的に俺に抱き着いてきたりしている。

 いや、だからこれはいったいなんだ。

 

「比企谷君、由比ヶ浜さん、そろそろ見て回らないと時間が無くなってしまうわ。このお店は最後に商品をピックアップしなくてはならないのだし、急いだ方が良いと思うのだけれど」

 

「あ、そだね。ここすごく居心地がよくてついのんびりしちゃったね。じゃさ、ヒッキー、ゆきのん、行こ!」

 

「お、おお」

 

「ええ」

 

 ぴょこんと立ち上がった由比ヶ浜が俺たちの食器をさささっとまとめるとそのまま返却口に返しに行く。

 残された俺と雪ノ下。

 ちらりと雪ノ下を見れば、その手に持ったメモ用紙にめちゃくちゃきれいな字で書かれた購入品のリストを眺めているところだった。

 

「えーと、比企谷君? 一応あなたの意見も聞いておきたいのだけれど、ベッドのサイズはキングサイズ一つではなくてクイーンサイズ二つということでいいわよね」

 

「へ?」

 

 いや、良いわよねって、何がどうなったらそんな判断になるんだよ。いやいや判断基準がまったく分からないんだが。

 

「あ、あー。それはあれだ。それでいいんじゃねえか?」

 

「そう、ありがとう。ではそうするわね」

 

 え? これでもう決定なの? なにそれ八幡全然わかんない。あれ? 今こいつ何を買うって言った? ベッド……たしかベッドって言ったよな。そうベッドだ。ペットじゃなくて、ベリトッドでも、ベヘリッドでもないベッドだ。しかもキング? クイーン? なに? 時間飛ばしちゃうの?、もしくは戻しちゃうの? ってか、完全に俺の『この二人とこうなっている理由』が消し飛んでしまっているんだが。うわぁ、ぜんぜんわからん。

 

「おまたせー。じゃあいこっか」

 

「ええ」

 

 帰ってきた由比ヶ浜が俺の腕に自分の腕を絡みつけてくる。そして雪ノ下も同様に今度は完全に俺に抱き着いてきた。いや、え? ちょ、ちょっとまて。いったいどうしちゃったんだ今日は。お前らいったいなんなんだ。

 

 二人に引っ張られて行った先はたくさんの小物が売られている一階の売り場。

 蛍光灯やらシャンデリアやらの照明コーナー。

 カーペットなどの敷物がぎっしり用意されたコーナーや、ペールボックスやキッチン用品などのサニタリーコーナーに壁掛け用の絵画やポスターなどの売られたコーナー。

 そんな多種多様なものが売られている中を歩きながら、二人はこれがいいかな、あれがいいね。などと言いながら俺が手にした籠に小物を次々と放り込んでいく。

 

「ヒッキーもちゃんと選んでね。せっかく来たんだからね」

 

 と、由比ヶ浜に言われるも、一体何をどう選んでいけばいいのか皆目見当がつかない。え? なに俺も絶対買わないといけないやつなの? 

 どうしていいやらと、視線を雪ノ下の方へと向けてみれば……

 

「にゃー……にゃぁ?……にゃー……」

 

 と、腹を出して寝転がっている猫の置物に話しかけてるし。

 何この子、周り見えてないのかしら。非常にほほえましい物でも見る目で周囲の家族連れが貴女を見つめて微笑んでいますよ。

 

「ねえねえ、ゆきのん。この絵! この絵買おうよ! 仔猫と仔犬がじゃれてるのぉ、超かわいいよ!」

 

「ええ、買いましょう!」

 

 え? 即決なんですか? それでいいんですか? いいんですね。もともと貴女猫と由比ヶ浜さんにはメロメロですしね。

 

 そんなこんなで買い物籠がいっぱいになった俺たちがたどり着いたのは見上げるほどに高い天井の倉庫な空間。柱のいたるところに番号が振られていて、そこかしこの棚に所番地が張り付けられている。

 おお、こんなところにトヨ〇式が。スウェーデンもやっぱり『カイゼン』なんですね。日本逆輸入しちゃいましたね。

 それにしてもここは見覚えがありすぎる。

 おかしいな、俺IKE〇に来た経験なんてあったかな。

 

「なあ、由比ヶ浜……俺、IKE〇さ……」

 

 来たことあったっけか? そんな質問をしようとしたところで、急に由比ヶ浜の奴がポッと頬を赤らめさせた。

 

「うん。あたしもIKE〇好きだよ。やっぱりさ、こうやってヒッキーと一緒に来るのが一番好きだよ」

 

「あ、いや、そうじゃなくて……」

 

 あれ? なんというか前にもこんなことがやっぱりあった気がする。由比ヶ浜と二人でここを歩いて……

 

「二人とも、少しはピックアップを手伝ってくれないかしら? 今回は相当な量にすでになっているのだから」

 

「あ、あ、ごめんねゆきのん。ほらヒッキーも早く」

 

「お、おお」

 

 言われて番地を書いたメモや撮影してあった写メを見ながら段ボールに梱包された商品を自分たちで台車へと積み込んでいく。

 この店は基本自分たちで買って帰ってそれを自分たちで組み立てる方式だったはずだ。だから商品もこうやって自分たちで運ばなくてはならないわけだけど、その分店員の負担が少ないから商品の単価が下がるとそういうメリットがあるわけだな。うんうん。

 

「ふう……それにしても多いな」

 

 ピックアップした商品はすでに台車2台分に及ぶ。これほどの買い物を一度にするなんてやはり大変だが、こんなに買うなら店員に全部頼んだ方が良かったんじゃないかと思ってしまう。

 一つ一つがかなり重かったためにふらふらになりながら運んでいた俺はいい加減疲れていたからそのことを雪ノ下に言ってみたのだが……

 

「あら……お金が勿体ないから自分たちで買おうと言い出したのは貴方ではなかったかしら?」

 

「へ?」

 

 あれ? 俺そんなこと言ったか? いや言ったか? いや言わねえと思うぞ? 何が悲しくてここまで労力割いてこんな巨大な家具一式をへろへろになりながら運ばなくちゃいけないんだよ。

 そもそもそれこそ社畜が滅私奉公ですべき案件だろう。IKE〇の社畜さんはどこですか? 

 などとレジに並びながら考える。

 ほかの客も俺たちとまあ似たり寄ったりで、ここまで多くはないがみんな台車山盛りで購入している。いや、まあ、凄い量だよ本当に。

 そんなことをしていたら俺たちの番に……

 籠に入れた小物もレジを通り、そしてピッピッと次々にスキャンされていく段ボールたち。

 

 あ、あれ? なんか小計がどんどん増えて凄い金額になって行っているんだが……

 あまりにも多くの買い物にだんだん戦々恐々としてきてしまった俺。いや、当たり前だし。

 こんな高額の買い物できるかってんだよ。

 これまさか全部俺の買い物じゃねえよな。雪ノ下の奴のだよな。そうだよな。

 そう思って雪ノ下に言えば。

 

「何を言っているのかしら? お金を払うのは貴方に決まっているでしょう?」

 

「はああ!?」

 

 な、何を言ってるんだこいつは? 

 お、お、おおお俺に払える分けねえだろうが。

 

「はい、合計で19万4562円になります」

 

「ひっ!」

 

 目の前でニコニコとそんなことを宣言する黄色い服を着たIKE〇のお姉さん。

 そんな金を持っているはずもない俺は慌てて雪ノ下達を見渡すも、二人とも早く会計してなどとほざきやがる。

 い、いや、こんな金絶対払えないから、もう無理だから。

 もう少し後ろへと視線を向ければ、そこには順番待ちをしている長蛇の列が。

 やばひっ! ここまで来てお金がないので全部要らないですとか、そんな恥ずかしいこと絶対に言えない。言ったら最後、由比ヶ浜と雪ノ下はおろかこのフロア全体の連中に、あ、あいつ金払えない恥ずかしい奴だとか、後ろ指刺されることになっちまう。はわわ……、ど、どうすれば……

 

「もう、どうしたのヒッキー?」

 

 急に俺の肩をポンと叩いたのは由比ヶ浜。

 いや、単純に金がないだけだから、どうもしてないから、俺はただ、拷問を受けてるだけだからー

 

「カード忘れちゃった? もう仕方ないなー。じゃああたしが払っておくね。はい、これで、一回で!」

 

「へ? え?」

 

 見れば由比ヶ浜が財布から可愛らしい絵柄の某カード会社の青いカードを取り出して何の躊躇もなしに黄色い服のお姉さんへと差し出した。そして、普通にサイン……

 

 ってあれ? お前カード持ってたの? ってか、俺がカード持ってる前提だったの? え? あれ?

 

「ほら、さっさと駐車場行こ」

 

「ちゅ、駐車場? なんで」

 

「なんでも何も、車に運ばないとこの荷物持って帰れないじゃん」

 

「い、いや、そうじゃなくて、なんで駐車場なんだよ。誰が運転するんだよ」

 

「誰がってそりゃ……あ、そうか! そういうことか! あ、ごめんねヒッキー」

 

 なぜか急にぱちんと手を合わせて舌をぺろりと出した由比ヶ浜。なんだこの反応は。

 いや、そもそもなんなんだ、これは。

 

 運転? 車? カード? 小物? 家具? IKE〇? 由比ヶ浜? 雪ノ下?

 

 もう全てがまったく繋がらない。まるで白昼夢でも見ているようだ。

 俺はとりあえず普通に立っていられなくなってふらふらと近くにあった椅子へと座った。ちょうどそこはマクドナルドのようなファーストフード店のような場所。ソフトクリームやホットドックを売っているらしいのだが、今の俺にはよくわからなかった。

 眩暈を覚えて頭を抱えた俺に向かって、雪ノ下が心配そうに声をかけてきた。

 

「大丈夫? だいぶ疲れたわよね。少し休んでから帰りましょうか」

 

「あ、じゃあ、あたしソフトクリーム買ってくるね」

 

 そんなことを言いながらポシェットの財布をふたたび取りだした由比ヶ浜がファーストフードコーナーのレジに並ぶ。

 俺は妙にずきずきと痛む頭を擦りながら唸っていたようだが、そんな俺の頭を雪ノ下がそっと撫でてきた。

 細い指が優しく触れて、少しだけ気分が落ち着いていく。

 

「本当に大丈夫? なにか貴方やっぱり今日は変ね」

 

 そんなことを言われて、はあっと息を吐いてから顔を上げると、そこにはソフトクリームを三つ手に持った由比ヶ浜の姿。彼女は微笑みながら俺へとその一つを差し出してきた。

 俺はそれをうけとって舐める。

 うん、確かにうまい。そしてホッと気分が楽になった。

 

「これ美味しいねゆきのん」

 

「ええ、そうね」

 

 二人して楽しそうにそう会話している。

 

「なあ、お前ら……俺にとってはまったくもって異常なしなんだが、お前らからみて非常に俺が意味不明なことを口走る可能性があるんだが、聞いてくれるか?」

 

 座ったままそう言った俺に雪ノ下が小首をかしげて答える。

 

「貴方が意味不明なことを口走るのは今に始まったことではないのだけれど、もしそうならそう思って聞くことにするわ」

「よくわからないけど、気にしないで話していいよ」

 

「ああ、すまない」

 

 俺はふうともう一度息を吐いた。

 とりあえずここまで起きてきたことの全てが俺にとっては超異常事態である。

 なぜIKE〇で家具を買っているのか、買わなくてはならないのか、そもそもなぜ俺は二人とこんなに恋人のように接しているのか。とにかく聞かなくては始まらない。

 

「なあ、お前ら。この今日の買い物はなんなんだ」

 

「なんなんだとは?」

 

 速攻で雪ノ下に返されてたじろぐも、とにかく続ける。

 

「あ、いや、だから今買った物をどこに置くかということであってだな」

 

「? えーと部屋割りはすでに終わっているのだし、寸法を測って購入したのだから今更別の物に変えようとかいうのはなるべく勘弁願いたいところなのだけれど」

 

「あ、いや、そうじゃなくて……」

 

 くそっ! 話の要領を得ない。仕方ない。家具からではなく、俺たちの関係から攻めるか。となれば、由比ヶ浜か……

 

「なあ、由比ヶ浜。その、なんだ。俺たちの関係は今なんなんだ? これはあれか? こ、こ、ここここ恋人ってやつか?」

 

「へぇ?」

 

 由比ヶ浜がびっくりしたように飛び上がって頬を赤らめる。だが次の瞬間言った。

 

「えと……その、違う……よ?」

 

 なんで最後疑問形? え? 違うのか。って、違うのかよー。違うのに、なんでこんなにイチャイチャしてたんだ。俺は馬鹿か。やっぱりただの罰ゲームだったんじゃねえか。何を勘違いしてんだ俺は。ばーか、ばーか、ばーーーーーーか。くふっ……しにたい……

 

 俺はテーブルに思わずつっぷしたんだが、そこにまたもや怪訝そうな声で雪ノ下が声を掛けてきた。

 

「前口上は了解していたのだけれど、今日の比企谷君はまた一味ちがうわね。これは何かのゲームなのかしら?」

 

「ヒッキーどうしたの? だいじょうぶ?」

 

 二人が俺に声をかけてくるもどう反応していいのやらまったく分からない。

 くっそ。もうほっといてくれ。俺はこのまま静かに死んでいくだけなんだから……

 

「やっぱりさっき飲んだ【ビール】がまずかったのかな? ヒッキー初めてだって言ってたし」

 

「そうね。今日は記念だからとか言って、一人で先に買って飲んでいたものね。あれで酔っ払ってしまったのかしらね」

 

 は? び、ビールだと?

 

「ちょっと待てお前ら、そこのところ詳しく」

 

「え?」「なんで?」

 

 がばりと起き上がった俺に目を見開く二人。いや、だからその辺の話を早くしてほしいのだがな。

 

「いや、だから、ビールだよビール。なんで高校生の俺がビールなんて飲んでんだよ」

 

「へ? 高校生? ヒッキーが」「どういうことかしら?」

 

 不思議そうに顔を見合わせている二人。しばらくして二人は俺を見ながら変な質問をしてきた。

 

「ねえヒッキー、あたしたち何歳くらいに見える?」

 

「はあ? そんなの17か18に決まってんだろ?」

 

 きゃっ、本当に、めっちゃ嬉しいとか言って由比ヶ浜が喜びだした。

 

「では、昨日3人で市役所に一緒に出掛けたのを覚えているかしら」

 

「き、昨日? 昨日はえ、えーと。いや、出かけてなんかないだろう。市役所がどうかしたのかよ」

 

 それを聞いてはあっとため息を吐く雪ノ下。そんな雪ノ下に耳打ちしている由比ヶ浜が、ねえゆきのん今のヒッキーってさーとかぽそぽそ言っているのがまるぎこえなんだが、そもそもそれを聞きたいんだよ俺は。

 

「なあ、俺はなんでここにいるんだよ」

 

 もう一度そう聞いた俺に雪ノ下が言った。

 

「でははっきり全部説明するわね。比企谷君、あなたは昨日私と由比ヶ浜さんと3人で入籍したのよ。式はまだだけれど、新居として幕張に一軒家も購入したし、だから今日はその引っ越しのためのいろいろな家具を買いに来たの。それと、貴方と私は雪ノ下建設に就職して今同じ部署で働いているの。結衣さんは保育士ね。あなたは去年免許をとって、中古のミニバンを購入したわ。今日はそれに3人で乗ってここまで買いにきたの。だから帰りは当然その車にこの荷物を全部載せて帰るのだけれど、あなたお酒を飲んでしまったから運転はできないのよね。仕方がないので私が運転します。つまりそういうことよ。理解できたかしら」

 

 一気にそうまくしたてるように話し切った雪ノ下。

 い、いや、え? な、なに? にゅ、入籍? 結婚? 就職? 車だって?

 

「ちょ、ちょっと待て。何を言ってんだお前は。そもそも3人で結婚なんかできるわけねえだろうが。しかも俺が就職? 車? え? 運転って……お前ら俺に【嘘】ついて遊んでやがるだろう?」

 

「ふふ……全部嘘よ」

 

「はあっ?」

 

 意地悪そうに面白そうにそう嘘と断言して笑う雪ノ下。そしてパッと立ち上がった由比ヶ浜。

 

「そう、嘘嘘。ほら、もう全部嘘だから、このまま荷物積んで帰ろうね。ヒッキーは寝ながら帰っていいから。さあ、行こう」

 

「あ、いや、ちょ、お前ら……」

 

 追いすがろうとする俺を見て、急に戻ってきた二人が同時に俺の頬にキスをした。

 

「え?」

 

 そして……

 

「愛してるわ八幡。幸せにしてね」

「あたしも大好きだよ、ヒッキ……八幡。絶対幸せになろうね」

 

「ちょ、と、え? へ? ええ?」

 

「ふふ……」「えへへ……」

 

 幸せそうに微笑む彼女たちを俺は……

 

 全力で追いかけた。

 



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【ラヴ・レター】
(1)そして、由比ヶ浜結衣は全てを失った……


高校3年生になった八幡たちのストーリーです。


 高校3年生になってもう2ヶ月が過ぎた。

 やっぱり去年までとは空気が違う気がする。学校の授業も殆どが午前中までで、終わってすぐに予備校とか塾に向かう人も多いし、校内に残って自習をする友達もいる。

 勉強がそんなに得意ではないあたしにだって、このどこかピリピリとした緊張感は伝わってきてるし、やらなきゃ、頑張らなきゃっていう焦りとか、不安もたくさん持ってる。

 だから、いつもなら、それに負けないようにって、机の前で問題をたくさん解いてるんだけど、今日は特別。今日はそんなことは考えないで心を弾ませて楽しんだ。

 

 大好きな彼と一緒に!

 

「わあ、楽しかったねー、ヒッキー! いっぱい歌えた? 満足した?」

 

「お前な……全然マイク放さなかったくせによく言うな。ま、まあ、楽しかったな。後、ハニトー旨かった」

 

「うん!えとさ、でもさ、こうやって二人だけでカラオケから出てくるって、なんか、あたしたち……こ、恋人みたいだよね?」

 

 耳とか頬が痛いくらい熱くなってるのを感じる。きっと今あたし変な顔してる。きっとそう。

 ヒッキー、どんな反応してくれるのかな……

 ちらりと横目に見ると、彼は顔を真っ赤にして口ごもってるし。

 

「……………」

 

「ちょ、ちょっと……な、なんか言ってよぉ」

 

「い、いや、まあ、今日はな……雪ノ下の奴も来れなかったし……その、男女二人でいれば、そういう風に見えなくもない……かもしれないような気もするまである……い、言わずもがな」

 

 思いっきりどもってるし……ふふ……その反応……嬉しい。

 

「そ、うだよね。うん、そう、見えなくもない……と、思う。うん」

 

「……だな」

 

 そして、会話は途切れる。

 もともとヒッキーはそんなに会話上手じゃないし、今はあたしと同じですごく緊張してるんだと思う。

 だって、口ではあたしも恋人してるみたいなんて、言えるけど、今は胸が張り裂けそうなくらい、心臓の音が大きくなってるんだから。

 

 あたしの名前は由比ヶ浜結衣。高校3年生。今日は大好きな彼、ヒッキー……比企谷八幡君とカラオケデートしてる。

 あ、ええと、実はまだつきあってはいません。あたしが一方的に好きになってるだけ。だから、これもホントはデートじゃなくて……

 あれ?男の子と二人で出掛ければもうそれデートだよね?はわわ……

 

 ふと視線に気がつくと、ヒッキーがあたしに向かって声を掛けてきてくれた。

 

「そ、そういや……もうじき誕生日……だったな……お前の、その……、な、なんか欲しいモンとか……あるか?」

 

「え?」

 

 あ、お、覚えててくれたんだ。嬉しい!超嬉しい!

 あ、でも……去年もワザワザ可愛いプレゼントくれたし、お金使わせちゃうのはなんかちょっと……悪いかも……

 あたしは、ヒッキーと二人で居られればそれが一番幸せなんだよ! って大きな声で言えたらいいのに……えへへ……

 

「お、おい、なにニヤついてるんだ? ど、どうなんだよ、なんかないのか?」

 

「あ、えと、えと、あの、あのね? うん、大丈夫、いらないよ。気にしなくていいよ」

 

 だって、本当に申し訳ないもの。あたしがオネダリしたら、きっとヒッキー無理してでもそれを買ってきちゃうだろうし……優しいから。だからこれでいい。うん!

 そう考えて納得していたら、ヒッキーの視線を感じた。そっと見上げてみたら、そこには困惑した感じの表情のヒッキーの顔。

 

「どうしたの? 大丈夫?」

 

「あ、ああ……大丈夫だ、なんともない……、それよかお前……た、誕生日の日は、予定……誰かと予定あったりするのか?」

 

 そう言われてあたしは素直に答える。

 

「ううん。ないよ。去年と同じ……かな」

 

「そ、そうか……い、いや、雪ノ下のやつも気にしていたから……」

 

 その言葉に一瞬硬直してしまう。それで、聞かなくてもいいのに、つい聞いてしまった。

 

「また、ゆきのんと二人だけで何かしてるの?」

 

 言ってしまってから後悔する。胸の奥の方がチクリと痛んだ。

 ヒッキーは、少し口ごもってから呟く。

 

「ま、まあ、別にいいだろ」

 

 駅に向かって歩く道すがら、そんな話をしていたら、急にヒッキーに触れたくなった。

 彼があたしのことを気にしてくれてる。それだけで幸せなはずなのに、あたしの知らないところの彼を考えたら、それだけで寂しさに襲われる。こんな思いすること自体ズルいって、もう知っているのに……

 あたしのすぐ隣を歩くヒッキー。

 その距離は以前とやっぱり変わらない。近すぎず、遠すぎず……。付き合ってると思われないギリギリの距離。

 でも、少し手を伸ばせば、彼の手に届く距離……。

 ズボンのポケットに手を入れた彼は、小指だけを外に覗かせていた。 

 あたしはそっとヒッキーに手を伸ばす。

 自然に……流れるように……さりげない風を装って……

 

 ぴ、ぴと……

 

 あたしの左手の小指が、ヒッキーの右手の小指に触れた。

 ほんのりヒッキーの体温を感じて、体の芯が熱くなる。

 気づいてるよね……さ、さわってるんだもん……

 

 でも、

 

 彼は何も言わない。

 

 あたしも恥ずかしくて、顔を合わせられないけど、きっとヒッキーも緊張した顔してるんだと思う。

 

 彼の手に触れるくらい、きっと簡単なことなんだ。クラスの友達も、付き合ってる彼と腕を組んだりしてるみたいだし、進んでる子はもっと先まで……うわわわわ……それはまだ、まだだよ、結衣。

 だからいい。今はこれで。

 

 小指と小指をただ触れさせただけのままで、あたしたちは言葉もなく歩いた。

 

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 三年生に進級して一番嬉かったことは、再びヒッキーとクラスが一緒だったこと。

 優美子や姫菜は隣のクラスになったし、みんな受験勉強でいそがしくて、去年みたいな仲良しグループで遊ぶことはもう無くなった。

 だから今のあたしの一番の楽しみは彼を見ること。

 彼は3年になってもそんなに変わってない。

 クラスメイトに自分から話しかけたりしないし、休み時間はいつも机に突っ伏してる。たまに、あたしが声を掛けるときだけ少し嫌そうな感じで受け答えをしてくれるだけ。

 うん、分かってるんだ。ヒッキーはあたしが周りから変な目で見られないように、ワザとそうしてるってこと。だからあたしも無理に大はしゃぎしたり、しつこくしたりはしない。でも、これは悲しい。

 あたしにとって一番大事な人が、自分のことをそこまで卑下しているのが堪らなく辛いし悔しい。きっとそうしなくちゃなんないような辛い思いを今まで繰り返ししてきたんだと思う。彼が優しくて思いやりのある人だってことを、あたしは誰よりも知っているつもり。だから、自分から距離をとるなら、あたしもそれで我慢する。ヒッキーがみんなの中で辛い思いをしないように、あたしも頑張る。そう決めたんだ。

 

 でも……

 

 できれば、ヒッキーともっと一緒にいたいな。もっとお話もしたいし、一緒にお出かけとかもしたい。

 そんなことを夢想しながら、放課後になれば、部活でもう少し彼のそばに近づける……それを楽しみにしながら、今日も彼の横顔を覗きみていた。

 

 

 リーン…………ゴーン………………

 

 

「では、今日はここまで」

 

 終業のベルが鳴り響き、先生のその声を合図にクラスのみんなが荷物を抱えて立ち上がる。彼もゆっくりとした手つきでいつものように鞄を手にしていたので、あたしも急いで支度をした。

 今日もほんの少しだけど、彼と一緒に歩ける。

 それが今のあたしの何よりの楽しみ。

 

 あたしとヒッキーの所属している部活、『奉仕部』は現国の平塚先生が顧問をしている不思議な部活で、生徒たちの悩みの解決の手助けをする活動をしている。

 部長は、あたしの一番の親友で、女のあたしから見ても羨ましいくらいに可愛い、ゆきのんこと、雪ノ下雪乃。

 最初こそゆきのんはあたしに、顔に似合わないキツイことを言ったり、ヒッキーには今でも毒舌で話したりもしているけど、自分にも人にも厳しく当たってた。でも一緒にいろんな活動をしているうちに、彼女が誰よりも真剣に生きて頂きまするんだってあたしは感じるようになった。それは、あたしなんかじゃ絶対真似はできないし、凄いことだって今でも思ってる。

 

 でも……

 

 きっと彼女は誰よりも寂しがりやなんだろうな……そう思うようになった。

 誰よりも強くて、なんでも出来て、みんなも憧れるそんな人。でも、実際のゆきのんはいつも不安を抱えていて、戸惑ったり、悩んだりしてる。それが分かったから、あたしは彼女の支えにもなれればって、そういう存在になりたいなって思うようになったんだ。

 

 ヒッキーとゆきのん……

 

 今のあたしにとって、なくてはならない無二の存在。二人があたしの全て……

 だからあたしは、二人の全部が欲しかった。

 二人との絆の証し……

 あたしにとって、奉仕部はかけがえのない物になっていた。

 

 特別棟の3階までのわずかな時間。此のときばかりは、ヒッキーとの二人だけで恋人気分でいられる。

 今日も、その甘い一時を想像して心を弾ませながら、廊下に出たヒッキーを追った。

 

「ヒッキー、部活行こ!」

 

「お、おう……ん?」

 

 いつも通りに恥ずかしそうな表情になったヒッキーは、その後、あたしの背後を見て表情を強ばらせた。

 振り返ると、うちのクラスの女子の友達。

 

「あ、由比ヶ浜さん? 今日当番でしょ? 早く平塚先生のとこに行かないと怒られちゃうよ」

 

「あー! いっけなーい、忘れてたぁ」

 

「もう、忘れちゃだめだよ。じゃあね」

 

「あ、うん、ありがと、……バイバイー!」

 

 その子にお礼を言ってヒッキーを見ると、もう先に歩き出している。いつも通りなんだけど、ムッとなったあたしは彼の背中に鞄を叩きつけた。

 

「イテッ!」

 

「なんで先いくし!」

 

「い、いや、だってお前用があるんだろ?だったら、部活いけねえじゃねえか」

 

「うう……そ、そうだけどさ、ちょっと待っててくれたっていいじゃん」

 

「お前な……なんで女子同士が話してるのを側で見てなきゃいけないんだよ。俺ストーカーみてえだろ」

 

「そ、そんなことないし! じゃ、じゃあヒッキーはあたしと一緒にいるとこ見られるの嫌なの?」

 

 そんなこと言うつもりなんかなかったのに、責めるような言葉がつい口を衝いてしまう。こんな意地悪な質問をすれば、絶対ヒッキーは嫌な気持ちになるってわかってるのに。

 

「べ、別に……俺は……」

 

「…………………」

 

 二人そろって押し黙る。せっかく二人きりなのに、沈黙が辛い。それに、どうしたって今は一緒に行けないし。

 

「ご、ごめん、あたし先生のとこ行ってくるね。だから先に行ってて。終わったらすぐ行くから」

 

「お、おう。わかった……」

 

「じゃあ、またね」

 

「またな」

 

 頭を掻いて答えるヒッキーを見ながら、あたしは小走りに反対方向に駆けた。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 結論から言えば、平塚先生はいなかった。

 職員室まで行ってみたけど、姿がなくて、他の先生に聞いたら、どうやら今日は研修会があって朝から外出していたみたい。

 肩透かしを食らった感じで、あたしは奉仕部の部室へ急いでむかった。

 こんなことなら、もっと早く連絡してくれてれば良かったのに。そうすれば、ヒッキーと二人で手を繋いだり出来たかもしれなかったのに……

 なんて、当番をすっかり忘れていた自分のことは棚にあげて、部室でヒッキーとゆきのんに、この事話さなきゃ、平塚先生はやっぱだらしないね、とか言っちゃおーとか考えて、それに同調してくれるだろう二人の笑顔を思って一人ニヤケる。

 

 ふと、窓の外に目を向けると、真っ黒い雲が低く幾重にも重なっているのが見えた。

 あ、雨が降りそう……

 いけない、傘忘れちゃったな……

 

 陽の光を遮られた廊下の先は、暗く澱んでいるようだった。

 

 一気に階段を駆け上って部室の前に出る。そして扉を勢いよく開こうと手をかけたその時、中から話し声が聞こえてきた。

 引き戸も少し隙間があってきちんと閉まっていない。この棟は殆ど人が居なくて静かなため、戸が少しでも開いていれば結構廊下にまで音が響く。

 また、いつもみたいに、ヒッキーとゆきのんが難しいことで言い合いをしているのかな?なんて思いつつ、あたしはそっと戸の隙間から中を覗きみた。この時……

 

 覗き見たりなんかしなければ、きっと……

 

 あんなことになったりしなかった……

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 戸の隙間から見えるのは、こちらに背を向けて立っている背の高い男性。

 スラッとしてるけど、結構肩幅もあって、こうやってたつ姿は本当にカッコいいと思う。なんで、いつも拗ねた感じで猫背で逃げるようなことするんだろう?

 あたしにとっては世界で一番カッコイイ人なのに……

 そんな彼……ヒッキーは、背筋を伸ばして向こうを見ながら、でも、何も声を出さずに立ち尽くしている。

 

 あれ? おかしいな、話し声が聞こえたと思ったのに……

 

 そんな動かないヒッキーの背中越しに、その向こう側に人影があった。

 ヒッキーに向かい合うように立つ彼女は、蛍光灯の光に煌めく長い黒髪を風に揺らしながらその華奢な体は悠然としていた。

 顔は見えないけど、その佇まいをあたしが見間違えるはずがない。

 

 ゆきのんだ……

 

 でも、なんで?

 なんで、黙って見つめ合ってるの?

 

 その疑問は、次のヒッキーの一言で明らかになる。あたしにとって、最悪の形で……。

 

 

 

 

 

 

「お前が好きだ」

 

 

 

 

 

 

 え?

 なんて?

 

 

 

 一瞬にしてあたしの世界から音と色が消えた。

 真っ白いその空間には、向かい合う彼と彼女だけがたたずんでいる。その姿は信じられないくらい遠くにあって、なんの会話をしているのか、どんな仕草をしているのか、目を開いて、耳でちゃんと聞いているはずなのに、まったく情報が入ってこない。

 ううん、考えることができない。

 

 ただ……

 堪えようのない、喪失感に指先が、足が、心が、身体全体が蝕まれていく。

 

 あたし……

 あたしは……

 

 目の前で起きたことが理解出来ない。解りたくない。信じたくない。どうして、どうしてなの? なんで?

 

 なんでゆきのんなの?

 

 痛い……

 

 突然鈍器で叩かれたような強い衝撃をうける。 

 それが、あたし自身の錯覚なんだと理解したとき、ひどい耳鳴りなのか甲高い音が頭に響いていて、立っていられないほどにふらついてしまう。

 

 く、苦しい……

 

 心臓の拍動が早鐘のように内側からあたしを叩き続け、そして喉の奥に綿を詰め込まれたかのように、急に息が苦しくなる。必死に肺に酸素を取り込もうとするのに、呼吸がうまくできない。

 

 き、気持ち悪い……よぉ……

 

 そして、お腹の奥の方を何かに握りつぶされているような不快感。込み上げてくる激しい吐き気に自分で口を押さえた。

 

 イヤ……

 

 イヤだよ……

 

 頬を打つ熱い筋が自分の泪だと気がついたとき、ふいにさっきの光景が思い起こされた。

 頭の中を駆け巡るのは彼の声……

 

”お前が好きだ”

 

 ずっと聞きたかった、その言葉。

 今まで、何度も何度もその言葉を想像し、憧れて、夢焦がれてきた。

 そしてようやくに聞くことができたその言葉。

 

”お前が好きだ”

 

 でもそれは、あたしが夢見たものとは違ってた。

 彼の言葉に乗せたその想い。

 その行き先はあたしじゃなかった。

 

”お前が好きだ”

 

 そう、あたしじゃなかった。

 あたし……

 あたしは……

 

”お前が好きだ”

”お前が好きだ”

”お前が好きだ”

”お前が好きだ”

”お前が好きだ”

”お前が……”

”お前が……”

”お前が……”

”お前が……”

…………

…………

 

”好きだ”

 

 

 

 

 

――――――――雪ノ下……

 

 

 

 

 

「いやあああああああああああああああぁ…………」

 

 自分の絶叫で我に返る。

 身体中を何かが叩いている。

 それが、大粒の雨だと気がつくまで暫く時間がかかった……

 あたしは鞄を肩に担いだまま、人気のない路地の壁にもたれてぺたんと座りこんでいた。

 見上げればそこにはよく見知った自分の住んでいるマンションが……

 どうやってここまで来たのか……まったく覚えてない。

 

 足元に視線を落とすと、転んでしまったのか、スカートも制服も泥にまみれていて、膝は擦りむいて血が雨に滲んでいた。

 

 あ?あたし、上履きのままだ……

 

 泥水で薄汚れてしまった元は白かった上履きを眺めながら、呆然とし続けた。 

 

 さっきまで全身を蝕んでいた荒んだ心を隠してくれているような感覚。ひたすらに叩きつけるこの滝のような雨が、あたしの苦しみを全て覆い隠してくれているような気がした。

 でも……

 

 思い出されるのは、あの時の彼の言霊……

 そして、あたしに優しい二人の笑顔……

 

「ふぐっ……、ふぇ……、んくっ……ふぇぇぇ……」

 

 わけもわからずに込み上げてきた嗚咽に、胸が苦しくなる。でも、それに耐えられるほどの力はもうなかった。

 あたしは両手で胸の真ん中をキツくキツく押さえつけて立ち上がる。強く押せば押すほどに、もうひとつの痛みを忘れることが出来るような気がした。

 そして、暗く沈みこんだ周囲の景色の中、豪雨に霞んだ自分の家を目指して、一人身体を縮めてゆっくりと歩んだ。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「ねえ、結衣~? お昼、結衣の好きなもの作ってあげよっか~? なにがいい~?」

 

 部屋の扉越しにママの声が聞こえた。

 あたしは、着替えもしないでパジャマのままベッドに横たわっている。

 最初は聞こえない振りをして黙っていようとも思ったけど、ママがあたしの事をすごく心配してくれてるのよく分かってるから、返事はした。

 

「……いらない……」

 

 我ながら酷い答え……これなら言わない方が何倍もマシだよ。

 でも、仕方ない……

 だって今は何も食べたくないんだもの……

 

「……そう……わかった!でも、ダイエットはほどほどにね~、うふふ」

 

 ママは明るくそう言ってリビングへ帰って行った。

 こうやって接してくれるママが本当に好き。

 あたしの気持ちもなにもかも全部お見通しなんだと思う。でも、それが嫌じゃない。

 この世界で一番のあたしの理解者はやっぱりママなんだな……

 そう思った瞬間、また涙が溢れた。

 

「ふぐっ……ひぐっ……」

 

 あたしの夢、あたしの理想、あたしがなりたかったもの……

 

 あたしは……

 

 あたしは……

 

 あたしは……

 

 あたしは…………

 

 

 

 

 

 

 

”あたしは彼の一番になりたかった”

 

 

 

 

 

 止めどなく流れる涙は、倒れ伏しているベッドのシーツの上に、再びシミを作った。

 堪えていたはずの嗚咽はいつの間にか叫び声に変わっていた。

 悲しい、苦しい、寂しい……

 今、あたしの心をそんな想いが次々に駆け抜ける。

 思い出せば出すほどに、胸が締め付けられて、心が抉られる。

 なによりあたしを苦しめるのは、優しい二人の笑顔。

 この世界でなにより大切だと思っていた二人……その二人を同時に失ってしまった喪失感に、あたしは耐えることが出来なかった。

 枕元の窓からは、強い雨音が響いている。

 昨日から降り続く雨は一向にやむ気配がない。もっともテレビの天気予報も携帯も放置したままのあたしには、この雨がいつ上がるかなんて想像もつかないけど。

 悲しみで動けないあたしは、今日学校を休んだ。

 

  

 

 昨日、びしょ濡れで家に入ったあたしを、ママは一目見てそのままキツく抱き締めてくれた。

 傘も刺さないで、鞄の中までびしょ濡れにして、上履きのままで……

 絶対怒られると思った。

 でも、ママは怒るどころか、一緒に泣いてくれたんだ。

 それが堪らなく嬉しかった。

 

 お風呂に入ってからは良く覚えていない。

 雨のせいで身体は冷えきっていて、力を使い果たしてしまったんだと思う。温かいお湯に浸かったとたんに、全身の力が抜けて、次に気がついたときは真っ暗な部屋で布団にくるまっていた。

 柔らかな布団に抱かれていることに安堵して、そして、泣いた。

 ひとしきり泣いてから、チカチカと枕元で点灯していたあたしのガラケーを眺めて、恐る恐るそれを手にした。

 あのずぶ濡れでも、壊れなかったんだ……と驚きながら、開いた先の着信欄には、案の定彼の名前が……

 それも、1回や2回じゃない。何回もコールした後があった。そして、当然メールも……

 

 ボタンを押せばすぐに彼のメッセージを読める。今まで、いつも待ち望んでいた彼からの言葉の数々……彼の短いメッセージに胸を弾ませていた日々……

 きっと、急にいなくなったあたしを心配してくれて書いたメッセージだと、あたしには分かっていた。そして、その文章がきっと優しいものだということも……

 でも……

 メッセージを開くボタンを押す指が震える。

 読むことを心が拒絶している。

 待ち望んで、恋い焦がれていたはずの彼の言葉が、今はなにより恐ろしかった。

 

 ふと、あの後彼と彼女はどうなったんだろうと気になった。

 彼女は彼の告白を受け入れたのかな……

 二人は付き合うことになったのかな……

 

 あたしにとって、二人は大事な存在。それはこれからもずっと変わることはないはず。

 彼と彼女がただ、恋人になったっていうだけのこと……そこに、あたしが一緒にいればいいだけ……今までと何も変わらないよ。何も……

 

 ただ……

 

 悲しい……

 

 すごく悲しい……

 

 二人のことが凄く好きなのに、嫌いになんてなれないのに、一緒に居たいのに、それを思うと苦しくて悲しくて切なくなる。

 

 また、涙がこぼれた。

 

 あたしはずっと彼が好きだった。彼のために何かしたくて、彼と一緒にいたくて、あたしは奉仕部に入った。

 動機は不純だと思う。

 好きな人と一緒にいたいからってだけで、部活をするなんて、本気で部活をやってる人からすれば絶対許せないことだと思う。

 彼女はそんなこと一度もあたしに言わなかったけど、ひょっとしたら、ずっとそう思ってたのかもしれない。

 あたしのいないところで、彼とはそういう話をしてたのかもしれないな。

 もしそうなら、あたしが居て凄く嫌だったろうな……

 

 あはは……

 

 だったら、あたしもういらない子だ……

 

 再び熱い滴が頬を伝う。

 もともとあたしには二人と一緒にいる資格なんてなかったんだ。

 二人はあたしと違って、頭も良いし、なんでも知ってるし、それに最初から仲も良かった。

 いつも二人で楽しそうに言い合いをしてるし、そこにあたしが入れる隙間はなかった。

 

 うん……

 わかってた……

 ずっと……わかってたんだ……

 彼がずっと誰を見続けていたかを……

 そして、彼女が、誰を一番必要にしていたかを……

 

 溢れる泪で視界が薄れた頃……

 あたしは、ケイタイを静かに畳んで、そっと元の場所へ戻した。

 それから、泣き叫びたい気持ちを抑えこむように、頭から布団を被って……一晩中咽び泣いた。

 

 

   ×   ×   ×



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(2)雪ノ下雪乃は彼女に想いを届ける

 ズル休み二日目。今日も雨。

 

 今日はきちんと着替えて、机に向かっている。

 ただひたすらに問題を解き続けることで、少しだけど気を紛らわすことが出来ている気がする。

 でも、食事はまったく喉を通らないでいた。

 流石に心配したママが、おかゆや、栄養補助剤なんかを持ってきてくれるんだけど、水を飲んだだけでも酷い吐き気に襲われてとてもじゃないけど食べられなかった。

 自分でもこのままじゃダメだ……食べなきゃ死んじゃう……ってわかってはいるけど、体がうけつけてくれない。

 仕方ないから、病院に行って点滴してもらわなきゃ……なんて、今朝軽くママと会話した内容を反芻して、じゃあお昼から病院に行こうかなとか考えていた。

 

 そんな時、ドアの外側から声が掛けられた。

 

「由比ヶ浜さん? 入るわね」

 

「え? え?」

 

 かちゃりと音がして開いたドアの先には、彼女が立っていた。

 

 黒の総武高校の制服に身を包んだ黒髪の美少女。

 あたしの一番の親友で……

 あたしが今一番会いたくなかった一人……

 

「ゆ、ゆきのん……なんで?」

 

 自分の声が上擦っているのが分かる。震えてる。

 どうしよう……

 怖い……

 

 彼女の優し気な瞳を見た途端に、頑張って忘れていたあの時の光景が眼前に蘇ってきた。

 そして、またもや繰り返し、彼の愛の告白が呪詛となってあたしを襲いはじめる。

 

 あたしは何もしゃべれないまま……震えながらゆきのんを見上げていた。

 

 彼女は、そんなあたしを見ながら、ポケットに手を差し入れながら近づく。そして言った。

 

「やっぱり何かあったのね。ほら、涙をぬぐいなさい。貴女の綺麗な顔が台無しよ」

 

 ゆきのんがおもむろに白いハンカチであたしの頬をそっと拭う。

 どうやら、また涙を溢れるままにしていたみたい。優しく微笑む彼女の表情は本当に穏やかで、あたしのことを心配してくれているんだっていうことがはっきり分かった。

 でも……

 来て欲しくなかったな……

 

 あたしがそう思いながらじっと見つめているとゆきのんがポツリとこぼした。

 

「そんなに不思議そうな顔をしないでくれるかしら?急にいなくなった貴女のことを心配するのは当然のことなのだし、電話もメールも繋がらなければ何かあったと思うのが普通でしょ?」

 

 言われて枕もとの携帯を見てみれば、この前置いたときのまま。もはや着信を知らせるランプすら消えている。

 

「あ、あ、ご、ごめんね? ゆきのん……あはは、あ、あたしってば、すっかり充電するの忘れちゃって……」

 

「無理しなくていいわ、由比ヶ浜さん。大丈夫よ、楽にして。私はあくまでお見舞いに来ただけなのだから……それに……」

 

 ゆきのんはあたしの手をそっと両手で包んだ。

 綺麗な手……

 優しい手……

 大好きな手……

 

「その……と、友達が……親友が苦しんでいるのに、なにも出来ないのはとても辛いことだから……私で良ければ力になりたいの」

 

 物寂しげな表情で、私を見つめるゆきのんの瞳は、涙で潤んでいた。

 

 ああ……

 ゆきのんは、やっぱり優しいんだ……

 

 知ってたよ。ずっと前から……

 いつだって、ゆきのんは真剣だっただけ……

 どんな苦しい問題があっても、全力で解決したいっていつも一番真剣に悩んでた。

 そして、いつもあたしたちを一番に考えてくれてた……

 ゆきのん……

 

 

 でもね……今はその言葉が一番苦しいの……ごめんね……

 

 

 本当にごめんね……

 

 

 我慢しようと必死に耐えていたのに、溢れ出ようとする涙を押し止めることは出来なかった。 

 

 彼女のせいじゃない、彼女が悪いんじゃない……

 そんなことは分かってる、知ってる。

 誰のせいでもない。

 彼女は心からあたしを心配してくれてるだけ。

 それもわかってるのに……

 

 苦しい……

 切ない……

 逃げ出したい……

 

 こんなあたしを見て困惑してるゆきのんに、大丈夫だよ、なんともないよって言ってあげたいのに言葉がでない。

 

 ヒッキーの告白をどう思ったのか、なんて返事したのかを聞きたいと思ってる自分もいる。

 

 詰めよって問い詰めたいって乱暴な気持ちもある。

 

 

 でも、そんなことしたくない。

 

 

 だって、全部あたしの心の問題だから……

 

 あたしはゆきのんが好き。

 

 ヒッキーが好き。

 

 二人が好き。

 

 ゆきのんとはずっと親友でいたいと思ってた。

 

 ヒッキーとは恋人になりたかった。

 

 二人とずっと一緒に居たかった。

 

 これは全部あたしの中のこと……あたしの願い、想い、夢……そう、全部あたしの自分勝手なわがままな気持ちでしかないんだ。

 

 それを押し付けることなんて絶対できないよ。

 

 

 声の出ないあたしを、不安そうに見つめながら、ゆきのんは色々話してくれた。

 一昨日、約束したのにあたしが部室に現れなくて心配したということ。

 連絡もとれないままでずっと不安だったということ。

 教室まで迎えにきてもあたしが休んでしまっていて、それを平塚先生に相談したのだということ。

 そして、最後に……

 

「あなたは比企谷君に会ったのかしら?」

 

「え?」

 

 唐突に出たヒッキーの名前に、あたしは殴られたような衝撃を受けた。

 どうして、あたしがヒッキーに会えるの?

 

「なんで?」

 

「え?」

 

 突然声を荒げたあたしに、ゆきのんが驚いた顔に変わる。

 あたしは、急に沸き上がった激情に我を失って、ゆきのんに詰め寄ってしまった。

 

「なんでゆきのんがそんなこと聞くの? あたしヒッキーになんて会えない。会えるわけないよ。こんな……こんな気持ちのままで、どんな顔して会えばいいの? 無理だよ……あたしには……もう……笑顔も作れないし、相づちもうてないし、ヒッキーのつまらないギャグに突っ込むのだって、澄ました顔で本を読むヒッキーをながめるのだって、一緒に並んで歩くのだって、マッカン飲みながらウンチク語るのを聞くのだって、わざわざ自転車を押してあたしをバス停まで送ってくれたり、なんだかんだって一緒に修学旅行もまわってくれたり、ちゃんと約束もしてないのにあたしとハニトー食べてくれたり、断られるんじゃないかって怖いのを我慢して誘った花火大会も一緒に行ってくれたし、あたしの作った美味しくないクッキーを食べてくれたし、あたしのサブレを命懸けで守ってくれたし――――」

 

 会いたい……。

 

 会いたいよ……。

 

 ヒッキーに会いたい……。

 

 会っても、もう元通りになんてならないことを理解しつつも、それでもあたしは彼に会いたくてたまらなかった。

 

「由比ヶ浜さん……」

 

「え?」

 

 止めどなく溢れる言葉と感情の波の中、微笑んだゆきのんが優しく呼び掛けてくれた。

 

 でも、そんな穏やかな表情に反して、彼女の口からこぼれた言葉は、あたし心に突き刺さった。

 

 

「そう……貴女も……好きということね」

 

 

 

 え、あたしも……って……じゃ、じゃあ、ゆきのんも……

 

 聞いて、全身を雷が貫いたように衝撃が走る。

 

 そ、そんな……

 

 そんな……

 

 足元が再び崩れ落ちていくような錯覚を覚えて、あたしは床にへたりこんだ。

 それをゆきのんが慌てて支えようと抱きつく感触があったけど、もうそれを理解出来なかった。

 

 ひょっとしたら……

 

 もしかしたら……

 

 ゆきのんはヒッキーの告白を断ったんじゃないか……

 

 そんな僅かな可能性にあたしはしがみついていたのかもしれない。

 もし、そうだとしたら、まだヒッキーに好きになって貰えるチャンスがあるかも……

 なんて、自分本位で身勝手な想いが心の隅の方にまだきっとあったんだ。

 

 なんて……

 

 なんて、ズルい……

 

 なんて酷い事思ってたんだろう……あたしは……

 

「ひ、ひぐっ……ふぐぅ……ふぇえ……うえぇ……えっくぅ……えぅ……えうぅ……うわああああん…………わああああああああああああ………」

 

「ゆ、由比ヶ浜さん……!?」

 

 あたしは泣いた。

 恥も外聞もなく、全てを晒して泣いてしまった。

 

 恋に破れて、自分を見失って……

 それでもあたしは優しくしてくれるママ達に甘えて、悲劇のヒロインを気取ってたんだ。

 きっと幸せになれる。このまま待ってればきっと良い方に向かう。

 そんなことをどこかで期待してた……きっとそう……そうなんだ……あたしはいつまで経ってもズルいままだったんだ。

 

 もう……

 

 もう……むりだよ……

 

 もう……普通になんて出来ないよ……

 

 激しい絶望の中で、ゆきのんに抱き締められていることに気がつく。

 不思議と嫌な感じはしなかった。

 

 あたしはやっぱりゆきのんが好きなんだ。これだけ傷ついても、これだけ絶望しても、あたしにとってかけがえのない人なんだ。

 

 だから……

 

 これで終わりにしよう……

 

 ゆきのんに酷いことを言ってしまう前に、ゆきのんにサヨナラを言おう。

 

 ゆきのんを傷つけちゃう前に……

 

 あたしは自分の嗚咽をグッと堪えて、抱き締めてくれているゆきのんの身体を少し離して、ゆっくり語った。

 

「ごめんね、ゆきのん……あたし、あたしね……」

 

「待って……」

 

「え?」

 

 ゆきのんがまたあたしの声を遮る。そして後ろを振り返って床に置いてあった鞄を引き寄せて、中から小さな青い板を取り出した。

 それを掌にのせてあたしに見せるように差し出しながら囁く。

 

「貴女がどうしてそこまで追い詰められているのか分からないのだけれど、大方比企谷くんがまた何かをやらかした結果なのだということは察しがつくわ」

 

「え、あ、あの……あのね?」

 

「それとも、それも含めて全部私の勘違いだったのかしら?貴女は比企谷くんのこと、やっぱりなんとも思ってなんて…………」

 

 その言葉が引き金だった。

 ずっとあたしの中で燻っていた思いに一気に火がついて膨れ上がる

 そして、ゆきのんにむかって叫んでいた。

 

「好きだよ…………好きに決まってる。大好きだよ……ひっきーのこと、ずっと、ずっと、ずーっと好きだった、ヒッキーのことずっと思ってた。いつだってヒッキーを見てたし、いつだってヒッキーのこと考えてた。ヒッキーが嬉しそうにすればあたしも嬉しかったし、ヒッキーが辛そうにしてればあたしも辛かった。ヒッキーが他の女の子と仲良くしてればモヤモヤしたし、ヒッキーに話かけられたら、それだけで胸がときめいて…………ヒッキーのことを思うだけで夜も眠れなくなって、ヒッキーを見るだけで、心がウキウキしたの……それくらい好きなの……好き……だったの……。だから……だから、もう、もうやめてよ。もうこれ以上傷つきたくないよ……お、お願いだからぁ……」

 

 喉をついて溢れ出るのはヒッキーへの想い。

 でもそれは目の前の彼女にとっては毒にしかならないもの……。

 彼が彼女を好きで、彼女も彼を好きなら、そこにあたしが入り込む余地なんてない。

 それだから、こんなことを言ってしまう前に逃げ出したかったのに……

 

 両手で涙を拭うあたしに、ゆきのんが再び抱きつく。そして彼女は優しくあたしの頭を撫でながら言った。

 

「大丈夫……大丈夫よ由比ヶ浜さん。貴女は何も悪くないし、心配することもないわ。きっと彼のことだから、思わせ振りなことをして、貴女に余計な不安をかけ続けていたのでしょうね。まったく、だからあれほど早く言いなさいと言ったのに……」

 

 え? なに?

 ゆきのんは何を言ってるの?

 何を言おうとしてるの?

 

「比企谷君なりに、気は使っていたのでしょうけど、由比ヶ浜さんがこんな状況になってしまってはなんの意味もないわね。もう隠しても意味はないでしょうし、そんなことをして余計に貴女に負担をかけることになってはもう意味がないわ」

 

 な、なんのこと?

 まさか、もっと怖いことを言おうとしてるの……?

 や、やめてよ……聞きたくなんかないよ……

 

 ゆきのんは、穏やかな口調のまま続けた。

 

「これから貴女にとって最善だと思うことをします。これは私の一存ではあるのだけれど、もし、不満があるのならば、文句は比企谷君に言ってね。けれど、どちらにしても貴女は比企谷君とはきちんと話をすべきだとは思うわ」

 

 あたしは、目の前の彼女の言葉を全く理解できないまま、彼女に髪を撫でられるのに身を任せたままでいた。

 暫く撫でられて、だいぶ嗚咽の収まったあたしの眼前に、ゆきのんは再びさっきの青い板を差し出して、あたしに声をかけた。

 

「由比ヶ浜さん……貴女のパソコンを貸していただけないかしら?」

 

 

   ×   ×   ×

 

 

『……使えばいいのかしら? ボタンが多くて……』

 

『ほら、貸してみろ……えーと、っと、ととっ……』

 

『せ、せんぱいっ! それ生徒会の備品のハンディカムなんですから、大事に扱ってくださいよ!』

 

『す、すまん……た、多分だいじょうぶだ、ほれ』

 

『そう?それなら良いのだけれど……身の回りの世話を全部妹さんに依存している貴方の言うことだからいまいち信用はできないのだけれど……ねえ、ヒモヶ谷君?』

 

『おい、ヒモ(専業主夫)なめんな、養ってもらうために、最善のご機嫌伺いのスキルもってんだからな』

 

『その割りにはいつも小町の好きなアイス間違えるけどねー! おにいちゃん!』

 

『んぐ……そ、そりゃあれだ、ハゲーンダッツさんが特売コーナーにいないのがいけねえんだ。あれマジで財政圧迫しすぎだ』

 

『お兄さん、それかっちょわりいッス! やっぱ男ならビシッと気前いい方がいいッス』

 

『なんでお前がここにいるんだよ、タイキック。小町に貢ぐだけ貢いでとっとと帰れ。あ、俺抹茶味希望な』

 

『大志ッス、俺も部員スよ。貢ぐってなんスか? それになんで、お兄さんのまで買わなきゃいけないンスか?』

 

『あ、大志君、小町はバニラね!』

 

『あ、わたしは~ストロベリーたべたいなー』

 

『おい、一色。お前、後輩にまであざとく振る舞ってンじゃねーよ』

 

『いーじゃないですか、先輩。私だってもう立派な奉仕部部員ですよ。次期部長候補ですよぉ』

 

『次期部長様が、後輩の部員にたかってんじゃねーよ。そもそもお前生徒会長だろうが』

 

『いいッス!お兄さん! 大丈夫ッス。俺、男として、女子には尽くしまくるッスから!』

 

『誰もお前の心配なんかしてねーよ。というか、俺に話しかけんな』

 

『うう……ひ、酷いッス……ねーちゃんに言いつけるッス』

 

『いや、やめて! ごめん、マジごめん』

 

『うへぇ、お兄ちゃん、カッコ悪すぎ』

 

『ホントですよぉ、これで今から一世一代の告白しようとしてんですから、意味わかんないですよ。本当に大丈夫なんですか? 先輩?』

 

『そもそも一人で告白できる自信ないから、手伝ってくれとか、余計ハードル上がってるのに気がついてないとか、お兄ちゃんホントに大丈夫?』

 

『だから、さっき言ったろうが。俺はアイツの想いを今までずっと蔑ろにし続けてきた。分かってない振りとか、いったいどんな難聴系だよ。俺は自分に自信がないだけで、なんとかしたいとはずっと思ってたんだよ。でも一人じゃ絶対どもるし、逃げたくなる上に、泣き出しちゃうまである』

 

『それ自信満々に言うことじゃないよ、お兄ちゃん』

 

『まあ、だから私達全員の前で宣言するということなのね。言いたいことは分かるのだけれど、それなら、ここに彼女を呼んで直接言えばすむ話ではないの?わざわざビデオレターになどせずに……私が口をはさむことではないのだけれど……やっぱり直接言われたほうが……』

 

『まあ、それはそうなんだが……あいつ……多分逃げると思うんだよ……俺と一緒で……それに……この動画を誕生日のプレゼントにしたくてな……』

 

『プレゼントですか? だったら直接言葉で伝えるだけでもプレゼントになりますよ、先輩』

 

『それな、当日は俺の口でもしっかり言うつもりだ。ビデオ見た後なら、俺もあいつも、もう逃げ場はないしな』

 

『あいかわらずメンドクサイナー、お兄ちゃんはぁ……まあ、でも、そこまで自分のこと分かってて、頑張ろうって思えるようになったんだから、大した進歩だねぇ。小町はぁ、お兄ちゃんのこと応援するからね。頑張ってね、お兄ちゃん』

 

『おう。頑張るよ』

 

『そろそろいいかしら? あんまりのんびりしていると、彼女が戻ってきてしまうわよ』

 

『それはそれで、なかなか見ものなんですけどねぇ。人の告白現場ってぇ、なんかワクワクしますし……先輩達ってお子ちゃまレベルだと思いますし』

 

『おい、一色。それは言い過ぎだ。だいたい小学校高学年レベルだ』

 

『マジッスか? そうやって言い切れるお兄さん、尊敬するッス!』

 

『茶番はその辺りにしてくれないかしら? そろそろ待ち疲れているのだけれど』

 

『お、おう……すまん』

 

『あれ? 雪ノ下先輩が手に持って撮影するんですか? 三脚ありますよ?』

 

『いえ、これは私の役目だわ……だって二人は……、私の親友だもの……』

 

『ああ、頼む。雪ノ下』

 

『さあ、私を彼女だと思って、想いの丈を吐き出しなさい』

 

『そ、そりゃ、ちょっとぞっとしねえな。お前はお前だ、あいつじゃねえ』

 

『そ、そうね、失言だったわ。では言い換えましょう。私が見届けさせてもらうわ。あなたの……本気を……ね』

 

『…………おう! 宜しくな。で、いつ話し始めりゃいいんだ?』

 

『あら?さっきからずっと撮影したままなのだけれど?』

 

『って、おま……! ま、まあ、いいか、じゃ、じゃあ始めるぞ……』

 

『ふぅーーーーーー……』

 

『あー、由比ヶ浜……た、誕生日おめでとう……。お、俺はお前に伝えたいことがあって、今日はこのビデオを撮ってる』

 

『お前と会ってからもう1年以上……いや、初めて会ったのは入学式の日か……俺は気を失ってたから、はっきりとは覚えてねえんだ……悪い』

 

『俺は人付き合いが苦手だ。もう、それは言うまでもないことだが、仲良くなれる奴が優秀で、友達いない奴はくずだ、みたいな世間の慣習がイヤでイヤで堪らなかった。だからぼっちになるのも仕方なかった。俺にとって世界は俺一人だけのもので、俺一人で完結していたんだ』

 

『ぼっちの世界は気楽だ。なににも縛られず、何にも煩わされない。自分が良ければそれで全て終わりだ。何も悩む必要なんかない。だから俺はずっとそうしてきた。そうすることで、俺は俺自身を守ってきたんだ』

 

『だけどな、そんな完璧な俺の世界に強引に割って入ってきた奴がいた。そいつは、出会うなり俺に最悪なニックネームをつけて、しかも馴れ馴れしくしてきやがった』

 

『正直最初はなんだこいつ、ふざけんな、って思ったよ。なぜって、この世界で絶対俺と相容れないタイプに見えたからだ。俺にとって女子は基本、男を見下すもの、男を誘惑するもの、男を手玉に取るもの3種類しかいないと思っていた』

 

『でも、そいつは、最初こそそういう風に見えたが、そうじゃなかった。そっけない風を装いながら気をつかうし、友達付き合いは上手そうに見えて無理してるし』

 

『そんで、なによりそいつは、俺のことをいつも気にかけてくれてた。こんななんの取り柄もない、面白くもない偏屈な俺をだ。普通じゃないって、思ったよ』

 

『それに、そいつはいつも誰よりも真剣だった。雪ノ下と二人でこんな訳のわからない部活を始めさせられたが、もしそいつがいなければ、この部は等の昔に破綻してたよ。間違いない、断言できる』

 

『そいつが一番のがんばり屋だから、俺はなんとかしてやりたいって、思うようになったんだ。雪ノ下だって、ほとんど一緒だろう……自分に出来ない筈がない、負けたくないとか意固地に思うだけじゃ、こんなに沢山の依頼、こなせやしねえよ』

 

『もう一度断言する。この部があるのはお前のおかげだ。お前がいたから、俺は、俺達はここに居られるんだ。感謝してる……ありがとうな』

 

『それと、謝らなくちゃならない。お前の気持ち………………』

 

『知ってたよ……わかってた……ずっとな……………でも』

 

『俺はずっと分からないふりを続けていた』

 

『怖かったんだ、俺は。お前に確認をしたあとどうなるのか……。実は俺が、お前の思っているより、ずっと無価値でどうしようもない男だと分かってしまった時、お前は何処かへ行ってしまうんじゃないか……てな』

 

『情けない話しだが、これは本音だ。ぼっちを自称して、世の中を斜めに見て、リア充どもを小バカにしていた筈の俺が、いつの間にか、この場所を、この関係をなにより大切に思うようになったんだ』

 

『壊したくなかった。守りたかった。そして、失いたくなかった……………………………………なにより、お前を…………』

 

『いつも視界の隅でお前を追っていた。いつもお前の声を探していた。いつもお前のことを考えてた』

 

『こんな気持ちになるなんて、夢にも思わなかった。だけどな、ずっとお前を見ていて、ずっとお前と一緒にいて、俺は考えを変えた』

 

『守るために何もしないんじゃなく、得るために変えて行こうってな。全部お前が教えてくれたことなんだよ。だから……』

 

『これは、俺の第一歩だ…………由比ヶ浜』

 

『俺は……いや、俺も欲しい……本物の関係が。俺ももう待たない。俺から掴みに行く。だから、聞いてくれ、俺の想いを……』

 

『ふぅーーーーーー』

 

『………………………………』

 

『ゆ、由比ヶ浜…………』

 

『………………………………』

 

『俺は……』

 

『………………………………』

 

『………………………………』

 

『お前がス…………』

 

 

 

 プツッ

 

 

   ×   ×   ×



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(3)そして彼女と彼はひとつになる

“続きを観なくてもいいの?”

 

 そんなゆきのんの声が聞こえた気がした。

 

 ノートパソコンで再生されていた動画を、あたしは静かにマウスを動かして停止させて、その画面を閉じた。

 そして、さっきゆきのんから手渡されたその動画のデータの入っている青いSDカードを丁寧に取り外す。

 

 あたしはそのカードを両手で包み込んで、そっと胸に抱いた。

 

 

 隣にはゆきのんがいるはずだけど、今のあたしには彼女に気を回すことは出来なかった。

 だって……

 あたしの心は、言い様のない戸惑いと気恥ずかしさと嬉しさに…………たくさんの彼への想いに満ち満ちていたから。

 

 

 画面の中には彼がいた。

 彼はあたしに向かって、これ以上ないくらいの素敵なたくさんの言葉を贈ってくれた。

 最初に感じたのは困惑だった。

 彼はゆきのんを好きだったはず……だから、あたしはこんなに苦しんでいたというのに……

 それに、あたしは彼らにとって、必要ない存在だと思っていた。それなのに、彼はあたしを必要だと言ってくれた。

 そして、あたしを失いたくないとも……

 

 どうして……

 

 ついさっきまで、絶望のドン底にいたはずなのに……。

 こんなどうしようもないあたしに、こんなに優しい言葉をたくさんかけて貰えるはずなんてないのに……。

 

 でも……

 

 画面の彼はいつもの彼だった……

 緊張して、顔を強ばらせて、いつも以上に真剣な表情をしてはいるけど、彼が紡ぐ言葉の数々はいつもと同じ……思いやりと優しさに溢れていた。

 

 彼の言葉の一つ一つが胸に染み込む。

 彼の言葉の一つ一つがあたしの心を解かしていく。

 

 戸惑いや、不安の波の中、ただただ聞き入る彼の言葉に、あたしの心は慰められ、癒され、そして満たされた。

 

 溢れる涙で視界が滲んでいく……それが今まで流していた涙とは違うものだって気がついて、あたしの心は油を継ぎ足したランタンのように、明るく、熱くなっていった。

 

 そして……

 

 気がついた。

 

 このヒッキーはあの時のヒッキーだと……

 

 あたしが、打ちひしがれ、恐怖して、絶望したあの時の……

 彼の本当の姿なんだと……

 

 あたしはそれを知って、歓喜に打ち震えると同時に、これ以上ないくらいに彼を信じられなかったことへの悔恨に苛まれた。

 どうしようもなく、揺らいだ心であたしは続きを見ることが出来なくなり、溢れる出る彼への想いを押しとどめようと、目の前の動画を止めたのだ。

 

 胸に迫るのは恥ずかしさと、切なさと、際限のない彼への愛しさ。

 

 あたしは彼の想いの詰まったこの贈り物をおし抱いて、とどまることなく流れる涙の筋をそのままに、静かに彼への想いを募らせた。

 

 ふと、目を向けてみれば、窓からは柔らかな日差しが差し込んで来ていた。

 この数日間、空全体を覆っていた闇のように重たく垂れ籠めた雨雲は、ようやくにも消え去り、世界は明るく晴れやかな息吹を奏でているようだった。

 

 

   ×   ×   × 

 

 

「大丈夫?由比ヶ浜さん」

 

 じっと項垂れていたあたしに、隣のゆきのんが静かに声を掛けてくれた。その声がとても優しくて、心に沁みる。

 あたしは、顔を上げて彼女を見た。

 きっと涙と鼻水でぐしゃぐしゃだと思うけど、そうしないといけないとあたしは思ったから。

 そんなあたしを見て、ゆきのんは微笑んでいた。

 

「やっぱり彼と一緒……、貴女も……彼のことを好きだったのね。本当に良かったわ」

 

「え? それって……」

 

”そう……貴女も……好きということね”

 

 さっき、ゆきのんがあたしに言った言葉……

 ゆきのんもヒッキーを好きって意味じゃなかったんだ。

 ヒッキーがあたしを好きなように、あたしもヒッキーを好き……ってことだったんだ……

 

 もう……紛らわしすぎるよ!

 

 今更に遅すぎる理解をして、安堵に一気に肩の力が抜ける。

 

「ふふ……やっと貴女らしい顔になったわね。貴女にはやっぱり笑顔が一番似合うわ」

 

「うーーー、ゆきのん、ひっどい。絶対今変な顔してるのに」

 

「あら? さっきまでの沈んだ顔より、今の方が何倍も素敵だと思うのだけれど。これで、由比ヶ浜さんの問題も少しは解決されたのかしら?」

 

 そのゆきのんの言葉が胸を打つ。

 彼女の心からの優しさが本当に嬉しくて、思わず涙が溢れそうになった。

 

「あ、ありがとう、ゆきのん。うん、も、もう、大丈夫……大丈夫だよ」

 

 そのあたしの言葉に彼女はにこりと微笑んだ。

 

「本当に良かったわ。でもこれも全部比企谷君のおかげかしら?そう思うと何か釈然としないのだけれど」

 

「あはは……そんなこと言ったら、ヒッキーが可哀そうだよ……あとヒッキーの悪口はやめてね。あたし、これでもヒッキーのこと好きなんだから」

 

「ええ、だから言っているのよ。これからは彼への文句も貴女に言うことにするわ」

 

「そ、そ、それって、なんか……あたしヒッキーの奥さんみたいじゃ……」

 

「それは大分気が早いのではないかしら?貴女はその前にやるべきことがあるのだと思うのだけれど……」

 

「あ、そ、そうだった。ヒッキー!ヒッキーに会わなくちゃ……」

 

 慌てて立ち上がろうとするあたしの手を、ゆきのんが急に掴んだ。

 

「落ち着いて由比ヶ浜さん。学校に行っても今日は比企谷君は来ていないわよ」

 

「え?どうして?じゃあ、ヒッキーはどこ?」

 

 ふう……と、ゆきのんは大きくため息を吐いて言う。

 

「実は、貴女に連絡が取れなくなってから、彼はかなり動揺してしまって……その……、雨の中をずっと貴女を探しまわっていたの……。ここに来たのかもとも思ったのだけれど、この感じでは彼はインターホンも押してはいないようね」

 

 ヒッキーがすぐそばまで来てたの? じゃあ、なんであたしに会いに来なかったのかな……あ……

 

”失いたくなかった”

 

 さっきの動画の中のヒッキーの言葉。

 きっと彼はあたしとの関係を守ろうとして、一歩踏み込むのを躊躇ったんだ。きっとそうだ。こんなことになるのなら、きちんと電話に出ればよかった。

 

「そ、それで、ヒッキーはどこなの?」

 

 あたしの言葉にゆきのんは大きく嘆息。

 

「比企谷君は今、憔悴しきって自宅にいるわ……由比ヶ浜さんとは連絡もとれないし、貴女のお母様も詳しくは教えてくださらなかったから……、彼、貴女の身に何かあったんじゃないか、貴女が危険な目にあったんじゃないかって、かなり荒れたのよ。小町さんの話しでは、食事も取らずに呻いているようね」

 

「あ、あたし、すぐに行かなきゃ」

 

「だから、待って……落ち着いて」

 

 焦って飛び出そうとするあたしをゆきのんは再び引き留めた。でも、こんなこと聞いて、もうじっとしてなんかいらんないよ。

 彼女はベッド脇のチェストから、あたしのケイタイを持つと、それを差し出しながら言った。

 

「いきなりでは彼も驚いてしまうわ。まずは、貴女から連絡をしてあげて……」

 

「そ、そっか……そだよね。うん」

 

 急いで充電コードを差して、あたしはケイタイを起動。そして溢れる着信履歴の数々を見ずに、一番大好きな彼のアドレスを選ぶ。

 そして、急いでメッセージを打ち込んだ。

 

「はい、そーしんっと!」

 

「ず、ずいぶん早いわね」

 

「うん? だって今は、一秒でも早くヒッキーに会いたいんだもん」

 

 それに……

 

 書く言葉はずっと前から決めてたから……

 

「そう……なら、送ってあげるわ。今日はこうなるんじゃないかと思って、都築さんに表で待ってもらっているから」

 

「あ、ありがとう、ゆきのん。今日は甘えさせてもらうね」

 

「ふふ……さっきまでは本当に死にそうな顔をしていたのに……本当に現金ね。薬がちょっと効きすぎてしまったかしら?」

 

「うん! そうかも……本当にありがとう」

 

「あ、ま、待って……急に抱きつかれると……へ、変な気に……その……」

 

「ゆきのんのその反応……可愛い、可愛すぎだよ」

 

「うーーーーーー。も、もう……いい加減にしてくれないかしら……あ、相手を間違ってるわ……よ……も、もうっ! 行くのでしょう?」

 

「うんっ!」

 

 照れるゆきのんが本当にかわいくて、やっぱり大好きなんだと再認識しながら抱き締めた。

 それから、喜びと興奮に胸をはずませ、信じられないくらい浮かれているのを自覚しながら、あたしは急いで支度をして部屋を出た。

 そして、リビングであたしを待っていたママは、あたしに優しく笑顔で「いってらっしゃい」といつも通りに言ってくれる。

 それが堪らなく嬉しくて再び目頭が熱くなった。

 

 苦しみに耐えられなかったあたしを守ってくれたママにいくら感謝してもしきれない。

 全然表情には出さなかったけど、あたしを見て、きっと凄く辛かったんだと思う。

 

 ママは強いな……

 

 にこりと微笑んだママに見送られて家を出た。

 ホントに敵わない。

 ママは素敵だ。

 いつも笑顔で、優しくて、あたしの全部を包んでくれる。

 あたしもママみたいになれるかな?ううん、なりたい。なって、絶対、ママみたいに素敵な家庭を築くんだ。だから、今日があたしのその第一歩。

 

 あたしの夢を叶えなきゃ。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「いらっしゃーい、お待ちしてましたー」

 

 ヒッキーの家に着いて、インターホンを押した途端にこの反応。思わずあたしはゆきのんと顔を見合わせる。

 小町ちゃんだ。相変わらず超元気。

 

 それで、すぐに飛び出てくると思って、玄関ドアが開くのを待っていると……

 

 ガチャ……

 

「あ……」

 

「よ、よお……」

 

 中から出てきたのは背の高い猫背の男性。

 彼を見間違えるはずなんてない。あたしが会いたくて会いたくてずっと恋い焦がれてきたその人なのだから……

 彼は微笑んであたしを見てくれた。でもその顔はやつれて疲れ切っている。

 何が彼をここまで追い込んだのかを考えるだけで、あたしの胸は酷く締め付けられた。

 

 あたしの所為……あたしが彼を苦しめてしまったんだ。

 

 あたしの中にたくさんの後悔が確かにある。でも、それでも、あたしは彼に会えたことが何より嬉しかった。

 

「や、やっはろー、ヒッキー……」

 

「おう……」

 

 すぐにでも彼に抱きつきたくて、でも、彼に心配をかけさせてしまった罪悪感にあたしは動けないでいた。

 立ちすくんでお互い見つめ会うだけの時間の中、急に、ヒッキーの背後から可愛らしい大きな声があがった。

 

「ああ! いっけなーい……小町ってば今日お父さんとお母さんにお使い頼まれてたんだったー。あーこれは大変だなー、今から千葉まで行くの大変だなー、誰か送ってくれないかなーーーーーーーーー雪乃さん?」

 

「はい?」

 

「え? 良い? いやあ、すいませんねー助かりますぅ。あ、じゃあ、小町これから出掛けるけど、すごくすごーく時間かかるから、お兄ちゃんと結衣さんでちゃんとお留守番してくださいね。あ! それと、お父さんとお母さんも帰ってくるの絶対深夜になるようにするからね。あ、おやつは戸棚にカールととんがりコーンはいってるから、それと、冷凍庫の雪見だいふくは小町のだけど、今日は特別に二人にあげるから食べてね。じゃあ、いってきまーす。ほらっ! 運転手さん、早く早く!」

 

「は、はいっ!」

 

 ばたんっ!

 

 と、喋りながらゆきのんを車に押し込んだ小町ちゃんが自分で車の後ろの戸を閉めると、そのまますごい勢いで走り去ってしまった。

 小町ちゃん、お父さんたちになにかするようなこと言ってたけど……あれって……

 

 あ……

 

 急にヒッキーがあたしの手を掴んで引いた。

 

 その突然の出来事に混乱しつつも、彼がしてくれた初めての行為が嬉しくて、あたしは固まってしまう。

 

「まあ、ここで立ち話でもなんだから、中、入れ」

 

「え、あ、うん」

 

 ヒッキーに誘われて、あたしは家に入らせてもらった。

 

 玄関に入ると、すぐに彼はあたしを振り返って、不安や安堵の入り交じった視線を送ってくる。

 きっと胸中ではあたしに問いかけたいこととか、自分の思いとか複雑に絡まってるんだろうな。

 動画の中じゃあんなにスラスラと語っていたのに、今はきっと緊張が勝ってるんだろうな……

 

 こんな時、ママならどうするのかな?

  

 きっと話せるようになるのを待ってあげるんだと思う。

 

 それとも、励ましてあげるのがいいのかな?

 

 あたしは声を出せないヒッキーの前で彼に声をかけることにした。

 この前知った、元気が出るおまじないを。

 

「大丈夫? おっぱい揉む?」

 

「へぁ? にゃ、にゃにゃにゃにを言ってんだ、お前?」

 

「へへー、やっと喋った」

 

「ふ、ふざけるなっ、ホントに揉むぞ!」

 

「ヒッキーなら……いいよ……」

 

「……!」

 

 グッと唇を噛んだヒッキーがあたしを見下ろしている。

 あたしは彼を見上げながら謝った。

 

「心配かけちゃって本当にごめん。あたし、自分のことしか見えてなかった。ヒッキーがどんな思いしてたか、考えられなかったの」

 

「い、いや、それは俺も同じだ。急にお前がいなくなっちまって、俺は自分の何が悪かったのか、ダメだったのかって、ずっと自分を責めてた。もし、お前の身に何かあったらって……俺は、俺は……」

 

 そう言ってくれたヒッキーが本当に愛しくて、また涙が……。

 あたしの為に傷ついてしまった彼の心に触れたくて、あたしは緊張して硬直する彼の胸に静かに抱きついた。

 そして、この数日間彼を思い、苦しみ続けてきたことを思い出しながら、背中にまわす腕に力を籠める。溢れようとする涙を止めることが出来ずに、あたしはそのまま嗚咽した。

 

「ごめんね……本当に、ごめんね……」

 

「いや……いいんだ……お前と会えたから……」

 

 その言葉はすごく優しくて、あたしの髪をなでる彼の手も温かくて、嬉しさに体が震える。

 

「ヒッキー……」

 

 見上げるとそこには優しく微笑んだ彼の顔。

 恥ずかしさよりも何よりも、今は彼がこうしてあたしを包んでくれていることがなにより幸せだった。

 そして、自然と二人の唇が近づく。

 今はもう、何も言葉は要らなかった。

 

 好き……

 大好き……

 

 言葉にならない愛の言葉を唱えながら、あたしとヒッキーは初めての口づけを交わした。

 

 何度も何度もお互いの存在を確かめるように唇を吸い、そして、強く強く抱きしめあう。

 不安や後悔はすでになく、恥ずかしさや照れもないままに、もはや自分の分身としか思えない彼と溶け合うように求めあった。

 服を剥ぎ、愛撫しあい、吸いあう中、あたしは彼の荒い息遣いを聞きながら、吐息交じりに囁いた。

 

 

「ご、ごめんね……ん……ひ、ヒッキーのプレゼントの動画見ちゃった……よ……」

 

 その言葉に彼も……

 

「ああ……いいんだ、別に……俺も嬉しかったよ、お前のメール……」

 

「ヒッキー……んっ……」

 

 二人で絡み合い、求めあいながら、もう二度と二つに分かれないようにと、あたしたちはその全てを重ねた。

 

 ”大好き”

 ”ああ……俺も好きだ……結衣……”

 

 

 想いをぶつけるように漏れ出る言葉を交わしながら、全ての苦しみや寂しさや愛しさを綯交(ないま)ぜにしたまま、そしてあたしたちは一つになった。

 

 

 様々な想い……

 後悔や自責の念に苛まれてきたけれど、今のあたしの想いはたったのひとつ。

 この世界でなによりも愛しい彼を、誰よりも愛する覚悟をあたしは固めた。

 初めて彼へと書いた『ラブレター』……

 本当は、きちんと手紙に自筆で書くべきだったのかもしれない。

 でも……

 きっとこんな簡素なメールであっても、きっと彼は大事にしてくれる、大事に思ってくれる。そう、あたしは信じた。

 

 彼へ送ったあたしの想いのすべてをこの一言に込めたのだから……

 

 

 

『ヒッキーを世界で一番好きです』

 

 

 

 




このお話の後日談、『ラヴ・レター アフター』は下記URLです。
R-18ですよ!

https://syosetu.org/novel/87888/


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【コク・ハク】
(1)大学生八幡


タイトルままです。
大学生になった八幡たちの物語。


「ヒッキー……あのね……、あ、あたしさ……、ヒッキーのこと……」

 

 卒業式を間近に控えたあの日……

 

 奉仕部の部室で雪ノ下が来るのを待っていた俺と由比ヶ浜は、奉仕部での2年間のことを色々話していた。

 そう、色々なこと。

 俺達3人の出会いから、受けた様々な相談や依頼、それに、そんななかで度々すれ違ってきてしまった俺たちの関係……

 苦しんで、乗り越えた本当に色々なことを、俺も由比ヶ浜も晴れやかな表情で、笑顔で話すことが出来た。

 こんなぼっちで自分のことしか考えられなかった俺が、女子とこんな風に話せるようになるなんて、この部活に入るまでには思いもつかなかったことだ。

 目の前の由比ヶ浜は、本当に嬉しそうで、楽しそうで、それになにより……

 微笑む彼女をボーっと見てしまい、そして、彼女と目が合い気まずくなってお互い視線を逸らす。

 

 どれだけ一緒にいても、どれだけ時間を重ねても、やっぱり俺は自分に自信はない。

 俺は今どんなやつなんだ?

 俺はどうなりたかったんだ?

 俺にとって、由比ヶ浜はどんな存在なんだ?

 

 一緒にいて楽しい。それに、安心できる。

 

 俺が求め続けた人との関係の形が、この奉仕部には確かにあった。だが……

 

 それももう終わりだ。

 

 卒業すれば、みんな別々の道を進むことになる。

 

 この部のこの関係も……

 

 ここまでなんだ……

 

 深くため息を吐いた俺の前で、由比ヶ浜が俺を見ていた。

 

「あのね、ヒッキー。あたしね奉仕部大好きだった。だからね、ずっと、ずーっとこのままでいたいなって思ってたの」

 

「そりゃ無理だ」

 

「そ、そんなの分かってるけど……でも、やっぱりさ、あたしこのままさよならなんて嫌だよ。やっぱり自分の気持ちに嘘はつけない。今しなかったら、きっとずっと後悔する。だから……、あ、あたし、こんなの絶対ズルいってわかってるけど……これだけは、どうしても……聞いて欲しいの……」

 

「え?」

 

 由比ヶ浜を見れば、頬を真っ赤に染めて、俺を見つめ続けている。

 俺はそんな彼女にどんな顔を向ければいいのか、どんな気持ちでいればいいのか全然分からず、ただ茫然としていた。

 由比ヶ浜は意を決したように立ち上がり、そして、

 

「ヒッキー……あのね……、あ、あたしさ……、ヒッキーのこと……」

 

 ガラガラ……

 

「あら? 待っていてくれたの? ごめんなさい遅くなって」

 

「ゆ、ゆきのん……」

 

「…………」

 

 戸が開いて雪ノ下が入ってくると、由比ヶ浜は悲しそうな顔のままでそっと椅子に腰を下ろした。

 そして、それからあの続きを言うことはついになかった。

 

 その時……

 

 俺は何も口に出せず……

 

 何もできなかった。

 

 由比ヶ浜が俺に向けたあの眼差しが、まるで魚の小骨のように俺の中に残り続けていた。

 俺の気持ちを、俺自身でさえ満足に理解できずにいたがために、この苦しみをひたすらに受け続けることになることだけを俺はその時理解した。 

 

 

 それから、しばらくして……

 

 

 

 俺達は卒業したんだ。

 

 

 

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 

「ひ、比企谷さん? く、クリスマスは、な、何か予定あるの……かな?」

 

「は?」

 

 午後の講義が終わった時、席を立った俺に話しかけてくるセミロングの茶髪の小柄な女子。

 えーと、確か同じ学科の……

 

「小森さん?」

 

「こ、小諸(こもろ)だよぅ!!んもぅ!!ずっと声かけてあげてるんだから、いい加減名前覚えてよ!!」

 

 そう、小諸さんだった。

 この人、何気に一人でいる俺に声かけてくれるんだよな。

 臨時の日雇いのバイト紹介してくれたりとか、結構同じ選択科目も受けてるから、提出物とか課題とかいろいろ教えてくれたり助かるんだよなー。

 俺みたいなぼっちに話しかけてくれるなんて、本当にいい人だ。うん。きっとダメな奴見るとほっとけない委員長タイプなんだな。

 

「あ、悪い。んで、なんだって?」

 

「だ、だから、クリスマス……クリスマスに、その……もし良かったら……」

 

「わりい、クリスマス予定入ってるんだ。だからバイトとか無理だから。それじゃ」

 

「あ、違……ま、ま……」「礼美(れみ)、無理だよー諦めなよー」「そうだよ、あんな童貞ほっときなよ」

 

 んぐ!!

 あのあの、女子の皆さん? 聞こえていますからね?

 これだから、イケイケJDは……。童貞バカにしないでくださいね? 俺みたいな聖人のおかげで、街の性犯罪は抑えられてんだからね。うん、なんかだんだん悲しくなってきたから、もうすぐに帰ってやる。

 

 後ろにいる女子達を振り返らずに、俺はまっすぐに講堂を出て帰路に着いた。

 講義棟を出ると、強い北風が俺を凪ぐ。その冷たさに、思わず襟を立てて、寒さをしのごうとした。

 正門までの道すがら、そこかしこの街路樹からは、すっかり紅葉が終わった後の乾いた葉がちらちらと舞い降りてきている。それをぼうっと眺めながら、俺はクリスマスの予定の事を考えていた。

 

「スキーか……」

 

 そう、スキーだ。

 正直俺は今までスキーなんぞやったこともない。

 そもそも雪自体が珍しい温暖な千葉にあって、わざわざ寒い雪国まで出かけて、スキーと称する肉体疲労必至のスポーツに興じるなぞ、頭の悪い阿呆のすることだとずっと嘲っていた俺であるが、今回ついに誘われてしまった。

 いや、ただ誘われただけなら当然断るに決まっているが、そこはそれ断れない理由があるのだ。

 

 それは……

 

 俺は、自分のスマホのメールを開いた。

 

------------------------------------

 

FROME 大天使戸塚 

 

TITLE REいつも癒しをありがとうm(__)m

 

 

やあ八幡、元気だった?

今度一緒にスキーに行かない?

親戚のペンションが越後湯沢にあってね、安くしてくれるから一緒に行きたいなあって思って(^^♪

同窓会も兼ねてね、他にも声かけてみるから…………

 

 

------------------------------------

 

「ふふふふ……」

 

 おっといけないいけない。つい顔に出てしまったか……

 近くを通りすぎた女子が俺に怪訝な顔を向けていたので、スマホを離して目にキッと力を込める。

 

 そう、戸塚のこのラブコールは何をおいても優先しなくてはならない。

 たとえそれが俺にとって未知のスキー旅行というカテゴリーであったとしてもだ。

 スキーだから、戸塚のこと、「好きー」とか言っても許されるんじゃなかろうか?

 おお!! これはなかなかいいアイデア。オヤジ臭いとかそういうことは気にしない!

 きっとまためくるめくの素敵な夜が……

 お風呂とかお風呂とかお風呂とか――!!

 どうしよう!! どうしちゃおう!!

 

 そんな益体もないことを次々に頭に浮かべながら、俺は自分の気分を盛り上げていく。

 そして、そんなことで頭をいっぱいにしながら、そのメールの最後を今日もそっと読んだ。

 

 

…………

 

PS.由比ヶ浜さんも来るからね!だから八幡も絶対来てね(#^.^#)

 

 

------------------------------------

 

 

「スキー……楽しみだなぁ」

 

 正門に向かって坂を下りながら俺は独り言ちた。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 高校を卒業した俺は、東京の八王子の私立大学へと進学した。

 当初の予定通りと言えばそうなんだが、正直、なぜこうまでしてこの大学に来たのか、その理由が俺にもよくわからなくなっていた。

 学費が安い? 親元を離れたかったから? 就職に有利だから?

 

 最初は色んな理由付けをしてここを選んだのは確かだ。

 だが、それがホントに最大の理由なのかと聞かれれば、『否』とすぐに今の俺なら否定できる。

 なぜって、そんな思いを持ちながら大学に通ってなんていないからだ。

 

 総武高からこの大学に進学した知り合いはひとりもいない。俺はここで、再びただのボッチとなった。

 当然だ。

 誰が好き好んで自分から友人を作ろうなどと思うものか。

 独り暮らしで、自由気ままで、大学と家の往復にのみ気を払っておけば、あとは全て自分の時間。ゲームをしようがラノベを読もうが、何をしようとも、文句をいう奴は一人もいない。当然必要以上にバイトもしないし、面倒な部活なんて絶対入らない。

 煩わしいことを一切廃して生活する俺はまさに完璧だ。

 ビバ、独り暮らし! ビバ、フリーダム!!

 

「やっぱ、独り暮らしはいいわー」

 

 いつも通り自転車で結構急な細い道を登って、坂の途中の自宅のアパートへ戻り、ベッドの上にごろんと寝転ぶ。

 8畳の部屋にキッチンがあって、それほど古くもないこの部屋はまさに俺の城だ。

 

 煩わしいことは何もない。

 そう、なにひとつないのだ。

 

 あの高校での奉仕部にいた時とはまるで違う毎日。

 依頼があれば、とにかく否応もなく駆り出され、なにもなければないで、3人でただ適当なおしゃべりをした日々。

 そんなあの頃、面倒なことをずっと煩わしいと思い嫌い続けていたというのに、今はそれが無性に懐かしい……

 

「はあ……」

 

 大きく息を吐いてから勢いよく起き上がった。

 そして、もろもろの思いを振り払おうと首をふり、そして、パンと両手で頬を叩いた。

 

「さてと、支度でもしますかね」

 

 俺はクローゼットからボストンバックを取り出して、週末のスキー旅行の用意を始めようとした。

 

 ふと視線を壁に向ければ、そこにはいつか3人で撮影したあの写真が。

 その中央には笑顔の彼女……

 

「由比ヶ浜……」

 

 

 ぴんぽーーーーん

 

 

 急なチャイムに飛び跳ねて、慌てて玄関へとむかい扉を開ける。

 するとそこには……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっはろー! ヒッキー!」

 

 

 立っていたのは当然こいつ。薄手のセーターにスカート姿で、サンダル履きのままでそこにいた。

 寒いせいだろう、体を抱くようにしてガタガタ震えているし。

 

「お前、寒いならもっと上着とかちゃんと着てこいよ」

 

「ええ? だって、この距離だよ? わざわざ上着なんか着ないよ!! っていうか、本当に寒いから中に入れて」

 

「お、おう、じゃあ、入れ。でも俺も今帰ってきたとこだから、暖房もまだつけてないぞ」

 

「じゃあさ、あたしがストーブ点けてあげるね。ヒッキーのとこの灯油ストーブ本当に暖かいから好きー。えへへ」

 

 といいながら、台所でやかんに水を容れつつ、勝手に部屋の真ん中に鎮座している古い灯油ストーブの網をはずし始める。

 なんでこんなことするかと言えば、着火用の石がダメになっているようで、マッチで点ける必要があるからだ。

 由比ヶ浜は、さささっと火を点けるとその上に、水を容れたやかんを置いて、さらにその脇にアルミホイルにくるんだ細長いものを2個ちょこんと載せる。

 

「って、お前またイモ持ってきたのか? それくらい自分の部屋で焼けよ」

 

「いいじゃん、これくらい。こういうのはね、遠赤外線でじっくり焼いた方が美味しいんだよー。ヒッキーのストーブが一番なの」

 

「いや、上に乗せたらあんまり関係ないんじゃ……。だったら、お前も買えばいいじゃねえか。ほら、野猿街道沿いに中古家電の店いっぱいあるんだからよ」

 

「ええ? これでいいじゃん。じゃあ、ヒッキーが一緒に買いに行ってくれる?それなら考える」

 

「ぐっ……お前、この大荷物をチャリで俺に運ばせる気だな?」

 

「あ、バレちゃったー? あはは……はぁ、あったかいねえ」

 

「俺、これからゲームすっからな。邪魔すんなよ」

 

「え? なにやるの? F〇15? 気持ち悪いのじゃなかったら、あたしもやりたい」

 

「俺が一人用以外のゲーム持ってるわけねーだろうが……まあ。イモ持ってきてくれたし、後でちょっとだけな」

 

「やた!じゃあ、あたし、コーヒー淹れてくるね」

 

「おう、サンキュー」

 

 パタパタと台所に向かう由比ヶ浜の足音を聞きつつ、俺はP〇4の電源を入れる。

 そして、ストーブのおかげで温くなってきた体を座椅子に寄りかからせて力を抜いた。

 

 はあー、あったけえなあ……

 

 え? お前ボッチじゃないのかって?

 

 いや、俺は間違いなくボッチだ。まあ、大学では。

 それに、家でだって基本ボッチなわけだが、近くに知っている女が住んでいるというだけの話だ。別に付き合っているわけでもねえしな。

 

 煩わしいことは何もない。あるのは、気安い人間関係だけ。

 

 そう、今台所で鼻唄を歌っている由比ヶ浜は、俺のおとなりさん。

 俺達は同じアパートで生活しているのだった。

 

 

【次回、『雪ノ下雪乃は微笑みを浮かべる』】

 



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(2)雪ノ下雪乃は微笑みを浮かべる

「はあ、やっと着いた。ありがとねヒッキー、買い物付き合ってくれて」

 

「おお……気にすんな。旅行の道具、俺も必要だったしな」

 

「えへへ」

 

 ジャケットとマフラーでもこもこになった由比ヶ浜と二人で自転車から降りて、駐輪場へと向かう。由比ヶ浜はオレンジのママチャリ。俺は最近買ったロードバイクだ。正直買い物にこれをつかうのはどうかとも思うが、今はこれしか足がないから仕方ない。

 二人で自転車に鍵をかけてから、その駅に併設されたデパートへと向かった。

 店内はいつも以上の人通り。

 12月ということもあって、クリスマスソングが流れ、赤や緑で装飾されたそれぞれのテナントは非常に華やかだ。

 暖房も効いているから二人で上着を脱いで駅の改札の方へと向かう。

 

「あ、いた」

 

「ん、どこだ」

 

 歩きながらそう囁いた由比ヶ浜に聞き返しながら、どこにいるのか視線を泳がすが俺にはすぐには見つけられない。歩きつつ、次第と由比ヶ浜が進む方を凝視したところで、ようやくその人影を俺も認識できた。

 彼女は白のカーディガンに紺のスカート姿で、ストッキングを履いた足にはファーのついた白のブーツ、長い黒髪の上には白い帽子を被っていた。

 その姿を確認した俺たちは、その改札前の柱に寄り掛かっている人物の元へとまっすぐに向かった。

 

「やっはろー! ゆきのーん!」

 

「こんにちは、由比ヶ浜さん。それと、比企谷君……は、相変わらずな貧相な顔ね」

 

「っておい、いきなりそうやって人の顔のことディスるの止めてもらえませんかね。一応これでも身だしなみには気を使ってるもんで」

 

「あら、私が言っているのはあなたが生まれ持ってしまった残念な部分のみよ。誰もあなたのその服装にケチをつけたりなんかはしないわ。素敵な装いよ、本当に。由比ヶ浜さんのセンスがいいのね」

 

「えへへ~。それほどでも~」

 

「今さらりと、俺の個性完全否定しちゃったからね、お前。ま、まあ、服に関しては本当に助かってるんだが」

 

 ふふんと、満足げに腕を組んだ雪ノ下と照れて身を捩る由比ヶ浜。

 まったく、こいつらは何年たっても変わらねえし。

 確かに服装は由比ヶ浜のおかげでだいぶマシになったと思う。

 なぜって、俺の部屋に遊びにくるごとに流行りのファッションの記事なんかを持ってきて、俺のパソコンで勝手にその服を探して俺に色々アドバイスをくれるようになったからだ。

 下手したらその場であまぞーんさんに注文しちゃったりするし。

 でも、別に高い服を買ったりしてるわけではないから構わないんだけどものな。

 基本ネット通販も一山いくらのものしか買わないし、普段着なんかはUのマークのついてるあそこに二人で買いに行ったりしてるしな。大学生の懐具合からすれば、これが丁度いい。

 ちなみに今日の俺の格好は、Vネックのグレーのニットに、黒のメルトンナーバルジャケット、白のスラックスで足元はベージュのスクエアトゥチャッカブーツとかいうもこもこの靴。こんな格好俺一人じゃ絶対チョイスできない。

 それと由比ヶ浜はといえば、白のムートンのジャケットの下は、桃色のセーターにスキニージーンズといった装いで、めっちゃ足が長く見えるし。こいつどんどんセンスが良くなってる気がする。周りの連中も赤い顔してチラチラ見てるし。

 

「ごめんねゆきのん。待ったんじゃない?」

 

「いいえ、ちょうど電車を降りたところだったのよ。だからなにも問題ないわ」

 

「そっか、良かった。じゃさ、行こうよ」

 

「ええ」

 

 そう言って雪ノ下と腕を組んで由比ヶ浜が歩き出す。

 本当に嬉しそうだな。

 俺も、自分のポケットに腕を突っ込んで二人のあとをつけるように歩き出した。

 これじゃあ不審者だな。

 そんなことを思いつつ、スポーツ用品店へとエスカレーターで向かった。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 同じアパートに住んでいる由比ヶ浜とはほぼ毎日会っているわけだが、雪ノ下に会うのは久々だ。

 といっても住まいがそんなに離れているわけではない。彼女が住んでいるのは俺達のアパートからするとちょうど2㎞ほど離れた駅前のマンション。

 だから、会おうと思えばこいつとも実はいつでも会える。

 え?お前同じ大学に進学した知り合いはいないはずじゃなかったかって?

 ああ、その通り。

 俺の通う三流文系大学に進学した知ってるやつは一人もいない。

 だが、ここは八王子。大学のメッカだ。

 うちの大学じゃなくても大学はたくさんある。

 俺の大学は山の上にあるわけなんだが、その隣の山にも大学があって、実はそこに由比ヶ浜が通っている。

 そして、その由比ヶ浜の大学の山の更に隣の山の、構内に森を残したかのような作りの巨大な校舎の大学に雪ノ下が通っているわけだ。まったくどんな偶然なんだか。

 ちなみに、俺達のこの3つの大学から、もう少し街道を上った先の小高い丘の上の大学には一色が通っているが、一色は一人暮らしをさせてもらえず、千葉から通っている。片道2時間半とかいったいどんな拷問だ。そもそも東京から見たら、実家が東京よりにあった俺達三人よりも、完全な千葉駅寄りのあいつの方がよっぽど遠いのにな。娘の一人暮らしが心配だったってことだろうが。

 

 というわけで、総武高校を卒業して別れ別れになると思っていた俺だったが、結果としては同じ駅を利用して、同じエリアで生活して、こうやって同じ店で買い物をするという、ある意味高校の頃よりも身近でいる機会が増えた。

 これで戸塚も近ければいうことはないのだがなー、と思いつつも、戸塚も都心の大学に通っているので会おうと思えばそんなに苦も無くあうことはできるのだ。材木座が戸塚と同じ大学ということに関しては全く納得はいかなかったが。

 

「ねえねえゆきのん。この猫のパジャマ、超かわいいよー」

 

「これ、いただくわ」

 

「って、決めるの早っ!! もうちょっと、見てみれば?」

 

「由比ヶ浜さん、こういうのは出会いなのよ。見てこの子。この助けを求めるような瞳を。絶対買わないわけにはいかないわ」

 

 と言いつつ、雪ノ下が抱えていくのは猫の顔のついた着ぐるみパジャマ。

 それお前の幻聴だからね。いや、まあ確かに超愛くるしい顔してるけど、それお前が着て寝るんだよな?そうしたらその顔見えねえだろうが。まさかそのパジャマ、スキーツアーに持ってきて、『にゃー』とか鳴いたりなんかしねえだろうな。もうなんかこいつ、進学してから趣味に歯止めが効かなくなってきてる気がするな。

 そんなこんなで寄り道しながら向かうのはスポーツ用品店。

 今回のスキーツアーには少なくとも俺達3人はいく予定なんだが、3人ともスキーウェアを持ってはいなかったから、今日はそれを買いに来た。

 一応ウェアもレンタルできるとは言ってたけどな、板は借りようと思うけど流石に他人の着たウェアはちょっとな……ってわけだ。後はサングラスとかの小物とかもな。

 

 店はやはりシーズンということもあって、店頭にスノーボードとスキーを大量に並べて、さらにウェア類もところせましと並べて展示販売中だった。

 俺達は早速店内を物色。

 と、なぜか一番最初に俺のウェアを二人が選び始めやがった。

 あれやこれや持ってきて、俺は着せ替え人形状態。

 何を着たって、もとの顔は変わんねえんだから……と思いつつも、にこにこ笑顔で俺に感想を聞いてくる由比ヶ浜に、どれでもいいよとは流石に言えなかった。

 しばらく着たり脱いだりを繰り返した結果、俺のウェアはphoenixの青に決定。あ、ズボンは黒ね。全然関係ないが、phoenixを今までずっとポ二ックスと読んでいたのはここだけの秘密だ。

 

「あー、サンキューな。じゃあ、次は由比ヶ浜の奴を選ぶか……」

 

「あ、あたしはいいよ。ひ、一人で選ぶし。ヒッキーは疲れたでしょ?お店の前にベンチがあるからそこで休んでて。はい100円」

 

 これでジュースでも飲んでろってか?ってか今時100円じゃ缶ジュースだって買えない……と、思っていたら、ベンチ横の自動販売機に100円のミネラルウォーターが。

 

「…………」

 

 チャリんとお金を入れて、買いましたとも。

 ベンチにすわり、ふうっと息を吐く。

 そして水を口に運んだところで、雪ノ下が俺の正面に立った。

 

「お前は買い終わったのか?」

 

「ええ、だいたいは目星をつけたわ。この後試着して決めようとは思うのだけれど」

 

「まあ、お前もセンスいいわけじゃねえんだから、由比ヶ浜と一緒に決めた方がいいぞ」

 

 放っとくとまた猫かパンさんのウェアを買っちまいそうだしな。

 てっきりこの俺のセリフに毒舌が返ってくると思っていたのだが、見ればふふふと静かに笑っているし。

 

「そうね。そうするわ。私も自分のセンスがおかしいことは自覚しているもの」

 

「そうか。でもお前があっさりこうやって認めるとは思いもしなかったが」

 

「ええ、私も少しは成長したのよ、比企谷君。いつもいつも噛みついてばかりでは疲れてしまうもの」

 

 だったら基本噛みつかない仕様に変更して欲しいものですけどね、少なくとも俺に対してだけは。

 穏やかな表情の雪ノ下は俺を見下ろしながら、突然それを聞いてきた。

 

「比企谷君、あなた、由比ヶ浜さんのことどう思っているの」

 

「唐突だな」

 

「そんなことはないと思うのだけど、むしろ今更でしょう。彼女の思いにあなたが気が付いていないなんて、私は思っていないわ」

 

 珍しく雪ノ下が強い口調で俺に言ってきたので、俺は内心を隠してとぼけた。

 

「なんのことだよ」

 

 言ってから後悔。

 雪ノ下は真剣に俺に話を振ったんだ。

 それが分かったのに、勝手にこんな抵抗の言葉が口をついてしまったのだ。

 

「いや、すまん」

 

「ふう……やっぱりあなたらしいというべきかしらね。これでは由比ヶ浜さんが可哀そうだわ」

 

 ため息を吐きながら雪ノ下がそうこぼす。

 でも俺には上手く返すことなんて出来そうにない。だから素直に今思っていることを言うことにした。

 

「俺は人の気持ちどころか、自分の想いすら良く分かってねえ。でもな、このままでいいなんて考えてはいねえよ」

 

 雪ノ下は微笑みを俺に向けて、そっと囁いた。

 

「そう……なら良かった。でも、早くしてあげて。待つのは本当にくるしいことだから」

 

「なんだ?実感籠っているけど、お前こういう経験したことあんのか?」

 

「わたし?そうね、私だって恋愛くらいしているわ。丁度今ね。まだ片思いなのだけれど」

 

「え?お前が?意外だな」

 

 雪ノ下のいきなりの『好きな人いる』発言に度肝を抜かれたが、でもべつにおかしくはないか。もう二十歳だしな。好きな奴、気になるやつの一人や二人いても全然問題ない。

 

「ふふ、そうね。私もそう思うわ。でも仕方ないじゃない。好きになってしまったのだもの」

 

「そうか。そういうもんなのか。ならお前はどうすんだ? こ、告白……とか、すんのか?」

 

「いいえ、今はしないわ。だってその人は今、別の女性のことを気にしているのだもの。そんなところを攻めようなんて思ったりはしない。でも、もしもその人が、私のことをその娘より少しでも気にかけてくれるようになったとしたなら、その時は私から声をかけてみようと思っているの」

 

「お前がなぁ……ああ、俺は応援するよ。お前がうまくいくようにな」

 

 雪ノ下は俺をじっと見つめてきて、穏やかに答えた。

 

「ええ、ありがとう。でも、絶対その日は来ない。私はそう信じているわ。さてと、私もウェアを買ってくるわね。あなたも他に必要な小物を見てまわりなさい。由比ヶ浜さんのために何か選んであげたらいいと思うわ」

 

 なぜか晴れやかな顔になった雪ノ下がそう言って店内に戻っていった。そして、そちらに顔を向けたとき、店の奥でウェアを笑顔で抱えていた由比ヶ浜と目があった。すると、途端にそのウェアを背中に隠して、手を振りながらさらに奥へと消えていく。

 そんな彼女を見送りながら俺はそっと決意したのだ。

 

”『彼女』に、必ず俺の想いを伝えよう”

 

 と……。

 

【次回、『戸塚彩加の誘い』】

 



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(3)戸塚彩加の誘い

 その日はあっという間にきた。

 スキー旅行当日。俺と由比ヶ浜と雪ノ下は着替えのつまった旅行バックを抱えて、3人で武蔵野線に乗っていた。

 この線は東京の府中本町から、千葉の西船橋まで、間に埼玉県を通るというルートの長大な路線であり、このまま乗っていけば千葉に帰れるという素敵な路線。

 だが、今日はそこに向かっているわけではない。

 俺たちが向かうのはJR練馬駅だ。そこで戸塚たちと合流することになっている。

 新秋津で降りて、秋津で西武線に乗り換え。そこからまた少し先のひばりヶ丘でまた乗り換え。そして俺たちは練馬に到着した。

 

「えーと、どこにいるんだ?」

 

「んとね、駅の南口側にいるって……あ、あれじゃないかな?」

 

 由比ヶ浜に言われてそっちを見れば、道路脇に路駐している大きなオレンジのミニバン。

 遠目だが、確かにその運転席に戸塚の姿があった。

 俺たちは急ぎ足でその車へと近づいた。

 

「やっはろー、さいちゃん!」

 

「やっはろ、由比ヶ浜さん、雪ノ下さん。それに、八幡も」

 

 にこりと微笑んだ戸塚に最後に名前を呼んでもらえて、ほっとひと安心。もし無視されたら、このまま心配停止で逝くまであったな。

 

「よお、戸塚。会いたくて会いたくてもう我慢の限界だったよ」

 

「やだなあ八幡、冗談ばっかり」

 

 あははと笑う戸塚、マジ、天使!

 

「遅いではないか三人衆。我はもうまちくたびれておったぞ」

 

「もう、遅いですよー本当に。でもなんで財津先輩までいるんですか?先輩がくるからって私も来たのに、聞いてないんですけどぉ」

 

 車の後部座席が開いて中から顔を出したのは材木座と一色の二人。

 この二人がペアでいるとかマジで異様すぎるな。というか、キレてる一色の隣でなんでお前そんなに嬉しそうなの材木座。

 

「あ、ごめんねいろはちゃん。あたしが出るのに時間かかっちゃって、バスに乗り遅れちゃったの」

 

「まあ、そうなんだが、そんなに遅れてないし、メールもしたろ? 勘弁してくれよ」

 

「うう、別に怒ってはいないんですけどね。なんか、お二人本当に仲が良さそうで……複雑……ぶつぶつ……」

 

 俺と由比ヶ浜を見ながら一色の奴がなんかジト目送ってきやがる。何考えてんだこいつは。

 

「それにしても素敵な車ね、戸塚さん。あなたの車なの?」

 

「ありがとう雪ノ下さん。ううん、お父さんのなんだよ。今日はスキーだからこれを借りてきたんだ。冬タイヤだし、スキーのマウントもあるからね」

 

 言われてみれば、車の上に、スキーキャリアーがあって、そこにスキーの板とスノーボードが積まれている。

 それは誰のものかと尋ねれば、どうやら戸塚と一色の物のようだ。それで聞いてもいないのに、『戸塚さんに家まで迎えに来てもらったんですよー。こういう甲斐性のある男の人って本当に憧れますー』とか一色がほざいてやがるが。

 

「なにお前、スキーできるのか?」

 

「失礼ですね、先輩は。こう見えて私結構得意なんですよ。子供の頃からやってますしね。あ、でも今回はボードです。最近はボードの方が楽しいですしね。先輩も一緒にどうですか?」

 

「戸塚はどっちなんだ?」

 

「僕はスキーだけだよ」

 

「じゃあ、俺もスキーだな」

 

「きーっ! なんでその一言でそっちに行くんですかー、なんですかー、そんなに戸塚さんが好きなんですかー」

 

 うん、その通りだけど?

 

 とは言わなかった。うん。だって当たり前だし。

 

 そんなギャーギャー喚く一色は放っておいて、俺たちも車に荷物を積んだ。そして車に乗る。

 3列シートに二人ずつ収まってもゆったりした広さ。そして大量の荷物があったというのに、すべて最後部のトランク部分に収納されてしまった。

 これがミニバンというやつか。いったいどこが『ミニ』なんだか。

 で、早速運転する戸塚の隣の助手席にいこうとしたのだが、そこにはいつでも運転を変わってもらえるように材木座に座らせるのだという。なに、材木座。いつの間に免許とったんだよ。こんなことなら、俺も取れば良かった。

 

 こうして俺は最後列に由比ヶ浜と座り、そして女子たちが楽しそうにおしゃべりしているのを聞きながら、一路雪国へと向かうこととなった。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 トンネルを抜けたら、そこは雪国だった……

 

 とはならなかった。

 関越トンネルを越えたのだが、周囲にちらほら雪は積もっているものの、どう見ても軽く積もって溶けました。みたいな状況。周りの山を見ても、山頂の辺りが少し白くなっているばかりで、下の方は普通の山林。

 斜面が真っ白く見えるのはどれもスキー場とのことで、どうやら人工降雪機で無理矢理ゲレンデを作っているのだという。

 

 戸塚いわく、大分以前は12月でもかなりの積雪だったようだが、最近ではもっと寒い1月ごろになってやっと少し積もる程度なのだと。

 それでもスキー場は運営しないといけないわけだから、人工降雪機は必需品というわけだな。

 なんというか、往年の人気スポーツの今を見たようで少し切なくなった。

 ま、そうはいっても人気スポーツだし、この近くならもっと高所にある苗場スキー場とかその辺はかなり雪も深いらしい。今回そこに行くわけではないが。

 

 越後湯沢で高速を降りて、しばらく一般道を走る。

 そして、目的地のスキー場の入り口へたどり着いた。

 戸塚の運転は非常に優しくてほとんど揺れも感じない、超快適だった。

 

「さあ、着いたよ。まだ宿には入れないんだけど、オーナーのおじさんに着替えだけでも部屋をつかえないか聞いてくるね」

 

「あ、私も行きますー」

 

 と、車から戸塚と一色の二人が降りて、駐車場の向かいにある、レストラン風の建物へと入っていった。

 2階建てになっていて、見るからに上の方は客室のようなつくりの窓になっているから、ここが例のペンションに間違いはなさそうだ。

 そして、そこから視線を動かして、坂の上の方を見れば、土産物屋やスキーのレンタルショップのような店がたくさん並んでいて、それが切れるともう真っ白いゲレンデとリフト乗り場が目にはいった。

 

「すごくゲレンデが近いのね」

 

「わあ、ねえ見て、真っ白だよー。みんなたのしそー」

 

 俺と同じ方向を向いて雪ノ下と由比ヶ浜が声を上げた。

 

「この距離なら、すぐに宿に帰れて最高だな」

 

「もう、すぐに帰る話するし。せっかくきたんだからいっぱい一緒に楽しもうよ」

 

 頬を膨らませた由比ヶ浜がそう迫る。

 近い……っていうか、近いから、いつもより。

 俺はまたのけ反っていたのだろう、由比ヶ浜はすぐに身を引いた。

 ぷいっと顔を背けた由比ヶ浜を見つつ、俺はまた一人考えた。

 やっぱり、きちんと言わないとな……由比ヶ浜……。

 

「部屋にもう入っても大丈夫だって」

 

 運転席に乗り込んできた戸塚の言葉が車内に響いた。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「わー、すごくひろーい」

 

「じゃあ、女子はこっちの部屋にする?どっちも同じ間取りなんだけどね」

 

 その戸塚の声を聞きながら俺たちはそのひろい和室の部屋を見て驚いた。

 とにかく広いしすごく綺麗な部屋だ。

 床の間と、中庭みたいな縁側には備え付けの露天風呂まである。正直ここまでとは思わなかった。

 正面から見たときの一見古ぼけた印象の洋食レストランぽい外観からはまったく想像できない内部の洗練さ。

 部屋数は少ないが、これは相当な宿だ。

 

「なあ戸塚、ここ相当高いんじゃないか?」

 

 俺がそう聞くと、

 

「ううん、大丈夫だよ。ここはおじさんが半分は趣味でやっているようなペンションだしね。自分が冬の間滑りたいからってだけでここを経営しているようなもんだから、今回はかなり安くしてもらえたんだよ。僕も10年ぶりくらいで会ったんだけどね。ちなみにおじさん某IT企業の社長だから」

 

 IT企業の社長が冬の間にスキー場でペンションやってんじゃねえよ、と思わずツッコミたくなったが、さっき会った感じ、柔和な山男って印象だったし、きっと自由人なんだろうな。でもそういう好き勝手やっている生活はちょっとうらやましい。ま、一人で料理したりとか、掃除したりとか、せっせと働いているのには共感できないが。

 とりあえず男部屋に荷物を置いてさっそくスキーウェアに着替え。

 うん、恥ずかしそうに着替える戸塚、やっぱ可愛いぞ!

 あ、材木座は、そのたるんだ腹をなんとかすべきだな。糖尿になるぞ。

 

 と、着替えて廊下に出てみたら、

 

「あ?」

 

「え?」

 

 そこに立っている由比ヶ浜の姿に思わず絶句。

 そこにはピンクのスキーウェアに身を包んだ、お団子ヘアーさん。別に変な恰好とかそういうわけではない。ないが、その服は、まさに俺が着ているフェニックスの色違い。

 

「お、おま……そのウェア……」

 

「あ、ち、ちがくて……その、た、たまたま、そう、たまたま気に入ったのがこれだったの。ね、似合うでしょ」

 

「似合うでしょって、そりゃ……」

 

 似合っているに決まってる。

 なにせお前だ。

 その辺の女子と比べたって、段違いに可愛いんだ、撮影用の衣装だって言われたって信じられる。

 でも、そうか。あの時俺を店から追い出したのはこれを買うためだったのか。

 由比ヶ浜は上目遣いで俺を見る。そして、

 

「やっぱり、ダメ……かな……?」

 

「いや、せっかく買ったんだし着ればいいだろ……その……似合っているし……」

 

「あ……うん、ありがと」

 

 お団子をぽふぽふ触った由比ヶ浜が照れた感じで向こうを向く。

 そんな俺達のところに部屋から出てきた一色が、愕然とした顔で『なんでペアルックなんですかー』と叫んだのは当然のことだったと思う。

 

  

   ×   ×   ×

 

 

 今回のこのメンバーの中で全くの初心者は俺と由比ヶ浜の二人だけ。材木座が滑れるのは意外だったが、雪ノ下は相当に上手いようだ。なにせ大抵のことは一回のチャレンジで出来るようになる天才だからな。ま、どうせ体力はないのだが。

 ということで、今日はスキースクールに二人で入ることにした。

 なにせ完全な素人だ。リフトに乗るどころか、雪の上を歩くのだっておぼつかない。

 そんな俺達は借りたスキーを担いでゲレンデへ、そこで戸塚・材木座ペアと、雪ノ下・一色ペアに別れた連中がリフトに乗るのを見送り、そそくさとゲレンデ入口のスキー教室に向かった。

 

 どんなことをするんだろうか? と不安に思いつつ建物に入ったが、中には女性が一人しかいなかった。彼女は座って手元のスマホを見続けている。どうやらこの人が教官のようだが、ずいぶんと若いな……

 そう思っていると由比ヶ浜が声をかけた。

 

「あー、あの、スキー教室をお願いしたいんですけど」

 

 そんな俺の声にびくりと反応した彼女はその顔を跳ね上げた。と、同時に俺は驚いた。だってその顔は……

 

「あっ! はいっ! ごめんなさい、気が付きませんでした……って、あれ? ひ、ひ、比企谷さんっ!? え、うそ、なんで」

 

 あわあわと口をぱくぱくさせるその人は、いつも大学で俺を助けてくれる優しい人。そう……

 

「小……元さん?」

 

『小諸だよ-‼』と絶叫が室内に響き渡った。

 

【次回、『比企谷八幡は変わらない』】

 



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(4)比企谷八幡は変わらない

「ああ、小諸さん。なんで、ここにいるんだ?」

 

「それを聞きたいのはこっちです? って、あ、あれ? そ、そちらの方って、ひょ、ひょ、ひょひょひょひょっとして、彼女さんですか?」

 

 小諸さんは由比ヶ浜の方を見てそんなサイボーグGちゃんみたいな剽軽(ひょうきん)な笑いっぽいセリフを吐いてるが。

 由比ヶ浜はといえば、なぜか怯えた感じで俺を見ているし。

 しゃーねーなー。

 

「いや、違うよ。別に俺達はつきあってねえ、ただの友達だ。それとこのウェアはたまたま同じメーカーだったってだけだ」

 

 そう俺が言った瞬間、由比ヶ浜は視線を床に落とした。それとは対照的に小諸さんはぱあーっと明るい笑顔になる。

 

「そーなんだー。ほっとしたー。あ、えと、べ、べべべ別に深い意味とかなくて、なんにもなくて。その」

 

「んで、なんでここにいるんだ? この前なんかクリスマスがどうたらこうたらって言ってなかったか?」

 

「あ、それなんだけどね、予定がキャンセルになっちゃったから、おじさんに頼まれていたバイトに来ることにしてね、ここにいるんだよ。あ、スキースクールだったよね、今日はもともと人も少ないから私が教えるけどいい?」

 

「え?小諸さんが教えてくれんのか?スキー出来たんだな」

 

「あ、うん。もともと雪国育ちだしね。スキーは得意だよ。でも、ほんと偶然だねー。ここで会えるなんて」

 

「ホントだな。じゃあ、今日はよろしくたのむわ」

 

「はい!じゃあ、この申し込み用紙に名前を書いてください。あ、えと、そちらの方も……」

 

「あ、うん!小諸さん。あたしは由比ヶ浜結衣です。今日はよろしくお願いします」

 

 思いっきり笑顔でお辞儀をして、たゆんと揺れた由比ヶ浜の胸に、小諸さんも目が釘付けだな。あれはな、初見では確かに破壊力ありすぎだ。

 そんな由比ヶ浜とふたりで申込書を書いて、そしてしばらく待っても他に参加者は現れず結局俺達だけで教わることになった。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 スキー教室と言っても、座学や何か高尚な教育があるわけではなかった。基本的なスキーの履き方から歩き方、進み方、それと、重心の取り方とかの基本を教えてもらうわけだ。

 流石に雪の上で滑る板を履いたままバランスを保つのは難しく、最初の内は二人でなんども転んでいた。由比ヶ浜なんか、生まれたての小鹿のようにプルプルと内またで震えていて、思わず爆笑しそうになった俺も、実は同じポーズで震えていたわけなんだが。そんな感じだったが、小諸さんの教え方が上手いおかげで、次第に変に力まなくなって、楽に動けるようになってきた。

 そして、最後にはゆっくりとだが滑れるようになっていた。

 

「うん。ふたりともすごく上手だよ。重心の取り方もうまいし、この分なら、すぐにどこでも滑れるようになるよ」

 

「えへへ、礼美ちゃん本当に褒めるの上手すぎだし~。そんなに言われたらあたし調子に乗っちゃうよー」

 

「結衣さんなら大丈夫てすって。もう教えることないですもんー」

 

 えへへー、うふふーと女子二人が仲良くお話中。

 ほんとうにいきなり仲良くなったな君たち。

 最後にふもとまで滑ってきてそこでスクール修了。

 

「比企谷さんたちはいつまでいるんですか?」

 

「ああ、2泊3日の予定だから、帰るのは明後日だな。25日に帰るよ」

 

「え?じゃあ、明日の夜もいるんですね?」

 

「ああ、そうだけど……」

 

 言った途端になぜか小諸さんが小さくガッツポーズ。なにしてんだこの人。

 

「できたらまた明日も来てください。明日も私が教え……」「明日はっ!!」

 

 小諸さんの言葉が終わる前に、隣の由比ヶ浜が大きな声を出した。なにごとかとそっちを見れば、由比ヶ浜も驚いた顔になっているし、いや、お前が叫んだんだろうが。

 そんな彼女はその後、ぽしょぽしょとつぶやいた。

 

「あ、明日はね……その、や、約束があるから……ヒッキーと……」

 

 ん?約束?そんなもんあったか?

 はて?と考えつつ由比ヶ浜を見れば、小諸さんに見えない位置で俺のウェアをくいくい引っ張っている。

 そんな彼女を見つつ、俺は答えた。

 

「ああ、そうだった。明日は約束していたんだ。わりぃ、小諸さん。そういうことだから」

 

「あ、え、えーと、その、だ、大丈夫ですよ。こっちは。いいお客さんがへっちゃって残念だなーってくらいのことですから。どうぞ、楽しんできてくださいね。ではー」

 

 にこりと微笑んだ小諸さんを見送りつつ、俺は無言の由比ヶ浜と並んで初級者コースの二人乗りのリフトに乗った。

 座ったあとも、うつむいたままの由比ヶ浜。俺はさっきのことを尋ねた。

 

「なんであんな嘘を吐いたんだよ?」

 

 彼女はしばらくしてから俺に顔を向けてきた。

 

「ごめん……どうしても一緒に行きたいところがあって」

 

「そうか……」

 

 苦しそうに俺に言葉を紡ぐ由比ヶ浜……

 俺は彼女を前方を向いたままで息を吐いた。

 

「まあ、別にいいぞ。どこだか知らんけど、ああ言っちまったしな」

 

「ごめん……ありがと」

 

 謝る由比ヶ浜とよれよれとリフトを降り、あやうく転びそうになってリフトを止めてもらった。これ、超恥ずかしいな。

 

 その後、何度か滑り、それからゲレンデのコテージの食堂で昼食。

 なんでこんなに高いんだ! という感じのカツカレーを食べて、少し休憩してから、今度はもう少し上のコースを滑ろうと二人でさらに上のリフトに乗った。

 このころになると、由比ヶ浜もさっきのもやもやは吹っ切れたらしく、ことあるごとにコロコロ笑っていた。

 リフトの上は景色が本当にいい。遠くの山並みも、ふもとの町の景色も、何か映画のワンシーンでも見ているようで不思議な気分になる。

 ふと由比ヶ浜を見れば、俺と同じように遠くの景色を微笑みながら見つめていた。

 こんな穏やかな時間を俺がすごせるとは思いもしなかった。

 そう、こんなことは……

 

 

 

 

 俺には本当に似合わない。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「ただいまー。やっぱりスキーは楽しいね。八幡達はどうだった?」

 

 大分早い時間にペンションに戻った俺と由比ヶ浜は、着替えてから一回のレストランでコーヒーを飲んでくつろいでいた。

 そこへ、他の4人がドカドカと床をスキー靴で踏み鳴らしながら帰って来た。

 

「やっはろーみんな。うん、楽しかったよ。ねえ、ヒッキー」

 

「ああ、少し滑れるようになったしな。あ、明日は戸塚と一緒に滑れそうだぞ」

 

 俺のその言葉に、戸塚はそわそわとしはじめ、そして頭を掻いた。

 

「あ、えとね。明日はボク上級者コースの回転の大会に出ようと思ってるんだ。材木座君も一緒に、ねえ?」

 

「ふえ?あ、わ、我、そんなこと聞いてな……」

 

「あははははは……やだなあ材木座君。さっきそうしようって言ってたじゃない」

 

「そ、そう……でした……そうであった……我泣きそう、ぐすん」

 

「なんか無理矢理言わされてないか?まあいいか。なら、一色、雪ノ下、お前らはどうだ?」

 

 今度は雪ノ下がそわそわし始め、首をぶんぶん振ってなぜか一色を見ているし。一色は一色で、急に脂汗を浮かべている。

 

「あ、えーと、あーと、その……あ、そうそう、そうでした。明日は実はゴンドラでこの上のスキー場へ行こうって雪ノ下先輩と話していたんでした。あっちはパウダースノーですっごくふかふからしいので。ねえー雪ノ下先輩?」

 

「そ、そうなのよ。私も新雪の上を滑ってみたくて、ちょっと遠出してくることにしたの」

 

「へー。なら、俺達も一緒に……」

 

「だ、ダメですよ、先輩たちは。だって、まだそんなに滑れないじゃないですか。上まで行ったら、途中上級者コースを何か所か下りないとですし、角度30度ですから、こんなですから、崖ですから」

 

 言って、一色が腕で斜面を模すが、どう見てもそれ30度じゃなくて85度くらいありそうなんだが。

 

「まあ、じゃあ仕方ないか。明日また由比ヶ浜と二人で滑るか」

 

「「「「ふぅ……」」」」

 

「ん?なんだ?」

 

「な、なんでもないわ」

 

 何故かみんな一様に安堵の顔をしているし。

 由比ヶ浜はと言えば、俺の向かいの椅子で苦笑してコーヒーをすすっている。

 確かに俺は明日、由比ヶ浜と一緒にその行きたいところってとこに行く約束をしているしな。由比ヶ浜は俺がそれを必ず守るって信じているってことか……

 そんなことを考えつつ、俺もコーヒーを口に運んだその時、

 

「ただいまー。みなさんお待たせしましたー……って、あれぇ?ひ、比企谷さん?え、うそ、ここに泊まるの?」

 

 なんかさっきと同じ反応なのだが、現れたのは当然この人、小諸さん。

 腕に板を抱えて店内に入ってきた。

 

「やあ、レミちゃん。ひさしぶり」

 

「え?あれ?ひょっとしてサイカちゃん?わー懐かしい」

 

 と、戸塚と小諸さんが手を取り合って挨拶している。もう、女の子同士できゃっきゃうふふしてるようにしかみえないのだけどな。

 そうか、小諸さんも戸塚も、『おじさん』の関係でここに来たって言っていたもんな。ということは……

 

「あ、紹介するね。僕のいとこの小諸礼美ちゃん」

 

「小諸です。あ、比企谷さんと結衣さんには不要ですね。今日はここの手伝いにきています。みなさんゆっくりしていってくださいね」

 

 言って、彼女はタタタッと厨房の方へと消えて行った。

 

「先輩、あの人知り合いなんですか?」

 

 近づいてきた一色が俺にそうぽしょりと囁く。

 

「ああ、俺と同じ学部の同期だ。同じ科目をとっているから、大学でよく会うんだよ」

 

「へえー、そ、そうなんですか。なんか、年下妹枠を奪われそうな感じの可愛い人ですねぇ」

 

「何言ってのお前。そもそも俺と同い年の上に妹ですらねえだろ。妹は天使小町がいるからもう枠はねえよ」

 

「誰がガチレスしろっていいましたか、ああいう小柄で可愛い系っていう見た目の話をしただけですよ、私は」

 

 またもやぷんすか始める一色。そんな奴を見ていたら、いつの間に来ていたのか由比ヶ浜が俺に声を掛けてきた。

 

「ヒッキー、ちょっといいかな」

 

「なんだ?」

 

 言われて俺は由比ヶ浜についていく。

 そして、乾燥室の脇の廊下まで誘導されて、そこで由比ヶ浜はもじもじしながら俺を見上げてきた。

 

「あのね、明日今日滑ったコースの隣の上級者コースに行きたいの」

 

「え? それがお前の行きたいとこなのか? って、そりゃ無理だろう。俺にはあんな急角度の斜面滑れる自信なんかねえよ」

 

 うん、さっきの一色の腕ほどじゃないが、確かにかなりの角度があった気がする。しかもゲレンデの中央に超巨大なモミの木があって、それの所為で多分先の方が見えない。恐ろしすぎるだろう。

 でも、そんなことは当然こいつも分かっているか。

 

「どうしても行きたいのか?」

 

「……うん。どうしても……、どうしても明日行きたいの」

 

「そうか」

 

 由比ヶ浜の縋るような目に、俺は頷いた。

 

「いいよ。一緒に行く約束はもうしているしな、気にするなよ」

 

「うん、ありがとう、ヒッキー」

 

 由比ヶ浜は少し寂しそうな笑顔をしたのだった。

 

 

 

 小諸さんが給事してくれた夕食を摂ったその日の夜。

 風呂にも入り、布団を被った俺はなかなか寝付けないでいた。

 明日……

 明日だ……

 明日言おう、彼女に……

 そう、それでようやく……

 

 俺のこのモヤモヤは解消されるんだ。

 

 たった一言、『それ』を言うだけ。そんな簡単なことをするだけなのに、俺の心はざわめき続ける。

 寝返りを何度かうちながら、隣で響く材木座の凄まじいいびきが、実は眠れない原因なんじゃなかろうかと、思わず材木座の鼻を洗濯ばさみでつまみたくなった。

 

「眠れないの?」

 

「あ、戸塚?」

 

 顔を戸塚の方に向ければ、目がぱっちり開いていて超かわいい。

 そんな戸塚は、がさりと布団をあげて起き上がって俺に言った。

 

「ちょっと下に行こうよ」

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 階下のレストランに行くと、そこには本を読みながらグラスでワインを飲んでいるおじさんこと、マスターの姿が。戸塚は何かを注文すると、俺の座っているテーブル席へと戻ってきた。

 

「ホットミルクを頼んだよ。あれを飲めばぐっすり眠れるはずだから」

 

「ああ、サンキューな」

 

 戸塚はテーブルの上で指をいじりながら俺に視線を向けてきた。

 

「ねえ、八幡。八幡は由比ヶ浜さんのことどう思っているの?」

 

「なんだ、戸塚もか」

 

「え?」

 

「そのことな……雪ノ下にも聞かれたんだよ」

 

「そうなんだ。それで、どうなの?」

 

 珍しく語気を強くした戸塚が俺にそう迫る。俺はキッチンから漂ってくる甘いミルクの香りに鼻をくすぐられながら、口を開いた。

 

「優しいやつだ……って思っているよ。一緒にいて嫌じゃないし、俺みたいなやつ相手にも普通に接してくれるし」

 

「ふ、ふーん。じゃあ八幡は由比ヶ浜さんとずっと一緒にいたいって思っているんだね?」

 

「…………」

 

「あ、れ?は、八幡?」

 

 それには俺は答えられなかった。

 もうとっくの昔に決意していたことなのに、彼女に言う前にそのことを他人に話すのはやってはいけない気がしたのだ。

 

「明日……明日な……由比ヶ浜に俺の気持ちを伝えようと思うんだ。だから、わりぃ戸塚。今はそれに答えられない」

 

「あ、そ、そうだよね。うん、気にしないで、ほんと。」

 

 ことり

 

 と、俺達の前にホットミルクの入ったマグカップが置かれた。

 俺は置いてくれたその優しそうな山男に軽く会釈した。

 すると、ここに来てから初めて、俺はその人の言葉を初めて聞いた。

 

「このスキー場にはある言い伝えかあってね。明日、クリスマスイブにゲレンデ中央の大きなもみの木の下で愛を誓い合うと、その恋は永遠のものになるって言われているらしい。だから、ここを訪れる恋人は多いんだよ」

 

「へー、そ、そうなんだね」

 

 言いながら戸塚は目が凄まじい速さで泳いでいるし。

 マスターは、優しい目のままで続きを言う。

 

「でもな、永遠の恋なんてものはこの世にはないんだよ。人は変わっていくものだし、情熱はいつか必ず冷める。だから誓うんだ。今の気持ちが変わってしまうことが何より本当に恐ろしいから。まあ、そういうことだよ、お兄さん」

 

 微笑んだ彼は、そのままキッチンに戻った。そして、多分またワインをやりだしたのだろう、カウンターのむこうで椅子に腰かけたようだった。

 

「あ、あ、ごめんね八幡。おじさんてばいきなり変なこと言って……き、気にしないでね、本当に」

 

 慌てた様子の戸塚は俺に向かって手で頭を掻いている。

 

「いや、問題ないよ。それよりも、そのもみの木って、リフト二つ登った先の上級者コースにあるやつか?」

 

 戸塚は一度視線をはずしたあとに再び俺に向き直った。

 

「そうだよ。あの大きなもみの木がそうみたい。ねえ、八幡。さっきも聞いたけど、由比ヶ浜さんのことを大事にしてほしいんだ、僕は。だって、彼女はずっと八幡のこと……」

 

「ああ、わかっているさ」

 

 短くそれだけ答えた俺に戸塚は少しだけ不安げな表情を作った。

 でも、それは一瞬のことで、その後にこりと微笑んで、湯気の立ち上るマグカップへと手を伸ばした。

 おれもそれに倣ってホットミルクを口へと運ぶ。

 仄かに薫るこの甘い香りはブランデーかな?

 冷えていた体に染み渡るような濃厚な味。

 俺は、気持ちがスッと落ち着いてくるのを感じた。

 

 今俺ができること。

 今、彼女のために俺がしなければならないこと。

 それを明日、実行に移そう。

 

 そう俺は再び決意を固めた。

 

「そろそろ寝るか」

 

「うん、ごちそうさま、おじさん」

 

 二人で廊下へ出て階段を登る

 そして階段先の女子たちの部屋から、笑いあう声と、『にゃー』という猫の鳴き声が聞こえたことに関しては忘れることにした。

 

 ただ、俺には、キッチンを出るときに見た、幸せそうな顔でワインを飲むマスターの横顔が、俺になにかを語りかけているようで、妙に心がざわついた。でも……

 

 俺はしなくてはならない。彼女のためにそうすると決めたあの『告白』を……

 

 そう……

 

 

 俺と永遠に別れてくれ……と。

 

【次回、『由比ヶ浜結衣の小さな願い』】

 



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(5)由比ヶ浜結衣の小さな願い

 翌日、俺と由比ヶ浜はふたたび初級者コースで滑っていた。

 といっても、今日は二人揃って足ががくがくだ。

 何せ普段使わない筋肉だしな、昨日一日の疲労が一気に現れてしまったようだ。

 それでも、ゆっくりすべる分には支障はなかったし、他の上手いスキーヤーたちを真似て、エッジを効かせてカッコつけたりして楽しむくらいの余裕はあった。

 

 今日も快晴。昨日は周囲を見る余裕はほとんどなかったからわからなかったが、このスキー場は相当広いらしく、一番上のリフトのさらに上に真っ白な高原スキー場が見える。これが昨日一色が言っていた、上のスキー場ってやつなんだろう。さすがにあんなに高いとこまで行くのはやっぱり怖いな。そう思いつつ、俺は由比ヶ浜と滑った。

 

 由比ヶ浜は今日も楽しそうに見える。

 ずっと笑顔だし、あれやこれや話しかけてくるし。でも、それが普通でないことくらい、今まで長い期間一緒に過ごしてきた俺にわからないはずがなかった。

 どこか焦っているのだ。

 普通を装っているのだ。

 それがなぜなのか……。その理由もなんとなく分かっている。

 ことあるごとに彼女は、決意を固めた表情であの大きなもみの木を見つめているのだから。

 そのもみの木の下には遠目に見てもわかるくらいたくさんの人だかりができていた。

 きっとあの中には将来を誓いあう恋人もたくさんいることだろう。

 昨日のマスターの言葉を思い出しながら、ふとそんなことを考えてしまっていた。

 

「ねえ、ヒッキー。今日はあそこのレストランでパフェ食べようよ」

 

「はあ? このくそ寒いのになんでパフェなんだよ。いっそ豚汁の方がよくないか?」

 

「ムードだいなしだしー。もう、こういうとこなら、パフェでしょパフェ。ほら、いくよ」

 

「お、おお……」

 

 言われて押されて連れていかれたレストランはあのもみの木のすぐ真下に位置する赤い屋根のこ洒落たロッジだった。

 そこにウェアを脱ぎつつ入っていくと、入り口近くの壁のコルクボードにたくさんの写真が。これはなんだ? と思いつつ由比ヶ浜を振り返ったその時、急に由比ヶ浜が抱きついてきた。そして俺の頬にぴったりと自分の頬を押し当てて、正面にむかってピースをする。

 

「撮りますよー、はいチーズ!」

 

 パシャりと音がしたと思ったら、エプロン姿の女性が笑顔でカメラを抱えていた。

 

「ありがとうございましたー」

 

「じゃあ、5分くらいしたらとりにきてくださいねー」

 

「はーい」

 

「お、おい。なんだこれは?」

 

「あ、えとね、このお店写真とってくれるサービスがあるんだよ。ほら、その壁沿いの写真、みんなここで撮ったんだって」

 

 そう言いながら見るのはさっきのコルクボード。ところせましと仲睦まじいカップルたちの写真にはハートやら何やら恥ずかしい文字がたくさんならんでいる。

 

「あたしたちも、ここに貼っていこ。記念にさ」

 

「お、おい」

 

「いいのいいの。えへへ」

 

 笑顔で俺の手を引っ張る由比ヶ浜。一番眺めのいい窓際のテーブルへと座り、そして、早速パフェを注文しにいった。俺もそれだけじゃあれだからと、ラーメンやらいなり寿司やらを買い、もうテーブルの上は和洋折衷どころか、どこの世界の食卓だかわからない様相を呈してしまっていた。

 それを二人で食べる。

 本当にいい笑顔をするな、由比ヶ浜は。

 そう素直に思えるほど、彼女は愛らしくて、可愛かった。

 俺が今抱いているこの思い。それはきっと普通の人なら誰でも持っている感情なのだろう。

 それがおかしいことだなんて俺は思っていない。そしてこれが勘違いでないこともとっくの昔にわかっていた。

 

 わかっていたからこそ、俺は今日を選んだのだ。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「えとさ、もうじき4時じゃん? その……もうすぐリフトも終わりだけど、最後にあのリフトに乗って一回だけ滑ろうよ」

 

 そう言って由比ヶ浜が見るのはモミの木のあるコース脇の二人のりのリフト。

 どうしてそこにいきたいのかなんてもう聞くまでもない。

 

「そうか、なら行こうか」

 

「うん」

 

 満面の笑みを浮かべた由比ヶ浜が勢いよく立ち上がった。

 

 リフト自体は下の方のやつとほとんど変わらない。

 でも、そもそも乗っているやつがほとんどいない。そりゃ当然だ。

 なにせ俺たちが見下ろしているこの斜面。はっきり言って、この角度で見下ろすと絶壁にしか見えない。あの一色のアクションがオーバーでもなんでもなかったことを、俺はこのとき初めて理解した。

 

「こ、これ、マジで大丈夫か? ってなんだ?」

 

 いきなり腕にギュウっと柔らかいものが押し付けられる感触があり、何事かと思えば、真っ青な顔の由比ヶ浜が俺に抱きついてきていた。

 

「ちょ、おま、大丈夫か、顔色最悪だぞ」

 

「あ、えとね……だ、だだだ大丈夫だから今だけこうさせて、お願い」

 

 言いながらどんどん力を込める由比ヶ浜。俺は彼女の背中を押さえながらリフトの降り口が近づくのを待ち構えた。

 

「だいじょうぶですかー? 今リフトゆっくりにしますからね……って、あれ? 比企谷さん? 結衣さん? え? なんでこんなリフトに乗ってるんですかー?」

 

 声が掛けられて顔を上げれば、そこにいたのは小諸さん。手に箒を持って待ち構えていた。なんで箒!?

 彼女にリフトを遅くしてもらい、由比ヶ浜の肩をそっと抱いたままでゆっくり降りる。

 そして、そのまま出口そばの雪の山まで滑ってからそっと腰を下ろした。

 少しそうしていると、係りを代わってもらったのか、小諸さんが長靴をどかどか踏み鳴らしてこっちに近づいてきた。

 

「小諸さん、こんなとこでも働いてんだな」

 

「うん、人手少ないしね、でもだいじょうぶ? 結衣さん。無理そうなら、リフトで降りられるよ?」

 

「あ、へーきへーき。ちょっと疲れちゃって休んでただけだから」

 

「いや、あんま無理しない方がよくねーか? 怪我したらそれこそ元も子も……」

「それでも……絶対行くの‼」

 

 その由比ヶ浜の声に思わず俺も小諸さんも息を飲む。

 由比ヶ浜はどうしてもここに来たいと言っていた。なら、それをお前は叶えてやるべきなんじゃねーか?

 俺の中の何かがそう囁いていた。

 

「ちっ、しかたねーな。付き合ってやるよ。でも、こんな斜面、俺だって怖いんだからな」

 

「ヒッキー……」

 

「あ、あ、えと、でも、本当にあぶないですから、危険ですから」

 

「あ、わりぃな小諸さん。ここは俺達のわがまま聞いてくれよ。だいじょうぶ、どうせそんなに滑れやしねえから、ゆっくり降りるし」

 

 そう言って説得した俺だったが、正直めっちゃ怖いし、素直にリフトで帰りたかった。 

 でも、ここまで来たのだ。最後くらい由比ヶ浜のわがままを聞いてやりたい。俺はそう思っていた。

 しばらく腕を組んでいた小諸さんが、うーんと唸った後に言った。

 

「分かりました。でも、十分気をつけてくださいね。私も4時半になったら上がれるので、ここから滑って追いかけられますから、もし無理そうなら途中で待っていてください」

 

「あ、ありがと、レミちゃん」

 

「じゃあ、本当に気をつけてくださいね」

 

 言って小諸さんは仕事に戻って行った。

 

「さて、じゃあ、行きたくねえけど、行くか」

 

「う、うん」

 

 二人で起き上がって斜面へと向かう。

 明らかに今までのコースとは違う雪質と傾斜。

 そっとそのゲレンデの上に立った時、俺は目眩を覚えた。

 おいおい、これは無理だろう。なにこの角度?

 下が……全然足元が全然見えないんだが。

 

 あれだけ啖呵を切った手前、あ、やっぱ無理ですとは言いにくいこの状況。

 由比ヶ浜を見れば、さっきよりさらに真っ青になってブルブル震えているし。

 俺は由比ヶ浜の手を握って板を斜面に立ててずりすりと滑り降りてみた。

 

「おい、由比ヶ浜。こ、こうやって板を横にしたまま少しずつ降りれば、すぐ止まれるし、そんなに怖くねーぞ」

 

「そ、そだね。じゃあ、そうやってあたしも……あ、あ、ああ……」

 

 少し滑り降りて、あまりの角度に怖くなったのだろう、由比ヶ浜は尻餅をつく。でも、それでも身体は止まらない。どんだけ急なんだよ。

 

「だいじょうぶか?俺もそっちいくぞ」

 

「あ、う、うん」

 

 俺も慎重に板を滑らせて由比ヶ浜の元へ、やっぱりなかなか止まらない。そして、二人で交互に少しずつ滑り下りながら、ようやくモミの木まであと半分くらいのところまで来た時だった。

 息も絶え絶え、手足は恐怖と疲労でがくがく震えているし。

 そんな俺達を、めっちゃうまいスキーヤーやらスノーボーダーやらが、まるで曲芸でもしているんじゃなかろうかって勢いで、ざしゅざしゅ雪を削って追い越していく。

 

「ほら、由比ヶ浜、もう少しだぞ」

 

「はあ、はあ、はあ、あ、う、うん。ありがと」

 

 そう言って立ち上がろうとした由比ヶ浜がよろめいた。

 

「あ」

 

 その身体は一瞬で俺の視界から消える。

 

「由比ヶ浜‼」

 

「きゃあああああああああっ……」

 

 慌てて身を起こした俺が見たのは、斜面に対して直角に高速で滑り落ちていく由比ヶ浜の姿。追いかけようとするも、今の俺にそんなことは当然できない。

 そして……

 身体を振られ、ストックを投げ出した彼女は、雪上にできたこぶでバウンドして、そのまま宙に放り出された。

 

「由比ヶ浜――!!」

 

 もう一度叫んだ俺の脇を、すごいスピードで滑りぬけていく小さな人影。

 それはオレンジのウェアを着た小諸さんに間違いなかった。

 彼女は雪に叩きつけられた由比ヶ浜のもとに向かうと、そのまま板を外して駆け寄った。

 俺も、なんとか早くそこまでたどり着こうと、ずるりずるりと坂を滑り降りた。

 俺がそこについた時、由比ヶ浜は頭から血を流してぐったりとした様子で気を失っていた。

 

「由比ヶ浜……おい、大丈夫か?」

 

「あ、あ、大丈夫です。頭から血は出てるけど、スキーのエッジがちょっとかすっただけみたいです。ちょっと脳震盪でも起こしてるだけだと思います。一応レスキューに迎えに来るように連絡を入れたから、もうしばらくすればスノーモービルがくるから」

 

「ああ、すまん。助かる」

 

「ううん、私ももっとちゃんと注意すれば良かった。あんまり気にしないでね」

 

 小諸さんにそう言われた俺は、板を外して眠る由比ヶ浜の脇に座った。

 由比ヶ浜はうなされてでもいるのか、ぶつぶつと何か言葉を漏らし続けている。

 俺はそんな彼女の口許にそっと耳を近づけた。

 

「……う、ううん……おねがい……一緒に行きたい……の……一度だけでいい……ヒッキーと……もみの……木……」

 

「由比ヶ浜……」

 

 俺はもうすぐそこまで来た巨大なモミの木を見た。

 そこにはこちらに興味深そうな視線を送ってくる多くのカップルたち。

 俺はしばらく、ジッとその光景を見ていた。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 気を失ったままの由比ヶ浜は、やってきたスノーモービルにけん引されたそりに寝かされ、そしてそのまま救護所へと運ばれて行った。

 俺はそれを見送ったあと、もうすっかり陽も落ちて暗くなり、人気のなくなったモミの木の下に小諸さんと二人で移動してきていた。俺もすぐにでも救護所へ向かうつもりだったが、ここは上級者コース。俺一人じゃとてもじゃないが帰れる自信がない。

 とりあえずの休憩ってことでここに来たわけだが、なぜか急に小諸さんがソワソワし始めた。

 

「あ、えっと、由比ヶ浜さん、大丈夫そうでよかったね」

 

「ああ、本当にありがとう。いつも俺は小諸さんに助けてもらってばっかりだ」

 

「え!? そ、そんなことないよぉ、わ、私だって、大学で迷ったり、次の教室が分からなくなったりした時に比企谷さんに助けて貰えて本当に嬉しかったんだよ。ほら、私田舎者だし、友達なんていなかったから本当に嬉しくて……」

 

「そうだったかな……別に、たいしたことじゃねーよ。それに今は小諸さんだって友達はたくさんいるだろ?」

 

「あ、そうなんだよ、と、友達はたくさんできたんだけど、か、彼氏はさっぱりでさ、あ、あはは、ははは……」

 

「小諸さんなら、すぐに彼氏くらいできるだろ」

 

「そ、そうかな……」

 

 きゅっと口を噤んだ小諸さんが素早い動きで俺に近づいてきた。

 

「あ、あのさ……」

 

 彼女は顔を真っ赤にして俺を見つめてくる。

 

「あ、あの……結衣……さんは、彼女じゃないんだよね? ひ、比企谷君は、い、今彼女とかいるの?」

 

 俺はその言葉に胸に痛みが走ったのを確かに感じていた。

 

「いや、いねえよ」

 

 そう返事をした俺に、彼女は俺をまっすぐに見た。

 その時……

 俺の脳裏に、『あの時』の彼女の姿がダブって映ったんだ。

 

 

 

「じゃ、じゃあね……わ、私と、お、お付き合いしてください。ずっと大好きでした。お願いしま……」

 

 

 

”ヒッキー……あのね……、あ、あたしさ……、ヒッキーのこと……”

 

 唐突に溢れるように思い出した『彼女』との記憶。

 あいつが最後まで、ついに語ることが出来なかったあの『告白』。

 俺が、最後まで聞くことに恐怖していたそれ。

 

”ヒッキー合格おめでとう!あ、あたしもなんとか大学受かったよ、えへへ。近くだからこれからもよろしくね” 

”あ、ヒッキーもここの不動産屋さんで家探してたの? 偶然だねー”

”ねえお正月は千葉に帰る? それなら一緒に行こうよ、ゆきのんも誘って。みんなで初詣しようよ”

”あ、学祭にyanaginagiさんくるんだってー。確かヒッキー好きだったよね?チケットあるから一緒に行こ”

”ヒッキー……”

”ヒッキ”

 

 ……………。

 

 偶然……だったのか……

 あいつは、本当に偶然のままで俺のそばに居続けたのか……?

 

 あいつの気持ちを、俺は……

 

 俺は自分の内に湧き上がった自分への怒りに気が狂いそうになる。

 なにがボッチだ。

 なにが由比ヶ浜の為だ。

 結局お前は変わるのを怖れて時間を止めたままだったんじゃないか。

 お前だけならまだしも、彼女の時間さえも。

 

 そうだ、だから俺は彼女を開放するつもりだったんだ。

 

 こんな自分のことしか考えられない俺なんかじゃなく、もっといい男を選んだ方が……

 

”そうやってまた逃げるんだな”

 

 なにを……

 

”由比ヶ浜を開放してやろう、こんなどうしようもない俺を見限れば、きっと彼女はもっと幸せになるはずだ。はっ、それがそもそもエゴなんだよ”

 

 …………。

 

”お前はとっくの昔に由比ヶ浜の気持ちに気が付いていたんだ。それなのにお前は逃げ続けた。そしてあの『告白』……彼女はあの時、最後まで言えなかったんじゃない。お前だ。お前が言わせなかったんだ”

 

 やめろ

 

”由比ヶ浜の為? 笑わせるな。お前はただの意気地なしだ。ただの腰抜けだ”

 

 やめろ

 

”彼女の為だとかほざきながら、彼女が他の男と仲良くしている姿をお前は見たくなかったから自分の前から完全に消えて欲しかったんだ。お前と比べて、お前よりももっと素敵な男性だと、彼女の口から聞くのがお前は怖かったんだ。ただそれだけだ。お前は捨てられるのが怖かっただけなんだよ。だから彼女を避けてきたんだ、この腰抜け”

 

 やめて……くれ

 

 心の中の俺が叫び続ける。

 ずっと考えないようにしていた。

 ずっと蓋を閉めていた。

 俺自身がいつだって俺でいられるように、俺はずっとこうやって湧き上がるこの思いを隠してきたんだ。

 由比ヶ浜、俺、俺は……

 

”でも……それでもな……”

 

 その時、俺の心の声が優しく俺に語り掛けてきたのだ。

 

”お前の本心はずっと彼女のことを……”

 

「ああ、俺も愛していたさ」

 

「ふええ!? え? え? あ、愛!?」

 

 俺の目の前で真っ赤になっている小諸さん。

 俺は今ようやく決心がついた。

 ずっと悩んでいた。ずっと怖れていた。

 こんな今だって、俺は逃げ出したい気持ちでいっぱいなんだ。

 でも……

 

「気持ちは、やっぱりちゃんと伝えないとな。小諸さん。本当にありがとうな」

 

「え? は、はい? え、なに?」

 

「なあ、すぐに由比ヶ浜に会いたいんだ。救護所まで案内してくれよ」

 

「え? え? でも、モミの木、愛って……って、え? ええ?」

 

「頼む。俺はあいつに、どうしても今伝えなきゃいけないことがあるんだよ」

 

「あっはい……」

 

 スキーを履いた小諸さんは、首を傾げながら先に滑り出した。俺はその後を追った。

 

 待っていてくれ、由比ヶ浜。

 

「あれ?ひょっとして私、振られちゃったのかな」

 

 

【次回、『最終話 モミの木の下で』】

 



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(6)モミの木の下で

「お、おい、由比ヶ浜は戻ってねーか?」

 

「え? 帰ってきていないのだけれど、一緒ではなかったの?」

 

「ああ……くっそ」

 

 床を蹴った俺の隣で、小諸さんが事情を説明。

 

「実は、結衣さんが転んで気を失ってしまったのでレスキューのスノーモービルで救護所へ運んだんですけど、特に大きなけがもしてなかったのでそのまま帰したらしいんです。でも、さっき一度ここに見に来ていなくて、他も探したのですけどやっぱり見つからなくて……」

 

 それを聞いた全員がどよめいた。

 そして雪ノ下が俺の眼前に立って、詰問してきた。

 

「一応聞いておくけれど、あなた、由比ヶ浜さんに何かひどいことしたのではないでしょうね」

 

 その問いに俺は即答した。

 

「ああ、してないよ……まだな」

 

「まだって!?」

 

 驚いた顔になる戸塚たち。再び雪ノ下が俺に詰めよった。

 

「あなた、まさか彼女のことを……」

 

「ああ、俺は今日、由比ヶ浜と完全に縁を切るつもりだった。もう二度と俺に近づくなと、あいつに……」

 

 パァアアアアアアアアアンと乾いた音が辺りに響く。

 

「最後まで言わせろよ」

 

「はぁはぁ、貴方って人は……」

 

 思いっきり平手で俺の頬を叩いたのは雪ノ下。目を真っ赤にして俺を睨む。

 

「は、八幡、なんで……」

 

「なんでですか、先輩。なんで、そんなに酷いこと……、ゆ、結衣先輩はずっと先輩の事……先輩の事だけをずっと見続けてきたんですよ、それなのに……」

 

「はわわわわ……」

 

 この険悪なムードの中で右往左往しているのは材木座と小諸さんだ。ま、仕方ないだろうがな。

 

「だから、最後まで聞けって言ったんだ。俺はそんな『告白』をするつもりはもうねえよ。一応言うけどな。でもそれはあいつを突き放したいからじゃない」

 

「比企谷君……」

 

「俺はな、雪ノ下。俺ほどどうしようもない奴はこの世にはいないと思っていた。俺なんかと一緒にいればきっとそいつも嫌われ者になっちまう。だから、俺はずっと一人でいることを望んだ。それはお前も分かっていたんだろ? 雪ノ下」

 

 コクリと頷く雪ノ下。俺は続けた。

 

「でもな、その考え方自体が俺の一人よがりだってことにようやく気が付けたんだ。俺は俺。でもずっとあの頃のままの俺じゃない。変わっていくんだよ、俺も、あいつも。だから、俺は覚悟を決めたんだ。諦めるってことじゃない。これから始めるって覚悟をだ。俺を、俺自身を変えていくって覚悟をな。だからな……お前ら、本当にありがとう」

 

 俺はみんなに向かって一気に頭を下げる。

 今の俺にはこんな事しか出来はしないのだ。

 この舞台を用意してくれたのは間違いなくこいつらだ。

 由比ヶ浜がこいつらにいったい何を言ったのかは知らないが、こんな俺達のためにこいつらは俺達の関係が進むシチュエーションを考えてくれたのだ。

 言葉にできないくらいの感謝の想いを俺は今胸に沸き上がっていた。

 

「貴方にお礼を言われるなんて夢にも思わなかったわ。そう……ようやく、本当にようやく心が固まったということなのね。本当……遅すぎるわよ」

 

 その雪ノ下の言葉に俺は頭をあげられない。当然だ。

 俺は今まで近づこうとするあいつから逃げ続けていた。いったいどれだけ彼女を傷つけていたのか……

 それでもあいつは……由比ヶ浜はこの二日間、いや、いままでずっと俺との時間を大切にしようとしていた。

 楽しもうとしていたんだ。

 きっと知っていたのだろうな、雪ノ下は。

 

「でも……」

 

 穏やかな口調の雪ノ下が俺の手を取った。

 

「これでやっと彼女は前に進むことができるのね。あの日、私が止めてしまった由比ヶ浜さんの時間がようやく……」

 

 顔をあげた先の雪ノ下の瞳には、うっすらと滴が堪っている。

 俺は今、彼女にかける言葉をもっていない。

 ただ一つ、俺だけが後悔を持ち続けていたわけではなかったのだということだけを、しっかりと理解した。

 そんな俺に、今まで黙っていた戸塚が声を掛けてきた。 

 

「でも、由比ヶ浜さんはどこに行ってしまったんだろう?」

 

「だからそれが分かれば…………あ、そうか!モミの木だ」

 

 俺の声に戸塚も飛び上がる。

 

「あ、そうだね!きっとそうだよ。あのモミの木には伝説があるんだもの。由比ヶ浜さんもすごく行きたがっていたし」

 

「でも、もう真っ暗ですよ?いくらなんでもあんな上の方に行くなんて……」

 

「いえ、由比ヶ浜さんならきっとあそこへ行くわ。彼女もずっと苦しんでいたもの。だから、比企谷君」

 

 雪ノ下が俺の手を取った。そして言う。

 

「お願い、由比ヶ浜さんを迎えにいってあげて」

 

「ああ」

 

 俺は急いでスノーブーツに靴を履き替えて出かける用意をした。

 そんな俺に、雪ノ下と一色が近づいてきた。

 

「これで私もようやく自分の心にけじめがつけられるわ。私は……してしまったようなのだけれどね……」

「私もです。いつまでも可愛い彼女を待たせるなんて本当に最低な先輩……でも、本当に……でした」

 

「へ? な、なんですか?お二人とも、なんでいきなり比企谷さんにコク……もがもご、みたいな……もごもぶ」

 

「まあまあレミちゃん。そこは突っ込んじゃダメなところだからね」

 

「うっう~……な、なんか2重3重に失恋した気分ですぅ」

 

 戸塚に口を押えつけられた小諸さんが涙を流している。

 俺はみんなに向き直った。

 そして決意を込めて言ったのだ。

 

「行ってくる」

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 スキー場の夜は暗い。

 一番下のゲレンデだけはナイターをやっているから明るいしリフトも動いていたけど、モミの木はそこからもう一つリフトを使って、そしてさらにその上の急斜面の途中にある。

 正直この月や星の出ていない中を上るのは相当にしんどい。

 

「はあ、はあ」

 

 吐く息が一瞬で凍るほどの寒さに、全身が震える。

 それでも、筋肉痛に震える足を必死に動かして、俺はまっすぐにモミの木を目指して上って行った。

 

 動いていないリフトの出口から大きく左に迂回し、上級者コースへと入る。

 すると、正面にあのモミの巨木が暗がりに聳えているのが確認できた。

 あと少しだ。

 そう思いながら急こう配の斜面をゆっくり上って行った。

 そんな中、ちらちらと舞い始めたのは、雪……?

 まるで宙を舞う綿毛のように、ひらりひらりと俺の周りに浮かんでいる。

 その幻想的な音のない世界で、俺はようやく彼女と再会できた。

 

「由比ヶ浜……」

 

「……? ……ヒッキー? あは、本当にヒッキーだ」

 

 モミの木の幹に寄り掛かる様にして座っていた彼女は、昼間のスキーウェアのまま。膝を抱えて身を縮めていた。

 俺はそんな彼女に静かに近づいた。

 それに応じるように、一度右方向に視線を送ったあとで彼女もそっと立ち上がった。そっちになにかあるのか?

 

「ヒッキーならきっと来てくれるって信じてたよ」

 

「ああ、約束したしな。色々言いたいことはあるが何も言わないでやるよ。怪我はだいじょうぶか?」

 

「うん、ありがと。怪我は平気、ちょっと血が出ちゃっただけだし……えへへ、ヒッキーはやっぱ優しいな」

 

 モミの巨木の下には雪は降って来ないが薄暗い。そんな暗がりの中に浮かぶ由比ヶ浜の表情は、昼間のはしゃいだ顔とはまるで違って、静謐なものだった。

 そんな優しい瞳が俺をそっと見つめてきている。

 俺は由比ヶ浜にすぐに触れてしまえそうなくらいまで近づき、そして向かい合った。

 彼女はふうっと大きく息を吐いてから微笑みながら口を開いた。

 

「あのね、ヒッキー。今日は本当にありがとう……あ、違うか、今日も、昨日も……ううん、この旅行だけじゃなくて、これまでずっと、ずうっと長い間、あたしのわがままを聞いてくれて、本当に……本当にありがとうね」

 

「…………」

 

 震えるでもなく、焦るでもなく、穏やかなままに滔々と言葉を紡ぐ由比ヶ浜。その声はまっすぐに俺の心へと届き、そして沁み渡っていく。

 俺は言葉もなく彼女を見つめ続けた。

 

「あたしね、どうしてもここにヒッキーと二人で来たかったの。ヒッキーはもう知ってるよね、このモミの木の話。クリスマスの日にこの木の下で愛を交わした二人は永遠に結ばれるんだって……えへへ、本当にロマンチックだよね。ホント、そんな恋人関係っていいなって、あたし憧れちゃったんだ。だから……」

 

 由比ヶ浜は自分の手袋を脱ぎ、そして俺の手袋も脱がすと、それを両手で包み込むように抱え込んだ。

 凍ってしまったかのように冷えきった彼女の両手。まだ温もりのある俺の手で、彼女を温めてやりたい。そんなことを想い、彼女の手をさすりながら俺はもう少し、抱きついてしまうくらいまでの距離まで近付く。

 

「うわぁ、あったか~い。ヒッキーの手、とってもあったかいよ~。わぁ、嬉しいな。本当に嬉しい、本当に……」

 

 満面の笑顔で囁くその声に、俺は握る手の力を強めた。

 

「ごめんね」

 

 そして彼女は俺の胸に自分のおでこを埋めてきたんだ。そのままの格好で彼女は言う。

 

「あたしね、ずっと分かっていたんだ。ヒッキーがあたしのことで我慢していたってこと。いつも自分勝手にヒッキーに電話したりさ、ヒッキーに会いにいったり、ヒッキーを連れ回したりね、すごく嫌だったでしょ? それでも、優しくしてくれるヒッキーにあたしずっと甘えてた。これがヒッキーの大嫌いな偽物の関係だって、そんなの酷いことだって分かっていて、でも、あたしはそれでも一緒に居たかった……だから……ごめんね」

 

 違う……

 

 彼女は俺の胸に額を押し付けながら続けた。

 

「あたしには偽物でも良かった。そう良かったの、あの時は。あたしの思いを伝えられなくても、一緒に居させてくれるならもうそれで良いって、余計なことをしてヒッキーに嫌われたくないって、ずっと怖かったの。そう、あたしはずっと……ヒッキーをだまし続けていたの」

 

 違う違う。

 

「でも、気がついたらあたし、変わっちゃってたんだ。ヒッキーといつでも話が出来て、ヒッキーと一緒にいることが出来て、ヒッキーとおでかけも出来るようになったらあたし……あたしはいつの間にかね……ヒッキーのこと……そんなに考えなくなっちゃってたの。本当に酷いよね。せっかくヒッキーが我慢してくれていたのにさ、あたしがヒッキーの大事な時間を奪っちゃってたのにさ、前は、ヒッキーと一緒にいるだけですごくドキドキできてたのに……今はもう……ダメなんだよ」

 

 違う違う違う……

 

 なんでそうなる。なんで全部お前が悪いって思っているんだ……。逆だ。俺なんだ。お前が苦しんだすべての原因は俺にあるのだ。俺がお前の努力をないがしろにし続けてきていたのだ。だから……

 やめてくれ……

 そんな顔しないでくれよ……

 寂しそうに微笑む彼女の口調は穏やかなままだった。俺は自分の心が何かに握りつぶされているかのような圧迫間を感じていた。

 でも俺は黙って聞いた。

 彼女の思いを全て受け取ろうと覚悟を固めていたから。

 そんな俺を前にして由比ヶ浜は再び微笑む。

 

「あたし……あたしね……もう……ヒッキーのこと大事に思えなくなっちゃったみたい……」

 

 言いながらその両目から涙の粒をぽろぽろと零し始めた。

 そして慟哭する。

 彼女は堰を切ったように溢れる感情をそのままに激しく嗚咽をあげた。

 頬を滴る熱い涙が俺の手に触れ、そして一気に冷えていく。

 まるで、この彼女の想いを表しているかのようで俺の心は打ちのめされた。

 

 しばらく俺の胸で泣き、そしてそれが収まりを見せ始めたころ、彼女は胸のポケットからハンカチを出してそれで自分の涙を拭った。それから俺のことを微笑んで見上げてくる。

 

「ごめんね、急に泣いちゃって……あは、恥ずかしいな」

 

 震える声でそう言った彼女はこてんと俺にその頭を寄せて、そして再び話し始めた。

 

「あたし、これで最後にする。もうこれでヒッキーに嫌な思いさせちゃうことも止めるから。でも、どうしても最後に一つだけあたしのワガママを聞いて欲しいの。ずっとずっとそうしたくて、でも、出来なくて、いつか諦めちゃっていたそれ。あたし、自分がヒッキーのそばに居られた証をどうしても残したいの。だから昨日も今日もヒッキーと二人で居たの、いろんなことしたの、思い出がたくさん欲しかったから。偽物かもしれないけど、あたしにとって、本当に大事なことだったから。だからあたしはここに居るの。だから……お願い、今回は頑張って最後までちゃんと言うから、聞いてください、お願いします」

 

 証……

 俺と一緒に居た証……

 俺との思いで……

 

 俺は由比ヶ浜をまっすぐに見つめて頷いた。

 もう分かっていたんだ。

 由比ヶ浜がここに来た理由も。

 俺に何を望んでいたのかもを。

 

 そう……すべては、あのときに戻るため。あの卒業式の時、お互いがお互いを避けてしまったあの時から、俺と由比ヶ浜の時間は止まってしまっていたのだから。

 俺も、そして由比ヶ浜も、自分ではどうしようもできなかった。

 どんなに一緒にいても、どんなに言葉を交わしても、あそこから俺たちは一歩も踏み出すことができなかった。

 

 なぜ?

 

 怖かった。

 そう、怖かったからだ。

 

 俺も由比ヶ浜も恐れていたのだ。この今の関係が失われてしまうことを。

 

 だから俺はいっそ自分の不甲斐なさを言い訳に、それを壊して逃げ出そうとずっと考えていた。

 由比ヶ浜は全てを自分のうちに押し込めそれを隠すことを選んだ。

 まったく違うことを想いながら、俺達二人はお互いに気を使い、お互いをだまし続けてきたんだ。そうやって成り立っていた今の関係。偽物の関係……

 なぜ今由比ヶ浜がそうしようと思いいたったのかは俺には分からない。でも、それがついに……崩れるときがきたのだ。

 

 俺は、彼女の両手を取って、まっすぐに見つめ返す。

 決して茶化しちゃいけない。絶対に逃げてもいけない。

 今こそ、俺は彼女を真剣に受け止めなければいけないときなのだ。

 そう、俺は覚悟を固めた。

 

「ヒッキー……」

 

 すうっと彼女の小さな口が開いた。

 由比ヶ浜は息を大きく吸うと、涙を湛えた目で俺を微笑みながら見上げてきた。そして……

 

「……大好き……ヒッキーのこと、世界で一番、大好き…………だったよ……」

 

 ……『だった』……、彼女の言葉に胸がずきりと痛む。でも、俺は黙って彼女を見続けた。

 

「あは……言えた。やっと言えたよ。ずっとこの想いを伝えたかった。嬉しい、本当に嬉しい。もうこれで後悔はなにもないよ、うん。ヒッキー、本当にありがとう……今までずっとそばにいさせてくれて……もう……これで、本当に『バイバイ』ね……ヒッキーが……あたしを本当に嫌いになる前に、あたし……行くね。じゃあ……『サヨナラ』……」

 

 泣きながら口を押えた由比ヶ浜が走って去ろうとする。

 

 俺は、そんな彼女に手を伸ばして無理やり捕まえて引き寄せて、そしてきつく抱きしめた。

 

「痛い……痛いよヒッキー……やめてよ……あたし、あたし、ヒッキーに嫌な思いしてほしくないの。あたし絶対ヒッキーに酷いことしちゃう。あたしの所為で傷つくヒッキーを見たくないよ、お願い……」

 

「いや、ダメだ」

 

「え?」

 

 嗚咽する由比ヶ浜に俺は言った。

 彼女の気持ちは分かった。言いたいことも大体は。

 だからこそ、このままここで終わりになんて絶対できない。

 

「由比ヶ浜……その『サヨナラ』は無効だ」

 

「な、なんで」

 

「なぜって、俺はまだ、お前の『告白』に答えてないからな。お前は俺を『大好き』だと言った。なら、俺もそれに答えなくちゃいけない。そうでなければ、そんなものはただの独り言と一緒だろう」

 

「え、でも……」

 

「それに、お前ひとりだけが言いたいこと言うのかよ。俺は何も言っちゃいけないのかよ。『告白』しちゃいけないのかよ」

 

「ヒッキーが? 『告白』? え?」

 

「ああ、そうだ。『告白』だ。俺だって言いたいことはある。俺にも言わせろよ」

 

 俺の言葉に由比ヶ浜は息を飲んだ。こんな事態はまるで想定していなかったんだろう、少し不安そうにも見える。

 俺はしっかりと彼女の肩を抱く、そして。

 

 

 

 

「由比ヶ浜……俺もお前が好きだ。だったじゃない。ずっと好きだ。今も好きなんだ」

 

「‼」

 

 

 

 言った瞬間、彼女はその動きを完全に止めた。

 止まってしまった。

 俺も動かずにただジッとそうしていた。

 暫く見つめ合ったその後で、彼女は唐突に叫んだ。

 

「絶対嘘だ。ヒッキーは嘘をついているんだ!あたしがこんなんだから何とかしたいって、言いたくないこと言ってるんだ」

 

「お、おい……」

 

 由比ヶ浜の鋭い剣幕に俺は押される。

 

「だってそうでしょ。だって今までずっとそんなこと言ってくれなかったじゃん。あたしがずっと、ヒッキーのそばに居ても、ヒッキーは言わなかったじゃん」

 

「それはあれだ。こんな告白普通いつもしないし、それに俺はお前を好きだって想いをずっと、『違う、ただの自分の勘違いだ』って自分に言い聞かせてきていたんだ。わかっている俺がいけないんだ。俺が間違えたんだ。俺は、お前にも、俺自身に対しても、ずっと俺の本心を隠し続けてきたんだ」

 

「そんなの分からないよ。じゃあ、なんで今なの? なんで今まで言ってくれなかったくせに今言うの? そんな言葉……信じられないよ」

 

「当たり前だろ、俺だって、ついさっきまでお前に『もう別れてくれ』って言う気まんまんだったんだぞ。そんな俺がなんにも無い時に思い付く分けねーだろうが」

 

「だったら別れてくれって言えばいいじゃん。そんなんでころころ言うこと変えるなんて本当にサイテーだよ。嫌いなら嫌いって言ってよ」

 

「いうわけねーだろ、俺はお前のことが『大好き』なんだ!」

 

「あたしだって、ヒッキーのこと『大好き』だよ!」

 

「このバカやろうがぁ」「ヒッキーのばかぁ、ばかばかばかばかばかぁ、うわぁああん」

 

 気がつけば俺は由比ヶ浜をヒッシと抱き締めていた。

 泣きながら彼女は俺の背にまわした手にぎゅうっと渾身の力を込める。

 俺は、そんな彼女の頭をそっと腕で抱えた。

 

 不思議な感覚だ。

 

 こんな子供のように泣きじゃくる由比ヶ浜を見るのは初めてのはずなのに、なぜかそんな彼女を抱いていられることが何より幸せに思えた。

 嬉しいという感覚。

 愛しいという感覚。

 彼女の存在が今まで感じたことがないくらい大きく、そして俺の中を埋め尽くしてきていた。

 

 しばらくそうしていると、由比ヶ浜もいつの間にか嗚咽が収まっていた。

 無言で抱き合ったままの俺たち。

 すごく寒い筈なのに、全身が火照っていた。そして、彼女の温もりを分厚いスキーウェア越しに俺は確かに感じていた。

 

「ヒッキー……なんか、あたし、今すっごくドキドキしてる……」

 

「ああ、俺もだよ」

 

「変なの……、あたしもうヒッキーにはこんな風にときめくことなんてないと思ってたのに……」

 

「酷い言われようだな」

 

「えへへ……だって仕方ないし。ヒッキーと居て嬉しいし楽しかったけど、もうドキドキなんてしなくなっちゃってたし。あたしね、初めてヒッキーを好きになったとき、毎日ドキドキが酷くて眠れなかったんだよ。ヒッキーが話しかけてくれたーとか、ヒッキーと目があっちゃったーとか、いっつも胸が苦しいくらいだった」

 

「なにそれ、超恥ずかしいな」

 

「うん。そだね、恥ずかしかった。だから、あたし……」

 

 言って、彼女は少し身を離した。

 そして再び暗い顔に戻って俺を見た。

 

「あたし、ヒッキーのこと大好きだよ。大好きだったのに、だんだんそのドキドキがなくなってきちゃってたの……だから、ひょっとしたらあたしはヒッキーのこと嫌いになって来ちゃっているのかも? って、そう思うようになったの」

 

「それは当たり前だろ。そもそも俺がお前になにもしてこなかったんだ。お前には悪いことしたって反省しているよ」

 

「ううん。そうじゃなくて。あたしはさ、信じていたの、このヒッキーを好きだって思いが絶対に永遠のものだって。なのに、そうじゃなかったから……怖くなっちゃって……」

 

「『永遠の恋なんてものはない』って」

 

「え?」

 

「戸塚のおじさんに昨日言われたんだよ。『永遠の恋はない、情熱はいつか冷める、だから、そうなるのが怖いから誓うんだ』って。昨日の夜はよくわからなかったんだ。でも今ならわかる。お前がずっと怖がっていたとしても、そしてまた同じ気持ちになってしまうんじゃないかって怯えているとしても、そんなのは関係ない。俺はここに誓うよ。『俺、比企谷八幡は由比ヶ浜結衣を一生愛し続ける』……ってな」

 

 言ってから由比ヶ浜を見れば、湯気が出るんじゃないかってくらい真っ赤になっている。そして、

 

「あ、あたしも誓うし。『あたし、由比ヶ浜結衣は、永遠に比企谷八幡を愛していきます』……って、は、はわぁ……、な、なにこれ、超ドキドキしてる」

 

 その時……

 

「「え?」」

 

 急に辺りが明るくなった。

 見れば、俺たちのいるモミの木に空から光が差し込んでいるらしい。

 慌てて二人でゲレンデへと出れば、木の葉のように舞う大きな雪をキラキラ輝かせながら、雲の切れ間から月の光が届いていた。

 そんなモミの木は、月光に煌めく雪がまるでイルミネーションのようで、それはまさに……

 

「クリスマスツリーだぁ……きれい……」

 

「ああ、そうだな」

 

 煌めく雪の飾りの一番上には、まるで星のように瞬く月光が。

 俺たちはそのあまりの美しさに言葉もなくただそこに居続けた。

 

「大好きだよ、結衣」

 

「あたしも大好き、八幡」

 

 

 二人でぎゅうっと手を握ったままで俺たちは見上げ続ける。

 そのときの俺たちには、もう迷いも、不安も、恐れもなにもなかった。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「ただいま~。みんな心配かけてごめんね~」

 

「結衣せんぱーい!」「由比ヶ浜さん!」

 

 チリンチリンと店のドアを開けて中へ入ると、そこには雪ノ下や一色たちが全員で待ち構えていた。

 俺たちはパッパっと肩についた雪をお互いに払いあう。にこぉっと微笑んだ結衣の頭を撫でたあとに、みんなを振り返ると、なぜか全員座った目でこっちを睨んでいるし。

 

「あ、わりぃ。遅くなって悪かったな。って、お前らなんでそんな目してんだ?」

 

 結衣と手をつないでみんなの前にたっていると、唐突に一色が声を出した。

 

「はあっ、ま、別にいいんですけどね?こうなるために今回みんなで頑張ったんですしね?でも、そこまで自然にラブラブされると、なんというか、怒りが沸々と沸き上がってくるというか……」

 

「まったくその通りね……あれほどどうなるかヤキモキしていたというのに、これではまるで道化だわ」

 

 そんな二人に戸塚が近づいた。

 

「ま、まあまあ、雪ノ下さんも一色さんも、そんなこと言わないであげようよ。八幡も頑張ったみたいだしさ、ね?ね?」

 

「ふむぅん、まさか本当に八幡が上手くいってしまうとはな。我は八幡の傷心を慰めようと色々準備していたというのに。これでは一人オールナイトラブライブになってしまうではないか」

 

「嫌ならそんなのやんなきゃいいだろ?」

 

「何を言う、ちゃーんと八幡の分までサイリウムを用意していたのだぞ!ファンはいつでも心で応援を!はむぅん、えりぃーーーーちかぁーーーー!今日も尊ぉーーーーい!」

 

「おい、やめなさい」

 

「もう先輩、そんな材津先輩は放っておいて、何があったか教えてくださいよ。私たちは結衣先輩に泣きながら助けて助けてって相談されて、色々頑張ったんですからね」

 

「はわわわ……い、いろはちゃん、それ言わないでも……」

 

「そうなのか?」

 

 慌てる結衣に聞くと、めっちゃ気まずそうに小さくうん、と頷いた。

 

「そうか……悪かったなみんな。迷惑かけた」

 

 そう言って頭を下げたのだが、一色たちは、

 

「あ、べつにそんなの良いですから、何があったか教えてくださいよ。よっぽど大変だったんですよねー? そもそも拗れた原因はなんですか? 浮気ですか? それともお金の使い込み? まさか、他所に子供ができちゃったとか? 先輩はいったい何をしちゃったんですか?」

 

「は? んなわけねーだろ。そもそもなんで全部俺が原因みたいな言い方なんだよ。そんなことするわけねーだろ」

 

「え? だって、結衣さんは『もうだめだ、ヒッキーのこと考えられない。もう死にたい』とまで言っていたのよ。よっぽどのことがあったと思うのが当然ではないかしら?」

 

 そんな一色と雪ノ下に言われ、俺は正直に話す方がいいと感じた。だから隣の結衣へ、説明してやれと目で促した。

 結衣はこくりと頷いて二人を見る。

 

「うん、ゆきのん、いろはちゃん、心配かけて本当にごめんね。あたしね、ヒッキーのことずっと好きだったはずなのにね、最近全然ドキドキしなくなっちゃってたの。もうそれがすごく死にたいくらい悲しくて。でもね、さっきヒッキーがあたしに『大好きだ』って言ってくれて、なんかすごく幸せな気分になれてね。信じられないくらいドキドキしちゃったの。それで、あ、あたしまだヒッキーを好きでいられるんだ。これからも一緒に居ていいんだって思えて凄く嬉しかった。もう本当にみんなのおかげ。本当にどうもありがとう……ってあれ?」

 

 改めて説明されるとなんか物凄くむず痒かったが、これで俺たちの決着はついたわけだ。そうなんだが、どうも聞いていた雪ノ下達の様子がおかしい。

 さっきよりも鋭いジト目になっているし。

 

「えーと、結衣先輩? つまり、今回の原因は、先輩の浮気でも、暴力とかそんなんではなくて、ただ、結衣先輩が先輩を見てもドキドキしなくなったのが原因……ということでいいですか?」

 

「うん、そう!」

 

「もうひとつ補足して聞いておくわね? 比企谷くんと由比ヶ浜さんはずっと同じアパートに住んでいるようだけれど、何日おきくらいに会っていたのかしら?」

 

「えーとね、だいたい毎日会ってたかな? ヒッキーが一日バイトの時は、駅まで迎えに行って、そこから家まで少し居るくらいだったけど、えへー」

 

 と、屈託なく笑う結衣。

 

 そんな結衣の顔を、だだだーっと近づいてきた一色と雪ノ下ががっしとつかんだ。そして、

 

「「それは、ただの『倦怠期』よ(ですよー)ーーーー」」

 

「い、痛い、痛いよ二人とも。ぐりぐりはやめてぇー」

 

 おおぅ、あれは痛いやつだ。

 

「って、なんで倦怠期なんだよ。俺たちはつきあってなかったろうが」

 

「はあはあ……、バカなんですか先輩は。付き合う付き合わない以前に、それだけ毎日顔会わせてたら、恋人どころかすでに家族じゃないですかぁ、っていうか、その結衣先輩の感じだと、もう夫婦ですよ、夫婦‼」

 

「「夫婦!?」」

 

「ふう……まったくその通りね。まさかそんなデレデレ状態だったとは夢にも思わなかったわ。ドキドキしなくなった? 当然ね。人の恋愛感情のメカニズムは単純で、カーッと熱くなる一目ぼれ状態はその瞬間を頂点にして尻つぼみで最長3年しか持たないと学術的に証明されているわ。ちなみに由比ヶ浜さんは比企谷君に恋をして何年目なのかしら?」

 

「え、えーと、好きになったのは高校2年のときで……えへへ……いやだヒッキー、こっち見ないでよ……、あ、ご、ごめんゆきのん、いろはちゃん!おしぼり投げないで‼え、えとね、今大学2年だから、ちょうど3年……あ」

 

「ということよ。むしろ、3年目でまだドキドキがあったというなら、それこそ奇跡だわ」

 

 なんというか雪ノ下の恋愛脳解説ですべて腑に落ちてしまった件。

 

「つまりあれか?要約すると、結衣が俺に対してドキドキする感情が減って怖くなったから雪ノ下達に相談したと。で、戸塚だよな多分、このスキー場のクリスマスの誓いのモミの木の話に乗っかって、今回俺と結衣の関係の修復をするためにこのツアーを開催したと。そういうことか……なあ、なんか別にここまで来なくてもよかったんじぇねえか?」

 

「「「「お前が言うな‼」」」」

 

 おっしゃる通り、ごもっとも。

 

「ほら、でもこれで全部解決。丸くおさまったんだからさ、スキー旅行最後の夜を楽しもうよ。雪ノ下さんも、由比ヶ浜さんも、一色さんも、八幡も、材木座君も。ね、ちょっと遅くなっちゃったけど、レミちゃん達が食事作ってくれているし、いっぱいいろんな話をしようよ。レミちゃん、食事をお願いしまーす」

 

 と、可愛い戸塚がみんなの前で音頭をとる。うーん、本当にとつかわいいなぁ。うん。

 はーいと厨房から声がして、じゃあ食事だなと、めいめい動き出したところで俺は結衣に声を掛けた。

 

「それにしてもお前、一人であんな真っ暗なところにいて怖くなかったのか?」

 

「え?一人?ううん、違うよ。あたしの隣の方にもう一人待っている人いたでしょ?金髪の綺麗な外国人の女の人」

 

「え……?」

 

 その時、レストランの入り口のベルが鳴った。

 

 ちりんちりん……

 

「やあ、遅くなったね、みんな本当にごめんね」

 

 声がして開いた入口のドアの方を見やれば、もこもこのダウンのコートを羽織った頭の禿げあがったおっさんの姿が。

 

 だれ?

 

「あーー!もう遅いですよ、おじさん。私一人で本当に大変だったんですからね」

 

「いやあ、すまんすまん。どうしても新規事業の引継ぎがうまく運ばなくてね、抜けるに抜けられなかったんだ。いやあ本当にすまなかったね。おや、あれ?ひょっとしてサイカ君か!?いやあ、びっくりした。お母さんにそっくりな美人に……あれ?男の子だったよね、あれ?」

 

 入ってくるなり、エプロン姿で料理を並べ始める小諸さんと戸塚に気安く話しかけてくる謎のおっさん。

 というか、なんだこの会話?何かおかしいぞ?

 そう思ったのは俺だけではなかったようで、戸塚も雪ノ下も驚いた顔に変わっている。

 

「な、なあ、戸塚。今小諸さん変なこと言ったよな。『私一人で本当に大変だった』とかなんとか」

 

「うん、言っていたね。それにあの人のこと『おじさん』って。でね、八幡、なんとなく思い出してきたんだけど、僕のおじさん多分、あの人だ。昔の顔思い出してきたし」

 

「で、では昨日、私たちがここに来た時にいらした、恰幅の良い優しそうな紳士は……」

 

「あのぅ、比企谷さん、本当に良かったですね。私的には微妙な感じなんですけどね。それより、どうしたんですか、皆さん、変な顔して。もう食事の用意できましたよ?」

 

 そう言って青い顔になってる俺達に声をかけてくるのは小諸さん。

 俺達はお互いの顔を覗い合ったあとに、思い切って聞いてみることにした。

 

「な、なあ、小諸さん。昨日小諸さんがここに来た時、キッチンにもう一人いたよな?山男風の身体の大きな人?」

 

「え?そんな人いませんでしたけど?」

 

「「「「!?」」」」

 

 その瞬間俺達全員は、その場で腰を抜かしたのだった。

 

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 これはあの後、おじさん(本物)に聞いた話だ。

 

 このスキー場に伝わる、クリスマスの愛の伝説は、あのモミの木の下で愛を交わすと『その愛が永遠のものとなる』というのは今の解釈であり、本来は『あの木の下で二人が別れても永遠に思い合い続ける』という話が本来の内容であったらしい。

 そのもとになった説話を聞いた。

 

 昔、このスキー場が出来る大分前、この辺りの山村にはアメリカから海を渡ってきた宣教師の家族が住んでいた。

 山村で排他的な典型的な田舎の集落であり、そんな異邦人に対しての風当たりは相当に強かったらしい。

 そんななかだが、村人を束ねる村長はかなりの人格者であったらしく、外国人の宣教師のことも篤くもてなしたのだという。

 その宣教師には幼い一人娘がいた。

 その髪は輝くブロンドで、瞳は煌めく宝石のような青、まるで天女の様に美しかったのだと言われている。

 そして、村長のところにも年若い青年が。

 村長に似た気立てのいい一人息子がいて、なにかと宣教師一家の世話をあれやこれやしていたようだ。

 家を行き来するうちに、その年の離れた娘と青年はやがてお互いを好き合うようになっていった。

 何年か経ち、娘が大きくなったころ、二人は大きな時代の流れに翻弄されることになった。

 戦争が激化したのだ。

 当時の日本は米英との開戦のため、国内での米国人に対しての風当たりがますます強くなってきていた。

 それはもともと内向的であったこの集落でも顕著に表れることとなり、以前から住んでいたとはいえその姿は外国人のそれ。宣教師の家族は次第と迫害されるようになっていた。

 そのころ、元村長の息子は、なんとか宣教師家族が無事にすごせるようにと、地元の人を説得してまわったり、協力を仰いだり努力を続けていた。だが、もはや個人の力でどうすることもできず、そして、いつしか、彼は疲れ切ってしまい、好き合っていたはずのその娘とも会うのを拒むようになっていった。

 彼女もそんな彼の気持ちをおもんばかり、逢いたい気持ちを必死に堪え、耐えていた。

 そんな中で事件が起きた。

 外国人というだけのことで、彼女は暴漢に襲われてしまったのだ。

 幸いにも通りかかった警察官のおかげで大事には至らなかったが、それを知った青年は激しく自分を嫌悪した。

 彼女を守れなかったどころか、彼女を避けていたという自分に悲嘆したのだ。

 だから彼は、それを決意した。

 彼女達宣教師一家を国外へと脱出させる。

 このまま日本にいても彼らが無事でいられる保証はどこにもなかったし、旧家の長男である自分がいつまでも非国民的な行動をとることはできない。

 多方面へと手をまわし、安全に彼らを脱出させる手はずは整った。

 そして、その脱出決行の前夜、クリスチャンにとって最も大切な家族と過ごすクリスマスの日に彼はあのモミの木の下に彼女を呼び出したのだった。

 青年はひげをたくわえた逞しい姿に、少女は見目麗しい美女へとその姿は変わっていた。

 彼は彼女にわびた。自分が彼女を拒み続けたことを、彼女を守れなかったことを。

 彼女は彼にわびた。自分のせいで彼を苦しめてしまったことを。彼を幸せにしてあげられなかったことを。

 そして二人はそこで誓い合ったのだ。この愛が永遠のものであることを。たとえこの先一生会うことが叶わなくとも、二人の心は永遠にひとつだと。

 誓い合った二人はそして、永遠に別れることとなった。

 無事にアメリカ行きの船に乗ることができた宣教師一家は、その航海の中で、潜水艦の魚雷によって船もろとも海の藻屑となった。

 彼らを脱出させた青年は、村の重役であったにも関わらずついに招集され、南方の孤島にて戦死することになった。

 青年の死後、彼の手記が見つかり、そしてこの宣教師一家との交流が明るみに出た。そして、彼が永遠の愛を誓ったそのモミの木のことも。

 

 以来、この村ではそのモミの木を『誓いの木』と呼び続けてきたのだという。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「あの時、あたしをずっと励ましてくれたのが、その好きだった女のひとだったんだね、きっと」

 

「ああ、そうかもな。俺は俺で、永遠なんてものはないんだ、人は変わっていくものなんだ、ってその人に教えてもらえたんだ。感謝してもしきれないよ」

 

「だね。でも……すごく悲しいお話だね。二人は今一緒に居るのかなぁ?」

 

「ああ……きっと……一緒にいるさ」

 

「うん……そだね」

 

 俺と結衣はふたたびあのモミの木の見える赤い屋根のロッジに来ている。

 昨日と同じように窓際のテーブルに座って、またパフェを食べた。

 が、昨日とはちがい、もう何も遠慮はしていない。ふたりで食べさせあったり、写メを撮り合ったりしている。もはやただのバカップルだ。

 今日は最終日、昼にはここを出発する予定だが、もう一度だけあのモミの木を見ておきたかった。俺と結衣が永遠の愛を誓い合ったあの場所を。そして、俺達をあそこまで導いてくれた、あの人たちの想い出の場所を。

 

「さてと、もうそろそろ行かないとな。戸塚たちも待っているだろうし」

 

「うん、ヒッキー……」

 

「なんだ?」

 

「また一緒に来ようね」

 

 にこりと微笑んだ結衣が俺の腕に抱き着いてそう言う。

 それにどう答えるかなんてもう決まっている。

 

「ああ、必ずな」

 

「うん‼」

 

 今度来るときは土産も持ってこなくちゃな。

 俺と結衣がどれだけ幸せになれたかって報告と……

 あんたの好きなワインとブランデーを必ず持ってくるよ。

 そう、モミの木を見上げながら、心の中でそっと呟いた。

 

 モミの木は、ただただ静かに、俺達を見下ろしていた。

 

 

 

 



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【ユキ・トキ】
(1)彼女のいない世界で……


八結というか八雪……です?
よくわからないお話になっています。


『あたしね、ゆきのんのことは待つことにしたの。ゆきのんは多分、話そう、近づこうってしてるから……だから、待つの。でも……』

 

『待っててもどうしようもない人は待たない』

 

 そりゃあ、そんなやつ待ってても仕方ない……

 

『ううん。違うの。待たないで……』

 

『こっちから行くの!』

 

 俺を見て、太陽の様に明るく微笑んだ彼女が本当に眩しくて、俺は何も言えなかった。

 直前まで雪ノ下のことを考えていた自責の念からなのか、それとも、俺の心の弱さがそうさせたのか、そんなことはわかりはしない……

 多分その両方だったのだろう。

 俺は口を開くことができなかった。

 あまりに真っ直ぐに、あまりに自然に俺を見つめる彼女のことを直視することもできず、そして、そんな彼女に惹かれている自分に気がついて……

 

 絶望する。

 

 あり得ない。

 そんなわけがない。

 高鳴る胸の鼓動が全てを物語っていたのに俺は……

 

 俺はその時……

 

 彼女になにも言わないまま別れてしまった。

 

 

 それが……

 

 

 どんな痛みや苦しみよりも、俺を蝕み続けることになるとも気が付かないままに……

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「よーし、じゃあこれから修学旅行の班を決めるぞ」

 

 先生のその言葉を受けて、一斉に教室がざわめき始める。みんな思い思いのグループを作り、そして楽しそうに会話を始める。

 そう、いつも通りのこと。そして、そんな流れで次に始まること、それは……

 

「なんだ? 比企谷は溢れてるのか? おーい、誰か比企谷も班にいれてやれ」

 

「ヒキガヤ? 誰、それ?」

 

「そんな人いた?」

 

「あれ?あんな人クラスにいたっけ?」

 

 おかしくはない。

 そう、何もおかしいことなんかない。

 友達もいない、コミュニケーション能力も欠如している目付きの悪い物静かな男子の扱いなど、所詮そんなものだ。

 中学までの俺にとってはなんの違和感もない日常。

 グループを作ることが出来ないまま、黙っていれば、こうやって立たされ、衆人環視に晒される。

 普通の神経の持ち主ならば、一瞬にして焼き切れて絶望してもおかしくない状況。

 だが俺にとってはなんてことはない。

 痛みには耐えられる。

 苦しみにだって耐えられる。

 ずっとそうしてきた。

 そう……俺はかつて、ずっとそうしてきていたのだ。

 

 ただ……この胸がチクリと痛むこの感覚は……

 

 きっと、変わってしまった俺の心がそうさせているだけ。

 そう……

 俺は本当のぼっちだったあの頃のことを忘れているだけだ。

 

「誰かいないのか? 仕方ないな……あー、戸塚? お前の班少ないみたいだから、比企谷も入れてやれ。よし、これで全員だな。なら、これから班行動の計画を相談して……」

 

 戸塚……

 

 不安げな眼差しを俺に向けるのは、まるで少女のように可憐で小柄な男子。

 俺は彼を驚かさないように近づいた。

 

「あ、あー、宜しく頼むわ……戸塚……さん」

 

「こ、こちらこそ、うん! 宜しくね、比企谷君!」

 

「あ、俺のことは、はちま……い、いや、なんでもない、忘れてくれ」

 

「え? あ、う、うん」

 

 気遣わしげに俺を見ながら、俺にも話しかけてくれる戸塚のその思いやりが身に染みる。戸塚はやっぱり戸塚だ。いつだって優しくしてくれるし、いつだってそうしてくれるだろう。

 だからこそ、俺はもう一度関係を築かなくてはならないのだ。

 

「ちょっとぉ、姫菜? あーし、ここに行きたいんだけどぉ、勝手に決めるなし。ねぇ、はやとぉ、一緒にこのお寺いこぉうよぉ」

 

「ははは、優美子がそうしたいなら、そうしようか。姫菜もみんなもそれでいいかな?」

 

「バッチグーでショー。はやと君が決めたんなら、もうそれで良いでショー」

 

「おいおい、戸部、テンション高すぎ、隼人くん引いてるし」

 

「っべーーーー!?」

 

「まあまあみんな、うちのグループには女子が二人いるんだから、女子優先で考えてあげようよ」

 

「さっすが、隼人くん! 冴えてるわぁ」

 

「じゃあさ、ここにも行こうよぉ。暗闇で芽生える、戸部っちと隼人くんの禁断の愛!! とべはやっ!! ぶっはーーーーーー!!」

 

「ちょ、ちょっと姫菜? 擬態しろし!」

 

「ははは……」

 

 なんとはなしに、俺はその会話の方へと顔を向けていた。

 普段あれほどまでに嫌悪していた、トップカーストに居座るあのグループを見ながら、でも、仲良さそうに談笑している彼らの反応に俺は胸を締め付けられる。

 

「どうしたの比企谷君? やっぱり葉山くんたちのグループが良かったの?」

 

 振り返れば、そこには不安そうな戸塚の顔。俺は小さく首を横に振って答えた。

 

「なんでもないよ。わりぃ」

 

 そして、俺はよく知らない他のメンバーに混ざって、修学旅行のプランを話合った。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 放課後、教室を出てすぐの廊下の柱の陰に立って、ぼーっと天井を見上げる。ここに立っていれば、あの日常が戻ってくるような気がしたから。

 そう、でもそれは気がしただけ。

 

 何も変わらず、何も起きず、時間だけが進んでいく。

 

 俺は、暫くしてから、一人で特別棟の3階を目指して歩んだ。

 

 放課後の特別棟は人が少ない。

 誰に会うでもなく、なにもないままに3階の奉仕部の部室にたどり着く。

 見上げれば、何も表示されていないままの白い表札。

 俺は引き戸の取手に手をかけて、深く深呼吸をした。

 このまま開けていいものかどうか……

 昨日の今日で、俺はいったいどんな顔をすればいいのか……

 俺は沈うつな気持ちのまま、そっと引き戸を開いた。

 

「あら?よく顔を出せたわね。一応挨拶はしてあげるわ、こんにちは、ヒス谷君」

 

「ああ、昨日は悪かった……雪ノ下」

 

「友人でもない貴方に呼び捨てにされたくはないわね。”さん”をつけて頂けないかしら?」

 

「そ、そうか……悪かったよ、雪ノ下……さん」

 

「結構よ。それで、今日はいったいなんの用なのかしら?まさか、またあの訳のわからない戯言を繰り返しにきたのかしら?それなら、さっさと帰って……」

 

 澄ましたままの雪ノ下が俺に視線も寄越さずに、手元の本を見ながらそう話しを続ける。

 俺はそんな彼女に向かって、なるべく冷静さを保ちながら話した。

 

「そうじゃない。今日……ここに居させて欲しいんだ。お前の邪魔はしない。だから、頼む。それに、俺はまだ部員だったはずだろ?」

 

 俺のその言葉に、一瞬だけくぐもった視線を俺に向けた雪ノ下は、そしてすぐに視線を戻す。

 

「好きになさい。私に何かしないのなら何も言わないであげるわ」

 

「ああ、助かる」

 

 俺はゆっくりと、その何もない部室へ足を踏み入れた。

 

 部屋の中には、窓辺に椅子を置いて、そこに座って本を読む雪ノ下の姿があるだけ。

 

 長机も、俺達の椅子も、紅茶用の机もない、なにもない。

 俺が初めて雪ノ下に出会った時のまま。

 昨日、時間を止めたようなこの部室を見た時、俺は沸き上がる感情を抑えることが出来なかった。

 まったく……

 本当に俺はどうしようもないな……

 こんな八つ当たりをされれば、雪ノ下が気持ち悪がるのも当たり前だ。

 

 俺は後ろの椅子の山から一つそれを取ると、それを定位置に置いて腰をかけた。そして、鞄から読みかけのラノベを取り出すと、それを開いて、ひたすらに読むふりを続けた。

 

 何もない日常……

 色も、音も、何もかも、俺は全てを失った喪失感を味わっていた。

 ひょっとしたら、単に俺の頭がおかしいだけじゃないのか……

 俺の頭が作り出した妄想と、現実との区別をつけられないでいるだけじゃないのか……

 悩み、呻き、絶叫し、そして怒り狂った。

 理性を保てず、発狂してしまいそうになったその時……

 そんな俺を現実に引き戻してくれたのは、やっぱり『彼女』だった……

 

 

 コンコン

 

 

「どうぞ」

 

 ノックが聞こえて、顔を上げて見れば、開いたドアの先に居たのは葉山と戸部の二人。

 そして彼らはゆっくり入ってきた。

 

「やあ」

 

「なにかしら?」

 

「いやあ、ちょっと相談があって……」

 

 そう言っている葉山のとなりで戸部が首を横に振りながらこぼす。

 

「やっぱないわぁ……こんなよく知らない人たちに相談するなんてぇ……」

 

「おい、頼みにきたのは俺達だろう?そういう言い方は悪いだろ」

 

「でもでもぉ、こんな風でも俺にもプライドがあるでしょぉ!だから、話すのもなんか嫌な感じでしょぉ」

 

「あら? 話すこともろくに出来ない状態で相談に来るなんて失礼にもほどがあるのではないかしら? なんでも全て与えてもらえると思っているその性根、許しがたいわ。早々にお引き取りいただいて結構よ」

 

 侮蔑の念の籠った眼差しで戸部たちを見据えた雪ノ下が痛烈なひとことを浴びせる。

 

 それを聞いた葉山は困った感じで戸部に言う。

 

「ま、まあ、俺達が悪いな。戸部、出直そう。俺達だけで解決すべきだ」

 

「い、いやもう後には引けないでしょう、これ……あ、あの、実は俺さ……」

 

 

 雪ノ下の強烈な視線を受け物怖じしつつも言ったその戸部の依頼の内容は、彼らと同じグループの海老名さんへの告白のサポートだった。

 雪ノ下はそれを一刀両断。

 その程度のことで人を頼ること自体が許せないと、物凄い剣幕で二人を追い返した。

 もともと、俺も雪ノ下も色恋に関して詳しいわけもなく、当然その手の依頼をこなせるとも思えない。

 

 思えないのだが……

 

 あいつなら、どうしたかな……

 

 不意に頭に浮かんだ明るい笑顔に、俺はポケットに入れていた携帯を取り出す。そして、その画面を開こうとしたその時……

 

 ドンっ……

 

 肩に何かがぶつかった感触のあと、その衝撃で手からこぼれた携帯が床に落ちた。

 かちゃあんと、甲高い音を立てたその携帯はそのままくるくると回って床を滑る。

 俺は慌ててそれに駆け寄って拾いあげると同時に湧き上がる激情をそのままに、顔を上げた。そこには、少し怯えた表情の雪ノ下が……

 

「ご、ごめんなさい……」

 

 その震えた声で、ハッと我に返る。

 まさに俺が今しようとしたそれ。それは、昨日、この場で雪ノ下に対してしてしまったそれとまさに同じであったから……

 雪ノ下を見れば、なんてことはない。俺の横を通ろうとしたその時に、ちょうど俺が動いて、そこにぶつかってしまったというだけのこと。悪気も何もないのは明白だった。

 俺は深く息を吐いてから、雪ノ下に言った。

 

「いや、いいんだ……俺の方こそ、怯えさせて悪かった……もうこれ以上今日はここにいれなさそうだ。もう帰るよ」

 

 手にした携帯は別に壊れてはいなかった。

 俺はそれをポケットに戻し、そして鞄を担いで、椅子を元の場所に戻した。

 

 そしてもう一度雪ノ下に視線を向けたとき、彼女が言った。

 

「なんと言えばいいのか……よく分からないのだけど、貴方……変わったわ」

 

 その言葉に、俺は胸が再び締め付けられる。

 そして、何も言わなければいいのに、またもや言葉がこみあげてきてしまった。

 

「変わったのは……お前の方だよ……雪ノ下……」

 

 それだけ言って、俺は部室を出た。

 涙は見せまい。

 それだけは絶対に。

 こみあげる嗚咽を必死にこらえ、俺は家路についた。

 

 変わってしまったこの場所、変わってしまった雪ノ下、そして、変わってしまったこの世界。

 

 だが……

 

 そんな世界でも俺が正気でいられるその理由。

 

 それは……

 

 俺はさっきの携帯をもう一度開く。そして、こんな『今』になっても残り続けるそれ……画面に写るその着信メールを見つめた。

 

 

 

 

----------------------------------------------

 

FROME ☆★ゆい★☆ 

 

TITLE (*^▽^)/★*☆♪

 

 

やっはろー♪ヒッキー♪

 

 

----------------------------------------------

 

 

 

 

「……どこに行っちまったんだよ……由比ヶ浜……」

 

 

 返信することも叶わないその携帯の画面は、何も答えてくれなかった。

 



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(2)比企谷八幡は静かに決意する

『でもあたしはもっと知りたい、な……。お互いよく知って、もっと仲良くなりたい。困ってたら力になりたい』

 

 花火大会のあの日、俺は浴衣姿の彼女と一緒に歩いた。彼女は履き慣れない下駄に不自由しながら、俺はそれを助けながら。

 あの日……

 あの時、初めて雪ノ下の姉の陽乃さんから、雪ノ下のその時の状況を聞いた俺たちは、そのことを話していたのだが、彼女は一も二もなく雪ノ下を心配したのだ。

 距離を取るべきだ、と俺は考えていた。触れられたくないこと、知られたくないことは誰でもあると俺は知っていたから……

 

 でも……

 

『ヒッキー。もし、ゆきのんが困ってたら、助けてあげてね』

 

 俺が彼女を助けたように、雪ノ下のことも助けてほしいと……

 俺はきっと助けると……

 その言葉はその時の俺にはただの重荷でしかなかった。

 ただの知り合い、少し一緒に活動したことがあるだけの同じ部活にいる存在。

 そんな友達未満でしかない俺に、なんで期待をかけられるのか……

 なんで、そこまで信じられてしまうのか……

 それが俺には、苦しかった。

 

 そんな傲慢な彼女の物言いも、彼女の熱い眼差しも、なにより……

 

 彼女の期待に応えられる自信が全くない俺自身の弱さが苦しかった。

 

 でも、こんな卑屈な俺に彼女は言う。

 その時になれば、俺はきっと助けると…… 

 こんなにもひねくれた俺を信じて……

 

『だってヒッキー言ってたじゃん。事故がなくても一人だったって。事故は関係ないんだって。……あたしも、こんな性格だからさ。いつか悩んで奉仕部つれてかれてた。で、ヒッキーに会うの』

 

『そしたら、ヒッキーがまたああやってくっだらないバカ斜め下すぎる解決法だしてさ。助けてもらうんだ、きっと。それでさ、』

 

『それで、きっと……』

 

 その時、ヴヴっと、携帯の振動音が響いた。

 

『あっ……』

 

 彼女は震える携帯を見ながらも、話を続けようとしていた。それなのに……

 

『あたしは……』

 

 携帯、いいのか……

 

 俺が……俺が遮ったんだ。彼女の言葉を……

 

 あの時……

 

 彼女が続けようとした言葉……

 今ならなんとなく分かる気がする……

 きっと……

 

 彼女は望んだんだ、次の関係を……

 

 ただの知り合いではない、もう少し近付いた関係を……

 

 きっと……

 

 でも……

 

 

 

 

 あの時……

 

 

 

 

 逃げ出したのはやっぱり俺だった。

 

 

――――――――――

 

――――――

 

――

 

 

「いきなり現れて何を言い出すのかと思えば、そんな居もしない女性のことをなぜ私に聞くのかしら? 妄想と現実の区別もつけられないのならば、すぐに病院へ行くことをお勧めするわ」

 

 その時、俺の中の何かが弾けた。

 

 目の前の雪ノ下はいつも通りの澄ました顔。

 そう、ただそれだけだった。

 なんの感慨も、なんの動揺も見せないままに、誰よりも雪ノ下のことを心配していた彼女のことをそう言われ、その時俺は、絶叫していた。

 

 いつも笑顔で俺たちに接してくれた。

 誰よりも俺たちのことを考えてくれていた。

 俺たちの心に踏み込んでくれていたのだ……

 

 それなのに……

 

 どんな言葉を吐き出したのかは記憶にない。

 ただ、ただ……

 ひたすらに込み上げる感情をそのままに叫び続ける俺の目の前で、雪ノ下は恐怖に顔を歪ませていくだけだった。

 そして、次第にその表情が、自分の涙で見えなくなってきた頃、たまたま部室へやってきた平塚先生に俺は取り押さえられた。

 

 

   ×    ×    ×

 

 

 それからのことは、あまり覚えていない。

 『彼女』がいないという現実が信じられず、呆然自失となった俺は平塚先生の言葉もろくに理解できないままでいた。

 しばらくして深くため息をついた先生が、もう帰って休め……と言ったことはなんとなく分かったから、俺はそのまま鞄を担いで廊下へと出た。

 

 今朝から感じていた違和感。

 どことなくいつもと雰囲気が違うということを、俺は気がついてはいた。

 とは言っても、所詮ぼっちの俺に、そんな些細な違和感は分かっても、コミュニケーションをとれる存在がいないのだから確認のしようがない。

 ただ、いつもなら顔を合わせれば笑顔を向けてくれる戸塚には、目が合ったのにすぐに視線を逸らされ、逆に文化祭から特に酷くなったクラスの女子からの、俺を忌み嫌うような侮蔑の眼差しはまったく無くなっていた。というより、俺に興味がないという感じだった。

 そんな奇妙な感覚の中で、教室へ入って見れば、昨日とは違う席の配置。

 

 一瞬、俺がいないうちに、わざといじめで席替えをしたのかとも考えたが、そこまでして俺を嵌める価値はないだろうし、全員とくに普段と変わらずに騒いでいるし、俺の席もすぐに見つかった。

 

 だが、決定的に違うことがひとつだけあった。

 

 どこに視線を送っても『彼女』の姿がない。

 

 朝の出席確認でも、『彼女』は呼ばれることはなく、休み時間にいつもならワイワイガヤガヤとしているあの、葉山達のグループの中にもその姿はない。そして、誰一人としてそれに疑問を感じている風ではなかったことに俺は戦慄する。

 

 俺は一人奈落に落ちるような恐怖を味わっていた。

 

 昨日までは確かにあった『彼女』の後ろ姿。

 

 昨日、確かにあいつは俺に気恥ずかしそうに微笑んでいた。そして、『またね』と、いつもの様に笑顔で手を振っていた。それなのに……

 

 焦る気持ちだけが先に募り、ろくに授業を聞くこともできない。

 そして次第に膨れ上がる不安を抱えたままで、俺は雪ノ下へと詰め寄ったのだ。

 

 

 平塚先生から解放された俺は校内をさまよう。

 どこかに『彼女』の痕跡があるのではないか……

 

 『彼女』の最初の依頼をこなした調理室。

 戸塚の依頼で一緒に使用したテニスコート。

 一緒に昼飯を食べた、俺のベストプレイス。

 いつもあいつと歩いた部室までの廊下や階段。

 そして、そこにあるはずのあいつの下駄箱を見て、それが全く別人のものであることに俺は絶望した。

 携帯で電話してみれば、使用されてないと言われ、送ったメールはメーラーダエモンさんに送り返される。

 

 笑えない……

 本当に笑えない。

 

 誰も気がついていない。

 誰も覚えていない。

 

 彼女がここに居たという事実をどこにも確かめられないでいた俺は、いつの間にか、いつか浴衣の彼女を送り届けた、あのマンションの前に立っていた。

 

 俺はしばらくそのマンションを見上げたままでいた。

 『彼女』の部屋の番号など当然知らないし、急に訪ねていくだけの勇気もない。

 でも、なんとかしなければという焦燥感に駆り立てられ、そこに居続けた俺の前を、その女性が通りすぎたとき、俺は思わず声を出してしまった。

 

「ゆ、由比ヶ浜……?」

 

「は~い~?」

 

 くるりと振り向いた女性は、間延びするような柔らかい声音で返事をして俺を微笑みながら見る。

 見た目も、雰囲気も、似ていた……

 一瞬『彼女』かとも思ってしまった……

 でも……

 

「す、すいません、人違いでした」

 

 俺はすぐにその人に頭を下げた。

 いくら似ているとはいっても、別人。

 いきなり呼び掛けて、こんなに失礼なことはない。

 

 だが、その人は可笑しそうに『ふふふ』と笑いながら、俺に言う。

 

「あら? オバさんも由比ヶ浜というのよ~。ふふ、ナンパされちゃったかと思ったわ~」

 

「え?」

 

 俺はその言葉に絶句。

 そうか、間違いない。

 この人はきっと、『彼女』の身内なのだ。

 母親……ってことはないか、こんなに若いし、なら、姉妹は……いないと言っていたな……なら、従姉妹か……

 とにかく、これで、あいつが今どうなっているのか分かる。

 俺は、口の中がカラカラに乾いたままで、唾を飲み込んでその女性に問いかけた。

 

「あ、あの……このマンションに、俺、いや、ぼ、僕のクラスメートの『由比ヶ浜結衣』という子が住んでいるはずなんですが、ご、御存知ないですか?」

 

 背筋を流れる嫌な汗を感じながら、俺は恐る恐るそう問いかけた。

 彼女は微笑んだままで俺を見つめている。

 

 俺は、返事をじっと待った。

 

 そして……

 

 その女性は口を開いた。

 

 

 

 

「ごめんなさいね~、そういう子は知らないわ~。ここに由比ヶ浜は私たちだけだし~、うちには娘はいないし~……」

 

 

 

「あ、りがとう……ございました……」

 

 

 

 お礼もそこそこで、俺は振り返って歩き出す。

 

 足取りは重く、まっすぐ歩くこともできない。

 思考は停止したままで、もはや怒りや嘆きを表に出すこともない。

 ただ、ここまで探してきたことをひとつひとつ振り返りながら俺はある答えに辿り着いていた。

 

 

 そして、理解する。

 

 

 

 

 

 

 この世界から、『彼女』は完全に消えてしまった……

 

 

 と……。

 

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 

 『彼女』が消えてしまってから、俺はあまり奉仕部の部室へは行かなくなった。

 何かのきっかけでまた雪ノ下を責めてしまうのも怖かったし、なにより俺自身がこの訳のわからない事態を受け入れたくなかったから。

 部室へ行ってしまえば、そこに『彼女』がいないという現実があるだけ。

 俺は暫くの間、無為に時間を過ごしていた。

 

 世界は確かに変わった。

 

 『彼女』がいないだけではなく、『彼女』と歩んだ数々のことが消えてしまっていた。

 身近なことで言えば、戸塚のことがそうだ。

 彼女が戸塚の問題の解決に乗り出そうとしたことがきっかけで、俺と戸塚は交友関係を築くことが出来た。

 だが、『彼女』のいない今は、俺と戸塚との関係はただのクラスメート。何一つ接点なく、ここまで来てしまっている。

 大きな違いで言えば、もうひとつ。文化祭だ。

 俺たちが身を粉にした文化祭のサポートは、この今の世界では何もしていないことになっている。

 というよりも、依頼そのものが存在していなかった。

 文化祭の実行委員長に名乗りを挙げたのは、うちのクラスの相模ではなく、他所のクラスの、本……本なんとかっていう男子だった。

 彼は生徒会長の城廻先輩と協力して、今までにない素晴らしい文化祭を執り行ったと平塚先生は言っていた。当然、そんなことは、俺は知らない。

 俺も、雪ノ下も、あれだけ傷ついてボロボロになって、乗り越えたあの文化祭自体が無くなってしまうなんて、冗談にもほどがある。

 そしてなにより、そんな思いを共有できる存在が、ここに誰一人存在していないことに、俺はこれ以上ない寂しさを感じるのだ。

 きっとあいつがここにいてくれたなら、俺に優しい言葉の一つでもかけてくれたのかもな……

 

「はやとくーん、今日のプレイもサイコーっしょ!これで今度の試合も余裕って感じ?」

 

「いや、戸部。それはないよ。とにかくみんなで練習頑張ろう!」

 

 おうっ! と、威勢の良い掛け声がグラウンドから聞こえた。空き教室で本を読みながらなんとはなしに見下ろせば、戸部と葉山のいるサッカー部の練習風景。

 

 うちのクラスのトップカーストを陣取る葉山達は、いつもと変わらず青春を謳歌しているように見える。

 あのグループにいるはずの『彼女』が存在していないにも関わらず、なんら変わらなく見える彼らに、俺の胸はチクリと痛んだ。

 きっと、人が一人いないくらいどうってことはないのだ。

 変わらぬ日常は、変わらぬ明日を運んでくるだけ。

 『彼女』の存在が消えたことの意味も知らないままでも、彼らの日常は繰り返されるのだ。

 それが当然。

 それが自然。

 そのことを俺がとやかく言ってしまっていいことだとは思わない。

 

 でも……

 

 

 それだけで本当にいいのか?

 

 

 俺の中の何かがそう囁く。

 

 この世界から消えてしまった『彼女』に目を向けることができるのは、記憶を失わなかった俺だけだ。

 

 今、この世界のなかで、唯一『彼女』の確かな存在を実感できるのは俺をおいて他にない。

 

 『彼女』の考えてきたこと。

 『彼女』が大切にしてきたこと。

 『彼女』がしたかったこと……

 

 お前だけが、あの娘の存在を証明出来る。

 

 不意に脳裏に浮かんだ『彼女』の笑顔に、俺は胸を締め付けられた。

 

 

 このままで良いわけがない。

 ああ、そうだ! このままで良いわけなんてないのだ。

 消えてしまった『彼女』の存在を、俺の手で全て消し去っていいなんてことはどこにもない。

 

 沸き上がるこの強烈な使命感に、俺は似合わないなと思いながらも、『彼女』の為に出来ることがあると思い付いて歓喜した。

 これにどんな意味があるのかなんて、どうでもいい。

 俺は一人で嘆き苦しみことよりも、なにかをすることで先に進む道を選びたかった。

 

 彼女の証明。

 彼女の生きた証し。

 

 それを俺が代わりに実現する。

 

「俺と一緒に居てくれ……由比ヶ浜……」

 

 俺は窓から外を眺めながら、静かに決意した。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 修学旅行……

 

 俺たちの今回の目的地は京都。

 本来ならば、何の感慨も持たずに、観光地巡りをして一時の浮かれた満足感を得ることしかできないイベントなのだが、一歩踏み出すことを決めた俺にとっては重要な人生の分岐点となるのかもしれない。

 

「おい、戸部」

 

「あれ、比企谷(ひきがや)君?」

 

 新幹線のデッキで戸部を見かけて声を掛ける。他の奴同様に、やっぱり浮かれてはいるが、俺を見た戸部はしっかりと決意を固めた表情になっていた。

 

「あれ、役に立ちそうか?」

 

 俺の言葉に、戸部はニカっと笑ってサムズアップ。

 

「ホントに感謝感謝でしょう! あの『告白スケジュール』マジっべぇえーーー! ホント、っぱないわぁ!? 比企谷君には、感謝しかないわぁ」

 

「そうか……なら良かった」

 

「いやぁ、今回はぁ、隼人君もあんま協力してくんなくて、俺もマジでビビってたからこれは本当に百人力だわぁ」

 

「まあ、断っちまったとはいえ、もともとは依頼だしな。俺に出来ることはこんなことくらいだ。でもな、一つだけ言っておく。要はお前次第だ。どんな結果が待っていても、どんな未来に繋がっていても、どこに進むかはお前の行為で決まる。だから、流されるな」

 

「う、うん……でもなんか、それ聞いてちょっと不安になってきたぁ」

 

「不安を煽ってんだよ、俺は……後悔はしたくなかったら、これだけは覚えていてくれ」

 

 俺は息を深く吸い込んでから言った。

 

「……もう二度と機会は来ない……もう二度と、目の前の彼女には会うことが出来ない……だから、この言葉は今しか言えない。そう思って告白するんだ……そうすれば……」

 

 戸部はごくりと唾を飲み込む。俺はそれを見ながら続けた。

 

「きっと、想いだけは……届く」

 

 戸部は表情を引き締めて、大きく頷いた。

 

「おっしゃ、気合いはいったわぁ。ありがとう比企谷君! 俺、絶対やりとげてみせるわぁ!」

 

「おう、頑張れよ」

 

「それにしても比企谷君? そのアドバイスって、自分の経験? そんな過去あったん? そんなん見えないけど」

 

「大概失礼だなお前……まあそうだよ、そんな告白の経験はないな。女子と付き合ったことだってない。でも……」

 

 思い浮かぶのはあの笑顔。

 俺は窓の外に流れる景色に視線を移して話した。

 

「大事な奴を失ったことはあるから……」

 

 その言葉にどう思ったのか、戸部は急に動揺する。

 

「な、なんか、悪いこと聞いちゃってごめんなぁ」

 

「お前、なんか勘違いしてるだろ。別に気にしなくていいから、とにかくお前が頑張れ」

 

「うし! ホントサンキュー!」

 

 そう言って笑顔で席に戻る戸部を見ながら、俺もホッと安堵に胸をなでおろした。

 

 これで……良かったんだよな? 由比ヶ浜……。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 俺は戸塚の待つ自分たちの班へと戻った。

 そんなに仲も良くなく、もともと話すこともあまりしなかった俺がすぐに他人と打ち解けることは不可能だ。

 それでも、この連中は嫌な顔一つせずに俺と普通に接してくれた。

 俺は窓の外を見ながら、最低限の受け答えに終始してその時を過ごした。

 

 『彼女』の想いを俺が代わると決めたあの日、俺は戸部の為に告白までのシナリオを描いて、それを一冊のノートにまとめた。

 その名も『告白スケジュール』。

 目前に迫る修学旅行は、男女の関係を深めるには絶好の機会だ。

 吊り橋効果や、思い出共有など、男女ともに意識し合うにはイベントが多い。

 俺は、神にーさま宜しく、修学旅行の全行程をゲームに見立てて、告白までのチャートを作り上げた。

 ま、とは言っても、俺はこんな恋愛ゲームマスターなわけではなく、まあ、ちょっとラブでプラスな+さんを齧った程度だから、これで完璧などとは全く言えはしないのだが、それでも何もないよりはマシといった程度か。

 

 『彼女』にとって戸部も海老名さんも大事な存在のはずで、そんな彼らを大切に思うからこそ、きっと応援することを選ぶと俺は思った。

 だから、俺はこれを実行に移した。

 告白すると決意した戸部の為に、最善策のシナリオを作り、そして、決意が揺るがぬように念を押した。

 後は戸部次第だ。

 

 

 修学旅行の日程は何も問題も起きずに過ぎていく。

 問題が起こらないように先生達が目を光らせているからだろうが、戸部の様子は、別部屋、別行動の俺には全く分からないでいた。

 そして、ついに訪れた告白決行のその日、戸部が葉山を連れて俺の前に現れた。

 

「比企谷君! 俺、これから海老名さんに告白する。ここまで、ホント助かったわぁ。お陰でちょっとは、良い感じになったと思う……だから、最後ビシッと締めたいから、俺の応援に来て欲しいんだけど……」

 

「いまさら俺に出来ることなんかなにもねえよ。それに頑張ったのも、頑張るのもお前だ。別に俺は関係ねえ」

 

「それでも! そんでも比企谷君には見届けて欲しいっしょ。ここまでしてくれた友達には!」

 

「とも……だ、ち?」

 

 手をパチンと併せて俺を拝むようにする戸部にそう言われて、俺は後ずさる。

 今までこんなにすんなりと友人認定されたことのない俺には衝撃の一言だった。

 それもこのチャラい見た目の戸部にだ。そもそも全く接点なんかなかったし、少なくとも俺の記憶の中では俺はこいつらの笑い話の種くらいの存在だったはずだ。

 それなのに、こうもスルッと俺のうちに入られて俺は固まってしまったのだ。

 

 でも、

 

 悪い気はしない。

 素直に感謝されることも、友人として扱われることも……

 

 ひょっとしたら、これなのかも知れない。

 これが『彼女』がいつも見ていた世界なのかも……

 

 俺はそれを感じて、胸がじんわりと熱くなった。

 

「ま、まあ見に行ってやるよ……その……お前が振られる様を……」

 

「っべーーーー! そりゃないっしょー。ここは応援するとこっしょー」

 

 そう言いながら、笑顔の戸部に肩を叩かれて、俺はこいつらと一緒に外に出た。

 

 

 告白の場所。

 

 そこは俺が予めリサーチした竹林だった。

 

 修学旅行の行程の中で、唯一夜間に長い自由時間があって、さらにその宿泊場所の近くで雰囲気のある場所……

 戸部はそこに海老名さんを呼び出していた。

 

 戸部はその淡いライトで浮き上がった幻想的な竹林の中に一人で立ち、じっと彼女が現れるのを待った。

 

 俺は葉山達のグループに混ざって一緒に隠れて様子を伺う。

 不意に、これまで一言も話さなかった葉山が声を出した。

 

「なぜ君は、こんなことをしたんだ?」

 

「は?」

 

 戸部を見据えたままの葉山が俺にそう問いかける。

 

「なぜもなにも、最初に奉仕部に依頼してきたのはお前らの方だろうが」

 

「でもそれは、部長の雪ノ下さんが断った。それなのに君は独断で戸部の告白を手伝っている。なぜだ?」

 

 普段の冷静に見える葉山と違い、今の葉山は少し怒気を孕んだ声だった。

 

「お前が何を聞きたいのか知らねえが、戸部のやつは本気だった。それなら、応援してやって問題ねえはずだろ?」

 

 俺の言葉に葉山が答える。

 

「君は何もわかってない。不可能だと分かっていることに敢えて挑戦して、傷ついて痛みをうけることに、何の意味がある? そんなことをして今の関係まで壊れてしまったら、もう取り返しがつかない。君がしたのは、そういうことだ」

 

「はあ? お前、何を言って……」

 

 突然の葉山のその言葉に、言い返そうとしたその時、竹林の小径の向こう側から、海老名さんが現れた。

 彼女はゆっくりと歩み寄ると、戸部の正面で立ち止まる。

 戸部が大きく深呼吸するのが見えた。

 暫く会話もないままに見つめあった二人……沈黙を破ったのは、戸部だった。

 

「あの……」

 

「うん……」

 

「俺さ、その」

 

「……………」

 

 拳を握りしめて言葉を続けようとする戸部だが、そのあとが続かない。

 海老名さんはお行儀よく腰の前で手を組んで静かに聞いている。表情は透明で無機質な笑顔。

 また暫くの時間がすぎ、そして震えながら正面を見つめた戸部が再び口を開く。

 

「あのさ……」

 

 その時……

 

 俺の横の葉山が、突然立ち上がり、彼らに向かって歩み寄ろうとした。

 一瞬の動き……

 だが……

 俺は葉山が足を出そうとするよりも早く、咄嗟にその腰に飛び付き、葉山を押し倒した。

 

「な、なにしてんだ?」

 

「隼人くん大丈夫か!?」

 

 いきなり俺が葉山を押し倒したことに驚いて、俺たちと同じように隠れていた大和と大岡が近づいて、俺を引き剥がそうとした。

 俺は葉山に組みついたままで、小声で声をかけた。

 

「お前、今何をしようとした!? なぜ戸部の告白の邪魔をしようとする! 言えよ、葉山!」

 

 最初は簡単に振りほどけると思っていたのだろう、葉山は俺の腕を剥がしにかかっていたが、渾身の力で抱きつく俺を離せないと分かって、今は力を抜いている。

 そんな状態で葉山は言う。

 

「このまま、黙って戸部が傷つくのを見ていられない」

 

「っざっけんな、葉山!」

 

 その時……

 

「ずっと前から好きでした。俺と付き合ってください」

 

 俺たちのずっと前方……海老名さんに向き合った戸部が、そう言って頭を下げるのが見えた。

 それを見て葉山は力無く項垂れる。

 俺はただ、じっとその様子を見守った。

 

 戸部が言ったその言葉。

 それは、俺が渡したノートに俺が書いた定型の告白の言葉だった。

 告白された海老名さんは黙ったまま、戸部を見つめていた。

 そして、暫くして口を開く。

 

「ごめんなさい。今は誰とも付き合う気がないの。誰に告白されても絶対に付き合う気はないよ。話終わりなら私、もう行くね」

 

 その言葉に葉山がため息をついた。

 

「こうなることは分かっていたんだ。彼女は距離を取っていたし、今心を開くとは思えなかった……」

 

 言いながら立ち上がる葉山は、寂しそうな表情のままで俺を見下ろす。

 そして、俺に手を差し出してきた。

 

 俺は……

 

 その手を振り払った。

 

「何様だ、お前。なんでお前がそんなことを決めるんだ。お前は戸部か? それとも海老名さんか? 違うだろ! お前があいつらの気持ちを語ってんじゃねえよ!」

 

「いや、俺はただ……」

 

 口ごもる葉山に俺は立ち上がりながら言った。

 

「それに、まだ終わっちゃいねえだろ」

 

「え?」

 

 疑問符まじりに顔を上げた葉山は目を見開いた。

 俺も、そっと首を二人に向けたとき、ようやく、あいつの想いが聞こえてきた。

 

「まだ話終わってねーよ、海老名さんっ!」

 

 そう叫んだ戸部の声に、去ろうとした海老名さんが再び振り返る。

 戸部は一歩足を踏み出して、言葉を続けた。

 

「俺、今までずっと海老名さんのこと見てた。海老名さんが、いつも空気読んで俺達に気を使ってるのも知ってる。それに、わざとふざけて際どいこと言ってるのも。俺、こんなチャラいキャラだけどさ、いっつもふざけてばっかだけど、海老名さんと居て超楽しかったんだ」

 

「とべっち……」

 

「でもさ、海老名さんが無理してるの、分かっちゃったんだ。みんなを盛り上げて、みんなを楽しませて、なんか必死に自分の場所守ってるみたいで……それさ、本当に楽しかったけど、やっぱ見てて辛くてさ。だから、俺も頑張った。いーっぱい頑張って、みんなを盛り上げて、海老名さんを笑わせて、みんなを笑わせて、それで少し楽になれたんだ。やっぱさ、いーじゃん? 楽しーの。俺、やっぱ、海老名さんの笑った顔が好きなんよ」

 

「………」

 

「俺、ホント頭悪いし、フザケてばっかだし、だから、こういう時なんて言って告白すればいーかわかんなくて、さっきは比企谷君に、教えてもらった告白の言葉言っちゃったけど、正直、あんなんで俺の気持ち伝わるとか思えないし、それに人の言葉じゃ海老名さんに失礼だと思ったし、だから、もう一度言い直します」

 

 あのバカ、俺の名前出しやがって……

 戸部はまた深呼吸をしてからまっすぐに海老名さんを見て言った。

 

「ずっと前から好きでした。俺と付き合ってください」

 

 って、おま……

 

 ふざけてんのか大真面目なのか……、戸部はもう一度頭を下げた。

 それを呆然と見つめていた海老名さんは、そっと口許に右手を持ち上げる。

 そして……

 

「ぷっ……ぷくくっ……い、いやだ、と、とべっち、それ、さっきと一緒だし……」

 

「あ、あれ? っかしーな、ちゃんと俺が考えた言葉のはずなのに……」

 

 どうやら至ってまじめだったらしい。こいつアホだ。

 暫く笑っていた海老名さんが、表情を引き締めなおして正面の頭を掻いている戸部に向き直る。

 そして、言った。

 

「私、酷い女だよ。みんなに言ってないことばっかりだし、嘘もつくし」

 

「そんなの誰だって一緒でしょー。そんなんで俺は嫌いになんてならないし」

 

「それに、私面倒くさいよ?わがままだし、自分勝手だし」

 

「それに合わせられるの、俺しかいないと思ってるし」

 

「あと、男子同士がいちゃつくの大好きだけど、男の人と付き合うのは苦手だし」

 

「そ、それ言われても、期待に応えられないこともありそうだわぁ~、でも、俺は海老名さんのことならもっと頑張りたいって思ってるし」

 

「私、腐ってるから」

 

「なら、俺が消毒するし」

 

「ぷっ……ぷぷっ……」

 

「な……ん?」

 

 再び笑ってしまった海老名さんを前にして、戸部がうろたえてしまう。

 そんな奴を見ながら、海老名さんが言った。

 

「とべっち、必死すぎ~。これじゃ、もう私、何も言えないよ」

 

「あたりまえっしょー。俺、もうこれが海老名さんとの永遠の別れになると思って告白してるし。だから当然真剣だし、絶対付き合いたいし。っていうかぁ、付き合ってくれるまで、逃がさないし。全部が好きです。俺と付き合ってください。オナシャスッ!」

 

 その言葉に、彼女は目を丸くする。

 そして、再び微笑を浮かべた。今度は、本当に嬉しそうに……

 

「わかった……」

 

「え?」

 

 ふたりの間の空気が変わった。

 穏やかで、緩やかで、暖かで……

 そんな空気が漂った。

 

「うん、私、こんな風に告白されたの初めてだよ……こんなに嬉しかったのも……ありがとうとべっち……きっと私、とべっちに嫌な思いたくさんさせちゃうと思うし、絶対嫌われる自信あるの。でも、逃がしてくれないんだよね?」

 

「え? それって……」

 

 笑顔の彼女は言った。

 

「だから、これは期間限定。とべっちが私を嫌いになるまでのね」

 

「え? え?」

 

 まだ分からないのか、戸部の奴……

 反応の鈍い、戸部を見ながら、海老名さんはもう一度答えた。やさしく微笑みながら……

 

「”こちらこそ宜しくお願いします”。これでいい?」

 

 その言葉に戸部の肩が震える。そして……

 

「え? え? えぇーーー! ぃーーーーーーやったーーーーーーーーーーー!! ヒャッハーーーーーーーー!」

 

 歓喜に震えた戸部が、飛び跳ねつつ夜の竹林に吠えた。

 俺の目の前には喜び狂う戸部と、照れて頬を染める海老名さんの二人の姿がはっきりと映っていた。

 

 良かったな……戸部……

 

 想いの全てを言葉に乗せた戸部の気持ちが、確かに彼女に届いた。

 俺には、ただただ、それが嬉しくて、結ばれた二人を見続けた。

 

 そしてある人物の笑顔が脳裏に浮かぶ。

 

 きっと、これを見たら喜ぶだろうな……

 

 俺は今ここにいない彼らの大切な友人の『彼女』に想いを馳せた。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「色々すまなかった……」

 

 ホテルに帰った俺に、葉山が頭を下げた。

 こいつがなんで謝るのか、その理由も当然わかる。

 でも、俺はそれを許してやりたいとは思えなかった。

 

 葉山が危惧したのは、行動することで変わってしまうその後のことを怖れてのことだ。

 戸部があのまま振られていれば、同じグループに居辛くなるし、それは海老名さんも同様に言える。そうなれば、人間関係も崩れてしまうし、今までと同じようにとはいかなくなる可能性もある。

 だが今回、二人は結ばれて、それはそれでグループ内にカップルが誕生することになったのだが、それで交友関係が崩れることはなかった。むしろ、今まで以上に打ち解けることが出来たように思う。

 

 あの後すぐに、俺を引きずり出した戸部が、海老名さんに向かって俺のことを恋のキューピッドなどと抜かして紹介しやがった。おかげで、いきなり彼女は『まさかの彼氏NTR!?』『禁断のとべはち!!』とか叫んで鼻血吹いて倒れやがるし。こいつ全然ぶれねえな、マジで。

 

 大和や大岡もすぐに戸部を囲んでお祝いムード一色になったし、あの時は葉山も笑顔で戸部たちを祝福していたが……。

 

 

 俺は葉山に言った。

 

「なんで戸部を信じてやらなかった? 戸部の想いは本物だった。なら、うまく行こうがどうだろうが、想いを遂げさせてやるのが筋じゃないのか?」

 

 葉山は首を横に振る。

 

「今回はたまたま上手くいっただけだ。もし、ダメならもっと酷い人間関係になっていたと俺は思っている」

 

「それは、お前の考えの押しつけだろう? 俺は付き合い長くねえが、戸部はいい奴だと思うぞ。それに、そんな程度で壊れる関係ならいっそない方がいいだろ。本音を言い合って、初めて本物の関係になるんじゃねえのか?」

 

「なら、君にはそれが出来ているのか? 失うのを怖いと思うことはないのか?」

 

 その葉山の言葉が胸に突き刺さる。

 そんなの当然怖いに決まっているし、失いたくなんてない。

 だけど、それよりなにより、俺は取り戻したかった。

 

「お前に言っても分かんねえかもだが、俺はもう大切なモンを失ってんだよ。だから、逆に俺はそれを取り戻したい。もう後悔なんてしたくねえんだ。なあ、葉山……お前が何に怯えてんのか知らねえけど、これだけは言っておく」

 

「………………」

 

 

 

「人の気持ち……もっと、考えてやれよ」

 

 

 

 全く動けず、全く答えることのできなくなった葉山を置いて、俺は戸塚たちの待つ部屋へと戻った。

 

 

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 

 京都駅の屋上からは京都の街並みが一望できる。

 そこから古の神社仏閣と最新の近代建築の入り混じった景色を眺めながら、俺は人を待っていた。

 新幹線までの時間……他の連中はきっと土産を買ったり、修学旅行最後の時間を友人と思い出造りに費やしていることだろう……

 

「待たせたわね……」

 

 そう言われて背後を振り返れば、そこには、きっちりと制服に身を包んだ我が部の部長の姿。

 雪ノ下雪乃がそこに立っていた。

 

「いや、今来たところだよ」

 

「そう……あなたでも気を使うことができるのね。感心してしまったわ」

 

「おい、そこは『ありがとう』って微笑むとこじゃねえの?」

 

「あら、さっきからあなたをずっと笑っているのだけれど、心の中で」

 

「やめて! それ冷笑だから、傷ついちゃうから」

 

 まったく、いきなり何を言い出すのかと思えば、いつも通りの良く切れまくるリップサービスじゃん。ジャック・ザ・リッパーかよ、どこの殺人鬼?

 

「んで? 俺に話ってなんだ?」

 

「聞いたわ、戸部君の依頼のこと。あなた私に内緒で勝手に手伝ったそうね」

 

「内緒……というより、言わなかっただけだ」

 

「奉仕部として断ったのは、あの依頼が独善的過ぎて、手伝うに値しないと私が判断したからよ。なのに、それをあなたは覆した」

 

「い、いや、俺はただ、真剣だった戸部を助けてやりたいと思っただけで……」

 

「貴方がそこまで他人に尽くすタイプだとは思わなかったわ。いつも自分の我を通してしまうことは知っていたけれど」

 

「そ、それに……きっと由比ヶ浜ならこうするって……」

 

「またその話?」

 

「……」

 

 雪ノ下は、眉を吊り上げて俺を睨む。

 そして、怒りを露にしたまま、俺に詰め寄った。

 

「貴方の妄想の中の素敵な彼女が、いったいどれだけのことをしているのか、解らないし考えたくもないけれど、私……」

 

 雪ノ下は拳をぎゅっと握ったまま続けた。

 

 

 

「あなたのそのやり方……嫌いだわ」

 

 

 

 侮蔑、軽蔑、それと、もっと違う何かをもか、雪ノ下は明らかな嫌悪感をその瞳に宿したまま俺を睨む。

 そんな目で見ないでくれと、懇願したいのに、今の彼女にかけられる言葉を俺は持っていなかった。

 確かに俺は彼女に黙っていたし、今の彼女はきっとどんな言葉も聞き入れることは出来ないと、断じていたのは誰であろう、この俺なのだから……。

 

「そんなに、私のやり方が気に入らないのなら、もう部室へ来なくて結構よ。それじゃ……」

 

 雪ノ下は、それきりで振り返らずに階段を降りた。

 俺は……

 胸にポカリと空いてしまった喪失感に、ただ空を見上げた。

 

「はぁ……」

 

 あの暖かな日だまりの部室は、ずっと遠かった。

 



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(3)消えゆく記憶

 夢を見ていた……

 

 俺の前には一人の女性が立っている。

 でも、俺には、それが誰なのか、全く分からない。

 彼女は何度も俺を振り向き、そして、その度に笑顔を向けてくれているのが何となくわかる……

 

 だが……

 

 その輪郭はぼんやりとしていて、笑顔でいること以外、どんな表情をしているのか、どんな格好をしているのか、俺には判別出来なかった。

 

 お前はだれだ?

 誰なんだ?

 

 そんな、薄れかかって見えるその『彼女』が振り向きながら俺に囁く。

 

『……ヒッキー。全部できちゃったね』

 

 なにが?

 

『こないだ会ったとき話してたこと。バーベキューじゃないけどカレー作ったし、プールじゃないけど水遊びしたし、キャンプじゃないけど合宿来れたし、肝試しも脅す側だったけどできたよ』

 

 それは出来てるっていうのか?

 

『だいたい合ってるからいいの! ……それに、今一緒に花火してる』

 

 彼女とふたりで向かい合って、俺は線香花火を見つめていた。

 そうだ、俺はあのとき、あいつと花火をしながら話していたのだ。

 それなのに……

 

 俺の記憶の『彼女』はだんだんと薄れてしまっているというのか……。

 ぼんやりとしか見ることしか出来ない彼女に、俺の胸は苦しくなる。

 

 忘れたくなんかない。

 俺はこの世界でただ一人お前を『知っている』人間だ。だから、俺の中に残っている『お前』の存在を絶対に消したくなんかない。消すわけにはいかないんだ! それなのに……

 

 もう、はっきりとその顔を思い出すことも難しくなって来ている。

 

 ゆ、ゆいがは……ま……

 

 俺は目の前で微笑む彼女に必死に手を伸ばそうとした。でも届かない。俺の腕はまるで泥の沼の中を掻くように重く、だるく、どんなに力を込めても、どんなにもがいても、決して彼女に届かなかった。

 彼女に近づきたい、彼女を引き寄せたい、それなのに……

 その苦しみに、心が軋む。

 

 そんな俺に、頬を赤らめた彼女が言った。

 

『こないだ話したこと、ちゃんと全部叶ったじゃん。だからさ……、』

 

 その時……ようやくその時になって、笑顔の彼女の顔がはっきり見えた。

 

『二人で遊びに行くのも叶えてね』

 

 彼女のその微笑みが俺の心を一気に締め上げる。止めどなく溢れ続ける涙に、せっかくはっきりと映った彼女の顔が滲んでしまう。

 こんな小さくて、どうでも良いような約束を……俺みたいなくだらない人間としたこの約束を、彼女は大事に思ってくれていたのだ。

 

 それなのに……

 

 今の俺には、そんな些細な約束すら、叶えてやることができない。

 悔しさで、砕いてしまうほどの渾身の力で奥歯を噛む。

 

 その時の、俺は……

 

 ……そのうち、適当にな

 

 彼女はその答えに嬉しそうに笑ったままだった。

 

 すまん由比ヶ浜……すまない……

 

 俺は……

 

 ただ、ひたすらに、消え入る彼女に謝り続けた。

 

 

――――――――

 

――――

 

――

 

 

「……ーちゃん! ……お兄ちゃんってば!!」

 

「ん……あ……」

 

 耳元で大きな声がして、パッと目を開いて見れば、そこにはマイスイートシスター小町の姿。世界一可愛い存在がそこにあった。

 

「よぉ、小町。おはよう」

 

 小町は眉尻を下げて心配そうに俺のことを覗きこんでいる。

 

「だいじょうぶ?お兄ちゃん……なんか、うなされてたよ?それに泣いてるし」

 

「え?」

 

 言われて頬に手を当ててみれば、まだ熱い滴がそこにあった。枕を見れば、一目で号泣していたとわかるほどに濡れている。

 いやだ恥ずかしい。

 

「なんか怖い夢でも見てた?」

 

 そう言われて、はて?と思い出そうとしてみるのだが、どんな夢だったか、さっぱり思い出すことができない。

 まあ、でも夢なんてそんなもんだろう。

 『サーティーン』にでも睨まれない限りは別に怖い夢でも現実は怖くない。あ、ゴルゴじゃなくてデスの方ね。ワンだとポッピングシャワーとかいう、舌を噛みそうなのを食べたいと小町が言っていたな。あ、これはサーティーか。

 

「いや、大丈夫だ。起こしてくれてサンキューな」

 

「もうご飯できてるよ。早く食べよ」

 

 そう言って小町は部屋を出る。

 俺は、ささっと着替えて鏡で自分の顔を見た。

 両目は腫らして充血させている。

 ずっと力を入れ続けていたのだろうか、眉間に深いシワが刻まれて、もとに戻らなくなっていた。

 

 酷い面だ。

 

 まあ、もともと酷い顔なのは自覚している。この腐った目で見つめれば大抵の奴は逃げていく。

 まあ、雪ノ下には当然いじられるし、由比ヶ浜にはキモいと言われ……

 

 あれ……?

 

 ゆ・い・が・は・ま……?

 

 唐突に頭に思い浮かんだ名前にひどく胸が締め付けられた。

 

 誰だ……っけ……?

 

 その名前が妙に頭に残り、その名前を考えるだけで胸が苦しくなる。

 俺は、ひたすらにその名前を頭の中で繰り返し唱える。

 

 ゆいがはま

 ゆいが浜

 ゆいヶ浜

  

 

 ……

 

 

「由比ヶ浜…………結衣!」

 

 その瞬間、脳に、一気に『彼女』の情報が溢れた。

 

「う、あ……うあああ……」

 

 溢れる『彼女』との思い出に、俺は苦しさに頭を押さえて呻く。

 なにより苦しかったのは、それを忘れていたという事実。

 

 なんで、忘れた!

 

 なぜ、思い出せなかった!

 

 なぜだ!!

 

 絶望と後悔に蹂躙されながら、彼女を忘れていたという自分に悲嘆した時、途端に両の目から後悔が、熱い滴となってこぼれ始めた。

 

「う……うおおおおお……」

 

 俺は何度も自分の頭を机に打ち付けながら吠えた。

 

「お、お兄ちゃん!?」

 

 小町の声が聞こえた気がしたが、俺はその自傷行為を止めなかった。

 

 止めたら……

 

 再び彼女を忘れてしまうと思えたから……

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「なんか、あった?」

 

 朝食をとりながら、小町にそう聞かれた俺は、逆に小町に質問で返した。

 

「なあ、小町……俺はどんなやつだ?」

 

「どしたのお兄ちゃん」

 

「んぐ……」

 

 素。まさかの素。

 

 めっちゃ素で聞き返されてしまった。いや、そりゃそうなっても仕方ないか。なにせ、起きていきなり頭で机に16連打かましてるような兄だ。いったいどこのレジェンド・高橋・ア・メイジングだか。

 

 だが、ここで引くわけにはいかない。

 

「いや、あのな、自分のこと相当におかしな奴だと俺も自覚はしている。だがな、それを客観的に見る必要があるくらいには俺も悩んでいるんだ、うん。ということで、さあ、教えてくれ」

 

 そんな俺に訝しげな視線を送る小町は、胡散臭そうに横目に俺を見ながら口を開いた。

 

「はあ、またおかしなこと言い始めてるよ、この人は。はあ、まあ、じゃあ、言ってあげるけど、へこまないでね」

 

「え?」

 

 ちょ、っとなにそれ? 俺、そんなにおかしいの? めっちゃ不安になってきたのだが……

 小町は、居住まいを正して、こほんと咳払いをしてから始めた。

 

「まず、お兄ちゃんは、友達が一人もいない。携帯はもってるけど、目覚まし時計だし、アドレスは小町くらいしかはいってないし、休日に遊びに絶対行かない。あんだすたん?」

 

「お、おう……」

 

「で、中学の時フラれて以来、女の人と話したこともないし、学校には何が楽しくて通っているのかわかんない上に、ラノベ大好きで暇があれば読んでるし、たまにふひって笑うの気持ち悪くて、部活とかなんにもやってないし……」

 

「お、おい……今、なんて言った?」

 

「え?たまにふひって笑うの変質者みたいで本当にキモいって」

 

「なんか、さっきより酷くなってるけど、それじゃねえよ。俺が部活やってること知らないのか?」

 

 俺のその言葉に小町が目を丸くする。

 

「そんなこと言われても知らないものは知らないよ? それに、そんな話一度も小町に話してくれたことないじゃん、お兄ちゃん。なに? なんか部活やってんの?」

 

「じゃ、じゃあ、雪ノ下雪乃ってやつのことは知ってるか?」

 

 聞いた途端に小町が絶句。

 

「そ、そ、それひょっとして女の人!? ま、ま、まさかお兄ちゃんの口から女の人の名前が飛び出すなんて!!」

 

 って、驚きすぎだろ。

 

 でも、そうか……。

 やっぱりそうなのか……

 

 俺は胸が締め付けられるように苦しくなる感覚を再び味わいながらも、それを表情に出さないままで小町に言った。

 

「わりぃな小町。変なこと聞いて。それと、こんな兄と一緒に居てくれてありがとうな」

 

「なんのことか本当に分からないけど、小町は妹だからね。どんなにお兄ちゃんが変でも見捨てないであげるよ」

 

「ああ、ホントサンキュー。じゃあ、さっさと食べて行くか」

 

「らじゃ」

 

 そう言ってウインクした小町を作った笑顔で眺めつつ、俺は……

 

 激しい不安と戦っていた。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 この世界は改変されてしまっている。

 その事はこの前、戸塚や文化祭の依頼のことを調べた際に分かっていたことではあったが、そもそも、俺自身の過去も改変されてしまっている。

 

 由比ヶ浜がいないことで、多分俺はあの事故にも遭っていない可能性がある。

 あの入学式の朝、犬の散歩をしていた由比ヶ浜の手から、逃げ出したあの愛犬が道路に飛び出したところに、雪ノ下が乗った黒塗りの高級車が通りかかり、その轢かれる寸前のところを俺が身を呈して助けた。

 お陰で、俺は入学式初日から、入院するはめになり、華麗な高校デヴューを果たすことはできなかった訳だが、どうやら、事故に遭わなくてもたいして変わらなかった様だ。

 まあ、それは置いておくとして、あの事故がないせいで、俺と雪ノ下の関係はより希薄になっているのは否定できない。あの事故のことを多少なりとも雪ノ下は気にしていたからだ。

 

 それとまだある。

 

 由比ヶ浜絡みの出来事は悉く消滅している模様だ。

 

 あいつの誕生日のプレゼントを雪ノ下と二人で買いに出掛けることも当然ないし、その手のイベントも当然無かったのだろう。

 あの時、本来なら小町は雪ノ下に会っているのだから。

 それと、その時に出会うはずだった陽乃さんにも当然会ってはいないのだろう。

 それに、チェーンメールの件や、千葉村のことだって、どうなっているか怪しいものだ。

 

 いずれにしても、『彼女』がいないことで、少なくとも俺や雪ノ下の周囲は相当に変化を強いられているように思う。

 

 でも、それだけなら俺は耐えられたかもしれない。

 

 俺が一番恐怖しているのは、この世界の有り様に合わせて、俺自身の記憶も改変され始めているのではないかという危機感だ。

 

 俺は今日、あの時、完全に由比ヶ浜のことを忘れてしまっていた。

 

 世界が変わることに立ち会った経験なんて当然ない俺に、これがどのようなシステムで進んで行くのかなんて当然分からない。それに、なぜ俺だけが『彼女』との記憶を持ったままでいるのかも……

 

 俺が今唯一、心の拠り所にしているもの……この世界で俺が狂わないままで、過去の自分の記憶と、今の世界の状況を冷静に見ることができている理由……それは、この小さな携帯電話に収まった、『彼女』からのメールだ。

 これがあるから、俺は自分の記憶を信じていられると言ってもいいのかもしれない。

 別にたいした内容ではない。他愛もない、いつもの『彼女』との簡素なやりとりの短いメール。

 でも、それが今、俺の心をなんとか繋ぎ留めていた。

 

 それでも、俺は『彼女』のことを徐々に忘れ始めている。

 彼女に会わない日々が、彼女と過ごした日々を上書きし始めている。

 

 そしていつか……

 

 完全に俺の中から消滅してしまう日が来るのではないか……

 

 俺にはそれがなにより恐ろしかった。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 その日の放課後、俺は部室へと向かった。

 

 先般の修学旅行の中で、俺は雪ノ下との間に、さらに深い溝を作ってしまった。

 彼女を軽んじていたわけではなかったが、俺の独断での行動は確かに部の方針を覆す重要な問題であったといえる。

 そして、その行為が雪ノ下を傷つけてしまっていることも容易に想像できた。

 

 だからこそ、俺は雪ノ下に会わねばならない。

 

 会って……

 

 きちんと謝らなければならない。

 

 今一番したいことはそれだ。

 

 かつての俺なら、そんなことは微塵も思わなかったかもしれない。俺はいつだって自分の信念に忠実に動いているし、道を誤ったとしても、それを自分の責任だと思わないようにしている。なんてやつだ。

 

 だが……

 

 俺の中で、誰かが囁くのだ。

 

 一番大事なものを見失うな……と……

 

 俺は『彼女』と共にあることを決めた。

 俺がそうすることで、彼女も共に生きることができるのだと。

 だからこそ、大切なものを見失う訳にはいかない。

 

 『彼女』がもっとも大切にしたものは、なんであろう、奉仕部であり、雪ノ下雪乃その人だった。

 それを分かった上で、どうして無視などできようか。いや、できない。

 

 俺は『彼女』ではない。だから当然同じことなど出来はしない。だからこそ、俺は努力しなければならない。

 あの一番大事な関係を取り戻したいからこそ……

 

 階段を上り、奉仕部の部室の前に立つ。

 そして、深呼吸をしてから、その戸を開いた。

 

「こんにちは比企谷君……来たのね……」

 

 雪ノ下はいつもと変わらず、窓辺に置いた椅子に腰をかけ、きちっとした姿勢のまま読書をしていた。

 その姿は、まるで女神の彫刻のように洗練されていて、見るものを一瞬で魅了してしまうほどだ。現に俺は身動きをとれなくなってしまった。

 それでも、なんとか返事をする。

 

「あ、ああ……来たよ……その……」

 

「待って」

 

 俺はすぐに謝ろうと、お辞儀のフォームへトランスフォーメーションを始めたところだったのだが、まさにその腰を折られた。

 雪ノ下は何を言い出すつもりなのかと気になり、そっと顔をあげると、本をパタンと閉じてそれを膝の上に置いてから俺に視線を向けた。

 その宝石のような美しい瞳に射ぬかれて、俺はたじろいでしまう。 

 彼女はそんな俺の様子は気にも留めないといった具合で話始める。

 

「比企谷君。あなたに退部を命じます」

 

「なに?」

 

 凛としたその声音に俺一瞬怯んだが、その内容にすぐに反駁した。

 

「ちょ、ちょっと待て。なんでそうなる」

 

 その俺の言葉に雪ノ下は即座に返答。

 

「理由はふたつ。ひとつはあなたが部の方針に従わなかったということ。もうひとつは……」

 

「ちょっと、待てって」

 

 俺は雪ノ下の言葉に被せて言った。

 

「そ、そんなのが理由になるのか?俺は、今日、それを謝りに来たんだ。本当にすまなかった、悪かったと思っている。今、俺は奉仕部を辞めるわけにはいかねえんだ。頼む、このままじゃ由比ヶ浜とのことも忘れちまいそうで……」

 

「それが二つ目よ」

 

「え?」

 

 雪ノ下は勝ち誇ったように上から目線で俺を見下ろしながら言った。

 

「貴方のその妄言で私は何度も身に危険を感じたわ。そもそも女子が一人しかいないこの部に、男性のあなたが入ること自体おかしいのよ。分かったら、さっさと出て……」

 

「そんなんで納得できるか。それにお前にだけは由比ヶ浜を否定してほしくない」

 

「まだ言うの? いい加減にして頂戴、もううんざりだわ。なぜ貴方はそれを私に押し付けるの!そんなにその娘を大事にしたいなら、一人で勝手に妄想して楽しんでいればいいでしょう」

 

「それじゃあ、ダメなんだよ」

 

「なぜ!?」

 

「約束したからだ! …………お前を助けるって」

 

「!?」

 

 雪ノ下は嫌悪感を表に出したまま、絶句して俺を見る。

 分かっているさ、俺の言葉が雪ノ下に届かないことくらい。

 今の俺はまさに現実と仮想の区別のつけられない頭のイカれた狂人そのものだ。

 ああ、分かっているさ。

 こんな、妄想にしか思えないことを話す時点で、俺の話を聞いて貰えないことくらい。

 

 でもな、俺にとって由比ヶ浜が大事なように、雪ノ下だって、由比ヶ浜を大切に思っていたんだ。

 今のあいつはそんなこと露ほども覚えていないことは承知の上だ。

 それでも、俺はあいつに届けたいのだ。

 由比ヶ浜の想いを……

 

 だから、どれだけ否定されても、どれだけ嫌悪されても……

 

 これだけは、退けない。

 

 俺がもう一度雪ノ下を説得しようとしたその時……

 

 

 ガラガラ

 

「邪魔をするぞ」

 

「平塚先生……ノックを……」

 

 扉が急に開いて、顔を向けてみればそこに居たのは白衣姿の平塚先生。

 雪ノ下の言に悪びれもせずに堂々と入ってくる様はいつもと一緒だ。

 

「少し頼みたいことがあるのだが……」

 

 言いながら俺達を眺めまわすが、平塚先生はふむと首を捻る。

 

「何かあったかね?」

 

 そう問われたが、俺も雪ノ下も言葉はない。

 それを不振に感じたのか、先生は俺に怪訝な表情を向けてきた。

 

「いや、なにもありませんよ」

 

 その俺の言葉に別に納得はしていないようだが、先生は今度は澄ました顔の雪ノ下に視線を向けた。

 

 もし……俺が雪ノ下の立場なら、この瞬間に先生に談判した上で、俺にクビを宣告する道を選ぶだろう。

 でも、雪ノ下はそれをしない。

 つい、今の今まで俺を排除する話をしていたのにも関わらずだ。

 

 なぜ?

 

 その疑問の答えにたどり着く前に、先生が声を出した。

 

「……では、仕事の話をしようか……入ってきていいぞ」

 

「しつれいしまーす」

 

 そう言って入口に向かって声を掛けると、女生徒が二人部室内に入ってきた。

 

 一人は生徒会長の城廻先輩。

 いつも通りのほんわかとした癒しの雰囲気を漂わせながら近づいてくる。マイナスイオン効果も抜群で、毒素が抜けていく感じだ。と、そんなことを言おうものなら、いつもの雪ノ下なら、あなたの存在自体も消滅の危機ねとか言われそうだけどな。

 今はそんな会話できる関係ではなかった。

 

 もう一人は、初めて見る顔。

 亜麻色のセミロングヘアーに、小動物めいたくりっとした大きな瞳、ちょっとだけ着崩した制服姿のその女子を俺はなんとはなしに見ていると、その子は少しはにかんだ微笑みを俺に向けてきた。

 くっ……初対面で微笑むとか反則だろう……何考えているか怪しすぎて、もう近寄りたくねえよ。

 

「依頼というのは、ここにいる1年の一色いろはについてだ。じつはな……」

 

 そして、先生と城廻先輩が事情を説明してくれた。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 話はこうだ。

 

 大分時期は遅れてしまっているようだが、次期生徒会役員を決めるための選挙が行われることになり、立候補者を募っていたのだが肝心の生徒会長に立候補する生徒が現れなかった。

 そんな折、ここにいる一色が立候補をしたというわけらしいのだが……

 蓋を開けてみれば、一色を嵌めるために、周囲が共同で画策した悪質ないたずら。

 推薦人30人を集め、一色の名前で無理矢理立候補届を出し、さらに、『一色さんならできます』とかなんとか教師までをも説得してしまい、あれよあれよと周囲が一色を担ぎ上げてしまったということらしい。

 ホントどこのアイドルなんだか。

 それでも、最終的には本人の意思が重要だとは思うのだが、一度立候補すると取り下げることができない制度があるらしく(これ本当に意味わからん)、困った一色が城廻先輩に相談して、さらに困った先輩が平塚先生に相談して、さらにさらに困っ……てねえな、面倒だっただけだな、先生は俺達に話を持ってきたというわけだ。

 

 全くもっていい迷惑だ。ま……でも、奉仕部はそんな部活か……

 

 それにしてもこの一色という女子。

 さっきから見て思うのだが、俺に対しても愛想を振りまくは、挙動はかわいこぶりっこしているは、これ、本当に女子に嫌われそう。

 完全に、自分可愛い、というより、可愛い自分を知っていて、それを使うことの出来る女子だ。

 雪ノ下とも、由比ヶ浜とも完全に違うタイプ。

 こんなのに寄られたら、大抵の男はイチコロだろうな。

 俺には効かんけど。

 

「と、いうわけで、この一色の問題を解決してもらいたい」

 

 その言葉を受けて雪ノ下が言う。

 

「それは、彼女を『生徒会長にならないようにする』ということでしょうか?」

 

「そういうことだ。今立候補しているのは一色ただ一人。このまま他に誰も候補者がいなければ、信任投票が行われることになるのだが……そうなれば十中八九当選することになるだろう」

 

 その先生の言葉を受けて城廻先輩と一色が頷く。

 

 つまり、この依頼を解決するためには、一色の信任投票を防ぎつつ、別の生徒会長を立てる必要があるわけか。

 

「そうしたら、別の候補者を擁立して、一色を穏便に落選させるしかないか……」

 

「先生!」

 

 思案をしながら呟いた俺のわきで、雪ノ下が声を発した。

 

「今のところ勝敗はどうなっていますか?」

 

「んな?」

 

 突然の雪ノ下の言葉に、先生はすっとんきょうな声をあげた。

 俺も一瞬なんの話をしているのか分からず、じっと雪ノ下を見ていると、彼女は表情を全く変えないまま続けた。

 

「私と比企谷君は、今どちらが優勢ですか?」

 

「あ、ああ、勝った方の言うことをなんでも聞くというあれか……あ、ああ、うんそれはあれだな……二人ともよく頑張ってるな、うんうん」

 

 冷や汗を垂らしながら、腕を組んでうんうん頷く先生は微笑んではいるが、この顔、多分焦って思い付かないでいる感じだな。

 雪ノ下は冷たい表情を崩すことなく、ただ黙って平塚先生をじっと見ていた。

 

「……はぁ」

 

 先生は諦めたのか深くため息を吐く。

 そして、無言の圧力をかける雪ノ下を見据えて言った。

 

「君たちの行動の全てが見えている訳ではないから、厳密には判断をしかねるのだが……私の独断と偏見も含めた評価基準であれば、相対的な判断を下すことができるが……」

 

「それで構いません。お願いします」

 

 そう言った雪ノ下に先生が頷く。

 

「単純な結果だけを見て評価すれば、比企谷が一歩勝っている。解決件数も非常に多いからな。もっとも、そのほとんどがとある生徒の小説への寸評などではあるのだが……」

 

 こっちの俺、いったい何やってたんだ!? というか、材木座俺に持ち込みすぎだろ。俺は出版できねえぞ。そんなに書いたんなら、GAGAGAにでも持ち込めばいいだろ。

 

「もっとも過程や事後の経過を評価するのであれば雪ノ下の方だろうな。君の仕事は先生方の評価も非常に高い。つまり、一長一短あって、現状まだ勝負はついていないといえるな。うん」

 

 これはちょっと意外な評価ではあった。思っていた以上に俺のことが評価されている。

 これは世界の改変によって俺の無茶苦茶な解決法が無かったことにされたことによるのか、それとも元々そうなるようになっていたのか……

 

 いずれにしても、雪ノ下に完敗していると思っていた俺には予想外すぎた。

 

 そんな中、真剣な表情のままの雪ノ下が言う。

 

「では、今回のこの依頼を私たちの最後の勝負とさせてください。そして、私が勝った時、彼をこの部から退部させてください」

 

「なに?」

 

 雪ノ下のその言葉に、思わず俺は彼女を睨んで立ち上がった。彼女は静かに俺を見ている。

 

「なに勝手なこと言ってんだ、雪ノ下。今勝負は関係ないだろ? この一色の対立候補を擁立するだけでも一苦労だ。それなのに何が勝負だ。ここは協力して対応するところだろうが」

 

 その俺の激しい言葉にも雪ノ下はまったく動じない。

 そして、彼女もゆっくり立ち上がり、俺をまっすぐに見据えて言い放った。

 

「勝手なのはあなたの方だと思うのだけれど……私のことを『助ける』? ふふ……笑わせないでくれるかしら。誰がいつそんなことを頼んだというの?」

 

「お前、何を言って……」

 

 雪ノ下は目に怒りを宿したまま、俺を凝視し続ける。

 佇まいは平静に見えるのに、その全身は明らかに怒りに包まれている。

 

「今まで私に関わろうとしてこなかったから、私は貴方の存在を認めてあげていたのだけれど、まさかそんな貴方に憐れまれていたなんて、そんなこと……屈辱以外のなにものでもないわ。今回の件、私が一人で解決するわ。貴方もなにかしたいのならば、勝手にすればいいでしょう」

 

「お、おい……雪ノ下……」

 

 苛烈な言葉を吐き出す雪ノ下に、城廻先輩と一色が居心地悪そうに身を縮める。

 先生は何も言わずに、ただ俺たちを見つめているだけだった。

 

「ま、待て、雪ノ下。お前の言いたいことは分かってる。俺がお前の意に添わないことをしてたってことも。それに、そこまで俺を嫌うならそれでもいい。この部を辞めろというなら、それも構わない。ただ、今回だけは協力させてくれ。頼む」

 

 俺のその言葉に、雪ノ下は何も答えなかった。

 

 もう、言うべきことはすべて言ったとでも表しているかのように……

 

 俺は、雪ノ下に伝えたいだけだ。

 

 お前を大切に思っている者がいることを……

 お前を失いたくないと思っている者がいることを……

 

 そして……

 

 それをお前に分かって欲しいということを……

 

 でも、今それは叶わないことを俺は理解した。

 頑なに心を閉ざした雪ノ下は、あの3人で微笑みあったあの時の雪ノ下ではなかった。

 『彼女』が寄り添い、『彼女』がひとつひとつ心の鍵を解いたあの雪ノ下ではなく、変わらぬ世界に悲嘆し、そして必死に自身を変えたいと切望するだけの孤独な存在……

 

 初めて出会った時の雪ノ下のままだったのだ。

 

 そんな彼女を変える力は俺にはない。

 俺は悔しさに奥歯を噛み締めながら、彼女に言った。

 

「わかった……俺はお前の邪魔はしない。だから……くれぐれも無理はするな……」

 

 文化祭の時も、雪ノ下は体を壊している。

 そして、今回もきっと……

 俺はそれが心配だった。

 

 そんな俺に彼女は言う。

 

「どこまでも癪に障る物言いをするのね。それで優越感に浸りたいのならばそうすればいいわ。今回の依頼、他に候補者がいないのならば、私が立候補してでも解決させてみせるから」

 

「な、なに? お前、何を言ってんのか、わかってるのか?」

 

 慌てる俺を見ながら、彼女は微笑んで言う。

 

「ええ、わかっているわ。貴方がもう二度と戯言を吐けないようにしてあげる。そうね……貴方がもうおかしな妄想に囚われないように、私が貴方も救ってあげるわ」

 

 俺はもう、なにも口に出来なかった。

 

 傲慢で、強欲で、利己的……

 これがあの雪ノ下なのか……

 

 堪えようのない苦しさを覚えつつ、そこにいるまるで別人の雪ノ下を、俺はただただ、見つめることしかできなかった。

 



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(4)約束を果たすトキ

 雪ノ下は生徒会長選に正式に立候補した。

 

 俺がその事を知ったのは、あの部室で仲違いしてから数日経ってからのことだ。

 正直に言えば、俺は少しホッとしていた。

 動機がなんであれ、雪ノ下が自分から進んで選んだ道であるのなら、俺はそれを認めたいと思っているし、応援したいと心から思っていた。それに彼女ならきっと、かつてない、誰よりも優秀な生徒会長を務めることができるだろうという実感もあった。

 

 ただ……

 

 それはきっと奉仕部の消滅を意味してしまうのだろう。

 

 雪ノ下が生徒会長になることで、一色いろはの依頼も達成され、そして、俺も約束通り部を去ることになる。

 もとよりそこまで嫌われてしまっているのなら、部を去ること自体別に構わないと思ったし、部に残らなくとも、雪ノ下を見守ることは出来る……

 『彼女』との約束は果たすことはまだ可能だと信じていたから。

 

 それでも、胸に残る違和感に、俺は不安を感じずにはいられなかった。

 雪ノ下は俺の知る雪ノ下とはまるで別人だった。

 あれほどまでに他人を拒絶し、自分の主義主張を押し通す性格だとは思いもしなかったのだ。

 

 俺の記憶の中の雪ノ下は、こだわりはあったにしても、周囲にあそこまで自分の意見を強要しなかったし、少なくともあそこまで拙速に自分を晒したりすることはなかった。

 いや、きっとその性分はもともとあったのかもしれないが、3人で居るときの彼女からそこまでの気配を感じることはなかった。

 

 俺には『彼女』が心の重要な支えになっていたように思えてならない。

 でも、今ここに『彼女』はいない。

 俺にとっても大切な存在……

 彼女の不在がこれ以上ない焦りを俺にもたらしていた。

 

 そして、そんな俺の不安は現実のものとなって現れることになる……

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「比企谷君、一緒にメシ買いに行くべ」

 

「イヤだよ俺は、お前らだけで行けよ」

 

「連れないわぁ、寂しいわぁ」

 

 昼休みに入ってすぐに、今日も戸部が俺に声を掛けてきた。

 だが、俺はそれを一も二もなく拒否。

 もともと俺にはそんな馴れ合いの関係でつきあうこと自体が苦手だし、そうなろうとも思っていない。

 だが、戸部はこうやって毎回断っているにも関わらず俺に声をかけるのだ。

 こいつがどうしてこんなにナチュラルに俺に接するのかが不思議で仕方なかったが、それがそんなに嫌な気分でもないことに俺自身驚いていた。

 

「ねえ、八幡。ボクもいくから、一緒に行こう」

 

「え、戸塚も行くのか? なんだ、そうなら早く言ってくれ。よし行こう、すぐ行こう、二人で行こう」

 

「ちょ、ちょっと、比企谷くぅん、そりゃねえっしょ。さそったの、俺だしぃ」

 

「うるさいよ戸部、お前は海老名さんがいるだろ? だから俺は戸塚と行く」

 

「いやいやいや、校内でデートみたいなのやっぱハズいべ? 昼くらい男同士で行こうって~。その方が海老名さんも喜ぶし~」

 

「って、お前、何影響されまくってんだよ。それ聞いて余計に行きたくなくなったわ」

 

「あははは」

 

 そんな戸塚の笑い声を聞きながら俺は席を立った。

 戸部は、俺だけでなく、とうぜん葉山や他のグループのメンバーにも同じように接している。

 そのおかげなのか、みんな俺に多少気安く話しかけてくれるようになった。

 もっとも、俺に上手く話す自信がないから、簡単な受け答えに終始しているのだが。

 そして、戸塚だ。

 あの修学旅行で同じ班で行動出来た甲斐もあって、俺達は友情を深めることが出来た。お風呂とか、お風呂とか、お風呂とかで!

 なにせ、これだ。

 ついに俺は戸塚に名前で読んで貰えるようになったし。

 大分遅れてしまったが、神様本当にありがとう。これ以上の喜びはないデス。もう、戸塚ルートでいいと本気で思ったし。

 

 俺がこんな一般生徒のようなポジにつけたのは、戸部のフレンドリーさもさることながら、あの文化祭の一件が消滅したことが大きいと思う。

 俺はあの時、自信を無くし、甘え、すがり、逃げようとして仕事を放棄した実行委員長の相模を、舞台に戻すべく、葉山たち観衆がいる前で相模に罵声を浴びせて糾弾した。

 そうすることで、俺という『悪』が居たせいで相模が動けなかったのだと、奴に逃げ道を用意してやったわけだ。

 おかげで俺は、『頑張る委員長をつぶした極悪人』というレッテルを貼られ、学校中の嫌われものになったのだが、まあ、別段嫌われたところで、俺の生活がどう変わるわけでもない。

 そう考えた時、一瞬『彼女』の悲しげな顔が脳裏を過った。

 そう……確かに少しだけ、後悔はしたのだ……

 

 でも今は違う。

 あの文化祭は存在しない。そして、俺のあの悪評も。

 

 だからなのか、俺はこんなにも容易に戸部達と打ち解けることができた。

 

 こんな友人関係ってやつも、まんざら悪くないな……

 そんな感慨を持った俺はやはり世界に改変されかかっているのかもと、不意に沸いた不安に体が強ばった。

 

「それにしても比企谷君。比企谷君のいる奉仕部の部長の雪ノ下さん、あんま評判よくねえけど」

 

「え?」

 

 歩きながら戸部にそう言われて、思わず声を出してしまった。

 戸部は世間話でもするようにその話を続ける。

 

「なんか、いろんな男子と付き合ってるとか、4又5又くらいしてるとか、VIP相手に売春してるとか、なんか酷い噂ばっかだけど、あれ、マジなん?」

 

「ちょ、ちょっと、戸部くん……」

 

 戸塚が、戸部に何かを言いながら俺の顔を見て青くなった。戸部も同様だ。

 俺はいったいこの時どんな表情をしていたのだろうか……

 沸き上がる激情に俺は冷静に自分を振り変えることも出来なかった。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「雪ノ下を呼んでくれないかな」

 

 俺のその言葉を聞いて、目の前に立つその男子は卑しそうな笑みを浮かべた。

 そして、クラス全体に響くように声を張り上げた。

 

「雪ノ下さーーーん、また、男のお客さんだよーーーーー」

 

 そいつのその言葉を聞いて、その教室にいるほとんどの生徒がクスクスと可笑しそうに笑い出す。俺はその情景に激しい嫌悪感を受けながら、彼女が現れるのをじっと待った。

 異常だ。どうしてこんなあからさまな嫌がらせが起きているんだ?

 クラス中から向けられる好奇の視線の中を彼女はいつもと変わらず悠然と歩く。

 そして、俺の前に立ち言い放った。

 

「いったい何のようかしら? 貴方に話すことはもうないハズなのだけれど」

 

「いいから、ちょっとこっちへこい」

 

「ちょ、っちょっと、やめてくれないかしら……」

 

 あくまでいつも通り、高圧的に話す彼女の手を無理矢理掴んで、俺はそのまま廊下の窓際まで連れていった。

 そして尋ねる。

 

「お前……今いったい、どんな噂が流れているのか知ってるのか? なんでこんなことになってる? なんで対処しない? 言えよ、雪ノ下」

 

 彼女はそれでも態度を変えずに答えた。

 

「そんなことは貴方には関係ないわ。私はいつも通りにしているだけ……周りがなんと言おうとそんなことはどうでも良いわ。私には何もやましいことはないし、それを否定する必要性も感じていない。言いたい人には言わせておけばいいのよ」

 

「良いわけねえだろうが! お前生徒会長に立候補してんだぞ……完全にネガティブキャンペーンの的になってんじゃねえか。お前……このままだと選挙どころか、学校にも居られなくなるぞ」

 

「だから、なぜ貴方がそれを心配するの? 私とあなたは勝負の最中よ。それこそ、私が不利な状況なら、あなたは喜ぶべきではないの? でもおあいにく様、最後に勝つのは私よ」

 

 あくまで強気に、あくまで平静を装おうとしている雪ノ下は俺の話をまったく聞こうとしない。

 俺は焦る気持ちを必死に押さえ込みながら、言葉を選ぶ。

 今の雪ノ下を説得できる言葉……

 今の雪ノ下が聞き入れることができる言葉を……

 

「なあ、雪ノ下。お前、応援演説は誰がやるか決まったのか?」

 

 その俺の問いに一瞬彼女は怯む。

 だが、すぐに表情をもどして、俺に返す。

 

「そうね……すると約束してくれた人は居たのだけれど、さっき断られてしまったわ」

 

「そ、そうか、なら、俺がやってやる。まかせろ、俺がなんとかしてやるから……」

 

 その言葉に雪ノ下は目を丸くした。

 だが、そのあと、すぐに……。

 

「そう……そうやって私の妨害をしようというのね。でも、おあいにく様、もし誰も居ないのならば、私が自ら主義主張を明らかにすればいいだけのこと。むしろその方がスッキリするわ」

 

「お前……全然分かってねえじゃねえか。約束してくれた奴に反故にされるなんて、そういうの完全に四面楚歌っていうんだよ。なあ、今からでも遅くない。俺と一緒にもう一人候補者を擁立して、なんとか事態を収めよう」

 

 なるべく言葉を選んだハズだった。

 なんとか彼女を引き留めたかった。

 

 でも……。

 

「比企谷君……貴方はもう自分の勝利を確信しているのね。そうね、それならば、そんな見下した物言いも理解できる。でも……」

 

 雪ノ下は俺を再び睨んだ。

 

「貴方に自分から敗けを認めるのはまっぴらごめんだわ」

 

「………………」

 

 もはや、雪ノ下はなにも聞く耳を持っていなかった。

 そして、彼女はそれ以上何も言わずに教室へと戻る。

 あの居心地の悪そうな空間へ。

 

 俺は自分の無力さに歯噛みした。

 頑なに心を閉ざす彼女を、俺はどうにもしてやれないもどかしさに……。

 

 

   ×   ×   ×

 

 あのあと、俺はすぐさま平塚先生のもとに走った。

 そして尋ねる。いったいどうしてこんなことになってしまったのか……と。

 先生はため息まじりに教えてくれた。

 最初のきっかけはなんだったのかは良く分からないようだが、雪ノ下が立候補する段になって、彼女は自分のクラスで推薦人や応援演説をしてくれる人を探した。

 そこまでは良かったようだが、今までろくにクラスの奴とコミュニケーションをとってこなかった雪ノ下は、選挙に対しての姿勢の違いなどでクラスの大部分と対立してしまったようだ。

 後は推して知るべしと言ったところか……

 退くことも、顧みることも難しい雪ノ下には、一度拗れた人間関係の回復は難しかった。それでもまだ、彼女の味方をしてくれる人もいたようだが、今度は雪ノ下が逆にその子達を拒絶。

 たぶんいつものボッチ特有の癇癪を起こしてしまったのだろう。

 そして、それに輪をかけるように、もともと高嶺の華として憧れる存在であった雪ノ下が失墜したことで、これまで彼女に好意を寄せていた男子がこぞって彼女の排斥に動いたようだ。多分だが、雪ノ下に袖にされたり、軽くあしらわれた経験があったのだろう。

 とにかく、彼女はクラスのほとんどを敵に廻してしまったようだ。

 先生はそれの解消に動くべく、ひとりひとりに指導を進めているようだが、肝心の雪ノ下があれでは進むものも進まない。

 最後に先生は何かを俺に言おうとしていたが、結局はなにも話さなかった。

 いったい、何を言おうとしていたというのか……

 俺は目の前に立ちふさがった大きな問題に再び苦しめられることになった。

 

 

 その日の帰り、俺は真っ直ぐ家に帰る気持ちになれず、ひとりフラフラと千葉駅の周囲をぶらついていた。

 本来なら、本屋を冷やかしたり、ゲーセンで上海に勤しんだり、マンガ喫茶で甘いコーヒーをひたすら飲みながら、渋くてダークなJ〇J〇の第一部を読みまくったりしようものだが、今はとにかく気が滅入り何もしたくなかった。

 

「はあ……」

 

 傾いてきた日差しの中、俺はさ迷うのに飽きて、ジェントルメン御用達っぽい名前のドーナツショップへと入った。別に、紳士でなくても入店は当然できる。

 適当に見繕って購入し、それを持って2階に上がると……

 

「げっ……」

 

 階段を上ったその先には、真っ直ぐこちらを見るニットのカーディガンを羽織ったロングスカートの美人、雪ノ下の実の姉、雪ノ下陽乃さんがそこにいた。

 これは厄介な人に会っちまった。

 いや、でも落ち着け。この改変された世界では俺はこの人には遭遇したことはないはずだ。

 だから、あくまで赤の他人を装って適当にしていれば、あの人は関わってこない……と思う。

 俺はそう考え、視線を逸らしつつ、雪ノ下さんからかなり離れた窓際のカウンター席に腰を下ろす。

 と、同時に隣にも誰かが座ったので、なんだよ、邪魔だなと思いながら顔を向けると、そこに居たのはまさかの雪ノ下姉。にこにこ微笑んで俺を見ているし。

 

「無視することないでしょ? 連れないなぁ、比企谷くんは」

 

 あ、はい、初対面じゃなかったんですね。

 

「なんすか? 俺に用はないでしょ?」

 

「おろ? そんなことないよぉ。聞いたよぉ、雪乃ちゃんが生徒会長に立候補したこと」

 

「え?」

 

 不敵な笑みを浮かべて俺を見る雪ノ下さんは、俺を探るように見つめてくる。

 いったいこの人は何を知ってるのだか。

 雪ノ下はあの性格だから自分からこの姉に相談するとは思えないし、となれば、関係者……、そういえば、城廻先輩と雪ノ下さんは先輩後輩で仲良かったか……だったら、その線か……

 そんな俺の視線をどう感じたのか、雪ノ下さんは言った。

 

「そんな怖い顔しないでよぉ。可愛い妹が大変だって聞いたら当然気になるでしょ? で、比企谷君はどうする気なの?」

 

 そうか……雪ノ下の今の状況もある程度知っているのか……

 

「どうするもなにも、あいつが決めた事ですから、俺が言えることはもうないですよ」

 

「へぇー。比企谷君は雪乃ちゃんが自分でどうにかできるって思ってるんだ……」

 

「そ、それは……」

 

「まあね、比企谷君にはもともと関係ないもんね」

 

 その威圧的な物言いに、俺は心を揺さぶられた。

 

「関係なら……ありますよ」

 

「え?」

 

 俺の言葉に今度は雪ノ下さんが息を飲む。

 そして俺を覗き見るようにしながら、顔を近づけてきた。

 

「ねえ、それって……」

 

 そして、彼女がなにか言おうとしたその時……別の方向から声を掛けられた。

 

「あれ? 比企谷?」

 

 それは予想しないところからの、ざりざりと脳髄を削るような声だった。

 

 振り向けばそこには、うちの家からも近い海浜総合高校の制服に身を包んだ二人の女子高生。

 見慣れた姿ではないというのに、その声を掛けてきたパーマを当てたショートボブの女子の名前がすぐにわかってしまった。

 

「……折本」

 

 中学時代の黒歴史の代名詞とも言える彼女の出現が、俺の決心を固めるきっかけとなった。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「え? 比企谷って総武なの?」

 

「あ、ああ」

 

 久々の再開と言っていいのかは別として、折本は中学時代と変わらずに俺に気安く接してきた。

 俺の暗黒時代。

 まだ男としても、ボッチとしても未熟だったあの時、俺はこの目の前の折本に告白をして振られた。

 それは勘違いと言ってもいいくらいの単純な思い込みからの見当違いな行為だったことを、今の俺なら理解できる。そして、その俺の想いは彼女に届いていなかったということも。

 あの告白した翌日、二人きりのときに言ったはずのあの告白は、クラス全員の知るところとなっていた。そしてそれをネタに俺は酷い言葉の暴力にさらされた。

 彼女に悪意があったわけではないだろう。でも、あの後のクラス全体からの疎外感は忘れることはできない。

 あの時、俺は理解したのだ。

 人は勝手に分かり合えることなどできないのだと。

 

 折本達は、陽乃さんと色々楽しそうに話し込んでいたが、急に別の話題を口にした。

 

「ていうかさ、総武高なら葉山君って知ってる?」

 

「ああ、まあ一応」

 

「マジ!? ねえ、紹介してよ、この子とか会いたがってるし」

 

「えー。わたしはいいよー」

 

 折本は隣にいる子を、肘でうりうりと突きつつ、俺に懇願する。

 そんな会話の中に、陽乃さんが割り込んできた。

 

「はーい、じゃあ、お姉さんが紹介しちゃうぞ!」

 

 そう言って、彼女は携帯電話を取り出して、葉山を呼び出したのだった。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 暫くして現れた葉山は折本達二人と仲良さそうに話をして、時折、俺や陽乃さんにも視線をよこして、無難な会話を続けた。

 こういうとき、当然だが俺に出番はない。

 みんなが慕うイケメンリア充の前に割って入るような無粋な真似は決してしない。できないのではなく、しない。これ重要。

 そしてある程度話して満足したのか、折本達は立ち上がって帰ろうとしていた。

 

 葉山と話して幸せいっぱいといった感じのその友達が名残惜しそうに準備をしているその間、先に席を立った折本に声をかけた。

 

「なあ、折本。ちょっといいか?」

 

「あ、アドレス交換してほしーとか?」

 

「バ、バッカ、ちげーよ」

 

「だよねー、比企谷ならそう言うと思った。ウケるー」

 

「別にウケねーし……ちょっと聞いてみたいことがあっただけだよ」

 

 俺の言葉に折本はコクりと頷く。

 俺は真っ直ぐに彼女を見据えて問いかけた。

 

「例えば……お前のクラスで、お前がよく知らないクラスメートが、お前の友達とかに虐められてたらどうする?」

 

「なにそれー」

 

「いいから答えろよ」

 

 折本は口に人差し指を当ててうーんと唸る。

 

「友達を……止める……かな? でも、そんな経験ないから分かんないや」

 

 まあ、そうだろうな。

 微笑む彼女に邪気はまったくない。

 当然だ、彼女に悪気は一切ないのだから。俺はそれを知っている。

 たとえあの告白の後、俺が酷いイジメと疎外感に苦しんでいた事実があったとしても、それを折本が気づかなくても仕方ない。俺はひたすら一人で耐えていたのだからな。

 でも、俺が聞きたいのはそんなことではないのだ。

 俺はすかさず次の質問をした。

 

「なら、次の質問……まあ、これが最後なんだが……お前の目の前でその苛められている奴が殺されそうになったら……どうする?」

 

「え? 殺す、殺されるとか、マジヤバイじゃん! 警察、警察! すぐ逃がさなきゃ」

 

 こんな意味不明な質問に即答で答えてくれる彼女の人柄に改めて救われた思いになる。そして、狼狽えた感じの彼女の返事はまさに俺の期待通りのものでもあった。

 

「ああ、そうだよな……サンキューな折本、これで……覚悟が固まったよ」

 

 そう言った俺を折本は不思議そうな顔で覗きこんできた。その瞳は物珍しそうで、興味深そうで。

 

「なんかさ、比企谷変わったね。なんか格好よくなった……気がする。好きな人出来たでしょ」

 

 あっけらかんとそう話す彼女に俺は躊躇いなく答えられた。

 

「ああ、そう……かもしれないな」

 

「だよねー! ウケるー!」

 

 照れや恥を感じることもなく、俺は大切な二人を思い浮かべながらそう答えた。

 そうだ……

 俺はこんなことで足踏みしている場合ではないのだ。

 自分の過去の呪縛に縛られている余裕は一切ない。俺は今、自分のできることをやらねばならないのだ。

 

 折本達二人を見送ったあと、その場に残った陽乃さんと葉山の二人を見ながら口を開いた。

 

「俺は雪ノ下を助けたい。力を貸して欲しい」

 

 真顔でそう言って頭を下げた俺を見て、陽乃さんは真剣な表情に、葉山は面食らった顔に変わる。そして陽乃さんが俺を見つめながら言った。

 

「お願いするのはこっちのほう。今雪乃ちゃんが大変なのは知っているけど、学校の外からじゃどうしようもないの。だからお願い、雪乃ちゃんを助けてあげて」

 

 珍しく焦燥感を表に出した陽乃さんはそう言ったあと、ちらりと葉山を見る。葉山はその視線に一瞬身じろぎ、そして、苦しそうに俺を見た。

 

「比企谷……君がどうして雪乃ちゃ……雪ノ下さんをそこまで助けようとしているのかが俺には分からない。君と彼女に確執があることも知っているしな……でも……それは俺も同じだ。俺では彼女を助けることはできないこともわかっている。だから、比企谷……俺も協力させてくれ」

 

 二人のその答えに、俺は改めてまっすぐ見据える。そして言った。

 

「わかった。これから色々頼ませてもらうけど、その前に、ひとつだけ言っておく」

 

 俺は葉山に念を押した。

 

「なにが起きても、絶対俺を止めるな」

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 俺は他のクラスの連中と一緒に講堂に移動してきていた。

 見渡せばゾロゾロとたくさんの生徒が入ってきているのが見える。みんな思い思いにおしゃべりをしたり、携帯を弄ったりと、いつもの全校集会とは違った雰囲気を醸していた。

 それもそのはずで、今日のこの場は選挙管理委員会主体で運営することになった、生徒会選挙の代表演説会。ここに教師はいないはずだ。

 講堂の壇上。そこにはすでに候補者の雪ノ下と一色、それと一色の応援だろうか、女子が二人後ろに控えていた。当然だが、雪ノ下は一人きりだ。

 

「なんか緊張するね、八幡」

 

「……ああ、そうだな……」

 

 俺の隣で戸塚が囁くのに俺は軽く相槌だけをいれた。

 一般の生徒からすれば、俺たちとほぼ同い年の奴が選挙に名乗りを上げることには畏敬の念にも似た感動が多少なりともあるのだろう。

 だが、そんな良い面だけが人の全てではないことを俺はもう知っている。

 そう……すでに、この会場のあちらこちらから、囁く声が漏れ聞こえてきているのだ。

 壇上の雪ノ下へ向けての……

 

「……ねえ……本当に一人でいるわ……」

 

「……よく人前に出れるな……」

 

「……恥ずかしくねえのかな……」

 

 まだ声は小さい。

 だが、そこに含まれた憎悪や妬みそねみの感情は膨大で、獲物を狙い、今か今かとその牙と爪を光らせていた。

 

 お前らに何がわかる。

 お前らが雪ノ下の何を知っている。

 

 悪意に晒された今の雪ノ下は、もはやどう足掻いてもこの出所不明の噂を払拭することが叶わないところまできてしまっていた。

 

 雪ノ下……

 

 俺は表情も変えず、ただ沈黙を守りながら壇上に佇む彼女を見守り続けた。

 

「えー、ではー、そろそろ生徒会長選挙の候補者演説を始めたいと思いまーす」

 

 マイクを持った城廻先輩が壇上にあがり、そう宣言する。生徒一同は、先生もいない開放感からか、やんややんやと囃し立てる。

 もともと人気のある城廻先輩だからこうなって当たり前だが、少し会場が落ち着いてきてから、先輩は声を出した。

 

「では、まずは2年J組雪ノ下雪乃さんからどうぞー」

 

 そう促された雪ノ下は、ゆっくりと立ち上がり、マイクへと向かった。

 

 雪ノ下……

 お前はいつも正しい……

 そして、いつでも誇り高く気高い……

 俺はそれを知っているし、お前にはそうであって欲しいと願っている。

 そして、いつかきっと、由比ヶ浜のことを思い出してくれると、俺は信じている。

 

 そう、俺は……

 

 

 ”お前を助けたい”

 

 

 彼女がマイクに向かってスピーチを始めようとしたその時。

 

「雪ノ下さーん、今日の夜のご予定は~?」

 

 群衆の中のどこからか、そんな間延びしたような声があがり、そして、クスクスと笑い声がこぼれる。

 

 そして、そんな声が少し収まったかと思ったその時また別のヤジが。

 

「淫乱生徒会長はいらねー」

 

 その声に、さっきよりも多くの笑い声が漏れ聞こえ始めた。

 

 雪ノ下がまだ一言も発するその前に、ついにその時は訪れた。

 

「なんで、人前に出られるのー」

「恥ずかしくないのかよ」

「総武の恥さらし」

「金持ちだから好き勝手やっても平気なのかよ」

「いったい何人と寝たんですかー」

「援交でいくら稼いだのー」

「ジャニーズとやったって本当?」

「もういいから帰れよ」

「なんでそこにいられんの」

「お前むかつくんだよ」

「お高くとまってんじゃねーよ」

「なんか言えよ」

「…………」

 

 

 群衆心理……

 赤信号……みんなで渡れば……怖くない……か……

 

 先生がいない開放感もあってか、過激な言葉が四方八方から飛び続けた。

 周囲を見れば、戸塚の様に萎縮して震えて肩を竦めている者もいるが、それとは真逆に、近くの奴と笑いあって、我先にと声を張上げるやつも多かった。

 まるで、自分の意見が一番正しいとでも言いたいかのように……

 

 救えねえ……

 

 こいつらは本当に救えねえ……

 

 お前らに、雪ノ下の何が分かる?

 

 お前らに、なんで雪ノ下を糾弾できる?

 

 声を張上げるお前らの誰か一人でも、雪ノ下の本当の姿を知っているやつがいるのか?

 

 こいつは、こう見えて猫とパンさんが何より好きだ。でも、それを好きな自分を知られるのが怖くて隠している臆病なやつだ。

 

 頭は良くて、いつも学年トップなのは、それだけ必死に勉強しているからだ。

 

 スポーツも得意でなんでもできるが、体力はなくてほとんど役にたたねえ。

 

 家が厳しくていつもその重圧に耐えて、でも、それでも負けじと踏ん張っているやつなのだ。

 

 友達は少ねえが、何よりその友達を大事に出来る奴で、不器用だけどそいつのためになんかしてやりてえと必死に悩んで、弱音は吐けねえくせに、でも、そいつから離れられなくて、そんで、そんな弱い自分を変えたいって必死にもがいてる奴なのだ。

 

 この有象無象のバカどもの中で、一人でも雪ノ下のことを理解しているやつがいるのか?

 理解して言っているのか?

 

 

 

 お前らに……

 

 

 

 

 雪ノ下を汚させはしねえ……

 

 

 

 俺はじっと壇上の雪ノ下を見つめていた。

 彼女は身じろぎもせずにただマイクの前に立っている。

 そして、誰も止めに入らないその群衆からは雪ノ下へ向けて帰れコールが沸き上がっていた。

 

 そんな中、雪ノ下が、マイクに話しかけようとしたその時、俺は大声で叫んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 彼女に向かって!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「死ねよぉ! 死んじまえよ雪ノ下ぁ! このくそビッチがあぁ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 キィィーーーンと甲高いマイクのハウリング音が響いて、今までの帰れコールが嘘のように静まり返る。

 熱に浮かされたように声を張り上げていた連中の顔からは笑顔が消え、今の声の主を探すように首をまわし始めた。

 

 

「なにが生徒会長だ!てめえみてえなくそ女に務まる分けねえだろうがぁ!!」

 

 

 俺は声を張り上げながら、群衆を掻き分けて前へ前へと進んだ。

 

 

「みんなの言う通りなんだろ? くせえ親父とセックスして楽しんでたんだろう? なあ、おい! 聞いてんのかよてめえっ!!」

 

 

 誰も俺を止めるやつはいなかった。ただただ俺が叫ぶ内容を全員が注視している。

 この時、俺が見据える雪ノ下の表情は明らかに激変した。俺の聞くに耐えない罵詈雑言の数々は確かに彼女の心を蝕み続けている。

 

 

「なにが部長だ。なにが部の方針だ! 全部てめえがやりたいようにやってただけじゃねえか! ふざけんじゃねえよ、俺はてめえの奴隷じゃねえんだよ。このくされビッチ!」

 

 

 俺は一歩、また一歩と壇上への階段を上る。

 

 

「もううんざりなんだよ雪ノ下。てめえのお陰で俺は万年貧乏くじだ。だからさ、さっさと死ねよ。消えろよ、むかつくんだよてめえぇ!」

 

 

 雪ノ下のすぐ正面に立って、俺は彼女に吠えた。

 彼女は……

 いつもの冷静な表情のままで……

 熱い滴をその両の美しい瞳から溢れさせ続けていた。

 

 いいぞ……それでいいんだ……雪ノ下……

 

「お、おい、あいつ……ちょっと言い過ぎじゃね」

「あれは酷いだろ……いくらなんでも……」

「ちょ、ちょっと、先生呼んできた方が……」

 

 俺たちの足元の方から、ちらちらとそんな声が聞こえてきた。俺はすぐさまその場にいる多くの生徒に向けて叫ぶ。

 

 

「ふざけんなよ、てめえら! てめえらだってさっきまで言ってたじゃねえか。今さら吐いた唾飲み込もうとしてんじゃねえよ。ほら、お前らも言えよ! 死ねよ、雪ノ下! 死ね、死んじまえ!」

 

 だがだれもそれには続かない。

 当然だ。

 誰が堂々と人の死を口に出来るものか……

 

 さて……

 

 仕上げといくか……

 

 

「なんで誰も言わねえんだよ! さっきはあんなに言ってただろ? 知りもしねえくせにあんだけ、ビッチだヤりマンだ言ってたじゃねえか! あんなうわさ、俺が流したただのデマだってのによ! お前らみーんな、俺のあの嘘で踊ってただけだ、ぶぁーーーーーーーーーか……くくっ……くくく……くはは…………」

 

 

 俺は笑った。

 

 心の底からこの目の前の愚か者どもを嘲り笑った。

 これは本心だ。だからきっと、今の俺は本当に愉快に笑っていることだろうな。

 

 その時……

 

 俺の体に衝撃が走った。

 

 

「比企谷君、いい加減にしろよ」

「おい、みんなで抑えろ」

 

 何人かの生徒が俺を押さえつけにかかる。

 その一人に戸部の姿があった。

 

 わりぃな戸部……

 お前、良くしてくれていたのに、このこと言わなくて……

 それから戸塚……

 そんなに悲しそうな顔すんじゃねえよ。

 せっかくの可愛い顔が台無しじゃねえかよ……

 

 

「はなせっ! はなせよっ! くそがぁっ! てめえらも同罪だろうが! あのくそ女にムカついてんじゃねえのかよ! いてえよ!はなせっ……」

 

 

 目の前の雪ノ下は、隣にいる一色に抱き締められながら、俺を見つめてその顔をくしゃくしゃにして嗚咽をあげていた。

 

 そうだ……それでいいのだ……

 

 これで……ようやく……

 

 

 

 

 

 お前を助けられる……

 

 

 

 

「死ねよ! ビッチ! 死ねよ! 雪ノ下!! 死ね、死ね! 死ねえぇ!!」

 

 

 

 わめき叫ぶ俺を周りの連中は殴り続けた。

 痛みも、苦しみも、全て俺は受け入れた。

 ただ……

 こんな俺を見て、きっと雪ノ下と同じように泣いてしまっているだろう、『彼女』を想い、それだけを後悔する。

 

 わりぃ、由比ヶ浜……

 

 でも、今回だけは許してくれ……

 

 俺はどうしても雪ノ下を守りたかったんだ……

 

 

 

「お前ら……やめろ、やめるんだー」

 

 駆けつけた先生達が俺たちの間に割って入り、この騒動は幕を閉じた。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 これは後に聞いた話だ。

 

 この騒動の後、泣いて何も喋れなくなった雪ノ下の演説は中止。

 逆に一色は朗々と所信表明を行い、この会は幕を閉じる。

 そして行われた生徒会長選挙では僅差となってしまったが、一色が当選することになった。本来は圧倒的な勝利を一色に期待していたが、やはりというか、もともと優秀で人気もあった雪ノ下に同情票以上の票が加算されたらしい。もっとも、雪ノ下はもとより辞退するつもりではいたようだが。

 一番気になっていた雪ノ下のその後の様子については、噂がまるで嘘のように終息し、そしてクラス内でも彼女に同情する声が上がっているとのことだ。

 そして意外だったのは一色の交友関係の改善。

 元々はあいつを嵌めるためにクラスメイトが共謀した苛めが発端だったのだが、この異例の生徒会長選挙を終えてからというもの、クラス内での陰湿な苛めはなくなった様だ。

 まあ、そうだろうな。

 人を貶めた代償を目の当たりにしてしまえば、その境遇に自分から進みたいなんて思うことはまずないだろう。

 あれだけ惨めで、情けない姿を見ればな。

 

 そして、俺は……

 

 

 2週間の停学処分となった。

 

 

 人前であれだけのことをすれば、そりゃそうなる。

 ま、警察沙汰にならなかっただけマシなのかもだが、ばっちりあの暴言は動画で撮影され、それがかなりの範囲に拡散してしまっていた。

 それでも逮捕されなかったのは、雪ノ下の両親がこれを問題にしなかった為だ。

 そして、未成年のプライバシー保護ということで動画の削除も進み、今では完全なアングラ動画と化した。

 もっとも俺みたいな男の動画を楽しんで見るやつなんか……

 あ、いたな。

  

 身震いしながら、そんなことを考えつつ、腹が減った俺は冷蔵庫を開ける。

 でもすぐに食べられそうな物は無かった。

 

「うーん」

 

 とりあえず保温のままのジャーにはご飯がたっぷり入っていた。

 となればおかずになるもの……と、見回すと、テーブルの上には千葉のソウルフードが!

 

 

 

ピーンポーーーン……

 

 

 

 玄関のチャイムが鳴り、また宅配便かとため息をつきながらドアを開けると、そこには意外な人物が立っていた。

 

「こんにちは、比企谷君」

 

「雪ノ下……」

 

 俺は、柔らかく微笑む彼女に、思わず見惚れてしまったのだった。

 



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(5)救われる心

「こんにちは、比企谷君」

 

 そう言って微笑む制服姿の雪ノ下は、うちの玄関前で、買い物袋を提げて立っていた。

 

「これは、あれか……目の錯覚か?」

 

「あいかわらず現実と妄想の区別もつかない腐った死体の目をしているということね、ゾンビ谷君」

 

「おおう、その毒舌、まさに雪ノ下、リアルだったか……ずっと家に居たからホントに妄想かと思っちまった」

 

「あら? あなたに妄想でこんな美少女を思い浮かべることが出来るくらいの創造力があったことに驚きだわ」

 

「それは褒められてんのか? ……っていうか、自分で美少女とか言うんじゃねえよ、痛すぎるから」

 

「あら、当然のことを言うことになんの問題があるというのかしら?それにこんなことを言うのはあなたの前だけなのだけれ……ど……」

 

 言って、真っ赤になって俯くし……

 そんな顔されたら、こっちまで恥ずかしくなるじゃねえかよ。

 

「売り言葉に買い言葉で話してっから、そんな目に遭うんだよ。ったく、お前、頭良いんだから、もっと上手くやれよ」

 

「そうね、本当にごめんなさい」

 

「え?」

 

 うつむいたまま、俺に謝る雪ノ下の雰囲気は一変していた。

 彼女は頭を下げたまま動けなくなってしまっていた。

 ”ごめんなさい”

 きっと、彼女は何をおいてもこの言葉を俺に言いたかったんだろう……

 プライドがーとか、羞恥心がーとかの次元ではもうない。

 彼女はきっと晴れることのない罪悪感を抱えてここに立っているのだ。

 

 でも、もしそれを言うのならば……

 

「お前が謝るんじゃねえよ。むしろ酷いのは俺の方だ。あれだけ大勢の前でなんの根拠もない言いがかりで罵倒しまくって、あげく選挙も落選させちまった。マジで、最悪だ。だから、まあ……悪かった……よ」

 

 雪ノ下はすっと顔を上げた。

 そこには少し困惑したようなはにかんだ笑顔。

 くっそ、なんでそんな可愛い顔しやがるんだよ。ドキドキしちゃうだろ……この前までのクール&キルの邪眼はどうしたんだよ! 

 まあ、ボッチ10段の俺には関係ないがな。

 

 ”気をつけろ 人の好意と 勘違い”

 

 思わず川柳で標語作っちまったじゃねえか。

 さて、さっさとお帰りいただくか。

 俺は雪ノ下に向かって言った。

 

「だからそういうことで、もうこれで貸し借りなしだ。あと、謝りにきてくれてありがとうな、それじゃあ……」

 

 言って家に入ろうとした俺に雪ノ下が声をかけてきた。

 

「上がらせてもらえないかしら?」

 

「はい?」

 

 雪ノ下の声に思わず聞き返してしまった。

 今、何か胸がトゥンクしちゃうようなことを言われた気が……

 

「だから、貴方の家に上がらせてもらえないかしら?せっかくここまで来たのだし、もう少し話したいし」

 

 雪ノ下は頬を赤らめながら、俺を上目遣いでみながら言う。

 

 だーかーらー、そんないきなりしおらしい態度になるんじゃねえっつーの!俺はかーちゃんの奴隷じゃねえっつー……、ま、まあいいか、別に……

 

「じゃ、じゃあ、まあ、上がれよ……散らかってるけどな……」

 

「ええ、ありがとう」

 

 そう言って、雪ノ下は俺の脇を通って玄関に入る。

 俺もどうしていいか悩みつつ、雪ノ下をリビングへと案内した。

 

「ど、どうぞ」

 

「ありがとう」

 

 って、なんで『どうぞ……お嬢様』みたいに、執事風の対応しちゃってんだ……ハヤテ君か俺は! 相手がマジモンのお嬢様だからか? なんて流されやすい俺。

 くっそ、もう調子狂うわ。

 雪ノ下とリビングに入った俺は、とりあえず昼飯を食べる前だということを思いだして、こいつにも声をかけてやることにした。

 

「俺、これから飯食うんだけど、お前も食べるか?」

 

「そうね……私もご一緒させていただくわ。でも、何を食べる気なの?」

 

 首をかしげる雪ノ下の目の前で、俺は茶碗にご飯を盛って、その上にぐにゅぐにゅっと魂の食べ物を乗せた。

 それを見て雪ノ下が驚嘆する。

 

「ええ? あなたご飯に味噌ピー載せて食べるの?」

 

「はあ? 食べるに決まってんだろ? お前は食べないのかよ、味噌ピー」

 

「た、食べるわよ、味噌ピーくらい。でも、ご飯には載せたりしないわ」

 

「バッカお前、ご飯に味噌ピー、定番中の定番じゃねえか。給食で出ただろ? フリカケみてえに、小袋で」

 

 小学校の頃は年中出てたな。うん。

 間違いなく、みんなごはんに載せてたし。さすがにボッチの俺でも、こればかりは県民の常識だと言い張りたいとこだ。

 

「わ、私の通っていた学校では出たことないわ。それにそんな甘いのご飯に合うとは思えないのだけれど?」

 

「何気なく千葉の県民食ディスってんじゃねえよ。じゃあ、お前はどうやって食うんだよ」

 

「そうね……パンに載せたり……とか、そのままおかず……とか?」

 

「普通だな。それに、ちゃんとおかずとして食ってんじゃねえか。だから味噌ピーご飯でなんも問題ねえんだよ。いらねえんなら、俺一人で食べるからな」

 

「そ、そんなことは言っていないわ。そうではなくて……そう! それだけではきちんとした食事とは言えないということよ。まったく……すぐに用意するから、お台所を貸して頂けないかしら?」

 

「は? なに、お前飯、作ってくれんの?」

 

「ええ、もともとそのつもりでいたし、食材も少し買ってきてあるから……」

 

 そう言って、手に持った買い物袋を掲げて見せる。

 

「い、いや、それはなんか悪いな……」

 

 その俺の反応に、雪ノ下は微笑む。

 

「別に気にするようなことではないわ。さっきここに来る途中のお魚屋さんで、背黒鰯が安かったからちょっと、買ってきただけよ。何か簡単な物を作るわね」

 

「って、お前それ同級生の家に持ってくる物のチョイスじゃねえだろ。何『鰯』って」

 

「あら、私の想像通りの不健全な食生活をしていた貴方に言われたくはないわね」

 

 雪ノ下は袋をキッチンに持っていきながら、制服の上着を脱ぐ。

 別に、ただそれだけのことなのだが、女子が服を脱ぐのを間近に見るのはなんかソワソワする…… 

 それから彼女は、鞄を開いて、中から青いエプロンを取り出すと、それを身に付けた。その胸元にはパンさんのアップリケがばっちりと自己主張している。

 それをぼーっと眺めていたら、頬を朱に染めた雪ノ下に無言で睨まれてしまったので、すぐに視線を逸らしました。

 

 なんか、これすげえ居心地悪い……

 自分ちなのに!!

 

 俺はとりあえず食べる前の味噌ピーご飯にラップをかけて、ソファーでラノベを読みながら待つことにした。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

『うわー、本だらけだね』

 

 この部屋に入って由比ヶ浜はすぐに引いた様子でそう口を開いた。

 

 まあ、由比ヶ浜は本をそんなに読まないだろうしな。こんなに本ばっかあれば、そりゃ引くだろう。

 

 そんな由比ヶ浜は旅行に行くからって理由でうちに愛犬のサブレを預けに来ていた。

 小町経由で!

 なんで、俺に直接言わないのかは悩むまでもない。

 俺が間違いなく断るからだ。

 さすがに由比ヶ浜も俺の習性は掴んできているなと、なかば感心してしまったが……

 彼女のどこか気恥ずかしそうな顔がはっきり見えて、胸がチクリと痛んだ……

 

 本当にそうだったのか?

 俺の習性を理解してたからそうしたのか?

 由比ヶ浜はあの時、別の理由でうちにきたのではないのか?

 

 俺は……

 

 その理由を分からない振りをしていただけだったんじゃないのか?

 

 脳裏に焼き付く由比ヶ浜の寂しそうな顔に俺の心は締め付けられる。

 いつだって、俺ははぐらかしてきたし、誤魔化してきたし、逃げていた。

 それだけは俺も理解していた。

 

 そして、場面はあの夕焼けに染まる部室に変わる。

 

 目の前の由比ヶ浜は、泣き出しそうな顔で俺を見ている。

 

『……なんでそんな風に思うの? 同情とか、気を使うとか、……そんな風に思ったこと、一度もないよ。あたしは、ただ……』

 

 ただ……

 

 あの後、彼女は何と言おうとしたんだろうか……

 

 由比ヶ浜に誕生日のプレゼントを渡すときに言った不要な言葉。

 俺はあの時、あいつの後ろめたさを消してやるつもりで、このプレゼントで貸し借りをなしにしようと、これで、関係を終わりにしようと提案した。

 それを、あいつは反発したのだ。

 

 当然……だったのかもしれない。

 

『これで終わりなんて……なんか、やだよ』

 

 由比ヶ浜の思いはいつもひとつだった。

 見ないふり、聞こえないふりなんかで消し去ることはできないその思い。

 手を伸ばせば届いたかもしれないそれを、何もしないままで、俺は全てを失ってしまったのだ。

 

  

 

 優しい女の子は嫌いだ……

 

 だって……

 

 

 

 

 

 

 この世界の何よりも大切な存在になってしまうから……

 

 

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 ピピピピ……ピピピピ……ピピピピ……

 

「う……ん? あれ? 寝てた……のか?」

 

「あ……ご、ごめんなさい……」

 

 ソファーに沈み込むような姿勢のままで、俺はキッチンの方に目を向けた。

 どうやら、完全に眠ってしまっていたようだが、目を向けた先の雪ノ下の挙動に違和感を覚える。

 良く見れば、その手には俺の携帯が握られていた。

 雪ノ下は慌てた感じで弁解を始める。

 

「あ、あの……急にあなたの携帯のアラームが鳴り出したから、その……と、止めようと思って……」

 

 しどろもどろの雪ノ下は俺にそう弁解した。

 

「あー、それはあれだ……たいしたことじゃないから気にすんな……」

 

「そう……あの、ご飯今出来たから、一緒に食べましょう」

 

「お、おう……」

 

 そう言われて、テーブルを見れば、そこには様々な料理が所狭しと並んでいる。

 味噌汁とご飯は言うに及ばず、色とりどりのサラダに、焼き魚に、酢の物みたいなものまである。

 あ、なんか、ごはんの脇に味噌ピーが添えられているのには、『べ、べつに味噌ピー嫌いなわけじゃないんだからね! ふん』みたいなツンデレさんが見え隠れして微笑ましい。

 

「お前、ちょっと本気出しすぎじゃねえか?」

 

「そう? それほどの物でもないのだけれど……お味噌汁は背黒鰯を煮込んだだけだし、残った鰯をタタキにして、サラダは適当に葉物にミックスビーンズとアボガドのせてドレッシングしただけで、あとは秋刀魚を焼いたくらいよ」

 

 おいおい……

 そうは言っても、どれもこれも料亭で出てくるような盛り付けだぞ。

 こいついったい普段どんなもん作ってんだか。

 

「はい、これ」

 

 まじまじと食卓を眺めていた俺に、雪ノ下が俺の携帯を差し出してきた。

 

「ごめんなさい、見るつもりはなかったのだけれど……」

 

「ああ……ま、気にするな……」

 

 おずおずと渡されたその携帯の画面には、俺がアラームと一緒にセットした文字が並んでいる。

 そこに書いてある文字……

 それは……

 

”由比ヶ浜結衣を思い出せ”

 

 俺は頭を掻きながら彼女に答えた。

 

「まあ、そうは言ってもお前も気になるよな……わりいな、こんな気持ち悪いもん見せて……」

 

「気持ち悪いなんて……今は思っていないわ」

 

 俺の目をまっすぐ見て、雪ノ下はそう言った。その瞳には決して他人を嘲るような色は無かった。

 俺はそれに胸が熱くなるのを感じ、そして自然と笑みが零れてしまったことに気づく。

 

「サンキューな、雪ノ下。でも今はこのご馳走をいただくよ。せっかくの旨そうな料理がもったいない」

 

「そ、そう?そう言ってもらえると……作った甲斐があったわ」

 

 気恥ずかしそうに俯きながら話す雪ノ下と一緒に、俺は食事をとった。

  

 

   ×   ×   ×

 

 

 雪ノ下の飯はめっちゃ旨かった。

 正直今まで食べたどの料理をも越える旨さだ! と言っても過言ではないレベル。

 まさかこいつの手料理を食わせてもらえる日が来ようなんて夢にも思わなかったが、それと同時に、味噌ピーご飯を食べた雪ノ下が『美味しい』を連発したのにはこれ以上ない至福を感じてしまったがな。うむ!さすが小鳥ちゃ……げふんげふんっ!

 

「いやあ、旨かった。お前マジで店開けるレベルなんじゃねえか?」

 

 それを聞いた雪ノ下は、カチャカチャと食器を洗いながら微笑んでいる。

 

「そう? 喜んでもらえて、良かったわ……その……今の私には、こんなことくらいしか……出来ないから……」

 

 俯いたままの彼女の表情は今は分からないが……声にはまったく力が無かった。

 

「だから……あれは悪いのは俺であってだな……」

 

「全部、聞いたわ……一色さんと葉山君と……姉さんから……」

 

「うっ……」

 

 まあ、そんな気はしていた。

 人の口に戸は立てられない。いくら俺があいつらを口止めしたところでそれはやっぱり不可能だったか……

 それに……

 あの結末になってしまったことを何より悔やんだのは、あの3人なんだろうしな……

 

 俺はもう一度キッチンの雪ノ下に顔を向けた。

 

「お前……、そんなに気にしてるのかよ……」

 

「ええ……気にするなという方が無理よ……本当に……ごめんなさい」

 

 室内に食器を洗う音だけが響く。沈黙が俺達を包んでいた。

 

 俺は先程雪ノ下が淹れてくれた紅茶を口に運びながら思いに耽る。

 と、いうか、本当に準備いいな、雪ノ下は……

 

 まあ、いい。

 あの時、あの生徒会長選挙の時までにしたことに俺は思いを巡らせた。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 結論から言えば、俺は葉山達3人を騙した。

 

 だが、ただ単純に嘘をついただけではない。

 もっと酷いことを俺はあいつらにしてしまった。

 

 順を追って振り返るとしよう。

 

 あの折本に遭遇したあの日、俺は葉山と陽乃さんの二人に計画を話した。

 その時の主な内容は、こうだ。

 

 『雪ノ下の悪評を払拭するために、全校生徒を説得したい』と……

 

 そう言って、俺は葉山と陽乃さんを説得しにかかった。

 もとより俺にそんなカリスマ性があるわけではないし、今までの俺の悪辣な解決方法を知っていれば、間違いなく二人は俺のこの提案を蹴っていただろう。

 だが、目の前の二人はそれを知らない。

 あの文化祭の数々の暴挙も、千葉村での非人道的な解決法も、それら全てはこの改変された世界では起きていないのだ。

 というよりも、俺自体がほぼ目立つ行動に移っていないため、その時の二人には、『心から雪ノ下を心配する優しい同級生』という風にでも映ったことだろう。

 そして、そもそも二人はこの時点で打つ手を無くし途方にくれていたと言った方が解りやすいのかもしれない。

 葉山も陽乃さんも、もはや雪ノ下を説き伏せる言葉を持ち合わせていなかった。

 それほどまでに頑なな決心の上で、雪ノ下は今回の行動に移ったのだ。

 

 二人は一も二もなく俺に賛同した。

 

 俺はそのあと、葉山を連れだって1年の一色の元に向かう。そして、彼女に、雪ノ下を助けるために、きっちり生徒会選挙に臨んでくれと頼んだ。

 彼女はこれをどう受け取ったのか、『先輩達に貸しをつくれるなら頑張ります!』と、快諾。

 実際の所は俺にとって一色の選挙の如何はすでにどうでもよく、選挙に勝とうが負けようが、雪ノ下の今の状況を回復出来さえすれば良いと思っていたから、俺は一色を手駒として使うことにした。

 

 そしてここから……

 

 まず陽乃さん経由で城廻先輩にネゴしてもらい、選挙の演説会に関しては生徒主体でやるようにお願いしてもらった。

 これは、一重に俺の行動の邪魔が入らないようにするための配慮だったが、その辺りをどう陽乃さんから聞いたのか……城廻先輩は快く了承してくれたようだ。

 

 それから、葉山に頼んで、特に雪ノ下の陰口を叩いている奴を数人探りだしてもらった。

 葉山には、俺がその連中と話し合うことで事態の終息を図りたい云々とお願いしたわけだが、実際のところは違う。

 快く応じた葉山は様々なつてを使って数人のアンチ雪ノ下を洗い出してくれたわけだが、俺は裏でそいつらと会い、そして金を渡してあることを頼んだ。

 

 選挙演説の日に、誰よりも早く雪ノ下へ非難のヤジを飛ばしてくれと。

 

 そう……

 

 全ては俺が仕組んだことだ。

 

 

 

 あの結果を導き出すために……

 

 

 

 あの日……

 あの演説会の始まる直線に、俺は一色と葉山の二人を呼び出して言った。

 なにがあっても絶対俺を止めるな……と。

 そして、今回に関しては、俺がみんなを説得するのだから、絶対に雪ノ下に何も喋らせるな……とも。

 あの場で、一言でも雪ノ下が俺の言葉に反応すれば、俺と雪ノ下はグルとされ、全てが水泡に帰す可能性もあった。

  

 一色はそれをよく理解していたように思う。

 あの俺の罵声を聞きながら、一色は号泣しつつも雪ノ下を必死に抱き締め、なにかを囁き続けていた。

 きっと、あの時、瞬時に俺の行動を理解してあいつは俺との約束を果たしてくれたのだろう。

 

 そして、葉山……

 

 葉山は動かないでいてくれた。

 あいつの言葉の力は100人の凡人に勝る。

 もし、あいつがあの時一言でも何かを訴えていれば、俺の決死の行動は徒労に終わっていたかもしれない。

 

 いずれにしても、俺が頼んだ全ての協力者は俺の言をしっかりと守ってくれた。

 

 そして、俺は……

 

 そんな俺に信頼を託してくれた全ての人を裏切った。

 

 『悪』を滅ぼすのは『正義』だ。

 いつの時代であっても、これは否定しようのない真実であり、真理である。

 だからこそ皆は『正義』を掲げる俺に協力してくれた。

 

 だが、『悪』の数は多い。

 毎週のヒーロータイムの怪人の様に、一人ずつならば正義は必ず勝つだろう。

 しかし、そのヒーローの活躍の影で、必ず別の『悪』は蔓延る。そして、俺はそんなヒーローではない。

 

 それを知っていたから、俺は『悪』を倒すもうひとつの方法を使った。

 それは……

 より強い『悪』によって、『悪』を吸収してしまうこと。

 『悪』の権化が大魔王と揶揄されるように、小さな『悪』など、強大な『悪』の前では塵も同じ。

 俺は、あの場にある全ての『悪』を俺の物とした。

 それは、あの場の全ての人間の罪を解放し、そして、その罪を俺が一身に受けることで、全員を『正義』へと転じさせるほどの効果があった。

 

 滅ぼされるべきは、いつの時代であっても『悪』なのだ。だから、俺は滅ぼされるべきだったのだ……

 

 なぜなら……

 

 

 

 俺は『裏切り』という、最大の罪を犯したのだから……

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「すまなかった」

 

「謝る相手は私ではないと思うのだけれど」

 

「そうだな……」

 

 洗い物を終えた雪ノ下が俺の対面に座った。

 そして、俺の空になったカップに紅茶を注いでから、自分のカップにも注ぐ。

 そしてそれを手にしながら言った。

 

「あの後姉さんが、父や母に全て事情を説明したの。あなたがどうしてあんな無謀な行為に及んだのかも、うちの家族は全員理解してくれたわ。それと、平塚先生も……先生……泣いていらしたのよ」

 

「え?」

 

 意外だった。

 どんな時でも、男らしく切り抜けるあの先生が泣くなんて……あ、でも、自分の身の上考えては泣いているか……

 

「あなたと話した時に、貴方のことを止めるべきだったと後悔していらしたわ」

 

「ああ……あのときか……」

 

 雪ノ下の現状を聞きにいったあの時、先生は何かを言おうとして止めていた。

 それは、俺の心情を察して俺が無茶をするかもしれないと予期があったからかもしれない。でも、この世界では俺は多分まだ無茶をしていなかったのだ。まさか、ここまで俺が無茶苦茶だとは先生でも夢にも思わなかったのだろう。

 

「それから、城廻先輩も、一色さんも、葉山くんも、みんな酷く落ち込んでしまっているわ。みんな、何がいけなかったんだって……自分達を責めているの……でも、それもこれも全て私が原因だというのに……」

 

「それは違う」

 

 俺は即座に雪ノ下に返した。

 雪ノ下だって本来はこんな無茶をするやつじゃないんだ。きっとこうなるきっかけがどこかにあったのだ。そして、それは多分俺……

 

「もし、原因云々をいうのなら、お前だけじゃない。俺もだ。俺とお前の二人ともが悪い。だから、なんでも一人で抱え込もうとするなよ」

 

 その言葉に雪ノ下は瞳を潤ませる。

 

「本当に酷い人……冤罪だというのに、あれだけの罰を受けておいて、その罪をまだ自分で持とうとするなんて……」

 

「俺はどうせこんなことしか出来ないやつだ。でも、そんな俺でもどうしてもなんとかしたい時はある。そして、それが今回だったってだけの話だ。だから、もうお前は気にするな」

 

「そうはいかないわ」

 

「何でだよ」

 

 俺を見つめる雪ノ下は、その視線をまっすぐに俺に向けている。少し緊張しているのだろうか、肩に力が入っている様に見える。

 そして、少し間をおいてから囁いた。

 

「私は……貴方に嫉妬していたの……」

 

「…………」

 

 俺は黙って彼女の言葉を待つ。

 雪ノ下は胸に手を置いて、思いを吐き出すように続けた。

 

「貴方はある時突然変わってしまったわ。話し方も、雰囲気も、なにより考え方が。私にはその変化に恐怖も感じたのだけれど、正直その後の貴方の行動の方がもっと恐ろしかった」

 

 彼女の雰囲気は一変していた。

 その言葉は普段とちがう熱を帯びているようにも感じる。

 

「貴方は私の思いもつかない方法で依頼を解決した。そして、友人と呼べるような存在をどんどん作っていった。私は……それを見てまるで取り残されてしまったようで……怖くて……貴方は、私と同じ存在であったはずなのに……」

 

 身を捩る彼女の瞳には後悔の念がはっきり表れている。

 きっと、悩み苦しんできたのだろう……

 

 ずっと、一人で…… 

 

「私は、貴方に負ける訳にはいかなかったの……。私は、私を認めないこの世界を変えたかった。私の存在を知らしめたかった。でも、いつも上手くいかなくて……それなのに、貴方はいとも簡単に私を飛び越えて、手の届かないところへ行ってしまった……。私は……私は……、悔しかったのよ」

 

 嗚咽混じりに吐き出すように言った雪ノ下は、肩を震わせながら涙を流していた。

 後ろめたさに、酷い悔恨……雪ノ下のそれは間違いなく懺悔だった。

 でも、そんな思いも俺にはよく分かった。その苦しみは俺がずっと抱えてきたものと同じであったから……

 

「簡単じゃなかったさ」

 

「え?」

 

 俺はかつて友達とも呼べないクラスメート達と自分との、埋めることの出来なかった距離感を思いながら話した。

 

「俺はお前と同じ、ただのボッチだ。人が俺に向けるのは悪意だけだと思っていたし、人の行為には全て裏があると疑ってかかっていた。そうすることで自分を守ってきたんだよ、俺は。だけどな、それだけじゃないんだって教えてくれた奴がいたんだ」

 

 雪ノ下は涙を拭いながら俺を見る。

 

「それって、もしかして……」

 

「ああ、由比ヶ浜だよ」

 

 俺は自分の携帯の画面にまだ映る彼女の名前を見つめながら続きを話した。

 

「あいつはアホだし、頭悪いし、空気を読むしか取り柄のない奴だけど、いつも自分に正直で素直だった。こんな捻くれた俺やお前に、まっすぐに自分の言いたいことを言うやつなんだ。そんなあいつの言葉に何度救われてきたか……俺はな、雪ノ下……そんなあいつと、お前と3人でいる記憶しかもっていないんだ。それなのに、忘れそうになるんだよ……あいつのこと。それが、堪らなく苦しいんだ」

 

 忘れたくなんかない。

 俺にとって何より大事なあの奉仕部での3人の記憶。

 俺が唯一持っていた、人との絆が確かにあった場所。

 

 俺がこの時どんな顔をしていたのか……

 雪ノ下は俺を覗き見ていた。

 そして、彼女は言ってくれたのだ。

 

 俺がもっとも聞きたかった言葉を……

 

 

 

 

「教えてくれないかしら? 私に……由比ヶ浜さんのこと……」

 

「え?」

 

 

 

 

 その途端目頭が、ぎゅうううんと熱くなる。

 

 今まで俺はずっと一人で耐えてきた。

 

 ボッチだから平気だとか、そんなのは関係ない。

 

 俺はずっと、この気持ちを共有したかった。

 

 他の誰でもない、この雪ノ下と……

 

 そう……俺は理解して欲しかったのだ。俺が一人でいることを。大切な存在を失ってしまったのだということを。

 

 それが、漸くにも、『今』、叶う。

 

 雪ノ下が俺を見ながら不思議そうに言う。

 

「なぜ泣くの? 私はそれほど変なことを聞いたつもりはないのだけれど」

 

「バッカ、お前!これは泣いてんじゃねえよ。こ、心の汗が目から出ただけだ」

 

「それを涙というのよ……相変わらずの捻くれ具合ね、比企谷君。ねえ、由比ヶ浜さんはどんな子なの? どんなことが好きで、どんなことを私たちとしてきたの?」

 

 雪ノ下の瞳に涙はもうない。

 純粋に俺にそう尋ねる彼女は、まるであの部室で、楽しそうに『彼女』とお喋りをするそれだった。

 俺は不覚にもそれを思って涙を流しそうになり、慌てて目を擦って誤魔化した。

 

「よ、よし……なら、教えるぞ。なら、まずはこの携帯を見てくれ……こ、これにまだ由比ヶ浜からの着信メールとかが残っているんだ……」

 

 

 

 俺は話した。

 由比ヶ浜のこと……あいつの性格や、あいつが俺や雪ノ下につけたあだ名のこと、それに、俺達3人が巻き込まれた全てのことを……

 俺達が積み重ねてきた全ての大切な思い出を雪ノ下に。

 

 彼女はそれを興味深そうに、そして、驚きながらもじっくりと聞いてくれた。

 

 この日、俺達は、随分と暗くまるまで……帰宅した小町が雪ノ下を見て腰を抜かすまで話し込んだ。

 

 そう、俺はこの変わってしまった世界で初めて取り戻すことが出来たのだ。

 

 あのかけがえのない日常を……。

 

 

 この日、俺と雪ノ下の中に確かに『彼女』は居た。

 

 笑顔の彼女が……

 

 

 

 

 俺にはそれが何より嬉しかった。

 

 

 『やっはろー! ヒッキー!』

 

 

 彼女の明るい声が、俺にははっきりと聞こえていた。

 



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(6)陽の満ちるこの部屋の中で

 つまりあれだ。男ってのは残念なくらい単純なんだよ。話しかけられるだけで勘違いするし。手作りクッキーってだけで喜ぶの。

 

 あー、俺、あの時相当ひどいこと言っちまったなー。

 そんな後悔を今頃するなんて、やっぱ、俺だなー。

 

 俺の言葉に拗ねた顔になった彼女は、色々文句を言ってきた。

 だから、俺は核心を言ったんだ。

 あいつが本当に相手に伝えないといけないことを……

 

 まあ、なんだ……。お前が頑張ったって姿勢が伝わりゃ男心は揺れんじゃねぇの?

 

『ヒッキーも揺れんの?』

 

 そうだ、あの時俺は何も考えずに適当に話しちまったんだな……

 

 あ? あーもう超揺れるね。むしろ優しくされただけで好きになるレベル。

 

『ふ、ふぅん』

 

 それから程無くして、彼女は俺にあのクッキーのようなものを投げて寄越したのだ。

 

『いちおーお礼の気持ち? ヒッキーも手伝ってくれたし』

 

 あの時の照れたような彼女の顔が忘れられない。

 俺はまったく素直じゃなかったな……

 内心ではもらえて本当に嬉しかったくせに、誰も見ていやしないのに余計なことしやがってくらいに思っていた。

 

 ああ、そうさ。いまなら分かる。

 あいつが何の為にあんなに努力したのか……

 気が付ないふりとか、聞こえないふりとか、そんなことで彼女の努力を全部無かったことにしようとしていた。

 一番卑怯なのは、この俺だった。

 怖がって、逃げ回って、まるで子供のように拗ねていた。

 それを自意識のなせる業だとか、勝手に良い方に解釈して、なんてことはない、単に向き合うことから逃げていただけ。

 結果を受け入れたくなくて、全ての努力を放棄したのだ。

 俺は、結局自分で大切な何かに手を伸ばしていかなかっただけだ。すぐそこにあって、掴むことの出来る距離にあったものだったのに、俺は自分から離れてしまった。

 

 でも……

 

 もし、もう一度そのチャンスが訪れるなら……

 

 その時こそ、俺は……

 

 

 

 

 きっと、手を…………。

 

 

――――――――

 

――――

 

――

 

 

「……先輩、せーんぱい!」

 

「ん……あ、ああ……」

 

 耳元で声がして顔を上げてみれば、そこにはエプロン姿の一色いろは。

 

「どーしたんですか? 疲れちゃいました?」

 

 そう言われて自分を見れば、壁沿いのイスで、壁にもたれ掛かる様にして眠っていたらしい。

 周りを見れば、そこかしこで笑顔でチョコを作る大勢の姿。

 

「ああ、わりぃ。寝ちまってたみたいだ」

 

「まあ、材料の買い出しとか頑張ってましたもんね」

 

「いや、一番に頑張ってたのは、俺じゃねえよ。サンキューな、一色」

 

「ふぇっ? なっ!?」

 

 雪ノ下が講師となってチョコの料理教室を開くと同時に、一色が人数を集めて生徒会のイベントにしちまいやがった。

 

 三浦や川崎のチョコを作ったりあげたりしたいという依頼を、雪ノ下がこのような形で解決しようと言った時は本当に驚いたが、今回は俺の出番はない。

 俺に料理は無理だし、そもそもバレンタインデーのチョコなんて家族以外からもらったことのない俺に、何が出来ようか。

 後ろを向いていた一色が、急に俺を振り返る。

 なに? なんだ怒ってんのこいつ? それに顔赤いし……そんなに熱いのか?

 

「ま、まあ……そうですね……先輩方のおかげでこんなに良い会が出来ました。ありがとうございました、と、いうことにさせてください」

 

「? お、おお……まあ、分かった」

 

「それよりも……えい!」

 

「んぐっ!」

 

 突然一色にチョコののったスプーンを口に突っ込まれた。

 なに、暗殺剣かよ!

 これ、毒だったら、即死だろ!

 

「お味はいかがですか?」

 

 きゃるんっ☆ とウインクした一色が俺にそう言ってくるが、当然旨いに決まっている。

 

「ま、ああ、旨いよ」

 

「ふふ、先輩のおかげで葉山先輩にもチョコ渡せましたしねー。これは、お礼ですよ、お・れ・い」

 

 そう言って、一色は俺にポンと可愛くラッピングされたチョコが入っているのであろう小箱を投げてよこした。

 それを慌てて受け取りつつ、一色を見やれば少し照れた顔をしている。

 俺はその時、一色に彼女を重ねて見てしまった。

 そして再び動けなくなる。

 

「先輩?」

 

「いや、なんでもない。ありがとうな、一色」

 

「どういたしましてです」

 

 そんなやり取りを見ていたのかどうか……壁沿いの方から大きな声が上がった。

 

「そう言えば、隼人は昔、雪乃ちゃんからもらったよね?」

 

 声の主は今日の講師の一人として来てもらった雪ノ下の姉、陽乃さん。となりにいる葉山に話しかけるようでいて、調理室全体に響くように通る声を張り上げた。

 それにその場のみんなが固唾を飲むのが分かった。

 目の前の一色もそうだ。

 かなり動揺しているのが見て取れた。

 そんなシンと張り詰めた空気の中、透き通るような涼やかな声音が響く。

 

「そうね。小学校に上がる前くらいに。姉さんに付き合わされて」

 

「懐かしいな」

 

 全く動じていない雪ノ下が、そう答えるのに合わせて、葉山もすぐに応じた。

 場の全体が安堵に弛緩を始めたかと思った次の瞬間、再び陽乃さんの声。

 

「雪乃ちゃん、今年は誰にあげるつもりなの?」

 

 またもや挑戦するようなそんな声に、緊張が増すかと思ったその時、

 

「渡したい人くらい、いるわ……ここに……」

 

 即答だった。

 俺を見つめる雪ノ下の瞳は真剣そのもので、でも、少し悲し気でもあった。

 

 俺は少しだけ胸に痛みを感じて、視線をそらした。彼女のまっすぐな瞳を見ていられなかったから。 

 

「……そっか、雪乃ちゃんはそうするんだね」

 

 ふうぅっ息を吐いた陽乃さんは、柔らかい表情で雪ノ下を見たあと、彼女に近づいて言った。

 

「もし一人分余ったらお姉ちゃんが貰ってあげる」

 

「嫌よ」

 

 その答えにどう思ったのか、微笑みを湛えた陽乃さんはすぐに振り返った。

 

「さってと……、仕込みもだいたい終わったし、そろそろ帰ろっかな」

 

 あ、待ってくださいー、と、一色が駆け寄って何事かを話していたが、彼女はしばらくして振り向いて雪ノ下に一言。

 

「またね、雪乃ちゃん……がんばってね」

 

 それがどういう意味なのか、雪ノ下は軽く頷いたあと、チョコ作りに戻った。

 

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「お疲れさん」

 

「ええ……ありがとう……比企谷君……」

 

 着替えを終えて、表に向かってみれば、そこには壁ぞいに佇む彼の姿。

 片づけを一色さん達、生徒会の方が引き受けてくれたから私もそれに甘えたのだけれど、最後まで仕事を貫徹しなかった罪悪感が少しあった。

 それを見透かされてしまったのか、彼は優しく微笑んでいた。

 

「良いイベントだったな……お前のおかげだ、ありがとうな」

 

「そんな……わ、私は別に何も……」

 

「いや、俺一人じゃ、こんなことできやしねえよ。いつも助けられてばっかだ。本当に俺は……」

 

 そう言って彼は少し遠い目をする。

 

 また、彼女のことを考えているのかしら……

 

 私は鞄に入れた彼へのチョコに手を添えながら、でも、もう一歩近づくことが出来ないでいた。

 

 彼は変わってしまった。

 あの文化祭の後、突然部室に現れて泣き叫んで私に詰め寄ったあの日から……

 それまでの彼は、この世のすべてを憎んでいるかのように、怠惰で利己的で、全てのことを穿って見ていた。

 私にはそんな彼の気持ちなんてまったく理解できなかった。

 憎んでも……何も変わりはしない……

 変わらなければならないのは自分でなければならないのだから……

 私はそう、信じていた。

 

 それが……

 

 あの日……

 

 彼が彼女を探し始めたあの日から一変した。

 

 その時の私には、その変化は狂人の戯言の様にしか映らなかった。

 でも……

 彼がしたこと、彼が考えたこと、彼が教えてくれたこと……

 

 それまでの私には思いもつかなかったような手段で、彼は依頼を解決した。 

 正直言えば、わたしはそんな彼に嫉妬した。

 ひたむきに、真摯に、寡黙に……

 ひたすらに、依頼に、依頼人に向き合って前へと進んで行く彼が妬ましかった。

 私がしたことと云えば、努力する彼に罵声を浴びせ、嫌悪感を表情で表し、そして私の理想を押し付けていただけ……

 

 そんな彼が伸ばしてくれた手……

 

 彼はこんな私でさえも救い上げようとしてくれた。

 

 自分自身の受ける辛苦を省みることもなく……

 

 いつしか……

 

 私は、彼のことを想い慕うようになっていた。

 

 

 

「帰ろう……送るよ」

 

「ええ……ありがとう」

 

 ふたりで大分暗くなった道を歩く。

 

 彼は前を向いたままで特に話しかけてはくれない。

 でも、どこかで、これを渡さなくては……

 そして……

 そして私は彼に言わなければ……

 私が抱いている、この彼への想いを……

 

 でもなにも話せないままに時間だけが過ぎていき、そして、ついに私のマンションに着いてしまった。

 

 私は鞄の紐をぎゅっと握ったままで彼に笑顔を向けることしか出来なかった。

 出来なかった……私には……

 私には、やっぱり勇気がなかった……

 

「きょ、今日は本当にありがとう……じゃあ、おやすみなさ……」

 

「雪ノ下、これ」

 

「え?」

 

 突然差し出された彼の手には、ラッピングされた袋入りのチョコレート。

 

「こ、これは?」

 

「さっき、一色と一緒に少しだけ作ったんだ。まあ、男の俺が渡すのはなんかおかしいかな?とは思ったんだけど、お前には渡したかったんだよ」

 

 そう言って不格好なチョコを差し出す彼の表情は照れた感じで、私に向けてくれたそんな表情に胸が一気に熱くなる。

 

「ありがとう……大切に頂くわ……あ、あの……もし良かったら、わ、私の、ちょ、チョコも、貰ってくれないかしら……」

 

 言いながら、慌てて鞄のチョコを取り出して彼に差し出す。

 彼は、それを微笑みながら受け取ってくれた。

 

「ああ、さ、サンキュー……な……」

 

 その言葉に、ホッと安堵する。

 こんなに、焦ったり、ドキドキしたり、嬉しかったり、これがなんの気持ちからなのか私にはまだ良く分からない。多分、世間一般で言うところの恋とか愛とか言うものなのだろう……

 でも、それならば、その想いを伝えたところで彼に届くのかどうか……

 

 私は思い切って彼に切り出した。

 

 

「比企谷君……あなたを愛しているわ……」

 

 

 彼と私の間の時間が停まる。

 

 言ってしまってから、今口走った内容の重大さに気が付いて、脳内が沸騰でもしたように混乱してしまう。

 ど、ど、どうしてこんなことを言ってしまったのかしら……

 慌てて取り繕おうと、あれやこれや考え込んでいたら、急に目の前の彼が吹き出して笑った。

 それに呆気に取られながらも、私の告白を笑われたその羞恥がこみあげてきて、彼に詰め寄ってしまった。

 

「な、なぜ笑うのかしら?」

 

 彼はお腹を押さえてしばらくしてから顔を上げた。

 

「わ、悪い……笑うつもりなんかなかった。でも、すごくお前らしい不器用な感謝の表現だと思ってな」

 

「ち、違うわ……わ、私は本当に……」

 

 本当に……

 なんて言えばいいのだろう……

 彼を想うこの気持ちに嘘はないと思う。でも、それがどうしてこんな言葉になって喉をついたのか分からない。

 そんな不安を抱えて話せなくなった私に彼が言った。

 

「ありがとうな。お前にそう言われる日がくるなんて夢にも思わなかった。冗談でもうれしかった」

 

 その言葉に胸が締め付けられる。

 冗談なんかでは決してないのに。

 私の中で膨れ上がるあなたへの思いに嘘も偽りもないもの……

 

 でも……。

 

 私が想いを寄せるようになった今の彼に変えたのは、やっぱり『彼女』なんだろう。

 彼が教えてくれた、私の親友だったはずの彼女。

 私はそれを思いながら、彼に尋ねた。

 

「好き……なの?」

 

「それはよく……分からない……あいつと居るときに、そこまでの感情を持てるような関係にはなれなかった……でも……」

 

 誰についてかを言わないにも関わらず彼は即答した。もう、言葉にするまでもなく、私も彼も同じことを考えていたから……そして、彼は優しい言葉をくれた。

 

「大事なんだ。俺にとってなによりも……それは、お前も一緒なんだよ、雪ノ下」

 

「え?」

 

「今の俺があるのはお前達のおかげだ、感謝している。お前達がいなければ、俺はずっとどうしようもないただのひねくれ者のままだった。お前達がいなければ、俺はずっとぼっちのままで誰を信じることも出来ないままにいたはずだった。でも、俺が本当に欲しかったものはすぐ目の前にあったんだ。すぐそこにあって、俺が手を伸ばさなかったそれ……それがお前達なんだ。だからな、もう、失いたくなんかない。大事なお前たちとの関係は」

 

 私に気を使う彼の思いやりが伝わってきて、胸が苦しくなる。

 私には分かっていた。

 彼がいったい誰を一番に思っているのか……そして、その想いをどれだけ大切にしているのかを……

 

「でも……」

 

 ここには、『彼女』はいない。

 彼の知る私の親友はここには…… 

 

「もし、私だけを見て欲しいとお願いしたら、あなたは……、あなたはそうしてくれるのかしら」

 

 自分でも信じられないくらいに卑劣な言葉を私はついに言ってしまった。

 その言葉に彼がどれだけ傷つくのかを想像していたのにも関わらず、私は自分の気持ちを優先してしまった。

 

 彼は変わらずに微笑んでいた。

 その表情が、決して私のお願いを聞き入れてくれたものでないと理解しつつも、それでも自分の想いを遂げたくて、私は彼にそっと抱きついた。

 

 その時……

 

 

 私たちは光に包まれた……

 

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 

「なにお前。イケメンすぎだろ、俺の癖に」

 

「はあ? 何を言っているんだ、八幡君。ハーレム作っている自分のことは棚にあげて。だいたいこの前はついに私にまで手を出そうとしたくせに。いくら生身に戻ったとはいえ、君は女の体ならなんでもいいのか?」

 

「は? にゃ、にゃ、にゃにを言ってんだフェルズ! 人聞き悪いこと言ってんじゃねえよ。そもそも、久々の肉体だー、飯だー、酒だーって、喜んで前後不覚になっておれの布団に入ってきたのは、どこのどいつだ! だいたい、俺はまだ誰にも手は出して……って、言わせんなこのバカ!」

 

「そ、そ、そ、それでは、私が欲求不満女みたいではないか!? さすがに聞き捨てならん!取り消したまえ!」

 

「うるせえよ、ハゲ! もとはと言えば、お前が転移魔法しっぱいしたのが原因だろうが! 少しは反省しやがれ」

 

「わ、わたしはもう、どこもハゲてなぞいないぞ! 心外だ。そんなに言うのなら、この『知識の額冠』を渡すから、自分でなんとかしたまえ! ほら」

 

「いらねえよ、そんな頭の痛くなりそうな冠。お前が貰いますって言ったんだから、最後まで責任もってつかいやがれ」

 

「あれは、あの時は君が『フェルズ、お前に任せていいか?』とか、イケメンボイスで言うから、こう……胸がキュンとなってだな……」

 

「勝手に勘違いしたのはお前の方だろうが!」

「私のトキメキを返してくれ!」

 

 ぐぬぬと、目の前の二人は額を突き合わせて睨みあっているし。

 

 光に包まれた俺と雪ノ下の二人は、その真っ白なその空間で抱き合ったまま立っていた。

 そして、目の前には、さっきから何事かを言い争っている二人の人間。

 

 一人は、真っ黒なローブで全身を覆い、頭に金のサークレットをつけた青髪ロングヘアーの美女。

 そしてもう一人は、全身を黒の鈍い光沢を放つ鎧のような物で包み、その背中に、幅広の大きな剣をくくりつけた男。

 だが、その顔は、どう見ても、俺そのものだった。

 

 一瞬閃いたのは、中二病御用達のコスプレ会場でばったりあったそっくりさん。

 まあ、そんなことが起こりうるかは別としても、そもそも俺は雪ノ下を家まで送っていただけで、そんなコスプレ会場みたいなところに入った記憶なんかはないわけで、その可能性は低いように思えた。

 

 そしてもうひとつの可能性。

 

 俺がこの『彼女』のいない世界に来てしまった以上、ひょっとしたら、ここは別の世界で、この目の前にいる、俺そっくりなやつらも別の世界の住民ではないか?

 

 もしそうであれば、まさにファンタジー、まさに中二設定なのだが……

 その可能性は、次の瞬間に現実のものとなる。

 

「貴方たちは誰なのかしら?」

 

 そう呟いたのは俺の傍らにいた雪ノ下。

 

 その言葉を受けて、いがみ合っていた目の前の二人はハッとなって視線を俺たちに向ける。

 そして、俺にそっくりな顔のやつが一歩前に出て話はじめた。

 

「あー、そうだな、放っておいて済まなかった。まあ、細かい話をしても理解できないだろうから、端的に説明してやる。俺は見ての通り、別の世界のお前だ。んで、このとなりにいるのが、元骸骨で、おっさんかと思っていたら、実は女だったフェルズだ」

 

「おっさんとは失敬な! まだうら若き乙女をつかまえて」

 

「うるさいよ! お前のしゃべり方が紛らわしいんだよ。あー、まあいい。それでだな、実は、俺たちは色々あって、次元転移をすることになったんだが、その時にこのフェルズのやつがその魔法を失敗しやがってな。いくつかの次元が重なっちまった様なんだわ。その時、この世界の俺と、また別の世界の俺……つまりお前だな……が入れ替わっちまったみたいなんだ。まあ、とは言っても平行世界でしかないから、基本俺たちはみんな同じような生活をしているわけなんだが、どうもこの世界には由比ヶ浜のやつがいなかったらしい。このままだと、転移したお前らや、その周囲の連中の記憶が消えたり、最悪存在事態が消滅しかねないらしくてな……それをなんとかしろとルビス様に言われて、それでお前を元の世界に戻そうと迎えに来たってわけだ。どうだ? わかったか?」

 

 一気にそう話す目の前の俺の言葉に、俺は一言も声がでない。

 次元?

 転移?

 由比ヶ浜……

 

「って、お前、由比ヶ浜のことを知っているのか?」

 

 俺のその言葉に、目の前の俺は当たり前だとでも言うように答える。

 

「当然だろ。同じ奉仕部で、今じゃ俺の彼女だ。あ、えっと、俺の世界の由比ヶ浜とだ。お前の世界のじゃないぞ。ええい、ややこしいな」

 

 由比ヶ浜が……居る……

 

 由比ヶ浜に……会える……

 

 俺ははやる気持ちのままに一歩踏み出そうとした。

 その時……

 右手を強く握られる感触に体が止まった。

 振り返ればそこには、泣きそうな表情の雪ノ下が……

 

「いか……」

 

 イカナイデ……

 

 彼女は出そうとした声を必死に飲み込んでいる。

 その白い頬を伝う滴に、俺の胸は握り潰された。

 

 俺は目の前の俺に尋ねた。

 

「俺が元の世界に戻ったあと、こっちの世界はどうなる?」

 

 その問いに、異世界の俺は腕を組んだまま答えた。

 

「お前を送ったあと、あっちの世界に行ったもう一人の俺をこっちに連れ帰る。要は全員元居た世界に戻るってことだな」

 

「もし……、もしも……」

 

「あん……?」

 

 俺は言いかけた言葉をグッと飲み込んだ。それを目の前の俺は怪訝そうな表情で見ている。

 

”もしも……俺が戻りたくないと言ったら……”

 

 そう、俺はこの世界で何度も失いながら、手にいれることが出来たこの新しい関係を大切に思う様になっていた。なにより、雪ノ下のことを……

 

 でも……

 

 思い浮かぶのは、悲しそうに微笑む『彼女』のあの笑顔……

 

 いつも真剣に、いつも真っ直ぐに、俺に届けようと頑張っていたその想い……

 俺が蔑ろにし続けてきたそれを、俺はいつか彼女にきちんとした俺なりの形で応えたかった。

 

 俺がこうして、今雪ノ下を大事に思えるのも、一色や葉山や、戸部や戸塚達を大切だと思えるのも……全ては『彼女』のおかげ……

 俺は『彼女』を取り戻したくて、『彼女』に返したくて、『彼女』を失いたくなくて、想い続けてきただけだ……

 

 俺は理解していた。

 俺の心が『彼女』を求め続けているのだということを…… 

 

 由比ヶ浜……

 

 俺は……

 

 俺は……

 

 俺はお前に……

 

 

 

 

 逢いたい……!

 

 

 お前と一緒に居たい!

 

 

 

 

 

 柔らかく微笑む『彼女』を思い浮かべたその時、俺に抱きつく雪ノ下が声を漏らした。俺の服を震えた手で握りながら……

 

「比企谷君……彼女に……由比ヶ浜さんに会いに戻って……あげて……」

 

 俺は彼女に視線を向ける。

 そこには嗚咽を堪えたままで涙を溢れさせ続ける雪ノ下の顔……

 

 俺は、大きく息を吐いて、少し自分を落ち着かせてから雪ノ下に向かいあった。

 そして、その涙で濡れた瞳を見つめながら話した。

 

「この世界でお前を初めて見たとき、俺はお前の姿に絶望した」

 

 途端に、雪ノ下の体がビクリと跳ねる。

 俺はその肩にそっと手を置いて続けた。

 

「でも、それでも、俺はお前が大事だった。それまでの時間、お前や由比ヶ浜と過ごしてきた時間を思えば、お前が変わっていたとしてもそんなのは問題じゃなかった。俺にとってもっとも大切なことは、お前たちとの絆を守ることだったから」

 

「でも、その貴方が大切に思う私や彼女は、別人でしょう? 私……私は……」

 

 震える雪ノ下の肩をしっかり抱いて言う。

 

「同じだよ。少なくともお前は、俺の大切な雪ノ下そのものだった。そりゃあ、口は悪いし、態度も酷かったし、生意気だったけど……それでも、お前はやっぱりお前だった。お前がいなければ、俺はとっくの昔に狂って自殺でもしていたよ。ホントだ。お前がいてくれたから俺は頑張れたんだ。なあ、雪ノ下……」

 

 俺は彼女の涙をそっと拭う。

 そして、なるべく優しく、そっと、花弁に触れるようにそのきれいな黒髪を撫でた。

 

「ありがとう。お前がお前でいてくれて、本当にありがとう」

 

 俺の言葉に雪ノ下はしゃくりあげながら微笑んで見上げてくる。

 

「ほ、本当に酷い人ね……そんな優しいことを言われたらもう……貴方を引き留めることなんて出来ないじゃない……」

 

「すまん……」

 

 胸に沸き上がる罪悪感からか、口をつくのは謝罪の言葉。目の前の彼女は首を横にふる。

 

「謝らないで……貴方が他の誰よりも由比ヶ浜さんのことを愛していることを私は知っているのだから……」

 

 彼女の涙をもう一度拭ってやってから、俺は続けた。

 

「雪ノ下……お前がお前だったように、きっとこの世界の俺も俺だ。こんな世界の俺だから、相当にひねくれているだろうし、自分勝手だし、コミュ症だし、重度のヲタクだろうけど、俺は俺だ。もし、可能なら、仲良くしてやってくれ。きっとお前を傷つけたりなんかはしないはずだ。というより、きっとお前を大事に出来るはずだ。だから……」

 

 俺は笑顔で彼女を見つめた。

 

「さよならは言わないぞ。これは新しい俺たちの始まりだ。それと約束する。俺はお前のことを絶対に忘れないし、この先もずっとお前を想い続ける」

 

「ええ、わかったわ……私もサヨナラは言わない。でも……お願いこれだけは……」

 

 俺を抱きついていた雪ノ下が、スッとその顔を俺に近づけてきた。

 一瞬何が起きたのか分からないままで、突然に唇に触れたその柔らかい感触に俺は身動き出来なくなっていた。

 その時、俺はようやくにも理解する。

 

 俺は、由比ヶ浜と同じように雪ノ下のことも愛しく思っていたのだと……

 

 俺は彼女にされるがままで、その大切な存在を見つめ続けた。

 そして……。

 

「好きよ……大好きよ……」

 

 頬を濡らして微笑みながら俺に想いを告白した彼女を、俺はきつくきつく抱き締めた。

 

「ああ、俺も好きだよ。雪ノ下……」

 

 しばらく抱き合いお互いの感触を確かめあった後、俺たちはスッと離れた。

 そして気恥ずかしさに頭を掻く。

 

「ははは……、どうすっか、俺……由比ヶ浜に会って最初にこのこと話して多分泣かせちまうな。それにあっちの世界のお前にも絶対叱られる」

 

「あら? 私は私なのでしょう? ならきっと、貴方達の関係を祝福するはずだわ。私にとって大切な貴方達と共にいるためならば……」

 

 その彼女の言葉を最後に、俺は向きを変えて異世界の俺の前に立つ。

 その俺も、顔を真っ赤にしたままで頭を掻いていた。

 

「も、もういいのか? な、なんか俺たちめっちゃ悪いことした気分なんだが……」

 

「そうだな、お前らのせいでとんでもない目に遭った。でも、もういい。俺にとって、大切な物が分かったから」

 

 その言葉にぽかんとなった、その俺が呟いた。

 

「なあ、お前ホントに俺か? イケメンすぎだろ!?」

 

 それには答えず、さっさとしろと目で促した。

 すると、隣に立っている青髪の美少女が手にもった杖を大きく振り上げて、何事かを唱える。

 すると、眩い光が彼女を中心に溢れだし、俺たちはその光に包まれた。

 そしてその光の粒子に溶け込むように、次第に俺達の体は掠れ始める。

 

 後ろには雪ノ下が居るはずだ。

 サヨナラは言わないと言った。

 それと、今の彼女の顔を見てはいけないことも理解していた……だって……

 

 絶対に俺と同じ顔をしているはずだから……

 

 涙と鼻水が漏れ続けたぐしゃぐしゃの顔のままで、体が震えるのを必死で抑える。そんな俺に向かって彼女が叫んだ。

 

「……あなたに逢えて、本当に嬉しかった……ありがとう! 比企谷君!」

 

 その必死に嗚咽を堪えて張り上げたであろうその言葉に、俺は何も喋れないままで、握り拳を突き上げることで答えた。

 

 

 その日……

 

 

 俺は、愛しい『彼女』が居る、懐かしいあの世界へと帰った。

 

 

 大切な想いの詰まったチョコを胸に抱いて……

 

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 部室の窓を開けると、少しあたたかな風が舞い込んできた。

 もう、そろそろ春なのね……

 

 私は、窓辺のテーブルに置いたポットからお湯を注いで紅茶を淹れた。

 春風にたゆたいながらその香りが広がっていく。

 私は長机にティーカップを二つ用意して、それに丁寧に紅茶を注ぐと、それを持って長机の反対、そこに座る目付きの悪い彼のところへ行って、そのひとつを差し出した。

 

「紅茶を淹れてみたのだけれど……」

 

「お、おお……」

 

 彼はそれを一瞥しただけで取ろうとはしない。

 だから、私は声をもう一度かけた。

 

「飲まないの?」

 

「猫舌なんだよ俺は……」

 

 そう言ってから素早くカップを持ち上げて口に運んだ彼は熱さに体を震わせる。

 それを見ながら、思わず微笑んでしまった私に、彼は怪訝な眼差しを送って来た。

 そして、彼の斜め隣……そこに置いた椅子に腰を下ろしてから話始めた。

 

「さて、何から話そうかしら?あちらの世界の由比ヶ浜さんのこととか、わたしのこと?それとも、こっちの世界にいた最高にかっこいい貴方の話でもしましょうか?」

 

「悪い冗談だ。俺がかっこいいわけねえだろ」

 

「あら? いつだったか言っていたでしょう? あなた。目付き以外は標準以上だって……ふふふ……あなたが優しい人だってこと、もう知っているのよ」

 

「ああ、そうかよ……さて、じゃあ、話すとしますか……」

 

「ええ……」

 

 いつだって大切なものはすぐ目の前にある。

 

 本当にその通りなのかも知れないわね……

 

 私も、きっと大切なものを手に入れてみせるわ……

 

 本当にありがとう……

 

 

 

 ……私が初めて愛した、優しい……

 

 

 

 ……比企谷君……

 

 

 

 

 了

 




※この作品に出てきました、異世界の八幡とフェルズという二人は『八幡達のDQⅢから始まる異世界探訪。』シリーズのキャラクターになります。
このシリーズも後に掲載予定となります。


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【ユイ・トキ】
(1)由比ヶ浜結衣? お前、誰だよ


この作品は、所謂『ユキ・トキ』の裏話になります。


 その日……

 

 俺は人生で初めて、女子を泣かせた。

 

「何で……、どうして……?」

 

 彼女は俺をまっすぐに見つめながら、大粒の涙を溢れさせる。その苦しそうな表情に俺は心臓を握りつぶされるかのような痛みを覚えつつも、どうしたら良いのかまったく分からないでいた。

 彼女はなぜ俺を見つめる?

 彼女はなぜ俺に関わるのだ?

 答えの出ないその問答に苦しみつつ、でも、なんて声を掛けていいのかも分からないままに時だけが静かに過ぎていく。

 そして……

 

 俯いた彼女はただ黙って、俺の前から立ち去った。

 

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 

 高校生活とは、夢や希望に溢れた中で自己修練に勤しみながら進路を決定する大事な時期であると、いつか誰かが言っていたことを思い出す。

 しかし、果たしてそれは事実なのであろうか?

 確かにこの先に待ち受けるであろう大学入試、就職活動といった人生の一大分岐点を目前としたこの高校時代とは様々な経験を積む良い機会なのかもしれない。

 勉学に励んだり、部活動に邁進したり、多くの生徒はそれらステータスの獲得に躍起になっている。

 在学中にさまざまな未来予想を立てつつ、そこへ進むための勉強をするということこそ、高校生の本分であるようにも思えるくらいに。

 だが、考えてみて欲しい。

 どんなに知識として将来の望むべき姿を想像しようとも、それはあくまで脳内に描かれた妄想……空想の域を出ないものに他ならない。

 それにいったいどれだけの価値があるというのか?

 社会へ出れば、そこでは自分の思いも寄らない理不尽な要求がつぎつぎと投げかけられ、そしてそれに押しつぶされそうになりながらも、金を稼ぐ為に働かざるを得ないことは目に見えている。

 心の病に陥りそうになりながらも、仕事がなくなってはまずいからと押して働いて家と会社と病院を行き来する日々。

 そんな人生の予定を一体誰が立てられるというのだ?

 しかるに高校生活では、そんな分かりもしない将来の為にわざわざ無駄な労力を割く必要などないと考える。それこそ、大学受験のための最低限の勉強さえしておくくらいで、後は自らのパーソナリティの補完の為に全力を尽くした方が何十倍も有益なのである。

 具体的に言えば、ゲームやラノベ。

 

「ふひ」

 

 煩わしい交友関係や、著しく時間を束縛される部活動など、本来はまったく関わりたいものではないのだ。

 しかし……

 残念ながら俺は部活動に所属してしまっている。

 俺の高尚な思想を理解しない暴力女教師によって、俺はなんの因果か『奉仕部』なる得体の知れない部活動へと放り込まれたのだ。

 まったくこれほどの時間の無駄はない。

 まず活動内容が不明瞭。そして部員もたった一人しかおらず、その部長にはさんざん罵詈雑言を食らう始末。まあ、絶世の美少女であることは認めよう、本人も言っていたしな。だが、あれはない。

 何をして良いのか分からない部活で、暴言を吐きまくる女部長(可愛い)を相手に、いったい何をどうしろというのだ? 少なくとも、俺にはあんな傍若無人な女に合わせる気はまったくないし、そんなことに労力を割こうなどとは微塵も思っていない。

 そう、俺は達観した。

 入部してから半年……

 文化祭も終わり、ほぼ東西冷戦と呼んでも良い会話のないこの部活の活動にも大分なれてきた。

 要は一人でいると思えばいいのだ。同じ教室にいる彼女は、絵画かなにかだと思えばそれでいい。

 なるほど、そう思えば、雪ノ下さんは中々に良い作品であると謂える。

 独創的というよりは、単に毒舌なだけなんだけども。

 まあ、いい。今日もいつもと変わらない部活をすれば良いだけだ。

 そう……部活動と言う名の読書を。

 丁度新作のラノベも購入してきたところだし、ふひひ。

 

 そして俺は部室の戸を開けた。

 

「やっはろーヒッキー」

 

「こんにちは、比企谷君」

 

「は?」

 

「でさ、ゆきのん、このお店ね……」

 

 瞬間、俺の思考は停止した。

 

 だって……

 

 目の前に、知らない女がいて、楽しそうにあの鉄面皮の筈の雪ノ下と話をしていたのだから。

 



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(2)比企谷八幡の懊悩

 これはいったいなんだ?

 なにがどうなっているんだ?

 俺は目の前の光景に正直絶句した。

 

 部室の場所はいつもと同じ場所。人気のない特別棟の三階で間違いなかったはずだ。だというのに、中はまるで別世界。

 普段であれば、窓辺に椅子を置いて、そこにあの絵になる無表情部長様が姿勢正しく腰を掛けて読書をなさっておいでのはずが、確かに部長様はいらっしゃるのだが、そこは窓辺ではなく、会議用の長机を置いてその端に腰を下ろしていたのだ。

 いったいどこから調達したのやら、高価そうなティーセットに香しい紅茶を淹れて、それをカップへと注いでいるのだ、しかもにこやかに微笑みながら。 そしてこともあろうにこの俺にむかって『こんにちは』等と挨拶までよこしてきた。 

 それだけでも異常事態すぎるというのに、そこにはさらに驚異の異物が存在していた。

 微笑む雪ノ下が紅茶を淹れている相手がそこにいた。

 彼女の隣に腰を下ろしていたのは丈の短いスカートに着崩した制服姿の明るい茶髪の女子生徒。雪ノ下と楽しそうに会話するその女子は、笑うたびに結ったお団子がひょこひょこ揺れて、見ていて面白くもあるが、どうみても真面目ではない系のビッチ属性肉食女子。なに? 依頼者?

 あのお堅い雪ノ下といったいどういう接点があるというのか? どう考えても友達になどなれそうもないのだが、二人の会話は弾んではいるようだ。

 いや、そうではなく、もっと重大な事案として、このビッチ女子、こともあろうに初対面のこの俺に対して、いきなり訳の分からない呼びかけを放っている。

 なんだっけ?

 あっはろひっき? やっほろにっき? ひょっとして八代亜紀(やしろあき)か? 別に俺はファンでもなんでもないんだけど。 

 こいつは一体何語をしゃべっているんだ? 意味わからん。

 いやいやそうではなくて、そもそもなんでこいつは俺に向かって話しかけてきやがったんだ。

 意味不明だとはいえ、いきなり躊躇なく男に声をかけるのは流石に節操なさすぎだろう。なに? まさか俺のこと好きなのか? つまり美人局か? そんなんで引っかかる俺ではない、舐めるなよ。まあ、もう一押しされたら間違いなくころっと行ってしまいそうではあるが。

 

「何をしているのかしら? 早く座りなさい」

 

「ひゃ、ひゃいっ?」

 

 悶々と思考していただけの俺は、急な雪ノ下の声で現実に引き戻された。が、いったい何をどうすれば……

 普通に考えれば、そこの空いている椅子に腰をおろせということなのだろう。目の前の長机には椅子が全部で三脚置かれていて、一番向こうの椅子に雪ノ下、そしてその隣にあの正体不明の茶髪お団子女が座っていて、残る一つは雪ノ下の対極、一番廊下側で少し離れた位置に置かれていて女子二人からは少し距離があるにはあるのだが……

 女子と同じ机について、果たしていいものやらどうか……

 ごくり。

 思わず緊張から唾を飲み込んだ俺は、高速で考える。

 この状況はどう考えてもおかしい。

 普段と全く違う挙動の雪ノ下もそうだが、この机などのセッティング……明らかに俺を嵌める気まんまんのポジショニングではないか。

 これはあれだろう、俺が構わずにそこの椅子に座った途端に、そこの茶髪女が、『うわ、なに普通に座ってんの? キモ!』とか言って、仰け反って逃げるあれだろう?

 いや、これだけの大掛かりのセットだ、そんな単純なもので終わりはすまい。

 多分、廊下や、教室の影に他にも女子が隠れていて、俺が椅子に座った途端に一斉に現れて、『キモイ、うざい、〇ね!』三連コンボを叩きつけつつ、引きつってしまった俺の顔をパシャパシャ写メに収めて笑いの種にしようとかっていうあれだろ?

 ふふふ……そうは問屋が卸すものか。その程度の攻撃、既にマスターレベルで経験済みだ。どこから来ようとも俺は決してそのターゲットになる気はない。

 つまり今俺がなすべき最適解とは……

 

 このまま帰ってしまうこと。

 

 そう、これだ。

 あ、用事を思い出した! と、すっとぼけつつ、くるりと向きを変えて部室を後にすればいい。たったそれだけで、俺はこの窮地を脱することが出来るのだ。

 くっくっく……

 俺を罠に嵌めようったってそうはいかない。簡単にひっかかってなるものか!

 

「あー、俺な……」

「紅茶……冷めるわよ」

「お、おお……」

 

 俺の前まで雪ノ下が歩み寄って、ことりと置いた紙コップに紅茶を注いでそんなことを言うものだから、思わず返事をしちまった。

 そこはさっきから見ている空いた椅子の前。

 つまり、とにかくここに座れというわけだ。

 ええい、ままよ。

 俺は覚悟を固めてその椅子に座る。

 そしておそるおそる視線を彼女達の方へと向けてみると……

 

「そういえばさー、修学旅行京都なんだよねー? あたし沖縄が良かったなー」

 

「あら、京都だって見るところは色々あるわよ。この国の文化を直に見て、触れて……」

 

 そんな風に普通の会話を続けているし。

 あれ? これは俺を嵌める罠じゃなかったのか? 

 いや、そもそも、なぜ俺を罠に嵌める?

 たいして面白いリアクションをとれるわけでもない俺を、衆人環視も何もないこの状況で嵌めても、それほど面白いというメリットはない。

 ということは、まさかこれは本当になんでもない、ただのお茶会?

 俺は目の前で湯気を上げて香る紅茶を見つつ、そっと手を伸ばした。

 ひょっとしたらこれも何かの罠で……

 と、思えなくもなかったが、あまりにも非日常すぎて最適解を得ることが出来ず、今は思考を放棄して成り行きに身を任せようと思い始めていたのだから、俺はそれを飲むことにした。

 そして、紅茶のカップを口に運んだその瞬間……

 

「うあっち!!」

 

 滅茶苦茶熱かった。

 すっかり俺が猫舌だってことを忘れていたのだが、そんな俺のリアクションに、振り向いたお団子さんがとんでもないコメントを入れてきた。

 

「ヒッキー大丈夫? 気を付けて」

 

「へ?」

 

 その声は罵倒でも、侮辱でも、嫌悪でもなんでもなく、ただの心配……?

 明らかに不安そうに俺を見つめてくる彼女は、今にも俺に手を伸ばしてきそうな感じで顔を近づけてきた。思わず仰け反って逃げたわけだが。 

 

 へ? へ? どうして俺を心配してるんだ、こいつは。

 いったいこいつはなんなんだ? 誰だ? どこのどいつだ? 

 

 まじまじと見つめてくるその顔立ちは整っていて間違いなく万人が可愛いと評するだろう、そんな彼女が気安く俺へと語り掛けてきているこの状況に、心拍数が跳ね上がるばかり。

 本当になんなんだ。ハニトラならもうそれでいいから、さっさと終わらせてくれ。もうこんな状況耐えられない。

 

 俺はこの緊張状態から逃れようと、思い切って彼女に聞いてみることにした。

 もうこれしか方法はないと思えたから。

 

「なあ、お前はいったい……」

 

 その時だった。

 

 ガラガラ

 

「やあ」

 

 入口の戸が開いて現れたふたつの影。

 そこに居たのは、茶髪イケメンのいかにも青春を謳歌していそうな二人の男子の姿だった。



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(3)知らない約束

「ヒキタニ君! いや、ヒキタニさん! オナシャス!!」

 

「は?」

 

 何がどう流れてこうなったのか、まったく不明だが、どうもこの茶髪のチャラ男が、どこかの姫様だか、雛様に告白をしたいらしい。というか誰だこいつ? 馴れ馴れしく俺に笑顔を向けてきているのだが、どこかで見たような気もするが、俺には覚えがない上に、そもそも俺ヒキタニじゃないからな、失礼にもほどがあるから! 

 同卓の女子二人はといえば、雪ノ下部長は不服そうな顔をしているものの、例の正体不明のお団子さんは随分と乗り気で雪ノ下をゆすりながら助けてあげよぅよーと、まるでスーパーで駄々をこねる女児のように頼み込んでいるし。

 あ、それ100%雪ノ下部長がブチ切れる展開だ! 

 こいつは自分に対してだけでなく人にもかなり厳しい事に定評があるのだ。だからすぐにキレて罵倒して……

 そう思っていたのだが、なにやらお団子さんに説得されてしまい、困惑顔で俺を見てくるし。

 というか、お団子さんも、あのチャラ男も、もう一人のイケメンマスクも俺を見ていやがるし。

 いや、なんで俺を見るんだよ。見るんじゃねえよ、き、緊張しちゃうだろ!?

 当然一言も話せない俺なわけだが、連中があまりにも熱い眼差しを送ってくるもんで身動きできないでいると、俺をヒキタニさん呼ばわりしたあいつが、ずいと顔を寄せてきて言った。

 

「ほらヒキタニ君? 俺ら一緒に千葉村で花火した仲じゃん? マジオナシャス!」

 

 もう一度ウインクしてきたんだが、いったいこいつは何を言ってるんだ? 

 『千葉村』だぁ? んなもんあるか、千葉にあるのは村じゃなくて『千葉市』だっつーの。

 というか、何やら熱い視線を感じて、あのお団子さんを見て見れば、なぜか頬を朱に染めて、俺と目が合った途端に逸らされた。

 え? なにこれ?

 なんでこいつあんな反応してんだ?

 単にこのチャラ男が、千葉村だか、花火だかの話をしただけじゃねえかよ?

 ええい、くそっ! 本気で意味が分からねえ。

 いったいこれは何の茶番なんだよ? 

 こんな知らねえ連中に、さも仲良しのような感じの気軽さで声を掛けられなけりゃならねえんだよ。俺に関わんじゃねえよっ‼ くそっ!

 

 結局その後、俺は一言も発さずにこの話し合いのような寸劇は終了。どうもあのチャラ男が告白するのを俺達が手伝う云々な感じでまとまったらしく……というか、このお団子……『由比ヶ浜』というらしいのだが、勝手にどんどん話を進めてくれた挙句、修学旅行の京都で告白までの筋道を手伝うことに決めてしまった。

 てっきり何かの依頼人かと思っていたのだが、こいつも部員であるらしい。いったいいつ入部したのやら。

 まったく俺に相談もなしになんてことを……などとは全く思わない。

 俺にとっては誰がどんな活動をしていたとしても、それらは本当にどうでも良い話しであったのだから。

 

 その後、男たちが消えた後に、なにやら眼鏡をかけた得体の知れない女が現れ、ひとりで喚き散らしながら、ちらちら俺に意味ありげに視線を送ってきたりしていたわけだが、俺は当然それに気が付かない振りを断行した。

 当然だ。ちょっとでも反応しようものなら、俺が相手出来ると思い込んで、更に踏み込んだ会話を仕掛けてきやがるかもしれないと思ったし。

 いずれにしてもだ。こんなに賑やかな部室は初めてだ。いつもは静まり返って本のページをぺらりぺらりと捲る音だけが響いていたはずのあの部室は、今やどこぞのイケイケサークルばりに人が集まってさも楽しそうな雰囲気を醸していた。これはマジで非常事態だ。

 だというのに、この部のもう一人の存在……雪ノ下部長はそれに何を言うでもなく、むしろこの状況で当たり前だとでもいうような感じで事態を受け容れてしまっているふうだったし。

 

「はぁ」

 

 俺は全く理解できていなかったが、この変わってしまった現状をとりあえず受け入れるしかないかと思い始めていた。だがどのように思考していいのか方向性も定まらない。

 少なくとも、俺のあの穏やかな孤独のひと時は完全に消滅してしまったことは間違いないようだったが。

 

 完全下校時刻が近づき、部長様の『今日はここまでにしましょう』という言葉をきっかけに俺は部室を出た。

 そしていつも自転車を置いている駐輪場へと向かいながら今日の出来事を再度思い返していた。

 確かに朝から異変はあったのだ。

 いつも通り登校してみれば、なにやら周囲の女子達の視線が突き刺さってくるようにも感じた。身に覚えはまったくなかったが、過去にもこのような経験はあったし、多分、どこぞの誰かが俺のあらぬ噂を吹聴したりしたのだろう、俺が女を泣かせただとか、俺が暴言を吐いただとかな。

 この極めて紳士であることを心掛けている俺が、そんなことをするわけがないというのに、集団というものは本当に恐ろしい、根も葉もないところに大木を植えてしまうのだからな。とはいえ、それだけのことだろうとは思った。

 つぎに、クラスへ入ってみれば、席が変わっていた。これもまあ同じような理由だろう。俺は当然スルーして何もなかったように位置を変えられたその自分の机にサッと座る。ふっ! こんな対応の取れる俺、超クール!

 そして、しばらくして驚愕の事件が起きた。突如小柄で超キュートな女子が俺へと話しかけてきて、こともあろうに修学旅行で同じ班になろうよなどと言ってきたのだ。しかも、名前呼び捨てで、俺を『八幡』って‼

 だ、だが、俺はこれにも動じなかった。

 過去にも、誹謗中傷や暴力を振るわれた後に、こうやって女子に声を掛けられた経験はあったからだ。基本ハニートラップでひょいひょいついて行ったが最期、再びもの笑いのネタにされることになるのだが、中には本当に罪悪感から俺へと謝ろうとしてくれるやつもいて、そんな時はしばらく仲が良い状態を維持できるのだが、時間とともに当たりがきつくなり、最後はやはり、『キモイからもう話しかけないで』と言われて終わる。

 つまり、この目の前の彼女は、クラスのみんなが俺への嫌がらせに興じることへの罪悪感からこうやって声をかけてきているだけで、その正体は決して好意では……ない!

 ふう、危なかった。ここはやはり紳士モードでいかなければ。

 と、彼女に笑顔で応じて俺は紳士を気取ったりしたのだった。

 

 そう……いろいろ異変はあったのだ。嫌われ者の俺は確かに安定の嫌われ者だったというだけのことだ。

 だが、最後のあれは異常すぎる。キングオブ異常といえる。

 訳の分からない集団に囲まれて、なにか親し気に俺にも声を掛けて来ていたし、いったいあいつらはどういうつもりなんだ?

 それにあのお団子の由比ヶ浜だ。

 今日、あの部室の中にあって、あいつが一番俺に声を掛け続けていた。

 それに、何やら視線も熱い感じだったし。

 俺、あいつに会ったこともないはずだが、これはあれか? 過去に何かあいつと関わったことでもあったのか?

 

 そもそも一番反応してたのはあの、確か戸部とかいうチャラ男が千葉村だかの話をした時だ。あのとき、目が合ってはっきり言って超可愛いい反応していたしな、あれはいったいなんだ? 恋愛ゲームのフラグ立っちゃったみたいな感じに見えた俺、ちょっとキモすぎるな、我ながら。

 というか、千葉村? はて……いろいろ考えて思い起こしてみれば、どこかで聞いたような気もするが……なんだっけ? えーと、えーと……

 

「ヒッキー」

 

 急に背後からそんな声が聞こえて思わず振り返った。

 その声はあの由比ヶ浜。そういえば、今日ずっとこの言葉を連呼していたが、まさかこれ俺のニックネームか?

 『比企谷』だから『ヒッキー』なのか? いやだよこんなヒキニートみたいな称号。

 俺は孤独を愛するナイスガイだが、引きこもりでもニートでもなんでもねえよ。ちゃんと世間様には対応してんだから!

 

「ヒッキー」

 

 駆け寄りながら由比ヶ浜は再び俺へと言った。そして近くまできて、少し息を切らせながら俺へと微笑みかけてきた。彼女の息遣いに合わせてなにやら甘い香りが漂ってくるような気がしたが、ヤバい超ドキドキする。

 

「な、なんですか?」

 

「あ、あのね? 今日ヒッキーいつもと少し違ってたから、なんかあったかなって思って、少し心配になって……」

 

 鞄を片手に息を切らせながらそう言う彼女の言葉に俺は首を傾げた。

 いや、いつもも何も、俺はそもそもこいつとは初対面。というより、今日のメンバーは雪ノ下以外は全員初対面だ。

 まあ、同じ学校だから、近くにはいつもいたのだろうが、俺から関わる気は一切なかったのだからわかるわけがない。つまりこいつは普段から俺を見続けていたやつってことか。なに、ストーカー?

 

「い、いや、大丈夫……だ。俺はいつも通りだ」

 

 とりあえずそう言うと、彼女はさも安心したとでもいうようにホッと安堵した。

 

「そっかぁ、良かった。またあたしヒッキーに嫌な事しちゃったかなって、少し不安だったんだ。ねえ、ヒッキー? さっきさ、トベっちが千葉村の花火のこと話したときさ、ちらっとあたしを見てたでしょ? ひょっとしてさ、あの時の『約束』を思い出してくれてたのかな? とか……? あ、あはははははは、な、なに言ってんだろうね、あたしってば」

 

 そんなことを言いながら真っ赤になった顔を手でパタパタと仰ぐ由比ヶ浜。俺はそんな彼女に思わず見惚れてしまっていたことに気が付いて、慌てて顔をそむけた。

 

「あ、あの、変なこと急に言ってごめんねヒッキー。じゃあ、あたし帰るから。トベっちの応援頑張ろうね。じゃあね」

 

 彼女はそう言って再び小走りに正門の方へと駆けていく。

 

 俺はただ……

 

 小さく彼女へとむかって片手を上げたのだった。

 

 『約束』……?

 



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(4)修学旅行

 由比ヶ浜に言われた事が本当に理解できなかったが、俺は特に何をするでもなく、今までと同じように過ごしていた。

 確かに奉仕部は変わってしまっていた。近づくなオーラを放ちまくっていた雪ノ下部長は紅茶を嗜みつつ世間話に興じるほどには軟化していたし、例の由比ヶ浜も当たり前の様に毎日部室に来ていた。

 そして俺はそんな二人から少し離れた場所で本を読む。

 その行為自体は以前と変わらないものではあったが、時折二人から……とくに由比ヶ浜から一言二言質問をされるようなこともあり、俺はそれに適当に答えるようになった。

 普通の女子の反応であれば、そもそも気持ち悪がって俺に近づくことすらないというのに、こいつときたら俺が何を言ってもきちんと応答するのだ。よくもまあ、こんなに色々と話を振ってくるものだと、そのコミュ力の高さに感心してしまうところだが、それがそんなに嫌でないと思っていることに俺も気が付き始めていた。

 雪ノ下もまた、由比ヶ浜と話すときには、柔らかな表情になっているし、これがあの氷の女王と同一人物だとは到底思えなかった。

 俺はこの今の関係が、まるで以前からずっとこうであったかのように思い始めていた。

 そして、この居心地の良さに自分でも知らず知らずのうちに、奉仕部へと向かうことを楽しみに感じるようになっていたのである。

 人に受け入れられているという感覚が、こんなにも安らかな気持ちをもたらせてくれるのだということを、俺は初めて知ったのだ。

 だが……

 それがただの身勝手な思い込みであったのだということを……

 俺はすぐに知ることになる。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 幾日かが過ぎ、修学旅行の当日を迎えた。

 俺は新幹線に乗り、例の『戸塚君』と並んで座っていた。いや、マジで驚いた。

 こんなに可愛い『男』が実在するなんて……

 まさにリアル男の娘。もうこの世界に女は不要だろう。もう戸塚がいればそれでいい。あれ? 俺は禁断の扉を開いてしまったのか? いや違う! 戸塚は男じゃなく、性別戸塚だからセーフだ! 戸塚~~~~!

 

 そんな風に浮かれてしまったのは、非日常的なこの修学旅行という空間の御蔭なのだろう。俺は普段よりも気持ちが弾んでいることを自覚しながら珍しくこの行事を楽しんでいた。

 だが、それだけではだめなのだ。

 今回は奉仕部として、件の依頼をこなさなければならない。

 うちのクラスの戸部の告白の手助けを。

 具体的には、戸部と海老名さんの二人を一緒に行動させて、その都度戸部が良く見えるようにサポートをする。

 とはいえ、そんなこと、人づきあいの苦手な俺に出来ようはずもなく、ほぼ由比ヶ浜におんぶに抱っこで任せきりではあったのだが。

 当の由比ヶ浜はなぜかずっと俺の傍にいた。

 実はこいつ……

 俺と同じクラスだった。

 まさか一緒だとは思わなかったが、流石に半年間気が付かなかったことについては、やはり俺の防御の厚さの為せるわざと言えるだろう……俺はいじめなどの被害に遭わないようにと、万全を期して目立たないように、息をひそめ続けていたのだから。

 流石、俺!

 だが、今回は無視するわけにもいかず、一緒に行動しているわけだが、行くところ為すところ、カップルが行くとこばかりで、まあ、例の戸部の恋愛の手伝いをしているのだから当たり前なのだが、俺は本気で恥ずかしい思いしまくりだった。

 例の葉山とかいうイケメンも一緒に行動だったわけだが、本当にこんなことで告白成功するのかね?

 俺は由比ヶ浜に引きずられるように、ただ移動を繰り返していた。

 

 そして思い知ったこと……

 

 それは、結局俺ではなんの役にもたちはしないのだということだけだった。

 

 当たり前だろう……なにしろ、恋愛に関して百戦錬磨っぽい由比ヶ浜でさえ禄に二人の仲を取り持つことは出来ていないのだから。

 だから俺は成り行きに任せることにした。

 要は『何もしない』。 

 俺は由比ヶ浜たちが作った手順書に従って、ただ修学旅行の班行動を共にするだけにした。

 やはり俺に恋愛話は重すぎる。

 今まで一度だって告白は成功したことはないし、そもそも女子とどう向き合っていいのか分からないのだから。

 だから、あえて踏み込んで行動したりもしなかった。

 

 ホテルで雪ノ下と売店で遭遇した時も俺からこの依頼の進捗について話すこともなかったし、同室の戸部にアドバイスをいれることもしなかった。

 そう、俺はただ、成り行きに任せたのだ。

 

 人の好きや嫌いに関してなど、それこそ他人からすれば本当にどうでも良い事で、そもそも、その成果を人に擦り付けようという行為そのものが烏滸がましいのだ。

 戸部は戸部、俺は俺。

 由比ヶ浜のように、あえてこの依頼を戸部の望む形で達成してやる必要なんかは当然ない。

 あの葉山とかいうイケメンマスクや、他の連中と同じように、ただ頑張れよと応援だけしてやっていればいい。

 俺はそう、断じていた。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 修学旅行の最後の夜、俺達はとある観光スポットでもある竹林に居た。

 その小路で震えながら佇むのはあの戸部だ。

 それを俺と雪ノ下、由比ヶ浜、それに、葉山たち戸部のグループの連中も隠れて静かに見守っていた。

 みんな一様に緊張した面持ちであることは分かる。

 だが、この結果は容易に想像できる。

 戸部はまずまちがいなく振られるだろう。

 これは俺の経験側からも判断できることだが、海老名さんの戸部に対しての接し方は友達としてのそれの延長線上にしかなかった。それをこの数日間、俺はまざまざと見てきたんだからな。

 友人としての関係を維持したいと考えるのなら、一歩踏み込んだ関係になるのは悪手でしかない。周りの見る目も変わるし、自分もそれに合わせて対応を変える必要が出てくる。彼女がそれを望んでいるとは到底思えなかった。

 まあ、戸部の気持ちは分かったが、無理なものは無理。いっそこのまま振られて永遠にお別れした方がいっそうすっきりするだろうよ。

 それよりもこの状況だ。

 いくら依頼だとはいえ、このせまいところに、女子二人とほぼ身体を密着させて隠れるのはさすがにやばい。良いのかな、俺このままで。

 俺実は今、人生で一番女子に近づいてるんじゃないか?

 

「あ、きたよ」

 

 小声でポソリとそう言った由比ヶ浜の言葉にハッと我に返る。あぶないあぶない、女子の傍に居られて思わずニヨニヨしていたなんて、知られるわけにはいかねえからな。気を引き締めねえと。

 そう思いながら、表情を引き締めた俺は、それを見守った。

 

 竹林の小路の向こうから現れたのは海老名さん。彼女は戸部の前まで静かに歩み寄ると、顔を見つめながら足を止めた。

 その表情は、透明で無機質な笑顔。喜びも、困惑も、何一つその表情には現れてはいない。

 あ、これはもう駄目なやつだな。ご愁傷様、戸部。

 

「海老名さん、俺……、俺さ……」

 

「うん……」

 

 緊張しつつもなんとか告白しようとしている戸部。

 それを静かに聞いている海老名さん。

 俺はもう結果の見えたその光景をただじっと眺めていた。

 そんな俺は、誰かの視線を感じて、ふとそっちを見た。そこには、俺を苦しそうに見つめてくるあのイケメンマスク葉山の顔。

 なんでこいつ、俺にこんな縋るような目をむけてんだ? いったいどういうつもりだよ……

 

「あの……俺さ!」

 

 葉山の視線の意味が分からないままでいたところに、戸部の声がもう一度響いて、俺はそっちを見た。

 と、その時だった。

 

「やあ、戸部、姫菜……話し合いは上手くいってるかな」

 

 緊張して時を止めていた二人の前に突如現れたのは、さっきまで俺を見ていたあの葉山。

 奴は爽やかな表情のままで二人へと近づいた。

 

「二人とも怖い顔してるけど大丈夫だよ。姫菜も戸部のこと嫌ってないし、戸部は今までもずっと姫菜との関係を大事に思ってきたんだから。だから、ここで無理して自分の想いをぶつける必要はないよ。大丈夫、ふたりとも、もっと仲良くなれるから」

 

「隼人くん」

「隼人くーん」

 

 にこりと微笑んだ葉山に、海老名さんも戸部もホッと安堵した顔に変わっている。

 そして他の男二人も木陰から現れて戸部たちの周りへと集まって声を掛け始めた。

 海老名さんも含めた全員が笑い合っているが……

 

 なんだこれは?

 

 俺は正直、目の前の全員の行為が全く理解できなかった。

 確かに全員穏やかで楽しそうにしているように見えるが、これは完全な茶番だ。作られた笑顔だ。

 誰も心から笑ってなんかいない。

 決意した戸部は、その想いを吐き出してもいないし、海老名さんだって、その戸部の心中は知らないままだ。

 他の男にしたって、戸部を応援しているだけで、会話を合わせているだけ。

 葉山にいたっては、考えるまでもない。

 こいつは自分の言葉ひとつでこの関係を構築しやがった。

 戸部の気持ち、海老名さんの気持ちを作文しながらこの関係に導いた。

 この上っ面な関係に……

 

 そんな葉山が、俺をちらりと見た気がしたが、俺はそれを無視した。

 

「色々ありがとう、雪ノ下さん。手伝ってくれて感謝しているよ」

 

 葉山はそう言って雪ノ下へと頭を下げる。

 それに雪ノ下は静かに応じた。

 

「依頼はあくまで戸部君の告白のお手伝い……だから、今回は何の役にもたっていないし、それに、この結果を貴方が望んだのであれば、むしろ私達は見当違いであったことになるのだから、お礼を言ってもらう必要はまったくないわ」

 

「それでも……ありがとう」

 

 きゅっと一度唇を噛んだ葉山が、でもすぐに表情を笑顔にもどして、例のグループに戻っていった。

 雪ノ下もまた、『もう帰るわ』としかめっ面になって元来た道をすたすたと歩み去ってしまう。

 それを俺と由比ヶ浜は、ただ、呆然と見つめていた。

 

 暫くして誰もいなくなってから、俺はまだ立ち尽くしている由比ヶ浜を見やる。

 正直こんな夜に女子と二人になってしまった事実にドギマギしていたのは事実。でも、そんな様々な破廉恥な思考は、ぽろぽろと涙を流し続けている彼女の横顔によって全部吹っ飛んでしまった。

 

 俺はただ、彼女のその顔を見つめていた。

 



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(5)由比ヶ浜は俺のことが好きらしい

 竹林で涙を流す由比ヶ浜を見ながら俺は胸を締め付けられるような思いに陥っていた。

 こいつが今何を思っているのか……

 鈍感な俺であっても何となくは分かる。

 

 さっきのあの告白劇……いや、告白をしてはいないのだから、それこそただの寸劇でしかないだろう、あの二人と、それを取り巻く連中の行為、その全てに俺も嫌悪感を抱いていた。

 告白しようとあの場に立った戸部。

 そして、それに応じる為に現れた海老名さん。

 だが、そこで行われるはずだった告白は乱入者によって有耶無耶にされてしまった。

 葉山がなぜあんなことをしたのか?

 その理由も明快だ。

 あいつがここにきて恐れていたのは人間関係の崩壊。 

 告白して振られれば、戸部だって海老名さんだって今までのように友人としては付き合うことは無理だろう。どちらかが去る……いや、二人ともが葉山達のグループから離れてしまうかもしれない。

 あいつはただ、そうなることを防ぎたくて、さっきのようなことをしたんだ。

 いや、ひょっとしたらそれを俺たちにしてほしかったのかもしれない。あいつは何度も苦しそうに俺を見ていた。つまり、あの時本当は俺たちに……

 やめよう……

 あいつが自分から動いた今となってはどうでも良い話だ。

 結果として戸部の告白はなかったこととなり、そして人間関係は一応元通りの形で落ち着いたということなのだろう。

 まったく……

 不愉快千万だ。

 

 そう分かっていても、俺は目の前の由比ヶ浜になんて声をかけていいのやらわかりはしなかった。

 俺には泣いている女性の扱いなんか分からないし、そもそもたいした付き合いでもない彼女にどう接していいのかまったく分からなかった。

 でも、なんとなくだが、こいつが俺に好意のようなものを抱いているようには感じていた。

 初対面のあの日から、由比ヶ浜は事あるごとに俺へと話しかけていた。そしてそれを雪ノ下がサポートしていたようにも感じていた。

 これはひょっとしたら、『由比ヶ浜の依頼』なのではないか?

 俺という何の接点もない男にどうにかアプローチしたい……と、そう考えて奉仕部の戸を叩いたのではないか?

 そして、たまたま俺が部員であることを知り、雪ノ下と共謀して同じ部員としてこうやって一緒に活動しようと思っていたのではないのか?

 考えれば考えるほどに、それが正解のように思えてくる。

 なるほど、そう考えれば、今回の戸部の恋愛相談に乗り気であったことも理解できる。

 戸部の応援と称して、この俺と一緒に行動することで俺との親密度を上げていきたい……と。

 そうなると、この前のあの『約束』のことも理解できるのだ。

 あの約束の下りはつまり『ブラフ』!

 俺との間に何かがあったように演出することで、俺が由比ヶ浜に興味を持つように誘導されたのだ。なるほどなるほど、これはやられちまった。

 俺はてっきり過去に何かがあったのかと思い込んでいたが、こいつがそう画策したと考えた方がむしろ自然だ。

 そうか、由比ヶ浜は俺のことが好きだったのか。これは参った。あははははは。

 

 俺はひとしきり思考したところで、改めて彼女の横顔を見た。

 収まりつつある涙を拭うその仕草は非常に愛らしくて、本当に可愛いと思えた。 

 むしろこのレベルの可愛さの女性と言えば、雪ノ下部長と戸塚くらいしか思い当たらない。あ、戸塚は性別戸塚だったな。

 そうか、こんな可愛い子が俺を好きなのか……これは、紳士らしくきちんと対応しなくてはな。

 

 そう思った時だった。

 

 彼女は泣き笑いのような顔で俺を向いた。

 

「あはは……ご、ごめんねヒッキー、急に泣いちゃって……こんなのおかしいよね? 誰も傷ついてないし、みんな元通りになって、それで笑っていたのにさ……でも……、なんでかな? あたしね、すごく……すごく悲しいの……やっぱりおかしいね」

 

「い、いや……」

 

 瞳にまだしずくを溜めている彼女の微笑みは本当に綺麗だった。

 俺はそんな彼女の顔をドキドキしながら見つめ、そして二の句が継げない俺を見つめたままで、彼女は言った。

 

「こんなの……嫌だよ……」

 

 その言葉が心に刺さる。

 彼女の純粋さ、素直さが直接的に俺の心を揺さぶった。

 そして同時に、これ以上ないくらいに彼女のことを愛しいと思ってしまった。

 

 そうだ。今、彼女は酷く傷ついている。そして一人ではどうしようもないくらいに弱っている……はずだ。

 ならばお前はどうするんだ!

 好意を寄せられているお前は、今彼女を支えてやらなければいけないんじゃないか? 彼女を守ってやらなくてはいけないんじゃないか? 

 それが好きになられた男のすべきことなんじゃないか!

 

 俺の中で様々な思いが駆け巡り、そして答えを導きだしていく。

 そう、今、俺は彼女を救ってやらなくてはならないのだ。

 この暗い竹林にはもう俺と由比ヶ浜しかいない。こんな遅い時間に彼女を一人にはできはしない。だからこそ今俺はこうして一緒にいる。よし。男としての第一の関門はすでに突破している。

 では次だ。

 泣いている彼女の心を癒してやらなければならない、そのためには……『言葉』だ。

 つまり慰めなければ……

 俺は大きく深呼吸をしてから、彼女へと口を開いた。

 

「あ、あのさぁ。あ、あんまり気にするなよ……お、お前は何も悪くないんだ。お前は苦しまなくて、だ、だだだ大丈夫だから……」

 

 なんとなく頭に思い浮かんだ語句を必死に推敲しまくって一連の文章へと変えてみた。かなり噛んだが問題あるまい、恋される男のカッコよさを残しつつの、彼女をいたわる内容だしな。

 そうは思っても、こんなセリフを今まで吐いたことなんか一度もない。

 果たして、これで由比ヶ浜はどんな反応をするのか……

 少しドキドキしながら見てみれば、

 

「あ、ありがと……」

 

 頬を朱に染めて、そんな返事を寄越してきた。

 

 よっし! よぉっし! これで第二関門もクリアだ。

 と、同時にこれでほぼ確定したな。由比ヶ浜は間違いなく俺に好意を持っている。となれば、もうこんなまどろっこしいことをしている必要はないだろう。

 さっさと彼女の好きという気持ちを達成させてやって、俺という存在を大きくして安心させてやらなければ。

 

 ああ……

 この時、俺がこんなに浮かれていなければ……

 この時、俺がもっと自分の置かれた境遇を認識してさえいれば……

 

 きっと、彼女はあんなことにはならなかった。

 



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(6)あなた……誰?

「俺は……お前のこと……す、す、す……」

 

「え?」

 

 雰囲気が少し良くなってきたところで、俺はいよいよ覚悟を固めて彼女への『告白』を敢行しようとしていた。

 言うのはこの言葉。

 

『俺はお前のこと好きみたいだ』

 

 少し意気地がない感じの言葉ではあるが、これはあくまで良い雰囲気に流されて言ってしまいました風を装うことが出来るニュアンスも含ませてあるからだ。

 今は修学旅行中の非日常であり、しかもここはデートスポットとしても有名な観光地。そこに男女二人きりでいるのだ。これで何もない方がかえっておかしいのではないか?

 普通ならそう考える……はずだ。普通を俺は知らんけど。

 彼女の気持ちもなんとなく確認できている。場所も環境もオールクリア―。

 だというのに、やはり告白という行為について俺には抵抗が強かった。

 

『かおり、ヒキガヤに告られたんだってぇ』

『ええ!? 超可哀そう』

『あたしならもう学校来れないよぅ』

 

 脳裏にあの時の様々な誹謗中傷が蘇る。

 中学時代のあの時、俺はとある女子に告白をして振られ、そのことを多数のクラスメートの物笑いの種にされた。

 言いたい奴は勝手に言え。俺はお前らに何を言われたって平気だ。俺はお前ら程度と同じ視点にいないのだから。

 俺は連中をシャットアウトした。あの程度の連中と同じレベルでいたくなかったから。

 

 今、再びあの事を思い出してしまうのは仕方がないだろう。どんなに確信があったとしても告白をすることで関係は変わるのだから。

 また再びあのような孤独が襲い来る可能性もなくはない。だが、今の俺には失うモノなんてないはずだ。基本ぼっちだし、現に今は嫌がらせを受けている最中の様だしな。

 もしこの告白がうまくいったとしても、それを公表するつもりは俺にはない。言ったとたんにアンチの連中の嫌がらせましましが確定しているのだから。

 由比ヶ浜が吹聴したとしたら? その可能性もある。女子はとかく自分の恋愛武勇伝を語りたがると聞いたこともあるしな。

 しかし、それで終わるならそれでもいいだろう。彼女が女友達からの言葉で俺から離れるというなら、それは彼女の問題であって俺の問題ではないからだ。俺はあくまで自分という人間の真摯さを貫けばよい。ただそれだけだ。

 ここでうまくいったとして俺に残されるメリット、それは。

 

『高校生時代に彼女が出来た』といういかにもなステータス。

 

 以前はこんなものに興味はまったくなかったが、手に入るかもしれない状況に遭遇して手を伸ばさないのは愚の骨頂、まさに据え膳喰わねばなんとやらだ。

 つまり、ここで俺は引く理由は。

 

 一切ない。

 

「ふう……」

 

 俺はもう一度深く深呼吸してから由比ヶ浜を見た。

 頬を染めて、少し緊張した様子で俺をまっすぐに見つめてきている。

 そんな彼女に俺は言ったのだ。

 

「俺……お前が……好きみたいだ」

 

「!!」

 

 それは間違いなく驚愕の顔だった。

 目を大きく見開いて、口も半開きになってしまい、それを慌てて手で隠していた。

 それが怒る前の予備動作の様にも感じられて、俺は恐ろしさに身震いしはじめていたのだが、次の瞬間にはそれが消し飛んでしまっていた。

 なぜなら……

 彼女が微笑んだから。

 再び少し瞳を潤ませた彼女が、その目を細めつつ笑ったのだ。そして……

 

「うれしい……うれしいよ、ヒッキー……」

 

 彼女は確かにそう言った。

 これは紛れもなく、『肯定』!? い、いや、落ち着け、このあと接続詞の『でも』なんかがついたら、それこそ一巻の終わりじゃねえか。となれば、そこまで確認を……そう思った時だった。

 

「うん。あ、あたしもヒッキーのこと、す、好きだよ」

 

 なんと、彼女が今度は告白してきた。

 俺は思わず飛び上がりたくなるのを必死に抑えつつ、やはり真っ赤になってもじもじしている由比ヶ浜をジッと見つめた。

 これは完全に俺の状況把握の勝利だ。

 なにしろこの由比ヶ浜は、俺と付き合いたいがために、あのわけのわからない奉仕部なる部活へ入部したのだからな。そしてスキンシップこそなかったものの、初対面の俺にこんなにも近づいてアプローチしまくりだったのだもの。これで気が付かない方がどうかしている。

 俺はやったぜと叫びたいのを我慢しつつ、さて、次は何を彼女に言えばいいか、そう思考を巡らせていたのだが、そこへ彼女が口を開いた。

 

「あ、あのね? あたし本当に嬉しいの。最初はただ『事故のお詫び』をしたかっただけだったのがね、いつの間にかヒッキーとずっと一緒に居たいって思うように変わっていって、でも、ヒッキーってさ、絶対にあたしに近寄ろうとしなかったじゃん? それはさ、あたしやゆきのんを守ろうとしていたってことは分かってるの。でも、それでもあたしはヒッキーにはずっとそばに居て欲しかったんだ。だから、『文化祭の時』、あたしああ言ったんだよ? あたしはずっと後悔してたの。『花火大会』のときも、『千葉村』のときも、もっとちゃんと自分の気持ちをヒッキーに伝えておけば良かったなって……そうすれば、きっとヒッキーはあんなに『辛い目』に遭いはしなかったんじゃないかなって……だから……あれ? ヒッキー?」

 

 微笑みながら語り続ける由比ヶ浜の前で、俺はいったいどんな顔をしていたのだろうか?

 彼女が話しかけているのは間違いなく俺だ。でも、その言葉の中にいた存在はまったく俺ではなかった。

 彼女の思い出の内容を俺はまったく理解できていなかったから。

 『事故』? 『花火大会』? 『文化祭』? いったいなんのことだ?

 それに……ここでもまた『千葉村』なのかよ……?

 俺にはなんのことやらさっぱりだ。

 事故が何を指すのかまったく覚えがないし、そもそも花火大会など、千葉や八千代の花火大会のことは知ってはいるが、それはあくまで親が話しているのを聞くレベルの認識しかないわけで、良くてテレビで見る程度。文化祭に至っては、俺は単にクラスのロミジュリだったかの舞台設営と受付をしていただけだ。しかもまた千葉村……

 そのどれにいたっても俺は目の前の由比ヶ浜との接点を見出すことが出来なかった。

 それに……『由比ヶ浜と雪ノ下を守ろうとした』?

 いったいなんのことだ?

 俺は一度だって、由比ヶ浜はおろか、雪ノ下だって守ろうとしたことなんかは、ない。

 

「知らねえ……そんなこと……俺は知らねえ……」

 

「え? それはどういう……」

 

 慌てて口を噤んだが、もう遅かった。あまりに驚いて勝手にしゃべってしまっていたのだ。

 彼女は、明らかに挙動不審になっているだろう俺の腕を掴んだ。

 女子に触れられたことでドキドキするとか、そんなこと今はどうでもいい。

 ただ、彼女は、俺をまっすぐに見つめてきていた。

 

「ヒッキーどうしたの? 顔……真っ青だよ」

 

 当然だろう。俺は目の前のこの女子から、俺の知らない過去の話を聞いたのだ。言ってしまえばまさにホラー。由比ヶ浜はまさか夢見る妖精か、それか妖怪かなんかなのか? それとも俺とは別にもう一人の俺がいて、そいつが由比ヶ浜たちと何かをしてたってのか? ドッペルゲンガーとか、出会ったら死んでしまうという俺のそっくりさんとか、そんなダークファンタジーもあるし。

 

「ヒッキー……」

 

「よ、寄るな!」

 

「!?」

 

 俺はあまりの恐ろしさに再び近寄った彼女にそう声を出してしまった。それがまずいってことはすぐに分かったのだが、だが、今の俺にはどうしようもできなかった。

 そして彼女は不安そうに言った。

 

「あなた……誰?」

 

 その言葉に俺は再び震えあがる。

 彼女は間違いなく俺を普通ではないと認定した。つまり、今の俺にとって彼女が異常であるように、彼女にとっても俺は異常。もし彼女が怪物の類であるなら、この場で俺は始末されてもまったくおかしくはない!

 そう判断してしまったがゆえに、俺は取り返しのつかないことを口にしてしまったのだ。

 

「お前こそなんなんだ? 俺をいったいどうする気だよ。俺はお前とのことなんか知らねえよ。もう俺に近寄るんじゃねえ」

 

 そう、怒鳴りつけてしまった。

 今思えば、いったいなんて愚かなことをしてしまったんだと、そう後悔しかないのだ。

 動揺していたとはいえ、あんなことを人に言っていいことでは決してなかった。しかし……

 現実は何も変わりはしない。

 過去へとその姿を変え、硬く硬く、固まったコンクリートのように、そうなってしまった事実は刻み込まれて、決して二度と消えることはないのだ。 

 恐怖の中で叫んだ俺の目の前で、彼女はいったい何を考えていたのだろうか……

 

「何で……、どうして……?」

 

 大粒の涙を溢れさせた彼女が、本当に、本当に悲しそうな顔のままで……

 俺の前から……

 

 消えた。

 



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(7)黒歴史

「お兄ちゃーん! お兄ちゃーん! ごはーん! 出来てるよー!」

 

「うう……」

 

 耳に押し当てた布団越しに、世界で一番可愛い存在の声が届いていた。だが、俺はそれには返事をしなかった。いや、出来なかったのだ。

 俺は身を捩って更に布団を深く被った。

 これですべてが解決されるなどとは思ってはいなかったが、今はただ、あの可愛い天使が静かに玄関を開け放って出かけてくれることだけを祈った。

 そして鳴り響いた音、それは……

 

 ガチャっ!

 

「もう! お兄ちゃんさっさと起きる! 小町もうどうなっても知らないよ!?」

 

 はい、最悪の結果でした。

 ドアが確かに開いたが、それは俺の部屋のドア。そして、そこに現れたのは紛れもなく俺の実妹、マイスウィートシスター小町で間違いなかった。

 

「ほら、お兄ちゃんさっさと起きる!」

 

「う、うう……あ、あたまぁ、い、いたいぃ」

 

 俺は枕に口を押し当てたままで、敢えてしゃがれた声でそう答えた。

 小町は一度はぁっとため息を吐いた後で、俺へと言い放った。

 

「お兄ちゃんが仮病なのもうバレバレなんだからね? もう三日目だよ? いい加減にしないと本当にやばいよ」

 

 そう小町は言うのだが、俺の言っていることだってあながち間違いではないのだ。確かに俺は色々痛いのだ。特に心が。この俺の痛みを分かって欲しいものだが、心を見せるのはなかなか容易なことではないからな。そう詩的な感じで考えつつ、口は黙っていたのだが……

 

「じゃあ、お母さんの伝言ね。『高校行く気がないなら入学金と学費と迷惑料全部現金で払いな‼ 高校生にもなって引きこもりしてんじゃないよ、恥ずかしい』だってさ」

 

「い、行くに決まってんだろうが」

 

「おお! 流石お母さん! 本当にこれ言ったらお兄ちゃん起きた」

 

 うう、あの母親め! 人の弱みに付け込みやがってマジで悪魔じゃねえのか? 被扶養者の俺にそんなもん払える訳ねえじゃねえか。そもそも学費は分かるが、迷惑料ってなんだよ? 俺が生まれたこと自体が悪かったみたいな言い方しやがって。俺本気で泣くぞ!

 

「本当にお兄ちゃんは……今までもずっとおかしかったけど、修学旅行から帰って来てから特におかしいよ。なんかあった? っとと、そうだ! 今日は早くいかなきゃいけなかったんだ。じゃあ小町先に行くからちゃんとご飯食べて食器洗ってゴミ出して電気消して戸締りして出てね! じゃあね! いってきまーす!」

 

 元気にそう言った小町がバタンとドアを閉めて飛び出していった。

 本当に明るく元気で忙しい妹で、俺の妹にしておくのは惜しいくらいだ。惜しいくらいだが、正直もうしばらくそっとしておいて欲しかった。

 いやまあ、もう暫くが、一日なのか、一週間なのか、一か月なのかもわからないのだけど……うう、俺はもう二度と立ち直れないかもしれないくらいに傷ついているんだから。

 

「うう……くそ……」

 

 俺は内心本当にきつかったがそれを推して立ち上がる。そして、時計を見て、今から食事をしても十分学校に間に合うことを確認してがっくり項垂れたのであった。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 なんで俺がこんな状態になっているのか……

 修学旅行から帰宅して、振替休日を終えて尚、風邪と偽って三日も学校を休んだ理由……

 それはいたって簡単だ。

 

『恥ずかしくて学校に行きたくなかったから』

 

 もうこれに尽きる。

 俺は今回信じられないレベルの黒歴史を製造してしまった。

 あの竹林で良い雰囲気になって由比ヶ浜に告白したまでは良かった。

 なにしろ、あいつもその直後に俺に告白して、なんと『両想い』であることが分かったのだから! これはあり得ないくらいの奇跡だった。なにしろ俺は今まで女子と交際どころか、友達にもなったことはなかったからな、はっきり言って奇跡以外の何物でもなかった。

 でも、そこからは最悪だ。

 由比ヶ浜が俺の知らない俺との思い出を語りだし、それに恐怖した俺があいつを散々罵倒してしまった。あれはない。告白したばかりの相手に、しかも、お互いこれからお付き合いを始めようと思っていた矢先に、何もあそこまで言う必要はなかった。

 確かにあいつが話した内容は怖かったしまったく理解できなかったが、なぜあいつがあんな話を持ち出したのかを考える方が先だったのだ。

 俺はただ恐怖から由比ヶ浜を突き放してしまった。これは言い逃れのしようのない事実で、彼女は泣きながら俺の前から立ち去ったことからも、最悪の選択であったことは間違いなかった。

 俺は自分がした告白のフォローも吐いた悪態のフォローも何もできてはいない。

 つまり俺は……

 

『由比ヶ浜に告白して罵倒したクズ』

 

 として、クラスはおろか、学校全体にそう認知されていておかしくはないのだ。

 俺の今までの経験からして、人に……特に、男に嫌がらせされた女は、まず間違いなく群れ(グループ)の他の女子に自分が受けた仕打ちを話し、同情を誘いつつ、自分を貶めた相手に対して報復するものなのである。

 現に俺もそうやってクラス中からバカにされ、言葉の暴力にさらされた経験があるのだから。

 今回もまず間違いなくそれが起きているはずである。

 俺に罵倒された由比ヶ浜は、それを他の女子に話し、俺に対しての怒りを増幅させているに違いない。

 それが分かっているのに、どうして学校に行けようか?

 ただでなくても居場所が少ないこの俺が、こんな状況で学校へ向かえば、まず間違いなく針の筵決定だ。というより、休み時間のたびに呼び出され、そこかしこで俺の行った行為を、『最低』『キモイ』『〇ね』と言われ続けるに決まっているのだ。

 

 しかし……

 

 母親の言うことももっともである。

 いくらそんな虐めが怖いとしても、高校にはあくまで通わせてもらっている身の上。俺はやはり金を出してもらっている両親の為にも、学校を卒業する必要があるのだ。

 それを思うと、やはり虐め如きを怖れて不登校になるわけにもいかないのだ。

 決して、金を払うのが嫌だからとかいう理由ではないことだけは付け加えよう。あの親……きっと何が何でも払わせるに決まっているのだが……

 

 まあいい。

 

 とにかくもう決めたことだ。

 どんな状況が待っていようとも、俺は学校へ行かねばならないのだ。

 

 そして着替えた俺は、家を出て、自転車で学校へと向かった。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 駐輪場に自転車を置いた俺は恐る恐る教室へと向かった。

 過去の経験からして、廊下で見かけられたりするこのタイミングからひそひそと囁かれることは間違いないのだが、びくびくしつつ周りを覗うも、俺を見止めて怪訝な顔をするやつはあまりいなかった。

 逆に言えば、少しはいたのだが、面白おかしく数人で噂を言い合うというよりは、単に訝しい目つきを向けてくる程度だった。そのような反応は、今までも同じであったからあまり気にしなくていいといえば、良いと思う。

 そして教室だ……

 俺は修学旅行前から数えて、およそ一週間ぶりに自分の教室へと入り、そして自分の机についた。

 はっきりいってここが最大の山場だ。

 なにしろ由比ヶ浜は同じクラス。

 ここがもっとも危険が多く、中学の頃であればすでに机は落書き尽くしであったのだから。

 だが、そんな幼稚な嫌がらせはなかった。

 机は綺麗なまま、引き出しやロッカーにはゴミが少ししか入れられていなかった。これもまあ、通常の範囲内だ。

 そして休み時間などのクラスの連中の対応。

 

 結論を言えば、俺は今日一日、誰からも嫌がらせを受けることはなかった。

 というより、誰の会話にも俺がやり玉に上がってはいなかったように思う。

 無視という嫌がらせを受けているとも言えたが、無視するも何も、今までがずっと無視状態であったのだから、それこそ今更だし、そもそも無視しながらも普通ならひそひそと敢えて聞こえるように悪口を言うもんだしな。

 ふ……流石俺、嫌われることに関しては一日の長があるボッチマイスターに小細工は通用しないのだよ。

 あれ? 目から汗が……

 まあ、嫌がらせは確かに受けなかった。

 しかし、奇妙な点がいくつかあった。

 一つは由比ヶ浜だ。

 クラスのどこをさがしてもその姿はなかった。クラスが同じなのはもう明白で、あいつの机の位置も今では把握しているのだが、その席は今日一日ずっと空席だった。つまりいないのだ。

 気になることはもう一つ。

 昼休みが終わるころ、一人のみょんみょん金髪縦ロールの背の高い女が俺の机の傍までつかつかと歩み寄ってきた。その気配を感じて顔を上げたそのとき、彼女は鬼の様な形相で俺を睨んでいたのだが、俺の元に辿り着く前に、例の戸部に告白され……なかった、眼鏡の女が腕を掴まえて、そのまま引きずって連れ帰っていた。いったい何をしたかったんだか?

 

 ともかくだ。

 

 特に俺は今日一日妙な嫌がらせを受けることもなく平穏に過ごすことが出来たのだ。というよりも、三日間も休んだことを戸塚がわざわざ心配だったと言いに来てくれたりと、いつもより良い感じであったとも言える。

 いずれにしても、俺はかなり肩透かしを食らったかっこうになったわけである。

 

 放課後……

 

 特に何も起きはしなかったが、部室には行ってみることにした。

 

 ひょっとしたら雪ノ下からはキツイ罵詈雑言があるかもとは思ったが、どうせいつまでも放置は出来ないと思い極め、俺は奉仕部の部室へと足を踏み入れた。

 すると……

 

「あら……来たのね。比企谷君、こんにちは」

 

「お、おお……」

 

 俺は小さく返事をして、長机の一番端にある椅子へと座る。

 当然だが、今は雪ノ下と二人きり。クラスにもいなかった由比ヶ浜はいなかった。

 俺はちらと本を読んでいる雪ノ下を見てから、俺も鞄からラノベを取り出そうとした。

 そのとき、彼女から声を掛けられた。

 

「由比ヶ浜さんは来ないのかしら?」

 

 そう問いかけられて、俺はもう一度彼女へ視線を向けた。

 

「いや、今日は休みみたいだぞ」

 

「そう……由比ヶ浜さん、今日()お休みなのね」

 

「は?」

 

 俺はその雪ノ下の言葉に思わず変な声で応じてしまった。だが、彼女はそれを特に気にした風でもなく、なんでもないように答えた。

 

「あら? 知らなかったの? 由比ヶ浜さんもあなたと一緒で、修学旅行からずっとお休みなのよ」

 



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(8)本当に比企谷君?

「由比ヶ浜が……来てないのかよ……」

 

「そう言ったつもりなのだけれど……やはり人語は解せないということなのかしら? ヒキガエル君?」

 

「おい、そこいきなり罵倒するのやめてね。身構えてないと結構ダメージあるんだからね」

 

 相変わらず表情は乏しいが、少し嬉しげにも見える雪ノ下。なにお前まさかひとりぼっちだったのが寂しかったのかよ。どうでもいいけど、人の心にダメージを与えて満足するの勘弁してね、俺そっちの趣味に目覚めちゃいそうだから。

 おっと、趣味の話はどうでもいい。

 それよりも、由比ヶ浜の奴、来ていなかったのか。まあ、俺だって学校に来ていなかったわけだから人のことに口を出せた義理ではないが、いったいなんでだ?

 確かに俺はあいつを罵ったが、それであいつが来ない理由にはならないように思う。

 悪いのは完全に俺なのだし、俺を悪として集団リンチで成敗した方がよほどスッキリするはずだ。やられる俺としてはたまったものではないが。

 だが、今日一日過ごした感じ、どうもあいつは俺を貶めようと動いた感じはなかった。

 ほんの一本、スマホで友達に俺のことを訴えれば良いだけの話だ。そうすれば登校しなくたって、俺の所為で傷ついたから学校へ来れなくなったのだと、いくらでも物語を拡散することは可能なはずだ。だというのにそれをしていない?

 

 なぜ?

 

 俺がそう思考していたところへ、雪ノ下の声が響いた。

 

「私は……あなたと由比ヶ浜さんの間に何かがあったから……彼女もあなたも学校に来れなくなったのだと……そう思っていたのだけれど……」

 

「そ、そそそんなわけ、ね、ねえだろ。あるわけねえ……わけでもねえが」

 

 めっちゃ噛みまくりだよ、まさにその通りだったわけだから全然否定できねえ。

 

「ふう……やっぱり……一匹狼を気取った、羊の皮を被った送り狼だったわけね、不潔」

 

 速攻で本で口を覆ってから俺を睨む雪ノ下。

 

「いったいお前は何を想像してやがんだ? そもそも俺は本当に何もしてねえよ……その……ちょっと話をしただけで……」

 

 まあ、あのまま良い雰囲気だったら、何もないなんて言えやしなかったわけだが、ごにょごにょ……

 

「その話した内容が最悪だったというだけのことでしょう。はぁ、由比ヶ浜さんも良い迷惑ね、人の優しさにかこつけて自分本位な意見を垂れ流されたりとかしたんでしょう、本当に可哀相」

 

「おい、さも見てきたようにそう言ってるが、全然違うからな? そ、そういうお前だって、あの時特に何も言わないでさっさとホテルに帰っちまったじゃねえか」

 

「あ、あれは……」

 

 俺の言葉に一瞬息を飲んだ感じの雪ノ下。彼女は一度目を閉じ静かに息を吐いた後で言った。

 

「あの時は、気分が悪くなってしまっただけよ」

 

「そうか? 葉山に毅然と答えてたじゃねえか。まあ、あれはどう考えてみても葉山が異常だったわけだが……」

 

 はっきり言ってあの行為はおかしすぎる。人の告白の邪魔をしただけなのに、それを正当化してしまったわけだしな。それなら、最初っからお前が全員を押さえつけておけって話だ。

 その俺の言葉を雪ノ下は驚いた顔で見つめてきた。

 

「なんだよ?」

 

「い、いえ……、あなたがそう話すとは思っていなかったから、少し驚いただけよ」

 

「俺だって、おかしければおかしいということだってある。あんま人を見下すんじゃねえよ」

 

「そう……」

 

 雪ノ下は何か辛辣なことを言うでもなく、ただ伏し目がちにして窓の方を向いた。

 そして、まるで独り言のように言った。

 

「何も変わっていなかったから……それを悲しく思っただけ……」

 

 誰に言おうとしている風でもなく、本当に口からこぼれたとでもいう感じで、雪ノ下はただポツリとそう言った。

 

「それはどういう……?」

 

 その時だった。

 

 ガラガラ

 

「やあ、急に済まないが失礼するぞ」

 

「先生、ノックを……」

 

「ああ、済まない。だが少し急ぎなんでな」

 

 そう言いつつ入ってきたのは平塚先生だった。

 この部の顧問にして、俺の担任。

 俺をこの奉仕部へと放り込んだ疫病神のような教師である。

 平塚先生は白衣をたなびかせて部室へと入ると、そのまま俺と雪ノ下の前に立った。

 そしてすぐに入り口の方を向いて声を掛ける。

 

「入ってきたまえ」

 

「失礼します」「しまーす」

 

 そこに立っていたのは二人の女子。

 一人は確か、生徒会長のしろめぐりさんだか、くろめぐりさんだか言う人だったか。何度か全校集会で見たことがある。ほんわかしたにこにこ顔で入ってきて早々に俺へと手を振ってきた。ええ? なんで?

 

「比企谷君! 雪ノ下さん! こんにちは!」

 

「はぁ?」「こんにちは、城廻先輩」

 

 どういうわけかこの生徒会長様、いきなり俺を名指しで呼んで挨拶してきやがった。なんで俺のことを知っているんだよ?

 それがどういうわけかまるで分からなかったが、彼女は続けて理解不能なことを発言したのだ。

 

「文化祭以来だねー、元気してた?」

 

 確かにそう俺に言ったのだ。

 俺はなんと返事していいのか分からず、ただこくりと頷いて見せたわけだが、本当になんのことか分からない。文化祭期間中、俺はずっとボッチでクラスの出し物の受付をし続けていただけだったはずだ。なにしろ、クラスの他の奴に、この時とばかり受付変わってくれよ比企谷君! とか、そんなネコナデ声で頼まれ続けて、俺はほぼ一日の全てを受付に費やしていたのだから。

 そんな俺が、こんな美人の生徒会長とどんな接点があったというのだ? 

 ひょ、ひょっとして文化祭期間中にコスプレとか仮装とかした彼女に、実はアプローチされていたとか? 

 いや、それ以前に、文化祭期間中は誰一人女子とは会話していなかったから悩むまでもなかった。はあ。

 俺の反応に満足したのか、先輩はほんわかとほほ笑んで今度は自分の背後を振り返った。

 そこにはもう一人小柄な女子が立っていた。

 亜麻色のショートヘアーに小悪魔めいた大きな瞳の女子生徒。どうみても男を手玉に取る気まんまんな感じが窺えるぶりっこぶりっこしている感じの女子。俺に対しても自分可愛いアピールしてきているし。

 本当に俺、こんな奴相手にしたくねえ。

 そんなことを思いつつ、ひょっとしたら顔にでも出ていたのだろうか、ついさっきまで俺へとキュートアピールをしまくっていたその女子が、唐突に無表情になって俺から視線を離した。

 あ、この反応馴染みがあり過ぎる。新しいクラスになった際などに、クラスの女子はみんな最初は愛想よくしてくれるのだが、ある瞬間を境にいきなり余所余所しい……というより、冷たい対応に変わるのだ。眼中にないよ、というより見えてないよ、と、その行為そのものが俺の存在を消去してくれるのだからある意味ありがたい。何もしなくても存在消せるとか、いったいどどんな特殊スキルだよ。

 

 二人は先生の紹介の後、もう一度俺たちへと頭を下げた。

 そして肝心の依頼の内容だが……

 こういうことだった。

 

 もうだいぶ遅れてしまっているそうだが、次期生徒会長がまだ決まっていなかったらしい。誰も立候補していなかったのだから当然で、では誰かを推薦して……と、そうなる予定だったところ、ある生徒が立候補した。

 それが、この一年の一色いろはだったようである。

 ならば、それで何も問題なく信任投票で一色が選ばれれば良いだけのことの様に思えたが、話はそんな簡単なことではなかった。

 一色の立候補は他人が勝手に出したものだった。

 クラスメートの数人が、立候補に必要な推薦人30名の署名を集め、彼女の名前で立候補した。

 当然それに気が付いた一色は、それは間違いだから立候補を取りやめにしてほしいと担任に訴えたが、どうも担任は相当熱血だったようで、君ならできる、いい機会だから頑張れ! と逆に応援してきて話を聞いてもらえず、困った一色が現会長の城廻先輩に相談し、平塚先生経由でこの奉仕部へやってきたということらしい。

 まったくいったいどんな虐めなんだか。

 そもそも一度受理された立候補届は、申し出ても撤回出来ないことになっているらしく、本当に意味不明だが何が何でも一色は生徒会長選挙、もしくは信任投票に出なければならないらしい。

 

「まあ、そういうわけだ。私はいろいろと忙しいのでな、後は君たちでなんとかしてくれたまえ。ではな」

 

 そう言って、まるっと全部を放り投げて先生は退出した。

 そして後に残された俺たちと、城廻先輩と一色いろは。

 

 とりあえず一色に色々と話を聞いてみれば、「生徒会長になりたくない」「選挙でしょぼい候補に負けるのは嫌」「サッカー部のマネージャーは続けたい」

 以上! なめてんのかこの一年は。

 いったいこれを俺たちにどうしろというのだ。

 こいつの依頼を達成するためには、それこそ誰もが納得出来そうな候補を擁立する必要があるわけだが、その手のやる気のある奴がいるなら、とっくに立候補しているはずだし、今から探したところで応じてくれるかはほぼ絶望的だろう。では信任投票で一色を落選させればと考えてみれば、そんな負け方はカッコ悪くて嫌! ときた。そんなこと言われたって、そもそも俺の方が関わりたくないのだがな。

 うーむと悩んでいると、雪ノ下が何やら怪訝なまなざしを俺へと向けてきた。

 

「なんだよ?」

 

「……普通に候補者を擁立するのは難しいでしょうから、一応比企谷君の意見も聞いておきたいと思ったのよ。ほら言うでしょ? 一寸の虫にも五分の魂って。あまり無碍にするのも可哀そうかと思って」

 

「そこでどうして俺を虫扱いするんですかね。無視されるよりはましですけど」

 

「なかなか上手いことを言っているようだけれど、私は無視する気はないわよ? 害虫は駆除しないといけないもの」

 

「ゴキブリ扱いマジやめてね」

 

 にこりと微笑んでいる雪ノ下に殺意すら芽生えそうになるが、こいつがここまで流暢に話すのも珍しい気がして、つい俺も調子にのって話を合わせてしまった。

 そんな掛け合いを、目の前の二人の依頼人は物珍しそうに眺めていた。

 やめろよそんなわくわくした顔で見るの。マジで恥ずかしいから。

 

「あー、まあ、なら俺の意見を話すがな……そもそも依頼の『無難に選挙に落選したい』ってのが無茶なんだよ。そもそも、一色……さんは、周りの連中に嵌められて今の状況に陥ったわけだ。なら事実を暴露してその連中に謝罪させて、話そのものが陰謀だったと公言した方がいいんじゃないか? そうすれば聞いた全員が同情して理解してくれるんじゃねえか?」

 

「おお……確かに」

 

 俺の言葉に一色が感嘆の声を上げて頷いている。や、やめろよ俺の顔を凝視するの。恥ずかしいだろ。

 

「で、でも、それはちょっと……問題もあるような……」

 

 一色の隣で城廻先輩は唸りつつ小首を傾げていたのだが、そこへ雪ノ下が顎に手を当てた姿勢のままで顔を上げた。

 

「言いたいことは分かったけれど、具体的にはどうすればいいと考えているの?」

 

「例えばだが、一連の出来事を文章でまとめて教育委員会とか、校長とかに送りつける。首謀者の名前、それを容認した教師、それとどんな被害をどうこうむったか、出来たら医者の診断書もつけて精神疾患の疑いもあるとかなんとか、そんなことを添付して『今回の事件』を告発する。そうだな……直接本人がやって内申に響くのが怖いとかいうなら、『勇気ある匿名の学生』が送ったでもいい。メールとかなら誰が書いたかなんて分からないからな。一色の辞退を認めないなら、関係者全員の名前入りでマスコミにリークするとか添えれば……今はパワハラとか体罰ネタならすぐにみんな飛びつくからな」

 

「あくどいですねぇ、先輩」

 

 俺の言葉に目を輝かせる一色……

 だが、うちの部長様の反応はまるで違った。

 

「それをもし本気で言っているのであれば、私はあなたを心から軽蔑するわ。あなたのそれは紛れもなく『脅迫』よ」

 

「金品を要求するわけでもねえし、匿名なんだからやったのが誰かもわからねえだろ。一番安全に解決出来る方法だと思うがな」

 

 そこまで言ったときだった。

 

「あなた……本当に比企谷君?」

 

「え」

 

 言われて顔を上げて見れば、そこには俺へと悲しげな顔を向けてきている雪ノ下。

 俺はその少し潤んだような瞳に思わず息を飲んだ。

 

「私の知っている比企谷君は、自分自身が無茶をしても、敢えて他人を貶めるような行為はしなかったわ。それでは安全な所から高みの見物をしているようなもの……いったいあなたに何があったのか分からないのだけれど、私は部長としてその案を飲むわけには行かないわ」

 

 そう彼女は言い切った。

 いったいなんだよ。

 俺はただ最善と思える方法を言ってみただけじゃねえか。

 俺の何を知っていると言うんだよ。

 雪ノ下の真面目なキツイ言動に俺は内心のイライラを隠しきれなかったのだろう、雪ノ下は俺を見て不快な顔に変わっていた。

 当然だが、雰囲気は最悪だ。依頼者の二人もどこか居心地悪そうにしながら、今日の話は終わりになった。

 

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 無言のままで部室を後にした俺は、その場で雪ノ下と別れ、すぐに帰路に着く。

 と、昇降口を出ようとしたところで一人の女子が待ち構えていた。

 

「せーんぱい」

 

 手を後ろで組んで見上げるように俺を見る女子は、まぎれもなくさっきまで部室に来ていた依頼人の一色いろは。彼女は特に動じた風もなく、ごく自然に俺へと近づいてきた。

 なんで俺に近づくんだよ。やめろよ、人目があって恥ずかしいだろうが。

 そんなことを思いながら何も話さないでいると、とてとてと近づいた一色が俺のすぐ目の前に来て、言った。

 

「先輩って悪い人なんですか?」

 

「はあ?」

 

 突拍子もない一色の言葉に思わず変な声が出る。

 いや、何を言ってるんだこいつは。

 一色はにこにことしたままで続ける。

 

「2年の比企谷先輩は女子を泣かせる最低な男子だって噂になってるんですよ?」

 

 なにその噂超怖いんですけど。

 まったく身に覚えがないわけでもないから、逆に戦慄するのだが、やはり由比ヶ浜を泣かせたことが広まっているということか? いや、それにしてはクラスでの反応はあまりにも素っ気なさすぎる気もしたが……

 これはもはや、関わるのも嫌だから、噂だけで抹殺してやろうとか、そんな計画なのか?

 や、やめろよ、こんな仕打ち。八幡本当に泣いちゃうからな。

 一色は小悪魔めいた顔で微笑みながら口を開いた。

 

「ふふ……でも、先輩のおかげでなんでこんなにイライラしていたのかよく分かりました。私、みんなと先生に嵌められたんですよね? それならやっぱり復讐しなくちゃですものね! うんうん」

 

 そう微笑む一色は俺へとぺこりと頭を下げた。

 そして……

 

「だからありがとうございました。これで私もスッキリ出来そうですよ。それでは、失礼しますね! ではではぁ」

 

 そう言って、片目をつぶってウインクをした彼女は正門の方へと向かって歩いて行った。

 俺は……

 ただ、目の前で何かの事態が進み始めていることを理解しながら、それがあまり小気味いい物ではないことを肌で感じていた。

 

 そして事件が起こった。

 



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(9)大事件‼

 騒ぎが起きたのは、その翌日のことだった。

 生徒会室近くの広報掲示板に『怪文書』が貼られていたのである。

 

 そこに書かれていた内容を簡単にまとめると、こうだ。

 

『一年C組の担任は、クラスの数名の女子生徒と共謀して、とある女子生徒を無理矢理生徒会長にさせようと画策して、精神的な苦痛を与える行為に及んでいる。これは紛れもない虐めであり、決して許すことは出来ない。このまま放置するようであれば、私はこのことを実名でマスコミに告発する』

 

 他にもあれやこれや細かいことが書かれていたが、俺はこれを読んで絶句した。

 まさにそこにあったのは、昨日俺が奉仕部の部室で話した内容そのものであったから。

 俺は背筋に悪寒が走るのを感じつつ、自分がまるで自分ではないような、なにやら恐ろしい存在を感じつつ、ただ茫然とその張り紙を興味津々に見る生徒たちに視線を送っていた。

 みんな面白がって写メを撮りながら読み合っているし。

 まあ、当然だろう。

 なにしろ、実名がないにしても、その存在を示唆する文言が多くそこにはちりばめられていたのだから。

 なんとなくでも、そのクラスの内情を聞きかじってでもいれば、この文章で誰がどんなことをしていたのか、簡単に察することが出来るのだから。

 

「全員すぐに教室へもどれ! ほら、さっさと散れ!」

 

 そう大声を張り上げながら近づいてきたのは平塚先生だ。

 俺は思わず身体がびくりとはねてしまったことを感じつつも、先生が笑い合っている生徒たちの垣根を掻き分けて、貼ってあるその文書をべりりっと剥がすのを見つめていた。

 先生はそして、それをくるくるっと巻くと、再び周囲へ早く帰れと促した。

 生徒たちも銘々別れ、散っていく。

 そんな中、先生はまだそこに立ち尽くしていた俺へと向かって歩み寄ってきた。

 

「比企谷……まさか、お前……」

 

「い、いえ……」

 

 先生の短い問いかけに俺ではないと反論しようとして、だが、それが出来ずにただ俺は顔を背けてしまった。

 それを先生はどう思ったのか……

 一つため息を吐いた後で、静かに言った。

 

「これと同じものが、校長とPTA会長の元にも届いたらしい。現状、この内容に関しての聞き取りを当事者たちに対して行うことが決まったところだ。これから一色いろはからも聞き取りを行うことになる。なあ、比企谷……」

 

 先生は俺の頬に手を当ててそっと俺の顔を正面に向け直してから言った。

 

「この結果がどうなるのか……よく、見ておくといい」

 

 俺の目をまっすぐに見て、先生はただそう言った。

 そして、白衣を翻して元来た道を戻る。

 俺はただ、それを呆然と見つめていることしか出来なかった。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「なんかぁ、一年でひどい虐めがあったみたいだよ?」

「聞いた聞いた。先生も一緒にやってたんでしょ? ほんと、最低だよね」

「そうそう、あれ、どうもね、先生のお気に入りの女の子が先生を誑かして、嫌いな子を一緒になって虐めたんだってよ」

「生徒会長にしようとしてたんだろ? 一年なのに、無理矢理とか可哀そうだよな」

「ひでえよな。でもあれだろ? その虐められてた一年って、めっちゃ可愛いらしいぜ? あれだよ、女の嫉妬とか、そういう奴だろ? どうせ」

「こええ、女子こええ!」

「あははははは」

 

 クラスへと戻ってみれば、そこかしこで笑い合いながら、このホットなニュースでみんな盛り上がっていた。

 俺は自分の机に静かに腰を下ろす。

 そして湧き上がってくる得体の知れない恐怖に静かに怯えた。

 おかしい、おかしすぎる。

 俺は何もしていないぞ。なのに、この展開はなんだ? まさに俺が昨日あの場で言ったことと同じじゃないか。なら、これはどうして……

 もうその答えの様な物に辿り着いているにも関わらず、俺は俺の言ったことでこのようなことが起きたのではないか……と、そう思いながらジッと息をひそめた。

 『これで私もスッキリ出来そうですよ』

 昨日俺にそう言った一色いろは。つまり、あいつは自分でこれを起こしたのか……

 いや、やり方を示したのはこの俺だ……つまり、俺はあいつに『復讐の手ほどきをした』ことになるのか……

 それが脳裏をよぎったあと、俺はこの後の展開を予測する。

 心的外傷を負ったことになる一色の訴えがどこまで汲まれるのか……

 身体にケガを負わせるレベルの暴力事件を教師が起こせば、今は高い確率で教職の罷免となるはずだ。今回はケガではないにしても、心に傷を負ったと判断され、体罰として取り扱われるかもしれない。

 それに、虐めの一環だとされたとすれば、刑事事件にもなり得るし、そうなればもう犯罪者。

 また、一色を嵌めた集団が誰なのかまったく知りはしないが、実名が明らかになればやはり加害生徒として扱われひょっとしたら停学……悪くすればそれこそ退学ということも……

 いやいや、人を貶めて楽しんでいたような連中だ、何が起きたって同情する必要なんかはないはずだ。いっそ、全員退学になった方がすっきり……

 いや、そうではないな。

 今回の件、あくまで言い出したのはこの俺だ。

 俺が事の顛末がどう推移するのか考えもしないで、依頼者である一色を唆したのだ。その事実は覆りはしない。

 いったいこの後、この話はどう進むのか……

 俺は自分が呼びこんだにも関わらず、このように現実になってしまったことへの罪悪感に苛まれた。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 放課後……

 

 部室へと行ってみれば、そこには雪ノ下と一色いろは、それに平塚先生の3人がそろっていた。

 俺は、無言の三人をちらりと見てから、静かに自分の椅子へと腰を下ろした。

 

 そんな中で最初に口を開いたのは一色いろは。

 

「い、いやぁ、まいりましたよぉ。なんかぁ、私のことを心配した友達がぁ、勝手にあんな張り紙用意したみたいでぇ、先生もあの女の子達もぉ、みんなで私に謝りにきてぇ……」

 

 そう怯えた感じで勝手に話す一色の言葉を、平塚先生が手で制して、そして俺を見て言った。

 

「今回、この話の発端となった一色と担任、それと一色を立候補させるために署名を集めた複数の生徒に対して、学校側で聞き取りを行って、悪質な悪戯であったと学校は判断するに至った。その上で全員が一色へと即時に謝罪、一色もこの通り、その謝罪を受け入れて示談は成立した……一応な」

 

「へ? い、一応?」

 

 そう思わず声に出してしまった俺の前で、一色と雪ノ下は渋い顔に変わっていた。

 それを見てから先生は言った。

 

「そう、一応だ。話はそれだけで済んではいない。この件は既に様々なSNSに生徒たちの手によってアップされ、すでにかなりの範囲で拡散してしまっている。それと、教育委員会や警察、市役所などにも連絡がすでに行ってしまっているようだ。進学校と名高いうちだからな、そこで起きた『不祥事』ということで、どこの方面も関心が高くてな、今後学校としてこの『不祥事』の説明をすることになるかもしれない……と、そう先ほど職員会議でまとまった」

 

 先生はただ淡々とそんな話をした、俺を見ながら。

 

「な、なんでそんなことを……俺に話すんですか? そ、そもそも悪いのは一色を陥れた連中の方じゃないですか。こうなったのは自業自得で……」

 

「そうだな……確かにそうだ」

 

 俺の抗弁を聴きながら先生は静かに言った。

 

「君は正しい……『正義』を振りかざしたことで多くの賛同を得たのだから。だがね、『正義』というものは非常に強力な凶器でもある。心にやましいところがある者はその刃から逃れることは出来ず、そしてその苦しみに苛まれ続けることになる。たとえ、どんなに後悔していたとしてもね……」

 

「な、なら先生は悪いことをした相手を放置しろと……?」

 

「いや、これは当然の帰結だ。後は司法に委ねればいい。だから君は特に気に病む必要はない。でも、ひとつだけ残念に思うのは……」

 

 先生は一度大きく息を吐いた。

 そして目を細めて俺を見た。

 

「こうなる前に彼らに気づかせてあげたかった……ただそれだけだよ」

 

「あ……」

 

 その時俺は雪ノ下と目が合った。彼女は少し寂しげな様子で、ただ俺を見つめていた。

 そして思い出す。いつか雪ノ下が話していた、この『奉仕部の理念』のことを。

 

 『魚を与えることではなく魚の取り方を教えること』

 

 雪ノ下は常にこのことを念頭に置いていた。特に深く意識したことはなかったが、彼女は依頼人に対して自分が考え得る最大限の助言を与えていたように思う。

 俺はといえば、基本材木座の持ち込み小説に目を通して、ああでもないこうでもないと適当な添削を指示していただけ。まあ、俺が言ったことで材木座が自分で書き直したりしているのだから、あの行為も奉仕部の理念に反していたわけではなかったのだろう。

 だが、今回のこの案はどうだったか?

 俺が一色へと提案したのは、あくまで一色への虐めを『もっとも楽に終わらせる方法』。

 あの時俺は、なんの迷いもなくただ説明した。事件を明らかにすることで一色の立場の回復を図れると同時に、連中への報復も可能だな……と、その程度の認識でただ話しただけだ。そして、このようにSNSなどを通じて炎上していくだろうことも予測してもいたのだ。

 ただ安易に……

 俺には関係ないことだし、誰がどうなろうと知ったことではなかったから……

 だから俺は『教えてしまった』。

 もっとも安易に『人を破滅させる方法』を……この一色に……

 そう思いつつもう一度一色を見て見れば、しょんぼりと項垂れてしまっていた。

 雪ノ下もやはり何かに耐えるような顔をしている。

 先生は……俺を見て微かに微笑んでいた。

 

「そんな顔をするな、今回君は何もしていないじゃないか。まあ、これが良い経験になればいいとはおもうが」

 

 そう言いつつ、俺の頭を軽く撫でてから、先生は教室を後にした。

 

 残されたのは当然俺と雪ノ下と一色の三人のみ。

 誰一人言葉もなく、ただ重く淀んだ空気のままで佇んでいた。

 暫くしてから俺は椅子に座りそして鞄からラノベを取り出した。その様子を見ていた雪ノ下が俺へと近づいてきた。

 

「比企谷君……」

 

 そう声をかけて少し俯いた彼女はただ黙っていた。それを俺はそっと見上げると、彼女は口を開いた。

 

「何と言っていいのかは良く分からないのだけれど……、私、あなたのやり方、嫌いだわ」

 

「はわわわ……、ま、待ってくださいよぉ、雪ノ下先輩。せんぱいはただ私のことを考えて言ってくれただけで、やったのはせんぱいじゃないですから」

 

「一色さん、そういうことではないわ。今回のことで貴女は更に厳しい状況に進むことが考えられるのよ、貴女はそれを分かっているのかしら?」

 

「え?」

 

 慌てた様子でそうフォローしようとしている一色だが、雪ノ下に言われるまでもなく俺は正直申し訳ない思いでいっぱいだった。

 今回の件……

 これでやはり終わりではないのだ。

 人を訴追した人間は、結局は恨みを買う事にもなりやすい。今は一色が被害者であるから彼女に正義があるが、いずれ彼女は『クラスメートと先生を排除した張本人』という肩書が生じることになりかねない。当然そうならないように、クラスを替えたり、担任を替えたりなど施策はあるのだろうが、彼女の都合でそうなった事実を快く思わない人は確実に増加する。

 その上で、一色が今までと変わらずに高校生活を送れるかといえば、その保証は何一つないのだ。むしろ、酷くなる可能性の方が高い。

 

「誰も付き合いにくい相手とあえて仲良くしたいなどとは思わないものだしな。俺が言うのだから間違いない」

 

「そ、そんな……ど、どうしよう……」

 

 俺の言葉に今度は本当に泣き出してしまった一色いろは。両目から涙を溢れさせ肩を震わせて椅子へと腰を下ろした。

 正直、この事態を招いたのが俺の言動からだということが本当に心苦しい。では俺はどうすればよいのか? 俺はあることを閃いてすぐに雪ノ下を見た。

 

「な、なあ、今回のこの告発。俺がやったことにしねえか? それで俺が全校生徒の前で謝れば一色への注目はそれて……」

 

「ダメよ、それだけは絶対にダメ。そんなことをすれば、今度こそあなたが学校へ来れなくなるわよ? 忘れたの? まだ文化祭からそんなに日が経っていないのよ?」

 

「は、はあ? また文化祭かよ!? いったいなんのことだ、文化祭に俺が何をしたっていうんだよ」

 

「え?」

 

 急に雪ノ下の雰囲気が一変した。

 まるで狐につままれたような顔で俺を凝視しているし。

 

「あ、あなた……それを本気で言っているのかしら?」

 

「本気? ああ、本気も本気だ。いったいどうなってんだよ? 由比ヶ浜といい、お前といい、昨日の城廻先輩もそうだったが、あのなあ、俺は文化祭はずっとクラスの受付をしていて他に何一つやってなんかいねえよ! それどころか、たびたび聞くが、千葉村だとか、花火だとかいったいなんのことだ? お前らそろって俺に適当な事ばっか話してんじゃねえよ」

 

 俺はそこまで一気に言った。

 正直かなり溜まってもいたのだ。まったく理解できない話を他人にされることはやはりストレス以外の何物でもないのだから。

 これで漸くこいつらのこの『悪戯』も収まるだろう。

 いったいなんのつもりでこんな戯言を言い続けていたのか本気で分からなくなってしまったが、もはや何も期待するまい。俺はさっさと全てを終らせてあの平和な日常を取り戻したいだけなのだから。

 そのためなら、一色の身代わりになることだって大した問題ではない。

 どうせ、他人からの俺の評価など、地に落ちているままで変わることはないのだから。

 

「どういう……こと?」

 

 ただ、目の前では雪ノ下が非常に困惑した顔で固まってしまっていた。

 もはや俺を謀る遊びは終わりにしてよいはずなのに、そうなる様に促したというのに、いったいこの反応は……なんだ?

 

 その時だった。

 

 ガラガラ

 

「ゆ、ゆきのん! 分かったよ! これだよ! 『パラレルワールド』! その『比企谷君』は並行世界から移動してきたんだよ!」

 

 開いたドアの前に、息を切らせて手にある本を掲げた由比ヶ浜がそこにいた。

 手にしていた本のタイトルは……

 

『ム〇』???

 



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(10)ムー大陸から来たパパガハマさん

「そ、それはどういうことかしら?」

 

 雪ノ下が困惑した顔でそう由比ヶ浜へと声を掛けている。それは俺も全くの同感で、いったい由比ヶ浜が何を言いたいのか皆目見当がつかなかったから、ただ彼女が何を言うのか待った。

 そして、一色を撫でてその身体を離した由比ヶ浜が言った。

 

「えーとね、あたし、そこの比企谷君に俺の前から消えろって怒鳴られたの」

 

「はいっ!?」「ええっ!?」

 

 当然俺も跳びはねたわけだが、雪ノ下と一色の二人も猛烈に反応して俺を見た。

 まあ、その表情はまったく違うもので、一色は喜色満面興味津々、雪ノ下と言えば、明らかに俺を軽蔑した様子でキッと睨んでいた。

 そりゃそうか。なにしろ、由比ヶ浜が学校に来れていなかったわけを、この俺があいつに何かしたと雪ノ下は考えているわけで、俺はこの一連の経緯を黙っていたのだから当然訝しむに決まっているのだ。

 もう、布団被って隠れたい気分満々だったが、逃げも隠れも出来るわけもなく、俺はただ冷や汗をだらだら掻きながら表情が変わらないように必至に取り繕って固まっていた。

 

「比企谷君、あなた……」

 

 そう雪ノ下が言いかけて、それを由比ヶ浜が即座に遮った。

 

「ゆきのん、違うんだよ! 大丈夫だから。それを今から説明するから」

 

 由比ヶ浜はそう言って、椅子に座り直して大きく深呼吸した。そして俺達を見ながら口を開いた。

 

「あたしね、ここ最近のヒッキーがなんかおかしいなってずっと思ってたの。修学旅行に行くちょっと前くらいかな? なんだか変に余所余所しいし、話しかけても前と違う答えを言うこともあったし……」

 

 そう言われてみれば、俺に話しかけている時の由比ヶ浜は何か思案しているような様子の時が多々あったような気がする。その都度考えながら俺へと話しかけていたような……

 それはつまり、質問を投げかけてその反応を試していたということなのか……でも、いったいなぜ?

 俺がその話を不思議に思っていたところで雪ノ下が質問した。

 

「そう……だったかしら? 私にはいつもと変わらないように思えていたのだけれど。そう、いつもと同じで中身のない話しのオンパレードだったような……」

 

「今はっきりお前の中の俺の存在を認識できたよ、雪ノ下。そろそろ本気で泣いちゃうからね」

 

 そう反応した俺に彼女はクスリと微笑んだのだが、由比ヶ浜は全く違うことを言った。

 

「そうなんだよ……話している感じはいつもとあまり変わらなかった。でも、前にあたしと話したことに触れるとね、それを全然覚えてないの。文化祭のことも、夏休みのことも。それと……あの私たちが初めて出会った、事故のことも……」

 

 またそれか。いったい何のことだか……

 と、少しイラッとして問い詰めようとしたその時、今度は雪ノ下が怪訝な顔を俺に向けてきた。

 

「それは本当なの?」

 

「なにがだよ」

 

「だから……あの事故のこと……あなたは本当に覚えていないのかしら? 入学式の日のことを……」

 

「はあ? 入学式だぁ? 何かあったのかあの日に。何もなかったような気がするが」

 

 入学式入学式入学式……いや、いろいろ思い出してみるがまったく何もねえよ。

 そもそもだ。俺はあの暗黒の中学時代の黒歴史を払拭しようとしてこの学校へ進学したんだ。確か、あの頃は偏差値の高いこの学校に入学出来て、心機一転頑張ろうとか、かなりやる気まんまんだった気がする。

 だが、何もねえはずだ。女子との出会い……はおろか、入学式から今に至るまで友達らしい友達を作ることすらできなかっ……いや、つ、作らなかったんだからな……くぅ。

 

 我が身を振り返ってどんよりしていたこの俺のことを、何やら雪ノ下が困惑顔で見つめ、そして由比ヶ浜も満足げに頷きつつ見ていた。お前らこっちみんな。

 

「ね、言ったとおりでしょ?」

 

「し、信じられないわ」

 

「だから何がだよ」

 

 こいつらのあんまりな反応にだんだん怒りがこみあげて来たわけだが、それに構わずに由比ヶ浜が爆弾を投下し続けた。

 

「あたしね、おかしいなとは思っていたけど、トベっちの応援のこともあったからずっと比企谷君と一緒にいたの。でも、最後あんな風になっちゃったでしょ? だからあの時泣いちゃって……、それで比企谷君と二人きりになった時にちょっといい雰囲気になってね、それで告白されて……」

 

「ちょちょちょちょーっと待った! いや、待って! ねえ待って! ゆ、ゆゆ由比ヶ浜!! な、なんでそれ言っちゃうんだよ‼ 言うなよめっちゃ恥ずかし……」

 

「落ち着いて比企谷君! まだ終わってないし!」

 

「ぬぅ!!」

 

 何故か冷静にそう諭す由比ヶ浜。一色はきゃーっと頬を染めてわくわく顔なままだし。

 こ、こいつ、こんなに計算高いやつだったのか! 人に合わせるのが上手いことはなんとなく知っていたが、まさかここまで人を手玉に取るのが上手かったとは。俺の人生……オワタかも。

 

「続けるね、それで告白されたんだけど、本当にヒッキーが言ってくれてるのかもって思ったらあたしもどうしていいのか良く分からなくなっちゃって、それで、あの時あたしとヒッキーだけが知っている話をしてみたの……そうしたら……」

 

「はあ? ちょ、ちょっと待てお前。お前と俺が知っている話? いや、違うぞ。あの時お前は意味不明なことを言っていた。俺は本当に知らなかったし、そもそも俺とお前はまだ会ったばかりだったじゃねえか。それなのに、なんでこんなことを言われ……あれ?」

 

 俺が話すごとに、正面の雪ノ下の表情が強張っていくのを確かに感じ、そして俺は何も言えなくなった。

 そんな雪ノ下を見ていた由比ヶ浜は……

 

「ね? こういうことだよ」

 

 穏やかだが、冷静に彼女は言い切った。

 そして雪ノ下。

 

「本当のこと……なのね……。まさか記憶喪失……ではなさそうね、あなたの行動が平常すぎるし、会話も理路整然としすぎているもの。では……あなたは……いったい……誰?」

 

 まさかの雪ノ下からの誰なの発言。これには正直俺も混乱した。

 ほぼ初対面の由比ヶ浜だけならともかく、既知の雪ノ下からも同様の反応があると本当にへこむ。まさか俺は本当に『別人』なのか? 意味がわからん。

 俺は普通に自宅で暮らしているし、両親も妹の小町もいるし。それに自分で進学したこの総武高へも通っているし、クラスだっていつもと変わってはいない。

 変わっていたとすれば、この目の前の由比ヶ浜だ。今までまったく知らない相手だったのに、ここ最近は妙に馴れ馴れしく、当たり前のように一緒に行動していた。

 そう考えると、俺には由比ヶ浜の存在が空恐ろしく感じられて……

 感じられたが……同時に何やら腑に落ちたような気もし始めていた。

 いや確かに完全な理解ではないが、俺の中の過去の日常と、今の日常では若干……なにやら差異が生じていたことも事実であったのだから。

 困惑した俺に対して、雪ノ下と由比ヶ浜はお互い見つめ合ってからコクリと頷いた。そして、由比ヶ浜が立ち上がって椅子を並べ直し始め長机を挟んだ俺の対面に一番左に腰を下ろし、雪ノ下は窓辺に置いた自分の鞄からノートとペンを取り出してきて対面の中央の椅子に……そして何故かその右隣の椅子にわくわく顔の一色も並んで座って……

 

「って、なんだこの座る配置は? 俺は取り調べを受ける容疑者か!」

 

 そう言った直後に雪ノ下が鋭い眼差しを俺に向けてきた。

 

「それでは取り調べを開始します」

 

 ノリノリだな、おい。

 

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「つまり比企谷君A……あなたは、特に友人も作らないまま2年に進級して、平塚先生に目を付けられ、この奉仕部へと入部することになった……そこの部員は部長の私一人だけだった。そこまでは間違いないわね?」

 

「ああ、そうだよ」

 

 雪ノ下はサラサラとノートにメモをとりながら、本当に尋問官のように俺へと端的に質問を繰り返した。俺はそれに都度都度答えているわけだが、その『比企谷君A』とか本当にやめて! どっかの巨人ヒーロー物とかSFロボット物とか、王子様物の野球マンガのタイトルみたいで超恥ずかしいから。

 そんなことおかまいなしに雪ノ下は続けるわけだが。

 

「で、比企谷君Aは奉仕部員となった後、主に材木崎君と交流が深くなり、彼の小説の寸評などをおこなっていた……と」

 

「材木座な。いい加減覚えてやれよ可哀そうだから。お前と違って俺は特にやることもなかったからな。一度あいつの小説の評価をしてやってからはほぼ毎週のように俺のところに通ってきてたから間違いない」

 

「仲が良いわね……付き合ってたの? お嫁さん?」

 

「ちげーよ。ただでなくてもボッチで蔑まされてるのに、そんな噂流されたらマジで死ねるからな」

 

 マジで勘弁してください。あいつとそんな噂流されたらもう俺この学校来れないから。というか本当に死ぬ。

 なぜか楽し気な雪ノ下に良いようにあしらわれつつ、あれやこれや聞かれ、気が付けば目の前の女子三人はまるで習字のお手本の様に綺麗な字で書かれた雪ノ下のノートへと視線を落としていた。

 

「こう見るとせんぱいって、本当に何もしてなかったんですねー。学校来てて楽しかったんですか?」

 

 それ生きてて本当に楽しいの? って聞こえちゃうからね、一色さん。

 一年にまで疑問に思われる俺の高校生活……なんだろう、涙が。

 そして由比ヶ浜だ。

 

「えっと……で、比企谷君があたしと初めて会ったのは……」

 

「だからさっき言ったろ? あれだ、体育祭が終わってしばらくしてからだよ。ちょうど修学旅行の班決めをしてた頃で、俺が部室に来たら、お前が雪ノ下と一緒にいたんだよ」

 

「だよね……だからさ、やっぱり……」

 

 由比ヶ浜は再び雪ノ下達を見つめる。

 そして言った。

 

「そこが『分岐点(ターニングポイント)』だったんだよ!」

 

 そして、ドンと先ほどから手に持っていた妖しさ満点の月刊誌『ム〇』を取りだした。そしてそれを徐に開くと、ペラペラとページを送り、とあるページに辿り着くとそれを俺達へとバンと広げて見せた。そこには……

 

「なになに……『パラレルワールド? ……世界は現世を一面として、数多の並行世界を伴って存在している。その世界は似て非なるもので、様々な因果の選択の果てに変わっていく様がもう一つの可能性の存在としての世界として残り続け……』なんだこれは? 何を言っているのかさっぱりなんだが」

 

 もはや書いてあることがスピリチュアル過ぎて、理解が本当に追いつかないのだが、それを一緒に読んでいた雪ノ下が端的に言った。

 

「つまり、私達がいる世界の周囲には私たちの世界とは違う歴史、過去を辿った似た世界がたくさんある。ということかしら?」

 

 そう断定的に述べた雪ノ下に、うんうんと頷いた由比ヶ浜が応えた。

 

「そうそれ!」

 

 端的過ぎて逆に不安になる反応なのだけどな。

 

「つまりお前は……『この世界と似ているけど違う世界』から……俺がやってきたと……そう言いたいわけだな」

 

「うん!」

 

 そして由比ヶ浜は大きく頷いた。

 ま、マジかよ……

 愕然となっている俺の前で由比ヶ浜が続けた。

 

「あのね、最初はあたしもそんなことあるわけないって思ってたの。あの告白の時、比企谷君が酷い事言ったのは何か別の理由があったんじゃないかって。事故に遭って記憶喪失になったとか、本当はいじわるで、あたしを傷つけようとしてたんだじゃいのか、あたしの方が壊れてて、あたしが勝手に比企谷君のイメージを作ってただけで、それを本物だと思い込んでいただけなんじゃないか……って。あはは、でもいろいろ考えてたらね、本当にすごく悲しくなっちゃって、あたし学校に来れなくなっちゃったの」

 

 明るくそう笑う由比ヶ浜だが、でも確かにそれは辛そうだ。自分の記憶と違うことが目の前で繰り広げられる。まるで自分の頭が壊れてしまったのかも……そう思って平常で居られるやつはやはりいないだろう。

 

「でもね、何日か休んで、色々悩んで、色々考えて、そうしたらやっぱり色々おかしいって思えてきてね、それで思い切ってパパに相談してみたの。『今まで仲の良かったあたしの友達があたしのことを全然覚えてないのはなんで?』って。そうしたらね、パパがこの本を見せてくれたんだ」

 

 言いながらタンと『ム〇』の表紙を見せる由比ヶ浜。

 

「って、おい!」

 

 おいおいおいパパガハマさん。いったい何を娘さんに見せてるんでしょうかね? どこの世界に悩んだ年頃の娘にオカルティック大爆発な本を差し出す父親がいるんだよ! せめて赤い方をだそうよ‼ 科学の方!

 

「パパの部屋の本棚、この本いっぱいでね、これ貸してくれる時、パパ本当に嬉しそうだったんだ。あ、ママには内緒だよとも言ってたけど、そういえばなんでかな?」

 

 パパン……自分の密かな楽しみを娘さんと共有したかったわけですね。なんだろう……泣ける。

 

「あたし色々調べてみたんだけど、他にも可能性があって、『宇宙人に捕まって改造された』とか、『ヒッキーに誰かの霊が憑依している』とか、『実はヒッキーにそっくりなモンスターだった』とかね! でもなんとなく、その辺のことは違うような気がしたんだよね」

 

「なんとなくじゃなくて、間違いなくそんなわけないからな。そもそもその本だけで調べるの完全におかしいから」

 

「それで……由比ヶ浜さんは比企谷君・異世界人説を唱えたわけね」

 

「うん、そう!」

 

「なるほど……」

 

 いやいや、お前ら完全に俺のこと無視しているよな。やめろよそんなので俺を判断するの。なんだか、俺が本当におかしいみたいだろうが。まあ、言われれば言われるほどにどんどん自分の記憶とかに自信がなくなってくるわけだが。

 

「でもそれだけでは証明にはならないわ、由比ヶ浜さん。だって、それはあくまでこの目の前の『比企谷君A』が今までと変わっていたことに対しての考察だけじゃない。貴女の言う通りであればもう一人、今までここに存在していた所謂『比企谷君B』がこの世界から消えた証明……もしくは、もう一つ別の世界があるということを証明する必要があるわ。そうでなければ、それはやはり、ただのオカルト……戯言の域を出ない推察でしかないわ」

 

「そ、それは……」

 

 口ごもる由比ヶ浜だが、雪ノ下の意見はもっともだ。

 今のままなら、俺や由比ヶ浜が単にアルツハイマーの様な症状で現状把握を出来ていないだけ、ただの妄想の世界にいると言っているようなものだ。むしろ普通ならそう考えて、病院などで診断されれば、精神疾患、現実を認識できない精神障害とか、そんな風に診断されて、隔離病棟行まちがいなしだろう。

 いや、だったら普通を装って生活しますよ、俺は。別に過去の認識が違っていたって、俺には痛くもかゆくもないのだから。

 由比ヶ浜を見れば、すこし気落ちした様子で項垂れてしまっているし。

 俺と違って由比ヶ浜はどうもこの件をもっと深刻にとらえているのかもしれない。だからこそ、こんな怪しい本まで持ち出したのだろうし。

 まあ、今はどうしていいのかはまったく想像つかない。この際もう暫く時間をかけて彼女の話を聞いてあげる必要があるかもしれないしな。

 い、一応お互い告白しあった仲だしな……あの後、いろいろあったけど、これでまた上手くいったりしたら儲けものだし、ごにょごにょ……

 

「なあ、由比ヶ浜……今は慌てないで……」

 

 そう慰めようと思った時だった。

 

「むっふーん! と気合を込めて我参上! 我が心の朋友(ポンヨウ)八幡よ! 今回こそは大傑作であるぞ! 『呪われた島に襲い掛かる5匹のドラゴンに立ち向かう6人の勇者の物語』! ここに堂々の完結である」

 

「いや、それもう夏前に読んでやったじゃねえかよ? 話の設定がありきたり過ぎのうえに、ほぼ全編過去の名作の完パクだったやつじゃねえか。一発でくそ駄作って蹴っ飛ばされるって忠告してやったろ? っていうか、いきなりはいってくんな」

 

「はぽんっ!? 我がこれを八幡編集に持ち込むのはこれが初めてのはずであるが……というか、くそ駄作って、酷いっ! 読んでもいないのに八幡ひどいいいいいいっ!」

 

「誰が編集だ……もうそんな駄作二度と読みたくなんか……あれ?」

 

 見れば、由比ヶ浜と雪ノ下、それに一色も俺へと興味深げな視線を送ってきているし。

 そして一色がポツリと言った。

 

「あの……これって異世界の証明になるんじゃないですか?」

 



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(11)ヒッキーはあたしのヒーローだから

「この小説に書かれている内容と、比企谷君が話している内容はほぼ一致しているわね……やはり読んだことがあるようね」

 

 材木座の持ち込んだ紙束を手にして雪ノ下がそう結論付けた。

 それは当然のことだ。なにしろ俺はこの材木座の作品を実際に読んだのだから。

 夏休みに入る少し前に、奴が傑作を閃いたと完結もしていない、中盤スカスカで書き終えてもいないこの小説を持ってきて、仕方なく俺は全部読んで、奴の精神世界を垣間見てしまい、大いに苦しんだのだから。

 前述したとおり、既存の名作のほぼコピペ同然の作品で、キャラの名前もいちいち似ていたのにも関わらず、超展開しまくりで、これが二次小説だというのなら、完全な原作レイプそのものだったのだから。

 はっきりいって、クソ作品なのだが、どうしてこいつはこんなに自信満々に持ってこれるのだろうか……

 一度小説投稿サイトでフルボッコにされてみるといい。豆腐メンタルだからな、このままメンヘラになられても面倒くさすぎるが。

 材木座はといえば、思わぬところで女子たちに自分の小説を読んでもらえて、なにやらそわそわしているようだが、とりあえずお前、感想聞かない方がいいと思うぞ……

 

「むおっほん!! 我が大作の感想や如何に!」

 

 聞いちゃったよ、この馬鹿。

 

「えと……こ、今回も難しい漢字いっぱいだったね」

「ファンタジー小説みたいでした」

「登場人物に感情移入できない。世界観が頭に入ってこない。何を説きたいのか伝わってこない。まったく文法を理解できていない。それと人に読んでもらいたいのならば、せめて誤字脱字くらいは修正してからにして。他には……」

 

「へぶぅっ!!」

 

 目の前で材木座が悶絶してぴくぴく痙攣しているのだが……

 由比ヶ浜は半笑いで漢字の話しとか、それそもそも作品読むまでもないし、一色のはまあ当たらずも遠からずの回答なのだが……一応、これファンタジー小説なんだがな……哀れ、材木座。

 で、雪ノ下だ。そこまで言った挙句、まだ追撃しようとか、それ本当にやめたげて! こいつのライフはもうゼロよ!

 

 床にトドのように転がっている材木座は放っておくとして、俺達はとあることの確認ができたわけだな。

 

「俺は確かにこの材木座の小説を夏前に読んだよ。で、確かにこいつに色々ダメ出しをした。今回ほど痛烈にではなかったが」

 

 そう俺は言い切った。

 

「でも、彼はまだ誰にも読ませてはいないと、言っているわね。そうする理由も特に思い当たらないということは、やはり貴方たちの話の齟齬の理由は……」

 

「比企谷君はやっぱり異世界から来たってことなんだよ。比企谷君は、向こうの世界の中二の作品をもう読んでいたんだよ。並行世界で」

 

 雪ノ下と由比ヶ浜がそう結論めいたことを言ったのだ。

 

「ふう……そんなことが本当にあるとは信じられないのだけれど……あなた……比企谷君は、本当に文化祭も、千葉村も、葉山君たちのチェーンメールの件や、戸塚君の応援、それに由比ヶ浜さんの依頼も知らないということで間違いないのね?」

 

「ああ、そうだよ。そもそもお前が言っている内容の全てを俺は理解できていないと付け加えておこう。俺にとっては意味不明だが、お前らの言う通りなら、俺は春先には由比ヶ浜と会っていて、由比ヶ浜や葉山や戸塚の依頼をすでにしていたということなんだろ? それこそ俺には信じられねえよ」

 

 誰かが嘘をついている……もしくはみんなが……

 

 それならもっと簡単にこの事態を把握できるのだ。しかし、そうではなく誰ひとりとして嘘をついていないのであれば……

 もう俺はため息しか出なかった。

 

「つまり、異世界がどうとかは置いておくとしても、俺は、お前らの知っている俺とは別人ということだけは間違いなさそうだな」

 

「そのようね。あなたの言っていることが正しいとの前提が必要なのだけれど、それも今回の材木座君の小説の照らし合わせで確認が取れたようだし……」

 

 恐ろしいことだが、まさにその通りだ。俺は間違いなくこの作品を一度読んでいる。ただし、いまよりも話数も少なかったし、内容も若干変更されているかんじではあった。でも、キャラクターなどは同じだし、大まかな流れも一緒。

 こいつが俺を嵌めるために雪ノ下達と共謀して嘘をついている可能性だってあるにはあるが、その方が俺異世界人説よりももっと可能性が低いだろう。こいつが女子と何かできるとは到底思えないからな。

 

「はあ……」

 

 再びため息が出てしまった俺だが、とにかく今はやらなければならないことがあることだけは理解していた。

 

「まあ、分かったよ。由比ヶ浜やお前らの意見に俺は賛成だ。だけどな、今はやらなきゃならないことがあるだろう。なあ、一色?」

 

「ひゃ、ひゃいっ!!」

 

 俺の声にびくりと身体を震わせる一色。

 とりあえずここでは平常を装っていた彼女だが、根本的にまだ問題は解決していないのだ。

 それこそ、あの怪文書を作成し、公開したのは一色本人であると、彼女自身が暴露してしまっているのだから。

 で、あれば、先ほど提案してように、だれかを人身御供としなければ……誰かが犯人として名乗りでなければこの事態は収まらないだろう。まあ、俺はその役目を譲る気はないがな。

 

「じゃあさっき言ったように俺がやったことにするからな。異論は聞かない」

 

「駄目だってば、だからあたしが言うの!」

 

「いえ、ここは部長の私よ」

 

「あ、あの……それなら私が正直に謝って……」

 

 結局このパターンだ。

 なら、もうこうするしかないだろう。

 

「わかった。なら平塚先生に相談しよう。あの人ならきっと……間違えない」

 

 そう言うと、雪ノ下たちも同意して立ち上がる。

 そして、4人で部室を後にした。

 

「はぅぁっ! い、いったい我は何を?」

 

 床で悶絶していた材木座を連れて行かないのは当然のことである。

 

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 

「それで……君たちは私のところへやってきたというわけだな? よし、なら全員すぐに私に頭を下げたまえ」

 

 生徒指導室に案内されてから、そこで平塚先生にそう言われ、理解出来ないままに俺たちは4人並んでそっとお辞儀をした。そうしてみたら……

 

 ペチリッ! 「い、痛っ!」

 ペチリッ! 「キャッ!」

 ペチリッ! 「ひあっ!」

 ドッゴォッ!! 「げヴぉぁああああああああッ!!」

 

「ふう、困ったものだな。まったくまだ理解できていないではないか」

 

 頭を擦る女子三人を見ながら腕を組んで、やれやれと嘆息している先生。そんな先生に軽くたたかれた女子たちは何やら驚いた様子で……

 

「って、なんで俺だけ鉄拳なんすか!? しかも頭じゃなくてリバーブロウとか!! マジで死にますから!」

 

「3人加減したのだ。一人くらいちょっと本気を出してストレス発散しても良いとは思わないか?」

 

「やられた本人に同意求めないでくださいよ。っていうか、精神的苦痛ないじめの話してるときに、肉体的苦痛与えちゃうとか、俺も体罰で訴えちゃいますよ」

 

「へ? え? あ? ああ、いやあ、あ、あはははははは……は……、すまん」

 

 ちょっと後悔しちゃったのかな、先生は冷や汗を掻いて誤魔化してた感じだったが、結局は謝って項垂れてしまった。しょんぼりしてる先生、なんだよ、ちょっと可愛いな。

 だが、ここで調子にのるとさっきの二の舞必至だからな。俺は努めて平静を装うのだった。

 

「ま、まあ、あれだ! 君たちなりに色々考えたことは分かった。うん、分かったようんうん」

 

 しどろもどろな平塚先生。別にもういいですよ、面倒くさいので。

 

「どうぞ、気にしないで話してください。別に訴えたりしませんから」

 

「ひ、比企谷~~~」

 

 おおっと、そのまま抱き着かれてラッキースケベとか、女子の前でやられて平静でいられる自信ないのでマジ勘弁してください。この先の俺の評価に著しく影響しますので。でもどうしてもっていうなら抱き着いていただいてもかまわ……げふんげふん。

 結局先生は抱き着いてこなかったわけだけども。なに、純なの? 実はピュアなの? 頬を赤らめた先生やっぱ可愛いいんだが。

 と、そんな女子っぽい反応はそこまでだった。

 先生は表情を引き締めて俺たちを見た。

 

「君たちなりに良く考えはしたんだろうが、先方がすでに謝罪して一色がそれを了承したあとだ。それを蒸し返して、しかも君たちが嘘をつくことでどういう事態になるか、想像できないわけではあるまい」

 

 そう言われ、雪ノ下がハッと気がついたとでもいう感じで口を開いた。

 

「つまりこの件はもう終わっている……ということでしょうか? あの告発文の作成者の件も含めて……?」

 

 先生はそれには特に何も返さなかったが、ただジッと雪ノ下を見る。そして言った。

 

「ま、隠そうとしても隠せないことはあるというだけのことだよ。これはあくまで私の独り言だがね、生徒たちと一緒に一色に謝った後にあの先生は、『私の浅はかな思い付きのせいで、善良な生徒をこのような行為に走らせてしまった。とても許されるようなことではない』と、そう仰っておられたが、多分今回のことででもう同じようなことは起こらないと私は思っているよ」

 

「え? じゃあ、先生たちは一色がやったことを……?」

 

 平塚先生は特に何も言わないままにただニッと微笑んでいた。

 なんだよ、ここまで全部終わらせて、片付けておいて何も言わないとか、どれだけカッコいいんだよ、この先生は。

 

「だが……君達が今回の件を穏便に終わらせたいと考えていたことは良くわかった。それを相談してくれたことも嬉しく思うよ。ありがとう、お疲れ様」

 

 先生にそう言われ、ホッと肩の力が一気に抜けたような気がした。

 特に何をしたわけでもなかったのだがな。

 今回は、俺が不用意な助言を一色に与えてしまったがためにこのような事件になった。だが、それは多くの人を巻き込んで、一色自体の今後にも影響を与えかねない事態へと進んでしまったのだ。

 そして、そのせいで、雪ノ下や……由比ヶ浜も傷つけることになりかねなかった。

 そう思うと……

 隣で俺と同じように安堵に胸を撫でおろしている雪ノ下と由比ヶ浜の二人を見て、心底安堵した。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「で、結局お前は生徒会長に正式に立候補したのか?」

 

 部室で待っていた俺たちの前に、少し話があるからと、平塚先生の元に残された一色が遅れて戻ってきて、開口一番そんな話を小首を傾げながらしたのである。

 

「そうなんですよー。なんかですね? 今なら全校生徒が私に同情してくれてますし、間違いなく応援してくれるから、いい機会だからやってみたら? って提案されちゃいましてぇ。で、私が立候補して当選すれば、今回の怪文書事件も完全に消滅することになるからって。私、なんかそれもいいかなーって思っちゃいまして、つい」

 

 そう言って、でもまだ頭にハテナマークを浮かべているような一色の顔。

 

「いや、ついって……お前がそれで良いなら良いんだが……」

 

「うーん、まったく分からないでもないんですよね? 私が立候補すれば、私に嫌がらせしたあの子たちがしたことも無かったことに出来そうですしねぇ。なんというか、貸しを作るのって最高じゃないですかぁ!」

 

 にこりと善良に微笑んでそんなことを宣う一色いろは。

 こっわ! いろはすこっわ! こいつ、そんな打算して生徒会長立候補しやがったのかよ。怪文書といい、この立候補といい、こいつ……実は相当腹黒なんじゃ……いろはじゃなくてハラグロハなんではなかろうか?

 

「そう……一色さんが決めたことなら私たちに異論はないわ」

 

「うん! いろはちゃん、応援するからなんでも言ってね!」

 

「わぁ! ありがとうございます、雪ノ下先輩、結衣先輩! じゃあ、さっそくなんですけど、選挙応援のお手伝いをお願いしますねぇ。あ、応援演説は是非雪ノ下先輩にお願いしまーす! あ、ついでに比企谷先輩もお手伝いお願いしまぁす!」

 

 と、さりげなくまるっと選挙の手伝いを放り込んできやがった。ってか俺はあくまでついでなんだな。

 まあ、こんなにニコニコしているのだ。なら、頑張って手伝ってやろうかね。

 そんな時だった。

 不意に俺は……

 穏やかな気分でそんなことを思っている自分に気が付いて、驚いてしまった。今まで俺は、女子はおろか男子とだってこんな風に和やかに会話したことなど無かった。

 無かったのに、俺は今この状況をすんなりと受け入れてしまっていた。

 それは、この部のこの雰囲気……

 差し込む陽の光によって輝いているかのような、雪ノ下と由比ヶ浜、二人の穏やかな表情……それが醸し出す安心にも似た安らぎを、俺は当たり前の様に享受していたということなのだ。

 そう思った時……

 俺の脳裏に一人の人物の姿がよぎる……

 

 それは俺とまったく同じ容姿、同じ名前の人物の姿。

 

 俺とは違う道を歩んで、この奉仕部の二人と一緒に思い出を刻んできたであろう男……

 

 いったい彼は、どのようにして彼女たちの信頼を勝ち得たのか……

 そしてどうしてこんなにも安らげる場を作ることが出来たのか……

 

 俺はそれを思い……

 

 静かに……

 

 嫉妬した。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 

「本当に、特に何もなくて良かったね」

 

「ああ、そうだな」

 

 色々の話が終わり、帰宅しようと駐輪場へと向かっていた俺に、由比ヶ浜がいつかのようにトテトテとついてきた。そして無難な会話をしつつ並んで歩いているのだが、正直俺は相当に気まずい。

 何しろ俺はこの由比ヶ浜に告白までしてしまったのだ。あの修学旅行の竹林で。

 そして、そのせいで由比ヶ浜に色々と情けない俺の噂を吹聴されていると、勝手に被害妄想に囚われて学校へもこれなくなっていたのだから。実際、由比ヶ浜は何一つしていなかったのだが。

 そうだというのに、こいつはとくに何もなかったかのようにこうやって俺へと話しかけてきている。

 さすがにもう、勘違いをしたりはしない。こいつが想いを寄せている相手のことを俺はもう知っているのだから。

 

「なあ……由比ヶ浜……その……『ヒッキー』って奴は、どんな奴なんだ?」

 

 俺は由比ヶ浜へとそう問いかけた。

 特に前触れをしたわけでもなく、俺は唐突にそう聞いた。

 俺は気になったのだ。俺とは違う俺。もう一人の俺。

 そんな非現実的なことが起こるなんてありえない。ありえないとそう思っているにも関わらず、俺が味わっているこの穏やかで心休まる『奉仕部』の現状から、そのもう一人の俺の存在を確かに感じていたのだから。

 そんな『もう一人の俺』に、この由比ヶ浜は心を寄せている……

 それはいったいどういうことなんだ……

 俺とは全く違うのか……それとも、同じところもあるのか……

 俺はそれが気になったのだ。

 

 由比ヶ浜は……

 

「あ、えと……なんかさ、ヒッキーの顔でそう聞かれるのは、やっぱりちょっと変な感じがするね。あはは」

 

 頬を掻いて笑う由比ヶ浜はなんというか、この前の竹林とはまったく違う存在だった。

 彼女はもう完全に俺を『別人』と見なしているということなんだろうな。

 そう思うと、まるで自分の存在それ自体を『否定』されてしまったようにも感じて、心が重くなる。 

 由比ヶ浜はひょっとしたらそんな俺の変化した様子に気が付いていたのかもしれない、彼女は言葉を選んだ感じで言った。 

 

「ヒッキーはさ、比企谷君と殆ど同じだよ。見た目も、話し方も、仕草だって一緒。だからあたしも気が付かなかったんだ」

 

「そ、そうなのか?」

 

「うん」

 

 由比ヶ浜のその答えに俺は安堵していることに気が付いた。

 やはり俺は心のどこかで不安で居続けているのだ。

 自分という存在がひょっとしたらこの世界のただの異物で、俺はここにいてはいけない存在なのではないか……もしそうであったとしても、少なくとも俺がここに居ていいと、誰かに認めてもらいたいという思いが確かにあったのだ。

 そんな不安を由比ヶ浜は察したのだろう。

 やはり彼女は優しかった。

 

「なら……俺とどこが違うんだ?」

 

 そう聞いた。

 見た目も話し方も一緒なら、それはもう俺と同じなのではないか? そう思ったからこそ聞いたのだが、彼女は少し遠くを見るような目で言ったのだ。

 

「ヒッキーは……あたしのヒーローだから……」

 

 その言葉にどれほど特別な想いが込められているのか……聞かずとも俺には分かったような気がした。

 



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(12)『八幡』と『もう一人の八幡』

「ヒーロー?」

 

「そう、ヒーロー」

 

 由比ヶ浜があっさりとそう口にして、優しく微笑んでいた。

 俺はその無警戒な表情にドキリとしていることに気が付く。と、同時に、いたたまれなくなって気が付けば質問をしていた。

 

「な、なんでそう思うんだ? そいつが……いったい何をしたって? あ、あれか? 犬を助けたとかってやつか?」

 

 そう、俺は言いながら先ほど聞いたことをいろいろ思い出していた。

 入学式の朝、この世界で俺は由比ヶ浜の飼い犬を助けたらしい。

 犬を連れて早朝に散歩していた由比ヶ浜は、たまたまリードが切れて走り出してしまった犬を追いかけるも、交差点に飛び出したそこに黒塗りの大きな車が差し掛かり、愛犬があわや轢かれてしまうところであったそうだ。

 だが、そこに飛び出したのがこの俺。

 通学中で自転車に乗っていたらしい俺は自転車が壊れるのもお構いなしに車の前へと飛び出して、犬を抱えたままその車に撥ねられたということの様だ。

 正直、俺がそんなことをするなんて想像することも出来ない。

 人のためどころか、犬のためにそんなことを俺がしたのか? いったいどういう心境だったんだか訳が分からないが、そのせいで入院までしたらしいし、そりゃあ、それならヒーローなんて思われることもあるのかもしれない。俺はそう思っていたのだが……

 

「あ……うん、それも……ある……かな? でも、最初は本当にヒッキーに申し訳なくて、どうすればいいんだろう、どうしたら許してもらえるだろう……ってそればっかり考えてたの」

 

 由比ヶ浜はそう言いながら本当に申し訳なさそうに下を向いて頬をポリポリと掻いていた。

 俺はそんな彼女の次の言葉を待った。

 

「あたしのせいでケガをして入院までしちゃって……絶対怒っているだろうな、きっと許してはくれないだろうな……そう思いながら謝りに行ったけど、結局会うことも出来なかったし、それで怖くて……気が付いたらあっという間に一年経っちゃって……だから、最初はヒッキーに会うのが本当に怖かったの……きっとあたしのことを軽蔑しているだろうな、凄く怒ってるだろうなって思って」

 

 由比ヶ浜は笑っていた。だが、その瞳は今にも涙が溢れそうなほどに潤んでしまってもいた。

 俺はそんな彼女からそっと視線を外した。

 

「それでも……あたしはヒッキーにちゃんとお礼もお詫びもしたかった。あたしのせいであんな目に遭ったのに、一度もきちんとお話もしたことがなかったから……でもね!」

 

 そこまで言った彼女は、たんっと俺の正面に飛び跳ねてこちらを向いた。そして微笑んで言ったのだ。

 

「2年になったらヒッキーと同じクラスだったの! だからね、これでやっと、ヒッキーに謝れる。謝って許してもらえたら、きっとこのモヤモヤした怖い思いも消えるはず。そう思ってたんだけど、ヒッキーってば全然目も合わせてくれないし、話しかけようと思うとすぐにいなくなっちゃうし、誰も友達いないみたいだし……」

 

 一体何をやっているんだヒッキーは! ……って俺のことか。はあ、まったくその通りなことを俺はもう長いことずっとやってきたのだ。

 誰にも興味ない風を装って話しかけられる前に逃げていたし、自分から他人に対してのアクションは起こさないように気を使っていたくらいだし。ただ、その反面、周りの連中の観察だけは続けていた。それは自分がそこに関わらないようにするための情報収集ではあったけど、同時にくだらない話や行為に興じている連中を見て鼻で笑い小馬鹿にしたりしていたのだ。

 周りの連中はバカばかりだと決めつけ、その反面、どんな奴らなのか知ろうともしてこなかった。

 由比ヶ浜はそんな俺に声を掛けようとしていたのか……

 無理に決まっているじゃねえか。俺は完全にシャットアウトしていたんだからよ。

 

「それで、お前は奉仕部の戸を叩いたのか」

 

 俺への『お礼』をなんとかしたくて……

 由比ヶ浜は微笑んだままで俺を見上げた。

 

「そう……でもそうしたらね、そこにヒッキーがもう居たし、本当にびっくりしたの。なんでここにいるの? どうして? って混乱しちゃって……でも、依頼でって来ちゃったからもう後に引けなくて、それであたし、ゆきのんとヒッキーに手作りのクッキーを作るのを手つだってもらったんだよ。あはは、あげたい相手に手伝ってもらうなんて、そんなのないよね。それにあたし、今まで一度もクッキー作ったことなんかないもん、上手にできるわけないよね、だけど……」

 

 彼女は少し頬を染めて照れた感じで続けた。

 

「ヒッキーは貰ってくれたの。あたしが作った、真っ黒な、美味しくない、変な匂いもする出来損ないのクッキーを。それであたし、思ったんだ。ああ、優しい人だなって」

 

 そう語る由比ヶ浜に、だが俺は全く違う感想を抱いていた。

 そうじゃないだろう。俺はその時、きっとただ舞い上がっていたのだ。女子と碌に接点もなく、会話だって殆どしたことがなかったのだ。そんな俺が女子から贈り物をもらったのだとしたら……

 もう考えるまでもない。この前の修学旅行の時の俺と同じだ。

 良い雰囲気だったから、ひょっとしたら俺に好意があるのかもしれない。

 そんな手前勝手な俺自身の欲望そのままに行動したに過ぎない。思いを乗せて俺へと手渡した由比ヶ浜の気持ちを思っていたわけでもないし、ましてそこに彼女への許しをのせた優しさなんかなかったはずだ。

 ただ、俺は彼女を傷つけないように行動していただけなのだと思う。優しい振りをしていただけ。

 俺は彼女を騙していたのだろう。

 それが手に取るように分かって、俺は自己嫌悪に陥った。

 

 だが、由比ヶ浜は俺の変化には気が付かないままに話をつづけた。

 

「それからあたしは奉仕部でヒッキーとゆきのんともっと仲良くなりたくて、いっぱいいっぱい頑張ったの。まだヒッキーにきちんと謝ることも出来てなかったし、あの事故のことも話せてなかったから。だから、もっと仲良くなれればきっと、ヒッキーにちゃんと謝れるはず。そうするのが一番なんだって……そう思ってたけど……結局は途中でヒッキーがあたしと事故の事に気が付いちゃって……それで凄く嫌な思いをさせちゃったんだけどね……あの時は、辛かったな……あはは」

 

 由比ヶ浜は乾いた笑いのままに視線をそらした。そらして、だがそのまま言った。

 

「でもね……一緒にいろんなことをして、ヒッキーにいろんなことをしてもらって、ヒッキーといっぱい話をして、それで……それで、ヒッキーに助けられて、あたし……ヒッキーともっといたいな……ヒッキーともっと仲良くなりたいな……と、特別な関係になりたいな……って、思うようになったんだ」

 

 彼女は一度目を閉じてから静かに呟くように言った。

 

「頑張ってるヒッキーは……あたしのヒーローなんだよ」 

 

 そう聞いた瞬間、俺のことでもないはずなのに、顔が燃えるように熱くなる。

 こいつ、なんでこんなことをすらすら話せるんだよ。

 

「お、お前な……そんなこと言うなよ、は、恥ずかしい」

 

「あ、え、あ、そそそういえば、そうだよね。あはは、あ、あたしなんでこんな話しちゃってんだろ、あはははは」

 

 急に由比ヶ浜も真っ赤になって胡麻化し始めたが、もう遅すぎるからな。

 いったいどれだけそのヒッキー君が好きなんだよ。好きだとか、私のヒーローだとか、やめろよ本気で恥ずかしいよ、俺は。

 

 二人して校庭済みで真っ赤になって立ち止まったまま、動くことが出来なかった。

 いったいなんなのだ、この状況は!

 俺はただそのヒッキーのことを聞いていただけなのに、いつの間にか、こいつの惚気話みたいになっちまって、しかもその相手が要は俺のことで……

 なんでこいつは自分が気になっている相手にこんなふうに話せるんだよ!

 混乱したままの俺は彼女を見た。

 

「お、お前がそのヒッキーを大好きなのは良くわかった。完全に了解した。でも頼むからその、す、好きだとか言うの、そういうのはちょっと控えてくれよ、お願いだから」

 

「そ、そうだよね。おかしいよね、ほんとうに」

 

 まだ笑っている由比ヶ浜だが、彼女はポツリと言った。

 

「変なんだ。比企谷君がヒッキーじゃないって思ったら、今までヒッキーに言えなかったことも言っていいみたいに思っちゃって……」

 

「お前な……女子に好きな男子の相談される、そのただの友達の気持ち考えたことある? あれは下手に告白して振られるより、よほどダメージ大きいんだぞ」

 

「ほ、本当にごめん」

 

 女子にねえねえって仲良さげに近寄られて、良い感じになったと期待に胸を膨らませていたら、その口から飛び出したのは他の男の話。完全に俺眼中ないって言い着られているような状態で、しかもアドバイスしてやならないといけないとかどんな拷問だって話だが、男ってこういうとき、必死に良い人になっちゃうんだよなー、全然もう脈ないのに。比企谷君には話しやすいんだよねー、もっと私の話聞いてとか……うへへ……いや、ただの妄想です。俺は経験したことまったくありませんです。

 とはいえ、今回は特殊だ。

 なにしろ、由比ヶ浜の思い人は『もう一人の俺』のことで、俺とほぼ同じスペックなのだという。

 それなのに、そのもう一人を好きよと言われることのショックの大きさよ。

 ん?

 ショック大きいか? いや、そんなにショックはないな。確かにお前よりあっちの方がとは言われているが、別にそこまで悪い気はしない。むしろ、由比ヶ浜がもう一人の俺のことを好きでいてくれて、誇らしいとさえ感じる。

 んんん? 俺いつからこんなに大人になったんだ?

 

 おどおどした由比ヶ浜に俺は言った。

 

「いや、俺も言い過ぎた、悪い」

 

 俺のことをほめてくれるような物なのに、俺も少し言い過ぎたな。そう思ったからこそ、彼女にフォローの言葉を言ったのだが、そんな俺を見ながら、彼女は優しく微笑んでいた。

 

「やっぱり比企谷君もやさしいね。ヒッキーと一緒だね」

 

 その花咲くような微笑みに……

 俺の心は確かに弾んでいたのだ。

 それの正体が、人から認められることによって生じた『自己肯定感』の現れなのだろうなと、勝手に結論づけつつも、俺はこの笑顔が何よりの救いにも感じられた。

 だからだろうか……

 俺はすでに、話してしまっていたのだ。

 

「そ、それならよ……その……俺で良ければ、もっと聞くよ……その……」

 

「え?」

 

 なにやら不思議そうに見つめてくる由比ヶ浜。俺は彼女へと言った。

 

「ヒッキーの話……俺で良ければもっと聞くよ。いや、教えてくれよ、もっとたくさん」

 

 言いながら、彼女がどんな反応を示すのか、次第とそれを恐ろしく感じるようになりながらも俺は由比ヶ浜の返事を待った。

 そして……

 

「うん! いっぱい話そうね!」

 

 力が抜けた。そして安堵した。

 笑顔の彼女が本当に眩しく、そして俺の提案を受け入れてくれたことがなにより嬉しかった。

 ただ、嬉しかった。

 俺は……

 このとき、またもや間違えた。

 分かっていたはずなのに、俺はやはり……浮かれていたのだ。

 だから気が付けなかった。

 

 由比ヶ浜が必死に笑顔でいようとしていたということに……

 

 彼女が助けを求めていたということに……

 



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(13)雪ノ下陽乃はいつでも見ている

 生徒会長選挙は無事に終わり一色いろはが生徒会長に就任した。

 当初立候補者がいないということで、選挙の時期は相当に遅れるだろうというのが大方の見方であったのだが、結局あの怪文書事件後はスムーズに事が運び、一年の一色を応援する声も非常に多かったがために、あっという間に準備が整い、結果、例年よりも早いくらいの感じで選挙を迎えることになった。

 当然俺達は一色の選挙の手伝いに奔走することにはなりはしたが、選挙演説の草案を考えたり、ポスターの印刷をしたりとほとんどが雑用で、大変は大変ではあったのだが、特に問題も起きなかったために、心労は殆どなかった。

 そのおかげか、俺達は穏やかに日々を過ごしていた。

 

 そして、今。

 

 俺は千葉の某紳士御用達っぽい感じのドーナツショップにいる。

 トレイに適当にドーナツを乗せ、飲み物も頼んであるのだが、その量は多い。なぜなら、俺のトレイには二人分のドーナッツと飲み物が載っているのだから。

 俺は今日ここに、由比ヶ浜と二人で来ていた。

 この前あいつに『ヒッキー』の話を聞いてやる約束をしたこともあって、たまたま今日は暇だったから一緒に行くかと誘ってみれば、由比ヶ浜はめちゃくちゃ驚いたが、少し悩んでからはにかんで了承した。

 内心、『っよし!』 とガッツポーズしていたわけだが、そんなことおくびにも出すわけにもいかない。

 努めて平静を装って彼女と歩いた。

 こ、これって……で、で、デートだよな? まさか俺がこんなリア充みたいなこと出来るようになるなんて……マジヒッキー君グッジョブ! って俺のことか。などと、くだらないことを妄想しつつ色々と聞いてみれば、出るわ出るわヒッキー君伝説。

 戸塚の依頼を達成するべくテニスで葉山たちと試合をして、俺が魔球で勝った(ありえないだろう)だとか、川……なんとかさんの不良化事件(勘違い)を俺の提案で解決したりだとか、千葉村ではいじめられた女の子を助けるべく、葉山たちに悪い大人を演じさせ(どんだけ葉山が好きなんだヒッキー君は!)、いじめっ子たちの心を折ってその子の環境を変えたりだとか……本当にそれ俺なのかよ? まったく信じられない話のオンパレードに、流石に俺の理解を超えてしまい、由比ヶ浜が嘘をついているのでは? と思いもしたが、こいつが嘘の類が下手なのはもう十分分かっているからそれはないのだろうな、と納得するに至ったわけだ。どうせ雪ノ下に聞いたところで同じような感想がかえって来るに決まっているわけだしな。

 そしてもう少し話をしようということで、このドーナツ店に入ったわけだが、俺がおごってやることにして、先に由比ヶ浜に席につかせたというわけだ。

 これ本当にデートっぽくなってきたな。

 由比ヶ浜が好きなヒッキー君は、要は俺なわけで、これはひょっとするとひょっとして、俺にもワンチャンあるかも!?

 そんな下心丸出しでさあ、会計をと思った。時だった。

 

「おや? めずらしい顔だ」

 

 突然そう声を掛けられてちらりと向けば、そこには俺が超苦手な年上の女性が居た。

 ふわっとした穏やかそうな微笑みをしていて、その胸部も由比ヶ浜ほどではないが、強烈に自己主張しているその女性は、まるでアイガーの北壁を髣髴とさせる我が部の氷の女王・雪ノ下雪乃と似て非なる存在なのだが、その正体はと言えば彼女の姉、雪ノ下陽乃さんその人であった。

 確かにこう見れば、一部のパーツを除いて非常に良く似た姉妹なのだということがわかる。

 だが、俺はこの人の笑顔が超怖い。

 正直、何を考えているのか全く想像も出来ないことで、対処の仕様がないことに一番のストレスを感じるのだ。

 本当におれなんかと接点があっていいような人ではないとさえ思うのだが、俺が雪ノ下と二人きりで部活をしていると知った時から、ちょくちょく俺へと近づいてくるようになった。

 そして、雪ノ下との関係をちょくちょく聞いてくるようになって尚うざかったのだから。

 俺があの雪ノ下……ええと、ここの少し柔らかくなった雪ノ下のことではないな、あの、まさに氷の……いや、ドライアイスの如き凍てつく波動を放ち続ける雪ノ下部長と俺がどうこうなるわけがないではないか。

 そうだというのにあまりのしつこさに、俺も相当辟易としていたのである。

 手を振りつつにこりと微笑む彼女を無視して俺は奥のテーブル席の方へと向かおうとすると、雪ノ下さんはとてててと、俺に追いついてきた。

 

「別に逃げることないじゃない、失礼だなあ」

 

「ぅぐ」

 

 思わず変な声が出るも、本当に俺はこの人にはなんの用もない。

 それに今日は当然だが、先約がいるのだ。

 顔を上げた先では二人掛けのテーブル席に由比ヶ浜が腰を下ろして、手に携帯を持ってなにやらその画面を眺めていた。

 俺は背後に迫る雪ノ下さんには構わず、まっすぐにその席を目指して進む。とその俺に気が付いたのだろう由比ヶ浜が、すっと笑顔で俺へと顔を向けて、その直後に明らかに怯えた感じの表情に変わる。

 雪ノ下さんの存在に気が付いたのは間違いなさそうだ。

 

「あれ? あなた……たしか……ガハマちゃん……だったかな? 何ガハマちゃんだっけ?」

 

 なにその『ガハマちゃん』って。それ全国のなんとかガハマに失礼すぎるだろう。石川の『琴ケ浜』とか鳴き砂で有名なんだぞ! まったく関係ないけど。

 というか知り合いなんだな、この二人。

 

「こ、こんにちわ、雪ノ下さん」

 

 由比ヶ浜は緊張した面持ちで立ち上がってそう挨拶をするも、雪ノ下さんはそんなことにはお構いなしに周りをきょろきょろと見回し始めた。

 そして……

 

「で、雪乃ちゃんはどこなの?」

 

 そう軽く聞いてきた先はなぜか俺。なんで俺に聞くんだよそんなこと。

 俺はとりあえずテーブルに持っていたトレイを置く。そこにはドリンクが二つと、ドーナツも二つ。

 それを雪ノ下さんがちらりと見たのを感じて、俺はそっと彼女を見た。そこには……

 

 何の感情も存在しない、まるで何もかもが抜け落ちたかのような無表情の雪ノ下さんの瞳が、俺を見据えていた。

 



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(14)比企谷君、すごくつまらなくなった

 だが、そんな表情の変化は一瞬のことだった。

 彼女はすぐに笑顔になって、気安い感じで言った。

 

「あれあれぇ? ひょっとしてデートだったかな?」

 

「ち、違いますよ」「そんなんじゃないです」

 

 由比ヶ浜とほぼ同時に否定する。

 いや、まさにその通りでデートではないのだが、相手にこうまで必死に否定されると聊か傷つくというか、ショックというか……

 だがここはそうするしかあるまい。

 雪ノ下さんはといえば興味津々といった感じで俺を見ているし。

 

「うーん……必死に否定するところが怪しいなぁ」

 

「そんなこと言われても違うものは違いますから」

 

 追及されまくりだからこう返しているわけだが、この人なんで俺ばっかり見ているんだよ。由比ヶ浜だっているんだから、そっちへ声をかけろよ。女子は女子同士の方が良いだろうに。

 そう思うのだが、彼女は由比ヶ浜に話しかけるどころか視線一つ向けはしない。

 由比ヶ浜もかなり緊張している様子で、一言も話せなくなっていた。

 そして、そんな追及の問答が何度か繰り返されてから、雪ノ下さんは椅子に深く腰を掛けて伸びをして黙りこんだ。

 ようやくこれで終わりか? 

 そう思ったのもつかの間。

 

「比企谷君、なんかおもしろい話しして」

 

 無茶ぶりすぎるだろこの人。

 そもそも俺達はなんの約束もしていないままにこの人と一緒にいるのだ。普通に空気読んで退散してくれよ、こういうときは。

 

「あー! 比企谷君のその超嫌そうなリアクション! 期待通りだなぁ!」

 

 そう言いつつ再び俺を見る雪ノ下さん。

 俺は特に何も言わないままでいたそこへ、彼女は身を乗り出して聞いてきた。

 

「それで……雪乃ちゃんは元気?」

 

「あ、はい! ゆきのんは元気ですよ。今回も生徒会長選挙頑張ってましたし」

 

「…………」

 

 そう即答した由比ヶ浜へ、笑顔を向けるも、でも何も言わない雪ノ下さん。

 そして、またもや俺へと声をかけてきた。

 

「そっか……めぐりも漸く引退だねぇ……。どうせめぐりのことだから雪乃ちゃんに生徒会長やってくれって頼んだんじゃないの?」

 

「いや……そういうことはなかったですね。今回は一年で立候補した女子に決まりましたし、俺達も手伝いましたから」

 

 とりあえずそう答えた俺に彼女は言った。

 

「なーんだ、つまんないの。私が生徒会長やらなかったからさ……雪乃ちゃんがやってくれたらいいなってね……」

 

「え?」

 

 なにやら遠くを見ているような感じの雪ノ下さんがそんなことを言うのだが、一体なぜこんな言葉が出てきたのか一瞬理解できなかった。理解できないままで彼女の顔を覗き込んでみれば彼女はさも気だるげに口を開いた。

 

「はぁ……つまんないなぁ……」

 

「…………」「…………」

 

 当然だが、そんなことを言う彼女に俺と由比ヶ浜は何も反応できない。

 というか、いったいなんなんだこれは? どういうことだ?

 いきなり現れた雪ノ下さんはまさに傍若無人な振る舞いで俺へとひたすらに話しかけるのだ。そう、俺に。

 すぐ目の前に由比ヶ浜がいるというのに、まるでその存在を知覚していないとでもいうかのように、彼女とは会話を行っていない。むしろ無視していると表現した方が合っているだろう。

 由比ヶ浜は居たたまれないのか、さっきから下を向いて固まってしまっているし。

 いや、これはちょっと酷いだろう? 特に由比ヶ浜が何をしたわけでもない。いきなり現れた雪ノ下さんにこんな対応を取られるいわれもないはずだ。

 ではどうすればいいのか……

 ここはやはり撤退しかないだろう。

 もともと由比ヶ浜を連れてきたのはこの俺だ。

 であるなら、ここから彼女を連れ出すことになんの問題もないはずで、俺にはそれを行う義務がある。

 そう考えてみたことで俺の決意は固まった。

 まだ何も食べていないし、買った商品はもったいないような気もするが、このままここで食べることこそ無茶だろう。だからこそ俺はすぐに行動に移ることにしたんだ。

 

「あー、雪ノ下さん、俺達他にもちょっと用があって……」

 

「あれ? 比企谷?」

 

「え?」

 

 その声は唐突に俺の耳に届いた。

 

「うわぁ、超懐いんだけどぉ、レアキャラじゃない?」

 

「お、折本……」

 

 そこに立っていた二人組の女子の内の一人は、紛れもない俺の知り合い。いや、中学の同級生だったのだ。

 中学の同級生なんて、遠い記憶の淵に打ち捨てられているものとばかりと思っていたのに、折本かおりの名前はすんなりと出てきてしまった。

 彼女は俺達のテーブルに近づきつつ俺に声を掛ける。

 

「あれ? 比企谷って総武高なの?」

 

「お、おお……」

 

「へえ? 頭良かったんだぁ、知らなかったぁ。比企谷全然人と話してなかったもんね……ん?」

 

 言うだけ言って、俺の隣の雪ノ下さんと正面の由比ヶ浜を見る折本。彼女は気軽な感じで言った。

 

「彼女さん?」

 

「い、いや、違う」

 

「だよねー、絶対ないと思った」

 

「はは……」

 

 何を愛想笑いしてんだ俺は、気持ち悪い。

 そんな俺を見ながら雪ノ下さんが聞いて来る。

 

「もしかして比企谷君のお友達?」

 

 その言い方だと、友達居たの? に聞こえるのは気のせいですか、そうですか。

 

「中学の同級生です」

 

「折本かおりです」

 

 そう自己紹介する折本を見ながら陽乃さんも口を開く。

 

「あ、私は雪ノ下陽乃ね。で、こっちが……」

 

 と、急に水を向けられた由比ヶ浜が慌てて声を出した。

 

「は、はい。由比ヶ浜結衣です。比企谷君のクラスメイトです」

 

「で、私は……ねえ比企谷君? 私達ってどういう関係なのかな? 恋人とか?」

 

 その声に由比ヶ浜がびくりと反応したのが分かったが、この人のいい加減な言動に踊らされてばかりなのは確かに癪なのだ。

 

「普通に高校の先輩でいいんじゃないですか?」

 

「それじゃつまんないよ。あ! じゃあ、恋バナぁ~お姉さん、比企谷君の恋バナ聞きたいなぁ」

 

 唐突にそんなことを言い出す雪ノ下さんに俺の肝は完全に冷え切った。

 当然だ。なにしろこの目の前の相手に俺は……

 困った感じの表情をしていた折本だったが、やはり彼女は素直だった。

 

「ええ? あ、そういえば、私比企谷に告られたりしたんですよぉ」

 

「うっそぉ」

 

 一緒にいた友達らしい女子が大声で驚いているが、彼女達の言葉の一つ一つが確実に俺の心を削っていた。

 

「それ気になるなぁ」

 

「それまで全然話したことなかったから超びびって……」

 

 話したことだってあった、メールだってした。

 お情けでもらったメールアドレスにどうでもいい理由をこじつけてはメールをし、返ってくるか否かに一喜一憂し、そんなことがあったことも折本は知らないし、覚えてもいないのだろう。

 心が抉られ傷ついた俺だからこうやって覚えているのだから。

 

「へえ、比企谷君が告白ねぇ」

 

「まあ、昔のことなんで……」

 

「だよねー、昔のことだし別にもういいよねー」

 

 軽く流してくる折本。心の中に真っ黒い靄が広がり始めているのを感じていたそのとき、テーブルの下の俺の膝に何かが触れた。それが正面に座っている人物の膝なのだと理解して、すっと顔を上げてみれば、俺をまっすぐに見て心配そうにしている由比ヶ浜の顔が。

 彼女は特に何を言うでもなく俺を見ていたが、そんな気遣いに俺の気持ちは少し楽になってきていた。

 急な乱入者がありはしたが、やはりここは退散するのが吉だろう。

 俺は由比ヶ浜に目配せをしてからスッと立ち上が……

 

「ダメだよ、比企谷君」

 

「う……」

 

 立ち上がった俺の腕をぐいと引っ張る雪ノ下さん。彼女は微笑みの中に鋭さを仕込ませた瞳で俺をまっすぐに見ている。俺はそんな彼女の行動に驚愕すると同時に、ここに逃げ場はもうないのだと悟った。

 そんな俺に向かって折本が聞いてきた。

 

「あ、そういえば、総武高なら葉山君って知ってる? この子超葉山君のこと気になってるし」

 

 葉山? ってあの葉山か? 

 ついこの前の修学旅行であいつは自作自演によって戸部の告白を潰した。俺達への依頼を完全に裏切る形で。俺には奴の気持ちなんてまったくわかりはしないが、確かにあいつはイケメンの好青年なのだ、見た目だけは。

 

「まあ、一応」

 

 そう答えた俺に歓喜する折本とその友達。だが、俺には葉山を呼ぶ気は一切なかった。そもそも電話番号しらねえし。

 そこで終わるかとおもっていたのだが。

 

「おもしろそ! はーい! じゃあ、お姉さんが紹介しちゃうぞ!」

 

 俺達の困惑お構いなしに、雪ノ下さんが携帯で葉山を呼び出したのだった。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 話の流れは簡単なものだ。

 雪ノ下さんに呼び出された葉山が折本達と仲良さそうに話をして、そして満足した彼女達が帰っていった。ただそれだけのこと。

 俺と由比ヶ浜はといえば、ずっと無言のままでその場に座り続けていた。

 葉山はなぜか今回由比ヶ浜に声を掛けなかった。 

 それは、気をつかってのことなんだろうが、クラスでは同じグループのメンバーとして色々話をしているのを俺は知っているだけに、今回の葉山の行動は異様に映っていた。

 

 折本達が帰った後、そのテーブルに残った葉山は深く沈み込むように座り、嘆息していた。

 

「どうしてこんな真似を? 彼らは関係なさそうだけど」

 

「そんなことないよ? あのパーマの子ね、比企谷君が昔好きだった子なんだって。あー、面白かった」

 

 簡単に暴露してしまう雪ノ下さんに俺はもう何も言葉はない。いや、ずっと無言ではあったけどな、俺も由比ヶ浜も。結局は遊ばれているだけだ。

 それは葉山も同じなのかもしれない。こんなところに急に呼び出されて、しかもそれが彼女のただの暇つぶし……もう呆れはてて言葉もない。

 スッと立ち上がって帰ろうとしている雪ノ下さんを見ながら、俺もさっさとここを出ようと荷物を纏めていた。由比ヶ浜も暗い表情のままで立ち上がろうとしていたのだが、その時、雪ノ下さんが急に言った。

 

「あーそうだ、隼人。比企谷君とガハマちゃん、付き合ってるんだって」

 

「え」「は」

 

 唐突にそんなことを言われ、俺と由比ヶ浜は同時に顔を上げた。

 そして答えた。

 

「いや、だからそうじゃないっていいましたけど」

 

「うん、聞いた」

 

「なら、なんで……」

 

「わからない?」

 

 すっとまた彼女の瞳から表情が消える。

 そしてその虚ろな瞳がまっすぐに俺達を射抜いていた。そして……

 

「比企谷君、ずっとその子のこと心配してたでしょ? 早く二人で帰りたいってオーラ全開だったもの」

 

「そ、それが、なんです……か?」

 

 彼女は薄く微笑んで答えた。

 

「変わったよ、比企谷君。すごく……」

 

 俺はその後の彼女の言葉に戦慄する。

 

「すごくつまらなくなった」

 

「え?」

 

 はっきりと断定的に、そしてその言葉の奥底に確かに怒りの様な感情をにじませつつ、彼女は言ったのだ。

 

「その子が好きだからって……分かり易すぎるから。今の君はまるで盛りのついた犬みたいでさ……」

 

「陽乃さん、いい加減にしろよ」

 

 冷めた表情に笑顔を貼りつかせてそう言い放った雪ノ下さんに、今度は葉山が怒りをあらわにしてそう言い返したのだ。

 正直俺も相当に彼女の言葉には堪えた。まさかここまで痛烈な言葉が出てくるとは夢にも思わなかったのだから。

 それは由比ヶ浜も同様か。何もいえず、ただ、その場で震えていた。

 激しい剣幕の葉山を一瞥してから、雪ノ下さんは店の出口に向かって歩き始める。

 俺達はただそれを見送ることしか出来なかったのだが、俺はそんな彼女の微かな独り言を確かに聴いたのだ。

 

「雪乃ちゃんは今回も選ばれなかったんだね……」

 



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(15)偽物の役目

 ただ茫然と雪ノ下さんを見送った俺たち。

 由比ヶ浜も心ここに非ずといった風でただ目を伏せていた。そんな俺達にもう一人の同席者が声をかけてきた。

 

「いったいどうしたんだ? なんで君が目の敵にされているんだ。君は雪ノ下さんに一目置かれていたと思っていたんだが……」

 

 そんな訳の分からないことを言う葉山。

 

「はあ? そんなわけないだろう。ただ遊ばれてるだけに決まってるだろう」

 

「あの人は興味のないものにちょっかいだしたりしないよ。何もしないんだ。好きなものをかまいすぎて殺すか、嫌いなものを徹底的につぶすことしかしない」

 

「なら俺を嫌いで潰そうってことなんだろうよ。おお怖い」

 

 そう考えてちらと考えたのは由比ヶ浜のこと。

 確かに雪ノ下さんは俺を敵視したのだろうが、同時に由比ヶ浜にも俺とは別の形でダメージを与えている。葉山の言葉を借りるとするならば、興味がない……ということになるのだろうか。なんにしても、最悪の気分だ。

 俺はさっさとここを出ようと由比ヶ浜へと視線を向ける。すると、一瞬目が合って彼女はすぐに逸らして言った。

 

「あ、あたしももう帰るね。今日は……誘ってくれてありがとう」

 

「お、おう」

 

 何がありがとうなんだかさっぱりわからない。こんな居たたまれない空間に閉じ込めて途中で抜けることも叶わずに彼女はずっとそこに居続けたのだから。そんな彼女は荷物を小脇に抱えてそそくさと俺と葉山の間を縫うようにすり抜けようとした。

 俺も一緒に店を出ようとしていたところだったのだが、そこに再び葉山の声が。

 

「修学旅行の時は……巻き込んでしまって本当に悪かった」

 

 それこそ今更の話だ。 

 あれによって俺達は何の被害も受けてはいないのだし、むしろ葉山の方が影響が大きかったはずで、それに対して俺は何を言うつもりもなかった。

 だが……彼女は違った。

 

「なんで?」

 

「え?」

 

 唐突に由比ヶ浜が言った。

 その言葉はか細いが、確かに強い意志を感じさせられるもの。そのまま彼女は葉山へと続けるのだ。

 

「なんで謝るの? なんで自分が悪いと思ってるの? 思ってるのになんであんなことしたの? わからない……あたし、分からないよ……何を考えているのか全然、葉山君のことも……比企谷君が考えてることも!!」

 

 え? 俺?

 咄嗟にでた俺の名前に、俺は慌てて由比ヶ浜を見るも、彼女はまたもやぽろぽろと涙の雫をこぼしていた。今は葉山の話をしていたはずでそれは分かる。でも、どうしてそこで俺の名前を出したのか、本当に理解できなかった。

 

「本当に……ごめん」

 

 葉山はそうもう一度謝り頭を下げた。

 俺は……

 どうしていいのか分からず、ただ由比ヶ浜を見続けていた。見続けてそして、堪えきれなくなったのだろうか、嗚咽しそうになった由比ヶ浜が両手で口を抑えると、そのまま小走りに店を出てしまった。

 

「由比ヶ……」

 

 そう言いつつ追いかけようとして、でも追いついて何をいえばいいのか全く分からず、俺はその場にとどまってしまう。どういうことなんだこれは。本当に訳が分からない。

 雪ノ下さんに散々弄ばれ、俺の黒歴史ともいえる過去まで暴露され、そのうえで由比ヶ浜のこの仕打ち。俺はいったいどうすればいいというのか。

 

「追わなくていいのか?」

 

 何も動けないでいた俺に、葉山がそんなことを言ってくる。それが妙に癪に障り、俺は思わず奴へと怒鳴っていた。

 

「うるせいよ、お前には関係ないだろ。知ったような口を利くんじゃねえよ」

 

 また何か俺へ小言のようなことを言ってくるのか……そんなことを思っていたところに、葉山は思いもしないことを言ってきた。

 

「陽乃さんは君に期待していたんだと思う。俺は……あの時『彼女』を選べなかったから……」

 

「はあ? いったいお前は何を……」

 

 だがそれっきりで葉山は何も言わなかった。

 俺は全てを見透かしたかのようなこいつの言動にいよいよムカついてきていたが、ただ黙って下を向く奴にもう何も声を掛ける気も起きなかった。 

 だから俺も、何もせずに店を出た。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「ただいまー」

 

「おっかえりー! おにいちゃん!」

 

「おぉ!?」

 

 家に帰って早々いきなり玄関で待ち構えていたのは、エプロン姿でお玉を持ったきゃぴきゃぴした我が妹小町ちゃん。なに、お前新妻なの!? そんなお迎えされたらお兄ちゃん色々期待しちゃうよ! いや、単に夕飯のメニューについてだけなんだが。

 

「ずいぶんテンション高いですね、小町さん」

 

「むっふっふー。聞いたよお兄ちゃん!! 今、結衣さんと付き合ってるんだって? いつの間にそんなリア充みたいなことになったの? これはあれだね! 小町のおかげ」

 

「はあ? つ、つきあって……? お、お前それ誰から聞いたんだよ?」

 

「戸塚さんに決まってるじゃん! 戸塚さんお兄ちゃんと結衣さんお似合いだって、すっごく喜んでたよぉ」

 

「と、戸塚? なんで戸塚がそんなこと……いや、そもそもお前戸塚のことなんで知って……、いやいやいやそうじゃない、お前、由比ヶ浜のことだってなんで知ってるんだよ?」

 

「へ? なんで……? なんでもなにも、前から知り合いじゃん? 小町と結衣さんと雪乃さん達」

 

「そ、そんなわけねえだろ、そもそも俺は一度だってお前に話したことはないだろう」

 

「? どういうことか良く分かんないけど、一緒に千葉村にも行ったでしょ? 忘れちゃった?」

 

「ちば……むら……」

 

 何度も繰り返し出てきたその単語……俺はそれを聞いて再び戦慄する。

 俺の知らない場所、知らない思い出。

 雪ノ下も由比ヶ浜も話していた。そして今度は小町まで……

 俺が知らないのにも関わらず、みんなはそこでの俺との思い出を持っている。そのあまりの異様さ、奇妙さに全身の肌が粟立っていた。

 

「どしたの? お兄ちゃん」

 

 得体の知れない恐怖に包まれたままでいた俺は震えてでもいたのだろうか。小町は俺へと声を掛けてくるもそれに上手く答えることができない。だから俺は身を抱くようにして急いで自分の部屋へと逃げ込んだ。

 

「もう! お兄ちゃん、調子悪そうだけど、少し休んだらテーブルまできてね。ご飯もうじき出来るから」

 

 そんな声が聞こえていたが、俺は自分のベッドのへりに腰を下ろして身を縮めていた。

 そして自然と声が漏れた。

 

「世界が……違う……のか……、ほ、本当に?」

 

 室内を見回してみる。

 なんの変哲もないただの俺の部屋。

 その認識に間違いはないのだ。

 だが、ここも何かがやはり違う。

 本棚の本の位置が俺の記憶と別の場所に仕舞われていたり、押入れの中の物の位置が変わっていたり。

 最初は母親か小町が片づけでもしたのだろうくらいに思っていた。だが、そうではないのだ。

 位置の変わっている本のうちで、長らく読んでいなかった本はやはり埃をかぶっていたのだから。じっくりその本を見て見ても、動かした形跡がまったくない、埃に塗れて部屋のオブジェと化しているだけだ、つまり……

 

 ここは俺の部屋ではない!

 

 そう、俺は今、確かにそれを認識してしまったのだ。

 いや、部室でのやりとりで確かにそんな話は出ていた。

 由比ヶ浜が言ったのは、俺が別人で、俺とは違う別の俺が実際にいて、そいつと俺が入れ替わってしまったのではないかという話。

 客観的な証拠はいろいろあった。材木座の小説もそうだし、俺の記憶にない過去の様々な事象についての他の連中の記憶もそう。

 だが、それでも俺は心のどこかで、ひょっとしたらそれは間違いなのではないか、みんなが適当なことを言っているだけなのではないかと、思い込もうとしていたように思う。

 そうしなければ、俺が俺であることに自信が持てなかったから……

 現実におかしなことが起きているにも関わらず、雪ノ下や由比ヶ浜はおかしな話をしているだけ……そう、思い込もうとしている自分がどこかにいて、そんな足元のおぼつかない中で俺はただ、目の前の状況にその身を置いていただけなのだ。

 だが、そんなまやかしも今の小町とのやりとりで全部吹っ飛んでしまった。

 何しろ俺は、小町に高校の話を一切していないのだから。

 雪ノ下のことはもちろん、訳の分からない奉仕部なる部活に入ったことすら伝えてはいない。女子と二人きりの部活動……などと言えば聞こえは良さそうだが、あいてはあの最強超人の雪ノ下。俺などが敵うはずもなく、さりとて部を辞めることもできないこんな状況を、どうして愛しい妹に言えようか‼ 情けなさすぎて涙しかでない。

 つまり、どんなに情報通の小町であっても知り用がないはずなのだ。特に今まで一切の接点のなかったはずの由比ヶ浜のことは……

 それなのに小町は知っていた。

 もはや疑う余地はない。

 

 俺は頭を振ってから今までの出来事に想いを馳せる。

 異変が起きたのはあの日の奉仕部の部室から……実際はもっと前なのかもしれないが、明確に違っていたのはあの部屋で由比ヶ浜に遭遇した時からなのだ。

 そして俺は様々なやり取りの末、由比ヶ浜が提示した、俺異世界人説を了承し、少なくともあの場にいた、雪ノ下、由比ヶ浜、一色は俺の存在をなんとなくでもおかしな存在だと認定していたのだ。だというのに俺ときたら……

 頭の隅で、いやおかしいのは周りの連中だ、お前はおかしくない。と、そう自分に言い聞かせていたようにも思う。

 

「くっそ、なんだってんだよ」

 

 思わず口をついたそんな言葉に、俺は頭を掻きむしった自分の両手を目の前に持って来てそれをまじまじと見た。

 

「俺は……『偽物』なのか……」

 

 そう自分で思えてしまったことで、心に大きな穴が開いてしまったようなそんな寒々しい思いに囚われた。

 由比ヶ浜は言っていた。

 俺は別人だと。俺はヒッキーではないと。

 だからあいつは俺を『比企谷君』と苗字で呼ぶようになったのだ。つまりあいつにとっての本物は『ヒッキー』であって、この俺、『比企谷君』はあくまで偽物……

 そうだというのに……そうだったというのに、俺はいったい何を勘違いしていたのだ!

 優しくしてくれる由比ヶ浜に甘え、あいつにべったりな毎日だった。いままで俺は女子と碌に会話だってしたことはなかったんだ。なのに、あいつのあの優しさに触れて、俺はそれを俺に向けられた好意だと、錯覚してしまっていたのだろう。

 

『まるで盛りのついた犬みたい』

 

 雪ノ下さんがああ言ったことも当然だ。だってその通りなのだから。

 全身を恐怖で蝕まれながら、俺は自分をズタズタに引き裂きたいほどの衝動に駆られて声を殺して身悶えた。そしてそのまま様々な後悔に蹂躙されながら俺はただ布団の中で身悶えることしか出来なかった。

 

 しばらく経ち大分落ち着いてから、俺はあることを決断した。

 

 由比ヶ浜に会って謝ろうと。

 あいつが本当に会いたい相手のことを俺は知らない。知っているのは俺と似ているというだけのことだから。それは似て非なるものとも言えるのだから。

 俺は由比ヶ浜の気持ちをまったく考えていなかった。いまなら少しだけわかる。

 あいつがは会えなくなってしまったことに、酷く傷ついているのだ……と。

 しかも、その理由が、入れ替わってしまったであろう俺の所為なのだ……と。

 だからこそ、俺はもう一度謝りたいと思った。そして、あいつのためにヒッキーを……本物を取り戻す方法を探してやらなければならないのだ……と。

 それが多分……『偽物』としての俺の役目なのだと。

 

 そう思えた時……

 

 俺は漸くに眠りにつくことが出来た。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 そして翌日、俺はすぐに由比ヶ浜に会うことになる。

 学校の正門をくぐり、教室を目指していたそこへ、なぜか部室のある特別棟から走り出てくる由比ヶ浜に遭遇した。

 だから俺はすぐに由比ヶ浜へと近づいて頭を下げようとした。

 もう、どうやって話を切り出すかも考えていたのだから。

 

 だが、そうはならなかった。

 なぜなら、そこにいた由比ヶ浜はもう平常ではなかったから。

 

「た、大変だよ比企谷君‼ ゆきのんが……ゆきのんが……」

 

 俺に掴みかかってゆすりながらそう叫ぶ由比ヶ浜の青白い顔を見下ろしつつ、俺はただ成り行きに任せるほかはなかったのだ。

 そして彼女は言った。

 

「ゆきのんが学校を辞めちゃうかもしれない!」

 



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(16)奉仕部崩壊の序曲

 血相を変えた由比ヶ浜がいったい何を言いいたかったのか……その詳しい内容は、その日の放課後、当事者である雪ノ下部長の言葉でもって判明することになった。

 

 由比ヶ浜と二人で部室へと入り、そこでいつもと変わらずに、愛用のブックカバーに包んだ本を手に佇んでいる黒髪の少女の姿を見止めて、それから由比ヶ浜が彼女へと慌てた様子で切り出し、問いただした。

 なんで転校するなんてメールをしたのか? ……と。

 そう、由比ヶ浜は雪ノ下からのそのメールを見て、慌てて彼女を探しに走ったのだ。その途中で俺と出会い、そして泣き崩れたところを、放課後になれば部室で話ができるのだから少し落ち着けと諭したのは、他の誰でもない、この俺だった。

 由比ヶ浜の激しくも切ない訴えに、雪ノ下は苦笑を浮かべつつも端的に述べた。

 

「メールに書いた通りよ由比ヶ浜さん。私は多分転校することになるわ」

 

「だ、だから、なんで!?」

 

 尚もそう食い下がる雪ノ下は、仕方がないとでもいう感じで苦い微笑みのままに首を振る。それから、そっと俺を見上げてきた。

 俺は、彼女の言葉が決して甘いものではないのだろうと予測しつつ、グッと奥歯を噛んで彼女の言葉を待った。

 暫くして、雪ノ下は俺を見つめたまま、言ったのだ。

 

「怪文書……」

 

「え?」

 

 その一言に俺と由比ヶ浜は思わず息を飲んだ。

 予想外であったといえばそれまでだが、彼女が笑顔のまま口にしたその言葉の続きは、決して優しいものではないと想像できたから。

 雪ノ下は続けた。

 

「生徒会長選挙の前、あの張り紙がされたことで、先生は学校外へも話がすでに広がっていると言っていたことは覚えているかしら?」

 

 それに俺は頷いた。

 確かに先生は、この総武高の不祥事は話題になっているとの話をしていたことは覚えている。そして学校がそれについての説明をするというようなことも。

 だが、確かあれはもう終わった話のはず……いや、確か先生がその火種を消すべく動き、結果一色が生徒会長に就任するにいたって完全にあの話は過去のものになったはずだ。

 俺たちはそう聞いていたし、実際にそうなるように進んでいたはず。

 だが、次の雪ノ下の言葉はそんな甘い認識を覆すものだった。

 

「あの話……実はPTA経由で県の教育委員会まで進んでいたのよ。公立の進学校としても名高いうちの学校での事件を捨てて置くことは出来なかったということのようね。ある幹部の人がうちの先生たちと接触して事の真相を調べていた。それで、その陰で動いていた、平塚先生と……それと私たち、奉仕部のことが明るみに出たということよ」

 

「そ、そんな……」

 

 口を抑えて震える由比ヶ浜。

 彼女は二の句が告げないままにただ身を竦めていた。そしてそれは俺も同様。何も言えないままにただ、薄く微笑む雪ノ下を注視することしかできなかった。

 

「でも安心して。この件で学校側や貴方たちに対しては何の咎めもないわ。私たちはただ相談されただけ。結局は犯人不明のただの悪戯……、平塚先生や私たちは巻き込まれただけ、そう結論付けられたから」

 

「そ、そうなんだ。なら、どうしてゆきのんは転校なんて言い出したの? 何もないなら今までと一緒でいいじゃん。今まで通り奉仕部で私たちと一緒で」

 

 それに雪ノ下は小さくかぶりを振って答えた。

 

「それだけではないのよ……教育委員会の方にはもう一つ訴えがあったの。『ある女子生徒』が『ある男子生徒』に『精神的苦痛』を受けた……と。そしてその対象の『男子生徒』は奉仕部員として今回の怪文書事件とも関わっていた……」

 

「そ、それって……」

 

 急に二人に見つめられ、思わず身体を捩って逃げようとするも、俺にはどうしようもなかった。

 だが、それが俺のことを指しているということだけは即座に理解する。

 またぞろ俺の知らないことだし、なんのことやらさっぱりではあったのだが、文脈から察するにどうやらもう一人の俺がどこかの女子を罵ったか、脅したかしたらしい。

 多分だが……この前聞いた、例の俺の知らない文化祭の出来事か何かだろう。

 確か俺は、その実行委員長を人前で罵倒した挙句、全校生徒の嫌われ者になったのだそうだから。正直、ほとんど見返りのないその状況で、自分のその後を顧みることもなく人を傷つけたというその行為を、俺は理解することは出来ない。出来はしないが、だが多分、どうしてもそうしなければならない理由がその時の『俺』の中にきっとあったのだ。

 それが何かは知らないが、大切なことだったのだろう。自分を捨ててでも守りたいもの……失いたくないもの……

 そういうことだったんだろうと思う。

 

「つまり……俺が原因……ということなんだな」

 

 その俺の言葉に二人は何も話さなかった。

 いや、そうしていることこそが、まさに俺の予想を肯定していることに他ならないのではあるが。

 居たたまれない想いになりつつも、二人から視線を逸らさなかった俺の前で、今度は由比ヶ浜が慌てて言った。

 

「で、でも……それは奉仕部全部の問題だよ! 比企谷君だけでも、ゆきのんだけの責任でもない! あたしたちみんなの責任だよ。だからさ、三人で謝ろ? ね、そうすれば、きっと……きっと……」

 

「それではもうだめなのよ……」

 

「ゆ、ゆきのん……」

 

 必死にそう話している由比ヶ浜だが、それに雪ノ下はそれだけ言って黙ってしまった。

 ただ黙って、ジッと自分の握った拳に視線を落としている。

 多分言いたくはないのだろう……真剣な由比ヶ浜の気持ちを知っているからこそ。

 なら、原因でもある俺が代わってやるしかないじゃないか。

 

「つまり……この件はお前の実家が絡んで話をもみ消した……それもお前が転校するということを条件にして……そういうことなんじゃないか? 雪ノ下」

 

「えっ!?」

 

 俺の言葉に驚いて顔を上げる由比ヶ浜。

 だが、俺はここで有耶無耶にしていいとは思わない。真剣な由比ヶ浜のためにも。

 肯定も否定もしない雪ノ下。つまりそういうことなんだよ。

 俺は続けた。

 

「雪ノ下はさっき教育委員回会の幹部が動いている話をした。そして、結果問題なしとまで決定付けた。それは実際にそうなんだろうが、当事者とはいえ一介の生徒が知れるような内容じゃない。しかも今回それはもう問題ないとまでお前は言った。つまりはお前にそう伝えた存在が在ったということだ。察するにお前の両親……多分県会議員でもある親父さんの関係なんじゃないか?」

 

「ほ、本当なの、ゆ、ゆきのん」

 

 雪ノ下はやはり動かない。ただ、黙っていた。

 俺はとにかく話を進める。

 

「それとさっきのとある男子生徒の話だ。正直俺は知らない話だけど、訴えたのは多分、文化祭の実行委員長だった女だろう。それは想像がつく。だけどタイミングが良すぎる気がするんだよ。文化祭があったのはもう随分前だ。それこそやるならその時に告発していればいいわけだし、今回そう出てきたのには別の思惑がある……そして、それは多分『誰か』によって『誘導』されたもの……この『奉仕部』を標的にするために。そういうことなんじゃないのか?」

 

「そ、そんな……なんでそんな……誰がそんなことしたの?」

 

 由比ヶ浜の呻くようなその言葉に、俺は脳裏に浮かんだあの感情のない瞳の女性のことを思い出しながら答えた。

 

「それはきっと、雪ノ下陽乃さんだろうな」

 

「…………」

 

 俺の言葉に由比ヶ浜は完全に言葉を失ってしまった。

 冷静に考えれば簡単に思いつくことだけだ。

 雪ノ下の転校……それが最終目的だと考えて逆算すればおのずと答えは導き出されてくる。

 雪ノ下がこの学校から転校しなければならない最も理想的な理由……それはよりここよりもレベルの高い環境で学べるということが一つと、そして、この学校が彼女にふさわしくないという明確な証明があった方が良い。

 転校先については問題ないだろう。確か雪ノ下の親は国内はおろか海外にも顔が効く、まさにバイリンガルなハイソサエティの存在でもあるし、それこそ有名どころのハイスクールに、ステイタスとして入れるという名目も立つのだから何も心配はない。

 ではもう一つの理由付けについては、タイミング良く不祥事が発生したことと、さらにその原因となった男子生徒(俺)という存在が、彼女へ悪影響を与えることが懸念されるとしてしまえば、学校側だって無理に引き留めるどころか、むしろ喜んで彼女の転校をフォローすることになるだろう。どこだって不祥事は出したくないものだからな。

 火が出ても絶対煙を出してはいけないのが日本の社会なのだから。

 雪ノ下陽乃さんは、雪ノ下の為ならば俺を生贄にするくらい簡単にしてしまうと思えた。あの人は良くも悪くも素直で正直だ。だからこそ俺を試し、自分の思い通りになるか確認を続けていたのだと思う。そしてあの時、俺は彼女に見限られた。ただそれだけのこと。

 彼女がそこまで実利に徹している最大の理由は……やはりこの雪ノ下を守りたいからなのだろうな。つまり、俺は省かれたのだ。

 

「もう……いいのよ」

 

 ポツリと雪ノ下が言った。

 俺と由比ヶ浜は同時に彼女の横顔を見た。その表情はあくまで穏やかで、そして落ち着いているように見えた。

 

「姉さんに言われたわ。私は何も分かっていないし、何も出来ていないって……私が何をしたって結局は人を傷つけているだけだし、私のすることは全部自己満足のためだけなんだって」

 

「そんな……ちがうよ、ゆきのん、それはちがう……」

 

 涙をこぼしながら必死に首を振る由比ヶ浜は縋るように彼女へと言い続けている。

 

「それだけではないの……私はなりたかったの……なんでも出来て、だれでも助けられるような……そんな存在に……いいえ、違うわ……ただ助けるだけじゃない……その人がもう苦しまなくていいように、自ら独り立ちできるように……そんな手伝いの出来る人に……でも……」

 

 それはかつて彼女が俺に言った『奉仕部の理念』そのものだった。それがお前の……雪ノ下雪乃の思いだったのだな。

 その時彼女の頬に一筋の雫が流れる。

 俺はそれを見ながら胸が締め付けられるような苦しみを感じていた。

 

「駄目だった。やっぱり私には……だって、何も知ることすら出来なかったのだもの」

 

 そして彼女は俺たちを見た。

 

「私は貴方たちの関係さえ分かっていなかった……そんな私に人を助けることなんてできるわけなかったということよ。本当にごめんなさい」

 

「え?」

 

 急に俺たちへと頭を下げた雪ノ下。

 その言葉の真意がいまいち読めないままで、俺は言ってしまったのだ。

 

「か、関係って……なんのことだよ? 関係も何も、俺たちはただの部員で……」

 

「もう隠さなくていいわ、今はもう全部理解したのだから。貴方たちが男女の関係で付き合っていて、でも私に気を使って比企谷君が異世界人だなんて方便を持ち出してまで一緒に居てくれようとしてくれたこと、それは嬉しく思っているの。でも……やっぱり嘘をつかれたのは……悲しかった」

 

「ちが……」「それは違うぞ雪ノ下。俺たちは本当に付き合ってないし、俺は本当に異世界から来たんだ」

 

 俺はそう断言して見せた。だが、雪ノ下は悲し気な表情を向けてくるばかり。

 

「貴方たちが良い関係でいてくれることは私も嬉しい。だけど……欺かれたくは無かった」

 

 彼女は俺たちから顔を背けてしまった。

 

「私にもう関わらないで」

 

「ゆきのん……」「雪ノ下……」

 

 否定、否認、不承、不服……

 彼女は完全に俺たちを拒絶してしまった。

 不思議に思っていたのだ。こんな深刻な話を彼女はずっと微笑んだまましていたことに。

 誰よりも真摯で、だれよりも誠実である雪ノ下雪乃がなぜこうも柔らかい表情であったのか……

 彼女はすでに傷ついてしまっていたのだ。彼女の根底をも破壊するほどの威力を持って。その内容がこれ……

 

『俺と由比ヶ浜が付き合っていて、それを雪ノ下に嘘をついて隠していた』

 

 言葉にすればなんて陳腐でどうしようもないような理由だろうと思う。しかもそれもこれも全部間違いなのだ。

 俺と由比ヶ浜は付き合ってもいないし、俺が異世界人であることも含めて何一つ雪ノ下には嘘をついてはいない。

 だが、それを雪ノ下はもう納得することはできまい。俺たちが彼女を騙していたと、もう信じ込まされてしまっているのだから。

 彼女は俺たちを向かないままに言った。

 

「今日は……もう帰って。一人になりたいから……」

 

 由比ヶ浜がなおも彼女に訴えるもやはり雪ノ下は何も言わなかった。

 だから俺は言った。

 

「雪ノ下……俺たちは何も嘘をついていない。だから、お前も俺たちを信じて欲しい……俺は、この関係を失いたくない……」

 

 なぜだろうか……

 そんな言葉が俺の口をついていた。

 この関係を失いたくない……ここまで言うつもりはなかった。でも、涙を流す由比ヶ浜を見て、打ちひしがれている雪ノ下を見て、そして、まだ見ぬこの二人を守ろうとしたもう一人の俺の姿は脳裏をよぎって、自然とそんな言葉が口をついたのだ。

 なら、これが俺の……

 本心なのだろうか?

 

「お願いだから、もう帰って」

 

 そんな雪ノ下の言葉が俺の行動を封じ込めた。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 部室を出た俺と由比ヶ浜……当然だが会話はない。

 最悪だ。

 彼女に謝ろうと決意してきた矢先でこの状況だ。もう謝るどころの話ではない。

 

「なあ、由比ヶ浜……」

 

「ごめん、ヒッ……比企谷君……あたしもう帰るから」

 

 由比ヶ浜は案の定何も言わないまま、俺の方に一瞥もくれないままにとぼとぼと俺の前から歩み去る。

 そんな背中にどんな言葉を投げればいいというのか。 

 もう一人の俺がこの二人を守ろうとしていたということはもう分かっている。

 彼女たちを助けるために、もう一人の俺は自分が傷つく事も厭わずに行動し続けたのだ。それは俺が聞いた文化祭や千葉村などの顛末からも容易に想像がつく。

 そうだというのに、俺は今そんな全てを失おうとしている……そう思えてならなかった。

 なぜ守ろうとしたのか……

 『大事』だから……

 そう大事だったのだ、もう一人の俺にとって。

 ここにきて俺は初めて知った。人の温かさ、優しさ、ぬくもりを。

 一緒にいることがこんなにも心穏やかになるものだとは、人と触れ合うことでこんなにも心が満たされることだったとは……俺は本当に知らなかった。

 それを与えてくれた雪ノ下と由比ヶ浜……ほんのまだ短い時間しか一緒にいないが、それでも俺は失いたくないと思えるほどに、大切なものと思えるようになったのだ。

 なら、もう一人の俺はどうなのか?

 彼女達との絆をここまで深めてきたもう一人の俺は……あの雪ノ下が微笑んで、あの由比ヶ浜が好きになったも一人の俺ならば、俺などより、もっともっと彼女たちが大切なはずなのだ。

 

 ならば……

 

 俺はこの瞬間決意した。いや、もうとっくにその思いは固まっていたのかもしれない。俺がこの世界の人間ではないと思い至ったあの瞬間から。

 だから声に出した。まだ見える、彼女の背中に向かって。

 

「由比ヶ浜! 俺が絶対なんとかする! 絶対に何とかしてみせる!」

 

 彼女は……

 

 振り返らずにそのまま歩み去るのみだった。

 



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(17)一色いろはの恩返し

「由比ヶ浜にああは言ったものの……はぁああ……」

 

 深いため息しか出やしない。

 帰宅し自室でベッドに横になって天井を俺は見上げていた。そして様々な出来事を思い出していた。

 俺の脳裏にはあの二人の表情が焼き付いて離れないでいた。

 雪ノ下の何もかもを諦めてしまったかのようなあの虚ろな様子と、由比ヶ浜の泣き腫らした悲し気な顔。

 このままではもうどうしようもないということだけは分かっているのに、ではどう対処したらいいのか皆目見当もつかない。

 あの転校話がいったいどういう経緯で発生したのか、その理由は不明だが、問題なのはそれを雪ノ下がどういう心境下であれ同意してしまっているということ。嫌なら嫌とあいつなら言いそうなものだが、それをしないというのは転校するのもやぶさかではないと彼女自身がすでに思っているということに他ならないのではないか? 

 いや……あの部室での言い方から察するに、雪ノ下は俺達に欺かれたことを気にしていた。

 となれば、転校すること自体は本意ではなく、ただ俺達という存在から離れたいが為だけにああ言ったとも考えられる。なら実際はあいつもまだ学校に残りたいのか?

 転校先の学校がどこなのかは分からないが、あいつのことだからより上等の学校であることはまず間違いあるまい。ならば、今後のあいつにとってそれはプラスになるのでは……

 いやいや、そう考え始めればどんな展開も受け入れざるを得ないではないか。

 今回の本当の問題はあいつの転校云々ではなくて、俺達……特に由比ヶ浜とあいつの関係の修復が出来るかにある。雪ノ下に誤解していただけなのだと気が付かせることさえできれば、その後転校しようとなにしようとどうでもいいではないか?

 いやいやいや……やっぱりそれだけではだめだ。

 結局のところ雪ノ下にそれを気づかせること、イコールあいつに様々なことを吹き込んでいる存在……多分雪ノ下陽乃さんだろうが、彼女に勝つ必要がある。そうでなければ、雪ノ下が何かを気づいたところで、再び丸め込まれて俺達に不信感を抱くことにもなりかねない。

 それにしても、雪ノ下って、あんなに人の言動に左右される奴だったか? いつも強気で俺にあれやこれやド直球に正論と毒舌を畳みかけてくる感じで、相当自己中心的な奴だと思っていたのに……ひょっとしてあれか? 世界が違うから、俺と一緒にいた雪ノ下と、こっちの雪ノ下は実は性格が違うとか? それとも、いつもただ虚勢を張っているだけで、実はどちらの雪ノ下も自分に自信のない、他人の言動に左右されやすい性格とかなのか? 

 うーん、分からん。

 少なくとも、こっちの世界の雪ノ下は、自分の姉の言動によって俺達を不信に思い、今回拒絶するにいたった。

 これを掻き決するためには……

 

「やっぱり雪ノ下さんと対決するしかねえのか……」

 

 ポソリと口をついた独り言を、自分の耳で聞いて、それこそそんなこと出来るわけないと悟って陰鬱に沈む。

 いや、無理だろう。

 だってあの人、人の話全然聞かねえし、自分の言いたいことしか言わないし。

 そもそも、あの人の言い分からすれば、もう俺はつまらない存在だそうだから、お願いしたって会ってはくれないだろうし、会えたとしてもいったい何をどう話せばいいのやら。

 それに結局のところ、この件は雪ノ下家の家庭の事情だ。

 雪ノ下が転校するかどうかを最終決定するのは、彼女の保護者である両親なのだから。

 

「うう……マジで最悪だ」

 

 考えれば考えるほどに胃が痛くなってくる。

 自分が考えていることがむちゃくちゃだと分かってはいるが、この話を白紙に戻すには雪ノ下姉だけではだめだということだけは理解した。

 理解して、ただでなくても高いハードルの先に、更に高いハードルが聳えていることに気が付いて、俺はただ絶望した。

 

 そんな時だった……

 

 かちゃり……

 

 俺の部屋のドアが開いてそっちを見ると、パジャマ姿にナイトキャップを被った小町が大きくあくびをしながら俺の方を見ていた。というか、小町可愛いよ小町。

 

「ふぁああぁぁああ、お兄ちゃん起きてた?」

 

「お、おう……なんだよ?」

 

 今更だが、開ける前にノックしてねと、心の中でお願いしつつ、でも今は平気な状態でマジで良かったと滅茶苦茶安堵する俺……男の子はいろいろあるのよ、色々と。

 とか思っていたら、小町が俺に向かってぽーんと何かを投げてきた。

 慌ててそれをキャッチすると、それは小町の小さな携帯電話?

 

「お兄ちゃんに電話。お兄ちゃんの番号もちゃんと教えておいてよね。じゃあ小町もう寝るから。ふあぁあ……」

 

 かちゃりとそのまま戸を閉めて小町は部屋と帰っていく。

 電話? 俺に……?

 良く分からんがとりあえずそれに出てみると……

 

「はい、もしもし」

 

『あ、比企谷君? わたし! 君ってさぁ……やっぱりおもしろいね! いいよ、会ってあげる。明日の夕方6時に千葉駅の────』

 

 その声は紛れもなく雪ノ下陽乃さんの声だった。

 

「はぁ?」

 

 いったい何のはなしなんだか。

 俺は疑問符交じりに彼女に反応してしまっていた。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「で、これはどういうことなんだよ?」

 

「だからこういうことですってば! 鈍いですね先輩は」

 

 俺にそう言うのは、俺の正面に座って美味しそうにクリームソーダを飲んでいる亜麻色の髪の一年。つい先日生徒会長になったばかりの一色いろはだ。

 いったいなにがどうこういうことなのか、皆目見当がつかないが、当の一色はさも当たり前とでも言った感じでニコニコしたままだ。

 というか、俺は本気で居心地が悪いのである。なにしろこのテーブルにはもう一人……一生関わることが無いはず……というより、関わりたくない感じの人物が座っていたのだから。

 

「あーしを見るんじゃねえし」

 

「…………」

 

 ただチラ見しただけでこれだ。金髪縦ロールがめっちゃ睨んできやがった。なんでこんな奴と一緒にいなきゃいけねえだよ、と正面の一色を見れば、今度はクリームソーダの上にのったアイスを掬って口に運んでいるところだし。

 いやお前普通に食ってんじゃねえよ。呼んだのお前なんだからこの空気をなんとかしろよ!

 と文句を言いたくなっていたところだが、当然俺がアクションを起こせるわけもなく、俺は仕方なく手元のコップの水を口に含むのだった。

 ここは千葉のとある総合デパート内の喫茶店。

 普段であれば安くて美味しいファミリーなイタリアンレストラン直行となるところなのだが、この目の前のあーしあーし言ってるみょんみょん金髪縦ロールに、『ヒキオとサイゼ~~!? チッ!!』と思いっきり舌打ちされて睨んできたかと思ったら、一色の奴が、『じゃあ美味しいデザートのお店にしましょう』とほいほいと先に歩いて、気が付いたらこの店に入っていたというわけだ。

 まあ、周りは大人ばかりだし、ここなら他の学校の奴に見られる可能性も低そうではあるが、別に見られたからってどうということはあるまい。女王様と、ぶりっこ女子と一緒にいる俺の存在など、所詮はこいつらの引き立て役のただの取り巻きAくらいの存在。そもそもこいつらからして全く人目を気にしていないしな。俺の存在なんてそんなものだ。

 だが、正直この店は高級感には圧倒された。というか、価格がとんでもないことに! なにここ、コーヒー一杯でサイゼのドリンクバー3人分なんですけど!? 

 ガクブル戦々恐々としていたら、『あ、今日は先輩のために来ましたので、お会計は先輩もちで』。『じゃあ、あーしチーズケーキ食べたい』とか、こいつら相当に良い性格してやがった。

 俺は自分の財布の中身に静かにお別れをしたのだった。

 

「で、だからなんでこうなってんだよ? 雪ノ下姉が急に面白がって会う約束になったわけだが、お前だよな? お前が何かしたからこうなったんだろ? で、それを聞きたいだけなのにこんな所に呼び出しやがって……」

 

 おまけに金髪女王様まで連れてきやがって……絶対仲良く出来なさそうな感じなのに、なんで一色はニコニコしているのか。

 と、そこまで聞いたところで、一色が言った。

 

「あー、先輩って異世界の人だけあってこの世界の常識何にもわかっていませんねぇ。こんなに可愛い女子二人とお茶してる時点で、もっと喜ばなくちゃですよ」

 

「はあ?」

 

「あーしはあんたと話したいわけじゃないし! っていうか、ヒキオのくせに頭に乗るんじゃねぇし!」

 

「んんん?」

 

 人をおちょくってくる後輩の生徒会長様と、ほっぺにチーズケーキの欠片をつけたまま見下してくる女王様。うう、言いたい! おまえ食べかすつけたまま何いってんだ! とか。いや、怖いから絶対言わないけども。

 

「あ、三浦先輩、頬っぺたになんかついてますよ? とりましょうか?」

 

 一色がそう言った瞬間、あーし三浦は超高速でそのカスをとって、真っ赤になって俺を殺しそうな勢いで睨んできた。

 というか、理不尽すぎるだろ、俺何もしてねえのに。

 

「あーもう、俺の常識はどうでもいいんだよ。いったいこれは何の集まりかと聞いてるんだ。ただでなくてもこの後雪ノ下姉に呼び出されてるってのに、お前らいきなり家まで押しかけてきやがって……いったい雪ノ下姉になんて吹き込んだんだよ?」

 

 俺がもう我慢できずにそう言い切ったところで漸く一色が居住まいを正して俺を見る。

 そして、言った。

 

「私たちは何もしてませんよ。したのは、結衣先輩です」

 

「ゆ、ゆい? 由比ヶ浜が……? な、なんで……」

 

 唐突に出た由比ヶ浜の名前に俺の意識は一気に昨日の部室でのやり取りへと戻った。

 由比ヶ浜は……そう、必死だった。必死に雪ノ下を説得していた。そう……由比ヶ浜は誰よりも真剣だったのだ。だが……

 あの後彼女はとぼとぼと一人で歩み去った。

 俺は確かにそんな彼女の背中へと声をかけはしたが、だからってあの状態から何かの行動に移るようには思えなかった。

 

「由比ヶ浜はいったい……どうして?」

 

 そんな独り言を聞いていた三浦が俺を睨みつつ言った。

 

「そんなのあんたが腑抜けてたからに決まってるし! だから自分で動いたんだし。あんた、ユイがここ最近ずっと泣くのを我慢してたのに気が付かなかったん? ユイはずーっと一人になると泣いてたし」

 

「由比ヶ浜が……泣いていた?」

 

 それを聞いて思い出す。

 あいつは俺と話すときいつも困ったような顔をして微笑んでいた。あれは困惑していたのではなくて、我慢していたということ……なのか。

 由比ヶ浜は俺を見て……もう一人の俺を思い出していたというのか……

 あの、ヒッキーのことを……

 瓜二つどころか、俺とヒッキー君は同一人物、似ているいないの次元ではないレベルで、由比ヶ浜はヒッキーのことを思い出していたのだろう。

 だというのに、俺は……

 俺は自分のことしか考えていなかったのだと改めて思い知らされ、本気で自分を痛めつけたい衝動に駆られるも、今はその時ではないことをはっきり分かっていたから、彼女たちに言葉を促した。

 そして一色。

 

「昨日結衣先輩から、雪ノ下お姉さんに会いたいって連絡があって、私は城廻先輩に頼んで連絡先を教えてもらったんです。それでそのままだと何か起きるんじゃないかって心配になりまして、城廻先輩も一緒に雪ノ下お姉さんのところに3人で行ったんです。そうしたらですね」

 

 一色はジェスチャーを交えつつ大仰に話す。そして深刻そうな顔をして言い切った。

 

「雪ノ下お姉さんは、結衣先輩に言ったんです。『もう雪乃ちゃんに会わないで』って」

 

 その一言にいったいどれだけ由比ヶ浜が傷ついただろう。俺はそれを想像して胸がちくりと痛むのを感じていた。

 だが、話はそれで終わらなかった。

 

「でも結衣先輩は納得できないですって食い下がって、で、結局その後、あなたと比企谷君が仲良くすれば良いでしょう? 邪魔者もいなくなるんだしいくらでもイチャイチャすれば……とか、そんなことをお姉さんが言い初めまして、そうしたら結衣先輩が言ったんです。『比企谷君は異世界から来たんです! ゆきのんと一緒に彼が返る方法を探さないといけないんです!』って」

 

「え?」

 

 つらつらと真顔で話している一色だが、当事者の俺が言うのもなんだがこれはあんまりだろう。そもそも『俺異世界人説』に関しては、俺だって信じるのは難しいレベルの話だ。

 今は別に疑ってもいないが、当人でさえこれだ。赤の他人がそれを聞いて何と思うのか……

 俺はその時の陽乃さんの反応が気になって、一色へと聞いてみた。そうしたら……

 

「大爆笑してました」

 

 ああ、あの人らしいな。

 そりゃあ、目の前の人物が大真面目でそんなことを言えば、爆笑するか訝しむかそのどちらかだろう。考えるまでもなく、あのお姉さんは前者だった。

 

「はあ……由比ヶ浜……何をやってんだよ……」

 

 思わずため息交じりにそう言った俺だったが、一色は言った。

 

「でもそのおかげで話が進んだんですよ。結衣先輩、お姉さんに会いに行く前に文化祭実行委員長の相模さんのところに行って、教育委員会に出した訴えを取り下げてくれるように頼んで、実際にそうしてきてたんです。どうも相模さんと結衣先輩はお友達だったみたいですね? それで訴えの一つも無くなりましたし、雪ノ下先輩の転校の話を考え直してほしいって頼み込んだらですね……」

 

 一色はそこまで言って、いったん水を飲んだ。そして続けた。

 

「雪ノ下お姉さんが言ったんです。『なら、私の母と隼人と雪乃ちゃんの前で説得してみて』って、それで『もし雪乃ちゃんが自分から学校に残りたいって言ったなら、私は考え直してあげる』って」

 

「隼人……? 葉山隼人か? なんでそこであいつの名前が出てくるんだよ」

 

「さあ? そこまでは私も知りませんよ。でも、そこで葉山先輩の名前が出てきましたから、助っ人を頼んだってわけです。というわけで、三浦先輩です」

 

 三浦は我関せずといった感じで、スマホを弄って視線も向けてこないが、ただちょこっとだけ手を挙げた。

 

「三浦先輩は結衣先輩のことも心配してましたし、今回私が声をかけたらホイホイついてきたって感じです!」

 

「ちょっと何言ってんの? マジうざいし。あーしはただユイとハヤトが心配でついてきただけだし、勝手に語るなし」

 

「というわけですです!」

 

 にこりと微笑む一色だが、何お前猛獣使いかなんかなのか? 何上級生の女王様手玉にとっちゃってんだよ、怖いよこの後仕返しされたりとか……

 だが……

 そうか……由比ヶ浜はそんなことしてたんだな。

 あいつは俺に色々教えてくれた。

 ヒッキーのことがほとんどだったけど。

 でも、なんども言っていた。ヒッキーは凄いと。ヒッキーはどんな無茶なことでも絶対やりとげると。自己犠牲も厭わず、必ず依頼を達成するんだと。

 聞いたときは、どれだけ話を盛ってやがるんだと呆れたわけだが、実際に由比ヶ浜はそう信じていて……

 信じて、そしてこの世界にヒッキーがいないからこそ、自分がヒッキーのように行動しようとしているんじゃないのか……

 唐突に俺にはそう思えてしまった。

 由比ヶ浜は自分が悲しいのを堪えて、ヒッキーの様にふるまうことで自分を慰めているのではないのか……と。

 そう思えた時、俺は本当に彼女に申し訳なくなってしまった。

 その痛みを感じつつ、俺は聞いた。

 

「で、あの電話か。どうやって調べたのか知らないが、雪ノ下姉は俺の妹経由で電話してきて、そしてこの後会うことになった。つまり、この後、俺は由比ヶ浜と二人で雪ノ下家と対決する……そういうわけなんだな?」

 

「ですです!」

 

 まったく頭が痛い。

 俺は単に雪ノ下姉と一対一で話すのかと思っていた。

 でも、その場にいるのは、雪ノ下母、雪ノ下、雪ノ下姉、そしてなぜか葉山。

 そんな面々に何を話せばいいというのか。そんな頭を抱えたところで俺に一色が言った。

 

「だから、この場なんですよ、先輩。結衣先輩は一人で色々準備しているみたいですし、先輩には私が考えてきた、『雪ノ下先輩奪還作戦』についてレクチャーしてあげます! そのために三浦先輩にも来てもらったんですから」

 

「別にあんたのためじゃねーし、勘違いするなし」

 

 いや、絶対勘違いしやしないけどな。ちょっと照れて俺にツンデレするのはやめろ、怖いですから。

 俺はいろいろ思うところはあったのだが、そんなこんなでもこうやって助力してくれようとしてくれているこいつらに素直に感謝した。

 でも一つだけ疑問が……

 

「なあ、一色……お前なんでこんなにしてくれるんだよ」

 

 その俺の言葉に彼女は可笑しそうに微笑んだ。

 

「ただの恩返しですよ。忘れちゃいました? 先に助けようとしてくれたのは先輩の方なんですよ?」



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(18)葉山に告白するぞ!

「つまり、俺が雪ノ下の母親に言うわけだな? 『お嬢さんを俺にください』って……」

 

「そうそう! まさにそれです!」

 

 俺の目の前で、両方の頬を掌で押さえて、キャーっと言いながら目をキラキラさせている一色と、そこまで前のめりではないが、顔真っ赤でこちらをチラ見している三浦の二人。

 こいつら一体何を話すのかと思って聞いていれば、ノートに書かれていたのはまさしくこのセリフを言うまでの一連のチャート。

 雪ノ下家が待ち構えるであろう、待合場所のホテルのレストランのテーブルについて、ほぼ土下座でこのセリフを言うまでの流れをいちいちレクチャーしてくれたわけだが……

 

「これ言われたら、どんな乙女もいちころですよ!!」

 

 自信満々な一色に俺は言い放ったのだが!

 

「却下だ! こんなの却下に決まってんだろうが!!」

 

「なんでですか! これすっごくときめくじゃないですか! 少なくとも私ならいちころりですよ! 私なら!!」

 

 自分で書いたノートをぴらぴらと揺すっている一色はなぜか『私なら』を連呼しつつにじりよって来るわけだが、ええい、うざい、可愛い、鬱陶しい!!

 俺はそんな一色を押し返して、言った。

 

「あほか! これじゃあ完全にプロポーズのセリフじゃねえか!! いったいどこの昭和メロドラマだよ! 何?俺雪ノ下と結婚するのかよ?」

 

「最終的にはそうなることも含めての、まさに合理的な解決法だと思いますけど? 雪ノ下先輩良いとこのお嬢様っぽいですし。だいたい部に残って欲しいから転校しないでくれなんて、理由がしょぼすぎますよ! ここはホラ、もう『雪乃なしの人生なんて考えられない』とか、そんな感じで理由をでっちあげてですね……」

 

「でっちあげてって言っちゃったよ、この子は。いいか? あいつは俺たちに不信感を持ったからこういう行動に移ったんだぞ? なのに、意味不明な告白したって駄目に決まってんだろうが! 却下だ却下!」

 

「むうぅぅ……結構真剣に悩んだんですけどね」

 

 そう言って不貞腐れた感じの一色いろは。

 お前がそんなんになってどうすんだよ? まったく俺の方だよ、泣きたいのは。

 こいつ、思った以上に発想がポンコツだった。

 いったいどこの世界に好きでもない相手にいきなりプロポーズしちゃう奴がいるってんだよ? 節操ないのかよ? トニカクカワイイのか? そろそろハヤテ君出てくるんじゃないのか……げふんげふん。

 まあ、いい。

 とりあえず、まったく参考にならない計画だということは分かった、良くわかった。

 

「ふう、お前も一筋縄じゃいかないって考えてるってことだけは良くわかったよ」

 

「そうなんですよねぇ、簡単にはいかないんですよねぇ。それで、三浦先輩……同席するらしい葉山先輩はどうすればいいですか?」

 

「へぇっ!?」

 

 いきなり一色に振られて素っ頓狂な声を上げる三浦。顔真っ赤でもじもじし始めてるんだが……

 

「え、えーと、ハヤトは多分……優しいから、何も言わない……かな。あーしにもそうだし……」

 

 オーケーこっちも良くわかった。まるっきりノープランなんだな、いったい何しに来たんだ、この女王様は。

 もじもじするのはいいけど、そのバリギャルな見た目で恋する乙女をするのは本当に勘弁してくれ、見ていて恥ずかしい。

 

「お前な……葉山と付き合ってるんならもっとちゃんと管理しとけよ。首に縄付けるとかよ」

 

「はぁ!? ヒキオのくせにうっさいし! キモッ! つ、付き合ってなんかないし! マジでキモッ!」

 

 キモイキモイ連発しやがりましたよ、こいつ。それほんとマジで心抉られちゃうからな。

 

「それこそ『は?』だろ! お前らあんだけクラスでイチャイチャしてるくせに、あれで付き合ってないとかどの口が言ってんだよ」

 

「!? つ、付き合って……るように見える?」

 

 三浦はポッと頬を赤らめて急にしおらしい感じで答えた。

 

「お前ら只でなくても目立つからな、4月に同じクラスになって早々ずっといちゃいちゃしてただろうが!」

 

 そう、こいつらはずっと一緒にいたんだ。

 ほとんどクラスに関心のない俺だったが、同じ教室であれだけ騒いでいれば嫌だって目につくし、耳にも残る。

 こいつのうざったらしいあーしあーしも年中聞いてたからな、これは間違いない。

 

「あんだけ一緒にいて良く言うよ」

 

「ちょっと待ってくださいよ、先輩? 今4月からって言ってましたけど、4月っていえば先輩ってまだ『向こうの世界』ですよね? なら、向こうの世界で三浦先輩と葉山先輩ってイチャイチャしてたんですか?」

 

 不思議そうな感じでそう聞いてきたのは一色だ。というか、その向こうの世界のことについて、三浦は理解しているのか? それを疑問に感じつつも俺は答えた。

 

「まあ、そういうことになるわな。俺が体育祭の後にこっちの世界にきたのだとしたらな」

 

「じゃあですよ、ひょっとして向こうの世界では三浦先輩と葉山先輩って、完全に恋人だったんじゃ……あれ? 三浦先輩? もしもし? もしもーし?」

 

 見れば完全にフリーズしている三浦の姿。

 その赤い顔の前で一色が手を振っているが反応はない。

 

「あ、あーしとハヤトが……恋人……恋人……恋……」

 

 何かうわ言の様に繰り返しつつ、見る間に赤く染まっていく三浦の顔。

 お前このままだときっと赤鬼になっちゃうぞ。

 と、そんなふうに考えていたら、三浦が俺に詰め寄った。

 

「ヒキオ! それ本当なん? あーしとハヤトは本当に付き合って……?」

 

「いやいやいや、落ち着けって! お前らのことをなんで俺に聞くんだよ? だから付き合ってんだろお前らは」

 

「付き合って……」

 

 三浦はすっと表情を曇らせて答えた。

 

「ない」

 

「は? そ、そうなのか? お、俺はてっきりお前らは付き合ってるものだとばかり……」

 

 そこまで言った時だった。

 急に三浦が表情を曇らせて語りだした。

 

「ハヤト……何を考えてるのか、あーしにはわかないし……一緒に居たいのに、いつも話逸らすし……本当のこと……言ってくれないし……」

 

 さっきまでの勢いはどこへやら。急に泣きだしそうになるあーしさんに、俺の方が困惑しきりだよ。

 なんだよ、こいつのこの反応は? これじゃあ完全に『恋する乙女』じゃねえか。

 そう感じたことで、こいつが今どうしてここに居るのかを完全に理解した。

 こいつはただ、知りたかったんだ。

 葉山が何を思って、何を考えているのかを……、三浦自身についてどう思っているのかを……

 それが知りたくて、関係ないと思いつつも、一色に誘われて自分の知らない葉山の姿を見たくてここに来たのだろう。

 ふう……まさに恋する乙女……で、応援したい感じではあるのだが……

 

 要は、今は助っ人でもなんでもないただの役立たず!

 

 本当に使えない。

 

 結構お気楽に考えてる一色と、恋する乙女な三浦。この二人がここに居る理由については完全に把握できたが、問題は雪ノ下をどう攻略すればいいかということ。

 俺はとりあえず今までの話を整理してみることにした。

 雪ノ下姉は俺を今日、件のホテルのレストランへと招待した。それはいい。

 彼女は俺を呼びはしたが、そこに誰がいるとまでは言わなかった。

 今さっき聞いた一色の話からすれば、その場にいるのは、雪ノ下母、姉、本人、それと葉山と、あと由比ヶ浜がいることになるらしい。

 その場を設けるきっかけを作ったのは由比ヶ浜で、例の文化祭の実行委員長とも話をつけて、雪ノ下が転校しないで済むような環境を作っている様子。

 そして今も尚、一人で何かを準備しているようだ。

 

 ここで色々疑問が出てくる。

 まず、なぜ雪ノ下陽乃さんは俺に今日の『話合い』の参加者のことを言わなかったか。

 俺はああ言われて、雪ノ下さんと一対一かと思い込んでいたが、この理由は単純かもしれない。

 俺にメンバーを話せば、尻込みして来なくなる可能性が高いと思ったのではないかということ。流石に雪ノ下母がいると知っていたら、最初から俺は行きたくないと思うに決まっているし、実際にいかないかもしれない。

 あとは、メンバーが複数いることを俺が知って驚くさまを見て楽しみたいという、彼女の嗜虐趣味の表れか。いずれにしても、俺に言わなかったこと自体は大した理由ではないように思えた。

 だが、由比ヶ浜については違う。

 雪ノ下さんの言動は、一色の話を聞く限りでは何か恣意的なものを感じるのだ。

 まるで、由比ヶ浜に何かをやらせようとしているかのような……

 それが何かは、よくわからないのだが、いろいろと引っ掛かりを俺は確かに覚えていた。

 もう一つあるとすれば、一色たちについてだ。

 雪ノ下さんは由比ヶ浜に言うと同時に、同席していた一色や城廻先輩にも同じことを話している。だからこそ、一色はこうやって俺の前に現れて、事前にレクチャーなるものを催しているのだから。

 そう考えてみて、俺はまたしてもなにやら得体のしれないものに操られているような感覚を覚えた。

 それをしているのは雪ノ下姉なのか、それとも……別の何かなのか……

 

 ゾッとしつつも俺は二人へと言った。

 

「まあ、状況はかなり把握できた。本当に助かる。今回は雪ノ下の転校をどうやって思い正させるかを考えなくちゃならないわけだが、正直今の俺には打つ手はない。だけど、まだ少し時間もあるから、俺はもう少しここで考えてみようと思う」

 

 だからお前らはもう帰っていいよというつもりで、言ったのだが、

 

「そうですね! 私ももう少し考えてみます。うーん」

 

「ハヤト……何を考えてるの……」

 

 と、何やらまた考え込んでしまい帰ろうとしない。

 俺、どっちかといえば一人になりたい派なんだけどな……

 いい加減俺も考え疲れたなあとか思っていたその時だった。一色がポツリと言ったのだ。

 

「いっそ、三浦さんに葉山先輩に告白でもしてもらいましょうかね?」

 

 何を言われたか良くわからないでいた俺の前で、急に三浦がまた赤くなって素っ頓狂な声を上げた。

 

「はぁあああ!? あ、あんた……何言って……」

 

 もういいよ、このツンデレラさん。君が葉山何某を大好きなのはもう分かり過ぎるくらい分かってるんだから……いいじゃん、今更告白くらい……

 

 ん?

  

『分かり過ぎる?』

 

 その時、全身を電流が駆け抜けた。

 一気に頭の中の疑問のピースが嵌まっていく感覚を味わいつつ、そして急速に答えが組みあがっていった。

 いや、もうなんでこんな簡単なことに気づかなかったんだ! 俺の馬鹿、アホ、とんま!

 罵りまくってしまうほどに、俺ははっきり言って自分に呆れた果てていたのだ。

 だから、俺はとにかく宣言した。

 とにかく行動に移らないといけなかったから。

 

「よし三浦! これからすぐに葉山に告白するぞ!」

 

「ぇ……ええっ!?」

 

 乙女三浦の絶叫が高級喫茶店に木霊した。



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(19)由比ヶ浜の足掻き……対決の少し前

「ちょ、ちょっとヒキオ? あ、あーしまだ告白するとか言ってないし?」

 

「ならなんでここに来たんだよ? 葉山のことが気になってるからだろ? いいから俺の言う通りにしろよ。とにかく行くぞ」

 

 俺がそう言うと、一色が目をぱちくりとさせて聞いてきた。

 

「行くってどこへです?」

 

「決まってんだろ? 雪ノ下家が勢揃いしているところにだよ」

 

「「えええっ!!!」」

 

 二人はそう絶叫するが、もはやこんなところでウダウダしている場合ではない。今夜の行動方針は既に固まっているのだし、こいつらはといえば一応でも俺を助けようと思って来ているわけだ。なら、最後まで手伝ってもらっても何も支障はないだろう。ということで、十分役に立ってもらおうじゃないか。

 まあ、まだ約束の時間には少し早いが、現地入りしてからの準備期間と思えばそれほど早い訳でもない。

 それに気がかりなのは由比ヶ浜の方だ……

 一色の話では何か準備しているらしいが……

 とりあえず、移動しながらメールでもしてみるか? 一応教えてもらってもあるし。

 まあ、返信をもらうより先に、出くわしそうな感じもするのだけどな。

 俺は色々これからの流れを予測しつつ、さっさとバカ高い会計を済ませて店をでた。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「な、なんで比企谷君と優美子といろはちゃんが一緒にいるの?」

 

「いや、それはこっちの台詞なんだが……お前が連れているその後ろの連中はいったいなんだ?」

 

 やはりというか……メールを送ったものの、それよりも早く由比ヶ浜と遭遇した。

 というか、由比ヶ浜は一人じゃなかった。

 

「あ、八幡も来たんだね? 良かった、心細かったんだ」

 

 そう言うのはめっちゃキュートな乙女男子、戸塚!

 心細そうな戸塚、マジ天使。守りたい、この笑顔!!

 

「八幡もかけ参じたのであるな? 我、本当に心細かったぁ」

 

 思いっきり俺に近づいてきた巨漢は当然こいつ、材木座。マジ近寄るな暑苦しい。殴りたい、このにやけ顔!

 

 とまあ、そんな感じでいるわいるわ色んなやつ。葉山グループの戸部や眼鏡女もそうだし、他にも不健康そうないかにもインドアなオタクといった具合の男子生徒や、柔道着姿のいかついおっさんみたいな連中までいやがる。それに城廻先輩と一緒に、申し訳なさそうにしょんぼり立っているのは、たしか相模とかいう文化祭の実行委員長だろう。聞いた感じ由比ヶ浜の友達らしいが、訴えを取り下げさせたあげく、ここまで連れてくるとかいったいどういう力業だよ。

 とにかくその大勢がこのホテルのロビーに集結していたのだ。よくもまあ、こんなにも連れてきたと感心してしまうが、男連中はどっちかと言えば由比ヶ浜に声をかけられて、ほいほいついてきちまったって感じだな。

 めっちゃ下心ありありなのが手に取るようにわかるぞ。

 俺はそっと由比ヶ浜へと耳打ちして聞いた。

 

「こいつらはいったいなんなんだよ?」

 

 その質問に、由比ヶ浜は少し困ったように答えた。

 

「えーとね。今まで奉仕部に依頼してきて、それで色々解決してあげてきた人たちだよ。ゆきのんが頑張ったってことを証明してほしくて来てもらったの」

 

「そ、そう……なのか?」

 

 俺は改めて見回してみた。

 そこにいるのは多分ほとんどがうちの学校の生徒なんだろうが、やはり面識が俺にはない。

 戸塚のテニスの依頼のことは聞いていたから分かるし、材木座にいたっては実際に毎回俺が小説の感想を言ってやっていたのだから理解できるのだが、他の面子は本当にわからない。聞けば、遊戯部だとか柔道部だとか、あとは、うちのクラスの奴らしい青みがかった黒髪の眼光鋭い女子生徒までいるのだが、いったいどれだけ依頼をこなしてきらんだよ、こっちの世界の奉仕部は。

 やはり俺はこの世界の人間ではないんだなと、再認識していたそこへ、こんどは下から声をかけられた。

 

「八幡!」

 

「ん? おまえは……」

 

「むぅ……お前じゃない。留美」

 

「る、ルミ?」

 

 は? だから誰だよ?

 俺の脇にちょこんと立っているのは、どう見ても中学生……いや、小学生か? そんなちびっこい女の子。俺を見上げつつにらんでいるのだが、なぜか俺から離れない。なんで?

 

「ルミちゃんね、たまたまお母さんに会いに学校に来てて、比企谷君もこまってるんだよって話したらついてきてくれたの。この子も千葉村でいろいろあったし、お礼を言いたかったんだって……だから、後できちんと送りますって言って連れてきてあげたの」

 

 千葉村なのかよ……なら俺が知らなくて当然だ。行っていないのだから。

 

「八幡達が大変なら、私も手伝ってあげる。感謝していいよ」

 

「は、はい。ありがとう……ございます?」

 

 そう言うと、ルミはにんまりと笑った。

 何この子、まさか俺が好きなのか? いや、俺じゃないな、ヒッキーだな。マジか……

 ヒッキーのやつ、こんな少女にまで手をだしてやがったのか……うらやま……じゃなくて、なんてロリコンだ! けしからん!!

 ヒッキーのやろう! どんだけ良い思いしてきやがったんだ! こっちはあの陰鬱毒舌な雪ノ下だけだったんだぞ!! くっそー!!

 うん、思わず叫びたくなったけど、これはしかたないよね、非モテ男子的に。

 

 とにかくだ。由比ヶ浜は様々な人脈を辿ってこれ人を集めたわけだな。奉仕部に……いや、雪ノ下に縁のある奴等を……

 昨日の今日で、いったいどれだけのことをしてきたんだか、目を見張る思いだが、並大抵の苦労ではなかったことだけは察することが出来る。

 

 だが……

 

 俺は改めて、緊張にその表情をこわばらせている由比ヶ浜を見て思った。

 

『これは違う……間違っている』……と。

 

 確かに青春ドラマ的な解決法としては至極自然なのだろうと思う。とくに、昭和臭漂うガチ青春物であれば、主人公かみんなのエールで再びやる気を取り戻してハッピーエンドな展開は王道中の王道だ。

 しかし、これは青春ドラマなどではない。

 台本なぞないし、俺達にとってのハッピーエンドなんて、当事者には望まれてもいないのだ。

 由比ヶ浜の頑張りは確かに認められるだろう。そして、雪ノ下が如何に高校で頑張っていたのかも明らかになるだろう。だが、それだけのことだ。

 雪ノ下の先行きは、すべて何者かの思惑の『ありき』で進んでいるのであって、目の前の事象に左右されるわけがないのだから。

 俺はそれを思い、由比ヶ浜へと考え直すように説得するつもりであった。

 しかし。

 

「ひゃっはろー、ガハマちゃん、比企谷君! おやあ? これは凄いねぇ、いっぱい集めたねえ」

 

 店の中からフォーマルなドレス姿の雪ノ下さんが現れて、唐突にその場の全員を見回して、驚きましたと言わんばかりの演技で声を出していた。

 そんな彼女へと、由比ヶ浜が詰め寄った。

 

「陽乃さん! ゆきのんをみんなで説得させてください。みんなゆきのんの関係者です。お願いします。人数は制限されていませんでしたから、みんなでゆきのんに話させてください」

 

 必死な形相でそう懇願する由比ヶ浜へと雪ノ下さんはにこりと微笑んで答えた。

 

「だめよ」

 

「え? そ、そんな……」

 

 微笑んだまま、そう冷徹に答える雪ノ下姉。

 俺はその場で凍り付いたようになってしまった由比ヶ浜をただジッと見ていた。

 

「そんなの当たり前でしょう? このお店にこんなに入れるわけないじゃない。それに柔道着の子までいるとか……あのね、ここは大人が利用する格式のあるお店なの。なんでも許されるわけじゃないのよ?」

 

「で、でも……でも、そういう話あたし、聞いてません。教えてもらってません。だから……」

 

「じゃあ、今言うわ。入っていいのは、ガハマちゃんと比企谷君……そうね、あともう一人だけならいいわよ」

 

「そんな……」

 

 雪ノ下姉の言葉は正論だ。

 知らないから、聞いていないからなんて、そんな理由は社会では通用しない。知らなかったのは、教えてくれなかった向こうが悪いのではなく、聞きに行かなかった自分が悪いのだ。

 特に今回は向こうがホストだ。ゲストであるこっちが無茶な要求など出来ようはずがないのである。

 困惑しつつ、自分が連れてきたメンバーを眺め見る由比ヶ浜。一人と言われた以上、もっとも有効な話を出来そうな一人を選ばなくてはならないのだと彼女はここに来て必死に悩んでいるのだろう。

 だが、それで選べようはずがないのだ。

 彼女が選択した方法は、今回は『数』なのだから。

 実際にその通りなのだろうが、雪ノ下を説得できる個人を由比ヶ浜は見繕うことが出来なかった。だからこそ数の論理に頼り、彼女はこれだけのメンバーを集めたのだ。一人では及ばずとも、大勢ならあるいは……と。

 

「どうするの? 誰か一緒に入る? それともあなた達二人だけで来る?」

 

 にこりと微笑んでそう詰め寄ってくる雪ノ下さんに、首を廻す由比ヶ浜はもう泣き出してしまいそうだった。

 俺はそんな彼女の袖をくいとひっぱる。俺を振り向いた苦しそうな彼女を見つつ、言った。

 

「連れて行くのは三浦だ」

 

「え?」「へ……? え? ま、マジであーしひとりで?」

 

 驚愕する由比ヶ浜と三浦の二人。

 

「ゆ、優美子を? な、なんで……」

 

 慌てて俺に詰め寄る由比ヶ浜に、俺は答えた。

 

「別に全くのノープランというわけじゃない。ただ確信があるだけだ。由比ヶ浜……今回俺にまかせてくれないか?」

 

「え?」

 

 再び驚いた声を出した由比ヶ浜。

 彼女は俺と連れてきたメンバーと、それと三浦を繰り返し見つつ、そして静かに一度目を閉じた。

 由比ヶ浜なりにいろいろと考えて、思っていることがあるのだろう。何にしても、彼女は本気で雪ノ下をこのまま失いたくないと考えているのだから。

 そして、ここにいない『ヒッキー』になり替わろうとしているのだから。

 だから俺には分かっている。

 優しくて、強い彼女がどんな選択をしようとしているのかを。

 

「分かった」

 

 由比ヶ浜はその瞳を見開いて俺をまっすぐに見る。そして言い切った。

 

「全部比企谷君に任せる」

 

「ああ」

 

 分かってはいたが、改まってこう彼女の言葉を聞くと、何やら胸が弾むようにも感じた。

 ああ、俺も大概だな……

 こいつは他に好きな奴がいるってのによ。

 

「先輩、こっちにいるメンバーのことは私に任せてください。どこかでお茶でもしてますから。あ、請求は先輩にまわしますのでー」

 

 笑顔の一色にそう言われ、俺は愕然となってまったく軽くなった自分の財布のことを思い出しつつ、言った。

 

「さ、サイゼか、ガストでお、御願いします」

 

 明らかに蒼白になっているだろう俺に、由比ヶ浜が、あ、あたしが払うし! とか、そんなことを言っているのだけど、多分普通にお金貸してくださいになりそうだから本当に甘えちゃおうとか、考えていた。

 三浦は三浦で、もう完全に真っ青でガクブルになっている感じなのだが……大丈夫だ三浦、上手くいかなくても、きっといい思い出にはなるから。と、そう安心させてやろうと思って言ってみたら、思いっきり脛を蹴られた、半泣きで。いや、俺が泣きたいよ、というか号泣だよ、痛すぎて!

 

「うん? メンバーは決まったみたいだね。なら、行こっか?」

 

 そう言って先に立つ雪ノ下さん。

 彼女の傍に控えていたタキシード姿の店員が白手袋をした手で、店のドアをそっと開いて彼女を招きいれた。

 その後に、俺と由比ヶ浜と三浦の三人が続いた。



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(20)雪ノ下家の家庭の事情

「さあ、ここよ。私が良いっていうまで話したら駄目だからね?」

 

 先導するように前を進んでいた雪ノ下さんが俺たちを振り返ってそんなことを言った。

 そして、同行していたタキシードの従業員のおじさんが、近くの高級そうなドアを静かに開く。そして、誘われるようにして中へ入ってみると、そこには大きなテーブルに二人分の食器が用意されていた。

 が、従業員の男性の指示の元に、室内にいたもう一人の給仕服姿の若い女性が丁寧にもう一人分の食器の用意を始める。

 その間男性は上着を預かりますなどと俺たちへ言ってくるので、慌てて上着を脱いでそれを渡した。

 というか、ここまで高級な店だとは思いもしなかったよ。

 俺は比較的新しめの服ではあるが、購入したのは母親でどうせイオンの安売りのだし、慌てふためく由比ヶ浜も三浦もおしゃれな感じではあるが、決してフォーマルというわけではない。

 とんでもない場違い感のある中、俺たちは椅子を引かれ、そこに座る。

 そしてそんな俺たちの正面に雪ノ下さんがサッと腰を下ろし、そして静かに言った。

 

「とりあえず簡単な食事を頼んであるから、それを食べていてね。でも、絶対声を出しちゃだめよ?」

 

「え? それはなんで……」

 

「しー……」

 

 質問しかけた由比ヶ浜へと雪ノ下さんが人差し指を立ててその言葉を制した。

 そして、彼女は一度微笑んでから席を立ち、そのまま手を振って部屋を出て行ってしまう。

 そこに残された俺たち三人は何が何やら分からないまま、顔を見合わせるしかなかった。

 黙っていろと言われた以上、話すわけにもいかないではないか。

 仕方ないので、グラスに注がれた水を飲むほかはなく、暫く居心地悪さを感じつつ待っていると料理が運ばれてきた。

 スープと前菜と思われるサラダのような料理と、パン。

 目の前のテーブルには何本ものスプーンやフォークやナイフが置かれていて、確か端から使うんだよな? とか、そんなうろ覚えの知識を元に、俺は不器用に食事を始めた。

 由比ヶ浜と三浦も、俺を見て、見よう見まねで食事をとり始めたわけだが、これあれだよな? フランス料理のコースだよな?

 盛り付けの見た目も綺麗で、確かに旨いのだろうその料理を食べ始めたわけだが、正直緊張しすぎなどのせいで味が良くわからなかった。

 それは由比ヶ浜も三浦も同じようで、かなりぎこちない感じで微妙な表情で少しずつ食べている。

 しかも喋るなと念を入れられているのだ。正直、会話もなしで、しかもほぼ普段関係のないメンバーで食事をすることほど気まずいものはない。食べていてあれだが、だんだん胃が痛くなってきた。

 そして無言で暫く食事をしていたの前に、二つ目のメインディッシュの何かの肉料理が出された時の事だった。

 

 俺たちの丁度背後の壁から、人の声が聞こえてきたのだ。

 それは上品な感じの二人の婦人の声と……。

 

『奥様、本日はお招きいただきまして本当にありがとうございます』

 

『いいえ、お忙しい中お越しいただけたことを感謝いたしますわ、お母様。それに隼人さんも良く来てくださいましたね』

 

『こちらこそお心遣いありがとうございます。父に代わって礼を述べさせていただきます』

 

『ほほほ、随分としっかりされましたね、隼人さん。お父様にそっくりですわね。本当に葉山さんとお母様が羨ましい。うちの娘たちなど、まだまだ子供で……』

 

『何をおっしゃいますの奥様。陽乃ちゃんも雪乃ちゃんも本当にお綺麗になられて……特に陽乃ちゃんは今日の()()()の準備までしてくださって……こちらの方こそ感謝しかありませんわ』

 

『そんなことございませんのよ。本当にまだまだ幼くて……雪乃など、まだ一人では何も出来ませんもの。葉山さん達にご迷惑をおかけしてしまうのではないかとそれだけが心配で心配で……』

 

『滅相もございませんわ。こちらこそ雪乃ちゃんのような優秀でお綺麗な方とこうしてお付き合いできること、本当に嬉しく思っておりますのよ』

 

『ほら、陽乃、雪乃、あなたたちもきちんと挨拶なさい』

 

『はぁい。本日はお忙しい中お越しいただきありがとうございます。細やかですけれどお食事を用意致しましたので、ごゆっくり召し上がってくださいね』

 

『お越しいただいて……ありがとうございます。ゆっくり御寛ぎください』

 

『まあ、本当に可愛らしい。本当にありがとう、陽乃ちゃん、雪乃ちゃん。でもこれからはもう()()()()なんですもの、そんなに気を使わないでね、おほほほほほ』

 

 なんだこれは?

 なんなんだこれは?

 

 俺は薄い壁越しに聞こえてきているのであろうその隣の部屋の会話を、何とはなしに聞いていた。

 いや、聞き耳を立てていたわけでも盗聴していたわけでもないない。ただ聞こえてきたから聞いていただけなんだが、その内容に俺は困惑していた。

 聞こえてきていた陽気な感じの二人の婦人の声。

 その社交辞令のオンパレードに混ざって聞こえてきたのは、葉山と雪ノ下姉と雪ノ下の声で間違いなく、実際に二人の婦人はそう名前で呼んでもいた。

 だとすれば、あの婦人たちはそれぞれ、雪ノ下の親と葉山の親ということになるのではなかろうか?

 それはまあわかる。

 だが、この要所要所にさしこまれてくる、異様な誉め言葉の数々はいったいなんだ? 

 普通にただ子供を褒めるにしては度が過ぎている。

 というより、あざとすぎるだろう、いくらなんでも。

 それに興奮しているかのような陽気な二人の母親の会話の、その文脈のあちらこちらから窺える『家族』などの言葉……

 これではまるで……

 

 まるで……

 

 まさかな……

 

 ハッとなって顔を由比ヶ浜と三浦へと向けると、二人とも良くわかってはいない風ではあったが、会話の感じからただ事ではないことが進んでいるらしいことだけは感じ取っているらしく、怪訝な顔つきに変わってしまっていた。

 だが、やはり喋ることを禁じられていることで……そもそも隣の部屋の声がこれだけ筒抜けである以上、ここで会話をすることが躊躇われ、やはり何も言えないままでいるしかなかった。

 くっそ、またしても雪ノ下さんにいっぱい喰わされた。

 

 俺はてっきりこの店で雪ノ下母と雪ノ下本人を前に何か話をするものとばかり思っていた。

 だが、雪ノ下さんが用意したのはこの状況。

 雪ノ下家と葉山家が食事会をしているその隣の、薄い壁一枚越しのその空間に俺たちを押し込めて、ただそこで話されている内容を盗み聞くこと……それを彼女はさせているのだ。

 聞いて、そして俺たちはどうすればいいというのか。

 しかもその内容がこれだ。

 雪ノ下母、姉、本人と、葉山母、葉山本人が対面しているのであろう、そんな景色が思い浮かぶその部屋で繰り広げられているのは、食事会の形を成した家の看板を背負った同士の対話。

 そしてその議題はそれぞれの家の子供?

 はっきり言って、聞いているだけで胃がきりきり痛んでくるような緊迫感がそこにあった。

 そこにあの雪ノ下達が同席しているわけだ。隣で聞いていてこれなのだから、当人たちはいったい如何ほどのダメージを負っているのか。

 うちだって偶には家族そろって外食することはあるが、ここまで神経に来る食事会はしたことがない。せいぜい褒めちぎられる小町を蚊帳の外から眺めているボッチ感覚を味わう程度だ……普段と変わらんということだな。

 

 隣の空間では食事が運び込まれてきているようだが、まだ会話が続いていた。話の主導権を握っているのは間違いなく雪ノ下母と葉山母の二人。あとの連中はほぼ会話に加わってはいない。

 しばらく世間話などをしていた二人の母親。

 すると、葉山母だろうと思える婦人が、唐突にあのことを話した。

 

『そういえば雪乃ちゃんは転校為されると聞きましたけれど、どちらへ?』

 

『ええ、○○女学園ですわ。あそこは私の母校でもありますし、今の学園長は主人と懇意でもありますので』

 

『まあ、そうでしたの。あちらの学校では礼節を重んじた教育がなされていると窺ったことがございますわ。なんでも社交界関連の教育もあるとか』

 

『その通りですわ。私も母校の校訓には感銘を受けておりますの。雪乃も今は何も出来てはおりませんけれど、きっとあちらの学校で子女に必要な教育を身に着けて、いずれは夫や隼人さんを支えられるようになって欲しいものですわ』

 

『目指すのは大和撫子でございますわね。今でも隼人にはもったいないくらい十分大和撫子でございますけれど』

 

『本当にお上手ですこと、おほほほほほ。雪乃? 本当にきちんとお勉強なさい? あなたはあなた一人の身体ではないのですから』

 

『隼人もよ? あなた、雪乃ちゃんが転校してしまって淋しいかもしれないけれど、今の学校で必ず結果を残して進学するのですよ? あなたが頑張らないと、ここまで良くしてくれている雪ノ下さんたちにも迷惑がかかるのですからね。良いですね、決して雪ノ下さんに恥をかかせない様に』

 

『……ええ』『……はい』

 

 妙なテンションで笑いまくっている二人の母親の陰で、小さな声で知っている奴らが返事をした。

 その声に元気はなく、仕方なく話を合わせているということがありありと目に浮かぶ。

 そして、ここまで聞いて俺の中でこいつらの立ち位置を完全に理解した。

 

『二人の母親は、葉山と雪ノ下が結ばれることを望んでいる』

 

 これが多分真実だ。

 雪ノ下と葉山は幼馴染だということはもう知っている。

 だが、少なくとも二人の親はそれ以上のことを望んでいるとみて間違いないだろう。

 二人は同い年だし、どちらの親も仲が良い。いや、単に友人と言う関係ではあるまい。ここに来る前に知ったのだが、葉山の父親は弁護士で、雪ノ下の父親が経営している会社の顧問弁護士であったという話だ。

 つまり単に仲が良いという以上に、お互いがお互いを必要としあうビジネスパートナーでもあるわけだ。

 それもその辺の小さな会社の社長と従業員という関係ではない。資産規模は如何ほどかは知らないが、大会社の社長と遣りての弁護士。どちらもがハイソサエティな存在で、明らかに庶民ではないのだ。

 そんな二つの上流階級の家が、その子供の婚姻相手をどう望むのか……

 考えるまでもない話だが、お互い理想的な相手が身近にいた……ただそれだけの事だったのかもしれない。

 雪ノ下家は葉山を……葉山家は雪ノ下を……

 それぞれ欲しいのだ。

 

 聞いていて、ありありとそう願っていると思われる内容の言葉が次々と現れ、俺は正直頭にきた。

 これほど身勝手で、これほど傲慢な会話……当事者の気持ちなど微塵も考えていないこんな会話の中で、いったい雪ノ下と葉山はどう思っているというのか……

 単に自分の欲を満足させたいがために出し続けている二人の母親の醜い言葉の数々に、俺は反吐が出る思いだった。

 

「は……隼人……そ、そんな……」

 

 俺の隣で小さな声でそんな独り言が響いた。 

 見れば、カタカタと震えながらその両目から滝のように涙を溢れさせた三浦の姿。

 彼女もここまでの話で俺と同じ結論に達したようだ。葉山と雪ノ下の関係を察して彼女の中の何かが決壊してしまったのだろう。

 今にも嗚咽を上げだしてしまいそうなそんな彼女を、やはりその隣で涙を流している由比ヶ浜がひっしと抱きしめていた。

 二人は小さく声を漏らしているも、泣き叫ぶことはしていない。必死に息をひそめてただただ泣いていた。

 

 その時だった。

 

 カチャリと音がして、そっちを見れば、そこには雪ノ下姉、陽乃さんがいて、静かに部屋に入ってきた。

 

 そして泣いている由比ヶ浜と三浦の二人を見つつ、俺へとにこやかに小声で話しかけてきた。

 

「どう? おもしろかったでしょ?」

 

「は?」

 

 俺は正直その問いかけに怒りが爆発しそうになった。

 ここまでこれだけ傍若無人な会話を繰り広げてきたふたりの母親の話を聞いて、それを面白いなどと誰が思えるものか。

 だが、その怒りの矛先をこの目の前でにまにましている女性に向けるべきではないことも分かっていた。

 

「まったく面白くありませんね。むしろ虫唾がはしりました」

 

 そう言った俺に彼女は満足そうに頷いた。そして言った。

 

「そうだろうね? でもね、私たちはこんな会話を今まで何年間も何十回も聞いてきたんだよ? あの空気の中でね」

 

 雪ノ下さんは嗜虐的に微笑んで俺を見据えていた

 俺はその一言に戦慄を覚える。そして単純に怒りを覚えた俺自身がまだ何も分かっていなかったのだと悟った。

 たった一回……こうやって隣の部屋で聞き耳を立てただけでこれなのだ。

 ならば、それを繰り返し繰り返し聞かされ続けてきた雪ノ下と葉山についてはどうなのか?

 あいつらはあれを聞き続けていったい何を思ってきたのだろうか?

 それを思い、沈鬱な思いに囚われた。

 

 そんな俺たちへと雪ノ下さんは言った。

 

「さあて、お待ちかねの説得タイムだよ? うちの母と雪乃ちゃんを説得してもいいよ」

 

 なんてことは無いようにそう言い放った雪ノ下さん。

 由比ヶ浜もさすがに反応することはできなかった。

 この人はなるほど、本当に優しいのかもしれないな。

 俺と由比ヶ浜を遠ざけた本当の理由は、この雪ノ下家の事情に関わらせないようにとの配慮からだったのだろう。聞いただけでこんなに胃が痛くなるのだ。近寄らないに越したことはない。

 だが、俺も由比ヶ浜もそれを望まなかった。

 だからここにいるわけだが、彼女は俺たちが対決する前に様々なヒントをくれていたのだ。

 まず、雪ノ下母と葉山が一緒にいるのだということ。そのうえで雪ノ下を説得して見せろと、そう教えてくれていたのだ。これは心構えをするようにとの注意であると同時に、当事者たちの関係を予想するための材料ともなった。

 そして、この部屋だ。

 俺たちにあの二組の家族の会話を聞かせることで完全に中身を把握させ、その上で俺たちにどう行動するかの決定も委ねたのだ。

 ここで帰るもよしと、彼女は逃げ道を用意してくれたということか。

 

 俺は雪ノ下さんのことを流石だなと思うと同時に、卑怯だなとも思った。

 この人はもう諦めているのだ、この状況を。

 雪ノ下家の人間はかくあるべしというような、そんなことを彼女は受け入れてしまっているからこそ、こうして達観したように行動できているのだ。

 だからこそ、どう転ぶか分からない俺たちの行動を見て楽しんでもいるのだと思う。

 きっと彼女はもう……真剣に苦しむことを止めてしまったということなんだろうな。

 

 俺は『やれるものならやってみな』という感じで俺たちを見つめる雪ノ下さんを見つつ少し悲しくなっていた。

 その時、突然由比ヶ浜が立ち上がった。

 

「や、やります……ゆきのんを説得します」

 

 涙を拭い、震える声でそう言った由比ヶ浜。そんな彼女を雪ノ下さんは冷たい瞳で見上げていた。

 由比ヶ浜はきっと真実をみているのだ。

 雪ノ下がどんなことに苦しんでいるのかを目の当たりにしたからこそ、彼女はまっすぐにその悲しみ、苦しみを受け止める覚悟を固めたのだろう。

 だからこそ俺は言った。

 

「いやだめだ」

 

「え?」

 

 俺も立ち上がった。そしてまっすぐに由比ヶ浜を見つめてそう否定した。

 そう、だめなんだ。

 正直にまっすぐに、雪ノ下の気持ちを真剣に思える由比ヶ浜。

 俺はそんな彼女をこんなところで傷つけたくはなかったから。いや、傷ついてはだめなのだ。

 それは雪ノ下を助けるためにも、そして奉仕部を守るためにも。

 だから俺は続けた。

 

「俺が行く」

 

 その場に沈黙が訪れる。

 ただ黙って俺を見る由比ヶ浜をまっすぐに見て、もう一度あの言葉を言った。

 

「俺に全部任せてくれ、頼む」

 

 俺はもう後戻りするつもりはなかった。

 ただ、ここまで来て、ここまで進んでしまった事態をなんとかしたい。修正するとか元通りにしたいとかそんなことではなく、ただ、何とかしたかった。

 ああ、俺も大概どうしようもないな。

 不思議と笑えて来ていた。

 俺はここで色々知ったのだ。

 由比ヶ浜と出会えて……

 今までの俺は本当にただのボッチだった。

 世の中の事象の全部が俺にとっては災害であって、それに見舞われないようにただ息をひそめてジッとしてきた。

 それが俺だったはずなのに。

 俺はここでもう一人の俺の存在を知った。

 それは、不器用だけど必死になって、誰かを守ろう、助けようともがいている存在。

 そんな奴の片りんの数々を俺はここで確かに見たのだ。

 そしてそんなもう一人の俺を待ち続けている存在のことを知った。

 知って、それでそのままになんてできないじゃないか。

 そいつが大事にしていて、そいつのことを好きでいるような奴がいて、それで、そいつが帰る場所を壊すことなんてできないじゃないか。

 だから、俺なんだ。

 俺がやるんだ。

 失うものなんてなにもない。ただ、俺の人生の中で、人の為に馬鹿をやった。たったそれだけの事が刻まれるだけ。その後のことなんて知るか。俺の人生だ。誰にも文句は言わせない。

 

「由比ヶ浜……頼む」

 

 もう一度言ったその時だった。

 

「ヒッ……キー?」

 

「え?」

 

 突然彼女は俺をそんな風に呼んだ。呼んでそしてまた涙を流す。

 不思議と身体に力が沸いた。

 俺は間違いなくヒッキー君ではない。だが、そう呼ばれたことで俺は初めて彼女にちゃんと認められたような気がしたから。

 由比ヶ浜は泣きながら俺へと言った。

 

「お願い……お願いします」

 

「ああ、まかせろよ」

 

 そして俺は雪ノ下さんの方へと歩いて行った。

 彼女は何やら呆れたように俺を見る。

 そして言ったのだ。

 

「じゃあ、針の筵にご招待」



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(21)やっぱり比企谷君のところにお嫁に行くべきかしら

 雪ノ下さんに続いて部屋を出てすぐに、彼女が俺を振り返る。

 

「まだ間に合うわよ? このまま引き返しても私は文句を言うつもりはないし、雪乃ちゃん達だってあなた達が来ていることを知らないから何も変わることはないんだよ?」

 

 やはり雪ノ下さんなりに気を使ってくれているのだ。

 それだけでも幾分か救われる思いだが、やはりこのままにする気はない。 

 少なくとも俺は知ってしまったのだから、雪ノ下達の現状を。

 そして約束してしまったのだから。

 『なんとかする』と。

 そう、全てを俺に託してくれた彼女のためにも。

 

「行きますよ。もう決めたことですから」

 

「そう……物好きなのね、ではどうぞ……」

 

 言いながら雪ノ下さんがカチャリとその部屋のドアを開いた。

 そしてその中へと先に入って行くのを見ながら、俺も続いて入り、その部屋の入り口で立ち止まった。

 部屋の中の様子は先ほど俺達が居た部屋とほとんど変わらない。

 高級そうな調度品の数々と、大きなテーブル、そこに着物姿の二人の婦人と、その横で落ち着いた色彩の紺のブレザーを着た葉山と、雪ノ下姉と同じような青いワンピースドレスを着た雪ノ下の姿が。

 二人の母親はお喋りに興じていてこちらへと視線は向けていないし、雪ノ下と葉山の二人も自分たちの母親の方へと視線を向けていて、まだ俺の存在には気が付いてはいない。

 そんな中、雪ノ下さんが自分の席であろうそこに着くと、軽く会釈をしてから話し出した。

 と、そのタイミングで、ちょうど俺を横に見る形で葉山と雪ノ下が俺に気づき、驚愕の表情をその顔に張り付かせていた。

 まあその反応もあるだろうな、急に俺みたいな一般人が現れれば誰だってそんな反応になるだろう。だって知らされていないんだから。

 二人ともが慌てた様子で俺へと何かを訴えかけるような視線を送ってくるも、だがこの場で声を出すことはなかった。

 当然だろう。こいつらは自分たちの立場を弁えているのだから。

 この場を支配しているのは母親たち……特に立場だけで言うなら雪ノ下の母親の方が上なのだろう。そんな場の空気を壊そうなどとは普通は思わないものだ。それが出来るのなら、もうとっくの昔にこんな胃の腑がきりきり痛むような状況からは抜け出せているのだろうしな。

 ま、そんなことをやる馬鹿は……

 

 俺くらいだろうって話なんだよな。

 

「ふへ」

 

 自分の考えていること、やろうとしていることを思って思わず笑えてしまった。

 他人の家族の食事会に乱入しようなどと……いや、他人の家の事情に首を突っ込もうなどという気が起こるなんて、つい最近までの俺には信じられないような話だ。

 当然、今だって緊張しているし怖いし身体は震えていて全く止まる気配もない。

 だが、そんな状況にあってなお、自分が何かをなそうとしているそれ自体が、とても奇妙で、とても滑稽だった。

 ふと顔を上げてみれば、俺を見つめる全員の訝しい目つき。明らかに不審者を見る目に変わってしまっている。

 まあ、そうだろうな。だってその通りなんだから。

 雪ノ下さんの紹介が終わったということなんだと理解して、俺は緊張も恥ずかしさも全部、普通であれば感じるだろ感情の数々を無視して改まって頭を下げた。

 

「初めまして葉山君と雪ノ下さんの同級生の比企谷八幡と言います。今日は雪ノ下さんと葉山君のお祝いだと伺いまして挨拶に来させていただきました」

 

 雪ノ下さんが俺のことを何と紹介したのかは分からない、というより、まったく聞いていなかった。

 だが、先ほどから聞き耳を立てていたことで覚えたいくつかの言葉の中から、『お祝い』というところをチョイスしてそれに絡めての挨拶としたのだ。

 状況からして『雪ノ下と葉山の婚約、もしくは結婚を前提にしたお付き合い』とか、どうせそんな感じの会なんだろうしな。

 だからこそこう言ったわけだが、雪ノ下の母親の対応は冷たいものだった。

 

「そうですか、それはわざわざありがとうございます。二人の事、これからも見守ってあげてくださいね。それでは御機嫌よう」

 

 顔は微笑んでいるが目はまったく笑っていない。というより、明らかに俺を煙たがっている感じを漂わせている。葉山の母親について言えば、もはや俺に視線を向けることすらしていない。

 当然の反応ではあるが、これでは話が進まない。

 当事者でもあるはずの雪ノ下は、一言も話さないままに複雑な表情に変わってしまっていたし。おいおいお前がノーリアクションじゃあ、どうしようもないんだよ。仕方ない仕方ないのオンパレードで、じゃあ本当にこのまま帰るしかないこの状況……

 

 そういうわけにはいかないんだよ。

 

 ここで問題。

 話を聞く気がない奴に、話を聞かせるにはどうしたら良いでしょう。

 答え。

 

『聞かざるを得ない状態にしてしまう』

 

 俺は一度ほくそ笑んでから顔を上げた。

 

「そういうわけにはいかないんですよ。雪ノ下……俺はお前と『別れたくない』んだ。俺はもうお前なしじゃあ生きていけないんだ。お前の『身体( からだ)』が忘れられないんだよ。頼む俺を捨てないでくれ」

 

「え?」「は?」

 

 俺のその言葉に、二人の母親が息を呑んで俺を見た。この時初めて俺のことを見たのかもしれない。

 目を見開いてそう言った俺のことを凝視し、そして睨みつけてきた。

 

「あ、あ、あなた!? い、今なんと言いました?」

 

「ですから、俺は雪ノ下さんとお付き合いしてたんです。将来の約束までしていた仲でしたのに、それなのに急に振られてしまって……納得いかなくて」

 

 慌てて焦って俺にそう問いかける雪ノ下の母親。俺は冷静にそれに返したわけだが、彼女は首を振りつつ言った。

 

「そうではありませんわ! いえ、それもありますが、あ、あなた、まさか雪乃と……その、身体を……!? 雪乃ぉっ!? あ、あなたっ!!」

 

 当然そこに喰いつくわな、母親は絶叫して俺を睨んだ後に高速で雪ノ下を向いて、今度はそっちを睨みつけた。

 雪ノ下はといえば、口を半開きにしてしまって、なにやら慌てた様子で俺を見つめ、そして母親へも視線を送り何かを言おうとしていた。

 おっと、今は何も話すんじゃあねえぞ。

 葉山、お前もだ。正義感ぶってしゃしゃり出ようとかするんじゃあねえよ。大人しくしてやがれよ?

 

「雪ノ下さんとは本当に仲良くさせて頂いていたんです。もう少ししたらご両親にご挨拶に行かせていただこうと思っていたのに、それなのに……こんな形でお母さまとお会いしてしまったことが本当に残念です」

 

 もともと考えていたことではあるとはいえ、よくもまあスラスラ出てきたもんだよ、俺も。

 雪ノ下母はといえば、その俺の言葉をどう受け取ったのか、真っ青になってただ黙ってしまい、葉山母の方は、どうしていいのか分からないといった具合でオタオタしてやはり青くなっていた。

 今のこの状況を俯瞰して見てみると非常に面白い。

 雪ノ下母は俺の言葉に動揺して何がほぼほぼ俺の言を信じてしまっている。そして雪ノ下が何も言えないでいることで、その解答らしきものを得ることも叶わず慌てふためいてしまっている。

 葉山母も同様だが、その内容の真偽はどうでもよいらしく、ただ雪ノ下母が困惑している状況に戸惑ってしまい、本当は自分の息子を問い詰めたいのだろうがそれも出来ないでいる。

 その葉山はといえば、まだ冷静な感じではあるが、やはり驚いた衝撃から立ち直れていないのか、なにも話せないでいた。

 雪ノ下は……俺のことをただジッと俺を見ていた。

 俺はその視線を受け流す。

 この場のホストが雪ノ下母である以上、彼女の動向に場の流れは全て左右されるのは明白だ。

 だからこそ、この場でもっとも先に雪ノ下母に反応させる必要があったのだ。

 そして、それは成功していた。

 雪ノ下母は立ち上がり激昂する。

 

「あ、あなた……急に現れて何を言っているのか、分かっているのかしら? 無礼にも程があるわ! 未成年とはいえ訴えることもできるのですよ。そ、それに、大事な人の娘に、なんてことを……すぐに警察を呼びますよ」

 

 彼女は手元の呼び鈴を持ち上げる。そしてそれを振る素振りを見せた。きっとあれが鳴ればすぐに店員が駆けつけて、俺は御用となるのだろう。

 そう思った俺は、まっすぐに雪ノ下を見た。

 

「……ってなことを言われたら雪ノ下、お前はどうする? 転校を考え直してくれるか?」

 

「え?」

 

 雪ノ下母は一言そう漏らして絶句した。

 そして俺と雪ノ下を交互に見る。

 そしてまだ唖然としたままでいるその合間に、もう一度雪ノ下へと言った。

 

「なあ雪ノ下。転校を考え直してくれよ」

 

 その時だった。

 突然雪ノ下母が怒鳴りつけてきた。

 

「なんですのあなたは! いったい自分が何をしたか分かっていますの? 他人の大事な家族の時間に土足で踏み込んだだけにとどまらず、あまつさえ、人の娘に対していかがわしい与太話で嘲弄までして、これで済むと思っていますの? すぐに警察とあなたのご家族をお呼びします」

 

 そう言って、チリリンと彼女がベルを鳴らすと、すぐに扉が開いてそこから先ほどのタキシード姿の給仕が入ってきた。そして俺を困惑した顔で見つめ、すぐに警察を呼んでというその母親の叫ぶ言葉にくるりと向きを変えようとしたその時だった。

 

「待って……ください」

 

 はっきりと……雪ノ下が立ち上がってそう言った。

 給仕の人はその言葉に立ち止まり、そして恐る恐る振り返ってその場の面々の顔を見ている感じだったのだが……

 

「雪乃! あなたは何も言わないで! ここはお母さんに任せてあなたは座りなさい!」

 

 じろりと雪ノ下を睨んだ母親に俺は言った。

 

「あの、お母さん? 俺は雪ノ下と話したいだけなんだけどな」

 

「お黙りなさい! この不良!」

 

 凄まじい剣幕だ。しかもこのセリフ。確かに俺は『不良品』の『出来損ない』だろうけどな、今だけはその称号を甘んじて受けるよ。

 語気も荒くいい放つその母親に、一瞬たじろいだ雪ノ下だったが、彼女は深く一度深呼吸をしてから俺を見た。

 見てそして言った。

 

「比企谷君……なぜあなたはこんなことをしたの? こんなことをしてもあなたにはなんのメリットもないじゃない。私の進路は私が決める。それでいいじゃない」

 

「そうですよ雪乃。雪乃は雪乃の為に時間を使えば良いのです。こんなどうしようもない野蛮な男子と一緒にいることはありませんよ」

 

 畳みかけるように言ってくるその母親の言葉を俺は全て無視して雪ノ下へと言った。

 

「俺にとっての意味なんてな、もう何もないんだよ。だから何も気にしなくていい。だけどな、お前と由比ヶ浜は違う。お前らがここまで積み重ねてきたことは、他に変えようがないほどに大事なモノのはずなんだ。それなのにお前は人の話も聞かず、何も信じず、何も考えないままに去ろうとした。それが許せないんだ。いいか雪ノ下?」

 

 俺は一拍置いてからまっすぐに雪ノ下を見つめて言った。

 

「俺も由比ヶ浜も、何一つお前を騙してはいない」

 

「!?」

 

 その言葉に、彼女は目を丸くした。

 そして固まってしまった。その表情には困惑の色がありありと浮かんでいた。

 彼女は俺たちに言った。『欺かれたくはなかった』と。

 それは心を開きつつあった彼女にとっては最大の痛手となったのだろう、たとえ思い込からだけであったとしても。

 だが、俺も由比ヶ浜も何一つ嘘はついていないし、彼女をだましてもいない。

 俺という存在が、別の世界の物であるのかどうか、そんなことは分かりはしないしどうでもいい。だが、少なくとも俺は、雪ノ下と由比ヶ浜と時間を共にした『ヒッキー』ではないのだ。

 雪ノ下の心をここまで解きほぐし、由比ヶ浜が密かな想いを寄せたヒッキーはここにはいない。いるのは、そんな全てを知らないこの俺だけ。

 俺がヒッキーのふりをすればよかったのではないか?

 異世界の人間だのなんだの、俺の存在の意味なんて気にせずに、彼女たちと楽しく刹那の享楽を共にすればよかったのではないか? 

 自分を捨てた、こんな犯罪まがいの行動を取る必要はなかったのではないか? 

 もっと楽しく、お気楽に……

 

 そう思っていた時期も確かにあったのだ。ぬるま湯のようなこの日常に癒され流され、俺は確かに安穏とした日々を満喫していたのだから。

 

 だが……

 

 そんなものは全て『欺瞞』だ。

 そこに何一つ『本物』何て存在しない。

 すべて嘘で塗り固められ、自分がただ毎日を楽しむためだけに人を騙し欺き、そして、俺は彼女たちが築き上げたのであろう、優しい関係を踏みにじろうとしていたのだ。それを知って、それが分かって、それで俺は……

 

 それを壊すことなんて出来るわけなかった。

 

 ただ……

 

 それだけのことだったんだ。

 

「ふふふ……」

 

「ん?」

 

 唐突に微かな笑い声が聞こえ、俺は最初、声の主は面白がっている雪ノ下さんなのかと思い、近くの椅子に腰を下ろした彼女に視線を送るも、雪ノ下さんは笑うどころか、真っ青になって俺を見上げてきていた。あれ? この人がこんな顔になるなんて、実は相当に俺の状況ってやばい? まあ、やばいのだろうが、今はそんなことはどうでもいい。

 なら、今笑っているのは誰だ?

 

 俺は少し顔を巡らせてそしてその笑顔と出会って少し驚いた。

 笑っていたのは雪ノ下であったから。

 

 彼女は小さく声を漏らし、でもその表情は穏やかなままで確かに笑っていた。それに気が付いたのであろう雪ノ下の母親が雪ノ下へと何かを言いかけたその時、彼女は俺を見ていったのだ。

 

「たったそれだけのことを言うために、わざわざこんなことをしてしまったの? 引きこもり谷君」

 

「お前、それ完全に俺の悪口になっちゃってるからね? 俺引きこもりじゃないから、出まくってるから、外に」

 

 いつもと同じ調子でそう言われ、俺も思わず同じように対応してしまう。

 この場にいるのがこのメンバーでなければ、いつもと本当に何も変わらない奉仕部の一幕であっただろう。だが、ここはそうではなかった。

 だから俺はこれが最後と、彼女へと言った。

 

「そうだよ。それだけを言いたかった。俺も由比ヶ浜もお前を騙していない。そしてお前の存在が必要なんだ。だから、転校しないでくれ」

 

 もう一度言った。

 なんて自己中心的で、自分本位なお願いだろう。そう思う。

 だが、これだけのことなんだ。

 雪ノ下が何を思おうと、雪ノ下の家族が何を思おうとそんなことは関係ない。

 あの関係を壊したくない、失いたくない……少なくともそれが俺と由比ヶ浜の確かな願いだったのだから。

 

 俺はここで、もうひとつのことを思い出した。

 間もなく俺はここを摘まみ出される。だから、やるならその前にやらねばなるまい。そう思い、俺は静観しているだけのそいつへと視線を向けた。

 

「おい、葉山。お前にも用があるんだよ。お前のために、お前の大事な奴を連れてきてやった。今隣の部屋に由比ヶ浜と二人でいて、丸聞こえのここの話をずっと聞いてくれてるよ」

 

「え? それはどういう……まさか……優美子?」

 

 俺はそれに適当に相槌入れ、黙って表情をこわばらせている葉山を適当にあしらって頭を掻いた。

 葉山は、何やら思い詰めたような表情でグッと拳を握り混んでいた。

 

 さあ、これで俺はもうおしまいだ。

 雪ノ下の家族と、更に葉山の家族までも巻き込んで、さんざん馬鹿にしたというこの状況。

 まさに最悪だ。

 由比ヶ浜に俺がなんとかしてやるとは言ったものの、要は雪ノ下に俺達の潔白を表明することと、その場にいるだろう葉山に三浦のことをぶつけて、場を混乱させるまでのシナリオが俺の全部だった。

 雪ノ下に関しては、ここまでやれば少なくとも由比ヶ浜の思いだけは汲んでくれると信じられた。

 それと同時に葉山だが、どうせ親や家の都合で交遊関係を制限されているだろうことは分かっていたから、なら、葉山が本当にしたかったことをさせてやれば、ひょっとしたら上手く話が逸れるかも? ただそれだけの思い付きだったのだ。

 三浦が葉山を気にしている以上に、葉山が三浦に執着している様は、門外漢の俺にとっては明らかすぎる事実だった。こいつは修学旅行の時だって、他の時だって、だれよりも三浦に気を掛けてたんだよ。

 何が『みんなの葉山』だ。要は三浦を好きだと言わせて貰えなかっただけじゃねえか、家の都合で。

 本当に馬鹿馬鹿しい。

 

 だが、これで完全に終わりだ。

 やることはやったが、後はもう成り行きにまかせるしかない。

 雪の下母が言うように、俺みたいな不良が、資産家の権力に太刀打ちなどできようはずがないのだから。

 結局は雪ノ下家がどう思うかというだけのこと。雪ノ下を転校させて、不届きを働いた俺には報復措置をしてくるのだろうな、良くて停学とかかな。

 この後一応俺は、入学式の日の交通事故の事を持ち出して、脅迫まがいの申し出をして雪ノ下母から逃れようとか考えてもいたが、それももうどうでもいいやと思っていた。

 やるだけのことはやった。

 そして雪ノ下も話を聞いてくれた。

 もう何も聞こえてはいないが、近くで雪ノ下母ががなり続けているこの状況。これを脅迫までしてなんとかしようとする気力はもうなかった。

 だから俺はただ雪ノ下を見つめた。見つめて、そして不思議とおかしくなって笑えてしまっていたんだ。

 もうどうでも良かった。

 達成感と徒労感の狭間で苦笑したまま、ただ俺はこの後どう転がっても、それを全て受け入れようとだけ決めていた。

 

 その時、やはり俺と同じように微笑んでいた雪ノ下が、囁くように言ったのだ。

 

 唐突に……

 

「私も……『あの日の夜のこと』、一度も忘れたことはないわ……比企谷君」

 

「は?」

 

「雪乃っ!?」

 

 いったい何を言ったのか、俺にはまったく理解できない。だが、確かに雪ノ下は言ったのだ。この場の全員に向かって。滅茶苦茶な『嘘』を。

 

「雪乃っ! あ、あなたいったい何を言っているの!? う、嘘よね!? あなたがそんなこと、するわけないわよね!? あなたはしっかりしているもの! 絶対そんなことないわよね!!」

 

 そう詰め寄る雪ノ下の母親に彼女は薄く微笑んだまま、こう答えたのだ。

 

「やっぱり比企谷君のところにお嫁に行くべきかしら? 『初めて』を『彼に捧げた』のだもの。どう思う? お母さん?」

 

「!!!!〇×△□◇!?!?」

 

 雪ノ下の爆弾発言に、俺もそうだが、もはや雪ノ下母が形容しがたい言語不明の絶叫を上げていた。

 いや、お前はいったいなんてことを言いやがるんだよ! 知らねえよそんなこと! っていうか、どんな状況で何があってお前が俺にどうやって何を捧げたのか、そこんとこ、くわしく! kwsk!!!!

 そして雪ノ下は微笑んでから俺と母親を見て言ったのだ。

 

「ふふふ……冗談よ」

 

 いや、爆弾発言過ぎてもうそれ撤回不能なレベルなんじゃ……

 そう思っていたら、そういや俺がさっき言ったこともこれとほぼ同じレベルで撤回不能なのか? ならおあいこか?

 今更になって、強烈に冷や汗を掻いた俺。

 目の前の雪ノ下母は、蒼白になって、そのまま椅子へとどすんと落ちるように座った。

 その様子に、俺はなにやら本気で罪悪感が芽生え始めていたのだが。

 

 しかも……これで終わりではなかったのだ。

 

「母さん。こんな時にごめん。母さんに紹介したい人がいるんだ……俺、今好きな女の子がいるんだよ。その子は母さんの知らない子なんだ……」

 

 少し離れたところでそう語り始めた葉山の言葉を聞きながら、葉山母も雪ノ下母と同様に真っ青になって撃沈してしまっていた。

 

 その場では……

 

 警察をお呼びした方が宜しいでしょうか? などと俺に声をかけてくる困惑した様子のタキシードのおじさんが右往左往するばかりだった。



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(22)雨降って……片思い

 結局あの後、ぶち壊しになった食事会はそのままお開きになった。当然だろうな、俺と雪ノ下の申し合わせたような、それこそ『戯言』を聞いた雪ノ下母が茫然自失になってしまい、葉山の方も、すぐに隣の部屋の三浦を迎えに行って、真っ赤な顔になっている三浦の手を引いて連れてくると、母親の目の前で『この優美子さんとのお付き合いを認めてください』と宣言。三浦もぎこちなく慣れない丁寧な口調で自己紹介したところを、聞こえているのか不明な感じでその母親がコクコクと頷いていたのだ。

 そのような様子であったから別に警察を呼ばれるようなこともなく、雪ノ下が母親に、先に帰るからと言って席を立ったことをきっかけにその会は完全にお開き。

 俺も後程謝罪に伺いますとだけ言って、その部屋を出た。

 

 これは後で聞いた話だが、あの会でもっとも割を食ったのは雪ノ下陽乃さんであったようだ。会場になった高級フレンチレストランのスタッフに謝ってまわり、更に泣きだした雪ノ下の母親の面倒を見つつ自宅へ送り届け、更に更に招待した葉山の母親にもきっちり謝罪した上、その後詫び状まで書いて届けるなど、戦後処理? というか、俺の自爆テロ処理に奔走したのだそうだ。

 当然その時の俺に知る由もなかったわけなんだが……

 

「ゆ、ゆきのん……あたし……」

 

 扉を開け、廊下へと出るとすぐそこに由比ヶ浜が立っていた。

 今にも泣きだしてしまいそうな感じで震えている彼女は、ギュッと手を握りしめて俺たちを見ていたのだが、そんな彼女に雪ノ下が言った。

 

「由比ヶ浜さん、本当にごめんなさい。私……少し自分勝手だったみたいね……」

 

「そ、そんなことないよ。ゆきのんは悪くない。うん、悪くない。あたしもゆきのんの気持ち分かって上げられなかったから……だから、ごめん」

 

「由比ヶ浜さん……」

 

 そのまま二人は近づいて……ぎゅうっと抱き締めあって……って!!

 

「お前ら、いきなりハグしてんじゃねえよ。目のやり場に困るよ、マジで恥ずかしい」

 

 二人の女子が泣き笑いのまま抱き合って、間違いなく息がかかるであろうその距離まで唇を近づけてしまっている今の状況……はっきりいって倒錯感が半端ない。なに? このままそっちの世界に行っちゃう気かよ?

 

「あら? あなたもこうしてハグして欲しかったのかしら? そういえば虚言と妄想ラッシュで人の家庭をめちゃくちゃにしたあなたの言葉の通りなら、私とあなたはすでに肉体関係にあったようだし、それならハグしても問題ないのかしら? ねえ、嘘つき谷君?」

 

「肉体関係っ!?」

 

「お、お前いきなりなんてこと言いやがる!! それなら、お前だって、あの日の夜のこととか、めっちゃドキドキしちゃうこと言ってたじゃねえかよ!! あれマジで何かあったんじゃないかって気になっちゃったじゃねえかよ? どうなんだよ!? 期待しちゃうぞ!!」

 

「夜のこと!?」

 

「あ、あるわけないでしょう! な、なにもないに決まってるでしょう!!」

 

 由比ヶ浜をぎゅうっと抱き締めたままで真っ赤になってそう答える雪ノ下。いや、いまのそのユリユリした感じで何を必死に否定されても全く説得力ないぞ! エロエロしいっ!!

 マジでヒッキー君とは何かあったんじゃあるまいかっ!?

 抱きつかれてる由比ヶ浜はといえば、驚愕しきりでこっちもこっちで真っ赤だし。

 

 少しして落ちついた感じになったところで雪ノ下が由比ヶ浜を解放した……が、由比ヶ浜は雪ノ下の袖をぎゅっと摘まんでそれを放さなかった。

 

「ゆきのん……本当に何もないよね? その……ヒッキー……とは……なにも?」

 

 ぽそぽそとそう話す由比ヶ浜に雪ノ下が言い切った。

 

「誓って言うのだけれど、本当に何もないわよ」

 

「そう……なんだ」

 

 由比ヶ浜はそれでも何か不満そうではあったが、ひとつ唸ってから頷いたのだった。

 おーおー、由比ヶ浜は本当にヒッキー君ラブだなぁ。

 まあ、俺にあれだけ熱く告白したくらいだし、この反応も当然か。

 

 でも辛いよなぁ。この関係。

 

 端から見てて思うのだが、この雪ノ下も相当にヒッキー君に傾いているっぽい。

 まず、俺の世界の雪ノ下とは根本からして違うのだが、俺や由比ヶ浜や他人に対して胸襟を開きすぎているのだ。

 俺の知っている雪ノ下はといえば、俺を含めた他人に対しては侮蔑と軽蔑のこもった対応に終始するのだ。それこそ、見下しているとしか形容できない口ぶりと態度で、人の話をまったく聞こうともしないし。

 言ってはいないが、視線だけで、『この下等生物っ!』ってな感じで罵倒されている気までしてくるのだ。それにちょっと気持ちよく感じはじめていたことはここだけの秘密だ。

 

 対してこの雪ノ下。

 口調こそたまにあの雪ノ下と同じようになることもあるが、ほぼほぼ平常は穏やかだし、たまにデレッとした表情になったりと可愛い反応を示すことだってある。

 つまりこいつも相当に異性にほだされているのだろうと想像はつく。で、ここでいう異性とは当然ヒッキー君。

 あいつめ、いったい何をどうやってこの雪ノ下の心を掴みやがったのか。

 俺なんか半年も一緒にいたのに、話しかけるどころか近寄ることすら出来なかったってのに。

 

 まあ、だがその理由もなんとなくはわかっている。

 由比ヶ浜だ。

 こいつが緩衝材となってくれたからこそ、雪ノ下もヒッキー君も歩み寄ることが出来たということだろう。こいつは人との係わりあいを本当に大事にしている。

 それは自分の為というよりも、そうであって欲しいと願っているかのようでもあるのだ。

 由比ヶ浜はあの修学旅行の時、告白もできずに全てがなかったことになったあの時に泣いたのだ。『こんなの嫌だよ』と。

 あれで由比ヶ浜が何かを失ったわけではない。だが、彼女は大切にしたかったのだ、人の思いを……人との繋がりを……それが他人のことであったとしても。

 そこに利害があるなしに……

 

 彼女はいつも真実を見てきたのだと思う。純粋な人の気持ちに寄り添って、それに雪ノ下も心を動かされたのだろう。だからこそ、由比ヶ浜も雪ノ下もこの偏屈な俺とまったく同じであったはずの存在であるヒッキー君と良好な関係を築けたのだ。

 

 そして、出来上がったこの微妙な三人の関係……

 

 寄り添い始めた雪ノ下のことを気にかけるあまり、由比ヶ浜はヒッキー君から離れざるを得なかった。

 それは心を開きつつあった雪ノ下が離れてしまわないようにという配慮か何かだったのだろう。その雪ノ下の思いが恋愛感情に変わるかもしれないことを恐れつつも、由比ヶ浜はそれでも彼女とヒッキー君と一緒にいる道を選んだということだ。

 

 本当に……

 

 『(いばら)の道』すぎるだろうよ。

 

 そんなことを思い、でも、嬉しげに微笑む二人を見つつ俺は、二人ともが幸せになってくれればと切に願った。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 その後俺たちは一色たちと合流。そして集められた大勢の雪ノ下ファン(?)が一斉に『転校しないで』コールを上げるなか、真っ赤になった雪ノ下が『多分転校しません』と小声で言ったことで、一堂の歓声が響いたことをもってこの集まりは解散となった。

 それと、今回のことはすぐに平塚先生に3人で報告。正直めちゃくちゃ怒られた訳だが(特に俺が……理不尽だ)、この直後に先生も一緒に雪ノ下家へと謝罪にいくことになり、雪ノ下の父親と、さっきまで一緒だった母親の二人に面談。このとき、雪ノ下陽乃さんは葉山の家に行っていたようで留守だったわけだが、俺に恐れおののく母親とは対照的に、厳しい顔で対応した父親とは冷静に話すことができた。

 だが、この話……親父さんはすでに陽乃さんから聞き及んでいたらしく、陽乃さんが画策したことや、俺たちを挑発したことまで全て知っていたことで、話自体はあっという間に終了。

 その上で、俺たち全員、親父さんに逆に謝られた。

 それにかなりびっくりしたわけだけども、彼曰く、

 

 娘の気持ちも考えず、親の都合だけを押し付けていたということが今回はっきり分かりました。

 これからはもっと娘の気持ちを考えようと思います。

 転校も本人の希望に会わせたいと思います。

 

 そんなことを宣言された。

 

 だがまあ、その隣で、鬼の形相で母様が睨んでおられたから、そう一筋縄ではいかないのだろうとも思えたのだけれども。

 

 いずれにしても、あの俺の自爆テロの顛末はあっさりと解決してしまっということになる。

 

 それともうひとつ。

 三浦をあの場に放り込んだ葉山の件。

 葉山が前後不覚に陥っている自分の母親に三浦を紹介した後、二人きりでどうも告白しあって完全にカップルになってしまったようだ。

 俺の想像通り、葉山は三浦に好意を寄せていたが、家や親のしがらみのせいで付き合うことはできなかった。

 だが、今回のことでその良く分からない束縛が完全に崩壊してしまったことで、葉山も決心がついたようだ。

 三浦については、当初からお前が告白しろと俺が促していたこともあり、あの乙女ギャルもようやく自分の気持ちを吐き出せたわけだ。

 俺にとってはどうでもいいことだが、本当に良かったな。

 この際だから葉山。お前が台無しにしたあの戸部の告白も、もう一度お前が手伝ってやれよ、と、俺は密かに心のうちで思ったのだった。

 うん、思っただけ。本当にどうでもいいことだったから。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 そんなこんなで奉仕部崩壊の危機でもあった今回の雪ノ下の転校騒動も一件落着。

 雪ノ下も自分から転校の取り止めを宣言したことで親もそれを承認。今までと変わらずに総武高へと通うこととなった。

 そして奉仕部はあのぬるい日常を取り戻した。

 穏やかな表情の雪ノ下へと楽しげに話しかける由比ヶ浜、そして時折その会話にまざることで、存在感をアピールするこの俺。

 そうこうしているところへ、小説を呼んでくれたまへーと材木座が駆けこんで来たり、生徒会人手が足りないんですよーとか言いながらも、お茶をしにくる一色が居たり。

 三浦が葉山を引きずって連れてきて、ただラブラブしているところを見せつける為だけに現れたり、新しいテニスウェアを買ったからと言って、わざわざ俺の目の保養のために戸塚が現れたりとか(違う)。

 そんなぬるいぬるい日常が、俺たちを包んでいた。

 

 だが、それが見せかけだけの、ただのまやかしであることを俺は知っていたのだ。

 

「比企谷君、一緒に帰ろ」

 

「お、おお……」

 

 ある日の放課後、部活が終わり、自転車を押して正門へと向かっていた俺へと由比ヶ浜がにこやかに声をかけてきた。

 バス通学である由比ヶ浜の利用するバス停は、俺の家の方角と一緒。だから、彼女と合流した時は、いつもこうやってバス停までは自転車を押して並んで歩いた。

 彼女はいつもとかわらず明るく見える。

 しかし、それが彼女の素顔でないことを俺はもう知っていた。

 

「えへへ……まだお礼を言ってなかったよね、比企谷君、本当にありがとう」

 

「お礼? なんの?」

 

 唐突にそんなことを言われなんのことか思い付かなかったわけだが、そんな俺に由比ヶ浜はにこりと微笑んだ。

 

「ゆきのんのこと。それと、あたしのこと。比企谷君が助けてくれた。あたしだけじゃあ、やっぱり何もできなかったから。だからありがと」

 

「…………」

 

 俺はそれに何も答えられなかった。

 由比ヶ浜が言っているのは、あの雪ノ下の転校騒動のときの俺の自爆テロの話をしているのだろう。

 あのとき由比ヶ浜は、俺とは別の方法で雪ノ下を引き留めようとしていた。

 彼女なりに必死に考え、足掻いて、答えを求めて、由比ヶ浜は行動していたのだ。

 だが、俺はそれを否定した。否定して、そして俺が全てを肩代わりしてしまった。彼女の全てを蔑ろにして。

 あの選択が本当に正しかったのかどうか、それは分からない。

 俺は俺にとっての最善と思える方法をとっただけ、そこに由比ヶ浜の思いを考えたりはしなかったのだ。

 

「別に……お前にお礼言われるようなことはしてねえよ」

 

「うん……でも、それでもありがとう」

 

「うぅ」

 

 由比ヶ浜は俺をまっすぐに見てもう一度言った。

 俺はその笑顔を直視できず、思わず首を捻ってしまう。そして、自分の心音が高まって、それが耳に響き始めていることを確かに感じていた。

 いつからだったろう、いや、初めて話した時からかもしれない。

 俺はこいつの笑顔が気になるようになっていた。

 いつまでも見ていたい。ずっと俺を向いていて欲しい。そんな欲望が滾々と俺の内から湧き上がってきていたのだ。

 話しかけられ、有頂天になって、それで俺はこいつと一緒にいることをいつでも楽しみに感じるようになっていたんだ。そんな日々の中だったからこそ、俺はあの修学旅行のときにこいつに告白までしてしまった。

 だが、あれはただの勘違いからの、打算しまくった上での告白。

 俺はあのときただ浮かれていただけ。

 人生で始めて女子に好意を持たれたかもしれないという、あの時の調子に乗っていた俺自身のことを思い出すと、それだけでいまだに死にたくなってくる。

 そのような自分勝手な思いであったあの時、由比ヶ浜が考えていたのは、もう一人の俺、『ヒッキー君』のことだったのに。

 それを知って、それが分かって、彼女が絶望に打ちひしがれて泣いていたことも知って、それでも笑顔を向けてくれる彼女のことを、俺はやはり『欲しく』なっていたのだ。

 

 今ならばひょっとしたら……

 お礼を言われるほどのことを確かにした今の俺ならば或いは……

 告白して強く求めれば断らないのではないか……

 

「ゆ、由比ヶ浜……?」

 

「ん?」

 

 思わず呼び掛けてしまっていた。 

 考えなんて何もまとまっていなかったが、目の前にいる由比ヶ浜に、今なら俺は言うことを聞かせられるのではないか? 俺の物になってくれるのではないか? 大丈夫なのではないか?

 こいつはあの時、俺を『ヒッキー』と確かに呼んだんだ……

 で、あれば、こいつは俺をヒッキーと同等と見なしたということになるのではないか?

 だったら……

 

『俺がヒッキーになっても問題ないではないか』

 

 その文言がまるで福音の様に俺の頭脳を侵食し、そしてその欲望の成就こそが由比ヶ浜の最高の幸福なのだと……

 そんな考えが俺を満たしていた。

 

「由比ヶ浜……」

 

 もう一度、呼んだ。

 呼んでそして、俺をジッと見つめてくる由比ヶ浜を見つつ、俺は息を呑む。

 そして、震えが込みあがってくるのを確かに感じつつも、確信を持って俺は口を開いた。

 

「俺は、お前を……」

 

 その時の事だった。

 

 由比ヶ浜は俺に柔らかく微笑みかけたのだ。

 

 今までだって、何度も何度も彼女は俺に微笑んでくれた。その笑顔が欲しくて、手に入れたくて、その温かさ、優しさが欲しくて、俺は彼女を求めた。

 それが分かっていて、そしてそんな彼女が俺へとむけてくれたただ一つの笑顔。

 ヒッキーに成り代わってでも手に入れたいと思った彼女のその笑顔を見て、俺はその時決意した。

 

「俺は……俺が……必ずお前とヒッキーを再会させてやる。何が何でも、絶対にだ」

 

「え?」

 

 言い切って俺は全身の力が抜けてしまったような感覚を味わっていた。あんなにも欲しかったのに、多分本当に手に入れられたのだろうと思えたのに、俺は最後の最後で自分から由比ヶ浜を『諦めた』。

 いや、そんな言い方は烏滸がましいか。彼女は俺なんかのモノではないのだから。

 小さな声を一つ漏らした彼女が驚いたような顔で俺を見ている。

 そんな顔で見るんじゃねえよ、悲しくなるだろうが。

 由比ヶ浜は分かっていたんだ。

 俺が由比ヶ浜に本気で思いを寄せ始めているのだということを。だから、さっきあんな笑顔をした。

 もう……全てを諦めてしまったかのような……寂しげで儚い笑顔を……

 仕方がない、もうどうしようもない……そんな笑顔を……

 そんな顔をされて、そんな顔をしてまで無理に俺に合わせようとしてくれるその気持ちを理解していて、それで由比ヶ浜をNTR出来るほど、俺は人でなしじゃあないんだよ。

 まったく、俺も大概お人よしだよ。

 由比ヶ浜はヒッキーとの再会を諦め始めているのだ。

 会えない日々は、思い出を上書きし続ける。そして、ヒッキーがいないことの証明こそが俺という存在。

 俺がいる限りヒッキーは現れない。

 そんな予感が俺の中にだって確かにあるのだから。

 

「大丈夫だ、必ずお前に会わせてやるから」

 

「比企谷君……」

 

 自転車を押しながらもう一度そう言った。

 と、その時、目前に迫っていたバスの停留所にバスが丁度停まるところだった。

 由比ヶ浜はそれを見てたたたっと小走りに駆けていく。

 そして、バスに乗る前に俺へと振り向いた。

 

「本当にありがとう!!」

 

 大きな声で、そして満面の笑顔で……彼女は俺へと手を振った。

 

「ああ、確かに約束した」

 

 聞こえるわけがない小声でそう返しながら手を振った俺は、眩しいくらいの彼女の笑顔を見つめながら、ああ俺はやはり振られる側なのだなと、敗れさった片思いの胸の痛みを味わっていた。



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(23)由比ヶ浜と幸せにな、ヒッキー君

「ヒッキーをこの世界に呼び戻すぞ」

 

「…………」「え?」「何を言ってるんです? せんぱい?」

 

 俺は奉仕部で宣言した。

 由比ヶ浜、雪ノ下、そしてなぜか長机にだらしなく頬杖をつきつつ紅茶を飲んでいた一色にも伝え、というかお前は生徒会室に帰りなさいよ……まあいい、とにかく改めて宣言したことで本格的に俺はその方法を模索することとしたかった。

 

「言った通りだ。俺がこの世界の存在ではないことは説明不要だと思う。俺にはここで展開された様々な事象についての記憶がちがうのだからな。文化祭だとか由比ヶ浜のこととか」

 

 ただ黙る由比ヶ浜へと視線を一度向け、その苦笑を見てから雪ノ下と一色へと視線を移すと今度は雪ノ下。

 

「改めて聞くのだけれど、本当に異世界移動(トリップ)ということで合っているのかしら? 例えばあなたの記憶障害であったり、なんらかの催眠を受けているだとか、別の記憶を思い込まされているのだとか……」

 

「あー、そんな映画ありましたよねー! 自分が奥さんだと信じていた人がただの役者さんで、別の記憶を信じ込まされてただけだったとかいう、シュワちゃんのやつ」

 

 いったいどこのテッショウなシュワちゃんだか知らないが、それは確かに俺も感じていたことではあった。

 

「それは俺も考えたよ。俺自身がヒッキーで、だけど記憶を失って今の俺の記憶を上書されてて……とか、そっちの方が異世界から来たとかいうより、もっと科学的でリアルな気もしたしな。でも、それだってじゃあ誰が何の為にしたのかってことになるし、そもそもこの俺だってこの数年間の詳細な記憶を持っているんだ。少なくともその中に相模とかいう奴が実行委員長をして奉仕部で手伝った文化祭の記憶はないし、由比ヶ浜とは出会いもしなかった。俺はただずっと、雪ノ下と二人きりでこの奉仕部にいただけだ」

 

 そう言った途端に雪ノ下が真っ赤になったわけだが、お前がどんだけ甘いことを想像しているのかは分からないが、はっきり言ってまったく違うぞ。あの空間でのお前はまさに氷の魔王で、パッシブで凍てつく波動を出し続けていたんだからな。少しはその女の子らしい反応をあの雪ノ下に分けてやってくれよ。頼むから。

 

「まあ、そういうわけだから本気でヒッキーを探そうと思う。まだやり方はまったく見当がつかないけれども」

 

 こうして奉仕部全員でこの問題に向き合うこととなった。

 ここに居るメンバーはといえばいろいろありはしたが、基本最初に俺に異世界人説が浮上した時にも同席しているし、今となっては俺の意見を信じるというよりは、理解してくれていることは間違いなかった。

 嘘か誠かはあまり関係ないのだ。

 

『俺が異世界人であり、この世界にいた俺……ヒッキーとなぜか入れ替わってしまった』

 

 一応、俺の記憶の書き換えだとか、そんなことも含めてではあるのだが、これを命題として問題の解決に取り組むこととした。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 まずやったのは由比ヶ浜家での調査。

 俺異世界人説の言い出しっぺでもある由比ヶ浜がその根拠とした、例の月刊誌、『ム〇』。

 それを確認するために、由比ヶ浜家のパパの蔵書を確認させてもらうことにした。

 一色も含めた4人で訪問すると、めっちゃ由比ヶ浜に似ている若すぎる母親が俺達を猛歓迎。出るわ出るわジュースとおかしの雨あられ。それを出しつつ自分も話に参加しようとしてくる母親を由比ヶ浜は猛烈な勢いで追い出しにかかっていた。あの人絶対ドアの外とかで待機してる気がしていた。というか、トイレに立ったら、マジで廊下でニコニコニーなママさんと遭遇して本気で気まずかったし。

 パパさんの俺を見る目も超怖くて本気で居心地悪かったのだけれども。

 いずれにしてもだ、ここでの情報収集ではあまり良好な成果は得られなかった。

 何しろ相手はあの日本最高峰のオカルト雑誌。書いてある内容がぶっ飛びすぎていて理解が追い付かない上に、パパさんの蔵書量が創刊号から全て揃っているのではなかろうか? 的な膨大過ぎる多さに俺達は危うく精神を病むところだったのだ。

 一色とかちょっと本気で宇宙人の存在信じ始めてる節もあったしな。お前影響受けやすすぎだろう!!

 

 なんとか拾った異世界に関する記事をノートに書き写し、後は由比ヶ浜にパパさんの聞き取りをお願いしてその日は終了。愛娘とオカルト談義に花を咲かせるパパさん、無茶しすぎて嫌われないようにな、と勝手に心配しておいた。

 

 次にやったのは所謂『黒魔術』と呼ばれるものの調査。

 異世界転移とは少し違うが、ヨーロッパでは悪魔召喚、いわゆる『サバト』の儀式などが実際に行われていたし、日本でも『いたこ』など、外世界とのコンタクトをとる慣習もあった。このへんのことは雑誌『ム○』にも色々載っていたが、調べてみると大学などでも本格的に調査しているところもあって、某大学にて黒魔術についての膨大な資料を閲覧させて貰うこともできた。

 だが、結局は『民俗学』や『風俗学』などがメインの研究、六芒星、五芒星などの召喚魔方陣の記述があっても、本当に召喚出来るわけではない。

 ゲームやアニメの様に、ぽんぽんサーバントを召喚出来るわけではないのだ。

 

 ならばと、今度は相対性理論などの物理学の研究書も読んでみたが、はっきり言ってとてもじゃないが理解出来る代物ではなかった。仮説に仮説を重ねて、宇宙誕生からの時空の存在の証明とか、これで何かわかるならアインシュタインさんはとっくの昔にタイムマシンとか、どこでもドアを作っちゃってるって話だよな。

 

 とかなんとかしているうちに月日が経っていった。

 年末に一色の生徒会のクリスマスイベの手伝いをしたりだとか、年明けに雪ノ下の誕生日会を催すからと俺達全員がお屋敷へ呼ばれたりだとか、マラソン大会の時に優勝した葉山がみんなの前で、三浦に感謝の言葉を伝えて男子に総スカン食らったりだとか、本当に色々あったのだ。

 

 そして今日。

 俺達は再び一色の頼みの元に、生徒会主催のバレンタインイベントを手伝っている。

 全員で朝から色々準備して会場設営をしつつ、雪ノ下は共同で講師をすることになった陽乃さんと二人で今は一連のプログラムを打ち合わせ中。

 陽乃さんもあの事件以来かなり丸くなった印象がある。というより、これがこの人の素なのかもしれないな。

 もともとは雪ノ下を挑発するようなことを言って、それに戸惑う姿を見て楽しんでいる風だったのが、今では何を言っても平然と全て打ち返してくるようになった雪ノ下に逆にべたべたするようになった。すぐ笑顔で抱きついてるし。この人、本当に妹大好きだな。雪ノ下の奴真顔で嫌そうにしてる時あるからマジでそろそろやめた方が良いと思いますけどね。本気で嫌われますよ?

 一色と生徒会の連中も共同開催先でもある海浜総合高校の生徒会とあれやこれややりとりをしているのだが、連中本当に小難しいことを言っているばかりで何を言いたいのか分からないため、全部丸投げして俺と由比ヶ浜は近くのスーパーへと買い出しに来ていた。

 

「えーと……ザラメと黒糖と、あと、あの銀の丸いやつだって……なんだっけ?」

 

 手にしたメモ用紙を見ながら俺にそんなことを聞いて来る由比ヶ浜。

 そもそも料理をしないこの俺にそんなことを聞かれたってわかりはしない。しないのだが、なんとなくそれの存在は知っていた。以前小町がケーキを焼いたときに、そんな感じの銀のつぶつぶを載せていたから。

 

「あー、あれだろ? 『仁丹』みたいな奴だろ? 名前知らねえけど」

 

「へ? じんたん? ってなに?」

 

「仁丹ってあれだ? おじいちゃんとかが大好きな良く口に放り込んでるやつだよ」

 

「おじいちゃんとかになると好きになるの? そんなのケーキに載せるんだ?」

 

「載せねーよ、ちげーよ仁丹の話してんだよ。要はフリスクみたいなやつだよ」

 

「フリスク? フリスクは白いよ? 買うのは銀のだよ」

 

「知ってるよ! だから俺が話してるのは仁丹の話であってだな……」

 

 思わずそうツッコミまくって話しながらチラリと由比ヶ浜の顔を見れば、おかしそうにクスクスと笑っていやがった。

 こいつ、全部分かっててこう返してきてやがったな。まったく、俺の反応を見て楽しむとか本当にたちが悪い。

 だが、まあ、こんな風に二人で居て話すのは本当に楽しいとも思えてしまっていた。

 

 あれから俺達は何か月もヒッキー君を探し続けていた。

 色々調べて、魔法陣とか呪文とかいろいろ試してもいたんだ。

 放課後に部室で魔法陣描いて、生贄に何がいいのか分からないままに、尾頭付きとエビとメロンと昆布をおいて、『えろいむえっさいむ~~』とか、『素に銀と鉄。 礎に石と契約の大公。 祖には我が大師シュバイン~~』とか、『ドーマ・キサ・ラムーン~~』とか、本当にいろいろやってみたんだ、wiki片手に!

 だが、結果としては何もかも成功しなかった。

 

 過去に並行世界の移動についての論文を書いた『遠坂時臣』とかいう人に会いに行ったりだとか、ネットでオカルト情報サイト『アウターゾーン』の『ミザリィ』さんに相談してみたりだとか、異世界から来たっぽい『デ〇モン小暮』閣下に相談の手紙(ファンレター)を送ったりもしたが、結局は何も解決されなかった。

 

 必要な物を全部買い物かごにいれ、由比ヶ浜と二人で会計を済ませてそれを持って外に出た。

 俺が全部持つと言ったのだが、袋は全部で3つ。一つ持つとどうしても譲らない由比ヶ浜に俺は一番軽い奴を渡した。

 そして並んで歩く。

 

 外はかなり寒く今にも雪が降ってきそうなくらいな様子。

 肌を刺す寒さに震えつつ俺はマフラーに顔を埋めた。

 そしてちらりと由比ヶ浜を見てから言った。

 

「この前会った遠坂さんからメールがあった。バレンタインの日の前後でこの辺りの龍脈の『魔力』が高まりそうなんだと。だから、召喚するならバレンタイン前後が良いらしいって言ってたから、とりあえず自分の部屋に魔法陣を描いておいた」

 

「へー」

 

 由比ヶ浜の反応は素っ気ないものだが、別にこれは俺を小馬鹿にしたわけではない。

 この数か月、ありとあらゆる手段を試してきた俺たちにとって、この程度のオカルト話はもう日常の一部でしかないのだ。

 もう奉仕部じゃなくて、オカルト研究部とかに改名した方が良いのではなかろうか? 

 ヒッキーは無理でも、英霊くらいなら召喚出来ちゃうんじゃないかってくらいの知識は、すでに身につけてしまっているのだから。

 

「ちょうど、今夜あたりでもう一度召喚の儀式をやってみようと思う。お前も来れるか?」

 

「うん」

 

 由比ヶ浜はやっぱり素っ気ない。

 だが、これでいい。

 俺達はただ、たんたんと……

 そうたんたんと、ヒッキーを迎える準備をするだけでいいのだ。

 それがいつになるのかは分かりはしない。

 

 しないが……

 その日が、俺と……

 由比ヶ浜の別れの日になるのだろうことだけはきちんと理解していた。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「ありがとうございました。おかげで良いイベントになりましたよ。後は生徒会で片づけますので、先輩方は先に帰られてください。ではではー」

 

 笑顔の一色にそう言われ、俺と雪ノ下と由比ヶ浜の三人は大分早く会場を後にした。

 会自体の進行もスムーズだったこともあり、まだ陽も落ちてはいない。

 

「雪ノ下……ちょっと早いが、今日もう一度召喚の儀式をやってみようと思う。由比ヶ浜は来れるみたいだが、雪ノ下、お前はどうする? 俺の家なんだが……」

 

 そう聞いて見ると、彼女はすぐにどこかへと電話。話ぶりからすると母親のようだが、なにお前? 独り暮らしのくせにわざわざ許可とってるのか?

 そう思っていると、雪ノ下が察したように答えた。

 

「一応母の了解はとったわ。遅くなるとまた獣になった比企谷君に襲われかねないもの」

 

「人を犯罪者扱いするのマジやめてね」

 

 このやろう、母親に言うことで身の安全を確保しやがったな? まあ、何もするわけないんだが、俺紳士だし。

 雪ノ下はここ最近大分母親とも打ち解けてきている様子である。良く電話しているし、たまに帰りに二人で歩いているのを目撃することもあったから。

 色々あったが、これだけ良好な関係になれたことは本当に喜ばしいことなんだとは思うよ。

 だけど、雪ノ下母様の俺を見る目は超怖くて、俺からは話かけられる雰囲気はまったくないのだけども。

 

「じゃあ、いくぞ」

 

 俺たちは制服姿のままでうちへとむかう。

 そして、それが俺のこの世界での二人との最後の行動となった。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「ええと、じゃあ、呪文を唱えるぞ! 『古の盟約に従い我が血を贄として……』」

 

 俺の家の床上に描いた魔方陣に向かい、俺は試行錯誤の末に辿り着いた『悪魔召喚』の術を再び試した。

 五芒星を描くといっても、床に直接描いたわけではない。

 ホームセンターでベニヤ板を買ってきて、それにチョークで描きあげたのだ。ただ、これがまたなかなか難しい。

 かなり大きめの円を描くのだが、魔方陣というものは書き方に色々と制約があるらしく、描いていく順序や、その精密さが要求されるとのこと。

 それは西洋の黒魔術だけでなく、仏教にある曼荼羅図や、仏像などにも共通する考え方で、順序ひとつでまったく別の意味に変わる場合もあるのだという。

 そしてここでいう意味とは、もちろん異世界の俺を召喚するということに他ならず、ただの幾何学模様のようなこの魔方陣はそれを為すための、サインコサインタンジェントのような所謂『公式』なのだ。

 

 俺は今回かなりそれを調べてここにそれを描ききった。召喚に詳しい人とも話すことができたことも、描けた大きな理由ではあるのだけれども。

 とりあえず今日は魔力が高まる日であるらしい。

 だからこうして始めたわけなんだけども。

 

 だが……

 

 俺はもう半ば諦めかけていた。

 ここまで調べに調べ、やれることをやりつくした感さえあるが、実際に異世界召喚が可能かどうかの確かな解答を得られてはいなかったから。

 唯一、この俺自身がそれを為した証拠ともなるわけだが、当の俺にその方法はまったく分かっていないわけだし。

 しかもやっているのはこの中二臭漂う怪しげな儀式。ほぼオカルト関連からの知識で構築したこの『魔術』を、MPも何もないこの俺がやろうとしているのだ。

 普通であれば頭がおかしいとしか思えないこの状況にあって、でも、雪ノ下も由比ヶ浜も一生懸命に俺と同じような知識の収集に励んでここにいる。

 

 どうせできはしない、ばかばかしい。

 

 心の中でそのような思いが沸き上がり続ける中、由比ヶ浜の寂しげな顔が過ることでいつも自分自身を奮いたたせていた。

 意味はないのかもしれない。

 それでも、俺はどうしても諦め切れなかった。

 例え何年かかろうとも、例え俺の人生がつきようとも、それでもこれだけは為したい。

 諦め半分の俺の心が、どうしても貫徹するんだという俺の意思に抗えないでいたのだから。

 

 その時だった……

 

「え?」「あ」「あぁ……!?」

 

 三人で同時に思わず声をあげてしまった。

 なぜなら……

 

 ベニヤ板の上に俺が描いたチョークの魔方陣が仄かに輝きだしたのだから。

 チョークに蓄光塗料でも混ざっていたのか? はじめはそんなことを考えてしまった。

 だが、そんな訳はないし、なにしろ今は暗闇でもない上に、光輝くその色はまさに七色……

 淡くグリーンに光る蓄光塗料の類いではなく、それは言うなればレンズに反射した太陽光のそれであったのだから。

 その光が一気に輝きを増した。

 周囲はただ白く白く……真っ白に染め上げられ、俺の室内全部がまるで真っ白なペンキで塗り立てられたかのように変貌していた。

 

 そしてそいつらが現れた。

 

「な、なんだぁ? ふぇ、フェルズ! てめえいったいなにをやらかしやがった?」

 

「わ、私はなにも……というか、八幡くん! その言い種だとまるで私がいつもヘマをやらかしているように聞こえるではないか!?」

 

「はあ? 聞こえるもなにもその通りだろうが! てめえのせいで一度多重世界ごとオラリオが消滅しかけたんだぞ? わかってんのかてめえは!」

 

「あれは私のせいではないぞ! まだ制御できていないから転移魔法は無理だと言ったのに、君がやれとめいれいしたんではないか!?」

 

「いきなり人のせいにしてんじゃねえよ、この骨! 俺だってもう散々ルビス様に怒られてんだよ。 だからてめえはさっさと入れ替わっちまった俺の世界の特定を急いでだな……ん?」

 

 なにやらいきなり現れた二人が、俺たちの目の前で取っ組み合いを始めそうな感じであったのだが、俺はそのうちの一人を見て猛烈に驚いた。

 片方は長い青い髪に、胸元から肩まで大きく開いた白い装束の綺麗な女性で、頭に青い石の嵌まった金のサークレットをつけている。

 そしてもう片方の人物。

 武者や騎士の鎧のような真っ黒い薄い衣装に身を包んで、背中に幅広の大きな剣を据え付けた男性……だが、もっとも驚いたのはその顔だった。

 なにしろそこにいたのは……

 

「ヒッキー……?」

 

「あ? お、おお…… 由比ヶ浜……か?」

 

 俺の隣で由比ヶ浜が目を大きく見開いてそう呼び掛けた。すると、その男はあっさりとそれを肯定してそして由比ヶ浜を呼び掛けたのだ。

 そこにいたのは……

 紛れもなく『俺』だった。 

 召喚は成功した。

 

「ヒッキー……! あ、会いたかった!」

 

 言ってその真っ黒なヒッキーに駆け寄ろうとする由比ヶ浜。だが、その黒い俺が慌てた様子で手と首を振りながら後ずさった。

 

「ま、待て待て待て! おお俺は、お前の世界のヒッキーじゃない! っていうか、ここはいったいどこなんだ? 俺を見てヒッキーなんて呼ぶってことは、お前ら俺たちが異世界の存在だってわかってるってことか?」

 

「え……」

 

 言われて足を止めた由比ヶ浜。俺と雪ノ下は急いで彼女の肩を抱いて自分達の方へと引き戻した。

 そして俺が代表して話した。

 

「俺はどうも違う世界からこの世界に来たらしい。だから、もともとこの世界にいた俺、ヒッキーを呼び戻そうとしていたんだ」

 

 そういうと、目の前の俺と青い神の美人が不思議そうに顔を見合わせて呟いていた。

 

「あなたたちが私たちを呼んだのですか? はて? 八幡くんたちの世界に魔法はないと聞いたはずだが?」

 

「まあ、普通は使えないってだけで、実際に使えるやつはいたのかもしれないが、少なくとも俺はもともとつかえなかったが……?」

 

 首を捻る二人はどうやら異世界の俺らしいことだけはわかる。だが、どうしてここに現れたか良く分かっていないらしい。

 

「なら、俺が説明してやるよ」

 

 俺は二人を手招きして一連のことを話した。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「なるほどなるほど、これが完成された『異次元転移召喚紋』。まさか異世界の八幡くんがこれを完成させるとは、本当に驚きだ」

 

 青い髪の彼女は床のベニヤ板の魔方陣をしげしげと眺めつつ感嘆の声を漏らしている。

 というか、この二人。

 どう考えてもコミケにでもいそうなただのコスプレイヤーにしか見えないのだが、俺とまったく同じかおの奴がいるということの異常さよ。

 いや、存在自体も俺とイコールということになるのか。ややこしい。

 辺りはもう光が収まり、普通に全員俺の部屋の床の上。とりあえずオレンジジュースとお菓子を持ってきて、それを飲み食いしながら話したわけだが、青い髪のフェルズちゃん?が目を輝かせて煎餅を貪る姿はなんというか、非常に残念だった。

 めっちゃ美人なのに……はあ。

 

「つまり、お前らはそのヒッキー君をここに呼び出そうとして、誤って俺たちを召喚した。そういうわけかよ」

 

「ああ、そうだよ。一応ここに描いた魔方陣はかなり完成度は高いと俺は思ってるし、きちんと『龍脈』から魔力も供給させているしな。だけど、まさか召喚対象の俺が、ヒッキー君の他にもいやがるとは思ってもみなかったんだよ」

 

 そういうと、目の前の黒い俺は頭をがしがしと掻いてため息をついた。

 

「マジで驚いたよ。魔術師のフェルズが何度やってもだめだったのに、まさか異世界の俺が転移魔術を完成しちまったのか? おいフェルズ、お前何俺に負けてんだよ」

 

「ましゃしはましぇへはまぃお!!」

 

 何を言ってるのかまったく分からない青髪の美女。どうも黒い俺に文句を言っている様ではあるが?

 

「はあ? てめえ煎餅滅茶苦茶頬張ったまましゃべってんじゃねえよ! てめえはリスか?」

 

 ごっくんとオレンジジュースでそれを飲み干した彼女は、はあっと至福の笑みを浮かべたあとに再び黒い俺に向かって言った。

 

「私は負けてはいないと言ったのだ! そもそもこの魔法陣は外部からの魔力の供給なしには発動できない代物だ。であるから、私が改良して呪文として制御出来る様にすでに作りかえてあるのだよ」

 

 ふふんと鼻を鳴らすフェルズちゃんだが、それに向かって黒い俺。

 

「てめえ一人で何も出来なかったくせに、人の作ったもんカンニングしてさも自分の手柄みてえに言ってんじゃねえよ。なら、もう大丈夫だな? 二度と失敗すんじゃねえぞ?」

 

「当然だ。この私が何度も間違えるわけがないではないか。では行こうか。あ、先ほど頂いた固いお菓子、非常に美味でした。ありがとう、別世界の八幡君よ。さて……『万能なるマナよ……』」

 

 立ち上がったフェルズちゃんが唐突に呪文の詠唱に移った。そしてそのまま杖を振り上げると、その場にいた黒い俺が俺へと言った。

 

「さあて、じゃあ行こうか」

 

「行こうって……どこへだよ」

 

 俺が慌ててそ尋ねれば、奴はさも当たり前だと言った感じで答えた。

 

「お前をもとの世界に連れて行ってやる。そもそもそのためにこの魔法陣をお前は作ったんだろ?」

 

 言われて俺は自分の描いた魔法陣を見た。見てそして、脇にいた雪ノ下と由比ヶ浜へと向けた。

 二人ともが、明らかに動揺した表情をしていた。

 それは多分、俺も同じだったのだろうとは思う。

 だから思わず咄嗟に言ってしまった。

 

「わ、悪い。もう少しだけ時間をくれよ……もう少しだけでいいから」

 

 俺は黒い俺を見ずにそれだけを言った。

 すると……

 

「まあ、分かった。とりあえず先に、お前の世界に行った俺を連れてくるから、それまで待っててくれよ。じゃあ、また後で」

 

 それを言った直後、再び室内が真っ白に染まるほどの光に包まれる。

 そしてそれが収まると同時に、先ほどまでいたあの二人の姿が完全に消滅してしまっていた。

 俺はそれを見てから言った。

 

「ははは……成功しちまった。成功しちまったよ」

 

「…………」「…………」

 

 二人は何も言わなかった。ただ、俺の背後にそっと寄り添うように二つの手が置かれたのだ。

 俺はそれを感じ、猛烈に淋しさが込みあがってきていた。

 突然過ぎた。

 意識していたことではあったのだ。

 俺が帰るときは突然なのだろうと、そんな予感もあった。

 だが、やはり突然過ぎた。

 俺はただ、自分の世界に帰るだけ。

 そして、この世界にヒッキー君が帰ってくる……ただそれだけのことなんだと理解もしていた。

 でも……

 やっぱり、俺は、淋しくて悲しかった。

 

「比企谷……君」

 

 由比ヶ浜が俺を呼んだ。その声は震えていて、そして掠れている感じだった。彼女がどんな顔をしているのか想像できてしまって、だから俺は彼女を見ずに言った。

 

「良かったじゃねえか、ヒッキーが帰ってくるんだ。お前の願いがかなったんだぞ」

 

「うん」

 

「……それに、俺だって帰れる。俺はそれが単純に嬉しいんだよ」

 

「うん」

 

「……それと、いろいろあったけど、これで俺が嘘つきじゃないことも証明できたしな! 良いことづくめだ」

 

「…………」

 

 それには由比ヶ浜は答えなかった。

 答えずに彼女は俺の背中に抱き着いた。

 そして言った。

 

「いやだよ……」

 

「え?」

 

 ぽそりとつぶやいたその声は、そのままに嗚咽となって俺の部屋に響いた。

 

「嫌だよこんなお別れ。あたし……あたしまだきちんと……比企谷君にお礼できてない……まだ、きちんとさよならも出来てないよ……いやだぁ」

 

 俺をぎゅうっと抱きしめたまま泣き出してしまった由比ヶ浜の言葉の数々に、俺も涙が止まらなかった。

 だが、ここでただ泣いているだけで立ち去るなんて、それこそ気持ちが悪い。だから、俺は努めて平静を装った。

 

「いいんだよこれで。俺はせいせいしてるんだ。これでようやく煩い女どもから解放されるってな」

 

「…………」

 

 その言葉にびくりと由比ヶ浜が反応したことが分かったが、俺が構わずに続けた。

 

「俺はな由比ヶ浜。初めてお前にあった時から、なんてちょろい女だろうってずっと値踏みしてたんだよ。そうしたら修学旅行の時に軽く告白しただけでコロッとそれを受けやがって……俺はな、女ならだれでも良かったんだ。お前でも、雪ノ下でも、だれでもな」

 

 そう、それは間違いない事実だ。

 俺は俺を好きでいてくれる奴ならだれでも良かったんだ。だからこれは嘘ではない。嘘ではないが……

 心が痛かった。

 

「だから……もういいんだよ。これでせいせいした。お前らから離れられて、ようやく俺も普通の恋愛が出来るってもんなんだから。あーあ、次はだれに声を掛けようかな? そうだな、それこそ雪ノ下にでも声をかけてみようかな? あっちの世界の雪ノ下なら案外コロッと俺を好きになるかもしれないしな。あはははは……」

 

「比企谷君」

 

「はい」

 

 つらつら話ていた俺にさっきよりも強く抱き着いていた由比ヶ浜が言った。はっきりと、優しく、そして穏やかに。

 

「大好き」

 

「…………」

 

 もう何も言えなかった。

 俺は願っていたんだ。誰かに俺を本気で大事に思って欲しいと、そうなりたい、そういう関係を築きたい……と。そして由比ヶ浜に出会った。

 俺にとって彼女のやさしさ、ぬくもりはまさにそれだったんだ。

 一緒に居て、話して、過ごして、そして確かに俺はそれを手にいれていたんだ。

 言葉にしなくてもわかるそんな関係。だが、言葉にしなければ届かないそんな思いを、俺はすでに手にしていたんだ。

 でも、それもここで終わりだ。

 この数か月、俺はずっと偽物だった。偽物のままで由比ヶ浜に接し続けた。そうしなければ彼女にさよならを言えないと思っていたから。

 何よりも彼女を失うことが怖かったから。それなのに……

 俺の心が震えていた。震えてそしてやはり言わなくてもいい言葉を俺に言わせたのだ。

 

「由比ヶ浜……お前……酷いよ」

 

「それでも……大好きだよ」

 

 もう一度彼女は言った。

 彼女の声はもう掠れていて殆ど聞こえなかった。

 きっとこれが彼女の精いっぱいのお礼なのだろうな。

 本心を晒すことこそが、真実を大事にする彼女の一番の気持ち。

 だからこそ、俺は俺の言葉を彼女へと伝えるのだ。

 彼女が大事だからこそ。

 

「ヒッキー君と、仲良くな」

 

「……………」

 

 嗚咽する彼女の声が大きくなったその時だった。

 目の前が再び真っ白な光で閉ざされた。そのあまりの眩しさの中から現れたのは三つの人影。

 そのうちの二人はさっきまでここにいたコスプレイヤーみたいな二人組。そしてもう一人は……

 

 俺はしがみつく由比ヶ浜の腕にそっと手を当てて、ぽんぽんと叩いた。

 だが、彼女はしがみつくのを止めなかった。だから、

 

「雪ノ下、由比ヶ浜を頼んだよ」

 

「ええ……わかったわ」

 

 雪ノ下が由比ヶ浜に何かを囁いて、そっと俺の身体から放した。それを確認してから俺は正面を向き直った。

 すると、黒い俺が口を開いた。

 

「またせたな。じゃあ、次はお前の番だよ」

 

「ああ」

 

 そう言われ、俺は即答して彼らの元へと歩んだ。

 そして、この世界へ帰ってきたのであろう俺と目が合った。

 俺だった。

 俺と同じ顔をしていた。

 いや、それだけじゃあない。涙と鼻水を垂らして、本当に汚い顔になっていやがった。あはは、これは見せなくて良かったよ、由比ヶ浜達に。あーあ、かっこわりい。

 俺は一度頭を掻いてからそのやってきたヒッキー君へと声を掛けた。

 

「由比ヶ浜と幸せにな、ヒッキー君」

 

 その言葉に目を丸くした彼は、真剣な目つきになって俺の肩に手を置いたのだ。

 

「頼みがある。雪ノ下をどうか幸せにしてやってくれ」

 

「は? え?」

 

 今度は俺の方がそれに驚いた。

 こいつが言う雪ノ下といえば、当然あの雪ノ下だろう。

 こっちの世界の雪ノ下ではない、あの凍てつく魔王。

 だが、こいつのこの瞳で全てを理解した。きっとあっちでもいろいろ大変だったんだろうなと。

 

「ああ、分かったよ」

 

 そして俺は手を差し出した。

 相手は俺だ。俺が俺に手を差し出して握手をもとめるというこのシュールな絵面。だが、相手は俺であって俺ではないのだ。

 だって、お互いがお互い、本気で相手に自分の大切なものを預けようとしているのだから。

 それをその俺も理解してくれたのだろう、俺たちは固く固く握手を交わした。

 

「さあ、時間だ」

 

 黒い俺がそう言うと再びフェルズちゃんが呪文を詠唱。

 また光があふれだした。

 俺はその時ちらりと由比ヶ浜達を見た。見てそして後悔した。そこでは嬉しそうに微笑んで帰ってきたヒッキー君を見つめる由比ヶ浜の顔があったから。

 あーあ、見なきゃ良かったよ。

 

 だけど……

 

 見といて良かったな。

 

「じゃあな」

 

 俺は小さくそう呟いて、この世界から完全に消え去った。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「そう、そんなことがあったのね」

 

「ああ……お前も大変だったみてえだけどな」

 

「ええ……でも、彼が……比企谷君が助けてくれたから」

 

「はあぁ、マジであいつイケメン過ぎだな。いったいどうしたら俺と同スペックでお前をこんなに変えられんだよ? 意味わからん」

 

「ふふふ……あなたも良い線いっているわよ? 目が腐っているあたりなんてそっくりだもの。もう少しかっこよくて素敵だったらよかったのだけど」

 

「お前、それ完全に今の俺の個性否定しちゃってるからね。まあ、別にいいけど」

 

 部室で雪ノ下と対面して、俺はあの世界で起きた様々なことを話した。そして雪ノ下からも聞いたのだ。

 こっちの世界であいつも相当頑張った。

 だが、はっきり言って頑張り過ぎだ。

 何しろ、全校生徒の前で殺人未遂的なことをやらかしやがったらしいしな!

 転移前には向こうの世界で文化祭実行委員長を詰りまくってやがるし、いったいどれだけ自爆テロマニアなんだよ!? 俺だって雪ノ下母にやらかしたし人のことは言えないが、もうため息しか出ねえよ。

 

「はあ、俺もうこの学校に通える自信ねえんだけど」

 

「ふふふ」

 

 そんな俺に雪ノ下がおかしそうに笑った。

 

「私だけはいつでもあなたのそばに居てあげられるわよ」

 

「は? 何か言ったか?」

 

「いいえ、何も」

 

 針の筵決定とはいえ、雪ノ下がここまで穏やかになっていたのには本当に驚いた。とにかくなるようにしかならないだろうさ。

 

「仕方ねえから諦めて、部活を頑張りますかね」

 

「仕方ないから一緒にいてあげるわ。お帰りなさい、比企谷君」

 

「ああ、ただいまだ」

 

 変わってしまった雪ノ下を眺めつつ、俺はこれもそんなに悪くないなと思っていた。

 いつの日か……また俺は誰かを好きになるのだろうか?

 俺の心を満たしてくれたあの優しい気持ち。

 俺は本当に嬉しかったんだよ。

 

 あの世界に生きた数か月の経験。俺は一緒に居て大切なものを手に入れられたんだよ。

 一生忘れない。お前といた日々を…… 

 

 本当にありがとうな……

 由比ヶ浜……

 

 結衣。

 

 




『ユキ・トキ』の裏話ですので、当然あのキャラたちも出てきました。


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【リミ・ライ】
(1)オレガイル


ある有名な映画とのクロスオーバーです。


「こんな風に考えたことはないかしら? 今の自分はただ夢を見ているだけ。目の前に起きている全ての事象は夢の中の出来事で、実際の自分は深く深く……眠っているだけ。本当は誰とも出会っていないし、何も起きていないし、何も得ていない」

 

「何が言いたい」

 

「ふふふ……私とあなたとの出会いはただの幻。本当は出会ってもいないし、あなたは実在しない架空の人物」

 

「いや、これは夢でもなんでもない現実だ。お前と二人で積み上げてきた全ての記憶は正しく、そしてそれによって俺たちは一緒にいる。それの何がおかしい?」

 

「そうね……その通りよね……でも何か……大事な何かを私はどこかに置き去りにしてしまった……そんな感覚に囚われるの……そう、まるで今の自分が偽りで、本当の姿を忘れてしまってでもいるかのような」

 

「考えすぎだ。お前はお前。昔から何も変わっていない。強い決意と信念と、そして努力の先に新しい自分を見つけようと必死にもがく存在がお前だ。そうしてお前は今までだって数々の『依頼』をこなしてここまで来たんじゃないか。文化祭だって、クリスマスイベだって、お前の努力があったからこそ成功した。俺はそれを見てきていたし、お前もそれを理解している」

 

「分かっているわ。でも……何か……大切な何かが欠落してしまったような……そんな気がするの……私は本当に『一人』でそんな色々なことを成し遂げたのかしら? 実際にそんなことが可能なのかしら? 私には……」

 

「おい、雪ノ下」

 

「なに? 比企谷君」

 

 やっと『包帯』の取れたその額に手を当てて、彼女……『雪ノ下雪乃』は俺へと困惑の籠ったままの瞳を向けてきた。その怯えた瞳からは一条の涙が流れていた。本人は果たしてそれに気が付いているのだろうか。ただ茫漠としたままの彼女の身体は、記憶からは消えてしまった存在のことをきっと覚えているのだろう、彼女の身体はそれを涙で表現したのだ。

 俺はそんな雪ノ下の手を握り、そして言った。

 

「大丈夫だ、俺が居る」

 

「…………」

 

 それに彼女は何も答えない。ただ涙を流したままで亡羊とした様で中空を仰ぎ見ていた。

 俺は雪ノ下に、具合がまだ良くないのだからもう少し休むようにと促した。彼女はそれに薄く微笑んで頷いて、でも俺の手をぎゅっと強く握って放さなかった。

 だから俺は、彼女が完全に眠りにつくまで、その場に留まった。

 彼女が入院している病室に……

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 あの日……

 あの水族園に訪れたあの日、俺は()()と別れたことを心底後悔した。

 あの夜、暫くの間公園で話し込んでしまった後で、一緒に帰ると言った二人とその場で別れ帰途に着いた。

 だが、その直後、あの事故が起きたのだ。

 

 並んで歩道を歩いていた二人……その彼女達に向かって大きなタンクローリーが飛び込んできた。

 それを目撃した人は多かった。

 信号を無視し、彼女達のいる歩道に乗り上げつつ高速で迫るタンクローリー……その衝突の直前頭にお団子を結った少女が、車道側を歩いていた黒い長髪の少女を押し飛ばしたそうだ。

 それは一瞬の出来事……

 押し飛ばされた少女はそのまま猛スピードのタンクローリーの風圧で押し上げられ宙へと舞い上がりそのまま路上に投げ出され頭を強く打った。

 そして押し飛ばしたお団子の少女は……

 破壊的な勢いの大型車はそのまま道路わきのビル一階の既に閉店していた宝飾品店に、めり込むように突入し大破……そして、命からがらに運転手が逃げ出した直後に炎上、牽引していたタンクに引火し大爆発、辺りは火の海に包まれた。

 事故後、必死の消火活動の後、生存者の捜索が行われたが、結果として誰一人の遺体も見つけることはできなかった。

 そして報道された内容……それは……

 

『軽傷20、死亡0、行方不明1』

 

 ……『行方不明1』

 

「本日午後8時頃、千葉県検見川浜の路上にてガソリン移送中のタンクローリーが歩道に乗り上げ、少なくとも女性一人を巻き込み道路わきのビルのテナントにめり込むように衝突し爆発炎上する事故が発生しました。この事故により多数のけが人と、衝突に巻き込まれたとみられる女性一人の行方が分からなくなっています。行方が分からなくなっているのは千葉県○○市に住む学生、由比ヶ浜結衣さん(17)と見られ、警察と消防は目下全力を上げて行方を捜索しています……』

 



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(2)マシン

   ×   ×   ×

 

 

 あの日から俺の人生は一変した。

 なぜこんなことになってしまったのか……

 俺は激しく絶望するとともに、同様に自分を責め立てた。

 あの時、俺が二人と一緒に居れば……

 あの時、もう少し早く二人を帰していれば……

 そう何度も自分を責め、どうしようもないと理解しつつ尚自分を責め続けた。

 それは、事故によって記憶の一部を失ってしまった雪ノ下の顔を見て拍車がかかることになる。

 あの事故の瞬間、彼女は突き飛ばす由比ヶ浜を最後の一瞬まで見つめ続けていたようだ。

 そして弾き飛ばされ落着し、頭部に激しいダメージを負ってしまった。

 近くにいた人が慌てて彼女を引きずり、爆発しようとしているタンクローリーから距離を取ろうした最中、彼女は狂ったように由比ヶ浜の名前を叫び続けていたらしい。

 そして、ビルの店舗に突っ込んだまま火だるまになる車の全容を見た瞬間、彼女はこの世の物とは思えない悲鳴を上げたのだそうだ。

 

 そして雪ノ下は壊れてしまった。

 

 病院に運ばれ治療を受けるも外傷はそれほどではなかったが、意識は一週間戻らなかった。そして漸く戻ったそこへ会いに行けば、俺のことは分かっても由比ヶ浜のことにはまったく触れることはなかった。

 初めは後悔や辛さから話題を避けているのかとも思ったが、警察などの聴取で由比ヶ浜のことを尋ねられても、首をかしげるばかりで全く思い出すことがなかった。

 そもそも、忘れているというよりも、知らないとでもいった具合か……

 医者曰く、あの事故の瞬間の激しいストレスによって、雪ノ下の深層心理が由比ヶ浜の存在を忘却させたのではないかと。

 由比ヶ浜が消えた今、そうなってしまった理由をもし彼女が自分の責任であると思ってしまえば、それだけで雪ノ下は命の危機にさらされてしまう。そう思えたからこそ、俺はああやって雪ノ下に話を合わせ、由比ヶ浜のことに触れないようにしたのだから。

 それが俺の心を蝕み続けていた。

 どうしてもやるせない、どうしても許せない。 

 どうしてこんなことが起きてしまったのかと、俺は狂いそうになるのを必死に堪え続けていたのだ。

 

 結果から言えば、由比ヶ浜はついに見つからなかった。

 

 警察や消防の見解では、事故現場捜索の結果、誰の遺体も見つけることは出来なかったとのことだった。

 しかし、ガソリンの他に、化学燃料の燃焼も見られたことから、超高温によってすべてが灰になってしまったのではないか……

 そんな話もちらほら出てきてしまっていたのだ。

 

 俺は……

 

 もう限界だった。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 あれから俺は千葉を離れた。

 俺は辛かったのだ。

 雪ノ下の顔を見れば、必ず笑顔の由比ヶ浜の顔を思い出してしまうし、何をしていても全ては自分の後悔に繋がる。そんな自分を見るのも嫌だった。

 

 そして月日が流れ、34歳になっていた。

 

 俺はあれから必死にもがいた。

 どうしたらこの苦しみから逃れることが出来るのかと。どうしたら俺は前を向くことが出来るのかと。

 そして俺はついにこのマシンを完成させた。

 

『DMC-12 デロリアン』

 

 かつて映画で観たあの乗り物だ。俺はそれを完全再現すべく、ありとあらゆる物理学の書物を漁りまくった。そして一つの結論に達した。 

『未来・現在・過去』という一連のタイムサーキットは、あくまで不可逆的なものであり、それを飛び越えることは既存の物理学の枠を超えている……と。 

 で、あるならばその物理学の枠を超えたエネルギーを用いたとしたらどうなるのか……?

 映画では、『1.21ジゴワット(ギガワット)』という莫大な電力によってそれを可能としていたわけだが、まさに核分裂による爆発にも匹敵するそのエネルギーを、ごく限定的な空間のみに作用させたとしたら……それが出来るとしたら……

 そう、だから俺は作ったのだ。このデロリアンを。

 タイムチャンバー内で発生させた核エネルギーをタイムサーキットへ一気に流し、この車体全体で時空を飛び越える。

 

 そして俺はあの事故の前に戻るのだ。

 戻り、そして彼女を救えるのならそれでもいい。だが、それが出来なかったとしても、もう一度だけでいい、俺は彼女に……由比ヶ浜に会いたかった。

 幻の様に俺の前から消えてしまった彼女……俺は……

 

 彼女との『約束』をまだ果たせていなかったのだから……

 

「待たせたわね」

 

「いや……」

 

 ここは九十九里浜のとあるパーキングエリア。

 俺は約10年ぶりに故郷である千葉の地を踏んでいた。

 そしてそこに現れたのは、黒い髪を潮風になびかせた美人……歳は俺と同じはずなのに、まったく老けた様子の無いその顔に思わず苦笑した。

 

「元気そうで良かったよ、雪ノ下」

 

「あなたもね……ついに完成したのね」

 

「ああ、やっとだ」

 

 雪ノ下と二人で俺の作り上げたデロリアンを見る。外観は正に映画そのものだが、細部が色々と違う。

 トランク内に収納したタイムサーキットには超小型の核エンジンを搭載出来たために、当初の2シーターから4シーターへと室内を広く拡張することが出来た。本来はガソリンエンジンのみであったが、各エンジンからも電力を供給させることで、モーターを回転しての走行も可能とした。

 つまりこの車は、ガソリンと核のまさに夢のハイブリットカーなのである。

 

「ではこれを」

 

 そう言って雪ノ下は手にしていたアタッシュケースをボンネットに乗せ、それを開いた。 

 そこにあるのは当然これ。

 

『プルトニウム』

 

「ブラックマーケットから漸く購入することが出来たわ」

 

「本当に済まない」

 

「いいのよ……多分、『本当の私』はそうしたかったのだと思うから」

 

 雪ノ下はまだ記憶が戻ってはいない。多分一生戻ることはないだろうとも医者に言われていた。それだけ彼女の傷は深かったのだ。

 俺は彼女に感謝を述べると、すぐさま燃料棒を核融合炉へと装填した。

 たちまちに過熱を始め、タービンが始動しはじめる。その出力を確認した俺はガルウィングのドアを開きそこに乗り込みつつ彼女へと言った。

 

「じゃあ、言ってくるよ」

 

「ええ……彼女に宜しく……」

 

 ふと寂しそうに微笑んだ雪ノ下。俺はそんな彼女に手を上げてから、タイムサーキットの時間座標を指定した。

 行くのはあの事故の直前、俺と雪ノ下、由比ヶ浜が別れたあの時間だ。

 そして俺はあの事故の前に必ず彼女に会ってみせる。

 だが……

 もし仮に由比ヶ浜が助かったとしてこの世界の歴史が変わったら……

 この今の世界はどうなってしまうのだろうか……

 ここにいる雪ノ下は……

  

 それはもう何度も考えたことでもあったのだ。

 だから多分、これでお別れなんだ。

 俺はそう思いつつドアを閉め、静かにアクセルを踏み込んだ。

 凄まじい勢いでモーターが回転しタイムサーキットの磁場が一気に形成されていくのを感じた。

 よし、いよいよスタートだ。

 このまま波乗り道路に出て、そのまま一気に142km/hに到達すれば俺はついに……

 

 その時だった。

 

「きゃあっ!!」

 

「へ?」「え?」

 

 クラッチを繋げないままにもう一度空ぶかしをした瞬間、背後のタイムサーキットが眩しく輝いたかと思うと、なんと目の前の空間に光の『穴』が!!

 そして、そこから一人の女の子が飛び出してきた。

 

「あいた……いてててて……あ、あれ? ここは……?」

 

 そう言いつつ、辺りをきょろきょろと見回す彼女の頭には『お団子』が。

 俺は車から思わず降りその場で立ち尽くす。雪ノ下もやはり同様にその場に立ち尽くしていたのだが、そんな俺達を認めたそのお団子の彼女が、ぱあっと明るく微笑みつつ俺達へと近づき、そして……

 

「ヒッ……キー……? あれ? 老けちゃった?」

 

 と、小首を傾げて呟いた。

 

 

   ×   ×   ×

 



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(3)由比ヶ浜結衣は今を聞く

×   ×   ×

 

 

「ゆ、由比ヶ浜……さん……? ゆ……う……うぅ……」

 

「ん? なぁに? ゆきのん? え?」

 

 突然胸に手を当てた雪ノ下が、由比ヶ浜の名前を口にした。そしてツツーっとその頬に涙の筋を走らせた。

 辺りはまだ暗く、そんな雪ノ下の状況を確認できなかったのだろうか、由比ヶ浜は不思議そうに雪ノ下を見つめ疑問の言葉を漏らしていた。

 

「雪ノ下……お前ひょっとして、思い出して……」

 

 思わずそう呟いた俺の脇で、雪ノ下はこくりと頷いた。頷いてそして泣きながら由比ヶ浜へと抱き着いた。

 驚愕する由比ヶ浜だが、雪ノ下はそんなことはおかまいなしにぎゅうぎゅうと抱きしめていた。

 そして泣きながら彼女は言った。繰り返し繰り返し、何度も何度も……

 

「ごめんなさい……本当にごめんなさい……うう……うあぁん……」

 

「え? え? なんで? ど、どうしてゆきのんが泣いてるの? ホントになんで?」

 

「由比ヶ浜お前……、全然わかってないのかよ……」

 

「へ? だからなにが? どうしたの……え? ええ!? う、海だ! 海!! あれ……? そういえばなんで私、海に?」

 

 薄っすらと白み始めた空のおかげで、足元の砂浜のその黒っぽい地面がはっきりと見えて来ていた。そして穏やかであっても激しい九十九里の波の音が響き続けていた。

 それに視線を向けた由比ヶ浜は、抱き着いている雪ノ下と海とを交互に見て、本当に困惑した顔になった。

 

「由比ヶ浜……此処がどこかは置いておくとして、俺と雪ノ下を見て、何か思うことはないか?」

 

 そう尋ねてみれば、彼女は色々考えを巡らせてでもいるのか、俺達を注視してそして『あー』と大きな声で叫んだ。

 

「ゆ、ゆ、ゆきのんの胸がおっきくなってる!!」

 

「は?」「へ?」

 

 あまりに唐突なそんな返答に雪ノ下も思わず身体を仰け反らせ、俺は俺で予想外の反応に目を見開いてしまった。こいつはいったいなんでいきなりこんなことを……と思っている目の前で、抱きあっている二人の胸の辺りを見て見れば、なんというか柔らかそうな二人のそれがふよふよと押しつぶしあって変形しまくっていた。

 

「ゆきのんまさか整形……」

 

「し、してないわ!! ほ、本当にしてないから!!」

 

 愕然となった由比ヶ浜がそんなことを言っているのだが、言われてみれば確かに雪ノ下の胸はかなり豊かになった様子……こいつ昔は確かに寂しい小丘だった気がする、自他ともに認める。いつの間にあんなに立派に成長したのやら……お父さん本当に嬉しい!! じゃなくて、初めて認識しちゃったじゃねえか、そのこと。まったく今まで気にならなかったのに、これじゃあ意識しちゃうじゃねえかよ、なんてことしてくれたんだ。

 ま、まあ、確かにあの爆乳姉の血をひいているのだから、こんな展開もあるかもとは思っていたけれども……ドキドキ。

 

 コホンと咳払いをしてから、俺は気を取り直して由比ヶ浜へと言った。

 

「あ、あのなぁ、そういう細々したところじゃなくてだな、他に色々思うところはあるだろうが。俺が老けたこととか、なんでこの6月にお前はそんな真冬の最中みたいな厚着でいるのかとか、雪ノ下の雰囲気とかさ。どうだ?」

 

「あ、え? え?」

 

 彼女は改めて思案を巡らせた。そして色々と悩んだ末にポロっとこぼしたそれは。

 

「あ……タンクローリー……、あ、あたし達タンクローリーに撥ねられそうになってそれで……」

 

 目を見開いてそう話し始めた内容を聞いて俺は確信に至る。

 そう、彼女は巻き込まれてしまったのだ。この『超常現象』に。

 

「これで確定したな。この由比ヶ浜は間違いなくあの事故の時の由比ヶ浜だ。何が起きてこうなったのかは予測するしかないことではあるが、事実としてこいつは、『あの事故の瞬間からこの14年後に跳んだ』、所謂、『時空跳躍』を為したってことになるわけだ」

 

「??? ん?」

 

「時空跳躍……って、それはまさに比企谷君が研究していたことじゃない。確か時間と空間の壁を飛び越えるには、そこに連続して存在し続ける質量の壁を突き破ることが必要で、それを行う為に核エネルギークラスの莫大な電力が必要であると……」

 

「んん?」

 

「その通りだ。だから俺はデロリアンを作った。こいつの本当の存在意味は内部の人間をその『時間の質量』から守るための言わば鎧としての機能なんだよ。もしその鎧なしに時空の壁に突入すれば、人間なんて一瞬でぺっちゃんこだ」

 

「んんんんんんん??????」

 

「そうよね……ではなぜ由比ヶ浜さんはここに存在しているのかしら? あの時少なくともあそこに時間移動機は存在していなかった。であれば生身で突入したことになるわけで……いえ、そもそも、時間の壁を破るような力も作用していたようなことはなかったはずだわ」

 

「お前、そんな具体的なところまで思い出せたのか……まあ、それに関しては確かに俺も少し思うところはあるんだが、由比ヶ浜は時空跳躍ではなく、『時間の狭間』に落ちてしまっていたのではなかろうか? あの時のタンク内のガソリンと液化燃料の合計が〇〇〇〇㍑で、予想される火力は○○○○㌍、エネルギー総量で言えば○○○○ジュールしかなくて、たったそれだけのエネルギーで時空跳躍は不可能だ。で、あれば、もう一つの可能性。特殊相対性理論によって導き出された『空間と時間の長さ』の概念にあって、その時間の部分において別次元にはじかれた可能性が……」

 

「……あなたの推論はもっともね。確かにそれならばあの時罹災したはずの由比ヶ浜さんがほぼ無傷でここに存在している理由も納得できるわ。ということは、彼女が時間ではなく次元の壁を超えたエネルギーは、あの燃焼エネルギーにはなくて、なんらかの超常的な力が作用したと見る方がむしろ合理的であるともいえるのかしらね」

 

「その通りだろう。あの日は雪が降っていたし、関東上空の大気は不安定だった。仮にあの時、上空の寒気の中でイオン摩擦などが発生し、局所的に、それこそ由比ヶ浜に対して直接的にそのエネルギーが放たれたと考えれば、それこそそこにあった空間を破壊しうるだけの――――――」

 

「ちょ、ちょーーーーーーーーと、待って! 二人ともねえ待ってよ!? ね、ねえ? さっきからいったい何を話してるの? あたし本当に全然わかんないだけど、それ全部あたしのこと話してるよね? ねえ?」

 

「そうだが?」「そうよ」

 

 焦った様子で俺たちの間に割って入った由比ヶ浜だが、冷や汗を垂らして当たり前のことを聞いてきた。そもそもぜんぜん分からないって、俺たちだって全然分からないから話合ってるわけなんだけどな。

 なんていえばいいか分からないでいた俺たちに由比ヶ浜は困惑顔で聞いてきた。

 

「あ、あの……あのね? あ、あたしにもわかる様に話して欲しいかな……って」

 

 そうもじもじしながら言った彼女を前にして、俺と雪ノ下は一度顔を見合わせた。

 

「つまりはこの現状の説明からということ……か?」

 

「そう! それそれ!!」

 

 うんうんと頷く由比ヶ浜に、そういえばまったく何も説明していなかったなと思い至り、俺は頭を掻きつつ言った。

 

「まあ、分からなくて当たり前だよな。じゃあ分かってることから教えてやる。今日は西暦20○○年6月18日、ここは九十九里浜沿いの○○市の駐車場で、今午前4時ってとこだな。で、お前のことだが、あの日トラック事故に巻き込まれてから17年の間、行方不明になっていたってわけだ。俺はまあ……その、お前に会おうと思ってこのタイムマシン、デロリアンを作ったわけでだな……でも、時空跳躍(タイムワープ)する前にお前の方から現れたってことだ。了解したか?」

 

 そう一気に言って顔を見てみれば、由比ヶ浜は真剣な顔でうんうん頷きながら言った。

 

「えと……頑張って聞くからもう一回!!」

 

 

   ×   ×   ×

 



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(4)夢の国の三人

      ×   ×   ×

 

 

「つまり、あたしは事故の時にゆきのんを突き飛ばして助けることが出来たってこと? それで、そのまま行方不明になって、えーと、17年後のここに来ちゃったってこと? これでいいのかな?」

 

 そう真剣な顔でひとつひとつを噛み砕くように言った由比ヶ浜に、俺と雪ノ下は頷いた。

 すると、由比ヶ浜はプルプルと震えだして……

 

「ど、どどどど、どうしよう!? あたしなんにもしないまま、34歳のおばさんになっちゃった!! 成人式もやってないのに!!」

 

 そんなことを涙ぐみながら宣言する由比ヶ浜に思わずずっこけそうになる。

 いったいどこをどうしたらそんな反応になるのやら。

 

「お前な……そもそもお前はあの瞬間から、今のこの瞬間にどんな形であれ『転移』したことになるんだ。つまりお前の中の時間は変わっていないんだよ。お前の年齢はあの時のまま、まだ17歳だろ」

 

「で、でもそれも嫌だよ!」

 

「なんでだよ」

 

「だ、だって、ヒッキーとゆきのんと同い年じゃなくなっちゃう!!」

 

「はあ!?」

 

 なぜか泣きそうになっている由比ヶ浜を見て、さらに頭がいたくなってきた。

 だが、それと同じに自然と気持ちが和らいできていることも感じていたのだ。

 目の前の由比ヶ浜が、俺の知っているあの頃の由比ヶ浜そのものだったから。

 俺は、ふうっと息を吐いてから、由比ヶ浜へと向き直った。

 

「まあ、お前の言わんとしていることもわかる……うんわかる……。だけどな、正直言えば、俺も、多分雪ノ下も今は普通じゃないんだ。死んだと思っていたお前とこうしていきなり会えたわけだしな。しかもお前はその……あの時のままだった……」

 

 その俺の言葉に雪ノ下も頷いた。そしてうっすらとその目に涙をためて、微笑みながら改めて由比ヶ浜へと言ったのだ。

 

「おかえりなさい、由比ヶ浜さん」

 

「え……あ、うん。た、ただいま」

 

 ぎこちなく微笑んで返した由比ヶ浜を、雪ノ下は再びきつくきつく抱きしめた。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 それから俺たちはいろいろなことを話した。

 あの事故のこと。どんなことが起きて、どんな報道が為されたか。そして俺と雪ノ下がどのような経緯を辿って今日まで生きてきたのか。その全てを白み始める太平洋の水平線を見つめながら話した。

 途中、由比ヶ浜のご両親の話を出した時には、由比ヶ浜も悲しそうな表情に変わってしまった。

 彼女の両親はあの事故後もずっと由比ヶ浜の行方を探し続けていたと聞いていた。そして母親は体調を崩して入退院を繰り返しているらしいとのことも。

 

「ママ……」

 

 由比ヶ浜はそう呟いてから黙りこくってしまった。自分の両親の現状を聞いて思うところがあったのだろう、たぶんすぐに会いに行きたいという思いと、会うのが怖いという思いが(せめ)ぎあってでもいるのかもしれない。

 何しろ今の由比ヶ浜は浦島太郎状態なのだから。

 ほんの一瞬前まで彼女は17年前のあの冬の千葉にいたのだ。それが今は17年後。

 その間に起きた様々なことを彼女は知らず、ご両親がどれだけ苦しんできたのかということも理解することは難しいはすなのだ。

 

「両親に会いにいくか?」

 

 そう聞いてみれば、彼女はしばらく虚空を見つめたあとで、ふるふると首を横に振った。

 

「今は……どういう顔して会えばいいのかわかんない……せっかく教えてくれたのに、ごめんね」

 

「いや、俺はいいんだが……」

 

 会えばきっと色々なことが起こるのだろう、そう、本当に色々なことが。

 時間を跳躍したことなど、万人が理解できようはずはないし、空白となってしまった17年間のことの憶測はひょっとしたら更にご両親を傷つけることになるのかもしれない。

 しかし、いずれは会うべきだろうとは俺も思うし、その方が良いに決まっている。

 でも、それはもう少し……

 もう少しだけ、由比ヶ浜の気持ちに余裕ができたあとの方が良いということなのかもしれないな。

 そう思った俺は、悲しげに打ち沈む由比ヶ浜を見ながら言った。

 

「なあ由比ヶ浜……俺としたあの『約束』……覚えているか?」

 

 そう聞いた瞬間、彼女はポッと頬を赤らめた。

 無理もない。あの時彼女とした約束……

 

『どこかに遊びに連れていって』

 

 なんども繰り返し確認するように言ったあの約束は本当に青臭い、恥ずかしい類いの約束であったのだと、今の俺にはわかっていた。

 正直俺にはすでに羞恥心はない。

 由比ヶ浜が消えてからずっと、俺はこの約束のことを考え続け、この約束を果たせなかったことを心底悔やみ続けてきたのだから。

 

「う、うん。覚えてるよ。当然……」

 

 そう俺に眼差しを向けてくる由比ヶ浜に俺は言った。

 

「こんなおっさんになっちまったけどよ……それでも良いと言ってくれるなら、その……一緒に行かないか? ディスティニーシーに」

 

 由比ヶ浜はしばらくポケっとした顔をしていたが、暫くしてから満面の笑顔になってコクリと頷いた。そして口を開く。

 

「条件があるよ」

 

「条件って?」

 

 俺がそう問えば、彼女は近くにいた雪ノ下の腕に抱きついてぎゅうっと抱き締めながら言った。

 

「行くなら3人! やっぱりあたしは3人がいい!!」

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 日の出を迎えた九十九里は眩い陽の煌めきに晒され、波も黒い砂浜もアスファルトもその全てが光っていた。

 俺は助手席側のガルウィングを開くと、そのシートを前に大きくスライドさせて、その後部座席へと由比ヶ浜と雪ノ下を誘った。

 後部シート背面にはタイムサーキットに直結させてある様々な機器のコンソールがむき出しになったままだが、きちんと姿勢を保持しシートベルトも備えさせてある。そこに二人を並んで座らせて俺はドアを閉めた。

 そして運転席に俺は座りガソリンエンジンを始動させる。

 アメリカ車特有の低いエンジン音が響いた後に、振動とともに排気音が唸りを上げそのまま走り出る。

 俺は二人を乗せたまま東金有料へ進路を向けた。

 

 別にタイムワープをしようというわけではないわけで、普通に有料道路に入り、後は例の広大な夢の国を目指すのみ。

 ルームミラーで確認した由比ヶ浜はずっとにこにこしていた。窓の外を見ながら、あれはなに? これは何? と雪ノ下にいろいろ質問を投げていたが、この辺りはもう何十年も景色が変わってはいないため、由比ヶ浜にとっても目新しいものではないはずなのだが、そもそもこうやって車で出かける経験自体が少なかったということなのかもしれない。

 小一時間で千葉市を抜け、東関道に入ってすぐに高速を下り、遠目に聳える白亜の城と、火山、それに巨大な洋館や、未来的なドームなど。その光景に由比ヶ浜は『わぁっ』と歓声を上げていた。

 

「由比ヶ浜さん。この17年だと、アトラクションも大分増えたのよ。ランドの方でリニューアルが5ヶ所、新規が2ヶ所。それと元々駐車場だったところにも新しいパンさんふれあい広場とホテルもできたし、シーの方もエリアが拡張されて、アトラクションとレストランの数が1.5倍になったのよ」

 

「へぇー!! すごい!!」

 

 由比ヶ浜は素直に感心しているのだが、その知識量明らかにオーバースペックだからね。いったいお前はどんだけ通ってるんだよ!!

 それにいつのまに取り出したんだか、ディスティニーシーの園内マップを後部座席で広げて、由比ヶ浜に1部渡しているし。

 布教用園内マップ常備とか、上級者過ぎるだろう。

 

「そろそろ着くぞー」

 

「わぁっ! 超楽しみなんだけど!!」

 

 俺はランドの脇の道に入ると、そのまま岸壁沿いの埋め立て地道路をぐるっとまわって、巨大な船のアトラクションの建物を見つつシーの駐車場へと進入した。

 そして、超ハイテンションのお兄さんに、『ようこそー!』と声を掛けられつつ窓を開いて、駐車料金(高い!!)を払った。

 さすが日本一のサービス産業の従業員、笑顔が眩しいっ!! だが俺は見逃さなかったぞ。

 あの従業員だけでなく、たくさんある料金所の全職員が俺たちを見て愕然となっていたことを!!

 まあ、俺たちというより、この『デロリアン』を見ていたのだろうけどな。

 なにしろデロリアンといえば、西の巨大テーマパーク、U○Jのまさに顔とも言えるアトラクション!! それとほぼ同様のデザインの車で、東の日本最大のテーマパークディスティニーに入ろうとしているわけだからな、これはもう喧嘩売りに来ているようなものだろう。

 

 まあ、俺は気にはしないのだが。

 

 エンジンの低温を響かせつつ駐車場に入り、誘導されて所定の場所に駐車。3人で降りて鍵をかける。プルトニウムの燃料棒は隔壁内の核エンジンに放り込んだままになっているけど、8時間くらいはどうってことはあるまい。車体後部の一部の温度は300度くらいまで上がるだろうけどな。触らなきゃ火傷もしないし。触らなきゃ!

 

 そして俺たちはのんびり8時間ほど、3人での時間を過ごしたのであった。

 

 

   ×   ×   ×

 



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(5)近寄る終わり

   ×   ×   ×

 

「わー、遊んだねぇ!」

 

「この程度で本当に満足なの? 由比ヶ浜さん。さっきはラウンジで3人で寝てしまって大分ロスしたのよ? あと1時間あれば、あれとあれとあれにも間に合うわよ!!」

 

「おいおい、雪ノ下。お前いったい今日一日でどこまで求めているんだよ。もう相当楽しんだと思うぞ? それこそ、あとはショーのひとつでも見て終わりでいいんじゃないか? 正直俺はもう相当に疲れた」

 

 おっさんだしな……

 

「あはははは……、あ、あたしも結構疲れちゃったかなぁ、でもね、ゆきのんのお陰で細かいところまで教えてもらえて、いつもよりすっごく楽しかったよ! 隠しパンさんとかね!! 本当にありがとう!!」

 

 いや、マジでどんだけ隠しパンさん知ってるんだよ。わざわざ列から一度抜け出してまで見に行くとか本当に根性が凄すぎだ。

 

「そう……あなた達は満足できてしまったのね……」

 

 それ、私は全然物足りないにしか聞こえないからね、これ本当。はあっとかため息つくなよな、なんか悪い事している気がしてくるだろう?

 由比ヶ浜はそんな雪ノ下に、ふふっと微笑みながら手に隠していたそれを手渡した。

 手渡された雪ノ下はそれを見て、目を見開いてしまう。

 

「由比ヶ浜さん、これ……」

 

 彼女が手にしていたのは、小さな海賊衣装のパンさんのパペット人形。片手を突っ込んで口をパクパクさせるあれだった。

 

「あ、えとね? 本当はもっと大きいやつ買いたかったんだけど、なんかどれもすっごく高くなっててね……流石17年後だよね、あたしの今持ってるお金じゃこれしか買えなかったんだ」

 

「でも、こんなことしてもらって悪いわ?」

 

「いいのいいの。なんかいっぱい迷惑かけちゃったみたいだし、今日はここにも連れてきてもらっちゃったし。だからお礼だよ。それとヒッキー……」

 

「なんだ?」

 

 由比ヶ浜は今度は俺を向く。そしてその手にしていた鞄から何やら手紙の様なものを取り出した。

 彼女は頬を染めてもじもじしながら俺へと差し出してきたのだ。

 

「これは?」

 

 彼女は俺のその言葉にふいと横を向いて小声で言った。

 

「ほ、本当はね、この手紙を渡さないって決めてたんだ。だって、この気持ちはあたしのただの自分勝手だから。ヒッキーのことも、ゆきのんのこともなんにも考えてないあたしの為だけに書いた言葉だったから……だから渡したくなかったの……でもね」

 

 由比ヶ浜は今度は微笑みながら俺を見上げて口を開いた。

 

「でも……もう……全部が終わっちゃって……無くなっちゃったって……、もう、ヒッキーやゆきのんと一緒に居られないって分かっちゃったから……だから……あの時のあたしの気持ちを今のヒッキーに渡したくなったの」

 

 俺はその手紙を受け取りながら言った。

 

「まだ、一緒には居られる……」

 

 それに由比ヶ浜は首を振る。

 

「二人はもう大人だよ。あたしはまだ子供のまま……あーあ、ヒッキーとゆきのんともっと青春したかったなー! あはは!!」

 

 そうくるくるっと回りながら笑う由比ヶ浜は、本当に楽し気で……

 泣いているようだった。

 それを俺と雪ノ下はただ見ていることしか出来なかった。

 

「由比ヶ浜……」

 

 その時、

 

 PLLLLLLL…………

 

 雪ノ下のスマホが光りながらその音を出す。彼女はそれを耳に当てるとすぐに話しかけた。

 

「どうしたの、都筑さん? 何かありました?」

 

『お嬢様、それが……』

 

 微かに漏れ聞こえた深刻そうな男性の声。

 都筑さんと言っているから、雪ノ下の家に昔からいるあの執事風の人のことだろう。雪ノ下は何やら険しい顔で会話をしているようだったが、突然俺と由比ヶ浜に向き直って通話を切った。

 

「比企谷君、由比ヶ浜さん! すぐにここを離れましょう」

 

「いったいどうした? 何かあったのか?」

 

 そう聞いてみれば彼女はすでに由比ヶ浜の手をとって走り始めていた。

 

「あの燃料のことが北○○の工作員(エージェント)に漏れてしまったようね、今、○○総〇の知り合いから都筑さんに連絡が入って、燃料の最終的な行先が私であることを突き止められてしまったようなの」

 

「はあ? だってお前はあれを足のつかない安全な闇市場(ブラックマーケット)で購入したって……金だって俺が渡した2000万円で……」

 

 雪ノ下は微笑んだ。

 

「ごめんなさいあれは嘘よ。貴方を安心させたくて言っただけ。本当は北○○の核〇〇の○○〇○○を、○○総〇経由で交渉して譲ってもらったのよ。価格は1000万USドル。それでもリビ〇やカザ〇から購入するよりはよほど安全ではあったのだけれど、でもこれは表には出せない話。そのままじゃ済まなかったようね」

 

「くそっ!」

 

「???」

 

 自嘲気な彼女の言葉に、俺は自分を殴りたい衝動に駆られていた。そして不安げにわけも分からないと言った顔で俺を見つめる由比ヶ浜を見つつ、酷い後悔に蹂躙された。

 こんなに簡単に事が進むわけはなかったのだ。

 俺はただあのマシンの完成を急いでしまっただけ。だが、肝心の燃料の入手は困難であったから、金だけを用意して雪ノ下に頼んでしまった。

 そして彼女は予定通りに現れた。

 それが当然のことだと? 

 そんなわけなかったのだ。

 少し考えれば分かりそうなことなのに、俺はまったくそれに気が付かないままに彼女を……雪ノ下をこの件に巻き込んでしまった。

 本当に俺はいったい何をやっているんだ!!

 ただ、由比ヶ浜に逢いたいというその一心のみで、この窮地を招いてしまったのだ。

 

「ねえ、ヒッキー、ゆきのん? 何があったの? これからどうなるの?」

 

 走りながらそう言った由比ヶ浜に俺はなんとも言えなかった。

 とにかく今はここを離れるしかない。

 あの国のエージェントがどこまでするのかは想像の範囲内だが、少なくとも殺人くらいは平気で行うはずだ。

 なにしろ俺達が持っている物は、戦争をすることだって、脅して金をせしめることにだって使える代物。しかもそれの出どころが自分達であるというのだから、本気度が違ってくるだろう。

 俺達は急いで駐車場へ向かった。

 

 

   ×   ×   ×

 



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(6)跳躍

   ×   ×   ×

 

 

 五階建ての駐車場のその二階の隅に、俺のデロリアンは鎮座したままだった。

 丁度パレード前ということもあって、今、帰り客は少ないようではあるけど、人はそこそこ歩いているし、随時車が発進して出口へと向かっていた。

 俺は辺りを観察しながらデロリアンへと近づく。するとそこでは一人の男性がスマホのカメラでデロリアンを撮影していた。

 俺はいそぎ彼へと近づき、声を掛けた。

 

「あの……車を出したいので退いていただけますか?」

 

 その言に彼はにこりと微笑みながら振り向いた。

 

「あ、失礼。あまりに再現度の高いデロリアンだったのでつい写真を撮ってしまいました。あ、他の方も撮られていましたし、問題はありませんよね?」

 

「ええ……別に写真を撮るくらい構いませんよ」

 

 そう言いつつ車のドアを開いて後部座席に二人をすぐに乗せた。そして俺も乗り込もうとしたその時、その男性が言った。

 

「本当に……『核燃料』も搭載していそうですものね……」

 

「!?」

 

 にやりと微笑んだ彼がそう言いつつ懐に手を差しれたのを見て、俺は驚愕。

 慌てて車に飛び乗るとそのまま一気にエンジンをふかしてそのまま発進した。

 男性はまだ懐に手を差し込んだまま……急に走り始めたことで態勢をくずし、よろめきつつ後方へと退く。

 俺はサイドミラーでそれを見止めつつ、すぐに駐車場を出た。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「あいたたたた……何も急に走り出すことないのに……。あんなに見事なデロリアンだもの。これは記事にしない手はないと思ったのになぁ、名刺交換もできなかった」

 

『月刊カーオ〇ト 記者 山〇一〇』

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「くそっ! もうエージェントに嗅ぎつかれちまってるのかよ」

 

俺はすぐに高速に乗り、そのまま東関道を東京方面に走った。夕時は交通量がやはり多く、道は混んではいる。だが、こんな状況で襲撃してくればそれこそ大規模テロ事件にも成りえるだろう。そんなことは流石にしないとは思うのだが、ことがことだけに実際どうなるのかは分からないのが現状だ。

 

「どうするの? 比企谷君」

 

「…………」

 

 雪ノ下にそう問われるも俺もなんと言っていいのか分からなかった。

 本来であれば昨日の深夜に人気のない九十九里の沿岸道路でタイムワープして、17年前に戻って由比ヶ浜に逢って全てが『終わるはず』だった。

 でも、今はその時と状況は全く違う。

 由比ヶ浜はあの若い時のままの姿でここにいて、俺は再会を果たしてしまっている。

 そしてなにより違うのは、この追われている現状だ。

 プルトニウムの所持が判明し、しかもそれを購入したのが雪ノ下ということが知れてしまっている以上、このままにしておけば雪ノ下の身にどんな不幸が降り注ぐかわかったものではない。

 それに由比ヶ浜だ。

 17年間も行方不明だった彼女が、このまま家に帰り普通に生活することが果たしてできるのかどうか……

 戸籍上彼女は17年の空白を持ったまま34歳として生活することは出来るかもしれないが、少なくともそれは自然な状況とはいえない。

 なにより、俺や雪ノ下と同様に、北○○に狙われる可能性も大だ。

 くそっ!!

 くそくそくそっ!!

 

 いったいどうしたらいいんだ!!

 

 渋滞にはまりつつ、周囲の車に乗っている連中から奇異な目で見られつつ、俺はいったいどうしたら良いか悩み続けていた。

 すると……

 

「比企谷君……このまま17年前に行きましょう」

 

「ゆ、雪ノ下……?」

 

 唐突に雪ノ下にそう言われ、俺は驚愕した。そして同時にすぐに言った。

 

「だ、ダメだ!! ダメに決まってるだろうが!! お前このまま過去に行ったらどうなるのか分かっていないのか!?」

 

「???」

 

 怒鳴った俺の声に由比ヶ浜が不安そうな顔になったことが分かったが、雪ノ下の方が冷静に答えた。

 

「ええ、承知しているわ、比企谷君。このまま過去に行き、そこで由比ヶ浜さんを救えば、この今いる私たちの未来線とは別の未来線に私たちは移動することになる。そうね……最悪私とあなたは消えてしまうということでしょうね。だからあなたは一人で過去に行こうとした。自分の『存在の消失』を代償に、私達のいるこの未来線と、修正後の未来線と、その両方を残そうとした。違うかしら?」

 

「き、消える!? ゆきのんとヒッキーが?」

 

 二人の言葉に俺は鈍器で頭を殴られたような衝撃を受ける。

 そのことを理解したままで、雪ノ下は言い切ったのだ。それが俺には信じられなかった。

 

「お前……消える覚悟が出来てるってことなのかよ……」

 

「そうね……でも、消えるのは私ひとりじゃない。あなたも一緒なのでしょう? ふふ……本当は最初からこうしたかったの。私一人だけになんかなりたくなかったもの……もう私は記憶のない私ではない。今は貴方たちのことを何よりも大切だと思っているのだもの……」

 

 そう微笑む彼女に俺の心は締め付けられた。

 実際のところはどうなるかなんて俺にだってわかりはしない。

 でも、世界は矛盾の解消に必ず動くはずなんだ。

 時空を超えることで存在してしまった同一の存在を、世界は決してそのままにはしておかないだろう。そもそも、俺達の存在は要らないものになる。

 由比ヶ浜を求めてデロリアンを俺は作ることはないのだろうし、プルトニウムだって入手することはないだろう。

 でもそんなことは覚悟の上だった。俺一人だったならば……

 

「もう後戻りはできないぞ」

 

「ふふ……『未来戻り』でしょう?」

 

「そうだな」

 

 まさに映画のタイトルそのものの雪ノ下の返答に思わず俺は苦笑した。そして今思いつたもう一つの可能性を口にした。

 

「由比ヶ浜は助けられるかもしれないしな」

 

「「え?」」

 

 驚いた声を上げる二人に俺は言った。

 

「あの事故の時、由比ヶ浜はあの世界から消えた。だからあの後由比ヶ浜は存在していないんだ。だから、事故が起きた後に、ひょっこり今のお前があの世界に現れれば……」

 

「そ、そういうことね!? つまりあの事故の前に戻って由比ヶ浜さんを助けるのではなく、事故後に連れて行くだけでいいと……」

 

「そういうことだ」

 

「え? え? なんのこと? 二人は何を話しているの?」

 

 問いかけてくる由比ヶ浜を俺はルームミラー越しで見た。

 

「由比ヶ浜……お前を17年前のあの事故の直後に連れて行ってやる。そうすれば、お前は事故に遭わなかったことになるだろうし、お前を死んだと思って記憶を消失した雪ノ下もたぶん軽症で済むはずだ。そうすればお前は俺達と残りの高校生活も送れるし、一緒に成人することだってなんだって出来る」

 

「そ、そうなの? でも……」

 

 由比ヶ浜は不安そうに言った。

 

「ヒッキーとゆきのんはどうなるの? 高校生の二人じゃなくて、今の大人の二人は……」

 

 悲しそうに見つめてくる由比ヶ浜にもう苦笑しかない。

 こんなところばっかり、なんで察しがいいんだよ。もう気が付かないままにいてくれればよかったのに。

 

「嫌だよ……ふたりが消えちゃうなんて本当に嫌だよ!!」

 

「由比ヶ浜……」

 

 その叫びが本当に痛かった。

 そして俺は思い出したのだ。

 由比ヶ浜は誰よりもずっと優しいのだと。

 彼女は強いわけでも、器用なわけでもない。ただ、ひたすらに傲慢とも思えるほどに自分に近しい存在を欲し続けるのだ。そしてその強い執着に自分自身苦しみながら、そして優しくありたいと願う存在、それが彼女だった。

 

「由比ヶ浜……だいじょうぶだ。俺達は消えない。そしてきっとまた会える」

 

「!?」

 

 俺の言葉に驚いた彼女は顔を上げた。

 

「で、でもさっきは二人が消えちゃうって……」

 

「確かにそう言ったけど、あれとは少し状況が違うんだ。あの世界にお前が戻っても結局事故は起きる。つまり、この未来を知っているお前が戻ることでその後にどんな未来も作ることができるんだ。そう、こうやってタイムマシンを作る未来だって」

 

「そ、そうなの? そ、そうなんだ……?」

 

 由比ヶ浜はそうぶつぶつと繰り返しながら俺と雪ノ下を交互に見た。

 

「ああ、だから大丈夫だ。きっと俺達はまた会えるから」

 

 その言葉に彼女は何も言わなかった。

 ただ、しばらくじっとルームミラー越しに俺の目を覗き込んでそしてただ頷いたのだ。

 

「さてと……話はまとまった。雪ノ下も覚悟はいいか?」

 

「ええ……もうとっくに出来ているわ」

 

 俺は周囲を確認する。

 渋滞はすでに解消され、結構なスピードで走れるようになった。

 看板を確認すれば、今はお台場で、このまま左の側道に入ればレインボーブリッジ。俺は左にウインカーを出しつつ、タイムサーキットの時間座標を変更した。

 

「跳ぶのはあの事故の日の深夜2時にする。レインボーブリッジも深夜なら交通量は少なかったはずだからな」

 

 そうは言っても車は走っている可能性が高い。もしもその場所に車がいたら……

 いや、今はそのことは考えまい、その時はその時だ。

 俺は二人に目配せして、運転に集中する。

 緩い上りのコーナーの先にはライトアップされた海に架かる橋、レインボーブリッジの全容が。

 俺は交通量の少ないその橋の頂にむけて、一気に車を加速させた。

 アクセルを踏み込んだことで、タイムサーキットに流れる電流も増大する。後部のサーキットが仄かに白く輝きだした直後、車体全体も白い光に包まれ始めた。

 速度はまもなく130キロ。法定速度は軽く超えているが、尚も加速はつづけた。

 俺はデロリアンを二車線道路の丁度中央、センターラインに中心軸を合わせて加速を続けた。こうすれば万が一にも出た直後に車が居たとしてもぶつかる可能性は低くなると思えたから。

 だが、其の前に問題が発生してしまった。

 

「比企谷君! 渋滞しているわ!!」

 

「!?」

 

 見れば丁度レインボーブリッジの向こう側、下り始めているその坂に赤いテールランプの輝きが増し始めていた。これは事故か!? くそっ! ツイてない。

 速度は現在137キロ。 もう少しで142キロだが、ここは橋の上り坂、思ったよりも加速が遅い。

 車体全体は真っ白な光に包まれ始めていて、タイムサーキットは完全に作動してしまっていた。

 すでに核エンジンに灯が入ってしまっている。つまり燃料はすでに消費状態に入っているのだ。ここで止めれば時空跳躍はもう不可能に! だが、迫る渋滞を回避するにはすぐにブレーキを踏まなくては!! くそっ!!

 その時だった。

 

「行こう! ヒッキー! 過去に行けばきっとこの渋滞はなくなってるよ!!」

 

 その由比ヶ浜の声に俺は一気にアクセルを踏み込んだ!!

 覚悟なんてとっくに出来ていると思っていた。だが、躊躇してしまうのはやっぱり俺の弱さなんだ。

 そんな俺をいつでも信じてくれる存在……それが彼女。俺は由比ヶ浜を求めていたんだと、この時改めて理解した。

 バチバチと放電が始まり、真っ白い光に包まれたままで……

 俺達はその渋滞の車の中に突入した。

 

 

   ×   ×   ×

 



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(7)別れとそして……

   ×   ×   ×

 

 

「うわっ!!!」

 

 

 パッと世界が暗転した。そして目の前に広がるのはレインボーブリッジ上の下り坂。でも、そこには一台も車の姿が無かった。

 慌ててタイムサーキットを確認すれば、その日付は確かに17年前の物。

 

 周囲を見れば、明らかに深夜で、でもその街の灯りはひたすら暗い物。17年前ってこんなにも暗い街だったのか? いや、あっちが明るすぎだったのか。

 俺は明らかにまだ高層ビルが立ち並ぶ前のその東京の様を見つつポツリとこぼしていた。

 

「成功だ」

「そのようね」

「あ、東京スカイツリー」

 

 そんな言葉をそれぞれ口にしつつ、車のライトが消えたままだったことに気が付いて点灯、直後、目の前にまだ雪を被ったままのガードレールが飛びこんできて慌てて俺はハンドルを切った。

 車はギュギュギュッと音を立ててコーナーを回る、そして少しずつ減速していった。

 確かに17年前のあの日は雪だった。十分除雪されているとはいえ、アイスバーンになっている可能性もあったわけで本当に危ないところだった。

 

「び、びっくりしたーー」

 

「いったい何をやっているのかしら? タイムワープまでしてその後でただの事故なんて本当に嫌よ」

 

「ま、まあ、これからは安全運転をしますので」

 

 そう言い訳しつつ俺達は一路千葉を目指した。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 17年前のこの世界に来はしたが、だが寄り道もしないままにまっすぐ高速を戻る。

 途中料金所で、入場確認がとれないといろいろ揉めはしたのだが、そこは現金でしっかり払ってなんとか見逃してもらった。でもこの金使っても大丈夫なのかな? 平成31年の硬貨とかあるのだけども!?

 

 そして俺達は由比ヶ浜の住むマンションへとたどり着いた。

 この日、俺は雪ノ下が入院していた病院の待合室にいたはずだ。そして由比ヶ浜の無事を祈り続けていた。そう、俺はあの時絶望していたんだ。

 それは由比ヶ浜の両親も一緒だっただろう。

 きっと今、両親は悲嘆にくれて眠れぬ夜を過ごしているはずだ。

 だから俺は言った。

 

「由比ヶ浜……帰ってやれよ。きっとそれだけでみんな安心するから。俺も、雪ノ下も」

 

 その俺の言葉に雪ノ下も大きく頷いた。

 

「そうね、きっとこれで全部丸く収まるわ」

 

「ヒッキー、ゆきのん……」

 

 泣きそうな顔になっている由比ヶ浜。なかなか車から降りようとしない彼女に俺は言った。

 

「俺はずっとお前に逢いたかった。会ってあの時の約束を俺は果たしたかったんだ。それで、今日、漸くそれが叶った。本当にありがとうな」

 

「そんな……あたしはなんにも」

 

「由比ヶ浜さん。私これ……一生大事にするわ」

 

 雪ノ下はさっき由比ヶ浜からもらったパンさんのパペットを手に嵌めると、その口をパクパクと動かして、不器用な腹話術で話した。

 

『バイバイ、結衣ちゃん!! またね!!』

 

 そう手を振るパンさんに、由比ヶ浜は泣きながら笑った。

 

「もう……ずるいよゆきのん。そんなに可愛いのだめだよ」

 

 そう少し震えながら言った由比ヶ浜を雪ノ下がぎゅうっと抱きしめた。

 

「私とあなたは一生の友達よ。忘れないでね」

 

「うん……絶対忘れないよ。忘れないから」

 

 そう言葉を交わした後で由比ヶ浜は車を降りた。

 そして俺達を一度振り向いてにこりと微笑む。

 そして小さく手を振った。

 

「バイバイ……またね」

 

 彼女はそれだけ言うと、タタタッと小走りで駆けだした。

 そして自分のマンションへと入っていった。

 

「これで全部終わったわね……」

 

「ああ、そうだな……」

 

 俺は脱力して深く椅子に沈み込んでいた。そして達成感と喪失感の両方を味わいつつ上を向いて額を抑えた。

 そうしていると、雪ノ下が狭いシートの間を縫うようにして助手席へと出てきて座った。

 

「やっぱり前の方が広いわね。ここに座って構わない?」

 

「ああ」

 

 俺達はしばらく無言になった。

 ここから先のことは正直よく分からない。

 世界が本当に改変されるのかも、俺達の存在がどうなるのかも、それこそ本当に…… 

 俺は満足なんだ。やろうと思っていたことは出来たのだから。でも……

 俺は横目にチラリと、パンさんのパペットを動かして微笑んでいる雪ノ下を見ながら言った。

 

「悪かった」

 

「いいのよ」

 

 短くそう答えた雪ノ下はもう全てをわかっているということか。

 俺はそれを思い、話した。

 

「いずれ俺達は消えるだろう。数多ある可能性の未来の中から、今の俺とお前の存在が生まれる可能性はほとんどゼロだ。なにしろ俺は由比ヶ浜も失うまで相対性理論はおろか、高校の物理だって理解できなかったんだから」

 

「まあいいじゃない。どのみちあのままあの世界に居ても、私も貴方も相当にリスクを背負ってしまっていたのだから、普通の暮らしなんて出来はしなかったわ」

 

「確かにそうだな。これで本当に終わりということだな」

 

「ええ……」

 

 覚悟はできていた。それが望む未来でなかったことも分かっていた。

 それでもやはり思うのは、普通の人生を歩んでみたかったということ。

 もし、あの事故がなければ……、もし、俺が由比ヶ浜を大事に思わなければ……

 

 いや……

 

 それはない。

 大した人生じゃなかったが、俺の青春の1ページには確かにあいつの笑顔が刻まれていたんだ。それが何よりの宝物だった。あいつが消えてからはなおのことな……

 そして、そんな宝物に俺は最後に出会うことが出来た。

 本当に短い時間、本当にたった少しだけだったけど、共有できたあの時間は俺にとってかけがえのないものに違いなかったから。

 雪ノ下も納得ずくか……俺と同じ思いなんだろうな、多分。

 これで世界は改変され……

 正規ルートとなった世界の俺達はこんな無茶苦茶が無かったままに平穏な人生を歩んでいくのだろう。苦労も、悲しみも、喜びも、今日までずっと味わってきた全ての感情はなかったままに、ひょっとしたら、由比ヶ浜や雪ノ下とも関わらない人生を歩んでいくのかもしれない。

 そんなもう一人の『俺』が存在する以上、この世の異物となった『俺』は、やはり不必要とされるのだ。

 しかたない。これは仕方ない……

 決めたのも、そうしたのも全部俺達なのだから。

 

「ひとつ聞いてもいいかしら?」

 

「なんだ?」

 

「貴方は由比ヶ浜さんのことをどう思っていたの? 『好き』……だったのかしら?」

 

「…………」

 

 唐突なそんな質問に絶句する。しかし……

 俺はその答えを知っていた。だって、この17年間、ずっとそのことばかり思っていたのだから。

 あえて何も言わない俺に対して、再び雪ノ下の声。

 

「私は……『好き』よ?」

 

「は?」

 

 にゃ、にゃにを言い出してんだこいつ!! と、思わず奴を見れば、口許をパンさんで押さえていかにもおかしそうな感じで笑っていた。そして……

 

「私も『由比ヶ浜さんのことを好き』だったと言ったのよ。ふふ、ひょっとして自分のことを言われたとでも思ったのかしら? 自意識過剰ヶ谷君」

 

「うっ……そ、そそそんなわけないだろ。そんなこと思うかよ!! だいたい何でも谷をつければいいとか、それ違うからな」

 

 雪ノ下はそれでもそのままおかしそうに笑う。笑いながら手にしたパンさんを見つめながら、言った。

 

「でもそうね……由比ヶ浜さんの次くらいには好き……だったと思うわ。あなたのこと」

 

「!?」

 

 その言葉にいよいよ何もしゃべれなくなったが、今度は雪ノ下も真っ赤になって俯いてしまった。

 お互い無言のままに車の中でいったい何をしているのだか……!! もうじき消えてしまうというのに!! 人生の最後がこれか!!

 気まずさMaxのその最中で、雪ノ下が慌てて言った。

 

「そ、そういえばさっきシーで、由比ヶ浜さんから手紙を受け取っていたわよね? あれ、読まなくていいの?」

 

「あ」

 

 その言葉で思い出す。

 俺は慌ててそれをしまっていたポケットをまさぐって取り出した。そしてそのなにも書かれていない可愛らしいピンクの封筒からその中身の手紙を取り出そうとした。

 

 その時だった。

 

「だ、ダメ―ーーーー!! や、やっぱり読んじゃだめーーー!!」

 

「え?」「へ?」

 



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(8)いつまでも続く夢

 突然背後からそんな大声が!!

 慌てて雪ノ下と二人で首を捻れば、そこには茶髪お団子ヘアーの由比ヶ浜……? ん? あれこいつ髪の毛こんなに長かったっけ?

 彼女は真っ赤になってふうふうと荒い息遣いのままに俺が手にした手紙をがっしと掴んでいた。そしてそれを涙目のままぎゅうぎゅうと引っ張っている。

 

「お、お前!? 今降りたんじゃなかったか? なんでまた後部座席にいるんだよ!!」

 

 そう言った瞬間にひょいっと俺の手から手紙を奪った彼女はそれを自分の胸に押抱いた。そして真っ赤なままで言った。

 

「やっぱりヒッキーが言った通りになったね。『この後記憶の混濁が起きて話が通じなくなると思うけどきにするな』って。まあ、いいけどね。でも、ヒッキーとゆきのんの二人だけでなんかラブラブな雰囲気になるの禁止!! せめてあたしがいないときだけにしてよ!!」

 

 そんな訳の分からないことを宣う長髪由比ヶ浜。

 

「はあ? だからお前はいったい何を言ってるんだよ!! 俺と雪ノ下はもうじき消えて……」

 

「消えないよ!! だって歴史は書き替えられたんだから!! はいこれ!!」

 

「へ?」

 

 自信満々にそう宣言する由比ヶ浜に呆気にとられるも、俺は彼女が手にしたそれを見てさらに驚愕した。

 

「お、お前、それまさか……『プルトニウム』か? ……いったいどうしてそれを」

 

 由比ヶ浜が手にしていたアタッシュケースの中には、つい昨日見たのと同じ円筒形の冷たく冷却された容器。つまりあれにはプルトニウムが……!?

 

「これ用意したのはヒッキーなんだけどね。あのね? もう少ししたらいろいろ思い出すと思うけどさ、ヒッキー達があたしをこうやって送ってくれた後ね、みんなに無事を報告した後でヒッキーとゆきのんと3人で『タイムマシン開発部』を作ったの! それでいっぱいいーっぱい勉強して、このデロリアンを作ったんだよ。3人で、ほら、これが証拠」

 

 そう言って彼女が指さしたダッシュボードには一枚の写真が……そこにはデロリアンを取り囲む俺と由比ヶ浜と雪ノ下の三人の姿が!! 

 これはいったい……デロリアンは俺が一人で作り上げたはずだ。それこそ人生のすべてを掛けて!!

 でも、これは、まさか……

 

「でさ、あの夜の九十九里浜に17歳の私を迎えに行って、で、ついさっきこのデロリアンに『()()』で乗ってここまで送ってきてあげたんじゃない」

 

 さも当然とそう話す由比ヶ浜だが、俺も雪ノ下もまったくついていけてないのが現状だ。

 

「あ、プルトニウムはヒッキーが防衛省の協力で時空転移実験に使うからって特別に二つ貰ったんでしょ? でさ言ってたじゃん!! これで元の時間に戻ったらデロリアンも研究資料も全部破棄するって。実験は失敗だったってことにするって‼ で、もう誰も過去に干渉できないようにするって!! ね、言ったよね? 言ったんだよ!!」

 

 全然何も反応出来ない俺達に、なにやらだんだん泣きそうになってきた由比ヶ浜が何度も念を押すように詰め寄ってくるわけだが、なんとなく現状は理解した。

 

「オーケー分かった。つまりこういうことだな? お前も含めた俺達でデロリアンを作って、今回のルート……つまり俺がひとりでデロリアンを作って、雪ノ下が北○○から極秘に核燃料を買ってタイムワープした今回の事象を、お前たちのルートで完全再現することで、過去で消えるはずだった俺達の存在を上書きしようとしたと、つまりそういうことか?」

 

「??? えと……あはは、その辺考えたのヒッキーとゆきのんだから、あたしいまいちなんだけど、つまりそういうこと。これでうまくいけば前のルートも今回のルートも記憶を持ったままでいられるかも? ってそんなことをヒッキーが言ってたよ」

 

「そ、そうか……」

 

 まだ理解は追いついていないが、なんとなく察することは出来た。

 つまりこの由比ヶ浜は新しいルートの俺達と一緒に居た存在、で、今のおれと雪ノ下は前回のルートの記憶のままでいるだけ……いずれ、新しい記憶が上書される……と。

 そんなことを思っていた俺に、隣の雪ノ下が言った。

 

「比企谷君……これはあなたのした適当な『約束』が現実のものになった……そういうことじゃないかしら?」

 

「約束……」

 

 そうだな……

 確かに俺はあの時適当に言ったのだ。あのタイムワープ前に。またきっと会えると。なんの根拠もなく、ただ由比ヶ浜をもとの世界に送り戻す為だけに言ったあの言葉。

 あれを由比ヶ浜は……

 

『本当のこと』にしてくれたんだな。

 

 そう思い当たり俺は胸がくるしいほどに熱くなった。

 そして由比ヶ浜。

 

「さ!! そろそろ帰ろうよ! あんまりもたもたしているとまた何か起きて過去が変わっちゃうかもだよ?」

 

「そ、そうだな。それもそうだ」

 

 俺は慌てて車を降りて、そして核燃料を核融合炉へと装填した。見れば見るほど俺が作ったままのデロリアンなのだが、細部にハートやらクローバーやらのシールが貼ってあったりとか、なんとなく由比ヶ浜の趣味が垣間見えることから、やはりこれを作ったのは次のルートの俺達ということらしい。

 それを見てから車へ乗り込み、そして俺はエンジンを掛けた。

 

「よーし! じゃあ帰ろう!! ()()()もみんな待ってるよー!!」

 

「は!? こ、子供!?」

 

「ゆ、由比ヶ浜さん、あ、あなた比企谷君とけっこん……」

 

 そう口をあわあわさせて言った雪ノ下に、由比ヶ浜はぽかんと口を開けて、少し怒ったように言った。

 

「もう、そろそろ思い出してくれないと本気で怒るよ!! ゆきのんにもいるでしょ? 子供たち!! あたし達の子供が!!」

 

 言って自分の左手を立ててその薬指に光る銀の指輪を見せる由比ヶ浜。

 それを見てハッと気が付いた俺と雪ノ下も同じように左手を持ち上げてみれば、そこには由比ヶ浜とまったく同じ形の年季の入った銀の指輪が……

 その指輪の形状に合わせて指が変形しているまであった。

 

「こ、これは……!?」「ま、まさか……」

 

 二人で驚いて顔を見合わせたそこへ由比ヶ浜が言った。

 

「さあ、帰ろう? あたしたちの未来へ!!」

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「これは本当に夢なのかもしれないな……自分が自分でないような、今目の前にあるものすべてが実は夢の世界の出来事で、本当の俺はただ眠っているだけ……でも……」

 

「でも……?」

 

 俺のすぐそばにはお腹が大きくなった二人の女性の姿。

 もうずいぶんといい歳だし、子供をつくるのは控えようと二人とは語り合いはしたが、まさかここに来てほぼ同時に二人が妊娠するとは思いもしなかった。

 大学の教授陣にはかなりからかわれたしな。まあ、いくら少子化対策で法律が改正されたからといって、二人の奥さんをもらってサッカーチーム分の子供を作ってしまうことになるとは、それこそ夢にも思わなかったが……

 まあ、それもこれもこの二人との関係があったればこそなんだが……

 

「八幡、私幸せよ?」

 

「あたしもだよ、八幡」

 

 そう語る二人の手を握り、俺は言った。

 

「ああ、俺も幸せだ。これが夢でないことを本当に祈るよ」

 

 ふふふと二人は微笑んでいた。

 これから先、どうなるのかなんて本当に分からない。でも俺はこの幸せだけは守りたかった。

 未来の可能性は無限にある。

 でも、その無限の全てを手に入れることなんてできはしない。

 

 だから俺はこの目の前のたった一つだけの幸せを守り抜こうと心に誓った。

 穏やかな昼下がり、遊びに行ったこどもたちのいなくなったリビングのソファーに三人並んで座り、微睡の中で確かな幸せを俺達は感じていた。

 コテンと俺に頭を預けてきた結衣の髪をそっとなでてやりながら、ふと気になったことを俺は聞いてみた。 

 

「そういえば結衣? あのときのあの手紙にはなんて書いてあったんだ?」

 

 彼女は上目づかいで俺を見上げたあとに、いたずらっぽい笑みを浮かべて返した。

 

「それはね……」

 

 こしょこしょと耳打ちしてきたその言葉に、ほんのり俺の顔も熱くなった気がした。

 

 



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【北の国の由比ヶ浜結衣】※ストーリー追加中
(1)北の国の由比ヶ浜結衣


何年も前に書いて一度完結させた作品のリメイクです。
リメイクと言ってももはや完全に別物ですけどね。
一部二部は八結が中心で、三部はなんと材木座さんの恋愛物になっていますw



「ヒッキー……大好きだったよ」

 

 いつまでも一緒に居れると思ってた。この不自然な安心がいつもまでも続いてくれると信じていた。そうじゃない、そんなわけないことを頭では理解していても、あの時のあたし達にとっては、かけがえのない時間を無くしたくなかった。

でも、それは突然崩れ去ってしまった。理由は簡単……わたしが両親の都合で引っ越すことになったから。

 最後に、静かに、こっそりと、あの人にだけ聞こえるように、私は告げた。

 わたしの想いを…

 

 返事は……

 

 いらなかった。

 

 だって、分かっていたから……

 

 あの人は優しい。きっとあたしの望む答えをしてくれただろう。そして、そうすることで、あたしのとても大事な親友を傷つけてしまうことになってしまうことも。

 

 いなくなる人間は、未練ばかり残しちゃだめだ……それがあたしに出来る唯一の恩返し。

 

 でもなぜだろう……

 

 あの人の顔が忘れられない。いつも嫌そうにして、不貞腐れた顔ばかりしていたのに、あの別れの日……

 

 あの人は泣いていた。

 

 あたしの泣き顔を見たからなのかな。私は泣き虫だもの。きっとそうだ……

 ああ、また泣いてるのか……

 嫌だなこんなの……

 恥ずかしい……

 

 ストーブの上に置いたやかんがシュルシュルと音を立てる。露のついた二重ガラスの窓の外はもう薄暗く、そこには悲しそうな顔で涙ぐんでいる、少し幼い教師の顔があった。

 

「やあぁ、由比ヶ浜先生、今日はようけ雪が降っておりますよ。ここは温くてあずましいですな」

 

 そう言ってこの宿直室に入ってきたのは古参の守衛さん。去年からこの小学校に赴任した私に、色々と親切に接してくれる。右も左も分からず、知り合いもいない私にとって、まるで孫の様に面倒を見てくれるこの守衛さんのおかげでなんとかできているようなものだ。

 

「そういや、明日からでしたっけね。先生旅行にいかれるのは。誰ぞ、良い人でも見つかったんでないかい?」

 

「え? ち、違います……両親に一緒に行こうって誘われただけです」

 

「先生はなまらめんこいから、男も放っておかねぇでしょ。選び放題でないかい。早う相手見つけなさい」

 

「へへ……が、がんばります」

 

 守衛さんは悪い人じゃないんだけど、ちょっとばかりしつこい。会うたびに、彼氏はどうとか、結婚はどうとかって話を振られる。

 

「後は私が代わります。戸締りも済みましたんで、どうぞお帰りください」

 

 その言葉を受けて、あたしは帰ることにした。

 

 

「ふぁー、寒いし」

 

 厚手の手袋と、長靴を履いて、ファーの付いた大きなコートを纏って雪の中を一人で歩く。すでに、氷点下まで気温が下がっているから、呼吸をするだけでも、胸が苦しくなる。

 まさか私が北海道で生活するようになるなんて……

 

 父の仕事先は、北海道の道東の会社の支社だった。そこではかなり重要な立場の仕事だったらしく、1年や2年で終わる仕事ではないとのことだった。だから、母とあたしも一緒に来たわけだけど、もともと大学志望していたあたしは、なんとかここの地元の高校に編入して、そのまま道内の大学に進学、そして教員として就職することになった。両親は喜んでくれたけど、実際の所あたしは、自分でつかみ取って、ここまで来たという自覚はない。

 仕方なく、出来ることをやって、流されて、ここに着いてしまった……そんな思いに苛まれることがある。

 友達が出来なかったわけでもないし、苛められていたわけでもない。

 

 ただ……

 あの時の……

 あの高校生だった時の自分と比べると、今のあたしはなんと寂しい存在なのか。

 あの時、毎日ときめいていた想いは、全て過去に置き去りにして、あの時大事にしていたあの場所も、思い出の彼方に追いやって、残ったのはがらんどうの自分。

 

 『彼女』とはメールのやりとりをしていた。

 地元の国立大学に入り、今は大学院へ通っているらしい。でも将来は、ある男性との結婚がもう決められているのだそうだ。

 それを聞いて、あたしにも思うところはある。酷く切なくて、悔しい気持ち。これが、あたしの気持ちなのか、彼女の気持ちなのか、それとも……二人の揃った気持ちなのか……

 正直、分からない。でも、寂しい。あの大事な思い出が切り刻まれていくようで、辛くてたまらない。

 

 『彼』にはメールはしていない。でも、手紙を偶に送っている。内容は簡単。こんなことがあった。あんなことがあった。近況報告ばかり。でも、彼の返信を読むのが嬉しい。嬉しくていつも泣いてしまう。わたしの想いはまだあの時のままなのかもしれない。

 

 プップー

 

 車のクラクションが近くで軽く鳴った。

 

「結衣さん。一人でこんな時間に歩くのは危ないですよ。私がお送りします」

 

 そう呼びかけたのは、パパの会社の江ノ島さんだった。

 

「支社長から、結衣さんをホテルまで送るように言付かっていますから、遠慮なさらないでください」

 

「えっと……あ、ありがとうございます。でも、家はすぐそこですので、今日は大丈夫です。明日の朝、よろしくお願いします」

 

「わかりました。明日8時にお迎えに上がります。今日はゆっくりお休みください」

 

 江ノ島さんは軽く手を上げると、車を進めて帰って行った。

 ふう……

 彼のことは苦手だ。いつも色々と気を回して、あたしに接してくれるのだけど、少し積極的過ぎて気持ちが引いてしまう。

 パパはすごく信頼しているみたいで、何かあれば江ノ島君に相談しろ……って言うんだけど、正直あまり話したくはない。

 こんな時『彼』なら、どうなんだろう……

 きっと迎えには来るけど、面倒くさがって、話しかけても来ないかな。

 

 あたしは雪を落として家に入ると、すぐにお風呂に入って、その日はすぐに眠った。もう、旅行の準備は出来ていたから。

 

 

 

 

「おはようございます。では参りましょう」

 

「おはようございます。よろしくお願いいたします」

 

 江ノ島さんが、青色の四駆のハイブリッドカーで私を迎えに来た。彼は背が高くて、黒髪をきっちりとワックスで撫で固めていて、如何にも仕事が出来そうな営業マンって雰囲気だ。今日はスーツではなく、シャツにスラックスのカジュアル。まあ、雪靴なのが残念な感じだけど、今日行く先が行く先だけに仕方がない。長靴じゃないだけ、おしゃれってことかな。

 

 今日泊まるホテルは、パパの会社も取引をしているスキーリゾート。今回、大型の改装工事を入れて、リニューアルオープンする運びとなった。

 あたしの住んでいるところからは車で3時間くらいかかる。電車は走っていないところなので、車で行かざるを得ないのだけど、車中で彼の話を聞くのは正直辛かった。色々と仕事の難しい話をしてくれるけど、相槌を打つのがやっと……

 やっぱりあたしは難しい話しは苦手。

 

 山間に、突然30階立ての高層ホテルが現れた。

 バブルの頃に建てられたのだそうだけど、はっきり言って異様。何もこんな大自然の中に、こんな物を建てなくてもいいじゃない……というのが率直な感想。

 でも、周囲の庭や、施設や、建物そのものは、大分手を加えられていて、古いというイメージはなかった。

 

「結衣さん、今日は支社長と奥様はお見えになりません。お一人になりますが、お部屋でおくつろぎください。もしお寂しければ、電話を頂ければすぐに参りますので、遠慮なくお呼びください」

 

 ホテルにチェックインしたわたしに、江ノ島さんがそう言って声をかけてくれた。江ノ島さんはかなり気を使ってくれているな……

 あたしが心配なのか、それとも、そうするように言われているのかな。

 

 あたしは一人で広い部屋に入ると、窓のカーテンを全部開け、目の前の山の全容を眺めた。

 そしてそのまま、ベッドに横になって、一人ボッチの時間を過ごした。

 

 

 

 

PI・PI・PI・PI・PI…

 

 

 スマホが鳴っている……いつの間にか寝入ってしまっていたようだ。

 

「はい……結衣です」

 

『江ノ島です。そろそろパーティーの時間です。もしよろしければご一緒しませんか』

 

「はい、わかりました。暫くしたら行きます」

 

 私は、軽くシャワーを浴びて、ドレスに着替えた。別に、このホテルにドレスコードがあるわけではないけど、取引先の家族として来ている以上、適当にという訳にはいかない。

 

「これでよしっと」

 

 手にお守り代わりの青いシュシュを付ける。これがあるといつも頑張れる気がする。

 

 2階の大ホールで、今日は関係者向けの立食パーティーが催されることになっている。入り口で江ノ島さんが待っていた。

 

「おお……結衣さん。とてもお綺麗ですよ」

 

 歯の浮くようなセリフを言われたけど正直あまり嬉しくない。人にジロジロ見られているというのが堪らなく嫌だった。

 中に入ると、もうたくさんの人が集まっていた。壇上では、司会の方が、準備を進めている。

 周りを見ると、料理がたくさん運び込まれてきているところだった。

 

「結衣さん、あまりきょろきょろしないで。ほら、もうはじまりますよ」

 

 江ノ島さんがわたしの腕に、自分の腕を絡めてきた。

 あたしは思わずそれを解いて、少し離れて立つ。

 

”もう……嫌だな”

 

 正直、この場から逃げ出したかった。

 

 ふと、あたしの左手の壁際を見た。紺のドレスを着た女性とタキシードを着た猫背の男性が目に入った。女性が男性に腕を絡めようとして、男性が思いっきりのけ反って逃げている。

 

”あのひとも同じだな……ふふ…”

 

 そう思った瞬間、その彼と目が合った。

 

 それは長い時間という鎖で縛られた分厚い壁が、音を立てて崩れ去る瞬間だった……

 

「ゆ、由比ヶ浜……」

 

「ヒッキー…………」

 

 突然の再会は、あたしをひどく震えさせた。



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(2)北の国の由比ヶ浜結衣

 タキシードに身を包んだその男性は、間違いなく『彼』だった。

 背は少し伸びている。肩幅も、あたしの知っている彼よりもがっしりしていて、逞しく見える。

 でも、彼だ。見間違えるはずがない。

 

「あ……」

「ゆ、由比ヶ浜……なんでお前がここに」

 

 あたしが話しかけるより先に、ヒッキーが声をかけてきた。彼の視線はまっすぐあたしの瞳に向かっている。

 

「ひ、ヒッキーこそ……なんで……」

 

 久々に口にする彼の呼び名に、口の中が一気に乾いていくように感じながら、どうしてなんでが頭の中でリフレインし続けた。

 ヒッキーは腰に手を当てると、ふぅとため息をついた。

 

「お前な……こういう雰囲気の中で『ヒッキー』はないだろう」

 

「あ、ごめん。じゃあ、八幡君?」

 

「うッ……ま、まあ、いい。俺は今『雪ノ下建設』で働いてるんだよ。今日は雪ノ下姉の代理みたいなもんだ。で、お前は?」

 

「パパが招待してくれたんだよ。うちのパパ、ここの取引先なんだって」

 

「そうなのか」

 

 ヒッキーと少し立ち話をしていたら、ヒッキーの後ろから髪を結い上げて、肩の大きく開いた紺のドレスの女性が声をかけてきた。

 

「あら、お知り合い?」

 

「ええ、はい。高校の同級生です」

 

 彼女はハンドバックから名刺入れを取り出して、あたしの前に来て名刺をそっと差し出してきた。

 

「ふーん……珍しいこともあるのね。初めまして、雪ノ下建設設計部の橋本です。よろしくね」

 

「は、初めまして、由比ヶ浜結衣です。あの……名刺とか持ってないんです。ごめんなさい」

 

「いいのいいの、気にしないでね。それにしても、比企谷君、こんなに可愛いお知り合いがいたなんて、隅に置けないなぁ……陽乃さんに言いつけちゃおうかな」

 

「別にいいですよ。陽乃さんも知ってますし」

 

「ちぇー、なんだつまんなーい」

 

 橋本さんと名乗ったその女性は少しおどけた感じで口を尖らせた。

 それにヒッキーは明らかにげんなりした様子になってため息を吐いてからあたしを見た。

 

「それにしても由比ヶ浜、久しぶりだな。会うのは高校以来だから、もう5年ぶりになるのか」

 

「う、うん……そうだね。ごめんね、なかなか会いに行かなくて」

 

「それはこっちのセリフだ。悪かったな、ろくに連絡もしなくて……あのな、後で少し話さないか」

 

「え?」

 

「お前も俺に聞きたいことたくさんあるだろう。俺も話したいし」

 

「う、うん。いいよ。じゃあパーティーの後で……」

 

「了解」

 

 ヒッキーと橋本さんが向きを変えて、他の人の集まりに向かおうとしていた。その背中にあたしは言葉を投げた。

 

「ヒッキー……なんか変わった?」

 

 ヒッキーは一瞬私を見てから、苦笑した。

 

「『ヤッハロー』はどうしたんだよ……お前も元気なくて、らしくないぞ」

 

 そう呟いた。

 

 

 

 

「知り合い?」

 

 江ノ島さんがあたしに声をかけてきた。さっきまでのやり取りを見ていたはずなのに、あたしになんで聞いてくるのか。

 

「はい、高校の時の……同級生です」

 

 そう言ったあたしの言葉には興味が無いらしく、江ノ島さんはすぐに近くの取引先の方との話に戻って行った。

 あたしはポツンと会場の隅に佇む。

 

「やっはろー……」

 

 そう言えば最近言ってなかったな。毎日毎日空回りしてばかりで、気持ちに余裕なんて全然なかった。

 それに気が付いて、少し憂鬱になった。

 

 教師になったのは偶然ではない。もちろん憧れがあった。自分がそうであったように、上手く周りに解けこめない子供達を助けたいという、純粋な正義感もあった。

 でも、そんな思いだけではどうしようもない現実があることに、教師になって初めて気が付いた。

 日々の仕事は減るどころか、刻々と増え続け、資料を作りながら、雑務をこなしながら、授業の準備を行う。それだけでも1日は終わってしまうのに、保護者の方との面談や、子ども達への指導も行わなければならない。

新任だから……慣れていないから……

 そう言い訳しながら頑張ってきたけど、気が付いたら、余裕なんて全くない荒んだ生活をしていた。

 

「あたしって、本当にダメだな……」

 

 ヒッキーに言われるまでも無く、今の自分が情けないほど弱い事は知っていた。

 

”前はこんなんじゃ無かったのにな……”

 

 

 

 

 

 

「俺の部屋に来い」

 

「ふぇ? ちょ、ちょっと……ヒッキー?」

 

 私服に着替えてから、ヒッキーとロビーで待ち合わせしたら、開口一番にそう言われた。ヒッキーも、スウェットの上下に着替えている。

 

「そんな……まだ、心の準備が……」

「いや、お前、もう良い歳なんだから、気にする必要ないだろ」

「き、気にするし! そ、それにそんなにお酒持って、あたしを酔わせてどうする気……ですか?」

「大丈夫、つまみもたっぷりある。それに俺も酔うし」

「い、いや、そういうことじゃなくてぇ」

「つべこべ言わないで、さっさと来い」

「えぇー!」

 

 ヒッキーに手を引っ張られて、彼の部屋まで連れて来られた。

 そ、そう言えば、ちゃんと手を繋いだのって、初めてかも……

 

 部屋に入ると、ベッドが二つくっついて並んでる。

 

「ヒッキー? この部屋他に人は?」

「ああ、今日は俺一人だとさ」

「や、やっぱり帰るよ!!」

「まあ、落ち着けって……何もしないから……………たぶん」

「………」

 

 ヒッキーは、中央の机とか、テーブルとかを全部端に寄せると、床のカーペットの上にドカッと直に座った。

 そして、前に、お酒とつまみ置いた。

 

「お前も座れよ」

 

「むう……やっぱりヒッキーかなり変わった。前はもっと優しかった……と思う」

 

「そうか? そうかもな……俺も色々あったんだよ」

 

 そう言ったヒッキーの顔はどことなく翳を帯びていた。あたしはそんな彼の表情に不安を感じてしまった。あたしの知らない間に何があったのだろう。

 あたしは覚悟を決めてヒッキーの正面ではなく、彼の左隣に座った。一瞬、ヒッキーが顔を赤らめたのが分かった。それを見て少しホッとしたのだけど。

 

「ゆ、由比ヶ浜、なに飲む?」

 

「ビール」

 

「良し……じゃあ、乾杯しよう。俺達の再会に……」

 

「ふふ……似合わないセリフだね」

 

「うっせ」

 

「じゃあ、あらためて……」

 

「「かんぱーい」」

 

 

 こうして、二人っきりの同窓会が始まった。



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(3)北の国の由比ヶ浜結衣

「ぷはー! 美味しい。ねえヒッキー、飲んでる? ん?」

 

「はいはい、飲んでるよ。お前……そろそろ控えた方がいいんじゃないか?」

 

「まだまだ飲めるし……こんなんじゃ酔ったうち入んないし」

 

「酔ったやつほどそう言うんだよ。まあ……いいんだけどね」

 

 正直言えば、勢いに任せて結構飲んじゃったから、割とキツイ。ヒッキーもなんだか呆れたような顔をしてるし。でも、良いの。こうでもしないと、今のあたしには何にも出来ないから。

 でもヒッキーってば、あたしを誘ったのに、さっきからつまみを食べながらチビチビ飲んでばっかだし。何か話したいことがあったんじゃないのかな?

 

「ねえヒッキー……何で話さないの?」

 

「ん……お前が聞かないから」

 

「むう。なにそれ」

 

 これじゃあ、飲みまくってるあたしがバカみたいじゃない。

 

「……じゃあ、聞く。ゆきのんとなんで付き合わなかったの?」

 

 ぶふっと、ヒッキーがむせ込んだ。

 

「い、いきなりだな……」

 

「だって、聞けって言ったし」

 

「それはそうなんだけどな……。あのな……俺と雪ノ下は元々なんでもなかったんだよ。なんていうの? そう、天敵? みたいな? 俺が何かすれば、アイツが喰いついてきて、俺をネタにいじくってただけだ。頭と口じゃ、アイツに全く歯が立たなかったしな。ずっとそういう関係だった」

 

「それって、あたしには超仲良しに見えてたんですけど。あたし、二人の間に割って入れなかったし」

 

「だから、それが勘違いなんだよ。大体、アイツと俺で釣り合う訳ないだろ」

 

 ヒッキーは不貞腐れた顔をして、頭を掻きながら話した。

 ふふ……昔のまんまだね。でも、やっぱり分かってないし。ゆきのんの本当の気持ち。ヒッキーが大切だから、大事だからあんなに口を出したっていうのに……

 好きじゃなければ、ゆきのんは口もきかないよ。

 梅酒ソーダの缶を開けながら聞いた。

 

「あたしが転校した後……」

 

「ん?」

 

「あの後、『奉仕部』ってどうなったの?」

 

 ヒッキーは少し目を細めた。そして、ぽつりぽつりと話した。

 

「お前が居なくなった後は……寂しいもんだったよ。依頼があっても、俺と雪ノ下の二人じゃすぐ喧嘩になってな、まるで上手くいかなかった。そのうちに受験も近づいて、自動的に廃部。まあ、仕方ない。平塚先生の個人的な管理の部活だったしな」

 

 やっぱり無くなってしまったんだ。私の大切な青春のつまった部活が。それはやっぱり辛い。

 

「でもな……俺達が卒業した後に、小町達が復活させてな。確か、今でも奉仕部は残ってるぞ。何する部活か良く分からないのは一緒みたいだけどな」

 

「そうなんだ。それは嬉しいね」

 

 あたしの言葉を聞いて、ヒッキーもちょっと笑ってる。嬉しかったんだね。

 

「さっきの話、ゆきのんのこと」

 

「ああ」

 

「ゆきのんはヒッキーの事、本当に好きだったんだよ。ヒッキーだって分かってたのに、いつも必死になって分からないふりをして……それを見てるあたしも辛かったし。なんで素直にならなかったの?」

 

「……あの時の俺には、そんなこと分からなかったよ」

 

「嘘だよ。だってヒッキーはいつも優しかったもん。あたし達の気持ちをいつも考えてくれてたし。それで、ゆきのんの気持ちが分からないなんて、絶対嘘だよ」

 

 ヒッキーは、するめを噛みながら遠くを眺めた。

 

「本当に分からなかったんだ。ていうか、分かりたくなかった。だって、俺の勘違いなら、全て何も無かったことにできるだろ。本気で俺を好きになる奴なんていないと思ってたんだ。あの時までな……」

 

 あたしにはそれ以上言えなかった。だって、本気でこの人を好きになったのは、他でもない、あたし自身だもの。

 

「なあ、由比ヶ浜……今度は俺が聞きたい。お前なんであの時、俺にあんな告白したんだよ。なんで別れ際なんだよ」

 

 そうだ……”ヒッキーの事……大好きだったよ”あんなに酷い告白はない。でも、ああ言わなければ、あたしも、ヒッキーも一歩を踏み出せないと思ったんだもの。大切な物との別れの告白。あたしにはあれ以上の言葉はなかった。

 

「あの言葉でヒッキーを傷つけたのなら、謝るよ……。でもね、あの時、ヒッキーの事大切に想ってる気持ちを知っていて欲しかったの。それから、あたしが居なくなれば、ヒッキーとゆきのんはきっと上手く行くと思ったし」

 

「そんなわけないだろ」

 

「そうなんだってば。だって、ヒッキーの事を好きだって気持ちは、あたしもゆきのんも同じだったもの」

 

 そこまで言って、我に返った。

 この想いは今の物ではない。5年前のあの時、二人と別れた時の私の気持ち。あの時のヒッキーと、ゆきのんと……

 それを今話したところでどうなる物でもないことだ。

 

 ヒッキーは顔を赤くして頬をポリポリ掻いてた。

 

「ま、面と向かって好きって言われるのも……悪い気はしないな……」

 

「ばーか。ヒッキーがもっと早く素直になってればこんなになってやしないよ。この偏屈、捻くれもの。ゆきのんのこと大事に思ってたくせに、なんで、好きだの一言も言ってあげなかったの」

 

「だから、そうじゃない。俺が本当に好きだったのは……」

 

 そこまで言って、ヒッキーは黙ってしまった。あたしも何も言わなかった。その先の言葉は、今は聞きたくなかったから。暫くチビチビとチューハイを飲んでいると、ヒッキーが話しかけてきた。

 

「なあ、由比ヶ浜……お前今付き合ってるやついるか?」

 

「べつに、いないけど……ヒッキーは?」

 

「俺はまあ……付き合ってるやつはいないな」

 

 むぅ。何かありそうな言い方。気に入らないな。

 

「どうせ陽乃さんとかと仲が良いんでしょ。いいですね。モテる男は」

 

「ばっか、そうじゃねえよ。ただ、『もっと一緒に居たい』と思ってる相手はいるってことだよ」

 

 もうやだ……人の惚気なんて聞きたくない。

 5年も経って、あの時のままでいるなんてあるわけない。もうあの頃にはどうしたって戻れない。ヒッキーがボッチで自虐的だったのなんて昔の話。だって今のヒッキー、カッコいいもんね。以前とは大違いだ。

 

「なあ、由比ヶ浜……もしよかったらな」

 

「ん? なに?」

 

「今度………しよう」

 

 あれ? 今なんて言ったの?

 

 目の前がぐにゃりと歪んだ。やっぱりお酒はほどほどに……ね……

 

 

 

 

 ぱたり。



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(4)北の国の由比ヶ浜結衣

 あったか~い……

 

 とってもいい気持ち、ポカポカする。

 

 はふぅん

 

 あたしは冷え性だから、いつも布団の中で凍えちゃうのにな……

 

 そっか……今日は旅行でホテルに泊まってたんだ……

 

 道理でいつもと違う訳だよね。

 

 それにしても、この抱き枕(・・・)温かくて、もうサイコー……

 

 

 

 

 ん? 抱き枕?

 

 

 

 不意に違和感を感じて、目を開けた。すると……

 

「んんーーー!!!!」

 

 目の前にヒッキーの顔があった。しかも思いっきり背中に手を回して抱き付いちゃってた。

 

「もう!! ヒッキーのバカっ、エッチ、出てけー……」

 

「うおっ!」

 

 思いっきり足でヒッキーを蹴っ飛ばして、ベッドから押し出した。

 

「うおぉ! な、何すんだよ。さ、さむい……頼む……布団に入れてくれ」

 

「だ、ダメに決まってんでしょ」

 

「い、いや、マジで頼む。明け方は、特にやばい……そ、それに、ここ俺の部屋だぞ?」

 

 布団から目だけ出してヒッキーを見たら、ガタガタ震えていた。むぅ……

 

「じゃあ……ちょっとだけ……ね」

 

「助かる」

 

 そう言うと、布団にもぐりこんできた。ていうか、ヒッキーの体、冷えすぎててあたしも寒くなった。

 

「今暖房強くしたからね。温かくなったら出てってね」

 

「だから、ここ俺の部屋だって」

 

 背中合わせで一つの布団に入っている。これだけでもすごくドキドキしちゃうのに……いったい昨日の夜はどうなって……

 はっ……

 あたしは慌てて着衣を確認した。とりあえず、乱れてはいないみたいだけど……

 っていうか昨日とまったく同じ服装だった。

 

「ヒッキー、まさか眠ってるあたしに変な事してないよね」

 

「変な事? ってどんな事だ?」

 

「言うか! バカー!」

 

「わわ……してない、何にもしてないし、見てもいない」

 

 まったくもう……

 なんで朝からこんなことに。

 ええと、昨日の夜はヒッキーとお酒飲んで、色々文句を言ったんだっけ……それから、何か約束をしたような……思い出せないな……

 暫く背中合わせの体勢でいたら、ヒッキーの体温でだんだん温かくなってきて、眠くなってきた。背中の方から、すぅすぅと寝息が聞こえる。ヒッキーも寝ちゃったのか……?

 外はまだ暗い……あたしもこの温もりの中でもうひと眠りすることにした。

 

 

 

 

 

 

「ヒッキー! 早く行かないと、朝御飯の時間終わっちゃうよ」

 

 さっき、部屋に戻ってシャワーを浴びて、着替えてから、もう一度ヒッキーの部屋に来てみたら、まだ眠っていた。ヒッキーの部屋のキーはこんなことじゃないかと思って、一応持って出た。一応ね。

 

「ほら、起きなってば」

 

 布団を剥ぎ取ったら、芋虫みたいに丸くなってるし……

 

「うーん……小町……後3分、いや、2分30秒でいいから……」

 

「あたしは、小町ちゃんじゃありません」

 

 本当に小町ちゃん、毎日このお兄さんの世話してるかと思うと、尊敬しちゃうよ。

 

「あ、ああ、由比ヶ浜か……おはようさん。俺は変なことしてないからな」

 

「分かってるし。早く顔を洗ってきなよ。一緒にご飯に行くよ」

 

「へいへい……」

 

 

 

 食堂に向かうと、入口のところに江ノ島さんが立って待っていた。

 

「おはようございます、結衣さん。昨日はよく眠れましたか?」

 

「え、ええ……」

 

 まさか、ヒッキーと同衾してたとも言えないしね。

 

「良かったら一緒に食事にしましょう。お友達もご一緒にいかがですか?」

 

「うす」

 

 ヒッキーが江ノ島さんに軽く会釈をして、後から食堂に入った。

 

 朝食はヴィッフェスタイルで、和洋折衷になっていた。あたしはロールパンとスクランブルエッグとサラダ。ヒッキーは純和食で焼き魚とか、納豆とか、盛りつけてた。

 

「比企谷くーん……」

 

 昨日ドレスを着ていた橋本さんがヒッキーを呼んだ。今日は赤いトレーナーにジーンズのスタイル。この人誰かに似ていると思ったら、雪ノ下陽乃さんに似てるんだ。髪型とかそっくりだし……

 丁度、橋本さんの掛けているテーブルが、4人座れそうだったので、江ノ島さんが丁寧に聞いて、そこで朝食をとることになった。

 

「レセプションも終わりましたし、今日はゲレンデも解放されます。結衣さんはどうぞスキーでも楽しんでください」

 

「江ノ島さんは、どうなさるんですか?」

 

「ああ、私は、このあと社に戻って仕事です。夕方には支社長と奥様もおみえになられる予定ですよ」

 

 江ノ島さんは、あたしが不安だと思ったらしく、わざわさ説明してくれた。この人、イイ人なんだけど、なんだか四六時中見られているみたいで落ち着かない。

 江ノ島さんの話の後で、橋本さんが話した。

 

「わたしは、今日の昼の飛行機で千葉に行かなくちゃならないから、時間ないなあ。そうだ、比企谷君。今日一日接待ってことにして上げるから、由比ヶ浜ちゃんと遊んでおいでよ。せっかくの再会なんだし」

 

 その提案に江ノ島さんがあわてて口を挟む。

 

「せっかくのお申し出ですが、お嬢さんとあまり面識のない方と一日一緒で、もし何かあれば色々困りますので……」

 

「大丈夫ですよ。二人は同級生ですし。それに、比企谷君は、今度立ち上げる雪ノ下建設の北見事業所に配属になりますから、これを機に仲良くさせて頂きましょうよ。ね、そうしましょう」

 

 うわぁ、強引なとこまで陽乃さんにそっくりだ。

 

「ヒッキーって、北見に引っ越してきたの?」

 

「まあ、そういうことだ。体の良い窓際の島送り……網走送りだな」

 

 網走じゃないし、北見だし。

 

「まあた、そうやっといじけるし。そんなんだから、前の彼女にも振られちゃったんだよ。いい? これは業務命令。今日一日きっちり由比ヶ浜ちゃんをエスコートすること」

 

 え? ヒッキー……やっぱり誰かと付き合ってたんだ……そりゃそうだよね。そんなことで驚くなんて、あたしバカみたい。

 

「さて、わたしは帰りの準備があるからこれで失礼するわね。女満別まではタクシー使うから比企谷君は気にしなくていいよ。楽しんでね~」

 

 橋本さんがサッと立ち上がってトレイを片付ける。江ノ島さんもなんだか不満そうな顔をしたまま、食事を続けてた。

 

「じゃあ、ヒッキー……今日はよろしくね。スキー出来るの?」

 

「まあ、そこそこな……」

 

「ふふん……じゃあ、私がコーチしてあげよっか。北海道在住者の実力を見せてあげよう」

 

 そう言ったあたしは、少しワクワクしていた。

 

 



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(5)北の国の由比ヶ浜結衣

 スキーリゾートと言うだけあって、ゲレンデは最高に綺麗だった。貸し出してもらったウェアも板も新品だし、ゲレンデのリフトやレストハウスも綺麗に塗装されていて、白銀の野によく映えていた。

 

 とりあえず私達二人は、上級者コースの中でも見晴らしの良い、山頂から一つ下のコースまで登ってきた。

 

「うわぁ……すごい見晴らしだねぇ。ねえ見て見て、泊まったホテルがあんなに小っちゃいよ」

 

「おい、由比ヶ浜……ここ結構急だぞ……」

 

「へへ……ヒッキー怖くなっちゃった? なんならリフトで降りるって手もあるよ」

 

「い、いや……あれはなんて言うか、ヘタレの見本と言うか、衆人環視プレイというかで、軽く死ねる」

 

 ゴーグルの下で、ヒッキーの顔が引きつってた。

 

「もう、しょうがないなぁ……あたしが先に少し滑るから、ゆっくり降りておいでよ」

 

「え? お、おい……ちょっとおま……」

 

 ヒッキーが話そうとするのを聞かずに、まだ誰も滑っていない新雪の上に飛び出す。

 スキーが宙に浮いているような、何の抵抗もない綿雪の上を、右に左にシュプールを描きながら、滑り降りる。頬に当たる風が本当に心地良かった。

 暫く降りてから、ゲレンデ脇に止まり、ヒッキーに手を振る。

 ヒッキーは軽く手を上げてから、滑り下りてきた。少し意外だったのは、ボーゲンでゆっくり来るかな? って思っていたのに、きっちりエッジを利かせて滑ってる。いや、かなり上手だった。

 あたしの前まで来た時に、大きく回ってエッジを切って新雪を掛けられた。

 

「うわっ! もう、ヒッキー酷いよ。それにしても滑るのすごく上手かったんだね。うん、びっくりした」

 

「まあな……一色と大分滑ったからな」

 

「一色? いろはちゃんと?」

 

 そこで、ヒッキーが黙ってしまった。

 ひょっとして、ヒッキーが付き合ってたのって……

 少しボーっとしてしまっていたみたい。後ろに向かって板が滑っていたことにあたしは気づいていなかった。

 

「お、おい、危ないぞ」

 

「え? わ……きゃぁ」

 

 ヒッキーがあたしに近寄ると、手を掴んで自分の方に強く引っ張った。その勢いで、ヒッキーの上に抱き付いて倒れ込んでしまう。

 ウェアごしに感じた、彼の硬い胸の感触に体中が緊張に強張った。

 

「おい、大丈夫か? ここはまだ踏み固められてないから、端に行き過ぎると、そのまま崖に落ちるぞ」

 

「う、うん……、気が付かなかった。ありがとう、ヒッキー」

 

 彼に抱き付いたまま、その顔を見た。少し頬を赤くしていて、あたしの視線と交差してすぐに目を逸らされた。

 なんだろうこの感じ。すごく懐かしい気がする。このドキドキする感じ。

 あの時と同じだ。

 

「立てるか?」

 

「う、うん」

 

 急に恥ずかしくなって、下を向いたまま立ち上がった。ヒッキーは少し埋まってしまっていたから、あたしが手を引いてあげる。

 立ち上がってから、お互い顔を見合わせて、でも気まずくて視線を逸らしてしまった。

 不思議だ。さっきまで、何も意識しないで居られたのに、これじゃあ、初めてヒッキーを好きになった時と同じ……

 

 

----------------------

 

 

 あたしが初めてヒッキーに会ったのは、総武高校の入学式の朝だった。

 愛犬のサブレの散歩はあたしの日課だったから、その日が入学式でもいつも通り出かけた。

 でも、交差点に差し掛かった時、急にサブレのリードが外れてしまい、サブレはそのまま車道に飛び出してしまった。

 あの時、あたしは頭の中が真っ白だった。サブレのすぐ前に黒塗りの大きな車が飛び込んでくるのが見えて、もう何もかも間にあわないと思ってしまったから……

 身体が動かなかった。もう何も考えられず……

 

 でも、その時……

 

 あたしの目の前に自転車で飛び出してきて、そのままとびおりながらサブレを抱きしめた男の子の姿が映った。彼は身を丸めるようにしたまま、その車にはねられてしまう。

 目の前の大惨事に、あたしは言葉もなく呆然とするしかなかった。

 サブレを抱いたまま意識を失った男の子のそばで、彼が救急車で運ばれるまで泣き続けることしか出来なかった。

 

 そんな混乱していたあたしにも分かったことがあった。

 彼があたしと同じ総武高校の制服を着ていたこと。そして、彼が抱いたサブレは傷一つ負わなかったということ。そして、彼の命が助かったということ。

 

 その時から彼の事が気になるようになったんだ。

 はじめはただ、きちんと直接謝りたかっただけだった。

 事故後すぐに彼の自宅へ謝りに行ったけど、彼に会うことはできなかったから。

 

 元々内気で、本当に仲の良い友達としか付き合うことのできなかったあたしは、このままでは彼と話も出来ないと思って、女子高生を頑張ることにした。所謂、高校デビュー。

 髪を染めて、ティーンの雑誌をたくさん読んで、流行りのアクセサリーとか、コスメとかの研究もした。学校でも、いろんな友達に話しかけて、どんな会話にもついていけるように、TVもいろんなジャンルを見た。

 

 そして、そしてついに彼に話しかけようと思ったその時……彼が、いつも独りぼっちで過ごしていることに気づいてしまった。

 あたしは自分から彼に話しかけようと何度も挑戦しようとしたけど、緊張もするし、何て言葉をかけて良いのかも分からなくて、時間だけが過ぎていった。

 そのうちに知った。

 彼は怪我での2か月の入院の所為で、学校に来た時にはすでに居場所が無くなってしまっていたということに。

 あたしの所為だ。あのケガの所為で彼は一人になってしまったんだ……

 でも、それでもあたしは彼に何も伝えられないまま時を過ごしてしまった。彼はずっとひとりぼっちのまま。あたしも気が付いたら、他の友達に合わせることで手一杯になっていて、本当に何も出来なくなっていた。

 

 彼の事をずっと気にしていた。仲良くしたいとずっと思っていた。でも、内気なあたしは一歩が踏み出せなかった。

 

 だから、あの時、奉仕部の扉を開けた時から、本当の意味で自分の気持ちと向き合えたのだ。

 

 そこに彼が居たことは、本当に意外だったけど。

 

 

 

----------------------

 

 

 

「ねえ、ヒッキー」

 

「なんだよ」

 

「ヒッキーは高校の時、あたしの事、どう思ってた? 好き……でいてくれたのかな?」

 

 あたしは唐突に彼に聞いた。彼の瞳を見つめながら、あたしが決して聞かないと心に決めていた、あの『別れの告白』の答え。

 もし……なんてことが無いのは分かっている。でも、彼を好きだという思いが、今でもあたしの中に確かにあった。

 彼が誰と付き合ってきて、誰を愛してきたのか、そんなことはどうでも良かった。

 あの時のあたしと、今のあたしが繋がってしまったから……だから、確かめずにはいられなかった。

 

「たぶん……そうだったと思う。今思えば……な」

 

「そう……そっか」

 

 聞いても意味がないことは分かっていた。でも聞きたかった。ヒッキーはやっぱり優しい。あたしの欲しい答えをやっぱりくれた。

 

「ヒッキーはやさしいね」

 

「なんだよそれ」

 

「なんでもないですよーだ」

 

 あたしはそう言うと、白銀の世界に体を躍らせた。今は……これだけで十分だった。久々のトキメキに心が軽かった。

 

 

 

 

 

「お前、鬼だな……何十本滑れば気が済むんだよ……」

 

「ヒッキーが運動不足なだけじゃないの? これ位なんでもないでしょ」

 

「さ、さすが雪国住まいってことか……参りました」

 

「ふふ……じゃあ、負けたヒッキー君には罰ゲームかな」

 

「なにやさせる気だよ」

 

「それはね……」

 

 

「結衣」

 

 

 ゲレンデから帰って、ホテルのロビーで休んでいたあたし達にママが声をかけてきた。

 

「あ、ママ……今着いたの?」

 

「そうよ……あら? あなた『ヒッキー君』じゃない? すごいイケメンになっちゃって……何々? 今日は二人でデートしてたの?」

 

「ち、違うってば、ママ。たまたま……そう昨日のパーティーでたまたま会ったの」

 

「そう? 別に私達のことは気にしなくていいからね。二人で仲好くしてらっしゃい」

 

「だから、違うってば」

 

「お久しぶりです、お母さん。結衣さんにはお世話になっています。今日はとても楽しかったのですが、明日仕事ですので、これで失礼します」

 

 急にヒッキーがかしこまって、ママに挨拶した。こんな風にも話せるんだ。もう子供じゃないもんね。ヒッキーもあたしも……

 

「そう……残念ね。でもそうね、またいつでも会えるものね。結衣と結婚してくれれば」

 

「ちょ、ちょっとママ!!」

 

 あははって、ママが笑って荷物を取りに行った。むぅ……言うに事欠いて何を。

 

「じゃあ、由比ヶ浜、俺も帰るわ……暗くなると雪道怖いしな……」

 

「ちょっと待ってよ」

 

「なんだ?」

 

 あたしは手帳に要件を手早く書いて、それを破くとヒッキーに手渡した。ヒッキーは不思議そうにそれを眺めてる。

 

「はい、罰ゲーム。今度この住所にケーキを買って持ってくること……その日は一人で来て、他に予定を入れないこと」

 

 あたしが一気にそう言うと、ヒッキーは笑いながら、

 

「お前、それってデートの誘いじゃないかよ」

 

「ば、罰ゲームだから、絶対にやんなきゃダメなの」

 

 ヒッキーがニコリと微笑んであたしに耳打ちした。

 

「しかたない。罰ゲームだからな」

 

 それだけ笑いながら言って、ヒッキーは冷え切った夕闇の中を帰って行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日あたしは夢を見た。

 

 

 

 温かい陽だまりの部室……

 

 あたしの左隣では、優しい顔のゆきのんが紅茶をすすってる。

 

 そして、右には、にやけた顔で本を読むヒッキーが居た。

 

 幸せだったあの時……

 

 

 それを……夢の中で思い出していた。

 



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(6)北の国の由比ヶ浜結衣

「ふふん、ふふふん……ふふ……」

 

「随分ご機嫌ですね、由比ヶ浜先生。鼻歌まで歌って」

 

「は……あ、いやはや……失礼しました」

 

 あたしの隣の席の青葉若菜先生が、にこやかに話しかけてきた。

 

「ふふ……、噂になってますよ。由比ヶ浜先生に彼氏が出来たって。男の先生達ヤキモキしてますよ」

 

「へ? いや、そのことは誰にも言ってないはず……あ……」

 

 あっちゃー、ひっかかった。

 こんなに簡単にカマを掛けられて、あっさり白状しちゃうなんて……あたしって本当にバカ。

 青葉先生は横目であたしを見ながら、ニヤリと笑った。

 

「で、先生……相手は誰です? この学校の人ですか? それとも幼馴染とか?」

 

「ち、違いますよ。別に、本当に付き合ってなんかいませんし」

 

「あら? でも、『付き合ってないけど、気になってる人はいる』ってことですよね」

 

「んぐ……」

 

 もう……青葉先生は、自分だって私とほとんど年も違わないし、彼氏だっていないはずなのに、どうして人のこういうゴシップネタに食い下がって来るんだろう。

 

「駄目ですよちゃんと教えてくれないと。この出会いのない閉鎖環境で、若くて可愛い独り身の女性は貴重な財産なんですから。抜け駆けはご法度ですよ。放っておくと勘違いしちゃう先生が出ちゃう危険がありますからね」

 

 いや、危険て。

 

「それなら、青葉先生も同じ立場ですよね? 先生の方こそどうなんですか?」

 

 あたしがそう言うと、ふふんと鼻をならした青葉先生は腕を組んで立ち上がり、声を張り上げた。

 

 

「あたしは大丈夫です。だって、彼氏……できましたし!」

 

 

 ガタガタっと何人かの男性教諭が立ち上がって、こっちを見る。

 それから、肩をがっくり落として再び座った。

 なんだかなぁ……

 

「ですから、彼氏が出来たなら出来たで、きっちりお知らせするべきなのです! いまの私の様に!!」

 

 とその胸を張りつつ宣言する青葉先生。

 

「たはは……」

 

 あたしはもう笑うしかなかった。 

 そうは言っても……本当に別に付き合ってるわけじゃないし。

 ヒッキーがあたしのことどう思ってるのかも分からないし……

 あたしだって……本当にヒッキーを好きなのかどうかも……

 青葉先生が詰め寄ってきたけど、今は何にも言えないので、黙るしかなかった。

 

 

 帰りに守衛さんの待機室に立ち寄ると、何人かの子供たちが、守衛さんとベーゴマで遊んでた。

 

「やっはろーみんな。そろそろ帰る時間だよ」

 

「ちぇー……おっぱい先生が帰れってさ。つまんね」

 

「だ、誰が、お、お……」

 

「まあまあ由比ヶ浜先生。子供のこいとることですから」

 

 守衛さんがニコニコとした顔で立ち上がると、子供たちの支度を手伝って外へ出した。子供たちはきちんとお辞儀をして帰って行く。

 

「ずいぶん、みんな礼儀正しいですね」

 

「みんな良い子達ですよ。なまらおがっとるだわ」

 

「おがっとる?」

 

「ああ、成長してますよってことだべさ。あの子らも、ちょべっとずつ出来るようになりました」

 

 いつでも優しい守衛さんは子供たちの人気者だった。いつも放課後はここが子ども達のたまり場になっている。守衛さんは仕事しなくていいのかな?なんて、割と本気で心配してたけど、その必要はなかった。だって、先生方が手分けして守衛さんの仕事を手伝っていたから。もはや、この人は、わが校の象徴と言ってもよさそうだ。

 

「で、由比ヶ浜先生。彼氏はできましたかね?」

 

 私は旅行中に会ったヒッキーの事を話した。守衛さんは純粋に私の心配をしてくれてるから、別に隠す気もなかったし。それに、やっぱり誰かに聞いて欲しかったし。

 

「その人は間違いなく先生に惚れとるわ」

 

「え? そ、そうですか?」

 

「んだね。5年ぶりに会って、好きだの嫌いだのの話なんか普通はしないもんだわ。先生が気になるからその人はしたんだわ」

 

「でも……あたし……自信なくて……」

 

「先生もその人の事好きなんだべさ」

 

「う……ええ……まあ」

 

「なら話は簡単だべ? 気持ちをこけばいいんだべさ」

 

「そうなんですかね。あたしが告白したら上手くいきますか?」

 

「そうだなぁ、わかんねぇけど、きっと大丈夫だべ」

 

 守衛さんは、ずっとニコニコしながら話してくれた。それで最後に『上手く行ったなら二人に良いものを見せてあげる』って言っていたけど、なんのことだろう。

 守衛さんに言われてから、不思議と気持ちが楽になった。

 ヒッキーとの再会は、あたしを昔の自分に戻していた。一度は諦めた恋。捨て去った恋に再び向き合ってる。あの時のヒッキーじゃないことは、分かっている。でも、17歳で止めてしまっていた自分の想いが彼を求めていた。

 

”あたしはヒッキーを好きなんだ”

 

 それを改めて自覚した。再会してから、まだほんの少ししか経っていない。でもその少しの時間の中で押し留めてきた想いが一気に解き放たれたように感じている。あの時の彼への想い。それを今、もう一度……

 

「明日……」

 

 そう、明日はあの罰ゲームの日。彼がケーキを持ってうちに遊びに来る。

 どんな顔をして、どんな感じで来るのか、考えるだけでウキウキしてしまう。

 

 もう、気持ちを抑えるのは止めよう。ヒッキーを迎え入れよう。

 ひょっとしたら、ヒッキーもまだあたしの事を好きでいてくれているのかもしれない。

 淡い幻想を抱きながら雪道を歩いた。

 

 

 

 

 

 

 あたしの住んでいる町は田舎だ。大きなデパートも、商業施設も殆どない。唯一色々買えるのが、郊外にあるショッピングモール。でも雪の中を車で30分もかけなければならない。

 こっちでは、車がないと本当に不便だ。出歩ける距離にお店があることの方が稀で、ここのような田舎だと、コンビニに行くにも車を使う。特に冬の時期には雪道を長距離徒歩で移動なんて、ほぼ不可能。だから、あたしもすぐに免許を取った。

 

「よし……じゃあ行こう」

 

 少し気合を入れて、愛車の四駆の軽自動車のエンジンをかける。

 明日のヒッキーとのデートに向けて、少し買い物をしたかったから。でも正直運転は苦手。この前も、信号待ちをしている車に追突したばかりだ。だって、ブレーキ利かないんだもの。まあ、多少ぶつかるていどなら、許してくれる人も多いのだけど、やっぱり運転は怖い。

 

 そろりそろりと雪道を走り、大分時間をかけてショッピングモールに着いた。

 

「とりあえず買うのは、ごぼうと、人参と……あ……」

 

 食料品売り場へ向かう道すがら、小物類のお店の前のショーケースのあるものに目が止まった。そう言えば、プレゼントの事を何も考えてなかった。

 人に贈り物をするなんて、久しくしていない。別に今回はプレゼントが必ず必要という訳ではないと思うのだけど。

 ヒッキーって、どんな物貰うと嬉しいんだろう。

 今更ながら、彼の好みが解らないことに気が付いた。

 

”お前が頑張ったんだっていう姿勢が伝わりゃ、男心も揺れるんじゃねーの”

 

 ふふ……なんで急にあの時の事を思い出したんだろう。

 

 あたしの作った美味しくないクッキーを、これでいいんだよって言ったヒッキー。ヒッキーに食べて欲しくて頑張ってたのに、あんな風にあしらわれたのは正直嫌だったな。でも、あの後も頑張ったんだよ。少しは美味しいクッキー作れるようになったんだよ。

 

 

「結衣さん。お買い物ですか?」

 

 不意に声を掛けられて振り向くと、江ノ島さんが立っていた。

 

「先ほどお電話したのですが、お出にならなかったので、もしかしたらって来てみました」

 

「すいません。今日は携帯を仕舞ったままだったので。なにか急用ですか?」

 

 江ノ島さんは少し頬を赤くして、

 

「い、いえ……今日は早めに仕事が終わったので、もし良かったら一緒にお食事でもと思いまして。私の取引先のホテルの料理長が、この近くでオーナーシェフのフレンチを始めまして、そこへどうかな……と」

 

 江ノ島さんはきっちりスーツで正装をしてる。あたしは、トレーナーにジーンズにコートのラフな格好。当然すぐにフレンチに行けるわけない。それに…

 

「すいません。せっかくのお誘いですが、ちょっと色々と買うものもあるので、今日は失礼します」

 

「ああ、それなら、私もお手伝いしますよ。こう見えて、料理とか好きなんです。食材の買い出しは任せてください」

 

”俺は料理はできねえぞ”

 

 思い出の中のヒッキーが私に話しかける。目の前の江ノ島さんとのあまりのギャップに思わず吹き出してしまった。

 

「あ、あの……私何かおかしなこと言いましたか」

 

「いえ、ごめんなさい。ちょっと変なことを思い出してしまいまして」

 

「はぁ」

 

 江ノ島さんが肩を落としてあたしを見た。

 

「やっぱりごめんなさい。今日は一人でお買い物したいの。せっかくのお誘いですが、本当にすいませんでした」

 

「そうですか……ではまた次回に。今度は前もって連絡させてもらいますね」

 

 江ノ島さんはそう言うと、両手をズボンのポケットに入れて、駐車場へ歩いて行った。

 あたしは暫くその後姿を見送った。

 

 

 

 

「ちょっとちょっと由比ヶ浜先生」

 

 振り向いた先に居たのは青葉先生。

 

「今の人が『気になる人』ですか? 如何にも仕事できますって感じのイケメンじゃないですか」

 

 青葉先生が野菜のたくさん入った買い物袋を手に持って、ニヤニヤしながら聞いて来た。これだから地元は……壁に耳あり、障子にメアリー……ん? メアリーって誰?

 

「ちがいますよ。あの人は父の会社の方です」

 

「え? ということは、あの人の他にも、あんな感じのイケメンの『彼氏』が居るってことですね。二股になっちゃいますね」

 

「えぇ!?」

 

 もう何を言っても、突っ込まれちゃう。

 

「あの……あたし、買い物があるので……」

 

「そんなこと言わないで教えてくださいよぅ」

 

「ちょ、ちょっと」

 

 ダメだ。この人しつこい。田舎の所為でゴシップ少ないから、喰い付いちゃったのか。

 うわー誰か助けてよー。

 

「よお由比ヶ浜。お前もここで買い物なんだな」

 

 突然、あたしと青葉先生に声をかけた一人の猫背の男性。スーツ姿で紺の長いマフラーを首に巻いてる。

 

 

 アッチャ~タイミング最悪だし。

 

 

 青葉先生の目がキラリンと輝いた。



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(7)北の国の由比ヶ浜結衣

「あ、れ?」

 

 ヒッキーが、渋い顔をしているあたしと、鼻を膨らませて目をキラキラさせている青葉先生を交互に見ながら、不思議そうな顔をした。

 

「あ、あの。私、由比ヶ浜先生の同僚で、青葉若菜って言います。失礼ですけど、由比ヶ浜先生の彼氏さんですか?」

 

「え、えーと……いや、彼氏って訳じゃ……」

 

 ヒッキーがあたしの顔を見ながらブツブツ声をだす。そして視線を泳がせつつぽそりと言った。

 

「い、いや、まあ、そうです、はい。」

 

 ぷっは……い、いきなり何言い出すの!!

 

「ちょ、ちょっと、ヒッキー!」

 

「いいだろ別に、明日デートするんだし」

 

 青葉先生があたしに急に抱き付く。

 

「うわ、うわわ……これは来ました……今年一番です。なにこの萌え萌え感!! き、来ましたわぁー」

 

 わわわ……青葉先生が姫菜みたくなってるし!!

 

「あ、それでな由比ヶ浜。明日お前んちに行っても大してやること無いだろ? だからちょっと俺と出かけないか?」

 

「家でだって、あんなことや、こんなことや、色々出来ますけどね……ぬふふ」

 

 青葉先生が壊れちゃったよ。

 

「ちょっとヒッキー、人前なんだから、少しは考えてよ。は、恥ずかしいし」

 

「はあ? せっかく行き会ったんだから要件くらい伝えないと面倒だろうが」

 

「そうじゃなくて、時と場所を考えてって言ってるの! それにまだ(・・)あたし達つきあってもいないでしょ。いい加減にして」

 

 あたしが一気に捲し立てたら、ヒッキーも少し真面目な顔になった。

 

「分かった……悪かった。じゃあ、また明日な」

 

 あたしにそう言った後、青葉先生にぺこりと頭を下げて、ヒッキーはすぐに店を出て行った。

 

 後に残った青葉先生がやっぱりニヤニヤしてる。ああ、もう色々聞かれるの嫌だな……

 でも先生はそれ以上何も茶化さずに、一言だけ言ったの。

 

「明日、楽しんでね」

 

 

 むぅ……みんなして……

 

 

 あたしは急いで買い物をして周った。

 

 

 

 

 

 

 朝6時。

 

 あたしは台所に立ってる。

 昨日の夜にヒッキーからメールが入って、オホーツク海沿いをドライブデートすることになった。だから、あたしが今作っているのは、もちろん『お弁当』。ふふん、感謝しなさい。昨日あれだけ恥を掻かされたのに、それでもお弁当を 用意してあげちゃうんだから。

 ヒッキー……喜んでくれるといいな……

 

 お弁当の次は今日着ていく服とお化粧。

 12月も半ばのこの時期は、雪が降ってなくてもものすごく寒いから、結局は厚手のコートが必須なんだけど、車の中は温かいしね……

 一応、それなりの勝負下着と、お気に入りのインナーを着て、ニットのワンピースを合わせる。ハイソックスを履いたら、なんとなくゆきのんを思い出した。今頃何をしてるんだろうな。

 それからお化粧……

 いつもほとんどノーメイクに近いから、デートの時くらいはきちんとしなきゃ……でも、濃すぎるのは多分嫌われちゃうかもだから……

 ああでもない、こうでもないと色々してたら、あっという間に約束の時間になってしまった。

 

 

「これで……よし」

 

 黒髪のお団子ヘアーもばっちり仕上がった。今日はそのお団子にヒッキーから貰った青いシュシュを付けている。

 

 用意はできたけど……なんだかそわそわする。

 デートの前って、こんなに緊張するんだっけ…

 自分の家なのに、なんとなく居心地が悪くて、ついフラフラ歩いて回ってた。

 

 

 ピンポーン

 

 

「おーい、由比ヶ浜……着いたぞ」

 

「は、はい、はいはい……今開けるね」

 

 扉を開けると、ヒッキーが頭を掻いて立ってた。

 

「よし!! じゃ、じゃあ……行こう」

 

「おい、ちょっと待て。ケーキ買ってきたから、まずそれ食べてからだろう」

 

「ふぇ? そ、そっか……へへへ、そうだね。じゃあ、上がって上がって」

 

 もうあたしったら慌てまくってて、全然何していいか分かってないよ。

 そういえば罰ゲームでケーキ買って来てって言ったのはあたしだった。

 急いでヒッキー用のスリッパを出して、パタパタと台所にお茶の準備に向かう。そうしたら、ヒッキーが後ろから、

 

「あ、そのう……き、綺麗だな、良く似合うよ……その服……」

 

「へ? やだ……あ、ありがと。な、なに、どうしたの、ヒッキー」

 

 まさか急に褒めてくれるなんて思わなかった。顔がカーッと熱くなる。

 

「いや、ほら……やっぱり大事だろう……そういうのって」

 

 ヒッキーも緊張してるのか、少し声が上ずってた。

 あたしはケーキのお皿と、お茶を二人分煎れて用意すると、カーペットの上の丸いローテーブルに向かった。そして、ヒッキーの左隣に座って、テーブルにお茶の準備をする。

 

「ゆ、由比ヶ浜、け、ケーキ好きな方選べよ。モンブランとショートケーキ」

 

「いいの? じゃあショートケーキで」

 

 お皿にケーキを盛りつけると、二人で並んで食べた。めちゃくちゃ美味しい……

 これ商店街のあのお店のケーキだよね。

 いつも人気で売り切れちゃっててなかなか食べられなかったやつだ。

 

 そんな美味しいケーキを頬張りながら何気無く、食べながらヒッキーを見る。

 

「なんかさ……こうやって並んで、ケーキ食べてると、奉仕部に居た時を思い出すね。ヒッキーがその位置でしょ、それでゆきのんがこっち。ああ、前はヒッキー、もっと、ずーっと離れて座ってたけどね」

 

「ほっとけ」

 

「ふふふ」

 

 ほんのちょっとしたことだけど、あたしには嬉しかった。ここにゆきのんがいたらなあ……なんて、そんなことも思ってしまった。

 その時、何気なくヒッキーの顔を見た。

 ヒッキーは、少し……何か言いたそうな様子に見えたのだけど。

 

「どうしたの、ヒッキー。何かあった?」

 

「いや……えーと、あのな……」

 

「ん?」

 

「い、いや……なんでもない。さて、食べ終わったし、そろそろ行こうか。今日はお前に見せたいものがあるんだ」

 

「え? なになに? 教えてよ」

 

「駄目だ……それに着いてからじゃないと意味がないんだ」

 

「むぅ……けち。まあいいか、あたしもヒッキーの為に腕によりをかけてお弁当を作ったからね。楽しみにしてて」

 

「え? 弁当作ったのか」

 

 ヒッキーの笑顔が引きつった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 結論から言えば、今日のドライブデートは大成功だった。ヒッキーは最近こっちで買った大きめの黒いSUVを運転して、まあ、初心者だから仕方ないけど、結構すべりまくりながら雪道を走った。それでも、国道まででると、かなり圧雪されているので走りやすかったみたいでヒッキーも上機嫌。空は雲一つない晴天で、二人で昔流行ってた曲を歌いながらおバカなデートを楽しんだ。

 お昼頃、網走に入って、誰もいない漁港で車のハッチバックを開けて、そこに腰かけて海を見ながらお弁当にした。日差しはあるけど、ちょっと寒かったけどね。

 

「はい、ヒッキー」

 

 あたしが作ってきたのは、卵焼きと、鶏のから揚げと、きんぴらごぼう。それとおにぎり。

 

「ゴクリ……いただき……ます」

 

 ヒッキーが悲壮な顔で、から揚げを口に入れた。むぅ……なんかムカつくし。

 

「え?」

 

 ヒッキーが急に変な声をだす。

 

「どうしたの?」

 

「旨い……あれ? 旨いな……」

 

 なに? 美味しかったらいけないみたいな、それなんなのよ。

 

「おかしいな……旨いぞ」

 

「しつこいってば‼ なに? あたしの料理が美味しいといけないの?」

 

「いや……ほら、お前料理苦手だったろ?」

 

「そんなの……4年も一人で自炊してれば、多少出来るようになるし。もう……失礼しちゃう」

 

「悪い悪い……これ本当に美味いぞ……いくらでも食べられる」

 

 急にがつがつ食べだして、あたしもちょっと嬉しくなった。

 後で聞いたのだけど、ヒッキーはヒッキーで、昼食に帆立の美味しいお店に連れて行ってくれようとしてたみたい。

 あたしも行ったことはないからちょっと興味があった。まあでもそこは今度の機会にとって置こう、ということに二人で決めた。へへへ……次のデートか。

 

「うーん……美味しかった。ごちそうさま。さて、この後まだ少し時間があるんだけど、どっか行きたいとこあるか?」

 

 急にヒッキーに聞かれて、あたしも悩む。

 

「えーと、網走だから……監獄とか?」

 

 

 

 はい……真冬の極寒の中……二人で行ってしまいました。雪に佇む網走監獄(観光地)に。

 すいません。もう二度と悪い事しません。

 何にも悪い事したわけでもないのに、二人でそう心に誓いました。

 

 

 

 それからまた暫くドライブ。車の中が温かくて、ついウトウトしちゃった。寝ながらふと気が付くと、ひじ掛けに乗せていた私の手を、いつの間にかヒッキーが握っていた。

 ちょっと気恥ずかしくて寝たふりしたままだったけど、ヒッキーの温もりが心地良かった。

 

「さあて、着いたぞ。今日は最高だ」

 

 ヒッキーのその声で目が覚めた。目の前が妙に赤くて明るい。ここ……どこ?

 

 目を開けた途端、その絶景に思わず息を呑んでしまった。

 

「……すごい」

 

 世界が朱に染まっていた。空も海も……湖も……

 

「ここ……サロマ湖?」

 

「そうだよ」

 

「こんなに綺麗なんだ」

 

 広大なサロマ湖の向こう岸と言えばいいのか……地平線に真っ赤な太陽が淡く輝きながら沈みかけていた。

 湖面はキラキラと赤く輝きながら、周りの景色を映している。あたし達の真上の空は、徐々に夜の星空の用意を始めていた。

 あたしはいつの間にか自然にヒッキーと並んで手を繋いでいた。

 

「綺麗……本当に綺麗……」

 

 あたしにはそれしか感想がなかった。この感動をもっと上手く伝えられたらどんなにいいか。でも、その一番に伝えたい相手はあたしのすぐ隣にいる。それが堪らなく嬉しかった。

 

「ヒッキー、今日はありがとう。はい、これ……プレゼント」

 

「お、おお……開けていいか」

 

「うん」

 

 ヒッキーにあげたのはシルバーのネクタイピン。

 

「これ……高かったろ?」

 

「へへへ、気にしないで。好きな人(・・・・)にはカッコよくいて欲しいだけだから……」

 

 

 言った。

 

 

 ヒッキーの顔を見て、素直に言った。なんて清々しい気分だろう……ありがとうヒッキー、今日のデート本当に楽しかった。一人で満足して、沈む夕日を見つめた。

 

「由比ヶ浜……」

 

「ん? なに?」

 

 

 

 

 

「お前のことが……………好きだ。ずっと好きだった」

 

 そう言って、ヒッキーはあたしを急に抱きしめた。



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(8)北の国の由比ヶ浜結衣

「お前のことが……………好きだ。ずっと好きだった」

 

 急にヒッキーがあたしのことを抱きしめた。突然のことに頭が混乱する。

 ヒッキーはあたしの背中にまわした腕に力を込めた。そのあまりの強さに、ヒッキーって力強いんだな……なんて、冷静に考えてしまっている自分が居た。

 彼の体に包まれているうちに、自分でも彼を抱きしめたいという欲求が沸き上がる。

 

 でも、そんなことしたら、恥ずかしいかも……

 

 自制心のような物が働こうとするのを感じつつも、自然と彼を求めてあたしも抱きしめた。得も言われぬ一体感に、全身が麻痺したように震える。

 密着した彼の温かさと、彼の力強さに酔いしれて、頭がぼんやりしてしまう。

 だた……一つだけ分かっていること……

 

 彼の愛が今あたしにだけ向けられている……

 

 その幸福感にあたしは支配された。そして、されるがままに彼に身を委ね、いつまでも抱きしめ、抱かれ続けた。

 

 

 

 ふと気が付くと、辺りは暗闇に包まれていた。肌を刺す冷気も強くなってきている。

 あたしは、あたしの頬に顔を埋めるヒッキーの頭に、自分の額をゴチンとぶつけた。

 

「いってぇ」

 

「いつまでやってんの……もう」

 

 私はニヤケルのを我慢しながら、ヒッキーを見る。

 

「せっかくいい雰囲気なのに、頭突きすることないだろ」

 

「断りもなく抱き付いてくるからでしょ、バカ。それに自分でいい雰囲気とか言わないの、バカ」

 

「おい……バカバカ言うな」

 

「バカだから、バカって言ってるの! だってこんな演出頑張っちゃって! ヒッキーバカでしょ。本当にバカ。バカバカ……」

 

 急にヒッキーの口許が緩んで、優しく微笑んだ。どうやらあたしはバカバカ言いながら、にやけてしまってたみたい。

 

「なあ……き、キスしていいか?」

 

「本当に……バカ……なんだから」

 

 あたしはヒッキーの首に腕を回すと、そのまま飛びつくように抱きついて、唇を重ねた。

 ヒッキーはさっきよりも強く私を抱きしめる。

 

 こういう時って、どうやって息をすればいいんだろう……

 

 全身が爆発を繰り返すように激しく彼を求めていながら、どこか冷静な自分がいた。

 

 長い口付けの後、あたしは彼の腕に抱き付いた。そして、もうしばらく、満点の星空の中にその身を置いた。

 

 

 

 

 

 

 

「さ、寒い!! ほんとヒッキーってバカ。車のエンジンくらいかけておいてよ」

 

「な! お前が俺を離さなかったんだろ? 人の所為にすんな」

 

「風邪ひいたらどうすんの!?」

 

「お前なぁ……さっきまであんなに可愛らしかったのに、急につっかかってくんな」

 

「もう遠慮んなんかするわけないでしょ。誰のせいだと思ってんのよ。バカ。しっかり責任とってもらうからね。ベェー!」

 

「うぉ……」

 

 あれ? このやり取り前にもやったことあるような……うん、デジャブだね。

 

 口じゃこんなに悪態ついちゃってるど、あたしの心は今までに感じた事ないくらい幸福感に満ちていた。

”ヒッキーに好きって言われた”

 好きな人に愛される。それを真っすぐに伝えてもらえる。これがこんなにも嬉しいことだなんて……あたしは初めて知った。

 運転席のヒッキーを見ると、何だか不機嫌そうな顔をしてる。あ、ちょっと言い過ぎちゃったかも。

 

「ごめんね、ヒッキー。ちょ、ちょっと言い過ぎた……かも。今日はありがとう、本当に嬉しいよ! 怒っちゃった?」

 

「ああ、別に怒ってない。ただ、ムカついただけだ」

 

 それを怒ってるというんだよ。

 

「本当にゴメンね……ねえ、なんでも言うこと聞いてあげるからさ、許して……ね」

 

「ば、ばか、急にくっつくな! は、ハンドル……取られる!!」

 

 そのまま暫く蛇行しながら車は走った。

 

 

 

 

 

 

「そうですか……えがったすな、仲良くなれて」

 

「はい。おかげ様で」

 

 あたしとヒッキーは今、あたしの勤め先の学校の守衛さんの部屋に来ている。今日は土曜日でお休みだったけど、守衛さんは仕事をしていた。

 突然あたしに、連れて来られたヒッキーは何のことかさっぱりって顔をしてるけど、お茶を出してもらってからは自己紹介したり、世間話したりしていた。

 

「そうしたら、由比ヶ浜先生。約束通り『良い物』みせてやんねばな」

 

「あの……良い物って、何ですか?」

 

「そりゃあ、見るまでのお楽しみだべ。先生も、彼氏さんも、明日5時にここに来てください」

 

「5時!?」

 

 あたしとヒッキーは顔を見合わせた。

 

 

 

「優しそうな人だな」

 

 守衛さんと別れて車に乗ってから、ヒッキーが私に言った。

 

「うん、良くしてもらってるし。その……正直今の仕事、辛くて。何度も逃げ出そうとしてたの。でも、いつも守衛さんが励ましてくれて……だから、あたしには恩人なんだ」

 

 ヒッキーはあたしの手を握りながら、

 

「そうか……そういう人って……大事だよな」

 

「うん……大事」

 

 二人でのデートの帰り道。まだまだ幸せの余韻に包まれていた。

 

 

 

「でも……5時か。今日由比ヶ浜の家に泊まって良いか?」

 

「えと……それはもう少し……心の準備が出来てからで……ね?」

 

 あたしに拒絶されたヒッキーは憮然としていた。

 

 

 

 

 

 

「おはようございます」

 

 ダウンコートで丸々となって眠そうなヒッキーの手を引っ張って、小学校の入り口まで来ると、守衛さんが軽トラックで待っていた。

 

「はい、おはようさん」

 

「その軽トラックに乗るんですか? 3人で?」

 

「ああ、まあ、乗れるでしょ。先生が彼氏さんの膝の上にでもおっちゃんこすれば」

 

 ああ、座れば……てことね。

 狭い軽トラックの助手席にヒッキーと私がお互い押し合うように乗り込む。

 

「うお! こ、これは、きつい」

 

「そ、それあたしのセリフだし……いたたた! 手がつぶれるう」

 

「ほれ、しっかり捕まらんと、てっくりかえるぞ」

 

 守衛さんは笑いながらそう言うと、山の方へ向けてトラックを走らせた。

 しかし、このドライブ……想像を絶する苦行だった。

 何故って?

 それは……

 

 ずっと悪路(ダート)だったから!

 

 舗装路だったのは最初の5分だけ、その後は、雪を深くかぶった、砂利道と土の道。(わだち)が酷くて、もう、全身をシャッフルされてる感覚。それを50分!

 正直ちょっと気持ち悪い。

 

 ヒッキーを見たら、ヒッキーも目が死んでた……まあ、元からなんだけど。

 

「さあ、着いたべ。こっから、ちょべっとばかし歩きますよ」

 

「ふえぇ……」

 

 二人で、グロッキーになりながら、守衛さんの後をついて歩く。山の中の雪の道を踏みしめながら進んだ。辺りはまだ薄暗いけど、空は大分白んできている。

 少し歩いて林を抜けると、そこには山間に白い平原が現れた。微かに小川の流れるような音も聞こえる。

 雪に埋まったそこは、多分水田か何かだろう。

 

「ほれ、おりましたよ。あそこです」

 

 守衛さんが腰をかがめて、指をさす。そこには、二羽の、頭の頂点が赤い、白くて大きな鳥がいた。二羽はお互い向き合って羽を大きくひろげ、まるで踊るように舞っている。

 

「こっりゃあええもの見れましたね。あれは『求愛の踊り』だべさ……なかなか見れませんよ」

 

「綺麗な鳥……あの鳥は何ですか?」

 

 私がそう聞くと、守衛さんが、

 

「あれはタンチョウだわ」

 

「へえ……」

 

 名前くらいは聞いたことある。でも見るのは初めてだった。タンチョウは確か釧路とかの湿地にいると思っていたのに、こんな山間にもいるものなのかな。

 その疑問を感じ取ったのか、守衛さんが教えてくれた。

 

「タンチョウは冬の間は人里に来るんだわ。まあ、そんでもこの辺に来るのは珍しいんだけんど、たまたまこの前見つけたんさ」

 

 それにしても綺麗な鳥。その華麗な舞に心を奪われた。ヒッキーはさっきからカメラを覗いて写真を撮りまくってるし。暫く見惚れていたら、守衛さんが話した。

 

「タンチョウは、つがいになると一方が死ぬまで生涯同じ相手と添い遂げるんだわ、相手が死んでもその場をなかなか離れないこともある。そんだけ愛情の深い生き物なんだわ」

 

 どちらか一方が死ぬまで……

 

 チラリとヒッキーを見ると、ヒッキーもあたしを見ていた。あたしは、かつて三人で見た、あの日のペンギンのことを思い出していた。そして、ここにはいない彼女のことも……

 

「わたしはね、由比ヶ浜先生、彼氏さん。昔、今の女房と一緒になるちょべっと前に、よせばいいのにいいとこのお嬢さんと恋仲になりましてな。その人と駆け落ちみたいなことをしたんだわ。女房を捨ててな」

 

 守衛さんはタンチョウを見つめながら、ぽつりぽつりと話した。

 

「そのいいとこのお嬢さんは、なんてことはない……私とはただの遊びじゃった。わたしもそこそこ色男じゃと己惚れておったんだわ。飽きられてその遊びはおわり。散々町のみんなに罵られてここに戻ったときな、女房はわたしの事を待っていてくれたんだわ。でも……」

 

 一瞬守衛さんは悲しそうな顔をした。

 

「わたしが駆け落ちをするとき、女房は妊娠しておったのだわ。わたしが居なくなって、女房は気がおかしくなってしまってな……お腹の子は流れてしまったんです」

 

 あたしは立ち上がって、ヒッキーと手を繋いだ。こんなに優しい守衛さんにそんな過去があったなんて……

 

「後悔は先に立ちません。何が大事かなんて最初から分かってることだわ。だからな彼氏さん。先生を大事にしてあげてください。いやいや結婚するでもないのに……説教臭くていけませんな。申し訳ない」

 

 守衛さんはいつものニコニコした顔を私達に向けると、ぺこりと頭を下げた。

 

 暫くその場に佇んだ私達は、こっそりと元来た道へ戻った。

 

 愛し合う二羽を邪魔しないように……

 

 

 

 

 

 

 守衛さんに送られて家まで帰ると、もうだいぶ日が昇っていた。今日の貴重な体験にあたしの心は揺れていた。

 ただ好きってだけじゃない……そのもっと先にある物……

 それは、多分ヒッキーの求めていた物。

 

 二人分の朝食を用意しながら、あたしはヒッキーに話しかけた。

 

「ねえ、ヒッキー。あたしを……大事にしてくれる?」

 

 そう言った後で、急に恥ずかしくなって顔が熱くなった。

 気が付いたらヒッキーがあたしを後ろからきつく抱きしめてくれた。

 

「ああ……頑張るよ……」

 

 その言葉と、彼の温かさに、あたしの心は満たされた。

 

 

 

PU・LU・LU・LU・LU

 

 

 

 二人で抱き合って、いい雰囲気になってたところで、ヒッキーの携帯が鳴った。ヒッキーはあたしを置いて、携帯にむかう……んもう。

 

「はい、もしもし………………なんだ……お前か……何の用だよ……」

 

 急にぶっきらぼうな話し方になったヒッキーが、携帯を持って外に出る。

 あんな話し方するなんて……相手は誰だろう?

 ま、とりあえず朝ごはん作っちゃおうかな。

 美味しそうな香りを漂わせている、お手製のコーンスープを少し掬って味見する。

 

「うん! 美味しい!」

 

 さて、ヒッキーとの初めての二人きりの朝食、頑張って用意しようっと。

 

 これからの生活にウキウキしながら、あたしは幸せな気分で出来たばかりの二人分の料理をお皿に盛った。

 

 

 

 

 

第一章 北の国の由比ヶ浜結衣 Fin

 

第二章へ続く



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(1)ヒッキーと同棲したい

 今日も雪が降っている……

 いつも通りとはいえ、やっぱり凍える。町はクリスマスイルミネーションが至るところで輝き、その明かりに少しだけ心は温められる。

 あ、パンさんのクリスマスバージョンだ。

 雑貨店のショーウインドウにある、目つきの悪いそのぬいぐるみは、ディスティニーランドの名物キャラのパンダのパンさんだ。これに目の無い人物を、あたしは一人知っている。

 

 ふふ……ゆきのんもきっとこの子買ったんだろうな。

 

 一人でパンさんを見て微笑むあたし。こ、これって……傍から見たら、ただの変な人だよね。

 あたしは気を取り直して、背筋を伸ばして歩いた。でも……

 本当なら、二人で歩いてた筈だったんだよね……

 なんで、急に……もう! ヒッキーのバカ。

 

 そう、今日は本来ならヒッキーと二人で並んで歩いていた筈だった。

 クリスマスも近づき、あたしも子供たちに渡す『あゆみ』の記入に追われて、かなり忙しかったのだけど、付き合って初めてのクリスマス。と言っても、まだほんの一週間くらい。

 それでも、やっぱりちゃんとお祝いをしたい。だから今日は二人でお互いのプレゼントを買う約束をしていた。

 ん? 二人でなんで選ぶかって?

 それはやっぱり、本人が本当に欲しい物をあげたかったから。

 サプライズはあげるのも貰うのも嬉しいけど、本当に欲しかったかどうかは良く分からない。だから、そこはお互い聞いてしまおうということになった。そして何より、これなら一緒に居られる。やっぱりデートは嬉しい。これが本音なのかも。

 

 ヒッキーは今日は急な仕事とかで来れなくなってしまった。その連絡があったのがほんの5分前。あたしはもうとっくに待ち合わせ場所に着いていたのに。

 

 ヒッキーだって仕事してるんだもの……

 

 仕方ないよね……

 

 頭ではそう分かっていても、胸の辺りにぽっかりと穴が空いてしまったようで、凄く寂しかった。雪の降るなかを、一人傘をさして佇むのも切なかった。

 

このまま一人でいても、寒いだけだし……帰ろうかな……

 

「由比ヶ浜先生~!!」

 

 通りの向こうから、あたしを呼ぶ声が聞こえた。その方向に顔を向けると、白のダウンコートの青葉先生が手を振っている。そのとなりには、かなり恰幅の良い大柄な青年が、黒いコート姿で傘をさして立っていた。

あたしは、車を避けながら通りを渡って、彼らのそばへと近寄った。

 

「こんばんは、青葉先生。お隣のかた、ひょっとして彼氏さんですか?」

 

 あたしがそう聞くと、二人して赤い顔をして、そうです、と答える。一見して仲が良さそうなのが微笑ましい。彼氏さんの手には大きな買い物袋が二つ握られている。

 

「由比ヶ浜先生も彼氏さんとデートですよね? お互い、頑張りましょうね」

 

 青葉先生はあたしの側に寄って小声でそう囁く。いったい何を頑張るんだか……

 この人本当に無邪気で、可愛いなあ。

 青葉先生達は小さく手を振ると、腕を組んで雪の中を歩いていった。あの二人の所だけ、とても温かそうに感じたのは気のせいではないと思う。あたしは、小さくため息をついていた。

 寂しいという思いが、更に強くなってしまった。今すぐにでもヒッキーに会いたかった。それが、今日は無理なんだと頭では理解しているハズなのに、気持ちがそれについていけてない。どうしようもない恋しさに胸がつぶれてしまいそうだった。

 

 気が付けば、あたしは雪の中をヒッキーの会社まで歩いて来てしまっていた。

 ここには以前ヒッキーを車で送ってきたことがあったから場所は分かっていたのだけど、今日はここまで来るつもりなんて全く無かったのに……

 ヒッキーの勤め先……雪ノ下建設の北見事業所は、三階建てマンションの一階の一部屋。そこの扉に、金属のプレートで会社名が張り付けられている。外はもう真っ暗だけど、その部屋からは明かりがこぼれていた。

 きっとまだ仕事をしているんだろう……

 まさか、彼を訪ねてなんか行けないし……

 訳もなく戸惑っていると、不意にその扉が開いた。ここはマンション前の通路。身を隠す場所なんかない。あたしは恥ずかしさでいっぱいのまま、ただ立っているしかなかった。そして、中から一人の女性が出てくる。

 

「ん? あれ? あなた確か……」

 

 目の前に立っていたのは、以前スキー場のホテルで見かけた……確か、そう、橋本さんだ。彼女は、ファーの付いた赤いコートに、ロングブーツを履いている。そしてあたしへと近づく。

 

「こ、こんばんは……と、突然、す、すいません……」

 

「えーと、確か由比ヶ浜さんだったよね? ひょっとして比企谷君と約束でもしてたの?」

 

 まさか寂しくて彼氏の職場まで来ましたとも言えず、私はコクリと、頷くしかなかった。

 

「あ、ごめんね! 急な仕事が入っちゃってね。明日までにどうしても資料を用意しなくちゃならないのよ。あたしもこれから先方と打ち合わせなの。比企谷君にも残業してもらうことになっちゃってね」

 

 それは仕方ないことだ。だって、仕事だもの。ヒッキーを困らせたくないし……このまま帰ろう。

 そう思った時、橋本さんがあたしに言った。

 

「そうだ! もし良かったら、事務所で待ってていいよ。もう事務の子も帰っちゃったし、比企谷君だけだから……遠慮しなくていいからね」

 

「そ、そんな……迷惑かけちゃいますよ」

 

「いいの、いいの……所長は私だし、管理者権限で許可しますから! あ、でも、仲良くハッスルし過ぎて事務所汚しちゃダメよ」

 

「なっ! そ、そんなことしません!」

 

 ははは……と笑った橋本さんが、笑顔で私に手を振った。

 

「じゃ、そういう事で。比企谷君に、きちんと戸締りするように言っておいてね。じゃあね」

 

 言うだけ言って橋本さんは、コートをひらりと返して、駐車場の車へ向かって行った。

 私は呆然とするしかなかったが、許可をもらった以上このまま帰るのも気が引けた。

 

 暫く悩んでから、大きく深呼吸したあたしは、ドアをノックすると、中から、ヒッキーと思われる男性の気のない返事が返ってきた。

 あたしはドアノブに手を掛けて、そっと開けて中に入った。

 

「しつれーしまーす」

 

「お……ああ? ゆ、由比ヶ浜? ど、どうしたんだ?」

 

「あ……えっと……さっき橋本さんに会って、中に入ってて良いよって……だから……」

 

「そ、そうか……そこ、寒いだろ……こっちに来いよ」

 

「う、うん。ありがと……」

 

 中は十畳ほどの広さで、入口側にカウンターが置かれ、その向こう側に大きなコピー機と、広めのデスクが三つ置かれていた。一番奥が橋本さんの机なのだろう。良く分からないが図面が何枚も置かれている。その後ろには、製図用のテーブルも置いてあった。

 ヒッキーはその手前の机。デスクトップパソコンの大きなモニターに向かって、なにか文章を打ち込んでいた。

 彼は一度席立つと、自分の机のわきに椅子を一脚持ってくる。

 

「由比ヶ浜、ここに座れよ。今日は悪かったな……ほれ」

 

 ヒッキーが急に机の下から黒と黄色の縞模様の缶を取り出してあたしに差し出した。

 

「え? なんで、足元からMAXコーヒーが出てくるの? それになんかあったかいし」

 

「あ? 俺用のウォーマーを置いてあるんだよ。いちいち買いに行くのも面倒だしな。悪いけど、もう暫くかかりそうなんだ。それでも飲んで、時間潰しててくれ」

 

「う、うん……ありがと」

 

 あたしとヒッキーは缶を開けると、簡単に乾杯をした。そして、一口飲んだヒッキーは再びパソコンの画面に向かう。あたしはそんなヒッキーを見ながら、とっても甘くて温かいそのコーヒーのおかげで、心も体も少しずつ温かくなって来ていた。

 

 

 

 

 

 

「ふう~……やっと終わった」

 

「うん、お疲れさまでした」

 

 ヒッキーが打ち終わって印刷した書類を、あたしがホチキスで束ねて人数分の冊子にした。学校では毎日子供達用のプリントを作っているから、この手の作業はお手の物。

 

「お前のおかげで、本当に助かったよ……今日は帰れないかもって覚悟してたんだ」

 

「へっへーん。そう言ってもらえると嬉しいよ。じゃあ、そろそろ帰ろう」

 

「ああ……ストーブ消してくれないか。俺、戸締りしてくるから」

 

「うん、分かった」

 

 あたし達のすぐ後ろにある灯油ストーブのスイッチを切る。そして、借りていた椅子を元の位置に戻して、ヒッキーと一緒に事務所を出た。

 外は雪がしんしんと降っていて、いよいよ寒い。ヒッキーがさっき、車のエンジンを掛けておいてくれたおかげで、車の中は温かかった。車に乗って、ホッと一息ついた時、何気なくヒッキーと目が合った。そして、お互い何も話さないまま、手を握りながら自然と口づけを交わした。

 この雪に閉ざされた車という密室にたった二人きり。何てことは無い状況なのに、それが妙に心を掻き乱した。唇を離した後、ヒッキーは顔を赤くして。

 

「お、送るよ」

 

 それだけ言った。

 あたしは今本当に幸せだ。好きな人と一緒に居られて、好きな人があたしの事を見てくれていて、温かく包んでくれている。だけど……

 

 これだけじゃ……

 

 やっぱり足りない……

 

「ヒッキー……今日は一緒にいたい……な、あ、朝まで……」

 

 あたしの手を握るヒッキーの手に、力が込められるのを感じた。



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(2)ヒッキーと同棲したい

 ヒッキーと一緒に居たい……

 彼を自分の物にしたい。強い欲望があたしの中に沸き上がっていた。

 もう、ずっと忘れていた想い……ヒッキーを初めて好きになったあの頃、あたしはいつだって彼を、彼の事を求めていた。

 恋の経験なんて全くなかった。

 そう、今だって良くは分かってなんかいないけど、あの頃はとにかくもどかしくて、苦しくて……

 いつも欲しいと願っていたのに、手を伸ばしきれなくて、それで、いつも伸ばせないその自分の手に自己嫌悪していた。

 この捻くれ者の、自分勝手の、最高に優しい嘘つきに恋をして、一緒に居て楽しくて、いろんな事を経験して、そんな彼はいつでもあたし達を守ってくれていた。

 

 離れたくなんてなかった。

 終わらせたくなんてなかった。

 ずっと一緒に居たかった。

 彼を幸せにしてあげたかった……

 ううん、違う……本当は自分の事だけを見て欲しかっただけ……

 それを口に出来なかったのは、ただ、彼の目に写る彼女の姿に……

 そのかけがえのない彼女との関係を失う事を怯えていたからだ……

 

 でも今は……

 

 あたしの手を握る彼の温かさが、あたしに囁きかける。

 一緒に居て良い……

 二人で居ていいんだと、その大きな手が教えてくれていた。

 

 ”この手にいったい何人の女性が包まれてきたんだろう…”

 

 不意にそんな考えが、真っ黒い不安となって私の頭を過った。

 彼と離れていたこの数年間をあたしは知らない。

 大学を卒業して、雪ノ下建設へ就職して、そして北見にきた……

 それしかあたしには分からない。

 彼を気にかけた女性のことをあたしは何人も知っている。その誰かと付き合ったりしたのだろうか……それとももっと別の女性たちと……

 もう、そんなことはどうでも良いと自分では思っていた筈なのに、今になってあたしは旨を締上げられるような苦しみを味わっていた。

 

「ど、どうした?」

 

「へ? え? えっと……な、なんでもない……よ」

 

 急にヒッキーが覗きこむようにあたしを見た。その顔は、少し照れ臭そうで、でも真剣な表情だった。

 

「いいんだな……本当に」

 

「ふぇ? なにが……」

 

「だ、だから……ほれ……あれだよ……………その、朝まで一緒……ってやつ」

 

「う、うう……」

 

 やだ……今更ながらに恥ずかしくなってきたよ。

 なんで、いきなり声に出ちゃったんだろ。頭で考えてただけの筈だったのに……

 あたしは両手で顔を覆って、『うん』と短くうなずくしか出来なかった。

 

「よ、よし……じゃ、じゃあ、お、俺のウチに向かうからな」

 

 ヒッキーはそう言うと、車をゆっくりと走らせた。

 

 

 

 

 ヒッキーの家は、駅から大分離れた大通りから一本中に入ったところにある、2階建てのアパート。その前にある雪の積もった駐車場にヒッキーは車を入れた。

 

「足元……ここ凍ってるからな、気をつけろ」

 

「あ、う、うん」

 

 先に車から降りたヒッキーが、あたしの手を取ってくれる。それから、さっきここに来る前に、あたしの家に寄って取ってきた、着替えの入ったボストンバックをヒッキーが持って先に歩いてくれた。

 こんな風に気を使ってくれるんだ。

 以前の……

 高校時代のヒッキーと比べながら、またしてもそんな気を遣うヒッキーに不安を感じてしまっている自分がいた。

 その思いを振り払うように、あたしはヒッキーの腕にしがみつく。当然、ヒッキーは狼狽えているけど、あたしの方がよっぽど挙動不審だったと思う。

 そして、アパートの1階奥のヒッキーの部屋に二人で入った。

 

「す、すぐに暖房入れるからな」

 

 中は凍り付くように寒かった。

 ヒッキーは慌てた感じで暖房をつけてまわる。それから、あたしを室内へ手招きした。

 ヒッキーの部屋は、キッチンとバスルームを通った先にあって、8畳ほどの広さ。そこにはパソコンの置いてあるローテーブルと、小さめの書棚、それと、鉄パイプで組み立てられたベッドがあるだけだった。そのローテーブルの側に座布団とストーブを持ってきたヒッキーが言った。

 

「ストーブの前にいろ。ここならそんなに寒くないから」

 

 あたしは彼へと駆け寄ってその言葉を塞ぐように、抱き付きつつ唇に自分の唇を押し付けた。心臓が破裂しそうなくらい大きな音を立てている。ヒッキーはオドオドしながらも、そっと、あたしの背中に腕をまわしてきてくれた。

 不安は……前々消えていない。

 彼が、今あたしだけを見て、あたしを感じてくれていることを分かっていながら、その彼の身体を通り過ぎた誰かの事をどうしても考えてしまう。

 そんな自分が堪らなく嫌だった。

 嫌だったのに、あたしは必死になって彼の唇を貪り続けた。

 

「お、おい……由比ヶ浜……泣いてるのか?」

 

「え?」

 

 全く気付かなかった。

 あたしの両目からは涙が流れ続けていた。どうして……

 ヒッキーと居て幸せな筈なのに、嬉しい筈なのに、なんでこんなに涙が溢れるの?

 分からない……自分の事が分からないよ……

 泣きながら、その溢れる涙を拭いながら、止まらない嗚咽に苦しくなった。

 

「ひぐッ……だ、だってぇ」

 

「い、嫌なら、別に良いんだ……無理はしなくて」

 

「ち、違う……そうじゃない! そうじゃなくてぇ」

 

 ヒッキーが好き、堪らなく好き。それなのに、そんなヒッキーを素直に愛することが出来ない自分がいる。それがすごく嫌……なのに……

 

 そんなあたしを見ながら、ヒッキーが静かに言った。

 

「お、俺は……お前が欲しい。でも……」

 

「…………」

 

「その前に……聞いて欲しいことがある。お前も気にしてるみたいだし」

 

 その言葉に、あたしは顔を上げた。ヒッキーの真剣な顔、緊張した顔がそこにあった。

 怖かった……すごく怖かった。多分あたしが一番恐れていることを、彼は言うつもりなんだ。

 それを聞いたとしても、このあたしの自分勝手な酷くずるい思いは払しょくされることはないと思う。

 でも、聞かなければいけないんだ……

 自分の鼓動で、鼓膜が酷く痛かった。そして、溢れる涙も止まらなかった。でも。

 あたしは彼を見た。まっすぐに。そうしなければいけないと思ったから。

 ヒッキーは、静かに息を吸い込んで声を出した。

 

「由比ヶ浜……俺は……俺は今まで……」

 

「う、うん……」

 

 『今までに関係を持った女性達』のこと。

 怖い、聞くのが怖いよ。ヒッキー。

 彼はまっすぐあたしの目を見ている。そしてその口をゆっくり開いた。

 

 

 

「俺は今まで……今までな……、一度もシたことないんだ。だから上手くできる自信がない」

 

 

 

「え……? 今なんて」

 

 ヒッキーはま顔を赤くして、少し機嫌の悪い顔つきになって言った。

 

「お、お前な……ひ、人が滅茶苦茶恥ずかしい告白してるんだから、ちゃんと聞けよ」

 

「え? でも……だって……そんなわけないよ」

 

「そ、そんなわけあるんだよ。ああ、分かってるよ、こんな年になるまで未経験なんてな、そりゃ鼻で笑っちゃうだろうよ。だ、だから……その……う、上手くできる自信なんてないし……気持ち悪いだろうし……やっぱり止めて……」

 

「き、気持ち悪くなんてないよ! だって……あたしだって……………あたしだって、初めてだもん!」

 

「は?」

 

 一瞬、二人の間の時間が停まった気がした。二人とも複雑な表情をしていたんだと思う。

 困惑した顔のヒッキーを見つめながら、あたしは言った。

 

「ヒッキーの嘘つき! あたしに気を使って、そんな嘘を言ってるんだ!」

 

「な! そ、それはお前の方だろうが! お前みたいな……その……か、可愛い奴が……そんなわけあるか!」

 

「あ、あたしはそんなんじゃないし! じゃあ、ヒッキーは? ゆきのんとは? いろはちゃんとは?」

 

「はあっ? な、なんで、今あいつらの名前が出てくるんだよ! お、お前……何考えてるんだ! そんなわけあるか!」

 

「だって……ヒッキーが……ヒッキーが嘘つくから」

 

「俺は、嘘なんかついてない。嘘はつかない。もうつきたくない。お前には」

 

「え? ひ、ヒッキー?」

 

 気が付くと、ヒッキーがあたしの両肩を手で掴んでいた。その顔は真剣だ。でもさっきまでの緊張しただけの顔とは違っていた。どことなく優し気で……

 

「ずっと、お前に会いたかった。お前が急にいなくなってから俺は、ずっと後悔していたんだ。なんでもっと早く気づかなかったんだ、なんでお前の気持ちを分かろうとしなかったんだ……ってな」

 

「ひ、ヒッキー……」

 

「苦しかったんだ。俺にとっては、初めての大失恋だったんだよ。はは……おかしな話だろ? まだ付き合ってもいなかったのにな。それに、中学の頃に、好きになったつもりで告白までしたこともあるってのにな……お前がいなくなって初めて……お前の存在の大きさに気が付いたんだ」

 

 それは……それはあたしも同じだよ。

 あたしは勇気がなかったから、あの時の関係を壊したくなかったから、だから、どんなにヒッキーが好きでも、もう一歩はどうしても踏み込めなかった。変わってしまうのが怖かったから。

 

「だから……あの時みたいに、もう俺は自分の気持ちは偽らない。そう決めたんだ。もうお前を離したくない。やっと……やっとお前に巡り合えた。もう同じ失敗はしたくない。由比ヶ浜……お前が好きだ。俺は……俺はお前が欲しい」

 

 気が付けば、あたし達は強く強く抱き合っていた。あたしは涙を流していた。でも、それは怖いからなんかじゃなく、幸せに心が満ち溢れていたから……全身でヒッキーを求めながら、あたしはその幸福が確かなものであることに安らぎを感じていた。そして、その身を全て彼に委ねた……

 

 

 

 次の日……あたしとヒッキーは二人揃って初めて……

 

 仮病で仕事を休んだ。



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(3)ヒッキーと同棲したい





「……先生! ……由比ヶ浜先生!」

 

「へっ! は、はいっ!?」

 

 ふと、顔を上げると、すぐ前に青葉先生の顔があった。そして、そんなあたしに他の先生たちも顔を向けてきている。青葉先生が小声であたしに囁いた。

 

「だいじょうぶですか? 赤い顔してぼーっとして。もう、朝の会議終わりましたよ? まだ熱あるんじゃないですか?」

 

「え? あ、あー……そ、そうなんです……ま、まだ、ちょ、ちょーっと熱があるかなぁ……なんて、あはは……」

 

「無理しちゃだめですよ。もうすぐ冬休みなんですから。せっかくの休みに具合悪かったら、彼氏さんと良い事出来ませんよ」

 

 ニヤァッと笑った顔を近づけて青葉先生がそう話す。

 ぶふぁっ! が、学校でなんてことを言うの!? この人はもう!! 

 でも、そんなあたしは、仕事休んでヒッキーと……

 うわわわわ、な、何考えてるのあたしは! 

 そ、そんなこと思い出しちゃダメ! 絶対ダメェ!!

 俯いた私に青葉先生がさらに声をかけてきた。

 

「あらら……やっぱり具合悪そうですねぇ? 今日は、私も手伝いますから、早めに上がってくださいね」

 

「そ、そんな、悪いですよ」

 

「ま、ま、気にしないで。困った時はお互い様ですよ。私もお願いするかもしれませんしね」

 

 パチリとウインクをした青葉先生は、すぐにあたしの手元から、子供たちに配る学級通信の原稿を奪い取ると、それを見ながら、パソコンに向かった。

 あたしは、申し訳ない思いでいっぱいになりながら、1時間目の授業の教材を手にして、職員室を後にした。

 

 

 

 

 ヒッキーの家でのあの時間は、まるで夢の様だった。

 思い出せば……ううっ、あの日の事を考えただけで、顔が熱く火照ってしまうけど、同時にこれ以上ないくらいの幸せに包まれる。

 この世の中にこんなにも愛しくて幸せな行為があることをあたしは初めて知った。だから、ヒッキーと少しでも離れたくなかったんだ。

 

 青葉先生のおかげというか、自分の身勝手のせいというか、とにかくあたしは早くヒッキーに会いたくて、定時に上がることにした。今日はまた二人で会おうと約束をしていたし。

 ふふ……こんなに早く会いに行ったら、驚くだろうな……

 そうだ! 今日は会社まで行ってしまおう。

 そんな思いに胸を躍らせながら、あたしはいつも通り守衛さんに挨拶してから正門を出た。

 なんとなく守衛さんにはあたしの変化を見破られているような気がして、恥ずかしい気分になる。でも、いつもと変わらない笑顔を向けられると、やっぱり安心出来た。

 なんだか、おじいちゃんに見守って貰ってるみたいで……そんな年齢じゃないから、こんなこと面当向かっては当然言えないけど、こういう優しい人が近くに居てくれて本当に良かったと思う。

 あたしは恵まれているな。

 全ての幸せが、目の前で形になってあたしを包んでくれている。

 そんな思いを抱けるようになっていた。

 

 

 

 

 

 

「では、きちんと話してもらおうかしらねぇ」

 

「は、はい?」

 

 あたしとヒッキーが並んで座るソファーの反対側に、ニヤニヤと微笑みを浮かべた橋本さんが脚を組んでこちらを眺めていた。

 横に居るヒッキーはといえば……

 なぜか、頬を赤く染めてお茶を飲みながらそっぽを向いてるし。

 な、なに? どういう事? なんで顔を背けるの?

 橋本さんはソファーに深く寄りかかったまま、脚を組み替えると、大げさな感じで言った。

 

「あーあ。この前のプレゼンは大変だったなー……どっかの誰かさんが急に病気になっちゃうから、一人で……一人ぼっちで、ぜーんぶやったんだよねぇ……絶対失敗出来ないプレゼンだったのになー、あー、本当に大変だったー」

 

 え? なんでこんな事言うのかな? 

 入った瞬間にここに連れて来られちゃったし……って、ま、まさか、あの日の事!?

 

「まあね。あなた達が作ってくれた資料が良かったからさ、特に問題もなかったんだけどねぇ。でもねえ、まさか本当に二人でイチャコラしてたなんてねぇー、由比ヶ浜ちゃんには冗談のつもりで言ったのになぁー」

 

「な!?」

 

 慌ててヒッキーの方に首を向けたら、更に向こうに首をねじって、あたしから逃げた。

 ひ、ひ、ひ、ヒッキー!? 

 ま、まさか……言っちゃったのぉ!?

 愕然となって、顔を橋本さんに向けたら、彼女は不敵な笑みを浮かべてあたしに話しかけてきた。

 

「いいな、いいな! こっちは男日照りで苦しんでるっていうのにな! で、貴方達、何回シたの?」

 

 ぶふぉっ!

 

 急にヒッキーがお茶を吹き出した。き、汚いよ……ホントに!

 あたしは慌ててハンカチを出して、吹きこぼれたところを拭く。ヒッキーは顔を赤らめたままで、橋本さんに言った。

 

「い、いや……橋本さん。もういいでしょう。俺だけならともかく、由比ヶ浜まで巻き込まないで下さいよ」

 

「ええー!? いいじゃなーい。どうせ寝る間も惜しんで励んでたんでしょ!? ほら、こういうのなんて言うの? 『しあわせの御裾分け』? じゃない? だから、もっと、具体的にね、ほら、こんなことしちゃった、とか、あれが凄かった! とかさ! ねえ!」

 

「い、いや……そんなお裾分けありませんから。やっぱり人にいう事じゃないでしょう」

 

「えええー? ケチ」

 

 ケチって……

 ううう……顔あげられないよぅ。

 なんで、こんなに嬉々として聞いて来るの? この人は?

 でもひとしきり弄って、満足したのか、橋本さんは真っ赤になってるあたし達を見て、ケラケラ笑いながら、一枚のプリントを差し出した。

 

「本当に可愛いわね、貴方達って! だ・か・ら……これはお姉さんからのプレゼントだよ」

 

 その差し出されたプリントを、ヒッキーと二人で覗きこむ。

 それは賃貸住宅のチラシだった。

 でも……随分と広い。玄関から入ってすぐに大きなリビングダイニングキッチンがあって、そこを囲むように3部屋もある。そのわきにやはり大き目のお風呂と、トイレが並んでいた。普通の家ではなさそうな感じ?

 なんだろうと疑問に思いながらヒッキーと顔を見合わせた。そんなあたし達の事を見ていた橋本さんが口を開く。

 

「実はね。あるお客さんから頼まれて、今流行りの『シェアルーム』用の部屋をこの北見にも作ったんだけど、需要がほとんど無くてね、借り手がなかなか見つからないのよ。それでね、リフォームするにもお金かかるし、大家さんも借り手さえいればこのままで良いって言ってくれててね。そこで、この部屋を丸々、雪ノ下建設が借り上げることにしたのよね……そこで」

 

 橋本さんは、上着のポケットから電卓を取り出すと、凄い速さでそのキーを叩いた。そして、ひとしきり計算した後、あたし達にそれを差し出した。

 

「もしあなた達が良いなら、ここに二人で住んでも良いよ……で、あ、家賃はこれね」

 

「こ、これって、いまあたしの住んでるアパートより安いんですけど!?」

 

 むふふんと笑った橋本さんが、手を揉み始める。

 

「こんなに良い物件他にありませんよ。しかも去年建ったばっかりのマンションの1階。決めるなら今でしょ!!」

 

 目をぴかりんっと輝かせて、営業トークであたしとヒッキーに迫る。正直どうしていいのか分からないけど、

これってつまり……

 

 

 『同棲』だよね。

 

 

「わわわわ!!」

 

「どうしたの由比ヶ浜ちゃん?」

 

 急に色々思い出して恥ずかしくなって顔を覆ったあたしに、橋本さんが声をかけてくる。うう……今は何も聞かないで!

 

「あのですね」

 

 そんなあたしを他所に、ヒッキーが声を出した。

 

「急に言われても、すぐには決められませんよ。俺も由比ヶ浜も。だから、ちょっと待って貰えませんか?」

 

「ええー!? 比企谷君、こういうのは出会いなんだよ! 逃したら終わりなんだよ! 男ならここは決めるべきじゃないのかね?」

 

「うッ」

 

 ええ!? なんでヒッキータジタジになってるの? 完全に言い負かされちゃってるし。

 でも……

 確かにこういうのは『出会い』なのかもしれない。

 あたしはどうしたいんだろう?

 あたしは……

 俯いたまま、隣に座るヒッキーの袖をちょいちょいと引っ張った。そして、あたしの方を向いたヒッキーの耳元に小声で囁いた。

 

”あ、あたしは……一緒に……住みたい……よ”

 

 言った瞬間、ヒッキーの顔が焼けた鉄みたいに赤く染まる。ヒッキーはカチコチに固まったその表情のまま、橋本さんへと言った。

 

「は、はひ!! じゃ、じゃあ、ここ借りまふね」

 

 橋本さんはそれを聞いた瞬間にんまりと笑って立ち上がる。

 

「良かったぁ! ありがとうね二人とも! 今月中に借り手が見つからなかったら、私の責任になっちゃうとこだったのよー! いやあ、ホントに良かった! ありがと!じゃあ、契約書持ってくるね! ルン!」

 

「え?」

 

 軽い足取りでパタパタと自分の席に向かった橋本さんを見ながら、あたしと、ヒッキーは顔を見合わせた。

 ヒッキーの顔はやっぱりまだ真っ赤だ。

 多分あたしの顔も……

 突然の事で、ドキドキが収まらない。でも……

 不思議と不安は感じなかった。

 すごく嬉しかった。

 ヒッキーと一緒に暮らせる。

 一緒に居られる。そのことを思うだけで、胸が高鳴った。だから……伝えよ……ヒッキーに……素直に……『よろしく』って。

 

「ヒッキー……これからさ……」

 

「これから毎日二人でヤリまくれるね!」

 

 

 ぶふぉっ!!

 

 

 その橋本さんの言葉に、再びお茶を吹いたヒッキーが真っ赤な顔で白目を剥いていた。



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(4)ヒッキーと同棲したい

随分お久しぶりな更新となります。
ちょこっと、ウマ娘の世界に浸っておりましたもので大分間が空いてしまいました。
スぺちゃんとスズカは本当に良いですよ。愛でましょう、愛でました。

さて、この『北の国の由比ヶ浜結衣』は、実は第三章まで完結済み、某サイトでも公開済みでございましたが、今回のお話から書き直しております。
とある不遇なキャラをですね、救済したいなーみたいな、そんな理由でしょうかね。
ということで、ここからの第二章はほぼ新作になります。
では、どうぞ。スタートです。


「おい由比ヶ浜、そ、そっち側持ってくれ……た、頼む」

 

「ちょ! ヒッキー! なんでそんなの一人で持ってるの!? ちょ、すぐ行くし!」

 

「やばい、し、死む」

 

「はわわわわ」

 

 慌てて駆け寄って、空中でゆらゆら揺れている『洗濯機』にしがみ付く。

 そのまま上に持ち上げようと思って踏ん張るけど、重みが掛かるばっかりでびくともしなかった。

 

「お、もぉぉ~、ちょ、ちょっと重すぎなんだけど。あたし、これ無理」

 

 手が痺れて痛みを感じ始めて、これはもうだめと思ったのだけど、洗濯機の向こう側からヒッキーの声が聞こえてきた。

 

「いや、もう大丈夫だ、助かった。そのままもう少し踏ん張っててくれ。俺が今下に手を回す」

 

 そう言った直後、一瞬だけ重さが増したけど、すぐに軽くなって洗濯機が上に持ち上がった。

 あたしも下に手を回して、力を込めて、洗濯機を置く広めの洗面所まで運ぶ。

 それから、ヒッキーの掛け声に合わせてゆっくりと下に降ろしてなんとか定位置においた。

 

「めっちゃ重かったよー」

 

「ふぅ、助かった。いや、持てない重さじゃなかったんだが、指が滑って体勢が崩れちまったんだよ。わりぃな」

 

「もう、こんなのでケガとかやめてね。腰とか大丈夫?」

 

「腰!? ……とかいうな、何を心配してんだよ、スケベ」

 

「なっ!? ちょ!? スケベってなんだし!! そんなこと思ってないし!! ひ、ヒッキーこそ、頭の中そんなことばっかなんじゃないの!! スケベっ!! エッチ!!」

 

「んなわけねーだろ。だいたいお前がそんな薄着で歩き回ってる方がよっぽど猥褻だろうが」

 

「わいせ……もう!! あたしの胸見ながらそんなこと言うな、えっち!!」

 

「お前こそ、わかってやってんじゃねえかよ。我慢するこっちの身にもなれよ!!」

 

「我慢とか言うな変態!」

 

「ビッチ!!」

 

「「うぬぬぬぅ」」

 

 洗濯機を挟んで胸を隠してヒッキーを睨んだら、彼は顔が真っ赤でそっぽを向いた。

 それを見ていたらあたしもどんどん恥ずかしくなってきて、いたたまれなくて視線を下に。

 うう……

 もう、考えないようにしてたのに、なんで思い出させちゃうかなぁ……

 ううううう……

 ふたりでなんだか同じように悶々としてきているのを感じて、あたしは何も言わずに玄関へ。

 と、同時にヒッキーも玄関に向かうところで、立ち上がって身体が思いっきり密着。

 彼の汗ばんだ筋肉質の腕にあたしの腕の素肌が触れて、思わずドキリと心臓が跳ねた。

 その瞬間、先日の彼の肌の感触の全てがまざまざと蘇って……

 

「ひゃあっ!!」

 

「うお! いきなりデカい声出すなよ」

 

「だ、だってぇ……うう」

 

 もう本当に泣きそう。

 うう。

 あたしって、こんなにエッチだったんだ……。ふえぇ。

 自己嫌悪みたいな、本当に恥ずかしい想いを勝手に抱きながら、真っ赤な顔のヒッキーと顔を合わせないようにしながら、この引っ越しの荷物を運び入れ続けた。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 今日あたしたちは引っ越しに追われていた。

 この前、橋本さんに勧められるままにやってきたこのマンションのこのお部屋。もともとシェアハウスとして設計されている関係で広めの共有スペースとして、リビング、ダイニングキッチン、洗面所とお風呂のスペースがあって、トイレは二つ。

 そのリビングからそれぞれ鍵のついた個室が全部で3つ連結している様式になっていて、そのうちの一部屋をあたしとヒッキー部屋。

 居室自体も結構広さがあって、一応間仕切りがもともとついているから、この部屋を二部屋に分割も出来るのだけど、圧迫感が出てしまうからということで一部屋として使うことに決めた。

 そこに、あたしの私物とヒッキーの私物の全部を運びこんでいるというわけ。

 

 自分たちだけで!

 

「…………」

 

 もう一度言います。

 あたしとヒッキーの二人だけで、お引越し。

 

 そういうことになってしまったの。ひぇえん。

 

 だって、引っ越し業者の人たちにいろいろ電話したのだけど、今は繁忙期だから無理の一点張りで、ようやく見積もりをくれたところの金額がなんと「100万円」!!

 あんまりな金額に二人してびっくりして、これはもう無理だってなって、でも橋本さんから、『もう家賃発生してるからさっさと引っ越した方がいいよ』とか言われちゃうし、じゃあ自分たちでするしかないか……

 と、そういうわけで、今日に至りました。

 二人とも、もともとの家はここから距離もそんなに離れていないし、車はヒッキーのSUVが見た目大きいから結構荷物を積めそうだったし、ヒッキーに関しては私物も殆どなかったので、自分たちで案外簡単に終わるかもね。と、そう楽観していたのだけど、そんなわけなかったです。

 二人の私物をヒッキーの車に荷物を満載して運ぶこと、なんとのべ10往復。

 大きい車に見えたけど、積んでみたらそれほどでもなく、タンスとかベッドを入れてみればもう満杯。

 それを見て、二人して愕然となったのだけどね。

 

 二人とも休日の日曜日を利用して、こうやって朝からずっと動き詰めで、夕方になってようやく最後の段ボールを運びこんだ。

 

「ふううう……疲れたー、もう動けなーい」

 

「俺もだよっと」

 

 ヒッキーが最後の段ボールを床に置いて、息を吐いた。

 丸まっていた背中を伸ばしてそこをトントンと叩いている。

 あたしもそれを見てから大きく伸びをした。

 それからきょろきょろと見回してみると、大量の開いていない段ボールの山が。

 これを荷解きするんだよね。

 

「「はぁ」」

 

 ほぼ同時にヒッキーとため息をついた。

 それから言った。

 

「ねえ、外で食べよっか。片付け後に回して」

 

「だな」

 

 フライパンやらが入っているだろう段ボールから視線をそらしつつ、アタシとヒッキーは上着を羽織って、二台の空になった車へと乗り込んだ。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「なに食べよっか」

 

「んー?」

 

 特に何を食べるか決めないままに町中を走っていると、そう言えば美味しいって評判のイタリアンのお店が街のはずれにあるという話を思い出した。

 確か、青葉先生が初デートでつかったと言っていたような?

 

「ねえヒッキー、イタリアンでもいい?」

 

「ああ、なんでもいいぞ」

 

 その答えに、すぐにお店へと電話。

 席も空いているということなので予約をしてそのままお店へと向かった。

 レンガ作りのお洒落な外観からも、オーナーのこだわりが良くわかる。

 一見してとても良いお店に見えた。

 これは入るのがとっても楽しみ。

 へぇと、感心しながら車を降りたヒッキーも、どこか楽しそうに見える。

 これは当たりだったかも。

 

 そう嬉しく思いつつドアを開いて中に入ろうとすると……

 

「あれ? やあ結衣さんじゃないですか! こんばんは……?」

 

 そう速足に近づいてくる男性の姿。

 彼はあたしたちの少し手前で立ち止まってヒッキーを見つめていた。

 

「こんばんは、江ノ島さん。江ノ島さんもお食事ですか?」

 

「え? あ、はい。そ、そうです……そうですよ? ひょっとして結衣さんもですか? いやあ奇遇ですねえ」

 

「本当に」

 

 江ノ島さんはちらちらとヒッキーの方を見つつも、襟を正して私へと向きを変えた。

 それから朗らかに微笑みつつ言った。

 

「あの、もし()()()でしたら、私と一緒にお食事でもいかがですか? ()()()でしたら!!」

 

「あ、今日はヒッキー……彼もいっしょで――――」

 

「はい分かりました失礼しますさようなら」

 

 そうシュタタッと即答して彼はくるりと回れ右。

 そのまま足早に歩いて駐車場へ。

 途中一度雪で滑って転びかけていたけど、開いた足を踏ん張って構わず大股で歩み去った。

 あれ? どうしたのかな? 車に忘れ物?

 しばらくそっちを見ていたあたしの肩に、ヒッキーがポンと手を置いた。

 

「由比ヶ浜お前……基本恋愛脳のくせに、いくらなんでも鈍感すぎるだろ。ラノベの主人公かよ、鈍すぎだっつーの」

 

「へ? 鈍感? あたしが? そんなわけないじゃん、ぜーんぜん鈍くないし! むしろ速いよ、チョー速いし! ところでなんのこと?」

 

「はぁ……」

 

 なぜかヒッキーがあたしの目の前で大きなため息をついた。

 だから、なんでってばー!?




江ノ島さん闇落ち回避!!……なるか?
ということで、江ノ島さんの境遇やストーリーが変わります。
どうぞ次回もお楽しみに。


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(5)ヒッキーと同棲したい

 レストランの予約席に着いたあたしとヒッキーは、それぞれパスタとサラダを注文した。

 あたしがサーモンフェットチーネ、ヒッキーがボンゴレ。

 サラダは特性のコブサラダで、二人で分けつつ食べたのだけど、ヒッキーが一生懸命アサリを除けて食べていた。

 ボンゴレはそのアサリが美味しいと思うのだけど……勿体ないなぁ。

 

 凄く美味しくて大満足。

 ヒッキーも美味しいと言ってくれているし、ここにして本当に良かった。

 

 食後、コーヒーを出してもらって味わいつつ、ヒッキーと話した内容は当然彼のこと。

 

「あの人……、確か『江ノ島』さんって言ったっけか? この前のスキー場のセレモニーにも来ていたよな」

 

「うん。パパの会社の部下でね、パパが札幌に移動になったから、今は北見支店の営業課長だって」

 

「若いのに凄いな。で? お前とはどういう関係なんだ?」

 

「え? どうって? 今言ったよ? パパの会社の人だって」

 

「お前な……それ本気か?」

 

 はぁと、あたしの前でヒッキーがため息をついた。

 なに、その反応?

 呆れた顔になっているヒッキーに、本当に頭に来たのだけど、そんなヒッキーに文句を言おうと口を開きかけたところで彼が思いもよらないことを言った。

 

「江ノ島さん、多分お前に惚れてるよ」

 

「え? へ? はい?」

 

 言いかけた言葉が霧散してしまい、変な言葉が喉をつく。

 今ヒッキーはなんて言ったの? 

 ほれてる? 

 ん?

 

「惚れ……って、それって、江ノ島さんがあたしのことを好きだってこと!?」

 

「だから、そう言ってんじゃねえか。本当に気が付かなったのか?」

 

「気が付ない……じゃなくて、そ、そんなわけないじゃん! だって、あの江ノ島さんだよ? パパの会社の」

 

「それはもう聞いた。だからお前を意識するようになったんじゃないか?」

 

「え? だ、だって、意識するもなにも、そんなに一緒に居たわけじゃないし」

 

「でも、会ってはいたんだろ? 何回かでも」

 

「そりゃ会うよ! だって、大学に通ってたころは家族で住んでいたから、江ノ島さんたまにパパに会いに自宅にも来ていたし、パパの会社の行事の時に会うこともあったし。でも、だからってあたしのことを? そ、そんな……」

 

「会っているうちに気にするようになっていったんじゃないか? そのロジックは俺も身に覚えがあるからな、理解できる。おまえ……外面がめちゃくちゃ良いからな。何の気なしに優しくしたり、相手が勘違いするような振る舞いとかしていたんじゃねえか?」

 

「そ、それは……」

 

 言いながらだんだん不安になってきて、背筋が冷えた。

 まさかそんなと、頭の中で色々考えるほどに、不安は恐怖へと変化していく。

 まさか江ノ島さんがあたしのことをそんな風に思っていたなんて。

 そのことが本当に怖かった。

 江ノ島さんはあたしにとってはただの『知り合いの大人の人』という認識だった。

 パパの会社の若手の社員で、仕事ができるとパパが褒めていて、一人でいるあたしに気さくに話しかけてくれる優しい人。

 そう思っていた。

 だからあたしも江ノ島さんには結構気軽に話しかけてもいたし、冗談を言えるくらいの振る舞いは確かにしてしまっていた。

 でも、それは江ノ島さんがあたしのことを子供として見ていると思っていたから。

 あたしから見て、今の今まで江ノ島さんは世代の違う大人であって、決して同じ視線に立っている人ではなかったから遠慮なく接していたというのに……

 

 ヒッキーの言うことが正しいのなら、あたしは知らず知らずのうちに江ノ島さんが勘違いするような言動をしてしまっていたのかもしれない。それこそ何の気なしに。

 あたし、本当に何も気にしていなかった。

 ど、どうしよう。

 

 コーヒーカップを持つ手が震えてしまう。

 自分は別に何も悪いことはしていないと分かっていても、自分の気が付いていなかった他の人の感情がそこにあるかもしれないことが、本当に怖かった。

 

 そんなあたしを見ながら、ヒッキーがまたため息をついた。

 

「ま、お前が気にすることじゃないだろ。好きになった相手と上手くいかないことなんて世の中ざらだしな」

 

「そ、それじゃあ、あたしとヒッキーも上手くいかなくなるみたいじゃん」

 

「そ、そうじゃねえよ。俺たちは……その……だ、大丈夫なんじゃねえか? 今のところは」

 

「今のところってなんだし!! ヒッキーがそんな風に言うからなんだかだんだん不安になってきたじゃん」

 

「だから落ち着けって。その、あれだ。俺はただ、お前があの江ノ島さんのことをどう思っているのか気になって……だな。その……今の様子だと、別になんとも思っていなそうだし……そのな……ま、あ、安心したっていうか……」

 

 そう横を向きながら鼻をポリポリ掻くヒッキー。

 あたしはその様子になんだか顔が熱くなった。

 

「ヒッキー、あたしに『嫉妬』して……る?」

 

「あ……そんなんじゃ……えと」

 

 そうこっちを見ないままに話そうとしているヒッキーの表情に、思わずあたしは笑ってしまった。

 

「ありがと。あたし、そう思われているってだけでうれしいよ」

 

「そ、そうかよ……ま、そういうことだ……」

 

「ふふ」

 

 照れたヒッキーの顔を見て何だかホッとした。

 あたしにはヒッキーが居てくれるんだもの、何があってもきっとヒッキーが助けてくれる。

 そう、以前からそうだったんだもの。

 そんな風に思えたことで気持ちがスッと楽になれた。

 

「でもな……お前は全然わかってねえみてえだから言うけど、よくよく気をつけろよ」

 

「へ? なんのこと?」

 

 突然ヒッキーが真顔になってあたしにそんなことを言った。

 それがなんのことなのか本当に分からなかったから、つい首を傾げたんだけど。

 

「振られた男ってのはかなりダメージがでかくてな……これは俺の友達の話なんだが」

 

「あ、ヒッキーの話だね! で?」

 

「…………」

 

「ほらほらムスッとしないでよ。ヒッキーの友達の話ね! はい、どうぞ!」

 

「むぅ、由比ヶ浜お前……対応がだんだん小町みてえになってきたぞ?」

 

「そう? ヒッキーと仲良くなると、こうなるってことなんじゃない?」

 

「ガハマ&小町で、ガハマチさんって呼んじゃうぞ」

 

「誰がガハマチさんだ!! もう! いいから、早く話してよ」

 

「おお……そうだったそうだった。ええと、友達の話なんだが……」

 

「…………」

 

「あのな? 振られた後ってのは本当にしんどくて、自分のどこがだめだったのか、駄目な理由は何だったのか、どうしたら良かったのかって、あれやこれや色々悩むもんなんだよ。まあ、たいていの奴は諦めつけて自分を納得させて終わらせられるわけなんだが……俺みたいに」

 

「やっぱりヒッキーの話だった」

 

「……げふんげふん……終わらせられるわけなんだが!! たまに納得いかなくて振った相手を恨む奴も中にはいるんだよ。要はあれだ、『可愛さ余って憎さ百倍』ってやつだな。自分の気持ちが先行し過ぎて相手に依存しちまうんだ。だから裏切られたと感じて相手を執拗に憎悪してしまう」

 

「江ノ島さんがそれってこと? そんなことないと思うけど……」

 

「ま、実際のところなんて俺も知らねえよ。江ノ島さんのことだってつい今さっき知ったばかりの話だしな。ただ……お前には用心して欲しいんだ。その……何かあってからじゃ遅すぎるから」

 

「心配……してくれるんだ?」

 

「あ、あたりまえだろ?」

 

「えへへ……えへへへへ……」

 

「なんだよ急に笑い出して? 気持ち悪いぞ?」

 

「ちょ! 気持ち悪いはひっどい。もう、言い方!!」

 

 ヒッキーは残っていたコーヒーを一気に飲んで伝票を持って席を立った。

 その仕草の全部が照れ隠しだってことは分かっているけど、あたしのことを心配してくれた。それがすごく嬉しくて、あたしの頬も緩みっぱなしになってしまった。

 

 江ノ島さんのことはまだ少し気になってはいる。

 ヒッキーに言われるまで、彼の考えていることや気持ちについて何も感じてはいなかったから。

 でも、確かに彼があたしに向けてきた数々の仕草や行動は、好意からくるものであったのかもしれない。

 ヒッキーの事を好きだという思いを再認識して、彼と付き合うようになって、もう彼との生活しか考えられなくなった今のあたしには、正直言って、江ノ島さんを傷つけないように接することは難しく思えた。

 もうこのまま、会わない様にした方が良いのかもしれない。

 そんなことを思いつつも、ただ……

 江ノ島さんは、ヒッキーが言うような、憎悪からあたしを傷つけるようなことはしないだろうという確信のようなものが確かにあって、だから本当に何も心配はしてなかった。

 

 そう、この時……

 あたしはヒッキーの言う通り、無警戒のままだった。

 そのせいで、あんなトラブルに巻き込まれることになるなんて……

 このときのあたしは当然何一つ、想像してはいなかったんだ。



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(6)ヒッキーと同棲したい

 ヒッキーとあの話をしてから数日、特に何も起こらないままにあたしは普通に生活を送っていた。

 当然、江ノ島さんにも会っていないし、彼と連絡もとっていない。

 もともとそれほどの頻度で交流があったわけではないし、でも、今となってはどんな顔をして会えばいいか気まずくて、例え連絡があったとしても普通の顔が出来る気がしない。

 本当になんでこんなことになってしまったのか――――

 

「……先生! 由比ヶ浜先生!!」

 

「え? へ? あ、はい!」

 

 とんとんと肩を叩かれて返事をして振り向けば、そこには驚いた様子の青葉先生の顔。

 そして首を巡らせれば、職員室にいる全ての先生の注目の視線が。

 

「あ……えと……すいません」

 

 そう言って、あたしが頭を下げると、副校長先生が一つせき込んでから話を再開。

 連絡事項の伝達に移った。

 もう……

 本当に恥ずかしすぎりゅ。

 

 

「大丈夫ですか? なんだか今日は本当に体調悪そうですね?」

 

「え? いえ、別にそんなことは……」

 

 居たたまれなくなっていたあたしに、青葉先生が優しく声をかけてくれたけど、別に体調が悪いわけではないから言葉に詰まる。

 でも、ヒッキーのことや江ノ島さんのことを考えると、頭の中が色々もやもやして、集中力は確かに削がれていた。 

 そんな状態だったので、朝のミーティングの内容もうろ覚えのままで授業に向かい、今日の分のカリキュラムまではなんとか消化。

 本当に今日はもうへとへとだった。

 

 放課後。

 

「由比ヶ浜先生。今日一緒に帰りませんか?」

 

 帰り支度をしていると、すでにカバンを肩に下げた青葉先生がそう声を掛けてくれたのだけど、今日はヒッキーが早く帰ると言っていたし、夕飯の準備に買い出しもしないと。

 

「あ、ごめんなさい。今日は買い物をして帰るので方向違うんです。ごめんなさい」

 

「そう……ですか? なら、私は他の先生と一緒に帰りますね。では~」

 

「?」

 

 手を振る青葉先生が、別の女性の先生の元に行き一緒に帰りましょうと声をかけていた。

 あれ? 青葉先生今日はどうしたんだろう? いつもはさっさと一人で帰るのに?

 

 少し不思議な感じがしたけど、あたしは構わずに校舎を出て、守衛さんにいつものように手を振って正門を出た。

 

「はぁ、さむぃ」

 

 辺りは当然の様にまっしろで、路肩が雪に埋まった道路の真ん中へと気を付けて歩み出る。車は今はいないから、このまま通りをすぐに渡れるな。

 スーパーのある商店街はこの通りの向こう側で、更に路地を抜けた向こうにある。

 その道だけはきちんと除雪されているから、苦も無く歩くことができるはずなので、あたしは迷わずに通りを小走りで渡り、その路地を一人で歩いた。

 雪がちらついていることもあって人通りはまばら。

 しばらく歩くと、あたし一人だけになってしまったけど、もう商店街は目と鼻の先。

 あと、少しだ。

 と、その時、あたしの耳に何やら『温かい息』がかかった。

 

「はぁはぁ……」

 

「きゃっ」

 

 耳元で突然、人の呼吸音のような物が聞こえ、あんまりにびっくりして思わずつんのめった。

 顔から行きそうになり、慌てて両手を突き出した。雪に膝と両手をめりこませはしたけど、頭をぶつけることはなかった。

 とはいっても、手が痺れるほど痛かったのだけど。

 

「あいててててて」

 

 痛みを確認しながらとりあえず顔を上げようとした。

 びっくりした原因は、誰かがあたしのそばに居たせいで間違いなかったから。

 なら、それはいったいだれ?

 

「えーと、どなたです……?」

 

 と聞こうとして顔を上げたところに、声が掛けられた。

 あたしの正面から。

 

「よぉ由比ヶ浜。何してんだ?」

 

「へ? ヒッキー?」

 

 そう、ヒッキーだった。

 彼はあたしの正面から歩み寄ってきて転んだあたしに手を差し出してきていた。

 あたしはその手をとって、痺れた腕と膝を震わせながら起き上がる。

 そうしながら、他人事のように話しているヒッキーにムカムカし始めていた。

 

「もうっ!! ヒッキーふざけないでよ! 本当にびっくりしたんだから」

 

「はぁ?」

 

 ヒッキーはあたしの手を放すと怪訝な表情になりながらあたしを見た。

 

「とぼけないでよ! 今あたしの後ろからこっそり近づいて、耳に息ふきかけたでしょ! あたし本当にびっくりしたんだから!」

 

 あんまりにも悪ふざけがすぎるから、あたしは本気で怒っていたのだけど、ヒッキーはきょとんとした顔で暫くあたしを見つめて、その後、周囲をきょろきょろと見回し始めた。

 あたしもつられて周りを見たのだけど、他には誰もいない。

 そうしていたら、ヒッキーが言った。

 

「俺じゃない」

 

「え?」

 

「いや、だから俺じゃない。お前にそんな悪戯はしていない。俺は今たまたまお前を迎えに歩いてきて、たまたまお前が転んでいるところに出くわしただけだ」

 

「え? ええ? でも、だって、さっき確かに……」

 

 耳元に感じた熱い吐息。

 それがまさかヒッキーじゃない……?

 

「俺じゃない」

 

 そう言いながら、あたしの肩をぎゅうっと抱いてくれたヒッキー。

 彼は周囲を見回しながら、あたしを守るように抱いたままで商店街の方へと歩いた。

 そうされながらでも、あたしは震えていた。恐怖していた。

 歩きながら……

 つい先日ヒッキーと話していた彼の、無表情な横顔が頭の中を掠めた。



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(7)ヒッキーと同棲したい

 その日から、あたしの周囲は明らかに変わった。

 具体的にはなんと言えばいいか難しいのだけど、どこか違う。

 いつもと同じ通勤路、いつもと同じ職場、いつもと同じスーパーでのお買い物。いつもと同じ新居の自宅……のはずなのに、やはり何かが違う。

 何かを感じるの。そう、誰かがいる気配のような……誰かに見られている視線のような……

 ふとした時に感じるそんな『何か』に、その都度背筋がひやりとしてしまう。

 そのことを、ヒッキーも同じように感じているようで、あの雪道で誰かに息を吹きかけられた日の翌日から、ヒッキーはあたしを学校まで送ってくれるようになった。

 ヒッキーの職場からすれば大分遠回りにはなるのだけど、あたしのことが心配だからってことで、一緒に歩いてくれている。

 そのおかげなのか、確かに気配は感じるのだけど不審な人影を見かけることはなかった。

 いや、ひょっとしたらあたし達のただの被害妄想で、そんな怪しい存在は最初からいなかったのかもしれない。

 でも、そうではなかったとしたら?

 誰かに見られていて、誰かが常にあたしの周囲にいる。

 その誰かは、背の高い、あの人なのでは?

 

 そう思うたびに罪悪感とともに、怖いという恐怖心が同時に浮かび上がってきてしまう。

 だからあたしはヒッキーを頼って、彼に守ってもらいながらただ日々を過ごすしかなかった。

 

 そして数日がすぎ、一緒に通勤していたヒッキーがぽそりと言った。

 

「やっぱ、お前が狙われてるなんて、俺の『気の所為』だったのかも?」

 

「はいっ!?」

 

 にやぁっとちょっとおどけた感じで笑うヒッキーに、あたしの頬がひきつる。

 

「ええ? だって、ヒッキー毎日あたし以上に周りを気にしてたじゃん。近くに誰かいないかって用心深くさ」

 

「ああ、ま、それはあれだ。俺には隠れている奴を見つけられるようなスキルなんてねえから、あえて必要以上に慎重に見てまわってたってだけでだな」

 

「じゃ、じゃあ、江ノ島さんのことは……」

 

「それはあれだ。お前から江ノ島さんの話を聞いてひょっとしたらっておもっただけのことだ。ただの俺の勘だ」

 

「なら、あの時、耳元に感じた人の息みたいなのはなんだったの?」

 

「それは……風でも吹いていただけだったのかもしれない。なにしろ、俺があそこに行ったときには、本当にお前一人しかいなかったからな。まあ、別に最初から疑っていたわけじゃないが、何かあったらまずいかと思ってああ言っただけだ」

 

「か、風……?」

 

 頭を掻くヒッキーを見ながら、ひょっとしたら彼の言う通りなのかもしれないと少し思いはした。

 でも、ここ数日誰かに見られているような感覚は確かにあって、それがとても不気味に思っているということも事実。

 それがやっぱり被害妄想だったということなのかな?

 なんだか、だんだんわかんなくなってきた。

 

 あたしが色々思案していると、ヒッキーが言った。

 

「ま、用心に越したことはねえから、これからもしばらくは二人で行動しよう……ただ、悪いが今日の帰りだけは俺は迎えにいけないんだ」

 

「残業か出張なの?」

 

「ああ、そんなとこなんだが……ちょっと女満別空港まで人を迎えにいかなきゃならなくてな」

 

 そう言いながらヒッキーはくしゃくしゃっと頭を掻いた。

 これはなんだかとても面倒に思っていそうだな。

 そう感じたのと、どうせ仕事の関係だろうと思ったのであえて誰を迎えに行くか聞かずにあたしは言った。

 

「なら、今日は青葉先生と一緒に帰るよ。先生途中まで道が一緒だから」

 

「ああ……あの三つ編みおさげの背の低い人か」

 

「もう、背が低いとか、そんなネガティブな言い方ダメだよ。とっても可愛い人でしょ?」

 

「お、おお……お前がそう言うんなら、可愛いんだろう? どうもな、女性の可愛い基準が俺には良く分からなくてだな」

 

「ほんっとヒッキーっていつまでたってもそうだよね。いい? 女の人のことを話すときは、その人のこと悪く言っちゃ絶対ダメ。みんな誰でも結構いろんなコンプレックス持ってて気にしているんだから!」

 

「コンプレックス? そうなのか? ふーん。お前はそういうのなさそうだけどな」

 

「あるし! めちゃくちゃあるし!」

 

 胸とか胸とか胸とか!

 ほんっと、これが大きくてどれだけ嫌な思いをしてきたか。

 歩くと揺れてバランス崩れるし、肩は凝るし、男の人たちとかむねばっか見るし!

 そう言えば、ヒッキーはそんなに見……

 

「って! 胸をそんなにガン見するなー!」

 

「わわっ! す、すまん。いや、お前のコンプレックスって、それかなとか思ったからよ」

 

「思ってたらなおさら、見るなー!」

 

 もう、ヒッキーはそんなに見ないでくれてるなって思っていた傍から、おっぱい見るんだもん。

 ま、まあ? ヒッキーにならその……見られても別にいいんだけど?

 

「なんか言ったか?」

 

「んん!? なんにも! なんも言ってないし!」

 

 勘が鋭いのかなんなのか、ヒッキーはあたしをちらりと見る。

 目というか頭の方に視線を向けているのは、胸を見ないようにしているということかな?

 まったくもう、この人って本当に不器用なんだから。

 

 そんなヒッキーのおかげというか、色々話していたおかげで少しだけど不安はなくなった。

 ヒッキーの言う通りかもしれない。

 気のせい、あたしの気にしすぎ。

 そうであるなら、あたしももうこんなに緊張しなくていいのだし。

 

「とりあえず、今日は少し遅くなる。気をつけて帰れよ」

 

「うん。わかった。ありがとうね」

 

 あたしの学校の前まできてヒッキーはそう言って手を上げて、雪ノ下建設の事務所の方へと向かって歩いて行った。

 あたしは振り返らずに校門をくぐり、早めに登校してきた子供たちに挨拶しながら校舎へと入る。

 

 この時……

 校門陰に立っていた一人の背の高い男性が、登校してくる子供たちとは反対方向へと歩みさったことを、あたしは後日子供たちの口から聞くことになる。

 



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(8)ヒッキーと同棲したい

「青葉先生! 今日一緒に帰りませんか?」

 

 帰りの支度を終えてから隣の席の青葉先生にそう声を掛けると、先生は少し申し訳なさそうに頭を下げた。

 

「ごめんなさい。今日はダメなの、彼が迎えにくるから」

 

「え? あ、そうだったんですか。それはすいませんでした」

 

 思わずそう謝ったのだけど、青葉先生はふふふと可笑しそうに小さく笑う。

 

「でも、由比ヶ浜先生も最近ずっと彼氏さんお迎えだったじゃないですか! もうっ! 私なんかよりずっとずっと先に進んじゃってぇ! 羨ましいですよっ!」

 

 ぽんっと肩を叩かれて、思わず照れ笑い。

 でも、別にそんな風にみられようと思ってヒッキーと帰っていたわけじゃないから、なんだか気まずかった。

 だって、あたしは、誰かに見られているというあの感覚が怖かっただけだったから。

 ただ、言われてみれば、ここ数日あたしは毎日ヒッキーに迎えに来てもらって、手をつないで帰宅していた。

 これって、毎日お迎えデートしていたようなものだよね!

 わわわ! は、恥ずかしいっ!

 顔がほてって熱くなっていると、立ち上がった青葉先生が言った。

 

「だ・か・ら! 私も今回は頑張ってアプローチすることにしたんです! なんと言っても、今日は『クリスマス・イヴ』ですからね! デートも準備万端! 今日こそは……」

 

 と、小さくガッツポーズする青葉先生。

 

 クリスマス……あ!!

 

「じゃあ由比ヶ浜先生、お先でーす。ではではー!」

 

「さ、さようなら」

 

 手を振って軽快に教室を出ていく青葉先生を見送りつつ、あたしは机の上の卓上カレンダーに視線を走らせた。

 そこに書かれている今日の日付は……

 12月24日。

 く、クリスマスイヴだ。

 

 それを認めてあたしの全身の力が抜けてしまった。

 

 どうしよう……

 今日になっちゃったよ。

 後悔しても遅いことは重々分かっているのだけど、それでもこうなってしまっては悔恨ばかりが湧き出てしまう。

 なんといっても今回はヒッキーと付き合うようになって最初のクリスマス。

 プレゼントもお互いで用意して、二人でお祝いしようねって、ついこの前約束したばかりだったのだから。

 

 それなのに、今の今までそのことをすっかり忘れてしまっていた。

 多分あたしだけじゃない。ヒッキーもだ。

 今日の夜予定いれちゃっているのだから。

 

「あーーーー」

 

 もうため息しか出ない。

 でもこれも仕方ない。

 この前ヒッキーと待ち合わせして二人のプレゼントを買いに行こうとしたあの日、ヒッキーは残業であたしはその職場に初めて押しかけてしまった。

 それからあれよあれよとヒッキーと初めての……、……をしてしまって……けほんけほんっ……

 で、その後橋本さんの勧めであの新居に住むことになり、引っ越しをようやく終わらせたと思っていた矢先から始まった、あの見られているような気配を感じる日々。

 結局そんなこんなが続いたせいもあって、カレンダーを見ていたにも関わらず、クリスマスのイベントのことがすっかり頭から抜けてしまっていたんだ。

 

「はあぁぁぁぁぁ」

 

 本当にもうため息しかもう出ないよ。

 こんなに大事なことだったのに。

 

 でも、そうだよね。

 今日なんだもん、もうどうしようも……

 

 なくは……ない?

 

 窓のそとを見てみれば、どんよりした空模様のまま、雪がちらりちらりと舞っていた。

 でも、まだ真っ暗ではなかったし、時計を見ればどこのお店もまだ開いている時間。

 これは急げば間に合うかも?

 

 あたしはすぐにカバンを手にして職員室を後にする。

 向かう先は商店街のケーキ屋さんと、この前ヒッキーと一緒に行こうと思っていた宝飾品店。

 そこでヒッキーとお揃いのアクセサリーを作ってもらおうと二人で話し合っていたんだった。

 結局注文はしていないし、そもそもお店にも行けていないけど、とりあえずサプライズのプレゼントは何か買えるかもしれない。

 そう思えたからあたしは急いで校舎を飛び出した。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「ありがとうございました」

 

 あたしと同い年くらいの若い女性の店員さんに見送られてあたしはお店を出た。

 お店の銘の入ったお洒落な紙袋を、眺めてから、それをそのままショルダーバッグへと納めた。

 もう片方の手には、ケーキの入った袋を持っている。

 つい先ほど駆け込んだケーキ屋さんで、たまたまキャンセルの出たホールのショートケーキが置いてあって、タイミングよく購入できたから。

 

「ふふん」

 

 少し慌てたけど、ケーキもプレゼントも用意できたし、夕飯用の食材はたっぷりあるから、これから帰ってシチューでも煮込めば、ちょっとしたパーティみたいに出来そう。

 ヒッキーも少し遅くなるって言っていたしね、帰ってきたところでびっくりさせちゃうんだから。

 なんだか、だんだん楽しくなってきていた。

 雪はちらついているけど、考えつくことの全てが楽しくて、全然寒さを感じない。

 大通りの道端に新しく積もった雪をサクリサクリと音を立てつつ歩いて、あたしはマンションのある路地へと足を踏み出した。

 

 その時だった。

 

「はぁはぁ」

 

「え?」

 

 そこにその人はいた。

 あたしのすぐ真横、目と鼻の先に。

 マンションへと続くその道の片側に聳える分厚いブロックの壁に背を預ける様にして、背の高い男の人が立ってあたしを見下ろしていた。壁際だし暗がりすぎて顔や服装はまったくわからないけど、ただ、呼吸音だけが大きく響いていた。

 

「え? え?」

 

 咄嗟にその場で足を止めてしまったあたし。

 あまりに驚いたのと、怖かったのとで、その人と向かい合うような恰好のままで、動けなくなってしまった。

 誰?

 この人はいったい誰?

 暗がりのその人は、ゆらゆらと身体を揺らしながらあたしへと向かってきた。

 

 そして。

 

「はぁはぁはぁはぁ!」

 

 呼吸を荒げながら、あたしの背中に抱き着いてきた。

 両腕で身体を締上げるように力を込めて。

 その衝撃で、手にしていたケーキの入った袋が、どんと音を立てて道路に落ちた。

 

「い、いやぁっ!!」

 

「!?」

 

 あまりの悍ましさに悲鳴を上げてしまう。

 と、その時、一瞬その抱き着いてきた男の手の力が緩んだ。

 あたしはその隙に身体を捩って腕の拘束から逃れて走った。

 けれど、凍った雪道はがたがたで、うまく走ることが出来ない。

 

「きゃ」

 

 結果、溝に足を取られてあたしは尻餅をついた。

 かなり痛かったけど、今は怖い方が勝っていたからすぐに追いかけてきているであろうあの背の高い男性の方へと顔を巡らせた。

 すると、もうすぐ目の前にその人はいた。

 逆光で顔はほとんど見えない。

 でも、ひとつだけ見えた。

 その人がにやあっと口を大きく開いて微笑んでいるのを。

 その表情に全身の肌が泡立った。

 

 助けて……

 助けてよ……

 

 恐怖のなかで、必死に助けを懇願している中であたしはその声を聞いた。

 

「結衣さん……」

 

 目に映るその男性を見上げながら、ああ、この声の主は江ノ島さんだ……

 そう思い出していた。



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(9)ヒッキーと同棲したい

「結衣さん……」

 

「い、いや……」

 

 目の前の男の人がどんどん迫ってくる。

 その黒い大きな塊の腕があたしに向かって伸びて来て、そしてあたしのことをまた捕まえようとしていた。

 助けて……

 助けて、ヒッキー!

 その時だった。

 

「結衣さんに何をするっ!!」

 

「え?」

 

 江ノ島さんの声が聞こえた。

 でも、それは目の前の黒い影のような背の高い男の人からではなかった。

 あたしの背後……

 あたしの後ろの方からだんだん大きく、雪をざしゅざしゅと踏みならす音と共に近づいてきた。

 

「こ、この野郎っ!! ゆ、結衣さんから離れろっ!」

 

「……っ!?」

 

 あたしの脇をすり抜けたその人……

 江ノ島さんが、目の前の男の人に飛びついた。

 ふたりはそのまま雪の上に倒れ込む。

 

「何をしているんですか! 何をしているんですか!」

 

 江ノ島さんはそう叫びながら、その男の人の襟くびを掴んでガクガクと揺さぶっていた。

 男の人はと言えば、最初首をぶんぶん横に振っていたのだけど、江ノ島さんがそれ以上何もしなかったことで何か吹っ切れてしまったのか、彼のことを力任せに横へと投げ飛ばしてスッと立ち上がった。

 

「痛いっ!!」

 

「江ノ島さん!!」

 

 あたしがそう叫ぶと同時に、立ち上がった男の人は走りだそうとした。でも、そこに、転がってしまった江ノ島さんが再度飛び掛かって、男の人の足に組み付いた。

 

「逃げるなっ! この変質者っ!!」

 

 男の人は、掴まれていない方の足で、何度も何度も江ノ島さんのことを蹴る。

 それでも江ノ島さんは手を放さなかった。

 暫くしてけるのを止めた男の人はポケットに手を差し込んだ。

 そしてそこから取り出したのは……

 

 ジャキンッ!

 

 その手に握られていたのは鈍色に光るナイフだった。

 

「江ノ島さん。もういいから、逃げて!」

 

「くっ」

 

 そのナイフに江ノ島さんもようやく気が付いたようだったけど、彼は目をぎゅっとつぶって組み付いたままの腕を解かなかった。

 そこへ、

 男の人のナイフが振り下ろされ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「止めろー――――――!!」

 

 声がした。

 それは、また別の方向から。

 あたしたちの住んでいるマンションの方から。

 そう、

 あたしが一番来て欲しかった、会いたかった人の声が突然聞こえたの。

 

「ヒッキー―ーー!!」

 

「でやあああああっ!!」

 

 腰の抜けてしまったあたしの目の前で、ヒッキーが手にしていた傘でその男の、ナイフを持った方の腕を思いっきり叩いた。

 その瞬間、手からナイフがポロリと落ちて、近くの雪の上へと落ちた。

 

「やめろ、やめろやめろやめろーーーー」

 

 バンバンと何度も何度もヒッキーがその男の人を傘で叩き続ける。

 男の人はと言えば、痛いのか頭を手で隠すようにして走り出そうとしていたけど、足元の雪のわだちに足を取られて躓いて前のめりに倒れた。

 その背中へと、ヒッキーが更に傘を叩きこむ。

 

「止めろ止めろ止めろ止めろー!!」

 

 ばしんばしんと、繰り返し傘が叩きつけられる音が響いている。

 傘はもうぐにゃぐにゃになっていて、とてももう使えるような状態ではなかったけど、それでもヒッキーは叩き続けていた。

 傘を掴んでいる手の所が真っ赤になっていた。

 どうやら、折れた傘の部品が手に刺さってしまっている様。

 叩かれている男の人は、もう動かなくなっていた。

 

「ひ、ヒッキー。あ、あたし、大丈夫だから。もう大丈夫だから」

 

「あ? あん……?」

 

 呼吸を荒げたヒッキーがあたしを見る。

 そして手にしていた傘を見て、その手が血まみれになっているところにも視線を向けていた。

 それから一言。

 

「い、いてえ」

 

 そう言いながら、手のひらに喰い込んでしまっている傘の柄の部品を引き抜いて、手から傘を無理矢理離して地面に落とした。

 あたしはすぐにハンカチを取り出して、ヒッキーの血まみれの手にそれを当ててぎゅっと握った。

 

「ヒッキー……ヒッキー」

 

「おお……サンキューな由比ヶ浜。痛みがふっとんだみたいだ」

 

「ばか、そんなわけないでしょ。もう……無茶をして」

 

 軽口を言うヒッキーの手を握りながら、倒れている男の人を見ると、うーんと唸りながらまた起き上がろうとしていた。

 ヒッキーはそれを見て、あたしを背中側にまわして、傘はもうないのに、またもや男の人に掴みかかろうとしていた。

 

 その時だった。

 

「おまわりさん。こっち、こっちです」

 

 大通りの方から複数の人影が走り寄ってきていた。

 そのうちの二人は間違いなく制服を着た警察官。

 お巡りさんは、倒れている男の人を抱き起こすと何やら色々質問を始め、それから先ほど雪の上に落ちたナイフも確認して無線でどこかへと連絡をした。

 そして、今度はあたしとヒッキー、それとまだ立てないでいる江ノ島さんへと声を掛けてきた。

 

 そうだ、江ノ島さんが来てくれたんだった。

 

 あの時、あたしはこの男の人が江ノ島さんだと思い込んでいた。

 背も高いし、この前ヒッキーに言われた通り、あたしが江ノ島さんに恨まれていると思っていたから。

 

 でもそうじゃなかった。

 

 その人はまったくの別人で、あたしに襲い掛かってきたところを江ノ島さんが飛び込んできて助けてくれた。

 そう、江ノ島さんじゃなかった。それなのに。

 あたしはなんて酷いことを思ってしまっていたのだろう。

 彼に顔向けできないくらいの申し訳ないという思いで胸がいっぱいになってしまっていた。

 なんて謝れば良いのだろう。

 なんとお礼を言えば良いのだろう。

 そんな風に胸が苦しくなっていたあたしに、また別の人が声を掛けてきた。

 

「やあ、大丈夫だったかい? 『結衣』? えーと、ゆ、由比ヶ浜さん?」

 

「え?」

 

 その声は先ほどお巡りさんたちへと声を掛けた人の声に間違いが無かったけど、あたしはその声をもっとずうっと前に聞いていたことを思い出していた。

 それはあの千葉の高校での懐かしい友人の声。

 

「は、隼人くんっ!?」

 

「やあ、ひさしぶり。大変だったね」

 

「ふんっ」

 

 柔らかく微笑んであたしを見つめる葉山隼人君がそこにいて、その隣でヒッキーが煩わしそうに彼を睨んでいた。



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(10)ヒッキーと同棲したい

「やれやれ、やっと解放された」

 

「……うん」

 

 あたしとヒッキーは並んで警察署から出てきた。

 彼の手には、さっきあたしが襲われた時に落としてしまった、潰れたクリスマスケーキの箱がある。

 確認はしてはいないけど、きっと中身もつぶれちゃってるよね。

 そう思うと、少し悲しくなった。

 

 まさかクリスマスイブに警察署に来ることになるとは思いもしなかった。

 でも、しかたがない。

 だって、あたし達はあやうく、傷害事件の被害者になるところだったのだもの。

 

 つい今しがた、あたしは背の高い男の人に襲われた。

 でも、そこに江ノ島さんやヒッキー、それに千葉の高校の時に同級生だった葉山隼人君が現れたことで、あたしは助かって、その男の人も捕まえることができた。

 そのまま、被害届を書いたり、事情聴取を受けたりしなければならない関係で、全員でこの警察署に来たわけだけど、ここであたしはこの犯人が、ここ最近頻発していた変質者事件の容疑者であったことを知った。

 

 実はここ最近、この街ではOLや主婦、女子高生や、女子児童までもが、変質者に痴漢行為をされるという事件が何件も起きていたのだそう。

 幅広い年齢層に対しての事件だったため、警察も市内の各所に注意喚起の呼びかけをおこなっていたみたいで、あたしの通っている小学校にも、変質者の情報は送っていたらしい。

 どうもあたしはそのことをすっかり聞き漏らしていた様で、まったく変質者のことは理解していなかったのだけど、そういえばと思い当たることがたくさんあった。

 ここ最近子供たちには集団下校をさせていた。

 これは雪道での事故に遭わないようにとの配慮もあってのことだったけど、それだけではなかったみたい。

 次に、思い出してみれば教員も一人では帰宅しないように行動していた。

 みんな声を掛けて同じ方向の人は一緒に帰っていたし、あたしもちょくちょく青葉先生たちに誘われていたし。

 でも、あたしは基本ヒッキーが迎えに来てくれていたから、先生たちと帰ることはほとんどなかった。

 

 だからだったんだ。

 

 あたしはきちんとこの注意を聞いていなかったのだけど、基本子供たちの集団下校も対応していたし、帰宅も迎えに来て貰ったりと、ほぼほぼあたしの行動に問題が無かったから、誰にも指摘されずにきてしまったということ。

 なぜそのことが分かったかというと、つい今の今まで、うちの学校の副校長がここに来ていたから。

 副校長には、あたしが無事で安心したと言われ、あたしが今日一人で帰途についたことについてはきつく叱られてしまった。

 何一つ反論できないし、顔から火が出るほどに恥ずかしかったから本当に何も言えなかった。

 朝礼の内容を覚えてもいないまま過ごしていたなんて、あまりにも無責任すぎた。

 本当にこんなんじゃだめだ。

 

 結局、副校長からはそれ以上何も言われず、必要な書類を全て書いたうえで今日は帰宅することになり、みんなで出てきたというわけ。

 犯人は現行犯逮捕だから申し開きもせずにあたしへの暴行を認めたそうだけど、余罪が相当ありそうということで、警察は徹底的に調べあげることになる様子。

 後日裁判とかになったらどうしよう?

 と、そんな心配をしながらあたしは闇夜に浮かぶ警察署を見上げた。

 そこへ、ヒッキーが声を掛けてきた。

 

「さぁってと、もう遅えから帰るぞ? あー」

 

 ヒッキーはいったん立ち止まってから背後を振り返った。

 そこには今回の事件のもう二人の関係者が立っている。

 隼人くんと江ノ島さんだ。

 

 あたしはヒッキーに釣られてそっちを見ると、隼人君はさわやかににこりと微笑み返してくれて、そのあと一瞬江ノ島さんと視線が交差して思わず目を逸らした。

 江ノ島さんも、同じように横を向く。

 その動作の全てに胸が軋んだ。

 なんと言って接したらいいのか……

 あたしは江ノ島さんが犯人だとばかり思っていて、先ほどあの変質者に抱き着かれる寸前まで、ひょっとしてこの人は江ノ島さんなんじゃないかって疑っていたのだもの。

 でも、そうではなかった。

 江ノ島さんはあたしを助けてくれたから、あの変質者から。

 いったいどう彼と接すればいいのか。湧き上がるのは悔恨ばかりで、どう切り出していいかもわからない。

 まだきちんと謝れてもいないのに……

 そう気まずく思っていたら、ヒッキーが。

 

「そういや腹減ったな。お前らも減ったよな?」

 

「そうだな、お腹は大分すいているよ」

 

「え?」

 

 ヒッキーが軽くそう言うのに呼応して、隼人君がお腹を摩りながら応じた。

 すると。

 

「じゃあどうだ? これから飯を食わないか? うちで」

 

 と言って、あたしを見つめてくるヒッキー。

 その眼を見ていたら、なんとなくヒッキーの思惑が読めて、あたしも答えていた。

 

「うん。そうして‼ 材料もあるし、簡単なものならすぐ作れるし、だから……」

 

「というわけだから、葉山、それと、江ノ島さんも、うちに来いよ」

 

「いいね」

 

 ヒッキーの言葉にすぐに隼人君は応じたけど、江ノ島さんは何か気まずそうではあった。

 でも、すかさずヒッキーが言った。

 

「来てくれよ、江ノ島さん。あんたも大変だったんだから」

 

「い、いや……でも、私は……」

 

 遠慮がちな感じで言葉を濁していた江ノ島さんに、あたしも思い切っていってみた。

 

「どうぞ、是非来てください。その、た、たすけてもらったお礼もしたいので」

 

「結衣さん……」

 

 あたしの言葉に江ノ島さんはまだ戸惑っていたけど、漸く首を縦に振ってくれようとしていた。

 すると、そこへ……

 

「あ! じゃあ! 私もご相伴に預かっちゃおうかな! いいでしょ比企谷君!」

 

 そう言って急に隼人君と江ノ島さんの間に飛び込んで、二人の腕をしっかと掴んだのは、赤い毛皮のコート姿の橋本さんだった。

 えと……

 クリスマスイブに、警察署の前をなんで一人でふらついていたのかは……

 

 多分聞いちゃダメなやつだよね?

 



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(11)ヒッキーと同棲したい

「だぁから聞いて欲しいのよ。ィック! わたしはぁ、こんなにいい女なのにぃ、一人だけの寂しいくりすますなのでしたぁ」

 

「橋本さん、飲みすぎじゃねーか?」

 

「ばぁろー比企谷、ラブラブな相手がいる君に、ィック……私の荒んだこのココロのことは絶対理解できないのよぃ……ィック!」

 

「ああ、はいはい」

 

 ヒッキーは橋本さんの相手をしつつ彼女の近くにおいてある焼酎やワインの瓶をさっさっとどかしていくのだけど、橋本さんはどこからとってきているのか、次々とお酒を開けて浴びるように飲み続けていた。

 正直もうどれくらい飲んでいるのか完全に分からない。

 でも、こんなに飲んでいて確かに酔ってはいるのだけど、しゃべり続けていられることが素直に凄かった。

 

 あたしたちは新居の共有スペースでもあるリビングで、炬燵に入って魚介の水炊きとジンギスカン鍋をつつきながらお酒を飲んでいる。

 ジンギスカンマトンを多めに買っていたことと、このマンションの大家さんに挨拶に行った際にエビとカニをもらっていたので、あたしと橋本さんの二人で、それを全部解凍して野菜と一緒にすぐに煮込んだ。

 後は、ヒッキー達がスーパーに寄って買ってきたオードブルが並んでいる。

 炬燵の上に並べて、あたしとヒッキー、隣に隼人くん、向かいに江ノ島さんで、その隣、あたしの横に橋本さんという感じで並んで、そのまま乾杯。

 このとりとめのないメンバーで急遽飲み会が始まり、しばらくして橋本さんがへべれけになりつつ江ノ島さんとヒッキーに絡み出して今に至っているというわけ。

 隼人くんはそんなメンツのみんなの話を聞きながら、相槌を打ちつつ終始笑顔だ。

 なんだか、高校のころにみんなと話していた時を思い出す。

 

 江ノ島さんは暫く愛想笑いをしつつ橋本さんや隼人くんと会話をしていたのだけど、今は黙って鍋を食べていた。

 そんな中、橋本さんに絡まれていたヒッキーがあたしを見た。

 その目が言っていた。

 

『さっさとお礼を言え』と。

 

 うぇえええん。そ、そうだよね。

 その為にこんなパーティみたいにしたんだもの。

 でも、本当に気まずい。

 うう……江ノ島さん本当にごめんなさい。

 心の内で謝罪しつつ、顔を上げてみたら、ヒッキーがくいっと顔を江ノ島さんへと向けていた。

 ひぇええ。

 あたしは覚悟を決めて、軽く深呼吸をしてから江ノ島さんを見た。

 

「えっと……江ノ島……さん?」

 

「はい。結衣さんっ! 本当にすいませんでした」

 

「へぇ?」

 

 あたしが声を掛けた途端に江ノ島さんがあたしへと頭を下げる。

 その突然の行動に思わず変な声が出るも、どうしてそんなことをして、なんで謝ったのか理解できなくて、あたしも動けなかった。

 そんな中、江ノ島さんが言った。

 

「私は……ぼ、僕は……結衣さんに嫌な思いをさせてしまっていたのかもしれません。今までずっと、あなたに気安く話しかけたり、家族にするように振る舞ったり、僕はどうも勘違いしてしまっていたようです」

 

「い、いえ、そんなことは……思ったことはありませんでしたけど?」

 

「いえ、そうなんです! 僕は結衣さんのことを、由比ヶ浜支社長より頼まれていましたから、あなたをどこか身内の様に見てしまっていたのです。知らず知らずのうちに。それを、この数週間で嫌というほど思い知りました。本当にすいませんでした。あなたがどれだけ僕のことをキモイと思ったか、それを思うだけで死にたくなるほどに」

 

「ええっ!? き、キモ? いえ、いえいえ。キモ……とかなんて、まったく全然これっぽっちも思ったことないですってば」

 

「いえ! 絶対キモイはずなんです! だって、僕が一番キモイと思っているんですからっ!!」

 

「「ひぇっ!」」

 

 ダンっ!!

 と日本酒が入ったコップを炬燵へと叩きつけた江ノ島さん。

 ヒッキーとほぼ同時に驚いて跳ね上がった目の前では、江ノ島さんは跳ねて溢れ出たお酒に濡れた手を震わせながら、話を続けた。

 

「僕は……もう分からなくなっていたんです。結衣さんのことは僕が見守らなくちゃならないのに、いつのまにか結衣さんには比企谷さんという彼氏さんが出来てしまって、もう僕が見守らなくてよいかもと思いつつ、でも、支社長から頼まれている約束は守らなくてはならなくて、だから、僕は……僕は!!」

 

 そう言いつつ声を震わせる江ノ島さん。

 江ノ島さんはすごく責任感がある人だってことはあたしも知っている。

 だからパパも信頼して、こっちの方の仕事を全部江ノ島さんに任せたのだもの。

 そんな責任感の強さから、あの時……『()()()()』通りかかったあの時に、変質者に襲われているあたしを見つけて助けに飛び込んでくれたということだったんだろう、自分がけがをするかもしれないというのに、そんなことはおかまいなしに。

 

 あたしは江ノ島さんの方に向き直って頭を下げたままで口を開いた。

 

「江ノ島さん……本当に、本当にありがとうございました。助けて頂いて、本当に。それと、お礼を言うのが遅くなってしまって、ごめんなさい」

 

 言えた。

 やっと言えたよ。

 彼があたしに対してどう思うのかはわからない。

 でも、あたしの気持ちだけはこれで漸く伝えることはできた。

 今は、それだけでいい。

 心に引っかかっていた小骨のようなものがやっと取れたような安堵があったから、あたしは彼へ、やっと笑顔を向けることができた。

 そうしたら、江ノ島さん。

 

「いえ……、そんなことは気になさらないでください。キモイ僕のことなど、本当に」

 

「で、ですから、あたしそんなこと全然思っていなくて……」

 

「結衣さん。今の僕にはそんなあなたのやさしさが本当につらいんです」

 

「うう……」

 

 まったくあたしの言葉に耳を傾けてくれない江ノ島さん。

 相当酔っているよね? これ?

 あたしは一先ずヒッキーを確認したんだけど、ヒッキーも首を横に振っているし、これはもう今日はこれ以上江ノ島さんと話すことは諦めなきゃ駄目かも……

 

 そんな風に思っていた時だった。

 

「ひゃっほー、江ノ島君、飲んでるぅ? うりうりうりうりぃ。にひひひひ」

 

 そこに日本酒の一升瓶を抱えた橋本さんが乱入してきて、えのしまさんのほっぺに指をめり込ませ始めた。

 江ノ島さんは表情一つ変えないまま、コップを持ち上げて、そこに笑いながら橋本さんがお酒を注ぐ。

 と、それを江ノ島さんはくいと一気に飲み干した。

 

 はわわ…… それ、日本酒だよ?

 だ、だいじょうぶ?

 

 不安に思いつつ彼を見ていると、まったく表情は変わっていないままでまたコップを持ち上げた。

 そこに再び注ぐ橋本さん。

 

「お、おい、もうその辺にしておけよ」

 

「そ、そうですよ! 飲み過ぎは身体に毒……」

 

「今はッ!! 飲みたい気分なんですっ!!」

 

「「ひぇっ!!」」

 

 あたしとヒッキーの言葉に被せる様に、また一気に飲んだ江ノ島さん。

 二人してハラハラしながら見ているそこに、橋本さんが言った。

 

「あははははは、良い飲みっぷりだねぇ! そうそう、飲みたいときは飲むのが一番よっ! ィック……それにしても江ノ島君、よく襲われている由比ヶ浜ちゃんを見つけられたねぇ? これはあれかな? 愛の力ってやつ? 振られたけどね、ニシシシ」

 

「橋本さんっ!!」

 

 茶化す橋本さんにヒッキーが少し怒鳴るように声を掛けると、また江ノ島さんがタンッとコップを机においた。

 そして橋本さんを見据えて言った。

 

「そんなんじゃないです。僕には結衣さんを守るという使命があったのです。ですから、僕は僕の全てを使って守り続けていただけです」

 

 え?

 

「ほほぅ? すべてぇをつかってぇ? ほうほう。具体的にはどんなことをしたのかね、江ノ島君」

 

 手にマイクを持っているかのように構えた橋本さんが江ノ島を促すと彼は胸を張って彼女を見下ろした。

 

「全ては全てです。僕は朝から晩まで、ずっとずっとずうっと結衣さんのことを見守り続けていました、この一週間」

 

 え? え?

 

「朝から晩まで?」

 

「朝から晩までです!!」

 

 フンっと鼻息荒く笑顔になった江ノ島さんは、自信満々に言い切った。

 

「僕は、早朝から結衣さんのマンションの入り口そばで不審者がいないか監視して、通勤中も周囲の警戒を続けていました。日中は多少仕事で結衣さんの職場を離れなくてはならない時間もありましたが、結衣さんの教室、職員室の結衣さんの机、それと、結衣さんの使用しているロッカールームの出入りしている人物を確認すべく、望遠の監視カメラも設置して、それをリアルタイムで監視し続けていましたから彼女の無事は確認できていました」

 

 ぞわぞわぞわぁあ。

 

 背筋に悪寒が走ってヒッキーの腕をきゅっと掴んだんだけど、ヒッキーもヒッキーで真っ青な顔であたしの袖をつまんでいた。

 というか、これってあれだよね? 

 ここ数日間、ずっと誰かに見られていたように感じていたのは、あの捕まった犯人の所為ではなくて、やっていたのはこの江ノ……

 何か結論めいたことが閃きそうになったその時、江ノ島さんがにやりと笑いながら口を開いた。

 

「それにです!! 彼女の帰宅後は、覗きなどの被害があるやもしれませんからね、彼女の入浴中は、僕がずっと風呂場の窓の下に身を隠して不審者が近づくのを警戒していました! 彼女の貞操は完ぺきに守りましたよ!!」

 

 ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!

 

 背筋の悪寒というか鳥肌がいよいよ最高潮に達した瞬間だった。

 ヒッキーと二人して抱き合って悲鳴にもならない悲鳴を上げる。

 というか、ヒッキーも顔真っ青で腕の鳥肌がすごいことになってるし。

 ひぃっ!!

 

「あのさあ、江ノ島君」

 

「は?」

 

 そんなあたしたちの状況はお構いなしに、江ノ島さんの隣の橋本さんがポツリと一言。

 

「キモ」

 

 シーンと静まりかえった室内で、ただ少なくなった水炊きの汁が、フツフツと音を立てていた。

 

 というか、隣で隼人君がさっさっと、食べ終わったお皿やコップを片付け始めていた。

 

 ま、マイペースだ。



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(12)ヒッキーと同棲したい

 結局あのクリスマスパーティというか飲み会は、橋本さんと江ノ島さんの二人が酔いつぶれてしまってお開きとなった。

 というか、橋本さんにキモイと言われた直後から江ノ島さんが日本酒を浴びる様に飲み始めてしまい、それに付き合う形で橋本さんも更に飲んで……、気が付いたら二人してノックダウン。

 ヒッキーと隼人君が江ノ島さんを介抱して、あたしは橋本さんのお世話。

 ちょっと、言葉にできないくらい惨憺たる状況になってしまってはいたのだけどね、二人の名誉のためにも、そのことは胸の奥底にぐっと沈めて今後一切、二度と気にしないことにした。

 うん、それがいい。思い出すと自分が憂鬱になっちゃうし。

 ほんと、お酒は怖い。

 怖すぎる。

 

 ええと、まあ、その話はもう終わり。

 

 隼人君はもともとヒッキーがこの家に泊めることにしていたということで、パーティの最中にあたしに良いかどうか聞いてくれたんだけど、当然泊まることは了解した。

 友達が来てくれたんだもの、それくらいは当然だよ。

 それに、この家は広いし、使っていない部屋もたくさんあるから、まあ、ちょこっと寝床に使うくらいはかまわないと思っていたし。

 ということで、隼人君はまだ入居者の決まっていないあたしたちの隣の部屋に入ってもらってそこで寝てもらった。

 ダウンしてしまった江ノ島さんと橋本さんはリビングで。

 ある程度片付けも終わって、ようやく落ち着いたところであたしとヒッキーはお風呂に入ってから自室へと入った。

 なんというか、もうかなり疲れ切っていた。

 だって、本当に色々あったんだもの。

 

 夕方に暴漢に襲われて、みんなに助けられて、警察に行って、それからパーティの準備をして、食べて、飲んで、介抱して、片付けて、お布団に。今ここ。

 

「はぁっ……つかれたー」

 

 髪をドライヤーで乾かしてから、お布団の上でカーディガンを脱ぎつつため息をついていた。

 すると、頭をタオルで拭きながら入ってきたTシャツ短パン姿のヒッキーが、部屋のドアにカギをかけてからベッドの上に昇ってきた。

 

「お疲れさん。よく頑張ったな」

 

 そう言って頭を撫でつつあたしを抱きしめてくれる。

 

「えへへー。ありがと。本当にいろいろあったし、怖い思いもしたけど、今は全然大丈夫だよ。みんなと、ヒッキーのおかげ」

 

 そう言ってから、彼の唇にキスをした。

 真っ赤になって視線を泳がせるヒッキー。

 そういう反応、本当に嬉しいな。

 ヒッキーは頬を掻きながらあたしを見た。

 それから、ベッドわきに置いてあるカバンを引き寄せて、中から小さなリボンのついた箱を取り出した。

 

「あのな、今日……クリスマスだろ? だから、ほれ、ぷ、プレゼントだ」

 

「あ! そうだった。あたしも用意したんだった」

 

「そうなのか?」

 

 ヒッキーがプレゼントの箱を手にしたままあたしを見ていたから、あたしもクローゼットに置いてある手提げのところまで行って、中から今日買ったプレゼントを取り出した。

 その小さな箱を持ったままベッドまで戻って彼へとそれを差し出した。

 

「はい、あたしもヒッキーにプレゼント。付き合うようになって初めてのクリスマスで、一緒に住むようになった記念にもなるかなって」

 

「おお……俺も同じような感じで選んだよ。そのあれだ、これから宜しくお願いしますってとこだな」

 

「だね」

 

 二人して微笑みあってお互いにプレゼントを差し出して、二人きりのプレゼント交換会。

 でも、よく見てみたら二人とも同じ柄の包装紙の同じ大きさの箱。

 これはひょっとしてと、ふたりして同じような期待をしたまま箱を開けてみると、そこにはやはりというか、まったく同じものが入っていた。

 

「お前もこれを買ったのかよ?」

 

「うん、可愛い!! ありがとう!!」

 

 そう言いあって取り出したのは、同じ柄、同じ模様のシルバーのピンキーリング。

 ただサイズだけが違うそれを、あたしとヒッキーはお互いの小指にそれぞれ嵌めた。

 そしてそれを眺めつつ言った。

 

「不思議だね。これ買うとか決めてなかったのに」

 

「まあ、お前この前こんな指輪欲しいとか言ってたからな、俺はそれを思い出しただけだ」

 

「言ったっけ?」

 

「言ったな、3回くらい」

 

「覚えてない」

 

「ひでえ」

 

「ふふ、ヒッキーも良く似合ってるよ」

 

「なんか男がするとちゃらちゃらしてるみたいにならねえか?」

 

「ならないよ。だってヒッキーカッコいいもん」

 

「そんなわけねえだろ」

 

「ううん。かっこいい。あたしにとっては最高にかっこいい人だよ」

 

「おま……恥ずかしげもなくそんなこと」

 

「かっこいいし、大好きだから……だから」

 

 あたしは彼の指輪の嵌まっている手を取ってぎゅっと握った。それからまた口づけをして言った。

 

「だから、この指輪であたしを思い出して? ね?」

 

「おう……分かった」

 

「浮気しちゃだめだからね」

 

「当たり前だ。というか、そもそも俺に浮気できるような相手なんかいるわけない。というか、お前の方こそ……だな……」

 

「あたしにはヒッキーだけだよ。ヒッキーが好きなの。好き。大好き」

 

「そ、そうか……」

 

 ヒッキーはそれ以上何も言わなかった。

 なぜって、あたしの唇が彼の唇を完全にふさいでしまったから。

 キスをしながら彼の手を握って、二人して布団の中に沈みこんだ。

 

 好き……大好き……

 

 彼に抱かれながら、愛する人と過ごす初めてのクリスマスの夜は更けていった。 



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(13)ヒッキーと同棲したい

 今日は12月25日。

 昨日の夜は本当に色々なことがありましたが、結果としては全てリセットとなりました。

 江ノ島さんも橋本さんもあんなに酔っていたのですけどね、昨日の内容の一部始終を覚えていたようで、朝起きて開口一番であたしは謝られました。

 まあ、とりあえず今はもう問題は解決したわけなんですけどね、江ノ島さんにはもう見守りはしなくて平気ですからとそれだけ言って本人にも了解をもらいました。

 これでもう江ノ島さんのストーk……けほんけほんっ!! は! ないと思います。 

 というか信じます。

 橋本さんも何やら江ノ島さんにシラフで説教しはじめましたしね、江ノ島さんを教育するって、宣言していましたし、橋本さんもこれから忙しそうです。

 ということで、早朝に二人して仲良く帰っていきました。

 

 さて、この新居に残されたのはあたしとヒッキー、それと……

 

「っていうか、隼人君はなんで北見に来たの?」

 

「ん?」「は?」

 

 朝ごはんのパンを食べながら、隼人君とヒッキーの二人が変な声をだしているし。

 

「言ってなかったっけ?」

 

「うん、聞いてないし、なんも言われてない」

 

「そうだっけ?」

 

 首をかしげるヒッキーに隼人君がはははと軽く笑っていた。

 

「ひどいな比企谷。もう大分前に君に頼んだじゃないか。家に泊めさせてくれって」

 

「お前に頼まれたけど、嫌すぎて記憶から消していただけだ。まあ、泊めてやったんだからノーカンな」

 

「君にはそれでいいだろうけど、急に泊めることになった由比ヶ浜さんには申し訳ないだろ」

 

「あ、それは良いの、全然。それとね隼人くん。前みたいに結衣でいいよ。なんかさ、名字で呼ばれると嫌われちゃったみたいでちょっと寂しいし」

 

「そうか? ならそうさせてもらおうかな。いいかな、比企谷?」

 

「なんでそこで俺に聞くんだよ? 別にお前らが決めたんならそれでいいだろ?」

 

「そういうわけにはいかないだろ。だって君たちは結婚予定なんじゃないのか?」

 

「結婚!?」「予定?」

 

 思わずヒッキーと二人してむせてしまった。

 というか、いきなり予想外すぎだよ。

 きょとんとした隼人君が、やっぱり首をかしげながら聞いてきた。

 

「違うのか?」

 

「違……うというか、いまのところはというか、まだというか……ってか、俺たちのことはどうでもいいんだよ。今由比ヶ浜はお前のことを聞いていたんだろうが」

 

「あ、そうだったね」

 

 憤慨しているヒッキーとニコニコしている隼人くん。

 うわわ。隼人くん、ヒッキーの扱いめちゃくちゃ上手くなっているし。

 隼人君は、まあ、たいした話ではないよと前置きしながら言った。

 

「今度、母のつてで、北海道各地に展開している病院に勤務することになってね。まだ、配属地は決まっていないんだけど、とりあえず北見の病院にインターンで入ることになったんだよ。それで、今回はその下見で来たってわけなんだ」

 

「へえ、隼人くん、お医者さんになるんだ。すごいねー」

 

「そんなことないよ。結衣だって小学校の先生じゃないか。まだ親の(すね)(かじ)っている身の上の俺からすれば、きちんと働いてこんな綺麗なマンションで生活している、結衣も比企谷も本当に凄いよ。尊敬する」

 

「うるせえ、お前に尊敬される謂れはねえよ。喜色悪い」

 

「相変わらずだな、君は。ま、君を褒めるのは俺の趣味みたいなものだから諦めてくれよ」

 

「悪趣味すぎるだろ」

 

「ちょっとヒッキー、隼人君に冷たすぎ! あ、ごめんね隼人くん。ヒッキーはあたしがちゃんと叱っておくから」

 

「なんでこいつのことでお前から叱られなくちゃならないんだよ。母ちゃんか」

 

「だれがヒッキーのママよ」

 

 キーっとヒッキーを睨んでいた脇で、はははと、また隼人君はさわやかに笑った。

 

「本当に仲が良いんね、君たちは。本当に……羨ましいよ」

 

「ええ? 隼人くんは誰とだってすぐ仲良くなれるじゃん。それに隼人君には優美子だって……」

 

 と言いかけて、そう言えばもうあれから何年も経っているし、二人が今でも仲良くしているかどうかなんて本当に分からないことだったから口をつぐんだ。

 優美子は総武高校の時のクラスメートで、あたしの友達だった。

 この隼人君とは特に仲が良くて、あの時はまだ付き合っていなかったけど、きっといつか二人は付き合うんだろうなって、そんな風に思っていたの。

 でも、その前にあたしが転校してしまったから、どうなったのかは本当に分からない。

 急に口を噤んだあたしのことを察してくれたのか、彼は優しい声で言った。

 

「優美子とはもう暫く会っていないんだよ。俺たちも色々あってね」

 

「そう……なんだ」

 

 色々……

 あったんだよね。きっと。あたしはその辺のことは知らないのだから深入りは出来ないし、きっとしてはいけないことなんだ。

 他人事でかき回していい話ではきっとないはずだから。

 そう思っていたら、急にヒッキーが割り込んできた。

 

「あんまり気を遣うんじゃねえよ。別に聞かれてまずい話なんて、『俺達(○○)』には何もないんだからな」

 

「そうなの?」

 

 ヒッキーは一度隼人君の方を見た。

 すると、彼はこくりと頷いて見せる。それを確認してからヒッキーは口を開いた。

 

「お前も知っている通り、俺と葉山と……それと雪ノ下は同じ大学へ通っていたんだ」

 

「そうなの? ゆきのんも?」

 

「へ? 言わなかったっけ」

 

「聞いてないし」

 

 また変な顔になったヒッキーが頬をぽりぽり掻いている。

 あんまり責めても可哀そうだよね。そう思ったあたしは、どうぞどうぞと彼へと話を促した。

 

 そして語られた内容……

 

 それは、あたしの知らない、ヒッキーとゆきのんの物語だった。



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(14)ヒッキーと同棲したい

 ヒッキーと隼人君とゆきのんは、千葉にある国立大学を出たらしい。と言っても、隼人くんは医学部だったので校舎は少し離れていたようだけど、放課後は毎日の様に会っていたそうだ。

 それを聞いてあたしは不思議に思ってしまった。

 ヒッキーが毎日隼人君とゆきのんと会っていた? 

 高校の時だって、いやいや部活に来ているようなところのあったヒッキーだったのに、しかも、あまり仲が良い感じではなかった隼人君と会っていたということが、本当に不思議でならなかった。

 だから聞いたわけだけどね。

 なんで、その三人で会っていたのかって。

 すると、ヒッキーが答えてくれた。

 

「それは、俺達が奉仕部を作ったからだよ」

 

「奉仕部を? 大学で?」

 

「ああ、そうだ」

 

 そう言ったヒッキーの隣で、隼人君も頷いた。

 そして、つけ加えるように言った。

 

「うん、雪ノ下さんの為にね。俺達は彼女の為に奉仕部を作って、彼女にその部長をお願いしたんだ」

 

「ゆきのんの為……」

 

 そう呟いたあたしの前で、ヒッキーが全てを語ってくれた。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 お前は知らないことだが、実はお前が転校して暫くしてから、雪ノ下の奴は学校に来れなくなっちまったんだ。理由は……まあ、別にお前は気にしなくてもいいことだが、やっぱりお前がいなくなっちまったことが一番の原因だったんだと思う。

 あいつはなんだかんだいって、結局のところはただのぼっちだったからな、お前が唯一の友達だったからああなっても仕方なかった。くれぐれも言っておくが、本当に気にするな。このことはあえてお前に誰も知らせなかったんだから。

 まあ、そのことはいいんだ。

 雪ノ下はしばらくしてからまた学校に来れるようにはなったからな。

 だけど、今までとは違った。

 以前にも増して無口になって、男子はおろか女子の誰とでも話すことはなくなっちまった。

 それと奉仕部だ。

 雪ノ下が来れなくなっても俺はずっと奉仕部を開けていたんだが、結局その後あいつがあの部に顔を出すことはなかった。

 仕方ないと思った。

 もともとはあいつがあいつの為に作った部活だったしな。そこにその本人が来れない以上、もうこの部がなくなってもしかたがないと思っていた。

 そのまま俺達は卒業したわけだ。

 俺は俺で勉強も捗ったしな、辛くも国立に入学できたわけなんだが、そこに雪ノ下も葉山もいたんだ。

 久しぶりに会った雪ノ下は、もう完全に別人だった。

 何の覇気もなく、もともとない愛想はもう完全に家出状態で、俺に対してもぺこりとお辞儀する程度。

 後で知ったことだが、あいつは早々にマンションを引き払って実家暮らしになって、ずっと母親と一緒だったらしい。それで母親の意向で花嫁修業のような習い事をずっと家でさせられていたんだと。

 そうしながらあいつは高校在学中からずっと、お見合いのようなことをさせられてきていたらしい。

 同世代の資産家や実業家の跡取りたちと会食をしたり、パーティをしたりだとかな。

 その中には、この葉山も入っていたわけだ。

 まあ、だけど葉山は、当初から雪ノ下とのお見合いを断り続けていた。

 理由は簡単。

 三浦だ。

 この馬鹿は、雪ノ下とほぼ結納に近いような、正式なお見合いをする直前に、三浦が好きだからお見合いは出来ないとかほざいたんだ。

 こいつは、ずっと三浦のことが大事だったのに、親の言いなりに為らざるを得ないとか考えて、想いを伝えていなかったらしいが、寸前で心変わりとか、親がホントに可哀そうだよな。

 なに? 俺のせいだって?

 人の所為にしてんじゃねえよ、お前が勝手にもやもやしてたんじゃねえか。

 まあ、三浦のことはどうでもいいんだよ。

 それでだな、大学に入っても雪ノ下のお見合い話はどんどん進んでいたんだ。

 それこそ、もう大学辞めて結婚しよう、みたいなところの話まで出ていた。

 だが、これを俺と葉山と、あとあの姉だ、陽乃さんの企てというか、説得で退学話を潰したんだ。

 せめて大学は出ようと。

 で、結婚はせめて少しは働いてからにしようと。

 俺と葉山は雪ノ下姉に相談されたんだ。で、あの姉の真意を知ったわけだ。

 あの人は、母親の操り人形でしかなかった雪ノ下を変えてやりたかったんだよ。自分で考えて、自分で言って、自分で好きに生きられるようにしてやりたかったんだ。

 自分がそうしてしまったから。

 そうしたことで、あの母親の期待を裏切ることになって、結果雪ノ下を母親の傀儡にしてしまったから。

 雪ノ下さんなりにずっと後悔していたんだ。

 でもな、あいつは結局自分では変われなかった。

 雪ノ下さんが動いて母親の説得には成功したけど、それで何かが変わりはしなかった。

 あいつはまた先延ばしになっただけだったんだ。

 そんな時にな、俺は雪ノ下に言われたんだよ。

 たまたま通りかかった大学の構内の、黄色く色づいた葉が風に舞っていた大銀杏の木の下でな……

 落ち葉を見上げたあいつが言ったんだ。

『高校の頃が楽しかった。あの頃は何かが出来るような気がしていた』

 ってな。

 それを聞いて、俺は葉山を誘って、奉仕部を作って、あいつを無理矢理部長に据えたんだ。

 もうそれしかないと思えたから。

 あいつは結局のところ、母親の呪縛を完全に受け入れたまま、心で拒絶し続けていただけだった。

 それが何年も何年も続いていただけなんだ。

 だったら、傀儡になるにしろ、自由になるにしろ、あいつがそれを自分で受け入れるしかないじゃないか。

 だから、あれが俺達の最期のお節介だったんだ。

 大学が終わるまでの4年間。

 どんなに長くとも、それで終わる俺達の最後のあいつに対しての奉仕、手助けだった。

 それが、奉仕部を作る意味だった。

 

 いろいろあったさ。

 高校の頃と似たような、似ていないよな、ただ働きも山の様にあったし、面倒くさい人間関係のトラブルの仲裁だとか、合コンのセッティングだとか、宗教の勧誘の手伝いなんてのもあったな、断ったけど。そんなことをずっとやっていた。

 やっていて、あいつは……雪ノ下は……

 少しは顔を上げられるようになったんだと思う。

 だからあいつは、自分で大学院への進学を決められたんだと思っている。

 たとえそれが、母親に対してのほんのささやかな抵抗であったのだとしてもな。

 その後に、決められた相手との結婚が待っているのだとしてもな。

 それでもあいつは自分でそう決めて、そう進んだんだよ。

 

 さあて、これが全部だ。

 俺と葉山と、そして雪ノ下の奉仕部の話はな。



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(15)ヒッキーと同棲したい

 ヒッキーは長い話を終えた後にふうっと大きくため息を吐いた。

 隼人君も途中でいろいろ補足してくれたけど、概ねヒッキーが言い切ってしまったようで、追加で話すことはほぼ無かったみたい。

 でも、優美子のことを説明してくれた。

 

「優美子と付き合いたいと両親に言ったら、物凄く反対されてしまってね、それ以来俺は両親と険悪なんだ。でも、そうなったおかげでスッキリできて、俺も優美子ときちんと向き合えるようになった。親になんと言われようと、俺はこの気持ちを大事にしたくて、いつか彼女を迎えに行けるようにこうして努力できるようになったんだと思っている。俺はかなりわがままになったよ」

 

 そう笑った隼人君に、ヒッキーが、さっさと迎えに行けない癖に良く言うとか言っていた。

 でも、隼人君がそこまで優美子のことを思っていたなんて、なんかとっても嬉しく思えちゃう。

 

 ただ、そう……だよね。

 ゆきのんのことだった。

 

 あたしはここ最近までの彼女の様子はまるで知らなかったから。

 あたしが大学に在学中、一度だけ北海道に来ていたゆきのんに出会ったけど、あの時、身の上話をしたりすることもなかったし、手紙やメールも最近はあまり送っていなかったしね。

 まさか、そんなにつらい思いをしていたなんて……

 あたしはヒッキーを見た。

 ヒッキーの話しぶり、表情からして、心からゆきのんを心配して行動してきたということはありありと分かった。

 でも、もし今の話が全て真実であるのなら、彼女はそうまでして寄り添ってくれるヒッキーにきっと何かを思ったはずなんだ。

 そう……

 あたしがそうだったみたいに。

 ヒッキーに助けて貰って、彼と関わっていくうちに心の中がその色に染まっていったあの時のように。

 きっとゆきのんも……

 きっと……

 

 胸の内側がじくじくと痛んだ。

 これは……

 不安……

 寂しさ……

 

 それと、

 嫉妬……

 

 ダメダメ。

 そんなこと思っちゃダメ。

 ゆきのんは辛い思いをしてそれにヒッキーたちが寄り添ってあげて、それで少しでも元気になれた。

 それは喜ぶべきことで、不安になるようなことじゃない。

 第一、ヒッキー自身がそんな素振りを見せてもいないし、彼はあたしに想いを告げてくれた。

 そうだというのに……

 あたしの知らないところで、苦しんでいたであろう彼女のことを思えば思うほどに、心が苦しく切なくなる。

 そして、ここでヒッキーと一緒に居て幸せでいることが、本当に申し訳なく思えてきてしまう。

 どうして、ゆきのんはここにいないのだろう。

 ただ、悄然とそんな思いを胸に抱いたままで、楽し気に話をしているヒッキーと隼人君を見つめていた。

 今はただ……

 幸せが苦しかった。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 それから数日……

 

 あたし達は女満別空港にいた。

 隼人君の今回の訪問は、とりあえずのもので、後日インターンとしてくる際には病院の寮に入ることになるみたい。今回は本当に下見兼挨拶だけだったというわけ。

 車を降りて、空港ロビーまで隼人君と一緒に歩いた。

 たいした荷物もないので、チェックインを済ませればすぐにでも搭乗口に入れるということで、ロビーで色々とお喋りをしていたのだけど、あっという間に時間が来てしまった。

 

「じゃあ、そろそろ俺は行くよ」

 

「あ、待って隼人君。これあたし達から、お土産にどうぞ、はい、『赤いサイロ』」

 

 そう言って、黄色い紙袋を渡した。

 

「赤いサイロ? なんだいそれは?」

 

「うるせえよ、さっさろそれ持って帰れ。三浦と一緒に喰えばいいだろ?」

 

「本当に君は毎回それだな。まあ、ありがたくもらうよ」

 

 そう言って鞄にお土産をしまうと、ヒッキーに手を差し出した。

 それを、ヒッキーも握り返して固く握手しているし。

 わ、わ、わ、なんか、その振る舞いカッコいいよ、ふたりとも。

 やっぱり大学でずっと一緒だったって嘘じゃないんだね。

 口では悪口みたいになっているけど、すごく仲がいいんだね。

 その光景を微笑ましく思っていると、ヒッキーが何か妙にとげとげした感じの視線を向けてきた。

 

「どうした由比ヶ浜、にやにやして。なんか変なもんでも食ったか?」

 

「食ってないし! 一緒だし、おなじ朝ご飯だったじゃん、ふたりと!!」

 

 そう声を出したあたしに、隼人君はまた笑った。

 

「本当に仲がいい。それにしてもいくら結衣と再会できたからって、まさかあの比企谷がこんなに女子と仲良くするなんて……大学時代を知っている俺からすれば顎が外れるほどの驚きだよ」

 

「ええ? ヒッキーって大学の時どんなだったの? ねえ、ヒッキー教えてよ」

 

「教えるか」

 

「なら、隼人くんでもいいから」

 

「そうだな……ま、一言で言えば……『ミノムシ』?」

 

「ミノムシ? どういうこと?」

 

「知るかっ」

 

「えーと、だから女子に声を掛けられても基本なんにも反応……おっと、もっと話したいのはやまやまなんだけど、もう時間いっぱいみたいだ。結衣、また今度こっちにきたときにでもゆっくりと話してあげるよ。それじゃあ、また。ふたりとも、元気で」

 

「おう」

 

「うん、またね。隼人君」

 

 手を振る隼人君はそのまま出発口に向かって消えていった。

 一度千葉に帰ると言っても、またすぐにくるみたいだし、そんなに長いお別れではなさそう。うん。またすぐ会えるね。

 とりあえずヒッキーの大学時代のあれこれは、事細かに教えて貰わないと。

 本当にどんなだったんだろう、凄く気になる。

 

「嬉しそうだな由比ヶ浜」

 

「うん」

 

「葉山に会えたから……か?」

 

「え?」

 

 なんだかもじもじした感じで小声で話してきたヒッキーに気が付いて見て見れば、少し寂しげな顔になっているし。

 それを見て、あたしは彼へとすぐに抱き着いた。

 

「お、おい」

 

 少し慌てたヒッキーは、手をわたわたと動かしていたから、その左手をあたしの左手で捕まえて、そのままきつく握りしめた。

 そのあたしたちの手にはあのプレゼントのピンキーリングが光っている。

 彼の手の感触を確かめながらあたしは言ったの。

 

「ヒッキーと一緒だから、嬉しいんだよ」

 

「お、おお?」

 

 ちょっと緊張しているようなヒッキーの声に、あたしはもう一度強く抱き着いた。

 あたし達はまだ初心者だ。

 友達だった期間も短くて、付き合い始めて間もないし、男女の営みだってまだまだだし、同棲を始めてからだってまだ一月も経っていない。

 だからなんにもできなくて当たり前だし、なにもかもが初めてだらけで、緊張したり怖かったりもする。

 でも、それを繰り返していくんだ。

 繰り返して、重ねていくことで、あたし達はあたし達だけの二人になっていくんだ。

 そうなりたいんだ。

 心の中にあるいろいろなもやもや、そんな全てをもいつか包み込めてしまえるほどに、あたしはヒッキーへの愛情を育てるんだ。あの家で。そこから始めるんだ。

 今はそれだけを思うことにした。

 

「帰ろヒッキー。あたし達の家に」

 

「そうだな」

 

 二人で手を繋いで歩み出す。

 

 そんなあたし達の前に、その娘がいた。

 

「あれあれあれぇ? 先輩と結衣先輩じゃないですかぁ? こんなところで何をしているんですかぁ? あ、わたし国内線のCA(キャビンアテンダント)になったんですけどぉ、今度こっちに来ることになったんですぅ。どこか良いマンションとかないですかねぇ?」

 

 にこりと微笑んだその航空会社の制服姿の小柄な女の子は、あたしとヒッキーの後輩ちゃんだった。

 彼女に飛びついて挨拶した直後、実はうちの家がねえと、お得物件の話をすぐに教えてあげたのだけど、となりでヒッキーがものすごく嫌そうな顔になっていたことに、あたしは気が付かない振りをしたのだった。

 

 

第二章 ヒッキーと同棲したい Fin

 

第三章へ続く




これで第二章は終わります。
大分修正してしまったので、以前の話を読んだ方にはかなり違和感がかるかもしれませんが、これが正史ということでおねがいいたします(笑)
さて、ではここから閑話を挟んで第三章ですね。
明日投稿出来たら、全部アップしてしまいますね。
では、また。


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(閑話)さいくりんぐ・やっはろー

明日とか言っていましたが、閑話だけ先に投稿しちゃいます!!


「ふぁ……あはぁ……ふぅん……うぅん……」

 

「お、おい……、由比ヶ浜……お前……」

 

「ひ、ひっきぃ……、こ、これ、キツいのぉ~……ぁん……」

 

「い、いや、お前、声……」

 

「ぇ?ひぁん……」

 

 あたしの顔を覗きこむようにヒッキーが顔を近づけてくる。あたしはそんな彼に返事をしようとするんだけど、うまく声が出ない。なぜって……

 ヒッキーはあたしにもっと顔を寄せて困惑したように言った。

 

「お前……声……その声……もうちょい、なんとかならないのかよ……」

 

「……だ、だってぇ……はぁん……うぅん……」

 

 言いながら彼はあたしに寄り添ってくる。そして、周囲をチラチラ見ながら冷や汗をたらしている。

 

「俺ら、完全に注目の的だぞ、もう少し、声を押さえてだな……」

 

「そんなこと言っても……ぁはん……む……むりむり……ひぃん……」

 

「いや、お前……色っぽすぎんだよ、その声が!それに、むね、胸も……ったく、もう少し、静かにペダル回せよ」

 

「だ、だから……むぃりぃん……だって……ばぁ……こんな坂……登るのはじめて……だしぃ……ひえーーーん」

 

 言いながら、あたしは必死に両腕でしっかりバーを掴んで、必死に足を動かす。

 もう疲れすぎて、自分がどんな格好で自転車に乗っているのかも想像できない。さっきから辛すぎて、もう涙も出っぱなしだし。

 そんなあたしの横では、きっちりとレーサージャージに身を包んだヒッキーが、サングラス越しに視線を送って来ている。

 あたしはそれに一生懸命に笑顔を返そうとするんだけど、その度に変な声がでてしまう。

 そんなあたしたちの周りには、あたしたちと同じようなぴったりとしたジャージに身を包んだサイクリストの人とか、登山の格好で道の端を列で歩く人たちがいて、みんなあたしを注目してる。

 うわーーーーーん、めっちゃはずかしいぃーーーー。

 

「おい、もう少しで峠だから、頑張れよ」

 

「う、うん……」

 

 あたしは一生懸命にペダルを回した。それはもう必死になって……

 なんで、あたしがこんな苦労をしてるかというと……

 

 

   ◇

 

 

「え?サイクリング?」

 

「ああ、今度二人で行こう」

 

 仕事を終えて、いつものように部屋でゴロゴロしていたあたしに、帰宅してきたヒッキーが着替えながらそう言った。

 彼は、あたしに向かってパンフレットのようなものを投げて寄越した。

 そこには、青空と海と、温泉の写真が載っていて、その下にキャンプ場の案内もあった。

 

「どうしたの?これ」

 

「ああ、取引先の女の人がな、新しい自転車を買うからって、古い……って言っても、ピカピカの新品にしか見えないんだが、それを俺にくれるっていうんだよ。だから、貰うことにした。ちょうどお前にぴったりだと思ってな。ちなみにこのパンフはさっき寄った旅行代理店でもらった」

 

 言いながら、スウェットに着替えた彼はあたしにのし掛かるように抱きついてきた。彼の逞しい腕の感触にゾクゾクしつつ、あたしは隣にやってきた彼の唇にキスをした。

 

「ふふー……でも、あたし自転車持ってるよ」

 

 うん、あたしは自転車を持ってる。もう3年も乗ってる大きなかごのついたオレンジの自転車。とっても可愛くて大事に乗ってるから、パンク以外壊れたこともないし。

 

「ばっか、あれはママチャリだろ?もらうのはロードだよ、ロードレーサー」

 

「え?ろーど?れーさー?」

 

 聞きなれないその単語に思わず聞き返す。ヒッキーは、パンフレットに写ってるスポーツ選手のようなサイクリストを指差しながら教えてくれた。

 

「こういうのがそうだよ。ドロップハンドルになってて体もしっかり固定できるんだ。スピードも結構出るから、気持ちいいぞ」

 

「え?スピード出るの?なんか怖いよ」

 

「まあ、すぐ慣れる。それに、自分で走ると気持ちいいぞ」

 

 言いながら、ヒッキーがなぜか嬉しそう。

 

「で、でもヒッキー、自転車なんか乗ってないじゃん」

 

「ばっか、おまえ。俺はこう見えて中学の時から自転車一筋だ。そのへんのにわかサイクリストと一緒にすんな」

 

「へ、へぇー……」

 

 なぜか自信まんまんのヒッキーが、珍しくやるきオーラを全快にしていましたので、あたしは、『ま、別にいっか、ヒッキーとデートだし、えへへ』くらいに思っちゃってました。はい。

 

 まさか、あんな地獄を見ることになるなんて夢にも思いもせずに……

 

 

   ◇

 

 

「はあ、はあ、はあ、はぁ……」

 

「おつかれさん」

 

 よれよれと、自転車を蛇行させながらヒッキーに並んで止まったあたしは、もうふらふらで自転車に跨がるヒッキーに向かって抱きついた。

 

「お、おい、由比ヶ浜……、むね、むね当たってるから」

 

「へぇえ?」

 

 なんかヒッキーが言ってるけど、もう反応できない。息が苦しいし、視界もぼんやりしてるし。

 

 もう、ヒッキーがこんなに自転車乗れるなんて知らなかったよぉ。

 あたしは彼に抱きついたままで暫く居たけど、彼がボトルのスポーツ飲料を差し出してくれたので、それを飲んだ。

 体に水分が染み渡っていく感覚。生き返るようなそれに、ようやくあたしは顔をあげられた。

 

「あ、ありがと……う、わぁ……」

 

 目の前には、どこまでも続く水平線……真っ青な空と、それと同じ色をした海原が目の前に延々と広がっていた。

 何一つ視界を遮るもののない、この峠の頂から、あたしは初めての世界をみた。

 声もなく、ただ見つめるあたしに彼がいう。

 

「すげえ景色だろ?ここ普段霧が多くて、なかなかこんな絶景拝めねえらしいぞ、俺たちラッキーだったな。自分の足で来たから感動もひとしおだろう」

 

「う、うん」

 

 そう言った彼の腕に、なんとなく自分の腕を絡めてあたしはその景色を眺め続けた。

 二人でこうして一緒にいられることが何より嬉しくて、幸せで、そんなことを思いながら、彼の腕をぎゅっと抱き締めた。

 

 

   ◇

 

 

 しばらくその峠の駐車場で休憩をしたあたしたちは、他のサイクリストやバイカーの人たちに記念写真を撮ってもらったり、撮ってあげたりしながら時を過ごした。

 さっきの峠の見晴台から見下ろせば、遥か下に海面が見える。海沿いから自転車で登り始めたことを考えれば、こんな高いところまで自分の足で走ってきたとか、もう、それを思うだけで嬉しくなってくる。

 

 そんな浮かれてるあたしは、周りの人たちに声をかけたりしてたんだけど、どうもヒッキーはそれが嫌みたい。しきりにあたしの腕を引っ張って、『跳ねるな』とか、『前をかくせ』とか言ってる。自分だって、ジャージの前開いて、涼んでるくせに。あたしだって、少しくらいは風入れないと暑くてがまんできないよーだ。

 

 そんなこんなをして汗が引いてから、ヒッキーはあたしにウインドブレーカーを渡してくれた。今日はヒッキーが荷物持ち。

 実はこんなにへろへろになってるあたしの隣で、ヒッキーは80Lのザックを背負ってここまで走って来てる。あたしはといえば……持っているのは、自転車に差し込んであるドリンクボトルだけ、あはは。

 ヒッキーは実はかなり高級な自転車を持っていたようで、この旅行の前に、あたしたちの家に送ってきていた。

 自転車のことを良くわからないあたしでも、『高い』ということだけは分かる。うん、これは絶対触っちゃだめな奴。そんなヒッキーにスパルタで毎日漕ぎかたを教わったのはまた別のはなし。

 

 『下りは寒いぞ』のヒッキーの言葉の通り、峠のくだりは本当に寒かった。でも、ヒッキーがくれたウインドブレーカーを着ていたお陰で、それも我慢できるレベル。

 でも、それよりなにより、下りのこのスピードは、もう本当に病み付きになりそう。

 自転車初心者のあたしでも、この気持ちよさだけは理解できた。

 

 『風になる』

 

 うん、まさにそんな感じ。

 自転車が良いせいもあるかもだけど、スピードメーターはさっきから40km/hを越えてるのに、全然怖くない。むしろもっとスピードを出したいくらい。転んだら絶対に大ケガすると思うのに、そんな恐怖よりも楽しいが勝っちゃった。

 思う存分下りを楽しんだあたしは、ヒッキーと一緒に坂の途中のキャンプ場に入った。

 

 

「うわあ、気持ちよかったぁ!ヒッキー、楽しいよ!」

 

「お、おう、そうか。俺はお前が転ぶんじゃねえかって、ヒヤヒヤもんだったがな」

 

「えへへ~あたしの隠れた才能が開花しちゃったってかんじ?もう、くだりはばっちりだよぉ」

 

「いやいや、そういうのが一番あぶねえから。でも、まあ、楽しかったみてえで、よかったよ」

 

「うん」

 

 微笑む彼と、自転車から降りて押しながら、芝生のなかを進む。まだ陽も高いので、そんなに多くはないけど、すでにいくつもテントが張られていた。

 

 そんな中、少し小高くなってる芝生のテントサイトに彼と上る。そして、そこに自転車を寝かせてから、彼がザックから青い包みを取り出した。

 

「それ、なに?」

 

「ああ、テントだよ」

 

 彼はそういうと、その袋から綺麗に折り畳まれたテントを引っ張り出して、さらにザックの外側に縛り付けてあった袋から棒のようなものを何本も取り出して、ささっと、それを組み立てていく。

 あたしはどうしていいか分からずにぼうっと見ていたのだけど、彼が、

 

「わりい、由比ヶ浜。そのはじっこ押さえててくれ」

 

「うん、いいよ」

 

 言われて、多分テントの端なのだろう……ポールを刺したところを押さえていると、彼が一気にテントを立ち上げた。もうそれは一瞬で。

 

「うわあ、本当にテントだ」

 

「ああ、でも、これだけだと、雨に濡れちまうからな、フライを掛けるぞ」

 

「フライ?」

 

 なんのことか良くわからなかったけど、彼は、また折り畳まれたテントのようなものを引っ張り出して、今度はそれを広げてテントの上に被せた。

 あとは言われるままに、金具を繋いでいって、最後に、テントのまわりにペグという杭を打ち込んで固定しておわり。どうも、この上に被せたのが雨を弾く素材らしくて、これがあれば水が染みないみたい。

 ぴーんと張られたそのフライシートを眺めていたら、ヒッキーがテントのまわりにシャベルで溝を掘り出した。

 

「何してんの?」

 

「ああ、今夜雨降るらしくてな。少しでも濡れたくねえから、水のはけ道を作ってんだ。ほらこうすればテントの下には水が行かねえだろ?」

 

 言われて眺めて見れば、テントは少し高くなってるところに立ててあるし、水もこれなが下の方に流れそう。

 ヒッキー、詳しいなあ……。

 

「ねえ、どうしてそんなに詳しいの?」

 

 黙々と作業している彼を眺めつつ、しゃがんで見ていたあたしは声をかけた。

 

「ああ、それはあれだ。大学の時、毎年こうやって自転車で旅行してたからだ……一人で」

 

「一人で?」

 

「一人で」

 

 あ、れ?なんか、悲しいこと聞いちゃったような……

 

「えー?でも、こんなに詳しいなんて、誰かに教わったんでしょ?違うの?」

 

「あー、それはあれだ、旅行するときに色々困るから色々調べたんだよ、本を読んだりしてな……一人で」

 

「一人で?」

 

「一人で」

 

 う、わー……

 

 作業を続けているヒッキーは視線を合わせてくれない。

 そんなヒッキーの作業を、いかにも旅行者って感じのお兄さんたちが遠巻きに眺めつつ、『おー、あのテント防水すごいな』とか『手際いいな』とか言い合って見てるんだけど、ヒッキーは完全無視。あたしは、なんとなく、その人たちに愛想笑いしておいた。

 

 うん、ヒッキーはやっぱりヒッキーだった。

 ボッチオーラ健在でした。

 すごいね、この完全防御状態。なんか、この前アニメで見た、書道家の高校生みたい。そういえばなんとなくヒッキーに似てるような……、あ、アホ毛が似てるんだ。

 

 そんなボッチのヒッキーはテントを張る作業を終えて、あたしのところへ。

 

「荷物を入れて、風呂に行こうぜ。ここ、露天の温泉があるんだ」

 

「ええ!?温泉!?やたっ!行こ行こ」

 

 やったー、超うれしい。もう、さっき汗かきまくって、乾いたあとだから、もうベトベトしていやだったんだー。

 

「まあ、待てって、着替えは俺が持ってるんだからな」

 

 そう言いながら、ヒッキーはテントのジッパーを開けて中に入る。そして、手招きと同時に、あたしの手を掴んで中に引っ張りこまれた。

 

「わわっ……ちょっと、ヒッキー、乱暴だよぅ」

 

「ああ、わりぃ、開けとくと蚊が入るからな。寝てる間に刺されるのイヤだろ?」

 

「うう……それはイヤだ……」

 

「それに、雲行きも怪しいし、かなり大雨になりそうだし、こうゆう時は蚊が大量発生したりすんだよ。だから、なおさらな」

 

「へえー、そうなんだ」

 

 言いながら、ヒッキーはザックからビニール袋で小分けにされた着替えの包みを取り出す。しばらくして、ヒッキーが真っ赤な顔になったかと思うと、その差し出してきた手には、あたしのお気に入りのピンクの下着が……

 あたしはそれをささっと、自分の手提げに着替えと一緒に入れた。

 

「あ、ありがと……」

 

「あ、ああ……じゃ、じゃあ、風呂に行こうか」

 

「うん……」

 

 二人でまたささっとテントを出る。山あいの川の少し上にあるこのキャンプ場は、東西を山に挟まれてるせいか、すでに太陽が隠れて、薄暗い感じになってる。

 

 他のキャンパーを見れば、料理を始めたり、すでにバーベキューとかをしていたりと、楽しんでいるように見える。

 あたしたちは、一度キャンプ場を出て、道路を横断し、川沿いのその温泉へ向かった。

 その温泉は無料らしく駐車場には車や自転車やオートバイがたくさん停まっていた。結構な人気だ。その温泉の名前は、この地域に大量に生息している凶暴な動物の名前を冠していて、なにか怖い感じ。

 でも、近づいて見たら、たくさんの人が、楽しそうにおしゃべりしていて、湯煙の向こうは本当に素敵な露天風呂だった。

 

 混浴の……

 

 良く見れば、スタイルのいい女子大生風の女の子とかが、男の人たちに混ざって一緒に入ってるし!

 

「って、混浴はムリムリムリ……ムリだよ、ヒッキー、あたし、混浴なんて絶対むりーーーー」

 

「いや、ちょ、待てって……大丈夫だから、こっちに有料のもあるから」

 

「へ?」

 

 そう言ったヒッキーと手を繋いで、彼につれられて、温泉の反対側、小綺麗な旅館のような建物に行くと、そこには番台のようなものに、優しそうな表情のおばあさんが一人腰をかけていた。

 

「ここ?」

 

「ああ、こっちは有料なんだ。でも、脱衣所もあるし、ちゃんと男湯と女湯があるから、おまえでも安心だろ?まあ、ちょっと高いんだけどな」

 

 いいながら、そのお婆さんに2000円渡すと、そのおばあさんは、声をかけてきた。

 

「今、家族風呂空いてるけど、もしよかったら、そっちでもいいよ。サービスサービス」

 

「え?」「え?」

 

 恵比寿顔のお婆さんにそう言われて、ヒッキーと顔を見合わせる。

 あたしたちは……

 

 

 

 二人で家族風呂にはいりました。

 

 

 

 カッポーーーーーーーーーーーーン……

 

 

 

「ありがとうね~。お兄さんたち、気をつけてねぇ~」

 

 二人で真っ赤になって、お風呂を出て、番台のお婆さんに見送られながらあたしたちはキャンプ場へ向かった。

 

 うん、ちょ、ちょっとだけ、出るの時間かかったけど……、変に思われてないよね?うん、大丈夫、きっと……うん。

 

 ポツ……ポツ……

 

「ったく、もう降って来やがった。由比ヶ浜急ぐぞ」

 

「え?あ、う、うん」

 

 言うが早いが、あたしたちは一気に走ってテントに向かった。

 ヒッキーの言う通り、空模様はあっというまに変わり、真っ黒な雨雲に、辺りは一気に暗くなる。

 楽しそうにバーベキューとかをしてた人たちも、大慌てで片付けはじめていた。

 あたしたちは、自転車を近くの木の下に移動してその幹ごと2台の自転車を鎖で巻いてロックをかけた。そして、さっきのように急いでテントに飛び込む。

 と、ほぼ同時に、ものすごい稲妻が空を走ったかと思うと、雷の轟音が辺りに響き渡った。

 そして、そのまま、バケツをひっくり返したようなどしゃ降りの大雨。

 完全な夕立だった。

 

「ふう……なんとか、間に合ったな……」

 

「うん!ヒッキーありがと……なんか、すっごい今ドキドキしてる。ほら!」

 

 あたしはヒッキーの手を掴んで、あたしの左胸に押し当てた。

 自分でも信じられないくらいドキドキしてるのがわかる。こんなのないよ。

 雨が降るかもってヒッキーが言って、言われるままに早くお風呂に入って、帰ってきたら、この大雨。もうタイミングぴったりだし。

 あたしはすごく興奮していた。

 

「お、おい、やめろって」

 

「え?」

 

 言われて見てみれば、ヒッキーがあたしの胸に手をめり込ませて真っ赤な顔。

 

「あ、あ、ご、ごめん、ごめんヒッキー。あたし、興奮しちゃって」

 

「い、いや、まあ、そりゃ分かるけど、俺もまた色々興奮しちゃうから、ちょっと待ってね」

 

「あっはい」

 

 真っ赤な顔でそういわれたので、あたしはヒッキーの手を放した。なんか、いつもと反応が逆みたいな気がする。

 

 テントは雨のせいでバタバタと大きな音をたてつつ、震えているようだった。この二人用のテントには上の方にネットの部分があって、そこから外が見えるような構造みたい。

 さっきヒッキーが外のフライシートの窓も開けてくれたから、今そこからそとを見てるんだけど、もう、滝の中にいるみたいで、ほとんど視界がない。それに、さっきまで聞こえていた外の人たちの声ももう聞こえなかった。

 でも、本当にヒッキーのお陰で濡れずにすんだ。さっきまできていたレーサージャージはお風呂でちょっと洗って、今はテントの端で干してるところ。

 着替えたショートパンツとTシャツも濡れなかったから、今はすごっく快適。

 

 そんなことを考えていたら、テントの中にかちゃかちゃと耳慣れない音が響き始めた。

 

「何してるの?ヒッキー」

 

「ああ、飯作るんだよ。本当はお前と一緒にカレーでも作ろうかと思ってたんだけど、まあ、この雨だし、今日は簡単にすましちまおう」

 

 ヒッキーは、深緑色の缶に何かの器具を取り付けたものの用意して、それにそれほど大きくないアルミ鍋をのせて中にお米と水を入れていた。

 そして、火をつける。

 

「ガスコンロ!?ちっちゃいねー」

 

「まあ、本当はテントの中でガスは良くないんだが、この雨だからな。換気もしてるから、今日は特別だ」

 

 ヒッキーはその蓋の上に、銀のレトルトパックのようなものを二つのせて、その間に、ザックから銀のお皿のようなものとかお箸とかを取り出す。そして、さらに出てきたのは……

 

「あ、オレンジ?」

 

「ああ、こういうのは皮を剥かなければ結構保つんだよ。保冷剤とかなくてもな」

 

「へぇー」

 

 そして、彼は赤い小さな細長い金属の道具を取り出す。

 

「それはなに?」

 

「ああ、ヴィクトリノックスって言ってな……まあ、昔風に言えば、十徳ナイフだな。これは、ナイフとか、缶切りとか、何でも使える」

 

「じゃあさ、フルーツはあたしが切るよ」

 

「そうか?なら、頼む」

 

「まーかして」

 

 彼からそのナイフを受け取り、良く見てみると、確かに、いろんな道具が畳まれてる。ネジ回しとか、ノコギリまで入ってた。

 あたしはそのナイフで、オレンジを切り、リンゴの皮を剥いてお皿に盛り付けた。

 それと、明日の朝食用に、スープの材料にってことで、玉ねぎとニンジンを先に切っておくことにした。

 カレー粉もあるし、明日はスープカレーとかでもいいかも。

 

 しばらくすると、ヒッキーが見ている鍋からこぽこぽと音が鳴り出し、お米が炊けるとき湯気が立ち上ぼり始めた。

 そして暫くして少し焦げたような香りが立ち上った時、彼はその鍋を本の上に置いた。そして空いたコンロの上で今度はお湯を沸かし始める。

 

 あたしはヒッキーに寄り添って、なんとなく黙ってそれを見守っていた。

 

 そしてお湯が沸いた時、ヒッキーが言った。

 

「よし、飯にしよう」

 

 彼はご飯を炊いた鍋の蓋を開ける。立ち上る白い湯気が、炊きたての美味しそうなご飯の香りを運んできた。

 つやっつやの炊きたてのご飯を、ヒッキーは素早く混ぜる。

 そして、そこにさっき蓋の上で暖めていたレトルトパックの口を切って、ご飯のなかにそれを注いで、再び混ぜた。

 

 それを、あたしたちのお皿に盛ったあと、マグカップにお湯を注いで、そこに紅茶のパックをいれた。

 

「できた。松茸の炊き込みごはん……じゃなかった、混ぜご飯と、紅茶と、結衣の切ったフルーツ盛り合わせだ」

 

「イエーーー……って、え?ゆ、ゆい?今、結衣って言った?」

 

 思わずパチパチと拍手したあと、あたしはビックリして彼をみた。

 彼は頬を掻きながら、照れた感じであたしを見てる。

 そして……

 

「ああ……、言った、言ったよ。それと、これ……」

 

 彼は、自分の後ろに手を伸ばすと、そこから小さな紫の箱を手にしてあたしに差し出してきた。

 そして、その箱を開ける。

 

「え?う、うそ……!?」

 

 あたしは絶句してしまった。

 彼が差し出したその箱の中身は、テントの証明に吊り下げたLEDランプの光を反射して光輝いている。

 それは七色に煌めく、大粒のダイアモンドの指輪……

 その輝きに、あたしの胸は一気に膨れ上がり、涙が溢れてしまった。

 そんなあたしに彼は言った。

 

「俺と結婚してくれ……結衣」

 

 その言葉……

 

 ずっとほしかったその言葉……

 

 あたしは彼をまっすぐに見ることも出来ずにただ、ただ、その指輪を眺め続けた。

 そんな動けないでいるあたしを彼はどう思ったのか、すこしずつ近づいてきた彼は、不安そうな顔であたしに言う。

 

「答え……返事……は?」

 

 不安そうな顔のままの彼は固まってしまっていた。

 

 あたしは涙を流したまま、両手で口を押さえたまま、彼に言った。

 

「ばか……ばかぁーーーーー」

 

「ええ?」

 

 彼は驚愕の表情に変わっている。どうやら、なにか勘違いしているみたいで、真っ青になってがたがた震えだした。

 ふふ……

 もう……ほんと……

 

 ヒッキーなんだからあ……

 

 あたしは、その狭いテントのなかでヒッキーに近づいてぎゅうっと抱きついた。そして、思いっきり口づけをする。

 呆気にとられるヒッキー。

 あたしは何度も何度もヒッキーと口を吸いあった後、きつく抱きついたままで、耳元でささやいた。

 精一杯優しく。

 

「…………はい……ありがと、ヒッキー……」

 

「お、おう……ん?それは、良いってことか?」

 

「んもう!ヒッキー最悪だし!どうしてこう、ムードとか壊しちゃうかな。大体、ごはん作って、食べる前にプロポーズするとかおかしいし!それに、きちんと答えてるのに、聞き返すと意味わかんないし、あと……」

 

 大雨のなか、あたしは散々ヒッキーに文句を言った。、もうこれ以上言えないってくらい。

 ああ、今日が大雨でよかった。

 こんな薄いテントじゃ、大声丸聞こえだもんね。

 それに、ヒッキーがせっかく作ってくれたご飯も冷めちゃうし、ホントにもう最悪……で、

 

 最高で……

 

 この日、あたしは初めて尽くしのこの自転車キャンプで、人生初のプロポーズを受けて、そして、それをお受けしました。人生初のテントでの宿泊は、一生忘れられないくらい嬉しくて、幸せな一晩になりました。

 

 

   ◇

 

 

「ううーーーーーん……今日は晴れたね~、ねえ、ヒッキー……ヒッキー?ねえ、ヒッキーってば、起きてよー」

 

 あたしはテントの口を開いて外の空気を吸いつつ、思いっきり伸びをしていた。そして振り返りながらシュラフの上で寝ているヒッキーの頭を足の指でつっつく。

 

「うーーん。も、もう朝なのか?もう少し寝かせてくれぇー」

 

「もう、何言ってるのヒッキー、ほら、こんなに気持ちいい山の朝の空気だよ。起きなきゃ損だよ」

 

「お前なあ……なんでそんなに血色良いんだよ?……こっちはほとんど寝ないで、朝まで……ぶべっ!」

 

 何か言ってはいけないことをヒッキーが言いそうだったので、思いっきり足の裏でヒッキーの顔を踏みました。はい。

 あれ?なんでヒッキー幸せそうなの?

 

 そんなこんなで、とりあえず起きて、朝食は外でスープと焼いたベーコンと、ご飯。

 別にそれほど特別な作り方をしたわけではないけど、外で食べる食事はやっぱり格別。

 今日はぴったりとヒッキーとくっついて食べたし。

 

 それから、昨晩干しておいたレーサージャージを確認すると、あの大雨の中の凄い湿気だったはずなのに、かなり乾いてた。うん、これはびっくり。

 それを持って、テントの中でヒッキーと二人で着替えて……うん、着替えながらちょっといちゃいちゃして……えへへ。

 それから、テントの水気を飛ばしつつ、二人で畳んでパッキング。やっぱり今日もヒッキーが大荷物だけど、もうこの先はほとんどが下りと、平地だからって、ヒッキーは全部を背負ってくれた。

 あたしの荷物は、ドリンクと……左手の薬指につけた彼からもらった、大事なダイヤの指輪。どんな重い荷物よりも重いそれをあたしは大事に自分のポーチへとしまい、そして自転車にまたがった。

 でも、そのとたん、力が抜けてしまう……

 

「ひ、ヒッキー?」

 

「ん?どした?」

 

 自転車に乗って、地図を見ていた彼は、あたしの声に振り向きながら、近づいてくる。そして、心配そうに覗きこんできた。

 あたしはそんな彼に言った。ものすごーく、小声で……

 

「あのね……あんまり今日は走れないかも……サドルがこすれてね……あの……んっと……ごにょごにょ……」

 

 そのとたん、彼は真っ赤に。

 あたしももう超真っ赤に。

 二人で頷きあって、あたし達は走り出す。

 あたしが先に、彼が後ろに……

 ゆっくり、ゆっくりと……

 

 あたしとヒッキーは、新しい道を進み始める。

 ゆっくり、ゆっくりと……

 きっと、不器用で、上手くいかないことばっかりかもだけど、それでも、あたしたちは進むんだ。

 

 ゆっくりとね。

 

 今は、それでいい。

 間違ってもいいから、前に進むんだ、彼と二人で……

 

 その先に、きっと間違ってない世界があるはずだから……

 

 だから、今は……

 

 御願いだから、あんまりあたしのおしりを見ないでーーー。

 

 後ろで、ヒッキーがあたしを守ってくれていた。真っ赤な顔のままで……

 

 



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いろはの日常

間違えて、後半のお話を先に投稿してしまいましたね。
こちらの方が先になります。



 こんにちはー、一色いろはです。

 

 私は今日、お仕事がお休みで、この真新しい新居の広ーいリビングで、冷房をガンガンにかけてソファーでタオルケットにくるまりながら、リオオリンピックの名シーン集とかを見まくってまーす。ホットココアを飲みながら。

 え?そんなことしてないで、なにかしろって?

 えーーー?

 そんなの~む~り~……

 だって、外の気温35度ですよ?

 そんなとこ出たら、一瞬で脱水症状になったあげく、私の真っ白な柔肌もあっというまに真っ黒に日焼けして、『一色くろは』になっちゃいますよー。

 あーあ、北海道だから夏は涼しいかと思ってたのに、なんですか、この暑さ……

 これ、すでに、北にある意味ありませんよ。本当に。

 あー、でもいいのです。

 誰になんの文句を言われるわけでもなく、好きなことしてダラダラして、自由気ままで、あー本当にしあわせー……

 

 って、あれ?なんかおかしいような……私なんでここに住んでるんでしたっけ……

 

「たっだいまー!いろはちゃーん、やっはろーーー!」

 

「帰ったぞー……よいしょっと……」

 

「あ、ゆいせんぱーい、先輩もー、お帰りでーす」

 

 と、いけないいけない、油断してた。

 ササっと起き上がって、タオルケットを膝掛け風にしてちょこんと座り直して、玄関を向く。当然、スマイルスマイル!

 先輩達は肩から自転車の入った大きな袋を担いで、玄関から入ってくる。すごい大荷物。とくに先輩は、出掛けたトキと同じように、背中に黒い大きなバッグを背負ってる。

 うわー。二人とも、日焼けして、真っ黒だー。

 

「楽しかったよー、いろはちゃん。すっごい暑かったけどね……えへへ」

 

「ほら、一色。土産だ。ほれ」

 

 と、渡された箱を開けると、なかには……

 

「あ、ありがとうございます……って、これ、シレトコドーナッツじゃないですか!?クマゴロンじゃないですか!!な、なんで、こんな話題のお土産チョイスできるんですか、先輩に!?」

 

「あん?話題?そーなのか?中標津で、結衣に言われて一緒に行って買ってきただけなんだが……」

 

「だから、言ったでしょ、ヒッキー。このお店が絶対いいよって。良かった。いろはちゃん喜んでくれてー」

 

「あ、結衣先輩が選んだんですね?なんだー、それならなっとく……って、ゆ、結衣!?い、い、い、今、先輩、結衣って!?」

 

「んあ、ま、まあ、なんだ、その……これからは、名前で呼ぶことにしたんだわ……」

 

「へ?え?って、ことは……」

 

「あ、あたしは、ヒッキーのことは、ヒッキーのままなんだけどね……えへへ……ヒッキーにね、プロポーズされちゃったんだぁー。えへー」

 

「え”っ」

 

「お、おい、何も今言うことじゃねえだろ……ったく」

 

「いーじゃん、帰ってきたんだし。この指輪もやっと嵌められるし……」

 

 うっとりと自分の左手を見つめる結衣先輩のその薬指には、綺麗なダイヤの指輪……

 

「って、ええーー!?ぷ、ぷ、プロポーズ!?先輩がーー!」

 

「ってなんだよ、その言い方は。俺がプロポーズしちゃいけないっていうのかよ」

 

「い、いえ、そうではなくてですね。ほら、私。私、このシェアハウスに引っ越してきたじゃないですかぁ、前回」

 

「お、おう?ま、まあ、そうだな」

 

「それで……それでですよ。普通ひとつ屋根の下に男が一人、女が二人いれば、あんなことや、こんな勘違いの一つや二つ……いやいや、五つ六つ起きて当たり前じゃないですかぁ!なのに、なんにも起きないままで半年も経って、なんで、普通にプロポーズしちゃってんですかぁ!?」

 

「んあ?お、お前なあ、半年ったって、お前だって、キャビンアテンダントの仕事でいつも忙しそうだったし、それに、もともと、俺と結衣は付き合ってたわけだしな……」

 

「だーかーらーですよ。先輩。普通、ほら、こういう、同棲ものって、自分の彼女より、知ってる身近な女の子に魅力感じちゃったりするわけじゃないですか。ネトリ、ネトラレ、NTRですよ。なんで、なんにもイベント起きてないんですかぁ!こんなの怠慢ですよ!怠惰デスよ!作者はなにやってたんですかー」

 

「いや、こもれびのやつはすっかりダンまちとりゼロに嵌まっちまって、帰ってこれなくなってたみてえだな」

 

こもれび『へっくち!!うー……寒気?…』

 

「な、なんですかぁ、それは!それに、このシェアハウス、たしか、もう一部屋ありましたよね!?ね!?普通、そこに、可愛い女子が入って、なんか、ちょー複雑な人間関係になったりとか……」

 

「あれ?お前に言って無かったっけか?入居するやつきまったんだよ……っていうか、マジで知らないのか?一昨日からもう入ってるはずなんだけど」

 

「へ?え?ええ!?」

 

 と、何か背筋に流れる嫌な汗を感じながら、そっと、その誰も住んでいなかったはずの部屋の扉へ視線を向けると、そこには……

 

 ギ……ギギ~~……

 

「や、やあ、みんな」

 

「は、は。は、は、葉山先輩~!?」

 

 そこにいたのは葉山先輩。

 高校時代よりがっしりしたそのタンクトップ姿を見て、思わず絶叫。

 葉山先輩は、頭を掻きながら私に言った。

 

「あ、あー、ごめん、いろは……俺が帰ってくると、いつもいろはがそのソファーで寝てたし、くつろいでるみたいだったから、なかなか声を掛ける機会が見つからなくて……、本当にごめん……」

 

 ぺこりと頭を下げた葉山先輩の隣で、荷物を片付けてた先輩が言った。

 

「えーとな、夏から葉山が北見の病院で働くことになってな。ちょうどこの部屋も空いてたし、ここに住めよって俺が誘ったんだよ」

 

 なんか先輩が鼻を膨らませて、満足げな顔になってるし……

 

 ということは……

 

 

 ぎ…………ぎゃああああああああああああああーーーーーーー!!

 み、見られちゃってたぁーーーー!!

 仕事から帰って、そのまま脱ぎ散らかしてたのも、寝る前に読んでたレディースコミックも、食べ散らかしてたポテチもぉーーー……

 お、おかしいとは思ってた……寝て覚めたら、読んでた本はテーブルの上に置いてあったし、下着のままで突っ伏してたはずなのに、朝起きたらタオルケットかけてあったりとか……

 これ、全部、葉山先輩がーーーー!?

 

 

 

 

「……………………………………………………………………死にたい……」

 

 

 

「やっはろー!隼人くん!お茶淹れてきたよー。みんなで食べよ!ドーナッツ!」

 

「あ、ああ、やあ、ゆい……がはまさん、お帰り。良い色に焼けたね」

 

「へへー、結衣でいいってば。もう、ヒッキーも名前で呼んでくれるし。でも、ちょっと焼けすぎちゃった、見て見て、レーサーパンツの境目がこんなに……」

 

「って、おい!結衣、人にふともも見せようとしてんじゃねえよ。とくに葉山には絶対見せるな」

 

「あ、そっか、ごめん」

 

「あはは……俺も見ないように気をつけるよ。それよりも、さっき聞こえたんだけど、プロポーズしたんだな。おめでとう」

 

「あ、ありがとう。ほ、ほら、ヒッキーもお礼言いなよ」

 

「なんで、こいつにお礼言わなきゃなんねえんだよ。ま、そういうことだから、よろしくな」

 

「もう……ヒッキーってばー」

 

「あはは……」

 

 

「って、なんで、みんなそんなに楽しそうなんですかー!わ、私がこんなに死にそうになってるのにいいいい!」

 

 

「まあ、仕方ねえだろ。どうせあれだろ?一人でソファーでだらしなく寝てたりとか、服脱ぎ散らかしてたとか、どうせそんなのを葉山に見られたーとか、後悔してんだろ?」

 

「ぎゃああああああああ!だ、だから、いちいち声に出して言わないでくださいよぉ。もう、私生きてられないー」

 

「ったく、大袈裟だな、お前は。じゃあ、お前に良い話を聞かせてやる。これは、俺の友達の友達のはなしなんだがな……」

 

「あ!ヒッキーの話だね」

 

「ばっ……ちげーよ。友達の友達のH君の話だ!でな、H君は、ある日風邪をひいて学校を休んだんだが、昼くらいには元気になっちまってな。もう、元気になればそりゃ、遊びたいに決まってる。おまけにそこは他に誰もいない自分の家だ。いろいろHなことにも興味深々だったH君は、親父の秘蔵のエロ本とかエロビデオをこっそり拝借して、むふふとリビングで楽しんで見ていたんだが、ハッと気がつくと、廊下からこっちを冷ややかに見つめるパジャマ姿の小町の視線……」

 

「うわー」

 

「やっぱりヒッキーの話だった……小町ちゃんも風邪引いて休んでたんだね……ヒッキーって前からそんなにHだったの?……あ」

 

「あ」「え?」「ん?」

 

「な、なんでもない、なんでもないし!あはは……はあ……」

 

「ま、まあ、だからな、人間関係一度壊れても、頑張りゃ直せるって話だ」

 

「あ、壊れちゃったんだ……」

 

 はあ、と悲しげにため息をつく先輩。もう、なにこの話?

 葉山先輩も気まずそうに笑ったままだし、なんか、私もいちいちこだわるのがバカバカしくなってきた。

 

「うーーー、じゃあもういいです。ドーナッツいただきますからね!!いっただきまー……」

 

「はちえもーん!助けて欲しいでござる~~」

 

「なんだよ、ざいもくざん、いきなり入ってくんじゃねーよ」

 

 ガチャアッ!って音がしたと思ったら、玄関の方から飛び込んでくる指ぬきグローブのおデブさん。たしか、ざい、ざい、材木屋さん?

 飛び込んでいきなり先輩に抱きついてるし。

 

「暑い!うざい!臭い!だー、離れろ材木座、うっとおしい~」

 

「わ、我と貴様は共に戦った、言わば戦友。た、頼む、今こそあの暁の盟約に従い、主君である我を守り助けておじゃれ。頼むー我をかくまって……」

 

「って、はいはい。一緒に戦ってもいねえし、盟約もねえから、さっさと帰れ。はい、お帰りはあちらな」

 

「そんな殺生なー。は、八幡、我は追われておるのだ。頼む、一生のお願い!一生の~」

 

「お前なあ……たまたまこの前釧路で会ったから、住所教えてやったけど、なにも毎日のように来ることねえだろ。ここは、お前の別荘じゃねえっつーの。だいたい何から逃げてんだよ。お前そこそこ売れっ子作家になったんだから、もっとちゃんと仕事しろって……あん?」

 

 材木屋さんにしがみつかれた先輩が、玄関の方を見たとたんに息を飲んだ。

 私もつられて、そっちを見ると、

 

「あの~、ここに材木座先生はきてませんか?」

 

「ひぃっ!!」

 

 悲鳴をあげる材木さんを見つめるのは、小柄で髪を伸ばしたパンツルックの……絶世の美少女!?え?

 

「あー、いたー!もう、材木座君、締め切り目の前なんだから早く書いてよ」

 

「嫌でござる、無理でござる。インスピレーションが枯渇したでござる~」

 

「もう……そんなこと言ってたら、連載作家なんてできないよ?ほら、一緒に考えてあげるから、早く帰ろう。みなさん、どうもお騒がせしました。すぐに引き上げますので……え?」

 

 その美人は、私たちを見回して目を見開いていた。

 そして、わなわな震えながら、声を出した。

 

「は、はちまん!?」

 

「「「「ふぁっ!!」」」」

 

 先輩も含めた全員がハモって声をあげる。

 え?先輩、こんな可愛い人とも知り合いなの?というか、先輩のまわり可愛い人多すぎですよ……う~……

 それから、その娘は、

 

「由比ヶ浜さん」

 

「え?」

 

「葉山くん」

 

「うん?」

 

「それから。一色さんだよね?」

 

「へ?」

 

 うそ……私まで~……

 って、なんで、知ってるの?私、こんな娘知らないです……あれ?でも、どっかでみたような……

 

 みんな一様にその髪の長い娘をみつめながら、そして、しばらくして、ハッとなった様子で、口を開いた。

 わたしも、唐突に、あることを思い付いたんですけど、まさかそんなわけは……って、頭を振った。

 そんななか、ブルブル震えていた材木座先生の声。

 

「もう許してくださいませ……戸塚殿」

「戸塚!?」「彩ちゃん!?」「戸塚君!?」「戸塚先輩!?」

 

 

 

「あ、うん。みんな久しぶり。えへ」

 

 

 

 首をかしげて、その長い髪を揺らすのは、間違いなく天使でした。

 

 あれ?北の国って、こんなお話でしたっけ?うーん……



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天使降臨

「「「「えええー!?」」」」

 

 ヒッキーも、隼人君も、いろはちゃんも、当然あたしも絶叫。

 まさか、目の前のこの美少女がさいちゃんだなんて!

 でも……あはは、と頬を掻きながら照れ笑いをするその表情は、まさにさいちゃんで……

 その長く透き通った黒髪を揺らしながらかわいらしく微笑む姿に、女のあたしでもドくんってなっちゃう。

 

 はっ!

 ひ、ヒッキーは……

 

「と、戸塚!結婚してくれ、いや、しなさい」

 

「は、八幡っ!?」

 

 って、何でいきなりさいちゃんの手を握って迫ってんのー!?

 

「な、なにやってんの、ヒッキー!!」

 

「はっ?お、俺はいったいなにを~?」

 

「は、はっちまん~……ず、ずっる~い!!我も我も」

 

「ちょっと、八幡、材木座君!急に冗談やめてよー、びっくりするよ」

 

 と、にこにこ微笑みながら困った顔で小首を傾げるさいちゃん。

 長い髪がさらりと揺れて、本当に可愛い……って、本当に男の子だよね!?

 

「「はうあああああ……な、なんて破壊力……」」

 

 ヒッキーと中二が胸を押さえてうずくまってるし……もう、なんなのよ。

 あたしはヒッキーのそばに行って、頬をがっちり両手で押さえて、正面から睨んだ。

 めっちゃ泳ぎまくるヒッキーの目。なんかいつもより3割ましで濁ってるし。

 

「もう、ヒッキーのバカ!!、あたしにプロポーズしたくせに、冗談でもゆるさないんだから」

 

「え?」「はむん?」

 

 さいちゃんと中二が驚いた顔してこっちを見る。

 ヒッキーは、冷や汗をだらだら垂らしながら、あたしの目を見ながら言った。

 

「す、すまん、悪かった。つい戸塚を見て、条件反射で……その……」

 

「うん、ヒッキーがさいちゃん大好きなのは高校の頃から知ってるけど、本当に傷つくから冗談でもやめてね」

 

「ああ……本当に悪い。もうしないよ」

 

 そう言って、そっとあたしの腰に手を回して抱き寄せてくれた。

 さっきまでのイライラが嘘みたいに収まって、急に幸せな気分が沸き上がってくる。

 ヒッキーの温かさに身を委ねて、ポケーっとなったところに、誰かの声が聞こえた。

 

「あーあ。もうどうしてくれるんですか。あの二人ああなったら、暫く二人の世界ですよ。ザ・ワールドですよ。帰ってきませんよ」

 

「ねえねえ、一色さん。八幡が由比ヶ浜さんにプロポーズしたって本当?」

 

「うむ!よりによってあの八幡に、婦女子に求婚する甲斐性があるとは到底思えぬのだが」

 

「いやいや、戸塚君、財……津君?比企谷はあれでかなり由比ヶ浜さんを大事にしているんだ。だからなにもおかしくないし、ここは素直にお祝いしてあげるべきじゃないかな」

 

「現れたおったなイケメン帝王!!なにゆえにうぬがここにいるのかは問わぬが、イケメンの言に従う気は一切なし!!我は我の道をゆくのみーーーーー」

 

「材木座君、ここはお祝いしてあげようよ。友達同士が結ばれるなんて滅多にないよ」

 

「あっはい」

 

「よっわ!財津先輩、よっわ!もう、急に現れてなんなんですか、漫才ですか?ちょっと傷心の私を見つけたからって、声をかければどうにかなるとか、本当にキモくて気持ち悪いので近寄らないでください、ごめんなさい」

 

「はうぅっ!!こ、これが、伝説の告白してないのに振られる、ツンデレ・マシンガン・トーック!!略して、”T・M・T”!!義輝、あいしてるぅううう!!でも、心なしかデレてない気が……」

 

「本当にキモいです、デレるわけないです。さようなら」

 

「ぶひぃっ!!」

 

 なにか、豚の鳴き声というか、断末魔が聞こえた気がしたけど、ふっと目を開けてみれば、すぐそこにヒッキーの唇……

 あ、き、キスしちゃう……

 と、ドキドキしていたら、

 

「あのぅ、先輩?結衣先輩?みんな見てるので、そろそろ……」

 

「ひゃっ!」「うわっ!!」

 

 すぐその鼻先に顔を真っ赤にしたいろはちゃん。

 

 正気に戻ったあたしとヒッキーは二人揃って赤面。

 なんか、みんなも気まずそうな顔になっちゃってるし。

 もう、超ハズかシー

 

「あはは、本当に二人は仲がいいんだね。本当におめでとう」

 

 そう言って微笑むのはさいちゃん。

 本当に可愛いよー。

 そんなさいちゃんに、ヒッキーが声をかけた。

 

「戸塚は、どうして髪伸ばしたんだ?」

 

「え?似合わないかな」

 

「いや、違う違う、似合いすぎなんだよ。危なく告白して振られちまうとこだった」

 

「って、ヒッキー思いっきりさっきプロポーズしてたけど!!」

 

「ま、まあいいだろ、小さいことだ」

 

 ぷいっと顔を背けるヒッキー。

 むう、反省してないな。よし、これは後でお仕置き決定。

 

 さいちゃんは、自分のさらさらの髪を指でいじりながら話した。

 

「編集部に入ったら、先輩たちがこの髪型にしてって、みんなで勧めてきたんだよ。ちょっと今の季節は暑いかなって思うこともあるんだけど……やっぱり切った方がいいかな?」

 

「「「切らなくていいです」」」

 

「う、うん?」

 

 なぜか、ヒッキーと隼人くんと中二がハモって返事。

 みんななんか必死だー。

 そして、中二がヒッキーに近寄って、鞄からなにかを取り出して、にやりと笑う。ヒッキーはヒッキーで、それを見つつ満面の笑みでサムズアップしてるし。

 

「戸塚編集、これを!!」

 

 といいつつ、中二がさいちゃんの頭にそれをタシッっと被せた。

 それは、白い花の飾りが列に並んでついているカチューシャ。

 そこには、まるでおとぎ話に出てくるようなロングヘアーの美少女が!!

 

「レ○ゥゥゥゥゥゥゥゥ!嫁バージョン!断章だ!!材木座よくやったぁ!!」

 

「然り然り!それでこそ我が朋友!!八幡ならツボると我は信じていたぁ!!」

 

 あれあれと、カチューシャをさわってオタオタしている

さいちゃんを他所に、抱き合ってはしゃぐ二人のオタク。

 まったくもう、ヒッキーは……

 あたしはヒッキーにそっと耳打ちした。

 

「いい加減にしないと、もう夜は……ごにょごにょ……」

 

「あ、わかりましたすいませんでした二度としませんです、はい」

 

 突然素直に謝るヒッキーを見つつ、とりあえず頷くあたし。

 うん、なんか複雑な気分だけど、まあこれでよし。

 そして、こほんと咳払いをしたヒッキーが中二に向き直った。

 

「で、材木座お前本当になにしにきたんだ?いくらなんでも戸塚から逃げるだけで釧路から北見までは来ないだろ?それに、お前のラノベ、今度アニメ化するかもしれないんだろ?こんなとこ来てていいのかよ」

 

「え?中二の小説アニメになるの?そんなにすごいの!?」

 

 驚くあたしに、ヒッキーが頷く。それから、さいちゃんが説明してくれた。

 

「材木座君の小説、投稿サイトの『小説家になっちゃおう!』のファンタジー小説大賞で大賞を受賞してね。うちの出版社から書籍化したんだけど、これがすごい人気なんだよ。特に主人公の『ウショー・F・ヌードゥルガイ』と、ヒロインの『アロエ・グリーンリーフ』が、今年人気キャラクター一位も獲っちゃったんだ!」

 

「へ、へぇー」

 

 目を輝かせて説明してくれるさいちゃんには申し訳ないけど、あたしにはなんのことかさっぱりだった。

 まあ、でも中二がすごい小説家さんということは理解できた。

 そういえば、子供たちがなにかそんなキャラクターの話をしていたような……?

 今度、学校で聞いてみようかな。

 

 知ってるひとが有名になるって凄く不思議な感じ。きっと中二はこれからお金持ちになっていくんだなー。

 あたしのなかでは、今の見た目が昔と全然変わっていなくて逆に違和感がすごいんだけど。

 

「えーと、それで、中二……さんは本当になにしにきたの」

 

 それに彼は腕を組んで咳払いをしてからこっちに向きなった。

 

「けぷこんけぷこん、我が心の盟友八幡!!我はいつも思っていた……なぜ、いつも貴様ばかりモテるのか……なぜ、貴様のまわりにばかり女子が集まるのか……と!」

 

「いや、別に集まってねーだろ。っていうか、俺にまとわりついてきたのは結衣くらいしかいねーよ。あとは全部勘違いだ」

 

 手をヒラヒラさせて呆れ顔のヒッキーの後ろで、なぜかいろはちゃんが膨れっ面。

 

「じゃすたもーめんと!八幡。貴様のその天然ジゴロっぷりに我は何度も苦渋を飲んだのだ!そして、我は考えた。我と貴様のいったいなにが違うのかを!!」

 

「それ、単に財津さんが太ってて気持ち悪いからじゃないですかー?」

 

「はばろふすく!!」

 

「いや、一色。いくらなんでもストレートすぎだろ、もっとオブラートに包んでだな。ほら、こいつこれで物凄いグラスハートだから」

 

「えー?こういうのははっきり言ってあげた方が本人のためなんですよー。大体23にもなって、真夏に指ぬきグローブにロングコートって、変質者にしか見えなくて、怖くて近寄れませんよー。普通の女子は」

 

「くくく……くははは……くははははははははははh」

 

 と、突然中二が笑いだした。

 どうしたんだろう?

 お腹痛いのかな?

 

「そうやって、人を見下すことに関しては最強であるな!リア充どもよ!だが、こんな我を求める婦女子がこの世にもあることを思いしるが良い!!見よ!!」

 

 そう言って、コートの内ポケットから取り出したのは、ゴテゴテと装飾された、大きなスマホ。

 あ、あれ、なんかのアニメとタイアップしてたやつだ。

 なんかのロボットのデザインの奴だ。

 

 そして、その掲げられたスマホの画面には、かわいらしく微笑んだ一人の女性の姿。それを、全員で眺めた。

 そこには、薄紅をさした唇と大きな瞳で微笑んだそのショートヘアーの美人さんが。

 うん、確かに、すごく綺麗な人だけど、恋人さんなのかな?

 

 それを見たヒッキーが一言。

 

「材木座……勝手に人の写真待ち受けにしちゃだめじゃないか。黙っててやるからすぐに消せ」

 

「いやいやいや八幡?これ、この子から貰ったのよ?本当よ?我、この子に会いにきたのよ、北見まで」

 

「え?」

 

 その中二の言葉に一同唖然。

 みんなでぽかーんとしたままでいると、胸をそらして立ち上がった中二が高らかに宣言した。

 

「むおっほん!!彼女の名前は、樺太愛菜、21才。我、彼女と結婚を前提にお付き合いしているのである!これは前世から紡がれた赤い糸、千葉大妙見のお導きぃぃ!」

 

 あれ?千葉神社って、縁結びだったっけ?

 自信満々の中二を見つつ、そんなことを考えていた。

 

 



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材木座義輝という売れっ子作家

「知人に彼女を紹介する我、今、かっこいい」

 

 スマホを突きだしてしてニヤリと得意満面の中二に、みんな唖然呆然。

 でも、確かに中二だから違和感あるんだけど、彼女を紹介するとかって、まあ普通と言えば普通なんだよね。

 あれ?ヒッキーもあたしのことこうやって紹介したりするのかな……

 な、な、なななんてみんなに紹介するんだろ……

 か、か、かか可愛いとか言ってくれてるのかな……

 

 想像して頭がきゅーっと熱くなる。

 

「どうした結衣?顔真っ赤だぞ」

 

「な、なんでもないし!」

 

 ヒッキーに覗き込まれてますます赤面、うわあーもう、超恥ずかしいし。

 あたしってば人に可愛いって紹介してほしいとか、本当に自意識過剰すぎ。でも、ヒッキーのことかっこいいよって、みんなにも言いたいし、思ってもらいたいし!うう~~

 

 ぽふぽふと、ヒッキーが頭を撫でてくれたので、こてんと寄りかかっておきました。はい。

 今はなんかなにも言えないよー。

 

「んで、その彼女さんに会いにきたんなら、こんなとこいねえでさっさと行けばいいだろ?」

 

 あたしをぽふりぽふりしながら、ヒッキーが中二に声をかける。

 その途端に……

 

「はっちえも~~~ん」

 

「ばっ!!材木座、それはもうやったろうが、暑いからさっさとはなれろー」

 

「助けてでござる、助けてほしいでござる~~」

 

「ばっか、だから何から助けるってんだよ。戸塚はもう大丈夫だろが!」

 

「いや、戸塚氏のことではなくてですね。その……あの……」

 

「急に素に戻ったあげく、モジモジするな気持ち悪い。んで?なんだって?」

 

「いやだから……その……」

 

 目の前で指をくるくる回しながら中二がポツリポツリと話した。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「ええー?その彼女にまだ会ったことがないーーー?」

 

 思わず絶叫するあたしたちに、中二はコクリと頷く。

 眼鏡越しに泣いているのか、明らかにしょんぼりしちゃってるし。さっきまでのテンションはどこに行っちゃったの?

 そんな彼を見ながら、ヒッキーが頭を掻く。

 

「あー、だってお前、さっきのその子と付き合ってるって言ってたよな?」

 

「はい……」

 

「ってことはだ。当然会ったことあるんだろ?」

 

「いいえ……」

 

「だー、もう!ならどうやって付き合ってたんだよ。意味わかんねえよ……え?『date time❤』?なにそのアプリ」

 

 頭を掻きまくるヒッキー(やめて!将来が心配になっちゃう(>_<))の前で、スマホの画面をちょいちょいいじった中二が再びみんなの前にそれを見せた。

 ピンクの絵に白文字でアプリ名が浮かび上がるその画面は、どことなく緑の世界的なアプリっぽい。

 中二はその画面のマイページを開いて、そこに出てきた名前をちょいちょいと指差した。

 

「なになに?

『樺太愛菜21才、美容師、北海道、旅行と食べ歩きが好きでいつもじゃらん片手におでかけしてまーす❤いつも一人で寂しいのでお話してくれる人大募集❤』

って、お前これ……」

 

「うむ!ものを知らぬとは悲しいこと……ならば我が教えてしんぜよう。古来より、男女が心を通わせるには文が必要であり、現代日本では、電子化された……」

 

「あ、これ、出会い系アプリだね」

「だな」「うん」「だね」「ですねー」

 

「はぽぉーーーーーん!!HAPON!HAPON!」

 

「だー。もう、うるさいよ材木座。お前これ完全に出会い系のやつじゃねえか、しかも、なにこの『フォロー250人』って、お前どんだけ頑張っちゃってんの?それにユーザーネーム『天草四郎』ってなんなんだよ。中二病まるだしじゃねえか。おまけになんで、自分の顔完全に晒しちゃってんだよ、気持ち悪いよ!ニヤケ顔のお前のアップ写メ。せめて手で口隠すとかしろよ、それにお前の部屋だってバレバレじゃねえか……背後にばりばりフィギュア写っちゃってるし!もう、見てて俺の方が恥ずかしいよ」

 

「詳しいねヒッキー」

 

「うっ……いや、まあ、世間一般の常識としてだな……」

 

「ふーん」

 

 思いっきり目をそらしたヒッキーに、追撃の視線を送りつつ、つかんだ右手の甲を思いっきりつねっておいた。

 これも後で追求だね!!まったく知らない間に何をやってんだか!!

 がっくり項垂れて、ふうふうと肩で息をしている中二が冷や汗をたしながら顔をあげた。

 

「ふふ……うすうすは我も出会い系ではないかと気がついてはおったのだ……」

 

「え?本当に気がついてなかったの?お前」

 

 呆れ顔のヒッキーに中二が立ち上がって吠えた。

 

「だが!こんな我であっても、彼女はいつもいつもたくさんコメントをくれるのだ!我の一喜一憂に彼女は優しい言葉をかけてくれるのだー!これが恋でなくてなんであろう?いや、恋に違いない!そう英語で言えばL・O・V・E~ラヴゥ!!ラヴであろう?そうであろう?」

 

「あー、財津先輩盛り上がってるとこすいませんけど、このアプリ、女の子、お金入りますよ~」

 

「え?」

 

「おい、一色どういうことだよ?」

 

 急に割って入ってきたいろはちゃんが、自分のスマホをタシタシっとさわりながら、画面を開いて見せてくれた。

 

「いや、私の友達の友達がですね、このアプリやってまして、すっごい稼いでるんですよー……なんかコメントもらうごとに、お金入るとかでー、電話でも、ビデオ通話でも、1分毎に入金される仕組みなんですよねー……ほら、あ、私の友達の友達に聞いた話ですからね」

 

 いいながら、リロード画面を隠しつつ差し出されたスマホには、入金される金額が表示されていた。

 

「一色、お前なんでマイページ隠しながら見せてんだよ」

 

「え?まいぺーじ?何のことですかー?いろはわかんないですねー」

 

 ひゅーひゅーと吹けない口笛を吹きつつ視線をそらすいろはちゃんをみんなが白い目で見つつ、その料金表を見る。

 

「なになに?コメント1通15円?電話が45円……1分毎に?で、ビデオ通話が1分で70円?他にも、写真の保存とか、秘密の写真とか、なにこれ、怪しさ満点なんですけど……??おまえ、これ1日いくらくらい稼げるの?」

 

「えー?そうですねー、頑張れば1万円くらいは……って、はっ!?……いえいえ、そ、そ、そんなことを言っていましたねー、友達の友達が!!」

 

 友達の友達とどうやって話すんだろう……ってそれは気にしないでおいて、え?じゃあ、中二の方は?

 そう思っていたら、真っ青な顔になってる中二からスマホを奪ったヒッキーがその料金表を開くと……

 

「コメント50円1通、電話120円1分、ビデオ通話170円1分、秘密の写真閲覧100円1回……」

 

「ええーーー!!そんなに高いんですかー!?ちょっと運営ぼりすぎ……はっ!?、いえ、友達の友達が……ごにょごにょ……」

 

 うん、もう何も心配しないで大丈夫だと思うよ、いろはちゃん。あたしもちゃんとスルーしてあげるからね。

 それにしても、なんか、中二かわいそう。

 これ、男の人には女の子がお金もらってるのは知らせてないんだね。だったら、自分がお金払っても返事をくれる相手もお金払ってるんだから、お互い様って思いながら利用してたのかな。

 な、なんかいたたまれない感じだ……

 

「それでも……、それでもだ……」

 

 床に這いつくばってる中二がうめきながらも、振り絞るように声を出した。

 なんか、背景に『ゴ・ゴ・ゴ・ゴ・ゴ・ゴ・ゴ・ゴ・ゴ・ゴ・ゴ』とか、ヒッキーに借りたまんがみたいな擬音がつきそう!

 

「それでも、我は彼女を愛しているんだぁーーーーー!!」

 

「材木座……お前……」

 

 プルプル震える中二にヒッキーがゆっくり近づいて、その肩にポンと手を置いた。

 そんなヒッキーを泣いた目で中二が見上げる。

 ヒッキーはやっぱり優しいね。間違いなく呆れる場面なのに……

 そして優しい笑顔でぽしょりと一言……

 

 

 

「あきらめろ」

 

 

 

「ぶひぃぃっつ!!!」

 

 うん、ある意味最大の優しさだった。

 そんなヒッキーに中二がなおも食い下がってる。

 

「頼むでござる、サポートしてほしいでござる、彼女となんとか会いたいのでござるー」

 

「だあっ!だから放せって、お前なあ、そもそも出会い系で本名名乗ったりするわけねえだろ!それに、その子だって一色と同じで金儲け目当てでいろんな男フォローしてたりするんだぞ!チャットにコメたくさん欲しいから色々質問したり、ちょっとエッチな写メ送って反応見たり、仲良くなってきたら、『えー?そんなー?はずかしー❤』とか言って、電話とかビデオ通話長引かせたりするんだぞ!一色みたいに!!」

 

「私を引き合いに出さないでくださいよー!!友達の友達……」

 

「いいか!材木座!現実を見ろ!お前は頑張って作家デビューもした!しかも人気作家だ。今度はアニメにもなるかもしれないんだろ?そうしたら、お前の念願だった声優さんと仲良くなれるかも知れない!ひょっとしたら、万が一、いや、億……いや、兆に一くらい、お前を好きになってくれるかもしれないんだぞ!」

 

「なんか、我ちょっと悲しい……」

 

「出会い系のお遊びで身を崩すんじゃねえって言ってんだよ!いいか材木座、そんないい加減な女なんてとっとと忘れちまえ」

 

「愛菜たんのことを悪く言うなーーー!!」

 

「んぐ」

 

 突然立ち上がった中二がヒッキーに怒鳴った。

 ヒッキーは中二を心配してただけで、なんの悪気もないのは分かってるはずだと思うのに。

 

「落ち着けって材木座……俺は別に……」

 

「彼女のことを侮辱することは我が許さん」

 

 目を血走らせる中二はスマホを握りしめて真剣な形相に。あたしは、いろはちゃんと隼人くんと顔を見合わせた。

 確かにあたしたちは出会い系だから、中二だからってきちんと話を聞いてなかった。

 笑ったりはしてないけど、本気の話だとは思わなかったし。これは悪いことしちゃったかも……

 

 ヒッキーも、なにか気まずい感じの表情で中二に謝る。

 

「悪かった材木座。よく知りもしないで、その人のこと貶したりして……お前が遊ばれてるかと思っちまったんだよ、わりぃ」

 

 そのヒッキーの言葉に中二がまた項垂れて続ける。

 

「いや、我も身の程をわきまえずに悪かったと思っておる。しかしな、彼女は我にとって特別なのだ。これを……」

 

 そう言って中二は懐からチェーンのついたアクセサリーを取り出す。

 そして、それの蓋をカチリと開くと中を覗き込んだ。

 

「懐中……時計?」

 

「これを彼女が贈ってくれたのだ。我が就職も出来ず、小説も当たらず、途方にくれていた時に、『四郎、頑張ってください❤』と彼女は御守りにと、これをくれたのだ」

 

「え?住所を教えちゃったんですか?出会い系で?っていうか、ひょっとして本名も!?」

 

 いろはちゃんの言葉は完全無視で。中二はその懐中時計をぎゅっと握る。

 

「そして、我は心に誓ったのだ。いつか、我の小説が陽の目を見た時、きっと彼女を迎えにいこうと!」

 

 グッと拳を握る中二は一人で陶酔しちゃってるし。

 そんな中二を他所に、ヒッキーがみんなを集めた。

 

「どう思う?お前ら」

「あたしは良い話しだし、助けてあげてもいいんじゃないかなっと思うけど」

「えー、でもこれ、出会い系サイトの話しですよ。100%騙されてますよ」

「そうなんだよね、メールとかのやり取りだけで、好きになるとか、材木座くんなら分かるけど、普通の女の人はどうなのかな?」

「戸塚君、普通そんなことはないと思うよ。男だって」

「イケメンリア充の葉山がそう言うんだからまず間違いねえだろ」

「でも、あんなに高そうな懐中時計普通贈らないよ」

「結衣先輩、それはあれですよ。『豚は太らせてから食べる』これですよ」

「ちょっ、いろはす怖っ!なにその肉食思考。お前そんなんだから、太らせる前に逃げられんだよ」

「ぎゃー、さっきからなんですか、先輩!私になんか恨みでもあるんですか?今私関係ないじゃないですか」

「一色さん可愛いから気にしなくて大丈夫だと思うよ」

「うわ~戸塚さんだけですよ、優しくしてくるの~どうですか?私とお付き合いしませんか?」

「駄目に決まってんだろ、人の戸塚に手を出そうとしてんじゃねえよ」

「ちょっとヒッキー!!」

「まあまあ、みんな落ちついて……」

「お前仕切ってんじゃねえよ、葉山」

 

「なんか、我、寂しい」

 

「「「「ひゃっ!!」」」」

 

 ぬぼーっと突然顔を出した中二に、思わずみんなで飛び上がる。ううん別に気持ち悪かったとか、そういうんではないんだけどね。

 生気のない中二がポソリと呟いた。

 

「なあ、八幡。我には貴様が羨ましいのだ。あんなにもたくさんの女子を侍らせておきながら、結局は一途に想い続けたそのゆ、ゆいがはま嬢と結ばれた」

 

「なんか、めっちゃ人聞き悪いな、おい」

 

「我も……我も……憧れたのだ、一途な恋というものに。どうか助けてもらえないだろうか?頼む」

 

 そう言って頭を下げる中二に、みんなは言葉もない。

 正直、ここまで強く思っているんなら、自分で頑張ればいいのにとも思っちゃうけど、それは難しいよね。

 だって自分のこと振り返ればそうだけど、告白したりその返事をしたり、本当に怖いもの。

 多分、中二も今回のことが難しいって、分かってるんだと思う。

 いくら何度もメールしてるっていっても、会ったこともないんだしね。

 あたしは中二に向き直った。

 

「『頼む』ってことは依頼ってことでいいのかな?ねえ、ヒッキー」

 

 ヒッキーはあたしの言葉に、困ったように微笑んで頭を掻く。

 

「まあ……これだけ奉仕部関係者がいて見ぬふりは出来ねえな、なあ、葉山、一色」

 

「そうだな……大学以来か……腕がなるよ」

 

「えー?私なんか、高校以来ですよー。っていうか正式部員じゃないですし」

 

「あー、そうだねー。僕は奉仕部員じゃないけど、早く材木座君に作品書いて貰わないと困るし、それに友達だし、僕も当然手伝うよ」

 

「は、はちまん、由比ヶ浜嬢、一色嬢、それに、葉山氏に戸塚氏も……ありがとうでござる。ありがとうでござるぅ」

 

 泣きながら頭を下げる中二の姿に思わず笑ってしまった。

 そんなあたしの頭をぽんぽんとヒッキーが撫でて微笑んでくれる。

 えへへ……なんかこういうの嬉しい。

 

「ま、手伝ってやることにはなったが、材木座。分かってると思うが、この依頼、ほぼ達成不可能だと俺たちは思ってる。だから、あくまでお前がその子と会うまでのサポートだけだ。それでいいな?」

 

 中二はヒッキーの手をぎゅっとつかんで、号泣!

 

「それで十分!感謝感謝でござる!」

 

「おい、やめろって……それにしても、お前。そんなにその子が好きなら、なんで直接アドレス交換とかしねえんだよ。そんな怪しいアプリでやり取りしてっから怪しまれんだよ」

 

「そ、それは……それを言い出すのはなにか亭主関白っぽくて気がひけて、むむぅ……し、しかし、愛菜嬢に想いを寄せるようになってからは断じて他の娘とやり取りなどはしてござらん!神に誓って!!」

 

「と、いうことは、その前までは結構やり取りしてたの?」

 

「ゴラムゴラム、うむ!それまでは、たくさんの女子とお話したくて寝る間も惜しんでチャットしていたのだが、我、モテモテすぎて困った困った、はっはっはっー」

 

「つまり、毎夜毎夜課金しまくってたわけだな、そりゃモテるわ」

 

「うむ、金で済むことは金で解決すべしが我のモットーである」

 

「こいつ、言い切りやがった。しかも今や印税生活者か……なんだ?すごくムカついてきたぞ。で、他にも好きになった子はいなかったのか?」

 

「うむうむ、いないことはなかったが、毎晩毎晩、我にセクスィーな写メを大量に贈ってくれる女子がいて、そのこは気になっていたが、我は愛菜嬢を選ばせてもらった」

 

「奇特な女の子もいるんですねー。なんて子なんですか?」

 

「うむ!『はすはす☆』という子でな。我そのときのアカウント名は『よっしー』で……」

 

 得意気になっている中二から少し離れたところで、いろはちゃんがすごいスピードでスマホを叩いてた……真っ青な顔で!

 

 いろはちゃんてば……黒歴史はなかなか消えないと思うよ……うん。



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材木座君の恋愛成就大作戦①

 中二もとい材木座君の恋愛をサポートすることになったあたし達。

 まず初めにしたのは、その恋愛対象の女性の存在の確認から。

 今回の情報源は、出会い系アプリという怪しさ満点の媒体のプロフィールのみ。

 材木座君は、このアプリを通してのみ彼女に連絡をとっていたとのことで、このアプリを使用して呼び出すことは可能ではあったのかもだけど、実際の彼女がどのような人物なのかを知ることを優先することにしたの。

 だからまず、ネットで彼女のプロフィールの名前を検索。

 でも、愛菜という名前の美容師さんを見つけることは出来なかった。

 それで、材木座君の強いれていた数少ない情報の中から、『湧別』そばにどうもお住まいらしいとのことだったから、そのエリアの『樺太』という名字の人を検索してみたら、タウンページで一軒だけその名前の美容室を発見。

 でも、その名前は『樺太儀二亜須』となってた。

 アイヌの人の当て字とかなのかな?

 そんなことを思いつつも、可能性も高そうに感じたのと、湧別ならそんなに遠くはないので一応行ってみようということになって、ヒッキーに車を出してもらって早速確認へ。

 結果は……

 

「ま、間違いないでござる。あ、愛菜たんに」

 

 車の後部座席で顔を窓に貼りつけて凝視している材木座君。

 それ、ちょっと皮脂とか汗とか涎とか付きそうだからやめて欲しいなって思っていたら、ヒッキーも凄く嫌そうな顔になって睨んでいた。そりゃそうだよね。

 その小さな美容室の大きなガラス窓の内にはショートカットの女性が手慣れた手つきで地元のおばあちゃんの髪をカットしていた。遠目に見てる感じではあるけど、笑顔も可愛いし、とってもきれいな人。

 材木座君が好きになっちゃうのも分かる気はするんだけど……

 こんな感じの子が出会い系アプリとかしちゃうの? 怖いとか思わないのかな……

 なんて、経験のないあたしには疑問附ばかりだったけど、いろはちゃんも楽しんでいるみたいだし、結構安全なのかもね。

 それでもあたしは絶体しないけど。

 そんなことを思っていたらヒッキーが声を出した。

 

「それでどうすんだよ、材木座。あれが彼女ならもう直接会って話してきちまえばいいだろ」

 

「ふぇええっ!? しょ、しょんなっ! わ、我にそんな試練を! チュートリもなしに!!」

 

「そもそも告白にチュートリアルはないのだが……必要と思うなら先にときメ〇でもやっておけ」

 

 あ、それ前にヒッキーがやってた絵柄の古い恋愛ゲームだ。俺は全キャラに呼び捨てにされているとか、訳の分からないことを言っていた気がするけど、あれ一緒に遊ぼうってお願いすると、真顔で嫌がるんだよね。

 材木座君は焦りまくってもう声も出なくなっている感じだけど、それを見ながらヒッキーと隼人君が向かいあって頷き合っていた。

 

「じゃあ……あれでいくか、葉山。お前お得意の『撒き餌作戦』で」

 

「『撒き餌作戦』って?」

 

 あたしがそう聞けば、ヒッキーはさも当然とばかりに指を立てて教えてくれた。

 

「大概の女は葉山に即メロメロになるからな。とりあえず葉山を放り込んで彼女がどんな反応を示すか様子を見る」

 

「俺は別にそんなにモテるわけじゃないんだけどな。それに撒き餌とか、酷いな。俺は偵察に行ってみようかと言っただけだろ」

 

 そう言った隼人君に、材木座君もヒッキーも座った目になった。

 

「そうやってさらりと非モテ発言しちゃうところがそもそも持てる者の余裕だとなぜ気が付かないんだ!!」

 

 うんうんと激しく同意している材木座君と彩ちゃんと……なぜかいろはちゃんも。そ、そういうものなんだね。はは……

 ヒッキーは表情も変えないままに続けた。

 

「葉山にいきなりアプローチかけてくるくらいなら材木座の脈は当然ないと言える。出会い系アプリをやっているくらいだからな、イイ男狙いの可能性の方が高いだろ。それなら即諦めれば良い。ま、そんな風にならなかったら、告白してみてもいいんじゃねえかってことだ……良く知らんけど」

 

 最期はプイッと顔をそむけたヒッキーを見つつ、涙目の材木座君ががっしと隼人君の手を握った。

 

「葉山イケメン殿!! 頼むでござる頼むでござる!! どうか愛菜たんに言い寄られないでっ!! 義輝一生のお願いぃぃ!!!」

 

「は、ははは……善処するよ……じゃあ、とりあえず行ってくる」

 

 そう言って車を降りた隼人君は通りを渡って彼女の美容室の中へと入って行った。

 

「う……うう……」

 

「大丈夫だよ材木座君。きっと上手くいくって」

 

「そうですかね? 女って結構みんな裏の顔って違うんですよぉ。ねえ、結衣先輩」

 

「あ、あはは、そ、そう? かな……」

 

「ぶひぃっ!!」

 

 慰めている彩ちゃんの脇で、いろはちゃんが前髪をくしくしと整えながらそんなことを言ったもので、また材木座君が泣き始めてしまった。

 というか、そんなに裏の顔違うの? それをあたしに同意求めないで欲しいかな。

 なんかヒッキーもちらちらあたしを見ているけど、あたしそんなに裏の顔隠してないからね……多分。

 

「あ、葉山先輩アプローチ始めたみたいですよ」

 

 いろはちゃんにそう言われて店内を覗いてみれば、例の愛菜さんが来店した葉山君に声をかけているところ。

 頭を触っている彼に、愛菜さんはにこやかに微笑んでいる。

 これはヒッキーの言う通り、かっこいい男の人が好きな子なのかな? とかそうおもっていたら、特に変わった様子もないままに椅子に座らせて、髪をカットしてそのまま終了。

 お会計の後はすぐに次のお客さんに同じような笑顔を向けていたし、これは特に隼人君に興味があったわけではないのかも。

 車へと隼人君が戻ってきた。

 

「やあ。いろいろ話がきけたよ」

 

 そう言った彼の頭は、坊主に近いかなりの短髪になってしまっていたけど、返って爽やかさが際立った好青年になっていた。

 

「イケメンは坊主でもイケメンかよ。チッ!!」

 

 ヒッキーが思いっきり舌打ちしていた。みっともないよ。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「つまり、あの子はあそこが家で、病気の兄貴と二人で暮らしている……と、そういうわけか」

 

「ああ、あと犬が一匹いるな。大きなふさふさの犬が店の端に寝そべっていたよ」

 

 隼人君の仕入れてきた情報に相槌をいれるヒッキー。

 その話を要約するとこんな感じ。

 愛菜さんは美容師であそこの美容室をきりもりしながら、臥せっているお兄さんのお世話もしている。

 結婚は当然しいないし、付き合っている人も今はいないということで、お兄さんのことがあるので彼女も本気で好きになることはないということらしい。

 そんなところまで聞いてきてしまえる隼人君はやっぱり普通じゃないよね。

 それを聞いて考えていたヒッキーが顔を上げて言った。

 

「よし材木座。お前今からあの店で髪を切ってもらってこい」

 

「ぇえええ!! なんで!! 八幡なんで!!」

 

 思いっきり叫んだ材木座君の横で耳を塞いだヒッキーが続けた。

 

「そ、そりゃあ、きっかけを作るためだろうが。まずお前は今日髪を切る。で、明日の朝、彼女が犬の散歩に出るのを見計らって、どこかで偶然を装って会って挨拶をするんだ。そうすれば、あ、昨日のお客さんだ。あ、良く見たらネットのあの人だ。とか、そんな風に話も広げやすいだろ。それで告白でもなんでもすればいい」

 

「ちょ、八幡、ハードル高すぎぃ!! 我そんなの出来る自信ない」

 

「うるせえよ。高くねえよ、むしろ低いくらいだよ。そもそもお前のハードルなんて知ったことか。とにかくもう決定。ほれ、さっさと髪切ってもらってこい。どうせ今日はお前からは話しかけられねえんだろうから」

 

 そう言われてバンを追い出された材木座君がカチコチにかたまったままでギクシャクと歩いてみせに入った。

 そして出てきた時には、隼人君と同じ髪型になっていて、みんな一斉に大爆笑したのだけどね。

 本当にごめん(笑)



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材木座君の恋愛成就大作戦②

 翌朝、またみんなで早起きして再び湧別の愛菜さんのお店をみんなで目指した。

 ちなみに、昨夜材木座君と彩ちゃんはあたしたちの家に泊まった。

 リビングに二つ布団を敷いて上げたら、なぜか勝ち誇った顔の材木座くんの横でヒッキーが目を見開いて歯ぎしりしていたけどね。あ、パジャマ姿の彩ちゃんはやっぱり可愛かったな。

 

 昨日隼人君が聞いたところによると、愛菜さんは朝の6時頃に、近くの公園まで犬の散歩に出かけているらしい。

 そこで今回あたしたちもその公園へと行ってみた。田んぼの中の道を進んで辿り着いたその公園には青い汽車の客車が置かれていた。

 見ればキャンプ場も併設されているようで、何張かテントが張られていて、その外でキャンプ道具で炊事をしている人もいた。

 

 車から降りてなんとなくその客車へと向かってみたら……

 

「あれ? この電車、中が座敷みたいになってるな」

 

 ヒッキーに言われて覗き込んでみれば、そこは絨毯敷きの大きな部屋の様になっていた。

 すごいって思わず叫びそうになったけど、奥の方に寝袋がいくつか見えたので、声を出すのを止めた。

 どうやらここは簡易宿泊所って感じのところらしい。

 いわゆる北海道に多くある『ライダーハウス』って感じなのかな?

 一応宿泊金額が看板に書いてあるけど、とんでもなく安かった。ツーリングなどを楽しんでいる人たちが素泊まりするための施設なんだよね。そんなことを以前ヒッキーに教えてもらったもの。

 

 さて、そんな感じの半分公園、半分キャンプ場なそこで、朝食がてらヒッキーがアウトドア用品を使って簡単なスープを作ってくれた。

 あたしは早起きして握ったおにぎりを取り出してみんなに手渡して、それで朝ご飯に。

 なんか、朝からデイキャンプのようなことをしてしまったね。

 

「先輩と結衣先輩……なんか手慣れてますよね。ほんと、いつの間にそんなに料理上手になったんですか」

 

 お握りを頬張りながらスープを冷まし冷まし飲んでいたいろはちゃんにそう言われ、なんだかちょっと照れてしまった。

 

「は? 何言ってんだ一色。こんなの料理上手のうちにははいらんだろ。こんなの誰でもすぐに出来るようになる」

 

「そ、そうなんですか? うう……なんでしょう、料理だけは先輩方に負けない自信があったんですけど、すごい敗北感です。このおにぎりとスープとっても美味しいです」

 

 言われて本当に嬉しいんだけど、なんだか複雑だよ。

 

「あ、ありがとうね、いろはちゃん」

 

「いやとっても美味しいよ、由比ヶ浜さん」

 

「本当だよ」

 

「うむ。これは、まさに至宝の御結びであるな。縁結びと御結びを掛けるその心意気、我感動しまくりでござる」

 

「いや、それは単にご飯残っていたからおにぎりにしてくれと俺が結衣に頼んだだけだ。所謂、残り物だな」

 

「はぽぉんっ!! せっかくのセルフ景気づけが残念な感じに!!」

 

「あ、ほら材木座君。良く言うじゃない、残り物には福があるって。きっとこのおムスビ御利益あるよ」

 

「まあそうだな……きっと残り物の福って、捨てられる前にやっともらってもらえたって感動が加味されるんだよ。良かったな。きっと残り物のお前は人並み以上に嬉しく感じる未来がきっとお前を待ってるよ」

 

「比企谷……それうまいこといっているようで、相当材木座君を責めている感じだよ」

 

「うるせえよ葉山。印税生活の舐めたこいつを素直に祝福してやるものか」

 

「ああっ! 先輩本音だだもれですよ。ついに隠す気もなくなりましたね」

 

「感謝しているなら、今度網走のオ〇ベルジュとかに招待しやがれ。俺はたまには高級ホテルでのんびりしたい」

 

「うわ、欲望丸出しだヒッキー」

 

「わかったぁ!!!」

 

「「「「「ひっ」」」」」

 

 突然材木座君が大声を上げたので、みんなで思わず悲鳴をあげちゃったんだけど、彼は鼻息荒くぜんいんの顔を見ながら言った。

 

「皆の衆、これだけ親身になってもらっているのだ。当然必ず謝礼はいたす。オービルでもモービルでもなんでも用意してみせようぞ!」

 

 と喜色満面に言い放ったところに、ヒッキーが歩み寄ってその肩をぽんとたたいた。

 

「オ〇ベルジュな。ちなみに、ここにいる全員で一泊と二食つくと、ざっとこんな感じだ」

 

 そう言ってスマホの画面で電卓をたたいたヒッキーのそれを見ていた材木座君の顔がみるみる青ざめていって……

 

「えと……と、戸塚編集? 原稿料の前借とかそんなのは……」

 

 それを聞いた彩ちゃんの表情が、いきなり冷たいものに変わった気がしたんだけど。

 そして。

 

「そうだね。とりあえずその話を出す前に、原稿出してもらおうかな」

 

「へぶぅっ!!」

 

 彩ちゃん結構作家さんに厳しい編集さんだった。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 少し肌寒くもあった公園で、簡単なキャンプを楽しんだあたしたちは、お喋りをしながらも周囲の人たちに注意を向けていた。

 特に犬を連れた散歩の女性に。

 あたしたちも結構早くここに来たのだけど、そんなに多くはなかったけど、この公園の近くを歩いている人たちは確かにいた。

 そして、しばらくたった時のことだった。

 

「材木座君。来たみたいだよ」

 

「へぷん」

 

 遠くを見ていた隼人君がそう言った先を眺めてみれば、スウェットを着て大きな犬を連れたショートカットの女性が田んぼ中の道を歩いてこちらへと向かってきていた。

 それを見止めたあたしたちはみんなで車へと退避。

 材木座君だけはあらかじめ用意していたジャージ姿で、彼女が来る方に向かって歩かせた。

 こうやって行かせることがそもそも難しかったのだけどね。必死に抵抗されて、絶対無理、我死んじゃうからとか、そんなことを言って涙目になっていた材木座君をむりやり押し出したわけだけど、はっきり言って、昨日以上にガチガチで、挙動は明らかに不審者のそれだった。

 それでも、これは材木座君の問題なのだからと、頑張れと心の中で応援しつつ、その成り行きを見守った。

 ヒッキーがいうには、このアプローチは十中八九失敗するとのこと。

 すれ違う際もなにも声をかけられないだろうとヒッキーは言っていた。

 だったら、こんなことさせなきゃいいのに、可哀そう。そう思っていたのだけど、結局は材木座君が自分で何かを行動して、その結果を受け容れることが重要なんだよね。

 結局あたしたちの奉仕活動は、魚の取り方を教えることであって、魚を取ってあげることではないということ。

 これは変わらない普遍の考え方だった。

 

 材木座君は彼女に向かってあるいて、そしてそのまま何も出来ないままにすれ違ってしまった。

 

 やっぱり難しかったよね。

 そう思った時だった。

 

「あの……おはようございます。昨日お店にいらしてくれた方ですよね」

 

 すれ違い、そして少し行ったところで彼女が振り向きざまにはっきりとそう材木座君へと声を掛けた。

 すると、彼はギギギとまるでさび付いた玩具の様に振り向いて、そのまま大きくうなずいてみせた。

 

「ああ、やっぱり。この辺りの方なんですか?」

 

 そんな風に気安く話しかけてくれる彼女に、材木座君も一言二言でいろいろ返しつつ、結構な時間話を続けた。

 それからしばらく会話を続けた後で、彼女が時計を見てかた言った。

 

「また良かったらお店にいらしてくださいね。それでは」

 

 そう言って手を振った彼女がこの車の脇を通ったのだけど、その瞬間何故か全員身を屈めて隠れてしまった。

 別にそんな必要なかったはずなのに、なんでかな? 盗み聞きしてしまった罪悪感からなのかな? 

 みんなで置きあがって顔を見合わせて、思わずみんなで苦笑した。

 そして材木座君が帰ってきた。その顔はもう緩み切ってデレデレで。

 

「あいなたぁん。まじ天使ぃいい」

 

「おい材木座しっかりしろよ。きちんと告白できたのか?」

 

 そうヒッキーに聞かれてもデレっとしたままの材木座君。ゆっくりと首を横に振るんだけど、もうそれどころじゃないみたい。

 その日はそれで終わりになって家へと帰った。

 

 その日から、材木座君はうちのシェアハウスに泊まり込み続けることになる。

 毎朝愛菜さんに会いに行くために。

 ほぼ毎日少し離れた湧別の公園まで散歩に行く彼は、日中物凄い勢いで小説を書いているみたい。

 仕事から帰宅すると、夕方には彩ちゃんがにこにこ笑顔で毎日出版会社に書きあがった小説をメールしていた。

 どうも溜まっていた二作品分の小説を、わずか3日で全部書きあげてしまったみたい。凄いやる気だよね。

 毎朝の散歩デートは本当にうまくいっているようで、出勤前のあたしたちと会うときにはいつもホクホクした笑顔だったし。

 これはひょっとして上手くいくんじゃないかな?

 できたら、そろそろおうちに帰ってほしいなあ、そんな風に思い始めていた時のことだった。

 

 玄関のチャイムが鳴って出てみれば、そこには深緑のスーツ姿に帽子姿の初老の紳士が。

 誰かなと思いつつ声をかけてみれば、その帽子を脱いで頭をあたしたちに下げてきた。

 その様子に、あたしだけでなく、ヒッキーも隼人君もいろはちゃんもびっくりしているし。

 そしてその紳士が言ったの。

 

「ワタクシは樺太家を後見している羽門徳介(はかどのりすけ)と申すものです。こちらの『四郎』さまと申されるお方にお願いがあって参上いたしました。どうかなにとぞ、愛菜のことをお諦めください」

 

『は?』

 

 そんなことを急に言われて、全員の目が点になった。

 当然材木座君もだけど、なぜか真っ青な顔になっていた。



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材木座君の恋愛成就大作戦③

「ええと……それはどういう……」

 

 思わずそう聞いてしまったけど、玄関で立ったままというのも申し訳ないと思ってリビングへと上がってもらうことにした。

 そこにいるみんなが全員緊張しつつ姿勢を正すのを見ながら、その羽門さんを円座の座布団の一つへと案内した。

 彼は失礼しますと言いつつ、きちんと正座してその卓へとついた。

 そそくさといろはちゃんがお茶を淹れに行く脇で、あたしとヒッキーが並んで、更にその隣に隼人君と材木座くんという並び順。

 羽門さんはあたしたちをぐるっと見回した直後に、まっすぐ材木座君を見て深々と頭を下げた。

 

「四郎様……どうかこの通り。愛菜のことをお諦めください」

 

「ふぇえ!?」

 

 材木座君も驚いた顔になっているのだけど、いったいどうして彼のことが分かったのか。

 その理由はつぎのヒッキーのこの質問の後でわかることになった。

 

「どうして、こいつのことを四郎なんて呼ぶんですか? こいつは材木座義輝が本名なんですが」

 

「おお、左様でしたか。これは失礼いたしました。なにしろワタクシめは、この愛菜の『すまほあぷり』のお相手としてでしか、あなた様のことを知りませんでしたもので」

 

 そう言いつつ、その大きな手で不器用に操作して現れた画面をあたしたちに見せてくれる羽門さん。

 それを覗き込んでみれば、このまえ材木座君に見せて貰った例のアプリの画面で間違いなかった。

 そこには材木座君の写真と、その下に『天草四郎』という名前もきっちり入っているし。なるほど、これで四郎って名前だと思ったのか。

 でも……

 

「あの……でも、じゃあどうしてここに来れたんですか? 材木座君の本当の住所はここではないですよ」

 

 そう言ってみれば、羽門さんは真面目な顔で頭をさげた。

 

「これに関しては謝らねばなりませぬな。ここ最近、毎朝愛菜とお会いになっている貴殿のことを知りまして、大変申し訳ありませんが、跡をつけさせていただきました」

 

「尾行……ですか?」

 

「左様」

 

 湧別までは車で行っていたから、その車を追いかけてここまで来たということなんだろうね。

 一応、この人がここまで来たことについての疑問はなくなったけど、やっぱりわからないことがたくさんあった。

 だからそれを聞こうと思い立ったのだけど、それを言う前に、いろはちゃんがお茶を差し出しながら聞いてしまっていた。

 

「どうして財津先輩を追いかけてまで、その愛菜さんを諦めろなんて言いに来たんですか? 諦めるもなにも、財津先輩と彼女は付き合ってもいないんですよ」

 

 材木座くんだよ、いろはちゃん。

 でも、まあそういうことだよね。

 まだ付き合っていないし、古くからの知り合いというわけでもない。

 出会い系アプリという怪しげな場での知り合いではあるけど、ただそれだけのことで、わざわざ相手である材木座君に言うまでもないことのような気がする。むしろ、交際がだめだというなら、愛菜さんに言って別れさせる方が早いのではないかなってあたしも思うし。

 羽門さんは言った。

 

「愛菜は優しいところがありましてな、自ら思いを寄せた相手には尽くそうとしてしまうのです。ですからワタクシはお相手である四郎……失礼、材木座様とお話しようと参上したのです。愛菜からお断りできるとはおもいませんでしたので」

 

「「「「ええ!? 思いを寄せる!? つくす!!」」」」

 

 その羽門さんの言葉にその場の全員が絶叫。

 これは仕方ないもの。だって、羽門さんの言う通りならば材木座君の恋愛は既に成就してしまっているということだもの。

 隼人君が身を乗り出して、息を飲んで聞いた。

 

「確かですか?」

 

 それにコクリと頷いた羽門さんはこう続けた。

 

「はい。このあぷりの中での愛菜は本当に生き生きしておりますし、材木座様、あなたとのやりとりが最も多くあなたへの強い思いが窺えます」

 

「それって、単に材木座が良い金蔓だったってだけじゃねえか?」

 

 小声でポソリと言ったヒッキーの言葉には気づかなかったのか、羽門さんは言った。

 

「そして、ここ最近のことです。毎朝の日課の散歩から帰ってきた愛菜はいままで以上に元気になりました。これはあなた様への思いが強くなっている証でしょう」

 

 そう聞かされた材木座君の顔がみるみる赤くなっていく。

 本当なら良かったねと言ってあげたいところなんだけど、今の話はそうではないんだよね。

 

「ですから、どうぞ貴方様から愛菜へ別離を告げて欲しいのです。どうかなにとぞ……」

 

「ちょっと待ってください。今の話が本当なら、材木座君と愛菜さんは両思いで、これからもっと仲良くなれるかもしれないってことじゃないですか。なのに、なんで二人を引き離さなきゃならないんですか!」

 

 そう聞いたあたしに真剣な瞳を向けてくる羽門さん。

 彼は大きく息を吐いてから、畳んだ膝の上においた拳を握りしめた。

 

「このお話をしても理解していただけるとは思ってはおりまぬが、お話いたしましょう。実は……」

 

 そこから語られた彼の話は、非常に厳しいもの。

 

 愛菜さんの家の樺太家というのは、もともとは世界有数の資産家であり、大昔からこの北海道からカムチャツカ辺りまでに力を及ぼす力のある名家の一族だった。

 でもそれも太平洋戦争がはじまるまでの話。

 元々友好的に商売を行っていた、ソヴィエト、中国との関係が悪化の一途を辿ったのち、太平洋戦争末期には、一族のほとんどの人が様々な理由によって亡くなり、本家であるこの北海道の家族だけが存続することになった。

 でも、戦争という非日常にあって、力を失い続けた樺太家の財産は瞬く間に潰え去り、今ではただ名前を残すのみとなっていた。

 それでも、この樺太家と深い絆にあった羽門家だけは忠義を尽くし続けた。

 貧しいながらも、かつての誇りを失わないままに様々な事業に精をだし、成果を上げ続けてきた樺太家と羽門家。この北海道にあって、再び樺太家の名は広まりつつあった。

 しかし、ここでまたもや悲劇が起きた。

 10年ほど前に、長らくこの地で努力してきた御頭首が高齢の為に他界した直後、跡取りである愛菜さんのお父さんとお母さん、それに、彼女の叔父叔母といとこたちが同時に亡くなってしまったのだそう。

 飛行機事故だったみたい。

 縁者の結婚式があり、それに出かけた先で事故に遭ってしまい、誰も帰ってこなかった。

 助かったのは、体調不良で入院していた愛菜さんのお兄さんと、中学校の行事を休むことが出来なかった愛菜さんの二人のみ。

 家族が誰もいなくなってしまったことに悲嘆した彼女は心を閉ざし、そんな彼女のことを羽門さんはずっと見守ってきたのだという。

 

 彼の長い話しが終わり、状況は良く飲み込めたと思う。

 それでも、それはあくまで彼女の家族の話であって、彼女と材木座君の話ではないような気がするのだけど。

 そう聞いてみて、羽門さんは言い切った。

 

「ワタクシは樺太家の再興を為したいのです。それは今は亡き、大旦那様と旦那様への忠義であり、代々樺太家に仕えてきた我が羽門家の生きる意味なのです。そのために……」

 

 羽門さんは一拍置いてからまっすぐに材木座君を見据えて言い切った。

 

「愛菜には許嫁でもある、毛羅(けら)家の勇利(ゆうり)様とご結婚していただく。その準備ももはやほぼ整っているのです。ですから……」

 

 彼は再び大きく頭を下げた。

 

「どうか、波風を立ててくださりますぬな、一生のお願いにございます。どうか、愛菜をお諦めください」

 

 深々と頭を下げる羽門さんに何も言えないあたし達。

 彼は、ひとこと失礼しますとだけ言って、帰っていった。



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材木座君の恋愛成就大作戦④

 羽門さんが帰ったあと、この場は静まり返ってしまっていた。

 いったいどういうことなのか、どう考えれば良いのか、皆それぞれわからなかったから。

 でも、分かっていることは二つ。

 愛菜さんは材木座君のことを確かに意識していることと、愛菜さんに許嫁がいるということ。

 わざわざ直接こうやって諦めて欲しいとまで言いにくるくらいだもの、このことは全部本当のことなのだと思う。

 でも、じゃあ、どうするのが一番なのか。

 羽門さんの思いを汲むというのなら、このまま諦めるのが一番。

 でも、愛菜さんが材木座君を好きだというのなら、二人を結ばせてあげたいとも思うし、実際に諦めたとして二人はその後幸せになれるのかどうか……

 そんなことを考えていたところで、材木座君がぽつりと言った。

 

「我……やっぱり愛菜たんのことは諦めようと思う」

 

「材木座君……」

 

 俯いて大きなため息をつく材木座君の肩を彩ちゃんがぽんぽんと叩いて慰めている。

 それを見ていたら、となりのヒッキーと目が合った。

 その眼は困惑して、まったく納得していない感じだった。

 あたしと一緒だ。

 そう思ったあたしは、ヒッキーにうなずいてから言った。

 

「待って、材木座君。もう少しだけ。決めるのはいつでもできるし、まだ時間はあるよ。だからもう少しだけ……」

 

 そのあたしの言葉に材木座君は力なく顔を持ち上げてこっちを見た。

 その顔は青白くて生気のない感じで。

 

「結衣の言う通りだ。まだ肝心のことがわかってねえしな」

 

「肝心なこと?」

 

 ヒッキーの言葉に、不思議そうに聞き返してくる材木座君。

 それに今度はあたしが答えた。

 

「そう、肝心なこと。まだ愛菜さんの口から彼女の言葉で本音を聞いてないよ。だから……」

 

 あたしの言葉に、こんどはヒッキーが頷いた。

 あたしの思うようにしていいと、その顔は言ってくれていた。

 

「あたしが愛菜さんから、気持ちを聞いて来るよ」

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「何もヒッキーまでこなくても良かったんだよ?」

 

「まあ、そう言うなよ。お前ひとりで対処できないこともあるかもしれないだろ?」

 

「ただ話を聞くだけなのに?」

 

「ただ話を聞いただけで、高校時代にお前はディスティニーに葉山と三浦と戸部と海老名を連れてきた前科があると思うのだけどな」

 

「うっ!! あ、あれはだって……一人だけ誘うとかあとあとの人間関係考えたら……もうっ!! なんでそんなことばっかり憶えてるの!?」

 

「他にもいろいろあるが……」

 

「あ! うそうそ!! いや、やめて聞きたくない!!」

 

「むしろ俺だって言いたかねえよ。ほれ行くぞ、さっさと話しをして、方針を決めちまおう」

 

「あ、待って、あ、あたしが話すんだからぁ!!」

 

 湧別の件のお店の近くに車を停めた後でそんな話を二人でした直後、ずんずん店へと向かって歩いて行ってしまうヒッキーをあたしは追いかけた。

 愛菜さんのお店は木目調の外装にこだわったどこか落ち着く感じの美容室。その店内も濃い緑の観葉植物がたくさん置かれて、とてもきれいだった。通りに面した大きなガラスの向こうでは、愛奈さんがお店の床にモップがけをしている。

 あたしたちは、それを見てからお店の戸を開けた。

 チリンチリンとドアベルが鳴った直後、彼女の明るい声が聞こえてきた。

 

「いらっしゃいませ、初めての御方ですか?」

 

 そう笑顔で聞かれてなんて切り出そうか一瞬迷ってしまったのだけど、間髪入れずにヒッキーが言った。

 

「客じゃないです。実は俺達は材木座の関係者なんですよ。今日は少しあなたと話がしたくて来ました」

 

「まあ材木座さんの……今日は彼は来ていないのですか?」

 

「え?」

 

 材木座君、自分の本名を名乗ることは出来ていたんだね。

 と、そんな妙なところに関心しつつ、今度はあたしが言った。

 

「きょ、今日は来ていません。あたし達だけです。ただ、話の内容は彼のことではあるのですけど」

 

 そう言ってみれば、あからさまに彼女の表情がくぐもった。それを見て嫌な予感が過ぎったのだけど、彼女は表情を戻して明るい声であたし達をテーブル席へと誘った。

 

「待合スペースですいません……ええと、あまりきれいなところではありませんが、ここでお話しを聞かせてください。あ、コーヒーを淹れてきますね」

 

「お構いなく。あの……お店の方は良いんですか?」

 

「あ、はい。この時間はあまりお客様も多くはありませんので、お話の間は『closed』にしちゃいますから」

 

「あ、すみません」

 

「いえ、こちらこそ」

 

 そそくさと店を閉めてコーヒーの準備を始めた彼女に、申し訳ないと思いつつも、さて何から話していいのやらあたしは悩んでいた。

 そこへ……

 

「おい、大丈夫か? お前が聞けないなら俺が聞いてやってもいいぞ。こう見えて俺も営業はもう長い。5W1Hでバシッと聞いて、速攻で帰れる良いプランもあるのだが」

 

「早く帰りたいだけだ! そんな事務的に聞くようなことじゃないでしょ。もっと柔らかくそっと包み込むように聞かなくちゃ、材木座君のことを好きですかって」

 

「私……彼のこと好きですよ」

 

「え?」

 

 ヒッキーと話していたつもりだったけど、そんな声がして振り向いてみれば、そこにいたのは湯気の上がるコーヒーカップをトレイに載せたまま、困惑した顔で微笑む愛菜さんの姿。

 あたしはそれを見て絶句してしまっていた。

 

「ばか……」

 

 顔面を手で押えたヒッキーがそんなため息を吐く中で、コーヒーを置いてからあたしたちの正面の椅子に腰を下ろした愛奈さん。

 彼女はやはり気まずそうにしていた。

 うう、ごめんなさい。

 それを察したのかどうかは分からないけど、彼女はコーヒーを勧めた後で言った。

 

「こんな話をしに来てくださったということは、ひょっとしてノリスケおじ様かしら? もしそうでしたらごめんなさい。おじ様は私達兄妹を本当に心配してくれているだけなのです。ひょっとして私たちの身の上話も?」

 

 そう聞かれ、思わずヒッキーを見てしまったあたしだけど、彼もきまずそうにしていたから覚悟を決めて大きくうなずくことにした。

 それを見た愛菜さんは苦笑していた。

 

「ホントにもうノリスケおじ様ってば、いつまでたっても私のことを子ども扱いするのですもの。いえ、こんなことを言ってはだめですね。今の私たちがあるのは全部おじさまのおかげ。だから、それに報いたいとは思っているのです。だから、樺太家再興のために名家の御子息と結婚をすることも仕方ないと、そう思っていました。でも……」

 

 愛菜さんは少し寂しげに笑った。

 そして言った。

 

「でも、私は私を救ってくれた四郎に……材木座さんに会いたかった。会ってお礼を言いたかった。ずっとそう思っていたんです」

 

 そう語る愛菜さんは本当にきれいだった。

 あたしはそれにただ見惚れていたのだけど、ヒッキーが問いかけた。

 

「助ける? 聞いていいかは分からんけど、あんたと材木座はどういう関係なんだ? 俺達はただ、あいつが小説を書けなくてスランプだった時に助けてもらったくらいの話しかきいていないんだが」

 

 そう言ったヒッキーに、今度は愛菜さんがぶんぶん首を横に振った。

 

「あたしが彼を助ける? 違います、助けられたのは私の方です」

 

 彼女はそう言ってから一冊のノートを取り出した。

 それは何枚ものA4コピー用紙をひもで束ねたもの。

 手垢で汚れ、大分紙も痛んでいる様ではあるが、かなりの厚さのそれを彼女は大事に押抱いた。

 

「これは彼がわたしへと送ってくれた初めての作品の原稿なんです。私はこれを読んで生きることが出来るようになったのです」

 

「詳しく……聞いても?」

 

「ええ……」

 

 彼女はそういうと、優しい顔になってあたし達へと語った。



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材木座君の恋愛成就大作戦⑥

 嬉しそうにそのA4のコピー用紙の束を胸に抱く愛菜さん。

 彼女は可笑しそうに話を続けた。

 

「突然のメッセージだったから本当に驚いたんです。まさか、あの一言でいきなりメールされるなんて思いもしなかったもので。それからですね、私が彼の作品を読んで感想を書くようになったのは。感想に対しての返信がいつも凄い文字数になっていましたけど。うふふ」

 

「うわぁ」

 

 多分、相当嬉しかったんだね材木座君。

 今愛菜さんが話した小説って、多分あたしたちが初めて彼に会った時に渡されたあの小説のことだよね。なんか難しい言い回しでたくさん書いてあったけど、あの時のあたしには良く分からなくて殆ど読まなかったんだよね。

 ヒッキーとゆきのんは頑張って読み切ったみたいだったけど、あの後結構辛辣なことを言っていたから、きっと難しいお話だったんだね。

 そっか、それを材木座君はネットにも上げていたんだ。そこで愛菜さんの目に留まったと。

 

「そうして彼の作品を読んでいるうちに、私は彼の優しさや真剣さに惹かれるようになったんです。いつのまにか、私は彼を好きになっていました」

 

 屈託なくそう話す彼女に、あたしは何も言えなかった。

 彼女と材木座君の二人で培ってきた数年間は本当に大事な時間であったのだろうと想像できたから。

 

「そういえば……」

 

「ん?」

 

 隣でヒッキーが何か思案するように顎に手を当てていた。

 

「そういえば思い出したんだが……、材木座は俺達以外にも小説の評価をくれる『親友』がいるとかいっていたな……確かアイスクリームみたいな名前の【男】で……『31』だったか、何十何だったか……」

 

「ああ、それは、『17(じゅうなな)』です。私あの時のハンドルネームが『17』でしたから。まあ、適当につけたんですけどね。名前が『あいな』なので、もじって『I・七』。それを数字にして、『17』。でもそうですか……男の人だって思われていたんですね」

 

 くすくすと面白そうに笑う愛菜さんにヒッキーが言った。

 

「いや……女性だとわかったら、あいつは一言もメッセージ送れなくなってましたよ。極度のはずかしがりやなので」

 

 材木座君は結構みんなにきついコメントをされていたけど、それでも小説を書き続けていたのは愛菜さんのおかげだったのかも。やっぱり自分のことを見ていてくれる人がいなければ続けられないと思うし、そういうことでいえば、いつでも読んであげていたヒッキーは本当に優しかったのだと思うし。

 

「ああ、そうか、だから私にあんなコメントをくれたのね」

 

 何かを思い出したように彼女はそんなことを言ってこちらを見た。

 

「少し前のことですけど、『最近我が嵌っているアプリがあるので、17氏にもお勧めいたす』とか言って、例のアプリのURLを貰ったんです。それでそのアプリをダウンロードして開いてみたら、たくさんの男の人の顔が出てきて、その中に彼がいたんですよ。だからてっきりこれでLINEみたいにお話したいだけなのかもって、そこで私も初めて自分の顔と本名を書いたんですよ。でも彼は私のことを17だとはおもっていなかったみたいで?」

 

「え? 何も知らないで本名載せちゃったんですか? え? え?」

 

「あれ? いけませんでしたか?」

 

「えーと」

 

 確かあれは出会い系のアプリで、不特定多数の男性が見れるとかなんとか……それなのに本名とか住所バレとかしちゃって良かったのかな? 

 そう思っていたら、彼女は少し首を傾げた。

 

「そういえば、やたらと知らない人からそのアプリにメッセージが届くようになって、お店も一時期急に男性のお客さんが増えた時期がありました。知らない人のメッセージは見ないようにしていましたし、お店のお客さんも一見さんばかりでしたね。あ、ちょうどその頃なぜか鞭を持ったノリスケおじさまがお店に良く来るようになって、店の表で鞭の練習とかしていました。あ、ノリスケおじ様はもとカウボーイなんですよ。鞭で離れた位置のビール瓶とか割ってしまうんです。すごいですよね」

 

「へ、へー」

 

 それは多分、愛菜さんを変な目で見る人に対して振るわれてしまったということなのかも。

 羽門(はかど)さん、愛菜さんのアプリのことも知っていたしね。纏わりつく男性に目を光らせていたということなのかもね。 

 うーん、愛菜さん、かなりの天然だね。世間知らずなのか、純情すぎるのかはわからないけど、出会い系アプリの意味もしらずに、材木座君とコメントのやりとりをするためだけに使っていたということなのかな?

 えーと、他のサイトでやりとりしていたのに、材木座君は愛菜さんの正体に気がついていなかったわけだよね。

 これは何か神業的にお互いが勘違いしていたのかもしれないね。

 

 なんというか……みんなすごい。

 

 材木座君の話をして幸せそうになっている彼女に、あたしは辛いのを我慢して向き合った。

 そして、一番聞かれたくないだろうことを聞いた。

 

「あの……愛菜さんは材木座君のことを好きなんですよね。それで、これから……どうするんですか」

 

 愛菜さんは一度くらい表情をした後に、はかなげに微笑んだ。

 

「私は……彼のことを忘れようと思います。忘れて、お兄様や、ノリスケおじ様や周りの人の為に生きていきたいと思います。私……短い期間でしたが、彼が会いにきてくれてうれしかった。私の全部のことを知っていてくれたわけではなかったけど、それでも……だから、もうこれで十分」

 

 彼女は本当に嬉しそうに笑った。その眼にうっすらと涙を湛えて。

 それを見て、あたしの胸は苦しくなって、あまりの切なさに私の方が泣いてしまった。

 

「ご、ごめんなさい。泣いちゃって」

 

「いいんです。ありがとう」

 

 そう言った彼女は本当に……綺麗だった。

 

 あたしの隣でヒッキーは沈鬱な顔になっていた。 

 そしてそのまま何も言わなかった。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 彼女の店を辞したあたしたちは、黙って車まで向かって歩いた。

 なんと言っていいのか言葉が見つからず、でもすごく苦しくて、あたしはヒッキーの手を握った。

 彼もそれに応じて握り返してくれた。その手の温かさが、心の痛みを確かに癒してくれていた。

 

 愛菜さんは自分の生き方を決めていた。

 自分の置かれている立場、自分を必要としてくれている人たちの思いを汲んで、そのために生きていこうとしていた。

 その代償は、好きな人との別れ。

 別の人と結婚して、周囲の人の為に生きる。

 いくら決意をしたことであるとはいっても、それではあまりに……

 

 辛すぎるよ。

 

「結衣……痛いな……」

 

「あ、ごめんヒッキー、強く握りすぎちゃった」

 

「いや、そうじゃなくて」

 

 ヒッキーを見れば、先ほどと同様の渋い顔。

 彼も今必死になって、方法はないか思案を続けているということなのかも。

 でも、あたし達で思いつくような方法なんてあるわけない。

 今のままの状況であるとしたら、材木座君と愛菜さんが結ばれても不幸せになる人が必ず出てしまう。

 今のままであれば……

 そう思った時だった。

 

「君たち……私のことを手伝ってはもらえないだろうか」

 

 そう背後から声がして振り向いてみれば、そこには背の高い絶世の美男子が立っていた。



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材木座君の恋愛成就大作戦⑦

 それから数日経った。

 あたしとヒッキーは、あの愛菜さんに会った日に『彼』に言われたことを遂行するべく、黙々と準備を進めたの。

 材木座君は大分消沈してしまっているのだけれど、釧路の自宅に帰ろうとはしなかった。

 でも、それで愛菜さんに会いに行くわけでもなく、愛菜さんの話題を持ち出したりもしない。ただ、今までの執筆活動を続けているような感じで、毎日を過ごしていた。

 当然だけど、以前のような活気はなくて、静かに黙々とペンを原稿用紙に走らせている感じ。

 彩ちゃんもなんて声を掛けてよいのか分からないようだった。

 

 このままで本当に良いのかな?

 あの人のお願いを聞いてしまったことで本当にうまくいくのかな?

 

 様々な想いが頭をよぎっては消えを繰り返していたけれど、夜、ベッドの中でヒッキーと小声で話した時に、彼にこのまま進めようと言われ、あたしは胸が苦しかったけど覚悟を決めることにした。

  

 何にしても、この先の話は材木座君と愛菜さんの問題なのだから。

 どう事態が転がったとしても……

 

 そして、ついに『その日』がやってきた。

 

「こんばんは」

 

「あ、愛菜……たんっ!?」

 

 夕方全員が帰宅した後、食事の準備をしていたそこでインターフォンが鳴って戸を開けてみれば、そこにいたのはなんと愛菜さん。

 彼女は手に大きな紙袋を持って微笑みながら立っていた。

 それを見て一番動揺したのは当然材木座君。

 材木座君は声を詰まらせて彼女を見つめたあと、ササっと隼人君の後ろに隠れた。

 えーと、いきなりそうやって隠れるのは失礼なんじゃないかな?

 そう思うも、愛菜さんはただそれを見てにこりと微笑んで、今度はヒッキーに向き直って紙袋を差し出した。

 

「先日はどうも……。実は今日は、いろいろ相談に乗って頂いたことのお礼と、それと今度開かれるパーティの招待状をお渡ししたくて直接参りました。どうぞお納めください」

 

 彼女がはいと差し出した袋の中には、小さな袋で可愛くラッピングされたお菓子……これはチョコレート? わぁ、すごく綺麗なチョコ。まさかこれ全部手作り……とか? すごい!

 驚いてしまって声が出なかったあたしの隣でヒッキーが言った。

 

「パーティって……何かのお祝いですか?」

 

 その声に材木座君がびくりと反応したけど、ヒッキーはそれを承知でわざと言ったのだということをあたしは知っていた。

 だから、何も気づかないそぶりのままで愛菜さんの言葉を待ったわけだけど、彼女はごく普通にあのことを口にした。

 

「はい……手前勝手なお話にはなってしまうのですけど、今度婚約することになりましてそのパーティーを開くことになりましたもので。知り合ってまだ間もない人も多いのに、急にこんなお話を持ってきて不愉快になられるかもしれませんけど、もし良ければいらしてくださいね」

 

 彼女はただ笑顔でそう言った。

 どんな顔をすれば良いのか……、このことを知っていたあたしとヒッキーからすればわざと驚いた風を装わなくてはならなかったけど、今はあの『彼との約束』があるからそれに背くような行為をとることはできない。

 むしろ、まったく理解できず、本当に驚いているのは、いろはちゃんと隼人くんと採ちゃん、それと材木座君なのだ。

 なぜ急に愛菜さんが現れたのか、なぜ招待状をもってきたのか……

 あたしとヒッキーはそのことを詳しくみんなには伝えてはいないのだから。

 ただ……

 愛菜さんは材木座君のことを以前から知っていたよ……

 と、その程度のことしか伝えてはいなかった。

 

 その後、彼女はとくに材木座君を見るでもなく微笑んだまま頭を下げて帰って行った。

 それを言葉もなく見つめる材木座君。

 ヒッキーを見ればあたしの方を見つめていて、それに頷いてみせてからあたしは自分の部屋へ。ヒッキーは材木座君のそばに寄って、その招待状を拡げて見せていた。

 あたしは一人になってからスマホを操作してある人に電話を掛ける。

 緊張しつつ通話口に現れたその年配の紳士に向かって、言葉を選びつつあたしは切り出した。

 

「あの……材木座君の友達の由比ヶ浜です。今愛菜さんからパーティの招待状を頂きまして……本当におめでとうございました。あの、当日は是非あたしたちも出席させていただきたいのですけど、出来ましたらもうひとり……あたしの『友人』も連れていきたいのですけれど……」

 

『左様でございますか。宜しいですとも、是非ともその御仁もお連れください。きっと楽しい会になりましょうからな、はっはっは』

 

 電話先の彼は本当に機嫌よく即決で了承してくれた。

 それにほっと安堵しつつ、スマホを閉まったあたしはみんなの元へ。

 何が何でも材木座君をそのパーティに出席させるために、ヒッキーと一緒に説得をしなければならないのだから。

 本心を隠していることに罪悪感を感じつつ、こういうのはやっぱり慣れないなと、胃が痛むのを少し感じていた。



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材木座君の恋愛成就大作戦⑧

 クリスマスも近づいた12月のとある日曜日の夕方。

 あたしとヒッキー、いろはちゃんと隼人君、採ちゃん、そして材木座君の6人はフォーマルな衣装に身を包んで旭川駅に降り立った。

 あたしの格好は、肩を出した紺色のイブニングドレスで、ママからフォーマル用にと貰った真珠のネックレスをつけてきた。ヒッキーと隼人くんは、まるでお揃いの黒のフォーマルスーツで、二人とも細身用のそのスーツが良く似合ってる。

 いろはちゃんは薄い桃色の可愛らしいワンピースで、どちらかといえばアフタヌーンドレスになるのかな? 

 採ちゃんは髪をオールバックにしてのタキシード姿で、カッコいいんだけど、どちらかといえば宝塚的なカッコよさで本当に女の子みたい……材木座君はブラウンのダブルのスーツ姿で、珍しく髪を整えて七三わけにしていてかなり貫禄がでていた。かなり緊張しているみたいではあったけど。

 ここからパーティ会場であるイベントホールまでは、タクシーで5分くらいとのことだったから、2台に分かれて行くことになるのだけど、とりあえずあたしとヒッキー、材木座君と採ちゃんの3人が先にタクシーに乗ることになって、それを見送るいろはちゃんが、隼人くんの腕に抱き着いたままぶんぶん手を振っていた。いろはちゃんちょっとはしゃぎすぎじゃない? 隼人くん苦笑いしてるよ。

 

 そんなこんなで目的地のイベントホールへとつくと、その駐車場には黒塗りの大きな車がずらりと整然と並んでいた。その数数百台。

 ハリウッド映画とかでこういう場面を見たことはあったけど、明らかに偉いと分かる人たちが、女性をエスコートしつつ車から降りてホールへと入っていく様は、なんというか現実離れしていて、周りに報道陣がいないのが不思議なくらい。

 いれば、フラッシュの嵐だよねとかそんなことを思いながら、場違い感たっぷりのあたしたちも気おくれしながら、その偉そうな人たちの後についてホールへと入って行った。

 

「な、なんか思ってたパーティと全然違いましたね。わたしてっきり、ケーキとかお菓子とかでるホームパーティくらいなのを想像していましたよ」

 

 そんなことを言っているいろはちゃんは、それでもしっかりと隼人くんの左腕に自分の腕を絡めていた。

 それを見て、なんとなくあたしもヒッキーに寄り添って彼を見た。

 すると、ヒッキーは視線を泳がせた後で、そっと左腕を持ち上げてそこに隙間を作った。

 だから……

 なんとなく気恥ずかしかったけど、あたしはそこに自分の右手を添えた。

 頬が一気に上気していくのが分かって、それが恥ずかしくて思わず顔を伏せてしまった。

 別に、手を触れるくらいどうってことないことなのに……もう、抱き合ったり、一緒に寝たりだってしているのだもの。それでも、この胸の高鳴り様に戸惑いを覚えつつも、それがすごく心地よいことにあたしは幸福感を味わっていた。

 好きな人とこうやって一緒に居られる。それが何よりも嬉しくて……

 

 好き合っている者同士は、この思いを持つべきだよ……と、あたしは背後で採ちゃんの手を取ろうかどうしようかあたふたしている材木座君を見ながら決意した。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「これはこれは、ようこそおいでくださいました。愛菜もさぞ喜ぶことでしょう」

 

 そうにこやかに応対してくれたのは、薄いブルーのタキシードに身を包んだ羽門(はかど)さん。彼は自分の禿げあがった頭を撫でながらあたしたちの方へと歯を見せて笑顔を見せた。

 

「お招きいただいてありがとうございました。愛菜さんはどちらですか?」

 

 そうヒッキーが尋ねるのに羽門さんは愉快そうに笑いながら言った。

 

「愛菜は本日の主役の様なものですからな、準備に時間がかかっておるのですよ。どれ、控室までご案内を……」

 

「い、いえ、それには及びません。もし先に行き会えたらお話したいと思っただけですので」

 

 ヒッキーはそう言葉を濁しつつ、会釈をしてからあたしの手を引いてその場を辞した。

 羽門さんも会釈を一つしてから、すぐに次のお客さんの対応へと移った。

 あたしたちは足早にホールの端……お手洗いや休憩用のソファーのあるエリアへとまっすぐに向かった。そこにはドリンクを振る舞ってくれる従業員がいることをもう知っていたから。

 

「み、みんな! こ、ここで飲み物貰えるから、好きな物のんでね!!」

 

 そう宣言した瞬間に、両手を腰に当ててあたしを見上げるようにして迫ってくるいろはちゃんの姿が視界に入った。それと、はぁと大きくため息をつくヒッキーの姿も。ひぇえん。

 

「結衣先輩!! なんか隠していませんか?」

 

「か、隠して……な、ないよ、ね、ヒッキー?」

 

 そう首をぐりんと動かしてみれば、ヒッキーはやっぱりあきれ顔。

 そして彼は言った。

 

「隠してねえよ。結衣はただあれだ……便所に行きたくなっただけだ」

 

「便所!? そ、そだね、そだよ、お、お手洗いに……だからごめんねいろはちゃん!!」

 

 言ってそのままダッシュであたしはトイレの方に……じゃなくて、途中の植え込みの陰に隠れた。

 息を落ち着かせようとして胸に手をあてていると、そこにスーツ姿のヒッキーが。

 

「お前な……いくらなんでもあのごまかし方はねえだろ。なんとでも言ってさっさと離れれば良かったんだよ」

 

「だ、だって……あたし嘘つくの苦手だもん」

 

「まあ知ってるけどよ。嘘付けなくてモヤモヤしていることくらい、ま、気にするな」

 

「うん……ありがと……じゃなくて! なんでさっき便所なんて言ったし!! あ、あたしあれじゃずっと我慢してたみたいじゃん」

 

「うるせえな。お前が急に俺に振ってきたんだろ? ああいうときの返しは便所とか用を足すってのが一番自然なんだよ」

 

「お、女の子には自然じゃありませんっ!! 恥ずかしくて死んじゃいそうだよもう!!」

 

 ヒッキーはやれやれとばかりに頭を掻いているのだけど、あたしはもうそれどころじゃなかった。でも、ここで怒っていても仕方ないし、もうそろそろ『約束』の時間だということも分かっていたから、あたしはグッと怒りを飲み込んだ。

 覚えておいてよね!! 帰ったら絶対とっちめてやるんだから!!

 

「君たち……」

 

「あ、はい」

 

 キイっと近くの扉が開いたので、あたしたちはそっちを見た。

 当然今周りには誰もいないのだけど、それをもう一度確認してからあたしたちはその声の主の元へと歩み寄った。

 そこに居たのは背の高い金髪に近い茶髪の青年。

 黒の燕尾服姿の彼は、少しせき込んでからあたしたちを手招いてその扉の奥へと進んだ。やっぱり体調はすぐれないのかな?

 そこは従業員通路を思わせる廊下で、給仕服やコック服姿の人とすれ違うこともあったわけだけど、道々彼らはあたしたちにお辞儀してすれ違う。

 これだけ人がいるから、ここで話をするわけにはいかないということなのかな?

 彼は何もしゃべらないままに先へと進んむ。

 あたしたちは先を行く彼を追いかけるようにして歩むと、彼は『樺太家第2控室』と書かれた扉の前に立って、そこに鍵を差し込んで中へと入って行った。

 あたしとヒッキーも、その扉の前に立った。

 カギは開いていた。

 周りを確認してみれば、従業員の人たちの姿もない。だからそのまま扉を開いて中へと身体を滑り込ませた。

 部屋の中は暗かった。

 部屋の中には、少なくとも一人はいるはずで、だからその人物がどこにいるのか探ろうと首を回したわけだけど、まだ暗がりに慣れていないせいで見つけることが出来ないでいた。

 背後の戸のカギがかちりとかかる音を聞くのと、時を同じくして彼の声が響いた。

 

「よく来てくれた。君たちは私『達』の同士だ」

 

 そう言われた直後、部屋の明かりがパッとつく。

 その明るさの中、あたしとヒッキーは正面に置かれた椅子と、それに腰を掛ける人物に目を奪われた。

 そんなあたしたちに背後の人物……愛菜さんの実兄、樺太儀二亜須(ギニアス)さんが宣言した。

 

「さあ、粘膜が作る幻想にしかすぎん愛を、本物に昇華してやろうではないか!! 」

 

「え?」「へ?」「はい?」

 

 あまりにあまりなその発言に、あたしたちその場の3人の時間が凍り付いた。



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材木座君の恋愛成就大作戦⑨

「結衣せんぱーい、遅いですよぅ。どこ行ってたんですか、もう始まっちゃいますよ」

 

「ごめんねー、道に迷っちゃって」

 

 先ほどの休憩所まで戻ると、そこにはいろはちゃん達と、たくさんの貫禄のある人たちの姿。中にはテレビでよく見かける綺麗な女性もいて、本当に華やかな雰囲気になってきていた。

 それを見ているといろはちゃんが寄ってきてぽそり。

 

「な、なんか場違い感が半端ないですよねー。高校の時にプロムは主催して経験しましたけど、あれとは比べものにならないです。めちゃくちゃ緊張してきましたよ」

 

 そういえば、いろはちゃんは生徒会長の時に高校でプロムを開催したって話は聞いていた。

 随分周囲の反対があったみたいだけど、あれもヒッキーやゆきのんが解決したって……

 そう考えて、ここいない彼女のことが凄く懐かしく思えた。

 

 ゆきのん、今なにしているのかな……会いたいな……

 

 きっとすごく綺麗で可愛いのだろう、彼女のドレス姿を夢想して思わず微笑んでいた。

 そんなあたしにいろはちゃんだ。

 

「あ、先輩はどこなんですか? さっき結衣先輩を追いかけていきましたけど」

 

 そう聞かれ、どきりと心臓が撥ねた。

 ええと、どういえばいいのかな……ひぇーん、あたし本当にこういうの苦手だよぉ。

 

「あ、あ、えと、ヒッキーは愛菜さんたちの……手伝い……、そう手伝いをしに行ってるんだよ。そう!!」

 

 まったく嘘ではないことを言った。ただ、手伝っているのは愛菜さんではなくて、お兄さんの方なんだけどね。それと内容も褒められたようなものでもないし。

 やっぱりジトっとした目をむけてくるいろはちゃん。

 あたしはふいっと視線を逸らした。

 

「なんかあやしいですねぇ。隠れてこそこそ何をしてるんですか? まさかさっき二人でいなくなって若い欲望の発散とかしちゃってたんですかぁ!! 家だけじゃ飽き足らず、こんなところでまで!!」

 

「し、してないよ!! っていうか家でだってたまにだし!! あ」

 

 言った直後、いろはちゃんだけじゃなくて、彩ちゃんも材木座君も隼人君も赤面して顔をそむけたし。

 ひーん、こんなの恥ずかしすぎる。助けてヒッキー。

 

「では、ご来場の皆様大変お待たせいたしました。ただいまより開場させていただきます」

 

 ホールのスタッフの人と思しき人がそう大きな声で畏まって宣言したことで、あたしへの追及は完全に逸れた。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 赤い絨毯の敷かれた廊下を通ってその会場へと入ると、そこは本当に広い空間で中央が大きなホールになっていて、その周囲に大きなテーブルがいくつも並べられていて、美味しそうな料理が所狭しと並んでいた。

 会場の奥の方には20名ほどの楽器を手にした人たちの姿。落ちつたBGMの生演奏を始めている。 

 正面には豪華に相即された大きなステンドグラスの飾り窓があって、その上にはバルコニーのようなテラスと、そこから弧を描いて下まで伸びる赤絨毯の階段が。

 見ただけで圧倒されてしまう感じだったけど、あたしたちはゲスト。

 緊張していても始まらないと、そのままなるべく迷惑にならなさそうな壁際へと移動して、ホッと一息ついた。

 来賓だろうと思うえる人たちが次々に入場してくる中、きょろきょろと見回してみれば愛菜さんのお兄さん、儀二亜須(ぎにあす)さんがそのような人たちと握手をしながら談笑していた。

 

 あたしはなんとはなしに材木座君を見た。

 彼は消沈してしまった様子で全く元気はない。でも、視線を右へ左へと忙しなく動かしていて、きっと愛菜さんを探しているのだろうと察することができた。

 その様子にあたしの胸は締め付けられる。

 もし……

 あたしやヒッキーが想っていることとは違う行動を彼がとってしまえば……

 きっと、もうこれで完全に終わってしまうのだ。

 いや、材木座君の中ではもうとっくに終わってしまっていることなのかもしれない。

 愛菜さんが羽門さんたち、家を大事に思っている人たちのために、定められた男の人と婚姻することになる。そのことを彼は、もうほぼ受け入れてしまってここにいるに違いない。

 

 それでも……

 

 やっぱりそんなの、悲しいよ……

 

 あたしはそっと材木座君へと近づいた。

 彼は一瞬びくりと身体を振るわせて仰け反って顔を真逆の方向に曲げた。

 この反応、変わらないよね。ヒッキーが言う通り、彼は本当に女性が苦手なんだもの。

 それでもあたしは声をかけた。

 そうする必要があるのだから。

 

「あのね材木座君。ちょっといい?」

 

「は、はぽぉん? な、何用であるか由比ヶ浜女史。わ、我はとくに用はないのだがっ?」

 

 視線も合わせずそう宣言する彼にあたしは言った。

 

「後で愛菜さんが困っていたら、助けに行ってあげて欲しいの。えと……さ、さっきちらっと愛菜さんをみかけたんだけど、すごく緊張していたみたいで」

 

 わぁ、また嘘ついちゃった。

 あたしが会ったのは愛菜さんじゃなくて別の人なんだけど……うう……ヒッキーあたしやっぱりこういうの苦手だよぉ。

 材木座君は少しだけあたしに視線を向けて目を細めた。めちゃくちゃ警戒してるし。

 

「そ、それはいらぬ心配ということではなかろうか? 愛菜嬢はふぃ、ふぃ、ふぃふぃふぃフィアンセもお、おるのだろうし、これだけのパーティを開くことが出来るほどであろう? わ、我等必要なかろうに……我など……」

 

 尻つぼみにだんだん声が小さくなる材木座君にあたしは言った。

 

「あ。えーとね。多分、きっと……愛菜さんめちゃくちゃ困ることになるだろうって、ヒッキーがね」

 

「八幡がそう申したのであるか?」

 

「あっ!! え、えと……じゃなくて、ヒッキーもなんだけど、愛菜さんの家の人がね……えーとえーと」

 

 もうなんて言っていいのかわかんないよぅ!!

 しどろもどろになってしまってもう頭を抱えるしかなくて、あたしは材木座君に詰め寄って言い切った。

 

「と、とにかく!! 愛菜さんが困ってたら助けに行ってあげるの!! いい!? 分かった!!」

 

「は、はひぃっ!!」

 

 仰け反って逃げる材木座君にそう言い切ってあたしも顔をそむける。

 なんというかこれで大丈夫だとは思えないのだけど、言う事は言ったからひとまずはオーケーということにしよう。

 うう……本当にこんなんで大丈夫なのかなぁ。

 そう思いつつ、この後ヒッキーがきっと挽回してくれると信じてあたしは周囲を見回した。

 いつの間にか来場者の話声が小さくなってきていることに気が付くととも、先ほどまで穏やかなメロディーを奏でていたバンドのメロディーは、どこか厳かな雰囲気の漂う曲へと変更されていた。

 それを聞きつつ、舞台袖を見やれば、そこにはブルーのスーツの羽門さんの姿……

 彼はマイク台の前に立つとそれに向かって話し始めた。

 

「ご来場の皆様、大変長らくお待たせいたしました。ただいまより、樺太家主催にて、樺太家長女樺太愛菜様と、毛良家御子息、毛良勇利様のご婚約の儀を執り行わせていただきます。お二人の入場でございます。どうぞ皆さま、拍手でお迎えください」

 

 そう宣言した直後、会場全体から拍手が沸き起こった。

 みんな笑顔で拍手をしているのだけど、これ本当に愛菜さんやそのフィアンセの方の知り合いなのかな? こんなに大勢の人に祝福されるような身分の人なんだなと、今更ながらに驚いてしまった。

 

「なあ、今の羽門氏の言い方だと、まるで愛菜さんの側が偉いみたいな感じじゃないか?」

 

 そう隼人君があたしに言ってきたので、すぐに返した。

 

「うん、そうみたい。羽門さんの話だと、今回は婿入りの婚約みたいだよ。と言っても、確かどこかに屋敷を構えて、樺太家の分家のような形にするとかって」

「へ、へぇ。偉い人達も大変なんだな」

 

「そうだね」

 

 あたしが羽門さんから聞かされたのはこの程度のこと。でも、これを更に補足して説明してくれたのは、あの愛菜さんのお兄さんだったのだけどね。

 満場で拍手が響く中、中央上方のテラスの様になっている場所に、3人の陰が現れた。

 それは愛菜さんと、となりにいるのが多分フィアンセの勇利さんという人だろう。

 とっても体格の良い人で、白のタキシード姿だけど、なぜかその袖の部分をめくりあげてしまっている。

 こんな状況なのに、腕まくりしてるとか、この人なんなんだろう。空気を読めないだけか、それとも度胸が良いということなのか。

 愛菜さんはずっと俯いたまま。表情はすぐれない感じのままだった。

 そして中央に立つお兄さん、儀二亜須(ぎにあす)さんは、すこぶる機嫌が良いと言った感じで、バルコニーから来場者へと手を振っていた。

 凄くイケメンなんだけどね、見た目だけは。

 彼の内面をすでに知ってしまっているだけに、いまいち微妙な気分だったけど、会場にいる若い女の子達、多分来賓の人たちの娘さん達なのかな? は、お兄さんを見て黄色い歓声を上げていた。

 うーん。

 

 歯を見せつつ、手を振りながら二人を先導して階段を降りてきたお兄さん。

 彼はマイク台の前に立つ羽門さんの前まで行くと、そっと手を差し出して彼と握手を交わそうとしていた。

 それを見た羽門さんは、目に涙を湛えて感極まったとでもいった感じで両手でお兄さんの手を握りしめた。

 樺太家という家のためにずっと頑張ってきた羽門さんにしてみれば、これで漸く肩の荷が一つ下ろせた……そういうことなのかもしれない。

 それを思って……

 あたしはまた胸が苦しくなった。

 申し訳なくて。

 

「あーでは、ご来場の皆様……まずは現当主である私からご挨拶をさせていただきましょう」

 

 そう羽門さんに代わって立ったお兄さんが、マイクに向かってそう語り掛けた。

 会場はシーンと静まっていて、壇上に並ぶ二人についての話が始まるのだろうと、みんなは予想しているのだろうなと、そう思っていた。

 そんな中、目の前の扉がきぃっとひらくと、そこから目つきの悪い男性と、彼がエスコートする金髪を結い上げた綺麗な女性の二人が現れた。そして、そのまま何でもないことのように儀二亜須さんの脇に並んだ。

 それを壇上の二人も見て驚いていたのだけど、特に驚いたのは、勇利さんの方だった。

 

「えー……」

 

 二人を迎えてからお兄さんが口を開いた。

 

「今回の子の婚約パーティは、これでお開きだ!!」

 

 当然だけど、全員絶句した。うう……胃がいたいよぅ。



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材木座君の恋愛成就大作戦⑩

 儀二亜須(ぎにあす)さんのその一言で会場が凍り付く。そして、みなさんはキョロキョロと周囲を見渡しながら、薄く微笑みを浮かべていた。

 どうやら、今のお兄さんの言葉を冗談ということで受け取ったかのようで、方々から乾いた笑い声が漏れ出し始めていた。

 でも、それが冗談でもなんでもないことを知っているあたしとしては、背中に嫌な汗が流れるだけだったのだけど。

 

「ぎ、儀二亜須……様。御戯れを……皆、不安になってしまっておりますぞ」

 

 隣に居た羽門(はかど)さんがそう言いつつ、場を取り持とうとしているのだけど、お兄さんは冷静に微笑を浮かべて羽門さんを見下ろした。

 

「誰も遊んでなどいないぞ、徳介(のりすけ)。私は正真正銘、嘘偽りなしに宣言したまでのことだ。この茶番はもうこれまでだと宣言したまでの事だ」

 

「なっ……」

 

 絶句して震えだしてしまった羽門さん。

 無理もないよね。

 羽門さんからしたら一世一代の大舞台と言ってもいいイベントだもの。お亡くなりになった愛菜さんたちのご両親に変わって彼らの面倒を見た上で、樺太家という名家を盛り立て続けてきていたのだもの。

 それなのに、こんな大舞台で守ってあげていたはずの主の息子さんに裏切られて……

 このままではこの場に招待したのであろう、各地の有力者から反感を買ってしまうことにもなるし、今後樺太家という家自体が落ちぶれてしまうことは目に見えてしまっているのだし。

 彼はいったいどれだけ傷ついてしまっているのか……

 そんな羽門さんを冷めた瞳で見下ろしているお兄さんに、今までずっと沈黙を守っていた大柄な白衣装の男性が口を開いた。

 

「おいおいギニアスよぉ。いくらなんでもこれはねえだろう。羽門の小父貴(おじき)が今までどれだけ苦労したと思ってんだ。それをこんなやり方はあんまりだろう」

 

「勇利……」

 

 お兄さんに発言したのは、愛菜さんのフィアンセでもある勇利さんという人だった。

 筋肉の盛り上がった腕を組んでお兄さんの前に立ったのだけど、背の高いお兄さんよりも更に大きくてその威圧感たるや、本当にすごかった。

 そんな彼を見上げるようにして、お兄さんが言った。

 

「勇利、お前も今回の婚約は望んでいたことではなかったはずだ。それなのにお前は徳介の肩を持つのか。ここは破棄になって良かったと思って引き下がるところだろう」

 

「そういうわけにはいかねえんだよなぁ。なにしろ、今はお前が当主と言っても、この北海道で樺太家の威光は以前よりも増しちまってるからな。それもこれも全部羽門の小父貴のおかげなんだけどよ。そんな小父貴に請われて俺だってここに来ているんだ。ああ、これでもう終わりでいいや……なんてことにはできねえんだよ」

 

「そうか……ではあくまでお前は愛菜と結ばれたいと……そう受け取って良いということだな」

 

 その瞬間、彼らの背後の愛菜さんがびくりとその身体を震わせた。

 そして視線をそっと目の前のお兄さんへと向ける。

 お兄さんはちらりと一度愛菜さんを見た後で、今度は壇上下にいるヒッキーと、その連れの女性へと向けた。

 すると、それに頷いたヒッキーが、その金髪の女性の手を取ってゆっくりと壇上へと上って行った。

 それを見て……

 

「あ、あー!! あれ先輩じゃないですか!! なんであんなところに……っていうか、あの金髪美人は誰なんですかっ!! どういう関係!? なんで先輩っていつも女の人が周りに……」

 

 口をあわあわともたつかせているいろはちゃん。あたしはまあまあ落ち着いてと彼女の肩を叩いたわけだけど、なんであれを許すんですか! 浮気ですよ浮気!! と更に詰め寄ってくるいろはちゃんにどぎまぎしてしまった。

 ひぇ。

 そうこうしている内に、階段を上っているヒッキー達の元に黒服の男性たちが駆け寄ってきていた。

 そして、ヒッキーの連れている女性に向かって声を掛けた。

 

「申し訳ございませんが、本日は招待状をお持ちの方のみの会となります。招待状のないお方はどうぞお引き取りを……」

「ほらよ、これが招待状だ」

 

 黒服の一人が言い終わる前に、自分の胸ポケットからそれを取り出したのはヒッキーだった。

 彼はそれを黒服の男性に見せてから再度言った。

 

「シンシア……様? ええと……そのようなお名前は窺っておりませんが……」

 

 そう言う黒服の男性にヒッキーが。

 

「ああ、彼女は俺の連れだよ。きちんと了解ももらってるぞ、そこの羽門さんにな」

 

 そう言ったあと、その男性は羽門さんを見た。

 羽門さんはすっかり消沈してしまっていて、まるで幽鬼の様になってしまっている羽門さんが、顔をヒッキーの方へと向けてこくりとうなずいた。

 

「事実だ。そこの彼に、友人を連れてきても良いと申したのも、ここに通したもの、この私だ。まさか、シンシア嬢を連れてこられるとは夢にも思わなんだが」

 

「へえ、あんたはこの人のことを知っていたのかよ」

 

「無論。愛菜だけでなく勇利様のご交友関係もくまなく調べておりますれば。当然、シンシア嬢のこともですな」

 

 そう断言する羽門さんに、その場の全員が息を呑んだことが分かった。

 そして、ひそひそとうわさ話のようなものが漏れ始めていた。

 

 あの女性は毛良(けら)の御子息の友人か……どんな関係の?

 あれはきっと深い関係だろうな。

 どこの輩かしら。金目当てに近づいたのよ、きっと。

 汚らわしい。

 まったく酷い茶番だ。

 

 酷い言葉が四方八方で飛び交っていて、次第と怒りが込み上がってきていることをビンビンと肌で感じた。

 中には本当に怒って会場を後にする人も出てきていたし。

 こ、これ、どうやって収集する気なの?

 

「シンシア……なんできちまったんだよ……」

 

「勇利様……申し訳ありませんでした。でも、私、どうしても耐えられなくて……」

 

 ヒッキーの傍を離れたシンシアさんに、勇利さんが声を掛けていた。ふたりとも気まずそうにはしているのだけど、これはやっぱりあれだよね、二人はそういう関係だってことだよね、やっぱり。

 後ろの愛菜さんはといえば、真っ青になってお兄さんを見つめるだけで、ことの成り行きをおそるおそる見守っている感じだった。当然だけど、時折材木座君の方を眺めては辛そうな顔になってしまっているし。

 

 そんな混とんとしてきた状況にあって、儀二亜須さんが大声を張り上げた。

 

「さあ、お集りの皆さんにお話ししよう。今回の婚約はあくまで樺太家の力を固辞するためだけのセレモニー、当の主役たる妹の愛菜と、そこな私の友人でもあり、好敵手でもある勇利君もともにただ巻き込まれたにすぎないのですよ。それはこの状況を見れば一目瞭然でしょう。勇利君にはここにいる彼の秘書でもあるシンシア嬢という愛する女性がいて、愛菜もまた、他に愛する男性がいるのですから」

 

 そう言った途端に会場がざわめくと同時に、愛菜さんが愕然となって兄を見た。だが、お兄さんは衣にも介さずに暴走し続けた。

 

「さあ、お判りでしょう。好き合っている者同士が結ばれるのはごく自然なことであるのですよ。それが例え家の方針に背くことになるとしてもね。さあ、これで勇利君も晴れて好きな女性と結ばれることとなったわけだ」

 

「ギニアス、てめえ……何をいけしゃあしゃあと……お前はうちの面子を潰しやがったんだぞ。何を偉そうにほざいていやがる」

 

「ほう……感謝されこそすれ、その様に小言を言われるとは心外だな。君がシンシア嬢とただならぬ仲であることを、私はすでに承知しているのだよ」

 

「そうだとしてもだ、家の体裁を潰すてめえのやり方は納得いかねえ」

 

「なら、どうするというのだ? 君は私に何かしらの制裁を課そうとでもいうのか? ふはは。お笑い種だな。樺太家の財力を当てにして、このような一旦消えてしまっていた婚約話を持ち出して乗ってきた浅ましい輩は何処の御方だったかな?」

 

「てめえ、マジで許せねえ」

 

 勇利さんが眉間に青筋を立ててお兄さんに掴みかかろうとした時のことだった。

 

「やめて!! もうやめてください!!」

 

 そう言って二人の間に割り込んだのは愛菜さんだ。彼女はその眼に涙を湛えて儀二亜須さんにむかって叫んだ。

 

「なぜこんなことをしたのですか!? 私達の為に、徳介おじ様や、会社の方々や、勇利様、多くの人が尽力してくれているのですよ! それに報いなければならぬとなぜ考えつけないのですか!! お兄様、今からでも皆様に謝罪いたしましょう。そして、もう一度仕切り直しを……」

 

「くだらぬ……、それこそくだらぬことだよ、愛菜。私は、お前の為にこんなことをしたわけではないのだ」

 

「え?」

 

 お兄さんの発言に絶句する愛菜さん。

 彼はその顔を愉悦に歪めて本当に嬉しそうに言った。

 

「私は私の理想を実現するためだけに日々邁進しているのだからな。だからお前が誰と結ばれようがどうでもよいことなのだ。だがな……」

 

 お兄さんは一度言葉を区切ってから勇利さんを見た。

 

「この男はダメだ。こいつはただの獄つぶしだ。こんな奴に家に入られたら、それこそこの私の研究の全てが台無しになってしまう」

 

「てめえ、いわせておけば……俺との婚姻を羽門の小父貴たちが進めたのは、病弱なてめえのことを心配してのことだろうが、なんでそれがわからねえ」

 

「私が死んだあとの家督の維持の話か……ふふふ、それこそ無意味だ。私は樺太家を存続させようなどとは微塵も思っていないのだからな」

 

「な、なんだと!?」

 

 これには、勇利さんだけでなく、羽門さんも愛菜さんも、その他大勢が一様に凍り付いてしまった。

 もはやこの男性のことを理解できる人はこの場にはいなかったから。

 彼は愛菜さんを見て優しく微笑んだ。

 

「さあ愛菜。お前が決めなさい。誰の元に嫁ぐのか、どう生きるのか、お前が勝手に決めればいい」

 

「お兄様……」

 

 彼女は何も話すことができなくなって、そのまま固まってしまった。

 彼女の決意は固い。

 そのことを、あたし達は誰よりも知っていた。

 彼女は人の為に生きようと決めたと言う事を、あたしたちは直接声を聞いたのだから。

 

 愛菜さんはまたチラリと材木座君を見た。見てそしてすぐに自分の足元に視線を落とす。きっと様々な葛藤に苦しんているのだと思う。

 でも、このままでは彼女は何も決めることもできないままに、全てを失ってしまう。

 あたしにはそんな風に思えた。

 

 材木座君を見た。

 彼は、真剣な顔で愛菜さんを注視し続けた。

 でも、何も話さず、ピクリとも動かずにただジッとしているだけ。

 良くみれば、その手足は小刻みに震えていて、何かしらの恐怖を感じているのだろうことだけは察することが出来た。

 それを見て、あたしは彼に声を掛けようとした。

 

 今だよ……

 今しかないよ……

 

 愛菜さんを救い出せるのは今を置いて他にはないんだよ。

 そんな言葉が脳裏をよぎって、あたしはそれを彼に伝えようとして……

 

「愛菜たんっ!! わ、我と……」

 

 あたしが言う直前のことだった。

 震えて動けなかった筈の材木座君が、その足を踏み出していた。踏み出して、そして歩みつつ彼女へ向けて言葉を発した。

 

「我と……」

 

「…………」

 

 その言葉をきいて、彼女はがばりとその顔を上げた。

 その瞳には彼女へ向かってまっすぐに歩いて来る一人の男性の姿が。

 

 今まできっと一度だってこういうことは起きなかったのだと思う。

 材木座君は愛菜さんのことをずっと男性だとおもっていたというし、愛菜さんも自分の恋心を隠し続けた。

 ここ最近ようやく二人きりでいる時間も出来るようになっていたのだけど、それだって、お互い自分を偽って初対面のようなふりをしてのお付き合いだったんだもの。

 それが、こんなふうに真剣な顔で見つめ合って歩み寄る関係になるなんて……

 ひょっとしたら、彼女は奇跡を見ているとでも思ったのかもしれない……

 そんなことを思ってしまっていた。

 

 その時、唐突にその青い影が彼ら二人の間へと割り込んだ。

 それは、今の今までずっと動けないでいた初老の男性の姿。

 彼はそのうち沈んだ表情の奥に、何か強い意志を含んだ瞳で、まっすぐに材木座君を見据えていた。

 そして言い放った。

 

「材木座義輝殿! ジャマをしないでいただこう」

 

「は、はぽんっ!!」

 

 突然きょどった材木座君。

 あ、あれ? さっきまでのカッコよさはどこに?



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材木座君の恋愛成就大作戦⑪

「義輝殿……愛菜は貴方を諦めたのです。どうかその気持ちを察してお引きくださいませ」

 

「う……う……」

 

 目の前に立ちはだかった羽門さんにそう告げられ、材木座君はただ冷や汗を垂らして呻くだけだった。

 でも、引き下がろうとはしなかった。

 だらだらと脂汗をかいていはいるみたいだけど、まっすぐに羽門さんを見たままで相対している。

 そんな様子の材木座君に、羽門さんは静かに言った。

 

「お引きくださらぬと……そう申されるというわけでございますな。では私めもしっかりと勤めを果たさせていただかねばなりませぬな」

 

 羽門さんはずずいと材木座君へと近づいた。そこへ割り込んだのはヒッキーだった。

 

「おいあんた。今の愛菜さんの兄貴の話を聞いていなかったのかよ。彼は愛菜さんの恋愛のことも容認したんだぞ? だったら後は当人たちの問題じゃないのか?」

 

 そう言いつつ手を拡げるヒッキーだけど、明らかに羽門さんの迫力に気圧されていた。

 だから、あたしも駆け寄ってヒッキーにならんだ。

 

「お、お願いします!! 愛菜さんも材木座君も真剣なんです。だ、だから認めてあげてください」

 

 そう力いっぱい宣言することしか今のあたしにはできなかった。

 あたしとヒッキーを見て、一瞬足を止めた羽門さん。

 だけど、彼は鋭い眼光を向けてたままで言った。

 

「邪魔をしないでいただこう。これは当家と樺太家の問題。門外漢のあなた方に口を挟まれる謂れはない!!」

 

 そう睨まれて怯んでしまったあたしとヒッキーを押しのけるように、羽門さんは材木座君へと向かった。

 

「おいあんた、話を聞けって……」

 

「ふんっ!!」

 

「おあっ!?」

 

 その時、ヒッキーが見事に一回転。そのまま仰向けに床に転がった。

 え? え?

 いったい何が起こったのと思った時にはもう彼は歩み出していた。

 

「少々柔道の心得がございましてな。無用に手荒な真似はしたくはない」

 

 そう言いつつ歩む彼の前に、今度は隼人くんと彩ちゃんの姿が。手を広げて羽門さんを通せんぼしようとした。

 

「やれやれ、聞き分けの御仁たちだ。私は今、思いのほか気が立っておりますからな、痛い想いをして頂くことになるやもしれませんよ」

 

「の、望むところですよ。材木座君の頑張りどころなんだ。ここで引くわけにはいかないですよ」

 

「そ、そうだよ……葉山君の言う通りだ。材木座君はまだ自分の想いを彼女に告げていないんだ! だったら、ぼく達が手伝ってあげなきゃだよ」

 

「葉山氏、戸塚氏……」

 

 材木座君の大きな身体が微かに震えた。

 そして目の前に立つ二人をじっと見つめていた。

 

「ふんっ!! ここにきて友情ごっこですか? 関係のないあなた方四人でしたが、きっちり排除させていただきますよ」

 

 そう宣言した直後、凄まじい速度で隼人くんの身体が宙を舞う。

 あ、これは知ってる。一本背負いだ。

 音もなく宙を回転した彼は滑らかに床へと転がされてしまった。

 

「ああ……は、はやまくん……」

 

「さあ、残るはあなた御一人ですな」

 

 床に転がった隼人君を見て震えている彩ちゃんに、羽門さんが鋭い眼光を向ける。

 そしてその姿が消えて、彩ちゃんの身体が掴まれるか……と思ったその時だった。

 

「戸塚どのー!!」

 

「むっ!」

 

 掛け声とともに突進してきた材木座君が、羽門さんに飛びついて、その両腕をがっしと掴んだ。

 お互いの手と手で組み合ってしまった材木座君と羽門さん。

 二人はぐぐぐっと力を込めつつお互い押し合う形になった。

 

「むうっ!! 力比べならば対抗できるとそう思われたかっ! 甘いっ!!」

 

 羽門さんは両腕を組んだままその姿勢を落として材木座君の足を蹴り上げた。

 瞬間、重心が傾いて倒れてしまうかと思ったその時、材木座君は蹴り上げられた方の足を強引に自分の真下に踏み込んだ。

 ずしんと、大きな音とともに、地面が振動する。

 そのまま一気に腰を下ろした材木座君が今度は体勢が後方に下がってしまった羽門さんを一気に押し返した。

 

「ぬううおおおあああああああっ!!」

 

「ぐっ!!」

 

 後方に足を伸ばしてそれに耐える羽門さん。

 でも、材木座君の気迫はそれに勝っていた。

 そしてそのままの勢いで宣言した。

 

「我は……我は諦めぬ!! かならず、愛菜たんと添い遂げる!! ぬぐぅおおおおおおっ!!」

 

「材木座さん……し、四郎!!」

 

 気迫のこもった材木座君の叫びに愛菜さんががばりと顔を上げた。

 そして駆け寄ろうとした時、材木座君の気迫はピークに達した。

 猛烈な勢いで踏ん張る羽門さんを押し始めた材木座君。彼のその気迫がその勢いを加速させた。必死に耐える羽門さんは、苦悶の表情のままで叫んだ。

 

「くうっ、つ、強い!! だが……負けぬっ!!」

 

 突然羽門さんが材木座君の頭目がけて自分の額を叩きつけようとした。

 でも、両腕で上から押さえ込む形になっている材木座君には当然丸見えで、彼は直前でその頭突きを回避……その頭を胸で受け力いっぱい押し始めた。

 

「うおおおおっ!!」

 

 材木座君が雄たけびを上げて、態勢を崩した羽門さんを押し飛ばす。

 その時だった。

 

「私の勝ちですな……」

 

 押し飛ばされつつ微笑みながらそう呟いた羽門さん。

 どうしてそんなに余裕なのか……それはその後、すぐに分かった。

 彼を押し飛ばした直後の材木座君へと視線をむけてみれば、彼の着ていたYシャツの前ボタンが全て外れていた。

 外れていてそして、その下に着ていた『Tシャツ』の『柄』がばっちりと露わに!!

 それを見て、あたしも驚愕。

 

 だって、なぜって……

 

 なんでこんな時に、『けも〇レTシャツ』着てるのっ!!

 

 そこにあったのは、ジャパリ〇んを頬張ろうとしているサ〇バルちゃんのイラスト。

 争っている中でほとんど脱げてしまったスーツの下の白いワイシャツ……

 そのボタンが全て外れて、ただでなくとも大きい彼のお腹によってそのシャツが完全に捲れあがって、いまやサ〇バルちゃんが完全に正面に顔を出してしまっていた。『すごーい!』

 そもそもあたしはこのTシャツのことを知っていた。

 だって、彼はリビングで執筆するとき、このシャツ一枚でノートパソコンを叩いていたんだもの。

 その柄可愛いねって言ったら、散々けもの〇レンズの話をレクチャーされてしまって、夢の中にまで出てきてしまったくらいだし。

 寝る前にヒッキーと二人であのアニメを観るようになってしまったということはここだけの話。

 まさかとは思ったけど、本当にアレを着てきてしまうなんて。

 なんでフォーマルな場所に着てきちゃうのよ!! TPOちょっとは考えようよ。

 羽門さんは押し出される間際、自分の頭を材木座君の胸に押し付ける形にして片手を解き、そのボタンを全て外してしまったということのよう。

 

「何あのシャツ」

「なんて恥ずかしい姿なんだ」

「醜い男だ」

「最低だな」

 

 周囲の人たちが明らかに嫌悪を露わにそんなことを話し始めた。

 ざわついたそんな中、材木座君は自分のシャツを見て真っ青になってしまっていた。 

 あれはなんとなくわかる。

 自分が好きだと思っているものは、大抵人も好んでくれていると信じてしまうもので、それを真っ向から非難されたり否定されたりするのは心底辛い物だということを、あたしは教育課程でしっかりと学んだ。

 否定するのではなく容認する中で心を育てていく。

 今の日本の教育はそのような感じだし。

 完全に材木座君の落ち度が原因なのだけれど、彼は今完全に消沈してしまっていた。

 

「負けた……」

 

 ぽつりと、彼がそう言った時だった。

 

「四郎……いいえ、義輝さん」

 

 いつの間にか材木座君の前に愛菜さんが立っていた。

 そしてずいとその身体を彼へと近づけた。

 材木座君は慌てて自分のシャツを掴んでそのイラストを隠そうとした。

 でも、愛菜さんはその両手をそっと掴んで、そのまま拡げさせた。

 それからにこりと微笑んだ。

 

「あたしも……けも〇レ大好きですよ」

 

「愛菜たんっ!!」

 

 一気に顔を真っ赤にした材木座君。

 彼は愛菜さんと手をつないだままで、じっとみつめあう。

 そして大きく深呼吸をしてから彼女へと静かに言った。

 

「あ、愛菜たん……聞いて欲しいことがあるでござる」

 

「はい……どうぞ、遠慮なくおっしゃってください」

 

 頬を赤らめて材木座君を見上げる愛菜さん。

 彼女を見つつ、材木座君は大きく大きく息を吸って、その顔を真っ赤にして、言った!

 

「あ、愛菜たん! 好きだーーッ!!」

 

「はいっ!! 私も大好きです!!」

 

 そして、彼女は材木座君に抱き着いた。

 彼はその瞬間上を向いて固まってしまう。

 彼女を抱きしめることもないままにただただ、時を止めてしまっていた。

 

 それを見ていたお兄さんはにこにこと微笑み、立ち上がりかけていた羽門さんはやれやれと首を横に振っていた。

 そこは良いのだけれど……

 招待客の皆さんの反応を、あたしは見るのがこわかった。



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材木座君の恋愛成就大作戦⑫

「ふん。くだらん三文芝居だ。おい、小島(コジマ)会長、帰るぞ、時間の無駄だ。樺太家などもはや過去の遺物だ。相手するまでもない」

 

「むぅ、伊佐(イサ)CEO。先にお帰りください。私はもう暫く残ることにします」

 

「時間の無駄だと言っておろうに。コジマ商会は随分とヒマなようだな」

 

「何、うちは御社と違ってただの下請けですからな。どんな小さな仕事も拾うことにしているだけですよ。いずれまたあなたのビッグトレーコーポレーションの仕事も受注したいものですな」

 

「そのころまで貴社が残っておれば……な。まあ、せいぜい頑張ることだな」

 

 そんな会話が聞こえて、振り向いてみれば、背の高いどこかの会社のトップと思える男性が部下を引き連れて帰っていくところ。

 話し相手だった眼鏡を掛けた小柄なおじさんの方は、心底嫌そうな顔をして、帰る男性のことを見ていた。

 会場はそれだけではなかった。

 次から次へと帰っていくゲストたち。

 瞬く間に、その数は減って、今や最初の頃に比べて3分の1以下になってしまっていた。

 

 これほんとどうするの?

 

 いくら材木座君や愛菜さんのためと言ったって、ホストであるお兄さんは、こともあろうにこんな重要なセレモニーを滅茶苦茶にした挙句、来場者を裏切るような発言を繰り返したわけで……

 普通に考えても、謝って済む話でもないでしょってことだよね。

 これ、この後無碍にされた皆さんからはかなり冷たい対応をされることにもなるだろうし、せっかく材木座君と愛菜さんが結ばれたからって、これではこの先ずっと針の筵だよ。

 

「マジでどうすんだかな……」

 

「うん……心配だよ」

 

 あたしに並んだヒッキーも、周囲の様子を見つつ冷や汗を垂らしているし。

 当然の反応なんだけど。

 そして、帰る人も終わり、辺りが静けさに包まれ始めたときのことだった。

 

「ちょっとちょっと比企谷君! 由比ヶ浜ちゃん!! ど、どうなってるの、これは!!」

 

「あ、橋本さん、ういーす」

 

 息を切らせて駆け寄ってきたのは、真っ赤なタイトなドレス姿でハンドバッグを手にした、焦った様子の綺麗な人……ヒッキーの上司の橋本さんだった。

 

「あ、あれ? なんで橋本さんがいるんですか?」

 

「あのねえ、それを聞きたいのはこっちなの! どうしてあなたたちがこのセレモニーにいるのよ! って、なに? あの妹さんとお知り合いってこと?」

 

 そう顔を近づけたまま言い募る橋本さんに、あたしたちも何て言っていいのやらで、とりあえずヒッキーと並んでうなずいた。

 それを目を細めてみてくる橋本さんは何やらあたしたちを疑っているみたいだけど……

 

「いったいどうやって知り合ったの? 彼女今まで樺太財閥の関連の仕事には一切顔を出していなかったのよ? それなのに……」

 

「いや、あのですね橋本さん。今回のことは本当にプライベートで仕事とか一切関係ないんですよ。俺たちの仲間が彼女と仲良くしていたってだけで……」

 

「だったらなおさらなんで私にそのことを報告しないわけ!? 私がいったいどれだけ苦労して今回のパーティの参加していると思っているの!? ほんとうにもうっ!!」

 

「あ、す、すんません」

 

 ぷんすか腕を組んで怒っている橋本さんだけど、いろいろ話を聞いてみれば、仕事の受注の関係で樺太財閥絡みの人たちとのパイプをつなごうと、今回かなり無理をして招待券をゲットしたということの様子。

 この人、本当にバイタリティ凄い。女性一人で北海道全域の仕事の受注受け持ってるだけのことはあるってことなんだね。

 感心して見ていたそこで、ヒッキーがぽそり。

 

「もう一人くらいチケットもらえたかもなんですけどね……あ」

 

「ひ、ヒッキー!!」

 

 慌てて口を塞いだヒッキーだったけど、目の前の橋本さんはもう目が笑っていなかった。

 そして、こぶしを握りこみながら一言。

 

「お、覚えていなさいよ……今度のボーナスの査定、すぐに本社に連絡しちゃうんだから」

 

 ひえぇえ……とても恐ろしいことを口走る橋本さんだったけど、ヒッキーは割と動じずに答えた。

 

「でしたら、お礼に愛菜さんのお兄さん紹介しますよ。彼に割と貸しを作った感じなんで、きっとゆっくり話ができますよ」

 

「本当に君は仕事できる子なんだからぁ!! あ、ボーナス期待しててね、きゃはっ!!」

 

 もう……

 変わり身速すぎですよ、橋本さん。

 ま、まあ、愛菜さんのお兄さん、カッコいいですものね。()()()だけは……あはは。

 喜びに身を捩る橋本さんはとりあえず放置して、あたしは今回の主役たる愛菜さんと材木座君、それと愛菜さんのお兄さんへと視線を向けてみた。 

 彼は機嫌良さそうにしながら、どんどん帰っていくゲストたちを眺めていた。

 

 そんなお兄さんに、シンシアさんを腕に抱いた勇利さんが声をかけた。

 

「おい、ギニアス。どうする気なんだ? お前まさか、本気で樺太家を潰そうとか考えてるんじゃねえだろうな?」

 

 お兄さんはそれに涼しい顔で答えた。

 

「ふっ……そう慌てるなよ勇利。たしかに私は樺太家なんてどうでもよいと思っているのだが、別段無理して潰そうなどとは思っていない。寧ろ、私の思い通りになるというなら是非とも存続させたいと思っているのだよ」

 

「おまえな……これだけのことをやらかしておいて、存続も何もないだろうが」

 

 少し怒気を荒くした勇利さんに、お兄さんは口元を緩ませた。

 そして、もう一度入り口の方へと目を向けると、近くにいる会場スタッフへと視線を向けた。

 

「そろそろだな……君、済まないが、入り口の戸を閉めてくれるかな」

 

「あ、はい。承りました」

 

 給仕服姿のその男性は一礼してから会場の戸まで歩いていって、そのままその戸を閉めた。

 それを確認したお兄さんは、手近なマイクに手を伸ばし、そのスイッチを入れる。

 一瞬、きぃんとハウリングが響くも、それが収まるのをまってから語り始めた。

 

「お集まりいただいたみなさん。ここまでの余興は楽しんでいただけたかな?」

 

「はあ!? 余興だと!?」

 

 勇利さんが大声でそう怒鳴るのを、お兄さんは手で制してつづけた。

 

「当然余興だとも。わざわざこれだけの人たちを集めておいて、これでおしまいでは本当に失礼ではないか。ははは」

 

 そう笑っているのだけど、もう十分失礼すぎるよね。多分、この会場の人全員がそう思っている感じ。

 そんな中で、彼は手元のパソコンを操作して、正面のスクリーンへとあるイラストを投影した。

 突然現れたその絵は、平たい地面に天を目指すように突き立つ円錐形の構造物外観図。

 周りに山や川の絵があることから、相当に大きなものであることは分かるのだけど、いったいこれがなんなのか、あたしにはわからなかった。

 けど、隣でヒッキーがぽそりと言った。

 

「これは……『ソーラータワー』か?」

 

「ソーラー……タワー?」

 

 そう聞き返すと、ヒッキーはあたしの方を見て説明してくれた。

 

「ああ……正式には、ソーラー・アップドラフト・タワーだな。あの下部の透明なパネル状になった部位の空気を太陽光で熱して温度を上げ、その空気をあの煙突状のタワーに集めて、上昇気流によって一気に上空へと打ち上げる……その空気の通り道に風車を設置して発電するいわば、太陽光風力発電だな」

 

「風力? 太陽光じゃないの?」

 

「ああ、上昇気流で発電タービンを回すからな」

 

 そう言ったヒッキーの隣で、今度は橋本さん。

 

「うちの会社も、以前ソーラータワーの建造プランを立てたことがあったんだけど、政府主導で進めるにあたって各社の見積もり金額が大きすぎて、棚上げになっていたんだよね。でも……それにしたってこのイラストのタワー……私の知っているタワーと随分違うみたいなんだけど……」

 

 橋本さんがそう呟いた直後、お兄さんはまっすぐに橋本さんを見てにこりと微笑んだ。それからあたしたちの方にむかって拍手をする。

 

「え!? え!?」

 

 真っ赤になってドギマギしている橋本さんを他所に、お兄さんは話始めた。

 

「そう、その通り! これは従来型のタワーとは全くの別物だ。全高350mとサイズではサウジのものよりも小振りではあるが、このタワーの要は『ソーラーミラーシステムの導入』と、『ハイメガ加速器の設置』、それと最新の『ミノフスキー発電機』を三基設置したことにある。そのうえ小型化したことで大幅なコストダウンも成功している。今、詳細な説明は省くが、これにより、従来の同サイズ帯のソーラー・アップドラフト型に比して、2000%を超える発電量を確保することに成功した。これは、原子力発電所が有する原発2基に相当する発電量であって、これが増産の暁には国内……いや、世界のエネルギー事情が激変することは言うまでもないだろう。この発電事業を我が樺太家が先行出資して行くものとする。さあ、ここに残られた皆さんはどうされますかな。賛同頂けるのでしたら、それが生み出す利権の数々をまずはこの場の皆さんにご提供しましょう。ふふ」

 

 そう言って見回すお兄さんに、会場の人たちは言葉もない。

 あまりにも唐突に始まった事業の話にみんなついていけてない感じ。

 でも、そんな中で一人だけ手を挙げる人がいた。

 

「質問宜しいかな、樺太殿。私はコジマ商会の小島と申すものだが、今の話……、机上の空論ではただの時間の無駄でしかない。まさか貴殿はただの暇つぶしのつもりではあるまいな」

 

 それにお兄さんは微笑んで返した。

 

「無論……現実性はありますとも。すでに試作型の新型ソーラータワーは完成しているのです。これよりは幾分か小型ではありますが、石狩の私の私有地内ですでに稼働状態ですよ。理論値以上の発電効果を生んでいると申しておきましょう。便宜上、私はそのテストタワーを『アプサラス2』と呼称しておりますがね。当然、ご賛同いただける皆様は後日ご案内させていただきますよ。しかる後に正式機、『アプサラス3』の建造に入ることにしましょう。世界は新たな一歩を刻むのですよ。ふふふ。さあ、私の夢を受け取る気はありませんか?」

 

 高らかにそう宣言するお兄さんに、その場で反対する声は出なかった。 

 先ほど発言した小島さんというおじさんを先頭に、その場に残った人たちが、お兄さんに、協力の意を示した。

 その様子を……

 愛菜さん、材木座君、それに勇利さんたちやあたしたちは、ただ茫然と見ることしかできなかった。

 

 帰っちゃった人達……

 

 なんか可哀そうだな……

 

 愛菜さんのお兄さんやっぱり、癖強いよ。



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材木座君の恋愛成就大作戦(エピローグ)

めちゃくちゃ投稿失敗しまくりました。もう泣きそうです。
一応、きちんと並べなおしましたので、これで問題ない……はず?
大変失礼いたしました。


「愛菜の想い人と出会う、面白い催しであった。材木座殿……私が一番に願っているのはこの子の幸せなのです。どうか……どうか愛菜をお願いいたします」

 

「はぷっ!?」「徳介(のりすけ)小父様……」

 

 あの会が終わった後、羽門さんがあたし達のところにやってきて頭を下げた。

 それに涙ぐむ愛菜さんと、緊張のあまり声もなく固まってしまう材木座君。彼はなんとかコクコクと頷くと、それを見た羽門さんが二ッと口角を上げたようだった。

 それから愛菜さんがぎゅうっと抱き着いて何かを耳打ちしながら二人でどこかへと消えた。

 ここで何か声を掛けるのも野暮だよねとヒッキーたちと話していたし、見て見ぬふりをしたわけだけど、お幸せにね、材木座君、愛菜さん。

 

 会場は、サプライズの続出で混とんとした様相を呈していて、でも、愛菜さんのお兄さんが提案した内容に賛同した人々の熱気によってかなり温度が上がっている感じ。

 お兄さんはエネルギー事業の自由化を見越して、この新型発電システムの開発をしていた様子だけど、愛菜さんの話では、お兄さんはロボットのプラモデルに夢中で、実はこの類の話はあくまでついで……ビルド……ビルドなんとかっていうプラモデルを使って遊ぶゲームに夢中で、『私のロンメル隊がー』とか言いつつ、毎日ゲームをしているそう。

 病気のわりにアクティブだよね、お兄さん。

 それにしてもついででこんな事業を始めてしまえるって、本当に天才なんだね。うん。

 

 今回一番割を食ってしまったであろう、愛菜さんの婚約者の勇利さんは、なんだかんだ言いながらもお兄さんの提案に一番に賛同。周囲にいた企業や政治家の人々を巻き込んで、かなり本格的に発電所建設を推し進めることにしたみたい。

 原子力発電の批判が出ている中、それに匹敵する電力供給可能なエコ発電施設は今後かなりの需要が見込めるとのこと。まずは石狩の設備からの売電を始めて―—と、かなり具体的な話も出てきて、その話を勇利さんが取りまとめることにしたみたい。勇利さんの隣のシンシアさんも幸せそうだったし、本当に良かった。

 

 今回の愛菜さんのお兄さんの奇行は、協力関係を築ける相手かどうかを見極めるために行ったのだと、今ならはっきり分かる。

 お金持ちとはいっても、まだ若いお兄さんと愛菜さんだもの、年配の人たちから軽くみられて当たり前。

 今回は特に、前例のない新規の事業ともなるわけで、そんな頭の固い偉い人達に足を引っ張られたくなかったということかもしれない。

 いずれにしても彼は今回多くの味方を手に入れることになったということだよね。

 

 それでそのお兄さんなんだけど……

 

「橋本女史……あなたの博識さには驚かされますな。お美しさもさることながら」

 

「ほんと、お上手ですわ、ギニアス様……おほほ。つきましては建設も是非我が雪ノ下建設へ」

 

 橋本さんとめちゃくちゃ仲良さそうに会話していた。

 なんとなくいい雰囲気なんだよね、あの二人。

 というか、橋本さん、思いっきり密着しながら、めちゃくちゃ営業してるし。根が仕事人間なのかもだね、あの人。

 それを見ていたヒッキーはぽりぽりと頭を掻いていた。

 それであたしを見てから言った。

 

「んじゃ、帰るか」

 

「うん!!」

 

 彼が伸ばした手をあたしは取った。

 そしてその手を包み込むように抱きかかえて、あたしは並んだ。

 その後を、にこにこした隼人くんと彩ちゃんが続いて、いろはちゃんだけはむすっとしたままだった。

 

「むぅ……今回、私だけ全然出会いなかったんですけど!! どう思います!!」

 

「あ、あはは……」

 

 はい、何も言えませんでした。がんばれいろはちゃん。きっと良いこともあるから!!

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 それから数日後のこと……

 

「で、ではこれからあ、愛菜たんとし、市役所に行ってくるでござる!!」

 

「おう、いってらっしゃい。んでもう二度と来るなよな」

 

「はぽんっ!! 酷いっ! 八幡酷い!! 我いなくてもいいの? いいの?」

 

 あはは……

 相変わらずだけど材木座君やっぱりヒッキーの事大好きだよね。

 

「ほらほら四郎……じゃなかった、義輝さん。やることは多いのですから早く行きましょう。それではみなさん、どうもお邪魔しました」

 

「愛菜さん! がんばってね」

 

「はい。結衣さん」

 

 にこりと微笑んだ彼女が材木座君の手を引いて出かけていった。

 なんだかんだ材木座君、にやけすぎだったよ。

 そんなやりとりのあとでヒッキーがどっかとソファーに座った。

 あたしは台所でコーヒーを淹れてそれを彼の元へと運んだ。

 香りのあるエスプレッソに、入れるのはミルクと練乳。これで彼の大好きなあのコーヒーのイメージに近づく。

 あたしとしてはこっちの方がおいしいとおもうんだけどね。

 

「ヒッキー、はい、コーヒー」

 

「おぅ、サンキューな」

 

 彼はそれを受け取ると少し香りを楽しんだあと、ちびりと舐めるように飲んでニコりと微笑んだ。ふふ、猫舌さんめ。

 

「それにしてもさ、材木座君もすごいよね。まさかこの数日で愛菜さんとあそこまで話をすすめちゃうなんて」

 

「あーそれはあれだ。もともと愛菜さんの方がノリノリだったってだけのことだ。材木座というよりは愛菜さんが結構強引に決めちまったみたいだし。ま、材木座にしてみれば良かったんじゃねえの」

 

「ふーん。それでも凄いよ。だっていきなり『入籍』なんてさ」

 

 そう入籍。

 彼らはなんと結婚してしまったの。

 正式にはまだなのかな? 今日市役所に婚姻届けを出しに行ってそれを受理されて晴れて夫婦ってことになるみたいだし。

 結婚って、あたしはもっと難しい手続きがあったり、お金がかかったりとかするものだと思ってた。

 でも、実際は紙を一枚役所に提出するだけ。それだけで法律的に二人は夫婦になってこれからの人生を歩んでいくことになるという。何か不思議。

 

「結婚式はどうするのかな? ヒッキー何か聞いてる?」

 

「ん? ああ。対外的にはこの前の婚約パーティがおしゃかになった関係でいろいろ周囲がざわついているみたいだからな。そもそも、あれ婚約パーティですらなかったからな……あの事業から省かれた企業の人たちにしてみれば、苦い思い出でしかないだろう。だから、結婚式みたいなセレモニーはしばらくはできないだろうと言っていたな。ま、もともと二人ともそんなに結婚式には固執していない感じだったけどな」

 

「ふーん。そっか……結婚式しないんだ。あたしはしたいけどね」

 

 と、そうわざとにこりとしてみせてからヒッキーを見る。

 彼は額にじっとりと汗をにじませたままであたしを見ていた。そして口を開いた。

 

「ま、まあ……そのうち……な」

 

「うん……そのうち……ね」

 

 あたしたちも結婚の約束は確かにしてるけど、でもそれから先のことは決まっていない。それが少しもどかしかったけど、ヒッキーにはヒッキーの考えがあるわけで、だからそれを無理に進めたいとはあたしには思えなかった。

 でもいつかきっと、あたし達にもその日が来る……

 今はそれを楽しみにしようとあたしは決めていた。

 だって、今一緒にいれることが何よりうれしい事なんだから。

 

「そういえばさ、材木座君達って結婚したらどこに住むって? 材木座君の今の家の釧路? それとも愛菜さんの仕事場の湧別にするのかな?」

 

 そう聞いた直後、彼の動きが止まった。

 そして上を見上げてただ大きく息を吐いた。

 え? 何?

 

「結衣……あいつらな……このマンションの最上階に家を買ったらしいよ」

 

「え、ええー!?」

 

 こうしてあたしたちの友達、材木座君は伴侶を得た。

 小説家になって、その小説がアニメ化することになって、さらに結婚までしちゃって……

 なんというか、今の彼って全部上手くいってる感じだよね。

 思い出してみれば、確か彼の小説を最初から応援していたのは愛菜さんだったはず……それに出会い系サイトでも材木座君を独占していたのは愛菜さんで、彼は浮気もしていなかった感じだし。

 そう考えれば、彼の人生の要所要所は全部愛菜さんの助けがあったわけで、こうして家を買って結婚までして……

 

「愛菜さん……すご」

 

「だな」

 

 あたしは心底バイタリティ溢れる彼女を尊敬した。

 それからソファーに腰を下ろして、コーヒーを啜る彼へと身を寄せた。

 この穏やかな時間がなによりも愛おしくて幸せで……

 こんな時間がいつまでも続けばいいなって思えた。

 でもいつか……

 

 結婚式してね、ヒッキー。

 

 

 

 

第二章 材木座君の恋愛成就大作戦 Fin



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【八幡達のDQⅢから始まる異世界探訪。】①ドラクエⅢの世界
(1)やはり俺がドラクエⅢの世界にいるのはまちがっている。


 「では、勇者よ! そなたに魔王バラモスの討伐を命ずる!」

 

 え? え? なんだこれ?

 

 目の前に赤い絨毯があり、俺はその上に跪いている?……立膝で……? で、何だか、正面の上の方から何やら偉そうな声が響いていた。

 え、今なんて言った?勇者?魔王? んん……?『バラモス』って、どっかで聞いたような……?

 俺はなんとなくその言葉が気になり、顔を上げようとしたが、周囲からの強烈な視線を感じ、恐る恐る目だけを横に向ける。そこには、何やらギラリと鈍い光を放つ銀の甲冑に身を包んだ、映画なんかで見たことがある様な『騎士』が立っていた。そして俺の事を鋭い目つきで睨みつけてる。

 は?なんだこれ?

 俺はその騎士の視線が怖くなって、今度は反対側に視線を向けると、こっちはこっちで同じような甲冑を身に纏った髭面の親父が、さっきの奴より恐ろしい形相で俺を睨んでいる。

 なんでにらんでんの、この人達……? っていうか、誰?ここはどこなんだ……? 映画の撮影か?俺いつの間にそんなことになったんだ?

 

「勇者オルテガの息子よ……そなたに支度金を与える。そなたの一日も早い魔王討伐と帰還を待っておるぞ」

 

 再び頭上から降り注いだその言葉に、少し顔を上げると、そこには白いひげを蓄えて、頭に金の冠を頂いて真っ赤なローブを羽織った偉そうなカーネルサンダースが!?

 

 あ……これ、あれだ……『王様』ってやつだ……っていうか、『バラモス?』『オルテガ?』って……

 

 

 

 まんまドラクエⅢじゃねえか!?

 

 

 

 と、と、と、とりあえず落ち着け……。俺……。どうやら俺は夢を見ているようだ。でもいつ眠った……? い、いや、待て……そんな事よりもまずは、この衆人環視の羞恥プレイから一刻も早く脱出しなくては……俺のまわりには王様と、騎士? それに確か、大臣とか、おつきの人とか色々いる筈だ。これがドラクエ3の世界なら、多分ここはアリアハン城の2階……の謁見の間? だろうし…確か、真後ろに歩いていけば、階段があって、階下に逃げられるはずだ。

 

 そんな事を考えていたら、王様の斜め横から、青色ローブを纏った口髭をぴんととがらせた禿げ頭のおっさんが俺に近づいてきた。

 

「そなたに、支度金として金50ゴールドと、たびびとの服、こん棒、ひのきの棒を与える」

 

 は?

 

 そのおっさんの言葉に一瞬固まった。50ゴールドとアイテム……

 いや、確かに、ゲームのドラクエ3の最初は確かにそんなのを貰った記憶がある。で、ルイーダの酒場で仲間を集めるんだったかな……でも、そんなのはどうでもいい。

 どうやら、俺はドラクエ3の勇者になっているようだ。オルテガの息子って言ってるし……と言うことは、国を挙げて俺を魔王討伐に行かせようとしている訳だよな。

 でも、ちょっと待て……前から疑問だったが、国を挙げて送り出そうとしてるのに、なんで、そんなちゃっちい武器と、50ゴールドぽっちしかくれないんだ? 確か、50ゴールドなんて、薬草数個買ったら無くなる金額。銅の剣だって買えやしない。おまけに、後半にアレフガルドのリムルダールとか行けば、宿屋に4人で泊まるのに、確か200ゴールドくらいかかったはずだ。という事は、一人分の宿代にしかならない。別に、ヒルトンホテルとか、帝国ホテルって程の宿屋でもない筈なのに、あんなに取られるのもどうかと思うが……いや、実際に泊まると、超豪華で、ボーイにチップ位渡さなくちゃならないのかもしれないが……まあ、今はそんなことはどうでも良い!

 とにかく、世界を救うために行くっていうのに、いくらなんでも、それっぽっちの金しか出さないってのは国としてどうなんだ?そんなにこの国貧乏なのか?

 いや、違うな……そう……違う。俺はドラクエⅢはさんざんやった。つまりこの国にはあれがあるはず……

 そうだ。これは夢だ。どうせ夢なら、いずれ醒めるし、ゲーム中じゃ選択肢もないしな……

 

「いかがした? 勇者はちまんよ」

 

 その王様の言葉に、俺ははっとなって顔を上げた。そして相手を見る。そこには好好爺然としたカーネルサンダース。俺は座ったまま、呟いた。

 

「バスタードソード……」

 

 その瞬間、にこやかな表情の王様がピクリと震えた。そして、なにか周りを気にするようにきょろきょろと顔を動かす。そして、暫くして微笑みながら、俺に声を掛けてきた。

 

「ほっほっほっ……勇者はちまんよ……ちこう寄れ」

 

 その言葉に、一瞬両脇の騎士と、大臣が慌てた表情で王様を見る。

 俺は何のことか分からないままに、手招きする王様に急ぎ足で近づく。すると、王様は俺にポショポショと耳打ちしてきた。

 

「そのことを誰に聞いたのじゃ?」

 

「え? いや~別に、誰からってわけでも……いや、はい聞きました。商人の人に……」

 

 にやっと笑いながら言った俺の言葉に、王様はニコニコしたまま真っ青になる。どうやら俺の適当に放った言葉は会心の一撃だった模様。俺の言葉に王様は表情を曇らせながら……

 

「勇者よ……我が国は、魔王軍との度重なる戦で疲弊しておる。財政はひっ迫しておるのじゃ……今はこれがせいいっぱいなのじゃ……」

 

「でも、バスタードソードって確か30000ゴールド位したような」

 

 わわわわっ……と王様は、慌てて俺の口を塞いできた。それを隣にいる大臣も訝し気な表情で見ている。

 このオッサン……なるほど、バスタードソードを趣味で買っちゃったのか……で、多分この感じだと、国の金使ってるな……まったく何やってんだ、王様の奴。

 30000ゴールドって言ったら本気で大金だ。スライムだけで稼ごうと思ったら15000匹分だ。そんなに狩ったら、アリアハンのスライム絶滅しちゃうだろう。

 慌てふためく王様を見ながら、俺は掌を上に向けて、王様に突き出した。するとそれを見た王様が、ぴくっと肩を震わせて俺と大臣を交互にみている。こりゃもうひと押しだな……

 

「あー……大臣さん? 「大臣近う寄れ!!」」

 

 俺の言葉に、王様が言葉を重ねてくる。そして近づいた大臣に何か耳打ちした後、再度俺に顔を近づけて、

 

「ちゃんと返してね。ね? ね?」

 

 泣きそうになりながら、俺にそう言った王様に、俺はこっそりサムズアップで返した。

 

 そして、暫くまた跪いて待っていると、大臣が再び奥から戻ってきた。そしてその手には、金の刺繍の入った鞘に収まった、一見して凄そうな剣が……

 

「勇者はちまんよ……そなたには特別にこの王家に代々伝わる由緒正しき聖剣を遣わそう。心して受け取るがよい」

 

 いや……先祖代々って……

 そんな俺の視線に対し、王様が何やら必死にウインクしてくる。はいはい、わかりましたよ。

 俺は王様に近づいて、その剣を受け取ろうとしたが、何だか、王様がなかなか放してくれない。なに?そんなに剣が好きなの?この人は……俺はそんな王様に、小声で話しかけた。

 

「王様……珍しい剣が手に入ったら、ちゃんと献上しますから、それ貸してくださいな」

 

 その俺の言葉に王様は……ついにその手を放した。

 

 そして俺は『バスタードソード』を手に入れた。

 

 

 

 

「いやあ、レベル1でバスタードソードか……夢ってマジでなんでもありだな」

 

 謁見の間から出た俺は、真っすぐに街に向かって歩く。そして、王城と街を隔てる堀の上の橋に差し掛かったとき、さっき貰った剣を、その紫のサヤから抜き放った。

 その鋭く尖った両刃の剣ははっきり言って禍々しい。試しに、木の欄干に軽く刃を押し当てて見たら、羊羹を切るようにスパリと切断してしまった。

 俺は、慌てて剣をサヤにしまって、怒られる前に、その場から離れた。こりゃまちがって手で触れないように気を付けねば。

 

 まあ、でも、いくら夢だって言っても、この現実感はなんなんだ。俺の目の前には、赤い屋根の洋風建築の建物がいくつも並んでいる。確かにドラクエ3の世界は間違いないんだろうが、あのゲームは斜め上から見下ろした奴で、こんな屋根だって取っ払われていて店の中も城の中も丸見えだったはずだ。当然、今目にしているような景色をゲーム中で見ることなんかできるわけないし、でも、まあ、確かに家の配置はドラクエのアリアハンっぽい。えーと、城を出て右手だから、あの建物は道具屋かな?

 

 と、思ったらまさに道具屋。店の表に、翅の絵が描かれている。うーん、多分『キメラの翼』なんだろうな、あの絵。という事は、あの町はずれに見える家は、主人公の家か……えーと、確か、母親と祖父さんがいるんだったな。

 でも待てよ。今俺が勇者なんだよな?という事はなに?あそこに行ったら、『おかえりなさいはちまん。つかれたでしょう』とか言われちゃうのか……知らない人に……

 いや、むりむりむり……そんなの相槌どころか、スマイル一つ返す自信ないし…

 じゃあ、何か?その向かいが確か『ルイーダの酒場』で、そこで仲間を見つけるとかだったっけ……でも、それだと、なんだ?俺がその戦士だとか、僧侶だとかを面接しなくちゃいけないわけか……

 

 いや、無理だろう……

 

 ただでなくても人と話すの苦手なのに、なんでそんなんでMP消費しなくちゃいけないんだよ。会話するだけでMP切れ起こすまであるな……

 っていうか、もういいんじゃないか?夢の中だってのは理解したから、これ以上苦行する必要はないだろう。とりあえずもう起きよう。王様にバスタードソード貰いました。はい終わり。でいいんじゃないか。別に魔王とかクリアーとかもうゲームしたからおなかいっぱいだし。

 

 そう思った俺は、城の掘りの脇に寝そべった。温かな陽の光が少しまぶしいが、まあ温かくて心地いい。多分このままここで眠れば、戻れるんじゃねえかな……その布団の中とかに……そんなことを考えながら、ふと後ろの掘りを見やると、そこにはいつもの俺の顔が映っていた。

 ははは……勇者の格好に俺の頭が生えてる。はあ、まあ、意外と楽しめた。こんな夢なら、また見て見たいな。今度はfateとかいいな。アーチャーはやだな。めんどくさそう。そうだな一番安全そうな弓道部の友人Aみたいなのがいいなあ。ふぁああああ……

 

 

 

 

 俺はいつの間にか眠っていた。ふと、俺の伸ばしていた右手に重さを感じてそっちに目を向ける。すると、そこには……

 

「あ、やっと起きた。ヒッキーやっはろー。もう不用心だよ。こんなところで寝てたら、お金とか盗られちゃうよ」

 

「は? え? 由比ヶ浜? お前なんで俺の部屋で俺の隣に寝てるんだ?」

 

 目の前には僧侶服を纏った茶髪お団子ヘアーの由比ヶ浜が、俺の右腕を枕にして俺を見つめていた。僧侶? なんでコイツコスプレしてんだ? ……ああ、もうちくしょー、意味わかんねえ…それよか、なんで、コイツ俺に添い寝してんだ?そんな事を考えると、頭がますます痛くなってくる。そんな俺を見ながら、由比ヶ浜が話しかけてくる。

 

「部屋? 何寝ぼけてんの? ここ外だよ。それに忘れちゃったの? あたし達、事故に遭って死んじゃったんだよ」

 

「事故? あ……?」

 

 俺はその由比ヶ浜の一言で、一気に覚醒した。目の前にはさっきまでのアリアハンの街並みがそのままにあった。それはそれがさっきまでの続きであることを意味しつつ、更にこれが夢ではないことを物語っていた。そう、由比ヶ浜の言葉に俺は思い至った。

 

「俺達はあの時死んだのか」

 

 隣で、由比ヶ浜も悲しそうな顔をして座っている。そしてコクリと頷いた。

 

「やっと起きたようね」

 

 声のする方を見上げると、そこにはお盆の様な物に果物やパンをのせた、黒いローブ姿の雪ノ下が立っていた。まるで、魔法使い……というより、多分魔法使いなんだろうな……

 雪ノ下は、俺と由比ヶ浜の正面の芝の上に腰を下ろすと、手に持っていたお盆を俺達に差し出した。

 

「りんごやオレンジがあったわ。多分食べられると思うのだけど……」

 

 リンゴを一つ受け取ると、俺は齧りついた。まあ、味はりんごそのものだ。そんなに甘くなくて、美味いと言えるほどではないが、食べられなくもない。3人で頬張りつつ、お互い顔を見合わせる。由比ヶ浜は少し照れたように、雪ノ下はため息を吐いて俺に返した。

 

「あー……やっと、思い出したんだが、やっぱりあの時俺達は事故に遭ったんだな……」

 

「そうね……さっき由比ヶ浜さんとも話したのだけれど、あの事故までのお互いの記憶がほとんど一緒だったっし、あなたも思いだしたようだから、多分間違いなく3人は事故に巻き込まれて……ここに来てしまった……ということのようね」

 

「はあ……」

 

 雪ノ下のその言葉に大きくため息をついて、俺は記憶を辿るように目を瞑り、思い出して行った。

 

 

 

 

 3人で水族園に出かけた俺達は、その帰り道、並んで駅へ向かっていた。その道すがら、誰一人言葉はなく、時折、お互いを覗き見るように、顔を動かす。そう、気まずかったのだ。

 ようやく向き合えた3人の気持ち。俺達は、全員が今の思いを相手に伝えた。悩みや苦しみも吐き出した。そして、なんとか3人で3人を支えあえる関係を模索しようと考えた。当然すぐに答えを出せない。でも、少しだけ俺達は近づけた。それがなにより嬉しかったんだ。

 

 だから……俺は、二人を心から守ろうと思った……

 

 そう……命に代えても……

 

 突然、それは起こった。俺達が歩く遊歩道に、大きなトラックが柵を破壊しながら飛び込んできた。その時、俺達は言葉も無く目の前に飛び込んでくる、大質量物をただただ見上げることしか出来ないでいた。

 

 やめろ、やめてくれ!

 

 こころの中でそう叫んだ俺は、全身に動けと命令を出した。かちこちに固まった俺の両手両足は、まるでスローモーションのようにゆっくり動き始める。そして、全く動けないでいる二人に向かってその両手を広く開いて、飛び込んだ。そして、その腰に飛びついて押し飛ばしたその瞬間……辺りは、真っ暗な闇に包まれた。

 

 多分死んだのだ。そのとき俺は……

 

 でも……

 

 今目の前には、雪ノ下と由比ヶ浜の二人がいる。という事は、同じ運命を辿ってしまった……俺はこの二人を守れなかったということだ。

 

「はあ……」

 

 俺はもう一度大きくため息をついて、二人に視線を送った。

 

「なあに? ヒッキー?」

 

「大方、今更になって、私達を守れなったことを悔やんででもいるんでしょうね……後悔ヶ谷君」

 

「うう……すまん」

 

「え? え? ひ、ヒッキー……もうやめようよそんなの……あたし達死んじゃったかもしれないけど、今また3人でいるんだしさ……前向きに行こうよ! 前向きに!」

 

「そうね……ここが死後の世界だとしても、こうやって話も出来て、食事も出来る。だったら、ここで出来ることを考えた方がよほど建設的だわ」

 

「由比ヶ浜、雪ノ下……お前ら随分と元気なんだな」

 

「あら、当たり前のことを話したつもりなのだけれど……後悔していても始まらないわ。まずはここの世界でどうやって生きて行くかを考えて行くべきではないかしら……それにはそうね……まずはここがどこかを知る必要があるわね。日本語は通じるようだけれど」

 

「うん……そうだね……でも、ここって、日本じゃないよね。みんな外国の人みたいな顔してるし……」

 

「オランダ? いえ、地中海沿岸の都市かしら……随分クラシックな建物が多いようだけれど」

 

 ん? こいつら何の話をしてるんだ?

 周りをきょろきょろ見ながら、二人が会話する。ただ、どうもその内容が俺の考えとはずれてる。

 こいつらひょっとして、知らないのか?

 俺は二人の肩をポンと叩くと、二人に向かって問いかけた。

 

「お前ら……ドラクエって知ってるか?」

 

 

 

 

「ええー! 魔王討伐!?」

 

 そう叫んだ由比ヶ浜に、俺はコクリと頷いて見せた。二人にこの世界のこと、特に、勇者としてやらなくてはならないことを口にした俺の言葉に、二人は絶句していた。

 まあ、普通の反応だろうな。知らないんだから。

 

「まあ、魔王を討伐するのは勇者の仕事だから、とりあえず俺は行かなきゃまずそうだな」

 

 行かないじゃ行かないで、全世界指名手配されそうな予感まである。まあ、元からボッチの俺が、わざわざ世界平和の為に戦うのなんてまず無理な話だが、せっかくこの世界にいるのに、勇者の仕事やらなかったら、もう外出も無理か……ってか、多分、あの王様の隣にいた超怖い騎士にころされるまである。うん、アイツらが魔王に立ち向かった方がよっぽどいいような気がしてきた。

 

「またまたー……ヒッキーてばー」

 

 どうも全く信じてない由比ヶ浜が、俺に笑いながら声を掛ける。はあ、まあ、仕方ないとはいえ、いつまでもこんな事やってられないか。えーと、多分服装からして、由比ヶ浜が僧侶で、雪ノ下が魔法使いっぽいから……

 

「まあ、信じられないのは仕方ないが……えーとな、雪ノ下。おまえ、あっちの壁に向かって、手を突き出して『メラ』って言ってみろ」

 

「?何を言っているのか理解できないのだけれど……」

 

「いいからやってみろよ。俺も良く分かんねえけど、火の玉が出るようなイメージでさ……ほら」

 

 訝しげな表情を浮かべた雪ノ下が、右手をゆっくり持ち上げ、呟いた」

 

「……………………メラ」

 

 その瞬間、雪ノ下の突き出した右手の人差し指の先に、バスケットボール大の火の玉が突然現れ、そのまま壁に向かって飛んで行った。そして激しくはじける。

 

「うあっち!熱っ!」

 

 その火の粉が少し俺にも降りかかった。ってか、凄い威力なんじゃないか?これで、ダメージ10~20かよ……

 呆然と立ち尽くす雪ノ下。自分の人差し指を見て呆気に取られてる。

 俺はとりあえずそれを無視して、やけどした腕を由比ヶ浜に差し出した……

 

「えーとな、由比ヶ浜、俺のこの傷に向かって、『ホイミ』って言ってみてくれ」

 

 その言葉に口をあわあわさせた由比ヶ浜が、俺の真っ赤な火傷にむかって手をかざす。

 

「えーと……ほ、ホイミ…」

 

 ぱあーっと辺りに青白い光が溢れる。暫くすると、俺の手の火傷が綺麗になくなった。

 

「わ、わわわ……どうなってんのこれ?」

 

 俺は治った自分の手を擦りながら確信する。そして、それを二人に伝えた。

 

「あー……やっぱここ、ドラクエ3の世界だわ……って事は、俺、魔王倒さないといけない立場だわ……まあ、でも……」

 

 呆然とする二人を見ながら、俺は言葉を続けた。

 

「とりあえず、明日からにするか……今日は宿屋に泊まっちまおう」

 

 まだ頭にはてなマークを浮かべたままの二人の背中を押しつつ、俺は向かいの宿屋に向かった。

 



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(2)アリアハンの宿屋にて

 宿屋に入った俺達だったが、ここで大誤算。なんと、空き部屋が1つしかなかった。しかもベッドも一つ。流石にそんな狭い部屋に3人で……しかも男女一緒にというのに気が引けて、まだ見ぬ母親の待つ俺のこの世界の実家に行こうかとも考えたのだが……そんな、田舎に泊まろうみたいな度胸が俺にある訳も無く、別段不服も言わなかった雪ノ下と由比ヶ浜に甘えて、相部屋させてもらうことになった。

 まあ、こんな事はこの先にもいくらでもあるだろうから、とりあえずは慣れようと思いつつも、目の前のベッドの上では由比ヶ浜が胸のひもを縛るのに苦労していた。湯上りで新しいぬののふくに着替えた由比ヶ浜の……とくに、首から下、へそから上に視線が引き寄せられてしまう。まさか、この世界に来てまで、万乳引力に晒されてしまうとは!!乳トン先生、こちらの世界にもおわしたのですね!!

 っていうか、由比ヶ浜のぬののふく……明らかにサイズ会ってない。襟に当たるところで、靴紐みたいにひもで縛って、サイズを調整するようになっているけど、はち切れんばかりというか、いや、すでに布で抑えつけられる限界まで中身が詰まってしまっている。もはや、パンパンだ。

 そんなことを考えていたら、スッと視線を上げたところに、頬を真っ赤に染めた由比ヶ浜が、俺を睨んでいた。

 

「ヒッキーのえっち!」

 

 そう言った由比ヶ浜が、両手で胸を隠す様に抑えつける。俺は慌てて視線を逸らす。

 いや、お前、そのポーズさらにえっちぃ感じになってるからね……頼むから自覚してくれよ。

 

「ふう……良いお湯だったわ」

 

 そんなやり取りをしていた俺達の部屋に、湯上りの雪ノ下が帰ってきた。雪ノ下も、同じように新しいぬののふくを着ている……が!こっちは安心して全身を見ることが出来た。

 

「?なにかしら?そんな穏やかな顔をして」

 

「あ、いや、風呂があって良かったなと思ってな」

 

 危ない危ない、あやうく。『お前の胸は害が無くて助かった』とかなんとか言っちゃうとこだった……そんなことほざいたら、次の瞬間メラを食らって、即死だったな。

 

 とりあえず俺達は宿屋に来る前に、二人から着替えが無いと言われ、衣料品の店を探したんだが見つけられなかった。この辺りでは普段着は自前で縫うことが一般的であるらしい……仕方ないので、武器屋に行って、このぬののふくを買ったのだが、店の親父が、フリーサイズだから……って言うのを信じて、クリーム色の奴を二着購入した。ちなみに、ぬののふくは実際のところは上下セットのチュニックのような服で、インナーもセットとのこと(乳バンドがあるかどうかは不明だが)で、価格は一着10ゴールド。

 それを持って宿屋に。一泊2食付きで一人2ゴールド。これが高いんだか安いんだかは良く分からんが、俺の支度金の50ゴールドが、24ゴールドに激減したのは間違い無かった。まあ、由比ヶ浜は、普段着の法衣みたいなのがあるわけだし、寝る時くらいは我慢してもらおう。

 

「さてと、じゃあ、みんな飯も食ったし、風呂も入ったわけだが、とりあえずこれから俺がこの世界について説明してやる」

 

 俺は寝床用に自分で敷いたゴザの上に大きな木の板を置いた。そこには、さっき俺が自分で描いた世界地図が。雪ノ下と由比ヶ浜はそれを興味深そうに覗き見る。

 ちなみに、この世界には紙や鉛筆が無いらしい。紙と言えば羊皮紙で、ペンは翅ペン。しかもそれらは高価らしく、手に入らなかったため、俺は、店の親父に頼んで、板と木炭を貰ってきたという訳だ。

 

「あら?これって世界地図のようね」

 

 その俺の手書きの地図を見ながら雪ノ下が、そう呟く。

 

「あ、ホントだね。ここに日本があるよ」

 

「ここは、オーストラリアかしら……なら、この右隣りは……こんなところ知らないわね」

 

 地図を見ながら、つぶやく二人に俺は言った。

 

「今、雪ノ下が言った、そのオーストラリアみたいな大陸はランシール。その右側が、今俺達の居るアリアハン大陸だ。どうも世界地図が元らしいんだが、このアリアハンは、ムー大陸とか、アトランティス大陸とか、そんな設定みたいだな。ちなみに、由比ヶ浜が言った日本は、ここだとジパングって呼ばれてて、卑弥呼って女王が居て、実はその本性がやまたのおろちだったりする」

 

「え?ムー大陸?やまたのおろち?」

 

 目が点になってる二人に俺はもう一度言った。

 

「だから、言ったろう?ここはゲームの世界だって……所謂ファンタジーなんだよ。剣と魔法があって、魔王とモンスターがいて、人々が怯えながら生活してるって、設定なんだよ」

 

「ふう……話を聞いてるだけで、頭が痛くなってくるわね……で、要はこの世界のどこかに居る魔王を倒さないと、平和にはならないってことなのかしら?」

 

 雪ノ下のその言葉に俺は頷く。

 

「まあ、そういう事なんだが、魔王が居るところは俺は知ってる。ここだ」

 

 アフリカのケニアの辺りを指さして二人に教えた。

 

「このネグロゴンドにバラモス城があって、まあ、とりあえず、そいつを倒さないといけないんだが、その後、裏の世界のアレフガルドってとこに行って、真のラスボスのゾーマを倒してやっとゲームクリアーになるんだよ」

 

 俺のその言葉に二人は顔を見合わせる。そして突然勢いよく由比ヶ浜が手を上げた。お、おい……胸……揺れすぎだから……

 

「はいはいはい!……えっと……アフリカまで行くんだよね……あたしパスポート持ってないんだけど」

 

「いや、お前な……ここ、ゲームの世界だって、何回言ったら解るんだよ。第一、飛行機なんてないし、船だって、確か帆船しかないぞ。ゲームだとあっという間に目的地に着いちゃうけど、もし本気で徒歩と、船で世界をまわったら、多分何年もかかっちゃうだろうな」

 

「まあ、実際に魔王を倒すとして……では、比企谷君、この世界がゲームと同じというのであれば、その手順を教えてくれないかしら」

 

 その雪ノ下の言葉を受けて、俺は、攻略ルートを話した。

 

 

 

 

 

 

「と、まあ、6個のオーブが全部集まったら、この南の果てのレイアムランドの祭壇にオーブを捧げて、不死鳥ラーミアっていうバカでかい鳥をよみがえらせて、その背中に乗って、バラモス城に行くわけだ。なんでかしらないけど、魔王城は周りが岩山に囲まれてて、空からしか行けないから、ラーミアは必須って訳だな」

 

 一気に話したそれを、雪ノ下はウンウン頷きながら、由比ヶ浜はこめかみに指を当てながら聞いていた。由比ヶ浜の奴、多分全然分かってねえな。

 

「ちなみに、このレイアムランドは、地図の位置からして、南極っぽいわけだが、この北極に当たるグリンラッドが超近い。一応、世界は丸いんだよの設定で、一番南にいくと北から現れる……みたいな設定なんだが、メルカトル図法をそのままに解釈してるから、何故か南極のすぐ先に北極があったりするわけだ。これ、子供ながらに理解に苦しんだ経験でもある」

 

「南極と北極が近い!?それって……」

 

 唖然とした表情の雪ノ下が口を挟んできたので、俺は答えた。

 

「仕方ねえだろ、ゲームなんだから、アメリカ大陸最南端から更に南に行くと、アフリカじゃなくてカナダに出ちゃうんだよ!だからここは、丸い星って言うよりは、南北、東西でそれぞれ紙を丸めた世界ってとこかな。あ、お前……雪ノ下、あんま難しく考えるんじゃねえよ。なんか眉間の皺が凄いぞ!この俺が描いた絵そのままだと思えばいいんだよ。ほら、由比ヶ浜を見ろ!この穏やかな顔を!何も考えなくて大丈夫だから」

 

 その俺の言葉に、雪ノ下も全く納得できないといった風ではあるが、一応頷いて見せた。由比ヶ浜は……あ、コイツはもう思考を放棄してるな。相変わらずのニコニコ顔だ。

 

「まあ、そういうことで、今言ったチャートを全部こなすと魔王に辿り付くわけだ。で、その後に、この魔王城のすぐ脇の『ギアガの大穴』に飛び込んで、アレフガルドってとこに行くわけだが、正直、アレフガルド自体の攻略は難しくないんだが、俺はこの穴に飛び降りるのが嫌でしょうがない」

 

「飛び降りるの!?」

 

 由比ヶ浜が真っ青になってそう叫ぶ。隣の雪ノ下も同様の表情だ。

 

「ゲームではそうなってる。で、ゲームだと当然ダメージなしで普通にみんなあっちに行けるけど、今は生身だしな……正直やりたくない」

 

「うう……ヒッキー、あたしも飛び降りたくないよ」

 

「まあ、そうなるわな……それと、もう一つ、このさっき言ったチャートを全部こなそうとすると、世界を3周以上周る感じになる。まあ、途中ルーラを使ったりすれば、短縮はあるんだろうけど、船じゃなきゃいけない場所もあるし、その船にもデカいイカとか半魚人とかが襲ってくるから、おちおち安心も出来ない。そんなまま、日本から、イタリアに行って、その後カムチャツカ経由でロシアまで行くとか、一体何十日かかるかって話だ。俺は正直、そんな長旅したくない」

 

「この世界の勇者の発言としてはどうかと思うのだけれど、一緒についていくことを思うと同調せざるを得ないわね。そもそも、本当に貴方に……いえ、こと、ここに至っては私達と言うべきかしらね……私達に、魔王を倒すことなんてできるのかしら?」

 

 その雪ノ下の言葉に、とりあえず俺は思ったことで応える。

 

「まあ、普通に考えれば無理だろうな。動物を狩るどころか、虫もろくに殺したことのない現代っ子の俺達に、魔王とか、モンスターとか殺せるとは思えないな……」

 

「その通りよね……」

 

 雪ノ下がふうっとため息をついた。

 そもそもだ。これがいくらゲームだって言っても、経験値を稼ぐにはモンスターを殺さなきゃならない。まあ、俺は俺で攻撃力100オーバーのバスタードソードもあるから、スカイドラゴンくらいまでなら一撃必殺出来そうだけど……どっかの異世界転生ものみたいに、殺した瞬間にポリゴンで弾けるみたいなエフェクトなら多少は耐えられそうだけど、切ってみたら、普通に出血して、絶叫して絶命とか、マジで無理すぎる。

 しかも、こいつらにはまだ言ってないけど、途中にはカンダタ一味とかの人間もいるわけで、そいつらを倒すってことは要は人殺しをするってことだ。確実に3人揃ってPTSDにかかる自信まであるな。

 

 うーんと唸って、そんなことを考えていたら、俺の眼前にずいっと乗り出してきた由比ヶ浜が、唐突に口を開いた。

 

「ねえねえ、ヒッキー。魔王が居るって事はさ、神様とかも居るのかな?いるんならさ、その神様にお願いして、元の世界に戻れますか?って聞いてみるのもいいんじゃないかな」

 

「おまえ……さっき俺達死んだって言ってなかったか?」

 

「う、うん……さっきは良く分からなかったからそう言ったけど、あたしもトラックにぶつかる前に意識が途切れちゃったし、ひょっとしたら、向こうの私達もまだ生きてるかもなって……思って……」

 

 最後の方はなんだか自信なさそうに話した由比ヶ浜だったが、その後を雪ノ下が続けた。

 

「確かに、私もぶつかった瞬間の記憶は一切ないわね。目の前のトラックを見ながら意識が飛んでしまったのだし……まあ、でも、あのままなら確実に跳ね飛ばされてるわけだし、どちらにしても無事とはおもえないのだけれど……。」

 

 その雪ノ下の言葉に、由比ヶ浜がしょんぼりと項垂れてしまった。俺はそんな由比ヶ浜の頭に、ポンと掌を乗せて、話した。

 

「俺もぶつかった記憶はないんだ。由比ヶ浜の言う通り、ひょっとしたら、まだ生きてるかもしれないな。このまま魔王を倒すにしても、ただがむしゃらに戦うってのはちょっと無理そうだし、神様に会ってお願いしてみるって目標が在ってもいいのかもしれないな」

 

「ひ、ヒッキー……」

 

 ちょっと、瞳を潤ませた由比ヶ浜が、俺を見上げながら微笑んだ。ま、まあ、ちょっと嬉しくなっちゃったってのは分かったから、離れてくれよ……近いから……

 

「という事は、比企谷君には当てがあるという事でいいのかしら?」

 

「まあ、あると言えばあるな……とりあえずこの世界には神様っぽいのが二人いる。一人は精霊ルビス。この世界全体の宗教のルビス教の御本尊で、今は魔王にその力を封印されている。下の世界のアレフガルドのルビスの塔に封印されてる。まあ、攻略を進めて行けば、この人?は解放できるんだけどな。で、もう一人は、竜の女王だな。確かゾーマと戦って傷ついたって設定で、このロシアのモスクワの辺りに、周りを全部山で囲まれた城に住んでるんだが……」

 

「ん?その方がどうかしたのかしら?」

 

「あー、まあ、この女王様はな、傷が酷いとかで、ゲーム中だと、会った瞬間に卵を産んですぐに死んじまうんだ。という事は、現在進行形でケガに苦しんでるってことだな」

 

「わわ……なんだか、可哀そう……」

 

「まあ、ドラクエ自体が竜が主役みたいなもんだから、実際は精霊ルビスより、この世界の為に戦った竜の女王の方が格が上のような気もするんだが……どっちにしても、魔王バラモスを倒さないと会うことは出来ないというわけだ」

 

「なるほど、やはり一筋縄ではいかないという事ね……でも、これで目標が出来たわね。その精霊ルビスと、竜の女王に会って、私達が元の世界に戻れるかを聞いてみるということ。元々死後の世界としてここを認識してるんだから、別に戻る方法が無くてもその時は諦めればいいだけの事だし」

 

 その雪ノ下の言葉に、由比ヶ浜も頷いて答えた。

 目標はやはり大事だろう。いくらこの先の展開を知っていると言っても、目標も無しに先になんて進んでなんていけない。特に今回は世界を巡る大冒険にもなる。レベルが低いうちはとにかく死ぬ確率も高いし、本当にゲームみたいに教会で生き返らせてもらえるのかも怪しい。そもそも死んだこいつらを引きずって街に戻るとか、マジありえない。まあ、でも、それでも、こいつらという仲間がいるんなら、俺はコイツらの為に頑張るだけだ。雪ノ下が言うように、戻れる戻れないに関わらずにな……

 俺はゴザの上に座る二人見ながら話した。

 

「さあ、まあ、俺の話しも大体終わりだ。目標も出来たし、気になることはまた聞いてくれ。だからもう寝ようぜ。俺もちょっと疲れた」

 

「うん、そうだね!ゆきのん、一緒に寝よう!おやすみヒッキー」

 

 そう言って、雪ノ下と由比ヶ浜の二人がベッドに横になった。

 俺も、木の世界地図を片付けて、ゴザの上に横になる。そして、蝋燭の火を消して毛布を被った。

 そして、深い眠りについた…………

 

 

 

 

 ティロリロティッティッティーーーン!

 

 

 

 次の日、目を覚ますと………

 

「あ、お早うヒッキー……」

 

 へ?

 

 なぜか俺の右隣りの毛布の中に由比ヶ浜が!!俺の腕に体を押し付けるようにして横になってる。

 

「あら、もう起きたのね……おはよう、比企谷君」

 

 へへ!?

 

 慌てて顔を反対に回すと、俺の左隣の毛布の中には、雪ノ下がくっついて横になっていた。

 俺はあわててガバリと起き上がると、そのまま二人に向かって叫んだ。

 

「お、お、お、お前ら!な、なんで俺と一緒に寝てんだ!!ゆ、由比ヶ浜、お、お前、昨日と良い、今日といいなんで俺と寝るんだよ!」

 

 その俺の言葉に、何故か二人は頬を赤らめて顔を見合わせてる。

 

「なんでって……ねえ、ゆきのん?」

 

「そうね……本人が何故無自覚なのか理解に苦しむのだけれど、寝言であんな事を言われてしまったら、もうこうせざるを得ないというのに……」

 

「な!?ね、寝言だと!?お、俺はいったい何を言ったんだよ!おい!教えろ、お前ら!」

 

 その俺の言葉に二人は再び顔を見合わせて、でも今回は笑い合ってる。そして、おもむろに由比ヶ浜が俺の耳に口を寄せてきて呟いた。

 

「ちゃんと守ってね……勇者様……」

 

 吐息にゾワリと体が震える。赤い顔でそう言った由比ヶ浜は、そのまま何も話さなかった。

 

「あ、あのなあ、俺いったいなんて言ったんだよ。雪ノ下……なあ、教えてくれよ」

 

「いやよ……絶対……まあ、でも元の世界に戻れたら、教えてあげようかしらね」

 

 ふふふと、雪ノ下は可笑しそうに笑うと、やはりその後、何も話さなかった。

 

 くそう、こいつら……俺をからかいやがって……

 非常に不快ではあったが、それ以上何も言わない以上、二人に追及も出来なくなり、仕方なく、出かける準備を俺はした。二人も着替えが終わって、さあ、宿を出ようと歩き出したが、相変わらず二人はニヤニヤしている。なんとなく二人の距離が俺に近いのが、気になってしまう。

 そんあこんなでモヤモヤしながらも、今日は初めて、城の外に出かけることにした。

 

 そう初めての戦闘だ。

 そして、その時は突然やってきた。

 

 スライムが3匹現れた。

 一角兎が3匹現れた。

 

「わー!か、かわいい~!?」

 

 見た瞬間、由比ヶ浜がそう声を上げる。もはや、戦う気一切なし。

 目の前には青いゼリー状の身体をフルフル震えさせながら、妖しく微笑むスライムと、額に長い角を生やした少し大型の兎がこちらに迫っていた。

 

 だが、次の瞬間……

 

『キシャアアア!!』

 

 突然、一角兎が奇声を上げて、俺達に向かって飛びかかってきた。そして、フルフル震えるスライムも、それを追うように、飛び跳ねた。

  

 俺達は……

 

 

 一目散に逃げだした。当たり前だあああああ!!

 

 

 いや、無理だって!あんな化物。一角兎の奴、遠目に見たら超愛くるしいけど、近づいたら口からよだれ垂らしまくって、あの中の一匹なんて、口に骨みたいなの咥えてるし……どうやらあいつら超肉食らしい。

 スライムはスライムで、あの無表情の笑顔が気持ち悪いのなんのって……はあ、やっぱり、モンスターは怖すぎる……

 

 街の入り口まで走ってきた俺達は、息を切らせながら、お互いの顔を見た。それから、俺は言った。

 

「なあ、お前ら……もう一泊しちゃおっか」

 

 その言葉に二人はコクコクと頷いた。

 

 そして……

 

 俺達は再び宿屋に向かったのだった。

 

 

 

 

 

 

 冒険1日目

 

 はちまん

 レベル1

 ゆうしゃ

 ひねくれもの

 武器 バスタードソード

 防具 旅人の服

 経験値0

 

 ゆい

 レベル1

 そうりょ

 セクシーギャル

 武器 こん棒

 防具 旅人の服

 経験値0

 

 ゆきの

 レベル1

 まほうつかい

 みえっぱり

 武器 ひのきのぼう

 防具 ぬののふく

 経験値0

 

 

 

 

つづく



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(3)ルイーダの酒場に来てみました。

 はじめてモンスターに遭遇したその日、俺達は宿屋にとんぼ返りをしたわけだが、何もしなかったわけではない。まあ、街に帰ったのもまだ昼前だったしな。なにか現状打開を考えなくてはならない。俺にとっての最大の武器はこの世界(ゲーム)の知識。それを使って、俺達にとって有利に事態を運ぶ手段を見つけなくてはならない。そんな俺達が最初にしたのは、まずステータス確認だった。

 

 ゲームのドラクエならおなじみだが、ゲームでは『つよさ』のコマンドで自分たちの力を見ることが出来る。だからそれが出来るんじゃないかと、あーでもない、こーでもないと一人でブツブツやっていたわけだが、唐突にそれが出来た。

 

 ピッ!!

 

 頭の中で、『コマンド~つよさ』と強く念じて見たら、突然耳におなじみのあの音が響いて、目の前の何もない空間に突然例の画面が現れた。それを見た雪ノ下由比ヶ浜も驚いた顔をしている。俺は、二人にも支持を出して、同じように『つよさ』の画面を表示させた。

 

――――――――――

 はちまん

 HP 30

 MP 8

 ゆうしゃ

 ひねくれもの

 せいべつ:おとこ

 レベル1

 ちから   : 8

 すばやさ  : 8

 たいりょく : 8

 かしこさ  : 8

 うんのよさ : 8

 最大HP  : 30

 最大MP  : 8

 こうげき力 :113

 しゅび力  : 16

 Ex : 0

 

――――――――――

 ゆい

 HP 20

 MP 15

 そうりょ

 セクシーギャル

 せいべつ:おんな

 レベル1

 ちから   : 6

 すばやさ  : 10

 たいりょく : 9

 かしこさ  : 12

 うんのよさ : 19

 最大HP  : 20

 最大MP  : 15

 こうげき力 : 13

 しゅび力  : 17

 Ex : 0

 

 じゅもん

 ホイミ

 

――――――――――

 ゆきの

 HP 12

 MP 18

 まほうつかい

 みえっぱり

 せいべつ:おんな

 レベル1

 ちから   : 4

 すばやさ  : 10

 たいりょく : 9

 かしこさ  : 18

 うんのよさ : 10

 最大HP  : 12

 最大MP  : 18

 こうげき力 : 6

 しゅび力  : 13

 Ex : 0

 

 じゅもん

 メラ

 

 見た瞬間絶句。

 な、なんで俺のステータス全部8なんだよ。はちまんにちなんでってやつかぁ!?っていうか低すぎだろう……ちから以外、全部雪ノ下達に劣ってるし。ちからにしたって、辛うじてって感じじゃねえか。バスタードソードのおかげで、こうげきりょくだけ3桁だけど、それ俺の基本能力じゃねえし。それよか一番腑に落ちないのは、かしこさで由比ヶ浜に負けてるって点だ!!

 く、くそ……雪ノ下はまだしも、阿保認定の由比ヶ浜にまで数値でまけてるとは……こんな現実見たくなかった……

 ひとりでショックを受けて項垂れた俺に、次第に見方が分かってきた雪ノ下が、何か得意げになって俺を見下ろしてきやがった……由比ヶ浜は……

 

「ヒッキー、ドンマイ!」

 

 困った顔で俺にエールを……くう……今は、そういうのが一番応えるんだよ……

 

 傷に塩を塗りまくられた俺だったが、とりあえずすぐに立ち直った。そして、もう一度、3人で街の外に出て、スライムが1っ匹だけ出てくるのをひたすら待つ。そして、暫く門の前をうろついていたそこに、ついにそいつが現れた。

 

 スライムが現れた!

 

 俺は深く深呼吸をして、そのスライムに向かって一気に間合いを詰めて、バスタードソードを思いっきり叩きつけた。

 剣の心得なんかまったくない俺だが、ただ真っすぐに振り下ろすだけならなんとかなった。まあ、目隠しなしのスイカ割だ。スライムはそんなに素早くなかったから、俺の剣は吸い込まれるようにスライムを真っ二つに!

 あまりの切れ味に、暫くそのままの形でフルフルとスライムは震えていたが、暫くして形を保てなくなって、床に落としたゼリーの様に地面にドロリと崩れた。

 ああ……これエフェクト無い奴だ……殺したら死んじゃう奴だ……うわわ……

 そしてそのドロリとなった元スライムだったものの上には、2ゴールドのコインが!それを指先でつまんで拾い上げ、近くに生えていた草で綺麗にふき取ると、それを持って3人で、一目散に街に戻った。

 そしてもう一度、3人全員のつよさを見る。その確認が終わってから、俺は二人に声を掛けた。

 

「よ、よし……現状打開の作戦会議だ!」

 

 そう言ってから、俺達3人は街のはずれのルイーダの酒場に向かった。

 

 

 

 

 

 

 昼間の閑散としたルイーダの酒場に3人で入り、奥の丸テーブルに腰を掛ける。そして、果実の飲み物を3つと、昼食にとサンドイッチを頼んだ。3人分で1ゴールド。さっき宿屋には今夜宿泊の分の金を前払いで払っておいたから、さっき倒したスライムの分も合わせても、これで俺達の手持ち残金は19ゴールド。このまま何もしなければ本気でジリ貧だ。

 

「それで、貴方はどうするつもりなのかしら?比企谷君」

 

 そう雪ノ下に言われて、俺は組んでいた腕を解いて顔を上げた。

 

「もう一人誰か仲間にしよう」

 

 その言葉に、二人も黙って頷く。正直もうそれしかない。

 俺達はただの冒険者じゃない。魔王討伐の勇者一行だ。そんな俺達が金を稼ごうと思ったら、モンスターを倒して奪うしかない。まさか勇者一行が、皿洗いとか、接客とかのアルバイトをしたいと言っても、誰も働かせてくれやしないだろうし……だが、俺達はモンスターをポンポン倒すことなんて出来ない。それはさっきのスライムと一角兎と相対した時に身に染みている。なら、どうするか……

 

 そう!他力本願だ!

 

「戦えない俺達はこの世界にとっては全くの役立たずだ。虫以下の存在だ。屑だ。ゴミだ。それはお前らも分かるよな!」

 

 目に力を込めてそう二人に言い放った俺に、当の二人はあきれ顔で見返して来た。

 

「そこまで卑屈になれるなんて、いっそ清々しいわね。でも、確かに反論の余地はないわ」

 

「そ、そうだね……さっき、めっちゃ怖かったし……はは……」

 

「だから俺達が取るべき手段は一つだけだ。めっちゃ強い奴をもう一人仲間にして、そいつに戦ってもらう。そして俺達はそいつに金魚のふんの様について回るという事だ。そいつはきっと思うだろう。『なんだこいつらヘタレすぎ』だと……でも、それでいい!いやそうしてやろう!俺達は、とにかくそいつを持ち上げて、魔王討伐の手柄も全部そいつにくれちまおう。幸い俺にはクリアーまでの全ての知識がある。それを駆使して、そいつに全部を被せて、俺達は神様に会うって目的だけを遂行する。これが最善だと思うが……どうだろう」

 

 きりりっと、二人に視線を送ったものの、薄笑いであっさり返されてしまった。

 

「まあ、言いたいことは分かるのだけれど、貴方にプライドを求めることは諦めるしかないようね」

 

「プライドじゃメシは食えないからな。そんな物より大事なことが俺にはあるからな……その……なんだ……」

 

 くっ……余計なこと言っちまった。

 目だけを二人に向けると、今朝と同じような嬉しそうな顔で、俺の事を眺めてる。

 

「あー……お前ら……余計な事聞くんじゃねえぞ……」

 

 そう言った俺に雪ノ下が……。

 

「あら?私達は何も言ってはいないのだけれど……」

 

「くっ……」

 

「あはは……」

 

 笑う二人に、俺は頭を掻きながら、果実ジュースに口をつけた。

 

「なんだなんだ~?ずいぶん楽しそうじゃねえか、嬢ちゃん達~」

 

 急に下卑た声が俺達に近づいてきた。俺は、そっと視線を上げると、薄汚れた皮の鎧を身に着けた、明らかに冒険者っぽい親父が3人で歩み寄ってきていた。そいつらは千鳥足で、明らかにふらついてる。間違いなく酔っ払いだ。そいつらは、俺達のテーブルを囲むと、その視線を由比ヶ浜と雪ノ下に注いだ。

 

「おお!こりゃあ上玉じゃねえかぁ……魔法使い様に聖女様までいるぞぉ~こりゃあありがてえ、なあ、姉ちゃん達、俺達の相手してくれよ~……なあ、なあ……ぐへへ……」

 

 その言葉に、由比ヶ浜が身を竦めて俺を見つめる。雪ノ下は気丈に姿勢を正しているが、微かに肩がふるえてやがる。そりゃ、怖いに決まってるよな……ちくしょう、どうするか……こいつらのレベルがどれくらいかは分からねえが、俺のバスタードソードの一閃で全員間違いなく殺せる。でも、殺せるだけだ。弱っちい俺に手加減なんて出来ないし、こんな街中で理由はどうあれ殺人なんて犯したら、それこそこの後どうなるか分かったもんじゃない。だからって、このまま放ってなんて置けない……

 

 く、くそ……やるしかないのかよ……

 

 俺が剣の柄に手を触れたその時……

 

「やめな!あんた達!」

 

 店の奥の方から、なぜか聞き覚えのある声が俺達にかかる。ふと顔を上げるとそこには……

 

「え?川崎……さん?」

 

 そう、川崎だ!川何とかさんじゃなくて、そこには武闘家姿の川崎が拳を握りしめて立っていた。

 

「いいぞー!サキサキー!やっちゃえー!」

 

 その更に後ろから、やはり聞いたことのある声で、歓声が上がった。

 

「ちっ……サキサキ言うな」

 

「あれ?ええ?ひ、姫菜?」

 

 今度は由比ヶ浜がそう声を上げる。見るとそこにはバニーガール姿の海老名がピョンピョン跳ねていた。なんだアイツ……ひょっとして遊び人か!?

 

「は、はぽおん……さ、サキ殿、頑張って欲しいでござる」

 

「ざ、材木座かぁ~!?」

 

 今度は商人姿の材木座……一体この店はどうなってやがる……呆然とした俺達にはお構いなしに、川崎の奴が手をバキバキ鳴らしながら、酔っ払いに近づいてきた。その冒険者風のやくざは、一様に川崎に怯えてる。まあ、そりゃそうだな。アイツもともと格闘家だしな。はっきり言って強いだろう。

 

「へへへ……ねーちゃん……なんだ、あんたが俺達の相手してくれるってのかぁ?俺達はそれでも……」

 

 言いながら、その酔っぱらいは自分の腰の短剣に手をかける。

 

「川崎!気をつけろ!」

 

 咄嗟にそう叫びながら、俺はコップをその男の手に向かって投げつけた。その衝撃に驚いた男はよろめく。

 

「くっ……」

 

 体勢を崩しながらも短剣を抜き放った酔っ払いは、川崎に向かってその手をつきだした。その刹那……

 

「遅いんだよ!」

 

 後ろ回し蹴りの一閃!川崎のするどい蹴りがその男の顔面を捉える。男はその体をふわりと持ち上げられ、そのまま山なりに飛んで行った。

 

「う、うわああ……た、助けてくれ……」

 

 川崎の凄まじい立ち回りに、後の二人は腰を抜かす。川崎は俺に少し視線を移すと、「さ、さっきはありがとうな」とぼそりと呟きながら、床に転がるその二人に手を伸ばそうとしていた……

 

「一体なんの騒ぎだ」

 

 またもや、聞いたことのある声。この胃の腑が疼くようなむかつく声を俺が聞き間違えるはずがない。

 

「ちっ今度は葉山か……」

 

 ギイィっと開いた入り口のドアから、葉山を先頭にして甲冑姿の兵士が何人も入ってきた。

 

「いったいなんの騒ぎだ。事と次第によっては、全員捕縛するぞ」

 

「ちっ……近衛隊の連中か……この馬鹿どもがうちの客にちょっかい出してたから追い出そうとしただけだよ」

 

「無礼者!はやと隊長になんという口の聞き方だ。貴様名を名乗れ!」

 

「私はこの店の用心棒のサキだけど、あんたは?」

 

「あーしは近衛隊副隊長のゆみこだ。公爵家のはやと様に貴様のような下賤の輩が話しかけようなどとは、言語道断。直ちに跪け!」

 

「ああ?誰に言ってんだテメー!」

 

「貴様にだ!」

 

 葉山の後ろから出てきた赤い鎧を身に着けた、金髪の女は……まあ、ここまで来れば、もうなんでもいいや。

 

「ゆ、優美子?」

 

 由比ヶ浜がポツリとそう言うのを聞きながら、目の前で、武闘家川崎と戦士三浦がメンチを切りあってる。うわわ……怖いな……他所でやってくんないかな……

 

「これはこれは勇者様ではありませんか」

 

 周囲のそんな険悪な雰囲気はお構いなしに、その銀の鎧を身に纏った葉山が、俺にゆっくりと近づいてきた。そして恭しく頭を下げる。

 

「王より、勇者殿が旅立たれたと聞き、一目お目に掛かりたいと願っておりました。まだこの城下におられたとは……お会いできて光栄です」

 

「い、いや……別にまだ俺なんにもしてないから……」

 

「何をおっしゃいます、勇者様……貴方様は魔王を倒すと予言された方。そんな神にも近しいあなたにお近づきに為れたのですから、これほどの喜びはありません」

 

 うーん何だろうこの感じ……目の前に居るのは間違いなく葉山なのに、話し方は葉山じゃない。でも、なんだか薄っぺらい言葉の連続は葉山な訳で、結局トップカースト丸出しのリア王ってことだな……はい、こいつ葉山認定完了。ったく、その張り付けたみたいな笑顔止めろっての。腹の底で何考えてんのか分かんなくてコエーよ。

 いつの間にか、俺の両隣に、雪ノ下と由比ヶ浜が寄り添うように寄ってきていた。そりゃまあ、気持ちは良く分かる。だって、俺もコエーもん。

 

「おや?勇者殿はすでに僧侶と魔法使いの供をお連れなのですね。でしたら、是非、わが隊の誇る精鋭のひとりをお連れ下さい」

 

「えーと、隼人……さんは付いてきてくれないの?」

 

 突然の由比ヶ浜の発言に、思わず首を捩る。ちょ、おま……なんでよりによって、コイツ誘っちゃうんだよ。俺苦手なのに……

 チラリと雪ノ下を見ると、コイツもコイツで、ものすごく嫌そうな顔をしていた。

 そんな俺達の様子を見てたのかどうかは分からないが、目の前の葉山はニコリと由比ヶ浜に微笑みながら、

 

「申し訳ありませんが、私にはこのアリアハンを守るという重責がございます。せっかくのお誘いではございますが、同道出来ないことをどうかお許しください」

 

 由比ヶ浜はそう言って頭を下げた葉山に、目を白黒させていた。このやろう……由比ヶ浜にむかって、貴人の礼をしやがって……本当にムカつくやつだ。とにかく自分はお前なんかとは行きたくありませんって、言葉を変えて言っただけじゃねえか。そもそも、俺達が布の服とか装備してるのに、そのお前の銀ぎらの鎧はいったいなんなんだよ。自分が行かねえってんなら、鎧とか、武器とかだけでも寄越せってんだ。あ、俺、バスタードソードはもう貰っちゃったけど。

 再び立ち上がった葉山が周りを見渡して、ふと何かを考えるような仕草をしてから話した。

 

「では、そうですね……このルイーダの酒場には、様々な技能を持ち合わせた冒険者の方が集まっております。この中から、勇者様が供の者をお選びになられれば宜しいかと存じます。では……」

 

 そう言って、もう一度深く礼をした葉山は、転がってる3人を連行しつつ、表に出て行った。後には、何かを言い含められた三浦が、鬼の形相で立って俺を睨んでいる。だから、怖いって!

 この場に居るのは、俺達3人と、戦士三浦、武闘家川崎、商人材木座、遊び人海老名。あと、今気が付いたんだが、どう見ても戸部みたいな顔の奴が、どう見ても盗賊って格好をして、壁に背を預けてカッコつけて佇んでいた。戸部……相変わらず影薄いのな……

 

 そいつらを見ていると、雪ノ下と由比ヶ浜が俺に耳打ちしてきた。

 

「えーと……みんな本人じゃないよね?なんだか言葉使いもちょっと違うし」

 

「そうね……ひどくみんなこの世界に馴染んでいるし、それが少し気持ち悪いのだけど」

 

「まあ、コイツらは他人の空似ってことでいいんじゃないか?事故に遭ったのは俺達3人だけだし、本人かどうか確認するまでもないだろう」

 

 という事で、こいつらは他人の空似決定。

 さて、ではここからが本題という訳だな。俺達には、もう一人俺達の分まで戦ってくれる仲間が必要だ!なぜなら、俺達が全く戦力にならないから……

 だから、ここルイーダの酒場でスカウトをするのはやぶさかではないのだが、ここに居る連中で本当にいいのかというのが問題だ。

 普通に考えるのならば、勇者、僧侶、魔法使いの俺達のパーティーに必要なもう一つの職業は、戦士か武闘家だろう……ドラクエ3の一番理想的なパーティーとして、勇者、戦士、僧侶、魔法使いという組み合わせがあり、前衛二人が肉弾戦、後衛二人で回復援護と範囲魔法というのがセオリーでもある。この組み合わせでレベルを上げた後で、僧侶を武闘家に転職させ、魔法使いを賢者にすると、より戦闘力が上がるというメリットもある。

 遊び人ははっきり言って役に立たないが、悟りの書なしで賢者になれるから、そういう育て方をするなら有りだが、今回のようにのんびりしたくない状況ではちょっと遠慮したい。目の前にいるの腐女子だし……で、商人は……まあ、後々のイベント用に置いとけばいいやって感じかな?まあ、材木座だし、そんな扱いでいいだろう……それと、盗賊は、探索には向いているけど、別に全部頭に入ってる俺には必要ないな。それと戸部だし。

 となると、やはり、ここは戦士か武闘家の2択か……三浦か川崎かって考えると、正直どっちも遠慮したい感じではあるが……まあ、別人だしそこは気にしなくても…………ん?

 

 

 

 

 チリン……

 

 

 

 

 足元の床に何かが落ちたような小さな金属音が……

 

「あ?ヒッキーなんか落ちてるよ……」

 

 由比ヶ浜が屈んでそれを拾って俺に手わたした。これは……

 

 

 

 

 は!?

 

 

 

 

「雪ノ下、由比ヶ浜!一旦この店を出よう!」

 

「え?でも、もう一人仲間になってくれる人を探すんだよね」

 

「いいから出るぞ!思いついたんだよ!とびきり方法を!」

 

 そう言って、俺は二人の手を引っ張って急いで店を後にした。

 

 この後、戦士と武闘家の壮絶な乱闘が起きたことなど、俺達には知る由もなかった。 

 

 

 

 

 

 

つづく



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(4)ついにアリアハンを出ました。

 テレレレレ、ッテッテッテー………………

 テレレレレ、ッテッテッテー………………

 テレレレレ、ッテッテッテー………………

 テレレレレ、ッテッテッテー………………

 テレレレレ、ッテッテッテー………………

 …………………

 

「ひ、ヒッキー……た、助けて―――」

 

「こ、これは、き、きつすぎる…わ……」

 

 俺の背後で、俺の背中に体を寄せて蹲る由比ヶ浜と雪ノ下。二人は両耳を手で押さえて苦しそうに呻く。正直俺も、さっきから脳内に響き続けるこの音に、意識を持って行かれそうになっている。でも……

 苦しい反面、ニヤニヤが止まらない……

 まさか、こんなに上手くことが運ぶなんて……

 

 俺はグラつく意識を必死に抑えながら、視線を正面に向けた。目の前には2階建ての家屋程はあろうかという白い骨の怪物が何体も聳えている。そいつらはその虚空の巨大な口を大きく開きつつ、ある一点に向けて咆哮を上げ続ける。その数体の怪物の視線の先。俺達の少し前には、朱色の布の服を纏い、黒い髪を逆立てた一人の屈強な男が、右手に禍々しいオーラを放つ両刃の斧……もはやそれは人が扱う域を超えた戦斧、つまり『魔人の斧』を天高く振り上げているところだった。

 次の瞬間、その男は、突然その斧を吠える怪物の一体に向けて投げつける。魔人の斧はその怪物を粉砕して尚勢いが弱まらずに、はるか彼方へと飛び去って行く。男はそんなことはどうでも良いとでもいうように、残りの数体に向かって素手で殴り掛かった。

 

 俺達は、頭に響く、このドラクエというゲームで最も聞きたい効果音のエコーに苦しみながらも、その男の足元に産み出されつづける、数十体の骨の怪物の残骸や、まるで水銀の池と化したあの究極生物の死骸などを、ただ、呆然と眺め続けることしか出来なかった。

 

 暫くして、辺りに静寂が訪れる……

 俺達の脳内になり続けていたあの音も、今はもう聞こえなくなっていた。3人で顔を見合わせた後、俺達は立ち上がって、今目の前のこのモンスター墓場を作り上げた張本人に目を向けた。

 男は俺達にむかってゆっくりと歩いて近づいてきた。そして一言……

 

「だいじょうぶだったか?はちまん。オラ、心配したぞー」

 

 その言葉を聞きながらも、俺達は恐怖で一気にすくんでしまった。頭を掻きながら、俺に向かってそう言ったその男のすぐ後ろ……さっき男が作り上げた白骨の屍の山が急に盛り上がったからだ。そこには完全に形を失った巨大な骨の怪物が立ち上がっていた。

 

「あ……」

 

 呆然として何も喋れないでいる俺達の顔を見た男は、そのまま腰を落としてゆっくりと上体を横に回した。そして両掌を開いたままそこに力を籠めるように、ゆっくりと言葉を吐きだした。

 

「メーーーーーーーーーーラーーーーーーーーーーーゾーーーーーーーーーーーオーーーーーーーーーーー…………」

 

 腰を落としたまま合わせているその男の両手の平がまばゆく青白い光を放ち始める。それはまるで周囲の空気中のエネルギーがその一点に集まっているとでも言うように、その光はどんどん輝きを増した。そして……

 

「マーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」

 

 男は体を捻ると同時に、その両掌を怪物に向けて突き出した。巨大な青い光が、一直線に怪物に向かう……って、おい、これメラゾーマじゃねえだろ!?

 光に飲まれた骨の怪物は跡形もなく消滅した。

 

 男は再びくるりと俺達を振り返る。そして言った。

 

「うしっ!今度こそ終わったな!んじゃ飯食いに行くかー。オラ腹減っちまった~。心配すんな、金はとーちゃんが払ってやっからな」

 

 そう言って俺の肩をポンと叩く。

 

「あ、ああ、とーちゃん……」

 

 俺はとりあえずそれだけ言って、後ろの二人を振り返る。そこには苦笑いを浮かべた僧侶と魔法使いが立っていた。

 

 なんでこうなったのか……

 話は少し前にさかのぼる……

 

 

 

 

 ルイーダの酒場を出た俺達は、その足で街の反対側にある、唯一の飲料水源である井戸に向かった。この街は日本の街に比べれば人口はかなり少ないとはいえ、城を中心とした城下町。集団で生活する以上、生活用水は非常に重要であるだろう。だが、当然上水道などが整備されている訳ではないので、必然的に街の住民はこの井戸に水を汲みに来ることになるわけだ。

 これだけでも、この井戸が如何に重要かという事が解るというものだ。昨日も夕方に武器屋から出てこの井戸を眺めていたら、そこには夕飯や湯あみ用の水を求めた人たちの行列が出来ていた。

 

 井戸に着くと、そこには誰もいなかった。時刻は昼を少し過ぎたあたり……ちょうど昼食も終わり、水を汲みにくる人もいなかった。

 

「井戸に何しに来たの?」

 

 深い井戸を覗き込みながら由比ヶ浜が俺にそう問いかける。俺はそこに据え付けられている釣瓶を手で触りながら、答えた。

 

「この下に降りる」

 

「え?」「ええ?」

 

 俺の言葉に二人が驚きの声を上げる。まあ、当然の反応だな。だから俺はさっき由比ヶ浜に渡された小さなメダルを掌に載せて二人に見せながら話した。

 

「この下にな、メダルおじさんっていう変態が住んでるんだ。その人に会いに行く」

 

「へ、変態!?」

 

 俺の言葉に二人は体を抱くようにして縮こまった。その捩り方ちょっとエロいが……そんなことは当然口にしない。

 

「い、いや……別にお前らが思ってるような変態じゃねえよ。ただ、なんていうのか、ゲームだから仕方無い設定なんだが、世界中にあるこの小さなメダルを集めてるっていう収集癖のあるおっさんなんだよ」

 

「その人になぜ会わなければいけないのかしら?その貴方の手に持っているメダルを渡すことで何か素晴らしい奇跡でも起こしてくれるということなのかしら」

 

 雪ノ下はもっともな疑問を口にした。

 

「たしかに、メダルおじさんにたくさんメダルを渡すと、かなり凄い武器なんかをくれたりする。全部のモンスターを攻撃できるブーメランとか、まとめて叩ける最強のグリンガムの鞭とかな……だが、今回はそんなのが欲しくて会いに行くわけじゃない。ここは確かにゲームの世界だが、ゲームみたいに選択肢が限られてるわけじゃねえからな。俺の想像通りなら、ひょっとしたら、仲間を無理に加えなくても俺達が生き残れるように出来るかもしれない」

 

 俺のその言葉に、雪ノ下は怪訝な表情をするも、暫く考えるようにしてからため息を一つ吐いて呟いた。

 

「はあ……まあ、この世界の事に関しては、貴方に全て任せるわ。私達には理解できないことが多すぎるもの。それに貴方は私達のことを守ってくれるのでしょう?」

 

 そう言って、上目遣いで俺を見る。隣にいる由比ヶ浜も同じように頬を赤らめて頷いていた。

 

「うん!ヒッキーに任せる!ヒッキーのいう事ちゃんと守るよ」

 

 そうやって改めて言われるとかなりむず痒い物があるな……まあ、元よりこいつらは守るつもりだ。普通のプレイで、命を懸けて成長なんてのは俺達には不可能だ。だからこそ、こうやって少しでも生き残れる可能性のある方を目指している。俺はもう一度井戸に視線を移し……言った。

 

「よし、なら、このままだと降りられないから、梯子を借りてこよう」

 

 そう言って、俺達は近くの武器屋に向かった。

 

 

 

 

 梯子を降りた二人は、その光景に絶句していた。俺は一応予備知識があったから、まあ、そういう物なんだろうくらいに予期はしていたが、それでも、目の前にそれを見た時にはやはり驚いてしまった。

 井戸の底は真っ暗だったが、かなりの高さと広さがあった。そんな空間の中に、本来あってはならないものを俺達は見つけてしまったのだ。そう、そこには、家が一軒建っていた。

 水辺から少し離れた穴の奥の暗闇の中に、雨など降る訳がないだろうに、きちんと瓦屋根までもつけた家が建っており、その窓から明かりが漏れている。俺達はその玄関を目指して歩いた。

 

 扉の前に立った俺達は、ドアを数回ノックする。すると、中から、男性の声が返ってきた。

 

「どうぞ」

 

 それを受けて俺達は中に足を踏み入れた。

 目の前には大きな机があり、その机に向かって一人の中年の男性が分厚い本を読んでいた。小太りでもじゃもじゃ頭、どう見てもインドア派のイメージが強いその男性の周りの壁には、様々な武器が調度品の様に壁に掛けられている。炎のブーメランに、復活の杖、それに、グリンガムの鞭。あ、あれ多分神秘のビキニだな……あんなの欲しがったら、二人にぶっ殺されそうだな。

 そんなことを考えていたら、急に正面の男性から声を掛けられた。

 

「わたしはメダルおじさん。世界中に散らばる小さなメダルを集めている。持って来たメダルの枚数に応じて、君に素敵なアイテムをあげよう。さて、何枚持って来たのかな?」

 

 その言葉に、俺は一歩近づいて、直球で言い放った。

 

「え、えーと、あんた、自分で世界中に小さなメダル撒いてるだろ」

 

 その俺の言葉に、おじさんはビクリと体を震わせて、俺に顔を向けた。驚きに目を見開いてしまっている。

 

「な、なぜ、そう思うのかね?」

 

「いや、別に簡単なことだ。小さなメダルがあるのは、行き止まりの袋小路とか、意味ありげな茂みの中、あと、ダンジョンの宝箱にもあるが、一般の家のタンスや壷の中にもある。はっきり言って、見つけてくださいと言わんばかりの場所ばっかりだ。これは、あんたが催したゲームなんだろう。どれだけあんたが暇を持て余しているのか知らないが、わざわざ自分でメダルを隠した上に、見つけた人に高価な武器を進呈する。本当に酔狂なこった。こんなところに隠れてまで……なあ、大魔法使いさん」

 

 その俺の言葉に、おじさんは更に目を丸くする。だが、少し間を置いて、表情を平静に戻し、俺に話しかけた。

 

「はっはっはっ……なかなかユニークな発想をお持ちの方の様だ。まあ、もし、君の言う通りだったとしても、だからと言って君になんの不利益があるというのかね?君はメダルを必死になって探す。私はそれを持ってきてくれたらアイテムを渡す。まさか、メダルを集めるのが面倒だから、アイテムを先に寄越せとかそういう事を言いたいのかな?そう、グリンガムの鞭とか……それに、私が隠れるようになったのは全てこの国の体制の所為だ。鎖国までして交流を絶って……このままではますます冒険者の質が下がる一方だというのに……。」

 

 おじさんは『そうは問屋がおろさないよ』とでも言いたげな表情で、ニヤリと笑みを浮かべながら俺を横目に見た。

 まあ、今のやり取りで俺の知りたいことは全部確認できた。だから、これからが、本番だ。

 

「別にアイテムが欲しいわけではないんだけど……まあ、そこにある様な高価な物ではなくて、欲しい物ならあるにはあるけど、今はそんな話をしたいわけじゃない」

 

「ふむ……では、君は私に何の用があるというのかね?」

 

 俺はおじさんにもう一歩近づいて言った。

 

「あんたがここに居ることを、近衛隊に報告しようと思う」

 

「ちょっ……待って……」

 

 ガタッとおじさんが椅子から立ち上がった。そして焦った様子で俺に言う。

 

「今、私の話聞いてた?わたしは本気でこの国を憂いているんだ。この国の連中は本気で冒険者を育てようとは思っていない。だから、私が試練としてメダルを世界各所に置いて、それを達成した者にふさわしい武器を授けているんだ。このモンスターのはびこる世界には、強い後進がどうしても必要なんだ!」

 

 拳を握りしめながらそう熱弁するおじさんに向かって俺は言葉を続ける。

 

「えーと、でもそれって、この国の事なら王様とかその周りの人達のやるべき仕事でしょう。なら、貴方がするのは筋違いも良いところだ。それも、こんな井戸の底でこそこそとなんて……もしやりたいのなら、王様に進言するべきなのでは?」

 

「そ、それはもうやったのだ……だが、この国の連中は誰一人として私の考えに賛同しなかった。それどころか、強い冒険者を育てて、国家に反逆する気だと流言を流され、私は国家から追われたのだ」

 

「あなたがなさろうとしていることは立派だと思いますけどね。でも、それでもダメだ。それは所詮あなたのエゴでしか無い。それにあなたも御存知かとは思いますけどね。この井戸は、この城下町唯一の貴重な水源だ。そんな貴重な水のある場所に、得体の知れない人物が住んでいる……なんて、事実を民衆が知ったら、一体どんな反応が返ってくるでしょうね。貴方の志は尊いものかもしれないが、それでも、街のみんなは理解を示してくれますかね?」

 

「い、いや、待ってくれ……まだ、次代の若い力は育っていない。それに私はすでに国を追われた身だ。ここを離れたらこの国にもう居場所なんてないんだ。頼む、黙っていては貰えないだろうか?」

 

 その慌てたおじさんの言葉に、俺は当然表情には出さないが、内心ほくそ笑む。ゲームでは導き出すことが出来ない選択肢……それを、俺は今確かに掴んだ。

 

「分かりました。なら、一つだけお願いを聞いて貰えますか?いえ、べつにその高価なアイテムを無償で下さいとか言ったりはしません。ただ少しだけあんたの力を借りたい」

 

 俺はまっすぐにおじさんの目を見つめて、最後の言葉を言った。

 

「あんたのルーラで、俺達をリムルダールへ連れて行ってくれ」

 

 

 

 

「うわあ……凄いねここ……空は真っ黒なのに、周りはぼんやりとだけど、遠くまで見えるね。なんか、月明かりの中に居るみたい」

 

 その由比ヶ浜の言葉の通り、辺りは薄暗い。これが所謂、アレフガルドを覆う闇というやつなんだろう。

 

 俺達は、今、大魔王ゾーマの居城の直近の人間の町、リムルダールにいる。この街ははっきり言って危険だ。周りに生息するモンスターは、スカルゴンをはじめとする大型の物が多く、そのどれもがHP100オーバーで、流石に今の俺ではバスタードソードの一撃を持ってしても仕留めることは不可能。まあ、レベル1の上、まだスライムを一匹しか倒したことがない俺に、倒せるわけがないんだが……

 そんな危険なモンスターが多数いる地域ではあるが、どうもこの街は強力な結界が張られているらしい。集落のまわりをぐるりと囲む堀の様な池も含めて、その中へのモンスターの侵入を阻み続けている。まあ、そうでも無ければ、一般市民がこんな辺境で生き残れるわけがないのだが……

 

「それにしても、さきほどのメダルおじさんは、よくあなたの言う事を聞いてくれたわね。元々こうなることを比企谷君は知っていたのかしら?」

 

「いや、メダルおじさんは、ゲームではあそこから動きはしない。ただ、ここに来てから、王様とか近衛隊の葉山とか、ルイーダの店の連中とかを見て思ったんだが、ここに生活してるやつらには、何らかの設定があるように思えた。言い換えれば、生活感って言うのかな。ゲームみたいに、ただぼうっと突っ立てるだけの奴が居ない以上、そこに存在してる奴らの殆どに、思考や思惑があるように思えたんだ。そうやってあのメダルおじさんを見た時、どうしてあそこに居るのか、どうして世界中の小さなメダルを欲しがるのか、どうしてあんな史上最強とも言える武器を与えるのか……そう考えたら、まあ、世界中を旅したことのある魔法使いかなんかだったんだろうなって思い至ったんだ。まあ、でも単純に賭けではあった。はずれても構わないくらいの賭けだったから、ここに連れて来てもらえたのは本当にラッキーだったよ」

 

「そう……でも、ここで一体何をしようというの?そのあたりについては良く分かっていないのだけれど……」

 

「まず道具屋で、このバスタードソードを売る。20000ゴールドくらいで売れるハズだ」

 

「え?でも、それは王様から借りたものではないの?」

 

「いや、まあ、でもこの剣は後で店で買えるんだ。アレフガルドでは……だから、最悪新品を後で買って返せばいい。で、聖水を大量に買う」

 

「聖水?」

 

 俺の言葉にやっぱり首を傾げる雪ノ下に、それ以上の説明はせずに、俺達は道具屋へ向かった。

 

 俺がこの街に来たかった本当の理由。それはズバリレベリングだ。

 この街の側には、ドラクエの経験値稼ぎの代名詞とも言われるはぐれメタルが多数生息している。その経験値は一匹で40000越え。一応、アリアハンで、スライムを一匹俺が倒した時に、何もしていない同行者の由比ヶ浜と雪ノ下に経験値がちゃんと入ったことは確認済み。だから、3人一緒に居る状態で狩れば、一人13000以上の経験値が手に入る。確か、レベル1の状態ではぐれメタルを一匹狩れば、一気に10以上レベルを上げることが出来たはずだ。そうすれば、守備力も格段に上がるので、一角兎やスライムの体当たり程度では、ケガもしなくなるだろう。そうやって、前もって俺達の身体を強化するために、俺はここに来たのだ。

 はぐれメタルはこうげきりょくはそんなに高くない。呪文も使うが、ギラのみで、HPに関してはスライムそのもの。その点ではアリアハンのモンスターとそんなに大差はない。だが、その莫大な経験値を保有する究極生物としての真の力は、その素早さと防御力にある。はっきり言って、速すぎて攻撃は当たらない。さらに例え当たったとしても、鋼鉄よりも固いその体表には、傷一つつけることが出来ない。ではどうするか……

 だから聖水だ。

 はぐれメタルもモンスター、やはり聖水には弱い。だから、出会ったらとにかく振りかける。逃げられてもなんでも振りかける。そうやってなんとか1っ匹を仕留められれば、俺達は身体を強化できる……

 

 ……はずだった。

 

 

 

 

「うわーん、ヒッキー、聖水全然効かないよー」

 

「おわっ!やばい、囲まれる、走って逃げろー」

 

 大量の聖水を抱えて、いざ狩りへと赴いた俺達だったが、街を出て直ぐにはぐれメタル3匹にエンカウント成功。それで、喜び勇んで聖水を所かまわずはぐれメタルに向かって投げ続けたのだが、どういう訳か、まったくはぐれメタルは動じない。それどころか、地面の聖水の上で滑るように移動し、スピードが更に上がってる。これは、もしかして……

 

「あ、聖水が効くの、ドラクエ4だった……てへり」

 

 舌を出して、お茶目を演出したものの、二人にそんな余裕はもはや無く、俺の捨て身のネタはもはや無視。

 とにかく急いで逃げようと、二人の手を掴んで、スピードを上げようとしたその時……無情にも、一匹のはぐれメタルが俺達の行く手に立ちふさがった。後方の2匹のはぐれは残像を残すほどのスピードで旋回をしている。このまま、体当たりと、ギラを食らい続ければ、俺達なんてあっという間にお陀仏だ。チクショー、ここまでか……

 

 と、その時……

 

「あれぇ!?おめえ、ひょっとしてはちまんじゃねーかぁ?なあ、はちまんだよなぁ?」

 

 その俺達の背後から、声を掛けられた。恐る恐る振り返ると、朱色の布の服を着て、ズタ袋を肩に担いだ体格の良い黒髪の男が俺達に歩み寄ってきていた。だが、その足元には、史上最速で、最硬の生物が……

 一匹のはぐれメタルが急に接近してきたその男に向かって体当たりを仕掛けた。刹那……

 

「でっかくなったなぁ、オラ、びっくりしちまったぞぉ」

 

 そう言いながら視線も向けずに右手ではぐれメタルを掴み、そのまま握りつぶしてしまった。えええーーーー!

 そして、何も無かったかのように俺達の側に来ると、そのまま、俺を抱きかかえた。

 

 うわあああ、は、放せ……お、男に抱きかかえられる趣味なんか、ねえってんだよー

 

「お、俺は、八幡だけど、あんたなんか知らねーよ!」

 

 由比ヶ浜も、雪ノ下も、さっきまでの恐怖はどこへ行ったのか……目を点にして俺達に見入っている。そして、俺を離さない男は、俺に頬ずりをしたまま、言った。

 

「忘れちまったのか―?オラはおめえのとーちゃんだぞぉ!」

 

「「「えええええーーーーーーーーーーーー!!」」」

 

 俺達3人の絶叫がアレフガルドの暗黒の大地にこだました。

 

 ドスン…ドスン…ドスン……

 

 いつの間にかさっきまで俺達を囲んでいたはぐれメタルは姿を消していた。その代り……

 

 辺りの暗闇の中には不気味な赤い光が、あちらこちらに浮かび上がっている。次第に近づく巨大な影……それを振り返った男が言った。

 

「ひょっとしておめぇたち、レベル上げしてたのか?よし!ならいっちょ、オラが手伝ってやっか!」

 

 そう言って、肩から降ろしたズタ袋の中から、禍々しい意匠の魔人の斧を取り出したその男……とーちゃんは、何か、散歩にでも行くように、ふらりとモンスターの中に進んで行ったのだった。

 

 

 

つづく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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(5)さよならアリアハン…ただいま、愛しの千葉!

 『オルテガとーちゃん』に救われたその日、俺達は覚えたばかりのルーラを使ってアリアハンに帰ることにした。でも、とーちゃんはなぜかそれを必死に拒否。『すげーつえー奴ともっと戦いたいから、まだ帰りたくない』とか、『ルーラは身体鍛えられないからイヤだ』とか、良く分からない理由をツラツラ上げて、必死に帰宅を拒んでいたのだが、上の世界でまだバラモスが暴れていて、それを倒さなきゃならないんだと、3人で説得したら、本当に嫌そうにだが了承してくれた。

 で、俺!

 どんな原理か分からんが、頭の中にとんでもない量の知識が一気に注ぎこまれ、様々な魔法の使い方までも理解できるようになってしまった。どんな魔法が使えるのかは原作のゲームをやってる俺は当然理解しているが、今使うのは瞬間移動のルーラ。別に攻撃魔法の類ではないが、さっきメダルおじさんにやって貰って分かったのだが、この魔法、空を飛んだうえで、身体が分解されて移動する。初心者の俺にそれが本当にできるかどうか……もう考えるだけでぞっとする。正直かなり怖い。

 ただ、頭の中では使い方をきちんと理解しているから、やって出来ないことはないはずだ。

 由比ヶ浜と雪ノ下ととーちゃんが俺の身体に触れた状態で、呪文を唱えた。

 

「ルーラ」

 

 一瞬で前身がはるか上空へと運ばれる。みるみる小さくなるリムルダールの町の景色を遠目に見つつ、身体が粒子に分解されていく……そして、次の瞬間にはアリアハンの城門の前に立っていた。

 嫌がるとーちゃんを引きずって、初めての実家へ。そこへ入った瞬間、なんでとーちゃんが帰りたくなかったのか、なんとなく分かった。

 かーちゃんはとんでもなく美人だった、長い髪を頭の上で大きなお団子にした小柄なその女性は、はっきりいって可愛い。とても16歳の子供が居るようには見えなかった。見えなかったのだが……

 とーちゃんが家に入ったその瞬間に、感動の再会で抱き付くのかと思いきや、いきなり飛び蹴りをくらわした。もうその後はめちゃくちゃ……あのモンスターを瞬殺していたとーちゃんが、もはやボロ雑巾状態。……全身あざだらけになって、やっとかーちゃんの気が収まったのか、その後は泣いたかーちゃんをとーちゃんが肩に抱いて何度も謝っていた。俺も、由比ヶ浜も雪ノ下もなんとなく気まずくて顔を逸らしたわけだが、正直目のやり場に困る光景だ。それを、角の付いたヘルメットを被った体格の良い祖父さん、多分あれが勇者のじいさんなんだろうな……が、パイプの煙をくゆらせながら、優しい表情で眺めていた。

 

 そして、その後は大宴会。とんでも無い量の料理をかーちゃんが次々と出してきた。あまりの量に俺達3人は目を丸くして、とてもじゃないが食べきれないと怯えていたのだが、それをほとんどとーちゃんが一人でぺろりと食べてしまった。それをかーちゃんがすぐ隣に座って嬉しそうに眺めてる。本当に嬉しいんだろうな。

 だって、10年も前に旅立って一度も帰らずに、しかも、死んだと聞かされてた訳だ。その時の心境はどうだったのか、伺い知ることも出来ないけど、自分の好きな人と会うことも出来ないまま、しかも死なれてしまうなんて……そんな経験のない俺には理解できることではなかった。

 だからこそ、この再会はかーちゃんにとっても特別な物でもあるんだろうな……まあ、いきなりあそこまでボコボコにするとは思わなかったが……

 っていうか、とーちゃんもとーちゃんだ。生きてたんなら、ルーラでもキメラの翼でも使ってちょっとくらい顔出せば良かったじゃねーか。アレフガルドじゃキメラの翼取り放題だし、道具屋でだって、二束三文で売ってるし。まあ、それだけ甲斐性が無いってことなんだろうな、この人。

 

 その日の夜、目にハートマークをつけたかーちゃんがとーちゃんを捕まえて部屋に籠ってしまったので、俺達は3人でふたたびルイーダの酒場に向かった。じっくりとステータス確認をしたかったからだ。

 酒場に入ると、そこは昼間とはうってかわって粗暴な感じのオッサンたちが大勢で酒盛りをしていた。奥の方を見ると、遊び人姿の海老名さんがビールグラスを持って、仕事してるのかと思いきや、おっさん同士で肩を抱き合ってるのを、仕事するふりして後ろから眺めてるだけだった。おい、お前、ちょっと鼻血でてるからね。

 それから、壁沿いに立ってそんな客たちを睨んでる、川、川なんとかさんとも目が合った。合った瞬間、顔を真っ赤にして目を逸らされたんだが、なに?おれ、この世界でもアイツに嫌われちゃってんのかよ!

 とりあえず、ウェイトレスのお姉さんに、空いてる席へ案内されて、俺達はそこに座る。そして、ドリンクとつまみを頼んで、ほっと息をついた。それから、3人のステータスを確認する。

 

 ――――――――――

 はちまん

 HP 30/288

 MP 7/102

 ゆうしゃ

 ひねくれもの

 せいべつ:おとこ

 レベル40

 ちから   :138

 すばやさ  : 80

 たいりょく :128

 かしこさ  : 88

 うんのよさ : 88

 最大HP  :288

 最大MP  :102

 こうげき力 :145

 しゅび力  :136

 Ex : 642011。

 

 じゅもん

 ホイミ    べホイミ

 ベホマ    ベホマズン

 ザオラル   ルーラ

 リレミト   トヘロス

 メラ     ニフラム

 アストロン  ギラ

 マホトーン  ラリホー

 ライデイン  ベギラマ

 イオラ    ギガデイン

 

――――――――――

 ゆい

 HP 20/224

 MP 15/228

 そうりょ

 セクシーギャル

 せいべつ:おんな

 レベル40

 ちから   : 56

 すばやさ  : 95

 たいりょく :112

 かしこさ  :112

 うんのよさ :193

 最大HP  :224

 最大MP  :228

 こうげき力 : 63

 しゅび力  :120

 Ex : 642011。

 

 じゅもん

 ホイミ    べホイミ

 ベホマ    ベホマラー

 キアリー   キアリク

 ザオラル   ザオリク

 ルカニ    ニフラム

 バギ     ピオリム

 マヌーサ   ラリホー

 ルカナン   ザキ

 バギマ    マホトーン

 バシルーラ  ザメハ

 フバーハ   ザラキ

 バギクロス  

 

――――――――――

 ゆきの

 HP 12/202

 MP 18/226

 まほうつかい

 みえっぱり

 せいべつ:おんな

 レベル40

 ちから   : 41

 すばやさ  :131

 たいりょく :101

 かしこさ  :112

 うんのよさ :184

 最大HP  :202

 最大MP  :226

 こうげき力 : 43

 しゅび力  :103

 Ex : 642011。

 

 じゅもん

 リレミト   ルーラ

 インパス   トラマナ

 ラナルータ  シャナク

 レムオル   アバカム

 メラ     スカラ

 ヒャド    スクルト

 ギラ     イオ

 メラミ    マホトラ

 ヒャダルコ  ヒャダイン

 ベギラマ   バイキルト

 イオラ    マホカンタ

 メラゾーマ  メダパニ

 マヒャド   ドラゴラム

 ベギラゴン  モシャス

 イオナズン  パルプンテ

 

 おお……3人とも一気にレベル40か……。

 まあ、とーちゃんがあれだけ大量にはぐれメタル狩ってくれれば、これ位のレベルアップも当然か……

 まずは俺のステータス……相変わらず8が多いのはなんかの仕様なのか?まあ、でも、きっちり前衛出来るだけの能力にはなってるな……HP288もあれば、最強呪文のメラゾーマとかイオナズンとかでも即死はしない……というか、このレベルあれば、頑張ればゾーマも行けるな!それにベホマも覚えてる。これがあればひん死でも何とか助かるぞ。

 由比ヶ浜も雪ノ下も、爆上がりだな。HPとかこうげきりょくは、まあ、僧侶と魔法使いだからこんなもんだろうが、全魔法覚えて更に、MP200オーバーは、もはや負ける要素が無いな。これで多分とーちゃんがとんでもないステータス何だろうから、このパーティならほぼ安全ってわけだ。

 俺は、二人にステータスの上昇と、新しく覚えた魔法についてを事細かに説明した。それをしている最中に、また昼間の様に薄汚れた冒険者風の連中が由比ヶ浜達に絡んできたが、もはやレベル40の俺達に畏れる要素はまったくない。俺はその中の一人に殴られたが全く痛みはなく、暴れるそいつらをそのままに、猫にするように襟首をつかみあげて、そのまま表に放り出した。流石ちから138……全く重さを感じなかった。

 呆気にとられた顔をしている他の客をしり目に、俺は二人の待つテーブルに戻って席に着いた。すると突然……

 テーブルに置いた右手に、右隣りに座っていた由比ヶ浜が手を重ねてきた。

 

「お、おい、お前……なんだ急に……」

 

 慌ててそう言って手を引こうとした俺の手を、由比ヶ浜はがっちりと掴んで離さなかった。そして……

 

「ヒッキーありがとう……また、助けてくれて…………」

 

 そう言った由比ヶ浜は、俺の手を握ったまま、微笑みながらじっと俺の目を見ていた。

 恥ずかしくなって、顔を逸らそうとすると、今度は雪ノ下が俺の降ろしていた左手を掴んでテーブルの上に持ち上げた。そして、やっぱり、黙ったまま薄く微笑んで俺の目を見つめてくる。

 

「お、お前らな……いったいなんだってんだよ……急にやめろよ……びっくりしちゃうだろうが……」

 

 その俺の言葉を聞いた雪ノ下が、信じられないくらい優しい声で言った。

 

「本当にありがとう……」

 

「雪ノ下……おまえまで……なんなんだよ、調子狂うな……ったく」

 

 その二人の様子に、俺はあの時……ここに来る前、事故に遭う直前に二人に向かって話したことを思い出していた。

 

 

 

 

 3人で乗った観覧車。俺はこの瞬間がいつまでも続けばいいと、正直思っていた。あの瞬間だけは答えなんていらないとさえも……動くことで変わってしまう未来なのなら、変わらないでいられるこの現実もそんなに悪い物ではないのではないかと……

 それが、俺の一番忌み嫌っている欺瞞だということも、分かってはいた。だが……このまま進めばやがて訪れてしまうその終わりを……俺は確かに避けたかった。

 でも……

 その時は唐突にきてしまった。

 いや、予期はしていた。雪ノ下の変調も、由比ヶ浜の困惑も、俺には良く分かっていた。今日この瞬間にいつもの俺達の行動とは違う何かが、きっと起こるのだろうと……俺は心のどこかで畏れていたんだと思う。

 

 由比ヶ浜は俺には過ぎた子だ。明るいし、可愛いし、そして優しい。住む世界が違う。なのになんで俺なんだ。

 

 俺に向かって差し出した手作りのクッキー……それが意味することを俺はちゃんと理解していた。そう、否定することなんて俺には出来なかった。だがそれでも、素直に受け入れることは出来なかった。変わってしまうことへの恐れ……失ってしまうことへの恐怖……なんにもまして、俺にとって大事なこの二人を、俺は傷つけたくなんてなかった。

 由比ヶ浜は言った。全部欲しいと……自分はズルい子なんだと……そうまでしても変えようと努力する彼女に俺は何も言えなかった。そして、それはその場にいた雪ノ下も同様だった。

 

 雪ノ下も変わろうと努力していた。自分を嫌い、自分を傷つけ、そして自分を閉じ込めた。

 友人を作らず、人を理解しようともせず、ただ、変わることだけを切望していた。そんな彼女の姿は、いつかの自分……俺という存在の全てを自分自身で否定し、全てを諦めたあの時の俺だった。

 だからこそ、ひたすら自分に向き合って、自分を変え始めている由比ヶ浜の想いを、今の雪ノ下に受け止められるわけがないんだ。

 俺は、全てを放棄しようとした雪ノ下の言葉を止めた。

 雪ノ下は変わらなくてはならない。それは雪ノ下自身の為に……自分で決めて自分で行動する……他の誰かの為とかじゃない……雪ノ下自身が自分の望むものを掴まなくてはならない。そうでなくてはダメなんだ。

 俺達の目を見ながら、雪ノ下が言った。

 俺たちに依頼をしたいと……

 

 由比ヶ浜が求めるもの……

 雪ノ下が求めるもの……

 そして、俺が求めているもの……

 

 由比ヶ浜は自分の想いを振り絞って俺と雪ノ下に伝えた。

 雪ノ下は、俺と由比ヶ浜に救いを求めた。

 俺は……

 だが、その時俺が二人に言ったのは、多分一番卑怯な言葉だったんだと思う。

 

 ”俺はお前らと一緒に居たい”と……

 

 それが俺の本当に欲しかった答えではないことは分かっていた。

 何度も望んで、手を伸ばして、そして裏切られ続けてきた俺にとっての本物……そんなものが本当にあるのかどうかも分からない。でも、砂漠で水を欲すように、暗闇の中で光を探す様に、俺は求め続けていた。そんな関係を築けるかもしれない二人と一緒に居たい。それは本物なんかじゃないかもしれない。それは、俺を選んでくれた彼女への裏切りなのかもしれない。それは、やっとの思いで吐き出した彼女の信頼を裏切る行為なのかもしれない。でも……

 でも……今の俺には、選ぶことなんて出来なかった……だから……

 

 決めたのだ。彼女たちの想いを全て受け止めようと……

 それがどんなに卑怯で、卑劣で、汚い答えだとしても、彼女たちが許してくれる限り、俺は彼女たちと一緒に居ようと……

 

 そう、だから俺はここに居る。その時、答えを言わなかった俺に微笑んでくれた二人に、俺は俺のやり方で気持ちを返してやらなきゃいけない……二人の想いに応える為にも。

 

 

 

 

「ま……約束だからな……俺はお前らから離れるわけにはいかねーんだよ」

 

 俺の言葉に二人はやはり微笑んでいた。ったく、人目があるんだから、ちょっとは自重してくれよ……

 恥ずかしくなった俺は勘定を置いて席を立つと、二人もそれに付いてきた。

 酒場を出て家に向かって歩く道すがら、ふと見上げると、頭上には満点の星空が広がっていた。アレフガルドの深遠の闇の空とは違い、ここはまるでプラネタリウム……空を埋め尽くさんばかりの星の間に、いくつもの流れ星の筋も走っていた。

 その星空を黙って3人で見上げていた。

 気が付くと、俺はいつの間にか二人と手を繋いでいた。

 いつもなら、ちょっと触れるだけでもキョドってしまう俺の筈なのに、今は自然と二人と寄り添っていた。それが堪らなく心地いい。暫く見上げたまま3人で立ち尽くしていると、由比ヶ浜が口を開いた。

 

「なんかさ……こういうのもいいかなって思うんだ。別に帰れなくてもさ、ここでヒッキーとゆきのんと3人で居るのもいいかなって……そりゃあ、パパとかママとかみんなにも会えないのは寂しいけど……でも、二人と一緒ならわたしはそれでもいい」

 

 由比ヶ浜のその言葉に、俺はチラリと雪ノ下を見た。雪ノ下は放心したように星空を眺める。そして、呟いた。

 

「とてもきれいね……。そうね……私も……、私も由比ヶ浜さんと同じかもしれないわ。ここで貴方達と一緒に居る方が……」

 

「ダメだ」

 

 その俺の言葉に、二人は急に硬直した。その表情は少し怯えているようにも見える。でもダメだ。

 そう、ダメなんだ。諦める言葉を二人に言わせてはダメなんだ。こんな非現実的な世界ではなく、俺達が生きたあの世界で、自分の全てをかけて想いを伝えようとした二人に、諦めさせてはダメなんだ。

 

「俺はなにがあっても、絶対にお前たち二人を守る。でも、それはこの世界で平和に暮らしたいからじゃない。戻れるかどうかじゃない。俺は戻りたいんだ、お前たちと一緒に……あのろくでもない、苦い思い出ばっかりの世界……でも、お前たち二人と確かに一緒に居た大切な世界に……だから、悪いがその考えに俺は乗れない」

 

 その言葉に、俺の正面にまわった二人が改めて俺の手を握ってきた。そして二人は笑顔で言った。

 

「ヒッキー、一緒に帰ろう……」

 

「帰りましょう……私達の世界へ」

 

「お前ら……ああ、帰ろう!」

 

 星空の下、まだ旅立ってもいない俺達は3人で固くそれを誓った。必ず帰ると……

 

 

 

 

 

 翌日、部屋で旅立ちの準備をしていた俺達3人の前に、フラフラになったオルテガとーちゃんと、妙に肌がつやつやしたかーちゃんの二人が入ってきた。

 で、朝食をとるついでに、早速とーちゃんのステータスを確認。

 

――――――――――

 オルテガ

 HP 1/999

 MP 1/30

 ゆうしゃ

 ごうけつ

 せいべつ:%イ#人おとこ

 レベル99

 ちから   :*&%

 すばやさ  :255

 たいりょく :255

 かしこさ  :255

 うんのよさ :255

 最大HP  :999

 最大MP  : 30

 こうげき力 :*$+

 しゅび力  :257

 Ex :99999999

 

 じゅもん

 ベホマ     メラゾーマ

 

 うおっ……とんでもない数値だ。ある程度は予想していたけど、まさかこれほどとは………経験値もレベルもカンストしちゃってるし、MP以外は最大値だなこれ……っていうか……なんで、性別のところとちからの辺りが文字化けしちゃってんの!?……これもうチート過ぎるでしょ……なんで、原作でキングヒドラごときにやられちゃってたんだよ……

 まあ、一晩休んだはずなのに、HPとMPが1しかないことに関しては触れないでおこう。ちょっと未成年の俺達には刺激が強すぎそうだし……ふと二人を見ると……あ、やっぱり赤い顔して俯いてるな……うんうん。

 

 とりあえずとーちゃんにベホマをかけて、さあ、旅立というその時、俺達3人は改めてとーちゃんに向き直った。そして伝えた。

 俺達がこの世界の人間ではないということ……ひょっとしたら、貴方の本当の息子さんに憑依してしまっているのかもしれないという事。そして、この世界がゲームの世界であって、その冒険の筋書きを全て俺は知っていて、最終的に、神様に会って現世に戻りたいと願ってみようと思っていること……そう、俺は最も重要な事をようやく思い出した。この世界には神が確かにいる。そう、全ての願いを聞き届けてくれる『神龍』が存在しているという事を。

 俺はそこまでを一気に話し、おそるおそるとーちゃんの目を見た。

 

 多分頭の可笑しい奴だと思われただろう……いくら何でも、いきなりこの世界が虚構だと言われれば、理解なんて出来るわけがない。だって、実際にこの世界に居る限りはここが現実そのものなのだから……

 でも、とーちゃんは話を全部聞いてくれた。その上で微笑みながら俺の頭を撫でて、「ここに居るかぎり、はちまんはオラの息子のはちまんだ。遠慮はいらねえから、ほんとのとーちゃんだと思ってくれ」そう言って、全てを受け入れてくれた。

 

「うしっ!そうとなったら、そのしぇんろんとかいうやつに何が何でも会わねとな!オラ、ワクワクすっぞ!」

 

 え?

 

 ひょっとして、滅茶苦茶強い奴と戦いたいだけだったりして……

 

 まあ、そんなこんなで一抹の不安を抱えながらもとーちゃんは同行してくれることになった。

 とーちゃんは10年にも及ぶ冒険?のおかげで、貴重な武器や防具を多数手に入れていた。本人曰く、どうも武器を使うのが苦手だから食費の換金用に持ち歩いていただけだったらしいのだが、そんな貴重な武器の数々を俺達はポンと手渡された。

 で、それを早速装備する。

 

 はちまん

 E雷神の剣

 E刃の鎧

 E魔法の盾

 E鉄仮面

 

 ゆい

 Eゾンビキラー

  まほうのビキニ

 E魔法の盾

 E不思議な帽子

 

 ゆきの

 Eさざなみの杖

  まほうのビキニ

 E魔法の盾

 E不思議な帽子

 

 俺に関しては何もいう事はない。敵の攻撃に対し自動反撃する刃の鎧は超高性能だし、雷神の剣に関しては威力もさることながら、道具で使えばベギラゴンというチート武器。はっきり言って、最終決戦装備と言っても過言じゃない。

 そういう意味では由比ヶ浜と雪ノ下の二人も同様なのだが、わたされたそれを見た瞬間二人は顔を真っ赤にして絶句していた。まほうのビキニ……薄いただの布きれのようにしか見えないそれは、非常に強力な結界によって、その装着者の身体を守ることが出来る。主にアレフガルドの海に生息するモンスターが持っている。ただ……とは言っても、見た目はただのビキニ。

 しかも、とーちゃんはそれを二人に手渡しながら、「遠慮しねーでいいから、さっさと着替えろって」とニコニコ笑いながらで、本当に気を使ってなかった。全くデリカシーのかけらもない。

 言われて二人はどうしようか逡巡した結果……

 

 装備した。

 

 ぐはあっ!なんで本当に装備しちゃうんだよ!ってか、法衣とか、マントとかで必死になって隠すくらいなら、着るの止めろって!それ、隠されると余計にあれがあれでだな…………

 

 ……まあ、別にお、俺は止めないけど……

 

 こうして、俺達4人はようやくアリアハンを旅立った。

 

 

 

 

 ここからの話しは特に仔細を語るまでもないだろう。

 とーちゃんはマジで無敵だ。とてもじゃないが、並みのモンスターなら気当たり一つで失神してしまうほどだ。だから、この上の世界では畏れる存在はまったくなかった。

 それに、雪ノ下の奴がアバカムを覚えちまったから、もはや『最後のカギ』も必要なし。全ての扉はコイツの一言で開錠されちまう。これってもはや鍵かける意味無くないか?

 

 俺達は一刻も早いクリアーを目指すべく、とにかくオーブ集めを始めた。だが、世界をまわる為にはやっぱり船が要る。だから俺達は最初に旅の扉でバハラタに行き黒こしょうをゲット、それを持ってポルトガに行って、王様に船を用意してもらった。

 その出航の際、アリアハンから無理やり連れてきた材木座を乗せて、スーの村の東の将来開拓地になるであろう平原に住む老人に奴を押し付けて、俺達は海賊の砦を目指した。だが……

 その船旅の最中に、あることを思い付いた。

 ひょっとして、雪ノ下のドラゴラムで変身した後のドラゴンって空飛べるんじゃないかと……もしそれがだめでも、スカイドラゴンかなんかにモシャスしちゃえば、やっぱり俺達を乗せて飛べるんではなかろうかと……そう考えたのだ。

 要は試し……雪ノ下に頼んで船の甲板でやってもらった。

 

「ドラゴラム」

 

 突然雪ノ下が稲妻のような激しい光に包まれ、白い煙を吹き出しながら巨大な紫の竜の姿に変身した。そのあまりの巨体に、船が大きく傾く。

 まさかこんなにデカくなっちまうとは……

 雪ノ下竜は、あわあわと慌てながら両手を顔に当てつつ、何かをしゃべろうとするが、そのたびに口から灼熱のブレスが漏れ出ようとしてしまう。あの、究極生物のはぐれメタルさえも溶解してしまうブレスだ。そんなもの浴びたら、こんな船、一発で消し炭だ。

 俺は雪ノ下竜に頼んで、その翼で飛べるか試してもらった。

 雪ノ下竜は、その両翼を大きく広げて、一気に羽ばたいた。結果は……

 

 はい、見事に飛びました。飛んでくれました。

 

 ついでに俺達も背中に乗せてもらって、少し上空を旋回。

 

 はい、全く問題ありませんでした。ただ……変身が解けるまでの時間がいまいち分からなかったのだが、まあ、20分程度は姿を維持出来ていたから、麓まで歩いて行って、そこから乗せてもらって山越えなら、まあ、問題はなさそうな感じだった。

 

 

 

 ……という事で、オーブ集めは、はい、終了。材木座?んん……?知らない子ですね?……まあいいか。

 

 飛べると分かった俺達は、すぐにアッサラームヘルーラ。

そこから雪ノ下の背に乗せてもらってネグロゴンド火山へ、いったん休憩の後、再びドラゴンになった雪ノ下に乗り、一気にバラモス城に入った。

 まあ、ここでもとーちゃん無双で城を一気に制圧。バラモスちょっと涙目だったな……

 それから、俺達はまず第一の目的だった、『竜の女王の城』を目指した。

 ここに着くと、やはり弱り切った女王が光の玉を俺達に渡した後に、卵を産んで絶命してしまった。でも、その間際、俺達をこの世界に導いたのが精霊ルビスなのだと教えてくれた。ならば、やはりルビスにも会わなくてはならない。

 光の玉をもった俺達は、ルーラでアレフガルドのマイラの村へ。そこで、みんなで一緒に温泉を堪能しつつ、なんでこんな所に捨ててあるのか理解できない、封印を解くカギ、『妖精の笛』を拾って休んでから、そこから北西の小島に立つルビスの塔へ向かい、その塔を速攻で攻略……精霊ルビスも解き放った。

 そして問う。どうすれば戻れるのか……と……

 ルビスは俺達に謝罪した。世界を守るために、俺達をこの世界に召還してしまったことを……だが、俺達を還す術は持ち合わせてはいないのだという……この世界でそれが出来るのはただ一人……

 

『神龍』

 

 やはり、最終的に神龍に会わなくてはならないようだ。

 

 こうして俺達は神龍に会うためにも、まずはゾーマを倒すこととなった。

 ゾーマの本拠地へ乗り込んだ俺達だったが、その城の一階にはなぜか全くモンスターの気配が無かった。この城の一階はフェイク。玉座の後ろの隠し階段から降りた地下深くの神殿に、ゾーマがいる。そして、原作のゲームでは、そこへの途中で、一人でキングヒドラと戦うとーちゃんに遭遇するわけだが……

 そのフェイクの玉座の間に入って、全ての謎が解けた。そこには累々とモンスターの屍の山が築かれていた。その殺戮の主は俺たちの目の前に仁王立ちしていた。

 

「我は地獄の帝王……我の飢えを満たす力が貴様たちにあるか?」

 

 ちょっと、サ〇エさんのア〇ゴさんっぽい声で、そう言うや否や、その両手の巨大な刀を俺達にむかって振り下ろしてきた。

 

 なるほど!道理で原作でも弱り切ってたはずだ。いくら無敵とーちゃんでもこんなのと一人で戦ったら、そりゃボロボロにもなるわな……まあ、正直俺達ただのお邪魔虫だ……邪魔しないように端っこに居よう。

 見れば、喜色満面のとーちゃんが素手で殴り掛かっていた。

 一進一退の激しいバトルの末、とーちゃんはついに地獄の帝王を退けた。俺達は、まあ、陰ながらバイキルトとかベホマを掛け続けただけなんだが、まあ、無事で良かった。

 

 その後はちょろかった。

 キングヒドラ……

 バラモスブロス……

 バラモスゾンビ……

 そして、ついにゾーマ……

 

「人間よ!なにゆえもがき生きるのか?滅びこそわが喜び。死にゆくものこそ美しい。さあわが腕の中で息絶えるが……」

 

「いいから、いっちょやろうぜ!」

 

 最高にカッコいいゾーマのセリフの一番良いところを、とーちゃんが言葉を被せて殴り掛かってしまった。

 勝負はとーちゃんの圧勝。

 とりあえず光の玉で闇の衣を剥がしてみたら、魔法主体の大魔王は、とーちゃんにぼこぼこにされてしまっていた。結局回復呪文の一つも使わずに終了。なんだかつまらなそうにしているとーちゃんの顔に、俺は呆れてしまった。

 

 ついに大魔王を倒してしまったわけだが、確かこの後上の世界とこちらの世界は隔絶されて行き来できなくなるはずだ。だから俺は地下に落とされる前にリレミトで脱出。そしてすぐさまルーラで、アリアハンへ向かった。

 それから俺達は改めて竜の女王の城へ向かう。その天空へと続く迷宮を進み、そしてついに『神龍』の元へと辿り付いたのだった。

 

 

 

 

 神龍の元へ辿り付くころ、俺達はすでにレベル60を超えていた。とてつもないつよさのモンスターの数々に、とーちゃんだけではなく俺も戦うようになっていた。雪ノ下と由比ヶ浜の二人も、直接殴り掛かることなんてなかったが、間接的に魔法や道具での援護にも慣れてきていた。

 そして、神龍……

 この世界における、絶対的な神としての存在。万物の上に君臨し、その世界の理さえも操る神秘。その存在と俺達は対峙した。

 ここで、俺達は初めて意外な物を見た。

 とーちゃんが苦戦を強いられたのだ。

 神龍のその巨体を覆う硬い鎧のようなうろこには、とーちゃんの必殺の拳も殆ど効かなかった。そればかりか、凄まじい圧力による体当たり、全てを焼き焦がすブレス、そして凍てつく波動……まさに最強だった。

 でもとーちゃんは……嬉しそうだった。

 自分の全力で戦える相手を探していたのかもしれない。その凄まじいまでの闘争心に、側にいる俺も震えが止まらなかった。

 

「ベホマ……ベホマズン!」

 

 空間ごと神龍に蹂躙されている俺達は、その圧倒的な力の前に身を守ることで精いっぱいだった。二人も身を寄せるようにして、絶対的な暴力から必死に体を守る。俺は二人を庇うようにして、必死になって、神龍の攻撃を受け続けた。

 そんな絶望的な時間がどれくらい経ったのだろうか……。ふと気が付くと、ぼろぼろになったとーちゃんが、全身に白い光を纏って神龍へ向かって体当たりしようとしていた。

 俺は、咄嗟に叫ぶ。

 

「ベホマ!」

 

 なけなしの魔法力でとーちゃんに最後の援護をした俺は意識を失いかけながらも、神龍の頭を殴り飛ばしたとーちゃんの姿を、俺ははっきりと見ていた。

 

 気が付くと、俺は雪ノ下と由比ヶ浜の二人に抱きかかえられていた。二人は心配そうに俺を覗きこんでいる。体に傷はない……きっと、由比ヶ浜が治してくれたんだろう……

 そんな二人の向こう側には、晴れやかな顔をしたとーちゃんと、更にその向こうに、ついさっきまで戦っていた巨大な神龍の顔があった。

 

「さあ願いを言え……どんな願いでもひとつだけ、かなえてやろう」

 

 真っ赤な瞳を輝かせながら話すその神龍のその言葉に、とーちゃんは俺を立ち上がらせて呟いた。

 

「さあ、はちまん、おめえの願いを言えよ。そのためにここまで来たんだろう」

 

 そう話すとーちゃんの顔は穏やかだった。

 俺は由比ヶ浜と雪ノ下を振り返る。二人の優しい眼差しを受け止めつつ、俺は二人と手を繋いで、神龍に向き直った。そして言った。

 

「俺達を、元の世界に還してくれ」

 

 そう言った瞬間、神龍の目が激しく煌いた。

 

「よかろう」

 

 あたりにまばゆい白い光が溢れる。自分の身体を見ると、まるで自分が二つに分かれるかのように、透き通った体が、浮き上がってくる。雪ノ下も由比ヶ浜も同様だ。まるで幽霊のように浮かび上がった俺達は手を繋いだまま身体から離れた。そしてその瞬間、生身の身体はどさりと倒れ込む。

 そんな俺達を眺めつつ、微笑んだとーちゃんが言った。

 

「元気でなー、はちまん。おめーらに会えてオラは楽しかったぞー」

 

「ああ、俺も楽しかった……本当にありがとうな……とーちゃん……」

 

 その言葉は果たして届いたのか……俺達は一気に光の渦に飲み込まれた。

 

 

 

 

 視界が戻ったその時、俺は雪ノ下と由比ヶ浜と目が合った。俺の目の前には、俺に突き飛ばされつつ宙を舞う二人……

 

 なっ!……よりによってこの瞬間なのか……

 

 顔を曲げてトラックの有無を確認する間なんてない。このままじゃ、本当にこの二人を死なせちまう。頼む、こいつらを助けてくれ……

 咄嗟に口をついたのは、あの世界で何度もこの二人を助けたあの呪文。それを使えるかどうかなんて悩む間も、余裕もない。ただ、考えるよりも前に、助けたい一心で俺は叫んでいた。

 

 

 

 

 

「アストロン!」

 

 ………………………………

 

 …………………

 

 ………

 

 

「ヒッキー、ねえ、ヒッキーってば……」

 

 耳元で由比ヶ浜の声が聞こえる。俺は声のする方へ顔を向けようと体を動かすが、なにか枝や葉のようなものに触れてチクチクして痛い。どうなったんだ、一体……

 とりあえず起き上がろうと、腕で踏ん張ろうとしたら、

 

「ひああっ!ひ、ヒッキー……ちょ、ちょっと、どこ触ってんの!?」

 

「へ!?」

 

 急に叫んだ由比ヶ浜の声に思わず視線を手の方に向けると、見事に奴の片方のメロンちゃんに手をめり込ませていた。

 

「す、すまん」

 

 俺は慌てて手を放そうとすると、今度は体勢を崩して、顔が少し前方に……今度は、唇になにか柔らかい感触が……って、う、うわああああ……

 目の前には雪ノ下の顔……しかも、ばっちりとせ、せ、せ、接吻してしまっていた。

 って、お前なんで頬を赤らめながら、目を閉じちゃうんだよ!

 

「うわっ!うわっ!ゆきのんズルい!ヒッキー、あたしも、あたしにもしてよー」

 

 今度は無理やり首を掴まれて、顔を捩られたかと思ったら、そこに由比ヶ浜が無理やり吸い付いて来た。で、俺は、慌てて絡みついて来る二人をひき剥がして、立ち上がる。

 

「お、お、お、お前らなあ……いきなり何てことするんだー……って、あれ?」

 

 立ち上がった俺は、目の前の光景に絶句した。俺を追うように立ち上がった二人も、同じように言葉を失っている。

 俺達は道路脇の植込みの中に倒れていた。それは分かる。だが、その先、目の前の穴の開いたコンクリートの壁と、その向こうで煙を上げている大きなトラックの様相が異様だった。

 俺達はあのトラックにはねられたはずだ。なのにケガ一つしていない。それどころか、本来ならあのトラックとコンクリートの壁に挟まれてしまっていたのだろうに、見事にそのコンクリートを突き破ってしまっている。つまり……

 

「おい!!そこの君たち!!その車火が出てる……爆発するぞ!早く逃げろー!!」

 

 遠くから、俺達に逃げるようにと声がかけられた。確かに、トラックはもうもうと白い煙を吐き続けている。ここからじゃ見えないが、火が出ているのなら、ガソリンに引火した途端に大爆発するかもしれない。

 

 運転席には……まだ、人が乗っている!

 

 それを見た俺達は、一歩前に踏み出した。

 トラックに向かって駆け出した俺はチラリと由比ヶ浜を振り返る。由比ヶ浜はコクリと頷くと両手を前に伸ばして唱えた。

 

「ピオリム」

 

 俺の身体はまばゆい光に包まれ、常人では視認できない程の速度で移動できるようになる。素早く運転席に飛びこみ、頭から血を流していたドライバーを引きずり出した。

 

 そして、雪ノ下を見やると、彼女は右手を前に突きだし、呪文を唱えていた。

 

「ヒャダルコ」

 

 辺りを一気に冷気が包んだ。トラックの下方から燃え上がっていた炎はその勢いを弱め、やがてトラック全体が真っ白に凍り付く。

 

 けが人を抱えた俺は、二人の元へ。全身から酷い出血をしていた、その若いドライバーを芝生の上に寝かせた。腕が妙な方向に曲がってしまっている。呼吸も弱い……多分肋骨も折れてしまっているのだろう。

 俺はその男の胸に手を置くと、呪文を詠唱した。

 

「ベホマ」

 

 まばゆい青白い光がその男の身体を包む。みるみる塞がっていくその傷を見た後、俺は雪ノ下と由比ヶ浜を抱きよせて、もう一つの呪文を唱えた。

 

「ルーラ」

 

 

 

 

 

 

「……今日の午後3時ごろ、千葉県葛西臨海公園内駐車場にて、急発進した貨物トラックが敷地内の壁に激突する事故が発生しました。この事故による死傷者はありません。なお、ぶつかったトラックの周囲が凍り付くなどしたため、警察は液体窒素などの不法な移送をしていたのではないか慎重に捜査を進めています。次のニュースです。………」

 

 俺の家のリビングでテレビを見ていた俺達3人は、その内容に思わず苦笑いしてしまった。

 

 帰ってきた。帰ってこれた。

 あの世界での出来事は俺達にとっては数か月もの長い経験だった。だが、戻ってみれば、こちらの世界ではほんの一瞬。まるで瞬きをするがごとくのほんの短い時間しか経っていなかった。普通に考えれば、夢を見ていたという事なんだろう……だが、夢だとしてもかまわない。少なくとも俺達にとってはあの世界での経験は全て現実だったというだけの事だ。

 まあ、まさかこんなおまけを持って帰ってこれるとは思わなかったが……

 

「あー、あんまり魔法は使わない方が良さそうだな……下手に目立てば、後々どんな扱いを受けるか分かったもんじゃないし……」

 

「そのようね……でも驚いたわ……まさかこちらでも同じように使えるなんて……」

 

「うん!ほんとだねー!ねえ、ヒッキーゆきのん、じゃあ、これは3人だけの秘密だね」

 

「まあ、そうなる……かな」

 

 俺のその言葉になぜか由比ヶ浜はすごく嬉しそうだった。そしてソファの真ん中に座る俺に急に抱き付いてくる。

 

「お、おい……止めろって……」

 

 由比ヶ浜に押されて、雪ノ下の肩に軽くぶつかると、今度は雪ノ下が俺の反対の方の腕に手をまわしつつ、俺の肩にこてんと頭を乗せてきた。

 

「雪ノ下……また、お前まで……」

 

「あら……由比ヶ浜さんばかりなのはズルいわ……」

 

「うんうん!そうだよヒッキー……ヒッキーが言ったんだからね……あたし達二人と居たいって」

 

「って、おい、それはだな……今までの奉仕部でのお前たちとの関係が大事であってだな……」

 

「じゃあ、あたしの事、嫌いなの?」

 

「うっ……そんな目で見るな……っておい、雪ノ下!なんでお前も顔を近づけるんだよ!」

 

「比企谷君……私もどうやら貴方にずっとそばに居て欲しいと思っているようだわ……その、お願いできないかしら……私も……」

 

「ただいまー……いやあ、受験大変だったよ、お兄ちゃんって、うわあっ!ど、ど、どしたの?おにいちゃん達」

 

 突然帰宅してきた小町が、リビングに入ってすぐに、ソファーで3人並んで抱き合ってる俺達を見て驚いた声を出した。そりゃまあ、当たり前だよな。

 

「お、おお……小町おかえり。……そういや受験だったな……どうだった……っておい!」

 

 またもや急に顔を掴まれて由比ヶ浜の方に向けられた。

 

「ごめんね小町ちゃん、今ヒッキーと大事な話ししてるの」

 

「そうね……もう少し待ってくれるかしら、小町さん」

 

「あ、はい」

 

 おおう……小町がまるで撫でられるカマクラのようにおとなしくなっとる。

 

「ねえ、ヒッキー、この前の……じゃない、今日のさっきのことか……とにかく続きね。あたしはヒッキーが好き、大好き。それにゆきのんも好きなの……あたしは今まで通り仲良くしたまま、ヒッキーの彼女になりたいの」

 

「はわわ」

 

 その由比ヶ浜の言葉に小町が顔を真っ赤にしてる。

 

「今度は私の話を聞いて欲しいのだけれど、私は今までずっと自信が無かったの……何をするにも自分では決められない。そんな自分が嫌で嫌でしょうがなかったのに、変わりたかったのに、自分ではどうにもできなかった。でも、比企谷君、貴方が私を守ってくれた。くじけそうになる私を支えてくれた。だから……だから、あなたに私は感謝しているの……もし出来ることなら、わたしも貴方の彼女にしてくれないかしら」

 

「はわわわわわ……な、なにが、どうなって……おにいちゃん!!」

 

「ひゃい!!」

 

 急に小町に言われて俺は飛び上がる。というか、なに?俺なんにも言ってないのに、二人同時告白とか、一体どうなってんの?はちまん、ほんとにわかんない。

 小町は顔を真っ赤にしたまま、俺を睨んで言った。

 

「これはあれだね?おにいちゃん二人と付き合いなさい。公認二股……周り中、みんなが『バカ!ボケナス!はちまん!』って罵っても、小町はおにいちゃんと、お義姉ちゃん達の味方だからね!いい?分かった?ちゃんと彼氏として二人と付き合うんだよ!」

 

「あ、はい。……あ……」

 

 そう口走った瞬間に、由比ヶ浜と雪ノ下の二人が俺に同時に抱き付いてきた。そして俺はもう一度二人をみる。

 二人と居たい。この気持ちに嘘はない。でも付き合いたかったのか?うーん、わからん。付き合った経験なんて無いし……でも、悪い気なんて全くしない。そりゃそうだ。俺は自分で避けていただけで、こいつらを嫌ってなんていない。うん、そうか、分かった。俺は素直に思ってなかったんだな……二人を俺から離しておくために、嫌いじゃない、そんな関係じゃない、俺なんかでいいはずがない……俺は、そうやって、自分の本心を隠してきた。自分自身へも偽って。なら、本心はなんだ?お前の本当の想いはなんだ?お前にとっての本物は……お前が心から望むそのお前自身の想いそのものなんじゃないか?

 嫌われるのがイヤ、失うのがイヤ……そうやってお前の思う本物から逃げ続けていたのはお前自身じゃないのか……

 だったら……そうだとしたなら……

 

 ただ……伝えればいいんじゃないのか……

 

 俺は立ち上がって二人を振り返った。見上げるように俺を真っすぐに見つめる二人の視線を俺はまともには見れなかった。見れなかったから、顔を背けたまま話した。

 

「俺はお前らが思っているようなちゃんとした人間じゃない。いつも逃げてばかりで、口先ばかりで、捻くれてて、まともにお前たちの想いに応えられるとも思えない。でもな、お前らと一緒に居たいんだ。どんな形であれ、俺はお前らと一緒に居ることを俺は選びたい……誰になんと言われようともな……俺は」

 

 今度はまっすぐに二人を見た。二人は緊張した面持ちに変わってしまっていた。待っている。俺の言葉を……こいつらは言った。臆面もなく正直な自分の気持ちを……

 だから俺も言おう……遠まわしでも、言い換えるでもなく、素直に思っていることを……

 

「俺はお前らが好きだ。ずっと一緒に居てくれ」

 

「ヒッキー!」「比企谷君!」

 

 二人に抱き付かれた俺を小町が嬉しそうに眺めていた。

 

 

 これにて、俺達の冒険は一つの幕を閉じる。二人の想いと、自分の中でくすぶっていた想いを漸くにも形にできた俺は、未来へ向けて確かな一歩を踏み出せた。これが本物かどうかなんて問題ではない。ただ、大事にしたい。それだけだ。

 だから、これからも努力しよう、こいつらの為に……

 

「あ!ヒッキー、私達以外と浮気したらバギクロスだかんね!」

 

「こっちはメラゾーマよ!」

 

 その言葉に目を丸くした小町が一言……

 

「ドラクエか!?」

 

 

つづく



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【八幡達のDQⅢから始まる異世界探訪。】②俺ガイルの世界
(1)勇者と僧侶と魔法使いの華麗なる学校生活


「さてと……行くかー」

 

 もう3月になるというのに、早朝はやっぱり寒いな……俺は最近になって買ったジョギング用の緑のジャージの上下を着こんで、シューズを履いて玄関を出た。

 このシューズ、ちょっと有名なメーカーの最新モデルなんだが、バイトもしてない高校生の俺にはなかなかの高級品だった。だが、やるとなったらまず形から……そこは出し惜しみせず奮発して購入、それからほぼ毎日、俺はこうして毎朝走っている訳だ。

 

 あの世界から帰ってきて、早2週間。と言っても、行ってきたのは精神だけだったようで、この体は以前のまま……だが、いくら精神だけとはいえ、あちらの世界で身体を強化しまくり、数か月とはいえ、徒歩で世界をまわり、ほぼ観戦していただけではあるが、ボスと呼ばれる多くのモンスターと戦って来たせいか、その身体を動かす感覚の精神と、身体のギャップが酷いと言ったらなかった。

 手に力は入らないは、脚は重くて鈍くしか動かないは、俺の身体ってこんなに貧弱だったのか?とつくづく思い知らされてしまった。

 そりゃあ、いくらレベリングで上げたとはいえ、向こうの世界では史上最強クラスの身体を手に入れていたわけだから、この所謂レベル1桁程度の貧弱な身体では、ギャップがあって当たり前なわけだ。

 

 とまあ、こんなわけで、この貧弱な身体を鍛えるために、この飽きっぽい俺が毎日毎日こうしてランニングやら、筋トレやらをしているという訳だ。人間一度手に入れてしまった感覚って、なかなか手放せないもんなんだな……一流のスポーツ選手が、まだ全然凄い実力だろうに、『力の限界です』って泣きながら引退表明する気分がなんとなくわかる。俺は、突然に怪力を失ってしまったが、日々のトレーニングをしていても、肉体は徐々に衰えるわけだし、感覚も鋭敏な物からどこか鈍重な物に変わってきてしまうのだろう……その少しづつの変化も、トップアスリートにとっては苦しい感覚なんだろうなと思う。出来ていたのに、出来ないはずないのに……っていうその感覚に苦しめられるのは、やっぱきついんだろうなあ……

 

「やっはろーヒッキー」

 

「お、おお……おはよう……」

 

 突然ピンクのジャージを着た由比ヶ浜が俺に並んできた。色々と考えていたら、どうやら由比ヶ浜の家のそばまで来てしまっていたようだ。俺に並んで走るこいつは、ニコニコと照れてる……っていうか、ちょっと近い!

 

「あら、貴方達、あさからそんなにぴったりとくっついて……ズルいわ」

 

 車のいない交差点を二人で渡った先で、今度は雪ノ下が合流してきた。雪ノ下は、ランニング用の黒のボディースーツに薄青色のスカート姿。雪ノ下も走りながら俺にすり寄ってきた。

 

「あ!ゆきのん、やっはろー」

 

「おはよう、結衣さん、八幡」

 

「おう、おはよう、雪ノ下……」

 

「あら?私の事は雪乃と呼んで欲しいと言ったハズなのだけれど」

 

「そうだよヒッキー、ちゃんと名前で呼ぼうって決めたじゃん!3人で!」

 

「あ、それな……でもな、だって恥ずかしいじゃねえか……そもそもお前からして、未だにヒッキーって言ってるし、俺の名前それじゃねえからな」

 

「う、うう……ひ、は、はちま……んん~……ダメだ!やっぱ、恥ずかしいし」

 

「いやまあ、そんな真っ赤になるんなら、無理すんなよ」

 

「貴方はもう少し無理して欲しいのだけれど……せっかく恋人になったというのに、これでは以前と何も変わらないわ……もっとこう……い、い、いちゃいちゃしたいの……ごにょごにょ……」

 

「雪ノ下……お前な、強気に言いたいなら、後半でこっぱずかしいこと言うんじゃねえよ……だああ!もうしかたねえな……結衣!」

 

「ひゃんっ!」

 

「雪乃!」

 

「はふんっ!」

 

「ったく……これでいいか?」

 

 チラリと二人を見ると、走りながら由比ヶ浜は、えへへとだらしなく顔をにやけさせて、雪ノ下は真っ赤な顔になって震えてた。そのまま二人とも俺に身体を摺り寄せてきた。なんなんだよ……本当にもう……これじゃあ、走れねえよ。

 俺はとりあえず、そうやってされるがままで二人と並んで走った。

 

 俺は……いや、俺達は、こうやってほぼ毎日走っている。二人が走るのも、俺と同様の理由だ。この世界に戻ってから、いかに自分たちに体力がないかという事を痛感してしまったが為に、あまりに動かない自分たちの身体に3人とももどかしさを感じているのだ。

 

 で、俺達は江戸川の土手に立っている。対岸はもう東京。

 最初のうちは海岸沿いの遊歩道を走って折り返していたのだが、3人で走るようになってからは人の目も気になってしまい、そのまま江戸川を目指して走るようになった。まあ、ここまでの距離はすでに25㎞。結構なペースでハーフマラソン以上の距離を走ってはいるのだが、そこはそれ、気持ちが先に立って身体を動かしているから、精神的な辛さがないままに、力が出せてる。二人も同じようで、俺と同じペースで走って、確かに息切れはしているが、それでもギブアップするほどでもない。

 それに、たったの2週間ではあるが、当初の感覚からすれば、かなり体が動くようになってきたのは間違いなかった。

 

「はあ、はあ、はあ、はーーー……今日もいっぱい走ったねー。あたし汗びっしょりだよー」

 

「はあ、はあ、そうね、でも、本当に気持ちがいいわ……以前はジョギングをしたいなんて夢にも思わなかったのに」

 

「そりゃ、お前、あれだ。体を使い慣れてなかったってことだろ。俺達だってあっちの世界じゃ、砂浜で荷物抱えて全力疾走したり、回転する床のある塔を上ったり降りたり、色々やったからな。あの感覚に慣れちまうと、本当にこの身体が重く感じるよ」

 

「そうだねー。でもヒッキー、まだ全然余裕そうなんだけど」

 

「そりゃ、お前たちに合わせて走ってるからな、でも今はこれでも十分だろ。寝る前にも同じくらい走ってるし、筋トレも毎日やってるからな。朝はこれ位にしておかないと、本当に体が動かなくなっちまうよ」

 

「あきれるわね……まさかそんなにトレーニングしていたなんて……いったいどういう心境の変化なのかしらね?勇者様」

 

 雪ノ下がニヤニヤと俺を覗き見る。その隣で由比ヶ浜も照れながら俺に視線を送っていた。こいつら、分かってて言ってやがるな……

 

「べ、べつに、そんなこともういいだろう……ほれ、そろそろ帰らねえと遅刻しちまうぞ」

 

「ああっ!もうこんな時間……どうしようヒッキー、これじゃ、お風呂入る時間ないよ」

 

 腕時計を見ながら由比ヶ浜がそう叫んで俺を見る……おいおい……その飼い犬みたいな目やめろっての。

 

「ったくしょーがねーな。俺が送ってやるよ。ほら、俺に掴まれ」

 

「やたっ……じゃあ、ゆきのん、また学校でね」

 

 喜んだ由比ヶ浜が、汗で濡れた体をそのままに、俺の胸に抱き付いて来た。おわっ……いきなりそんなに密着するなって……い、いかん……由比ヶ浜の蒸れた好いにほいがぁー。

 

「ちょっと待ってくれるかしら」

 

 抱き合った俺達に雪ノ下が声を掛けてきた。

 

「二人に、お願いがあるのだけれど……その、実は今日……姉さんが家にいないのよ……だから……その……」

 

 頬を朱に染めながらもじもじと話す雪ノ下。言いたいことは何となく分かるが、それを今すぐ、俺が返事出来るわけねーだろうが。

 

「うん!お泊り会だね!あたし行くよ、ね、ヒッキー」

 

 あ、言っちゃう奴がここにいたか……

 まあ、別にこいつらと一緒に泊まるなんて初めてでもない。向こうの世界じゃ、野宿もした仲だしな。だが、あの時と今じゃあ、状況が色々違い過ぎる。こいつひょっとして……

 

「別にいいけど……あのな、雪ノ下、それ……ただ泊まるだけ……か?」

 

 俺のその問いかけに雪ノ下は真っ赤になって視線を逸らす。って、うっわ……マジかー……

 

「え?え?」

 

 そんなやり取りを見ていた由比ヶ浜が俺と雪ノ下を交互に眺めつつ、暫くしてから、ボヒュンッって音がなったかのように、一瞬で真っ赤になった。それから抱き付いていた俺からちょっと身体を離すと、俺の袖をちょんと摘まんで俯いてしまう。

 こいつは、本気で分かってなかったのか……でもまあ、行くって言っちまったしな……

 ここは、ビシッと俺が言うべきか……やっぱり……

 

「じゃ、じゃあ、今晩行く……その、さ、さ、3人で泊まる……か……」

 

 俺のその言葉に、二人はコクコクと頷いた。

 それを見て、俺も深く深呼吸をする。よし!言った!後は覚悟を決めるだけか……それが一番の問題なんだけどな……俺にとっては……

 でもまああれだ、恋人になったという事は、そういうのも当然あるわけだが……いや、待てよ!?このままだと俺、最初は3人でってことに……

 

「じゃあ、そういうことで……また後で会いましょう……『ルーラ』」

 

 顔を真っ赤にした雪ノ下が、言うや否や、ルーラを唱えて上空へ飛び立ってしまった。

 残された俺は、とりあえず由比ヶ浜を見る。全身汗だくで、ジャージも濡らしている由比ヶ浜は、少し呆けた表情で俺を見つめていた。なに期待してんだよ、ったく……

 俺はそんな由比ヶ浜の肩を抱くと、そのまま呪文を唱えた。

 

「ルーラ」

 

 

 

 

 雪ノ下と由比ヶ浜という二人の彼女が出来た俺は、学校での立場も様変わりしていた。

 

 あの帰還した翌日、登校した俺は、教室でも気軽に由比ヶ浜に話しかけていた。それは俺達にとってはなんてことはない昨日の続き……とーちゃんと一緒に天空のゼニス城への長大な迷宮を幾日もかけて旅をした俺達にとっては、普通の行為でしかなかった。ただ、そう、それがあまりにも当たり前だったからこそ、それ以前の自分の立ち位置をすっかり忘れてしまっていたのだ。

 俺はクラスに話す相手のいない、存在感のない、ただのボッチ。そうなるように俺も努めていたというのに、あろうことか、久々に登校した学校で、俺はそれをすっかり忘れて、由比ヶ浜と普通に会話してしまってた。理由はどうあれ、俺は由比ヶ浜と付き合ってるわけで、話すこと自体に問題はないはずだが、もともとの俺達の関係からすれば異常でしかない。

 由比ヶ浜はトップカースト葉山グループのメンバーで、クラスに関わらず男子の人気が高い。かたや俺は、文化祭で色々やらかし、学校中を敵にまわしたヒール……クラスじゃ会話もなく、ボッチを貫いて来たから、相手にもされずに事なきを得ていただけで、そんな俺達二人が、いきなり仲好さ気にしかもいちゃいちゃと、そう多分まわりにはそう見られている位の感じで一緒に居れば、自然こうなるわけだ。

 

 最初にいちゃもんをつけてきたのは、戦士三浦だった。あ?こっちの世界じゃ女王様か。まあいい、三浦は、俺の机までやってきて、由比ヶ浜に『ヒキオとなんか話してないで、こっち来なし』って、手を引っ張っていた。

 それで、漸く俺も気がついた。

 嫌われものの俺と仲良くすれば、自然とみんなと敵対することになる。そうならないように、以前の俺は、こいつらから距離を取っていたというのに…

 だが、三浦!流石おかんだ!由比ヶ浜がそうならないように、ごく自然に先回りして俺から引き離そうとしてくれてる。マジグッジョブ。今回ばかりは、トップカーストの『場を読む』スキルに本当に感謝。

 

 だが。

 

「ちょっと優美子!それ酷いよ!あたしがヒッキーと話して何が悪いの!?なんでそんなこと優美子に言われなきゃいけないの!?」

 

 なぜか、激オコな由比ヶ浜が突然三浦に大声で食ってかかった。

 って、お前な……せっかく三浦がお前の為に頑張ってるのに、なんで、当のお前がそれを壊しちゃうんだよ!ほら、見ろよ、お前にいきなりそんなこと言われちゃったから、三浦のやつ、涙目になっちまったじゃないか!

 まあまあと、由比ヶ浜を宥めようとした俺だったが、逆に由比ヶ浜にじろりと睨まれてしまった。おおう……なに?俺の為に怒ってんだよね?

 半泣きの三浦に、なかなか怒りがおさまらない由比ヶ浜が、まだ怒鳴り付けていたが、ここで真打ち登場。『まあまあ、二人とも』って、声を掛けながらやってきたのは、THEみんな友達の葉山。

 いつものように、薄っぺらい言葉を重ねて、場の修復にかかったが、それでも由比ヶ浜は、収まらない。ついにコイツ……あれを言ってしまった……

 

「みんな、酷すぎるよ。自分の好きな人が悪く言われて平気なの?あたしはそんなのヤダ。ヒッキーを悪く言う人は、恋人のアタシとゆきのんが絶対許さない!…………あ」

 

 『あ』、じゃねえよ、『あ』じゃ………

 

 言って、顔を真っ赤にして俯く由比ヶ浜。三浦は三浦で、さっきまでの泣き顔から、頬を染めた乙女チックな表情に変わって、ぼうっと由比ヶ浜を見つめてる。隣の葉山はなぜか、真っ青な顔で、笑顔を凍りつかせていた。だか、それよりなにより、今の俺が周り中からびんびん感じてるこれは、まさしく初めて一角うさぎと相対したときに感じたそれ……

 

 そう……つまり、『殺気』

 

 この瞬間、割とマジで、全校男子が俺の敵にまわった。

 

「うう……ヒッキーごめんね」

 

 真っ赤な顔をして上目遣いで俺を見る由比ヶ浜は、かなり後悔をしているようだが、後の祭。

 明るくて可愛い由比ヶ浜が全校生徒に人気があるのはさっき述べた通りだが、同じように、頭脳明晰、容姿端麗で、国際教養学科において高嶺の花と称される雪ノ下もまた、男子生徒に非常に人気が高い。文化祭でもその二人がボーカルとしてステージを飾るなどしたこともあり、お近づきになりたがっている男子生徒が多数いるらしいことを、俺は二人から聞いていた。

 この由比ヶ浜の発言は、まさにその男どもの邪な野望を打ち砕く強烈な一言であり、かつ、その憎悪の矛先をある一点に収束させるに十分な威力があった。

 

 

 その日、俺は『ただのボッチ』から、『ムカつくリア充ボッチ』に昇格した。って、いや、もはやボッチというより、単なるイジメの対象になっただけなんじゃねえか?

 

 とりあえず、『全男子の敵』として、テンプレは一通り食らった。

 

 靴を捨てられ、机に落書きされ、椅子に画びょうが置かれ、教科書とノートには呪いの言葉が……

 まあ、中学時代に逆戻りしたと思えば、なんてことはないことばかりだが、流石に、自転車のワイヤーを全部切断されたことに関してはやり過ぎだったので、先生には相談したが……はっきりいって器物破損どころか、殺人未遂。後一歩で警察介入って感じだったのだが、その状況にビビった生徒が名乗り出たので、弁償してもらってそれは終わり。まあ、ルーラを使える俺にとっては自転車がないからと言ってそんなに不便ではないのだが、それでもやり過ぎはやり過ぎだった。

 

 そんなことが色々あったが、俺はそれを由比ヶ浜と雪ノ下の二人には伝えなかった。無用な心配をさせたくなかったってのが理由だったが、後でバレて二人にはかなり怒られたのだが、それはまた別の話し。それに、そんな嫌がらせも2、3日で終息したし。

 

 まずクラスで、葉山や三浦が俺と由比ヶ浜によく話しかけてくるようになった。もともと三浦の奴も由比ヶ浜を心配してたというだけの事だったし、こいつら元からかなり仲が良いしな。由比ヶ浜が教室で俺にべったりしている以上、必然的に三浦も俺の側に来ちゃうわけだ。俺からすればかなり鬱陶しい。どっか他所行ってくんねーかな。

 というか、葉山!お前、別にそこまで三浦にくっついてくる理由ないだろうが……ときおりチラチラ俺を見ながら、何か言いたげな眼差し送ってくんじゃねーよ。だいたい、雪ノ下のこと聞きたいなら、はっきりそう聞けば良いじゃねーか。

 もっとも、オメーに話す事なんか何もねーよって追い返す気まんまんだけどな……お、今の八幡的にポイント高い!

 

 他にもクラスでよく話しかけてくれるようになったのが、戸塚と川、川なんとかさんだ。

 戸塚はもともと俺に気を使ってくれてたけど、今じゃ休み時間のたびに俺と由比ヶ浜のところに話に来るようになった。『本当に八幡ってすごいよ』っていつも褒めてくれるんだが、俺はそんな言葉より、戸塚の笑顔をいつまでも見ていたい。

 って考えてると、いつも由比ヶ浜に抓られるんだが、こいつ何?ラーの鏡でも持ってるのか?

 

 川なんとかさんは、どうも俺がいない間に、俺の荷物に悪戯しようとしていた連中をまとめて折檻したらしい。当然その現場を俺は見てはいないのだが、遊び人ではない海老名さんがこっそりと俺に耳打ちして教えてくれた。彼女はその制裁の役を葉山にやらせて、俺と葉山の友情のBLに持って行きたかったらしいが、それ、本人に言ったらだめでしょうよ。

 俺はなるべく事を荒立てたくなかった。俺に向かっている敵意が由比ヶ浜達に向くのが嫌だったからだ。そのことも含めて、でも助けてくれた、川なんとかさんにはお礼を言ったのだが、真っ赤な顔をして、『あんた意外と男らしいんだな』と男らしく腕を組んで返された。

 

 そんな周りのサポートも効果があったと思うが、何よりも、俺への嫌がらせを一気に終息に持って行ったのは、コイツのこの一言だった。

 

「陰でコソコソ蠢く卑怯者を、私は絶対に許さないわ。八幡に言いたいことが言えないなら、私に堂々と言いなさい」

 

 いや……お前に言う時点で、もう堂々とはしていないと思うが……

 

 ボッチとして悪化した俺の状況を知った雪ノ下が、俺達のクラスに怒鳴りこんで来たわけだ。獲物を射殺すような冷たい視線を、うちのクラス全員に向けて放つ雪ノ下の姿に、流石に全員黙り込んでしまっていた。良く見たら、わずかに指をぴくぴくと動かしているし、もっと良く見たら、雪ノ下の足元に、真っ白い霜柱が!!なに?お前ここでマヒャドでもぶっぱなすつもりかよ!それ、ダメな奴だから!

 流石にこれはまずいと慌てる俺達に、何も現状を理解していない一人の野郎が更に雪ノ下をヒートアップさせる一言を吐いた。

 

「雪ノ下さんて、本当に趣味悪いのな。そもそも由比ヶ浜さんと二人でそいつと付き合うって、頭おかしいんじゃないの?」

 

 それに同調しようとする男どもが何人か、声を出そうとするのを見た俺は、雪ノ下の手を掴んで、その前に立った。雪ノ下は顔を真っ赤にして、言ったそいつを睨んでいたので、俺は背中にこいつを隠した。掴んだ手は震えているし、多分放って置いたら、何か呪文でも唱えちまいそうな勢いだったし。

 

 雪ノ下の前に立った俺はクラスの連中を見ながら言った。それは信じられないくらいすんなりと言葉になった。

 

「わりいが、俺は雪ノ下と由比ヶ浜の二人ともが好きなんだ。だから、俺達の邪魔をしないでくれよ」

 

 不思議と怖いとも、恥ずかしいとも思わなかった。

 ちょっと前までの俺なら、キョドりまくって噛みまくって、一言も話せなかったかもしれない。だが、今の俺はちょっと変わった。二人を必ず守ろうと心に誓っているのだ。たとえ、それが戦闘から守るという事でなくても、二人が傷つくというのなら、俺が盾になってやろうと強く思っている。由比ヶ浜と雪ノ下の二人は、いつの間にか俺の背中に身体を寄せてきていた。

 クラス中の連中は、そのほとんどが言葉を失っていた。中には呆れたような顔で、離れていくいもの、小馬鹿にして囁き始める者もいたが、何人か、特に女子が俺達にゆっくり歩み寄ってきて、『頑張ってね』とか『かっこいい』とか声を掛ける。まあ、でも、その掛けてくれた女子達が誰なのか、俺には全く分からないけど……

 この一件以来、嫌がらせもほぼなくなったという訳だ。

 

 

 

 

 

 

 とまあ、こんな具合で、一悶着も二悶着も在ったわけだが、今は比較的落ち着いてきている。相変わらず俺に話しかけてくる奴は限られてはいるが、もめ事らしいもめ事もここ最近は起こっていない。所謂平和って奴だ。期末試験も終わったし、気も緩んでいた。

 そんな時に、今朝の雪ノ下のアレだ。

 放課後、俺は一人で思いにふけっていた。

 

 や、やばい……どうしよう……土器がむれむれで……じゃなくて、胸がドキドキだな……

 

 でもな、いったいどうしたら良いんだ?こんな時、いったい何を準備すりゃいいんだよ。まあ、あれか?あれだよな?とりあえず、あのコンビニ入口そばの、絆創膏みたいな箱の奴は買わなきゃ不味いよな。うん、必須だ。朝出がけに見たぐーぐるさんにも『あれ大事』って書いてあったし……というか、ぐーぐるさん、あれ関係で調べると、トップページにあはーん、うふーんな画像いっぱい出すの止めてくれませんかね。もうあれだけで、頭の中で、アイツらがあれで、あんな感じで、ああなっちゃって……

 

「ねえ、ヒッキー」

 

「うわっほうう!!」

 

「ど、どうしたの……?」

 

「い、いや……いきなり声かけられたんでびっくりしただけだ」

 

 突然、背後からポンと手を置きながら、声を掛けられた。振り返ったそこには頬を赤らめた由比ヶ浜が俺を見つめている。

 や、やばい。……色々考え過ぎて、もうまともに顔見れなくなっちまった。妄想力がすでにオーバーヒートだ。お、俺、本当に大丈夫なのか?

 

「で、な、なんのようなんだ?」

 

「あ、うん……ゆきのんがね、先に用意したいから、今日は部活お休みにしようって……それで、あたしも一緒に先に行くことになったから、ヒッキー、後で一人で来てくれるかな」

 

「あ、お、おお……分かった」

 

「じゃ、じゃあ、また後でね」

 

 由比ヶ浜はそう言うと、軽く手を挙げて帰って行った。

 

 用意って、いったい何なんだよ。そもそもあれって、何か用意するものなのか?布団?枕?そんなのはまあ普通だわな……じゃあ、普通じゃ無い物って言ったら……ま、まさか、あれか?いや、それはない……はずだ。いくら何でも、あの雪ノ下がそんなものを持ってるなんてことは……いや、違う。今朝のあの感じだと、アイツ、結構前から、準備していたような感じだった。雪ノ下さんがいなくなるのを待っていたかのような感じだ。となると……あれどころか、まさか、あんなのやこんなのとかも!!いかん、どうしよう、俺じゃあ使い方もマナーもわかんねえよ……

 

 ダメダメダメダメダメだああ!

 考えるの禁止!もう、考えるほどに、頭がパニックになるうううう。そうだ、落ち着け俺。そんなに妄想爆発させても、そんなのはなんの役にも立たない!

 もう、腹を決めて、アイツらの床に……いや、所に行けば良いだけだ!よし、頑張れ八幡!男を見せろ!

 

 すうっと、息を吐いて俺は立ちあが……

 

 ごんっ!「痛ッ!」

 

 触ってもいないのに、机がちょっと持ち上がった。

 



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(2)一線を越える夜

 少し遅れてきてくれという伝言だったから、俺は雪ノ下の家の側の書店に入って、時間を潰すことにした。ここには以前も来たことがある。結構、ラノベの取り扱いが多くて、俺好みの店だ。

 

「おお!新刊出てた。これ、この前のアニメ化最高だったな……」

 

 白髪の男の子と黒髪の女の子の表紙の本を手に取って眺めていると……

 

「なにブツブツ独り言言ってるんですか?気持ち悪いですよ。せーんぱい」

 

 見ると、そこには亜麻色のショートヘアーの見知った顔。

 

「なんだ、一色か……なんでお前がこんなとこに居るんだよ。家反対方向だろうが」

 

「なんでじゃないですよー。それを言ったら、先輩だってこっちじゃないじゃないですかー。一人でこんな本のコーナーに居たら、キモオタに見られちゃいますから、私が一緒にいてあげますよー」

 

 きゃるんっと微笑んだ一色が俺を見上げる。

 

「だから、あざといんだよ、お前は……って言うか、さりげなくラノベディスってんじゃねえよ」

 

「なんですとー、私はあざとくないですぞー。せっかくこんなに可愛い後輩が隣にいてあげるんですから、素直に喜んでくださいよー」

 

 なにが良いんだか、一色の奴は俺から離れようともしない。

 こいつだけは本当に何考えてるか分からん。葉山にアプローチしたり、俺にデートの練習させたり……でも、こいつも言ってたな……本物が欲しいって……

 一色がなんでそんなもんを欲しがるのかも、俺には分からん。俺と同じ境遇ってことはあり得ないしな。こいつのこと、ジャグラーばりに男子を手玉に取ってきたらしいと思ったこともあったが、今のコイツはそんな風には全く見えない。ひょっとしたら、コイツはコイツで何か悩んでることでもあるんだろうか……

 そんな事を考えていたら、不意に一色が俺の腕に抱き付いてきた。

 

「ちょ、おま、何すんだよ」

 

「いーじゃないですかー。先輩聞きましたよ。今度は結衣先輩と雪ノ下先輩の二人と付き合うってことにしたみたいですねー。今度は何の依頼なんですか?それなら私も手伝ってあげますよー?」

 

 一色は俺の腕に頬摺りしながら、そう言った。こいつ……なんか勘違いしてやがるな……

 依頼?

 俺達がカップルのフリしなきゃならない依頼ってどんなだよ。そんなめんどくさい設定の依頼考えるだけで頭いてーし、そんな依頼なら、既存のカップルにでも頼めばいいだろ。

 

「あのなー、一色……別に依頼だなんだで付き合ってんじゃねえよ。その、なんだ……まあ、色々あってだな……」

 

 この後、その二人とあれやこれや何てこと言えるわけもねえし、さて、どう言えばいいのか……

 だが、その俺の言葉に一色はパッと手を放して、後ろに飛んだ。そして、後ろに身体を向けた後に、再び振り返って俺を見る。

 

「なーんだ、やっと本気になったってことなんですね。もう、せんぱいのくせに生意気ですねー。じゃあ、私、もう行きますねー」

 

「お、おい……」

 

 言うや否や、一色はクルリと向きを変えて、小走りに駆け出した。

 一色は平積みの本にぶつかりながら、どことなくフラフラとした感じで、駈けていく。

 俺はその姿に不安を覚えて、手に持った本を置いて、すぐに追いかけた。

 一色はやっぱり前をちゃんと見ていない。勢いを弱めないまま、歩道へそのまま飛び出そうとしていた。

 

「一色ー!」

 

 俺はそう声を掛けた。なぜなら、一色の走り出るその先に、スマホを見ながら走る自転車が見えたからだ。だが、一色は、勢いを弱めない。

 

 俺は……

 

「ひゃあっ……!」

 

「あ、すんませーん」

 

 すんませんじゃねえよ、このバカヤローが!スマホ見運転は、自転車でも違反なんだよ!自転車に乗ったその兄ちゃんは、ぺこりと俺に頭を下げて、そのまま走り去る。

 俺はとりあえず脳内で悪態付きまくった。あくまで脳内で!え?直接怒鳴ればいいじゃないかって?

 んなこと出来るわけねーじゃん、俺に。

 

「ちょ、ちょっと、先輩……降ろしてくださいよー」

 

「あ、おお、すまん」

 

 俺の胸の辺りで見上げてくるその顔に、そう言われて、俺は抱えていたそいつを地面に下した。

 咄嗟ではあったが、走っている一色を両手で抱き上げた訳だ。所謂お姫様抱っこ……なんだが、脚動いてるし、後ろから組み付くその姿勢はジャーマンスープレックスで……危うく股間に手を差し込んじまうとこだったのを、無理やり上に持ち上げて抱きかかえたってわけだ。

 もっとも、一色の奴は軽かったから出来たわけだが、あっちの世界で由比ヶ浜を抱きかかえた時は、こんなに簡単に持ち上がらなかった……なんてことは口が裂けても言えない。いやマジで。

 

 地面に下した一色は、真っ赤な顔をして怒ったような顔で視線を逸らしてる。

 そりゃまあ、怒るわな……いきなり俺みたいなのに抱きかかえられたら、気持ち悪いだろうしな……

 

「あの、ありがとうございました」

 

 一色は不貞腐れた顔のまま、そう俺に言った。

 

「いったいどうしたってんだ。急に走り出したかと思ったら、飛び出しやがって……お前は何考えてんだ」

 

「別に……なにも……いつも道りですよ……」

 

「そうか……なら、いいんだが、あのな一色、いつも俺がいるわけじゃねーんだから、自分でも気をつけろよ」

 

 俺の言葉に、一色は目を丸くして見上げてきた。そして、一歩近づいて俺の袖を摘まんだ。

 

「あの、せんぱい……ひとつだけ聞いて良いですか?」

 

「ああ、いいけど……」

 

 一色はまっすぐに俺の目を見ている。その目はどことなく潤んでいるようにも見えた。

 

「先輩は、どうしてそんなに優しいんですか?」

 

「は?……いや、別に俺、やさしくなんかねーし」

 

「違いますよ……そうじゃないですよ……先輩が優しくない、人でなしなんてことはとっくに知ってますよ」

 

 おおう……な、なに?酷い言われよう何だが……

 一色は俺の袖を引っ張って、店の脇の路地に俺を連れて行った。そして、続きを言う。

 

「先輩は優しいです。それから酷いです。なんでですか?なんで二人と付き合うんですか?なんでちゃんと選んであげないんですか?雪ノ下先輩だって、結衣先輩だって……私だけを見て欲しいって思っているのに、自分を一番大事にしてほしいって思っているのに、それなのになんで先輩は選ばないんですか……そんなの酷いです。最低です。そんなの本当の優しさじゃないです。どんなに優しくされたって、どんなに気を使われたって、そんな優しさ、偽物じゃないですかー。それじゃあ……そんなんじゃあ……本当に好きになんてなれないじゃないですかあ」

 

 俺の制服の襟を握りしめながら、一色は変わらない笑顔のままそう話し続けた。でも……その両頬には、とめどなく溢れる涙の筋。嗚咽するでもなく、取り乱すでもなく、ただ涙を流しながら俺に話し続ける一色を、俺は見つめ続けた。

 こいつ…………

 一色は本物が欲しいと言った。俺と同じものを欲しいと……

 俺は思い違いをしていたのかもしれない。

 いつも飄々として本心を出さない一色いろは……たくさんの男子に人気もあって、コミュニケーションスキルだって高い。自分の思いに素直で、欲しい物はなんでも手に入れている。俺は一色のことをそういう風に見ていた。でも……

 今目の前にいる一色は、そうじゃない。探している。欲しがっている。必死になって求めている。ひたすらにドライに振る舞い続ける普段の彼女とは対照的に……一色は、一色にとっての本物の形を求めている。

 そして、その答えを俺に求めている。俺にはそう感じた。

 なら、だったら、俺の答えを言わなきゃならないだろう……この可愛い後輩の為にも……

 俺は制服のポケットからハンカチを出して一色に渡す。

 突然差し出されたそのハンカチに戸惑いながらも、一色はそれを受け取って、涙を拭った。それを見てから、俺は話した。

 

「俺はな、どちらも選べなかったんじゃない。二人を選んだんだ」

 

 それを聞いた一色はまた怒ったような顔で俺に迫った。

 

「な、なんですか、それはー。そんなの最低……」

 

「いいから、最後まで聞けよ。俺は今まで人を本当に好きになったことが無かった。そりゃ、以前は優しくしてくれた女の子に嬉しくなって告白したこともあったが、それは好きになったからじゃないんだ。二人を好きになった今だからはっきり言える、あれは勘違いだったって」

 

「…………」

 

 一色は黙って俺の話を聞いている。俺は、その顔を見ながら、話を続けた。

 

「人を好きになるってことがどんなことなのかは、俺は未だに良く分からない。でも、一つだけはっきり言えることがあるんだ。俺はそいつを決して失いたくないって強い想い……俺の中ではそれがあいつらだったんだよ。雪ノ下がじゃない、由比ヶ浜がじゃない、二人ともが俺にとっての守りたい存在なんだ。だからそのどちらかを選ぶなんてしない。自分で決めたんだ。俺は二人を選んだんだ」

 

 かなり恥ずかしいセリフを言ってしまった。普通なら爆笑もんだ。でも、涙を流しながら俺に切々と訴えている一色には、こうやって応えるしかなかった。改めて考えた俺の本心。

 二人を選ぶ。

 これがどれだけ可笑しな発想かは、この一夫一婦制の日本の制度から見ても、異常だ。

 それでも……

 俺は二人と居たかった。

 そう決めたのだ。誰に何と言われようと、妨害されようとも、俺はその自分の気持ちに素直になろうと……

 

 一色は、ほぅーっと一つため息をついて、俺を見上げて再び話した。その目にはもう涙は消えている。

 

「ほーーーーんとに先輩は先輩ですねー。なんですか?その言い訳……そんなの普通の人が聞いても、意味わかんないだけですよ」

 

「うっ……そ、そうか……」

 

「まったく……二人を同時に好きになるなんて、そんなのおかしいです。普通じゃないです。まちがってます。頭おかしいです」

 

「う、うぐう」

 

 自分で分かっているだけに、面と向かって言われるとかなりダメージが大きいな。

 

「でも……」

 

 一瞬一色は本当に優しい微笑みを浮かべた。

 

「先輩らしくて……素敵です」

 

 にこりと微笑みながら呟いたその言葉は、ほとんど聞き取れなかった。でも、一色は俺の言葉に満足してくれたという事だけは分かった。

 一色は掴んでいた俺の制服から手を放すと、俺から少し後ずさる。今度はさっきのように逃げ出すような雰囲気は全くなかった。そして、俺を見たまま立ち止まると俺に話しかけた。

 

「先輩!先輩にとっての好きな人って、失いたくない人ってことですよね!だったら、さっき私を助けに来てくれたんですから、私も一緒ですよね」

 

「は?お、おい……」

 

 少し離れたところで、あはははと笑っている一色……その表情は嬉しそうで、そしてどこか晴れやかだ。

 

「冗談ですよー……ほらほら、こんなところで浮気してたら、雪ノ下先輩に怒られちゃいますよ。それじゃあ、今度こそ、私行きますからねー」

 

 一色は首だけを傾げてこちらをチラリと見る。そして……

 

「さよならです。比企谷せーんぱい!」

 

 

 

 

 

 

「はい……」

 

「あー。比企谷だけど、もう大丈夫か?」

 

「ええ、待っていたわ……今扉を開けるわね」

 

 雪ノ下のマンションの入り口で、インターホン越しに会話をすると、目の前の大きなガラスの自動ドアが開いた。俺はポケットに手を入れて、それの存在を確かめると、ゴクリと唾を飲みこんだ。

 心臓の鼓動がうるさくて、正直フラフラする。このドックンドックンって音、三半規管にも何かダメージ与えてんじゃないのか?もうさっきから、真っすぐ歩けないし、心音の所為で音もろくに聞こえないし、正直倒れそう……いや、今倒れちゃだめだ。もうちょっと頑張れば、めくるめく快感の世界が……って、いやそうじゃないだろう……

 は、は、初めてってのは、もっと何か神聖な何かの筈だ……あいつらも……ん?あいつらも初めてだよな……初めてだと思う……初めてだといいなあ……ってそれも違う。

 そんなことは関係ない。今の俺にとって大事な二人と、大事な契約を結ぶ……ふう、そう、契約……これは契約だ。こう考えれば、少し落ち着くな。これなら、玄関を開けていきなり二人が裸で出てきても……って、ダメじゃん!そんなのいきなりだったら、契約がどうのとか、ハンコががどうの、母印がボインでゆいがはまあーーー……

 

 っあーーーーーーーーーーーーー!!

 

「はあ、はあ、はあ…………………ベホマ」

 

 と、とりあえず回復……まだ、なんにもしてないのに何故かもう瀕死なんだが……

 これは、キツイ……

 壁にもたれて苦しんでいる俺の脇を、結構金持ちそうな住人たちが何人も素通りしていく。まあ、声を掛けられても何にも答えられないから、放って置いてもらえて助かるんだが……

 這う這うの体でなんとかエレベーターに乗り、雪ノ下の部屋の階のボタンを押し、呼吸を整える。そしてもう一度、ポケットにいれてある、さっきコンビニで買ってきた四角い箱を触って確認。色々あったが、そんなのをゆっくり選ぶ度胸なんて俺にはない。だが、見た瞬間に、こういうのはやっぱり安いのはダメだろうって思い、一番高い奴をチョイス。それを手で包むようにしてレジに行き、店員のおねーちゃんの定型の受け答えに安心しつつ、買って急いでポケットに忍ばせたわけだ……

 

 それにしてもさっき一色と話していた時は、やばかった。泣いてるアイツにハンカチを渡そうとポケットに手を入れたら、手に触れたのはまさかのこれ!危うく、アイツの目の前に差し出しちゃうとこだった……

 そんな事したら、必死の想いで胸の内を晒してくれたアイツがいったいどう反応していたか……はあー、死にたい。

 

 エレベーターを降りて、真っすぐに部屋へ向かう。

 そして、部屋の前でインターホンを押して、ドアが開くのを待った。

 色々、悶々としてしまったが、ここまで来たらもう後戻りはできない。どんなことが待っているのか分からないが、後はなるようにしかならない……ええいままよ…男は度胸!

 

「どうぞ……」

 

 雪ノ下にそう言われて、開いた玄関から中に入ると……

 そこには、雪ノ下と由比ヶ浜の二人が立っていた。パジャマ姿で!

 

「やっはろーヒッキー……」

 

「こんばんわ、八幡」

 

「お、おお……?お前らなんでパジャマなんだよ」

 

 由比ヶ浜は、ピンク地に白い水玉柄のもこもこした上下のパジャマ、雪ノ下は、光沢のある青のパジャマ姿で立っていた。

 はあ……裸じゃなかったかあ……

 って、べ、べ、べ、別にがっかりなんてしてないし……

 

「あら?今日は一緒に泊まろうと言ったはずよ……わたしと結衣さんはさっきお風呂に一緒に入ってしまったし、別に出かけるわけでも無いのだから、おかしくはないと思うのだけれど」

 

「そうだよヒッキー……ヒッキーも早くパジャマに着替えちゃってよー」

 

 な、なんだこれ?あれ?

 なんか想像してたのと対応が大分違う。これって、あれじゃないか?ハリウッド映画とかで見たことあるが、パジャマパーティーとかのノリじゃないか?ひょっとして、俺の只の勘違い……

 

 ……かと思っていたら、急に二人が俺に抱き付いてきた。

 うはあっ……

「な、なんなんだよ、急に……」

 

「だって、学校ではこんなこと出来ないでしょう。ずっと我慢しているのよ」

 

「うん、あたしもヒッキーにくっつきたかったんだー。はあー幸せ」

 

「お、おい、お前ら……ほら、俺まだ風呂も入ってないし……お前ら汚れるから……」

 

 そう言って二人をひき剥がすと、残念そうな顔をしている二人を置いて、リビングへ入った。そこには、3人分の料理が用意されている。

 

「ちょうど、ご飯も炊けたところだし、食事にしましょう」

 

 雪ノ下のそのことばで俺達は食事を取ることにした。

 それにしても、こいつらなんでこんなに平気な顔してんだ?これから、イタすんだよな?女ってこういう時も平気なのか?

 はっ!?二人いるから、気が楽ってことなのか!?

 向こうは二人、こっちは一人。どう考えても俺が不利だ。とてもじゃないが、対等じゃない。

 そうか、だから、あんなに余裕しゃくしゃくなんだな……くそう……なんか悔しい……

 でも、そうか……こいつらが余裕でいてくれて、逆に助かったかもしれない。正直俺に、二人をリードする術なんて持ち合わせていない。まあ、以前、一部にアストロンかけたらどうなるかなーなんて考えたりもしたが、それ出来るか、怖くて試したことないし、そもそも、何からすりゃいいのか全く分からん。

 

 食事中もモヤモヤが全く収まらず、食べ終わったらすぐに、二人に追い出されて風呂に入ることに……

 やっぱり雪ノ下って金持ちなんだなー……

 俺の家と比べても、段違いに広くて綺麗な風呂に驚きつつ、置いてある石鹸に手を伸ばし、よせばいいのにまたもや妄想……

 

 

 

 この石鹸……あいつらも使ったんだよな……

 

 

 

 ぐはあっ……もうだめだ……生殺しも良いとこだー……

 一人で身もだえながら、俺は身体を急いで洗う。もう、風呂にはいって、あー、いい湯だなあ……なんてリラックスは当然無理!前後不覚になりながらも、何とか風呂を脱出した。

 

 ガラガラ……

 

「あ、八幡……た、タオル……ここに置いたから……」

 

 そう言って雪ノ下が脱衣所から出て行った。

 

 はうあっ!み、見られてしまったああ!!

 もうダメだ!限界だ!これ以上はもう無理!

 とうちゃん、かあちゃん、八幡は今日、大人になります!

 

 寝巻に着替えて、気合を入れて、勢いよく脱衣所の扉を開けたその時……

 

「結衣さん、今よ!」

 

 目の前に二人が立っていてなぜか、俺に手を突き出してる……ってことは……

 雪ノ下の言葉に、由比ヶ浜が呪文を唱える。

 

「ラリ「マホトーン!」ホー……あ、あれ?」

 

 一瞬早く、俺がマホトーンを唱えたことで、由比ヶ浜の呪文は封じ込まれて無効。

 というか、なんだ……?なんで俺を眠らせようとしてんだよ。

 じろりと二人を睨むと、何故か苦笑いしたまま、二人は後ずさる。

 

「お、お前ら……なに企んでやがる……」

 

「あははははは……ひ、ヒッキー、ねえ、ちょっと顔怖いんだけど……ねえ、ちょっと待って……」

 

「雪ノ下……お前だろう……いったいどういうつもりなんだよ」

 

「い、いえ、だって多分、あなた嫌がるだろうと思ったから……」

 

 そう言って、冷や汗をかきながら、顔を横に向けてる。その先には、開いたドアが……その中には、ベッドの様な物と……ん?あれはなんだ?

 何か、寝室には似つかわしくないものが見えた俺は、慌てて制止しようとする二人を押しのけて、その部屋に入った。

 

「な、な、なんじゃこりゃあ……」

 

 そこには……

 

 まずベッド。ちょっと普通の俺が使っているベッドよりは大き目で、所謂クイーンサイズって奴か……でも、まあこれは分かる。問題なのは、その枕元に置いてある黒い数々。

 

 集音器!

 マイクスタンド!

 録音用機材!

 

 おかしい……これは明らかにおかしすぎる。まず、ベッドわきにどう見ても音響関係者が使うだろう、いろんなボリュームのつまみのある機械が置いてある。そしてそこから伸びる長いマイクスタンドの先には、野球のバットほどはあろうかという、大きな集音マイクが取り付けられている。

 一瞬頭に浮かんだのは『自撮りプレイ』……ぐはあッ……妄想レベルが高すぎてイメージできねえ……というか、もしそれならカメラみたいなもんもあって良さそうだが、ここにはそれらしいものはない。という事は、音声だけを拾いたいのか……

 なんだこれ?

 

 チラリと二人を見ると、居心地悪そうに、目を逸らしている。俺は二人のところまで歩いて行ってその肩に手を置いて、言った。

 

「さあて、説明してもらおうか……二人とも」

 

 俺のその言葉に二人は顔を赤らめながらポショポショと話し出した。

 

「えーとね、ヒッキー……あたしたち、ヒッキーの寝言を録音したかったんだよ」

 

「はあ?寝言~?はっ……!?」

 

 そういや、向こうの世界で初めて宿屋に泊まった時、こいつらなんかそんな様な事言ってたな。でも、なんだ?なんで今そんなこと気にするんだ?

 

「八幡は寝ているから、分からないと思うのだけど、貴方毎晩向こうの世界で寝言を言っていたのよ。だから、その……それをどうしてもまた、聞きたくて……ごにょごにょ」

 

「はあ?寝言を聞きたい?意味わかんねえんだけど、お前ら、それどういう意味だよ!?しかもなんでそれを録音しようとしてんだよ。それ、俺の著作権侵害してないか?っていうか、俺はいったい何を言ったんだよ」

 

 俺のその言葉に二人は一気に赤面。なんか湯気が出そうなくらい力を込めて俯いてるし……

 俺……いったい何口走ってんだよ……コエーよ……っていうかコエー。

 

 真っ赤になった二人だったが、二人して手を繋ぐとゆっくり俺の側によって来た。そして、俺とも手を繋いで、そのままベッドの上に座る。そして由比ヶ浜が最初に言った。

 

「ゆ。ゆ、ゆ、由比ヶ浜、愛してる……って」

 

「はああ!?」

 

 由比ヶ浜はそれっきり俯いて動けなくなる。そして今度は雪ノ下……

 

「雪ノ下……お前を離したくない……って、そう言って抱きしめてくれていたのよ貴方は」

 

「はあああああ!?ま、マジか……お、俺、本当にそんな(こっぱずかしい)事言ったのか!?」

 

 二人は俺の言葉にコクリと頷いた。

 うわああ……マジか……俺って、そんな寝言言っちゃう痛い奴だったのかあ……はあ、ショックだ。ショックすぎる。前から痛い奴だって十分自覚してはいたが、まさかここまでの痛者だったとはあぁぁ!はあ、死にたい~!!死にたいよぉ!!

 頭を抱えた俺はその場に倒れた……

 

 …………

 

「が、よく考えたら、なんで、それをお前らが録音しようとしてんだー!あれか!あれなのか!?それを使って俺を脅迫しようとかっていうあれなのか?俺、脅しても何にもでねーぞ……っていうか、お願いします。マジ止めてください。ホントもうアレだから。中学の時ハブられたのはもう傷癒えたけど、今から俺の恥ずかしいセリフ大公開時代とか、ホントもう生きていけないから、やめてください、ごめんなさい」

 

 何か最後は一色のようになっちまったが、もうなりふり構ってらんねえ。もう許してくれるんなら、土下座でも何でもするから……

 

「ちょ、ヒッキー、あたしたちそんなことしないよー。そうじゃないから、大丈夫だから」

 

「そ、そうよ……そうではなくて……ただ……嬉しかったから……」

 

「え?」

 

 雪ノ下のその言葉に、俺は顔を上げた。そこには恥ずかしそうにする雪ノ下と由比ヶ浜……二人して視線を合わせた後、二人は俺に言った。

 

「寝言なのは分かっていたのだけれど、あんな風に好きだって言われれば私だって堪らなくなるわ……だから、その……もっとその言葉を聞きたくて……」

 

 それで、録音しようとしてたのか……

 

「そ、そうだよ……ヒッキー……だって、私ヒッキーのこと大好きだけど、前は好きって恥ずかしくて言えなかったし……でも、寝てる時のヒッキーって、凄く優しい顔しててさ……それで、私の事好きだって言ってくれるんだもん……もうあたしも堪んないよ……でも、やっぱりこうやってコソコソするのはずるいよね。本当にごめんね、ヒッキー」

 

 二人はそう言って、恐る恐る俺に視線を向ける。これじゃあ、怯えたハムスターだよ。全く……

 俺は二人の側によって、二人を一緒に抱きしめた。そして言った。

 

「録音は禁止だ」

 

 その俺の言葉に、二人はがっくりと肩を落とす。

 

「だから、その……これからは、俺が直接……言ってやるよ……その、なんだ……たまには……だけどな」

 

「ヒッキー!」「八幡!」

 

 俺の言葉に、飛び上がった二人が俺に伸し掛かってきた。

 うおっ!なんだってんだ急に…

 っていうかやばい!ここ、ベッドの上。こいつらすでにパジャマ。しかも完全に抱き付かれて密着状態……

 二人の顔を見ると、なんだか目をトロンとさせて俺を見つめてる。

 伸し掛かった二人は足や手を俺の身体に這わせてるし、な、な、なんかこれだけで、超気持ちよくなって来ちゃってるんだがーーーーー!!

 こ、こ、これはついにーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 ガチャッ!

 

 

 

 

 急に開いた扉の前には……

 

 

 

 

 ”魔王”が立っていた。



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(3)魔王の素顔と素敵な夜明け

 俺の視線の先には、一人の黒髪の女性が立っていた。そして真っすぐ俺を見ている。

 俺はその人を当然知っている。いつも、なんだかんだと言いながら厄介毎を運んでくる、俺がもっとも苦手な年上の女性。そして、今俺に抱き付いている雪ノ下の実の姉。彼女の名は……

 

『雪ノ下陽乃』

 

 うわわわ……や、やばい……これはやばい。さ、最悪の状況だ。これはどう考えても最悪すぎる。

 ベッドの上で、寝間着姿で抱き合う3人の男女……しかも内一人は、目撃している彼女の実の妹……もはやこれはなんの言い逃れも出来ない、決定的瞬間。しかも、完全に、俺と目が合って……

 

 ん?

 

 雪ノ下さんは、俺を見据えていた視線を、右へ、左へと交互に動かす。そして一言……

 

「あっれー?おっかしいなー……確かに雪乃ちゃんの声が聞こえたと思ったんだけどなー」

 

 そう言って頭を掻いている。

 ん?なんだ、どういうことだ?すぐ目の前で3人で抱き合ってるっていうのに……

 はっ!?まさか……

 

 俺は、そっと視線を下げた。そこには、さっきまで雪ノ下の頭が在ったはずだ。だが、今は何も見えない。そう何もないのだ。俺の手足でさえも……俺の視線の先にあるのは、誰も居ないように見える。ベッドだけ……つまり……

 

 『レムオル』

 

 ドラクエⅢの呪文の中でも、この呪文の用途はかなり特異だ。身体強化でも、攻撃魔法でもないこの魔法の効果は、ドラクエⅢのランシールで売っている『消え去り草』と同じ効果を持つ。

 そう……姿を消すことが出来るのだ。

 だが、これはあくまで姿を消しているに過ぎない。ドラクエの世界では、姿を消したところで、匂いや体温を感知して襲い掛かって来るモンスターたちから逃れることは出来ないし、消したからと言って、攻撃をすり抜けられるわけでも無い。ただ単に視覚的に見えなくなっているに過ぎない。

 だが、視覚情報に頼りがちな人間に対しては、例え視覚情報以外が残っていようと、その存在を隠すには十分な力を発揮できるわけだ。

 

 多分雪ノ下が咄嗟に俺達全員に掛けたのだろう……なんだかんだ言っても雪ノ下は、レベル60オーバーの大魔法使いだ。瞬間的に効果を発動させたということか。

 まあ、でも、動くことは出来ない。俺達がいるのは柔らかいベッドの上……少しでも動けば、不自然にシーツがよれたり、布団が沈んだりしてしまう。だからと言って、俺達が姿を隠しているとは思われないだろうが、知らないやつが突然何もないところで物が動く所を見れば、それはホラーでしかない。

 少なくとも、このベッドに異常があるという事だけは察知されてしまう。そのことを、俺達3人は良く理解していた。現に、俺の右腕に身体を押し付けてる由比ヶ浜は、さっきからプルプルと震えている……動くのを必死に我慢してるってことなんだろうが、声を出すことも出来ない今の状況では二人がどんな状況なのか確認することも出来ない。

 

 あー、早くどっか行ってくんねーかな……雪ノ下さん……

 

 

 雪ノ下さんはきょろきょろ辺りを見回しながら、俺達の頭のすぐ脇まで歩いて近づいてきた。俺に密着している二人の身体に、ぎゅっと力が入ったのを感じる。

 や、や、や、やばいって……なんで、近づいてくんだよ。

 このまま、ベッドにダイブとかされたら、もう一巻の終わりだ。

 俺達は震えながら身を縮めて息を殺していた。だが、雪ノ下さんは、そのベッドわきのチェストの前で立ち止まり、そこに立てかけてあった写真立てのような物を手に取ると、それを持ってさっさと部屋から出て行った。

 

 俺はそれを見送ってから、小声で二人に話しかけた。

 

”お、おい……ここじゃまずい、とりあえずどっかに隠れよう……”

 

 まだみんな透明なままだが、肌には二人の柔らかい感触もある。3人で手をつなぐと、そのまま、ベッドから起き上がり、そして、雪ノ下の先導でそっと、部屋の隅にあるロフトの階段を上った。

 このロフトは、まあ屋根裏のような感じらしく、結構な広さもあり、リビングの上の辺りまで続いている。要は物置なので、奥の方には窓も何もないので真っ暗だったが、灯りを点けるわけにもいかないのでそのまま3人で静かに這って移動した。

 とりあえず、大きな柱の陰まで来た俺達は、そこでやっと一息ついた。レムオルの効果はすでに切れている。

 

「どうなってんだよ雪ノ下。なんで雪ノ下さんが家に居るんだよ」

 

 俺のその言葉に、雪ノ下も困惑顔だ。首をゆっくり横に振ると、静かに言った。

 

「分からないわ……だって、今日は大学の合宿で戻らないと言っていたのだもの」

 

「とりあえず確認なんだが、今日俺達が泊まることを、お前は雪ノ下さんに言ったのか?」

 

 俺の質問に、雪ノ下は頬を染めて、首を横にふる。

 

「そうか……」

 

「そんなことよりさ、どうしようか……いつまでも隠れてられないよ」

 

 由比ヶ浜が俺の手を握って、不安そうにそう呟く。

 確かにコイツのいう通りだ。こんなところに隠れ続けることは出来ない。かといって、このまま何も無かったような顔して、雪ノ下さんの前に出て良いものかどうか……

 別に何もやましい事は、まだ、していないものの……そうは言っても、内緒で女子の家に泊まりに来ている訳だ……普通に考えたら、妹に手を出す不届きもの以外の何者でもない。

 さて、ではどうするか……

 リレミト使えば、マンションから脱出は出来るだろうけど、今パジャマ姿だしな。あ?それに荷物も置きっぱなしじゃねーか。

 なら、雪ノ下さんが出て行くのを待つか……とは言っても、普通に帰宅してきたんなら、出て行くわけもないが……

 となると、やっぱり直接会って話をするべきか……

 

 

「……あ。もしもし、お母さん?私……陽乃だけど……」

 

 

 突然、小さな声ではあるが、俺達の足元の方から、雪ノ下さんの声が聞こえてきた。どうやら、電話をしているようだ。相手は、雪ノ下のかーちゃんか……

 俺はそれを聞きながら、二人に視線を送る。二人とも緊張した面持ちでじっとしていた。

 俺達は、悪いとは思いつつも、その雪ノ下さんの話声に耳をそばだてた。

 

「……うん……うん……あ、それでね、今雪乃ちゃん具合悪いみたいで、眠っちゃってるの……あ、大丈夫大丈夫、私がちゃんと見てるから……うん……そう、どうも学校でね、体調崩しちゃったみたいでね……だから、今日はちょっと無理だから、また今度にしてあげて……うん、分かってるって……その為に私が付いてるんだから……はい……はーい……それじゃあ……」

 

 ん?どういうことだ?

 雪ノ下が病気?なんでそんな嘘をわざわざ雪ノ下さんがつくんだ?そもそも、雪ノ下さんはコイツの監視の為に一緒に暮してるんじゃないのか?

 でも、この感じだと、どう考えても、雪ノ下を庇っているように思える。

 俺はチラリと雪ノ下を見た。雪ノ下も困惑した表情になり、俺を見つめ返してきた。

 これは、少し考えなくてはならない。

 

 雪ノ下さんは、今日は帰る予定ではないのに帰宅した。そして、俺達の荷物も見つけてあるだろうに、ろくに探しもしない。

 俺と由比ヶ浜が泊まりに来ることを知っていて、それを邪魔しようと考えて来たのだとすれば、真っ先に俺達を探すはずだ。でも、そうしなかった。

 そのうえで、今の電話だ。母親と会話していたんだろうが、あの感じだと、今日雪ノ下は何か予定があったようにも聞こえる。それを、病気だと嘘の返事をしたという事は……

 

「なあ、雪ノ下……今日、お前おふくろさんと会う予定でもあったのか?」

 

 雪ノ下はふるふると首を横に振った。

 

「そんな約束はしていないわ……でも……」

 

 雪ノ下は何か、思い当たったのか、表情を曇らせて俯いた。

 

 俺と由比ヶ浜はあの3人で話し合ったあの時、雪ノ下から聞いていた。

 

 雪ノ下は、母親との間に確かに確執がある。親子だからと言っても、考え方に相違があって当然なのだが、雪ノ下の場合は少し状況が違う。

 雪ノ下の母親は、雪ノ下に対して『自分の好きなように、自由に』と小さいころから自主性を重んじるような対応をしてきたらしい。

 それは、家と家同士での結びつきの為の婚約をして、結婚をした母親自身の憧れからだったのかもしれない。

 好きな事を学び、楽しみ、そして恋愛をする。

 そんな事を雪ノ下に求めたのだろうか……母親は、徹底して彼女に『答え』を与えなかった。与えることで雪ノ下を束縛してしまうと考えたのか、自分なら、人からそんなことを言われたくないと思ったのか……真意は分からないが、雪ノ下は幼いころから全てを自分で考え、行動することを強要された。

 

 だがそれは、雪ノ下自身を苦しめ続ける呪いの鎖となった。

 『答えのない生き方』、こう言えば聞こえは良いが、要は全ての事象を自分で一から考えぬかなければならないという事……当然だが、それは楽な事ではない。自分の出した答えが合っているなんて保証はどこにもない。それが怖くて、一生懸命に聞いても教えては貰えない。そして諭すように、『あなたの思うようにしなさい』……そう言われる日々……いつしか雪ノ下は『答え』を自分で作り出すことの出来ない存在になった。

 模倣は重要だ。自分にとって全くの未知の物であっても、先人が居れば、それがヒントにもなる。だが、雪ノ下には模倣は許されなかった。自分で考え、自分で行動する。これほどきつく苦しいことはない。

 その所為もあり、雪ノ下は友人を上手く作ることも出来ず、壮絶な苛めに遭うことにもなり、そして最後には、頑なに心を閉ざし、ただ変わることを切望する存在になった。

 

 雪ノ下はあの時、俺達に救いを求めた。自分を認めてくれる存在、自分自身を委ねられる存在を彼女は求めた。

 結果として、俺達は今、そんな彼女の求めていた関係を築けている。だが、だからと言って、雪ノ下の母娘の関係が改善したわけではない。現にこうして雪ノ下はまだ実家には戻れていない。

 母親と会話が出来ない日々の中、実家に居辛くなった雪ノ下は、父親と雪ノ下さんの勧めで一人暮らしをすることになり、今はこうしてこのマンションに住んではいるが、未成年の女子がいつまでも独り暮らしというのもおかしな話だ。いずれは戻ることになる筈だが、ひょっとしたら、その類の話しだったのだろうか……

 

「なあ、お前ら……ここはやっぱり、雪ノ下さんときちんと話すべきだと思う」

 

 俺は顔を上げて二人を見ながら言った。二人とも不安そうな表情ではあったが、やはり何か思うところがあったのだろう。二人は俺の言葉に静かに頷いて返した。

 

 

 俺達は、ゆっくりと元来た道を戻り、全員寝室に降りてから、リビングへの扉を開いた。そこには、微笑みを湛えた黒髪の美女が、ソファーにもたれて優雅に座っていた。

 

「ひゃっはろーみんな!急にお姉ちゃんが帰って来たから、驚いて隠れちゃってたのかな?もうやだなーそんな深刻な顔しないでよー。お姉ちゃん泣いちゃうぞ」

 

 さも可笑しそうに笑いながらそう言った雪ノ下さんは、手に持っていたマグカップをテーブルに置くと、俺達3人を悠然と眺める。そして、俺が口を開きかけたその時、雪ノ下が一歩前に出て、先に話し始める。

 

「姉さん……さっきの電話、お母さんでしょう?何故、あんな嘘を……」

 

 その言葉に、雪ノ下さんはマグカップを口に運んで、それを少し飲んでから、話した。

 

「じゃあ、最初に比企谷君達に言っておくね。雪乃ちゃんと仲良くなってくれて本当にありがとう。これからも雪乃ちゃんをよろしくね」

 

 ぺこりとお辞儀をしてそう言った雪ノ下さんに俺達は呆気にとられた。正直、こんな素直にお礼を言われるなんて思いもしなかった。どういう風の吹きまわしなのか……

 暫く動けないでいると、雪ノ下さんは困ったような顔で、言葉を続ける。

 

「あはは……やだなあ、みんな、なんでそんな深刻な顔してるの?私が急にお礼を言ったからびっくりしちゃった?」

 

「え、えーと……それもありますけどね……俺は、二度と雪ノ下に近づくなとか言われるんじゃないかと、正直ビクビクはしてましたけどね」

 

「だから、そんなこと言わないってばー。君のおかげで、私も漸く安心出来たんだからね。それにしても、比企谷君、雪乃ちゃんどころか、由比ヶ浜ちゃんまで一緒に彼女にしちゃうなんて……まさかそこまでする子だとは正直思ってなかったなぁ……ほーんと……君って面白いね……普通じゃない!」

 

 雪ノ下さんは本当におかしそうにケラケラ笑う。

 

「ま、普通じゃないってのは、かなり自覚してますけどね。でも、俺は二人への自分の気持ちに正直に……」

 

「ストーーーップ!」

 

 急に雪ノ下さんが俺の前に人差し指を立てて、言葉の続きを塞いだ。

 

「そういう惚気話はね、私のいない所で3人でしてくれるかな?これでも私彼氏いない寂しい身の上なの……もうちょっと気を使って欲しいなー」

 

「はあ……」

 

「まあ、でも、比企谷君が私も仲間に加えてくれるって言うんなら、話しは別だけど?」

 

「な!?」「ちょ、ちょっと、姉さん」

 

「なーんて、冗談よ、冗談。さてと、さっきの話しの続きだったね」

 

 本当にこの人はつかみどころがない。話のペースは持って行かれっぱなしだし、俺達の意見はなかなか伝えられないし。もう、暫くは黙って聞いているしかないか……

 雪ノ下さんは、組んでいた足を下して、姿勢を正して雪ノ下を見る。そして言った。

 

「お母さんがね、雪乃ちゃんを今日連れて帰るって急に決めたのよ。それをさっきお父さんから聞いて、こうやって急遽私が戻って来たってわけ。こうでもしないと、お母さん、無理やり家に押しかけてきちゃうからね。三人のお楽しみ邪魔しちゃって本当にごめんね」

 

「んぐっ……」

 

 それ言われると何も言えない。本当にまだ何にもしてはいないのだが……でも、そこに母親乱入とかはマジ笑えない。どこの昼ドラだよ……少なくともそうならないようにしてくれた雪ノ下さんには感謝しないといけないな。

 真っ赤になった雪ノ下が、口を開いた。

 

「でも、それならなぜ姉さんが私を守ってくれたの?お母さんに言われて私を見張っていたのでしょう?それなら、放っておけば良いじゃない。私が実家に戻れば、こんな監視もしなくて良い訳だし」

 

「それはちょっと違うんだなー、雪乃ちゃん。お姉ちゃんはお母さんから言われたからってだけで、ここに居るんじゃないよ。私がお母さんに言って、一緒に暮させてもらってるの」

 

「え?」

 

「あー、その目は信じてないなー?本当にしょうがないなー。お母さんはね、雪乃ちゃんをすぐに家に連れ帰るって家で騒いだんだよ。でも、そんなことしたら、雪乃ちゃんまた昔みたいに、お母さんの操り人形になっちゃう。せっかく環境を色々変えて、雪乃ちゃんも変わり始めたっていうのに、ここで終わりにしたら、元の木阿弥。だからねお父さんと話して、もう少し、少なくとも高校を卒業するまでは雪乃ちゃんにはここで暮させてあげようってことにしたの。でもね……」

 

 雪ノ下さんは、ふふふと可笑しそうに微笑みながら俺達をみつめる。そして、テーブルに置いてある写真立てを眺めた……これはさっき寝室から持ってきた物なのだろうか……そこには、まだ幼い雪ノ下と、雪ノ下さんの二人が笑いながら写っていた。優しい眼差しでそれを見つめながら、雪ノ下さんが話始めた。

 

「でもね……雪乃ちゃんはもう大丈夫かもしれないね……気が付いてる?今の雪乃ちゃん、ちょっと前までと全然顔つき違うんだよ!うん!今なら大丈夫!お母さんに何言われても、今の雪乃ちゃんなら多分平気だね!好きな人できると、こうも変わるんだねー、お姉ちゃんびっくりだよ!私も恋愛しちゃおっかなー……ねえ、比企谷君!」

 

「うぐっ……そこで、なんで俺に振るんすか……ちょっと勘弁してくださいよ」

 

「あははは……だってここに男子って比企谷君しかいないんだもん。まあ、そういう事。雪乃ちゃんはもう大丈夫そうだし、比企谷君も由比ヶ浜ちゃんも信じられるし……もうそろそろお姉ちゃんもお役御免かな?」

 

「ね、姉さん……」

 

 雪ノ下さんは薄く微笑んで、もう一度俺達3人を見る。そして大きく伸びそした。

 

「話はこれで御終い……あ?もう一つだけあったね。雪乃ちゃん、お母さんも色々あるけど、全部雪乃ちゃんの為を思っての事だからね。それだけは忘れないであげてね」

 

 雪ノ下はその言葉に、拳を握って胸に当てた。そして言った。

 

「ええ……解っているわ……後でお母さんとはちゃんと話しをするわ……」

 

「そう?なら良かった」

 

「姉さん……」

 

「ん?」

 

「……本当にありがとう……」

 

「どういたしまして」

 

 ニコッと笑った雪ノ下さんが、手に荷物を持って立ちあがって歩き出した。俺達はその背中を静かに見送った。

 いつも何を考えてるか分からない不思議な女性。いつもあれやこれやと難問を持ち込んで俺達を悩ませてきた張本人……だが、その本意を今理解できたような気がした。

 由比ヶ浜が、どこか嬉しそうに微笑みながら俺を見返してきた。雪ノ下は、穏やかな表情のまま、うっすらと目に涙を浮かべ雪ノ下さんを見送っている。

 俺達はやはり感謝しなくてはならないのだろうな。いつも見守り続けてくれたこの優しい姉に……

 そう、心から思うのだ。

 

 雪ノ下さんがリビングから出たところで振り返りながら言う。

 

「じゃあ、みんな、私自分の部屋でもう寝るから、あんまり騒がしくしないでね。じゃあ、おやすみー」

 

 え?

 

 雪ノ下さんもここに泊まるの?ってかここに住んでるんだったな……

 

 前言撤回!

 やっぱり鬼だ!悪魔だ!魔王だ!

 今日だけは、俺達3人にしてほしかったあああああああああ!!

 

 という、俺の心の叫びも虚しいままに、雪ノ下さんはさっさと自分の部屋へ。

 

 

 取り残された俺達はお互い顔を見合わせる。

 雪ノ下さんと話したりで結構時間も経ってしまい、もうそろそろ寝てもおかしくない時間。まあ、俺は寝ないつもりで来たんだが、まあそれは良いとして、二人はもう寝る気まんまんの様だ。俺は二人に手を引かれ、雪ノ下さんの部屋の隣、ばっちり音響設備の整った先程の寝室へと3人で向かった。

 雪ノ下も、由比ヶ浜もとても幸せそうで……はあ……こいつら、別にアレを期待してたわけじゃなかったんだな……

 三人でいそいそと一緒にベッドに入る。俺は真ん中、右側に由比ヶ浜、左側に雪ノ下。二人は幸せそうに俺に抱き付いてきて、二人とは「おやすみ」と、軽くキスだけを交わす。そうキスだけ!

 

 ぬぐわああああ!!

 

 これでどうやって寝ろってんだああ!!

 

 いや、待てよ……まさか本気で寝る気じゃあるまい……多分……きっとだが、二人も何か期待してるはずだ。きっとそうだ。

 だけど、そうなると、俺から手を出さなきゃならないわけか……となると、どっちからだ?雪ノ下か?由比ヶ浜か?それとも、このまま二人の身体を同時に……

 

「スウスウ……」

 

 仰向けの俺は完全に二人にサンドイッチ状態で、二人とも俺の二の腕を枕に頭を寄せているのだが、そのどちらからもスウスウと寝息が聞こえ始めていた。へ?何?寝息か?本気で寝ちゃったってのかー……いや、マジかー……マジなのかー!?

 焦るその俺の左右の足には、二人の少し冷たいそれぞれの脚が絡んで来ていて、二人が寝返りを打つたびに、いろんなところが擦れて、俺の一部がそれに過剰に反応してしまってる。というか、痛い!痛すぎる!せめて脱ぎたい!(え、なにが?)

 

「ヒッキー……大好き……」

 

「愛してる……八幡……」

 

 そんな二人の寝言に身もだえながらも、全く動くことが出来なかった俺は、ひたすら脳内でラリホーを唱え続けた。

 

 

 翌朝、目を覚ますと、ベッドわきの例の機械から伸びるヘッドフォンに二人が耳を当て、何やらきゃっきゃと嬌声を上げている。

 って、なに勝手に録音してんだ!それ禁止って言ったよね?俺!

 はあ、まあ別にいいか……でも、自分じゃ絶対聞きたくない。聞いたらもう二度と立ち直れないまである。

 まあ、でもアレだな。昨晩はあれだけ悶えて苦しんだけど、まあ、一晩乗り切ればなんとかなるもんなんだな……流石自意識の化物と言われた俺だ。でも、アレだ……雪ノ下さんがいなければ、多分こんなに大人しくしてなかったろうな、俺だって男で、オスだ。一周周って、よく耐えたって逆に褒めて……

 

 

 

 アレ?

 

 

「あ、ヒッキーおはよう」

 

「八幡!おはよう」

 

 そう言った二人が同時に俺に顔を近づけてくる。そんな二人の唇に、おはようと言いながら俺はキスをした。

 満足そうに、顔を緩める二人を眺めつつ……

 

 

 両手でズボンを抑えたまま部屋を出た俺は、こっそりトイレでパンツを履き替えた。

 

 



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(4)奉仕部の部室にて

 こうして、俺達3人の初めてのお泊り会は幕を閉じた。当初思っていた展開とはちょっと……いや、かなり……いやいや、非常にとんでもなくありえないくらいに、違ってしまってはいたが……ぐ、ぐふうっ……

 はあ……あの日のダメージはまだ抜けきってない……というか、やっぱり我慢は身体に悪い、悪すぎる。次はなにがあっても絶対我慢しない!というか、泣こうが、喚こうが、何が何でも絶対に……

 

「おにいちゃん、またしょーもないこと考えてるでしょ……このヘタレ!」

 

 荷台に跨った小町が、俺の顔を見てもいないだろうに言葉で心を抉ってくる。

 

「小町ちゃん?勝手にお兄ちゃんの心読まないでくれる?お兄ちゃんすぐに心折れちゃうからね」

 

「だーって、そうでしょー?二人と一緒の布団で眠ってなんで手を出さないかなー……おまけにムセ……」

 

「わーーーあーーーーあーーーーー、いーてんきだなーあー」

 

「誰が洗濯したと思ってんの!まったくもー。ちょっとは反省しなさい」

 

「はい……面目ない……」

 

 そう、あの日帰宅した俺は、あまりのショックにそのまま撃沈。暫くフリーズしているうちに、小町に着替えを全部カバンから引っ張り出され……あえなく全てを悟られてしまったという訳だ。

 はあ……情けない……

 まあ、でも小町は小町で色々と気をまわしてくれているのも分かる。雪ノ下にお礼の電話をしたり、由比ヶ浜にアドバイスのメールをしたり、俺以上にあの二人に気を使っている。そして今回のことで一つ分かったこと。それは……

 

 俺達ウブすぎる……らしい。小町談。

 

 本当に、その通りなんだろうな……俺達は……

 だったら、そう割り切って付き合えばいいか……という結論に俺達は達し、いろいろとまちがってはいるが、スキンシップ&プラトニックを進めている訳だ……どっちなんだよ!一体!

 

 その後の話しではあるが、雪ノ下はあの後、母親と会ってきちんと話し合いをしたらしい。そして、雪ノ下自らの申し出で実家に戻ることにしたようだ。本当に和解できたのかどうかは今の俺には分からないが、雪ノ下さんや、親父さんが味方で居てくれるんだから、まあ、問題はないだろう。ただ、雪ノ下のおふくろさんは、俺達が3人で付き合ってることには難色を示しているようだ。まあ、そりゃそうだわな。でも、それも含めて時間をかけて関係の修復を進めていくことになったわけだ。これは、俺も気を引き締めないとな……こればかりは誠意を以て頑張るしかない。俺だって、最後の切り札「駆け落ち」なんてのはしたくないしな。

 由比ヶ浜の方も、実は動きがあって、俺達3人であの後由比ヶ浜の家に挨拶に行った。3人で付き合っていることも最初こそ驚いていたが、そこはあの由比ヶ浜マ『3人なんて羨ましい~。ママも混ぜてほしい~』みたいなことを口走っていたな。隣に居たパパガハマさんが猛烈な勢いでお茶を噴射していたが、お願いですから、俺を睨まないでください。本当にスイマセン。ごめんなさい。こちらも同様で、時間をかけてお付き合いさせて頂くしかなさそうだ。

 

 こんな感じで、一応俺も彼氏を頑張っている。うちの家?ああ、うちは別にいいんだ。一応かーちゃんが居る時に二人を連れて行ったんだが、紹介した直後、特に何も話すでもなく、いきなり俺に向かってサムズアップ。はい、終了。

 その後、小町が、色々と二人に『お母さん、会えてうれしかったって言ってましたよー』とかなんとか、フォローを入れていたんだが、うちの家族、基本俺についてはどうでも良いからな。二人には悪いが、無視という最大の祝福を頂いたという事にしてもらおう。でも、本当にうちの家族はしょうもない。アリアハンのとーちゃんの方が、よっぽど親らしいよ。まったく。いやマジで!

 

「ウー……お兄ちゃん……ドキドキしてきたよー」

 

「大丈夫だ!お前なら……そんなに心配すんな」

 

「うう……でも……」

 

 荷台に座る小町がだんだんと弱気な事を口走るようになってきた。まあ、でも無理はないか……いくら自己採点が良かったと言っても、どこか抜けがあるかもしれない。名前を書き忘れたり、答えの書く欄をずらしてしまっていたり。

 それでも、俺はそんなに心配していない。小町の持ち帰った答えを俺なりに確認したが、全教科かなりの点数を取れてるはずだ。本当に小町は頑張った。高得点の一部の教科に偏った俺とは違い、この感じなら間違いなく大丈夫だろう。

 そう……今日は総武高校の合格発表の日だ。俺は小町を連れてその発表を見に向かっていた。そして、その目的地はもう目と鼻の先。親に連れられて発表を見に来ている受験生の姿もちらほら見えてきた。

 

「あ!ヒッキー、小町ちゃーん、やっはろー!」

 

「おお……由比ヶ浜、それに雪ノ下も、お前達も来てたのか」

 

「えへへ……だって、今日は大事な小町ちゃんの発表の日だよ!来ないわけないよ!」

 

「本当にその通りよ。さあ、小町さん、結果を見に行きましょう」

 

「あ、は、はい……」

 

 正門で俺達を迎えた由比ヶ浜と雪ノ下の二人が、小町の肩を抱いて歩いた。その先……合格者の番号の貼ってある掲示板には黒山の人だかり。そこには、手を上げて飛び跳ねている子も居れば、俯いてしまっている子もいる。それは2年前の俺達の姿でもあった。緊張しないわけがない。

 

 小町は震える手で受験票を目の前に持ってくる。そしてその番号と、掲示板を交互に見比べるそして、暫くして受験票に視線を落として固まってしまった。

 俺達3人はそれを固唾を飲んで見守っていた。どう転んでも、これは努力した結果。事実は受け入れるしかない。雪ノ下と由比ヶ浜の握った手にも力が込められていた。

 

 そして……

 

「あった……」

 

 小町がポツリと呟いた。

 

「あったよー……小町の番号あったよー。おにいちゃん、おねえちゃん、小町、小町受かったよー!!」

 

「おめでとう!小町ちゃん!」

「おめでとう!」「やったな、小町!」

 

 うんうんと頷きながら涙する小町を俺達は、みんなで抱きしめた。

 

 

 

 

「では、お祝いをしましょうか」

 

「うん、小町ちゃん、合格おめでとー!かんぱーい!」

 

「あ、あ、ありがとうございます。小町、小町、本当に嬉しいですー」

 

 俺達は今奉仕部の部室に居る。そして長机を囲むように4人で座る。以前は俺と雪ノ下が対局で座っていたが、今は、俺の両隣に二人が居て、更にその隣に小町が居る。もはや長机の半分も使っていない。

 たまたま、今日は平塚先生もいて、小町の事を話したら特別にとこの部屋の使用許可をしてもらったわけだ。

 お祝いと言っても、ここには紅茶くらいしかない。だからさっき俺が自動販売機でオレンジジュースを買って来た。流石に紅茶で乾杯は、雪ノ下スペシャルの冒涜でもあるしな……それに、ジュースの方が雰囲気もでるし……

 

「へー?ここが奉仕部なんだね、お兄ちゃん。いつもここで活動してるんだね」

 

「おお……まあ、そうだな」

 

 ほとんど本を読んでるだけだけどな。

 小町の隣に座った由比ヶ浜が、小町を見ながら、話しかけた。

 

「ねえ、小町ちゃん。小町ちゃんも奉仕部入る?」

 

「はい!絶対入ります!小町は入って、お姉ちゃん達のお世話をさせていただきます!」

 

「い、いえ、別に私達の世話をして頂く必要はないのだけれど」

 

「何を仰いますか、雪乃おねえちゃん。雪乃お姉ちゃんも、結衣お姉ちゃんも、お兄ちゃんの将来の大事なお嫁様!小町は小姑として、甲斐甲斐しくお世話をさせていただきます」

 

「おい、小町……その小姑なんかちょっと違くないか?」

 

「お兄ちゃんがこんなに頼りないから小町が頑張るんでしょうが!お兄ちゃんがしっかりするまで、小町はお姉ちゃん達もしっかり面倒見ますからね!」

 

 にひひっと笑った小町が、俺達を見る。その笑顔、ちょっと何か企んでそうで怖いんだが!

 

「なんだ?随分と楽しそうじゃないか」

 

「平塚先生……ノックを……」

 

 ガラガラっと扉が開いたかと思ったら、平塚先生がつかつかと入って来た。そして、いつものように雪ノ下が注意をしようとしていたが、彼女はその言葉は止めた。雪ノ下は優し気な表情をしている。こんな余裕も雪ノ下の良い変化なんだろうなと思う。

 

「ほぅ……」

 

 そんな雪ノ下を見つつ、満足気なため息を漏らす先生。先生は、目を細めて俺達を見回した。

 

「いや、すまない。ノックだったな……気をつけるよ。でも、やはり、君たちを一緒にさせて正解だったようだな。みんな良い顔をしている」

 

 先生は、そう言いながら、積んである椅子を二つ手に持って、俺達の側にそれを置いた。そしてそれの一つに腰を掛ける。

 

「ま、まあ……3人で付き合うようになったと聞いた時は……は、は、はらわたが捩れるくらい……む、む、ムカつきもしたが……はぁ……けっこんしたい……」

 

「せ、せんせい……ちょ、ちょっと、震えながら、俺の腕に爪立てないでください!」

 

 ウルヴァリンか!あんたは!!それとぼそりと悲しい事言わないで―。

 

「ふう……済まない……まあ、でも良い方に向かっていると私は確信しているよ。それで、あれはどうするね?」

 

 突然そう言われて、俺達は首を捻る……あれと言われても、咄嗟に思いつくのは……ああ、あれか!『勝負』!『勝った人の言う事をなんでも聞く』というアレ。

 ほぼ同時に思い出した俺達は、3人でお互い顔を見合わせた後、頷き合って先生に答えた。

 

「勝負の件でしたら、俺達は、3人とも辞退します。もともと勝負で手に入る様な関係を誰も望んではいませんでしたし……それに、俺達にはもう必要ないことです」

 

 そう、俺達にはもう必要ない。お互いのことを理解しようと努めることが出来るようになった俺達には、そんな強制も、制約もなんの意味もない。欲しい物はいつだって目の前にある。ただ、それにどう手を伸ばしていいのか分からないというだけの事でしかない。

 俺達にはそれが出来る。だから、あえてそれを使いたいとも思わない。

 

「ふむ……なるほど、良く分かった。では、私の勝ちと言う事で文句はないな」

 

「え?」

 

 先生が腕を組んだまま何か不穏な事を口走る。

 一体何をする気なんだ、この人は……

 

「君たちが辞退したんだ……この部を管理する私に、その権利が返ってきてもおかしくはあるまい。と、いう事で、君たちに命令する」

 

 うおっ……本当に何やらせる気なんだよ……俺たち、あんたのサーヴァントじゃないからな。

 焦る俺達をしり目に、ニヤリと笑った先生が人差し指を俺達に付きだして言った。人に指向けちゃいけません!

 

「ふふふ……この部の新入部員だ。当然拒否はなしだぞ。さあ、入り給え」

 

 そう言われて、入口を見る。そこには黒髪の少女が立っていた。

 肩までのショートヘアーだが、その佇まいはどことなく雪ノ下を彷彿とさせる。彼女はゆっくりと部室へ入ってくる。でも、何か妙な感じだ。俺の記憶ではこんな知り合いはいない。というより、女子の知り合いなんて、両手で数えられるくらいしかいないわけだが、何故か、知っているような気がする。でも、誰だ?どこであった?

 俺はその妙な既視感に悩みつつ、ふと、雪ノ下と由比ヶ浜の二人を見る。すると、二人は、その黒髪の少女を見ながら、急に目を大きく見開いて、口をアワアワとさせた。そして……

 

「い、一色……さん?」

 

「はあ……!?」

 

 その雪ノ下の声で、改めて彼女を見ると、そこには頭をこつんと自分の拳で叩きながら、ぺろりと舌をのぞかせている……そのあざとい仕草はまさに、一色!

 

「流石ですねー、やっぱりお二人にはこのくらいじゃごまかせませんねー。はあー、それにしても比企谷先輩にはがっかりもいいところですよー」

 

「い、一色なのか!?お、お前、いったいどうしたんだよ、その髪は……というか、新入部員!?お、お前、生徒会は!?サッカー部は!?」

 

 まったく気が付かなかった。よく見れば髪の色が違うくらいで、後はほとんど変わらない。女って、こんなことくらいで別人みたいに変わっちまうもんなのか……。

 呆然とする俺を見つつ、一色が話しかけてきた。

 

「サッカー部は辞めました。生徒会は辞めたり出来ませんけど、今までだって、ここには来れてましたから、問題はないですよね。それと、わたしー、実は最近失恋してしまいまして―、先輩方が恋愛のエキスパートってことを窺いまして、是非、こちらで修業をさせて頂きたいと!」

 

「わ、私達は別に、エキスパートでもなんでもないのだけれど……それに、そもそも奉仕部は奉仕の精神を理解したうえで……」

 

「拒否は無しと言ったはずだぞ、雪ノ下。一色の入部は私の命令だ、逆らうことは許さんぞ」

 

「うっ……は、はい……分かりました」

 

 雪ノ下は、なにか納得いかない風ではあるが、しぶしぶと言った感じで頷いていた。

 それを見た由比ヶ浜が、ジュースの入った紙コップを手に持って、みんなに声を掛ける。

 

「じゃ、じゃあさ、今日は小町ちゃんも合格したし、入部もするし、それに、いろはちゃんもはいるんだからさ、みんなでお祝いに、もう一度乾杯しようよ」

 

 それを聞いた小町と雪ノ下が、もう一度、人数分のジュースを用意する。

 それを待っている間に、一色がぴょこんと俺に近づいてきた。こいつ、いったいどんな裏取引を先生としたんだか……

 

「まったく、お前も懲りないやつだな……また葉山に告白してついに部活まで辞めちまいやがったか……」

 

 それを聞いた一色が、はあーっと大きなため息をひとつ吐く。そして……

 

「比企谷先輩のにぶちん具合も半端ないですねー。まあ、もともと期待もしてませんけどね。えーと、失恋したってのもありますけど、生徒会長だしちゃんとした方がいいかなって、髪の色もどしたんですよ。どうです?似合いますか?」

 

 そう言って、俺の前でくるりとまわって微笑んだ。えーい、あざとい……っていうか、あざとすぎる。

 

「お前な……自分でそんなに可愛いでしょアピールされたら、似合うとしか言えないじゃねーか。そもそも、平塚先生になんて言って許可してもらったんだよ」

 

「それが乙女に対して言うセリフですかー!本当にもうせんぱいは……おっと、え、えーとですね、平塚先生には、私の警察官の従兄弟を紹介するって言っただけですよ、独身の」

 

「そういうの裏取引って言うんだよ。はあ、相変わらずだな、おまえは……」

 

 本当にこいつは相変わらずだ。この前はあんなに泣いてたし、今日は突然髪の色を黒く変えてたからよっぽどショックを受けたんだと思って心配していたが、そうでもないようだな。まあ、このノリの方が一色らしくていいか……

 

「はい、ヒッキーの分!」

 

「おお、サンキュー」

 

 由比ヶ浜が俺にまたジュースを渡してくれた。ふと見ると、俺の両脇に、雪ノ下と由比ヶ浜が寄り添って立っていた。そして、雪ノ下が一言。

 

「一色さんと随分と仲が良い様だけど、私達に浮気と判断されないように気を付けることね、不義ヶ谷君!」

 

「お、おい、それなんか妙に比企谷っぽくてかえって嫌なんだが……っていうか、苗字呼びに戻ってる!?」

 

 雪ノ下は少し怒ったように、ふんと顔を逸らした。由比ヶ浜はそれを見て、困ったように眺めつつ、そっと、俺の下している手を握ってくる。

 く、くそ……可愛いじゃねーか……ふたりとも……

 そんな俺達に他の連中が、シラーっとした視線を送ってくる。

 俺は、手に持ったコップを慌てて、上げて、声を出した。

 

「そ、それじゃあ、小町と一色の入部を祝って……乾……」

 

 グラグラグラグラグラッ…………

 

「きゃああああああ!!」

 

 俺の音頭が終わるか終わらないかの、その時、突然足元が大きく揺れた。

 

 

 

 



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(5)再びの異世界……ここはどこ?

「みんな、頭を守って、テーブルの下にもぐるんだ!」

 

 立っていられない程の激しい揺れに、先生は冷静にみんなに指示を出している。俺は咄嗟に両脇に居た二人を抱き、覆いかぶさるようにしてしゃがんだ。

 ガシャガシャッと、激しい音を立てて、重ねてあった机や椅子が崩れ落ちる。

 その長い揺れが収まるのを、俺達はただじっと待った。

 

 揺れは、ひたすらに突き上げるような激しいものだったが、突然一際大きく飛び上がるほどの衝撃が来たかと思うと、それを最後に収まって行った。

 こんな揺れは人生初めての経験だ。震度はいったいいくつ何だろうか……重ねてあった机は全て崩れ落ち、天井や壁も一部が剥がれ落ちている。足元には、落下して砕けた蛍光灯や窓ガラスの破片が散乱していた。

 

「だいじょうぶか?」

 

「え、ええ……私は大丈夫……ありがとう八幡」

 

「あ、あたしも大丈夫だよ……それにしてもすごい地震だったね。ま、まだ、脚が震えてるよ」

 

 二人の無事を確認した俺は入口へと視線を向けた。だが、そこにはすでに平塚先生が向かっていて、ドアを開けようと力をいれているところだった。

 

「くっ……あ、開かない、では、仕方ない……」

 

「え?」

 

 言うが早いか、先生は突然凄まじい力で扉を蹴った。

 引き戸はその瞬間にひしゃげ、勢いよく跳ね飛ぶ。

 やっぱすげーな、この人……だが、その開いたドアの先で見たものに俺達は絶句した。

 

 引き戸を開放したその先……そこには、本来あるはずの廊下は無くて、一面の緑のジャングルが広がっていた。

 

「な、なんだこれは……」

 

 言葉を失った先生は、ドアのところで外を見ながら立ち尽くす。

 俺は、嫌な予感を覚えつつも、その先生の脇をすり抜けて、部室の外に出た。ここは小高い丘のような場所らしく、目の前の密林を遠くまで見渡せる。俺はまず振り返って、部室を外から眺めて見たら、見事に、部室だけをくりぬいたように、地面の上に四角い部屋が置かれていた。

 そしてもう一度、振り返ると、遠くの方で、爆発のような光がいくつも輝いているのが見える。そして、それに遅れて、反響したような音も伝わってきた。

 ふと、見渡す先の視界が妙に狭いのを感じて上を見上げると、そこには岩の天井が……それから、俺達の周囲を囲むようにひたすらに岩の壁が続いている。つまりここは……

 

「ダンジョンの中のジャングルか……」

 

「え?」

 

 いつの間にか俺の脇に雪ノ下達が出てきて、俺に並んだ。

 

「ここって、もしかして、またあの世界なの?」

 

 由比ヶ浜が不安そうに俺に呟く。だが、俺には良く分からない。こんなフィールド、少なくともドラクエⅢの中には無かったはずだ。

 

「わからんが、またどっか別の世界に来ちまったのは間違いなさそうだな……まったく、今度は部室ごとかよ。どこの漂流教室だよ」

 

「なにがどうなってるの?お兄ちゃん……」

 

 並んで立つ俺達3人の後ろに、小町と一色が不安そうに寄ってきていた。先生も、顎に手を当てて何か思案している。俺はとりあえず、3人に向かって話した。

 

「あーあのなあ、多分これ異世界に来ちまったんだよ。で、多分、あのジャングルの中とかにモンスターがうじゃうじゃ居るわけだ。だから、まあ、戦わなくちゃいけなさそーだな」

 

「はああああ!?」

 

 俺の言葉に、小町と一色が同時に声を上げる。だが、まあ、仕方ねーじゃん。多分そうなんだから。

 

「ねえ、ヒッキー……あそこに、『だいまじん』みたいなのが居るよ!ほら、あそこ!」

 

「どれどれ……」

 

 確かに由比ヶ浜が指さす先に、さっき俺が見た爆発の光みたいなものの側に、白煙でよく見えないが、だいまじんっぽいデカいのが見える。つまり、あそこで戦ってるわけか……

 

 って、あああああ!なんか、解っちゃったかも!?

 

 唐突に思い出したのは、この前読んだあるラノベのワンシーン。確か、あのデカいのをみんなで倒すことが出来なかったけど、主人公が最後にチートスキルでやっつける!って話だったな。でも、なんだ?今度はゲームじゃなくて、ラノベなのかよ!どうなってんのこの異世界転生!色々怒られちゃうんじゃないの!?

 

 そんなことを考えていたら、足元のジャングルの方から、人の悲鳴みたいなのがたくさん聞こえてきた。

 

「た、たすけてくれーー」

 

「うわああああああー」

 

 茂みの中から、ぼろぼろになった冒険者風の男たちが次々と飛び出してくる。そして、俺達のいる丘を必死の形相で上ってきた。

 その後ろからは、熊くらいの大きさはあるだろうか、茶色いネズミのようなモンスターが、集団で迫ってきていた。

 先生は、逃げてくるその男たちの手を引っ張り上げて助けている。小町も一色も腰を抜かしてしまって、動けないでいた。と、なれば、アイツらを足止めするしかないか。正直、筋トレ程度しかしていない、この身体では心もとないが、仕方ない。もし原作があれなのだとしたら、無理をすることはないわけだ。あそこに居る『英雄』がきっと全部を終わらせてくれる。だから……

 

「雪ノ下、、由比ヶ浜、下がっててくれ、俺がこいつらを足止めする。今は、詳しく言えないが、もう少し我慢すればみんな助かるから……って、おい!」

 

 雪ノ下と由比ヶ浜は、俺のすぐ隣に並んで立った。そして言った。

 

「いつもあたし達をまもってくれてありがと!だから、今度は、あたし達もヒッキーを守ってあげる」

 

「そうね……いつも貴方に迷惑をかけてばかりじゃ、彼女としてもどうかと思うし……今は、みんなを助けるのが優先でしょ」

 

 二人は、そう微笑みながら話す。度胸に関しては、俺と一緒だもんな。

 

「お前らな……よし!なら、いいか、今の俺達じゃ攻撃呪文をどれだけ使えるか解らない。だから、今はとにかく足止めだけで良い。とにかく力をセーブするんだ」

 

 俺のその言葉に二人は頷いた。そして、俺達は右手を、迫りくるモンスターに向けて伸ばす。

 

「お、お兄ちゃん?な、なにやってるの?」

 

 その小町の言葉に答える間はもうなかった。俺達は広がって迫るモンスターに目がけて、呪文を唱えた。

 

「バギ!」「ギラ!」「イオ!」

 

 俺達の身体から魔法力がそれぞれの右手に収束され、その指先から神秘が解放される。

 使ったのは、最低ランクの攻撃呪文。もとから倒すことが目的ではない。相手の力が解らない以上、まずは小手調べの意味も含めての足止めの一撃。もしまったく効かず、こいつらに襲い掛かってくるようであれば、その時は全魔法力を込めて、まとめてギガデインで殲滅してやる。あの怪物染みたスカルゴンでさえ一撃で屠った最強呪文だ。動物のようなこのモンスターならば、多分かけらも残さずに焼き尽くせるだろう。

 だが、それは杞憂だった。

 

 由比ヶ浜が放ったつむじ風の刃は、そのネズミ型のモンスターをいとも簡単に切り裂いて、一瞬で黒い煙に昇華させた。あ!これ、エフェクトの奴だ!死んでも血が出ないやつだ!

 俺のギラは、広範囲で噴き上げさせたその火柱が、モンスターを次々と飲み込み焼き消した。

 雪ノ下のイオは、無数の黒い球体をフィールドのあちらこちらに顕現させ、それの圧縮と共に大爆発!その爆風に巻き込まれたモンスターたちが、あちらこちらで四散していた。

 

 俺達3人は、お互い顔を見合わせた。そして思った。

 

”ここのモンスター弱すぎる”……と。

 

 遠巻きに見ていた、逃げてきた冒険者たちが、歓声と共に、俺達に声をかける。

 

「す、すげー……なんだ今の魔法……あんな強烈な範囲魔法、見たことねーよ」

 

「ホントに助かった……アンタたち、ありがとう」

 

「いったい、どこのファミリアだよ。この恩は絶対に返すからな」

 

 冒険者たちに囲まれて、やいのやいの言われているのを必死にかわし、俺達は、小町達のところへ。

3人は、呆然とした顔で俺達を見ている。そして、代表するように、先生が呟いた。

 

「く、くそう……お前たちばかりずるいじゃないか……私にも、やり方をおしえてくれ……ギラっ!ギラ!くっ……」

 

「い、いや、あの先生、すぐには無理ですって……」

 

「お、お兄ちゃん達、魔法つかえるの?」

 

 驚愕の表情で呟くその小町の言葉に俺は頭を掻いた。一言じゃ、うまく説明できねえしな……そう、考えてた俺に、由比ヶ浜がまた声をかけてきた。

 

「ねえ、ヒッキー、さっきのだいまじん、やっつけたみたいだよ」

 

「そうか、どれどれ?あ、小町、ちょっと説明に時間が要るんだ。少し待っていてくれるか?後でちゃんと話すから」

 

 そう言ってから、視線を戻すと、ちょうど心臓部の巨大なクリスタルが弾け飛ぶところだった。

 これで俺の中でストーリーがちゃんと繋がった。ここは、間違いなくあの世界だ!はあ、でも、なんでまた異世界に来ちゃうんだよ!?今回呼んだのは誰だ?誰なんだ?

 

 不意に、誰かが俺の背中に抱き付いて来た。

 

 振り返ると、そこには震えながら俺にしがみついて涙を流す一色の姿。

 

「怖かった……怖かったですぅ……」

 

「おい、一色……もう大丈夫だから……ちょっと、離れろって……」

 

 また嫌味を言われるんじゃないかと、慌てて、雪ノ下達を見回した俺だが、二人とも、仕方ないとでも言うように、穏やかな表情で、俺達を見ていた。

 ま、とりあえずはこれでもう安全の筈だ。でも、困ったなあ……今回は雪ノ下と、由比ヶ浜の他に、一色、先生、小町までいる。しかも、今回の肉体は生身だ。死んだら多分終わりなんだろうなあ……ザオリクとザオラルが効けば良いけど、生き返ってみたらリビングデッドだったとか、そんなのはマジ勘弁。

 こんな状況で、またあっちの世界に帰ることを考えなくちゃならないとは……はあ、どうしたもんか……

 

 でも、あれだ。小町も頑張って進学も決まった。俺達も向こうの世界で恋人としてやっていけるようになった。一色と先生は、良く分からんが、とにかく新しい一歩を踏み出すんなら、こんな世界ではなく、やっぱり現実の世界じゃなきゃダメだ!

 俺はもう一度、みんなを見る。みんなは、一様に不安気な眼差しを俺に送っている。そんなみんなに、『なんとか帰る方法を探そう』と言いかけた、その時……

 

 

 凄まじい振動が再び俺達を襲った。

 見上げると、上空の天井が音を立てて崩れ始めている。大量の岩や瓦礫が俺達の頭上から降り注いでいる。

 

「バギマ」

 

 由比ヶ浜が上空へ向けて呪文を放ち、俺達を囲むようにつむじ風を巻き起こして、落下してくる大量の瓦礫を周囲に跳ね飛ばす。

 俺達と、逃げてきていた冒険者たちは、その被害から逃れようと、このダンジョンの壁に向かって走った。壁沿いのくぼみに逃げ込んだ俺達は、暫く様子を見る。落下を続けた瓦礫はもうほとんど落ちて来なくなった。

 

 だが、次の瞬間……先ほどの瓦礫とは違う何か……巨大なそれが雨粒のように、何十、何百も、天井から落下してきた。

 それを見ていた一緒に逃げてきていた冒険者の一人が呻くように呟いた。

 

「ば、バカな……なんで、階層主が……『ゴライアス』があんなにたくさん……」

 

 腰を抜かして震えるその男の言葉に、俺は正直頭が痛くなった。

 やっぱり、イレギュラーが起こるんだな。でも、これじゃあ、この階層に居る連中皆殺しだろう。こんなんじゃ、ラノベと違う展開になっちゃうじゃねーか。

 そう考えながら、でも、俺はどうにかこいつら全員を守らなきゃいけないと、頭をフル回転させて考えた。でも、状況は、俺の考えがまとまるのを待ってはくれない。

 そこかしこの密林の中から、巨大なそのモンスターが次々とその身体を持ち上げていた。って、おいおい、これじゃあ、進撃〇巨人じゃねーか……

 俺達のすぐそばにも、数体の巨人が……

 

 俺は、近くで腰を抜かしている冒険者から、大き目の盾を奪って、それを雪ノ下に突き出した。

 

「頼む、雪ノ下」

 

 コクリと頷いた雪ノ下が、呪文を繰り返し、詠唱する。

 

「スカラ、スカラ、スカラ……」

 

 魔法によって、黄金色の輝きを纏ったその大きな盾は、通常の攻撃では傷一つつけることは出来ないだろう……はたして、これで、あのモンスターの攻撃をしのげるかどうか……

 俺は、改めてみんなを振り返った。小町と一色は穴の奥で震えながら抱き合っている。先生は、けがをした冒険者の手当てをしながら俺を振り返る。

 俺はみんなに言った。

 

「あー、とりあえず、俺……ドラクエの勇者の呪文使えるから、やれるだけやってみるわ」

 

 それだけ言って、盾を持って外に出ると、由比ヶ浜と、雪ノ下も付いて来た。

 

「お前らもここに隠れてろよ。そんで、この辺の化物が居なくなったら、一緒にいる冒険者に聞いて、上の階に逃げる道を目指せ。その入り口は塞がってると思うが、イオナズンでもかませば開くだろう」

 

 その俺の言葉に、二人は首をふる。

 

「いやよ、貴方一人でなんて行かせないわ。だって、まだ……私達は貴方に可愛がってもらっていないもの……」

 

「は!?お、おまえ、何言ってんだ、こんな時に……」

 

「そ、そうだよヒッキー……ヒッキーあの時先に寝ちゃったじゃん。あたしもゆきのんも、すごくガッカリしちゃったんだよ」

 

「い、いや、だって、あのな?、先に眠ったのお前らの方だろうが……あ、あの時、俺がどんなに苦しかったか……じゃ、じゃあ、何か?お前ら、あの時、寝たふりしてたってのか?」

 

 突然、目の前に迫った3体の巨人が、俺達に向かってその大きな口を開いた、そして俺達に向けて強烈な衝撃波を吐こうとする。

 

「ええい、鬱陶しい!イオラ!」

 

 俺は咄嗟に、その3体の頭の辺りに向けて呪文を放った。上空で、激しい爆発が起こり、その3体は頭部を吹き飛ばされて、呻くように仰け反っている。

 

「お前らが寝たふりしないで、もうちょっと、俺にき、き、キスでもしてくれてれば、俺だって、あんなに苦しまなく済んだんだよ」

 

「だ、だって……は、恥ずかしいし……で、でも、ヒッキーもシたかったみたいだったし、あたしも、あたしなりに、胸とか、脚とか一生懸命こすり付けてたんだよ……なのに、全然ヒッキー反応してくんないんだもん」

 

 仰け反っていた巨人の頭部はすでに復元されている。その巨人は、怒りに身を任せるかのように、その大きな拳をで俺達を殴りつけようとした。と、その時、雪ノ下が右手を突き出して詠唱。

 

「メラミ!わ、私だって、その、あ、あなたがほ、ほ、欲しくて、その……少し、少しだけだけど、て、手で……その……」

 

「バシルーラ!ええ!?ゆきのんズルい!な、なに?ゆきのんそんなことしてたの!?わーん、あたし一生懸命我慢してたのにぃ!」

 

「ライデイン!っ!?ま、マジか……お、お前、そ、そんなことしてたのか!?そ、そうだったのか……だったら、あれも当たり前じゃねーか」

 

「ザキ!え?あれってなーに?何かあったの?ヒッキー?」

 

「ヒャダイン!そうね……それは私も気になるわね、私がした行為によって、貴方の身体にどんな変化があったのか……非常に気になるところね」

 

「ベギラマ!くっ……お、おまえ、わ、解ってて言ってるだろう……俺があれを見た時、どんだけ絶望したか……」

 

「ザラキ!だから、ヒッキー、あれってなーに?って聞いてるでしょ!ねえ、教えてよー」

 

 3人で、手を突き出しながら話している俺達の周りには、累々と巨人の屍が折り重なる。だが、その骸の上を乗り越えてなお、大多数のゴライアスが俺達に向かって来ているのが見えた。だが、そんなことはもうどうでも良い……

 こいつら、純真無垢な俺の純情を弄びやがって……だったら、どうしろってんだよ!俺だって、やりたくてやりたくてやりたくてやりたいのを我慢してたんだぞー!

 

『ガアアアアッ!』

 

『ゴアアアアッ!』

 

 俺達の直上で、巨人たちが咆哮を上げていた!!

 

「だあああっ!!お前らうっさいんだよー!!ギガデインッ!!」

 

「バギクロスッ!!」「イオナズンッ!!」

 

 3人でほぼ同時に最大攻撃呪文を放った。

 俺たちの前方に迫っていた数十体の巨人が、凄まじい突風に吹き飛ばされながら切り刻まれ、その巨体ごと空間を抉るかのような高密度の収束とその反動による爆発……そして、その全てを焼き尽くす神秘の稲妻によって、そこにある全ての物は、消滅した。

 後に残ったのは、抉られ、傷ついた巨大な砂塵のクレーター。

 

 すべてを消失したその空間には、静寂が漂っていた。そして、一テンポ遅れて、凄まじい歓声が背後から上がった!

 

「え?」

 

 俺達は慌てて振り返る。そこには、さっきまでとは比べ物にならない程の数の冒険者たちの姿が……

どうも、この巨人の大群から逃げまくっていた人たちの様だ。よく見ると、ボロボロになって傷ついている、このラノベの主人公や、その主人公に寄り添う、巨乳ツインテールの例のひもの人!あ、あれ、神様なんだっけか……なんか、そんな感じで、なんとなく知識として知っている連中がちらほら見えた。

 

 そんな、人の波の中から、明らかにエルフと解る、緑色の戦闘服を着た少女が歩み寄って来る。コイツも原作にいたな、確か……

 そのエルフは、雪ノ下の前に立つと、ちょっと小首をかしげて呟いた。

 

「失礼だが、どこかでお会いしましたか?なぜか、初めて会った気がしないのですが」

 

「え、ええ……そう言われればそんな気もするのだけれど、私達はまだここに来たばかりなので……多分人違いなのでは?」

 

「そうですか……まあいいでしょう」

 

 そのエルフは、改めて俺達3人に向き直る。そして言った。

 

「ご助力頂き、感謝する。我々だけではどうすることも出来なかった。ここに居る者全員を代表して礼を言わせて頂く。本当にありがとう。だが、まだ多数のゴライアスが残っている。出来ることなら、もう少し、全員がここを脱出するまでの間、力を貸して頂けないだろうか」

 

「は、はあ……」

 

 エルフにそう言われて、俺達は顔を見合わせた。

 

 なんか、いつの間にか、主要戦力に組み込まれちゃってた!!

 

 冷や汗をかきながら、エルフに向き直ったその時、遠くの方からなにか、ゴンゴンという音が聞こえ、次第にその音が近づいてきた。どこから聞こえるのか、気になって、辺りをきょろきょろ見まわすのだが、見えるのは、遠くでのたうっている巨人の姿のみ。でも、そっちからはこの音の元のようなものは何も見えない。音はどんどん大きくなる。次第に、大きくなる音に伴って、空間全体も激しく振動を始めた……

 

 そして………

 

『ドゴオオオオオオオオオオオン!!』

 

 周囲をつんざく破壊音を伴って、天井を突き破って現れ出でたそれ……上空の白煙の中から現れたその巨体は、全身に濃緑色の強靭な鱗を巡らし、その体躯をまるで大河の如く躍らせた赤色の瞳を持つその神秘の正体は……

 

「し、しんりゅ……う?」

 

 そう、神龍!あの世界で俺達が最後に戦い、俺達を現世に返してくれた神!その神龍が、なぜかここに居る。って、このラノベ、あの世界となんにも関係ないよね?

 そして、神龍はあろうことか、俺達を目がけて真っすぐ降下してきた。

 

「うわあああああああああ……」

 

「もうだめだああああああ」

 

「おしまいだああああああ」

 

 そこかしこで悲鳴が上がる。ま、そりゃそうだわな。神龍の大きさからしたら、ゴライアスなんて、赤ん坊位のサイズだ。ま、神龍と俺達をサイズで比べたら、人間とダンゴムシ位の差があるわけだが……

 隣にたっているエルフも、真っ青になって震えていた。その目には絶望の色が滲んでいる。

 

 一応、神龍は神様だからな、モンスターみたいにいきなり襲い掛かっては来ないだろうから、とりあえず、慌てるこの連中に教えてやった方が良いのかな?

 なんて、思っていたのだが、そんな事を考えている俺に、遠くから声がかけられた。俺はその声に……その懐かしい声に急いで顔をあげた。雪ノ下も、由比ヶ浜も同様だ。

 

「おーーーーーい!はちまーーーん!元気だったかーーーー!」

 

 その声の主は上空にいた。そう、神龍の頭の上に!なんて罰当たりな!神龍は俺達のすぐそばまで来ると、その動きを止めた。そして、その頭の上から、一人の男が飛び降りてきた。

 いつもの朱色のぬののふくを身に纏ったその男は……着地と同時にすぐに俺のそばに歩み寄ってきた。そして、にこやかに微笑んだまま、俺を抱き上げた」

 

「と、とーちゃん……だから、や、やめろって……」

 

「恥ずかしがるなって……オラは、オメーに会いたかったぞー!」

 

 スリスリと俺に頬ずりをするとーちゃんは嬉しそうに微笑むと、今度は隣に立っている雪ノ下と由比ヶ浜を見る。そして、言った。

 

「んで、おめえたち、もう結婚したのかあ?」

 

「ばっ!!す、するわけねーだろ……まだ未成年だぞ俺達は!?」

 

 言われて二人は真っ赤になって俯いてしまう。それを見ていたとーちゃんが頭を掻きながら言った。

 

「あ、わりいわりい……うちのはちまんが、あの後、あっちの世界のこの子達ふたりと結婚しちまったんで、てっきりオメーらもしたもんだとばっかり思っちまってな……なはは」

 

「すわっ!?なに!?あっちの世界の俺達は、もう結婚しちまったってのか!?」

 

「ああ!そんで、毎晩毎晩いちゃいちゃ煩いもんだから、オラはずっとしんりゅうんとこで、稽古つけてもらってたってわけだ!なあしんりゅう!」

 

 神龍……表情よく分かんねえけど、多分イヤというほど戦ったんだろうな……っていうかなにそれ!?毎晩いちゃいちゃ!?なにやってんだ、あっちのはちまん……く、くそっ!!なんか滅茶苦茶羨ましい!!

 

『勇者オルテガよ……願いは叶えた……ではさら……』

 

「あー、しんりゅう?1年経ったらまた帰りてえから、迎えにきてくれよ。じゃあ、元気でなー」

 

『……………』

 

 神龍はホントに、本当に、微妙な変化だが、眉間に皺をよせていた。とーちゃんなに神様をタクシー代わりに使ってんだよ。ああ、やっぱり嫌だったんだな。

 そのまま何も言わずに、眩い光とその姿を変えて、直上に自分で作った大穴を通って、帰って行った。

 

 ああ!しまった!今すぐ帰りたいって、神龍に頼めば良かった!くっ……

 とーちゃんは神龍を見送った後、俺達を振り返って拳を握った。

 

「うしっ……しんりゅうに聞いたんだけど、この世界ってつえ―奴がたくさんいるんだってなあ。オラ楽しみにしてたんだ」

 

 それ、単に神龍に厄介払いされただけなんじゃないの?

 

「いや、あのなとーちゃん、俺達も今この世界にきたばっかなんだよ。だから、まだ良く分かんねえし……って、まさか呼んだのとーちゃんか!?」

 

 とーちゃんはにんまりと笑うと、

 

「いや、だってよー。うちのはちまんときたら、オラが誘っても全然ついて来ねーし、つえ―奴と戦う冒険っつったら、やっぱオメー達だろ!なあ、八幡!」

 

 いや、それ全然俺呼んでいい理由じゃねーし。それにこの人全然人の都合考えてねーな。

 

「そんでな、この世界って、誰か神様居ねーとまずいって聞いたもんだから、この人連れてきた。ほい、ルビス様」

 

「はあ!?」

 

 とーちゃんが背中に手をまわすと、そこにしがみついていた小さな女の子をひき剥がして、俺達の前に降ろした。真っ白いだぶだぶのローブを引きずるその少女は、真っ青になって俺達を見上げていた。

 

「る、ルビス様!?」

 

 俺達が会ったことがあるルビス様は、確か背も高くて、スラッとした大人の女性のはずだ。でもなんだ、このちびっこは……

 

「は、八幡君、この前はごめんね。それから、今回もごめんね……本当にごめんね……ぐすん……」

 

 おおう……なにこの可愛い小動物……これがこの人の人間状態なのか……はあ、でもこの人も被害者っぽいな……しんりゅうと一緒で……

 

 

 そんなやり取りを周りの連中は呆然と眺めていた。一番近くにいたこの強そうなエルフでさえ、怯えたり、焦ったりを繰りかえしていた。まあ、当事者の俺達でさえ、はっきり言ってついていけてない。

 とーちゃんは相変わらず強引だし、言ってる事、意味わかんねーし。

 まあ、でもあれだな……せっかく来たんだから、ちょっと暴れて貰おうかな……

 俺は、とーちゃんに言った。

 

「あのなあ、とーちゃん。とりあえず俺達今、絶対絶命なんだ。だから、悪いけど、あそこにいるモンスター全部やっつけてくれねえかな」

 

「そんな事かー。うーーっし、なら、いっちょ、やっかあ!」

 

 そう言って腕まくりをしたとーちゃんが、このフロアのモンスターを全部倒すのに、5分も掛からなかったことは、言うまでもない。

 

 

 

 

 こうして俺達は、またもや異世界トリップを果たすことになってしまった。まあ、原因は全部とーちゃんなんだが……

 この世界にトリップしたその日のうちに、俺達はこの世界の地上に出た。ダンジョンの上にそびえる巨大な塔を囲むように街が作られているのは、原作のラノベの通りだ。俺達は全員異邦人である為、冒険者登録も、住民としての登録もしてもらえない筈だったのだが、今回多数の人命を救ったという功績で、特別に郊外の廃屋に住まわせてもらうことになり、ルビス様のファミリアとして、冒険者登録もしてもらうことになった。

 ルビス様、小っちゃいけど、実は超有名人(?)だった。というか、この世界の神様は全員ルビス様よりも神格が下なのだと言う。そんなことを、例の紐の神様が言っていた。だから、まあ、そのルビス様より上位の神龍が作ってしまったダンジョンの大穴の件も、当然不問。まあ、酷い話だ。

 それと、あの原作とは違う展開をした。階層主大量発生に関しても、今のところ調査中とのことで、例の人が裏で糸を引いてはいるんだろうが、これ、もはや原作から大きく話ずれちゃってるから、確証はなし。

 それにしても、これはないな。主人公が必死に勝利して、やったぜ、うぇーい!な展開を、見事に俺達がぶっ壊してしまった。この時点で、俺達が史上最強と認定されている訳で、とくにとーちゃんなんかは、まだ冒険者登録もしてないってのに、勝手にダンジョン潜って、修行しちゃってるし……巷じゃ、『ワンパンマン』なんて呼ばれてるし……別にハゲマントじゃないけど。まあね、本気の神龍を、単独でフルボッコしちゃう人だからね。この世界の神様がどれくらい強いのか解らないけど、とーちゃんとはやりあいたくないだろーな。

それと、平塚先生なんだが、とーちゃん見て目を輝かせちゃって、『必ず界〇拳おしえてもらうんだ!』とか言って、一緒にダンジョンに入っちゃうし……あの先生、いったいどこ目指してんだか……

 

 結局のところ、俺達が戻る方法をルビス様も含めてみんなで相談したんだが、やはりと言うか、この精霊様、召還はできるけど、返すことは出来ないらしい。このポンコツさんめとは、決して言わない。相手幼女だし。

 で、結局どうするかと言うと、神龍はあっちの世界に戻っちゃったから会いに行けないので、とにかくこの世界の一番の神秘の力を求めて、それを使って帰ろうという事になった。つまりどういうことかというと……

 

『ダンジョンを攻略する』

 

 まあ、このダンジョンは、神様たちの暇つぶしで作られたものらしいのだが、正直あまりにもその暇つぶしに情熱を掛け過ぎてしまい、ほとんどの神秘をダンジョンの最奥に封じてしまったとのこと。

 もっとも、大魔王も、破壊神も、地獄の帝王もいないわけだから、正直この世界は平和すぎて神様達も力の使い方を間違えてしまったんだろうな。まあ、いろいろ文句は言いたいが仕方ない。俺達はこのダンジョンを攻略することになった。

 それと、ルビス様は俺達の召還に際し、向こうの世界の時間をほぼ止めた状態にしてくれているとのこと。だから、この前帰還した時のように、あの地震の直後に帰ることになるわけだ。

 そうと決まれば、一刻も早く帰還しなくては……帰ったは良いが、10年とか経ってたら、向こうにもどって27歳の高校生とか、ほんと、もう無理すぎる。先生なんて、今アラサーなのに、帰った瞬間、アラフォーにランクアップとか、そのこと本当にわかってんのかな?あの人。

 

「比企谷せんぱーい、じゃあ、そろそろお店開けますよー?小町ちゃーん、最初のお客さん入れちゃってー」

 

「はいはーい!いろは先輩了解でーす。では、どーぞー。いらっしゃいませー」

 

 開店と同時に、たくさんの町の人達が店内に入って来た。そんなお客さん達を相手に、エプロン姿の一色と小町がせっせと働いている。

 

 俺達が譲って貰ったその廃屋は、もともとバーかなんかだったようで、客席がそのまま残っていた。店の奥も結構な広さがあり、部屋数も宿屋なみ。正直最初はお化け屋敷の様でみんな怖がっていたのだが、俺達に助けられた冒険者たちが総出で、この建物のリフォームを買って出てくれた。

 

 おかげで、あっという間にこの建物は新築のレストランのような外観に変わり、せっかくだからと、店の入口そばに、ルビス様の教会も設置。まあ、この世界にルビス教がある訳ではないし、別段ルビス様も布教しようと考えていないため、自分で神父みたいなことをしている。とりあえず、この教会のサービスは、『どくのちりょうをする』『のろいをとく』『いきかえらせる』の三つ。神様自らやってるから、文句はないが、本当に生き返らせていいのかね……うーん。

 

 そして、その新居。やっぱりその元々お店だったスペースがそのままなのは勿体ないという事で、この世界では珍しい、喫茶店を開くことにした。

 一応、この世界にもコーヒー豆があった。だから、それをローストして、挽いて、淹れてみたら、これがまあ何とも美味かったわけだ。

 この店の名物は、この自家製焙煎珈琲と、雪ノ下の特製紅茶。それと、小町の小料理と、一色のケーキ。

 正直、千葉のその辺の喫茶店とほとんど品ぞろえが変わらない。

 この店に行列が出来るまで、それほど時間は掛からなかった。

 ちなみに店名は、『喫茶ぬるま湯』……なんでこの名前にしたのかは、正直良く分かっていないのだが、なんとなく将来、こんな店の店長をやっている気がした。とかなんとか……

 

 そして、俺達は……

 

「じゃあ、小町、一色、店を頼むな!俺達ダンジョンに行ってくるからな」

 

「はーい!まーかされよー。お兄ちゃん、お姉ちゃん達、行ってらっしゃーい」

 

「あ!せんぱーい……ちょっと待ってください」

 

 一色がとてとてと走り寄ってきて俺に抱き付く。そして上目遣いで言った。

 

「気をつけて、くださいね。私、帰ってくるの待ってますから」

 

「お、おお……わかった……よ」

 

 そう言って、一色の頭を軽く撫でた後で、俺と雪ノ下と由比ヶ浜の3人は店を出発した。

 

 そう、俺達は冒険者になった。すでに中層の階層主も瞬殺出来るだけの魔法力を持っている俺達は、必然的にダンジョン攻略組となったわけだ。今じゃ、一人前に防具を身に着けて、レイピアまで装備している。雪ノ下と、由比ヶ浜も同様。以前のような、法衣やマントではなく、動きやすい軽装の鎧と、護身用の盾とナイフを持っている。もう僧侶や魔法使いには見えない。まあ、これがこの世界の一般的な装備ってわけだな。

 素手で戦うとーちゃんや先生は、今どの辺にいるのか、全く見当がつかない。ひたすら戦いまくっているんだとは思うが、まあ、どっかで合流しておきたいな。正直、いくら強いったって、所詮俺達は高校生。剣だって、向こうの世界で神龍と戦うまでに我流で覚えただけの無茶苦茶なものだ。やっぱり、バトルはとーちゃんが居てくれた方が心強い。

 なんとなく、平塚先生が、めっちゃ強くなっていそうで怖いのだが……

 

「ねえ、ヒッキー……昨日いろはちゃんに告白されたんだって?」

 

「ああ……なんだ、知ってたのか」

 

 由比ヶ浜に急にそう言われて、思わずドキリとする。別にやましいことなんて何もないし、こいつらを裏切るようなこともしていないが、その当の彼女本人から言われると、やっぱり気まずい物がある。

 

「ええ……当然知っているわ。だって、貴方に告白する前に、私達事前に教えてもらっていたのだもの」

 

「はあ?一色がお前たちに言ったのか?訳わからん」

 

「うーん……でも、あたしなんとなく分かるなー。だって、もし先にゆきのんとヒッキーが付き合ってて、あたしがヒッキーを好きで告白しようと思ったら、絶対先にゆきのんに言っちゃうもん」

 

「そうね、もし私がその立場だとしても、まずは由比ヶ浜さんに言うわね」

 

「だったらなんだってんだ。俺に浮気しろとでも言いたいのかよ、お前らは」

 

「ううん、そうじゃなくて、ヒッキーを好きだって気持ちが良く分かるって言いたかったの。でも、ヒッキーだって、いろはちゃんの気持ち、前から分かってたんでしょう?」

 

「いや、まったくわからん。あいつに葉山への練習だからって、デートさせられたり、買い物つき合わされたり、告白みたいなことされたり、色々あったが、全部練習だと思ってた」

 

「はあ、まったく呆れるわね。そんなことを貴方に相談する時点で、貴方に対しての特別な感情があるってことじゃない。流石に、これについては引いてしまうわね」

 

「いやいやいや……まてまてまて、お前ら。なんか、俺が悪いみたいに言ってるけど、俺なんにもしてないからね。お前ら裏切っても居ないし、なんでそんなに責められちゃうの?俺」

 

「ま、まあね……あたしは、ヒッキーにあたし達だけを見ていて欲しいって思ってるけどさ……でも、いろはちゃん、ちょっと出遅れちゃってるし、そういうの考えちゃうと、なんか悪いなーって」

 

「だから、待てって!その悪いとか、申し訳ないとか、関係ないだろ。俺は、お前ら二人と付き合ってんだ。余計なこと考えてんじゃねーよ。そもそも浮気すんなって言ったのお前らじゃねーか」

 

「わ、私達だけを好きでいてくれるのを、信じていないわけじゃないわ……でも、毎晩、その、私達だけ、貴方に色々してもらって、なんだか……ごにょごにょ」

 

「だああ!ゆ、雪ノ下……往来でな、何言おうとしてんだー。もうなんにも言うな。俺の彼女はお前ら二人だけ。もうそれで良いだろうが……ほれ、さっさと行くぞ!」

 

「ああっ!待ってよヒッキー」

 

 そう、こんな感じで、俺達は恋人関係も進めているわけだ。ちなみに詳しく述べはしないが、毎晩俺達3人は一緒に寝ている。以上!

 それと、俺達は冒険者としてのステータスも、スキルもすでに手に入れている。だが、それは一般には公開できない。なぜなら、俺達の精神は、あの世界でレベル60を超えてしまっていた。いくら肉体が貧弱とはいえ、その魂のつよさの所為で、とんでもない数値が出てしまい、急きょ神様連合から非公開判定を食らってしまったわけだ。だから、一般的にはちょっと強い冒険者って認識で通っている。

 尚、二つ名も俺達はすでに貰っている。

 

 雪ノ下は『ブリザードゴッデス』

 ちょっと中二臭いが、まさしく雪ノ下。雪ノ下のマヒャドを見た奴は、必ず、この二つ名を叫んで腰を抜かしてた。

 

 由比ヶ浜は『癒しの乙女』

 まあ、ベホマとか、ベホマラー使えるしな……毎回ゲームとかで思うんだが、乙女とか、姫とかって二つ名つけて、歳とったら、どうすんだかな。『純潔の乙女』とかっていうお婆ちゃんとか、ちょっと無理!

 

 そして俺……

 まあ、俺は良いだろ、別に……

 

 俺達は塔に入り、そしてダンジョンの入口へ向かう。その俺達を見ながら、周りに居る冒険者がぼそりぼそりと、何かを囁き始める。まあ、いつもの事だ。いつもの事なんだが……

 

「おい……あれが・・・・・・か!?」

 

「す、すげえオーラだ……さすがリ・・・・チだな」

 

「連れてる女性陣もすげー美人だな……流石リ・充・ッチ」

 

「あ、おい、見ろよ!今日も来たぜ、かっこいいな……俺もあんな風になりたいなあ……」

 

「『リア充ボッチ』みたいに」

 

「だああああ!もうその名前で呼ぶなってんだよ!まだ、捻くれ者、とか、自己中とか、比企谷菌とかの方がましだああ!もう言わないでええ」

 

 こうやって、走ってダンジョンに入るのはいつもの事だ。それにしてもあいつら、何の悪意も躊躇いもなく、人の事『リア充ボッチ』って呼びやがる。まだそれに定冠詞の『氏ね』がついてないだけマシか……ほんともう、勘弁して……

 そんな俺を二人はいつも支えてくれる。

 俺達はあの世界に必ず帰る。そのためなら、こんな程度の嫌がらせ、いくらでも耐えてやろうじゃないか。

 

「さーて、じゃあ、行くか!」

 

「うん!」

 

「ええ!」

 

 そして、俺達は帰還を夢見て、冒険を続けるのであった。

 

 



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(6)閑話 どたぷーん聖女、由比ヶ浜結衣!①

「えへへ……えへへへ……」

 

 鏡台の前に座る湯上がりのあたしは、そこに写るぷるんとした自分の唇を、ちょんちょんと指でつつきながら、バスタオルを巻いたままで、クリームを塗るのも中途半端に、もう本当に堪らなくてにやけ続けていた。

 

 今日、あたしは”ファーストキス”をした。

 

 あたしの初めて……まだ唇に残る、初めてのあの感触に全身の痺れが止まらない。でも、別に『キアリク』を唱えようなんて思わない。だって、このゾクゾクした感じが本当に気持ちいいんだもん。

 目の前で彼とゆきのんが、偶然にだけどキスしちゃってるのを見たあたしは、咄嗟に彼に唇を押し当てた。だって、ゆきのんだけなんて、本当にズルいと思っちゃったんだもん。

 彼の真っ赤になって驚いた顔が忘れられない。

 まあ、本当はもっとムードたっぷりで、二人で抱き合いながら……わわわ……か、考えるだけで、顔が火照っちゃう……うう……でも、そう、もっとじっくりとしたかったなあ……とも正直思うけど、あたしもゆきのんもほぼ同時に大好きな人とキス出来たことは、本当に嬉しかった。しかも、彼は、あたし達二人を好きだって言ってくれた。もう……もう……ホント堪んない。

 うん、普通なら、こんな二股男サイテーってなるよね。でも、あたし達3人は、もうそんな小さなことには振り回されたりしない。だって、彼は本気であたしたちを想ってくれてるんだもん。それに、あたしはゆきのんが好き、彼と同じくらいに……だから、あたしはこの関係を絶対守りたいんだ……ううん、ちがう、絶対守るの!そう、決めたんだ!

 あたしは、もう一度鏡台に目を向ける。その鏡の右上には、クリスマスの時に3人で撮った素敵な思い出の写真が貼ってある。

 あたしは、少し伸びをして、その写真の彼に顔を近づける。ハラリとバスタオルが落ちてしまったけど、そんなことは気にしないで……あたしは……その場に彼が居ると想いながら、一糸纏わぬその姿のまま、写真の彼の唇に、自分の唇を当てた。

 

 あたしの名前は由比ヶ浜結衣。総武高校に通ってる、所謂普通の女子高生……だったの……ほんのお昼くらいまでは……

 でも、今はもう普通じゃないかな。だってあたしは……

 

”魔法がつかえるんだもん”

 

 

 

 

 あの世界での数か月の出来事は、あたしにとってはこれ以上ないくらい、超幸せな時間だった。だって、ずっと大好きな彼と一緒に居られたんだもん。それに、ただ一緒だったってだけじゃないし。一緒に旅をして、一緒にごはん食べて、一緒に寝て……そりゃあ、モンスターと戦ったりしたのは本当に怖かったけど、いつも彼はあたしたちの前に立って守ってくれたし、いろんな事を教えてくれた。そう、なにより嬉しかったのは、毎日いつでも、彼と好きなだけお話が出来たこと……あたしが声をかければ、すぐに振り向いてくれるし、あたしが呼べばすぐに駆け寄ってきてくれた。そんなこと、それまでの普通の高校生の時のあたし達には絶対出来なかった。だから、怖いとか、辛いとかより、幸せが先にきちゃう。こんなこと考えるのは良くない事なのかもしんないけど、あたしは本当に嬉しかったんだ。だから……

 

 こんなこと言うのは本当に許せない!いくらその相手が優美子でも!

 

「ちょっと優美子!それ酷いよ!あたしがヒッキーと話して何が悪いの!?なんでそんなこと優美子に言われなきゃいけないの!?」

 

 あたしの目の前には、ちょっと狼狽えた優美子が、視線を泳がせながら、あたしを見ている。あたしが怒っているその訳。それはさっき、優美子があたしに言ったその一言が原因。

 

『ヒキオとなんか話してないで、こっち来なし』

 

 そう言われて、手を引っ張られて、あたしは一気に頭に血が上ってしまった。こんな風に怒ったのは初めてかもしれない。だって、今日は彼から話しかけてくれたんだよ?こんなこと今までならありえなかった。

 彼は何時だって、あたしには近づかなかった。あたしがどんなに話そうと思っても『俺と居るとお前も嫌われるから』とか、そんなことあたしにはどうでも良かったのに、それでもその気持ちは嬉しかったけどさ……でも、だから、こうして普通に話せる今が凄く幸せだったのに……

 あたしは、思うままに優美子に怒鳴ってしまった。途中から隼人君も近づいて来て何か言ってたみたいだったけど、なにも聞こえなかった。それに、言いながら、あたし自身もなに言ってるのか分かんなくなって来ちゃって、でも、やっぱり許せなくて、声を出し続けた。それで……

 

「みんな、酷すぎるよ。自分の好きな人が悪く言われて平気なの?あたしはそんなのヤダ。ヒッキーを悪く言う人は、恋人のアタシとゆきのんが絶対許さない!…………あ」

 

 言ってから、そういえば、あたし達が彼と付き合い始めたこと、誰にも伝えて無かったことを思い出した。チラリと彼を見たら、呆れたような顔であたしを見てるし、優美子も隼人君も呆然としてた。

 こういうの『血祭り』?っていうのかな?みんな絶句してて聞けないんだけど……

 

 でも、彼には悪いんだけど、この時からあたしたちは正式に、公認の彼氏彼女関係になったというわけで、それがとっても嬉しくもあったわけで……えへへ……!

 

 

 

 

「ゆ、由比ヶ浜さん……あ、あの……か、彼氏できたって、ほ、本当ですか?」

 

「う、うん……本当だよ……」

 

「そ、そうですか……」

 

 みんなに付き合ってることを暴露してしまったそのすぐ後から、こんな風な事を尋ねられることが多くなった。

その男子に声を掛けられて、あたしは中庭の端の渡り廊下のところで話てそのままポツンと立ち尽くしていた。お昼休みの今は、近くでキャッチボールをしてる男子もいた。

 今までは、彼の事をずっと好きではあったけど、恥ずかしくてみんなにそんな話もしなかったし、いつも優美子や姫菜達と遊んでいたから、告白みたいな事をされることも殆どなかった。

 それが、ここに来ていきなりたくさんの男子に声を掛けられるようになってしまって、結構戸惑ってしまってる。ひとりひとり、なるべく丁寧に話してるけど、正直彼のところに飛んで行きたい。うう……こんな時どこ行っちゃたんだろう……

 あたしですらこんな感じなんだから、きっとゆきのんはもっと大変なんだろうな……

 

「はあ……」

 

 渡り廊下で、そんなことを考えながら、思わずため息をついてしまった。そんなあたしの側に、二人の友達が歩み寄ってきた。

 

「はろはろ~結衣~!むふふ……随分と大変そうだねー」

 

 口元を押さえて、楽しそうにそう言ってくるのは、もちろん姫菜。いつもいろんなネタを振って、みんなを楽しませてくれる彼女だけど、今ばっかりは相槌も打てない。出来たら放っておいて欲しいなあ……

 そして、その姫奈の後ろには、視線を落として俯いている優美子が……あの時怒鳴りつけちゃってから、なんか気まずくてちゃんとまだ話せてない。というか、謝ってもいない……うう……ホント気まずいよう~……

 そんなことを思っていたら、姫菜が話しかけてきた。

 

「えーとね、優美子が結衣に謝りたいんだって……だからさ、ほら……優美子」

 

「う、うん……」

 

 優美子がオズオズと言った。

 

「あ、あの……ゆ、結衣……さ、さっきはあーしが……悪かったし……ほんと、ご、ゴメン……」

 

「え?ゆ、優美子……そんな、謝るのはあたしの方だよ。だって、いっぱいいっぱい酷い事言っちゃったし……あたしこそ本当にゴメンね」

 

 まさかいきなりあの優美子が謝って来るなんて思いもしなくて、あたしもかなりテンパっちゃったけど、なんとか謝れたみたい。優美子もなんだか照れたような顔してちょっと笑ってるし……

 その顔を見て、あたしはホッと胸をなで下ろした。

 

「はいはーい、じゃあ、これで結衣も優美子も仲直りねー。良かった良かったー」

 

 あたしたちの手を掴んだ姫菜にそう言われて、3人で笑い合った。

 うん、本当に良かったー。あたし、優美子も姫奈も嫌いじゃないもん。彼やゆきのんとは違うかもだけど、やっぱり大事な友達。仲直り出来で本当に嬉しい。

 暫くして、姫菜がポツリとつぶやいた。

 

「それにしても、結衣ってば、やっぱりヒキタニ君の事好きだったんだねー。なになに?このおっきな奴で誘惑しちゃったとか?ほれほれ~」

 

 あたしの後ろにまわった姫菜が、後ろからあたしの胸を揉んでくる。ちょ、ちょおおっと……!

 

「ど、どこ触ってんの!?誘惑なんてしてないし!?」

 

 た、多分だけど……

 

「それより何?や、やっぱりってなんだし……し、知ってたの?ひ、姫菜」

 

「知ってるもなにも、あーしだって分かってたし……あれだけ毎日毎日ヒキオの事、ずっと見てれば、誰だって分かるし」

 

「う、うう~……」

 

 何も言えないあたしを二人は、ニヤニヤと上から見下ろしてくる。もうホント、恥ずかしいから止めてよ。

 

「だからさ、結衣。あーし……これからは結衣を応援することにしたから……雪ノ下さんと3人で付き合うってのはちょっと分かんないんだけど、結衣がそうしたいなら、あーしと姫菜はいくらでも手伝うし……なんなら、ヒキオのことぶっ飛ばしてやってでも言う事効かせるし」

 

「あはははは……」

 

 優美子本当にやっちゃいそうだな……で、多分彼の事だから、ちゃんとぶっ飛ばされてあげそう……

 優美子は拳を握ってそこまで言ってから、ちょっと頬を赤らめて俯きながら話し始めた。

 

「そ、それでね……ゆ、ゆい……さっき姫菜にも頼んだんだけどさ……その……二人ともあ、あーしのことも手伝ってくんないかなーって……えーと?なんだし……その、あ、あーしもさ……す、す、好きな人?っていうの?そんなのい、い、いるしさ……その……」

 

 もうしどろもどろになっちゃってて、何言ってるのか良く分からなくなっちゃったけど、真っ赤になってオズオズと話す優美子が本当に可愛くて、このまま抱きしめたくなっちゃった。

 姫菜を見たら、困ったような顔して笑ってる。でも、その後コクリと頷いたのを見て、あたしは優美子に言った。

 

「うん!あたし手伝うよ!優美子の告白!絶対成功させようね!」

 

「こっ!こ、こくは……く……う、うん……そう、そうなんだし……その、あ、ありがと……」

 

 そう言って頬を真っ赤に染めた優美子は俯いて黙ってしまった。

 優美子が好きな相手って言ったら、多分隼人君の事なんだろうけど、もしそうならこれは大変だ。だって、隼人君は絶対に今の関係を崩したくないと思ってるし……それに、そんな隼人君が修学旅行の時に彼に頼んだこともあるし……姫菜も今はなんのわだかまりもなく一緒に居られるけど、正直あの話しを告白された時はあたしも怒りが収まらなくてどうにかなっちゃいそうだったし……

 

 姫菜は戸部っちから告白されるのを防いで欲しいって彼に頼んでた。あたし達奉仕部は戸部っちから告白を手伝って欲しいって言われていて、それを一人で無かったことにして解決したのが彼だった。

 彼はあたしにもゆきのんにもそのことを言わないまま、戸部っちの告白のその時突然に、戸部っちの告白を遮って、姫菜に告白した。当然姫菜はその告白を断って、『誰とも付き合う気はないよ』って言って、その言葉で戸部っちも『振られないでよかったわ~』なんて言ってたけど、目の前でそれを見てしまったあたしとゆきのんは、苦しくて苦しくて、そのショックからなかなか立ち直れなかった。

 あの日……あたしは……悲しくて苦しくて、ずっと泣いてしまったんだ。

 

 この話の真相は、あの世界にいる間にヒッキーも話してくれたけど、それよりも少し前……ちょうどバレンタインのイベントを皆でやった後に、姫菜が話してくれた。姫菜は自分勝手な思いであたし達を苦しめてしまったことを謝ってくれた。でも、そのことを知らなかったとしても、あたしやゆきのんが彼の事を嫌いになることなんてもうなかった。なぜって……もう、あたし達はお互いがお互いを必要としている関係になっていたから……

 

 でも、そう……姫菜や、彼は別に問題ない。問題なのは当のその、告白相手の隼人君自身。

 隼人君はかっこいいと思うし、頭も良いし、女子の人気も高い。

 でも、いろんな娘が告白したけど、今まで誰とも付き合ってないし……いろはちゃんも可哀そうだったけど、振られてしまった。

 バレンタインの時だって、チョコは全く受け取っていなかったし……あのイベントをやらなければ、きっと優美子のチョコだって食べなかったかもしんない。

 

 そこまで徹底しているからこそ、いままで優美子だって告白とか出来なかったんだし……

 姫菜じゃないけど、やっぱり関係が壊れるのは怖い。奉仕部だっていろんなことがあって、バラバラになっちゃいそうなこともいっぱいあったけど、彼が何時だってあたし達を一番に考えてくれてたから、今のあたし達があるわけで……もし、関係が壊れてたらって考えると、本当に怖いし。

 

 だから、優美子が怖がってるのも分かる。もし一歩踏み込んで、それでだめだったら……なんて……考えるまでもないし……だったらどうすればいいのかな……

 

 絶対なんてことは絶対ないし……でも、優美子の告白は絶対成功させてあげたいし……うあああん……ど、どうすればああああ……

 

「ど、どしたの?結衣?」

 

 頭を抱えて思わずしゃがみ込んでしまったら、姫菜が心配そうに声を掛けてきた。はっ……!?あ、あたしてば、なにやってんだろ……こ、これじゃ、まるで彼だよ!!

 

「ご、ゴメン、なんかさ、色々考えてたら、頭ぼーっとしちゃって……チゲ熱かな?あはは……」

 

「それを言うなら、知恵熱でしょ?それじゃあ、韓国料理だよ」

 

「あ。そ、そか……あはは」

 

 と、その時、あたしは、目の前にあり得ない光景を見てしまった。あたしの視線の先、姫菜の優美子の丁度真後ろの、中庭の隅の校舎の壁沿いに、隼人君と……ゆ、ゆ、ゆきのんが向かい合って立っていた。その距離が凄く近くて、一瞬思い浮かべたのは……

 

”浮気!?”

 

 ま、まさか…… 

 

「結衣?今度はどうしたの?なに?後ろになんかあんの?」

 

「わわわ……だ、ダメ……」

 

 振り返ろうとする、優美子をあたしは止めようとして、咄嗟に呪文を呟いてしまった。

 

「ま、マヌーサ!」

 

 詠唱したその瞬間、二人は後ろを振り向いたまま、固まってしまった。

 この呪文は、相手に幻覚を見せる魔法……あっちの世界だと、モンスターが幻覚に向かって攻撃してくれるから、その間にあたし達が逃げたり出来て、結構使った魔法なんだけど、これってよく考えたら、ドラッ〇……

 あたしは慌てて二人の前にまわってその顔を見る。すると、何故か優美子はイラッとしたような顔つきになり、姫菜の方は、顔を真っ赤にして、恍惚の表情に……って、一体何見てんの?二人とも!?

 

「あ、れ?おい!戸部ぇ!なんであんたがあーしの後ろに立ってるわけ?ああん!?」

 

「はれえ?いったい何時からうちの学校パラダイスになったのぉ。もうみんなダメだよ、学校でそんなことしちゃ!ほらほら、ヒキタニ君も戸塚君もふんどしはちゃんとつけなくちゃ♡」

 

 ゆ、優美子は多分、戸部っちを見てるっぽいけど、姫菜!いったい何を見てるの!?ちょ、ちょっと、よだれ垂らしながらうっとりしないでぇ!

 

 そんな二人を見た後に、もう一度さっきの校舎の壁の辺りを見ると……

 

 

 

 そこにはもう、隼人君とゆきのんの姿は無かった……



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(7)閑話 メダパニスト、雪ノ下雪乃①

『国際教養科』

 

 この総武高校にあって、このクラスはエリートと称される生徒が集まっており、ほとんどの生徒はそれをまるで自分プライドだとでも言うように、クラスのメンバーだけで集まり、日々過ごしている。そんな中、私は……

 いつも一人だった。

 このクラスの中で、話を出来る生徒がいなかったかと言えば、そうでもない。クラスの中でも私の成績はトップクラスであり、そんな私に勉強を教えて欲しいと、一時期は砂糖に群がる蟻のように、たくさんのクラスメートが私の席にあつまってきていた。

 でも、そんなその場しのぎの手助けに何の意味があるというのか……

 そしてそうやって集まった人々は、私に強い口調で諭されるだけで、離れて行ってしまう。そう、誰しも人は否定されることに恐怖を抱くもの。それは、例え高い偏差値を携えたこのクラスの人間でさえ、変わることはない。

 次第に、私に近づくクラスメートはいなくなっていった。

 

 私の名前は雪ノ下雪乃。私を仰ぎ見るものからすれば不可侵な存在でしかなく、このクラスにおいても私はまさに異端。群れることでしかその存在意義を見いだせない烏合の衆に迎合する気はさらさらない私にとって、距離を取ろうとするクラスメートの在り方は返って好ましくも思っている。 

 

 ある、人物をを除いてはなのだけど……

 

「あら……雪ノ下さん……クラスにいるなんて珍しいわね。いったい何をしてらっしゃるのかしら?」

 

 机でペンを走らせている私の脇に、一人の女生徒が近づいてくる。長い黒髪を左右に結い上げて、それを赤いリボンで留めている、その彼女は、このクラスで唯一……と言っていいのかしら、特に試験の時などで、私に対抗意識を持って挑んでくる野心的な女性。そんなところは嫌いではないのだけれど。

 

「別に……ただの忘備録……と言ったところかしら?」

 

「忘備録……?ふーん……ところで雪ノ下さん、素敵な彼氏が出来たようね……もう、大分噂になっているわよ」

 

 彼女はそう言って、私に見下したような視線を送ってきている。

 彼氏……そう……もう彼とのことが知れ渡ってしまっているのね。

 彼が自分から言うはずはないから、噂の出処は由比ヶ浜さんかしら……もう、あの子は……

 

 私の脇に立つ彼女も、きっと彼の人となりを知っているのだろう。あくまで噂の範ちゅうで、ということになると思うのだけど、きっと、あの腐った目の卑しくて低能で孤独な男と付き合うことになったという事をだしにして、この子も優越感に浸りながら私を見下したいのだろう……本当に……

 

「くだらないわね……」

 

「なっ!?」

 

 私の言葉に一蹴された彼女が呻くように呟いて仰け反っている。私はそれに追い打ちを掛けるように言葉を紡いだ。

 

「彼の悪いうわさが出回っていることは勿論知っています。その原因を作ったのは彼自身でもあるし、そのことについては彼を叱らなければとも思っているのだけど、そんな噂をネタに私を脅そうと考えるなんて、貴女はそんなにお暇なのかしら?そもそも、貴女に私の愛する人を侮辱して良い権利などない筈なのだけど」

 

「………」

 

 彼女は真っ赤な顔になって、その後は何も話せなくなった。それは当然のこと。人は真実の前には服従せざるを得ない生き物。私が今彼女に語ったことは、全て嘘偽りのない私自身の心の言葉であって、彼女にそれを否定したり、侮辱したりなど普通なら出来る筈はない。普通なら……

 でも、彼女の傷ついたプライドは、更なる言葉を発させた。

 

「あ、あんたねえ……あ、『愛する』とか、いったい何言ってんの?ば、ばっかじゃないの!?」

 

 頬を真っ赤に染めた彼女は、とにかく悪態をついた。でも、それになんの効果も無いことを彼女自身は分かっていたのだろう。そこまで言って、今度は私の書いていたそれに視線を向けて、今度はそれについて言及してきた。

 

「なっ!?ま、魔法?あ、あんた、忘備録って……い、いったい、なに書いてんのよ!あ、あ、頭おかしいんじゃないの!?」

 

 そこまで言っても彼女はまだ、私の書きかけのそのノートを読み続けていた。

  

 私が書いていた『忘備録』……所謂それは『魔導書(グリモワール)』と言っても良いのかもしれない。

 あの世界で、魔法使いとして彼と旅をした私は、彼の助けもあって、数々の神秘の技を会得することとなった。でもそれは、自らの修練によって体得したものではなく、あくまで、知識を脳内に上書きされただけのもの。いづれにしても、私がその神秘を行使できる存在であることに変わりはないのだけど、私はその正体を解明したいと思っていた。

 私の使う魔法には科学的な要素との類似点が多々ある。魔法とはその行使の為に、解析と分解と構築を行うことであり、その一連の作業を『術』と言い、その術の行使を命じる言葉を『呪文』と言う。

 科学とは、その一連の動きを機械的に操作することであり、魔法とは、その効果まで流れを精神の力に依存して行う.....同じ『火を点ける』という行為であっても、そこに至る過程はまるで違う訳だから、私はその解明されていない精神の力の能動性を調べたくなった。

 その一歩として、まずは『魔法の行使』までの流れを文章で書き纏めていたのが、この『忘備録』である。

 まあ、一般の人が見て理解できるのかは、甚だ疑問ではあるのだけど……

 

 そんな私達に声がかけられる。

 

「ゆ、雪ノ下さん……お、お客さん来てますよ」

 

 赤い顔をした一人の女子生徒が私に声を掛けてきた。言われて教室の入り口に顔を向けると、そこにはあまり会いたくない男性が立っていた。

 クラスにいる多くの女生徒は、その入り口に立つ彼を見ながら、「かっこいい」「素敵」などと、囁き合っている。

 まったく……いったい、私に何の用があると言うのかしら……

 

 私は立ち上がりながら、その忘備録を読み続ける彼女に言った。

 

「貴女……もし、それに興味がおありなら、差し上げるわ……それじゃあね、遠坂さん」

 

 

 

 

 

 

「こんなところに呼び出して本当にすまない」

 

 葉山君に呼び出された私は、中庭隅の校舎の壁までやってきていた。ここに来るまでの間、彼と並んで歩くだけで多くの生徒に、羨望や憧れの視線を受けつつ、何かを囁かれていたことが非常に不快だった。

 目の前で頭を掻きながら、謝る葉山君に、私は別に何の用もないのだけど、何の話があるというのか……

 

 だまって睨んでいた私に葉山君は、ずいっと近づいて話を切り出した。その表情は少し緊張しているようにも見える。

 

「単刀直入に言う。比企谷と付き合ってるっていうのは本当なのか?」

 

 壁沿いに立つ私に密着しそうなくらい近づきながら、彼は小声だが怒気をはらんだ声でそう言った。

 

「ええ……その通りよ……でも、だからと言って、そのことがあなたと何の関係があるというのかしら?私が彼と付き合おうと、どうしようと、貴方には何の関係も無いことだと思うのだけれど……」

 

「いや、関係ならあるさ。俺は今まで誰とも付き合ったりしなかった。それは俺の所為で傷つけてしまった君への償いだ。君を差し置いて、俺だけが恋人を作るなんて、そんな酷い事俺は出来なかった」

 

「言っている意味がまったく解らないわね。私が付き合う事と、貴方が恋人を作らない事と、いったい何の関係があるのかしら?もし、あの小学校の時の私が遭ったイジメのことでそんな無駄な努力をしているのだとしたら、それは無用のことよ……だって、今の私はそんなこと、何も引きずってなどいないもの。それに、私はもう彼という存在もできたし、貴方もなんの気兼ねもなく恋人をつくればいいのではないかしら?」

 

 私の言葉に葉山君は苦虫を噛み潰したような、なんとも不快な表情をした。

 

「で、でも、なんで比企谷なんだ!あいつは結衣とも付き合ってるんだぞ!二人でアイツと付き合うなんて、普通じゃないだろう」

 

 語気を強めてそう話しを続ける葉山君に、私はだんだんイライラしてきていたけど、それをグッと堪えて言った。

 

「彼を侮辱する気なら、私は貴方を絶対許さない。話はもうないはずよ。では、失礼するわね」

 

「ま、待ってくれ!」

 

 咄嗟に私の腕を掴もうとした葉山君を見て、私は横に飛びのいた。彼は私のその俊敏な動きに一瞬目を見開いていていたが、動きを止めた後、さらに私を捕まえようと手を伸ばしてきた。

 そんな彼を見て、私は呪文を唱えた。

 

「メダパニ!」

 

 詠唱と共に、彼の目から光が消える。

 そして、フラフラとまるでゾンビのように身体を揺すりながら、良く聞き取れなかったけど、何かをブツブツと呟きながら、テニスコートの方へ歩いて行った。そんな彼に話しかけようとした女子生徒たちが、近づいてから少し怯えたような表情で立ち竦んでいるのが見えた。

 

「ふう……ちょっとやり過ぎてしまったかしら……」

 

 メダパニ……精神支配系の魔法であるこの呪文は、行使された者の意識を忽ちのうちに破壊する。精神異常を起こすと言っても良いかもしれないが、戦闘中などでは錯乱の上同士討ちを起こしたりと、非常に危険極まりない呪文である。でも、今は別にそんな危機的状況でもないし……でも何かあると不味いから、これもかけておきましょう。これだけ動きが遅ければ、まちがって襲われてもすぐに逃げられるでしょう。

 それに、呪文の効果はそんなに長続きはしないし…… 

 

「ボミオス!」

 

 錯乱の上、動きが遅くなった葉山君は本当にフラフラとしたまま、校舎の陰に消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

「あー!ゆきのん居た~。はあ、良かったあ、ずっと探してたんだよ!」

 

「あら、何かあったの?由比ヶ浜さん」

 

「『あったの?』じゃないし!ゆきのんさっき、隼人君となんか話してたでしょー!しかも仲良さそうに!」

 

「由比ヶ浜さん……私でも怒ることはあるのよ。彼と確かに話してはいたけど、『仲が良さそうに』というところは心外もいいところだわ」

 

「え!?じゃ、じゃあ……浮気じゃなかったんだ……って、い、痛い!痛いよ!ゆきのん」

 

 由比ヶ浜さんの言葉に、私は思わず頭をチョップしてしまった。まあ、手刀なんだけど、チョップの方が響きが可愛い気がしないでもなくて。

 

「はあ、それで、私と葉山君が話していて、何か問題でも?」

 

 その私の問いかけに、由比ヶ浜さんは目を爛々と輝かせながら事情を話した。

 

 

 

 

 

「ふう……なるほど……つまり、貴女は、『三浦さん』が『葉山君』へ告白する手助けを買って出たという訳ね」

 

「うんうん!」

 

「はあ……まったく貴女という子は……あの修学旅行の件で懲りなかったのかしら。人の色恋に手を出して、結果として私達が苦しむことになったというのに……」

 

「で、でも……優美子も今回は本気も本気!もうマジすぎてマジっちゃってるから、あたしもなんか手伝ってあげたくてさ……ね?ゆきのん~おねがーい」

 

「何がどう混ざっているのか、全く見当がつかないのだけれど、でも、こればかりは気が乗らないわね」

 

「あー、ゆきのん……やっぱり自信ないんだー。そうだよねー、いくらゆきのんでも出来ない事は出来ないもんねー」

 

「受けましょう!その挑戦!」

 

「やった!ゆきのん、大好き―!」

 

 

 

 というやり取りの末、私達は三浦さんの告白の手伝いを請け負う事になった。でも、私はどうして受けてしまったのかしら?

 まあ、葉山君へは、さっきのやり過ぎてしまったお仕置きの罪悪感もあることだし、罪滅ぼしという事で三浦さんの手伝いをすることにしましょうか。

 この依頼を受けるに当たって、私は二つの事を由比ヶ浜さんに承諾させた。

 

 一つは、『この件はあくまで私達二人で対処する』という事。

 もし彼を巻き込むことになれば、彼がいったいどんな手を使ってくるか解らないし、その結果で再び彼が酷く傷つくことにもなりかねないことが予想出来たから。

 

 もう一つは、『今回の依頼に関してはその結果に絶対拘らないこと』。

 修学旅行の時のように、全てを丸く収めるのではなく、あくまで三浦さんの手伝いをするにとどめる。つまり、成功しても、失敗しても、その責任を負うようなことは絶対にしない。

 

 由比ヶ浜さんも、これには納得してくれた。おかげで後顧の憂いなく依頼に臨めるようになった。

 

「ゆきのん!二人でがんばろうね!」

 

 

 

 

 

 

 

『遠坂邸』

 

 

 

「まったく……なにが『魔導書』よ……こっちはこれから『召還』しなくちゃならないってのに……えーと、なになに?……ふんふん………へーーーー………ほーーーーーー……ふむふむ……えーと、じゃあ、『ヒャド!』……あ……できた……」



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(8)閑話 どたぷーん聖女、由比ヶ浜結衣②

 お小遣いの少ないあたし達高校生にとって、数少ない貴重な『会議室』の一つがここ、『サイゼリア』。500円で、ドリンクバーと軽食を食べることが出来るここは、放課後の貴重な女子会スポットでもあるわけで、友達のほとんどはこういった場所で、恋愛相談なんかをしているみたい。

 だから今日はここに、あたし達もやってきた。って、まあ、普段から来てるんだけどね。

 ドリンクバーで、抹茶オレをコップに注いで席に戻ると、優美子が声を掛けてきた。不機嫌そうに……

 

「で、ユイ?なんで、ここに雪ノ下さんがいるワケ?」

 

 腕組みをした優美子は、あたしに声をかけながらも、視線は正面に姿勢を正して座るゆきのんに向けている。

 ゆきのんは、そんなことは気にする様子も無く、手元に置いた小さな手帳に視線を落としている。

 

「えー?だって、あたし一人より、二人の方が絶対力になれるし。それに、ゆきのんも彼氏持ちだし!」

 

「彼氏……って、あんた達二人とも相手ヒキオじゃん?あーしは別にヒキオに告白するわけじゃないんだけど」

 

「あら、こちらは、どうしても……と頼まれたから来ているだけで、別段貴女の為に考え動く道理なんてないのだけれど……」

 

「まあまあ、二人とも。ここはせっかく集まったんだから、もっと楽しい話ししようよー。で、どうなの結衣、雪ノ下さん……ヒキタニくんのサイズは!平均より上?それとも下?ぬふふ……」

 

「はあッ!?」「へえっ!?「なっ!?」

 

 目の前でニコニコ微笑みながら、姫菜がでっかい爆弾を投げてくる。そ、そんなの知らないし!……まだ……ね。

 ゆきのんと優美子をチラリと見たら、二人とも耳まで真っ赤にして固まってるし。

 3人で絶句していると、姫菜が驚いたような顔して声を上げた。

 

「え?ええ?ひょっとして、あなた達、ま、まだだったの!?というか、何?優美子もなの!?」

 

 もうホント信じられないとでも言いたげな顔で、姫菜が口をぽかーんと開けてる。

 

「う、うっさいし……だ、だったら何?しょ、処女だったらいけないってわけ!?」

 

 優美子は顔を真っ赤にしたまま姫菜に向かって怒鳴った。でも、それあたしからしても意外すぎだよ。いや、別に悪い意味じゃなくて、優美子っていつも自分から男子に声かけてるし、前にも付き合ってた彼居たって言ってたし……だから、もう経験しちゃってるもんだって思ってた。

 優美子は肩を震わせながら、ますます顔を赤くして、姫菜に言った。

 

「そ、そういう姫菜はどうなん?し、し、したことあるっての?」

 

 ええ~?ゆ、ゆみこ……そ、それ聞いちゃうの?それ聞いたら、多分もっとダメージ……

 

「うん、あるよ。私は中学の時かなー、相手大学生でー……」

 

 きゃーーーー。だ、だめ、これは聞けないーーーーーーー

 

 慌てて耳を塞いで俯いて、ひたすらホイミを唱えて気を紛らわしていたら、いつの間にか隣に座ってたゆきのんがあたしに寄りかかって倒れてきた。見ると、もう湯気が出そうなくらい真っ赤になって、埴輪みたいな表情になっちゃてるし……姫菜のとなりの優美子も、壁にもたれるようにして、魂抜けた顔になっちゃってた!

 

「……と、まあ、こんな具合でね、もう彼氏なんていらないなーってなっちゃって、でもでも、男の子ってやっぱり可愛いし、好きは好きだから、もうきのこ×きのこでね……」

 

 なんか、姫菜の話し、まだ続いてた。

 

「あ、あたし、ドリンク貰ってくるね……あ、み、みんなのも持ってこようか!」

 

 そう言って立ち上がると同時に、ゆきのんと優美子も席を立った。

 

「あ、あーしも行くし!」

 

「私もご一緒するわ」

 

「あ、じゃあ、姫菜の分貰ってきてあげるね、ちょっと荷物見ててね、ははは……」

 

 そう言って、そそくさと3人で席を離れた。

 ドリンクバーに3人で並んでそれぞれ飲みたいドリンクの機械の前に立つ。ふと、紅茶を淹れようとしているゆきのんが、そこにある道具の使い方に戸惑っているのを見て、あたしと優美子で助けてあげた。ゆきのんって、なんでも出来ちゃうけど、どっか普通が出来なかったりするんだよね。それが可愛かったりするんだけど。

 

「何かしら?由比ヶ浜さん……人の出来ないところを笑うのは失礼極まりないことよ」

 

「あ、違うよー。なんかさ、出来なくて頑張ってるゆきのんって、可愛いなって思って」

 

「なっ!?そ、そういう恥ずかしいことを、ひ、人前で言わないでくれるかしら?」

  

 また、頬を染めたゆきのんが少し怒った感じでそう呟く。もうホントに可愛い!!

 そんなあたし達を見て、優美子がポソリと言った。

 

「あんた達さあ……本当に仲良いんだね……なんか、あーし、妬けちゃうな」

 

「え?なに言ってるの優美子。あたし優美子も大好きだよ!だから、一緒だよ!うん!」

 

 そのあたしの言葉に、優美子も頬を染めていた。それから、改めてあたし達に向き直って言った。

 

「え、えーと……今日はあーしの為に来てくれて、ほ、ホントにありがとう……こういう事って、自分で全部やんなきゃいけないって、解ってんだけど、な、なんか怖くてさ……う、上手くなんていかないの解ってるから尚更に怖くて……だから……ありがと……」

 

 泣きそうに顔を歪ませながら、優美子はあたし達に向かって頭を下げた。

 

「ゆ、優美子ー。だいじょうぶだよ、きっと……優美子がこんなに真剣なんだから、解ってもらえるよ、きっとね」

 

「それは無責任な発言よ、由比ヶ浜さん」

 

「「え?」」

 

 その突然のゆきのんの言葉に、あたしと優美子は思わず顔を上げた。そこには厳しい表情のゆきのんが真っすぐあたし達を見ていた。

 

「三浦さん。貴女がどれだけ彼を愛していようと、彼にまったくその気が無ければ、貴女の想いが届くことはないわ。それを分かっているのかしら」

 

 その言葉に優美子は身体をぶるりと震わせた。そして、今度こそ堰を切ったようにその両頬に滴が流れた。

 

「わ、解ってる。そんなこと、最初から分かってるし……で、でも……し、しょうがないじゃない……す、好きに……好きになっちゃったんだから……」

 

 優美子は泣きながら、でも真っすぐゆきのんを見てそう言った。

 優美子は解ってるんだ。自分が振られてしまうことを……あたしはさっき、そんなことない、大丈夫なんて言ってしまった。ホントに酷い言葉……慰めにもなんにもなってない……

 優美子の為……なんて言って、本当はあたしが怖くてあんな言いかたしちゃっただけ……友達とかって言っておいて、本当に酷い。

 今回の事、優美子は先に進もうってきっと決めたんだ。それがどんな結果になろうとも、優美子はそれを受け入れるつもりなんだ。だから、今、こんなに頑張ってるんだ。

 あたしはそれが痛いほどわかってしまった。ごめんね……本当にゴメンね、優美子……

 

 ゆきのんが、泣いてる優美子に向かって、そっとハンカチを差し出していた。

 

「ほら……せっかくのお化粧が流れてしまっているわ。これから告白をしようとしているんだから、身だしなみを整えなさい」

 

「あ……う、うん……ちょ、ちょっと、直してくるし」

 

 そう言って、優美子は化粧室に向かった。

 

 それを見送りながら、ゆきのんが深いため息を一つ吐いた。

 

「なぜ、あんな自分本位な男を好きになってしまったのかしら……これじゃあ、三浦さんが可哀そうだわ」

 

「う、うん……隼人君は優美子のことどう思ってるのかなあ」

 

「さあ……それは本当に解らないのだけれど、あまり、楽観視は出来ないわね。彼は自分と他人の間に線を引いてしまうタイプだから……」

 

 そう言いながら、ゆきのんは暗く沈んだ顔をしている。隼人君とゆきのんが昔馴染みなのは知っているけど、何かあったのかな……

 

「ゆきのんは隼人君と何かあったの?」

 

 そのあたしの問いかけに、困ったように微笑んだゆきのんが答えた。

 

「むかしね……彼と私が幼馴染という理由で、私が苛められたことがあったのよ。彼はクラスの人気者だったし、女子達にも好きな子がたくさんいたわ。だから、幼馴染という理由だけで、彼と仲の良かった私は標的にされて……でも、その時彼はその苛めを静観していたわ。内心ではどう思っていたのか分からないのだけれど、私はそうされたことが凄く悲しかった。彼があの時のままだとは思わないのだけれど、果たして三浦さんを受け入れてくれるかどうか……」

 

「そっか……そんなことあったんだ……」

 

 あんなにモテる隼人君がなんで、彼女を作らなかったのかは良く分からないけど、多分隼人君も過去になにか嫌な経験をしたのかもしれないな……でもそうなると、ますますこの告白難しくなっちゃうし……

 うーん……どうしたらいいんだろう……こんな時、彼なら……

 はっ!?だ、ダメダメ……頼ってばっかりじゃだめなんだし。

 今回に関しては、全部あたし達だけでやんなきゃ!

 あたし達にだって、できるんだぞ、ってところを見せるくらいじゃなきゃ!うんっ!がんばろ!

 

「お待たせ、あんた達待っててくれたんだ」

 

 化粧室から戻ってきた優美子が、ドリンクバーの前で立って話していたあたし達のところに戻ってきた。

 

「あ、うん……でも、気にしないで、ゆきのんとちょっとお喋りしてただけだし。ね、席に戻ろう!」

 

 あたしのその掛け声で、三人で席に向かった。

 

 

 

 

 

 

「もう……みんな遅すぎだよー」

 

「ごめんごめん、姫菜……ってあれぇ?」

 

 席に戻ろうと思って、姫菜のいるボックス席を眺めたら、さっきまであたし達が座ってたところに、誰か座ってた。それも二人も!

 慌ててその席に駆け寄ってみたら、そこに居たのは……

 

「と、戸部っち!……と、は、隼人君!?」

 

「俺、隼人くんのつきそい」

 

「やあ、結衣……それに優美子、雪ノ下さんも……」

 

 そこに居たのは、まさかの本人!わわわ……な、なんでー?

 ゆきのんも驚いた顔してるし、優美子は、もう真っ青になって、佇んでた。

 あたしはニコニコしながら座ってる姫菜の脇に座って、慌てて小声で耳打ちした。

 

「ちょ、ちょっと姫菜……な、なんで隼人君達がきてるの!?こ、告白は、この後、公園でとかって、言ってたじゃん」

 

「あ、それねー。後で呼び出してだと、やっぱり緊張しちゃうし、もうこれだけみんな知ってるんだからいいかなって、私が呼んだの」

 

「ふぇええええ!?」

 

「ちょっと姫菜、なんで、そんな重大なこと勝手にやっちゃったの!?まだ、なんの準備も出来てないのに……」

 

「こんなの準備なんかいらないよ。もう優美子の気持ちも決まってるし、ね!大丈夫だから」

 

「だ、大丈夫だからって……そんな……」

 

「ゆ、ゆい……いいよ……あ、あーし、もう決めたから……」

 

「ゆ、優美子……?」

 

 戸部っちはそんなあたし達のやり取りを不思議そうに眺めてる。ゆきのんは黙ったまま、ただジッと優美子を見つめてた。隼人君は……なんでか、ゆきのんの方に視線を向けてる。

 はわー……ど、どうなんの、これ?

 スゥーっと息を吐いた優美子が、隼人君に向き直った。その目はさっきまでの怯えたものじゃなくて、いつもの強気なもの、もう覚悟を決めたってことなのかな……

 

「き、聞いて欲しい……あ、あーし……あーしさ……」

 

 ポツリポツリとこぼす様に言葉を出す優美子を、隼人君はどこか冷めた目で見ていた。その目をあたしはよく覚えている。そう、あのディスティニーランドで泣いたいろはちゃんを見ていた目……

 優美子……

 胸が締め付けられるように痛い……苦しくて……悲しい……

 好きな人に、好きだって思って貰えない、こんなのってないよ……

 

 そ、そうだ……こんな時こそ『呪文』……みんな全員『ラリホー』で眠らせちゃえば、夢だったってことに出来る……って、こんなのダメだ……これじゃあ、優美子の『本気』を壊しちゃう。

 じゃ、じゃあ、もうあたし達には何にも出来ないってことじゃん……

 

 チラリとゆきのんを見たら、ゆっくり首を横に振っていた。ゆきのんもきっと同じように何か考えてたんだろうな……そっか……ここからは優美子一人の問題なんだね。だったら、あたし達はちゃんと見届けて上げよう。友達として……

 

 もう一度深く息を吸い込んだ優美子が、真剣な眼差しのままでその言葉を言った。

 

「あーしは、あんたが……好き……」

 

 一瞬、全ての音が消える。まるであたし達全員の時間が止まってしまったかのような感覚……

 息を殺して、固唾を飲んで見守りながら、あたしは優美子の全てを見届けた。

 

 

 

 

「あ、あーしと付き合ってよ……お願い…………戸部」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え?俺?そりゃ、モチのロンでショー!」

 

 

 

 ウインクしながらサムズアップする戸部っちを見ながら、案外簡単に時間の流れが元に戻った。



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(9)閑話 メダパニスト、雪ノ下雪乃②

 三浦さんの告白を手伝うことになり、そのことを彼に知られる訳にもいかない私たちは、何処か学校外で話し合うこととなった。

 ファミリーレストランという飲食店にはあまり馴染みがないのだけれど、由比ヶ浜さん達はよく利用しているようで、今回はそのお店に.....

 店内は明るくて、賑やかで、総武高校生や、他の学校の生徒もチラホラ見えていた。その奥のテーブル席に、三浦さんと海老名さんの二人が待っていた。

 最初こそ敵意むき出しの三浦さんではあったものの、この後、告白までを考えているせいか、どことなくいつもよりも元気がない。そんな彼女の為に、私も私なりに彼へのアプローチの仕方を考えてきていた。

 その考えをまとめた内容を確認しようと、メモをした手帳に手を伸ばす。

 

 男性とは総じて女性からの積極的なセックスアピールには弱いもの。であるから、ここは最も手早く目的を達成するためにも、三浦さんに色香を振り撒いてもらって、そのまま彼を押し倒す。

 私にはそのやり方はよく分からないのだけど、これだけ派手な三浦さんならこの手が有効だと思うのだけど……

 これについての効果の証明を私はすでに持っている、ソースは私と由比ヶ浜さん。奉仕部の部室で、ことあるごとに私達の胸やふとももをチラチラと横目に見ていた、腐った目の彼の視線に、以前までは恐怖すら感じていたくらい。ま、まあ、今は心地よくもあるのだけれど……

 だからここは美人の三浦さんに頑張ってもらって、もう一歩踏み込んだアピールに出てもらう。

 

 ただ、ひとつ気ががりなのは、葉山くん自体の性癖。

 以前は普通だと思っていたのだけれど、これだけたくさんの女子に声を掛けられて断り続けているということは、もしかしたら、興味の対象が『女性』ではなく『男性』という可能性も捨てきれない。

 そうなると、どんなに美人の三浦さんであっても難しいわけで、そうなると三浦さんに男になってもらう訳にもいかないし、そんな性転換魔法を私も知らないし、ひょっとして、彼ならそんな知識あるのかも……

 

「ちょとお……なんで雪ノ下さんがここに居るわけ?」

 

 真剣に考えていた私に水を差すように、声を荒げた三浦さんに、正直少しイラっとした。

 

 

 

 

 結論から言えば、三浦さんの告白は見事に成功した。ファミリーレストランのテーブル席で、友人に囲まれた中という、ムードも何もない状況ではあったのだけど、三浦さんの必死の告白を、『彼』は一も二もなく受諾した。

 

 ただし、その場に居合わせた私たちの思考は完全に停止。なぜらなば、その三浦さんの思い人の『彼』が、私達の想像の人物と違っていたから……

 チラリと横目に由比ヶ浜さんを見たら、にこやかに口を半開きにして、何かを言おうとしたまま、冷や汗を書いて硬直していた。

 座席に座って、正面を見ていた海老名さんも、微笑んだ表情のまま、さっきからピクリとも動いていない。

 戸部君の隣に座る葉山君は……

 

 真剣な表情で何かを話しかけようとした雰囲気のまま、凍り付いてしまったかのように真っ青になって完全にフリーズ……私、冷気系の呪文唱えていないのだけれど……

 

 そう、どうやら私達は全員、重大な勘違いをしていたらしい。

 

 三浦さんの思い人……それは、葉山君……では、なくて、その隣に座る、『戸部』君だった。

 

 三浦さんは、笑顔で視線を向ける戸部君を見て、ぱあーっと明るい表情をした後、すぐに不安気な表情に戻った。そして言う。

 

「と、戸部……で、でも……あーし……あんたのこと、気安いからって、いつも邪険にしてたし、それに、あんた、ほ、ホントは姫菜のこと……」

 

 そこまで言って、言葉が続かなくなった三浦さんは俯いてしまう。そんな三浦さんに向かって、戸部君が話しかけた。

 

「あー、それもうない、それないわあ。そんなん気にすることないっしょー。俺も優美子のこと嫌いじゃないじゃん?ていうかー、むしろ好き?超好き?みたいな―?もう最高に嬉し過ぎまくリングでショー!」

 

「ほ、ホントにあ、あーしでいいの?ホントにホント?」

 

「もう!ばっち、ウェルカムんでしょー!」

 

 その言葉に、三浦さんは頬を染めて、嬉しそうに俯いた。

 戸部君の言葉はなかなかに難解で理解が追い付かないのだけれど、とりあえず、全てokをしたようね……

 

「ちょ、ちょっと、ゆきのん、姫菜……こっち!こっちきて!」

 

 幸せそうな雰囲気を醸し出しているその二人の脇で、由比ヶ浜さんが私の手を引っ張る。そして、私と海老名さんの二人を連れて、店の入り口そばの柱の陰までやってきて、話し始めた。

 

「ど、どういうこと!?てっきり隼人君に告白するって思ってたのに……ひ、姫菜はこのこと知ってたの!?」

 

 その焦った感じの由比ヶ浜さんの言葉に、海老名さんも困った顔で答える。

 

「いやあ、私もびっくりだよー。私だって優美子から『告白したいから手伝って』って言われただけだし、てっきり隼人くんだと思ってたから、今日もここに呼んだんだよ?まさか、と、戸部っちだったとわねー」

 

 思わず口元を押さえてくすくすと笑いだした海老名さんを、由比ヶ浜さんも呆然とした目で眺めている。

 

「とりあえず、状況を整理しましょうか」

 

 私のその言葉に二人も頷く。

 

「まず、三浦さんの告白は、相手の戸部君が了承したのだから、これで成功という事ね。それにしても、私も三浦さんは葉山君を好きだと思っていたのだけれど、いつから戸部君を想うようになったのかしら?」

 

「そーいえばねー。最近優美子ってば、モールのケーキ屋さんに良く通ってたみたいで……そこに戸部っちも……」

 

「そ、そこって、戸部っちの先輩のケーキ屋さんのことじゃない!?前にクリスマスの時にバイトしてた」

 

「そうそう、戸部っち、またその店でバイト始めたみたいでさ、優美子もそこで戸部っちと会ってたみたいだね」

 

「そう……なら、今までに二人が関係を進めていてもおかしくないわけね……ふう……でも、本当に人騒がせな話ね」

 

「ホントだよー。だったら、優美子も最初に言ってくれれば良いのに―!」

 

「なあ、君たち……俺も、こっちの仲間にいれてくれないかな……」

 

 そう言って、頭を掻きながら、現れたのは、葉山君だった。

 

「あっちで、戸部と優美子が二人の世界作っちゃっててさ……居辛くて」

 

 ふう……多分、さっきまでは自分が告白されると、思っていたんでしょうし……それがこの展開なら、居辛さも倍増のはずね。それに、あの告白の瞬間まで三浦さんに断りの言葉を言おうとしていた様子だし、これについては同情してしまうわ……それにしても、こんな葉山君を見る日が来るなんて……

 

「ふふふ……」

 

「な、なにかな?雪ノ下さん……」

 

 あまりの意外な展開に思わず笑ってしまった私に、葉山君が首を傾げながら声をかけてくる。

 

「い、いえ……いつもモテモテの貴方が、こんな風に打ちひしがれてしまっているなんて……ちょっと、意外で……ふふ」

 

「ちょっと、ゆきのん!それは失礼だよ。わ、笑うなんて……ぷっ……くくく……」

 

「あら……そういう貴女だって笑ってるじゃない……人の事言えないわよ……ふふ……」

 

「ほらほら二人とも、おかしいのは解るけど、隼人君も困ってるし、その辺にして……ぷくくくくぷくぷくぷくぷくくぷく……」

 

 そんな様子の私達女子3人の様子に、葉山君は苦笑いを浮かべ続けていた。

 ホント、ちょっと、我慢できない……

 いつもクールに格好をつけているこの葉山君のこんな姿を見る日が来るなんて……

 これは、なにか慰めのひとつでも言ってあげましょうか……

 

「葉山君……今は二人を素直に祝福してあげましょう。今日は私達が話を聞いてあげるから、先に帰りましょう」

 

 一度三浦さんと、戸部君のいるテーブルに戻り、用があるから先に帰ると伝えて、私達は店を出た。

 帰り際に二人を見ると、三浦さんはすっかり安心したのか、口元を緩ませて蕩けきった顔になっていた。戸部君は戸部君で、赤い顔で嬉しそうにしている。私は、由比ヶ浜さんと二人で彼に告白した時の事を思い出していた。恋が成就した時の底なしの幸福感を、今彼らも味わっているのだろう……この世の中に、こんなに幸せな事はないと思う。だって、私がそうだったのだから。だから、この気持ちを守りたいからこそ、みんな真剣に恋をするんだろう。これが青春という事なのかもしれない。私は、その時、そんな甘酸っぱいことを考えていた。

 

 

 

 

「でもさ。ホントにびっくりしたよ!優美子ってば、隼人君の事好きだってばかり思ってたし……あ、ご、ごめん」

 

 私と由比ヶ浜さん、それと葉山君と海老名さんの4人で歩いていて、不意に由比ヶ浜さんがそう言ってしまった。本当にこの子は迂闊すぎるわ。葉山君を見ると、案の定、困ったような表情を浮かべている。

 

「い、いや……いいんだ……俺は……俺は戸部も優美子もいい友達だって思ってるし……それにしても、結衣だけじゃなく、戸部と優美子まで彼女彼氏持ちになるなんてな」

 

 言いながら彼は頭を掻いた。何か、諦めにも似た達観したような表情を浮かべている。でも、そんな葉山君を見ながら、隣を歩く海老名さんが、追い打ちのような一言を放った。

 

「え?優美子たちだけじゃないよ?なんか、大和君も大岡君も、女子バスケ部の子と付き合うことになったってさっき言ってたよ」

 

「え?」

 

「えええ!みんな彼女できちゃったの!?」

 

 それを聞いた葉山君が、ますます青い顔になり、由比ヶ浜さんも驚きの声を上げている。海老名さんはその後も言葉を続けた。

 

「あ、えーと、それとね……私これから、朝まで同人サークルのコスプレ撮影会行かなきゃならないから、先に帰るね。ごめんね、隼人くん、結衣、雪ノ下さん、じゃあねー……ふふん~♪きのこのこのこ、げんきのこ~♪」

 

 そう言って、彼女は手を上げて踵を返して去っていった。

 

 残されたのは、私たち二人と、呆然として項垂れている葉山くんのみ……

 さっきは思わず笑ってしまったけど、さすがにここまで来ると、面白いと感じることもできないわね.......辺りを見回すと、ちょうど小さな公園があった。もうすっかり陽も落ちているため、遊んでいる子供もいない。私は由比ヶ浜さんに目配せをすると、彼女もそれを悟ってくれたのか、困ったような表情で頷いてれた。それを見て、私は彼に声をかけた。

 

「さあ、葉山くん、ちょっとそこに座って休みましょうか」

 

 そう言って促すと、彼はのろのろと、公園に入り、外灯そばのベンチに腰をかけて頭を抱えた。

 流石にこれは情けなさすぎるわね。

 

「その姿は憐れというより、もはや悲惨ね。さっきは、三浦さんを振ろうとしていたようなのに、なぜそんなに落ち込んでいるのかしら?ただ、あなたの友人たちが、恋愛という青春を謳歌しているだけのことなのだから素直に祝福してあげればいいのでは?それとも貴方も急に恋人が欲しくなってしまったのかしら?」

 

「ち、ちょっと、ゆきのん……もうちょっと気を使ってあげようよ。は、隼人くん、あんま気にしない方がいいよ……ね?」

 

「そうではないわ、由比ヶ浜さん。彼はもう少し周りに目を向けるべきなのよ。自分の思いに周囲を巻き込んでしまっている分、比企谷くんよりも質が悪いのだから」

 

「ゆ、ゆきのん……」

 

 不安そうな由比ヶ浜さんの横で、私のその言葉に葉山くんはちらりと、顔を上げた。

 

「もう、なんとでも言ってくれ……俺は、もう少し今の交遊関係を続けていたかっただけだ。でも、みんなはそうじゃなかった。それだけのことだよ」

 

「呆れた......そんな自分本意な台詞、彼だって吐いたりしないわ。いえ、それはちがうわね。彼には継続できるほどの友人が皆無だったわね」

 

「ゆきのん、地味にヒッキーディスってるし!」

 

「まあ、そんなことはどうでもいいとして……」

 

「どうでもいいんだ!?」

 

「さてと、葉山くんはこの先何を望むのかしら?ことと次第によっては、奉仕部として迷える子羊である貴方の手助けしてあげてもいいのだけれど」

 

「そ、そうだよ!隼人くん!あたしたちで力になれることならなんでもするよ!うん!」

 

 由比ヶ浜さんの言う『なんでも』の所にはかなり抵抗感があるのだけれど、葉山くんが何かの手助けを必要としているのなら、助けてあげたいとも正直思っている。

 力のない視線で私を見つめる葉山くんは、少し表情を和らげて声をだした。

 

「ありがとう……そう言ってもらえるだけでかなり救われるよ。でも、おれ自身が解決しなくちゃならない問題もあるし、それが出来ないとちょっと、前に進めなさそうなんだ。だから……」

 

「もし、そこに問題があるのだとしたら、その解決を手助け出来ると思うのだけど」

 

 私のその言葉に、葉山くんは目を見開いていた。そして……

 

「ほ、本当に、助けてもらっていいのかい?この俺を……」

 

「なぜ貴方が、そこまで彼のように卑屈になっているのかは分からないのだけれど、こちらは手伝うと言っているのだから、もっと素直になるべきではないかしら?」

 

 私の言葉に、葉山くんがごくりと唾を飲み込んだのがわかった。

 

「じゃ、じゃあ、言うよ。俺は実はある女の子のことをずっと.......」

 

「ごめんなさい、それはやっぱり無理」

 

「ゆきのん、酷いっ!?」

 

「ま、まだ、何も言ってはいないんだけどな」

 

「いえ、その文脈からすれば、貴方は小学校の時からずっと私を好きで、でも、私を虐めから救えなかったことを後悔し続けていたせいで、普通に私と接することもできなかったばかりか、今まで恋愛も何も出来なかったから、私のこの提案に乗っかる形で、勢いで私に告白してしまおうと……そういうことではないかしら?おあいにく様ね、私にはもう彼という存在もいて、貴方が何を言おうともそれに靡くことは絶対にあり得ないわ。それとも、貴方は人の彼女じゃないと興奮しない特殊な性癖でもお持ちなのかしら?」

 

「な、なんか、君の目には俺が変質者に映っているみたいだな.......まあ、その、最後のくだりは共感できなくもないが」

 

「は、隼人くん、やっぱり変態だ!?」

 

「ち、違うよ.......その、なんだ、まあ、君が……君たちが本気で比企谷を好きだってことがよくわかったよ。これだけでも、なんだか、すっきりできた」

 

「そう?なら良かったのだけど。貴方はかなり彼のことを意識しているようだけれど、それは無意味なことよ。貴方は彼とは違う。彼のように否定され続けてきてもいないし、不器用でもない。貴方は望めばなんでも手にいれることができるのに、単にそうしなかっただけ……だから、彼と自分を比べて卑屈になるのはもうお止めなさい。どんなに努力しても、彼の卑しさに敵うことなんて不可能なのだから」

 

「ヒッキーって、そこまでなんだ!?」

 

「そうだな.......俺はアイツに負けるのが嫌だっただけだ。アイツは何も持っていないと思っていたのに、全てを手にいれている。本人にその自覚はないのかもだけどね。でも、だからこそ羨ましい。俺には……そんなあいつが……」

 

「無いものねだりをしても始まらないのではなくて?あなたももっと周りを見れば、貴方を必要としている存在がきっとたくさんあると思うのだけど」

 

「ああ、俺もそう思う。ありがとう、雪ノ下さん、それにゆい……がはまさんも」

 

 葉山くんはそう言って、少しホッとしたような視線を私たちに向けた。彼の中でも何かが吹っ切れたのかもしれない……私にはそんな風に見えた。

 そして、彼は頭を掻きながら言った。

 

「でも、身に覚えがないんだが、女子たちの間で俺のこと、『なんかゾンビみたいで気持ちわるい』って噂が流れてるみたいでね……暫く、俺に声をかけてくれる女子もいないかもしれないな、ははは」

 

「うっ……」

 

 そ、それについては私にも責任がありそうね。だからと言って何もできないし、する気もないのだけれど……

 でも、こんな軽口を叩けるくらいには回復したようね。彼の道行きの手助け。今回の奉仕部としての手伝いはこれでもう大丈夫そうね。

 

「話を聞いてくれてありがとう。なんだか随分とすっきりしたよ。さあて、俺も一つ”恋”でもしてみようかな」

 

 そう言って、勢いよく伸びをしながら立ち上がろうとした葉山くんの腕が、私のスカートに引っ掛かって.......スカートの前が一気に捲れ上がった。

 

「わわ……ゆきのん!前!前!」

 

「雪乃ちゃん.......そ、そんな過激な.......ヒモ……」

 

「め、メダパニ!」

 

 私の呪文の詠唱と共に、そこに茶髪イケメンのゾンビが再び誕生した。

 

 

 

 

 

 も、もう.......

 

 か、彼に、最初に見せたかったのに.......

 

 

 

 危うくマヒャドを唱えてしまうところだったのは、ここだけの話。



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【八幡達のDQⅢから始まる異世界探訪。】③ダンまちの世界
(1)緊急神会


 薄暗いその広間には、大きな円卓がおかれており、それを囲むように複数の人影があった。

 普段であれば、退屈をもて余している彼らは軽口を言い合い、他を貶めて喜ぶことを是とする、ひたすらに享楽を求めるだけの存在であるはずなのだが、今回に関しては沈鬱な表情を浮かべて押し黙ったままでいる。

 なぜなら、ここに最も必要な(じんぶつ)がまだ到着していないから。

 

『緊急神会(デナトゥス)

 

 会は重々しい空気を纏ったまま、時を止めてしまっていた。

 そこへ……

 

「あ、あのぅ、お、遅れて……すいませ……」

 

 大きな入り口の戸が開き、そこからひょっこりと小さな頭が生える。

 その(じんぶつ)が声を出したその瞬間、円卓に鎮座していた超越者(デウスデア)達が一斉に立ち上がり、その頭を垂れ、そして一斉に声を発した。

 

「「「「「お待ちしておりました。創世神ルビス様。」」」」」

 

「ひっ……」

 

 ルビスと呼ばれたその小さなローブ姿の少女は大音声で放たれるその面々の声に驚愕し立ちすくんでしまう。

 彼女は思う。『めっちゃ怖い……と』だがしかし、ここで帰る訳にもいかない。

 なぜなら、彼女はこの世界でもっとも重要な『箱』を傷つけてしまった一人でもあるからだ。例えそれが自分の意思と関係なかろうとも、この世界を作った者の一人として、このような事態を引き起こしてしまったことには責任を持たなくてはならない。

 彼女は自分達がしてしまったことの意味を深く理解していた。この場にいる誰よりも。

 

”ああ、こんなことになるのなら” 

 

 彼女は思う。

 

”神龍様達と一緒に来なければ良かった”

 

 自分達のしでかしてしまったことの大きさに目眩を覚えつつも、それでもこの世界の安定を一番に考えなくてはならないと、円卓の空いていた大きな椅子によじ登ってちょこんと座った彼女は、その幼い容姿のまま、怯えた声音でその場にいる全員に向かって言葉を送った。

 

「あ、あの、『聖域(ダンジョン)』に大きな穴を開けてしまって、本当にごめんなさい。」

 

 ぺこりと頭を下げつつも、穴を開けた張本人である神龍と、神龍よりもさらに強くなってしまった人間の青年に文句を言いたくなってきていた。

 

「べ、別に、もう済んでしまったことやし、気にせえへんでええんとちゃう?どうせダンジョンは勝手に直ってまうし」

 

「そ、そうね……ルビス様達も悪気があったわけではないことだし、この話は終わりと言うことでどうかしら?」

 

「「「「さ、さんせーい」」」」

 

 赤毛の神ロキの言葉を受けて、妖艶な色香をその身に纏った神フレイヤが、冷や汗混じりにそう言ったのを皮切りに、まわりにいる男神達が一斉に頷いている。

 

 その様子を見たルビスは、ホッと大きく一息ついてから、少し表情を緩ませてみんなに向き直った。

 

「ありがとうございます、皆さん。いきなりやって来ちゃったし、迷惑かけちゃってたから、少し安心出来ました」

 

 そのルビスの言葉に、最初に反応したのはやっぱりロキ。

 

「いややなあ、そんな他人行儀に。うちらとルビス様の仲やないですかぁ。困ったことありましたら、なんでも言うたってください」

 

「そ、そう?ロキさんありがとうね。じゃあね、取り合えず聞きたいんだけど、どうしてみんな下界にいるの?」

 

 その瞬間、その場が凍りつく。

 ルビスにおもねるように、手を揉んでいた神ロキも笑顔をヒクつかせて固まってしまい、神フレイヤに関しては、組んだ足に視線を落とし、穏やかな表情のまま時を停めていた。他の神達も視線を逸らしたり、手帳を開いてみたり、顎に手をあてたりと、皆が皆、一様にソワソワとし始めた。

 それを見つつ、ルビスは首を傾げて問いかける。

 

「あ、れ?み、みんなどうしちゃったの?」

 

 その言葉にすぐに反応できる者は、やっぱりこの場にいなかった。

 そんな神達の様子を眺めつつ、ルビスは言葉を続ける。

 

「『現世不可侵』は絶対だもんね。こんなにたくさん降臨してるなんてよっぽどだったんだね」

 

 まさか、人間ライフ楽しんでます!とも言えず、だからと言って言い訳しようにも、八百万(やおよろず)の神々が結託して、下界降臨をある種、ツアー感覚で執り行ってしまっているため、どんな言い訳も今は出来ないでいた。

 そんな中、一人の大神が言葉を発した。

 

「発言を御許しください、ルビス様」

 

 ルビスの対面の大きな椅子に腰を掛けるその姿は、まるで山を彷彿とさせるどっしりとしたもの。そして、その姿を、この場に居合わせる神々であっても、容易に見ることのなかった神が突然沈黙を破った。ギルドを裏から管理し、このダンジョンの脅威を1000年に渡り封じ続けてきた苦労多き神、ウラヌス。

 彼はルビスが小さく頷くのを見てから話し始めた。

 

「ことの始まりは1000年前の『聖域』の暴走からでした……」

 

 ウラヌスはここ最近起こったこと……と言っても、要は1000年前からのことではあるが、この地に起こった異変を語る。

 増幅する悪意、恐慌する人類、混乱する天界……。

 そして、それを納めるべく、神々はあることを決意する。

 

 現世不可侵の原則を守りつつ、自分達に成り代わり世界を救う救世主を誕生させる。

 

 この題目を掲げ、多くの神々が力を封印して下界へ赴くことになる。そして1000年。

 ウラヌスは言葉を続ける。

 

「英雄の器は、現れては消え、現れては消えを繰り返し、ですが、確かに新たな力は育っています。我々が子供達に与えることが出来るのは僅かな恩恵(ファルナ)のみ。子らは、その僅かな神秘を自ら鍛え伸ばし、成長し続けています。そして、いつか彼の者を討ち滅ぼせると我々は信じています」

 

 その長いウラヌスの話しに、ルビスも再びため息をつきつつ、返した。

 

「つまり、アレが生まれようとしている訳ですね。ウラヌスさん、どうしてこうなっちゃったの?この地は人々の篤い信仰と多くの神々の恩恵で、安寧だったでしょう?少なくとも、聖域が侵されるようなとこじゃなかったのに」

 

「子らは弱いのです。欲にまみれ、奪い合い、殺し合い、果てのない戦乱を続け、いつしか信仰は廃れ、本来の姿を失いました。そして、我々の力も弱まり、ついには聖域が暴走するまでに至りました。直接介入は我々の本意とするところではありませんでしたが、致し方なかったのです」

 

 沈鬱な表情でそう語る神ウラヌスに、一人、また一人と頷き始め、終いには全神がこのビッグウェーブに乗り遅れてはなるまいと、コクリコクリ、頷き合いの大合唱に。『そういや、そうだった。うんうん』なんて、声も聞こえる。

 そして、しばらくして、精霊神ルビスが涙ながらにつぶやく。

 

「み、みんなも大変だったんだねぇ。人間の堕落は神の責任だもんねぇ……。わ、私もついこの前までその苦しみを味わってたから、よく、よく分かるよ……ぐすん」

 

 神々は話すルビスを見て、ホッと肩を撫で下ろしている。ルビスは言葉を続けた。

 

「でも、良かったぁ。皆さんが神の仕事をほったらかして好き勝手に遊んでるなんてなってたら、皆さんを『消去(リセット)』しちゃうとこでしたよ~。私もハラハラでしたよ。みなさんが真面目に神様やってて本当に良かった!えへへ」

 

「「「「「ふあっ!!」」」」」

 

 にこりと微笑んだ、その幼女神に見つめられた途端に、その場の殆どの神が絶句した上、だらだらと脂汗をかき始める。

 ただ一人、ウラヌスだけは真摯な眼差しをルビスに送っていた。

 

「つきましてはルビス様。ルビス様のお連れになられた異世界の方々にも是非とも御協力いただきたいのですが、宜しいでしょうか。私には彼の者達から非常に強い力を感じるのですが」

 

 ルビスはその言葉に少し戸惑いながら答えた。

 

「八幡君達は今回巻き込まれちゃっただけだから、あんまり危ない眼に遇わせたくないなあ。聞いてみて大丈夫そうならお願いしてみるよ。あ、オルテガさんは多分頼めばいくらでも戦ってくれると思うよ!神龍様と戦いすぎて飽きたって言ってたから」

 

 それを聞いた神達がぽかーんと口を開けて呆けている。無理もない。神龍と言えば創世の時代に宇宙を作った超越者。その尾の一凪ぎで星を破壊しうると言われる絶対の存在。あまりの力に居場所を失い、竜の世界……つまり、創世の精霊神ルビスの創造した世界に身を寄せたという伝承も神々の中では残っている。

 その神龍と戦える力を有する人間とは……

 

 レベルにすればいったいどの位置であるというのか。

 

 唖然とする一同を見回しながら、こほんと咳払いをしたウラヌスが改めて謝辞を述べる。

 

「ありがとうございます。つきましては、彼らが望むのであれば、ギルドとしても最大限尽力致しましょう」

 

「あ、本当に色々ありがとうね。じゃあさ、一先ず教えて欲しいんだけど、子供達のレベルってどうなってるの?それから、恩恵(ファルナ)は、どうやって授けてるの?」

 

 その後ルビスは、その場に居合わせた神々により、様々な指南をうけることになる。そしてその流れで八幡達のレベルが公開され、その場の全員が再び凍りつくことになるのだが……。

 

 こうして、かつて聖域とも呼ばれていた『迷宮(ダンジョン)』に現れた多くの異変について、神達の間では一応の決着がついた。

 

 だがこの時、この一連のイレギュラーによって、かつてない程の脅威が生まれ出でようとしていることを、この場に居る神でさえ、まだ誰も気がついてはいなかった。



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(2)ただ今ホームレス中につき

 『事実は小説より奇なり』などとはよく言ったもので、まさかこんなことになるとは!?等と、テンプレの反応をしてみたところで、現実はなーんにも変わりはしなかったわけで……。

 しかも俺達からすれば、この経験もすでに2度目。さすがに2度目ともなればその驚きも半減以下……というより、もはや、『はあ、またか』と呆れ半分のため息しかでないわけで……。

 まあ、何が言いたいのかというと……。

 

「ヒッキー、このジャガ丸くん超おいしーねー」

 

「本当ね、ハーブかしら?ただのコロッケじゃないわね」

 

「おお。これは確かに旨い!原作でも、旨そうだなって思ってたんだよ」

 

 と、いうことで、このジャガ丸くんは本当にに旨かった!

 

「ちょ、ちょっとお兄ちゃん達、なんでごく普通に屋台でコロッケ買って買い食いしちゃってんの?小町達、全然ついていけないんだけど」

 

「あ、いや、これはコロッケの様に見えるが、ジャガ丸くんという正当なこの世界の食べ物だ。おまえも食べたいのか?ほら」

 

「あ、ありがとう……って、ちっがーーう!そうじゃなくて、なんなの一体!さっきまで奉仕部にいたと思ってたら、地震があって、そのあとはジャングルみたいなとこにいたし、そんでもってでっかい大魔神みたいなのがいっぱい出てきて、お兄ちゃん達魔法使っちゃってるし、やっつけたと思ったら、ドラゴンボ○ルのシェン○ンみたいなのと悟○みたいな人出てきちゃうし、っていうか、そのあと全員まとめて『リレミト』とかって魔法使ってここまで来ちゃうし~~~~はあ、はあ、」

 

「お、おお……説明ごくろう…。てか、よく大魔神知ってたな、あれは名作だよな」

 

 はあはあ、と、小町が肩で息をしているその後ろで、壁に寄りかかった平塚先生が言った。

 

「小町くん、あれは魔法ではないよ。『じゅもん』だ!」

 

「どうでもいいですよ!そんなことはぁ!」

 

「まあ、落ち着け小町。世の中、不思議なことがいくらでもあるってことだ。もうあきらめて、ジャガ丸くんでも食べろ、ほれ」

 

「はむっ……もくもくもく……うん、美味しいね、これコロッケっていうより、ハッシュドポテトが近いかな、お兄ちゃん……って、だからちがーーーーーう!もう、なに?なんでそんなに順応しちゃってんの?どう考えてもおかしいでしょ!!その辺歩いてる人達、耳とか尻尾ついてるし、刀とか持ってるし、お店の看板とか何て書いてあるか全然読めないし、ここ、絶対日本じゃないし!なんか、言っちゃってくださいよ、いろは先輩も!!」

 

 と言って、小町が後ろにいる一色を振り返ると、そこには宝石店のショーウインドウに顔を押し付けてうっとりとしている一色が。

 

「い、いろは先輩!?なにしちゃってんですか?」

 

「え、だって、ここファンタジーの世界なんでしょ?そしたら、なんかマジックアイテムっぽいのもあるかなって」

 

「お、一色……お前こういうの好きなのか……意外だな」

 

「し、失礼ですね、比企谷先輩はー。私だってファンタジーは憧れてますよー。人並みにはですけど。ディスティニー関係なんて大好きですよ。えーと、例えば……」

 

「お、おい、やめろ!ディスティニーネタは鬼門だ。過去に何人の作家さん達が賠償問題に巻き込まれたことか……おまけに今じゃ、宇宙で戦争してるお話も引っ掛かってきちゃう時代だし……まったく、寒い時代になったと思わんか?」

 

「って、なんでそこでワッケイン司令やるんですかー。そんな70年代生まれしか分からないようなネタで後輩に話しかけようとしてること事態がキモくてあり得ないので真剣に反省してください、ごめんなさい」

 

「お前、十分対応できてるからね、別に振っても構わんけど」

 

「わわわ……ま、まってくださいよー、先輩ちょっと話を」

 

「もーーー!ヒッキーてば、いろはちゃんと仲良くしすぎ!」

 

「八幡!いい加減にしないと、本気で怒るわよ。私だっていつまでも穏やかではいられないわ」

 

「い、いや、ちょ、ちょっと待て、お前ら。なに?俺が悪いの?ちょっと話してただけなんだが」

 

「彼女である私たちを差し置いて、一色さんにデレデレしているのはどうかと思うのだけど!」

 

「そ、そうだよ。いろはちゃんとイチャイチャしたいなら、その前に、あたし達といっぱいシてからにしてよ」

 

「え?」「ん?」「へ?」「は?」

 

「ちょっ……ゆ、結衣先輩、何イッチャッテんですか!?」

 

「へ?なに?」

 

 回りにいる連中が一斉に真っ赤になって由比ガ浜を見つめるが、当の由比ヶ浜は頭にクエスチョンマークをつけて不思議そうにしてる。

 

「えーと、由比ヶ浜さん、教えてあげるから、耳を貸しなさい……ごにょごにょ」

 

 雪の下に耳打ちされて由比ヶ浜も赤面。まったく、こいつはいつになっても……まあ、そんなとこも含めて好きではあるんだが……

 

 長くなってしまったが、俺たちは今、とある大通りの路傍に佇んでいる。隣には某ロリ巨乳の神様のバイト先である『ジャガ丸くん』の屋台が。

 

 かのダンジョンの中層……確か18階層で、大量の変異種のゴライアスを倒した俺たちは、さっきの小町の言葉の通り、リレミトを使って一気に脱出した。本当は俺達だけで脱出するつもりだったのだが、どういうわけか出力が上がりすぎてしまっていたようで、その階層にいた全員を巻き込んでの脱出となった。その数およそ200人。

 突然に大量の冒険者が出現した、ダンジョン入り口は阿鼻叫喚の地獄絵図となった。

 そりゃまあそうだ。ただでなくともこんな魔法を見たことない上に、死闘を潜り抜けた死にかけの戦士が200人、突然に現れたわけだから、そりゃあ腰を抜かすわな。

 

 当の転移に巻き込まれた冒険者達自身も訳がわかっていなかったから尚悪かった。その場の全員が慌てふためき、その混乱が収まるのに暫く時間が係ってしまったことは仕方がないことだと思う。

 まあね、この直前に、町の外周から神龍がダンジョンに向かって突入していったわけだから、地上の連中はさぞや恐ろしかったことだろう。

 

 そんなこんなで、俺達は地上に出た訳だが、事態を重く見たギルドの職員に神様達が強制連行され、ルビス様不在の今、俺達は右も左も分からないこの場所で途方にくれていると云うわけだ。

 だが、ここに居るのは、俺、由比ヶ浜、雪ノ下、小町、一色、平塚先生の6人のみ。オルテガとーちゃんはというと、『腹がへったーー』とか言って、さっきこのラノベの主人公のベル君達にたかって、どっかに食事に行っている。

 で、俺達もこの世界の金は一銭も持っていないため、さっきやっぱりベル君にちょっとだけ借りた。

 なんか、ベル君の俺達を見る目が、すごくキラキラしてて非常に居たたまれない。

 なんかこれってなし崩し的に、色々断れない状況に進んじゃってるような気もするんだが……。

 

 とまあ、借りた金でジャガ丸くんを買って食べつつ、ルビス様達が帰って来るのを待っているというわけだ。

 

「おーい、はちまーん。帰ったぞー」

 

 見ると、腹に手を当てて、陽気になってるとーちゃんと、何故か真っ青な顔になってる、ベル君達3人。

 

「ま、まさかな……50人前もたいらげちまうとは……」

 

「本当に信じられません!お一人で10万ヴァリスも食べてしまうなんて……。ベル様ぁー、ちゃんとオルテガ様達に請求してくださいね!これじゃあ、あっという間に破産ですよ」

 

「う、うん、リリ、分かったよ」

 

 着流しを来たヴェルフは呆れ顔、大きなバックパックを背負った小柄なリリはちょっと怒ってるな。ベル君はと言うと……まあ、仕方ないと思うが、顔面蒼白だ。

 オルテガとーちゃんに、『是非、ご馳走させてください!』とか、急に言い出したわけだしな。

 それは、ちょっと不味いんじゃねーか、って言おうとしたときにはとーちゃんもうノリノリで間に合わなかったからな。ベル君、ファイト!

 

「いやぁー、うめかったぁ。ここの飯はオラ達の世界よりずっとうめーなー」

 

「そ、そうか……良かったな、とーちゃん」

 

 俺のそばに来て、満足そうに笑うとーちゃんに答えたその時、壁沿いに立っていた平塚先生が突然俺の前に飛び出して、そしていきなりその場で土下座!

 OH!本家本元だあ、とか、ベル君達がなんか騒いでるが。

 

「ご、悟○さん、いや、オルテガさん!わ、わたしに、わたしに界○拳を、界○拳を教えてください。なんでもします。亀の甲羅も背負います。なんならノーパンでパンチラしても構いません。お願いです。この通りです」

 

 は?あの先生?だから別人ですよ!この人。それに、その最後の辺り、人としてどうなんですか!

 とーちゃんもなんか不思議そうな顔して頭掻いてるし。

 

「なんかよくわかんねーけど、強くなりてーってんなら、一緒に修行すっか?」

 

 その言葉に、先生はガバリと顔を上げる。

 うわあ!ちょっと嬉しそうに目を潤ましちゃってるんですけど、そんなに強くなりたいの?どこ向かってるの?旦那さん候補からだけはどんどん遠ざかってる気がしますよ。

 そんな嬉しそうな先生を見つつ、とーちゃんはいつものずた袋に手を突っ込んで何かごそごそと探していた。そして……。

 

「なあ、おめえ、静だっけか?そしたら、そんな格好じゃあアブねえからこれに着替えろよ、ほれ」

 

 と言って、手にもっているのは……。

 

「って、とーちゃん、それ『まほうのビキニ』じゃねえか!」

 

 チラリと由比ヶ浜達を見ると、顔を真っ赤にしてぶんぶん首を振ってるし。

 大丈夫だよ。もうお前らに着せたりはしねえから。

 すると、とーちゃんが言った。

 

「違うってー。これは、メダルおじさんとかって奴からもらった『神秘のビキニ』だぞ。なんでも、魔法とかに耐性つくみてえだな。あ、メダルおじさん、八幡達によろしくって言ってたぞ」

 

 メダルおじさん、くれたのかー。というか、いくらなんでも先生も着たりしないだろう……って!

 気がついたら、俺達の目の前に、バッチリ神秘の水着を着たダイナマイツボディーの平塚先生(アラサー)が!いつの間に着替えたんだよ。は、早すぎだろう!

 

「ごくぅ……オルテガさん!これで一緒に行けますか!」

 

 先生超やる気満々だな。

 そうしたら、とーちゃんがまたもやずた袋から何か取り出した。

 

「うしっ!なら、オメーにこれやるよ。剣より使いやすいだろう」

 

 そう言って、先生に投げて寄越したのは……

 

 『黄金の爪』

 

「こ、こんなの貰っちゃって本当にいいんですか?」

 

「ああ、ピラミッドっつうとこ行ったら、置いてあったんだ。結構使いやすいと思うけどな」

 

「あ、ありがとうございます、師匠!」

 

 なんか先生の中ではいつのまにか師匠になってた模様。

 というか、町中でビキニで泣きながら黄金の爪抱き抱えてるって、一体どこのS○D?

 これで終わりかと思ってたらとーちゃんが更にもうひとつ……

 

「ひゅー!なになに?このお姉さん超魅力的!」

 

「ねえねえ、僕らもう堪んないんだけど、一緒に遊んじゃおうよう!」

 

「俺ら、いくらでも相手出来るぜ。たっぷり楽しもうよぉ」

 

 もともと美人の平塚先生が、さらに過激な格好をしてるせいで、ウザい自意識過剰系冒険者が集まってきてしまった。まったく、冒険者の連中はどいつもこいつも。

 以前に、雪ノ下と由比ヶ浜が絡まれた経験もあったから、とりあえず追っ払ってやろうと立ち上がったのだが。

 

『ふしゅるるるる……』

 

 下を向いている平塚先生が唐突に言葉にならない音を口から漏らした。そして次の瞬間……

 

「「「ぎゃああああああ!ば、ばけものだあああ!!」」」

 

 先生を囲んでいた冒険者達が一斉に叫んで、腰を抜かししてヘタリ込んでいる。

 そして、その中央で、先生がゆらりとゆっくりと立ち上がった。

 殆どの肌が露になったその身体は抜群のプロポーションも相まって、艶かしくも美しい。だが、その右手には金色に輝く鋭く長い爪が伸びており、その顔には奇っ怪な鬼の面が……!

 

 『般若の面』

 

 ジパングに伝わる呪われた武具。その装備者は凄まじいまでの強靭な肉体へと身体を変化させ、あらゆる物理攻撃を軽減させてしまう。だが、この面は身体だけでなく、心も蝕みその精神を錯乱させる。そして、目につくもの全てを殺傷する存在となってしまう。

 

 な、なんてもんを先生に被せんだよ。

 

 先生はヘタリ込んでいる冒険者達を見定めながら、その黄金の爪を振り上げた。

 

「ぎゃあああああああ!」

 

 絶叫した冒険者の一人は、その股間が盛大に濡れてしまっていた。って、き、キタネエ。

 

「おいおい、おめえの相手はオラだって」

 

 黄金の爪を冒険者に突き立てようとした先生の手をとーちゃんが掴むと同時に、先生はその長い足でとーちゃんの頭めがけてカミソリのような鋭いけりを入れようとする。

 それをかわしたとーちゃんは先生の腹へ拳を突き入れようとするも、尋常ではない素早さで先生はそれを回避、すかさず黄金の爪でとーちゃんを切り刻もうとラッシュを開始……

 

「んじゃ、オラ達、ちょっくらダンジョンで修行してくっから、八幡、またなー」

 

 そう言いながら、先生のラッシュをかわしつつ、とーちゃん達はダンジョンの方向へ。そして、思い出したようにとーちゃんが何かを叫びつつ、またずた袋から黒く長いモノをとりだして、俺に向かって投げた。

 

 ズァンッ!!

 

 とーちゃんが投げたそれが凄まじい勢いで飛んできて、俺の足元に突き刺さる。

 鈍い金属の輝きを放つ、その幅広の剣には非常に思い入れがあった。

 

 『雷神の剣』

 

 あの世界で、俺が最後まで使い続けた神代の武器。どんなに切っても殴っても歯こぼれ一つなく、念じて使えばベギラゴンを放つ最強の剣の一つ。

 やれやれ、またコイツを使うことになっちまったか……って、この身体じゃ、使うの初めてか。

 

 柄を握り、思いっきり引き抜いたのだが、お、重い……さすがに身体は一般人だから、仕方ないが、こんなに重たいの使ってたんだな。団扇あおぐみたいに振り回せてたのにな。

 なんて感慨に耽っていたら、呆然と佇む一団の中から、例の鍜冶師が走り寄ってきた。

 

「あ、あんた、ちょっとその剣見せてくれ。な、なんだよ、これは、なんなんだよぉ」

 

 近寄ってきたのは当然ヴェルフ。驚愕の表情で俺が手に持った雷神の剣を見続けている。

 

「これは、魔剣だな。でもただの魔剣じゃねえ。俺の作る魔剣のように、耐久値が低いわけでもないし、魔力のストックがあるわけでもねえ。この剣は、魔力を吸っているのか……それも、呼吸をするように……生きてるってのか……ちくしょう!なんてこった。こんな化け物、いや、神秘の剣が存在するなんて。なあ、あんた、この剣貸してくれ。なあ、頼む」

 

「べ、べつにいいけど」

 

 重くて持てねえし。

 

「ほ、ほんとか?わ、わりい、恩に切る」

 

 俺はヴェルフに雷神の剣を渡した。ヴェルフのやつはそれを恭しく抱えて、腰袋から出した白い晒しを丁寧に巻き始めた。

 

「えーとさ、ヒッキー?なんか色々あったけど、あたし達まだなんにも決まってないね」

 

 その由比ヶ浜の言葉で、その場にいる全員を見る。なんとなくだが、全員疲れきっていた。

 

「あー、今日の寝床、どうしようか?」

 

 そう言って初めて気がついたが、とりあえず俺達今、ホームレスだった。

 

 



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(3)そうだイチャイチャしよう

 あちらこちらの街路灯に、優しい淡い魔石の明かりが灯り、町は穏やかな夜の顔を覗かせていた。

 

 で、俺達は……

 

「ねえ、ヒッキー……、素敵な夜景だね」

 

 手すりに寄りかかった俺に、由比ヶ浜がその体を預けている。この高層階のテラスには俺と由比ヶ浜の二人だけ。

 眼下には先程から見える淡い魔石の赤い光があちこちに点在していて、幻想的な風景を演出していた。

 ふいに、由比ヶ浜が俺の腰に手を回しつつ、少し背伸びをして俺に顔を近づけて来ている。それに気がついて、チラリと横目に見ると、頬を朱に染めた由比ヶ浜が潤んだ瞳で俺に何かを訴えかけるように唇を震わせている。

 

 ごくり。

 

 俺は冷えた由比ヶ浜の手を取りつつ、もう片方の手を由比ヶ浜の腰にまわした。

 

「や、やん……」

 

 触れた俺の手に、ビクっと身体を震わせた由比ヶ浜が、震えながら俺にその体を押し付けてきた。その彼女の柔らかな膨らみの感触に心音が速くなってくる。

 どれだけスキンシップを繰り返していようとも、毎回こうやって抱き合うところはどうしても慣れない。まあ、慣れちゃダメなんだろうが……。

 俺の胸の中で恍惚とした表情に変わり始める彼女は、静かに瞳を閉じ、そっと唇を俺に寄せてきていた。俺は……

 彼女をキツく抱き締めながら……唇を重ね……

 

「こほんっ!んんっ!んんんっ!」

 

「な、なんだよ」

 

 俺と由比ヶ浜の唇が触れるその瞬間に、俺達の真横、それも数センチの距離のところに、雪ノ下がその顔を近づけて、いつもの咳払い。

 

「い、いえ、別になんでもないのだけれど……、でも、ちょっとその……わ、私も……その……」

 

 真っ赤になって強気に顔を寄せてきたわりには、雪ノ下は歯切れが悪い。俺は気勢を削がれて、由比ヶ浜から手を放そうとしたが……。

 急に由比ヶ浜が微笑んだまま、俺の唇に激しく吸い付く。そして、今度は雪ノ下と俺の二人に抱きついて、抱え込むように俺と雪ノ下の顔も近づけさせられて……。

 そのまま俺と雪ノ下が唇を重ねる……。

 こいつもこいつで毎回同じなんだが、雪ノ下はキスをすると、一瞬で蕩けた顔になっちまって全身の力が抜ける。だから、今回も俺と由比ヶ浜の二人で、抱いて支えた。

 それにしても……。

 なんで由比ヶ浜のヤツは毎回こんなに幸せそうな顔になるんだ?

 雪ノ下にキスしちまってる俺の言う台詞じゃないが、嫌じゃねえのかな。

 今回もちょっぴり芽生えた罪悪感もあって、俺は微笑む由比ヶ浜の頭を軽く撫でながら、そのままそっと唇を吸った。

 

「えへへ……。ヒッキーやさしい。ヒッキー大好き」

 

「お、俺も、ススス、好きだ、その、結衣も、雪乃……も」

 

「八幡……わ、私も……好きよ」

 

「お、おう……」

 

 三人で抱き合った俺達は、そのままいつまでもいつまでもイチャイチャしていたのだった。

 

 

 

 おしまい

 

 

 

「って、なにやってんの、お兄ちゃん達!まったくもう!」

 

「おお?小町、ちょっと恋人としての義務を果たしてただけなんだが」

 

「だから、仲が良いのは分かってるんだけどね、何も、皆が見てるとこで、そんな昼ドラの最終回みたいな幸せな展開見せなくてもいいでしょうが!」

 

「いや、倫理にうるさい民放で、3人仲良しハーレムエンドなんて絶対やらねえから、それはない」

 

「もうっ!結衣さん、料理苦手だから待っててもらっただけなのにイチャイチャしてるし、雪乃さんもお兄ちゃん達呼びに行ってもらっただけなのに、自分も参加しちゃってるし~~~。反省しなさい」

 

「えへへ。ごめんね小町ちゃん」

 

「私もごめんなさいね。小町さん」

 

「ううっ!うーー……な、なんか二人とも素直でとっても可愛くて、悔しいです……。も、もう、いいから早く来てください」

 

 ぷいっと顔を背けた小町がスタスタとリビングに向かった。

 俺達3人は顔を見合わせて、苦笑してから部屋に入った。

 

「むう」

 

「な、なんだよ」

 

 何故か俺の目の前には、エプロンをして頬を膨らませている一色が立っている。こいつ、なんでこんなに怒ってんだ?

 

「本当に、結衣先輩と雪ノ下先輩と付き合ってたんですね。実際目の前で見せつけられて、本当にショックでした」

 

「わ、悪かったな……。俺もこんな風にしか付きあえないんだよ。まあ、その、なんだ……。失恋したばっかのお前に見せつけたみたいで、本当に悪かったよ」

 

 俺の言葉に、一色はびっくりしたように目を見開いて、そのあと、言葉を続けた。

 

「本当に、敏感なんだか鈍感なんだかわかんない人ですねー、比企谷先輩は。ま、まあいいです。いつか思い知らせてやりますよ、この唐変木」

 

「はあ?おまえ、なんだ急に」

 

「あんなの見せられて、黙ってなんていられませんよ。ほら、ご飯できましたから、さっさと食べてください!」

 

 そう言って、一色に背中を押されて食卓へ向かった。

 

 石の床の上に敷かれた、何か巨大な生き物の毛皮らしき敷物の上に、大きめの木製のローテーブルが置かれ、そこに色とりどりの料理が並べられている。

 天ぷら、唐揚げ、野菜炒めに、魚介の載ったサラダかな?それにご飯に、お吸い物まである。見た感じは普段の俺達の食べてるメニューに近い感じだ。

 その大きめの、所謂『ちゃぶ台』には、俺達の他にゲストが二人、身を寄せ会うようにというか、片方のツインテールの神様が無理やりに抱きついた格好で座っている。

 その抱きつかれた方の白髪赤目の少年も、抱きついている女神様も、二人とも真っ赤になって俺に視線を送ってきていた。

 な、なんで俺を見てるんだ?あの二人は。

 

「うわぁ、おいしそうだねぇ。こ、これ、みんないろはさん達が作ったの?」

 

 ちゃぶ台に身を乗り出すようにして、涎を垂らしつつ目を輝かせているのは、ルビス様。

 

「あ、はい。さっきルビス様からもらった材料で頑張ってみました。お米もあったし、お野菜とかも知ってるものに似てたので、小町ちゃんと雪ノ下先輩と手分けしまして。ねえ、小町ちゃん」

 

「はい!でも、後、お味噌とお醤油があれば、もっと色々できたんですけどねぇ」

 

「けれど、これだけ作れれば大したものだわ。小町さんも一色さんも、本当にお料理が上手ね」

 

「な、なんですかー、雪ノ下先輩。そ、そんな最高の笑顔で言われたら、は、恥ずかしいですよぉ」

 

「あら?本当のことを言っただけなのだけれど。一色さんは良いお嫁さんになるわ、うふふ」

 

「ふぁっ!?う、うう~~~……」

 

 うわぁ、雪ノ下に褒められて、一色のヤツ茹で蛸みたいになってやがる。なに、あいつ、雪ノ下のこと好きなの?ゆりなの?いろはす、ゆり味なの?

 そんなユルユリ空間の脇で、フォークとナイフを両手で握った幼子が目を血走らせてる。こりゃ、さっさと食べ始めんとな。隣に座る由比ヶ浜と、雪ノ下を見てから、俺は顔を正面に向ける。

 

「じゃあ、戴くとしますか」

 

 俺の言葉を皮切りに、みんなで一斉に食べ始めた。

 

「うわあん、お、おいしいよー。こんなに美味しいの生まれて初めて食べたよー。というか、1000年くらい封印されてたから、本当に久々だよー」

 

 なんかルビス様が泣きながら唐揚げ食べてるし。それを見て、雪ノ下も由比ヶ浜も一色も唖然としてる。おい、そんな可哀想なもの見るような目は止めろ。一応神様だから。小町はテキパキとみんなの皿にオカズよそったりしてるな。さすが出来る妹だ。

 ベルくんもなんか満足そうだな。って、おい、ヘスティア様、そのタッパーでなにする気だよ!

 

 とまあ、こんな感じで一色達の料理を堪能しつつ、ホームレスを一時的に脱した俺達は束の間の安息を得ているところだ。

 

 ここは、地下迷宮(ダンジョン)に蓋をするように、その上に真っ直ぐ聳える巨大な塔『バベル』、その上層階に位置するギルド管理の貴賓室であり、俺達はとりあえずここを寝床として提供された。

 貴賓室と言うだけあって、見るからに豪奢な感じの調度品がたくさん据えられていて、俺みたいな庶民からすればはっきり言って落ち着かない。

 確かここの最上階に、フレイヤっていうエロい神様がいるんだったけかな?で、ベル君狙ってるんだっけ。はあ、ハーレムフラグ建築士のラノベ主人公も大変だな。俺なら、とっくに逃げ出してるよ。で、家に引き込もって、一日中ゲームだな。あ、ここゲームないんだった。あちゃー。

 

 ベル君には、金も借りちゃったし、この世界の今後のこともあるんでとりあえず話だけはしておきたかったから、今日は来てもらったわけだ。おまけとして、巨乳の神様もついて来ちゃったわけだが、この神(ひと)本当に胸でかいな。由比ヶ浜といい勝負なんじゃねーか?って、い、痛ぇっ!

 案の定、邪なことを考えていたら、由比ヶ浜につねられた。

 

「ああ、お腹いっぱーい。御馳走様でした。あ、ヘスティアさんもベルくんも、ゆっくりしていってねー」

 

 膨らんだお腹をさすりながら、ルビス様が言った。って、結構食ったな、このひと。

 みんながいそいそと食器を片付け始めるのを見つつ、今後の方針をぼんやりと考えていると……。

 

「どうぞ……」

 

「ん?」

 

 すっと、俺の前に湯飲みが置かれ、それに雪ノ下がお茶のようなものを注いできた。

 

「あの……、紅茶のような茶葉があったから、淹れてみたのだけど……、あなたの口に合うかしら……。一応、香りは良かったのだけれど」

 

「お、おお……」

 

 めっちゃ熱そうではあったが、雪ノ下が直近で俺をまじまじと見下ろし続けてるから、なんとか頑張って一口啜る。

 

「ど、どうかしら?」

 

「あ、ああ、すごく……、旨い……」

 

「そう、良かったわ……」

 

 俺の言葉に安心したのか、雪ノ下はホッと胸を撫で下ろしている。く、くうっ……。こいつ最近どんどん素直になってきてて、なんか、なんか……。

 

「あ、え、えーと、えーと、あっ!そ、そうだ!ねえヒッキー、ゆきのん、あたし洗い物するね!みんなに作らせちゃったし、あたし、頑張るからね」

 

 そう言って、腕捲りをした由比ヶ浜が勢い良く立ち上がる。で、なぜか暫く俺をチラリと見下ろして立ち止まっている。こ、これはあれだな、『頑張っちゃうからちゃんと見ててね』光線ってやつだな。う~~~……。

 

「じゃあ、頼むな、結衣。えーと、さ、サンキューな」

 

「うんっ!!」

 

 由比ヶ浜は満面の笑顔で、パタタッとキッチンへ小走りで向かった。

 なんかちょっと前の俺には考えもつかない状況にいるな。これが恋人関係ってやつか……。

 リア充の連中がどうやって、カップルライフを送ってんだか知らねえけど、この何て言うんだ?共依存っていうのかな?俺はあんまり寄っ掛かってる気はしないんだが、最近の雪ノ下と由比ヶ浜の俺に対しての傾きが半端ない。

 まあ、まだなんだかんだ言って、二人に対して最後の一線を踏み越えていないし、俺の場合は心のどっかでブレーキを掛けちゃってるのかも知れないが、確かにいつでも二人を目で追ってしまってはいる。

 これ、今二人が俺にべったりで居てくれてるから、なんとなく平静を装おっていられるけど、この先別々に行動したりとかなったら、一体どうなるんだ?俺。

 

「良く見るんだ、ベル君。あれが俗に云う『天然ジゴロ』

ってやつさ。ああやって、女をコロリと弄んじまうのさ。君はあんな風になっちゃだめだぜ」

 

「えーと、聞こえてますよ。ヘスティア様」

 

「ひぃっ!ち、近づくな、このジゴロ!ぼ、ボクは、ボクはベル君だけのものなんだからね」

 

「え?」「へ?」

 

「うはああっ、わわわ……ち、ちがうんだベル君!じゃなくて、違わないけど……、じゃ、なくて、ボクはボクで、君がもので……うわああああっ」

 

 真っ赤になったヘスティア様が頭を抱えて立ち上がる。なんか、目がぐるんぐるんしてますよ。大丈夫かこの人。

 ヘスティア様はそのまま走ってどっかに行ってしまった。

 

「な、なに?あの神様どうしちゃったの?」

 

「なにかしらね?」

 

「さあな、神様にも色々あるんだろ。ズズ……」

 

 食器を取りに来た由比ヶ浜が不思議そうに呟いたのを聞いて、雪ノ下と俺が紅茶を啜りながら答える。

 

「あ、あのぅ、は、八幡さん!ちょ、ちょっとお話があるんですが!」

 

 俺の真横に、ベル君が真剣な顔で近付いてきた。

 

「あ?な、なに、金はまだ返せねえよ」

 

 仕事とかしてないし。

 

「あ、ち、違いますよ。ちょっと、その、相談したいことがありまして」

 

 ぐぬぅっ。ほら、これだよ。金借りた。とーちゃんほぼ食い逃げ。これ、もうどんなお願いも聞かないわけにはいかないじゃん。借金は身を滅ぼすって本当だな。

 

「ま、まあ、聞くだけなら、タダだしな。まあ、言ってみろよ」

 

「あ、はい、でも……」

 

 ベル君は周りをきょろきょろ見てる。由比ヶ浜や雪ノ下と視線が会うたびに、キョドって俯いてるし。

 あー、はいはい、女子に聞かれたくないってわけね。

 

「あー、じゃあ、テラスで聞こうか」

 

 そう言って、ベル君を連れて来たが、何故かまだうつむいたままだ。

 さーて、なにを聞かれることやら。

 いきなりゴライアスと死闘を繰り広げてるところに、俺達が現れて、自分達が必死の思いでやっと1体を倒した直後に、脇から出てきた俺達がなぜか100体以上を瞬殺しちゃったわけだしな。『その力の秘密を教えてください』とか言って来るのかな?

 それともか、異世界のことを聞きたいのかな?もう別に俺達が転移してきたってのはみんな知ってるしな。でも、総武高校のはなしとかしても、あんま意味ないな。そしたら、ドラクエの世界の話でもしてやろうか。

 もしくは、あれか。『雷神の剣』。さっきヴェルフに預けちゃったけど、ああいう強力な武器が欲しいのかもしれないな。ベル君、原作でもこの先結構苦労するしな。別にそれなら貸しっぱなしでもいいか。どうせ、今の俺には重すぎて扱えねえし。あ、そう言えば、あのゴライアス戦の後って、確かどっかの神様に因縁つけられて……。

 

「あ、あの……」

 

 思考の渦に嵌まっていた俺の前で、ベル君が意を決したように声を出した。

 

「あ、あの!八幡さん!ハーレムの作り方教えてください!」

 

「は?」

 

 この一見純朴そうなラノベ主人公の本性が、実はハーレム至上主義者だったことを、俺は唐突に思い出した。

 

 

 



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(4)想い人

「ハーレム?な、なんで俺に聞くんだよ」

 

 突然ベル君から、ハーレムの作り方を聞かれたが、んなもん、俺が知るわけねーじゃん。大体、ベル君って、アイズなんたらかんたらが好きなんじゃなかったっけか?

 ベル君は、モジモジしながら、チラリと室内を振り返って、そこにいる雪ノ下と由比ヶ浜の二人を見てから話す。

 

「だ、だって八幡さん。あんなに素敵な恋人さんが二人もいるじゃないですか!それに、あの料理が上手な子達も、八幡さんのこと好きみたいですし」

 

「はあ?あのな、雪ノ下と由比ヶ浜の二人とは付き合ってるが、小町は俺の妹だし、一色はただの後輩だ。勘違いすんな」

 

「そ、それでもお二人も恋人いるじゃないですか!どうやって仲良くなったんですか?どうしたらあんなに好きになってもらえるんですか?何故なんですか?教えてください!お願いします」

 

 う、うわあ、ぐいぐい来るな。何故なんですか?って、そんなのナゼさんにでも聞けよ。あ、オルフェンズの最終回観てねえし、くっ!

 それにしても、逆になんで『ハーレム』に憧れてんだ?普通にヘスティア様と同棲してる上に、酒場のお姉さん達とか、ギルドのエイナ?さんとか、あと、リリもそうだし、かなり手広くあっちもこっちも気を振り撒いてるしな。もう、ハーレム出来かけてね?

 まあ、ベル君は基本的に『難聴系』の王道突っ走ってる主人公だしな。仕方がないのかもしれないが……。嫌味がないぶん、ワンサマーよりマシな感じではあるな。

 

 だから、そうか。本気で『ハーレム』仕立ててやろうと思えば、すぐに出来ちゃうわけか。少なくともヘスティア様とリリと、シルって言ったか?あの酒場のお姉さんを入れた、この3人はベル君大好きっ子だからな。上手く誘導すれば、ハーレムは完成する。

 んで、件のアイズなんとかさんは、別にそこまでベル君が強くなくても、充分脈はあると見た。(原作を読んだ限りでは……)

 やりようによっては、本当にハーレム完成だな、うん。

 

「…………」

 

 でも、なんかムカつくな。何が悲しくて、もともとモテモテの主人公のハーレムをわざわざ作ってやんなきゃなんねえんだよ。

 そもそも、今の俺達のハーレム状態だって、たまたま雪ノ下と由比ヶ浜の二人が物好きだったってだけで、今までボッチ街道まっしぐらな俺からすれば、女子とろくな会話すらしたことなかった訳だしな。二人と一緒に居たいがために、俺なりに努力してるってだけのことだ。

 そんなの一々説明したくもねえし、する気もないが。

 

 うーん。

 

 とりあえず、今一番重要なことは、『さっさと現世に帰ること』だ。

 神龍はドラクエの世界に帰っちまったし、ルビス様は多分、召喚は出来るけど、返還は出来ないへっぽこだ。

 となると、この世界で帰還の手段を探さないといけないわけだが、原作を読んだ限りではこの世界に異世界転移の手段はまだ無かったはずだ。まあ、作品自体がまだ途中で完結してないから、このあと何かしらの方法が出てくるのかもしれないが、今、それは当てにならない。

 だから、帰還するための手段をもっていそうで、最も信用の高そうなものをって考えると……。

 

 ちらりと、リビングに視線を移すと、テーブルで並んで。紅茶を飲みながら楽しそうに会話しているうちの4人の女子と、仰向けになって腹を摩りながらひっくり返っている幼女神!

 ぐっ!あ、あの世界じゃ、透き通るような白い肌を、雨露みたいに煌めく薄い布で全身を覆った絶世の美女で、めっちゃドキドキしちゃってたのに……。今じゃ、ちびま○子ちゃんじゃないか。若しくは、ポ○ョ。

 はあ、幻想を打ち砕かれて、感慨もなにもあったもんじゃないが、背に腹は変えられない。なんと言っても神様だ。下手な魔法使いより、よっぽど神秘に近い。この精霊神(ひと)に助けを求めるしかないか。

 

 長々と思案してしまったが、漸く俺の方針が定まった。

 

 じーっと俺を見て、待っているベル君を見やり、声をかけた。

 

「えーとな。こういうのは、男の俺より、あいつらの話の方が身になると思うんだ」

 

 そう言って、ベル君の背中を押して、リビングでくつろぐ女子達の元へ。

 

「え?え?」

 

 冷や汗を掻きながら訳のわかっていないベル君がちょっと慌て始めた。うん、まあ、わかるよ。いきなりよく知らない女子のグループに放り込まれたら、そりゃ緊張するよな。そんで、ちょっと、『ひょっとしたら仲良くなれるんじゃないか?』なんて淡い幻想を抱いて、決死の覚悟で話し掛けて、『ちょっ、なにコイツ!キモっ!』って目で射殺されちゃうんだよ。目で。当然会話なんてないわけだ。ソースは俺。ぐふうっ。じ、自分で古傷抉っちまった。

 グッドラック、ベル君。

 

 由比ヶ浜達に、耳打ちして、ベル君を頼んだ俺は、ひっくり返って気持ち良さそうに寝ているルビス様の首根っこを捕まえて、持ち上げてから話しかけた。

 

「ルビス様、ちょっと話があるんだが、今からいいですか?」

 

「うん?べつにいいけど?」

 

「んじゃ、ちょっと、差しで話しましょう」

 

「え?ふ、二人?やだ、わ、私、まだ心の準備が……」

 

「ないない。そーいうのないから」

 

「あ、やっぱりー。人間になったから、ちょっとやってみたかったんだよね」

 

「あー、はいはい、じゃあ、行きましょうね」

 

「むがー、こ、子供扱いするなー」

 

 ジタバタするルビス様をぶら下げたまま、俺は隣の部屋に向かった。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「えーと、まずは自己紹介した方がいいのかな?あたしは由比ヶ浜結衣、よろしくね、ベル君」

 

「では、次は私かしら。雪ノ下雪乃よ。よろしく、ベルさん」

 

「えー、私は後輩の一色いろはです。いろはって呼んでくださいねっ」

 

「はいはーい、八幡の妹の小町でーす!ベルさんてー、なんか可愛いですねー。守ってあげたくなっちゃう感じですねー」

 

「あー、はいぃ。えと、ぼ、僕は、べ、ベル・クラネルって言いま……す。い、一応、ぼ、冒険者やってます」

 

 な、なんでこうなっちゃったんだろう……。

 目の前には、綺麗な女の子が4人も居て、みんなが僕を見つめてる。ううっ……に、逃げ出したい。

 最初は、こんな綺麗な人達と付き合ってる八幡さんに、ハーレムの極意を聞こうと思ってただけだったのに。

 

 『いいか、ベル!男なら、何がなんでもハーレムを築くのじゃ』

 

 八幡さん達を見てたら、いつかのお祖父ちゃんの言葉が

急に頭に浮かんできて、これは聴かなきゃダメだ!って。

 だって、いままで、色んな冒険者とか、神様とか見てきたけど、ここまでしっかり『ハーレム』やってる人いなかったし。

 それに、八幡さんて凄い『魔法使い』なのに、なんかとっても優しいし、結衣さんとか雪乃さんとかを前にすると、すごく格好いい男の顔になるし。

 でもでも~~

 いきなりこれはないですよー。ぼ、僕になんの恨みがあるんですかー。き、緊張しちゃって、は、話なんか出来ませんよ。

 そんなガチガチの僕に、結衣さんが話し掛けてきた。

 

「えーと、ベル君て、好きな人がたくさんいるって本当なの?」

 

 な、なんで?八幡さん、さっきなんて言っていったんだろう?

 

「い、いえ、た、たくさんなんて、そんな……す、好きなというか、憧れてる人は……いますけど」

 

 なんだか、誤魔化せない。好きな人……になるのかな。

 

「憧れてると言うことは、あなたからすれば手の届かない存在の女性……ということになるのかしら?」

 

「そ、そうですね。そうだと思います。ぼ、僕なんかじゃ全然釣り合いとれない……ですね」

 

 そうなんだ。僕なんかじゃ釣り合わない。強さも、レベルも違いすぎる。

 

「なんかー、ベルさんってぇ、ひょっとして最初から諦めちゃったりしてますぅ?それじゃ、絶対上手くいきませんよぉ」

 

「え、えと、あ、諦めて……諦めてはいません。ただ、今の僕じゃ、あの人の脇に並ぼうなんて烏滸がましすぎて」

 

 そうだ、今の僕にはその資格はない。僕はまだ全然だ。彼女に並んでいい存在じゃあない。

 

「でもでもですねー。小町は、そうやって諦めきれないって頑張ってる男の人、素敵だなって思いますよー。最初っから諦めちゃってた、どっかのゴミいちゃんより、スタートラインはよっぽど良いですよ」

 

「???そ、そうなのかな。なんにも出来ないくせに、でしゃばって、どんどん愛想つかされちゃったりしてるんじゃないかな?」

 

 そう、彼女の周りには凄い人が沢山いる。彼女に肩を並べるに相応しい勇者がたくさん……。でも、そこに並びたいって頑張ってる僕を、彼女は認めてくれるのかな?待っていてくれるのかな。アイズさんは……。

 

「ベル君が好きなんだって気持ち、よく解るよ!ベル君なら絶対うまくいく。うん!あたしも応援しちゃうね」

 

「そうね。貴方がそこまで彼女のことを思っているなら、きっと上手くいくわ。だって、彼女は貴方以上に貴方のことを思っているのだもの」

 

「え?し、知っているんですか?ぼ、僕の気持ちを?い、いえ、そうではなくて、ぼ、僕のことをす、好きでいてくれているってことなんですか?」

 

「えー?。一目見れば分かりますよ!ね、小町ちゃん」

 

「はいです。絶対ベルさん、愛されてます」

 

 え?ま、まさか、この人達、会ったことあるの?アイズさんに……。そ、そうか、八幡さんか……。あの人、知ってたんだ。そうに違いない。

 でも、そ、そうなのかな。ほ、本当にぼ、僕のこと、考えてくれてるのかな?す、好きだって想ってくれてるのかな?あ、アイズさんは!

 

「あはは……ベル君、すっごく嬉しそう。そっか、怖かったんだね。嫌われるのって、ホント怖いもんね。でも、大丈夫だよ。あたし達もついてるからね。後は、ベル君が頑張るだけだよ。ねえ、ちゃんと聞いてました?」

 

 え?

 

 急に結衣さんが、玄関の方に向かって声をかけた。

 ま、まさか……。

 

「早く来てあげてください。男の子が一世一代の告白をしようって頑張っているのだから」

 

 来てるの?ここに……?

 

「男の子の気持ちを他人に言わせておいて、自分はでてこないなんて本当にズルいですよぉ」

 

 ぼ、僕なんかのために……?

 

「もう答えは出てますよ。小町達の応援はここまでです。ベルさん、頑張って」

 

 アイズさんが……!

 

 皆さんの声のあと、入り口の方へ視線を向けると、扉の脇に人影が……。

 アイズさん……。

 その影は少し震えた感じで壁にもたれてる。

 アイズさん……。

 そして、ゆっくりこちらへ……。

 アイズさん……。

 アイズさん、アイズさん、アイズさん、アイズさん、アイズさん、アイズさんっ!!

 

 僕は立ち上がって、その影に向かって叫んだ。

 

「ぼ、僕は、僕は貴女が……」

 

 その影は、びくりとなって、立ち竦んでいる。そして、そのままじっと動かない。

 待ってる……。

 待ってるんだ……、僕の言葉を……。

 だったら、言わなきゃ、頑張って言わなきゃ。

 『イケー!男ならイクのじゃー』

 なんか、お祖父ちゃんっぽい声もきこえる。 

 そうだ!今なんだ。頑張るなら、今なんだ!

 僕は、腹に力を込めて続きの言葉を放った。

  

「す、す、好きです!!大好きです!!」

 

 影が飛び上がり、そして凄い勢いで僕に飛び付いてく……る……?え?

 

「ベルくーーーーん!!う、嬉しいよぉ!ボクもだぜ!!ボクも君のことが大好きだよーーーーー!!」

 

「ええええええええ?か、神さまあーーーー?」

 

 パチパチパチっ

 

「おめでとう、ベル君!」

「おめでとう」「よかったですねえ」「うー、いいですねーうらやま」

 

 な、なんか拍手上がってるしぃ!?

 

「なんだよ、うるせえな、お前ら」

 

 神様にぎゅうぎゅうに抱き締められた僕を、八幡さんが濁った目で見下ろしていた。

 

 



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(5)きーめた

 リビングの隣には、来賓用の客間なのだろうか、大きくて豪勢な革張りのソファーが向い合わせで置かれていて、そこを中心にやはり高価そうな壺や絵が飾られている。中でも目を引くのは、天に舞い上がるように描かれた巨大な黒い翼竜の絵画。その竜の足元にはたくさんの武器を構えた人間や、燃え上がる城が描かれており、一目でこの絵が恐怖の対象として描かれたと分かる。

 そう言えば、原作でこんな『黒竜』の話が確かあったな。

 魔石の仄かな明かりに浮かび上がったその絵を、ルビス様としばらく見上げた。

 

「八幡くんは、この竜を知っているの?」

 

 ルビス様に唐突にそう聞かれて、さてどうしようかと改めて悩む。

 俺は、ありのままをルビス様に話してしまおうと思っている。その方が面倒がなくていい。もともと、ルビス様の世界についてだって、ゲームの予備知識があったから、すんなりと攻略出来たわけだし、今回のこの世界についてだって、あっちの世界でラノベを読んでたから、なんとなく流れを知っている訳だし。

 だが、本当にすんなりそれを話しても良いものなのだろうか。

 ドラクエの世界でオルテガとーちゃんに言った時は、とーちゃんがああいう人だったから、別になんともなかったけど、普通に、『俺、この世界のラノベ読んだから、先の展開しってますよ』なんて言って、『うわあ、こいつ何イッチャッテんの?電波なの?』とか思われる可能性が極大だ。ほぼ十中八九そうなる、いや、そうなる展開しか思い浮かばない。

 それに、すでに一部、俺の知っている展開からずれてしまってもいる。原作では当然とーちゃんや神龍や俺たちは現れないし、ゴライアスだって、最初の一匹だけだ。

 だから、本当に知ってますと言い切るのも難しい。

 

 これについては雪ノ下や由比ヶ浜にもまだ言っていないわけで、このまま黙って俺の記憶を頼りにみんなを引っ張っていくというのも一つの手だ。

 

 だがなあ……。

 

 正直、黙ってたって事態は進んで行くわけだし、原作で帰還の手段が描かれていない以上、その手段の獲得にむけて俺たちが動く必要がある。

 だから、原作に沿う展開をただ待っていても、俺たちにとってはなんのメリットもないわけだ。となれば、原作をなぞりつつ、かつ、俺たちの必要な情報を俺たちが集めなくてはならない。

 問題なのは、この幼女神(ひと)がどこまで信じてくれるかってことだな。

 いくら俺たちがドラクエの呪文を使いこなせるようになってるとは言っても、力押しだけでなんでもかんでも出来るとは思えない。やっぱり神様の不思議パワーは必要だろう。そもそも、この世界では、神様からの恩恵(ファルナ)によって人間がレベルを上げていくわけだしな。だから、前回と同様で、生き残るためにも頼れるものはなんでも頼っていくしかないわけだ。

 

 と、なれば……。

 

 ここまで考え、ルビス様をソファーに座らせた俺は、その対面に腰を下ろし、覚悟を固めて話した。

 

「率直に言います。俺はこの世界の内容を、もともとの世界で本で読んで知っています。それで、一刻も早く帰りたいので力を貸してください。お願いします」

 

「いいよ」

 

 くっ……。笑いたきゃ笑え!俺は長年のボッチ生活で大概の精神的ダメージには耐えられるんだ。だから、言いたきゃさっさと……、って、んん?

 見上げると、キョトンとした幼子の顔。えーと、この人、今なんて言ったんだ?

 

「あ、あの。今なんて?」

 

「うん?だから、いいよって」

 

 あまり表情も変えずに、さも当たり前だとでも言いたげに、ルビス様は頷いている。

 

「えっとね、今回のことは本当にごめんなさいって思ってるの。だって神龍様経由のお願いだったんだもん。オルテガさん神龍様に無敗らしくてさ。相当お願いストック貯まってるみたいなんだよ」

 

 うへえっ、と、とーちゃん何やってんだよ、お願いしねえなら、戦わないでやれよ。というか、神龍もお願い聞くのは3回までとか決めときゃいいじゃねーか。何、律儀にちゃんと戦っちゃってんだよ。

 

「それでね、私も元々は精神体だけなら召喚出来るし、自分だけなら、行ったり来たりも出来るんだけど、今回は神龍様の力で能力を強化(ブースト)しちゃって、こんなことになっちゃったって訳。だから、みんなをすぐに還してあげられないから、出来ることならなんでもするって、決めてたんだよ」

 

「そ、そういうことだったんですか」

 

「それと、他の世界の内容が本になったりすることって、結構あるから、あんまり気にしなくて大丈夫だよ。世界を渡って転生した人が、なんとなく昔のことを思い出して書いたりすることって良くあるから。そーいえば、八幡くん達の世界に転生して、予言とか言いまくったノストラなんとかさんだけどね、元々別の次元の人で、その世界予定通り滅びちゃったからね。だからね、そういうこともあるのよ」

 

 くぁっ!な、なに?って、ことは、あの人マジもんだったんだ!こ、こえー。よ、良かった。その世界に住んでなくて。いや、こんな言い方したら、最低だな。その世界の皆さん、心からお悔やみを申し上げます。あ、これ、十分失礼だ。

 

「じゃ、じゃあですね。この先の展開とか、ダンジョンについてとか、俺の知ってること全部話します。だから、ルビス様もこの世界で知ってることを教えてください。あ、由比ヶ浜とか雪ノ下達も一緒ってことでいいですよね」

 

「うん、当然いいよ」

 

「OK、なら、呼んできます」

 

 そう言って、扉を開けた先で、顔面を巨乳に埋めたベル君が、苦しそうにもがいていたというわけだ。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「あ、今日はご馳走さまでした。それと、お騒がせしちゃってホントにすいませんでした」

 

 ヘスティア様に腕に抱きつかれたままのベル君が、ぺこぺこと頭を下げて帰ろうとしていた。

 俺は、気になってた事を最後に聞いた。

 

「なあ、ベル君。明日か、明後日か、ヴェルフとリリとどっかで飲むことになってないか?」

 

 俺の質問にベル君は目をしばたいている。そして。

 

「えっと、明後日ヴェルフの誘いで祝賀会を開く約束しましたけど……」

 

「それって、焔蜂亭(ひばちてい)ってとこじゃないか?」

 

「ええ!?ど、どうして、知ってるんですか?あれ?おかしいな、僕だってさっきその場所聞いたばかりなのに」

 

「あ、いやいいんだよ。楽しんできてくれ」

 

「あ、はい。ありがとうございます。では、失礼します」

 

 首を傾げたベル君が、再度大きくお辞儀をして、ヘスティア様をぶら下げたまま、帰っていった。

 

「ヒッキー?今なんでそんなこと聞いたの?」

 

 不思議そうに俺を見上げる由比ヶ浜が、キョトンとした顔で声をかけてくる。

 俺は由比ヶ浜の頭を撫でながら、みんなに向かって言った。

 

「これから、超大事な話し合いをするから、こっちに集まってくれ。俺たちの今後の方針を左右する、大事な会議だ」

 

 ごくりと息を飲むのは、小町と一色だ。さすがに雪ノ下はもう馴れたみたいで、またか、みたいな顔。というか、由比ヶ浜の頭に置いた俺の手を眺めてるな。なに?お前も撫でて欲しいの?ま、まあ、後でな。

 

 そして、みんなは俺に付いて、先程のソファーのある客間へと向かった。

 

「って、ルビス様、一体何やってんですか?」

 

 見ると、何故かルビス様がローブを完全に脱いで、パンツ一丁に。

 

「ぎっ!ぎぃやあああああああああっ!!み、見ないでよぉ!!」

 

 いや、って言われても、そんなに堂々と脱がれちゃったらこっちも顔背けるくらいしか出来ないんですけど。

 そもそもが、幼稚園児くらいの体型なんだから、市営プールで着替えてるお子ちゃまにしか見えない。

 

「ひぃっく、み、見られちゃったよぉ。お、お嫁にいけない」

 

「いや、すぐ横向きましたから見てませんから(見えたけど)大丈夫ですから、お嫁に行ってください。それにしても、なんでいきなり脱いでんですか?」

 

「くすん、えっと、あ、汗かいちゃって気持ち悪くて……」

 

 あー、はいはい。女子特有の、気持ち悪くなっちゃったから仕方なくってやつですね。

 

「あの、ルビス様?ここ、お風呂ありましたから、後で私達と一緒にはいりましょう。お背中お流しいたしますから」

 

 雪ノ下ナイスフォロー。ここ、風呂あるんだな?マジで高級ホテル並じゃねえか。雪ノ下と由比ヶ浜が手際よく服をルビス様に着せ始める。

 

「まあ、このままじゃ全然進まないから、始めようか」

 

「な、なんかちょっと緊張しちゃうね、ゆきのん」

 

「ええ、でもこの世界にも猫がいたのは、せめてもの救いだったわ」

 

「あ、相変わらず、よく分かんないポジティブ発言だ!?」

 

 すぽんと、新しいローブを頭から被ったルビス様は、FFの白魔導士みたいだ。頬を膨らませて俺を睨んでやがるが、気にしない。

 大きめのソファーにめいめい座り、俺はルビス様と向き合うように腰をかけて、話を始めた。

 

「色々あって、お前らも混乱してると思うけど、ここで全部話してやる。小町。お前、俺達がなんで魔法使えるかって気になってたよな。それに、ここがどこかって……。その話をするためには、この世界の前に行った世界の話から始めなきゃならねえんだ」

 

 みんな真剣な表情で、俺に視線を送ってきている。なんかこういう雰囲気は苦手だ。超シリアスすぎる。誰か屁でもしてくんねえかな?あ、ここ俺以外、女子しかいねえから、そんな展開になったら余計居づらくなっちまうか。

 ま、まあ、いいや。

 

「あ、あー、じ、実はな、この前俺と由比ヶ浜と雪ノ下の3人は、ドラクエの世界に行ってたんだ」

 

 『ぷぅッ!』

 

 あ……、だ、だれだ?今放屁った奴は!!

 全員顔を真っ赤にして固まってる。こ、これ、犯人探しは無理だろう……。

 

「あ、ごめーん、おならしちゃった。てへっ」

 

 犯人は目の前の自由奔放な幼女神様だった。



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(6)そして冒険へ

~約1時間経過……。

 

 

 

「……とまあ、そんなこんなで、約3ヵ月の旅を終えて、俺達は帰ってきたわけだ。そうしたらびっくり、こっちの世界じゃ殆ど時間が経ってなかったわけで……」

 

「あ、時間停めてたの私だからね」

 

「そうそう、ルビス様が止めてたから、俺達は時間の誤差もなしに帰れたってわけだ。で、覚えた呪文も全部使えるままだったということだ」

 

 全部話終わって、ずずーっと雪ノ下の淹れてくれた紅茶を飲む。もう大分冷めちまったけど、やっぱり旨い。

 

「うへえっ……。なんかお兄ちゃん達ちょっと変わったなって思ってはいたけど、そんなことあったんだねぇ。普通ならいつもの病気だと思って絶対信じないけど、ここは素直に信じてあげることにするよ」

 

「小町ちゃん、病気って?」

 

「えー、それはですねぇ」

 

「お、おい!やめろ。いや、やめてください、マジで」

 

「と、兄が申しておりますが?」

 

 こいつ、ニマニマ嬉しそうにしやがって。なに、人の暗黒面(ダークサイド)を勝手に教えようとしてんだよ!

 

「はいっ!」

 

 由比ヶ浜が元気良く手を上げる。

 

「あたし、彼女なんで聞く義務があります!」

 

「そういうことなら、私も聞かなくてはならないわね」

 

「あ、まだ彼女じゃないですけど、私も聞きたいです」

 

「じゃあ、仕方ないですね。ゴニョゴニョ……」

 

 お、おい!お兄ちゃん駄目って言ったからね。そ、それに一色、「まだ」ってなんだ?「まだ」って!

 くっ……それから、聞きながら俺に「うわぁ」みたいな視線を一斉に送るんじゃねえよ。男の子なら誰でも通る道なんだよ!!

 

「ったく……、もういいか?話進まねぇよ」

 

「えへへ、ごめんねヒッキー。そんな趣味があっても、あたし嫌いにはならないからね」

 

「そうよ。多少の性癖には眼を瞑ってあげるわ。完璧な人間などいないもの……ね!」

 

 うぐぅ、彼女達の慰めが余計にダメージになってる件。泣いてもいいですか?

 

「く……は、話、進めるからな。でだ、今俺たちがいるこの世界も、さっき言った通り、俺は小説で読んでだいたいの筋を知ってる。細部はもう違うところもあるが、主人公のベル君たちは概ね予定通りに動いてるみたいだな」

 

「ああ!だからさっきヒッキー、ベル君にあんなこと聞いたんだ!『ひばちてい』だっけ?」

 

 俺がコクりと頷くと、雪ノ下も話す。

 

「ということは、その集まりで何か問題が起こるということなのね」

 

「まあ、そういうことだ。それにどう俺たちが絡んでいくかだが、その前にこの世界について、ルビス様に教えてもらおう。そもそも、帰る為の手段は原作にもまだ出てきてないしな。というわけなんで、ルビス様お願いします」

 

 一斉に視線が幼女に集まる。ルビス様はため息をひとつ吐いてから話し始めた。

 

「えっとね、この世界を作ったのは、そもそも私なの」

 

「「「えええ?そ、そうなんですか?」」」

 

「ちょっと色々あってね、神龍様が宇宙を作ってから、その頃に産まれたたくさんの神がね、新しい世界をたくさん作ったの。一般的に云うところの『三千世界』とかになるのかな?本当は三千じゃきかないんだけどね、異なる次元に無数の世界を作ったの」

 

 な、なんだ?話の規模がでかすぎて、全然頭に入って来ないんだが……。

 

「でね、どこの世界もそれなりに繁栄してね、人々の信仰で神達も力をつけていったの。あ、神の力の源は信仰心だからね。信者が多いほど強くなるのよ。それで、力が強くなった一部の神達が世界をまたにかけて戦争を始めたの。より強い力を求めて、外の世界の征服を企てたのよ。神々の黄昏(ラグナロク)戦争(ウォー)をね。で、結果としては、神龍様の逆鱗に触れて、逆らった神達はみんな処刑されたの、沢山の世界を道連れに」

 

 ルビス様が紅茶を啜りながら、なにかとてつもなく恐ろしい話をしている。なに?神龍が宇宙を作ったの?というか、神龍そこまで偉いさんだったの?なんか、とーちゃんぼこぼこにしてたけど、あれ、マジでまずいんじゃないの?

 話の規模がアレすぎて、みんな押し黙ってる。仕方ないので俺が聞く。

 

「え、えーと、で、それがこの世界と、どう繋がるんですか?」

 

「あ、えと、ごめんね。要はね、神ってそもそも死なないのよ。物質体としても精神体としてもね。精神の方は自然に還元されて新しい命に分割されるから良かったんだけど、問題は体の方。神龍様に処刑されたたくさんの神達の体をね、みんなもて余しちゃったのよ。それで一番たくさん世界を作ってた私に押し付けられちゃったわけ。もう、本当に困ったわよ。放っておいても周りを汚染するだけだし、何億年かけても消滅しないし、だから……」

 

 うん、ばっちり理解してしまった。つまり……

 

「つまり、この星は……、いや、この真下のダンジョンがその神の遺骸の安置場所ってことなんですね」

 

 ルビス様がウインクしながらサムズアップ!

 それ、『それあるー』思いだしちゃうから止めてくれませんかね。

 

「その事、この世界の神様たちはみんな知ってるんですか?」

 

「うーん、どうかなー?ゼウスさんとヘラさんとウラヌスさん辺りは、封印の作業手伝ってもらったから知ってると思うけど、若い神達は良くわかんないね」

 

 って、幼稚園児の姿で若いって言われてもピンとこないんだけどな。

 

「そ、それで、この話のどこに俺達の帰る方法があるっていうんですか?このダンジョンの最奥に、処理不可能な放射性廃棄物があるってことはわかりましたけど」

 

「あ、でね、この世界には昔、カストゥールっていう、魔法科学文明があったの。みんな良い子供達でね、毎日神秘の解明に明け暮れてたの」

 

 おっとー?ちょっと待ってくださいよ。その名前、危険な香りがするぞ!

 

「で、神達からもこの世界の『太守』としてカストゥールの民は任命されててね、そんな彼らの作りあげた五つの秘宝と、その秘宝の守護者たる五色のドラゴンによって、遺骸の聖域を守る……」

 

「はい、ダウトー!なに?なに?完全にそれ、呪われた島の話じゃねーか。ゲーム、アニメ、ラノベときて、今度はTRPGかよぉ!!」

 

「もう!最後まで聞いてよ。帰りたいんでしょ?」

 

「あ、これ、続けちゃうんだ」

 

「えとね、その五つの秘宝の中に、『知識の額冠』っていう叡智の宝冠があってね、その中には全ての叡智が収まっているの。というより、全ての神の知識を記録してあるの」

 

「はあ、つまり、その太守の秘宝を使えば、自前で異世界転移も可能であると……」

 

 ルビス様は再びウインク&サムズアップ!だから、それ古傷にくるからやめなさいって。でも、これ、本当に大丈夫か?まさか、後から法の剣とか、魂砕きとか出てきやしねえよな。

 

「ただね、問題があるの。さっき他の神に聞いたんだけどね、その太守の秘宝を守る古竜(エンシェントドラゴン)のうちの3体が、なぜか1000年前に暴走しちゃって秘宝ごと聖域から出てしまったのよ。そのうちの2体は最近やっと討伐したらしいんだけど、まだ1体残ってるのよ」

 

「いや、ちょっと待て。たしか、逃げ出したのって、『リヴァイアサン』と『ベヒーモス』と『黒竜』のはずだよな」

 

「ああ、一般的にはそうしたみたいだけど、実際は、『水竜エイブラ』、『火竜シューティングスター』、それと『黒翼の邪竜ナース』だよ。古竜(エンシェントドラゴン)は半神の存在だからね。まさか神殺しを大っぴらには出来なかったってことじゃないかな?それで、エイブラとシューティングスターはゼウスさんの子供達が討ち取ったみたいだね。でも、ナースには敵わなかったみたい」

 

「つまり、どういうことなの?八幡……」

 

 雪ノ下にそう聞かれて俺は頭を掻きながら、壁の絵に視線を移して答える。

 

「つまりだな、俺達の欲しいその知識の額冠を持ってるのが、その半分神でもある最凶の邪竜ナースってことなんだよ」

 

 みんなも、俺の視線を追うようにその壁の禍々しい黒竜

の絵に注目した。

 

「それとね、もうひとつ問題があるの」

 

「まだあるんですか?」

 

「う、うん……。えとね、エイブラとシューティングスターを討伐して、エイブラの持ってた秘宝『魂の水晶球』は回収されたんだけどね、シューティングスターの『支配の王錫』は戦いの最中で行方知れずになってるんだよ。この錫自体の力も問題なんだけど、何より、1000年も封印の秘宝が欠けてるせいで、聖域(ダンジョン)で何か問題が起き始めようとしてるみたいなんだよね。もう、ウラヌスさんでも抑えきれなくなってるみたい」

 

 はあ、とため息を吐きつつ、ルビス様はまた紅茶をすする。

 ため息つきたいのはこっちだよ、と、あまりの事態の大きさに頭がさらに痛くなった。

 

「つまり、その邪龍を倒して、知識の額冠を手に入れれば良いということかしら?」

 

「それは難しいだろうな」

 

「なぜかしら?」

 

 雪ノ下があごに手を当ててそう言ったのだが、どうもそれだけじゃ収まりそうにない。

 そもそも、ダンジョンに異変が起きているってのは原作でも書かれていることだし、それを放置して邪竜討伐を俺たちがやるってのも、ちょっと無理がある。

 

「まず、その邪竜がどこにいるのか分からないってのが一点目。それから、いくら、俺たちが呪文を使えるからって、そのドラゴンに効くかどうか分からないってのが二点目。そんで、これが一番重要なんだが、ここの神様ってな、油断ならねえんだよ」

 

「それはどういうこと?」

 

「まあ、小説を読んだ俺の感想から言えば、ここの神様たちはみんな欲望に忠実なんだ。気に入った人間(ヒューマン)が居れば、あらゆる手段を使って手にいれようとするし、気にいらなければ、結構汚い手を使ってでも排除しようとする。そもそも、さっき話に出た古竜(エンシェントドラゴン)を討伐した【ゼウス・ファミリア】と、【ヘラ・ファミリア】だって、黒龍の討伐に失敗してボロボロになったところを【ロキ・ファミリア】と【フレイヤ・ファミリア】に襲われて壊滅させられてんだ。この世界の神様は、自分の【ファミリア】だけを重視しててな、他はどうでもいいんだ。だから、下手に動けばいい標的になっちまう」

 

「なにそれ?ひっどいし!」

 

「最低ね」

 

「な、なんですか!?それは!」

 

「ろくでもないね、お兄ちゃん!」

 

「詳しいね。八幡くん」

 

「いやまあ……」

 

 原作読んだしな。

 

 憤慨している女子4人と感心している小っちゃい女神様。俺はみんなに言った。

 

「だからまあ、速攻で邪竜を討伐するんではなく、仲間を集めるべきだと思う。急がば回れってやつだ。最終的には俺達も全面に出て戦わなくちゃならないかもだが、とにかく強くて頼りになる仲間を増やすんだ。とーちゃんみたいなな。背後を取られて数で押しきられたら、あっという間に全滅だ。ドラクエの時みたいにほいほいとみんなが助けてなんてくれない世界だからな」

 

「だったら、どうするの?ヒッキー、信用できそうな人なんてそんなに簡単に見つかるのかな」

 

「由比ヶ浜の言う通り、そんなに簡単じゃない。だから、俺たちの武器を最大限使う。要はこれだ」

 

 俺は自分の頭を指差しながら続ける。

 

「原作の知識を使う。この世界で一番強いのは、間違いなくベル君だ」

 

「ええー!?せ、せんぱい!ベル君ってさっきの男の子でしょ?そんなに強そうに見えませんでしたよ」

 

「今はな。ただ、彼には他人に口外していない。彼自身でさえ知らない特殊な【スキル】がある。少なくとも、原作の通りの苦難の道を進めば、間違いなく最強になるはずだ。だから……」

 

「だから?」

 

「だから俺たちは、ベル君に最大限恩を売って売って売りまくって、さらに、媚びへつらって力を貸してもらおうと思う!!」

 

「「「「さ、サイテーだぁ!!」」」」

 

「なんか、ヒッキー……ドラクエの世界でも最初おんなじような事言ってたよね」

 

 ふっ……なんとでも言え。使えるものは全て使う。最後に立ってたものが勝者だ。だから俺はやってやるぞ!

 まあ、由比ヶ浜と雪ノ下もちょっと引いてるのが悲しいが……くぅっ……。

 

 

「じゃ、じゃあ、最初のプランを説明するぞ……っと、その前に、ルビス様。さっき出掛けた先の【緊急神会】に、神アポロンは来てましたか?」

 

「うーん……来てなかったかな」

 

「OK。なら、その会で話された内容を全部教えてください。その上で、作戦を立てます」

 

「おお!了解!な、なんかワクワクしてきたよ」

 

 神様がこんな反応で本当にいいんですかね。

 

 そして話を詰めた後、俺は、この後起こるであろう、数々のトラブルをみんなに話した。

 ひとつ重要な点があった。

 今回の18階層で起こった異変に関しては、完全に情報封鎖されることになり、異変の全ては『ある神の気まぐれ』で起こったということで片付けられた。

 まあ、間違っちゃいない。この世界の神様達じゃ、どうしようもない(かみ)が来ちゃったわけだしな。

 当然だが、このことを知っているのは当事者の俺達と、神会に出た少数の有力神のみ。

 このことも利用しなくてはならない。

 俺達の目標は、ベル君を中心として集まる強者達の支援の取り付けだ。この世界で戦う以上、純粋な力や知識だけでなく、食料や武器防具や様々な生活物資の仕入れも必要となる。

 当然先立つもの『金』も重要だ。だから、様々な形での交流を築きつつ、しかし、原作の流れを極力変えないように注意しながら前進しなくてはならない。

 なぜならば、ルートが変わるような事態、例えば、ベル君が途中で離脱したりしてしまうと、それだけで、原作とはかけ離れた状況になってしまう。俺達の予定も全部狂っちまうわけだ。

 とにかく、今は目の前に来る問題の対処を優先する。

 

「いいか、お前ら。最初のミッションは、『【アポロン・ファミリア】との抗争の勝利』だ!」

 

 そう、この時より、俺達のこの世界での冒険が始まったのだった。

 

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 

「それは、確かか?」

 

「はい。18階層に階層主が出現し、階層にいた冒険者達が総出でこれを討伐。そして、止めを刺したのが件の【リトル・ルーキー】のようです」

 

「くっ、ふふっ、ははははっ……。そうか、よくやったぞ、ヒュアキントス」

 

「ありがとうございます。ただ……別の筋の情報によると、100体以上のゴライアスや、巨大な新種の竜種が出現したなどの報告もあり、それを3人の魔法使いが全て瞬殺したとの噂も……」

 

「ふっ……噂とはこうも尾ひれがつくものか……。捨て置け、そんな世迷い言は……。複数体の階層主を屠ふれる魔法など聞いたこともないわ」

 

「は……もうしわけありません」

 

「だが、もしそのような者が本当にいるのであれば、是非ともその者も手にしたいものだ……くくく……」

 

 暗い部屋の中で、その主はヒュアキントスと呼んだその青年の頬を、愛おしげに撫でた。

 

「だが、まずは……ベル・クラネル……やはり素晴らしい。彼はこのアポロンが必ずいただく」

 

 日の光を放つきらびやかな金髪をゆらし、その神物は、欲深い笑みを浮かべていた。

 

 

 



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(7)なんか急にパインサラダを食べたくなる話

「ねえ、ねえ、聖者様ぁん。もっと……もっと触ってぇん」

 

「ちょっ……な、なにやってんのよ、この牝猫!つ、次は、あたいの番よ、さっさと退きなさいよ!ごらぁっ」

 

「ねえ、まぁだぁ?後ろつかえてんですけどぉ!」

 

 じ、地獄だ……。め、めっちゃ怖い。

 なにこの人達……たいして怪我もしてないくせに、こんなに並びやがって……。

 だ、だいたい、なんで女ばっかなんだよ。しかも完全武装。ダンジョン帰りだから仕方ねえけど、なんでこんなに殺気だってんだよ。こ、殺されそうだ。

 

 それに……。

 

「よ、よぉ、俺は、アドンってんだ。な、なあ、俺と結婚してくれよ。なあ、ロリーちゃん!」

 

「あ、あははは……あ、あたし相手いるから」

 

「そんなこと言わねえでよぉ。俺これでもレベル3なんだぜ!いい暮らしさせてやるからよ」

 

 ぐうっ!!

 

 さっきからずっとこれだ。俺の隣には白いローブに青いマスク姿の胸の大きなロリーが。この筋肉野郎!ゆ、由比……ロリーを口説きやがってぇ……くそ!もう我慢できねえ!ちょっとそこで待ってやがれ!ぶっ飛ばしてやる(魔法で)!

 

「ねえ、まだ、私終わってないんだけどぉ、ねえ、早くぅ……早くぅ……」

 

 立ち上がろうとする俺を、目の前のアマゾネスの女戦士がとんでもない怪力で抑える。ぐうっ、は、放せぇ!

 

「八……ワレラ?込み合って来たから、待っている患者さんに紅茶を振る舞おうとおもうのだけれど、良いかしら?」

 

 と、俺の背後に立つ、黒髪ロングヘアーのピンクのマスクのコンダが、紅茶の入ったポットを手に近づいてきた。と、それを見た一部の患者どもが……。

 

「「「「いやっはあああああああ!コンダちゃーん!待ってましたぁーーー!やっほうーーー!」」」」

 

 もうどうなってんだ、ここの冒険者の連中は……。

 

「ねえん、聖者様ぁあん。もう……、もう限界なのぉ。お願い、ここ、ねえここさわってぇえん」

 

「ぶはぁっ!ちょっ……な、なにしてんすか?」

 

 怪力アマゾネスに無理矢理引っ張られて、無理矢理手を、チチに……。

 

「ひ、ひっき……ワレラ!?」

 

「ワレラ!!貴方いったいどういうつもりなのかしら?」

 

「い、いや、ちょ、俺が悪いのか?ま、待て」

 

「あ、あぁぁん……聖者さまぁ、もっとぉ、もっとぉぉ!」

 

「いや、だから、あんたもいい加減にしろよ!く、くそう……べ、『ベホマァ』!!」

 

 そして、輝く青い光に包まれながら、俺の目の前にまだまだ延びる長蛇の列に、頭を抱えるのであった。

 

 どうしてこうなったかと云うと……。

 

 話は、今朝に遡る。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「ええー?『回復屋』ですか?なんですかー?いみあるんですかー?」

 

 俺の提案を聞いた一色が腐った物でも見るような目付きで俺を睨みながら、そう反応した。

 朝食を食べながら、俺はみんなにある提案をした。それは、『なるべく目立たないように、金をいかに効率よく稼ぐか』についてなんだが、結構いいアイディアではあったのだが、斜め向かいに座ってる一色は頗る機嫌が悪い。

 そりゃまあ、気持ちは分かるよ。

 だって、今俺の両脇には由比ヶ浜と雪ノ下の二人がぴったり寄り添ってるわけだしな。二人はかなり機嫌が良い。

 

 先にその理由について触れておくと、実は昨夜この高級スイートの部屋割りを決める時、俺は一人でリビングで寝ることにした。

 理由は簡単、寝室がひとつしかなかったからだ。

 当然女子が4人+1幼女にその部屋を譲ったわけでそれでお仕舞いと思っていたのだが……。

 

 夜中に、あろうことか誰かが俺の布団に入ってきた。

 で、飛び起きた俺の目の前にいたのは、まさかの一色。

 こいつどんな寝ぼけ方したのか、顔を真っ赤にして、寝巻きの胸をはだけた格好で俺に抱きついてやがった。

 と、そこに、雪ノ下と由比ヶ浜が現れたのはお約束。

 俺からそそくさと離れた一色と入れ替わりに、二人が俺に詰めよって、散々罵声を食らうかと思いきや、ポロポロと泣き出しちまった。

 俺は慌てて二人に事情を説明したが、全く泣き止まなかったもんで、謝りつつ二人を抱いて、後はひたすらお前らが一番大事だ、好きだと、延々と二人にコッパズカシイ事を宣い続けたわけだ。

 二人が安心して眠るまでそれを続けた自分を誉めてやりたい。

 とまあ、こんな訳で、二人はぐっすり熟睡。起きてから会った一色は真っ赤になって目を合わせやしないし、これは大激怒な模様。あ、これ大巨神の台詞だった。で、気絶するまで二人をなで続けた俺は、フラフラの寝不足というわけだ。

 

 決して二人にナニはしていない。いっそ関係があった方がよっぽどすっきりだよ。くうっ……。

 

 と、いうことがあったわけだ。

 

 話を元に戻そう。

 俺たちには今先立つものがない。金がなければ、衣食住の全てが保証されない。今はルビス様の口利きで、一応ギルドが面倒見てくれてるらしいのだが、まさかギルドに金をくれとも言えないからな。やっぱり自前で稼ぐ必要がある。

 一応、ここはファンタジーの世界だから、ダンジョンにもぐってモンスターを倒して稼ぐって方法も考えたのだが、見慣れない魔法をバンバン使って戦う姿はやっぱり目立っちまう。今は原作の流れをあんまり変えたくないからな。当面はダンジョンで稼ぐのは控えようと思ってる。

 こんなことなら、あの時倒した大量のゴライアスの魔石をなんとか持って帰ってくるんだった。もっとも、あの時は色々感情に任せて呪文ぶっぱなしちまって、消し炭も残さずに消しちまったんだけどな。

 

 で、考え付いたのが『回復屋』というわけだ。

 

「俺たちは目立ちたくない、が、俺たちの呪文は有効に使いたい。となれば、ここはダンジョンの町だ。潜った冒険者は必ずと言って良いほど怪我をする。ポーションや薬草で治せないような重症者もいるだろう。だが、俺と由比ヶ浜には完全回復呪文『ベホマ』がある。更に、仮に死亡してても『ザオリク』で生き返らせることも多分可能だ。ですよね、ルビス様!」

 

 急に振られたルビス様は、丁度白パンにかぶり付いたところで、全く言葉が出せず、こくこくと頷いて返した。この人、どんどん威厳がなくなっていくんだが……。

 

「とまあ、そういうわけだから、俺たちは旅の途中の謎のヒーラー集団ということにして、マスクとローブで正体を隠して、ダンジョン入り口辺りで診療所を開こうと思う。何か質問は?」

 

「はい!」

 

 隣で抱きついてる由比ヶ浜が手をあげる。

 

「医師免許とか持ってないけど良いのかな?」

 

「お前なあ、こんな世界で免許を誰が発行すんだよ。万が一そういう制度があったとしても、正体隠してんだから、そんときはモグリでいいだろう」

 

「おお!お兄ちゃん。ブラック・○ャックみたいでなんか格好いいねぇ!わたしピ○子ポジでいいよ。あらまんちゅー~」

 

「そんなに格好よくはならねえだろうがな、患部に手を当てて『ホイミ』って言うだけだし。それと、○ノ子ポジってんなら、ルビス様だろ!(体型的に)」

 

「あっちょんぶりけーなのよさ!なんか、八幡くんから、邪念を感じたんだけど」

 

 おお……、以外と勘がいいな、ルビス様。しかもこのネタ知ってたのな。

 

「ほ、他にはなんかねえか?」

 

 すると、反対側の雪ノ下がちょいちょいと俺の袖をひっぱってくる。

 

「え、えーと……。八幡?私は回復となると、何もすることがないのだけれど……その……」

 

 そんな寂しそうな顔すんじゃねえよ。まったく……。

 

「雪ノ下は、呪いを解く『シャナク』が使えるだろう?確か、一部のモンスターで呪い系のスキルを持った奴もいたはずだ。その手の治療ができるかもしれないな。まあ、暇だとしても、患者にお前の淹れた旨い紅茶でも出せれば、仕事の効率も上がるだろう。任せてもいいか?雪ノ下。」

 

 俺のその言葉に、ポッと頬を染めた雪ノ下がうんうんと頷いたんで、俺は頭を撫でてやったら、喉をごろごろならしてる。もうそろそろ、猫になっちまいそうだ。

 

「さて、じゃあ、早速これに着替えてくれ。さっきギルドのスタッフに頼んで、白いローブと変装用のマスクを調達してもらったから」

 

 俺が手にいれたのは、ちょうどルビス様が纏っているようなすっぽりと頭から被るタイプのフードつきのローブと、眼鏡のように耳にかけて鼻から額までをすっぽりと隠して、目だけを覗かせることが出来る3色のマスクだ。ちょうどオル○ェンズでチョコの人が被ってたマスクみたいな感じかな?

 

 俺は早速、雪ノ下にローブとピンクのマスクを、由比ヶ浜にはローブと青いマスクを渡した。そして俺はローブと黒のマスクだ。

 そして、俺は先に立ち上がって、さっさとローブを被り、顔にマスクを着用して見せた。

 

「あっ!!」

 

「うわっ!!お、おにいちゃん!?」

 

「え!?う、うそっ!?せ、せんぱい?」

 

「は、はちまんっ!!そ、その顔!!」

 

 その瞬間、何故か女子4人が一斉にガタリと立ち上がって真っ赤になって俺を凝視してる。

 ん?なんで、みんななんでそんなに驚いてんだ?

 

「お、おい……。なんか、おかしいか?」

 

 俺の言葉に、俺以外の全員が、集まって丸くなってなにかこそこそと話始めた。

 

「……ど、どうしよう…………止まらないよ……」

 

「……やばいです…………したいです……」

 

「……驚いたわ…………合わせられないわ……」

 

「……昔から目以外は…………ですからねぇ……」

 

 なんか、チラチラ俺を見ながらなんかぽしょりぽしょりと話してるし……なんかめっちゃ気になるんだが!!

 そんな俺のところに、とことこルビス様が歩いてきて、徐に言った。

 

「おおー!なかなかの美男子だねぇ、これなら、ここの天界でもモテモテ間違いなしだよー」

 

 その言葉に女子4人が飛び上がってるが。なにお子ちゃまの戯言に驚いてんだよ。

 

「あのですねー、美男子って、いったいどんなイジメなんスか?んなわけないでしょうが。お前らもいい加減にさっさと着替えろ。時間はあんまねえんだ。今日一日、稼げるだけ稼いで、明日はベルくん達のイベントに介入しなきゃなんねえんだからな」

 

「う、うん、わかったよヒッキー」「ごめんなさいね、八幡」

 

 で、二人もササっと着替えてマスクをつけたわけだが……

 

「ぐはあっ!」「!」「わっ!?」

 

 俺と小町と一色が絶句。

 

 こ、これはヤバイ。もともと可愛いんだが(多分に彼氏の欲目)、それを差し引いたとしても、その白い衣とマスクのせいで神秘的な色気が漂ってやがる。ど、どうしよう……。ど、どきどきが止まらねえ。

 

「ど、どうかな?ヒッキー」「に、似合うかしら」

 

 二人が上目遣いで俺に近付いてくる。ううー、これはマジでやばい。理性が崩壊しそうだ。

 

「に、にににににあってゅるよ」

 

 ぐっ……噛んだ。

 

 その後、深呼吸を繰り返して落ち着いてから、嬉しそうにしている二人に向き直る。

 

「よ、よし!なら、さっさと行くぞ。もうギルドには話してあるんだ。と、その前に、正体を隠すんだからこれからは偽名で呼び会うぞ。え、えーとな、由比ヶ浜が『ロリー』、雪ノ下が『コンダ』、で、俺が『ワレラ』だ。いいな!で、俺達の設定は、旅の神聖魔法使い『デカルチャーズ』だ。いいな。文句言うなよ」

 

「ええ?ヒッキーなんか格好悪いよ」

 

「いいんだよ、名前なんてなんだって。さっさと小銭稼いだらそれで終わりなんだから。さて、じゃあ、今度こそ本当に行くぞ」

 

 少々不満顔の雪ノ下と由比ヶ浜を引き連れて、俺たちは部屋を出た。そして、魔石で浮遊するエレベーターにのり、降りていく。目指すはこの塔の1階にして、ダンジョン入り口へと続く通路のある中央ロビー。

 この時、まさかこの『デカルチャーズ』がこの世界の歴史に名前を刻むことになるとは……。

 

 そんなの本当に予想できるわけねえだろうが!

 



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(8)異世界で商売をするときは下調べが重要だと思います

 魔石エレベータを降りた俺たちは、広い通路を抜けて、中央ホールへ向かった。一応、身を隠さなきゃならないもんだから、3人ともマスクをした上で、目深にフードを被っている。

 その見た目は、世紀末の広野を往く南斗水鳥拳の使い手のような感じだが、まあ、ここから地下に降りればそこはもうダンジョン入り口。結構いろんな趣の装備をしている冒険者が多いから、俺達の白ずくめもそんなに違和感がない。

 

 朝のホールはまだ人も少ないが、原作だと確か、もう少し日が上った頃が一番多く冒険者が集まるはずだ。

 このオラリオでもっとも数の多い冒険者はレベル1。主に上層で狩りを行う彼らは、往復の時間も短いため、昼間に数時間程度ダンジョンに潜り、早めに切り上げて出てくる。だから今の様に早い時間に集まるのは、主に日帰りで中層を探索するレベル2以上の冒険者が多い。だからか、見てくれも結構良くて、まさに戦士って感じの装備を纏った連中が悠々と歩いていた。

 

 そんな連中を見つつ、俺は目的の人物を探す。彼女は存外簡単に見つかった。何故なら、原作の通りの姿だったからだ。

 

 ほっそりと尖った耳に澄んだエメラルドの瞳。セミロングのブラウンの髪で、ギルドの黒のスーツとパンツに身を包んでいるその美人のハーフエルフは、大ホールの入り口に立っていた。

 俺たちは、彼女にむかって真っ直ぐ歩く。途中で、俺達の存在に気がついた彼女は、こちらに向かって訝しげな表情になりつつも、毅然と背を伸ばして立っていた。

 まあね、警戒されて当たり前だよね。こっちは顔を隠してるんだから。

 

「ええと、あなた方が、神ウラノス紹介の聖職者の方ですね。私はギルドのスタッフで、エイナ・チュールと申します。こちらで、治療事業をなさりたいと伺っておりますが、間違いありませんか?」

 

 きっちりとした対応で、端的に必要事項を話す彼女からは、出来る女って感じがびんびん伝わってくる。ウラノスって、昨日ルビス様も言ってたけど、ギルドを管理してる神様だったな。そっち経由で話しを通したのか。

 それにしても本当に美人だな。絶世の美女と言うよりは、可愛いお姉さんって感じではある……。

 確かこの人もベルくんラブなんだよな。流石ラノベ主人公、片っ端からだな。

 彼女の問いかけに頷くと、彼女は言葉を続けた。

 

「では、ギルドのテナントをお貸し致しますので、こちらに必要事項をご記入ください」

 

 そう言われて、バインダーに挟まれた契約書のような物を渡されたのだが、なんて書いてあるのか全く読めない。どうしようか悩んでいたら、俺の後ろにいた雪ノ下が彼女に話しかけた。

 

「私達は、文字を書けないのですけど。聞かれた事には御答えするので代筆をお願いできないかしら?」

 

「あ、はい、かまいませんよ。でも、この最後の欄には直筆の署名が必要なので、そこだけは、何か書いてくださいね」

 

 にこりと微笑んだ彼女は、俺たちにいろいろ質問をしてきた。名前、職業、性別、出身地。

 分からない所は適当にごまかして、原作に出てきたことで答えた。

 で、最後に俺が書名。『ワレラ』。

 

 え、普通に偽名で、しかも片仮名で書きましたがなにか?

 その書面を受け取ったエイナ嬢が一言。

 

「結構です。ではご案内いたしますね」

 

 え?いいんだ。

 

 俺たちは彼女について2階へと上る。

 そこには学生食堂を思わせる簡素なテーブルとイスがたくさん並べられた食堂と、駅のキオスクのような雑貨屋が。

 なんか、学校の購買みたいだな。

 エイナさんはその脇の、少し開けた休憩場所のような所に俺たちを案内した。そこにはイスがいくつかと、奥に水桶や竈のようなものが置いてある。どうやら、もともとは何かのお店だった模様。

 俺たちを振り返った彼女が言った。

 

「では、ワレラさん達には、この場所をお貸しいたします。賃料は1日3,000ヴァリスとなりますので、必ずギルドへ納めてくださいね」

 

「あ、ども。助かりました」

 

 にこりと微笑まれたので、俺たちはフードをとってお礼を言ったのだが……

 

「え?え?」

 

 小声で呟きつつ絶句するエイナさん。顔真っ赤なんだが……後ろにベルくんでもいるのか?っていないな。

 

「ほら、ワレラ、時間ないんでしょ?さっさと支度する!」

 

「では、ワレラ、私は飲み物の用意をするから、貴方も早くしなさい」

 

「お、おお……」

 

 赤い顔でぽーっとなっているエイナさんを置き去りにして、凄い勢いで二人に背中を押された俺は、そこで回復屋の準備を開始した。

 

 

 ×   ×   ×

 

 

 で、この大盛況ぶりというわけだ。

 ここまで客が増えたのは、ひとえに、このさっき急遽用意した看板と、由比ヶ浜、雪ノ下の二人のおかげだろう。なにせこの見た目だ。野郎冒険者の心を鷲掴みにしちまってるしな。おかげで、俺の方にはおっかないセクハラ女ばっか集まっちまった。ぐぬぬっ。

 

 それで、この看板だ。

 

 この世界の文字を書けない俺達は、となりの食堂に行って、そこで働いてたドワーフの叔父さんに、廃材の木の板をもらって、ついでにそこに治療の価格を描いてもらった。物価がどんなもんか分からなかった俺たちだが、確か一番安いポーションが500ヴァリスくらいだった記憶があったから、低回復(ホイミ)を500ヴァリス、中回復(べホイミ)を3,000ヴァリス、完全回復(ベホマ)を10,000ヴァリスにして、その他、毒の治療や呪い、マヒ解除なんかも適当に書いてもらって、それを看板にした。

 このドワーフの伯父さん、結構いい人で気さくなんだが、ずっと由比ヶ浜の胸を見続けてるのは、まあ、男だしな、そこは我慢してやることにした。非常に不愉快なんですけど!

 

 で、この料金なんだが、どうも相当に安かったらしい。

 

 俺たちのつかうホイミは、この世界のポーションで云うところの『中位回復薬』に相当するようだ。患者に聞いてみたら、回復の度合いが半端なく良いらしい。しかも施術直後に傷口が塞がって消えていくのは相当高価なポーションになるらしく、こんな500ヴァリスで買える程度のポーションでは不可能なのだと。

 ちなみに、完全回復となると、道具で云うと『エリクサー』になるようで、買えば500,000ヴァリスなんだそうだ。

 こりゃ、完全に価格設定を間違えた。

 

 が、まあ言っても始まらない。とにかく事前告知もなしに急に始めて、初日でこの盛況っぷりだ。文句はない。

 

 客層が最悪なのは仕方ないがな……。

 

「ふー、ふー、も、もうダメぇ、ヒッキ……ワレラ助けて」

 

「お、おい、あと3人だから、もうちょっとだけ頑張れ」

 

 朝からひたすら呪文を使いまくって、もう、俺も由比ヶ浜もフラフラだ。

 もう日暮れも間近なんだが、冒険者はまだまだやってくる。だが、いい加減限界だ。大分前に、雪ノ下に頼んで、列の整理をしてもらったから、本日の患者はあともう少し。

 そして、俺と由比ヶ浜はほぼ同時に今日の治療を終了した。

 

「うあぁ、も、もう限界だぁ」

 

「あ、あたしもだよ。も、もうダメ……」

 

 二人して、奥に敷いておいたゴザにバタンと寝転んで悶える。こんなに呪文使いまくったのは始めてだ。はっきり言って死にそう。もうね、よく魔力切れ(マインドダウン)起こさなかったもんだよ。隣で尻を出して突っ伏してる由比ヶ浜も何かやりきった感の表情で、にへらと笑ってやがる。なに?お前、感じちゃってンの?実はマゾなの?ダクネスたんだったの?

 それにしても、俺こんなにMP多かったっけか?ドラクエの世界から帰ってから、『つよさ』のコマンドは見れなくなっちまったから正確には分からんが、帰還前でもMPは200くらいしかなかったはずだ。ベホマはせいぜい30回くらい使える計算だったか。

 だが、今日はどうだ。調子にのってたってのもあるが、軽く50人以上にベホマをつかってる。それだけじゃなく、ホイミもべホイミもかなり使った。それなのに、確かに辛いがまだ意識を保っていられてる。

 俺の魔力量が増えたのか、それとも、消費魔力が減ったのか……。それとも……。

 

「お疲れさま、二人とも。ふふ……なかなか良い格好ね」

 

「ぶー、ゆきのん、ひっどい」

 

「しかたねえよ。仕事はきついもんだ。はあ、マジで社畜にはなりたくねえ」

 

 これ、マジでブラック企業並みなんじゃねえか?休憩ないし、残業代とか関係ないし、客にセクハラされるし……。ちょっと法律相談事務所に行ってこようかな。

 

「で、雪ノ下。今日の売り上げはいくらだったんだ?少なくとも家賃の3,000ヴァリス以上は稼げてるだろうが……」

 

「えーと、もう少し待って……そうね、締めて『1,285,500』ヴァリスね」

 

「はあっ?ま、まじか?」

 

「うわあ!すごいね!120万円以上稼いじゃったの?」

 

「いや、多分日本円に換算すると、100ヴァリス=200円位だと思うから、軽く250万円位稼いだってとこじゃないか?」

 

「ええ!?そんなに?えとえと、250万円って、何回カラオケ行けるのかな」

 

「お前な……その発想自体がすでに悲しいことになってるぞ」

 

「じゃあ、そういうヒッキーなら250万円でなにするの?」

 

「俺なら即貯金だな。贅沢は敵だ!」

 

「ぶー……それじゃあ、つまんないし。ちょっとくらい使おうよー。そうだ!デートしよ!ヒッキー!」

 

「はっ?」

 

「だって、はじめて3人で稼いだお金だよ。記念にさ、デートしよ!3人で!ねえ、いいでしょ?ゆきのん!ヒッキー?」

 

 その急な由比ヶ浜の言葉に戸惑っていると、隣の雪ノ下が……。

 

「そ、そうね。まあ、少しくらいなら良いのではないかしら?わ、私も、悪いアイディアでは、ないと思うのだけど……」

 

「雪ノ下、何、真っ赤になって言ってんだよ」

 

「やたっ!ほら、ヒッキー、これで2対1だよ!ねえ、おねがい」

 

 二人して、上目使いで俺に迫ってくる。も、もう、そんな目で見られたら、断れるわけねえじゃねえか。

 

「わ、わかったよ。行こう!デートに」

 

「やったぁ!「ただし!」」

 

「先ずは目の前の問題に対処してからだ。イベントに乗り遅れると、俺も展開よめなくなっちまうからな」

 

「だいじょうぶ、ちゃんと我慢できるよ。ね、ゆきのん!」

 

「楽しみは後にとっておく方が、感動も大きいものね。期待しているわ、八幡」

 

 ぐうっ!地味に二人してプレッシャーかけて来やがる。

 でもま、確かに初めて稼いだってのは間違いないしな。ん?これって、『初めての共同作業、ケーキ入刀でーす』みたいじゃねえか?な、なんだ?そう考えてみたら、モヤモヤが増幅したぞ!うわっ、なに一人で結婚式想像しちゃってんだ?まじキモいぞ、俺。

 

「どうしたの?ヒッキー。そろそろ行こ」

 

「お、おう。じゃあ、行くか……。まずはギルドだな。今日の賃料納めねえとな」

 

 そう言って立ち上がろうとすると……。

 

「あ、あの……」

 

「ん?」

 

 荷物を纏めて、帰り支度を始めた俺たちに、誰かが声を掛けてきた。

 



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(9)え? もうこの展開ですか?

 俺たちの前には白い帽子を被った大きな耳の犬人(シアンスロープ)の少年が何かを訴え掛けるような眼差しをこちらに送りつつ立っていた。

 年のころは10歳前後といったところか。まあ、犬人の平均寿命とか知らねえから、あくまで見た目でって話しなんだが、そいつは戸惑った感じに眉目を下げてもじもじしながら雪ノ下達を見上げている。

 

「どうかしたのかしら?」

 

 なかなか話しかけてこないその少年に、雪ノ下が声をかけた。

 そう言われて、その子は意を決した様子で話始める。

 

「あ、あの……た、助けてください。お姉ちゃんを、お姉ちゃんを助けてください」

 

 ん?何言ってんだ?こいつ。

 

「どういうことかしら?あなたのお姉さんがどうかしたの?」

 

 尻尾を垂れて、歯を食いしばったその子は続ける。

 

「ひ、ひどい怪我をしてて、そ、それで、血が止まんなくて……う、うう……」

 

 そのままぽろぽろと泣き出してしまい、その後は言葉にならない。

 

「ねえ、ワレラ……」

 

 由比ヶ浜が俺の肩に手を置いて俺を見る。雪ノ下も俺を見上げてきた。二人とも落ち着かない感じで俺に視線を送ってきている。

 

 だから、そんな顔で見るなってんだよ。はあ、ったく仕方ねえな……。

 

「あー、坊主、もう泣くな。とりあえず見てやるから、そのお姉ちゃんのところに案内してくれ」

 

「うう、うう、うあああん……」

 

 だから、泣くなってんだよ。こういうの苦手なんだよ、俺は。

 手早く片づけた俺たちは、まだ泣いているその少年を先頭にその場を離れた。

 

 階下に降りると、まだ結構な数の冒険者がダンジョンから出てくるところで、数人の屈強な体躯の男達が、大穴の上に取り付けられた昇降用の大きな釣瓶を操って、何かを持ち上げていた。

 穴から出てきたのは大きな木製の箱(カーゴ)

 

 迷宮(ダンジョン)に挑む冒険者達が最も欲しているのは『(かね)』だ。

 モンスターとの死闘に命を掛けるだけの価値が、確かにここにはあるのだろう。その最たる得物が『魔石』だ。

 モンスターの核でもある魔石は、モンスターを倒すことで冒険者には比較的簡単に入手が可能だ。だから、冒険者はダンジョンで狩りを行い、手に入れた魔石を換金し生活するわけだ。

 では、この魔石は何に使われるかというと、それはかなり広範な用途で使用されている。

 この世界の殆ど全ての生活用品に魔石は使われている。

 主な物で言うと、『灯り』、『調理用コンロ』、『冷蔵庫』なんかのエネルギーとなる。バベルの昇降に使ってるエレベーターもこの魔石で動いているらしい。平賀さん、エジソンさんもビックリのすごい燃料だ。

 

 だが、ダンジョンから産出されるのはこれだけではない。モンスターが稀に落とすドロップアイテムや、ダンジョン内でしか産出されないアダマンタイトなどの稀少な金属や、珍しい植物なども、貴重なオラリオの産出品となる。

 そして、モンスター自体でさえも……。

 

 少し気になって、その釣瓶を操作している男たちの横顔を見る。

 そいつらは一様に下卑た笑いを浮かべている。それだけのことだったが、途端に胸糞が悪くなった。

 目の前の大きなカーゴを見て、不快な想像をしてしまったからだ。

 だが、今は手出しはできない。この時点で、ベル君や神ヘルメスやギルドの神ウラノスも、まだ何の尻尾もつかんでいない。下手に動けば、間違いなく展開が変わっちまう。

 俺は、ぐっと唇を噛んで、前に向き直った。と、その時、その作業をしている男たちの声が微かに耳に届いた。

 

「……それにしても、惜しかったなあの上玉。あれならエルリアの旦那もさぞお喜びになっただろうに……」

 

「なあに、あの変態野郎はなんでもいいのさ、どうせ最後は……だかならな」

 

「はっ……ちげえねえ。げはは……」

 

 ”エルリア……”

 

「どうしたの?ひっ……ワレラ?」

 

「あ、いや、ちょっとな……さっさと行こう」

 

 俺はフードを目深にかぶり直し、その木箱を見ないようにしつつ、ホールから出た。

 

 

 時刻は夕方6時は過ぎているだろうか、辺りはすっかり暗くなっていて、街路灯に明かりが灯っている。俺たちは小走りに駆けるその少年を追いつつ、ダンジョンの東へ続く道を進む。こっちの方面は先の方が結構暗い。ギルドの方角が商店街だとすると、こっちは下町……というより貧民街(スラム)なのかな。道も結構荒れていて、建物の明かりも少なく、心細い気持ちになる。

 

 まさか、なんかの罠じゃねえよな。

 

 いや、あり得るぞ。人の良さそうな子供に小金を渡して、呼び出したところで、後ろからバッサリとかな。

 時代劇とかなら定番の奴じゃねえか。黒頭巾の奴が刀構えていきなり現れるんだよな。

 

 って……。

 

 前を走っていた少年が急に足を止めたかと思うと、きょろきょろと辺りを見回し始めた。そして。

 突然に俺たちの目の前に真っ黒いフードを被った人影が、横の暗がりから音もなく現れた。

 

 おいおいおい!ちょっと待てよ……別にフラグ立てたかったわけじゃねえけど、なんで本当に登場しちゃうんだよ。なに、まじかよ。

 大体、俺たち何の武器も持ってねえぞ。いくら呪文使えるたって、いきなり切られりゃ絶対死ぬって!

 

 俺はあわてて由比ヶ浜と雪ノ下の二人を後ろに隠す。どこに何人潜んでるかわからねえ。やばい、マジ大ピンチじゃねえか。

 

 焦りつつも、しばらくそうやって思考していると、不意にその黒いローブの人影が少年に近づいて何かを囁いた。

 

「そうか、見つけたのだな。ならば、早くした方がいい」

 

 なんだこの声?女なのか?

 

「あ、ありがとう、黒いお姉ちゃん」

 

 少年がそう声をかけると同時に、そのフードの人物は風に舞う木の葉の様に、重さを感じさせずにフワリと跳躍する。その時俺は、月明かりに照らされた彼女の美しい容貌を見た。褐色の肌に輝く金色の瞳、そして鋭く尖った耳……一瞬だが、確かにそう見えた。だとすればダークエルフなのか!?彼女は音もなく屋根を越えその姿を消した。でもおかしいな、原作にダークエルフのキャラなんていなかったような気がするが。はて?

 

「お兄ちゃんたち、こっち」

 

 少年の声にはっと我に返った俺は、雪ノ下と由比ヶ浜を連れて、その子が進んだ狭い路地を歩いた。

 

「う、ううっ……」

 

 暫く往くと、かすかなうめき声のようなモノが聞こえてきた。路地の奥は光が届かず、何も見えない。

 

「お、お姉ちゃん。もう大丈夫だよ。聖者様たちを連れてきたよ」

 

 俺たちの少し前方から、男の子の声が聞こえてきた。と、同時に、なにか蝋燭のようなものに火を点けたのだろう。小さな明かりがその暗闇の中に浮かび上がる。それを頼りに近づいた俺たちの目の前に居たモノは……。

 

「うぅっ……タ、タスケテ……」

 

 肩から胸までを真っ赤な血で染めた、美しい有角の半人半鳥(ハーピィ)だった。

 



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(10)モンスター娘が仲間になりたがっています

 壁に凭れるように倒れこんでいるその有翼の少女は、草原を思わせる鮮やかなライムグリーンの長い髪をもち、その耳の上には羊のような角がまるで髪飾りのように伸びていた。腰から上だけを見るなら、間違いなく人に見える。というより、儚く可憐なふんいきを纏った、美少女の容姿だった。

 だが、その足は、まるで猛禽類のような細く長いもので、鋭く伸びた鉤爪が光り、その肩から先には、羽毛を廻らせた大きな翼が。

 明らかに人外の者。しかし、今この瞬間、その顔は蒼白で、呼吸も弱く、その赤い瞳はただ力なく涙をこぼしているだけだった。

 

 俺の脳裏にはさっきダンジョンからカーゴを引き上げていた連中の声が蘇る。そして、ひょっとしたらこの人外の少女が原作で犠牲になってしまった、あの異端児(ゼノス)なのではないかと思い至ってしまった。

 

 俺は慌てて彼女に近づき、露わになったその深い傷のある胸部に躊躇いなく直接手を押し当て、素早く呪文を唱えた。

 

「ベホマ!」

 

 俺の手からいつもの青い光が溢れる。だが……

 

「な、なんだ?魔法が入っていかない」

 

 何時もなら、俺の手から迸った魔力が相手の体に流れこみ、そのまま相手を光が包むはずなのだが、今はその手応えがまったくない。

 

「ベホマ、ベホマっ!」

 

 繰り返し唱えるも、やはり魔力は滞ってしまい、しかしなにも起こらなかった。

 焦りながら彼女を確認する。その顔は苦悶に満ち、涙の筋を頬に張り付かせたまま、その呼吸を止めてしまっていた。

 

 し、死んだのか……ま、間に合わなかった……ってのか?嘘だろう?だって、今の今まで息してただろうが……くっ、くそっ!

 なんでだよ。どうして……どうしてこんな……

 俺の頭には原作で語られていたあるワンシーンのビジョンが……、ヘルメスファミリアのとあるエルフの苦悶の言葉……陵辱され、全てを奪い尽くされたであろう、この存在の、命の灯火の果てるその時をただ見守ることしか出来なかったそのエルフの苦しい告白を思い出していた。

 

 助けたかった。

 救いたかった。 

 なんとかしたかった。く、くそっくそっくそっっ!!

 

 

 

 い、いやまだだ。まだ使ったことのない呪文がある!

 

 俺は、もう一度彼女に手を伸ばすと、今度は額に掌を当て、渾身の思いで祈るように唱えた。

 

 

 

「ザオラルッ!!」

 

 

 

 その瞬間、周囲が一気に真っ白な光に包まれる。そして、ハーピィと俺に向かって金色の光の粒子が集まってきた。

 

『ザオラル』

 

 ドラクエの呪文の中で、もっとも禁忌とされる蘇生呪文の一つ。滅んだ肉体を再生し、尚且つ離れた魂をもその身に戻してしまう。だが、その魂が失われたその時、この呪文は復活ではなく呪いへとその意味を変え、その体を人為らざるものへと変えてしまうこともあるという。そして、詠唱者へは過度の負荷を強いる。

 

 まばゆい光が収まった時、俺は急激な疲労感に襲われそのままハーピィにおおい被さるように倒れこんでしまった。

 

「ヒッキー!」「八幡!」

 

 二人の俺を呼ぶ声が聞こえる。

 ぐっ……、ここでMP切れかよ。ダメだ、もう意識が持ちそうにない……。ハーピィは、助かったの……か……?

 必死になって、なんとか目を開くと、そこには目を真ん丸に見開いた美しい少女の顔。

 今にも、口と口が触れてしまいそうな距離で、彼女は言葉を発した。

 

「あ、あなたが……あなたがタスケテくれた……ノ?ニンゲン(ヒューマン)の……あなた……が……?うっ……うぇ……ふぇええ……」

 

 そして、その大きな両目から、今度こそ大粒の涙が零れた。

 はは……、よ、良かった……な……

 声は出なかったが、いよいよ意識が混濁としてきて俺は目を閉じる。その間際の記憶に残った光景は、驚愕したような由比ヶ浜たちの顔と、迫り来る少女(ハーピィ)の唇だった。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 見上げると、そこには真っ白ななんの模様もない石の天井が……。

 

「知らない天井だ……」

 

 

 

 

 

 いや、ただ言ってみたかっただけなんだが……。

 

 頭はまだずいぶんボンヤリしているが、意識は平常のようだ。まったく、MP切れ(マインドダウン)があんなに辛いなんて思いもしなかった。どっかの名前の変な爆裂魔法使いのやつ、毎回こんなに気持ち悪い思いしてたんだな。まったく……。

 

 アホだな。

 

 それにしてもここは……

 

 首を振ろうとすると、体全体に何か重石が掛かっているようで、上手く動かない。な、なんだ?

 で、少し力をいれて、体全体を捩ると……

 

「は……はぁあああん!」

 

 な、なんだ!?きゅ、急に艶かしい声が!!

 

「だ、誰だよ!!」

 

 そう言って布団を跳ねあげると。

 

 ガチャリっ……

 

「あ、ヒッキー起きた?って、アンちゃん!!また勝手にヒッキーにくっついてるし!!」

 

「ふえぇ、ご、ゴメン……なさーーい」

 

 扉から入ってきた由比ヶ浜が急に大声を出したかと思ったら、俺のすぐ真後ろから耳慣れない少女の声が。

 慌てて振り替えると、そこには、一糸纏わぬ美少女(ハーピー)が!!

 

「ぬあ!?お、おまえ、何してんだ?」

 

「え?え?だ、だって、ゴシュジンサマ(マスター)、イノチのオンジン。アンのイノチ、マスターのモノ。マスターにオンガエシしたい……オトコノヒト……こういうのスキだってキイタ」

 

「って、誰にそんなこと言ったんだよ……って、冒険者に決まってるか……。あのバカどもが。あのな?いきなり裸で抱きついちゃだめだ。お、お前もっと、自分を大事にしろ」

 

「で、でも……マスターは、アンのことキライなの?アンはマスターがスキ!マスターにアンのゼンブあげたい!」

 

「はあ!?」「ふぁっ!?」

 

 ハーピィのアンの言葉に思わず絶句。チラリと入り口の由比ヶ浜を見ると、みるみる赤くなっていく。

 

「マスター~」

 

「はわわわわ……」

 

 アンがその両の翼を大きく広げて、そのたわわな果実をそのままに俺に馬乗りになってきた。

 

「や、やめろー」

 

「もう!ヒッキー!キモい!なんで顔にやけてるし!それに、キモい!後、キモいキモい!」

 

 バタンっ!!

 

 扉を勢いよく閉められて、由比ヶ浜が消える。ちょっ……待っ……

 

「マスター、スキー。えへへー」

 

「はわー!だからやめろってえんだよ!」

 

「きゃんっ!」

 

 アンを押し退けて、俺はベッドのシーツを剥がして無理矢理にそれを彼女に巻き付けた。

 

「い、いいか?女の子は素っ裸で人前に出ちゃだめだ。も、モンスターだから今まではしかたねえけど、これからはダメだ!いいな!わかったか」

 

 アンは口元を緩ませて、そのシーツをその腕の翼で撫でながらうっとりしている。どうも気持ちが良いらしい。

 そして……

 

「アン……わかった。マスターのイウコトちゃんとマモル」

 

「ったく……」

 

 俺はそのままドアを開けて部屋の外へ出た。

 そこは小さなダイニングのようで、4人がけのテーブルに由比ヶ浜と雪ノ下の二人が料理を並べているところだった。

 そう言えば、二人も俺も変装用のマスクを外してしまっていた。椅子の上に、ローブとマスクが置いてある。

 

「あら、ずいぶん早かったのではないかしら?」

 

 何故か雪ノ下がジロリと横目で俺を睨んでる。由比ヶ浜もなんか頬を膨らませて視線を逸らしてるし……

 

「ゆ、雪ノ下、お、お前なー。ちょっと勘弁してくれよ、俺、なんにもしてないからね?言っておくけど。な、なあ、由比ヶ浜も……、あ、そうだ!さっき、食堂のドワーフの親父にこれもらったんだ。『乾燥クラゲ』これで中華料理食えるぞ!」

 

「いい。クラゲは生がいい。生で丸飲み」

 

「声、低っ!こわっ!」

 

 雪ノ下も由比ヶ浜も好感度絶賛だだ下がり中だ。それもこれも全部このモンスター娘のせいなんだが。

 

「マスター♪マスター♪」

 

 はあ、まあ、憎めないキャラではあるな。むしろ可愛いまであるな……って!

 突然二人に殺気のこもった目で睨まれる。

 お、お前ら、ちょっと勘良すぎでコエーからな!?

 

「ただいまー。あー、お兄さん、やっと起きたんだね。お姉ちゃん助けてくれてホントにありがとう」

 

 声がする方に目を向けると、さっき俺たちに救いを求めてきた犬人の少年が立っていた。

 

「えーと、ここ?ひょっとしてお前の家か?坊主」

 

 その言葉に少年はぷぅっと頬を膨らませる。

 

「坊主じゃないやい!あたしには『ポリィ』っていうちゃんとした名前があるんだい!」

 

 そう言って帽子をとると、ふわりと青いショートヘアーが舞い降りた。

 お、女の子だったのか……なんか、ベーカー街に居るような感じの子だな。声もなんか麦わらの一味船長みたいだし。

 ポリィはアンの側までくると、手に持った袋から何か布のような物を取り出して、それを広げ始めた。それはボタンシャツのようなもので、羽織るショールの様なものや、丈の長いスカートのような物もあった。

 

「うーん、多分サイズは合ってると思うんだけど……、お姉ちゃん翼があるからねー、どうやって着ればいいんだろ?」

 

 何か、一生懸命になって首をかしげるポリィに、アンが言った。

 

「マスターこれくれた。アン、これでいい」

 

 え?いや、そもそもそのシーツ俺のじゃねえし。というかそれポリィのだろ、間違いなく。

 

「ええー?それベッドのシーツでしょ?あげてもいいけど、ちゃんと服も着てよ」

 

 そう言われて、アンもしぶしぶ頷く。このハーピィ、結構素直なんだよな。

 さてと、俺もこっちを片付けないとな。

 ポリィ達のやり取りを見つつ、まだ何か不満気な顔をしている雪ノ下と由比ヶ浜のところへ行って、俺は……

 

「すいませんでした」

 

 頭を下げた。俺が悪くなくてもまず謝る。はい、伝家の宝刀です。彼女がプリプリしてたらやってみようね。

 ただし、この技使いすぎると愛想つかされるので要注意!なんだこれ?

 

 二人は困ったように顔を見合わせてから、俺を見る。

 

「ま、まあ、アンさんが八幡にお礼をしたいという気持ちは私も良くわかるわ」

 

「あたしも、八つ当たりみたいにしちゃって、ごめんね」

 

 とりあえず、なんとか機嫌を直してくれた模様。ホッとした俺は、気まずそうにしている二人に近づいて、いつものように抱き締めようと……

 と思ったら、今度はポリィとアンがジロリと睨んでいた。あ、ごめんなさーい。そうだよな、人前でいちゃいちゃはやっぱね…ははは。

 

 まあ、そんなこんなで一応場は収まった。

 

 まずは女子3人でアンに服を着せた。シャツの肩の部分がどうしても通らなかったようで、そこは脇の下の部分をカットして広げて通した。

 が、切り広げられたせいで、その脇から豊満な下乳がチラチラ見え隠れして、裸でいる時より反ってエロい。アンも由比ヶ浜ほどではないが相当にごりっぱ様だった。なんか着せてる雪ノ下が自分の胸を必死に寄せてあげてるんだが……。お前、今は無心になった方がいいと思うよ。俺、変な気持ちになっちゃうからね。

 

 で、スカートや他の衣類も着せる。長いスカートは綺麗に鳥の足を覆い隠し、ショールをかけたら、翼の大部分も隠れて、パッと見、その辺の町娘のようになった。

 ポリィは大きなブーツも買って来ていたのだが、それはヤッパリ猛禽類の足、いくら大きくてもブーツを履くのは無理だった。

 

 そして食事。雪ノ下達の作ったスープとサラダとパンを、みんなで食べたのだが、アンは意外な程器用にスプーンなどを翼でつまんで、食べ物を口に運んでいたのだが、やっぱりスープはまだ難しかった。

 仕方がないので、そこはアンの強い申し出で、俺が食べさせてやることに。アンにアーンってって考えてたら、どうも顔に何かが出てたようで、雪ノ下達に白い目を向けられた。

 

 食後、どうして俺たちがここにいるのかをみんなに聞いてみた。

 どうやら、俺が急に気を失ってしまったもんで、バベルに帰ることが出来ず、近くのポリィの家までなんとか俺を運んだらしい。そんなに距離はなかった様だが、念のためにレムオルで姿を消したとのことだ。

 着いて早速ポリィにバベルの一色達へと帰れない旨の伝言を頼み、ポリィはその足でアンの服を買って帰ってきたところだったらしい。

 

 それにしても……。

 

「ポリィはどうしてアンを見つけたんだ?お前、ダンジョンに潜ったりしてないだろうに」

 

 俺がそう聞くと、ポリィは頭を掻いて言った。

 

「違うんだよ。地下から、地面から急にお姉ちゃんが生えてきたんだよ」

 

「生えた!?」

 

 俺達はポリィからその時起きた不思議な出来事を聞いた。

 

 

 

 



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(11)こいつ絶対死ぬよね!ってフラグ立てる奴いますよね

「さっき仕事して帰る途中で、変な黒ずくめの連中に会ったんだよ」

 

 そう言いながらポリィは、雪ノ下の淹れた紅茶を飲んで、びっくりした顔をしている。

 

「これ!美味しい」

 

「ふふ、ありがとう」

 

「で、ポリィ、その黒ずくめがなんだって?というかお前仕事してんのかよ?いったいなにやってんだ?」

 

「へへ……」

 

 ポリィは立ち上がって俺の横を通って、背後の棚の方に歩いていく。で、少し行ってから振り返って言った。

 

「それで、お兄さん、財布はちゃんと持ってる?」

 

「ん?」

 

 言われて、慌てて胸ポケットに入れていた、財布替わりの布の袋を確認するが、どこにもない。

 

「な、ない!?財布がないぞ!?」

 

「ええー!?」

 

 雪ノ下と由比ヶ浜の二人も絶叫!そらそうだ。なにせ売り上げは全部俺が持ってたんだからな。

 おいおいおい、ま、マジかよ。いくらなんでもこれは不味すぎる。無くしたなんてなったら、今日1日の苦労が完全に水の泡じゃねえか。

 

「ひ、ヒッキー、ほ、ホントにないの?」

 

「どこか別の場所にしまったとかは!?」

 

 二人も慌てて俺の全身をまさぐってくる。お、おい、ズボンの前ポケットは止めろ!触ってる、触っちゃってるから!?それから、どさくさに紛れてアンも嬉しそうに抱きついてくるなっての!

 そんなことより、や、やばい、金がないのは本気でヤバイ。

 

「う!うわわわあ?な、なに?お兄さん達こんなにお金持ちだったの?うっひゃあ!」

 

「「「え?」」」

 

 見ると、ポリィの手には、小豆色の俺の布の袋(さいふ)が!?

 

「は?なんでお前が持ってんだよ?え?ま、まさか……。す、スったのか?お前スリなのか?」

 

 俺のその言葉に、袋の口を閉め直したポリィが、にやっと笑いながら、投げてかえしてきた。

 

「人聞き悪いなあ、スリじゃなくて盗賊(シーフ)だよ」

 

「もっと悪いだろうが!まったく……これだからファンタジーは……。で?そのシーフのお前がどんな目に逢ったって?」

 

「え?あ、うん。実はね……」

 

 ポリィは居住まいをただして語り始めた。

 

 

 ポリィの話はこうだ。

 夕方の人混みの商店街で一仕事したポリィは、結構稼いだらしい(なにやってんだ!?)のだが、その帰り道に真っ黒いローブに身を包んだ怪しい集団とすれ違った。

 その時ポリィは、持ち前の目聡さで一番先頭を行く背の高いローブの男が、懐にかなりの金を入れているのを見つけ、すかさずそれをスった。

 

 ところが……

 

 いつもであれば、気が付かれる前に逃げ果せるところを、何故かすぐに気づかれ、しかもその集団が一気に走り寄ってきたのだという。元々足には自信のあるポリィだが、相手も素早く、撒こうにも離れることが出来ない。おまけに、相手は走りながら何か呪文を唱えたらしく、足元に急に蔦が伸びてきて足を絡めとろうとしたり、横殴りの突風が吹いたりと、怖くなったポリィはその奪った財布を遠くへ投げて、自分は馴染みのある地下通路へと逃げ込んだのだと。

 息も絶え絶えで、地下を進んだポリィは、突然足元に振動を感じて身を隠すとほぼ同時に、そこで不思議な光景を見る。

 急に地面の暗がりが盛り上がったかと思うと、そこに血まみれのハーピー(アン)がゆっくりと床から吐き出されるように頭から出てきた。

 最初はモンスターが産まれたかと怯えたホリーだったが、アンが苦しそうにしているのと、言葉で助けを求められたことでアンに駆け寄る……。そして、傷を塞ごうと布で押さえようとしたその時、突然背後から……

 

「下手に触れない方がいい。その傷は致命傷だ。助けたければエリクサーを持ってくることだ」

 

 なんの気配もなしに、ポリィの真後ろに黒ずくめの女が佇みポリィ達に視線を送っていたそうだ。驚いたポリィをそのままに、彼女は腕を突き出して何かを呟くと、アンが白い光に包まれ、そしてアンは時を停めたように動かなくなり、静に瞼を閉じる。

 

「今しばらくはこれで持つだろう。急ぐがいい」

 

 ポリィは、さっき同じような黒ずくめの集団に追われたばかりで内心では怯えていたのだが、その女性の言葉に嘘が無いように思い、急いで助けを求めに地上へ出た。そして……。

 今日の大盛況のおかげか、そこかしこで俺達の噂を聞いていたポリィは真っ直ぐにダンジョン入口の俺達のもとへ向かったと云うことらしい。

 

 ポリィの話すその『黒ずくめの女』は、多分さっきのダークエルフのことだろう。めちゃくちゃ美人だったけど、ホント誰なんだ?ダークエルフの有名どころって言ったら数人しかイメージ湧かないが、まさかね……。

 

「でも、本当に良かったよ。お兄さん達来てくれなかったら、きっとお姉ちゃん死んじゃってたし。でも、お姉ちゃんてなんで話せるんだろ?モンスターが話せるなんて聞いたことなかったよ?」

 

 ポリィは不思議そうに首を傾げている。まあ、そりゃそうだわな。原作でもこの時点でこの秘密は主人公達でも知らないわけだしな。

 

「あー、ポリィ?それから、由比ヶ浜と雪ノ下もだが、アンがモンスターだってことは他言無用だ。あくまで人間の女子って扱いでいてくれ。このことは、まだこの世界全体での秘密でもあるんだ。もしバレれば、アンは全ての人間の敵意にさらされちまう。もしそうなったら、どうなるか……分かるよな?」

 

 3人はごくりと唾を飲み込んで、静かに頷いた。

 こいつらはこれで大丈夫だろう。

 だが、対外的には一つ手を打っておいた方が良さそうだな。

 

「それで、アン?お前、今までのこと話せるか?覚えてるとこまででいいんだが」

 

「あ、うん。アン、オリコワレタからにげだしたの。キュウなジシンで。それで、イッパイニゲタの。ハシッてトンで、ヤスマナイでずっと……でも、コワイヒトタチイッパイおっかけてきて、クマさんとかウシさんとかにもおっかけられて……」

 

「クマ?ウシ?ダンジョンに動物もいるのかしら?」

 

 雪ノ下が不思議そうな顔でポソリとつぶやく。

 

「あー、それ多分『バグベアー』と『ミノタウロス』だろう。ほら、俺達が18階層に出たとき、最初にバギとかイオでやっつけただろう?あれだよ」

 

「ミンナ、アンをいじめるの。だからニゲタの。ホントはトモダチもイッショにニゲタカッたけど、コワイヒトタチいっぱいで、アンしかニゲラレなかったの」

 

 アンはまた目に涙を浮かべている。友達ってのは、ひょっとしたらさっきダンジョンから搬出してたあの木箱の中に居たのかもしれないな。でも、本当に感情豊かだな。もうほとんど人間じゃねえか。

 アンは涙を羽で拭いつつ話を続けた。

 

「それでアン、イッパイニゲタけど、コワイヒトにまたツカマッタノ。コワクてイヤで、でも、ニゲラレナクてナイテタの。それでイッパイイッパイナイタら、キラレチャッタの。アトはよくワカンナイ」

 

 うーん。

 アンは別に嘘はついてないと思うけど、言葉が辿々しいせいで、いまいち状況がつかめない。

 地震で檻が壊れたからってのは多分そうなんだろうな。ん?地震って、まさかあれか?神龍がダンジョンに突入したときの振動なんじゃねえか?あれ相当揺れてたし、落盤とかもあったしな。だとすると、丸1日以上逃げ回ってたってことになるのか……。

 そんで友達をおいて一人で逃げて、でも追い詰められたのか……その冒険者の連中に。んで、捕まって泣きわめいたら切られて……でも、それでどうやって逃げ出したんだ?普通に考えれば、その時点でジ・エンドのバッドエンディングだ。でもアンは助かってる。

 誰かがアンを助けたとしか思えない。だとすれば、あのダークエルフしか思いつかないが、いかんせん情報が少なすぎる。

 第一、ダンジョンでもないところの床からモンスターが生えてくるなんて、原作にだってそんな話はなかったぞ。だとすれば、原作にも書かれていない何かの神秘があるのかだな。

 

 俺が頭を掻いて唸っていると、雪ノ下が「どうかしたの?」と聞いてきた。

 

「ああ、多分なんだが、さっきバベルを出る前に木の箱をダンジョンから搬出してた連中が居たろう?あれ、多分中身モンスターだ。それも、アンと同じような自意識のあるな」

 

「え?」

 

 驚いているみんなに状況を説明してやる。

このオラリオでモンスターのダンジョンからの連れ出しは当然ご法度だが、非合法で他のダンジョンの拾得物に隠してモンスターを販売している連中がいる。

 この世の中に『幼児趣味(ロリコン)』ならぬ『怪物趣味』なんて物もあって、そんな変態にとって人語を解して意識のあるアンのような『異端児』は最高の商品であること。

 原作でその販売先の一つとして出てきた『エルリア貴族』の名前を、さっき作業をしていたファミリアの一人が話していたことも含めて、どうやってアンが逃げられたのかは別としても、十中八九あの連中がモンスターの密売をしているであろうことを教えた。

 

 衝撃的な話で暫く場は静まり返っていたが、由比ヶ浜が唐突に口を開いた。

 

「ねえヒッキー」

 

「なんだよ。どうした?」

 

「えっとね、アンちゃんのその友達……あたし達で助けられないかな?」

 

 急に由比ヶ浜がとんでもない、原作ブレイク発言を宣った。

 

「お、お前なあ、それはちょっとまずいってこと、お前も知ってるだろうが、昨日ちゃんと話したろ?このあとの展開」

 

「ウィーネちゃん達のことでしょ?でもさ、放ってなんておけないよ。だって知っちゃったんだもん。あたしはこの子達が酷い目に遇うなんて絶対ヤだよ」

 

「やだよったってな……」

 

 由比ヶ浜は潤んだ瞳で俺を覗き込んでくる。そんな目されてもな、こればっかは、『じゃあ、いっちょやっか!』ってとーちゃんみたいに返事は出来ねえ。

 

 これは、この世界の神でさえ知らない常識の根幹を覆す話しと繋がってきちまう。

 この世界で唯一モンスターを産み出し続けるダンジョンの最大の問題。

 

 『自我を持ったモンスター【異端児(ゼノス)】の誕生』

 

 この世界では、本来、モンスターは本能の赴くままに人に襲い掛かるだけのダンジョンの暴力装置だと思われてきた。

 それが、あろうことか自我を持ち、人語を操り、コミュニケーションをとることが出来る存在が生まれ始めた。

 まあ、ドラクエだったら、ホイミンとかベビーサタンとか、結構みんな喋ってるし、魔王ともコミュニケーションとれちゃうけどな、こっちの世界は違う。

 この事を知っているのは、神ウラノスとその側近、それと神ガネーシャ(どこまで知ってるかはいまのところ不明)、そして、【異端児(ゼノス)】を捕まえ、一部の好事家に販売している、とあるファミリアの神と眷族達のみ。

 原作で語られていない存在もあるのかもしれないが、この問題にベル君達主人公組が関わるのはもう少し後だ。そう、ベル君が試練を乗り越えて、もっと力をつけてから。

 だから、今、件のファミリアと事を荒立てるのは好ましくない。ただでなくとも、ベル君はこれから在らぬ因縁を吹っ掛けられて、【アポロン・ファミリア】とヘイトにまみれた『戦争遊戯(ウォーゲーム)』をしなければならないわけだしな。

 

 さて、どうしたもんかな……

 

 俺は、ずっとニコニコしているアンを見つつ、雪ノ下に聞いた。

 

「どう思う?」

 

「そうね……」

 

 顎に手を当てた雪ノ下もアンに視線を向けている。そして言った。

 

「この先、いつかは関わらなければならない問題なのでしょう?だったら、それが今でもいいのではないかしら?私たちがここに居る以上、貴方の言う原作とはもう違ってしまっているのだし、それに……」

 

 雪ノ下は俺を見上げながら続ける。

 

「それに、貴方はもう決めてるって顔をしているわ。そんな顔で聞かれても、反対なんてできるわけないじゃない」

 

 苦笑を浮かべてそう言われて、顔に手を当てる。

 

「顔に出てたか?」

 

 大きく頷く二人に思わず苦笑い。ま、そうなるわな。

 

「よし、なら、作戦を一部変更するぞ。だが、俺達の正体は絶対明かすわけにはいかない。謎の集団がアンのお仲間を救いだす。これで行くぞ。それとアンの安全の確保だ。とりあえずここも危ないかもしれない。お前ら、忙しくなるぞ」

 

「うん!」「ええ!」

 

 妙なテンションで盛り上がっている俺達3人を、ポリィとアンが不思議そうに眺めていた。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「主神様よ、またちょいと働いてくださいよ」

 

 暗い……ダンジョンよりも更に暗い、まるで天然の牢獄のようなその狭い鍾乳洞の奥に、その黒衣の男は寝そべっていた。

 神と呼ばれたその男は、声をかけた自身の眷族に煩わしげに視線を送る。

 

「また、お前かよ。いったい自分の主神をなんだと思ってんだ。俺に頼らずに、てめえでがんばりやがれ」

 

 そう言われたゴーグルの男は、思わず肩を竦める。正直、このやる気のない自分の神は、ちょっとやそっとのことじゃ自分から動こうとはしない。だが、今日はきちんと餌が用意されている。男は遠慮なくそのカードを切った。

 

「へへ……実はですね、『デックアールブ』の女を見つけたんでさ」

 

「な、なんだって!?」

 

 その黒衣の神は、さっきまでの緩みきった顔とは正反対に目を爛々と輝かせ、驚きを隠そうともしなかった。

 

「み、み、見間違いじゃねーのか?デックアールブは俺達が降臨するより前に滅んでるはずだろうが」

 

「それなんですがね?褐色の肌に金の瞳、あれは伝説に出てくる『ハイ・デックアールブ』じゃねえんですかい?確か、死なないって聞いたような気がしましたがね」

 

 神は、その表情を恍惚としたものに変えていく。神にとって下界での楽しみは様々ではあるが、この神に関して言えばそんな他の神が欲している楽しみにはまったく興味を持っていない。

 彼が欲する至福の悦び、それは……

 

「へへへ……なるほどな……こりゃあ、愉しみ甲斐がありそうだな。おい、で、そいつを捕まえたんだろうな」

 

 ゴーグルの男は目を細めて、主に答える。

 

「だから、そいつを捕まえる為にも、主神様に頑張って貰いたいんですよ」

 

 男は神に言った。

 

「俺達の獲物をかっさらった、3人組の正体を調べてきてくれませんかね。『デカルチャーズ』ってやつらを。そいつらが、あのデックアールブに繋がってますぜ」

 

「くひっ……だったらてめえらは、さっさと準備しておけ。そいつらをひんむいてたっぷりと悪夢を見せてやれ」

 

 神はスッと立ち上がると、足取りも軽やかに洞穴からその姿を消した。

 

「くくっ」

 

 神が去ったそこで、男は卑しい笑みを浮かべる。そしてその男の回りの足元から複数の黒ずくめの人影が突然現れる。そして、その中の一人が懐から大量の金貨の入った袋と赤い宝石を、ゴーグルの男に手渡した。

 

「へへっ、あんがとな。こんなことで良いなら、いくらでも俺は手を貸すぜ。あんなバカでも神は神だからな」

 

 そう言って軽口を叩いたゴーグルの男に。もっとも背の高いローブの男が地の底から湧き上がるような声で囁いた。

 

「命が惜しいのならば、それ以上神を蔑まないことだ。貴様は我々の言う通りに、あの者達の正体を探り、その後その『宝玉』を神イケロスへ渡せばそれで良い。それからな……」

 

 黒ずくめの男達は一斉にその黒いフードを取った。

 

「いま少し、自分の立場を弁えることだな……『ニンゲン』」

 

 そこには、輝く銀髪に金色の瞳、そして闇を思い起こさせる褐色の肌の美麗な亜人が、男を冷たく見下ろしていた。

 



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(12)まったく冒険者ってやつは……最高だな

 一応の方針を決めた俺達は、夜陰に紛れてバベルへと戻った。当然だが、レムオルで姿を消して。

 え?だって誰が見てるか分かんないし、俺たち自分の気配を消したり、追跡者の動向を察知したりなんてスキルは当然持ってないし。だって、普通の高校生だし。

 

 と、言ってみたい今日この頃ではあるが、まあ、魔法を使えるってことで、それにすがっているというわけだ。

 

 で、ハーピィのアンを連れて帰った訳だが、シーツをマントの様に羽織ったアンを見て、なぜか一色が猛烈に不機嫌になった。まあね、アンが俺になついちゃって、由比ヶ浜達を押し退けて俺に抱きついちゃってるわけだしな。こんなイチャイチャ見せられて気分良い奴いるわけないわな。

 と、まあ、それは置いておくとして、ルビス様達にことの次第を説明して、必要なことを頼んで、色々と準備をしてから俺達は眠った。4人で。だって、アンが俺から離れないんだもの。で、当然の様に由比ヶ浜と雪ノ下も布団に入ってきちゃうし。はっきり言って色々あれがあれで、なかなか眠れなかったわけだが……。

 

 結局今日も俺は思春期男子の苦しみを味わうことになった。いや、ちょっと、ちょっとだけ触ってみたりなんかしちゃったんだけどな……さりげなく……気付かれないように……

 だ、だって、こんな直近に柔らかそうで良い匂いの男子垂涎の神秘が二つ(あと人外一つもだが)も俺に身体を預けて添い寝してるんだぞ。ち、ちょっとくらい触ったっていいじゃねーか(開き直り)。寝息に混ざって聞こえる、ふたりの艶かしい吐息に身悶えしつつ、でもそこまでしか出来なかった。

 仕方ねえじゃん、俺の脇でアンがゴロゴロ言いながら寝てるし、となりの部屋には、一色も小町もルビス様もいるし、俺にはそこでイタせるほど、チョコボ○ル○井さん並の度胸と精力はねえっての。

 

 はあっ、俺、これからずっとこの調子なのかね?なんで、毎朝起きていきなり自分にベホマかけなきゃなんねーんだよ。でもまあ、二人が妙に上目使いで俺を見てることに関しては気にしないでおくことにした。

 

 そしていよいよ今日の夜にはイベントだ。

 

 が、まだ時間もあるし、ちょっとやって置きたいこともあったもんで、俺達は再び回復屋を開いている。

 

「ねえヒッキ……ワレラ?なんか昨日よりも患者さん増えてない?それに、昨日きた人もいっぱいいるし」

 

「そうだな……評判良いのはありがたいが、これじゃああっという間にMP切れるな。今日は夜のこともあるから早目に切り上げるぞ」

 

「うん、分かった」

 

 患者は昨日と同様に(ワレラ)由比ヶ浜(ロリー)がほぼ担当だ。それで、待っている患者達には雪ノ下(コンダ)が紅茶を振る舞っているのだが、今日は更にもう一人手伝いがいる。

 

「ハイ、ドーゾー、ハイ、ドーゾー」

 

 真っ白いダブダブのシーツをマントにして、翼を布の下に隠したままのアンが、お盆に載せた紅茶を冒険者達のもとへ運んでる。翼を隠さなきゃならないから仕方がないんだが、随分持ちにくそうだ。それに、アンは朝からずっと休みなしに働いてる。

 ちなみにアンは正体を隠すマスクをつけていない。角もそのままにしてある。まあ、角は一見、大きめの髪留めの様にしか見えないため、驚かれる心配はないのだが、まあ、俺はわざとこうさせている。

 フラフラとしながらも、お日様のような笑顔で紅茶の入った陶器のカップを渡して歩くアンに、男の冒険者たちはすでにメロメロだ。

 

「ねえ、ワレラ?なんでアンちゃんあのままなの?あれじゃあ、ちょっとマントが捲れたら、足とか羽とか見えちゃうよ?」

 

 ロリーが心配そうにそう呟くのに、俺は小声で返した。

 

「いいんだよ。わざと見つかるように、ああやって歩き回らせてるんだから」

 

「ええ!?だって、そんなことしたら、アンちゃんが……」

 

「いいから黙って見てろって」

 

 不安そうなロリーにそう言って、俺はアンを見る。すると、デレっとしている冒険者の一人が急にアンの腕を掴もうと手を伸ばしてきたところだった。

 

「きゃっ」

 

「な!?なんだ!?」

 

 小声で叫んだアンの脇で、その冒険者が捲れたマントから現れた白い大きな翼と、その足の鉤爪を見て驚愕の声を上げる。

 

「な、なんだ?ば、ばけもの……モンスターなのか!?」

 

 その言葉に、アンは一気に青褪めてその場で震えだす。近くにいた冒険者達も一様に不安気な表情に変わり、アンから後ずさって呆然としていた。

 

 良い頃合いだな。あんまのんびりしてると、気の短い奴が剣で切りつけてくるかもしれねえ。

 俺は、すっと、立ち上がってアンの前に立った。

 

「お、おい。あんた……どういうつもりだ?モンスターなんか連れ歩きやがって」

 

「そ、そうだ、聖者だかなんだか知らねえが、モンスターを連れていったい何する気だ?」

 

「お、おい、みんな……や、やっちまおうぜ」

 

 段々と周囲の連中が騒がしくなってくるのに伴って、俺の後ろのアンの震えが強くなってくるのが分かった。

 どうしようもねえな、この脳筋どもが。ちょっとだけ、脅してやるか……

 

 俺は右手をつき出して、出力を最小に絞って『メラ』を放出する。

 俺の右手の人差し指の先から上方に向けて灼熱の焔が立ち上った。

 その強烈な熱に晒された冒険者達は、怯えた様子で後ずさる。うん、その判断は正しいと思うよ。だって、完全回復を操る相手だもの。どんな恐ろしい魔法持ってるか、そりゃ怖いわな。これで、引かないのは本当の実力者か、ただのバカだが、幸いここにはそういう奴はいなかった。

 

「あー、さっきから黙って聞いてたんすけど、ばけものとか、モンスターとか、人の妹捕まえて何言ってくれちゃってんですか?ちょっと、流石に俺だって切れますよ」

 

 冒険者の一人が呻くように呟いた。

 

「い、妹だと?そんなわけあるか、モンスターと兄妹なんて……その体はどう見たって、ハーピィじゃねえか」

 

 その言葉に、アンだけでなく、ロリーとコンダも心配そうな顔になる。

 よし、なら、ここからが俺のターンだ。

 

「ああ、そうだな。この見た目はハーピィだよな。だって、俺が死にかけのアンにハーピィの体を繋げたんだから」

 

「「「「「はあぁっ?」」」」」

 

 その場にいる殆どの冒険者が、口をポカーンと開けている。俺はすかさず続きを話した。

 

「俺たちには神聖魔法がある。あんたらも知っての通り、殆どの傷は簡単に治せるし、完全回復なら切断した腕だって生えてくる。だけどな、それでも治せない、どうしようもないことがある。アンの夫となる者はさらにおぞましきものを見るだろう」

 

 俺は周囲の連中が聞き入ってるのを確認してから、話始めた。

 

「俺達は旅の途中で、アンとはぐれちまった。そう、べオル山地って言ったか。もうずいぶん前のことだ。どしゃ降りの雨で、1メドル前も見えなかった。大量の水気を含んじまった荷物が重くてな……なんとか雨をしのげそうな場所を探して崖を急いで降りてたんだ。その時……」

 

 俺は一呼吸置く。

 

「一番後ろを歩いていたアンが、流れる土砂に脚を取られて崖底に落ちたんだ」

 

 ひいっと、近くにいたおっさんが悲鳴をあげる。まあ、今は何も言うまい。

 

「俺は全ての荷物を放って、アンの落ちていった先を目指して走った。雨は弱まらないし、元々崖だ。ちょっとやそっとじゃ降りられやしない。俺は焦った。無我夢中でアンを探した。だけどな……見つからねえんだ。落ちたと思った崖下は、岩が剣山みたいに突き立っているし、上からは絶え間なく岩が落ちてくる。唯でなくても見えねえってのに探すのもままならねぇ……そんな時、聞こえてきたんだよ。甲高いハーピィの鳴き声がな……」

 

 俺の周りは静まり返っていた。列に並んでいた冒険者だけでなく、食堂で食事をしていた連中や、キッチンのドワーフの叔父さんまで手を止めていた。

 ちょ、ちょっと、こんだけ注目されると流石にびびっちゃうんだが……、どどどどうしよう……ま、まあ、素顔隠してるし、後ちょっとだし、ええい!頑張る!俺!

 

「で、でだな、そのハーピィの奇声を頼りに俺は走ったんだ。岩に当たるのもお構いなしに真っ直ぐにな。そんで向かった先で、俺は遂に見つけたんだよ……」

 

 静まり返ったその場に、ごくりと唾を呑み込む音がはっきり聞こえた。俺は渾身の力を込めて、必死の形相を装って言った。

 

「そこで見たのは何十羽ものハーピィと、そのハーピィが嬉しそうに啄んで……ぐちゃぐちゃのバラバラになっちまった、変わり果てたアンだったんだ!」

 

 ドーーーーーーン!と指を突きだすと、みんな一斉に仰け反った。素晴らしい反応だ。俺、心の隙間埋めるセールスマンも出来るかもしれないな。

 

「俺は、怒りに任せて、ハーピィを皆殺しにしてアンに駆け寄った。アンは腕も足も既に無く、内蔵も食い散らかされて、片方の目もくり貫かれていた。でも、まだ生きていたんだ。だから、俺は、魔法を使った。何度も使った。でも、アンは身体を失い過ぎてしまっていた。もう元に戻せる状態じゃなかったんだ。だから、俺は、迷わず使ったんだよ、身体を融合させる禁呪を。アンの命を繋ぎとめる為に。だが、その場に使える肉体はハーピーしかなかった。つまりな、そういうことなんだよ。アンは俺の妹だ。家族だ。もし、それでもアンを殺そうとする奴がいるんなら、そんときは俺が相手してやる。この身に代えても必ずアンを守るがな!」

 

 そこまで言い切ってから、俺はアンを抱き寄せた。アンは困ったような顔で俺を見上げてきている。まあ、ワケわかってないってことなんだろうが、ここが肝心だ。頼むから余計なこと言うなよ。

 

 そう思い静かにしていると、黙っている冒険者の中から、かなり大柄でガタイの良い頑丈そうな冒険者が3人近づいてきた。3人とも、血管が切れるんじゃないかってくらい、青筋を立てて、俺にむかってメンチを切っている。

 

 アイエェェェェェェエ?ナンデ?ハチマンナンデ?やっぱ嘘ついちゃダメだった?やっべ……どうしよ……いやマジで……

 3人は足早に俺に近づいてくると、俺を見下ろしながらドスの効いた声で同時に言い放った。

 

「「「アンさんを、俺にください!」」」

 

「はあ?」

 

 俺達一同唖然。

 

「き、キサマ、なに抜け駆けしてるんだ!?アンさんは俺が必ず幸せにしてみせる」

 

「レベル2風情が、しゃしゃり出るんじゃねえよ。アンちゃん、君がどんなに傷ついてたとしても、そんなの俺は気にしないからね」

 

「てめえら、っざけんな!アンさんは俺の嫁だ。ぶっ殺すぞ」

 

 あー……いいやつらだなあ……。

 

 もうちょいアホじゃ無ければ最高なんだけどな。

 3人はいきなり取っ組み合い。俺は巻き込まれないように、アンを抱いたまま横に逃げた。

 でも、その後もその場に居合わせた連中が次々にアンに近付いてきて、色々励ましの声をかけ始めた。冒険者ってアホばっかりだが、結構気持ちいい連中なんだな。アンも一生懸命に片言で返事をしているが、なんでこんなに皆が急に優しくなったか、全然わかって無いようだ。

 だが、それでいい。

 俺の仕掛けは見事に上手くいったようだ。

 

 みんなに囲まれているアンを置いて、俺は一旦ロリー達のところに戻ると、何故かロリーが号泣している。っておい!

 

「うう……アンちゃんそんな酷い目に遇ってたんだねぇ。でも良かったぁ。ヒッキーが助けてあげられて」

 

「お、おい、言っておくけど、あれ全部作り話だからな」

 

「え?……あ!」

 

 そこで漸く気が付いたようで、ロリーは顔を真っ赤にして慌てはじめた。

 

「し、知ってたし!わ、わわわ……わざとだし」

 

「大丈夫よ、ゆい……ロリー。私も一瞬本当のことかと思ってしまったもの。それだけ八幡の演技が心に響くものだったということよ。それにしても、相変わらずすごい搦め手を使ってくるわね。失敗したらって怖くはならないの?」

 

 コンダにそう言われて、俺も返す。

 

「こういうのはな、隠そうとするから余計に悪くなっちまうんだよ。知らないことほど怖いものはないしな。だから、みんなに見せちまえばいいんだ。ただ、全部本当のことを言う必要はない。連中が納得できて、実際にあり得そうな理由があればそれでいいんだよ。嘘に違いはないんだけどな。『受け入れ難い真実』より、『受け入れたい嘘』を選んで貰うようにしたわけさ。今はまだ、これでいい」

 

 そう、今本当のことを言う必要はない。

 要は言葉を話すハーピィ(みたいな娘)を受け入れる気持ちの余裕を作ってやればいいだけだ。

 アンは本気で人を傷つけようなんて思っちゃいない。身体がハーピィってだけで、上半身は人、それも見目麗しい美少女だ。だからこそ今回はこの方法で上手くいきやすかった。そういう意味じゃ、人に近い姿形を持ったアンはラッキーだった。

 冒険者の連中には、可愛くて甲斐甲斐しく頑張ってる健気なアンの姿を見せる。別に演技はしていない。本当に疲れるほど、アンを働かせただけだ。だからこそ、連中はアンに好印象を持った。

 そして、そんな愛らしいアンの一世一代のピンチ。

 

 正体がバレる。

 

 そう、この時はじめてその場に居合わせた全員が混乱する。人間だと思っていた少女がモンスターかもしれないという不安の境地。ここで、全員が常識と良心の板挟みになって悩みはじめる。

 原作でもそうだったが、普通この場合、この世界の人々にとって一番重要なのは世間一般の常識だ。

 『モンスターと人は相容れない存在』

 『モンスターは人を食らう悪しき存在』

 だからこそ原作でウィーネは迫害に遭った。ならば、この瞬間に誰もが持っている良心に訴えかけてしまえば良い。

 問題なのは、アンがモンスターかどうかということだ。だったら、人間だと言い張ればいい。実際問題モンスターなのだが、目の前のモンスターっぽい娘が、いや違う、人間なんだよと、その理由をきちんと貰えれば、後は勝手にみんなが受け入れはじめるという寸法だ。

 例えそれが、禁呪をつかう聖者とかいう、怪しさ満点の存在の後ろ楯だったとしても、この少女を受け入れたいという気持ちが勝れば、そんな不可解な理由も納得材料になってしまうわけだ。

 まあ、でも、嘘は嘘だ。別にだからって何も後ろめたい思いはない。後でバレるかも……と言うより、後でバラすことにはなるだろうしな。

 今の段階ではこれで十分だ。ウィーネや他の異端児(ゼノス)を紹介する機会はもう方法も含めて考えてあるし、欲張っても今はムダなだけだ。

 

 もうすっかり冒険者の連中と打ち解けたアンを見ながら、紅茶を飲み干した俺はロリーの手を引いて、再び治療台にむかったのだか……

 

「ちょっとあなた達、あの時の異世界人でしょう?」

 

 ふいに小声でそう言われ、慌てて振り向くと、目をつり上げて此方を睨んでいる、クリアブルーのふわりとした髪の知的な眼鏡美人と、冷や汗を垂らした、羽帽子の優男の二人が立っていた。

 

 

   



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(13)なんで私ばっかり!

「いったいなんの騒ぎなんですか?これは」

 

 ダンジョン入り口でもあるこのバベルの下層、その2階に突如現れた人の波に、水色(アクアブルー)のくせっ毛をかき上げながらアスフィは絶句していた。

 冒険者食堂のとなり、つい先頃までは広間だったところは今は黒山の人だかり。

 呆然としているアスフィに近くにいた大柄な猫人(キャットピープル)の戦士が声をかける。

 

「デカルチャーズっていう、すげえ回復魔法使いの連中が

格安で治療してくれるんだよ。それにとんでもなく可愛い娘がいっぱいでよ……でへへ……」 

 

 その戦士はだらしなく鼻の下を伸ばしている。

 万能者(ペルセウス)の二つ名と共に、【ヘルメス・ファミリア】の団長を勤めるアスフィ・アル・アンドロメダにとって、情報は何にもまして重要なものだが、彼女でさえこの【デカルチャーズ】なる集団を聞いたことがなかった。

 アスフィは苛立っていた。

 ここ最近立て続けに起こった異変、セーフティエリアでの大量の階層主の出現や、人知、いや神知をも超えてしまった超越神との邂逅。そして、自分ではまったく相手を出来なかった巨人の大群を、瞬く間に滅ぼしてしまった奇怪な装束の3人の魔法使いと、一人の魔神のごとき青年の出現。

 彼女はその全てを目撃していた。

 だが、あれだけ強烈な事件であったにも関わらず、彼らの行方はあっという間にかき消え、あの異変に巻き込まれた自分達には箝口令が敷かれた。

 しかし、人の口に戸は立てられないもの。噂は確かに流れたのだが、その内容があまりにも荒唐無稽だとされてしまい、ただの与太話にまでに成り下がってしまっていた。全部真実なのに!

 これら全てが、冷静であるはずの彼女の心を執拗なまでにかきみだしていた。

 無性に不快になった彼女は、その少し前に立っている優男(かみ)が訳知り顔であることに、ますます苛立ちを募らせていた。正直この主に振り回されることは今に始まったことではない。彼女はもう一度深くため息をついたところに、主神がポンと肩を叩いてきた。

 

「そんなに難しい顔するなよ。彼らは大事な依頼主(クライアント)だ。それ以上でもそれ以下でもないよ。さてと、じゃあ、行こうか」

 

 そう主神に促され、人を掻き分けて行った彼女は、更なる驚きに打ちのめされる。

 

 目の前には白ずくめの男女が4人。そのうちの一人は明らかにモンスター、半人半鳥(ハーピィ)を思わせる容姿をしている。

 そして、更にリーダーと思しき黒いマスクの男性が、滔々と語るその内容に彼女は頭を抱えてしまった。

 

 このハーピィの姿の少女は人間だと。

 禁断の魔法で融合させたのだと。 

 

 驚天動地とはまさにこのこと。地に足のつかなくなったアスフィは、思考する。

 

 何が起こっているのか?

 あのもの達は何者なのか?

 なぜ、私は知らなかったのか?

 

 今までの常識では計り知れないことの連続に、アスフィーは思考の渦へとはまり、より混乱を深くする。だが、彼女は超常の存在を既に知っていた。

 そう、あの18階層に突如現れた異世界の神々と人間達。

 その異常な力を知っていた彼女はそれを理解すると同時に、激しくその存在を嫌悪した。

 

 バカにしている。

 バカにされている。

 なんで、わたしばっかり、いつもいつもいつもいつもいつも、こんな、こんな、こんな!貧乏くじをー!!

 

「あ、アスフィ?」

 

 呼び掛けられ、一瞬主神を眼光鋭く一瞥した彼女は、返事もせずに肩をいからせて、足早に黒いマスクの男のもとへ歩み寄ったのだった。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「えっとですね、わざわざ正体隠してるってのに、言われてホイホイ白状するわけないでしょうが」

 

 俺たちは予定通り、まだ日も高い午後の早いうちに店仕舞いにした。

 もともと俺が予定していたことは二つだけ。

 一つは、アンの安全対策。原作での異端児達のひどい扱いを知っていたから、それに早めに手を打ちたかったわけだ。

 原作のように秘密裏に匿うにしても、協力者がほとんどいないこの状況で守るのは至難の術。だからこそ、ここまでオープンにしてアンの存在を肯定的に冒険者連中に認知させることにした。これで、件のファミリアの連中も簡単には手出し出来ないだろう。なにせ、アンは人間になった。世間からの認識というだけのものではあるけどな。

 モンスター相手ならどんなエゲツナイ調教(テイム)も可能だろうが、相手が人間ということきなればそれはもう犯罪だ。

 これで少しは時間が稼げるだろう。

 

 それともう一つ。

 それは今目の前に立っているこの男神との折衝だ。

 ルビス様に頼んで、神ウラノス経由でこの神ヘルメスに渡りをつけてもらっていたわけだ。

 当然、俺達の素性は明かしていない。ま、隣でなぜかすごい目付きで睨んでる女団長さんは気が付いているみたいだが……

 さすが万能者(ペルセウス)ってところか。

 

 仕事を終えた俺たちは食堂のドワーフの叔父さんの好意に甘えて、賄いをもらって、隅の方のテーブル席で食べながら話をしている。

 叔父さんすっかり俺達のことを気に入ってくれたみたいだ。アンもなんか興味深そうに叔父さんの仕事見てじゃれてるし、今度なにかお礼しなきゃな。

 

「いやあ、そうだよねぇ、悪かったね、ワレラ君。どうかうちの子を許してやってくれよ。君たちにだって都合はあるものな」

 

 神ヘルメスは見かけ通りの軽い感じでそう、頭を下げた。それをまたもや隣のアスフィさんが睨んでるし……。だから、俺を睨まないでくださいって!

 

「それで、ワレラ君達は、僕たちに何を頼みたいんだい?うちのファミリアに頼むってことは、相当な金額か、もしくは貸しが出来るってことになっちゃうけど、分かってるよね?」

 

「そうでしょうね。でも今の俺たちが渡せる金額なんてたかがしれてますよ。リボ払いできたらありがたいんですけどね、無理ですね、そうですね、はい。えーと、とりあえず金額は置いておいて、依頼はします。料金はそれをきいてそちらで決めてください」

 

 ヘルメス様はあごに手を当てて少し思案している。どうせ俺達の正体を知っているんだろうし、あの顔はなにか悪事を企んでる感じだな。相当な金額を吹っ掛けられても、最終的には神ウラノスにでも払って貰えばいいしな。

 

「そうしたら、依頼内容を教えてくれるかい?」

 

 そう言われて、俺はアンを呼んでヘルメス様の脇に立たせて言った。

 

「まずは紹介します。この子が、俺たちが保護した『ハーピィ』のアンです」

 

 その言葉にアスフィさんは目を大きく見開き、ヘルメス様は微笑みをたたえた瞳で、俺をジッと見ていた。

 

 

 

「なるほど……つまり、君たちが知りたいのは、【イケロス・ファミリア】の品物の販売先ということだね?そして、その品物がこのアン君の仲間、『異端児(ゼノス)』ということで間違いないかな」

 

 一頻り説明を終えたところで、ヘルメス様は合点がいったのか、ひとり頷いた。が、隣のアスフィさんはアンをひたすらに凝視し続けて、真っ青になっていた。

 

「そういうことです。俺たちはまだこの件に関わる気はありませんでした。ただ、このアンのことを知ってしまった以上、このまま見過ごせないってだけのことです。これは俺たち全員の総意です」

 

 ロリーとコンダもそれに頷く。もちろん、アンも。まあ、分かっちゃなさそうだが。

 ヘルメス様は、やれやれと首を振りながら言った。

 

「随分と深刻な依頼をされたもんだ。君たちに聞きたいことが二つある。一つ目は、【イケロス・ファミリア】についてだ。あそこはそれほど規模の大きなファミリアではないし、今まで問題も起こしていない。こんな裏取引をしている事実をどうして君たちが知っているんだ?それともう一つ、なぜこんな重要な話を僕たちにする?ウラノスも付いてそうだが、神なんか信用するもんじゃないぜ。それくらい知ってるだろう?」

 

 一番原作で割り食ってる神様なだけのことはあるな。だから信じられるんだけどな。

 でも、なんて答えよう。『原作読んだからお願いしたいんです』なんて言えないしな。なんて言ったら信用してもらえるんだ?

 俺はニヤニヤしているヘルメス様を見つつ、視線を横に少しずらすと、そこにはまだ困惑半分といった感じで俺を睨んでいる、アスフィさんが。

 この人にも協力して貰いたいんだよな。すごいスキルもってるし。なら、そうだな……。

 

「正直言えば、イケロスファミリアが怪しいってだけで、まだ証拠は持ってません。敢えて言うなら『勘』です。でも、ただの勘じゃない。俺にはある程度の未来なら予想出来るんですよ。だから、ヘルメス様達も信用してるんです。『勘』でね」

 

「へえ」

 

 ヘルメス様は面白そうなもの見たとでも言うように身を乗り出してきた。

 よし、ならちょいと俺の予知能力を披露するか。

 

「実は今夜、ヘスティア・ファミリアのベル君と、アポロン・ファミリアのヒュアキントスがある場所で乱闘騒ぎになりますよ。一応予言しておきます」

 

「面白い!なら、アスフィ一緒に行って確認してこい。もしその通りになったら、無償で仕事を請け負ってやろうじゃないか!」

 

「「え?」」

 

 俺とアスフィさんの声が重なった。

 あれぇ?これ、失敗するフラグじゃないよね?

 何余計な問題作ってんの?と、俺の二人の彼女から無言の圧力がかかった。

 



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(14)「ベル……クラ……ネル………………コロ……ス……」

 『焔蜂亭(ひばちてい)』はバベルから南の商店街のあるメインストリートから少し入った路地にあった。

 冒険者にはかなり人気があるらしく、まだ外は明るいというのに、顔を赤らめた連中が景気よく発泡酒(エール)で乾杯していた。

 なんでも、真っ赤で濃厚な甘さの蜂蜜酒が評判の様で、その味の虜になっちまった連中が、連日足しげく通ってるらしい。

 という情報を、ここに来るまでの道すがらアスフィさんに教えて貰った訳なんだが、当の彼女はというと、ますます機嫌が悪くなっている。

 なにせ、出掛けにヘルメス様が、とんでもなく頬を緩ませて、嬉しそうにバイバイしてたし……

 あれ、間違いなく夜の街直行だな、あの人。まったく、なにやってんだか。

 

「いらっしゃいませ~ご注文は何になさいますか?」

 

 壁際の円卓に5人で座った俺たちのところに、小人(パルゥム)の給仕の女の子が注文を取りにやってきた。

 すかさず、アスフィさんが、

 

「あー、エールを4つと……ええと、ハーピィって何を飲むんですか?」

 

「えーと、なんでも食べてるけど、ソフトドリンクでいいんじゃないか?でもエールって酒だろ?俺たちまだ未成年だから、酒はやめてくださいよ」

 

「はあ?あなた達いくつなんですか?エールくらいいいでしょ?ちょっと付き合って下さいよ。私今、むしゃくしゃしてて飲みたいから。はい、決定。エール4つと、こっちの子にはジュースをお願いします」

 

 勝手にホイホイと決められて、俺たちの前にはキンキンに冷えた大きなジョッキに入ったアワアワのエール。

 これ、間違いなくビールだよな。

 

「ほらほら、さっさと飲むの!はい、かんぱーい」

 

 ごちんっとジョッキを4人でかち合わせると、アスフィさんは一気にそれを煽った。

 俺とロリーとコンダはお互い顔を見合わせてから、ちびりと一口……

 

「「「にっが~」」」

 

 なんだこれ?こんなのをみんな旨い旨い言って飲んでるのか?どこがどう旨いんだよ。

 慌てて3人で水を飲んで口を濯ぐ。

 それを見るアスフィさんの目はしっかりと座っていた。

 

「本当に飲めないんだ。はあ、随分子供なんですね」

 

 唇についた泡を舌でペロリと舐めとったアスフィさんは呆れ顔だ。

 余計なお世話だよ。お酒は二十歳になってからって知らないのかよ。まあ、知らねえわな。

 一人、アンだけはオレンジ色のジュースを美味しそうにに飲んでいた。

 

「それで、貴方達は何者なの?やっぱり私なんかには教えたくないってわけ?」

 

 アスフィさんの眉間の皺がすごい。なんか葉っぱのマークの眼鏡の司令みたいだ、超怖い。いい加減我慢も限界みたいだな。

 

「いや、まあ、そういうわけじゃなくてだな、あんまり目立ちたくないんだよ、俺たちは」

 

「はあ?あれだけ色々やらかしておいて、なに言って……」

 

「だからな、それだよ。ゴライアスをあんだけ倒して、魔法を使いまくれる異世界人なんて、絶対悪目立ちするじゃねえか」

「ちょっとヒッキー?」「は、八幡、言ってしまっていいの?」

 

 二人が慌てて俺に詰め寄る。

 

「いいんだよこの人は。そのうち俺からお願いに行こうと思ってたんだから。それにこの人もあの時18階層に居たし、言わば被害者の一人だよ」

 

「え?そうなの?」

 

 そんな俺達のやりとりを彼女はおどろいた顔で見ていた。

 

「ちょ、ちょっと貴方達……そんなに簡単に白状していいんですか?」

 

「大丈夫ですよアスフィさん。別に割り食ってるのはあんただけじゃないってことですよ。俺たちだって好き好んでここにいるわけじゃないし。まあ、あんた達の協力がもらえるかどうか分かんなかったから、さっきはしらばっくれただけだし」

 

 そう頭を掻きながら話していたところに、不意に声がかけられた。

 

「ひひっ……なるほどなぁ、デカルチャーズの正体は異世界人って奴だったかぁ。それで、ウチの連中も分からねえで慌ててたってわけだなぁ」

 

「誰だ!え?あなたは……」

 

 慌てて立ち上がったアスフィさんが絶句してしまった。そこに居たのは。黒いコートに黒いズボンのヒョロリとしたやせ形の美男子。といっても、その形相は卑しく歪んでいる。

 あれぇ?この人確かあの神様じゃねえか?

 

「い、イケロス様?」

 

 そのアスフィさんの声で、コンダ達も困惑した顔になった。まさか噂のヒとさらいならぬ、モンスターさらいの親玉が出てきちゃうとは思ってなかったしな。

 

「なんだ?ヘルメスんとこの万能者(ペルセウス)も一緒なのか?ひひ……お前ら、まあ、そんなおっかない顔すんじゃねえよ。俺はちょいと話したくて来ただけだよ」

 

 そう言いながら、アンに視線を移した神イケロスは、卑しい笑みを浮かべて肩を竦める。

 アンは怖いのだろう、震えながら俺の背中に抱きついてきていた。

 神イケロスは俺の隣に椅子を持ってきてそこに座って話しかけてくる。

 

「俺は別にお前らの正体なんか興味ねえけど、ディックスのやつがどうしても調べてこいなんて抜かしやがるからよ、まあ、勘弁してくれや。それでな……」

 

 呆然としているアスフィさんや、怯えるアンやコンダ達にお構いなしに捲し立ててきやがる。

 

「俺が知りたいのは一つだけだ。おい、デックアールブの女がどこにいるのか教えろや」

 

「はあ?」

 

 質問の意味がまったく理解できない。デックアールブってなんだっけ?そもそもこの神が、眷族の仕事を手伝っているのは知っているが、こうもあからさまに聞いて来るってどういう寸法なんだ?

 

「そ、そんなの知らねえよ」

 

「本当に知らねえのか?よお、俺の目を見やがれ」

 

「だ、ダメです!ワレラさん」

 

 アスフィさんの声が聞こえたが、時すでに遅し、両頬を捕まれた俺はじいっとその男神の深淵の瞳に覗かれることになった。

 全身をゾワリと不快感が襲う。気持ち悪いったらありゃしないが、暫くしたら、神イケロスはぱっと手を放した。

 

「けっ……なんだ、本当に知らねえみてえだな。がっかりだよ。じゃあまあいいや、そういうことで。ひひっ……」

 

 そして、スッと立ち上がると、黒衣の神は何事も無かったかのようにスタスタと店から出ていった。

 

「な、なんなんだよ。あの神は……何しにきたんだ?」

 

「わ、ワレラさん!だ、大丈夫なんですか?」

 

「は?なにが?」

 

 冷や汗をかいて心配そうな視線を送っているアスフィさんが言った。

 

「神イケロスは精神支配の術の使い手ですよ。彼に心を覗かれるだけで廃人になる者もいるって話ですよ」

 

「え?マジで?」

 

 俺は慌てて体を動かしてみるが、べつに意識はちゃんとしてそうなんだが。どうなんだろう……?実は外から見たらなんか違うのか?

 

「なあ、俺、なんかおかしくなってないか?」

 

 ロリーとコンダの二人に聞いてみると、二人して顔を見合わせてから言った。

 

「じゃあさ、『結衣、俺の子を産んでくれ』って言ってみて」

 

「私には『毎朝俺に旨い味噌汁つくってくれ』と言ってみてくれないかしら」

 

「あー、結衣俺の子を産んで……って、重い、重いよ、いきなりそれかよ!それに雪ノ下も、お前ら、それまんまプロポーズじゃねえか!な、なに言わせようとしてんだ?二人とも!それ今全然関係ねえじゃねえか」

 

「だってー、全然ヒッキーかまってくんないんだもん」

 

「私たちだって、貴方に甘えたくもなるわ」

 

「「ねー」」って、二人で申し合わせたように首かしげてるし……ぐうっ……それちょっと可愛いじゃねーか。

 

「こほんっ…………その茶番いつまで続くのかしら?」

 

「お、おう、す、すまん」

 

 アスフィさんに睨まれてしまった。ま、そりゃそうだな。

 俺は椅子に座る彼女に向き直って言った。

 

「とりあえずなんとも無さそうだ。それにしてもあの神様はなにしたかったんだ?大体デックアールブってなんだよ」

 

 俺の問いかけに雪ノ下が、

 

「確か、北欧神話の『闇のエルフ』のことではなかったかしら?」

 

「え?それって『ダークエルフ』のことか?」

 

「どうかしら?一緒かどうかは私にはよく分からないのだけれど」

 

「『デックアールブ』は遥か太古に滅んだ闇の精霊の使徒ときいたことがありますが……伝説に出てくる種族なので確かなことはわかりませんね。それに、どうして神イケロスがその種族を探すのかも……」

 

 アスフィさんも顎に手を当てて思案しながら答える。そして、少し間をおいてから続けた。

 

「ただ、彼の【ファミリア】が限りなくクロだと云うことは分かりました。アンさんのことを知っていたにしてもわざわざ探りを入れてくるくらいですから、油断は出来ませんよ。これは私からヘルメス様へ報告します。それにしても私も一緒にいるところを見られたのは失敗でした」

 

 アスフィさんはそう言って肩をすくめる。

 まあ、そうは言っても仕方ないだろう。見られちまったもんは……。

 

 でも、ずいぶんと早いな……

 

 アンのことを公開したのはついさっきだ。まだ数時間も経ってない。それでもう直接探りに来れるもんなのか?

 なんか嫌な感じがするな。よく分かんねえけど。

 

「まあ、見られちまったもんは仕方ないでしょう。とりあえずアンタに俺たちのことを説明するよ。俺たちの目的もな」

 

 そう言って、俺は全員の本名の自己紹介と、ここまでやってきた経緯を全部アスフィさんに話した。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「つまり、あなた方は神ルビスの世界を救った勇者で、その後、今度はこの世界に飛ばされてきたということですか?」

 

 アスフィさんは今日何度目だろうか……仰天して目を見開いてしまっている。

 

「まあ、実際に大魔王とかを倒したのはとーちゃんなんだけどな。俺たちはただ元の世界に帰りたい一心で、あの手この手でモンスターと戦ってきただけだし。でもまあ、そのおかげもあって、こうやって色んな魔法を使えるようになったってわけだ。でも、信じられなくても仕方ない話しだとは自覚してますけどね」

 

 俺はほぼつつみ隠さずに話したわけだが、やはりというか、アスフィさん自体の思考が追い付いていないようだ。

 ただ、この世界の成り立ちに関しては話さなかった。というのも、この世界の神々は、人類に【迷宮(ダンジョン)】の成り立ちを教えてはいない。

 まさか全宇宙最悪の神々の遺骸が深奥に安置されていて、その強大な神気によってモンスターが生産され続けている……とは流石に言えなかったのかもしれない。

 自らでは抗えない存在と対峙せざるを得ないと知れば、人は必ず絶望してしまうだろうしな。

 だから、俺は、帰還の為のアイテムを持っているとされる黒竜を討伐しようと考えていることに留めて話しをしたわけだ。別に俺が詳細を語らなくても、必要な時が来れば、ヘルメス様が言うだろうしな。

 アスフィさんは大きくため息をついて話した。

 

「とても信じられる話ではありません。でも、少し納得もできました。あなた方が異世界の勇者だと云うなら、あの超越した力も少しは理解できます。ですが、ベル・クラネルにどうしてそこまで拘るのか。彼は確かに素晴らしい素質を持っているでしょうが、あなた方の足元にも及ばないと思いますが」

 

「俺たちそんなに強くないですよ?身体は生身だし……これもまあ勘なんですけどね。彼は相当強くなると思うんです。俺たちが帰るためにも協力してもらいたいだけですよ」

 

 無理矢理に……といった具合ではあるが、アスフィさんは俺たちの話を飲み込んでくれた。

 

「わかりました。でしたら、私も共に見届けさせて貰います」

 

 そのアスフィさんの言葉で、大体の事情説明は終わった。最後に俺はこの話をヘルメス様以外に他言しないように念をして。

 そして、話し疲れて、水を飲んでのどを潤していると……

 

「あ、ヒッキー?ベル君たち来たよ」

 

 そう言われて、入り口を見やると、ベル君とヴェルフとリリの3人が店内に入ってきた。そして、それを凝視する一団の姿も。小人(パルゥム)の冒険者もいるから、あれが多分アポロンファミリアの一団だろう。そして、他の席に目を向けると、原作で見た狼人(ウェアウルフ)の冒険者も一人で酒を飲んでいた。

 

 俺たちは静かに事の成り行きを見守った。

 

 原作では、ベル君達が楽しそうに飲んでいたところに、件のファミリアの冒険者が因縁を吹っかけて、乱闘騒ぎになる。そこにヒュアキントスが現れて、圧倒的なレベル差で、ベル君がぼこぼこにのされたところを、【ロキ・ファミリア】の狼人の冒険者……ベートの一声で場が収まることになるわけだが……

 俺たちは今回、そのベートの役ところに便乗して、デカルチャーズとして場を収めて、ベル君一行に恩を着せようともくろんでいる。

 え?ずるいって?

 当たり前じゃねえか。使えるもんは何だって使うんだよ!

 ベートが矢面に立ってくれれば、俺たちの被害も減るし、こっちは助けてやったんだぞって言えればそれでいいわけだしな。

 

 そして、俺たちはその時を今か今かと待っていたわけだが……

 

『あなた……その子を助けてくれたのね……もうすぐここは地獄になるわ……死にたくなければ早く逃げなさい』

 

「え?なんだって?」

 

 不意に耳元で声がして振り返るが、だれもいない。

 

「どうかしたの?」

 

 俺と目の合った雪ノ下が不思議そうな顔になっている。

 

「いや……今、女の声が聞こえたんだが?お前は聞こえなかったか?」

 

「いいえ、なにも聞こえなかったわ」

 

「そうか……?」

 

 空耳か?随分はっきり聞こえたが……

 周囲は賑やかなままだ。ベル君たちはちょうど、アポロンファミリアの連中となにか言い合いを始めるところだった。

 俺は急に不安になって、酒場の入口へ目を向けると……、

 

 そこには頭まですっぽりとフードを被った黒ずくめの集団が。あいつらは何者だ?と思ったその時……

 

 ガタァッ!!

 

 大きな音とともに、ベル君達の乱闘が始まった。

 

「始まったね……ヒッキー……って!あれ!!」

 

 由比ヶ浜が入口の方を見て驚きの声を上げた。

 

「ア″ア″ア″ア″ア″ア″ア″ア″ア″ア″ッ!!」

 

 そこには黒装束の集団に替わって、自身の波状剣(フランベルジュ)を振り上げた美形の偉丈夫が目を血走らせ、雄たけびを上げていた。

 

「だ、団長?は、早いよ、なにをやって……」

 

 ベル君達と取っ組み合っていた一人の小人(パルゥム)が入り口で猛るその男の形相に絶句する。

 

「あ、あれは……まさか……ヒュアキントスなのか?」

 

 アスフィさんの言葉が終わるその前に、ヒュアキントスと呼ばれた怪物は苛烈な速度で既に動いていた。彼は視線も向けずに力任せに、その手の得物を近くの冒険者に向けて叩きつける。

 凄まじい炸裂音とともに、冒険者の腕を切断したその剣は、粉塵を巻き上げつつ床を破壊し陥没させた。

 

「ぎぃやあああああ……う、腕がっ……腕がぁあああっ!!」

 

 ヒュアキントスは自身が切った相手には一瞥もくれずに正面に向かって歩み始める。

 

「ベル……クラ……ネル………………コロ……ス……」

 

 鈍い光を放つ波状剣を揺らしながら、正気を失ったその眼光は、床に尻餅をついたベル君をしっかりと見据えていた。

 

 



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(15)原作breakさせてなるものか……ぐぬぬ①

「【ランクアップ】おめでとう、ヴェルフ!」

 

「これで晴れて上級鍛治師(ハイ・スミス)、ですね」

 

「ああ……ありがとうな」

 

 今日、僕たちはLv.2になって『鍛治』の発展アビリティを習得したヴェルフの祝賀会を開いている。

 あの中層の強行軍と18階層での死闘を潜り抜けたことで、ヴェルフはLv.2に到達した。これで、ヴェルフも晴れて【HΦαιστοs】の名を武具へ刻むことが出来る。なんでもと云うわけにはいかないかもだけど、きっと、ヴェルフの作品は飛ぶように売れるようになるんだろう。それだけブランド名は大きい。

 ヴェルフは、『これでサヨナラなんて言わないぞ』って言ってくれたし、これでまた、リリとヴェルフと一緒にパーティが組める。

 僕はそれがなにより嬉しかった。

 

「それにしてもベル様~?最近妙にヘスティア様とベタベタしてませんか?さっきだって、出掛けにほっぺにチューしてましたし、あれじゃ新婚さんじゃないですか。リリは、それはとっても不潔なことだと思います」

 

 急にリリが頬を膨らませてジト目を送ってくる。

 

「おお!なんだなんだ?ベルもついに神の餌食になっちまったか?」

 

「ち、ちがうよ。か、神様がただ勘違いしてるだけで……た、確かに嬉しいけど、畏れ多いというか、なんというか……これも全部、は、八幡さん達のせいなんだよ」

 

 慌ててつい八幡さんの名前だしちゃったけど、大丈夫だよね?聞いてなんかいないよね?

 僕の話に、リリとヴェルフも顔を見合わせる。

 

「確かにあの人たちはデタラメ過ぎだ。あの階層主(ばけもの)共を、信じられねえ魔法で消し飛ばしちまうし、オルテガさんなんかは拳の一撃で魔石ごと吹き飛ばしてたしな……おまけにこの剣ときたもんだ」

 

 そう言ったヴェルフの脇には、さらしに巻かれた八幡さんの『雷神の剣』が立て掛けられてる。

 

「ヴェルフ様、こんなところまで剣を持ってきたんですか?」

 

「当たり前だろ。こんな宝剣をどこにも置いておけるもんか。『魔剣』で『不壊属性(デュランダル)』ときたもんだ。この剣は間違いなくこの世界で最上位のもんだ。ヘファイストス様と団長にも見せたんだが、二人とも絶句してたぜ。団長なんかは、この剣を見てから鍛治場に籠っちまって出てきやしねえしな。金額にしたら0がいくつ付くのか想像もできねえよ」

 

「その割りにはオルテガ様簡単に放り投げてましたけどね」

 

「あのオーガみたいになっちまった女といい、本当にあの連中何者なんだよ。なあ、ベルは何か聞いてないのか?」

 

「え?」

 

 話が逸れたのは良いけど、やっぱり僕に視線が集まってきちゃってる。

 一応、八幡さんと神様に『異世界人』ってことは聞いたけど、それは言わないでって言われてるし。でも、二人に秘密を作ってるのは嫌だし……

 

 ご、ごめんなさい!神様!八幡さんっ!

 

 僕は二人に知ってることを全部話した。当然だけど、二人とも口をあんぐり開けてしまってる。でも、仕方ないよね。

 

 確かに僕は最初のゴライアスに止めを刺すことができた。でも、それはヴェルフやリリやたくさんの援護があったからこそ……

 でも、そんな僕なんかとは違う。

 一人……全くの独力でゴライアスを翻弄し、仲間を庇うために巨大な怪物を迎え撃ったリューさん。

 そして神々の力(アルカナム)と言っても差し支えのない八幡さん達の魔法……

 その英雄譚のワンシーンにも迫るその偉勲に今更ながら畏怖を覚える。

 

 関係者に箝口令が敷かれ、結局あの異変はなんだったのか分からず仕舞いではあるけど、18階層の『リヴィラの街』も再興に動き出しているみたいだし、神様がダンジョンに潜るという禁忌を犯した僕たちのファミリアも、軽い罰を受けただけで終わることが出来たから、あまり文句は言えない。

 

 それから僕たちは、この数日の冒険を思い返すように語りあった。

 命がけの18階層までの退避行も、階層主との死闘も、あれだけ辛い経験ではあったはずなのに、思い出になってしまうとこうも愉快になれるのかと、自分でも驚いてる。ヴェルフもこれだからダンジョンは止められないって騒いでるし、僕も楽しくなってつい声を出して笑ってしまった。『ベル様の評価もかなり上がってますよ』なんてリリも言ってくれる。

 でも、そんなリリが少し元気が無いような気がして、声をかけようとしたその時……

 

「__何だ何だ、どこぞの『兎』が一丁前に有名になったなんて聞こえてくるぞ!」

 

 聞こえよがしに大声がして、隣のテーブルを覗くと、小人族(パルゥム)の冒険者が杯を片手に叫んでいた。

 

__嘘……

__インチキ……

__臆病者……

 

 それにヴェルフやリリの悪口まで……

 

 でも、それに関わるなと、ヴェルフが止めてくる。リリも毅然として背を伸ばしていた。

 僕もそれで冷静になれて、ようやく心が落ち着いたと思ったその時……

 

「威厳も尊厳もない女神が率いる【ファミリア】なんてたかが知れているだろうな!きっと主神が落ちこぼれだから、眷族も腰抜けなんだ!!」

 

 頭に一気に血が上る。そして、たち上がってその言葉を取り消すように吠えた。

 

 自分のことはいい。僕はまだまだだ。全然ダメだ。そんなことは知ってる、分かってる。でも、ヴェルフやリリや、そして神様を冒涜されるなんてとても許せない!

 そんな僕を見つつ、更に言葉を重ねてくるその小人族に僕は耐えきれなくなって掴みかか……

 

「ぶひっ!?」

 

 突然横から伸びた足が、その小人族の顔面にめり込んで、そのまま蹴り飛ばした。

 

「足が滑った」

 

 呆然とする僕の隣で、ニヤリと笑ったヴェルフがふてぶてしくそう告げた。

 

「てめえ!?」

「やりやがったな!!」

 

 その5人組(・・・)の冒険者達にテーブルを蹴りあげられ、皿やコップの割れる音が辺りに響く。そして周りの客等が歓声を上げるのを皮切りに一気に乱闘になってしまった。

 

「ああもうっ、これだから冒険者は!」

 

 殴られながら、そんなリリの非難めいた声を聞く。聞きながらも慣れない喧嘩をしていた僕らにその雄叫びが届いた。

 

「ア″ア″ア″ア″ア″ア″ア″ア″ア″ア″ッ!!」

 

 酒場の入り口には波状剣(フランベルジュ)を振り上げた美形の偉丈夫が目を血走らせている。

 

「だ、団長?は、早いよ、なにをやって……」

 

 さっきヴェルフが蹴りとばした小人族(パルゥム)が入り口で猛るその男の形相に絶句する。

 

 団長って?あれは誰なんだ?

 

 周囲の野次馬も呆然とした顔でその光景を眺めていた。

 男はゆっくりとこちらへと歩みながら、不意に近くに腰を下ろしていた冒険者に向けてその波状剣を振るう。

 光と変わったその凄まじい剣跡は、その冒険者の腕ごと、床までをも切りさく。そして遅れて甲高い破壊音が辺りに響き渡った。

 ぼとりと床に落ちた自分の腕を眺めつつ、その冒険者は絶叫した。

 店にいる全員が押し黙っているなか、その男は僕を見据えて呟いた。 

 

「ベル……クラ……ネル………………コロ……ス……」

 

「え?」

 

 次の瞬間、その男は全身の筋肉を躍動させて、僕に向かって躍りかかってきた。

 

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「ベル!避けろ!」

 

 そのヴェルフの声が聞こえるよりも早く、体を跳躍させていた。でも、その一撃はまるで僕を追尾するかのように途中で軌道を変え、そのまま背中を一凪ぎに切り裂く。

 

「ぐあっ!」

 

 焼きごてを押し当てられたかのように、背中が焼けるように熱くなる。それでも、なんとか態勢を建て直そうと足を踏ん張ったその時、腹を途轍もない衝撃が襲い、そのまま天井近くまで蹴りあげられた。

 

 

「ベルさまぁ!」

 

 悲鳴のようなリリの声が聞こえ、宙を舞いながらその泣きそうな瞳を見る。

 

 ダメだ……

 リリ……

 早く逃げるんだ……

 

 まるでコマ送りのようなその視界の中で、僕は必死にリリに声をかける。でも、肝心の声が出ていない。

 その隣には、戻した足を軸にしながら体ごとリリに視線を向ける男の姿が……

 そして次の瞬間、リリに向かってその凶刃が振るわれてしまった。

 

 刃は軌道を違えずに、真っ直ぐにリリの首を狙う。

 

 その時……

 

「リリすけぇ!」

 

 すでに飛び出していたヴェルフがリリに抱きつきながら、跳びこんだ。

 すんでのところで刃をかわした、ヴェルフとリリはそのままの勢いで椅子を弾きながら床を転がっていた。

 

「シネ……」

 

 床に落下した瞬間、僕の目には真っ直ぐ降り下ろされてくる波状剣と、その一撃を繰り出す碧眼で長身の美青年が写っていた。

 

 避けなきゃ……

 

 そう思考出来ているのに、体が動いてくれない。

 

「団長!こ、殺しちゃダメだ!」

 

 近くでそんな声が聞こえるが、次の瞬間それは悲鳴にかわる。

 軌道を変えた刃が回りにいた冒険者をまとめて切り裂いていた。

 

「ぎゃあああああああああああ!」

 

「だ、団長!?な、なにを……ひ、ひいっ!」

 

 切られた冒険者が血を吹き出したのを見て、今まで固まってしまっていた客たちが慌てて入り口へ向かって駆け出すのが見えた。

 僕はなんとかたち上がって、神様のナイフを構えたところへ、ヴェルフの声が喧騒に紛れて耳に届く。

 

「おい、ベル!そいつは【アポロン・ファミリア】のLv.3のヒュアキントスだ!今のお前じゃ歯が立たねえ……に、逃げろー」

 

 れ、Lv.3?

 

「うわああああああ!?な、なんなんだお前らは!?」

 

 背後……店の出入り口の方からそんな声が聞こえて、ちらりと振りかえる。店から外へ逃げようとしていた客たちは、そこに待ち構えていた異様な集団に囲まれてしまっている。

 そこには武器を構えた無数の冒険者の姿が……ただ、普通ではなかった。その目は光を失い、まるで獣が獲物を狙うがごとく、逃げ出す客たちに獰猛な視線を送っていた。

 

 そして、

 その集団が一斉に客たちに飛びかかる。

 

「ぎゃああああああああああああ!」

 

 木霊する絶叫に、どうしようもないまま、視線をまた前に戻した時、そこには既に波状の刃が迫ってきていた。

 背中の痛みをこらえつつ後ろへ飛んで回避しようとしたところに、今度は僕を追い越したヒュアキントスのかかとが頭上から降り注ぐ。あり得ない速度で後頭部を叩きつけられ、そのまま床に打ちつけられたところに、再び刃が強襲、それを転がりながら回避するも、鋭い突きの連撃に完全に避けることもできずに、ついに左肩を貫かれてしまった。

 

「ぐはあっ!!」

 

 激痛に悶える僕を見下ろしつつ、ヒュアキントスはその得物を無造作に引き抜き、今度は、それをを逆手で持ち直した。

 

 僕はその圧倒的な力と殺意の前で、体の震えが止まらない。

 ミノタウロスやゴライアスと対峙したときとも全く違う……

 死がどうとか、悔しいとか、そんな勘弁なものではない、純粋な恐怖。

 

 勝てない。

 いや、逃げられない。

 

 全身を打ちすえられ、切られ、刺され、僕は絶望の縁にいた。

 

「シネ」

 

 僕を死へと誘うその声を聞きながら、再びモーションの遅くなったその降りおろされる刃の切っ先を、ただ呆然と見つめることしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 ギイイッン!!

 

 

 

 

 

 

「なに殺気に当てられてんだよ。この兎野郎が」

 

 甲高い金属音の後、そこにはシルバーのブーツで波状剣を受け止めた、いつかの狼人(ウェアウルフ)の冒険者の姿があった。

 

 そして……

 

 僕はそこで意識を手放して、深い闇に堕ちていった。

 

 

 



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(16)原作breakさせてなるものか……ぐぬぬ②

「ベル様ぁー!」

「ベルー!」

 

 まったく動かなくなったベルにヴェルフとリリが悲痛な声を上げる。

 二人の視線の先には完全に意識を失ったベルと、殺意で醜悪に歪んだその狂暴な顔を隠そうともしないヒュアキントス。

 そして、そのヒュアキントスの前で、刃をブーツで受け止めている狼人(ウェアウルフ)の第一級冒険者が対峙していた。

 

 ただ、それだけではない。店内は阿鼻叫喚の修羅場と化していた。

 武器を持った獰猛な野獣となった冒険者たちが、一斉に店内の客たちへ切り込んできている。

 すでに床は切り伏された者たちの血の海となっていた。

 

「スクルト」

「ベホマラー」

 

 悲鳴の傍らで、小さな声でその二つの呪文が唱えられていた。

 黄金(ゴールド)とか白金(プラチナ)の輝きが店内に満ちていく。

 だが、そんなモノはお構いなしに、暴漢たちは動くものに得物を振るい続ける。

 その地獄のなかで、一人狼人のベート・ローガは普段と変わらぬ声音で相手……男神アポロンの寵愛を一身に受けるその長身の美男子に言葉を叩きつけた。

 

「おい!男色(ホモ)野郎……気色わりいからさっさと死ね」

 

 ベートは自身のブーツで波状剣を蹴り上げ、そのまま竜巻のような連続脚蹴りを叩き込む。刹那、そのベートの背後から波状剣が襲いかかった。

 

「なっ!」

 

 振り向く間もなく、凄まじい数の剣撃がベートの首目掛けて振るわれる。咄嗟に頭を振り、避けようとするも、またもや、背後に気配……一瞬でまわりこんだヒュアキントスが殺気を放出し続けていた。ベートは身を屈め一気に横に跳ぶ。

 

「て、てめえ……」

 

 ヒュアキントスは獰猛な瞳をベートへ向けながら、右手に持った剣を下段に構え直している。

 

 ベートは苛立っていた。

 ヒュアキントスのLv.は確か3だったはずだ。例え多少偽っていたとしても、Lv.5である自分にここまで肉薄出来ようはずがない。しかもスピードでだ。

 今となってはアイズに溝を開けられたとはいえ、かつては【ロキ・ファミリア】において最速を誇っていた自負もある。

 有り得ない……

 

 いや……

 

 ベートは自身の脳裏を過ったその思いを一気に振り捨てた。

 

『有り得ないことは有り得ない』

 

 かつて自分の欲望に忠実だった伝説の人物の言葉。どんな悪夢も、どんな奇跡もダンジョンでは起こる。

 ベート自身ですら、その有り得ないと思っていたことを目の前で横たわる、このひ弱だと思っていた白兎のような人間(ヒューマン)から見せつけられてきた。

 彼はヒュアキントスを見据えたまま、腰のホルダーに収まった自身の剣に手を伸ばそうとしたその時、不意に背後から声をかけられた。

 

「おい、あんた。あのイカレ野郎を押さえ込めねえのか?力貸してやろうか」

 

「ああん?」

 

 僅かに横目に見ると、そこには真っ白いローブに黒いマスクの怪しい男が。表情は読めないが、そのマスクの内から凍てつく眼差しを送ってきていた。

 

「てめえ、誰にものを言ってんだ。雑魚がぁ!」

 

 正体不明のマスク男にそう叫ぶと同時に、ベートは飢えた狼のごとく剣を正面に構えたままヒュアキントスに躍りかかる。

 だが、その攻撃はまたもや簡単にしのがれた。

 つきたてた剣を軽く波状剣(フランベルジュ)にいなされる。幾度も振るうも、それに合わせるような猛烈な速度での剣の打ち合いとなり、まったく傷を負わせることが出来ない。

 

「ちぃっ」

 

 一度飛び退いたベートは渾身の力を込めて、自身最強の武器でもある戦靴【フロスヴィルト】を相手の胴体に叩き込もうとした。しかし……

 

「な、なにぃ?」

 

 Lv.5の渾身の一撃で放ったその必殺の蹴りは、あろうことかヒュアキントスの左手で簡単に押さえ込まれてしまった。慌てて体を捻り、逃れようとしたベートを、ヒュアキントスは乱暴に放り投げた。

 

 ベートの思考は混乱の渦に陥っていた。

 あの身体能力は、Lv.6の自身の【ファミリア】の団長フィンや副団長のガレス並……いや、普段から手合わせをしている感覚からすれば、それ以上の力を感じる。

 

 いったい、なにが起きてやがる……

 

「なあ、あんた、その靴魔法で強化出来るんだろ?なら、俺が力貸してやるよ」

 

 唐突にベートの脇にまたあの白いローブの男が歩み寄ってきていた。

 今は下手な自尊心に拘っている場合ではなかった。相手の力が少なくともガレス達以上だとするならば、全力で当たっても勝てる見込みはない。

 ベートは普段の強気な感情を押し止め、すぐさまローブの男に言った。

 

「てめえ、魔導師か!なら、すぐに魔力を込めやがれ」

 

「いいのか?風船みてえに破裂したりしねえよな?」

 

「いいから、さっさとしろ!つべこべ抜かすとぶっ殺すぞ」

 

「よ、よし……なら、いくぞ…………。『ライデイン』」

 

 白いローブの男がフロスヴィルトの宝玉に手を翳して呟いた途端に、強烈な青い閃光が走った。

 

「は?む、無詠唱だと!?」

 

 驚く猶予もないままに、瞬く間に、両足に凄まじい魔力の塊が注ぎ込まれる。その溢れる電撃に、唖然としていると、不吉な音が足元から響いた。

 

 ビキリッ

 

 ベートはこの音を知っていた。

 そう……フロスヴィルトの宝玉が砕ける音……

 

「ばっ……ばか野郎が!てめえ、すぐに魔法を止めやがれ!」

 

「と、止まる分けねえだろうが!ションベンじゃあるまいし……ああ、くそぉ……どおりゃああ!」

 

 ローブの男はそのかざした手を無理矢理に引き剥がして真上に突き上げた。その手の先から雷撃を放出したままで。

 解き放たれたそのエネルギーは周囲を青白く染めながら、バリバリと激しい音を立て、直上へと巨大な激流となって駆け昇る。そのうねる光は、天井に大穴を開けてしまっていた。

 

「ぼさっとすんな!さっさとその蹴りでやっちまえ」

 

 男のその言葉で唖然としていたベートは我に返る。

 

「う、うるせい!このくそがぁっ!」

 

 叫んだベートは、一気に跳躍する。壁に着地し、足下を破壊しながら渾身の力で飛び立つと、そこから一気にヒュアキントス目掛けて捻りを加えた蹴りで襲いかかった。

 ヒュアキントスは再びベートの脚を弾こうとするも、凄まじい電撃を帯びたその蹴りは、触れる前からヒュアキントスの身体を焼いていた……

 

「おお!スーパーイナズマキックだ!」

 

 というマスクの男の声。

 

「ギャアアアアアアアア!」

 

 ベートの渾身の蹴りはヒュアキントスの胸の正面に炸裂し、電撃の火花に皮膚もろとも衣服を焼き尽くしていた。

 まるで爆発のような衝撃に焼かれながら吹きとばされたヒュアキントスは、激しく身体を回転させて大理石の柱に叩きつけられる。そしてそのまま動かなくなった。

 

「ベルッ!」「ベル様!」

 

 ベートのすぐ後ろ、床に倒れ伏しているベル・クラネルの元へ、仲間とおぼしき二人が掛けよってきていた。

 ベートは首をまわし、例のマスクの男を探す。男はすぐそばで右手を正面に突き出しながら呟いていた。

 

「よおあんた、助かったよ。あと、先に謝っとくわ……わりいな」

 

 ベートが文句を言おうとしたその時。

 

「ラリホー」

 

 またもや無詠唱。てめえは何者だ、と言おうとしたベートだったが、既にベル・クラネルに覆い被さるように眠りについた先程の二人を見つつも、次の瞬間には一気に意識を刈り取られて眠りに落ちていた。

 

 

 



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(17)原作breakさせてなるものか……ぐぬぬ③

「どうするんですか、これ!」

 

 狼人(ウェアウルフ)達を眠らせた俺に、そう言って詰めよって来たのは当然アスフィさん。目を飛び出さんばかりに見開いちゃってるし、なんか原作のクールビューティーのかけらが微塵もないんだが。

 

 とりあえず首を巡らせて、現状を確認する。

 まず飛び込んでくるのは床一面の血の海。ついで、破壊され尽くした店内の壁や床、そして粉砕された椅子やテーブル。

 見ないようにしているが、当然天井には俺が空けちまった大穴が……(だから、先に大丈夫かって聞いたってのに……)

 そして、そんな店内に折り重なるように転がる冒険者や町民の体を、ロリー(由比ヶ浜)が一人ずつ確認しながら回復魔法をかけて回ってるところだ。

 つまり、俺たち以外の全員……店員の小人族(パルゥム)の女の子やキッチンの調理人達も含めて、みんな眠ってしまっているわけだ。

 とにかくその数が半端ない。ちょうど今、コンダ(雪ノ下)から報告されたが、店内はおろか、店の外、それもかなりの広範囲で多くの人が眠りについてしまっているようだ。

 

「…………」

 

 ま、マジでどうしよう……

 

 なんでよりによってこのタイミングで、こんなイレギュラーな展開起こしやがるんだよ!どう考えてもおかしいだろ。

 いじめか?いじめられちゃってるのか?俺……

 確かに、もと中二病のうえ、今高二病(平塚先生談)のくせに彼女が二人もいるなんて、俺だって、こんな奴いたらむかつくしな……

 

 あ、納得できちゃったじゃん。

 

 ま、まあ、いい。とにかくこの原作ブレイクをどう対処するかが問題だ。

 

 俺は、ここに至るまでの流れを振り返る。

 

 まずあの狂ったヒュアキントスの登場から全てが始まった。原作だと、確か、ベル君達の近くのテーブルで、他の団員と一緒に座っていたはずだ。

 

 なのに、ビリー・ザ・キッド宜しく、入り口から登場したと思いきや、いきなり叫びやがるし、いったいどこのビフ・タネンだよ!あ、ベル君、チキン(臆病者)で切れちゃいそうな気がするな。

 そんで、いきなり近くの奴の腕切っちゃうし。

 当然俺はコンダ(雪ノ下)に言って、すぐにレムオルで姿を消させて、店の隅に全員を退避させた。

 で、奴がベル君に飛びかかったところで、腕を切られた奴が血まみれで悶えていたから急いで近づいて、ベホマで腕を繋げた。これ、まだ切られたばっかりならすぐくっついて完治することが判明。

 で、ベル君の様子を見ようとしたら、今度はバイオハザードばりに、入り口から正気を失った連中が入ってきちまうし、なに?バールシンドロームなの?

 歌歌わなきゃ治んないの?なんて思ってたら、ホントに切りかかってきちまうし。

 それで、コンダ(雪ノ下)ロリー(由比ヶ浜)に急いで声をかけて、この店の全員にスクルトとベホマラーをかけさせたわけだ。

 一応、効果があったみたいで、みんなめっちゃ切られてたけど、結構元気に逃げ回ってたから死んだ奴はいなそうだ。

 ただ、どう考えても、メダパニの錯乱状態に近かったから、状態回復の術を持ってない俺たちは苦肉の策で眠りの呪文を使うことにした。

 ロリー(由比ヶ浜)に頼んで『ラリホー』を唱えてもらい、客達は一瞬で眠りに落ちたが、狂った暴漢達はふらつく程度でほとんど効果がない。だから、俺も一緒になって、『ラリホー』の重ねがけをして、漸く、ほとんどの連中が崩れ落ちたところで、ベートのところへ走り寄ったわけだ。

 

 後はご覧のとおり……ベートの必殺のキックでヒュアキントスが吹っ飛んで、最後まで起きてたベート達を眠らせて、はい完成。

 

 アンは姿を消してたし、アスフィさんに守ってもらってたから二人とも怪我はなし。特に死人もいないから、まあ良かったって言えば良かったんだが……

 

 そもそも、店が半壊してるし、死んでないとはいえ、刃傷沙汰だし、眠っているだけと言っても、店の外に向かって百メートルくらいはみんな眠っちゃってるみたいだし……

 

 い、言い訳できねぇ……

 

 だいたい、なんなんだ、この『じゅもん』の威力は!!

 18階層でも思ったけど、明らかにドラクエの世界の時より威力あるだろう!?

 ギガデインじゃ流石にヤバイかなって思ってライデインにしたらこんなんなっちゃうし、そもそもグループ指定のラリホーでなんでメガバズーカランチャーばりの範囲に効果出ちゃうんだよ。MAP兵器なのかよ!?おい!?

 

 はあ……あとで、ルビス様にでも聞いてみるか。

 

「で、どうするんですか?」

 

 と再びアスフィさんが俺に訪ねた直後……

 

「ぐ、ぐうぅ……」

 

 呻き声とともに、ヒュアキントスがのっそりと起き上がった。すかさずアスフィさんが短刀を構える。俺も再度呪文を唱えられるように身構えた。

 

「い、痛っ……こ、ここは……お、俺はなにを……」

 

 そう呟きながら、ヒュアキントスは上半身裸になった、自分のぼろぼろの体を触りながら不思議そうな顔で辺りを見回している。なんか、その触りかた、ブルー将軍みたいでちょっと気持ち悪い。

 一応、こいつにもベホマはかけてある。殺すわけにもいかねえしな。

 ブルー将軍……じゃなかった、ヒュアキントスは傍らに倒れている同僚……【アポロン・ファミリア】の一団を見つけてから、その場で構える俺たちに敵意のこもった視線を送ってきた。

 って、そいつらボコったのお前だし、治してやったのは俺たちなんだがな!

 

 と、そこで俺はあることを閃く。

 

 どうやら、ヒュアキントスは正気のようだ。しかも自分が暴れた記憶もないように見える。だったら……こいつを利用して、正規ルートへ戻せるかもしれねえ。

 

「おい、ロリー(由比ヶ浜)、ベル君達とそこに倒れてる【アポロン・ファミリア】の連中にザメハだ。急いでくれ」

 

 一瞬キョトンとしたロリー(由比ヶ浜)だが、すぐに俺の言うとおりにしてくれた。

 

「えーと、ザメハ!」

 

「「「「「「うわあああああああああああああああああ!!」」」」」

 

 呪文を唱えた途端に、ベル君達が絶叫の上、急覚醒。この起き方、ちょっと嫌だな。

 

「な、なんだ?どうなった?」

「べ、ベル様?」

「ひっ……、だ、団長!?」

「お、おたすけ……」

 

 全員状況が飲み込めず、混乱しきりといった感じだ。

 

「べ、ベル・クラネル!?き、貴様……いったい何をした?」

 

「ひっ……」

 

 その声を聞いて、振り向いたベル君は、一気に腰を抜かした。それを、ヴェルフとリリが守るように抱き抱えた。

 そりゃまあ、そうだ。なにせ自分を本気で殺そうとした相手なわけだしな。でも、ちょっとビビりすぎな気もするが……大丈夫だよな?

 

 だが今はそんなことにかまっちゃいられない。この大惨事から正規ルートへ戻んなきゃなんないからな。よし、ここからは俺の出番だ。

 

「あー、ヒュアキントスって言ったか?実はな、これやったの全部ギルドの奴なんだ。さっきの乱闘を止めようとして、ギルドの秘密諜報員が、ギルドの作った秘密の武器を投げつけて大爆発させたんだ。黒いローブを来てて、ガイコツみたいな顔の奴だったな。んで、その爆弾は、爆発と同時に幻覚を見せる薬が仕込んであってだな、だから、あんたらが見たのは全部幻だ。ヒュアキントスが暴れたように見えたのも幻だ。気のせいだ。悪いのは全部ギルドだ。だから、文句はギルドに言ってくれ!ついでに言っておくと俺たちはまったく関係ない。むしろ被害者、怪我したお前らを無償で治療してやったし、ホントに踏んだり蹴ったりだよ。あ、悪いのはギルドだから、そこんとこ宜しく」

 

 そこまで一気に捲し立てると、ヒュアキントス以外の全員の顔が『なにいっちゃってんのこいつ』になってしまっていた。

 お前らのために、言いたくもない嘘ついてんだから、頼むからそんな目をしないでくれよ。

 目で必死にそう訴えかけてたら、ロリー(由比ヶ浜)が……

 

「そ、そうなんだよ、ガイコツ?ポスターアイドルみたいな人が爆弾投げてた。うんうん」

 

 いや、それを言うなら『ポルターガイスト』だろ!ガイコツのアイドルってなんだよ!ガイコツ店員の本田さんかよ!

 

「そ、そうね……だから私達はけがをした人を治療したのよ。あなた達だって、ケガはもうないでしょう?」 

 

 そのコンダ(雪ノ下)の言葉で、全員体を確認して戸惑った顔になる。

 すると、ヒュアキントスが拳を握って憤った。

 

「ゆ、許せん!ギルドめ……アポロン様のためにあるこの大切な身体に傷をつけるとは……」

 

 その言葉に、俺も含めて一同ドン引き。

 うわあ、この人マジでそっち系なんだ。

 だが、まあ、これで怒りの矛先がうまいこと逸れた。後は仕上げを……

 と、思っていたら、背後から鋭い殺気!

 

「てめえ、まだとち狂ったままなのかよ。ぶっ殺す」

 

 不意に後ろから怒気を孕んだ声が聞こえてきたと思ったら、そこにいるのは狼人(ウェアウルフ)のベートさん。げっ、こいつ自力で『ラリホー』から回復しやがった。

 

「おい、せっかく話が上手くいきかけてんだから、水さすんじゃねえよ。頼むから」

 

「知ったかことか。だいたい俺はテメーにもムカついてんだよ。おら、そこを退きやがれ」

 

 はあ、もうなんなんだよ、この狼男は……それじゃあ、坊っちゃんも電撃集中ピキピキどかんだぞ。もっと丸くなれよな、ちょっとは。

 

「だから、頼むから、なんでも言うこと聞いてやるから、ちょいと、黙っててくれよ」

 

 その言葉に、ベートは耳をピクリと動かした。

 そして、ニヤリと笑いながら俺を覗き見る。

 

「言ったな?よし、ならてめえの言うとおりにしてやるから、こいつを直せ」

 

 言われて、ベートの指差す先にあるのは、自身のブーツ(フロスヴィルト)……

 たしか、あれめっちゃ高かった気がするが……まあ、壊したのは俺か……くっ……

 

「わ、わかったよ。だからちょっと黙っててくれ」

 

 ベートはニヤリとしたまま腕を組んで一歩下がった。

 それを確認してから続きを言う。

 

「あー、でもな、そもそもの原因は、お前ら全員の乱闘騒ぎだ。ギルドも悪いが、お前らも悪い!だいたい5:5くらいだろう、だから修理費も当然請求されるからな、覚悟しとけよ……って、あれ?」

 

 言い終わる前に、さっきまで聞いてたはずの連中はすでに姿を消していた。アポロンの連中はおろか、ヴェルフたちや、ベートまでも……蜘蛛の子を散らすってこのことだな。

 

 はあ、まあこれで、完全じゃないが正規ルートへは繋げられたか?

 当然だが、これだけの惨事のなかで【アポロン・ファミリア】と【ヘスティア・ファミリア】の双方に被害者を出すわけにもいかないし、当然逮捕者を出すわけにもいかない。

 あとは、神アポロンが自分本意に勝手に解釈して、うまいこと次の展開に進めてくれれば御の字だが……たしかあの神様、原作でもかなり楽天家だったから心配はいらないか……

 

 だが、まあちょっと……

 ベル君の目が完全に死んでたのが気になるが……。

 

 とりあえず目処が立ちそうで安心した俺はみんなに言った。

 

「これで、俺の知ってる展開に進めると思うぞ。まあ、全部ギルドのせいってことにしたから、後はギルドに全部任しちまおうぜ」

 

 その言葉に、アスフィさんやコンダ(雪ノ下)達が絶句。

 何故か、俺の後ろに視線を送っている。

 俺はいや~な予感を覚えつつも、ゆっくり後ろを振り返ると、そこにはスーツでピシッと身を固めた美人のOLが!。

 

「言いたいことはそれだけですか?ワレラさん!」

 

 美しさを際立たせる知的な眼鏡を煌めかせつつ、耳の長い彼女は、コメカミに青筋をたてて俺を睨んでいた。

 

 ……あ、これ、もうだめな奴だ……。

 

 



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(18)八幡達のお引越し。スウィートホームって知ってます?

「比企谷先輩!いったい、どうしてくれるんですか、これ!?」

 

 俺の目の前で一色いろはが、まなじりを吊り上げて羅刹顔!言い換えると、MA・JI・GI・RE☆きゃるん!

 いやいや、全然可愛くないから今は。むしろ怖い。というか死の危険すら感じる。

 小悪魔いろはは、伊達じゃないな。あ、意味違うか。

 

 一色が怒っているのには当然理由がある。

 

 あの、焔蜂亭幻覚昏倒事件(笑)の直後、俺たち……アスフィさんも含めたその場にいた全員はギルドに下手人として引っ立てたれた。

 まあ、当然だ。ギルド主謀説を唱えた上で、スタコラとんずらしようとしてたしな。さすがのエイナさん達も見逃してはくれなかったってわけだ。

 で、ギルド本部に到着した途端に、なんかブヨブヨした豚頭の下卑た感じの奴に、超上から目線で尋問されそうになったところに、2M以上はあるんじゃないかってでかいジイサンが割り込んできて、一言。

 

『その者の申す通りだ。暴徒鎮圧用の武器を試用した。ロイマン、被害に遭った者達にギルドとして謝罪と謝意を示すように』

 

 ジイサンはそれだけ言って出ていったわけだが、そう言われたロイマンって豚頭は、ものすごく歯噛みして、そのまま俺たちは無罪放免。どうやら、この人が例のギルド長のエルフだった模様。豚人って亜人なのかと思ったよ。まあ、これでめでたしめでたし、と思っていたのだが……

 

 そのあと、誰もいないギルドの廊下で俺たちの前に現れたのは、まさかの『愚者(フェルズ)』。

 

 原作の通りに、真っ黒なフーデットローブから、ほぼ白骨になったその顔を覗かせてる。もうはっきり言って、ホラーもいいとこで、俺も含めて全員ビビリまくり。

 

 フェルズは原作にも出てきた、不死身の肉体となった元賢者で、死なない代わりに、体は骸骨とか、もう笑えないレベルの不憫な人だ。

 で、神ウラノスと協力関係にあって、アンの仲間、異端児(ゼノス)の保護に奔走していることは知っていたわけだが、それだけではなく、ギルドの裏の仕事も色々やっているらしい。何をしているのかは不明だが。

 

 で、彼は、同行しているアンを見て、何度か頷いてから、色々話してくれた。会談した場所は、真っ暗な石の部屋。地下に降りる階段の途中に幾重かの隠し扉の先の部屋へ連れていかれた。

 まず、さっき現れたデカイジイサンが、神ウラノスであったこと。彼から俺たちを監視するように命じられていたこと。そして、出来る限り協力するようにと。

 

 まあ、そこまでは良かったのだが、要はさっきの乱闘騒ぎも実は監視していたらしく、俺たちの行動は筒抜けだったようだ。だったら早く助けろよ!と思いつつも、俺の言った適当な誤魔化しを本当の事にしてくれるあたり、かなりいい人……というより、お人好しだ。

 

 ここで改めて、異端児狩りを行っている件の【ファミリア】への対応を依頼された。

 もっとも、ここにはルビス様も、神ヘルメスも、神ウラノスもいない訳で、末端の兵隊同士での約束にはなるんだが、まあ、断る理由もない。

 アスフィさんにしても、もうそのつもりで考えてくれてるようだから、後は、捕まっている異端児達の解放と、その後の処遇をどうするかだ。

 ただ、やはり表だって異端児達の存在はまだ公にできないし事情がギルドにも山積みで、一朝一石にはいかないのは良くわかった。その上で、俺のプランで行こうと提案だけしておいた。

 この世界に不案内な俺たちだけじゃなかなか難しい部分もあるからな。その点フェルズなら安心できる。というか、むしろ、全部任せたい。ああ、仕事したくない、子供でいたい、僕らはふふふんふんきっず!

 

 と、これで済めば良かったんだが……

 

 別れ際にフェルズが一言。

 

『いい忘れていたが八幡君。君たちの責任についてだが、全部ギルドが肩代わりした代償として、バベルから退去してもらうことになったからな』

 

「へっ?」

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「くそう……フェルズのやつめぇ」

 

 と、恨み言を口にしても何もかわらないわけだ。

 

 バベルを追い出された俺たちは、夜逃げよろしく風呂敷に包んだ荷物を背負って、只今東方面のメインストリートを歩いているところだ。といってもまだ夕方なんだが。

 フェルズの奴もただ追い出すわけにもいかないと、ギルドが管理している物件をひとつ融通してくれたわけだ。俺たちは今、そこに向かっている。

 まあ、荷物らしい荷物はもともとないので、大した量ではないのだが、高級プレジデンスルームから追い出された一色はもうカンカンだ。

 

 俺の目の前には、三白眼で睨んでくる一色と、特に動じてない雪ノ下、それと困ったような表情の由比ヶ浜が。

 少し後ろでは、小町とアンが仲良さそうになにか歌いながら歩いてる。どうも、調子っぱずれではあるが、一応歌になってるな。

 

 俺たちは今は変装していない。ただの引っ越しだし、今やデカルチャーズはちょっとした有名人だしな、あの格好じゃ目立ちすぎる。だから今着ているのは、この世界に転移してきたときの服だ。これはこれでかなり目立つので、落ち着いたら着替えも購入せんとな。

 アンも今日は白装束ではなく、この前ポリィに買ってもらったショールとスカートの町娘スタイルだ。これで隠せるくらいの美少女っぷりって、どんだけ?通行人の男どももアンの笑顔で骨抜きになっちまってるし、ほんとどこのアイドル?

 そういえば、全然関係ないが、ハーピィとセイレーンって見た目ほとんど同じようなもんなんだが、何が違うんだ?歌が超上手いとセイレーンになれるのかな?なんか、セイレーンオーディションとかあるんなら、ここはプロデューサーの端くれとして、アンを是非トップ・セイレーンに……

 

「ねえねえ、八幡君。あとどれくらい?」

 

 密やかな野望を叩き潰したのは、俺の袖を引っ張るルビス様。

 ルビス様はバベルから追い出されたにも関わらず、あまり気にはしてないようで……と、いうか、この人逆にすっごいワクワクしてるように見えるんだが……

 

「えーと、たしかこの先だった筈ですよ……あっ!」

 

 ルビス様に言われて、視線を向けたさきに、見慣れた青髪の犬人(シアンスロープ)の少女がこちらに手を振っていた。

 

「おーい!おにいさんたちー。こっちこっちー」

 

 そう、声を掛けられて急ぎ足で向かう。

 

「よぉ、ポリィ。出迎えご苦労」

 

「へへ……これくらいどうってことないやい。あ、アンおねえちゃん、元気だった?あたし心配してたんだよ」

 

「うん、ポリィ、アン、ゲンキだよ」

 

 久々に、というか、たったの二日ぶりだが、お互い問題ないのを確認してひと安心ってところか。急遽追い出された関係で、場所の案内をフェルズに頼んだのだが、『適任者がいる』とか言って、要は俺たちと行動していたポリィに全部丸投げしたわけだ。F・M・N!(フェルズ・マジ・ヌカリナシ)。うーん語呂悪いな。

 

「そういや、ここポリィの家のそばだよな?」

 

 一昨日の夜に歩いた記憶をたどって考える。たしか、ここから路地をひとつふたつ入った先に、隠れ家みたいなポリィの家があったはずだ。

 

「うん、でもびっくりしたよー。おにいさん達が『幽霊屋敷(スウィートホーム)』に住むなんて聞いたもんだから」

 

「「「「「え?」」」」」

 

 その言葉に一同絶句。

 

「えーと……初耳なんだが……?」

 

 今度は逆にポリィの方が驚いた顔になってる。

 

「え?知らないの?この辺でもかなり有名な話だよ?あんまりにも怖すぎて、周りの人たちがみんな引っ越しちゃったくらいだし……」

 

「お、おい……、それマジか?マジなのか?」

 

「?うん、そうだけど」

 

 チラリと女子連中を見やると、アンとルビス様以外、みんな震えて固まってるし。たしか、雪ノ下も由比ヶ浜もこの手の奴はだめだったな。

 

「おいおい、お化け屋敷なんて勘弁してくれよ。そんなとこで寝たくなんてねーよ。で、どこなんだ?それは」

 

「あ、えーとね、もう着いてるよ。ここ。」

 

 言われてポリィが指差す方向に顔を向ければ、そこにあるのは巨大な2階建ての洋館……

 

 おおう……、なんでこんなところにアンブレラの研究施設が……

 

 メインストリートから外れたここは、貧民街の外れに位置しているらしく、人通りも少ない。というか、立ち並ぶ他の家々にも人の気配はない。

 そんな寒々とした家々の中で、突然かなりの大きさの家が現れる。

 元々は塀が巡らされていたんだろうその外周には崩れた石が散乱していて、前庭とおぼしきそこは、まだうすら寒いこの時期にも関わらず、枯れた背の高い草がびっしりと生えたままになっている。

 そしてその向こうにそびえ立つ石作りの洋館。

 一階の正面にはかなりの高さの大きな両開きの玄関ドア

と、その脇に並ぶ割れた窓ガラスの内に、漆黒の闇が広がっている。

 2階は、こちらから見る側全部が大きなテラスで外通路のように繋がっているが、そのすべての窓や扉が、残骸のみを残して朽ち果てている。

 

 これはやばい。

 

 もう本能が、ここはダメだって、非常事態警報ならしているんだが……

 よくあるだろう?

 地元で有名な幽霊スポット。廃ホテルとか廃病院とか、千葉の外房なんかじゃ、廃集落なんてのも結構ある。もうね、人が暮らしてた分、その残り香がすごいのなんの。

 誰もいないのに、くさった畳の上のちゃぶだいに、煤汚れた女の子の人形とか置いてあるわけよ……

 それで、こっちをじーっと見つめてこう言うんだ。

 

『オイテイカナイデ……オイテイカナイデ……』

 

「ぴゃあああああああああああああああああ!」

 

「っわあああああああああああああああああ、って、な、なんだよ、一色!」

 

「せ、せんぱい、そ、そ、そ、そ、そこ、そこ……」

 

 口をアワアワさせた一色が指差す先、そこは正面入り口の大扉の開いた先の空間……

 

 注意深く見ると、そこには、暗闇に浮かんで揺れ動く……

 

 ……真っ白な顔!!

 

「「「キャアアアアアアアアアアア!!」」」

 

「で、出たー!このやろ、ちくしょ、二フラム!二フラムっ!」

 

「ダメよ!八幡!」

 

「なんでだよ、雪ノ下!」

 

「あなたまで消滅してしまうわ!」

 

「お、お前、こんな時に、なにどや顔で言ってんだー!俺は眼がほんのちょっと、少し、ミニマムに腐ってるだけだー!」

 

「ひえーん……に、にふらむー」

 

 逃げたいのを必死に我慢して、俺と由比ヶ浜の二人で、必死に呪文を繰り返し詠唱。

 

『二フラム』

ドラクエの世界にさ迷う、モンスターと化した魂を失った者のなれの果てを、消滅させる神聖呪文。もはや魂のないその存在は通常の死を迎えることができないため、その身に宿る魔性の呪いを光で消し去り、永遠の安息を与える。ちなみに経験値は得られない。

 

 繰り返し詠唱することで、真っ白い光が建物全体を覆い、夕闇に包まれようとしているにも関わらず、真昼のように明るく輝く。

 そして、その光のなかで、入り口に佇むその影が絶叫……

 

「ま、待て、待ちなさいって、八幡君!あ、熱い、熱いぞーーーーーーーーーーー」

 

 あれ?

 

 ものすごく場違いな絶叫が木霊する。

 なんとなく聞き覚えのあるその声に、俺たちは石畳を飛んで、急いで近づいてみた。すると、そこには……

 

「あ、あう……あ、熱い……」

 

 ひっくり返って、プスプスと煙を上げて痙攣している黒いフーデットローブの男。

 やっぱり知っているやつだった。

 

「なんだ、フェルズかよ……おどかすんじゃねえよ……ホイミ」

 

「あっちぃぃいいいいい!こ、殺す気かぁ!」

 

「んだよ、うるせいなー、ちょっと治療してやっただけだろうが。不死身の癖にガタガタ言うなよ……っていうか、回復魔法とか二フラムでダメージとか、あんたホントは死んでんじゃねーか?」

 

「え?そうなの?」

 

 なんとなく明かされてしまった真実に、愚者(フェルズ)(元賢者)は衝撃を受けるのであった。



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(19)ある天気のいい日の一幕

 トンテンカン、トンテンカンと、金槌を振るう音が、人通りの少ない石造りの路地にこだましている。

 陽も高くなり辺りに春の温かさを送るなか、ドワーフやら獣人やらの男たちが10人以上、俺たちの新しいホームに集まってきていた。

 で、何をしているかと言えば、日曜大工ならぬ、ホントの大工仕事。

 どこから運び込んだんだか、巨大な丸太や、レンガを使って、件の幽霊屋敷のリフォームの真っ最中だ。

 割れた窓や、腐った内壁なんかをさっきから剥がしまくって、ボロボロだった洋館がすっかり伽藍堂に。そこにすでに板を張り付けたり、屋根を貼ったりと、見てるそばから、家が形作られていくのは圧巻の一文字だ。とにかく手際が良い。良すぎる。

 

「いよぉ、大将。昨日はあんまり眠れなかったみてえだな」

 

 そう言いながら、近づいてくるのは、革のジャケットを羽織った、頬に傷のある中年の男。肩に巨大なハンマーを担ぎながら俺に話しかけてきた。

 

「えと……ボールス……さんだっけか?なんか悪いな、こんなことさせて」

 

「いいってことよぉ。あんたらのおかげで、こちとら命拾いしたしな。これくらいどうってことねえぜ。それに、【リヴィラの町】も今回は派手に壊されちまったし、ギルドの調査もあってしばらくは立ち入り禁止だしな。やることもねえから、こっちとしても丁度いいんだよ。遠慮しねえで恩を返させろや」

 

「はあ……ま、そういうことなら……」

 

「それによ、あんたらの活躍を信じねえやつばっかでよ、こっちも鬱憤溜まってんだよ。だからな、ここをあんたらに相応しいスゲーホームに作り変えてやっから楽しみにしてろや。リヴィラ魂魅せてやるぜ」

 

「お、おう」

 

 そう言って、俺の背中をバンバン叩いてニヤリと笑ったボールスさん……確かこの人、リヴィラの町の元締めみたいな人だったよな。

 リヴィラの町も壊れるたびに建て直してるみたいだし、まあ、こんなにやる気になってんなら、任せておけばいいか。

 

 リヴィラの町は、ダンジョンの中層、18階層に作られた冒険者の町の名前だ。

 18階層はダンジョンの内で例外的にモンスターが湧かない階層の一つで、巨大な空間に森や湖が存在する不思議エリアだ。しかも天井にある巨大なクリスタルが陽光のごとく光を発し、しかも、その輝きによって、昼夜を作り出している。

 そんな神秘的なその階層は迷宮の楽園(アンダーリゾート)なんて呼ばれるくらい美しい景観の世界なのだが、どういうわけか、そこに住み着いたガメツイ冒険者達が町を作った。

 そこがリヴィラの町なわけで、今回、俺たちがその階層に転移してきた直後に、例の強化種ゴライアスの大量発生があり、町は一瞬にして壊滅、そこにいた冒険者たちは命からがら逃げだしたってわけだ。

 モンスターの群れに関しては、俺たちやとーちゃん(ほぼとーちゃんの独壇場だったが)によって排除したもんで、それで恩義を感じてくれてるらしく、恐ろしくみんな協力的だ。

 

「はいはーい。ごはんですよー」

 

 そう声が掛かって、顔を上げれば、そこにはたくさんのおにぎりの載ったトレイを持った一色や小町達、うちの女子メンバーの姿。みんなエプロンや頭巾を被って食事を運んできた。

 

「おお!待ってましたー」

 

「へへー。おむすびかー。確か極東の飯だったな、旨そうだ」

 

 なんて言いながら、にやけた親父たちがぞろぞろ集まってくる。

 小町に色目使いやがったら、消し炭にするぞ、コラ!!

 ……とは、絶対ドモリそうなので言わないが、とりあえず、メラは準備。

 

「はい、ヒッキーの分!」

 

 急に声を掛けられて顔を向けると、そこには由比ヶ浜がおにぎりの載った皿を差し出していた。

 

「あ、えと、あ、あたしが握ったの。た、食べてよ」

 

「お、おう……」

 

 差し出されたお握りは、お世辞にも形が良いとは言えない不格好で大きさもマチマチのものが3つ。

 正直、由比ヶ浜の作ったものに関しては色々と物申したいこともあるのだが、彼女なりに努力していることを俺は知っているし、なにより、俺の為に頑張ってくれてるわけだから、それを足蹴になんてできない。

 俺は、そのうちの一つを取って、大口で頬張る。

 

「ど、どうかな……?」

 

「そんなに心配しなくても大丈夫だよ。その……旨いよ、ありがとうな」

 

「うん!」

 

 ちょっとしょっぱいけどな……とは、嬉しそうな由比ヶ浜の顔を見たら言えなかった。

 

「マスターマスター、アンのも、アンも食べて」

 

「い、いや、アン?お前、その言い方色々誤解招くから気をつけて」

 

「八幡、私のも食べてほしいのだけれど」

 

「せんぱーい、私のも食べて欲しいですー」

 

「お兄ちゃんはー、小町の味が一番だもんねー」

 

「ちょ、ちょっとお前ら……そんなに食えないからな、俺」

 

「おお!八幡君が女の子に群がられてる。これは私も混ざらなくては!」

 

「い、いや、ルビス様まで来なくていいですから……それにおにぎりのことですよね?そうですよね?」

 

 などと、せっかく頑張ってくれてるおっさん達そっちのけでキャイキャイ始まっちまった。いや、あの……お願いですから腐ったもの見るような目で見ないでくださいな、皆さん。

 俺、そんなに節操ないわけじゃねーからな。全然説得力ないけど。

 

 

 

 そんなこんなで、俺たち異世界組は青空の下で今日はだらだらと休日を謳歌してるように見えるわけだが、別にただ遊んでるというわけでもない。実はある人物の来訪を待っているところで、誰が来るのかというと……

 と、その前に、ここまでの成り行きを説明しよう。

 

 夕べ、フェルズの奴に言われて来てみたはいいが、まさかのお化け屋敷で、正直こんなとこに寝泊まりなんて……と全員がかなり不満たらたらだった。実はこの場所、後で知ったことだが、フェルズの隠れ家の一つだったようだ。

 見た目、窓も戸も壊れて、防犯もへったくれもない建物だったので、どこに寝りゃいいのかなあと悩んでいたのだが、中央階段下に結構な広さの隠し部屋があって、そこにフェルズが俺たちの寝具やら、食料やらをすでに運びこんでくれていた。

 その部屋に関しては、清掃も行き届いてるし、簡易の手洗いや洗面所もあって、すぐにでも暮らせる感じだったもんで、そこに泊まった。まったく、どこの3代目の泥棒のアジトだよ。

 ただ、部屋は問題なかったんだが、当のフェルズが完全な骸骨野郎なもんで、見た瞬間に一色と小町が絶叫の上気絶。しばらくして、起きてから、まだフェルズが居たもんで、再び失神しそうになるのを、みんなで大丈夫だなんだと必死に説明してなんとか落ち着かせた。

 ちなみに、雪ノ下や由比ヶ浜は、ドラクエの世界でもっと気持ち悪い連中とさんざん遭遇してるから、別に骸骨が動くくらいならもう平気みたいだ。俺もそうだが、あんまりこういうのには慣れたくないな。

 それから、この建物が幽霊屋敷と呼ばれる原因も、どうやらフェルズの所為らしく、夜な夜な、真っ白い髑髏が徘徊してる……みたいなうわさがあることをポリィが言っていた。本当に人騒がせなやつだ。

 

 という夜だったが、朝起きてみたら、さっきのボールスさん達が家の前に集まっていたというわけだ。

 これについても、フェルズが裏から手をまわして、俺たちがここに住むという情報をリヴィラの町の住民連中に教えていたようで、早速駆けつけてくれたってことだな。まったく手回しが良すぎて気持ち悪いよ。どこのセバスチャンだよ。

 

 それで、今に至るというわけだ。

 

 改築工事は進んでいるが、現在の居住スペースの地下室には手を加える必要がないので、特に困ることもない。

 せっかくだから、どんなホームにしたいか色々聞かれたんだが、正直俺にはそういうのはよくわからんから、小町達にまるっと、全部投げた。女子連中が朝から色々注文つけてたみたいだけど、はてさて……どんな風に変わることやら。

 

 そんな回想も、急に声を掛けられたことで、終わりを告げる。

 

「あの……、神ルビスの一団の方々ですね」

 

 そう言って現れたのは、俺が待っていたその人、ハーフエルフの可愛いお姉さん。そう、ギルドのエイナさん。

 ここ最近、デカルチャーズとしてはほぼ毎日顔を合わせているわけだが、ノー変装の今の俺たちに気が付くもんかね?ま、ギルドに関しては、裏も表もつながりができたから、今なら素性バレてもそんなに気にしないけど……

 

「わたし、ギルドのエイナ・チュールと申します。初めまして、宜しくお願いします」

 

「あ、はい。俺は比企谷八幡です。よ、よろしく」

 

「はい!ヒキガヤハチマンさん!」

 

 にこりと微笑んだエイナさんの表情は微塵も揺るがない。この人……原作でも思ったけど、ちょっと抜けてるとこがあるかもな……あと、目は悪い、悪すぎだと思う。全然俺の正体に気が付いてない感じだ。

 完全な初対面対応に徹したエイナさんは、ルビス様や俺たち全員を交えて、色々な手続きを進めてくれた。

 一つは、【ルビス・ファミリア】の結成についてのギルドとしての承認。

 非合法下で勝手にファミリアを名乗ることも可能ではあるが、正式なファミリアとなることで、ダンジョンへの進出とギルドの援助を受けることが出来るようになるわけだ。

 もう一つは、俺たち全員のオラリオ在住資格証明書の発行。

 全員異世界人なわけで、本来住民登録なんてあるわけないのだが、ギルドの公認としてもらうことで何か問題が発生したときには、ギルドが保証人みたいになってくれるということらしい。確かに、いきなり冤罪とかで事件に巻き込まれても、味方になってくれる組織があるかないかでは、その後の身の振り方もかなり変わろうというもの。

 ついでにアンも異世界人として登録してもらった。

 なんかこの子、どんどん人間としての地盤が固まってて、下手したら、その辺の酔っぱらいのおっさんより身分保証されてる感じなんじゃねーか?

 これらに関しては、先方の配慮に感謝するべきだろう。

 こっちには、非戦闘員の小町や一色もいるわけだし、安定して生活出来るってのはそれだけでも有り難い。

 

 たんたんと、保険のセールスレディばりに事務手続きを進めるエイナさんが、ぽつりと思い出したようにつぶやいた。

 

「そういえば、明日なんですが、【アポロン・ファミリア】がギルド施設で面白い趣向の『宴』を開くことになりました。みなさんはお聞きですか?」

 

 聞いてはいない。聞いてはいないのだが、この流れは知っている。

 あの乱闘騒ぎで、有耶無耶になるんじゃないかと肝を冷やしたが、神アポロンは予定通り『宴』を催してくれることになったようだ。俺はそのことに素直にホッと一息ついた。

 面白い趣向というのは、参加する神が、一人だけ自分の眷属を連れて来れるというアレだろう。

 どの神も、自分の眷属の子供は自慢したいわけのようだし。

 そして、その会場で、センセーショナルな先制(オヤジギャグ)を神アポロンが神ヘスティアに叩きつけるわけだ。

 

 しかし、わが【ルビス・ファミリア】は本日結成したばかりの上、当然招待状も届いていないため参加はできない。だから、当然その現場を見届けることはできない。

 そこで、俺は……

 

「あの、エイナさん……ちょっとお願いがあるんですが?」

 

「なんでしょう?」

 

 かくんっと小首を傾げたエイナさんが、可愛らしく微笑んでいた。

 



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(20)よし!ここまでの話をまとめてみよう。

「あれ?さっきのギルドのおねえさん、帰っちゃったの?」

 

 辺りを見回しながらお団子ヘアーが揺れている。

 

「ああ、とりあえず今日はもう用事が済んだしな。それに明日の予定も決まったから、これから説明するよ。悪いけど、地下室にみんなをあつめてくれねえか?」

 

「あ、うん、分かった。あ、えとね、あたしも用事があってヒッキーを呼びに来たんだった。えとえと、今アスフィさんが来てるよ」

 

「そうか?じゃあ、丁度いいや、みんなまとめて話ちまおう」

 

 俺がそう言いながら、由比ヶ浜の頭をくしゃくしゃっと撫でたら、赤い顔をして俺に向かって唇を突き出してくる。

 これは、あれだよな、ちゅ、ちゅーだよな?

 俺はとりあえず、チラリと周りに目を向けると……

 四方八方に殺意むき出しの鋭い眼光……

 

 ははは……これはヤバいな……

 

「あ、あのな?由比ヶ浜……みんな見てるし、そ、それにまだ明るいから……」

 

 そう言いながら肩を掴んで引きはがすと、ちょっと拗ねたような顔になる。で、一言。

 

「じゃあ、夜、暗くなってから……ネ!」

 

 パチリと目配せもされて、体が震える。

 は、白状しましょう……今、かなりドキドキしてしまいましたね、かなりいい感じでした。ハイ。

 手を上げて離れていく由比ヶ浜を見ながら俺は、そろそろ一線越えてもいいかなぁーなんて、不埒なことを考えていた……おっさん達の強烈な負の視線を浴びながら……

 

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 作業を指揮しているボールスさんに声をかけてから、俺は屋敷の地下室へ入った。

 中には既に必要な人員は全部揃っている。

 壁沿いのベッドには小町とアンとルビス様が並んで腰をかけ、大きめのダイニングテーブルの椅子には由比ヶ浜と雪ノ下と一色。そして、ソファーにはアスフィさんと……フェルズが。

 

「なんで、あんたがここに居るんだよ。昼間なのに」

 

「いや、その言い方はオカシイぞ、八幡君。私は当然昼間でも行動出来る。ただ、目立たないように姿を隠しているだけなのだが」

 

 HA・HA・HAと乾いた笑いのフェルズにはこちらの意図がまるで伝わってない、というか、骨だから潤いはもともとないか……

 

「一応、傷つかないレベルで言っておくと、俺たちの世界じゃ、お化けは夜に出るんだよ、以上」

 

 一気にズーンと項垂れるフェルズ……あ、実は結構ナイーブなのかも……を見ながら、俺は話を始めた。

 

「まず、この世界に来てから、ここまでの話を整理しようか」

 

 そして俺は今日までの出来事を順を追って話した。

 

 18階層での戦闘と、そこからの脱出。

 デカルチャーズとしての活躍とそこで得た収入。

 アンとの遭遇

 謎のローブの女ダークエルフと、黒ローブの集団。

 原作にない、神イケロスの接近。

 原因不明の集団凶暴化事件。

 そして、ギルドに正式に【ルビス・ファミリア】が認められたということ。

 

「とまあ、こんなことがあった訳なんだが……正直原作にない話ばかりで俺にもよくわからないだな、これが」

 

「先輩も分からないんですか?もうお手上げじゃないですか?」

 

 慌てた感じで声をあげるのは一色。その声にみんなが一斉に一色を見る。一色の奴、フェルズの視線(?)は怖いのか、顔を背けてるな。

 

「仕方ねえだろ、原作はまだ完結してなかったし、俺だって途中までしか読んでねえし。ま、分からないことも多いが、今のところは原作をなぞってはいる。ただ、なんでこんなにイレギュラーが起きているのかが不明なんだ」

 

「『バタフライ・エフェクト』じゃないかしら?」

 

 ポツリと雪ノ下がそうこぼす。

 

「それって、過去にタイムスリップしたときとかに、良く云う奴だろ?」

 

「まあ、タイムスリップに限ったことではないのだけれど、一羽の蝶の羽ばたき一つの影響で、世界の未来が劇的に変化してしまうこともあるということの比喩表現ね。今回の場合はそれが『蝶』ではなく『私たち』ということになるのかしら?」

 

 口に手を当ててそう話す雪ノ下に、今度は小町が発言。

 

「ですよねー。今回はお兄ちゃん達が魔法バンバンつかっちゃってますし、この世界からしたら、蝶の羽ばたきっていうより、天災みたいな感じじゃないですか?」

 

「おい、人のことウサミミの爆乳科学者みたいに言うのはやめろ、心外だ!」

 

「そ、そうだよ……ヒッキーは別に爆乳じゃないし!」

 

 と、爆乳娘がビーチボールを揺らして叫ぶので、もはやコメント不要。べ、べつに、ジロジロ見てなんかないからね。それと、雪ノ下が胸に手を当てて、ちょっとしょんぼりしているのも見ていないし!

 

「ま、まあ、そういうことなんだろうな……俺たちもそうだが、今回は化け物みたいなとーちゃんも来ちまったし、なにより、この世界を作ったルビス様と神龍まで来ちまったわけだからな。流石に何もない方が不思議なくらいだろ」

 

「ええっ!?る、ルビス様がこの世界をお創りになられたのですか!?」

 

 驚愕しているのは、アスフィさんとフェルズ。そういや、この話まだしてなかったな。というか、ウラノス様とかヘルメス様とか、もう俺達とつるんでるんだからちゃんと自分の子供には教えとけよ。

 で、ルビス様は、「ん?そだけど」なんて、逆に疑問符交じりに首かしげてるし。

 

「でも、創ったのは私だけど、この世界に来たのは数万年ぶりだから、最近のことはよく知らないよ?」

 

 どこからどこまでが最近なんだか、甚だ疑問ではあるが、まあ、そこを追及してもしかたないだろう。

 

「えーと、ルビス様に聞きたいんだけど、この前俺たちは確かにダークエルフの女に会ったんだ。でもな、今はそういう種族はこの世界にはいないらしいんだが昔はいたのか?」

 

 その俺の質問にルビス様はローブ毎その短い腕を組んで悩み始める。そして……

 

「確かに、大昔は居たね。まだこの世界に色んな神や神獣が存在していた頃、永遠の命を持ったハイ・エルフと、それに対をなした邪精霊の担い手ハイ・ダークエルフがいたかな……でも……私が最後に来たときは邪神も邪精霊も世界から姿を消していたからね。いついなくなったかは分からないけど、もう大分前のことじゃないかな?」

 

 なんかその話、ますます呪われた島と、封印の神々の話に重なってくるんだが……

 

「ちょ、ちょっとお待ちください、神ルビス……」

 

 慌てて呼びかけるのは、イケメンガイコツ、通称イケボーンのフェルズさん。まったく表情はないが、たぶん冷や汗かきまくってる。

 

「私も数百年の歳月をかけて、この世界の歴史はさんざん調べましたが、ダークエルフなどという種族のことは知りません。それに、妖精の血脈のエルフとはいえ、永遠の命などと……それでは、まるで神ではありませんか?」

 

 なるほど、イケボーンさんは確か、永遠の命を得ようとして『賢者の石』を作り上げて、結果としてその身を不死身のガイコツにしたんだったな。流石に永遠の命と聞いたら、居てもたってもいられなかったか。

 

「えとね、エルフはもともと精霊なの。特にその血の濃いハイ・エルフとかハイ・ダークエルフは、ほとんど神と同じだよ。でも、血は薄まるからね。特に、下界に住んでると環境に色々影響を受けちゃうからね。多分長い長ーい年月で、エルフの不死も長寿くらいになったんじゃないかな?それに、寿命がないって言っても、大けがしたりすれば命を失うこともあるし、もし仮にダークエルフさんが居たんなら、その大昔の一人がひっそり生き残ってたってことなんじゃないかなぁ?私にはこれくらいしか言えないよ。見てないから」

 

「は、はあ……あ、ありがとうございます」

 

 フェルズはがっくり肩を落としてうなだれている。でもまあ、あのダークエルフの存在が少しだけ浮上したな。あれ、顔汚れてただけだったりしたら、俺ホント立場ないな。ま、まあ、あれだけ美人で顔汚したままとかは、さすがにないだろ。

 

「それにしても神ルビス、こんなに重要な話を、私たちのような眷属でもない下界人に話していいのですか?」

 

 そう言ったのはアスフィさん。

 至極まっとうな疑問だと思う。

 それに対してのルビス様の答え。

 

「え、ダメなの?」

 

 はい、これだ!世間知らず通りこして、もはや有害レベルの歩くスピーカーになってる。しかも本人無自覚。

 

「あ、ルビス様?ほかの神様達は、必要以上の情報は子供たちには言ってませんよ。まあ、俺達は教えてもらった方がありがたいんで、別にとめませんけど」

 

「ふーん、変なの?でも、私に聞きたかったら別にいいよ。知ってることなら教えてあげるから」

 

 と、言って、ドーンと小さい胸をルビス様は叩いた。

 見た目小さくてこんなんだけど、実はこの世界のどの神様よりも偉いという不思議。

 

「話をもどそうか。俺たちデカルチャーズに接触してきたこのダークエルフの女と、酒場に現れた黒ずくめの集団が仲間かどうかは別にしても、ほぼ同じような恰好だったし、連中が酒場のあの集団催眠みたいなのを引き起こしたことはほぼ間違いないことだと思う。問題なのは、あの催眠状態の異常な強さだ。あの時、ベル君達を襲った【アポロン・ファミリア】のヒュアキントスと、【ロキ・ファミリア】のベート・ローガが戦ったが、どう考えてもレベルの低いヒュアキントスの方が押していた。レベル3がレベル5より強くなるなんてあり得るのか?それともう一つ、俺達の会話を盗み聞きしてきた神イケロスだ。あの時、デカルチャーズだった俺達を異世界人だと知ってそのまま姿を消したんだが、本気で探ろうとするならわざわざ俺たちに顔を見せないはずだ。あの神の思惑も気になるところだな」

 

 一気に話して、みんなの様子をうかがう。

 口火を切ったのはアスフィさんだった。

 

「たぶんあの強さは、魔力付与(エンチャント)だったんだと思います。精神を錯乱させたうえで、身体強化して……」

 

「だが……」

 

 くぐもった声で応じたのはフェルズ。

 

「いくら何でも、あそこまで強くはなるまい。レベルの差が絶対とは言わないが、どんな魔法であっても自分の身体の極限を越えて作用できない。つまり、あの時の錯乱した者たちは、別人の体になった、とでも言えばいいのか……」

 

「つまり、外見は変わらないまま、内側では別人になったってのか……なあ、フェルズ、そんな魔法あるのか?」

 

 聞きながら、そういや、俺達には内側は変わらないまま、外見を変える魔法が確かあったな……なんて考えていたら、フェルズがゆっくり首を横に振った。

 

「残念だが、私もそんな魔法は見たことも聞いたこともない。もし可能性があるとすれば、ルビス様がおっしゃた太古の世界の失われた技法ということになるのではなかろうか?」

 

「と、いうことらしいのですが、いかがですか?ルビス様?」

 

 またもや聞かれてうーんと唸るルビス様。

 そしてその答えは……。

 

「ごめん、覚えてないや、てへり」

 

「いや、今その反応要らないですからね?真面目にいきましょう」

 

「そういわれても、覚えてないよ。民たちだって、日進月歩でどんどん新しい術を作ってたし、私もずっと居たわけじゃないし……」

 

 困った顔で唸るルビス様。この話はもうこれくらいかな。

 

「じゃあ、神イケロスについて何か知ってる人、手ぇあげて」

 

「うわっ!先輩、いきなりぞんざいになりましたね」

 

「いきなり突っ込むなよ一色、俺は最善の質問を投げかけただけだ」

 

「要は面倒臭くなったということかしら、変わらないわね、ペテガヤ君」

 

「雪ノ下、まさかと思うけど、面倒くさい→怠惰→ペテルギウス→比企谷のパターンじゃねえよな?遠い、遠いよ、これ!なに?『あなた怠惰ですねぇ~』とか言わなきゃいけないの!?ていうか、ここ、まだアニメでやってもいねえし!」

 

 雪ノ下の奴、勝ち誇った顔して、鼻ならしてるし……、

 

「おまえ、『ふふん』はいいけど、ちょっとムカついたから後でお仕置きだかんな、覚えとけよ!」

 

「え?あ、はい……」

 

 って、なんで頬染めて嬉しそうにしてんだよ。ったく……

 はあ、なんか、今日はいろいろ彼女達からみの宿題がたまって来てるな。今日、寝れるかな?ちょっと不安。

 

「で、誰か知ってる人は?」

 

「はい!」

 

 と、手を挙げたのはまさかの由比ヶ浜。はいどうぞ、と、手で促す。

 

「えと、イケロスって、蝋の翼で太陽に向かって飛んで、羽が熱で溶けて落ちて死んじゃった人のことだよね」

 

「人じゃなくて、神な。それはイカロスのことだろ。みんなの歌でやってたから、超有名だよな。じゃなくて、イケロスは悪夢を見せる神様のことだよ。で、確か見せる悪夢の種類は……」

 

 俺の言葉をつないでくれたのは、白骨の紳士だった。

 

「神イケロスが見せる夢、それは『獣の夢』……夢の中で、様々な醜い怪物に変わる自分を見るのだと聞いたことがある」

 

 自意識のあるモンスター狩りをしている神が……まったくどんな冗談だよ……

 俺はあの黒く深く沈み込んだ漆黒の瞳を思い出して、思わず身震いした。

 そんな俺を見ながら、アスフィさんが話す。

 

「神イケロスは、アルカナムとは関係なしに、催眠術の使い手です。彼に瞳をのぞき込まれれば、精神を侵されてどんな状態に陥るかわかりません。ただ、今回私たちのところに来た彼に、私たちを害そうとする気はないように感じましたが」

 

「つまりは、今のところはなんにもわからないってことだな」

 

 ため息を交えたその俺の言葉に、みんな押し黙る。

 そんな中、もう一度アスフィさんが口を開いた。

 

「いいえ、わかっていることもあります。一つは【イケロス・ファミリア】の団員がダンジョンから引き上げたカーゴの内容ですが、すべてダンジョンの戦利品でした。中にアンさんのお仲間は見当たりませんでした。それともう一つ、かのファミリアは直接オラリオ外にゼノスの方々の販売を行っていることも確認できました。つまり……」

 

「つまり、ダンジョンからゼノス達は引き上げていないが、ゼノス達の販売は行っている。じゃあどこからか?」

 

 と考えて、俺はアンを見てはっと思い出す。

 

「そういえば、アンは地下通路から突然生えてきたって言ってたよな?」

 

 それにコクリと頷いたのは当然アン。俺はぐるりとみんなを振り返って言った。

 

「なあ、どっか別の場所にダンジョンの出入り口が、あるんじゃねえか?」

 

 



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(21)【ルビス・ファミリア】第一眷属・比企谷八幡

「なあ、どっか別の場所にダンジョンの出入り口が、あるんじゃねえか?」

 

 その言葉に反応したのはアスフィさん。

 

「ちょっと、待ってください。ダンジョンは塔バベルの地下1階部分の約20Mの大穴を頂点に、一層下がるごとに広さが増す円錐型をしています。そして、ダンジョンは生きているとも言われるように、破壊したりした場合でも復元されるんですよ。ここ1000年あまりのダンジョンの知識からみても、他に出入り口があるなら、神ウラノスやそこのフェルズ様がご存じないはずがありません」

 

 年長者への気配りを感じたフェルズが、ちょっと照れた感じで頭をかいていた。普通にうれしいんだな。

 

「確かに、わたしの知識の内でもダンジョンの他の出入り口など聞いたこともない。だが、それがだからといって、それがない理由にはなり得ないのだ。私の考えを聞いてもらえるか?」

 

 そう言って立ち上がったフェルズが、ローブを翻して俺の脇に並んだ。そして、発声器官などないだろうに、咳払いをしてから、話始めた。

 

「先ほどの八幡君の話に出てきた、ダークエルフや黒ローブの集団についてなんだが、その衣装の集団に私は心当たりがある。多分、闇派閥(イヴィルス)の一派だろう」

 

 そして、フェルズはイヴィルスについて説明を始めた。

 

 闇派閥(イヴィルス)とは、かつて下界に降臨した神の中で、自らを暗黒神や邪神と嘯いて、眷族ともども悪行の限りを尽くした者達の総称である。

 彼らは世界の終焉に向け様々な悪辣非道を進んだのだが、これも元々はその神々の暇潰しによる悪いジョークだったらしい。

 当然だが、悪ふざけの過ぎたその神々は、他の神の不興を買い、その悉くが天界へと送還された。

 

 だが、事態はこれで収まらなかった。

 

 残された眷族たちは、主神なき後もなお、邪神崇拝を進め、各地で世界を混乱と混沌に落とすべくテロ活動を行い続けている。そして、その影響はこのオラリオや、ダンジョンでも散見されているのだという。

 

「実は、これはまだ一般に周知出来ることではないのだが、ダンジョン内でかつてないほど大規模なイヴィルス残党の手による事件が起きている。アンドロメダ嬢もこの件には遭遇しているから、事実確認は可能なので疑う必要はない。ここで、重要なのは、彼のイヴィルスどもが、ダンジョンに如何にして潜入したかについてだ。当然だが、バベルのダンジョン入り口からの侵入はあり得ない。私の分身が昼夜を問わず見張ってもいるしな。では、どういうことが考えられるのか、それは……」

 

 フェルズは一度言葉を区切ってから、話した。

 

「ダンジョンの下層、いや、少なくとも中層に別のダンジョン入り口が開いている可能性が高い」

 

 確かに、フェルズのいうとおりなんだろうな。

 ダンジョン入り口は螺旋階段になってて一本道だ。どうしたってそこを通らなきゃならない上に、周りからも丸見え、どうしたって隠れようがない。

 それこそ、アスフィさんの作った透明化アイテム(ハデス・ヘッド)とか、雪ノ下のレムオルで姿を隠さない限りは、見張ってるやつには確実に見つかるだろう。

 となれば、ダンジョン内のどこかに出入り口があるとは思うのだが、そうだとすれば、地上のどこに出るのか……って、そうか、アンを見つけた場所。

 

「フェルズの言う通りだとすれば、地上に出るための出口もどこかにあるはずだ。で、この前アンを助けたあの場所。あの付近に地下への繋がる入り口がありそうだな」

 

 俺のその言葉に、雪ノ下と由比ヶ浜も頷く。

 

「本当か?なら、その場所を教えてもらえないだろうか」

 

「ああ、でも、実際にその場所を知ってるのはポリィなんだ。あ、ポリィは知ってるよな?昨日案内してくれた。詳しいことはあの子に聞いてくれ」

 

「そうか……ちなみにどのあたりなんだ?」

 

「ああ、ええとな、この近くなんだが、『ダイダロス通り』の外れだな」

 

 とりあえず、この地上への出口に関しての調査はフェルズが執り行うことになった。

 ただし、過去にもこの辺りの調査はしたことがあったようだから、今回果たして見つけることが出来るかは疑問ではあるが……

 

「さて、ダンジョンの出入り口に関してはフェルズが調べるとして、そう言えばアスフィさん、今日は何か用があって来たんだよな。さっきの【イケロス・ファミリア】の荷物の報告ってことで良かったのかな?」

 

 俺がそう尋ねるとアスフィさんは居住まいを正して話した。

 

「ええ、そうなんですが、【イケロス・ファミリア】の物と思われるオラリオからの輸出品を乗せた荷車が明日出発するとの連絡があったので、一応みなさんにお伝えしておこうと思いまして……でも……」

 

 アスフィさんは肩を竦めて続けた。

 

「今までのお話しだと、多分今回の荷車には何も問題は無さそうですね。これは私の想像の話ですが、彼のファミリアはダンジョンに繋がるその場所に隠れ家を用意していて、そこから秘密裏に荷物を運び出していると考えます。そうでなければ、人目につかずに密輸を繰り返すことは不可能だと思いますし……それと、先ほど話に出た、闇派閥(イヴィルス)との繋がりも深そうですね。私はダンジョンの下層で大勢のイヴィルスを見ました。やはり私も普通に進行して下層に向かったとは到底思えませんし、そうであれば、どこかに抜け道を通ったと考えるべきでしょうね」

 

 実に明快な解析。

 俺たちとは頭の出来が違うな、やっぱり……

 うーん、でもそうなると、まずは奴等の隠れ家をみつけなくちゃいけないわけか……さて、どうすりゃいいか……

 明日はあれもあるしな……

 

「いっそ、神イケロスに直接頼んでみるか……」

 

「「「「「え?」」」」」

 

 俺の独り言に全員、目を丸くして絶句。

 そんな奇妙な生き物見るような目はやめろって……

 

「い、いや、あのな?奴等がどうやってアンたちを捕まえてるのかもいまいち分かっていないし、アジトもダンジョンの別の出入り口も分からねえと来てる。そしたら、闇雲に手がかりさがすより、直接神に話した方が早いだろ。大体、最初に声かけて来たのは向こうのほうだしな」

 

「で、でもですね、八幡さん、自分達が後ろめたいことしてるのに、それを自分から白状するとは思えませんが……」

 

「それにな、もう時間がないんだよ。アンの友達を助けるのには」

 

「え?」

「!」

 

 全員が驚く中で、特にアンの表情が変化した。さっきまでニコニコとずっと微笑んでいたというのに、急に眼を見開いて呆然となってしまっていた。

 

「アスフィさんの言うことももっともなんだが、俺は、あの時、神イケロスに言われた『デック・アールブ』のことが気になっててな、あの神が探してるのがこの前俺たちが会ったあのダークエルフのことなら、そのネタで巧く交渉出来そうな気がするんだよな。少なくとも、アンと一緒に捕まったゼノスに関しては、大分時間が経っちまって、もう一刻の猶予もない。だから、今回だけは搦め手だ。どこかに運ばれる前に向こうの神と交渉しようぜ」

 

 俺のこの提案に、一同唖然。言葉もない。まあ、普通じゃないのは、俺もわかってるよ。

 ただな、助けてやりてえしな。

 見つめた先にいたアンは、今にも泣き出しそうな顔になっている。こいつも、明るく振る舞い続けてくれていたが、心のどこかでやっぱり仲間のことを気にしていたんだろうな。

 

「う、うん!そうだよ!アンちゃんの友達助けてあげよ!」

 

 由比ヶ浜がぐっと拳を握って俺を見る。そして、となりにいた雪ノ下も続いた。

 

「そうね、初めからアンさんの友達を助けるつもりではあったわけだし、少しでも可能性があるのなら試してみるのも良いわね」

 

「お、お前ら……」

 

「ふぇえええ…………、ユイユイ~、ユキユキ~、アリガト、アリガトォ……」

 

 見れば、ワナワナと震えながら両の翼で顔を覆ったアンが嗚咽をあげていた……

 今まできっと、我慢し続けてたんだろうな。気付いてなかったわけじゃないが、焦りや不安は相当だったんだろうな。

 俺は改めてアスフィさんに向き直って依頼をした。

 

「アスフィさん、神イケロスと話をしたい、【ヘルメス・ファミリア】の情報網なら、神イケロスと接触出きるんじゃないか?ちょっと頼めないかな」

 

 俺の言葉に、アスフィさんも諦めたように嘆息、そして……

 

「わかりました、早速ヘルメス様に報告して、先方と接触を図ってみます」

 

「わりぃ、サンキューな」

 

「ただ、向こうは実力も規模も不透明な【ファミリア】です。八幡さん達がいくら強大な魔法使いだと言っても、不意を突かれたらどんな事態になるかわかりません。ですので、最大限用心した方が良いかと」

 

 アスフィさんの忠告はもっともだ。なら、どうすればいいか……用心棒でも雇うか?それとも、何か他の手を……

 そんな風に試案していた俺に、アスフィさんが問い掛けてきた。

 

「そう言えば八幡さんたちのレベルはいくつなんですか?いえ、本来はこんな話をすること自体失礼極まりないことは重々承知しておりますが、あれだけの魔法を使われるということは、かなりのレベルの方だとお見受けしたのですが……いえ、ホント、失礼を承知で聞いてます、ど、どうかご無礼ついでに教えてくれちゃったりしません?なんか、ついポロッと言っちゃったなー。みたいな?」

 

 ハアハアしながら、そう言うアスフィさんの上目遣いの目は、好奇に満ちちゃっている。知りたい欲求が勝っちゃったんだね……でもな、教えてやりてえけど、俺達だって自分のレベル知らねえし、そもそも、この世界に来てからステータスみたいなもん確認できてねえからな。

 ルビス様の眷属ってことで、ここで恩恵を受けると、どうなるのかな?頭はドラクエの知識が残ったままだし、実際にじゅもんもバンバン使えてるから、そこだけ見ればレベル60クラスのドラクエ時のステータスなんだろうけど、実際鍛え上げた肉体は向こうの世界の俺たちに返しちゃったし、この今の体は完全に地球産のそれだしな。なんとなくだが、レベル1の0からスタートになる気がするな。

 

「えーと、俺達まだ、ルビス様の恩恵をうけてねえんだ。だから、今レベルいくつなのかわかんなくて……って、あれ?」

 

 さっきまであれほど騒いでたアスフィさんの動きが止まったので、気になって見やると、隣のフェルズも一緒になって時間停止(ザ・ワールド)。そして……不意にフェルズがつぶやいた。

 

「ふぁ、ファルナを受けていない……だと!?それで、あの魔法の数々を……し、信じられん」

 

「いやいやいや……待て待て待て……べ、別に隠す気はサラサラないんだが、俺達は一応ルビス様の世界でかなりレベルは上げてたんだ。ただ、今の俺たちの体は、その時の鍛えた肉体とは別物だから、たぶんレベルは初期値だと思うってことなんだよ」

 

「そ、そうなんですか」

 

 俺の話を聞いたアスフィさんが力なく肩を落とした。

 なんか、俺が悪いみたいで、ものすごく罪悪感が募るのだが……

 

「ま、まあ、でもとりあえず恩恵ってやつを受けてみるよ。ルビス様?出来るんですよね?」

 

 そう言って聞いてみると、ルビス様はニカっと笑ってサムズアップ。それだけ見てると、とてつもなく不安にかられるんだけどね。

 

「出来る、出来るよ!この前他の神(みんな)にやり方教わったから大丈夫!えと、背中にね、こう、神聖文字でね神の力を刻むんだよ。だーいじょうぶ、優しくするから!」

 

 手をワキワキさせたルビス様がにじり寄ってきた。で、なんか知らんけど俺たちに早く上着を脱げとジェスチャーしてくる。

 

 え?今やんの?

 

 由比ヶ浜と雪ノ下を見たら、顔真っ赤にして恥ずかしそうにしてるし……ここ、いつも通りなら、男は俺しかいないわけだし、それなら3人で上半身裸になっても、たぶん今のこいつ等なら平気そう……うん、でも俺は間違いなく失神だな。

 ただ、ガイコツだからよく分かんねえけど、一応フェルズ男だからな、分類上。というわけだから、当然雪ノ下達はNOだ!

 はあ、じゃあ、俺か……

 

「えーと、そしたらルビス様?お願いします……」

 

「おお!任して!絶対失敗しないから!」

 

 いや、その言葉、余計に心配になるんですけどね……

 俺は言われるままにシャツまで脱いで、ルビス様に背中を向けた。そして、台の上に上ったルビス様が俺の背中に向かって一言二言、なにか呪文のようなものを呟く……

 

 そして……

 

 地下室全体が眩しくなるほどの光が現れて、俺の背中に文字が刻みこまれていく。ヒリヒリと灼けるようなその熱い感覚を我慢しつつ、俺はこの儀式が終わるのをジッと待ち続けた。

 この場の全員の視線は俺の背中に集まっていた。

 

 そして……

 

「ふうー。終わったよー。我ながら完璧でした」

 

「って、俺自分じゃ見えないんですけど」

 

「あ、そうだったそうだった、メンゴメンゴ!紙に写してあげるんだった」

 

「スゲエ言葉知ってますね?ちなみにそれもう死語だからな」

 

 そう言いながら、スススーイと背中の紙に指を滑らせたルビス様は俺にそれを差し出してきた。

 

 そしてそれを受け取ると、今度は全員がその紙を見ようとにじり寄ってくる。って、ちょっと女子率高すぎて、くらくらする……フェルズはくんな!どっか行け!

 

 俺は何が書かれているのか、ドキドキしながらのぞき込んだ。

 さて、どれどれ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 比企谷八幡

 HP 10/10

 MP 444/444

 称号:元ゆうしゃ(暫定)

 性格:ひねくれもの

 せいべつ:おとこ

 レベル78

 ちから   : 8

 すばやさ  : 8

 たいりょく : 8

 かしこさ  :123

 うんのよさ :116

 最大HP  : 10

 最大MP  :444

 こうげき力 : 8

 しゅび力  : 8

 Ex : 4330725

 

 《じゅもん》

 ホイミ    べホイミ

 ベホマ    ベホマズン

 ザオラル   ルーラ

 リレミト   トヘロス

 メラ     ニフラム

 アストロン  ギラ

 マホトーン  ラリホー

 ライデイン  ベギラマ

 イオラ    ギガデイン

 

 《スキル》

 女難の相(ハーレム)  

 ・良くも悪くも女性が寄ってくる。

 ・女性がらみの行動は良くも悪くも効果が数倍する。 

 

 《発展アビリティ》

 なし

 

 

 

 

 って、オイっ!!

 



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(22)八幡の周りの女の子達は素敵でエロい

「れ、レベル……」

 

「な、78……」

 

 アスフィさんとフェルズの二人が口の中でそう呟いたまま固まってしまう……

 と、今はそんなことはどうでもいい!

 

 なんだこれは!

 なんなんだ!一体!

 

 そもそも、このステータス、完全にドラクエのそれじゃねえか!

 力、耐久、器用、敏捷、魔力の5種類じゃねえのかよ?

 F398とか、そういう表記じゃないの?で、レベル上がるごとにリセットされて、I0からリスタートみたいな?

 というか、100歩譲って、このステータス画面で良しとしよう。良しとしたとしても、何?このちからとたいりょくとすばやさ……なんで全部8なんだよ!ずいぶん懐かしいな、おい!これ、俺がドラクエの世界でレベル1だった時の数値じゃねえか……しかもHP10って……?俺メラで一撃必殺されちゃうじゃん!

 

 で、レベルはいつの間にか78だし……

 これ次のレベル上がるのに、あといくつ経験値必要なんだよ……もう完全に無理ゲーだわ。

 クリアー直前にステータス上昇チートとかで最大値越えちまって、0になっちまった時みたいな?というか、そうなったら即リセットだろ!

 それと、何このスキル!

 『ハーレム』ってルビ振ってあるけど、しっかり漢字で『女難の相』ってなってるし……これ明らかにいじめじゃねえか……泣くよ……本当に泣いちゃうよ!

  

 一人でグルグル思考の渦に嵌まっていた俺に、後ろから雪ノ下が……

 

「あら八幡?ずいぶん悲惨なステータスね」

 

 

 ブチンッ

 

 

 その時、俺の中のなにかが確かに切れました。

 

 

 

 

 

「ちょ、ちょっと、八幡?だ、ダメよ、こんなところで、そんなところ手を入れちゃ……んっ……んんん……ダメ、だめだって…………は……はあん……」

 

「ひ、ヒッキーダメ!だめだよ、無理矢理は絶対ダメ!ね?後でいくらでも……え?あ、ちょ、ちょっと、あ、あたしも?え?うそ……、そんな、とこさわったら、ほ、ホックが、は、外れちゃうし~ひあぁあ……」

 

「え?え?せ、せんぱい?ちょっと……じょ、冗談ですよね?い、いえ、あの、そういう本能の赴くままに動ける男の人ってすごく憧れちゃって私の胸もキュンキュンしちゃってますけどそれを良いことに襲いかかろうとしてること自体あり得ないのでごめんなさい……って、聞いてない!?ひゃあ……」

 

「お、お兄ちゃん!?こ、小町もなの?……小町、お兄ちゃんのこと大好きだけど、それは兄妹だからで、男の人としてお兄ちゃんのことまだ見れてないから……じゃなくて……だから……あーーーーーーー……」

 

「フェルズ様!そっちから押さえて……私だけじゃ無理です」

 

「い、いや、わ、わたしは魔力極振りだから、力は……」

 

「おお!八幡君ご乱心!これは私も混ざらねば!」

 

「アンもヌグーーーーー」

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーー

 

ーーーーーーー

 

ーーー

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「あれ?何がどうなった?」

 

「うう……ヒッキーのえっち」

 

「え?」

 

 由比ヶ浜に言われて、見回せば、床に転がる半裸のうちの女子たち……と真っ裸のアン。で、おれの両腕に息も絶え絶えでしがみついてるフェルズとアスフィさん……と、なぜかルビス様が笑顔で俺の首にぶら下がってた。

 

「なにやってんですか?ルビス様?」

 

「は、八幡さんこそ、なにやってるんですか?いきなり皆さんの服脱がし始めちゃって、私一人じゃ押さえきれませんでしたよ」

 

「え?」

 

 アスフィさんがそう言う隣で、イケボーンが今にも崩れそうな感じでカタカタ震えていた。

 

「えーと、つまりこれって……」

 

「は、八幡さんが全部やったに決まってるじゃないですか!もう、いくらなんでも、時と場所はわきまえてください!」

 

 と、アスフィさんに怒られてしまった。

 

「いやあ、面白かったよー。八幡君てば大人しそうな顔してるのに、あんなに激しいんだね!」

 

「いや、あの誤解を招くような言い方やめて……って、今は言い訳できねえな」

 

 アスフィさんにジロリと睨まれたので言い訳はやめました。はい。

 で、力尽きたフェルズをそっとソファに寝かせて、床の雪ノ下たちのところに……

 

「よ、よお……わ、悪かったな」

 

 みんなにこっぴどく罵られると覚悟を決めて、潔く謝った訳だが、なぜか全員胸を手で隠したまま俺に無言ですり寄ってきた。

 え?どゆこと?

 

「あ、えと、ごめんな」

 

「ずるいですよぉ、せんぱい。そんなに優しく謝られたら許してあげたくなっちゃうじゃないですかぁ」

 

 と言いながら、一色が真っ赤になって俺に体を押し当ててくる。

 

「い、一色?」

 

「お兄ちゃん、こ、小町は許してあげないんだからね」

 

 今度は小町が言いながら俺にぽふんっ……背中に抱きついてきた。

 

「アンもアンも……」とアンも背中にひっつく。

 

 そして、正面を見れば、瞳を潤ませて蕩けた顔で俺を見つめる雪ノ下と由比ヶ浜。

 

「驚いたわ……あんなに乱暴にされてこんなにドキドキしてしまうなんて……今ならあなたに何をされても許してしまいそうよ」

 

「ねえ、ヒッキー……たすけてよぉ、なんかね、変なの……お腹の下の方がね、きゅううううんって、きゅうううううんって……」

 

 と、二人もそのまま俺にしな垂れかかって……

 

「って、お前らしっかりしろよ。ちょ、ちょっと、悪かった。俺が悪かったから!ただ、ちょっと、俺のステータスがショックだったから、お前らも恩恵受けてみろって思っただけだから……、な?な?頼むよ、今ほら、客も来てるし、だから、ほら……」

 

 と、言いつつ、アスフィさんを振り返って見たら、なんと俺の真横に頬を染めてトロンとなったアスフィさんの顔のドアップが!

 

「なっ!なにしてんのアスフィさんまで……」

 

「はっ!わ、私ったらいったい何を!?は、八幡さん、すいませんでした」

 

 言って、顔を押さえて飛び退くアスフィさん。

 どうなってんだ、これ?

 

「おお、これは多分君のスキル『女難の相(ハーレム)』の効果が出ちゃってるみたいだね」

 

「って、だからどういうことなんすか?」

 

 俺は一色たちを引き剥がそうと力をいれるんだが、みんな完全に俺に腕をまわしちゃってるから、このまま剥がすとちょっと、πが、おっπがぁあ!!

 

「えーと、見た感じ、八幡君を『好き』って思いにみんな引っ張られてるみたいだね」

 

「だから、どうすりゃいいの?これ」

 

「うーん……とりあえず、離れるしかないんじゃないかな?」

 

「なぬっ?わ、わかった……じゃ、じゃあ、目を瞑っていくぞ、3、2、1……GO!GO!GO!」

 

 と、力を込めて見んなを引き剥がして、一気に部屋の隅にダッシュ!で、恐る恐る振り返ってみると……

 

「あ、あれ?わ、私……きゃーーー!せ、せんぱい!み、見ないでくださいぃ!」

 

「ご、ご、ごみいちゃん、シネーーーーー」

 

「うわっ……、お、お前ら、やめろ、やめろって」

 

 一色と小町が泣いたアカオニさんよろしく、真っ赤になって俺に物を投げつけてくる。アオオニさんには優しくしないと、友達いなくなっちゃうぞ!!というか、早く服を着ろ!!

 

 そんな俺のそばに、雪ノ下と由比ヶ浜とアンが近づいてくる。

 で、殴られるのかと怯えていたら……

 

「いろはちゃん、小町ちゃん、もうやめて、ね?」

 

「八幡も謝ってるし、ここは私たちに免じて許してくれないかしら?」

 

 アンは特になにも気にしてない様子で俺の背中に抱きついてるが……

 

「うう~、雪ノ下先輩たちに言われちゃったら、もう怒れませんよぉ」

 

 項垂れた一色を見たあと、由比ヶ浜たちがもう一度俺に向き直って、顔を近づけてきた。そして囁いた。

 

「ふふ……続きは夜にね、ヒッキー?」

 

 ゴクリ……

 

 裸のまま妖しく微笑む二人のあまりの可愛さに、思わず気を失いそうになる。が、そこをなんとか踏み留まって二人を抱いて言った。

 

「さ、サンキューな……お前ら」

 

「うん!」「ええ!」

 

「はいストーップ!!そこまでだよ、みんな!」

 

「「「「「「はい?」」」」」」

 

 ルビス様に言われてみんなが我に返る。

 

「なんか、このままだとレンタルビデオやさんのノレンの奥に入っちゃいそうだったから、ちょっと止めたよ」

 

 と言うのはルビス様。

 なに?なんでレンタルビデオ?ずっと封印というか冬眠してたわりに現代知識に擦れてんな。なんかくまみこのナツっぽい。

 

「でも、すごいね、このスキルの権能。結衣さんと雪乃さんの思いにみんな引っ張られちゃったんでしょう?これ、八幡君を好きなら好きなほど、周りの女の子達もそれに感化しちゃうみたいだね。これ、ある意味。一瞬で女の子たちを全員八幡君の彼女に出来ちゃうね」

 

「い、いや、あんまりその能力嬉しくねえよ。要は知らない奴にいきなり惚れられるんだろ?なんか気持ちわりいよ」

 

「そ、そうだよ、ヒッキーのこと知らない人に取られるみたいでなんか嫌だ」

 

「八幡は、出来れば私たちのことだけを見ていて欲しいのだけれど」

 

「お、おう……そ、そりゃそうだ。だ、だいじょうだ、俺は浮気なんてしねえ」

 

 と、安心させようと、二人をもう一度抱こうとして、周りの連中の視線を感じて、ハッと振りむくと、一色たちのいい加減にしろオーラ込みのジト目がそこにある。

 

「あ、えとな、そうじゃなくて、話を初めに戻そう。お、お前らもみんなルビス様の恩恵を刻んで貰えって言いたかったんだ。(言わなかったけど……)もうみんな裸になっちまったし、今更だろ?それに、恩恵があった方が、これから先の生活にも色々役立つと思うしな、だから、な?そうしようぜ?」

 

 俺の必死の懇願に、一色や小町の目も、少し落ち着いてきたみたいではある。そして、ついに一色も諦めたのか、目はつり上げたままだったが、俺を睨んで言った。

 

「し、仕方ないですね。じゃあ、特別に許してあげます。それと、恩恵?ですか?なら、私も受けさせていただきます」

 

 顔はまさに怒っているのだが、裸のままの胸を隠すように腕組みされると、ちょっと変な気分になってくるな……

 

「あ、ありがとうな、一色、雪ノ下たちは当然受けるよな?小町もいいか?」

 

 俺の言葉に、残りの全員が頷いた。

 すると、ルビス様がさっきの台によじ登って、みんなに向かって手を振りながら呼びかけた。

 

「はい、なら、みんな、並んで並んで。順番にねー。割り込みはだめだよー」

 

 ぞろぞろと半裸のままの女子達が、白ローブのルビス様の前に一列に並ぶ様は、健康診断に並ぶ女子を覗き見ているようで、なんとなくソワソワしてくる。

 俺、ここに突っ立ってていいのかな?なんて考えてたら、足元から声が。

 

「うーん……なにが、どうなったんだ?ん?んん?こ、ここは、桃源郷か!?」

 

「フェルズ、お前は寝てろ!」

 

「あべしっ!!」

 

 渾身のチョップを髑髏に叩きこむと、フェルズは再び静かになった。



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(23)みんなのステータス、略して『みんステ』

 みんなへの恩恵の授与は結構あっさりと終わった。

 まあ、俺自身、ほとんど時間かかってなかったから、簡単に想像はついてたけど、あまりにあっさりだったもんで、ちょっと拍子抜け。

 一応、一色もいたし、裸をガン見してたら悪いと思って、俺は後ろを向いてはいたけれども……いや、決して、由比ヶ浜と雪ノ下の裸をもっと見たかったとか、そういうのはないから。そう、ちょっと、見えないのをいいことに、あれやこれやエロエロ……いや、イロイロ想像したりなんかしてないから……はい。

 

 ま、まあ、そんなわけで、振り返った先には、もうしっかりと服を着たうちの女子たちが、ルビス様から渡された紙をしげしげと見ている最中だった。

 

 べ、別にがっかりなんてしてないし!

 

 と、俺の視線に気がついた一色が目を吊り上げて一言。

 

「比企谷先輩のスケベ」

 

「ぐっは……」

 

 もう、何も言い訳出来ないので、歯向かいませんよ。はい。でも、なんか結構ダメージクルな…これ、はあ……

 

「あー、どれどれ?みんなのも見せてくれよ」

 

「うん、いいよヒッキー、はい」

 

 由比ヶ浜に渡されてから、それをテーブルにおいて皆で見始めた。雪ノ下や一色達も近づいてきた。

 

 さてと、じゃあ、こいつらのステータスはと……

 

___________________________________________

 

 由比ヶ浜結衣

 HP 6/6

 MP 528/528

 称号:元そうりょ(暫定)

 性格:セクシーギャル

 せいべつ:おんな

 レベル78

 ちから   : 4

 すばやさ  : 4

 たいりょく : 4

 かしこさ  :159

 うんのよさ :233

 最大HP  : 6

 最大MP  :528

 こうげき力 : 4

 しゅび力  : 4

 Ex : 4762908。

 

 《じゅもん》

 ホイミ    べホイミ

 ベホマ    ベホマラー

 キアリー   キアリク

 ザオラル   ザオリク

 ルカニ    ニフラム

 バギ     ピオリム

 マヌーサ   ラリホー

 ルカナン   ザキ

 バギマ    マホトーン

 バシルーラ  ザメハ

 フバーハ   ザラキ

 バギクロス  

 

 《スキル》

 暴食 

 

 《発展アビリティ》

 なし

___________________________________________

 

___________________________________________

 

 雪ノ下雪乃

 HP 5/5

 MP 622/622

 称号:元まほうつかい(暫定)

 みえっぱり

 せいべつ:おんな

 レベル77

 ちから   : 3

 すばやさ  : 4

 たいりょく : 3

 かしこさ  :234

 うんのよさ :191

 最大HP  : 5

 最大MP  :622

 こうげき力 : 3

 しゅび力  : 3

 Ex : 4783211。

 

 《じゅもん》

 リレミト   ルーラ

 インパス   トラマナ

 ラナルータ  シャナク

 レムオル   アバカム

 メラ     スカラ

 ヒャド    スクルト

 ギラ     イオ

 メラミ    マホトラ

 ヒャダルコ  ヒャダイン

 ベギラマ   バイキルト

 イオラ    マホカンタ

 メラゾーマ  メダパニ

 マヒャド   ドラゴラム

 ベギラゴン  モシャス

 イオナズン  パルプンテ

 

 《スキル》

 憤怒 

 

 《発展アビリティ》

 なし

___________________________________________

 

___________________________________________

 

 比企谷小町

 HP 3/3

 MP 3/3

 称号:なし

 性格:おせっかい

 せいべつ:おんな

 レベル1

 ちから   : 1

 すばやさ  : 1

 たいりょく : 1

 かしこさ  : 1

 うんのよさ : 1

 最大HP  : 3

 最大MP  : 3

 こうげき力 : 1

 しゅび力  : 1

 Ex : 0。

 

 《じゅもん》

 なし

 

 《スキル》

 怠惰 

 

 《発展アビリティ》

 なし

___________________________________________

 

___________________________________________

 

 一色いろは

 HP 3/3

 MP 3/3

 称号:なし

 性格:おちょうしもの

 せいべつ:おんな

 レベル1

 ちから   : 1

 すばやさ  : 1

 たいりょく : 1

 かしこさ  : 1

 うんのよさ : 1

 最大HP  : 3

 最大MP  : 3

 こうげき力 : 1

 しゅび力  : 1

 Ex : 0。

 

 《じゅもん》

 なし

 

 《スキル》

 色欲 

 

 《発展アビリティ》

 なし

___________________________________________

 

___________________________________________

 

 アン

 HP 35/35

 MP 18/18

 称号:なし

 性格:あまえんぼう

 せいべつ:ハーピィ・おんな

 レベル4

 ちから   : 21

 すばやさ  : 45

 たいりょく : 18

 かしこさ  : 22

 うんのよさ : 30

 最大HP  : 35

 最大MP  : 18

 こうげき力 : 21

 しゅび力  : 18

 Ex : 1549。

 

 《じゅもん》

 ピオリム   ボミオス

 

 

 《スキル》

 傲慢 

 

 《発展アビリティ》

 なし

___________________________________________

 

 って、アンもかよ!?

 

 

 なんと言えばいいのか……相変わらず、つっこみどころが多すぎて、どこからつっこめばいいのかわかんねえ。

 とにかくスキルがヤバすぎる。

 何?暴食、憤怒、怠惰、色欲、傲慢って?これに後、嫉妬と強欲があったら、『七つの大罪』じゃねえか。そりゃ、ファンタジーとかなら超メジャーなスキルだけどさ……これ基本闇落ち仕様スキルだろ。とくに由比ヶ浜の暴食がヤバイ。大概のメジャーどころのファンタジーなら、仲間のスキルを喰われたり、記憶を喰われたり、あとは無限に食べ続けて世界を荒野にしたりとか、そういやいろんな設定あったな。

 

 そんなことを考えながらみんなを見た。

 雪ノ下と由比ヶ浜の二人は俺と同様に唖然呆然。小町とアンはよくわかってない顔でニコニコしているが、一色が猛烈に不機嫌そうな顔で口を開いた。

 

「なんか、私超弱いんですけどぉ……なんですか?レベル1って!?それに、スキル『色欲』とかって、なんか私、すごくエッチみたいじゃないですか!?」

 

「って、俺に向かって怒鳴るんじゃねえよ。俺が決めたわけじゃねえし……それにその変なスキルってんなら、雪ノ下も由比ヶ浜も、小町も……それに、アンもじゃねえか!?っていうか、アン?モンスターなのに、なんで、恩恵受けられんだよ。たしか、この世界って、人間関係しか恩恵うけられないんじゃなかったか?」

 

「そ、そうです!な、なぜアンさんに……モンスターにも恩恵(ファルナ)が!!」

 

 と、俺の言葉を受けて詰め寄ってきたのは、いつの間に起きたのか、カタカタと顎を震わせた、たぶん焦った顔してるフェルズ。

 そうだよな、フェルズが一番気になるはずだ。だって、何百年も生きて、実際に神々と交流もしつつ、恩恵を受ける冒険者達を見続けてきたわけだしな。そりゃあ、いきなり自分の常識をひっくり返されたら、こういう反応にもなるわな。

 

「えー、そうなの?今までがどうかは良く分かんないけど、私のやり方なら、私の子供たちにこういう恩恵?を授けるくらいならできるよ。モンスターだってこの世界の一部だしね。だって、この世界作ったの私だし」

 

 ルビス様はそう言いながら、えへんとない胸を張る。

 

「っていうか、ルビス様?さっきから聞きたかったんだが、このステータスの表記はなんなんだよ!?全然フェルズとか、アスフィさんとかと違うじゃねえかよ」

 

 と俺が言った脇で、

 

「え?違うの?」

 

 由比ヶ浜がキョトンとした顔でアスフィさんたちを見る。見られた二人は、一瞬息をつめてたじろいだが、観念したように、コクリと頷いた。

 流石に他人にほいほいとステータスを見せないのが、ここのやり方だ。そもそも、レベルとかスキル隠して、もしもの時に備えてるくらいだし。冒険者同士の殺しあいもあるくらいだしな。

 まあ、こんだけ俺達のステータス見ちまった今じゃ、流石に隠す訳にもいかねえだろうけどな。一応、聞いておくか。

 

「あー、ちなみにフェルズたちのレベルって、いくつなんだ?それくらいなら教えてくれるだろ?」

 

 すると、頭をかいたフェルズがぽそり。

 

「私は……レベル4だ……。だが、この身体になってからは完全にステータスの上昇は止まってしまったがな」

 

 フェルズが言った後、アスフィさんも続いた。

 

「わ、わたしも……レベル4……です……」

 

 なんでいい辛そうなの?この人は。

 また、なんか隠してそうだな……まあ、別にいいけと……。

 

「たしか、今一番レベル高いのは、【フレイヤ・ファミリア】のオッタルとか云うやつで、レベル7だったかな?」

 

「え?じゃ、じゃあお兄ちゃん達、レベル78とか、めっちゃ強いんじゃないの?」

 

 驚く小町に俺は言った。

 

「いや、お前な……俺達そんなに強そうに見える?筋トレとジョギングくらいしかしてないんだよ?いやいやそうじゃなくて、かなり話が逸れたな。ルビス様?なんでまた、あっちの世界のステータスなんすか?」

 

 ルビス様はきょとんとして、

 

「え?だめ?」

 

 はい、これだ。

 多分この人またなんにも考えてねえな。

 

「いや、だめでしょう。そもそも、俺のレベル78って、こっちの世界のレベルいくつに相当するんすか?」

 

「え?78は、78じゃないの?」

 

「いやいやいや……さすがにそりゃないでしょう!どんだけここの連中と差があるんだよ?」

 

「え?でも、八幡くん達、大魔王ゾーマも、神龍様も倒しちゃったでしょ?私よりずっと強いでしょ」

 

「「はあっ?」」

 

 ルビス様の言葉にフェルズとアスフィさんがすっとんきょうな声をハモって上げる。

 

「い、いや、あのな?倒したは倒したけど、ほとんどとーちゃんだぞ?やったのは。それに、そんときの肉体はあっちの世界の俺らに返しちまったし。」

 

「ちょ、ちょっと待ってください!し、神龍様って、この前18階層に現れた巨大な緑のドラゴンのことですよね?あ、あれ……あのお方を。倒されたのですか?」

 

 言葉をかぶせてきたのはアスフィさん。今、ちょっと神龍をあれ呼ばわりしようとしてたよな?別に言い換えなくてもいいんじゃないか?でも、ちょっと面白かった。

 

「倒した……っていえば、そうかもだけど、俺らだけじゃ絶対無理だったな。オルテガとーちゃんがいたから勝てただけだ。俺達は自分の身体を守るだけで精一杯だったよ」

 

 もう本当……あの時いったい何回神龍に吹っ飛ばされたか……MP枯渇するまでベホマ使いまくって、やっと生きてたって感じだったしな……

 あーいやだ、思い出したくもない。

 そんな俺に再びアスフィさんの声。

 

「で、でも、あなたは……あなたがたは神をも倒されたのでしょう?ならば、そのレベルが例え78と言われても信じられますよ」

 

「んん?そうなのか?別に信じなくてもいいけど、流石にあんたらのレベルと同じ土俵だとは思えないんだよな……そもそも、あっちの世界じゃすぐにレベル上がるし」

 

 レベル1で、スライムを10匹も倒せばレベル2になる。こっちは確か、何ヵ月、何年も経験値を稼いで、しかもレベルに相応しい『冒険』をして、始めてレベルアップ。ほいほいレベリングできる向こうの世界とはやっぱりちがうんじゃねえかな?

 

「あー、それはね」

 

 と、ルビス様。

 

「向こうの世界とこっちの世界じゃマナの量が違いすぎるんだよ」

 

「は?マナ?マナってあれか、魔法の元みたいな?」

 

 俺の言葉に雪ノ下があきれた感じで言う。

 

「じゅもんを行使するときの術の中にマナ操作が組み込まれているのよ?知らなかったの?」

 

「知らねーよ、そんなこと。というか、なんでお前は知ってんだよ」

 

「あら?自分が使う神秘くらい気になるものじゃないかしら?私なりにじゅもんを解析していたのよ」

 

「まあ、お前らしいっちゃお前らしいか……、で、そのマナの量がなんとかってどういうことだ?要はその量でじゅもんの強さが変わるとかってことですか?ルビス様」

 

 そう言うと、腕を組んだルビス様がうーんと唸った。

 

「ちょっと違うかな……マナはもともと精霊界のエネルギーのことなんだけど、あ、精霊界っていうのは、神々のいる精神世界のことね。ふつう私たちはこの地上みたいな物質界ではなく、天界って呼ばれる精霊界にいて、マナで自我を形成してるんだけど、この物質界に存在するすべてのモノにもマナが含まれててね、草や、木や、大地や海、当然だけど、みんなもマナを持っていて、そのエネルギーを使って、魔法とか、身体強化とかできてるわけ」

 

 なんかいきなりまた小難しい話を語り出したなこの人。

 一応、ちゃんと聞いておくか。

 

「でね、使うマナの量が多ければ多いほどじゅもんとかの効果は増大するんだけど、じゅもんてさ、もともと必要なマナが満たされさえすれば、それで発動しちゃうのよ。だから、まあ、単純に強くしようと思ったら、そういう風に設計しなくちゃならないからね。一概には言えないんだけど……」

 

「えーと、じゃあ、そのルビス様の世界と、こっちの世界とで、マナの量が違いすぎるって、どういうことなんすか?」

 

「うんとね、私の世界というより、神龍様がいるせいなんだよ」

 

「は?」

 

「神龍様って、この宇宙を作ったくらいの大神なんだけど、正直凄く燃費悪いの。神は基本精神体でマナで形成されてるからね。何かするたびに、マナを吸収し続けるんだけど……ほら、神龍様、大きいから……。神龍様が宇宙を駆け巡るだけで、小さい星なら、マナを全部吸い尽くされて消滅しちゃうくらいなんだよね……」

 

「なにそれ、超怖いんですけど!」

 

「だから、私の世界に来て貰って、ゼニス城でジッとしてもらってたんだよ。正直言えば、あの私の世界のマナの使用量の90%は神龍様用だからね」

 

「そんなに使ってんすか?大飯ぐらいすぎでしょ!じゃ、じゃあ、何?そののこりの10%で、じゅもん使ったり、モンスターと戦ったりみんなしてたわけか……」

 

 なんかゾーマとかバラモスが世界征服しようとする気持ちなんとなくわかっちゃったかも……

 神龍いたら、好きなことできなさそうだもんな、マジな話。まあ、それはいいとして、

 

「じゃあ、この世界はどうなんすか?」

 

「ここは、邪神の墓場はあるけど、別にマナを消費してるわけじゃないし、むしろ穢れたマナを放出してるくらいだからマナは多いよね。だから、こんなに神達が大手をふって闊歩できるんだけど……。最初の話にもどるけど、私とか神龍様の世界はマナの絶対量が少ないから、動くのもかなり大変だし、じゅもんもちょっとやそっとじゃ使えないから、じゅもん自体の完成度も高いと思うんだよね。結構昔から賢者って呼ばれる人たちが研究してきてたし……で、対してこっちの世界はというと、基本マナが多いから、どんな術式でも大抵の魔法は使えちゃうし、戦闘も容易。でも、逆に言えば試練が少ないとも言えるかな?そういう違いがあるわけです。わかったかな?」

 

 試練とかどうとかなしで、あっちの世界じゃはぐれメタルで簡単にレベル上がるんだよな……とか、思ってみちゃったり。

 

「要は向こうの世界じゃ、重りを背負いに背負いまくった上に、常にエネルギーをあのでかいのに吸われぱなしで鍛えてたから、バンバン強くなったと……で、じゅもんもなかなか使えないから、より精密により実用的に作り込まれたと……そういうことか……まあ、なんとなくわかった。じゅもんの威力が強いのも、俺達のMPが多いのも、全部この世界にいるせいってことだな。じゃあ、本当に俺達のレベルとフェルズ達のレベルはイコールなのかよ」

 

「多分そうだと思うけど?あんまり気にしなくていいんじゃないかな?八幡君達、充分強いし」

 

 あい変わらずルビス様も適当だな。

 

 ならなにか?俺達のちからとかすばやさとかは、今普通にレベル1なわけか。小町や一色が女子の標準だとすると、俺や由比ヶ浜たちが、少し鍛えてるからステータス高いってのはなんとなく解った。

 だとすりゃ、レベル4のアンが実は一番強いんじゃねえか。しかも、さっきつっこみそこなったけど、ピオリムとボミオス覚えてるし!何気にチートだろ、これ。

 

 まてよ……

 

 アンがレベル4でこのステータスなら、同じ4のアスフィさんやフェルズ達もこの近くの数値ってことか?

 ヤバイ、この人ら実はロマリア行くどころか、ナジミの塔にも上れないじゃん!

 ていうか、それならドラクエのモンスター強すぎだろ。今の俺たちのステータスならスライムに瞬殺されちゃうしな。はわわ。

 

 と、考えつつ、不意に思い出した。

 

「じゃあ、レベルカンストのとーちゃんって……」

 

「ああ、オルテガさんは、まだまだレベル上がってるよ!神龍様に頼んで、リミッター解除してもらったみたいだし、レベル上限もうないから、青天井だしね。まあ、いまレベルいくつなのかは知らないけど……」

 

 俺はみんなを見渡して言った。

 

「もう、全部とーちゃんに任せとけば良くね?」

 

 その言葉に、さも当然という具合にみんな一斉に頷くのだった。

 



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(24)満点の星空の下で……

 とは、言っても、結局修業気分のとーちゃんは平塚先生と一緒にダンジョンに潜ったままだし、俺達のターゲットである黒竜……邪竜ナースもどこにいるんだかさっぱり見当もつかないわけで、ならばやはり俺たちでなんとかしないといけないわけだ……はあ。

 

 ルビス様に恩恵を授けてもらって分かったこと……。

 

 俺達は無駄にレベルは高いが、実際のところの身体レベルは1で、紙装甲……というか、ちり紙クラスだった……、で、いずれにしても、大概のダメージで即死とか、もう笑えない、ほんと。まあ、生身だしな……こんなもんか……はあ。

 

 そんでわけのわからないスキルをみんな持ってはいるけど、使い道もイマイチわからないし、はっきり言って実用性は皆無。

 

 もうね、無理ゲー過ぎるでしょ。

 気分はあの伝説の、『トランスフォーマーコンボイの謎』をノーミスクリアー目指してる感覚。あれ、2周目クリアーしても特になにもなかったのは哀しかったな……

 

「八幡さん、お一人ですか?」

 

「お、おう?……あ、アスフィさんお疲れ」

 

 今日も今日とて、ステータスだ、【イケロス・ファミリア】の動向がどうだと、またもや大分話し込んでしまい、すっかり夜になってしまっている。

 ボ―ルスさん達、リヴィア組も、夕方には引き上げたし、アスフィさんに、もう遅いから夕飯でも食べてけよと、さっき誘ったのだが、『ここは居心地が良すぎるので、そろそろ帰ります』と、苦笑半分で断られたところだった。

 俺は今日もいろいろあったもんで、一人で庭の工事資材の角材に腰を掛けていたところに、アスフィさんが声を掛けてきたわけだ。ちなみにフェルズはいつの間にかいなくなっていた。

 

「隣……いいですか?」

 

「え?は?」

 

 いきなりアスフィさんが俺のそばに近寄ったかと思うと、妖しく微笑みながら顔を近づけてきた。両ひざに手を置いて腰を折ってくる。ちょ、ちょっとそれ、胸が腕に挟まれてなんかぽよんぽよんしてますけど……!?

 

 ごくり……

 

「べ、べ、べ、別にいいでふよ」

 

 ぐっ……噛んだ。

 

「ふふ……じゃあ、遠慮なく」

 

 彼女は俺の腰に自分の腰を寄り添わせてぴったりと体を俺に密着させて座る。

 って、なんで、いきなりゼロ距離スタートなんだよ!

 パーソナルスペース浸食しすぎだろ!!

 

「ちょ、ちょっと!?なにしてんの?アスフィさん?」

 

 流し目で俺を見る彼女は微笑んでいる。

 ま、まさか、また俺のわけのわかんないあのスキルの所為か?そうなのか?

 逃げるようにのけぞる俺にアスフィさんは口を開いた。

 

「いえ、八幡さんにどうしても聞きたいことがありまして……聞いてもいいですか?」

 

「い、いいい、良いけど……答えられることなら……」

 

「いえ、別に簡単なことですよ。はいか、いいえで答えてくれればいいだけですから」

 

「ま、まあ、はい……どうぞ」

 

「では………………んんんっ……八幡さん……わたし、どうやら貴方のことを好きになってしまったようなのです。お付きあいしていただけませんか?」

 

「はぁ?」

 

「ダメ………………ですか?」

 

 俺の腕に自分の胸を押し当てつつ、ずずいと顔を近づけてくるアスフィさんは物欲しそうな上目使いで俺を見る。

 俺はすかさず、答えた。

 

「ダメでしょう、それは」

 

「え?」

 

「いやいやいや、ちょっと待ってください。アスフィさんが女性として魅力がないとかそういう話じゃないから、むしろ、魅力云々でいえば、はっきり言って今まで会ったどの女性よりも高いまでありますよ。でも、そういうことではなくて、まず、出会って数日で、しかもこんなわけのわからない異世界人を好きになるなんてあり得ないから。というかそう思ってるならそれ、勘違いだから。それに、多分俺のスキルがそうさせてる可能性もかなりあるし。あと、俺には心に決めた女の子がもう二人もいますし、悪いけど俺の方にも余地はもうないわけです、はい」

 

「そ、それって……」

 

 尚も食い下がろうとしてる風のアスフィさんに向かってさらに言葉を重ねた。

 

「それに!アスフィさんだって、本当に好きな人は別にいるでしょう?別に誰とは言わないけど、あんたのことを大事に想っていて、大切にしてくれる人。ま、まあ、その人が俺の思ってる通りの人だとすれば、色々障害とか困難とかあるとおもいますけど、例えば、寿命とかね。でも、もしアスフィさんがそうしたいなら、不死身になる方法はフェルズが知ってるし、もし、肉体も不老にしたいなら、あんた万能者っていうくらいなんだから、自分でその方法を見つけちまえばいい。なんか、この世界は魔法の元みたいなのがたくさんあって、なんでもアリみたいだしさ。その気になれば、若いまま年を取らずに、永遠に生きて、その好きな人と一緒に居ることも可能なんじゃないですか?そんなのがもしできたら、フェルズも肉体取り戻せるかもだし、そしたら、万々歳だし……って……あれ……?」

 

「…………ふふふ……くふ……くふふ………」

 

 必死に言葉を繋いで、あれやこれや話しながら、ふとアスフィさんを見やると、口許に手を当てておかしそうに笑ってるし。

 なんだ?なんで笑ってんだ、この人?

 俺、なんか変なこと言ったか?いや、言ったな。相当に恥ずかしい台詞ぶちかましちまったな……ぐぬぬ……穴があったらはいりたい……

 

「ふふ……ご、ごめんなさい……あ、あんまり八幡が真剣な顔で話すものだから、可笑しくなってしまって……ふふ……」

 

「い、いや……そこ、笑うとこじゃ……ん?んんん?は、八幡?お、お、お、おま、おま、おま……」

 

「あら?気がついてしまったかしら?これは失敗だわ」

 

 と、言いながら彼女の体を、霞が掛かったように薄い白いモヤが覆う。そして、暫くして現れたのは……

 

「ゆ、雪ノ下!?お、お前、アスフィさんにモシャスしてやがったのか!?」

 

 そこにいたのは、澄ました顔で微笑みながら俺を横目に見る、黒髪長髪の少女。

 

「ふふふ……どう?驚いたかしら?」

 

 言いながら、雪ノ下は俺の腕にぎゅうっと強く抱きついてきた。

 

「お前なあ、どういうつもりなんだよ?こんな悪戯して……だいたいアスフィさんにモシャスするとか、悪ふざけにもほどがあるぞ」

 

 その俺の言葉に、雪ノ下は可笑しそうに微笑んでいた。

 

『モシャス』

 ドラクエの数ある呪文の中でも、一際異彩を放つ変身呪文。その効果は、呪文の行使者の見た目、体型ばかりでなく、その筋力や魔力、行使可能な呪文までをも完璧に対象者そのものをコピーする。

 ドラクエの世界では、この呪文を使うことのできるモンスターも存在する。

 

「あら?……アスフィさんの姿がそんなに気に入ったのかしら?あなた、ずいぶんと彼女と仲が良さそうだったから、ひょっとして好きになってしまったのかもって、ちょっと試してみたくなったのよ」

 

 そう言いながらも、俺に抱きつく雪ノ下は嫌そうな顔はしていない。どちらかと云えば安心しきった表情とでも言おうか……

 

「と、とにかく……こんなのは悪趣味すぎだ」

 

「ふふ……でも、あなたが間髪入れずに断ってくれて本当に嬉しかったわ……まさか、あんな風に私たちのことを言ってくれるなんて……私……ちょっと見直したのよ」

 

「お前なあ、その言い方結構ひどいぞ。なに?なんか俺お前ら蔑ろにしたことあったか?お前の方こそ、アスフィさんになって、なんか変なとことか触ったりしてたんじゃねーか?」

 

「し、し、し、してないわ……その……し、してなんかないわよ」

 

 とかいって、自分の胸に視線落とすんじゃねーよ。間違いなくしまくってんじゃねーか。

 

「はあ……ったく……で?俺がもしアスフィさんに靡いちまったらどうする気だったんだ?」

 

「思いっきり殴るつもりだったわ」

 

「ちょっ……おま……いきなりそりゃねーだろ。お前に誘導されたあげく、いきなり暴行とかマジ勘弁しろよ。だいたいレベル4の全力で殴られたら、俺、絶対死ぬから!」

 

「まったく貴方というひとは……人がせっかくいい気分になれたのだから、もう少し優しくなれないものかしら……」

 

「うっ……す、すまん……なら……これでいいか?」

 

「きゃ……」

 

 俺は隣でひっついていた雪ノ下の腰と腿に手をまわしてそのまま俺の膝の上に抱き上げて座らせた。

 雪ノ下の頭は俺より少し上の位置。しずかに俺の首に手を回す雪ノ下と俺の顔の距離はすぐにでも触れてしまいそうな程に近い。

 そして、目をトロンとさせて俺を見下ろす雪ノ下の瞳を見ながら、そっと、口づけをした。

 彼女もゆっくりと目を閉じてそれに応じる。

 星以外に明かりがなにひとつない、その庭先で、俺達は互いに唇を吸いあった。

 

 暫くして雪ノ下が俺を強く押して唇を放した。俺は突然に離れてしまったことに寂しさを感じつつ、やっぱり残念そうな顔をしている雪ノ下の顔を見た。

 そして、彼女はぽつりとこぼした。

 

「これ以上は、結衣さんに申し訳ないわ。私ばかり……その……ズルいもの……」

 

 そう言いつつも、寂しそうな顔のままの雪ノ下の頬にそっと手を当てて、そして、もう一度だけ、そっとキスをした。そして、俺から顔を離す。

 

「ひどいわ。ダメだって言ったのに……」

 

「その……なんだ……じ、実は、寝てる間に、たまに由比ヶ浜とその……こっそりしてた……って、お、おぃ……んぷ……」

 

 と、言った途端に、雪ノ下が押し倒さんばかりに俺に飛び付いて唇を重ねてきた。そして思う様に俺の唇を吸い、そして激しく舌を入れてきた。

 そのまま押し倒された俺の上に馬乗りになったまま、何度も何度も唇を吸われる。そのあまりの快感にいよいよ我慢できなくなりそうになったところで、漸く雪ノ下が離れる。そして一言。

 

「まあ、これで許してあげるわ」

 

「なんだそれ?これ、俺的にかなりご褒美なんですけど?」

 

「あら?女に上に跨がられて、自由を奪われたまま唇を吸われるのがなぜご褒美なのかしら?変態ヶ谷君?」

 

 いや、それ完全にご褒美以外のなにものでもないから……というか、口で説明されると余計に興奮してきて……げふんげふんっ!

 

「ま、まあ、悪かった!こっそり二人でしてたのは本当に悪かった!」

 

「初めからそう謝ってくれればいいのよ」

 

 何故かすごく満足そうな雪ノ下さん。

 本当に知らないって、怖いなとおもいました。うんうん。

 

 俺はもう一度雪ノ下の腰を抱くと、再び俺の横に座らせた。このまま俺の上に居させたら、もう俺のアレが辛抱たまらなくなりそうだっりなかったり……まあ、別にいいだろ。

 

 二人で並んで夜空を見上げる。

 そこには満点の星空。あまりの星の多さに、どれが一等星で、どれが二等星だとか、全くわからない。

 煌めく星々の間を、長く尾を引いた流れ星がいくつも走っていた。

 暫く黙って見上げて、微かに風がそよいでいるのを感じた。

 さっきまでのイチャイチャのせいで少し体が火照っていて、頬を撫でるその夜風が心地いい。

 ふいに、雪ノ下が俺の腕を抱いたまま、語りかけてきた。

 

「ねえ、八幡……、前にもこんな風に星空を見上げたことがあったわね。貴方と私と結衣さんの3人で」

 

「ああ、そうだな……」

 

 

 あれは、まだ俺達がアリアハンにいた頃、どうすりゃいいのか良くわからないながらも、なんとか出来ることをこなしていたあの時、俺は正直不安でいっぱいだった。

 あの世界で気がついて、周りを見てみれば、まさかの異世界。

 そりゃ、原作ゲームの知識があったから、やるべきことは分かったけど、それでだからどうなんだよ……ってな。 あの時の俺は半ばやけくそだった。

 頑張ってレベル上げてどうなる?

 魔王を倒してどうなる?

 それで、その先はなにが待ってる?

 帰れないのになんの意味がある?

 

 だが、そんな時、前を向かせてくれたのは由比ヶ浜だ。

 

 あいつが俺達を励ましてくれた。

 あいつが俺に勇気をくれた。

 あいつが俺達に道を示してくれた。

 

「私ね……結衣さんに感謝してるのよ。あの時、彼女がこのままでもいい、3人で一緒に居ようって言ってくれた時、心から救われたの。私には、どうすればいいかなんて全然想像もできなかったし、決めることも全くできなかった。そんな私を結衣さんが肯定してくれて、本当に嬉しかったの。でも、あなたが即座にそれを拒絶したのだけれどね」

 

 雪ノ下は可笑しそうに笑いながらそう言う。あの時、あの由比ヶ浜の言葉がなければ、本気で二人と一緒に帰りたいなんて、多分思いつかなかった。

 

「俺も同じだ。由比ヶ浜にいつも背中を押してもらってる。だから、俺はあいつを守りたいんだ。雪ノ下……お前には悪いが、そういう意味じゃ、俺は由比ヶ浜のことを特別扱いしてる。すまない」

 

「ええ……でも、謝ることではないわ、だって私も好きなんだもの」

 

「ああ……ん?」

 

 あれ?その好きだは誰のことを言ってるんだ?俺……じゃなさそうだな……ひょっとして由比ヶ浜のことか?

 

「あ……雪ノ下?お前、由比ヶ浜のこと……」

 

「ええ、好きよ……愛しているわ」

 

「あ、愛……?ってちょ、ちょっとお前、好きだは分かるが、愛してるって、一人の女性として愛してるって意味か?」

 

 雪ノ下はちょっと小首を傾げてから言う。

 

「あなたが何を聞きたいのか分からないのだけれど、私は彼女を貴方と同様に愛しているわ」

 

「お前なあ……なに、彼氏に向かって、ガチ百合宣言してんだよ。じゃあ、何か?お前由比ヶ浜にもキスとかしたいってのか?」

 

「そうね……それも……そ、それも……いいわ……ね」

 

「って、何、後半ちょっとニヤケながら言ってんだ!?ったく、お前の恋愛の形ってどうなってんだよ?男の俺としたり、女の由比ヶ浜としたがったり……」

 

「あら?同時に二人の女性と付き合って、あまつさえ同時に口づけをしまくっている男の言うセリフじゃないわね。そもそも、結衣さんへの愛の深さで言ったら、私の方がよっぽど深いわよ」

 

「いや、何言ってんのお前。そんなの俺にきまってるだろうが!」

 

「いいえ、私よ!」

 

「いや、俺だ!」

 

「私!」

 

「俺!」

 

「私………」

 

 

 

 

 

「………」

 

 

 

 

 

 気が付けば二人で顔を突き合わせて……

 

「むちゅ……んはぁ……ぴちゅ……むちゅ……」

 

 何故か雪ノ下と思いっきりキスしてた。

 何やってんだ!俺!

 

 

「ヒッキー……?ゆっきのーん?いるのー?ご飯だよー…………って、あーーーーーーーー!!もうっ!二人して何キスしてんのぉ!!もう!ズルい!ズルい!ズルい!」

 

 言いながら、俺達に駆けよってくる由比ヶ浜を見ながら、雪ノ下が言った。

 

「良いところに来たわね、結衣さん!あなたに聞きたいことがあるのだけれど」

 

「へっ?」

 

「おお、そうだ!由比ヶ浜正直に答えろ!俺と雪ノ下、どっちの方が好きなんだ?」

 

「へっ?え?ええええ?な、なに?なんで……?」

 

「良いから早く答えなさい!これは非常に大事なことなのよ。当然私よね?結衣さん!」

 

「ちょ、ちょっとまって……え?な、なに?」

 

「いやいやいや、待て、いきなり女子に迫られたら怯えるにきまってるだろうが。それに俺は由比ヶ浜が好きだ。だから、由比ヶ浜も俺が好きだよな?」

 

「えへへ……好き、好きって言われちゃった……えへ……」

 

「貴方卑怯ね、その言い方。私だって結衣さんのことは大好きだし、私にとって結衣さんはもうかけがえのない存在なの。結衣さんなしの人生なんてもう考えられないわ……」

 

「ゆ、ゆきのん……う、うれしい、うれしいよぉ……あたしもゆきのんとずっとずっと一緒にいたいよぉ」

 

「って、雪ノ下!?なに勝ち誇った顔してんだ、お前。お前の方が卑怯じゃねえか!結衣を百合百合空間に引きずりこみやがって!結衣はノーマルなんだよ。俺がリードしてやんなきゃいけねえんだよ」

 

「い、今……あたしのこと、結衣、結衣って言ってくれた!わぁ、う、嬉しい……」

 

 俺と雪ノ下の間で右往左往する由比ヶ浜。

 

「さあ、結衣さん!あなたが好きなのはどっち?私?それとも彼?」

 

 そう迫られて、由比ヶ浜の口から出た答え……

 

 それは。

 

「あ、えとえと、んとんと……そ、それは……ね?……うん、二人とも……うん!あたしは、二人をおんなじくらい好き!えへへ!!」

 

 当然だが、その答えに俺と雪ノ下は直立不動。

 そして、しばらくして雪ノ下が嘆息。

 

「ふぅ……あなたには教育が必要ね。どうもこの男の影響のせいか優柔不断の度合いが増しているようね。結衣さん、あなたにきっちり私が愛を教え込んであげるわ」

 

「へえ?な、なんで?」

 

「まあ、こうなるとは思ってたけどな、由比ヶ浜。お前をガチ百合の世界に墜とすわけにはいかねえから、きちんとした恋愛が出来るように、俺も頑張るからな」

 

「え?ひ、ヒッキーが頑張るの?えへへ、それちょっと嬉しいかも……って、ゆ、ゆきのん!?手、そ、そんなに引っ張んないで!あ、歩くから、ちゃんと歩くからぁー……って、ヒッキーもなの!?ふえぇーん、これじゃあ、捕まった宇宙人みたいだよぉ……」

 

 由比ヶ浜を引きずりながらホームに戻る……

 

 この後、3人でくんずほぐれつしたとか、しなかったとか……

 

 【ルビス・ファミリア】結成初日。

 

 今日はとっても平和な一日でした。

 

 



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(25)アポロンの宴の陰で……

 閑静な高級住宅街の一角の、このとある大邸宅の周りには、煌びやかな装飾の馬車が何台も控え、柔らかで上品な楽曲の調べが夜の空に優しく流れている。

 そこに集まるのは、豪華に着飾った絶世の美男美女達。そう、まさしく超越した美を誇る神々の宴が、今日、ここで執り行われていた。

 豪奢な造りのこの施設は、ギルド保有のものであるらしく、このような催事……とくに、拝し奉るべき神々の申し出に際して対応出来るだけの最高品質にて設計され、失礼の無いようにと細心の注意を払って管理され続けられている。

 言わば、高級スウィートならぬ、神級御殿なのである。

 

 今日、俺は、この催し、アポロンの『宴』にて不測の事態に備えるべく潜入しているわけだ。

 と、言っても、非合法にここにいるわけではない。

 本来、このようなイベントは、【ファミリア】を構える神であれば、必ず招待されることが通例であり、参加の如何はその神次第。よって、すでに結成された我が【ルビス・ファミリア】もその例外なく本来であれば招待されてしかるべきなのだが……

 

 いかんせん、結成が遅すぎた。

 

 流石に昨日の今日で招待がどうのなんて、こちらからねじ込むことがまあ出来なかったわけだ。でも、ルビス様って確か一番偉かったはずなんだが、普通に断ってきたこのアポロンって神様、結構アホなんじゃなかろうか?

 まあ、そんなことはさておき、となれば、別の手段をつかってでも潜入しておきたかった。

 

 理由は簡単。

 

 先般の焔蜂亭での、ベル君たちと【アポロン・ファミリア】の喧嘩の際、あれだけのイレギュラーの続発の中でも、なんとか正規ルートへ繋げられたかと思っていたのだが、その後のベル君の様子に一抹の不安を覚えてしまったからだ。

 なにせ、怯え方が尋常ではなかった。

 狂ったままのヒュアキントスに、レベル5のベート以上の力で剣で串刺しにされ、逃げ場を防がれた上で殺されそうになった。

 すぐに由比ヶ浜が治療してたから、外傷なんかは残ってないわけだけど、俺にも良く分からんが、あれは心にかなりのダメージを受けたんじゃないかと思えた。

 よくTVなんかでアメリカのベトナム帰還兵の心の病の特集なんかをやってるけど、殺したり、殺されそうになったりした実体験を元にその時の恐怖で心身喪失状態になり、下手をすれば命を投げ出してしまうこともあるなんて聞いたこともある。

 ベル君はそれになってしまったのじゃないか……

 俺はそれが心配だったわけだ。

 

「ほらほら、いくらアルバイトだからって、ボサッとしないの!今日はウチらと同じ扱いなんだからね!」

 

「ダフネちゃん、あ、あんまり慌てさせるのは良くないと思うの……余計にまちがえちゃうから……」

 

「あんたももっとテキパキ動きなさいよ!」

 

「あうぅ……」

 

「いい?しっかりやんのよ!」

 

「は、はい……ダフネさん、カサンドラさん……」

 

 目の前には、超絶に可愛らしいメイド服姿の【アポロン・ファミリア】の二人の女冒険者。某双子の鬼姉妹メイドよろしく、フリルのついた丈の短いエプロンドレスをひらひらさせて舞うように給事している様は、はっきり言って目の毒だ。

 これでもう少し優しくしてくれれば文句なしなんだが……

 でも、まあ、今の俺の立場的に、文句は言えない。なぜって、そりゃ、今日の俺はただのアルバイトだからな……

 

 はあ……思いついたときはいいアイデアだと思ったんだが、結局こき使われて仕事しまくってるだけだし……

 

 何気に俺の発想って、こき使われる路線多い気がする。実はこうやっていたぶられんの、好きなのかも!?

 

 昨日、ギルドのエイナさんに、帰り際、このイベントの手伝いをしたいから、スタッフとして入らせてくれと頼んだ。

 通常、この手のイベントは貴賓相手だから滅多なことではアルバイトなんか雇わないようだが、そこはそれ。こちとら、一応最高神のルビス様のファミリアなわけで、身元ばっちり、さらに神ウラノスのバックアップもあるから、一も二もなく採用してもらえたわけだ。

 とはいっても、前述の通りこきつかわれてるわけで、あまりメリットはなかった。はあ。

 

「せ、せんぱーい……た、たすけてくださいよぉ」

 

「なにやってんだ!?お前!?」

 

 すぐ近くから良く知った声が聞こえて顔を向けてみれば、大勢のイケメンに囲まれて身動きできなくなっている一色の姿。

 

「ねえねえ、君どこの【ファミリア】?僕のとこにコンバートしなよ!」

 

「貴女のような美しいヒューマンを知らなかったなんて、神の名折れ……どうか許しておくれ、ハニー」

 

「ふむう、漂う色香……これはたまらん。お主に今宵の伽を許すぞ。光栄に思え」

 

 なに言ってんだ、こいつら?頭おかしいんじゃねえか?

 カサンドラさん達と同じようなメイド服姿の一色は、イカレタ男神達に群がられて、ぷるぷる震えてるし……

 俺はそいつらを掻き分けて近づいて、一色の手をとって引きよせた。そして一言。

 

「あー、すいませんねー、こいつ俺の妻なもんで、手を出さないでもらえます?」

 

「「「「「「「「「な、なにぃ!!」」」」」」」」」

 

 一色を抱き寄せたままの俺を見ながら、その場の神々が絶叫。

 

「あの幼さで人妻だと!?」「それはそれでそそる……」「いやいや、さすがに旦那の前でそれ言うのはまずいだろう……」「神は浮気してなんぼ(笑)」

 

 うわぁ、こいつら、ホントにろくでもねえな。

 見た目、超がつくイケメンなだけにたちが悪い。こんなのに関わってたらろくな目にあいやしねえな。

 俺は一色を連れて、厨房脇の廊下に逃げ出した。

 その間、ずっと一色の手を握ってたわけだが、こいつ真っ赤な顔して……そんなに嫌だったか……

 

「す、すまん、手え、触って……それと、妙なこと口走って……わりぃ」

 

「…………い、いえ、別に……分かってますから……本気で奥さんにする気がないくらい……あ、ありがとうございました。助けていただいて……」

 

「お、おう……ま、大丈夫だ」

 

 一色のやつも真っ赤なままで目をつり上げてはいるが、少し落ち着いてはきたみたいだ。

 

「はあ、それにしても、神の連中は本当にどうしようもねえな。お前も危なかったな……っていうか、やっぱり無理に来なくて良かったんじゃねえか?今日は雪ノ下と由比ヶ浜も別行動だし、ここは俺ひとりでも……」

 

「そ、それじゃあ、いつまでたっても距離縮まんないですし……あんなの見せられて……ぶつぶつ……」

 

「ん?なんて言ったんだ?はっきり言えよ……」

 

「な、なんでも、ないですっ!!別にいーじゃないですかそんなこと。先輩だって私が周りの人達の相手してあげてる間にベルさん達と話できたんですから……私だって、全く役に立たなかったってわけじゃないでしょ?」

 

「そ、そうだな、確かに助かったよ。サンキューな」

 

「わ、わかれば……いいですよぉ……」

 

 と、急にもじもじ始める一色。

 

 本当にこいつの言う通りである。

 潜入とは言っても、所詮はアルバイト。やれ、これを運べだ、これを片付けろだ、鬼のメイド長、もとい、ダフネさんに指示をされまくって、もうてんてこまい。

 そこに、この一色だ。

 なぜか、一色の奴は俺と違って、周りの連中から妙にちやほやされて、舞い込む仕事は周りの連中がテキパキ手伝い始める。

 それはもう、普通じゃない感じで、至れり尽くせりのこのメイドさんは、メイドの格好してるくせに仕事を殆どしていない。

 

 確かにこいつは平均以上にかわいいとは思うが、まさかここまで初見殺しだとは思わなかった。というか、異常だ。男女問わず一色に熱い視線送ってるし、ボディタッチこそしてきていないが、今にも抱きつかんばかりの妙な動きしてるやつもいたし……

 

 ということで、多分なんだが、これは一色のスキル『色欲』の権能が働いているくさい。

 もう、読んで字のごとく、みんな一色のエロ香……いや、色香に惑わされてるって感じだ。

 これしかないだろうって思い至ったのは、ついさっき、ワインを一色とふたりで運んでいる時に、偶然あの妖艶な女神フレイヤに近づいちまったら、その取り巻きの男神連中が突然全員一色に群がってきやがったからだ。

 こいつ、美の女神の魅了を打ち消して、自分に男神どもを惹きつけやがった。どんだけすげえ誘惑能力なんだよ!!

 

 それで、その後も色んなやつに言い寄られるのを、一色はあざとく上手いこと全部かわしてきてたので、みんなが気を取られてる隙に、ベル君やアスフィさんや、ヘルメス様に接触して色々話すことができたわけだ。

 

 まあ、こいつのセリフじゃないが、このくそ忙しいバイトの最中に、一色がいなけりゃ当初の目的の一つである、ベル君の様子見も出来なかったわけだ。

 

 だから、当然感謝してるに決まってるわけで、もう少し機嫌よくしてくれると嬉しいんだけどな。

 

 あ、先にベル君の話をしておくと、見た感じも、様子も問題なさそうだった。

 俺がいるのを見て、最初こそ驚いていたが、まあ、普通に話せるし、ドレス姿のヘスティア様の後ろで小さくなってるし、だいたい原作の通り。

 ヘスティア様が、神タケミカヅチや、神ミアハ、それに神ヘファイストスや神ロキなんかと話してるその脇で、その眷族達と会話もしていた。

 そこで、はじめて、このラノベのもう一人の主人公、アイズ・ヴァレンシュタインを見たのだが、こりゃベルくんも惚れるわ。

 純白のドレスに身を包んで恥ずかしそうに佇むその様子は、剣士というより、まるっきりのお姫様。で、恥ずかしそうにチラチラベル君を覗き見るその視線はまさに小動物のそれ。

 本来のレベル6のアイズの姿はよくわからんが、今のこのお姫様容姿から想像するに、もしこれで膝枕でもされようものなら、完全にノックアウトものだろう……俺だったら間違いなく勘違いのうえ、告白して振られるまで想像できるし。うんうん。

 っと、ベル君はノックアウトずみだったな。

 

 まあ、その後もベル君は原作をなぞるように、ヘスティア様についてあっちやこっちについてまわってたわけだ。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 厨房でコップに水を汲んで、それを一色に渡してふたりで飲みながら小休止。

 それで少し落ち着いたのか、一色がほぅっと大きく息を吐いてから話した。

 

「それで……比企谷先輩は私のことどうですか?」

 

「どうですか?ってなにがだよ?」

 

 俺の言葉に一色がまた目を吊り上げる。

 あれ?俺なんかまちがった?

 

「だ、だからあれですよ……ほ、ほら!他の神様たちみたいに、私を見て。ドキドキっとか、ムラムラ~とか、ムクムクっとか……なんかないんですかぁ!?」

 

「って、怒るんじゃねえよ。ねえよ、別にない。なんにもないから安心しろよ」

 

 と、言った途端に、顔をくしゃっとさせて泣きそうになりやがるし。

 

「なんですかぁ、なんなんですかぁ、そんなに私のこと嫌いなんですかぁ?酷いです……酷すぎですぅ……えく……んく……」

 

「お、おい、泣くんじゃねえよ。違う、ちげえよ、そうじゃねえ、逆だ。俺はお前を守ってやりてえから、そんなスキルの能力ごときで誘惑されたりしねえってだけだ。元からお前ががんばり屋だってことも、良いやつだってことも、可愛いってことももう知ってるんだよ、俺は。だからあんなクソ神どもと一緒になんかするな」

 

「え?それって……」

 

 少し呆けた顔になった一色がなにか言いかけたその時、ホールの方から地響きのような歓声があがった。

 俺は慌ててホールへ急いだ。

 そこでは……

 

「アポロンがやらかしたァーーーーー!!」

 

「すっっげーイジメ」

 

「逆に見てみたい」

 

 なんか、ホールのまわりにいる神達がニヤニヤしながらそんな言葉を言ってるし……

 ということは……

 

 ホールの中央に視線を向ければ、そこにいるのは、包帯ぐるぐる巻きの小人族(パルゥム)を伴った、長身のまるで王様のような出で立ちの美男子と、その前に立つ小柄なヘスティア様とベル君の二人。

 

 つまり、これはあれだ。

 

 神アポロンの『戦争遊戯(ウォー・ゲーム)』の宣言!

 

 どうやら、原作通りに、ベル君欲しさにヘスティア様達になんくせつけて、宣言してくれたようだ。

 

 それにしても……

 

 あの小人族(パルゥム)、ルアンって言ったか?

 酒場で、思いっきりヒュアキントスにぶったぎられてたけど、良くもまあここにでばってこれたな。その図太さに関心しちゃうよ、俺は。

 

 神アポロンは何事かをヘスティア様に言ったあと、しばらくして、ヘスティア様がベル君の首根っこを捕まえて、ひきずってホールから出ていった。

 

 これはあれだ。ヘスティア様が断ったってことだな……

 

 さあてと、これでひとまずは安心だ。あとは、明日の早朝か……

 この分ならなにも問題無いとは思うが、一応雪ノ下と由比ヶ浜が保険かけてくれてるからな……とりあえずは心配はないか……

 

「せ、せんぱい……あの……」

 

「ん?どうした?」

 

 一色に声をかけられて振り返る。

 

 俺たちが入ってきた通路の入り口……その脇の柱の影の方を見つめながら、一色が怯えた感じで俺に抱きついてきた。

 ってちょ、おま……

 

「お、おい、抱きつくんじゃねーよ……」

 

 か、勘違いしちゃうだろ……ほんとに……

 

「あ、あの……、そ、そこに、き、気持ち悪い人がぁ……」

 

「はあ?」

 

 言われて、その影の方に近づく。

 すると、そこにやはり人影が……

 暗がりに浮かび上がるのは、真っ黒なスーツに全身を固めた痩身の美男子。

 相も変わらず、その口許をにやけさせたままで、彼は俺に近づいてきた。

 俺はすかさず声をかける。

 

「待ってましたよ。イケロス様」

 

「ヒヒッ……」

 

 ここで、俺は今日最大の目的の人物と向き合った。



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(26)悪夢の神

 目の前に立つ、陰険な瞳の男神は口許をにやけさせたまま、俺達の顔をのぞき込んできた。

 この前と一緒だ。すべてを見通されているかのような身の毛のよだつ感覚に俺は後ずさった。

 

「わわわ……せ、せんぱい……こ、こわいです……」

 

 そう言った一色も俺の腰に抱き着いて震えている。

 そりゃ、怖いだろうさ。なにせ相手は神。それも精神支配の権能を持つ、悪夢の化身。

 この漆黒の瞳を見るだけでも、アスフィさんが危惧した通り廃人にでもなっちまいそうな予感があった。

 イケロスはそんな俺たちの様子にはお構いなしに視線を向けたまま話した。

 

「そんなに怯えるなよ、別にお前らに何もしやしないさ。それより、俺をここに呼んだのはお前の方だろう?なあ……デカルチャーズ?」

 

 その言葉に俺は心臓を握り込まれたような圧迫感を覚える。

 

 今の俺たちの格好は執事、メイド服ではあるが、素顔を晒している。

 つまり、比企谷八幡と一色いろはで居るわけだが、この姿で神イケロスと相対したことは当然ないし、正体を明かしたこともない。俺が会ったことがあるのは、デカルチャーズの姿で居た時だけのはずだ。

 ということは、この神には俺達がデカルチャーズであることはもちろん、【ルビス・ファミリア】の一員であることも全部筒抜けだということ。

 これはまずい……

 一色をはじめとした非戦闘員も抱える俺達にとって、自分たちの正体を隠すことはなによりも重要な点なのだが、よりによって、今もっとも警戒しなければならない敵対関係にある【ファミリア】の主神に正体を知られてしまっているということは、もはや致命的と言わざるをえない。

 

 この世界では、この後にもすぐ発生するわけだが、【ファミリア】どうしの抗争は日常的なものだし、防備の薄いホームでは、あっという間に襲撃されてたちまちに壊滅の憂き目に遇う。

 だからこその変装であり、だからこそ、目立たないように水面下で行動していたというのに……

 

 そんな不安を抱きながら何もしゃべれないでいる俺を、イケロスは変わらずニヤケタまま見続けていた。そして……

 

「どうもお前らの正体を知っている俺を警戒してるようだが、その必要はねえよ。ヒヒっ、お前らの正体なんて誰にも話しちゃいねえからな」

 

「え?」

 

 俺の思考を見透かしたように目の前の男神は、事も無げにそう言い放った。

 

 俺たちの正体を話してない?

 

 なぜ?

 

 意外なその言葉に俺はさらに混乱した。

 そもそも、この神はデカルチャーズの俺たちとアンが一緒にいるところも見ている。

 アンはこの【イケロス・ファミリア】が捕獲した商品としての異端児(ゼノス)であり、それを連れ歩く俺たちは完全な敵だ。普通に考えれば、まだ世間に認知されていないゼノスを知っているというだけでも、俺達を邪魔に思うはずだし、その生き証人ともいえるアンの存在自体、今後の商売?のことを考えれば生かしてはおけないと思うはずだ。

 で、あれば、【イケロス・ファミリア】の全力を持って叩きつぶしにくるのが当然のことだと思うのだが、なぜそうしない?

 というか、せっかく知った俺たちの情報を、この神はなぜ使わない?

 

 わからん……

 

 まったく分からん……

 

 何も話すことが出来ない俺達を見つつ、大きくため息を吐いたイケロスは、手でジェスチャーしながらやれやれと首を横に振った。

 そして、話し始めた。

 

「まあ、お前らが警戒するのもしかたねえか……。なら、俺から話すわ。さっき言った通り、デカルチャーズの正体を知りたがってたうちのディックス達には、何も教えちゃいねえ。というよりも、お前らの正体は分からなかったと言ってある。だから何も心配はいらねえ」

 

 ちょ、それって……

 と、問いかけようとした俺に向かって、イケロスは人差し指を立てて言葉をつづけた。

 

「それと、もうひとつ。お前らのところにいるあのゼノスな……あれを逃がしたのは、この俺だ」

 

「な、なに!?」

 

 驚く俺を見つつ、イケロスはクククとおかしそうに口角をあげる。

 

「まあ、聞けや。うちのディックスはな……あ、お前らは知らなかったか……まあいい。うちの団長はな、なかなか可哀そうなやつなんだ。自分の中の血の呪いに縛られて、狂気に自分を墜としちまった。まあ、それ自体は奴の問題だからな、奴が乗り越えるしかねえわけだが、ゼノスの存在を知ってからは、さらに狂いやがった。あの野郎は復讐でもするようにゼノスを狩り続けた……そりゃあもう何の良心の呵責もなしにな……狂ってんだよ、うちの連中はな…………」

 

 そう言いながらも目の前の神イケロスは冷ややかな笑みをたたえ続ける。

 その陰鬱な眼差しは常に俺の精神を浸食してくるようだが、話している内容は、まるで逆。

 まさに子を心配する父のごとき思いやりを感じさせた。

 

「だから何の心配もいらねえからよ、話してみろや」

 

 その言葉で、俺は口を開いた。

 

「ま、まあ、あんたがそこまで腹を割ってくれるってんなら、は、話が早え……俺たちの要望は一つだけだ。この前捕まえたアンの……さっきあんたが言った、この前逃がしたハーピィの仲間を開放してほしい。その代償として「いいぜ」たちは、あんたの探してるデックアールブ……え?今なんて言った?」

 

 にやけた表情のまま、神イケロスは答える。

 

「だから、いいって言ったんだよ。解放させてやる。あのゼノスどもを……」

 

「ほ、本当か?」

 

「ああ……だが、俺にもちょっと事情があってな、俺がそれをすることは出来ねえから、お前にこれをやるよ……ほれ」

 

 と言って、ポケットに入れていた手を引き抜いたかと思うと、おもむろに、俺に向かって丸いものを投げてよこした。俺はそれを慌てて取ろうとして……

 

「うわっ、とっ、ととと……」

 

「せ、先輩!?ちゃ、ちゃんと取ってくださ……!?」

 

 取り損ねて、俺の手からこぼれたその丸いモノを、隣にいた一色が慌てて掴んだかと思ったら、その途端に絶句。顔面蒼白でわなわなと震えだした。

 俺はその一色が掴んだそれを見て仰天した。一色は何も言えずに口をパクパクさせたままだ。

 

「め、め、め、目玉~!!」

 

 そう、目玉。

 まさに眼球そのものを一色が手で辛うじて持っていた。その目玉のようなものは黒い瞳の部分に『D』の記号が浮かびあがっている。

 俺は急いで一色からそれを取り上げた。そのままにしてたら、一色が倒れちまいそうだったし。

 そんな俺達を見ながら神イケロスが言った。

 

「おいおい、大事にしてくれよ。そいつは、迷宮……『ダイダロスの迷宮』へのカギなんだぜ。そいつがなければ扉は開かねえし、それにそいつは、模倣品なんかじゃなく、正真正銘の『ダイダロスの目玉』なんだかならな」

 

「な、なに?模倣品じゃないって、これ、本当にダイダロスってやつの目玉なのか?」

 

 俺のその問いにイケロスは答える。

 

「ああ、そうだぜ。あいつが死ぬ前に俺が貰ったんだよ。ちゃんと処理してあるから、においもねえし、腐りもしてねえから安心しろって」

 

 と言った瞬間に、一色がフッと意識を失って倒れそうになったところを、俺が捕まえて抱きかかえた。

 

「あ、あんたなあ……なんてモンをよこすんだよ」

 

「まあ、仕方ねえだろ。ディックスが作った模造品の『ダイダロス・オーブ』だとすぐ足がついちまうし、こっそり連れ出そうっていうんならこのオリジナルの方が安全だ。模造品だと開けられる扉とそうじゃないのとあるしな」

 

 こともなげにそう言う神イケロスは相変わらずニヤニヤしたままだ。

 俺にはこいつが何を考えてるのかさっぱり見当がつかなかった。そのディックスとかいう団長のためなのか?それともアン達ゼノスに思い入れがあるのか……

 抱き上げた一色を落さないようにしつつ、もう何を言えばいいのか分からなくなった俺は、単純な疑問をぶつけた。

 

「なあ、なんでこんなに俺達に有利な話をするんだ?これじゃあ、罠でもはってあるようにしか見えないし、そうじゃないにしても、俺はまだあんたの知りたがってる情報をなにひとつ言ってはいないんだけどな。そもそも、あんたが聞きたがってたデック・アールブだって本当は良く知らねえ。知ってるのは、銀髪のダークエルフの女のことだけだし」

 

 俺のその言葉に、表情を変えないイケロスがおもむろに口を開いた。

 

「ひとつだけ教えろや。その……お前の見た、ダークエルフは……元気だったか?」

 

「はあ?」

 

 その質問の意図が理解できず、思わず口をあんぐりと開いてしまった。

 イケロスはまっすぐ俺を見たままだ。

 俺は、少し冷静になってから再度話した。

 

「あんたが何を聞きたいのか知らねえが、その……元気だったよ。おまけに超美人だった」

 

 その瞬間、イケロスの目がふっと優しく微笑んだように見えたが……。まあ、一瞬でもとに戻ったのだが……

 そして彼は言う。

 

「そうか……なら、話はこれまでだ。もしゼノスどもを助けたいなら、早い方がいいぜ。明日の夕刻にはうちの団員が荷馬車で運びだす手はずになってるからな……ヒヒッ…………」

 

 それだけ言ってうしろを向こうとする彼に、俺はもう一言声を掛けた。

 

「ま、待てよ……あんたの望みはなんなんだよ。それにあんたあのダークエルフとどんな関係なんだよ」

 

 イケロスはにやけさせた表情を変えないままで、くるりと向きをかえて、俺から遠ざかっていった。

 

「お、おい……、あ、会わなくてもいいのかよ!?」

 

 それに手をひらひらさせて答えたイケロスは……もう振り返ることはなかった。

 



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(27)夜半の3人

「なんだったですかね、今の」

 

 一色がいつの間にか目を覚まし、俺に抱き着いたままで、不安そうにそう呟くのと同時に俺は、手のひらで握っていたさっきの目玉をもう一度見た。

 イケロスはこれを『カギ』だと言った。

 つまり、これであいつらのアジト……というより、中層への秘密の通路を開くことが出来るというわけか……

 

 それにしても分からないことだらけだ。

 イケロスはゼノス狩りの主犯とも言える【ファミリア】の主神なのに、俺に、ゼノスの救出の手助けをするとか、その自分の眷属を見捨てるような真似をしているわけだ。

 それに、あのダークエルフのことだって、ろくに聞きもしないで終わりにしやがるし、あいつ、何の見返りもないままにこちらの有利なものだけ提供して終わりにしやがった。

 

 普通に考えれば、罠だろうな……

 

 

 奴らの隠し通路への入口は、あのダイダロス通りのはずれの地下なんだろうし、そこ以外は考えられない。

 なら、そこへ俺達が侵入した途端に殲滅するって作戦が常套だが、そもそも、これを俺が思いついてる時点でそれが成功しないわけだ。なぜって、罠を想定して、大群で押し入ったり、精鋭で取り囲んだり、色々方法はある。

 その罠に誘導する気なら、もっと細工をくわえて誘導すべきだろうしな。

 

 俺があれやこれや悩んでいると、一色が俺に声を掛けてきた。

 

「せんぱい、いつまでそんな気持ち悪いもの眺めてるんですか?もう、用が済んだら、早く戻らないとダフネさんに叱られちゃいますよ?」

 

「げっ……そ、そうだった……」

 

 と、慌てて俺はその目玉を腰の巾着へ押し込んで、急いで厨房へと戻った。

 

 このとき俺はもっと注意深く見ているべきだった。

 俺は全く気が付かなったのだ。

 

 一色が俺のその巾着に、尋常ならざぬ視線を送っていたことに……

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 その後、程なくして『宴』は幕を閉じた。

 神々も、今日のアポロンの余興ともいうべき、あの戦争遊戯宣言で相当満足したらしく、各々、楽しそうに帰途についていた。

 そして、俺たちは……

 

「ほら、さっさと片付ける!!」

 

「は、はひっ!」

 

 鬼のダフネさんになぜかめっちゃ目の敵にされ、深夜まで働かされ続けた。彼女とマンツーマンで!

 これも『女難の相』の権能のせいなんじゃねえか?

 ダフネさん、俺を罵りながら、チョー嬉しそうだったし。このひと、マジでSだろ!!

 

 その影で一色はというと、なぜかアイドルよろしくみんなにちやほやされて、なんかジュースとか飲んでくつろいでるし。

 まあ、あんまり調子に乗ってると、痛い目見そうだったから、途中から無理矢理俺の仕事手伝わせたけどな。

 

 結局、解放されたのは日付が変わる頃、俺はもうふらふらで、なにもする気が起きなかったが、とりあえず【アポロン・ファミリア】の連中の動向だけを少し確認することにした。

 会場の豪邸の向かいの空き地の木の影に身を隠し、連中の動きを監視した。

 というか、ほぼ最後まで残ってた俺は、たいして待つこともなくそれを見ることができた。

 一部のスタッフを残して、多くの連中が鎧等をすでに身に付けて出てきていたからだ。

 襲撃の準備は万全ということか。

 

「みんな何してるんですか?」

 

 一色にそう聞かれ、俺は答える。

 

「ああ、これからあいつら、ベル君を襲うんだよ」

 

「ええーーー!!」

 

「ばっ……声、でけえ……」

 

 慌てて口を押さえると、もごもご呻く一色が顔を一気に紅潮させた。

 

 ま、このまま見つかってもおもしろくねえな……

 

「おい、一色、ちょっと飛ぶぞ」

 

「んん~!?」

 

 俺は一色の口を押さえたままで、じゅもんを唱えた。

 

「ルーラ」

 

 上空へと身体を運ばれながら見た一色は白目を剥いていた。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 ホームに戻った俺は一色をアンと小町に預けて、その足で【ヘスティア・ファミリア】のホームである、西方面のうらぶれた教会へと向かった。

 俺たちのホームからはバベルを挟んで対極に位置するため結構な距離があるが、まだ俺はそっち方面に行ったことが無いためルーラも使えない。

 おかげで、ただでなくとも、慣れない労働で疲れ切った状態のままで深夜の路地を移動することになり、正直もう限界だった。

 

「あ、ヒッキーお疲れー。遅かったね」

 

「こんばんは、八幡。ん?随分お疲れのようね」

 

 もともと合流予定にしていた、廃屋になんとかたどり着き、中に入ると、破れた窓のへりに雪ノ下と由比ヶ浜の二人が腰を下ろして毛布にくるまっていた。

 

「はあはあ……まあ、めちゃくちゃ働いてきたからな。おかげでもう筋肉がパンパンだ」

 

「そう?それは良かったじゃない。最近ろくに運動もしていなかったでしょう?これで少しは強化されたんじゃないの?実質レベル1谷君」

 

「って、おまえもそれ一緒じゃねえか、というか、名前が市ヶ谷になっちゃってるし」

 

「もう、そんなこと良いから、ヒッキーも毛布に入ってよ。疲れたんでしょ?」

 

 そう言って、由比ヶ浜が、毛布を捲ってくるのを見ながら言った。

 

「いや、なんで3人で毛布一枚なんだよ。普通一人一枚だろ?」

 

「え?だって3人でくっついた方があったかいし。えへへ……早くおいで?」

 

 ぐふっ……この子アホなの?あ、アホだったな。もう、なんでそんなに俺とくっつきたがるのこの子は。

 

「ま、まあ、そこまで言うなら……」

 

 と、俺はそそくさと由比ヶ浜の脇から毛布に手を伸ばしたのだが、座った途端に由比ヶ浜が俺をまたいで場所を移動してきた。

 

「ヒッキーは真ん中、ほら、早く」

 

「お、おう……」

 

 言いながら、ぐいぐい押されて、気が付けば、俺が真ん中で雪ノ下と由比ヶ浜と完全なサンドイッチ状態に。

 というか、くっつきすぎだろう……

 

「あ、あの……雪ノ下さん?由比ヶ浜さん?その……もうちょっと離れて……というか、俺の腹とか太ももとか触んないでくれる?」

 

「えー?なんでー?あたしはほら……マッサージ!そうマッサージしてあげてるだけ!うん!」

 

「そうね、私もここをほぐしてあげるわ……あ、あなた結構腹筋ついてて……」

 

「って、それ明らかにセクハラだから?なにしてんの、お前ら……」

 

 言ってもやめないし……

 なんなんだよもう。我慢できなくなっちゃうだろ?

 とか思ってたら、由比ヶ浜が俺を見ながら言った。

 

「もう!ヒッキーうるさい。そんなに言うなら、あたしをマッサージしてよ。ほら」

 

「って、するわけねえだろ!お、おい、雪ノ下、お前なに上着脱ぎだしてんだ。やらない、俺はやらないからな!マッサージ!?」

 

 そんなこんなで3人でわちゃわちゃやってたら、妙に疲れた上に熱くなってしまい、雪ノ下の『お茶にしましょうか?』の一声で、とりあえず小休止となった。ってなんの休憩だよ。

 

「で、状況は?」

 

 俺の質問に由比ヶ浜が速攻で答える。

 

「さっき、ベル君とヘスティア様が帰ってきたよ。あの二人、あそこで二人だけで暮らしてるんだね。きゃー!」

 

「いや、その反応はいいから……で、ベル君の様子は?」

 

「そんなに変わった様子はなかったと思うのだけど、ヘスティア様の機嫌は相当悪かったようね」

 

「ま、そうだろうな。とりあえず俺の方も予定通りだ。このままいけば明日の早朝に……というか、もうすぐか……襲撃があるだろうよ」

 

 雪ノ下は俺に紅茶を私ながら相づちをいれる。

 

「そう……一応、貴方に言われた通り、準備はしてあるわ。はい、これ」

 

 そう言いながら、彼女は俺に白い布を差し出してきた。

 

「おお……サンキューな……さてと、わりぃが、俺割りと本気で疲れてるからちょっと寝かせてもらうわ。紅茶、旨かったよ」

 

「ええ、それは良かったわ。ではまだ少し時間もあるようだし、私が見張っておくからゆっくりお休みなさい」

 

「頼むな。じゃあ、おやすみ……」

 

 俺はまた、二人に挟まれるような格好のまま、睡魔に抗えずに深い眠りに落ちた。

 温かくて柔らかい感触を感じたままで……

 

 



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(28)このままで本当にいいのか?

 『神の宴』から一夜開けて、その翌朝、僕はホームで神様に【ステイタス】更新をしてもらった。

 

ベル・クラネル

レベル:2

力:C:635→C645

耐久:D590→C658

器用:C627

敏捷:B741

魔力:D529

幸運:I0

 

《魔法》

【ファイアボルト】

・速攻魔法

 

《スキル》

英雄願望(アルゴノゥト)

能動的行動(アクティブアクション)に対するチャージ実行権

 

 耐久がかなり上がってる……。

 

 着替えて、迷宮(ダンジョン)に向かう装備を整えながら、僕はもらった用紙を眺めて、傷が完全に癒えた肩を押さえつけた。

 前回のステータス更新から、自分にふりかかった出来事といえば、あの焔蜂亭での戦いとも呼べないあの出来事だけ。

 あのとき、僕は襲い来る殺意の固まりに為すすべもなく蹂躙され、この肩を煌めく銀の刃で貫かれた。

 反撃はおろか、逃げることすら叶わないあの状況で、僕はあの殺気に満ちた赤い瞳に見据えられ、そして、死を体感した。

 

「大丈夫かい?ベルくん?」

 

「え?」

 

 急に背後から神様の声が聞こえ、慌てて振りかえる。

 

「どうしたんだい?顔色が真っ青じゃないか」

 

 言われて自分を見てみれば、冷や汗をかきながら肩を抱いて全身を強張らせていたみたいだ。

 指先が震えるのを、もう片方の手で押さえ付けた。

 おかしいな、昨日はなんともなかったのに……

 

「だ、だいじょうぶですよ、神様」

 

 僕のその言葉に、ずずいと顔を近づけてきた神様が言う。

 

「そうかい?ボクは君が心配だよ。あんな変態のアポロンにまでちょっかいだされて……あ、でも、ボクとあの変態は本当になんでもないからね!天界であのバカが言い寄ってきただけだから!そこんとこは、ぜーーーーったいに間違えないようにしておくれよ!」

 

「は、はい……神様……はは……」

 

 言いながら、震えがおさまったボクは、装備の入った収納バッグを背負って、神様と一緒にホームから出ようとしていた。

 

 まさか昨日の【宴】で、あんな因縁をつけられるとは夢にも思わなかったけど、こんな弱小【ファミリア】の僕たちが、戦争遊戯(ウォー・ゲーム)を宣戦布告されるなんて……

 僕たちはとにかく用心して行動することにしたわけで……この先、どんな嫌がらせを受けるかもわからないから今日もこうやって神様と一緒に行動している。

 

「ベルくん、気を付けておくれよ。流石に昨日の今日で何かしてくるってことはないと思うけど、アポロン達はこじつけてちょっかいかけてくるかもしれない」

 

「は、はい……」

 

 神様にそう忠告されて、僕は慎重に教会の隠し部屋からの階段を上った。

 そして、上りきり、祭壇の間に出て、奇妙な感覚を覚えた。

 

 ……魔力?

 

 屋内に、微かに魔法行使の際の出力の余波を感じる。それを不審に思いながらも、一気に廃墟の協会を飛び出して、絶句。

 

 周囲の建物の、屋根や、屋上に無数の人影がたたずんでいた。

 【アポロン・ファミリア】……

 防具に刻まれた太陽のエンブレムを見てそう悟る。

 その各々の手には、弓や杖や……そして、剣が握られていた。

 

「う……う、あ……」

 

 朝日に煌めくその白刃の数々を見た途端に、全身の力が抜けてしまう。

 思い出されるのは激しい肩の痛みと、殺意の微笑を浮かべたあの狂喜の瞳……

 

 か、神様を守らなきゃ……

 

 頭ではそう分かっているのに、体が言うことを効かない。震えてまったく動かなくなった自分の足は、まるでそこに根が生えてしまったかのように完全に固まってしまっていた。

 眼前では杖を振り上げ、弓を引き絞る襲撃者の姿が……

 

 か、神さま……に、逃げて……

 

 心で必死にそう叫んだその瞬間……

 

 大音響の炸裂音とともに、目の前が真っ赤な色に染まった。

 

   ×   ×   ×

 

 

 相次ぐ轟音に、発生する衝撃波。

 魔法と爆薬が加えられた矢が教会に着弾したのは明らかだった。

 

 でも……

 

「ベルくーーーーん!!」

 

 そんな爆音の中を神さまが駆け寄って僕に抱きついた。

 そして背中にしっかりと掴まるのがわかったけれど、それよりもなによりも、今僕が目にしている光景に言葉が出なかった。

 

 僕の目の前には真っ白いローブに桃色のマスクの黒の長髪を靡かせた女性が右手を突きだして立っている。

 爆風の魔法もそのすべてが、彼女の前で全て弾かれていた。

 

「だいじょうぶ?動けるかしら?」

 

 女性が僕にそう声をかける。それを聞きながら、足に力を込めると、さっきまでの震えがまるで嘘のように動くようになっていた。

 僕がコクリと頷くと、彼女は微笑んで、また正面に向き直った。そして言う。

 

「これから爆発が起きるから、そうしたらバベルに向かって真っ直ぐ走りなさい」

 

 そして、彼女は何事かを呟いた。

 

 途端に、周囲の空間全体が軋んだような甲高い音を上げ始める。

 そして次の瞬間……

 

 さっき、教会を吹き飛ばした魔法とは比べ物にならないほどの激しい炸裂音と、閃光が僕達の周囲全体で巻き上がった。

 凄まじい爆風がチリや埃を巻き上げ、周囲の視界を遮る。

 

「けほっ、けほっ……なんなんだい、これは……」

 

 僕の背中でそう言った神さまの手を掴んで、僕は一気に走り出した。

 ふと、さっきの女性のいた方に目を向けると、そこにすでに人影はなく、ただ……爆煙が漂っているだけ。

 

 そして、走りながら、開けてきた煙の幕の向こう側を見やって、息を呑んだ。

 僕達のいたところからどこまでだろうか……少なくとも半径50M程度はそこにあったはずの全ての建物が消し飛んでしまっていたのだ。当然だけど、さっきまで周囲の建物にいた襲撃者の姿もまったく見えない。

 僕は、その瓦礫すら存在しない更地の中を天高く聳えるバベルを目指して走った。

 

「ひ、怯むなー、追えーーー!」

 

 遠くから微かにそんな声が聞こえてくる。

 

 振り返る余裕もないままに走る僕は、パタパタと足をもつれさえている神さまを抱き上げて、一気に加速。

 背後から、弓矢が放たれる空気を裂くような音を聞きながらも、そのまま走り抜けた。

 

 でも、そうは簡単に逃がしてはもらえなかった。更地を越え、崩落した瓦礫の山が転がる辺りまできたとき、その山の上から複数の人影が飛び降りてきた。

 

「君に恨みはないけど、ここで降伏することを勧めるよ。仲間になっちゃう子に、できれば手荒な真似はしたくないんだけど」

 

 聞いたことがあるなと思ったその声の主は、僕たちに【宴】の招待状をくれたダフネさんだった。隣には戦闘服に身をつつんだカサンドラさんもいる。

 

「お、おことわりします」

 

 僕は抱えた神さまを強く抱きながら、足を踏ん張ってそう答えた。

 ダフネさんは、首をよこに振りながら溜め息を吐く。

 

「はあ……じゃあ、仕方ないね。……かかれ!」

 

 その号令を待っていたとばかりに、周囲にいた他の団員が一斉に抜刀。

 

 それを見た途端、再び体が硬直する。

 

「ほらほらどうした?リトルルーキー……早く逃げないと、本当に切り刻んじゃうよ」

 

 その言葉で頭が真っ白になった。

 

 こわい……

 

 

 こわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわい……

 

 怖い!!

 

「べ、ベルくん?」

 

 渦巻く恐怖に再び竦んでしまった僕に神さまが声をかけてきた。

 でも、逃げなきゃと思いつつも体が動いてくれない。

 

「か、かみさま……」

 

 僕は呼んだ。どうしようもなくて、助けてほしくて。

 

 その時……

 

「なんだなんだ?」

「喧嘩か?」

「なにやってんだ?」

 

 複数の声が近くから聞こえてきた。

 見れば、大勢の完全武装の冒険者のひとだかりが……

 

「な、なんだこいつら……どこから湧いてきた?」

 

 目の前のダフネさんが目を見開いている。

 近くにいる【アポロン・ファミリア】の連中も同様に焦り顔。

 そんなこの場にいる僕たちに、声が掛けられた。

 

「あんたたちも怪我してんなら、治してやるぞー」

 

 そう言われて顔を向ければ、そこには真っ白なローブにマスクをつけた二人の人影。

 さっき僕たちを助けてくれた黒髪の女性とほぼ同じ姿だ。

 その二人を先頭に、こちらに近づいてくるのは、ギルドでも有名なレベル3以上の高レベルの冒険者ばかり。

 その集団に、ダフネさん達はササっとその身を翻した。

 

「い、いくよ。引き上げるよ!」

 

 言って、そのまま全員一気に走り去った。

 

 その場に取り残された僕らは、その集団に囲まれた。

 

「おい、こいつリトルルーキーじゃねえか?あの【アポロン・ファミリア】とウォー・ゲームするって連中じゃねえか?」

 

「そうだそうだ、俺、昨日の【宴】で確かに見たぞ」

 

「おう、お前、早速因縁吹っ掛けられてんのかよ」

 

 囲まれて、やんややんやと話題の的にされ、僕たちは言葉もなく、その場で動けなくなった。そんな僕に、さっきの白ローブの一人が近づいてきて、そして、何かの魔法を唱えた。

 僕の全身を青白い輝きが包み、すると全身を蝕んでいた倦怠感や苦しさが少し和らいだように感じた。

 

「これで大丈夫かな……。回復魔法を使ったから少しは元気になると思うよ」

 

 青いマスクをしたその白ローブの女性がそう言った隣で、もう一人の黒いマスクの男性が僕を見下ろしながらいった。

 

「あんたらの【戦争遊戯(ウォー・ゲーム)】への参加はもう辞退できない。だから、これからすぐにでもあいつらのホームに行って売られた喧嘩を買ってこい」

 

「何を勝手なことを言っているんだい?そんなことをしてボクたちになんのメリットがあるっていうんだ」

 

 その男性の高圧的な物言いに、腕の中の神さまが怒った様子でそう反論する。

 でも、その男性はマスク越しに冷たい視線をボクに送り続けた。

 

「メリット?そんなもんはないだろ」

 

「はぁ?」

 

 神さまはその男性の言葉に瞬間キョトンとなった。そして、そのあとすぐさま、

 

「な、なんだい、その言いぐさは!?ちょっと失礼じゃないか、君はー!」

 

 プンスカ暴れながら怒る神さまにその人は言う。

 

「メリットはないが、あのアポロンってやつがどんだけしつこいかは良く知ってるんじゃないですか?あの神に目をつけられた美男美女はほぼ全て眷族になってますよ。逃げてるだけじゃ解決はないと思いますけどね。それと、お前……」

 

 うっ……と唸ってしまった神さまの次に、その男性が僕を見据えた。

 

「お前、このままでいいのか、弱いままで本当にいいのか……いつまでも守って貰うままで、いいのかよ?」

 

 その途端に、ドクンと体が震えた。

 

 思い出すのはあの憧憬……

 

 凛としてたたずみ、恐怖や迷いを超越した立ち姿で、まるで伝説の勇者のように剣を振るう、金髪の美の剣士。

 

 あの姿に憧れ、焦がれ、追い付きたいと夢想してきた。

 

 でも、それだけだ……

 

 僕はいつも守られてばかり……

 何度も救われ、助けられ、守られてきた。

 

『だいじょうぶ?』

 

 彼女はいつもそう僕に声をかける。

 

 いやだ。

 

 こんなのはいやだ。

 

 僕は守られるだけなんていやだ。

 

 追い付きたい、並びたい、彼女を……

 

 

 越えたい!!

 

 

 僕がそう思ったその時、神さまが言った。

 

「ふう~やれやれだぜ、ベルくん。君もやっぱり男の子だね。そんな目をされたら、ボクも駄目とはもういえないじゃないか」

 

 そう言って立ち上がると、彼女は僕の手を引いて元気良く歩きだした。

 

「よしっ!なら、これからアポロンのところに殴り込みだぁ!いくぜぇ、野郎共!!」

 

「「「「「おおおおおおおお!!」」」」」

 

 神さまが腕を突き上げてそう叫ぶのに、一斉に周りにいた冒険者たちが雄叫びを上げた。

 

「よし、オレらも付いてってやるぜ、リトルルーキー」

 

「ゲヘへ、レベル2一人で、喧嘩かよ。こりゃ見物だぜぇ」

 

 口々にそう言いながら、みんなで堂々と歩いて、【アポロン・ファミリア】のホームへと向かった。

 このあと、途中からさらに多くの冒険者が合流して大所帯になったボクらは、彼らのホームでこの大喧嘩を買った。

 そこには、すでにたくさんの他の【ファミリア】の神々の姿もあり、そして、この特大のイベントはオラリオ全体がすぐさま知ることとなった。

 

 ここに戦争遊戯(ウォー・ゲーム)の開催が正式に決定した。

 

 この時、僕を助けてくれた、白い装束のあの3人の姿はもうなかった。

 

 



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(29)異変

 意気揚々と拳を突き上げたヘスティア様を見ながら、俺は由比ヶ浜……ロリーの手を引いて、後ろへ下がった。

 さっきまで、一緒にいた冒険者たちは、既にベル君たちを取り囲んでいる。

 もはや、周囲の冒険者たちはこの熱狂に飲まれて、こちらに視線を向けるものすらいなかった。

 俺たちは大きな建物の影まで素早く移動してから、周囲に人の目がないのを確認してからロリーを抱いた。

 って、別に何かエッチなことをしようとかしてる訳じゃないぞ!

 

 いやホントに!

 

 俺は頬を赤く染めたロリーを見つめながら、じゅもんを唱えた。

 

「ルーラ」

 

 上空へと運ばれた俺たちはそのままある場所へと転移した。

 

ーーーーーーーーー

 

ーーーーー

 

ーー

 

 

「ゆきのーん、お疲れー!」

 

「お疲れさま。そっちはどうだったのかしら?」

 

 目を開くと、そこには白ローブのコンダ……雪ノ下がちょうどマスクをはずしているところだった。彼女は俺たちを見てすぐにそう問いかけてきた。

 

「ああ、こっちはバッチリだよ。ベル君もやる気にはなったみたいだしな……まあ、まだちょっと心配ではあるが……。それよか、お前の方は大丈夫だったのか?お前、自分で魔法とか全部受けてたろ」

 

 そう言った俺にマスクを外した雪ノ下はニコリと微笑んだ。

 

「ええ、大丈夫よ。私を含めたあの場の全員に、スクルトとマホカンタを重ね掛けしたから、全員ほぼ無傷のはずよ。もっとも、イオナズンでどこまで吹き飛ばされたかは分からないのだけれど」

 

「うわぁ……」

 

 雪ノ下の言葉に同様にマスクを外した由比ヶ浜が苦笑を浮かべた。

 

「おまえなあ……いくらなんでもやりすぎじゃねえか?あの辺一帯クレーターみてえになってたぞ?イオラくらいで良かったんじゃねえか?」

 

「私も、まさかあそこまで規模が大きくなるとは思わなかったわ……本当にあの辺一帯を封鎖していて正解だったわね」

 

「本当だよぅ……」

 

 もはや苦笑いしか出ない俺たちは、うちの【ファミリア】そばの空き地に転移してきていた。

 一応俺たちは今、デカルチャーズに変装している。

 この正体を知っているのは、うちの連中を除けば、アスフィさんやフェルズ、イケロスくらいなもんで、安全面や自由な行動を確保するためにも、まだまだ正体を明かすつもりはない。

 シスの暗黒卿だって、普段は普通のおじいさんだったしね。

 だから、さすがに現在進行形で改築工事をしているホームに直接転移するわけにもいかず、予め目星をつけていたこの空き地を集合地点としていたわけだ。

 ここにした理由……

 

 だって、この空き地……

 

 丸い柱が横倒しに、下に2本、その上に1本きちんと積まれていて、まさに、『THE空き地』だったんだもの……

 うん、あの上でリサイタルしちゃうまであるな。

 

 ここで変装を解いて、ホームまで歩く道すがら、3人でさっきの出来事をおさらいした。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 まず俺たちがしたことは、あの辺一帯の人の存在の有無の確認。

 昨日、俺と一色がアポロンの『宴』の手伝いをしていたころ、雪ノ下と由比ヶ浜の二人があの辺りを徹底的に調べた。

 もともとほぼ廃墟と化した一帯だったから、ほとんど人はいなかったようで、何人かその廃屋に住み着いていたホーム○スっぽい人たちには、少し小金を渡して立ち退いてもらうようにした。

 これは、どんな事態が起きても被害を最小にするための措置ではあったのだが、今回はこれに助けられた。

 

 原作ではベル君は悉く追っ手を振り払って、無傷のまま逃げ切り、でも、このままでは埒が明かないと悟ったヘスティア様の言葉で、アポロンへと喧嘩を買いにいくのだが、この世界のベル君はちょっとダメージを負いすぎている為、不測の事態を考慮した訳だ。

 案の定彼は、恐怖により行動不能に陥ってしまい、危う命の危険もあったわけだが、今回それは雪ノ下によって防がれた。

 さっきの話の通り、彼女はあの場に現れた全員に対して、完全魔法反射じゅもん『マホカンタ』と、防御力増強じゅもん『スクルト』を執拗なまでに重ね掛けして、ほぼほぼ、魔法被ダメージ、物理被ダメージを無効状態にした上で、彼女の持つ最大の爆発系じゅもん『イオナズン』をぶっ放して、彼ら全員を含めた辺り一帯を吹き飛ばした。

 おかげで、本来なら【ヘスティア・ファミリア】の本拠地の廃教会が崩れる程度の被害だったはずが、まるでコロニー落としでもしたようにそこに荒野をつくってしまった。 

 まあ、はっきり言ってやり過ぎた。

 とはいえ、俺たちにピンポイントで一人ずつを無傷のままに行動不能にするような器用なことが出来る訳もなく、特に雪ノ下は眠りのじゅもんも使えないときてるから、仕方ないと言えばそれまでだけど、あの立ち上るきのこ雲を見たときはさすがに肝が冷えた。

 

 でも、そのあとベル君や吹き飛ばされた連中が元気に走っていたから、ちょっと安心はしたのだが……

 

 その後は、俺と由比ヶ浜だ。

 

 俺達二人は西通路の路地の一角で、治療屋を開いていた。

 もっとも今日は金は貰っていない。

 馴染みとなった高レベルの冒険者に無料で治してやる旨を伝えて人を集めたのだ。

 

 理由は簡単。

 ベル君が行動不能になるのを見越して、追っ手である【アポロン・ファミリア】の連中を黙らせるためだ。

 アポロンの連中の平均レベルは2。

 団長のヒュアキントスでさえレベルは3だ。

 当然だが、自分よりも高レベルの相手に対して無謀な行動を起こすやつはそうそういない。

 だから、あえて俺たちが手を加えなくても相手を黙らせるために、レベル3以上の奴に絞って声をかけたわけだ。

 

 ちなみに、この声かけをしてくれたのは、あのバベルの俺達の店の隣の食堂のドワーフのおじさん。

 俺達の事を聞かれることも多いらしく、とくにレベル3以上のやつにこのことを触れこんで貰ったというわけだ。

 今度、何かお礼しなくちゃな。

 一色にでも頼んでケーキでも焼いて貰ってもっていこうかな。

 

 とまあ、結果は御覧の通り。

 予想以上に効果があって、ベル君もやる気が出てくれたみたいだったし、本当に良かった良かった。

 

 ただ、まだ大丈夫とは言えないかもだけどな……

 

 原作でもベル君は、多少なりともヒュアキントスにのされた事に恐怖を感じていたし、そのままでは勝てないからと、あのアイズたんに2度目の剣の稽古をしてもらって、最終的にはレベル2でオールSS、敏捷のみSSSとか、ほんとマンガみたいな成長を遂げて彼を打ち破る展開になるのだが……

 さっきも述べた通り、ベル君の心の傷がちょっと深すぎる気がする。

 いくらなんでも、あそこまで動けなくなるとは思いもしなかった。

 ほんと、新兵がよくかかる病気になっちゃったんですかね?リューさん……じゃなかった、リュウさん。

 

 それと、あのヒュアキントスだ。

 たぶん『エンチャント』系の強化魔法の結果なんだろうが、あのベート・ローガでさえ独力では倒し切れなかった。

 つまるところ、もしあの状態のヒュアキントスが現れたりしたら、いくら限界突破までしたベル君でも、勝つのは不可能ということだ。

 

 本当にあれはなんだったんだ?

 

 この後ベル君たちが絡むことになる、狐人(ルナール)のサンジョウノ春姫だって、レベルをプラス1出来る特殊スキルだったけど、ほんの1程度上がったくらいじゃあそこまで強くはならない。というより、あの時確実に洗脳状態だったから、単純なレベルブーストではないだろうしな。

 

 なんにしても、今のベル君には確実性が乏しい。原作通りの試練を越えたところで、同じ結果が得られるかどうか怪しいところだ……

 

 ま、今はそうは言ってもスタートラインには立ったわけだから、今はよしとしておこう。

 今日はまだ他にも重要な案件があるしな……

 俺達は、そんなことを話しつつ、改築工事中のホームに向かっていた。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 路地を出て、少し広目の通りに出ると、トンカントンカンと金槌の音が響いてきた。その音が近づくに連れて、工事の人たちの姿もちらちら見えるようになってくる。

 

 おお、今日もやってるなー。と思いつつ、正面の門に向かって歩いていると、突然、そこから小町が慌てて飛び出してきた。

 そして、俺達を見つけると目を血走らせて駆け寄ってくる。

 

「ん?小町、どうした?」

 

 その俺の言葉に、血相を変えた小町が荒い息づかいのまま大声をだす。

 

「どうしたじゃないよ、お兄ちゃん!いろはさんが……いろはさんがね……」

 

 慌てすぎているのか、ぜーはー言いながら言葉を吐き出そうとしている小町は、次の言葉が出ないでいた。それを雪ノ下も由比ヶ浜も心配そうに見ている。

 

「落ち着けって。一色がどうしたって?」

 

 肩に手を置いた俺を見て、小町が叫んだ。

 

「いいから、ちょっと、一緒に来て!」

 

「は?え……って、おい」

 

 言われて、ぐいぐい引っ張る小町に連れられて、俺達は、ホームの地下室……俺達の仮住居へと向かった。

 

 地下室への階段を駆け降り、扉を開けた小町は、荒い息づかいのまま、振り返る。

 

「とにかく、これを見てくれれば全部分かるから」

 

 そして、開け放った扉の内側に居たもの……それは……

 

「え?なに?いろはちゃんがどうかしたの?って…………ヒッ…………」

 

 俺よりも先に扉を潜った由比ヶ浜が、中に入った途端に小さく悲鳴を上げて絶句。

 その後を追った、俺と雪ノ下も同様に、息を飲んでしまった。

 

「あ、マスター!マスター、いろはさんガ、いろはさんガー」

 

 そう言って駆けよってくるのは、全裸のアン……だが、俺達の視線はそこに向いてはいなかった。

 

「フシューーーー……ブフッ!ブモゥ!」

「シャシャシャーーーーー」

「キュラキュラーーーーー」

 

 そこに居たのは、巨大な異形のモンスター……

 

 真っ赤な体皮のでかい牛頭と、電撃を纏った青くて長い蛇、それと毒々しい赤と紫のツートンカラーの巨大な毛むくじゃらの蜘蛛……だった。

 

 あ、やばい……気絶しそう……



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(30)ダイダロスの迷宮へゴー!

「な、なんだ、こいつらは~」

 

 思わずそうこぼした俺に、アンが抱き付く。

 そして、涙を湛えたままで叫んだ。

 

「いろはが……ツカまったノ」

 

「なに?」

 

 俺の肩をその翼で揺すりながら嗚咽するアンを俺は宥めてから問いかけた。

 

「どういうことだ?それに、このモンスター達はなんなんだ?」

 

 アンは上手く喋れないままでいたが、急に後ろに立っている真っ赤な牛頭が俺に向かってのっしのっしと近づいて来たので、アンを抱いたまま、慌てて跳びしさった。

 やつは、ブフーっと荒い鼻息を吐いて俺を睨む。気がついたら、残りの蛇と蜘蛛も近寄っていて、完全に取り囲まれてしまった。

 隣の雪ノ下も由比ヶ浜もブルブル震えていて、もはや白目を剥く寸前って感じだ。

 

「だ、だから、お前らはなんなんだよ!」

 

「『異端児(ゼノス)』みたいだよ。アンさんと同じね」

 

「へ?」

 

 モンスターが近すぎて姿は見えないが、そう答えたのは、多分ルビス様。

 牛頭の鼻息がうるさすぎてイマイチ聞き取りにくいが、確かにルビス様の声がした。上の方から……

 

 って、見上げたその牛頭の頭の上に、見慣れた白ローブの幼女の姿が。

 

「どこ登ってんだよ、ルビス様?危なくねえのかよ?」

 

「ブモーーーっ、ブモーーーーーっ」

 

「って、お前ホントにうるさいな。なに?お前らもゼノスなのか?なら、俺の言葉分かるのか?」

 

 その問いに、牛頭はコクコクと頷いて返した。

 それで、よく見れば、蛇も蜘蛛も同じように首?を動かしてる……って、もう本当にでかすぎて、気持ち悪いな……

 雪ノ下達は……

 あらら……はい、終了ですね。白目剥いちゃってるよ。

 

「どうどう……あんまりお兄ちゃん達に近づかない。ほら、こっち来る」

 

 と、小町が言うと、その3匹?は、翻って小町の方に。

 

「お、おい、小町は平気なのか?」

 

 その言葉に小町はグッとサムズアップ。

 

「うん!ほら、小町、カーくんと仲良いし」

 

「って、カマクラと同レベルなのかよ」

 

 不気味で巨大な3匹をなでりなでりする小町にドン引きしつつ、俺は雪ノ下と由比ヶ浜を担いでソファーに寝かせた。

 ちなみに、カーくん……カマクラとは、比企谷家で飼っていた巨大な猫である。あ、知ってる?そうですね。はい。

 

「で、そのゼノスのお前らがなんでここにいる?それと、一色がどうしたんだよ」

 

 俺がもう一度聞くと、未だ泣いたままのアンの脇で、牛頭の頭から降りてきたルビス様が言った。

 

「実はね、昨日八幡くんといろはさんが帰ってきた後、どうやら、このアンさんといろはさんが二人で出掛けたようなんだよ。ちなみに私は寝てたから気がつかなかったの……」

 

 と、ルビス様がちょっとしょんぼりしている。

 

「は?出掛けたって、どこに……あっ……」

 

 俺はこのとき、急に思い出して、慌てて腰に縛り付けてあったはずの巾着を探すが、どこにも見当たらない。

 

「な、ない……巾着が……『ダイダロスの目玉』がない……って、まさか……」

 

 俺の言葉に、アンがようやく声を出した。

 

「いろはがね、ミンナをタスケようって、イッタの……だから、アン、イッショにイッタの……」

 

「まさか、おまえらだけで、アイツらのアジトに行ったのか?」

 

 俺のその怒声に、アンはビクリと震えた。そして再び嗚咽を始める。

 

「ご、ゴメンなサぁーい……ふぇぇーーーーん……」

 

「おお、よしよし……怖くないからね……」

 

 泣いたアンの頭を撫でつつ、ルビス様が説明を始めた。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 昨夜俺が一色をホームに送り届けた時、偶然か故意かはわからないが、一色は俺の巾着を手にしていたようだ。

 一色はそれを見せながらアンに、すぐに仲間の救出に行こうと声を掛けたらしい。

 なんで一色がいきなりそんな無謀な申し出をしたのかはわからないが、すぐにでも仲間を救いたかったアンはそれに乗ってしまった。

 そもそも、あの『ダイダロスの迷宮』の入り口をなんとなくでも知っているのはアンだけだし、アンの案内は不可欠だったわけだが、一度捕らえられ、しかも殺されたこともあるわけだから、本来ならレベル1の一色とアンの二人で突入するのは自殺行為以外のなにものでもないわけだが、どうやら、一色は自分のスキル『色欲』に相当の自信を持っていたらしい。

 あの神フレイヤの魅了をも上書きするほどの権能だ。

 そして、その自信は実際の効果として現れた。

 

 血塗れのアンを見つけた、あの路地の近くの地下に、目玉が反応する壁があり、そこを開けて中に侵入してすぐに、数人のやくざ風の冒険者に遭遇した。しかし……

 その連中は一色を見るやすぐにデレデレになってしまい、全員戦闘不能に。

 そして、そいつらからゼノスの居場所を聞き出して(ってお前は峰不二子か!?)、それからすぐにアンにピオリムをかけさせ、一気にその囚われの場所まで進行。

 そこにも数人の冒険者の男がいたようだが、そいつらも一色に魅了されて戦意喪失させ、あとは、檻の鍵を外させてゼノスの連中を解放した。

 

 うん、なんというか、一色のスキル凄すぎだろう。

 傾国の美女の話とか、色々知ってるけど、今の一色にかかれば、世の男どもは全員手玉にとれるんじゃねえのか?

 ジャグラーどころか、中国雑技団ばりに曲芸させちゃうんじゃねえか?もしくは木下大サーカス。

 マジで超怖い。小悪魔いろはすマジおそるべし。

 

 だが、まあ、良い話はここまでだった。

 

 助け出したゼノスは、要はこの3匹。

 

 1匹はねじれ曲がった二本の大角、黒の体皮、赤の体毛、ミノタウロスに似た二足二腕 の大型級に匹敵する筋骨粒々のモンスター、バーバリアン。

 

 1匹は赤と紫が混色した、八本の足と八つの複眼を有した巨大蜘蛛、デフォルミス・スパイダー 。

 

 1匹は長大な体躯をくねらせ、全身に稲妻を迸らせる凶暴な顏の蛇、サンダー・スネイク。うん、決して激しく動き回る、ヲタ芸のあれではない。

 

 ただでなくともモンスターなんてアンくらいしか見たことがない一色が、こんな巨大な、そして、さらに言えば、ダンジョンの深層にしか現れないような凶悪なモンスターを見て驚かないわけがない。

 それが、いくら知性のあるゼノスと謂えどもだ。

 おまけにこいつら、言葉は分かっても、喋れないときてるし。

 

 つまるところ、一色はさっきの由比ヶ浜達同様に気をうしなってしまったということらしい。

 

 そこで慌てたのは、『色欲』の権能に囚われていた『イケロス・ファミリア』の連中。

 一色が気を失った途端に我に返ったそいつらは、逃げ出したゼノスを捕まえようと一斉に襲いかかったようだが、自由になった深層のモンスターが少数の冒険者に遅れをとることはなく、一色を担いで逃げ出すことは出来たようだ。

 

 だが、その途中で道に迷い、巨大な縦穴に飛び出しそうになったところで、さっきの冒険者ではない、黒ローブの集団に取り囲まれ、アン達全員が剣で串刺しにされそうになったその時、宙に浮いたまま、その縦穴を降りてきた銀髪の黒ローブの男に、一色は連れ去られてしまったのだという。

 そして、いよいよ殺されそうになったその時、サンダー・スネイクが電撃を放出して自分達もろとも、黒ローブ達を黒こげにし、アンとバーバリアンが肉弾戦で道を開きつつ、デフォルミス・スパイダーが生き残りを糸で拘束しながら、あとは一目散。

 ひたすら地上を目指して4匹は逃げ出してきたということらしい。

 

 ちなみに、このときの電撃でアンの一張羅は丸焼き。地下からの脱出の際の『鍵』は、途中で倒した『イケロス・ファミリア』の団員から奪った『ダイダロス・オーブ』を使用したらしい。そしてその出口の地下通路は、このホームのすぐそばまで繋がっていたようで、先日発見した地下水道から、この地下室へと全員移動してきたから、地上へ出て見つかる心配は無かったようだ。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 アンはこのルビス様の説明の間もずっと泣いたままだった。

 一色を見捨ててきてしまった後悔が本当にきつかったのだろう……アンはそれに押し潰されてしまっていた。そんなアンを、先程起きた雪ノ下と由比ヶ浜が慰めているわけだが……

 

 俺はその場にいる全員に向かって言った。

 

「すぐに一色を助けに行くぞ」

 

 みんなは一斉に俺を振り返った。

 そして、なにも口にしないままで、コクリコクリと頷く。

 

 そりゃそうだ。

 ここで、見捨てるなんて選択肢は俺たちにはない。

 一色はただの仲間じゃない。俺たちと同郷の、しかも可愛い後輩で、ただこの異常事態に巻き込まれただけの一般人だ。そんな一色にどんな落ち度があろうと、助けに行くに決まっている。

 その思いは、雪ノ下も由比ヶ浜も同様で、それに、アンも、他のゼノス達も同じ思いに見えた。

 

 俺はアンにも白のデカルチャーズのローブを渡した。ま、裸でいたからってのもあったが、これは俺たちにとってはもはや戦闘服だ。この姿であればどんな状況でも全力で戦える気がしていた。そう、この姿であるときの俺はすべてのじゅもんを解放して戦う覚悟を決めていたからだ。

 

 そんな俺に声がかかった。

 

「お兄ちゃん、小町にもそれないの?」

 

「は?」

 

 見れば、小町が俺たちの白ローブを指差して物欲しそうに指をくわえてる。

 

「えーともうないけど……は?なに、お前は戦えないだろ?まさかお前まで行くとか言うんじゃねえだろうな」

 

 その俺の言葉に、小町は辺りをきょろきょろ見回して、タンスの上においてあった赤いスカーフを頭に巻いて、俺にウインク。

 

「小町も行くに決まってるでしょ!もう置いてきぼりなんてイヤだよ」

 

「イヤだよ……ったって、お前戦えねえだろが……」

 

「だーいじょーぶ、小町にはこの子達がいるから」

 

 言って、小町は牛頭と蛇と蜘蛛を撫でる……って、おまえそれ……

 

「じゃあ……『バッフロン』、『アーボック』、『デンチュラ』、みんな行くよ!ポケ○ンマスターに小町はなる!!」

 

 いや、それポ○モンじゃねえから……

 

 目の前で意気揚々と拳を突き上げる小町と、はしゃいでいる(ように見える)3匹を見つつ、俺は心の中でツッコムのだった。

 

 



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(31)ダンジョン・クエスト

「行っけー、アーボック!『へびにらみ』!!」

 

『シャアーーーーー!!』

 

「続いて~!デンチュラ!『くものいと』!!」

 

『キュルキュル~~』

 

「とどめだよ!バッフロン!『ハリケーーーーーーーーーーン・ミキサーーーーーー』!!」

 

『ブモォ――――――――――――――――!!』

 

 

「「「「「ぎゃあああああああああああああああ……」」」」」

 

 

 アダマンタイト製の硬質に光り輝くそのダンジョンに絶叫が木霊している。凄まじい突進力で行く手を塞ぐ黒装束たちに、小町がゼノスのモンスターたちを、ポケモン宜しく襲い掛かからせてるわけなんだが……って、いうか、最後のバーバリアン、あれバッファーローマンの技だろ!超人強度1000万パワーかよ!!モンゴルマンいたら、ロングホーントレインとか出来ちゃうじゃん!

 

 とか、なんとか、呆然としていたら、額の汗を拭う小町が一言。

 

「バッファローマン!よくやったよ!」

 

『ブモブモォ~♪』

 

「って、マジでバッファローマンって言っちゃってるし!?お前もそれでいいの?」

 

『ブモぉ?』

 

「もう、小さいこと気にしない!さ、お兄ちゃんたち、行くよ!」

 

 意気揚々と拳を振り上げる小町と、3匹の御伴。俺達は唖然としながらも床で無残にも泡を吹いて転がる黒装束たちを見ながら、後についていく。

 

 周りを見れば、幅・高さ3Mにきっちりとキューブ状に組まれた硬質の壁の通路がひたすら続いている。その道を、先ほどの3匹、バーバリアン、サンダー・スネイク、デフォルミス・スパイダーを先頭にして、その後ろに小町、俺、雪ノ下、由比ヶ浜、そして最後尾にアンが後ろを警戒してくれているといった隊列だ。

 俺が比較的安全な位置にいるのはご愛敬。どうせ、マジバトルになったら、前に出ないとだし、今くらいは別にいいだろ。

 モンスターたちと小町以外は、みんな白装束のデカルチャーズスタイルだ。あと、アンもだな。

 今回はほとんどの敵が黒ローブの闇派閥が相手っぽいんで、白と黒で、見分けがつきやすい感じ。

 そして装備なんだが、とりあえず、俺は細身の片刃の剣を一本持ってきた。ヴェルフに貸してある雷神の剣は今の俺には重すぎるし、かといって丸腰ってのも不安だったから、工事に来てたボールスさんに頼んで適当な奴を一本借りたわけだ。ついでに、由比ヶ浜と雪ノ下の分も融通してもらった。出刃包丁くらいのサイズのショートソードをふたりとも腰にさしている。とはいえ、この二人は対人戦はおろか、モンスターだって切り殺したことがない。よくもまあ、そんなんでゾーマとか倒したって話なんだが、実際肉弾戦をするより、魔法で殲滅する方が早かったし確実だったてのが実情だ。

 いずれにしても、剣での戦いなんて初めての経験になるわけで、しかも相手は人間の可能性が高いわけで、この剣は万が一の護身用。流石に素手のままは怖すぎるってだけだから、二人に戦わせるわけにはいかない。

 そんな心配を思いつつ、この通路に侵入したんだが、結果としてはもう小町達の独壇場で俺達の出番はほとんどない。

 

 まあ、たまに魔法みたいなのを使おうとしてるやつがいたり、『壁走り』みたいなことをして立体的に襲い掛かってくる奴もいたが、そんなのは俺と雪ノ下がメラで撃ち落とした。

 

 そんなこんなで戦闘は順調。

 

 ただ問題なのはこの同じような景色の続く、キューブ状のダンジョンの方だった。

 

 はっきり言って、今俺にはどっちを向いて立ってるのか分からない。アダマンタイトの壁はどこまで行っても同じ模様だし、目印らしいものもないと来てる。

 気分はウィザードリィやってる感覚。進んでも進んでも同じ壁に、頭が痛くなってくる。

 

「なあ、さっきからずっと同じ景色なんだが、本当にこっちで合ってるのか?」

 

「ダイジョウブ、マスター。こっちでマチガイナイ、匂いあるし、それに、カゼもあるし」

 

「風?」

 

 アンの答えに俺と由比ヶ浜、雪ノ下はく首を傾げる。

 風と言われても、そんなのは感じないし、匂いだって当然分からない。ただひたすらにカビ臭いだけだ。

 だがまあ、間違ってるとも言えないだろう。

 このダンジョンがいったいどれだけの広さがあるかは不明だが、こう何度も闇派閥の連中に遭遇するってことは、目的地に近づいている証拠だろう。まさか、ダンジョン全域に連中が散らばってるわけじゃないだろうしな。

 

「ねえヒッキー、いろはちゃんだいじょうぶかな?ここ凄く寂しいし、不安なんじゃないかな?」

 

 そう呟くのは由比ヶ浜。俺はそれに相づちを打ちながら答えた。

 

「だから、さっさと助けてやろうぜ。その空飛んでた黒ローブのやつがどんな奴かはわからねえが、もしもの時はギガデインで吹き飛ばしてでもやっつけてやる」

 

 それで安心したのか、由比ヶ浜は俺を見ながら微笑んでいた。

 ま、本気で人間を殺すなんて真似は俺にだって出来そうにないが……それでも、一色の方が大事に決まってる。だから、もしもの時は俺が……

 

「あれはなんかしら?」

 

「あん?」

 

 今度は雪ノ下の声。三叉路を左に行こうとしていた俺たちだが、雪ノ下は右手の方を見つめていた。

 そこはすぐそこが行き止まりらしく、暗がりにうっすらと壁が見えるのだが、その手前の床になにかある。

 

 俺たちは、とりあえずそっちへいってみることにした。

 その暗がりの床にあった物。それは……

 

「宝箱だな……」

 

「宝箱ね……」

 

 近づいて見れば、そこにあったのは、人の棺桶ほどのサイズの意匠を凝らした箱。一見して宝箱と分かる物が、二つならんで床に置かれていた。

 

「ま、普通のゲームなら、開けて物色するとこだろうが、開けてびっくりトラップとかだと洒落になんねえし、ここはスルーで……」

 

「えー、お兄ちゃん開けてみようよー。ほら、きっと、すっごい魔法のアイテムとか入ってるよ、きっと」

 

「いや、小町。このダンジョンは、ダイダロスとか云うダンジョンオタクの一族が私財をなげうって作り続けてる、言わばサグラダ・ファミリアのダンジョン版だぞ?そんな貧乏人どもに、宝なんて用意できるわけねえだろ」

 

「えー、でもでも~ひょっとしたら神様から貰ったアイテムだとかー、なんかすんごいのがあるかもだし、小町見てみたいなー」

 

「むむ……、ま、まあ、小町がそこまでいうなら」

 

「ちょっと、ヒッキー?」

 

「ふう、相変わらず、小町さんには弱いようね」

 

「ま、まあ、いいだろべつに……」

 

 これが千葉の兄妹というものだ。デフォなんだから仕方ない。うんうん。

 ふふんと隣で楽しそうにしている小町の頭を撫でつつ、俺は宝箱の前で腕を組んだ。

 流石にこのまま開けるのは怖いな。

 俺は雪ノ下を見ながら言った。

 

「なあ、雪ノ下調べてくれるか?」

 

「え?あ、ああ……そうね、わかったわ」

 

 一瞬悩んだ顔をした雪ノ下が、頷きながら宝箱に向き直る。そして、右手を突きだしつつ呪文を詠唱。

 

「インパス」

 

 精神を集中した雪ノ下は目の前の二つの宝箱をじっと見つめている。

 こちらからは特に変化が見えないため、雪ノ下の言葉を黙って待った。

 

『インパス』

 このじゅもんは目の前の物体の危険性の判断に用いられる一種の検査用の魔法。

 ドラクエの世界では、宝箱に罠が仕掛けられていたり、モンスターが擬態していたりと、なかなかに危険が多い。そのため、開く前に危険の有無を探知するためにこのじゅもんは開発された。

 ちなみに、術者にのみ知覚できる光で通知される。安全な場合は『青』、危険な場合は『赤』。

 

「どうだ?」

 

 俺の問いかけに雪ノ下が答えた。

 

「そうね……右側は青で安全そうね。でも、左は赤よ」

 

「は?赤?まさかこっちの世界にも人食い箱とかいるのかよ?」

 

「ええ!?人食い箱!?絶対いやーーーーーー」

 

 そう体を震わせるのは由比ヶ浜。まあ、無理もない。

 ドラクエの世界で冒険している途中で、人食い箱に遭遇したとき、とーちゃんがおもむろにそれを由比ヶ浜に投げて寄越したことがあった。面白半分で!

 そもそもあのときレベル40を超えていた俺たちにとって人食い箱はもはや雑魚でしかなかったわけで、噛まれようが体当たりされようがまったく問題なかったのだが、あろうことかあの人食い箱は由比ヶ浜を気にいっちまったようで、ベロベロなめまくりだった。おかげであの時の由比ヶ浜は粘液まみれで卑猥な感じになっちまうし、トラウマになるくらい相当ショックだったみたいで、あのあとはベロの長いモンスターはとにかく嫌がってたな。

 ああ、それでか……あのゼノスたちに近寄らないのは……

 サンダー・スネイクとかバーバリアンとか舌長いもんな。

 

「なら右のだけ開けてみるか」

 

 と、俺は右の宝箱に手をかけた。

 

 

 ギギィー……

 

 

 錆びた蝶番が軋んだ音をたてながら、その箱は開いた。

 俺は、暗がりをのぞき込むようにしながらその箱の中を見る。

 

「お、お兄ちゃん……なにが入ってるの?」

 

 その小町の言葉に振り向きながら答えた。

 

「……なーんも……、からっぽだよ」

 

 そう、宝箱は空っぽだった。なにも入っていない。ま、そりゃそうだわな。こんな通路のすぐそばにおいてあれば、誰かが開けるに決まってる。あの黒ローブたちだって、イケロスの連中だっているわけだしな。

 

「ま、そうそううまい話はないってこった。じゃあ、行こうぜ……って、おま」

 

 

 ガパッ……

 

 

「あ、マスター?なんか、アン、カマレちゃってる」

 

 見れば、となりにおいてあった宝箱が、人食い箱よろしくアンにかじりついてる。

 と、言っても、別に牙があるわけでもないし、当然ベロもない。ただ、口をパカパカさせてるだけ。

 アンもそんなに痛くないのか、噛まれるままにしていた。

 

「アン?お前勝手にそんなことしちゃだめだろ?」

 

「だって、アンもアケタカッタから……」

 

 パカパカと一生懸命アンを食べようとしているかのようなその宝箱なのだが、翼を開いたアンの力に負けてしまっている。こっちからはじゃれて遊んでいるようにしか見えない。

 いつまでも遊んでるわけにはいかないと、俺は剣を抜いて、その動く宝箱に近づいた。そして剣で思いっきりぶっ叩いた……蝶番を。

 一撃で蝶番が吹っ飛んだその箱は、その勢いのまま上蓋が飛んでいき、ピクリとも動かなくなった。

 やっぱこういう時は、可動箇所を狙うのが最適だな。車ならタイヤ、動物なら関節、これ動きを止める基本。

 

「大丈夫か?アン?」

 

「うん!アンだいじょうぶ。マスター、スキー」

 

 言いながら抱きついてくるアンの頭をなでながら、宝箱を振り返ると、ちょうど小町達が中をのぞき込もうとしているところ。そんなに宝物欲しいのかよ……

 

 だが次の瞬間……

 

「きゃああああああああああああああああああ!」

 

 小町の悲鳴が辺りに轟いたかと思うと、その箱の縁に現れたのは、中から伸びてきた『白骨の手』!

 

「って、またお前か……いい加減にしろ、フェルズ」

 

「うう……助かった……」

 

 這々の体で箱から出てきたのはリビングデッド(生きた死体)ならぬ、生きてるガイコツ、フェルズさんだった。

 

 お前お約束すぎだろ。

 



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(32)黒い胎動

「いやはや、本当に助かった。感謝する」

 

 そう言って棺桶(?)からのっそり出てくるのは白骨の身体の元賢者。

 フーデッドローブを被り直して着崩れたそれを整えてる。

 

「って、なんでお前、こんなとこで宝箱に喰われてんだよ」

 

 俺のその問いかけにフェルズは頭を掻いている。

 

「いや、まったく面目ない。君たちに教えて貰ったダイダロス通りの地下を調べている最中に、黒装束の連中に出くわしてな、連中が壁から中に消えたもので、私も一緒に入ったわけだ。そして、その後この地下迷宮を調べて回っていたのだが……」

 

 ふっと、フェルズが視線をおとして声をと切らせたので、なんとなく俺が後を繋いで話した。

 

「……宝箱があったもんで、興味本意で開けてみたら喰われたわけか……おまえ、油断しすぎだろ……」

 

 フェルズはうつむいたままで返事。

 

「まったくもって、面目ない」

 

 ま、仕方ないか……

 この人食い箱を調べてみたら、魔力封じを施されてたし、内側に閉じ込められたらフェルズの奴もどうしようもなかったってことだろう。こいつ魔力特化らしいしな。

 

 その後、フェルズに一色のことを説明し、俺たちに同行して救出に向かうことにした。

 こんな敵地のど真ん中で別行動をとってもなにもメリットはないしな。

 

 俺たちは再び、アンたちの案内で先へと歩を進める。

 

 直線的な通路の組み合わせのこの迷宮を、右へ左へ、ときにはスロープを降りて進んだ俺たちは、とくに妨害にあうこともなかった。

 あまりに誰にも遭遇しなかったもんで、道を間違えてるんじゃないか?と不安になり始めたところに、アンの声が。

 

「ここだヨ、ここでいろはがツレテかれたの」

 

 正面から強い風を頬に受けながら、見据えたその先には、巨大な縦穴が広がっていた。その大空洞は、まるで俺たちのいるこの通路を寸断したかのように、直上から真下にむかって広がっている。

 俺たちの通路もそこで終わっているわけだが、その空間との境の部分は、超硬質のアダマンタイトのブロックが完全に粉砕されてしまっている。

 

「なあ、これって……」

 

 俺は由比ヶ浜たちを見ながら言った。

 

「ひょっとして、しんりゅうが通った穴なんじゃねえの?」

 

 俺の言葉に二人は黙って頷く。

 穴の直径といい、形状といい、問答無用でダンジョンの18階層の天井をぶち破ってきたしんりゅうの巨体が通ってきたと思わせる跡だった。

 

 はるか上方を見上げてみれば、小さな丸い点のようなところから青空が覗いている。

 多分あそこからオラリオの外にも出られるのだろう。

 

 間違いなくこれはあのときの穴だ。

 

 でも、そうだとすればおかしいな……と、思う。

 

 これだけの大空洞を作って、さらに、地上にも大穴を開けたわけだ。ここに、誰も調査に来ないなんてことあるのか?

 俺はこの辺の事情を一番知ってそうな奴に声をかけた。

 

「なあ、フェルズ。お前この大穴のこと知ってたのか?」

 

「ああ、知っていた。まさか、地下のこの迷宮と繋がっているとはわからなかったがな。この穴の調査に関しては『ガネーシャ・ファミリア』が執り行うことになったのだが、実はまだ一般には知らせてはいないが、調査に赴いた彼のファミリアの先見隊が先日、全滅しているのだ」

 

「はあ?」

 

 フェルズは俺に視線を向けながら説明を続ける。

 

「そして、現在ギルドにてこの大穴の調査を最高難度クエストとして公示するかどうか話あっている最中だろう。調べたところでただの神の気まぐれで作られた大穴、くらいの認識だろうが、人死にも出てるからな、捨ててもおけないということだ」

 

 つまり、今後ここにふたたび調査が入る可能性もあるわけか……たが、それを待っているわけにもいかない。

 あいつの現状を思えば、一刻の猶予もないしな。寄り道しておいてなんだが……。

 さてと……ここで一色がつれ拐われた以上、どこかにきっと手がかりがあるはずなんだが。

 

 穴の縁でその光の届かない真っ黒な空間を見下ろす。

 十中八九穴の下に降りたということで間違いはないだろう。

 

 ん?あれは……

 

 足下の壁沿いに何か光るものが見える。

 しゃがみこんで触れてみると、それは壁に打ち込まれた金属製の杭。その杭には鎖が繋がれていて、壁沿いに這うように鎖が伸びていた。

 さらに良く見れば、鎖に沿って壁が抉られていて、足場を形成していた。

 

「黒装束の連中の通路みたいだな。ここから降りられそうだぞ」

 

「え!?」

 

 由比ヶ浜達は明らかに嫌そうな顔。だって仕方ねーだろーが、ここ降りなきゃ行き止まりだし、ご丁寧に道があるんだから……

 

「俺が先にいくからお前らついてこい。鎖にちゃんと掴まってりゃ大丈夫だ」

 

「う、うん……」

 

 不安そうな由比ヶ浜を見ながら、俺は鎖を掴んで壁を降りた。

 大丈夫だとか言ったはいいものの、正直なんの根拠も無いから超怖い。だいたいこの鎖つけたのだって、あの連中なんだろうし、いつ杭がひっこぬけるか冷や冷やもんだ。

 

 俺はそろりそろりと、足下の切れ込みを歩いた。なんとか行けそうな感じだ。

 

「おい、大丈夫そうだ、もう来てもいいぞ……ってお前ら……」

 

 見れば、デカイ白い籠のようなものに入っているうちのメンバー。その籠は、デフォルミス・スパイダーの糸で作られたらしく、お尻から出た糸でぶら下がっていて、まるでエレベーターのように穴の下へ降りていく。

 其の脇を、小町を背負ったバーバリアンがフリークライミングよろしく壁の突起を掴んでさっさと素早く降り、サンダー・スネイクが器用に壁を這って下へ向かう。

 籠の中の由比ヶ浜が気まずそうに俺を見ながら一言。

 

「なんかごめんね」

 

 ぐっ……べ、べつにいいもん!泣いたりなんかしないし!

 

「あ、マスター、アンがツレテったげるね」

 

 と、言いつつ、飛んでいるアンが俺の背中から器用に足をまわして組つく……と、慌てた俺はそのままアンの太股にしがみついた途端に、身体がふわりと飛び上がった。

 

 俺たちはそうして、暗いくらい大空洞を降りていった……

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 たくさんの冒険者が詰めかけたギルド本部は、すでに収集がつかないくらいの大混乱に陥っていた。

 それと言うのも、突然に開催宣言された【戦争遊戯】が原因である。ただでなくとも血の気の多い冒険者が多いこの都市において、【ファミリア】の存続をかけた【戦争遊戯】は神はおろか一般の市民だって熱狂する一大イベント。

 しかも今回はあまりに非常識な組み合わせに周囲は沸き立っていた。

 オラリオでも中堅クラスに位置する【アポロン・ファミリア】が対戦相手に指名したのは、発足したばかりの上、団員がたった一人しかいない超弱小【ファミリア】、【ヘスティア・ファミリア】である。

 この弱小【ファミリア】の唯一の持ち味といえば、最速レベルアップを果たしたニューフェイス『リトル・ルーキー』の存在だけであろう。しかし、レコードホルダーとはいえ、彼のレベルは2。一人で中堅【ファミリア】に対抗できるとは到底思えない。

 前代未聞のこの戦争に、オラリオの全市民は色めき立っていた

 そして、そんな噂が先行した中での市民がとる行動はただひとつ。

 開催を取り仕切る窓口ともなるこのギルド本部へと問い合わせに来る……というわけである。

 

 窓口に我先にと顔を突っ込むのは、冒険者だけではなく、それぞれの町の顔役や商人、それに報道関係もそろっている。皆一様に、このイベントの開催の有無の確認と、開催地、開催日時、それと、遠隔透視による放送はされるのかどうかなどの問い合わせがほとんど。

 ギルド側としても、未確定事案がほとんどのため、後日追って公表する旨を伝えて回るが、人の波は収まることがない。

 

 そんな慌ただしさのなか、応対を続けるハーフエルフのエイナ・チュールは焦っていた。

 ただでなくとも今回の当事者が自分にとっても憎からず思っているベル・クラネルなのである。一刻でも早く彼に会って、事の真相を問いただして、叱りつけたいと思っているのに……

 ここは、ギルドの中でも重要な客を応対するための場所。この部屋は階下の喧騒を離れ静かではあるが、エイナは居心地の悪さに辟易としていた。

 目の前には彼女を見据える凶悪な目付きの第一級冒険者の顔。

 

「おい、いつまで待たせんだよ、てめえ。只のレベルアップの申請にいったいどんだけかかってんだ、オラ!」

 

 カウンターに身を乗り出してそう吠えているのは、最近レベル6になった、【ロキ・ファミリア】の凶狼、ベート・ローガ。

 この【ファミリア】はベート・ローガだけでなく、同じ団員のティオネ・ヒュリテ、ティオナ・ヒュリテの双子の姉妹もレベル6となり、今やレベル6の団員を7人も擁し、且つ、ダンジョン最深探索記録を樹立した名実ともにこのオラリオナンバーワンの【ファミリア】である。

 先日の集団昏倒事件の時といい、なぜかエイナはこの狼人の青年と接する機会が多かった。そして、もともと論理的に思考するエイナにとって、ここまで乱暴な態度に出る相手は不得手でもあった。

 

 

「落ち着けベート。お主が吠えたところで何も変わりはせん」

 

 そう横から助けを入れるのは、細身で長身の絶世の美女。

 さきほどからエイナが震えているのはどちらかといえば、この高貴な美女の存在の影響が大きい。

 それもそのはずで、この人物はこの世界においてもっとも高貴な身分を持った長寿族、エルフの王族、ハイエルフの【リヴェリア・リヨス・アールヴ】その人であった。ハーフエルフのエイナからすれば雲の上の存在。今すぐにでもひざまづきたいのを必死で堪えていた。

 

「うるせえぞ、ババア!でしゃばんじゃねえよ。俺はまだ肝心なことこいつから聞いてねえんだよ。オラ、あのデカルチャーズの奴の居場所も教えろ!俺はあいつに用があんだよ」

 

 そう叫ぶベートに、エイナは慌てて答える。

 

「ちょ、ちょっとお待ちください。彼らはギルドと契約しているとはいっても、あくまで商売としての契約です。他人にそうそう住所をお伝えなんてできませんよ」

 

 と言いながらも、かの集団の住所が架空のものであることをエイナはすでに知っていた。

 しかし今それを言ったところでなんの解決にもならない。彼らの身柄に関してはギルドの神ウラノスが全権を持って保証しているため、末端の彼女が気にかけることもできない。

 

「ちっ……つかえねえ女だな」

 

 吐き捨てるように呟くベートに、エイナは愛想笑いを浮かべることしかできない。

 そんな狼人の頭に、魔力を帯びたワンドが降り下ろされた。ゴスっと、鈍い音が辺りに響く。

 

「いってえな!なにすんだ、このくそババア」

 

「たわけ。お前が話すとろくなことにならん。すこし黙っておれ。色々と迷惑をかけたな。すまなかった」

 

「い、いえ、そんな……め、滅相もございません」

 

「ふむ……許してくれるか。ところでな、少し気になる噂を耳にしたのだが……なんでも、最近オラリオの外で全滅したパーティーがいたとか……それも高レベルの」

 

 エイナはこのとき焦っていたのだろう……リヴェリアの瞳を見つめていたエイナは、普段の冷静な彼女らしからぬ、安直な応対に移ってしてしまう。

 

「は、はい。実は先日都市壁の外側に穿たれた巨大な穴の調査に【ガネーシャ・ファミリア】の6人の冒険者が向かったのですが、一人を残して全滅してしまいました。その一人も気が触れてしまったようで、『邪神を見た』などと繰り返しているようで……す…………はっ!!」

 

「ふむ、少し話しやすいように暗示をかけさせてもらった。許せよ。では失礼しようか」

 

 自分の失態にワナワナと震えるエイナを横目に、少し申し訳なさそうにしたリヴェリアが後ろを振り返った時、ベートが声を発した。

 

「まだ終わっちゃいねえぞ……てめえ何者だぁっ!!クセエンだよ、さっきからプンプン匂ってらぁ、出てこい!ごらぁっ!」

 

 リヴェリアとベートが立つすぐそば、先程まで彼らがもたれていたカウンターの端に向けて、ベートは爪を降り下ろす。

 

 ひゅんっ……と風切り音のすぐ後、その人物は音もなく忽然とその姿を現した。

 

「まったく……これだから獣人とは、度し難い」

 

 黒のローブを全身に纏い、その頭部を隠すフードからは、光輝く銀の長髪が溢れている。その頭衣の暗がりから覗かせるのは褐色の肌に金の瞳を煌めかせた美しい女の顔。

 

「あ、貴女は……」

 

 その容姿にリヴェリアは驚嘆のあまり絶句する。なぜなら、その女性の顔には見覚えがあったから……

 

「ま、まさか……」

 

「あん?どうしたってんだよ、ババア!!この黒い女、知ってやがるのか?」

 

 この直後、その場に居たベートとエイナの二人はあまりの事態に、その衝撃の大きさに身動きできなくなる。

 

 なぜならば……

 

 リヴェリアがその黒ローブの女性へ、首を垂れ、膝をついて跪いたためだ。

 

「「○×△□※%……!?」」

 

 そんな二人におかまいなしにリヴェリアは滔々と口上を放つ。

 

「ハイエルフの長を勤めさせていただいております、リヴェリア・リヨス・アールヴともうします。御尊顔を拝し恐悦至極にございます……『シェール』様」

 

 その異様な光景をベートとエイナは見守った。……白目を剥いて。

 



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(33)邪神カーディスの影

「な、なにやってんだ!ババア!」

 

 思わず絶叫するベートと声もなく震えるエイナ。その二人の目の前で、もっとも尊大であるはずのエルフ、それも王族でもあるリヴェリアが跪いているのだ。

 【ロキ・ファミリア】の副団長としての彼女が団員の母のように振る舞うその姿を見ていたとしても、あの神ロキに対してさえ態度をかえることのない、このエルフの姫としてはのその姿はあまりに異様であった。

 彼女が頭を下げる、その褐色の肌のエルフのような女は、その目深に被ったフードをそのままに静かに囁いた。

 

「その名を聞くのは随分と久しいな……面を上げよ、深き森の民の末裔よ。私は貴女に敬われるような存在ではない」

 

「ですが……」

 

 困惑するリヴェリアを見つつ、ベートが吠える。

 

「てめえ!どこのどいつだ。しれっとした顔しやがって、さっさと吐かねえとぶち殺す……」

 

「控えよ!ベート!」

 

 その鋭い眼光がベートを刺し貫いた。さしもの第一級冒険者の猛者も、長い年月を生きた研ぎ澄まされた迫力をはねのけることは叶わなかった。いったいこの細身の身体のどこにそんな覇気があるというのか……隣のエイナも一気に萎縮してしまった。

 そんな二人に、リヴェリアは口を開く。

 

「このお方を我々と同じと思うでない。このお方こそ、我ら一族を……」

 

「もういい、リヴェリア・リヨス・アールヴ。今の私にとっては不要な話だ。それよりも、そこのハーフエルフ」

 

「は、はい!!」

 

 突然話を振られ、エイナは心臓をわしづかみにされた様な感覚に陥る。

 目の前の褐色のエルフは、自分が敬愛してやまないリヴェリアがかしずく相手。ただの冒険者ではないことは明白であり、そしてその相手がとてつもなく高位な存在であることだけは理解していた。

 

「盗み聞きをしてすまなかった。ことこう露見したからには少し話を聞きたいのだが、その『邪神』とは、石化した邪悪な女神像のことではないか?」

 

 その問いにエイナは目を見開く。そしてしばらく逡巡したそぶりをとった。ギルドで得た情報は他人に漏らしてはならない。これは当然の事項ではあるが、つい先ほど、目の前のこのリヴェリアに自ら口を開いてしまっているのだ。当然それを後悔している。それでもエイナは全てを伝えることを自らの意思で決めた。

 眼前の存在はすでに自分たちと同じ視点に立っていないと確信したから。

 

「は、はい。生還した方の話では、大穴深部に巨大な空間が広がっていたらしく、そこに禍々しい巨大な石の女神の上半身が埋もれていたと……」

 

 そして、その場に現れた黒ずくめの集団に襲われ、パーティは全滅……その生き残った一人も命からがら逃げだし、大穴途中で待機していた他の団員に救助されたというところまでを話した。

 その話を聞いていたその女エルフは目を鋭く光らせ呟くように零した。

 

「これが奴の狙いか……まさかカーディスの神殿がそんなところに埋もれていようとはな……」

 

「え?カー……ディス?」

 

 そのエイナの疑問に女は答えた。

 

「古に封印されし破壊の女神だ。彼女が蘇れば……この世界は滅ぶ」

 

「ええーーーーーーーーーーーー!」

 

 絶叫するエイナの横で、表情を全く変えないその女エルフにリヴェリアが声をかけた。

 

「お待ちください、シェール様。我々には神より授かりし恩恵がございます。それに、この地には多くの神々が降臨されておられるのです。いくらなんでも一柱の女神だけでそのようなことは……」

 

 その問いに彼女は忌々し気に言う。

 

「単に受肉しただけの新しき神になんの力がある?破壊と死を司る女神になんの躊躇いも感慨もありはしない。世界は再び灰燼に帰すことになるだろう。我々にできることは、彼の女神の復活を阻止すること……ただ一つ……」

 

 だが……すでに手遅れかもしれないがな……

 

 掠れるように囁かれたその小さな声を、スキルで強化されたベートとリヴェリアの耳は聞き逃すことはなかった。

 

 彼女はマントを翻し、後ろを向く。そしてもう一言だけ呟いた。

 

「それからな……私のことを……シェールとは呼ぶな」

 

 そして呪文を詠唱した。

 

「万物の根源にして、万能の力…………我が双脚は時空を超える」

 

 その刹那、彼女は姿を消した。

 

「お待ちください、シェー……くっ……い、いったいどちらへ……」

 

 慌てるリヴェリアへベートが声を掛けた。

 

「もう奴はいねえよ。姿を消したわけじゃねえな、完全に消えちまった」

 

「まさか、転移魔法なのか?やはり失われた魔法をお使いになられているのか……」

 

「おい!今の奴はいったいなんなんだよ!」

 

 問い詰めるベートに、珍しく焦りを表にだしたリヴェリアが声を荒げてエイナに向き直る。

 

「エイナ・チュール、すぐに神ウラノスへ取次ぎを頼む。ベート、我らはいったんホームへ戻るぞ。ロキと話さなければ」

 

 駆けだす二人を見送りながら、ハッと我に返ったエイナは、急いで階下へ向かった。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 穴の深さは想像以上に深かった。かなりの時間下降した俺達は、明らかに周囲の壁とは違う色の地面に降りる。

周りの岩が石灰を含んだような白っぽい色をしているのに対し、足元に広がるのは赤茶色の金属質の地面。

 仮に……といっても、ほぼ確実に、この大穴はしんりゅうが空けたものに間違いなさそうだが、ここまで掘り進めた先のこの蓋のような地面は、間違いなくダンジョンの外殻になるのだろう。つまり、この外殻の向こう側が、18階層の天井部分ということになりそうだ。

 ダンジョンが自己修復されることは知っていたが、金属質とはいえ、この赤茶けた見た目は、生物の皮膚を思わせる。この大穴の中で唯一自動修復されたこの個所は、いうなればダンジョンの瘡蓋のようなものなのだろう。

 俺はそれを思い、身震いした。

 

「全員いるか?」

 

「ええ、居るわ」

 

 雪ノ下がそう答えるのに合わせて、俺は全員を確認した。

 改めてこのメンバーを見て、そのバランスの良さに驚く。

 

 俺(勇者)

 由比ヶ浜(僧侶)

 雪ノ下(魔法使い)

 フェルズ(魔法使い)

 小町(妹)

 アン(飛翔)

 バーバリアン(前衛)

 デフォルミス・スパイダー(前衛)

 サンダー・スネイク(前衛)

 

 総勢9人(?)のこのパーティ、モンスター交じりとはいえ、人語は解してるし、コミュニケーションも小町のおかげでばっちり。前衛をこの3匹に任せられるから、俺達は後衛から魔法をガンガン使えるし、回復も、補助魔法もあるから、実はパーティーとしては超優秀だ。

 え?俺は前衛じゃないのかって?

 無理に決まってんだろう、大抵の攻撃一発で死ぬしな。こういう時無理しちゃだめなんだよ。絶対に。

 

 全員を確認した俺は、あらためて松明をかかげ周囲を警戒する。

 周囲に人影はない。それに不気味なくらいに静まり返っている。

 よくよく調べてみれば、壁の一角に明らかに人工物と分かる石詰の破壊された壁がむき出しになっていた。

 そして、その一部に空洞があり、そこから侵入できそうな感じである。

 

「どうやらあそこが目的地らしいな。ここから先は多分ボスゾーンだ。慎重にいくぞ。セーブポイントが欲しいとこだけどな……」

 

 言いながら、俺は先に立ってその割れた壁をくぐった。

 

 と、その時、俺は背後から猛烈なタックルを受けて前のめりに倒れる。それと同時に聞こえてきたのは複数の風切り音。複数の矢が、俺めがけて殺到していたのだ。だが、その矢は倒れた俺を素通りし、俺に被さる巨体に突き刺さる。

 

「ブフゥッ……」

 

 苦悶の表情で唸るのはバーバリアン。

 

「お、お前……」

 

 人一人しか通れないこの穴から明かりを持って現れたわけだ。当然狙うに決まってるよな。

 俺は自分の安穏さに後悔した。

 

 肩から血を吹き出しつつ、俺をかばったバーバリアンは俺を抱えながら横へ飛びのく。

 俺も松明を投げ捨て、辺りに視線を送るが、真っ暗闇の中で相手の位置どころか人数も把握できない。

 入口からは、後続の由比ヶ浜たちが進入しようとしていた。

 

「くっ………ベギラマ!!」

 

 俺は狙いも定めずに正面に向かって、灼熱の火炎じゅもんを唱えた。

 苔むしたようなかび臭い空気が一気に振動し、そこかしこで火柱が立ち上る

 

「ぎゃあああああああ!!」

「あ、あついー」

「わああああああああ」

 

 途端に周囲から絶叫があがる。

 そこにいた何人かに火炎が直撃してしまったらしく、背中から衣服が燃え上がっていた。

 立ち上る火の光に照らされた中で30名ほどの人影がはっきりと写った。黒装束の連中だけではない、冒険者風のいで立ちの輩も何人か含まれている。多分【イケロス・ファミリア】の連中だろう。全員目を血走らせて、明らかに正気ではない。

 そう、これはあの、焔蜂亭で出くわしたヒュアキントスや暴漢どもとそっくりだった。

 そうだとすれば、相当にやばい相手だ。

 なにせ、単なるレベルブースト以上の戦闘力を発揮しちまう。少なくともあの時のヒュアキントスはマジやばかったし。

 

「ブモォ!!」

 

 肩に刺さった矢を自分で抜き去ったバーバリアンが雄たけびを上げながら、その連中に突進していく。

 だが、信じられないくらいの俊敏さで連中は動き、あの強烈なバーバリアンの突進さえもいなしていた。

 

「なにこれ?」

「どうなってるの?八幡」

 

 俺に走り寄る二人の手を掴んですぐに指示。

 

「由比ヶ浜は俺と一緒にラリホーだ。雪ノ下は俺達全員にスクルト。急げ」

 

 言った直後に前方に右手を突き出して俺はじゅもんを唱えた。

 

「ラリホー」

「ラリホー」「スクルト」

 

 俺に続いて、由比ヶ浜たちもすぐさま詠唱。

 

 じゅもんの効果はすぐに出た。

 俺達に近い方から順に、バーバリアンにとびかかる黒装束たちがバタリバタリとその場に倒れ伏しはじめ、そして、繰り返し唱えることで、この広い空間のほぼ全域の敵の動きを封じることに成功した。

 

 そして、その空間にアンと小町が入ってきた時には、完全に戦闘は終了していた。

 

 俺達は床に転がるその連中を一か所に集め、くものいとで完全に拘束したあとで、全員のけがの治療もしておいた。一応このまえと同じで正気に戻るかもだし、死んだら死んだで夢見も悪いからな。

 

「ブフッ……フゥ……フゥ……」

 

「お、おい、大丈夫か?」

 

 片膝をついて肩で息をしているバーバリアンに俺は近づいてそう声を掛けた。

 さっきの弓の傷からはいまだに真っ赤な血が流れ続けている。おまけに、暴漢どもとやり合ったときのモノだろう。全身に刀傷が刻まれ、特に左太ももには骨まで達した生々しい傷が口を開いていた。

 

「お前……俺を助けてくれたのか?」

 

「ブモゥ……」

 

 バーバリアンは震えながら、俺の頬を指でなでる。心なしか、喜んでいるようにも見えた。

 俺はそんなバーバリアンの胸に手を当ててじゅもんを唱えた。

 

「ベホマ」

 

 いつもの青白い光にバーバリアンが包まれる。

 体中の傷はみるみる内に癒え、あれだけ深かった腿の傷もあっという間にふさがった。

 それに合わせて痛みも消えたのだろう。

 不思議そうに自分の両手両足を動かすバーバリアンは次の瞬間。

 

「ブモーーーーーーーーーーーー!!」

 

「ちょ、やめろ!」

 

 いきなり俺を抱え上げて飛び跳ね始めた。

 

「お前、やめろ、いい加減に……、お、おい、小町、こいつやめさせてくれ。これじゃあ、俺が死んじまう」

 

 小町は首を振ってやれやれといった具合で、

 

「あーあ、この娘お兄ちゃんのこと気に行っちゃったみたいだねぇー。もう観念して思う存分したいようにさせてあげれば?」

 

「おま、それじゃあ俺が死ぬ……って、『この娘』だと?じゃ、じゃあ、なにか?こいつメスなのか~?」

 

 小町はしれっとした顔で言う。

 

「そうだよ。知らなかったの?」

 

 言われてみれば、このバーバリアン、胸が大きいような……

 って、そんなの関係ねえー。

 

「し、死ぬ~、死んじゃう~」

 

「ブモ~」

 

 嬉しそなバーバリアンは力いっぱい俺を抱きしめて……って、完全なサバ折状態の俺は、死ぬ前に自分にベホマをかけたのは言うまでもない。

 

 お前はファイナルファイトのアンドレか!?

 

 



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(34)古の破壊神と狂気のダークエルフ

 バーバリアン(♀)に解放された俺は、身体中の骨が砕けてないか、ボキボキとならしながらストレッチした。

 まったく……

 本当に死にかけたじゃねえか。

 なんで戦闘後にダメージ受けて瀕死にならなきゃなんねえんだよ。ここは毒の沼地かバリヤーか!!

 

 それでもバーバリアンは俺のそばを離れようとしないし……って、なんで、由比ヶ浜のやつも、バーバリアンとならんで目をキラキラさせてんだよ?

 お前らは抱きつく前の犬か!?

 

 と、とりあえず、構っていると時間が掛かりそうなので、今のところは無視。

 俺は改めて炎に照らされたその広い空間を眺め見た。

 

 俺たちの侵入してきた壁の穴から見て、ちょうど正面に巨大なステンドグラスの窓が見える。

 床は戦闘の痕でぼこぼこに荒らされてしまっているが、よく見れば、鏡のように磨かれた石の床であったことが分かる。壁には調度品などは無いものの、精巧に象られた悪魔とでもいえば良いのか……1階だけでなく、2階部分の手すりなども含めて、柱等に禍々しいがまるで生きているかのような見事な生物の彫刻が刻まれていた。

 

「ここはなにかしら?」

 

「さあな……俺の僅かばかりの知識から言えば、教会みたいに見えるが……いくらなんでも不気味すぎるだろう。フェルズ、お前は知らないのか?」

 

 雪ノ下が呟くのに俺は何となく印象で答えたわけだが、もっと詳しく知っていそうな奴にそのまま質問した。

 フェルズも顎に白骨の指を当てて唸っている……ように見える。

 

「私にも分からん。様々な神の教会を見てきたが、こんな異形の彫像を私は今まで見たこともない。それにこれは神というより……」

 

 フェルズはなにかを言いかけて、止めた。そして首を振る。

 その仕草が何を物語っているかは、よく解らないが、この世界の御長寿魔術師でも悩むほどの何かということは確かなようだ。

 

「メラ」

 

 俺は落ちている木の破片を、メラで着火して松明とした。それを持って、暗くなってきた空間を照らしながら、左手に開いた大きな穴……もとは大きな扉が聳えていたのであろう、それを目指して歩き始める。

 

 それにしてもこの松明……まんがとか、映画とかだと結構燃えてて明るいし使いやすいように見えるけど、木の切れっぱしに火をつけても大して明るくないし、なんかだんだん手元に向かって火が侵食しきてて、超怖い。

 

 映画のランボーとかだと、洞窟の中を一人で松明片手に逃亡するシーンがあるけど、あんなにボーボー燃えるわけない。あ、あれ、灯油つけてるんだっけ?

 あーあ、こんな時に便利なのが魔法じゃねーのかよ。辺りを明るくするじゅもんなんて知らね……あ。

 

「そういや雪ノ下。お前魔法使いだろ?『レミーラ』は使えないのか?」

 

 俺の問いに雪ノ下は少し考えてから答えた。

 

「『レミラーマ』のことかしら?あれは近くに何かがあれば関知する、金属探知機みたいなじゅもんよ?」

 

 ま、言い得て妙だが、あのじゅもんはどっちかといえば『ダウジング』だ。そういや昔の井戸堀はダウジングで地下水探してたんだっけな。別に今、井戸掘る訳じゃねーけど。

 

「ちげーよ。レミーラっていうのは、辺りを明るくするじゅもんのことだ。ドラクエ1のじゅもんなんだが、お前なら出来るかと思ったんだが……」

 

「そう……でも、そういうじゅもんは知らないわね。いっそメラゾーマとかベギラゴンを唱えた方が早くないかしら?」

 

「お前な……こんな地底の建物の中で下手にじゅもんぶっぱなして生き埋めにでもなったらどうすんだよ」

 

「あら?真っ先にベギラマを唱えたのはどこの誰だったかしら?」

 

「いや、それは非常事態だからであって、なんともないのに使うのはあれでだな……」

 

 まったく、こいつはいつもすぐに噛みついてきやがるし……

 そんな俺に助け船を出したのは、黒ローブの白骨の紳士。

 

「明るくすれば良いのか?ならば、私のこの魔法が役にたとう。『光となり輝け、万能なる力よ……』」

 

 フェルズがそう唱えると同時に、光の玉が頭上へと現れ、辺りを明るく照らした。

 まあ、懐中電灯みたいなかんじだ。

 

「お前、こんな魔法も使えんだな」

 

「なに、これは古代から受け継がれてきたコモン魔法のひとつだ。魔術師なら大体は学ぶ魔法だな」

 

「その魔法、私にも教えていただけないかしら?」

 

 フェルズの言葉を聞いて、雪ノ下が目を輝かせて懇願する。

 どうしたのお前?なに、いきなり学習意欲に目覚めちゃってんの?

 そんな雪ノ下を見下ろしつつ、白骨の紳士がたじろぎながら答える。

 

「う、うむ……ま、まあやる気があるなら、教えてやらないでもない……こともないことなんて、ない」

 

 なにお前うれしがってんだよ!まわりくどく。

 骨しかないけど、明らかに広角あがってんだろ、今。

 そりゃまあ、嬉しいに決まってるか。普通に会話なんて久々なんだろうし。

 骨になってから、話し相手なんてあのいかついウラノスと、ペットのフクロウくらいのもんだもんな。確か500年だっけ。

 なに、このぼっち。俺より相当ランク高いじゃん。

 

 そんなフェルズの反応に雪ノ下がニコッと微笑んで、俺を振り向く。

 

「八幡、私も頑張って覚えるから……その……応援して……くれないかしら」

 

「お、おお……」

 

 なにこの可愛い反応。さっき俺が明かりのじゅもんのこと話したからこんなことやってんの?

 いやいやいや……ちょっと待て、俺。

 そりゃいくらなんでも自意識過剰すぎだろう。こいつは、魔法に興味があっただけ。うん、そうそれだけ。

 そんあことを思っていた俺のわきで、今度は由比ヶ浜が……

 

「あ、あたしも……なんか新しい魔法覚えてみよっかなー、みたいな?」

 

 なにその俺の様子うかがってる風全開の反応。

 お前、勉強苦手なんだから、レベルアップで覚える以外で魔法とかまず無理だろう……

 でも、これはあれだ。下手に否定するより、本人のやる気に任せるべきだな。

 機嫌損ねて不貞腐れられても洒落にならんし、事を荒立てる必要もないし……

 

「じゃ、じゃあ、もっと強力な眠りのじゅもんとか、頑張ってみてくれよ……応援すっから」

 

「うん!!」

 

 おおう、由比ヶ浜の尻に尻尾が見えるようだ……

 なんだよ、めっちゃ可愛いじゃねえか。誰もいなけりゃ思いっきりハグしてたとこだ。

 それにしても、フェルズのやつ、雪ノ下に続いて、由比ヶ浜にも頭を下げられて、あいつ、相当喜んでんな。

 ま、ボッチでも、人恋しいってのは理解できるからな。あいつも魔法教えながらちょっとは気分転換にもなるだろう。

 

 だが、まあ、この緊迫感のなさは、戦闘慣れしていないから仕方ないって言えばそれまでなんだが、ちょっとアブねえな。

 俺たちのじゅもんが強すぎて今まで敵なしだったしな。でも、この先もそうとは限らねえし。

 

「今は魔法覚えるより、一色を助ける方が先だ。このまま進むぞ。また、さっきみたいなイカれた連中が出てくるかもしれないからな」

 

「うん」「そうね」「行こうお兄ちゃん」

 

 みんなの声を聞きながら、フェルズの光の球を先頭に歩き始めた。

 

 このときの俺の危惧は見事に現実のものとなる。

 

 そう……最悪の方向で……

 

 俺たちの相手は想像もつかないほど、悪辣で卑劣で最低な存在であったのだ。

 

 だが……

 

 俺たちがその事を思い知るのは、まだ大分先のことにではある……

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 明かりに照らされた天井の高い廊下はさっきの部屋とは違い、薄汚れてはいるがそこまで傷ついてはいなかった。

 そんな長い廊下を進む中、途中で何度か黒覆面の連中に遭遇したが、どれもこれも殺さずに撃退に成功。

 

 バーバリアン達の突進力もさることながら、俺と由比ヶ浜の『ラリホー』の威力が半端なくて、大概の奴は一瞬で意識を刈り取ることができた。

 そんな無双状態で進む中、途中の豪奢な金と赤で縁取られた扉を潜ると、そこには大きくて立派な椅子が正面に鎮座していた。

 真っ赤な絨毯に、貴章の入ったタペストリー。

 一見して玉座の間と分かるそこは、広さこそアリアハン城のそれと似ているが、豪奢な感じの他は、やはりというか、禍々しすぎる。

 どちらかと言えば、『王様』というよりは『魔王』のそれ。

 サイズこそ人間サイズだが、この雰囲気は、バラモスとかゾーマの居城のそれに似ている。

 

 こんな恐ろしい椅子に座るのは、いったいどんなやつなんだ?

 

「ねえお兄ちゃん、この部屋おかしいよ。行き止まりで窓も開いてないのに、風が流れてきてるよ」

 

「風?そういやそうだな」

 

 その小町の言葉を受けて、俺達はその風の正体を探すべく部屋の内部へと侵入した。

 風の流れのもとは思いのほか簡単に見つけることができた。

 その大きな玉座の奥、カーテンに仕切られた先の小部屋の壁が破壊され、その壁の奥に地下へと続く階段が続いていて、その暗がりから風が吹き上げてきていた。

 

 俺はフェルズに指示して、その穴の奥にライトの球を飛ばさせた。

 目に写るのは、天然の鍾乳洞のような丸みを帯びた壁と、それに一体化したような石造りの螺旋状の階段。

 俺たちは慎重にその階段を下りる。

 

 辺りに響くのは、カツーンカツーンという、俺たちの足音だけ。

 特に妨害に遇うでもなく階段を下り続けた俺たちは、次第に正面から、ライトの魔法の明かりではない、明かりが差し込み始めていることに気がついた。

 そして、そのまま、階段の終焉……明かりに照らされたその広い空間へ足を踏み込んだその時、俺たちに向かって声がかけられた。

 

「おやおや、これはデカルチャーズの皆さんではありませんか。ふむ……これは予想外でした。私はてっきり【ロキ・ファミリア】あたりが乗り込んでくると思っていましたが……これも……世界の導きのようですね……」

 

 突然真昼のように明るくなったせいで俺たちは、視界を遮られてしまっていた。

 だが、なんとか声の主を探そうと、眩しさを堪えて顔をあげると、そこには、宙に浮かぶ一人の黒いローブ姿の男と、下半身が地中に埋もらせたままになっている超巨大な女神像。

 

「なっ!?」

 

 俺はそのあまりに常識外れな光景に思わず絶句。

 俺だけじゃない、周りにいる全員が声もなく、目の前の男と女神像に釘付けになった。

 

 とにかくその威圧感が半端ない。

 確かに俺はこの巨人像を『女神』と判じたが、それは外見上女であるということだけで、ヴィーナスやアフロディテの彫刻のような美しさは微塵もない。当然だが、ルビス様や、ヘスティア様みたいなマジ神とくらべても、あんな一部の人が大興奮しちゃうような感じの可愛らしさがあるわけでもない。

 そこにあるのは、憎悪と憤怒に囚われた厳めしい醜女の形相。だが、その全身が纏うオーラとでも言えばいいのか、その存在感はまさしく神そのもの。

 そして、その存在は、その怒りが収まればきっと美しいに違いないその容貌を醜く歪めたその表情で、俺たちの心に強い絶望を植え付けた。

 

 なにも喋れないでいる俺たちを見ながら、その宙に浮いた黒ローブの男が、女神像を振り返りながら言う。

 

「ほう……あなた方もお分かりになられますか……どうです?とても美しいお姿でしょう?このお方こそ、世界を築き、そして世界を滅ぼすための至高なる存在……滅びの化身として数多の神々と戦い、その身を削りながら、世界の理を築き続けてきた、死と破壊の権化……この世のすべての闘争、争乱は、彼女の手により産み出され、そして、その手により全てを終わらせる絶対神…………」

 

 男は、愉悦にうち震えるかのように、手を掲げて女神像を仰ぐ。

 だが、次の瞬間、男は自分が被るフードを剥ぎながら不快感を表した顔を俺たちに向けた。

 そこに現れたのは、それほど老け込んでもいない壮年のイケメンの顔……冷たく鈍く光る金の瞳に、褐色の肌、長い銀髪から覗くのはピンと長く突き出た特徴的な耳……その姿はエルフ……それも、この前俺たちが遭遇したダークエルフの女の特徴に酷似していた。

 

 息を飲む俺たちにはお構いなしに、男は話を続ける。

 

「だが……愚かな神々は、自らの滅びを怖れ、このお方を自身が怖れた滅びの力で封印したばかりか、その御身さえも地中深くに隠してしまった。まったくもって不快千万。慈愛と調和?正義と平等?はんっ!!他の神々こそ惰弱で保身に走る蒙昧な存在でしかないというのに……」

 

 滔々と語るその男から視線を逸らし、辺りを確認する。

 

 正面には巨大な女神像だが、その周囲はまるで祭壇のように装飾された上かがり火が焚かれている。

 床には何かの紋様が、まるで魔法陣のようにびっしりと刻まれている。

 そして、の紋様の中心……そこに、仰向けに横たわる少女を俺は発見した。

 

 一色だ!!

 

 遠目に動きもなく、まさか死んでいるのでは?と不安に駆られたが、強化された視覚で注意深く観察したところ、胸が上下に微かに動いているのが分かった。

 息はしているようだ。

 

 それにホッと安堵しつつも、目の前のあまりに異常な光景に俺は尻込みしていた。

 いつもと同じであればラリホーなどのじゅもんを男に放ったうえで一気に吶喊して一色を助けるところなのだが、明らかに眼前の相手は異質だ。

 空中浮遊している時点で、なにか強大な魔法を使用できる可能性も高いし、何より、突然に素顔を俺達に晒したことで、俺達に対して何も脅威を感じていないということが理解できるからだ。色々やらかしているデカルチャーズということを知っていてもなお。

 つまり、俺達は簡単に始末できると……

 そんな相手につっこむことができるほど、俺に度胸はないって……

 

「ブモオオオオオオオオっ!!」

 

 突然俺の脇に控えていたバーバリアンが雄叫びを上げて、途中で拾った冒険者の剣を振り上げて男に向かって飛び上がった。

 デフォルミス・スパイダーもサンダー・スネイクもそれぞれ蜘蛛の糸と雷撃を放出している。

 

 男はそれを冷ややかに見下ろしながら魔力を放出する。

 

「愚かな……『……混沌より生まれしものよ、混沌に帰れ!!【ディスインテグレート】……』

 

「やばい!!【アストロン】!!』

 

 男の周囲に禍々しい黒い障気が現れると同時にバーバリアンたちが黒い靄に包まれる。

 その刹那、ぞわりと身の毛のよだつ感覚に俺は慌てて、完全防御じゅもんを3匹にかけた。

 しかし……

 この魔法、俺は知っているぞ……

 

 ガァアン!!と鋼鉄となったバーバリアンが床に落下し頭から突き刺さった。

 他の2匹も鋼鉄の状態で身動きできなくなっている。

 

 それを見た男は感嘆した様子で言葉を漏らした。

 

「ほう……すばらしい。生物を無機物へ置換してこの破壊の法を逃れるとは……、まさかこんな防御の手段があったとは……長く生きてみるものだな……実に愉快だ!!」

 

 こっちは不愉快千万だよ、まったく。

 俺の後ろには、震えながらローブを掴んでいる雪ノ下……いや、今はデカルチャーズでいたほうが良さそうだから、コンダとロリーか……あと、小町の3人がいる。

 俺は3人をかばうように一歩前に出た。

 ダークエルフの男は睨んだ俺を見下ろしつつ、ゆっくりと下りてくる。

 俺は、全身が恐怖に強張るのに耐えながら、その男を見据えて必死で脳をフル回転させた。

 

 俺はさっきのあの魔法を知っている。

 ルビス様から邪竜ナースだとか、太守の秘宝だとかの話を聞いた時から、なんとなくこの世界に『あの世界』が地続きになっているような気はしていたが、まさか、本当にその力を目にすることになるとは……

 そうなると、相当にヤバイ、ヤバすぎる……

 『あの世界』の本当の恐ろしさは、何をおいても魔法の威力の高さにあるからだ。

 一瞬で空間を飛び越えることができる転移魔法に、悪魔や精霊や死者を召喚する術式。そして、炎や氷の渦ですべてを壊滅させる驚異的な攻撃魔法の最上位には、大量の隕石を天空より降らし都市を壊滅せしめるだけの大規模破壊魔法も存在するのだ。

 

 そして、そんな世界に存在する神には、この、今いるオラリオの神達のような力の封印も人間のような意思や思考は存在しない。

 純然なる愛、純然なる正義、そして、純然なる悪……

 

 こんなおどろおどろしい城の地下に封印された半身を地中に埋もらせた女神といえば……

 

『死と破壊の女神』

 

 最悪だ……

 相手はイケロスの団員の片割れくらいに思っていたし、気楽だったのは、今までの経験上人間相手ならラリホーが絶対的に有効だったからだ。

 それがどうだ。この目の前のダークエルフには多分だが通用しないだろう。というか、通用する気がまったくしない。

 『ディスインテグレート』

 魔術師が使う最高位に位置する破壊魔法……ザキやザラキのように死をもたらすのではなく、その体を原子単位に分解して消滅させてしまう。マジで超怖い魔法。

 アストロンで防げたのは僥倖だが、2度目は同じ手はつかえないだろう……

 さて、どうする……

 一か八かで相手にむけて最大攻撃じゅもんを撃ちまくるか……それともでマホトーンとか、マヌーサとかで気をそらして、一色に駆け寄ってみるか……

 すぐそばには一色が横たわってるし、速攻で助けてリレミトで脱出したいとこだが……

 

 俺は身震いしながら、地に降り立った男に声をかけた。

 

「お前は誰だ。なぜその少女(身内だとバレるのいやだからな)を連れ去った」

 

 男は俺の言に微笑みながら答えた。

 

「こんなに愉快なことはない。永劫の時の中でこの私に対等に口を利く者が現れようとはな……しかもそれに見合った実力まで兼ね備えて……ふふ……まったくもって愉快だ!!」

 

 何回喜べば気が済むんだこいつは……

 にらみ続ける俺に向かって、男は言葉を続けた。

 

「では答えようか……ふむ、名前か、そうだな……私の名は……そう、『ルゼーブ』。この偽りの神々によって改変された世界を憂いし永遠を生きる者……そして、その我が意を汲んで世界を終焉に導くこのお方こそ、終末の女神『カーディス』!!そこな少女はその神の新たな肉体として選ばれたのだ。その身に宿した『悪魔の魂』に導かれてな」

 

 狂喜に彩られた金色の瞳に射抜かれ、俺たちは身動きひとつ出来なかった。



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(35)色欲の化身、一色いろは!!って、それじゃ私がエッチみたいじゃ……

 ルゼーブ……

 

 たしか、ロードス島戦記に出てきた、暗黒の島マーモの闇の森に棲むダークエルフの族長の名前だったか?。

 小説だと、最後の邪神戦争の時に、自分達の闇の森に誘い込んだフレイムだとかの王国軍を、炎の精霊王を召喚して全滅させたんじゃなかったか?自分達もろとも全員丸焼きにして……

 

 っていうか、今はいったいいつなんだ?

 

 こいつがルゼーブっていうんなら、あの時死んでるはずだし、生きてるってことは、あの小説の時代よりも前なのか?

 いやいや……

 たしかルビス様は、何万年も大昔にカストゥール王国があったとか言ってたから、あのロードスの時代からすれば全く合わない計算だ。

 カストゥールを起点に考えれば、ロードスのあの小説の時代はその500年後。

 で、今は正確にはわからんが、少なくとも数万年未来ってことになる。

 数万年経って、機械文明が発展してねえのは、つっこんじゃ駄目なんだろうが、まあ、神とか魔法のせいなんだろうな。

 というか、そうなると、あのルゼーブってやつは、本当にあのロードス島戦記に出てきたルゼーブ本人で、死なずに生き長らえてたってことか?

 ダークエルフだって、ハイエルフみたいに永遠に生きられるって話してたしな。

 

 じゃあ、あれ、マジで本物のルゼーブかぁ……

 

 マーモ帝国の最強の闇の精霊使いで、暗黒のダークエルフの長で、複数の精霊王すら従えていたっていうあの……

 

 やばい……さ、サイン貰ってこようかな……

 

 

「ちょっとヒッキー?」

 

「はっ!?い、いや、な、なんにも考えてないぞ!ちょっと好きな小説のキャラと遭遇しちゃって心を奪われてたなんて……」

 

「はあ、心を奪われていたのね……」

 

「んぐ、ま、まあほら、あれだ!リゼロ観た直後に、『すいませーん』って、声を掛けられて振り向いたら、そこに、小林祐介君がいたみたいな?もしくは江口拓也」

 

「まったく……なんの例えなのかさっぱりわからないのだけれど、あなたがこの状況にまったく動じていないことだけは分かったわ」

 

「うん。あ、あたし、ちょっと怖くなってたから、ヒッキーのお陰で少しホッとしたよ」

 

「お、おう?」

 

 俺のローブをぎゅっと握りながら、由比ヶ浜と雪ノ下がそう語りかけてくる。

 っていうか、由比ヶ浜……今マスクまでして正体隠してんだから、ヒッキーっていうな!あれ?でもヒッキーじゃどうせわからんか。

 

「おやおや、あなた方は相当余裕がおありのようだ。この状況で物怖じしないとは……本当に素晴らしい」

 

 いやルゼーブさん、そうは仰いますがこんな状況に放り込まれてどう反応していいやら分からないだけですからね。

 はあ……だが、まあ、会話は成立しているわけだし、ちょっとこっちからもお願いしてみますかね。

 

 俺は、そっとルゼーブに視線を送り話しかけた。

 

「あ、その……なんだ、俺たちとしてはあんたと争う気はないんだ、初対面だしな。さっきはうちのモンスターが勝手に飛び出しちまったのは謝るよ。すまん。だから、まあ、その女の子を連れて帰らせてもらえないかな、ダメかな?」

 

「ダメですな」

 

 うっは、ルゼーブさん即答だよ。

 

「この少女の内には『古の悪魔の魂』が宿っている。悪魔とは、神の対局に位置する魔性の神秘。そしてその魔王の一柱の魂をこの娘は宿している。お分かりかな?この娘の魂は悪魔を受け入れそしてそれに耐えうる器なのだよ。破壊神の降臨先としてこれ以上相応しい器はないとは思わないかね」

 

 流れるように語るルゼーブの言葉を聞きながら、俺は刹那、思考の渦に入った。

 

 悪魔?器?なんのことだ?

 

 ルゼーブがやろうとしてることは、なんとなく分かる。ロードス島戦記の原作で、黒の導師バグナードやウッド・カーラが執り行なおうとした、神の『器』への降臨だ。

 ロードス島戦記の中だけでも、数回神が肉体へ降臨したことがあったはずだ。

 カーディス信仰の長、亡者の女王ナニールの魂を受け継いだ、小ニースが自分の意思でカーディスの降臨を阻止すべく、大地母神マーファを身に降ろしたのがひとつ。

 それと、ルゼーブの同僚とでも言えばいいのか、マーモの幹部だった暗黒司祭ショーデルは、死の間際にその身に暗黒神ファラリスを降臨させて、自分の命と引き換えに、ヴァリスの聖騎士を皆殺しにしたのもひとつ。

 

 基本、神の降臨は、その『器』たる人間を死に至らしめる……ということだった気がする。

 小ニースが死ななかったのは多分主人公補正もかかってるし、話が進まなくなるからだろうが、基本『死ぬ』のだから、それはやっちゃまずいだろう。

 

 だが、なんで一色なんだ?

 

 一色なんて、最近異世界に転移してきただけのただのレベル1の一般人だぞ?

 悪魔の魂?

 そんなもんこいつは持ってなんか……

 

 あ……

 

 俺は、この前のルビス様からの恩恵の授与の時のことを思い出す。

 俺たちと一緒に恩恵を受けて、かつ、一色にも現れたもの……それは……

 

【スキル】

『色欲』

 

 そうだ!

 あのスキルだ。

 あの女神フレイヤの魅了すら打ち消した超誘惑スキル。

 もし一色に特別ななにかがあるとすれば、間違いなくこれだ。

 でも、なんだ……悪魔?

 

 そういや、なんかのファンタジー小説で見かけたことがあったな……

 七つの大罪には確かそれを象徴するようななにかが……

 たしか、『色欲』のそれは……

 

『アスモデウス』

 

 あ、悪魔だ。

 

 そうか……俺は『大罪系スキル』ってことに囚われすぎて、まったく気がついてなかったが、そうか、そういうことか……

 

 でも待てよ……

 そうなると、『悪魔』がいるのは色欲の一色だけじゃねえってことに……

 

 雪ノ下雪乃『憤怒』悪魔『サタン』

 由比ヶ浜結衣『暴食』悪魔『ベルゼビュート』

 比企谷小町『怠惰』悪魔『ベルフェゴール』

 アン『傲慢』悪魔『ルシファー』

 

 うわわわわ……

 俺がなんでこんなに詳しいかって?ま、まあ、中二病患者ならたいてい通る道だし、俺は転スラ読んだしな。って

、そんなことはどうでもいい。

 悪魔の魂っていうんなら、今ここに一色以外に4人もいるってことになっちまうじゃねーか。

 

 いや、ホントどうするよこれ。

 

 カーディスって言えば、完璧な死の神様だ。

 確か原作でも魂が降臨しかけただけで、死霊が飛び交って人間殺しまくってたな。

 パッシブスキルで常時ザラキとかホントにもう鬼畜すぎるだろう……

 おまけに、確かカーディスが呼び水になって、『終末の巨人』だっけか?

 この世界を終わらせて、次の世界の苗床になるとかいう、お前は、大海嘯の後の王蟲か!!

 

 というか、本当にやばい!

 

 終末の巨人とかマジで神竜に喧嘩売ってる存在だもんな。

 うん?

 宇宙を神竜が作ったってことはだ、まさか終末の巨人は宇宙を壊せるのか?

 ってことは、この世界って、俺たちの生まれた世界も含めて全滅するんじゃねえか?

 ちょっとやばいなんてもんじゃねえぞ、これ。

 これ、本気で世界終わらせる気なら、どんな説得も応じやしねえぞ、ルゼーブさん。

 

 おいおい、自爆ついでに世界壊そうとか、どこのテロリストだよ。勘弁しろよ。

 

 と、まあ、この間、0.01秒。

 

 俺は速攻で思案を終わらせた訳だが、肝心の解決策はまったく思い付かなかった。

 

 意味ねえ。

 

[newpage]

 

【用語解説】

 

※ほんともう俺ガイルとまったく関係ないことばっかで本当にすいません。

 

ということで、用語解説です。

 

『ロードス島戦記』

和製ファンタジー小説の草分け。水野了さんたちが実際にコンプティーク誌上でダイスを転がしながらテーブルトークRPGで進めたリプレイを元に小説を書いてました。

何度も新版を発売しているのですが、その度に新しいシナリオが追加されるという魔性の小説。ぐぬぬ、初版を持ってる私には知らないエピソードがいっぱいです……

 

『黒の導師バグナード、ウッド・カーラ、ルゼーブ、暗黒司祭ショーデル、亡者の女王ナニール』

ロードス島戦記に登場する敵役達!

詳しくはWikipediaへ!!(ひどい)

 

『邪神カーディス、大地母神マーファ、暗黒神ファラリス』

ロードス島戦記にでてくる神様達。

ちなみに、創世の時代に、カーディスとマーファが喧嘩して、二人ともほぼ相討ちで肉体を失ったのがロードス島でした。

マーファは死の間際に、カーディスの滅びの呪いから世界を守るために、大陸からロードス島を切り離したらしいです。

 

『小ニース』

マーファの大司祭ニースの孫娘で、ナニールの魂をもっていたが故にカーディスの器とされてしまった、不幸なヒロイン。

そのときの超不幸な主人公スパークの決死行で異世界に飛ぶも、無事に帰還して、その後はスパークと結婚、王妃になりましたとさ。なんだこれ、スパークムカつくな。

 

『終末の巨人』

世界を滅ぼしたあと、始原の巨人になって世界を作るらしいです。

 

うん、今回はロードス一色でしたー!!

 

 

【追加解説】

 

まだ色々あったので追加です。

 

『カストゥール』

ロードス島戦記に出てくる、すでに滅びた古代魔法王国の名前。魔法の力で蛮族(今のロードスの住民の祖先)や、エンシェントドラゴンすら使役していたが、蛮族の反乱によって滅びた。強力なマジックアイテムを作り、後世にもそれを残している。 

 

『小林祐介、江口拓也』

声優さん。

誰の役をやってるのかはWikipediaで!!(ひどすぎる)

それにしても江口さんの声はレパートリー広すぎだと思う。うん。

 

『大海瀟、王蟲』

言わずと知れた風の谷のナウシカのクライマックスですねー。って、知らない?

 

はい、漫画版を読みましょう。



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(36)多分レベルカンストの上、数万歳の相手とどう戦えばいいんだ!?

「悪魔の魂って、なんのこと?」

 

 突然ルゼーブに向かって問いかけちゃってる由比ヶ浜に思わず愕然。

 って、なんでそれ今聞いちゃうんだよ!悪魔の魂っていうのはお前らのスキルのことに決まってんだろ!!って、俺そのこと話してないじゃん!ていうか、自分で納得しただけだった、つい、今。

 

 焦る俺をしり目に、ルゼーブはその金の瞳を細めて、探るように由比ヶ浜たちを見つめ始めた。

 あ、やばい。

 一色のスキルを知っていた以上、ひょっとしたらあいつ何かの方法でステータス確認とかもできるのかもしれない。そうしたら、俺達のスキルとか筒抜けになるじゃねえか。

 俺は慌ててやつに声を投げかけた。

 

「な、なあ、ルゼーブさん。そ、その娘に悪魔の魂がいるってんなら、そこに神様入れたらまずいだろう……ほら、早い者勝ちっていうか、先にいるのを追い出すのはなんか申し訳なくないか?それに、素直に出ていってくれないかもだし」

 

 俺のことばに、フッと笑みをこぼしてルゼーブが俺に向き直る。

 

「それは大した問題ではない。器に注がれた神の魂が全てを包み一体としてしまうからだ……悪魔とはいえ、まだ幼生……それに、そこの娘はただの人だ……抗うことはおろか、知覚することすら不可能であろう。むしろ神の一部となる栄誉を喜ぶべきだろう」

 

「だ、だけどな、その女神カーディスが蘇ると、みんな死ぬだろう?俺もあんたも含めて……そ、それはちょっと遠慮したいような……」

 

「案ずることはない。世界は滅び再生する。そして、われらはその礎となるだけのことだ」

 

「あ、あと、ほら、邪神を復活させるには、太守の秘宝の『生命の杖』と『魂の水晶球』が必要だろう?それもないとまずいんじゃないの?」

 

 俺は咄嗟にそんな質問を投げた。まあ、ただの時間稼ぎなんだが、あることを思い出したからだ。

 ロードス島戦記の原作で、カーディス降臨の際に、古代カストゥールで作られた五つの祭器のうちの生命の杖と魂の水晶球が降臨の為の二つの鍵だったはずだ。

 で、今その祭器はダンジョンの深奥で五色の魔竜によって守られていたという話だが、そのうちの3匹が逃げ出していて、その3匹が所持しているのは、邪竜ナースが『知識の額冠』、魔竜シューティングスターが『支配の王錫』、んで水竜エイブラが『魂の水晶球』だった。そのうちの魂の水晶球は今、ギルドが管理しているはずだ。討伐後に回収されたって言ってたしな。

 それに、生命の杖は金鱗の竜王マイセンが所持しているし、ダンジョンから逃げ出してもいない以上、この目の前のルゼーブがそれを手にしているとは考えにくい。

 というか、原作でほとんどの古竜は退治されてんだよな。いまさらだけど、なんでみんな生き返ってんだろ?

 

「よく知っている。私は、あなた方という存在に非常に興味が湧いてきましたよ」

 

 満足そうに微笑むルゼーブに俺も苦笑で返した。

 正直俺は、あんまり相手したくないんだけど、

 

「確かに私が所持しているのは、この『支配の王錫』ただひとつ。だが、心配は必要ない。祭器がなくともすでに術式は完成しているのだから」

 

 ルゼーブはそう言いながら、自分のローブの内から白く輝く一振りの錫杖を抱えあげた。 

 

 げえっ!!

 なに?『支配の王錫』持ってんの?

 あれ、確か原作だと火竜山の火口に落ちて遺失したはずじゃないの?

 とういか、確か古代のカストゥール王国の連中は、あの王錫の支配の力で、すべての蛮族をマインドコントロールして使役してたんじゃなかったっけか?

 ってことは、あの王錫で誰でも彼でも意のままに操れる……って、まさかあのヒュアキントスとか闇派閥の連中とか酒場に出てきた暴漢とか、全部支配の王錫の力で操ってたってのか?

 しかし、それしか考えられないか……支配の王錫の権能がどれほどのものかは不明だが、こいつは、ダークエルフの世界最強クラスの精霊術師。王錫の力でなんらかの術をブーストして操ってた可能性もあるのか……

 

 それにしても、なんでこいつはいちいち答えてくれるんだ?

 俺達に興味が出たってのは嘘じゃないと思うが、この状況でなんでこんなに……そもそも術は完成してるんだよな。

 こいつは本気で世界を滅ぼす気なのか……

 だったら、さっさと……

 

 

 

 

 あれ?

 

 

 

 

「どうしたの?お兄ちゃん?」、

 

 小町が俺の脇から俺を見上げて声をかけてきた。

 俺は小町の頭をくしゃりとなでながら自分の中に生まれたひとつの感覚と向き合っていた。

 

 俺が感じたのは『違和感』。正直、あまりに急展開すぎたのと、こういうシチュエーションに馴れていないせいも手伝って、俺はまったく気にもならなかったのだが、そもそもこの今の状況はおかしすぎるのだ。

 

 俺はあらためて、周囲を確認した。

 目の前には超巨大女神像と、地に降り立った一人のダークエルフ。そして、床の魔法陣のような紋様の中心に寝かされた一色。

 そして、このルゼーブと名乗った男が話した内容を思い出す。

 

 やっぱりおかしい。

 

 この俺の違和感がもし間違っていないのならば、ひょっとしたら、このピンチから脱出できるかもしれない。

 相手は、生物を粉々に消し飛ばしちまう、キラークイーンみたいなやつだ。超怖い。

 一か八かの賭けにはなってしまうが、俺の想像通りなら、一色を助けることは可能だと思う。

 だが、そうだとしたなら、奴の本当の狙いはなんなんだ?

 

 その時……

 

「キシャシャー……」「ブフゥ……」

 

 鋼鉄の塊となっていた3匹が元に戻り、慌てた様子で大きな音をたてながらこちらへと引き返してきた。

 何が起きたのか把握できてはいないようだが、少なくとも今はこの目の前の相手を警戒しているようではある。そして、そんな3匹へとルゼーブは視線を送っていた。

 

 俺は、このタイミングを逃すわけにはいかないと、近くにいたアンに視線を送りそして手招きして俺のそばへと近寄らせる。

 そして、手早く必要なことを伝える。

 それから、雪ノ下と由比ヶ浜の二人にも指示を出した。小町とフェルズには別の指示。

 

 よし、やるぞ!

 

 3匹がこちらへと辿り着いたその時、俺は恐怖に震えるのに必死に耐えながら、一人足を踏み出してルゼーブへと近づいた。

 ルゼーブはそんな俺に冷ややかな視線を送ってきている。

 

 さ、さあ、一色救出作戦の始まりだ!

 



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(37)八幡「俺の命に替えても必ず一色を助けてみせる」結雪「え?誰?」

「おや、こちらに近づいて何をする気ですか。この娘は渡さないと、すでに申し上げたはずですが?」

 

 一歩一歩と歩み寄る俺に、ルゼーブが声をかけてきた。案の定、言うだけでなにも行動に移ろうとはしない。

 俺は、じっとルゼーブを見ながら言った。

 

「別にその娘を返してくれとはもう言わない。だけどな、お前ともう少し話がしたいと思ってな。この世界を壊すってことについては興味がある。俺もこんな訳の分からない神様だらけの世界には嫌気がさしてたところだしな」

 

「ほう……」

 

 ゆっくりと近づく俺に、ルゼーブは頬を緩ませる。まあ、嘘は言ってない。さっさともとの世界に帰りたいってのにいろいろ先に進まないのは神の気まぐれのせいでほぼまちがいないしな。

 だがこの反応……

 俺の予想はそれほど外してはいないということか。

 

「まあ、でもな……あんたが世界を滅ぼすのは勝手だが、それに巻き込まれで死ぬのはまっぴらごめんだ。だから、俺から提案したい。世界を滅ぼすんじゃなくて、この世界を手に入れるってのはどうだ?腐った神様どもを駆逐して、力で支配するってのは?それなら世界を滅ぼす必要はないだろう?だったら俺は一口のるぜ。別に世界の半分を寄越せとか俺は言わねえからよ」

 

 ルゼーブは目を細めて俺を観察し始めた。

 

「は、はち……ワレラくん!?な、何をいってるんだ!!」

 

 俺の後ろで、フェルズが絶叫する。

 あ、そういや、こう言うってフェルズには言ってなかったな……

 ええい、めんどい。

 

「言った通りだよ。俺はこいつに手を貸すことにするぜ。さっき見た通り、こいつの魔法の力は本物だ。その辺の一級冒険者と比べても段違いのだ。俺は勝ち馬にのるぜ」

 

 そう言ってルゼーブのすぐ正面までやってきて奴を見た。

 その距離3m。すでに接近戦の有効範囲の上、大概の魔法の効果範囲でもあるはずだ。

 だが、それでもやつはなにもしてこない。

 はて?

 いくらなんでもここまで何もしないのはちょっとおかしい気が……

 だが、まあ、殺されずにここまで来れたことには感謝しよう。え?誰に?

 この場合は神様なんだが、どの神様にだ?

 とりあえず、千葉神社の千葉大妙見に感謝しておこう。地元だしな。

 

 ルゼーブはその思った以上の長身で俺を見下ろし続けている。

 俺もそこそこ背は高いと思うのだが、こいつはそれ以上。

 上から見られるってのは、やっぱ圧迫感あるもんだな。

 褐色の肌に長い耳。間違いなくダークエルフのそれは年齢的には30そこそこのまだ壮年と言うには若い姿にしか見えない。

 これが永遠を生きる生物なのか……と、感慨深いものも感じるが、神様連中みたいに肉体を自由に操って生き続けているのもいるからな、そう思うとありがたみも薄れる。

 

「ふむ……その瞳は、何かを為そうとしている男の目だな。興味深い、すぐに殺すのは惜しいな」

 

「殺すのは勘弁しろっての、だいたい、俺の目は腐ってるって評判なんだよ。あんたの目のほうこそ節穴じゃねえのか?マスク越しだってわかんだろ?良く見ろよ、俺のこの目の淀みを!!」

 

 ぐっ……自分で言っててなんか悲しくなってきた……

 そのとき……

 

「ヤアアアアアアアア!!」

 

 俺たちの頭上から声がして、見上げてみれば直上から急降下してくるアンの姿。アンは一直線に一色に向かって隼のように飛び込んで近づいていく。

 そんなアンにむかって、ルゼーブが何か呪文を詠唱しようとしているが、それよりも速く、俺は右手をつきだした。

 

「ライデイン」

 

「キャアアアアアアアア」

 

 瞬間に凄まじい電撃が青白い光を帯びて俺の全身からそのスパークを迸らせる。そしてつきだした右手を砲身に見立てて一気に迫り来るアンにむかって放出……雷光拳よろしく雷撃が一気にアンを吹き飛ばした。

 

「大人しくしてろよ、アン。俺は今こいつと話してるんだ」

 

「素晴らしい魔法だ。ここまで洗練された電撃魔法を私は見たことがない。本当に惜しいな……殺すのは……。出来ることなら私と一緒に来てもらいたいが……」

 

 来てもらいたい……

 俺は全身にじわりと汗が吹き出るのを感じつつ、じっと奴を見た。

 そんな俺に声がかけられた。

 

「ま、まさか本当に裏切る気なのか……、わ、私は君のことを信じていたのだ……どうして君はそんなことを……なぜ、アンくんを……」

 

 虚空の口を大きく開いて、フェルズのやつが俺に絶叫している。

 俺はそんな奴を振り返って言った。

 

「お前に話す必要はないな、それに俺はもう十分に目的を果たしてるわけだし……」

 

「ん?」

「え?」

 

 俺のすぐそばでルゼーブが短く声を漏らす。フェルズも同様に不思議そうな顔。

 俺はそんな二人に声をかけた。

 

「良く見てみろよ、さっき俺がいた場所を……そこにいるモンスターたちだけだったか?」

 

 フェルズも慌てて後ろを振り返るのだが、そこにはバーバリアン、デフォルミス・スパイダー、サンダー・スネイクの3匹の巨体があるだけ。その背後に由比ヶ浜たちはいない。

 

 どこにいるかと言えばそれは……

 

「ヒッキー!!おっけーだよ!!」

「お兄ちゃん!」

「八幡!!先に行くわ。気をつけて」

「マスター……」

 

 視線を横の魔方陣に向ければ、そこには一色を抱き抱える由比ヶ浜、小町、雪ノ下の姿。そして、その傍らにはまったく無傷のアンの姿も。

 

「早く行けお前ら!」

 

「ヒッキー……」

 

 泣きだしそうな由比ヶ浜に、サムズアップで返し一言。

 

「大丈夫だ!!」

 

 って、俺は剛田猛男か!!思わず、好きだーって心のなかで叫んじゃうとこだったじゃん。

 

「お、おのれ……貴様ら……」

 

 あ、やばい……

 目の前で震えだしたルゼーブを見て、おれは雪ノ下に視線を投げた。彼女は強く頷いて、じゅもんを詠唱。

 

「リレミト」

 

 その瞬間、その場の5人は強烈な光に包まれてその姿を消した。

 リレミトって、外から見るとあんな感じなんだな。いつも自分が使うから知らなかった。

 

「八幡君、私は信じていたぞー」

 

 とフェルズが絶叫!!

 嘘つけ!さっきまでさんざん俺を疑ってたくせに。

 

「初めからこれが狙いだったのだな……」 

 

 顔を真っ赤に紅潮させたルゼーブはが俺をにらむ。

 

「まあ、だましたのは悪かったが、お前があの娘を開放しなかったせいだからな」

 

「は、八幡君。だが、どうやって……」

 

 フェルズのその問いかけに、俺はルゼーブから後ずさりながら答えた。

 

「なに、簡単なことだ。俺がおとりになって、あいつの注意をひきつつ、さらに、アンに奇襲させることであいつの警戒心を弱まらせたんだ。あ、アンには雪ノ下の魔法反射呪文『マホカンタ』を掛けさせてあったから、俺は出力を抑えたライデインを放って、当たる瞬間にアンに魔法で弾かれたように飛ばさせたんだよ。『ピオリム』をかけたアンの全速力なら、ライデインの反射もこちらへは届かない。なにせライデインよりもアンの方が速いんだからな。で、後は、その最中をこれまた雪ノ下の『レムオル』で姿を消させて、こっそり一色に近寄らせたんだ。まあ、あの魔法陣になにか仕掛けがあるといけないから、その確認の為にもアンを魔法陣に突っ込ませた上に、そこに呪文をぶち込んだんだ……ま、なんともなかったわけだが……」

 

 俺の説明にフェルズは声を漏らした。

 

「わ、私には『動くな!』としか言わなかったではないか。説明くらいしてくれても……」

 

「だから、そんな時間なかったってーの。そもそも一色を助けるのが目的だったわけだが、奴の説明で一色だけじゃなく、小町もアンも雪ノ下も由比ヶ浜も同じ危険があることがわかったんだよ。だから、さっさと逃がすのが先決だったんだ。それに……」

 

「それに?」

 

「それに、俺一人だけじゃ、心細いじゃねえか。だから、フェルズ、お前には残ってもらいたかったんだ」

 

「ふぇ?」

 

 なんか、フェルズが変な声を上げてるぞ。大丈夫か、こいつ。

 

「そ、そ、そんなことを言っても、私は君のことを許したわけではないんだからな!ま、まあ、そこまで言われたら助けてやらないでもないが……うん……」

 

 おっさんのくせになにをツンデレてるんだよ、気持ち悪い。

 少しづつ話しながら下がっていく俺の前で、ルゼーブが真っ黒な瘴気を放ちながら囁き始めた。

 

「まさかこの私が人間ごときに出し抜かれるとはな………なにかあるとは思っていたが……そうか、これは敬意をもって当たらねば失礼になるな……では……『炎の魔神エフリートよ、いにしえの盟約により命ずる。我が召喚に応じよ……』」

 

 俺は慌ててフェルズたちのもとに走る。

 背後には明らかに膨れ上がる、巨大な火の塊が……

 

「フェルズ!!防御魔法だ!!」

 

「な!そ、そんな、いきなりは……ええい、『万能なるマナよ、その大いなる力で、炎を跳ね返せ【氷雪の壁(ブリザードウォール)!】』

 

 一瞬辺りに冷気が渦巻いた。

 そして次の瞬間、俺たちの回りを囲むように凍りついた地面から、鋭い太い氷柱が何本も突き聳える。

 

「す、すげえなお前……でもあれだ……」

 

「あ、ああ……すまん……」

 

 フェルズが速攻で打ち立てた氷の柱の向こうに超巨大な炎の人形が揺らめいている。

 この大空洞の天井にその頭をつけてしまうのではないか……半身を埋めたカーディスよりもさらに巨大なその影は、間違いなく炎の精霊王【エフリート】。

 はっきりいってデカすぎる。パース狂ってんじゃねえか?

 フェルズの打ち立てた氷も十分でかいが、こっちは平屋の一軒家で、向こうはポートタワーだ。え?サイズが分からない?なら、一回千葉港まで見に行ってくれぇ!

 要は『焼け石に水』、いや『エフリートに氷』だな。

 

「『……そして敵を残らず焼きつくせぇっ!【ファイアストーム】!!』」

 

「みんな伏せろー!」

 

 俺がそう叫ぶと同時に、バーバリアンが俺とフェルズに覆い被さってきた。

 俺は、されるがままにしておいた。本当にどうしようもなければ、またアストロンを掛けるつもりだが、あれは完全に行動を封じられちまうから本当の本当に最後の手段だ。

 でも、そんなことを知らないでやってるこのバーバリアンの行動に、俺はなんとも言えない申し訳なさと嬉しさを感じていた。

 そして、次の瞬間には、凄まじい炎が俺たちを包んでって……

 

「あれ?」

 

 そんなに熱くないのに驚きつつ、顔をあげてみれば、俺たちを包むように、白い膜のようなものが取り囲んでいる。

 見れば、デフォルミス・スパイダーが、糸で俺たちを包み込むように繭を作り続けていた。

 確かに炎からは守られているが、繭の外側は燃え続けているのだろう、デフォルミス・スパイダーはひたすらに糸をだし続ける。

 その表情は読めないが、明らかに衰弱してきている。

 

「ベホマ」

 

 俺は一緒にいるやつ全員に回復じゅもんをかけた。……って、おっとフェルズにはかけてない。この前ホイミで大火傷してたからな。ベホマかけたら、完全に成仏だろう。

 

「ブフウウ……」

 

 次第に高くなる温度に苦しいのか、バーバリアンも苦悶に顔を歪めている。

 マジでどうするか……

 

 一色を逃がすのには成功した。

 あのルゼーブが、すぐに世界を滅ぼす気がないことは分かっていたからな。

 そもそもカーディスを復活させるだけなら、なにもここである必要はないんだ。

 この世界に神はいくらでもいるが、基本やつらは天界と言われる精霊界にいるらしい。

 一色のからだが本当に邪神降臨の【扉】なのだとしたらなおのこと。天界のどこかにいるだろうカーディスにむけて降臨の儀式を発動させればいいだけだ。ま、邪神は滅ぼされた云々って話だったから、本当にカーディスがまだいるのかも怪しいところだが……

 とりあえず、ここが一番落ち着いて儀式を執り行える場所っていうのはなんとなくわかるが、やつはすでに俺たちが来る前に、術式を完成させていると言った。俺たちに見栄を張る状況でもない以上、それは本当だろう。

 それとあの長口上だ。明らかに次のステップへ行くのをためらっている感じだったしな。

 

 そうだとすれば、奴がここに居続けていたのは邪神降臨とは別の何か理由があるはずなんだ。

 だが、その理由が俺には分からない。

 ここにあったモノと言えば、眠っている一色と埋もれたカーディスだけ。

 まさか、一色に惚れて監禁してたわけではないだろう、いくらなんでもな。だとすれば、カーディスの骸だが……あんなデカ物をどうするってんだ?まさかアレを動かそうとかってわけじゃあ……

 

 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……

 

 灼熱の火炎の音が収まり、熱さも和らいだかと思ったその時、突然地鳴りが響いた。

 そして、大空洞に反響するルゼーブの大音声!!

 

「『そなたの新たなる主人として、我、ここに汝に命ず。甦れ暗黒の女神。その力を我へと示せ』」

 

 俺達が防火の繭を破いて表に顔を出すと、そこにはエフリートをはじめとしたたくさんの巨人……巨大な精霊の姿が……

 そして、そんな精霊たちが、次々と苦悶の表情を浮かべつつカーディスの口の中へと吸い込まれていく。

 

 げっ……あいつ、精霊を食べてやがるのか……

 エフリートまで一口かよ、マジでこれはやばい。

 そして、次第に光を灯し始めるカーディスの瞳……

 すべての精霊を喰わせたルゼーブが宣言する。

 

「愚かな人間どもよ。私はもはや容赦はしない。この世界で受けうる最大の苦悶を味わいながら死にゆくがいい。さあ、抗え!そして、オレを殺してみせろぉ!!」

 

 一歩もその場を動かないルゼーブの背後に、巨大な死の女神が立ち上がった。

 

 



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(38)八幡VS邪神カーディス①

「な、な……」

 

 骨の口をカタカタと震わせるフェルズが、カーディスを見上げながら愕然となっている。

 バーバリアン達モンスターズも同様だ。

 目の前のカーディスはその均整のとれた裸身を晒したまま、両の手を大きく開いてゆらゆらと身体を揺するように蠢いている。

 見ようによっては酷く淫靡な感じとも受け取れる情景ではあるが、そう思う余裕は微塵もなかった。そのとき、絶望的な死への恐怖に俺たちは支配されてしまっていたから。

 とにかく怖い、怖すぎる。

 あの原作ですらカーディスの復活はなかったっていうのに、まさかそのその一番最悪な瞬間に立ち会っちまうとは……

 ただ……少し様子はおかしい。

 目の前の女巨神は確かに動いてはいるが、原作での降臨のようにいきなり死の呪いをかけてきていないように見える。

 ロードス島戦記の邪神戦争の最後、あわや降臨となったあの瞬間でさえ、多くの兵士たちの魂が刈り取られて、死体の山が出来ていた(アニメで)。それが復活ともなればどれほどの規模での『死』が訪れるのか……想像はしたくないが間違いなく大量死は免れないはず。なんかこう書くと、赤潮の発生後の牡蠣の養殖棚みたいだな……いや、俺牡蠣、そんなに好きじゃねーけど。

 だが、まあ、確かに超怖いし、すぐ殺されそうではあるが、突然死は起きてはなさそうだ。

 

 とかなんとか、悠長に考えていたら、突然カーディスがその長大な左腕を振り上げた。

 その腕を中心に視界が霞むほどの強烈な風が渦巻いている。

 俺は慌てて右腕を前につきだして呪文を詠唱。

 

「い、イオラ!!」

 

 カーディスの左腕を囲むように空間に黒いエネルギー球がいくつも発生し、瞬間に爆縮……強烈な光と音を伴ってカーディスの左腕を爆炎が包み込んだ。

 あの、18階層のゴライアスの頭を吹き飛ばした爆発系じゅもんだ。倒せないまでも時間稼ぎくらいは……

 

「無駄だ……『風の精霊王ジンよ……その見えざる真空の刃で奴らを刻め!【ヴォーテックス】』」

 

『アアアアアアアアアアアアアアアアアアア……』

 

 ルゼーブが呪文を唱えたとたんに、カーディスは苦悶の表情のままで、神経を侵してくるかのような金切り声で絶叫した。そして、イオラの爆発をものともせずに、その左腕を俺たちに向かって一気に降り下ろす。

 

「バーバリアン!!」

 

「ぶ、ブモッ!!」

 

 俺が声をかけるとほぼ同時に、バーバリアンが俺とフェルズを抱えて後方の壁の方へと全速で走った。

 他の2匹を見る余裕はないが、バーバリアンが大きく横に跳躍したそのとき、バリバリと激しい音が聞こえ、俺たちのすぐ真横、ちょうどさっきまで走っていたラインの地面が裂けた。

 そう、裂けてしまった、まるで地割れのように……

 壁際までたどり着いて振り返れば、地面だけでなく正面の壁も天井もまっすぐに切り裂かれてる。

 

 ま、マジかよ……

 

 俺はそのあまりの惨事に竦み上がった。

 だって、その切り裂かれた地面の幅が5mくらいあるんだもの!?

 なにこの威力!?

 確か、風魔法って由比ヶ浜のバギみたいにつむじ風というか、竜巻というか、そんなので切り刻むんじゃなかったけ?

 これ完全に『絶対殺すマン』だよ。というか、当たったら消滅だろう!?

 

 生唾を飲み込んでもう一度カーディス達を見ると、またルゼーブの声が。

 

「…………【アイスストーム】」

 

『アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア……』

 

 再び金切り声とともに、今度はカーディスの右手が振るわれる。

 その一薙ぎでまたもや空間が軋み、そして凍てついた猛烈な氷の嵐が吹き荒れた。

 今度は逃げ場がない。

 連続の必殺の魔法の数々に対応しきれない俺は、次の行動が思い浮かばずその時、呆然としてしまっていた。

 肌を突き刺すようなその強烈な冷気を浴びて、わずかに脳が動く。

 

 や・ば・い……ど・う・す・る・?

 

 その時……

 

 俺を包み込むようにフェルズと3匹が覆いかぶさってきた。

 

 みんなの体温が俺を冷気から守っている。

 

 大丈夫、大丈夫なんだよ……もしもの時はアストロンを使えばいいんだ。お前らだってさっきそれで助かったんだから、分かるだろ?だから、こんなバカな真似止めろって……

 

「ブ……ブフッ……」

 

「お前ら、どけ、どけよ!」

 

 苦悶の声を漏らすバーバリアン達を見ながら、渾身の力で押しのけようとするのだが、今の俺では全く歯が立たない。そして、次第と力の抜けてくるその腕が、俺を外へと押し出した時、辺りは一面の氷の世界になっていた。

 

「バカが!お前ら!ベホマ!ベホマぁ!」

 

 床の氷とほぼ一体化してしまった3匹に俺はベホマをかけてまわる。

 これで傷は癒えるはずだが、体力気力的な部分はどうなのか……

 遠く先ほどの位置には変わらずに佇むカーディスとルゼーブの姿が。

 

「は、八幡君……ちょっといいかね……」

 

 サンダー・スネイクの腹の下から這い出てきたのはフェルズ。どうやら完全に下敷きにされてたようだが。

 

「どうしたフェルズ。回復なら自分でやってくれよ」

 

 ベホマじゃ多分死ぬしな……

 

「い、いや、回復のことではないのだ。あの女神のことなのだが……あれは多分……」

 

 フェルズは俺に耳打ちでもするように顔を近づけて話す。

 

「あれは多分、『ゴーレム』だ」

 

「ゴーレム?どういうことだ?カーディスだろあれは?あのプレッシャーで偽物なわけないだろ?」

 

 そもそもあの存在感からして尋常じゃない。

 今現在のこの圧倒的な攻撃力もそうだが、さっきのルゼーブの言葉からでもあれが全くの嘘だとも思えないし。

 

「いや、そうではない。多分あの邪神の骸は本物だろう。それくらいは私にもわかる。だが、それは骸ではあるが、カーディスという神では多分ないということだ」

 

「だから、どういうことだって?」

 

「おそらくだが……先ほどの精霊?たちを媒介にあのカーディスの骸に魂の代わりとなる『核』を作り、ゴーレムとして動かしているのではないか?その証拠に魔法の発動はルゼーブと名乗ったあのエルフが行っている。カーディスは詠唱ごとにその身体を動かしているに過ぎない。それに、そもそもゴーレムに関しては私は一家言あるのでな。先ほどの詠唱は【コマンド・ゴーレム】であったと思っている」

 

 なるほど、確かにフェルズの言う通り、呪文の詠唱をルゼーブが行ってるな。ゴーレムっていうなら、確かにカーディスそのものじゃないから、死の呪いは発生しないか……でも……

 

「って、結局、カーディスじゃないにしても、あの魔法の威力だぞ!何回も死にかけたろうが!!」

 

 俺のその絶叫にフェルズが骨の口をカタカタ揺らす。

 なに、お前ひょっとして笑ってんの?

 そんなフェルズが腕を組んで話始めた。

 

「なに、八幡君。私にいい考えがある」

 

「はい?」

 

 この絶望的な状況でなぜか強気のフェルズ。

 お前、本当に大丈夫か?

 今までの、いろいろやらかしてるお前の経緯からして、あんまり信用はできないんだが……

 

 フェルズはようやく動けるようになったゼノス達のそばに近寄る……と、その向こうで、邪神が再び口を大きく開いていた……。

 



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(39)八幡VS邪神カーディス②

「ぐっ……ぐうう……お、おのれ……」

 

 そのダークエルフは忌々しげに静かに声を漏らしている。

 彼はこの今の状況を呪っていた。

 こんなはずではなかった。こんな捨て身の行動に出る必要など本来はなかったのだ。

 

 カーディス降臨の準備は全て整っていた。そして、そのための生け贄も、そのための餌も全て手はず通りで万端のはずであった。それなのに……

 

 目障りなのはあのデカルチャーズと名のる、白衣にマスク姿の正体不明の集団。

 とくに、あの黒いマスクの男には状況の大部分を悟られてしまっているように感じていた。

 

 まったく……

 

 忌々しい……

 

 ダークエルフは歯噛みした。

 

 ここには【ロキ・ファミリア】や【フレイヤ・ファミリア】などの強豪ファミリアの超一級冒険者が集まって来るはずであった。

 それなのに、彼の予定よりもかなり早く、このデカルチャーズなる集団がここに辿り着いてしまった。

 

 これはまったくのイレギュラーであった。

 

 精霊憑依で強化した冒険者どもの肉の壁もほぼ無傷で突破し、重度の傷も見たこともない魔法で癒して進んでくる。そして何故かこのデカルチャーズの一団には支配の王錫の精神支配も効かなかった。

 しかも、あの転移魔法だ。

 

 ダークエルフは怒りに震えていた。

 

 まさか、この俺がカーディスの依り代に選んだ女を連れ去られてしまうとは……

 しかも、動けなかったとはいえ、俺の目の前でだ……

 これほどの屈辱はない。

 

 だが……

 

 もう遅すぎた……

 

 術は発動している。

 カーディスを降臨させ、そして、その力をこの空間に満たさねばならない。

 依り代の女を失った以上、不死であるこのダークエルフの男の体を依り代とせねばならないと、彼は考えていた。そして、それは当初の予定とは全く違う使い方であった。

 だが、もはや猶予はなかったのだ。

 

 男は自らが契約する全ての精霊を解き放ち、そして、その力をカーディスの骸へと注ぎ込んだ。

 不滅のカーディスの骸は男の野望の成就になくてはならない存在である。

 予定よりも幾ばくか早いが、もはや完全な異物である目の前のデカルチャーズどもは、儀式の贄とする。

 

 

 今少し……

 後少しで術は完成する……

 

 そして、カーディスがこの世界に舞い降りたそのときこそ……俺は……

 

 男は、カーディスの骸を操りつつも、内に持つ膨大な量の魔力を魔方陣へと注ぎ込み続けていた。

 魔力の放出はその類い稀なる生命エネルギーを宿した不死の肉体をも傷つける。

 その激しい痛みを全身で味わいつつ、男はにんまりと喜色を表していた。

 

 もう少し……もう少しだ……

 

 くくく……

 

 激痛に微笑みながら、男は新たな精霊魔法を唱える。

 

「『大地の精霊王ベヒィーモスよ。今こそここにその大いなる力を示せ。【アースクウェイク】』!!」

 

 詠唱とともに魔力をカーディスへと注ぐ。

 邪神はそれに呼応し、男が注入した魔力の数万倍の魔力を痙攣しながらも全身から迸らせる。そして奇声を発し、その両足から大地へとエネルギーを放出した。

 

 眼前には氷の中で身動きを取れなくなったデカルチャーズ達。

 そんな彼らを中心に、カーディスの放った強烈な大地魔法が直撃した。

 足元が陥没し、壁や天井が崩れ落ち、そして、周囲の岩という岩が魔力によってある一点に向かってまるで驟雨のように襲いかかっている。

 その礫の一つ一つはさながら研ぎ澄まされた槍の穂先であり、これを叩き込めばその中にいる生物という生物は間違いなく刺し貫かれて即死するはずなのである。

 男は、この一撃で間違いなく彼らを屠ることに成功したと確信していた。

 

 これで、漸く儀式が進む……

 

 男は殺したデカルチャーズ達の魂を確保すべく、ある作業に移りろうとしていた。

  

 魔法を放ったその空間には、その残滓ともいうべき土埃が舞い上がって視界を遮っている。その靄を払うために風魔法を放とうとした次の瞬間……男は目を見開くことになった。

 

「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」

 

 土煙の中から、雄叫びを上げつつ電光石火の勢いで接近してくる巨大な影。

 それはいったいなんなのかと、注視していた男の目の前で、その影は一気に跳躍した。

 あまりの素早さに目で追うのも難しい。だが……

 その巨大な影の行動が男を凍りつかせた。

 

「ブモモオオオっっ!!」

 

 空中でその影が手にした得物を大きく振り被る。そして次の瞬間、それを凄まじい速度でカーディスの左肩へと叩きこんだ。

 そして、信じられないことが起こる。

 不変不壊であるはずの邪神の身体……

 その身体を、鈍く銀に光るその長い得物が……

 

 

 

 叩き切った!!

 

 

 

「な、なにいいいいいいいいいい!?」

 

 

 その光景に、男は思わず絶叫する。

 そんなはずはない。あり得ない。

 男は、目の前で起こった現実を認識できないでいた。

 あのオリハルコンでも傷一つつけることが叶わないこの邪神の身体を切断できるはずがないのだ。

 だが……それは起きてしまった。

 

 カーディスは苦悶に顔をゆがめ、切り落とされた左肩から凄まじい量の火花を散らせ、呻きながらのたうっている。

 だが、そんな邪神へさらなる追い打ちが掛けられる。

 

 一度着地したその影が再び飛び上がり、その切断面に先ほどの銀の長い得物を一気に深々と突き立てたのだ。影はその得物を足場としてカーディスへと密着する。そして、そんな影の上から現れた一人の男。カーディスの傷口に手を当てた白ローブの男が素早くじゅもんを詠唱した。

 

「ギガデインッ!!」

 

『キャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア……』

 

 凄まじい電撃が男の手からカーディスの中へと注ぎこまれていく。その青白いスパークはカーディスの全身を包みそしてそこかしこから火花と黒煙を吹き出させた。

 苦しいのだろう、カーディスはその全身を捩り、暴れ狂う。

 

「ギガデイン!ギガデイン!ギガデイン!ギガデインッ!!」

 

 ローブの男は何度も何度もじゅもんを唱える。そのたびにカーディスの全身が膨張し、そしてエネルギーは出口を求め体内中を駆け巡っていた。カーディスは残された右腕で頭を掻きむしる。

 

 そのとき……

 

 カーディスの瞳が妖しく輝いた。

 

「やばい、離れろ!!」

 

 白ローブの男の声でその大きな影は、得物を引き抜いて一気に跳躍。

 次の瞬間、彼らのいたそこに、カーディスの右腕が振るわれていた。

 

 間一髪。

 

 地面に着地した彼らの前で、全身を電撃でボロボロにしたカーディスが憤怒の形相で彼らを睨みつける。そして……

 

『……【ヴァルキリー・ジャベリン】!!』

 

 唐突にカーディスがその口から甲高い声音で呪文を詠唱。次の瞬間、カーディスの背後の空間から次々と光の槍が現れ、それらが猛烈な速度で、地上のその影へと殺到……目標に当たった瞬間にまるで太陽の様に光り輝くその槍の所為で、あたりはまるで真昼のように明るくなった。

 

 その邪神の放った凄まじい光の奔流の中、またしてもあり得ないことが起こった。

 

「ぶふぅ……」

 

 その影は、必殺の光の中でも生き残っていたのだ。

 そんな影をカーディスは暗い瞳で見つめていた。

 

 

 それら一連の光景を男はただ黙して見つめることしかできなかった。

 

 いったい何が起きている?

 なぜカーディスを傷つけることが出来たのだ?

 なぜカーディスは勝手に動いた?

 なぜだ!?

 

 男は混乱した思考の中で、だが、ただひとつだけ真実にたどり着いていた。

 

 そう……

 

 事態は自分の思惑の外に出てしまったのだと……

 



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(40)八幡VS邪神カーディス③

 まったく……なんてこった……

 

 俺の目の前にはでかいバーバリアンの頭と、その手前にまさに骨と皮しかない黒ローブの骸骨……フェルズの後頭部が。そんなフェルズと俺は筋骨隆々のバーバリアンの背中に無理矢理デフォルミス・スパイダーの出した粘着性の高いいとで体を固定し、そして……

 

 数十メートルの高さを飛び跳ねまわるバーバリアンに必死にしがみついていた。

 

 い、いや、まじでこれ死ぬから!!

 

 というか、最初に全速力で走りだした瞬間に、もう完全にアウトだったし。

 なにがって、上下に揺さぶられて、脳が……脳が震える~~~~~~(物理的に)

 

 気分的には最初、マジンガーZにパイルダ―オンした感覚だったんだが、今のこの感じは、終わりのない富士急の絶叫系アトラクション(安全装置なし)に乗ってるといえばいいのか。

 とにかく、さっきカーディスの肩から飛び降りたときのはヤバかった。

 着地の瞬間マジで内臓全部飛び出すかと思ったし。

 

 言い出しっぺのフェルズの奴はと言えば……

 

「……エンチャンテッド……エンチャンテッド……ぶつぶつ……」

 

 あ、これダメになっちゃってるやつだ。半分失神しながら身体強化魔法使い続けてるな。

 

 そんな俺達二人を背中に乗せたバーバリアンは、左手に身体をすっぽり隠せるほどの巨大な銀の丸い盾(?)を持ち、それを正面に掲げ、右手には、7mはあろうかという、長尺の銀の槍(?)というかこん棒(?)というかを持って、それを構えている。

 

 うん、遠目に見れば、スリーハンドレッドのスパルタの兵士にでも見えるんじゃなかろうか?ま、サイズ的にはバーバリアンの身長が3m以上あるから、巨人すぎるのだけれども。どんな攻撃もこいつには通用しないと思わせる圧迫感があるはずだ。

 

 だが、近づいてみると、あらびっくり。

 

 でっかいバーバリアンが手に持っている丸い盾は、どう見ても、デカいくも(笑)だし、手に持ってる巨大な得物は、胴体をまっすぐピンと伸ばしたへび(笑)。

 そう、実はここに至って俺たちがとった作戦、フェルズのやつが喜色満面に気持ち悪い顔して提案してきたそれは……

 

『アストロン・アタック』

 

 うん、名前だけ聞くとなんか凄そうな響きがあるけど、要はデフォルミス・スパイダーとサンダー・スネイクにアストロンをかけて、その魔法物理攻撃完全無効状態の盾と武器としたわけだ。

 確かに、発想としては悪くないとは思う。

 かつて賢者呼ばれた奴がが思いつく内容としてはあれだけどもな。俺はもっと真田昌幸ばりの奇襲とか戦術とかを言い出すのかと思ってたよ。

 そんなんだから愚者とか呼ばれちゃうんじゃねえのか?あ、これ自称だったっけ。まあいい。

 『攻撃は最大の防御』とはよく言ったもので、『最強の盾で攻撃』しているわけだから、そりゃまあ有用だわな。

 俺達は、そんなフェルズの奇策に命を救われ、カーディスの腕をもぎ取り、そして、こうやって対峙することが出来ているというわけだ。

 

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 兎にも角にも、絶体絶命のあの時、このフェルズの思い付きに俺達は懸けることにした。

 だが、問題があった。

 アストロン状態の2匹の重量がとてつもなく重かったためだ。

 渾身の力のバーバリアンでさえ、両手で持ち上げるのが限界。質量保存の法則とかどうなってんだよ?これだからファンタジーってやつは……まあ、俺が使ってる魔法なわけだから文句は言えねえけど。

 そんな状態であったから、なんとか武器と防具として使うためにも、バーバリアンを強化する必要があったわけで、フェルズの奴がエンチャント系の魔法をかけてみた。

 だが、それでも2匹を持って大立ち回りをするには力が不足していた。

 バーバリアンの『ちから』(?)の数値がどれくらいなのかは不明だが、少なくともドラクエ時代の俺の力よりは弱いはずだ。あの頃の俺は、アストロンをかけた雪ノ下達を片手で放り投げることもできたしな。ま、そんなことをしたとは本人たちには言えはしないのだが……

 フェルズには悪いが、少し見積もりが甘かったようだな。フェルズの使うこの世界の魔法と、ドラクエの世界のじゅもんとではやはり出力・強化の幅が大分差があるようだ。 

 

 その時、ふたたびルゼーブの声とともにカーディスが魔法を発動しようとしていたために、この場を逃れるためにアストロンを掛けようとした俺の前で、バーバリアンが全身の筋肉を震わせて、その顔面を真っ赤に染めたままアストロン化した2匹を持ちあげたのだ。

 そして、俺とフェルズの前に立った。

 

「お前……」

 

 俺にとってゼノスという存在は、原作のウィーネや、アンのように人語を解し、言葉を話し、表情や仕草で応対できる人間の姿に近いものであると認識していた。

 だが実際は、そのような対応をとれるゼノスはごく僅かな数でしかなく、多くのゼノスは感情を持ち、人語を解してはいても、その姿は限りなくモンスターであり、そして言葉を話すことが出来ない。

 そんな彼らをアンのように人間として扱うことはやはり不可能だ。

 そう、そんなウソや誤魔化しだけで、彼らを受け入れることは今の人間には無理なのだ。

 それを、多分、バーバリアンも分かっている。

 だが、それでも、俺達の前に立つ。

 どうして、そこまで……

 そう、俺は分かっているんだ。

 迫害され、排除され、そして本当の一人きりになってしまうことへの恐怖を。

 ぼっちは寂しくないんじゃない。それに耐えられないことを知っているから、ぼっちを気取っているんだ。

 俺がそうであったように、彼らゼノス達もきっと同じように、本当に失いたくないものを守ろうとしているんだ。

 

 その守りたいもの、それは……

 

『絆』

 

 仲間との絆、知り合いとの絆、友達との絆。

 俺やフェルズが、いったい彼らにとってどういう存在なのかはわからない。

 だが、俺達が彼らを守りたいと思ったように、きっと彼らも同じように考えてくれているのだろう。

 俺は、なんとも言えない申し訳なさにふたたび胸が震えた。

 そして、その衝動のままに、そっとバーバリアンの背中に手を置き、呟いた。

 

「ありがとうな……」

 

 その瞬間、バーバリアンがびくりと全身を震わせた。

 そして、少し離れている俺にもわかるくらい、全身の筋肉を漲らせて熱気を放出する。

 その顔は、やかんのお湯が沸いてしまうんじゃないかというくらいに真っ赤になっていた。

 

「『【アースクウェイク】』!!」

 

 ルゼーブの呪文とともに、地面が激しく振動を始める。普通の地震ではない!完全な陥没だ。

 足元を失い、落下し始める俺達に、逆に上空へと吹き上げ始めた足元の岩石が、今度は鋭い鏃となって襲い掛かってきた。

 完全な詰みゲーだ。何これ、『怒首領蜂(どどんぱち)』かよ。弾幕系シューティングはお呼びじゃねえんだよ。

 

 その強烈な礫の嵐の中で、バーバリアンが動いた。

 

 両足を開いて沈み込む地面に食い込ませて固定し、横から襲い掛かってくる岩石をへびランスで粉砕する。そして真上に掲げたくもシールドで、滝のような岩石の雨を完全にしのいだ。

 

「おい、なんかバーバリアンの動きよくなってねえか?」

 

「君はまったくわかってないのだな……」

 

 はあ……と、なぜかフェルズがため息をついた……ように見えた。いや、だって骸骨だからほんと分かんねえんだよ。

 フェルズはそんな白骨の頭でやれやれと首を横にふる。

 

「惚れた相手に礼を言われたら、そりゃ頑張るしかないだろう……まったく君は乙女心を理解していない。本当に朴念仁だな」

 

 お前はバカか?みたいな感じでそう言われ、だが、俺はどうとも答えられずに呻くことしかできなかった。

 

 このとき、バーバリアンの身体は俺のスキル『女難の相(ハーレム)』の権能により、フェルズの掛けた身体強化魔法が凄まじくその効果を跳ね上げていたことを俺は理解していなかった。

 ただただ、その時感じたのは……

 

 恋する乙女、マジッパねえ……

 

 と、なんか戸部みたいに思ってしまっていたのだった。

 

「ブモウ♥」



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(41)八幡VS邪神カーディス④

 俺達の眼前に聳えるカーディスは、捥がれた肩からまるで鮮血のような真っ赤な光の粒子を垂らしつつ、しかし、先ほどまでの震えは収まり、その眼を細めて、俺達を悠然と見下ろしていた。

 その瞳の色に俺は戦慄する。

 明らかに知性の光を宿していたから……

 

 先ほどの無数の光の槍の攻撃をまたしても、くもシールドで防いだバーバリアン(+俺とフェルズ)だったが、さっきのはマジでヤバかった。

 カーディスの巨体のその後ろに、後光のように円形に光の輪が出来たと思ったら、その円のそこかしこから、光の槍が突き出てきたのだ。

 なにこれ、『王の財』なの?お前はギルガメッシュか!?というか、規模がデカすぎだ。

 いったいどこの世界に、アリに向かってガトリング砲かます奴がいるんだよ。ちょっとは考えろよ。

 

 と、ぼやいたところで状況は何も変わるわけもなく、なんとか助かったことを喜ぼうとはしたのだが……

 明らかに状況は悪化している。

  

 確かに俺達は、カーディスの左腕を切り落とし、その切断面からありったけの魔力を込めて『ギガデイン』を何発も何発もたたき込んだ。

 さすがにこれは効果があったらしく、もがき苦しんでいたように見えたし、全身から火花が散って黒煙も上がっていたから、ひょっとしたらこれで倒せんるんじゃないか?と、淡い期待を抱いたのも束の間、その後、急に動きの良くなったカーディスが俺達に襲い掛かってきちまった。

 まあ、即座に逃げられたけど、これはちょっときついか……

 

 俺は不気味に静かにたたずむカーディスを見上げながら言った。

 

「なあ、今さらだけど、逃げちまおうか?」

 

「はあ?は、八幡くん、何を言ってるんだ!?そ、そんなことは……」

 

 俺の言葉にフェルズが驚いた声。だが、その後、俺の意を汲んだのだろう。うつむいてしまう。

 

 俺たちの第一目的は一色の救助であり、それは雪ノ下たちがリレミトで脱出したことですでに達成されている。

 その後の俺の行動はといえば、ただの時間稼ぎであり、あわよくばあのダークエルフをふん縛ってやりたいなあくらいには思ってたけど、まさか、魂が入っていないとはいえ、カーディスと戦うはめになるとは思わなかったしな。

 

 だが、まあ、それでもな……

 

 俯いちまったフェルズは何も喋らない。

 そして、何も行動に移せない。

 当然だ。

 フェルズの使う魔法は、残念ながらあの邪神には通用しない。

 そして、剣での攻撃も……

 

 今このとき、オラリオのどんな凄腕の冒険者であっても、このカーディスと相対するのは厳しいということを、身を持って戦っている俺とフェルズは理解してしまった。

 なにせあの全力ギガデインを何発も直接身体の中に食らわせたのに、まだ動ける……というより、さっきより凶悪になった感じだし。

 こいつは本気の本気で化け物だ。

 明らかにゾーマとか地獄の帝王クラスのな……

 あの連中をとーちゃん抜きで倒すことなんて、俺には到底できない話だし。

 そんな怪物を目の前にして、逃げる選択をしたとしても、仕方がないことだと、フェルズは思っているのかもしれない。

 そんなフェルズが意を決したように俺の顔を見た。

 

「八幡くん、下ろしてくれ。君たちが逃げる時間を稼ぐ。それと、逃げ延びたならすぐにギルドへこのことを知らせてくれ。神ウラノスならきっとなんとかできる……あ、痛い!!」

 

 俺はペラペラとしゃべるフェルズの白骨の頭にチョップを叩き込んだ。

 まったくこいつは……

 

「お前な……そんなこと言われて、はいじゃあさよならとか、できるわけねえだろ。なにお前、天然策士なの?」

 

「い、いや、私は別にそんな気は……私はすでに不死身だ。多少はなんとかできると思う……」

 

「そりゃ別にいいけど、摺り胡麻みてえにサラサラにされたらもうどうしようもねえだろうが。まったく、仕方ねえな……。」

 

「え?」

 

「付き合ってやるよ。めっちゃ怖いが、あの邪神をぶっとばすぞ」

 

「は、八幡君……」

 

 なにお前俺をぼーっと見つめるんだよ、気持ち悪い……っていうか目、ないし。

 

 その時……

 

 突然カーディスがその身体を動かした。

 右足を大きく振り上げる。

 うん……巨大な化け物とはいえ、もとはスタイル抜群の女神様。真っ裸で足を大きく振り上げられると、真下から見上げる俺たちにはかなり刺激的な情景が……

 とかなんとかドキドキしていたら、その右足が俺たち目掛けて一気に踏み込まれてきた。

 

 それをバーバリアンが慌てて飛び退いて避ける。

 俺たちが跳んだその場所はカーディスの足を中心に陥没し、巨大なクレーターを形作った。

 俺たちはその破壊の衝撃をもろに受け、さらに後方へと飛ばされる。

 

 そして、カーディスはその苦悶に満ちていた表情を緩め、さらにその口許に笑みを浮かべた。

 その光景に驚いたその時、甲高い声が辺りにこだました。

 

『愚かで矮小な者共よ……ワタ……俺は貴様らを擂り潰してその腸を……精霊の名において罰を与え……コロス、コロス、コロス、コロス……今こそ死の鉄槌を……ォォォォォォォォォォォォォォォ……』

 

 空気を裂くような、悲鳴のようなそのカーディスの『声』を聞き、身の毛のよだつその感覚に身体が震えた。

 そして、絶叫をあげつつ、カーディスは明らかな意思を持ったまま、俺たちに向かってその残された右腕を降り下ろしてきた。

 

 バーバリアンは再び全力で跳躍……今度は、突っ込んでくるカーディスにたいして、その足元をすり抜けるように前方に向かった。

 カーディスは、先程までの緩慢な動きがまるで嘘のように、その身駆を急反転、そして、膝をついて前かがみになり、こちらに顔を向けて呪文を詠唱……

 

『……【ライトニング・ボルトォォォォォォォォ】……』

 

 その直後に、カーディスの口に光が集まりだし、みるみる膨れ上がるその光球がバチバチと飽和を始めたその瞬間、一直線に俺たちにその光の筋が襲いかかった。

 バーバリアンはそれをくもシールドで受け止めようとするが……

 

 これはダメだ!!

 

「ギガデイン!!」

 

 その光に向けて、俺自身の最大攻撃呪文を放つ……が、光は俺の電撃の嵐を貫通する勢いで押し寄せ、そして拡散しつつ、その光が周囲の地面や壁をえぐり始めた。

 

 【ライトニング・ボルト】はたしか貫通魔法だ。

 とてもじゃないが物理的に受け止めることなんて出来はしない。

 ギガデインの方が出力が高いとは思うが、いかんせん向こうは光子砲……簡単に言えば、コナミのグラディウスのレーザーみたいなやつだ。

 あんなの食らったら即死だよ。

 

「ぐっ……」

 

 ギガデインで散らしているとはいえ、幾条かの光線が俺達を掠る。

 このままではいずれ焼け死ぬ。

 

 ふと、カーディスの足元を見ると、そこにはついさっきまでカーディスが埋もれていた深い穴が……カーディスはその縁にいた。

 俺は一か八かで呪文を詠唱。

 

「イオラ」

 

 その邪神の足元を一気に爆発させた。

 すると、見事にその地につけた右膝の地面が陥没、そのまま少しではあるがカーディスは体勢を崩し、光魔法の射線がずれた。そして、その巨体を傾けて停止する。

 

「いまだ!あの岩の割れ目に逃げ込め」

 

 俺のその言葉に、バーバリアンは身を翻して、がれきに紛れつつ一気に壁の割れ目へと進入した。

 

 遠目にはまだカーディスが足を取られてもがいている。

 少しだが、身を隠すことに成功したようだ。

 落ち着てみてみれば、全身から汗を吹き出して、肩で息をしているバーバリアン。エンチャントで強化しているとはいえ、流石に超重量のアストロン状態の2匹を持ったまま飛んだり跳ねたりしているわけだ。そりゃ、無理もくるな。

 俺はひとまずバーバリアンの治癒を行う。そんな俺にフェルズが話しかけてきた。

 

「は、八幡くん、あれは、取り込まれた精霊の意識が統合され始めているのではないか?」

 

 その呟きに意味がわからずに俺は思わず聞き返した。

 

「はあ?そりゃどういうことだよ。分かりやすく言えよ」

 

「い、いや、私も完全に把握してはいないのだが、通常『ゴーレム』は行動を命じる為に、マナを注入した疑似魂……『核(コア)』を中心につくりあげる。だが、あの邪神は、ただのマナではなく、マナの化身とも言うべき精霊を、しかも複数種の異なる力の化身を取り込んで莫大なそのエネルギーでもって、あの身体を動かし、魔法を使っているようだ」

 

「だから、それがどうしたってんだよ」

 

「ただでなくともそれぞれがとてつもない力を秘めた精霊だ。そんな精霊を封じることのできる器など、私は知らないが、あのカーディスの体のどこかに、その『核(コア)』となる精霊を封じた器が存在しているはずなのだ。そして、たぶんだが、先程の君の強力な魔法攻撃でその『核(コア)』は損傷したのではないかと考えている。つまりだ……」

 

「…………?」

 

「つまり、『核(コア)』が損傷したことで、それぞれの精霊の束縛が解け、使役から解放されたのだ。しかも我々を敵と見定めたことで、様々な精霊の意思が統一されて攻撃を始めたのだと……」

 

「まあ、それはいいんだが、だったらどうすりゃいいってんだよ」

 

 フェルズは少し俯いてから答えた。

 

「もう一度、君の魔法をカーディスへと叩き込もう。君の魔法のあの威力なら、カーディスの『核(コア)』の所在が分からずとも破壊できるはずだ。それさえ破壊すれば精霊の力が邪神に流れることはなくなるはずだ」

 

 そのフェルズの提案に俺も考えてみる。

 さっき宣言したとおり、逃げるのは今はなしだ。だから取りうる最善の手段で戦う必要が出てくる。

 だとすれば、フェルズの提案もありってことになるわけだ。

 なんだかんだ、こいつは状況をきちんと見れているしな。

 

 ったく、いったいどうしちまったんだかな、俺は……

 俺みたいなへなちょこに、あんな怪物倒せるわけねえだろが……

 だが、まあ、それでもここで倒しておかねえと、まずこの巨女神がダミープラグで地上で暴れまくるわけで、しかも、ルゼーブのやつがカーディスを何らかの方法で降臨させちまえば、その時点でオラリオ全域に常時ザラキが降り注ぐ。下手すれば世界中でだ。

 ひょっとしたら、『終末の巨人』が本気で出てくるかもしれねえ。

 そんなことになったら、どこに逃げようにも、この星はおろか、他の世界もヤバイ。

 

 はあ……どんな貧乏くじだよ。

 なんで、こんなタイミングで世界の命運を背負って戦わなきゃなんねえんだよ、この俺が!

 しかもなんの前触れもなしにだぞ!

 こういうのって、準備万端で、仲間とか装備とかしっかり揃えて、やり残したことないか確認してから、いざ勝負になるんじゃねえの?

 唐突すぎなんだよ。

 

 ったく……

 

 なんでこんな時にとーちゃんいねーんだよ。

 

 はあ、と、いない奴の話をしても始まらねえか。とにかく今できることをやるしかない。

 

「よしフェルズ。もう一度アストロン・アタックだ。次でカーディスを仕留めるぞ」

 

「あ、ああ、了解した」

 

 俺は冷や汗が垂れるのをそのままに、汗で湿った手のひらでバーバリアンの頭をそっとなでた。



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(42)八幡VS邪神カーディス⑤

「よし、準備はいいな」

 

 俺のその問いかけに、フェルズとバーバリアンがコクリと頷く。

 そして、そんな隠れている俺たちの目の前には、煌々と深紅の瞳を輝かせた死の女神の美しい顔。彼女はまっすぐに俺たちを見つめている。

 

 どちらにしても逃げられはしなかったか……

 

 背筋に嫌な汗が流れるのを感じながら、俺はさけんだ!

 

「行くぞー!!ライデインーーーーー!!」

 

 正面につきだした俺の右手から、青く光輝く一条の電撃がカーディスの胸にむかって炸裂した。

 カーディスはその電撃に体表を焦がしながら、絶叫を上げ大きく仰け反る。

 俺たちを乗せたバーバリアンはその隙に一気に駆け出した。

 目指すはカーディスの上半身。

 先程と同様に、もう一度カーディスの体内にギガデインをぶちこむ。

 今度は、最後までだ。

 やつの中にあるという核(コア)を完全に破壊してやる。

 

 そう思いながら見上げた先に、巨大なカーディスが胸から灰色の煙を立ち上らせながら俺たちに鋭い眼光を向けていた。

 さきほどのライデインが直撃した胸部は……

 煙が薄れると、そこはまったくの無傷……美しく形の良い乳房がそこにあるだけだった。

 

 まあ、これは承知の上だ。

 ギガデインでさえ体表を傷つけるのは難しいのだから、あの陽動のライデインでどうにかできるなどとは端から思ってなどいない。

 

「おい、フェルズ。コアがあるとしたら、どの辺りなんだ?」

 

 俺の質問にフェルズは上方のカーディスの身体の中央を指差した。

 

「普通は身体の中心部分になるが、あの女神は不滅の肉体と聞いているからな。だとすれば、身体を切り開いて埋め込んだとは考えにくい。となれば……」

 

 そう言いながら俺を見たフェルズと視線がかち合う。

 

「「口の中」」

 

 二人でそう言ったその時、甲高い魔法詠唱の声が。

 

『……【アイスニードル】!!』

 

 上空に先ほどの吹雪の魔法のような冷気の渦が巻き起こり、その渦の中心からまるで電柱のような巨大なつららが次々と現れ、俺たちに向かって猛烈な勢いで飛んできた。

 いったいこれのどこが『ニードル』なんだよ。

 さっきフェルズのやつが頑張って打ち立てた氷の柱より、全然でかいじゃねえか。

 

 バーバリアンはその氷槍の連撃を高速でかわしつつ、カーディス目掛けて前へ前へと進む。

 

『……【ファイアストーム】!!』

 

 再びカーディスの声。

 細かく動いて逃げ回る俺たちに業を煮やしたのか、再びあの火炎地獄の魔法を唱えた。

 っていうか、さっきからなんなんだよ。大量破壊魔法しか使ってきてねえじゃねえか。たまには、魔法レベル1の【ファイア・ボルト】とか使ってくりゃいいじゃねえか。

 あ、ちなみに、ベルくんもこの【ファイア・ボルト】を使うけど、もとは火の下位精霊『サラマンダー』の使役魔法で、ロードス島戦記では大量に召喚したサラマンダーの大群が一斉に【ファイア・ボルト】を放って大惨事になったりもしたのだよ……一応、豆知識。

 

 バーバリアンは、渦巻く火炎の嵐が地面を焦がす寸前に、高く高く跳躍……ちょうど降り下ろしてきていたカーディスの右腕を身を翻してかわすと、その上腕に着地し、そのまま顔を目指して一気に駆け上がった。

 

 今さらだけど、こいつ、すげえ身体能力だな。

 オリンピックとか出たら、とんでもねえことになるじゃねえか……

 まあ、モンスターの時点でパニック必至だろうが。

 

「ブモオオオオオオオオオオオ!!」

 

 そんなことを考えている脇で大きく踏み込んだバーバリアンが、右手に持つ長大なへびランスをカーディスの首に深々と突き立てた。

 

『ァァァァァァァァァァァァァァァァアァァァァアァァァア』

 

 耳をつんざく絶叫を上げたカーディスが、喉元に食らい付く俺たちを右手で払う。と、それをくもシールドで受けつつ、引き抜いたへびランスでもう一度カーディスの首を横凪ぎに払おうとしたその時、唐突に2匹に掛けていたアストロンが解けた。

 

「なっ!!」

 

「キシャっ!」「キュル~?」

 

 当然状況が飲み込めない2匹はバーバリアンに絡み付く。

 攻撃が不発に終わったバーバリアンが体勢を崩すのを、カーディスは見逃さなかった。

 

 咄嗟に逃げようと上方へ高く跳び上がった俺たちに対し、カーディスは身体を急激に屈め、空中に取り残される形になった俺たちに向かってまたもや魔法を発動した。

 

『【ヴァルキリージャベリン】』

 

 カーディスの周囲から再び無数の光の槍が突き出る。

 そしてその槍は落下を開始した俺たちに向かって一気に放たれた。

 殺到する光の槍。

 真下には口許を緩ませて、笑みを浮かべた死の女神。

 そしてその周囲の空間は一面の火炎地獄。

 

 俺は迷わずじゅもんを唱えた……

 

 

 フェルズたちに向かって。

 

 

「アストロン!!」

 

「は、はちまんく……」

 

 一瞬で鋼鉄となったフェルズたちに捕まったまま、その落下に身を任せる。

 光の槍は鋼鉄の彼らに衝突し、まばゆい光と熱を放って四散している。

 そんななか。熱に身体を焼かれながら、俺は必死ににタイミングを計った。

 

 まだだ……

 

 まだだ……

 

 まだ……

 

 

 

 

 

 今!!

 

「おりゃああああああああぁぁぁぁぁぁぁ……」

 

 俺はそのとき、無我夢中だった。

 どうしてあの時、あそこまでしてしまったのか、後になってから何度考えてもその理由が俺にはわからなかった。

 しかし、あえて言うなら、そう……

 

 ぼっちになりたくなかったから……?

 

 俺は落下するフェルズたちを蹴り飛ばし、その反動で、一気に見上げるカーディスの顔目掛けて跳んだ。

 刹那、邪神の深紅の瞳と、目と目が合ってしまった。

 うん、超綺麗だ。

 もし、普通に同じ体格のサイズで町かなんかで出会ってたら、告白して振られるまであったな。

 というか、今さらだが、怖い、怖すぎるーーーー!!

 自然落下がこんなに怖いとは……

 

 だが、これしかないんだ!!

 

 衝撃に頭を守りつつ、身体を丸めた俺はまっすぐに飛びこんだ……

 

 そう……カーディスの口の中へ……

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「べ、べホマ」

 

 身体中がバラバラになってる感覚……

 たぶん間違ってない。頭を庇いはしたけど、たぶん両手両足全部イカれてる。

 感覚が無さすぎて痛みもまったくないのだが、怖くてその惨状を見る気にもならなかった。

 はあ、でも、べホマ使えてマジで助かった……

 即死さえしなければ、なんとかなるとは思ってたからな。

 全身の麻痺がとれて、次第と感覚が戻ってくるのを感じてから、俺はゆっくり目を開いた。

 体はなんともない。べホマさまさまだ。骨折だろうがなんだろうが完全に治してくれる。

 というか、このずぼんの膝に空いた丸い穴って、ひょっとして足の骨が飛び出した跡なんじゃねえの?

 

 しなきゃいいのに、余計な想像をして、ちょっと気分が悪くなった。うええぇ……

 

 それにしても、本当にやっちまった。

 あのやられる瞬間、フェルズたちを助けることをまず考え、アストロンをかけることを決めた。

 あの光の槍と火炎地獄から助けるにはそれしかなかったからだ。だが、そのあと閃いた。

 カーディスのコアは口の中にあるんじゃないかって話だ。んで、ちょうど真下にカーディスの顔。

 となれば、そこに飛びこめばなんとかなるんじゃねえか?みたいに思い付いたのが運のつき。相変わらず俺は貧乏くじをひく星の元に生きてるようだ。自分で言うのもあれだがな。

 

 しかしまあ、よくまんまと口に飛び込めたもんだ。

 ちょっとでもずれてれば、普通にただの飛び降り自殺だぞ。

 

 運がいいのか悪いのか、俺は生きているのを実感しつつ、激しく振動を続けるそのカーディスの体内で立ち上がった。

 

 揺れるのは苦しさにもがいているからなのか。回りを見回すが、歯だとか舌みたいなのは見えない。

 ひたすらにつるんとした光輝く黒曜石のような黒い床。

 壁も天井もない。本当にここ、カーディスの口の中なんだよな?

 まさか4次元ポケットみたいな感じなのか?

  

 

 そんなだだっ広い空間の先に赤く輝くなにかが見えた。

 

 それは巨大な真っ赤なクリスタル。

 イメージ的にはラピュタのデカイ飛行石の色違いとでも言えばいいのか……

 それが浮遊しながらくるくる回転していた。

 

 うーん、あからさま過ぎるけど、たぶんあれが例の核なんだろうなぁ。

 

 あれを壊せばいいのか?

 

 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……

 

 近寄ろうとしたそのとき、俺の足元が震えだし、そしてまるで床の黒い石が奈落にでも落ちてでもいくかのように、崩れ始めていた。俺は慌てて、そのクリスタルに向かって走る。

 ここがどんな空間なんだかわからねえが、あの大穴に落ちたらどうしようもなさそうだ。

 

 全力で駆けて一気にクリスタルに接近する。

 よし、このまま全力でじゅもんかまして一気に決着つけてやる。

 

「ギガデ……」

 

 走りながら手を伸ばし、クリスタルに向けてじゅもんを放とうとして、俺は慌ててそれを止めた。

 なぜなら……

 

 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……

 

 足元の床は絶え間なく崩れ続ける。

 俺はどんどん失われていく足場に注意を向けつつも、目の前の真っ赤なクリスタルから目を離せないでいた。

 

 なぜなら、そのクリスタルの中には人の姿があったのだから……

 しかもそれは……

 

「い、一色……!?」

 

 赤いクリスタルの中に全裸で浮かぶ一色の姿を、ただ呆然と見つめることしかできなかった。



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(43)八幡VS邪神カーディス⑥

 なぜここに一色が……

 一色はついさっき、雪ノ下達と一緒にリレミトで脱出したはずだ……

 

 眼前のクリスタルの中で、直立したまま一糸纏わぬ姿で眠るように浮かぶ一色を、混乱した頭で俺は見つめ続けた。

 この空間がなんであるにせよ、今のカーディスを動かすための重要な場所であるということだけは認識できる。

 あの強力な精霊たちもこのカーディスの口に吸いこまれていたしな。

 そして、この目の前の赤いクリスタルは、ほぼ間違いなくフェルズの言っていた、ゴーレムの『核(コア)』だ。

 

 だとしても、なぜその中に一色がいる?

 

 いや、待て待て……その前に、この一色は本物なのか?

 

 さっき確かに雪ノ下達は一色を助けた。そしてそれを俺はこの目で見た。

 だが……

 

 あの一色がもし偽物だとしたら……

 

 もし、もしも雪ノ下の『モシャス』のような魔法で姿を変えた『何か』であったとしたなら……

 

 そして……

 

 それが、ルゼーブクラスの強敵であったとしたなら……

 

 やばい!

 雪ノ下や由比ヶ浜たちが危険だ!!

 

 い、いや、ちょっと待て……

 そ、そういう可能性もあるというだけのことだ。まずは落ち着け俺……

 

 ここは何度も言うが、ファンタジーだ。

 どんな不思議なことも、信じられないことも起こる世界だ。

 かくいう俺だって、体を治すベホマや、何もない空間に、火や、雷や、爆発を起こす魔法を使いこなしているし、死体が生き返ったり、死んだまま生きているやつがいたりとか、本当に何でもありなんだ。

 

 仮説として、ファンタジー要素も加味した上で、目の前の一色がどういう状況なのかを考えてみる必要があるだろう。

 このクリスタルの中にまずどうやって入ったのかが一つ目。

 さらに、見た感じ一色そのものに見えるが、はたして本当に肉体があるのか?というのが二つ目。

 

 一つ目に関しては、天然の石のクリスタルに内包するためには、俺達の世界の常識で言えば、クリスタルの結晶化が進む最中に、その中に長い長い年月をかけて一色を保存しつつ周りをクリスタルで覆っていかなくてはならない。

 ちょっと古い映画だが、スピルバーグ監督作品のジュラシックパークに出てきた、琥珀に閉じ込められた『蚊』みたいな感じか?あれを初めて観たときは、実際にその血液から恐竜作れちゃいそうだなとか、本気で思ったけど、まあ、どうでもいいな。

 確か、クリスタルの形成には数万年の歳月が必要だったはずで、まず、そんな期間は懸けていないので、これでは不可能。

 ならば、人工クリスタル!!

 山梨県あたりでは確か結構作ってたはずだが、この世界で機械的にあのサイズのクリスタルを作ることが出来たとして、高温で熱した石を溶かしながらあの形に成形していく必要があるわけで、そんな熱に、レベル1のただの村人の一色に耐えられようはずもなく、これも没。火傷するってーの。

 それでは、魔法で……となれば、あのクリスタルの中に入るには、『すり抜け』?『転移』?『置換』?みたいな方法になるんだろうが、どう考えても、あんなにぴったりと隙間なく収まるのは難しいんじゃなかろうかと思う。

 ルーラとかじゃ絶対無理だし。

 そもそも、まったく身動きしていないが、あれが一色だとしたら、生きているのか?

 息できないし、ここからみる限り、表情が変わることもなにひとつないし……

 

 ならば、二つ目だ。

 あの一色は肉体がないのではないか?

 映画を投影するように、あの中心に一色の映像を映しているだけかもしれない。ちょうど、スターウォーズの立体映像通信みたいにな。まあ、画像がぶれたりしてないのは、高解像度ですごい技術なのかもしれない、4Kテレビみたいな!!

 それか、ファンタジーで良くあるのは、魂の分離。

 つまり、さっき救助したほうが、肉体で、こっちは魂だけ残ってて……

 だとすれば、そういうこともあるかもしれないが、目の前の一色は幽霊とか生き霊とかになるわけで、じゃあ、いったいどうやって助けたらいいんだ?

 俺は死神の鎌とか持ってねーぞ……

 

 とかなんとか、俺はそのとき思考の渦にはまっていました。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 まさかこのカーディスをここまで追い込むとはな……

 

 まったくもって予想外だった。

 

 このオラリオにここまで強い魂を持ったヒューマンがいたとはな……

 

 まったく……手間が省ける……くくく……

 

 だが、好き勝手やらせるのもここまでだ……

 

 貴様のその魂を喰らってやる。

 

 そう、俺の望みを叶えるために……

 

 

 深紅のクリスタルの前に呆然と佇む白ローブに黒いマスク姿の男。

 そして、奈落へと次々に落下していく床の一角、すでに消滅した床のあった場所、深淵の縁に、その影は立っていた。

 

 影はその虚空に立ち、ユラユラとその姿を揺らしながら空中を歩きながら白ローブの男へと近づいた。

 

 男はまったくその影に気がつかない。

 

 影は男のすぐそば、もうそのゆらめく靄を伸ばせば届きそうなほどの距離へと近づいて声を発した。

 

「くくく……その娘を助けたいのか?貴様の返答次第では助けてやっても良いぞ、くくく……」

 

 ゆらめく影は、白ローブの男にそう声をかけた。

 

 だが……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 返事がない。無視されたようだ。

 

「ん?聞こえなかったようだな……ならばもう一度言おう。このままこの場から立ち去るのならば、その娘をすぐに解放してやろう、どうだ?」

 

 だが、貴様がカーディスから離れた直後に、空間ごと、消し飛ばしてやるがな……くくく……

 

 影はもう一度男を注視した。

 

 男は……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 返事がない。再び無視されたようだ。

 

「って、おぅい!!聞け!、俺の話を聞け!!このデカルチャーーズゥ!!」

 

「んあ?ちょっと待てよ、こっちは今悩んでんだからよ。そもそもこのクリスタルってなんでできてんだ?プラスチック?エポキシ?FRPとかなら、一色の形で型を抜けば、ドンピシャで成型して短時間に固まるから、ぴったり入れるのも可能だし……でも、この量となると相当高いだろうしな……この世界に模型店とかあるのか?でもこの感じ、やっぱり本物のクリスタルなのかなー、ガラスのような気もするし、アクリルだったらやっぱり熱が……ん?」

 

 白ローブの男が徐にその顔をあげる。その視線の先には揺らめく黒い影のような存在。

 と、その目があった瞬間。

 

「っだーーーー!?な、なんだお前は?気持ち悪い、『あやしいかげ』か?」

 

 と、飛びしさったその姿を見つつ、影はしばらく身動き出来なくなる。

 

「俺と取引を……ま、まあ、もういい。私はシェード……このカーディスに取り込まれし闇の精霊が一。貴様がすぐにここから立ち去るというのなら、あのクリスタルの中の娘を返してやると言っているのだ、デカルチャーズ。我々にはもはやこの娘は必要ない。このカーディスの体のみが必要なのだ。それと、これ以上の破壊を我々も望まぬ。貴様が手を引くのならば、我々はこの地底深くで再び静かに眠りにつくだろう。さあ、どうする?返答を!!」

 

 強い口調でそう宣う黒い影は、今の条件に満足しきりであった。

 いったいどこに好き好んで邪神と戦い続けようなどと考える者がいようか。

 そう、これでこの男の戦う意味は消滅する。もとより、この娘を助けに来たと言っていたのだしな。そして、この神がもはや脅威でなくなる可能性もある。

 ここに至るまで、私でも操ることが不可能なレベルの破壊魔法をくらい続けているのだ。まあ、通常であれば今生きているわけはないのだが……

 その恐怖を身をもって理解しているこの男はきっとこう思うに違いない。

 

「今は戦うべきではない」と。

 

 そう、それが自然だ。

 水は高きから低きに流れるもの……

 邪神と戦い倒すという厳しい条件と、戦いを避けて目的を達成するという楽な条件の二つが提示されたのだ。おのずと答えは決まってくる。

 

 シェードはその揺らいだ外観のうちでほくそ笑んでいた。

 確定した事案ほど、嬉しいことはないのだから……

 

 白ローブの男はその視線をシェードから、クリスタルの内に浮かぶ少女へと移した。

 クリスタルはくるくるとゆっくりと回転し、男はその少女の裸体の全身を、くまなく見ている。その背中には、最初に確認した通りの、神聖文字(ヒエログリフ)で描かれたステータスもしっかりと刻まれている。

 

 くくく……どんなに注意して確認しようが、その娘はあの娘とほぼ同じだ。

 この俺が骨格から体毛から何から何まで同じように成型したのだからな。ヒューマンの貴様にその微細な違いなど判別できようはずがない。

 

「おい、俺がここから去ったら、この娘を助けると言ったな?なら、さっき俺の仲間が連れ出したあの娘はなんなんだ?」

 

 その問いに、シェードは即答した。

 

「あれは単なる木偶だ。人に似せたゴーレムだ。あの儀式の生け贄のかわりに、あのダークエルフが用意したただの肉人形だ」

 

「そうか……だったら、ここには、お前たち精霊と、あのダークエルフと、この少女しかいなかったわけだな。間違いないか?」

 

 静かに念を押してくる白ローブの男へ、もう一息と感じたシェードは大きく頷く。

 

「その通りだ」

 

「そうか……なら……」

 

 男はゆっくりとその視線をシェードへと向けた。

 よし、これでこの忌々しいデカルチャーズともおさらばだ。

 とにかく、早くこいつを殺して儀式の続きを……

 

 内心で次のプランを考え進めていたシェードへ向かって、男は呟いた。

 

「……なら……、死ね……『ルゼーブ』。ライデイン!!」

 

 瞬間、男のつきだした右手から青白く輝いた雷撃が鋭い槍となって飛び出し、影……シェードの体を刺し貫いた。

 

「な、なに……?ご、ごぶぁ……」

 

 電撃に貫通されたその影は、その身に纏った黒いもやを散らす。

 そして、その中から現れ出でたのは、その腹に大穴を開けた、長身痩躯の銀髪のダークエルフ。

 その腹と口から大量の鮮血を吐き出しながら、必死に立ち上がる。

 

 そんな中、辺りの景色は一変する。

 床の崩落が進んだ巨大な空間ではなく、四方を真っ赤な肉のような壁で囲まれ、床と天井に大穴のある生々しい生物の体内へと変わる。だがひとつだけ変わらないもの……

 その内に一色いろはの姿を内包した巨大なクリスタルのみがその部屋の中心で回転を続けていた。

 そして、ルゼーブは口を開いた。

 

「な、なぜだ?なぜお前は躊躇いなく俺を撃った。お、お、俺の正体をどうやって見抜いた?それに……その娘を死なせてもいいのか?貴様には、ほ、他に選択肢はなかったはずだ!!」

 

 腹の大穴を手で押さえるルゼーブはそう叫びながら、必死に回復魔法を使っていた。 

 その傷口の周囲に青く微かな光が輝いている。

 

 白ローブの男はそんなルゼーブを見ながら話した。

 

「まあ、理由は色々あるんだが、とりあえず、この娘は偽物だとわかったからな」

 

「な、なに!?」

 

 驚愕するルゼーブを見つつ、白ローブの男は続ける。

 

「それと『ルゼーブ』……お前だけは生かしておけないんだ。世界を滅ぼされちゃかなわねえしな。だから、殺すのは本当は嫌だが、ここで死んでもらう。だが、その前に……」

 

 男はそういうと、右手をクリスタルへと向けた。

 そして、その全身から、青と黄色の凄まじいスパークを発生させ、右手の先へとそのエネルギーを集め始める。

 

 そのとき、クリスタルの中の少女が突然動き出した。

 その全身を震わせ、涙を流して、男を見下ろしながら首を横にふる。その声は男に聞こえはしないが、助けをもとめているのだろう、何度も何度も口を動かしていた。

 

 それを見ながら、男が呟く。

 

「ルゼーブ……お前……本当に趣味が悪いな……悪すぎだ……『ギガデイン』!!」

 

 じゅもんを詠唱した瞬間、白ローブの男の手から、究極の神秘の稲妻がクリスタルへと放たれる。

 その破壊の光は徐々に色を濃く染め始め、クリスタルの真っ赤な色をまるで吸出してでもいるかのようにその雷撃を紅く紅く染めていく。

 そんな輝きの内から、得たいのしれない数々のそれらが沸きだしてきた。

 形のないそれらは、時には口を形作り、時には目を形作り、何度も何度も成っては崩れを繰り返す。

 バチバチという破壊の音がそれらの悲鳴を掻き消してしまっているのだろう……かつて精霊の王と呼ばれたその凄まじいまでの強大なマナの化身たちは、この白ローブの男の圧倒的な魔力の前にその身を滅ぼすこととなった。

 そして……

 その破壊の輝きはついに臨界に達し、飽和する。

 刹那、クリスタルはあっけなく四散した。

 うちに閉じ込められた少女の姿もろともに……いや、それだけではない。周囲の壁、天井、床、それらすべてを飲み込んで……

 

 エネルギーの奔流は収まることなくその空間を席巻し、そして大爆発を巻き起こす。

 

 そう、滅ぶことのないカーディスの肉体をその内側から完全なまでに破壊しながら……

 

 かつてないほどの威力で放たれた男のその魔法の前に、ついにカーディスはその動きを止めることとなった。



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(44)終わらない悪夢……あ、なんかこのサブタイ超かっこいい(中二病)

 テレレレレレレ、ッテッテッテー………………

 

 脳内にあの懐かしい音が響いている。

 これは実際の音なのか、それとも幻聴なのか……

 いずれにしても、俺は、あまりの吐き気に頭を振った。

 

 俺はこの手で一色を殺しちまった……

 

 あれが一色でないと理解しつつも……あのルゼーブがああするようにただ操っていただけだとしても……

 この目に焼き付いたあの一色の顔が忘れられない。

 

 もし……

 もしもあの一色が本物の一色だったとしたなら……

 

 その時は、俺が生き返るまでザオラルを唱え続けてやる。

 そして、それが叶わなかったとしても、どんな手をつかってでも、必ず生き返らせる。俺の命に代えてでもそれだけは絶対に!!

 

 俺は卑劣なルゼーブに激しい怒りと嫌悪を抱きながら、そして自らの選択に苦しみ続けることになることを自覚した。

 

 そう、少なくとも元気な一色に会うまでは……

 

 俺の放った上位稲妻じゅもん(ギガデイン)は、そのカーディスの身体の内側だけでなく、その外側までをも吹き飛ばした。

 大爆発がおさまった後で、俺が見た光景は、この大空洞の全景と遥か下方にある地面。

 立っていたその場所は、ほぼカーディスの肩ほどの位置だった。

 つまり、首から上、カーディスの頭部は完全に消し飛び、その上半身は右腕だけを残し、ゆらゆらと揺れていた。

 そして……

 

 まったく動くことができなくなったカーディスはそのバランスをいよいよ崩し、背中方向へグラりと倒れ始めていた。

 この高さでは倒れられた瞬間に俺は即死だ。

 

 目の前には這いつくばるルゼーブの姿。その体に大穴が開いているというのに、まだ動いている。当然か、不死身のダークエルフなのだから、簡単に死ぬはずがない。

 いますぐにでも殺してやりたいが、そんな猶予はなかった。

 

 倒れ始めて斜めになった足元を踏ん張れなくなった俺は、すぐにじゅもんを詠唱した。

 ルゼーブを抱えながら。

 

「アストロン」

 

 身体が鋼鉄に変わる間際、俺はカーディスの体の上を転がっていく感覚を味わっていた。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「は、八幡くん!!しっかりしたまえ!」

「ブモーー!」「キシャ」「キュー……」

 

「あ、ああ……?」

 

 肩を揺すられ、耳元で大きな声がし、そして、あとから強烈な激痛が全身を襲ってきた。

 そんな状態で痛くてしゃべれるわけもないのに、気がついた途端に、バーバリアンがゆっさゆっさと俺の身体を大きく揺らし始める。

 

 って、まじで痛いから、本気でやめ……やめろって……っていうか、やめろーーーーーーーーーー

 

「良かった!気がついたのだな!?良かったー……本当に良かったー」

 

 と言いながら、俺に抱きつく骸骨とデカイ3匹のモンスターたち。なんというか、これ普通に失神していい状況だよね?

 

「お、お前らな……めっちゃ力あるんだから、少しは加減しろっての……で?どうなったんだ?」

 

 俺の言葉にみんな離れる。

 そしてフェルズが回りを見渡しながら、話始めた。

 

「どうもこうもない。我々が気がついた時には、火炎地獄はおさまっていて、だが、見上げたそこには、首を失った巨大なこの女神がいよいよ倒れようとしているところだった。我々は慌てて逃げ出したのだが、そこに、君たちが落ちてきたのだよ。もしあのとき、我々の上にカーディスの巨体がのし掛かって来ていたら、一貫の終わりだったがな」

 

 そう言って身震いして見せるフェルズを見たあとに、俺は辺りに首を巡らせた。

 俺たちのすぐ近く、右方向の床に伏しているのは、腹に大きな穴の空いたルゼーブ。

 

 俺は自分の回復を行ってから、立ち上がってルゼーブへと近づいた。

 それに気がついたのか、やつもゆっくりと身体を持ち上げ、俺を見上げる。

 

「なぜ、俺を助けた?」

 

 その言葉に、俺はギシリと奥歯を噛んだ。

 

「助けてなどいねえ。お前ならきっと転位魔法とか使えると思ったしな。そんなんで逃げられたくなかったってだけだ」

 

 その俺の答えに、ルゼーブはくくくっと、短く厭らしい笑いを溢す。

 

「ならば今すぐに殺せばいい。貴様は俺を殺したいはずだ……今なら抵抗はできん……だがその前に教えろ。なぜ分かった?俺の正体が……そして、あの娘が偽物だということを……」

 

 ぽとぽとと血を垂らしながらルゼーブは立ち上がる。

 傷を魔法で塞ぎきれないのか、まだ腹部に穴は穿たれたまま。

 

 そんなやつに向かって、俺は教えてやった。

 

「お前……あのとき俺のこと、『デカルチャーズ』と呼んだだろう?俺たちも大分有名にはなってきたが、俺はデカルチャーズの『ワレラ』だ。このオラリオ広しと言えど、いきなり俺のことを『デカルチャーズ』って呼ぶのはルゼーブ……今のとこお前くらいなんだよ。だが、それだけじゃない、自分のことを、『俺』といったり『私』と言ったり、元の言葉遣いは乱暴なくせに、妙に丁寧に解説しようとしてるその口調……、まさにお前そのものじゃねえかよ。伊達に長年ぼっちはやってねえんだ。人の癖くらい見抜ける目はもってるわ……それと……」

 

 俺は腰に差した細身の剣……いわゆる『サーベル』を抜き放って、それを下段に構えながら、奴へと近づいた。

 

「あの少女だがな……かなりしっかりと模倣していたようだが、完璧ではなかったな」

 

「な、に?どこが違うというのだ……」

 

 表情を曇らせたルゼーブがそう問うのに、俺は答えてやる。

 

「俺だって、どんだけあの裸を見ても違いなんてわかりゃしねえよ。だがな、お前は決定的なミスをした。あの少女の背中に刻まれたままになっているあの、ステータス。お前……あそこで手を抜いたろう」

 

「どういうことだ……ま、まさか貴様……『神聖文字(ヒエログリフ)』を読めるとでもいうのか?」

 

 俺はまあ、そう驚くルゼーブの反応に頭を掻くしかない。

 そもそもそんな、高尚なレベルの話ではなくてだな……

 

「まあ、あれな。神聖文字な。まあ、読める……っていうか、あれ、本当に神聖文字でいいのか?あれ、『日本語』っていうんだよ」

 

 そう、日本語だ。

 この前の恩恵授与の時に、渡された紙に、見事に日本語で書いてかったから。後で背中の文字を確認したら、まんま日本語だった。もう笑うしかない。『女難の相』に『ハーレム』ってマジでルビふってあったから。

 

「まあ、読めるんだよ、俺は。それでな、あの一番下のスキルのとこ……『色欲(しきよく)』じゃなくて『巴欲(ともえよく)』になってたぞ。あれ、外国人がよく間違えるんだよ。海外の奴からしたら、たいした違いに見えないだろうが、漢字ってのはそのパーツに意味があるからな、結構大事だ。この前、外国人が『恨生』って書いたTシャツ着てたけど、なに、お前幽霊なの?生きるの嫌になっちゃったの?それ、実は『根性』って書こうとしただろう?みたいに思ったしな。ま、あんま気にすんな」

 

 ルゼーブは呆気にとられた顔をしている。

 ま、奴からすればまさか『神聖文字』を読まれてるなんて夢にも思わなかったんだろうし、しかも、その違いが、「色」か「巴

」かの違いとか、おおざっぱな米人だったら、「HAHAHA!ジャパニーズハコマカイネー!!」とか片言で言いそうなとこだし、片言なのかよ!!

 国語学年3位なめんじゃねーぞ!

 と、異世界で粋がってみる。心の中で。だって、流石に声に出したら恥ずかしいし。

 

「まあ、そういうこだが……俺はてめえに心底むかついてんだ。よくも偽物とはいえ、一……あの少女を俺に殺させたな……世界の為ってよりも、今は私怨の方が強いんだよ。てめえだけは絶対に許さねえ」

 

「は、八幡君、やめたまえ!!」

 

 サーベルを奴の首に押し当てた俺に、フェルズが声を掛けてきた。

 人殺しなんか俺だってしたくはねえが、これでも、さんざん剣で生き物は殺してきた。

 この刃をどう引けば、命を奪うことが出来るのか、それくらいは俺にだってわかるし、今はこの下種野郎をそうやって殺したい気分だった。

 

「なにも、君が手を汚す必要はない。それに、その男はこれだけの事件を起こしてはいるがまだ、その背景は分かっていないのだ。ここはギルドへ引き渡すべきだ」

 

 俺を止めに入るフェルズはそういうが、俺は怒りが収まらなかった。だが……

 

「もういい、さっさと俺を殺せ」

 

 俺の目の前でルゼーブがそう言い放った。

 そう、俺はこの瞬間、サーベルを構え直し、一気に奴の首めがけてそれを振り下ろした。

 一瞬の煌めき……

 間違いなく、奴の首を飛ばせる一撃。

 

 だが、俺はその剣を止めた。

 

 覚悟を決めていたのだろう、ルゼーブは俺に怪訝な表情を向ける。そんな奴に俺は尋ねた。

 

「なぜ今笑った」

 

 そう笑った。

 奴は切られるこの瞬間に、微笑んだのだ。それも、全てを達観したような満足そうな笑みではなく、残忍で、狡猾な笑みを……

 俺はそれを見逃さなかった。

 

「お前、まだ何かあるな?言え!何を隠している!てめえはなぜ自分から殺されようとしているんだ?」

 

 俺は再び奴の首に刃を押し当てて、そう詰問した。

 刃は喉元に食い込み、そこからポタポタと血を滴らせている。

 そんな状況であるにも関わらず、奴はさらに残忍な笑みを浮かべる。

 

「貴様はどうやら俺のことを勘違いしているようだが……そうか……ならば、聞かせてやろう……」

 

 ルゼーブは首に当たるサーベルの刃を右手で握りしめ、ぐぐぐっと力を入れてそれを引き離した。

 当然だが、奴の握ったその指からは血が大量に滴り始めている。

 その痛みを感じていないのか、奴は笑いながらつづけた。

 

「俺は今非常に満足しているのだ。あの少女……まだ幼いあのつぼみのような肉体は、本当に最高だったからなあ!くはは……」

 

「て、てめえ……」

 

 俺を見下ろすそのルゼーブの言葉に反応して、サーベルを持つ手に力が入る。そして、そのたびに、サーベルを通して伝わってくる肉を切り裂く感触。

 

「なんだあ?怒っているのかぁ?まさか、女を攫っておいて何もないとでも思っていたのかぁ?ふはは……それは随分とお気楽なことだなぁ。そんなことがあるわけないだろう?最初こそ泣いていたがな……あの娘……最後は自分から欲していたぞーー、泣きながら懇願してなあ……ふはははははははは…………ぁ…………」

 

 怒りが頂点に達したその時、俺は奴が握りしめるサーベルを一気に引き抜いて、それを奴に突き立てようと動いていた。

 

 そして……、奴の胸にそれが突き刺さったのを見た。

 

 真っ黒な細身の剣が……

 

「もうそこまでにしておけ、ルゼーブ。お前の罪はこの俺が全て引き受けてやる」

 

 サーベルを握ったまま動けなくなった俺の隣で、口からおびただしい量の血を吐き出したルゼーブの正面には、剣を構えた細身の黒衣の男……いや、正式にはただの男ではない。

 『男神』だ。

 俺はこの神を知っていた。

 

「イケロス……」

 

 剣でルゼーブの心臓を刺し貫いたのは、先日神の宴で会ったイケロスその神だった。

 彼は、その剣を刺したまま、何事かじゅもんのようなものを唱える。

 それと同時に、みるみるルゼーブの身体が縮んでいく……そう、まるで生気が失われでもいくかのように。

 ルゼーブはと言えば、その身体から完全に力が抜け、剣にその身を預けるように寄りかかっている。もはやその命はないように思えた。

 イケロスはその剣を一気に引き抜き、それにあわせて、言葉もなくドチャリとルゼーブは床に倒れ伏した。

 

「悪かったな、比企谷八幡……いや、今はワレラと呼んだ方がいいか?お前らにここまでのことをさせる気はなかったが、まさか、ルゼーブが邪神復活を企てていたとは、この俺も読めなかった。許せよ」

 

 ひゅんっと、剣を振って、その血を飛ばしたイケロスは、鞘へと剣を収める。その立ち居振る舞いはまさに剣士のそれで、あの陰険で陰湿なイメージは微塵もない。

 

「あんた……なぜここに……それに、ルゼーブを知ってやがるのか?」

 

 俺がそう聞くのに、イケロスはまっすぐ俺を見て答える。

 

「この事態を知らせてくれたのは、彼女だ。それにここまで連れてきてくれたのもな」

 

 言って顔を向けた先に、黒いローブ姿の人影……そして、彼女はそのフードを脱いで素顔を晒した。

 

「あんたは」

 

「久しぶり……と言えばよいのかしら?あの晩以来ね」

 

 そう言いながらこちらに向けた顔には確かに見覚えがあった。

 銀の長髪に金の瞳、ピンと尖った長い耳。ルゼーブと同じ特徴を持つ彼女は、あの月下の夜にアンの命を救ったあの場所にいた、ダークエルフの女に間違いなかった。

 だが、あの時には気が付かなかったのだが、今の彼女には気になる点が……

 

 フードを取った彼女の美しい顔のその額……流れるような銀の髪の間から覗くのは、まるで人の瞳を象ったような形の、銀のサークレット……

 そんな彼女を見ていた俺に、イケロスが言葉を続ける。

 

「俺はルゼーブのことをずっと見続けてきていた。こいつが絶えず裏で暗躍していたことも知ってはいたが、それはあくまで俺からすれば小事でしかなかった。だが、今回のこれは別だ。人の手にあまりすぎる。まさかこいつがここまでやるとは、この俺も予想できなかった」

 

「なんだ?あんた、それじゃあ、ほとんど裏の事情全部知ってるみてえじゃねえか?ルゼーブのことを見てた?知ってた?いったい、どういうことなんだよ。あんたはいったい奴とどういう関係なんだよ」

 

 俺の問いかけにイケロスはゆっくり口を開く。

 

「ああ、奴のことはずっと見ていた……生まれた時からな。奴こそこの俺の最大の罪。原初の欲求にして、今や人の大罪となったものを司ったこの俺の、消し去ることのできなかった過去の命。たが……それももう終わる。この世界はもはや我等原初の神の手を離れたのだから」

 

「原初の神?あ、あんたひょっとして……」

 

 シニカルな笑みを浮かべたイケロスが目を細めて俺を見た。その吸い込まれそうな漆黒の瞳はこの俺の全てを見通してでもいるのか、全てを理解したかのように俺へ答えた。

 

「ならお前には教えてやるよ……俺の本当の名前を……お前ならそれですっきりするだろう?俺の名はファ…………」

 

 突然イケロスは言葉を止めた。

 不審に思い、彼を見れば、まるで時を止めてしまったかのように口を開いたまま硬直して微動だにしない。

 そして、その漆黒の瞳が微かに煌めいたそのとき、突然大声で笑い始めた。まるで気でも触れてしまったかのように。

 彼はとんでもない声量で笑い続ける。

 腹を抱え、天を仰ぎ、そして自らの腕を振り上げて笑っていた。

 

 だが、しばらくして突然笑うのをやめ、真顔になり、キョロキョロとあたりを見回しはじめる。

 

 そして床のルゼーブに視線を止めると、無言のままで近寄り、腰を沈めておもむろに、その頭を片手で掴んだ。いったいその細身の身体のどこにそんな力があるというのか……、イケロスは突然そのルゼーブの長身を放り投げた。

 

 呆気にとられて見続ける俺たちの脇で、あのダークエルフの女が叫んだ。

 

「いけない!!奴をすぐに殺せ!……『万能なるマナよ……大地に眠りし力よ……』」

 

 突然魔法の詠唱を始めるそのダークエルフに驚きつつ、俺も右手を構える……って、誰を殺せって!?

 

 そんな中でイケロスが動いた。先ほどの剣を引き抜いて、それを自分の手首に当て、一気に切り裂く。

 当然だが、人を模したその身体からは鮮血がほとばしり、そして足元の地面を赤く染める……と、そのとき、その地面からまばゆい光が放たれ始めた。

 

 イケロスの血を吸った足元の地面から光が走りはじめ、それはまず巨大な円を形つくる。そして、その円の中心へと幾何学模様を形成しながらついにそれを完成させてしまった。

 

 そう、魔法陣を。

 

 その光り輝く魔法陣は、つい先ほどまで一色が寝かされていたそれ。そして、その一色がいた場所、円の中心に転がるのは、息も絶え絶えのルゼーブの身体……

 

「……『焼き尽くせ【ファイアボール】!!』」

 

 魔法を完成させたダークエルフが放ったのは人の身体くらいはありそうな巨大な火球。そしてそれが狙った先は……まさかのイケロス。

 

「無駄だぁ」

 

 イケロスは手に青い光を纏わせて、その火の魔法を上方へと弾き飛ばした。

 そして、その身をふわりと浮かびあがらせた。

 

「くっ……これは、『移し身の呪法』なのか……、まさか、奴は……」

 

「え?うつしみの……なに?」

 

 ダークエルフがつぶやくのに、俺はわけも分からずに顔を上げ、空中のイケロスを見た。 

 そして、理解する。

 あの佇まい、あの浮遊魔法、あのムカつく表情……どれをとっても、それは俺の知る、奴のそれだった。

 

 ルゼーブ!

 

「あの野郎……イケロスの身体をのっとったのか……」

 

 原理は分からないし、理由も分からない。

 だが、なぜ奴があれほど俺を煽ったのかなんとなくわかった気がした。

 奴は殺されたかったんだ……そして、それが奴にとって最良の手段……

 

 これがどういう状況なのかはまだ把握できないが、少なくとも、最悪だということだけは、隣に立つダークエルフの表情で理解した。

 

 そして、空中で奴が高らかに宣言する。

 

「時は満ちた。さあ、我の召喚に応じよ!!終末の邪神カーディスよぉ!!今こそ、その封じられし破壊と死の力を開放するのだ!!ふぁーはっはっはっは…………」

 

 高らかに笑うそのイケロスだった男の顔は、恐ろしく邪悪に歪んでいた。



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(45)カーディスと踊ろう

 光輝く魔方陣を前に、俺たちは再び言葉を失っていた。

 

 これはいったいどういう状況なんだ?

 

 暴言を吐きまくったルゼーブのことを、黒剣で刺し貫いたイケロス。

 イケロスは昔語りでもするように、ルゼーブのことを話し、そして自分の本当の名も言おうとしていた。

 だが、その途端に突然の奇行に走り、死にかけのルゼーブの身体を魔方陣の中央へ放り投げ、かつ、自分の腕を切り裂いて、その吹き出した鮮血を魔方陣へと注ぎ、魔術が動き出すとともに、カーディスの召喚を高らかに宣言した。

 

 どう考えても、ルゼーブのやつがイケロスの身体をのっとり、そして、カーディスの復活の儀式を遂行したとしか思えない。

 

 だが、果たして本当にそうなのか?

 

 一色を助けたことで、依り代を失い、カーディスの復活はたち消えたかと思っていた。

 だからこそ、あのカーディスの骸を精霊たちを使って操って、俺たちを殺そうとしていたと思っていたのだ。

 

 それなのに、依り代に選んだのは、自分の身体?しかも死にかけのだ。いや、そもそも依り代は本当に必要だったのか!?

 ここまでのルゼーブ……まあ、今はイケロスなわけだが、まず、あいつ自身は、超高位の魔術師に間違いない。

【空中浮游魔法(レビテーション)】に【身体崩壊魔法(ディスインテグレート)】。

 やつが使ったこの二つの魔法を考えただけでも、このオラリオのどんな魔法使いよりも優れていると云うことが理解できる。

 それと、あの精霊達だ。いや、精霊王達というべきか……

 少なくとも、エフリートやジンやベヒィーモスといった精霊王は確認できた。(やつも呪文の詠唱の中で名前を呼んでいたしな)

 そんな多数の精霊王達を使役する事自体が異常なことであり、さらに、それぞれの持つ最上位の魔法でさえも、ルゼーブは操っていた。

 こちらに、アストロンとかベホマがなければ、いったい何回死んでいたか、解ったもんじゃない。

 その上にだ……

 精霊王単体でさえ、気候をねじ曲げ、緑の大地を砂漠へ変えたりとか、ひとつの国の軍隊を一瞬で壊滅できるだけの力があるというのに……(ロードス島戦記の炎と風の部族の戦争のところね)……あろうことか、それら全てをあのカーディスの骸へ押し込め、そして、その力を更に増幅させてこちらへ攻撃して来た。

 

 まあ、結局は俺たちが倒したわけだが、常識的に考えて、ルゼーブって、カーディスに頼らなくても、十分世界を何回でも破壊できる力を持ってるんだよな……

 

 少なくとも、このオラリオを滅ぼしたいのなら、エフリートたち火の魔神を大量に召喚しちまえば、それこそ、七日もあればオラリオはおろか世界だって……げふんげふんっ。

 

 と、それを阻止しようにも、アストロンクラスの絶対防御がなけりゃ、あの【ディスインテグレート】で原始分解必至だし、多分、さらに上位の隕石召喚【メテオストライク】なんかも使えるんだろうしな……正直、あっという間にアルマゲドンだろう……もしくはディープインパクト!

 

 そもそも、こいつの動機はなんなんだよ。

 

 カーディスを復活させて、やることって言ったら、

 

①世界を滅ぼすこと。

②闇のカーディスの力でもって、不死の王(ノーライフキング)になること。

 

 くらいだったはずだけど、①はさっき言った通り独力で可能で、②については、すでに不死身のダークエルフだったわけで、わざわざキン骨マン……じゃなかった、フェルズみたいな骨の怪物にクラスダウンすることもないしな……

 そもそもあのダークエルフの面の時点で超イケメンだし、イケロスになった今なんか、更にイケメン具合増してるし、そのへんのイケメン好き肉食ビッチなら一発で落ちるレベル。

 くっそ、なんかむかつくな。この変態リア充メ!

 あれ?なんか激しいツッコミが聞こえるような……気のせいか?

 

 いずれにしてもだ、これだけの破壊の力をもともと持っていたのに、わざわざこんな地下でカーディスの骸を前に、召喚の術を使って、しかも、その生贄に自分の身体を使っちゃうとか、どんだけ回りくどいことしてんだよ?こいつは。ホント笑っちゃう!いや、別に笑わねーけど。

 

 となれば、なんだ?

 

 俺の感覚からすれば、世界を滅ぼすわけでも、不死身になるわけでもなさそうな感じなんだけどな……

 

「くくく……、『ワレラ』とか言ったか……まさか、ここまで俺が追い込まれるとは夢にも思わなかった。貴様は本当に素晴らしい」

 

「そりゃどうも」

 

 やっぱりルゼーブだった。

 光がどんどん強くなる魔方陣を見下ろしながら、イケーブ(仮)※(イケロス+ルゼーブ)が俺にそう声をかけてきた。浮遊したままのやつは、その周囲の空間におびただしい数の魔方陣を次々に展開していくが……いったいなにをやってんだ?

 正直俺にはさっぱりだ。

 

 イケーブはその頬を緩ませ、にやけたままで再び俺を見た。

 

「……ここまでのことは素直に称賛しよう。だが、それも、終わりだ。この俺を愚弄し、追い込み、歯向かったこと……決して許さん。貴様には後悔してもしきれない程の苦痛と死を与えてやる」

 

 いや、ちょっとそれ八つ当たりだろう?

 先に手を出してきたのはそっちだし、俺の話をきかなかったのもお前じゃねえかよ……

 イケーブはそんな無言の俺を見ながら目を細める。

 

「ほう……そうか……貴様はこの俺の行動に疑問を感じているのだな?なぜこうまでして邪神を復活させるのか?そして、邪神復活の鍵はなにか……と……くくく、いいだろう、ならば、死ぬ前に貴様に教えてやる」

 

 って、誰もそんなこと知りたがってもいねえし、疑問にも思ってねえよ。

 というか、そこまで発想なかったし!

 なんだお前、実は、しゃべりたくてうずうずしてたんだろ。お前は火曜サスペンス劇場の追い込まれた犯人か!?山村美沙スペシャルかよ!!

 本当にまったく聞く気はなかったのだが、イケーブは勝手に話し始めた。

 

 まあ、ちょっと長かったので、割愛(笑)するが、要約するとこうだ。

 

 あの18階層に俺たちが転移してきたあの日、天空から巨大なドラゴン(神龍な)が現れ、一瞬でオラリオの外に巨大な穴を穿って地中に消えた。

 それは、ダンジョンの周囲に無数に張り巡らされた人造迷宮(クノッソス)、『ダイダロスの迷宮』の大部分も破壊しながらダンジョン18階層へ侵入。その巨大な竜が作った大穴は深部に隠された巨大な人工物の姿ををこの世界に現わすきっかけとなった。

 当時、人造迷宮内にいた【イケロス・ファミリア】のディックスらがこの人工構造物を発見。その内部へ足を踏み入れ、さらにその構造物の地下の大空洞にて地中に埋もれたカーディスの骸を発見した。

 地上へ戻ったディックスたちは、この情報を闇派閥の連中に売り、そして突然姿を現したたのがあのルゼーブ。

 ルゼーブは、すぐに徒党を組んで大穴を進みカーディスの骸を確認。

 それと同時に、邪神復活の儀式を始めた。

 カーディスの復活に必要なものは、『二つの鍵と一つの扉』。

 『二つの鍵』は、ロードス島戦記の話の通り、『生命の杖』と『魂の水晶球』なのだが、それらはルゼーブの手元にはなかった。

 そして『一つの扉』とは、亡者の女王ナニールの魂の入った人間の肉体であったのだが、当然今の世にナニールの転生者は存在していない。なぜなら、ナニールの魂はすでに浄化され消えているのだから……

 そしてなにより問題なのは当のカーディスの魂自体が、この世界とは隔絶された亜空間、『無限牢獄』に囚われているとのこと。

 肉体をこの世界のどこかに封印し、さらに、魂は強力な結界を施した異空間に封じ込める。

 これがこの世界の神々の神意だった。

 そして、それのことをルゼーブは知っていた。

 その上で、邪神の復活を望んだルゼーブはある魔術を選んだ。

 

『邪神召喚』

 

 いやいや、クトゥルフのTRPGじゃないんだから、そう大見得をはられてもなーとは思ったが、黙って聞いた。

 要は無限牢獄のカーディスの魂をある方法でむりやり引きずりだして、この目の前の転移魔法陣から現わせようということらしいのだが……

 

「邪神カーディスの魂は比類なきもの。そんな邪神を降臨させるにはそれなりの対価が必要なのだが……それと等価になりそうなものなど、この世界には存在はしない。だがな……俺はある方法をすでに確立したのだ。いずれ来るこの時のために、俺は長い長い時の中で絶えず準備を進めていたのだ。くく……。この世界において、万物の新たな理となったそれ……世界の根幹ともなったこのシステムを俺は利用してな……」

 

 言って、手を大きく振ったイケーブは、目の前に無数に出した魔法陣から次々と、巨大な氷をゆっくりと生み出し始めた。

 最初俺は、それが俺達に対しての攻撃なのだろうと身構えたのだが、じわじわと現れる氷塊で危害を加えるようなそぶりはまったくない。

 そして、それを怪しんで見ていた俺達は驚嘆することになった。なぜなら……

 

 その氷塊の中には、人の姿が……、そう、その多くの氷の中には、数多くの絶世の美男美女達……

、たくさんの人の姿が存在していた。

 あれって、あのイケメンと美女達って、ひょっとして……

 それを唖然と見つめている俺達にイケーブは言う。

 

「見せてやろう貴様たちに。この世界の理というものを!……さあ、やれ!!」

 

「や、やめろ……やめて……く……れ……」

 

 さっと支配の王錫を振り上げたイケーブがその杖を振るった先にいたのは……なんとかつての自分の身体。そして、そんなそのルゼーブだった死にかけの身体は、ゆっくりと立ち上がると同時に、そう呟きながら、両手を前に突きだした。その手の先から放出されたのは、長くうねった光るひも、それは、まるで光の鞭。

 うねうねとまるで生物のようにうねりながら動くその光るひもは、ルゼーブの身体の動きに合わせて右へ左へと蠢く。……と、イケーブが支配の王錫を振り下ろしたそのとき、光のひもは猛烈な速度で伸び、つぎつぎに氷へと突き刺さり、その中に封じ込められた人もろとも、串刺しにしてまわった……

 刺し貫かれた数々のその人々は、光のひもが引き抜かれると同時に、氷から解放され、地面へと落下していく。そして、まるで腐った果物を落したときのように、どちゃりと不快な音を立てて一瞬で骨を残して溶けた。

 その数、数百体。

 

「やめろ……」

 

 光の鞭を振るい続けているルゼーブの身体が、微かにその口を動かし、苦しそうな声を漏らしている。

 

「くふふ……くはは……良いぞ……素晴らしい、本当に素晴らしいぞ……くはははははははは……」

 

 これは……

 この状況は……

 イケーブの奴は殺させているのか?自分の元の身体に、あの氷の中の連中を?なぜ……

  

 はっ……

 

 そうか……

 

 奴が狙っていたもの、それは……

 

「経験値(エクセリア)か」

 

「ほう?ようやく理解したようだな……」

 

 イケーブは俺のつぶやきに満足そうな笑みをこぼす。

 そして、言った。

 

「その通りだ!邪神カーディスの魂を牢獄から解き放つことは不可能だ。カーディスを縛る以上、それ以上の強力な結界が当然張られているからな。だがな、ある方法を俺は見つけることができたのだ。くくく……この世界の良いところはな、まず第一にたくさんの神が闊歩していることだ……かつて、邪神と自らを嘯いた矮小な神もいたがな……そんなくだらない連中から俺は邪神復活の手段を得ることができた。くくく」

 

「うああああああああああああああああ!!」

 

 すべての氷塊を光の鞭で刺し貫いたルゼーブの身体が、魔法陣の中心で咆哮する。その背中には光り輝くステータスが浮かびあがり、次々にその数字を変えていく。

 これは、レベルアップしてるのか。俺達みたいに?

 

「……【ヴァルキリージャベリン】!」

 

 俺の隣のダークエルフが精霊魔法を詠唱!鋭い光の矢を放って、今回は魔法陣中心で叫ぶルゼーブの身体を狙った。しかし……

 その光の矢はルゼーブの手前。光り輝く魔法陣の縁で搔き消えた。

 

「無駄だ。すでに邪神召喚の術は発動している。あの魔法陣の内へは何人も侵入はできん。ふむ、だが、邪魔をされても手間が増えるだけか……『眠りをもたらす安らかな空気よ…』」

 

 そう言って、イケーブが手を振るうと同時に、辺りに白いもやが漂い始め、バタバタっと、俺の背後で音がした。

 振り返れば、フェルズと3匹のモンスターが倒れ伏している。

 

「くっ……」

 

 隣をみやれば、ダークエルフの女も額に手を当てて呻いているし……これはあれだな、『眠りの雲(スリープクラウド)』だな。ロードス番ラリホーだ。しょっちゅうみんな使ってたしな。

 俺達を見るルゼーブが微笑みをうかべた。

 

「ほう……さすがに貴様には効かんか……ならばこれはどうだ……『大地の精霊よ。地より出て、かのもの達を捕らえよ!【ホールド】』」

 

 その詠唱とともに、地中からものすごい勢いで木の根のような蔓のようなものが生え伸びて来て、俺とダークエルフの全身に絡み付く。それはもう一瞬で!

 あまりの速さに、俺も彼女も逃げられずに、全身をグルグルに拘束された。ご丁寧に、口まで塞がれて、これじゃあ、声を出せねえ。

 となりのダークエルフに視線をむければ、胸や尻を残すように巻き付いてて、なんかものすごく卑猥な感じに~。い、いや、別によろこんでなんていねえし……、って、俺を睨むんじゃねえよ。なにも邪なことかんがえてねえから!そもそも視線を逸らそうにも動かせねえんだよ。

 

 身動きできない俺たちに、イケーブが言った。

 

「そこで大人しくしているのだな。貴様らは最後に殺してやる。この儀式を最後まで見届けてもらうぞ。くくく……もう賢い貴様なら分かっているだろう?封じ込められた邪神を召喚する方法はな。だが、あえて教えてやろう」

 

 イケーブはその表情を邪悪に歪め、そして、口角をあげる。

 

「邪神と対等な魂と置換すれば良いのだ。俺はそのために、この世界でもっとも経験値の高い存在……英雄と呼ばれた連中を狩りまくった。やつらは経験値の塊だからな。だが、カーディスの魂には届かなかった。次に狙ったのは神だ。数が少ないとはいえ、いまやこの世界には数千人の神が降臨している。しかも奴らは自由気ままだ。俺はそんな神も狩り続けた。だが、それでもカーディスには足りない。所詮この世界に湧く神など、ごみも同じだ。俺はさらに、殺したこいつらをアンデットとして蘇らせ、何度も何度も殺した。だが、それでも足りなかった。くくく……そう、足りなかったのだ。どれだけ殺しても、何度殺しても、俺の経験値はカーディスには届かなかった。だからな俺はこの地を探り当てるのをひたすらに待った。この世界において、邪神カーディスに匹敵する唯一のもの。それは……」

 

 イケーブは破壊され横たわるカーディスの骸に視線を向ける。

 そういうことか……

 

「カーディスに匹敵するのはカーディス自身。そう、俺はこのカーディスの骸を使い、それを滅ぼすことで、カーディスの魂に匹敵する魂を手に入れることにしたのだ。それなのに……」

 

 目を吊り上げ、俺を睨むイケーブは叫んだ。

 

「貴様がスベテをぶち壊した。脆弱な身体しか持ち合わせていないくせに、貴様は俺のカーディスを倒してしまった。本来であれば、このオラリオ屈指の冒険者たちの強靭な魂を動力源にカーディスを動かし、この俺が少女を操りカーディスを倒させることで得た魂を用いて、その身体に邪神を降臨させるはずだった。俺様が長い長い年月の中で築いてきたものを、貴様らのせいで一瞬でご破算だ!!だから、俺の得とくしたすべての精霊の力を使い、カーディスを動かしてお前らもろとも世界を滅ぼしながら経験値を貯めたこのカーディスを俺が利用しようと考え行動したというのに……貴様はそれさえも潰してしまった」

 

 憤怒の形相で震えていたイケーブは、再びその顔に満面の笑みをうかべ、俺を見下ろす。

 だから、それ言いがかりだっての?こいつ、完全に自己完結タイプだな。

 

「だが……俺にもまだまだツキは残ってたようだな。まさかここで、この俺が求めていたカーディスにならぶ太古の神の一柱の魂を手にいれることができるとは……まさに、奇跡、まさに運命~!!いや、これも必然か~……万全を期した俺の勝利だ……くくく……そう、この俺が編み出した【身体渡りの呪法】によってな~」

 

 身体渡りの呪法……さっき、となりのダークエルフはたしか、移し身の呪法と言った。つまるところは同じようなものなのだろが、要するに相手の身体をのっとるということだろう。

 その条件ははっきりしないが、見ていた感じ、やつを殺すか、殺す間際まで痛め付けるかで魂の移譲が始まるようだな……ん?ひょっとして入れ替わってるのか?

 とすれば、今あのルゼーブの身体にいるのは、イケロス……

 

「さあ、いよいよだ。俺が数千年の歳月をかけてあのダークエルフに貯めた経験値、さらに、今改めて完全に殺した神々と英雄達の経験値をすべてくらい、今こそかの暗黒神の魂を用いて、邪神を降臨させる!!さあ、今こそ、出よ、カーディスゥーーーーーーー!!」

 

 そう叫ぶイケーブのむこう、ルゼーブの身体……というか、あれイケロスだよな?なら、ルゼロス?……ええい、もうワケわからん!!

 とにかく、魔方陣の中心のルゼーブの身体(イケロス)は頭を抱えて呻き声をあげていた。

 そして、いよいよ光を増した魔方陣からはいくつもの光の手が生え、そして中央にいるイケロスを掴んで魔方陣へと引きずり込み始める。

 無数の手は、ぼろぼろのルゼーブの身体を初めにに触っていたが、次第にその身体が割れ始め、浮き上がってきたのはイケロスとおぼしき超巨大な光の人形……あれがイケロスの神体なのか……

 だが、そんな強大に見える神の姿であっても、無数の光の手から逃れることは叶わないのか、苦悶の表情をうかべながら、少しずつ下方に引き込まれている。

 そして、その顔が土中に没するその間際……

 人の声ではないなにか……

 直接脳に刻み込んでくるような声がはっきりと聞こえた。

 

”………………”

 

 魔方陣はいよいよ輝きを増す。そんな中、イケロスの神体は完全に吸い込まれた。

 俺たちはただただそれを呆然とながめることしかできない。

 そして次の瞬間、魔方陣の光が大爆音とともに弾けた。

 

 辺りにはもうもうと煙が立ち上る。

 そんな魔方陣の中心には人影が……

 

 ルゼーブだ。

 

 まっすぐに直立したその姿からは、瀕死の重症を負っているとは微塵も感じることができない。

 

 そして、そんな圧迫感すら漂わせるルゼーブに近づいていくのは、いつの間に地上に降りたのか、右手に深紅に輝く宝石を持ったイケーブだった。

 やつは、スタスタと近づいていくと、ルゼーブの身体の正面に立ち、そして、いきなり、その胸に右腕を突き刺した。紅い宝石ごとに……

 ルゼーブはそれでも微動だにしない。そして、しばらくすると、今度は突然イケーブがその身体をぐらりと揺らして地に倒れた。

 動けない俺にはいったい何が起きているのか、まったく理解できないし、どうしようもない。

 残ったのは、腹と胸に大穴を開けて、表情を失して立つルゼーブのみ。

 だが、やつは、次第とその姿を変え始めた。

 腹部と胸に開いた大穴がみるみる塞がり、その長身だった身長はグングン縮んでいく。

 そして、今度はそのはだけた胸元がもこもこと盛り上がり始め、こころなしか尻も丸みを帯びていくような……

 手足もだんだんと細くなり、そのもともと長かった銀の長髪はさらに長く伸び、そして、その長く尖った特徴的な耳が次第に小さくなり、肌の色も白く……そう、まるで雪のように白い素肌に……

 

 身体が縮み、その身を覆っていた衣服がぱさりと脱げる。そして、目を瞑ったままで床に伏せるイケーブを跨いでこちらへ歩みよるその裸体には見覚えがあった。

 何度も強烈な精霊魔法を放ちまくり、俺たちを殺そうとした巨大な狂神。

 俺たちが必死になってなんとか倒したはずの、すぐ俺たちの脇に仰向けで倒れる超巨大な屍……それが、すぐ目の前に立っていた。かなり小さくなって…… 

 

 か、カーディス?

 

 そう、カーディスの骸にそっくりだ。声が出せない俺は心のなかで呟いた。

 くっそ、てことは、完全に復活しやがったのか!?

 口を塞がれてちゃ呪文が放てねえ……

 何がくる?ザラキか!?ザラキなのか?ザラキっちゃうのか!?

 慌てる俺のまえで、そのカーディス(美少女)がその深紅の瞳をゆっくり開いた、そして……

 

「くくく……くはーっはっはっは……くはははははははははは……、やったぞ……ついに俺はやったぞ、俺は、神になったーーーーーーーーーーーーー!!」

 

 と、いきなり絶叫。

 

 あ、やっぱりルゼーブだった。



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(46)ルビス「八幡くんは私よりずっと強いでしょ?」

「くくく……ふくくくく……」

 

 俺たちの目の前でその口許を歪めて笑うのは、見た目は可愛らしい全裸の少女だが、その中身はあのくそ忌々しいルゼーブだ。

 今度はなんだ?ルゼーブ+カーディスだから、ルゼーディスか?いやいや、この身体はルゼーブの身体が変化したものだから、ルゼーブでいいのか?

 もうこの野郎、この短い間にころころ体を変えやがって、もうなんなのか訳わかんねえよ。

 正直もうついていけない。  

 目の前のこいつは、なんというか……人じゃない……としか形容できないな。

 裸の少女の容姿のルゼーブはふわりと浮かんで、地上10センチメートルほどのところで浮游したまま止まっている。そして、その腰までの長い髪ははためいているわけでもないのに左右に広がり、その全身は絶えず細かく赤い光の粒子が放出を続けている。イメージ的には……そう、きのこが胞子を飛ばすときのような……うん、言っててなんだが、よく分からんな。

 

 そんな人間ばなれしたルゼーブは、俺を一瞥したあとに、ダークエルフの女へと近づく。そして、卑しい笑みを浮かべて囁きかけた。

 

「くくく……相も変わらず勤勉なことだ……まさかここまで追いかけてこようとはな……だが、遅い……遅かったのだよ!どうだ?どんな気分だ?おっと……そのままでは喋れんな……」

 

 ルゼーブは、ひらりと右手を横に振る。

 途端に鼻をつく異臭がしたかと思うと、俺たちを捕らえていた植物が一瞬でどろどろに腐って溶けた。

 と、視線を再度やつらにむけたそのとき。

 

「【ライトニングボルト】!!」

 

 ゼロ距離射撃!!

 

 ダークエルフの女は魔力を練っていたのだろう、動けるようになるやいなや、右手をつきだしルゼーブの鼻先目掛けて大火力の光魔法を発射した。

 この光線はさっきカーディスもつかったあの極太レーザーだが、あの規模とまではいかないまでも凄まじいエネルギーが小柄なカーディスの上半身を焼き続けている。

 その余波を受けて、俺も身体を焼かれるが、すかさずホイミで回復。

 正直、この熱量の中で生きていられる人間はまずいないだろう。そう、人間ならば……

 

「くっくっくっく……くふふふふふ……酷いではないか……せっかく話をしようと殺さないでやっているというのに、何もいきなり魔法をつかわなくても……」

 

 光線の収束が収まり、煙の中から姿を現したそれは……

 全く無傷のルゼーブ。その身体はおろか、広がる髪の毛一本でさえもダメージを負った感じがまるでない。

 ただただ、卑しい笑みを称えたままで見下ろしているだけだった。

 

「そうか……貴様がこうも破れかぶれになるとは、ちと寂しいものもあるが致し方なし……かつての盟友として貴様に慈悲をかけてやるとしよう……苦しまずに殺してやる。死ね……灰色の……「ちょーっと待ったー」……ん?」

 

 ルゼーブが手を翳そうとするそこへ俺が声をかけて割って入った。なにか言いかけていたが、なんて言おうとしたんだ?まあ、いい。

 女ダークエルフとルゼーブは俺に視線を向ける。

 そしてルゼーブはその動きを止めた。これでいい。

 このままさっきの蔓のように、一瞬で腐って死ぬのは真っ平ごめんだからな。

 ルゼーブは俺に向き直り、その紅い瞳を大きく開いて凝視してくる。その顔にはすでに笑顔はない。

 

 やっべー、こいつマジでぶちきれてるな~、ここまでかなり煽っちまったし、もう油断はしないってか?

 そう思った矢先に、ルゼーブのやつが左手の人差し指でおれを指した。

 何をしたんだ?と思ったのもつかの間、突然俺の右足に激痛が!!

 

「ぐあああっ!!」

 

 思わず悲鳴をあげてその場に倒れる。

 いったい何が起きたのか……

 と、痛む右足に視線をむけると、足の先からもうもうと煙があがり、そして靴がドロリと溶けたかと思うと、そこに見えるのは真っ白な俺の……『骨』!!

 

「ぐああぁあああああああ!!」

 

 見た瞬間に頭が真っ白になり、激痛が絶え間なく脳に送られてくる。その痛みは足先から、かかと、くるぶしときて、今や脛に到達しようとしていた。

 

「くふふふ……さんざん煮え湯を飲まされたが、それもお仕舞いだデカルチャーズ。貴様には死ぬよりも苦しい地獄を味あわせてやる。うむ?そうだな……ちょうど足も腐っていることだしな……貴様を生きたまま虫にでも食わせてやろう……その四肢がすべて腐るそのまえに、ありとあらゆる虫どもにお前の身体を与えてやる。生きたまま全身を喰われる苦しみを味わうがいい!くくく……くはーっはっはっはっはははーーーー」

 

 こ、このくそやろうが……

 

 やっぱ、人間外見がどんなによくなっても大事なのはやっぱ中身だな……こいつはやっぱりくそだ……

 

 腐食が止まった自分の足を見たあと、床に臥したフェルズやバーバリアンたちを見やる。

 もうフェルズのこと、『骨め』って笑えねえな……

 くっそ、このままじゃ、こいつらも死なせちまうじゃねえかよ……

 

 この状況、いったいどうすりゃいい?

 この野郎は言葉のとおり、『神』になっちまったんだろう……

 ってことは、ルビス様……っていうより、神龍とかゾーマに近いのか?

 この世界の神様はここまで強くねえはずだしな。

 

 強い……

 

 強いか……

 

『八幡くんは私よりずっと強いでしょ?』

 

 不意に脳裏に、あのときのルビス様の言葉がよみがえる。

 まあ、確かにレベルだけみれば強いんだろうな、俺は。

 でも、くっそ、この身体だぞ。じゅもんはバンバン使えるたって、一発食らえば即死とか、それじゃ、俺はまるで……

 

 あ……

 

 俺は突然ひらめいたあることに、痛みも忘れて衝撃を受ける。 

 なんでこんな簡単なことに今まで気がつかなかったんだ……

 

 そうか、そうだな……

 

 もうそれしかないな……

 

 俺は震える自分の肩を抱いて、這いずるようにやつへと近づきながら声を出す。後ろは振り返れないが、たぶん、俺の残った骨はバラバラになってその辺に落ちているんだろうな……

 

「おいルゼーブ……お前の勝ちだ。俺はおろかにもお前に歯向かっちまった。本当に悪かった。許してもらおうなんて思っちゃいない。だがな、ひとつだけ教えてほしい。お前は神になっていったい何をする気なんだ?世界を滅ぼすだけなら、お前ほどのやつならすでにやっているだろう。それに、不死になる必要もなかったはずだ。身体は交換が効くようだしな。だったら、なぜだ?なぜこうまでして、カーディスになった?」

 

 ルゼーブは、再びダークエルフの女へ迫ろうとしていたが、俺の問いかけをきいてその視線を俺へと戻した。そして口をひらく。

 

「ふふふ……憐れだな、デカルチャーズ。死に瀕してようやく素直になったか……よかろう、教えてやる」

 

 にやりと広角を上げたルゼーブは、その身体を俺へと近づける。俺は俺で這いながら奴のもとへ……

 

「この世界には神々が下降しているがな、あれはただの超越者(デウスデア)だ。本来の神ではない。そしてそんなゴミどもに俺は目はむけてなどいない。俺はな、この日を夢見ていたのだ。奴を越えるこの日を……!くくく……くはははは……教えてやる、俺の目的を!!この俺がしたいのは……そう、『神殺し』だ!!奴を殺し、世界の全てを終らせてやる。ひははははっははっははは……」

 

 高らかに笑うやつを見ながら、俺は笑ってやった。

 

「なんだ、結局は私怨か……つまんねーやつ」

 

 やつは俺を冷めた目で見下ろしてきた。

 俺は、失った右足を引きずりながら、無理矢理に左足一本でよろけながら立ち上がろうとした。

 すると、今度は左足に激痛が……

 

 もう見るまでもないな……

 バランスを崩した俺はルゼーブの腰辺りに抱きついて転ぶのを堪えた。

 だが、今度は腕や、胸に激痛……

 やつに触れている箇所すべての肉が煙を吹きながら腐り始めている。

 

「ぎゃああああああああああああああああ」

 

 悲鳴をあげ、腐った両腕で必死にしがみつく俺に、ルゼーブのやつは憐れんだ感じで声をなげてくる。

 

「惨めだなデカルチャーズ。いくら魔力があるといっても所詮貴様は人間。神となった俺と戦えようはずがないというのに……」

 

「な、なーに……これでいいのさ……なあ、ところでお前が言った神って、いったい誰のことかわかんねーけど、それ、もう叶わねーからな……わりいけど」

 

「な、何を……きさま……?」

 

 腐りゆくままに奴にめり込むように崩れていく俺の身体は、どんどん発熱していく。

 その違和感にやつも気がついたのだろうがもう遅い。

 

「教えてやるよルゼーブ。この世界ではな、魔法を使うにはリスクが伴うんだ……ま、当然知ってるよな。なら、今俺が何をしようとしてるかも見当つくだろ?」

 

「き、貴様……は、放せ……放すんだ……、な、なんだ?なぜ力が入らない?ま、魔力もこめられない……なぜだ!?」

 

 俺の身体を引き剥がそうとするルゼーブだが、それは叶わない。なぜならば……

 

「無駄だよルゼーブ。もうお前にだってわかってるはずだろ?今、この俺の周囲には【絶対消失魔法(ディスペルマジック)】が掛けられている。しかも超強力なやつだ。なにせ、お前が頼みにしたあの暗黒神が敷いていったんだからな」

 

「な、なんだと」

 

 そう、俺が今いる場所。それはさっきイケロスが魔方陣に飲み込まれる寸前に放った、絶対領域呪文(卑猥なあれではない)だった。

 通常の【ディスペルマジック】が魔法解除であるのに対し、このイケロスが仕掛けたものはマナの停止……つまり、神とはいえ、所詮はマナの結晶である。カーディスといえど、この結界のなかでは身動きひとつできない。

 要は無限牢獄でカーディスを封じ込め続けていた術と同じようなものであるということ。

 イケロスはあの間際、念話なのかなんなのか、この俺にそのことを伝えてきた。

 だから俺は必死になってこの場所にやつを誘導したんだ。

 だが……

 

 そう、この術は完璧ではない。

 やつの動きを止めておけるのはほんの僅かな時間。

 この間にやつをなんとかしなくてはならない。

 

 へへ……とんだとばっちりだ。

 大体なんで俺なんだよ。

 俺はただの高校生で、ほんのちょっと人間嫌いが強くてひねくれてただけじゃねーか。

 それがなんの因果か、異世界でバンバン戦わされて、死にたくねーから色々と手をまわしてよ。

 それでも、最後はいつもこれだ。

 いてえし、くるしいし、泣き叫びたいけど、そんな余裕もねえし……

 おまけに今回のこれはなんなんだよ。

 両足が腐って、腕も腐って、多分顔も頭も……

 これじゃ、もうゲームもできねえじゃねえか……

 

 ま、それでも……

 

 頭を過るのは笑顔の二人の顔。

 

 そうだな……

 あの二人をこんな目に遇わせなくて済んで……マジでよかったな……

 ああ、ほんと……

 良かった……

 

 良か……

 

 

 

「…………………」

 

 

 良いわけねえだろうが!!

 

 いや……嫌だ……嫌だ嫌だ嫌だ……

 

 死にたくねえ、死にたくなんかねえよ……ちくしょう……

 

 まだ、なんにもしてねえし、何も出来てなんかいねえ。

 やりたいことだって見つかってねえし、なりたいものも分からねえ。

 なにより、俺のことを好きっていってくれたあいつらに、まだなにも返せてねえ。

 

 チクショウ!チクショウ!チクショウ!

 

 腐りゆく自分の身体を見ながら俺は自分自身に迫る死を感じ憤った。

 そんな俺にルゼーブがささやく。

 

「くくく……悪あがきだな……。この俺の魔力が封じられているということは、この空間にいる貴様も同様ということだ。大方、体内で練れるだけ魔法を練って、解除の瞬間に暴発(イグニスファスト)を狙っているんだろうが、果たしてどうかな?ただの人間の貴様に、この俺を仕留めることが果たしてできるかな……くくく……くははははは……」

 

 美しい容貌のその瞳を細め、ルゼーブは再び俺を嘲るように笑う。

 

「ああ……やってやるさ……てめえが瞬間移動(テレポート)しようが、飛んで逃げようがその前にな。俺の全魔力をぶちこんでてめえの魂まで消し飛ばしてやる」

 

 今の俺は『核ミサイル』と一緒だ。対した防御力はないが、相当の破壊力だけはある。

 魔力の量だけでいうなら雪ノ下達には及ばないが、それでもギガデインを数十発放てるだけのMP(マジックポイント)はあるんだ。

 その全てを、一気に放出しさえすれば、やつを……きっと……

 オラリオ版【メガンテ】ってとこだな……ははは……

 

 身体の腐食は進み続ける。もはや抱きついている腕の肘から先は両方とも存在していない。俺の命もあと僅かだ……

 そう思いながら、周囲に感じていた張りつめたような重い感覚……ディスペルマジックの効果が薄れていくのを感じた。

 

 もう少し……

 

 もう少しか……

 

 そのとき、

 

「くはははははは!貴様の敗けだデカルチャーズ!わずかでも綻びがあれば、この程度の結界、簡単に抜け出せるわー。貴様は殺してやる!!いますぐに、全身を腐らせてなー!!」

 

 そう言って俺の頭をわしづかみにしたルゼーブは俺を殺しにかかった。

 頭部に、形容しがたい激痛が走る。

 いや、もはや痛みなのかどうかさえ分からないレベルまできてしまっていた。当然失った手足のすべての感覚はない。

 

 ここまでか……

 

 だが、それでも俺は……

 

 痛みの中で体内で練り続けてきたそれ。俺が今まで生き残るために、使い続けてきた最強じゅもん。

 それの膨張を、溢れ出る魔力を確かに感じる。

 俺はその膨れ上がる魔力をもはや指のない右腕をかかげて、にやけた顔のルゼーブ目掛けて伸ばし、そして……。

 

 発声した……。

 

「ギガデ!!……」

 

 速攻じゅもんである俺たちの魔法……通常ではありえない、魔法行使失敗。そう、それを無理矢理に出力を最大まで溜めた状態で引き起こす……

 

 魔法を暴発させる!!

 

 

 

 

 

 雪ノ下……

 由比ヶ浜……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 すまな……

 

 

   ×   ×   ×

 



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(47)いろはの見た景色

「う……うう……ん……、あ、あれ?こ、ここは……?」

 

「あ、気がついたぁ!良かったー、いろはちゃん!!」

 

「本当に良かったわ。どうかしら?気分が悪かったりはしない?」

 

 目を開けると、すぐそばに心配そうに見つめてくる、マスクを被った結衣先輩と雪ノ下先輩の二人の顔。

 そして、その向こうには、高く聳える厚そうな壁と、その奥にどこまでもどこまでも天へと伸びていくかのような高い塔が見えた。

 

 あ、あれ、バベルだ……

 

 私……

 私はどうして……

 

 痛いっ!!

 

 色々思い出そうとして集中した途端に、頭が割れるように痛くなる。

 どうしてこんなに……

 

「あ、あの……ここは……?」

 

 その私の声にすぐに結衣先輩が反応してくれた。

 

「ここは大穴の外だよ。本当に良かった、もう大丈夫。もう怖くないからね」

 

「ゆ、結衣先輩?」

 

 ぎゅうっと、私の頭を抱えるようにに、結衣先輩がきつく抱き締めてくる。

 い、いたい~っていうか、く、くるしいです~!!

 なんですか!この巨大なマシュマロはぁ!!

 スイカですか、殺人兵器ですか、私へのあてつけですかー!!

 

「く、くるしいです、結衣先輩」

 

「あ、あ、ご、ごめんねいろはちゃん」

 

 パッと離れた結衣先輩がそう言って謝ってくれる。

 ま、まあ、別にいいんですけどねー。気持ち良かったですしー……

 

 そう言いつつ、身体を起こして周りを見れば、一面の荒野で、後ろの方には、火山の火口を思わせる巨大なクレーターと、その中央に巨大な大穴が開いていた。

 

「え?え?あれ、なんです?わ、私、なんで……はっ!!」

 

 唐突に溢れてくる記憶……

 先輩の持っていた『目玉』を袋ごと取って、アンちゃんと一緒に迷宮に入ったこと。

 そして、冒険者に遭遇しながらもそれをみんなかわして、アンちゃんの仲間のゼノスさんたちのところへ行ったこと。

 そこで、蜘蛛と蛇と牛の化け物を見たこと。

 そうだ。

 私は、あの時怖すぎて意識が飛んでしまったんでした。

 でも、そのあとは……

 

 いったいなにが……?

 

 先輩……先輩はどこ?

 

 辺りをきょろきょろ見回しても、ここにいるのは結衣先輩と雪ノ下先輩のふたりだけ。

 

「あ、あの……せ、……比企谷先輩……は?」

 

 その言葉に、雪ノ下先輩が静かに視線を向ける。

 

「彼ならまだ残っているわ……きっと戦っているんでしょうね……まったく、そんなに強くもないくせに」

 

「残る?戦う?え?なんですか、それ?どうしてそんなことになってるんですか?あ、あの……」

 

「あのね、いろはちゃん……ヒッキーはね……」

 

 そう教えてくれた結衣先輩の話に、私の身体は一気に凍り付いた。

 

 私が黒装束の集団に掴まってしまったこと。

 そんな私をみんなで助けにきてくれたこと。

 生贄にされそうになった私を逃がすために、先輩が自分をおとりにしたこと……

 そして、そのままそこに残ったということ……

 

 分ってるんだ。どうしてこんな事になってしまったかくらい……

 

 私のせい……

 

 私が勝手なことをしたから、きっと先輩は助けに……

 

 怖い……

 怖いです……

 

 恐怖に心が染まり、震えが止まらなくなった。

 自分の身体を抱いて必死にそれをこらえる。

 もし……

 もし先輩が死んじゃったらどうしよう!!

 もし、もう二度と先輩の顔を見れなかったらどうしよう。

 なんで、私にはちからがないの?

 どうして私は先輩たちと同じじゃないの?

 どうして? 

 

 自然と涙が溢れる。

 怖さと、後悔と、悔しさで身体の震えは酷くなり、思考もまとまらない。

 そんな私を結衣先輩たちは優しく抱いてくれた。

 

「大丈夫だよ、いろはちゃん。ヒッキーは約束してくれたもん。『大丈夫だ』って。ヒッキーは嘘はつくけど、約束は破らないよ。だから大丈夫」

 

 優しくそう囁いてくれたとき、私の中の何かが弾けた。

 

「な、なんですか、それは!?比企谷先輩がどうなってもいいんですか?なんで、助けにいかないんですか!力があるのに、なんで何もしないんですか!ズルいです!ズルいです皆さんは。私だって、私だって色々できるはずなのに、先輩たちみたいにしたかったのに、いつも助けられてばっかりで……なのに力があるのに、何もしないなんて……最低です!酷いです!あんまりです!!これで先輩が死んじゃったらそのときは……あ……」

 

 そこまで言って、私の肩を抱く結衣先輩の顔を見ると、ぎゅっと口を固く結んだまま、顔を真っ赤にして両目から涙を止めどなく流し続けていた。

 そして、歪んだ顔を不器用に変えて、その口許を優しい微笑みに変えた。

 

「ごめんね、ごめんねいろはちゃん。あたし……バカだからさ……こんな時本当にどうしていいか分かんないの……でもね、あたしはヒッキーを信じたい……ヒッキーが帰ってくるのを待ちたい。それじゃ、だめかなぁ」

 

 一切嗚咽をあげずに、優しくそうささやく結衣先輩に私は何も言えない。

 言えるわけないです。だって、私が一番許せないのは、私自身なんですから……

 結衣先輩だって、絶対に私が原因だって思ってるはずなのに……

 ……なんでこの人はこんなに優しいの?なんでこんなに強いの……

 

 ああ……敵わないや……

 

 呆然とする私に、立っていた雪ノ下先輩が見下ろしながら話した。

 

「私と由比ヶ浜さんは彼と、貴女を絶対守ると約束したの。だから、ここは素直に守られて頂戴。それで良いかしら?」

 

 凛と佇む雪ノ下先輩は、まるで女神の彫像のように綺麗で、そしてとてもとても怖かった。

 言って少し間をおいてから、私をもう一度見て、優しく微笑む。

 

「言いたいことはお互いたくさんあると思うのだけれど、それは彼が帰ってきてからにしましょう……、ね」

 

「う、うう…………うああぁぁ…………」

 

 ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……

 沸き上がる感情は言葉にならず、嗚咽となって辺りに響いた。

 自分ではどうしようもなかった。

 そんな私を変わらず笑顔の結衣先輩が抱き締めてくれていた。

 そのとき……

 

「あぁあん!?なんだなんだ、辛気クセえ。こんなくそみてえなとこでお通夜でもやってやがんのかぁ、ああ!?」

 

「黙れベート。お主はほんの僅かな時間でさえ静かに出来ぬのか、まったく……」

 

「あっれー?アルゴノゥト君は~?居ると思ったのになー」

 

「あんたねー、さっきあんたとアイズの二人でぼこぼこにしたばっかでしょー。まったくレベル2相手に何やってんだか」

 

「えへへ……そうだったそうだった」

 

「ベル……大丈夫……かな……?」

 

「ふう、まさかこんな訳の分からんクエストに駆り出されることになるとはのぅ?これで歯応え無い相手であったら、ギルドへ怒鳴りこんでやるわい」

 

「そこまではしないでおくれよ、ガレス。僕の立場がまずいことになるからね。それにそうはならないだろうな……どうも嫌な予感がする……」

 

 そう言って親指を舐める子供のような見た目の冒険者を中心に、複数の重武装の集団がこちらへと向かってくる。

 

 一人はまるで子供。軽装で腰にショートソードを帯びて悠然とこちらを見据えている。

 一人はドワーフ。背は低いけど、そのまるで筋肉の塊のような身体に、重そうな鎧兜をまとって、その肩に巨大な両刃斧を担いでいる。

 一人はエルフ。若草のような艶やかなグリーンの衣に身を包み、その手に木製のスタッフを抱えている。

 一人は双子の褐色の少女の一人目。露出の高い赤の衣装で腰にナイフをさげている。

 一人は双子の褐色の少女の二人目。やはり露出の高い衣装に身を包んで、でも、こちらは先程のドワーフよりもさらに巨大で太い剣?を担いで歩いている。

 一人は獣人。鋭い眼光でこちらをにらみながら、ポケットに手をいれて向かってくる。ふ、不良です、怖いです。

 最後の一人は、金髪の女剣士。シルバーの薄手の甲冑に身を包んで、その腰に剣を帯びていた。

 

 と、美男美女ばっかなんですけどー(ドワーフさんはまあ、渋カッコいいってことで!)

 

「おーーい!お義姉さんたち~!」

 

 彼らの後ろから声がして、視線を向ければ、こちらに向かって手を振る小町ちゃんとアンちゃんの姿。

 彼らを追い越そうとしたそのとき、一瞬子供のような冒険者がアンちゃんをするどい視線で睨んでたけど、大丈夫かな?

 なんかその間を遮るように獣人の人が立ってたけど、あれ、ひょっとして守ってくれたのかな?

 

 小町ちゃんとアンちゃんが近寄ってきた。

 

「良かったよー、いろはさん気が付いて、心配してました~、大丈夫ですか?」

「アンもシンパイだったよー、いろは、ヨカッター」

 

「あ、う、うん、ごめんね、本当に……ごめんね……」

 

 また涙が出そうになる。そんな私を結衣先輩がまた抱きしめてくれた。

 その脇で小町ちゃんが大仰に手を振って、マイクを持つような仕草で話始めた。

 

「おっほん!!では、ご紹介いたしまぁす!!えー、こちらがお兄ちゃ……あわわ、わ、ワレラさん達救出作戦に参加してくれることになった、【ロキ・ファミリア】のみなさんでーす!どんどんぱふぱふっ~!では、自己紹介を~……」

「すまないがお嬢さん、その時間はなさそうだよ」

「え?」

 

 小町ちゃんの肩にポンと手を置いた、その子供のような人が若草色の衣のエルフの方を振り返った。

 

「リヴェリア、たのむ」

 

 深刻そうな顔でこくりと頷いたエルフは、全員の前に立ってその大きな杖を掲げて呪文の詠唱を始める。

 

「舞い踊れ大気の精よ、光の主よ。森の守り手と契を結び、大地の歌をもって我等を包め。我等を囲え大いなる森光(しんこう)の障壁となって我等を守れ――」

 

 徐々にエルフの周囲に緑色の光が輝きを増しそして、私たち全員を囲むような巨大な緑の円が浮かび上がった。

 

「———我が名はアールヴ!!」

 

 詠唱が完了すると、私たちの周囲を透明な壁が一気に覆う。と、次の瞬間!!

 

 ドドドドドドドドドドドドドドッ……

「きゃあ」「キャア!!」「わあ!」

 

 立っていられないほどの激しい揺れ……

 

 地震……?

 

 かと思ったその刹那、目の前の大穴から、火山の噴火を思わせる激烈な勢いで青と黄色の稲妻と炎が吹き上った。

 そのエネルギーの奔流は私たち全員を軽く飲み込み、背後のオラリオの外壁をも焼いてしまっている。

 そして、立ち上るその稲妻と炎は遥か上空の厚い曇天の雲をも吹き飛ばした。

 そのあまりの凄まじさに、防御呪文を唱えたエルフもその顔をしかめる。そんな彼女に、子供のような青年が声を掛けた。

 

「大丈夫かい?リヴェリア」

 

「ええ、ただの余波だから、問題はない。しかし、直撃であったらと考えると肝が冷える」

 

「なにこれー!?噴火?じゃなくて、グランドキャノンかな!?絶対死ぬ~」

「こんなのどうしろって……」

「ちぃっ!!」

 

 二人の背後では、やはり同じように青い顔をしたロキ・ファミリアの面々が口々に何か言い合っているけど、今の私には何も聞こえなかった。

 

 あの稲妻は見たことがある。

 

 あれは、先輩の……

 

 あの穴の下に先輩が……

 

 次第とエネルギーが収まりを見せはじめたかと思ったその時、またもや地面が激しく揺れた。そして、

 

 ドドオオオオオオオオン!!

 

 耳をつんざく爆裂音とともに、目の前のクレーターは一気に崩落。

 大穴だったところはさらに深い穴がとなり、でも、穴は完全に埋まってしまった。

 

「せ、先輩!!」「ヒッキーーーーーーー!!」

 

 今度こそ、結衣先輩も絶叫。涙を溢れさせながら……

 

「感慨に耽っている場合じゃねえぞ……てめえら、下がってろ」

 

 チャリ……

 

 と、音がしたと思ったら、私の目の前には細身の剣を構えて正面を向く、獣人の人の姿が。

 ほかの冒険者の人たちも、手に手に武器を構えて、緊張感を高めている。

 

 いったい、なにが……

 

 ボコ……、ボコボコ……

 

 周囲から耳慣れない音が聞こえ始めたかと思うと、そこかしこの地面から、何か大きなものが這い出てきた。

 

「ええ?なんでこんなところにスパルトイが出るの~?」

 

 見れば、手に手に武器のようなものを持った骨の怪物の大群が……

 でも、それをはっきりと視認したエルフの女性が慌てた声をあげる。

 

「い、いや、あれはスパルトイではない……ま、間違いない、竜牙兵(ドラゴントゥースウォーリア)だ。それに……」

 

 辺りには、それだけではなく、空中をさまようように飛翔する透明なもの……あれは幽霊?

 

「気を付けるのだ、バンシーまでおるぞ!魂を刈り取られてしまう!」

 

「ええー!?どうしろっていうのよー」

「オバケなんて戦ったことないんだけど」

 

「魔力を武器に纏わせれば通用するはずだ。全員にエンチャントをかける、急いでわたしのもとへ……」

 

 そう、エルフが声を上げたその時、私の前で白ローブの結衣先輩が右手を上空へ突き上げて立ち上がった。

 

「絶対にヒッキーの帰る場所を守るんだ!!邪魔はさせない!!【二フラム】!!」

 

 その掛け声とともに、まるで太陽が現れたかのような強烈な光が周囲を包む……

 その光は、さまようバンシーたちを次々と飲み込み、瞬く間に搔き消していった。

 

「そうね、私も絶対に諦めないわ!!【ベギラゴン】!!」

 

 雪ノ下先輩の呪文は、わたしたちの周囲の地面から巨大な火柱を次々に上空へ向かって打ち立てている。そして、その神秘の火炎は上空のバンシーたちを巻き込みながら消滅させていった。でも、そんな凄まじい火炎のなかであっても、竜牙兵たちは悠然と歩んで近づいてきていた。

 

「あのバンシーはあたしたちがなんとかします。皆さんもよろしくお願いします」

 

 そんな結衣先輩を見ながら、呆然としてしまっているエルフの前に立った小柄な青年は剣を振り上げた。

 

「やることはいつもと同じだ……いくぞ!オラリオ最強をここに示せ!!」

 

「「「「おう!!」」」」

 

 私たちの目の前で、道化師(トリックスター)を掲げた最強の人たちの戦闘が、今始まった。



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(48)ロキ・ファミリアVS死の軍団

 まったく、厄介なことを押し付けてくれたもんだよ、ロキ……

 

 小人族(パルゥム)の勇者はそう心の内で自らの主神にぼやいていた。そして、ぴくぴくと痺れてさえもいる自分お親指をじっと見た。

 

 そう、ロキが不安そうな顔をしていた時点で嫌な予感は確かにしていたんだ。

 だが、それと同時に慢心ともいえる傲りも確かに自分の内にあった。

 

 今回のこのクエストは降って沸いたものだ。

 ダンジョンの深層探索を終えてからというもの、立て続けにトラブルに巻き込まれ、オチオチ休養も出来ずにいた。

 そんな矢先に、朋友でもある自身の片腕、このハイエルフのリヴェリアの慌てふためく様に、惑わされてしまったのかもしれない。

 彼女は、この世界に危機が迫っているとなんの躊躇いもなく僕達に告げた。

 こんなことは初めてのこと。

 この聡明で冷静沈着なハイエルフは、いつだって狂暴な僕の心を癒し、僕を支えてくれた正に盟友。

 そんな彼女はホームへ戻るなりすぐに、僕とロキとガレスへ血相を変えてそう話を切り出した。

 折しも、ちょうどそんな僕らの手元には、ギルドから最高難度クエストが届けられたところであり、その内容がリヴェリアのそれとほぼ合致したことで、僕は危険を承知でこのクエストを受諾することにした。

 ロキ自身が珍しく僕にこのクエストを受けるように頼みこんできたことも当然その理由の一つなのだが。

 

 今となっては浅はかだったと言わざるを得ない。

 

 ギルドの発行したそれは、『必要レベル6以上、オラリオ外周に出来た大穴内への侵攻と、その内部勢力の掃討』

 そしてリヴェリアの情報では、その大穴深部に邪神の骸と闇派閥(イヴィルス)と思われる集団を多数確認されており、それらが邪神復活の儀式を行おうとしているらしいとの事。

 正直、僕にとって、この『邪神』という言葉は軽いものだった。

 かつて、自らをそう称した神々の話はかなり聞き及んでいたし、その残党として忌み嫌われているのが、その闇派閥の連中であった。そして、その時の僕は、『邪神討伐』の栄誉を掴みたい欲求に、なにより囚われたいたのだと思う。

 一刻も早い我が同胞……小人族(パルゥム)の栄誉の回復……

 そのもっとも最短の道がここにあると……

 そう、これは慢心だ。

 僕の内にあった邪神軽視の気持ちと、強く成長しつつある仲間達への信頼感、なにより僕自身が、自分たちこそ最強であると、心の何処かで思い込んでいたことが一番の原因だろう……

 信じるべき自分の『勘』を、僕はついに侮ってしまった。

 

 だが、もはや後悔の時ではない。

 

 目の前に立ちはだかる者はなんであれ排除する。

 もう僕らにはそれしかないのだから。

 

 目前の圧倒的な暴力の前に、流血しながら戦う自身の家族達の姿を見て、勇者(ブレイバー)は剣を鞘から抜き放った。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「なに、こいつら、かった~い!!私の大双刃(ウルガ)で叩き切れないなんてー」

 

「ティオナ一旦下がって、リヴェリアの回復を受けて!!」

 

「えー?、大丈夫だよー、まだ10体しか倒してないし」

 

「バカっ!そんだけ血まみれになって、10体しか倒せてないんだから下がるんでしょ?周り見てみなさいよ」

 

「うへえぇ……うじゃうじゃいるぅ~」

 

「ケッ、雑魚はすっこんでろ、俺が全部やってやる!うらぁあああ!!」

 

「あっ!バカ犬!抜け駆けすんなー」

 

「これは、予想以上だわい。ワシの戦斧を受け止めるとはの……こんな戦い……久々よ……どっせええええええい!!」

 

「『エアリアル』…………行くよ…………」

 

「フィン。くれぐれも無茶はするなよ」

 

「ああ、わかってるさリヴェリア。今日は後詰めだ。だが、苦しいな」

 

 崩落した大穴からオラリオの市壁に向かうその途上にて、彼らは扇状に布陣して迫り来る竜牙兵(ドラゴントゥースウォーリア)たちを迎え撃っている。

 だが、その旗色は甚だ悪い。

 そもそも彼らの戦力は白ローブの魔導士を含めて9人。

 対する敵勢戦力はといえば、軽く2Mを越す巨大な竜牙兵がその数500体以上。

 実際はそれを遥かに上回る数のバンシーがオラリオを目指して飛翔を続けていたが、亡霊たちは白ローブの二人の魔導士が片端から強力な魔法によって消し去ってまわっていたために、それらに襲われる心配はなかった。

 だが、それを差し引いたとしてもどうしようもない現実がそこに広がっていた。

 

 彼ら……自他ともにオラリオ最強と認める【ファミリア】、【ロキ・ファミリア】の精鋭中の精鋭、レベル6となった7人の戦士が相対したのは、ダンジョンの深層で現れる骨のモンスター『スパルトイ』に酷似した二足二腕のアンデットを思わせる骨の怪物。だが、その骨の体躯はスパルトイを遥かにしのぐ強靭さであり、しかも、その全身はフルプレートに覆われ、その手には業物のハルバードと方形(ヒーター)シールドが握られている。

 言うなればスパルトイの正規兵……まるで、軍隊のごとく、湧いてでたそれらは、隊列を組んで襲いかかってきていた。

 

 戦端は一瞬で開いた。

 

 大双刃を構えたティオナ・ヒュリテが竜牙兵の只中に飛び込み、その格段に威力を向上させた必殺の一撃を叩き込んだ。そう、このレベル6まで到達した彼女の身体から繰り出される会心の一撃は、ダンジョンの深層の大型級のモンスターでさえ一掃することができる。

 しかし、眼前の怪物は普通ではなかった。

 野性的な感覚で応戦する通常のモンスターの反応のそれではなく、その虚空の瞳は彼女の挙動を注視しつつ、冷静に方形シールドで斬撃を受け流し、その流れのままに腰の入ったハルバードの一閃を放つ。それはその狙いを定めた一体だけの行動にとどまらず、周囲に展開していた数体の竜牙兵が一斉にその槍突を繰り出してきた。

 元来、その驚異的な身体能力によって、攻撃を躱すことに主軸を置いたティオナ・ヒュリテの装備はほぼ皆無に等しく、その洗練された兵士の如き反撃によって、緒撃で腹部に負傷を負ってしまう。

 

 それでも、そこに居合わせた竜牙兵の数体を一瞬で屠った事実は、彼女が並々ならぬ修羅場を経験してきた猛者であることの証明であった。彼女は押し寄せる兵たちの刺突を躱しつつ、重武装の竜牙兵をフルプレートごとに叩き切り、一体また一体と破壊して進んだ。

 

 そんな彼女を先頭に、【ロキ・ファミリア】の精鋭たる彼らは、津波のように押し寄せてくる死の軍団を、僅かな人数とはいえ、真向から迎え撃つ。

 

 大地を叩き激震させる巨大な両刃斧。

 強力な風を剣に纏わせ切り裂き進む剣士。

 炎を噴くメタルブーツがフルプレートをも焼き貫く。

 そして、2振りの婉曲剣で的確に身体である骨を切り捨てる。

 

 竜牙兵達の頭部を破壊し、両腕をへし折り、脚部を薙ぎ払う。

 まるで一級の戦士の様に応戦する竜牙兵に対し、彼らはそれ以上の奮戦を見せ、一気に数体を相手に戦い続けた。

 だが、痛みを感じず、疲れも知らず、倒しても倒してもひたすらに起き上がり挑み続けてくるその死の兵を前に、彼らも苦戦を強いられる。

 そして、辛抱強く戦線を維持し続けた彼らの耳に、あの頼もしい声が聞こえてきた。

 

 

「『間もなく、焔は放たれる。忍び寄る戦火、免れえぬ破滅———』」

 

 巨大な魔力を放出し始めた淡い緑のローブをはためかせたのハイエルフ。その杖を高らかに掲げ、凛と通った声音で呪文を詠唱する。

 その声を聴きながら、全員がほぼ同時に敵を押し返す。

 そして、一気に飛びし去ったその時……

 

「『———大いなる戦乱に幕引きを。焼きつくせ、スルトの剣――我が名はアールヴ』」

 

 ひときわ強い光が辺りを包んだ次の瞬間、カッと目を見開いた彼女、リヴェリア・リヨス・アールヴは自身最強の殲滅魔法の完成を宣言した。

 

「『レア・ラーヴァテイン』」

 

 超巨大な紅蓮の炎が目の前を席巻する。その渦巻く焔は数百体の竜牙兵たちを飲み込み、そして、苛烈なまでの獄炎によってその身体をプレートメイルごと溶解させていく。

 この渾身の一撃は、『九魔姫(ナイン・ヘル)』と呼ばれる所以でもある彼女の超長文詠唱による、最大出力の魔法力によるものであった。

 

「くっ……」

 

 自らの放出する魔法力によって、身体に激痛が走る。

 苦悶に表情を歪ませた彼女は、それでも毅然と杖を構え続けた。

 

「すごい!!」

「やったの!?」

 

 眼前で絶叫を上げるかのごとく顎部を大きく開いて天を仰ぎ見る竜牙兵達を見つつ、歓声を上げる二人のアマゾネスに、小人族(パルゥム)の青年の冷静な声が応じた。

 

「いや、まだだね。リヴェリア、ポーションを使用して少し休め」

 

「あ、ああ」

 

 魔力回復薬を手にした子供族、フィン・ディムナが魔力ダウンで膝を着いたリヴェリアへと声を掛け、そして再び視線を戦場へ戻す。

 

 炎に撒かれた竜牙兵たちは確かに溶解したが、その背後にはまだ多数の存在がある。

 ここまでの戦闘で、確かに1対1であれば、自分たちの側が優勢なのは明白ではあったのだが、訓練された兵士なみの行動をとる完全武装の敵に対して、少なくとも1対多数では分が悪すぎた。

 フィンは、ここで拙速に味方へ突撃の指示は出さなかった。

 なぜなら、その理由としては、彼が、その竜牙兵たちの更に背後に、彼女たちの存在を確認していたから。

 

「イオナズン!!」

「バギクロス!!」

 

 遥か遠方でそうじゅもんを唱えた声が、彼らの強化された耳に確かに届いた。

 

 その瞬間、左右に大きく開いた残り数百体の竜牙兵たちの左翼側のあちらこちらに、黒い球体が次々に出現。それらは、まるで力を籠めるかのように見えなくなるほどに小さく圧縮され、そして、強烈な爆裂音とともに大爆発を巻き起こし、敵の多くを粉々に吹き飛ばした。

 そして右翼側では、目で視認できるほどの巨大で鋭利な空気の渦。見る間に竜牙兵たちがその風に飲み込まれ、そのまま風の刃に全身を鎧や盾ごと切り刻まれていく。

 残されたのは、赤茶けた大地で溶解した骨の残骸と、巨大な爆発跡のクレーターと、猛烈な竜巻に抉られ、モンスターたちの残骸の四散した荒地。

 

「す、すごい」

「ちっ」

 

 ぽかんと口を開けたティオナの横で、狼人のベートは舌打ちを鳴らした。

 彼にとっての強さとはあくまで一体一に特化したものである。

 ここに至って彼自身の能力は比類なきものではあったけれど、包囲殲滅ということとなれば、魔法にやはり分がある。それも当然分かってはいても、目の前で行使されたその破壊力を見せつけられればやはり強きを望む自身としては悔しさも滲むのである。

 

 そんな彼らを見つつ、団長のフィンは声を張り上げた。

 

「残敵を掃討しろ。ただし、用心するんだ」

 

「はい!!」

 

 ティオネがその大きな胸を揺らしながら返事をして、まだ動く竜牙兵に駆け寄ろうとして、ふと足を止めた。

 

「ねえ、団長?あそこ、あの抉れた地面のところ、なにか光ってるよ」

 

 言われて視線を向けてみれば、さきほどの魔法で抉られた地面から、赤い輝きが漏れ出ている。その光はところどころ抉れた箇所から立ち上っており、その範囲はかなり広いように彼らには見えた。

 

「あれは、魔法陣……たぶん『召喚門』だ」

 

 疲労を回復できたのか、生気の戻った表情のリヴェリアがフィンに並んでそう口を開く。

 

「召喚門?」

 

「ああ、地中に魔法陣を何らかの方法で展開したのだろう。多分だが、あの死霊や竜牙兵たちはあそこから召喚されたのではないか?」

 

「だったら、あの魔法陣を壊せば終わりだよね。ウルガで殴れば消えるかな?」

 

「バカじゃないの、切って消えるなら、さっきの爆発とかでもう消えてるでしょ!!まったく」

 

「そっかー、あはは」

 

「ふむ……完全な魔法の解除にはならないかもしれないが、あの魔法陣を消すことは多分可能だ。私が魔法陣を上書して効果を相殺させよう」

 

 オラリオ随一の魔導士の言葉に、その場のほぼすべての物がこれでおしまいかと安堵の息を吐いた。一人、親指の疼きを抱えた小人族を除いて。

 

「くるぞ」

 

「え?」

 

 ふと、顔をあげたフィンの眼前で、魔法陣から、未だに産まれ続ける竜牙兵の背後に巨大な影がせりあがった。

 小山ほどもあるその深紅の塊はまるで鮮血を浴びたかのような凄惨なイメージを彼らに与える。

 ゆっくりゆっくりと立ち上がったその巨体は、あの階層主ゴライアスをはるかに凌ぐ体躯……。

 燃える炎のような深紅の瞳に深紅の身体。まるで塔のように聳えるその威容は、オラリオの外壁に匹敵するほどのサイズを誇っている。その全高は50Mを越えようか……

 

炎の巨人(ファイアジャイアント)……」

 

 全身から蒸気を上げつつ完全に立ち上がったその怪物を呆然と見つつ、再び絶望の色にその瞳を染めたハイエルフが、ぽつりとそう呟いた。

 



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(49)進撃の巨人みたいな

 全身を深紅に染めたその巨大な人影は、地の底から沸き上がるような唸り声を漏らす。その声のあまりの恐ろしさに遠く、オラリオの中心街にいたもの達までもが震え上がった。

 そう、オラリオの市民達は恐怖した。

 空へと駆け上る雷に、大地を揺るがす強震に。

 そしてこの声に。

 改めて思い至ったのだ、自分達が、最悪の災厄に今見舞われているという事実を。

 その時、咆哮を聞いた多くの者がそれを見た。

 市壁のその向こう、天を突くように立ち上るその深紅の焔を……

 ダンジョンではない、この地上で、しかも、あり得ないほどの威圧をもって現れた絶対者の存在の気配を。

 人々は感じた。

 そして確信する。

 これから恐怖の時が始まるのだ……と。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「リヴェリア、あれはなんだ?……リヴェリア……リヴェリア?」

 

 小人族(パルゥム)の青年にそう声を掛けられても、ハイエルフの王女は返事をしなかった。

 いや、決して知らなかった為に言葉を発っせなかったのではない。出来なかったのだ。

 今の彼が望む返答を、自分は持ち合わせていなかったのだから。

 パルゥムの青年……フィンの聞きたいこと……それは、目の前のこの恐怖の存在に対し、如何にして対処すれば良いのかということ。そんなことは数多くの修羅場を共に乗り越えてきた朋友の彼女にわからないはずはない。

 だが……

 眼前の存在は違うのだ。

 数々の激戦。

 ダンジョンの深層において、迷宮の孤王(モンスター・レックス)を屠り、残虐で凶悪なモンスターの群れを相手に一歩も引かずに闘い続けた彼女達は、常に死と隣り合わせであった。

 しかし、それを覆し、捩じ伏せ、そして生き残り続けた。

 その原動力は、野心であり、義侠心であり、生への渇望であった。

 倒し、勝利し、帰還した。

 だがそれは、自らがその身を投じたダンジョンの中においてこその話。

 普通であれば自らの常識の通用するこの場所……凶悪なモンスターなど出現するべくもない安全地帯とも言えるこの地上。

 ここで遭遇してしまった未知なる存在……その存在に対して自分達のささやかな自信など何の意味もないことを直感的に理解した。

 いや、長い年月を生き、そして、己が種族を引き継いだ身のリヴェリアだけははっきり理解していた。

 伝え聞いた恐怖の伝承としての存在……それが、今目の前にある。

 

 深き森のハイエルフにのみ伝わる伝承……

 

『終末の巨人の眷族にして、破壊の亞精霊』

 

 原初の世界より存在した最強種、『竜種』をも降したという、『巨人族』の『四王』が一。

 その伝承に謳われる深紅の炎の巨人こそが、目の前に聳え立つこの禍々しい気配を放つ存在……あれこそが『炎の巨人(ファイアジャイアント)』に違いない。

 リヴェリアは確信をもって、そう判じた。

 

 だが、だからこそ、リヴェリアは何も口にできない。

 

 なぜなら、太古の巨人族の復活こそが、この世の終焉の始まりであると知っていたから……真っ黒な絶望に彼女は取り込まれてしまっていた。

 

 愕然とし、もはや生気のない顔でそれを見上げるリヴェリアの正面にフィンは立つ。

 そして、おもむろに、その白く透き通った美麗な頬に痛烈な拳を叩き込んだ。

 

 あまりの衝撃に頭から弾き飛ばされるリヴェリア。その様子を、周囲の仲間達は驚嘆して見守る。

 それはリヴェリア自身も同じであり、殴られた頬の痛みよりも、突然のフィンの豹変に驚きのあまり目を見開いてしまった。

 そんな異様な雰囲気の中、フィンが静かに言い放つ。

 

「リヴェリア、お前はあの魔法陣をすぐに消しにかかれ」

 

「え?」

 

「聞こえなかったのか?お前の役目はあの魔法陣を消滅させることだ。このまま、あんな化け物がもっと湧き出てこられても困る。急いで当たれ」

 

「は、はいっ」

 

 鋭い視線で指示を出すフィンに思わず勢いよく彼女は返事をする。それを聞いたフィンはアイズとベートへと目を向ける。

 

「アイズ、ベート。お前たち二人はリヴェリアを守れ。近寄る敵を一掃しろ」

 

「……うん」「わぁったよ」

 

 そして、残りの3人を見る。

 

「ガレス、ティオナ、ティオネ。俺達はあのデカ物を狩るぞ。容赦はするな」

 

「ほう……狩るときたか。言いおるわい」

「う、うん、分かった……わ、フィン。私頑張ります!」

「お~お~、恋する乙女だね~。でも今の団長には効かないと思うけど?」

「あんた、ぶっ殺すよ」

「あ、本性でちゃった」

 

 拳を振り上げて喧嘩を始める双子。場の雰囲気が弛緩したかに見えたその時、目の前の敵はすでに動き始めていた。

 まるで巨大な城のような足を持ち上げて歩み始める。

 向かう先は……

 

 オラリオ……

 

 彼の炎の巨人は全身に炎のエネルギーを纏ったまま、市の外壁を目指す。

 

 そんな圧倒的な存在に、彼らは立ち向かっていった。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「おお、おお、スゲーぞ!【重傑(エルガレム)】のやつ、あのデカブツのパンチを正面で受けきったぞ」

 

「やるなー……でも、俺が見たいのは【怒蛇(ヨルムガンド)】のティオネちゃんの跳躍だな。プルンプルンのおぱーいがたまらん」

 

「いや、その双子でいくならやっぱ【大切断(アマゾン)】だろう?ちっぱいで、大双刃振り回すとこなんてもう……」

 

「いやいやいや、それなら……」

 

 市壁の上に群がるたくさんの人影。

 その超越した美の化身達は言わずと知れた地上に降りた神たち。

 オラリオの外で繰り広げられるこの騒ぎをいち早く聞き付け、冒険者よりも早くこの一等席である市壁の上に陣取ったのだ。

 そしてどうでもいい話題で盛り上がりながら、眼下で深紅の巨人と闘うオラリオ最強の【ロキ・ファミリア】の死闘を嬉々として見物していた。

 広大な荒野には巨大な大穴と抉れた地表、そして無数のアンデットの残骸とそれを踏みしめて屹立する超巨大なモンスター。その足元で、小さくまるでアリの様に駆け回る最強の戦士たちの雄姿はまさに最高のエンターテイメントと言えた。

 神はやはり娯楽に飢えているのだ。

 ダンジョン内への侵入を不可とされている以上、このオラリオにおいて最高のショーともいえる『バトル』に関しては、身近であってもなかなかお目にかかることが出来ない。

 神々は喜んでいた。

 自身がもっとも見たかったものを間近に見ることができて……

 

 だが。

 

「君たちは随分と余裕なようだな?」

 

「ん?何がだ?」

 

「あれ、お前は?」

 

 まさに高みの見物を決め込んでいる神々の脇に、一人の男神が歩み寄ってそう呟いた。

 男はその目深に被った帽子を上げ、目の前の戦闘に視線を向ける。

 

 荒野をバトルフィールドにして、【ロキ・ファミリア】の精鋭たちは縦横無尽に駆け巡り、その巨大な『敵』に死力を尽くして挑んでいる。

 直近で観たとしたならば、その爆風を伴った斬撃や、相手の身体を駆け上りながら繰り出す攻撃の強烈さに、目をまわしてしまうことだろう。

 だが、今回は分が悪すぎた。

 あまりにも質量が違いすぎるのだ。

 ドラゴンの硬皮でさえも両断する彼らの剣戟は、巨人の分厚い筋肉に阻まれ、オラリオ最強と謳われる魔導士の渾身の大破壊魔法でさえも、その体表に傷をつける程度のダメージ。

 しかも、相手は巨大であっても決して鈍重ではなく、まるで拳闘士の様にその剛腕を振るい続ける。

 その一踏みは大地を揺るがし、その腕の一薙ぎは突風を巻き起こした。

 戦況はもはや決している。

 優劣がどう等と言える次元の戦いでは決してない。

 押され、消耗し、吹き飛ばされてなお立ち上がる彼らは、圧倒的な暴力の前でさえ屈さずに相手に挑み続る。

 

 そんな彼らを援護しようと、市壁の上ではすでに大勢の魔法使いたちによる呪文の詠唱が始まっている。

 そして、櫓に据え付けられた『大型弩砲(バリスタ)』には次々に長槍が装填されていく。

 

 集団戦闘に向いてはいない冒険者ではあるが、近寄る巨人に対して皆一致団結して一斉に攻撃を仕掛ける。

 魔法はその頭部を中心に炸裂し、長槍は上半身の複数個所に殺到した。

 しかし……

 

 炎攻撃無効の上に、超耐久。

 やはり圧倒的な存在であるこの巨人に対しては然して効果があったとは言えなかった。

 

 巨人は攻撃を続ける冒険者のいるオラリオの壁に向けて、絶大な威嚇(ハウル)を放った。

 そのあまりの威圧の恐怖に、低レベルの冒険者たちはたちまちに卒倒してしまう。

 

 それでも、冒険者たちは絶えず攻撃を続けていた。

 

 羽帽子を手に持ち直した男神は、再び周りにいる神々にむかって声を掛けた。

 

「ひょっとして君たちはあのモンスターがダンジョンから出てきたとでも思っているのか?」

 

「え?」「それどういう……」

 

 神々は、その男神の皮肉めいた言葉と、何か諦めたような目の色にぞわりと身体を震わせた。

 モンスターはダンジョンから生み出される。

 これはこの世界の真理であり真実だ。

 なぜならば、世界はそうなる様に創られているから。

 どの神もそれを疑ってなどいないし、疑問にも感じていない。

 そして、それだからこそ、彼らは気楽でいられるのだ。そう、このダンジョンのモンスターであれば、彼らが頼みとする子供たちの手に負えるのだから。しかし……

 

 そうでない存在……

 

「おい、ヘルメス……ま、まさかあのモンスターは、あれなのか?」

「どうすんだよ、やばいじゃん」

「お、おい、逃げようぜ」

「どこに逃げればいいんだよ」

「とりあえず、他の国にかくまってもらって」

 

 急に慌てふためき始めた神々に、羽帽子の神、ヘルメスは巨人を見ながら呟いた。

 

「もう遅いだろ。カーディスが蘇ったらしい。となれば、あの炎の巨人はあれの眷属だ」

 

「マジかよ……」「し、死にたくねえ」

 

 一気に蒼白になった神々は言葉なくその場に崩れた。

 そう、絶望は誰にでも等しく訪れる。

 それは、神も人も変わらない。

 

 神は死なない……?

 

 いや、そんなことはないさ。

 

 世界が無くなれば、神だって消えてしまうのさ。



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(50)帰還

「小町ちゃん、いろはちゃん、大丈夫?」

 

「う、うん」「はい」

 

「こまこまといろははアンがマモるよ」

 

「ありがとね、アンちゃん」

 

 白ローブに身を包んだ二人のマスクの女性の後ろには、やはり同じような白いローブの少女と、二人の異邦人。

 彼らは、崩落したダンジョンの大穴を大きく迂回するように避難をしながら、溢れ出るモンスターと戦い続けていた。

 と言っても戦闘できるのは白ローブの3人だけ。

 湧き出る骨の兵隊と、幽霊の大群を前にして、殲滅魔法を放ち続けてはいるが、ひたすらに後退を余儀なくされていた。

 

「きりがないわね。このままではジリ貧だわ」

 

 周囲に接近する竜牙兵の相手をするのは、バイキルトとピオリムで身体を強化したアン。持ち前の鋭い足の鉤爪で低空を飛翔しながら痛烈な攻撃を仕掛け続ける。

 そんな彼女を雪ノ下と由比ヶ浜が援護しつつ、全員で少しずつ後退を続けながら、でも、目の前の地中からとめどなく溢れ出るバンシーだけは対処しなくてはならない。

 あの亡霊が街へと進めば、たちまちに人々は死んでしまう予感が彼女達にはあったからだ。

 そして、そんな彼女達の眼前で盛り上がる様に現れ出でたそれ……竜牙兵たちを押しのけるように出現したのは超巨大な人の姿をしたものだった。

 身の丈はいかほどか……先ほど地下で見た半身を地中に埋めた女神像ほどか……もしくは、奈良の大仏が立ち上がったらこれくらいだろうか……などと、考える中を、彼の巨人は、全身から焔を立ち上らせながら、彼女たちのいる場所とは反対、オラリオの外壁に向かって歩み始めていた。

 

「ゆきのんは、まだ平気?ニフラム!!」

 

「ええ、魔法力に余裕はあるわ。でも、早めになんとかしないと……イオラ!!」

 

 

 二人の少女はローブをはためかせながら魔法の詠唱を続ける。

 だが、終わることなく現れ続けるモンスターの所為でここから離れるわけにもいかず、精神的な疲労を蓄積していった。そんななか……

 

「あ、あれはなんですか?」

 

 背後の少女、一色いろはが目の前のモンスターの群れを見てそう声を漏らしたのに二人は気が付き顔を上げた。

 竜牙兵の群れの只中にもうもうと砂煙が上がっている。

 良くは見えないが、何か、煌めく刃のようなものがちらちら見えた。

 

「誰かこちらに向かっているようね」

 

「あ、あれ、さっきの【ロキ・ファミリア】の人たちじゃないかな?」

 

「す、すごいわね。魔法も使わずに剣で切り伏せているわ」

 

 次第と近づく刃の音に、彼女たちはその主の姿を見とめて瞠目した。

 並居るガイコツ兵達を切り捨てながら進んでくるのは二人の剣士と一人の魔導士。

 この3人には見覚えがあった。

 魔導士は先ほど呪文で魔法壁を展開し守ってくれた人物。

 金髪の女剣士はそのときその場にいた人。

 そして、男性の剣士は……

 ついさっき同じように一緒に居たが、先日も確かに出会っていた。

 そう、あの焔蜂亭で。

 激しい戦闘ではあるが、彼らが非常に強い存在であるということだけは理解した。

 だが、彼女たちは一つだけ見誤っていた。彼らは魔法を使っている。

 それぞれの武器に纏わらせるようにして。

 

「おい、おまえらっ!!」

 

「「え?」」

 

 急にその男の剣士……狼人の男に声を掛けられて、ふたりはびくりと身体を震わせる。

 まさか、こちらを切りに来たわけではないだろうと思いつつも、その剣の素早さ、鋭さに身震いしてしまっていた。

 そんな様子を知ってか知らずか、狼人の男は言葉を続けた。

 

「おい!デカルチャーズの女ども。今からこの魔法陣をぶち壊す。手伝え!」

 

「え?あ、はい!」

 

 とりあえずホッとした二人。

 お互いに顔を見合わせたあと、彼らにむかって、右手を突き出した。

 

「スクルト」

「ピオリム」

「バイキルト」

「ベホマラー」

「バイキルト」

 

「お、おい……何しやがった……、か、身体が軽ぃ、剣も……、傷が……?」

「……っ!?何……した……の……?」

 

 立て続けに魔法を連続で詠唱することで、彼ら3人を光が包む。

 そして、見違えるよう動くようになった身体をしげしげと見つめる彼らに、白ローブの彼女たちは言った。

 

「身体強化の魔法をかけました。これで戦いやすくなったと思うわ」

「傷も治したよ。それで、何をするんですか?」

 

 近づく竜牙兵達を、いともたやすく両断していく二人の剣士。

 そんな彼らの間で、淡緑色のローブを羽織ったエルフの美女が、その手に持った杖を大地に突き刺して魔力を籠め始めながら言葉を発した。

 

「今からこの魔法陣の効果を消失させる。そなたたちもこの場を守る手伝いをしてくれ」

 

「は、はい」「わかりました」

 

「ちっ」

 

 返事をしてそのエルフを取り囲むように移動した二人は、向かってくるバンシーと竜牙兵に向かってじゅもんを唱え続ける。

 エルフの魔導士は魔力をその身から放出させながら、朗々と呪文の詠唱を始めた。

 周囲の赤い魔法陣の光を上書するかのように、蒼の輝きが生まれ、あちらこちらの地面から天に向かってそれが立ち昇り始める。

 エルフの女性は目を瞑ったまま、その額に汗をした。

 狼人の青年も剣を振るい続けてはいたが、少し離れた場所で、二人の少女を守る様に飛翔して戦う白ローブの存在を見て、思わず舌打ちを鳴らす。

 もはやその姿はどう見てもモンスターのそれ。

 そうまでして人のために戦うモンスターの姿に、彼は憤りにも似た何かを確かに感じていた。

 それが彼のこれまでのモンスターへの感じていたそれとは明らかに違っていたがために困惑したのだ。

 だが、今はそれをうまく言葉にはできない。ただ、戦うことでこの場を切り抜ける。

 狼人・ベートは無心となって剣を振り続けた。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

”身体が軽い”

 

 大地を蹴り、眼前の骨のモンスターに向けて跳躍……

 

”あ……行き過ぎ”

 

 思った以上の速度で肉薄してしまい、危うく通り過ぎそうになったところで、感覚的に下半身を捻り急減速、それと同時に、振り向こうとし始めたモンスターの首の付け根に、その右手の刃を滑りこませた。

 

 サク

 

 まるで紙でも切ったかのような感触……

 その直後に、金属製のヘルメットを被ったその頭部は勢いのままに弾け飛ぶ。

 それでもなお、その首のない胴体は彼女に向かってハルバードを振り下ろしてくる。

 

”遅い”

 

 先ほどまで見切るのにやっとだった斬撃も、今はその軌道まではっきりと視認できるほどの余裕が出来ていた。

 その刃を躱し、その胴体と両椀部を一気に切断する。

 そしてとどめとばかりに腰部の骨も一撃のもとに破壊した。

 

 この間、1秒もかかっていない。

 

 彼女はこの軽くなった身体で飛ぶように移動しながら、次々に竜牙兵達を屠っていった。

 

”行ける”

 

 手ごたえなく切り捨てていけるこの感覚。漸くにもダンジョン内のモンスターの如く倒せるようになったことで、彼女の中に微かに余裕が生まれたのだ。

 そう、そのとき、彼女、アイズ・ヴァレンシュタインは見た。見てしまった。

 

 巨大な深紅の巨人に蹂躙され、動かなくなった、自分の家族たちの姿を。

 

「……っ!!」

 

 巨人の踏みしめた足の下には、必死の形相で潰されるのに耐えるガレスの姿。

 その傍らには、フィンとティオナとティオネの、横たわって動かなくなっている姿が。

 レベル6の超人的な視力が彼女にそれを見せてしまった。

 

 激情が彼女の中を駆け巡る。そして、考えるよりも早く、動いてしまった。

 

「おい、アイズ!待て」

 

 制止しようと声をかけてくるベートの声を無視し、彼女は一気に加速して巨人へと走った。

 

「邪魔……」

 

 行く手を阻む竜牙兵達を凪ぎ払いながら彼女は疾駆する。

 今までに感じたこともないような強烈な万能感に彼女は酔いしれていたのかもしれない。

 自分であれば彼らを助けられると、その身を迷わず躍らせた。

 

 ガレスは片膝をついて今にも力尽きそうな状況。

 このままではその場の全員が踏みつぶされてしまう。

 そして、巨人はとどめを刺すべく、その足を一旦大きく持ち上げた……

 

「ガレス!!」

 

 あっという間に距離を詰めたアイズはその隙を見逃さなかった。

 足を持ち上げたその一瞬の間に、その場の四人を自分でも信じられないほどの膂力で担ぎ上げ、一気に脱出。

 その後方に、巨大な足が踏み込まれ、爆風にも似た強烈な突風にその身をふきとばされた。

 アイズは気を失った4人を置いて立ち上がる。

 そして、ここに来るまでの途中で失った剣の代わりに、フィンの直刀を拾いあげて一気に跳躍した。

 目標は巨人の頭部。

 この超巨大なモンスターがもし生物なのだとしたらその頭部を破壊するのが一番の方法であると、彼女は直観的にそう判断をくだしたのだ。

 今の自分にならできる。

 漲る万能感に、彼女は迷わずにその刃を巨人の足の急所へと叩き込んだ。

 切り裂いたのは人でいうところの太ももの大動脈。

 人間であれば致命傷足り得る傷をそこにつけることには成功した。だが、そこからは一滴の血も流れ出ることはなかった。

 

「くっ……」

 

 ならばと彼女は脊椎、心臓、首と、その身体を駆け上りながら刃を振るい続けた。

 だが、やはり効果はない。

 そして、その時彼女は直近で、それを見た。

 なんの意思も、なんの感慨も現わさない、まさに無表情の巨人の顔を。

 その茫漠としたうつろな瞳に彼女は初めて恐怖した。

 人に似た外観がその恐怖をさらに強めたのだろう。

 なんの感情もないその表情に、彼女は次の行動が遅れてしまった。

 その時、痛烈な痛みが全身を駆け抜けた。飛び上がった彼女にむけて、巨人の剛拳が振るわれたのだ。

 体中の骨という骨がひしゃげる感覚を味わいつつ、彼女は空中へと投げ出された。

 

”あ……れ?私……もう……終わ……り?”

 

 なかなか開かない瞳を必死に開いたその先には先ほどと同様の無表情の巨人の顔。

 だが、その存在は、こちらへと向かって歩み始めているのが分かった。

 

”ああそうか、私にとどめを刺そうとしているのか。でも……良かった。それならフィンたちを助けられるね……最後まで訓練つきあってあげられなくて、ごめんね……ベル……”

 

 飛ばされているその刹那の時間……

 彼女はついさっきまで一緒に剣の訓練をしていた男の子のことを考えていた。

 

 弱くて、泣き虫で、臆病で……

 でも、いつも真剣で、必死で、頑張り屋で……

 そんな彼のことを、彼女は……

 

 不思議と恐怖を感じてはいなかった。

 誰かを守れて、誰かのために何かをできていたのだと思えたことで、彼女は心の安息を得ていた。ただ自分の目的を達成できなかったことだけが心残り。

 死の間際、彼女は一筋の涙を流す。

 遠い記憶の彼方にある二人の人物の優しい笑顔。

 彼女の唯一の心残り。

 

”ごめんね……お……”

 

「アイズさーーーーーーーん」

 

 急に体を何かに包まれた。身体は激痛の所為で何も感じない。でも……

 その温かさに、心が震えた。

 そして再び衝撃が走る。

 大地へと墜落したのではなく、これは着地……?

 

「もう大丈夫ですよ」

 

「べ……ル……?」

 

「ハイ!」

 

 必死に目を開けると、そこにはあの白髪赤目の男の子の顔が。冷や汗をかいて、でも、必死に笑顔を作っていた。

 その表情に心が揺れてしまう。でも、次の瞬間、全身を懸ける死の予感にぞわりと肌が泡立った。

 

「だ、ダメ……君じゃ無理だよ……逃げて……」

 

 彼の力量を思い出して、慌ててそう声を掛ける。

 でも、彼は笑顔を絶やさない。

 

「あはは……そうですね。多分僕じゃ無理です」

 

「だったら、早く……」

 

「でも……ここで逃げたら、男じゃないですから……」

 

「……っ!?」

 

「120秒……」

 

「え?」

 

 リンリン……

 

 鈴の音がアイズの耳に確かに聞こえてきていた。

 ベルは彼女を大地に寝かせると、その右腕を巨人へ向けて突き出した。

 その腕は青く光り輝いている。鈴の音はそこから聞こえてくるようにアイズは感じた。

 

 二人へと向かう巨人の全身には、まだオラリオの壁に陣取る魔法使い達からの魔法攻撃が続いている。

 散発的な爆発がその頭部を中心に巻き起こっているが、それに巨人はまったく動じていない。

 

 アイズはすでに知っていた。

 この巨人には炎は効かないということを。

 その全身から立ち昇る焔はまさに炎そのものであるし、先ほどからの火炎魔法の数々はこの巨人になんの有効打も与えていなかったからだ。

 

 そして、彼、ベル・クラネルが行おうとしているのは、多分魔法行使。でも、彼が使える魔法はただひとつ……。

 アイズはもう一度彼にさけんだ。

 

「だ、だめだよ。君の魔法は効かない。まだ動けるなら君だけ逃げて」

 

 その言葉にベルはちらりとだけ笑顔を彼女に向けた。

 

「ここぞというときにカッコつけられなかったら、男じゃないって……あはは、昔教わったんですよ。だから大丈夫です……180秒」

 

 壁からの魔法攻撃に一時足を止めた巨人であったが、ふたたびこちらへと近づきそして、いよいよ眼前へと迫っていた。

 アイズは動けない自分に歯噛みした。その時……

 

「なにお前……、イケメンすぎだな。これだからハーレム系主人公は……」

 

「あら?どの口がそれを言うのかしら?あなたも相当イケメンなことをやってきたようなのだけれど」

 

「本当だよ、あたし達がどれだけ心配したかわかってんの?」

 

「あー、はいはい、分かってる分かってる」

 

 場違いな会話が聞こえはじめ、ちらりと視線を向ければ、そこには白ローブの魔導士の姿。先ほどの二人にさらにもう一人加わっている。そしてその脇にはリヴェリアとベートの姿も。

 リヴェリアは膝をついて横たわるアイズへと手をかざした。

 

「魔法陣は消滅させた。あちらのモンスターも一掃したぞ。まったく無茶をしおって……本当に困った娘だ」

 

 優しくそう言われて、アイズはまた一筋涙をこぼした。

 だが、何も言い出すことができないうちに、リヴェリアは立ち上がってしまった。そして彼女は杖を振り上げた。

 

「『極寒の凍てつく大気よ……永久凍土の王コキュートスよ……』」

 

 彼女は再び魔力を放ちながら呪文の詠唱を始めた。

 そして、白ローブの男が、右手を突き出したままでいるベルに歩みより、そして言った。

 

「手伝ってやるよ、ベルく……クラネル。おもいっきりぶちかましてやれよ」

 

「あ、あなたは……」

 

 ちらりと横目に見たベルは、右手をまっすぐに巨人へむけて構える白ローブの男の表情に妙な安心感を得、そして心に活力が湧くのを感じた。

 

 リンリン……リンリン……

 

 鈴の音がいよいよ大きくなる

 

 

 240秒!!

 

 

 そして彼は渾身の魔法を放ったのだった。

 

 

 

 

 

「『ファイア・ボルトォォォォォォォォォォォォ!!』」

 

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 

 その時、オラリオの外壁に居たすべてのものは見た。

 

 煌めく凄まじい電撃に全身を焼かれながら、足元からの猛烈な吹雪にその身を白く凍結させながら、そして、超巨大な炎の柱にのみこまれ、粉々に砕けていった巨人の姿を。

 

 この日、突如として起きたこの異変は、この巨人の破壊を最後に、幕を閉じた。

 

 だが……、世界の終焉がすぐそこにあったという事実を知る者は、驚くほど少ない。

 



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(51)攫われたいろはは結局なにかされちゃったのだろうか?

 微睡みのなかで、俺は目に陽の光を感じて思わず身を捩る。

 すると、柔らかい感触を胸と腿辺りに感じて、でも、まあいつものことだと、同衾しているはずの二人に掛け布団をかけ直そうと布団の中で手を動かして、そして……

 

 たゆん……

 

「ん……ぁん」

 

 艶かしい吐息混じりの声が耳元で聴こえたかと思うと、なにかいつもと違う感じに一瞬困惑した。

 

 おかしいな、いつも通り、はだけてる掛け布団を直そうとしてるだけなのに、なにかもちもちとした素肌に触れているような……

 

「んん……」

 

 俺が身体を動かしていると、今度は反対の方からも淫靡な声が……

 

「って、お、お、おおおおおおお、お前らぁ!!」

 

 慌ててガバリと起き上がって二人を見て、そのまま失神しそうになるのに耐えながら、慌ててかけ布団を二人に被せた。

 

「あ、あ、あー!、ひ、ヒッキー……!」

「は、はちまん!!」

 

 と、目覚めた二人は、せっかく俺がかけた掛け布団を払い除けて、そして、そのままで素っ裸で仁王立ちしてる俺にぎゅうううっと抱きついてきた。そう、二人とも……由比ヶ浜も、雪ノ下も全裸のままで。

 

 や、や、や、やめろー、とくに下半身はやめろー!

 朝だから!今、朝だから、ほんとヤバイから、ヤメテー!!

 

「良かったー、良かったよ、ヒッキー……ふえぇぇぇぇん」

 

「本当に良かったわ、八幡。貴方にもしものことがあったらって、もう……私……本当に……」

 

「お、おい、やめろぉ、は、離れろって……」

 

 いや、ほんとやめろください!!

 心でもそう叫んでいるのに二人はまったく離れない。もう、目から涙を流したまま裸で俺を抱き締めてくるし。

 

 え?これってどういう……

 

「感謝するのだな彼女たちに。君は今度こそ本当に死ぬところだったのだぞ。二人の献身がなければな」

 

「え?」

 

 急に、少し離れたところから声がして、そっちに顔を向けてみれば、銀髪のダークエルフの女。着ていた黒いローブは今は脱いで、白のショートパンツに、丈の短いやはり白の皮の服で大きな胸を覆っている。彼女は腕を組んで部屋の隅の壁に背をもたれかけさせてこちらを見ていた。

 って、よく見てみれば、ここ、ホームの地下室じゃねえか。壁の上方にある、明かりとりの窓からは、まばゆい陽光が差し込んでいて、今が朝だということを物語っていた。

 俺たちはその部屋の隅に並べられたベッドのひとつの上に立っていた。

 

「あれ……せんぱい……?……っ!?」

 

「お兄ちゃん……んにゃ、むにゃ……って、ええっ!!お、お兄ちゃんたち……、ま、まさか、朝っぱらからー?しかも公衆の面前でぇー!?」

 

「い、いや、小町、ち、違うんだ、なんだかわかんねえけど、とにかく違うんだぁ!!」

 

 隣のベッドから顔を真っ赤にしながらのそのそと起き出してきた一色と小町に、俺は裸の泣いてる二人に抱きつかれたまま訳もわからずに、弁解したのであった。

 

 なんだこれ?

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「はあ、つまり、俺はベルくん達と一緒にあのじゅもんを放った直後に、マナが枯渇した上に心臓も止まって、ほとんど死んでたってわけか。で、雪ノ下と由比ヶ浜が俺にマナの供給をしながら、俺を素肌で温めてくれたってことなんだな?」

 

 俺の言葉に、赤面した雪ノ下と由比ヶ浜の二人が無言でコクコク頷いていた。

 こいつら、今ごろになって、凄まじく恥ずかしくなっちまったらしい。二人で肩を寄せ会うようにして、部屋の隅で小さくなってやがるし。

 ま、当然だろうがな。さすがに、命がけだからって恥も外聞もなしに俺を助けようとしてくれたってことだが、それは瀕死の俺であって、元気な俺じゃない。

 緊急事態が終わったあとで、大勢の前でしかも全裸で自分から男に抱きついてるなんてのを見られた日には、もう生きていけないくらいきついだろう。

 だから、俺も顔を緩ませちゃまずいな、うん、まずい。役得とか思っちゃ……げふんげふん。

 

「本当に感謝するんだな。彼女……結衣さんが『マナ移譲(トランスファーメンタルパワー)』の魔法を取得できなければ、貴方は今ごろ完全に死んでいただろうしな。マナの枯渇は身体機能どころか、魂も消失してしまうのだからな」

 

 そう恐ろしいことを話すのは銀髪のダークエルフ。

 相変わらず壁に寄りかかったままで動こうともしていない。

 

「『マナ移譲(トランスファーメンタルパワー)』?お前、いつのまにそんな魔法覚えたんだよ。っていうか、それドラクエの魔法じゃねえじゃねえか」

 

「あ、うん。なんか地上でさ、幽霊とか骸骨とかを魔法で倒してたら、レベル上がったみたいなの。それで、その時にさ、この魔法使えるようになってたんだよ」

 

 由比ヶ浜のその言葉に俺は思わず首をかしげた。

 いまだにゲームの名残でもあるってのか?まさか、ここにきてレベルアップするなんて思いもしなかったし、レベル上がって、しかも覚えたのがロードス島戦記の神聖魔法とかって、これどういう仕組みなんだか。まあ、僧侶とプリーストってことで云えば同じようなもんだから、問題ないのか?いや、あるか?

 俺もあの戦いの中で、レベルアップしたしなーとか思っていたら、ダークエルフの女が俺にむかってツカツカと歩み寄ってきた。

 

「まったく……、なんとか修復できた身体だったというのに、なけなしのマナであんな攻撃魔法を放つなんて、本当に何を考えているんだ。貴方はもう、3日間も眠り続けたままだったのだよ。さて、君にはいろいろと聞きたいことがある。いったいいつから彼の者の存在を追っている?神ファラリスとの関係は?」

 

 豊満な胸に、肉感のあるその肢体は、綺麗というより、むしろエロい。

 というか、この容姿には見覚えがあったし、それにその額の人の瞳を模したサークレットにも。

 今、この部屋には、このダークエルフと、俺、雪ノ下、由比ヶ浜、それと、一色と小町の計6人がいる。

 俺は、周囲の連中を見渡してから、彼女に言った。

 

「いや、待て。聞きたいのはこっちの方だっての。まず、俺は自分の置かれた状況もいまいち思い出せていないとこなんだが……、あのファイアジャイアントは倒せたのか?それに、ルゼーブは?あの時やつは本当に死んだのか?それと、フェルズやバーバリアンたちは?本当にみんな脱出出来ているのか?あと、イケロスは……」

 

「そこまでだ」

 

 ダークエルフが俺の前に手のひらを開いて突き出してきた。これはあれだな。もう喋るなと。

 口をつぐんだ俺に、ダークエルフははあと、ため息をついてから近くの椅子に腰を下ろした。そのままその長い足を優雅に組む。うわ、めっちゃ様になってるんだが。エロ方面で。

 

「ふむ……どうやら、私が聞きたいこととも重なっているようだな。では、質問を変えよう。貴方たちは何者だ?なぜ、そんな特異な力を持っている?」

 

 この人、けっこうぐいぐい来るな。こんな人だったのか?

 ていうか、ここ一応俺たちの家だよな?なんでこの人こんなに偉そうなの?

 

「あのですね、人に聞く前に自分の話をする方が先なんじゃないすかね?そもそも、俺たちからすればアンタの方がよっぽど異様だし、ルゼーブとかイケロスとかとも知り合いみたいだったし……、ま、大体俺は見当ついてんだけどな」

 

 俺のその言葉に、彼女は目を細めて微笑む。

 

「ほう……、それは興味深いな……。では、私の正体とやらを明かして貰おうかな。当てずっぽうでもなんでも構わない。いいから言ってみたまえ」

 

 何かいい感じで彼女に誘導されてんな、俺。はあ仕方ねえ、そんなに言わせたいんなら言ってやるか。

 俺は興味深そうに俺を覗き見るそのダークエルフへ向かってずばりと言ってやった。

 

「あんた、『灰色の魔女カーラ』だろ」

 

 その一言に、彼女は、ほうっと大きくため息を吐いて、微笑を浮かべながら両手を上げて降参のポーズをとったのだった。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「確かに、私は名を『カーラ』という。すでにそう呼ぶものは皆無ではあるがな」

 

 そう首を振る彼女に、俺はもう一言添えた。

 

「それと、その身体だが、多分『ピロテース』なんじゃないのか?」

 

 今度こそ彼女はその目を大きく見開いた。

 初めて恐ろしいものでも見たかのような、そんな表情を。

 

「まさか、この身体の本当の持ち主の名前まで知っていようとはな。貴様、何者なのだ?」

 

 ま、驚くのもの仕方ねえか……。

 ロードス島戦記の時代から何年経ってるのかもわからねえが、この時代にたどり着くまでに途方もない時間が流れてるはずだ。

 まさか物語読んでたからって言っても信じちゃくれないだろうが、でも嘘吐いてもあとあと説明が面倒なだけか……

 俺は彼女に向き直って告げた。

 

「信じちゃくれないかもだが、俺たちは別の世界から来たんだ。で、この世界のこととか、あんたが生きたロードス島の話……魔神戦争だとか、邪神戦争だとか、その辺の話を本で読んだことがあってな、それでまあ、本と同じっていうんなら、俺にはそれだけは知識があるんだよ」

 

「ちょっと、ヒッキー、全部話しちゃっていいの?」

 

 俺の脇にきた由比ヶ浜が小声でぽしょぽしょとそう言ってくる。って、耳がこそばゆい。

 

「しかたねえだろ、上手く説明なんてできねえよ俺には。そもそも実際に本で読んで内容見たんだから、嘘つきようがねえじゃねえか」

 

 小声で返した俺に由比ヶ浜が少し怯えた感じになってるが、俺は構わず続けた。

 

「だから、あんたがカーラで、身体がピロテースで、あれ?シェールに名前を変えたんだっけ?じゃあ、アシュラムはどうなったんだ?ん?バルバスはーーーーーーー」

 

「ふふふ……ふはぁっはっはっは……」

 

 急に笑い始めたカーラに俺は驚いて転がりそうになった。なんで急に笑い出すんだよこいつは。

 カーラは、しばらく大口を開いて笑うと、その顔に微笑みを称えたまま、テーブルの上の黒いローブを掴んでバサリと身に纏った。

 そして、俺をもう一度見る。

 

「まさか、ここにきてこんな話になるとはな……愉快だよ、比企谷八幡。信じよう、貴方の言葉。まあ、せっついて話すのは勿体ない。今度ゆっくり酒でも飲みながら話すとしようか。君となら楽しい話ができそうだ。それに、せっかく命を拾えたのだ。仲間とゆっくりする時間も必要だろう……ではな」

 

 そう言うと、彼女は微笑を浮かべたまま霞が掻き消えるように、唐突にその空間から姿を消した。

 

「あ、まだお礼を……」

 

 雪ノ下が立ち上がりながら、彼女に声を掛けようとするも、もはやその声は届かなかった。

 残されたうちのメンバーたちは一様に唖然としてしまっている。

 彼女が消えた空間を見つめていると、隣に由比ヶ浜と雪ノ下が寄ってきた。

 

「彼女が貴方を救う方法を教えてくれたのよ」

 

「ああ、そうだろうな。何せ死にかけた俺を助けてくれたのも彼女だ」

 

「ええ?死に?ヒッキー、そ、そんなことになってたの?」

 

「あ?なんだ、聞いてなかったのか?あ、いや、まあ、確かにあの時は乱入されたしな、まあ、いい。その話はあとだ……一色!!」

 

「ひゃいっ!!」

 

 さっきからずっと静かだった一色が俺の言葉にびくりとその身体を震わせていた。

 綿で編んだ若草色のチュニックを着た一色はベッドのヘリでかちんこちんになって固まっている。

 あ、ちなみにこのチュニックワンピースはご近所さんでもあるポリィに聞いて、近所の衣料品屋で買ってきたうちの女子達の部屋着兼寝巻きのようなものだ。服に関しては、色々こだわりがあるようで、小町や一色のベッドの周りにはすでに服の山が出来つつあるが……それは今はいいか。

 

 俺は、ゆっくり一色へと近づいていく。

 一色は俺を恐る恐るといった具合で見上げていたが、近づくにつれ、その身体の震えが強まり、そして、ぎゅっと目をつぶった。

 俺はそんな一色のそばに立って……誰にも聞こえないように声をかけた。

 

「大丈夫だったか?何か、その……されたりしなかったか?……ひどいこととか……」

 

「へ?え?」

 

 小声でぼそぼそと話す俺の言葉に一色はポカンとなってその顔をあげてくる。

 そして、わなわなと震えながら、口を開いた。

 

「怒らないんですか?」

 

「え、なんで?」

 

「!?」

 

 一色はいよいよ顔を真っ赤にして俺を見た。

 そうだな、鳩が豆鉄砲食らったような顔ってこういうことなのかな?でも、なんでこいつ話を逸らすような言い方してんだ……

 え?まさか、やっぱりそうだったのか?やっぱりルゼーブのやつに……力づくで……!?

 俺はもう、なんて声をかけていいかわからずに、ガクガク震えてた訳だが、そんな俺に、一色がポフンと抱きついてきた。

 

 こ、ここれは、いったいどうしろと!?

 やばい、どうしよう、こんな状況の対処のしかたなんて俺にはわかんねーよ。

 

「い、い、い、いいいい一色‼だ、だ、ダイジョブだ‼なんもシンパイすんな‼俺も雪ノ下も由比ヶ浜もみんなついてるからな。だ、大丈夫だから‼」

 

「え?せ、先輩、急になんで……はっ!?」

 

 俺が必死に慰めようとしている目の前で、一色がやかんでお湯が沸いてしまうんじゃないかってくらい、真っ赤になった。

 で、さらに何か言うのかと思っていたのだが、何もしゃべらず、両手で顔を覆ってしまう。

 

 うわぁ、ま、まじでどうすれば……

 

「あのね、八幡……、一色さんはその、本当に大丈夫だったのよ」

 

「そうだよ。いろはちゃん何もされてないから、安心してね」

 

「え!?」

 

 慌てふためく俺の横で、二人がそう静かに耳打ちしてくる。

 

「じゃ、じゃあなにか?一色はめちゃくちゃにされたんじゃねえのか、ルゼーブの奴にレィ……げぼぁっ‼」

 

「ちょ、ちょっと信じられないです‼な、なんで声に出して言おうとしてんですか‼そんなわけないじゃないですか、何もされてませんし、私は当然まだちゃんと処女のままですよぉ……はうぁっ‼」

 

 突然一色の抜き手を腹に受けて、悶絶していた俺の前で何かを叫んでいたが、なにこいつ、武闘家の素質あるんじゃねーの?

 うずくまる俺を囲むようにみんなが集まっている。

 そして、なんとか苦しいのに耐えて顔を上げてみたら、目の前に一色が立っていた。

 彼女は暗い顔のままで改めて、俺をまっすぐに見つめてくる。

 

「その……私勝手なことしちゃって、それに、みなさんを危険な目に合わせちゃって、ほ、本当にすいませんでした」

 

 ぺこりと頭を下げる一色。

 俺は別に一色をしかるつもりも、罰を与えるつもりも一切ない。

 こいつなりに今できることをしようとしていただけだってことは分かるし、結果として掴まっていたゼノス達も解放できた上に、世界滅亡の危機も未然に防ぐことが出来たわけだしな。結果オーライだが、ホント、俺良く生きてたな?

 

「もう気にすんなよ、お前が頑張ってくれたことは良く知ってる。俺もこいつらもなんとも思ってなんかねえし」

 

 って、言ってから雪ノ下と由比ヶ浜を見ると、微笑んで頷いてる。良かった、思わず先走っちまったからな。

 

「でも、あんまり心配はかけんじゃねえぞ。それだけだ」

 

 一色は涙ぐんで俺を見上げてくる。

 そして首をぶんぶん振って、なにか言おうとしていたが、結局は何もないままに、コクリコクリろ頷いたのだった。

 ま、仕方ねえよな。

 こいつは恩恵(ファルナ)を受けたって言っても、レベル1のままだしな。あの『色欲』のスキル以外、戦闘に使えそうな技能もねえし。かといって今から剣を持たせて一人でモンスター狩りでレベルアップとかそんなこともは大変だしな。

 そうか、こいつ、俺達みたいに強くなりたかったのか……

 なら、今度冒険に連れて行ってやるか。少し落ち着いたら誘ってやろう。

 

 よし、頑張れよ一色、応援するぞ。

 

 俺がうんうん納得した先で、一色が首をかしげているが、まあ、もうこれで大丈夫だろう。

 

 俺は改めてみんなに言った。

 

「そういやルビス様がいねえみたいだがどうしたんだ?それに、色々聞きたいんだが、あの異端児(ゼノス)達やフェルズはどうしてるんだ?」

 

 それに雪ノ下達が答えてくれる。

 

「あ、えとね。異端児(ゼノス)さん達とフェルズさんは、ちゃんと脱出できてたよ、他のたくさんの闇派閥(イヴィルス)の人たちとかも全員一緒にね」

 

「そうか」

 

 あのルゼーブとの戦いの最後に一か八かで気合入れてリレミトをつかったんだが、気絶させた黒装束の連中もみんな脱出させられたみてえだな。

 あのまま生き埋めで殺すとか、マジで目覚め悪いもんな。

 

「それで、異端児(ゼノス)の皆さんは今、この近くの地下水道内に身を隠しているわ。彼らは大きすぎでここでは窮屈だし、アンさんのように街に出るわけにもいかないから」

 

「そりゃそうか……まあ、無事ならよかった。それでルビス様は?」

 

「あ、ルビス様とフェルズさんはお兄ちゃんがここに運ばれる前からずっと神ウラノスさんのとこに行ったままだよ。全然帰ってこないから何をしてるのかは知らないけどね。あ、あと、上の建物は冒険者の人たちが突貫で工事してくれてるから、もうじき住めるようになるみたいだよ。それと、食料の買い出しとか、異端児(ゼノス)さん達のお世話とか、ポリィちゃんが手伝ってくれてるからね。今度ちゃんとお礼するんだよ」

 

「そうか」

 

 小町にそう教えてもらって俺もほっと安堵した。

 とりあえず、悲惨な状況は回避できたようだ。

 あれだけ痛い思いをして、死にかけてとりあえず、今の状況に進めたのは僥倖だろう。

 でも、今どれくらい原作から離れちまったか、その辺が心配で仕方ないが、それは贅沢すぎる心配か。あの時、ベル君もアイズたんも居たわけで、しかもあの超巨大なファイアジャイアントを相手に戦っちまったし、それに【ロキ・ファミリア】の連中もいっぱい居たみてえだしな。なんか頭痛くなってきたかから、考えるのは今はやめとこう。

 そんな俺を囲むようにして、由比ヶ浜が聞いてきた。

 

「あのね、ヒッキー。さっきのカーラさん?だっけ……?も詳しくは教えてくれなかったんだけどさ……。あたし達が脱出した後に何があったの?死にかけったって本当?」

 

「その、何があったか教えてくれないかしら?」

 

 その二人に同調するように、一色と小町もゴクリと唾を飲み込んで俺を見つめてきた。

 俺は……

 

「腹減った……、まずは何か食わせてくれ」

 

 思わずとーちゃんみたいなことを言うと、みんなはガクリとその場に崩れた。

 

 

【後日談】

 

「よーし、一色、お前のショートソードと胸当て買ってきたぞ。一緒に迷宮(ダンジョン)行こうぜ」

 

「は?なんですか、バカなんですか、なんで私がダンジョン行かなきゃなんないんですか、一緒に冒険してつり橋効果期待するとか気持ちは分かりますけどちょっと安直すぎるので出直して下さいごめんなさい」

 

「…………」

 



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(52)お久しぶり‼オルテガとーちゃんと静ちゃん。

 一色が用意してくれたのは、純和食。まさかここでサンマの塩焼きを食べられるとは思わなかったが、このサンマはどうしたんだ?と聞いたら、なにかもごもご口ごもっていたな。

 

 え?これサンマじゃないの?

 

 深く追求しちゃだめなんだろうな。旨かったから良しとするけど……。

 

 と、まあ、久々の和食にホッとした俺は食後の紅茶を味わいつつ、その場の全員を見回して先程の会話の続きをしたわけだが、どうもあの地下でのことはある程度フェルズから聞いていたようだ。だが、肝心のルゼーブ戦の最終局面……俺が全身をどろどろに腐らせながら戦ったあの時のことは、カーラも話していないとのことでそこから話すことになった。

 

「まあ、なんとなくわかってると思うが、俺はあの時、カーディスの腐蝕効果で全身が腐って、死ぬ寸前だったんだ。しかも、その身体で自爆しようとしてた。お、おい怒るなって……あの時はもうあれしかなかったんだよ……。まあ、ふつうなら死んでたわけだが、実はあのとき乱入者がいて状況が変わったんだよ」

 

「乱入者?」

 

 テーブルを拭きながら俺を見る雪ノ下に俺は答えた。

 

「ああ、乱入者だ。それも二人な」

 

 そう、二人。

 それも、超よく知っている二人だ。

 まさかあそこで、あのタイミングで現れるとは夢にも思わなかったが……しかも、いきなりアレだったし。

 

 ぶるりと身体を震わせた俺を見て、雪ノ下と由比ヶ浜の二人はなんとなく察したようだ。

 俺はあの時の出来事をひとつひとつ思い出していく。

 そして、それと同時に体感した恐怖に身が竦んだままで、ひとつため息を吐いた。

 あんまり思い出したくない記憶なんだがな……

 

「じゃあ、話すぞ。邪神より恐ろしかったとーちゃんと平塚先生の話をな」

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「死ね、デカルチャーズ。くはははは」

 

 体内で膨張し続けた俺の魔力は、いよいよ飽和の時を迎えようとしていた。

 カーディスとなったルゼーブに鷲掴みにされた頭部は多分頭蓋骨が剥き出しにでもなっていたのだろう。自分の腐り落ちてきた肉に視界が歪む。

 全身を支配するのは死への恐怖。

 自爆を選択した俺だが、極度の激痛と悔しさと怖さとで、もはや意識を保つのは限界だった。

 

 そのとき。

 

「ふしゅるるるるるるる~~~」

 

「ん?なんだ……」

 

 奇怪な音が聞こえ、ルゼーブがそちらを振り向くのを感じた。そして次の瞬間、俺はどさりと地面に転がった。

 

 そう転がった。ルゼーブの腕に捕まれたままで。

 俺は状況を把握しようと目を開けると、さっきまで俺の頭に指を食い込ませていた腕が、完全に上腕で切断されて地面に転がっていた。

 

「き、きさま、何者だ!?」

 

 慌てるルゼーブの声。俺は肘から先のない自分の腕を無理やり地面に押し当てて、顔を上に向けようと動いていた。だが起き上がろうともがく俺は、腹にとてつもない衝撃を突然に受けた。 

 あまりの強烈さに声も出ない。

 そのまま宙を回転しながら、俺は飛んだ。 

 

 まったく状況は掴めなかったが、すでに臨界を超えていた俺は絶望した。このままでは犬死にだ。だが、次の瞬間、俺は逞しく鍛え上げられた筋肉の身体に抱き抱えられていた。そして、その主は唐突に俺にむかってじゅもんを唱える。

 

「『マホトラ』」

 

 え?

 

 急速に失われていく俺の魔法力。

 あれだけ膨張し、あれだけ大爆発を引き起こそうとしていた俺の身体のエネルギーがあっという間に吸いだされてしまった。

 もはや自爆は完全に解除。

 そして、ほとんど身動きできなくなった俺が、辛うじて開くことが出来た目の先にいた存在、それは。

 

「と、とーちゃん」

 

「よお、八幡。そんなんなってまでよく頑張ったなぁ。後はオラ達にまかしとけ」

 

「お、おせーんだよ」

 

 ニカっと笑うとーちゃんに俺は精一杯の文句を口にした。

 同時に安堵に全身を支配されいよいよ動けなくなった。

 そんな俺を抱えてとーちゃんは歩く。そして行き着いた先に居たのは、床に身を伏せていたダークエルフの女。

 そいつにむかって、とーちゃんは声を掛けた。

 

「こんだけ身体がボロボロだと、オラの回復じゅもんでも無理なんだ。なあ、おめえは治せねえか?」

 

 その問いかけに、ダークエルフの女は少し間を置いてから答える。

 

「今の私には治癒魔法は使うことはできない。だが、欠損した手足などはなんとか復元できるとは思うが……」

 

「なら、大丈夫だな。八幡もベホマはつかえっし、おめえが治したら後は自分でなんとかできんだろ、ほれ」

 

 何をいい加減な、他人事だと思ってと、心の内でぼやいていたら、とーちゃんが懐から小さな指輪のようなものを取り出して俺の胸の上に置いた。これは確か……

 

「『祈りの指輪』だ。オラがぜーんぶ吸い取っちまったから、今はからっからだろ?これでMP回復すんだぞ。うし!なら、オラはいっちょ、あいつをやっつけてくっか!『ベホイミ』!」

 

 とーちゃんは俺にベホイミだけをかけて振り返る。当然完治などしないが、少しだけ痛みが和らぐ。

 指の無い今の俺に、このアイテムをどう使えばいいってんだよ。

 そんな俺の心の叫びもむなしく、とーちゃんは俺をダークエルフに預けて、ルゼーブへ向けて歩いて行った。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「うるるるるるるる~」

 

 カーディスの正面で対峙しているのは恐ろしい形相の白い鬼の面を被ったほぼ裸体の美女。

 この人の正体なんて一発で分かった。

 そう、平塚先生だ。

 まるでスーパーモデルのようなスラリと伸びた肢体に身に付けているのは白の煽情的なビキニだけ。そしてその顔には長い黒髪を振り乱す鬼の面。もう一見してお化け顔の痴女そのものだ。

 だが、その手には金色に輝く鋭い鉤爪が。

 

 ドラクエの世界で、この『しんぴのビキニ』と『おうごんのつめ』が如何に優秀な装備であるかはよく分かってはいるが、まさかつい先日まで普通の教員だった平塚先生が……いや、鉄拳に関しては一日の長があったかもだけどもな、あの邪神カーディスとなったルゼーブの腕を一撃で切断するとは……あの身体、触っただけで腐っちゃうんだよ?俺みたいに。

 なのに、なんのダメージも無い感じで、平然としてるし。

 つまり、さっきいきなり現れて、ルゼーブの腕をぶった切って、その後俺を蹴り飛ばしたのは、この状態【こんらん】の平塚先生というわけだ。

 助かったというかなんというか、はあ。

 

「『万能なるマナよ……』」

 

 動けない俺がボーっと平塚先生を見ていたその直近で、俺を抱いたままのダークエルフの女が呪文の詠唱に入った。そして、何かの魔法を完成させるとそっと俺を地面におろした。

 

「あんた、今なにしたんだ?」

 

 その俺の問いかけに、彼女はびくりと驚いた顔になる。

 

「そんな死にかけの状態でまだ喋れるのか、恐ろしいな、君は」

 

「いや、めっちゃ痛ぇし、死ぬほど苦しいけど。なんていうか一番痛かったとき程の感覚がねえってだけだ。だから、辛うじてって感じだな」

 

 本当に不思議なんだが両手両足が腐り落ちて、神経から筋肉からなにから何まで喪っているってのに、出血もほとんどねえし、悶え苦しむほどの強烈な痛みもない。さっきのとーちゃんのベホイミでなんとかなったとも思えねえし。

 『痛覚耐性』みたいなアビリティでも得ちまったか?

 はっきり言って、じゃなきゃこの芋虫状態で意識あるわけねえしな。

 ダークエルフの女は顎に手を当てて俺を舐めるように見た。

 

「ふむ……そういうこともあるのか……」

 

「それで、あんたは何やったんだ?治癒魔法はつかえねえんだろ?」

 

「ああ、使えない。だが、君の身体をなるべく元に戻そうと、今君自身の腐った肉体を使って再構成させているところだ。まだ腐り落ちたばかりで新鮮だしな」

 

「はあ?」

 

 腐ってんのにどこが新鮮なんだ!?とは聞いてはいけないのだろうな。

 俺は気になって、向けられる範囲で自分の欠損した腕を眺めていると、その腕のさきになにかピンク色の生臭い虫のようなものがどんどん集まってくるのが見えた。

 ぬわああ!こ、このやろう、俺を虫に食わせようと……あれ……。

 

 よく見てみれば、それは虫ではなく動く肉片とかどぶ色になったスライムのような液体だった。それが、白い骨にまとわりつくように、勝手に動いて集まってきている。

 え?あれひょっとして俺の肉か!?うげぇ?ち、ちょ、吐きそうなんだが。

 そんな俺の様子を見ながら、ダークエルフの女が言う。

 

「『生肉人形(フレッシュゴーレム)』だよ。今君自身を核としてゴーレムを構築しているのだ。治癒は出来ないがな、腐肉で身体は形成できるだろう」

 

「って、『生肉人形(フレッシュゴーレム)』だとぉ!?そ、そんなんで、元通りになるのかよ!?」

 

「さあ?」

 

「は?さあって……」

 

 無表情にそう言い放つダークエルフ。

 くっそ、人の体だと思っていいかげんなことを~~

 彼女はなにも表情を変えずに続けた。

 

「生きた人間の身体でゴーレムを作ったことなどそもそも経験がない。それに、ゴーレムで精製した身体が治癒魔法で元通りになるかなんて、どうなるか未知に決まっている。だが、何もしないよりはマシであろう?」

 

 マシだろうって、お前な……

 

 無表情に多数の術式を展開させ続けるダークエルフに俺は何も言いはしなかったが。

 少なくとも手足がないよりあった方が良いに決まってる。あのとーちゃんがベホマじゃ治せないって匙を投げたわけだし、もうこれにすがるしかない。いろいろ思うところはあるがな。

 で、俺は、さっきとーちゃんが胸の上においた、『祈りの指輪』を見る。 

 このアイテムは使ったことないんだが、確か指に嵌めて祈ればMPが回復したはずだ。

 今の俺はとーちゃんの『マホトラ』で魔力を完全に吸い付くされてベホマは使えないから、こいつで回復する必要があるんだが……指に嵌めなくても使えるのか?

 俺はとりあえず、指輪を見つめながら、回復させてくれ回復させてくれと繰り返し祈ってみた。

 すると……

 指輪は金色に輝きはじめ、そしてその光が俺の胸にも移り、少しずつ魔力の回復を感じることができた。

 おお!回復できるじゃねえか、回復!回復!

 繰り返し念じ、輝きが増す指輪をダークエルフの女が驚いた表情で見つめている。

 

「そ、その指輪はマナの結晶なのか!?こ、こんな宝物見たのは、わ、私も初めて…………、あっ……!?ああああああっ!?」

 

 パリン

 

 わなわなとダークエルフの女が祈りの指輪に触れようとしたその時、指輪の宝石にひびが入り、音を立てて砕けちった。

 あ、いけね、調子に乗って使いすちまったか。

 

 彼女は砕け、色の変わったその石を拾い上げて俺を睨んできた。ちょっと涙目はいってるな、そんなに欲しかったのかよ。

 

「あ……その指輪、良かったら差し上げますよ(モトモト俺のじゃねえし、どうせもう使えないけど)」

 

「そ、そうか……では有りがたく貰っておこう。」

 

 言って彼女はその指輪と石片をそそくさと胸に閉まった。

 そして再び俺を見る。

 

「さてと、施術は完了したぞ。どんな具合だ?」

 

「へ?」

 

 言われて慌てて自分の手足を見る。

 そこには確かにどす黒い色をしているが、腕と足がついていた。だが、当然感覚はまったくない。

 このまま無理やり動かして、どろっともげるのが嫌すぎて、俺はじっとしたまま、じゅもんを詠唱した。

 

「『ベホマ』!…………、ぐ、ぐあああああああ!」

 

 突然襲いかかってくる強烈な痛み。

 全身に裁縫用の針を刺されたかのような、恐怖の痛みに悶絶する。

 な、なんなんだよこれは。

 さっきの腐り落ちる時の方がよっぽど痛くねえじゃねえか。

 どれくらいの時間苦しんだのか、いや、一瞬だったのかもしれないが、俺はダークエルフの女のぽつりとこぼした言葉で我に返った。

 

「ふむ……、上手くいったようだな」

 

「ぐぐぅ……」

 

 次第と痛みの感覚が和らぐのに合わせて、意識がはっきりしてくる。

 眼前には満足げなダークエルフの女の美しい顔。

 そして、あらためて見た自分の手足は、血色もよくなにか凄くツヤツヤしている。

 って、なんでこんなにエステ後のオカマみたいな足になってんだよ?きもちわりぃ。

 

 俺は二度三度と指や、足を動かし、そしてそっと起き上がった。  

 そして特に支障がないのを確認してからダークエルフを見た。

 

「ありがとうな、助かった」

 

「ああ、気にするな。それにしても素晴らしい治癒魔法だな」

 

「そうか?なら今度教えてやるよ」

 

 まあ、覚えられんのか不明だが。

 ダークエルフの女はもう全て終わったとばかりに立ち上がり、そして正面を向く。

 俺もつられてそちらを見た。

 そこには、床一面に魔方陣が大量に現れ、そのひとつひとつから、重装備の骨の怪物が次々に沸き出していた。

 銀に輝くヘルムに鎧、手には四角い巨大な盾、そして長尺のハルバードが握られている。

 

「な……に……?竜牙兵(ドラゴントゥースウォーリア)か……あれほどの数を召喚するとは……」

 

 ダークエルフは驚愕に顔を歪める。

 竜牙兵っていえば、ロードス島戦記に出てきたバカみたいに強いガイコツ兵じゃねえか。

 あれがそうなのか?

 なんだよ、骨の癖になんであんなに頑丈そうな装備してんだよ。

 はっきり言って、あの鎧兜は無用だろう。どうせ痛みも感じるわけないだろうし、切っても砕いても平気に攻撃できるんだろうし。

 

 そんな過剰装備の大群の中心には、切られた腕も元通りの裸体の少女姿の……カーディスとなったルゼーブが。

 対して、それと向かい合うのは、白い鬼の面から奇怪な声を漏らして黄金の爪を光らせる平塚先生と、そして、漆黒の頭髪を逆立て、全身から怒りのオーラを放った朱色のぬののふくを纏った、精悍な男……

 その男……とーちゃんは静かにつぶやいた。

 

「おめえは絶対ゆるさねえぞ」

 

 両の拳を握りしめたとーちゃんたちに向けて、にやけたルゼーブが腕を振り上げて竜牙兵達へ命じた。

 

「やつらを殺せ」

 

 竜牙兵達が一斉に襲いかかる。

 

 そして、ここから…………

 

 戦いとも呼べない蹂躙が始まったのだった。

 

 

 

 えと、蹂躙されたのがどちらかなんて、言うまでもないよね。



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(53)逃げて―www

「どこの誰か知らぬが、神に弓引く愚か者に容赦はしませんよ」

 

 ルゼーブはその可愛らしい顔を醜悪に歪め、眼前の二人にそう語りかけた。

 そして、この苛立ちをどう解消させようかと思いを巡らせていた。

 散々煮え湯を飲まされたデカルチャーズのワレラを、じわじわとなぶり殺しにしてやろうと楽しんでいる最中だったというのに、いきなり現れて邪魔をしようなどとは……

 ルゼーブの内心は煮えたぎる油の様な激怒に染まっていた。

 

 彼はワレラを最初に見た時から、その身から溢れ出る膨大な魔力に気が付いてはいた。それはルゼーブがかつて出会ったどの英雄をも遥かに超えるレベル……そう、神に匹敵するほどの絶対感を感じていたのだ。

 だが、彼のデカルチャーズの男はそのあまりある魔力に対し、自分からたいした行動をとることはなかった。

 その放つ魔法は強力ではあっても操作は稚拙であったし、その行使も場当たり的なもの。

 散発的に魔法を使い、口八丁手八丁で、のらりくらりと誘導しようとする小癪な姿に苛立ちつつ、ルゼーブは次々と自身の隠し玉を失うはめとなった。

 ことここに至ってルゼーブは、邪神カーディスとの融合を果たし、その身も魂も滅びの権化となったことで、もはや多少強い人間の魔導士ごときを相手にする必要もなかったが、苦痛に泣き叫ぶワレラの姿は彼にとって愉悦そのものであったのだ。

 

 そうであったというのに……

 

 ルゼーブはその深紅の瞳を細め、眼前でこちらを睨む二人を、ジッと観察する。そしてその能力を見定めようと試みた。

 瀕死のワレラを抱きとめ、その魔力の暴発(イグニスファスト)をどう止めたのかは分からなかったが、朱色のぬののふくを着た屈強なその男からは、とくに何の脅威を感じることもなかった。ただの強そうな人間だ。少なくともワレラほどの圧倒的な魔力の気配は感じない。

 一方、さきほど自身の腕を切断してくれた、金の鉤爪を腕に嵌めた鬼の面の女からは、魔力こそはそれほど感じないものの凄まじいまでの威圧(プレッシャー)を放ちつづけ、その全身にかつて感じたこともないほどの殺意を漲らせている。

 狂っているのか……まるで、己が操ってきた、怒りの精霊【ヒューイ】が憑依でもしているかのように狂暴で恐ろしい気配に神となったその身でさえも竦んでしまう。

 そう、ルゼーブは確かに恐怖を感じていた。

 

 この女は危険だ。

 

 いかに自分が不滅の存在になったとしても、度重なるダメージは蓄積され、マナで形成された自身の心身を摩耗させることになる。

 神という絶対者であっても、この世界に現界できなくなる可能性があることをルゼーブは理解しているのだ。

 

 だが、だからといって己の愉しみを邪魔してくれたこの二人を決して許す気はない。

 どんなに強大な力を持っていたとしても、油断さえしなければどうということはないのだ。

 彼は『用心が過ぎるな』と多少自嘲しながらもここで侮って自身の貴重な力を浪費する必要もないと判じた。

 それと同時に、圧倒的な力でもってこの眼前の二人を殺す。そうそれだけだ。

 どんなに強かろうと、この二人も絶望に叩き落としてしまえばいい……もう反抗できるだけの気力を削いでしまえばいい。そして、その上で嬲り殺す。彼はそう考え直した。

 ワレラと同様に手足を腐らせ、全身を腐らせ、絶望に叩き落としてやろうか、それとも、いっそ一思いに一人ずつ消し去ってやろうか……

 

 確かに多少強いようだが、この二人からは技能(スキル)所持者特有の神聖な気を感じない……というより、神の恩恵(ファルナ)の気配がまったく感じられなかった。それが彼の心に余裕を生ませたのだろう。

  

 くくく……そうだな、別段俺が手を下すまでもないか……

 

 ルゼーブは湧き上がる愉悦にその顔を再び歪めた。

 もはやなにも怖れることなどないことを改めて確信したのだから。

 

「では君たちには彼らの相手をしてもらおうか。『いでよ、亡者ども。破壊の女神の眷族にして、生と死のはざまを彷徨う者どもよ』」

 

 彼が右手を振り上げると、周囲全体に魔法陣が展開され、そこから次々と重装備の竜牙兵(ドラゴントゥースウォーリア)が出現し始めた。

 そしてその穿たれた両の目のくぼみに怪しく魔力の光を灯し始める。

 そんな大量の竜牙兵を前に、その朱色のぬののふくの男はぽそりとつぶやいた。

 

「おめえは絶対ゆるさねえぞ」

 

 静かに、全身に怒りを纏って睨む男。

 その様子を見て、口角を上げたルゼーブは、その右腕を振り上げて自身が召喚した死の軍団に命じた。

 

「やつらを殺せ」

 

 その言葉を合図に、一斉に竜牙兵達はその骨の体躯を軋ませて、二人に躍りかかる。

 

 と、眼前で今までジッと佇んでいた夜叉が、その黒髪を振り乱して、人の言葉ではない咆哮を上げた。

 

「ゥラァアアァアアァアアアアアアアア!!」

 

 竜牙兵達はその声に吸い寄せられるかのように一様に彼女に迫る。

 そしてそれを待ち構えていたとでもいうかの様に、般若の面を被ったその美女は、目映く耀く鉤爪を振り上げて、竜牙兵達の只中へと、跳躍して飛び込んだのだった。



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(54)恐怖‼ 平塚先生とオルテガとーちゃんの日常‼…と、ルゼーブの最期。

 嵐……

 そうまさに嵐だった。

 

 俺はそのとき、モンスターに躍りかかる平塚先生を見て、内心かなり焦っていた。

 当然だ。

 いくら逞しいと言っても平塚先生は俺と違って、ただの一般人。あのドラクエの世界で鍛えたわけでも、じゅもんをマスターしてるわけでもない。

 そんな普通の女性が、どんなに強力な装備をしているといっても、どうにかなるなんて思うことはできなかった。

 

 すぐに殺されてしまう……そう恐怖した。

 

 だが、決してそうはならなかった。

 

 オリンピック選手もかくやという跳躍を見せた先生は、身体を回転させながら竜牙兵のど真ん中へ飛び込み、そしてそのまま、まるでダンスでも踊っているかのように小刻みに体を運びつつ、右手に装着した黄金の爪で敵を撫でていった。

 そう撫でていた。

 激しい炸裂音も金属を切断する高音も響かないままに、竜牙兵たちはその身体をフルプレートの鎧ごと切り刻まれ、その場にガシャリガシャリと崩れ朽ちていく。

 それでも竜牙兵たちは、同族の屍を踏み越えつつ、長大なハルバードを振りかざして先生へと迫る。と、それを当然の様にかわしながら、先生は白骨の山を築いていった。

 なにこれ、南斗水鳥拳かよ、まじで!?

 だが、やはりというか、圧倒的に多勢に無勢。いくら先生が俊敏だと言っても、これだけのモンスターに囲まれれば逃げ回り続けるのは至難の業。しかも相手はあの竜牙兵、動きは洗練されている。

 ついにその一撃が先生へと放たれた。

 

「平塚先生!」

 

 俺は思わず叫んだ。

 なぜならば、剣戟を交わす先生の丁度真正面にいた一体の竜牙兵の放った鋭い突きが、先生の胸へと吸い込まれたように見えたからだ。

 先生の装備はしんぴのビキニのみ。

 その素肌のほとんどは表に晒されており、まさにその一撃は先生の大きく開いた胸の間へと放たれていた。

 

 だが……

 

 ガキンッ‼

 

「え?」

 

 と思ったその瞬間あり得ないことが起こった。

 先生の胸へと突き込まれたはずのそのハルバードの穂先が、甲高い音を立てて折れ弾けたのだ。

 見れば、その先生の胸は、蚊にでも刺されたかのように少し赤くなっているだけ……

 

 ええええ!?何で!?なんで刺さってないの?

 歯が……いや、刃が立たないという文字通りのその状況に、俺は一瞬慌てたが、唐突にあることを思い出し一気に納得した。 

 

「そうか、『般若の面』か……」

 

 そう、般若の面。

 あの面はただの呪われた武具ではない。

 被ったものは精神に支障をきたし、混乱状態で誰彼構わず襲い掛かるという、とんでもなく迷惑極まりない機能がある反面、実はあの世界において最も優れた性能を有した武具でもあった。

 その特殊な性能とは……

 

 『守備力+255』

 

 そう、あの呪いの面は、なんと装備者の守備力を半端なく底上げしてしまう。

 ちなみにこの255というのがどれだけの位置かというと、今の俺の守備力が多分10前後……俺があのドラクエの世界で最終決戦フル装備状態で210くらいだった。で、今レベル4のアンの守備力が装備なしで18だったから、この+255がいったいどれだけぶっ壊れたレベルか想像に難くないだろう。

 しかもだ。先生が着ているあのしんぴのビキニ。ただのエロい水着にしか見えないが、あれ実は守備力+90くらいの超高性能な鎧のはずだ。なにせあの勇者専用装備の『ひかりのよろい』より守備力が高いとかいう、公式チート水着だったはずだし。

 つまり、今の平塚先生の守備力は、先生のデフォ守備力α+255+90=345+α。

 やばい、先生硬すぎて、もうはぐれメタル状態じゃねえか。これ、もうなんか攻撃してる竜牙兵が可哀そうに思えてきた。

 ともかく裸同然に見える先生だが、魔法の膜を張ってでもいるのか、身体そのものを硬質化しているのか良く分からんが、ともかく並大抵の攻撃では傷一つつけるのは叶わない状態だということは確かなようだ。

 

 先生はそんな頑強な身体であっても、その殆どの攻撃はかわし続け跳びはねながら鋭い一閃を放ち続ける。刹那の攻撃の応酬。

 次々と切り刻まれていく竜牙兵を眺め立ち尽くしていた俺。

 そんな俺の眼前に、唐突に般若の面が現れた。

 

 え?

 

 疑問に思う間もなく先生の黄金の爪が俺に向かって振り下ろされる。

 俺は慌てて呪文を唱えた。

 

「あ、アストロン!」

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 覚醒した時、俺は地獄を見た。

 いや、本当の地獄なんか見たことはないが、多分これが地獄の風景なんだろうなって思ってしまったわけだ。

 なぜなら、俺の周囲360度すべてが白骨で埋め尽くされていたのだから。

 切り刻まれ動かなくなった竜牙兵達。まさに足の踏み場もない状況。

 あれ、さっき確実に俺を殺しにきてたな。

 っていうか、多分、アストロン状態の俺も散々攻撃したんじゃねえか?

 これ、なんで俺のまわりだけこんなにうず高く骨がつもってんだよ。明らかにここで殺戮しまくってんじゃねえか。

 平塚先生、超怖い。

 顔をあげてみれば、もう相当に暴れたのだろう、辺りに骨の残骸が転がるばかりで、先生はといえば、遠くの方でまだ動く竜牙兵にとどめを刺して回っているところだった。

 だから、超怖いですって!

 

 そして、俺は首を廻らす。

 

 ダークエルフの女やフェルズ達の姿はないな。

 俺がアストロン状態のときにどこかに隠れたか……

 じゃなきゃ、とっくに平塚先生に八つ裂きにされているからな、逃げててくれてればいいが。

 

 とーちゃんはといえば、さっきと同じ位置でルゼーブを睨み続けていた。ルゼーブも同様にとーちゃんへ顔を向けている。だがその顔にもはや余裕はまったくなく、歯を食いしばっているように見えるし、確実に冷や汗をかいていた。カーディスも汗かけるのな。

 

 そんなルゼーブが唐突に声をあげた。

 

「ば、ばかな……なぜ、貴様はなんともない?ひ弱な人間ごときがなぜ……」

 

 言いながら腕を伸ばしたままプルプルと震えているルゼーブ。

 とーちゃんはといえば、微動だにしていない。

 これはなんだ?なにかルゼーブのやつがやったのか?

 あ、ひょっとしてあれか……?

 

 俺はさっき自分が食らった身体の腐食攻撃のことを思い出していた。

 あのときもルゼーブは今と同じように俺に向かって手をかざし、その途端に俺の足が腐り始めたんだ。

 思い出すのも恐ろしいが、ルゼーブはいまやあの邪神カーディスだ。

 滅びの権化の彼女は、大地母神マーファとの死闘の末にロードス島にその屍……まあ、今わきで転がってるこの巨大なやつがそれなんだが、その屍を中心に『滅びの呪い』を発動し、大地を腐らせたって伝承があったはずだ。たしかロードス島戦記の解説書かなんかに。

 だから、腐食攻撃できてもなんにもおかしくないわけだが、まさか今それをとーちゃんに向かって仕掛けてるのか?見ててもなんにもわからんのだが。

 

 全くなにも変化のないとーちゃんが、ゆっくり、ゆっくりとルゼーブへと近づき始めた。

 

「なぜ効かん!なぜ死なん!なぜ貴様にこのカーディスの呪いが効かんのだ」

 

 その慌てた雰囲気のルゼーブの言葉にとーちゃんがぽそりと答えた。

 

「おめ、今なにかやってたのか。この『ピリピリ』したやつか?こんなんでオラがダメージ受ける分けねーだろ。これなら毒の沼地の方が何倍もいてーぞ。おい、遊んでねえでとっとと来いよ」

 

 とーちゃんは歩みを止めない。

 

「くっ……な、ならば、これだ……『我が忠勇なる僕、破壊の巨人たちよ。今こそ我が求めに応じ、その身を現せ!!出でよ、そして、ここに死を撒き散らせ』」

 

 少し高い位置に浮かび上がったルゼーブがその両の腕を広げ詠唱した瞬間、その周囲に4つ超巨大な魔方陣が出現。

 そして、大きな振動とともに、その輝く魔方陣から次々と超巨大な人の形をしたものがせりあがってっきた。

 最初に現れたのは、全身に鱗を巡らせた濃緑色の巨人。そして、その隣には銀に輝くまるで鎧をまとったような巨人が、そして、今まさにその上半身を出現し始めているのは、顔や肩や胸を分厚い氷で覆った淡水色の巨人……そして、次は……と、

 残りの魔方陣へと視線を動かそうとしたそのとき、突然その『音』が聞こえてきた。

 

 ドッパァアアアアアン‼

 

 なんだ?と思ってそっちへ顔を向けてみれば、

一番最初に現れた緑の巨人が、腹を押さえるようなポーズのままで、その背中から大量の緑の体液を弾きとばしているところ……、そして、良く見れば、その背中に豆粒のように浮かんでいるのは、まぎれもなくとーちゃんだった。

 いつの間に移動したのか、どうやらとーちゃんがあの緑の巨人の腹をぶち破ったらしい。

 次の瞬間、とーちゃんはその巨人の頭を猛烈な勢いで蹴った。刹那、巨人のその頭部は膨らんだ風船を破裂させたように一瞬で消しとんで消滅した。

 

 なにが起こった?

 と考える間もないままに、とーちゃんはその隣の銀の鎧の巨人のもとへ。そのままさっきの緑のやつと同じように頭を吹き飛ばしたあと、大地に降りてから銀の巨人の足を掴んでそのまま振り回し始めた。そして、さあ今出ようとしている氷の青い巨人にむけてその身体を何度も何度も叩きつける。

 まるでもぐら叩き。

 叩いている銀の巨人も、叩かれている水色の巨人も、

どちらもその身体がひしゃげ辺り一面に体液を撒き散らしまくっていた。

 そして、止めとばかりに一度巨人を掴んだまま天井付近まで飛び上がったとーちゃんがその巨人のぼろぼろの身体を力の限り、まだ半身が魔方陣から出切っていない水色の巨人へと叩きつける。

 

 爆縮‼

 

 まるで世界が終わったのではないかと錯覚するような大音響と衝撃波を伴ったまま、その衝突した2体の巨人は木っ端微塵に爆裂四散した。

 そして当然だが、その大地やそこに展開していた魔方陣も消滅。良く見れば、倒れていた巨大なあの不滅のはずのカーディスの骸の下半身もその爆裂に巻き込まれて消しとんでしまっているし。

 え?おれ?

 うん、当然だけど、あの瞬間アストロンしたよ?

 当たり前ー。

 だから今はちょっとタイムラグがあった後の世界なわけだ。

 辺りは壁も天井も崩れまくって、もうもうと土煙があがって視界が非常に悪い。

 とりあえず埋まらなくて良かったーと思っていたのだが、今さらだが、足が超震えてきた。

 

 なにこれ?

 

 いや、おかしいでしょ、いくらなんでも。

 

 ほんのついさっきまであのルゼーブと俺たちはここで一応『死闘』してたんだよ?

 何度も死にそうになりながら、一色を助けて、カーディス(ダミープラグ)を倒して、そんで、あのルゼーブだってもう少しのところまで追い込んで……

 それなのに、この数分というか、僅かな時間の間に、平塚先生ととーちゃんはいったい何をやらかしてくれちゃってんの!?

 なんていうか、さっきまでの俺のシリアス、まじで返して‼お願いだから‼

 

 あまりにめっちゃくちゃになったこの大空洞でそんな文句を思いつつも、あの平塚先生の凶行と、とーちゃんの非常識な殺戮を思い出して、恐ろしさに失神しそうになるのを必死に堪えていた。

 

 それにしても久々にとーちゃんが戦うとこ見たけど、マジであの人おかしい。

 てか、あれで実は魔法使ってないわけだからね。なんで、ただ蹴っただけで物体が消滅するのン?それに、なんで力一杯叩きつけただけであんな核爆発みたいなのが発生するのン?八幡、本当にわかんない。

 

「おのれ……おのれ、おのれ、おのれおのれおのれ‼殺す‼殺してやる‼貴様は俺がこの手でぶち殺してやる‼」

 

「お?やっとやる気になったか?いいからとっとと来いよ」

 

 そんな声が靄の向こうから聞こえてくる。

 どうやらルゼーブととーちゃんの様だが……

 

 と、次の瞬間、辺りをおおう土ぼこりが一気に吹き飛んで消えた。そして、正面を見れば、ルゼーブがその右腕を上空へとかがけてなにか呪文を詠唱している。

 何をするのか?と思ったそのとき、突然ルゼーブがその口角をあげた。

 

「くくく……だが、そのまえにだ。貴様に絶望をプレゼントしてやろう。そこにいるなデカルチャーズ。お前にもだ。これからこの俺が、強大な力を持ったお前たちに最高の贈り物をしてやる。神となったこの俺がなあ」

 

 言って、その全身が光い輝くと同時に、なにか巨大なエネルギーのようなものが上空へと放たれたことを感じた。

 

「おい、おめ、今何をした?」

 

 瓦礫の上にとーちゃんがたっていて、そうルゼーブへと声をかけた。

 そんなとーちゃんの左手には、ぐったりして動かなくなった平塚先生のすがた。ピクピクしてるから死んではいないようだが、扱い雑すぎないか?

 

「くくく……よかろう、殺す前に教えてやる。お前たちは俺を怒らせた。抵抗をしなければ楽にしなせてやったところだが、もう遅い。お前たちには自分の死よりも深い絶望を与えてやる」

 

 自分の死よりも深い絶望って、まさか……!?

 

 俺がハッとなって顔をあげたその時、満足そうな笑みをしたルゼーブが俺へと視線を落としてきた。

 

「そうだデカルチャーズ……くくく……貴様の大事な大事なあの仲間たちを皆殺しにしてやる。あの大切な女どもをなぁあ。たった今地上へこの俺の眷族たちを解き放った。地上の連中どもにはどうしようもないだろう、瞬く間にオラリオも世界も火の海だ。クク……くはぁっはっはっは……」

 

 高らかに笑う、ルゼーブ。

 俺はそんなやつを見ながら歯噛みした。

 くっそ、どうすりゃいいんだ。

 

「なあ、八幡」

 

 ふいに横から声がして顔を向ければ、そこにいたのはとーちゃん。さっきまであの瓦礫の山にいただろう?って思いつつも、まあ、とーちゃんだからなと納得。もはやこの移動速度は瞬間移動のそれだろう。

 とーちゃんは真面目な顔で俺に聞いてきた。

 

「あいつ神様なのか?」

 

 その問いに俺はすぐに頷いて返した。

 

「ああ、そうらしい。どうやったんだか分からないが、邪神カーディスってやつに完全になっちまってるらしい。身体も魂もな」

 

「そうか……なら、オラには倒せねえな」

 

「え?」

 

 今、何て言った?

 オラには倒せないって、おいおい、この後に及んでそりゃねえだろう。

 

「とーちゃんが倒せねえって、どういうことだよ。じゃあ、どうしろって……」

 

「落ち着けよ八幡。オラには倒せねえんだ、オラじゃ神サマの身体をばらばらには出来ても魂までは壊せねえんだ。神竜にもそう言われたしな」

 

「だからどうしろ……」

 

 言いかけた俺に向かってとーちゃんがまっすぐ指を指してきた。

 

 え?俺?

 

「なにを……」

 

「だからおめだよ、八幡。おめの電気の魔法なら神サマだろうが悪魔だろうがなんだろうが消し去れるって言ってたぞ。だから神竜はおめとは戦いたくねえってな」

 

「は?ま、まてまてまて、とーちゃん。俺?俺が倒すって?いや、いやいやいや無理だろうそんなの。だって俺さっきあいつに殺されかけたんだぞ?現に足も手も腐ってたじゃねえか」

 

「だーいじょうぶだって、おめえなら出来んだろ。それにこれ」

 

「え?」

 

 とーちゃんがいきなり俺のはだけた背中をバンと叩いた。

 めっちゃ痛いが、そうではなくて、そこに在るもののことをポショポショと耳打ちしてきたんだ。

 

「ええ!?ま、マジか?」

 

「おう‼マジだぞ。だから手伝ってやっからオメがとどめをさせよ」

 

 俺はそのとーちゃんの言葉にゴクリと唾を飲み込んだ。

 

 とーちゃんがここに来ておれに嘘をつくわけはねえ。それに言われてからなんとなく意識してみたら、それの存在を知覚できるようにはなっていたし。

 どうする?できるのか、俺に?

 いや、でも…

 

 そのとき、とーちゃんが俺に言った。

 

「なあ、守ってやれよ八幡。おめえの手で」

 

 その言葉、その意味するところ。そんなの言われなくたって分かってる。

 

 俺は自分の拳をぎゅっと握り、そしてとーちゃんを見て頷いて答えた。

 

「さて、別れは済んだかな?諸君。『神を殺せるのは神だけ』。それはこの世界の理であり、真理だ。そして、そんな神に弓引くおろかな存在……くくく……貴様たちにその報いを与えてやる。さあ、死ね、絶望しろ、そして消滅するがいい」

 

「『ギガデイン』」

 

 自身の周囲に暗黒の大穴を開いたルゼーブに向かって俺はギガデインを放った。

 あれはブラックホールかなんかか?

 俺の稲妻はルゼーブの身体を焼きつつも、その穴へと吸い込まれるように消えていく。

 

「っつ……き、きさま……くく……くくく……どうやら、貴様の魔法の効果もここまでのようだな、デカルチャーズ‼さあ、死ね‼今すぐ死ねぇ」

 

 ルゼーブは自身の周囲に展開したブラックホールをどんどん大きく膨らませていった。

 瓦礫や、砕けた竜牙兵たちがつぎつぎにその穴に飲み込まれていく。

 そして、やつはさらに空中に魔方陣を展開し、そしてそこから亡霊のようなモンスターを溢れるように出現させ続けた。

 

「くはははははは……もはや手加減はなしだ。私のもつ最大の魔力で貴様たちを消滅させてやる。さあ、死……」

 

「死ぬのはおめだよ、ルゼーブ。さあ八幡、かましてやれ」

 

「なっ……!?」

 

 そう、俺はもう一度ルゼーブへと向けて手を伸ばした。

 

 隣にはとーちゃんたちがいる。

 平塚先生は一度目を覚ましたが、暴れる前にとーちゃんが殴ってふたたび気絶させられてまだ抱えられている。ひでぇ。

 そう、さっきの『ギガデイン』はただの牽制だ。

 あれでルゼーブを倒しきれないことはもう分かっていたしな。

 だから、少し、ほんの少しだけやつの油断を誘いたかった。

 そう……この『新しく覚えたじゅもんの準備』のために……

 

 力がみなぎる……

 

 気力があふれでる……

 

 全ての命の力が、すべての存在のエネルギーがここに……

 

 草も、木も、アロエも、動物も、モンスターも、ダンジョンでさえも……

 

「みんな、俺に力を分けて……って、これ俺の台詞じゃねえな。よしやるぞ、とーちゃん」

 

「ウッし!やっちまえ、八幡」

 

「な、何を……、」

 

 慌てて俺たちへ複数の魔法を放ったルゼーブだがもう遅い。もはや、この俺のじゅもんは完成したのだから……

 そう、俺は新しいじゅもんを覚えてしまったのだ。

 多分、あのカーディス(仮復活)を倒したときに。

 なんとなく、レベルアップの効果音を聞いたような気もしたし。

 そして、覚えてしまったこのじゅもん。これはまさに今このときにこそ意味のあるじゅもんだったのだ。

 

 

 そして俺は絶叫した。こいつを倒すために、彼女たちを守るために、万感の思いをこめてやつに向かって……

 

 そう、そのじゅもんとは……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「『ミナデイィィィィィィィィン‼』

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そのとき、俺は光を見た。

 真っ白な光。音も、色もなにもかもが白で塗り消された世界……

 そして、その光がすべてを……やつの放ったモンスターも、魔法も、奴自身さえも飲み込み、そして消し去って行くのを……

 

「ば、ばかな……」

 

 

 光の中でもがくルゼーブ。

 やつのその身体には瞬く間に亀裂が走り、そしてポロポロと表皮がめくれ粒子となって輝き始めた。

 そんな奴の口が微かに動く……

 

 

「お、俺が……か、神へと至った、、こ、この俺……が、死……まだだ……まだ、死ねな……奴を、こ、殺す……ま、まで……は………………」

 

 

 光の奔流に沈むルゼーブの最後の言葉を……

 

 俺は聞いたような気がした。

 



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(55)やっぱりルビス様はルビス様だった

 ずずーっと、紅茶を飲んでからみんなを見渡すと、一色と小町は唖然呆然とした顔をしていた、が、由比ヶ浜はといえば、たははと半笑いで頬を掻き、雪ノ下は音を立てて紅茶を啜った俺をにらんでいた。いや、本当にごめんね。

 

「と、まあ、そんなわけで、黒幕っぽかったルゼーブも倒したし、こうやって一色も無事だったしな。とりあえずは万々歳ってとこだろ。ただ、あの後はちょっと大変だった」

 

「あの後って、あのヒッキーが呪文を使った後ってこと?なんか、すんごいのが、どばーって、どどどばーって穴から出てきて、雲がなくなっちゃったんだよ!ぐわぁあああっっって!」

 

 というのは当然由比ヶ浜、身ぶり手振りを加えているが、なんのこっちゃさっぱりわからない。

 

「ま、要はあのじゅもんの後だな。当然だが、威力がでかすぎて、崩落しちまったんだよ。あわや生き埋めだった」

 

「なら、どうやって逃げ出したのかしら?全員助かったようなのだけれど、偶然……というわけではなさそうね」

 

「その通りだよ、雪ノ下。あの時、咄嗟にフェルズたちを探したんだが俺には見付けられなかった。が、そこでとーちゃんだ。どうも、気配でどこに誰かいるか分かるらしくてな、落ちてくる岩石を吹き飛ばしながら、壁に穴開けたりしながら、フェルズとゼノスたちはおろか、途中で俺たちに襲いかかってきたやつらも纏めて助けちまったんだ。ま、最後の最後で急に暴れだした平塚先生がみんなを殺そうとしたもんで、とーちゃんが先生をぶん殴ってふっとばしたら、どうもそっちがダンジョンだったみてえでな、二人してそのまま、またダンジョンに入っちまった。で、俺たちはといえばリレミトで脱出したってわけだ。でも、驚いたよ。まさか地上でまだあのジャイアントとかが暴れてたからな。ルゼーブ倒したから、てっきりもう安全だと思ってたのに」

 

「あー、それねー。あたしたちも大変だったよ。なんかさ、あの幽霊みたいなの倒せる人他にいなくてさ。ずっと二フラムつかってて疲れちゃったし」

 

「そうね、私にはゴースト用の魔法がないからひたすら由比ヶ浜さんの援護に努めていたわ」

 

 と、言いつつ頭を差し出してくる二人。俺はいつも通りなでりなでり……

 

「ま、本当に無事でよかった。お疲れさん」

「うふふ」「えへへ」

 

「ストーップ!」

 

 と大声をあげるのは小町。

 なんでそんなに目をつり上げてにらんでんの?お兄ちゃん泣いちゃうよ?

 

「ちょっとお兄ちゃんたち。さっきから聞いてればワケわかんないことばっかりだよ。平塚先生があの骸骨を倒しまくった?オルテガさんがあのでっかい巨人を3体も瞬殺した?んで、おにいちゃんが邪神の人をやっつけた?そんなの信じられるわけないでしょ?」

 

「ないでしょたって……なあ?」

「ねえ……」「そだね……」

 

「って、先輩たちなんで当たり前みたいな反応なんですか?だってあの巨人ですよ?オラリオのみんなが寄って集って全然歯がたたなかったんですよ?それを先生とオルテガさんの二人だけでなんて……」

 

「あのね、いろはちゃん」

 

 由比ヶ浜が一色の肩に手をおいて、にこやかに微笑む。

 

「オルテガさんだから、仕方ないよ。考えても無駄だよ」

 

 愕然となる一色と小町。

 由比ヶ浜のおっしゃる通りごもっとも。考えるだけ無駄無駄。あの人に常識は通用しない。

 そんなことを思っていたら、階段をとんとんとんと降りてくる足音が。

 

「ただいまー、はあ、つかれたぁ~。あ、八幡くん、やっと気がついたんだね、良かった良かった。あれ?ダークエルフさんは?」

 

 言いながらこの部屋へ入ってきたのはルビス様……と、真っ黒なローブをすっぽり被ったフェルズの二人。ルビス様はキョロキョロと辺りをみまわしているが、フェルズの奴はまっすぐに俺にむかってあゆみよって、そしていきなり抱きついてきた。っておい、抱きつくのはやめろ!!骨が、骨が刺さってるから!!

 

「八幡君、本当に良かった。良かったぞ!わ、私はずっと心配していたのだぞ」

 

「いいから、わかったから離れろ、フェルズ!もう大丈夫だから、なんともないから」

 

 渾身の力で奴をひきはがしてから、俺も立ち上がった。

 まったく寝てたら誰にどうやって襲われるかわかったもんじゃない。

 

「んで、ダークエルフさんはどこ?」

 

 まったくなにも気にした様子のないルビス様が椅子によじ登ってちょこんと座ってそう聞いてくる。

 

「ああ、さっき俺が起きてから帰ったよ。今度飲もうって言ってたから、また会えんだろ」

 

「そうなんだー。ちょっとあの娘に聞きたいことあったんだけど、ま、いっか。それよりも八幡君。これ」

 

「なんすか?」

 

 ルビス様はローブの内からごそごそと紙切れのようなものを3枚と、金色の大きなメダルを取り出して、俺に差し出してきた。

 これがなんなのか、俺にはさっぱりわからない。由比ヶ浜も雪ノ下も同様に不思議そうな顔になっている。

 ルビス様はそんな俺たちの顔を見ながら説明を始めた。

 

「まずはこれね、ギルドからの『感謝状』。今回の邪神討伐と人命救助についてのだって。でも、邪神がいたってことは伏せておいてとか言ってたよ、なんでかな?よくかんなかったけど、『ありがとー』って貰っておいたよ」

 

「へー」

 

 そんなのがあるのか。言われてみれば、卒業証書とかに似ていなくもない。周りに金色でなんかの紋様があしらってあるし、ま、なんて書いてあるか全然読めねえけど。

 邪神のことを秘密にしろってのは何となくわかる。桁違いの力を持ったやつらが実は裏で暗躍してましたなんて聞いた日には、それこそ今のオラリオの平和はおしまいだろう。そもそも原作にカーディスなんか出てこないしな。

 

 それを受け取った俺に、今度は少し大きめな細長い羊皮紙と、金のメダルを差し出してきた。

 

「これは?」

 

「えーとね、なんか八幡君たちが今回倒した『ファイアジャイアント・ロード』がね、伝説級モンスターになるとかで、止めをさした八幡君たちに称号を与えるんだって。えーとなんだったかな?たしか『エンシェント・ジャイアント・ロード・スレイヤー』とかなんとか」

 

「ふ、ふーん」

 

 もらった紙には大きく何かの文字が書いてあるが当然読めない。でも、そのエンシェントなんとかって書いてあるんだろう。もらった金のメダルにもなにかそれっぽいことが書いてあるように見えた。

 なんというかこそばゆいな。

 別にたいしたことはしてないしな。それを言ったら、あの巨人とほぼ同じ奴を3体瞬殺したとーちゃんの方がよっぽどすごいだろうって話だが、どこにいるんだか分からないし、そもそもとーちゃんの存在自体がこの世界最大の脅威と言えなくもないまであるしな、はは……。

 それにしても舌を噛みそうなくらい長い称号だな。もっと短くならんものか、『ジャイアン・スレイヤー』とか。いや、名乗ったとたんに間違いなく仕返しされちゃうな。うん。

 

「んで、その最後の奴はなんですか?」

 

 俺は最後まで持っていたきっちりと細かい文字がたくさん書かれた紙を見つめてそう問いかけた。

 ルビス様はそれを持ち上げながら、ひらひらと揺らして眺めているが……

 

「あ、これね。私もよく分かんないんだけど、これを持って返ってみなさんで相談してくださいって、ウラノスさんが言ってたんだよ。どういうことだろうね?」

 

 って言われても、俺にわかるわけねえし、でも、なにか嫌な予感がぷんぷんするんだが。

 

「え、えと、ルビス様?ですから、それはなんなんですか?」

 

「えとね、私の『契約書』だって。えと、そもそも『契約書』ってなに?」

 

「「「「!?」」」」

 

 全員同時にびくりと跳ねた。

 というか、ルビス様が契約書を知らないで契約書持ってる時点でもはや大やけどの予感しかしないのだが。

 俺はあわてて隣にいるフェルズに声をかけた。

 

「おいフェルズ、お前この契約書の内容知ってるだろ?教えろ」

 

 俺の言葉にびくりと反応するフェルズ。

 そして奴はその白骨の顔面にひや汗を垂らしているようにしか見えないほどの、怯えた挙動で話始めた。

 

「知……っている。それは、君たちがこの世界にきてすぐに、ルビス様が神会(デナトゥス)で並みいる全神と結んだ契約だ」

 

「「「「え?」」」」

 

 やばい、もう嫌な予感しかしない。

 もう聞きたくないからぶんぶん首を横にふって合図しているのに、フェルズのやつもぶんぶん横に首を振りながらガクガク震えながら口開こうとし始めるし。

 

「そ、そ、そ、そそそその契約の内容は……」

 

 やめろー。いや、やめろください。

 俺の願いもむなしく、ついにフェルズが口を開いてしまった。

 

「『異世界人の居住を認める代わりに、異世界人が起こした全ての事案に対し、損害の保証をルビス様が負う』と。つまり、今回壊れた全ての家屋、道路、オラリオの外壁、それに被害に遭った人々への見舞金や生活補償金……云々かんぬん……」

 

「だからね、お金払わなくちゃいけないんだって。いくらだっけ、フェルズさん?」

 

 あっけらかんとそう聞くルビス様。

 

 俺はゴクリと唾を飲んで、フェルズの言葉を待った。

 

「い、い、い、……」

 

 ガタガタ震え始めたフェルズ。俺たちはそのやつの言葉を聞いて真っ白に燃え尽きたのであった。

 

「いっせん……億、ヴァリス……」

 

「だって、私お金のことよくわかんないから、八幡君たち宜しくね」

 

 てへりと笑ったルビス様。

 契約は、ちゃんと理解できる人と一緒にしてね……

 と、そういえば昔、実の母親に、絶対にその場で契約はするなって言われたなーとか、そんなことを俺は思い出していた。



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(56)やっと、戦争遊戯

「べ、ベル・クラネル!?き、貴様、なぜ、そんなに……つ、強くなった!?」

 

「僕だって……いつまでも、守られてばかりじゃないんだぁー‼『ファイアァ・ボルトォオー‼』」

 

 その時、オラリオの全市民はあの時の炎の煌めきを再び見た。

 紅蓮の炎に包まれ吹き飛ばされるその城壁を‼

 そして、崩壊していく廃城を‼

 

 この日……

 

 【アポロン・ファミリア】と【ヘスティア・ファミリア】で行われた戦争遊戯(ウォー・ゲーム)は、当初の大方の予想を裏切り、侵攻側である【ヘスティア・ファミリア】の快勝で幕を閉じることとなった。

 

 だが、これは開始直前にはかなりのオラリオ市民がこうなるであろうと予想していたことでもあった。

 

 なぜなら……

 

 【ヘスティア・ファミリア】にはこのオラリオにとっての『英雄』が存在していたのだから……

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 【ヘスティア・ファミリア】が今回投入した戦力は全部で5人。

 一人は言うまでもなく、首魁であり、たった今廃城ごとヒュアキントスを吹き飛ばしたベル・クラネルである。

 この戦……彼には4人の仲間がいた。

 

 一人は【ヘファイストス・ファミリア】より移籍した『ヴェルフ・クロッゾ』。

 そしてもう一人、正体不明の謎のフードの人物。

 この二人が先陣を切り、たった二人で城を囲む城壁を破壊した。

 そう、二人が使ったのは魔剣。

 だが、普通の魔剣ではなかった。

 ヴェルフが用いたのは幅広の大剣。その魔剣からはとてつもない炎の激流が放たれ、廃城の壁をみるみるうちに焼き崩した。

 謎の人物の持つのは細身の直刀。その魔剣からはあの日、天を焦がしたあの稲妻を髣髴とさせる雷撃が放たれ、獄炎でぼろぼろになった壁をあっという間に吹き飛ばした。

 だが、その攻撃は止まなかった。

 通常の魔剣は、その自身の放つ魔力によりその刀身を焼き、そして数度の使用の後に損壊することになるが、彼らの魔剣は違った。振るえども振るえどもその威力は衰えず、そしてその剣はまるで生きているがごとく強く強く輝きを増していった。

 後に、彼、ヴェルフ・クロッゾが使用した魔剣は『雷神の剣』、そしてその謎の剣士が使用した剣はヴェルフ自身が鍛え上げた『雷光剣』(ただし、ヴェルフはこの剣を『雷光柱(ぴかちゅう)』と呼んで譲らなかったが)として、初の不壊属性(デュランダル)の魔剣として記憶されることになるのだが、それはまた別の話。

 その二振りの魔剣により、完全に廃城外部は崩落。

 そんな中を一人の東洋人の女剣士が突入した。それは【タケミカヅチ・ファミリア】から移籍した『ヤマト・命』であった。彼女はかつてベル・クラネルたちを死の縁に追いやった行為への自責の念もあり、今回移籍し加勢したわけだが、そんな彼女は突入と同時にあるアイテムを湧き出る相手にむかって投げつけた。

 それは冒険者たちの上空で炸裂し、そしてあたり一面にその粘着性の高い白い糸をまき散らした。

 これによりその場にいたほぼすべての【アポロン・ファミリア】の団員が行動不能に。

 この白い糸の正体が、あのダンジョン深層に生息する、デフォルミス・スパイダーの糸であることを理解できる者はこの場に居なかったわけだが。そもそも、粘着力の強い糸を獲得しようとしたら、なるべく早めに採取しなくてはならず、当然こんな地上で得ることはできるわけがないわけだから気が付かなくても仕方がない。

 命は、ベル・クラネルから受け取ったこのアイテムの出どころはわからなくとも、躊躇いなく使用した。そうすることで彼への贖罪が叶うと信じていたから。

 そんな行動不能に陥った敵陣の真っただ中に、あるモンスターが突如として現れた。

 小柄なその体躯は人間の子供ほどの大きさ。だが、その顔はシワが刻み込まれ醜く崩れており、そしてその頭部には特徴的な深紅の帽子が。

 『レッド・キャップ』と呼ばれる、上位種のゴブリンのいきなりの登場に【アポロン・ファミリア】の団員は驚いた様子をみせるが、たった一匹のこの種のモンスターに集団で遅れをとるはずがない。通常であればの話だが……

 一様に武器を構え、そのモンスターの排除にうつろうとした彼らの前で、レッド・キャップはその醜く広げられた口をつり上げ、舌を出して笑みを浮かべた。そして……

 

『ばあっ‼』

 

 声を上げ、そのまま袖からするりと伸ばした小さなロッドを冒険者たちへと向ける。と、その刹那……

 急に光だしたそのロッドに取り付けられた青い石から、冒険者へ向けて凄まじいエネルギーの奔流が光となって溢れだし彼らを飲み込んだ。

 周囲に木霊する絶叫。そう、彼らは、あっという間に吹き飛ばされ一瞬で全員戦闘不能に陥った。

 もしこのとき、あの地下深層にてワレラたちとカーディスの死闘を目撃した者がいたとしたなら、この極太レーザーがあのカーディスやカーラが放った『ライトニングボルト』の魔法と同じであったことを理解できたであろう。

 そう、このレッド・キャップの使用したロッドこそ、あのファイアジャイアントが落としたドロップアイテム、『ロッドofライトニング』であったのだ。

 あのジャイアント戦の最後、この発見されたアイテムの占有を巡り、止めを刺したデカルチャーズのワレラ、リヴェリア、ベルの3人のうちで、ワレラとリヴェリアが辞退したことでベル・クラネルがその所有者として選ばれることになった。もっとも、レベルも低く、もっとも果敢に挑んだ彼を称賛する声も多くこれは当然の結果ではあったのだが。

 そんな彼がその貴重なアイテムを託した人物こそ、今ここでその魔力を解き放ったレッド・キャップであり、そしてそんな彼女(・・)はその変身を解いて、城の上方へとかけ上る自身にとっての至高なる存在、ベル・クラネルの姿を眩しく見つめながらポツリと呟くのであった。

 

『ベル様……リリはお役にたてましたか?』

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「勝った!勝ったよ、ベル君!ねえ、ヒッキー、ゆきのん!」

 

「ああ」「そうね」

 

 俺は隣でぴょんぴょん跳んではしゃぐ由比ヶ浜を見つつ、俺は目の前で起こったあまりのワンサイドなヌルゲーに冷や汗をかく。

 そんな俺たちは今、オラリオの東メインストリートの上空に展開された、巨大な遠隔透視魔法のスクリーンを大勢の市民たちと一緒に見つめていた。

 勝負が決した瞬間、ここに集った大勢の民衆……いや、オラリオ全域で喝采の声が上がり、空気が振動したのだ。

 その熱狂振りたるや凄まじいもので、ここは浅草のサンバカーニバルか三社祭かと見間違えるほどの白熱ぶり。もうね、人混みに酔ってふらふらですとも。

 そしてそこかしこで、ベル君たちを絶賛する声が上がる。

 

「さすがは『リトル・ルーキー』だぜ!俺はずっと応援してたんだよ」

「まてまて、もうその二つ名は古い。いまや『エンシェント・ジャイアント・ロード・スレイヤー』だろ。俺はあの城みたいな巨人を炎で焼き尽くすとこ、確かに見たんだからな」

「すげーなお前。でもあれだろ?その称号持ってるのは【ロキ・ファミリア】の7人と、デカルチャーズの聖者ワレラさんもだろ?だったらその呼び名より、『極めし者(アルティメット・レコーダー)』の方がいいだろ。なんてたって史上最速でレベル4になったんだぞ?しかも、今回は史上初の2段階アップだしな。あのジャイアントだってほんとは一人で余裕だったって話だぞ」

「ほんと素敵だわー。それにかわいいし、ワタシ彼に抱かれた~い」

「だめよ、彼は。なんでもあの【剣姫】と付き合ってるみたいよ」

「ええ!?違うでしょ?あたいが聞いたのは、女神様がお相手だってことだよ。それも何柱もタラシこんだって聞いたわ」

「「「「「「ベルさま~~~ん」」」」」」

 

 喜色満面でベル君を称えたり、黄色い声をあげたり、そこかしこで尾ひれをつけまくられた噂が飛び交ってしまっている。

 おいおいお前らいったいなんの話をしてるんだよ。

 ベル君は頑張っただけだぞ、これホント。

 

 というか、やばい……マジでアイテム渡しすぎた。

 まさかこんなにベル君のワンサイドゲームが巻き起こるなんて夢にも思わず、あのファイアジャイアント戦やその後の調査云々や、ベル君たちの表彰の流れで時間のあまりとれなかったベル君たちについ、力を貸しすぎちまったみたいだ。

 

 俺が回復したあと、気になってベル君を見にいけば、その周りをファンに埋め尽くされていた。

 ジャイアント戦での功績を認められ、一躍『オラリオの危機を救った英雄』として称えられたベル君は、どこへ行くにも何をするにも取り巻きに群がられた。なにせあの【ロキ・ファミリア】を蹂躙した巨人を、たったレベル2の彼が助力があったとはいえ、討ち滅ぼしてしまったのだ。

 しかも公衆の面前で。

 見た者たちが熱狂しないわけがない。

 止めを刺した片割れの俺はといえば、あの白装束でまだ出歩いていないから影響はまったくないのだが、もともと素性のわからないワレラ()を探す声はあまり聞こえてきていない。

 それとリヴェリアさんに関しては、仲間があれだけぼろぼろになって自分が無傷で称号を得たことを恥じて、決して個人で称賛を受けとることはしなかった。むしろそんな声に対して、「それは違う、倒せたのは共闘した者たち全員のお陰だ、自分の力は関係ない」と反論を唱え続けたために彼女を追い回す輩は現れなかった。

 だからなのか、そんな群衆の思いが一気にベル君へと集まってしまったように思うのだが……

 

 そんなわけで、彼は訓練もままならず、原作の流れで、苦しんでいたリリを救いだすこともできず、時間を浪費し続けるはめとなった。

 だから俺は力を貸した。原作の知識のあるこの俺がだ。

 

 まず、破壊された教会では生活もできないし、熱烈なファンが詰めかけてきていたため、俺はベル君たちを俺たちの隠れ家へと招いた。

 そして、そこで寝泊まりをしつつ、彼のために訓練の場を用意した。

 人目につかず、激しい戦闘にも耐えられ、このホームにも出入りが可能……

 そう、俺はベル君に人造迷宮(クノッソス)のダイダロスの迷宮を開放した。

 と言っても、別に俺のもちものというわけではない。まだ他の神々にも知られておらず、ギルドの調査も行われていないこの場所を、正気に戻った【イケロス・ファミリア】の生き残りであるディックスたちと、穏便に、穏やかに、優しい雰囲気の中で、鍾乳洞のような彼らの隠れ家をライデインで木っ端微塵に粉砕しながら交渉しただけだ。

 今後は真面目に冒険者稼業に着くことを条件に、この人造迷宮のことを内緒にすること、そして、この中を俺達も利用していいということを認めさせた。

 というのも、なんだかんだ言って、この迷宮を作ったのはディックスの一族。無断で地下にこんな大迷宮を作ったのは問題でしかないが、その1000年の情熱たるや俺の一存でどうにかしていいとは思えなかった。

 だから、全てを不問とする代わりに、俺達にもここを使わせろと迫ったわけだ。当然だが、フェルズと神ウラノスにもこの件は了承させた。ゼノスのことといい、この人造迷宮(クノッソス)のことといい、みんな問題だらけで本当に大変だな。

 ま、どちらにしろディックスは快く応じてくれたのだがな。半べそかいてたのは見ないことにした。

 

 こうして調達したこの広大な修練場にベル君だけでなく、稽古につきあってくれていたアイズたんとティオナさんの二人も招待した。もちろん、この場所のことは秘密にすると約束させた上で。

 

 ここで彼らは数日間猛特訓に励んだ。

 というか、どんな修行をしていたのか俺は知らないのだが、毎日帰ってくるたびにアイズたんが真っ赤になってベル君を見つめていて、それが日に日に熱を帯びてきているようでなんとも見ていてむずがゆかった。

 と、そんな俺の後ろで、嫉妬の炎をメラメラと上げているヘスティア様が超怖くて怖くて、目を合わせられなかったがな。

 ベル君はあのファイアジャイアントを討伐したことでレベルが一気に二つ上昇してこのときレベル4。

 レベル2の成長限界だけでなく、レベル3の成長限界すら突破してしまったベル君が、いったいどれだけのアビリティの値だったのかうかがい知れないが、彼は現状すでにレベル4でオールSを獲得している。

 つまり、この時点で彼は並居るレベル4冒険者を凌駕しており、さらにレベル5の冒険者をも脅かす存在になってきているということ。げに恐ろしきは、憧憬一途(リアリス・フレーゼ)のスキル。経験値割り増しが凄すぎだろ!ま、誰にもばらせないのだけど。

 

 そんな訓練の合間で俺は原作に準じてリリを、『神酒』の力で世界を支配していた【ソーマ・ファミリア】の呪縛から解き放とうと行動していた。

 

 ただ、これに関しては結構簡単だった。

 リリが【ソーマ・ファミリア】に対して持っていた2000万ヴァリスの借金を、要は誰かが肩代わりすれば良かっただけだったのだが、実は【ソーマ・ファミリア】の闇酒の密売の片棒を担いでいた【イケロス・ファミリア】は俺の手の内。

 ディックスに優しくお願いして、【ソーマ・ファミリア】との縁も完全に切ってもらった。

 これは俺達と悪事はもうしないという約束にもつながってくるため、ディックスは当然従った。

 これに激怒したのは、【ソーマ・ファミリア】の団長ザニスだ。

 ディックスが手を引いてしまったがために、『神酒』の密売ができなくなり、彼の【ファミリア】では、リリの裏切りについての処分云々どころの話ではなくなり、怒り狂ったザニス達が、ディックスや俺達を襲撃しようと動き始めたところへ、逆にベル君を突入させて一気に殲滅。ま、俺達も一緒に突入するつもりだったのだが、レベル4のベル君、マジで強すぎだ。疾風怒濤の勢いだった。

 要は、リリを内へ隠し続けたザニス達をあぶりだすための、ディックスたちを使った芝居だったわけだが、見事に抗争状態になってくれたのでリリも無事に救出出来てこれで終わり。後は、原作の通り、ヘスティア様とベル君が神ソーマに身請けの為に、原価2億ヴァリスのヘスティア・ナイフを差し出して、そして、応じた神ソーマがリリの『改宗(コンバージョン)』を認め、晴れてリリは【ヘスティア・ファミリア】の一員となった。

 それにしても……

 なんというか、リリのベル君を見る目が、まさしく恋する乙女のそれでもう半端ない。

 原作でも、まだ弱くて、必死なベル君が、命がけでリリを救いに来たことで、それに心を打たれたリリは一気にベル君ラブに突き進んだのだけれども、今目の前でまさに英雄然とした戦いを繰り広げたベル君の姿を見たリリは、完全に目がはーとになっていた。

 い、いかん……お、俺の後ろで唸るヘスティア様がめっちゃ怖い。

 

 そんな中、原作で大活躍だったヴェルフはなぜか全くその姿を現さなかった。

 理由は簡単。

 雷神の剣のような、不壊属性(デュランダル)の魔剣を作ろうと鍛冶場にこもりっきりであったのだそうだ。

 で、戦争遊戯(ウォー・ゲーム)直前にガリガリに痩せた状態で満面の笑みで『ぴかちゅー、ぴ、ぴかちゅー』とか笑いながら魔剣を振り回して辺りの鍛冶場を軒並み電撃まみれにしてたとか、そんな迷惑なことをしていたようだ。本当になにやってんだか。

 

 命姐さんは、ずっとヘスティア様とベル君のフォローを続けていた。が、その傍らで日本刀にしか見えない超鋭い刀で居合切りの稽古をし続けていたのだが、この人の刀切れ味良すぎて超怖い。あんなの触れただけで真っ二つだとか思ってたら超怖くなって、流石に殺人しまくられても嫌だなと、地下水道に身を隠しているデフォルミス・スパイダーに糸をもらって、簡易蜘蛛の糸爆弾を作ってベル君に預けたわけだ。

 

 そして最後のメンバーとして参戦したあの謎の剣士。まあ、正体はリューさんなんだけど、彼女はベル君と俺の二人でお願いに行ったら、快く引き受けてくれた。

 18階層で俺達が彼女達を助けたこともあるし、ベル君が一生懸命だってのもあるわけだけれども。

 

 さて、そんなこんなで準備も万端。いざ戦争遊戯(ウォー・ゲーム)へ……だったのだが、それでも俺は不安だった。

 ルゼーブに操られていたとはいえ、ベル君は一度あのヒュアキントスに殺されかけているし、なんだかんだ今の流れは俺の知っている原作とはだいぶ違ってしまっている。

 だから、万全を期して俺は、ヴェルフに雷神の剣の使用を許可して、さらにあの蜘蛛の糸爆弾の使い方もベル君に教えた。そして、ドロップ・アイテムの『ロッドofライトニング』も使った方がいいとベル君を説得した。

 

 もうこれで大丈夫かな?忘れ物はないかな?

 とか不安に胸をドキドキさせながらついに始まった戦争遊戯(ウォー・ゲーム)

 

 まあ、結局開始5分で決着はついてしまったのだけれども。

 

 こうしてここに、新たに誕生した『英雄』の晴れの舞台としての戦争遊戯(ウォー・ゲーム)が熱狂の内にその幕を閉じた。



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(57)やはり俺がオラリオにいるのはまちがっている。【エピローグ①】

 ”青春とは嘘であり、悪である。

 青春を謳歌せし者たちは常に自己と周囲を欺き自らを取り巻く環境を肯定的にとらえる。

 彼らは青春の二文字の前ならば、どんな一般的な解釈も社会通念も捻じ曲げてみせる。

 彼らにかかれば嘘も秘密も罪科も失敗さえも、青春のスパイスでしかないのだ。

 仮に失敗することが青春の証であるのなら友達作りに失敗した人間もまた青春のド真ん中でなければおかしいではないか。

 しかし、彼らはそれを認めないだろう。

 すべては彼らのご都合主義でしかない。結論を言おう。

 青春を楽しむ愚か者ども、

 

 砕け散れ。”

 

「ヒッキー待った?その服、とってもかっこいいよ。えへへ」

 

「あら、どうしたの八幡?いつも以上に目が澱んでいるようなのだけれど」

 

「いや……ちょっと、昔を思い出して、自分にメガンテかけようかと思ってたとこだ」

 

「なにそれー?あたし、ヒッキーには絶対メガンテ教えないからね」

 

「そもそも、結衣さんも絶対使ってはダメよ。私は貴女が砕け散るところなんか見たくないわ」

 

「やめて!ちょっとだけ本当に想像しちゃったから、マジでやめて!」

 

 まったくこいつらにはいつも調子を崩される。

 まあ、でもこんな風に接してくれるから俺もこうやって自暴自棄にならずに済んでるのかもしれないが。

 目の前に立つ二人の少女……由比ヶ浜と雪ノ下は、二人とも俺の『彼女』ということになる。

 お団子ヘアーを今日もしっかり決めて、アイボリーのパンツドレス姿の由比ヶ浜は可愛いというより、とても、き、綺麗だ……うん。なんというか、すごく大人っぽく見える。

 それと、長い黒髪を左右に束ねてツインテールにした雪ノ下はといえば、白のふわりとしたワンピースのせいか、なにか普段のお姉さん然とした佇まいからすると凄く幼くて、なんというか、か、か、可愛……

 

「ねえ、ヒッキー。あたしたちの格好、ど、どうかな?」

 

 照れた感じでそう聞いてくる由比ヶ浜に、なんと答えればいいものか。俺も相当照れ臭いわけだが……

 

「その……か、可愛い……と、思うぞ……二人とも」

 

「えへへ、ありがと」「嬉しいわ、八幡」

 

 頬を染めて微笑む二人。

 ふぅ……やばい、なんでか今日は二人を直視できねえ。

 

 二人の衣装ははっきりいえば、この世界の一般的な服には見えない。というより、確実に千葉辺りのカジュアルショップで売っているようなファッションの服だ。

 実は俺の着ている服も、スラックスにシャツ姿という、それこそ千葉の男子高校生の休日の姿にほぼ近い。

 この服に関しては、ポリィがお世話になってる被服屋のおばさんが、あれやこれや服を作ってくれていて、今回特別にこのような服をみんなでオーダーして作ってもらった。基本この世界の服も、絹、麻、綿が中心で化繊は当然ないのだが、ある程度までなら似せて作ることも可能であったし、近所の人が普段着にしているチュニックとかであっちの世界を歩いたとしてもそんなにおかしい感じはしないと思ったし。ということで、この世界にはないファッションを今日は三人でしているわけなのだが。

 

「じゃさ、いこっか。初めてのデートだね」

「そんなに難しい顔をしないでちょうだい。今日は楽しみましょ。三人でね。八幡のエスコート楽しみにしているわよ。ふふ」

 

 言いながら、ぎゅうっと俺の両腕に抱きつく二人。

 

 と、いうわけだ。

 

 そう、今日俺たち3人は以前約束した『デート』をすることになった。

 はあ……マジで昔の俺が今のこの状態を見たら、怒りにまかせて絶許ノートに書きまくってただろう。不幸の手紙送りつけるまであったな。

 

 このデートをするにあたり、少しでも気分を盛り上げようということで、一緒に生活しているにも関わらず、今日は朝から3人とも顔を合わせないように行動した。

 俺はといえば、ホームの俺の部屋で起きてからすぐに支度をして、そのまま出掛けて道すがら露天で購入したフルーツを朝食にしてしばらく時間を潰したわけだ。

 んで、この中央広場(セントラル・パーク)のなんか良くわからん生き物の銅像の前に立って待っていた。羽があって丸い胴体なんだが、どうみても、羽のついたコロッケにしか見えない。ひょっとしてじゃが丸くんか?

 そこでボーっと澄み渡った青空を仰いでいた。このところ色々忙しく、こんなにのんびりしているのが不思議なくらいだったもんで、ここ最近までのことを思い出したりしていたわけだ。

 

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 ベル君たちが【アポロン・ファミリア】との戦争遊戯(ウォー・ゲーム)に勝利してすぐに、実は二つの大きな事件が勃発した。

 

 まず一つ目は俺達が占拠した、あの『ダイダロスの迷宮』内で、なんというかクーデター?みたいなことが起きた。

 あの人造迷宮……俺達は一色救出のために最短ルートをイケロスから貰ったダイダロスの目玉でバンバン扉を開いて侵攻したため、ほぼ直線での移動しかしなかったわけだが、実はあのダンジョン、相当広いらしくてその直径はオラリオの広さとほぼ同等、さらに下層は最低でもあのダンジョンの18階層までは続いているので、とんでもない広さの未踏破エリアが存在していたようだ。しかも、まだなんとかっていう、ディックスの兄弟だか、親戚だかが掘っているらしく、今でも完成を目指して拡大中なんだと。

 そんな未踏破区域から、じんめんじゅみたいな歩く植物のモンスターが大量に湧き出てきて、しかも闇派閥(イヴィルス)の連中も一緒になって俺達が普段利用していた地上出入り口付近の大広間に攻めてきやがった。

 その時、そこには俺とディックスのふたりしかいなくて、とりあえず人間は全員ラリホーで眠らせて、じんめんじゅどもはイオラで一気に吹き飛ばしたんだが、間隙をついて飛び出てきた赤い髪の女がいきなりディックスを殺そうとしたもんで、慌ててそいつに向かってライデイン。

 とにかく尋常じゃないスピードのそいつにたまたまじゅもんがクリーンヒット。よく見たら両手が完全に消滅していて、あわててベホマで回復してやろうと思ったら、一気に逃げられた。あれはいったい誰だったんだ?原作にあんなキャラいたっけかな?

 主神のイケロスが消えてしまった今、彼のファミリアに属していたディックスたち団員は、ファルナの効果が消えてしまい一般人に成り下がっていた。そこへの襲撃だったわけだが、それについてディックスに聞くと、『殺される殺される』とかガタガタ震えるばかりで答えになってない。仕方がないのでそこで聞くのをあきらめたわけだが……

 

 実はこのあと、しばらくしてどこかの神の眷属になったディックスたちが、陰でこそこそまた良からぬことを始め、なんと、俺が居ぬ間にゼノスの様子を見に来ていたアンを集団で襲おうとしたらしい。だが、もはやアンも立派な【ルビス・ファミリア】の眷属。持ち前の身体能力とじゅもんとで、呪詛(カース)を使用して襲い掛かってきたディックスたちを逆に撃退。完全な正当防衛の上、ズボンを脱いだ状態でぼこぼこにされたディックスたちにもはや何も申し開きはできず、遅れて入ってきたフェルズやゼノス達にもさらに追い打ちをかけられ、コテンパンにのされた上で、逮捕、捕縛、ギルドへ突き出すことになった。罪状は、『痴漢』。うーむ、『怪物趣味』とか、本当に変態は死ななきゃ治らないんだな、等とあの後思ったものだ。

 

 話が逸れた。

 そのクーデターチックな襲撃後、地上に出た俺は、重武装のアイズたん達【ロキ・ファミリア】の集団、それも第一級、二級冒険者勢ぞろいの連中に遭遇してしまい、こそこそっと離れて、アイズたんとティオナさんの二人に聞いてみたら、どうもみんなで『ダイダロスの迷宮』の入り口を探していたのだという。

 当然だが、アイズたんとティオナさんの二人はその扉の場所を知っている。知っているが、俺との約束でそこのことは秘密に、ということになっているから、言いたくても言えない。隠しているってのが心苦しすぎて二人とも真っ青になっていた。そこで……

 同行してきていた主神の神ロキを呼んでもらって、これまでの事情を全部説明。

 俺がデカルチャーズのワレラだってことも含めて、これまでのことを全部包み隠さずに教えた。どうせこの人は神だから、嘘を吐いたって見破られるに決まってるしな。

 そして、当然だが、彼女は口をあんぐりと開けて絶句。ぼそぼそ漏らす声は、もはや標準語で、関西弁はどこへやら。

 ま、仕方ないわな。異世界人の俺達がカーディスと戦って勝って、イケロスが実はファラリス神で今は消えていて、あのファイアジャイアントみたいなやつを瞬殺したとーちゃんが、まさに今ダンジョンで修行してるとか。ルビス様のことが無ければ、絶対信用してもらえない自信まである。

 結局、このダイダロスの迷宮に関しても、たった今起こったその襲撃の話をしたことで、今すぐに侵攻するのは危険だと彼女は判断してくれた。

 少なくともこのダンジョンの中にはまだ何か秘密があるようで、その秘密に関して【ロキ・ファミリア】は動いているようだった。俺が撃退したその赤い髪の女のことも何か知っているようだったし。でも何も教えてはくれなかったけどな。

 ということで、主神の彼女の一声で解散。みんなホームへと帰って行ったのだった。

 その引き上げ際、団長のフィンさんに鋭い目で睨まれてしまった。ひょっとして俺がワレラだって見抜かれたかな?あの人には何か申し訳ないことをしてばっかりだ。

 

 そして二つ目はといえば、それから数時間後、辺りが暗くなった頃に起こった。

 俺が地下水道ではなく、上の通りをたまたま遭遇したポリィと二人で並んでホームへ歩いて向かっている途中、急に遠くで爆音があがり、そして、見上げた南西の方角に真っ赤に染められた黒煙が立ち上り始めた。

 と、それを見て、あー、あれか。と納得。

 あれは原作の7巻のイベントだ。

 命姐さんの友達の狐人(ルナール)『サンジョウノ・春姫』たんの絡みで、ベル君達が巻き込まれた【イシュタル・ファミリア】と【フレイヤ・ファミリア】の抗争が勃発したんだ。

 まあ、今のベル君は相当強いし、結果はだいたい分かっているから、見に行く必要はないな……と思っていたら、隣のポリィが急に火事の方に向かって走り出した。

 

「こんな火事場、めったにないし、稼ぐなら今でしょ……じゃなくて、し、心配だから、ちょっと見てくるね~じゃあね」

 

 って、今、稼ぐとか言ってなかったか?あいつ。

 ったく、お仕事はやめなさいっての。いつか刺されるぞ。いやマジで。

 

 そんな心配をしつつ、その時俺は、まっすぐホームへ帰ったのだった。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 ボッチだったはずの俺も随分と知り合いが増えたもんだ。

 それこそいまだに孤独でいるんだなんて、自分で思い込むまでもなく、俺はもうボッチではないことを自覚していた。そして、まぎれもなく今リア充街道まっしぐらなわけだ。

 両手に花が居るわけだし。

 そんな片方の彼女が聞いてきた。

 

「ヒッキー、今日はどこに連れて行ってくれるの?」

 

「まあ、あれだ。俺なりに考えてはみたんだが、初めてだから気の利いたことなんか多分出来ねえよ。だから、怒るんじゃねえぞ」

 

「別にそんなことで腹を立てたりなんかしないわ。だいじょうぶよ、すでに貴方に望むハードルは地上1センチメートルくらいまで下げてあるから、ね、低ヶ谷(ひくがや)君」

 

「ちょっとちょっと、こんな状態でまで、わざわざディスらないでね。これでも結構真剣に悩んだんだからな」

 

 笑い合う二人を見ながら俺はまっすぐバベルを目指して歩いた。

 ここはいつも通っている道だ。つい昨日もバベルの2階で久々のデカルチャーズの診療所を開いた。

 急な営業であったにも関わらず満員御礼。しかも、もともとの治療費からすれば10倍に値上げしたにも関わらずだ。小町とアンに行列の整理をしてもらって、なんとか捌いたって感じだったしな。なんと昨日一日だけで2000万ヴァリスの売り上げ。本当に、ジャイアントスレイヤーの称号様様だ。

 

 俺達がバベルに来るのは何もデカルチャーズの姿の時だけではない。

 一応俺達3人は【ルビス・ファミリア】の冒険者。最近ではこの冒険者スタイルでダンジョンに潜ることが増えてきている。そもそもデカルチャーズはこのオラリオでは有名になりすぎてしまった。この格好ではちょっとそこまでの簡単な用事ででかけることができないのだ。目立ちすぎだから。

 なぜダンジョンへ行くかといえば、ある物を採取しに、23階層の食糧庫(パントリー)を目指して、日帰りで往復する必要ができたからだ。そのあるものとは……

 まあ、後でどうせ寄るからその時でいいだろう。

 ちなみに、俺達3人は一般的には外国から来たレベル3の冒険者ということになっている。さすがに、本当のレベルを言うわけにもいかないし、言ったところで信じてもらえるわけもないのだが。

 ということで、レベル3らしく振る舞うために、使うじゅもんも低位の物に限るようにしている。

 だが、13階層だったかで、急に現れたモンスターの群れに驚いた雪ノ下が、思わずマヒャドをぶっ放してしまい、火炎地獄のフロア全体を氷漬けにしてしまったことがあり、以来非常に恥ずかしい二つ名で呼ばれるようになったわけだが。二つ名と言えば、俺も由比ヶ浜もつけられてしまったのだが、それも今は別にいいだろう。

 今はとにかくバベルだ。

 

 俺達はいつもの階段を使わずに、以前ここに住んでいたときに使用していた、魔石昇降機の前に立った。

 

「どこに向かうのかしら?」

 

「5階だ」

 

 雪ノ下の問いかけにそれだけ答えると、俺は魔石を操作して5階まで移動させた。

 降りてみればそこにはバベルの外壁に沿ってたくさんの商店が並んでいる。魔石昇降機の浮かぶ吹き抜けから下を見下ろせば、2階のドワーフのおじさんが切り盛りしている冒険者向けの食堂のテーブルが小さく見えた。

 

「すごい、バベルの上って、こんなにお店あったんだ。知らなかった」

 

 目を大きく見開いている由比ヶ浜が周りを見渡しながら感嘆の声をあげる。

 

「でも、武器と防具の店ばかりね。なにか新しい剣でも買うの?」

 

「いや、流石にデートでそれはないだろう。まあ、ここは冒険者の街だし、このバベルの中は武器屋ばっかりだが相当賑わってるからな。デパートっぽい雰囲気の方がいいかと思ってここにしたんだ。で、俺達が行くのはあそこだ」

 

 俺はあらかじめアスフィさんに聞いて調べておいた店を指さして、そっちに二人を誘った。

 その店は並ぶほかの店々とは少し趣が違い、表に置かれているのは剣ではなく、木工細工の人形や木のワンドなど。店内の棚にや壁に並ぶのは様々な輝きを放つ石の細工品など。その店名は……

 

「『ギムの店』?宝石店なのかな?」

 

 その由比ヶ浜のつぶやきに俺は頷く。

 

「宝石というよりは、マジックアイテムの材料の店みたいだな。アスフィさんはここで魔道具の材料を仕入れたりしてるって言ってたな」

 

「ふーん……ねえ、見て見てゆきのん。この木の猫、かわいいよぉ」

 

「これ、頂くわ」

 

「早っ‼決めるのめっちゃ早いよゆきのん‼あれ?なんかこのやりとり昔したことがあったような、なかったような」

 

「気の所為ね結衣さん。この子は誰がなんと言おうと私が守るわ」

 

「まあ、その猫は好きにしろよ。っていうか、雪ノ下、今更だがお前猫好きすぎて、猫人(キャットピープル)の人に触ったりなんかしてねえだろうな、まさか」

 

「して……」

 

 俺の問いに、雪ノ下はぷいっと顔を背けた。

 ああ、これはしてますね、確実に。

 

「まあ、い、一度だけ……ね、道を歩いていたら、前を歩く兄妹の猫人の冒険者風のお兄さんの方の尻尾と耳をいつの間にか触ってしまっていたの。モフモフして本当に最高だったわ。あ、エプロンドレスの妹さんの方は触れなかったのだけれど」

 

 何をうっとり思い出してんだよ。

 っていうか、兄が冒険者で妹がエプロンドレスの猫人って……俺の原作知識で言えば、あの超おっかないファミリアの第一級冒険者のことじゃないの?

 やめろよ、俺はそんな連中と関わりたくないんだからな。

 

 そんなやり取りをしつつ、店内奥を見れば、ごつい筋肉ムキムキの体躯の見るからにドワーフな白髭の爺さんが、小さい仔犬の木彫り人形を彫っている最中だった。やっぱりドワーフは手先が器用なんだな。

 

「ほれ」

 

「え?」

 

 その爺さんが彫り終えたのか、その精緻な仔犬の彫像を由比ヶ浜にそっとさしだしてきた。それを由比ヶ浜もキョトンとした目で見ているが。

 

「お団子の嬢ちゃん、良かったらこの犬をやるわい。そっちの嬢ちゃんもその猫気に入ったんなら持って行っていいぞ」

 

「え、でも……」

 

 戸惑う二人に、ドワーフの爺さんが言う。

 

「遠慮せんでいい。それにあんたらがそれを貰ってくれれば、そこの兄さんが何か高い買い物をしてくれるじゃろうて」

 

 それを聞いた二人がお互いに見合ってくすりと笑った。そしてそっと抱えながら、

 

「ありがとうございます。大事にします」「私も大切にさせて頂きます」

 

 ドワーフの爺さんは満足げにそれを見てから、俺に、さあ何か買っていけと言わんばかりにどや顔を向けてくる。

 まあ、どうせ、もともと何か買うつもりではあったんだけどもな。

 俺はもう一度店内を見渡す。

 値段は、数字だけは読めるようになったから値札を見ればわかるのだが、他の説明文に関してはちんぷんかんぷんだ。

 ただ、大なり小なりここのアイテムはどれもこれも魔力の加工が施してあると聞いているから、マジックアイテムってカテゴリーにはなりそうだが……うん?

 俺は棚の上に並んでいた一揃えのとあるアイテムに目を止めた。

 彼女に贈るならこれがいいんじゃないか?と思ったのも一瞬、いやいや、流石に恥ずかしすぎるだろ、と思い直そうとしたとき、俺の顔の両側から由比ヶ浜と雪ノ下の顔がにゅっと出てきた。わわ、どこから顔出してんだ。

 

「え?これ買ってくれるの?本当に?超うれしいよ、ヒッキー」

 

「本当に嬉しいわ、八幡。私、一生大切にするわね」

 

「お、おお……」

 

 なんの反論もできないまま、目を輝かせている二人の脇から、踏み台に乗ったドワーフの爺さんがその3つのアイテムをそっと毛氈に載せてカウンターへと運んだ。

 それはそれぞれに大きな宝石の嵌め込まれた指輪。同じ形ではあるが石の種類が違うのか赤と黄と青の三種類が一式となっていた。

 ドワーフの爺さんが説明してくれる。

 

「これはわしが丹精込めて細工したマジックリングでの、赤は炎の魔法、黄は雷の魔法、青は癒しの魔法の力がそれぞれ込められておる。まあ、効果は非常に弱いもんじゃが気休めにはなるかの。と言っても、どちらかといえば装飾用じゃわい。どうじゃ?なかなか良いもんじゃろ?」

 

 そう言って俺に指を3つ立てて見せる。

 

「え?30万ヴァリスか?」

 

「ちがうわ、300万ヴァリスじゃ。まあ、リングの加工は無料でやってやるわい。どうじゃ、この世界に二つとない一品じゃぞ」

 

 なんだよ、このじいさん、商売上手いな。この状況、買わざる得ないだろうって。

 俺は財布から金貨で300万ヴァリスを取り出して支払った。

 じいさんはホクホクした顔で、俺達の指のサイズを測り始める。

 そして早速リングの加工に入った。

 しばらく、店の外で上下する魔石昇降機を3人で眺めながら時間を潰した。そして加工が終わった指輪をもらうと、また通路の端に寄って、そこで二人にそれを渡そうとした。すると……

 

「ヒッキーにつけてもらいたい」「私もお願いするわ」

 

 言って、二人がそろって左手を差し出して来る。

 何をすればいいかわかり切っているが、まあ、ここは言うとおりにしようと、俺は包みから指輪を取り出して、赤の指輪を由比ヶ浜の薬指に、黄色の指輪を雪ノ下の薬指へと嵌めた。そして今度は二人が一緒に、俺の左手の薬指へと残った青の指輪を嵌める。

 その直後、なんというか、すさまじく恥ずかしくなり、俺達三人は顔を背けたまま黙って手を繋いで顔の火照りは冷めるのを待つ羽目になった。この時、店内のドワーフの爺さんがにやにやしていたのを、俺は見たくなかったのに、見てしまったのだった。



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(58)デートは続くよどこまでも‼【エピローグ②】

「えへー」「ふふー」

 

 指に嵌めた指輪をうっとり眺める二人は、俺に寄り掛かりながら歩く……って、これ本当に歩きにくい。めっちゃ人の視線感じるし、恥ずかしいし。

 そんな状態でさあバベルを出ようとした俺達に声が掛けられた。

 

「よお、八幡の旦那。なんだなんだ、今日は随分と羨ましいことしてんじゃねえかよ」

 

 顔を向けてみれば、大きな風呂敷包みを背中に担いだ、着流しを着た赤髪の鍛冶師、ヴェルフ・クロッゾがそこにいた。

 パッと離れた二人と一緒に立ち止まってヴェルフに答える。

 

「お前には関係ねえだろ」

 

「おーおーつれねえなー。まあ、俺はあんたには一生頭が上がらねえからな、へへ。それよか、礼がまだだったな。あの時、雷神の剣を貸してくれて本当にありがとうな。おかげで、俺も鍛冶師として一歩踏み出せた気がするしよ」

 

 言って少し照れたように笑いながら鼻をこする。

 

「まー、あれだ。俺は貸しただけだし、別に例はいらねえよ。不壊属性(デュランダル)の魔剣を打てたのはお前の努力の結果だろう」

 

 その言葉に笑みを強くしたヴェルフが俺の肩を抱いてバンバン背中を叩いてきた。っていうか痛い。

 

「嬉しいこと言ってくれんじゃねえか。そうだ、これを旦那にやるよ。俺の新作の手甲と甲掛なんだが、薄くて少し柔らかく作ってあるからな、動きやすいぜ。でも頑丈だからな。命の斬撃も防げるって代物だ」

 

 渡されたそれは真っ黒な手と足に履かせるタイプのプロテクター。腕全体と足全体を覆うような造りのそれは関節部分などが多重構造になっているようで、隙間はないが、その装甲板が重なりあう様に動くらしい。

 

「いいのか?これ薄く作ってあるけど、ミスリルだろ?高いんじゃないのか?」

 

 そう軽くて丈夫なミスリルは、鉄よりも加工がしやすく、だがその防具としての耐久性は非常に高く堅牢だ。なにせあのベル君愛用の神様の短剣(ヘスティア・ナイフ)(2億ヴァリス)もミスリル製だったはずだし。

 その俺の疑問に、ヴェルフはなんでもないといった感じで手を振りながら答える。

 

「別にかまわねえよ。材料のミスリルはヘファイストス様からあの魔剣の完成祝いでただでもらったもんだし、どうせ店に並べたっていつも通りなかなか売れやしねえよ。それに俺だって旦那に使ってもらえるなら作った甲斐もあったってもんだしな。今その『多重外装甲(あるまじろ)』の胴体用も作ってんだ。出来あがったら、雷神の剣と一緒に持っていってやるよ」

 

「え?あるまじろ?」

 

「ああ、あるまじろ」

 

 う、うん。ヴェルフのネーミングセンスは突っ込んじゃだめだったな、確か。うわぁ、しっかり手甲にもなにか彫り込んでやがる。これ絶対”あるまじろ”って彫っただろ。

 にこにこ微笑むヴェルフはその残りの大荷物をかかえて、どうやらバベルの中にある【ヘファイストス・ファミリア】の店に防具関係を売りに向かったようだな。

 シュタッと手を上げたヴェルフは鼻歌を歌いながらバベルの中へと消えて行った。

 ヴェルフ……お前の武具があんまり売れないのは、そのネーミングのせいだと思うぞ……

 とは、言ってやらなかったが。

 

「ヴェルフさん……いっぱい売れるといいね」

 

「ああ、そうだな」

 

 その”あるまじろ”を抱えたまま、俺たちはもう一度バベルを振り返った。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「ヒッキー、次はどこへ行くの?」

 

 由比ヶ浜にそう聞かれ、俺は先に立って東方向のメインストリートを歩きながら言った。

 

「まあ、千葉なら京成ローザとかで映画ってとこなんだろうが、ここにはねえからな。だから、まあ、デートで定番のあの公園っぽいとこへ行こうと思ってる」

 

「デートで定番の公園?どこかしら?あなたにそんな知識があったことに、まず驚いているのだけれど」

 

「まあ、あれだ。小町の受け売りってやつだ」

 

「あ、納得」

 

 そう、『デートといえば?』などと聞かれたところで、経験のないこの俺が答えられようはずがない。だが、そこは我が妹小町、伊達にティーン雑誌を読みまくってはいなかった。

 本人にその経験がなくても、いや、本当に経験ないよね?か、彼氏いないよね?お兄ちゃんほんとに泣いちゃうよ?ぐすん。

 いやいや、逸れたな。小町の豊富な知識のおかげで、俺はそれっぽいデートスポットをチョイスできたように思う。

 その行先とは……

 

 東メインストリートをひたすら進んで行くと、遠くに怪物祭り(モンスターフィリア)も開催される巨大な❘円形闘技場《アンフィテアトルム》の全容が見えるようになる。

 ここは俺達のホームからも近いわけだけど、実は最近、この闘技場のすぐそばに、新しく大きなある公園が作られた。

 

「ヒッキー、ここって……」

 

「ああ、そうか。お前らはまだ来たことなかったっけかな。ほら、これ入場チケット」

 

「「え?」」

 

 俺はポケットに入れていた細長い羊皮紙を3枚取り出してそれを二人にも渡した。

 その紙に書いてある文字を見て、由比ヶ浜は首をかしげ、ジッと眺めていた雪ノ下はハッと顔を上げて俺に怪訝な眼差しを送ってきた。って、雪ノ下、お前ひょっとして読めるのか?

 

「これは、貴方の仕業で間違いないわね。まったく、すること自体は至極素晴らしいことなのに、どうしてこう自分の趣味を前面に出してしまうのかしら」

 

「いや、俺は悪くない。俺に名前を決めろと言ってきた神ガネーシャが悪い」

 

「え?え?なんのこと?ねえ、ヒッキー、ゆきのん、これなんのチケットなの?」

 

 俺と雪ノ下を交互に見やる由比ヶ浜。

 俺はその背中をそっと押して、闘技場のすぐ横、もともとは神殿かなにかだったのだろう、その大きなホールのある建物を目指して進んだ。

 その白い建物の前には大勢の人の行列が。

 そして、その入り口には、このチケットと同じ文字が大きく掲げられており、その建物から出てきた人たちは、男性も女性も、老人も子供たちも一様に興奮した顔をしている。

 

「はい、こちら最後尾でーす。横入りは禁止ですよー。それから立ち止まってのご観覧はお控えくださーい」

 

 何かのプレートを抱えて叫んでいるのは、多分【ガネーシャ・ファミリア】の冒険者だろう。なかなか堂に入っていて、ディスティニーランドでも働いてました!と言われても遜色ない感じだ。

 そんな最後尾に俺達も並ぶ。

 そしてゆっくりゆっくりと進んで、チケットを渡してその建物に入ると……

 

 

 

『ブモォオオオオオオオオオ!!』

 

『キシャアアアアアアアアア!!』

 

『キュルキュル~~~~~~!!』

 

 

 

 現れ出たのは巨大な体躯を誇ったダンジョン深層の凶悪なモンスター……の振りをしているバーバリアンと、デフォルミス・スパイダーとサンダー・スネイクの異端児(ゼノス)達。

 

「えーーーーー!?バリちゃんたちなの~~!?」

 

「ばっか、由比ヶ浜、声がでけえ‼」

 

 なに、バリちゃんて?あ、バーバリアンだから、バリちゃんか。じゃあ、サンダー・スネイクはサンちゃんで、デフォルミス・スパイダーは、ルミちゃんか!?なんかルミルミがめっちゃ怒りそうだな。

 そんな三匹は、分厚い透明なクリスタルの高い壁に囲まれた部屋に、それぞれ分かれて、手に鞭や盾を構えた【ガネーシャ・ファミリア】の調教師(テイマー)たちと、戦う振りをしている。

 そう、ここは『動物園』ならぬ、『モンスター園』なのだ。

 ちなみにこの園の正式な名前は……

 

『チバシモンスターコウエン』。

 

 いや、だって、名前つけろって言われたから、動物園と言えば、『千葉市動物公園』に決まってるわけで、千葉都市モノレールでも行けるしな……そんな話をしてたらこれが正式名称になっちまったんだよ。ここ千葉市じゃねえのに。

 そりゃ雪ノ下も呆れるわけだ。だって、こっちの標準語(コモン)でデカデカと看板に書いてあるみたいだし。

 

「ちょ、ちょっと、ちょっとヒッキー!?あれじゃあ、バリちゃんたちが可哀そうだよ。なんで見世物になってるの?なんとかしてあげてよ」

 

 半泣きになった由比ヶ浜が俺にそう詰め寄ってくるが、まあこれを見れば仕方ないわな。どう見てもバーバリアン達が痛めつけられているようにしか見えないし。

 俺は由比ヶ浜の耳元にそっと顔を近づけて教えてやった。

 

「大丈夫だ。これはあくまで演技だから。このあと、すぐにあいつらに会わせてやるよ」

 

「え?」

 

 停まることのできない俺達は前の人について、そのまま館内をぐるりと回ってそとに出た。

 

 そして、その建物の裏口へまわり、そこに立っているもう顔見知りになった【ガネーシャ・ファミリア】の第一級冒険者に声をかけて中へと入れてもらった。

 

「俺がガネーシャだ!よく来たな、比企谷八幡。俺はいつでも君のことを歓迎しているぞ!」

 

「おっと……」

 

 入った途端に、目の前で真っ赤な象の鼻のついたお面を被って、サムスピのタムタム風な変なポーズで仁王立ちしているのは、このオラリオでも一番多くの冒険者を擁した、最大派閥の【ファミリア】の主神、神ガネーシャその人であった。

 むん、ほむん、はむんとか唸りながら、妙なポーズを決めまくっているが、この人はいったい何がしたいんだか?

 

「あー、雪ノ下、由比ヶ浜、紹介するわ。この人がゼノスの保護に一番尽力している神様のガネーシャ様だ」

 

「あ、由比ヶ浜結衣です。こんにちは」「雪ノ下雪乃です。よろしくお願いします」

 

「ふっむ。由比ヶ浜結衣さんに雪ノ下雪乃さん。こちらこそ、どうぞよろしくぅぅう!」

 

 暑苦しくババッと、手を差し出してきたガネーシャ様と二人は恐る恐る握手を交わす。

 俺はその脇からガネーシャ様に声を掛けた。

 

「そんで、あとどれくらいなんすか?」

 

「午後の調教(テイム)はあと5分くらいで終わるからしばらく待っているがいい。では諸君!さらばだ!」

 

 と、なぜかいきなりマントもないのに、マントを払うような仕草をしてそのまま表に出て行ってしまった。

 と、表にいたさっきの高レベル冒険者がいきなり大声。

 

「あ、が、ガネーシャ……あ、あんた、また勝手にふらふらと出歩きやがってー」

 

「ふあはははは!気にするでない!俺はまったく気にしない!」

 

「いや、俺達は気にするんだよー、ってこのやろー」

 

「ふはははははははははははは……」

 

 と、声が次第に小さくなるのを聞きながら、俺達は武器などが整然と並んでいるその警備員の詰所のような場所にポツンと取り残された。

 この武器は見方によっては暴れたモンスターの迎撃用に用意してあるようにも見えるが、実のところは逆で、ここに居るゼノス達を襲撃者から守るためのものなのであった。

 なにせここにはゼノス以外のモンスターが来る予定はないからな。

 

「どうなっているのかしら?なぜここの人たちはこんなに気安いの?」

 

「それはあれだ。さっき会ったガネーシャ様がすべての神様の中で一番ゼノスの保護を頑張っているからだよ。もうかなり前から神ウラノスと協力関係だったみたいでな、ゼノスを市民が受け入れられやすいようにと、モンスターの調教とか、モンスターフィリアとか、そんなことを色々やって『人と共存できるモンスター』の居場所づくりを進めてたんだよ」

 

「「ええ!?」」

 

 まあ、驚くのも無理はない。

 この世界の神様達は良くも悪くも神様で、人と同じような感覚を持ってはいない。だから、人と同じように考えられるのだから、共存を~というようにゼノス達を観たりはしないのだ。

 多くの神の神意は、それが面白いか?それが自分の飢えを満たせるのか?そこに終始してしまう。

 神ガネーシャや、神ウラノスのように、ゼノスの存在自体を守りたいと考えられる神の方が少数派だと、現状彼らは思っているし、実際にそうなのだろう。

 もし存在を知ったとして、面白そうならゼノスを殲滅するのも辞さない神は多いと思われる今、このことを大っぴらにはやはりできない。だからこそのこの施設だ。

 

 暫くすると、女性の団員が俺達を呼びに来てくれた。

 詰め所を出るとそこは広い中庭になっていて、四方は高い壁に囲まれているが、その中央には小さな池とその周りが芝と花で覆われている空間になっていた。

 俺達はその中庭をつっきり、反対側の壁面の扉を開けて中に入った。すると……

 

「あ、バリちゃん‼」

 

「ぶもっ‼」

 

 見ればそこには大きなタオルで汗を拭っているバーバリアンと、たらいに用意された水を飲むデフォルミス・スパイダーとサンダー・スネイクの3匹が。

 由比ヶ浜はまっすぐに走ってバーバリアンに抱き着いた。

 バーバリアンも嬉しそうに由比ヶ浜を抱き上げてるし。

 

「あれ?お前らいつの間に仲良くなったんだ?由比ヶ浜、お前こいつら苦手じゃなかったっけ?」

 

「もう、いつの話をしてるの、ヒッキー。一緒に冒険したでしょ、あたしたち。そしたら、もう仲間に決まってるじゃん。ねえー」

 

「ぶもー」

 

 そうだそうだと言わんばかりの勢いで頷き合う一人と一匹。

 うーん、そういうもんなのかな?

 

「それにしても綺麗な部屋ね、大きなベッドみたいなのもあるし、ソファーだとか絨毯とか、本棚まであるし。ここは?」

 

「あー、雪ノ下。ここはな、こいつらの部屋だ」

 

「え?」

 

「きゅらきゅら~」「きしゃしゃー」

 

 さっきまで水を飲んでいたこいつらも近づいてきて、俺にすりすりとその身体をこすりつけてきた。

 

「まあ、姿はモンスターだし、まったく人間と同じってわけにはいかないが、こいつらが地上でやりたいことをなるべく叶えてやってるわけさ。ま、そうは言っても自由に外出は出来ないからな。外はあの中庭で我慢してもらって、部屋では好きにくつろげるようにしてある。デカい風呂もあるみたいだし、飯はさっきの団員の連中が色々用意してくれてるらしい。はっきり言って、その辺の冒険者より、よっぽどいい暮らしぶりだろうよ。だけど、ただってわけにはいかないから、ああやってショーみたいなことを定期的にやってるわけだ。入場料も取れるし、そのうち慣れてきたら、子供に手を振ってやってもいいかもしれない。金を稼ぎながら、触れ合えるモンスターを目指してもらってるんだよ……って、どした?お前ら」

 

 俺が説明していると、雪ノ下と由比ヶ浜があんぐり口を開けて俺を黙って見つめているし。やめて!恥ずかしいから!

 

「あ、あ、ご、ごめんねヒッキー。な、なんかヒッキーが今すっごくかっこよく見えちゃって」

 

「そ、そうね。まさかこんな細かい配慮をしていたなんて思っていなかったから、本当に驚いてしまって……こういうのギャップ萌えというのかしら」

 

 いや、絶対それちがうと思うぞ雪ノ下。

 

「ま、まあなんだ。とにかくいきなり仲良くなんてのは無理なんだよ。アンみたいに人間に近い姿とかなら、ごり押しも出来るけど、みんながみんなそうじゃねえからな。でも、ここだって安全ってわけでもない。モンスターが居るからって襲撃されるかもしれねえし、どんなトラブルがあるか分からない。だから、地下に脱出のための抜け穴も用意してある。まあ、これが俺が神ウラノスとかヘルメス様に提案していた全部だよ。いわゆる『バケ〇でごはん』作戦ってやつだ」

 

「あ、そのまんが知ってる!あれでしょ?ペンギンとかが動物園で普段は見世物として人前に出てきて、でも閉園後は自分の部屋で人間みたいに生活してるってやつ」

 

「まったくその通り。良く知ってたな」

 

「えへへ」

 

 兎にも角にも優先すべきはゼノス達の身の安全。正直アンと同様に今ではルビス様の恩恵を受けているから、その辺の中級冒険者程度ではまったく歯が立たないレベルの強さを持っている3匹ではあるが、その力で人間を襲わせるわけにはいかない。まず第一に優先すべきは人を襲わないイメージを作ること。そして、ここの安全を確保しておくこと。

 クリスタルに囲まれた行動展示用の部屋は他にまだ5つほどあり、そこにはまだモンスターが入っていない。まあ、まだ他のゼノスと接触できていないからなのだが、いずれはそこにも入ってもらう計画だ。

 でも、多少広い施設だとは言っても、とてもじゃないけどダンジョン内の全てのゼノスをここで収容することはできない。いずれはゼノス達の暮らせる集落の設立を目指す必要があるわけだけどな。まだまだ問題は山積みだ。

 

 しばらくここでゼノス達と一緒にくつろいだあと、俺達はこの施設を出た。

 正直【ガネーシャ・ファミリア】の人たちがこんなにもゼノス保護に協力的だとは夢にも思わなかった。と、いっても全員がそうというわけでもないんだろうな。ここに居る連中は別としても、どうしてもモンスターの存在を受け容れらないやつはいるはずだしな。まあ、今は何も起きないことを祈るしかないわけだが。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「さて、じゃあ次はメシにしようか」

 

「やたっ!どこに連れていってくれるの~?」

 

「あー、それはあれだ。着いてからのお楽しみだ」

 

 と言って二人を引き連れて、その場所へと来てみれば、なんだかものすごく不服そうな顔になってしまっている。

 なんとなくこうなる予感もあったのだが、そもそも俺に期待するのが間違いなんだよ。

 

「ねえ、ヒッキー。あたし別にここが嫌なんてこれっぽっちも思ってないんだけど、なんかね?ここってデートで来る場所じゃなくない?」

 

「私もここを否定する気はサラサラないのだけれど、どうしてもここじゃないといけない理由があるのなら聞いてみたいのだけれど」

 

 おお、二人とも結構はっきりと言ってくれるな。

 ま、仕方ないか、なにせここは……

 

 

 

「おお ぼうけんしゃよ! しんでしまうとは なさけない…。

 そなたに もういちど きかいを あたえよう。

 ふたたび このようなことが ないようにな。 では ゆけ! ぼうけんしゃよ!あ、復活のお代の全財産の半分はもうもらっちゃったからね。じゃあ、がんばってね!はい、次のひとー」

 

「え、ええええ!?ちょ、ちょっと神様、そりゃないっすよ」

 

 

 

 と、なにやら俺達の入ろうとしている建物の端に造られた教会からそんな会話が聞こえてくる。

 入口を見れば、長蛇の列が出来ており、町人風の人や冒険者、商人みたいな人たちまでいる。

 うーん、やっぱりあのサービスを始めたのは間違いだったのではなかろうか……

 

 俺達3人はその長蛇の列の脇をすり抜けて、一路協会の中央へと向かった。

 そこには赤い絨毯をしいた台の上に立つ、僧侶帽を被った白ローブの幼女の姿が。

 

「あの、ルビス様?マジで『生き返り』のサービス始めちゃったんすか?」

 

「あ、八幡君!そうなんだよ、みんなすごーく信心深くてね、どうしてもルビス教に入りたいんだってー。これは私も頑張らねば―」

 

 あ、いや、それ多分、死んだときに生き返らせてもらえるから入信しているだけで、みんな損得勘定して来てるだけだと思いますよ。

 まあ、ルビス様がいいなら別にいいんですけどね。どのみちのこの世界でルビス様に文句を言う人は居ないのでしょうし。

 見ているそばから、いったいどうやって現れるのか、教会の中に次々に棺が転送されてくる。

 入信希望の人たちはといえば、手に手に大量の金貨を抱えて、それをルビス様に渡しながらどうか死んだら生き返らせてくださいと拝んでいる始末だ。

 ルビス様はお布施を受け取っては後ろの宝箱に放り投げ、跪いている信者の人の額に手を翳して『祝福』みたいな光を放っては、今度は棺の中の死体を生き返らせていく。そしてやはり持ち金の半分を勝手に抜いては宝箱に放りなげる。なんていうか、新興宗教の悪徳教祖のうさんくさい奇跡のデモンストレーションを観させられている気分だ。リアル奇跡なのがマジで問題なのだが。

 それでもルビス様は喜んでいるようだし、このままでもいいかと無理矢理納得することにした俺達は、そそくさと表に逃げだしたのだった。

 

「ふう、なんていうか、ルビス様に関しては放っておこうな」

 

 俺の言葉に二人もうんうん頷いている。

 天文学的な金額の借金もあることだしな、ルビス様にも頑張って稼いでもらおう。

 

 さて、では今日のデートの仕上げと行こうか。

 

 俺はさっきの位置まで戻ってきて、その『お店』の入り口を見上げた。

 そこに書いてある文字、それは……

 

『喫茶ぬるま湯』

 

 そう、俺達がやってきたのはつい最近やっとオープンにこぎつけた、俺達のホーム一階の喫茶店。

 今は一色と小町の二人が切り盛りをしてくれていて、提供しているメニューは小町の小料理と、一色の焼いたケーキ。それと、なんとこの世界初のコーヒーを出している。これが大ヒットで、連日足しげく通う客が増えてきているのだ。

 そう、コーヒー……

 実は俺達がわざわざダンジョン中層まで潜って取りに行っていたものとは、まさにそのコーヒーの原料の豆であった。この豆の存在はリヴィラの街のボールスさんに聞いて知っていたし、現物の豆も貰っていた。

 煮ても焼いてもそんなにおいしくはないけど、食料の乏しいダンジョンでは貴重な食べ物だと、なんの気まぐれか俺はそれを譲られた。ただ、貰ったところでそれで料理をしようなどとは思うことはなかったのだが、一階の広間をレストランにしてしまおうとあれやこれややっている時に、たまたま鍋に入れておいたこの豆を鍋ごと外の焼却場で誤って焼いてしまった。だが、そのとき、その鍋から漂ってきた香しい匂いに気が付き、慌ててみてみればなんとコーヒー豆が出来ていたのである。

 マックスコーヒー命の俺にとって、ここでコーヒーが飲めるというなら是が非でも飲めるようにしたい。と一念発起。お店は喫茶店にし、大事なコーヒー豆は定期的に採集することに決めた。

 あとはみんなで試行錯誤を繰り返しながら、旨いコーヒーを目指して作り方を完成させたのだ。

 これが大ヒット。

 近所の人たちにも受け容れられたことで、日に日に売り上げも伸びてきている。それが今のこのホームの現状だ。

 

 二人が怪訝な顔をするのも当然だった。なにせ自分達の家に帰ってきてしまったのだからな。

  

 でも、ただ食事をしたいからってだけでここに来たわけではない。実はあることを俺は準備していたのだから。

 

「いらっしゃいませー!出口はそちらでーす。回れ右しておかえりくださーい」

 

「って、お約束なことしてんじゃねーよ、小町」

 

「えー?だって、なんかこのお店にいると、そんな漫才したくなるんだもん」

 

 なんだろうこの感じ。まったく違和感がない不思議。

 

「いらっしゃいませー先輩方、ようこそ喫茶ぬるま湯へ」

 

「おお、サンキューな」

 

 にこりと微笑む一色があいさつしながら何か料理を続けている。

 店内はほぼ満席で大分忙しそうだが。

 

「んで、お兄ちゃん、ご注文はバスター3つと、小町のブルマでいいかな?」

 

「いや、死んじゃう甘さの殺人ワッフルは今日はいらないし、それとそうやって略すな、いかがわしい。ブルーマウンテンだろう?って、そもそも、豆ブルーマウンテンじゃないし」

 

 ダンジョン産だし!それに由比ヶ浜たちに小町のブルマとか、マジで俺がそんな趣向持ってそうに思われて洒落にならんから、俺が怒られちゃうから。

 

「あのなあ、分かってんだからそう茶化すなよ」

 

「えへへ、分かってるってー。冗談だよ冗談。はい三名様ごあんなーい」

 

 言って小町が先に立って歩き始める。

 その後についていく俺達だが、由比ヶ浜たちは少し不思議そうな顔になってる。

 

「ねえヒッキー?あっちは客席じゃないでしょ、どうして向こうにいくの?」

 

 由比ヶ浜の疑問はもっともだ。

 入口を入って左側がカウンター件厨房になっていて、そこで一色が料理やらコーヒーやらをせっせと作っている。そして右手側はといえば、窓に面したところにテーブル席がずらりと並んでいて、近所の人たちが食事をしているわけだし。

 俺たちはそのさらに奥に向かって歩く。そこは特に使用目的が決まっていない部屋があり、その扉の前に立ってもまだ二人は首を傾げたままだ。

 そんな俺達を見ながら小町がにこりと微笑んだ。

 

「ではみなさんどうぞごゆっくり~」



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(59)これにてひとまずおしまい‼【エピローグ③】

 店の最奥の引き戸を開いた瞬間、由比ヶ浜と雪ノ下は凍りついたように固まってしまった。

 その理由は簡単だ。そこに本来あってはならない空間が広がっていたのだから……

 

「え?え?これは……?」「な、なんで、ここに」

 

 ぶつぶつと溢しながら、立ち尽くす二人の背中にポンと手を置いて、俺は二人を中へと誘った。

 そして、その見慣れた長机へと連れていき、椅子を引いて彼女らの定位置へと座らせる。それから、俺も自分の定位置である、一番隅に腰を下ろした。

 

 ふうと、息を吐いてからちらりと二人を見やれば、まだ呆然とした顔をしたままだ。 

 

「「「………………」」」

 

 あれ?なんで誰も喋りださねえんだよ。

 俺か?こういう場合は俺から話さなきゃいけねえのか?

 い、いや、なんというか、ここまでやって、ドッキリ大成功‼なのは間違いないのだが、改めてそれの説明をするところから始めるとか、マジ無理だろう。

 というか、何この空気……

 背筋にスーッと嫌な汗が流れるのを感じたその時、がらがらっと戸が開き、心臓が止まるほど驚いた。

 と、そんな入り口を見て見れば、両手にケーキやらポットやらを持った小町が元気良く入ってくる。

 

「はーい、お待たせしましたー!『懐かしの奉仕部セット』でぇす!ケーキとクッキーは小町といろはさんで焼きましたー。紅茶は雪乃さんにお願いしますねー!ではでは、どうぞごゆっくりー」

 

 がらがらぴしゃりと、素早く小町が出ていってしまう。

 残されたのは、湯気が立ち上るポットと紅茶用の陶器。それと、綺麗に生クリームとフルーツでデコレートされたホールケーキが。その上には何かの焼き菓子のプレートがあり、そこにクリームで、『雪乃 結衣 好きになってくれてありがとう』と書いてある。……そう、俺が注文した通りに……

 

 二人はそれを見ても、まだ微動だにしない。

 ど、ど、どどどどどうしよう!?

 やったか!?

 やっちまったのか!?俺はまた!?

 何この空気。

 あの中学の時のクラスメイトに一度完全に叩き割られたグラスハートに、今再び亀裂が入り始めている感覚。

 俺は緊張に体が強張っていくのを感じながら、俺がこの数週間で一生懸命に作りあげたこの『部屋』のことを考えていた。

 

 この部屋は、もはや隠すまでもなく、あの『奉仕部』の部室そのものである。

 確かに俺はこの部室の修繕を続けていたが、当然一人では出来るわけもなく、実はあのボールスさんたちリヴィア組の連中の力も借りていた。

 ダンジョンの18階層に部室ごと転移してきてしまった関係上、部室はダンジョン内に残されたままになっていた。

 俺にはそれが耐えられなかった。

 この部室は俺にとって非常に大切なもの。ただのボッチでしかなかったこの俺が様々な出会いをして、かけがえのない存在へと変わっていった彼女たちと過ごしてきた思い出の場所。 

 それが放置されたままであれば、モンスターに破壊されるかもしれないし、いつか朽ち果ててしまうかもしれない。それは苦痛そのものだった。

 だから少しずつだが、ダンジョンから帰還する際に一人で部室の備品をかき集めてはリレミトをして持ち帰り、一人ではどうしようもないものに関してはリヴィラの町の人たちに金を払って、地上まで運び出してもらったりもした。

 同行していた由比ヶ浜たちを先に帰して俺が一人でこの作業を続けていたのには理由もある。

 一つには、一時でも早く危険なダンジョンから彼女達を安全な地上へと帰らせたいと考えが確かにあったからだが、俺としては今日この日の為に、二人へのプレゼントとして隠しておきたいという思いが強かった。だからそう思いながらこの作業を続けてきたはずだが、実のところは……違っていたと思う。

 

 ただ俺は照れ臭かったのだ。きっとこれが俺の本心だった。

 

 この喫茶店の工事を進めるついでにこの部屋も改装を……という段になっても、俺は一色と小町を説き伏せて、この件は二人に内緒にし続けた。

 工事は進めるが、部品全てが使えるわけではない。壊れたもの、失ったものもたくさんあった。

 床はすべて元のままで張り直し、壁は新しい塗り壁となったが、そこにきちんと黒板は取り付けた。そして、つかっていなかった机や椅子は綺麗に清掃して、部室の後ろに山積みにした。

 それから、この長机だ。運びあげるのは大変だったがこれがなければ始まらない。だから最優先で持ち帰ったのだ。

 その他のものとしては、当然だが、電気は来てないのでコンセントも天井の蛍光灯もないし、落下して壊れた時計は修理ができないので今は動いておらずただの飾りとなっている。

 窓の外にしても、そこには広いグラウンドが見えるわけでもなく、ただ隣の建物の外壁が見えるだけ。

 それでも、俺は直したかった。

 こいつらと一緒に居られたというあの時間をなくしたくなかったから。

 

 

「ふふ……」

 

 静かな空間に誰かの微笑みが漏れる。

 顔を上げて見てみれば口に手を当てて微笑む雪ノ下の顔。隣を見れば、由比ヶ浜もつられて笑い始めているし。

 俺もつい笑ってしまいそうになったそのとき、正面の雪ノ下が笑みをたたえたまま……

 

「比企谷くん……ロマンチストすぎ」

 

「っ!?」

 

 ふわあああああああああああああああああああああああああああ。

 や、やっちまった、やっぱり失敗したー。

 雪ノ下に呆れられちまったー‼

 そ、そりゃそうだ、なにを俺はまた勘違いしてやらかしてんだー!

 くっ、殺せ!一思いに殺せぇえ‼

 

 くっころさんを招来しようと一人でがくがく震えているところに、いつの間に回ってきたのか、雪ノ下と由比ヶ浜が俺の背中に抱きついてきていた。二人は言う……

 

「八幡……とても嬉しいわ。こんな素敵なプレゼント、これ以上のものなんてないわ。本当にありがとう」

「ありがと、ヒッキー。あたし、すごく嬉しいよ。あたしたちとの思いでの場所を大事に思っていてくれて、直してくれて本当にありがとう」

 

 言いながらぎゅうっと力を込めてくるふたり。

 俺はそんなふたりの手に俺の手を重ねた。

 

「あ、ああ……俺の方こそ、本当にありがとうな。その……俺はずっとお前たちに何かを返したかったんだ。俺がそうだったように、お前たちもきっと奉仕部を大事に思っていると信じていた。だからこうした。これが正解なのかどうか、本当にわからないんだが、これが今の俺の精一杯なんだ」

 

「ヒッキー……」「八幡……」

 

 すっと俺の前に移動した二人が、おもむろにその顔を俺へと近づけてきた。俺は、蕩けたような二人の頬へとそっと手を伸ばし……

 雪ノ下に口づけをした。

 由比ヶ浜に口づけをした。

 

 そして……

 

「好きだ……。結衣が好きだ……、雪乃が好きだ……、二人のことが……、……大好きだ」

 

 ぎゅっと二人を抱いて、自然とこぼれたその言葉。

 生まれてはじめて、思いがすんなりと言葉に乗った。

 後悔や恥ずかしさはうかばない。

 ただ、ただ愛しく思うその気持ちのままに二人を抱いた。

 

「あ、あぁ……あたしも……大好きだよ……ひぐ……イ

ック……ふえぇぇ……ふえええん……」

 

「私もよ、八幡。貴方のことを心から愛しているわ」

 

 窓の外が茜色に染まっている。

 まるで、あの頃の奉仕部を思わせるこの景色のなかで、俺たちは言葉で気持ちを交わしあった。

 それはとても大切な、あの日の続き。

 二人ともを愛して行く と決めた俺の新しい第一歩。

 俺はこのふたりを守り続けよう。

 そう、心に固く誓った。 

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 あの後、俺たちはケーキや紅茶を楽しみながら、久しぶりの奉仕部の部室を堪能した。

 出てくる会話は、あの部屋で解決し続けた数々の依頼と、それに纏わる多くのエピソード。結局は俺が二人に怒られたり、反省を促されたりとオチが着く話題ばかりだが、今の俺にはそれも心地良かった。

 今なら確かに実感できる。

 俺が欲しかったあの本物の関係の形がここに確かにあって、そして、それを俺は手に入れることができたのだと。

 あのままもし、俺たちが異世界へ来ていなかったらどんな関係になっていたんだろう……ふいにそんな思いにかられながら、ひとりで、唯一俺がこの世界に持ち込めた一冊のカラフルな表紙のラノベをペラペラと捲りながら眺めていた。

 いや、それはもう考えまい。

 二人のことを意識し始めたのはなにもこの世界に来てからではない。

 もっと前……

 そう、もっとずうっと前から、俺は惹かれていたんだ……

 

 この二人に……

 

 その日の夜……

 

「はぁあ~~~~~~……」

 

 ざぶんとホームの風呂に肩まで浸かった俺は、今日一日を振り返りながら、のんびりとくつろいだ。

 そして、今日の俺のしでかしたこっぱずかしい演出を思い出しては今更になって何度も死にたくなる。

 あいつらが良い方に解釈してくれたからよかったが、一歩間違えば、中学時代の黒歴史の再来となっていた。

 と、それを思い、熱い風呂の中だというのに、一気に体温が下がる思いになる。

 それにしても、あの後雪ノ下と由比ヶ浜に、『風呂上がりに私たちの部屋に来て』と言われたわけだが、なんの用なんだ?

 ま、今までの俺なら、ひょっとしたらこのあとムフフな展開が!?とか期待に胸を膨らませて、後でこっぴどい目に遭うお決まりのパターンに入り込むとこだが、今日は違う。

 なんというか、今日のデートでやりきった感があるしな。二人の気持ちもしっかりと受けとることができたし、俺もふたりに想いを伝えられたと思うし、なにより、今日はもうこれ以上黒歴史製造はしたくなかったし。

 それに、ふたりとは何だかんだいつも一緒に寝たりしてたわけだしな。流石にこの期に及んで何かアプローチしてくるわけはないだろう。そのつもりなら、今までいくらでも機会はあったわけだしな。

 

 ま、そういうことで、気にしないで行こうと思った俺は、体を拭いて、寝巻き用の甚平に着替えて浴室を出た。

 

「あ、先輩……」

 

「お、おう?」

 

 出てすぐに、ばったり出くわしたのは、手に着替えとタオルを持った一色。

 俺の顔を見るなり、真っ赤になってその着替えを後ろ手に隠した。

 こりゃ、タイミング悪かったな。

 

「ふ、風呂か……?今誰も入ってないから、ゆっくりと入れ……って、おい」

 

 いきなり一色がポスンと俺の胸におでこを押し付けてきた。

 そしてそのまま動かなくなる。

 お、おい、これじゃあ俺も動けないんだが。

 どうしようか迷いつつ、一色に声をかける。

 

「あ、その……き、今日はサンキューな。お前のおかげで……いいデートに、なったよ」

 

 聞いているのかいないのか、一色は動かず何も言わないままじっとしていた。でも、暫くしてから、ぽつりと、『ばーか』と、小声でこぼしたあとに、一色は急に跳ね上がるように顔を上げて、俺から離れた。そしてにこりと微笑む。

 

「お役に立てて、本当に良かったです。でも、口でお礼を言って終わりなんですか?」

 

「え?」

 

 何を言ってるんだこいつ?と思うなか、突然俺の唇に柔らかい感触が……

 さっきまで、見下ろしていたはずの一色の顔は拡大され、その小さな唇は俺のそれに吸い付いていた。

 

「ん~~~~!?」

 

 動けず、抵抗もできない俺から、そのままスッと離れる一色。

 そのまままたにこりと微笑む。

 

「お礼、ちゃーんと頂きましたよ。先輩って、本当に可愛いですね」

 

「こ、この、お、お前、今なにしたか……」

 

「分かってますよぉ、キスですよ、キス。先輩たちだって、いつもしてるじゃないですかぁ」

 

「い、いや、だってお前、き、キスは好きな奴とするもんだろうが」

 

「好きですよ。だからしました」

 

「へ?」

 

 叱りつけてやろうとあれやこれや考えてた俺の前で、一色が理解できないことをのたまう。

 だって、こいつは葉山が好きで、今もそうかは分からなかったが、だれか好きなやつがいたはずで、だから俺は……

 でも、そんな一色は俺に……

 

 一色はおかしそうに笑いながら上目使いで俺を見る。そして、

 

「私、先輩たちに憧れてました。お互いに想い合ってるのにそれをうまく伝えられないけど、それでもお互いを大事にしたいって頑張ってる姿を私は『素敵だな』って思ってました。いいな、そんな関係、私も欲しいな……って。でも、三人とも本当に不器用すぎますよ。三人とも踏み込もうとしたり、引き下がったり、見ていてイライラするんです。だから今日はお手伝いしました」

 

「お、おい……」

 

 だからって、何も俺にキスしなくても……と、口から出掛けたところに、一色が人差し指を当ててきた。

 

「だ・か・ら……、今日のところはキスだけで我慢してあげます。このあと、お二人と大事なイベントもありますしね。私はまた今度でいいですよー。ではではー!」

 

 きゃるんっと、ウインクした一色が俺に敬礼をしながら脱衣所へと入っていく。

 

「ったく……あざとすぎんだっつーの」

 

 と、その俺の声に、いきなり脱衣所で上着を胸まで、がばりとまくり上げた一色が振り向きながら言った。

 

「そうですよぉ。それが私ですから!」

 

 にこっと微笑んだ一色から俺は一目散に逃げだしたのだった。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 まったく一色のやつにまで……

 俺はまだ唇にのこる、あいつの感触に困惑しつつ、まっすぐに雪ノ下達の部屋へ向かった。

 

「なにがイベントだよ。なにもあるわけねーだろうが」

 

 先ほどの一色の意味ありげな言葉の数々。

 正直、今は何をどう受け取って、読み解けばいいのか上手く頭が働いていなくて分からない。

 一色が俺のことを好き?だと?

 まさかな……。これもなにかの陽動かなんかか?

 小町が一色になにか吹き込んだのか?でもそうだとしたらなぜだ?

 それとも、雪ノ下や、由比ヶ浜が俺の気持ちを試そうと企てたハニートラップ……ってそんなわけないか、あいつらがそんなことの為に、大事な後輩の貞操をないがしろにするとは思えん。

 ああ、ダメだ……やっぱり考えが上手くまとまらねえ。

 

 そんなこんなで、モヤモヤしているうちに、気が付けばあいつらの部屋の前に着いていた。

 

 まあ、どうせ何も起こりはしないしな。さっさと用件とやらを片づけて、今日はもう眠っちまおう。

 俺はそう思いながらノックした。

 

「だ、誰?ひ、ヒッキー……?」

 

「ああ、そうだよ」

 

 って、他に誰がいるってんだ?

 中から恐る恐るといった感じで声があがり、それに答えつつ再度の応答を待つも、なんの返事もない。

 暫く待って、おい、いい加減にしろよ……と声をかけようとしたそのとき、カチャリと扉が開いて、中から白い手が二本ニュッと伸びてきた。

 

 え?

 

 と思うまもなく、そのままその手に引っ張られ、俺はその部屋の内部に引きずり込まれた。

 なんなんだよ……と、現状を確認しようとするのだが、部屋のなかは真っ暗で何も見えない。

 さっき俺に返事をしたのは間違いなく由比ヶ浜だった。

 ということは、今ここに由比ヶ浜はいるはずなんだが、なんで真っ暗にしてんだ?

 やっぱり俺をハメようとでもしてんのか?

 ハメられた無様な俺の姿を見て、楽しんじゃおうとかしてんのか?

 くっそ、せっかく二人を信じられるようになった矢先だったていうのに、いきなりこの仕打ちはないだろう。

 ようし、そっちがその気なら、俺だってただじゃやられないぞ。

 そうは簡単にハメられないからな。

 

「おい、由比ヶ浜。それに雪ノ下もいるんだろ?悪い冗談はやめろよ。俺をハメてそんなに嬉しいのか?」

 

「は、ハメる!?」

 

 暗闇で、ビクリと跳ねるような二つの影。よくは見えないが、そこにあいつらがいるようだ。

 ここはとにかく正論だ。

 ハマるときってのはとにかく相手に飲まれて、自分のペースを乱しちまった時だ。だから、こういうときは正攻法で攻めるのが正解だ。

 そう構えた俺に、『闇』が答えた。

 

「そ、それは……そ、その答えを、どうしても言わなければいけないのかしら?」

 

「その声は雪ノ下だな?なにを開き直ってんだ、当たり前だろう?俺はお前らを信じてるんだ。なのに、これはいったいなんの仕打ちなんだよ」

 

「あ、あたしは!あ、あたしたちはただ……ヒッキーにいろいろお返しがしたいだけで……」

 

「はあ?お返し?そんなに俺に我慢してたのかよ。俺はいつだってお前らのこと思ってたんだぞ。それなのになにを今さら……」

 

 また暗がりで跳ねたような、身をよじったような、二つの影が揺れた。

 

「ず、するいよヒッキー……。そ、それならもっと早くあたしたちに言ってくれれば良かったじゃん。それならヒッキーも我慢することなんてなかったのに……」

 

「ばっか、言えるかよ。俺は基本、お前らのことを自分の一部だと思ってんだ。お前らが嫌がることなんてしたくなかったし、絶対言いたくなかった」

 

「い、嫌なんて思ったことは一度もないわ。むしろ言って欲しかったのよ、私たちは」

 

「俺はな、雪ノ下。例えどんな酷いことでも、お前たちにされることなら、全部許したいんだ。今だってそうだ。お前たちになら、俺の全部をめちゃくちゃにされたってお前たちに優しくしてやれる自信がある」

 

「きゅぅ……」「んん……」

 

 小さな声の後で、また影が動いた。

 今度は二人がくっついたような、震えているような……

 

「ど、どうしよう……ゆきのん……あ、あたしもう、が、我慢できな……濡れちゃって……ぁん」

 

「そ、そうね、わ、私も……その……もう、限界……っん」

 

 って、こいつらなにをしようとしてんだ。

 まさか、この真っ暗闇のなかで、俺に水でもぶっかける気か!?

 や、やめろよ、今風呂に入ったばっかなんだぞ。

 

「お、おい、だ、だから今はやめろよ、な?な?」

 

「もう、無理だよ、ヒッキー……」

 

「責任は……とってもらわないと……」

 

 なんの責任だよー、と、慌てて真っ暗闇の中を手探りで出入り口のドアを探すのだが、空を切るばかりでまったく見つからない。

 そうこうしているうちに、ヒタヒタとだんだんと二人が俺に近づいてきた。

 うわわ……な、なんだ?いったいなにをしようってんだ?

 

 そして……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………マナよ暗闇を照らせ、闇を払え……『ライト』‼、おお、比企谷八幡、元気そうだな。約束通り一緒に飲もうと酒を持ってきたのだが……なんだ?お楽しみ中だったのか?」

 

 と、詠唱の直後に急に真昼のような明るさになり、声の主を見れば、酒の瓶を抱えた銀髪ボディコンダークエルフのピロテース……の身体を使っているカーラさん。

 で、雪ノ下と由比ヶ浜の二人はといえば……

 

「うおっ!?お、お、お、お前ら、なんだその格好は!?」

 

「「きゃあああああああああああああああああ」」

 

 そこには、スケスケの下着姿の、もはや大事な部分がまったく隠れていない二人のあられのない姿。必死に隠そうとしているが辺りが明るすぎる上に、遮蔽物のなにもない入り口付近だったため、もはやどう隠そうにも隠れることができない。

 

「ぶっぱぁあああああああああああっ!?」

 

 俺は盛大に鼻血を吹きましたとも、あの腐女子が如く。

 

「ふむ……ずいぶんと楽しそうだな。では、このままここで飲むとしようか」

 

「だ、だめに決まってんだろうが!?」

 

 まったく気にする様子のないカーラさん。

 この人、確かロードス島戦記の段階でもはや人間やめてたんだよな。感覚がもはやおかしすぎだろう。長生きしすぎだっつーの。

 部屋の隅のベッドの裏まで走って行って隠れた二人にも視線を向け、

 

「どうだ?貴女たちも一緒に飲まないか?」

 

 とか聞いちゃってるし。

 当然二人はぶんぶん首を横に振る。

 

 っていうか、なにこの状況!?

 また俺は盛大に勘違いしてたってのか?

 そう思いつつ、さっきのあいつらとの会話を思い出して、次第と恥ずかしさと、いたたまれなさと、そのときのあいつらの姿を想像して……

 

「ぶばあああああああっ」

 

 またもや大流血。

 い、いかん、このままでは失血死してしまう。

 

「では、食堂でも借りて飲むとしようか」

 

 と言った、カーラの声に、二人はベッドの影から腕だけをだして、バイバイをする。

 

 くうぅぅぅっ……

 お、俺ってやつは、なんでこうも間が悪いんだよ。

 くっそ、めっちゃ『ハメ』られたかったぁ‼

 

 こうして俺は無事に(?)雪ノ下たちの部屋から脱出して、そしてこの目の前の謎の存在、『カーラ』から、消えてしまった神イケロスとの関係や、シェールと漂流王の話、そして、この世界の根幹に関わる重要な話の数々を聞くことになるのだが、それはまた別のお話。

 

 

 このオラリオに飛ばされ、もとの世界に帰る方法を探しながらも、俺たちは新たな居場所を手にいれることができた。そして、俺たちの絆も確かに深まったのだ。まあ、なにも進展しなかったとも言えるけどな。

 ここで俺たちの物語はひとつの区切りを迎える。

 だが、これで終わりでは決してない。

 俺たちの前にはまだまだたくさんの試練が続いているのだ。それを乗り越えて、俺たちは必ず現世へと帰る。

 そう、みんなと一緒に。

 それを、俺は今、心から誓うのであった。

 

 

 

 とか、そんな風にシリアスで自分を保ってた俺。カーラを連れて食堂へと向かう途中、風呂から出てきた一色が俺を認めてにこりと微笑んだ。

 

「あれ?先輩随分と早かったですね。私の時も早くても全然かまいませんからね」

 

「お願い、もうやめて‼」

 

 

 

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「それにしてもさ……意外だったよね。まさかあのアイズがアルゴノゥトくんにあんなにゾッコンになっちゃうなんてさ」

 

「チィッ‼」「ぐぬぅううう~」

 

「ちょっと、ベート、レフィーヤ、うっさい!」

 

「あ、す、すいません、ティオネさん」

 

「あはは……まあね、ティオネは団長のお尻さえ見守れればそれで満足なんだもんねー。他のことなんかどうでもいいもんねー」

 

「んなっ!?あ、あんた、一体そのことをだれから~……」

 

「んー、ガレスが言ってた」

 

「あんのくそじじいがぁ」

 

「あー、ほらほらそんな怖い顔してると、団長に愛想尽かされちゃうよ!アイズの事はいいとしても、団長に嫌われたらたまんないでしょ?あ、ほら、団長こっち見てるよ!」

 

「え!い、いやだ、だ、団長、な、なんでもないですからね」

 

「そんないきなり取り繕っても、ムダムダ~、ニシシ……」

 

「あ、あんたは~~~」

 

「あ、ほら、またコボルトの群れだよ。こんな上層で油断して怪我でもしたらそれこそ完全に捨てられちゃうねー」

 

「こんな雑魚に、負けるかぁああ!」

 

 ダンジョンの上層にそんな気の抜けた怒号が飛び交う。

 壁から次々に生れ落ちてくるのは、目を赤色に光らせた小型の犬のような外観のモンスター。二足二腕でこん棒のような武器を振り上げて襲い掛かってくる。

 だが、彼らが相対した相手は非常に悪かった。

 襲い来るその小型のモンスターを剣の一振りで両断し、数十匹のそのモンスターを悉く殲滅していく。

 そう、軽口をたたき合う彼らは、このオラリオ屈指の強豪【ファミリア】、【ロキ・ファミリア】の精鋭を擁した、深層探索の主力メンバーであったのだ。

 今回彼らは、この主力部隊を中核として、先遣隊と、後続補給部隊の三つに隊を分け、ダンジョンの深々層を目指し、ある目的の達成のために出発したところであった。

 その目的とは……

 

「団長……?フィン、大丈夫?」

 

 戦いが終わり、ティオネが愛しい団長へと視線を向けると、そこにはただ呆然とダンジョンの虚空を見つめるフィンの姿。

 声を掛けられ、フィンは彼女に向き直る。

 

「ああ、大丈夫だ。さあ、行こうか」

 

「…………」

 

 彼女には分かっていた。

 わざと元気に振る舞おうとしているが、彼がずっと苦しみ続けて来ていたという事実を。共に戦った彼女だからこそわかるのだ。

 

 オラリオの壁外で戦った、伝説級の炎の巨人との一戦。

 あの戦いは彼らにとって苦い経験でしかない。

 

 あの怪物にとどめを刺したのは3人の人物。

 一人は我らが母であり姉である副団長のリヴェリア・リヨス・アールブ。

 一人は新進気鋭の【ヘスティア・ファミリア】の冒険者、ベル・クラネル。

 そしてもう一人は、聖者を名乗る、ワレラとかいう正体不明の男。

 

 この戦いが如何に熾烈であったかは、戦闘後にレベルが7になったリヴェリアと、一気に2段階もアップしてしまったベル・クラネルを見ても明らかだ。

 この戦い、もっとも長い時間あの巨人と戦い、そして、その足を止め続けた彼らは、その身体に深刻なダメージを受け続け、だがそれでも彼の巨人に対して攻撃を続けたのだ。

 それがいかに無意味な行為であったのか、そのことを最も理解しているのは、彼ら……そして、最前線に出て戦った、団長のフィン・ディムナ自身であった。

 彼らの奮戦のおかげで一人の死者を出すこともなく巨人を倒すことが出来たと、オラリオの多くの民衆は讃えてくれている。だが、実際はそうではない。

 彼らは救われてしまったのだ。

 死に瀕した彼らを、あの白装束の集団が、ベル・クラネルが助けたのだ。それは紛れもない事実で、戦闘後に途轍もなく高度な魔法の治療によって、彼らは完全回復し、何もなかったかのようにホームに帰還することが出来たのだ。

 

 これ以上の屈辱はない。

 少なくともティオネにとってはそうだった。

 なにより悔しかったのは、フィンにその自分と同じ思いを抱かせてしまったこと。

 オラリオ最強を自負し、どこの【ファミリア】よりも優れた存在であると信じて疑わなかった自分たちの自信の根幹が確かに揺らいだ瞬間であった。

 だが、ティオネは信じていた。

 自分たちは冒険者だ。冒険者の雪辱は冒険で晴らす。

 それを理解していたからこそ、自分はフィンの為にこの命を捧げてでも彼に自信を取り戻させてみせると、そう決意できたのだ。

 彼の夢……

 『小人族(パルゥム)の象徴としての英雄』という存在に必ず彼を導いてみせる。と……

 

 そんな彼女の瞳に、彼へと迫る小さな影がはっきりと映った。

 

「あ、フィン……あぶな……」

 

 シュパァッ

 

 声を掛けるとほぼ同時に、彼の剣が宙を切り、そしてその小さな影を一刀のもとに切り捨てた。

 

「あ、コボルト?」

 

 ティオネが近づいてみれば、彼に襲い掛かって来たのは、一匹の小さなコボルト。なぜ一匹だけで突然現れたのかは理解できなかったが、彼になんともないことを確認して、そういうこともあるだろうくらいに思うことにした。

 それでも、彼女にもひとつ気がかりなことが……

 

 そのコボルトは手にこん棒ではなく、白い複雑な彫刻の施された不思議な形のワンドを持っていたのだ。

 フィンは、ゆっくりとまだ倒れたままになっているコボルトへと近づき、そしてその手に握られているワンドへと手を伸ばした。

 そしてそれを手に取ると、そのままコボルトの死骸を踏みつぶす。

 一瞬で黒い靄へと変わったコボルトに、思わずゾワリと身震いしたティオネだったが、振り向いてにこりと微笑んだフィンにホッと胸をなでおろし、安心して他のパーティと一緒に先に立って歩き出した。

 

 拾いあげたワンドを静かに見つめるフィン。

 

 彼のその眼に、暗く淀んだ死の輝きが灯ったことに、この場の誰一人として気が付く者はなかった。

 

「くくく……」

 

 

 



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(60)閑話 ダンジョンに潜ったら、アロエちゃんがいました。(挿絵あります)

完結ですとか言っておいて、いきなり帰ってきました、すいませんw

この作品はだいぶ前に書いたものでして、以前に、pixivのとある集まりで、アロエちゃんが可愛いという話になり、というか可愛いのでw、この作品にも登場していただきました。

ということで、この作品はまだ書いてない未来の先の話の、さらに番外編(つまり関係ないお話w)となります。

息抜きがてらにどうぞ。


『マンドラゴラ』

 古来より、人のように動き、引き抜くと悲鳴を上げて、その声をまともに聞いた人間は発狂して死んでしまうとも言われた魔性の植物。

 根の奇怪な形状と劇的な効能から、中世ヨーロッパを中心に、上記の伝説がつけ加えられ、魔法や錬金術を元にした作品中に、悲鳴を上げる植物としてしばしば登場する……

 

 というのが、俺の知識ではあったのだが、まさか本当にマンドラゴラを採集させられることになるとは夢にも思わなかった。

 

「八幡さん、気をつけてくださいね。叫び声聞くと死んじゃいますからね」

 

「って、そんな危険な仕事やらせないでくれる?一応俺たちこの世界初心者なんだからね、ベル君」

 

「僕だってやりたくなんかないですよ、こんな怖いクエスト。でも、借金返さなきゃだし、ここはどうか我慢してください!」

 

 なんか、すでに半泣きになってるペテルギ……じゃなかった、ベル君が俺にずずいと顔を近づけてくる。

 

 分かってる、わぁーってるよ!!

 

 今日、俺たちはダンジョンの下層、43階層に来ている。

 そのメンバーは言うと、俺、由比ヶ浜、雪ノ下、アンの【ルビス・ファミリア】メンバーと、ベル君、ヴェルフ、リリ、命、春姫、ウィーネの【ヘスティア・ファミリア】陣営のメンバー。結構な大所帯ではある。

 

 リリや春姫なんかの低レベルのやつまで引っ張りだして、なんでこんな事をしているかといえば、ついこの前、ベル君たちと共闘したおりに、勢い余ってバベルを消し飛ばしちまったせいである。

 これに関しては色々と物申したいことは多々あったのだが、確かにあれはオーバーキルではあった。

 そんな反省もあり、俺たちは素直に罰を受けてこんな危険極まりない命がけのクエストをこなしているというわけだ。まじでついてない。

 

 で、今いるのが、43階層のモンスター達の食料庫(パントリー)。正面に水場があって、フォモールとか、バーバリアンとかの大型のモンスターもいるのだが、食欲が満たされているのかこちらに向かってもこない。まあ、来たところで、今の俺たち、特にベル君なら余裕で返り討ちにできるがな。

 

 さて、そんな俺たちが探しているのが、完全回復薬【エリクサー】の原料ともなる、マンドラゴラだ。このパントリーに群生しているらしい。

 

 これを500本集めるのが今回の任務。

 要は引っこ抜けばいい、簡単な作業ではある。まあ、抜くだけなら。

 

 一応、抜き方についてだが……

 1、見つける

 2、茎をつかむ

 3、引っこ抜く

 4、大急ぎで口を手拭いでふさぐ

 

 以上。

 

 ちなみに、失敗して絶叫されると、近くにいるやつは全員死ぬ。

 なにそれ、超怖い。

 

 一応、もしもの時のために、俺と由比ヶ浜は交互に抜くことに決めている。

 万が一誰か死んだら、生き返らせられるのは俺と由比ヶ浜しかいないからな。

 

 とはいえ、マジでやりたくない仕事だ。

 

『……ぎゃっ……むごふご……』

『……ぎゃあっ……ごごふ……』

『……GYAAa……humhum』

 

 そこかしこで悲鳴のような声が短く上がりかける度にその口を抑えるベル君たち。

 

 っていうか、よく触れるな、そんな気持ち悪い奴。根っこのところの顔なんて、それまるっきり呪怨じゃねえか。むりむり、さわれねえよ、そんなの!!

 

 と、俺が冷や汗を垂らしてる向こうで、パタリと倒れたのは……春姫たん。

 あ、死んだ?

 急いで由比ヶ浜が駆け寄って、脈をとって振り返る。そして、頭のうえに両手で大きな丸。って、それ気絶しただけかよ。働けよ、春姫たん。

 

 ウィーネはなんか蝶々みたいなモンスター追いかけて遊んでるし、これじゃあ、いつまで立っても終わらね……え?」

 

「おりゃおりゃおりゃおりゃっ!!」

「はいはいはいはいはいっ!!」

 

 威勢のいい掛け声がすると思ったら、ヴェルフとリリの二人が、鬼の形相で、マンドラゴラを引っこ抜きまくってやがる!

 

 それから首をぐるりと反対に回すと、遠くにひとりでポツンと立っている、命姐さん。

 うん、確か俺らとタメくらいのはずだが、あの佇まいはまさに姉御。姐さんと呼ばせてもらおう。話す機会ないけど。

 命姐さんはなにやってんだ?と思って眺めていたら……

 

「でやあああああ!!」

 

 掛け声とともに、地面を踏みしめた途端に、彼女の周囲にマンドラゴラが跳ね上がる……と、ものすごいスピードで刀を振った、次の瞬間『カチリ』と、その刀を鞘に戻した。

 マンドラゴラたちは声ひとつ漏らさずに地面に落ちる。どうやらその声帯をつぶされちゃったみたいだな。

 あんたの刀は斬鉄剣か。

 

 あ、あいつら、超優秀だな。 

 これなら、達成できるかな?

 

 ま、おんぶに抱っこじゃなんか悪いし、とりあえず、俺たちも少しは働かねえとな。

 えーと、マンドラゴラって、どんなだっけか?良くわからねえが近くの奴を抜いてみるか……

 俺は花畑のようになっているその近くを見回しながら、緑の葉っぱがもっさりしている植物に近づいた。

 なんか妙に葉肉が厚い気がするな……

 その葉の付け根をつかんでグッと力を込めたそのとき……

 

「いたいいたい……」

 

「は?今のなんだ?」

 

 なにかマンドラゴラとは違う悲鳴のようなものが聞こえた気がしたが、気のせいか?

 

 俺はもう一度力を込めた。すると……

 

「いたい、いたいのですよぉ!!やめて欲しいのですぅ」

 

「はあ?」

 

 俺は声が聞こえてきた、その葉っぱの根っこに視線を向けてみた。すると、そこにはすっかり顔を地上に出した、苦悶のマンドラゴラの顔が!!

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 って、あれ?こんな女の子みたいなつるんとした顔だったっけ?それに、なんか胴体も手もあるし、なんか胸が少し膨らんでるような……

 その茎?みたいな体みたいなところをふにふにさすりながら、良く見てみようと顔を近づけて目と目があった瞬間……

 

「きゃああああああああああああああああああああああ!!」

「わああああああああああああああ!!死ぬ、死んじゃう!」

 

 しまった!絶叫聞いちまったーーーーーー!

 思わず飛び退いた俺はその場で腰を抜かした。

 そんな俺にマンドラゴラが叫ぶ。目にいっぱい涙を溜めて。

 

「いやああああん、汚されたですぅ、汚されちゃったですぅ、もうお嫁にいけないのですぅぅ」

 

「は?」

 

 泣いてるその植物を良く観察すると、スカートのような葉を広げてまるで座っているような姿勢の小さな女の子の姿。その頭には髪の毛のように葉が幾重にももっさりと伸びている。

 

 あ、この葉っぱ、アロエじゃねえか?

 俺はそいつに恐る恐る聞いた。

 

「あの、お前、ひょっとしてアロエなのか?」

 

「そうですよぅ。他になんに見えるのですかぁ」

 

 いや、どう見てもマンドラゴラだろう……

 

「どうしたのヒッキー?」

「八幡、大丈夫かしら?」

 

 由比ヶ浜と雪ノ下の二人がひっくり返った俺のそばに近づいてくる。

 抜くのに失敗すれば死ぬわけだしな、そりゃ心配だわな。

 

「いや、俺は大丈夫なんだが、変な生き物見つけちまってな。」

 

「変な生き物?」

 

 二人は身を屈めて、俺が見ている先、そのアロエらしき植物に顔を近づけた。

 そして由比ヶ浜が一言。

 

「かわいいーーーー!!」

 

 そりゃ、見掛けは泣いてる目を両手で擦る小さな女の子にしか見えないもんな。

 

「これもマンドラゴラなのかしら?」

 

「いや、アロエらしいぞ」

 

「これがアロエ?信じられないわね」

 

「まあ、ファンタジーだしな。なんでもあるだろうよ」

 

「本当に可愛い。どうしたの?なんで泣いてるの?」

 

 うっうっと嗚咽をあげるそのアロエが、由比ヶ浜の言葉で、顔をあげる。

 

「こ、この殿方に、私は辱しめられたのですぅ。わ、私の穢れのない体を、その手でめちゃくちゃにされたのですぅ。まだ誰にも触らせた事なかったのにー!!もうお嫁にいけないーーーー……ぐす……」

 

「ちょ、ちょっと、ヒッキー!!」

「八幡!!」

「お、俺かあ!?いや、してない、なんにもしてないぞー」

 

 ちょ、ちょっと胸を揉んじまっただけ……げふんげふん。

 

 いきなり二人に睨まれひっくり返った俺達の見ているわきでそのアロエが動いた。

 

「よいしょっと!」

 

 なぜか、地面から足を引き抜くように立ち上がり、スカートをパンパンとはらうと、俺に向かってスタスタと歩いてきた……って、お前足あるのかよ!?根っこじゃねえの?そのスカートの中いったいどうなって……って、俺に鑑賞する趣味はねえからな!!お前ら二人とも、腐ったもん見るような目はやめろっての!!

 

「うう、頭がもっさりなのですよぅ……」

 

 いや、知らねえから……

 そのアロエは俺の体をよじ登ると、俺の肩の上にちょこんと座る。

 そして、言った。

 

「こうなったら、責任をとってもらうのですぅ。アロエと結婚するですぅ」

 

「「「はあ?」」」

 

 な、何を言い出すんだ、このアロエは!!

 由比ヶ浜が慌てた感じで、アロエに近づく。

 

「だめだよ。それは!!」

 

「なぜです?」

 

「それは、えーと、えーと……ヒッキーはもう、す、好きな人いるし!ね、ヒッキー!!」

 

 って、俺にふるんじゃねーよ。なんて言えばいいんだよ。

 

「そうよ、八幡は、もう私と結衣さんと結婚することが決まっているのよ。だからダメよ!」

 

 カッ!と目を見開いて、言い切った雪ノ下の後ろから。

 

「アンもアンも~、アンもマスターと結婚するのー」

 

 いや、アン。お前まで来たら、収集が……

 

「だったら、アロエも結婚するのですぅ。3人も4人も変わらないはずなのですぅ」

 

 腕を組んで、ふんすと鼻息を荒くするそのアロエ。

 その言葉に、雪ノ下と由比ヶ浜が顔を見合わせて……

 

「それならいっか」「そうね」

 

 って、おい!!

 

「あんたらちゃんと働いてくれよー、げっ!なんだぁそのもっさりとしたマンドラゴラはぁ?」

 不機嫌そうな顔をして近づいてきたのは、着流しを着た赤髪の鍛冶師。その後ろからちょこんと顔を出したのは、白いフードを被ったサポーターちゃん。

「そんなロリロリしたのと遊んでるなんて、リリは本気で八幡様を軽蔑します!!行きましょ、ベル様~」

「あー!!リリ、ずるい!ウィーネもベルに抱っこしてもらうの!」

「はれぇ?なんでベル様がリリ様とウィーネ様を抱いて……はっ!!まさかこれから、夜伽をーーーーーぷきゅぅううう……」

「って春姫!?てめえも寝てねえで働けよ、これじゃいつまで経っても帰れねえだろうが」

「ヴェルフ、た、たすけてー」

「ベル様~」

「ベルーーー」

 青筋を立ててるヴェルフの向こうで、リリとウィーネに抱きつかれたベルくんが悶えてるし。

 そんなベル君一行を見つつ、

 

「あっちも大変そうだな」

 

「そうね」「だねー」

 

 なんとなく、俺のスキル『女難の相(ハーレム)』がベル君の人間関係にも影響を及ぼしている気がするが……まあ別にいいだろう。主人公君、強く生きろ!!

 

「それではよろしくなのですよぅ」

 

 俺に頬擦りをするアロエが新しく仲間になったのだった。

 葉っぱがちくちくして痛い!!

 



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(61)閑話 修学旅行の後に……

 修学旅行で一人の男子生徒が心に深い傷を負った。

 信じていたはずの仲間は彼を蔑み、罵り、そして見捨てた。

 彼が助けたはずの男子も、そして依頼を匂わせていたはずの女子も結局はなにもなかったかのように振るまい、そして日常へと戻って行った。

 

 そう……

 

 全ての人を助けたはずの彼は、誰にも理解されることなく、再び孤独へとその身を投じることになったのだ。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 彼は自分の所属する奉仕部の部室の扉の前で、深くひとつため息をついた。

 この中にいる二人の女子。

 かつて、彼が助けようと心を、その身を砕いた存在。

 今、その二人に相対することを、彼は恐れていた。

 だが、それでも彼は扉へと手をかける。

 この後に起こるであろう事態を予期しながら……

 

 ガラガラ……

 

「あ……きたんだ……ヒッキー……」

 

「ふう……あれだけのことをしておいて、良く顔が出せたわね。私たちがどれだけ辛かったか、理解できたのかしら?」

 

 キッと目を吊り上げて睨むのは、同じ部員の雪ノ下と由比ヶ浜の二人。

 あの修学旅行の告白の手伝いの時、今の関係を壊したくない葉山と海老名、振られたくない戸部、そして行動できずにいたこの二人の全てを助けるべく、彼は海老名へ嘘の告白をして振られるまでの演技をとった。

 結果、海老名は彼を振り、そして、誰とも付き合う気がないことを宣言し、告白を未然に防がれた戸部は行動の全てを無かったことにすることができた。

 これだけ機転を効かせたというのに、だがしかし……

 この二人だけは、納得することはついになかった。

 

 あの場において最善となるこの方法を思いついた彼ではあるが、それを実行に移す際、しっかりと彼女たちに問いかけたのだ。

 『俺の方法でいいのか』と。

 そのとき、彼女達は『任せる』と確かに頷いた。

 それなのに……

 

 彼は彼女らに激しく糾弾された。

 なぜあんなことをしたのか、と、なぜ人の気持ちを考えないのか?と。

 

 そんなことを言われる筋合いはない……

 

 彼は言われながらそう沸き上がりかける憤懣を自らのうちに押し込めたのだ。

 なぜわからない?なぜわかってくれない?

 俺は確かに確認をとったんだ。

 俺は何も悪くなんかないはずだ。

 お前たちを守ろうとしただけだ。

 それなのに……それなのに、なぜこうまで俺は否定されなければならないんだ!!

  

 それが今の彼の本当の思いだった。

 

「あら?何も話せないなんて本当に最低ね。やはりあなたには人の気持ちは理解できないのね。国語学年3位はただの飾りね」

 

「ヒッキー、謝るんなら早くした方がいいよ。あたしもいい加減ムカついてるし。そのキモい顔で見つめるのやめて欲しいし」

 

 二人の罵声に彼はぎゅっと拳を握る。

 それと同時に急速にこころが冷えて行くのを感じた。

 そして理解する。

 

 ここには、俺の求める本物はないんだ……と。

 

 彼はそのまま席へは着かずに戸口へと引き返す。

 

「帰るのかしら?なら別に止めはしないけれど、平塚先生に断りもなしに辞められるなんて思わないことね」

 

 その声を背中に受けながら、彼は振り返らずに部室を後にした。

 

 そして、少し間を置いてから再び扉が開く。

 そこにいたのは、茶髪の爽やかなイケメンであった。

 

「あ、隼人くん、やっはろー?あ、そ、そうだ!あたし用事があったんだ!!じゃあね、ゆきのん、またねー」

 

「ええ……さようなら、由比ヶ浜さん」

 

 彼……葉山隼人と入れ違いで、彼女……由比ヶ浜結衣は慌てて部室を出ていった。

 

 その場に残された雪ノ下雪乃と葉山隼人の二人。

 葉山は静かに口を開く。

 

「あいつ……ヒキタニは辞めたんだな」

 

「ええ、そのようね。でも退部届けは受理されていないからまだ在籍はしているのだけれど」

 

「そうか、でも時間の問題だな。なあ雪ノ下さん。俺は君が心配だったんだ。彼のようなおかしな人間は何をしでかすか本当にわからないからな。それが今回の件で良くわかったろう?だからこの際辛いかもしれないが、彼にははっきり言ってやった方がいいんだよ。君に言われて相当堪えただろうし、これで彼もやっと普通の一般生徒に戻れると思うんだ。だからあまり気にしないことだよ」

 

 肩に力が入っていたのだろう、雪ノ下はフッと安堵のため息を吐いて柔らかな表情を葉山へと向けた。

 

「ええ、本当にその通りね。ありがとう葉山君。あなたの助言のおかげでしっかり彼には厳しく言えたわ」

 

「いや、たいしたことではないよ。俺はいつでも君のことを心配しているんだ。だから頼ってくれていい」

 

「本当にありがとう。今度お礼をさせてもらうわね」

 

 その雪ノ下の言葉に葉山は表情には出さずに内心ほくそ笑んだ。

 こんなにも上手くことが運んだということに……

 

 

   ×   ×   ×

 

「もうゆきのんとの話は終わったの?」

 

「ああ、ばっちりだよ。ありがとう結衣」

 

「べつにいいよ、だって友達でしょ?」

 

 にこりと笑った由比ヶ浜結衣は、サッカー部の更衣室のそばの木に背中を寄りかからせて目の前にいる葉山に話かけた。

 葉山もそれににこやかに応じる。そして、カバンから少し厚くなった茶封筒を取り出して彼女に手渡した。

 由比ヶ浜はそれを確認もしないで自分のカバンの中へとねじ込む。

 そして薄く笑いながら「ありがと」と一言発した。

 

「それにしても隼人くん。こんな回りくどいことしなくても、ゆきのんに声をかければすぐに仲良くなれたんじゃないかなぁ?別にあんな人の気持ちも考えられないウザい奴相手にしなくてもさ」

 

 ウザいやつ……

 その一言に、葉山は腹の底から込み上げてくる笑いを必死にこらえて、そして答えた。

 

「ああ、そうだね。でも、俺はヒキタニが許せなかったんだよ。俺がこうして何年も雪乃ちゃんとの仲を回復させられないで苦しんでいるというのに、あいつは安穏と彼女のそばにその身を置いている。そしてあろうことか、馴れ馴れしく口を聞いて、それに一緒に活動してきた。俺にはそれが許せなかったんだ」

 

「ふーん。ヒッキーもかわいそう。これだけ嫌われてるのに全然気がついてないんだもん。同情しちゃうよ」

 

「いや、彼は君がいたからあれだけ図々しくいられたんじゃないかな?結衣のことを結構意識してたと思うけど」

 

「や、やめてよ。あたしだって選ぶ権利はあるよ。隼人君に頼まれなきゃこんなことやったりしないってば」

 

 頬を膨らませて首を振る彼女に、いよいよ彼は耐えられなくなって吹き出してしまった。

 

「あ、憐れだな、ヒキタニ。自分に好意を持ってると思ってた結衣にまでこんなことを言われるなんて」

 

 その言葉に由比ヶ浜はいよいよ不機嫌になる。

 

「なんか、やな感じー!あたしが悪いことしてるみたいだし。そんなこというなら、隼人君の方が悪いし。ゆきのんだけじゃなくて、優美子も姫菜も騙してるでしょ?おんなよけの盾?だっけ?大変だねー、隼人くん」

 

 それに葉山は何も答えずただただ笑みを深くした。

 

 そう、彼は満足していた。

 自分の回りをまるでハエのように飛び回る鬱陶しいヒキタニ八幡をここまで追い込めたことに、至上の喜びを感じていた。

 これでヒキタニは奈落の底。

 そして俺は雪乃ちゃんと新しい関係を少しずつ築くことができる。

 

 くくく……

 

 ああ、たまらないなぁ……

 

 由比ヶ浜とそのまま別れた葉山は、表情を引き締めなおして、サッカー部へと向かう。そう、主将の顔をして。

 だが、そんな彼はついに気づけなかった。

 

 校舎の影から彼を覗き見ていた存在には……

 

   ×   ×   ×

 

 奉仕部の部室を出た比企谷八幡は、虚ろな瞳のままでふらふらと自転車置き場へと向かっていた。

 しかし、その途中、急速に気力がなくなり、動くことができなくなる。

 彼は急遽自分のベストプレイスへとその行き先を変更した。

 階段に腰をおろし、ふっと遠くに目をやると、テニスコートで部活をするクラスメートの戸塚彩加の姿。

 いつもならこちらをみとめて手を振ったりしてくれるのだが、今日は相当練習に集中しているようで、ちらりとも見てくれない。

 それに一抹の寂しさを覚えて、比企谷八幡は、はあ、とため息を吐いた。

 

 そのとき……

 

「あ、あの……比企谷……さん?」

 

 背後からおそるおそるといった具合で、か細い女子の声が……

 女子に話しかけられるなんてあり得ないと思いつつも、彼以外に比企谷なんて名前のやつはそうそういないことを理解していた彼は、そっとその視線を後ろへと向けた。

 

 そこにはメガネを掛けて手にプリントの束を抱えた地味な雰囲気の女子生徒。

 肩までで切り揃えた黒髪からは、真面目な印象を受ける。

 そんな彼女の腕には腕章が……

 

『新聞部』

 

 比企谷八幡はそれをいぶかしげに見たあと、再び視線を正面に戻した。

 彼にとって新聞部はあまり歓迎したくない相手であった。

 なぜならば、彼は過去に新聞部の記事によって必要以上の中傷をうけることとなったからだ。

 彼が奉仕部として手伝った文化祭。

 そのさなか、自暴自棄になった実行委員長の相模を舞台へと戻すべく、彼は自らを犠牲にして相模を必要以上に糾弾。周囲の生徒……葉山たちへ見せることで、反感を一身に受けつつ、『彼の存在のせいで相模が仕事を全うできなかった』、そういうこととした。

 しかし、事態はそれで収まらなかった。

 

 この実行委員長の返り咲きを美談とすべく、葉山の献身的な行動を中心に学内新聞として張り出されたのだ。

 当然だが、これによって浮き彫りになるのは、相模を貶めた比企谷八幡の存在。

 記事にも一部、彼に関しての記載があり、実名がなくとも学内中に知れわたるのに然程の時間を有しなかった。

 

 彼にとって新聞部とは悪感情はあっても良いイメージは全くない。だからこそ、彼は無視を決めた。

 

 だが……

 

「あ、あの……比企谷さんがあの記事のことで辛い思いをしてしまったことは当然理解しています。わ、私は、それを謝りたかったんです。本当にすいませんでした。ごめんなさい」

 

 彼の背後でがばりと、お辞儀をする衣擦れの音が彼に届く。

 彼女は頭を下げたまま言葉を続けた。

 

「あ、あの記事を書いたのは、わ、わ、私なんです。こ、こんなに比企谷さんを傷つけてしまうなんて思いもしなくて……ほ、ほんとに、……本当にごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい、ごめんなさ……」

 

「あ、も、もういいです……よ」

 

「へ?」

 

 彼はスッと立ち上がると振り向いて、その新聞部の少女に視線を向けた。その顔には恥ずかしそうな、申し訳なさそうな表情が見てとれる。

 少女はその瞳に涙を溜めたまま、顔をあげた。

 

「その……あれは俺が悪かったんだ。あんたが記事を書いたことは関係ない。でも、謝ってくれて嬉しかったよ。ありがとうな」

 

 その言葉に少女はにこりと微笑みを浮かべた。

 そして、改めて彼をまっすぐに見つめた。

 

「わ、わたし、(おり)です。織 伽羅(おり から)です。カラって呼んでください」

 

「あ、お、お……僕は、ひ、ひきゃ、ひきぎゃやはちまん……です」

 

 と、ガチガチになって答える彼に、彼女はにこりと微笑んだ。

 

「あ、知ってますよ。よろしくお願いします、八幡さん」

 

 真っ赤になった彼に近づいた彼女は、深呼吸をしてから彼に改めて話かけた。

 

「あの……私、こんなことをいきなり言うのは違うと思いますけど、それでも、苦しんでる貴方を放っておけなくて……け、軽蔑されちゃうかもだけど、全部言います」

 

 意を決した様子の彼女は真剣な目付きで彼を見つめる。

 

「あの……あなたのご友人の、葉山隼人さんと由比ヶ浜結衣さんですが……じつは……」

 

 彼女はそう切り出した。

 そう、彼女は全て知っていた。

 あの文化祭での葉山隼人と比企谷八幡との確執から始まり、修学旅行であの結果を導き出すためにとった葉山の数々の謀略。そして、由比ヶ浜結衣との密約。

 全ては雪ノ下雪乃との関係の回復のために、葉山が比企谷八幡を利用してきたという事実を、彼女はつつみ隠さずに彼へと伝えた。

 

 そして、その証拠とも言える、ついさっき撮影したばかりのデジカメの写真も。

 彼女はここに来る前に、奉仕部の部室での会話とその後の葉山の行動を全て見ていたのだ。

 彼女はあの時由比ヶ浜が受けたとった茶封筒を写真にしっかりと納めていた。

 

 つつみ隠さず話す彼女の正面で、顔色をどんどん悪化させていく比企谷八幡。

 だが、順を追って聞き進むそのうちに、彼はその瞳に光を灯した。

 全てを話終えた彼女は彼に言った。

 

「あ、あの……こんなお話をして本当にすいませんでした。でも、耐えられなかったんです。私のせいで貴方が苦しんで、それだけじゃなく、こんなにも酷い仕打ちを身近な人達にされてたなんて……私、なんでもします!貴方のためになんでもしますから」

 

 その少女の言葉に、瞳に宿った光をそのままに、彼はそっと呟いた。

 

「本当にありがとうな。俺のお願いを聞いてくれるか?」

 

「ええ、ええ!なんでも言ってください」

 

 ふうっと深く息を吐いた比企谷八幡はそっと呟いた。

 

「俺はあいつらを絶対許さねえ。復讐を手伝ってくれ」

 

「はい!!」

 

 頬を紅潮させたカラを見つめながら、比企谷八幡は静かに決意した。

 

 

 

 

 

続く

 

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 

「ぎぃゃぁああああああああああああああ……ぁぁ、あ?」

 

 絶叫して跳ね上がって周りを見た。

 えーと、なんだ、これ?

 

「だ、だいじょうぶか?比企谷八幡」

 

「ミアハ、いったい何を飲ませたんだい?明らかに悪夢を見てるようじゃないか」

 

「うむ、おかしいな、そんなはずはないのだが……ナァーザは何も問題ないと言っていたし……なあ、ナァーザ」

 

「ふぇっ!!」

 

 急に振られたナァーザさんが、ピンと跳ね上がって顔から湯気が出るほど真っ赤になってるし……

 

 ヘスティア様とミアハ様達が話してるその横を見れば、ベル君とアイズたんにリリ。それに神ロキまでいる。

 

「だいじょうぶ?ヒッキー」

「安心して、八幡」

 

 そう聞こえて首を曲げてみれば、俺の背後……というか、俺に寄り添うように手で背中を擦る由比ヶ浜と雪ノ下の二人の姿。

 

「って、うわあああああああああ!!」

「きゃっ!!」

「え?な、なにかしら!?」

 

「ご、ごめん、お前ら。お前らないがしろにして本当に悪かった。あの修学旅行のときは、俺もどうかしてたんだ。お前らの気持ち全然考えられなかったし、とにかく解決しなきゃってばっかで、本当にあの時は悪かった。頼む、頼むからゆるしてくれー」

 

「ちょ、ちょっとヒッキー?なに?修学旅行?え?あの嘘の告白のこと?だ、だいじょうぶだよ、全然なんともないよ。あのときはあたしも事情知らないで色々言っちゃったし、ごめんしなきゃいけないのは、あたしの方だよ」

 

「そうよ、八幡。あの時私は何もできなかった自分に自己嫌悪していただけなのよ。最善の策を考えて行動していた貴方に本当に酷いことを言ってしまったわ。本当にごめんなさい」

 

「へ?」

 

 俺の肩を抱く二人にそう言われ、どうもさっきまでの頭の中のビジョンと言ってる内容に食い違いがありまくりで、めちゃくちゃ混乱してしまっている。

 

 あれ?俺ひょっとして夢を見てたのか?

 

 ん?そうだ、たしか俺は夢を見るためにここに来たはず……

 

「えと……俺、いままで寝てた?……のか?」

 

 その言葉に由比ヶ浜は即答。

 

「そ、そうだよ。ヒッキーは『夢をどうしても見たいんだー』とか言って、ミアハ様になんとかっていう……「ユメミールα(アルファ)だぞ」えと、ユメミールあるふぁを飲んで、そのまま寝ちゃってたんだよ」

 

 ゆめみーるあるふぁ……

 

「えっと、一応確認なんだが由比ヶ浜、お前、葉山に金を貰ったから俺に近づいたのか?無い色気まで使って」

 

「ちょっ!!無い色気って……んもう!そんなわけないでしょ!隼人君にはお金どころか、ジュースだっておごってもらったことないよ!ヒッキーに近づいたのだって、それは、え、えと、えーと、その、あの、あのね、えと、す、す、すすー「じゃあ、雪ノ下は」もう、最後まで言わせてよ!!ヒッキーが好きだからヒッキーのいる奉仕部に行ったの!!」

 

「お、おう」

 

 顔を真っ赤にして、ふうふう言ってる由比ヶ浜に最後まで言われて、俺も胸がドクンと跳ねる。

 でも、こんな公衆の面前でこいつみたいな告白は当然できねえ。だから、俺は由比ヶ浜の頭に手を置いて、力一杯くしゃくしゃ撫でた。

 

「え、えと、雪ノ下?お前は、葉山に言い寄られたりしてたのか?その、俺の悪口とか、葉山から言われたりとかしたことあるか?」

 

「そうね、ついこの前、ここに来る前に葉山くんに仲直りしたいようなことを言われたりはしたけれど、それまで彼から接触してくることは殆どなかったわ。それに、仮にも彼はあの葉山君よ?影で人の悪口なんて絶対言ったりしないわ。それは幼馴染みとして私が保証します。それと、彼と私の話は以前少しした通り、小学校の時にいじめられていた私を彼が助けることが出来なかったというだけのこと。勝手に彼が思い悩み苦しんでいるだけのことよだから、何も心配しないでいいわ」

 

 と、つらつら言い終わった雪ノ下は、スッと俺に向かって首をかしげて頭を差し出してきた。

 

 うっ……

 

 これはあれだな、由比ヶ浜と同様に頭を撫でろと……

 

 はい、素直に撫でり撫でリしましたとも。

 

 そんな俺たち三人を周囲の連中がジト目で見てくるが……

 ん?なんかアイズたんだけ、視線が違うような……

 なんでベル君の頭を見てるの君は……

 

 うん、なんだか、だんだん覚醒してきた。

 そう、ここはミアハ様の薬局(笑)……【ミアハ・ファミリア】のホームの一室だった。

 ここで俺は夢を見るために、ナァーザさんが作った新薬、ユメミールα(アルファ)を飲んで眠りについたんだった。

 俺はこの場に居合わせた全員を見る……

 神様が3人もいるし、この原作の主人公の二人まで居やがるし(本編と外伝ね)!

 

「っていうか、なんでこんなに集まってんだよ!!さっきまで俺とミアハ様しかいなかったじゃねえか!!」

 

「うむ、それはだな比企谷八幡、それそれこれこれというわけで、私が呼んだのだよ」

 

「呼んだのミアハ様(あんた)かよ。ていうかデモンストレーションてなにそれ?俺を人体実験の的にしようとしやがったのか?」

 

「せっかく被験者がいるのだ。顧客に声を掛けるのは当然であろう?」

 

「そ、そうだぜ、八幡くん。ミアハにはこの薬は優先して譲ってくれる様に頼んでいたんだ。だから当然ボク達は来るに決まってるぜ?」

 

「何を偉そうに、このド貧乏ドチビが!!先に買うたるって言ったのはウチらや!金もない癖にしゃしゃり出るやないぃ!!」

 

「なんだいっ、この糸目洗濯板!お金ならボクらだってこうして用意してあるさ!ちょっとオラリオで有名だからって成金気取りかい?」

 

「ぬあ!じゃがまるおっぱいが!」

「見栄っ張りエセ関西人!!」

「「ぐぬぬぬぬぬぬぬぬ」」

 

「ちょ、止めましょうよ神様」

 

「ロキ……人に迷惑かけちゃ……だめ」

 

 額を突き合わせて唸る二柱の女神にそれぞれの眷属が抑えにはいってる。

 そんな中を、フードを被った小人族(パルゥム)の少女が前に進み出て、神ミアハに声を掛けた。

 

「あの、ミアハ様?八幡様が飲まれたものは、この前の幸せな夢を見れる『ユメミール』ではないのですか?」

 

「おお、リリルカ・アーデ。そういえばまだお前たちには教えてはいなかったな。今回のこれはただのユメミールではない。『ユメミールα(アルファ)』だ。これはなんと、過去に見た夢を抜き出して、再び見ることが出来るようになる薬だ!!しかも、他人の見た夢を見ることもできるのだ」

 

「な?」

「え?」

「うぇ?」

「へっ?」

「い?」

「えぇ?」

 

 全員一斉に変な声を上げ、そして、ミアハ様を覗き見る。そして……

 

「と、と、と、ということはなにかい?ミアハ……この前見た、『ベル君とお花畑ラブラブデート』も、もう一度見れたりするってことなのかい?」

 

「ええー!!な、なに見てるんですか、神様」

 

「ああ、もちろんだとも」

 

「じゃ、じゃあ、リリが見た、『白馬の王子様ベル様ベッドツアー』もですかぁ?」

 

「えええー!!リリもなのっ!!何見てるの二人とも!!」

 

「当然だな」

 

「な、なら、ウチが見た、『ミニスカ猫耳メイドアイズたん』もなんかぁ!?」

 

「ロキ……刺しちゃうよ」

 

「あ、はいすいません、調子にのりましたごめんなさい」

 

「うむ、可能であるな」

 

「でも……そうなんだ……またあの夢……アイズお姉ちゃん……て」

 

「あ、あの、アイズさん?なんで僕の方を見ながらブツブツ言ってるんですか、ちょ、ちょっと怖いですから」

 

 とかなんとか、ベル君達がみんなにやけながら、ブツブツ言い合ってるし。

 そんな中で、頷き続けていたミアハ様だったが、ここに来て腕を組んでうーんと唸った。

 

「うむ、だがナァーザは予定通りの夢を見れたようだが、八幡君は……違ったのであろう?」

 

 言われてコクリと、俺は頷くしかない。

 当然だが、あんなそら恐ろしい夢を誰が好き好んで見ようなんて思うものか。

 その様子を見つつ、再び頷いたミアハ様がナァーザさんを向く。

 

「ナァーザはどんな夢を見たんだ?」

 

「ひぇ!!」

 

 急な質問に今度こそ真っ赤になったナァーザさんが今にも倒れるんじゃないかってくらい震えだした。

 それをみつつ、その場の全員が、『聞いてやるなよ~』と冷たい視線を一斉にミアハ様へと送った。

 

「ねえ、ヒッキーはどんな夢を見たの?」

 

「ああ、実は、かくかくしかじか……って感じだった」

 

「えええ!!あ、あたしがそんなことしたの!?隼人君と一緒に!?そんなばかなー」

 

「それよりも、私も八幡にそんなことを言ったと言うの?信じられないわ」

 

「俺だって信じたくねえよ。そもそも、あの時あそこまでお前らに嫌われたら、一緒にクリパとか料理教室とかできなかったろうし、今絶対一緒にいねえよ。っていうか、あの『織 伽羅』っていったい誰だよ?」

 

 と、言いつつ、多分『オリキャラ』なんだろうなーとか、勝手に解釈したけどな。

 

 ま、とはいえ、夢で本当に良かった。

 マジでビビったし。

 あんな状況に実際に放り込まれたら、もう普通に誰とも会話なんかできやしねえよ。っていうか、100%鬱病になって外出不能になる自信があるな。って、もともと外出しない俺にとっちゃ大した違いじゃねえか、はあ。

 そんなこんなで、安心した俺は、大きく伸びをして帰り支度を始めようとした。

 そこへ由比ヶ浜の声。

 

「そういえばさ、ヒッキー。ヒッキーは夢を見ようとしてきたんでしょ?どんな夢を見たかったの?」

「え?べ、べ、べ、べべべべべつにいいだろ……そんなの」

 

「ええ?教えてよー!あ、そうだ!じゃあさ、こうしよ。確認の意味も兼ねて、みんなで一緒に見るの!ね!そうしよ!!」

「はああ!?だ、ダメにきまってんだろうが!!」

「なんでよ!!」

「なんでもなの!!」

「えー?ヒッキーの夢みたいよー!ねえ、ゆきのんもそうでしょ!?」

「え、ええ。そうね、結衣さんがそうしたいなら、そうしましょうか」

「いやいやいや、ちょっと、雪ノ下さん?あなた由比ヶ浜さんに甘すぎると思いますよ」

「あら、別にかまわないのではない?私たちは三人で付き合っているのだから、一緒に夢を共有しても問題ないわ」

 

 いや、それプライバシー侵害しまくりだからね。

 まったく、こいつらは、鋭いンだか、鈍いンだか、本気で分からねえ。

 くっそ、言えねえ。

 絶対言えねえ。

 

 素っ裸の雪ノ下と由比ヶ浜と三人で……なんて、げふんげふん。

 

 わいわいがやがやと始まった俺達全員をよそに、ミアハ様が、俺が飲んだユメミールαの容器を手にもって首をかしげている。

 その瓶の中には、俺が見たい夢の情報の書かれた魔法的な羊皮紙が。

 それを眺めながら、ミアハ様はポツリとつぶやいた。

 

「確かに『HACHIMAN』と書いたんだがなあ?」

 

 

 

 



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(62)閑話 シリアスゼロから始まる異世界生活。

この作品はアニメ『Re:ゼロから始める異世界生活』を視聴していた当時に、ペテルギウスの初登場時にあまりにレムが可哀そうで可哀そうで思わず書いてしまったお話です。
この作品も設定としてはかなり未来、八幡達が転移の手段を手に入れた後って感じのお話です。あくまでレムの救済のためだけのお話なので、お気軽にどうぞなのですが、実はリゼロのWEB版第4章以降、、もしくはラノベ版10巻以降のネタバレも含んじゃってる怪しい作品となっています。ご注意ください。

この作品の読者さんでリゼロをご存知の方が、一体どれだけいらっしゃることやら(焦り)


「うわああああ!」

「きゃあ」「きゃっ」

 

 どさり

 

「いたたた……お、おい、由比ヶ浜、雪ノ下、大丈夫か?」

 

「あ、う、うん。あたしは平気。っていうか、ここどこ?」

 

「ふー、どうやらまた、見知らぬところにとばされたようね……あ、あれは?」

 

 雪ノ下に言われて顔を向ければ、そこには丘の上でトゲつきの鉄球を振り回して、黒覆面の集団を薙ぎ倒す青髪の少女の姿。

 鉄球に吹き飛ばされる連中はことごとくが死亡しているように見える。うん、上半身吹き飛んでるし……うわわわわ……

 

「こりゃあ、どういう状況なんだ?」 

 

「あ、ヒッキー、あぶないっ!『ラリホーマ』」

 

 どさどさっと、目の前に迫っていた黒覆面の集団が眠りに落ちる。

 

「こいつら、問答無用なのかよ。二人とも気を付けろ。こいつらは異常だ」

 

「ええ……でも、人間……なのよね?戦い難いわ……『メダパニ』」

 

 雪ノ下の呪文で動きが緩慢になったその連中に、俺は背中の雷神の剣を抜き放って一気に切り込んだ。剣の背で。

 

 その一凪ぎで、目の前の5人ほどがふっとぶ!

 

「みたか、レベル82の剣の威力」

 

「実質レベル的に4だけどね、ヒッキー」

 

「それ、言うんじゃねえよ、臥せろ由比ヶ浜!『ギガデイン』」

 

 言いながら、由比ヶ浜の背後からこちらに迫る黒い手のようなものに向かって、俺は呪文を放った!

 

 周囲がまるで昼間の様に明るく輝き、究極の稲妻が空間を席巻する。俺の呪文はその黒い手をかき消したが、それと同時にその向こうに人影が現れた。

 

「な、な、な、な、な、ななななな、なんデス?なんなんデスか?貴方たたたたたたちわあああ!こ、こんな出会いは、は、は、は、知らない、知らないのデス!これも試練だとでも言うのデスかぁ!!さあ、さ、さ、さ、さあ、私に教えるのデス!」

 

 目を見開いて絶叫するその男は、どうやら、俺達に用があるようだが……

 

「わりぃ、まだ来たばっかで、よくわかんねぇんだわ、ところで、お前らはなんだ?」

 

「これは、失礼……私は、魔女教大罪司教、怠惰担当……ペテルギウス・ロマネコンティ……デス!!」

 

「いや、怖い、怖いからその顔。えーと、じゃあ俺は比企谷八幡で、こっちが由比ヶ浜、んでこっちが雪ノ下」

 

「おやおや、これはご丁寧にどうも……しかし……安易に名前を明かすのは感心しませんデスねぇ。貴殿方はとても強いデスが、勉強がたりませんねえ……とても……怠惰デスねえ……ここに大罪司教は私だけではないのデスよ!」

 

 と、なにか意味ありげにイナバウアー的にポーズをそいつが決めたので、周りをキョロキョロと見渡すのだが、とくに何も起こらない。

 

「なんも起こらないけど?」

 

「そ、そ、そんなはずはないのデス!ここには白鯨も暴食もいて……」

 

「おーい!はちまーん」

 

「あ、とーちゃん」

 

 声がして見上げれば、そこには舞空術で空を飛ぶオルテガとーちゃん。その手に3人の男と、巨大な100Mくらいの白い鯨を持っている。

 

「どうしたんだよ、それ」

 

「ああ、なんかさっきこのでかいのが飛んでたから、食えるかと思って捕まえたんだけど、そしたら、この三人がいきなり突っ掛かってきたもんで、オラがぼこぼこにした」

 

 見れば、そいつらは全身青アザだらけ。

 

「うしっ、なら早速食うか、『メラゾーマ』」

 

 とーちゃんは言うが早いか、ようやく最近覚えたちゃんとしたメラゾーマで、そのデカイクジラ丸焼きにした。

 で、すぐにかじりつく。

 

「うんめぇええええ!オラこんなうめえ肉初めて食ったぞ!ほら、おめたちも食えよ」

 

 と、なぜか回りに群がる黒頭巾たち(悪そう)にも勧めてるし。

 

 

「なんデスか?貴方達はあああああ!白鯨を食べるとわあああああああああ!ゆ、ゆ、許せませ……」

 

「よくも、スバルクンをこんな目に~」

 

 ジャラ……

 

 見れば、肩に男の子を担いださっきの青髪の少女。手にした鉄球をひきずりながら、目を真っ赤にしてさっきのペテ……ペテ、ぺてん師さん?に近づく。

 

「み、見えざる手!見えざる手ぇ!で、出ないデーーーーーーーーーーーース!」

 

「レムは、貴方を絶対に許さない!」

 

「ギャーーーーース!」

 

 ペテなんとかさんが、鉄球で吹き飛ばされるのが見えたけど、別に死んではいないようだ。なんかピクピクしてるし。

 俺はとりあえず、反抗するやつ全員を縄で縛り上げて、ホイミだけかけてやった。

 残った全員で焼いた白鯨はおいしく頂きました。

 あ、フェルズがいねえや……まあ、いいか、

 



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(63)閑話 ダンジョンに潜ったら、アロエちゃんがいました。②

お世話になってるあろえさんがお誕生日だったということで、お祝いにアロエちゃんのお話を書きました! 当然番外編です。


 今日は久々にホームでまったりしていた俺なのだが、さすがにずっとゴロゴロしすぎてそろそろ飽きてきた。

 なにしろここは異世界、というかダンまちの世界、あ、言っちゃった。

 日がな一日中ラノベを読み呆けようにも、本屋なぞそもそもないし、ゲームをしようにもゲームがない上に、コンセントすらないときてるから、家電なぞなにひとつない。

 まあ、魔石保管庫とかいうまったく腐らない便利な冷蔵庫はあるにはあるが、それで暇を解消できるわけもなく、なら何で遊ぶかっていうと、この前自作した『ジェンガ』をひたすら積み上げるくらいか……、いや、確かジェンガは遊び方が違うと、葉山とか小町に言われた気がするな?

 

 ベッドから起きて、窓の外を見ると、今日も隣の教会には長蛇の列。

 ルビス様もよくやるなー。いっそルビス教の名前で壺とかお札とか売ればいいのに。飲めば寿命が伸びますよとか適当に言っても売れる気がするな、うん、死んだら一回くらいただで生き返らせてあげればもんだいない気がする。おっと、あんまり邪念撒いてるとまた良からぬことが起こりそうだからこの辺にしておこう。

 

 いやあ、本当に今日は暇だ。

 

 このところ、ずっとダンジョンに潜っていたせいで色々なアイテムが減っていたから、今日は由比ヶ浜と雪ノ下の二人は魔石の換金がてらお買い物中だ。

 いつもはオレも一緒に行くのだが、毎回余計な買い物に付き合わされた挙げ句、精神的に完全にノックアウトされるまでファッションショーに付き合わされてしまうので、今日はあれやこれや理由をつけて留守番させてもらった。

 小町と一色はいつも通り下の店を切り盛り中。ここも閉店までずっと大忙しだからな、当然顔は絶対にださない。ちなみに、今はポリィがアルバイトしているわけだ。あいつもいい加減スリ以外の仕事をさせたかったからな。

 結構ウェイトレスのミニスカートが似合ってるとか評判もいいみたいで、本人もまんざらじゃないから、良かった良かった。

 あと、アンだが、あいつは今日もバーバリアン達のところに遊びに行ってるな。

 この前、バーバリアンとデフォルミススパイダーとサンダースネイクが、『進化』して、まさかの美女(?)になっちまったもんで、今日もどうせあれやこれや『モンスター女子会』に花をさかせているんだろうな、うんうん。

 

 と、つまり今は本当に誰もいない。

 

 いや居たな。一人(?)だけ。

 

 俺は頭を掻きながら俺と同じようにぼーっとしているであろう、あいつの所へ向かった。

 そこは、2階のテラス。

 雨が降っても大丈夫なように、屋根つきの温室のようにしているその小屋に入った。

 

「おーい、いるかー? ひまかー?」

 

「おー」

 

 適当に声をかけると、陽の光を全身に浴びながら、だるーっと気の抜けた声をあげる緑色の得たいの知れない生き物……、というか、アロエ?

 奴は眠そうに半目を開きつつ、あくびをするように俺に返した。

 

「ご主人、暇なのですよぅ」

 

「いや、俺も暇だから来たんだが、何か変わったことはないか?」

 

 そう聞いて、そういや、ここで変わったことなんてまず起こるわけねえなと一人思い、頭を掻いた……

 

 が!

 

 変わったことがすでに目の前で起きていた。

 

 なんというか、アロエが……、ダブって見える?

 っていうか、2匹いる?

 

「あれ? お前、なんか、二つに分かれてねえか?」

 

 目をこしこし擦ってもう一度見てみるも、やっぱり二人いる。というか、完全にひとつの鉢に、二つのアロエがちょこんと座っていた。

 

「あ、そうなんでうよぅ、株分けしたんですよぅ」

 

「株!?なに、お前植物みたいなことしてんだよ」

 

「アロエは植物なのですよぅ」

 

「お、おお、ま、そうか……」

 

 そりゃ植物ならそうやってふえるよなって、

 

「いや、違うだろ、お前どう見ても動物じゃねえか、なんで株で別れるんだよ。っていうか、なんで一晩でいきなりもう一人生まれちまってるんだよ」

 

 その俺の問いに、二人のアロエは顔を見合わせている。

 

「なんでっていわれても……」「ねえ、なのですよぅ」

 

「おおう、これだから異世界は……、で、どっちがオリジナルで、どっちが新しい方なんだ?」

 

「その聞き方は、アロエのアイデンティティーにすこぶるひっかかる物がありますが、私が元株ですよぅ」

「で、私が新株なのですぅ」

 

 二人で手をあげて同じ声でハモるのはなにか蝶々の怪獣映画に出てくる双子を連想させるな……

 

 と、そこへ……

 

「おお、八幡君、こんなところにいたか、探したぞ」

 

 見れば、黒のフーデッドローブを見事に着こなしたまるで骸骨みたいな骸骨、フェルズさん。

 いや、お前、もう昼間出てくるなよ。

 

「なんだよ、急に。昼間から」

 

「いや、だから私はゴーストではないと……、まあ、いい。それよりもこれだ。ついに私は自力で『異世界転移』の魔法を完成させたぞ!ふははははは」

 

「ええー」

 

 何をいうかと思いきや、こいつのこういう自信満々の台詞は完全な死亡フラグ。そもそも原作で何回フラグ立てて失敗をつみかさねてきたことか……

 最初はイケメンなできるおっさんかと思ってたのになぁ。実はダメダメちゃんだったんだよな、こいつ。

 

「ま、聞くだけ聞くけど、って、おい、なにやってんのお前?」

 

「いや、早速実演しようと……」

 

 見れば、いきなり温室の中心に魔方陣を浮かび上がらせるフェルズさん。そして、その輝きが頂点に達したそのとき……、

 

「「「「あ」」」」

 

 二人ならんだうちのアロエの一本が、ずぼぼぼぼっとその鉢から引き抜かれて、その魔方陣に吸い込まれていった。

 その刹那、

 

「アロエ!ご主人にしっかり尽くすのですよぅ」

「わかったよアロエ!ご主人は任せるのですよぅ、お達者でー」

 

 それを最後に、すぽんと飲み込まれたアロエをそのままに、どうやら魔方陣は消滅した。

 

 沈黙が支配するその空間で、硬直したまま後ずさって帰ろうとしているフェルズさん。

 

「おい、ちょっと待てお前」

「ひえ」

 

 たぶん冷や汗だらだらかいてるんだろうな、骨しか見えないけど。

 

「まあまあ、ご主人、アロエは大丈夫なのですよぅ、どこでも生きられますし。いくらでも増えますし」

 

「いくらでも増えるんだ……? ちなみにお前って、オリジナル?ニュー?」

 

「新株なのですよぅ」

 

「……」

「……」

 

「で、では、せっかくだから誕生ってことで、お祝いでもしようではないか」

「そ、そうなだ。数えで言えば、一才だしな。誕生日おめでとう! アロエ!」

 

「ありがとうなのですよぅ」

 

こうして、アロエが誕生し、アロエが去り、アロエの誕生日のお祝いをしたのだった。

 

 なんだこれ?

 

 ちなみに、とあるアクセルとかいう名前の始まりの街の、変な四人の男女が暮らす屋敷の庭に、まるで安楽少女のような可愛らしい植物がひょっこり生えたのは……

 

 また別のお話……

 

「あろえ?」

 

 

 

 to be ......

http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=8022756



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(64)閑話 あろえさん誕生日おめでとう!から始まる新シリーズ?序章の前!

pixivでいつもイラストでお世話になっているあろえさんの誕生日がまたやってきました!! おめでとう!!
とはいえ、このシリーズの作品内部時間では、まだ1年も経っていませんけどね。
おしとやかそうなあろえさんとこのアロエちゃんとはちょこっと違うかもね、うちに来た子はけっこうはっちゃけてますね、記憶共有してるっぽいですけども。
ということで、こんなお話です。
さあ、続けちゃうのもありかもですねw


「八幡さん! アロエは今日から旅に出るのですぅ!」

 

「お……おお!?」

 

 久々にダンジョンの探索を終えてホームへと戻ってみれば、そこには植木鉢の上で大きな風呂敷包みを背中に背負った我がホームのマスコットでもある、『アロエver2』の姿が!

 ちなみにもともとのアロエは、この前の株分け後、アホのフェルズの転移魔法によってどこかへと消えてしまったので、ここにいるのは二代目らしいのだけど、いったいどこがどう違うのか皆目見当がつかない。

 まあ、それはどうでもいいとしても、いったいこいつは何を言い出しているんだか?

 確かこいつの実家は俺たちと同じ地球で、そこの篠……篠……篠なんとかさんの家で育ったとかなんとか言っていたから、ついでに連れて帰ってやろうとか思っていたのだが、もう間もなく帰還の手段を手に入れられるこのタイミングで旅に出るとか、いったい何を考えているのやら?

 というか、こいつ植木鉢ごと移動する気なのかよ? 根っこ引っこ抜いて歩けるのは知ってるけど、基本光合成と水がぶ飲みで生きてるくせに何をどうしようというのか!!

 そんな俺と同じ疑問を持ったのであろう、由比ヶ浜と雪ノ下が荷物をおろしながら聞いていた。

 

「アロエちゃん、旅に出るって、どこに行く気なの?」

 

「あなたがその辺のレベル3、4程度の冒険者を瞬殺出来ることは知っているのだけれど、一人旅はやはり危険よ? どこかに用があるというのなら、私たちも同行してもかまわないのだけれど……良いわよね、八幡」

 

「あ、あぁ……別に構わないけど……」

 

 ほぼ断定的に雪ノ下にそう問われてしまえば、俺だってもういいとしか言えようはずがない。

 それに俺だってこいつを一人で旅に出したいなどとは考えていないのだから。

 そんな俺達にアロエは大きく頷きつつ答えた。

 

「皆さんが来てくれるなら心強いのです。アロエはアロエは……」

 

 アロエはなにやら小さな拳を握り込むとプルプル震えながら、そして猛々しく吠えた!

 

「アロエは、アロエの大切な物を奪った、クソギルド【アインズ・ウール・ゴウン】の【モモンガ】のクソヤロウをぶちころがしてやるのですぅ!!」

 

「「「はい!?」」」

 

 俺と雪ノ下、由比ヶ浜の三人はほぼ同時にそんな声を出してしまった。というか、女子二人は良く分かってないようだが、俺はアロエの言った文言についての知識があった。というか、また『な〇う小説』だった!!

 

「おいアロエ。お前何でいきなりオバロネタぶっこんできやがるんだよ。っていうか、なんで植物系モンスターのお前がそんなもんしってんだよ?」

 

「アロエは植物系モンスターではないのですぅ! いたって普通の多肉植物なのですよぅ」

 

「いや、いたって普通の多肉植物がオーバーロードを話している方がよっぽどあれなんだがな……まあいい、んで? なんだって? その小説の主人公がなにしたって?」

 

 もはやあきれ果てて何も言えやしないが、もうどうでもいい、さっさと聞いちまおうと思ってそう言った瞬間、アロエは目を輝かせて言った!

 

「よくぞ聞いてくれやがりましたです! あれはまだアロエが篠山さんちに居た頃のことですが……」

 

「ちょまっ! お前あれだろ? バージョン2だろ? なんでそんな大昔の記憶を持ってんだよ?」

 

「何を言ってやがりますか? アロエはアロエで、株分けしまくってるだけで記憶が同じに決まってるのですよぅ。なんなら、今全次元にいるアロエの記憶を共有できるまであるです」

 

「……もう……いいや。わかった。お前が普通じゃないってことがよーくわかった。はあ。続きをどうぞ」

 

 アロエはフンスと鼻息荒く大きく頷くと、それから話の続きに移った。

 

「要はですねぃ……あの頃毎日欠かさずにログインして、篠山さんから貰った貴重なお小遣いで課金までしまくって、みんなで育て上げた大事なクランをですねぃ、あのクソモモンガの野郎のギルドにぶっつぶされたのですよぅ。しかもですよぅ? レイド攻略をしていた【ナザリック地下墳墓】の攻略の最中に! あいつらアロエたちを潰した挙句、クリアボーナスでナザリックまで手に入れて、それを本拠地にされて、アロエは、悔しくて悔しくて……」

 

 たんたんたんと、自分の鉢の中の地面を叩き続けるアロエ。

 見事な悔しがりっぷりだ。

 

「えーと、それ、【ユグドラシル】ってゲームの話だよな? ま、まあ、なんとなくわかったが、確かにゲームとはいえ、共同攻略中に裏切るとか最悪だよな。うん、最悪だ」

 

「あ、いえ、先に裏切ったのはアロエたちの【レッド・チリ・ホット・ペッパーズ】の方なんで、その辺はあんまり気にはしてないんですけどねぃ」

 

「っておい! お前らが裏切っちゃったのかよ? というか何そのクラン名。なんか色々間違ってる上に、ちょっと辛めで美味しそうな料理が載ってそうなグルメ情報サイトみたいになっちゃってるぞ!? ってか気にしろよ!」

 

「そんなことはどうでもいいのですよぅ。アロエたちはP.K.(プレイヤーキル)専門集団ですからねぃ、プレイヤー狩ってなんぼなので。でも、返り討ちに遭ったのが悔しくて悔しくて」

 

「いや、それお前らが完全に悪いだろ。襲い掛かって負けて悔しがるなよ、謝れよ」

 

「アロエは悪くない! 世間が悪いのですよぅ!」

 

「ぐぬぅ、どこかで聞いたようなセリフ抜かしやがって……」

 

「それいつも言ってるのヒッキーだよね」「八幡の教育が悪いせいで、アロエさんがこんなになってしまったのね……はあ、かわいそう」

 

「ちょっと待て、俺は悪くない。全部この世界が悪い! ……あ!?」

 

 なんか本気でみんなの視線が痛いのだが……

 ええい、もういいや。さっさと話しを終らせちまおう。

 

「でアロエ? ゲームでお前がけちょんけちょんにやられたってのは分かったけど、それがいったいどうしたんだ? なんで旅に出ようとしてんだよ!」

 

 と、そこでアロエが喜色満面になって言ったのだ!

 

「アロエは知ってしまったのですよぅ! なんとですねぃ、この世界にあのナザリック地下墳墓が現れたらしいのですよぅ。支配者の名前が、アインズ・ウール・ゴウンというらしいですからねぃ、あのギルドの頭はモモンガのくそ野郎でしたしこれはあいつがいるに決まっているのですよぅ」

 

「はあ? お前それ誰情報だよ? 俺達はそんな話聞いたこともないぞ!」

 

 由比ヶ浜たちを見ればやはりふるふると首を振っているし。

 そんな様子の俺達にアロエが言った。

 

「教えてくれたのは、ヘルペス……じゃなかった、神ヘルメス様ですよぅ。この前ふらっとお茶を飲みにきたので、くそモモンガの話を怒りを込めて熱弁したのですよぅ。そうしたら、東方の王国にそんな名前の集団が現れてそこの神達も困っているみたいなことをいっていたのですよぅ。これは好機! と、当然思うじゃないですか」

 

「絶対それ好機じゃないと思うけどな。で、お前はそいつらに仕返しに行くというわけだな? ただの逆恨みで!」

 

「ですです!」

 

 にこりと可愛らしく微笑むアロエ。

 まるで天使だが、話の内容からして、はっきり言ってくそはこいつだ!

 

「一緒に行ってくれますか?」

 

 目をキラキラさせてそう懇願してくるアロエだが、どうしたら今の今までの話の後で付いてきてくれると思うのだろうか。まあ、ついていくわけだが。

 

「仕方ねえから一緒に行ってやるよ。だけどあれだからな? 俺達のターゲットの黒竜(黒翼の邪竜ナース)の居場所ももうじき分かるんだから、それまでの間だけだからな?」

 

「あ、ナースもナザリックのそばにいるとか、神ヘルペスが言ってましたのですよぅ」

 

 なんてことはないように、そう言い切るアロエ。

 あの、くそ神がぁ……

 それもう判明したんなら、アロエの前に俺らに言えってんだよ。くそ、また面白がって適当なことをやってやがるな。マジムカつく。

 

「はあ、しょうがねえ。黒竜がいるなら、もう行くしかねえよ。いいなお前ら」

 

「うん!」「問題ないわ」

 

 にこりと微笑むアロエを見ながら、めちゃくちゃ面倒なことになったと頭を抱えたのであった。

 

 こうして俺達は準備を整えてこのオラリオから旅に出る。

 さて、この先何が待ち構えているのやら?

 とりあえず聞きたいのだが……先頭に浮かぶアロエ? お前の乗っているそのフリ〇ザのポッドみたいな乗り物は一体なんなんだ!

 

 

 

 to be Prologue……?



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